to 日記と感想 2006年04月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171030(月)10:00 聖路加 桑本先生
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170824(木)12:10キララホールエントランスコンサート、マリンバ
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170813(日)10:30ナザレン教会浦和教会
    170813(日)14:00比企紀和君
    170812(土)14:00お江戸こらりあーず演奏会、文京シビックホール
    170809     TW誕生日
    170809(水)17:16初音吹奏楽、府中の森芸術劇場ドリームホール
    170808(火)0930池谷医院
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170708(土)14:00在宅医療説明会(キララホール)
    170707(金)10:00池谷医院
    170706      TM誕生日
    170702(日) 集会感話
    170701      TT誕生日
    170630(金)12:20キララホールエントランスコンサート
    170628      IY誕生日
    170627(火)11:00 能城牧師来訪
    170625)日)10:10トミ子集会感話
    170625(日)14:00茅ヶ崎金子邸
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール


人間を数値で判断するな ++++++++ 所感

2006/04/30 07:55

060430(日)4時15分起床、聖日●朝風呂で日経「私の履歴書」は元首相の宮沢喜一。最終回。日本は米国と緊密になって世界平和に貢献せよという。現場人の実感らしい。政治のことは政治の専門家にまかせよう●NHKTV3CH5:00「こころの時代」は録画で老荘思想の泰斗である故福永光司。「人間を数値で判断するところに今日の諸問題が起こっている」とは至言。何事も泰斗の話は分かりやすくて面白い●人間は胎児の時から数値での比較に悩まされる。妊娠の期間、生れた時の体重、歩き始める時期、学校の成績、偏差値、知能テスト、体育テストの数値、私は鉄棒の逆上がりが苦手であった。学校ランキング、東大への入学率、学歴、人間を出身校で判断する人は偏差値で頭の程度を見るという低い判断基準の持ち主。間違い。ものさしが一つである。人間のよさや品格は学校の偏差値では測れない。語学力、外国語がわかることは真理の認識の必須条件ではない。初任給の額、会社の規模、資本金の額、売上数値、営業成績、健康診断の諸数値、特に体重と胴回りの寸法(!!)、血圧、身長、スタイルの各種数値、婚期、男性は35歳、女性は30歳が限度というあせり、給料の差、地位昇進の時期、知識雑学の量、これ教養だと思っている誤解、教会の場合は信者の数、礼拝の出席者数、教勢、無教会では雑誌の発行部数、今日の格差論も数値でのこと。退職金の額、寿命、などなど人間は一生すべて「数値」で判断される。数値に悩まされる●日の出が丘ホスピスの河野さんのお話。「死ぬときはみんな裸。そこに全く差はなくなる」。至言。人間は死によって「数値」から解放される。


新共同 伝  5:14
5:14 人は、裸で母の胎を出たように、裸で帰る。来た時の姿で、行くのだ。労苦の結果を何ひとつ持って行くわけではない。


●99匹の羊を残して迷い出た一匹を探しに行く神の心は「天国の数値」。これ企業の経済論理では通用しない。役員会でその方針は否決される。だからよっぽどの強い指導者がいなければ、「経済利益に反した善いこと」は会議からは生まれない。集団の決定は常に集団の利益という平凡な思想で決まる。そこには「人間」が存在しない。それは集団エゴ。


塚本訳 ルカ 15:1-7
15:1 さて、イエスの話を聞こうとして、(いつものとおり)税金取りや罪人が皆近寄ってきた。
15:2 パリサイ人と聖書学者たちがぶつぶつ呟いて言った、「この人は罪人を歓迎するし、また(招かれていって)食事までも一しょにする。」
15:3 そこで彼らにつぎの譬を話された。
15:4 「あなた達のうちのだれかが羊を百匹持っていて、その一匹がいなくなったとき、その人は九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を、見つけ出すまではさがし歩くのではないだろうか。
15:5 そして見つけると、喜んで肩にのせて、
15:6 家にかえり、友人や近所の人たちを呼びあつめてこう言うにちがいない、『一しょに喜んでください。いなくなっていたわたしの羊が見つかったから』と。
15:7 わたしは言う、このように、一人の罪人が悔改めると、悔改める必要のない九十九人の正しい人以上の喜びが、天にあるのである。
。」


●集会は、藤巻、村上(創世記)、望月(申命記)●五人で昼食(杉崎、小寺、山口、トミ子、私)●14:00今井館で第二回斉藤宗次郎研究会(幹事の児玉佳與子さんご病気のため最終回)。発題は森田外雄、渋谷浩●兵役拒否、軍事費拒否をしようとした斉藤宗次郎に対して、内村鑑三は花巻まで出かけて行って「ヤメロ」と言った。●その説得の本質について議論が集中。私はフロアーから次のような内容を発言した。「今日の発題はよかった。内村鑑三の説得の本質を端的に言えばクリスチャンは社会主義者のような行動はするな。山上の垂訓の精神で行け。それは一ミリオン歩けと命令されたら二ミリオン歩く精神。しかし心ではt常に平和を祈れ、それで殺されるのが『非戦論者の死』であって、平和の礎である」●会場にはいわゆる社会派クリスチャンが何名かいたので彼らに「よーく」聞こえるようにわざとそこにハイライトを当てて内村の姿勢をクリヤーにした。彼らは分かったのかなー。「聞く耳のある者は聞け!」●彼らと場外乱闘にならないように注意して帰った。


塚本訳  マタ 5:38-42
5:38 あなた達は(昔の人がモーセから、)『目には目、歯には歯』──(人の目をつぶした者は自分の目で、人の歯を折った者は自分の歯で、つぐなわなければならない)と命じられたことを聞いたであろう。
5:39 しかしわたしはあなた達に言う、悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打ったら、左をも向けよ。
5:40 (裁判所に)訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせてやれ。
5:41 だれかが無理に一ミリオン[一キロ半]行かせようとするなら、一しょに二ミリオン行ってやれ。
5:42 求める者には与えよ、借りようとする者を断るな。


斉藤宗次郎研究会での出会い。田村明(このたび岩波新書から「まちづくりと景観」を上梓しましたと教えられた)、森田外雄、高木謙次(来年の塚本先生記念会に登壇依頼)、武藤陽一、坂内宗男、矢沢英一、原島正、大山綱夫、●森田外雄氏の発題で「斉藤宗次郎の日記は事実、事実の列記だから価値がある。それに漫画の絵も添えている」とあったが、私の場合は漫画でなく写真であると思った。日記は事実の描写に価値がある。それは神の筆跡の記録●妻は森山瑠璃子さんの見舞いに行く。

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官憲は神の召使である ++++++++ 所感

2006/04/29 08:48

060429(土)4時15分起床。みどりの日●朝風呂で日経「私の履歴書」は元首相の宮沢喜一。日本長期信用銀行を救済するために住友信託銀行との合併を計るが実現せず、無念だったという。宮沢喜一は英語と経済に強かった。国家が、一民間企業の浮沈にまで口を出してくれた事情を知り、ロマ書13章4a節を思った。体制とみれば無思慮にこれにたてつく低級人間は無教会の価値を下げる。そういう人間は自らだけでなく家族をも滅ぼす。●というとすぐその官憲が間違ったことをしたらどうするのかと愚問を発する聖書に半可通の人間がいる。自分の思いがいつも正しいと思っている。人間は全員が神の召使なのだ。


塚本訳 ロマ 13:4a
13:4 官憲はあなたの最善のためにつくす神の召使である


●毎日の日記を「今か今か」と待っていてくれる「隠れ読者」がいるかと思えば「イマイマシイ」と感じている人もいるらしい。何せ年間累計8500回あるアクセスの「隠れ読者」は実に様々だ。●それよりも「聖書で聖書を読むBbB」のところだけへのダイレクトアクセス数は今月一ヶ月だけで5600回。こりゃ大変だ。日本には教会には行きたくはないが経典である「聖書」を自分で読みたいと思っている潜在人口は計り知れないほどあると実感する。●妻がピアノの先生からポリーニのピアノCDを借りてきた。ヴェート―ヴェンのピアノソナタを鑑賞。ポリーニ(イタリア)は18歳の1960年ショパン国際コンクールで審査員全員一致の優勝というゴツイことをやった。審査委員長のルービンシュタインをして「我々の中に彼ほど上手く弾ける者がいるだろうか」とうならせた戦後ピアノ界最大の天才。音がころころと響いて輝いている。これじゃベートーヴェンも拍手するだろう。彼の横顔は修行僧のようだという。さもあらん●仕事も芸術も人間に顔を向けないで神に顔を向けて修行僧のようでなければ一流にはなれない。結婚生活もまた同じ。伴侶や子供を見つめていては一流の家庭をつくることはできない。●ポリーニはショパンコンクールに優勝してからは浮かれないために、8年間自己研鑽の修業のため沈黙。世に姿を現わさなかった。偉人は違うなー●ホロヴィッツも12年間沈黙、イエスには沈黙の30年があった、神学校を出てすぐ講壇に立つような牧師はものにならない。最低7年は汗水たらして労働してみなければまともな「説教」はできない。貧困と病気などの人間苦を経験しなければ聖書は説けない。第一に「幸いなるかな貧しきもの」の個所は分からないから説けない。●貧困に泣き、病に苦しみ、罪を犯して居所がなくなった人でなければ「十字架と復活のありがたさ」が分からないから「使徒伝承」には連なれない。本物のクリスチャンにはなれない●昨日の「最澄と天台の国宝」展で「浄土への憧憬」というコーナーがあった。人間は誰でも救われて浄土に行きたいと願う。これは聖書的には罪が赦されて神に迎えられたいという願いと同じ●仏教もキリスト教も罪があっても救われる。否、罪人の方がかえって先に救いに預かれるというところは同じ。ただしキリスト教は「修業」しなくても神のほうから救ってくださるから「アリガトウ」と言って素直に受けさえすればよいのだ。それに「罪の贖い」は神の方でなさってくださる。昨日の展覧会を見てそこが違っているように思えた。●妻はコーラスの練習。プッチーニ「グロリアミサ」.私はDVDで「アラビアンナイト」を観る。リムスキーコルサコフ作曲「シェエラザード」の元の物語かと思ったたら違った。映画というのは気をつけなければならない。

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姉歯元建築士に告ぐ ++++++++ 所感

2006/04/28 07:52

060428(金)4時半起床、出勤日●朝風呂で日経「私の履歴書」は元首相の宮沢喜一。高い思想は政治では通用しない。政治では世の中よくならない。●人の思想は行動で判定されることがわかった。最近私の朝風呂での読書、早起きの習慣を真似されている。また4月25日に高尾山に登ったことに感じた人がいた。これらは皆思想よりも行動が影響を与えることの証拠●思想は相手に影響を与えない。それは大脳皮質のなかだけの遊び●親が遊び人だと子供も遊び人になる。親が酒飲みだと子供も酒飲みになる。「親もやっている」と思って子供の心理に歯止めがかからない。●耐震偽装問題で4人が逮捕された。皆「別件逮捕」。別件逮捕なら「罪のない人はいない」。人類は全員が「別件逮捕」で捕まる。「俺に罪はない」と思っている人間はオメデタイ。罪の概念規定が低い。「アイツなんかいなくなってしまえ」と心で思うことは神の目から見て「殺人」なのだ。だから神の目では「死刑」なのだ●4人のうち、深く反省しているのは姉歯元建築士だけ。彼の妻はマンションから飛び降り自殺。かわいそうに。●姉歯元建築士に告ぐ「あなたの罪は赦されている。服役の期は終わった。肉の身体はあるいは極刑になるかもしれないが、霊魂は赦されて神に迎えられる。極刑の時の苦しみは瞬時、あとは永遠の生命の喜びだ。それで君の人生は成功だ。」


口語訳 イザ 40:1-2
40:1 あなたがたの神は言われる、「慰めよ、わが民を慰めよ、
40:2 ねんごろにエルサレムに語り、これに呼ばわれ、その服役の期は終り、そのとがはすでにゆるされ、そのもろもろの罪のために二倍の刑罰を/主の手から受けた」。


新改訳 イザ 40:1-2
40:1 「慰めよ。慰めよ。わたしの民を。」とあなたがたの神は仰せられる。
40:2 「エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その労苦は終わり、その咎は償われた。そのすべての罪に引き替え、二倍のものを主の手から受けたと。」


●過日のこと。いわゆる社会派信者から「同じ一級建築士として今度の事件をどう思うか」と詰問のような話を受けた。耐震偽装問題に限らず、この世の悪に対してこの世の人間と歩調を合わせて天下国家を糾弾するのはキリスト信者らしくない。そういう人は共産党か朝日新聞の社会部に入ったほうはふさわしい●アンセルメ+スイスロマンド管弦楽団でボロディン「イーゴリ公」からダッタン人の踊りと合唱。この音楽は中学生の時の出会い。合唱がよい。この世ならざる感じのする音楽。●教育は高校時代と言われるが、それは思想的なもの。芸術に対する感性は中学生の時だ。よい人物に接して影響を与えられるのは小学生の時。スイスでは小学校の教育、幼児教育に力を注ぐ。否、人間は胎児のときから影響を与えられる。●神田の長谷川真史氏と懇親懇談。三代目店主として立派にやっておられる●上野に行き、改めてアーキテクチャーの数々を鑑賞。


