to 日記と感想 2007年03月
Top | RSS | Admin

2007.02 « 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 » 2007.04


将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170812(土)14:00お江戸こらりあーず演奏会、文京シビックホール
    170821(土)15:00お江戸コラリアーズ定期演奏会、文京公会堂
    170809     TW誕生日
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170708(土)14:00在宅医療説明会(キララホール)
    170707(金)10:00池谷医院
    170706      TM誕生日
    170702(日) 集会感話
    170701      TT誕生日
    170630(金)12:20キララホールエントランスコンサート
    170628      IY誕生日
    170627(火)11:00 能城牧師来訪
    170625)日)10:10トミ子集会感話
    170625(日)14:00茅ヶ崎金子邸
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール
    170610(土)14:00内村鑑三セミナー、立教大学12号館。矢田部、椚」山
    170609(金)   TS命日
    170608(木)12:15ボリショイ「白鳥の湖」、東京文化会館
    170707(水)10:00池谷医院
    170604(日)10:00集会感話、
    170604(日)16:30近藤恵邸起工式、福島市。
    170530(火)14:00田岡氏来訪
    170527(土)14:00今井館ピアノコンサート
    170521(日)14:00新宿フィル、ブラームス1番、レスピーギ「鳥」「ローマの松」。和田睦夫
    170425       TN)誕生日
    150420(木)09:30阿伎留センター泌尿器科)
    170416(日)14:00武蔵野室内合奏団、杉並公会堂(大坪満子)


無性に淋しくなるとき ++++++++ 所感

2007/03/31 09:35

070331(土)5時起床●朝風呂で「日経・私の履歴書」ねむの木学園園長の宮城まり子。最終回。彼女をしてここまでの事業に駆り立てたのは、自分が淋しい家庭の育ちであったから。●過日の対話。某女「無性に淋しくなることがあります」。私「それは有限の人間としての当然の宿命だ。それも雨の日の月曜日の午後4時が一番淋しくなる危険なときだ。しかし私は信仰を持ってからはその寂しさはなくなった」。某女「なるほどー」。●人間、淋しさを紛らわすために「酒」や「異性」に走るから人生がメチャクチャになるのだ。この二つは決して淋しさを癒さない。嘘だと思ったら一つやってみればわかるというものだ。間違ったと思ったら引き返せばよい。それからでも遅くはない。神はそういう失敗人間を求めている。天国ではそういう失敗人間のほうが正客。神のよろこびたもう人間。


塚本訳マタ 9:10-13
9:10 イエスが家で食卓についておられるたときのこと、大勢の税金取りや罪人も来て、イエスや弟子たちと同席していた。
9:11 パリサイ人はこれを見て、弟子たちに言った、「なぜあなた達の先生は、税金取りや罪人と一しょに食事をするのか。」
9:12 聞いて言われた、「丈夫な者に医者はいらない、医者のいるのは病人である。
9:13 『わたしは憐れみを好み、犠牲を好まない』という(神の言葉の)意味を、行って、勉強したがよかろう。わたしは正しい人を招きに来たのではない、罪人を招きに来たのである。」


塚本訳 ヨハ 4:13-16
4:13 イエスは答えられた、「この(井戸の)水を飲む者はだれでもまた渇くが、
4:14 わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」
4:15 女が言う、「主よ、その水を下さい。(二度と)渇くことがないように、またここに汲みに来なくてもよいように。」
4:16 イエスが言われる、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」


●淋しさから逃れるには永遠の生命の喜びに浸るより他に方法はない。神との交わりが淋しさを癒す究極のこと。しかしそこに至るには「罪の赦し」という痛い関門をくぐらなければならない。悔い改めによる罪の清算。●塚本虎二が内村鑑三の膝元を去ったとき、内村は自らに言い聞かせて「師は弟子からも独立しなければならない」と言った。それが弟子が師に向かって「師は弟子から独立しなければならない」と言ったとしたら。それは失礼千万の礼儀も道徳も知らない愚か者。儒教道徳以前の普通道徳の問題。礼儀以前の普通道徳以下の問題。躾の問題。●イエスから見れば、パリサイ人、聖書学者に聖書の読み違いが多かった。


新共同 マコ 7:10-12
7:10 モーセは、『父と母を敬え』と言い、『父または母をののしる者は死刑に処せられるべきである』とも言っている。
7:11 それなのに、あなたたちは言っている。『もし、だれかが父または母に対して、「あなたに差し上げるべきものは、何でもコルバン、つまり神への供え物です」と言えば、
7:12 その人はもはや父または母に対して何もしないで済むのだ』と。


●現代のクリスチャンにはこれに似たことが多いから、儒者たちに尊敬されないのだ。●日本にキリスト教が根を張るためにはクリスチャンが儒者たちからも尊敬されなければならないのだ。儒教や仏教の理想とし、目指すところはキリスト教で満たすものだ。


文語訳  マタ 5:20
5:20 我なんぢらに告ぐ、汝らの義、學者・パリサイ人に勝らずば、天國に入ること能はず。


●為政者や上司や親に対して「正義を振り回す」人間はキリストの香りがしない。それはマルキストかヒューマニスト。クリスチャンはそれと同じであってはならない。


s2007_0331_153942AA.jpg



 あきる野市立秋川図書館は今日で閉館、8月から建築中の大きい中央図書館に移る。2007.3.31


 ●妻はウィーン合唱祭の練習と西東京合唱団「ロッシーニ、スターバトマーテル」の練習。●HP「使徒伝承」の中の「キリスト信者はなぜ身内から疎まれるのか・・・・大熊一雄さんと好子さんへのレクイエム(鎮魂曲)」を修正、大熊好子さんの写真入でアップロード。これで大熊一雄さん御夫妻への供養が済んだ感じになった。その結語は次の通り。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 ●クラウス著「ダンテ」の結論


『ダンテは常に謎の人であった。しかし彼の何であるかに気づいた少数の者には、天国への道を彼は開いた。』


 


○これ、大熊さんご夫妻のことを指しているように思える。


○大熊好子さんの思い出。


○1969年(昭和44年)、私が26歳のときのこと。国際文化会館のロビーで、大熊好子さんから一通の縁談の手紙を渡された。大熊さんは私に「この人と結婚しなさい」と膝詰めの権威ある姿勢であった。推薦文に「信仰が立派」という言葉があった。私はその言葉を信じて、相手に会うことなく、また妻も私に会うことなく結婚を決めた。後年妻は私に「あのときあなたに会っていたら結婚を決意したかどうかわからなかった」と言った。「見ずして信ずるは幸いなり」だ。(ヨハネ20:29)。(笑い)


○私の子供の多くが大熊好子さんの「骨折り」の恩恵にあずかっている。


○いろいろな事情で集会に顔出しできなくなった人の「友」となって分け隔てなくお付き合いをされた。


○昨年はじめ、ご自分の余命の短いことを悟られたのか、御郷里の「いわき市」のお寺に一雄さんのお墓を建立した。私たち夫婦は、2006.7.31に墓参に行った。墓碑銘は塚本先生の筆跡を拡大してあった。


○人間の真価は棺桶の蓋を閉じてからわかると言われます。3月6日に召されたときから、いわき市のそのお墓にお参りをしたいので場所を教えて欲しいという人が何と今日まで6名にも上っている。私の経験では異例である。イエスの墓を訪ねたというあの女性達の心を思った。


 


塚本訳 マコ 15:47~ 16:1-2


15:47 マグダラのマリヤとヨセの母マリヤとは、なきがらの納められた所を見ていた。


16:1 (翌日、日が暮れて)安息日が終ると、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとは、イエス(の体)に油を塗りに行くために、(油にまぜる)香料を買いととのえた。


16:2 そして(あくる朝、すなわち)週の初めの日[日曜日]の朝、ごく早く、日が出ると墓場に行く。


 




結語


○大熊さんご夫妻はご身内の方々からは必ずしも良く理解されたとは言いがたいダンテの言う「謎の人」でありましたが、私たち家族も含めて「少数の者」を天国に導いてくださいました。復活の朝、必ずやお会いできますことを固く信じます。さようなら大熊さん「また会う日まで」。それはそんなに「遠い日」ではありません。「死は一時の眠り」。眠っているときは時間を感じません。眠りから覚めるとき、それは復活の時です。有体的に霊の体での復活です。その日の再会を期待します。それがあることを信じます。


 


 


 s2007_0309_182054AA.jpg


 


             ありし日の大熊好子さん


 



塚本訳 ルカ 8:52


8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。」



 


 


塚本訳 Ⅰコリ15:3-5


15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、


15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、


15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。


 




塚本訳 Ⅰコリ15:20
15:20 しかしながら今、キリストは死人の中から復活しておられる、眠った者の(復活の)最初として




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 


 


スポンサーサイト
トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


キリスト信者はなぜ身内から疎まれるのか ++++++++ 所感

2007/03/30 06:27

070330(金)4時半起床●朝風呂で「日経・私の履歴書」ねむの木学園園長の宮城まり子。彼女をここまで駆り立てたのは何か。幼い日に家を出ざるを得なかったことではないか。肉親の愛情に恵まれなかったからではないのか。人は若いときに受けた心の傷を癒そうとして後年その方面に挺身する。これは神の摂理。不幸は人の役立つためにある。To Be Set。神にそのように計画されていた。Setされていたのだ。


塚本訳 Ⅱコリ1:6
1:6 (すなわち)わたし達が苦しめられるにしても、それはあなた達の慰めとなり救いとなるためであり、わたし達が慰めていただくにしても、それはあなた達の慰めとなるためであって、その慰めが働いて、わたし達がうけるのと同じ苦しみをあなた達は耐え忍ぶことが出来るのである。


