to 日記と感想 2007年02月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171030(月)10:00 聖路加 桑本先生
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170824(木)12:10キララホールエントランスコンサート、マリンバ
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170813(日)10:30ナザレン教会浦和教会
    170813(日)14:00比企紀和君
    170812(土)14:00お江戸こらりあーず演奏会、文京シビックホール
    170809     TW誕生日
    170809(水)17:16初音吹奏楽、府中の森芸術劇場ドリームホール
    170808(火)0930池谷医院
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170708(土)14:00在宅医療説明会(キララホール)
    170707(金)10:00池谷医院
    170706      TM誕生日
    170702(日) 集会感話
    170701      TT誕生日
    170630(金)12:20キララホールエントランスコンサート
    170628      IY誕生日
    170627(火)11:00 能城牧師来訪
    170625)日)10:10トミ子集会感話
    170625(日)14:00茅ヶ崎金子邸
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール


会社を辞めたくなったとき ++++++++ 所感

2007/02/28 08:03

070228(水)4時半起床●朝風呂で「日経」私の履歴書。ダイキン工業会長の井上礼之(のりゆき)。最終回。「そもそも帰属する対象がなければ『個』も『私』も生まれない。・・・・どこかに帰属したいといという気持ちがあって初めて本当の自由は生まれる。・・・・人間は集団で生きる動物であり、何らかの形で集団への帰属意識を求めている。・・・・人事部長のころ、若い部下や他部門の人たちから『会社を辞めたい』と相談されたが、原因のほとんどは仕事の悩みではなく、職場の人間関係であった。人の良いところを見つめ、人と人との間でたくましく生き、成長する人間が増えればよいと願っている。」・・・・さすが従業員3万人のトップになる人物の言葉。・・・・また次のようにも言う「私は小学生のときに猛烈ないじめを受けたが、何とか乗り越えた。幼心ではあったが、その後の人間形成に役立ったようだ」・・・・この人にしてダイキン工業あり。今後は建築設計のときに空調機はまずダイキンと考えよう。安心だ●学校も職場も結婚生活も途中で「辞めたく」なるときが必ずおとずれる。人間、そういう場面が来ない方がおかしい。苦難のない人生は節のない竹で弱くもろい。「辞めたくなる」ような苦難があればあるほど節ができる。もっとも節だらけでは建築用材にはならないが(笑)。あるある節だらけの竹が。それは珍しいので珍重される。●「会社を辞めたくなるとき」は、「なんのこれしき」「ここが我慢のしどころ」と思えばよい。必ず時が救ってくれる。「何のこれしき」は晩年に全盲になられたかたから教えられた言葉。「ここが我慢のしどころ」は戦後シベリアに抑留されソ連に理不尽で過酷な重労働をされた方から教えられた言葉●初代教会史の文献リスト、コメント手直ししてプリント。本のコメントは信仰告白。●12:00ふれあいホールで、高橋京子ピアノコンサート。ご主人と同じテーブルで昼食。


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       きれいな雲   2007.2.28 


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        きれいな雲と梅  2007.2.28

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どうでもよいことに於いては自由 ++++++++ 所感

2007/02/27 20:17

070227(火)5時起床●朝風呂で「日経」私の履歴書。ダイキン工業会長の井上礼之(のりゆき)。社長になったとたんにすぐ後継者選び。企業の存続は「人」●妻は品川の愛子のところに引越しの手伝い●私が現在持っている「初代教会史」に関する文献リスト作成。36冊。7年前の火災で蔵書の8割は焼失。しかしあのときは「焼けたものは読まないでもよいものだ」と感じ、サッパリしたのであった。その送り状に以下のように書いた。一部。


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「初代教会史」に関する私が現在保有する文献リストを作成してみました。各書に私のコメントを書いているうちに、それは私自身の「教会史観、歴史観」になっていることに気づきました。そこで日頃御交誼ご指導を頂いている方々に私の教会史観、歴史観の「信仰告白」を披瀝しなければならないという衝動に駆られました。・・・・各書に付したコメントの中に私の「信仰告白」を見ていただければ幸いです。貧しい文献リストでお恥ずかしい限りです。


思うに、世界観、人生観、歴史観、教会観、教派観、死生観というものは信仰のあるなしに関わらず一人一人微妙に違ってずれています。それが被造物としての人間の自然の姿であると思います。それがまた美しくてよいのだと思います。植物の形は実に様々です。神による創造物の形は千差万別であることがわかります。それを人間が無理に一致させることはいけないことであると思います。なぜならそれは神の創造の業を否定して改作することだからです。しかしながらまたこうも思います。・・・・「無くてならぬ事に於いては一致、どうでもよき事に於いては自由、すべての事において愛」(アウグスチヌス)。・・・・無くてならぬ事とは「主にあること」だと信じます。この件に関してご叱正、またご指導ください。今後とも主にある御交誼をよろしくお願いします。(以下省略)


 



口語訳 Ⅱコリ3:15-18


3:15 今日に至るもなお、モーセの書が朗読されるたびに、おおいが彼らの心にかかっている。


3:16 しかし主に向く時には、そのおおいは取り除かれる。


3:17 主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由がある


3:18 わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。



             2007年2月27日 高橋照男



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ガッツポーズ、ブログの効用 ++++++++ 所感

2007/02/26 06:49

070226(月)5時起床。●朝風呂で「日経」私の履歴書。ダイキン工業会長の井上礼之(のりゆき)。後継者問題。企業は人だということが分かる●昨日、070223のブログ日記の一部に対する某氏からの応答を開いて、「ガッツポーズ」涙した。実に大切なことなので「公開」する。黙ってはいられない。隠してはおけない。琴線に触れる信仰の友、先輩、同士は物理的に近いところにいない、物理的に同じ「信仰の先生」の傘下のもとにはいない。真の信仰の友は全国に広がっている。だからブログを利用しての「心の交わり」は効果的。


まず070223のブログ日記の一部は次の通り。


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●もし、今日イエスに「千の風になって」の詩をどう思うかと尋ねたらどういって慰めるだろうか。・・・「愛する人は風になったのではない。死は眠りだ。最後の日に名前をもって呼び覚まされる。そして復活させられ再会できる」と。そして続いて言うであろう。「あなた達には死人を呼び起こす神の力を見たではないか。その記事を聖書で読んだではないか。この私が復活したことは歴史的時事実ではないか。泣くな」と。


塚本訳ルカ8:52


8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。」



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これに対する某氏からの応答は次の通り。


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 愛する者が「風」になっても私は慰められません。もし「風」になってしまうならむしろ悲しみが増します。そんなことでは私の涙は決してぬぐわれません。やがては「霊のからだ」が与えられることを確信し、復活再会の希望が与えられて初めて私は慰められ、私の涙はぬぐわれます。「千の風になって」は豊かな自然に囲まれた日本人の感性に訴えます。一時的には慰めを得られたような気になるかもしれません。しかし、内なる私たちのもっとも深いところまで届きません。主イエスのご復活、それに続く「(霊のからだを与えられた)神の子たちの出現」、これ以外に希望はありません。

ローマ


8:23 そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの購われることを待ち望んでいます。8:24私たちは、この望みによって救われているのです。


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●ブログ日記も、このような信仰の交わりに使われると大いに意義がある。ヴェルディの歌劇「ナブッコ」にある「行け、わが思いよ、金色の翼に乗って」という合唱を思う。ブログによる信仰の交わりは「金色の電波」に乗っている。●真の信仰の交わりは、黄泉の力もこれを壊せない。使徒信条に「聖徒の交わり」という一句がある。これは「復活信仰」を味わった人同士でなければその真髄はわからない。


塚本訳マタ 16:18
16:18 それでわたしもあなたに言おう。──あなたはペテロ[岩]、わたしはこの岩の上に、わたしの集会を建てる。黄泉の門[死の力]もこれに勝つことはできない。


塚本訳 ロマ 8:38-39
8:38 なぜなら、わたしは確信している、死んでも命でも、天使でも支配(天使)でも、現在起こっていることでも将来起こることでも、権力(天使)でも、
8:39 高い所のものでも低い所のものでも、その他どんな創造物でも、わたし達の主キリスト・イエスによる神の愛から、わたし達を引き離すことはできない。


●四谷の中央出版で「総説・キリスト教史Ⅰ原始・古代・中世編」を購入。首を長くして待っていたもの。エルサレム教会の研究のため●手元にある「キリスト教史」の初期のものをリストアップして整理。全36冊。火災で本の8割は焼失した。しかし焼けたものは全部「読まなくてもよい」ものであった気もする。あのときはサッパリしたものだった。●妻は今日から二日間、品川の愛子の所に引越しの手伝い。●NHKTV19:30「クローズアップ現代」でまたまた「千の風になって」が報道された。作曲家の新井満氏が出演した。




 


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私のレゾンデートル ++++++++ 所感

2007/02/25 07:34

070225(日)4時起床。●朝風呂で「日経」私の履歴書。ダイキン工業会長の井上礼之(のりゆき)。・・・・実行できない目標は立てないこと。自ら現場の第一線に入り込んで情報を共有しながら変化に応じてすばやく判断する。・・・・著者はやはり現場主義である。「現場の神宿る」である●NHKTB3CH5:00「こころの時代」は東北大学名誉教授の宮田光雄。若い頃教会のパイプオルガンに感動。その後南原繁とバルトに影響を受ける。「ルターを生んだドイツになぜナチズムが生まれたか」が研究課題。一麦寮で2000人の学生と接したことが益となった。・・・・・・私とは畑違いという感じがした●それでは私の生きている立場は何か。自分のことは外部から客観的に見てもらった方が正しい。●昨秋、私のことを次のように評してくださった某氏があった。感謝。「『規定体制還元主義』と『世俗職業尊重主義』とは相並ぶのである。これこそ高橋照男が今日まで生きて来られた理由である。と同時に、これこそ内村鑑三に始まる無教会キリスト教の根幹であえる。」●ここで言われる「規定体制還元主義」というのは簡単に言うと「原理主義」に近いもの。私の場合は「有体的復活の使徒伝承に固く立つ」事である。その信仰と現実の世俗の職業に挺身するとが一人格のなかで両立すること。つまり正統信仰に徹すると同時にキリスト教を冠する仕事、(牧師、聖書学者、キリスト教思想の教師、神学者、伝道者、社会批判活動)などに就かないこと。・・・私の立場をそう見てくださり、ここに無教会主義の本質があると見てくださった。足れり。万歳●私のレゾンデートる(存在理由)を指摘してくださった某氏に感謝。神から与えらたレゾンデートルである。これ私の自慢ではない。使命だ。●集会は小寺、横田、村上。●昼食会。●14:00今井館で「若者と語る」シンポジウム。シンポジスト。松永晃子、藤本仰一、木村恵。司会は大田修。懇談の時間に私が今日若者は教会難民、集会難民が多い。信者は信仰の維持の為に自分に合う教会(集会)に属さなければならないと発言。●木村尚文ご一家、大田修ご一家、桜井隆史氏(元おえどコラリアーズ)、藤本仰一・千絵ご夫妻、などと懇談。


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木村尚文一家と。左から木村護郎、蜷川文子、高橋照男、木村ハンネローレ、護郎氏の第二子。木村尚文。ハンネローレさんには一昨年ライプチッヒのニコライ教会で妻がバッハのロ短調ミサを歌ったこと。そこのフェーラー牧師(ベルリンの壁崩壊の引き金となった人)に会ったことを話した。「すごい経験をしましたね」と言われた。 2007.2.25 今井館


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大田修(春風学寮寮長)ご一家。今年第2子が誕生する。   2007.2.25 今井館


●妻はウィーンで行う世界合唱祭のための練習。池袋。

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神様、困ったことになりました。 ++++++++ 所感

2007/02/24 09:11

070224(土)4時半目覚め、5時起床。とても寒い朝●朝風呂で「日経」私の履歴書。ダイキン工業会長の井上礼之(のりゆき)。社長になって「逆風」。赤字。しかし難題を克服。●私の存在をひどく嫌う人もいれば、「高橋さんといるとホットする」と言う人もいる。一心に神に帰依するとこれに反抗する人間と和合する人間に分かれるらしい。これ信者の宿命。このことをパウロは次のように言う。


塚本訳Ⅱコリ2:15-16
2:15 というのは、わたし達は救われる者の間でも、滅びゆく者の間でも、神にささげられるためのキリストのよい薫である。
2:16 ある者には、死から死へみちびく薫であるが、ある者には、命から命へみちびく薫りである。(ああ、)一体だれにこんなことが勤まろう。


●最後の「(ああ、)一体だれにこんなことが勤まろう。」は「こんな男に誰がした」という嘆きでもある。こんなに嫌われるならクリスチャンになるのは悲しいことだとも思う。老シメオンは両親に抱かれた幼子イエスを見て次のように言った。


塚本訳ルカ 2:34-35
2:34 シメオンは両親を祝福し、母マリヤに言った、「驚きなさるなよ、この幼児はイスラエルの多くの人を、(この方に対する態度によって)倒されたり立たせたりする、また、一つの目印となって(この世の烈しい)反対をうける、使命を負わされているのです。──
2:35 (母人よ、)あなたも劔で胸を刺しつらぬかれ(る苦しみをせ)ねばなりますまい。──これは多くの人の心の(隠れた)考えを外に出させるためなのです。」


●クリスチャンは肉の身内にある日ある時、涙をふるって「NO!」と叫ばなくてはならない宿命を負っているのだ。子が子でなくなり、親が親でなくなり、妻が妻で、夫が夫でなくなる「恐ろしい日」がくるのだ。ああだれがこの険しい道を歩めよう。●そういう時はひそかに小声で祈ればよいのだ。「神様、困ったことになりました。どうしたらよいのでしょうか」と。しかしこんな風にされたこの身この家庭この子どものことは神が責任をとってくださる。そう信ずればよいのだ。●文芸春秋2月号「新・がん50人の勇気」と中野雄「ウィーンフィル音と響きの秘密」(文春新書)を読む●小寺利男さんから電話。懇談●鹿島出版がわたしの「コストプランニングの知識」をリメイクしてまた発行したいという。そうすると初版出版以来20年以上になり通算12000部以上。技術書では異例●ヴェートーヴェン「レオノーレ序曲第3番」のフルートとファゴットの掛け合いの部分の演奏聞き比べ。デービス+ドレスデン、ショルティ+シカゴ、カラヤン+ベルリン。カラヤン+ベルリンが一枚上。●夜、妻は合唱の練習、ロッシーニ「スターバト・マーテル」


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寒風の吹きすさぶ寒い朝。「草は枯れ花は落」。故大熊一雄さんの墓碑銘を思う。


                 2007.2.24 6:50


文語訳 Ⅰペテ1:24-25
1:24 『人はみな草のごとく、その光榮はみな草の花の如し、草は枯れ、花は落つ。
1:25 されど主の御言は永遠に保つなり』、汝らに宣傅へたる福音の言は即ちこれなり。



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泣くな。死んだのではない。 ++++++++ 所感

2007/02/23 08:08

070223(金)4時半起床●朝風呂で「日経」私の履歴書。ダイキン工業会長の井上礼之(のりゆき)。山田社長の後任で社長になるが、なお苦難。山田社長は「引き際」がきれい。さっぱり後任に譲った●次の集会で「千の風になって」を話すことにした。ブログ070220参照。その結論は次の通り


●もし、今日イエスに「千の風になって」の詩をどう思うかと尋ねたらどういって慰めるだろうか。・・・「愛する人は風になったのではない。死は眠りだ。足後の日に名前をもって呼び覚まされる。そして復活させられ再会できる」と。そして続いて言うであろう。「あなた達には死人を呼び起こす神の力を見たではないか。その記事を聖書で読んだではないか。この私が復活したことは歴史的時事実ではないか。泣くな」と。


塚本訳ルカ8:52


8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。」


 


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●14:00 黒田隆氏を訪問。故高橋時造名誉会長葬儀のご報告。86歳だが頭脳明晰。私と話しているとほっとすると言われる。腰を痛めておられて10分以上歩くと苦痛だtと言われる。左高橋照男、右黒田隆。職業上の恩師。


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 帰途、西の0空が茜色。きれいだなー。神は大芸術家だなー 2007.2.23  

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キリストの形ができるまで ++++++++ 所感

2007/02/22 12:36

070222(木)7時起床。遅いレコード●朝風呂で「日経」私の履歴書。ダイキン工業会長の井上礼之(のりゆき)。門外漢の「化学部」にまわされたが、三ヶ月間連日のように人を呼んで勉強。弱点を把握。あれだけ勉強したのは始めてだったと述懐。会社の浮沈をかけて約300億円かけて米国に工場を建設。こういう場合は多くの人のサポートが成否の鍵。組織で動くときは社内協力の体制なしになにもできない。その点、作曲や絵画と言う一人での仕事とはちがう。●その企画がホンモノであったら、組織が取り上げて、組織のものとして動き出す。動き出したら逆に慣性がついてとまらない。改善するのに多大のエネルギーがいる。これ組織のいいところであり悪いところでもある ●NHKTVで永平寺の雲水修行の放映。自分と比較してみた。9時就寝4時半起床。ほぼ同じ。座禅40分、私は聖書読み40分以上、座禅の最中に姿勢が崩れると肩をバシッと叩かれる。私の場合は火災と脳内出血で人生がバシッと叩かれた。食事は粗食、これすこし私は飽食か。廊下の拭き掃除、これ私はない。●信仰には形が伴ってくるが、その形の相違で争いが起きて「教派争い」になる。しかし生きている間には「形」は大切。特に生き方の形。生活の形。姿勢。言葉づかいという形。●パウロは「キリストの形ができるまで」という重要なことを言っている。


新共同 ガラ 4:19
4:19 わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。


塚本訳 ガラ 4:19
4:19 わたしの子供たちよ、あなた達の中にキリストが形づくられるまで、わたしはもう一度産みの苦しみをしている。


●こういう場合この箇所を深く学ぶには三種の神器が有効。そこでTSKとBbBでピンとくるものを拾ってみよう。まずTSK。


Romans 8:29:
神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。それは、御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであった。


Romans 13:14:
あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない。


Ephesians 4:24:
真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである。


Philippians 2:5:
キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい。


Colossians 1:27:
神は彼らに、異邦人の受くべきこの奥義が、いかに栄光に富んだものであるかを、知らせようとされたのである。この奥義は、あなたがたのうちにいますキリストであり、栄光の望みである。


Colossians 3:10:
造り主のかたちに従って新しくされ、真の知識に至る新しき人を着たのである。


●次にBbB。


新共同 Ⅰコリ11:1


11:1 わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい。


 新共同 マタ 10:40


10:40 「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。


 新共同 Ⅰコリ4:14


4:14 こんなことを書くのは、あなたがたに恥をかかせるためではなく、愛する自分の子供として諭すためなのです。




5:13 彼らの働きを思って、特に愛し敬いなさい。互に平和に過ごしなさい。

 口語訳 Ⅱコリ12:15


12:15 そこでわたしは、あなたがたの魂のためには、大いに喜んで費用を使い、また、わたし自身をも使いつくそう。わたしがあなたがたを愛すれば愛するほど、あなたがたからますます愛されなくなるのであろうか。 


テサ2:13


2:13 これらのことを考えて、わたしたちがまた絶えず神に感謝しているのは、あなたがたがわたしたちの説いた神の言を聞いた時に、それを人間の言葉としてではなく、神の言として――事実そのとおりであるが――受けいれてくれたことである。そして、この神の言は、信じるあなたがたのうちに働いているのである。


 口語訳 ロマ 12:11


12:11 熱心で、うむことなく、霊に燃え、主に仕え、


 口語訳 Ⅰコリ4:14-15


4:14 わたしがこのようなことを書くのは、あなたがたをはずかしめるためではなく、むしろ、わたしの愛児としてさとすためである。


4:15 たといあなたがたに、キリストにある養育掛が一万人あったとしても、父が多くあるのではない。キリスト・イエスにあって、福音によりあなたがたを生んだのは、わたしなのである。


