to 日記と感想 2006年07月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171030(月)10:00 聖路加 桑本先生
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170824(木)12:10キララホールエントランスコンサート、マリンバ
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170813(日)10:30ナザレン教会浦和教会
    170813(日)14:00比企紀和君
    170812(土)14:00お江戸こらりあーず演奏会、文京シビックホール
    170809     TW誕生日
    170809(水)17:16初音吹奏楽、府中の森芸術劇場ドリームホール
    170808(火)0930池谷医院
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170708(土)14:00在宅医療説明会(キララホール)
    170707(金)10:00池谷医院
    170706      TM誕生日
    170702(日) 集会感話
    170701      TT誕生日
    170630(金)12:20キララホールエントランスコンサート
    170628      IY誕生日
    170627(火)11:00 能城牧師来訪
    170625)日)10:10トミ子集会感話
    170625(日)14:00茅ヶ崎金子邸
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール


三男近藤恵の家に泊まる ++++++++ 所感

2006/07/31 21:45

060731(月)三男恵の家で目覚める。6時起床●孫の見時はカブトムシのお土産に大喜び。しかしオスの一匹が飛んで逃げてしまって悲しい声を上げる。おもちゃではないので飛んでいく。これも体験、勉強。●あだたら聖書集会での感話会のテープを聞く。恵の感話は農業労働の聖書的根拠について。それから若き一女性がカトリックの友人の影響で信仰を得た話。新約聖書を一気に読んで聖書の言葉に打たれたという。これ完全に神の働き●恵と創世記の研究。人間の労働の根源について。神は人間に地上の事物の管理を任せた。


新共同 創  1:28
1:28 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」


新共同 創  2:15
2:15 主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。


●地上の事物の管理は神の為に行うのが基本の姿勢。それを誤って自分のためと思うところに混乱と「働くことに生きがいを失う」原因がある。●仕事は自分の為でなく、人の為に「尽くす」手段。そこに道を見出すときに「力と生きがい」が湧くものだ。●労働は「神と人とに仕える手段」。「尽くしぬくこと」、これが「幸福」の根本。


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近藤恵一家 福島県福島市蓬来町 2006.7.31 安達太良連峰が見えるよいところだ。


左から高橋照男 高橋トミ子 近藤恵 近藤見時4歳(膝上) 近藤風人10ヶ月(膝上) 近藤華子


風人(ふうと)はスヤスヤと眠っている。この一家の上に神の祝福が末永くありますように。


私としてはこの孫たちの結婚式までは生きていられない。人生は「風と共に去りぬ」だ。


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弟の風人(10ヶ月)は兄の見時(4歳)が近づくと喜ぶ。兄弟仲よく。 2006.7.31 近藤家


口語訳 詩  133:1
133:1 見よ、兄弟が和合して共におるのは/いかに麗しく楽しいことであろう。


TEV 詩  133:1
133:1 How wonderful it is, how pleasant, /for God's people to live together in harmony!


●物や金があるのは兄弟争いの元。●「子に美田を残さず」は真理


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午後、いわき市の菩提院に故大熊一雄さんの墓参をする。裏面の墓誌には一雄さんと並んで大熊好子さんの名前も彫ってあり朱色で塗ってあった。朱色はご存命という印。大熊好子さんは若き日にこの福島の地で塚本先生に出会い、尽くされた。思い出の地に眠るのが安らかで喜びなのだろうと思った。2006.7.31


表面には次のように彫られていた。誰の字だろう。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


人はみな草のやう


またその栄華はみな草の花のやうである


草は枯れた 花は落ちた


しかし 主の言は 永遠に消えうせない


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


●この言葉は新約聖書1ペテロ1章24-25節である。本当にそうだなーと思う。人生は短い、淋しい。悲しい。泣けてくる。大熊さん安らかに。来世で御挨拶、御礼申しあげます。


口語訳 Ⅰペテ1:24-25
1:24 「人はみな草のごとく、/その栄華はみな草の花に似ている。草は枯れ、/花は散る。
1:25 しかし、主の言葉は、とこしえに残る」。これが、あなたがたに宣べ伝えられた御言葉である。


新改訳 Ⅰペテ1:24-25
1:24 「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。
1:25 しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。


新共同 Ⅰペテ1:24-25
1:24 こう言われているからです。「人は皆、草のようで、/その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、/花は散る。
1:25 しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです。


塚本訳  Ⅰペテ1:24-25
1:24 何故なら『人はみな草』のよう『また』その『栄華はみな草の花のようである』。』草は枯れた花は落ちた』
1:25 『しかし』主の『言は永遠に消え失せない』。これが君達に』宣べ伝えられた福音の言』である。


文語訳  Ⅰペテ1:24-25
1:24 『人はみな草のごとく、その光榮はみな草の花の如し、草は枯れ、花は落つ。
1:25 されど主の御言は永遠に保つなり』、汝らに宣傅へたる福音の言は即ちこれなり。


TEV Ⅰペテ1:24-25
1:24 As the scripture says, /"All human beings are like grass, /and all their glory is like wild flowers. /The grass withers, and the flowers fall,
1:25 but the word of the Lord remains forever." /This word is the Good News that was proclaimed to you.


●妻の実家で四家シズエさん、斉藤安子さんと会う。母が表で転んで顔に怪我をしたので集まっていた●正一さんに案内されて名湯の「入の元湯」に行く。


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いわき市内郷にある名湯「入の元湯」に入る。鉱泉の薬湯  2006.7.31


左高橋照男 右草野正一 後ろは合掌造りの食堂(炉端焼き)




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あだたら聖書集会 ++++++++ 所感

2006/07/30 20:37

060730(日)4時半起床●10:30福島県安達郡本宮町の「あだたら聖書集会」に出席。「聖書の風・・・次男の子供に風人(ふうと)と命名した記念に・・・・」と題して話す。恵一家出席●話の前に湯浅鉄郎氏が私のことを紹介するために詩編40編を読まれた。また「高橋ファミリーのテーマソング」だとして讃美歌217番「あまつましみず」を全員で歌ってくださった。足れリ、もったいない、と思った●富永國比古ご夫妻と次女の麻香さんがご出席。お二人のお嬢様が主にとらえられたとのお話しを頂き「神活き給う」との実感が与えられ感謝した●苦難はむやみやたらにはこない。必ず必ず楽になり、かえって深い意味を悟り感謝の涙を流す時が来る。神は理不尽不条理なことを通して「愛の何であるか」を教えてくださる。そして意外な方法で救ってくださる。●集会代表の湯浅鉄郎氏と富永國比古医師と懇親懇談。「復活論」●この福島の地で正統信仰を固く伝承している集団があることを知って「無教会健全なり」との観を強くした。


詩編40編口語訳 抜粋


口語訳 詩  40:9-17

40:9 わたしは大いなる集会で、救についての喜びのおとずれを告げ示しました。見よ、わたしはくちびるを閉じませんでした。主よ、あなたはこれをご存じです。
40:10 わたしはあなたの救を心のうちに隠しおかず、あなたのまことと救とを告げ示しました。わたしはあなたのいつくしみとまこととを/大いなる集会に隠しませんでした。
40:11 主よ、あなたのあわれみをわたしに惜しまず、あなたのいつくしみとまこととをもって/常にわたしをお守りください。
40:12 数えがたい災がわたしを囲み、わたしの不義がわたしに追い迫って、物見ることができないまでになりました。それはわたしの頭の毛よりも多く、わたしの心は消えうせるばかりになりました。
40:13 主よ、みこころならばわたしをお救いください。主よ、すみやかにわたしをお助けください。
40:14 わたしのいのちを奪おうと尋ね求める者どもを/ことごとく恥じあわてさせてください。わたしのそこなわれることを願う者どもを/うしろに退かせ、恥を負わせてください。
40:15 わたしにむかって「あはぁ、あはぁ」と言う者どもを/自分の恥によって恐れおののかせてください。
40:16 しかし、すべてあなたを尋ね求める者は/あなたによって喜び楽しむように。あなたの救を愛する者は/常に「主は大いなるかな」ととなえるように。
40:17 わたしは貧しく、かつ乏しい。しかし主はわたしをかえりみられます。あなたはわが助け、わが救主です。わが神よ、ためらわないでください。



讃美歌217番


1. あまつ ましみず ながれ きて,

   あまねく 世 をぞ うるおせる.

  ながく かわきし わが たましいも,

   くみて いのち に かえり けり.

 

2. あまつ ましみず 飲む まま に,

   かわき お 知らぬ 身 と なりぬ.

   つきぬ めぐみ わ こころ の うち に,

   いずみ と なりて 湧き あふる.

 

3. あまつ ましみず うけず して,

   つみ に 枯れたる ひとくさ の

   さかえ の 花 は いかで 咲くべき,

   そそげ, いのち の ましみず お.

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あだたら聖書集会、湯浅鉄郎邸。左が湯浅鉄郎邸、右が集会室。初代の「家の教会」を想う。


木をふんだんに使った大きな空間の優れた設計。手前は孫の近藤見時4歳。  2006.7.30


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あだたら聖書集会は25名程度の出席であった。残られた一部の方々を記念撮影。近藤恵撮影


正統信仰を固く伝承保持する神に祝された無組織の集会。メイド・イン・ジャパンのキリスト教。


後列左から近藤華子、近藤見時、高橋照男、大内信一、富永國比古、富永久美子、富永麻香、


氏名不明、氏名不明、氏名不明


前列左から石沢重吉、堀越利雄(88歳)、湯浅鉄郎、高橋トミ子、近藤風人(膝上)、湯浅鉄郎夫人、


2006.7.30

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集会の帰途、恵の耕す田畑を見せてもらう。これは600坪(2反)の大豆畑。これだけ作って収入は年間12万円程度。しかし輸入大豆のコストはさらに安く国産の2割程度だというから負けてしまうという。有機農業は生産性向上が課題  2006.7.30


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稲、これは勢いよく育っている。しかし有機栽培のため「いもち病」が発生している。有機農業の難しいところだ。しかし神が植えるものは細々とでも続く。


休耕田だったところが、この青さ。すばらしい。土地も稲も喜びの声を上げているようだ。「神に植えられたもの」と直感した。


左から高橋照男、近藤見時、高橋トミ子   2006.7.30


塚本訳  マタ 15:13
15:13 イエスは答えられた、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜かれる。


●人間の業は、それが「神から出た」ものであれば祝福されて継続する。神の名誉の為に神が支える。応援してくださる。仕事、事業、勉強、研究、家庭建設、教会、伝道みな同じ。それが「神から出た」ものであればたとえ収入が少なくても「生きがいと力」が湧く!「労働の喜び」を感じる。人間としての尊厳を自覚して「力」に満ち溢れる●問題はそれが人間のヒューマニズムや社会批判や名誉心という動機から出たものであるなら、一見正しいものであるように見えても「間もなく消滅」する。その真偽は人間が外側から大脳皮質で考えてもわからない。この世的判断でも当たらない。神が判定する。●他人の行動を見て、それが実際に神から出た行動であるのかどうかを判定する具体的な方法はしばらく「そっと放っておく」のが賢い方法だ。すこしずるい方法かもしれないが、神とても「ダメなことが気がつくまで少しやらせてみようか」と思っているのかも知れない。失敗して反省したとしたら、その本人の自覚ということが尊いのだ。


塚本訳 使  5:38-40
5:38 だから今のところ、わたしは諸君に言う。あの人たちから手を引いて、(そっと)放っておきなさい。それは、もしあの企てやすることが人間(の考え)から出たものならば、(手を下すまでもなくひとりでに)ほろびるであろうし、
5:39 神から出たものなら、(どんなにしても)彼らをほろぼすことは出来ないのだから。そうでないと、諸君は神に手向かう者にならぬとはかぎらない。」そこで彼らはその勧告に従って、
5:40 使徒たちを呼びいれて(鞭で)打ち、(今後決して)イエスの名を使って話をしてはならないと命令して、釈放した。


 


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第3番目の田。これぐらいの大きさの田を6箇所(合計1200坪程度)耕している。2006.7.30


遠方は安達太良山。見時はかえるや虫を平気で掴む。大自然と共に育つ子供は恵まれている


新共同 創  2:15
2:15 主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。


TEV 創  2:15
2:15 Then the Lord God placed the man in the Garden of Eden to cultivate it and guard it.


 





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悲しみの研究 ++++++++ 所感

2006/07/29 10:51

060729(土)5時起床。昨夜は激しく咳き込む●朝風呂で日経「私の履歴書」はSF作家の小松左京。関西を愛して住む。指揮者の朝比奈隆(93歳で逝去)と交流、各種イベントのプロデューサーになる。歴史は二度繰り返せないが、小松氏のようにもう一つの歴史を仮想シュミレーションでやるというのも面白い作業だ。中にはその仮想シュミレーションが当たることもある●朝比奈隆も小松左京も若い時に苦労した。「若い時の苦労は買ってでもせよ」は真理


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窓を開けるときれいな空、空がきれいな季節になった 2006.7.29 5:00 東の窓から


●「悲しむ者は幸い」の研究をする。悲しむことがなぜ幸いなのだろう。まずこの個所をJバイブルで探し翻訳比較を見る。マタイ5章4節。


文語訳 マタ 5:4
5:4 幸福なるかな、悲しむ者。その人は慰められん。


口語訳 マタ 5:4
5:4 悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。


新改訳 マタ 5:4
5:4 悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。


新共同 マタ 5:4
5:4 悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。


塚本訳  マタ 5:4
5:4 ああ幸いだ、『悲しんでいる人たち、』、(かの日に)『慰めていただく』のはその人たちだから。


NKJV マタ 5:4
5:4 Blessed are those who mourn,For they shall be comforted.


TEV マタ 5:4
5:4 "Happy are those who mourn; /God will comfort them!


●次にこれをBbBで当たって、各国の引照を調べる。そこでぴたっとするのは次の個所 


口語訳 Ⅱコリ1:3-4

1:3 ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。

1:4 神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。

 

 

口語訳 Ⅱコリ13:11

13:11 最後に、兄弟たちよ。いつも喜びなさい。全き者となりなさい。互に励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和に過ごしなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいて下さるであろう。

 

口語訳 Ⅱコリ4:17

4:17 なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。

 

口語訳 ロマ 8:35

8:35 だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。

 

口語訳 ピリ 1:28-29

1:28 かつ、何事についても、敵対する者どもにろうばいさせられないでいる様子を、聞かせてほしい。このことは、彼らには滅びのしるし、あなたがたには救のしるしであって、それは神から来るのである。

1:29 あなたがたはキリストのために、ただ彼を信じることだけではなく、彼のために苦しむことをも賜わっている。

 

口語訳 Ⅱコリ4:17

4:17 なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。

 

口語訳 Ⅱコリ12:10

12:10 だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。

 

口語訳 Ⅱコリ4:17

4:17 なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。

 

新共同 ヤコ 2:5

2:5 わたしの愛する兄弟たち、よく聞きなさい。神は世の貧しい人たちをあえて選んで、信仰に富ませ、御自身を愛する者に約束された国を、受け継ぐ者となさったではありませんか。

 

新共同 使 5:41

5:41 それで使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び、最高法院から出て行き、

 

新共同 ヤコ 5:10-11

5:10 兄弟たち、主の名によって語った預言者たちを、辛抱と忍耐の模範としなさい。

5:11 忍耐した人たちは幸せだと、わたしたちは思います。あなたがたは、ヨブの忍耐について聞き、主が最後にどのようにしてくださったかを知っています。主は慈しみ深く、憐れみに満ちた方だからです。

 

新共同 ピリ 1:29

1:29 つまり、あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。

 

新共同 コロ 1:24

1:24 今やわたしは、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています。

 

新共同 ヤコ 1:2

1:2 わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。

 

新共同 Ⅰペテ4:14

4:14 あなたがたはキリストの名のために非難されるなら、幸いです。栄光の霊、すなわち神の霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。

 

新共同 Ⅰテサ2:15

2:15 ユダヤ人たちは、主イエスと預言者たちを殺したばかりでなく、わたしたちをも激しく迫害し、神に喜ばれることをせず、あらゆる人々に敵対し、

 

新共同 ヘブ 11:32-38

11:32 これ以上、何を話そう。もしギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル、また預言者たちのことを語るなら、時間が足りないでしょう。

11:33 信仰によって、この人たちは国々を征服し、正義を行い、約束されたものを手に入れ、獅子の口をふさぎ、

11:34 燃え盛る火を消し、剣の刃を逃れ、弱かったのに強い者とされ、戦いの勇者となり、敵軍を敗走させました。

11:35 女たちは、死んだ身内を生き返らせてもらいました。他の人たちは、更にまさったよみがえりに達するために、釈放を拒み、拷問にかけられました。

11:36 また、他の人たちはあざけられ、鞭打たれ、鎖につながれ、投獄されるという目に遭いました。

11:37 彼らは石で打ち殺され、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊の皮や山羊の皮を着て放浪し、暮らしに事欠き、苦しめられ、虐待され、

11:38 荒れ野、山、岩穴、地の割れ目をさまよい歩きました。世は彼らにふさわしくなかったのです。

 

新共同 ヤコ 5:10

5:10 兄弟たち、主の名によって語った預言者たちを、辛抱と忍耐の模範としなさい。

 

口語訳 ヘブ 12:14

12:14 すべての人と相和し、また、自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない。

 

口語訳 Ⅰペテ3:14

3:14 しかし、万一義のために苦しむようなことがあっても、あなたがたはさいわいである。彼らを恐れたり、心を乱したりしてはならない。

 

口語訳 使 5:41

5:41 使徒たちは、御名のために恥を加えられるに足る者とされたことを喜びながら、議会から出てきた。

 

口語訳 ヘブ 10:34

10:34 さらに獄に入れられた人々を思いやり、また、もっとまさった永遠の宝を持っていることを知って、自分の財産が奪われても喜んでそれを忍んだ。

 

口語訳 ヤコ 1:2

1:2 わたしの兄弟たちよ。あなたがたが、いろいろな試錬に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。



●次にSWORDでマタイ5章4節のTSK日本語ヴァージョンにあたる。



Isaiah 61:3:
シオンの中の悲しむ者に喜びを与え、灰にかえて冠を与え、悲しみにかえて喜びの油を与え、憂いの心にかえて、さんびの衣を与えさせるためである。こうして、彼らは義のかしの木ととなえられ、主がその栄光をあらわすために/植えられた者ととなえられる。


Zechariah 13:1:
その日には、罪と汚れとを清める一つの泉が、ダビデの家とエルサレムの住民とのために開かれる。


Luke 7:50:
しかし、イエスは女にむかって言われた、「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」。


Luke 16:25:
アブラハムが言った、『子よ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。


John 16:20:
よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたは泣き悲しむが、この世は喜ぶであろう。あなたがたは憂えているが、その憂いは喜びに変るであろう。


II Corinthians 1:4:
神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。


II Corinthians 7:10:
神のみこころに添うた悲しみは、悔いのない救を得させる悔改めに導き、この世の悲しみは死をきたらせる。


Revelation of John 21:4:
人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。


●「アーソウカ」。これで分かった。悲しんでいる人は神に慰められるから「幸い」なのだ。

人の世で慰められることのない人には神ご自身が近づいて下さるからだ。人間に慰められている人には神は近づいてくださらない。●「Jバイブル+BbB+SWORD」の威力は抜群だ。

●私が悲しい時に取り出して読む本は、クリスチナ・ロゼッティの「信仰詩集」。二つの詩からの抜粋を掲げる。大原三八雄訳による。


「日はちかづけり」


待つも暫く

泣いたとて 明けが来れば微笑(ほほえみ)

その日には 愛のほか なにとて残りません


「心その痛みを知れり」


いたましく ひとりでお泣き 心を涙に浸して

・・・・・・

春まで お泣きよ 恵みの雨が 花をもたらせ 花盛り咲く夏の日に あなたは歌を歌うでしょう

・・・・・・

その時には 愉しい愛が 泣くことも 忘れさせ 望むことも 恐れることもなく 見張ることもなく

あるほはただ 愛のみです 深く深く いつまでも続く愛


●クリスチナ・ロゼッティは病苦であった。●私は6年前の火災の時、灰塵の中から必至で「この信仰詩集」を掻き出した。あの悲しみの時に神から慰められた。「天国の家は焼けない」と。その3ヵ月後に脳内出血で倒れた時。「この命は100%完全に神に握られている」という認識を与えられて慰められた●妻はあきる野映画祭。「皇帝ペンギン」「博士の愛した数式」「単騎、千里を走る」。その後コーラスの練習


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図書館の帰途、入道雲を見る。いよいよ入道雲の季節になった。入道雲大好き。

故郷浦和での小さい頃を思い出す。   2006.7.29 17:55


       





 

 

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愛の研究 ++++++++ 所感

2006/07/28 08:10

060728(金)5時起床●カブトムシ採集に出かける。今日は一匹もとれない。詳しそうな人から今までにオスが三匹採れたのはラッキーですごいことだと言われた。


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いつも必ずいる樹に今日はいない。カナブンだけ。 2006.7.28 5:30 あきる台公園


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5匹の犬。飼主「私犬が好きなんです」「雑種です」 2006.7.28 5:30 あきる台公園


人間も雑種でいいんだ。雑種がいいんだ。雑種が多いのは神が愛しているからだ。

マタ   3: 9 [塚本訳
『われわれの先祖はアブラハムである(から大丈夫だ)』などと考えてはならない。わたしは言う、神はそこらの石ころからでも、アブラハムの子供を造ることがお出来になるのだ。



ルカ   3: 8 [塚本訳
(ほんとうに悔改めたのか。)それなら(洗礼を受けるだけでなく、)悔改めにふさわしい実を結べ。『われわれの先祖はアブラハムである(から大丈夫だ)』などという考えを起してはならない。わたしは言う、神はそこらの石ころからでも、アブラハムの子供を造ることがお出来になるのだ。


●「人がその友のために命を捨てる、これ以上の愛はない」とあるが、それはどういうことなのだろう。本日の課題。●まずこれがどこにあるかを探す。それはJバイブルを使用する。するとこれはヨハネ15:13であることがわかるが、14節を読むとそこに[解読の鍵がありそうである。愛の実行は神に命じられたことを行うことにあるらしい。人間の発心によるものではないらしい。


 口語訳 ヨハ 15:13-14
15:13 人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。
15:14 あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。


新共同 ヨハ 15:13-14
15:13 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。
15:14 わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。


塚本訳  ヨハ 15:13-14
15:13 (わたしはあなた達のために命を捨てる。)友人のために命を捨てる以上の愛はないのだ。
15:14 あなた達はわたしの命ずることを行ってさえおれば、わたしの友人である。


TEV ヨハ 15:13-14
15:13 The greatest love you can have for your friends is to give your life for them.
15:14 And you are my friends if you do what I command you.