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東京国立博物館本館 2006.4.28


国策によるデザイン。なんともマーまずい設計だ。国策は建築デザインをも悪くする。


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東京国立博物館東洋館 谷口吉郎設計 2004.4.28


本館よりマシだがなぜか大味で感動しない。大建築によいものなし。東京都庁、六本木ヒルズ。


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東京国立博物館 平成館 2004.4.28


なんともマー凡作。組織設計事務所の設計はこうなる。人間性が出ない。コンペだったらしいが、そうなら、審査員チームが悪かった。


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東京国立博物館 法隆寺宝物館 2004.4.28


傑作。見たとたんにハッとする。東洋館設計者の谷口吉郎の子息谷口吉生の設計。建築学会章を受賞しただけのことはある。谷口吉生は建築以外の勉強(哲学だったか?)もされた。人間精神的なことを学ばないと本業が栄えない。金儲けもできない。


●東京藝術大学大学美術館で「エルンスト・バルラハ」展。人間の内面を表現した彫刻に感動。バルラハ(1970-1938)はドイツ表現主義の彫刻家。表現主義とは20世紀初頭から第一次世界大戦後まで、ドイツの社会矛盾を反映した文学・芸術思潮。絵画ではムンク、カンディンスキー、建築ではブルーノタウト、音楽ではシェ―ンベルグ。●バルラハの傑作は「再会」。三度戻って見直した。復活を疑っていたトマスを抱きかかえるキリスト。その手には十字架に付けられたときの傷跡がある。トマスにはその傷が見えないように構成にしてあるところがなんとも泣ける。


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 エルンスト・バルラハの傑作「再会」。1926年ブロンズ彫刻。2006.4.28 パンフレットを撮影


復活を疑っていたトマスがイエスが神の子であることが分かった瞬間。


キリストの手には十字架につけられたときの釘跡がある。トマスにはそれが見えないように


構成にしたバルラハの思いは深い。3度戻って見直した。


●東京国立博物館平成館で「最澄と天台の国宝」展。今日は20時まで開館。日本仏教の源流は最澄と天台宗。国宝31件、重要文化財100件は100年に一度の空前の大展覧会。すべてに圧倒された。会場は黒山の人。●満員の観客を見て、日本にこれだけの宗教がある以上、なまじの浅薄なキリスト教では常識ある日本人は受け入れないと感じた●経典である法華経の写本は国宝のものが多数あった。説明の女性に「これらは写本だが原本はあるのか」と質問すると「聖書と同じで原本は見つかっていません」との答え。この女性は聖書のこともよく知っていて教養がある。●日本仏教の伝統にキリスト教が太刀打ちできるとしたら「聖書主義」よりほかにないと感じた。仏教は経典、キリスト教は「聖書」。●日本人は文字が読めるから「聖書そのもの」を読んで、聖書を生き抜くことがわが国にキリスト教が土着する道。職業宗教家である司祭や牧師が「使徒伝承としての聖書」の周辺の教会(集会)形成に腐心しているようではキリスト教はいつまでも土着しない。日本人の高い知性はそれを赦さないなーと感じて会場を後にした。




 






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隠れ読者からのメール ++++++++ 所感

2006/04/27 06:53

060427(木)4時半起床●朝風呂で日経「私の履歴書」は元首相の宮沢喜一。「世論というのはこんなに危うくもろいものなのか。すぐ風向きが変わる世論の怖さが身にしみた」。至言。世論というのは顔と人格がなくて常に隠れている。個々に出てこない。集団で群れる。教育における「教職員組合」、企業における「労働組合」、官庁における「政策方針」、教会における「長老会」。これらはみな集団の意見であって「高貴な意思」ではない。集団のエゴがその本質。●組織のよいところは一旦決めたらタンカーのように波を切って突き進む。今度は止めようと思っても慣性がついていて容易には止まらない。これがまた悪く働く。「今までこうやって来たのだ」という人が大勢いて新しいことができにくい●4月25日のHPブログ日記を見られた方から嬉しいメール。人は思想ではなく行動を見ているのだなーと感じた。内容は管理者にきり見えないものだが内容は公のことで大切なことなので「隠しておかずに」以下に公開する。


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毎日、日記がupされるのを楽しみにしております。朝から今か今かと何度もアクセスすることもしばしばです。本日は高尾山登山とのこと、快い疲れでさぞかし快眠が与えられることでしょう。楽しく、また羨ましくご夫妻の写真を拝見。いつもお二人の距離がいいです、羨ましいかぎりです。お国によっては手をつないでしまうところですが、つなぎそうでつながないような、しかし寄り添って...ご夫妻の深い愛を感じます。子は親を模範とします。幸いなるかな、ご夫妻のお子達は!幸いなるかな、主イエスさまを救い主と信じて受け入れ、神の子とされた者は!主イエスを模範とします。...私たちの肉体もやがてあの老木のように倒れ、朽ち果てます。しかし、「キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。」感謝と喜びと希望に満ち溢れます。隠れ読者、嬉しくて隠れていられなくなりました。


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●手をつながないのは妻がつながせてくれないからである。(つないで歩いて見たいなー。老人になって足元が危なくなれば手をつないでくれるのだろうか・・・・)。夫婦の姿は様々であるが、「つかず離れず。車間距離を保っ」た方が長続きするケースがあるらしい。私たちはそのケース。妻はべたべたするのを嫌うのである。●わたしの見聞きした範囲では、ベタベタ恋愛でスタートした結婚がドロドロになるケースの割合はかなり多い。そこには神の入り込む余地がないからである。●血液型による相性(その方面の本による)。左は夫、右は妻。べたべたしないでサラッとしているのがよいケース。O+AB、A+B、AB+O、B+O。ちなみに私はOで妻はAB。妻は私にサラッと付きあっていきたいという。夫唱婦随型がよいケースはB+O、O+A、A+AB、AB+B、その逆の婦唱夫随(?)型がよいケースはO+B、A+O、AB+A、AB+B。そして同じ血液型の場合は年齢が離れていれば安心だが、近いといつも喧嘩ばかり。しかしこれらはこの世的な相性。「主にあれば」どんなケースも平安でうまくいく。神の霊は血よりも濃い。


塚本訳  ヨハ 1:13
1:13 この人たちは、人間の血や、肉の欲望や、男の欲望によらず、神(の力)によって生まれたのである。


新共同 ヨハ 1:13
1:13 この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。


新改訳 ヨハ 1:13
1:13 この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。


●ハイドンのオラトリオ「四季」ハイライツをアンタルドラティ+ロイヤルフィルで鑑賞。「春」の第2曲「来たまえ、のどかな春」はベリーグッド。音楽は市場経済の原理と同じでよいものだけが淘汰されて残る。バッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツアルトなどは何百年も淘汰されて生き残っている。●モーツアルトのヴェスペレ(夕べの祈り)を鑑賞。これはよい。ただし信仰心のない人が歌うとその違いがすぐわかる。日本人の猿真似技術では絶対に無理。●図書館にCDリクエストカード、「モーツアルト」の曲を110曲書く●出版厚生年金基金に対する年金関係書類を作成●「御言葉の洪水」というご注意を受けた。Jバイブルで苦もなく、長文の聖書引用をしていたが、読むほうは大変であったと反省をした。


 

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(お前は)どこにいるのか ++++++++ 所感

2006/04/26 09:08

060426(水)3時半起床。6時間睡眠●朝風呂で日経「私の履歴書」は元首相の宮沢喜一。PKO法案、PFK法案などのこと。政治の世界では個人的な高い思想などは派閥の均衡などでもみ消されるから政治で世の中が良くなるなどとはとうてい思えない。●木村建設、イーホームズ、姉歯建築士が「別件逮捕」。まず逮捕ありきで荒探しされて捕まった。●姉歯元建築士の妻は先月自殺。本人は深く反省している。この世の法律では「極刑」もやむを得ないが彼の霊魂は赦されている。警察は「世論」の手前逮捕した。●この世は、「世論」で動く。その世論というのは顔がないので全く無責任。●小泉政権は世論の支持を得ていると思っているが、世論は常に顔がなく人格がない無責任な存在。世論で「良い思い」は浮かばない。世論というのは最大公約数的なエゴ。●チェルノブイリ原発事故から20年。ロシアは現在でも国家予算の10%を事故処理に費やしている●この事故の原因は明快。事故の隠ぺい工作。神無き国の当然の結果。●これは、国家も家庭も個人も同じ。個人情報保護を振り回して自己の罪を隠蔽していると人生必ず没落する。チェルノブイリの二の舞になることは明らか●神は罪を犯したアダムに対して「(お前は)どこにいるのか」と言った。これは神はすべてをお見通しであるということである。●人間は神の目からは逃げ切れないのである


新共同 創  3:9
3:9 主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」



 

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高尾山に登る ++++++++ 所感

2006/04/25 18:39

060425(火)6時半起床●朝風呂で日経「私の履歴書」は元首相の宮沢喜一。総裁に選ばれるときの裏話。なるべきでないのは政治家。外部では民衆に気を使い、内部では派閥に気をつかう。●妻と高尾山に登る。8:30出発。


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妻と高尾山に登る。リフトを降りて3号路を行く 2006.4.25 高尾山


ウグイスの声を聞きながら歩いた。このあと雷が鳴って雹が降ってきた。


多摩ニュータウンの方面を見て、大熊好子さんのことを思った。


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老木が倒れていた。人間も80歳ぐらいで倒れる。私の余命19年。


この木のように倒れるのか。妻が「次の芽の養分になるのよ」と言った


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高尾山山頂 599m 雨が上がる 2006.4.25 高尾山


カメラの腕がよさそうな女性に撮影していただく。構図がよい


 


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高尾山薬王院 真言宗の名刹 2006.4.25 高尾山


高尾山はこの山があったので開けた。1260年前に開山。


これもカメラの腕のよさそうな人の撮影。



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妻はタカオスミレが見たいと言った。これだろうか。2006.4.25 高尾山


タカオスミレは高尾山で発見命名された


●帰宅は15:30 出発から7時間。ちょうどよいハイキング。この次は紅葉のときに来たい。


 


 


 


 








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新しい給料 ++++++++ 所感

2006/04/24 21:44

060424(月)4時起床●朝風呂で日経「私の履歴書」は元首相の宮沢喜一。リクルート事件で「痛くない腹を探られ」。コト面倒とみて大蔵大臣を辞任。賢い。この世の人間は憎い人がいると「別件」で相手をなき者としようとする。これ殺人罪。こういう世界や人間からは「36計逃げるが勝ち」である。根も葉もないことを勝手に疑ってかかってくる。わたしもトンデモナイ人間にトンデモナイことを邪推された。天罰下れ。神が決着をつける。早めに決着をつけていただきたい。


塚本訳  マタ 5:11
5:11 わたしゆえに罵られたり、迫害されたり、あらん限りの根も葉もない悪口を言われたりする時、あなた達は幸いである。


新共同 マタ 5:11
5:11 わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。


●朝、DVDで「栄光への脱出」を見終わる。イスラエル建国の苦労物語。DVDを見るのは考えもの。目と時間がとられて何もできない●11:30オムニコ(株)の桑本賢氏が来訪。昼食共。リサーチの難しさを伺った。●新しい給料明細を頂く。大幅に下がった。非常勤になったのだから仕方がない。「年金」に頼らなければならない。生活を質素にしなければならない。ピューリタンやアーミッシュの精神を思う。質素はよい。●白井徳満氏の「復活」論考を読む。新宿集会の中核に「使徒伝承」が」あることを知って安堵した。●教会や集会の中核に「使徒伝承」がない場合は「本質」がないので、自然に崩壊するか自然消滅するのは当然。長く続いてはならない●藤原正彦著「国家の品格」が100万部以上のベストセラーだというので図書館で借りて読む。内容は「日本のよさを見直そう」というもの。外国かぶれ外国崇拝の悪い姿勢を正される。ただしキリスト教に関する見方はイマイチ●本書は第七章「国家の品格」だけを読めば足りる●第七章で興味があった部分。著者専門の数学の世界では「美的情緒」が大切で「美しい公式」という言葉もあった。なるほど。真理は美しいものだ。天地創造のとき神は「これを見て『よし』とされた」とあるがこの『よし』と訳されている言葉の原語は「トーヴ」で、それは「美しい」という意味もある。人間もデキた人の顔は味があって美しい●もう一つ興味が湧いた部分。天才の生まれる土壌は三つ。①美の存在・・・育つところは景色がよくなければならない。②跪く心・・・・宗教的情操、③精神性を尊ぶ風土・・・「文学・芸術・宗教」など金儲けに直接役立たないことをも重んじること。そして著者は日本にはこの三条件が揃っていると励ますがソーカナーと思った●例えば座談の途中で「私はそんなこと知っている」「もっと深いことを知っている」という顔をする勝気の人間は気分が悪くなる。そういう人間は伸びない。跪く心がないからである。こういう人間は「人間の品格」がない。●勝気の人間は「自分は何でも知っている」という顔をするから伸びない。跪く心に欠けるからである。これ「人間の品格」がない。●神学校に行って牧師になった人間は「信仰や聖書」のことに関しては一般信者より常に上にあり、彼らから教えられることはないと思っているから伸びない。教会員の心をつかめない。信仰の本質は学校の知識では学べないから一般信者のほうがはるかに尊敬すべき信仰が篤い人が多い。