 口語訳 ガラ 4:11


4:11 わたしは、あなたがたのために努力してきたことが、あるいは、むだになったのではないかと、あなたがたのことが心配でならない。


 口語訳 ロマ 8:29


8:29 神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。それは、御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであった。


 口語訳 ピリ 2:5


2:5 キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい。


 口語訳 Ⅱコリ3:18


3:18 わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。


 新共同 Ⅰコリ9:20-22


9:20 ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。


9:21 また、わたしは神の律法を持っていないわけではなく、キリストの律法に従っているのですが、律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。


9:22 弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。


 新共同 Ⅰコリ4:16


4:16 そこで、あなたがたに勧めます。わたしに倣う者になりなさい。


 新共同 Ⅰコリ7:7


7:7 わたしとしては、皆がわたしのように独りでいてほしい。しかし、人はそれぞれ神から賜物をいただいているのですから、人によって生き方が違います。


 新共同 Ⅱコリ6:13


6:13 子供たちに語るようにわたしは言いますが、あなたがたも同じように心を広くしてください。


 新共同 ガラ 6:18


6:18 兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように、アーメン。


 新共同 Ⅰテサ2:13


2:13 このようなわけで、わたしたちは絶えず神に感謝しています。なぜなら、わたしたちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです。


 新共同 Ⅰヨハ2:1


2:1 わたしの子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。


 新共同 エペ 4:13


4:13 ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。


 新共同 Ⅰコリ4:15


4:15 キリストに導く養育係があなたがたに一万人いたとしても、父親が大勢いるわけではない。福音を通し、キリスト・イエスにおいてわたしがあなたがたをもうけたのです。


 口語訳 Ⅰコリ9:21


9:21 律法のない人には――わたしは神の律法の外にあるのではなく、キリストの律法の中にあるのだが――律法のない人のようになった。律法のない人を得るためである。


 口語訳 Ⅱコリ12:15


12:15 そこでわたしは、あなたがたの魂のためには、大いに喜んで費用を使い、また、わたし自身をも使いつくそう。わたしがあなたがたを愛すれば愛するほど、あなたがたからますます愛されなくなるのであろうか。


 口語訳 Ⅱコリ6:13


6:13 わたしは子供たちに対するように言うが、どうかあなたがたの方でも心を広くして、わたしに応じてほしい。


 口語訳 Ⅰテサ2:7-8


2:7 むしろ、あなたがたの間で、ちょうど母がその子供を育てるように、やさしくふるまった。


2:8 このように、あなたがたを慕わしく思っていたので、ただ神の福音ばかりではなく、自分のいのちまでもあなたがたに与えたいと願ったほどに、あなたがたを愛したのである。


 口語訳 ピレ 1:10


1:10 捕われの身で産んだわたしの子供オネシモについて、あなたにお願いする。


●以上の岡に次の言葉が、ピタッとくる。


塚本訳コロ 1:24
1:24 今私は君達のために苦しむことを喜びとし、またキリスト・イエスの体なる教会のために私の体でキリストの患難の不足を補っている。


新共同 コロ 1:24
1:24 今やわたしは、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています。




新改訳 コロ 1:24
1:24 ですから、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。そして、キリストのからだのために、私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。キリストのからだとは、教会のことです。


●14:00市民大学「自分史の書き方」。元主婦の友編集長藤田敬治。自分史を書きたくなるのは伴侶を失ったとき。伴侶との想い出を残しておきたいという動機から。出版しなくてもよい。最近は製本機によいものがあるから製本しておくとよい。イトー屋とか東急ハンズに製本コーナーがある●田中三郎さんと畑で立ち話。田中「私も自分史を書き始めたのだが、途中でやめてしまった」●東急●留守中に八王子の徳田さん来訪。朗報、よかった、よかった


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 パステルカラーの空と雲。2007.2.22 公民館の入り口から


パステルカラーは日本人好みの色。ソニーのトリニトロンがこれを狙った。人間には好き好きがある。イタリア人は原色好み。人間には向き向きというものがある。人それぞれ。人間は複雑系の存在


 


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事の真相は当事者でなければわからない ++++++++ 所感

2007/02/21 07:39

070221(水)5時半起床●朝風呂で「日経」私の履歴書。ダイキン工業会長の井上礼之(のりゆき)。内部告発で警察の手入れ。警察とマスコミは「仕事」のために悪者探しをする。「マスコミ報道は過激さを増した。よくこれだけ悪く書かれるなとあきれるほどだった」という。こういうときは無理に反論するとまたそれがニュースの種になる。●なってはならないのに世の悪を探し出すことを職業とする道や人生観。●クリスチャンの中に世の悪を糾弾することをもって「神のためだ」と心得ている者がいるが「人間の品格」がない。●人間の世界で評判が悪くなるとき、目は神に向く。だからクリスチャンは人間の世界で評判が悪くなった方がよい。●事の真相は当事者でないと分からないものだ。神のみが知る。神のみが正しく裁く


塚本訳ルカ 16:15
16:15 そこで彼らに言われた、「あなた達は人の前では信心深そうな顔をしているが、神はあなた達の心を見抜いておられる。人の中で尊ばれるものは、神の前では嫌われるものである。


塚本訳ヨハ 5:41
5:41 (こう言うのは、自分を認めてもらいたいからではない。)わたしは人間の名誉などほしくない。


●妻は友人の坂井さんの御尊父逝去に伴う弔問、青梅●レター、図書館●500円DVDでビングクロスビー主演の「我が道を往く」1994年米国映画を鑑賞。教会の新任神父の物語、45年も勤め上げて引退する淋しい老神父の姿に落涙。どんな分野でも新旧交代のときは葛藤と涙がある。


文語訳ヨハ 12:24
12:24 誠にまことに汝らに告ぐ、一粒の麥、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし。


塚本訳 ヨハ 12:24
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)


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梅が咲き始めた 2007.21 梅は清楚で美しい。菅原道真を想う


東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花


    主(あるじ)なしとて 春な忘れそ



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「千の風になって」考 ++++++++ 所感

2007/02/20 07:35

070220(火)6時起床●朝風呂で「日経」私の履歴書。ダイキン工業会長の井上礼之(のりゆき)。ダイキン工業は大小様々な社会貢献活動をしている。ご立派。ダイキンを買おうと言う気持ちになるから不思議。少し儲かるとすぐ不動産を購入する情けない企業家精神とは違う。●環境コストに投入する会社の成績はよくなることは定説になった。環境に配慮する行為は個々の事業単体では利益が減少するが、企業イメージがよくなって、企業全体の売り上げが増加する


 


NHKTVが「千の風になって」という曲を報道。この曲は肉親を失った人の多くを癒している。これはもともとはキリスト教独立学園の生徒の川上朋子さん(三男の恵と同期)の御母堂である川上桂子さんの追悼文集(「千の風になって」1997年7月4日)に掲載された詩に作曲家の新井満氏が曲をつけたもの。川上桂子さんの夫君川上耕氏は新井満氏の友人。私は川上桂子さんにキリスト教独立学園の父母会で会ったことがある。川上桂子さんは1996年7月4日脳腫瘍のため48歳の若さで召された。●この原詩の英文作者について・・・・「作者をめぐっては、19世紀末、米国に渡った英国入、30年代の米国人、米国先住民の伝承など諸説ある。いつどこで生まれたのかわからない、風のような詩だ。」(ヤフー)


 


千の風(新井満訳。原作は英詩、作者不明)


私のお墓の前で 泣かないでください


そこに私はいません  眠ってなんかいません


千の風に


千の風になって


あの大きな空を 吹きわたっています


秋には光になって 畑にふりそそぐ


冬はダイヤのように きらめく雪になる


朝は鳥になって あなたを目覚めさせる


夜は星になって あなたを見守る


私のお墓の前で 泣かないでください


そこに私はいません 死んでなんかいません


千の風に


千の風になって 


あの大きな空を 吹きわたっています


千の風に


千の風になって


あの 大きな空を


吹きわたっています


あの 大きな空を


吹きわたっています


 


●この詩を読んで、上記の赤字部分が聖書を連想させる。


私のお墓の前で 泣かないでください・・・死の悲しみ。人生最大の嘆き。人類の最後の敵、それは死。


塚本訳 ヨハ 20:11-14
20:11 (二人について来ていた)マリヤは(ひとり)墓の外に立って泣いていた。(二人が去ったあと、)泣きながらかがんで墓の中をのぞくと
20:12 白い衣をきた二人の天使が、一人はイエスの体が置いてあった所の頭の方に、一人は足の方に坐っているのが見えた。
20:13 天使がマリヤに言う、「女の人、なぜ泣くのか。」マリヤが言う、「わたしの主を取っていった者があります。どこに置いたのかわかりません。」


塚本訳ルカ 24:1
24:1 (翌日、すなわち)週の始めの日[日曜日]、夜の引明けに、用意しておいた香料(をまぜた香油)を持って墓場に行った


塚本訳ヨハ 11:31-32
11:31 マリヤと一しょに家にいて慰めていたユダヤ人たちは、マリヤが急に立って出て行くのを見ると、墓に泣きに行くものと思って、あとについて行った。
11:32 マリヤはイエスのおられる所に来ると、イエスを見るなり、足もとにひれ伏して言った、「主よ、あなたがここにいてくださったら、わたしの―――わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。」


そこに私はいません・・・・嘆き悲しむ女性達に天使が言った言葉「ここにはおられない」


塚本訳 ルカ 24:3-6
24:3 中に入ったが、主イエスの体は見えなかった
24:4 そのため途方にくれていると、見よ、かがやく着物をきた二人の人が(現われて)彼らに近づいた。
24:5 ぞっとして面を垂れると、彼らに言った、「なぜ死人の中に生きた者をさがすのか。
24:6 ここにはおられない。もう復活されたのだ。まだガリラヤにおられたとき、あなた達に言われたことを思い出してみよ


千の風になって・・・・神の霊は風に譬えられる。筆者のHP「使徒伝承」の中に掲載した「聖書の風」参照。


風はヘブライ語でルーアッハ。ギリシャ語でプニューマ。


塚本訳 ヨハ 3:8
3:8 風[プニューマ]は心のままに吹く。その音は聞えるが、どこから来てどこに行くか、あなたは知らない。霊[プニューマ]によって生れる者も皆、そのとおりである。」


大きな空・・・・天は神の栄光をあらわす。


口語訳 詩  19:1
19:1 もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。


口語訳 箴  8:25-27
8:25 山もまだ定められず、丘もまだなかった時、わたしはすでに生れた。
8:26 すなわち神がまだ地をも野をも、地のちりのもとをも造られなかった時である。
8:27 彼が天を造り、海のおもてに、大空を張られたとき、わたしはそこにあった。


吹きわたっています・・・・・風のように速い神の愛、風のように強い神の愛。


新改訳 詩  18:10
18:10 主は、ケルブに乗って飛び、風の翼に乗って飛びかけられた。


口語訳 詩  139:9-10
139:9 わたしがあけぼのの翼をかって海のはてに住んでも、
139:10 あなたのみ手はその所でわたしを導き、あなたの右のみ手はわたしをささえられます。


光になって・・・聖書は創世記の初めから黙示録に至るまで一貫して「光」がテーマ。イエスは世の光。


口語訳 創  1:3
1:3 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。


塚本訳マタ 5:44-45
5:44 しかしわたしはあなた達に言う、敵を愛せよ。自分を迫害する者のために祈れ。
5:45 あなた達が天の父上の子であることを示すためである。父上は悪人の上にも善人の上にも日をのぼらせ、正しい人にも正しくない人にも、雨をお降らしになるのだから。


塚本訳 ヨハ 8:12
8:12 (同じ大祭の日に、)イエスはまた人々に語られた、「わたしが世の光である。わたしに従う者は、決して暗やみを歩かない。そればかりか、命への光を持つことができる。」


口語訳 黙  22:5
22:5 夜は、もはやない。あかりも太陽の光も、いらない。主なる神が彼らを照し、そして、彼らは世々限りなく支配する。


ダイヤのように・・・・喜びの輝きとしての宝石、宝箱、


新共同 イザ 61:10
61:10 わたしは主によって喜び楽しみ/わたしの魂はわたしの神にあって喜び躍る。主は救いの衣をわたしに着せ/恵みの晴れ着をまとわせてくださる。花婿のように輝きの冠をかぶらせ/花嫁のように宝石で飾ってくださる


塚本訳マタ 2:10-11
2:10 彼らはその星を見たとき、大喜びに喜んだ。
2:11 家に入って、幼児が母マリヤと共にいるのを見ると、ひれ伏しておがみ、宝箱を開いて、『黄金、乳香、』没薬を『贈物として』捧げた


鳥になって・・・・神の植えた木には鳥がとまる。


塚本訳 マタ 13:32
13:32 これはあらゆる種の中で一番小さいが、育つと、野菜の中で一番大きくなり、(大きな)木になって、『空の鳥が』来て『その枝に巣を作る』ようになるのである。」


あなたを目覚めさせる・・・・死は眠り。神の一声で霊の人格体で復活する。有体的に復活する。いつかきっと。これ絶対。その証拠はイエスが死人をよみがえらせた奇跡と、神がイエスを有体的に人格的に復活させたこと。


塚本訳ヨハ 11:11
11:11 こう話して、またそのあとで言われる、「わたし達の友人ラザロが眠った。目をさましに行ってやろう。」


塚本訳ヨハ 11:43-44
11:43 こう言ったのち、大声で、「ラザロ、出て来い」と叫ばれた


11:44 死人が手足を包帯で巻かれたまま、(墓から)出てきた。顔は手拭で包まれていた。イエスは「解いてやって(家に)帰らせなさい」と人々に言われた。


塚本訳ルカ 7:14-15
7:14 近寄って棺に手をかけ──担いでいる者は立ち止まった──「若者よ、あなたに言う、起きよ!」と言われた。
7:15 すると死人が起き上がって物を言い出した。イエスは『彼を母に渡された。』


口語訳 詩  139:17-18
139:17 神よ、あなたのもろもろのみ思いは、なんとわたしに尊いことでしょう。その全体はなんと広大なことでしょう。
139:18 わたしがこれを数えようとすれば、その数は砂よりも多い。わたしが目ざめるとき、わたしはなおあなたと共にいます


星になって・・・・星の輝きは神の栄光をあらわす


口語訳 詩  8:3-4
8:3 わたしは、あなたの指のわざなる天を見、あなたが設けられた月と星とを見て思います
8:4 人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。


口語訳 詩  136:9
136:9 夜をつかさどらすために月と、もろもろの星とを造られた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。


口語訳 詩  148:3
148:3 日よ、月よ、主をほめたたえよ。輝く星よ、みな主をほめたたえよ。


あなたを見守る・・・・神の守りは気のつかないところにある


口語訳 詩  121:4-8
121:4 見よ、イスラエルを守る者は/まどろむこともなく、眠ることもない。
121:5 主はあなたを守る者、主はあなたの右の手をおおう陰である。
121:6 昼は太陽があなたを撃つことなく、夜は月があなたを撃つことはない。
121:7 主はあなたを守って、すべての災を免れさせ、またあなたの命を守られる
121:8 主は今からとこしえに至るまで、あなたの出ると入るとを守られるであろう


私のお墓の前で 泣かないでください・・・・愛する肉親の死に遭遇している人に対してイエスは心を砕いて慰めた。「泣くな」。クリスチャンは葬式のときに泣いてはいけない。



塚本訳ルカ 7:12-15


7:12 町の門の近くに来られると、ちょうど、ある独り息子が死んで、(棺が)舁き出されるところであった。母は寡婦であった。町の人が大勢その母に付添っていた。


7:13 主は母を見て不憫に思い、「そんなに泣くでない」と言って、


7:14 近寄って棺に手をかけ──担いでいる者は立ち止まった──「若者よ、あなたに言う、起きよ!」と言われた。


7:15 すると死人が起き上がって物を言い出した。イエスは『彼を母に渡された。』


 死んでなんかいません・・・・イエスの死生観、「死は眠り」。しかし眠っているのであって死んだのでない。イエスは復活されて今も生きておられる。私達も最後の日に復活させられる。大声で名前を呼ばれて絶対恩恵の無条件の罪の赦しで、過去の罪をことごとく洗い清めてくださる。そして天国に迎えてくださる。今生まれた赤児のように抱きしめられる。


塚本訳ルカ 8:51-52
8:51 家に着かれると、ペテロとヨハネとヤコブと、女の子の父と母とのほかには、だれも一しょに中に入ることを許されなかった。
8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。」


 ●ところでこの番組でNHKのキャスターが「人間は『死んでも魂はどこかにある』ということで慰められる」と言った。これが平均的な日本人、否、人類の平均的な考え方。仏教的ギリシャ哲学的人生観。諦念。Oh No! No!No!。ここに真の慰めはない。復活、永遠の生命のみが死の悲しみから人類を救う。証拠は? 復活、イエスの復活、その歴史的事実。来世実在の証明はイエスの霊体による有体的復活。歴史的事実。使徒伝承を信じること。使徒伝承を担っているエクレシア、教会の実在。その伝承の連鎖を信じること。そして担保(証明書、契約書、チケット、権利書、約束手形、資格証明書)は聖霊、この自分の胸が熱くなったこと。●使徒信条に「教会を信ず」「聖霊を信ず」ということがある●肺がんで苦しがっていた母に「天国へ行けば楽になる」と言ったら、「照男さん行って見てきたの」とじろっと私の目を見た。私は「聖書に書いてある」と答えた。すると母は苦笑して「あなたは見ないものを信じて喜んでいる」と言った。母の質問は私の課題である。母に信仰をもってもらえなかったことが悔やまれる。私に責任がある。重い課題である。●では一体私は何を信じて喜んでいるのだろう。行って見たわけでもないのに。そうだ、あの十字架の罪の赦しの体験で神がいますことを知ったあのときから「死の悲しみ」が消えたのだ。自分のあの体験が神と来世の実在を信じる根拠なのだ。●またイエスの墓が空になっていたという歴史的出来事の伝承を信じたときに「胸が熱くなった」体験をしたことも信仰の補強である。●来世での復活はある。霊の人格的有体的復活、この信仰こそこの世のあらゆる嘆きを突破する唯一の道である。●高橋照男私家版「キリスト信者はどのように復活するのか・・・中沢樹先生との往復書簡」を読んでくださった荒井献先生からご返事のお手紙をいただいた。その結論に「私もお二人の復活信仰を支持します」とある。(1997.8.1)


塚本訳Ⅰコリ15:3-5
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。


塚本訳 Ⅰコリ15:20
15:20 しかしながら今、キリストは死人の中から復活しておられる、眠った者の(復活の)最初として。


塚本訳Ⅰコリ15:42-44
15:42 死人の復活もこのようである。(一つの体が死んで別の体が生まれる。)死滅の姿でまかれて不滅の姿に復活する
15:43 恥辱の姿でまかれて栄光の姿に復活する。弱さの姿でまかれて力の姿に復活する。
15:44 (神の霊を持たない)魂だけの体がまかれて霊の体が復活する。魂だけの体がある以上は霊の体もあるわけである



塚本訳ルカ1020


10:20 しかし(悪い)霊どもがあなた達に服従したことを喜ばず、自分の名が天(の命の書)に書き込まれていることを喜ばなくてはいけない。」


 


口語訳 詩  139:13-17


139:13 あなたはわが内臓をつくり、わが母の胎内でわたしを組み立てられました


139:14 わたしはあなたをほめたたえます。あなたは恐るべく、くすしき方だからです。あなたのみわざはくすしく、あなたは最もよくわたしを知っておられます。


139:15 わたしが隠れた所で造られ、地の深い所でつづり合わされたとき、わたしの骨はあなたに隠れることがなかった。


139:16 あなたの目は、まだできあがらないわたしのからだを見られた。わたしのためにつくられたわがよわいの日の/まだ一日もなかったとき、その日はことごとくあなたの書にしるされた。


