to 日記と感想 2006年08月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171030(月)10:00 聖路加 桑本先生
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170824(木)12:10キララホールエントランスコンサート、マリンバ
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170813(日)10:30ナザレン教会浦和教会
    170813(日)14:00比企紀和君
    170812(土)14:00お江戸こらりあーず演奏会、文京シビックホール
    170809     TW誕生日
    170809(水)17:16初音吹奏楽、府中の森芸術劇場ドリームホール
    170808(火)0930池谷医院
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170708(土)14:00在宅医療説明会(キララホール)
    170707(金)10:00池谷医院
    170706      TM誕生日
    170702(日) 集会感話
    170701      TT誕生日
    170630(金)12:20キララホールエントランスコンサート
    170628      IY誕生日
    170627(火)11:00 能城牧師来訪
    170625)日)10:10トミ子集会感話
    170625(日)14:00茅ヶ崎金子邸
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール


思わざる人を殺して ++++++++ 所感

2006/08/31 17:56

060831(木)5時半起床●朝風呂で日経「私の履歴書」は遠州茶道宗家の小堀宗慶。最終回。茶道の本質を次のように言う。・・・・「お茶の一番の元は人の寄り合い。親しいもの同士が寄り合い、おしゃべりをするだけでなく、お茶を一服のむようになった。さらにお茶をのむにも作法やマナーが必要ではないかよいうことになった。そうして次第に茶の湯の形が整っていったのである」・・・さすが大家の説明はわかりやすい。●茶の湯の根本は人の寄り合いだということを読んで聖書の次の個所を思い出した。


塚本訳 マタ 18:19-20
18:19 なお、アーメン、わたしは言う、何事によらず、もしあなた達のうちの二人が心を一つにして地上で祈るならば、わたしの天の父上は(きっとその願いを)かなえてくださるだろう。
18:20 二人、三人、わたしの名によって集まっている所には、わたしがいつもその真中にいるのだから。」


TEV マタ 18:19-20
18:19 "And I tell you more: whenever two of you on earth agree about anything you pray for, it will be done for you by my Father in heaven.
18:20 For where two or three come together in my name, I am there with them."


●これをTSK日本語ヴァージョンで引照調査する


John 20:19:
その日、すなわち、一週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、「安かれ」と言われた。


John 20:26:
八日ののち、イエスの弟子たちはまた家の内におり、トマスも一緒にいた。戸はみな閉ざされていたが、イエスがはいってこられ、中に立って「安かれ」と言われた。


I Corinthians 5:4:
すなわち、主イエスの名によって、あなたがたもわたしの霊も共に、わたしたちの主イエスの権威のもとに集まって、


Revelation of John 1:11:
その声はこう言った、「あなたが見ていることを書きものにして、それをエペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、ヒラデルヒヤ、ラオデキヤにある七つの教会に送りなさい」。


Revelation of John 21:3:
また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、


●これを読むと神は「集団」に注目することが分かる。私の引照は次のとおり。



Ⅰコリ  12: 12 [塚本訳
なぜか。体はただ一つであって、それに多くの器官があるけれども、この体の器官が皆、多くあっても、一つの体を成しているように、キリスト(の体である集会)の場合も同じである。
エペ   5: 23 [塚本訳
キリストが教会の頭であり給うように、夫は妻の頭であるから──しかも彼は(同時に)その体(なる教会)の救い主であり給う。(この点においてキリストと夫とはもちろん異なる。)──
コロ   1: 24 [塚本訳
今私は君達のために苦しむことを喜びとし、またキリスト・イエスの体なる教会のために私の体でキリストの患難の不足を補っている。


●母を憎んで友人に30万円で頼んで殺してしまった高校生16歳のことを考える。彼は「思わざる人を殺してしまった」のだ。「心の中で人を憎む時それは殺人と同じ」。なぜなら、聖書には次のように書いてある。


新改訳 マタ 5:21-22
5:21 昔の人々に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
5:22 しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし。』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者。』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。


TEV マタ 5:21-22
5:21 "You have heard that people were told in the past, "Do not commit murder; anyone who does will be brought to trial.'
5:22 But now I tell you: if you are angry with your brother you will be brought to trial, if you call your brother "You good-for-nothing!' you will be brought before the Council, and if you call your brother a worthless fool you will be in danger of going to the fire of hell.


●そして人間というのはきっと必ず誰かを多少とも憎んでいる。胸に手を当ててみれば分かる。私としても「あの人」「この人」を多少とも憎んでいる。ウッカリすると殴ったり、バットをもっていたら一発お見舞いしてしまう危険がある。


塚本訳  ヨハ 8:7
8:7 しかし彼らがしつこく尋ねていると、身を起こして言われた、「あなた達の中で罪(をおかしたこと)のない者が、まずこの女に石を投げつけよ。」


TEV ヨハ 8:7
8:7 As they stood there asking him questions, he straightened up and said to them, "Whichever one of you has committed no sin may throw the first stone at her."


●パウロは次のように言う。


塚本訳  ロマ 3:9-18
3:9 それでは、どうなるのだろうか。(ユダヤ人である)わたし達には、(異教人より)優れたところがあるのか。全然ない。わたし達が前から強く主張してきたように、ユダヤ人も異教人もことごとく、罪の(支配の)下にいるからである。
3:10 (聖書に)こう書いてある。──『正しい人がいない、一人もいない、
3:11 物のわかる人がいない、神をさがし求める人がいない。
3:12 だれもかれも迷って、みんな堕落してしまった。善をする人がいない、ただの一人もいない。』
3:13 『彼らの咽は口のあいた墓のよう、その舌であざむき、』『蝮の毒が唇の下にある。』
3:14 『口には呪いと苦い言葉とがいっぱいである。』
3:15 『その足には血を流すにすばしこく、
3:16 その行く所には破壊と悲惨とがある、
3:17 彼らは平和の道を知らない。』
3:18 『その目の前には神をおそれる恐れがない。』"


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今朝の窓 2006.8.31 今日は暑くなりそうだ


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無教会・秋津集会主宰の西村裕先生来訪。ご夫人に先立たれて4年、83歳。お弱りになられた。


左から高橋照男 西村裕 高橋トミ子。 妻の手料理を「おいしい、おいしい」と召し上がられた。


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全盲の星野利男さんをお見舞い。  2006.8.31 15:00 西村先生も星野さんも私も「午後三時祈の友」会員。 左から高橋トミ子 西村裕 星野利男(83歳) 高橋照男。


●星野さんは数年前に全盲になられたので御高齢のため「点字」の習得もできずじまいでいる。かって、「晩年になってからの御失明、さぞ御不自由でしょう」と申しあげると、満面笑みを浮かべて「何のこれしき」と言われた。●私も常に「何のこれしき」と言って平安でいられるような人生でありたいと思う●西村先生が星野さんの生い立ちから晩年までのお話を録音された。


●帰途、妻に「大勝軒でラーメンを食べたいなー」と言ったのでそれを夕食とした。二人前もありそうなラーメンであった。●虫の音を聞きながら21時就寝。秋だ。今日はなぜか非常に疲れた。


 





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悲しい時は悲しい曲を聴け ++++++++ 所感

2006/08/30 06:25

060830(水)5時起床●目覚めに「恥をかくことが伝道」という言葉が響く。ルカ8:39を思う。●伝道は人に教えることではない。啓蒙することではない、社会批判をすることではない。神が「自分のような者をも救った」ということを「言いふらす」ことである。それは恥をかいて自分を捨てなければ出来ないことである。恥は自己の死である


塚本訳 ルカ 8:39
8:39 「家に帰って、神がどんなにえらいことをしてくださったかを、(みんなに)話してきかせなさい。」すると彼は行って、イエスがどんなにえらいことを自分にされたかを、町中に言いふらした。


口語訳 ルカ 8:39
8:39 「家へ帰って、神があなたにどんなに大きなことをしてくださったか、語り聞かせなさい」。そこで彼は立ち去って、自分にイエスがして下さったことを、ことごとく町中に言いひろめた。


TEV ルカ 8:39
8:39 "Go back home and tell what God has done for you." /The man went through the town, telling what Jesus had done for him.


●ルカ8:39をBbBとTSKで引照調査する。



 I Timothy 5:8:
もしある人が、その親族を、ことに自分の家族をかえりみない場合には、その信仰を捨てたことになるのであって、不信者以上にわるい。


Luke 17:15:
そのうちのひとりは、自分がいやされたことを知り、大声で神をほめたたえながら帰ってきて、


Deuteronomy 10:21:
彼はあなたのさんびすべきもの、またあなたの神であって、あなたが目に見たこれらの大いなる恐るべき事を、あなたのために行われた。


Psalms 126:2:
主がシオンの繁栄を回復されたとき、われらは夢みる者のようであった。


Psalms 126:3:
その時われらの口は笑いで満たされ、われらの舌は喜びの声で満たされた。その時「主は彼らのために大いなる事をなされた」と/言った者が、もろもろの国民の中にあった。


Daniel 4:34:
こうしてその期間が満ちた後、われネブカデネザルは、目をあげて天を仰ぎ見ると、わたしの理性が自分に帰ったので、わたしはいと高き者をほめ、その永遠に生ける者をさんびし、かつあがめた。その主権は永遠の主権、その国は世々かぎりなく、


Mark 1:45:
しかし、彼は出て行って、自分の身に起ったことを盛んに語り、また言いひろめはじめたので、イエスはもはや表立っては町に、はいることができなくなり、外の寂しい所にとどまっておられた。しかし、人々は方々から、イエスのところにぞくぞくと集まってきた。


John 4:29:
「わたしのしたことを何もかも、言いあてた人がいます。さあ、見にきてごらんなさい。もしかしたら、この人がキリストかも知れません」。


●これで「わかった、わかった、アーソーカ」である。●これに関してさらに私自身が感ずること


●神が私たちを愛するのは、神ご自身の宣伝のためである。ご自身の名誉のためである。つまり、次の個所である。


口語訳 エゼ 20:9
20:9 しかしわたしはわたしの名のために行動した。それはエジプトの地から彼らを導き出して、周囲に住んでいた異邦人たちに、わたしのことを知らせ、わたしの名が彼らの目の前に、はずかしめられないためである。


口語訳 エゼ 20:14
20:14 わたしはわたしの名のために行動した。それはわたしが彼らを導き出して見せた異邦人の前に、わたしの名が汚されないためである。


口語訳 エゼ 20:22
20:22 しかしわたしはわが手を翻して、わが名のために行動した。それはわたしが彼らを導き出して見せた異邦人の前に、わたしの名が汚されないためである。


口語訳 エゼ 36:21-23
36:21 しかしわたしはイスラエルの家が、その行くところの諸国民の中で汚したわが聖なる名を惜しんだ。
36:22 それゆえ、あなたはイスラエルの家に言え。主なる神はこう言われる、イスラエルの家よ、わたしがすることはあなたがたのためではない。それはあなたがたが行った諸国民の中で汚した、わが聖なる名のためである。
36:23 わたしは諸国民の中で汚されたもの、すなわち、あなたがたが彼らの中で汚した、わが大いなる名の聖なることを示す。わたしがあなたがたによって、彼らの目の前に、わたしの聖なることを示す時、諸国民はわたしが主であることを悟ると、主なる神は言われる。


新改訳 民  14:15-18
14:15 そこでもし、あなたがこの民をひとり残らず殺すなら、あなたのうわさを聞いた異邦の民は次のように言うでしょう。
14:16 『主はこの民を、彼らに誓った地に導き入れることができなかったので、彼らを荒野で殺したのだ。』
14:17 どうか今、わが主の大きな力を現わしてください。あなたは次のように約束されました。
14:18 『主は怒るのにおそく、恵み豊かである。咎とそむきを赦すが、罰すべき者は必ず罰して、父の咎を子に報い、三代、四代に及ぼす。』と。


新共同 申  9:28
9:28 我々があなたに導かれて出て来た国の人々に、『主は約束された土地に彼らを入らせることができなかった。主は彼らを憎んで、荒れ野に導き出して殺してしまった』と言われないようにしてください。







●「悲しい時は悲しい曲を聴け」「それは同質の原理である」(日野原重明著『音楽力』)は至言。これを知らずして「励まし」に行ったり、「説教」したり、「そういうとき私は信仰があるから悲しまないワヨ」などというのは愛のない愚か者。ひとこと「私も同じでした」というほうが千倍も慰められる●それは上記ルカ8章39節に通じる。「自分は同じようであったが、神によって直された。楽になった」と宣伝するのが伝道の本質。●伝道は説教、啓蒙、警醒ではない。●私の場合、母が召された悲しみの時に、バッハの「二つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調、BWV104」の第二楽章ラルゴを繰り返し聴いて非常に慰められた。バッハには子供が24人(!)も生れたが、その半数は夭折した。だから「同質の原理」が働くのであろう


新共同 Ⅱコリ1:6
1:6 わたしたちが悩み苦しむとき、それはあなたがたの慰めと救いになります。また、わたしたちが慰められるとき、それはあなたがたの慰めになり、あなたがたがわたしたちの苦しみと同じ苦しみに耐えることができるのです。


新共同 ヘブ 2:18
2:18 事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。


●また「親殺し」のニュース。家庭の冷たさ。友人に30万円で母殺しを依頼。本人もその友人も母親が離婚経験者。母が憎かったという。憎くおもうときそれは心の中での殺人。母に審きが下ったのか、本人に審きが下ったのか。当事者と神にきり真相はわからない。神が正しく裁く。裁判所はわからないいわんやNHKをはじめとするマスコミも断定は出来ない。●18:30コストスクール入校式と終了式。私は「学校は小さければ小さいほど優秀。その最高のものは家庭教師だ」と話した。●神の我々に対する姿勢は「家庭教師」。否、人間の家庭教師以上。なぜなら人間の家庭教師は「報酬」を貰っているから手荒なことはしないが、神は猛烈スパルタ教育で「手荒な」方法をとる。それが「苦難」「不幸」。私は家屋を焼かれ、脳内出血で一時意識不明、これ神のビンタであった。張り倒されたのであった。神は残酷で「手荒なこと」をされる●火災で多くの本が焼けたが、あれは読まなくてもよい本であった。神に焼かれたのだ。


 

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500メートル泳ぐ ++++++++ 所感

2006/08/29 10:11

060829(火)5時半起床●朝風呂で日経「私の履歴書」は遠州茶道宗家の小堀宗慶。茶道400年の伝統を生かすには先哲の偉業を反省して今に生かす新鮮さが大切という。至言。先哲の手法の墨守は先哲を継がない。一番悪いのは先哲の精神を学ばないでその形だけを真似ること。


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早朝散歩でツバメに会う。2006.8.29 5.50 あきる野市


お前はどこからきたのだ。いくつだ。一人なのか。


●オスカーワイルドの「幸福の王子」のツバメを思う。王子の手伝いをしていてそれが長引き、南の島に帰る仲間に置いていかれて一人死んでいく。●この文学はキリストのキの字も言わないが完全なキリスト教文学。それに比べて三浦綾子の文学は「キリスト教むき出しのキリスト教宣伝文学」。日本のキリスト教はまだまだだ。底が浅い●同じく。職業選択でキリスト教の冠の付く企業に入ったり、進んでキリスト教むき出しの職業に付くから日本文化の中にはキリスト教が浸透しない。土着しない。●キリスト教のワカイモノに告ぐ。キリスト教に関係のないつまらない仕事をせよ。この世的に見栄えのない仕事をせよ。カッコよくない仕事をせよ。進んで底辺の現場の仕事をせよ。下積みの仕事をせよ。自力で世を改造しようとする職業にはつくな。形だけキリスト教である職業につくな。それは神に嫌われる。ルカ16:15 ●神に最も嫌われる人は次の通り。


塚本訳 ルカ 16:15
16:15 そこで彼らに言われた、「あなた達は人の前では信心深そうな顔をしているが、神はあなた達の心を見抜いておられる。人の中で尊ばれるものは、神の前では嫌われるものである。


文語訳 ルカ 16:15
16:15 イエス彼らに言ひ給ふ『なんぢらは人のまへに己を義とする者なり。されど神は汝らの心を知りたまふ。人のなかに尊ばるる者は、神のまへに憎まるる者なり。


●これをTSKで引照を調べる。これが全部パソコンで出るから有難い。インストールは次をクリック。


http://www.asahi-net.or.jp/%7EEJ2T-TKHS/bunshou/tsk.html


Luke 11:39:
そこで主は彼に言われた、「いったい、あなたがたパリサイ人は、杯や盆の外側をきよめるが、あなたがたの内側は貪欲と邪悪とで満ちている。


Luke 18:11:
パリサイ人は立って、ひとりでこう祈った、『神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、また、この取税人のような人間でもないことを感謝します。


Luke 18:21:
すると彼は言った、「それらのことはみな、小さい時から守っております」。


Luke 20:47:
やもめたちの家を食い倒し、見えのために長い祈をする。彼らはもっときびしいさばきを受けるであろう」。


Proverbs 20:6:
自分は真実だという人が多い、しかし、だれが忠信な人に会うであろうか。


Matthew 6:2:
だから、施しをする時には、偽善者たちが人にほめられるため会堂や町の中でするように、自分の前でラッパを吹きならすな。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。


Matthew 6:5:
また祈る時には、偽善者たちのようにするな。彼らは人に見せようとして、会堂や大通りのつじに立って祈ることを好む。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。


Matthew 6:16:
また断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな。彼らは断食をしていることを人に見せようとして、自分の顔を見苦しくするのである。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。


Matthew 23:5:
そのすることは、すべて人に見せるためである。すなわち、彼らは経札を幅広くつくり、その衣のふさを大きくし、


Matthew 23:25:
偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。杯と皿との外側はきよめるが、内側は貪欲と放縦とで満ちている。


Romans 3:20:
なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである。律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。


James 2:21:
わたしたちの父祖アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげた時、行いによって義とされたのではなかったか。


I Samuel 16:7:
しかし主はサムエルに言われた、「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」。


Psalms 139:2:
主よ、あなたはわたしを探り、わたしを知りつくされました。


Jeremiah 17:10:
「主であるわたしは心を探り、思いを試みる。おのおのに、その道にしたがい、その行いの実によって報いをするためである」。


John 2:25:
また人についてあかしする者を、必要とされなかったからである。それは、ご自身人の心の中にあることを知っておられたからである。


I Corinthians 4:5:
だから、主がこられるまでは、何事についても、先走りをしてさばいてはいけない。主は暗い中に隠れていることを明るみに出し、心の中で企てられていることを、あらわにされるであろう。その時には、神からそれぞれほまれを受けるであろう。


Revelation of John 2:23:
また、この女の子供たちをも打ち殺そう。こうしてすべての教会は、わたしが人の心の奥底までも探り知る者であることを悟るであろう。そしてわたしは、あなたがたひとりびとりのわざに応じて報いよう。


Psalms 10:3:
悪しき者は自分の心の願いを誇り、むさぼる者は主をのろい、かつ捨てる。


Psalms 49:13:
人は栄華のうちに長くとどまることはできない、滅びうせる獣にひとしい。


Psalms 49:18:
彼が死ぬときは何ひとつ携え行くことができず、その栄えも彼に従って下って行くことは/ないからである。


Proverbs 16:5:
すべて心に高ぶる者は主に憎まれる、確かに、彼は罰を免れない。


Amos 5:21:
わたしはあなたがたの祭を憎み、かつ卑しめる。わたしはまた、あなたがたの聖会を喜ばない。


Amos 5:22:
たといあなたがたは燔祭や素祭をささげても、わたしはこれを受けいれない。あなたがたの肥えた獣の酬恩祭は/わたしはこれを顧みない。


I Peter 3:4:
かくれた内なる人、柔和で、しとやかな霊という朽ちることのない飾りを、身につけるべきである。これこそ、神のみまえに、きわめて尊いものである。


I Peter 5:5:
同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。また、みな互に謙遜を身につけなさい。神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜うからである。


●これだけの引照を読むと「わかった。わかった。モーイー」と思う。聖書が示す巨大な真理にぶち当たる。だからTSK日本語ヴァージョンは止められない。手放せない。●これとは別に私の思い出す引照は次の通り、


塚本訳  ルカ 18:9-14
18:9 なお、自分(だけ)は信心深いとうぬぼれて人を軽蔑している者たちにも、この譬を話された。
18:10 「二人の人が祈りのために(エルサレムの)宮に上った。一人はパリサイ人、他の一人は税金取りであった。
18:11 パリサイ人は(得々と)ひとり進み出て、こう祈った、『神様、わたしはほかの人たちのように泥棒、詐欺師、姦淫する者でなく、また、この税金取りのような人間でもないことを感謝します。
18:12 わたしは一週間に二度も断食し、(きまったものの一割税だけでなく、)一切の収入の一割税を納めております。』
18:13 しかし税金取りは(罪に責められ、)遠く(うしろ)の方に立ったまま、目を天に向け(て祈りをささげ)ようともせず、ただ胸をうって、『神様、どうぞこの罪人のわたしをお赦しください』と言った。
18:14 わたしは言う、あの人でなく、この人の方が(神から)信心深いとされて、家にかえっていった。自分を高くする者は皆低くされるが、自分を低くする者は高くされるのである。」


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早朝散歩で東の空。今日は暑くなりそうだ。2006.8.29 6:00


冷房を付けられない人に告ぐ。残暑ももう少しだ。暑くても風に当たれば少しは涼しい。讃美歌301番の3節を思う。家は陰をつくって人間を熱から守る。兼好法師こと吉田兼好はその「徒然草」で「の作りやうはをむねとすべし」と言った。風通しのよい家が大切。


讃美歌301番


1. 山べ に むかいて われ 目 を あぐ,

   助け は いずかた より きたるか

   あめ つち の みかみ より

   たすけ ぞ われ に きたる.

 

2. み神 は 汝(なれ) の 足をつよく す,

   み守り あれば なれ 汝(なれ)は うごかじ.

   みたみ お ば 守る もの

   まどろみ ねむり まさじ.

 

3. み神 は あだ を ふせぐ たて なり,

   汝(な) が 身を つね に 守る かげ なり.

   よる は 月, ひる は 日 も

   汝(なれ) を ば そこなう まじ.

 

4. み神 は わざわい お も さけ しめ

   疲れし たましい を も やすます.

   いずる おり, いる おり も,

   たえせず 汝(なれ)を 守らん.



●「日記」に関する本、十数冊を図書館に返却






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夏空をゆうゆうと舞う鳥(写真中央)。ナンダロウ。トビかワシか。「オーイ!何が見えるんだ―」

2006.8.29 13:30 あきる野市


あの高さなら、あきる野台地は一望、奥多摩の山はもちろん新宿までもよく見えるだろう。

どんな気持ちで飛んでいるのか。気持ちよさそうに飛んでいる。










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残暑、たまらず市民プール(屋外)へ行って泳ぐ。ゆっくり20分、クロール500メートル。1キロは無理だった。脳内出血で自転車と水泳はダメだったが、出来るようになって感謝。

2006.8.29 15:30




●プールでの出会い。多西小学校4年生の二人。 子供たち「ウチの父ちゃんは大工」「ウチの父ちゃんはペンキ屋」。私「じゃあオジサンと同じだ。オジサンも家を造る仕事だ」。この二人、父親の仕事を誇りに思っているところが気に入った。母親同士は仲がよくて同じ会社に働きに行っているという。夕方には帰ってくる。二人とも兄弟は二人だけ。「オジサンには子供が四人いる」。子供「エーッ!」。夏休の宿題がまだ残っているという。●この写真足が太く写って自分でもギョッ。隣りの子供の足と見比べるからいけない。私は足を隠すべきであった。マテマテ。日頃「個人情報を隠すことはいけない。それは罪だ」と言っていた以上、足を隠すのもいけないことだ。隠すことは罪だ。しかし世の中には「美観」ということもある。見る人に不快感を与えるようなものは「隠すべきだ」。この辺我ながら支離滅裂、矛盾だらけ。とにかくこの写真お見苦しくて「申しわけありません」。体重を支えるためにはこれだけの太さが必要、それは建築の柱と同じなのです。




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夕暮れの奥多摩連山。今日は暑かった。 2006.8.29 17:50 あきる野市


讃美歌48番



1. しずけき ゆうべ の しらべ に よせて

   うたわせ たまえ, 父 なる かみ よ.

 

2. 日かげ も やすろう ころ に し あれば,

   父 に ぞ ゆだねん きょう まきし たね を.

 

3. 日ごと わが なす あい の わざ を も,

   ひと に 知らさず, かくし たまえ や.

 

4. 鳥 は ねぐら に, ひと は 家路 に,

   かえる ゆうべ こそ いと しずか なれ.

 

5. かみ よ, この よ の 旅路 おわらば,

   わが ふるさと に いこわせ たまえ.

 


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夕暮れの我が家の灯り。妻の夕食が待っている。2006.8.29 18:25


こういう幸いはあと何年続くのだろうか。




 




 


 




 


 




 


 

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水が合わないという苦しみ ++++++++ 所感

2006/08/28 06:56

060828(月)5時半起床。朝風呂で日経「私の履歴書」は遠州茶道宗家の小堀宗慶。十二世家元を襲名に当たって参禅修業をしようとしたら、老師が「その必要はない。シベリアでの4年間の辛抱に比べたら禅寺での修業など足元にも及ばん」と呵々大笑(かかたいしょう)されたという。この老師は廣徳禅寺の福富以清。ご立派、至言●この世の職場や家庭での艱難辛苦はカトリックの修道院に勝る●某氏が塚本先生に尋ねた。「先生、神学校に行きたいのですが、どこが良いでしょうか」。先生「結核療養所に何十年もいる人の方が、よっぽどよい先生だ」。・・・・若き日にこれを読んだ私(高橋)は眼からウロコが落ちた。欧州ではエルランゲン大学、米国ではプリンストン大学神学部、日本では東京神学大学。ここを出れば牧師として一流。しかしそこを出るより、名もなく貧しい職場で艱難辛苦に遭うほうがよっぼど信仰が深まる。聖書が分かるようになる。これ無教会主義者の道


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今朝の東の空。曇。 2006.8.28 自宅の東の窓から 


讃美歌294番




1. みめぐみ ゆたけき 主 の 手 に ひかれて,

   この 世 の 旅路 を あゆむ ぞ うれしき.

 

(Refrain)

   たえ なる みめぐみ 日に日に  うけ つつ,

   みあと を ゆく こそ こよなき さち なれ.

 

2. さびしき 野べ に も, にぎわう 里 にも,

   主 とも に いまして われ お ぞ みちびく.

 

3. けわしき や山路 も, おぐらき 谷間 も,

   主 の 手 に すがりて やすけく 過ぎぎ まし.

 

4. 世 の 旅はて なば, 死 の かわなみ を も,

   恐れず 越え ゆかん, みたすけ たのみて.