文語訳 ヤコ 3:1
3:1 わが兄弟よ、なんぢら多く教師となるな。教師たる我らの更に嚴しき審判を受くることを、汝ら知ればなり。


●NHK「今日は何の日」で、歌手の尾崎豊の追悼式に3万人が集まったという。キリスト信者の中にも「自分の葬式はどのようにうしようか、大勢来てくれるだろうか」などと今から心配している人間がいる。それは「この世的人間」●キリスト教平和運動は人間の悟性に土台を置いている。いっそのこと「キリスト教」という言葉を降ろしたほうがよい。キリスト教の価値が下がる。汚れる●「イスラエルの旅」の冊子を送った方から、知人に知らせたいので、それが出ている私のHPアドレスを教えていいかという問い合わせ。「私のHPはオープンなので結構」と答えた●この短い人生は自然に生き自然に死ぬのがよい。隠すのは神にも人間にも嫌われる。隠すのは偽装。化粧や衣装は偽装。偽装には金がかかる。化粧や衣装には金がかかる。ただしデザインは化粧ではない。直裁の自然美を追求するのが本筋●


 


 

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山下次郎先生への礼状 ++++++++ 所感

2006/04/23 21:09

060423(日)4時起床●朝風呂で日経「私の履歴書」は元首相の宮沢喜一●今日の話の準備「キリスト教の歴史性」●塚本虎二著「私は命のパンである」を贈呈されたお礼に山下次郎先生へ礼状。内容の一部は公的なことなので公開する。


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山下次郎先生


本書(ヨハネ伝6章講義)は国宝級のもので、まず将来ともこの読みの深さのものは出ないと思います。信仰と学問が一致しています。特に今回の6章はプロテスタント「塚本ヨハネの真髄」とも言うべき個所です。



以下に本書に対する率直な感想を述べさせていただきます。●の箇条書きです。


 


●第一に、この講演は丸の内という「成熟した人」たちに向けての話であると言うことです。


第一コリント2章6節を思い出しました。


新共同 Ⅰコリ2:6 しかし、わたしたちは、信仰に成熟した人たちの間では知恵を語ります。それはこの世の知恵ではなく、また、この世の滅びゆく支配者たちの知恵でもありません。


●本書は4月21日から22日まで通算7時間半で読めました。しかし将来、既刊と合わせて「塚本テープ講演」としてまとめるようなことがあれば、その時には「講演」そのままの活字化ではないほうがよいと思います。例えば章ごととか、項目ごとに整理すれば註解書としても高水準のものになると解します。ブルトマン以上のものになると思います。



     ヨハネの著者は共観を持っていたのか

P6L11-12では塚本先生は「知らなかった」とあります。

P276L6-7で山下先生は「今日の学説では低い」とあります。

しかし素人の私が10年間ヨハネを学んだ実感からしますと、共観福音書でわかりにくいところが、ヨハネ伝で補完されているという感じがしました。これは政池仁先生の本にもございました。同感です。つまりヨハネ伝の著者は共観を補完した。補完であるから、共観とは違うのであると解します。



●6章はヨハネの創作で「ヨハネ神学」の披瀝。

これは山下先生の「無理解という対立構図はヨハネ福音書の著者による創作」というご見解には同感です。P283L5  同じくP388L9-10も類似です。

 

●信仰と愛の業との関係。

これに関して、山下先生はP296-304で非常に長く詳しく解説されておられます。

しかし、やや複雑になりすぎてしまったきらいがございます。「愛によって働く」では分かりにくいのです。つまり信仰は愛によって働くとなると信仰というのは神の愛の作用によって生じるものだという風に誤解されやすくはありませんか。ですからそれは思い切って

 「(本当の)信仰は愛(という行為)になって(自然に)働きでる」のほうが明快ではないでしょうか。これ塚本+山下解説を元にしての私の敷衍(?)訳です。



●復活信仰

本文6章39節にある「終わりの日の復活」の解説が塚本+山下では希薄です。そもそもヨハネのいわゆる「現在終末論」では「終わりの日の復活」は希薄になるのですが、それでも有体的復活と身体のよみがえりを固く信じるわたしとしては残念です。



●ペテロの告白への布石

第9回目の講演で、初めて6章の意味を教えられました。それは

「パンの奇跡の物語は命のパンの啓示の言葉に展開していき、

それがユダヤ人の無理解を生み、それがペテロの告白の布石となっている。」このような構図であることを教えられました。目的はペテロの告白だったのです。「イスラエルの旅」P21写真が関係します。



●塚本先生の聖書の読み方。

P345L6以下。 塚本の聖書の読み方は、「現在のテキストをそのまま読み、ある段階でジャンプする」のだという山下先生の解説は無教会の立場を明快に述べておられます。しかし山下先生はというと皆をジャンプをさせないで「ドイツの森」に案内します。そこにはブルトマン、ヘンヒェン、リールマン等の難しい方々がおられ、皆が混乱しています。



●「予定説」を乗り越える無教会

P143-148にはカルビンの予定説の強さと、危険性が説かれています。しかし塚本はこれを乗り越えています。ジャンプしてます。無教会はウッカリすると神ママで、予定説的な諦念に陥ります。塚本はそこを「祈り」で乗り越えろと勧めています。

 

以上思いつくまま感想を述べさせていただきました。

次の本を期待いたします。ありがとうございました。

 

                         2006.4.23 高橋照男


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●集会は大山、高木、高橋(一番大切な事」)●墓が空になっていたことは有体的復活の十分条件ではないが必要条件。●有体的復活の使徒伝承を語ると、なぜか後味がよい●昼食会で杉崎孝さんから「イスラエルの旅」の誤字など多数のご注意を頂く。感謝●13:00「若者の聖書勉強会」今日から第七期「マルコ福音書」。7年も続いていることは神の祝福が存在。司会高橋新一。落ち着いてゆっくり深く討議をするのはこのぐらいの人数がよい。


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若者の聖書勉強会第七期 2006.4.23 千駄ヶ谷社会教育会館


前列左から伊勢初音 杉崎孝 小寺利男 高橋照男


後列左から伊勢愛子 高橋新一 高橋トミ子


●NHKTV「N響アワー」。指揮アシュケナージ。ヴェート―ヴェン「運命」。これはやはり音楽の王者。モーツァルト「レクイエム」。合唱は神戸市中央合唱団。これは人生肯定の音楽。



 


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応答なき末期癌の覗き見読者 ++++++++ 所感

2006/04/22 07:06

060422(土)5時起床●朝風呂で日経「私の履歴書」は元首相の宮沢喜一。大蔵大臣の時に公定歩合を3.5%から3.0%に決定したことが後のバブルを招いたと批判されている。しかしあの時はそうせざるを得なかった背景が語られる。民衆の群集心理は常に勝手である。●過日のこと。尊敬する某夫人から「高橋さんはズバッといわれるから敵ができるのですヮ。オホホホホ」。●「ズバリの毒舌」は相手のことを思えばこそ。しかし愛のない毒舌は相手を殺すだけになる。これは役に立たない。●罪人の自己都合だけの発言は相手を生かさない。気分を悪くするから嫌われるだけ。それは自己の精神的病。罪の性質●その尊敬する某夫人「無教会の塚本虎二先生は教会というものを深く愛しておられたのですよ」●ヒルティは「敵のない人間は生きていない証拠」と言う。鉄の額(ひたい)を持てと言う。鉄の額とは「ノー」という姿勢●亡くなられたS老人。「私の戦いの相手は妻。妻との戦いが最も激しい」と言われた。多くの場合世の妻の最大の敵は夫。それは夫を愛しているから。愛さなくなると口もきかない●聖書は「敵をつくるな」とは言わずに「敵を愛せ」と言う。●ズバッと言ったために当局から睨まれて捕まった偉人達。モーセ、旧約の預言者たち、イエス、パウロ、その他大勢いる。ただし政界での敵は多くの場合自己の欲望からの争いだから尊くない●ブランド品や高いものを購入したことを自慢しあう仲間はこの世的な付き合い。この世的人間仲間。そういう仲間からは離れなければならない。自分もこの世的になる。人間を向上させない。神に顔が向いてない●私のホームページの知られざる「覗き見読者」のなかに、末期癌の人がいることを人づてに聞いた。万歳。応答なき「覗き見読者」こそ正客。こういうことで天に宝を積もう。イエスは「健康な人には医者は要らない。医者が必要なのは病人だ」という。ホームページのトップへのアクセス数は年間8500回。それとは別に「BbB、聖書で聖書を読む」のところだけへのアクセス回数は月間5000回。ほとんど応答なし。いいヤいいヤ。リピート客があるのは役に立っている証拠だ。●明日の話の準備「キリスト教信仰はなぜ史実が土台でなければならないか」。●この説明にうまい方法が思い浮かんだ。「片思いではなく、相手から手紙がこなければ安心しないから」。相手の手紙を見て自分が愛されていることが確実になる。●聖霊を頂くことにより人類一般でなく「この私が思われているのだ」という確信がもてる。●中学生のとき某女性徒に手紙を出したが、いつまでたっても返事がこなかった。片思いであった。そういう悲しみの経験も聖書の理解に役立つ時がくるものだ。●片思いの失恋経験こそ聖書を理解させる。その悲しみによって本当の愛、神の愛にめぐり合えるのだから●神の愛を知ると、狂うほど好きだった人も、「なんだあんな人」とその人が色褪せて見えるものだ。私だけではない。だから負け惜しみではない。負け犬の遠吠えではない。真理だ。


塚本訳  ロマ 8:28
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。


文語訳  ロマ 8:28
8:28 神を愛する者、すなはち御旨によりて召されたる者の爲には、凡てのこと相働きて益となるを我らは知る。


●人間はトマスのようにいつまでも、そう、人生の最後までイエスの復活ということを信じられないものなのだ。でも最後の最後に神の抱きかかえによってイエスが神の子であることと、復活のありうることが分かるときが来るものなのだ。ヨハネ福音書はトマスの信仰告白で幕となっている。


塚本訳 ヨハ 20:27-29
20:27 それから(すぐ)トマスに言われる、「指をここに持ってきて、わたしの手(の釘の跡)をよく見てごらん。手を持ってきて、わたしの脇腹に差し込んでみなさい。不信仰をやめて、信ずる者らしくしなさい。」
20:28 トマスがイエスに答えて言った、「わたしの主よ!わたしの神よ!」
20:29 イエスは言われる、「わたしを見たので、信じたのか。幸いなのは、見ないで信ずる人たちである。」


●妻とあきる野市内を春の散歩。草花丘陵。レンタルビデオショップ「パル」にて「キングオブキングズ」を注文。草花公園で弁当。


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ログハウスの前の山桜,妻を写す2006.4.22 草花公園そば


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西洋石楠花(しゃくなげ) 2006.4.22 市民プールそば


ネパールの花の色のようだと妻が言う。もう一度ネパールに行ってみたいという。


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チューリップ 2006.4.22 市民プールそば


この花は整然と並んでないほうがよい


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菜の花と我が家 2006.4.22 自邸隣地より撮影


この写真を撮影すると一年が回ってきたのだなーと思う。





 

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金と地位は争いの元 ++++++++ 所感

2006/04/21 07:09

060421(金)5時半起床、出勤日●オット、人間はどこにいても出勤日なのだ。家にいても「勤め」なのだ●朝風呂で日経「私の履歴書」は元首相の宮沢喜一。だんだん首相にならざるを得ないように追い込まれる姿。人間はみんな金と地位を望んでいる。そこに争いの元がある●本当の地位は追い込まれるもの●高い地位やこの世的に有名になろうとする輩は、情報を隠したり人を出し抜く。気もち悪くてしょうがない。神はそういうダメな人間を高い地位に据えない●金や高い地位は無理に神にオッツケられる●重要な仕事や地位や金は神に預けられるもの。賜るもの。自分のものではない。●伴侶は神に賜るもの、神に預けられるもの。子供は神に一時預かりを依頼されるもの。自分のものではない。