●次にBbBでこのところを見る。すると翻訳比較で塚本訳が出てきて解読に一歩前進、つまり、愛とは人間の善行ではなく、神に命じられることらしいことが分かる。


塚本訳1963

15:12 わたしがあなた達を愛したように、互に愛せよ。──これがわたしの掟である。

15:13 (わたしはあなた達のために命を捨てる。)友人のために命を捨てる以上の愛はないのだ。

15:14 あなた達はわたしの命ずることを行ってさえおれば、わたしの友人である。



●次に各国の引照を見る。そのなかに注目すべき次の句がある。これは英米仏日が揃って示すものである。



口語訳 ロマ 5:6-8

5:6 わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さったのである。

5:7 正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるであろう。

5:8 しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。



●つまり、人間の克己奮励努力の愛ではない。慈善福祉の愛ではない。預言者の振る舞いではない。理屈に合わないとんでもない愛である。この愛はだれか他人に無理に引き回されての愛である。その誰かとは神である。●最後にピンポイントでヨハネ15:13をSWORD日本語ヴァージョンで調べる。すると次の句が心に響く


塚本訳 Ⅰヨハ4:7-11
4:7 愛する者たちよ、互に愛しようではないか。愛は神から(出たの)であり、(どんな人でも)愛する者は神から生まれ、また神を知っている(からである)。
4:8 愛さない者は、神を知らない。神は愛であるから。
4:9 神がその独り子を(この)世に遣わし、独り子によって(死ぬべき)わたし達が生きるようになったそのことで、神の愛が(はじめて)わたし達に現わされたのである。
4:10 わたし達が神を愛したことではなく、彼がわたし達を愛し、その子をわたし達の罪のための宥め(の供物)として遣わされたそのことに、愛があるのである。
4:11 愛する者たちよ、神はこのようにわたし達を愛されたのだから、わたし達も互に愛する義務がある。


●「アーソウカ」。気の毒な人のために何かを「してあげよう」というのは人間の考えであって「キリスト教の愛」「聖書の愛」ではない。それは人間の愛である。善行である。福祉である。イエスのいう愛とは神に無理やりに負わされる十字架の愛なのだ。いやいやながらの愛なのだ。おせっかいの愛ではない。そのときそれを負わさせる神の栄光があがるのだ。人間の発心の愛は人間が誉められるだけで神の栄光があがらないのだ。●「BbB&SWORD}による聖書勉強は面白い。解読に間違いはない。●勤務先のヴィオリスト和田睦夫氏と懇談。ブルックナーについて伺う。●橋本次長と懇談●東医健保会館に部屋代の支払い


 


 

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悩みの研究 ++++++++ 所感

2006/07/27 10:28

060726(木)6時起床。人生の悩みについて黙想●朝風呂で日経文化欄。ショスタコビッチばかりを演奏するアマチュアオーケストラの代表の話。人間はいろいろな「オタク」がいるものだ。否、「人類皆オタク」だ。だから一期一会、相手のことは必ず尊重しなければならない。信者の姿も百人百様、一人一教会●日経、「私の履歴書」はSF作家の小松左京。1973年(昭和48年)映画「日本沈没」が大ヒット。650万人の観客動員。地球部物理学者の竹内均東大教授から「あの本のおかげで地味な地球物理学に光があたって、志望する学生が増えました」と感謝される●仕事は地味なままがよい。光があたってこの世の人間感謝されたらそれでおしまい。精算された。ほんとうの男らしい仕事はその時代の「人間ども」に追放されるが、死後に見直されること。イエス、ダンテ、バッハは生前は不遇、認められなかった。ダンテなどはその遺骨の奪い合いが行われたほど。●イエスは言う。誉められたり報酬を貰ったりするのはこの世の「人間ども」(それはすぐ気が変わる)からではなく、神からであるべきである。


塚本訳 マタ 5:11-12
5:11 わたしゆえに罵られたり、迫害されたり、あらん限りの根も葉もない悪口を言われたりする時、あなた達は幸いである。
5:12 小躍りして喜びなさい、褒美がどっさり天であなた達を待っているのだから。あなた達より前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。


塚本訳 マタ 6:1-4
6:1 (しかし戒めだけでなく、行ないにおいても聖書学者、パリサイ人以上でなければならない。すなわち)見せびらかすために、人の見ている前で善行をしないように気をつけよ。そうでないと、あなた達の天の父上の所で褒美をいただくことはできない。
6:2 だからあなたが施しをする時には、偽善者のように、自分の前にラッパを吹きならして(吹聴して)はならない。彼らは人に褒められようとして、礼拝堂や町の中でそうするのである。アーメン、わたしは言う、彼らは(褒められたとき、)すでに褒美をもらっている。
6:3 あなたは施しをするときに、右の手のすることを左に悟られてはならない。
6:4 これは施しを隠しておくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。


●あの小松左京氏はこの世の「人間ども」に評価されたからあれでおしまい。●男一匹の価値ある生き方は、生きているうちは石で打たれたり、訴えられて裁判に負けたり、家からも勤務先からも国からも、然りマスコミからも追放されるが死後何年も経ってから評価されること。本人は神に評価され神から褒美を貰う●だからこの世で評価されてない人に告ぐ・・・・「何のコレシキ」と思って苦難に耐えればよい。神は見ている●あのアタナシウスは「三位一体」の大真理を認識したが故に「アタナシウス対全世界」の時があった。人は信仰のみによって救われると説いたルターも「ルター対全カトリック教会(当時それは全世界と同じ)」という場面があった。理想的なカッコいい生涯。


●「人生の悩み」について考察。生きていくことはその諸段階に応じて様々な悩みがある。勉学時代は成績の悪さの悩み、人間の作った狭い基準で生徒が序列化される悩み。進学問題、学校の序列化、入学試験。青年期は進路問題、職業の選択問題、、天職の問題、片思いの悩み、恋愛の悩み、結婚相手選択の問題。家庭を持つと、経済問題、性の問題、子供の成育の問題、夫婦仲の問題、熟年期は社会的地位の問題、勤務先の経営問題、人間関係の問題。老齢期は健康の問題、老後の経済の問題、癌の予期悲嘆、死の不安の問題、葬儀の問題、遺産処理の問題・・・などなど悩みは一生である。詩編90編のとおりである。


口語訳 詩  90:10
90:10 われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。


新改訳 詩  90:10
90:10 私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。



新共同 詩  90:10
90:10 人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十年を数えても/得るところは労苦と災いにすぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。


TEV 詩  90:10
90:10 Seventy years is all we have- /eighty years, if we are strong; /yet all they bring us is trouble and sorrow; /life is soon over, and we are gone.


●この悩みを解決する方法としては、①超然たる思想・・・・ギリシャ哲学、②諦念・・・・仏教思想、旧約聖書「コヘレトの言葉」の思想、自分と同じ悩みの人間がいるとの観察③宗教団体に帰依する・・・既成宗教、新興宗教 ④刹那的享楽に走る・・・酒、ダンス、スポーツ、サークル、慈善奉仕、趣味教養サロン、カルチャーセンター、・・・・・などなど。しかしこれらに没入してもまた新たなる悩みが生じるだけである。●そこで人類の古典中の古典である「聖書に聴く」。宗教団体を通じないで聴く。宗教者、聖書学者を通じないで聴く。


●まずJバイブルで「悩」を検索。全部で86個所がヒットされるがそのうち詩編から6箇所を下記に掲げる。悩みのときは詩編を読むのが効果的である


検索 悩 [新共同] 全書巻
ヒット数 検索 86
詩    55: 3 [新共同
わたしに耳を傾け、答えてください。わたしは悩みの中にあってうろたえています。わたしは不安です。
詩    64: 2 [新共同
神よ、悩み訴えるわたしの声をお聞きください。敵の脅威からわたしの命をお守りください。
詩    77: 4 [新共同
神を思い続けて呻き/わたしの霊は悩んでなえ果てます。〔セラ
詩    77: 7 [新共同
夜、わたしの歌を心に思い続け/わたしの霊は悩んで問いかけます。
詩    139: 23 [新共同
神よ、わたしを究め/わたしの心を知ってください。わたしを試し、悩みを知ってください。
詩    142: 3 [新共同
御前にわたしの悩みを注ぎ出し/御前に苦しみを訴えよう。


●この中からさらに詩編55編と139編に注目して、今度はBbBで調べる。まず55編。するとその標題は「友に裏切られた者の神への信頼」とあるではないか。私だけではないのだ。次に各国引照を見ると、米国、フランス、ドイツが、揃って次を指差す。


口語訳 Ⅰペテ5:7
5:7 神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。


新改訳 Ⅰペテ5:7
5:7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。


新共同 Ⅰペテ5:7
5:7 思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。


塚本訳 Ⅰペテ5:7
5:7 『君達の心配を』悉く彼に『投げかけよ』。(いつも)君達のことを心にかけて居られるのだから。


TEV Ⅰペテ5:7
5:7 Leave all your worries with him, because he cares for you.


●これでまず「心一杯、胸一杯」である。癒しである。次に139編を見てみよう。


この標題は「常に人とともにいるヤーウェ」ではないか。これで力づけられる。次にその各国引照を見てみよう。するとユダ1:15に慰められた。神は不義をそのままにはして置かれない。必ず報復して罰する。



口語訳 ユダ 1:15

1:15 それは、すべての者にさばきを行うためであり、また、不信心な者が、信仰を無視して犯したすべての不信心なしわざと、さらに、不信心な罪人が主にそむいて語ったすべての暴言とを責めるためである」。



●さらにもう一歩進んで、先のⅠペテ5:7をピンポイントで調べる。そのためにはSWORDの日本語ヴァージンに当たる。するとたくさんの引照がでるが、その中で心に響くものをピックアップする。



Psalms 37:5:
主によって喜びをなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる。

Psalms 56:3:
わたしの敵はひねもすわたしを踏みつけ、誇りたかぶって、わたしと戦う者が多いのです。

Psalms 56:4:
わたしが恐れるときは、あなたに寄り頼みます。

Matthew 6:25:
それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。

Matthew 6:34:
だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。



Psalms 34:15:
悪を離れて善をおこない、やわらぎを求めて、これを努めよ。

Psalms 142:4:
わが霊のわがうちに消えうせようとする時も、あなたはわが道を知られます。彼らはわたしを捕えようと/わたしの行く道にわなを隠しました。

Psalms 142:5:
わたしは右の方に目を注いで見回したが、わたしに心をとめる者はひとりもありません。わたしには避け所がなく、わたしをかえりみる人はありません。

Matthew 6:26:
空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。

Matthew 6:33:
まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。

Mark 4:38:
ところが、イエス自身は、舳の方でまくらをして、眠っておられた。そこで、弟子たちはイエスをおこして、「先生、わたしどもがおぼれ死んでも、おかまいにならないのですか」と言った。

Luke 12:30:
これらのものは皆、この世の異邦人が切に求めているものである。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要であることを、ご存じである。

John 10:13:
彼は雇人であって、羊のことを心にかけていないからである。





●これだけ読むと「モーイー、分かりました分かりました」という感じがする。パソコンによる聖書勉強、「Jバイブル+BbB+SWORD日本語ヴァージョン」の威力は絶大だ。ルター、ヒルテイ、内村、塚本の諸先生にも誉められるのは間違いない。

●長谷川俊子さんから亡夫長谷川浩氏の納骨式の依頼。父上の長谷川新吉氏にお世話になったので断れない。8月27日12時多摩霊園●あきる野映画祭で三本鑑賞。「三丁目の夕日」(人情話に泣かされた)「椿姫」(弁士は澤登翠・・これは娼婦の純愛というどこにでもあるくだらないストーリーだったのか)「ホテル・ルワンダ」(1994年のアフリカの民族紛争。内紛。アフリカの民度の低さに感じるとともに安全の日本をありがたく思った。また国連や英米仏は自国の利益にならない場合は他国の解決に乗り出さないという実例を見た)




 



 


 


 

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「BbB&SWORDによる聖書勉強の型」完成 ++++++++ 所感

2006/07/26 09:00

060726(水)4時起床、6時間睡眠で頭スッキリ。秋留台公園にカブトムシ採集。オス2匹、メス1匹をゲット。オスを見つけると「頭の中が真っ白」、周りの景色が見えなくなった●飼育器の中で、専用のゼリーの餌は強そうな一匹が独占して食べているので義憤●朝風呂で日経「私の履歴書」はSF作家の小松左京。「日本沈没」が300万冊の大ヒット。これは始めは「日本滅亡」という題名だったという。編集者がそれではイメージが暗いということで変更。「滅亡」の方が終末観が表われていて聖書的であった。「沈没」は単に天変地異の物理的なこと。この編集者聖書的教養がなかった。それ以前に「歴史観」が陳腐であった。ただ「売れれば善」というエコノミックアニマルの発想であった。情けない●日本のことよりも各自に80年という人生の「終末観」がなければあるべき望ましい人生観が確立しないのだ。蓄財が目的の人間をイエスは「愚かな金持」という。


愚かな金持の譬


塚本訳  ルカ 12:13-21
12:13 すると群衆の中の一人がイエスに言った、「先生、遺産を分けてくれるように、兄に言ってください。」
12:14 イエスは「君、だれがわたしを、あなた達の裁判官また遺産分配人に任命したのか」とこたえておいて、
12:15 人々に言われた、「一切の貪欲に注意し、用心せよ。いかに物があり余っていても、財産は命の足しにはならないのだから。」
12:16 そこで一つの譬を人々に話された、「ある金持の畑が(ある年)豊作であった。
12:17 『どうしよう、わたしの作物をしまいこむ場所がないのだが…』と金持ちはひそかに考えていたが、
12:18 やがて言った、『よし、こうしよう。倉をみなとりこわして大きいのを建て、そこに穀物と財産をみなしまいこんでおいて、
12:19 それからわたしの魂に言おう。──おい魂、お前には長年分の財産が沢山しまってある。(もう大丈夫。)さあ休んで、食べて、飲んで、楽しみなさい、と。』
12:20 しかし神はその人に、『愚か者、今夜お前の魂は取り上げられるのだ。するとお前が準備したものは、だれのものになるのか』と言われた。
12:21 自分のために(地上に)宝を積んで、神のところで富んでいない者はみな、このとおりである。」


●「日本沈没」は始めは「日本滅亡」という題名であったということで思い出すのは聖書にある「滅亡」というエレミヤの言葉。天変地異の原因に道徳的不義を感じない人間、畏れを感じない人間はまずもって「育ちが悪い」。私の知る限り「家庭環境」がよくなかった。厚顔不遜、謙遜さが不足。そういう人間に限って「人の顔」を恐れ、「会社を辞めさせられることを恐れ」ている。「地位を失うことを恐れ」、「食べられなくなることを恐れ」ている。その心情が清くないから仕事の発想も低級。情けない陳腐な日本人の人生観よ。


口語訳 エレ 20:7-8
20:7 主よ、あなたがわたしを欺かれたので、わたしはその欺きに従いました。あなたはわたしよりも強いので、わたしを説き伏せられたのです。わたしは一日中、物笑いとなり、人はみなわたしをあざけります。
20:8 それは、わたしが語り、呼ばわるごとに、「暴虐、滅亡」と叫ぶからです。主の言葉が一日中、わが身のはずかしめと、あざけりになるからです。


 ●朝食時に妻から昨夜のNHKTV「日野原医師に密着24時間」の内容の報告を聞く。・・・・・・・60歳までは腹八部目、70歳以上は腹七分目がよい。老人は一日1300キロカロリーでよい。癌のターミナルケア(緩和医療)では単に痛みをとるのではなく、意識をはっきりさせて周囲に「感謝のことば」を述べることができるように導くべきである。99%失敗の人生でも最後の1%の病床でそれができれば成功の人生。もし99%が成功の人生でも最後の1%の病床期間にその「感謝」の気持ちがなければ失敗の人生・・・・・・93歳の先生は家でも職場(現役の医師)でも階段は一つ飛びで駆け上がるという。●私は思う。日野原先生のお考えはクリスチャンらしく真似すべきであるが、その体力はとても真似できない。●6年前に脳内出血で聖路加国際病院に担ぎこまれ、一命をとりとめた時のこと。リハビリの段階になたっとき、日野原先生は「高橋さん。病気は病院では直りませんよ。お家にお帰りなさい」と言って下さった。「大家だなー」と感じたものだ●「BbB&SWORDによる聖書勉強の型」が一応完成。某氏にその内容を感謝のメール。内容は公的なことなので公開する。多少技術的なことなので一部変更


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○○○様

「BbB&SWORDによる聖書勉強」の型が完成しました。

SWORDを開いて右枠にCreate Verse Listが出ます。ここを、一つ一つマウスの右クリックでヒットすると日本語で出ます。これを次々と読んで、心に響いたものを反転させます。

次にこれをCtrl+Cします。次に貼り付けるページを出して、マウスを右クリックして、「貼り付けP」でドロップ。

これは非常に大切な作業です。つまり、たくさんあるTSKの聖句の中から自分が「これだ」と思う心に響くものを取り上げる行為です。ここがハイライト。その次は、今まで鉛筆でその個所をメモしておいて、それをJバイブルに入れなおしてブログ日記などに貼り付けていたのですが、ここが少々面倒でした。

上記のようにすれば目的のページに次々と貼り付けることができますので、鉛筆でメモしておく作業がなくなりました。

「BbB&SWORDによる聖書勉強」の型の完成です。建築の基本設計が完成した時のような気分です。まずこれは日本最強、あるいは世界最強かもしれません。

米国のスコフィールドという学者は、「引照」による聖書勉強の方法を編み出して「世界布教」したそうです。「スコフィールド聖書」というものを編集しました。これは無教会の藤井武も愛用していました。今度の「BbB&SWORD」は確実にそれを上回るものです。なぜなら、その内容の豊富さとパソコンによるスピードだからです。

私は残る人生の時間を、この型の普及に努めたいと思います。型の布教(?)です。

これは、百千の聖書註解に勝るということが万人に分かります。すでに反響があります。なぜなら聖書の分かりにくいところはパウロやイエスがじきじきの教えてくれるからです。かくして聖書の解釈を聖書学者から奪還できるのです。アウグスチヌス、ルター、カルヴァン、バルト、ブルトマン、教会の牧師、司祭、内村、塚本、黒崎・・・・の呪縛からの解放です。教派争いからの解放です。

するとなにか「BbB&SWORD」教団というものが出来そうな感じもします(笑)。私のライフワークが与えられまして感謝です。

日本のキリスト教界の「縁の下の力持ち」として貢献できそうで感謝です。

今後の課題としてSWORD、TSK日本語ヴァージョンの簡単なインストール手法の開発を目指します。


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男一匹、何に血を注ぐべきか ++++++++ 所感

2006/07/25 07:11

060725(火)4時起床●少し眠いがカブト虫採集の楽しみの引力で起きる


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早起きしてカブトムシ採集 少年たちも来ていた。あきる台公園 2006.7.25 5:30


●この少年たちに少し高いところにもいることを教えられた。今日はメス2匹ゲット。オスは採れない。●コローの名画「モルトフォンテーヌの思い出」を連想した。過去日記050211より、再掲する。



     コロー モルトフォンテーヌの思い出 1814 フランス

ルーブル100選番組の視聴者人気投票で
サモトラケ島のニケ、モナリザ、ミロのヴィナスなどを押さえてこれが第一位。
日本人の印象派絵画好みが現れた。
コローが家族と一緒にファンテンブローの森に遊んだ思い出を描いた。
家庭を持った幸せを感じさせるもの。

この絵はフランスの家庭で一番よく掲げられるもの。我が家にも複製があった。
 


(過去日記050211より、再掲)


 


●この絵の中の人物はまさか「カブトムシ」を採集しているのではないだろうなー。だとすれば何を採ろうとしているのかなー●絵の中の人物。母親「坊や、ほらあそこにカブトムシがいるわよ」。子供「お母さん採って、採って」・・・・と言っているように見えてしまう。こんな風に思っては名画も台無しか。コローも苦笑か。●使徒20章24節が心に響く。まずJバイブルで翻訳比較。


口語訳 使  20:24
20:24 しかし、わたしは自分の行程を走り終え、主イエスから賜わった、神のめぐみの福音をあかしする任務を果し得さえしたら、このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思わない。


新改訳 使  20:24
20:24 けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。


新共同 使  20:24
20:24 しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。


塚本訳  使  20:24
20:24 しかしわたしは、自分の走るべき道を走りおえて、主イエスから託された、神の恩恵をつたえる福音を証しする役目をはたすためなら、自分の命のことなど口にする値打もないと思う。


●次にBbBで前後を見る。このパウロの決死の覚悟を読むと泣けてくる。ミレトスでの別れの言葉である。同感である。迫害必至を覚悟で顔をかたくエルサレムに向けて旅立つパウロ。男一匹理想的な生き方。


新共同 使  20:22-25

20:22 そして今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。

20:23 ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。

20:24 しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。

20:25 そして今、あなたがたが皆もう二度とわたしの顔を見ることがないとわたしには分かっています。わたしは、あなたがたの間を巡回して御国を宣べ伝えたのです。



●次にTSKで使徒20:24の引照をピンポイントで見る。SWORDを利用。そこで心に響くものは次のとおり。



塚本訳 ロマ 8:35
8:35 (このゆえに)だれがキリストの(わたし達を愛する)愛から、わたし達を引き離すことができるか。苦しみか、悩みか、迫害か、飢えか、裸か、危険か、剣か。

塚本訳Ⅰコリ15:58
15:58 だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ。骨折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから。

 塚本訳Ⅱコリ4:8-9
4:8 わたし達はあらゆることで悩まされる、しかし行き詰まらない。当惑する、しかし絶望しない。
4:9 迫害される、しかし(神に)見捨てられない。打ち倒される、しかし死にはしない。

 塚本訳Ⅱコリ6:4-5
6:4 そればかりではなく、あらゆることによって、神に仕える世話役として自分を推薦している、すなわち、(あるいは)大いなる忍耐によって、──たとえば苦難により、艱難により、苦悩により、
6:5 打たれることにより、牢に入れられることにより、暴動をおこされることにより、労働により、徹夜により、飢餓によって──であり、

塚本訳Ⅱコリ4:16-18
4:16 このゆえに、わたし達は気を落さない。いや、わたし達の(生れながらの)外の人はどんなにこわれていっても、(キリストによって生れた)内の人は一日一日と新しくされてゆく。
4:17 なぜなら、現在の軽い苦難は、この上もなく素晴らしい、永遠に豊富な(神の)栄光をわたし達にもたらす(保証だ)からである。
4:18 このわたし達は見えるものに目を向けているのではなく、見えないものに目を向けているのである。見えるものは一時的、見えないものが永遠だからである。

 塚本訳Ⅱコリ12:10
12:10 それゆえわたしは弱いことを、虐待、艱難、また迫害と苦悩をうけることを、キリストの故に喜ぶ。わたしは弱い時には、(彼の力によってかえって)強いのであるから。

 塚本訳Ⅰテサ3:3
3:3 (斯くして)この(大なる)患難の際に(君達の中の)誰一人も揺すぶられることの無いためである。──私達(キリストを信ずる者)が斯く運命づけられていることは、君達自身が(よく)承知しているはずだ。

塚本訳ヘブ 10:34
10:34 しかり、あなた達は(信仰のための)囚人たちと苦しみをわかち、また自分がもっとまさった、いつまでもなくならない持物を持っていることを知っているので、自分の財産の奪われるのを喜んで忍んだではないか。

塚本訳 ピリ 1:20
1:20 そして私の切なる期待と望みは、私が何事にも恥をかかされず、かえって、いつものように今度も、キリストが正々堂々と私の体で、(私の)生によっても死によっても、(勝を得て)崇められ給わんことである。(然り、私の死によっても!)