●若くして環境の水が合わなくて悩んでいる人がいると聞いて、いろいろと考えた●人間は生きていく上で「水が合わないという苦」「相性が合わないという苦」に遭遇する。仕事が合わない、学校が合わない。先生が会わない。友達が合わない。伴侶が合わない。親が合わない。子供が合わない。嫁と合わない。姑と合わない。上司と合わない。同僚と合わない。部下と合わない。医者が合わない・・・・などなど、人生は「水が合わない苦」「相性が合わない苦」だらけ、一生涯その苦の連続である。●学校が嫌いなのは勉強が嫌いなのではなく、先生や同級生が嫌いなのである。職場が嫌いなのは仕事が嫌いなのではなく上司や同僚が嫌いなのである。教会が嫌いになるのは信仰や聖書が嫌いなのではなく、牧師や教会員を嫌いになるのである。家出したくなるのは親を嫌いになるのである。●そういう場合は環境を変えれば楽になりぐんぐん伸びる場合がある。●その実例。某大企業の役員が私に「ある若者が所属している部が合わないと訴えるので、研究部門に回したらメキメキと頭角をあらわした。」某教会の牧師夫人「ウチの教会にいたある青年は沈んでいたが、他の教会に行ったら青年部で大活躍している」と言い、「ウチの教会は若者に不毛の地です」との嘆き。指揮者の故岩城宏之「オーケストラの一員。水の合うオーケストラに入ればうまく弾ける。水の合うオーケストラというものがある」。●ヒルテイは「神はその人を最善の道に導くために、道を塞いだり、垣根を作ったりするものだ」という。転社、転部、転校、転会(これ教会)、転院必ずしも悪くない。環境を変えてぐんぐん伸びる人がいる。だから内容を聞かないでただの一般論として「その環境で我慢せよ」ということは言えない。●ただし大体8割は環境を変えてもうまくいかない場合が多い。三菱電機の人事部長の話では「今の仕事が合わない」と不満を漏らして転部を希望してくる人間はたいていどこに行ってもダメだという。●点々と会社を変える人間は社会的に信用されない。点々と教会を渡り歩く信者を牧師は警戒する。無教会には教会から逃げて(?)きた人間が多い。しかしその中にホンモノが多い。初めから無教会だということは自慢にならない。それは「違いが分からない男」。●そういう人間は先生の行動を墨守するからカトリックの伝統主義よい惨め、罪悪●この世では、職場や仕事を点々と変えるような男は絶対によく思われないが、神は違う。そういう人間をも受け入れて「根本治療」をする。そこが人間と神との違い。その根拠は次のとおり。


ヨハネ  ヨハ 4:13-21
4:13 イエスは答えられた、「この(井戸の)水を飲む者はだれでもまた渇くが、
4:14 わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」
4:15 女が言う、「主よ、その水を下さい。(二度と)渇くことがないように、またここに汲みに来なくてもよいように。」
4:16 イエスが言われる、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」
4:17 女が答えた、「わたしには夫はありません。」イエスが言われる、「『わたしには夫はありません』と言うのは、もっともだ。
4:18 五人の夫とは別れ、今のは、あなたの夫ではないのだから。あなたの言ったことは本当だ。」
4:19 女が(びっくりして)言う、「主よ、わかりました、あなたは預言者です。
4:20 (それでお尋ねしたいのですが、)わたし達の先祖はこの(ゲリジム)山で(神を)礼拝したのに、あなた達(ユダヤの人)は、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。(どういう訳でしょうか。)」
4:21 イエスが言われる、「女の人、わたし(の言葉)を信じなさい。(間もなく)あなた達が、この山でもエルサレムでもなく(どこででも、)父上を礼拝する時が来る。


嫌なヤツがいる環境は3年もすれば変わって楽になる。神はいつまでも人を苦しめてはおかない●かく言う私にはいやな課長が上役にいたが3年したらその課長は降格、退社。目の前から消えた。退社後私に会いたいと言うので会ったら「退社はしたが、君とだけは付き合いたい」と言ってきた。今ごろどうしておられるか。お元気か●またイヤでイヤでたまらなかった上役がいて、出勤する足が重かったが10年(!!)もしたら意外な形で環境が変わった●イスラエルはエジプトの王パロにいじめられて苦役の労働を強いられたが神の導きで「出エジプト」が出来た。旧約の歴史の中心はそのこと。詩篇もその感謝の歌が多い●嫌な人物(上役、先生、同僚、仲間)のいる環境での対処法は、その環境を絶対化しないで相対化すること。体はそこに存在していても心は別世界に置くことである。そのうち嫌なヤツはいなくなる。消える。あるいは自分がその環境から引き出される。神の導きで「出エジプト」させられる。それまでは神を信じて忍耐忍耐。●そういう苦難の渦中には心で「私は本当はココの人間ではない」と三回唱えればよい。そうだ。我々の本国は天国であってココには季節労働者として出稼ぎにきているのだ。一時的である。間もなく(東北の)国に帰るのである。我慢、我慢。結婚生活も季節労働者の姿勢で生きることが大切。実に長いけれども!!。伴侶はいつかは死ぬ!!??。そうすれば本国(東北、実家、天国)に帰るのだ。


塚本訳  ヨハ 18:36
18:36 イエスが答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであったら、わたしの手下の者たちが、わたしをユダヤ人に渡すまいとして戦ったはずである。しかし実際のところ、わたしの国はこの世のものではない。」


文語訳  ヨハ 18:36
18:36 イエス答へ給ふ『わが國はこの世のものならず、若し我が國この世のものならば、我が僕ら我をユダヤ人に付さじと戰ひしならん。然れど我が國は此の世よりのものならず』


TEV ヨハ 18:36
18:36 Jesus said, "My kingdom does not belong to this world; if my kingdom belonged to this world, my followers would fight to keep me from being handed over to the Jewish authorities. No, my kingdom does not belong here!"


口語訳 Ⅰペテ2:10-12
2:10 あなたがたは、以前は神の民でなかったが、いまは神の民であり、以前は、あわれみを受けたことのない者であったが、いまは、あわれみを受けた者となっている。
2:11 愛する者たちよ。あなたがたに勧める。あなたがたは、この世の旅人であり寄留者であるから、たましいに戦いをいどむ肉の欲を避けなさい。
2:12 異邦人の中にあって、りっぱな行いをしなさい。そうすれば、彼らは、あなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのりっぱなわざを見て、かえって、おとずれの日に神をあがめるようになろう。


塚本訳 Ⅰペテ2:10-12
2:10 (誠に)君達はかつては、「『非民』」(であったが)今や神の民、(前には神に)『憐れまれぬ者』(であったが)今や憐れまれる者(となった)。
2:11 愛する者よ、勧める、(地上で)『旅の者また仮寓者』である君達は、霊魂に逆らって戦う肉の慾を避け、
2:12 異教人の中における歩き方を立派にせよ。(今)君達を悪いことをする者のように譏っている人達が、(君達の)立派な行動によって悟り、その(譏っていた)ことにおいて(かえって)『訪問の日に』神を(信じ)崇める(に至らん)ためである。


文語訳 Ⅰペテ2:10-12
2:10 なんぢら前には民にあらざりしが、今は神の民なり。前には憐憫を蒙らざりしが、今は憐憫を蒙れり。
2:11 愛する者よ、われ汝らに勸む。汝らは旅人また宿れる者なれば、靈魂に逆ひて戰ふ肉の慾を避け、
2:12 異邦人の中にありて行状を美しく爲せよ、これ汝らを謗りて惡をおこなふ者と云へる人々の、汝らの善き行爲を見て、反つて眷顧の日に神を崇めん爲なり。


文語訳  ピリ 3:20
3:20 されど我らの國籍は天に在り、我らは主イエス・キリストの救主として其の處より來りたまふを待つ。


TEV ピリ 3:20
3:20 We, however, are citizens of heaven, and we eagerly wait for our Savior, the Lord Jesus Christ, to come from heaven.


新共同 ピリ 3:20
3:20 しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。


塚本訳  Ⅱコリ3:3
3:3 (実際)あなた達はわたし達によって配達されたキリストの手紙であって、インキでなく生ける神の霊で、また、(モーセ律法とは違い)『石の板』にではなく『人の心の板』に書かれていることが、知れ渡っているのである。


●といって、ココでの現実の仕事をおろそかにしてはいけない。相対化するだけ。そうすると逆に正しく仕事に打ち込める。その仕事で挫折したり失敗しても「粘れる」「立ち直りが早い」。●人間、神を信じてこの世を相対化することが大切。それが一番正しい職業観、家庭観、結婚観。そうすれば仕事も繁栄する。成功する。家庭も繁栄する。異邦人の中で輝ける。ただしあくまで国籍(本国)は天国。本国の顔に泥を塗るようなことはしてはいけない●


 


 

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どの神に祈るべきか ++++++++ 所感

2006/08/27 07:52

060827(日)6時半起床で頭すっきり


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今朝の空 2006.8.27 7:14 あきる野市、東の窓から。今日は長谷川浩の納骨式。


讃美歌479番


1. 去りにし ひと を しのぶれば,

   とも に したしみ むつびたる

   ありし すがた は 見えねども,

   たま は いかで か 消えぬ べき.

 

2. みかみ の みち を たどり つつ,

   まめ に つかえし わが とも の

   世 に のこしたる 愛 の 果(み) は

   いろ も かわらで かぐわし や.

 

3. なみかぜ あらく よせし 日 も,

   はらから の ため 世の ため に

   なやみ に たえし こころ こそ

   とこしえ まで も のこるらめ.

 

4. 知識 は すたり 富 は 消ゆ,

   しか は あれども 主に つける

   かよわき おみな おさなご の

   なしつる わざも いや 栄えん.


長谷川新吉さんに良く仕えた美しい印象がある人であった。


●朝風呂で日経私の履歴書は遠州茶道宗家の小堀宗慶。シベリア抑留から帰還したものの無気力精神の病。茶道の女性先輩と両親の暖かい心で回復。●精神の病は時間がかかるが「絶対に」直る。その方法は周囲の粘り強い「愛」。因幡の白兎のあの大黒様の心。蒲の穂にそっと寝かせておく心。因幡の白兎については次のHP。http://homepage1.nifty.com/KONDO/inabanosirousagi.htm●そもそも人間には自然治癒の能力が備わっている。針、気功、灸などの東洋医学はみな体内にある自然治癒の力を引き出す「術」●もう一つが必要、それは心からの「祈り」。それが効き目があるかないかは個人レベルでの「実験」による。


塚本訳  マコ 9:29
9:29 彼らに言われた、「この種類(の霊)は、祈り以外(の手段)では決して出てゆかせることは出来ない。」


●神は存在するともしないとも証明はできない。これは定説。だから個人的実験によるしかない。自己のちっぽけな頭で神は「存在しない」という者は「愚か者」だというのは旧約聖書。●私の出あった多くの人のなかでのっけから「神などいない」とか「死んだら灰になるのであってなにもない」という類は大体「愚かな者」。話にならない。無教養、まともな本を読んでない、古典を読んでない、友人にはできない。不毛。時間の無駄。●宗教を正しく教えなかった戦後教育のみじめな姿。イマドキは簡単に親を子を、子は親を殺す。心で殺す。「心のうちに神はない」と思っているからである。


口語訳 詩  14:1
14:1 愚かな者は心のうちに「神はない」と言う。彼らは腐れはて、憎むべき事をなし、善を行う者はない。


新共同 詩  14:1
14:1 【指揮者によって。ダビデの詩。】神を知らぬ者は心に言う/「神などない」と。人々は腐敗している。忌むべき行いをする。善を行う者はいない。


TEV 詩  14:1
14:1 Fools say to themselves, /"There is no God!" /They are all corrupt, /and they have done terrible things; /there is no one who does what is right.


●では八百万の神々がいる、この日本では欧米と違って「どの神に祈るべきか」が大問題。神の選択からはじめなければならない。この難問の聖書的答えは次にある。


塚本訳  ヨハ 3:1-3
3:1 ところでパリサイ人の中に名をニコデモという人があった。ユダヤの(最高法院の)役人であった。
3:2 ある夜、イエスの所に来て言った、「先生、わたし達はあなたが神のところから来られた先生であることを知っています。神がご一しょでなければ、あなたのされるあんな徴[奇蹟]はだれもすることは出来ません。」
3:3 イエスが答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、(徴を見て信じたのではいけない。)人は新しく生まれなおさなければ、神の国にはいることは出来ない。」


●つまり、キリスト教を信ずればこういう立派な人ができる。戦争反対に勇敢に戦う人ができる、こういう奇跡的事業ができる、幸福な家庭ができる、幸せな結婚ができる、成績が良くなる、頭が良くなる、(これは邪念が少なくなるので確か)、経営が順調、金が儲かる・・・などという「脅かし」「見せびらかし」「優越感」では人は神に祈らない。帰依しない。それは御利益宗教。●わたしの経験で、キリスト教式で結婚式を挙げた者の大抵は教会や集会を離れる。キリスト教の神が選ばれたのは一時的「カッコヨサ」だけのこと●イマドキのワカイモンの結婚式の50%はキリスト教式。愚か者もそのときはキリスト教の神に祈る。終わるとサヨウナラで去る。●ニコデモはイエスの奇蹟にびっくりしてひきつけられた「この世的人間」。それに対してイエスはノー。新しく生まれなおさなければ神を信ずることは出来ないと言った。つまり「罪」の問題から神を選ばなければダメだというのである。●戦争反対の「勇気ある行動」はキリスト教、しかも無教会に多くいた、という「見せびらかし」から神を説くのは邪道、間違い、この世的人間の説法。それだけでは神を選べべない。神の選択の決断に至らない。勇気ある人間はヒューマニストの中にもいる。戦争反対だけだったら、無神論者のマルキストでも行う。そのほうがむしろ積極的で徹底的。なぜか、彼らは「地上王国の完成、人間同士の平和」が目的だから。●イエスに「ユダヤと違って日本では『どの神に祈るべきかその選択がはじめに必要なのです』」と尋ねたとすると、その答えはルカ10:25-30の「善きサマリヤ人」の話をするに違いない。つまり「自分に親切をしてくれた人、自分を心から愛してくれている人が信じている神にあなたも従いなさい」と言うに違いない。これ多分、現実的な神の選択方法。●つまり「愛の啓示」が神の選択の道●神の選択は「神観の違い」という大脳皮質論争では決着できない。異教伝道の困難はここにある。キリスト教はレベレーション(啓示)の宗教であるからである。


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長谷川浩納骨式 多磨霊園 司式・高橋照男2006.8.27 12:00


左・高橋照男 中・長谷川俊子(浩氏の未亡人) 右・長谷川眞史 撮影は高橋トミ子


故人の人柄を偲ばせるよい式であった。私が長谷川家の納骨式を司式するのはこれで3回目。


1997年10月11日 長谷川新吉


2003年8月10日 長谷川キク (新吉氏夫人)


2006年8月27日 長谷川浩 (今回)


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納骨式後の会食 深大寺「水神苑」 2006.8.27 13:30


浩氏のご実家である山形県天童市からこられた花輪久美子さんから、山形県の風習をお伺いして、「家」制度のよい面を感じた。浩氏は長谷川家の婿養子。ご実家の母上は「花輪家の沽券(こけん)に関わるようなことはしてはならない」とよく言っておられたとのこと。家制度のよい面。浩氏の穏やかなよい面のルーツを知った。山形の実家である花輪家の顔に泥を塗らないように婿養子を全うされたのであった。「人に仕えた」尊いご生涯であった。


 


 


 


 


 

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孫たちの苦難 ++++++++ 所感

2006/08/26 07:01

060825(土)5時起床、●昨夕、福島から戻った妻から「孫の苦難」を聞いて心痛めた。祖父としてもオロオロ、「どうしよう、どうしよう」。「原因は」、「解決方法は」、などなど、様々に心がチリジリに乱れた●しかし、自分の子供たちのことで経験した「一年先輩」としての「経験者」から言えば、その結論は「苦難は神の愛」と固く信じ続けることである。孫にはこの年齢にして「はや神の愛の手が見える形であらわれた」と見る。神の召命が始まったのだと信ずる●人間、アクシデントが起こるとその「原因」を探るのが「常識」で正道。電気製品が壊れたら祈るよりもまず原因を追求する。病気になったらまず医者に連れて行く●ところがどうしても原因のわからないこともある。万策尽きることがある。そのときはいやがうえでも「祈り」に追いこまれる。すると道が開ける経験は古来よく聞き、私も経験した。●戦争でも建築現場でも、万策尽きたときに「祈り」で奇蹟が起きたという例をみる●鉄建建設の社長、どうしても抜けなっかた杭が、祈りに祈ったら抜けた。そんなバカなことがと思うが、「祈り」も試してみる価値はあるものだ。「溺れる者は藁をも掴む」だ。恥ではないそれでよいのだ●あのオスマントルコは、海戦で、船を陸に上げて山に引き上げ、敵の背後に回る作戦で勝利。人間万策尽きて追い込まれるとこういう道が開かれる。奇蹟が起きる●「神を信じない民」は苦難の解決にあたってその傲慢の故に「神に頭を下げず」学校で習った人間常識どまりだから、「祈り」という決定的なことに到達しない。試しもしない。その傲慢さ勝気さが「罪の本質」。●かって私の家庭が苦難になった時、「お祈りなんて効き目がない。お祈りよりも行動だ」と罵倒軽蔑した男がいた。しかし彼とその家庭は今もって解決困難な苦難の渦中。しかもその苦難を神にも人にもひた隠しに隠しているからなお直らない。だから「隠す」というのも罪の本質。かってのその罵倒と軽蔑の言葉はもう赦すから早く祈りの姿勢になったほうがよい。悪いことは言わない。今からでも遅くはない。「なりふりかまわず」必至に「手当たり次第に」祈るべきだ。そうしないといつまでも直らない。●神の存在の研究、科学の時代に宗教は必要か、聖書は神話ではないか、キリストは神か人間か、などという「暇」な研究をしてないで自暴自棄になって恥も外聞もなくメンツを捨てて「はしたなく祈る」べきだ。「神にすがるべきだ」。理性とメンツを捨ててすがりつくべきだ。恥を承知で神にすがりつくべきだ。これは結局頭のよい人間の辿る道。●神に祈らない人間は脳が大脳皮質だけの「超バカ人間」。わたしの出会った人間でそういう人間は共通的に心が悪いから目つきが悪くて口が悪くて暗い。明るくない。常に恐怖心がある。これ罪人の恐怖。●歴史を公平に見れば、世の中をよくしているのは無神論者ではなく信仰者。一流の科学者は信仰者。ニュートン、パスカル。また赤十字、ホスピス、社会科学、平和活動、法曹制度などの源流は信仰者。無神論者には力がない。なぜか、神が味方にいないから、神の助力を受けられないから●いまだかって神を信じない方が信じるよりも「よりよい」という論理に出会ったことがない。よりよく生きてよりよく世に貢献したという話を聞いたことがない。神を信じない方が賢くかつ倫理的にも正しく生きられるという話を聞いたことがない●ではどの神にすがるべきか?。まず手当たり次第に全部の神に祈るべきだ。「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」だ。四国八十八箇所霊場巡りをしてみようとする気持ちも大切だ。ただ、そこは常識的に「一流の神」を選ぶべきだ。何せ世の中には八百万の神がいます。全部には同時に祈れない。一流の神と思われる(?)ランキング順にすがりつくべきだ。実験すべきだ。受験と同じで「単願」すべきだ。なにせ神様どうしで競争だから「単願」しないと門を開けてくれない。梯子飲みをすべきだ。無神論者としてはしょうがない●無神論も一つの宗教である。自分の腹を拝む宗教である。●ではどの神が一流か。あとは言わない。なぜか。それは自分で判断し、決断すべきものである。自分で選ばないと満足しない●神は人間に対して「祈る」ことを教えるために、また「人間常識は頼りない」ことを教えるために、原因不明の苦難を下す。その人が最も大切にしているものを「撃つ」。それによって人間に万策尽きさせ「ギブアップ」させるのが神の真の狙い。一見イジワルと見える神だが、頑固な人間にはそれが最良最高に賢い方法。神にとっても辛い方法●苦難は罰でなく愛。それによって不思議な回り道でも「本道」に導かれる。時間はかかるがいつかは直る●結局は「苦難は神の愛から」出ていると、小なる「経験者」としての私は思う。かくいう祖父としても「祈りに導かれる。伊達に年は取らないものだ。●ヒルティの幸福論に「孫たちに幸あれ」がある。わたしもそういうことを願う年になったのかと思う。そうだ老年パワーとしての働きは「祈り」だ。これなら身体機能が衰えてもできる。死ぬまでできる。●人生の苦難のときに励ましになる聖句は次の通り。


塚本訳 マタ 10:29
10:29 雀は二羽一アサリオン(三十円)で売っているではないか。しかしその一羽でも、あなた達の父上のお許しなしには地に落ちないのである。


塚本訳  マタ 8:24-26
8:24 するとにわかに湖に激しい嵐がおこって、ついに舟は波をかぶった。しかしイエスは眠っておられた。
8:25 弟子たちがそばに来て、「主よ、お助けください、溺れます」と言って起した。
8:26 彼らに言われる、「なんでそんなに臆病なのか、信仰の小さい人たちよ!」それから起き上がって風と湖とを叱りつけられると、(たちどころに)大凪になった。


 讃美歌2番の2節


2. 母 の むね に あり し とき より,  わが ふむ みち さきわい たもう.


   いま も のち も あだ を ふせぎ,  世 の わざわい のぞき たまわん.





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今朝の空。曇、 2006.8.26 5:30


●人生には晴れの日もあれば曇の日もある。台風もあれば強風もある。大雨もある。讃美歌87番Bの2節を思う。この曲は亡くなった父が最初にキリスト教に出会ったときの集会で歌われた曲。●泣きたい時にはなりふりかまわず声を出して泣けばよい。悩む時にはメンツを捨ててウンウン、ゴーゴーとうなればよい、嬉しい時には踊り狂って笑えばよい。人生はあざなえる縄のごとし、涙と笑いと悩みの3本の縄があざなわれている。一本の縄ではない。三本だ、だから強くなるのだ。



2. うき雲 おおえど み顔 の 笑み は

   さやか に 照り いず, 神は  あい なり.

   われら も 愛せん, あい なる 神 を



●10:00 西荻窪地域区民センターで「午後三時祈の友」世話人会。加藤宮吉、鈴木都子、清水都留子、望月康代、高橋照男。これは「苦難共同体」。●あだたら聖書集会の湯浅先生からお電話をいただき癒された。感謝。ヒルティは人生の目的はバルナバ(慰めの子・・・使徒4:36)になることだという。私もそういう人間になりたい●夕方から妻はバッハ「クリスマスオラトリオ」の練習。●メロディーが分かっていても曲名がどうしても思い出せない苦しみ。例によってヤマハ銀座店のモトオカさんの前でに電話を通して歌うと、即座に「それはヘンデルの『私を泣かせてください』です」との答え。お見事。楽になった。人の苦しみを助けるには色々な分野や手法があるものだ。彼女のことを拝みなくなる。●同曲をホセ・カレーラスで鑑賞。●ヘンデルのオンブラマイフをエンリコ・カルーソ、ベニアミーノ・ジーリ、ホセ・カレーラス、アレッド・ジョーンズの4人で鑑賞して酔う。声楽はすごいなー。よい声は天からの賜物だ。あの息づかいがたまらない。しかし、カレーラスにしてもアレッド・ジョーンズにしてもその美声は人生のほんの一時期だけのもの。悲しいが衰えていくものだ。マテ、一瞬でもよい、一瞬でも神に届けば神は永遠に覚えていて下さるのだ。人生はあの高い空の白い雲のように一瞬の形だ。少し目を離すとその雲はない。でもよいのだ。神が造り神が壊す。人間には知られなくても神には知られている。それは一瞬の姿だ。



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夫婦での農作業、尊い姿。儲からなくてもよい、労働のための労働。ヒルティは労働は人間としての「分」だという。これは人間にとって労働はその基本要素要素なのだという意味。2006.8.26


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蜘蛛の巣にかかった蝉。この蝉はこういう死に方をするとは思わなかったのだろう。でも死は死だ。如何なる死に方でもよい。かっこ悪い死に方でもよい。天寿をまっとうしての大往生でなくともよい。若くして死ぬのでもよい。健康で長寿が人生の目的ではない。神の御用を一瞬でもすればよい。イヤイヤそんな高尚なことが出来なくてもよい。人には知られなくてもよい。神に知られればそれでよい。それが成功の人生。悲しい時に泣けば神は知ってくださる。


●あの人はいい年してまだあんな本を読んでいる。あんな趣味に打ち込んでいる。どう考えてもあの人は遊び人だ。だからあの人とは付き合えない。クリスチャンはこの世の人と同じ遊びをしてはいけない。同じ興味を持ってはいけない。それは「聖書で言うところの「この世」。






 




 





 



 


 


 


 


 


 


 



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コチコチの正統信仰 ++++++++ 所感

2006/08/25 07:10

060825(金)4時起床●長い間探していた文献を、斉藤顕さんが見つけたといって教えてくださった。昨日電話頂く。


塚本虎二主筆「聖書知識」第308号昭和30年12月号。雑感雑録。11月13日。「(英国からこられた好本督氏が、)何か英国へのお土産をとのことで、東京の真中に、30年来処女降誕から復活再臨までの正統信仰を文字通りに説き続けているコチコチの日曜集会があること、その会員の半数近くがギリシャ語を知っていることを、伝えてもたいたいと話した」


●この言葉、なぜか不思議に長い間忘れられなかったが出典失念していた。分かって大喜び。●これが無教会集会の本質。こういう集団の一部分であることが私の理想。●11月18日に学士会館で行われる第3回南原繁シンポジウムのコーディネーターである高木博義氏にお礼の手紙。内容は公的なのことなので公開する。一部省略。


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高木博義 様

 

このたびは「第3回 南原繁シンポジウム」のご案内ありがとうございました。早速申し込みをさせていただきました。

「信仰は根にして労働は枝なり」(内村鑑三「信仰と労働」1905)とあります。

また高木さんがおっしゃられるヒルティの「神学は神が見えなくなったときに起こる学問」の言葉を思います。

すると同じく「ヒューマニズムや社会批判は神が見えなくなったときに起こる思想行動」と言えると解します。

このたびは南原の思想の根に触れる「本丸」に突入という感じが致します。ここまでこられた背景には高木さんの祈りがあったことを思います。内村。塚本、南原先生は天でお喜びでしょう。

なお、昨日「聖書知識」で調べものをしていましたら。「雑感雑録」に次のような部分がありました。

 

聖書知識336号(1958年S33.4月)雑感雑録2月18日

「南原繁元東大総長の病気が快方にむかい、花咲く頃には一応外出もできそうだとのことで、喜び感謝した。この国では国宝的の人を大切にするどころか、却って乱暴に使おうとする。国宝の方では自己防衛の手段を講ずる外はない。自重を祈る」

 

聖書知識337号(1958年S33.5月)雑感雑録3月18日

「しきりにラジオの感想が来る。(高橋注・3月4日NHKラジオ6:00-6:30で「キリストを信じて50年」という題で放送)病床の南原元東大総長からまで

年をとることの又有難さを共観したと同時に過去半世紀間変わらぬ無教会的戦闘精神を    壮とします・・・・・・・

というハガキを頂き、恐縮すると同時に、病勢すでに衰え始めて、全快の日近きを知って喜んだ」

 

(高橋)南原と塚本の関係、南原の無教会に対する考えを垣間見ることができると思います。

 

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●福音はその真理を「播きっぱなし」が理想。人間的集団を作らず、作れもしないのが理想。初代教会は誰か一人の偉人によって福音が広まったのではなく、「福音それ自身の力で広まった」(ハルナックだったか?)といわれる。●わたしのHPは今年末で4万回のアクセス。BbB単独アクセスを含めると8万回。応答なし、応答を期待しない。播きっぱなし。どこかで芽がでればそれで可。●福音を播くものはいわゆる「人格」をも捨てるべきである。人格の向上や完成を目的としてはいけない。それはこの世のこと。根拠は次の通り。君子は怒らない、叱らない、だから傷つかない、血が流れない。


新共同 Ⅱテモ4:2
4:2 御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。


塚本訳 Ⅱテモ4:2
4:2 御言を宣べよ、折よくも折悪くも(たえずそのために)準備して居れ。寛容と教訓の限りを尽くして咎め、叱り、(また)諭せ。


TEV Ⅱテモ4:2
4:2 to preach the message, to insist upon proclaiming it (whether the time is right or not), to convince, reproach, and encourage, as you teach with all patience.

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死の時は神が定める ++++++++ 所感

2006/08/24 08:26

060824(木)5時起床●「死の時は神が定める」ということが示され、27日の長谷川浩納骨式の準備が出来た●人間の「死の時」は神に握られている。人間の誕生は神の意志だが、死も神の意志による。神が息を引き取る。その時は神が決定する。死は神に知られている。


塚本訳  マタ 10:29
10:29 雀は二羽一アサリオン(三十円)で売っているではないか。しかしその一羽でも、あなた達の父上のお許しなしには地に落ちないのである。


●しかし「死んだらどうなるのか」。これ人類の普遍的な深い悩み。これに対して、愛の神は人類のこの深刻な悩みに「イエスの復活」を通して来世の実在を示した。●しかし復活は事実か。作り話ではないのか。復活というのは他の宗教にも同じような話がある。人類は復活を「見たのか」。見なければ信じられない。証拠がなければ信じられない。


塚本訳 ヨハ 20:27-29
20:27 それから(すぐ)トマスに言われる、「指をここに持ってきて、わたしの手(の釘の跡)をよく見てごらん。手を持ってきて、わたしの脇腹に差し込んでみなさい。不信仰をやめて、信ずる者らしくしなさい。」
20:28 トマスがイエスに答えて言った、「わたしの主よ!わたしの神よ!」
20:29 イエスは言われる、「わたしを見たので、信じたのか。幸いなのは、見ないで信ずる人たちである。」


 ●人間、「証拠を見ても」信じられない時があるものだ。●お中元の品物が届いた時、この品物は「義理」ではないのか、本心ではなく裏があるのではないのかなーと思うときは「心が通わない」。神の愛の親切である「イエスの復活」に接しても信じない人は信じない。だからイエスは「見ないで信ずる」ことができる人は幸いだという。


塚本訳  ヨハ 11:43-46
11:43 こう言ったのち、大声で、「ラザロ、出て来い」と叫ばれた。
11:44 死人が手足を包帯で巻かれたまま、(墓から)出てきた。顔は手拭で包まれていた。イエスは「解いてやって(家に)帰らせなさい」と人々に言われた。
11:45 すると、マリヤの所に来てイエスのされたことを見たユダヤ人のうち、多くの者は彼を信じた。
11:46 しかし中には(彼を信ぜず、)パリサイ人の所に行って、イエスのされたことをあれこれと報告した者もすこしあった。


●しかしデカルト以来の現代教育では「見ないで信ずる」人間は愚か者。しかし見ても信じられない人がいる。これ以上は教育ではどうしようもない。●では「信ずる人間は」単純で無思慮な人間か。●聖書は「信じられるようになる」には神の働きがないと信じられないとある。ここが難しい。●しかし神は「どうしても信じられない人」も赦す。なぜか、雀でも神の赦しなしには落ちない。死なないとある。●神はご自分でおつくりになられたものをすべてご存知で、生きると死ぬとを握っておられる。その根拠は次のとおり。


新改訳 使  10:42
10:42 イエスは私たちに命じて、このイエスこそ生きている者と死んだ者とのさばき主として、神によって定められた方であることを人々に宣べ伝え、そのあかしをするように、言われたのです。


口語訳 Ⅰペテ4:3-5
4:3 過ぎ去った時代には、あなたがたは、異邦人の好みにまかせて、好色、欲情、酔酒、宴楽、暴飲、気ままな偶像礼拝などにふけってきたが、もうそれで十分であろう。
4:4 今はあなたがたが、そうした度を過ごした乱行に加わらないので、彼らは驚きあやしみ、かつ、ののしっている。
4:5 彼らは、やがて生ける者と死ねる者とをさばくかたに、申し開きをしなくてはならない。


新共同 Ⅱテモ4:1-2
4:1 神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます。
4:2 御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。




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今朝の空、曇。今日も蒸し暑くなりそうだ。 2006.8.24 5:30 東の窓から


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農業者 2006.8.24 14:30 あきる野市


●農業労働は神からの委託。


口語訳 創  2:15
2:15 主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。


TEV 創  2:15
2:15 Then the Lord God placed the man in the Garden of Eden to cultivate it and guard it.


