to 日記と感想 2006年11月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170821(土)15:00お江戸コラリアーズ定期演奏会、文京公会堂
    170809     TW誕生日
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170706      TM誕生日
    170701      TT誕生日
    170628       IY誕生日
    170625(日)14:00羽村フィル、ゆとろぎ。モーツァルト40番、チャイコフスキー5番
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール
    170610(土)14:00内村鑑三セミナー、立教大学12号館。矢田部、椚」山
    170609(金)   TS命日
    170608(木)12:15ボリショイ「白鳥の湖」、東京文化会館
    170707(水)10:00池谷医院
    170604(日)10:00集会感話、
    170604(日)16:30近藤恵邸起工式、福島市。
    170530(火)14:00田岡氏来訪
    170527(土)14:00今井館ピアノコンサート
    170521(日)14:00新宿フィル、ブラームス1番、レスピーギ「鳥」「ローマの松」。和田睦夫
    170425       TN)誕生日
    150420(木)09:30阿伎留センター泌尿器科)
    170416(日)14:00武蔵野室内合奏団、杉並公会堂(大坪満子)


IN GOD WE TRUST ++++++++ 所感

2006/11/30 06:25

061130(木)4時半起床●朝風呂で日経「私の履歴書」は味の素会長の江頭邦雄。一企業の社長になり社会的に「功成り名遂げた」人の老後の心境。大したことではない。竜頭蛇尾。イマドキの教師も親もワカイモンもこういう人生を理想とするから日本はいつまでも小国だ。男一匹生まれたからには真理の為に太く短く生きてパッと散るのを理想としなければならない。健康長寿で安泰老後を目指す人ほど退屈晩年になる。そういう晩年に決して平安と喜びはない。「少年よ大志を抱け」(札幌農学校クラーク博士)。その大志とは間違っても「社長、教授、重役、有名人、文化勲章、ノーベル賞、健康長寿、趣味享楽、」ではない。●キリスト教圏では「クリスチャンです」というだけで絶大な信用がある。なぜか。その男は神が第一なので金に頭を下げないからである。右か左か決するとき経済判断を第一にしないからである。ここが文化の質の分水嶺。●米国のコインには「IN GOD WE TRUST」と刻んである。「金に信用を置かないときに金が入る」。この逆説が日本人はわからない。親も教師もそれを子供に教えないから教育問題がいつまでも解決しない。学歴主義がなくならない。大企業に殺到する。


文語訳 マタ 6:24
6:24 人は二人の主に兼ね事ふること能はず、或はこれを憎み彼を愛し、或はこれに親しみ彼を輕しむべければなり。汝ら神と富とに兼ね事ふること能はず。


塚本訳 マタ 6:24
6:24 (わたし達の心は天か地かに引かれる。)だれも(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。


TEV マタ 6:24
6:24 "You cannot be a slave of two masters; you will hate one and love the other; you will be loyal to one and despise the other. You cannot serve both God and money.


新共同 Ⅰ列 19:18
19:18 しかし、わたしはイスラエルに七千人を残す。これは皆、バアルにひざまずかず、これに口づけしなかった者である。」


●金は魔物。人類は全員がこれに口づけしている。心の中で「口づけ」している。ところがこれでは「金運」に恵まれない。金に「口づけ」しない者が「金運」に恵まれるのだ。金持ちになったほどの人は皆この逆説に生きた人だ。この逆説を聖書は次のように言う。


塚本訳  マタ 16:26
16:26 たとい全世界をもうけても、命を損するならば、その人は何を得するのだろう。それとも、人は(一度失った永遠の)命を受けもどす代価として、何か(神に)渡すことができるのだろうか。


塚本訳  ルカ 18:29-30
18:29 彼らに言われた、「アーメン、わたしは言う、神の国のために家や妻や兄弟や親や子を捨てた者で、
18:30 この世でその幾倍を、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。」


塚本訳  ヨハ 10:11
10:11 わたしが良い羊飼である。良い羊飼は羊のために命を捨てる。


塚本訳  ヨハ 10:17-18
10:17 だから父上はわたしを愛してくださる。(羊のために)命を捨てるからである。しかしわたしが捨てるのは、(まことの命として)ふたたび取るためである。
10:18 だれもわたしから(力ずくで)命を取り上げることはできない。わたしが自分で(自由に)捨てるのである。わたしにはこれを捨てる権利があり、ふたたびこれを取る権利がある。(命を捨て、また取る)この命令を、わたしは父上から受けた。」


●人間にとって魔物は金だけではない。異性も魔物である。神とそれに兼ね仕えることはできない。ワカイモンは心せよ。


●BbB(聖書で聖書を読む)の旧約編全部をダンボールに詰めて今井館に発送。これで全巻終了、心残りがなくなった。


●図書館にCDを借りに行った帰り。秋のあきる台公園の景色4枚


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   あきる台公園の秋。向こうに障害者たちが歩いている。


           2006.11.30 15:00


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    母の愛。人間は誰でもこういう時があるものなのだ。 


             2006.11.30 15:00


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近くの酒店の夫人。ご主人が逝かれて間もなく一年。ようやく笑顔が戻ってきた。人間、伴侶に先立たれると寂しい


             2006.11.30 15:00 


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名残のコスモス。まだ咲いてるのか。もう寒くなるぞ。モーいいよ。


役目果たしたじゃないか。    


             2006.11.30 15:00


 


 

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難しい人がいるとき ++++++++ 所感

2006/11/29 07:18

061129(水)4時半起床●朝風呂で日経「私の履歴書」は味の素会長の江頭邦雄。ゴルフと囲碁三昧の老後。もったいない時間の使い方だなー。ヒルティは「仕事中に死ぬ」ことを理想として、自身「永遠の平和」の論文執筆中に倒れた。内村も塚本も最後までペンを離さなかった。人間、最後はゴルフ、囲碁、趣味、遊び、サークル運動、ではよくない。この会長の老後は竜頭蛇尾でがっくり。こういう老後を理想だと思うのは「凡人」。●何かをやりつつできれば「殺される人生」の方が人類に貢献する。イエス、パウロ、サヴォナローラ、ジャンヌダルク、リンカーン、●攻撃され、殺されるほどになっている人が「生きている証拠。愛がある証拠」●過日某氏に「私を攻撃し非難し反抗する人間が多くなった」と嘆いたところ、「それは君という樹が伸びて高くなったから風当たりが強くなったのだ」「敵は無料で教授してくれる」と慰められた●ヒルティは男一匹何事かについて「額(ひたい)を鉄のようにして」生き抜くことが理想と言っている。これ比べてわが国の老後設計が「健康、長寿、ゆとり、遊び、趣味、旅行など」を目指していることの情けなさよ。低級さよ。これらは決して心が安らがない。癒されない。心の渇きは癒されない●ヒルティは「自国(スイス)に保養に来る金持ちは決してそれで心が安らがない」と批判した。至言●難しい人に対して自己の力を断念し、神の力を期待するところに「祝福の祈り」が沸く。その例は次の通り。これクリスチャンが難しい人と付き合うときの方法。


文語訳 ルカ 23:34
23:34 かくてイエス言ひたまふ『父よ、彼らを赦し給へ、その爲す所を知らざればなり』彼らイエスの衣を分ちて鬮取にせり、


塚本訳  ルカ 23:34
23:34 するとイエスは言われた、「お父様、あの人たちを赦してやってください、何をしているか知らずにいるのです。」『彼らは籤を引いて、』イエスの『着物を自分たちで分けた。』


塚本訳 マタ 5:23-25
5:23 だからもし、あなたが祭壇に供え物を捧げるとき、そこで兄弟に恨まれていることを思い出したなら、
5:24 供え物をそこに、祭壇の前に置き、まず行ってその兄弟と仲直りをし、それからかえって来て供え物を捧げよ。
5:25 また告訴人とは、一しょに(裁判所へ)行く途中で、早く示談にするがよい。そうでないと、告訴人は裁判官に、裁判官は下役にあなたを引き渡して、牢に入れられるにちがいない。


塚本訳  マタ 5:38-42
5:38 あなた達は(昔の人がモーセから、)『目には目、歯には歯』──(人の目をつぶした者は自分の目で、人の歯を折った者は自分の歯で、つぐなわなければならない)と命じられたことを聞いたであろう。
5:39 しかしわたしはあなた達に言う、悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打ったら、左をも向けよ。
5:40 (裁判所に)訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせてやれ。
5:41 だれかが無理に一ミリオン[一キロ半]行かせようとするなら、一しょに二ミリオン行ってやれ。
5:42 求める者には与えよ、借りようとする者を断るな。


ルカ   6: 28 [塚本訳


呪う者に(神の)祝福を求め、いじめる者のために祈れ。


ロマ   12: 14 [塚本訳


(あなた達を)迫害する者に(神の)祝福を求め、祝福して呪うな。


 



●いやなヤツがいたときは「アイツにもいいところがある」と思って耐えることもできるが、それは無宗教者の知恵。人生相談ページの答え。しかしそれでは元の木阿弥。根本解決にはならない。それよりも実効のあることは神を巻き込んだ祈り。この人生の最深の悩みピンチには神にお出まし頂かなければならない。「神様、この悩み苦しみ何とかしてください」と単純に祈ればよい●「汝の敵を愛せ」とあるが、汝の敵とは一般に最も身近な人。夫、妻、親、子供、先生、上司、部下。殺人事件はこういう範囲で起る。●真の平和には犠牲が必要。ヒューマニズムでは真の平和はこない。

 


塚本訳 マタ 10:33-37
10:33 しかしだれでも人の前でわたしを否定する者を、わたしも天の父上の前で否認するであろう。
10:34 地上に平和をもたらすためにわたしが来た、などと考えてはならない。平和ではない、剣を、(戦いを)もたらすために来たのである。
10:35 わたしは子を『その父と、娘を母と、嫁を姑と』仲違いさせるために来たのだから。
10:36 『家族が自分の敵となろう。』
10:37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたし(の弟子たる)に適しない。わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたし(の弟子たる)に適しない。


●新約聖書の各書簡の末尾にはたいてい祝祷の言葉がある。この意味は深い。


塚本訳 ロマ 16:27
16:27 このただひとりの賢い神に、イエス・キリストによって、栄光、永遠より永遠にあらんことを、アーメン。


塚本訳 Ⅰコリ16:23-24
16:23 主イエスの恩恵、あなた達と共にあらんことを。
16:24 わたしの愛はキリスト・イエスにおいてあなた達一同と共にある。



塚本訳 Ⅱコリ13:13
13:13 主イエス・キリストの恩恵と、神の愛と、聖霊の交りとが、あなた達一同と共にあらんことを。



塚本訳  ガラ 6:18
6:18 わたし達の主、イエス・キリストの恩恵、あなた達の霊と共にあらんことを、兄弟たちよ、アーメン。



塚本訳 エペ 6:23-24
6:23 願う、父なる神及び主イエス・キリストよりの信仰と共に平和と愛とが、兄弟達にあらんことを。
6:24 われらの朽ちぬ栄光の主イエス・キリストを愛する凡ての者に恩恵あれ!



塚本訳  ピリ 4:23
4:23 主イエス・キリストの恩恵、君達の霊とともにあらんことを。



塚本訳 コロ 4:18
4:18 これが私パウロの手による挨拶である。どうか私の縄目を記憶してもらいたい。恩恵君達と共にあらんことを!



塚本訳 Ⅰテサ5:28
5:28 願わくは私達の主イエス・キリストの恩恵、君達と共にあらんことを!



塚本訳  Ⅱテサ3:18
3:18 願わくは、私達の主イエス・キリストの恩恵、君達一同と共にあらんことを!



塚本訳 Ⅰテモ6:21
6:21 或る人はこの「知識」にかぶれて信仰から離れ落ちたのである。恩恵君達と共にあらんことを。



塚本訳  Ⅱテモ4:22
4:22 主、君の霊と共に、恩恵、君達と共にあらんことを!



塚本訳 テト 3:15
3:15 私と一緒にいる者達皆から君に宜しく。信仰において私達を愛してくれる者たちによろしく。恩恵、君達凡てと共にあらんことを!



塚本訳  ピレ 1:25
1:25 主イエス・キリストの恩恵、あなた達の霊と共にあらんことを。



塚本訳 ヘブ 13:25
13:25 恩恵、あなた達一同と共にあらんことを。


塚本訳 Ⅰペテ5:14
5:14 愛の接吻をもって互いに宜しくを言え。キリストにある君達一同に平安あれ!


塚本訳 Ⅱペテ3:18
3:18 私達の主また救い主イエス・キリストの恩恵と知識とに成長せよ。(願う、)今も永遠の日までも栄光彼にあらんことを!


 塚本訳 ユダ 1:25
1:25 我らの救い主(なる)唯一の神に、我らの主イエス・キリストによって、永遠の前も、今も、永遠の後までも、栄光、稜威、権力の帰せんことを! アーメン。


塚本訳 黙  22:21
22:21 (願わくは、)主イエスの恩恵凡ての者と共にあらんことを!


●藤沢市の茂木洋子さんを訪問。6年前に設計した茂木歯科医院がすっかり落ち着いていた。江ノ島の見える海岸のレストランで昼食歓談。ここは塚本先生が最愛の夫人を震災で失って「神は愛なり」という声を聞いた地。江ノ電の走る海岸通りを金子幸子さんの車で走る。崖地に建てた小堀邸(1984年)は別の使い方をしているようであった。


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 茂木洋子さんを訪問 2006.11.29 11:30 茂木歯科医院前にて


左から金子幸子 茂木洋子 高橋トミ子 撮影は高橋照男



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茂木歯科医院。ご令息の信道さんが院長。2000年に設計のもの。すっかり落ち着いていた。


 


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 茂木歯科の診察治療室。患者が治療の椅子に座ると庭の緑が見えるようにした。これが設計コンセプト。評判がよいという。成功。病気の治療には大自然の協力が必要


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金子幸子さんの安全運転で鎌倉の海岸を走る。ウィンドサーフィンをやっていた。江ノ島も見えた。父が若き日に結核で入院していた恵風園の下を走る。江ノ電の上の崖の中腹に設計(1984年)した小堀邸は別の使い方をしてるようであった。時は流れる。時代は変わる。


●金子幸子さんから塚本虎二先生のご長男の塚本晃氏(元、御茶ノ水女子大学教授)が本年9月にご逝去されておられたことを伺い暗然となった。晃氏は「伝道者の子供に生まれるよりはチンドンヤの子供の方がよかった」と言われたと言う。塚本先生が家庭を捨てて伝道に熱心(療養所の気の毒な人の方を可愛がられた)であったので寂しかったらしい。母上は関東大震災で圧死。晃氏1歳のころだった。いつも一人でフルートを吹いていたと言う。最後まで神を信ずることはなかった。これ伝道者の家庭の子供の悲劇。多くの人が救われるために犠牲になられた。涙無くして聞けない話である。●しかし人の救われるのは本人の信仰によらない。だれか他の人の隠れた祈りによる。塚本先生の祈りは聞かれるものと固く信ずる●金子幸子さんは御茶ノ水女子大学で晃氏から生物を習われた。塚本先生によく似て清潔なお方であられたそうである。


 


 


 


 


 


 

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優秀な建築士になるには ++++++++ 所感

2006/11/28 07:16

061128(火)4時45分起床●朝風呂で日経「私の履歴書」は味の素会長の江頭邦雄。超多忙でも年間4-50冊の読書。囲碁にも座禅にも経営書にも凝る●人の書棚を見ればその人物の程度が分かる。イマドキのワカイモンの本棚は漫画ばかり。これでは一流になれない。●ただしコト信仰に関しては「聖書関係の蔵書量と信仰の深さとは反比例する」。これ実感。また「大書大愚」ともいう。イエスは本を書かなかった●今日の大学講義の準備。「優秀な建築士になるには聖書を読まなければならない」。なぜか「見えるものは見えないものの影であるから」。多くの優秀な建築は「神の霊力の表れ」。それは聖書が示す。J・ラスキンが言う。R・シュタイナーが言う。「建築は見える言葉」だから見えない部分を体感していなければならない。それなくしてちっぽけな人間の思想の表現では人は感動しない。●優秀な建築士とは有名な建築士ではない。優秀な建築士とは神の霊力を体感してそれを見える形にする人物。それは親切建築士。世の名声とは無縁。人間の世界には知られずとも神にのみ知られる建築士が優秀な建築士●聖書の中の建築精神を20分で話す。それは次の通り。


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聖書に示された建築の精神


1・天地創造の精神・・・・神が天地を創造されたとき「これを見て『よし』と言った。この『よし』という言葉は言語のヘブライ語では「トーブ」であり、これは『美しい』という意味である。地球は美しかった。


新共同 創  1:10
1:10 神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。        


新共同 創  1:18
1:18 昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた。



新共同 創  1:25
1:25 神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。


新共同 創  1:31
1:31 神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。


 


2・人間創造の目的・・・・神はこの美しい地球を管理させるために人間を創造された。これ「神の家令、スチュワード(steward)」。家令とは雇われて他人の家・土地などを管理する人のこと。stewardの女性形がスチュワーデス(stewardess)。いずれも他人のものの管理や世話。これを忘れるから地球環境の汚染となる。人間は地球のものは自分のものだという誤った思想が原因。預かり物なのだ。