口語訳 箴  19:14
19:14 家と富とは先祖からうけつぐもの、賢い妻は主から賜わるものである。


新改訳 箴  19:14
19:14 家と財産とは先祖から受け継ぐもの。思慮深い妻は主からのもの。


●これは真理。伴侶だけではなく、金も地位も「自分にふさわしい」ものは神から賜る。それは獲得するものではない。その意味で異教の日本が子供や夫に「頑張れ!、頑張れ!」と尻をたたくような「妻」は賢くない。●イマドキの母親が「頑張れ、頑張れ」といたいけな子供の尻を叩くから、子供が美しく育たない。子供をブランド品に育てようとする。そこに「祈り」というものがない。「人間の思い」で子供の心がズタズタにされて育つ。「賢い妻」には育たない。新渡戸稲造たちが日本の再建を「女子教育」に照準をあわせたのは正解●アイツはいい歳してまだあんな趣味に現(うつつ)を抜かして時間を浪費している。人生は短いんだがナー。遊びもいいが、それでは真の命は得られないんだがナー●高い地位を得て退職した人間が定年退職すると、何もすることがなくて精神的病気になる。労働観が低級だったからだ。その子孫から「ニート」が生まれるのは当然の結果●労働の動機は金と地位だとばかり思っている日本の中高年の人生観のツケが孫に出たのが「ニート」現象。●山下次郎先生から塚本虎二著「わたしが命のパンである」(キリスト教図書出版社刊)を寄贈された。講演テープから起こした新刊.●耐震偽装事件。今ごろになって「木村建設」と「ヒュ―ザー」などが荒さがしで捜査されている。NHKラジオの解説では、あれだけ世の中を騒がせた事件なのに「犯人」がでないのは「まずい」という動機から警察が動いているという。至言、「別件逮捕」である。汚いやり方である。●イエスは民衆の人気が出てきたので職業宗教家たちから妬まれ、別件逮捕で死刑にされた。つまり「この男はローマにとって危険人物」だと職業宗教家達に「偽装」された。職業宗教家たちの汚いやり方●10:30清水誠氏が来訪、コストスクールカリキュラムの件●塚本虎二著「わたしが命のパンである」(キリスト教図書出版社刊)全392ページの8割を読む。興味ある内容の本は早くよめる。そのかわり時間のコマ切れの利用。電車待ち、車中を利用。


 


 

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安らかに死にたい ++++++++ 所感

2006/04/20 11:00

060420(木)4時起床●『キリスト教信仰はなぜ「史実」が土台でなければならないのか』を勉強。結論は神は史実の信仰的解釈の「宣教」という手段・・・つまり使徒伝承・・・で人類を救おうとされているから。それは最も確実でやさしい方法。人間の宗教思想の伝承では人は救われない。●朝風呂で日経「私の履歴書」は元首相の宮沢喜一。時の駐日大使マンスフィールドが鈴木首相に「ヒストリー・ウィル・ビー・カインド・トゥ・ユー(歴史はあなたに対して親切であろう)」と言ったという。●鈴木首相は大政党の政権交代は平和裏に動くべきものだとして引き際がきれいであったと言う。これ一般企業でも、子育てでも同じ。●リムスキーコルサコフの「ロシアの復活祭」を鑑賞。薄暗い教会堂のなかで蝋燭を灯す復活祭。復活を固く信じている人々の集まり。なぜか心が落ち着く。一度訪れてみたい●今や癌での死亡率は35%。しかも激痛を伴う。しかし癌で死ぬとしても心は激痛でなく平安でありたい。●肉体の激痛を緩和する医学が発展してきているのはありがたい感謝すべきことである。でも医学では心の苦痛の緩和はできない●肺癌の母は最期の4日間はモルヒネの点滴のしっぱなしであった。肩で息をしているのを見ているのは辛かったが、主治医が「お母さんは(緩和処置をしているので)苦しんではいません。頭はお花畑です」と言ってくれたので私は安んじた。間もなく母は逝ったが、その顔は今まで見たこともないようなすがすがしい美しさであった。●私も死ぬのなら癌で死にたい。来世での復活を望み見てすがすがしい死に顔でありたい。●集会の古田あやさんの最後を看取られた国立国際医療センターの鴨下総長は「わたしもあのような平安な死に方をしたい」と弔辞を述べられた。古田さんは完全にもっともすばらしい使徒伝承の姿であられた。わたしもそうでありたい●DVDで「栄光への脱出」を鑑賞。イスラエル建国の苦労●埼玉県蕨市の野崎忠男さんから電話で芳野絢子さんの消息のお尋ね●14:00五日市の星野利男さんを妻と見舞う。イスラエル旅行の土産話をする。●その後妻と春の散歩。大悲願寺、龍性寺でおやつ、澤渡家を外から拝見、●秋津の西村裕さんから電話で芳野絢子さんのこと●DVDで「三銃士」「アラビアンナイト」「ハムレット」を各500円で購入。残り少ない人生、世界名作はDVDで見てしまおう


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妻と春の散歩 大悲願寺 2006.4.20 あきる野市


 


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妻と春の散歩 龍性寺 2006.4.20 あきる野市


ここで「おやつ」を食べる。山の中のひっそちとした寺。墓も少しあった。


妻に「人生ははかないなー」と言った。



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あきる野市ではこの家と我が家が最高の建築であると某建築士


が評価してくれた。妻と外観を鑑賞。オーダーの家は高くない。


この家は窓が木製サッシ。なかなかの設計だ。大悲願寺そば  2006.4.20


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春の夕暮れ 図書館の帰り 2006.4.20 18:00 あきる野市


●NHK「毎日モーツァルト」でヴェスペレ(夕べの祈り)。ハ長調K339.このソプラノの曲は最高、大好き


「主のまことは とこしえに絶えることがない 願わくは 父と子と聖霊に栄えあらんことを


はじめにありしごとく 今もいつも世世にいたるまで 」


この歌詞、心からアーメンだ。これモーツァルト24歳の作品だから驚く。




 




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イスラエル旅行での疑問 ++++++++ 所感

2006/04/19 06:30

060419(水)4時起床。睡眠6時間で頭すっきり●朝風呂で日経「私の履歴書」は元首相の宮沢喜一。総理総裁選の裏話。権力闘争。間違っても政治家などにはなるものではない。それは人格をいやしめる●世の賞というのはその道の世界の「オタク」たちの誉め合い。それで賞というのは持ち回り●大学の教授選も同じ●人間は無冠、無地位が自由でよい●10:30今井館ウィークデーの集い。武敏代。子供に信仰を伝えることの困難さを話し合った●イスラエル旅行で一緒であった方からのメールに返メール。内容は公的なことなので公開する。一部改変。●印は返メールでの私のコメント


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高橋様、

 

研究資料を送付頂きありがとうございます。

読まして頂いた範囲で、また私が調べた範囲では、我々が歩いたトンネルはヒゼキヤトンネル以前の水路であったことは間違いないようですね。泉源がどこにあったかとか、両トンネルの水位差等解明すべき点はまだありますが、次回行くときの課題として今回はこの辺で矛を収めましょうか?
  ●ここまで調べれば、我々は第一線(?)に立ったのではないでしょうか。
 

 

イスラエル旅行では、興味のある疑問点が他にもありますので、調べる時間が全く足りない感じです。

例えば、次ぎの点が私が調べて見たい点です。愚問もあるでしょうが。

どの点でも、教えて下さるなり、意見の交換ができれば、助かります。

 

1.金の雄牛信仰とユダヤ教の関係。敵対関係だけではない様に思えました。
  ●これ経済問題が背景にありはしないか。 



2.月本先生がいくつかの遺跡で説明した、古い都市程規模が大きいということは何故か?
  ●愚か者ほど大きいのを好む。愚か者ほどマンションの高い階を購入する(!!??)

   愚か者ほど当然のこととして高い地位を望む。愚か者ほどまず大きい会社に就職し 

   たがるのと類似。人間の業。 

   

3.バールシェバ、マサダ等の集水システムは現代のパレスチナの気候でも十分機能するのか?昔の雨量はもっと多かったのではないか?
  ●同感、あの防水性能では現代の少ない雨量では溜まらない。皆漏ってしまう 



4.エリヤの奇跡とイエスのガリラヤでの奇跡の類似性の意味
  ●福音書記者はべったり旧約が頭に入っていた。その世界観が我々には見えにくい

 

5.古代パレスチナで何故ユダヤ教が生き残ったのか?(高橋さんの疑問)
  ●これ深い疑問。月本先生、○○さんと道々議論していたら、月本先生が「神学論に 

   なりましたので、ここらで花を 見ましょう」と言って逃げられてしまいました。これマッ

   クスヴェーバーの「古代ユダヤ教」にヒントがあることを貴殿から教えられました。 

  

6.ユダヤ教徒は、エルサレム神殿の回復をメシヤに期待するだけか?ユダヤ教徒の手で奪回することを本当に考えていないか?
  ●当然そう考えていると思います。現代のパレスチナ紛争の人間的な考えを見て

    そう考えます。 



7.ヘロデは土木建築家として、実績およびセンス面で歴史上たぐいまれな存在か?
  ●これ、全然ダメ、城壁も美しくはない。デザインセンスなし。ロンドンの城のほうが美し   

   い。ヘブライズムには見るべき建築なし。理由は見えるものより見えないものを限りな 

   く上位と考えるから。イスラム建築はまだよい。建築はヘレニズム。ついでながら無教 

   会に見るべき芸術なし。これ信仰上の大欠陥 



8.ヘロデの建設事業の財政は何で支えられていたか?ユダヤはそれほど豊かだったのか?
  ●これ多分信仰的、宗教的熱心。情熱。経済原理では推し量れない。現代ではこれが      

   少ない。この建築経済の分野は私の専門領域。ラスキンにも関係する。わが国の「普  

   請」と言う言葉は普(あまねく) 請(こう)という意味で、社寺仏閣を建てるとき檀家に 

   あまねく資金を求めたところから出た言葉です。資金のない人は労働力を寄進した。

 

●以上すべて思いつくままの独断と偏見と感想です。少しは当たっているところがあるかも知れません。問題意識を鼓舞していただきありがとうございました

 

    2006.4.19 5:00


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伝承を尽くして天命を待つ ++++++++ 所感

2006/04/18 21:15

060418(火)4時半起床。●朝風呂で日経「私の履歴書」元首相の宮沢喜一。ロッキード事件の裏話。私が生きてきた同時代のことなので面白い。核拡散防止条約批准の裏話も面白い。「非核保有国の日本が存在感を示すのが大事なのだと思う」とは同感、至言。日本は米国という蛇に睨まれた蛙のようであってはならないのだ●「イスラエルの旅」をメールの添付で12人、冊子で3人。これは私の「信仰告白」だ。だから言いっぱなし。返事を期待しない。●「キリスト教の史実性」を勉強●23日の準備「一番大切な事」を修正追加●図書館でCD「ラベル」●ドイツ文学者の高橋英夫は眠れない時にバッハのパルティータを聞きながら寝ると眠れるという。そこでスコット・ロスのチェンバロえ鑑賞。ナルホド落ち着く曲だ●池谷医院、血圧126-96。降圧剤、ほか2点で薬代5250、診察代1450円。●三男恵の助力でホームページに【使徒伝承】というホルダーを作った。これライフワーク。人事を尽くして天命を待つと言うが、福音に関しては「伝承を尽くして天命を待つ」である。神の働きかけがなければ人は信仰に入れない。

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無教会の正統派(?) ++++++++ 所感

2006/04/17 07:30

060417(月)4時半起床、出勤日●朝風呂で日経「私の履歴書」は元首相の宮沢喜一。中国外相との交渉で李白の詩を話題に出した。国交の大切な交渉のようなときにこのような古典の教養が必要。つまらない本を読んでいては交渉もうまくいかない。これ企業間でも同じ、話題の内容や水神で人間や企業の程度が知られる。古典中の古典は「聖書」●木村建設と姉歯元建築士が今ごろになって「荒さがし」されている。警察が刑事訴追をするための汚いやりかただ。人間「荒さがし」されれば誰でもボロが出てくるものだ。逮捕するには何らかの理由が必要だからだ。あまり汚いやり方をすれば、神によって「荒さがし」したものが罰される●某女から嬉しい手紙を頂き感激。「照男さんは無教会の正統派(?)です」。無教会の正統派という言葉は初めて。無教会に正統なし。各人が正統、各人が異端。一人一教会。しかし某女のように聖職者でないかたから「あなたは正統(?)」と言われて、これは某女に聖霊の働きがあってその唇に上らせたのではないかと感じて喜悦●過日のこと。某氏が私を皆に紹介したとき、「この人は使徒です」と言われた。これも自己の自覚を促した言葉、使命を自覚させてくれた言葉であった。「この人は一級建築士です」と紹介されるのとは質の違う天的な言葉であった。「カトリックの司祭です」「牧師さんです」「伝道者です」などと言われることより何倍も嬉しかった。なぜか。「司祭や牧師」はこの世的地位。「伝道者」は説教する役。それに比べて「使徒」は伝達者。なぜか話終わった時の「後味」がよい.。使徒は伝承の単なる「運び屋」であって気楽だから