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毎年行う定点撮影の栗林。今年は伐採中でガックリ。 2006.4.24 15:00 あきる野市


●世の様は変わりゆく。地主は「食べるために」こうせざるを得なかったのだろう。想い出の写真を次に貼り付ける。これは2004.8.17のこと


 


 


●20:00BS映画劇場「父と暮らせば」を鑑賞。父一人娘一人の物語。被爆した女性(宮沢りえ、好演でブルーリボン賞)は、皆が死んだので「うちゃ、生きてんのが申し訳のうてならん」と言って、自分に思いを寄せる人を「好きになってはいけない」と自らを戒める。そんなことはないといって励ます父親がうっとうしくてしょうがない娘。ラストシーンは、父の姿が消えたときに「おとったん。ありがとありました」とつぶやく。はて、この娘はその後結婚できて幸せになれたのだろうかと思わせてEND。





 


 


 


 


 

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使命の終了が死のとき ++++++++ 所感

2006/08/23 09:00

060823(水)4時半起床


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今朝の空。朝日は見えない。 2006.8.23 6:30 あきる野市自邸東の窓


●朝風呂で日経文化欄「チェロに情熱、生涯現役。91歳のプロ奏者バッハの息づかいつかむ」青木十良。・・・80歳を超えてから一層、仕事への意欲が高まり、バッハの「無伴奏テェロソナタ」のCDを次々と出す。70~80代に入ってようやくバッハの呼吸や心がつかめるようになったという。ご立派。私はといえば82歳死亡を念頭において、余命あと19年と思っていたが、思い直して目標90歳に変更。●チェロのカザルスは94歳まで演奏会を行った●去る20日、軽井沢高原教会でお会いした秋田稔先生は86歳でヨハネ黙示録のご研究中。藤林益三先生は今月26日で満99歳。ヒルティは76歳で逝く最後の日まで執筆。エコノミスト+鴎外研究者の吉野俊彦は90歳まで生涯現役、聖路加の日野原重明先生は現在95歳で現役。ヒルティの理想は「仕事中に死ぬこと」。自身はそのとおりになった●何歳まで生きられるかではなく、「使命ををやり遂げるまでは生きたい」ということが死期を規定する。使命の終了が死の時●老年期を暗くしているのは「仕事のない」暇な年金生活。老人のゲートボールは亡国の兆し。あの遊び時間の総和は実に国家的な損。老人パワーを遊びごとに注ぐべきではない。●召される日まで、お金にならなくても「神と人とに仕える」仕事に就くことが大切。●と言って一番いけないのは「年金伝道」。この世が「老齢化」で使いものにならなくなって捨られた人間が「余生を主のため」と言って大挙してキリスト教の世界に押しかけている。これは神としても「有難迷惑」。なぜか、パソコンはできない、若い者の心がつかめない、音楽に理解ない。だから集団組織内での仕事は出来ない。新しい皮袋に古い酒を注ぐようなもの。●老齢化で集団組織内での労働ができなくなった人間は上記チェリストのようにコツコツと一人でできる仕事に邁進して「神と人」に仕えるべきである。それは精神労働●現役時代に会社人間であって生きがいといえば「趣味遊びごと」だけであった人間は、定年年金生活になると「もぬけの殻」。●これを防ぐには現役時代から「二束の草鞋(わらじ)」で意義ある有益な勉強に邁進することが必要。歴史とか経典とか人物の勉強。定年で時間が出来ると手を伸ばせるので勉強の内容が深まる。ただし一人でやるものに限る。


口語訳 マタ 9:16-17
9:16 だれも、真新しい布ぎれで、古い着物につぎを当てはしない。そのつぎきれは着物を引き破り、そして、破れがもっとひどくなるから。
9:17 だれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそんなことをしたら、その皮袋は張り裂け、酒は流れ出るし、皮袋もむだになる。だから、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。そうすれば両方とも長もちがするであろう」。


新共同 マタ 9:16-17
9:16 だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。新しい布切れが服を引き裂き、破れはいっそうひどくなるからだ。
9:17 新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、両方とも長もちする。」


TEV マタ 9:16-17
9:16 "No one patches up an old coat with a piece of new cloth, for the new patch will shrink and make an even bigger hole in the coat.
9:17 Nor does anyone pour new wine into used wineskins, for the skins will burst, the wine will pour out, and the skins will be ruined. Instead, new wine is poured into fresh wineskins, and both will keep in good condition."


●日銀理事であった吉野俊彦氏の生き方は私の理想。経済人としての顔と鴎外研究者の顔とがあった。日記には私的な記録と、経済に関する記録と2種類あった。バーに行った時でも日記を正確に書くため、ホステスの名前をメモされた。日銀時代に記した理事会についての日記は、日銀の議事録よりも正確だという。日記の作成に1時間近くを割く。生涯の研究成果は、経済に関する著作約120冊、森鴎外で約20冊、永井荷風と河上肇で約4冊に纏められている。驚くべきエネルギーである。家には庭に別棟を建ててそちらでは鴎外の研究。母屋では経済の勉強であった。軍医総監と小説家という二足の草鞋を履いた森鴎外と自分とを重ね合わせて、鴎外の生涯を研究した。鴎外は永井荷風を高く評価して慶応大学教授に推薦したが、驚くことに、吉野さんは、そのことから、新たに荷風の研究に着手し、ついで荷風が思想的な影響を受けた河上肇にまで研究をひろげた。●こういう人間の老年期は「生き生き」として、理想。


口語訳 詩  92:12-16
92:12 正しい者はなつめやしの木のように栄え、レバノンの香柏のように育ちます。
92:13 彼らは主の家に植えられ、われらの神の大庭に栄えます。
92:14 彼らは年老いてなお実を結び、いつも生気に満ち、青々として、
92:15 主の正しいことを示すでしょう。主はわが岩です。主には少しの不義もありません。


TEV 詩  92:12-16
92:12 The righteous will flourish like palm trees; /they will grow like the cedars of Lebanon.
92:13 They are like trees planted in the house of the Lord, /that flourish in the Temple of our God,
92:14 that still bear fruit in old age /and are always green and strong.

92:15 This shows that the Lord is just, /that there is no wrong in my protector.


●ただし吉野俊彦と日野原重明(現在95歳の現役で階段を2段飛びで駆け上がる)の真似は誰にでも出来るものではない。●過去日記の一発件検索のために、62年間の日記をまとめてCドライブに保管。これで検索が便利になった。これをCDにも保管。A4で2717ページ分がCD一枚に入るとは驚き。●高木博義さんから「第3回南原繁シンポジウム」のお知らせ。今回は「南原繁の信仰と思想に学ぶ」がテーマで氏の思想の根である無教会キリスト教に焦点が当てられる。いよいよ「本丸」。高木博義氏さんがコーディネーター。●体が痒いのは八畳和室にダニが発生しているらしいので、「ダニブロッカー」を畳と布団に散布。ダニはどこに住むべきなのか。 


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夏雲大好き。聖霊の盛り上がりのようだ。図書館にCDを借りに行く途中 2006.8.23 11:40


●右の建物はあきる野市役所。佐藤総合計画の設計。役所は市民のために良いことをしてくださる機関。これ人類が生み出した尊いもの。これを悪と教える教師、体制の機関をことごとく「悪」と決め付ける人間は身を滅ぼす。真理に立っていないから。


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夏雲大好き。どのくらいの高さがあるのだろう。 2006.8.23 18:00 東の窓から


●塚本虎二主筆「聖書知識」の雑感雑録(日記)の昭和30~33年分を読む。


 

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朝の黙想ということ ++++++++ 所感

2006/08/22 08:13

060822(火)5時半目覚め●目覚めると、聖書の言葉がパラパラと心に浮かぶ。その一つ一つを深く知りたくなる。これをデボージョン(devotion献身、愛着、信仰)という。●マタイ5章8節のデボーション


文語訳 マタ 5:8
5:8 幸福なるかな、心の清き者。その人は神を見ん。


塚本訳  マタ 5:8
5:8 ああ幸いだ、『心の清い人たち、』(御国に入って)神にまみえるのはその人たちだから。


TEV マタ 5:8
5:8 "Happy are the pure in heart; /they will see God!


●疑問。これが本当なら神にまみえることが出来る人はいない。どういう意味か。BbBとTSKを用いて「聖書で聖書を」解読する。


まずBbB。


新共同 ヘブ 12:14

12:14 すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、だれも主を見ることはできません。




口語訳 ヘブ 12:14

12:14 すべての人と相和し、また、自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない。

 

口語訳 Ⅰヨハ3:3

3:3 彼についてこの望みをいだいている者は皆、彼がきよくあられるように、自らをきよくする。



次にTSK日本語ヴァージョン



Matthew 23:25:
偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。杯と皿との外側はきよめるが、内側は貪欲と放縦とで満ちている。


新共同 詩  51:5-14
51:5 あなたに背いたことをわたしは知っています。わたしの罪は常にわたしの前に置かれています。
51:6 あなたに、あなたのみにわたしは罪を犯し/御目に悪事と見られることをしました。あなたの言われることは正しく/あなたの裁きに誤りはありません。
51:7 わたしは咎のうちに産み落とされ/母がわたしを身ごもったときも/わたしは罪のうちにあったのです。
51:8 あなたは秘儀ではなくまことを望み/秘術を排して知恵を悟らせてくださいます。
51:9 ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください/わたしが清くなるように。わたしを洗ってください/雪よりも白くなるように。
51:10 喜び祝う声を聞かせてください/あなたによって砕かれたこの骨が喜び躍るように。
51:11 わたしの罪に御顔を向けず/咎をことごとくぬぐってください。
51:12 神よ、わたしの内に清い心を創造し/新しく確かな霊を授けてください。
51:13 御前からわたしを退けず/あなたの聖なる霊を取り上げないでください。
51:14 御救いの喜びを再びわたしに味わわせ/自由の霊によって支えてください。


口語訳 詩  73:1
73:1 神は正しい者にむかい、心の清い者にむかって、まことに恵みふかい。


Proverbs 22:11:
心の潔白を愛する者、その言葉の上品な者は、王がその友となる。

II Corinthians 7:1:
愛する者たちよ。わたしたちは、このような約束を与えられているのだから、肉と霊とのいっさいの汚れから自分をきよめ、神をおそれて全く清くなろうではないか。

Titus 1:15:
きよい人には、すべてのものがきよい。しかし、汚れている不信仰な人には、きよいものは一つもなく、その知性も良心も汚れてしまっている。

Hebrews 9:14:
永遠の聖霊によって、ご自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は、なおさら、わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、生ける神に仕える者としないであろうか。

Hebrews 10:22:
心はすすがれて良心のとがめを去り、からだは清い水で洗われ、まごころをもって信仰の確信に満たされつつ、みまえに近づこうではないか。

James 4:8:
神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいて下さるであろう。罪人どもよ、手をきよめよ。二心の者どもよ、心を清くせよ。

I Peter 1:22:
あなたがたは、真理に従うことによって、たましいをきよめ、偽りのない兄弟愛をいだくに至ったのであるから、互に心から熱く愛し合いなさい。

Job 19:26:
わたしの皮がこのように滅ぼされたのち、/わたしは肉を離れて神を見るであろう。

I Corinthians 13:12:
わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。

Hebrews 12:14:
すべての人と相和し、また、自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない。

I John 3:2:
愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである。

I John 3:3:
彼についてこの望みをいだいている者は皆、彼がきよくあられるように、自らをきよくする。



●これだけ読むと「アーソーカ」という感じになる。●つまり神に清くされる者だけが幸いだ、神にまみえることが出来るからというのである。ワカッタ、ワカッタ。●自分の疑問はちっぽけで川の流れの隅にささ舟が引っかかっていたようなもの。これだけの引照をみると、聖書全体の巨大な真理に圧倒される。●聖書勉強にはパソコンによるBbBとTSK日本語ヴァージョンによって「聖書で聖書を読む」方法が絶対にお勧め。欠かせないツール。●この作業、わかった時の喜び。嬉しいなー、止められないなー。音楽も楽しみだがそれ以上の楽しみ。


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今朝の空。2006.8.22 5:30 讃美歌491番を思う


讃美歌491番


1. きよき 朝 よ, たのしき 日よ,

  世の ちり より しばし はなれ,

   つきせぬ よろこび

   うくる ぞ うれしき.

 

2. 主 は さかえ の みくら に つき,

   きよき 民 を おさめ たもう,

   つみ ある ひとびと,

   かしこみ おそれ よ.

 

3. みたま の 鳩 ここ に くだり,

   主 の めぐみ を とく しめして,

   われら の こころ を

   あらた に し たまえ.




●ゆき皮膚科で診察。処方箋をもって薬局に行くと窓口いた未知の女性が健康保険証を見て「ホームページを拝見しています。犬がかわいらしく、景色がすばらしいです」。思わぬところに隠れ読者、覗き見読者がいた。ナルホド、HPは写真を中心にしたほうがよさそうだ。●これとは反対に先日は某大学の元教授から次のようなメールを頂いた。

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昭和女子大学で建築学の講義を担当している

そうですが、雄弁で、明晰な語り口の学兄のご講義は、

私でも聞きたいものです。大兄の語り口は、

無教会でも群を抜いて、雄弁です。

しかも、論理的ですから、聞く者に安心感をあたえます。

ご活躍を祈ります。


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●こんなに誉められたのは初めてなので嬉しくなり、思わず自分の文章を少し読み返してみたが(笑)相変わらずの毒舌や悪口が多いのでコリャ―良くないなー品性がないなーと反省。愛ある批判ならよいが、中には思い余って「心の中で断罪、人殺しをしている」のもある。批判なのか殺人なのか、その区分は出来ないので「ありのまま」日記となる。審きは神に任せる。●しかしこのメールの主のような人もいるので写真と文章は半々にしよう●ただし女子大では脱線講義が多く、非常「勤」講師ではなく非常「識」講師である。学生は脱線講義の方に興味があるらしい●今日は酷暑。妻が福島に里帰りで留守なので、建築計画の実地勉強のために(?)、一糸まとわぬ全裸で過ごす。(想像しない、想像しない)。これはモーレツに快適。なぜか。僅かな風でも全身にそよ風が当たり実に心地よい。こういうのを建築学で「体感温度」という。快適さは温度、湿度、風量の組み合わせで決まる。これお勧めライフスタイル。費用がかからない。人間の作り出す文明は「隠す」「防ぐ」方向で発達してきたが、逆にそれで不快になってきたのではあるまいか。「シックハウス」「結露」「換気装置」「冷暖房設備」「被服」「化粧品」「国家機密」「企業秘密」「個人情報秘匿」●今朝、NHKでガーゼの洋服が人気だという報道をしていた。風が通るからだという。賛成。●夫の実家がある新潟に行っている娘の愛子から電話。母子共に元気。●「私生活は秘密でよい」というのが現代の常識となっているが、これがいけない。誰がいつから教えたのか。これが人間関係を暗くする。この悪い風潮の源泉は人間の「罪」。あのアダムとイブにさかのぼる。秘密を正当化するのは良くない。アダムとイブは正当化して神に罰されて「楽園追放」になった。人類の歴史の始まりはこの嘘、隠し事にあってそれが「罪」の源流。イエスの血はそれを贖って人類を罪から解放した。そのことをいうのがロマ書5章。●秘密にはコストがかかる。化粧品、被服費、整形手術、逃走費用、国家の企業の個人の機密保持●ドストエフスキー「罪と罰」。罪に対するこの世での罰は「良心の呵責」。ずるいことをやって「しめしめうまくやった」「うまく儲けた」と思う人間は一生涯「良心の呵責」という責め苦にあう。結果的に損な一生で得はしない。精神的につらい一生、経済的にも実損する。精神的に暗い人生という罰が与えられる。神は事件の細部まで見ておられて正しく裁いて「良心の呵責」という罰を与え続ける。●人間の作った裁判制度では人間を正しくは裁けない。事件というのは当事者でなければわからないことが多いからである。しかし神はいつでも「当事者」である。人間が間違った裁きをしても神は正しく裁く。見逃さない。



口語訳 詩  119:9
119:9 若い人はどうしておのが道を/清く保つことができるでしょうか。み言葉にしたがって、それを守るよりほかにありません。


口語訳 詩  19:9-12
19:9 主を恐れる道は清らかで、とこしえに絶えることがなく、主のさばきは真実であって、ことごとく正しい。
19:10 これらは金よりも、多くの純金よりも慕わしく、また蜜よりも、蜂の巣のしたたりよりも甘い。
19:11 あなたのしもべは、これらによって戒めをうける。これらを守れば、大いなる報いがある。
19:12 だれが自分のあやまちを知ることができましようか。どうか、わたしを隠れたとがから解き放ってください。



 

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口の悪さからの救い ++++++++ 所感

2006/08/21 22:11


060821(月)5時起床●メール2通●橋本次長と長懇談●関部長と懇談●高校野球、早稲田実業が優勝。●妻は今日から福島、●歯が痛く、予約なしで歯医者に飛び込む。「歯がくたびれているのです」との名言に思わず「そういう感じです」と言った。神経と体が疲れていると歯も疲れる。●いい年齢してあのように品性のない「口のききかた」をするから神を信じない人間はダメなのだ。「ドキッとする」「カツンとくる」「ギクッとする」「唖然とする」。脳内出血が再発する●神を信じる前に人間として品性を磨かなければならない。修養を積まなければならない。「口のききかた」ということを学ばなければならない。内村鑑三が「信仰は普通道徳の上に成り立つ」というのは至言●そういう品性のない人間の特徴。「自分は何でも知っている」という傲慢の心があるから他人の話にめったに「感心」しようとしない。それに「人を誉める」ということをしない。だから相手を生かさない。相手を受け入れない。育てない。だからそういう人間を友人に持ってはいけない。自分の益にならない。自分が向上しない。●不幸にも自分の親がそういう品性のない人間であることに気づいたときはどうするか。断然親を捨てるべきである。見習ってはいけない。しかしまず自分が救われて、その上で親の救いというものを祈るべきである●雑学知識は人の徳を高めない。なぜか。その人間の会話は知識量の自慢の垂れ流しだけであり、知識による斬り合いである。神学論争、神観論争、信仰論争、教会論争、みな同じ。相手を高めない。●マテマテ、人のことばかり批判してはいられない。問題は「口の悪さ」からどう清められ、救われるかなのだ。私の見るところ「きれる人間ほど口が悪い」。あの塚本虎二先生も「虎口」を吐いて悩まれたことがある。問題はその「口の悪さ、唇の汚れ」から救われるのはどうすればよいのかなのだ。これは儒教道徳、普通常識、普通道徳、努力修養、ヒューマニズムではとうてい不可能なのだ。


マタ   12: 34 [塚本訳
蝮の末よ、あなた達(自身)が悪いのに、どうして善いことが言えよう。心にあふれて口に出るのだから。



マタ   23: 33 [塚本訳
蛇!蝮の末!どうして君たちは地獄の刑罰を免れることができようか。


口語訳 イザ 6:5
6:5 その時わたしは言った、「わざわいなるかな、わたしは滅びるばかりだ。わたしは汚れたくちびるの者で、汚れたくちびるの民の中に住む者であるのに、わたしの目が万軍の主なる王を見たのだから」。


新改訳 イザ 6:5
6:5 そこで、私は言った。「ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住んでいる。しかも万軍の主である王を、この目で見たのだから。」


新共同 イザ 6:5
6:5 わたしは言った。「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は/王なる万軍の主を仰ぎ見た。」


●自分の口の悪さというものに悩んで、宗教に自己の救い、平安を求める人は幸いである。これに気づかず、悩まない人は「ニーズ」がないから救いというものを求めない。宗教も救いも求めないから、闇から闇へ歩いて「安からざるもの」を追求して「安し、安し」とうそぶく。嘘だ!。この世の如何なるものをも人間を真に満足させないのだ。命!、命!、永遠の生命!のみが人間の心の渇きを真に癒すのだ。●ワーグナーの楽劇は崇高、それは霊魂の救い、贖罪、罪からの救いがテーマ●といって宗教組織に勧誘しているのではない。聖書の真理に勧誘しているのだ。笑うものは笑え。そういう者はいつか「泣く」のだ。


塚本訳  ヨハ 4:13-14
4:13 イエスは答えられた、「この(井戸の)水を飲む者はだれでもまた渇くが、
4:14 わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」


塚本訳  ルカ 6:24-25
6:24 だが、ああ禍だ、富んでいるあなた達、もう慰めを受けたのだから。
6:25 ああ禍だ、今食べあきているあなた達、(かの日に)飢えるのだから。ああ禍だ、今笑っている人たち、(かの日に)泣き悲しむのはあなた達だから。


 


2006_0821_051157AA0001.jpg   起きて東の窓を開けるとこの空。きれいだなー 2006.8.21 5:00


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今日は家に灯りがともっていない。妻が福島に里帰りをしているのだ。 2006.8.21 19:30


●諏訪信という医者がある人の結婚式の披露宴スピーチで、塚本先生に教えられたことだと言って、なぜか私の方に目をチラッとさせて箴言の次の言葉を語られた。これで私は心の迷いが解けた感じがした。「妻を賜った」のはそれから間もなくのことであった。


文語訳 箴 19:14b 賢き妻はエホバより賜(たま)ふものなり


口語訳 箴  19:14b
19:14  賢い妻は主から賜わるものである。


新共同 箴  19:14b
19:14   賢い妻は主からいただくもの。


TEV 箴  19:14b
19:14   but only the Lord can give him a sensible wife.


●これは自分一個の目と頭の範囲内では「賢い妻」は見つからない。自分の意志とは全然違う方面から「賜る」「いただく」というのである。結婚相手は「かしこみ畏れて」、「いただく」ものである。自己の道は自分で選択するといっているうちは狭い人間。小人。●双方とも「こんなに卑しいわたしは結婚できるのか」と思うときに結婚準備が整うのである。神に祝されるのである●といって恋愛結婚は悪く、見合い結婚が良いというのではない。常に自己判断のみが正しいという「慢心」がいけない。どのようなプロセスでも結婚相手は「主より賜る」という姿勢が大切なのである。●結婚は贖罪である


●箴言19:14の引照を見てみる。


口語訳 箴  19:14
19:14 家と富とは先祖からうけつぐもの、賢い妻は主から賜わるものである。


Proverbs 13:22:
善良な人はその嗣業を子孫にのこす、しかし罪びとの富は/正しい人のためにたくわえられる。


Deuteronomy 21:16:
その子たちに自分の財産を継がせる時、気にいらない女の産んだ長子をさしおいて、愛する女の産んだ子を長子とすることはできない。


Proverbs 18:22:
妻を得る者は、良き物を得る、かつ主から恵みを与えられる。


Proverbs 31:10:
だれが賢い妻を見つけることができるか、彼女は宝石よりもすぐれて尊い。


Genesis 24:7:
天の神、主はわたしを父の家、親族の地から導き出してわたしに語り、わたしに誓って、おまえの子孫にこの地を与えると言われた。主は、み使をあなたの前につかわされるであろう。あなたはあそこからわたしの子に妻をめとらねばならない。


Genesis 28:1:
イサクはヤコブを呼んで、これを祝福し、命じて言った、「あなたはカナンの娘を妻にめとってはならない。


James 1:17:
あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、上から、光の父から下って来る。父には、変化とか回転の影とかいうものはない。


 


 


 

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不信者は救われるか ++++++++ 所感

2006/08/20 06:10

060820(日)4時目覚め。床のなかで「不信者は救われるか」の課題を与えられる。●人間の大脳皮質は「救われるか救われないか、はっきりしてくれ」と激しく問う。それは大脳皮質が「満足」を求めているにすぎない。もしここでイエスかノーかの答えが出たら大脳皮質(それは肉)はスッキリしても「心と霊」は満足しない。●この難問を解く鍵は次にあると思う。


塚本訳 ヨハ 14:22-24
14:22 イスカリオテでない方のユダが言う、「主よ、いったいどういうわけで、わたし達だけに御自分を現わし、この世(の人)にはそうしようとされないのですか。」
14:23 イエスは答えられた、「わたしを愛する者は、わたしの言葉を守る。するとわたしの父上はその人を愛され、わたし達は(父上もわたしも)、その人のところに行って、同居するであろう。
14:24 (しかし)わたしを愛しない者は、わたしの言葉を守らない。(だからわたしを見ることができない。)あなた達が(わたしから)聞く言葉はわたしの言葉ではない、わたしを遣わされた父上の言葉である。


●これはまず神の方からの行為で救いが実現するとも、先に人間が神を愛さなければはじまらない、ともとれる。結局イエスにとっても難問で大脳皮質が納得のいく答えは出さなかった。しかし、世の中、「この件はあのひとに任せてあります」ということで満足することがたくさんある。「不信者は救われるか滅びるか、具体的には私の家族はどうなるか」の差し迫った問題も、「この件は神・キリストに任せてあるから」ということで満足を得なければならない。その「信仰」が心に平安をもたらす。この件あくまで自分の脳で判断するという人間は永久に平安と満足が得られない。●この難問を解決する引照。BbBとTSK日本語ヴァージョンで次の個所が心に響いた。


口語訳 黙  3:20
3:20 見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。


塚本訳  黙  3:20
3:20 視よ、私は(お前の家の)戸の前に立って叩いている(ではないか)。もし私の声を聞いて戸を開ける者があれば、私はそこに入って彼と一緒に、彼はまた私と一緒に食事をするであろう。


文語訳  黙  3:20
3:20 視よ、われ戸の外に立ちて叩く、人もし我が聲を聞きて戸を開かば、我その内に入りて彼とともに食し、彼もまた我とともに食せん。


TEV 黙  3:20
3:20 Listen! I stand at the door and knock; if any hear my voice and open the door, I will come into their house and eat with them, and they will eat with me.