新共同 創  1:26
1:26 神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」


新共同 創  1:28
1:28 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」


新共同 創  2:15
2:15 主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。


 


3・バベルの塔は人間のおごり・・・・神と人に仕えるべき労働が「自分の欲望実現」のためになったために起った失敗。この世のものは自分のものと思っていると失敗する。家令であることの失念。


新共同 創  11:1-9
11:1 世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。
11:2 東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。
11:3 彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。
11:4 彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。
11:5 主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、
11:6 言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。
11:7 我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」
11:8 主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。
11:9 こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。



4・悪い家令の例・・・・悪い建築士は建築主の財産を減らす。建築主に満足心を与えない。これ悪い建築士の例。今日の談合事件のルーツ。


塚本訳  ルカ 16:1-8
16:1 また弟子たちにも話された、「ある金持に一人の番頭があった。主人の財産を使い込んでいると告げ口した者があったので、
16:2 主人は番頭を呼んで言った、『なんということをあなたについて聞くのだ!事務の報告を出してもらおう、もう番頭にしておくわけにはいかないから。』
16:3 番頭は心ひそかに考えた、『どうしたものだろう、主人がわたしの仕事を取り上げるのだが。(土を)掘るには力がないし、乞食をするには恥ずかしいし……
16:4 よし、わかった、こうしよう。こうしておけば仕事が首になった時、その人たちがわたしを自分の家に迎えてくれるにちがいない。』
16:5 そこで主人の債務者をひとりびとり呼びよせて、まず最初の人に言った、『うちの主人にいくら借りがあるのか。』
16:6 『油百バテ[二十石]』とこたえた。番頭が言った、『そら、あなたの証文だ。坐って、大急ぎで五十と書き直しなさい。』
16:7 それから他の一人に言った、『あなたはいくら借りがあるのか。』『小麦百コル[二百石]』とこたえた。彼に言う、『そら、あなたの証文だ。八十と書き直しなさい。』
16:8 すると主人はこの不埒な番頭の利巧な遣り口を褒めた(という話)。この世の人は自分たちの仲間のことにかけては、光の子(が神の国のことに利口である)よりも利巧である。


 


5・良い家令の例・・・・他人の財産を正しく管理保護して財産を増やす。これ優秀な建築士。


塚本訳 ルカ 16:9-13
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。
16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。
16:11 だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。
16:12 もし他人のもの[この世のこと]に忠実でなかったならば、だれがあなた達のもの[天のもの]をあなた達に与えようか。
16:13 しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。」


 


6・建築の技術はタラント・・・・自分に与えられた建築技術というタラント(タレントの言葉の源流)を生かして神と人とに使えるのが建築士の使命。


塚本訳 マタ 25:14-21
25:14 (ほんとうに目を覚ましておれ。人の子が来る時、)天の国は、旅行に出かける人が僕たちを呼んで財産を預けるようなものであるから。
25:15 それぞれの力に応じて、一人には五タラント[千五百万円]、一人には二タラント[六百万円]、一人には一タラント[三百万円]を渡して旅行に出かけた。
25:16 五タラントあずかった者はさっそく行ってそれを働かせ、ほかに五タラントもうけた。
25:17 同じように、二タラントの者もほかに二タラントもうけた。
25:18 しかし一タラントあずかった者は、行って地を掘り、主人の金を隠しておいた。
25:19 かなり日がたってから主人がかえって来て、僕たちと貸し借りを清算した。
25:20 まず五タラントあずかった者が進み出て、ほかの五タラントを差し出して言った、『御主人、五タラント預りましたが、御覧ください、ほかに五タラントをもうけました。』
25:21 主人が言った、『感心々々、忠実な善い僕よ、少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一しょに喜んでくれ。』


 


7・仕事の報酬は仕事・・・・・・仕事の報酬は仕事。優秀な建築士はますます忙しくなる。優秀な社員は多くの人間を管理するようにさせられる。忙しくなる。


塚本訳  ルカ 19:15-19
19:15 さて、その人は王の位を授かって帰ってくると、だれがどんな風に商売をしたか知ろうとして、金を渡しておいた僕たちを呼ばせた。
19:16 第一の者があらわれて言った、『御主人、あなたの一ミナは十ミナをかせぎました。』
19:17 主人が言った、『感心々々、善い僕よ、ごく小さなことに忠実であったから、十の町の支配権を持たせる。』
19:18 第二の者が来て言った、『御主人、あなたの一ミナは五ミナをこしらえました。』
19:19 これにも言った、『あなたも五つの町を支配せよ。』



8・人間に誉められる有名建築は神に嫌われる・・・・・人間の賞賛と神の賞賛とは異なる


塚本訳 マタ 24:1-2
24:1 イエスが宮を出て(オリブ山の方へ)歩いておられると、弟子たちが近寄ってきて、イエスに宮の(堂々たる)建築を指差した。(この宮が荒れ果てるなどとは考えられなかったのである。)
24:2 彼らに答えられた、「あれをすべてよく見ておけ。アーメン、わたしは言う、ここでそのまま重なっている石が一つもなくなるほど、くずれてしまうであろう。」


塚本訳 ルカ 16:14-15
16:14 金の好きなパリサイ人の人々は一部始終を聞いて、イエスを鼻で笑った。(富は信仰の褒美と考えていたのである。)
16:15 そこで彼らに言われた、「あなた達は人の前では信心深そうな顔をしているが、神はあなた達の心を見抜いておられる。人の中で尊ばれるものは、神の前では嫌われるものである。


 


●建築士の道には三つある。1・丹下健三にような有名建築家になる。・・・有名であろうとし、また有名であり続けようとするから苦労が多く真の喜びがない  2・大組織に入って組織人間になる・・・・・経済的には安定するが人間関係の争いに悩む一生となる。組織人間は組織からは真の喜びが得にくい  3・町医者的建築士になる・・・・・自分の知っている小さい範囲の人に町医者的に尽くす。これお勧めの道。幸福感はここにある●昭和女子大の生徒に告ぐ。卒業したら、故郷に帰って故郷の人々に尽くせ。東京には良い男性も良い建築もない。東京は心の砂漠だ●その昔、『田舎牧師』という本があった。神に喜ばれる牧師の姿。●カトリックの秀才、岩下壮一神父はカトリックの本山バチカンから高い地位で招聘されたが、「私はライ病人の友だ」と言ってその申し出を断り、富士山麓の神山復生病院に尽くして若くして召された。天国で輝いている人。●昭和女子大で「建築幸福論」。今日はバイブルによる建築幸福論。内容は上記の通り●18:15学内の人見記念講堂で神谷百子マリンバコンサート。妻と新城さん(マリンば奏者)一緒。マリンバは比較的新しい楽器。その迫力に驚いた。


 


 


 


 


 


 

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出世したければ、美人になりたければ ++++++++ 所感

2006/11/27 07:54

061127(月)6時半起床。頭スッキリ。今日は有給休暇をとる●大学の講義で時間配分の失敗。話せども話せどもまだ残り時間があるので苦しんでいる夢。女子大のはずなのだが、生徒は全員が男性。目がきつかった。夢は正夢。今日は明日の講義の準備を十分にしよう。●朝風呂で日経「私の履歴書」は味の素会長の江頭邦雄。社会への恩返しの為に経団連や母校一橋大学のOB会の為に尽くす。次の言葉がよい。「そもそも企業は営利追及を目的とするものとはいえ、国や社会国民に支えられていることはいうまでもない。恩返しの意味で社会のために働くこともまた企業人の使命ではないかと考えるようになった」。この人には「恩返しの心がある」からこそ自社の会長にもなるし経団連の副会長にもなる。人間ができている。座禅をやっていたからではないか。人間、宗教心がなければ出世もしない。学校で習った科学的経済的判断だけの人間では禽獣と同じで低級人間。●男が出世したければ神を信じる人間にならなければならない。ただしこの世の名声を捨てると言う逆説を経験しなければならない●女性が美人になりたければ神を信じる人間にならなければならない。なぜなら本当の美しさは心の美しさであってそれは目に表れる。●過日、勤務先で私に「何か売れるものはできないですか」という質問が出た。それに対し、「社会が困っていることは何か。社会のニーズは何か」を調べなければならないと話した。売れるものや金を追いかけるものはそれを得ない。それを捨てて社会が困っていることに邁進すれば「食べるだけのお金は入ってくる」●住友の創業者は僧侶であった。「社会の為に尽くすという精神で働けばお金は付いてくる」という信念であった。●この世のことを目的にするとこれを得ず、神と人のためにこれを捨てればかえってそれを得るというのがこの世の真理


文語訳  マタ 10:39
10:39 生命を得る者は、これを失ひ、我がために生命を失ふ者は、これを得べし。


塚本訳  マタ 10:39
10:39 (十字架を避けてこの世の)命を得る者は(永遠の)命を失い、わたしのために(この世の)命を失う者は、(永遠の)命を得るであろう。


TEV マタ 10:39
10:39 Those who try to gain their own life will lose it; but those who lose their life for my sake will gain it.


●ただし出世しようと思って、あるいは美人になろうとして神を信ずるとしたらそれは不純。神はそれを見通す。神に帰依するために出世も美人になることを真に捨てればそれを得る。だから人間自身の生まれつきの本能理性では無理。イエスは次のように言う。


文語訳 マタ 7:13-14
7:13 狹き門より入れ、滅にいたる門は大きく、その路は廣く、之より入る者おほし。
7:14 生命にいたる門は狹く、その路は細く、之を見出す者すくなし。


塚本訳 マタ 7:13-14
7:13 狭い門から入りなさい。滅びに至る道は大きく、かつ広く、ここから入る者が多いのだから。
7:14 命にいたる門はなんと狭く、道は細く、それを見つける者の少ないことであろう!


TEV マタ 7:13-14
7:13 "Go in through the narrow gate, because the gate to hell is wide and the road that leads to it is easy, and there are many who travel it.
7:14 But the gate to life is narrow and the way that leads to it is hard, and there are few people who find it.


●年賀状を「筆王」というソフトで作成。非常によい。おすすめ。質問も19時まで受け付けている●年賀状のプリント、これはエプソンのプリンター、これも快調。おすすめ●妻から昨夜のNHK芸術劇場の話。「指揮者のアーノンクールは弦楽器の奏法でビブラートを付けない。そのモーツァルトはすばらしかった」。音楽奏法も進歩する。ましてや聖書学も進歩する●ただしこの両者はいずれも専門家のうちでの問題●素人は素人の道がある。どんな奏法でもベートーヴェンはベートーヴェン、モーツァルトはモーツアルト。どんな翻訳や聖書解釈でも「神は愛なり」は変わらない。素人のキリスト信者がキリスト教を商売にしている人間に聖書解釈権を奪われてはならないい。●牧師の「お話」、聖書学者の「研究結果」を聞きに行くのが信者の「道」であると思っていることが、プロテスタントの派閥争いの元●日本のキリスト信者は、BbB{聖書で聖書を読む」という我が武器で聖書を専門家の手から奪還しなければならない。聖書は素人の直感的な単純解釈と感性によって正しく読める


 

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神学論争は不毛である ++++++++ 所感

2006/11/26 06:17

061126(日)4時15分起床●朝風呂で某無教会雑誌。一読「こりゃーまずいなー」という感じ。その筆者に早速返事。その内容は公的なことなので一部削除改変して下記に公開する。


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○○○○ 様


貴雑誌拝受、一夜で読ませていただきました。


率直な感想を述べさせていただきます。


読後の感想。「こりゃーまずいなー」という感じです。正統的キリスト教の匂いがしない。


少し理屈をつけて批判すると、以下の通りです。


●これはヒューマニストの読み方である。○○○○一派にありがちな思想基盤にもとづくものである。人間の思想を聖書に読み込むもので、聖書を読み間違える。


●教会史家の泰斗ダイスマンは「パウロは大海にそそぐ前に砂漠に消えた河であった」と言います。同じく、日本の福音はグノーシス的仏教地盤という日本砂漠に消えてなくなる姿が本論である。


●ヒューマニストは「人が死ぬ」「人が殺される」ということが最悪の罪であるという思想基盤であるが、「神は人を殺す」。パウロも「罪の価は死である」という。「死は罪を清める」という思想はキリスト教を待たずとも「世界法」「自然法」である。我々は80年もすれば死ぬ。神に断を下される。


●新約聖書は巨視的に見るときが「正解」だと解します


●本誌では○○さんの読み方が示されましたが、聖書は各自解釈に差があると思います。最後の「手紙集」は「仲間内の誉めあい」で一方的ですからまずいものです。少し学的にするなら、激烈な反論も掲載した方が「実りある」ものになると思います。


●○○さんの読み方には新鮮なものを感じますが、この読み方が「真理」であれば、「時」の流れがこれを決着支持します。そうであれば○○さんの解釈への反論批判も潰されます。


●本論は無教会が聖書を「ヒューマニスティック」に読むとこうなるということの典型です。同じことが「教会史をヒューマニスティックに読む」というのも、信仰が「思想レベル」の隘路に入っている証拠です。すでに人を排除して殺しています。


●信者が使徒伝承に基盤を持つ巨大な正統信仰の真理から逸脱すると、ヒューマニズム、社会批判、福祉活動、哲学・思想・神学などにすりかわって堕落する。急速に力を失う。そうならないように必死の努力をしたのが内村、塚本、黒崎などである。無教会100年、すでに老齢化が始まり、聖書解釈の軸がずれ始めた。


 


以上、また胸襟を開いた忌憚のない感想です。


2006.11.26 朝 高橋照男



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●これを書いて「神学論争」というものがいかに不毛なことあ 


 るかを実感。「神学論争」というのはキリスト教を「商売」にしている人間の「思想レベル」の商売争いである。「思想的斬り合い」である。まじめな素人信者はこれに巻き込まれてはいけない。健全な素人信者はそんな世界の争いを「おかしい」「わかりにくい」「そんなことどうでもよい」「変な匂いがする」という直感的感性を持たなければならない。●集会は丹野、高橋新一(コヘレトを読む)、横田●13:00若者の聖書勉強会、マルコ13章。13章14節の「読者よ悟れ」の意味について議論が集中。


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若者の聖書勉強会。2006.11.26 野口英世記念会館


後列左から 高橋照男 高橋新一 高橋トミ子


前列左から 小寺利男 杉崎孝 小寺七重

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最も美しい結婚式 ++++++++ 所感

2006/11/25 09:05

061125(土)5時起床●朝風呂で日経「私の履歴書」は味の素会長の江頭邦雄。ホーネンコーポレーションとの合併。トップ同士の話合い10分で決定。決まるものは話す前から決まっているものだ。神への祈りも同じ。祈りは祈る前から神に聞かれている。


塚本訳  マタ 6:8
6:8 彼らの真似をしてはならない。神はあなた達の父上である。求める前から、あなた達に必要なものをよく御承知である。


TEV マタ 6:8
6:8 Do not be like them. Your Father already knows what you need before you ask him.


 ●最も美しい結婚式の話を思い出した。ある女性が塚本先生のお宅に結婚することになったと報告に伺った時のこと。塚本先生が「結婚式はどんな風にするの?」とお尋ね。するとその女性は「三々九度(神道)なんです」と言って泣き崩れたという。すると塚本先生は「じゃーここで二人だけで式を行おう」と言って、その場で二人だけの結婚式を行ったという。世にある結婚式で最も美しい結婚式として忘れられない。結婚式とは自分自身の神への誓いの日。自分自身対神の問題。自分の罪の過去の清算と自己の死の儀式。神風特攻隊の出撃の精神。帰りの燃料を積まず「行ってきます」とは言わず「行きます」と行って飛び去る。九州では子供が結婚で家を出るときは親が子供が使っていた茶碗を割る。戻ってくるなという意味。結婚とは不自由になること。しかし人間にとっては神への従順が真の自由。(ダンテ神曲)


新改訳 詩  45:10
45:10 娘よ。聞け。心して、耳を傾けよ。あなたの民と、あなたの父の家を忘れよ。


塚本訳  マタ 19:5
19:5 また、『それゆえに人は父と母とをすてて妻に結びつき、二人は一体となる』と言われたことを、あなた達は読んだことがないのか。


●結婚とはこの塚本訳のように「父と母をすて」ることである。そうでないと二人は精神的に一体となれず、結婚は成立しない。●人間、一生のうちであるときは決死の覚悟ということが必要。結婚ということもそのこと●イエスは自分の十字架刑の死を予感したがその死に向かって決然と顔を堅くし、自分が殺されることになるエルサレムに向かった。これ決死の覚悟。アー、この苦しみはこの私の罪のためであったのだ。


文語訳 ルカ 9:51
9:51 イエス天に擧げらるる時滿ちんとしたれば、御顔を堅くエルサレムに向けて進まんとし、


塚本訳  ルカ 9:51
9:51 イエスは(いよいよ)昇天の日が迫ったので、決然としてその顔をエルサレムへ向けて進み、


●あきる野台地の秋 写真5枚


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秋の林


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図書館への道。紅葉


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秋留台公園の紅葉


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秋の我が家。垣根のどうだんつつじが紅葉している


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今は珍しい焚き火。人間は火を見るのを好む。なぜか飽きない。家の設計では暖炉が好まれる。



●自然の景色を見ると讃美歌90番を思う


讃美歌90番


1. ここ も かみ の みくに なれば,


   あめ つち, 御歌(みうた) をうたい かわし,


  岩 に, 樹々(きぎ) に,空 に, 海 に,


   たえなる 御業(みわざ) ぞ, あらわれたる.