塚本訳ロマ 8:28
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。


●HPの使徒伝承に「キリスト信者はなぜ身内から疎まれるのか・・・大熊一雄さんと好子さんへのレクイエム(鎮魂曲)」をアップロード。昨日はこれを執筆しながら何度も泣いた.●ご退職される黒岩美代子さんにご挨拶をする●午後は休暇をとる。


s2007_0330_120435AA.jpg


上野公園の桜は満開。2007.3.30 13:30 このあと東京都美術館のオルセー美術館展へ。ミレーの「グレヴィルの教会」とマネの「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」が良かった。大好きなシスレーもあった。オルセー美術館展はこれで3回目、日本人好みのするものが揃っていて大変な混雑。パリのオルセー美術館は駅舎を改造して美術館にしたもの。1980年に訪れたことがある。「落穂拾い」などミレーの作品の印象があったことを思い出す。もう27年も前のことであった。


s2007_0330_142211AA.jpg


国立博物館前。路傍伝道終了後に配られる「食べ物」を目当てに聞いている大勢の人。話を真剣に聞いていない。長い話を「早く終わらないかなー」というような顔をして地べたに座っている。まてまて、キリスト教に近づく人にもこれと同じ精神の人が多い。 生活の安定を求めに来る。肉の病気を治そうとしてくる。人間との出会いを求めてくる。芸術を求めてくる。出世しようと思ってくる。成績が向上すると思ってくる。家内安全商売繁盛を求めに来る。Oh No!。まてまて初めはそれでもよいのだ。しかしそれだけではダメなのだ。そこはまだ入り口、奥殿は「罪の赦しと永遠の生命」。そこに到達しなければならない。2007.3.30


塚本訳 マコ 8:5-6
8:5 彼らに尋ねられた、「手許にいくつパンがあるか。」「七つ」とこたえた。
8:6 イエスは群衆に命じて地面にすわらせ、それからその七つのパンを(手に)取り、(神に)感謝して裂き、群衆に配るため弟子たちに渡されると、それを配った


塚本訳  ヨハ 6:26
6:26 イエスが答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、あなた達がわたしをさがすのは、(パンの奇蹟でわたしが救世主である)徴を見たからでなく、パンを食べて満腹したからである。


塚本訳 マタ 11:7-8
11:7 ヨハネの弟子たちがかえってゆくと、イエスは群衆にヨハネのことを話し出された。──「(さきごろ)あなた達は何を眺めようとして、荒野(のヨハネの所)に出かけたのか。風にそよぐ葦だったのか。(まさかそうではあるまい。)
11:8 それでは、何を見ようとして出かけたのか。柔らかいものを着ている人か。見よ、柔らかいものをまとった人ならば、王の御殿にいる。


●この「柔らかいもの」とは洗礼者ヨハネの粗末な着物に対する言葉。きれいな服、きらびやかな服。イマドキノ言葉にすればファッション。これ芸術に目を奪われる人に対する警告。女子大には「服飾科」がある。


s2007_0330_142741AA.jpg


国立博物館にレオナルドダヴィンチ展、「受胎告知」。大混雑。混まないようにスイッチバックの坂を作ったのは賢い。日本人は聖書の「知識」は豊富だが信仰には至らない。平成館の前にある「しだれ桜」は見事。 2007.3.30 15:00


s2007_0330_152102AA.jpg


国立博物館、東洋館。谷口吉郎の設計。同じ敷地内にある息子の谷口吉生設計の法隆寺宝物館(建築学会作品賞受賞)の方がよい。


2007.3.30 15:30


s2007_0330_152801AA.jpg


 上野公園の大噴水。キリストの命が湧きあがるという聖書の言葉を思う。 2007.3.30


塚本訳 ヨハ 4:14
4:14 わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」


 


s2007_0330_165911AA.jpg


 品川の伊勢喜明、愛子の新居を訪問。この最上階全部がその新居 2007.3.30


s2007_0330_174610AA.jpg


 窓からの風景。高層マンションが林立。日当たりのよい住まい。愛子はすっかり「都会の人」になった。2007.3.30




s2007_0330_175401AA.jpg


伊勢喜明一家 左から伊勢喜明、伊勢初音、伊勢かなほ、伊勢愛子、高橋照男。 2007.3.30


夜道を帰るとき、この家に末永く神の祝福が注がれるようにと祈った。


●途中、道順目印の「酒屋」のたたずまいが良かったのでなんとなく入ったら、私にとって幻の銘酒、「あさ開き」があったので四合瓶を購入。●酒は飲めないが、仕事で盛岡に行ったときにこの酒を飲んで初めて「うまい」と感じたもの。後にも先にも日本酒が「うまい」と思ったのはこれだけ。店主が別のものの口を開けて少し飲ませてくれた。長く店に置いてあったので心配から「これでいいですか」という。実に良心的な店であった●妻は音楽会で浦和へ。帰宅23:35

トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


ちたた農園のHPできる ++++++++ 所感

2007/03/29 20:26

00329(木)4時半起床●朝風呂で「日経・私の履歴書」ねむの木学園園長の宮城まり子。ねむの木学園は「事業」。人間、事業をおこさなくてもよい。有名にならなくてもよい。普通の人間で終わるのでよい。普通の主婦で終わるのでよい。普通の勤め人で終わるのでよい、普通の教師で終わるのでよい、偉くならなくてもよい、世に知られなくともよい。神に知られる人生が成功の人生。神に知られる人生とは不幸に泣く人生●卒業式で歌われた「仰げば尊し」の歌詞の「身を立て名を上げ、やよ励めよ」は悪い人間をつくる。人を押しのける売名行為の立身出世主義の人間を作る、●次の日曜日の準備として「信者が世から理解されないのは宿命・・・霊肉の相剋」を執筆。途中何度も涙を流した。明日朝に「使徒伝承」にアップロード予定●福島の三男の恵が「ちたた農園」というホームページを立ち上げた。ブログ日記もありなかなか良く出来ている。URLは下記とおり。妻と二人で見て大喜びした。とにかく生活が「見える」というのは「心が通う」。


http://chitata.com


s2007_0329_144620AA.jpg
 


郵便局に行く途中、きれいな雲を見た 2007.3.29 14:30ごろ


s2007_0329_144932AA.jpg



郵便局にいく途中、菜の花を見た。全員が黄色で一所懸命咲いている。向こうにあきる野市役所が見える。役人は神の使い。


2007.3.29 14:35ごろ

トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


不倫を美化するな ++++++++ 所感

2007/03/28 07:17

070328(水)3時半目覚め、黙想、5時起床●朝風呂で「日経・私の履歴書」ねむの木学園園長の宮城まり子。又候(またぞろ)不倫愛人の作家吉行淳之介とのこと。こんなことじゃせっかくの善い事業もだいなしだ。日本人の性道徳観念の低級さよ。またそれが美化されると思っている本人の堕落ぶりよ。妻子ある男との不倫は赦されない。「愛」がすべての道徳や規制よりも上だというのは間違い。何故間違いかと言うと、「自然法」がそれを教える。自然法というのが難しければ「良心」。こんなこと、道徳以前、宗教以前、信仰以前、聖書以前の人間としての基本的要件だ。この欄の編集担当者のレベルも問題だ。イマドキの学校の教師はこういうことを教えないのか●家庭の破壊、これが子供の精神的成長に暗い影を落とす。そういう家庭に育った子供は深層心理に「親がああだから自分も赦される」と思ってまたぞろ堕落。かくして日本は崩壊する。●洗礼者ヨハネは時の王であったヘロデの性道徳を批判して首を切られた。


塚本訳 マコ 6:17-19
6:17 それにはこういう訳がある。──このヘロデは(前に)その兄弟ピリポの妻ヘロデヤと結婚したことから、ヨハネを捕えさせて牢につないだことがあった。
6:18 ヨハネがヘロデに、「あなたは自分の兄弟の妻を妻にするのはよろしくない」と言ったからである。
6:19 (そのため)ヘロデヤはヨハネを恨んで、殺したいと考えていたが、出来なかった。


●キリスト信者は家庭や職場にあって洗礼者ヨハネと同じ「苦労」を味わう。「不倫を認めない」から恨まれる。●11;00出発、妻と春のあきる野を散策。


s2007_0328_111813AA.jpg


都立滝山自然公園切欠。カタクリの群生 家から30分も歩くとここへ来る。一昨年3月31日以来。カタクリは妻が好きな花だ。 2007.3.28 11:30



s2007_0328_112207AA.jpg


都立滝山自然公園切欠。カタクリの群生。大勢見に来ていた。写真撮影者も多かった。背後はカタクリの群生。こういうツーショットは写真機を持っている人に撮影を頼むことにしている。構図がうまい。 2007.3.28 11:30


s2007_0328_113107AA.jpg


都立滝山自然公園切欠。これも写真機を持っている人に写してもらった。日が当たる方向に移動した。このあと草に座って弁当。妻の体調がよくないので、大事をとってすぐ帰ることにした。2007.3.28 11:40


s2007_0328_123219AA.jpg


妻「面白いデザインですねー」。そこで撮影。改造したらしい。こういうデザインを好む人もいるんだなー。勉強中の「複雑系」を思った。好みというのは人様々 2007.3.28 12:10


s2007_0328_123344AA.jpg


地蔵院のしだれ桜。すごいなー、きれいだなー。流れるようだ 2007.3.28 12:15


s2007_0328_124312AA.jpg


地蔵院の江戸彼岸桜。名木巨木百選保存樹木 平成5年 秋川市 2007.3.28 11:25


このあと墓を見る。若くして亡くなった人、長寿の人もいる。 感慨を深くした。私たちはあと何年生きられるのだろう。明日命が取られるかもわからない。人生は短い。しかしその先は復活だ。それを固く信ずる。私たちはキリスト教徒だ。


s2007_0328_173535AA.jpg


交通事故。ぶつかりそうになった車をよけて自分が横転したらしい。自己犠牲だ。幸い死者は無かった。家のそば。 2007.3.28 17:00


●連合設計社市谷建築事務所の佐々木氏に「複雑系」について聞く。考え方の一つだと言う。本6冊を読まなくて済んだ。●前田護郎先生の雑誌で知ったこと。「こんなに学問分野が細分化した世の中では一人で全部を把握しきれない。だからその道の権威者に短時間で本質を聞くことがよい」●建築学、聖書学にも当てはまるのは当然。素人はギリシャ語、ヘブライ語に堪能にならなくてよい。しかし信仰の本質は掴まなくてはならない。●救いの権能は教会の神父にあるから、その神父が執行するサクラメントにあずかれば救われるというのは間違い。大間違い。神は教会組織を通じなくても人間を救う。この点、プロテスタント教会は中途半端。信仰のみで救われると言いながら、「教会がかわいい」。原因は職業的牧師の存在。牧師を職業としていることが原因。そこから解放されなければプロテスタント教会もカトリックと同じ教会主義だ。●人間の救われ方は「複雑系」。キリスト教会に無数の教派があるのも「複雑系」。

トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


会うは別れのはじめ ++++++++ 所感

2007/03/27 09:47

070327(火)5時起床●朝風呂で「日経・私の履歴書」ねむの木学園園長の宮城まり子。ねむの木学園の引越し。思わぬ方々の援助が多い。しかしまたまた淳之介さん淳之介さんという。馬鹿だなー。どんな善行も、愛人との不倫の仲を肯定できない。日本人の罪悪意識の希薄さよ。罪が善行で消えることはない。●新一にメール●卒業式、入学式のシーズン。人生は「会うは別れのはじまりなり」。結婚式、葬式、入社、退社、転勤、感謝して別れる人、表面は感謝の言葉だがだが、心の中では悪たれついて断罪して離れていく人、神の裁きがどこに下るかはわからない。畏れなければならない。意外な人が意外な方法で神に断罪される●若い演奏家が次々と師事する先生を変えるが、大体は喧嘩別れだと言うことを聞いたことがある●ヴァイオリンの千住真理子は初めの教師と別れて江藤俊哉に出会って伸びた。人間にとっては水の合う先生、演奏家には水の合うオーケストラというものがある。これどんな領域でも同じ。それで伸びる人もあれば成長しない人もある●ある人に水の合う先生でも他の人には合わないこともある。だから無教会主義が「自分の先生」を振り回すのはよくない。たまたまその人にとっての「水の合う」先生であったのだ。●結婚相手また同じ「水の合う」人と出会えればよい。●人生は良い宗教、良い職業、良い伴侶との出会いが幸福の条件だ。しかしその全部に恵まれなくても神への信仰があれば幸福だ。信仰と宗教とは違う。宗教は外側の形●人生では相性の悩み、水の合う合わないの悩み、ソリの合う合わないの悩みが深い。しかしキリストの血によって一つとなるとき、相性も水もソリもなくなる。然り、教派争いもなくなる。


塚本訳 ガラ 3:27-28
3:27 すなわちキリストへと洗礼を受け(て彼のものとなっ)たあなた達はみな、キリストを着たからである。
3:28 (神の子には、)もはやユダヤ人もなければ異教人もなく、奴隷もなければ自由人もなく、男もなければ女もない。あなた達はみなキリスト・イエスによって一つであるからである。


●私は洗礼を授けてくださった浦和の教会の牧師の下を18歳のときに離れた。無教会主義の方に行くと言ったとき、その牧師は心配して私が留守のときに父のところにまで来られて相談された。牧師は私を深く愛し、私も牧師を深く尊敬していた。涙を振るって激突した。私は恩になったその教会に散々悪たれをついて脱出した。何年もの後、久しぶりでその教会を訪ねたとき、その牧師は歩いて帰る私の後ろ姿を見えなくなるまでじっと見送ってくださった。あれからもう40年以上にもなる●あるとき仕事で福岡に行ったとき、その牧師のご母堂をお訪ねした。ご老体になっておられた。帰途バス停まで送ってくださりバスが見えなくなるまで見送ってくださった。その後しばらくして召されたと風の便りがあった●私はこの二人のような人になりたい。それを人生の目標にしたい。


文語訳Ⅰコリ13:4-7
13:4 愛は寛容にして慈悲あり。愛は妬まず、愛は誇らず、驕らず、
13:5 非禮を行はず、己の利を求めず、憤ほらず、人の惡を念はず、
13:6 不義を喜ばずして、眞理の喜ぶところを喜び、
13:7 凡そ事忍び、おほよそ事信じ、おほよそ事望み、おほよそ事耐ふるなり。


口語訳 Ⅰコリ13:4-7
13:4 愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。
13:5 不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
13:6 不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
13:7 そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。


塚本訳Ⅰコリ13:4-7
13:4 愛はじっと辛抱する、愛は親切である。妬まない、愛は自慢しない、得意にならない。
13:5 無作法をしない、自分勝手をしない。激昂しない、『(人の)悪いことを根にもたない』。
13:6 偽りを見て喜ばない、むしろ真理を喜ぶ。
13:7 すべてを我慢し、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐え忍ぶ。


●図書館。帰途畑に群生していた花を折って家に持ち帰り、妻にその名前を聞いたが不明。世の中には人にその名を知られない花もあるのだ。しかし神はその存在をご存知。私たちの人生もそれでよいのだ。


文語訳マタ 6:26-29
6:26 空の鳥を見よ、播かず、刈らず、倉に収めず、然るに汝らの天の父は、これを養ひたまふ。汝らは之よりも遥に優るる者ならずや。
6:27 汝らの中たれか思ひ煩ひて身の長一尺を加へ得んや。
6:28 又なにゆゑ衣のことを思ひ煩ふや。野の百合は如何にして育つかを思へ、勞せず、紡がざるなり。
6:29 されど我なんぢらに告ぐ、榮華を極めたるソロモンだに、その服装この花の一つにも及かざりき。





s2007_0327_153852AA.jpg


 農業労働は神との協働だ。人間3割神7割という感じがする。労働のうち農業労働ほど人間の精神を正しくするものはない。農業労働での年収250万円は、都会労働での年収500万円に匹敵するとある本に書いてあった。子弟を有名校に送り込もうとする全国の父兄は人生観を変えなければならない。  2007.3.27 15:42


s2007_0327_154246AA.jpg


図書館の帰途。いい匂いがする水仙。室内楽を演奏しているようだ。 2007.3.27 15:38


●「特定の人物に対して異常に激しく敵愾心を持つ」というひどい症状がいまだに直っていない状態の人に出会って二人で深く嘆き悲しんだ。それと同時に彼をまだ正気にさせない悪霊に対し激しい怒りを感じた。ああいう直りにくいひどい症状の病気はその深い罪を本人が自覚しないと神に直されないのかもしれない。祈りで神の力に期待しなければならない。


塚本訳 マコ 9:28-29
9:28 家にかえられると、弟子たちは人のいない時に尋ねた、「なぜわたし達には霊を追い出せなかったのでしょうか。」
9:29 彼らに言われた、「この種類(の霊)は、祈り以外(の手段)では決して出てゆかせることは出来ない。」


●西洋古典で「サタン(悪魔、悪霊)」は種々の形で出てくるが、その働きの共通性は仲の良い二人の間を裂こうとすること。二人の仲は悪いのだと偏見邪推してその仲を裂こうと暗躍する。また二人の仲が悪くなるように巧妙に煽る。神と人間の仲を裂こうとするのも悪霊。またサタンは天使だったが堕落したものだとの描き方もある。これも一面の真理。堕落しなかった天使と神との仲を裂こうとする。●パウロは次のように悪霊に対決する。


塚本訳 ロマ 8:35
8:35 (このゆえに)だれがキリストの(わたし達を愛する)愛から、わたし達を引き離すことができるか。苦しみか、悩みか、迫害か、飢えか、裸か、危険か、剣か。


塚本訳ロマ 8:38-39
8:38 なぜなら、わたしは確信している、死んでも命でも、天使でも支配(天使)でも、現在起こっていることでも将来起こることでも、権力(天使)でも、
8:39 高い所のものでも低い所のものでも、その他どんな創造物でも、わたし達の主キリスト・イエスによる神の愛から、わたし達を引き離すことはできない。


トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


不幸の時に神の栄光が現れる ++++++++ 所感

2007/03/26 07:00

070326(月)5時起床●朝風呂で「日経・私の履歴書」ねむの木学園園長の宮城まり子。田中角栄首相に直談判して「養護施設入所児童等」の法律が整備され、高校進学に国から資金が交付されるようになった。これは立派。しかし次がいけない。「淳ちゃんを一番愛している。そしてもう一つの、一番愛しているのはねむの木学園のこども」。良い働きもこの一言でだいなしだ。日本の性道徳の低さよ●大熊好子さん逝き、若者の聖書勉強会も休会、子供の結婚として長男が最後に決まり、目の前に急に「老いの坂」が見えてきた。この坂どこまで上れるのだろう。●若き日に熱心に読んだヒルティの「老年について」と「高きを目指して」を再び読みたくなった。ヒルティは人生の曲がり角で常に現れる●ヒルティは「仕事中に死ぬ」のが理想だと言った。そうありたい●改革派の世界的遺産「ウェストミンスター小教理問答書」の第一問は「人生の目的は何ですか」。その答えがすばらしい。「人生の主たる目的は神の栄光を現し、永遠に神を喜ぶにあり」。こんな崇高なものを生んだ英国はやはり第一級国だ。●ところで、神の栄光を現すには「どうすればよいのか」とすぐ質問をしたがるのは功利主義の日本人。人間の「はからい」(仏教用語)では神の栄光は現せない。神の栄光は人間の不幸を通してこの世に現される。そのとき当の本人は「この私がなんでこんな目にあわなければならないのか」と嘆くのが普通。そういう嘆きがあることは神に用いられている証拠。