コ塚本訳ロ 1:24
1:24 今私は君達のために苦しむことを喜びとし、またキリスト・イエスの体なる教会のために私の体でキリストの患難の不足を補っている。

塚本訳Ⅰヨハ3:16
3:16 (神の子である)キリストがわたし達のために命を捨てられた(その)ことで、わたし達は(はじめて)愛を知った。だからわたし達も兄弟のために命をすてねばならない。

 塚本訳Ⅱテモ4:6
4:6 もう(直に)私は(犠牲の)血を注ぐのであって、別離の時は迫った。──

塚本訳使  22:21
22:21 主はわたしに言われた、『行け、わたしが君を遠く異教人につかわすのだから。』」

 塚本訳Ⅱコリ4:1-2
4:1 わたし達は(神の)憐れみをうけて、この(モーセにまさる)役目を託されているのであるから、(どんな場合にも)気を落さない。
4:2 いや、(一切の)恥かしい隠し事を絶った、計略を用いて歩かず、神の言葉をごまかしもせず、ただ(福音の)真理を明らかにすることによって、神の前ですべての人間の良心に自分を推薦しているのである。

 塚本訳ガラ 1:1
1:1 人々から(使徒にされたの)でなく、また人によってでもなく、(すなわち人間的の命令や委任によってでなく、)イエス・キリストと、彼を死人の中から復活させられた父なる神とによって使徒となったパウロと、

 塚本訳テト 1:3
1:3 (そして)時来るや宣教によって御言を顕し給い、私が(この)われらの救い主なる神の命によってこの宣教を託されたのである。

塚本訳エペ 2:4-5
2:4 しかし憐憫に富み給う神は、その大なる愛によって私達を愛し、
2:5 咎によって死んでいたこの私達をもキリストと共に活かし──君達が救われたのは恩恵によるのだ──

 塚本訳ルカ 2:10-11
2:10 天使が言った、「こわがることはない。いまわたしは、(イスラエルの)民全体への大きな喜びのおとずれを、あなた達に伝えるのだから。
2:11 実は今夜ダビデの町に、あなた達のために一人の救い主がお生まれになった。このお方が(かねて預言されていた)救世主なる主である。

 塚本訳ロマ 3:24
3:24 (さりとて失った栄光を回復する力はないので、何一つ)代価を払わず、(ただ)神の恩恵によって、キリスト・イエスによるあがないの力で、(神に)義とされる(道が設けられた)のである。




●これだけ読むと自然にパウロの心が「見えてくる」。息吹を感じる。パウロは男一匹、福音に血を注いだ。●どうせ生まれてきたならつまらないことに命は捧げられない。血を流せない。人間、男一匹、何に血を注ぐべきかだ●パウロが最後のローマへの船出をしたカイザリアのあの美しい海岸の波を思い出す。060325の日記を再掲する。●パウロの栄光の船出、パウロの栄光の最後。パウロ万歳。



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カイザリアの港 2006.3.25 カイザリア




パウロはこの町に2年間軟禁された後にこの港からローマへの旅に出発した。ここがその死出の旅路の港だったと思うと泣けてきた。美しい港。パウロの出発のときもこのような波であったのだ。この町でパウロは復活のキリストに出会ったあの証をした。第2回目。また有名なやり取りが行われたのもこの町であった。パウロがキリストを弁明したハイライトの町がここカイザリア。


060325の日記を再掲




●男一匹、営利企業のために血を注ぐ人はあるまい。人間の作り出す思想組織のために命を捧げるのも空しいことに気がつくであろう。いわんや家庭や妻子のために人生を捧げる人もいまい。異性への愛のために人生を棒に振る人間もいないだろう。これらは全部空しいことなのだ●6年前に勤務先で脳内出血で倒れた時、多くの人が「高橋は仕事の心労で倒れた」と思った。現に難しいプロジェクトの立ち上げで苦労したのであった。脳内出血の医学的原因は確定できなかった。あえて言う。残る人生、勤務先の発展のために血を流すことは出来ない。●若い人たちに告ぐ。・・・・勤務先というのは自己の高貴なる人生観の実現のためにこれを「利用」すべきものである。企業を通じて、利用して「神と人とに仕える」という人生観を持つべきである。●TSK日本語ヴァージョンのコピー手法を恵に学ぶ。●復活はなぜ一部の人にきり分からないのか。ヨハネ14:22-23の研究


塚本訳 ヨハ 14:22-23
14:22 イスカリオテでない方のユダが言う、「主よ、いったいどういうわけで、わたし達だけに御自分を現わし、この世(の人)にはそうしようとされないのですか。」
14:23 イエスは答えられた、「わたしを愛する者は、わたしの言葉を守る。するとわたしの父上はその人を愛され、わたし達は(父上もわたしも)、その人のところに行って、同居するであろう。


●まず ヨハ 14:22をTSKで調べる


John 3:4:
ニコデモは言った、「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」。


John 3:9:
ニコデモはイエスに答えて言った、「どうして、そんなことがあり得ましょうか」。


John 4:11:
女はイエスに言った、「主よ、あなたは、くむ物をお持ちにならず、その上、井戸は深いのです。その生ける水を、どこから手に入れるのですか。


John 6:52:
そこで、ユダヤ人らが互に論じて言った、「この人はどうして、自分の肉をわたしたちに与えて食べさせることができようか」。


John 16:17:
そこで、弟子たちのうちのある者は互に言い合った、「『しばらくすれば、わたしを見なくなる。またしばらくすれば、わたしに会えるであろう』と言われ、『わたしの父のところに行く』と言われたのは、いったい、どういうことなのであろう」。


John 16:18:
彼らはまた言った、「『しばらくすれば』と言われるのは、どういうことか。わたしたちには、その言葉の意味がわからない」。


●これで氷解。神のなさることには「なぜ?」と言わざるをえない不思議な、意外なことがあるものだ。●次にヨハ 14:23をTSKで調べる。


John 14:21:
わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である。わたしを愛する者は、わたしの父に愛されるであろう。わたしもその人を愛し、その人にわたし自身をあらわすであろう」。


John 14:17:
それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。


John 6:56:
わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしもまたその人におる。


John 10:30:
わたしと父とは一つである」。


Genesis 1:26:
神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。


Isaiah 57:15:
いと高く、いと上なる者、とこしえに住む者、その名を聖ととなえられる者がこう言われる、「わたしは高く、聖なる所に住み、また心砕けて、へりくだる者と共に住み、へりくだる者の霊をいかし、砕ける者の心をいかす。


Romans 8:9:
しかし、神の御霊があなたがたの内に宿っているなら、あなたがたは肉におるのではなく、霊におるのである。もし、キリストの霊を持たない人がいるなら、その人はキリストのものではない。


I John 2:24:
初めから聞いたことが、あなたがたのうちに、とどまるようにしなさい。初めから聞いたことが、あなたがたのうちにとどまっておれば、あなたがたも御子と父とのうちに、とどまることになる。


I John 4:4:
子たちよ。あなたがたは神から出た者であって、彼らにうち勝ったのである。あなたがたのうちにいますのは、世にある者よりも大いなる者なのである。


I John 4:15:
もし人が、イエスを神の子と告白すれば、神はその人のうちにいまし、その人は神のうちにいるのである。


I John 4:16:
わたしたちは、神がわたしたちに対して持っておられる愛を知り、かつ信じている。神は愛である。愛のうちにいる者は、神におり、神も彼にいます。


Revelation of John 3:20:
見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。


Revelation of John 7:15:
それだから彼らは、神の御座の前におり、昼も夜もその聖所で神に仕えているのである。御座にいますかたは、彼らの上に幕屋を張って共に住まわれるであろう。


●これで分かった。復活顕現は神の一方的な主権による。TSK日本語ヴァージョンの威力は絶大。
















 


 


 


 


 


 

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カブト虫を採る ++++++++ 所感

2006/07/24 07:24

060724(月)5時起床●あきる台公園の林に行く。昨夕蜂蜜を塗って仕掛けたところにカブトかクワガタがいるか。イタ!!。仕掛けたところにカブトのメスが一匹。仕掛けないところに二匹、これもメス。今度はオスを採集したい。


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あきる台公園の林。朝5時。昨夕蜂蜜を塗っておいたところにメスのカブトが一匹。塗っておかないところにメス二匹。合計3匹捕獲でガッツポーズ。2006.7.24 


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カブトムシのメス3匹を瓶のなかに入れる。激しく逃げようとする。 2006.7.24 7:30


こういう時は必ず14年前に召された父の声が響く。「逃がしてやれ、逃がしてやれ」。これを父は「ぬがしてやれ」と」「ぬ」と言っていた。しかし孫に見せるまでには放すわけにはいかない。見せたらどうしようか、「逃がしてやれ」と言おうか。煩悶。●始めは激しく逃げようとしていたが、30分もすると「あきらめて」静かになった。「学習能力」のせいか。●蜂蜜をたっぷりやった●浜松町●黒田隆氏よりの電話●そのことで土淵、橋本の両氏と懇談●丸木君と懇談●関口顧問と懇談●夕食後、あきる野東急でカブトムシ飼育セットを購入。土もゼリーの餌も揃っている。昨日捕獲のメス3匹のうち一匹はオスであった。角が小さかったので見間違ったらしい





 

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生きることが空しく感じる時 ++++++++ 所感

2006/07/23 06:13

060723(日)4時半起床●朝風呂で日経。この新聞は文字通り経済が中心。金儲けの方法が中心。しかしどんなにお金が儲かっても「空しい」気持ちは残るんだがナー。人間の経済的営みはル12章13-21節以上には出ない。


塚本訳 ルカ 12:13-21


愚かな金持ちの譬



12:13 すると群衆の中の一人がイエスに言った、「先生、遺産を分けてくれるように、兄に言ってください。」
12:14 イエスは「君、だれがわたしを、あなた達の裁判官また遺産分配人に任命したのか」とこたえておいて、
12:15 人々に言われた、「一切の貪欲に注意し、用心せよ。いかに物があり余っていても、財産は命の足しにはならないのだから。」
12:16 そこで一つの譬を人々に話された、「ある金持の畑が(ある年)豊作であった。
12:17 『どうしよう、わたしの作物をしまいこむ場所がないのだが…』と金持ちはひそかに考えていたが、
12:18 やがて言った、『よし、こうしよう。倉をみなとりこわして大きいのを建て、そこに穀物と財産をみなしまいこんでおいて、
12:19 それからわたしの魂に言おう。──おい魂、お前には長年分の財産が沢山しまってある。(もう大丈夫。)さあ休んで、食べて、飲んで、楽しみなさい、と。』
12:20 しかし神はその人に、『愚か者、今夜お前の魂は取り上げられるのだ。するとお前が準備したものは、だれのものになるのか』と言われた。
12:21 自分のために(地上に)宝を積んで、神のところで富んでいない者はみな、このとおりである。」


●といって「経済を軽蔑」して修道院に入ったり神学校に行って職業宗教家になるのは誤り。経済はこれを他の目的に利用しなければならない。しかしわが国はこのことが見えない。このことはルカ16章9-13節を深く読めば経済人の生き方,あるべき姿が説かれている。


塚本訳 ルカ 16:9-13


富の利用について



16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。
16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。
16:11 だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。
16:12 もし他人のもの[この世のこと]に忠実でなかったならば、だれがあなた達のもの[天のもの]をあなた達に与えようか。
16:13 しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。」


●生きることが空しく感じる時というのは、愛の対象が人間ではなくなった時である。この自分が「神と人とに仕える」存在だということを見失った時である。蓄財が目的となったり、自分の享楽の追求が目的になるときに「空しさ」が襲ってくるのだ。それは人生の赤信号黄信号である。こういうとき何か習い事でもしようと思うのが現代の道。「カルチャーセンター」などはみなこれ。趣味サロンサークルも皆同じ。現代のプロテスタント教会がこのような雰囲気になりつつあるのは禍である。老人集団、老後の楽しみの教会であってはならない。●牧師に告ぐ・・・・・この世で身に付けた経営の技術を教会経営に反映しようとする経済長老が巾を利かせるからプロテスタント教会は衰退するのだ。教会は経済経営ではない。使徒伝承が中心である。組織の維持を目的とすると牧師自身も「生きがいを失う」。組織の維持にばかり気を使っていて使徒伝承に不熱心な経済長老は追放しなければならない。喧嘩別れしなければならない。それが牧師の「生きがい」(?)とならなければならない。その結果は逆説だが教会の成長につながるのだ。●無教会主義集会でもただ組織の維持継続に汲々としているのは立派な教会主義そのもの。「中味と本質」を失っている本物ではない●日経、「私の履歴書」はSF作家の小松左京。その昔「未来学」などというものがあったが、それは小松氏などのグループの発想だったのか。終末論なしの未来を考えるのは不毛。だから今では「未来学」などを口にする人はいない。あぶくのように消え去った。思想の甘さよ、思想の浅さよ。●ポリーニ+ウィーンフィル+ベームでベートーヴェンピアノ協奏曲4番と5番(皇帝)を鑑賞。コリャ本物だ。4番の冒頭にゾクッときた●初音と朝の散歩●10:00「若者の聖書勉強会」。藤巻胖さん、穂澄、和歌が新しく参加。新一司会、マルコ8-9章●昼食はバーベキュー焼きそば。懇親懇談


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若者の聖書勉強会2006.7.23 10:00マルコ8~9章輪読の後感想述べ合い。あきる野市高橋家


前列左から小寺利男(77歳) 藤巻胖(83歳) 杉崎孝(93歳) 伊勢愛子 高橋穂澄 高橋和歌


後列左から高橋照男 伊勢愛子 高橋トミ子 高橋新一 小寺七重


 



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嘆きの人生 ++++++++ 所感

2006/07/22 08:47

060722(土)5時起床。「人生の嘆き」について黙想●朝風呂で日経「私の履歴書」はSF作家の小松左京。だんだん売れっ子になってくる。つまらない話●福田元官房長官が総裁への道を断念。理由は70歳という年齢。賢い選択だ。人生はときに自分を捨てるということが大切●「Jバイブル」で「嘆き」を検索。心に響いたものを下記に記す。人生は大半が「嘆き」の道だ。イエスのもとには「嘆き悲しむ人」が集まった。病人、罪人、家庭問題、対人関係の争い。●嘆きは他人との比較からくる。「どうしてこの俺が」ということ。「どうしてこの私に」ということ。「どうしてなんだよー」と叫ぶ時がくるものだ●わたしの家が全焼した時、母に電話すると母は「どうしてよー、どうしてよー」と電話の先で泣いた。その母はもうこの世にはいない。「天国の家は焼けない」●嘆きは人との比較から来る●しかしそこに神の特別な不思議なる導きの「手」があると私は信じる。●意外な不幸、思わぬ不幸は神の非常手段、激しい鞭●その不幸と嘆きによって「真の喜び」に啓導される


聖書の「嘆き」



ヨブ   3: 24 [口語
わたしの嘆きはわが食物に代って来り、/わたしのうめきは水のように流れ出る。
ヨブ   10: 1 [口語
わたしは自分の命をいとう。わたしは自分の嘆きを包まず言いあらわし、/わが魂の苦しみによって語ろう。
詩    6: 6 [口語
わたしは嘆きによって疲れ、夜ごとに涙をもって、わたしのふしどをただよわせ、わたしのしとねをぬらした。

詩   22:  1 [口語
わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか。なにゆえ遠く離れてわたしを助けず、わたしの嘆きの言葉を聞かれないのですか。
詩    31: 10 [口語
わたしのいのちは悲しみによって消えゆき、わたしの年は嘆きによって消えさり、わたしの力は苦しみによって尽き、わたしの骨は枯れはてました。
詩    55: 17 [口語
夕べに、あしたに、真昼にわたしが嘆きうめけば、主はわたしの声を聞かれます。
詩    102: 20 [口語
これは捕われ人の嘆きを聞き、死に定められた者を解き放ち、
詩    142: 2 [口語
わたしはみ前にわが嘆きを注ぎ出し、み前にわが悩みをあらわします。
箴    17: 21 [口語
愚かな子を生む者は嘆きを得る、愚か者の父は喜びを得ない。
イザ   51: 11 [口語
主にあがなわれた者は、歌うたいつつ、シオンに帰ってきて、そのこうべに、とこしえの喜びをいただき、彼らは喜びと楽しみとを得、悲しみと嘆きとは逃げ去る。
エレ   23: 10 [口語
この地に姦淫を行うものが満ちているからだ。のろいによって地は嘆き、荒野の牧場はかわく。彼らの道は悪く、その力は正しくない。
エレ   31: 15 [口語
主はこう仰せられる、「嘆き悲しみ、いたく泣く声がラマで聞える。ラケルがその子らのために嘆くのである。子らがもはやいないので、彼女はその子らのことで慰められるのを願わない」。
哀    1: 22 [口語
彼らの悪をことごとくあなたの前にあらわし、さきにわがもろもろのとがのために、わたしに行われたように、彼らにも行ってください。わが嘆きは多く、わが心は弱りはてているからです」。


●この中で最も痛ましいのは、子を失った時の母親の嘆き。上記エレ31: 15。そのとき彼女は慰められようとしない。●私はその現実を見た。幼稚園のときからの古き友人S君が57歳の若さで急逝した時、一人息子に先立たれた85歳のご母堂の嘆きは大きかった。慰めの言葉をかける前に私に取り縋って号泣された。どんな言葉も通じなかった。聞こうとされなかった。ご親戚からかかってくる電話にも出ようとされなかった。人生にはこういう大きな嘆きの時がある。悲劇である。そのご母堂、今は「老人ホーム」。S君未亡人の献身的介護に感謝。●もう一つの大きな嘆きはイエスの「十字架での嘆き」。下記マタ 27:46。この「なぜ」「どうして」という問いには涙を流さずにはいられない。イエスは「天の父は祈れば何でも聴いてくださる」と人に教えておきながら、ご自分の祈りは聴いてもらえなかった。だから「なぜ、どうして」と嘆かざるを得なかった。ここに人生の不条理がある。人生の不可解な面がある。●神は人間の罪の代償に罪なき独り子を犠牲にして我々を救った。その意味は当の本人のイエスには隠されていた。イエスには死の意味は謎であった。もしご自分の死が人類の罪のための犠牲であると知っていたら、肉体の苦しみもあるいは甘んじて受け入れたに違いない。イエスにとっての嘆きはあのやさしい天の父に見捨てられたその精神的苦痛だったのだ。●イエスよあなたのその御苦しみによってこの私の罪は赦されたのです。あなたの深い嘆きが世の救いだったのです。


口語訳 マタ 27:46
27:46 そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。


新改訳 詩  22:1
22:1 わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。遠く離れて私をお救いにならないのですか。私のうめきのことばにも。


新共同 詩  22:2
22:2 わたしの神よ、わたしの神よ/なぜわたしをお見捨てになるのか。なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず/呻きも言葉も聞いてくださらないのか。


塚本訳マタ 27:46
27:46 三時ごろ、イエスは大声を出して『エリ エリ レマ サバクタニ!』と叫ばれた。これは『わたしの神様、わたしの神様、なぜ、わたしをお見捨てになりましたか!』である。


文語訳マタ 27:46
27:46 三時ごろイエス大聲に叫びて『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』と言ひ給ふ。わが神、わが神、なんぞ我を見棄て給ひしとの意なり。


TEV マタ 27:46
27:46 At about three o'clock Jesus cried out with a loud shout, "Eli, Eli, lema sabachthani?" which means, "My God, my God, why did you abandon me?"