 


2. ここ も かみ の みくに なれば,


  鳥の 音(ね), 花 の香(か), 主 おをば たたえ,


   あさ日, ゆう日, 栄(は)え に はえて,


   そよ 吹く かぜ さえ かみ を かたる.


 


3. ここ も かみ の みくに なれば,


   よこしま 暫(しば)し はとき を得( う )とも,


   主の みむね の やや に 成りて,


   あめ つち 遂(つい)に は 一つ と ならん.





 



 


 

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名古屋の愚痴聞き地蔵 ++++++++ 所感

2006/11/24 06:13

061124(金)4時45分起床●朝風呂で日経「私の履歴書」は味の素会長の江頭邦雄。九州工場再生の話。「(工場を)閉める苦労を思えば存続のためのどんな苦労もできるはず」と従業員に呼びかけてコスト半減を達成。見事再生。その最終報告会で現場従業員の2年間の苦労話を聞いて涙がとまらなかったという。●この人は「小事に忠」であった。ルカ16章8-13を思った。


塚本訳  ルカ 16:8-13
16:8 すると主人はこの不埒な番頭の利巧な遣り口を褒めた(という話)。この世の人は自分たちの仲間のことにかけては、光の子(が神の国のことに利口である)よりも利巧である。
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。
16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。
16:11 だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。
16:12 もし他人のもの[この世のこと]に忠実でなかったならば、だれがあなた達のもの[天のもの]をあなた達に与えようか。
16:13 しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。」


●神はこういう人を神の国の兵士にスカウトする。パウロがそうであった。イエスが漁をしていたペテロを召したのも彼の仕事振りをじっと見たからに違いない●この世の仕事に意義を見出さなかったり、つまらなくなったり、行き詰った人が「神学校にでもデモ行って牧師にデモなろう」などと思っていたら神としても「ありがた迷惑」だ。●同じくこの世の仕事に意義を見出せない人間が天下国家の人間悪を批判する言動に邁進するようでは神としても「いやな気持ちになる」。あの言動は福音とは関係ないと思う●昨夜、NHKTVで「愚痴聞き地蔵物語」を見る。この地蔵は名古屋にある。入れ替わり立ち代り愚痴を言いに来る人がいる。この地蔵は大きな耳に手を当てている。ただしお礼を言いに来る人を写さなかったのはどうしたことか。そういう人はいないのか。「十人のライ病人」の話を思う。●人間愚痴を聞いてもらえば「すっきり」はするが真の救いは得られない


塚本訳ルカ 17:11-19
17:11 エルサレムへ進んでおられた時のこと、サマリヤとガリラヤとの間を通られた。
17:12 とある村に入ると、十人の癩病人に出合われた。彼らは(規則どおりに)遠くの方で立ち止まったまま、
17:13 声をはりあげて、「イエス先生、どうぞお慈悲を」と言った。
17:14 イエスは見て言われた、「(全快したことを世間に証明してもらうため、エルサレムの宮に)行って体を『祭司たちに見せなさい。』」すると行く途中で、(皆いつとはなしに体が)清まった。
17:15 ところでそのうちの一人は自分が直ったのを見ると、大声で神を讃美しながら帰ってきて、
17:16 イエスの足下にひれ伏してお礼を言った。それはサマリヤ人であった。
17:17 イエスは言われた、「十人とも清められたのではなかったか。九人はどこにいるか。
17:18 この外国人一人のほかには、(九人のユダヤ人のうちに)帰ってきて神に栄光を帰する者はだれもないのか。」
17:19 そしてその人に言われた、「さあ立って行きなさい。あなたの信仰がなおしたのだ。」


●9:30聖路加国際病院で脳の断層撮影(CT)とその診断。脳の血流が具合悪いかもしれないので、来月にもう一段詳しいMRI検査となる。●聖路加国際病院チャプレンの上田憲明氏と懇談。私「癌で苦しんでいた母に『天国では痛みはなくなるよ』と言ったら『照男さん、それ行って見てきたの』といわれて何も言えなくなった」。上田チャプレン「私がお母さんの立場だったら同じように言うでしょう。信仰は本人のことだからです。親というのは息子が信じているものを親としても信じるものです。信仰に説得は禁物です」玄関入り口の焼きいも屋の鈴木さんのところに座って弁当。「孫が5人にもなったのか」と喜んでくれた。●夕食で妻と相談の長話


 


 

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あと3週間の命の人に ++++++++ 所感

2006/11/23 19:39

061123(木)5時起床●朝風呂で日経「私の履歴書」は味の素会長の江頭邦雄。新聞を手元が暗いので懐中電灯で工夫●湯浅鉄郎さんから見舞いの電話。●建物解体時に関連する聖句を想起


伝 3:  3 口語


殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり、


 


口語訳 詩  90:9-10


90:9 われらのすべての日は、あなたの怒りによって過ぎ去り、われらの年の尽きるのは、ひと息のようです。


90:10 われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。


 


口語訳 ヨハ 12:24


12:24 よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。


 


口語訳 Ⅱコリ5:1


5:1 わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。


 


口語訳 マタ 10:29


10:29 二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない。


 


讃美歌518番 特に2節


 


口語訳 ヨハ 2:20-22


2:20 そこで、ユダヤ人たちは言った、「この神殿を建てるのには、四十六年もかかっています。それだのに、あなたは三日のうちに、それを建てるのですか」。


2:21 イエスは自分のからだである神殿のことを言われたのである。


2:22 それで、イエスが死人の中からよみがえったとき、弟子たちはイエスがこう言われたことを思い出して、聖書とイエスのこの言葉とを信じた。


 


口語訳 ヨハ 2:19-20


2:19 イエスは彼らに答えて言われた、「この神殿をこわしたら、わたしは三日のうちに、それを起すであろう」。


2:20 そこで、ユダヤ人たちは言った、「この神殿を建てるのには、四十六年もかかっています。それだのに、あなたは三日のうちに、それを建てるのですか」。


 


口語訳 エレ 45:4


45:4 あなたはこう彼に言いなさい、主はこう言われる、見よ、わたしは自分で建てたものをこわし、自分で植えたものを抜いている――それは、この全地である。


 


口語訳 ダニ 9:25


9:25 それゆえ、エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは広場と街路とをもって、建て直されるでしょう。


 


●13:00今井館で「無教会研修所助言者会議」。坂内、鷲見、阿部、小館、我孫子、新保、塩沢、本間、高橋照男、高橋喜久枝。●私の助言骨子は次の通り


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


無教会研修所助言者会議での発言骨子


●悪性腫瘍(癌)が死因である割合は三分の一になりつつある。●私は某病院ホスピスの遺族会会長をやっている●緩和ケアの専門家の話では、医学の進歩で間もなく癌の痛みは克服され、断末魔の苦しみは避けられるようになる。残るのは精神的ケアである●ホスピスに入るほどの人は大体あと3週間の命の人。●残り3週間の人に対して霊魂不滅説や汎神論では心に平安を与えられない。●来世実在の希望と復活の福音を伝えることができる人の養成を目指していただきたい●復活信仰は「イエスの墓が空になっていた」という使徒伝承が必要条件。しかしそれだけでは十分条件ではない。十分条件になるには聖霊の働きが必要。このことは荒井献、佐藤研氏とも確認しあって合意したこと●イエスの有体的復活の姿は変幻自在。トマスには触ってみよと言い(ヨハネ20:27)、マグダラのマリヤには触るなと言い(ヨハネ20:17)、エマオでは旅人の姿になった(ルカ24:15)。これは建築設計をやる身としては神の手法がよくわかる。建築は「触れたり、触れなかったり、カモフラージュしたり」する。わからせるための48手である。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


●今日のキリスト教会や無教会はその必要条件すら伝承していない。これでは人は救われない。あと3週間の命の人に安らぎを与えることができない●復活を説くのにオリゲネスでもあるまい。文学社会学でもあるまい。天皇制問題でもあるまい●帰途、某氏に「(残りの命が3週間の人に向かって)天皇制批判でもあるまい」と直言して、握手した。●妻は品川の愛子のところに応援。帰途拝島駅で会う


 

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愛を要求する人生ではいけない ++++++++ 所感

2006/11/22 06:52

061122(水)3時半目覚め。「愛を求めてはいけない」とひらめく●電灯のつかない風呂で黙想●モーツアルトのホルン協奏曲第4番第一楽章を、デニスブレイン、バウマン、シヴィルの三種類で鑑賞。モーツアルトらしい曲。モーツアルトを超える人はまず出ないであろう。●朝風呂で日経「私の履歴書」は味の素会長の江頭邦雄。9.11事件直後に危険を顧みずにアムステルダムの会議に出席。世界中の食品CEO(最高経営責任者)が誰も欠席しないのに驚く。経営者も命がけであるということを知る●男一匹、命がけで生きる仕事にまい進する人生でなければならない。男一匹、趣味娯楽遊びなど低級なことに「命がけ」であってはならない。これは女も同じ●クリスチャンたるもの「人間からの愛を求めてはいけない」。この類似思想を検索する。まず頭に浮かぶもの。


塚本訳  ルカ 22:25-26
22:25 するとイエスが言われた、「世間では王が人民を支配し、また主権者は自分を恩人と呼ばせる。
22:26 しかしあなた達はそれではいけない。あなた達の間では、一番えらい者が一番若輩のように、支配する者が給仕をする者のようになれ。


新共同 Ⅰコリ13:4-5
13:4 愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。
13:5 礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。


塚本訳 マタ 20:28
20:28 人の子(わたし)が来たのも仕えさせるためではない。仕えるため、多くの人のあがない金としてその命を与えるためである。」


塚本訳 マコ 10:45
10:45 人の子(わたし)が来たのも仕えさせるためではない。仕えるため、多くの人のあがない金としてその命を与えるためである。」


塚本訳 ヨハ 12:26
12:26 わたしに仕えようとする者は、わたしに従い(わたしと同じ道を歩き)なさい。そうすれば、わたしに仕える者もわたしがおる所におることができる。父上はわたしに仕える者に、(そんな)栄誉をくださるのである。]


塚本訳  ロマ 7:6
7:6 しかし今は縛られていた律法に対して死に、律法から解かれたので、(律法の)古い文字によらず、(福音の)新しい霊において(神に)仕えるのである。



塚本訳 ロマ 12:11
12:11 熱心で倦まず、(神の)霊に燃え、主に仕えよ。


塚本訳  ガラ 4:8-9
4:8 けれども、(まことの)神を知らなかった当時は、あなた達は実際神でない神々に(奴隷として)仕えた。
4:9 しかし今あなた達は神を知っている、いや、むしろ神に知られているのに、どうしてもう一度無力な、貧弱なあの元素の霊(の崇拝)に戻るのか。(どうして)もう一度あらためて(その奴隷として)仕えようと思うのか。


塚本訳  ガラ 5:13
5:13 兄弟たちよ、あなた達は自由のために(神から)召されたのである。ただこの自由を(濫用して)肉を満足させる機会としてはならない。むしろ愛によって互に奴隷として仕えるべきである。


●クリスチャンは「人に愛を要求してはならない」「人に拝まれようとしてはならない」「人から尊敬されようとすることを人生目的にしてはならない」「恩人と呼ばれるようになることを人生目的にしてはならない」「人に仕えられようとしてはならない」「人に慕われようとしてはならない」・・・・しかしこれは自分が神から愛され大切にされていることを実感しないと物理的に実行不可能。●この一生、ひたすら何に仕えようとするべきか。それが決まれば人から愛されようという人生目的は消え去る


塚本訳  ロマ 12:11
12:11 熱心で倦まず、(神の)霊に燃え、主に仕えよ。 


口語訳 マタ 16:24-25
16:24 それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
16:25 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。


●18:30 東工大付属高校クラス会。新宿車屋本店。45年前の同期が三分の一も集まるのはうれしい。五十嵐永吉先生81歳もお元気で感謝。富塚孝君と二人で幹事の役を果たした。定年後のすごし方や病気の話が多かった。


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東京工大付属高校クラス会 2006.11.22 18:30 新宿車屋本店


左から鈴木征志 伊東三郎 岡田博之 市原勝 林俊 渡辺秀勝 田中詔 五十嵐永吉先生 富塚孝 武宮秀教 斉藤忠雄 高橋照男は左端で写らず


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東工大付属高校クラス会 2006.11.22 18:30 新宿車屋本店


左から五十嵐永吉先生。81歳。先生の年齢とはわからないものだ。われわれより18歳だけ年長だったのだ。ご夫人の順子さんは無教会のクリスチャン。私は塚本虎二先生10周年記念講演会(YWCA)で講壇に立ったとき聞きにきてくださった。


右は富塚孝君。今回私と共に幹事。彼が「照男チャントはヒルティの幸福論を語り合ったなー」と語った。彼はその頃トルストイの「戦争と平和」を読破した。共産党に熱心であった。新協建設社長。


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東京工大付属高校クラス会 2006.11.22 新宿車屋本店 


左は鈴木征志君 彼の人生のハイライトは竹中工務店時代に東京ドームと札幌ドームの現場所長をやったこと。周りで「TVに札幌ドームが出ると鈴木のことを思い出すよ」と言った。


中は高橋照男。昭和女子大で女子学生を教えていると言ったら、「いいナー」とか「俺も聞きに行きたい」とも言われた。


右は伊東三郎君。数学に強い男。絵を描く。クラシック音楽にも造詣が深い。私のHPを覗いている。













 


 

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どうしても赦せない人がいるとき ++++++++ 所感

2006/11/21 08:10

061121(火)5時半起床●風呂場の電球が切れたので新聞読めず、黙想。これもまたよし●どう努力しても赦せない人がいるのは人生苦のなかでも最大の一つである。ある意味で肉の不治の病以上の苦である。心の重荷だからである●奥村修武牧師の「マルコ福音書講解説教」(いのちのことば社)によれば、キリスト教会に来る婦人の多くは「夫の浮気による悩み」がその動機であるという。●いかなる人間的努力、反省、あきらめ、慰めでも人を赦すことはできない。多くの人はその悩みを解決しようと「宗教に走る」。これはよいことである。ふてくされて自分も同じように堕落したり、復讐したり、あきらめたりしないでなお真の救いを求めようとするからである●問題はいかなる宗教がこの苦しみから解放してくれるかである。行き当たりばったりであらゆる宗教の門を叩いて見るべきである。ただし、人生は短い。時間の問題であるから、一流の宗教から始めるべきである。間違っても新興宗教やお稲荷さんに走ってはならない。教養と常識のある人間はそういう宗教は後回しにすべきである。各宗教は何を与えてくれるか、まずそのコマーシャルを調べることが大切●「心の重荷」を楽にするのは「罪の苦」からの解放である。「罪の赦し」はキリスト教の専売特許。●キリスト教では「心の苦」の極みのとき神からの光で「心が楽」になる。それは十字架の光。するとあれほど憎くて赦せなかった人を赦せるようになるから不思議。●人間たるもの一度はキリスト教を「試して」見るべきである。世界的に一番よく売れている宗教である。聖書がわからなくてよい、神が存在するかどうかわからなくてよい。キリストが神か人かわからなくてよい。モー破れかぶれのヤケソで「助けてクレー」とうなればよいのだ。ダメでモトモトである。●日経「私の履歴書」は味の素会長の江頭邦雄。回教の国で味の素の不買運動。製造過程で回教が禁じている豚肉が関係してというクレーム。宗教的理由ならば手ごわいという判断で撤退命令を出し製品を撤収。非常に賢い判断。宗教の力は大きいという教養があった。経営者は宗教に対する教養がなかればならない。神を知らない人間は経営者にもなれない●今日の学校で聖書や宗教を正しく教えていないから、人物が世界的になれない。学校で教えるのは科学的経済的判断方法だけ。これは禽獣の親でもやる。●昨日、勤務先からの帰途、方向感覚を失って道を間違えてようやく神田駅に到達した。先日も四谷駅で方向感覚がおかしくなった。6年前の脳内出血により小脳の一部が欠損しているからこうなるものと思われる●「あなたは最近少しおかしい」と言ってくれる妻がいるのはありがたい。聖路加に行って診断してもらわなければならない●人間はだれでも肉体の限界というものがある。私の場合は来年は余命17年の年である。残り僅かの人生。言い残すべきこと、伝承するべきことを伝承しなければならない。●哲学者のハイデッガーは言う「人間は死という壁に向かって歩むものだが、若いうちは『自分にとって、それはずっと先のことだ』と考えるものだ」。63歳のわたしは「ずっと先のこと」ではなく「残り少なくなったなー」と思う。NO!。死は一時の眠りだ。イエスが何度も死人を生き返らせてみてそれを実証した。その後は復活と永遠の生命だ。●死は永遠の眠りではない、一時の眠りだ。イエスはそのことを人類に何度も実証して見せてくれた。