口語訳 Ⅱコリ12:10
12:10 だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。


●「気になってどうしても我慢ならないことは悶々としていないで、思い切ってガーッと吐き出してしまった方がいい」とは精神科の先生のご指導。●「私はこんなに悩んで傷ついているんだぞ」ということを相手に伝えることは相手に心中を伝える最良の方法だとは各種の本に書いてある。つまり相手を裁かないで「あなたの事で私はこんなに苦しんでいる」ということを言うべきだというのである。●しかしこれを言うまでにやはり悶々とするものだが「川の流れのように」(美空ひばり)、いつかは爆発して平静が戻るのも夫婦のありがたさだ。●遅くなったが某女にホワイトデーの贈り物●秘書の村山さんと昼食懇談●コスト研の岩松準氏に「複雑系」を伺う。ニューラルネットということも教えられる。学問は進む●橋本次長と懇談●妻と相談ごと●昼に佐々木静枝さんと妻が電話懇談

トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


若者の聖書勉強会休会 ++++++++ 所感

2007/03/25 19:48

070325(日)5時起床●朝風呂で「日経・私の履歴書」ねむの木学園園長の宮城まり子。障害児施設を建設することを松下幸之助に相談したら、「まり子さんやめときなはれ。あなたは歌を歌ったり芝居をしている天使や。それが神様みたいなことをしたらあかん」と忠告されたという。この人はやはりただ者ではなかった。非凡であった。世の中が尊いことだと言ってちやほやして無条件に無責任に賛成しなかった。●集会は、丹野、山口喜代子(大熊好子さんの思い出)、横田淳(使徒言行録の時代)●昼食会で横田氏と懇談。無教会的聖書の読み方、複雑系の学問など●13:00若者の聖書勉強会。マルコ16章の最後をめぐって談論風発。杉崎孝、小寺利男、七重、高橋照男、トミ子、高橋新一●最後に新一から若者の聖書勉強会の休会宣言。無教会的聖書輪読感話会のよい雰囲気だったのに残念だとの意見が出たが、新一の結婚を一区切りに、ここで休会するという。また良い別の形で再開されることを祈る。●7年間もよく続いた。聖書そのものを輪読して自由に感想を述べ合う、無教会的集会の理想的な形であった。ある若い人が「イエス様の話って面白いですね」と興味を示した人がいたという。その人一人のために7年間の勉強会があったとしても良かったと思われる。●新一は新一で「無教会」の何であるかを掴んだようでその認識のために「勉強会」があったとしても十分意義があった。杉崎孝(93歳)、故大熊好子(80歳)小寺利男(79歳)、諸氏のご指導に感謝。●7年前と言えば私の家が焼けた年、私が脳内出血で意識不明になった年。この第一回目の日に家屋を失ったのだった●主催者の新一と愛子の労を多とする。主にある苦労は無駄に終わらない。天に宝を積んだ。いつか意外な思わぬ形で芽が出る。


塚本訳Ⅰコリ15:58
15:58 だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ。骨折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから。


新改訳 ピリ 2:15-16
2:15 それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、
2:16 いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、苦労したこともむだでなかったことを、キリストの日に誇ることができます


●「若者の聖書勉強会」では次のような著しい発言があった。「神は日本に純粋な福音を植えるために無教会主義を起こした。だから無教会主義という主義そのものはなくなってもよい」●妻は品川の愛子のところに行って20:30帰宅●珍しくもOTさんから電話。●先日の婚約式の式辞、「夫婦喧嘩の作法」の余韻がまだ続く。一度も夫婦喧嘩をしたことのがないという婦人になぜそういうことができるのかその理由をお尋ねする。婦人「主人が私を相手にしないからでしょう」。ナルホド、喧嘩というのは相手に「あるべき姿」を期待しているから起るのかもしれない。期待しなければ喧嘩も起らないのか●次に、22年も前にご婦人に先立たれた93歳の長老に夫婦喧嘩の話をすると、「私は一度も夫婦喧嘩をしたことがない」と言われる。この人もご立派。どうしたらそうなれるのだろう。私はダメだ。私はデキてない。あるべき姿の欲求が強すぎる。律法主義者なのだ。●この93歳の長老の話を帰宅した妻にすると「きっと奥様が偉かったのでしょう」と言う。●過日の長男の婚約式の冨永先生の式辞、「夫婦喧嘩の作法」の話は随分良い影響を人に与えている。ヒルテイは「演説は生活なり」という。

トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


親切をオヤギリと読む超愚か者 ++++++++ 所感

2007/03/24 19:25

070324(土)5時半気象●朝風呂で「日経・私の履歴書」ねむの木学園園長の宮城まり子。続々と寄付金があつまる。経済的援助が真に必要なところには不思議に金が集まるものだ。それは宣伝しなくても集まる。人間にとって真に必要なものは神がご存知。


塚本訳 マタ 6:31-32
6:31 だから、『何を食べよう』とか、『何を飲もう』とか、『何を着よう』とか言って、心配するな。
6:32 それは皆異教人のほしがるもの。あなた達の天の父上は、それが皆あなた達に必要なことをよく御承知である。


●ノジマ電気、ムラウチホビー、図書館●洗面所の配水管水漏れの修理。「水止めテープ」を使うとぴたりと止まった。●田中三郎氏と氏の畑で立ち話。いろいりな人の意見を聞くことは良いことだ。●「心臓が打ち抜かれる思い」について聖書を連想する。塚本訳の敷衍に(母人よ)がある。この敷衍が入れられる背後にどんな悲惨な実話があったことか。


塚本訳 ルカ 2:35
2:35 (母人よ、)あなたも劔で胸を刺しつらぬかれ(る苦しみをせ)ねばなりますまい。──これは多くの人の心の(隠れた)考えを外に出させるためなのです。」


●昼は「妻のおはぎ」。父母が大好きであったので、自転車ですぐ届けに行ったものだが、もう二人ともいない。「孝行したいときには親はなし」「墓に布団はかけられない」「親の意見となすびの花は千に一つの無駄はない」●世の中には自分の欲望の奴隷になり、「親不孝」をなんでもなく考えている人間がいる。親不孝が正義でもあるかのように考えているから罪はさらに重い●過日、小寺利男さんが「『親切』という漢字を「オヤギリ」と読む超愚か者がいる。だから『親殺し』がやまない」と言われた。あー。●夜、妻は合唱の練習。今日はロッシーニの「スターバトマーテル」●島崎暉久氏、冨永尚氏にメール●佐々木典夫、静枝ご夫妻からお電話


トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


何も悪いことをしてないのに ++++++++ 所感

2007/03/23 08:43


070323(金)
5時半起床●朝風呂で「日経・私の履歴書」ねむの木学園園長の宮城まり子。ねむの木学園発足。個人的な寄付者が現れる。その事業が神に「良し」とされたものであれば経済的なサポートは不思議になされる。もしなければ「自然消滅」がよい。●これキリスト教会や無教会集会も同じ。御心でなければ「自然消滅」。それをこの世の企業の経営的な「はからい」を導入してで存続維持しようとするのは「見苦しい」。御心ではない。誤り。主にある集会は金儲けの集団とは質が異なる●社会派と称する人間が私に向かって「なにもしないよりはいいでしょう」と言ったが、わたしはその前に「その人の信仰の質」を問題にするのだ。「神の力、有体的復活、処女降誕、三位一体」を心から信じているのか。もし信じていれば社会問題や天下国家の批判に髪振り乱して飛び回るようなことは絶対にしないのだ。なぜか。それは地上王国の建設、それは福音の敵。彼らは自己の心の平静を保つためにその行動を行っているのだから福音がぼける。●このことは教会主義もまた同じ。無教会の集会主義また同じ。組織の存続維持発展に汲汲としている。「有体的復活の使徒伝承」そっちのけである。この世的である。俗人である。パウロの次の言葉を聞け。


塚本訳Ⅰコリ15:3-5
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。


●パウロをして今日あらしめれば次のように言うであろう。「一番大切な事に一生懸命になれば、教会や集会の物理的存続維持発展や社会批判に一生懸命になるはずはないのだがナー。有体的復活の福音が驚天動地の大変なことであることをワカッチャいない。信仰の質が違うんじゃないかなー」●NHKTV生活ホットモーニングでまた「千の風になって」を放映。交通事故で息子を亡くした父親がこの詩で癒された話。その父親曰く「息子は何も悪い事をしていないのに何故死ななきゃならないんだ」。水をかけるわけではないが、人間この詩では真に癒されない。悩みは解決しない。●「千の風になって」で癒されるというのだから、NHKの限界、日本人の限界、無神論者の限界、儒教仏教の限界、無宗教者の限界、汎神論者の限界、常識哲学の限界を露呈している。程度が低い。人間にとっては「死ぬことは定められているだ!!」。罪の赦しと体の贖いによる有体的復活。これのみが人間に対する真の癒し、慰め。他に癒し慰めの道があれば教えていただきたい。なぜか、キリスト教は「わかりにくい」ものなのだから。●私の論考「千の風になってOh No」(HP「使徒伝承」に所載)に対してのクリスチャンの反響も様々。日本のキリスト教信者は有体的復活の信仰に希薄である。教会発展主義、集会維持継続主義、社会批判、個人の幸福主義、家内安全教育熱心、老後の趣味安泰主義などに熱心な現象がその証明。●人間が死後、霊の有体で復活するという信仰に立つと、この世の出来事はすべて相対化する。そうするとどうなるか、目の前の小なる仕事に主の愛から一生懸命になれる。小なる仕事とは、各人の目前の仕事、学生、教師、医者、会社員、政治家、技術者、主婦、子育て、夫、妻、嫁、姑、病人、・・・・これらに意義を見出せないで社会改良や伝道活動に邁進する人間は大抵「有体的復活、三位一体の使徒伝承」の信仰に希薄。不安定人間。●家を建てたり結婚に一生懸命になっている人間をイエスは「終末が近い」と批判する。しかし家を建てたり結婚するのが悪いことだと思って修道院に入って独身生活を送る人間は聖書の半可通。