139:17 神よ、あなたのもろもろのみ思いは、なんとわたしに尊いことでしょう。その全体はなんと広大なことでしょう。


●もし、今日イエスに「千の風になって」の詩をどう思うかと尋ねたらこう言うであろう・・・「愛する人は風になったのではない。死は眠りだ。足後の日に名前をもって呼び覚まされる。そして復活させられ再会できる」と。そして続いて言うであろう。「あなた達には死人を呼び起こす神の力を見たではないか。その記事を聖書で読んだではないか。この私が復活したことは歴史的時事実ではないか。泣くな」と。


塚本訳ルカ 8:52
8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。


 








 


 





 


 


 


 





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飛び立つときは向かい風 ++++++++ 所感

2007/02/19 08:11

070219(月)5時起床●朝風呂で「日経」私の履歴書。ダイキン工業会長の井上礼之(のりゆき)。若い人と交流すると刺激になるという。至言●「交遊抄」は竹中平蔵。谷村新司の言葉を胸にしているという。それは「鳥は飛び立つとき、いつも向かい風に向かって飛ぶんですよ」。●あるとき、「私への非難中傷が多くて困ると嘆いたら「それだけ樹が伸びて高くなったんだ」と慰められた。今ご病気、御快癒を祈る●「出る杭は打たれる」と言うが打たれて簡単に引っ込むような杭は本物ではない。イエスもパウロもルターも内村も「出る杭」であって散々打たれたが引っ込まなかった。独立と言う美名のもとの「俺が俺が」という人間的の思いからの行動ではなかったからである


塚本訳 マタ 15:13
15:13 イエスは答えられた、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜かれる。


●あらぬ非難をする人の目的はまず憎しみの心がある。そして「あいつを撃滅してやろう」「滅ぼしてやろう」という殺意を抱く。反論せずに「じっと我慢していれば疑いが晴れる」。


塚本訳マタ 5:11-12
5:11 わたしゆえに罵られたり、迫害されたり、あらん限りの根も葉もない悪口を言われたりする時、あなた達は幸いである。
5:12 小躍りして喜びなさい、褒美がどっさり天であなた達を待っているのだから。あなた達より前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。


●新約聖書に「いじめ」という言葉はあるか。5箇所ある。


マタ   26: 10 [塚本訳


それと知ってイエスは言われた、「なぜこの婦人をいじめるのか。わたしに良いことをしてくれたではないか。


マコ   14: 6 [塚本訳


イエスは言われた、「構わずにおきなさい。なぜいじめるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。


ルカ   6: 28 [塚本訳


呪う者に(神の)祝福を求め、いじめる者のために祈れ。


ルカ   18: 32 [塚本訳


──異教人に引き渡されて、なぶられ、いじめられ、唾をかけられ、


使    7: 24 [塚本訳


それで(ある日、同胞の)一人が(エジプト人に)いじめられているのを見ると、その味方をし、『エジプト人を打ち殺して』虐待された者のために仕返しをした。


●13:30 清水誠氏が来訪、橋本君を交えてコストスクール第12期の内容検討。清水氏から新機軸の案についての相談をいただく。●相談すると「自分の案がつぶれる」と思うのは案自身に問題がある証拠。その案が本物なら誰にどういわれようともつぶれない。だから新規の案は率先して多くの人の目にさらすべきである。実験してみるべきである●ただし「全世界を相手に」して生まれた本物というものも中にはある。信仰論争で「アタナシウス対全世界」という構図があった。かっこいい。この世が全く汚濁に満ちているときはそうなる。●人に相談すると「自分というものが無くなる」「命令に従うと屈服だ」と思うのは傲慢不遜。それが本物で真実なものであったら相談してもつぶれない。神が「起こそうとする」ものはつぶれない●相手の顔を立てるということは人間関係で大切なこと。報告して相手を安心させることは愛の業。何でも隠して「俺が俺が」というやり方は結局うまく行かない。なぜか。自分の名誉を立てて周囲を立てないので皆から「祝福されない」から。●建築設計の世界で「俺が俺が」と自分好みものを貫く人間の作品は大体において「ちんちくりん」なもの。「みっともないもの」。「感動しないもの」である。なぜか。人間的な満足心は貫けてもが神が介入していないからである。そして結果的に本人も「満足」しない。空しい気持ちが残る。●16:00積算協会へ行って私の講義のためのパソコンテスト。ウィンドウズXPになり動きが早くてOK。ただし今や次のビスタの時代になった。●成功のプロジェクトは、「あれは俺がやったのだ」と言う声が全員から沸きあがるもの。福岡のカナルシティは成功の開発例。建築学会で調査に行ったら。銀行も、地主も、設計者も、建設会社も、付近住民も。そろって「あれは俺がやったのだ」と言っていたと言う。●ラスキンが「建築の七燈」で成功の建築はそれに関わった人間が全員「あの建築をやっていたときは幸福であった」と述懐するものであると書いている。第5章「生命の燈」●だれか一人の満足に終わる建築は「失敗の建築」。これはどんな場面でも同じ。ただし何でも「会議で決める」「多数決で決める」などという単純なことを薦めるのではない。一般に「会議からよいものは生まれない」「書類で承認印の多いのは無責任の印」。企業の書類はやたらとべたべたと印鑑が押してある。これ護身術のやり方。「連帯責任は無責任」のシステム。祈りから生まれる独創性がない。●かって建築した住宅の思い出。自分の家だから「好きなようにさせて」と言って私を「製図器」のように扱った人がいた。「モー、勝手にしろ」と思いつつ設計したが、できたものは案の定「ちんちくりん」「つまらない」「陳腐な」「住みにくい」ものであった。その人は「これ私が設計したの」と自慢していた。しかしいつも間にか解体された。●こういう人は「専門家」という職能を立てない無教養な人間。人間社会の仕組みを知らない傲慢人間。いいものができるはずはない。


 

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隠す心理の二種 ++++++++ 所感

2007/02/18 07:20

070218(日)5時半起床●朝風呂で「日経」私の履歴書。ダイキン工業会長の井上礼之(のりゆき)。根治部長を命じられる。労働組合との徹夜交渉が得意。徹夜まですれば心が通じる。1979年に定年を56歳から60歳に延長することを世に先駆けて実行。役職定年制を導入して若い人にチャンスを与えた。●「個人情報保護法」があらぬ場面で振り回されて日常生活の面でも非常に迷惑している。そもそもこの法律は個人データを大量に保有するいわゆる「データ会社」にかけられた規制であるが、「隠す」ということがあらゆる場面に適用されて世の中暗くしている。●「隠す」という心理は「罪」から来る。それは恥だからである。ヤバイと思うからである。その結果「平気でウソをつく人間」になる。隠すことが日常茶飯事になり、心が通わない。コミュニケーションがうまくいかない。特に家人の精神的病を隠すことは病気を悪化させる。それが恥だと思って人にも神にも隠して「自力でなんとかしよう」と思う人は最悪である。直る見込みがない。「隠す」と言うことには「罪」の匂いがすることを聖書的に見てみよう。


口語訳 創  3:8-10
3:8 彼らは、日の涼しい風の吹くころ、園の中に主なる神の歩まれる音を聞いた。そこで、人とその妻とは主なる神の顔を避けて、園の木の間に身を隠した。
3:9 主なる神は人に呼びかけて言われた、「あなたはどこにいるのか」。
3:10 彼は答えた、「園の中であなたの歩まれる音を聞き、わたしは裸だったので、恐れて身を隠したのです」。


●これ「ヤバイ」と思ったのである。「罪人は追わないのに逃げる」という。私の場合、自転車で警官の前を通りすぎてから何気なく振り返ったら「あやしい」と思われて追いかけられたことがある。


 塚本訳 ヨハ 3:20-21
3:20 悪いことをしている者は皆、光を憎んで光に来ない。自分の行いが明るみに出されたくないのである。
3:21 これと反対に、真理を行っている者は、光に来る。自分の行いが神にあってなされたことを、現わしたいのである。」


●これも自分の罪が明るみにお出ることを「恐れる」気持ちである。逃げる、隠す、人に会いたくない、話したくない、家人の恥をバラしたくない・・・・・・などなど。


●これとは反対に「愛は隠す」という心理もある。


口語訳 出  33:22
33:22 わたしの栄光がそこを通り過ぎるとき、わたしはあなたを岩の裂け目に入れて、わたしが通り過ぎるまで、手であなたをおおうであろう。


塚本訳 コロ 3:2-3
3:2 (常にただ天)上のものを思え。地上のものに気を取られるな。
3:3 君達は(既にこの世に)死んで、その生命はキリストと共に神の右に隠されているのだから。


●神は私達の罪を隠してくださる。隠してくださるどころか贖って清めて新しい人にしてくださる。過去を消してくださる。見ないで下さる。●13:30 鈴木九十九さんと打ち合わせ●14:30今井館理事会


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今井館聖書講堂 2007.2.18 14:00 新一撮影


 


 

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「おすすめの夫婦仲直り方法」 ++++++++ 所感

2007/02/17 07:29

070217(土)5時半起床●朝風呂で「日経」私の履歴書。ダイキン工業会長の井上礼之(のりゆき)。「三切り」について。「踏み切り」「割り切り」「思い切り」。・・・・・これ民間人経営者の苦労の言葉。護身術に一生懸命の人間は「踏み切らない」「割り切らない」『思い切らない」。かくして組織が沈滞する。●「日経」プラスワン」で「おすすめの夫婦仲直り方法」。夫から・・花を添えてわびのメモを残す。外食に誘う。妻の好きなアイスクリームを出して「これ食べる」と声をかける。台所を片付けるなど家事を手伝う。・・妻から・・・学校で問題になっていることなど、子どもの話題を持ち出す。先に誤った後、ジョークを言う。手紙を書いて目に付くところに置いておく。次の日の朝、何事もなかったように「おはよう」と元気にあいさつする。・・・・皆涙ぐましい努力の数々。これすべて祈りの「果」。祈りは聴かれる。聖書的には次のところか。


文語訳マタ 5:9
5:9 幸福なるかな、平和ならしむる者。その人は神の子と稱へられん。


文語訳ロマ 12:18
12:18 汝らの爲し得るかぎり力めて凡ての人と相和げ。


塚本訳 ロマ 12:18
12:18 出来るなら、(少なくとも)あなた達の方では、どんな人とも仲良くせよ。


●この聖書の箇所を心に抱いていれば、神が「自然に」修復してくれる。花、アイスクリームなどの金を使わなくてもよい。●人為的、人間努力による仲直りはなせよくないか。それは努力という人の名誉はあがっても神の名誉があがらないから●それに人為的努力必ずしも効果がないから。分かっているのに「これ教えてくれないかなー」と近寄っても「自分で考えなさい」と冷たくされるのがオチ。●9:00 八王子暁キリスト教会牧師の能城一郎牧師が来訪。Jバイブルの新しい構想について懇談。私のTSK日本語ヴァージョンおよびBbBとのリンク。NATO連合だと笑いあった。●塚本訳のすばらしさについて語り合った●これからはHPごとの島を結ぶ関連の社会になるという。ウィンドウビスタの世界に突入。聖書勉強もパソコンなしには考えられなくなった。


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今朝の書斎の窓 2007.2.17 6:51 讃美歌23番を心で歌う。左は作曲家リスト



讃美歌23番


1. くる あさ ごと に あさ日 と とも に,


   かみ の ひかり を こころ に うけて,


   あい の みむね を あらた に さとる.


 


2. くる あさ ごと に つみ を きよむる


   めぐみ の つゆ は あめ より くだり,


   かみ の さち を ぞ あらた に そうる.


 


3. くる あさ ごと に わざ と ことば を


   きよめ わかち て 神 に ささげ ば,


   ささぐる たから いや まし たまわん.


 


4. くる あさ ごと に とる わが つとめ,


   ひと を あいして おのれ に たか ば,


   かみ に ちかずく みち と こそ なれ.


 


5. くる あさ ごと に いのれる ごとく,


   あゆみ ただしく まさ みち すすみ,


   きよき やすみ に いらしめ たまえ.



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八王子暁キリスト教会能城一郎牧師来訪 2007.2.17 9:00


能城牧師はJバイブルの開発者。私のTSK日本語ヴァージンおよびBbBを評価してくださり、新しいJバイブルの構想との関係を探った。その後聖書翻訳と塚本訳のすばらしさについて懇談。私が自由な立場であることをうらやましいと言われた。自由のありがたさよ。


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13:30 日の出が丘病院ホスピス「日の出会」


河野さんが3月でご退職になるので記念撮影。


後列左から 船橋 石野 柳沢 高橋保 高橋照男


前列左から 田中 河野 高橋慎一


河野さんが図書館長のとき母は癌にかんする本を仮に言ったとき母に会っている。その本は結局読みきらぬうちに召された。私が返しに言った。母は最期まで勉強欲、知識欲が旺盛であった。河野さんは北海道に帰って余生を送るという。河野さん自身が癌になって手術後11年だと言う。私達の希望である。


●秋川駅前の「はなゆう」で春の花を購入。女店主の舘林則子さんが心を込めて選定してくださった。

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アリアドネの糸・楽な人生観 ++++++++ 所感

2007/02/16 07:11

070216(金)5時半起床●朝風呂で「日経」私の履歴書。ダイキン工業会長の井上礼之(のりゆき)。工場周辺の住民と公害問題で誠実な話し合いをして信用を得る。労働組合の幹部とも誠実な話し合いをする。『意見が対立し,交渉が降着状態に陥っても安易な妥協はしない。いつの間にか、常に双方の納得する「第3の道」を求めて新しい知恵を出す癖がついた。「うそはつかない」「約束したことは守る」「守れない約束はしない」-----人に対する基本姿勢を身につけたのもこのころである。』・・・・・偉くなる人は人間としての信用がある●人間の評判は「部下の評判」と「老人を尊敬するかどうか」の二つ。部下がつかないのは悪い印。人事は周囲の評判を大切にする。また親や老人をけなす人間はまず先がない。そういう人間は自分が親や老人になって若い人間からひどい目にあっても「反省しない」●だめな人間はどんな苦難に合っても悔い改めない。人生がメチャクチャになっても反省しない。救いがたき人間。神の力によらなければ救われない●過日13日に来訪した昭和女子大生との対話。私「女の人ってどうしてお金持ちにあこがれるのかなー」。某女生徒「お金があれば生活が楽ですから」●これまた昨年のこと。某女生徒「わたし魚座(うおざ)の人と一緒にいると楽なんです」。「先生は何座ですか?」。喉まで出かかった「私はギョー座だ」●「楽」ということはすべての人間の希望、目標である。●ヒルティは一番楽な人生観は神の導きに身を任せることだと言っている。それを「アリアドネの糸」に導かれる人生だと言う。アリアドネの糸とは、ギリシャ神話で洞窟に迷い込んだときこの糸をたぐっていけば出口に出られたという故事。●神なき人生は先が読めないから占いに身を任せたくなる。血液型(これ私が得意)、星座占い、動物占い、最近は惑星占い。あー信仰なき人生観は「楽」ではない。●科学技術の中で一番難しいのは「予測の科学」。天気予報は予測の科学の最たるもの。最近はよく当たるようになった。中国との国交が回復してからは西方の気象データを入手できるようになったからだと言う。「天気は西から変わる」。


塚本訳マタ 16:2-3
16:2 彼らに答えられた、「あなた達は夕方には『(明日は)天気だ、空が焼けているから』と言い、
16:3 また朝早く、『きょうは荒れだ、空が雲って焼けているから』と言う。あなた達は空の模様を見分けることを知っていながら、時の(せまった)徴を見分けることが出来ないのか。


アリアドネの糸については過去に記したので以下に再掲する。


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050611


●科学技術の世界で最も難しいのは「予測の科学」。これが優れていれば国は向上進歩する●人生でも先を読むことは難しい。誰でも一回きりの初めての道を歩む。だから人生の経験者に耳を傾けることは大切。失敗談を聞く事が大切。●人生はだれでも一度きり歩めない道を手探りで歩むものだ。● もっと賢い高度な方法は「主の導き」に身を任せること。このことをヒルティは「アリアドネの糸に導かれる」という。(ヒルティ「眠られぬ夜のためにⅠ、3月3日)、アリアドネの糸とはギリシャ神話の女神。地下の迷宮に入り込んだ人物は迷ってもこの糸に従って歩めば出口に出られるという。ヒルテイはこの故事を利用して、「神の導き、キリストの啓導」が人生を楽にすると説く。●高校生の時にこれを読んで、「これだ!」と思った●俺は神などに頼らない。神に頼る人間は頭の悪い、弱い人間だと思う人間に限って、「金の糸、異性の糸、地位名誉欲の糸」に導かれている。その糸は明るい出口に行かずに暗い地獄に続いている。第一につまらない低級な流行本ばかりを読んでいるのがその証拠。精神が暗い。


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●昼に近くの真澄設計に行き、所長の細井真澄君と二人で「戎居研造氏を偲ぶ昼食会」。とにかく「大きな人」であった、「非凡な人であった」と故人を偲んで語り合った。その一例。「大きい仕事と小さい仕事があったら、小さい方を選べと教えられた」と高橋。「専心営業に熱心であった」と細井。


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細井真澄君と。細井君とは連合設計社市谷建築事務所で3年間ほど一緒であった。彼は若くして独立。真澄建築設計を起こした。 北大卒で内村、新渡戸などに関心がある。


     2007.2.16 昼休み




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ひそかなる祈りが聴かれる ++++++++ 所感

2007/02/15 10:13

0700215(木)5時半起床●朝風呂で「日経」私の履歴書。ダイキン工業会長の井上礼之(のりゆき)。見合い結婚のいきさつ。男にとって結婚は大切。「助け手」の選択は一生の重大時。「私は『 助け手』ではいやだ。女帝になりたい」「女帝でありたい」という女性は創造の秩序にかなっていない


口語訳 創  2:18
2:18 また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。


新改訳 創  2:18
2:18 その後、神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」


新共同 創  2:18
2:18 主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」


●ただどういう形で「助け手」となるのか、それは様々。ただ主人に「かしずく」だけのことが「助け手」としての形ではない。・・・オッと、この考えが危ない。この考えを拡大すると、夫が誤っている(と自分が思った)ときは夫に反抗し夫の意見を踏みにじることが真に「助け手」となることなのだと「理論武装」で迫るときは99%怪しい。なぜか。「自分を神」「自分の方が正しい」としているからである。●サタンというのはまず女を誘惑し、その女を通じて夫を堕落させる。サタンの巧妙な手口。


口語訳 創  3:6-7
3:6 女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。
3:7 すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。


●結婚は、見合いであろうと、恋愛であろうと、紹介であろうと、それはすべて「神の合わせたもうもの」である。神から「賜る」ものである。●箴言にはユダヤ人の「理想の妻」が書かれている。今から約3000年前のものだから驚く。


箴    12: 4 [新共同


有能な妻は夫の冠。恥をもたらす妻は夫の骨の腐れ。


妻を得るものは恵みを得る。主に喜び迎えられる。


箴    19: 13 [新共同


愚かな息子は父の破滅。いさかい好きな妻は滴り続けるしずく。


箴    19: 14 [新共同


家と財産は先祖からの嗣業。賢い妻は主からいただくもの。


箴    31: 10 [新共同


有能な妻を見いだすのは誰か。真珠よりはるかに貴い妻を。


●妻は自分の好き好みで選ぶものではない。夫も自分の好き好みで選ぶものではない。それは与えられるもの。神に背負わされるものである。●どんな祈りが聴かれるか。それは「ひそかなる信頼とひそかなる祈り」である。新約聖書はその記事が多い。その代表的なことが芥子だねほどの信仰ということである。


文語訳ルカ 17:5-6
17:5 使徒たち主に言ふ『われらの信仰を増したまへ』
17:6 主いひ給ふ『もし芥種一粒ほどの信仰あらば、此の桑の樹に「抜けて海に植れ」と言ふとも汝らに從ふべし。


塚本訳 ルカ 17:5-6
17:5 使徒たちが主に言った、「もっと信仰を下さい。」
17:6 主が言われた、「もしあなた達に芥子粒ほどでも信仰があれば、──(あなた達にはそれがないが、もしあれば)──この桑の木にむかい『抜けて海に植われ』と言っても、言うことを聞くであろう。