マタ   9: 24 [塚本訳


言われた、「あちらに行っておれ。少女は死んだのではない、眠っているのだから。」人々はあざ笑っていた。


マタ   27: 52 [塚本訳


墓が開いて、眠っていた多くの聖者たちの体が生きかえり、


マコ   5: 39 [塚本訳


(家の)中に入って言われる、「なにを泣いたり騒いだりするのか。子供は死んではいない、眠っているのだ。」


ルカ   8: 52 [塚本訳


(集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。」


ヨハ   11: 11 [塚本訳


こう話して、またそのあとで言われる、「わたし達の友人ラザロが眠った。目をさましに行ってやろう。」


●13:10昭和女子大講義、今日はジョン・ラスキン(英国の美術・建築評論家1816-1900)の「建築の七燈」を話した。そしてこの大学から立派な女流建築家がでて欲しいと激を飛ばした。


●ラスキンの名著「建築の七燈」とは、よい建築とは次の7つの思想(燈)に導かれるべきであると言うもので、建築家のバイブル。ただし内容は聖書の思想が下敷きなので難解。それを20分で次のように要約して解説した。多分どこの大学でも解説はしていないであろう。


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ジョン・ラスキン「建築の七燈」の概要


1・犠牲の燈・・・・建築は神と人とに捧げるもの(犠牲)でなければならない。(これは宗教心がなければ理解できない)


2・真実の燈・・・・見かけ倒しの設計、ニセモノの材料(張物など)を使ってはいけない。


3・力の燈・・・・・・建築はそこから神の霊力(パワー)が出ていると感じさせるものでなければならない。


4・美の燈・・・・・・建築は自然に習って美しいものでなければならない。自然の形態を真似よ。この思想はウィリアムモリス(アーツ&クラフトの運動)に流れていく。


5・生命の燈・・・・建築はそれに携わった人(発注者、設計者、施工者、職人)の全員が、その建築に携わっていたときは「幸福」であったというものでなければならない。その幸福感のあるところに生命がある。(これはこの本のハイライト)


6・記憶の燈・・・・建築は歴史上の一コマでなければならない。突飛なデザインはよくない。伝統(お国柄、地方性)を踏まえたものであるべきだ。


7・従順の燈・・・・建築は国家、生命、歴史、信仰の中身に従順でその思想を従順に具現化するものでなければならない。


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●日本に世界的に通じる建築家が輩出しないのは、ラスキンの「建築の七燈」などの古典が読めていないからである。読んでもその内容が理解できないからである。宗教に根ざした建築思想、建築哲学がないから発想が浅薄なのである。頭だけの薄っぺらな建築学徒きり生み出せない。これ医学、経済、音楽、教育、政治、企業経営などについても言える。●講義終了後、これと思う生徒2-3名に言う「日本女子大だけでなく、この昭和女子大からも優秀な女流建築家が出て欲しい」。一女生徒「目指します」。私「それには恋愛を捨てて邁進しなければならない」。女生徒「エーッ!それはー」●イマドキのワカイモンは恋愛に夢中。これではいけない。第一に学生のうちから恋愛に夢中になる男などは将来性がない。伸びない。そんな男は「捨てよ」「別れよ」。そんな男に追いいかけまわされるな。取り付かれるな。


文語訳 マタ 7:13-14
7:13 狹き門より入れ、滅にいたる門は大きく、その路は廣く、之より入る者おほし。
7:14 生命にいたる門は狹く、その路は細く、之を見出す者すくなし。


TEV マタ 7:13-14
7:13 "Go in through the narrow gate, because the gate to hell is wide and the road that leads to it is easy, and there are many who travel it.
7:14 But the gate to life is narrow and the way that leads to it is hard, and there are few people who find it.



 


 

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つまらない人生と自殺 ++++++++ 所感

2006/11/20 07:06

061120(月)3時半起床●朝風呂で武祐一郎著「危機に立つ日本の教育を考える」・・愛国心教育を衷心に・・・を読む。愛とは本能的備わっているものではないことを知る。●最近は親が子供を殺すことが多い。戦時中は軍隊が自国民を見殺しにした●愛は学習である。気を使う言葉遣いというのは学習訓練によって備わる●11月18日「日経プラスワン」で「パートナーとの関係を円滑にする一言」・・・「そうだね」「感謝してるよ」「悪いけど」「忙しいのにごめんね」「よく頑張ってるね」「きれいになったね」「おつかれさま」「それはいいね」・・・・●こういう言葉は。生まれつき備わったやさしい心からではなく後天的な訓練学習で備わるということは望みがある。無理をしてでも言わなければならない。顔が引きつっても(笑)言うと心に通じるものだ。形は心になる●子供は親の態度や言葉を真似る。親が発している「よい言葉」が子供に感染する●だらしない生活をしている堕落した親の子供はそれを真似る。「親がああだから自分もいいだろう」という気持ちが湧いて心理的歯止めがかからない。でもそれは遺伝ではなく、後天的訓練学習で「よい人物」になるというのは救いである。●いじめも自殺も戦後世代の親達の子供。無神論教育で育てられた親達には科学的判断と経済的判断が第一であるから真の「生きる喜び」が備わっていない。だから心が寂しい。金や異性でも満足しない。その寂しさが子供に写って「いじめや自殺」に発展する。身から出た錆だ。日本はこの酷い状態をあと数十年は見なければならないかもしれない●モノヅクリはまず品質、コストは二の次。売れ筋のコストに収めようとする設計を目指すからあの姉歯事件のようなことになる。しかしこういうまずい思想もあの事件で修正された。建築業界の痛い経験であった。失敗は成功の元●説明は「わかりやすく」しなければならない。建築設計でもわかりやすいものでなければならない。霞ヶ関の国立劇場はコンペであったが、そのプランのわかりやすさ、単純さでWINであった。竹中工務店設計部(岩元博行)の設計。なるほど、ロビーに入ると、どこに何がありそうかがすぐにわかる親切設計。●朝風呂で日経「私の履歴書」は味の素会長の江頭邦雄。社長就任直後に半年間本社を空けて国内外の支店現場を200箇所行脚して「現場の声」を直に聞く。これで社員の心を掴む。ご立派。この人には「聞く耳」があった。会長になるだけの器ではある。

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信仰の会得は不立文字 ++++++++ 所感

2006/11/19 07:20

061119(日)5時半起床●朝風呂で日経「私の履歴書」は味の素会長の江頭邦雄。会社再建で最大の難関は創業者一家の古老支配の排除。会社の危機だからこういうことができた。これが安泰のときはできない。反って自分が追放される。それは自己のエゴからに古老支配排除だから。●無教会にも古老支配がある。その古老の鼻息を気にしているようでは無教会も明日はない。●塚本虎二が師たる内村鑑三と涙をふるって袂を分かったことにより、日本に無教会主義が確立した。これ神の摂理。塚本虎二は神に潰された●昨日、南原繁シンポジウムに出席していた一人の若い人が「今日の東京神学大学教授の講演は無教会がワカッチャナイですね」と言った。それは「あの人は音楽がわからない人ですね」という感覚と同じ。これはエライ悟りだ、エライことになった、と思った●同時に無教会という国産キリスト教の「果」がなったとも思った。●無教会の真理は文字による大脳皮質からのアプローチでは伝わらない。不立文字(禅宗の立場を示す標語。悟りは文字・言説をもって伝えることができず、心から心へ伝えるもの)、教外別伝(禅宗で仏の悟りは経文に説かれるのではなく、心から心に直接伝えられることをいう)と同じ●だから無教会主義が「雑誌主義」「文字主義」「先生の思想主義」であるのは誤り●不立文字者の悪いところは「お前はワカッチャイナイ」と言って対話を打ち切ることである。対話でなく人生を一緒に歩むことでそれを伝えなかればならない。それでわかればシメタもの、わからなくてもモトモト、悟りは「神ママ」●キリスト教の真理や無教会主義がわかるのは「神まま」。それは人間の働きでそれはわからない。感化があるだけ●内村鑑三は「真理は手から入る」と言った。無教会の真理は労働から入る。文字による勉強からはわからない●集会は大山、丹野竹子、望月明●14:30今井館理事会。帰途浅野摂郎氏と渋谷まで一緒。イエスの墓が空になったことは「本当のことだと信じている」と応答してくださる。胸が熱くなった。この事に関する関根正雄先生、前田護郎先生のご見解も伺えた。●昨日の南原繁シンポジウムの私のフロアー質問発言に「そんなに単純化してはよくない」という批判を聞く。カツンときたが、「信仰の世界に思想的一致は禁物」、それはヒューマニストかマルキストのすること。思想的一致を求めようとすると「斬りあい」になる。逃げよう。逃げよう。●1947年、教育基本法制定の委員は次の通り。田中耕太郎(文部大臣)、山崎匡輔(文部次官)、森戸辰男(翌年の文部大臣)、南原繁(東京大学総長)、河井道子、天野貞祐、高木八尺、前田多門、長与善郎、・・・・天野貞祐、長与善郎を除いて全員クリスチャン。ほとんどが新渡戸稲造と内村鑑三の影響下にあるが、思想的には一枚岩ではなかった。信仰者はこの世のことで思想的(特に天皇制や軍備について)に一致しない方がよい。

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そんなこと難しくてわかりません ++++++++ 所感

2006/11/18 09:39

061118(土)5時起床。今日の南原繁シンポジウムでの発言を再検討●朝風呂で日経「私の履歴書」は味の素会長の江頭邦雄。会社の不祥事を背負う形で社長業を背負わされる。思いきった改革をするために、覚悟するために墓を作る。外部の総会屋を切った上で最大の敵である内部の「長老連」に立ち向かう●いつの世でもどこでも「長老」とか「古株」とか「古ボス」というのが居座っているのはよくないことだ●南原繁シンポジウムの発言を再検討。話というのはわかりやすくしなければならないと反省。世の中でわかりにくいものの一つに「神学」というものがある。健全な信仰者は「そんなものは難しくてわからない」という。そう思う人は信仰が健全な証拠●はがきソフト「筆王」で年賀状宛名書き。サクサクといく。●13:00「南原繁シンポジウム。南原繁の思想と信仰」。大盛会。フロアーからの私の発言骨子。信仰が思想のままでは、仏教思想が強いグノーシス的な思想の日本ではキリスト教は根を下ろさない。使徒伝承による有体的復活の信仰でなければならない。私の職業は建築士で、頭の中の思想を目に見える物理的形(身体)に表現することである。だから神の業としてのイエスの有体的復活がよくわかる●新一が来ていた。鴨下重彦先生に吉田秀雄さんをご紹介する。●無教会者が多い中、カトリック、救世軍、YMCA、プロテスタント牧師、も来られた●高木博義さんの名コーディネートで有意義なシンポジウムになった。●私の発言に興味と関心をもってくださった人たち。都倉祐二、村松梅太郎 鴨下和子


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南原繁シンポジウム。2006.11.18 学士会館


左・講演者、近藤勝彦(東京神学大学教授) 右・高橋照男



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南原繁シンポジウム 2006.11.18 学士会館


左より鳥居祝子 高橋照男 鳥居勇夫



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南原繁シンポジウム 2006.11.18 学士会館


左より 福田歓一夫人 福田歓一(元東大教授、明治学院大学学長、学士院会員) 高橋照男


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晩秋 隣の家にイルミネーション クリスマスの月が近づく


2006.11.18









 

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人の手によらない建物とは ++++++++ 所感

2006/11/17 06:18

061116(金)5時起床●朝風呂で日経「私の履歴書」は味の素会長の江頭邦雄。会社の不祥事のために転がり込んできた社長の地位。望まないことであった。世の中の高い地位とはこんなもの。困難を負うための十字架の地位。ただし会社の不祥事に苦しむことなどは「十字架」ではない。それは「身から出た錆」●十字架を負うということの本当の意味は「赤の他人の罪」を負うこと●年賀状住所録作成、かなり変わっている。時の流れか。●福音は「大脳皮質」からのアプローチ」では伝わらない。かえって「自己の死」によって伝わることは千古不易の真理。●よい思想や行いがこの世に潰されることが「一粒の麦が死ぬ」こと。それによって「神自身」が真理を伝える。起こす。新しい芽を芽生えさせる。●よい思想と行いは「この世」では潰される宿命にあう


口語訳 Ⅰコリ2:1
2:1 兄弟たちよ。わたしもまた、あなたがたの所に行ったとき、神のあかしを宣べ伝えるのに、すぐれた言葉や知恵を用いなかった。


塚本訳Ⅰコリ2:1
2:1 わたしもまた、兄弟たちよ、(はじめて)あなた達の所に行ったとき、(人間の)勝れた言葉や知恵を用いることなしに、神から賜った(福音の)証明を伝えていたのであった。


新共同 Ⅰコリ2:1
2:1 兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。


●「人の手によらない建物」とは何か。それは物理的建物でなく、霊の建物というように思われがちだが、それは違う。神の建てるてる建物は「一粒の麦の死」によって、神ご自身が建てられるということである。人の手とは思想構築、思想宣伝、社会批判運動。


マコ   14: 58 [塚本訳


「わたし達はこの人が、『自分は(人間の)手で造ったこのお宮をこわして、手で造らない別のお宮を三日のうちに建てる』と言うのを聞いた。」


使    7: 48 [塚本訳


しかし(それは御心にそむいたことで、)いと高きお方は(偶像とちがい、人間の)手で造ったものの中にはお住みにならない。預言者(イザヤ)が言うとおりである。


使    17: 24 [塚本訳


『世界』とその中のもの』すべて『とをお造りになった神は天地の』主であられるので、(人間の)手で造った宮などにお住みにならない。


Ⅱコリ  5: 1 [塚本訳


なぜ(こんな希望に生きることができるの)であろうか。もし地上の家であるわたし達のこのテント、(この肉体)がこわれるならば、天に、神の建てられた建物、(人間の)手で造らない永遠の家をいただいていることを、わたし達は知っているからである。


ヘブ   9: 11 [塚本訳


しかしキリストは来るべき善いことの大祭司として(ついに地上に)あらわれ、手で造らない、すなわち、この世界に属しない、より大なる、より完全な幕屋を通って、


ヘブ   9: 24 [塚本訳


というのは、キリストは手で造った、本当の聖所の模型の聖所でなく、天そのものに入って、今わたし達のために神の御顔のまえに現れてくださったのである。


●15日に紛失した貯金通帳が福生警察署に届けられていたので、取りに行く。拾い主は「匿名」とのこと。匿名の方「ありがとう」。神にお礼をされます。●映画「戦場のピアニスト」の一シーン。主人公のポーランド人ピアニストがナチスの将校に助けられる。「何かお礼を」というと、その将校は「天国で頂きます」と言って黙って闇の中に去った。終戦後ピアニストはその将校を探したが、風のうわさに、発狂して死んだらしいという。実話。●人にお礼をされようと思ってはいけない。愛は一方的であるべきだ。これが「天に宝を積む」ということなのだ。


 


 


 



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箱根に遊ぶ ++++++++ 所感

2006/11/16 20:41

061116(木)5時起床●朝風呂で日経「私の履歴書」は味の素会長の江頭邦雄。母の死、苦労をかけた母の死。号泣する。●人は死ぬとき号泣されるのが幸せか。NO!、それは人間に覚えられること。神はそういう人間の面倒をみない。人間の賞賛で満たされていると思うから。一番幸福なのは人間に「泣かれず惜しまれず」に逝く人間。そういう人は神に抱きかかえられて死ぬ●今日は箱根に遊びに行く。


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小田急線で通う人は幸せだ。毎日富士が見られる。「日本」を感じる。2006.11.16 10:00


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箱根ポーラ美術館。ハッとするだけのことはある。2002年度「建築学会賞」受賞作品だ。


日建設計入魂渾身の一作。「ガラスの美術館」ともいえる。周囲の風景を取り入れている。


コロー、ルノワール、セザンヌ、シャガール、などを鑑賞。


安井曽太郎、前田青邨を見直した。日本人画家はよい。


         2006.11.16 10:30


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     外部空間を取り入れたカフェテラス。紅葉を鑑賞。 


           2006.11.16 11:00


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ロビーはガラス部分が多くて気持ちがよい。


竹中工務店の施工は「決まって」いる。


2006.11.16 11:30


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箱根の少し早い紅葉を見ながら昼食。ガラス、ガラス、ガラス。


           屋上の手すりもガラス。


            2006.11.16 12:00


こういう高度な建築は発注者の方にも高い見識がないとできない。ポーラは過去に「ポーラ五反田ビル」で、これも建築学会賞。そのときも日建設計(林昌二)の設計。ポーラの建築意識の高さが偲ばれる。青少年がこういう高い芸術品に触れると気高く育つのだが、・・・・・・