●先日の国際聖書フォーラムで、米国のクロワッサンは「イエスの復活」は神の人類に対する「復讐」だと言った。復讐とは言いすぎかもしれないが、一面当たっている。神の気持ちをよく表している。復活は十字架の死に意味があったことの神の証明である。●昼、愛子と初音が里帰り。愛子は身重なので駅まで迎えに出る。昼食を共にする。


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雉!!。抜き足差し足でようやく撮影。写真中央。2006.7.22 あきる野市、


図書館にCDを借りに行く途中


 


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孫の初音が来る。3歳半。歌が好きで天真爛漫。誰に似たのだろう。2006.7.22-23 


家が近づくと玄関で待っていた妻をめがけて「オバーチャーン」と駆け出した。


「泣いてゆく向こうに母や春の風」加賀千代  を思い出した。


ヒルティの幸福論Ⅲにある「孫たちに幸あれ」を読みたくなった。その本に「結論・孫へは聖書に導け」と書き込みがある。全部で4回読んだと記録がある。第2回1962年(17歳)、第3回(57歳)、第4回(58歳)。3回目以降は孫が与えられてから読んだもの。ヒルテイはどういう時期にこれを執筆したのだろう。結論の気持ちは同感。祈る気持ち。この子が成人するまで生きていられるだろうか。


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孫の初音(3歳半)は椅子に登って妻の台所の手伝いができるようになった。2006.7.22-23


この子が主婦になる日を見届けることが出来るのか。


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母愛子と娘の初音。「きれいになーれ、かわいくなーれ、美しくなーれ」と髪を結う 2006.7.22


左・伊勢初音 右・伊勢愛子 。「母」としての愛子を見ることが出来るとは感謝。初音は姉になる。








 


 


 


 



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「昭和天皇が不快感」 ++++++++ 所感

2006/07/21 07:08

060721(金)5時起床●朝風呂で日経「昭和天皇が不快感」に関する記事を全部読む。見出しは「A級戦犯合祀、靖国参拝を中止」「それが私の心だ」。●国家の戦争は一部の人間の責任ではない。そこがマスコミも世論も甘いところ。罪悪感の浅さ。ルカ13章1-5節を思い出した。


塚本訳  ルカ 13:1-5
13:1 ちょうどその時、人が来て、(総督ピラトが犠牲をささげている)ガリラヤ人たちを殺し、その血が彼らの犠牲(の血)にまじったことをイエスに報告した。
13:2 その人たちに言われた、「そのガリラヤ人たちはそんな目にあったので、(ほかの)すべてのガリラヤ人よりも罪人だったと思うのか。
13:3 そうではない。わたしは言う、あなた達も悔改めなければ、皆同じように滅びるであろう。
13:4 またシロアムの(池の)近くの櫓が倒れて(下敷になって)死んだあの十八人は、(当時)エルサレムに住んでいた(ほかの)すべての人よりも罪人だったと思うのか。
13:5 そうではない。わたしは言う、あなた達も悔改めなければ、皆同様に滅びるであろう。」


●ここでTSKで13:3と13:5を調べるて胸に響くものを掲げる。TSKの威力はすごい。


塚本訳マタ 3:10
3:10 斧はすでに木の根に置いてある。だから、良い実を結ばない木はどんな木でも、切られて火の中に投げ込まれる。


 塚本訳使  2:38
2:38 ペテロがこたえた、「悔改めなさい。そしてあなた達ひとりびとり、罪を赦されるために、イエス・キリストの名において洗礼を受けなさい。そうすれば(わたし達と同じ)聖霊の賜物を戴くことができる。


 塚本訳使  3:19
3:19 だから(今すぐ)悔改めて、心を入れかえ(て主に帰り)なさい。そうすればあなた達の罪が拭い去られる。


塚本訳 黙  2:21-22
2:21 私は(度々彼女を、戒め、)彼女に悔い改めの時を与えたけれども、彼女は(私の言に従って)その淫行から悔い改めようとしない。
2:22 (だから)視よ、私は彼女を(その快楽の床から疫病の)床の中に投げ入れる。そして彼女と姦淫を犯している者も、もし彼女(から惑わされた淫行)の(忌まわしい)行為から悔い改めないならば、大きな患難に投げ入れる(であろう)。


塚本訳ルカ 19:42
19:42 そして言われた、「(ああエルサレム、)お前ももし(「平安を見る」という自分の名のように、)きょうでも平安への道が見えたなら(まだ遅くはないのに!)しかし今それはお前の目に隠されている。


 塚本訳ルカ 23:28
23:28 イエスは女たちの方に振り向いて言われた、「エルサレムの娘さんたち、わたしのためには泣いてくれなくともよろしい。それよりは自分のため、自分の子供のために泣きなさい。


塚本訳 マタ 12:45
12:45 そこで行って、自分よりも悪い、ほかの七つの(汚れた)霊を一しょに連れてきて入りこみ、そこに住む。するとその人のあとの有様は、(追い出す前よりも)もっとひどくなるのである。この悪い時代の人も、それと同様であろう。」


塚本訳マタ 22:7
22:7 王は憤り、軍隊をやってその人殺しどもをうち滅ぼし、その町を焼き払った。


塚本訳マタ 23:25
23:25 ああ禍だ、君たち聖書学者とパリサイ人、この偽善者!君たちは杯や皿の外側は清潔にするが、内側は掠め取った物と不節制とでいっぱいだからだ。


塚本訳マタ 24:21
24:21 その時、『世の始めから今日までになかった、』また(これからも)決してない『ような、』大きな『苦難が』臨むのだから。


●特にルカ23;28はピタリである。これは文語訳がよい。


文語訳  ルカ 23:28
23:28 イエス振反りて女たちに言ひ給ふ『エルサレムの娘よ、わが爲に泣くな、ただ己がため、己が子のために泣け。


●今回の天皇発言メモについて、イエスに言わせれば「戦争責任を天皇やA級戦犯のせいにするな、自分のため、自分の親戚のために泣け」というに違いない。


●BbBのヘビーユーザーから嬉しいメール。深い読みで脱帽。公的で貴重なので公開する。


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今晩は。BbB愛用者の○○です。


ヨハネ伝7章53節、8章1節から気付いたことがありますのでご
報告させていただきます。


○人々はそれぞれ家にかえったが、イエスはオリブ山に行かれ
た。(ヨハネ伝7:53~8:1 塚本訳)


このように、塚本訳ではふたつの節を接続詞「が」を用いて連
続させ一文にまとめています。


よって、人々にはそれぞれ帰る家があったが、主さまには帰る
家がなかったことが自然と表現されています。


これは尊い事実です。


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●16:00 橋本次長と長懇談。仕事の企画は「ニーズ」が基礎。そうすれば世のための仕事になる。






 

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牧師伝道者にBbBとSWORDの威力を告ぐ ++++++++ 所感

2006/07/20 09:36

060720(木)5時起床●朝風呂で日経「私の履歴書」はSF作家の小松左京。生活に困ってついにSF作品の方に流れてゆく。「食える」方に流れていくのは市場原理に素直で結構だが、こういう男の作品に踊らされる浅はかな日本人が問題だ。出版社も文芸の質というものを考えなければならない。「売れれば勝利」だと思っている会社はすぐ潰れる●「自分の命を保持しようと思う者はこれを失い、私のためにこれを捨てるものはそれを得る」というイエスの不思議な言葉を究明する。●こういう場合ふつうはすぐ著名な「註解書」に飛びつくが、それはあまり効果ない。BbBとSWORDを使って、「聖書で聖書を読む」ことをやってみる。


●まずBbBで翻訳比較をする。同時にその節の前後を読む




翻訳比較

 

岩波翻訳委員会訳1995

410834そして彼は、その弟子たちと一緒に群衆を呼び寄せ、彼らに言った、「もし人

が私の後ろから従って来たいと望むならば、自分自身を否み、自分の十字架を担って

私に従って来るがよい。

410835実に、自分のいのちを救おうと欲する者はそれを滅ぼすだろう。しかし、自分のいのちを私と福音とのために滅ぼす者は、それを救うだろう。

410836そもそも、人が全世界を儲けても、そのいのちが害をこうむっては何の益

があろう。

410837いったい、人は自分のいのちの代価として何を与えることができようか。



新共同訳1987

8:34 それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。

8:35 自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。

8:36 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。

 


前田訳1978

8:34 そして群衆を弟子たちとともに呼びよせていわれた、「わたしについて来ようと思うものはだれでも、自分を捨てておのが十字架を負ってわたしに従え。

8:35 おのがいのちを救おうと思うものはそれを失い、わたしと福音のゆえにいのちを失うものはそれを救おう。

8:36 全世界をかち得ても、おのがいのちを取られれば何の役に立とう。



新改訳1970

8:34 それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

8:35 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。

8:36 人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。

 


塚本訳1963

8:34 それから、群衆を弟子と一しょに呼びよせて言われた、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、自分の十字架を負い、それからわたしに従え。

8:35 (十字架を避けてこの世の)命を救おうと思う者は(永遠の)命を失い、わたしと福音とのために(この世の)命を失う者は、(永遠の)命を救うのだから。

8:36 全世界をもうけても、命を損するのでは、その人になんの得があろう。

 


口語訳1955

8:34 それから群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。

8:35 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救うであろう。

8:36 人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。

 


文語訳1917

"410834","かくて群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言ひたまふ『人もし我に從ひ來らんと思はば、己をすて、己が十字架を負ひて我に從へ。"

"410835","己が生命を救はんと思ふ者は、これを失ひ、我が爲また福音の爲に己が生命をうしなふ者は、之を救はん。"

"410836","人、全世界を贏くとも、己が命を損せば、何の益あらん、"




●次にこれの5カ国の引照を見る。福音書の場合は並行記事も読む。多くあるがその中に心に響くものがあればしめたもの。ここで「アーソウカ」と感じれば、聖書を真に読めたことになる。日本に聖書が定着したことになる。





各国聖書引照・・・胸に響くものをピックアップ

 

(日)並行個所・・・・・・塚本虎二訳

塚本訳 マタ 16:24-28

16:24 あとでイエスは弟子たちに言われた、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、自分の十字架を負い、それからわたしに従え。

16:25 (十字架を避けてこの世の)命を救おうと思う者は(永遠の)命を失い、わたしのために(この世の)命を失う者は、(永遠の)命を得るのだから。

16:26 たとい全世界をもうけても、命を損するならば、その人は何を得するのだろう。それとも、人は(一度失った永遠の)命を受けもどす代価として、何か(神に)渡すことができるのだろうか。

16:27 (永遠の命のために働け。)人の子(わたし)は父上の栄光に包まれ、自分の使いたちを引き連れて(ふたたび地上に)来るが、その時、『ひとりびとりの行いに応じて褒美を与えるのである』から。

16:28 アーメン、わたしは言う、(その時はじきに来る。今)ここに立っている者のうちには、死なずにいて、人の子(わたし)がその国と共に来るのを見る者がある。」

 

塚本訳 ルカ 9:23-27

9:23 それから今度は皆に話された、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、毎日自分の十字架を負い、それからわたしに従え。

9:24 (十字架を避けてこの世の)命を救おうと思う者は(永遠の)命を失い、わたしのために(この世の)命を失う者が、(永遠の)命を救うのだから。

9:25 全世界をもうけても、自分(の命)を失ったり損したりするのでは、その人は何を得するのだろう。

9:26 (わたしを信ずると言いながら、)わたしとわたしの福音(を告白すること)とを恥じる者があれば、人の子(わたし)も、自分と父上と聖なる天使たちとの栄光に包まれて(ふたたび地上に)来る時、そんな(臆病)者を(弟子と認めることを)恥じるであろう。

9:27 本当にわたしは言う、(その時はじきに来る。)今ここに立っている者のうちには、死なずにいて、その神の国を見る者がある。」

 

(独)NESTLE-ALAND NOVUM TESTAMENTUM GRAECE 27版1993 の引照


 ・・・・・・・

 

(英・米)THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE 1982 の引照

口語訳 ピリ 3:7-8

3:7 しかし、わたしにとって益であったこれらのものを、キリストのゆえに損と思うようになった。

3:8 わたしは、更に進んで、わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに、いっさいのものを損と思っている。キリストのゆえに、わたしはすべてを失ったが、それらのものを、ふん土のように思っている。それは、わたしがキリストを得るためであり、

 

口語訳 ロマ 8:17-18

8:17 もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。

8:18 わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。

 

口語訳 Ⅰコリ15:31

15:31 兄弟たちよ。わたしたちの主キリスト・イエスにあって、わたしがあなたがたにつき持っている誇にかけて言うが、わたしは日々死んでいるのである。

 

口語訳 Ⅱコリ4:17

4:17 なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。

 

口語訳 ガラ 2:20

2:20 生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。

 

口語訳 ガラ 5:24

5:24 キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。

 

口語訳 ガラ 6:14

6:14 しかし、わたし自身には、わたしたちの主イエス・キリストの十字架以外に、誇とするものは、断じてあってはならない。この十字架につけられて、この世はわたしに対して死に、わたしもこの世に対して死んでしまったのである。

 

口語訳 ピリ 3:10

3:10 すなわち、キリストとその復活の力とを知り、その苦難にあずかって、その死のさまとひとしくなり、

 

口語訳 ロマ 1:16

1:16 わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。

 

(日)新共同訳1987 の引照

新共同 ロマ 1:16

1:16 わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。

 

新共同 Ⅱテモ1:8

1:8 だから、わたしたちの主を証しすることも、わたしが主の囚人であることも恥じてはなりません。むしろ、神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでください。

 

新共同 Ⅱテモ2:12

2:12 耐え忍ぶなら、/キリストと共に支配するようになる。キリストを否むなら、/キリストもわたしたちを否まれる。

 

新共同 ヘブ 11:16

11:16 ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです。

 

 

新共同 ヘブ 2:9

2:9 ただ、「天使たちよりも、わずかの間、低い者とされた」イエスが、死の苦しみのゆえに、「栄光と栄誉の冠を授けられた」のを見ています。神の恵みによって、すべての人のために死んでくださったのです。

 

(仏)THE NEW JERUSALEM BIBLE 1985 の引照

口語訳 ロマ 1:4

1:4 聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた。これがわたしたちの主イエス・キリストである。

 


●BbBの引照は目的の節を含む段落項目全体に対するのものなのでややピントが惚ける。そこで目的の節(この場合はマルコ8章35節とする)のピンポイントの引照を探る。それにはTSKが便利。200年の歴史があり、最近ではポケットパソコンにも搭載されている。ではマルコ8章35節のTSKを見てみよう。それにはSWORDが超便利。その開き方はHPの「TSK日本語ヴァージョン」に掲載した。インストールはやや面倒だが、一度セットするだけでよい。





          マルコ8章35節のTSK・・・・胸に響くものをピックアップ



口語訳 ヨハ 12:25-26
12:25 自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう。
12:26 もしわたしに仕えようとする人があれば、その人はわたしに従って来るがよい。そうすれば、わたしのおる所に、わたしに仕える者もまた、おるであろう。もしわたしに仕えようとする人があれば、その人を父は重んじて下さるであろう。

口語訳 使  20:24
20:24 しかし、わたしは自分の行程を走り終え、主イエスから賜わった、神のめぐみの福音をあかしする任務を果し得さえしたら、このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思わない。

口語訳 使  21:13
21:13 その時パウロは答えた、「あなたがたは、泣いたり、わたしの心をくじいたりして、いったい、どうしようとするのか。わたしは、主イエスの名のためなら、エルサレムで縛られるだけでなく、死ぬことをも覚悟しているのだ」。

口語訳 Ⅱテモ2:11-13
2:11 次の言葉は確実である。「もしわたしたちが、彼と共に死んだなら、また彼と共に生きるであろう。
2:12 もし耐え忍ぶなら、彼と共に支配者となるであろう。もし彼を否むなら、彼もわたしたちを否むであろう。
2:13 たとい、わたしたちは不真実であっても、彼は常に真実である。彼は自分を偽ることが、できないのである」。口語訳 Ⅱテモ4:6-8
4:6 わたしは、すでに自身を犠牲としてささげている。わたしが世を去るべき時はきた。
4:7 わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。
4:8 今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう。

口語訳 ヘブ 11:35
11:35 女たちは、その死者たちをよみがえらさせてもらった。ほかの者は、更にまさったいのちによみがえるために、拷問の苦しみに甘んじ、放免されることを願わなかった。

口語訳 黙  2:10
2:10 あなたの受けようとする苦しみを恐れてはならない。見よ、悪魔が、あなたがたのうちのある者をためすために、獄に入れようとしている。あなたがたは十日の間、苦難にあうであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、いのちの冠を与えよう。

口語訳 黙  12:11
12:11 兄弟たちは、小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって、彼にうち勝ち、死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった。

口語訳 マタ 5:10-12
5:10 義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
5:11 わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。
5:12 喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。

口語訳 マタ 10:22
10:22 またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。

口語訳 マタ 19:29
19:29 おおよそ、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、もしくは畑を捨てた者は、その幾倍もを受け、また永遠の生命を受けつぐであろう。

口語訳 ルカ 6:22-23
6:22 人々があなたがたを憎むとき、また人の子のためにあなたがたを排斥し、ののしり、汚名を着せるときは、あなたがたはさいわいだ。
6:23 その日には喜びおどれ。見よ、天においてあなたがたの受ける報いは大きいのだから。彼らの祖先も、預言者たちに対して同じことをしたのである。

口語訳 ヨハ 15:20-21
15:20 わたしがあなたがたに『僕はその主人にまさるものではない』と言ったことを、おぼえていなさい。もし人々がわたしを迫害したなら、あなたがたをも迫害するであろう。また、もし彼らがわたしの言葉を守っていたなら、あなたがたの言葉をも守るであろう。
15:21 彼らはわたしの名のゆえに、あなたがたに対してすべてそれらのことをするであろう。それは、わたしをつかわされたかたを彼らが知らないからである。

口語訳 使  9:16
9:16 わたしの名のために彼がどんなに苦しまなければならないかを、彼に知らせよう」。

口語訳 Ⅰコリ9:23
9:23 福音のために、わたしはどんな事でもする。わたしも共に福音にあずかるためである。

口語訳 Ⅱコリ12:10
12:10 だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。

口語訳 Ⅱテモ1:8
1:8 だから、あなたは、わたしたちの主のあかしをすることや、わたしが主の囚人であることを、決して恥ずかしく思ってはならない。むしろ、神の力にささえられて、福音のために、わたしと苦しみを共にしてほしい。

口語訳 Ⅰペテ4:12-16
4:12 愛する者たちよ。あなたがたを試みるために降りかかって来る火のような試錬を、何か思いがけないことが起ったかのように驚きあやしむことなく、
4:13 むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど、喜ぶがよい。それは、キリストの栄光が現れる際に、よろこびにあふれるためである。
4:14 キリストの名のためにそしられるなら、あなたがたはさいわいである。その時には、栄光の霊、神の霊が、あなたがたに宿るからである。
4:15 あなたがたのうち、だれも、人殺し、盗人、悪を行う者、あるいは、他人に干渉する者として苦しみに会うことのないようにしなさい。
4:16 しかし、クリスチャンとして苦しみを受けるのであれば、恥じることはない。かえって、この名によって神をあがめなさい。




●これらを読めば「心一杯、胸一杯」となり「アーソーカ」と心に叫ぶものが必ずいくつかある。特に使徒9章6節では涙がこぼれた。神はパウロを苦しめたのだ。




口語訳 使  9:16
9:16 わたしの名のために彼がどんなに苦しまなければならないかを、彼に知らせよう」。





●このようにBbBとSWORDを利用して聖書を読めば、百千の註解書を読むのに勝る威力がある。なにせパウロがじきじきに説明してくれているからである。これは太陽の光、これに比べれば古今東西の著名な註解書も月の光。アウグスチヌス、ルター、カルビン、フランシスコ会聖書研究所の註解(カトリック)、内村、塚本、黒崎、バルト、ブルトマン、NTD,ATD、その他著名な神学校、著名牧師、著名神学者、著名聖書学者をはるかに超えるもの。その呪縛から解放される。聖書の解釈権を彼ら聖書学者、聖書の専門家達から奪取するのが目的である。かくしてプロテスタント各派の教派争いはなくなるはず。



●さらに上記に漏れたもので自分独自のものを書き出すとよい。それには「いのちのことば社」刊行の「Jバイブル」が超便利。私の場合は次の句が浮かんだ。



新改訳 ピリ 1:27-29
1:27 ただ、キリストの福音にふさわしく生活しなさい。そうすれば、私が行ってあなたがたに会うにしても、また離れているにしても、私はあなたがたについて、こう聞くことができるでしょう。あなたがたは霊を一つにしてしっかりと立ち、心を一つにして福音の信仰のために、ともに奮闘しており、
1:28 また、どんなことがあっても、反対者たちに驚かされることはないと。それは、彼らにとっては滅びのしるしであり、あなたがたにとっては救いのしるしです。これは神から出たことです。
1:29 あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜わったのです。


新改訳 コロ 1:24
1:24 ですから、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。そして、キリストのからだのために、私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。キリストのからだとは、教会のことです。


塚本訳 Ⅰコリ15:58
15:58 だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ。骨折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから。




●これで聖書勉強は完了。あとは実際の苦痛と苦難に襲われることだ。!!。実人生においての演習だ。そのとき聖書の言葉は「励まし」となって、苦難を「耐え忍ぶ」ことができるはずだ。●世の牧師伝道者たちに告ぐ。この手法を広めてほしい。日本は信者の各自が聖書を読むようになるときに福音が定着するであろう。初代キリスト教徒の血の犠牲によりローマ帝国は300年かかってキリスト教を受容した。●生きているうちに福音の実を見ようとしてはいけない。「ずっと後の日に」にその実が出るのだ。先日の松井家の歴史からそれを学んだ。福音は孫の代で芽が出た。モーセも最後にカナンには入れないで召された。はるかに望みみただけであった。モーセですらそうであった。なにを贅沢いうか。神は祈りを聴いてくださる。



新改訳 伝  11:1
11:1 あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。


新共同 伝  11:1
11:1 あなたのパンを水に浮かべて流すがよい。月日がたってから、それを見いだすだろう。


TEV 伝  11:1
11:1 Invest your money in foreign trade, and one of these days you will make a profit.



●神は真実であるから、物忘れしない。約束は破らない。嘘はつかない。秘密を漏らさない。人はこの私の非を責めて攻撃して、捨てても、あるいは裏切っても、神は捨てない



塚本訳  Ⅱテモ2:12-13
2:12 もし忍耐するなら私達もまた共に王となるであろう。もし(彼を)否むなら彼もまた私達を否み給うであろう。
2:13 たとい私達は不真実でも彼は(いつも)真実であり給う、自分を否み給うことが出来ないのだから!



塚本訳 Ⅰヨハ1:9
1:9 もし罪を正直に言うならば、神は真実で、正しいお方であるから、わたし達の罪を赦し、あらゆる不義から清めてくださるのである。


TEV Ⅰヨハ1:9
1:9 But if we confess our sins to God, he will keep his promise and do what is right: he will forgive us our sins and purify us from all our wrongdoing.



●未知の人からの7月19日のブログ日記の応答コメントにすばらしい聖句が指摘されたので下記に記す。ブログもこのように関連聖句の応酬に使われると強力な武器になる。神に喜ばれる。


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「日記と感想」を心より感謝します。

「なぜ日記を公開するか。答えは簡単である。神に手をねじり上げられているからである。悲鳴をあげているのだ。公開しないとさらにねじ上げられるから禍なのだ。●家屋を焼かれ、3ヶ月後には脳内出血で意識不明にさせられ、もうさんざんだ。まいった、ギブアップだ。残りは19年間の人生だ。破れかぶれのヤケクソだ。赦せこの道。」

以上の感想への感想です。


口語訳エレ20:9 もしわたしが、「主のことは、重ねて言わない、このうえその名によって語る事はしない」と言えば、主の言葉がわたしの心にあって、燃える火の/わが骨のうちに閉じこめられているようで、それを押えるのに疲れはてて、耐えることができません。

新改訳エレ20:9 私は、「主のことばを宣べ伝えまい。もう主の名で語るまい。」と思いましたが、主のみことばは私の心のうちで、骨の中に閉じ込められて燃えさかる火のようになり、私はうちにしまっておくのに疲れて耐えられません。

新共同訳エレ20:9 主の名を口にすまい/もうその名によって語るまい、と思っても/主の言葉は、わたしの心の中/骨の中に閉じ込められて/火のように燃え上がります。押さえつけておこうとして/わたしは疲れ果てました。わたしの負けです。

新共同訳「わたしの負けです」、アーメン。


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なぜ日記を公開するのか ++++++++ 所感

2006/07/19 18:24

060719(水)夜中に激しく咳き込む。5時起床●朝風呂で日経「私の履歴書」はSF作家の小松左京。結婚したのに仕事がうまくいかず、なりふりかまわず、漫才の台本を書くようになった。すると京大時代の文学仲間から「君は文学の志を失ったのか」と言われた。●いいのだ、ある道でうまくいかなければ別の道を行けばよい。それが市場原理にもとずく経済社会での生き方だ。健全常識による「行き当たりバッタリ」の人生でよいのだ。しかしそれは20代まで、30歳になったら天職が与えられる。●12:00ふれあいセンターで「ふれあいコンサート」。高橋京子、小笠原千恵子。新條路子。●ブログによる公開日記に対して非常に有益な応答のコメントを下さる方にお礼のメール。内容は公的なことなので公開する。一部省略改変。


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○○様


たびたび、ブログのコメントへのご記入感謝です。

「聖書の言葉」による励ましは非常に力があり、効果があります。不思議です。

こういうことは初代教会からのまたキリスト教の歴史でも「事実」だと思います。

私が、以前から思い描いていたことがこういう形で実現しそうです。

それは、一つの聖句に関して、信仰のある多くの人が「感じること」を寄せ合って「引照集」を作るのです。

しかしそれよりもブログでの感想応答で頂く「生きた」引照が、とりもなおさず私自身の勉強になります。今後ともよろしくお願い致します。


口語訳 エペ 6:17-19
6:17 また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。
6:18 絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。
6:19 また、わたしが口を開くときに語るべき言葉を賜わり、大胆に福音の奥義を明らかに示しうるように、わたしのためにも祈ってほしい。

 

口語訳 Ⅰテサ4:18
4:18 だから、あなたがたは、これらの言葉をもって互に慰め合いなさい。

 

口語訳 Ⅱテサ2:15
2:15 そこで、兄弟たちよ。堅く立って、わたしたちの言葉や手紙で教えられた言伝えを、しっかりと守り続けなさい。

 

口語訳 黙  19:9
19:9 それから、御使はわたしに言った、「書きしるせ。小羊の婚宴に招かれた者は、さいわいである」。またわたしに言った、「これらは、神の真実の言葉である」。

 

口語訳 黙  22:7-10
22:7 見よ、わたしは、すぐに来る。この書の預言の言葉を守る者は、さいわいである」。
22:8 これらのことを見聞きした者は、このヨハネである。わたしが見聞きした時、それらのことを示してくれた御使の足もとにひれ伏して拝そうとすると、
22:9 彼は言った、「そのようなことをしてはいけない。わたしは、あなたや、あなたの兄弟である預言者たちや、この書の言葉を守る者たちと、同じ僕仲間である。ただ神だけを拝しなさい」。
22:10 またわたしに言った、「この書の預言の言葉を封じてはならない。時が近づいているからである。


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●なぜ日記を公開するか。答えは簡単である。神に腕を取られてをねじり上げられているからである。痛くて悲鳴をあげているのだ。神に自白を強要されているのだ。日々の出来事を公開しないとさらに腕をねじ上げられるから禍なのだ。●家屋を焼かれ、3ヶ月後には脳内出血で意識不明にさせられ、もうさんざんだ。まいった、ギブアップだ。残りは19年間の人生だ。破れかぶれのヤケクソだ。仕方がない、赦せこの道。



塚本訳 Ⅰコリ9:16
9:16 なぜなら、たとい福音を伝えたところで、わたしの誇りにはならない。なぜなら、(神に)強要されているのだから。なぜなら、もし福音を伝えないならわたしは禍だからである。


文語訳 Ⅰコリ9:16
9:16 われ福音を宣傳ふとも誇るべき所なし、巳むを得ざるなり。もし福音を宣傳へずば、我は禍害なるかな。


TEV Ⅰコリ9:16
9:16 I have no right to boast just because I preach the gospel. After all, I am under orders to do so. And how terrible it would be for me if I did not preach the gospel!