●桑の木は根が強い。それは人間の頑固な石の心にもくらべられる。夫の、妻の、子供の、身内の、兄弟の、上司の、部下の、あの頑固な石の心もかすかな祈りで粉々になる可能性がある。それは」生涯の祈りによって可能。かすかな希望さえあれば可能。私はその実例を複数知っている。熱心な祈りではない。かすかな細き祈り。


●ひそかなる願い、ひそかなる祈りが聴かれる例。「もしや」というかすかな希望がよい。隠れた祈りがよい。


塚本訳マタ 6:6
6:6 あなたが祈る時には、『奥座敷に入り、部屋をしめきった上で、』隠れた所においでになるあなたの父上に『祈れ。』そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。


塚本訳マコ 5:25-29
5:25 すると十二年も長血をわずらって、
5:26 大勢の医者からひどい目にあわされて、財産を皆使いはたして、なんの甲斐もなくて、かえってますます悪くなって、
5:27 イエスのことを聞いて、群衆にまじってついて来た女が、後ろからその着物にさわった。
5:28 「お召物にでもさわれば、なおるにちがいない」と思ったのである。
5:29 はたしてすぐ血の源がかれて、病気が直ったのを身に感じた。


塚本訳マコ 5:33-34
5:33 女は自分(の身)におこったことを知っているので、恐ろしくなって震えながら、進み出てイエスの前にひれ伏し、すべてをありのままに話した。
5:34 イエスは言われた、「娘よ、あなたの信仰がなおしたのだ。さよなら、『平安あれ。』もう病気をせず、達者でいなさい。」


塚本訳ルカ 23:42-43
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる。」


口語訳 ルカ 1:45
1:45 主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう」。


塚本訳ルカ 1:45
1:45 主の仰せられたことはきっと成就すると信じたこの人は、なんと仕合わせでしょう。」


●ひそかなる願いや祈りが聴かれた例。


塚本訳マタイ8:2-8


 "400802","すると一人の癩病人が近寄ってきて、しきりに願って言った、「主よ、(清めて
ください。)お心さえあれば、お清めになれるのだから。」"
"400803","イエスは手をのばしてその人にさわり、「よろしい、清まれ」と言われると、た
ちまち癩病が清まった。"


塚本訳マタイ8:5-8



"400805","カペナウムに帰られると、一人の百卒長がそばに来て願って"
"400806","言った、「主よ、うちの下男が中風で家にねていて、ひどく苦しんでおります。
……」"
"400807","彼に言われる、「(ユダヤ人の)このわたしが、(異教人のあなたの家に)行って
なおすのか。」"
"400808","百卒長は答えた、「主よ、わたしはあなたを、うちの屋根の下にお迎えできるよ
うな者ではありません。(ここで)ただ一言、言ってください。そうすれば下男は直りま
す。"


塚本訳マルコ2:1-5


"410201","マルコ 2:1","数日の後、カペナウムにかえられると、家におられることがすぐ
知れわたって、"
"410202","マルコ 2:2","もはや門口にも場所がないほど、大勢の人が集まってきた。この
人たちに御言葉を語っておられると、"
"410203","マルコ 2:3","人々が一人の中風の者を、四人にかつがせてつれて来る。"
"410204","マルコ 2:4","群衆のためイエスのところにつれて行けないので、おいでになる
所の(上の)屋根をはがして穴をあけ、中風の者を担架に寝かせたまま(イエスの前に)
吊りおろす。"
"410205","マルコ 2:5","イエスはその人たちの信仰を見て(驚き)、中風の者に言われる、
「子よ、いまあなたの罪は赦された。」"


塚本訳マタイ9:18


"400918","こう話しておられると、そこに一人の(礼拝堂の)役人が進み出て、しきりに
願って言った、「わたしの娘がたったいま死にました。それでも、どうか行って、手をの
せてやってください。そうすれば生き返りますから。」"


塚本訳マタイ9:26-31


"400926","この評判がその土地全体に広まった。"
"400927","そこから出かけられると、二人の盲人が「ダビデのお子様、どうぞお慈悲を」
と言って叫びながら、イエスについて来た。"
"400928","そして家にかえられると、盲人たちがそばに来たので、イエスが言われる、「わ
たしにそれが出来ると信じるのか。」「はい、主よ」と二人がこたえる。"
"400929","そこで彼らの目にさわり、「あなた達の信仰のとおりに成れ」と言われると、"
"400930","二人の目があいた。するとイエスは(急に)いきり立ち、二人にむかって、「気
をつけて、だれにも知られないようにせよ」と言われた。"
"400931","しかし彼らは出てゆくと、その土地全体にイエスのことをふれまわった。"


塚本訳マタイ15:22-28


"401522","すると、その地方生まれの一人のカナンの女が出てきて叫んだ、「主よ、ダビデ
のお子様よ、どうぞお慈悲を。娘がひどく悪鬼に苦しめられています。」"
"401523","しかしイエスは一言も答えられなかった。弟子たちが来て、願って言った、「願
いをかなえてやって、(早く)この女を追い払ってください。どなりながらついて来ます
から。」"
"401524","イエスは答えられた、「わたしはイスラエルの家のいなくなった羊だけにしか、
遣わされていない。」"
"401525","するとその女が来て、しきりに願って言った、「主よ、お助けください。」"
"401526","イエスは答えられた、「子供たちのパンを取り上げて、(異教の)小犬どもに投
げてやるのはよろしくない。」"
"401527","しかし女は言った、「主よ、是非どうぞ!小犬どもも、御主人の食卓から落ちる
パン屑をいただくのですから。」"
"401528","そこでイエスは答えられた、「ああ、女の人、りっぱな信仰だ。願いどおりに成
れ。」すると、ちょうどその時から、娘は直った。"


塚本訳マルコ9:17-27


"410917","マルコ 9:17","群衆のうちの一人が答えた、「先生、唖の霊につかれている伜を
あなたの所につれて来ました。"
"410918","マルコ 9:18","この子は霊がつくと所かまわず投げ倒され、泡をふき、歯斬りし
て、体がこわばってしまいます。それで霊を追い出すことをお弟子たちに頼みましたが、
おできになりませんでした。」"
"410919","マルコ 9:19","彼らに答えられる、「ああ不信仰な時代よ、わたしはいつまであ
なた達の所におればよいのか。いつまであなた達に我慢しなければならないのか。その子
をつれて来なさい。」(こう言って群衆のいない所に行かれた。)"
"410920","マルコ 9:20","人々がイエスの所につれて来ると、霊はイエスを見るや否や、そ
の子をひどくひきつけさせたので、子は地に倒れ、泡をふきながらころげまわった。"
"410921","マルコ 9:21","イエスが父親に尋ねられた、「こうなってから、どのくらいにな
るか。」父親がこたえた、「子供の時からです。"
"410922","マルコ 9:22","霊はこの子を殺そうとして、幾たびか、火の中、水の中に投げ込
みました。それでも、もしなんとかお出来になるなら、わたしども(親子)を不憫と思っ
て、お助けください。」"
"410923","マルコ 9:23","イエスは言われた、「もしお出来になるなら(と言うの)か。信
ずる者にはなんでも出来る。」"
"410924","マルコ 9:24","即座にその子供の父親が叫んだ、「信じます。不信仰をお助けく
ださい。」"
"410925","マルコ 9:25","イエスは群衆が駆けよってくるのを見ると、(急いで)汚れた霊
を叱りつけて言われた、「唖と聾の霊、わたしが命令するのだ、この子から出てゆけ、二
度と入るな!」"
"410926","マルコ 9:26","霊はどなって、はげしくひきつけさせて、出ていった。子は死ん
だようになったので、多くの人が、「死んだ」と言った。"
"410927","マルコ 9:27","イエスはその子の手をとって起された。すると立ち上がった。"


塚本訳マタイ20:30-34


"402030","すると二人の盲人が道ばたに坐っていたが、イエスのお通りだと聞くと、「主よ、
ダビデのお子様よ、どうぞお慈悲を」と言って叫んだ。"
"402031","群衆が叱りつけて黙らせようとしたが、二人はますます大声で、「主よ、ダビデ
のお子様よ、どうぞお慈悲をと言って叫んだ。"
"402032","イエスは立ち止まって、二人を呼んで言われた、「何をしてもらいたいのか。」"
"402033","彼がこたえる、「主よ、目があくといい。」"
"402034","イエスが不憫に思ってその目にさわられると、すぐ見えるようになって、イエ
スについて行った。"


塚本訳ヨハネ4-46-51


"430446","それから、またガリラヤのカナに行かれた。そこは(前に)水を酒にされた所
である。するとカペナウムに(ヘロデ・アンデパス)王の役人がいて、その息子が病気で
あった。"
"430447","イエスがユダヤからガリラヤに来ておられると聞くと、イエスの所に行き、(カ
ペナウムに)下ってきて息子を直してほしいと頼んだ。息子が死にそうだったのである。"
"430448","イエスは言われた、「あなた達は徴[奇蹟]と不思議なことを見なければ、決し
て信じない。」"
"430449","王の役人が、「主よ、子供が死なないうちに(カペナウムに)下ってきてくださ
い」と言いつづけると、"
"430450","イエスは言われる、「かえりなさい、息子さんはなおった。」その人はイエスの
言われた言葉を信じて、かえっていった。"
"430451","しかしすでに途中で、僕たちが出迎えて、子供がなおったことを知らせた。"


塚本訳ヨハネ11:19-27


"431119","マルタとマリヤの所には、大勢のユダヤ人がラザロの悔やみに来ていた。"
"431120","マルタは、イエスが来られると聞くと出迎えにいったが、マリヤは家に坐って
いた。"
"431121","マルタがイエスに言った、「主よ、あなたがここにいてくださったら、わたしの
兄弟は死ななかったでしょうに。"
"431122","しかしあなたがお願いになることなら、神様は何でもかなえてくださることを、
わたしは今でも知っています。」"
"431123","イエスは言われる、「あなたの兄弟は生き返る。」"
"431124","マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」"
"431125","イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じてい
る者は、死んでも生きている。"
"431126","また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが
信じられるか。」"
"431127","イエスに言う、「はい、主よ、(信じます。)あなたが救世主で、神の子で、世に
来るべき方であると、私は信じています。」"


●14:00中央公民館で市民大学「自分史の書き方まとめ方」。第2回。元主婦の友編集長の藤田敬治。自分史はありのままに真実を書く。


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書斎に朝日がさす。讃美歌353番を想う。2007.2.15 6:52


讃美歌353番


1. いずみ と あふるる いのち の いのち よ,


   あさ日 と かがやく ひかり の ひかりよ.


 


2. この 世 の あたうる さち より のがれて,


   こよなき きみ へ と わが み身は あこがる.


 


3. きみ こそ とこよ に かわらぬ よろこび,


   くめども つきせぬ めぐみ の もと なれ.


 


4. み顔 を あおげば, うれい は さりゆき,


   み腕 に たよれば, ちから は 湧き いず.


 


5. 主 イェス よ, たえせず わが み身に ともない,


   ひかり の みち を ば あゆませ たまえ や.




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寒い風の日。犬も服を着ている。体が汚れないようにするのが目的だという。2007.2.15 16:08


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梅がほころぶ、日没。梅は春を忘れない 2007.2.15 17:02


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 日没。讃美歌43番を想う。特に4節 2007.2.15 17:04


讃美歌43番


1. みかみ の たましい この 日 も 暮れけり,


   いざ や けさ の ごと みめぐみ を たたえん.


 


2. ひかり に むかいて めぐる 地 と とも に,


   地 に ある みたみ は みわざ に いそしむ.


 


3. くにぐに, しまじま, しずか に 明けゆき,


   いのり は もださず, ほめうた は つきず.


 


4. われら に わかれて かくれし 日かげ は


   西 に すむ とも を みわざ に ぞ さます.


 


5. おこりて ほろぶる 世 の くに に かわり,


   ときわ に さかゆる みくに ぞ ととき.



 


 


 


 


 


 


 


 


 


 

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性善説の方がうまくいく ++++++++ 所感

2007/02/14 10:13

070214(水)6時起床●朝風呂で「日経」私の履歴書。ダイキン工業会長の井上礼之(のりゆき)。会社の企画部にいたとき、タイムレコーダーを廃止したら、生産性が向上した話。人間を性悪説から性善説に見方をかえたことの勝利。●これ教会のドグマの弊害に似ている。信者が道を誤らないようにドグマで枠の中にはめ込もうとすると弊害が生まれる。これ信者を性悪説の目で見るもの。それと反対に規則もドグマもないと自由に自然に集団ができるところに命のある集団ができあがる。これ性善説による教会や集会。●先日日本聖書学研究所の「復活」についてのシンポジウムで、神学生だか神学校の教師だかがフロアーから「復活を信じない」発言をした。ああいう人間に指導される集団は枠そのものが道から外れているから全員が穴に落ちこむ。


塚本訳マタ 15:13-14
15:13 イエスは答えられた、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜かれる。
15:14 あの人たちを放っておけ。盲人の手引をする盲人だ。盲人が盲人の手引をすれば、二人とも穴に落ちよう。」


●教会や集会は神の霊によって自然に集まるところがよい。信仰がずれた人は自然に離れ去る。教会も集会も「来るものを拒まず去るものは追わず」がよい●私の人生観は「自然に生き、自然に死ぬ」。である。これ非常に楽な人生観。これは「素直に生き、素直に死ぬ」という考えに通じる。苦難にあったら素直に転んで泣く。●神なき人生観は、「頑張れ、泣くな、努力向上」。これ神なき人間の世界の美徳と称せられるもの。不毛の教え。●18:00杉並区堀の内斎場で元連合設計社市谷建築事務所所長戎居研造氏の通夜。懐かしい面々に会った●真言宗僧侶の読経は内容がよくわかったが内容は人生諦念思想。旧約聖書の詩篇90編に似ている。復活信仰が無いから暗い。救いが無い。あるのはただ諦め●キリストの復活は人類に来世が実在することを分かりやすく教えてくれた。復活があってこの人生は「希望」を持って生きることができる。


口語訳 詩  90:3-6
90:3 あなたは人をちりに帰らせて言われます、「人の子よ、帰れ」と。
90:4 あなたの目の前には千年も/過ぎ去ればきのうのごとく、夜の間のひと時のようです。
90:5 あなたは人を大水のように流れ去らせられます。彼らはひと夜の夢のごとく、あしたにもえでる青草のようです。
90:6 あしたにもえでて、栄えるが、夕べには、しおれて枯れるのです。


口語訳 詩  90:10
90:10 われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。


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 元連合設計社市谷建築事務所所長故戎居研造氏の通夜。杉並区堀の内斎場。73歳。1976年、元最高裁判所長官藤林益三先生の自邸設計を連合設計社市谷建築事務所に依頼したときにはじめて出会った。その後私が35歳のとき、「高橋は祈ることができる男」ということで、事務所に迎えてくれた。私は連合設計社市谷建築事務所に20年間勤務して、職業生活の中心部分を形成した。職業上の恩人であった。よく聖書の話をした。最後の4年半は寝たきりであった。ご家族のご苦労は並み大抵のものではなかった。さようなら戎居さん。「また会う日まで」


             2007.2.14 杉並区堀の内斎場


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故戎居研造氏の通夜で。元連合設計社市谷建築事務所所長の小宮山雅夫氏と。


           2007.2.14 杉並区堀の内斎場


●通夜で故鈴木忠昭氏の夫人延子さんと語る。鈴木君逝って早5年。鈴木君の葬儀もここ堀の内斎場であった。●人生は疾風怒涛(シュトルムウントドランク)。川の流れは速い。あっという間だ。●返事のない人の心理。返事をスッポカス心理は次の通り。・・・・答えにくい、難問だ、答えに窮する、答えの言葉が見つからない、返事をしないことで抗議する、ツッパる、などなど。いずれにせよすぐ答えられないときはその理由を言わなければならない。無視することは相手をバカにすること。相手をコケにすること。人間として絶対に赦せない態度。答えないことを「ヒトカドのことをしている」と思っているから始末が悪い。答えない自分に正義があるとあると間違った考えを持っている。すぐ返事をしない人間は人格が無い。愛が無い、傲慢不遜、そういう人間は先が無い、その人生は没落する。●ヒルティは「ありがとう」と葉書一本を書く時間がない人はいないはずだと言う。「ありがとう」と言えない人間ほどつまらない遊びに時間を費やしているからなお悪い。●「従順」「服従」という言葉を嫌う人間はは「自分を失ってしまうから」という理由で。そういう人間はサタンに神への服従を阻止されているのである。「従順、服従」すると「自分の存在がなくなるぞ」とサタンにささやかれている。その結果不服従、傲慢不遜の態度になって、神にも人にも「返事をしなかったり」「相手を無視したりする」。人格の欠如。天罰必至。●そういう人間に限って「自分が正しく、世の中が悪い」と考えている。誤った「自由教育」、「自立教育」、「フェミニスト神学」、「抵抗教育」、「不服従運動」の惨めな「果」。神なきところにこの誤れる人間思想がある。断罪されるべきである●「服従すると自分が無くなる」と思うから突っ張るというのはサタンに毒素を注入されている証拠。そういう人間は「命令に従うこと」をことごとく嫌う。常に不服従の姿勢を貫く●戎居研造氏通夜のあとの直会(なおらい)の席で、人間が真に働く能力があるのは70歳までかなーという話題がでた。


 


 

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罪悪感の希薄さ ++++++++ 所感

2007/02/13 07:14

070213(火)5時起床●またまた「身内殺し」。●罪の本質は「神殺し」。自己の欲望遂行のために「邪魔なヤツ」「煙たいヤツ」「都合の悪いヤツ」をなき者としようとする心。その根は「神殺し」。神を畏れないところから「殺人」が生まれる。ツッパリ、無視、傲慢不遜、嘘、反抗、反逆がその兆候●そういう人間の父は悪魔だとは聖書には厳しいことが書いてある。


塚本訳ヨハ 8:43-44
8:43 なぜわたしの言葉が通じないのだろうか。(神から委ねられた)わたしの福音を聞く耳がないからだ。
8:44 (そのはずである。)あなた達は悪魔なる父の子で、父と同じ欲望を遂げようと思っているのだ。(人殺しをし、嘘をつくのは、そのためである。)悪魔は始めから人殺しである。(また嘘つきで、)真理に立ってない。彼の中には真理がないからである。だから彼は嘘をつく度ごとに、その本性を表しているのである。嘘つきで、嘘の父だからだ。


●日本人の罪悪感は殺人が神殺しであることまで深くない。ツッパリ、反抗、反逆、無視、傲慢不遜、嘘が「神を畏れる畏れ」がないところに発生する実。それがどんなに周囲を暗くして迷惑を掛けているかを知らない。厚顔無恥。神殺しであることに気が付かない。「悪魔は聖書を引用する」(シェークスピア)という。●反抗、反逆、ツッパリ、無視、は「成長の徴」などと悪魔は聖書を引用してたぶらかす。神無き教育界、家庭教育、法曹界はヒューマニズムや人間常識でそれを助長するから日本人にはいつまでも罪認識が欠如したままでいる●日本人の罪悪感は「煩悩が罪」と思っている。大間違い。神への傲慢不遜、神の無視、神殺しが罪である。日本人の罪悪感はたかだかヒューマニズムどまりに過ぎない日本の教師、親、然りキリスト教界の責任は重い●米国映画「陽のあたる場所」。妻子ある身でありながら別の女性に狂い、「邪魔な」妻子を殺したと疑われ犯人にされた者。犯人にされたその母親は息子に言う。「実際に手を下さなかったとしても心の中で自分の妻子がいなくなればよいと思っただけでも殺人なのです」と。この深い罪悪感。そして死刑の為に連れされれる息子の後ろ姿を見ながら祈る。「このような息子に育ててしまったこのふつつかな母をお赦しください」。映画はそれでTHE・ENDの字幕。さすがキリスト教国の映画。罪認識が深い。米国は腐っても鯛である●こういう場合、日本の親は「「息子はやってない」と助命嘆願に狂奔する。これが日本にキリスト教が根づかない原因。罪を慈悲やヒューマニズムで蔽う。これがいけない。罪は心の中であっても神殺しであるからその価は「死刑」なのだ


塚本訳  ロマ 6:23
6:23 なぜなら、罪が(奴隷に)払ってくれる給料は死であり、(従う者に与えられる)神の賜物は、わたし達の主イエス・キリストにおいての永遠の命だからである。



口語訳 ロマ 6:23
6:23 罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。


●これはどういう意味か。罪という主人に仕えるものへの退職金は「死」であるという意味。罪という主人の宣伝文句は「自由、解放、自己実現、成長、自立、人間性」。これなんと私立学校の宣伝。キラキラとする甘い言葉だが、実は真の命が無い。「暗黒と死」が待ち構えている●日本人は「神への従順が平安」(ダンテ・神曲)という言葉が理解できない。聞いても耳が痛いから受け入れられない。それは自分の腹が神になっているから。


塚本訳 ピリ 3:18-19
3:18 何故なら、度々君達に言ったように、今また涙を流して言うように、キリストの十字架の敵として歩いている者が多いのだから!──
3:19 あの人達の最後は破滅、その神は自分の腹、その光栄(と考えているもの)は(実は)恥であって、あの人達は(ただ)地のこと(ばかり)に気を取られているのだ!