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       箱根湿生花園に行く。膨大な数の植物。


       箱根の山に囲まれた植物園は環境抜群。


            2006.11.16 13:00



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      立派なカメラをぶら下げた人に撮影してもらう。


          さすが構図が決まっている。


           2006.11.16 14:00


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    湿生花園を歩く。右側は広大な仙石原のすすき。


      妻が前を行く。花は少ないがよい季節だ。


         2006.11.16 14:30










 

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よい人になる方法 ++++++++ 所感

2006/11/15 06:46

0561115(水)5時起床●朝風呂で日経「私の履歴書」は味の素会長の江頭邦雄。韓国進出で失敗したがその前の低迷部署再建の手腕が評価されて、同期でトップの取締役になる。それよりも東京支店長になったことが喜び。なぜなら東京支店は会社の顔。その地位で業界のすばらしい人たちと多く交流するようになった。人間の成長はよい人物との「交流」●子供や夫や妻に「よく育って」欲しいと思うなら、「よい仲間」と交わるように環境を「仕掛け」ればよい。あとは簡単、放っておいてもぐんぐん伸びる。●ではその「よい仲間」はどこにいるか。よい仲間が得られないところを先に言った方が早い。「御三家(麻布、開成、筑波)」や「有名進学校」に入ろう、入れようとす人種。ブランド学校。ブランド幼稚園を切望する人種。そこには「教育ママゴン」がいる。趣味遊びのサークル。金儲けの研究会、勉強会。思想研究会。無神論者、政治家(屋)、同窓会。ダンス・スポーツクラブ。勤務先の付き合い(これは金の切れ目が縁の切れ目)●逆に「よい仲間」が得られやすいところは、精神性のあるところ。教会、音楽、宗教、聖書勉強会、クリスチャン、・・・・ただし社会派信者やフェミニスト神学者などは絶対ダメ。信仰の匂いがしない。信仰の真髄を学べない。暇人間の彼らと交わるとトッポクなるだけ●真によい人と交わるとそれが「鏡」となって、自分の姿がそこに写るから、「これじゃいけない」と自らを省みることになる。これ百千の説教より効果がある。「自分で悟る」からである。自分が磨かれる●生きていくうえでの最大の「交わり」は神と伴侶。この鏡、いつもそばに存在する。●神・キリストとの交わりが最高の交わり、最高の幸せ。聖書には次のようにある。


Ⅰコリ  1:  9 [口語


神は真実なかたである。あなたがたは神によって召され、御子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに、はいらせていただいたのである。


Ⅰコリ  1:  9 [塚本訳


神は誠実であられる。この神によって、御子なるわたし達の主イエス・キリストとの交わりに、あなた達は召されたのである。


ピレ   1: 6 [塚本訳


(わたしの祈りは、)あなたの信仰の交わりがますますキリストへと強く働き、わたし達に賜わったすべての善の知識に達することである。


Ⅰヨハ  1: 3 [塚本訳


わたし達が見たもの、また聞いたものを、あなた達にも告げる。あなた達もわたし達と(霊の)交わりを持つためである。しかしわたし達のこの交わりは、(他方においては)父(なる神)とその子イエス・キリストとの交わりである。


Ⅰヨハ  1: 4 [塚本訳


わたし達が(この手紙を)書くのは、(あなた達がわたし達との交わりに入り、)わたし達(が父と子と)の(交わりにおいてもっている)喜びが、完全なものとなるためである。


Ⅰヨハ  1: 6 [塚本訳


もし神と交わりがあると言いながら、暗闇を歩いているならば、わたし達は嘘をつくのであって、真理を行ってはいない。


Ⅰヨハ  1: 7 [塚本訳


しかしもし神が光の中にあるように、わたし達も光の中を歩いているならば、(神と交わりを持ち、従って)互に(まことの)交わりを持つ(ことができる)のである。そして(たとい罪を犯すことがあっても)、その子イエスの血があらゆる罪から清めてくださる。(かくてわたし達は光の子となるのである。)


Ⅰヨハ  2: 5 [塚本訳


しかし御言葉を守る者は、その人において本当に神を愛する愛が完全にされる。そのことによって、わたし達は神(との交わり)の中におることがわかるのである。


Ⅰヨハ  2: 6 [塚本訳


神(との交わり)に留っていると言う者は、キリストが歩かれたように、その人も(神に従順に)歩く義務がある。


●朝食は恵の初収穫の有機米コシヒカリ。初穂。すばらしくおいしい。これなら商売になる。人に薦められる。さっそく妻と二人で恵に喜びの電話。


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三男の恵が作った初穂の無農薬有機米コシヒカリが届く。おいしい。 2006.11.15


[宣伝・広告]・・味に絶対的な自信。無農薬有機米なので健康に良い。産地直送。お勧め。親だからというのではなく第三者としての判断。


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 〒960-8157 福島市蓬莱町5-2-19-22 近藤恵 


  電話&FAX 024-548-4741



●「初穂」について聖書を検索する。初穂は喜び。


ロマ   11: 16 [塚本訳


(こんな希望をもつことに不思議はない。神に供えた)初穂のパンが聖ければ、(残りの)捏粉も聖く、根が聖ければ、枝も聖い(ではないか。初穂であり根であるアブラハムその他の先祖が聖いのだから、その子孫のイスラエル人が聖いのは当然である。)


ロマ   16: 5 [塚本訳


彼らの家の集会にもよろしく。わたしの愛するエパネトによろしく。彼は(回心して)キリストのものになったアジヤ(州)の初穂である。


ロマ   11: 16 [塚本訳


(こんな希望をもつことに不思議はない。神に供えた)初穂のパンが聖ければ、(残りの)捏粉も聖く、根が聖ければ、枝も聖い(ではないか。初穂であり根であるアブラハムその他の先祖が聖いのだから、その子孫のイスラエル人が聖いのは当然である。)


ロマ   16: 5 [塚本訳


彼らの家の集会にもよろしく。わたしの愛するエパネトによろしく。彼は(回心して)キリストのものになったアジヤ(州)の初穂である。


Ⅰコリ  16: 15 [塚本訳


兄弟たちよ、あなた達に勧める。御承知のように、ステパナ一家は(アカヤで最初に信仰に入った言わば)アカヤの初穂で、聖徒たちへの奉仕に身を捧げた。


ヤコ   1: 18 [塚本訳


(のみならず、)彼は私達をその創造り給うた物の謂わば初穂たらしめようと思って、真理の言により私達を生み給うたのである。


黙    14: 4 [塚本訳


彼らは(その身を)女に汚されなかった人達である。(皆)童貞であるからである。彼らは(地上にあった時、)仔羊の行く所には何処にでも随いて行く(のを常とした)人達である。彼らは人々の中から買われて、神と仔羊とのために初穂(の献げ物)となった(人達である)。


●ATMに行く途中で貯金通帳を落とす。戻って道路を探したが見つからない。すぐBKに連絡して口座を閉じる。電話だけで再発行手続きができたのはありがたい。「無くした銀貨の譬」を思いだした。


塚本訳 ルカ 15:8-10
15:8 また、どんな女でも、ドラクマ銀貨[五百円]を十枚持っていて、もしその銀貨を一枚無くしたとすれば、明りをつけて家(中)を掃き、それを見つけ出すまでは、丹念にさがしつづけるのではないだろうか。
15:9 そして見つけると、友だちや近所の女たちを呼びあつめてこう言うにちがいない、『一しょに喜んでください。無くした銀貨が見つかりましたから』と。
15:10 わたしは言う、このように、一人の罪人が悔改めると、神の使たちに喜びがあるのである。」


●それにしても「紛失」したことを微塵もとがめだてするようないやな雰囲気をもたないところはさすが「大手銀行」。これは社員の精神的訓練が行き届いている証拠。●これ家庭内教育、家庭内躾もおなじ。正直の上に「馬鹿」が付くような教育をしていては、「よい人間」に育たない。反抗的人間が育つだけ●常によい人と交わっていると、「こういうときはあの人はどういう態度をとるだろう」と常に思う。そういう「よい人」と交われることが人生の「宝」。●年賀状、宛書ソフトの「筆王」をインストール。細かいことは説明書きを読んだだけでは無理。長時間の質問をした。


 



 

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伸びる人間には挫折が必要 ++++++++ 所感

2006/11/14 08:53

061114(火)3時半起床●朝風呂で日経「私の履歴書」は味の素会長の江頭邦雄。夢であった海外進出の始まりは韓国。5年で撤退。原因は複雑●伸びる人間にはある程度の挫折経験が必要。「一敗地に塗(まみ)れる」(史記)ということが絶対に必要。それが将来伸びるための肥やしとなる●「キリスト教の身体性」について考察。「思想や行動」は身体性ではない。だから人間の思想や行動を伝承してもキリストという身体性を伝承することにはならない●この世的に偉いクリスチャンの「この世的」な面に引かれて信仰を求めてきた人で信仰に導かれた人は少ない。いたとしてもそれはこの世的な俗人間。すぐ信仰から離れ落ちる。●13:10 昭和女子大建築講義。「建築は住宅のような小さい建築の方が面白い」と話した。終了後一人の女生徒が来て「進路のことをご相談してもよろしいでしょうか」と言う。私「どうな風になりたいのですか」。女生徒「先生のようになりたいのです」。どうやら私のことをシアワセソーなヒトと思ったらしい。ウレシイナー。若い女の人にこのようなことを言われたのは初めてだ。心でガッツポーズ。そこで次のように指導。「地元に帰って、そこでナンバーワンの設計事務所に入り、住宅のような小さい建物に従事しなさい。給料は少ないが、生きがいもやりがいもありますよ」


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昭和女子大の体育館棟が完成。なかなかの設計だ。プールもある。  2006.11.14


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昭和女子大、体育館棟内部。2006.11.14


   明るくてなかなかよい設計だ。


●妻は月本先生の旧約講義の聴講にに新宿まで行く。

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HPアクセス数一日70回 ++++++++ 所感

2006/11/13 20:19

061113(月)4時半起床。「南原繁シンポジウム」のフロアー発言を依頼されているのでその内容を再検討。キリスト教に「身体性」が必要なことと、文化に浸透する身体性について黙想。●イエスの墓が空になって有体的に、つまり身体性をもって復活されたことが使徒伝承の基本。この信仰がないところ、信仰が観念的になり思想や社会運動に転落堕落していく。日本のキリスト教信者は仏教地盤の故にこの「身体性」が信じられないでいる。だから思想レベルの「わめきあい」になるだけ。●エマオのキリストは旅人の姿をとって、つまり旅人という身体性をもって二人の弟子に近づいた。復活のイエスは「普通の人間で近づく」。我々も聖職者ではなく普通の人間、つまり父、夫、職業人、然り病人としてこの世に生きなければならない。これが真の身体性である。●HPトップページのカウンターが4万回を超えた。BbBへの直接アクセスをあわせると累計5万8000回になる。年平均26000回、一日平均70回。一体どういう人がアクセスしてくるのだろう。それを知ることは赦されない。相手かまわず、また応答を期待せずに発信あるのみである。私は神につねられているのだ。「痛い痛い」と言って叫ぶだけだ。●宗教学者の井門富士夫氏は、「日本には教会には行きたくないが、聖書は読んでみたいと言う人は非常に多い」ということである。一日70回のアクセス数がそれを裏付ける。ブログ日記よりも「聖書で聖書を読む」(BbB)へのアクセス数の方が多い。●5階のヴィオリスト和田睦夫氏と音楽談義。オーケストラのパート譜は他の楽器の譜が全く書いてないということを知って驚いた。弾きだしのタイミングは練習によるのだという。アダム・スミスの「国富論」を思い出した。各自は自分の仕事にのみ一生懸命になっていれば、時計職人なる神がその歯車をうまく噛み合わせて時計という世界をうまく動かすというのである。指揮者は神と同じ。各パートはただひたすら自分のことだけを一生懸命考えていればよい。指揮者なる神があとはうまく調整してハーモニーを作り出す。●宗教改革は「個の尊重」「個の尊厳」を生み出した。政治の専門家でもないのに政治の世界に口出しする門外漢のおかしな人間がいるから困る。滑稽である。正義ぶっているからなお困る。自分の分野のことをもっとしっかり極めよ

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空の墓の必要条件と十分条件 ++++++++ 所感

2006/11/12 06:55

061112(日)5時半起床●朝風呂で日経「私の履歴書」は味の素会長の江頭邦雄。常に問題部署に回され、{再建屋」と言われる。食用油の過当競争を脱却するために「健康によいコーン油」を開発して他より5割高く売り出す。消費者のためを本当に思う人にしてこういう大胆なことができる●「墓が空になっていた」という使徒伝承はなぜこれほどまでに「胸を熱く」するのだろう。しかしこれは地上波としての使徒伝承、それは鼓膜と大脳皮質への情報。その後において天から天上波(造語)が下らなければ、イエスの復活は信じられない。空の墓の情報は必要条件ではあるが十分条件ではない。今日のプロテスタント教会や無教会主義はその必要条件も語らず、十分条件の天上波も希薄。これではそこに「救い」というものがない「トンデモナイ」状態になっている。●エクレシアの使命はこの必要条件である「空の墓」の伝承をしたうえで上からの聖霊をいただけるように祈らなければならない。これが「祝祷」である。●「空の墓」は使徒伝承の土台、4福音書はそろってそこまでを記す。歴史の内と外の接点。その後のことは歴史外。胸が熱くなるのは「真理だから」「事実だから」。●昨日のこと。荒井献先生からの7年前のお手紙を先生にお見せした。その末尾は次の通り。「私は復活については正面から語りませんので、このたびそれを高橋さんから『ひきだして』いただいた感あり。御礼申し上げます」。そして私は先生に「私はいつもこの手紙を持ち歩いています」と話した。●集会は、長島、小寺、山本●帰途、高木さんと吉祥寺まで。18日に迫った「南原繁シンポジウム」の打ち合わせ。「身体性」について懇談。●19:30 福島の恵から自分で作った米が初収穫できたと喜びの電話。全部で2トン有機米。これから広く宣伝して販売しなければならないという。そこで次のような祝福メールを送った。一部改変。


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恵君


初収穫、真におめでとういございます。神に心より感謝いたします。
お母さんと共に喜びました。神の「然り」の証明です。
恵君の喜びの電話は、お父さんが上棟式に味わう気持ちと同じだなーと思いました。
これで恵君は真の「船出」という感じです。真の独立です。大工の見習いは7年間修行して「年季明け」となって親方のもとから独立です。
おめでとうございました。お世話くださった多くの人や家の人達の内助の功のおかげです。
今回のことは小さくても大きなことへの第一歩です。スモールビギニングということが真理です。
「小さいものに真理がある」ということです。小さてもそのなかに要素はすべて入っていますから、あとは「神ママ」で成長させていただきましょう。
お祝いのつもりで聖書の句を送ります。


口語訳 詩  126:5-6
126:5 涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。
126:6 種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。


塚本訳 マタ 13:3-9
13:3 譬をもって多くのことを語られた。──「種まく人が種まきに出かけた。
13:4 まく時に、あるものは道ばたに落ちた。鳥が来て食ってしまった。
13:5 あるものは土の多くない岩地に落ちた。土が深くないため、すぐ芽を出したが、
13:6 日が出ると焼けて、しっかりした根がないので枯れてしまった。
13:7 あるものは茨の(根が張っている)間に落ちた。茨が伸びてきて押えつけてしまった。
13:8 しかしあるものは良い地に落ちた。そしてあるいは百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍の実がなった。
13:9 耳のある者は聞け。」


塚本訳 マコ 4:26-27
4:26 また言われた、「神の国はこんなものだ。──ある人が地に種を蒔き、
4:27 夜昼、寝起きしていると、種は芽生えて育ってゆくが、本人はその訳を(すら)知らない。


塚本訳 マタ 15:13
15:13 イエスは答えられた、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜かれる。


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あきる野台地の秋 写真7枚


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秋の奥多摩連山を遠望する


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きれいな空



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今年はあの大岳山に登ったのだ



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秋の空の下の我が家



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図書館に行く途中で紅葉が見られる



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楓の美しさ この色彩 色の混ざり具合の美しさ



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日本の美はすばらしい。日本人であることのうれしさよ


 








 

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地上波と天上波 ++++++++ 所感

2006/11/11 09:48

061111(土)5時起床●日経プラスワン、なんでもランキング「冬におすすめの観光スポット」以下の通り。○数字は必ずしも冬ではないが私が訪れたことがあるところ。①位、兼六園 ②位、白川郷 3位、五所川原 ④位 沖縄 ⑤位 松江 ⑥位 越前海岸 ⑥位(同点) 函館 ⑧位 釧路湿原 ⑨位 館山 ⑨位(同点) 西伊豆。●これらは仕事で出張の合間を縫って訪れた。飲酒やゴルフをやらなければ可能。●イマドキのワカイモンはすぐ海外旅行をするが、日本人ならまず日本のすばらしいところを訪れるべきだ●使徒伝承はいわば「地上波」。それだけ聞いただけでは信仰を持つには至らない。それはただ鼓膜の振動だけ。天からの「天上波」なる聖霊をいただいて初めて使徒伝承という地上波が理解できる。信ずるに至る。●その地上波としての「使徒伝承」は天上波を受けた人が「伝承」しなければ本物でないから後世に伝わらないようになっている●だからキリスト教会や無教会集会が正統信仰たる有体的復活を伝承しないならば、福音は伝わらない。いくら人を呼び集めても来る人に救いを与えられない。餅屋に餅を買いに行っても「品切れ」状態。否、もともと売っていないのだから「盲人が盲人を導く」ようなもの。