●聖書の難問個所があったら、すぐ内村、塚本、黒崎、山谷、関根、前田、高橋、聖書註解書、○○先生に走っていって伺ってはいけない。まず翻訳比較7種類(BbB)、引照(BbB、TSK)で最低30個所も読めば「自分の中に何かが沈殿し、何かが見えてくる」。それが一番よい。


●軽井沢に行く。


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軽井沢高原教会(星野遊学堂・内村鑑三ゆかりのもの)2006.8.20


 本日の奨励は池田裕先生(筑波大で恵の恩師。筑波大名誉教授で旧約の泰斗) 


左・池田裕先生 中・池田京子 右・高橋照男


●思いがけない出会い。今日の池田先生の奨励は「すべてのことに時がある」コヘレトの言葉3:1-8.完全に私のためにお話しくださったようなもの。その御礼をご夫妻にさせていただいた。恵は筑波大学のときに一年間ほど京子夫人と「つくば無教会集会」で一緒であった。恵のことを良く覚えていて下さった。京子夫人と並んで礼拝を守った。神の摂理、導きに感謝。この教会堂は大きなガラス窓を通して樹木が見える「森の教会」という感じでなかなかのもの。●星野遊学堂とは何か。内村は暑い夏を軽井沢で過ごした、その星野温泉で、各方面の文化人が集まり、「学の交流を遊んだ」。「芸術自由講習会」を行いそこの講師をしていた。その拠点が軽井沢高原教会になった。入り口には当時の「星野遊学堂」という看板がある。軽井沢に秘書にきているキリスト信者、特に無教会関係者が良くあつまる。20年近くも前に雲野武夫さんと一緒に来たことがある。


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軽井沢高原教会(星野遊学堂・内村鑑三ゆかりのもの) 左・小倉正子(内村鑑三の孫) 中・秋田稔先生 右・高橋照男 2006.8.20


●思いがけない出会い。秋田先生は塚本先生の弟子。各所大学の教授や学長を御歴任。正子さんは内村鑑三の孫で、内村鑑三がマーちゃんマーチャンと言ってとても可愛がった。記念館には内村から正子さん当ての手紙が7通ほどあった。この出会い、なにか天国での出会いのような感じがした。


 


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星野温泉にある石の教会、内村鑑三記念堂。内村の理想は天然自然の教会。この建物はその具現化だという。自然石がふんだんに使われていた。米国人の設計。 2006.8.20


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軽井沢の黒岩邸 左・橋本真一 中・黒岩和夫 右・黒岩美代  撮影・高橋照男 2006.8.20


建築設計は連合設計社市谷建築事務所・吉田桂二(担当・戎居、矢崎)


竣工して1.5年、周囲の自然に馴染んできていた。黒岩ご夫妻がお喜びなので感謝。


ご主人の和夫氏からはヴェルディのすばらしさを学んだ。和夫氏は酔いが回られ歌劇「ナブッコ」の「飛べ、わが思いよ、黄金の翼に乗って」を歌われ、その解説をしてくださったが、あとで調べたら「ナブッコ」とは旧約聖書に出てくる「ネブカドネザル」のことだとわかって、知らなかったことを恥じた。またシューベルト交響曲5番第2楽章が好きということで「一致」。



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強盗・泥棒であることの悩み ++++++++ 所感

2006/08/19 19:10

040619(土)昨夜のこと。就寝時に妻が窓を閉めようとすると網戸が2箇所も開いていた。妻が気持ち悪がるので、誰か潜んでいないかどうか家中を探索。用心のために枕もとに棒切れを置き、強盗でも出たら「バシッ」と殴る予定で就寝。しかし事なきを得た●クリスチャンは殴ってはいけない。下着を奪うものには上着も与えなければならないのに、恥ずかしいことであった。しかし「山上の垂訓」は「救われた者」の道徳だからこれを守っても救われないし、守れなかったといっても地獄には落とされない。●山上の垂訓はクリスチャンの「努力目標」。これは福音的に読まなければならない。律法的に読んではいけない。この部分は編集史によれば、初代教会で、救われて信者になった者の「教育訓練用」にイエスの語録がまとめられたもの。


文語訳  マタ 5:38-42
5:38 「目には目を、齒には齒を」と云へることあるを汝ら聞けり。
5:39 されど我は汝らに告ぐ、惡しき者に抵抗ふな。人もし汝の右の頬をうたば、左をも向けよ。
5:40 なんぢを訟へて下衣を取らんとする者には、上衣をも取らせよ。
5:41 人もし汝に一里ゆくことを強ひなば、共に二里ゆけ。
5:42 なんぢに請ふ者にあたへ、借らんとする者を拒むな。


●自衛隊は是か否かの論争のときに「戸締り」論争という永久に決着のつかない不毛の議論が交わされる●昨夜の問題。聖書に照らせば「強盗には全部持っていかせよ」とも読めるし、強盗が侵入したら殴りつけて「妻子を防衛」してもかまわないとも読める。これはいずれにしてもこの世の問題なので、「状況によって」どちらでもかまわない●私の場合は「妻と私の防衛のため」に棒きれを用意した。●それよりも強盗になってしまった人の救いの方が大問題。●人生、思わざる不運で「強盗」や「盗人」になってしまった人がいる。彼は救われるか。救われる。神はそういう人の方が「可愛い」。●強盗は「わが身の不運を悩んでいる」のだ。そういう悔いた人を神は救う。


塚本訳 マタ 27:38
27:38 その時イエスと共に二人の強盗が、一人は右に、一人は左に十字架につけられた。


塚本訳 マタ 27:44
27:44 一しょに十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスを罵った。


塚本訳  ルカ 23:39-43
23:39 磔にされている罪人の一人がイエスを冒涜した、「お前は救世主じゃないか。自分とおれ達を救ってみろ。」
23:40 するともう一人の者が彼をたしなめて言った、「貴様は(このお方と)同じ(恐ろしい)罰を受けていながら、それでも(まだ)神様がこわくないのか。
23:41 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる。」


塚本訳 ルカ 18:9-14
18:9 なお、自分(だけ)は信心深いとうぬぼれて人を軽蔑している者たちにも、この譬を話された。
18:10 「二人の人が祈りのために(エルサレムの)宮に上った。一人はパリサイ人、他の一人は税金取りであった。
18:11 パリサイ人は(得々と)ひとり進み出て、こう祈った、『神様、わたしはほかの人たちのように泥棒、詐欺師、姦淫する者でなく、また、この税金取りのような人間でもないことを感謝します。
18:12 わたしは一週間に二度も断食し、(きまったものの一割税だけでなく、)一切の収入の一割税を納めております。』
18:13 しかし税金取りは(罪に責められ、)遠く(うしろ)の方に立ったまま、目を天に向け(て祈りをささげ)ようともせず、ただ胸をうって、『神様、どうぞこの罪人のわたしをお赦しください』と言った。
18:14 わたしは言う、あの人でなく、この人の方が(神から)信心深いとされて、家にかえっていった。自分を高くする者は皆低くされるが、自分を低くする者は高くされるのである。」


●13:30日の出が丘病院で「日の出会」(癌で家族を失った方の会)。夫人に先立たれた初老の男性が多いのは「打撃」が大きいから。女性はそうでもない●帰途、東急でカットスイカ。妻と二人の生活では一個はいらない。


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夏雲大好き 2006.8.19 12:30 あきる野市


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秋川駅前のユリの樹。新井明先生(日本女子大名誉教授・今井館副理事長)を想う。 2006.8.19 13:00


●この樹を見るたびに敬和学園大学の学長として北陸に赴かれた新井明先生を想う。先生が日本女子大におられた時に「ユリの樹の下で」という随筆を書かれた。先生はその愛する御令息をバイク事故(それも教会に急いで向かう途中で!!)で亡くされた。そのとき私は先生はこれで『男』になられたのだと思い、お慰めのお手紙を差し上げた。今井館の帰り道、亡くなられたご令息のことを話しながらご一緒した。ご令息が通っていた教会の牧師はその事故死を聞いたとき「バカヤロウ。慌て者めが!。死ぬのも急ぎやがって!」と叫んだという。人生は「別れ」だ。親は子と別れ、子は親と別れる。●本年3月の「イスラエルの旅」ではご夫人の洋子様とご一緒であった。お子様に先立たれた「母」のお気持ちはいかばかりか。「子を失った母親は慰められようとしない」とある。


塚本訳  マタ 2:17-18
2:17 その時、預言者エレミヤをもって言われた言葉が成就したのである。──
2:18 『声がラマに聞えた、──(ラケルの)』はげしい『わめきと、なげきの声である。ラケルはその子らのために泣くばかりで、慰められようとしない、子らがもういないので。』


●その新井明先生は、6年前に私が脳内出血で意識不明の死線をさまよった時、病院に激励のお手紙を下さったことがある。「現代のヨブよ、倒るるなかれ。来りて我らを教えよ」と。


これは畏れ多くもワーズワースがミルトンについて謳った言葉がもとになっている。その3ヶ月前に家屋を全焼で失った私のことを先生は「現代のヨブ」と言われた。


「ミルトンよ、今あれかし。英国は汝を要す。来りて我らを教えよ」(ワーズワース)


●「親」という字は立っている木を見るという意味である。新井先生のご令息は今ごろあのユリの樹を「見て」先生のことを想っていることであろう。将来を期待された有為な御令息。あまりにも短い人生であった。


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日の出が丘病院ホスピス棟 静かな廊下。2006.8.19 16:00


日の出会終了後は必ずここを訪れる事にしている。突き当りは母が召された個室。母の臨終に立ち会ってくれた看護士の前川さんがおられたので御挨拶。2年半も前のことなのに覚えていてくださったのには感心。感謝。


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盆踊り 一斉に手を打つと夜空に木霊(こだま)するところがよい。ザ・ジャパンだ。盆踊り大好き 2006.8.1920:30 あきる野公園


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盆踊り会場。楽チンな赤ちゃん。居心地がよい赤ちゃんの住まい。建築士として思うところあり。これならお母さんも安心だ。


2006.8.19 20:30 あきる野公園









 


 


 




 


 

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重い病や悩みほど神の愛 ++++++++ 所感

2006/08/18 06:28

060818(金)5時半起床●朝風呂で日経。第一面は「天下り規制見直し案」「違反に刑事罰」。結構なことである。この世のことはだんだん良くなっていく。かって「軍部」というのはとうてい壊せないと思われるほど「強力な組織」であったが、外部からの圧力で壊れた。敗戦。●軍部に従った一般国民の罪も重かった。最近流行になった戦争責任論争ではその責任を天皇やA級戦犯だけに押し付けるているが、これは1970年以降に流入した左翼思想の影響と言われている。(8月15日NHK「アジアの中の日本」討論会での一外交評論家の発言)●災難が起きた時、責任や原因を追求するのはその事件を報じる人間の自己保身術。役人とマスコミがその罪悪に陥っている。●日本の新聞の値段は世界一高く、原因は新聞界の「談合」●NHKは「世論は必ずしも正しくない」とは言えない。なぜならそういう「真理」を言うと反感をかって視聴料を徴収できなくなるから●災難や事故の原因は「当事者でなければわからない」ことが多い。戦争は国民全体の罪。イエスが次のように言ったことと通じる。


塚本訳  ルカ 13:1-5
13:1 ちょうどその時、人が来て、(総督ピラトが犠牲をささげている)ガリラヤ人たちを殺し、その血が彼らの犠牲(の血)にまじったことをイエスに報告した。
13:2 その人たちに言われた、「そのガリラヤ人たちはそんな目にあったので、(ほかの)すべてのガリラヤ人よりも罪人だったと思うのか。
13:3 そうではない。わたしは言う、あなた達も悔改めなければ、皆同じように滅びるであろう。
13:4 またシロアムの(池の)近くの櫓が倒れて(下敷になって)死んだあの十八人は、(当時)エルサレムに住んでいた(ほかの)すべての人よりも罪人だったと思うのか。
13:5 そうではない。わたしは言う、あなた達も悔改めなければ、皆同様に滅びるであろう。」


●とうてい壊れる事はないと思われていた「日本の軍国体制」が壊れた。同じように「天下り」の悪習も壊れ始めた。両方とも当事者では「言いにくい」ことであったから、なかなか壊れなかったのである。はっきりものを言うと自らに身の危険が迫るからである。生活に困るからである。しかしこの世の悪いことはだれか英雄的な人物によってではなく、「民意の良心」で次第次第に良い方に向かう。だからこの世の改善に関しては「福音」は出番ではない。人間の良心というもので改善されていく●日経、「私の履歴書」は遠州茶道宗家の小堀宗慶。シベリヤ抑留中の食べ物の苦労。ロシア兵から与えられる食料はわずかだったので、工夫して食べられるものは何でも食べた。ユリ根、バラの実、キノコ、松の皮、芋虫、蛇。人間それでも生きられる。●健康長寿のためにといって医学、薬学、栄養学が発達して日本人の寿命が延びたのはよいが、逆に惚け老人の割合が多くなった。これをどう考えたらよいか。長寿世界一の数値を手放しで喜んではいられない●かって「平気で嘘をつく人間」(こういう題名の本があった)に悩まされ続け、毎日のように「今日はその人と会うことがないように」と念じながら出勤したものだ。実にいやなヤツであった。その人(上役)に会うことは恐怖であった。しかし「時」が解決した。今、その人とは接触しない。だから平穏である。神はいやな人間をいつかは目の前から「消して(?!)」くれる。それまではじっと我慢していればよいのだ。●しかし今また新に「平気で嘘をつく人間」に囲まれている。人間、生きているうちはこの悩みからは解放されそうにない。●悪いことは神が注意して下さる。人間がやる以上に徹底的に処罰してくださる。これ聖書の思想。だから聖書には「忍耐」という言葉が多く出ている。「自分で復讐するな。復讐は神がやる。徹底的にやる」


新共同 ロマ 12:19
12:19 愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。


塚本訳  ロマ 12:19
12:19 愛する者たちよ、自分で仕返しをするな、(裁きの日の神の)怒りにまかせよ。こう書いてあるではないか、「主は言われる、『仕返しはわたしのもの、』わたしが『報いをする』と。」


TEV ロマ 12:19
12:19 Never take revenge, my friends, but instead let God's anger do it. For the scripture says, "I will take revenge, I will pay back, says the Lord."


塚本訳 マタ 5:5
5:5 ああ幸いだ、『(踏みつけられて)じっと我慢している人たち、』、『(約束の)地(なる御国)を相続する』のはその人たちだから。


TEV マタ 5:5
5:5 "Happy are those who are humble; /they will receive what God has promised!


●黙示録には「忍耐」についてつぎのようなすごい言葉がある。初代キリスト教徒の本質は「忍耐」


塚本訳 黙  13:9-10
13:9 (聞く)耳あらば(私の言を)聴け──
13:10 牢屋に行かねばならぬならば(素直に)牢屋に行け。剣で他人を殺すならば、自分が剣で殺されねばならぬであろう。ここに聖徒の忍耐と信仰がある!


TEV 黙  13:9-10
13:9 "Listen, then, if you have ears!
13:10 Whoever is meant to be captured will surely be captured; whoever is meant to be killed by the sword will surely be killed by the sword. This calls for endurance and faith on the part of God's people."


●直りにくい病気、癒し難き悩みほど神の恩恵が深く注ぐ。これ聖書の思想。


塚本訳  ロマ 5:20-21
5:20 (それなら律法は人を義として永遠の命を与えるためには役立たないのか。その通り。)律法は、過ちを増し強めるために第二義的に来たのである。しかし(神に感謝する、人の犯す)罪が増し強まれば、恩恵は豊かにあふれる。
5:21 これは罪が死を持って支配したように、恩恵も義をもって支配し、わたし達の主イエス・キリストによって、(わたし達を)永遠の命に入れるためである。


塚本訳 ロマ 6:1-4
6:1 それでは、どういうことになるのだろうか。(罪が増せば恩恵も豊かになるならば、)恩恵が増し強まるために、わたし達は罪(の生活)を続けるべきであろうか。
6:2 もちろん、そうではない。わたし達は罪との関係ではすでに死んでいるのに、、どうしてなお罪の中に生きていられよう。
6:3 それともあなた達は知らないのか、キリスト・イエスへと洗礼を受けたわたし達はみな(彼のものになって、)彼の死へと洗礼を受けたのである。
6:4 だからこの死への洗礼によって、彼とい一しょに(死んで一しょに)葬られたのである。これはキリストが父上の栄光によって死人の中から復活されたように、わたし達も(復活して)新しい命をもって歩くためである。


●人間の手に負えない病気や悩み事は神が手を下す。神ご自身が「時至って」完全に直す。そのとき「義の平安」が与えられる。振り返ってみて「神のしわざ」だったのだなーと思える時がくる。それまで「神を信じてじっと忍耐」


塚本訳  マコ 9:28-29
9:28 家にかえられると、弟子たちは人のいない時に尋ねた、「なぜわたし達には霊を追い出せなかったのでしょうか。」
9:29 彼らに言われた、「この種類(の霊)は、祈り以外(の手段)では決して出てゆかせることは出来ない。」


新改訳 ヘブ 12:5-11
12:5 そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。
12:6 主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」
12:7 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。
12:8 もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。
12:9 さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。
12:10 なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。
12:11 すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。



●三浦綾子(キリスト教文学者というよりもキリスト教宣伝文学者。世界的文豪とはいえない)によれば神といえども過ぎ去った過去を取り戻すことが出来ないというが、ノーである。神は過去を取り戻す、過去を帳消しにする。神は人間の履歴書を見ない、今現在を見る、否!今も見ない、将来を見る。人間、過去も今現在も悪くてどうしようもなくても将来に「希望」を持つ。神は忍耐と慰めの神。●忍耐力は神が慰めとともに賜る。人間の努力ではない。


新共同 ロマ 15:5-6
15:5 忍耐と慰めの源である神が、あなたがたに、キリスト・イエスに倣って互いに同じ思いを抱かせ、
15:6 心を合わせ声をそろえて、わたしたちの主イエス・キリストの神であり、父である方をたたえさせてくださいますように。


塚本訳 ロマ 15:5-6
15:5 この忍耐と慰めとを賜わる神が、キリスト・イエスの心を体してあなた達が互に思いを同じくするようにさせられんことを。
15:6 これはあなた達が心を一つにし、一つの口をもって、わたし達の主イエス・キリストの神また父をあがめるためである。


●医学博士の米山公啓によれば・・・・「笑いはNK細胞という免疫力に関係する細胞を活性化させ、癌細胞を破壊し、感染を防ぐ」「講演やプレゼンテーションなど人前で話す際に、品のいい冗談や面白い話ができれば高感度がアップし、おのずと人は集まってくるようになる」・・・とあった。ここで重要なのは「品のいい」ということである。●英国人のユーモア、米国人のジョーク、フランス人のエスプリなどはキリスト教文化による品のよさが背景にあって相手を傷つけない。相手を生かす。座を明るくする。座を活性化させる。相手の話に乗って笑いで応じる。その弾みで話を引き出し、相手を生かす。●それに比べて日本人の冗談は「バカ正直」的なもので相手を傷つけ、その場の雰囲気を壊す。バカ正直で自分の罪の本性を暴露している。聞いていてギョッとする。冷たいものが走る。全然面白くない。育ちが悪く、躾をされなかったか躾というものを嫌った人間がそうなる。真の教養と文化がない。戦後すぐにマッカ―サーが日本人の精神年齢は12歳だと言ったのは至言。人間としての修業をしなければならない。否心を清くしなければならない。救われなければならない。●日本人の「座談」は自慢の垂れ流し」「自慢の応酬」。聞いていてイヤーな気分になる、後味が悪い。「大脳皮質に蓄積している腐った雑学知識の糞尿」の垂れ流し。そういう人間の仲間になってはいけない。自分が向上しないばかりか真似をするから堕落する。朱に交われば赤くなる。友人は上品で自分を高めてくれる人を選べ。


新共同 イザ 6:5
6:5 わたしは言った。「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は/王なる万軍の主を仰ぎ見た。」


塚本訳 マタ 12:34
12:34 蝮の末よ、あなた達(自身)が悪いのに、どうして善いことが言えよう。心にあふれて口に出るのだから。


塚本訳 ヨハ 8:44
8:44 (そのはずである。)あなた達は悪魔なる父の子で、父と同じ欲望を遂げようと思っているのだ。(人殺しをし、嘘をつくのは、そのためである。)悪魔は始めから人殺しである。(また嘘つきで、)真理に立ってない。彼の中には真理がないからである。だから彼は嘘をつく度ごとに、その本性を表しているのである。嘘つきで、嘘の父だからだ。


TEV ヨハ 8:44
8:44 You are the children of your father, the Devil, and you want to follow your father's desires. From the very beginning he was a murderer and has never been on the side of truth, because there is no truth in him. When he tells a lie, he is only doing what is natural to him, because he is a liar and the father of all lies.


口語訳 詩  59:12-13
59:12 彼らの口の罪、そのくちびるの言葉のために/彼らをその高ぶりに捕われさせてください。彼らが語るのろいと偽りのために


●図書館にCDを借りに行く、BK●日記の4月~7月をCDにコピーして保存、電子保存は不安。プロバイダーが火災になったらどうなるのか ●


 


 


 


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死にたる者にその死にたる者を葬らせよ ++++++++ 所感

2006/08/17 07:00

060817(木)4時半起床●朝風呂で日経「私の履歴書」は遠州茶道宗家の小堀宗慶。シベリヤの凍土での苛酷な重労働。丸太小屋建築、鉄道や道路の工事。幼い頃父とともに、大工職、左官職、植木職などの仕事を見知っていたことが非常に役に立ったという●バカダネーアイツは。男一匹、いい年していつまでも「趣味、遊び、社会批判」をしていてはいけない。●キリスト教が堕落するとヒューマニズムか、神学が職業になる。説教が「食うための手段」となる。教会がサロンと化する。そして無教会が堕落すると教会主義と同じ集会継続運営主義となる。どれもこれも「処女降誕と有体的復活の使徒伝承」が正しく継承されないところに起こる現象●無教会者の職業と言えば「教師」、それも「語学教師」と相場が決まっている。あるいは「キリスト教」と冠のつく団体や福祉事業。この世の普通の小事である職業(営利企業の会社員、肉体労働者、漁業、林業、農業、この世の幸福に関わる医者、学者、研究者、土木建築士、栄養士、政治家、普通の家の主婦、など)に信仰的意味を見出せない人間はみな「語学教師」などという安易な道を行く。ひ弱である。ルカ16章9-13の深い意味を知らないから信仰と職業の調和が得られない●某氏が「高橋照男はまだ建築に興味があって面白くてしょうがないのだ」と批判、私をキリスト教伝道に専念させようとしている。ノー。人間、この世に生きているうちは「小事」に忠実でなければならないし、神の永遠の生命を頂けばこの世の「小事」に興味が沸くのだ。「小事が面白くてしょうがなくなるのだ」●だから信仰と職業の調和が得られなくて、(人に教える)教師になったり、宗教家になって説教でメシを食ったり、伝道雑誌を出したりすることは絶対にいけないことだ。●社会批判をすることや社会活動をすることが「信仰の展開」だと勘違いして「(つまらない)主婦の仕事」に満足せず、その小事を捨てて家事を放り出し、口角泡を飛ばし髪振り乱してデモなどに狂奔する女性を作りだす一部無教会の伝道者やグループの罪は重い。


塚本訳 ルカ 16:9-13
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。
16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。
16:11 だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。
16:12 もし他人のもの[この世のこと]に忠実でなかったならば、だれがあなた達のもの[天のもの]をあなた達に与えようか。
16:13 しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。」


●小泉首相が終戦の日の15日に靖国神社に参拝したことで国論が二分●NHKがその賛否を問うと賛否が拮抗、わずか賛成が多数。しかも若い人が多いと言う結果●元首相の中曽根康弘氏は「天皇が靖国に参拝するように導くのが首相の役目」だと発言。●こういう問題にキリスト信者はどう関わるべきか。「地の塩」と自認して反対運動、啓蒙運動に立ち上がる人間がいるが、正しくない。ヒューマニストたちは「仲間が増えた」と言って喜ぶだけ。●こういうと高橋照男は「塚本虎二の最も悪いところを継承している」と批判が来る。そういう連中に限って「処女降誕と有体的復活」の正統信仰を継承していないから不思議。それは判で付いたように同じ現象。その共通現象には研究の価値あり。待て待て、そんなこと研究する暇はない。それは当然なのだ。彼らの思いはすべてこの世のこと。この世の平和。キリスト教ではなくヒューマニズム。●この問題をイエスに問えば答えは明白。


文語訳 マタ 8:21-22
8:21 また弟子の一人いふ『主よ、先づ、往きて、我が父を葬ることを許したまへ』
8:22 イエス言ひたまふ『我に從へ、死にたる者にその死にたる者を葬らせよ』


塚本訳 マタ 8:21-22
8:21 またほかの一人の弟子が言った、「主よ、(お共をする)その前に、父の葬式をしに行かせてください。」
8:22 イエスはその人に言われる、「(今すぐ)わたしについて来なさい。死んだ者の葬式は、死んだ者にまかせよ。」


TEV マタ 8:21-22
8:21 Another man, who was a disciple, said, "Sir, first let me go back and bury my father."
8:22 "Follow me," Jesus answered, "and let the dead bury their own dead."


●これを読んで、すぐ家庭を捨て親を捨て先祖を捨て先祖の法事を捨てるのは「聖書の読みが浅い」。そういう人間がキリスト教の評判を落とす。●では「死んだ者の葬式は、死んだ者にまかせよ」の真の意味は何か。研究する。こういうとき聖書学者の意見(各教派の見解、内村、塚本、黒崎、矢内原など)に聞くから意見が分かれてセクト化する。聖書で聖書を読まなければならない。


始めの疑問。


1・死にたる者とは誰のことか、不信者のことか


2・信者は親族の葬式に参加しなくて良いか。マーク・R・マリンズ著、高崎恵訳「メイドインジャパンのキリスト教」トランスビュー刊,によれば、日本にキリスト教が土着するためには先祖供養をしっかりする風習の確立が重要という


3・信者はこの世の慣わしにどう対処すべきか。


以上の疑問を「聖書で」学ぶ。


まず語句索引、これはJ]バイブルを利用。マタイ8章21節であることがわかる。


次にBbBで翻訳比較7種類。このときこの8章21節が含まれる「ペリコーペ」(段落)全体を見る。


次にこのペリコーペ(段落)にたいする「併行個所」と各国の引照をみる。すると、併行個所のルカ9:57-62が出てくる。これを読むとナルホドと思う。イエスの言葉の背景が見える。特に9:62は強烈である。納得である。


塚本訳 ルカ 9:57-62

9:57 彼らが道を進んでいると、ある人がイエスに言った、「どこへでもおいでになる所はお供をします。」

9:58 イエスはその人に言われた、「狐には穴がある、空の鳥には巣がある。しかし人の子(わたし)には枕する所がない。(その覚悟があるか。)」

9:59 またほかの一人に言われた、「わたしについて来なさい。」その人が言った、「その前に、父の葬式をしに行かせてください。」

9:60 その人に言われた、「死んだ者の葬式は死んだ者にまかせ、あなたは行って神の国を伝えなさい。」

9:61 もう一人のほかの人も言った、「主よ、お供します。ただその前に、家の者に暇乞いをさせてください。」

9:62 しかしイエスは言われた、「鋤に手をかけたあとで後を見る者は、神の国の役に立たない。



次にマタイ8章21節の引照をピンポイントで見る、すると多く出るが、次のパウロの言葉にノックアウトされた。パウロに聞けば次のように答えるだろう。



II Corinthians 5:16:
それだから、わたしたちは今後、だれをも肉によって知ることはすまい。かつてはキリストを肉によって知っていたとしても、今はもうそのような知り方をすまい。



これで愕然である。ガーンである。「パウロ先生分かりました。スミマセン」である。しかし、普通はこれで「人間的に」奮い立ち、親を捨て、家庭を捨て、職場を捨てて、人間的に猪突猛進勇猛果敢に修道院や神学校に飛び込む。ノーである。それではいけない。聖書の読みが浅い。信者の夫人達や信者の親におだてられほめられても職業宗教界家の道はいけない。無教会はその道を勧めない。●聖書にはまた次のようにある。家の手伝いをせよ、オヤジのあとを継げ。つまらない、意義を見出せないと思う仕事に価値があるのだ。営利企業に勤務していて自分の仕事に信仰的な意義を見出せないという苦しみのところに恩恵が潜んでいる。



口語訳 Ⅰテモ5:4-8
5:4 やもめに子か孫かがある場合には、これらの者に、まず自分の家で孝養をつくし、親の恩に報いることを学ばせるべきである。それが、神のみこころにかなうことなのである。
5:5 真にたよりのない、ひとり暮しのやもめは、望みを神において、日夜、たえず願いと祈とに専心するが、
5:6 これに反して、みだらな生活をしているやもめは、生けるしかばねにすぎない。
5:7 これらのことを命じて、彼女たちを非難のない者としなさい。
5:8 もしある人が、その親族を、ことに自分の家族をかえりみない場合には、その信仰を捨てたことになるのであって、不信者以上にわるい。



新改訳 Ⅰテモ5:4-8
5:4 しかし、もし、やもめに子どもか孫かがいるなら、まずこれらの者に、自分の家の者に敬愛を示し、親の恩に報いる習慣をつけさせなさい。それが神に喜ばれることです。
5:5 ほんとうのやもめで、身寄りのない人は、望みを神に置いて、昼も夜も、絶えず神に願いと祈りをささげていますが、
5:6 自堕落な生活をしているやもめは、生きてはいても、もう死んだ者なのです。
5:7 彼女たちがそしりを受けることのないように、これらのことを命じなさい。
5:8 もしも親族、ことに自分の家族を顧みない人がいるなら、その人は信仰を捨てているのであって、不信者よりも悪いのです。



新共同 Ⅰテモ5:4-8
5:4 やもめに子や孫がいるならば、これらの者に、まず自分の家族を大切にし、親に恩返しをすることを学ばせるべきです。それは神に喜ばれることだからです。
5:5 身寄りがなく独り暮らしのやもめは、神に希望を置き、昼も夜も願いと祈りを続けますが、
5:6 放縦な生活をしているやもめは、生きていても死んでいるのと同然です。
5:7 やもめたちが非難されたりしないように、次のことも命じなさい。
5:8 自分の親族、特に家族の世話をしない者がいれば、その者は信仰を捨てたことになり、信者でない人にも劣っています。



●過日某夫人が私に「息子は神学部にいて組織神学によい成績をとったので将来は教会に奉仕したいと考えています」と自慢した。わたしは「それでは生活できませんよ。難しいです」と表面的にはさしさわりなく言ったけれども、実のところ心の底では「無教会の私によく平気な顔をして言うな。何もワカッチャイナイ。バッカじゃないかこの母親は」と煮え繰り返っていたのだ。こういう話を聞くと、血が逆流するぐらいに怒りに燃える。


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雲の大岳山。一昨日登頂した大岳山が雲に覆われている。あそこに登ったのだ 2006.8.17






 


 


 


 

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癌は直るという「希望」 ++++++++ 所感

2006/08/16 20:41

060816(水)5時起床●茅ヶ崎の金子幸子邸で大熊好子さんの快気祝い懇親会。癌の手術が成功してお元気になられたのは我々にとって癌は直ると言う「希望」を与えてくれた


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大熊好子快気祝い。於金子幸子邸 2006.8.15 神奈川県茅ヶ崎市


後列左から 高橋照男 高橋トミ子 小寺七重


前列左から 大熊好子 金子幸子 小寺利男 山口喜代子


茂木洋子さんは途中退席


懇親懇談大笑い。大熊さんは癌の手術が成功し、とてもお元気なのは私たちの「希望」


私は大熊さんに「死んだラザロが生き返ったとき宴会をした」と話した。


口語訳 ヨハ 12:1-2
12:1 過越の祭の六日まえに、イエスはベタニヤに行かれた。そこは、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロのいた所である。
12:2 イエスのためにそこで夕食の用意がされ、マルタは給仕をしていた。イエスと一緒に食卓についていた者のうちに、ラザロも加わっていた。


新改訳 ヨハ 12:1-2
12:1 イエスは過越の祭りの六日前にベタニヤに来られた。そこには、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロがいた。
12:2 人々はイエスのために、そこに晩餐を用意した。そしてマルタは給仕していた。ラザロは、イエスとともに食卓に着いている人々の中に混じっていた。


●大熊さんはいよいよ手術の時には「祈れなかった」と言う。私はそれが本当の祈りだと言った。人間、本当に苦しい時には口に出しては祈れない。どう祈ったらよいか分からないのだ。ただ「呻く」だけ。パウロは次のように言う。


塚本訳  ロマ 8:26-27
8:26 しかし(創造物やわたし達神の子が苦しんでいると)同じように、御霊も、弱いわたし達を助けてくださる。すなわち、(神のみ心にかなうには)どう何を祈るべきかわからないので、御霊自身が、無言の呻きをもって(わたし達の祈りを神に)執り成してくださるのである。
8:27 しかし(人の)心を見抜くお方[神]は、御霊が何を求めているか、すなわち、御霊が神の御心にかなうように聖徒たちのために執り成しておられることを、(もちろん)御存じである。


文語訳 ロマ 8:26-27
8:26 斯くのごとく御靈も我らの弱を助けたまふ。我らは如何に祈るべきかを知らざれども、御靈みづから言ひ難き歎きをもて執成し給ふ。
8:27 また人の心を極めたまふ者は御靈の念をも知りたまふ。御靈は神の御意に適ひて聖徒のために執成し給へばなり。


TEV ロマ 8:26-27
8:26 In the same way the Spirit also comes to help us, weak as we are. For we do not know how we ought to pray; the Spirit himself pleads with God for us in groans that words cannot express.
8:27 And God, who sees into our hearts, knows what the thought of the Spirit is; because the Spirit pleads with God on behalf of his people and in accordance with his will.