●身近な人間の悪いことは神が注意して教育して矯正して救ってくださる。神は言う「私がやる。お前は黙っていろ」と。私は人生で3度ほどそういうことがあった。「お怒りやご心配はわかりますが、ここは一つ私に任せてください」という人が現れた。また逆にかばってくださった方が現れた。それで人生の危機を救われた●人生、そういう人が現れることは幸いである。奇跡である。


新改訳 出  14:14
14:14 主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」


●かって職場で、「『あいつ早くいなくならないかなー』と思ったらそれだけで殺人だ」と言ったら、「高橋君、それじゃ俺は生きていけないよー」と言った人がいる。彼は早く逝った。私も間もなくかもしれない。すぐ行く。「罪の価は死」だ。しかしキリストの十字架は「絶対恩恵による無条件の罪の赦し」である。●ブッシュが「フセインなんかいなくなってしまえ」と心で思ったことはそれだけで「殺人」。米国民はようやくそれに気が付き始めた。遅い。鯛は腐った。●神に従順になるためには「身内を捨てる」こともやむを得ない。断罪することもやむをえない。儒教国の日本人にはこれが分からない。しかしこれが家庭教育、学校教育、法曹界の甘さ。日本が第一流の国になれない原因。罪認識が浅い。


塚本訳ルカ 18:28-30
18:28 ペテロが(イエスに)言った、「でも、わたし達はこの通り、自分の持ち物をすててあなたの弟子になりました。」
18:29 彼らに言われた、「アーメン、わたしは言う、神の国のために家や妻や兄弟や親や子を捨てた者で、
18:30 この世でその幾倍を、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。」


●郵便局、BK●田中三郎氏の畑に行くと「レタス」を下さった。田中三郎氏の兄上を紹介された●野沢氏に会う。旅行談。「雨間」という地名は雨が降ってもすぐやむ地域だからだということをはじめて伺う●14:00、昭和女子大生6名が来訪。建築士を目指す人だけあって、木造住宅の我が家に対する質問が専門的で水準が高かった。歓談4時間。若返った。


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建築士志望の昭和女子大生が来訪。歓談4時間。若い人の話は刺激的で面白い。前途洋洋。各人がそれぞれの「希望人生」を語ってくれた。海外雄飛、外国人と結婚したい、建築を通じて福祉に貢献したい、建築施工のプロセスに興味がある。などなど。私は63歳にもなったので人の顔を見ると「どういう道を行けば成功するかがわかる」と言って一人一人の道を「占なった」。あなたは建築の現場監督、あなたは女流建築士、あなたは即お嫁さん、あなたは福祉の道、などなど。彼女たちとは今日でお別れ。


後列左から 佐野静香、矢倉亜美、青木彩、河村直子、


前列左から 鈴木奈美 高橋トミ子 高橋照男 四家靖子


暗い夜道を東秋留駅まで送って、走り去る電車の後姿を見ながら「彼女たちの人生に神の守りがあり、シアワセに出会えるように」祈った。聖歌472番「人生の海のあらしに」を歌いながら夜道を戻った。彼女たちの人生に幸多かれ!!。


聖歌472番


人生の海のあらしに もまれきしこの身も


不思議なる神の手により 命拾いしぬ


いとしずけき港に着き われはいま安ろう


救い主イェスの手にある 身はいともやすし 


●思いがけない人から「手作りのお菓子」が送られてきた。年はとるものだなー。ヨブ記の結末のような気がした。●故某氏がヨブ記の結末を感じるよになったら人生はオシマイだと言ったが・・・・・●残る人生は「お礼奉公」「年季奉公」「恩返しの日々」だ。遊んじゃいられない。


 


 


 


 

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悩み苦しみは神の招き ++++++++ 所感

2007/02/12 06:53

070212(月)振り替え休日。5時起床。●朝風呂で日経」私の履歴書。ダイキン工業会長の井上礼之(のりゆき)。勤務先を10日間無断欠勤。それを赦してくれた会社に、組織のありがたさを感じる。●人をやめさせたり引きずりおろすために失敗や欠陥を探し出す雰囲気の組織がある。その兆候はやたらと規則や管理規準を多くして人を縛る。教養のない経営者の企業、信仰の薄い教会、集会も同じ。●無教会主義は「先生」の思想を持ち出して規準とするから「目も当てられない」。これ罪悪。滅びの兆候。蛸壺的団子状態●もろもろの悩み」「猛烈な悩み「直りにくい病気」こそ神の激しい招き。マタイ5章の7福は神の招きの言葉。


文語訳 マタ 5:4-10
5:4 幸福なるかな、悲しむ者。その人は慰められん。
5:5 幸福なるかな、柔和なる者。その人は地を嗣がん。
5:6 幸福なるかな、義に飢ゑ渇く者。その人は飽くことを得ん。
5:7 幸福なるかな、憐憫ある者。その人は憐憫を得ん。
5:8 幸福なるかな、心の清き者。その人は神を見ん。
5:9 幸福なるかな、平和ならしむる者。その人は神の子と稱へられん。
5:10 幸福なるかな、義のために責められたる者。天國はその人のものなり。


●神の招きは時に「残酷な暴力」。肉体も精神もメチャクチャ。財産家族が取り去られる。神は愛するものを掻き裂く。かくて人間は片端になる。肉体も家庭も人生もメチャクチャ惨めになる。


新改訳 申  32:9-14
32:9 主の割り当て分はご自分の民であるから、ヤコブは主の相続地である。
32:10 主は荒野で、獣のほえる荒地で彼を見つけ、これをいだき、世話をして、ご自分のひとみのように、これを守られた。
32:11 わしが巣のひなを呼びさまし、そのひなの上を舞いかけり、翼を広げてこれを取り、羽に載せて行くように。
32:12 ただ主だけでこれを導き、主とともに外国の神は、いなかった。
32:13 主はこれを、地の高い所に上らせ、野の産物を食べさせた。主は岩からの蜜と、堅い岩からの油で、これを養い、
32:14 牛の凝乳と、羊の乳とを、最良の子羊とともに、バシャンのものである雄羊と、雄やぎとを、小麦の最も良いものとともに、食べさせた。あわ立つぶどうの血をあなたは飲んでいた。」


●このポイントは11節。鷲(わし)はその雛(ひな)が自分で飛べるようになるために巣を揺らしてわざと落として、地に激突して死ぬ前に自分の羽で支えるという。これ人間の苦難に対する神の愛の姿。つまり安泰惰眠の巣の中から落とされるのが「苦難」の意味。HP「苦難と神の愛」(塚本虎二)参照。かくて人間は目が覚め祈ることができる人間になる。羽が強くなって自力で飛べるようになる。


口語訳 詩  94:18
94:18 しかし「わたしの足がすべる」と思ったとき、主よ、あなたのいつくしみは/わたしをささえられました。


口語訳 詩  3:4-5
3:4 わたしが声をあげて主を呼ばわると、主は聖なる山からわたしに答えられる。〔セラ
3:5 わたしはふして眠り、また目をさます。主がわたしをささえられるからだ。


塚本訳  マタ 18:8-9
18:8 (だから)もし手か足があなたを罪にいざなうなら、切り取って捨てよ。両手両足があって永遠の火の中に投げ込まれるよりも、片手片足で(永遠の)命に入る方が仕合わせである。
18:9 もしまた目があなたを罪にいざなうなら、くじり出して捨てよ。両目があって火の地獄に投げ込まれるよりも、片目で(永遠の)命に入る方が仕合わせである。


●離れていく人には「縁がなかった」と思って追わない方がよい。その点パウロは常識家であった。離れると言うのは自分に欠点があって嫌われるか、霊肉の分裂がその本質。どちらが悪いか人間が決着できない。●悪いことは神が裁く


口語訳 Ⅰコリ7:15
7:15 しかし、もし不信者の方が離れて行くのなら、離れるままにしておくがよい。兄弟も姉妹も、こうした場合には、束縛されてはいない。神は、あなたがたを平和に暮させるために、召されたのである。


塚本訳Ⅰコリ7:15
7:15 しかし不信者の夫(なり妻なり)が別れるなら、別れさせよ。こんな場合に、兄弟なり姉妹なり(つまり信者)は(結婚に奴隷として)束縛されてはいない。神は平和な生活へあなた達をお召しになったのである。(無理があるのは、御心ではない。)


塚本訳Ⅰコリ7:4-5
7:4 (夫婦の体は共有で、)妻は自分の体を自由にする権利をもたない。夫がそれをもっている。夫も同様に、自分の体を自由にする権利をもたない。妻がそれをもっている。
7:5 互に(夫婦の務めを)拒んではならない。ただ、祈りに身を捧げるため、申し合せの上でしばらく間をおき、あとでまた一しょになるような場合は別として。自制力が足りないのに乗じて、悪魔があなた達を誘惑することのないためである。


●人の悪いところは神が指摘し、断罪し、修復する。人間が注意するより的確で徹底的根本的かつ激しい。神は兎の毛ほどの悪いこと、間違ったこと、罪悪を見逃さないで徹底的に断罪する。だから神の手に陥ることは気の毒。メチャクチャにされる●神は必ず報復する●しかしそれで救いに導かれる。人間はただ注意したり指摘したり断罪したり批判したりするだけで終わってしまい、救いにまで導けない。


口語訳 詩  37:1-10
37:1 悪をなす者のゆえに、心を悩ますな。不義を行う者のゆえに、ねたみを起すな。
37:2 彼らはやがて草のように衰え、青菜のようにしおれるからである。
37:3 主に信頼して善を行え。そうすればあなたはこの国に住んで、安きを得る。
37:4 主によって喜びをなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる。
37:5 あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、
37:6 あなたの義を光のように明らかにし、あなたの正しいことを真昼のように明らかにされる。
37:7 主の前にもだし、耐え忍びて主を待ち望め。おのが道を歩んで栄える者のゆえに、悪いはかりごとを遂げる人のゆえに、心を悩ますな。
37:8 怒りをやめ、憤りを捨てよ。心を悩ますな、これはただ悪を行うに至るのみだ。
37:9 悪を行う者は断ち滅ぼされ、主を待ち望む者は国を継ぐからである。
37:10 悪しき者はただしばらくで、うせ去る。あなたは彼の所をつぶさに尋ねても彼はいない。


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 あきる台公園の家族連れ。私にもこういうときがあったのだなー。遠い昔のことになってしまった。人生は短い。2007.2.12


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 農作業は苦しい。昔は牛馬だったが今は小型耕運機。しかしこういう機械の費用がバカにならないのだそうだ。ミレーは農家の人を愛して絵の題材にした。イエスの譬え話には草木植物のことが多い。神の国の説明にぴったりなのだ。


口語訳 マコ 4:26-27
4:26 また言われた、「神の国は、ある人が地に種をまくようなものである。
4:27 夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行くが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。


塚本訳 マコ 4:26-27
4:26 また言われた、「神の国はこんなものだ。──ある人が地に種を蒔き、
4:27 夜昼、寝起きしていると、種は芽生えて育ってゆくが、本人はその訳を(すら)知らない。


●パウロはその復活論で植物のことを例にとった。内村鑑三は「復活」は農業をやる人にはスンナリわかるものだという。


塚本訳 Ⅰコリ15:35-38
15:35 しかし、ある人は言うかも知れない、(かりに復活があるとしても、)どんな風にして死人が復活するのか、どんな体で来るのかと。
15:36 訳のわからない人!あなたがまくものは、死ななければ生かされないのだ。
15:37 そしてあなたのまくものは、やがて出来る体をまくのではなく、たとえば麦にしても何かほかの種類にしても、裸の粒にすぎないのである。
15:38 しかし神は御心のままにそれに体をお与えになる、しかもそれぞれの種に独得の体を。


 


 


 


 

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失恋した場合 ++++++++ 所感

2007/02/11 07:28

070211(日)4時50分起床●NHKTV3CH「こころの時代」。禅僧の米国人カーシュナー57歳。20歳のとき失恋して米国を去り日本に禅の修業に来る。●こういうことだから宗教は世捨て人の集まるところと思われて困る●しかし男性が失恋した場合の痛手はわが子を失った女性の嘆きより大きいと言われる。名作はそこから生まれる。ゲーテ「若きウェルテルの悩み」、ジイド「狭き門」、ハムスン「ヴィクトリア」、シュトルム「みずうみ」。こういうのは中学のときに読んだ。とくに死別の話にはオイオイ泣けた●失恋した場合、ヤケクソで修道院や神学校に飛び込むのはいけない。「早まるな!」。普通の職業、普通人間で生きよ。それがプロテスタントの道だ。●キリストに出会ってからはヤケクソの気持ちは消えた。キリストこそ愛であり光であり命であり美だりやさしさだから。キリストは人間より愛が深く美しくやさしい。


新共同 詩  45:3
45:3 あなたは人の子らのだれよりも美しく/あなたの唇は優雅に語る。あなたはとこしえに神の祝福を受ける方。


●同じ詩篇の次の箇所はよく嫁ぐ娘に父親が諭す言葉に使われる。


新共同 詩  45:11-12
45:11 「娘よ、聞け。耳を傾けて聞き、そしてよく見よ。あなたの民とあなたの父の家を忘れよ。
45:12 王はあなたの美しさを慕う。王はあなたの主。彼の前にひれ伏すがよい。


●九州では結婚するものが家を出るとき、茶碗を割るという。帰ってきても食べさせないぞという厳しい姿勢。辛いことがあったらいつでも帰っておいでなどというからイマドキノ親はいけない。


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朝日。讃美歌90番「ここも神の御国なれば・・・、あさ日ゆう日栄(は)えににはえて」を口ずさむ。キリストこそ太陽、命、愛、優しさ。



               2007.2.11


●集会は高橋新一(司会)、大山(仕事の話)、山本(使途)●聖書が重く感じられるとき、集会より「この世の遊び」の方が面白く感じられるとき、「教会(集会)にはあの人がいるからいきたくない」、「少しぐらい遅刻してもかまわない」などと思い始めたら信仰が堕落●遅刻常習犯、欠席常習犯は「信仰がおかしくなった」徴●使徒伝承を「平気で踏みにじる」人間は信仰の堕落ではなく、信仰を失ったと思って差し支えない。残念であるが追いかけるわけにはいかない。


塚本訳 使  18:5-7
18:5 しかしシラスとテモテとがマケドニアから下ってきてからは、パウロは(生活の心配がなくなったので)ただ御言葉(を伝えること)に身をゆだね、ユダヤ人にイエスが(彼らの待ち望んでいる)救世主であることを証しした。
18:6 しかしユダヤ人にはこれに反対して(イエスを)冒涜するので、パウロは(絶縁のしるしに)上着の塵を払いおとして彼らに言った、「(最後の裁きの日に流す)あなた達の血の責任は、あなた達自身に負わされる!わたしは良心の咎めなく(あなた達をすてて、)今からのち異教人へ(伝道に)行く。」
18:7 そしてそこ[礼拝堂]を去り、テテオ・ユストという敬神家の家に行っ(て伝道を始め)た。その家は礼拝堂の隣にあった。


●6月ウィーン合唱祭の準備の為に、妻と共に映画「マリーアントワネット」を鑑賞。新宿歌舞伎町の映画館。見終わって二人で声を合わせて「庶民でよかったねー」。●ルイ王朝の崩壊没落は内部の腐敗。どの世界でも崩壊は内部から。企業、家庭、国家、然り自分自身。


塚本訳 マタ 12:25
12:25 イエスは彼らの考えを知って言われた、「内輪割れをするいかなる国も荒れ果て、内輪割れをするいかなる町も家も立ってゆかない。


●精神の病の多くは罪が原因。罪が赦されると精神が癒され肉体も癒される。「病は気から」である●家庭崩壊は罪が原因。経済的疲弊ではない。


●妻はウィーン合唱祭の練習、池袋。帰宅は深夜。


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西武新宿線西武立川駅付近から夕暮れの富士が大きく見える。 


              2007.2.11


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 あきる野市、暗く寒い夜道。全盲の方はどんなに辛いだろう。


             2007.2.11


●恵から電話。長電話となる。●経済は「何とかなる」。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」である。振り返ると「そんなこともあったかなー」と思う日が来る●神はイスラエルをゴリュウの木に毎朝なるマナで養った。その実は腐るので蓄えることができない。そこで毎日「食事を与えてください」と祈らざるをえない。長年分の食事を蓄えると人間は信仰を失う。ヒルティは信仰者にとって「寄らば大樹の陰」という気持ちが一番いけないという。現代で言えば大樹は大企業、官公庁、年金、不動産、●その時々の祈りがよい。食事、教育費、医療費。その祈りが人間を鍛える。


新共同 ルカ 12:16-20
12:16 それから、イエスはたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作だった。
12:17 金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、
12:18 やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、
12:19 こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』
12:20 しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。


 


 


 

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「日中戦争」を観て史観が変わる ++++++++ 所感

2007/02/10 07:40

070209(土)4時15分目覚め。寝付けず6時起床●昨夜のNHKTV「日中戦争」を見て歴史観が変わった。NHKはよくここまで真相を報道した。戦争だとはいえ、二本はあまりに残虐非行為をした。南京虐殺の様子を一人斧米国宣教師が撮影したのが引き金になって、それを見た米国が「日本を撃つ」ことを決意、太平洋戦争になった。わたしは今まで米国の経済封鎖への報復として日本の真珠湾攻撃があったと思っていたが間違いであった。●これは戦争好きの軍部の責任とはいえない。南京陥落のときは日本中がちょうちん行列をした。日中戦争は日本全国民の罪。戦争終結の為に原爆が投じられてもいたし方なかった。日本人の非人道的行為に対する「天罰」であった●それが天罰であるかどうかは人間の判断にはよらない。神の思いである。神のジャッジである。●ただ、人間は「我を忘れて」激怒することがあるが、それも神に操られてのこともある。あのチャーチルは「悪魔と手を握ってでもヒトラーを撃つ」と言った●神学者のボンへッファーは牧師の身でありながら同胞のヒトラー暗殺計画に加わったが、ナチス降伏の直前に計画が発覚処刑された。自分の命をを捨てる突撃であった。同じ突撃でも米国の戦艦に突っ込んだ神風特攻隊とは違う。方や贖罪、方や己の欲の貫徹●人間は怒るとき「我を忘れる」「なりふりかまわずになる」。チャーチル、ボンンへっファー同じ。神に操られた。●日本は中国と朝鮮半島に贖罪の業をしなければならない。現在、ドイツのワカモノは夏休みには周辺国に出向いて無償の勤労奉仕をするという。償いの業だと言う。●ただし、以上のことは「ヒューマニズム」レベルでのこと。有体的復活の「使徒伝承」とは次元が異なる。真の信仰が結果的に世界平和になるというのも間違い。それはまだ思いが地に付いたまま●地上の出来事はメチャクチャでも来世で復活できればよい。地上の平和は真の平安ではない。●朝風呂で「日経」私の履歴書。ダイキン工業会長の井上礼之(のりゆき)。卒業が迫っても就職先が決まらず、父親の薦める会社に就職。これが道であった。挫折、行き詰まり、失敗、負け犬、後塵を拝するところによい道が開ける。なぜか●柔道家の古賀稔彦は二度目のオリオンピック挑戦でまさかの敗退。苦杯を舐める。周囲は金メダルをとってから引退しろといったが、古河は負け犬の悲哀のまま引退。しかしこれが幸いした。なぜか、負けた男の心理をつかめたから。彼は現在日体大の助手。全日本女子柔道の強化コーチ。これ彼の天職の道●9:00能城一郎牧師(八王子暁キリスト教会)が来訪。時間オーバーしないように目覚まし時計をセットして懇談。有体的復活、余命の話。新リリースの70人訳LXX(セヴンティアギンタ)の話。Jバイブル、塚本訳、米国留学の話。緩和ケアの話。時間切れで延長線(?)は来週の土曜日。●妻は品川。初音の「お遊戯会」見学。新一の始めての運動会の時に急いで帰ってきたことを思い出す●14:00町田の武集会で妻と合流。今日はヨブ記の最終回。最後の懇談会でヨブ記のハッピーエンドの意味について。ヨブは晩年に子供を多くもうけたが、あれは後妻の子供だろうか、「神を呪って死になさい」と言ったあの夫人は死んだのかということが話題になった。●妻と八王子で夕食。バレンタインデーが近いのでチョコレートのソフトクリームがサービスについた●妻は、ロッシーニのスターバトマーテルの合唱練習へ。


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町田の武集会で。横田茂氏と。フラッシュをセットしなかったために真っ黒で失敗。この集会は次回で最終回。 2007.2.10


 

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「自分史」は歴史学から出た概念 ++++++++ 所感

2007/02/09 05:00

070209(金)4時半起床、6時間半の睡眠。頭痛去り正常。キ・レオラム・カスドー。「主に感謝せよ。その慈しみは永遠」。


口語訳 詩  136:1-9
136:1 主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:2 もろもろの神の神に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:3 もろもろの主の主に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:4 ただひとり大いなるくすしきみわざを/なされる者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:5 知恵をもって天を造られた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:6 地を水の上に敷かれた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:7 大いなる光を造られた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:8 昼をつかさどらすために日を造られた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:9 夜をつかさどらすために月と、もろもろの星とを造られた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。


●ブログで突然の頭痛を知った方から「激励メール」。隠れた祈り、讃美歌の提示を下さる。感謝。死に行くとき祈りと讃美歌で送られる人生は理想、最高。


讃美歌494番


1. わが行くみち いついかに


   なるべきは つゆ知らねど,


   主はみこころ なしたまわん.