塚本訳ルカ 17:26-29
17:26 ちょうどノアの(洪水の)時にあったようなことが、人の子の(来る)日にも起るであろう。
17:27 『ノアが箱船に入った』日まで、人々が飲んだり食ったり、嫁にやったり取ったりしていると、洪水が来て、一人のこらず滅ぼしてしまった。
17:28 ロトの時にも、ちょうど同じようなことがあった。人々が飲んだり食ったり、売ったり買ったり、植えたり建てたりしていると
17:29 ロトがソドムから出た日に、『(神は)天から火と硫黄とを降らせて、『一人のこらず滅ぼしてしまわれた。


●まずい。ヤバイ。これ今の私の家のことだ。上記赤字の部分●拙著「コストプランニングの知識」(鹿島出版会)の増補改定2版の4刷ができてきたので、某牧師(工学出身)に献呈。その送り状。一部省略改変。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 ○○先生


拙著『コストプランニングの知識』増補改定2版第4刷が到着しましたので、献呈させていただきます。


先日、拙宅にお越しいただきましたときに、本書(3刷)に非常なるご興味を示されましたので献呈のしがいがあります。


 初版が1986年ですからもう21年間のロングセラーです。


本書は別の拙著「木造住宅のコストプランニング」と合わせて、常に売り上げ上位に位置しています。原因は「心の本」だからだと思います。自画自賛ですが・・・・・○○先生には工学と信仰と伝道の融合について、またご教示を賜りたいと思います。○○先生は、工学=パソコン 信仰=福音派の信仰 伝道=教会の牧会です。またぜひお越しくださいますようにお願いいたします。以下略。


 


主にありて。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





●天性として生き物好きの嫁との電話。私「犬が苦手なので、犬に出会うとニコッと笑うように努力している」。嫁「お父様、それはダメです。かえってよくありません。犬が好きだというのは『気の流れ』なのです」。私「・・・・」●これ神との交わりに似ていると思い、次の箇所を連想した。




塚本訳  ヨハ 14:22-24
14:22 イスカリオテでない方のユダが言う、「主よ、いったいどういうわけで、わたし達だけに御自分を現わし、この世(の人)にはそうしようとされないのですか。」
14:23 イエスは答えられた、「わたしを愛する者は、わたしの言葉を守る。するとわたしの父上はその人を愛され、わたし達は(父上もわたしも)、その人のところに行って、同居するであろう。
14:24 (しかし)わたしを愛しない者は、わたしの言葉を守らない。(だからわたしを見ることができない。)あなた達が(わたしから)聞く言葉はわたしの言葉ではない、わたしを遣わされた父上の言葉である。





●クラシックの小品が無料で聴けるサイトを発見。曲目は私の好みとぴったり。お勧め。URLは下記





http://yunta.cool.ne.jp/menu.html





●製作者のゆんた氏の「ゆんたのページ」は下記URL。



http://yunta.cool.ne.jp/



●グリーグの「過ぎにし春」が大好きになり図書館にCDを借りに行く。●洗面所の排水が悪いので直したがうまくいかない。明日再挑戦。



s2007_0324_030707AA.jpg


妻が「庭のスミレが咲いたわよ」というので見に行った。2007.3.23 15:00





s2007_0324_034041AA.jpg


図書館の帰り道。畑一面に春の花が咲いていた。ハイドンのオラトリオ四季から「来よのどけき春」を思う 2007.3.23 15:30


s2007_0324_035145AA.jpg


秋留台公園の辛夷(こぶし)。白はいいナー 2007.3.23 15:35


 


 

トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


夫婦喧嘩の作法 ++++++++ 所感

2007/03/22 10:00

070322(木)6時起床●朝風呂で「日経・私の履歴書」ねむの木学園園長の宮城まり子。困ったことがあると愛人の吉行淳之介に相談する。これが気に食わない。善意の福祉事業もだいなしだ●昨日の婚約式の式辞で富永先生から「夫婦喧嘩の作法」なるもののお話があった。先生は夫婦喧嘩は3時間で終わらせるという。また茶話会ではそのことが話題にでて盛り上がり、自分たちは3分で終わらせるという立派なご夫婦もいるかと思うと、長々と延長戦になるのだという夫婦もいた。●夫婦喧嘩はなぜ起るか。聖書になんと書いてあるか。「夫婦喧嘩」と言う言葉はないが、結婚生活には夫婦喧嘩というものがつきものであることは宿命。そのことは次の箇所が暗示している。それは軛(くびき)のことである。


塚本訳 マタ 19:6a
19:6 従って、もはや二人ではない、一体である。だから夫婦は(皆)神が一つの軛(くびき)におつなぎになったものである。・・・」


 ●結婚は暴れ牛を一つの軛(くびき)につなぐようなもの。お互いが牽制され、引っ張られ、自由になれない。実はこれが自分一人が勝手な間違った方向に動けなくなる神の作戦。●男性は結婚すると妻に引っ張られる。女性も結婚すると夫に引きずられる。よい方向に引きずられるならまだしも、二人揃ってダメになる場合もある。結婚式が済むとさっさとキリスト教を捨てるの類がそれである。●「悪魔は聖書を引用する」(シェークスピア)。悪魔は自分の欲に都合の良い聖書の箇所を引用する。その具体的な例。


塚本訳 マタ 4:5-6
4:5 そこで悪魔はイエスを聖なる都(エルサレム)に連れてゆき、宮の屋根の上に立たせて
4:6 言った、「神の子なら、下へ飛びおりたらどうです。『神は天使たちに命じて、手にてあなたを支えさせ、足を石に打ち当てないようにしてくださる。』と(聖書に)書いてあります。(人々はそれを見て信じ、たちどころにあなたの国が出来ます。)」


●悪魔は聖書を引用してイエスを堕落させようとした。神への絶対信頼を崩そうとした。この誘惑に対し、イエスは次のように聖書で応酬した。人間はだから普段まじめに聖書を勉強していなければならない。


塚本訳 マタ 4:7
4:7 イエスは言われた、「ところが、『あなたの神なる主を試みてはならない』とも書いてある。」


●またよく自分に都合の良いところを引用するところで次の箇所がある。


塚本訳  マタ 19:4-5
19:4 答えて言われた、「造物者が始めから『彼らを男と女とに造られた』こと、
19:5 また、『それゆえに人は父と母とをすてて妻に結びつき、二人は一体となる』と言われたことを、あなた達は読んだことがないのか。


●この「捨てて」という言葉が気に入って、普通道徳も礼儀も失礼をも踏みにじり、親兄弟親類縁者にとんでもない無礼な言動にでる人物がいる。聖書勉強の不足からくる。真面目に聖書を深く学んでいないからこうなる。イエスが嘆いている。聖書を自分に都合よく読んで間違った解釈をしている例としてイエスは次のように言う。


塚本訳  マコ 7:9-12
7:9 また話しつづけられた、「あなた達は自分の言伝えを守ろうとして、神の掟をないがしろにしているが、うまいものだ!
7:10 モーセは、『父と母とを敬え、』また『父または母を罵る者はかならず死に処せられる』と言ったのに、
7:11 あなた達はこう言うのだから。──『もしある人が父または母にむかって、わたしがあなたに差し上げるはずのものはコルバン[すなわち(神への)供え物]にする、と言えば、
7:12 (扶養の義務をまぬかれて、)もはや父または母に何一つすることを許されない』と。


●こういう箇所は聖書を真面目に深く勉強しないとその真意がつかめない。●クリスチャンは儒教道徳の孔子や孟子に尊敬されなければならない。


文語訳 マタ 5:20
5:20 我なんぢらに告ぐ、汝らの義、學者・パリサイ人に勝らずば、天國に入ること能はず。


塚本訳 マタ 5:20
5:20 わたしは言う、あなた達の行ないが聖書学者やパリサイ人以上にりっぱでなければ、決して天の国に入ることはできない。


 ●自分の欲望に都合の良いところにだけ赤線を引いて一生懸命読んでいる人がいるが、それは「聖書に聞く」態度ではない。「聖書の権威」を認めていない。それは自分の思想確立に聖書利用している。●イマドキのワカイモンやフェミニスト神学者やジェンダー(男らしさ、女らしさの社会的差別をなくそうとする運動)を振り回す人間に多い。真の信仰者とは言いがたい。●図書館でCD、グリーグ「過ぎにし春」をリクエスト。郵便局、東急●悪いことは神が裁く、注意する、導く、そして救う。 ひどい言動や非礼は神が撃つ。神は絶対に見逃さない。人間は言い逃れができない。神はご自身の名誉のためにそれを実行する。かくて神の正義が貫徹する。●ヒルティ幸福論Ⅱの「罪と憂い」の結論は憂いの原因は「罪」●肉の病、精神の病、家庭内のゴタゴタの原因は「罪」。人がもしそれに気がつけば肉の病も精神の病も家庭内のゴタゴタもそれは救いに導かれる神の「鞭」。気がつかなければ闇から闇へ転落して地獄行き。●罪のうちに地獄に転落する人間のことは「押しとどめる」ことはできない。転落の途中で岩の角に頭をぶつけて目が覚めない限り、人間の力では無理だ。イエスはこのことを次のように言う。