●イエスも最後は孤独の祈り、孤独のもだえであった。誰も助けてくれなかった。


塚本訳 ルカ 22:42-44
22:42 言われた、「お父様、お心ならば、どうかこの杯をわたしに差さないでください。しかし、わたしの願いでなく、お心が成りますように!」
22:43 そのとき天から一人の天使がイエスに現われて、力づけた。
22:44 イエスはもだえながら、死に物狂いに祈られた。汗が血のしたたるように(ポタポタ)地上に落ちた。


 


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1955年、今から26年前に設計した金子幸子邸。随分きれいに使っておられた。2006.8.16

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大岳山に登る ++++++++ 所感

2006/08/15 19:44

060815(火)4時半起床●朝風呂で日経「私の履歴書」は遠州茶道宗家の小堀宗慶。捕虜の苛酷な状況。貨車の中を三段にして90人が詰め込まれ何日も移動させられた。戦わなかったソ連にこんなことをされるのは理不尽だが、戦争とはこんなものだ。イエスの言葉を思う。神が裁く。


塚本訳 マタ 5:38-42
5:38 あなた達は(昔の人がモーセから、)『目には目、歯には歯』──(人の目をつぶした者は自分の目で、人の歯を折った者は自分の歯で、つぐなわなければならない)と命じられたことを聞いたであろう。
5:39 しかしわたしはあなた達に言う、悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打ったら、左をも向けよ。
5:40 (裁判所に)訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせてやれ。
5:41 だれかが無理に一ミリオン[一キロ半]行かせようとするなら、一しょに二ミリオン行ってやれ。
5:42 求める者には与えよ、借りようとする者を断るな。


TEV マタ 5:38-42
5:38 "You have heard that it was said, "An eye for an eye, and a tooth for a tooth.'
5:39 But now I tell you: do not take revenge on someone who wrongs you. If anyone slaps you on the right cheek, let him slap your left cheek too.
5:40 And if someone takes you to court to sue you for your shirt, let him have your coat as well.
5:41 And if one of the occupation troops forces you to carry his pack one mile, carry it two miles.
5:42 When someone asks you for something, give it to him; when someone wants to borrow something, lend it to him.


念願の大岳山登山。11年ぶり3回目。38歳、52歳、そして今回63歳。大岳山を撮影するたびに「あと一度でよいから登りたい」と思っていたのが何とか実現。健康回復に感謝。6:50出発、途中一時小雨だったが標高1266メートルの山頂に立てた。しかし平衡感覚がまだ完治していないのと、63歳の年齢の体力ではきつかった。これが最後だとの感がした。私のペースに合わせて登ってくれた妻に感謝。御岳山までケーブル、そこから登山3.5キロ往復7.0キロ。16:50帰宅。


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妻が見たいと望んだ御岳山のレンゲショウマの花 2006.8.15 8:30


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大岳神社 大岳山頂はもう少し。この幻想的な場面は長い間記憶にあった。2006.8.15 10:10


妻は時々後ろを振り返って私のペースに合わせてくれた。この少し手前の岩場は登るための鎖が数箇所あるほどの難所。今回が最後という感じがした。我ながらよく頑張った。


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念願の大岳山登頂11年振り3回目。 1266メートル。思わず万歳万歳と叫んだ。 2006.8.15 11:50


山頂寸前の岩場は胸突き八丁。もう二度と来られないと思った。今回登れて感謝。小雨であった。


●敗戦記念日の今日、小泉首相が靖国神社に参拝●NHKで「アジアの中の日本」討論会●人間は国家のために命を捧げてはならない。企業のために命を捧げてはならない。人間のために命を捧げてはならない。何に命を捧げるかは「人様々」。人生観も様々。●麻生外相の「国のために命を捧げた人を国家が祭るのは当然。どこの国でもそうしている」という「靖国参拝論争」を聞いて、ノー!と思った。人間は国家よりも大切なものがある。次のイエスの言葉を思い出した。


文語訳  マタ 8:21-22
8:21 また弟子の一人いふ『主よ、先づ、往きて、我が父を葬ることを許したまへ』
8:22 イエス言ひたまふ『我に從へ、死にたる者にその死にたる者を葬らせよ』


塚本訳 マタ 8:21-22
8:21 またほかの一人の弟子が言った、「主よ、(お共をする)その前に、父の葬式をしに行かせてください。」
8:22 イエスはその人に言われる、「(今すぐ)わたしについて来なさい。死んだ者の葬式は、死んだ者にまかせよ。」


TEV マタ 8:21-22
8:21 Another man, who was a disciple, said, "Sir, first let me go back and bury my father."
8:22 "Follow me," Jesus answered, "and let the dead bury their own dead."


●イエスに今日の「靖国問題」を聞けば「死んだ者の葬式は、死んだ者にまかせよ。」と言うのは明白。


●2007年6月22日、ウィーン楽友協会での「世界合唱フェスティバル」に妻が参加決定。ウィーン少年合唱団と共演、私は応援団で同行、念願のウィーン楽友協会(ウィーンムジークフェラインスザール)の音響を建築士として体験することが出来ることは感謝。ザルツブルグも訪問する。健康が回復して感謝。●ウィーン楽友協会でのサウンドを聴くことは数年前に一度計画したが、脳内出血で挫折断念。今度は正夢か。







 

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失われた羊に行け ++++++++ 所感

2006/08/14 07:04

060814(月)5時起床●目覚めると「イスラエルの失われた羊に行け」の声。


Jバイブルでその個所を探す。まず翻訳比較をする。


口語訳 マタ 10:5-8
10:5 イエスはこの十二人をつかわすに当り、彼らに命じて言われた、「異邦人の道に行くな。またサマリヤ人の町にはいるな。
10:6 むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところに行け。
10:7 行って、『天国が近づいた』と宣べ伝えよ。
10:8 病人をいやし、死人をよみがえらせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出せ。ただで受けたのだから、ただで与えるがよい。


新改訳 マタ 10:5-8
10:5 イエスは、この十二人を遣わし、そのとき彼らにこう命じられた。「異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤ人の町にはいってはいけません。
10:6 イスラエルの家の滅びた羊のところに行きなさい。
10:7 行って、『天の御国が近づいた。』と宣べ伝えなさい。
10:8 病人を直し、死人を生き返らせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。


新共同 マタ 10:5-8
10:5 イエスはこの十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。
10:6 むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。
10:7 行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。
10:8 病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。


塚本訳 マタ 10:5-8
10:5 イエスはこの十二人に次のように命じて(伝道に)派遣された。──「(国を離れてはいけない。)異教人の所へ行くな、またサマリヤ人の町に入るな。
10:6 ただ、イスラエルの家のいなくなった羊(だけ)に行け。
10:7 行って、『天の国は近づいた』と説け。
10:8 病人をなおし、死人を生きかえらせ、癩病人を清め、悪鬼を追い出せ。(福音も病気もなおす力も、みな神から)ただで戴いたのだ、ただで与えよ。


文語訳 マタ 10:5-8
10:5 イエスこの十二人を遣さんとて、命じて言ひたまふ、『異邦人の途にゆくな、又サマリヤ人の町に入るな。
10:6 むしろイスラエルの家の失せたる羊にゆけ。
10:7 往きて宣べつたへ「天國は近づけり」と言へ。
10:8 病める者をいやし、死にたる者を甦へらせ、癩病人をきよめ、惡鬼を逐ひいだせ。價なしに受けたれば價なしに與へよ。


TEV マタ 10:5-8
10:5 These twelve men were sent out by Jesus with the following instructions: "Do not go to any Gentile territory or any Samaritan towns.
10:6 Instead, you are to go to the lost sheep of the people of Israel.
10:7 Go and preach, "The Kingdom of heaven is near!'
10:8 Heal the sick, bring the dead back to life, heal those who suffer from dreaded skin diseases, and drive out demons. You have received without paying, so give without being paid.


BbBでさらに二つの翻訳を見る。


岩波翻訳委員会訳1995

401005イエスはこれら十二人を遣わし、彼らに命じて言った、「異邦人の道には行くな、またサマリア人の町には入るな。

401006むしろ、イスラエルの家の失われた羊のもとへ行け。

401007そして行って、宣教して言え、『天の王国は近づいた』と。

401008病弱の者たちを癒し、死者たちを起こし、らい病人たちを清め、悪霊どもを追い出せ。無償で受けたのだ、無償で与えよ。




前田訳1978

10:5 イエスは次の指図をしてこれら十二人をつかわされた。「異邦人の道に出かけるな、サマリア人の町に入るな。

10:6 むしろイスラエルの家のうせた羊へ行け。

10:7 行って天国は近づいたと告げよ。

10:8 病むものをいやし、死人を起こし、らい者を清め、悪鬼を追い出せ。ただで受けたから、ただで与えよ。


●疑問、質問。「失われた羊」とは誰のことか、イエスは愛国者だったのか、何をせよというのか、病気を直すなどの奇蹟は行えないのだが・・・・・●そこでBbBで各国の引照を見る。


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各国聖書引照

 


 

(独)NESTLE-ALAND NOVUM TESTAMENTUM GRAECE 27版1993 の引照

 

新共同 マタ 3:2

3:2 「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。

 

 

(英・米)THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE 1982 の引照

 

口語訳 ガラ 3:28

3:28 もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである。

 

口語訳 ロマ 15:8

15:8 わたしは言う、キリストは神の真実を明らかにするために、割礼のある者の僕となられた。それは父祖たちの受けた約束を保証すると共に、

 

口語訳 ガラ 6:9-10

6:9 わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。

6:10 だから、機会のあるごとに、だれに対しても、とくに信仰の仲間に対して、善を行おうではないか。

 

口語訳 Ⅰコリ9:4-14

9:4 わたしたちには、飲み食いをする権利がないのか。

9:5 わたしたちには、ほかの使徒たちや主の兄弟たちやケパのように、信者である妻を連れて歩く権利がないのか。

9:6 それとも、わたしとバルナバとだけには、労働をせずにいる権利がないのか。

9:7 いったい、自分で費用を出して軍隊に加わる者があろうか。ぶどう畑を作っていて、その実を食べない者があろうか。また、羊を飼っていて、その乳を飲まない者があろうか。

9:8 わたしは、人間の考えでこう言うのではない。律法もまた、そのように言っているではないか。

9:9 すなわち、モーセの律法に、「穀物をこなしている牛に、くつこをかけてはならない」と書いてある。神は、牛のことを心にかけておられるのだろうか。

9:10 それとも、もっぱら、わたしたちのために言っておられるのか。もちろん、それはわたしたちのためにしるされたのである。すなわち、耕す者は望みをもって耕し、穀物をこなす者は、その分け前をもらう望みをもってこなすのである。

9:11 もしわたしたちが、あなたがたのために霊のものをまいたのなら、肉のものをあなたがたから刈りとるのは、行き過ぎだろうか。

9:12 もしほかの人々が、あなたがたに対するこの権利にあずかっているとすれば、わたしたちはなおさらのことではないか。しかしわたしたちは、この権利を利用せず、かえってキリストの福音の妨げにならないようにと、すべてのことを忍んでいる。

9:13 あなたがたは、宮仕えをしている人たちは宮から下がる物を食べ、祭壇に奉仕している人たちは祭壇の供え物の分け前にあずかることを、知らないのか。

9:14 それと同様に、主は、福音を宣べ伝えている者たちが福音によって生活すべきことを、定められたのである。

 

口語訳 ガラ 6:6

6:6 御言を教えてもらう人は、教える人と、すべて良いものを分け合いなさい。

 

 

口語訳 Ⅰテサ4:8

4:8 こういうわけであるから、これらの警告を拒む者は、人を拒むのではなく、聖霊をあなたがたの心に賜わる神を拒むのである。

 

 

口語訳 ロマ 14:10

14:10 それだのに、あなたは、なぜ兄弟をさばくのか。あなたは、なぜ兄弟を軽んじるのか。わたしたちはみな、神のさばきの座の前に立つのである。

 

(日)新共同訳1987 の引照

 

新共同 Ⅰコリ9:14

9:14 同じように、主は、福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の資を得るようにと、指示されました。

 

新共同 Ⅰテモ5:18

5:18 聖書には、「脱穀している牛に口籠をはめてはならない」と、また「働く者が報酬を受けるのは当然である」と書かれています。

 

新共同 使 13:51

13:51 それで、二人は彼らに対して足の塵を払い落とし、イコニオンに行った。

 

 

(仏)THE NEW JERUSALEM BIBLE 1985 の引照

 

口語訳 Ⅰコリ9:14

9:14 それと同様に、主は、福音を宣べ伝えている者たちが福音によって生活すべきことを、定められたのである。

 

口語訳 使 13:51

13:51 ふたりは、彼らに向けて足のちりを払い落して、イコニオムへ行った。

 

口語訳 使 18:6

18:6 しかし、彼らがこれに反抗してののしり続けたので、パウロは自分の上着を振りはらって、彼らに言った、「あなたがたの血は、あなたがた自身にかえれ。わたしには責任がない。今からわたしは異邦人の方に行く」。

 


(独)NESTLE-ALAND NOVUM TESTAMENTUM GRAECE 27版1993 の引照

 

新共同 マタ 3:2

3:2 「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。

 

新共同 マコ 16:17

16:17 信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。

 

新共同 ルカ 10:4

10:4 財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな。



●以上を読むと圧倒されるものがある。気の毒な人に向かって行け、世界伝道でなく自国の足元から行け、生活の心配などするなというのである。

●さらに10:5-6をSWORDのTSK日本語ヴァージョンで調べる。

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Luke 9:2:
また神の国を宣べ伝え、かつ病気をなおすためにつかわして

John 7:35:
そこでユダヤ人たちは互に言った、「わたしたちが見つけることができないというのは、どこへ行こうとしているのだろう。ギリシヤ人の中に離散している人たちのところにでも行って、ギリシヤ人を教えようというのだろうか。

Acts 10:45:
割礼を受けている信者で、ペテロについてきた人たちは、異邦人たちにも聖霊の賜物が注がれたのを見て、驚いた。

Acts 11:1:
さて、異邦人たちも神の言を受けいれたということが、使徒たちやユダヤにいる兄弟たちに聞えてきた。

Acts 22:21:
すると、主がわたしに言われた、『行きなさい。わたしが、あなたを遠く異邦の民へつかわすのだ』」。

Romans 15:8:
わたしは言う、キリストは神の真実を明らかにするために、割礼のある者の僕となられた。それは父祖たちの受けた約束を保証すると共に、

 Romans 15:9:
異邦人もあわれみを受けて神をあがめるようになるためである、/「それゆえ、わたしは、異邦人の中で/あなたにさんびをささげ、/また、御名をほめ歌う」/と書いてあるとおりである

Luke 9:52:
自分に先立って使者たちをおつかわしになった。そして彼らがサマリヤ人の村へはいって行き、イエスのために準備をしようとしたところ、

John 4:5:
そこで、イエスはサマリヤのスカルという町においでになった。この町は、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにあったが、

John 4:9:
すると、サマリヤの女はイエスに言った、「あなたはユダヤ人でありながら、どうしてサマリヤの女のわたしに、飲ませてくれとおっしゃるのですか」。これは、ユダヤ人はサマリヤ人と交際していなかったからである。

John 4:20:
わたしたちの先祖は、この山で礼拝をしたのですが、あなたがたは礼拝すべき場所は、エルサレムにあると言っています」。

John 4:22:
あなたがたは自分の知らないものを拝んでいるが、わたしたちは知っているかたを礼拝している。救はユダヤ人から来るからである。

Acts 1:8:
ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。

Acts 8:1:
サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起り、使徒以外の者はことごとく、ユダヤとサマリヤとの地方に散らされて行った。

Acts 8:5:
ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べはじめた。

Matthew 15:24:
するとイエスは答えて言われた、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない」。

Luke 24:47:
そして、その名によって罪のゆるしを得させる悔改めが、エルサレムからはじまって、もろもろの国民に宣べ伝えられる。

Acts 13:46:
パウロとバルナバとは大胆に語った、「神の言は、まず、あなたがたに語り伝えられなければならなかった。しかし、あなたがたはそれを退け、自分自身を永遠の命にふさわしからぬ者にしてしまったから、さあ、わたしたちはこれから方向をかえて、異邦人たちの方に行くのだ。

Acts 18:6:
しかし、彼らがこれに反抗してののしり続けたので、パウロは自分の上着を振りはらって、彼らに言った、「あなたがたの血は、あなたがた自身にかえれ。わたしには責任がない。今からわたしは異邦人の方に行く」。

Acts 26:20:
まず初めにダマスコにいる人々に、それからエルサレムにいる人々、さらにユダヤ全土、ならびに異邦人たちに、悔い改めて神に立ち帰り、悔改めにふさわしいわざを行うようにと、説き勧めました。

Matthew 18:11:
〔人の子は、滅びる者を救うためにきたのである。〕

Psalms 119:176:
わたしを生かして、あなたをほめたたえさせ、あなたのおきてを、わが助けとしてください。 [119:177] わたしは失われた羊のように迷い出ました。あなたのしもべを捜し出してください。わたしはあなたの戒めを忘れないからです。

Isaiah 53:6:
われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。

Jeremiah 50:6:
わたしの民は迷える羊の群れである、その牧者がこれをいざなって、山に踏み迷わせたので、山から丘へと行きめぐり、その休む所を忘れた。

Jeremiah 50:17:
イスラエルは、ししに追われて散った羊である。初めにアッスリヤの王がこれを食い、そして今はついにバビロンの王ネブカデレザルがその骨をかじった。

Ezekiel 34:6:
わが羊は散らされている。彼らはもろもろの山と、もろもろの高き丘にさまよい、わが羊は地の全面に散らされているが、これを捜す者もなく、尋ねる者もない。

Ezekiel 34:8:
主なる神は言われる、わたしは生きている。わが羊はかすめられ、わが羊は野のもろもろの獣のえじきとなっているが、その牧者はいない。わが牧者はわが羊を尋ねない。牧者は自身を養うが、わが羊を養わない。

Ezekiel 34:16:
わたしは、うせたものを尋ね、迷い出たものを引き返し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くし、肥えたものと強いものとは、これを監督する。わたしは公平をもって彼らを養う。

I Peter 2:25:
あなたがたは、羊のようにさ迷っていたが、今は、たましいの牧者であり監督であるかたのもとに、たち帰ったのである。

口語訳 ルカ 15:3-10
15:3 そこでイエスは彼らに、この譬をお話しになった、
15:4 「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。
15:5 そして見つけたら、喜んでそれを自分の肩に乗せ、
15:6 家に帰ってきて友人や隣り人を呼び集め、『わたしと一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うであろう。
15:7 よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう。
15:8 また、ある女が銀貨十枚を持っていて、もしその一枚をなくしたとすれば、彼女はあかりをつけて家中を掃き、それを見つけるまでは注意深く捜さないであろうか。
15:9 そして、見つけたなら、女友だちや近所の女たちを呼び集めて、『わたしと一緒に喜んでください。なくした銀貨が見つかりましたから』と言うであろう。
15:10 よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、神の御使たちの前でよろこびがあるであろう」。

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●以上を読んで「頭が改造された」。疑問も解けた。


●「失われた羊」とは具体的にイエスの行動を見ればわかる。



塚本訳  マタ 10:8
10:8 病人をなおし、死人を生きかえらせ、癩病人を清め、悪鬼を追い出せ。(福音も病気もなおす力も、みな神から)ただで戴いたのだ、ただで与えよ。



●しかし私には病気を癒す奇蹟の能力はない・・・・罪の赦しの福音宣教が主。病気の治癒能力は付随でついてくるもの。



口語訳 マコ 16:15-18
16:15 そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。
16:16 信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。
16:17 信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、
16:18 へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる」。



●イエスは愛国者で国粋主義者か。・・・・・世界伝道ではなくまず足元の自国から始めよというのである。「まず」イスラエルというのであって、他の国に行くなというのではない。サマリヤの女、ツロフェにキヤの女の事実がそれを示す。



口語訳 ヨハ 4:21-23
4:21 イエスは女に言われた、「女よ、わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが、この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。
4:22 あなたがたは自分の知らないものを拝んでいるが、わたしたちは知っているかたを礼拝している。救はユダヤ人から来るからである。
4:23 しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。


塚本訳 マコ 7:26-29
7:26 この女は異教人で、スロフェニキア生まれであったが、娘から悪鬼を追い出してほしいとイエスに願った。
7:27 女に言われた、「まず子供たち(イスラエル人)を満腹させなくてはいけない。子供たちのパンを取り上げて、(異教の)小犬どもに投げてやるのはよろしくない。」
7:28 しかし女は答えた、「主よ、是非どうぞ!食卓の下の小犬どもも、子供さんたちのパン屑をいただきます。」
7:29 イエスは言われた、「それほど言うなら、よろしい、帰りなさい。悪鬼はもう娘から出ていった。」



●これで頭が整理大改造された。疑問も氷解「アーソウカ」と思う●Jバイブル+BbB+SWORD(TSK日本語ヴァージョン)の威力は大したものだ。●この聖書の読み方だと聖書を正しく深く読むことが出来る。ぜひこの手法を日本に広く布教したい。これが私の愛国で「失われた羊」を取りもどす方法だ。ライフワークだ。●BbBで皇室を狙うな。無教会らしく底辺から地味に行けと自戒する



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夏の雲大好き 二階の窓から北の方角を写す 2006.8.14 12:25



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奥多摩連山の夕日。明日は妻と11年ぶりにあの大岳山に登るのだ。健康回復感謝2006.8.14


口語訳 詩  136:1
136:1 主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。


このヘブライ語は キ・レオラム・カストゥー


●夕食後、妻と30分散歩。明日の登山のための新しい靴の足慣らし。
























 


 


 


 


 


 


 

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ヒルティの理想の老年期 ++++++++ 所感

2006/08/13 08:49

060813(日)5時起床●朝風呂で日経「私の履歴書」は遠州茶道宗家の小堀宗慶。戦ったことのないソ連の捕虜になり、奴隷となる。これ人生の不条理。●しかし思った。人間、肉でこの世に生きているうちは何かの奴隷にならざるを得ない。それは仕方がないことなのだ。勤務先の、給料の、学校の、妻の、夫の、親の、国家の、天皇の、政治体制の、教会の、先生の(これ無教会に多い!)、病の、貧困の、見た目にカッコいい男(しかし頭が問題なのだ。つまらないのだ。経験的に)の、見た目に美しい女性(しかし心が問題なのだ。冷たいのだ。経験的に)の、これらの肉体的物理的奴隷状況の「苦」は時の流れで解決してゆく、次第に人間の改善努力で解放されてゆく。いつの間にか「時が解決する」。●しかし時の流れでも解放されない奴隷状態の「苦」は心の奴隷。憎しみの、恨みの、恋愛の、罪の、遊びの、欲望の、金の、見栄の、美の、地位の、学歴の、名誉欲の、売名欲の、勝利欲の(スポーツ、習い事)、これらの奴隷状況からの自由は「時」が解決しない。●さりとて人間の修養改善努力でも既成宗教でも解放されない。そしてその苦は耐えられない。みんなに同じ「苦」があると、こういう欲がなくなれば人間ではなくなるとか言って自分を慰めても心安んじない。懊悩苦悩がある。●この耐えられない懊悩苦悩からの解放はキリストの十字架の血。絶対に可能。嘘だと思ったら一度実験して(求道して)みればよい。●その解放が「実行」されるのは神の霊がその人に降ること。こういうヘンテコリンなことが本当かどうかは実際に体験してみなければわからない。このヘンテコリンなことの大脳皮質への「聖書の言葉による説明」は次の通り。しかしこれ何度読んでも体験してみなければチンプンカンプン。



Ⅰコリ  12: 13 [新共同
つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。



Ⅱコリ  3: 17 [新共同
ここでいう主とは、“霊”のことですが、主の霊のおられるところに自由があります。


新共同 ロマ 8:2
8:2 キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです。



塚本訳 ヨハ   8: 32 塚本訳
真理を知り、その真理があなた達を自由にするであろう。」



塚本訳 ヨハ   8: 33 塚本訳
しかし彼らは(その意味がわからずに)答えた、「わたし達はアブラハムの子孫で(自由人で)ある。いまだかつてだれの奴隷にもなったことはない。どうして『あなた達は自由になる』と言われるのか。」



塚本訳 ヨハ   8: 36 塚本訳
だから、もし子(たるわたし)が(罪から)自由にしてやれば、あなた達は本当に自由になるのである。(そしていつまでも父上のところにおることができる。)


●夫人は主人が死ねば夫から自由になれる!!。●ホスピスの遺族会での懇談にて。「夫人は夫が死ねば仕事が半分になるが、夫は夫人が死ねば仕事が倍になる」。●夫人の問題。夫が死ねば自由になれるかと思うが、貰っていた年金は6割程度になる。だから夫から自由になっても新新たな不自由が起こる。「この世の自由」などはこんな程度のもの。この世では真の自由はない。


塚本訳  ロマ 7:2
7:2 たとえば、結婚した婦人は夫が生きているうちは法律によって(夫に)結びつけられているが、夫が死ねば、(彼女を夫に結びつける)夫の法律から解かれる。


口語訳 ロマ 7:2
7:2 すなわち、夫のある女は、夫が生きている間は、律法によって彼につながれている。しかし、夫が死ねば、夫の律法から解放される。


新改訳 ロマ 7:2
7:2 夫のある女は、夫が生きている間は、律法によって夫に結ばれています。しかし、夫が死ねば、夫に関する律法から解放されます。


新共同 ロマ 7:2
7:2 結婚した女は、夫の生存中は律法によって夫に結ばれているが、夫が死ねば、自分を夫に結び付けていた律法から解放されるのです。


TEV ロマ 7:2
7:2 A married woman, for example, is bound by the law to her husband as long as he lives; but if he dies, then she is free from the law that bound her to him.