マタ   15: 14 [塚本訳


あの人たちを放っておけ。盲人の手引をする盲人だ。盲人が盲人の手引をすれば、二人とも穴に落ちよう。」


ルカ   6: 39 [塚本訳


なお譬を一つ話された、「盲人に盲人の手引が出来るか。二人とも穴に落ち込まないだろうか。


●14:00日本聖書学研究所公開講座シンポジウム「復活思想」に出席。シンポジスト、手島勲矢、出村みや子、小林稔。非常に有益であった。私もフロアから発言。初対面の方々。佐藤研、大貫隆(再会)、小林稔、出村みや子。イスラエル旅行で一緒の中尾さんと帰る。建築学会倫理委員会でお会いした山本さんとも会う。荒井、月本両先生と懇談。


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  日本聖書学研究所公開講座「復活思想」 2006.11.11 14:00


                                       於・富坂キリスト教センター 


      左から高橋照男 荒井献先生 月本昭男先生


●フロアーから、「イエスの墓が空であったことは、復活信仰の必要条件ではあるが、十分条件ではない」と発言。またホスピスに入る人は2週間で召される。そんな人への精神的ケアとしては「復活信仰」が必要。ギリシャの霊魂不滅思想や水滴が大海に戻るというような汎神論でも救われない。また第一コリント15章のパウロの植物論でも復活信仰には至らない、それは汎神論に近いものであるとも話した。●この発言を荒井献、佐藤研、小林稔、大貫隆、月本昭男の諸聖書学者の前で話せたのは感謝。空の墓の使徒伝承を語ると必ず後味がよいのは、やはり「事実で真理」だからであろう。


 

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左手の指を切断した人を思う ++++++++ 所感

2006/11/10 04:58

061110(金)3時目覚め、「一流の信者とは」を思ってガバッと跳ね起きる。3時半●朝風呂で日経「私の履歴書」は味の素会長の江頭邦雄。常に現場の人の不満を謙虚に聞いて改善していくので、どの部署でも成績アップ。会長にまでなるだけのことはある。●一流の信者と言われる人の過去は大抵メチャクチャ。見られない。失敗の人生、後悔の人生、ごたごた人生、穢れた人生。アウグスチヌス、ザビエル、内村鑑三。●一流の信仰は大抵が女性。女性の信じ込み方は「モノスゴイ」。ただし今日流行のフェミニスト神学を振り回す女性に信仰の篤い人間はいない。●誰が一流の信者ではないか。聖書に頭だけで精通している聖書学者、頭だけの神学者。彼らはそれが仕事で商売だから。教会の経済運営だけを神への奉仕と心得ている「悪い長老連中」。彼らは牧師を雇っていると思っているから、牧師は彼らに耳障りのよい説教きりできない。牧師はその「悪い長老連中」を教会から追い出せないでいる。人間悪と天下国家を批判することが主への奉仕だと誤解している社会派信者。彼らは「有体的復活」を信じていないのがその共通的な特徴。修道院に飛び込もうとしたり聖職者になってやろうと思う人間。それにフェミニスト神学者。これらの人たちからは「信仰」というものは学べない。信仰に栄養となる話は聞けない。キリストの匂いがしない。●イエスが誉めた一流の信者。それは次の通り。マタイ21章31節。話の対象者は23節に出てくるこの世で一流の人間。


文語訳マタ 21:23
21:23 宮に到りて教え給ふとき、祭司長・民の長老ら御許に來たりて言ふ『何の權威をもて此等の事をなすか、誰がこの權威を授けしか』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

文語訳 マタ 21:31
21:31 この二人のうち孰(いづれ)か父の意を爲しし』彼ら言ふ『後の者なり』イエス言ひ給ふ『まことに汝ら告ぐ、取税人と遊女とは汝らに先だちて神の國に入るなり。


塚本訳マタ 21:23
21:23 宮に来て教えておられると、大祭司連と国の長老たちが寄ってきて、言った、「なんの権威で(きのうのような)あんなことを(宮で)するのか。だれがあの権威を授けたのか。」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

塚本訳マタ 21:31
21:31 この二人のうち、どちらが父の心を行ったのだろうか。」「もちろん長男」と彼らが答える。イエスが言われる、「アーメン、わたしは言う、税金取りや遊女たちは、あなた達よりも先に神の国に入るであろう。


 ●この31節、J・エレミヤスの解釈は、これは後先の問題ではなく神の国には「税金取りや遊女たち」だけが入れて、道徳堅固なこの世的に立派な信者、「大祭司連と国の長老たち」は入れないのだという。多分正解。●内村鑑三はあるとき、牧師達を前にして「私は自分の手で食べているのだ」と言って、二の腕をぐっとまくったという。これを見ていた塚本虎二先生は「何と失礼な」と思ったと言う。しかしこれ真理。牧師は教会の(悪い)長老達に経済生活を握られているから頭があがらない。これが日本プロテスタント教会弱体の原因。伝道する人間は「人に食べさせてもらってはいけない」。第一にあのパウロでさえ天幕作りで苦労して「自分でメシを食って」いた。


新改訳 Ⅰコリ4:12
4:12 また、私たちは苦労して自分の手で働いています。はずかしめられるときにも祝福し、迫害されるときにも耐え忍び、


新共同 Ⅰコリ4:12
4:12 苦労して自分の手で稼いでいます。侮辱されては祝福し、迫害されては耐え忍び、


t塚本訳 Ⅰコリ4:12
4:12 自分の手で働きながら苦労している。罵られては(神の)祝福を求め、迫害されては我慢し、


 ●日本のプロテスタント神学は「この世の一般の職業に対する聖書的意義」を理解していない。その神学がない。だから聖職者になることがよりすぐれた道と思っている。人間悪社会悪を糾弾することが主の為に「一角(ひとかど)」のことをしていると誤解している。大いなる間違い、大いなる罪悪。ただしパウロ神学からは積極的な職業の神学は読みきれない。やはり神の子イエスの方がはるかに上。それはルカ16章9~13節。これは塚本訳でよくわかる。要熟読研究。


塚本訳  ルカ 16:9-13
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。
16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。
16:11 だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。
16:12 もし他人のもの[この世のこと]に忠実でなかったならば、だれがあなた達のもの[天のもの]をあなた達に与えようか。
16:13 しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。」


●一流の信者は、過去がメチャクチャであって、救われたあとは、この世の低い仕事に就いている人に見られる。現場労働者、主婦、病人、人生の失敗者。人の世には知られないが神にのみ知られる人生●十字架に付けられたイエスの隣には強盗を働いて人生を失敗した人間がいた。人間の中で最初に天国に入ったのはこの強盗であった。これ一流の信者。


新共同 ルカ 23:41-43
23:41 我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」
23:42 そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。
23:43 するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。


塚本訳 ルカ 23:41-43
23:41 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる。」



●名演といわれるビンカス・ズーカーマンのヴァイオリン+ダニエルボイム指揮シカゴ交響楽団でヴェートーヴェンのヴァイオリンコンチェルトを鑑賞。 


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    秋の奥多摩連山、出勤途中 2006.11.10 8:25



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吉田桂二個展「風土のかたち」(アユミギャラリー) 2006.11.10 


左・吉田桂二 右・高橋照男


初対面者、大石治孝、大沢伸生。


●18:35 我が家を建ててくれた棟梁の加藤久雄氏来訪。最近、大工の仕事中、電動丸鋸で左手の人差し指を7割切断、その痛々しいあとを見せてくれた。一緒に聞いていた妻が震えた。●医者が落ちた指を一度はつないだが、血液がうまく流れなくて結局また切断●お子様達が気の毒に思って旅行に連れて行ってくれたという。指を無くしたことにより心の交流ができてうれしかったという。聖書の言葉を思い出したので加藤さんにそこを語った。


塚本訳 マタ 5:30
5:30 もしまた右の手があなたを罪にいざなうなら、切り取って捨てよ。手足が一本無くなっても、全身が地獄へ行かない方が得であるから。


TEV マタ 5:30
5:30 If your right hand causes you to sin, cut it off and throw it away! It is much better for you to lose one of your limbs than to have your whole body go off to hell.


●加藤さんは「じゃんけんでチョキが出せない。5千円貸してくれと言っても4千3百円きり貸してもらえなくなった」と言って笑った。●実際は笑って済ませるほど楽ではない。釘が持てない。中指を使うそうだがその中指も指腹を一部切断したので神経が切れていて不自由 ●人間、この肉体は各自完全ではない。どこか少ない。足りない。私の場合は6年前の脳内出血のため小脳の一部が空洞で不足。これは一生ふさがらない●人間は、肉体に限らず何かしらが不足。学問が不足、学歴が不足、伴侶がいない、子供がいない、子供を失う、子供が不完全、子供が離反する、妻が不完全、反抗する、不和、夫が不完全、ギャンブル浮気暴力、親族が不完全、勤務先がない、勤務先が不完全、経歴が不完全不足、健康が不完全、過去が欠陥で不完全、マイホームが不足、狭い、寿命が不足、しかりお金が不足。・・・しかしこういうときは「何のこれしき」である。この世の不足は「何のこれしき」である。●肉体の一部がなくなるのは嘆きだが、最後は肉体の全部がなくなる「死」が待っているのだ。そこで神はその嘆きを解消するために「永遠の生命」の福音を与えてくださったのだ。イエスの肉体を私達の罪の身代わりに殺すことによって。●一旦つないだ指であっても血液がうまく流れなくて最切断したことに思う。医者の努力は尊く、それが医者のあるべき姿ではあるが、怪我や病気になった人間としては回復しなかったときの精神的覚悟が必要。ナニ、人間は最後は死ぬのだ。死は回復不可能な終わりだ。


 塚本訳 Ⅱコリ4:16
4:16 このゆえに、わたし達は気を落さない。いや、わたし達の(生れながらの)外の人はどんなにこわれていっても、(キリストによって生れた)内の人は一日一日と新しくされてゆく。


塚本訳 Ⅱコリ4:16
4:16 このゆえに、わたし達は気を落さない。いや、わたし達の(生れながらの)外の人はどんなにこわれていっても、(キリストによって生れた)内の人は一日一日と新しくされてゆく。


新共同 マコ 8:36
8:36 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。


マコ   8: 35 [塚本訳


(十字架を避けてこの世の)命を救おうと思う者は(永遠の)命を失い、わたしと福音とのために(この世の)命を失う者は、(永遠の)命を救うのだから。


ルカ   9: 25 [塚本訳


全世界をもうけても、自分(の命)を失ったり損したりするのでは、その人は何を得するのだろう。


ルカ   17: 33 [塚本訳


(この世の)命を保とうとする者は(永遠の)命を失い、(この世の命を)失う者は、(永遠に)生きながらえるであろう。


ヨハ   12: 25 [塚本訳


[(この世の)命をかわいがる者は(永遠の)命を失い、この世で命を憎む者は、命を守って永遠の命にはいるであろう。


●復活の体は完全、そこに不足はない。地上の過去は問われない。


●加藤さん、指は残り4本ある!。ナニ、不自由なのは少しの期間だ。


●パウロは自分の肉体の刺(眼病とも癲癇とも言われる)を直して欲しいとしきりに願ったが、ついに直らなかったらしい。そのつど神に「私の恩恵はあなたに十分だ」と言われたという。


塚本訳 Ⅱコリ12:7-9
12:7 そしてこれらの素晴らしい啓示があるので、わたしが高慢にならないようにと、わたしの肉に一つの刺が与えられた。悪魔の使いであって、これはわたしが高慢にならないようにと、わたしをうつものである。
12:8 この使について、それがわたしから手を引くようにと、三度まで主に願ったが、
12:9 主は(その都度)言われた、「わたしの恩恵はあなたに十分だ。力は弱さの中に完成されるのだから。」、それでわたしはキリストの力がわたしに住みついてくださるように、大喜びで、むしろ(自分の)弱いことを自慢しよう。の力がわたしに住みついてくださるように、大喜びで、むしろ(自分の)弱いことを自慢しよう。


●私は脳内出血で倒れたときは「もはやこれまで」と思った。そしてベッドに正座して居ずまいを正し「もしこの病気を直していただけたら、残りの人生ではあなたのこときりしゃべりません」と熱祷した。すると奇跡的に直していただけた。それからというもの口が滑らかになった。これが後遺症といえば後遺症だ(笑)。


 




 


 


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痛打の手紙をいただいてダウン ++++++++ 所感

2006/11/09 08:31

061109(木)5時起床。昨日「痛打」のありがたいお手紙をいただいたので、「お礼」の手紙を書いて7時半に投函。内容は重要なので以下に公開する。差しさわりのあるところは一部削除。この身を批判してくださる人が最大の恩人。痛いことではあるが「良薬口に苦し」だ。


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 ○○○○ 様 


このたびのお手紙は私にとって「痛打」。もうフラフラでKO寸前のダウンです。しかしカウント8ぐらいで、ありがたいことにまた新しい真理の認識をいただきました。痛打感謝です。その真理の認識とは「二人三人」(マタイ1820)がいるときには必ずその間に川が流れていてお互いにとって向こう岸が見えないと言うことです。向こう岸の事情を詳しく知らないということです。それだからこそ「架橋」が必要だということです。この橋こそ「キリスト」です。もし「思想信条」が一致していれば「橋」をかける必要なはく、そこには「人の思想を斬る」という作業があるのみであります。


 



「効いた痛打」は次の三発です。


第一に、私の論じ方がマルクス主義そのものというご指摘は大ショックでした。それと同質のものが私の中にもあったのかと思ったからです。愕然とさせられました。これはフックです。


第二に、私の論法は「基底体制還元主義」というものだと分析位置づけしてくださったことに目を開けられました。冷静に科学的にご教示頂き感謝です。これからこの「基底体制還元主義」というものを学んでいきます。これはまた「原理主義」というものでもあるのかと思います。人間はだれでも生きている間は「肉に生きる」「この世に生きる」者ですからそこにこの「原理主義」を持ち込んで振り回すのは正しいことではないと考えました。これは今後の私の生き方にも関係することです。これはボディーであります。ジワッときました。


第三に、「自分で悦に入ったとき、人間は危険です。まわりの人がなにもいってくれなくなれば、もっと危険です」。・・・・これは良くぞ言ってくださいました。これはアッパーカットです。たまらずダウンです。


相手に対してスンナリとこちらの意見を伝えるためには、「とんがった矢」ばかりではなく、「丸いサッカーボールか楕円のラグビーボール」など手を代え品をを代えるのが賢いのではないかと学ばせていただきました。つまり直球ばかりではなく、変化球も必要と言うことだと解します。これはダウンした私にレフェリーが「大丈夫か」と声をかけてくれたようなものです。




このたびの○○○さんの「痛打」のお手紙は私の対人関係の姿勢に改造を迫りました。



○○○○さんという向こう岸の方に、恐れ多くもキリストという橋で渡らせていただいております。またこのたびは○○○○さんが渡ってきてくださり、痛打を浴びせてくださいました(笑)こと、心より感謝申し上げます。



2006年11月9日


高橋照男


 


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     種まきの譬を思う 2006.11.9 あきる野市


塚本訳  マタ 13:18-23
13:18 だからあなた達には種まく人の譬を説明してあげよう。──
13:19 だれでも御国の言葉を聞いて悟らないと、悪者[悪魔]が来て、心の中にまかれたものを奪ってゆく。これは道ばたにまかれた人である。
13:20 岩地にまかれたもの、これは御言葉を聞いてすぐ喜んで受けいれるが、
13:21 自分の中に(しっかりした信仰)の根がなく、ただその当座だけであるから、御言葉のために苦難や迫害がおこると、すぐ信仰から離れおちる人である。
13:22 茨の中にまかれたもの、これは御言葉を聞くが、(しばらく信じているうちに、)この世の心配や富の惑わしが御言葉を押えつけて、みのらない人である。
13:23 しかし良い地にまかれたもの、これは御言葉を聞いて悟る人で、きっと実を結び、あるいは百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍になるのである。」


●ナタン・ミルシテインのヴァイオリン+ウィーンフィル+アバドでチャイコフスキーのヴァイオリンコンチェルトを鑑賞。第3楽章コーダの演奏の猛烈な速さに舌を巻く。作曲当時演奏不可能と言われただけの曲ではある。1972年ミルシテイン68歳の年齢での演奏は御立派。私もガンバラナクッチャ。●年賀状の文面を作成して妻と相談。年賀ソフトは「筆ぐるめ」であったが、サービスが悪いので他のものに買い換える予定。モノの売れ行きはアフターサービス次第。●晩酌にあきる野市の地酒「千代鶴」一合(200円)を購入してその8割を飲む。いい気持ちになって8時就寝。日本人としての幸福は住まいは和風、奥さんは日本人、食事は和食、酒は日本酒でしかも地酒、宗教は内村鑑三+塚本虎二の流れを汲む日本的キリスト教である無教会主義。これらが幸福の条件!?。「ボカァー、シアワセダナー(加山雄三)」




 




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結婚はお互いに「自分の死」が前提 ++++++++ 所感

2006/11/08 06:43

061108(水)4時半起床●朝風呂で日経「私の履歴書」は味の素会長の江頭邦雄。労働組合の委員長に推された話。アーどこでも労働組合というのはヤダナー。集まるとすぐ「ベースアップの闘争相談だけ」●かって、企業にいたときのこと。ストライキに参加しなかったら「給料上がらなくてもいいのかよー」と私を罵倒した人間がいた。あんな低級な人間の仲間になるほど惨めなことはない。彼らには健全な労働観、労働の神聖という人生観は皆無。マタイ7章6節である。私を罵倒したあの人間、今頃どこでどうしているのやら。多分どこにいても収入の少なさに不満を持ったままであろう。収入の高さに幸福を求めている低級人間。収入の多いのが幸福ではない。それは比較による優越感という幸福感。それは決して心を満たす幸福感ではない。


文語訳 マタ 7:6
7:6 聖なる物を犬に與ふな。また眞珠を豚の前に投ぐな。恐らくは足にて蹈みつけ、向き返りて汝らを噛みやぶらん。


塚本訳  マタ 7:6
7:6 (とはいえ、正しい判断は出来ねばならない。神に供えた肉など)神聖な物を犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。豚はそれを足で踏みつけ、向き直ってあなた達を噛み裂くかも知れない。


TEV マタ 7:6
7:6 "Do not give what is holy to dogs-they will only turn and attack you. Do not throw your pearls in front of pigs-they will only trample them underfoot.