塚本訳ルカ 16:26-31
16:26 そればかりではない、わたし達とあなた達との間には大きな(深い)裂け目があって、ここからあなた達の所へ渡ろうと思っても出来ず、そこからわたし達の所へ越えてくることもない。』
16:27 金持が言った、『父よ、それではお願いですから、ラザロをわたしの父の家にやってください。
16:28 わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。』
16:29 しかしアブラハムは言う、『(その必要はない。)彼らにはモーセ(律法)と預言書と[聖書]がある。その教えに従えばよろしい。』
16:30 彼が言った、『いいえ、父アブラハムよ、もしだれかが死人の中から行ってやれば、きっと悔改めます。』
16:31 しかしアブラハムは答えた、『モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。』」

トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


Go on, in the strength of Dod ! ++++++++ 所感

2007/03/21 06:59

070321(水)5時起床●朝風呂で「日経・私の履歴書」ねむの木学園園長の宮城まり子。役所の許可を求めるために奔走。わが国の許可行政の仕組みからは「良い発想」は生まれない。それはただ、安全と常識の道を策定するのみ。企業の役員会また同じ。保身術、護身術人間の集まりの会議からは独創的冒険的な発想はでない。「連帯責任は無責任」「会議から良いものは生まれない」●と言って一人で事業を起こそうとすると銀行はまず資金融資をしない。銀行も護身術。あー世の中は難しい●「一人で聖書を勉強している無教会主義者です」という人物の信仰はまずアブナイ。それは「ひとりよがり」の信仰になる。キリスト信者は三位一体有体的復活の正統信仰を保持する「集団」の一員であり続けなければならない。クリスチャンの信用度は「どこの集団」に属しているかにかかっている。●集団にいることのメリットは自分が他人に抑制牽制されるからである。結婚また同じ。「くびきに繋がれる」とはよく言ったものだ。●先生の人間的魅力またその宗教思想に惹かれたり、建物や音楽絵画に弾かれて集団や教会に属すのは間違い。なぜか。それがなくなるとちりじりになる。●エクレシアの土台は有体的復活、三位一体の使徒伝承たる正統信仰。●「親族と別れる」ということについて思いを巡らす。


12:1 その後、主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。
12:2 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。


●子供は親から離れていく。親族と別れていく。それが人生の定め。●人と人との別れ方は「ひどいもの」である。双方必死だからである。しかし「送り出す者」は別れて行く者に次のように祝福すべきである。


Go on, in the strength of Dod ! (ホイッチャー)


行け! 神の力を受けて



口語訳 詩  45:10
45:10 娘よ、聞け、かえりみて耳を傾けよ。あなたの民と、あなたの父の家とを忘れよ。


塚本訳 ルカ 14:26
14:26 わたしの所に来て、その父と母と妻と子と兄弟と姉妹と、なおその上に、自分の命までも憎まない者は、だれもわたしの弟子になることは出来ない。


塚本訳 ヘブ 11:8
11:8 信仰によって、アブラハムは財産として戴くべき(カナンの)場所に『出てゆけ』とのお召しを受け、(素直に)言うことを聞いた。そしてどこへ行くともわからず、『出ていった』。


塚本訳 マタ 19:5
19:5 また、『それゆえに人は父と母とをすてて妻に結びつき、二人は一体となる』と言われたことを、あなた達は読んだことがないのか。


●14:00今井館聖書講堂で高橋家長男新一と佐々木家次女衣純の婚約式。司会小寺利男、式辞富永國比古、奏楽近藤華子。心のこもった真に立派な婚約式であった。終了後の茶話会は23名。両親兄弟だけの簡素なもの。しかし天国の婚宴もかくやと思われるなごやかなものであった。式1時間、茶話会1時間はちょうどよかった。奏楽(これがまたよかった)は前奏がバッハのBWV508、讃美歌は「あまつましみず」と「またきあいたもうかみよ」。歌いながら胸にジーンと来た。


讃美歌428番


1. またき 愛 たまう 神 よ,


   おおまえ に むすばれし


   この 妹背(いもせ) 愛 の 御手 に


   祝しはぐくみ たまえ.


 2. みめぐみ の ゆたか なれば,


   なぐさめ と のぞみ と は,


   その 家 に わき あふれて,


   おそれ なやみ は 消えなん.


 3. かなしみ は きよき さち に,


   あらそい は やわらぎ に,


   ことごとく かわり ゆきて,


   とわ の やすき は 満ちなん.


●茶話会の席上で新一は創世記2章15~25節を朗読した●私は「結婚は神の『思い」が原点であって、結婚の定めは創造の業の一つである」と話した●数人に今井館資料館を案内した。●高橋守一家と、華子さんを交えて夕食。みんな昼食抜きであった。●帰途、妻に「これで思い残すことはない。あなたはせいぜい長生きしてください」と語った。すると妻は「私の方が先に死にます」と言った。


 

トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


痛み ++++++++ 所感

2007/03/20 20:00

070320(火)5時半起床●朝風呂で「日経・私の履歴書」ねむの木学園園長の宮城まり子。障害児施設を諸外国に学ぶ。形だjけ真似てもダメだ。その精神的基盤であるキリスト教をまねなければならない。ねむの木学園も宮城まり子がいなくなれば衰退する●心臓が痛むので、池谷委員へ急ぐ。血圧、心電図、胸のレントゲン。問診の結果は風邪による胃酸の食道への逆流。とにかく痛みというのは辛い。●処方された薬で心臓(実は胸であった)痛みはぴたりととまる。プロはすごい。●昼寝2時間●明日の準備●材料も時間も「余裕」を持つことが大切。なぜか「予期せぬこと」が起るから。●「初代教会文献リスト」と「千の風になって」の返事がきて嬉しい。聖徒の交わり。


s2007_0320_084533AA.jpg


医者に行く途中。富士はすばらしい。雪の富士。2007.3.20 8:45



s2007_0320_114749AA.jpg


我が家の上に白いきれいな雲。 2007.3.20 11:47

トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


歴史は正史、裏面史が貴重 ++++++++ 所感

2007/03/19 07:14

070319(月)5時起床●朝風呂で「日経・私の履歴書」ねむの木学園園長の宮城まり子。障害児施設の建築へ。肝心の資金計画はどうしたのがが書いてないから拍子抜け。価値なし●趣味で建築写真に随想をつけた本を出している若い人から献本された。その本の批評をしたことに対して御礼の手紙をいただく。それに対してまたメールをした。一部省略改変。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


○○○○様


(建築の場所を)ネットで案内とは、若さですねー。すごく便利です。脱帽。
「建築は関西」。忙しい現代人」です。写真の説明は
言いたいことは30字以内に切り詰めそぎ落として表現されるとより印象的でしょう。
「あーすごいなー」とか「すげー」とか「懐かしいなー」という表現だけでもよいと思います。
その人物がその建築に接して「どう思った」かが私家版建築案内本の価値と解します。
建築に対するメチャクチャくそみその批評こそ価値あるものです。ラスキンはそれをやっていますから逆に(建築の)「七燈」を掲げられたのですね。
「歴史は正史」であって勝者の随筆。
大切なのは「自分史」「裏面史」「敗者のつぶやき」。いわゆる建築雑誌に掲載される
有名建築、ニュース性のある建築の批評は仲間内の誉めあい。見方の半分で正しくありません。
「我流の素人の直感批評」こそ大切です。貴重です。
「丹下、黒川の作品はどうも心にしっくりこない」とか言う、文明批評などはどうでしょうか。どの道「売らんかなの本」ではないからです。私家本の方が「強み」があります。
さらなる、ご活躍をお祈りします。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


●仕事で「複雑系」の研究に着手。この世は「カオス」であった。そこに「光あれ」という明確な意思が働いた。●胸苦しく、風邪気味、明日医者に行くことにして早寝

トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


教会史への接続 ++++++++ 所感

2007/03/18 07:46

070318(日)5時半起床●朝風呂で「日経・私の履歴書」ねむの木学園園長の宮城まり子。障害児施設を米国に学ぶ。障害児に対する米国人の姿勢は見上げたもの。「障害児は神に特別に愛されている人」という認識。キリスト教文化の華。●日本は障害児や禍は「たたり」だと思っている。全然違う。日本は暗い。●保有する初代教会史文献51冊(HP「使徒伝承」参照)を整理しての感想。「有体的復活の使徒伝承は無教会(集会)主義によって2000年の教会史に接続する」●集会は茂木、村上、望月●小寺夫妻、妻の4人で昼食●某氏から贈っていただいたヘンデル・メサイア、「ネビルマリナー+アカデミー室内管弦楽団(ライヴ版)」のビデオテープを妻と鑑賞。「血湧き、肉踊る」で聴いたが、マリナーはあくまでも冷静。これは私の「宝」となった。これで私の「メサイア」保有はCDが8、ビデオが1、レコードが1、合計10種類となった。


s2007_0318_055947AA.jpg


朝日が差す。額の書は、独立学園の桝本梅子先生の絶筆、「みんなよしよしよし」と書いてある。


2007.3.18 


s2007_0318_150228AA.jpg

カラスが枝を集めている。ポキッと音がした。巣を作るのだろうか。うまく作れよと職業柄応援の気持ち湧いた。  2007.3.18 集会の帰途、あきる野市

トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


忙しい日であった ++++++++ 所感

2007/03/17 12:31

070317(土)5時半起床●朝風呂で「日経・私の履歴書」ねむの木学園園長の宮城まり子。脳性マヒの子供の役をどうしてもできずに普通の行動にした。公演終了後脳性マヒの子供から握手をもちょめられ、このときこの子らのために尽くそうと決心。仕えるべき対象は「向こうからやってくる」ものだ。●初代キリスト教文献リストに15冊追加●9:00池谷医院、血圧129/86正常 9:30床屋 10:30薬局 11:30 昼食 12:00家で初代キリスト教文献リスト追加作成 13:30日の出が丘病院ホスピス遺族会司会 明日は母の命日3周年。18:00浜離宮朝日ホールで「シングズ」演奏会。妻と鑑賞。守出演、グリーグの「春」がよかった。帰宅22:00、メサイアのCDとビデオが届いていた。明日の晩に鑑賞するのが楽しみ。今日は忙しかった。