   そなえ たもう 主のみちを


   ふみてゆかん ひとすじ に。


●そうだ、わが身は「明日をも知らぬ身」なのだ。余命18年は幻想、毎日が「備え」なのだ。残念ながらなんとなく残り時間は少ないという感じ。せかされている感じ。死は盗人のように「突然」来る。


文語訳 ルカ 12:20
12:20 然るに神かれに「愚なる者よ、今宵なんぢの靈魂とらるべし、さらば汝の備へたる物は、誰がものとなるべきぞ」と言ひ給へり。



新改訳 ルカ 12:20
12:20 しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』


塚本訳ルカ 12:20
12:20 しかし神はその人に、『愚か者、今夜お前の魂は取り上げられるのだ。するとお前が準備したものは、だれのものになるのか』と言われた。


塚本訳 マコ 13:32-33
13:32 ただし、(人の子の来る)その日また時間は、父上のほかだれも知らない。天の使たちも、子(であるわたし自身)も知らない。
13:33 気をつけよ、油断するな。あなた達はその時がいつであるか、知らないのだから。


●そうだ、人生の終わりも「終末」と同じく「突然」にくるのだ。それはあっという間なのだ。


文語訳Ⅰテサ5:1-2
5:1 兄弟よ、時と期とに就きては汝らに書きおくるに及ばず。
5:2 汝らは主の日の盜人の夜きたるが如くに來ることを、自ら詳細に知ればなり。


新共同 Ⅰテサ5:1-2
5:1 兄弟たち、その時と時期についてあなたがたには書き記す必要はありません。
5:2 盗人が夜やって来るように、主の日は来るということを、あなたがた自身よく知っているからです。


新改訳 Ⅰテサ5:1-2
5:1 兄弟たち。それらがいつなのか、またどういう時かについては、あなたがたは私たちに書いてもらう必要がありません。
5:2 主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。


塚本訳Ⅰテサ5:1-2
5:1 兄弟達よ、(来臨までの)時間と(その)時期とについては、(更めてここに)書く必要はあるまい。
5:2 主の日が夜の盗人のように(不意に)来ることを君達は精密く知っているのだから。


●かって東京衛生病院で手術を受けたとき、手術の時はスタッフ全員が祈りを捧げるということを聞いた。そのとき「この人たちに手術をされたらたとえ失敗して死んでも本望だ」と思った。これ職業の姿勢の理想。頼むほうも安心。●祈りは技術の向上に繋がる。なぜか。「愛」が技術を生むからだ。よい発想や閃きを生む●機械設計の長老、故大木重吉氏は、朝、製図版に向かうときに祈りを捧げたという●妻は子供に乳を含ませるときに祈ってから飲ませた。子供に代わっての祈り、それは代祷。●以前、私はパソコンに向かうときに祈った「パソコンが壊れませんように」(笑。でも真剣)


●昨日の自分史講座を聞いて思ったこと。いわゆる歴史は正史と言われ「勝者の歴史観」。それは自慢史。それに比べて自分史(個人史)は別の歴史観。歴史学者の間ではこれが貴重だという。ところが私の「自分史」はそれとは異なる。それは「この私がこうされた」という神の業の自慢史だ。だから喜んで弱さ醜さを誇ろう。イエスとパウロはこのことを次のように言う。


塚本訳  ルカ 8:39
8:39 「家に帰って、神がどんなにえらいことをしてくださったかを、(みんなに)話してきかせなさい。」すると彼は行って、イエスがどんなにえらいことを自分にされたかを、町中に言いふらした。


 塚本訳 ルカ 17:14
17:14 イエスは見て言われた、「(全快したことを世間に証明してもらうため、エルサレムの宮に)行って体を『祭司たちに見せなさい。』」すると行く途中で、(皆いつとはなしに体が)清まった。


塚本訳  Ⅱコリ11:30
11:30 (ああ、なんと弱い人間であろう!なんの誇りがわたしにあろう!)もし(使徒の権威を示すために)自慢せねばならないなら、わたしは自分の弱いことを自慢しよう。


塚本訳Ⅰコリ1:28-31
1:28 また世の身分の低いもの、軽蔑されているもの、(いや、あっても)無い(ように思われている)ものを神はお選びになった、ある(と思われている)ものを無にするためである。
1:29 こうして、だれ一人神の前で誇ることのないようにされたのである。
1:30 この神ゆえに、あなた達は(はじめて)キリスト・イエスにあるのであり、このキリストが、神から賜わるわたし達の知恵、また義、また聖さ、また(罪の)あがないになられたのである。
1:31 (聖書に)『誇る者は主[キリスト]にあって誇れ』と書いてあるとおりになるためである。


塚本訳Ⅰコリ15:10
15:10 しかし神の恩恵によって、いまあるような者であり、わたしに対するその恩恵はむだでなく、わたしは彼ら(使徒)一同よりも余計に働いた。しかしそれはわたしでなく、わたしを助けた神の恩恵である。


●戎居研造氏が2月8日に逝去の知らせ。73歳。藤林益三邸を設計したときの連合設計社市谷建築事務所の担当役員。その時一緒に担当した鈴木忠昭君なく、この世は淋しくなった。●藤林邸竣工後、「高橋は祈りができる男」だということで連合設計社市谷建築事務所に迎えられた。35歳のときのことであった。あるとき戎居さんに「明日はキリスト教の集まりに行くので仕事はできません」と言ったところ、「それは君のレゾンデートルだ」と言って誉めて下さった。あまりに近しかったせいかよく衝突した。戎居さんの頭が白くなったのを見て「白髪は正しく生きた証拠と聖書にありますよ」と言ったとき、目を潤ませられた。最後の4年半は意識なく寝たきりであった。ご家族のご看護大変であった。●令息の戎居連太君(現・連合設計社市谷建築事務所代表)にお悔やみの電話を入れた。●先には高橋時造氏、今度は戎居研造氏、私を迎え入れ、職業生活の方向を決した方が相次いで逝かれた。私の人生も一時代が画された感じがする。次は神の国に迎えられるように準備しなければならない。


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困った時の祈り ++++++++ 所感

2007/02/08 07:16

070208(木)4時半起床●朝風呂で「日経」私の履歴書。ダイキン工業会長の井上礼之(のりゆき)。京都大学をあきらめて同志社大学に。これがよかった。少人数のゼミで経済学の原書を読破。また大学時代に100回も旅行をする。これもよかったと言う。人生何事も経験、勉強●日経第一面「ニッポンの教育」。リベラルアーツ(教養科目)の必要を説くのはよいが、神への信仰がないところのリベラルアーツは単なる「雑学知識」。真の教養とはほど遠い。それはむなしい。命の足しにはならない。かててくわえてその雑学知識が少ない人を軽蔑する。その大脳皮質は雑学という汚いゴミ箱。争いの元●「困った時の祈り」について考察する。祈れない人間や祈らない人間は親のいない犬猫に見えて仕方がない。それは野良猫や野良犬。常に警戒心がある。ものを与えようとするとまず疑ってかかる。目つきが悪い。野良犬は後ろを振り返り振り返り走り去る。惨めな姿よ。祈れる人間というのは天地宇宙の造り主なる神を父と認識している人間。飼い主がいる。●私が35歳のとき連合設計社市谷建築事務所に迎えられたのは「彼は祈ることができる人間だ」というのもその理由の一つであった。私のありがたい面を見てくださった。役員たちは非凡であった。


マコ   6: 34 [塚本訳


イエスは(舟から)あがって、多くの群衆が『羊飼のいない羊のように』しているのを見ると、かわいそうになり、多くのことを教え始められた。


ヨハ   10: 16 [塚本訳


・・なおわたしには、この檻のものでない、ほかの羊がある。(彼らはまだ野山をさまよっている。)わたしはそれをも導いてやらねばならない。彼らはわたしの声を聞きわけ、かくて群一つ、羊飼一人となるであろう。・・


●人生、どういうときに困るか。大きい順に4つ。①罪を犯してしまったときの悔い。罪を自覚してしまったときの懊悩。・・・どうしても心が安らがない②死の不安、悲しみ、悩み ・・・・どうしても淋しさが消えない③病気の時の痛み、早く直して欲しい。特に子供が病気のときの悩み苦しみ・・・・どうしても痛み苦しみが去らない ④争いや確執があるとき。・・・どうしても赦せない。●この4大苦、時には4重苦のとき人間は「困った、困った」と思う。この時の神抜きの解決方法は次の通り。①「罪は人間の本能」、「赤信号みんなで渡れば怖くない」などと思う。しかし心の重荷はどうしても去らないから困ったものだ。②「人間はだれでも死ぬのだ」「死ねば灰になって何もなくなるから悩みも消える」「早く死にたい、ぽっくり逝きたい」。などと強がりをいっても淋ししさは去らない。淋しい淋しい悲しい悲しい、困ったことである③病苦は大抵我慢できない。大金を払ってでも早く直りたい。少なくとも現実の痛みを取り去ってほしい。しかし現代医学でも直らない病気がある。また万一病気が治ってもまた別の病気が襲ってくる。この肉体は欠陥だらけ。一生どこかしらの欠陥に悩まさせる。特に精神の病は治りにくい。時間がかかる。それにこの種の病は大体が医者がたらいまわしにする。教会も毛嫌いする。これも困ったものだ④争いは報復の応酬。この報復合戦から逃れうるのは一方的な「赦し」。ところがこれができないのだ。宗教に走る夫人の多くは夫の浮気。嫁と姑の確。これらに関わらず争いはいつも双方が自分の方が正しいとツッパッてしまうものだ。パレスチナとアラブ、南北問題同じ。かくて争いはやまない。・・・・どんなことをしても心に安らぎがないので肉体の病に進展していく。どうしても人を赦せない悩み。憎い人間がいる悩み。これも実に困ったものだ。・・・・・●これは人生の4大苦悩。この苦からの解放にイエスがどう係わったかが福音書の記事の大半。イエスは「祈り」で対処せよという。●祈るときは「祈りは必ず聴かれる」という思いを抱かなければならないという。


塚本訳  マコ 11:20-25
11:20 (次の)朝早く、通るときに見ると、(きのうの)無花果の木は根元から枯れていた。
11:21 ペテロは思い出してイエスに言う、「先生、御覧なさい、お呪いになった無花果は枯れています。」
11:22 イエスが彼らに答えられる、「神(の力)を信ぜよ。
11:23 アーメン、わたしは言う、だれでもこの山に向かい、『立ち上がって海に飛び込め』と言って心に疑わず、自分の言うことは成ると信ずるならば、そのとおりになる。
11:24 だからわたしは言う、(神に)祈り求めるものはなんでも、すでに戴いたと信ぜよ。そうすればそのとおりになる。
11:25 なお立って祈っている時に、だれかに恨みがあったら赦してやれ。これは天の父上からも、あなた達の過ちを赦していただくためである。」


塚本訳 マタ 21:21-22
21:21 イエスは答えられた、「アーメン、わたしは言う、もしあなた達に信仰があって疑わないならば、この無花果におこった(と同じ)ことをすることができるばかりか、この山にむかい『立ち上がって海に飛び込め』と言っても、その通りになる。
21:22 信じて祈れば、求めるものはなんでも、戴くことができる。」


塚本訳 マタ 17:14-21
17:14 (山を下りて)群衆の所にかえると、ひとりの人がイエスに近寄り、ひざまずいて
17:15 言った、「主よ、どうぞ伜にお慈悲を。癲癇で、ひどく苦しんでおります。幾たびも幾たびも火の中、水の中に倒れるのです。
17:16 それでお弟子たちのところにつれて来ましたが、なおおしになれませんでした。」
17:17 イエスは答えられた、「ああ不信仰な、腐り果てた時代よ、わたしはいつまであなた達と一しょにおればよいのか。いつまであなた達に我慢しなければならないのか。その子をここにつれて来なさい。」
17:18 そしてイエスが悪鬼を叱りつけられると、悪鬼が出ていって、その時から子はなおった。
17:19 あとで弟子たちは人のいない時にイエスの所に来て言った、「なぜわたし達には悪鬼を追い出せなかったのでしょうか。」
17:20 彼らに言われた、「信仰が無いからだ。アーメン、わたしは言う、もしあなた達に芥子粒ほどでも信仰があれば、この山に向かい『ここからあそこに移れ』と言えば移り、あなた達に出来ないことは一つもない。」
17:21 〔無し〕


塚本訳 マコ 9:28-29
9:28 家にかえられると、弟子たちは人のいない時に尋ねた、「なぜわたし達には霊を追い出せなかったのでしょうか。」
9:29 彼らに言われた、「この種類(の霊)は、祈り以外(の手段)では決して出てゆかせることは出来ない。」


塚本訳 マタ 6:7-8
6:7 また祈るとき、異教人のようにベラベラしゃべるな。彼らは口数が多ければ、聞いてもらえるものと思っている。
6:8 彼らの真似をしてはならない。神はあなた達の父上である。求める前から、あなた達に必要なものをよく御承知である。



塚本訳 マタ 6:30-34
6:30 きょうは花咲き、あすは炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこんなに装ってくださるからには、ましてあなた達はなおさらのことではないか。信仰の小さい人たちよ!
6:31 だから、『何を食べよう』とか、『何を飲もう』とか、『何を着よう』とか言って、心配するな。
6:32 それは皆異教人のほしがるもの。あなた達の天の父上は、それが皆あなた達に必要なことをよく御承知である。
6:33 あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。
6:34 だから、あしたのことを心配するな。あしたはあしたが自分で心配する。一日の苦労はその日の分で沢山である。


塚本訳  マタ 7:7-11
7:7 (ほしいものはなんでも天の父上に)求めよ、きっと与えられる。さがせ、きっと見つかる。戸をたたけ、きっとあけていただける。
7:8 だれであろうと、求める者は受け、さがす者は見つけ、戸をたたく者はあけていただけるのだから。
7:9 あなた達のうちには、自分の子がパンを求めるのに、石をやる者がだれかあるだろうか。
7:10 また魚を求めるのに、蛇をやる者があるだろうか。
7:11 してみると、あなた達は悪い人間でありながらも、自分の子に善い物をやることを知っている。ましてあなた達の天の父上が、求める者に善い物を下さらないことがあるだろうか。


塚本訳  マタ 7:7-11
7:7 (ほしいものはなんでも天の父上に)求めよ、きっと与えられる。さがせ、きっと見つかる。戸をたたけ、きっとあけていただける。
7:8 だれであろうと、求める者は受け、さがす者は見つけ、戸をたたく者はあけていただけるのだから。
7:9 あなた達のうちには、自分の子がパンを求めるのに、石をやる者がだれかあるだろうか。
7:10 また魚を求めるのに、蛇をやる者があるだろうか。
7:11 してみると、あなた達は悪い人間でありながらも、自分の子に善い物をやることを知っている。ましてあなた達の天の父上が、求める者に善い物を下さらないことがあるだろうか。


 塚本訳 ヤコ 1:5-6
1:5 で、もし君達のうち誰か知恵に欠けている者があるならば、誰にでも無造作にまた快く与え給う神に求めよ。そうすれば(きっと)与えられるであろう。
1:6 ただし決して疑わず、(神を)信じて求めよ。疑う者は風のまにまに漂う海の浪に似ているのだから。


●神は全能、神は父、直らないと思っていた病気も直る。かすかな期待でもよい。僅かな祈りでもよい。貧しい祈りでもよい。かすかに信ずるのでもよい。賭けでよい。ダメモト(だめでもともと)の気持ちでもよい。隠れた祈りひそかな祈りの方がよい。なりふりかまわずの祈りがよい、うめくだけでもよい。きっとよくなる、きっと直る。いつか直る●困ったときは「神様困った」「神様困ったことが起きました」「神様ひどいことになりました、なんかしてください、楽にしてください」とだけ告げればよい●神につぶやけばよい。神にぼやけばよい。●ところがそれで直された人間はケロッとして神にお礼を言わない。神に栄光を規すことしない。それが次の譬え。十人のライ病人が治されたがお礼を言いに来たのは一人だけ。「あなたの信仰が直したのだ」と不思議なことをイエスは言う。残りの9人はしばらくするとまたライ病が「ぶり返した」のではなかろうか。


塚本訳 ルカ 17:11-19
17:11 エルサレムへ進んでおられた時のこと、サマリヤとガリラヤとの間を通られた。
17:12 とある村に入ると、十人の癩病人に出合われた。彼らは(規則どおりに)遠くの方で立ち止まったまま、
17:13 声をはりあげて、「イエス先生、どうぞお慈悲を」と言った。
17:14 イエスは見て言われた、「(全快したことを世間に証明してもらうため、エルサレムの宮に)行って体を『祭司たちに見せなさい。』」すると行く途中で、(皆いつとはなしに体が)清まった。
17:15 ところでそのうちの一人は自分が直ったのを見ると、大声で神を讃美しながら帰ってきて、
17:16 イエスの足下にひれ伏してお礼を言った。それはサマリヤ人であった。
17:17 イエスは言われた、「十人とも清められたのではなかったか。九人はどこにいるか。
17:18 この外国人一人のほかには、(九人のユダヤ人のうちに)帰ってきて神に栄光を帰する者はだれもないのか。」
17:19 そしてその人に言われた、「さあ立って行きなさい。あなたの信仰がなおしたのだ。」