●国会図書館ロビーの梁にはギリシャ語で「へー・アレーセイア・エリューセポセイ・ヒュ―ミン」と日本語訳で「真理は汝らを自由にする」と彫られている。金森徳次郎の書。この言葉の根拠は聖書。●しかし国会図書館の蔵書全部を読んでも人間は「真の自由」を得ることはできない。否、読めば読むほど「不自由になる」


新共同 ヨハ 8:32
8:32 あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」


TEV ヨハ 8:32
8:32 you will know the truth, and the truth will set you free."


●BbB(聖書で聖書を読む)、は教会に行きたくても行けない人、行くのをはばかる人(たとえば皇族)、行っても聖書の深い意味がよく分からない人、お付き合いが好かない人、社交クラブ的雰囲気を好まない人、聖書を一人で静かに勉強したい人、一人で静かに礼拝したい人、のところに侵入する。先月一ヶ月のBbBだけのアクセス数は7705回。目標は4万回●10:00妻と二人で家庭礼拝。ヒルテイの「老年いついて」の論考に刺激されて詩篇92篇の研究。讃美歌284番。その4節に「かしらの雪つもるとも」とある。私の祈り●詩編92篇の数種翻訳による輪読。詩篇92編14節はヒルティの「老年期の理想」を示す聖書の言葉●12節の「なつめやし」とはどういう樹かの研究。


口語訳 詩  92:14
92:14 彼らは年老いてなお実を結び、いつも生気に満ち、青々として、


新改訳 詩  92:14
92:14 彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。


新共同 詩  92:15
92:15 白髪になってもなお実を結び/命に溢れ、いきいきとし


●BbBで心に響いたもの。


口語訳 ヨハ 15:2

15:2 わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。

新共同 Ⅱコリ1:4-5

1:4 神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。

1:5 キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。




●SEORD(TSK)で92篇14節のピンポイント探求。そのうち心に響いたもの。




John 10:27:

わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。

John 15:1:

わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。

I Corinthians 1:8:

主もまた、あなたがたを最後まで堅くささえて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、責められるところのない者にして下さるであろう。

I Corinthians 1:9:

神は真実なかたである。あなたがたは神によって召され、御子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに、はいらせていただいたのである。

I Thessalonians 5:23:

どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように。また、あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。

I Thessalonians 5:24:

あなたがたを召されたかたは真実であられるから、このことをして下さるであろう。

Titus 1:2:

偽りのない神が永遠の昔に約束された永遠のいのちの望みに基くのである。

I Peter 1:4:

あなたがたのために天にたくわえてある、朽ちず汚れず、しぼむことのない資産を受け継ぐ者として下さったのである。

I Peter 1:5:

あなたがたは、終りの時に啓示さるべき救にあずかるために、信仰により神の御力に守られているのである。

Deuteronomy 32:4:

主は岩であって、そのみわざは全く、/その道はみな正しい。主は真実なる神であって、偽りなく、/義であって、正である。

II Thessalonians 1:6:

すなわち、あなたがたを悩ます者には患難をもって報い、悩まされているあなたがたには、わたしたちと共に、休息をもって報いて下さるのが、神にとって正しいことだからである。




●これで心一杯、胸一杯になる。ウンウン唸る。アーメン、アーメンと思う。これ以上によい聖書の読み方はない。パソコンが出来る人に絶対にお勧め。ルター、カルビン、内村先生、塚本先生もきっとこういうに違いない。「アーメン。これが理想だ」と。アウグスチヌス、バルト、ブルトマンも、然りローマ法王も言うに違いない「これが究極の聖書の読み方だ」と。ノー、ノー。パウロもイエスも言うにちがいない。「私と同じ読み方だ」と。なぜ、こんなに自信があるのか。「御霊が証する」のである。



●最後に520番「しずけき河のきしべを」を歌って妻の祈りで終了、一時間半。●15:00妻が私を東急に連れて行き、スニーカーと帽子を購入。大岳登山の準備●図書館でCD、オルフの「カルミナブラーナ」を返す時にその曲がよく分かる受付の女性がいた。目つきと態度と少ない言葉で分かる。


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雲と我が家 2006.8.13


雲のきれいな季節になった。前の家が焼けたあとにこの家はすぐに建った。皆さんに頂いたという感じがしてしょうがない。借金なしで建った。建物というのは雲のように表われてすぐ消える。残るのは愛の想い出。


口語訳 箴  19:14
19:14 家と富とは先祖からうけつぐもの、賢い妻は主から賜わるものである。


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孤独な鳥、鳩 2006.8.13


鳩よお前はなぜ一人なんだ。ナニ、人間だって基本的には一人なのだ。生まれるときは一人、育つのも一人、働くのも一人、病気になるのも一人、結婚というのも実は一対一の独立人間、夫婦喧嘩をするときは一対一の戦いで孤独、負ければ淋しい、故郷を離れて嫁いできて孤独、母親が先に逝って孤独、親が離婚して片親で孤独、片思いの人に振られて孤独、何らかの事情やハンディがあってなかなか結婚できなくて孤独、子供が与えられなくて孤独、子供が成長して離れていって孤独、親が逝って孤独、子供たちに反抗され捨てられて孤独、妻に先立たれて孤独、子供を失って孤独、夫に先立たれて孤独、夫に裏切られて孤独、妻に背かれて孤独、妻に叱られて孤独、夫に怒鳴られて孤独、思わざる病気になって遅れをとって孤独、思わざる失敗をしてみんなに冷たくされて孤独、我ながらまずい人と一緒になったもんだと悔やんでいて孤独、若さを失い容姿が衰えて淋しく孤独、定年退職で孤独、惚けと老化で馬鹿にされて孤独、裁かれるときは一人、癌で余命を宣告されて孤独、死ぬときは一人。私はこんな事例を沢山知っている。孤独は時に耐えられないほど淋しい。しかし人間はだれでも一人が基本なのだ。失ったら自然に泣けてしまうものだ。それが自然の姿だ。悲しい時は思い切り泣いたほうがよい。悲しい時は悲しい曲を聴いたほうがよい。そして痛ましく泣いたほうがよい。泣く時はなりふりかまわず号泣すると少しは楽になる。人間はもともと一人で孤独なのだ。人生は泣くように出来ているのだ。讃美歌404番だ。


讃美歌404番


1. 山路 こえて ひとり ゆけど,

   主 の 手 に すがれる 身 は やすけし.

 

2. 松 の あらし, 谷 の ながれ,

   みつかい の 歌 も かく や ありなん.

 

3. 峰 の 雪 と こころ きよく,

   雲 なき み空 と むね は 澄みぬ.

 

4. みち けわしく ゆくて とおし,

   こころざす かた に いつか 着くらん.

 

5. されども 主よ, われ いのらじ,

   旅路の おわり の ちかかれ と わ.

 

6. 日 も くれなば, 石 の まくら

   かりね の 夢 に も み国 しのばん.

●神に自分の罪が赦されることにより、人を赦せる時、孤独から解放される!!。神と共の感謝の生活になれるから。神と友ならば孤独ではない●昔のこと。某女がカナダからわざわざ塚本先生質問にこられた。「先生の説かれる無教会主義はよく分かりますが、それでは人生淋しくはありませんか」。すると先生は急に居ずまいを正されて「神がご一緒ならば淋しいことはありません」。某女はそれを聞いてカナダへ戻っていったという。その某女はすでに召されたはず。人生は短い。●21:00NHKTV「日中戦争」を見る。日本軍が中国に対しておこなった残虐非道な行動をみて、これでは日本に原爆が投下されたのもやむを得ないと思った。NHKは良くぞここまで真実を報道した。南京事件の撮影は宣教師が行った。世界中の良心が日本軍の残虐さ(殺し方)を非難。●戦争だから「残虐行為も致し方がない」とはいえないほど、非人道的な行為であった●妻「どうしてああいうことをするようになったのでしょうか」。私「真の神を拝んでないからだ。真の宗教がなかったからだ」●金儲けのためには非道なことを行う、嘘をつくのも平気という今日の風潮も、真の神を拝まないところに原因がある●敵対的買収(TOB)も金儲けの原理が心の中で最高の位置をしめているから。●村上ファウンドの村上代表は「金儲けをして何が悪いんですか」と豪語。人間としての真の教養がなかった。捕まって当然。●北朝鮮拉致事件の解決にはまず日本人の「過去の謝罪」が前提●「過去を謝罪」しないうちに靖国参拝などを平気で行うのはよくない。「はばかる」という気持ちがないから中国韓国から非難されるのだ。●ただし少数のトップ(天皇、首相)などが謝罪しても国民全体が謝罪しない限り日本は救われない。天皇や首相が謝罪しても効果は薄い。60年前の戦争は少数のトップ、教育者のせいではなく、国民全体の「業」がなさしめたのだ。天皇や軍部や教育者がやらなかったとしても「国民」の総意としての「罪」が戦争を開始したにちがいない。







 


 


 

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皇室のキリスト教化に失敗したカトリック ++++++++ 所感

2006/08/12 20:35

060812(土)5時起床●朝風呂で日経「私の履歴書」は遠州茶道宗家の小堀宗慶。苛酷な軍隊体験。あの強力な関東軍も日本が負けたと聞くと道徳的に頽廃する現実を見て呆然とする。●11:50徳田陽平氏来訪、出かける寸前だったので懇談5分。真に大切な話は5分以内で済む●14:00妻と町田の武祐一郎集会。「愛について・・・・愛国心を中心に・・・・・」●終了後の感想時間で鬼塚英昭著「天皇とロザリオ」の読後感を話す・・・・・●本書の結論はカトリックによる皇室のキリスト教化失敗の記録●戦後のキリスト教界の皇室への接近には目覚しいものがあった●マッカーサーとカトリックの吉田茂は昭和天皇をカトリックにしようとした。いつもそうだが、カトリックのこういう政治的策略がいけない。プロテスタントは賀川豊彦や植村環牧師が皇族に聖書を講義。侍従には無教会者が多くいた。侍従としての仕える姿は無教会のクリスチャンらしくてすばらしい。三谷隆信侍従長、村井長正東宮侍従兼傳務官、田島道治宮内庁長官、関屋貞三郎宮内次官などはみな無教会キリスト者。●カトリック聖心女子大卒の正田美智子さんを皇太子妃にと願ったのは小泉信三(聖公会)、田中耕太郎(カトリック)、田島道治(無教会)の3名で皆クリスチャン●皇族も多くがキリスト教親派になった。昭和天皇は植村環の集会で讃美歌を一緒に歌った。皇太子の家庭教師にはクリスチャンをと希望したのは昭和天皇であった。選ばれたのはキリスト教クェーカー派の米国人ヴァイニング夫人。三笠宮は旧約学会会員。常陸宮は村井長正侍従(無教会の影響でクリスチャンになる●しかしその後昭和天皇の心境変化により「宮中聖書事件」などが起こり、結局皇室はキリスト教にならなかった●キリスト教が国のトップに接近すると伝道に失敗する。ローマ帝国のコンスタンチヌス大帝がクリスチャンになったのは政治的理由と言われている。●しかしこの失敗の涙はいつか報われる。キリスト教がローマ帝国に受け入れられれるのには300年かかった●キリスト教は社会の底辺から浸透するのが健全な姿。●日本では底辺の実学部分でキリスト教が浸透。無教会者の貢献大。平和憲法草案には無教会の高木八尺が尽力。教育基本法は内村鑑三、新渡戸稲造の弟子筋が多く関与。特に内村鑑三の弟子の南原茂が主導。「人格」という概念が入れられた。●成甲書房刊鬼塚英昭著「天皇とロザリオ」㊦・・・皇室に封印された聖書・・・によれば皇室では聖書を読むこともがはばかられるらしい。●私の野望は、皇室に私のHPのBbB(聖書で聖書を読む)が侵入していくこと。行けBbB!!●先月一ヶ月間のBbBアクセス数は7705回。目標は一ヶ月4万回●妻と立川の駅ビルで夕食。遠方に大岳山を望み、「あと一度でよいからあの山に登って見たい」と妻に言う。●妻は昭島でロッシーニの「スターバトマーテル」の練習


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立川の駅ビルから妻と奥多摩連山を眺める。「あと一度でよいからあの大岳山に登って見たい」と妻に言う。    2006.8.12 17:30 立川駅ビルルミネ8階食堂


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暮れ行く奥多摩連山。あの大岳山に上りたいなー。もう一度でよいのだ。 2006.8.12 18:55


あきる野市


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一晩だけ咲く月下美人が今晩は三つ咲いた。しかし明日の朝にはしおれる。2006.8.13 夜


聖書の言葉を思う。


文語訳  マタ 6:30
6:30 今日ありて明日、爐に投げ入れらるる野の草をも、神はかく装ひ給へば、まして汝らをや、ああ信仰うすき者よ。


塚本訳  マタ 6:30
6:30 きょうは花咲き、あすは炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこんなに装ってくださるからには、ましてあなた達はなおさらのことではないか。信仰の小さい人たちよ!


TEV マタ 6:30
6:30 It is God who clothes the wild grass-grass that is here today and gone tomorrow, burned up in the oven. Won't he be all the more sure to clothe you? What little faith you have!





 


 

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悲しければ号泣すればよい ++++++++ 所感

2006/08/11 07:21

060811(金)5時起床。熟睡の薬のおかげでスッキリ目覚め●左足がおかしい。身体に痛みがあるのは年齢のせいだ。外の人は日々壊れていく。しかし霊魂はそうではないというのが聖書の言葉。


文語訳 Ⅱコリ4:16
4:16 この故に我らは落膽せず、我らが外なる人は壞るれども、内なる人は日々に新なり。


塚本訳 Ⅱコリ4:16
4:16 このゆえに、わたし達は気を落さない。いや、わたし達の(生れながらの)外の人はどんなにこわれていっても、(キリストによって生れた)内の人は一日一日と新しくされてゆく。


TEV Ⅱコリ4:16
4:16 For this reason we never become discouraged. Even though our physical being is gradually decaying, yet our spiritual being is renewed day after day.


そうだ、人間は60歳を超えてから、「GO AHEAD」(前進!進め)だ。肉体の壊れなんぞは「何のこれしき」だ。人間は中身だ。外形でない。社会的形ではない。●某精神科医が私に「怒るときは怒れ」とアドバイスしてくださったことがある。そのほうがよっぽど相手に気持ちが伝わるのだそうだ。なまじ説教をしたり、我慢したりしないほうがよいという。私としても自分だけが読む「日記」なんぞをつけてうっぷんを晴らすのもよくないと思う。日記をせっかく書くなら正々堂々と公開日記が効果あり、スッキリサッパリだ。●悲しい時は泣いたほうがよい。素直に大泣きした方がよい、その方が人生好転する。相手に真実が伝わる●Kさんの婚約者は南方で戦死。塚本先生のところに泣きに行くと先生は「タオルでは足りない、毛布がぐしゃぐしゃになるまで泣きなさい」とアドバイス。Kさんはその一言で人生立ち直り、後にYWCA会長にまでなって主のために尽くされた家庭内の一主婦で終わるより有益だったのだろう●泣くというのは心が圧されて破裂する時である。そのときは自然に泣いたほうがよい。私はクリスチャンになってから泣いた記憶はない。特に結婚する前に泣いたことと、結婚後(もう37年にもなるが)に泣いたこととは内容が違う。不思議に結婚後はあまり泣いたことがない。●夫婦喧嘩をしたときは「怒鳴り散らす」か「泣く」ほうがよい。変に説教したり忍耐我慢しないほうがよい。激論したほうがよい。怒鳴りあったほうがよい。塚本先生も馬乗りになって取っ組み合いまでやったらしい。私はそこまでやったことはない。妻は夫の逆鱗に震え、夫は妻の涙に反省する。そうではなく夫の逆鱗ヘッチャラ、妻の涙もヘッチャラだという態度だと平和はこない。聖書は神の逆鱗、激怒、涙のストーリーだ。●メティアの千葉社長、広瀬氏と懇談。


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月下美人が咲く。一年に一晩だけ咲く不思議な花 2006.8.11 21:30


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月下美人。一年に一晩だけ咲く。マタイ6章29-30節を思う。 2006.8.11 21:30


文語訳  マタ 6:29-30
6:29 されど我なんぢらに告ぐ、榮華を極めたるソロモンだに、その服装この花の一つにも及かざりき。
6:30 今日ありて明日、爐に投げ入れらるる野の草をも、神はかく装ひ給へば、まして汝らをや、ああ信仰うすき者よ。


塚本訳  マタ 6:29-30
6:29 しかし、わたしは言う、栄華を極めたソロモン(王)でさえも、この花の一つほどに着飾ってはいなかった。
6:30 きょうは花咲き、あすは炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこんなに装ってくださるからには、ましてあなた達はなおさらのことではないか。信仰の小さい人たちよ!


TEV マタ 6:29-30
6:29 But I tell you that not even King Solomon with all his wealth had clothes as beautiful as one of these flowers.
6:30 It is God who clothes the wild grass-grass that is here today and gone tomorrow, burned up in the oven. Won't he be all the more sure to clothe you? What little faith you have!


 

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老いの悲しみ ++++++++ 所感

2006/08/10 20:22

060810(木)5時起床。池谷医院処方の睡眠剤のおかげで朝まで起きることはなかった。最近は何度も目が覚めてトイレに行っていた●老いの悲しさについて黙想。聖書はなんと言うか。



創    18: 12 [口語
それでサラは心の中で笑って言った、「わたしは衰え、主人もまた老人であるのに、わたしに楽しみなどありえようか」。



伝    12: 1 [口語
あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、


口語訳 詩  92:12-16
92:12 正しい者はなつめやしの木のように栄え、レバノンの香柏のように育ちます。
92:13 彼らは主の家に植えられ、われらの神の大庭に栄えます。
92:14 彼らは年老いてなお実を結び、いつも生気に満ち、青々として、
92:15 主の正しいことを示すでしょう。主はわが岩です。主には少しの不義もありません。


●老年期の悲しみはその身体の衰え。最近は耳が遠くなった。目も悪くなった。記憶力が衰えてウッカリの物忘れが多くなった。階段の昇降がきつくなった。、悲しい、淋しい●ヒルティの「老年について」を読む。1897年ヒルティ64歳の時の著作。これが収められているヒルティ著作集再販第10巻(1979年)には私が「月報」に執筆した。内容は敬虔主義と無教会主義のこと。来年はヒルティがこれを著作した年齢と同じになるとは●ヒルティの教養と見識の高さ、そして人間性に対する洞察の深さに感心。ヒルティに出会って人生を得した。ヒルテイの本は他の何百人分の人生を経験したのと同じになる。つまらない流行思想流行本から救われるので時間が得する●上記のうち伝道の書12章1節の後半は今日の老人全体の問題。BbBとSWORDで」詳しく見てみよう。


 BbBでは米国と日本の引照が一致。


新共同 マタ 24:29

24:29 「その苦難の日々の後、たちまち/太陽は暗くなり、/月は光を放たず、/星は空から落ち、/天体は揺り動かされる。





●そうだ信仰がないと老年期はこのように暗い世界に歩いていくようなものなのだ。この悲しみを乗り越えるためには、復活、来世、永遠の生命。




●次にSWORDで調べてみる。


Psalms 71:18:
神よ、わたしが年老いて、しらがとなるとも、あなたの力をきたらんとするすべての代に/宣べ伝えるまで、わたしを見捨てないでください。



●これはすばらしい言葉だ。今の心境にピタリである。



Proverbs 22:6:
子をその行くべき道に従って教えよ、そうすれば年老いても、それを離れることがない。

 


●これもピタリだ。



Lamentations 3:27:
人が若い時にくびきを負うことは、良いことである。



●これもそうだ。同感。



II Timothy 3:15:
また幼い時から、聖書に親しみ、それが、キリスト・イエスに対する信仰によって救に至る知恵を、あなたに与えうる書物であることを知っている。



●これも同感。趣味教養娯楽サークルに憩いと娯楽を求めても目的を達しない。



Ecclesiastes 11:8:
人が多くの年、生きながらえ、そのすべてにおいて自分を楽しませても、暗い日の多くあるべきことを忘れてはならない。すべて、きたらんとする事は皆空である。

Job 30:2:
彼らの手の力からわたしは何を得るであろうか、/彼らはその気力がすでに衰えた人々だ。

Psalms 90:10:
われらのすべての日は、あなたの怒りによって過ぎ去り、われらの年の尽きるのは、ひと息のようです。

II Samuel 19:35:
わたしは今日八十歳です。わたしに、良いこと悪いことがわきまえられるでしょうか。しもべは食べるもの、飲むものを味わうことができましょうか。わたしは歌う男や歌う女の声をまだ聞くことができましょうか。それであるのに、しもべはどうしてなおわが主、王の重荷となってよろしいでしょうか。



●これらは旧約、そこに救いも喜びもない。●真の喜び、希望は、復活と永遠の生命。●私が無教会主義だというと、「神の幕屋、原始福音」かと思われるから困る。そう見間違う人間は大抵「聖書」を真面目に勉強していない人間。教会政治、教会運営、教会形成に熱心なこの世的人間



●14:30「祈の友」の会員、星野利男さんをお見舞い。83歳。晩年に全盲になられて点字もうまくおできになれずお気の毒。しかし信仰により、顔は輝いておられる。「祈の友」の8月号にある中川晶輝先生と岩島菊乃さんの召天記を朗読する。●星野さんは「サンクロン」という薬を推薦されるが、人は「人に勧められたもの」は拒否反応が湧く。なぜだろう。キリスト教も同じか●人は「溺れる者は藁をもつかむ」状態に追い詰められないと信じようとしないのだなー。だから人生は追い詰められて「藁をもすがる思い」にさせられる惨めな人生になったほうが幸せなのだ。●一番話しにならないのは自分が「藁にもすがるほど」のみっともない者ではないと思っている人間。自分の家庭、伴侶、子供、過去、学歴、勤務先、先祖、経済状況はマーマーだ、「藁にすがる」ほどではないと豪語しているオメデタイ人間は救われない。「汝、自身を知れ」(ソクラテス)である。.この意味は、「名前の一番よく聞こえている人が、思慮において最も欠けている。身分のつまらない人の方がその点むしろ立派である。」ということ。人間が自慢しているものは実は腐っているもの、陳腐なものなのだ。このコントラストはルカに良く出ている。





塚本訳  ルカ 6:17-26
6:17 イエスはこの人々を連れて(山を)下り、平らな所にお立ちになった。大勢の弟子の群と、ユダヤ全国、ことにエルサレム、また(遠く)ツロ、シドンの沿岸から来た大勢の民衆の群も、
6:18 教えを聞き、また病気を直していただこうとして、そこにいた。汚れた霊になやまされていた者もなおされた。
6:19 群衆が皆、なんとかしてイエスにさわろうとした。彼から力が出て、一人のこらず直したからである。
6:20 イエスは目をあげ、(十二人の使徒その他の)弟子たちを見ながら話された。──「ああ幸いだ、『貧しい人たち、』神の国はあなた達のものとなるのだから。
6:21 ああ幸いだ、今飢えている人たち、(かの日に)満腹させられるのはあなた達だから。ああ幸いだ、今泣いている人たち、(かの日に)笑うのはあなた達だから。
6:22 人に憎まれる時、また、人の子(わたし)のゆえに除名されたり、罵られたり、悪様に言われたりする時には、あなた達は幸いである。
6:23 その日には躍りあがって喜びなさい、どっさり褒美が、天であなた達を待っているのだから。あの人達の先祖も、同じことを預言者たちにしたのである。
6:24 だが、ああ禍だ、富んでいるあなた達、もう慰めを受けたのだから。
6:25 ああ禍だ、今食べあきているあなた達、(かの日に)飢えるのだから。ああ禍だ、今笑っている人たち、(かの日に)泣き悲しむのはあなた達だから。
6:26 皆の人に良く言われる時、あなた達は禍である。あの人達の先祖も、同じことを偽預言者たちにしたのである。






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夏の秋川。子供を連れてよく来たなー。今度は孫を連れて来たいなー。マテマテ。孫は自分のものではないのだ。自由に出来ない。  2006.8.10 14:3五日市。


讃美歌217番「あまつましみず」を思う。この曲は高橋家のテーマソングだと人は言う。


讃美歌217番


1. あまつ ましみず ながれ きて,

   あまねく 世おをぞ うるおせる.

  ながく かわきし わが たましいも,

   くみて いのち に かえり けり.

 

2. あまつ ましみず 飲む まま に,

   かわき を しそらぬ 身と なりぬ.

   つきぬ めぐみ わ こころ の うち に,

   いずみ と なりて 湧き あふる.

 

3. あまつ ましみず うけず して,

   つみ に 枯れたる ひとくさ の

   さかえ の 花 は いかで 咲く べき,

   そそげ, いのち の ましみず を

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あきる野市内の噴水。夏の子供の遊び場を兼ねている。最近の公園は良く出来ている。


2006.8.10 16:30 あきる野市


塚本訳 ヨハ 4:14
4:14 わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」

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神は廃物人間を利用する ++++++++ 所感

2006/08/09 09:02

060809(水)5時起床●朝風呂で日経。「靖国神社を非宗教法人化に」の記事。国家国民や外国の「顔を恐れて」靖国の本質である「宗教性」を捨てたらよいというのは情けない発想。これを実行すると「宗教的素養のない民」として逆に国際的に軽蔑される。心に宗教的情操をもたない人間は「金や女が神」になるから信用されない。そういう人間は「金や女」のために神を捨てる。麻生外相やそのブレーンの教養のなさにガックリ。●日経「私の履歴書」は遠州茶道宗家の小堀宗慶。三高と六高の受験に失敗して二浪。そこで仕方なく美校(現東京芸大)に受験して合格。しかし人生というのは失敗が人をして「正道」に導くものだ。連戦連勝負け知らずの人生はあるときボキッと大挫折をする。しかしその大挫折もまた「正道」へのきっかけ(以上昨日の記事)●美校では先生が何も教えてくれない。しかしよい質問をするとしっかり答えてくれることが分かったという。「鐘楼に下がっているお寺の鐘は、撞(つ)かない限り絶対に鳴らない。それと同様、先生という鐘も、生徒という撞(つ)き手が質問をしてこない限り鳴らない。教えようがないということである。撞きかたにもうまい下手がある。学生が良く勉強をし、その成果をぶつけるようないい問いを立てれば立てるほど、有益な答えを得ることができる道理である」。・・・これどの分野にも通じる真理・・・・・キリスト教には古来優れた「問答集」があった。そもそも福音書はイエスの敵対者や弟子たちとの問答多い。・・・・・●無教会の多くの雑誌が「仲間内の誉めあい」の記事ばかりを載せているのは間違い。真理は敵対的問答で表われるのだから。●神は人間の目に廃物となったダメ人間を利用して神の国の「兵隊」とする。「女(、あろうことか人妻)に狂った」あのダビデは悔いて名君になった。その女(将軍ウリヤの妻)との間に生まれたソロモンがこれまた名君に育った。「女に狂って」同棲生活をしていたあのアウグスチヌスは人生を悔いて回心、カトリック教会の祖にまでなった。母モニカの祈りがあった。またあのふしだら女(多分)のマリヤにイエスは最初に復活の姿をあらわした。キリストの復活伝承は最初にそのふしだら女に託された。ドストエフスキーの「罪と罰」。主人公のラスコリーニコフは娼婦のソーニャに聖書(ラザロの復活のところ)を読んで聞かせられる。●神は堕落人間、ダメ人間を「もったいない」と思ってこれを徹底的に清めて神の国のために「利用する」。廃物利用の名人。生活が一変するところの迫力が狙いか。神の廃物利用手法の理念的(?)根拠は次の通り。塚本訳で明快。この世のことはそれ自身を目的にすると空しいが、それを手段として神と人に喜ばれるような生き方をすれば「喜び」が湧いて生きがいを得る。


塚本訳 ルカ 16:9
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。


●この世のものはすべて神がおつくりになったものだjから「捨てる」べき物はなにもないのだが、罪の人間がこれにかかわるとみな「不正な冨」となってしまう、金、地位、女(男)、学問、知識、学問、勤務先、・・・・。しかしこれを捨てないで「もったいない」と思って神の国ためにうまく利用せよというのが難解なルカ16章9-13節の意味である。●神はダメ人間を再利用する。病気人間、失敗人間、堕落人間を神の国の強力な「兵隊」に作り変える。これ歴史的事実。神の国の正客。福音書の本質。彼はこの世ではなく来世で光り輝く●この世的教会は精神病者や道徳的に堕落した人間を毛嫌いする。顔では笑うが心ではなんとなく排除する。これ教会が神に祝福されない原因。伸びない原因●教会は育ちの良い人間、社会的地位の高い人間、財産家、高学歴の教養人などを手厚く優遇する。そして一種の社交団体と化している。大間違い●某教会の信者曰く「ウチの牧師は金持ちの長老を玄関まで見送る。俺なんか見送られた事はない」●10::00に池谷医院に行くも帰宅は14:00.。繁盛はいいが待つ者の身にもなって欲しい。●図書館でCD、R・シュトラウス。鬼塚英昭著「天皇とロザリオ」2006.6出版。㊤・・日本キりスト教国家の策謀、㊦・・皇室に封印された聖書・・、上下で886ページ、「ダビンチコード」などより多少興味が湧くが、それでもこの種の本に時間を割くのは無駄。二日で斜め読みの方針●高木博義、富永尚、吉田秀雄、高橋穂澄、の各氏から手紙、メール。●NHKTV7:30「プラネットアース」を見る。5年もかけた力作。


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台風7号一過、穏やかになった。 東の空。 2006.8.9 あきる野市


●「あらし」で讃美歌を検索すると種々出るが、馴染んでいるのは262番。その第1節。


讃美歌262番


1. 十字架 の もと ぞ いと やすけき,

  神 の 義 と 愛 の あえる ところ,

   あらし ふく 時 の いわお の かげ,

 荒野 の なか なる わが 隠れが家


●そうだ、「聖歌」には次の好きな曲があった。


聖歌472番


1・人生の海のあらしに もまれきし この身も

 不思議なる神の手により 命びろいしぬ

(おりかえし)

 いとしずけき港に着き われはいまやすろう

 救い主イエスの手にある 身はいともやすし


●過日某夫人より電話。「主人は今夜、小グループの聖書勉強会に行っています。晩年になって本当に心赦せる人たちに出会って、天国のようだと喜んでいます」。・・・・あーこれは聖歌の472番のとおりだ。人生は生きているうちにこのように幸いなオアシスに行き着く人もいるが出会わない人もいる。しかし「求めれば」かならず与えられると信ずる。


文語訳 マタ 6:33
6:33 まづ神の國と神の義とを求めよ、さらば凡てこれらの物は汝らに加へらるべし。

TEV マタ 6:33
6:33 Instead, be concerned above everything else with the Kingdom of God and with what he requires of you, and he will provide you with all these other things.