●結婚というのはそれが恋愛であろうが見合いであろうが紹介による出会いであろうがすべて「神の合わせたもう」ことである。相手を神からいただいた人だと思うところに結婚生活の土台がある。●結婚には「神風特攻隊」の精神が必要。神風特攻隊は帰りの燃料を積まないで出撃。「行ってきます」とは言わずに「行きます!」と敬礼して出発した。●結婚はお互いに「自分の死」が前提である。「二人は一体」(マタイ19:5、マルコ10:8、エペソ5:31)という奥義の成就である。●婚約中には毎日妻と手紙を交わした。結婚式の4日前の妻からの手紙。「残り少なくなりました。この手紙が最後になるかもしれません。神様を信じる者というだけで私をお受けしてくださいますこと何よりも感謝しております。ありがとうございます。永い道連れをどうぞよろしくお願いします」。●イマドキのワカイモンが「カレだカノジョだ」「カッコイイのカワイイの」などといっているうちは決して満足のゆく相手は見つからない。こういう状態では婚期の遅れる人間が多くなって日本は亡国だ。


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     静かに明け行く東の空  2006.11.8 5:40


讃美歌29番


1. ほのぼの 昇(のぼ)る あさひ日に やみ夜 (よ)の かげ は 消(き)えぬ,


   主よ, 今 みまえ に いでて みかお を あおぎ まつる.


 


2. 見わたす 谷間 に, 丘 に 夜(よ) の 幕 かかれる とき,


   かがやく ひかり いで きて あした は 地 に めさめぬ.


 


3. 御座 より 見そなわし つつ まよい の 雲 をひらき,


   むかし に まさる みめぐみ あらた に そそぎ たまえ.


 


4. うずもれ 隠るる もの も 主 は みな 知り たまえ ば,


   あした の 空 に かがやく みことば 読ませ たまえ.


 


5. くらき の あと だ に あらぬ とこ世 の あさ と ならば,


   きよけき ひかり を あびて みまえ に ちかく はべらん.


●15:30妻とDVDで「イスラエル」を鑑賞。春の旅行を思い出した。


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   野の菊を通して秋の奥多摩連山を眺める  2006.11.8 


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   ススキがjこんなに美しく見えるとは。 2006.11.8


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富士山はもう雪だ。左手前の白いものはあきる野インターチェンジ。    あきる野市役所の屋上から撮影 2006.11.8



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モー駄目だ。この人は私の手に負えない ++++++++ 所感

2006/11/07 05:20

061107(火)4時45分起床。睡眠は長さでなく深さ●神は閉じた心にも奇跡的に入られることを黙想。復活のイエスはドアを閉じて集まっていた弟子達のところにスッと入ってこられた。ここから何を学ぶか。


塚本訳  ヨハ 20:19-20
20:19 その日すなわち週の初めの日の晩であった。ユダヤ人を恐れて、弟子たちのおる部屋の戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスが(どこからともなく)はいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた。
20:20 そしてそう言いながら、手と脇腹とをお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。


●人間関係で心を閉ざされた場合の苦しみは並大抵なことではない。これ経験者でなければわからない苦悩。閉じこもり、不登校、会話拒否、断絶、不和、沈黙、隙間風、冷えた心、平行線、暗闘、家出、・・・・・・。こういうとき親や教師は懊悩してあらゆる手段手法を講じて『心のドア』をこじ開けようとするが何をしても無理。貝のように閉じた心には「万策尽きる」。これはなまじの人間的手立てでは治らないのだ。閉じた心には「神ご自身きり入れないのだ」。人間は入れないばかりか、神の手伝いだと思ってノコノコ付いていってもいけないのだ。形ばかり開けてもダメなのだ、形だけを整えても依然として心は開かないのだ。閉じた心の手術は神ご自身にきりできないのだ。その手術は真の愛という血の輸血。閉じた心にそれが注がれるとき、心の健康は初めて回復する。「心が通う」と言う。神の愛の命の輸血。その血が注がれるとき心は回復する。心が通うようになる。閉じた心のドアには神ご自身がすっと入っていってくださるからだ。人間の愛は真の愛ではない。人間の「穢れたエゴの血」を輸血してはならない●閉じた心は神のみが開けられる。人間にできることは祈り。ただそっとしておくだけでもダメ。人間的手当てだけでもダメ。祈りだけでもダメ。祈りと手当て。モーやけくその破れかぶれ。必死。それでよいのだ、それでよいのだ●非常に残念で無念ではあるが「モー駄目だ。この人は私の手に負えない」と絶望したときに神の力がどっと働く●私は若い頃、一時期父のことを嫌ったときがあったが、絶対恩恵による無条件の罪の赦しで救われると、父を見直した。人の子の親は一度や二度は子供に嫌われるという苦しみを味わうようにできているらしい。しかもその苦しみの期間は長い。耐え切れないこともある●儒教の目指す真の親孝行はキリスト教で可能●うまくいってなかった親子関係もキリストの血を輸血されると心が通うようになる。しかしそれは親の死後という場合もある●最近キリスト教を求め始めた方がいる。その方は熱心な信者さんであられたお父上がご存命のときは神にも御父上にも反発しておられたが、亡くなられたら、急に「求道」されるようになられた。この場合、御父上としてもご生前には子供の心にどうしても入れなかったのであるが、その心のドアに神ご自身が入られたのである。神の真の愛という血を輸血されたのだ。これでいいんだ、これでいいんだ。人間の名誉は滅んでも神の栄光があがるのだ。


文語訳 ヨハ 12:24
12:24 誠にまことに汝らに告ぐ、一粒の麥、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし。


塚本訳  ヨハ 12:24
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)


NKJV ヨハ 12:24
12:24 "Most assuredly, I say to you, unless a grain of wheat falls into the ground and dies, it remains alone; but if it dies, it produces much grain.


●昭和女子大建築講義。「みんな出身地の地元にいいものがあることに気が付かなければいけない。建築は風土性が重要だ」「建築は奈良京都を擁する関西にいいものがある。東京は外国かぶれでよくない。」「結婚の相手も地元の人がよい。東京にはいい人が少ない」。こう言うと生徒の目がいっせいに点になる。


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     昭和女子大の9階バルコニーから眺めた新宿副都心 


            2006.11.7 15:00


こういう殺伐とした景色を眺めて育つ子供には心にゆとりがない。詩など生まれようがない。大思想家も生まれない。これ東京砂漠。良い人物は出ない。競争心、闘争心をはぐくむだけだ。このビルの景色は売上高を競う棒グラフに見えてしまう。バベルの塔だ。


 


 


 

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大満足のライフワーク ++++++++ 所感

2006/11/06 05:43

061106(月)4時半起床●朝風呂で日経「私の履歴書」は味の素会長の江頭邦雄。学生時代に21歳の女性に一目ぼれ。猛烈アタックで結婚の約束を取り付ける。味の素では彼を入社直後に福岡に飛ばすことに決定。すると婚約者の父親が元警察の本部長だったのでそのキャリアを生かして過去の素行調査。単身で福岡に赴任すると過去の経歴から「何をしでかすか心配」と言うことですぐさま結婚式を挙げさせる●結婚式というのは神と人の前での二人の約束を公表して「社会的固め」をする儀式。がんじがらめにする社会的知恵。●結婚にいたるまでの期間というのは人生の真理に出会う。このときに二人の「人生観」が問われる。その時期にその後の家庭生活の土台が築かれる。それは清くまじめにすごすべき大切な期間。●「大満足のライフワーク」。これをやれば本望、これをやりつつ死ねば本望というもの。私にとってそれは「復活の使徒伝承」。人生は長くなくて良い、その「復活の使徒伝承」という連鎖反応に同質でありさえすればこの人生大満足。これができれば肉の命と引き換えても惜しくはない。人生は太く短くパッと散るのがよい。桜の花は短いが美しい。医術の限りを尽くしてただやたらに長生きしようとする人生観は高尚ではない。●ホスピスは痛みは取るが治療も延命処置もしない。だから入院するときに「覚悟」を求められる。それは尊い瞬間。これを「諦めだ」と思う人は人間はいつかは死ぬのだと言う「覚悟」ができていない。肉の命の保全延命を最高最善のことと考える人生観。それは「動物的本能の人生観」の持ち主。禽獣と似たり寄ったりだから人間として高級な品質ではない。企業や国家や集団組織の延命保存思想また然り●キリストの教会(集会)がその本質であるべき復活の使徒伝承を行わないで組織の保全維持拡張のみに腐心しているのは大間違い。天罰必至


塚本訳 マタ 23:15
23:15 ああ禍だ、君たち聖書学者とパリサイ人、この偽善者!君たちはたった一人の改宗者を作るために海と陸とを飛びまわり、そして(改宗者が)できると、自分たちより倍も悪い地獄の子にするからだ。


●シューベルトの即興曲変ト長調作品90の3に半ば中毒気味。今朝はフリードリヒ・グルダの演奏で鑑賞。ピアノができる人はうらやましい。私はモーできない。イイヤイイヤ。鑑賞者も演奏者と同等の芸術家だとあのA・シュヴァイツァーが言った。●昨夜、妻が娘の産後の手伝いから3週間ぶりに帰る。遠くから明かりのついている家に向かうのはうれしい

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信仰性のある人 ++++++++ 所感

2006/11/05 05:51

061105(日)4時起床●朝風呂で日経「私の履歴書」は味の素会長の江頭邦雄。味の素に入社のいきさつ。社長がじきじきに面接一時間。人間は書類選考ではよくない。面接、お見合いが大切●フジ子ヘミングのピアノで、ショパンを鑑賞。この人には「音楽性」がある。最近の建築士には学校を出ても「建築性」のない人間がいる。知識だけだからよい心打つ設計ができない。同じくクリスチャンは「信仰性」がなければならない。知識だけでサッパリ信仰者の匂いのない人間がいる。そういう人間に限って大脳皮質にはゴミのような知識がある。●私の建築相談の経験で、本の保有量と信仰の篤さは反比例する。●人間悪の社会糾弾の口数と信仰の深さも反比例する●ギリシャ語ヘブライ語ドイツ語に堪能な人から尊敬すべき「信仰性」を感じたことはあまりない。●本日の話の準備。マタイ18:10の「小さい者」とは今日的には誰か。それはやっかい者、デキの悪い人、落ちこぼれ、ダメ人間、犯罪者、人生の失敗者、成績不良人間。・・・・・・これらは不思議に人間集団から排除される人間。こういう人間を見ると生物界はよってたかって「いじめる」。キリスト教会がこれに同調、教会の維持発展純粋性を思うあまり、違和感のある人間をはじき出す。禍なるかな人間集団としての教会主義、集会主義、集団性●私のHPへの訪問者は間もなく4万回。この世の人間集団(教会、集会、集団)から冷たくされた人も数ある。99匹の羊ではない、一匹の羊を神は愛す。●NHKTV3CH5:00「こころの時代」は21年も前の再放送。元長崎西高校校長の竹下哲。仏教者。立派な人がいるものだ。弟が癌で31歳の若さで亡くなったことで人生開眼。人の死は無駄には終わらない。●足立区が学校ごとの成績を競わせて4段階のランクをつけけ、Aは500万円、Dは200万円を与えるという。東京都教育委員会の堕落。カッとなった。人間をペーパーテストで輪切りしてさらに経済的にもランキングするとは。「世も末」とはこういうときに使う。●集会は高橋新一(司会)、大山秀夫、高橋照男(イエス伝、いなくなった羊の譬、信仰なき人はどうなるのだろう、人間イエスが神の子に見える日)●昼食は、小寺御夫妻、大熊好子、山口喜代子、金子幸子●中野で下車、甘いもの屋で大熊好子さんと懇談。別れ際に大熊さん「じゃー、また来年お会いしましょう」●東工大付属工高クラス会の件で8人に電話●小寺さんから某さん告別式準備の電話●シューベルトの即興曲変ト長調作品90の3はすばらしい曲。フジ子ヘミングとブレンデルの両方で鑑賞。フジ子ヘミングの方が心に響く。それにしてもシューベルトの「歌心」はすばらしい。●10月28日の日記に掲げた感動の「キリスト像」の作者は不明であったが、息子の新一が教えてくれた。


「フランス、アルザス地方のコルマール、ウンターリンデン美術館。マティアス・グリューネルワルト作『イーゼンハイムの祭壇画』」


●夜、某女から電話。「今日午前中の『いなくなった羊の譬話』はわたしの為にお話くださったようなものでした」と感謝の応答。こういう応答が交わされるのがエクレシアの存在意義。「信仰の琴線に触れる」というのはこういうこと。こういう関係は永遠。「死の力」もこれを滅ぼせない。


文語訳 マタ 16:18b
16:18 黄泉の門はこれに勝たざるべし。


塚本訳 マタ 16:18b
16:18 黄泉の門[死の力]もこれに勝つことはできない。


TEV マタ 16:18b
16:18 and not even death will ever be able to overcome it.


塚本訳  ロマ 8:39
8:39 高い所のものでも低い所のものでも、その他どんな創造物でも、わたし達の主キリスト・イエスによる神の愛から、わたし達を引き離すことはできない。


TEV ロマ 8:39
8:39 neither the world above nor the world below-there is nothing in all creation that will ever be able to separate us from the love of God which is ours through Christ Jesus our Lord.