●JBCI(ジャパンビルディングコストインフォメーション)が評判だと言うニュースが入る。私が建設物価調査会に入って一番に力を入れて立ち上げたもの。私を迎えてくれた高橋時造名誉会長の供養ができたと思った。良いものは宣伝しなくともジワジワと評判になる。口コミで広まる。目のある人に見出される。


塚本訳 マコ 4:22
4:22 隠れているもので現わされるためでないものはなく、隠されているもので現われるためでないものもないからである。
4:23 耳の聞える者は聞け。」


塚本訳 マタ 5:15
5:14 あなた達は世の光である。山の上にある町は隠れていることは出来ない。
5:15 また、(せっかく)明りをともして枡をかぶせる者はない。かならず燭台の上に置く。すると、家の中におる人を皆照らすのである。


●市民講座で「自分史の書き方」(元主婦の友編集長の藤田敬治氏。)を聞く。「自分史」という概念は歴史学者の間から出たもの。「正史」とは違うもの。●一瞬頭がずっきんと痛くなり、妻に携帯電話をマナーモードにして体に付けておいてくれと頼む。不安がよぎる。何故だろう●妻は今日の合唱の練習(池袋)に行くのは休むと言う●何のこれしき。熱祷する。祈りは山をも動かすと今朝学んだばかりだ。


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 トウモロコシ畑の冬。冬枯れの様から神は命に起こす。復活のときは新しい命になる。パウロの復活論は植物論が分かりやすい。


2007.2.8


 


 


 

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天罰があることは否定できない ++++++++ 所感

2007/02/07 07:01

070207(水)5時起床●朝風呂で「日経」私の履歴書。ダイキン工業会長の井上礼之(のりゆき)。同志社高校宗教部での活躍。「みんながこっちを向いてくれるあの快感がたんまらない」と言って」レクリエーションを担当、前例にない企画を立てる。これが会社経営にも引き継がれたらしい。偉くなる人は何らかの宗教心がある。戦後唯物論無神論の教育方針で育てられた子供の将来は危うい。否、子供ではない団塊の世代で、大量に老人になる。すると残りの人生を「遊びまくろう」という人生観になるから悲しい。●信仰のあるなしに関わらず、いわゆる「天罰」というものは確実に厳然とある。これを否定することはできない。ドストエフスキーの「罪と罰」。遠山の金さんんの「天の裁きを受けよ」である。これ全世界全人類に共通のこと。法律では「自然法」である。幸福論のカールヒルティはよく「倫理的世界秩序」があるという。新約聖書では「刺ある鞭を蹴るのはむずかしい」である。●神を信ずる信じないに関わらずこの世には「天罰」と言うものがある


文語訳 使  26:14
26:14 我等みな地に倒れたるに、ヘブルの語にて「サウロ、サウロ、何ぞ我を迫害するか、刺ある策を蹴るは難し」といふ聲を我きけり。


新共同 使  26:14
26:14 私たちが皆地に倒れたとき、『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか。とげの付いた棒をけると、ひどい目に遭う』と、私にヘブライ語で語りかける声を聞きました。


●神を否定して自堕落な生活をして家庭崩壊全滅、「お祈りなんか効き目がない」と言った人間が「ひどい目」にあっているのを見ると、「あー天罰かなー」と思ってしまう。●しかし、こういうのを見たとき、「天罰だ」「裁きだ」「いい気味だ」「やっぱりナー」と思うのは危険●なぜか、それが「神による罰」かも知れない。それは人間を向上させる。この世的のものを捨てさせられる。惰眠から呼び起こされる。この聖書的根拠は無数にある。


新共同 詩  23:4
23:4 死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖/それがわたしを力づける。


●人の目に「天罰」「裁き」と見えるものは実は神の「ひどい」鞭。惰眠から覚まされる「びんた」である。びんたにしては「ひどい」「残酷な」「むごい」仕打ちだ。しかし超頑固なかたくなな石の心の持ち主には「それぐらいのこと」をされないと目覚めないのだ●かってNHKTV宗教の時間で禅の泰斗であった鈴木大拙と哲学者の谷川徹三の対談があった。谷川「キリスト教は裁き、日本の仏教は慈悲ですね」。鈴木「裁きがないと愛(慈悲)に効き目がないんだ」。鈴木大拙の方が二枚も三枚も上●内村鑑三は「外国宣教師がキリスト教は愛だ赦しだとばかり言うから信者が脆弱になる。キリスト教はまず義だ、裁きだ」と喝破した。至言。キリストの十字架による赦しは、その前提として罪に対する神の峻厳な裁きがあるのだ。それ抜きの十字架の赦しはは効き目がない。ありがた味がない。つまるところ十字架の必然性がない。●深い罪は慈悲だけでは精算されない。死の代償が必要。これは自己の罪の恐ろしさに気づいておののいた人間にしてはじめて分かることだ●黒崎幸吉がはじめて教会に行ったら「女のような男」(ママ)が多いことに失望。これ外国宣教師の「実」●人生は荒波。とんでもない思いがけない「ひどい目」にあう。「どうして私が、よりもよってこのまじめな私がこんな目にあわなければならないのか」と思う日が必ず訪れる●「一見不条理な不可解なところに神の大いなる恵みの知恵が隠されていることを私は信ずる。これを以って私達に神の愛のなんであるかを教えられるのである」(塚本虎二、拙HP[苦難と神の愛」)●不幸は罰ではない。神の「往復びんた」である。ものすごく「ひどい」びんたである。財産や子供や妻を取られる。健康がメチャクチャ、簡単には直りにくい病気になる。精神の病などがそれ。地位を失い貧困になる。自慢の勤務先が倒産する。すると皆が頭を下げなくなる。死に目にあうほどの痛い病気になる。癌の宣告される●こういう不幸を「天罰」と感じるのは無神論者。恐怖心からますます神を否定してかかる。抵抗する。ところが否定しても否定しても苦難は去らない。悩みは去らない●人生は「猛烈な不幸」に遭遇して自己の罪に目覚め、つまらない遊びの惰眠生活から覚まされる人は幸いだ●「とんでもなく惨めだ」と思われる不幸は真の幸福に至るために絶対に必要である●私の家が火災にあったとき、床屋の主人曰く「聖書の勉強にに行っていたときに燃えたんですって?、ご利益ありませんでしたねー」。私(心で)「この人には分からないくて当たり前だ。この幸福、簡単にはわからないのだ」。●「医者よ自分で直せ」「建築士よ自分の家を建てよ」「伝道者よ自分の子供を救え」とこの世の人間はあざ笑う。これは十字架につけられたイエスへの嘲りと同質。この世人間のお決まりの言葉。


塚本訳 マコ 15:29-32
15:29 通りかかった人々が『頭をふりながら、』こう言ってイエスを冒涜した、「へへえ、お宮をこわして三日で建てるという人、
15:30 自分を救ってみろ、十字架から下りてきて!」
15:31 同じように大祭司連も、聖書学者と一しょに、こう言って(イエスを)なぶり合った、「あの男、人は救ったが、自分は救えない。
15:32 救世主(キリスト)、イスラエルの王様が!今すぐ十字架から下りてくるがよい。見たら信じてやるのに!」一しょに十字架につけられた二人(の強盗)も、イエスを罵った。 


●塚本先生は「戦後教育において民主主義のはきちがいで何でも対等、何でも平等と教えたので神に対する畏れというものもなくなってしまった」と言われる。至言。生徒は先生を友だちのように扱いセンコーと呼ぶ、家庭では「主人」という概念が消えたところに、キリスト教信仰は根づかない。「畏れ」の気分が消えた。「畏れ」は悪い支配の結果だと間違って理解している。天罰必至。●10:30八王子の宝泉寺別院で建設物価調査会元名誉会長高橋時造氏の告別式。78歳肺炎。私が55歳のとき黒田隆さんの推薦があって建設物価調査会に迎えてくださった恩人。ご夫人と喪主の御長男に深く御礼のご挨拶をした。棺を閉じるとき中野孟氏とともに手を添えた。いつものことながら棺桶の蓋を閉じるときの肉親の方々の涙は荘厳である。●宮西氏、中野氏、深井氏、長氏、菊田氏など懐かしい方々と会えた。こういうときでないと会えないのも人生の現実●臨済宗僧侶の読経中、人間は死んだら本当にどこに行くのだろうと考え続けた。復活は五分五分、しかしイエスの復活の歴史的事実が来世実在の希望の根拠●来世に復活ありという希望があるのはこの世の生き方を規定する。明るくする●帰途はヴィオリストの和田睦夫氏と高尾駅の近くの食堂で昼食を摂りながら音楽談義。一般のオケは442ヘルツ。ところがウィーンフィルは445ヘルツ。アメリカのオケは440ヘルツ。●和田睦夫理論なるものを聞いた。演奏技術×人格=一定●これ建築に世界にも言えると言った●信仰の世界また同じ。キリスト教関係書籍の保有量と信仰の深さとは反比例する。これ高橋照男理論。多くのキリスト教信者の家を設計しての実感。


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 建設物価調査会元名誉会長高橋時造氏告別式。八王子宝泉別院 2007.2.7


左から高橋照男 [故人の家族 節子夫人 要(長男喪主) 明子(長女)]


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 建設物価調査会元名誉会長高橋時造氏 2007.2.3午前3時15分、家族に看取られながら逝去、享年78歳。肺炎。建設物価調査会の生みの親。 55歳の私を会に迎えてくださった恩人。遺影を見ながら招聘くださったときのお電話が耳底に響いた 2007.2.7 


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 告別式で 左から宮西政志(元理事) 村松永子(役員秘書) 中野孟(元総務部長)    2007.2.7


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告別式で 左から宮西政志(元理事) 高橋照男 中野孟(元総務部長) 2007.2.7


●妻は夫人の聖書勉強会。その後に故伊藤彊自先生宅を訪問、夫人は93歳でお元気。


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あきる野の夕暮れ。人生にも夕暮れがある。人生には終わりがある。歴史にも終わりがある。終末というのはある。しかしイエスの有体的復活を知ると来世の実在があって復活があることの「希望」が湧く。そうでなければこの人生はむなしい。淋しい。2007.2.7



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私がこうなるのは当然だ ++++++++ 所感

2007/02/06 07:49

070206(火)6時半起床。遅い●朝風呂で日経」私の履歴書。ダイキン工業会長の井上礼之(のりゆき)。同志社での交遊。友人にクリスチャンがいて教会に行く。京都の老舗の家にも招かれる。人生は出会いで決まる。信仰も出会い。結婚も出会い。こちらの水準を高くしていないとよい友人も得られない。単なる遊び友達ではだめだ●不幸という「人生の海の嵐」に見舞われたら、「自分がこうなうのは当然だ」「自分にも少し悪いところがあったのだと思わなければならない。だだしこれはわが国の因果応報の思想ではない●不幸に遭遇したら他の人と比べて神に不公平をつぶやいてはならない。「自分はこうなって当然だ」「自分の家庭がこうなったのは当然だ」「子供がこうなってしまったのは親の私が悪かったのだ」」「気にいられないところが少しは私の側にもあったのだ」「身から出た錆だ」と心が砕けるとき神は祝する。そして何と天国へ一番乗りとさせられる。「私には悪いところはない」と自分の正しさを主張してはならない。砕けた心の人の実例を見てみよう。


口語訳 ルカ 23:41-43
23:41 お互は自分のやった事のむくいを受けているのだから、こうなったのは当然だ。しかし、このかたは何も悪いことをしたのではない」。
23:42 そして言った、「イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、わたしを思い出してください」。
23:43 イエスは言われた、「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」。


●イエスと共に十字架に付けられた強盗は「自分がこうなるのは当然だ」と心砕けた。するとそれをイエスは祝して、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいる」と宣言された。結果的にこの強盗が天国へ一番乗りであった。●私の知人で「もし世の中に神がいるなら、自分は神に抗議する」と言ったことがある。彼の身の上を知ればそう言いたくもなるであろうと思う。でも「それを言っちゃいけない」


塚本訳 マタ 21:31-32
21:31 この二人のうち、どちらが父の心を行ったのだろうか。」「もちろん長男」と彼らが答える。イエスが言われる、「アーメン、わたしは言う、税金取りや遊女たちは、あなた達よりも先に神の国に入るであろう。
21:32 そのわけは、(洗礼者)ヨハネが義の道を示しに来たのに、あなた達は彼を信ぜず、税金取りや遊女の方がかえって信じたからだ。しかしあなた達は(あの人たちが悔改めるのを)見たあとでも、後悔して彼を信じようとしなかった。


●天国の上席、指定席は、人生がめちゃくちゃになり悔いている人である。心が砕けた人である。神はそういう人を十字架の血ですっかり清めて抱きかかえて指定席の上席に座らせてくださる。過去を問わない。過去の失敗をとがめだてしない。


塚本訳  マタ 9:10-13
9:10 イエスが家で食卓についておられるたときのこと、大勢の税金取りや罪人も来て、イエスや弟子たちと同席していた。
9:11 パリサイ人はこれを見て、弟子たちに言った、「なぜあなた達の先生は、税金取りや罪人と一しょに食事をするのか。」
9:12 聞いて言われた、「丈夫な者に医者はいらない、医者のいるのは病人である。
9:13 『わたしは憐れみを好み、犠牲を好まない』という(神の言葉の)意味を、行って、勉強したがよかろう。わたしは正しい人を招きに来たのではない、罪人を招きに来たのである。」


●天国にいけば、学者宗教家道徳家はいなくて「過去ある人間」「見られない過去を持つ人間」だらけ。人間の世界ではこういう人を「履歴書」、書類審査で排除する。これ人間の限界。そういう世界には縁がないと思うべきである。そういう世界には真の幸福がない。そういう世界は「人間の喜び」の世界だ。


塚本訳 ルカ 15:16-19
15:16 彼はせめて豚の食う蝗豆で腹をふくらしたいと思ったが、(それすら)呉れようとする人はなかった。
15:17 ここで(はじめて)本心に立ち返って言った。──お父さんのところでは、あんなに大勢の雇人に食べ物があり余っているのに、(息子の)このわたしは、ここで飢え死にしようとしている。……
15:18 よし、お父さんの所にかえろう、そしてこう言おう、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。
15:19 もうあなたの息子と言われる資格はありません。どうか雇人なみにしてください』と。


●放蕩息子は「食えなくなって」はじめて目が覚めた。このとき頑固に「オヤジにだけは絶対に頭を下げない。メンツがある」とかたくなな心を持っていてはならない。放蕩息子は「心が砕けた」のである。彼は経済的に行き詰ったのであるが、病気や家庭内不和、事業の失敗なども同じこと。その挫折で目が覚める人は幸いだが、中にはどんな不幸に遭遇しても「心が砕けない」人がいる。神としても困難な人だ。●しかし人間の「説教」では悔いない人も神が導けば「悔いた心」になる。神は全能の神だからどんな難しい人でも救う


詩    34: 18 [口語


主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる。


詩    51: 17 [口語


神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心を/かろしめられません。


詩    78: 34 [口語


神が彼らを殺されたとき、彼らは神をたずね、悔いて神を熱心に求めた。


●「幸福は不幸を通して来る」というのがヒルティの幸福論の本質。それはヒルティ幸福論Ⅰ「幸福」、Ⅲ「二つの幸福」などによく書かれている。つまり幸福の概念規定が違うのである。人間がこれぞ「幸福」と思うものは実は「真の幸福」ではないのだとヒルティは言う。しかし弱い人間はそれを失ってみてはじめて「真の幸福」に目が向く。それを求める。厭世ではない、負け惜しみではない、奴隷宗教ではない。それは誠(まこと)なのだ●世界歴史をよい方向に向かわしめたのはこの真の幸福を身につけている人。この世の幸福を目的にしていない人。この逆説がキリスト教の本質だ。●昭和女子大、建築の論文テスト審査。52人分。収穫の喜びだ。若い女性の感覚には素晴らしいものがある。秘めておくことはできないので2-3公表する。


建築請負契約とは請けて背負うことである。・・・・今まで私は請けて負けるというように認識してきたがナルホド背負うと言う方が美しい。背負われる人は背負ってくれる人を信用することによって「請負契約」が成立する。信用して任せるところに請負契約がある。


結婚の契約は愛が土台であるが、建築請負契約の土台は信用である・・・・これにはうならされた。結婚論を持ち出してきたのは女子大生だからか。


建築請負契約書は音楽会のチケットのようなもの。まだものが見えないものにお金を支払う、まだ聴いてない演奏にお金を支払う。終わってから文句を言えない・・・・・・・・・・・これにもうなった。


建築設計図の提出と共に大体のコストを言わなければならない。それはレストランのメニューに値段が書いてないと注文できないのと同じで、契約に至らない。・・・・・・これは現実生活を通してのよい譬え。


●今後建築の職場に出て、「お金で苦労」するであろう彼女たちの上に神の祝福あれ。職場は「荒波」だ。しかしそこに人生の尊い真理が秘められていてそれを体で学ぶのだ。本や頭では決してつかめないものを涙と共に体得できる。学校ではない。現場経験がキャリヤになる。●女流建築士の生きる道は狭いが確実に世のニーズがある。看護士に女性が多いのと似ている●世界的に有名な日本の演奏家は女性が多い。日本女性特有の「しなやかさ」があるからだ。潮田益子のブラームス・ヴァイオリンコンチェルトを東京文化会館で鑑賞したときにそれを体感した。●有名建築家にならずともよい。有名組織事務所に就職しなくてもよい。故郷に帰って「町医者的建築士」で生きるのがよいと講義してきた。これに同感してくれた学生とがいたのはうれしかった。しかし就職先はどんなところでもよい。人を幸福8にするという「職業の精神」にしっかり立てばよい●大島智夫先生の「海老名通信」。ラスキンの「Unto This Last」(この最後の者にも)に言及されている。同感。この論旨はこれからの社会は新約聖書マタイ20:1-16の「葡萄畑の労働者の譬」の精神にもとづき、弱者保護政策をしなければならないということ●ラスキンについては私のHPに二つの論考を掲載した。「市場経済の次に来るのは『人格経済』」、「内村鑑三とラスキン」。かって私はラスキン協会会員であった。ラスキンの「建築の七燈」や「芸術経済論」などの著書に引かれたからである。●ラスキンは英国国会議員に影響を与えた最大人物としての地位を確保している。●ラスキンよ今あれかし、ヒルティよ今あれかし。日本は今汝らを要す。来たりて我らを教えよ


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 あきる野の原の冬。淋しくて悲しい景色。チャイコフスキーのピアノ曲「四季」の一月は「炉ばたにて」だ。 2007.2.6 図書館の帰り道。


「淋しく悲しいときには淋しく悲しい曲を聴け」(日野原重明)


そこでチャイコフスキーのピアノ曲「四季」の一月「炉ばたにて」をアシュケナージと中村紘子のピアノで、管弦楽版をスヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団で鑑賞。心で無限に泣けて慰めを得る。人間なんて所詮孤独で淋しく悲しい存在なのだ

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理想通りに行かない人生 ++++++++ 所感

2007/02/05 06:54

070205(月)5時半起床●朝風呂で「日経」私の履歴書。ダイキン工業会長の井上礼之(のりゆき)。同志社中学に入学するが周囲が優秀なので成績は50人中49番。しかし英語会話に強くなる。学校の成績の一時的落ち込みは人生の肥やし。その悲哀を味わうことは絶対に将来のためになる。●昭和女子大の論文テストを採点していての感想。みんな尊い理想的な夢を描いている。しかし人生は理想どおりにいかない。理想通りに行った人にも「おめでとう」と言いたいが、t理想どおりに行かなかった人にも「おめでとう」と言いたい●めちゃめちゃな人生、メチャクチャな家庭になった人ほど神の国に近い。


文語訳 マタ 21:31
21:31 この二人のうち孰か父の意を爲しし』彼ら言ふ『後の者なり』イエス言ひ給ふ『まことに汝ら告ぐ、取税人と遊女とは汝らに先だちて神の國に入るなり。


●出勤すると、建設物価調査会元名誉会長の高橋時造氏が逝去されたとの知らせ。2007.2.3 肺炎78歳。8年前、黒田隆さんの推薦があり、私を建設物価調査会に招いてくださった恩人。建設物価調査会の生みの親とでもいうべき方。●早速黒田隆さんに電話して懇談。黒田隆さんは86歳でお元気。ただし腰痛で葬儀は欠席