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歎異抄の意味 ++++++++ 所感

2006/04/16 20:28

060416(日)4時半起床●5:00NHK「こころの時代」。歎異抄のこと。これは名解説。歎異抄は親鸞の死後約30年の作。マルコ福音書もイエスの死後約30年。数値が類似している。世代交代の時期。師に直接師事した人が亡くなっていく時期。歎異抄の「嘆」は嘆く、「異」は異なる。つまり親鸞の真の思想とは異なる思想が流布し始めたことに対する著者とされる弟子唯円の嘆き。福音書はグノーシス対策のためにできた。つまり福音はイエスという史実にもとづくものであることの確認と強調●集会は長島、松井、望月。●

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最も大切なこと ++++++++ 所感

2006/04/15 19:19

060415(土)4時半起床●23日の準備「一番大切な事」を執筆。その内容・・・・・復活に関する最古の伝承、復活伝承はどこまでが史実か、それはなぜ一番大切な事なのか、イエスの復活とはどのようなことであったのか、パウロの嘆きと怒り、使徒伝承を一番大切にしない教会や集会の姿、使徒伝承に連なるにはどうしたらよいのか・・・・●DVDの「アレキサンダー」をようやく見終わる。DVDをレンタルショップから借りるのは考え物である。時間が取られる●13:30日の出が丘病院で「日の出会」。癌で夫人に先立たれた男性が多い。しかし私は今夜妻が里から帰ってくる。感謝


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桜のじゅうたん 2006.4.12 あきる野公民館


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春の夕暮れ  花の匂いがする 2006.4.12 あきる野市


 


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日の出が丘病院の桜 母は病室の窓からこの桜を見ずに逝った。


あれは2年前の3月18日だった。   2006.4.15 16:15 日の出が丘病院


 



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偉くなる人間には霊性がある ++++++++ 所感

2006/04/14 07:03

060414(金)代休。●5時半起床●朝風呂で日経「私の履歴書」は元首相の宮沢喜一。42歳で経済企画庁長官になる。重要ポストには人格識見ともに優れた人物が就く。人間偉くなりたいと思ったら人格を磨かなければならない。少しばかりの雑学知識があったとしても要職には就けない。人間ができていなければならない。●人間を作るには道徳だけではダメで人間の本質である「霊性」ということに目覚めないといけない。霊魂の救いということに気がつかなければならない。人間の本質は大脳皮質分野の雑学知識量ではなくて「霊性」だから。創世記2章7節を思う。


新共同 創  2:7
2:7 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。


●そうなのだ。人間は神に霊の命を吹き込まれて初めて真に「生きる者」になるのだ。それまでは単なる肉体と知識だけの動物なのだ。●あの人は雑学知識はごみためのようにあるが霊性に欠けるからイマイチなのだ。●宮沢喜一の回顧談のなかに次の場面があった「大蔵省にいた鳩山威一郎君に『エレベーターの針を動かしても、エレベーター本体が動くわけではないだろう。どうしてあんなに物価でガヤガヤするのか』と言われたことがある」。●これ人間の頭で考える「経済企画」と「経済統計」の無力さを指摘した言葉。宮沢喜一にとって忘れられない言葉であった。現場の苦労人の実感●経済の動きは背後で神が支えているのに、人間の施策で少しは動くと思っている日本人の認識の低さ。人生観の低さ●日本はアダムスミスを学校の知識で学んでいるだけで、その「国富論」の中にある「インビジブルハンド」(神の見えざる御手)の本質を理解していない。信じていない。100年は遅れている。●ライブドアが幕。「上場期間わずか6年」とは新聞の見出し。風に飛ばされる「もみがら」という詩編1編4節の言葉を思い出した。司法ではなく市場自身が裁いた。市場の判断は早い。市場はまさしく神の手だ。


新共同 詩  1:1-5
1:1 いかに幸いなことか/神に逆らう者の計らいに従って歩まず/罪ある者の道にとどまらず/傲慢な者と共に座らず
1:2 主の教えを愛し/その教えを昼も夜も口ずさむ人。
1:3 その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び/葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。
1:4 神に逆らう者はそうではない。彼は風に吹き飛ばされるもみ殻。
1:5 神に逆らう者は裁きに堪えず/罪ある者は神に従う人の集いに堪えない。


●今朝の「説教」(??)はこれでおしまい。●背中がひどく痛いので急遽吉祥寺の「十字式健康法」に行く。気功による治療で直った。東洋医学は大したものだ●図書館でCD。レンタルビデオ。●23日集会の準備「一番大切な事」を執筆。第一コリント15:3-5、信仰の土台は教会や人間たる先生に置かずに有体的復活の史実とその信仰告白伝承に置くべきである.十字架と有体的復活はなぜ一番大切な事なのか。それは「人間の究極の悩みと悲しみ。つまり罪と死からの救いをもたらすから」●DVDで映画「アレキサンダー」を鑑賞。DVDをパソコンで見られようになったのは良いが、目が離せないないので他の仕事が出来ない。これは考え物だ。耳からの情報のほうが能率的。私の知人でテレビを見ない人が複数いる。賢い。人生、何かに打ち込むときはテレビは害だ。人生の時間を無駄にする●その耳からの情報、二ッポン放送により「マンデーモーニングシンドローム」という言葉を知った。これは子供が月曜の朝になると元気がなくなって学校に行きたがらない症状。原因は土日に父親が家でタバコを吸っていてその煙を吸い込むから。●ではどうしたらタバコをやめられるか。吸いたくなったら氷を口に含む。これで禁煙に成功した人の話があった。これは先日のNHKTV。


 


 

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他人の信仰は尊重しなければならない ++++++++ 所感

2006/04/13 20:49

060413(水)5時半起床●朝風呂で日経「私の履歴書」は元首相の宮沢喜一。日米交渉の裏話など実話だから面白い。●「イスラエルの旅」2冊発送。信仰的に分かってくれそうな人にのみ発送。●ヒゼキヤの水道の脇のトンネルは私が迷ったかと思って恐怖を感じたもの。そのトンネルの由来を研究して同行の吉野隆治さんに発送●オペラアリア集を鑑賞。ソプラノのレナ―タ・テバルディを聴いてその声の質に魅せられた。マリヤカラスと人気を二分しただけのことはある。デバルディの方が好き。●この声の質はテバルディ独特のもの。他人には真似できない個人的な素質。これ信仰の質についても言える。信仰というのは百人百様。他人の信仰を批判できない。一人一教会。他人の信仰は尊重しなければならない。テバルディの歌いぶりでそれを学んだ●某さんへのレター『札幌農学校の生徒に向かってクラーク博士は「ボーイズ ビー アンビシャス」と語ったが、僧侶達を前にしたら「坊主 ビー アンビシャス」と言っただろう。(オヤジギャグ)』●ギャグやジョークにも上品なものと下品なものがある。下品なものは相手の欠点を暗にあげつらったり、お前なんかいないほうがいいという心根を持ったもの。こういうのはいくらジョークでも周囲を不快にする。本人の心が清められないと周囲を愉快にする品のいいジョークは語れない。悪い冗談というのは聴くものをヒヤッとさせる。下品丸出しというものである●フランス人のエスプリ、英国人のユーモア、米国人のジュークはキリスト教精神がバックにあって周囲や相手を楽にする。知的高級文化。教養がなければならない。それに比べて日本人はまず「座談」ということができない。下手。あるのは自分の趣味のみの話、自分の主張ばかり。あるいは天下国家に対する不平不満。または自分の自慢話、見栄の話ばかり。文化性が低い。日本人は心が清まらなければこの面でも先進国に追いつかない.猿真似の科学技術や金だけで先進国になったと思っているのは大間違い●座談の時は相手の得意分野に入り込んで相手の話を聞くことが重要。そうする事によって相手を生かすことができるのだ。それには広い教養というものが必要。自分の仕事や自分のサークルや自分の趣味のこときり話題に出せないようではつまらない人間●それが品のある冗談か悪い冗談かの区別は、言った後で本人が慌ててその冗談を取り消すようならばそれは悪い冗談。そういう冗談を発する人間を「汚れた唇の者」という。「唇にまむしの毒がある」という。品のない暗い人間。周囲を気持ち悪くする。雰囲気を壊す。なぜ前言を取り消すか、それは本人にも自己の汚れの自覚が少しばかりあるからだ。


口語訳 イザ 6:5
6:5 その時わたしは言った、「わざわいなるかな、わたしは滅びるばかりだ。わたしは汚れたくちびるの者で、汚れたくちびるの民の中に住む者であるのに、わたしの目が万軍の主なる王を見たのだから」。


口語訳 ロマ 3:13
3:13 彼らののどは、開いた墓であり、/彼らは、その舌で人を欺き、/彼らのくちびるには、まむしの毒があり、


●上記イザヤ書6:5は神の光に自分の汚れた姿が照射された時の塗炭の苦しみの姿。自分の汚れというものは人間から指摘されてはなんとも思わないが、神に光を当てられるとその醜さ汚れのひどさに「懊悩する」。しかしその懊悩は救いの第一歩。なぜなら自分の罪が分かることが神の存在が分かる条件だから。それだから失言もまた益。なぜか。それによって自己の汚れや醜さを知るからである。失敗は成功のもと。失言は救いのもと。


 

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苦しみは短い ++++++++ 所感

2006/04/12 07:22

060412(水)出勤日。●5時半起床●朝風呂で日経「私の履歴書」は元首相の宮沢喜一。回顧談は事実の記述なので面白い●昨日鑑賞したDVD「クォ・ヴァディス」の一場面が脳裏から離れない。ライオンの餌食にされるために競技場に引き出されたキリスト教徒たちは互いに抱き合い「苦しみは短い。主も苦しんだのだ」と励ましあって讃美歌を歌う。これ我々信者の人生の縮図だ。讃美歌161番の2節を思う。人生は短い。その苦しみも短い。


讃美歌161


2・いさみたちておおしく 神とともにたたかえ、


愛にいます主イエスは くるしみをもやわらげ


満ちみつるいのちもて 強めたもう、われらを


 

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最も大切なことは復活伝承 ++++++++ 所感

2006/04/11 09:23

060411(火)5時半起床●朝風呂で日経「私の履歴書」は元首相の宮沢喜一。英語力をかわれて後の首相池田勇人に便利に使われて次第に重要な仕事をするようになる。出世というのは上司が自分のために都合よく使う、その道具となるときに実現する。都合よく便利な人間になるというのは、上司におべっかをつかっていてはなれない。逆に突っ張っていてもなれない。神にのみ目を向けて真理に生きるときにのみ上司はそういう人間を「都合よく」使うのだ。●先日の日曜日から「一番大切な事」という言葉が脳裏から離れない。


塚本訳 Ⅰコリ15:3-5
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。


●キリスト教がパウロの言う「一番大切な事」から逸脱するときの、歴史的病理現象四つ。それは堕落現象。


1・グノーシス的現象・・・・見えないものが大切で、見えるものは汚れているという思想。 キリスト教の敵はローマ帝国ではなくグノーシスであった。無教会主義はこれに陥りやすい。芸術に無関心。無教会に音楽なし、芸術なし。「建築は美しくなくて良い、洗礼者ヨハネの衣のようにボロボロでよい」と言った人とは私は袂を分かった。「キリストの遺体が残っていたとしても復活はありうる」と言ったグノーシス的考えの人とも袂を分かった。


2・社会活動現象・・・・反天皇、反権力、反日の丸君が代。それがキリスト教の当然の展開だと勘違いしている。そこには一つの思想的縛りがあるからそれに洗脳された人間は奇妙な行動をとる。例えば次のごとき現象。反日の丸に洗脳されたある学校の用務員。朝方、校庭に国旗掲揚をするときは他人にやらせておいて、夕方その国旗を降ろすときは自分が一生懸命やる。また何事も「天皇制に対する見解」で相手をリトマス試験紙的に判断する人間がいる。私を「天敵」と思っているそういう人間とは私は袂を分かった。大体天皇は私が5歳の時に「人間宣言」しているのだ。


3・人間の思想に心酔する現象・・・・・内村鑑三、塚本虎二、黒崎幸吉、矢内原忠雄、○○先生たちの人間としての宗教思想。預言者的発言行動などに惚れ込む現象。これ先生は悪くない。これに追従する人間が低級なだけ。キリスト教を知りたければ内村全集を読め、塚本著作集を読めと勧める最悪の現象になる。「一番大切な事」を忘れて人間を指差している。キリスト教や無教会を履き違えて曲解している。今や無教会は先生の人格的権威を中心にして、それごとに蛸壺的に固まり、密教的雰囲気になり始めている。