●妻は今井館「ウィークデーの集い」の企画会議。夕食時にその報告を聞く




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極貧の新婚生活 ++++++++ 所感

2006/07/18 07:36

060718(火)5時起床、昨日も涼しく、今日も涼しい●朝風呂で日経「私の履歴書」はSF作家の小松左京。極貧の新婚生活。ようやく「読める」内容になった。一目惚れでポーッとなった女性と結婚。ところが仕事がうまくいかずに極貧●妻の嫁入り道具が次々と質屋に行った。仕方なく小説を書き始めるがこれが波に乗る●「仕方なくやり始める」というところに市場原理を司る神の手(アダムスミス)を見る●男は妻に「質屋通い」をさせてはいけない。●池谷医院、イワシの油のジェネリックを処方される●吉野隆治氏からイスラエル旅行のDVD記録を頂いたので、妻と鑑賞。2時間の超大作、労作。「もう一度旅行をしたような感じ」と妻の感想。●吉野氏に感想メール●郵便局でクラシックが流れていたので曲名を聞くと担当者が「これです」と言って「ベストクラシックス100」というCD6枚組みを貸してくれた。●図書館リクエストカード。ブルックナーとR・シュトラウスを書く
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義母と弟妹を殺した青年に告ぐ ++++++++ 所感

2006/07/17 09:23

060717(月)海の日、5時起床●朝風呂で日経「私の履歴書」はSF作家の小松左京。「アトム」という雑誌の仕事をしたが、給料が安くて結婚にさしさわりがあるので退社。金が入らなければ「仕事」をポイポイと変える情けない「職業観」よ。使命観のためには、家屋敷を売り払い、結婚もしないでそれに挺身すべきである。しかしその使命感というものが自分の貧弱な頭からのものだとしたらなお悪いので、「食うために」仕事を変えるのもやむなし。そのほうが市場原理にかなっている。●男一匹、企業の経済的存続のため、自分と家族が食うため、目先の社会改良のため、いわんやこの世の反対運動のために命を捧げるとしたらそれは「もったいない」生涯。男はその身を神に捧げて神に引きずりまわされる栄光の生涯にならなければならない。●自己の苦難、自己の涙、それが神の筆あと。涙がインク


塚本訳  ピリ 3:7
3:7 しかし(前には)自分に得であ(ると思っ)たこれらの特権も、キリストのために(かえって)損と思うようになってしまった。


●自分の娘を橋から落とした母親、こういう悪人も即救われるというのだろうか。昨日の「悪人正機説」の歎異抄の話を回想した。解説者の山崎龍明氏は悪人の定義として「自分に救いの必要性を感じた人間」がその悪人だとされた。するとこれは次のイエスの譬話と同じ。


塚本訳 ルカ 18:9-14
18:9 なお、自分(だけ)は信心深いとうぬぼれて人を軽蔑している者たちにも、この譬を話された。
18:10 「二人の人が祈りのために(エルサレムの)宮に上った。一人はパリサイ人、他の一人は税金取りであった。
18:11 パリサイ人は(得々と)ひとり進み出て、こう祈った、『神様、わたしはほかの人たちのように泥棒、詐欺師、姦淫する者でなく、また、この税金取りのような人間でもないことを感謝します。
18:12 わたしは一週間に二度も断食し、(きまったものの一割税だけでなく、)一切の収入の一割税を納めております。』
18:13 しかし税金取りは(罪に責められ、)遠く(うしろ)の方に立ったまま、目を天に向け(て祈りをささげ)ようともせず、ただ胸をうって、『神様、どうぞこの罪人のわたしをお赦しください』と言った。
18:14 わたしは言う、あの人でなく、この人の方が(神から)信心深いとされて、家にかえっていった。自分を高くする者は皆低くされるが、自分を低くする者は高くされるのである。」


●この税金取りは自己の罪を自覚していた。だから神に「正しい者」とされた。自分の罪の自覚、これがなけれ人間は救われない。そのことをイエスは次のように言う。


塚本訳  マタ 21:28-32
21:28 いったいあなた達はどう思うか。──ある人に二人の息子があった。長男の所に行って、『坊や、きょう葡萄畑に行って働いてくれ』と言うと、
21:29 長男は『いやです』と答えたが、あとで後悔して出かけた。
21:30 つぎに次男の所に行って同じように言うと、こちらは、『お父さん、承知しました』と答えたが、行かなかった。
21:31 この二人のうち、どちらが父の心を行ったのだろうか。」「もちろん長男」と彼らが答える。イエスが言われる、「アーメン、わたしは言う、税金取りや遊女たちは、あなた達よりも先に神の国に入るであろう。
21:32 そのわけは、(洗礼者)ヨハネが義の道を示しに来たのに、あなた達は彼を信ぜず、税金取りや遊女の方がかえって信じたからだ。しかしあなた達は(あの人たちが悔改めるのを)見たあとでも、後悔して彼を信じようとしなかった。


●もし、この聖書の個所を法然親鸞が読んだら「然り然りアーメン」と叫んだに違いない。●しかし私は思う。本人に罪の自覚があることが前提。それがなければ福音を説いても無駄。罪を自覚させようとするのは徒労。それは神が決定的に徹底的に行わなければならない。人間では生ぬるい。神によって罪の自覚をさせられるときは心に拷問が下される。それは窒息の苦しみ、懊悩、世にこれほどの苦痛はあるまいと思われるほどの苦悩。モルヒネも効かない。イエスの血による贖罪きり楽になる道はない。●福音は「人の顔を見て説け」。その人が本当に家を建てようとしているのかどうかは顔を見て話を聞いてすぐ分かる。その気のない人、資金のない人には話をしない。無駄だから。


塚本訳  マタ 7:6
7:6 (とはいえ、正しい判断は出来ねばならない。神に供えた肉など)神聖な物を犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。豚はそれを足で踏みつけ、向き直ってあなた達を噛み裂くかも知れない。


自分の人生の過去を悔やんでいる人の方が神に愛される。そのほうが神の国の正客。イエスと共に十字架に付けられた強盗は、自分の過去を悔やんで、イエスにすがった。天国に一番先に入ったのはこの強盗であった。


塚本訳  ルカ 23:39-43
23:39 磔にされている罪人の一人がイエスを冒涜した、「お前は救世主じゃないか。自分とおれ達を救ってみろ。」
23:40 するともう一人の者が彼をたしなめて言った、「貴様は(このお方と)同じ(恐ろしい)罰を受けていながら、それでも(まだ)神様がこわくないのか。
23:41 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる。」


●名古屋の事件。義母と弟妹を殺してしまった青年に告ぐ。・・・・「君は仏教書の差し入れを望んでいるという。そのことだけで『服役の期は終わったた』と感じる。自分の罪を悔やんでいると感じるからだ。たとえ、君の肉体は国法によって死刑になろうとも、神は赦した。いいではないか、苦しみは一瞬だ。あとは真の父なる神が君を迎える。君に対しては除名嘆願、減刑嘆願の動きがあるらしい。ありがたいことであるが、それをただ喜ぶことはよくない。罪に対する罰は正しく受けなければならない。まず罪の反省をしなければならない。それがこの人間社会の掟であり、神の掟でもある。しかし、今罪を悔いている君は神に受け入れられた。なぜか。その御子独り子のキリストが身代りで死んでくださったからだ。君はこの福音を『虫のいい話』として突っ張ってはいけない。ありがたく頂戴するのだ。ここはひとつ自分を捨てて福音に素直にならなければならない。それが亡くなった義母と弟妹に対する真の供養だ。君が犯した罪は不幸なことであったが、それにより君が神による罪の赦しの事実、福音というものを信じて心が安らかになったとすれば、不幸なこの事件も神の栄光のためにあったのだということになる。ナニ、この人生は短い。せいぜい生きても80年か90年なのだ。それよりも悔いて福音を信じられたら成功の人生だ。無期懲役か死刑はしょうがない。」


●関西地方の人に告ぐ。・・・・彼は教会(集会)に行けない。出られない。聖書と分かりやすいキリスト教の書物を差し入れて欲しい。神の言葉はどこにでも入っていくことが出来るのだ。


新共同 Ⅱテモ2:9
2:9 この福音のためにわたしは苦しみを受け、ついに犯罪人のように鎖につながれています。しかし、神の言葉はつながれていません。


 ●アンドレプレヴン+ロイヤルフィルでベートーヴェン交響曲第5番「運命」を鑑賞。ロヤルフィルは独特のサウンド。どこからくるのだろう


 




 

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いわんや悪人をや ++++++++ 所感

2006/07/16 20:48

060716(日)5:00起床●NHKTV「心の時代「歎異抄第3章」「いわんや悪人をや」。解説の山崎龍明氏(武蔵野大学教授)は歎異抄の泰斗。親鸞を学ぼうとすればこの人に師事すればよいと考える。●悪人正機説[善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや]は全く新約聖書の思想と同じ。ただし歎異抄は理念、あるいは哲学。しかし神の子キリストは実在。そして自己の救いは「聖霊」によって保証される。ここに三位一体の教義はキリスト教のレゾンデートルであることが鮮明になってくる。救いの確かさはキリスト教の方にあるので、私は仏教をとらない。●救いの確かさは「神・キリスト・聖霊」の三位一体。これを逸脱してキリスト教はない。●集会は丹野武宣、横山ひさ、望月明●松井晴美さんと御長女の律子さんが集会に来られた●午後19名で前学期の感謝会。


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東京聖書読者会前学期感謝会 2006.7.16 15:30


前列左から 丹野武宣 小寺利男 山本政則 望月明 杉崎孝 藤巻胖 村上賢二


後列左から 高橋トミ子 土肥祐子 丹野竹子 伊藤秀子 茂木洋子 横山ひさ 田中桂子


        小寺七重 宮崎トキ 横田淳 川上邦子 高橋照男


●図書館でCD、東急でチタンの腕時計を購入、ルピアで写真プリント、

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大自然に神の手を見る ++++++++ 所感

2006/07/15 08:37

060715(土)4時半起床●窓を開けると、美しい朝焼け、思わずカメラを持って表に飛び出す。


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朝焼け 2006.7.15 4:30 あきる野市


●思わず讃美歌216番が口に上る。


讃美歌216番


1. あぁうるわしき シオン の あさ,

   ひかり ぞ 照り そめ ける.

   やみ に まよう くにぐに も,

   いざ とも に いわえ かし.

 

2. あぁ かがやける シオン の あさ,

   たのしき 日 ぞ 来 に ける.

   イスラエル も, ことくに も

   いま こそ は幸 を え め.

 

3. 荒れし 地 に も 花 は 咲き,

   いずみ わ 湧き あふれて,

   よも の 山 に ひびき つつ,

   よろこび の 声す なり.

 

4. おぉうみ より も 陸(くが )より も,

   み神 を たたえ まつれ.

   みち の ひかり かがやきて,

   あまねく よ世を 照らせり.


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朝焼けの空 きれいだなー、すごいなー、荘厳だなー 2006.7.15 4:30 あきる野市


●詩編19編をく口ずさむ。ヘブル人のこの詩はすごいなー。●それに比べて日本人の詩歌は「花鳥風月」であったり「恋歌」であったりでナヨナヨとしていて暗く、どうもいけない。倫理がないから力強くない。



口語訳 詩  19:1-15
19:1 もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。
19:2 この日は言葉をかの日につたえ、この夜は知識をかの夜につげる。
19:3 話すことなく、語ることなく、その声も聞えないのに、
19:4 その響きは全地にあまねく、その言葉は世界のはてにまで及ぶ。神は日のために幕屋を天に設けられた。
19:5 日は花婿がその祝のへやから出てくるように、また勇士が競い走るように、その道を喜び走る。
19:6 それは天のはてからのぼって、天のはてにまで、めぐって行く。その暖まりをこうむらないものはない。
19:7 主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ、主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。
19:8 主のさとしは正しくて、心を喜ばせ、主の戒めはまじりなくて、眼を明らかにする。
19:9 主を恐れる道は清らかで、とこしえに絶えることがなく、主のさばきは真実であって、ことごとく正しい。
19:10 これらは金よりも、多くの純金よりも慕わしく、また蜜よりも、蜂の巣のしたたりよりも甘い。
19:11 あなたのしもべは、これらによって戒めをうける。これらを守れば、大いなる報いがある。
19:12 だれが自分のあやまちを知ることができましようか。どうか、わたしを隠れたとがから解き放ってください。
19:13 また、あなたのしもべを引きとめて、故意の罪を犯させず、これに支配されることのないようにしてください。そうすれば、わたしはあやまちのない者となって、大いなるとがを免れることができるでしょう。
19:14 わが岩、わがあがないぬしなる主よ、どうか、わたしの口の言葉と、心の思いが/あなたの前に喜ばれますように。


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朝の月が見える「大空」。下は我が家の「えごの木」。この木も成長した。植えてから5年経つ。


2006.7.15 4:40 あきる野市


●クリスチャンの成長は「神の言葉」を食べることにある。だから日曜日は働いたり遊びに出かけてはいけない。日曜日の午前中は「神聖な時」として絶対にタブー視しなければならない。それが「食べていける」ための条件でもある。日曜日も「時間が惜しい」と言って金儲けのために働くような人間は伸びない。真の栄養、心の栄養をとらないからである。しばらくは儲かるがあとがいけない。間もなく細ぼり、ついには挫折する。●無教会主義は聖日の厳守を律法的に考えないが、かえって聖日を厳守する雰囲気が濃厚なのは宗教的逆転の現実。その精神は次のとおりである。


塚本訳 ヘブ 10:24-26
10:24 また、わたし達は愛と善い業とを励まし合うように互に心掛けようではないか。(堅い信仰と動かぬ希望と愛の励み、この三つこそ最も尊い神の賜物である。)
10:25 (また、)ある人々がするように、集会を怠けず、むしろ互に勧め(合って出席す)るようにしなくてはいけない。その日が近づいていることをあなた達は知っているから、いよいよそうしなくては!
10:26 なぜなら、わたし達が(キリストの)真理の知識を受けた後、故意に罪を犯すならば、その罪のために、もはや(これをあがなうべき)犠牲は残っていない。


●「行いはなくても信仰のみで救われる」という教義のプロテスタントの方が「行いもなければ救われない」というカトリックよりもこの世で目覚しい有益な働きをしてきた。これは不思議な逆転現象。歴史の事実。赤十字、各種平和運動、医療活動、科学の発展、近代化、技術革新、などなど●無教会に限ってみても「信仰だけでよい。活動はなくてもよい」と教えられた塚本グループの献金額の多さが目立つ。また世の下支えの働きに挺身している人の多さが目立つ●それに反して常に天下国家を批判しているいわゆる社会派からの献金の額は極めて少ない。口は出しても金は出さないというのか。十字架を負って隠れた働きをするよりも社会批判をする方が大切だというのか。信仰は実となって表われる。彼ら信仰は怪しい。第一に「有体的復活」や「三位一体」をまともに信じている人間が希薄である。



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雷雲 2006.7.15 12:41 あきる野市


●日の出が丘病院ホスピスの「日の出会」(癌で家族を失った人の会)に出席途中。局地的突風と豪雨。傘をさして歩けないので全身ずぶ濡れ、そこで後ろから来た車に拾われて救われた。戸吹の小沢さんだという。感謝。なんでも「聖路加国際病院」にご関係があるらしい。●日の出会は新しく小沼智美さん。相談係になられたという。入院する人にとっては「窓口相談」の人が頼りであると励ました。



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局地的突風で倒れたとうもろこし。 2006.7.15 16:30 あきる野市


●農家の被害は甚大。儲けの元がなくなって困るだろうなーと思った。どうするのだろう


●妻はクリスマスオラトリオの練習●








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去りゆく時は速い ++++++++ 所感

2006/07/14 04:58

060714(金)3時半起床、7時間睡眠●なぜか、故郷浦和の夢を見た。夢の中に出てきた人はまだ生きているのかなー。一時半に目が覚めてまた寝た。


口語訳 詩  3:4-5
3:4 わたしが声をあげて主を呼ばわると、主は聖なる山からわたしに答えられる。〔セラ
3:5 わたしはふして眠り、また目をさます。主がわたしをささえられるからだ。


TEV 詩  3:4-5
3:4 I call to the Lord for help, /and from his sacred hill he answers me.
3:5 I lie down and sleep, /and all night long the Lord protects me.


●62歳が去り、63歳を迎えて感じること。時は早く過ぎ去るのだ。「光陰矢のごとし」。


口語訳 詩  90:3-10
90:3 あなたは人をちりに帰らせて言われます、「人の子よ、帰れ」と。
90:4 あなたの目の前には千年も/過ぎ去ればきのうのごとく、夜の間のひと時のようです。
90:5 あなたは人を大水のように流れ去らせられます。彼らはひと夜の夢のごとく、あしたにもえでる青草のようです。
90:6 あしたにもえでて、栄えるが、夕べには、しおれて枯れるのです。
90:7 われらはあなたの怒りによって消えうせ、あなたの憤りによって滅び去るのです。
90:8 あなたはわれらの不義をみ前におき、われらの隠れた罪をみ顔の光のなかにおかれました。
90:9 われらのすべての日は、あなたの怒りによって過ぎ去り、われらの年の尽きるのは、ひと息のようです。
90:10 われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。


口語訳 Ⅱペテ3:8

3:8 愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。

 

口語訳 マタ 6:30

6:30 きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。

 

口語訳 ヤコ 1:11

1:11 たとえば、太陽が上って熱風をおくると、草を枯らす。そしてその花は落ち、その美しい姿は消えうせてしまう。それと同じように、富んでいる者も、その一生の旅なかばで没落するであろう。




●残りの時間は少ないとあせる気持ちが湧く。「何かよいことをしなければ」と思うが、先日の松井清さんの告別式で読んだ故人の愛唱句を思い出した。




塚本訳  ヨハ 6:27-29
6:27 (食べれば)無くなる食べ物のためでなく、いつまでもなくならずに、永遠の命に至らせる食べ物のために働きなさい。これは人の子(わたし)があなた達に与えるのである。神なる父上が、(これを与える)全権を人の子に授けられたのだから。」
6:28 すると人々がたずねた、「(それをいただくために)神の(御心にかなう)業をするには、何をすればよいのでしょうか。」
6:29 イエスは答えられた、「神がお遣わしになった者を信ずること、これが(御心にかなうただ一つの)神の業である。」



新共同 ヨハ 6:27-29
6:27 朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである。」
6:28 そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、
6:29 イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」




●そうだ、神と人のために「何かをしよう」「神の業をしよう」「業績を残そう」「人に何かをしてあげよう」「この世から感謝されよう」「有名になって注目されよう」などと思うのは「人間の思い」なのだ。それは神に嫌われるのだ。松井さんありがとう。




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        静かな朝焼け 2006.7.14 4:00 二階の窓から撮影


昨夕の雷雨が嘘のようだ。ヴェート―ヴェン交響曲第6番「田園」の第5楽章を思う。

普通、交響曲は第4楽章までだが、これは第5楽章まである。この楽章の標題は「感謝の歌」。

ヴェートヴェンとしてはどうしても付けたかったのだ。激しい雷鳴と豪雨の後に穏やかな天気になるのは人生と同じではないか。中学生の時にデズニ―の「ファンタジア」で知ったこのメロディーには魅せられたものだ。讃美歌444番を思う。



讃美歌444




1. 世 の はじめ さながら に,

   あさ日 てり 鳥 うとう.

   みことば に わき いずる

   きよき さち つきせじ.

 

2. 世の はじめ あさつゆ の

   おきし ごと 雨 ふり,

   きりすと の ふみ ゆきし

   園 の さま なつかし.

 

3. 世 の はじめ さし いでし

   みひかり を あび つつ,

   あたらしき あめつち の

   いとなみ に あずからん.