s2007_0317_153537AA.jpg


日の出が丘病院の梅は満開。三年前の明日、2004.3.18に母は召された。その日は東京の開花宣言の日であった。アッと言う間の三年であった。 「願わくは、花の下(もと)にて春死なん、その如月(きさらぎ)の望月(もちづき)のころ。西行」。花の好きな母はそのとおりに逝った。2007.3.17 15:30


s2007_0317_174813AA.jpg



浜離宮朝日ホール。「シングズ」演奏会。次男の守が出演。グリーグの「春」がすばらしくよかった。涙がこぼれそうになった。なかなかすばらしいホール。シューボックス型。


2007.3.17 18:00

トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


人生は行きあたりばったりの方がよい ++++++++ 所感

2007/03/16 08:14

070316(金)5時半起床●朝風呂で「日経・私の履歴書」ねむの木学園園長の宮城まり子。舞台で脳性マヒの少女の役をやるに当たり、脳性マヒの施設にその動きを「見学」に行った。これが彼女をして「ねむの木学園」を設立させるようになったきっかけ●人生は行き当たりばったりの方が「大きな仕事」「偉大な仕事」をするようになる。なまじちっぽけな頭で計画を立ててそれに努力することを美徳と考え奨励する今日の教育観では大したものは出てこない。●「偉大な仕事」は逆境から生まれるのだ。経済的苦悩から生まれるのだ●某氏と、ヘンデルの「メサイア」のCDでお互いに不足のものを補い合う。●その某氏からのメールに「メサイアに比べて『千の風になって』のなんと薄っぺらなものよ」という意味のことがあった。アーメン。そこで以下のように返メール。一部省略改変


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「千の風になって」は何と薄っぺらなことか、・・ナルホドそうです。
ヘンデルは「メサイア」を泣きながら短期間で仕上げたそうです。その喜びが
我が同胞にないので、世の中暗いのです。あの小生の「千の風になって。Oh No!」は
身内に先立たれたそれも女性からの真摯な反響応答がありました。ここことでイエスが身内の死に泣いている人に近づいたのは女性が多いことに気がつかされました。
ラザロの姉妹(ヨハネ11:39)のマルタ。ナインの若者の母(ルカ7:11)。
私も今朝、福音とは「永遠の命」が与えられたこと、実はこのことが人間の究極の
願いであるのだ、そのためにヨハネ3:16が重要なのだ、ということがひらめきました。
なるほど、死とそれに続く有体的復活の間には
「罪の体の贖い」があるのだ。それなくして、スーッと天国には行けないのだ。だからヨハネ3:16の前半があるのだということをわからせて頂きました。
ロマ8:23の塚本訳は次のようになっていてここの敷衍に(罪の)があるところが重要で、
このところが我が同胞に必要と思います。「千の風になって」にはこれがないのです。ですから薄っぺらなのではないでしょうか。
ヘンデルはすごい、バッハもすごい。わが国がその水準になるまでに数百年はかかるのでしょうか。・・・・・私も残る生涯、「死の悲しみ」に泣く人に向かって「福音」を伝えるものでありたいと、次第に照準が定まってまいりました。



塚本訳  ロマ 8:23
8:23 しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証拠として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである。



高橋照男


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


s2007_0316_083205AA.jpg


奥多摩の山は雪らしい。今日は都心で初雪。遅い雪のレコードらしい。2007.3.16 8:25 出勤の時。

トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


信者がこの世から理解されないのは宿命 ++++++++ 所感

2007/03/15 07:50

070315(木)3案時半目覚め5時半起床●朝風呂で「日経・私の履歴書」ねむの木学園園長の宮城まり子。帝劇のおける「風とともに去りぬ」の舞台で本物の馬が倒れて起き上がれなくなったとき、持ち前の「生き物好き」の力を発揮して立ち上がらせ、観客のスタンディングオーベーションを受ける。●神により日本に植えられた「無教会主義」のありがたさは「聖書を自由に読んでよい」こと。教派に所属することはいいこともあるが聖書を自由に解釈できないところが不自由。聖書解釈を自由にされたら信仰が曲がるという心配から教派としての信仰規準が設けられてlきたが、無教会100年、その社会実験で決着がついた。無教会は「聖書の権威を認めこれを基礎としているので、健全な気風を示している」とは東京神学大学の学長であった桑田秀延氏の言葉。(東神大パンフレット「教会論入門」P14)。全体主義の計画経済は崩壊して自由主義経済が主流を示すようになったのと似ている。。「株価は神の手」「市場の動向は神の手」の原理に似ている。多くの人が聖書を自由に読むところに「神の手」が働く●キリスト信者はこの世から理解されないのが当初からの宿命。なぜか。科学的に言えば「霊のことは霊でなければわからないから」。「5次元のことは4時元の大脳皮質ではわからないから」。ここに信者はいつの時代にも苦労する。その苦労は当たり前。理屈にあっている。●一昨年召された大熊一雄さんと今月召された大熊好子さんへのレクイエム(鎮魂曲)を執筆。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 


信者が世から理解されないのは宿命


大熊一雄、好子さんへのレクイエム(鎮魂曲)


東京聖書読者会 高橋照男 2007.4.1


 


●イエスの生涯は身内にも弟子にも世の人にも理解されないものであった。


 塚本訳ヨハ 2:1-4
2:1 それから三日目に、ガリラヤのカナに婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
2:2 イエスも弟子たちと婚礼に招かれた。
2:3 すると宴会の最中に酒が足りなくなったので、母がイエスに言う、「お酒がなくなりました。」
2:4 イエスが言われる、「女の方、〃放っておいてください。〃わたしの栄光(を示す)時はまだ来ておりません。」


塚本訳マコ 3:31-35
3:31 そこにイエスの母と兄弟たちが来て、外に立っていてイエスを呼ばせた。
3:32 大勢の人がイエスのまわりに坐っていたが、彼に言う、「それ、母上と兄弟姉妹方が、外であなたをたずねておられます。」
3:33 イエスは「わたしの母、兄弟とはだれのことだ」と答えて、
3:34 自分のまわりを取りまいて坐っている人々を見まわしながら、言われる、「ここにいるのが、わたしの母、わたしの兄弟だ。
3:35 神の御心を行う者、それがわたしの兄弟、姉妹、また母である。」


塚本訳マタ 10:34-36
10:34 地上に平和をもたらすためにわたしが来た、などと考えてはならない。平和ではない、剣を、(戦いを)もたらすために来たのである。
10:35 わたしは子を『その父と、娘を母と、嫁を姑と』仲違いさせるために来たのだから。
10:36 『家族が自分の敵となろう。』


塚本訳マタ 10:21-22
10:21 また兄弟は兄弟を、父は子を、殺すために(裁判所に)引き渡し、『子は親にさからい立って』これを殺すであろう
10:22 あなた達はわたしの弟子であるために皆から憎まれる。しかし最後まで耐え忍ぶ者は救われる。


 塚本訳ルカ 21:16-17
21:16 あなた達はまた親、兄弟、親族、友人からまで(裁判所に)引き渡される。殺される者もあろう。
21:17 またわたしの弟子であるために皆から憎まれる


塚本訳 ルカ 12:51-53
12:51 あなた達は、地上に平和をもたらすためにわたしが来たと思うのか。そうではない、わたしは言う、平和どころか、内輪割れ以外の何ものでもない。
12:52 今からのち、一軒の家で五人が割れて、三人対二人、二人対三人に
12:53 割れるからである。父対息子』息子対父、』母対娘』娘対母、』姑対嫁』嫁対姑』!」


塚本訳マコ 6:1-6
6:1 そこを去って郷里(ナザレ)に行かれた。弟子たちもついて行った。
6:2 安息日になって礼拝堂で教え始められると、大勢の人がそれを聞いて、驚いて言った、「この人はこんなことをどこから覚えてきたのだろう。この人の授かったこの知恵はなんだろう。また、その手で行われるかずかずのこんな奇蹟はいったいどうしたのだろう。
6:3 これはあの大工ではないか。マリヤの息子で、ヤコブとヨセとユダとシモンとの兄弟ではないか。女兄弟たちは、ここで、わたし達の所に住んでいるではないか。」こうして人々はイエスにつまずいた。(そのため彼の言葉に耳を傾ける者がなかった。)
6:4 イエスは彼らに言われた、「預言者が尊敬されないのは、その郷里と親族と家族のところだけである。」
6:5 (郷里の人々の不信仰のゆえに)そこでは何一つ奇蹟を行うことが出来ず、ただわずかの病人に手をのせて、なおされただけであった。
6:6 イエスは人々の不信仰に驚かれた。それから村々をぐるぐる回りながら教えられた。


塚本訳 ルカ 18:28-30
18:28 ペテロが(イエスに)言った、「でも、わたし達はこの通り、自分の持ち物をすててあなたの弟子になりました。」
18:29 彼らに言われた、「アーメン、わたしは言う、神の国のために家や妻や兄弟や親や子を捨てた者で、
18:30 この世でその幾倍を、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。」