4・教会(集会)の維持形成現象・・・・教会や集会の維持発展形成に一生懸命になる現象。人間が多く集まればよいとする主義は、資本主義社会の富の増加の心。企業経営の心と同じ。人間的勢力拡大のこの世的な欲望。無教会主義は教会主義のそういう考えに反発して生起したものだが、その無教会主義も100年も経つと教会主義と同じ現象なって集会の維持に躍起になっている。教会や集会の本来の姿は「一番大切なこと」を心に抱いている人たちの自然現象としての集まり。世俗からの分離としての主の集まり。ピューリタンは英国国教会からの分離こそ主の道と考判断して米国に脱出。教会(集会)改革などというのは徒労であると判断した。ルターの宗教改革はカトリック教会内改革の様相であった。だからそのルター派教会も100年も経つと膠着状態になり、敬虔主義という新しい波が誕生した。


●これらはすべて「病理現象」。「一番大切なこと」から逸脱した様々な病理現象。いちいち批判するのは「モグラ叩き」と同じ。あっちにもこっちにも次々と変種現象が出現する。きりがない。あっちでもこっちでも次々に変種モグラが出てくる。然りこの私自身の中にも出て来るのだ。人のことは言えない。●私も残り時間が少ない。モグラ叩きなど暇なことをやってはいられない。「一番大切な事」をやらねばならない。●我が家もようやくDVDを見ることができるようになった。始めに1951年米国映画シェンキヴィッチ作「クォ・ヴァディス」(主よ、いずこに)。主演はロバートテイラーとデボラカー。これは第一回ノーベル文学賞受賞。ローマの大火とキリスト者の迫害を逃れてローマをあとにするペテロに対して復活のイエスが道で出会う。ペテロが「主よいすこへ」と尋ねるとイエスは「あなたに代わってローマに殉教に行くのだ」という。これを聞いたペテロは急に今きた道を取って返して殉教の死を遂げる。●ライオンの餌食にされても平安な死に顔で死んでいくキリスト教徒の姿を見て、ローマ皇帝のネロは「これは何事だ」と驚く。●クリスチャンの死はこうでなければならない。不信者たちから「これは何事だ」と思われるような死に方をしたいものだが・・・・・●癌と宣告されて慌てふためくような信者は「一番大切なこと」をしっかり信じていない証拠。そんな人は生前にどんなことをやっても主の証ができているとはいえない●横山ひささんからお電話。・・・・「藤林益三先生をお見舞いしたら、高橋君のイスラエルの旅行記は読みやすくてよかったと大変お喜びでした」●20:40 高橋三郎先生からお電話。・・・・・「イスラエル旅行の貴重な記録ありがとう。奥様と御一緒に行くことができたことは幸いでした。病気が直って旅行ができたことは神様のお恵みでした。一言お礼を申しあげます」。・・・・・●高橋先生の奥様は現在ご病気。電話を置いてから胸が詰まった。●妻は月本昭男先生の聖書講義を受講。21:00帰宅。ポイントを話してくれた。


          


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キリスト教と神学 ++++++++ 所感

2006/04/10 07:22

060410(月)出勤日。5時半起床●朝風呂で「キリスト新聞」●キリスト新聞60周年記念号。一貫して「平和運動」。●救われた者の行動は百人百様。幹は同じでも枝ぶりが違う。違和感があると言って他を批判して自分と違う枝ぶりの者を切り落とすと、その樹は枝葉のない丸裸になる●と言って「何でもあり」で、復活も十字架もはっきりしない人間やマルキストに近い人間でも結構結構、千客万来と喜んでいるようでは「キリスト教」を逸脱する。そういう教派や集会はかえって長続きしない。「最も大切」なのは、復活の使徒伝承。●私が「復活の物理的根拠はイエスの墓が空になっていたこと」との伝承を伝えて私と同じく「胸が熱くなる人」は100~200人に一人。しかもその9割は女性。パウロならずとも「誰がこの任務に耐ええようか」である。●「贖罪論」は論である。パウロのロマ書は救われた者の「説明」である。ヨハネ的な説明の仕方もあるが、共通なものは「罪の赦し」。●パウロいなかったら新約聖書6割はなかった。しかし救いはある。パウロによって救われるのでなく、神の下す「聖霊」によって救われるからである●無教会の集会はどこも「先生」という人間的権威のもとに集団が形成されている。今度のイスラエル旅行は経堂聖書会の多くの方々と一緒であったが、そこは「前田護郎先生」の人格的権威が、召天後25年も経つのにまだ存在している。これでいいのだろうか。最もキリスト教は「パウロ先生」という人格思想のもとにあるのだが。●パウロ神学がその後のキリスト教の「枠」を作った。神学という学問はパウロが始めた。それは論争と切り合いの元凶。大脳皮質レベルでのこと。●「不立文字(ふりゅうもんじ)」というのは「悟りの道は文字・言語によっては伝えられない」という仏教用語。キリスト教や無教会にもそれと同じ面があるが、それが真理だとしたら、「神が言葉」になったというイエス降誕の真理を否定しなければならない。ただし人間はその「言葉」からでは救われない。ここが難しいところ。イエスの苦労、パウロの苦労。「パンを水の上に投げよ」である。●神の言葉はイエスという姿をとって歴史に突入した。復活祭は近い。


塚本訳 Ⅰコリ15:3-5
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。


●日本橋社会保険事務所の新(あたらし)さんと打ち合わせ。年金手続き完了。私から何も作業はしなくてよい。●妻のパソコンでDVDを見ることができるようになった。既存のソフトが壊れていたらしく、新しく入れなおして成功。富士通パーソナルエコーセンターの窪地氏は非常に優秀。外付けDVDを買わずに済んだ。パソコンで映画を見ることができるとは、世の中進歩したものだ。●愛子と初音、回復して感謝。


 

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子供の非行の原因 ++++++++ 所感

2006/04/09 07:50

060409(日)4時半起床●5:00NHKTV3CH「こころの時代」。京都医療少年院、精神科医の岡田尊司。少年非行の原因の多くは「親に自分が認められていないこと。愛されていない」と思っていること●創世記、カインとアベルの例が引き合いに出された。カインは神に認められなかったと知ったので頭にきて兄弟のアベルを殺した●岡田氏は臨床14年のベテラン。話は重い●親が子育てに熱心になればなるほど、子供を「否定」する場面がある。「そんなことではダメだ」と。しかしそれは親の真心だという。至言●親は子離れをしなければならないという識者は「子供を育てたことのない人」のタワゴト。自分で子供を育ててみろ。親の性(さが)は子供から離れることなどできないのだ●あのカインは神の真心を悟らなかったのだ。親の心子知らずだ。


新共同 創  4:1-8
4:1 さて、アダムは妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「わたしは主によって男子を得た」と言った。
4:2 彼女はまたその弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。
4:3 時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。
4:4 アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。主はアベルとその献げ物に目を留められたが、
4:5 カインとその献げ物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。
4:6 主はカインに言われた。「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。
4:7 もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」
4:8 カインが弟アベルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、カインは弟アベルを襲って殺した。


集会は高橋新一(司会)、小寺、山本●高木さんから話。小寺さんと新宿で寿司。山本政則さんから電話●妻は「すずめの会」のあと品川に愛子の見舞い●パソコンでDVDを見ようとしたが、操作が分からなくて延長戦●ヒゼキヤの水道の研究


 

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使徒伝承の欠如が原因 ++++++++ 所感

2006/04/08 19:22

060408(土)5時半起床●朝風呂で日経「私の履歴書」は元首相の宮沢喜一。英語力を買われて政府の要人になる。語学は大切●図書館にいく途中に秋留台公園で満開のサクラをみる。


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秋留台公園、満開のサクラ 2006.4.8 あきる野市


さくら さくら 弥生(やよい)の空は 見渡すかぎり


霞(かすみ)か雲か 匂(にお)いぞ出(い)ずる


いざや いざや 見にゆかん


●13:30妻と町田の武集会に出席。「主の復活と聖霊」。●今日、日本キリスト教団と無教会主義集会は高齢化現象はなはだしく、教勢低下。福音派は微増という。日本基督教団においては65歳以上の人口割合は50%。武先生の所属される無教会・東京聖書集会では65%。会場からの報告で、日本基督教団は公称26万人だが実際にはその25程度だという。●原因について。復活の信仰と聖霊の欠如ということが話された●私も一言発言。「無教会が低調なのは『イエスは墓に葬られ三日目に死人の中よりよみがえり』という物理的証拠に信仰の根拠を置いていないからだ」●つまり無教会主義はいまや「使徒伝承」から逸脱している。


塚本訳  Ⅰコリ15:3-8
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。
15:6 そのあと、一度に五百人以上の兄弟に御自分を現わされた。そのうちの多数の者はいまでも生きてい(て、わたしが嘘を言っていないことを証明してくれ)る。もっともすでに眠った者もあるにはある。
15:7 そのあと(御兄弟の)ヤコブに、それから使徒一同に、御自分を現わされた。
15:8 しかし一番最後には、さながら月足らずのようなわたしにも御自分を現わされた。






 

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精神的バックボーン ++++++++ 所感

2006/04/07 07:10

060406(木)終日「イスラエルの旅」をコピーして、発送。妻は品川の愛子のところに「応援」。


060407(金)出勤日、3時半に目覚めてまた寝て6時起床●朝風呂で日経「私の履歴書」は元首相の宮沢喜一。苦労した人の履歴書は面白い。大蔵省で先輩の前尾繁三郎氏はヘーゲル哲学に通じていて、宮沢氏の「人生の師」だという●偉くなる人はなにか精神的バックボーンをもっているものだ●男が偉くなろうと思ったら聖書に通じなければならない。女が美人になろうと思ったら聖書に通じなければならない●精神的バックボーンといっても司馬 遼太郎などのような現代作家に通じてもダメだ。趣味サークルに通じてもダメだ。人間を創る深い精神的なものに基礎を置く必要がある。●無教会でも人間たる「先生」だけに通じているようでは先がない。行き着くところは人間集団のヤクザ的団子状態。山口組、稲川会系などと同じ雰囲気。先生のためにと思って思想的派閥抗争をやっている。○○先生組、○○先生系などは暴力団の組と同質の精神。それが神のためと思っているのだから「先生」が泣く●先生の宗教思想に従順なエピゴネン。「無」といえば「無」。「反天皇」といえば「反天皇」。「贖罪論」といえば「贖罪論」。しかしその先生がなくなるとその「宗教思想」はすっかりナリを潜めるから滑稽。情けない。それは大脳皮質レベルの「神学論争」●無教会は先生という「人間」の思想の奴隷状態になっている。先生は悪くない。弟子達がよくない●冊子「イスラエルの旅」の応答がき始める。応答があるかないか、またその速さによっていやがうえにも人間の質がわかってしまう●手紙には即返事、物を送られたらすぐ御礼。お金を請求されたらすぐ支払い。これらのスピードで人間の愛の深さが測られる●まともにお礼のいえない親からはお礼がいえない子供が育つ。そういう子供はいくら美人でも男前でもいい学校にいってもオヨメにいけないで売れ残る。男の場合はオヨメサンがこないで売れ残る。なぜかイマドキノワカイモンでも人を見るときは外見でなく「心」を見るから●食事のとき、お客さんの茶碗にあと一口残っているときに「お変わりをどうぞ」と言うのが迎える家の者の基本的礼節。愛の心。お客さんに「お変わりを下さい」と言わせてはならない●塚本先生「玄関に背広を出しておいてください」。お手伝いさん「もう出してあります」。先生「そういうときは『かしこまりました』というのが礼儀です」。●こういう何気ない会話は幼いときからの家庭の躾である。●ヒルティは家庭生活は「愛の学校」だと言った

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3月31日から4月5日の日記 ++++++++ 所感

2006/04/05 18:04

060331(金)退職日。人事課が退職に関する各種書類を持ってきたので印鑑を押す。来月からは週2日の非常勤となる。●午後はあきる野市役所に行って、国民健康保険への加入手続き。●夕食は妻が「退職祝い」の食事をしてくれた●もう37年も前のことを思う。父の退職のときは結核の再発により休職中の退職であった。そのために家人のだれもが「お疲れ様でした」とは言わなかったように思う。かわいそうな申し訳ないことをした●病気はなりたくてなるものではない。しかしこの62歳になって思うことは、貧困は人間を清める。人間を高める。「貧しき者は幸いなり」というのは人生の実験的真理だ。


文語訳 ルカ 6:20-21
6:20 イエス目をあげ弟子たちを見て言ひたま福なるかな、貧しき者82よ、神の國は汝らの有なり。
6:21 幸福なる哉、いま飢うる者よ、汝ら飽くことを得ん。幸福なる哉、いま泣く者よ、汝ら笑ふことを得ん。


2006年(平成18年)4月 満62歳9ヶ月 平均余命19年間(2025年,82歳で死亡予定)