●人生の雷雨の渦中にある人に告ぐ。雷雨は過ぎ去る。絶対にいつまでも続かない。そのあとは感謝の時が訪れる。聖書がそう言っている。ヒルティもそう言っている。ヴェート―ヴェンもそう作曲している。無数の先人がそう言っている


塚本訳Ⅰコリ10:13
10:13 人間の力に余る試みが、あなた達をおそったことはないのである。神は誠実であられる。あなた達が耐えられない程に試みられることを、お許しにならない。試みに添えて、(かならず)逃げ道をもつくっておいてくださるので、それに耐え得るのである。


新改訳 ヘブ 12:11
12:11 すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。


塚本訳  Ⅰペテ1:5-6
1:5 (そして)君達は最後の時に顕れる準備の(既に)出来ている救いに入るために、信仰によって神の力に護られる。
1:6 (もちろん)その時には(大いに)喜ぶ(であろう)が、もし(御意により)必要ならば、今は少し様々な試練に(悩み)悲しまねばならない。


塚本訳Ⅰペテ4:12-13
4:12 愛する者よ、試練のため君達に起こった烈火の苦難を(何か)異常なことが臨んだかのように(驚き)異しむな。
4:13 むしろキリストの苦難に与れば与るだけ喜べ。(最後の日)その栄光の顕るる時にも歓びに喜ぶ(ことが出来る)ためである。


新共同 ヤコ 1:2
1:2 わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。


新共同 ヤコ 1:12
1:12 試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです。


●しかし、雷雨のまま、雷雨の渦中に死んだとしても来世で平安が待っている。聖書はそれを言っている●朝風呂で日経「私の履歴書」はSF作家の小松左京。京大生のとき、マルキスト高橋和巳たちと作った同人誌「現代文学」は一号で廃刊。オロカモノ、アッタリマエヨ。大脳皮質と自己の欲望が根拠の思想集団は歴史の淘汰で消え去る。まてまて、無教会の中にも元マルキスト的な者がいて、大脳皮質と自己の思想を根拠に「活動」をしている人物がいる。ほおっておけ、長続きしない。後継者が出ない。マルキスト自身の言葉を借りて言えば「歴史が審判する」。


塚本訳  マタ 15:12-14
15:12 あとで弟子たちが来てイエスに言う、「パリサイ人がお話を聞いて腹を立てたことを御存じですか。」
15:13 イエスは答えられた、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜かれる。
15:14 あの人たちを放っておけ。盲人の手引をする盲人だ。盲人が盲人の手引をすれば、二人とも穴に落ちよう。」


●自分の力で世の中少しでも改造してやろう、警告してやろう、預言者的生き方をしようという思い上がった人物の行く末は見えている。神に潰される。「預言」しておく。


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出勤時 振り返って大岳山を望む 手前は成長したとうもろこし 2006.7.14 8:20



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我が家の隣地にオニユリが咲いた 2006.7.14 8:20 我が家の庭木も生長した



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国立博物館本館 2006.7.14 16:30 上野


かっては「国粋主義のデザイン」だと批判したが、これも時代の象徴だ。人間関係は相対性原理だ。デザインも同じ。だからむやみやたらと批判は出来ない。どの國にも共通のデザインを目指した国際建築というデザイン思想は消滅、どの時代に通じるデザインというのもないのだ。



●会社を早退して、国立博物館「国立博物館平成館」での「プライスコレクション・若冲と江戸絵画」展。日本にもこれだけの芸術があったことに驚く。米国のプライス氏が目をつけて米国で保存。日本の伝統文化を知ったら、なまじのキリスト教では福音は日本に定着しないと思った。先日の「最澄と天台の国宝」展(4月28日)のときも同じように思った。唯一可能性があるのは原典である聖書にのみ触れる聖書主義である。教会主義は遊びであり。お祭りである。福音の周辺的なことである。今の無教会主義の集会も同じ。アレでは深い宗教文化をもっている真面目な人間はキリスト教に目を向けない。「聖書は何を言っているのか」を「聖書に学ぶ」姿勢でなければならない。先生はどう言っているかの姿勢ではいけない。


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国立博物館本館入り口ロビー 2006.7.14 16:32


●今年訪れたロンドンの大英博物館にひけを取らない。唐様の企画展があった。唐様の書体を習ってみたい。書は芸術である。その昔長男の新一と次男の守を連れてきた時、ここで勤務先の小野貞さんと会ったことを思い出した。小野さんはかなり前に郷里の大分県で亡くなった。モーツアルトが好きであったなー。

●帰途、電車の中で杖をついた足の悪い若く美しい女性が隣りに座った。子供が好きそうな顔、結婚を望んでもかなえられないのか。小金井あたりで先に下りたが、ぴょッこん、ぴょっこん、と体を左右に振って去って行く背中を見て、胸が詰まった。ナニ、この世は短いのだ。天国ではちゃんと歩ける。走ることも出来るのだ。彼女の上に神の祝福あれ。


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家路 奥多摩連山に夕陽が落ちる 2006.7.14 19:00 あきる野市


●讃美歌43番を歌いながら家路を急ぐ。「みかみのたまいし この日も暮れけり いざやけさのごと みめぐみをたたえん」


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家路、すばらしい夕暮れの空。 2006.7.14 19:00


●何枚写してもきりがない。飽きない。旧約聖書の詩編19編をつぶやく「天は神の栄光をあらわし、大空はその御手の業を示す」。こういうすばらしい景色を見ることができるのも限りがあるのだ。


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家路・我が家が近づく 2006.7.14 19:06 あきる野市 左のシルエットが我が家



●妻が玄関に立って待っていた。妻「遅かったわね。そっちからきたの」、私「空がきれいだから回り道して写真をとっていたんだよ」。●テニスンの「砂州越えて」という詩を思い出した。天国に入る時は星が瞬き、私を愛する者が迎えに出てくれるという。何を死を嘆こう・・・という内容。私を愛するものとは「キリスト」のこと。●テニスン(1809-1892)は英国の桂冠詩人。その名詩「砂州越えて」はこの世を去るときの希望の詩。前向きの詩。来世実在の確信の詩。明るい。私はこういう「詩人」になることが希望であった。私の子孫からこのような詩を作る詩人がでることを希望する




   砂州を越えて---辞世の詩・・・・・・・テニスン

       Crossing the Bar

                   Alfred Tennyson


               Sunset and evening star,
                  And one clear call for me !
               And may there be no moaning of the bar,
                   When I put out to sea,

               But such a tide as moving seems to asleep,
                  Too full for sound and foam,
               When that which drew from out the boundless deep
                  Turns again home.

               Twilight and evening bell,
                  And after that the dark !
               And may there be no sadness of farewell
                  When I embark;

               For though from out our bourne of Time and Place,
                  The flood may bear me far,
               I hope to see my Pirot face to face
                  When I have crossed the bar.






               陽は沈み夜空には星
                  澄んだ声がわたしを呼ぶ!
               わたしが海へ踏み出すとき
                  砂州に呻きのないことを。

               果てのない深みより寄せ来る波が
                  再び元へ戻るとき、
               潮は満ちて音も泡もなく
                  眠るような動きであってほしい。

               黄昏と晩鐘の響き
                  その後は暗い闇 !
               わたしが船出するとき
                  別れの悲しみのないように。

               時と処の境を超えて
                  流れがわたしを彼方へ運ぼうとも
               わたしが砂州を越えるとき
                  案内人に顔を合わせたい。














 


 


 


 

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63歳の誕生日に思う ++++++++ 所感

2006/07/13 06:48

060713(木)5時起床。●今日は満63歳の誕生日。今日まで肉の命が支えられて感謝。この世に生を与えて下さった神に感謝。「神の栄光」を見ることが出来た。産み育ててくださった両親に感謝。その両親はすでにいない。霊魂の救いを与えて下さった神に感謝。キリストの苦難に感謝。罪の苦しみから解放された。キリスト教の信仰に導いてくださった方々に感謝。私と結婚してくれて面倒を見てくれた妻に感謝。苦労をかけた。よく我慢してくれた。私たちの子供として生れてくれた4人の子供に感謝。よくぞ育ってくれた。その伴侶に感謝。よく来てくださった。よく受け入れて下さった。孫たちに感謝。よく来てくれた●朝風呂で日経「私の履歴書」はSF作家の小松左京。京大のマルキストグループに接していた。議論することが信条。それが仕事。なんとつまらない唾棄すべき生き方よ。社会主義思想によるこの世の改造に人間としての「救い」はない。「聖なるもの」に接したことがない人間の憐れな姿よ●「残念ながらあなたとは道が違う」「健康だけには気をつけてください。ごきげんようサヨウナラ」と言わざるをえない場面が多い。●昨夜の不思議な夢。午前2時ごろ某氏が尋ねてこられてきて「もう起きておられたのですか」と言う。私「脇腹が痛くて眠れないのです」。夢は正夢、起きて脇腹がシクシク傷む。尿路結石のあの七転八倒の痛みが来なければよいが●某氏から「もとより金銀はありませんが」と言って誕生祝の長文のメッセージを頂く。感謝。「誕生日は復活への一歩です」と言われる励ましに奮い立つ。そうだ、老年は「復活」に向かって駆け抜ける時期なのだ。あと19年だが、頭が働くのは10年程度だ。


文語訳 Ⅱコリ4:16
4:16 この故に我らは落膽せず、我らが外なる人は壞るれども、内なる人は日々に新なり。


口語訳 Ⅱコリ4:16
4:16 だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。


新改訳 Ⅱコリ4:16
4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。


新共同 Ⅱコリ4:16
4:16 だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。


塚本訳 Ⅱコリ4:16
4:16 このゆえに、わたし達は気を落さない。いや、わたし達の(生れながらの)外の人はどんなにこわれていっても、(キリストによって生れた)内の人は一日一日と新しくされてゆく。


TEV Ⅱコリ4:16
4:16 For this reason we never become discouraged. Even though our physical being is gradually decaying, yet our spiritual being is renewed day after day.


●ヒルティは「老年はよい時期」だと言っている。●信仰なく、復活の希望なき老年は淋しく暗い。そういう「日本人」をたくさん見ている。趣味、遊び、教養、スポーツ、社交、ダンス、習い事では満足いかない。●「教会はお祭り、無教会は勉強」という言葉を聞いたことがある。至言。まてまて、その無教会も遊びのサロン、平和運動の活動に堕落しているグループがある。宗教に必要な敬虔な落ち着きと雰囲気が欠如●立川病院へ尿路結石の診察。レントゲンの結果石は見つからない。医者に大丈夫といわれて不思議に痛みがなくなる●銀行、野沢さん、図書館、大相撲、図書館の矢部さんとボッチチェリの「ヴィーナスの誕生」の天使について懇談。●雷鳴と夕立


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雷鳴と激しい夕立 2006.7.13 17:30 二階の窓から撮影


ヴェート―ヴェン交響曲第6番「田園」の第4楽章を思い出した。


●夕食。誕生祝は妻の手作りの鉄火丼。妻「お誕生日おめでとうございます」。私「ありがとうございます。これからもよろしくお願い致します。」●夜、福島県の恵一家の全員から電話で誕生祝のメッセージ。孫の見時「オジーチャンお誕生日おめでとう。今度くる時お土産持ってきてー」●新一と守から誕生祝メール●父として夫として非常に不完全な者であったが、皆が「顔を立てて」くれるのは感謝。


 

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絶対恩恵による無条件の罪の赦し ++++++++ 所感

2006/07/12 09:59

060712(水)4時15分起床●満62歳最後の日。明日は満63歳。平均余命は19年、妻はというと24年(厚生労働省資料)。後がない。短いなー●朝風呂で日経「私の履歴書」はSF作家の小松左京。なぜかこの人の伝記は面白くない。感銘しない。苦悩が少なかったからではないか。個人の苦悩のみが人に影響を与える。大所高所からの教えが影響を与えるのではない。啓蒙運動が世を変えるのではない●今回の松井清さんの葬儀に関係して松井家の信仰の系譜を知り、改めて思ったこと。「神の絶対恩恵による無条件の罪の赦し」ということ。本人の信仰の有無や親の願いによらず神は不思議な方法で福音の種を播く。思いもよらない方法で救う。芽を出させ成長させる。時に信仰者というのは隔世的に出現する。間接的に芽が出る。パウロのロマ書は「救いは人の思いでなく、神の独一の絶対恩恵によるのだ」というのが結論。これは同時にパウロ自身の慰めでもある。パウロはなぜユダヤ人は福音を受け入れないのかという問題、苦しみで悩みぬいた。そこには人の思いにすぐる神の「遠大なご計画がある」ものとパウロは信じ込んだ。希望を抱いた。あるいは外れるのかもしれないが、それでもいいのだ。希望ということは神に希望を託すことなのだ。自分の信念を固く持つことではないのだ●信念と信仰は違う。信念は自分の学識を誇ってそれを信じ、自分の「腹」を神として拝んでいるのだ。この世の人間はそういう態度を見て「ガンバッテイルナー」と誉めるが神は嫌う。信仰の立場からすればそれは粉砕さるべきものである。神よりも自分の腹=目標=欲望を神として拝んでいるからである。ヒュ―マニストや社会改造派や社会批判人間にそれが多い。そういう「運動」や「闘争」は決して長続きしない。潰れる。潰れるのが神の恩恵である。自分の信念という偶像に仕えていた誤りに目が覚めるからである。●「活動」「運動」「闘争」の類は、自分たちの活動のおかげで「世の中が少しはよくなった」「世に警告を与えた」などと自惚れる。バカな人間たちよ。その自惚れが「迷妄の間違い」であることの証明である。公害闘争、環境闘争、成田闘争、平和運動、教育闘争、○○闘争、○○運動、曰く何、曰く何、・・・・・。神は天からそれを見て「迷妄」と思っている。それが迷妄であることは聖書にちゃんと書いてある。


塚本訳  マタ 4:8-10
4:8 悪魔はまたイエスを非常に高い山に連れてゆき、世界中の国々と、栄華とを見せて
4:9 言った、「あれを皆あげよう、もしひれ伏してわたしをおがむなら。」
4:10 そこでイエスは言われる、「引っ込んでいろ、悪魔!(聖書に)『あなたの神なる主をおがめ、』『主に』のみ『奉仕せよ』と書いてあるのだ。」


口語訳 ピリ 3:19
3:19 彼らの最後は滅びである。彼らの神はその腹、彼らの栄光はその恥、彼らの思いは地上のことである。


新改訳 ピリ 3:19
3:19 彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。


新共同 ピリ 3:19
3:19 彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていません。


塚本訳  ピリ 3:19
3:19 あの人達の最後は破滅、その神は自分の腹、その光栄(と考えているもの)は(実は)恥であって、あの人達は(ただ)地のこと(ばかり)に気を取られているのだ!


TEV ピリ 3:19
3:19 They are going to end up in hell, because their god is their bodily desires. They are proud of what they should be ashamed of, and they think only of things that belong to this world.


●教会が信者の増大のみを念頭に置いているのは地上の勢力を拡大しようとしていること。自分の腹を拝む心。プロテスタント各派が信者の人数の競争をすることも同じ。無教会が「雑誌」の発行部数で勢力争いをするのも同じ。●プロテスタントの某派が病気の癒しを誇るのは「この世的な誇り」。


塚本訳  ルカ 10:20-21
10:20 しかし(悪い)霊どもがあなた達に服従したことを喜ばず、自分の名が天(の命の書)に書き込まれていることを喜ばなくてはいけない。」
10:21 この時イエスは聖霊にみたされ、感激にあふれて言われた、「天地の主なるお父様、(神の国の秘密に関する)これらのことを(この世の)賢い人、知恵者に隠して、幼児(のような人たち)にあらわされたことを、讃美いたします。ほんとうに、お父様、そうなるのがあなたの御心でした。


●年をとるととかく病気になりがち。しかも直りにくい。妻は風邪。私は尿路結石の気配で脇腹がシクシク傷む。●買い物 ●新一から電話 


 


 


 


 

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見ないものを信じることが出来るか ++++++++ 所感

2006/07/11 06:25

060711(火)4時20分起床●朝の閃き。「見えない力、風の力」ということで跳ね起きる。そうだ、世の中には見えないものでも必ずあると信じなければならにものがあるのだ。風の力、電気の力、重力の力、愛の力、お金の力、しかり神の力●イエスが神の力があることを「風の力」ということを引き合いに出されたのは慧眼。これを哲学者に言わせると「神の存在証明」という難しい言葉になる。しかしイエスの言葉はやさしいがその内容の把握は難しい。


塚本訳  ヨハ 3:3-8
3:3 イエスが答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、(徴を見て信じたのではいけない。)人は新しく生まれなおさなければ、神の国にはいることは出来ない。」
3:4 ニコデモがイエスに言う、「(このように)年を取った者が、どうして生まれなおすことが出来ましょう。まさかもう一度母の胎内に入って、生まれなおすわけにゆかないではありませんか。」
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。
3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。
3:7 『あなた達は新しく生まれなおさねばならない』と言ったからとて、すこしも不思議がることはない。
3:8 風[プニューマ]は心のままに吹く。その音は聞えるが、どこから来てどこに行くか、あなたは知らない。霊[プニューマ]によって生れる者も皆、そのとおりである。」


●一昨年3月のこと。肺癌で苦しむ臨終の母との対話。私「母さん、天国に行けば痛みはなくなるよ」、母、真剣な目をして「どうしてわかるの。照男さん行って見てきたの」、私「聖書にそう書いてある」、母、冷笑して「あなたは見ないものを信じて喜んでいる」。間もなくして母は息を引き取った。・・・・・不遇な生涯であった母に信仰の喜びを味わってもらえなかったことに大きな悔いが残った。このことをどうとらえるか、私の課題である。●神は信じようとする人にのみ御自分を現わす。疑ってかかる人には姿を現わさない。


塚本訳 ヘブ 11:1
11:1 (では信仰とは何であるか。)信仰とは、希望することの実現であり、(目に)見ぬ事の確信である。


文語訳 ヘブ 11:1
11:1 それ信仰は望むところを確信し、見ぬ物を眞實とするなり。


TEV ヘブ 11:1
11:1 To have faith is to be sure of the things we hope for, to be certain of the things we cannot see.


●10:00 故松井清告別式。品川区臨海斎場。司会高橋照男、司式小寺利男。初対面の人、松井知恵(旧姓小久保。元キリスト教独立学園高等学校英語教師、恵が習った)。●松井家のキリスト教の系譜は日本キリスト教史の貴重な一断面なので記録する。キリスト教の面のみ記載。祖父松井栄次郎(明治9年生)は内村鑑三に私淑して「家庭集会」を開いていた無教会主義のキリスト者。明治9年というのは江戸時代からのキリシタン禁制が解かれてすぐの頃。その次女の「操」からは松井家に養子として入って結婚した「境時三」との間に清、信子、進の三人が生れる。操はミッションスクールのプール女学院を卒業している。その学校の英国人宣教師が帰国することになり、母になっていた操が6歳の清の手を引いて港に見送りに行ったときのこと。その宣教師は6歳の清の頭に両手を置いて、神の祝福を祈った。そのとき清の心には無条件に「キリストを信じよう」とする気持ちが湧いたという。しかしその操は昭和17年に子供3人を残して35歳の若さで召される。それは清が13歳のときのこと。その後父は再婚。そこで長男の清は妹の信子と弟の進を父親代わりのつもりで物心両面で面倒を見た。・・・・この話をされた信子さんと進さんは声を詰まらせた。・・・・・また松井家のルーツについては遠戚の竹村直子さんとその子供の原田直子さんに伺った。●松井清さんは、祖父松井栄次郎、母操の眠る奈良県の墓地に埋葬されることを希望(本年6月9日に清の長女律子さんに話す)。これで祖父も母も安心満足であろう。●その墓碑銘には松井栄次郎により「我は復活なり、生命なり、我を信ずる者は死ぬとも生きん」が刻印されている。その写真を竹村和子さんが見せて下さった。●再婚した清さんの父・境時三は松井家から出る。しかし最晩年にキリスト教に入信して召されたという。結果的に松井清さんは一代目は祖父、二代目は母という三代目のキリスト信者。日本においてこういうケースは数少なくて貴重。●神は意外なところに意外な方法で種を落とし、意外な方法で芽を生えさせる。これは神の遠大なるご計画であって、人間の思いや願いではどうしようもないものを感じる。ロマ書10,11章のパウロの苦悩を思う。●松井家の信仰の系譜を知って、3人の子供を残して35歳の若さで召された清の母「操」の隠れた祈りの功績に深く思いを馳せた。そして、Ⅱテモ1:5のロイスとユニケのことを思い出した。


塚本訳 Ⅱテモ1:5
1:5 (本当に)私は(君の純な信仰、)最初に君のお祖母さんロイスに、次にお母さんユニケに宿った、そして私の確信するところでは(今)君にも宿っている君の偽らない信仰を思い起こすのだ。


●天国の「操」さんへ。「3人のお子様を残されて35歳の若さで召されたことはさぞ心残りであったでしょう。無念のことであったでしょう。しかしあなたの祈りは聴かれました。信仰は松井清家に継がれました。そして清さんは奈良に眠るあなたのもとに行きます。いや、神の懐に眠るあなたのところにまいります。操さん万歳!!」●神の国の種は全部が全部根づくものではない。伸びるのはわずかである。明治以来の松井家に落ちたキリスト教の種の成長という神による息の長い遠大なご計画というものを感じた。播いた種はどこでどのように育つかわからない。隔世遺伝的に芽が出ることもある。祖父松井栄次郎の信仰は孫の松井清に強く引き継がれた。


塚本訳  マコ 4:26-27
4:26 また言われた、「神の国はこんなものだ。──ある人が地に種を蒔き、
4:27 夜昼、寝起きしていると、種は芽生えて育ってゆくが、本人はその訳を(すら)知らない。


塚本訳  マコ 4:3-9
4:3 「聞け、種まく人が種まきに出かけた。
4:4 まく時に、あるものは道ばたに落ちた。鳥が来て食ってしまった。
4:5 またあるものは土の多くない岩地に落ちた。土が深くないため、すぐ芽を出したが、
4:6 日が出ると焼けて、(しっかりした)根がないので枯れてしまった。
4:7 またあるものは茨の(根が張っている)中に落ちた。茨が伸びてきて押えつけたので、みのらなかった。
4:8 またあるものは良い地に落ちた。伸びて育ってみのって、三十倍、六十倍、百倍の実がなった。」
4:9 そして「耳の聞える者は聞け」と言われた。


 


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故松井清告別式 2006.7.11 10:00 品川区臨海斎場


左から高橋照男、高橋トミ子、伊勢愛子。撮影は小寺利男。


 


 


 

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私はそんなお父さんに不満でした ++++++++ 所感

2006/07/10 06:00

060710(月)3時起床●W杯サッカー、イタリアがフランスに勝って優勝。イタリアの守備の固さ目立った。●フランスの名選手ジダンが頭突きの暴行で反則で退場させられたのは苦い印象。何かを言われたので腹に据えかねての頭突きをしたのだろう。同情。●優勝を逸したフランスの悔しそうな姿が写された。人生には悔しいことがしばしばあるものだ●スタジアムにはイタリアの作曲家ヴェルディの歌劇アイーダの「凱旋行進曲」が流された。選曲グッド。●イタリアのローマで殉教したパウロを思った。●我々の「凱旋」は召される時だ。そのときトランペットが鳴るのだ。死はは一人一人に必ず訪れることだ●W杯サッカー、ドイツ大会を見ての感想。人間には自国を愛するDNAが備わっているらしい。イエスも愛国者であった。


塚本訳  マタ 10:5-7
10:5 イエスはこの十二人に次のように命じて(伝道に)派遣された。──「(国を離れてはいけない。)異教人の所へ行くな、またサマリヤ人の町に入るな。
10:6 ただ、イスラエルの家のいなくなった羊(だけ)に行け。
10:7 行って、『天の国は近づいた』と説け。


塚本訳  マタ 15:24
15:24 イエスは答えられた、「わたしはイスラエルの家のいなくなった羊だけにしか、遣わされていない。」


●10:40聖路加国際病院脳神経外科で先週のMRIの結果診断。村形先生。「古傷があるが前と変化なし」。血圧は126-70で良好。余命の期間はなんとも言えないという●聖路加チャプレンの上田憲明氏と懇談。「人間関係は相対性原理」「人間関係もE=MC二乗である。EとMは変数であるが、Cは絶対的なものでそれは光、神の光」「神は始めに『光あれ』と言われた」「アインシュタインはユダヤ人であって、幼い時から創世記が頭に入っていた」「最先端の科学は5次元の解明」「神はどんな場合でも人を招こうとしている」など有益なお話を頂いた●18:00 故松井清前夜式。品川区の臨海斎場。簡素なよい式であった。初対面の方々、鈴木孝二(キリスト教独立学園校長)。松井進(松井清令弟)。キリスト教独立学園教諭の松井信人氏には三男の恵がお世話になったお礼●「別れの言葉」の一人、長女律子さんの「お父さん。私はそんなお父さんにとても不満で、一時期はなにも話をしなくなりましたね・・・・・」というところでポロポロと大粒の涙。真実あふれるその言葉に参列者も泣いた。●「死による和解」であった。松井さん万歳!!。神が働かれた。●7月7日の日記に書いたように葬儀における「代祷」も意義深いが、「死による和解」もそれに劣らぬ意義があると感じた。●塚本虎二先生は内村鑑三と「無教会主義」をめぐって確執があり、生前は不幸な別れ方をした。しかし内村鑑三の葬儀の時に塚本虎二先生は棺に取り縋って「先生!。天国でお会いします」と男泣きに泣かれたという。「無教会主義」が日本に植えられたのは、内村と塚本の確執による「別れの涙」によってであった。人間関係の「確執」「別れの涙」は決して無駄にはおわらない。●良いものは、「涙」によって播かれる。


口語訳 詩  126:5-6
126:5 涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。
126:6 種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。


新共同 詩  126:5-6
126:5 涙と共に種を蒔く人は/喜びの歌と共に刈り入れる。
126:6 種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は/束ねた穂を背負い/喜びの歌をうたいながら帰ってくる。


TEV 詩  126:5-6
126:5 Let those who wept as they planted their crops, /gather the harvest with joy!
126:6 Those who wept as they went out carrying the seed /will come back singing for joy, /as they bring in the harvest.