●生きていてこういう関係にあずかれるのは最高に幸せである


 


 



 

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宗教思想に心酔するのは切花鑑賞 ++++++++ 所感

2006/11/04 06:28

061104(土)3時半起床●朝風呂で日経「私の履歴書」は味の素会長の江頭邦雄。座禅に取り組む。これという人には宗教心がある。戦後の無神論教育ではロクな人物が出ない。科学判断か経済判断だけの教育きり身につけていない。欧米の第一級の人間からは相手にされない。新渡戸稲造の説く「武士道」は宗教ではない●長年御交誼をいただいている某氏から御自身の試論発表に際して事前に意見を求められたので激烈批判メールを書く。私のメールの内容は無教会の内部批判で公的なことが多いので、将来の為にあえて公表する。一部省略改変。


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 ○○様


長年の御交誼に甘えて、胸襟を開いて以下に率直に言わせていただきます。


 

●貴論は無教会の人間主義の最も悪い典型的な文章である。無教会の病巣が露呈。

●無教会は法皇や牧師を否定しているがそれ以上におのおのの「先生」を法皇に祭り上げている。これでは教会の人が笑うどころか嫌悪感をもつ。

●これが健全なキリスト教といえるだろうか。健全なキリスト教の姿ではない。

●貴論を受ける○○先生としても貴論のような応答があるのは「弟子教育」の失敗と思われるであろう。

●人間崇拝は宗教現象につき物であるが、それを防ぐためにアウグスチヌス(告白)や内村(日々の生涯)は「日記」を公表して赤裸々な人間の姿を示して人間崇拝を排除した。

●無教会の某先生が食事を摂られたら、目を丸くしてびっくりした女性がいたらしい。その類の信者を作った無教会主義は大失敗であった。

●貴論は内村先生、塚本先生、矢内原先生、関根先生を盲目的に尊敬するパターンと同じ傾向。話し方、歩き方まで先生を真似る酷い現象もおきている。無教会の恥である。

●自分の先生の「思想」(信仰ではない)に順応するから、先生の嫌いなもの、嫌う人を自分も嫌いになる。同じ思想傾向になる。

●貴論の内容は○○先生に対する「ひいきのひきたおし」である。『(先生の御著書、「・・・・』は『・・・・』と並んで、全人類への貴重な家宝となりました」はひどい言葉。言い過ぎ。学問的にも常識的にも言いすぎ。○○先生の顔に泥を塗っている。これはほとんど「個人的崇拝」。

●これでは無教会の将来は望めない。なぜか。切花をみて観賞して誉めているだけで、根を見ていないから。切花は次がでない。宗教思想に心酔するのは切花鑑賞。根を見ていない。

●先生べったり人間を批判すると、「私の目を開けてくださった先生です」と言って耳を貸そうとしない。それは恋愛に夢中になっている男女の仲を裂こうとする以上に困難なこと。しかし恋愛もまた真理。先生崇拝も真理か。

●「○○先生何ものぞ」と言える弟子を作らなければならなかった。そういう弟子が優秀な弟子。先生批判しない弟子は不肖の弟子。

●ブルトマン学派がブルトマン批判を始めたのはブルトマンに真理があった証拠。偉かった証拠。A・シュウ゛ァイツァーの「イエス伝研究史」は学派をつくらなかった。真理ではなかった証拠。○○先生から公然と離反する人間が出て、○○先生も本物になる。

●先生を指し示す伝道では福音は伝わらない。かえって禍である。次が続かない。芽がでない。天罰である。

●先生崇拝は「権威崇拝」と同根。現に、○○先生が講壇を降りられたあと、そこからカトリックに行く人がポロポロあるやに聞く。根がなかった。自分で歩く足を持っていなかった。


 

以上、言い過ぎはご勘弁ください。以上のすべては私の姿勢に当てはまります。私自身の反省文でもあります。いつも各種情報をお送りくださり感謝です。言い過ぎお許しください。これに懲りないでください。

 

2006.11.4 5:20

高橋照男


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●池谷医院、血圧131-85正常●東急、図書館、田中三郎さんと畑で立話●今日は妻が帰ってくるので、昨日の結婚記念日を記念して花を購入。花屋の女主人に購入目的を言ったのでどうやらおまけしてくれた感じ。


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  結婚記念日の花を購入 秋川駅前「はなゆう」 2006.11.4

この女店主の舘林則子さんは、私が購入目的を言ったためか、少しおまけしてくれたようだ。舘林則子さんは妻のことを知っている。




●塚本虎二著作集第8巻でイエスの復活ということを学ぶ。イエスの復活は霊魂不滅のギリシャ哲学とも泡ぶくが消えて大海に戻ると言う汎神論でもない、人格的に復活したと言うのである。イエスの復活は変幻自在の霊体であったが、確実に歴史的事実であったらしい。だから「言わずにはいられなかった」ことらしい。ただし写真には写らずに信仰者だけに感知できたものらしい。塚本先生のものは内村鑑三のものより納得する。わからないこと、信じられないことは信じられないという姿勢だから。●夜、妻が娘の産後の手伝いから戻る。3週間ぶり。3週間の別居(?)で悟ったこと。来世に行くときは一人。夫人同伴は赦されない。ジイドの「狭き門」のテーマと同じ。●人間は、生まれるときも死ぬときも何も持たずに一人でしかも裸だ。
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37回目の結婚記念日に思う ++++++++ 所感

2006/11/03 06:01

061103(金)4時起床。今日は37回目の結婚記念日。感謝の祈りを捧げる●今年は私達を紹介してくださった大熊一雄さんがおられないのは寂しい。2005.11.召天●朝風呂で日経「私の履歴書」は味の素会長の江頭邦雄。病気の父から囲碁を教えられる。「囲碁は父が命と引き換えに残してくれた形見のような気がしてならない」という。小学5年生のときに父死す●私は子供達に何を残せるか。残すべきか。カトリックの岩下壮一神父に「信仰の遺産」という本がある。残すべきものはこの「信仰の遺産」である。またそれ以外であってはならない。信仰の遺産は「使途伝承」。ペテロの次の言葉である。


文語訳  使  3:6
3:6 ペテロ言ふ『金銀は我になし、然れど我に有るものを汝に與ふ、ナザレのイエス・キリストの名によりて歩め』


口語訳 使  3:6
3:6 ペテロが言った、「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。


新改訳 使  3:6
3:6 すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」と言って、


新共同 使  3:6
3:6 ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」


塚本訳 使  3:6
3:6 ペテロが言った、「金銀は持っていない。わたしの持っているもの、それをやろう。──ナザレ人イエス・キリストの名で歩きなさい!」


NKJV 使  3:6
3:6 Then Peter said, "Silver and gold I do not have, but what I do have I give you: In the name of Jesus Christ of Nazareth, rise up and walk."


TEV 使  3:6
3:6 But Peter said to him, "I have no money at all, but I give you what I have: in the name of Jesus Christ of Nazareth I order you to get up and walk!"


●私の苦難。父の結核再発、家屋の全焼、脳内出血。何のこれしき。キリストだけが残った。だから言う「 金銀は我になし、然れど我に有るものを汝に與ふ、ナザレのイエス・キリストの名によりて歩め!」 


●結婚記念日にあたり、詩篇84編の6-7節を学ぶ。まず文語訳で見る。


文語訳 詩  84:6-7


6節 彼らはバーカーの谷を過ぐれども、それを泉となし、前の雨もまた恵みをもってこれを蔽う。


7節 かれらは力より力にすすみ、遂におのおのシオンにいたりて神にまみゆ。


●バーカーの谷とはバーカーという樹木のある谷で水なき荒涼とした谷。「涙の谷」とも訳される。「前の雨」とは秋雨、ユダヤではこの時期をもって新しい農期が始まる。●これを他の訳で見る。


口語訳 詩  84:6-7
84:6 彼らはバカの谷を通っても、そこを泉のある所とします。また前の雨は池をもってそこをおおいます。
84:7 彼らは力から力に進み、シオンにおいて神々の神にまみえるでしょう。


新改訳 詩  84:6-7
84:6 彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。
84:7 彼らは、力から力へと進み、シオンにおいて、神の御前に現われます。


新共同 詩  84:7-8
84:7 嘆きの谷を通るときも、そこを泉とするでしょう。雨も降り、祝福で覆ってくれるでしょう。
84:8 彼らはいよいよ力を増して進み/ついに、シオンで神にまみえるでしょう。


NKJV 詩  84:6-7
84:6 As they pass through the Valley of Baca,They make it a spring;The rain also covers it with pools.
84:7 They go from strength to strength;Each one appears before God in Zion.


TEV 詩  84:6-7
84:6 As they pass through the dry valley of Baca, /it becomes a place of springs; /the autumn rain fills it with pools.
84:7 They grow stronger as they go; /they will see the God of gods on Zion.


●結婚生活は「涙の谷」である。「豪雨や暴風」もある。「争いや離反」もある。しかしこれらを通してそれぞれが遂にシオンに入るのである。それぞれ(Each one・・・NKJV )において神にまみゆるのである。天国には一人で入らなかればならないのだ。そのためにはその人固有の「涙や雨」が必要。それが必要条件なのだ。●500円で購入したDVD「花嫁の父」(スペンサートレーシーの父、エリザベステイラーの娘、1950年)を観る。一人で何回も爆笑。同感、同情。●このときのエリザベステイラーは18歳で非常に美しかったが、その後8回も結婚、太ってしまって全く魅力がなくなった。幸せではなさそう。


 


 


 


 

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イエスの復活とはどういうことだったのだろう ++++++++ 所感

2006/11/02 05:58

061102(木)4時起床。昨夜21時半の就寝は快適な目覚めになる。睡眠は時間もさることながら、時刻でもあるらしい。人間、22時前に寝た方が一日が能率的になる●「イエスの復活とはどういうことだったのだろう」を黙想●朝風呂で日経「私の履歴書」は味の素会長の江頭邦雄。幼児のころの戦争体験。「私の履歴書」に登場するほどの人はなんらかの「戦争体験」がそのベースにある。トラウマにもなっている。●今日の各種議論はすべてこの「戦争体験」がその背景にある。そこを考えないといけない。しかし今後は違ってくる。●「イエスの復活とはどういうことだったのだろう」。この聖書中の最重要事項の問題を考察をする。聖書の疑問は聖書自身にその問いがある。だから聖書の疑問は聖書に聞くのが本道。●聖書のわからないところを、教派の教理や師事する先生のご見解に聞くから、キリスト教は派閥争いになる。また「聖書学者の多数決」に頼ることも本筋ではない。なぜか。「学問。学説」は変化するからである。あの「文学社会学」という手法もいまはなりを潜めている。フェミニズム神学また同じ。だからまずは自分の目で聖書それ自身を読まなければならない●これからの若い人に告ぐ。聖書のわからないところを、ローマ法王に聞くな。内村、塚本、黒崎、関根、前田に聞くな。バルト、ブルトマンに聞くな。聖書に聞け。●「復活とはどういうことだったのだろう」という疑問に関しては第一コリント15章に議論がある。そこには、当時次のような疑問があったことが記されている。まず「Jバイブル」(いのちのことば社刊行。約一万円程度。必携のソフト)で翻訳比較をする。このようなとき、英訳は概念としてフレッシュな感じがする。目が洗われる。


口語訳 Ⅰコリ15:35
15:35 しかし、ある人は言うだろう。「どんなふうにして、死人がよみがえるのか。どんなからだをして来るのか」。


新改訳 Ⅰコリ15:35
15:35 ところが、ある人はこう言うでしょう。「死者は、どのようにしてよみがえるのか。どのようなからだで来るのか。」


新共同 Ⅰコリ15:35
15:35 しかし、死者はどんなふうに復活するのか、どんな体で来るのか、と聞く者がいるかもしれません。


塚本訳 Ⅰコリ15:35
15:35 しかし、ある人は言うかも知れない、(かりに復活があるとしても、)どんな風にして死人が復活するのか、どんな体で来るのかと。


TEV Ⅰコリ15:35
15:35 Someone will ask, "How can the dead be raised to life? What kind of body will they have?"


●これ真摯な疑問である。当然の質問である。正直である。理性を犠牲にして信じるのはいけない。そういう人は「先生」が信じなくなるとつられて信じなくなるものだ。先生が「政治的発言」をするとつられて同じことを「合唱」する連中だ。それはメダカの学校である。全員が思想的に同じ方向を向いて泳いでいる。先生がなくなると心理的に不安定になってポロポロとカトリックに行く。危なっかしくてしょうがない。自分の足で立っていない証拠。最近の無教会者にそういう人がいる。●この第一コリント15層35節をBbB(高橋照男HP、無料)に当たる。すると次の3箇所が心に響いた。


口語訳 ロマ 8:21
8:21 かつ、被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。


口語訳 Ⅰコリ15:50
15:50 兄弟たちよ。わたしはこの事を言っておく。肉と血とは神の国を継ぐことができないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない。


口語訳 ピリ 3:21
3:21 彼は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう。


●BbBには限界があるので、引照というのは自分の頭にヒラメクものが一番よい。BbBやTSKに頼るのは最終の姿ではない。そこで、私自身の頭にヒラメイタものを次に掲げる。


 口語訳 ヨハ 12:24
12:24 よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。


文語訳  ヨハ 12:24
12:24 誠にまことに汝らに告ぐ、一粒の麥、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし。


塚本訳  ヨハ 12:24
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)


TEV ヨハ 12:24
12:24 I am telling you the truth: a grain of wheat remains no more than a single grain unless it is dropped into the ground and dies. If it does die, then it produces many grains.


●このイエスの一言で復活の謎は氷解。「アーソーカ」である。心一杯、胸いっぱいである。もうこの先何も研究しなくてよい。この一言はパウロの第一コリント15章全体に勝るものである。特に36節のパウロの叱責「愚か者!」の意味がわかるような気がする。理屈でわからないときは「馬鹿!、とか愚か者!とか、たわけ!と喝破した方が良いことがある。ショック療法である。もちろんこれは言うほうに自信があっての事である。●内村鑑三は「復活は神学者や聖書学者には理解されにくいが農業者には良くわかる」と言っている。●長い間、この36節のパウロの「愚か者!」の叱責の言葉が理解できなかった。パウロは無理なことを強要していると。しかしイエスのこの「一粒の麦」を聞くと「アーソーカ」と思える。これでモー心と胸が一杯になったからよいのであるが、参考として第一コリント15章35節をTSK日本語ヴァージョンに当たってみよう。これも私のHPから行くことができて無料である。


Ecclesiastes 11:5:
あなたは、身ごもった女の胎の中で、どうして霊が骨にはいるかを知らない。そのようにあなたは、すべての事をなされる神のわざを知らない。


Ezekiel 37:3:
彼はわたしに言われた、「人の子よ、これらの骨は、生き返ることができるのか」。わたしは答えた、「主なる神よ、あなたはご存じです」。


Ezekiel 37:11:
そこで彼はわたしに言われた、「人の子よ、これらの骨はイスラエルの全家である。見よ、彼らは言う、『われわれの骨は枯れ、われわれの望みは尽き、われわれは絶え果てる』と


John 3:4:
ニコデモは言った、「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」。


John 3:9:
ニコデモはイエスに答えて言った、「どうして、そんなことがあり得ましょうか」。


John 3:9:
ニコデモはイエスに答えて言った、「どうして、そんなことがあり得ましょうか」。


John 3:9:
ニコデモはイエスに答えて言った、「どうして、そんなことがあり得ましょうか」。


John 3:9:
ニコデモはイエスに答えて言った、「どうして、そんなことがあり得ましょうか」。


John 3:9:
ニコデモはイエスに答えて言った、「どうして、そんなことがあり得ましょうか」。


●これを読むと「モーイー、ワカッタ、ワカッタ」という気持ちになる。つまり聖書は自分の頭で理解できることだけで読んではいけないのだ。イエスの復活というのは、歴史的事実として「トンデモナイ」が起ったのだ。驚天動地のことが起きたのだ。●自分史63年間分をCDにバックアップ。約3000ページは、一枚のCDの一センチの幅に収まるから驚異。とにかく自分史としての日記をパソコンで記すことは超便利。過去の事象の検索力は人間の頭脳ではとうてい及ばない。これからの若い人に絶対にお勧め。今からでも遅くない。人生は一度きりないから、過去の事象は貴重。もったいない。●敬和学園学長の新井明先生に電話。南原繁の歌について。「さ庭なる青木の朱(あけ)の実に触(ふ)りて母の柩(ひつぎ)の出(い)でゆきたまふ」(岩波文庫「形相」P129)。これは新井先生が深く感動された歌。実に絵画的な歌。南原先生の御母堂はこの「青木の朱(あけ)に実」のようなお方であったのではないかと新井先生は言われる。この「形相」という南原先生の歌集には「母」を歌ったものが42首もある。偉くなる人は違う。●父母をいかに敬うかによって人物の判定ができる。上役としては「父母を敬う話」を聞くのは気持ちが良いから、その人物を高い地位につけようと思う。その逆だと上役としても「この男、いつ自分を卑しめるようになるかわからない危険人物だ」と思うからそんな男を出世させない。そういう男は人間としての基礎ができていない。イマドキの学校は人間としての基礎を教えないからこうなる。家庭の躾また同じ。夫婦がいがみ合っていては子供はよく育たない●今日も自炊。大分慣れたが、ワンパターン。 


 

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痛みは当事者でなければわからない ++++++++ 所感

2006/11/01 06:56

 満63歳4ヶ月 職場完全退職まであと2年5ヶ月 平均余命18年8ヶ月。死亡推定年齢82歳。死亡原因はおそらく癌(家系から推測)か脳血管障害(病歴から推測)。認知症にはならない(父母の経歴から推測)。言うべきこと、叫ぶべきことを叫び、伝承すべきことを伝えきって死のう。


061101(水)5時起床●朝風呂で日経「私の履歴書」は味の素会長の江頭邦雄。家業の医院を告ぐべく医者になるように育てられたが、姉の夫が継いだために進路に悩む。そこで「私の履歴書」の第一巻に出会ってビジネスの世界に。人生の出会いには「本」の力が大きい。●過日の対話。某女「息子が反抗して困ります」。私「ワッハッハァー。この間NHKで『子供が反抗するのは正しく教育した証拠である』と医者が言っていましたよ」。某女「人の家の悩みを聞く人は皆そのように平然とした発言をしますヮ」。私「ごめんなさい。そうですねー。痛みというものは当事者でないとわからない深刻なものですねー」●」人間イエスが神の子に見える日」の論考をまとめる。


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あきる野台地に紅葉が始まった。「今は秋」。2006.11.1 図書館にCDを借りに行く途中


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畑に咲く菊。菊を見ると、11月3日の結婚記念日を思う。あれから37年もたったのだ。長い旅であったが感謝の旅であった。実にいろいろなことがあった。そして残りは18年間だ。そうか、結婚生活は今までで三分の二ということなのか。まだ残りがある。これからだ。 2006.11.1 図書館にCDを借りにいく途中



●鷲見八重子さんから電話。潜在意識というものがもたらす人間関係の誤解やトラブルについて。




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