060401(土)イスラエルの旅をブログ日記に整理。●13:30 信濃町教会で「中川晶輝お別れの会」。中川正子さんは病を押してご出席挨拶。今日の出会い。助川光子、今野利介、今野和子、佐々木英三郎、武藤陽一、武藤富子、小川智子(初対面、小川圭治氏夫人、イスラエル旅行で一緒の大口明子さんと軽井沢別荘で隣人。信濃町教会会員)、福田和子(初対面。恵泉教師、風間先生同僚。信濃町教会会員)、中川信明(初対面。故中川晶輝先生の長男、独立学園30期卒。信濃町教会長老)●千駄ヶ谷社会教育会館に「読書会」の更新手続き●イスラエルの旅を日記に整理


060402(日)集会は丹野、横田、高橋。私はイスラエルの旅を写真を使いながら報告した。ヘブライ語でおはようは「ボケール・トーブ」。これは「ボケる。頭部」と覚えればよいと話した。女性は洋服の3-4着も倹約すればイスラエル旅行ができるとも話した。●杉崎孝さん、トミ子と3人で昼食。アドバイスを頂く●カトリック教会は典礼、プロテスタント教会は説教、無教会主義集会は聖書に聞く。●イスラエルの旅を日記に整理


060403(月)出勤。派遣の片見さんは先月まで。「お世話になりました」と置き書きがあった。2・5年のお付き合い。幸多かれと祈る。茂木参与と懇親懇談。富永國比古先生の論考「内村鑑三はアダルトADHDだった」を読む。偉人は生体解剖される。


060404(火)終日イスラエルの旅の整理。●K氏にラスキンの文献を送る●山口さんに旅行の写真と冊子「イスラエルの旅」を送る


060405(水)終日、冊子「イスラエルの旅」を作成。12冊発送。エプソンのカラープリンタはスグレモノ。雨。妻は夫人の聖書勉強会。その後練馬の守宅へ。 


 

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イスラエルの旅、さようならイスラエル ++++++++ 所感

2006/04/02 21:32

060328(火)


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聖誕教会のうちアルメニヤの教会 2006.3.28 ベツレヘム


木造の梁、床と壁のモザイクが古くてすばらしい。妻が好んだ。イエスが生まれたのは洞窟。そのモデルが地下にあった。イエスはこんなうす暗いところで生まれたのか。神の子が・・・・。産院ではなかった。


塚本訳  ルカ 2:1-7
2:1 そのころ、全(ローマ)帝国の人口調査の勅令が皇帝アウグストから出た。
2:2 これは(ローマ政府)第一回の人口調査で、クレニオがシリヤの総督であったときに行われたものである。
2:3 すべての人が登録を受けるために、それぞれ自分の(生まれた)町にかえった。
2:4 ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上った。彼はダビデ家の出、またその血統であったからである。
2:5 すでに身重であった妻マリヤと共に、登録を受けるためであった。
2:6 するとそこにおる間に、マリヤは月満ちて、
2:7 初子を産み、産着にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には場所がなかったのである。



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tヒエロニムスが聖書をラテン語に翻訳する作業をした洞窟 2006.3.28 ベツレヘム聖誕教会


ヒエロニムス(340から420年ごろ)はここで30年間聖書をヘブライ語ギリシャ語からラテン語に訳した。それがカトリックのヴルガダ版。ルターのドイツ語訳が出現するまで1100年間西欧文化に根源的影響を与えた。


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ヒエロニムス像 2006.3.28  ベツレヘム聖誕教会


ヒエロニムスの像の足元には頭蓋骨がある。翻訳助力者の女性が亡くなると、ヒエロニムスはその遺骸の頭蓋骨をそばにおいて自分を励まし、翻訳を続行して完成した。


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イスラエル博物館の写本館 2006.3.28 エルサレム


死海写本が展示されていた。すばらしい現代建築。死海写本が入っていた壷の蓋のデザイン


 


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さようなら イスラエル あなたは神に愛された国でした。2006.3.29


 


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サクラ サクラ 2006.3.31 あきる野市 普門禅寺


日本に戻るとサクラが満開であった。アー日本はいいなー。日本食、日本語、気候、安全.やはり人間にとっては「祖国」というのが一番良いものだ。これはどの人も同じであろう。




 


 


 


 






→ more・・ ・
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イスラエルの旅、エルサレム ++++++++ 所感

2006/04/01 11:15

060325(土)


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エマオ 2006.3.25 エルサレムに向うバスの中から


エマオには単独行動で訪れたかったが、エルサレムから17キロ程度もある上に危険な時期なので断念。バスの中から見るに留まった。エマオに向かう二人弟子が復活のイエスに出会ってその胸が熱くなったのはあの森だったのか。私もかって聖書の「空の墓」の所(ヨハネ20:1-10)を読んで胸が熱くなったことがある。それが原因でイエスの「有体的復活」を信じられるようになったのだ。エマオを訪れたかったのはそのためである。


塚本訳  ルカ 24:13-16
24:13 するとちょうど同じ日に、二人の弟子がエルサレムから六十スタデオ[十一キロ半]離れたエマオという村へ歩いてゆきながら、
24:14 これらの出来事をあれやこれやと話し合っていた。
24:15 二人が(こうして)話したり議論したりしていると、(いつの間にか)御本人のイエスが近づいてきて、一しょに歩いておられたが、
24:16 二人は目をくらまされていたので、それと気がつかなかった。


塚本訳 ルカ 24:28-32
24:28 とかくするうちに目指す(エマオの)村に近づくと、なお先へ行くような様子をされたので、
24:29 二人はこう言って無理に引き留めた、「わたし達のところにお泊まりなさい。間もなく夕方で、日もはや傾いたから。」そこで彼らのところに泊まるために、(家に)入られた。
24:30 一しょに食卓について、(いつものように)パンを(手に)取り、(神を)讃美したのち、裂いて渡されると、
24:31 (その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。
24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。



060326(日)


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エルサレム4泊のプリマキングスホテル 2006.3.26 エルサレム


これは人気の高級ホテル。旧市街見学に便利なところにある。大ホールで夕食のとき、ウクライナの巡礼団が突然讃美歌312番「いつくしみふかき友なるイエスは」と聖歌480番「輝く日を仰ぐとき」を歌いだした。これに対して日本の一行は「サクラ、サクラ」を歌った。キリストにあって世界は一つとの感じがして泣けた。ウクライナ人のリクエストであったが、無教会者のグループとしては的を得ていた。内村鑑三かいたら喜んだであろう。ウクライナの人と固い握手を交わした。「キリストは我等の平和」である。平和は人間による平和運動によっては実現しない。


口語訳 コロ 3:15
3:15 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。あなたがたが召されて一体となったのは、このためでもある。いつも感謝していなさい。



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オリブ山からエルサレムの神域を望む 2006.3.26 オリブ山から


イエスはエルサレム神殿の祭司階級による神殿宗教の堕落を嘆き、そしてこの大建築をも批判した。この神殿と城壁を見たときイエスは既に自分がその祭司階級たちから殺害されることをきっと予感していたのだ。



塚本訳 マタ 23:37-38
23:37 ああエルサレム、エルサレム、預言者を殺し、(神から)遣わされた者を石で打ち殺して(ばかり)いる者よ、雌鳥がその雛を翼の下に集めるように、何度わたしはお前の子供たちを(わたしの所に)集めようとしたことか。だがお前たち(エルサレムの者)はそれを好まなかった。
23:38 そら、『お前たちの町は(宮もろとも神に)見捨てられ(て荒れ果て)るのだ。』


塚本訳 マタ 24:1-2
24:1 イエスが宮を出て(オリブ山の方へ)歩いておられると、弟子たちが近寄ってきて、イエスに宮の(堂々たる)建築を指差した。(この宮が荒れ果てるなどとは考えられなかったのである。)
24:2 彼らに答えられた、「あれをすべてよく見ておけ。アーメン、わたしは言う、ここでそのまま重なっている石が一つもなくなるほど、くずれてしまうであろう。」


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ゲッセマネの森のオリーブの老木 2006.3.26 オリブ山


この老木の祖先はあのイエスの苦闘の祈りの声と逮捕の場面を知っていたのだ。


塚本訳  マタ 26:36-46
26:36 ほどなくイエスは弟子たちと一しょに(オリブ山の麓の)ゲッセマネという地所に着くと、弟子たちに言われる、「わたしがあちらへ行って祈っている間、ここに坐って(待って)おれ。」
26:37 そしてペテロとゼベダイの子二人(だけ)を連れて(奥の方へ)ゆかれると、(急に)悲しみおののき始められた。
26:38 それから彼らに言われる、「『心がめいって』『死にたいくらいだ。』ここをはなれずに、わたしと一しょに目を覚ましていてくれ。」
26:39 そしてなお少し(奥に)進んでいって、俯けに倒れ、祈って言われた、「お父様、出来ることなら、どうかこの杯がわたしの前を通りすぎますように。しかし、わたしの願いどおりでなく、お心のとおりになればよいのです。」
26:40 やがて弟子たちの所に来て、彼らが眠っているのを見ると、ペテロに言われる、「あなた達、そんなに、たった一時間もわたしと一しょに目を覚ましておられないのか。
26:41 目を覚まして、誘惑に陥らないように祈っていなさい。心ははやっても、体が弱いのだから。」
26:42 また二度目に向こうへ行って、祈られた、「お父様、どうしてもわたしが飲まねば通りすぎない杯ならば、どうかお心のままになさってください。」
26:43 また来て見られると、彼らはまたもや眠っていた。(悲しみのために疲れて、)瞼が重かったのである。
26:44 イエスは彼らをのこして、もう一度向こうに行き、また同じ言葉で、三度目に祈られた。
26:45 それから弟子たちの所に来て、(また眠っているのを見ると)言われる、「もっと眠りたいのか。休みたいのか。そら、人の子が罪人どもの手に渡される時が近づいた。
26:46 立て。行こう。見よ、わたしを売る者が近づいてきた!」


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イエスがゲッセマネで血の滴るような汗を流して祈りをした岩 2006.3.26 オリブ山にある教会


ゲッセマネの苦闘の祈り。イエスはどたん場になって死におびえた。この岩を前にして米国人と思われる婦人が泣いておられた。マルコ14章36節の「アバ、お父様」と言う祈りは「とうちゃん勘弁してくれよ」というのがその真意である。このとき一番辛かったのはイエスより父なる神であった。人類を罪から救うためにご自分の独り子を見殺しにしなければならなかったからだ。


塚本訳  マコ 14:32-42
14:32 やがて(オリブ山の麓の)ゲッセマネと呼ばれる地所に着いた。イエスは弟子たちに言われる、「わたしの祈りがすむまで、ここに坐って(待って)おれ。」
14:33 そしてペテロとヤコブとヨハネ(だけ)を連れて(奥の方へ)ゆかれると、(急に)おびえ出し、おののきながら
14:34 彼らに言われる、「『心がめいって、』『死にたいぐらいだ。』ここをはなれずに、目を覚ましていてくれ。」
14:35 そしてなお少し(奥に)進んでいって、地にひれ伏し、出来ることなら、この時が自分の前を通りすぎるようにと祈って
14:36 言われた、「アバ、お父様、あなたはなんでもお出来になります。どうかこの杯をわたしに差さないでください。しかし、わたしの願いでなく、お心がなればよいのです。」
14:37 やがて来て、彼らが眠っているのを見ると、ペテロに言われる、「シモン、眠っているのか。たった一時間も目を覚ましておられないのか。
14:38 あなた達、目を覚まして、誘惑に陥らないように祈っていなさい。心ははやっても、体が弱いのだから。」
14:39 それからまた向こうへ行って、同じ言葉で祈り、
14:40 また来て見られると、彼らはまたもや眠っていた。(悲しみのために疲れて、)瞼が重かったのである。イエスになんと答えてよいかもわからなかった。
14:41 三度目に来て、(また眠っているのを見ると)言われる、「もっと眠りたいのか。休みたいのか。もうそのくらいでよかろう。時が来た。そら、人の子は罪人どもの手に渡されるのだ。
14:42 立て。行こう。見よ、わたしを売る者が近づいてきた!」


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嘆きの壁 2006.3.26 エルサレム神殿の西の壁


下から6段がヘロデ時代、その上にさらに歴史的に2回積み重ねられている。


壁に近づくときは男女が分けられる。妻は仕切りの右側に行った。


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「嘆きの壁」で熱心に祈るユダヤ教徒 2006.3.26 エルサレム神殿西側の壁


多くのユダヤ人が体を振って壁に向かって祈っていた。神に願い事を紙に書いて石の間に差し込むとそれが叶えられるという。私はせっかくここに来たので、岩に頭をつけてみた。同行の女性に冗談に「どうかもっと痩せられますように」と祈ったのだ言うと、その女性から「奥様の分と二人分をお祈りしましたか」と冷やかされた。あの祈りで痩せられたらユダヤ教に改宗しなければならないかなー。