文語訳 マタ 7:7-11
7:7 求めよ、さらば與へられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん。
7:8 すべて求むる者は得、たづぬる者は見いだし、門をたたく者は開かるるなり。
7:9 汝等のうち、誰かその子パンを求めんに石を與へ、
7:10 魚を求めんに蛇を與へんや。
7:11 さらば、汝ら惡しき者ながら、善き賜物をその子らに與ふるを知る。まして天にいます汝らの父は、求むる者に善き物を賜はざらんや。

TEV マタ 7:7-11
7:7 "Ask, and you will receive; seek, and you will find; knock, and the door will be opened to you.
7:8 For everyone who asks will receive, and anyone who seeks will find, and the door will be opened to those who knock.
7:9 Would any of you who are fathers give your son a stone when he asks for bread?
7:10 Or would you give him a snake when he asks for a fish?
7:11 As bad as you are, you know how to give good things to your children. How much more, then, will your Father in heaven give good things to those who ask him!






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泣くということの研究 ++++++++ 所感

2006/08/08 07:06

060808(火)5時目覚め。床の中で「泣く」ということの黙想。まず頭に浮かんだのは次の聖句。


口語訳 詩  126:5
126:5 涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。


塚本訳 マタ 2:18
2:18 『声がラマに聞えた、──(ラケルの)』はげしい『わめきと、なげきの声である。ラケルはその子らのために泣くばかりで、慰められようとしない、子らがもういないので。』


塚本訳 ルカ 6:21 b
6:21 b ああ幸いだ、今泣いている人たち、(かの日に)笑うのはあなた達だから。


塚本訳  ロマ 12:15
12:15 喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣け。


新共同 黙  21:4
21:4 彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」


●もっと深く知るために「泣」という文字で聖書を検索する。有効な道具は以下のとおり。


「Jバイブル」(いのちのことば社刊、1万円程度)。超便利なので必携。


私のHPの塚本訳。http://www.asahi-net.or.jp/%7EEJ2T-TKHS/bunshou/tk03.html


そのほかに、聖書検索サイト(日本語)は各種あるが、制限などがあって何かと不便。薦められない。


●「泣」を「Jバイブル」で検索すると。新共同訳で201個所出る。その中から心に響くものは次の7箇所。パソコン操作で簡単に出る。心に響くものは頭でそらんじて明け方に頭に浮かんだものがほとんどであるがなお少し追加されるから検索作業は有効。聖書の言葉で心に響くものと言うのはそらんじていて頭の中にあり、その意味を理解しているもの。パソコンの検索操作で深い意味が分かるものではないことが分かる。聖書は苦労の人生を通してはじめて分かるものだ。●聖書はギリシャ語、ヘブライ語、ドイツ語、パソコンでその深い意味がわかるわけではない。ただし理解の助けになる。弾みになる。


検索 泣 [新共同] 全書巻
ヒット数 検索 201
創    21: 17 [新共同
神は子供の泣き声を聞かれ、天から神の御使いがハガルに呼びかけて言った。「ハガルよ、どうしたのか。恐れることはない。神はあそこにいる子供の泣き声を聞かれた。
創    27: 34 [新共同
エサウはこの父の言葉を聞くと、悲痛な叫びをあげて激しく泣き、父に向かって言った。「わたしのお父さん。わたしも、このわたしも祝福してください。」
創    43: 30 [新共同
ヨセフは急いで席を外した。弟懐かしさに、胸が熱くなり、涙がこぼれそうになったからである。ヨセフは奥の部屋に入ると泣いた。
詩    126: 6 [新共同
種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は/束ねた穂を背負い/喜びの歌をうたいながら帰ってくる。
詩    137: 1 [新共同
バビロンの流れのほとりに座り/シオンを思って、わたしたちは泣いた。
伝    3: 4 [新共同
泣く時、笑う時/嘆く時、踊る時
マタ   2: 18 [新共同
「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、/慰めてもらおうともしない、/子供たちがもういないから。」
黙    5: 5 [新共同
すると、長老の一人がわたしに言った。「泣くな。見よ。ユダ族から出た獅子、ダビデのひこばえが勝利を得たので、七つの封印を開いて、その巻物を開くことができる。」


●「泣く」ということの内容を分類してみると次のようになる。①失うとき、②悔いる時 ③悔し泣き


①希望や楽しみを失うとき・・・・愛する人(恋人、婚約者、伴侶、家族、特に子供)との死別。希望の道がかなえられなかったとき。進学や就職に失敗した時、健康や財産や地位を失ったとき。


塚本訳 マタ 2:18
2:18 『声がラマに聞えた、──(ラケルの)』はげしい『わめきと、なげきの声である。ラケルはその子らのために泣くばかりで、慰められようとしない、子らがもういないので。』


②悔いるとき・・・・・・ペテロがイエスを裏切ったとき、ユダがイエスを裏切ったときの悔いの涙。


塚本訳 ルカ 22:61-62
22:61 主が振り向いて、じっとペテロを見つめられた。ペテロは、「きょう(今夜)、鶏が鳴く前に、わたしを三度、知らないと言う」と言われた主の言葉を思い出し、
22:62 外に出ていって、さめざめと泣いた。


塚本訳 マタ 27:3-5
27:3 その時イエスを売ったユダは、イエスの判決が決まったのを見て後悔し、(受け取ったシケル)銀貨三十枚を大祭司連、長老たちに返して、
27:4 「罪もない(人の)血を売って、悪いことをした」と言った。彼らが答えた、「われわれの知ったことではない。お前が自分で始末しろ!」
27:5 ユダは銀貨を宮に投げ込んで去り、行って首をくくった。


・・・・・・・・ユダは多分このとき悔いて泣いたのであろう。バカなユダよ、イエスは赦していたのに。最後の晩餐でイエスが弟子の足を洗ったのがその徴であったのだ。そのイエスの赦しをも受け入れなかったことがユダの最大の罪であった。傲慢であったのだ。自殺は自己の美化である。・・・


③悔し泣き・・・・・・信頼する人に裏切られて泣く。これガックリの涙。「どうして、どうして」と思う時。


イエスが愛するユダヤ人のことを思うとき。そしてその最大の深い悩みは、イエスのエリエリレマサバクタニ。愛する父に見捨てられたとき。よかれと思ってやったことが誤解される時。


塚本訳 マタ 23:37
23:37 ああエルサレム、エルサレム、預言者を殺し、(神から)遣わされた者を石で打ち殺して(ばかり)いる者よ、雌鳥がその雛を翼の下に集めるように、何度わたしはお前の子供たちを(わたしの所に)集めようとしたことか。だがお前たち(エルサレムの者)はそれを好まなかった。


・・・・・・・この時のイエスの心境は「バカ!。お前!、なにやってんだよー。」というもの・・・・・・・・


塚本訳  ルカ 22:42-44
22:42 言われた、「お父様、お心ならば、どうかこの杯をわたしに差さないでください。しかし、わたしの願いでなく、お心が成りますように!」
22:43 そのとき天から一人の天使がイエスに現われて、力づけた。
22:44 イエスはもだえながら、死に物狂いに祈られた。汗が血のしたたるように(ポタポタ)地上に落ちた。


・・・・・・・・血の滴るような汗を流しての祈り。多分、鼻汁と涙が混じっていたのだろう・・・・


塚本訳 マタ 26:50
26:50 イエスはユダに言われた、「友よ、そのために来たのではあるまいが!」その時人々が進み寄って、イエスに手をかけて捕えた。


・・・・・・・・このとき、多分イエスは「心の中で」大泣きしていた。しかし涙を見せずに「友よ」というのが精一杯であったイエス・・・・・・・塚本訳の「そのために来たのではあるまいが!」は心が張り裂けるぐらいの名訳。他の訳と比べてみよ・・・・・・・・・


塚本訳 マタ 27:46
27:46 三時ごろ、イエスは大声を出して『エリ エリ レマ サバクタニ!』と叫ばれた。これは『わたしの神様、わたしの神様、なぜ、わたしをお見捨てになりましたか!』である。


・・・・・・・・イエスは人に向かって「神はお父さんであるから祈ることは何でも聞いて下さると教えておきながら、いざ自分のときはそれがかなえられなかったとは。多分イエスは「悔し泣き」をしたであろう・・・・・


●人生で「泣く時」はこの他に様々であろう。たとえば親切を誤解されて非難逆襲され悪口を言われるとき・・・・嫁対姑、親対子供(親の心子知らず)、夫対妻、勤務先の人間関係、仕事上で取引先とのこと。・・・・・しかしこれらの「涙」はことごとく「天に宝を積む」ことになる。人間は見ていなくても神は見ている。涙を覚えている。●今やっている高校野球で負けたチームの涙は①か。●人間、泣く時は自分の希望がかなえられなくて泣くなどという浅いことではなく、誰からも理解されないで死んでいくという悲しみに泣く方がよいのだ。崇高なのだ。●そういう涙を拭ってくれるのは「イエスの復活」。黙示録の5章5節である。泣くな!キリストは復活したのだ!とある。これさえわかれば「鬼に金棒」。「なんのコレシキ」と言って人生の苦難を乗りきれる。●人生「泣く時」はキリストの復活を思えばよい。「なんのこれしき」だ。


新共同 黙  5:5
5:5 すると、長老の一人がわたしに言った。「泣くな。見よ。ユダ族から出た獅子、ダビデのひこばえが勝利を得たので、七つの封印を開いて、その巻物を開くことができる。」


塚本訳 黙  5:5
5:5 すると(かの)長老の一人が私に言う、「泣くな。視よ、ユダ族の獅子、ダビデの根(である者)が(既に)勝った(から)、彼がその巻き物と七つの封印とを開く(ことが出来る。)」


新改訳 黙  5:5
5:5 すると、長老のひとりが、私に言った。「泣いてはいけない。見なさい。ユダ族から出たしし、ダビデの根が勝利を得たので、その巻き物を開いて、七つの封印を解くことができます。」


口語訳 黙  5:5
5:5 すると、長老のひとりがわたしに言った、「泣くな。見よ、ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる」。


文語訳  黙  5:5
5:5 長老の一人われに言ふ『泣くな、視よ、ユダの族の獅子・ダビデの萌蘗、すでに勝を得て巻物とその七つの封印とを開き得るなり。


●14年前に召された父はその生涯が病と貧困に悩まされた。しかし口癖はロマ書8章18節であった。私はこれを耳にタコができるくらいに(文語訳で)聞かされた。父の人生は来世での復活を固く信ずるものであった。この聖句を我が家の「家訓」にしたい。人生の荒波はそれがどんなものであってもこれで乗り切ることが出来る。


文語訳  ロマ 8:18
8:18 われ思うに、今の時の苦難は、われらの上に顯れんとする榮光にくらぶるに足らず。


塚本訳 ロマ 8:18
8:18 (しかもこの苦しみは恐れることはない。)なぜなら、わたしはこう考える。今の世の苦しみは、わたし達に現われようとしている栄光(──キリストと一しょに神の国の相続人になる最後の日の大いなる光栄──)にくらべれば、言うに足りない。


TEV ロマ 8:18
8:18 I consider that what we suffer at this present time cannot be compared at all with the glory that is going to be revealed to us.


●東の窓を開けるとすばらしい朝焼け。朝焼けの美しい季節になった。太陽を見ると、「絶対恩恵の無条件の罪の赦し」ということを思う。


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東の窓を開けるとこの景色。思わず心の中で「オー!」と叫ぶ。 2006.8.8 5:00


讃美歌90番


1. ここ も かみ の みくに なれば,

   あめ つち, 御歌(みうた)を うたい かわし,

   岩に, 樹ゝ(きぎ) に, 空 に, 海 に,

   たえなる 御業ぞ, あらわれたる.

 

2. ここ も かみ の みくに なれば,

   鳥の 音(ね)、 花の か香(か)  主をおば たたえ,

   あさ日、 ゆう日, 栄(は)え に はえて,

   そよ 吹く 風さえ  かみ を かたる.

 

3. ここ も かみ の みくに なれば,

   よこしま 暫し は とき を得(う) とも,

   主の みむね の やや に 成りて,

   あめ つち 遂に は 一つ と ならん.



●私の風景写真に讃美歌をつけたものを見られて、一人で歌われる方がおられる。信仰の琴線に触れる。感謝。このとき田園詩人のワーズワースになった気分。






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思わず表に飛び出して朝日を撮影 2006.8.8 5:05 あきる野市

田園詩人になりたいと思う。


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急に雨になる。今日は涼しい一日になりそうである。  2006.8.8 7:00


●ドボルザークの「4つのロマンチックな小品~第1集・・・アレグロモデラート」をギル・シャハムのヴァイオリンで鑑賞。なんと美しいメロディーなのだろう。どうしてこんなきれいなメロディーを作曲できるのだろう。この小品大好き










 


 


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真の愛は鞭打つ ++++++++ 所感

2006/08/07 07:05

060807(月)5時起床●朝風呂で日経「私の履歴書」は遠州宗家の小堀宗慶。父親が偉くてスパルタ教育を施した。それを感謝している文章●交遊抄は山本俊一、青バットの大下弘に厳しく特訓された話。いずれも「正しい愛の鞭」の話●鞭打たれてこれをありがたいと思う人間と、「コノヤロー」と思う人とでは天地の差。後者は育ちが悪い。家庭の躾が悪い。こういう人間は教師も上司も手が付けられないから伸びない。野良犬的に育つ。●神の愛の鞭の厳しさを思った。関連聖句として頭に浮かぶのは次の3箇所


口語訳 詩  23:4
23:4 たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。


新共同 申  32:10-15
32:10 主は荒れ野で彼を見いだし/獣のほえる不毛の地でこれを見つけ/これを囲い、いたわり/御自分のひとみのように守られた。
32:11 鷲が巣を揺り動かし/雛の上を飛びかけり/羽を広げて捕らえ/翼に乗せて運ぶように
32:12 ただ主のみ、その民を導き/外国の神は彼と共にいなかった。
32:13 主はこれを丘陵の地に導き上り/野の作物で養い/岩から野蜜を/硬い岩から油を得させられた。
32:14 彼らは、牛の凝乳、羊の乳/雄羊の脂身/バシャンの雄牛と雄山羊/極上の小麦を与えられ/深紅のぶどう酒、泡立つ酒を飲んだ。
32:15 エシュルンはしかし、肥えると足でけった。お前は肥え太ると、かたくなになり/造り主なる神を捨て、救いの岩を侮った。


・・・・・・・・・これについては塚本先生の解説を参照。HP「苦難と神の愛」に掲載


                http://www.asahi-net.or.jp/%7EEJ2T-TKHS/bunshou/kunann.htm    ・・・・・・・


塚本訳 ヘブ 12:4-10
12:4 あなた達はまだ、罪と戦って血を流すまでに抵抗したことがない。
12:5 また、(親がその)子に話すようにして話される(神の)励ましを忘れてしまっている。──『わが子よ、主の訓練を軽んずるな、処罰されるときに、ひるむな。
12:6 なぜなら、主は愛する者を訓練し、好きな子をすべて懲らしめられる。』
12:7 (神の)『訓練』を受けるために、(迫害を)耐え忍べ。神はあなた達を(自分の)『子』のように取り扱われるのである。なぜなら、父の『訓練し』ない『子が』どこにかあるのか。
12:8 もし皆が受ける『訓練が』ないとすれば、それこそあなた達は私生児で、(ほんとうの)『子』ではない。
12:9 かつまた、わたし達は訓練をする者として肉の父を尊敬した(とするならば)、まして霊魂の父に服従して、(永遠に)生きないことがあるだろうか。
12:10 というのは、肉の父は(ほんの)少しの日数(だけ)、自分の考えに従って訓練したのに反して、神はわたし達を益するため、わたし達をその聖さにあずからせるために、訓練されるのであるから。


●真の愛は鞭を打つ。鞭を打たれないで育つ子供は「軟弱病的」に育つ。鞭を打たれると鞭打つものの動機を卑しいことだと自分を正当化して関係者を逆襲批判する●真の愛ではないところの「鞭」は打つものも打たれるものも滅びる●真の愛である神に帰依しない限り「真の教育」「真の鞭」には生きられない。●内村鑑三は日本のキリスト教が米国輸入の雰囲気で「義」を説かずに「愛、愛」とばかり言うから「弱い教会」になったという。これ家庭教育も同じ。親を畏れないで育つと鞭よいうものを侮る。親の注意を馬鹿にする。そして怒らない母性に逃げ込むから「弱い子供」に育つ。腐った家庭、倫理性のない家庭になる●父親が真の愛たる神に帰依していないと「間違った鞭を打つ」。すると親の「エゴの鞭」になり、惨めな子育てになる。最近頻繁に起こる「親殺しの」事件の多くはそれが原因 ●詩編23編4節の「あなたの鞭はわたしを慰めます」とはどういうことかを研究する。


●まずBbB


各国の引照をみると、そこには羊のためには命を捨てる絶大な神の愛がピックアップされている。「鞭」もその徹底的な真の愛が背景にないと「愛の鞭」ではなく、「エゴの鞭」となる。


●次にピンポイントでSWORD、


Psalms 45:7:
神から賜わったあなたの位は永遠にかぎりなく続き、あなたの王のつえは公平のつえである。


Ephesians 3:20:
どうか、わたしたちのうちに働く力によって、わたしたちが求めまた思うところのいっさいを、はるかに越えてかなえて下さることができるかたに、


●鞭打たれて目が覚めるとそれこそ自分が求めていたものが与えられたと気がつくものである。打たれる者は自己の本能に反する鞭の痛さによって正しい道に導かれる。●詩編23編はすごい詩である。この文語訳は多分旧約聖書中の最高の訳。植村正久の訳である。植村の遺骸に接した内村は「グレート、グレート」とつぶやいたという。


文語訳 詩篇第23篇


エホバはわが牧者なり


われ乏しきことあらじ


エホバは我をみどりの野にふさせ


いこいの水濱(みぎは)にともなひたまふ


エホバはわが霊魂(たましひ)をいかし


名(みな)のゆゑをもて我をたゞしき路(みち9にみちびき給(たま)ふ


たとひわれ死のかげの谷をあゆむとも災禍(わざはひ)をおそれじ


なんじ我とともに在(いま)せばなり


なんぢの笞(しもと)なんぢの杖われを慰む


なんぢわが仇(あた)のまへに我がために莚(えん)をまうけ


わが首(かうべ)にあぶらをそゝぎたまふ


わが酒杯(さかづき)はあふるゝなり


わが世にあらん限りはかならず


恩惠(めぐみ)と憐憫(あはれみ)とわれにそひきたらん


我はとこしへにエホバの宮にすまん


●この最後の行で思わず落涙(らくるい)。これ以上短い幸福論はあるまい。人間、いつどこに住むか、誰と結婚するか、どんな仕事に就くか、どんな会社に入るか、どんな老後を過ごすか、どんな死に方をするか・・・・・・しかし「エホバの宮に住む」以上の幸福はない。●ヴィオリストの和田睦夫氏と音楽懇談。テレビで見ただけで演奏者の弦の種類がわかるとは「その道のプロだなー」と感心した。故郷沖縄のお話し、ご令息もまた音楽家であるお話し。音楽は信仰と違い「感染しやすい」ものだなーと思った●秘書の村松さんから仙台での法事の帰りに福島県の浄土平に行って来たお話し●うだるような暑い日であった。


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都心はうだるような猛暑、外は熱風であった。農業者のご苦労を思う。2006.8.7小伝馬町交差点


灼熱地獄から人間を守るものは「建築物」。恐ろしい日射がさえぎられるというのも聖書の思想にある。詩編121編。これは讃美歌301番にもなっている。特に3節。


口語訳 詩  121:6-8
121:6 昼は太陽があなたを撃つことなく、夜は月があなたを撃つことはない。
121:7 主はあなたを守って、すべての災を免れさせ、またあなたの命を守られる。
121:8 主は今からとこしえに至るまで、あなたの出ると入るとを守られるであろう。



讃美歌301番3節


3. み神は あだ をふせぐ たて なり,


  汝(な) が 身を つね に 守る かげ なり.


   よる は 月, ひる は日 も


   汝(なれ)を ば そこなう まじ.



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都心から40キロ離れたあきる野市に戻ると涼しい。奥多摩連山の美しい夕暮れ。写真を撮影しながら帰る。 詩編19編7節には「熱」という言葉がでてくるが、灼熱は地獄だ2006.8.7 18:55



新共同 詩  19:1-7
19:1 【指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。】
19:2 天は神の栄光を物語り/大空は御手の業を示す。
19:3 昼は昼に語り伝え/夜は夜に知識を送る。
19:4 話すことも、語ることもなく/声は聞こえなくても
19:5 その響きは全地に/その言葉は世界の果てに向かう。そこに、神は太陽の幕屋を設けられた。
19:6 太陽は、花婿が天蓋から出るように/勇士が喜び勇んで道を走るように
19:7 天の果てを出で立ち/天の果てを目指して行く。その熱から隠れうるものはない。



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夕暮れの富士、富士を見るとかって一緒に登った鈴木忠昭君を想う。彼は57歳の若さで先に逝った。老いた母を残して。かれは一人息子だったのに。なぜだ! 2006.8.7 19:05




讃美歌476番



1. やや に う移り きし 夕日 かげ の

   のこる わが 生命(いのち )今 か 消ゆらん.

 

(Refrain)

   みつかい よ, つばさ お のべ,

   永遠(とこしえ) の 故郷(ふるさと )へみちびき ゆけ,

   永遠(とこしえ )の 故郷(ふるさと )へ みちびき ゆけ,

 

2. むかえ の 使(つかい)は ちかずく らし,

   翼(つばさ )うち かわす 音 の きこゆ.

 

3. この 身 おを救いて  死に たまいし

   主 に 見(まみ)ゆる ひ ぞ ただ 待タるる


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我が家が近づく。あの灯りは妻が待っている「夕食」の徴。わたしだけこんなに命を恵まれていてよいのだろうかと思っててしまう。讃美歌384番を想う。t特にその2、3節。60歳にならないで先に逝った友人が多くいる。  2006.8.7 19:15


讃美歌384番



1. 我 こそ 十字架 の つわもの なれ,

   争(いか)で か 恥ずべきイエス の御名(みな)おを

 

2. わが 主 の軍( いくさ )の さきがけ して

   血 の 海 こえ ゆき 友 は 勝ちぬ.

 

3. いかで か 我 のみ 花 の 床に,

   うましき 夢路 を 辿(たど)る べき か.

 

4. み旗 を かざして いざ た戦かわん,

   なびかぬ 仇 なき この 御旗(みはた) を

 

5. 栄え に さかゆる わが 主イエス と

   世 を 統(す)べ 治(おさ)むる かち はちかし.