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死んだらどうなるのか ++++++++ 所感

2007/02/04 06:10

070204(日)4時半起床●朝風呂で「日経」私の履歴書。ダイキン工業会長の井上礼之(のりゆき)。「父は温和で、大きな声でしかられた記憶はない」・・・・「この上なく父を尊敬して生きてこられたのは幸福だ」。・・・・「自由放任の父とは対照的に母は私の顔をみれば『勉強しなさい』というタイプ。・・・厳しくて、けちで、口うるさかった」。・・・・・●家風と言うのは百家百様。夫婦は二人で一人前。厳しい父、やさしい母。やさしい父、厳しい母、親がダメでも子供がしっかりしていることもある。賀川豊彦は妾の子として生まれて淋しかったが、米国宣教師に目を掛けられキリストの救いに預かって再生。村田四郎は神が賀川に襲い掛かったと評した。後にノーベル平和賞の候補にまでなる。日本より外国で有名。米国には「カガワストリート」がある。●15年ほど前に旧約学者の中沢樹先生と取り交わした書簡綴り「キリスト信者はどのように復活するのか」を取り出して再読。これは先生が「本にまとめたい」と漏らされたそうだが、実現しなかった。この往復書簡の内容は荒井献先生に「支持」された●その要旨は次の通り。


①・死は眠りである。


塚本訳  マコ 5:38-39
5:38 やがて監督の家に着いて、人々がひどく泣きわめいて騒いでいるのを見ると、
5:39 (家の)中に入って言われる、「なにを泣いたり騒いだりするのか。子供は死んではいない、眠っているのだ。」


塚本訳 ヨハ 11:11
11:11 こう話して、またそのあとで言われる、「わたし達の友人ラザロが眠った。目をさましに行ってやろう。」


②・キリスト信者は生きているうちに新しい命を与えられている。しかしそれは神の懐に隠されている


新共同 コロ 3:2-4
3:2 上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。
3:3 あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。
3:4 あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう。


塚本訳  コロ 3:2-4
3:2 (常にただ天)上のものを思え。地上のものに気を取られるな。
3:3 君達は(既にこの世に)死んで、その生命はキリストと共に神の右に隠されているのだから。
3:4 (しかし今でこそ隠されているが、)私達の生命であるキリストが顯れ給う時には、君達もまた彼と共に栄光の裡に顯れるであろう。


塚本訳  ロマ 8:9-10
8:9 しかしあなた達は肉にある者ではなく、霊にある者である、(すでにキリストを信じて)神の御霊があなた達の中に住んでおられる以上は。しかし(神の御霊すなわち)キリストの霊を持たないなら、その人はキリストのものではない。
8:10 しかしキリスト(の霊)があなた達におられるなら、(あなた達の)体は(アダムの)罪によって死んでいるが、霊は(キリストの)義によって生きている。


③・最後の日には神の力によって隠されていた命が霊の体をまとって新しく復活する。


塚本訳  マコ 12:23-25
12:23 (もし復活があるなら、)人が復活する復活の折には、この女はその(七人の)うちのだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしましたから。」
12:24 イエスは言われた、「あなた達は聖書も神の力も知らないから、そんな間違いをしているのではないか。
12:25 死人の中から復活する時には、めとることもなく嫁ぐこともなく、ちょうど天の使のようである。


新共同 Ⅰコリ15:43-44
15:43 蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。
15:44 つまり、自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです。自然の命の体があるのですから、霊の体もあるわけです。


塚本訳 Ⅰコリ15:43-44
15:43 恥辱の姿でまかれて栄光の姿に復活する。弱さの姿でまかれて力の姿に復活する。
15:44 (神の霊を持たない)魂だけの体がまかれて霊の体が復活する。魂だけの体がある以上は霊の体もあるわけである。


●結論として、我々が死ぬのは一時の眠り。復活の朝には霊の体に起こされる。神の主権で、神の力で新しく呼び起こされる。「ラザロ出て来い」(ヨハネ11:43)と呼ばれたように。名前で呼び出される。それは「高橋照男」は高橋照男である。ただし今度は4次元の肉体でなく、5次元の霊の体である。軽くなる(笑)。これが聖書的見解である。そのことを神はイエスの復活の事実を通して人類に教えてくれた●夫婦の関係はどうなるのか。死と共に解消。これはパウロも言う。では天国での夫婦の再会は?。私の造語であるが、「妻と再婚」するのである。一旦仕切り直しのやり直し、出会いのやり直しである。これでイエスの「復活問答」(ルカ12:23-25。上記)の意味がわかる●しかし、妻から「地上ではお世話になりましたが、天国まではゴメンです」といわれればおしまいである。これ笑えない現実かも。


塚本訳 ローマ7:1-3


"450701","ローマ 7:1","それとも、あなた達は知らないのか、兄弟たちよ、──これは法律を知っている人たちに言うのだが──法律は人が生きている間だけ人を支配するのであ
る。"
"450702","ローマ 7:2","たとえば、結婚した婦人は夫が生きているうちは法律によって(夫に)結びつけられているが、夫が死ねば、(彼女を夫に結びつける)夫の法律から解かれ
る。"
"450703","ローマ 7:3","従って、夫が生きているうちにほかの男のものになれば、姦婦と言われるけれども、夫が死ねば、たとえほかの男のものになっても、(夫の)法律から自
由(の身)であるから、姦婦ではない。"


●集会は川上(司会)、杉崎、高橋(よきサマリや人)●私の話の内容は①永遠の命を得るには②死後の復活。●昼食は小寺、土肥さんと●ノジマの末廣店長にワードの高度なことを教えてもらう●困難な中にいる人にメール。「慰めよ、わが民を慰めよ」(イザヤ40:1)である●又従兄弟の坂本のぶ子さんからお電話。従兄弟の堤壽美江さんのこと●日本はありがたい。身寄りのない人の面倒は役所が見てくれる。「官憲はあなたの最善のためにつくす神の召使である」(ロマ13:4)というのは本当だ。ありがたく感謝しなければならない。


塚本訳  ロマ 13:1-7
13:1 人は皆上に立つ(国家の)官憲に服従せねばならない。神からではない官憲はなく、現存の官憲は(ことごとく)神から任命されたものであるから。
13:2 従って官憲に反抗する者は、神の命令に違反する者である。違反する者は、自分で自分に(神の)裁きを招くであろう。(この世で罰を受けるばかりでなく、最後の日にも。)
13:3 役人が恐ろしいのは、善いことをする者でなく、悪いことをする者である。(だから)あなたは官憲を恐れたくなければ、善いことをせよ。そうすれば官憲から誉められる。
13:4 官憲はあなたの最善のためにつくす神の召使であるから。しかしもし悪事をすれば、恐れねばならない。見えのために剣をささげているのではないのだから。官憲は神の召使で、悪事を行う者に対して(神の)怒りをあらわす復讐者である。
13:5 だからかならず服従せねばならない。ただ怒りの(恐ろしさの)ためだけでなく、(それが信ずる者の義務であることを知っているあなた達は、自分の)良心のためにも。
13:6 それゆえに(同じ理由で、)あなた達は貢をも納めねばならない。官憲は神につかえる者であり、いま言った職務に全力をそそいでいるからである。
13:7 (彼らに対して、信ずる者には普通の人以上の、言わば借りがある。)すべての役人にこの借りを返しなさい。貢取りには貢を、官税取りには官税を、恐るべき者には恐れを、尊敬すべき者には尊敬を。

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われは道なり、眞理なり、生命なり ++++++++ 所感

2007/02/03 07:44

070203(土)5時半目覚め。「われは道なり、眞理なり、生命なり」が閃く。「キリストが永遠の生命への門」を思う●朝風呂で日経」私の履歴書。ダイキン工業会長の井上礼之(のりゆき)。・・・・「私にとって小学生のときに受けたいじめほどつらい経験はない。でも、それに耐え、乗り越えたら、どんな苦難にも立ち向かえる自信が芽生えた。自分の欠点にもきづかされ、友だちの悩みにも耳を傾けるようになった。人を恐れ、避けるのではなく、人と人との間でたくましく生きる精神を培ったと思う」。・・・偉い。さすが大成する人は心がけが違う。●明日の準備で「キリストが永遠の生命への門」を黙想。


●キリストが永遠の命への門。しかしこれが難しい。ユダヤ人の疑問は当然




塚本訳 ヨハ 8:52


8:52 ユダヤ人が言った、「今こそ悪鬼につかれていることが(はっきり)わかった。アブラハムも死に、預言者たちも死んだのに、君は『わたしの言葉を守る者は永遠に死なない』と言う。


 


文語訳 ヨハ 14:6


14:6 イエス彼に言ひ給ふ『われは道なり、眞理なり、生命なり、我に由らでは誰にても父の御許にいたる者なし。


 


塚本訳 ヨハ 5:24


5:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、わたしの言葉を聞き、わたしを遣わされた方を信ずる者は、(今すでに)永遠の命を持っていて、(最後の日に)罰を受けない。その人はもはや死から命に移っているのである。





●HPの使徒伝承に「永遠の生命を得るには」をアップロード●クラシックCDの数を数えたら1800枚。先に逝った「音楽の友」大沢胖君は4000枚であった。マダマダだ●昭和女子大論文テストの採点をする。53人分。設問の第4は次の通り。「建築士の職能は人を楽にし、人生を楽しく生きられるようにすることですが、あなたが建築の仕事を目指すとしたら、どのような建築士になりたいか述べなさい」。これに答える立派な論文を読んで感激、涙がこぼれそうになった。同時に彼女たちの行く末を深く祈る気持ちになった。●今後彼女たちの人生にはどのような波風があるだろうか。神の守りを祈る●論文の採点は喜悦。苦労して播いた種が成長して収穫の時を迎えたような気がする。それにしても「イマドキノワカイモン」はしっかりしている。●残りの人生の日々、このような教師業をしたい。





今日の写真



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 図書館に行く途中、畑仕事の藤田さん。「農業が好きで贅沢言わなきゃ食っていけるよ」と言ってくれた。 風の冷たい日。2007.2.3





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 野菜作りの田中三郎さん。(元建設省→建設物価調査会→昨年退職)。野菜作りは米より手間が随分かかることを教えてくださった。冷たい風の日。ビニールシートがめくれてしまう。2007.2.3


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 建築中のあきる野図書館が姿を現し始めた。なかなか美しい。建築は美しくなければならない。岡田新一の設計。左はキララホールで佐藤総合計画の設計。あきる野市も文化施設によいものができて誇らしく思う。「建築は凍れる音楽なり」(ガンジンスキー)。 2007.2.3


●妻は夕方から合唱の練習、池袋。6月にウィーンムジークフェラインザールでウィーン少年合唱団と合同演奏するための練習●NHKでアルツハイマーの特集。好きなことをやっていればアルツハイマーの予防になると言う●吉田秀雄さんから電話。なつかしいお声。「神によりていつくしめる心の交わりいとも楽し」(讃美歌403)である。


讃美歌403番


1. かみ に よりて いつく しめる


   こころ の 交わり いと も たのし.


 


2. ちち の まえ に せつ に 祈らん,


   望み も 恐れ も とも に おなじ.


 


3. とも に しのぶ うき なやみ も,


   ゆたけき 恵み に やがて 消えなん.


 


4. わかるる とき かなし けれど,


   ふたたび 相見るさち や いかに.


 


5. つみ と うれい なき みくに の


   つきせぬ 睦(むつ)び を よろこび 待たん.


 


 


 


 

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復活の状態とは ++++++++ 所感

2007/02/02 06:49

070202(金)4時45分起床●朝風呂で日経」私の履歴書。ダイキン工業会長の井上礼之(のりゆき)。逆子で両親が心配。胃に歯が生えているのかとからかわれるほど大食いの早食い。社寺が多い京都のよい環境に育つ。社寺やキリスト教会は自由に入れることを知り、よい宗教観を持つ。●過日のこと某青年と電話懇談。青年「今度結婚することになりました。式はカトリック某カテドラルで行います」。私「式をかっこいいところで行うだけではダメだ。聖書を読んで結婚後も教会に行くようにしなければいけない。それから結婚式までは身を清く保つように」。青年「ハイ、分かりました」●死後の状態はどのようなものであるか。これ古来からの疑問であった。パウロにもその疑問を投げかけた人がいた。


第一コリント15:35-35 塚本訳


"461535","・コリント 15:35","しかし、ある人は言うかも知れない、(かりに復活があると
しても、)どんな風にして死人が復活するのか、どんな体で来るのかと。"


 ●これに対しパウロは肉の体とは違う靈の体が付与されるのだという。


第一コリント15:36-44 塚本訳


"461536","・コリント 15:36","訳のわからない人!あなたがまくものは、死ななければ生
かされないのだ。"
"461537","・コリント 15:37","そしてあなたのまくものは、やがて出来る体をまくのでは
なく、たとえば麦にしても何かほかの種類にしても、裸の粒にすぎないのである。"
"461538","・コリント 15:38","しかし神は御心のままにそれに体をお与えになる、しかも
それぞれの種に独得の体を。"
"461539","・コリント 15:39","すべての肉が同じ肉ではない。人間の(肉)がちがい、家
畜の肉がちがい、鳥の肉がちがい、魚の(肉)がまたちがう。"
"461540","・コリント 15:40","天の体があり、地の体がある。しかし天のものの輝きは別
であり、地のもののはまた別である。"
"461541","・コリント 15:41","(天のものの輝きにしても、)太陽の輝きがちがい、月の輝
きがちがい、星の輝きがまたちがう。その上、星はひとつびとつ輝きが相違している。"
"461542","・コリント 15:42","死人の復活もこのようである。(一つの体が死んで別の体が
生まれる。)死滅の姿でまかれて不滅の姿に復活する。"
"461543","・コリント 15:43","恥辱の姿でまかれて栄光の姿に復活する。弱さの姿でまか
れて力の姿に復活する。"
"461544","・コリント 15:44","(神の霊を持たない)魂だけの体がまかれて霊の体が復活
する。魂だけの体がある以上は霊の体もあるわけである。"


●これは4次元の世界に生きる我々にはにわかに信じがたいことであるが、復活のイエスに接すると、なんとなく理解できる。復活を信じると、処女降誕や湖上歩行も変貌も各種の奇跡も信じられるようになる。上記のポイントは15章38節の「神は御心のままにそれに体をお与えになる」である。●われわれは肉体という壊れやすい肉体に80年間いる。死ぬのは一時の眠り。灰になって消えるが、人格の本質は神のもとに長い間眠っていて、終末のときに今度は靈の体で復活する。その証明がイエスの復活。永遠の命の確証はイエスの復活。その史実伝承が「使徒伝承」。●11:00清水誠氏が来訪。橋本君を交えてコストスクール第12期の検討。新時代になる●中身のない組織の単なる経済的維持の努力はは不毛。人間の命も組織も「自然死」が望ましい●秘書の村松さんから元会長の高橋時造さんのこと●アサヒネットのWEBメールであるメールを見るとそれだけで本体のマイクロソフトアウトルックの受信簿にそのメールが行かない。不便、不具合。メールが消えるのは人間関係を悪くする。通信はやはり物理的書面のほうがよいのか●米国のある図書館は電子情報での保存をやめたと言う。何十年後にそれを開くマシンが存在しているかどうかがわからないからだと言う●古文書が粘土板の楔形文字だったjからよかったのではないか。新約聖書も紙でなく粘土板に書かれていたらもっと多くの情報が残ったかもしれない●音楽の友社の清水出版部長と電話懇談。プッチーニが欠落している件。●妻は合唱の練習。今日はロッシーニの「スターバトマーテル」。夜遅く帰宅●あさっての準備「永遠の生命を得るにはどうしたらよいのか」


 

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陰で流す涙はおぼえられる ++++++++ 所感

2007/02/01 08:26

満63歳7ヶ月 職場完全退職まであと2年2ヶ月 平均余命18年5ヶ月。死亡推定年齢82歳。死亡原因はおそらく癌(家系から推測)か脳血管障害(病歴から推測)。認知症にはならない(父母の経歴から推測)。来世での復活の希望を持って死のう。言うべきこと、イエスの有体的復活の史実伝承を叫び、伝承すべきことを伝えきって死のう。


070201(木)5時半起床●朝風呂で日経」私の履歴書。ダイキン工業会長の井上礼之(のりゆき)。思いがけずに社長に推される。それから12年で空調機では世界シェア二位となり、首位を伺う位置につけているという。何かがあるのだ。●三男の農園の名称は「ちたた(知足楽)農園」というものになったという。聖書が典拠だという。次のようなメールが来た。メールの一部。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


農園の名前は
ちたた農園としました。
長く考えてきて、先日ようやく決まった名前です。
「知足楽」と書いて「ちたた」と読みます。


聖書の箇所から来ています。


私の恵みはあなたに十分である。


それを知れば、心が楽になる。人生が楽しくなる。


こういった意味です。


今は飽食の時代ですが、必ず食料が足りなくなる時代が
来ると言われています。そういった意味もあります。
5千人のパンの例えも思い出します。


先日、集会の新年の挨拶で上記ような話をしました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


●これに対する私の返事は次の通り、一部。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ベリーグッド、神の国を求めるものはすべてのもの満たされるとありますね。この名前なら神も応援せざるをえない。
大丈夫大丈夫。


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●「陰で流す涙はおぼえられる」。右の手のすることを左の手に知らせるなというのは、実は実利的なこと。神から褒美をもらえるから。その方が莫大なものをもらえるから。より多く儲かるから。これ本当か。やってみなければわからない。●かって陰で人に施しをしている人を見てしまったことがある。その現場を見るともなく偶然に見てしまった。そのときどっとその施しをしている人に援助の気持ちが湧いた。神の気持ちもこれと同じだ。●家庭内の悩みで人知れず流す涙は尊い。夫の妻の浮気、子供の病気や反抗非行、親戚兄弟間の確執。嫁姑のいがみ合い。これ隠れた祈りに導かれる「修行」だ。神は「赦せ」という●某女とバッハのBWV156について電話打ち合わせ某女「バッハの曲は死をテーマにしたものによいものがあります」。私「バッハは24人も子供を授かったがそのうち12人は夭折。ある時期は毎年のように子供の死に遭遇した●某女「親になってみて子供が病気になったときの親の辛さがわかるようになりました」。私「幸福論のカールヒルティは「眠られぬ夜の為に」を書いたが、あの背景には病弱な息子の存在があった。スイスのベルンに行ってヒルティの墓参をしたとき、そこに息子エドガーヒルティの名前も刻まれていたのを見た。ヒルティは死後でも息子のことを心配していた」●妻と「午後三時祈りの友会員」の星野利男さん宅を訪問するが、ベルを三度押しても出ない。予約していたのに。おかげで帰途は五日市駅から武蔵引田の駅まで散策する時間ができた。有酸素歩行12000歩、歩行による消費カロリー597キロカロリー●帰宅してからお電話すると2階で布団の取り込み中であったという。全盲なので布団の取り込みにも一時間はかかるのだという。お気の毒。しかし星野さんはご自身の不孝を嘆いてはいない。「なんのこれしき」と言って満面に笑みをたたえられたことがある。私の理想、「何のこれしき」といえる人生になりたい。


今日の写真


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秋川と妻トミ子。夏になったら孫達を連れてこようかなーと話し合って散策した。2007.2.1


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妻のトミ子と武蔵引田付近の野を散策。二人だけの日々 2007.2.1


 s2007_0201_155650AA.jpg裏丹沢方面の夕暮れ、梅のつぼみが膨らむ。復活の春が近い   2007.2.1


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チャイコフスキー交響曲第一番「冬の日の幻想」、ピアノ曲「四季」を思う。  2007.2.1


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奥多摩連山の夕暮れ。「死は一時の眠り、その後は復活の朝だ」。左はあきる野庁舎。まだ働いている。役人は神の僕。2007.2.1


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我が家の光。夕飯が待っている。二人だけの生活になった。      2007.2.1

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