 


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1974年に発掘された南の壁の前の階段に立つ妻 2006.3.26 エルサレム神殿南側


1974年にイエス時代の階段が城壁の南側で発掘された。団長の月本昭男先生(日本旧約学会会長)はこのとき日本人として初めてそこに立たれた。イエスは多分この南の階段をも通ったのかもしれない。ここからオリブ山は近い。選挙が近づいてテロの危険があるので神域には入れなかったのは残念であった。大きな爆発音がしたのでスワ戦争かと思ったがジェット戦闘機が音速を超えたときにおこる衝撃波であった。


塚本訳  ルカ 21:37
21:37 イエスは(毎日)昼のあいだは宮で教え、夜は(都を)出ていって、いわゆるオリブ山で夜を過ごされた。


 


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シロアムの池 2006.3.26 ダビデの町


あの盲人はこの池で目を洗ったら見えるようになったのだ。どんなにか嬉しかったであろう。人が盲人で生まれたのは、誰の罪のせいかとの問いに、イエスは答えた「神の御業がこの人に現れるためである」と。人の不幸は神が先刻ご承知。不幸は真の幸福のもと。


塚本訳  ヨハ 9:1-11
9:1 イエスは通りがかりに、生まれつきの盲人を見られた。
9:2 弟子たちが尋ねた、「先生、この人が盲で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか、両親ですか。」
9:3 イエスは答えられた、「この人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。ただ神の御業がこの人に現われるためである。
9:4 わたし達はわたしを遣わされた方の御業を昼の間にせねばならない。(すぐ)夜が来る。するとだれも働けなくなる。
9:5 世におる間、わたしは世の光である。」
9:6 こう言って地に唾をはき、唾で泥をつくり、その泥を盲人の目に塗って、
9:7 言われた、「行って、シロアム池で洗いなさい。」(シロアムは訳すると「遣わされた者」。)そこで盲人は行って、洗って、見えるようになって、かえって行った。
9:8 近所の人や、彼が乞食であったのを前に見ていた人たちは、「これは坐って乞食をしていた男ではないか」と言った。
9:9 「あの男だ」と言う者もあれば、「いや、似ているだけだ」と言う者もあった。本人は「たしかにわたしです」と言った。
9:10 すると人々がたずねた、「では、どうして目があいたのか。」
9:11 答えた、「あのイエスという方が、泥をつくってわたしの目に塗りつけ、『シロアムに行って洗いなさい』と言われた。そこで行って洗うと、見えるようになったのです。」


●プリマ・キングス・ホテル泊


060327(月)


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イエスが振り向いてじっとペテロを見た階段 2006.3.27 鶏鳴教会


恩人を裏切ったペテロ。それを赦したイエス。その時のイエスの目は神の子の目であった。人類として最高の目であった。人を赦すときの目であった。ルカはよく書いてくれた。ルカ22章61節塚本訳「主は振り向いて、じっとペテロを見つめられた」。塚本訳の「じっと」という翻訳には深いものがある。それは赦しの目。神の子の目。


塚本訳  ルカ 22:54-62
22:54 彼らはイエスをつかまえると、引いていって、大祭司(カヤパ)の屋敷につれ込んだ。ペテロは見えがくれについて行った。
22:55 そして彼らが中庭の真中であかあかと火を焚いて一しょにすわったので、ペテロもその中に坐った。
22:56 ひとりの女中は彼が火の所に坐っているのを見ると、しげしげと眺めならら、「この人もあの人と一しょだった」と言った。
22:57 しかしペテロは、「女中さん、あんな人は知らない」と言って打ち消した。
22:58 ほどなく、ほかの男がペテロを見て、「あなたもあの仲間だ」と言った。ペテロは言った、「君、人ちがいだ。」
22:59 一時間ばかりたつと、(また)ほかの男が、「実際この人もあの人と一しょだった。この人もガリラヤ人だから」と主張した。
22:60 しかしペテロは言った、「君、あなたの言っていることはわからない。」するとたちまち、まだその言葉の終らぬうちに、鶏が鳴いた。
22:61 主が振り向いて、じっとペテロを見つめられた。ペテロは、「きょう(今夜)、鶏が鳴く前に、わたしを三度、知らないと言う」と言われた主の言葉を思い出し、
22:62 外に出ていって、さめざめと泣いた。



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ベテスダの池は深かった 2006.3.27 エルサレム旧市街内


ヨハネ福音書にのみある「ベテスダの池の奇蹟」は、私の最も好きな場面。池の水が少しでも動いたときに飛び込むと直るのだが、体が動かせなくて飛び込むことさえ出来なかった男がいた。その男に「直りたいか」と声をかけたイエス。そして病気を直した。体が悪いので人に遅れをとった者に声をかけたイエス。人生に遅れをとった者にイエスは声をかける。「直りたいか」と聞いたイエスのその目を思う。きっとじっと見つめたのだろう。


塚本訳 ヨハ 5:1-9
5:1 そののちユダヤ人の祭があって、イエスはエルサレムに上られた。
5:2 エルサレムの羊門のわきに、ヘブライ語でベテスダという池があり、(これを取り巻いて)五つの回り廊下があった。
5:3 廊下には大勢の病人──盲人、足なえ、やせ衰えた者などが寝ころがっていた。【水の動くのを待っていたのである。
5:4 それは、主の使がときどき池に下りてきて水をかきまわすので、水がかきまわされたとき真先に(池に)はいった者は、どんな病気にかかっていても、(きっと)直るからであった。】
5:5 するとそこに三十八年病気の人がいた。
5:6 イエスはその人が横になっているのを見、すでに長い間わずらっていることを知ると、「直りたいか」とたずねられた。
5:7 病人が答えた、「主よ、水がかきまわされた時に、わたしを池に入れてくれる者がないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に下りてゆきます。」
5:8 イエスが言われる、「起きて担架をかついて、歩きなさい。」
5:9 するとその人はすぐ直って、担架をかついで歩きまわった。あいにくその日は安息日であった。


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音響効果抜群の教会 2006.3.27 聖アンナの教会


この石の教会堂は音響が非常によかった。カナダの一行が「アメイジンググレイス」を歌って天井に大きく木霊した。次にナイジェリアの一行もお国柄の歌を歌った。両国の人たちが固く握手していた。「キリストは我等の平和」という言葉を思い出した。


口語訳 エペ 2:14-16
2:14 キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、
2:15 数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、
2:16 十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。


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ヴィア・ドロロサ(悲しみの道行き)の途中にあるエッケホモ教会 2006..3.27


イエスの生きた時代の地層は7~9メートルも下であるが、この石畳はイエス時代と同じ形と考えられる。こういうゴツゴツの石畳の上をイエスが十字架を担いで歩いたときのゴトゴトゴトという音が聞こえてくるようであった。ゴトゴトゴトゴトゴト。重い十字架、痛い十字架。イエスよ、あなたの痛みは私のためだったのです。


塚本訳  ルカ 23:26-32
23:26 (兵卒らが)イエスを(刑場へ)引いてゆく時、シモンというクレネ人が野良から来(て通りかかっ)たので、つかまえて(イエスの)十字架を背負わせ、イエスの後から担いでゆかせた。(イエスにはもう負う力がなかったのである。)
23:27 民衆と、イエスのために悲しみ嘆く女たちとの大勢の群が、あとにつづいた。
23:28 イエスは女たちの方に振り向いて言われた、「エルサレムの娘さんたち、わたしのためには泣いてくれなくともよろしい。それよりは自分のため、自分の子供のために泣きなさい。
23:29 いまに人々が、『石女と、(子を)産んだことのない胎と、飲ませたことのない乳房とが羨ましい』と言う(恐ろしい)日が来るのだから。
23:30 その時人々は『山にむかっては、『われわれの上に倒れかかって(殺して)くれ』、丘にむかっては、『われわれを埋めてくれ』と言い』続けるであろう。
23:31 (罪のない)生木(のわたし)でさえ、こんな目にあわされるのだ。まして(罪にくされた)枯木は、どうなることであろうか!」
23:32 ほかに二人の罪人も、処刑されるためイエスと共に引かれていった。


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イエス埋葬の墓 2006.3.27 聖墳墓教会の地下


どうもピンとこなかった。聖墳墓教会内部の金の飾りは仏教寺院に似ていて良い感じがしなかった。そのためにこの地下にあるイエスの墓も本当らしく思えなかった。


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ゴードン将軍のカルバリ 2006.3.27


1860年にオットー・テニウスが、十字架の場所は現在の聖墳墓教会の場所ではなく、城壁の外部にあるこちらではないかと言い出し、第一次世界大戦中に英国軍人のゴードン将軍がこれに同調した。なるほど、目と口のところが空洞になっていてしゃれこうべに似ている。「髑髏の所」という言葉は4福音書で一致。


塚本訳 ヨハ 19:17-18
19:17 イエスは自分で十字架をかついで、いわゆる「髑髏の所」──ヘブライ語でゴルゴタ──へと(都を)出てゆかれた。
19:18 そこで彼らはイエスを十字架につけた。またほかに二人(の囚人)が、イエスを中にしてあちらとこちらで、一しょに十字架につけられた。


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園の墓 2006.3.27 ゴードン将軍のカルバリの隣りにある墓


この墓のほうが本物臭い。ヨハネには次のようにある。墓の前の溝は丸い墓石を転がすため。


塚本訳  ヨハ 19:41
19:41 ところがイエスが十字架につけられた場所(の近く)に園があって、園の中に、まだだれも納められたことのない、新しい墓があった。


 


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空の墓 2006.3.27 園の墓の内部


今回の旅行の主目的はこれを見るためであった。歴史の内と外の接点ピンポイントの場所を見たかった。イエスが有体的に復活した場所。イエスはもう「ここにはおられない」と言った天使の言葉を思い出した。


塚本訳 ヨハ 20:1-10
20:1 (翌々日、すなわち)週の初めの日(日曜日)の朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に来てみると、墓(の入口)から石がのけてあった。
20:2 そこでシモン・ペテロと、イエスが可愛がっておられたもう一人の弟子との所に走って行って言う、「主を墓から取っていった者があります。どこに置いたのかわかりません。」
20:3 そこでペテロはもう一人の弟子と飛び出して、墓へと急いだ。
20:4 二人とも(始めのほどは)一しょに走っていたが、もう一人の弟子の方が(年が若かったので、)ペテロより早く走っていって、先に墓に着いた。
20:5 身をかがめると、(墓の中に)亜麻布があるのが見えたが、それでも中には入らなかった。
20:6 続いてシモン・ペテロも来た。彼は墓に入り、亜麻布が(そのままそこに)あるのを見た。
20:7 また頭をつつんだ手拭は亜麻布と一しょになく、これだけ別の所に、包んだまま(の形)になっていた。
20:8 すると先に墓に着いたもう一人の弟子も入ってきて、見て、信じた。
20:9 イエスは死人の中から復活されねばならないという聖書の言葉が、(この時まで)まだ彼らにわかっていなかったのである。
20:10 それから二人の弟子は家にかえった。


塚本訳 マタ 28:5-7
28:5 天使は女たちに言った、「恐れることはない。あなた達は十字架につけられたイエスをさがしているようだが、
28:6 ここにはおられない。かねがね言われたとおり、もう復活されたのだから。来て、お体が置いてあった場所を見なさい。
28:7 それから急いで行って弟子たちに、『イエスは死人の中から復活された。あなた達より先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる』と言いなさい。これを言いにわたしは来たのだ。」


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マリヤの訪問教会の中庭 2006.3.27 エンカレム


これはすばらしい教会であった。最高。日本人に人気の教会と説明された。特に中庭がすばらしい。マリヤは受胎の告知を受けて不安になり、親戚のエリサベツを訪問した。それがこの場所。そこに建つ教会。ユダの山里にある。ルカ1章45節の言葉がすばらしい。「主の仰せられたことはきっと成就すると信じたこの人は、なんと仕合わせでしょう」。これに続くマリヤの賛歌であるマグニフィカトが各国語で書かれてあった。


塚本訳  ルカ 1:39-45
1:39 その後間もなくマリヤは立って、大急ぎでユダの山地のある町に行き、
1:40 ザカリヤの家に入ってエリサベツに挨拶した。
1:41 エリザベツがマリヤの挨拶を聞いた時、児が胎内で躍った。エリサベツは聖霊に満たされ、
1:42 声高らかにさけんだ、「あなたは女の中で、(一番)祝福された方、あなたの胎内のお子さまも(だれより)祝福されたお方です。
1:43 主の母上がわたしの所に来てくださるとは、まあどうしたのでしょう。
1:44 そら、あなたの挨拶の声がわたしの耳に入ると、児が胎内で喜んで躍りました。
1:45 主の仰せられたことはきっと成就すると信じたこの人は、なんと仕合わせでしょう。」


 




 












 



 







 







 


 






 



 


 


 


 


 


 


 


 






 


 

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