●妻が池谷医院に行った結果を聞く。「風邪ですって」と明るい笑顔。●旧約学者の中沢洽樹先生は晩年に夫人が脳のご病気で意識不明。10年もご看病なさった。その頃歌った歌を思う。



物言はぬ 妻の面(おもて)を視(み)つめつゝ今日も溢るゝわが涙かな。 1975.1.31


何事もなかりしごとく病む妻の家に帰りてわれに笑みかく 1975.4.13

                                    (夢に全快帰宅を見て)













 


 


 


 





 


 


 


 

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健康で長生きばかりが幸福ではない ++++++++ 所感

2006/08/06 07:52

060806(日)4時起床●建築の某先生がご家族の祈りで晩年に信仰を持たれ、主にある交わりが始まった。嬉しくなり返メール。内容がよいことなので「本人には断らずに」公開する。よいことは「口コミ」で伝わる。●信仰に後先はない。この世的な先輩後輩の悪習慣もない。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


○○○○先生


先生の奥様には一度もお目にかかったことはございませんが、昨夜のお電話でお互いに信仰の琴線に触れるお話が出来ました。


お世話になった先生と今日このような形で「主にある交わり」ができますことは不思議なご縁で感謝です。

奥様が「健康で長生きが幸福なのではない。今が大切」とおっしゃられたことと、先生が「70歳を過ぎてから」「これから慌てて聖書を学ぼうとする」「決して急がず・・・のんびりと学んでゆく」「宜しくご指導ねがいます」・・・・などのお言葉を聞きまして

「神の国には後先がない」のだなーと感じ、「神の国と時間」について聖書の5箇所の記事を思い起こしました。私も聖書を「初心」から学びたいと思います。先生には地上で離れてもこのように主にある形でもご指導いただけますことを衷心より御礼申しあげます。奥様によろしくお伝えください。
 


 

塚本訳 マタ 19:29-30
19:29 そしてわたしのために家や兄弟や姉妹や父や母や畑をすてた者は一人のこらず、(この世で)その幾倍を受け、また(来るべき世では)永遠の命をいただくのである。
19:30 しかし(決して油断をしてはならない。)一番の者が最後になり、最後の者が一番になることが多い。

 

塚本訳  マタ 21:28-31
21:28 いったいあなた達はどう思うか。──ある人に二人の息子があった。長男の所に行って、『坊や、きょう葡萄畑に行って働いてくれ』と言うと、
21:29 長男は『いやです』と答えたが、あとで後悔して出かけた。
21:30 つぎに次男の所に行って同じように言うと、こちらは、『お父さん、承知しました』と答えたが、行かなかった。
21:31 この二人のうち、どちらが父の心を行ったのだろうか。」「もちろん長男」と彼らが答える。イエスが言われる、「アーメン、わたしは言う、税金取りや遊女たちは、あなた達よりも先に神の国に入るであろう。

 

塚本訳 ルカ 23:39-43
23:39 磔にされている罪人の一人がイエスを冒涜した、「お前は救世主じゃないか。自分とおれ達を救ってみろ。」
23:40 するともう一人の者が彼をたしなめて言った、「貴様は(このお方と)同じ(恐ろしい)罰を受けていながら、それでも(まだ)神様がこわくないのか。
23:41 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる。」

 

文語訳  Ⅱペテ3:8
3:8 愛する者よ、なんぢら此の一事を忘るな。主の御前には一日は千年のごとく、千年は一日のごとし。

 

塚本訳 ルカ 12:15
12:15 人々に言われた、「一切の貪欲に注意し、用心せよ。いかに物があり余っていても、財産は命の足しにはならないのだから。」

 


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●個人情報の秘密を振り回し、何事も「隠そう」とする人間は「うしろめたい」生活があるから暗い。「企業秘密」「国家機密」「人事」「裁判上の秘密」「宗教家や医者が守るべき愛の秘密」とは全然性質が異なる。それは神にも人にも「罪を隠そうとする」人間として最も悪い性質なのだ●法律は悪の防止のためにあるだけで根絶にはいたらない。律法(法律)には限界がある。法律を振り回す人間は商売上の「技術」であって、愛の業ではない。愛は法律の裏をかいてでも人を救うもの。一流の法律家のすること●カトリックの神父や牧師は「信者から告白された内容」は、口が裂けてもバラしてはいけない。私が受けた「告白」はもちろん公開しないが、「ためになること」でさしつかえないものは積極的に公開して世の益に供する●肉と霊の故郷である浦和に行く。故郷(ふるさと)はありがたい。でも浦島太郎のようであった。


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ようやく再開発が始まった浦和駅東口。高層ビルの建設中。パルコが入る 2006.8.6


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左は柴田邸。ここに私の生まれ育った家が建っていた。もう40年も前にここを去った。父と母はその後一度も浦和を訪れたことはない。  2006.8.6


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16歳の時私が受洗したナザレン教団浦和教会。昔と変わらないたたずまい。10:15からの礼拝に出席する。 2006.8..6


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私が高校生の時に、私の救いを熱心に祈ってくださった増田愛子さん。感謝。いつまでもお元気で。 2006.8.6


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私の救いを一生懸命祈ってくださった関谷忍牧師と。高校生になって教会に行き始めたのを知った亡き父はある日密かに関谷牧師を訪問し、「どうか息子を救ってくれ」と頼んだそうである。これは後日関谷牧師から聞いた。関谷牧師は歩くのも喋るのも大分弱られた。受洗から47年も経つ。私としては残る生涯、場所と形は異なっても受けたこの恩を返さなければならないと思うことしきりである。関谷牧師のご健康をお祈りする。2006.8.6


●礼拝のあとに過ぎにし方を回顧して感謝の言葉を述べた。信仰を頂いて最大のことは母を不遇な生涯にしたので憎くてどうしても赦せなかった祖父を赦せるようになったこと●教会を去るとき、皆さんから「また来年来てください」と言われたので「神により命が支えられれば」と答えた。浦和教会の皆様ありがとうございました。私は憎かった祖父を赦すことが出来ました。感謝です。


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猛烈だったこの日も夕方になると涼しくなった。 2006.8.6 18:00 あきる野市


図書館の帰り。西方の空を写す。


●コーラスの練習後妻が駅からタクシーで帰る●就寝時のセコムのセットで誤って「非常ボタン」を押したためにパトカー2台、警官4名が数分後に来た。思わぬことで実験をしてしまった。


 


 




 




 


 

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赦せない苦しみ ++++++++ 所感

2006/08/05 06:42

060805(土)5時起床●日経「文化欄」は「丸山眞男現代に生きる・・・・没後10年、若手の研究続々」。軍国主義の時代にこのようなリベラリストが存在したのは驚きだが、その思想の「根」が人間の思想であると見るうちは研究も不毛。「よいものは神にのみある」


塚本訳 マコ 10:18
10:18 イエスは言われた、「なぜわたしを『善い』と言うのか。神お一人のほかに、だれも善い者はない。


文語訳 マコ 10:18
10:18 イエス言ひ給ふ『なにゆゑ我を善しと言ふか、神ひとりの他に善き者なし。


TEV マコ 10:18
10:18 "Why do you call me good?" Jesus asked him. "No one is good except God alone.


●日経「私の履歴書」は遠州茶道宗家の小堀宗慶。畏敬する母のこと。この話も読んでいて気持ちがよい。父母を悪く言う人間は周囲、家族、特に子供に悪い影響を与える。これは恐ろしい事実。子供は親の背中を見て育つ。親の真似をする。「親があーだから自分もそうしてかまわない。注意する人がいないから大丈夫で自由だ」という心理状態になり、倫理的歯止めがかからない。ヒルティが常に次の聖句を引用するのはそれが現実のものだったからであろう。親の罪は孫子の代まで三代、四代までも続くという。私もその恐ろしいまでの真理の例を見る。そんなバカなことはないと言ってみても事実は動かし難い。


口語訳 出  34:6-7
34:6 主は彼の前を過ぎて宣べられた。「主、主、あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみと、まこととの豊かなる神、
34:7 いつくしみを千代までも施し、悪と、とがと、罪とをゆるす者、しかし、罰すべき者をば決してゆるさず、父の罪を子に報い、子の子に報いて、三、四代におよぼす者」。


新共同 出  34:6-7
34:6 主は彼の前を通り過ぎて宣言された。「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、
34:7 幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。しかし罰すべき者を罰せずにはおかず、父祖の罪を、子、孫に三代、四代までも問う者。」


TEV 出  34:6-7
34:6 The Lord then passed in front of him and called out, "I, the Lord, am a God who is full of compassion and pity, who is not easily angered and who shows great love and faithfulness.
34:7 I keep my promise for thousands of generations and forgive evil and sin; but I will not fail to punish children and grandchildren to the third and fourth generation for the sins of their parents."


●私の母方の父(私の祖父)は子供が8人もありながら「女に狂って」離婚。その禍は三代、四代まで続いている。この旧約の呪いの呪縛から解放されるのは「キリストの血」によるほかにはない●私は物ごころついたときに母からこの祖父のことを聞いて、母を不遇な生涯にした祖父を非常に憎んだ。心が暗くなった。しかし自分が「キリストの血」によって罪赦されたときに不思議に祖父を赦せるようになった。祖父の墓は8人の子供たちから嫌われてその存在さえわからなかったが、私が足掛け10年かけて九州の水俣に探し出し、母の眠る秋川霊園に持ち帰って安置した●水俣から遺骨を持ち帰るとき、仏教の僧侶が「不思議ですねー、ちょうど50年目です。仏教では50年経つと供養をやめるのです」と言った。私はそのとき、仏教では捨ててもキリスト教で引き受けたと思った。●私はあと19年もすると、その和解した祖父も眠っている墓に眠る。●自分を責める者、傷をつけた者、禍に陥れた者、亡き者にしようとする者、殺そうとする者、追放しようとする者、裁判所に突き出す者、攻撃する者、を人間は「とうてい」「どうしても」「努力しても」「金輪際」「決して」赦すことは出来ない。「赦したいがどうしても赦せない」この苦しみ。この悩み、この不自由。あーこの苦から救う者は誰か。死の体から救うものは誰か。パウロの悩み。


塚本訳  ロマ 7:24-25
7:24 なんとわたしはみじめな人間だろう!だれがこの死の体から、わたしを救い出してくれるのだろうか。
7:25 ──神様、感謝します、わたし達の主イエス・キリストによって!──従って、このわたしは理性では神の律法に仕えるが、肉では罪の法則に仕えるのである。


文語訳  ロマ 7:24-25
7:24 噫われ腦める人なるかな、此の死の體より我を救はん者は誰ぞ。
7:25 我らの主イエス・キリストに頼りて神に感謝す、然れば我みづから心にては神の律法につかへ、内にては罪の法に事ふるなり。


TEV ロマ 7:24-25
7:24 What an unhappy man I am! Who will rescue me from this body that is taking me to death?
7:25 Thanks be to God, who does this through our Lord Jesus Christ! /This, then, is my condition: on my own I can serve God's law only with my mind, while my human nature serves the law of sin.


●多くの人が自分の家庭のことは「敷居の外」に出したくない。「恥」だからである。しかしその[家庭の恥」という腐った割れ目にキリストの救いの光が差し込む。道徳堅固な人物や立派な家庭に「救い」は入りにくい。「おっかシャン。この告白の道、許してくらっせェー」。●ブログは真剣勝負の「救いの告知」。カッコいいことばかり書けない。「暇な遊び」ではない。恥も外聞もなく破れかぶれのヤケクソの「捨て身の告白」だ。余命19年。「王将」の歌詞と同じく「笑わば笑え」だ。パウロは言う「滅び行く者」には笑ってもらおう。


塚本訳 ルカ 8:39
8:39 「家に帰って、神がどんなにえらいことをしてくださったかを、(みんなに)話してきかせなさい。」すると彼は行って、イエスがどんなにえらいことを自分にされたかを、町中に言いふらした。


 塚本訳  ヨハ 9:25
9:25 彼が答えた、「罪人かどうか知りません。ただ、(もと)盲であったわたしが、いまは見えるという、この一つのことだけ知っています。」



王将    作詞・西条八十 作曲・船村徹 唄・村田英雄


吹けば飛ぶよな 将棋の駒に 賭けた命を 笑えば笑え 


うまれ浪花の 八百八橋 月も知ってる 俺らの意気地


●パウロの次の有名な言葉は、平たく言うと「この道を行く私を笑ってもらおうジャァーナイカ」ということである。


塚本訳 Ⅰコリ1:18-25
1:18 なぜか。この十字架についての言葉は、滅びゆく者には馬鹿なことであるが、わたし達救われる者には、神の力(の現われ)であるから。
1:19 (聖書に)こう書いてあるではないか、『知恵者の知恵をわたしは滅ぼし、賢い者の賢さをわたしは無にする』と。
1:20 『どこに知恵者が』、『どこに聖書学者が、どこに』この世の議論家がいるのか。神は(この)世の『知恵を馬鹿なものにされた』ではないか。
1:21 なぜなら、(この)世(の人)が自分の知恵により(判断し)、神の知恵(の現われである御業)において神を認めることをしないので、神は馬鹿な(ことと見える十字架の)説教によって信ずる者(だけ)を救おうと、お決めになったからである。
1:22 実際、ユダヤ人は(信ずるための証拠に神からの不思議な)徴を乞い、異教人は(真理を知るために)知恵を求めるが、
1:23 わたし達は十字架につけられたキリストのこと(だけ)を説く。すなわち、ユダヤ人にはつまづき、異教人には馬鹿なことであるけれども、
1:24 (神に)召された者だけには、ユダヤ人、異教人の別なく、(これこそ)神の力、また神の知恵なるキリストを(説くのである)。
1:25 というのは、神の(業はどんなに)馬鹿なこと(に見えても、それ)は人よりも知恵があり、神の(業はどんなに)無力(に見えても、それ)は人よりも力があるからである。


●キリストの血は、「父祖の罪を、子、孫に三代、四代まで続く」という罪の呪いの呪縛から解放する。過去の一切の罪をその代で清める。その人が何代目であってもその人を清める。パウロはつぎのように「説明」する。


塚本訳  ロマ 3:22-26
3:22 この神の義は、イエス・キリストを信ずる信仰(だけ)によって、これを信ずるすべての者にあたえられる。(すべてというのは、そこに人間的の)なんの差別もないからである。
3:23 なぜか。すべての人が罪を犯したため、いまだれ一人、(かつて持っていた)神の栄光をもたない。
3:24 (さりとて失った栄光を回復する力はないので、何一つ)代価を払わず、(ただ)神の恩恵によって、キリスト・イエスによるあがないの力で、(神に)義とされる(道が設けられた)のである。
3:25 すなわち神は御自分の義を示すために、宥めの供え物としてキリストを提供された。これはキリストの血でなされたものであり、(人は)信仰によ(ってこの恩恵にあずか)るのである。このことは──神が(長いあいだ)忍耐をもって過ぎし日に犯した罪を罰せずにおられたので──
3:26 今の世において、御自分の義を示そうとされたのである。すなわち御自分が義であること、またイエスを信ずる者を義とするお方であることを、(この世に)示されたのである。


塚本訳  ロマ 5:15-19
5:15 しかし(神の)賜物は(アダムの)過ちと同じではない。なぜなら、一人の人(アダム)の過ちによってすら多くの人が死んだくらいであるから、まして神の恩恵と一人の人イエス・キリストによる恩恵の賜物とが、多くの人に満ちあふれるのはもちろんである。
5:16 なお、(キリストの)賜物と一人の罪を犯した人の場合とは、同じではない。なぜなら、一人の人(の罪)に対する(神の)裁きは、(多くの人に)死の宣告を下したのであるが、(神の)賜物は、多くの(人をその)過ちから(救い出して)義とするからである。
5:17 一人の人によって、すなわち一人の人(アダム)の過ちによってすら死が支配するようになったくらいであるから、ましてあふれるばかりの恩恵と義とされる賜物とを戴いた者が、一人の人イエス・キリストにより(永遠の)命をもって支配するのは、もちろんであるからである。──
5:18 従って、一人の人の過ちによって全人類に死の宣告が下されたと同じに、一人の人の正しい行いによって、全人類に命を与える義が臨んだのである。
5:19 すなわち、一人の人の不従順によって多くの人が罪人になったように、一人の人の従順によっても多くの人が義人になるのである。


●このパウロの難しい言葉はパウロの体験の「説明」である。頭での説明に過ぎない。だからパウロの説明を大脳皮質で理解したり信じても救われない。つまり読むほうも体験なしにはパウロが何を言っているのか理解できない。●難解な「パウロ神学」はパウロと同じく「罪の赦し」の痛い体験をすればなんなく分かる。パウロは持ち前の屁理屈でこれを無理に「説明」しているのである。ユダヤ教の素養のない者には分かりにくい。●讃美歌271番は千古不滅の真理。不本意ながらどんなに惨めな暗い泥沼の家庭に生まれてしまった者もキリストの血で清められれば「過去は問われない」。「祖父の罪」の呪縛から解かれる。初代からやり直しが効くのだ。それが新約に生きるもののありがたさ。そしてその家系はそれ以後において祝福と恩恵が豊にあふれる(ロマ5:20)。浜の砂子のように子孫が増える。


塚本訳  ロマ 5:20-21
5:20 (それなら律法は人を義として永遠の命を与えるためには役立たないのか。その通り。)律法は、過ちを増し強めるために第二義的に来たのである。しかし(神に感謝する、人の犯す)罪が増し強まれば、恩恵は豊かにあふれる。
5:21 これは罪が死を持って支配したように、恩恵も義をもって支配し、わたし達の主イエス・キリストによって、(わたし達を)永遠の命に入れるためである。


讃美歌217番


1. いさお なき 我を 血をもて 贖い,

   イエス 招き 給う, み許(もと) に われ ゆく.

 

2. つみ とが の 汚れ 洗う に よし なし,

   いえす 潔(きよ)め 給う, み許(もと)に われ ゆく.

 

3. うたがい の 波も, 恐れ の あらし も,

   いえす 鎮(しず)め給う, み許(もと)に われ ゆく.

 

4. こころ の 痛手 に 悩める この み身を

   イエス 癒し 給う, み許(もと) に われ ゆく.

 

5. たより ゆく 者 に 救い と いのち を

   イエス 誓い 給う, み許(もと) に われ ゆく.

 

6. いさお なき 我を かく まで 憐(あわ)れみ,

  イエス愛し給う, み許(もと) に われ ゆく. 




●今日はあきる野の夏祭りの日。日本人は祭りが好きだ。



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あきる野夏祭り。小学唱歌の「村祭り」を思い出した。2006.8.5



村の鎮守の神様の 今日はめでたい夏祭り 

どんどんひゃらら どんひゃらら 

どんどんひゃらら どんひゃらら 

朝から聞こえる笛太鼓




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夏祭りの縁日でカブトムシを売っていた。一回300円のクジではずれなし。外れたらカブトムシのつがい。一等はアフリカのクワガタ、買えば12万円だと言う。 2006.8.5




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八王子から来た応援の踊り手。一糸乱れぬ見事な踊り。 2006.8.5

日本人は祭りと踊りが好きだ。この精神が教会に入るとさわがしくなる。日本のプロテスタント教会は「お祭り」気分。まてまて無教会主義の集まりも「文芸発表会、文化講演会」になりつつあるのはまずい。




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浴衣は美しい。ザ・ジャパンだ。日本はイイナー。2006.8.5 あきる野夏祭り



●今度福島へ行って母に話を聞いて分かったこと。妻のトミ子が歌が好きなのは、父方の母(つまりトミ子の祖母)が非常に歌が上手であったこと。またトミ子の母も歌が上手であったこと。音楽の素養は遺伝か。そのトミ子は歌は歌でも讃美歌を歌うようになっているのは感謝。神は妻の唇に讃美をさせている。マタイ21:16を思う。


塚本訳 マタ 21:16
21:16 イエスに言った、「あの子供たちがなんと言っているのか、聞えているのか。」イエスは言われた、「聞えている。あなた達は『(神よ、)あなたは幼児と乳飲み子との口によって、(御自分のために)賛美をお備えになった』と詩篇にあるのを、まだ読んだことがないのか。(大人が黙っているから、子供が叫ぶのだ。)」





 


 


 

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批判されることは「良薬口に苦し」 ++++++++ 所感

2006/08/04 07:08

060804(金)5時半起床●朝風呂で日経「私の履歴書」は遠州茶道宗家の小堀宗慶。父の日常の姿を尊敬する言葉の数々。読んでいて気持ちがよい。さすが茶道家元の家庭。よいことの伝承は先生や親を尊敬するところに可能●先生を「センコー」と呼んだり、親を「クソオヤジ」と言っているようでは真理は伝わらないし、周囲に悪い雰囲気を撒き散らすので、自分を滅ぼしている●「汝は神の子なるか」と尋問した大祭司に対し、イエスは「勝手に考えろ」と突き放した。原語のギリシャ語は「スーエイパス」。これを新共同訳は「それは、あなたが言ったことです。」と原文を逐語訳的に気の抜けた訳にしている。ここのところ塚本訳は「(そう言われるなら)御意見にまかせる。」とイエスの心境の本質に触れている。●自分の先生が塚本虎二を好かないからと言ってその塚本訳新約聖書も読まないでいるのは「宝のもちぐされ」。目がない。


新共同 マタ 26:63-64
26:63 イエスは黙り続けておられた。大祭司は言った。「生ける神に誓って我々に答えよ。お前は神の子、メシアなのか。」
26:64 イエスは言われた。「それは、あなたが言ったことです。しかし、わたしは言っておく。あなたたちはやがて、/人の子が全能の神の右に座り、/天の雲に乗って来るのを見る。」


塚本訳 マタ 26:63-64
26:63 しかしイエスは黙っておられた。大祭司が言った、「生ける神に誓ってわれわれにこたえよ。お前が、神の子救世主か。」
26:64 イエスは(はじめて口を開いて)彼に言われる、「(そう言われるなら)御意見にまかせる。だが、わたしは言う、あなた方は今後『人の子(わたし)が』『大能の(神の)右に坐り、』『天の雲に乗って来るのを』見るであろう。」


●なんでもかんでも先生の真似をするのはカトリックの法王に盲従するのと同じで、自分で判断できない程度の低い人間だ。近代人とは言えない。まてまて無教会にも先生のご見解に「盲従」している人が多い。それも先生の政治的見解にまで「盲従」していて奴隷になっている。滑稽である。無教会の自殺行為である。


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秋留台公園の噴水プール。虹が出ていた。創世記を思い出した。 2006.8.4


新共同 創  9:12-17
9:12 更に神は言われた。「あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、代々とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである。
9:13 すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。
9:14 わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、
9:15 わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない。
9:16 雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。」
9:17 神はノアに言われた。「これが、わたしと地上のすべて肉なるものとの間に立てた契約のしるしである。」


●8月2日の「日記と感想」を読まれた未知の方から応答。感謝。「閉じこもり」の原因のご自身のご見解の最後に私に対する批判をチクリ。「高橋さんの強い説教も味わいがありますが、どうしたら相手を暖かい目をもって見つめることができるようになるか、という神様に立ち返る(メタノイア)訓戒を読んでみたいです。」他人の批判は「良薬口に苦し」である。ありがたい。●私の「日記と感想」を「強い説教」と言われたのは初めて。説教ではない、自然体である。あるがままである。思うままである。自由な表現である。隠すのは嫌いである。イエスも隠さなかった。だから殺された。


塚本訳 ヨハ 18:20
18:20 イエスは答えられた、「わたしは世間にむかって公然と話した。わたしはいつも、ユダヤ人が皆集まる礼拝堂や宮で教えて、何一つ隠れて話したことはない。


●私のブログ日記は「暇人の遊びブログ」ではない。真剣勝負である。だからカツンと来る人間がいるのだ。●この行為を「どう思うか」は「勝手に考えろ」である。様々な反応があるから、総ての人に「耳障りのよい」内容にはできない●イエスが現代に生きたらメール、インターネット、ブログを使って「公開」するであろう。そのほうが効率的だから●私のブログ公開日記のことは様々に思われている。「癒し」「説教」「同感」。そして応答には「励まし」「アーメン」もあるかと思えば中には(個人的に迷惑だから、自分の身が危ないから)「削除しろ」「訴えるぞ」などという勇ましくも惨めで悲しいものまである。 応答の反応でその人物の生活の程度が分かるから恐ろしい。マタイ7章2節である。自分が滅びるんだがナー。否、その人は今すでに滅んでいるのだ。人生、一期一会なんだがなー。


 文語訳マタ 7:2
7:2 己がさばく審判にて己もさばかれ、己がはかる量にて己も量らるべし。


●どのように思われても、イエスと同じく「勝手に考えてくれ」「ご随意に」と思わざるを得ない●人間は所属団体の方針に縛られているときは不自由人間である。思想も行動も組織の型のはまっている。金の奴隷、地位の奴隷。カトリックの神父がその最たるもの。聖書を自由に勉強できないから気の毒。●世の中、ブログが大流行なのはよいことである。「個人情報の秘密」の反対だからである。「個人情報の秘密」を振り回す人間に大した人物はいない。気持ち悪い人間が多い。明るくない人間が多い。イエスは隠さなかった。ただしブログといってもピンキリ、遊び仲間やサークル仲間の「無駄話」。こういうのを読むのは貴重な人生の時間を失う。●イエスの話は「真剣勝負」。その話を聞いて右か左に分かれてしまうから恐ろしい。


塚本訳  ヨハ 12:47-48
12:47 しかしわたしの言葉を聞いて守らぬものがあっても、わたしはその人を罰しない。なぜなら、わたしは世を罰するために来たのでなく、世を救うために来たのだから。
12:48 (だが、)わたしを排斥し、わたしの言葉を受け入れない者を罰する者が(ほかに)ある。わたしが話した言葉、それが最後の日にその人を罰するのである。


●田村光三氏と電話懇談●吉田秀雄氏夫人の克子さんと長電話懇談。直接お目にかかったことはないが、主にある琴線に触れるお話が出来るのは不思議。使徒信条にある「聖徒の交わり」とはこのことで真理。●克子さんとは「本人が何らかの事情で型どおりの信仰告白が出来なくても、従って自ら洗礼を申し出られなくても、神はその人を捉えて救う」ということで意見が一致。「そうです、そうです」と二人で大声で意見の一致。これ究極のプロテスタンティズムであり、無教会主義。神の目は人間の目とは違う。人間が捨てても神は捨てない。教会が捨てても神は捨てない。


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恵一家が福島に移住するために旅立つとき記念に植えていったオリーブの樹が大きくなった。創世記を思う。2006.8.4


新共同 創  8:10-12
8:10 更に七日待って、彼は再び鳩を箱舟から放した。
8:11 鳩は夕方になってノアのもとに帰って来た。見よ、鳩はくちばしにオリーブの葉をくわえていた。ノアは水が地上からひいたことを知った。
8:12 彼は更に七日待って、鳩を放した。鳩はもはやノアのもとに帰って来なかった

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敵対的買収の心 ++++++++ 所感

2006/08/03 07:06

060803(木)5時起床●朝風呂で日経、「私の履歴書」は遠州」茶道宗家の小堀宗慶。両親から影響を受けた話。親を尊敬することは周囲によい雰囲気をかもし出す。子供へのよい影響を与える。読んでいてすがすがしい。●親に反抗することをもって「ひとかどのこと」をしていると思っている人間はまず先がない。その実例を見ている。経営者としてはそんな不遜な人間を出世させてはならない。そういう人間はすぐ上司や会社に反抗するから危ない。人間ができていない●王子製紙が北越製紙を敵対的買収へ。どうも気持ちが悪い。「愚かな金持ちの話」を思い出した。


塚本訳 ルカ 12:13-21
12:13 すると群衆の中の一人がイエスに言った、「先生、遺産を分けてくれるように、兄に言ってください。」
12:14 イエスは「君、だれがわたしを、あなた達の裁判官また遺産分配人に任命したのか」とこたえておいて、
12:15 人々に言われた、「一切の貪欲に注意し、用心せよ。いかに物があり余っていても、財産は命の足しにはならないのだから。」
12:16 そこで一つの譬を人々に話された、「ある金持の畑が(ある年)豊作であった。
12:17 『どうしよう、わたしの作物をしまいこむ場所がないのだが…』と金持ちはひそかに考えていたが、
12:18 やがて言った、『よし、こうしよう。倉をみなとりこわして大きいのを建て、そこに穀物と財産をみなしまいこんでおいて、
12:19 それからわたしの魂に言おう。──おい魂、お前には長年分の財産が沢山しまってある。(もう大丈夫。)さあ休んで、食べて、飲んで、楽しみなさい、と。』
12:20 しかし神はその人に、『愚か者、今夜お前の魂は取り上げられるのだ。するとお前が準備したものは、だれのものになるのか』と言われた。
12:21 自分のために(地上に)宝を積んで、神のところで富んでいない者はみな、このとおりである。」


●9:30橋本次長とNTTファシリティーズの篠原周二氏を訪問、JBCIについてお願いと懇談。人選は人格が判断基準。その人の所属組織にはよらない。●ヴィオリストの和田睦夫氏と音楽懇談。りヒャルト・シュトラウスについて●13:30日本青年館で「継続能力開発(CPD)制度説明会」に出席。資格を有したからといって安心してはいられなくなった。年間50単位の勉強をしないと資格がなくなる。●妻が福島から戻る。やはり落ち着く


 


 

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我が子を閉じこもりにさせないためには ++++++++ 所感

2006/08/02 10:49

060802(水)昨夜も激しく咳き込む。5時起床●朝風呂で日経「私の履歴書」、遠州茶道宗家の小堀宗慶。シベリヤ抑留、捕虜になる前日に大切な茶籠を火に投ずる。(8月1日)、シベリヤ抑留4年間、極寒の雪の中から芽を出した一輪の花に「生き抜こう」という決心をする。(8月2日)・・・人間はあるときに最も大切なものと別れなければならない号泣のときが来る。しかしそれで男になるのだ。人間になるのだ。見えないものが見えてくるのだ●過日のこと。某夫人から「閉じこもりの子供に育てない方法はどうしたらよいでしょうか」と尋ねられた。この質問は昨今の事件をみてもわが国にとって緊急の問題である。●公的なことなので公開日記で答える。私の答えは簡単。その一は親が「道徳家、律法主義者から福音主義者になること」。・・・・・律法主義的にガチガチの道徳主義者の父親の子供に閉じこもり不登校の子供が生まれる。校長や宗教家の子供に不良少年がでる。神は人間に律法主義から福音への転換を迫っている。親に自分の罪を知る回心を迫っている。詩編51編17節のような親になることを迫っている。


口語訳 詩  51:17
51:17 神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心を/かろしめられません。


●第二は子供が親の経済に頼れないようにすることである。私の知っている「閉じこもり」の子供の家は裕福である。人間は本来怠け者、楽をしたがる本能を持っているから「親が食べさせてくれるからいいや」と思う人間は「働きに出ない」。食べる為にあくせく働いている親の背中を見ていれば子供は本能的に「閉じこもれない」。マネーゲームや楽な地位の仕事で大金を手に入れる「親の姿」を見ていれば、そういう親の下で育つ子供はどう考えてもよくは育たない。●ヒルティは汗は血の薬だと言ったが、子育ての薬でもある。貧しきものは幸いなりとはいろいろな意味で真理である。


文語訳  ルカ 6:2
6:20 イエス目をあげ弟子たちを見て言ひたまふ『幸福なるかな、貧しき者よ、神の國は汝らの有なり。


口語訳 ルカ 6:20
6:20 そのとき、イエスは目をあげ、弟子たちを見て言われた、「あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ。神の国はあなたがたのものである。



TEV ルカ 6:20
6:20 Jesus looked at his disciples and said, /"Happy are you poor; /the Kingdom of God is yours!

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