口語訳 Ⅰコリ15:58
15:58 だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。


新共同 Ⅰコリ15:58
15:58 わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。


塚本訳 Ⅰコリ15:58
15:58 だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ。骨折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから。


文語訳 Ⅰコリ15:58
15:58 然れば我が愛する兄弟よ、確くして搖くことなく、常に勵みて主の事を務めよ、汝等その勞の、主にありて空しからぬを知ればなり。


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故松井清前夜式 2006.7.10 18:00 品川区臨海斎場


左から高橋照男(司会者)、小寺利男(司式者)、小寺七重


 


 


 


 


 

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ダンテ「神曲」 ++++++++ 所感

2006/07/09 06:52

060709(日)5時起床、7時間の睡眠で頭スッキリ●朝風呂で日経「私の履歴書」はSF作家の小松左京。中学の時ダンテの「神曲」を読んで感銘。志賀直哉や島崎藤村にはピンと来なかった。話に雄大なスケールが欠けていて面白くなかった。と言う。しかしその「雄大なスケール」が「日本沈没」などという物理的崩壊の描写になるとはなさけない低級な発想だ。●私がダンテの「神曲」を読んだときの印象は「割きイカ」という感じ。噛めば噛むほど味が出てきたものだ。一語一句に深いものがある。「コリャ本物だ」という感じであった。●「ホンモノ」はジワジワと広がる。宣伝しなくとも歴史に残る。それを理解した人の無言の支えがあるから。名曲と同じ●集会は藤巻、高橋新一(太宰治の黄金伝説を聖書的に読む)、山本政則(使徒)●14日に癌の手術をされる大熊好子さんが三重県からお見えになられた。


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大熊好子さんが三重県から集会に来られる。2006.7.9 9:47 千駄ヶ谷野口英世会館。


左から高橋トミ子、大熊好子、高橋照男


大熊さんは14日に癌の手術をされる。


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14日に癌の手術をされる大熊好子さんが松阪市から集会に来られた。2006.7.9 12:10


左から大熊好子 高橋新一。大熊さんは新一の感話を聞いてくださった。


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14日に癌の手術をする大熊好子さんを囲んで昼食。 2006.7.9 12:30 


千駄ヶ谷駅前ユーハイム


左から高橋トミ子、宮崎トキ、小寺七重、山口喜代子、斉藤みち、大熊好子、杉崎孝(93歳)、


小寺利男、高橋照男


サッカーのPK戦のときのように、皆でスクラムを組んで見守るような気持ち。成功無事を祈る。


●私のときも私を愛してくれる少数の信仰の仲間にこうしてもらいたいものだ。そうすればたとえ手術が失敗しても本望だ。人間は誰でもいつかは死ぬのだ。親しい仲間がスクラムを組んで見守ってくれる中で死にたい●かって東京衛生病院で手術をしたとき、この病院は手術の前に医者と看護婦が祈るのだと聞いていたので、たとえ失敗しても本望だと思った●しかし世の中には「泣かれず惜しまれずやっかい者として死んでいく」淋しい人がいる。そういう人の友となりたい。否、そういう人は神にのみ励まされるのだ。イエスのゲッセマネの苦闘の祈りの時は弟子たちは眠っていたが、天使だけが励ました。●イエスのゲッセマネの祈りの、「お父様、出来ることなら、どうかこの杯がわたしの前を通りすぎますように。・・・」との祈りは「とうちゃんお願いだから勘弁してくれ」という意味である。このときイエスは父なる神からも捨てられたと自覚していたのだ。●イエスを見送る人は誰もいなかったのだ。


塚本訳  ルカ 22:39-44
22:39 それから(都を)出て、例のとおり、オリブ山へ行かれた。弟子たち(十一人)もついて行った。(もう真夜中すぎであった。)
22:40 いつもの場所につくと、彼らに言われた、「誘惑に陥らないように祈っていなさい。」
22:41 そして自分は石を投げれば届くほどの所に離れてゆき、ひざまずいて祈って
22:42 言われた、「お父様、お心ならば、どうかこの杯をわたしに差さないでください。しかし、わたしの願いでなく、お心が成りますように!」
22:43 そのとき天から一人の天使がイエスに現われて、力づけた。
22:44 イエスはもだえながら、死に物狂いに祈られた。汗が血のしたたるように(ポタポタ)地上に落ちた。


●今年3月にそのゲッセマネの園をおとずれたときの写真を2枚とその時の感想を再掲する。


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ゲッセマネの森のオリーブの老木 2006.3.26 オリブ山


この老木の祖先はあのイエスの苦闘の祈りの声と逮捕の場面を知っていたのだ。


塚本訳  マタ 26:36-46
26:36 ほどなくイエスは弟子たちと一しょに(オリブ山の麓の)ゲッセマネという地所に着くと、弟子たちに言われる、「わたしがあちらへ行って祈っている間、ここに坐って(待って)おれ。」
26:37 そしてペテロとゼベダイの子二人(だけ)を連れて(奥の方へ)ゆかれると、(急に)悲しみおののき始められた。
26:38 それから彼らに言われる、「『心がめいって』『死にたいくらいだ。』ここをはなれずに、わたしと一しょに目を覚ましていてくれ。」
26:39 そしてなお少し(奥に)進んでいって、俯けに倒れ、祈って言われた、「お父様、出来ることなら、どうかこの杯がわたしの前を通りすぎますように。しかし、わたしの願いどおりでなく、お心のとおりになればよいのです。」
26:40 やがて弟子たちの所に来て、彼らが眠っているのを見ると、ペテロに言われる、「あなた達、そんなに、たった一時間もわたしと一しょに目を覚ましておられないのか。
26:41 目を覚まして、誘惑に陥らないように祈っていなさい。心ははやっても、体が弱いのだから。」
26:42 また二度目に向こうへ行って、祈られた、「お父様、どうしてもわたしが飲まねば通りすぎない杯ならば、どうかお心のままになさってください。」
26:43 また来て見られると、彼らはまたもや眠っていた。(悲しみのために疲れて、)瞼が重かったのである。
26:44 イエスは彼らをのこして、もう一度向こうに行き、また同じ言葉で、三度目に祈られた。
26:45 それから弟子たちの所に来て、(また眠っているのを見ると)言われる、「もっと眠りたいのか。休みたいのか。そら、人の子が罪人どもの手に渡される時が近づいた。
26:46 立て。行こう。見よ、わたしを売る者が近づいてきた!」


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イエスがゲッセマネで血の滴るような汗を流して祈りをした岩 2006.3.26 オリブ山にある教会


ゲッセマネの苦闘の祈り。イエスはどたん場になって死におびえた。この岩を前にして米国人と思われる婦人が泣いておられた。マルコ14章36節の「アバ、お父様」と言う祈りは「とうちゃん勘弁してくれよ」というのがその真意である。このとき一番辛かったのはイエスより父なる神であった。人類を罪から救うためにご自分の独り子を見殺しにしなければならなかったからだ。


塚本訳  マコ 14:32-42
14:32 やがて(オリブ山の麓の)ゲッセマネと呼ばれる地所に着いた。イエスは弟子たちに言われる、「わたしの祈りがすむまで、ここに坐って(待って)おれ。」
14:33 そしてペテロとヤコブとヨハネ(だけ)を連れて(奥の方へ)ゆかれると、(急に)おびえ出し、おののきながら
14:34 彼らに言われる、「『心がめいって、』『死にたいぐらいだ。』ここをはなれずに、目を覚ましていてくれ。」
14:35 そしてなお少し(奥に)進んでいって、地にひれ伏し、出来ることなら、この時が自分の前を通りすぎるようにと祈って
14:36 言われた、「アバ、お父様、あなたはなんでもお出来になります。どうかこの杯をわたしに差さないでください。しかし、わたしの願いでなく、お心がなればよいのです。」
14:37 やがて来て、彼らが眠っているのを見ると、ペテロに言われる、「シモン、眠っているのか。たった一時間も目を覚ましておられないのか。
14:38 あなた達、目を覚まして、誘惑に陥らないように祈っていなさい。心ははやっても、体が弱いのだから。」
14:39 それからまた向こうへ行って、同じ言葉で祈り、
14:40 また来て見られると、彼らはまたもや眠っていた。(悲しみのために疲れて、)瞼が重かったのである。イエスになんと答えてよいかもわからなかった。
14:41 三度目に来て、(また眠っているのを見ると)言われる、「もっと眠りたいのか。休みたいのか。もうそのくらいでよかろう。時が来た。そら、人の子は罪人どもの手に渡されるのだ。
14:42 立て。行こう。見よ、わたしを売る者が近づいてきた!」


 






 

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ブログの効用 ++++++++ 所感

2006/07/08 10:53

060708(土)4時起床●朝風呂で日経「私の履歴書」はSF作家の小松左京。中学三年の時のあだ名は「うかれ」。お調子者だったから。この延長にあの「日本沈没」があったとは、ガッカリだ。真面目には読めない。●松井清さんの告別式のプログラム作成。●ブログの日記を読んでいて下さる方からよく速攻で応答として「聖書の言葉」を送って来られる。ものすごく励ましになる。ぶるぶると波長が合う。その内容と速さからして多分「ブログの効用」としては最高。「聖書の言葉」は人を立ち上がらせる不思議な力がある。●ブログにはいろいろな使い道があるだろうが、速攻で「聖書の言葉」で応答してくださることは最高。昔から夢見ていたことが実現しそうである。聖書の「和音」集の作成。●貧しさ故におこりうる悲しみの代表的なもの①病院に行けない。・・・・高等学校の時に通っていた教会の牧師に「神学校に行って聖書の勉強をしたい」と相談したら、「私の父は牧師であったが、お金がなくて結核を直せなかった。高橋君やめておけ」と言われた。その後無教会の塚本虎二先生に師事して無教会主義者になった。②学校にいけない。・・・・・塚本先生は「神学校で最高のところは結核の療養所である」と言われた。「貧しきものは幸い」というイエスの言葉は神学校でその真髄は学べない。実際に貧困に泣かないとその真理はわからない。イエスは学校を出てないので職業聖書学者達からバカにされた。


塚本訳 ヨハ 7:15-18
7:15 ユダヤ人は驚いて言った、「この人は学校に行ったこともないのに、どうして聖書を知っているのだろうか。」
7:16 イエスは答えて言われた、「わたしの教えはわたしの教えではない。わたしを遣わされた方の教えである。
7:17 その方の御心を行おうと決心する者には、わたしの教えが神から出たものか、それともわたしが自分で勝手に話しているかがわかるであろう。
7:18 自分で勝手に話す者は、自分の名誉を求める。(そしてその言うことが偽りである。)しかし自分を遣わされた方の言葉を語って、その方の名誉を求める者は、真実であり、(すこしも)偽りがない。


③お金がないと好きなことが出来ない、音楽が聴けない。コンサートに行けない。旅行ができない。好きなものが食べられない。・・・・何のこれしき。川の流れや風の音などが真の音楽だ。旅行は真の癒しにはならないとはヒルティの言葉だ。近くの散策が真の旅行だ。真の食事は「神の言葉」だ。


塚本訳 マタ 4:1-4
4:1 間もなくイエスは悪魔の誘惑にあうため、御霊につれられて荒野に上られた。
4:2 四十日四十夜断食をされると、ついに空腹を覚えられた。
4:3 すると誘惑する者[悪魔]が進み寄って言った、「神の子なら、(そんなにひもじい思いをせずとも、)そこらの石ころに、パンになれと命令したらどうです。」
4:4 しかし答えられた「『パンがなくとも人は生きられる。(もしなければ、)神はそのお口から出る言葉のひとつびとつで(パンを造って、)人を生かしてくださる』と(聖書に)書いてある。」


塚本訳  ヨハ 4:31-34
4:31 その間に弟子たちが、「先生、お食事を」と催促すると、
4:32 言われた、「わたしにはあなた達の知らない食べ物がある。」
4:33 すると弟子たちが互に言った、「だれも食べる物を持ってくるはずはないのに。」
4:34 イエスが言われる、「わたしの食べ物は、わたしを遣わされた方の御心を行い、(任せられた)お仕事を成しとげることだ。


④子供の願いをかなえてやれない。・・・・・・私の父は結核のため病弱であり、子供たちに進学の夢をかなえてあげられなかったことを一生悔やんでいた。そのことをたびたび口にするので、私はあるとき言った「いいよいいよ。そのおかげで『貧しきものは幸いなり』という意味がわかったのだから」と言って父を慰めた。もし神学校にでも行って説教壇にでも立つような身分になったら、真に貧しい人の心はわからなかったであろう。●人を学歴や出身校で判定するような人は目がない。そういう単純な判定方法きり持ち合わせていない人間は非常に低級な人間である。官公庁や企業がそうであるから、学歴社会の悪い習慣がなくならない。●連日暗いニュースばかり。親子殺しや家庭内暴力は、日本人総体の学歴偏重のバカで低級な人生観が原因。人に仕えることが幸福ではなく、人の上に立つこと、人を支配すること、偉くなること。「身を立て名を上げる」ことが幸福であるという低級な人生観が原因。そこに真の喜びはない。●14:00妻と町田の武集会に出席。「聖書の奇蹟」。合理性と非合理性について、森有正のこと。カトリックの立場、無教会の立場。私はオットーの「聖なるもの」(ヌミノーゼ)を引用して、神に対する畏れがないところに信仰は生れないことを感想として述べた。プロテスタント教会も現代の無教会も集会の始まる前に私語が多いことは神に対する畏れのないことの表われだとも話した


 


 


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告別式の意味 ++++++++ 所感

2006/07/07 05:32

060707(金)4時半起床●朝風呂で日経「私の履歴書」はSF作家の小松左京。戦後の食糧難、教科書に炭を塗られる。敗戦の苦い体験がこの世代の精神を形成する。戦争トラウマ。それが処女作「地には平和を」を生んだ。何だこれは聖書の言葉ではないか。内容はどういうものだろう。人間は「ショック」を受けると真面目になるのか。


文語訳  マタ 6:10
6:10 御國の來らんことを。御意の天のごとく地にも行はれん事を。


文語訳  ルカ 2:14
2:14 『いと高き處には榮光、神にあれ。地には平和、主の悦び給ふ人にあれ』


塚本訳 ルカ 2:14
2:14 いと高き所にては神に栄光、地上にては(いまや)平安、御心にかなう人々にあり!


故松井清氏葬儀の式次第プログラム作成。いずれ、自分のものも作っておくか。●故人略歴というのは各自が生前に作成しておくべきである。葬儀の前は忙しいので家族に迷惑をかけてはいけない●無教会と儀式の関係。儀式は救いの要素ではないが、この世に生きている間は儀式はケジメとして大切。結婚式、告別式。これをぞんざいにする人間はそもそも神と人とに対する真面目な姿勢が欠けている。儀式は「告知」と「社会的固め」。この世を真面目に生きていないと人生の儀式をぞんざいにする●といってカトリック教会のいう、「秘蹟」の儀式に救いの意味があると信じるのではない。儀式に呪術的意味ががあると信じるところにそれを司る職業宗教家が誕生する。ノー。●某氏(故人)は熱心なガリガリの無教会者であった。最近、その一人息子さんがご病気になられて臨終を迎えられた時、その息子さんの夫人はカトリックであったために(多分あわてて)教会の「司祭」を呼ばれた。司祭は本人の信仰の有無、信仰告白の有無を確かめることなく急に、突然に「洗礼」を授けた。これを「終油の秘蹟」という。カトリックではこれで彼に救いがあったとする。ご立派。これが「使徒」の権威だという。ノー。救いの権威と救いの確かさは神のところにのみある。これが無教会の立場●プロテスタント教会の牧師は「本人の信仰の有無」を確かめて「洗礼」を授けるが、牧師も人間、判定に誤りもある。現に受洗者の三分の一は「卒業」と称して教会を去る●では無教会の告別式はどうあるべきか。故人に代わって、神と参列者に向かって故人が生前に犯した知る知らざるとの「罪」を代りに謝るのである。謝ったから救われるわけではないが、神に救いを願うのである。代祷である●かって中沢洽樹先生から「本日の告別式は故人の徳を誉めることに終始しただけで代祷の要素がなかった」ときついお叱りを受けたことがある●無教会の一番の課題は祖先の供養をどうするかである。これがしっかり出来ないと供養を重んじる日本人には馴染まない。そして土着しない●かってのこと。無教会の某さんのご母堂が亡くなられたとき、ご依頼で告別式をお引き受けした。すると信者でないご家族の間から、「高橋のような宗教の素人に式を司ってもらっては母は行くところに行けない。お金(お布施?)をたくさん払ってでも本格的な職業宗教家に頼め」というような反対意見が出たという。しかし終わってみれば、話が「分かりやすかった」と感謝された●職業宗教家の読経や儀式は内容がわからないところにありがたさを感じるのだ。なにもわからないところにありがたさを感じる民衆が日本に多いから葬式仏教やキリスト教でも職業宗教家という職能が生れるのだ。仏教の読経は30分。時計を見ていれば我慢できる。親指を重ねていればしびれも少しは和らぐ●キリスト教の儀式に呪術的な意味はない。あると主張する教会があるから、無教会はノーというのだ。救いは神の主権にのみあって、人間が行う儀式にはない。イエスの戦いはそこにあった。人間の側の信仰や悔い改めにも救いはない。教会に通うことも、所属することも、洗礼や聖餐を受けても救われない。●人は教会に行けば救われるのではなく、神によって救われた者が結果的にエクレシアを形成するのである。これが無教会主義。●それは逆転現象になるから不思議。聖日厳守は無教会が熱心。聖書の教師を尊敬するのは無教会。私の知る限り、教会の牧師は常に教会員の「不満、攻撃」にさらされていて気が休まらない。教会員に尊敬されていないこと「はなはだしい」。プロテスタント教会は牧師が世事に疎いことをよいことに「この世的金銭勘定に得意な長老達」に「支配され」てあげくの果ては牧師が「追放」もされる。そういう悪い長老達はエクレシアから叩き出せ!。弱い牧師のために激白しておく。●橋本次長から研究方針の相談。JBCIがジワジワと根を張っていくのを見るのは喜悦である。●挺身したこと。50歳代の前半はコストスクールの立ち上げ、後半はJBCI、60歳台の前半はBbB。いずれも育ったことは感謝。私の力ではなかった。神の企画発想であった。


塚本訳  マタ 15:12-13
15:12 あとで弟子たちが来てイエスに言う、「パリサイ人がお話を聞いて腹を立てたことを御存じですか。」
15:13 イエスは答えられた、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜かれる。


集団の中では「出る釘は打たれる」が、打たれて引っ込むような企画は出ないほうがよかったもの。本物であれば引っ込まない。市場原理が盛り立てる。●集団の中では「出る釘は打て」ではなく「出る釘は抜け」ということになるがそれは「妬み」。しかしマタイ15:13のように神が植えたもんもであったら抜かれない。●発想や企画が「人間的発想」「人間的思い」「この世的な考え」であるら「抜かれて」も仕方がない


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帰途、七夕の飾り。この家には子供がいるのだろう。2006.7.7 18:56 あきる野市


「七夕」の歌(ささのはさらさら)は浦和市立仲本小学校の時に、鶴岡鈴枝先生に習った。


先生はもういない。


 


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家の灯りを見て家路。帰宅はいつも19:00 夕食が待っている。20076.7.7 18:59  


こういう感謝のこともあと何年のことか。




 

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松井清さん凱旋万歳 ++++++++ 所感

2006/07/06 11:26

060706(木)4時起床●朝風呂で日経「私の履歴書」はSF作家の小松左京。敗戦の体験。世を「ちゃかす」人間はどうも好きになれない。全然面白くない。小松氏を見直した●それよりも女優の吉本多香美さんの記事のほうがよかった。「自分を見つめるためには、自分に意見をしてくれる人を大切に」。「自分の見たくない部分を言ってくれる人と出会ったら、避けないでいろいろと聴くこと。そうすれば自分のことをきちんと考えることができる」。という。・・・この女優、親がすばらしかたのだろう。この父にしてこの子ありだ。●子供の悪い素行は親の顔に泥を塗る●W杯サッカー準決勝、フランス対ポルトガル。フランスの勝利。ポルトガルのことを地図で調べる。小国だが頑張った。物理的に小国でも文化は深い。日本は大なる影響を受けた●小寺さんから電話。今朝0時05分、集会の松井清氏が召されたという。病床に臥せってから早かった。あっという間であった。本日午後告別式の打ち合わせ。10日前夜式18:00、11日告別式10:00に決定。場所は臨海斎場(大田区)●15:00小寺利男さんと品川の松井家に伺い告別式の打ち合わせ。無教会はゴタゴタもめずに内容がすぐ決まるからありがたい。2時間で総て決定。●松井清さんは平安なお顔であった。遺言が事細かに書いてあった。


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故松井清さんの告別式打ち合わせ 2006.7.6 18:00 品川の松井家


左から高橋照男 小寺利男 松井清夫人 長男松井勝 長女松井律子


●松井清さん77歳、肝臓ガン。6月9日、東邦医大にご入院して一ヶ月で召天、早かった。入院時に癌と宣告され、家族には1~2ヶ月の命と告げられたという。病院側としては本人に「治療しなければ数ヶ月の命」という言い方にしたと言う。本人は信仰の故に「心の整理がついていた」ようである。祖父から三代のクリスチャン。平安なお顔であった。●ご遺体を前にして小寺さんと私が祈る。夫人と御長女の律子さんが「お父さん嬉しいね。よかったね」とご遺体に呼びかけて泣かれた。律子さんは松井さんに随分可愛がられていた御様子であった。●ご遺体を囲んで故人愛唱の讃美歌39番「日くれてよもはくらく」を歌った。松井さんがこころなしか微笑んでいるように思えた。松井さん万歳!!。凱旋です。●「また会う日まで」、しばしの間、さようなら


讃美歌39番


1. 日 くれて 四方(よも )は くらく

   わが たま は いと さびし,

   よるべ なき 身 の たよる

 主よ, とも に 宿り ませ.

 

2. 人生(いのち) の くれ ちかづき

   世 の いろか うつり ゆく,

   とこしえ に かわらざる

   主 よ, とも に 宿り ませ.

 

3. 世の 闇 おしせまりて

   いざない の 声 しげし,

   時 の ま も 去り まさ で

   主 よ, とも に 宿り ませ.

 

4. 死の 針 いずこ に ある,

   主 の ちかく ましまさば,

   われ 勝ちて あまり あらん,

   主 よ, とも に 宿り ませ.

 

5. 十字架 の くしき ひかり

   閉ずる 目に あおがしめ,

   みさかえ に さむる まで

   主 よ, とも に 宿り ませ.



 

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報復するな ++++++++ 所感

2006/07/05 07:18

060705(水)4時起床●朝風呂で日経「私の履歴書」はSF作家の小松左京。幼い頃から「ちゃかす」癖があった。三つ子の魂百まで。彼のSF作品も世を「ちゃかす」ためにあったのかとわかってがっかり。「ちゃかす」心は神と人への反抗。悪への抵抗でも警世でもなんでもない。真面目でない●Wサーッカー、ドイツ対イタリア観戦中に「北朝鮮がミサイル3発発射」のニュース。金正日首相の国際感覚のなさは彼の家庭の躾に問題があったのだ。●「北朝鮮がミサイル3発発射」にムッとなったが、心にマテマテという思いが湧いて「聖書」を読む。


塚本訳 ロマ 12:19
12:19 愛する者たちよ、自分で仕返しをするな、(裁きの日の神の)怒りにまかせよ。こう書いてあるではないか、「主は言われる、『仕返しはわたしのもの、』わたしが『報いをする』と。」


塚本訳 ヘブ 10:30
10:30 わたし達はこう言われた方を知っているからである。『仕返しはわたしのもの、』わたしが、『報いをする』、さらに『主はその民を罰される』と。


口語訳 申  32:35
32:35 彼らの足がすべるとき、/わたしはあだを返し、報いをするであろう。彼らの災の日は近く、/彼らの破滅は、/すみやかに来るであろう。


塚本訳Ⅰテサ5:15
5:15 誰も悪で悪に仕返しせぬように注意し、互いに、また何人にも、常に親切であるように努めよ。


塚本訳  Ⅱテサ1:8-9
1:8 (その時)主は『神を知ろうとせぬ(異教の)者』と、私達の主イエスの福音に『従順でない者に仕返しをし給う』ので、
1:9 これらの人達は罰を受けて『主の御顔とその御力の栄光とから』永遠に滅び失せる──


口語訳 詩  94:1
94:1 あだを報いられる神、主よ、あだを報いられる神よ、光を放ってください。


塚本訳Ⅰテサ4:5-6
4:5 (決して)『神を知らぬ異教人』のように情慾をもって(これに対)してはならぬこと、
4:6 兄弟の権利を侵し、取り引きにおいて利を貪らぬことである。凡てこれらのことに対し、『主が仕返しをし給うお方』であることは、前に君達に言いまた証した通りだから。


塚本訳 Ⅱテモ4:14
4:14 鍛冶屋のアレキサンデルが悪い事を沢山私にした。『主はその仕業に応じて』彼に『報い給うであろう』。


●こういうとき政府はすぐアメリカの動向を気にする。しかし米国は3発の着弾が日本海なのであまり真剣には考えない。日本とは温度差がある。それよりも、米国にとっては米国の独立記念日の合わせたのであるとの被害意識をもつ。日本と米国の受け止め方に違いがある。 ●自らがミサイルを持っている米国に頼る日本は国際的に信用されない。米国の奴隷、真の独立国ではない●米国はいざとなると日本を捨てる。日米安保条約などは状況によっては履行されない。日本は米国の軍事的保護を期待していてはならない●といって自衛隊の増強をするのではいけない●防衛論争を生まれつきの理性レベルでやるからきりがない。●クリスチャンの防衛論争は生まれつきの理性とはかみ合わないし、理解されない。「祈り」は効き目がないという。祈りなどは他力本願だから卑怯だという。手をこまねいて何もしないのはよくないという。などなど、神を信じない人間とは「話が合わない」のだ。人生観が違う。


 口語訳 詩  20:6-7
20:6 今わたしは知る、主はその油そそがれた者を助けられることを。主はその右の手による大いなる勝利をもって/その聖なる天から彼に答えられるであろう。
20:7 ある者は戦車を誇り、ある者は馬を誇る。しかしわれらは、われらの神、主のみ名を誇る。


TEV 詩  20:6-8
20:6 Now I know that the Lord gives victory to his chosen king; /he answers him from his holy heaven /and by his power gives him great victories.
20:7 Some trust in their war chariots /and others in their horses, /but we trust in the power of the Lord our God.
20:8 Such people will stumble and fall, /but we will rise and stand firm.


●軍事で立つ者は軍事で滅びる


塚本訳  マタ 26:51-52
26:51 すると、見よ、イエスと一しょにいた一人の人が手をのばして剣を抜き、大祭司の下男に切りかかって片耳をそぎ落してしまった。
26:52 その時イエスが言われる、「剣を鞘におさめよ。剣による者は皆、剣によって滅びる


TEV マタ 26:51-52
26:51 One of those who were with Jesus drew his sword and struck at the High Priest's slave, cutting off his ear.
26:52 "Put your sword back in its place," Jesus said to him. "All who take the sword will die by the sword.


●政府が「安全保障会議」を開催中の7:30に5発目のミサイルが発射された。こういうとき「無抵抗主義」の姿勢は人間の復讐本能には理解されない。だから信仰抜きの平和運動は徒労、無意味。神を信じない人間には絶対に分からない。分かってもヒューマニズムの思想レベルで「共観」するだけのこと。「相手のために死ぬ」というところまではいかない。


塚本訳  マタ 5:38-39
5:38 あなた達は(昔の人がモーセから、)『目には目、歯には歯』──(人の目をつぶした者は自分の目で、人の歯を折った者は自分の歯で、つぐなわなければならない)と命じられたことを聞いたであろう。
5:39 しかしわたしはあなた達に言う、悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打ったら、左をも向けよ。


TEV マタ 5:38-39
5:38 "You have heard that it was said, "An eye for an eye, and a tooth for a tooth.'
5:39 But now I tell you: do not take revenge on someone who wrongs you. If anyone slaps you on the right cheek, let him slap your left cheek too.


●図書館で借りたCD、ベートーベン「運命」、1947年5月。フルトヴェングラーのベルリン・カムバックコンサートのライブ録音、「運命」演奏の古今最高の伝説的ライブ録音。戦争で痛めつけられたベルリン市民は瓦礫の下で亡命していたフルトヴェングラーの帰還を待望していた。熱狂したベルリンの聴衆は会場を去らなかったという。ナルホド、聴いてゾクッと来て思わず涙が出た。ベートーヴェンが聴いていたら立ち上がって拍手したであろう。この1947年版「運命」は超有名でネットでの解説の一例は下記のとおり。


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『運命』は1947年5月27日のライヴ録音(モノラル)。
 実演におけるフルトヴェングラー&ベルリン・フィルがいかに凄いものだったか知らしめてくれるこの『運命』、ものものしく開始される第1楽章での激変するテンポや、第4楽章を導くブリッジ部分の壮絶さなど、異様なまでに劇的なアプローチが味わえる驚くべき演奏となっています。
 これまでずっとティタニア・パラスト(映画館)でのライヴ録音とされていたこの1947年5月27日盤ですが(商品にもそう書かれてしまっていますが...)、実際には、ベルリン英国占領区ソ連放送局スタジオでの演奏であることが最近の調査で判明しています。


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 ●昨年のドイツ旅行ではゲルマン魂のすさまじさを知った。その時の写真を再掲する。




コンツェルトハウスベルリン 2005.7.5 ベルリン 昨年のドイツ旅行
第二次世界大戦の時、この名建築がソ連軍に破壊されるのを嫌ってドイツ人自身の
手で爆破された。しかし戦後突貫工事で再建したもの。ドイツ魂躍如。シンケルの設計。


●トミ子は婦人の聖書勉強会のあと練馬区の守の家を訪問。穂澄さんと孫の「和歌」に会う。

和歌は立てるようになったという。早いなー。

 


 


 


 


 



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何もかも空しく感じる時 ++++++++ 所感

2006/07/04 07:02

060704(火)5時起床、7時間睡眠で頭すっきりで元気回復。疲労というのは「頭」の疲労●朝風呂で日経「私の履歴書」はSF作家の小松左京。軍事教練で殴られたことのある戦争トラウマの世代。戦時中のことを書こうとすると筆が進まないという。時代や家庭の環境は人間の精神を形作る。思想を造る。しかしそれは万人に共通のことではない●昨日のこと。私がキリシタンであることを知っている人が「自分は不確実なことは信じません」と私にあてつけに言った。これ日本における平均的教養人の世界観。これでは真の幸福には到達できない。こういう人生観では「なにもかも空しく感じる」時が絶対に訪れるのだ。人生はそういうことになっているのだ。その代表的文学作品はゲーテの「ファウスト」。こういう場合「あらぬ刺激」を求めて人間は行動する。金、蓄財、経済的安定、地位、収入や給料のアップ、有名になること、異性、ディレッタンティズムの趣味、サロン、酒宴、スポーツ、ダンス、●ライプチッヒにはゲーテが出入りした「酒場」があった。ああいうことをしていたゲーテは決して幸福ではなかったのだ●ゲーテが宰相をしたワイマールではゲーテの恋人とされた10人以上の女性の姿を描いた画があったあった。そういうことをしてもゲーテの心は満たされなかった。(はずだ)。もし私がそういうことをしたら家内に「イヤな顔」をされて怖い。家内というのはオッカナイのだ●ゲーテはその臨終のとき、「もっと光を」と叫んだ。だからゲーテのような生き方に追従する人間は決して真の幸福には至らないとヒルティは言う●もしヒルティが今あらわれたら多分つぎのように言うに違いない。「モーツァルトを聴いても癒されない!!」と。





アウアーバッハスケラー 2005.7.3 ライプチッヒ  昨年のドイツ旅行

ファウスト博士と悪魔メフィストフェレスの像。
ライプチッヒ大学に通っていたゲーテがよく通った酒場(地下)への入り口

酒場を外から覗いたが、そこは「薄暗かった」。




ゲーテの家。シラーの家から歩いて5分ぐらい。2005.6.30 ワイマール   昨年のドイツ旅行
ゲーテはこの町に40年住んで死ぬ。最後の「もっと光を」と言ったのはこの家。

こういう家のデザインでは人生の喜びが湧かない。意外につまらないデザイン。生きる喜びが湧かないデザイン。





●ではゲーテとは反対の生涯、「光、喜び、生きがい、生命、」の道はあるか。ある!。実在する。その一例が次の讃美歌である。作詞者はメアリー・アーテミジャ・ラスベリーという普通の米国夫人。こういう人生は「空しくない」。ゲーテのように人間に知られるほどの有名人ではないが、神にのみ知られた幸福な人生。理想的な人生




讃美歌187番



1. 主 よ, いのち の ことば を

   あたえ たまえ, わが 身 に.

   われ わ もとむ, ひたすら

   主より たまう みかて お.

 

2. ガリラヤにて みかて を

   わけ たまいし わが 主 よ,

   いまも, 活(い)ける ことば を

   あたえ たまえ ゆたか に.




●「なにもかも空しく感じる」大人が子供に望みを託すことに「生きがい」を求めるから「教育鬼パパや教育鬼ママ」が生れる。わたしはそういう人を知っている。すでに故人になった。空しい人生だったなー。子供にとってはいい迷惑。こういう場合、親は子供というスケート靴を履いて自分の欲望に向かって人生を滑走するようなものだ。子供は親のエゴに潰されて泣いている。


●今朝の説教(!!??)はこれまで。私としてもこんなことばかりをやっちゃいられない。人は人間の「説教や注意で」は目覚めない。信じない人はどんな不幸や苦難に会っても悔い改めない、注意を受けても目覚めない。神の恩恵の不思議な働きに期待する。「時」がくれば「神による救い」は実現する。「時」だ「時」がこないうちは人間がヤキモキして怒っても何の効果もない。神は「ご自分がおつくりになった人間」を絶対に見逃さないで見捨てないで救う。人間以上の「術」で。●世間や教会や家族が愛想をつかして捨てた人でも神は救う。

●ヒルティは家庭や職場は「愛の学校」だと言った。ほんの些細なことで神の愛の実行が求められる。家庭や職場や集会は修道院と同じ。心を清める修業の場。その実例の数々・・・・・・・●「○○さん。コレコレをやっておいてください」と言われたとき。たとえやってあっても「さっきやりました」と言ってはいけない。(塚本虎二)。「さっき」がいけない。「はい、できています」でよい。勝気の答はいけない。●待ち合わせで相手が遅れて来たときは「わたしも今さっき来たばかりです」と言う。嘘ではない。長い時間でも「ほんの前」なのだ。●招待状などの返事はすぐに出す。請求書がきたらすぐ支払う。お金が必要のようだなー感じたら言われない前に気をきかして出す。そういう場合は少し多めに出せとはヒルテイ、藤林先生のほかに前の職場である連合設計社市谷建築事務所の所長から教えられた。下請けを金でいじめると決してついてこなくなるとは若き日の職場である島藤建設の田口建築部長(私を建築コストの道に引き入れた方)の指導。盆暮れなどに品物を頂いたらすぐその日のうちに礼状を自分で書く。(これは藤林先生の習慣。先生は98歳になられてもご自分でご返事を下さる)。●よその家に客になって帰るとき、夫人が靴べらを出してくれたら、「持ってます」と言わないで、自分の靴べらを引っ込めて出されたものを使う(塚本虎二)。塚本先生があるご夫人に「カバンが重そうだから持ってあげよう」と言ったら、その夫人は「結構です。自分で持てます」と言った。すると塚本先生は「ワカッチャいないんだなー」と言われたという。こういうときは親切を頂くこと。「いいえ自分で持ちます」とは言わない。これが福音の受容につながること。先輩が何かを教えてくれる時は「知っています」とは言わないで一応聞く。少しは新しいことが学べるので途中で「そこのところがイマイチ分からないのです」と言えばよい。●上司に仕事を頼まれたら自分の仕事で忙しくても「何とかやりくりして」割り込ませる努力を示す。「今忙しくてできません」と断ったあの部下とはあれ以来話をする気がしなくなった。アイツを要職につけてはいけない。●お客さんが来られたたときの食卓では、お客さんの茶碗にご飯があと一口残っているときに夫人は「お変わりをどうぞ」と手をさしだす。お客様に「お変わり下さい」と言わせない(これは亡くなった母から教えられたこと)。●相手が知らなそうな話題を出して煙に巻くことはしない(私の知人で留学経験のある人は決して日本語に英単語を混ぜて話さない)。同年輩の人が病気の時はその家族に「お見舞いをするのはいささか憚る」と気を使ったのは藤林先生。●以上何事も正直の上に「バカ」がつく言動は慎まなければならない・・・・・こういうささいなことの積み上げがその人の人格を形成し、家庭関係、企業関係、国家関係にまで影響を及ぼす。だから家庭での母親の躾や教育は大切・・・・・・・・●日本人は「センスのある「座談」が下手。大抵は自慢の応酬、見栄の張り合い。だから建徳的ではない。そういう人とは付き合わないほうがよい。心が荒れる。●奈良県の母と弟妹の三人殺事件。あの高校生は父に恨みがあった。殺された母は継母。実母は父親と離婚した。恨みは深い。しかしここで人情的に甘く考えてはその少年を救えない。自己の深い罪を十字架で赦されて初めて「憎い父親」を赦せる。また残された父親も同じ。自己の罪に目覚めて十字架で赦されて初めて息子を赦せる●殺人犯の少年は「仏教書」を差し入れて欲しいといっているそうだが、仏教には「罪の赦し」がない。その少年は救いを求めて求めてついに十字架の贖罪の福音に行き着くことを祈る。彼に福音を届ける者は誰かいないか。●過日、「高橋さんの家は奥さんはいいんだが、旦那はどうもなー」と言った人があったという。クソッ!。イイヤイイヤ私だってその昔、「父さんはいいんだけど、母さんがドーモナー」と言われたこともあったのだ。 そういう時もあったのだ。夫婦は一体、常にどちらか片方が良ければ「よし」としなければならない。これが結婚制度のよいところだ。結婚制度は神の工夫だ。あの家は二人ともすばらしいなーと言われる家はまれだ。教訓。アノ家は夫婦そろってダメだなーと言われないようにしなければならない。●しかしダメだとかイイというのは人間レベルでの「相性が合う合わない」の問題に帰するから大したことではない。神にさえ「ダメだなー」と言われないないようにしたい。●あんな水準の低い目のない人間なんかに誉められて評価されるようでは大た者ではない。人に嫌われるのは辛いことだが神にのみ評価されればそれで「良し」としよう。●神の評価は人の目にはに隠れる。神に「

よし」とされ、同時に人からも「良し」とされるのは無理。




塚本訳 ルカ 16:15
16:15 そこで彼らに言われた、「あなた達は人の前では信心深そうな顔をしているが、神はあなた達の心を見抜いておられる。人の中で尊ばれるものは、神の前では嫌われるものである。


塚本訳 ヨハ 5:39-41
5:39 あなた達は聖書(旧約)をもっていることが永遠の命を持っていることのように思って、それを研究している。ところがこの聖書は、(永遠の命である)このわたしのことを証明しているのに、
5:40 あなた達はその命を得るためわたしの所に来ようとしない。
5:41 (こう言うのは、自分を認めてもらいたいからではない。)わたしは人間の名誉などほしくない。



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慰めよ我が民を慰めよ ++++++++ 所感

2006/07/03 08:11

060703(月)「慰めよ、我が民を慰めよ」のささやきで跳ね起きる。5時起床。


口語訳 イザ 40:1-2
40:1 あなたがたの神は言われる、「慰めよ、わが民を慰めよ、
40:2 ねんごろにエルサレムに語り、これに呼ばわれ、その服役の期は終り、そのとがはすでにゆるされ、そのもろもろの罪のために二倍の刑罰を/主の手から受けた」。


●愛する対象がないと仕事は空しい。生きることも空しい。生きがいの喪失は愛する人の喪失●朝風呂で日経「私の履歴書」はSF作家の小松左京。幼年時代のこと。この人の文章は作家だけあってか読みやすい●世の中には「文章をかけない人」「書いても意味が通らないものを書く人」がいる●建築家の文章はわかりにくいということは定説。なぜだろう。商売の空間認識は右脳だが文章作成は左脳なので、訓練が不足のためか●建築家のバイブルとされる古代ローマの「ウィトルウィウスの建築書」によれば建築家は歴史を知り文章が書けなければならないという。なぜなら「設計の内容を人に説明できなければならない」からだという。●10:40聖路加国際病院で、脳のMRI検査。磁気共鳴装置。●病院入り口の焼き芋屋の鈴木さんのところで弁当。「孫はカワイイダロ―」と言われた。●5階、ヴィオリストの和田氏と音楽談義、顧問の関口氏と懇談、橋本次長と懇談●小寺さんから松井清さんを病院に見舞った報告を受ける。●今日はなぜかひどくくたびれた

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死の悲しみを克服する三位一体 ++++++++ 所感

2006/07/02 07:39

060702(日)5時起床●NHK3CH「心の時代」は「砂漠からの声」、青山学院短女子短大講師の野村裕之。母がクリスチャン、父はヤソ嫌い。イエール大学神学部でヘンリーナウエンに出会い、「砂漠の霊性」を学び、これなら父もキリスト教を受け入れただろうと思ったという。三位一体が頭だけになっていることの反省。●砂漠に引きこもって修業する修道僧の研究。その内容を日本の墨絵で表現●東京は人間関係の砂漠かもしれない。各人がイヤホーンで音楽を聴いているのは砂漠の修道僧のように内面に閉じこもっているのではないだろうか●グノーシスが消え去ったのは、三位一体を否定するから。しかし死の悲しみを克服するのは三位一体の信仰●グノーシスがまずいことのヒントを先日の父の日の息子との電話対話で閃く。息子「父の日おめでとうございます。品物を贈りました」。私「まだ届いていない。物はいらない。言葉と心だけで十分。そのほうがかえってよい」。息子「それでは困る。ちゃんと物を送ったのだから。受け取ってください」。翌日その」品物が届く●イエスの歴史的事実は神の物理的贈り物、実印、それも血判。具体的な痛み。それを否定するグノーシスは神の痛みと贈り物を否定するからいけない。神の親切を無にする思想●W杯サッカー、ブラジルがフランスに敗れる。イングランドのベッカムは怪我で退場、ポルトガルに敗れる。意外なことが起こるものだ。人生の縮図●朝風呂で日経「私の履歴書」はSF作家の小松左京。尼崎カトリックの「白百合幼稚園」では色白で藤色の着物に濃紫の袴をはいて、緑の黒髪を肩まで垂らし、おまけに声まできれいな若くて美しい先生に惚れた。しかし引越しして夙川の「白蓮幼稚園」は真言宗系で、「園長先生は金歯を光らせた、皺々の、おっかないおばあさん。私はたちまち登園拒否になった。」という。ここまで書けば知っている人はその名前が分かるが、そこは作家、スレスレに書いてしかも訴えられないようにしている。物書きはこれぐらいの技術がなければダメだ●私の「ブログ日記」を読んで、「何だこれは俺のことを批判しているのだ」と感じる人がいたら、それはラッキーパンチというもの。しかし大体において見当違いの人が怒るから意外である。怒ることによって。「それは私だ」と自らを名乗り出ていることになる。●集会は大山秀夫、小寺利男、高橋照男(本物を感じとることができる人、「ユダの福音書」について。・・・・HPの使徒伝承の項目にアップ)●昼食は杉崎、小寺、高橋●妻は「クリスマスオラトリオ」の練習


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雉(きじ)。 写真中央。2006.7.2 あきる野市


図書館にCDを借りに行く途中。雉はすぐ逃げるので写しにくいが今日は写せた。


雉は「ケーン、ケーン」と鳴く。雉丼というからその肉は美味しいのだろう。


●21:00 N響アワー「さようなら岩城宏之」。を見る




 


 

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