塚本訳マタ 16:21-23
16:21 この時から、イエスは自分が(神の計画どおり)エルサレムに行って、長老、大祭司連、聖書学者たちから多くの苦しみをうけ、殺され、そして三日目に復活せねばならないことを弟子たちに示し始められた。
16:22 するとペテロはイエスをわきへ引っ張っていって、「主よ、とんでもない。そんなことは絶対にいけません!」と言って忠告を始めた。(救世主が死ぬなどとは考えられなかったのである。)
16:23 イエスは振り返って、ペテロに言われた、「引っ込んでろ、悪魔、この邪魔者!お前は神様のことを考えずに、人間のことを考えている!」


塚本訳マコ 3:20-22
3:20 家にかえられると、また群衆が集まってきて、みんなは食事すら出来なかった。
3:21 身内の者たちが(イエスの様子を)聞いて(ナザレからカペナウムへ)取りおさえに出てきた。「気が狂っている」と思ったのである
3:22 またエルサレムから下ってきた聖書学者たちは、「あれはベルゼブル[悪魔]につかれている」とか、「悪鬼どもの頭[悪魔]を使って悪鬼を追い出している」とか言った。


塚本訳 ヨハ 10:19-21
10:19 (イエスの)これらの言葉によって、ユダヤ人の間にまたもや意見が分れた。
10:20 そのうち多くの者は、「あの人は悪鬼につかれて、気が狂っている。どうしてあなた達はあんな人の話を聞くのか」と言い、
10:21 またこう言う者もあった、「悪鬼につかれた者にあんな話はできない。悪鬼に盲人の目をあけることが出来ようか。」


 


●イエスが身内から「気が狂った」と思われても仕方がない言動。


 塚本訳ルカ 9:59-60
9:59 またほかの一人に言われた、「わたしについて来なさい。」その人が言った、「その前に、父の葬式をしに行かせてください。」
9:60 その人に言われた、「死んだ者の葬式は死んだ者にまかせ、あなたは行って神の国を伝えなさい。


 塚本訳マタ 10:37
10:37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたし(の弟子たる)に適しない。わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたし(の弟子たる)に適しない


塚本訳マコ 10:29-31
10:29 イエスは言われた、「アーメン、あなた達に言う、わたしのため、また福音のために、家や兄弟や姉妹や母や父や子や畑をすてた者で、
10:30 今、この世で──迫害のうちにおいてではあるが──百倍の家と兄弟と姉妹と母と子と畑とを、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。


塚本訳マタ 16:24-26
16:24 あとでイエスは弟子たちに言われた、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、自分の十字架を負い、それからわたしに従え。
16:25 (十字架を避けてこの世の)命を救おうと思う者は(永遠の)命を失い、わたしのために(この世の)命を失う者は、(永遠の)命を得るのだから。
16:26 たとい全世界をもうけても、命を損するならば、その人は何を得するのだろう。それとも、人は(一度失った永遠の)命を受けもどす代価として、何か(神に)渡すことができるのだろうか。


塚本訳 ヨハ 12:25
12:25 [(この世の)命をかわいがる者は(永遠の)命を失い、この世で命を憎む者は、命を守って永遠の命にはいるであろう。


 


塚本訳マタ 19:5


19:5 また、『それゆえに人は父と母とをすてて妻に結びつき、二人は一体となる』と言われたことを、あなた達は読んだことがないのか。


 


●霊の世界のことは5次元の世界のこと。4次元の大脳皮質では永遠にわからない。このことをイエスはどう言っているのか。心砕いてどんなに努力してもわかってもらえない。福音は人間の努力や人格や能力では伝わらないことが明らかになるためである。ここが信者の家庭の悲しいところ。


ヨハ 8:43
8:43 なぜわたしの言葉が通じないのだろうか。(神から委ねられた)わたしの福音を聞く耳がないからだ。


 


塚本訳ヨハ 12:39-40


12:39 (そして)人々が信じ得なかったのは、イザヤがさらにこう言っているからである。──


12:40 〃主は彼らの目を見えなくし、その心を頑なにされた。これは彼らが目で見、心で解り、心を入れかえて、わたし(主キリスト)に直されないようにするためである。〃


塚本訳 マタ 13:11
13:11 答えられた、「あなた達(内輪の者)には、天の国の秘密をさとる力が授けられている(のでありのままに話す)が、あの(外の)人たちには授けられていないのだ


 塚本訳 マタ 16:23
16:23 イエスは振り返って、ペテロに言われた、「引っ込んでろ、悪魔、この邪魔者!お前は神様のことを考えずに、人間のことを考えている!」


 塚本訳 ヨハ 3:3
3:3 イエスが答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、(徴を見て信じたのではいけない。)人は新しく生まれなおさなければ、神の国にはいることは出来ない。」


 塚本訳 ヨハ 10:26-27
10:26 だが、あなた達は信じない。わたしの羊でないからだ。
10:27 わたしの羊はわたしの声を聞きわける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。


塚本訳 ヨハ 15:26
15:26 (また)わたしが父上のところからあなた達に遣わす弁護者、すなわち父上のところから出てくる真理の霊が来る時、それがわたしのことを(すべて)証明するであろう


 塚本訳 ヨハ 6:44-45
6:44 (わたしを信じないのは、父上が引っ張ってくださらないからだ。)わたしを遣わされた父上が引っ張ってくださらなければ、だれもわたしの所に来ることはできない。(しかし来れば、)わたしはその人をきっと最後の日に復活させる
6:45 預言書に、〃(最後の日に)人は皆神に教えを受けるであろう〃と書いてある。(そして神に引っ張られる者、すなわち本当に)父上に聞き、また学ぶ者は皆、わたしの所に来る


塚本訳 ヨハ 14:26
14:26 (わたしが去ったあとで、)父上がわたしの名で遣わされる弁護者、すなわち聖霊が、あなた達にすべてのことを教え、またわたしが言ったことをすべて思い出させるであろう。


 


塚本訳 ロマ 11:8


11:8 『神は彼らに』『麻酔の霊を』『与えて、目を見えなくし、耳を聞こえなくされた、今日に至るまで。』と書いてあるとおりである。


 


塚本訳 Ⅱコリ4:4


4:4 彼らの場合、この不信者たちの考えをこの世の神(である悪魔)が盲にして、神の影像である救世主の栄光をつげる福音の光を見ることができないようにしたのである。


塚本訳ヨハ 6:63
6:63 霊が命を与える。肉はなんの役にも立たない。いまわたしがあなた達に話した言葉は、霊である。だから、命である。


 


●霊のことは霊でなければわからない。 第一コリント2章14節の各種翻訳


岩波翻訳委員会訳1995


460214しかし、自然的な人間は、神の霊のことがらを受け容れない。なぜならば、それはその人には愚かさだからであり、〔それをその人は〕認識することができないからである。というのは、それは霊的な仕方で判断されるからである。


 


新共同訳1987


2:14 自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。霊によって初めて判断できるからです。



前田訳1978


 2:14 生まれながらの人は神の霊のことを受け入れません。それは彼にとって愚かだからで、それを悟りえません。それは霊的に判断されるものだからです。



新改訳1970


2:14 生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。


 


塚本訳1963


2:14 しかし(御霊を持たない)生まれながらの人間は、神の霊から出てくることを受け入れない。彼にはそれが馬鹿なことなのである。またそれを理解することも出来ない。(霊のことは)霊的に判断されねばならないからである。



口語訳1955


 2:14 生れながらの人は、神の御霊の賜物を受けいれない。それは彼には愚かなものだからである。また、御霊によって判断されるべきであるから、彼はそれを理解することができない



文語訳1917


"460214","性來のままなる人は神の御靈のことを受けず、彼には愚かなる者と見ゆればなり。また之を悟ること能はず、御靈のことは靈によりて辨ふべき者なるが故なり。"


 


●この信者の永遠の苦悩というものに対して新約聖書はどう言っているか。新約聖書は信者達この苦悩を慰め励ますために編集されている。パウロの手紙の本質もこの慰め、励まし。


 


塚本訳 Ⅰコリ1:18-19
1:18 なぜか。この十字架についての言葉は、滅びゆく者には馬鹿なことであるが、わたし達救われる者には、神の力(の現われ)であるから
1:19 (聖書に)こう書いてあるではないか、『知恵者の知恵をわたしは滅ぼし、賢い者の賢さをわたしは無にする』と。


 


 塚本訳Ⅰコリ1:23-24
1:23 わたし達は十字架につけられたキリストのこと(だけ)を説く。すなわち、ユダヤ人にはつまづき、異教人には馬鹿なことであるけれども
1:24 (神に)召された者だけには、ユダヤ人、異教人の別なく、(これこそ)神の力、また神の知恵なるキリストを(説くのである)。


 


塚本訳 マタ 10:23-24
10:23 この町で迫害された時には、次の町に逃げてゆけ。アーメン、わたしは言う、人の子(わたし)は(すぐに)、あなた達がイスラエル人の町々を回りつくさぬうちに来るのだから。
10:24 弟子は先生以上でなく、僕は主人以上ではない。(だからあなた達が迫害されるのは当り前である。)


 塚本訳Ⅱコリ4:3-4
4:3 しかしそれでもなおわたし達の説く福音が(ベールで)覆われている(からわからないのだと言う)なら、それは滅びゆく者にとって(だけ)覆われているのである
4:4 彼らの場合、この不信者たちの考えをこの世の神(である悪魔)が盲にして、神の影像である救世主の栄光をつげる福音の光を見ることができないようにしたのである


 


 塚本訳Ⅰコリ4:3
4:3 しかし(そのことについて、わたしはだれにも判定してもらおうと思わない。)あなた達によって、あるいは人間の裁判所によって判定されることなど、わたしには全くつまらないことである。いや、わたし(自身)でさえ自分を判定しない。


 塚本訳Ⅰコリ2:12
2:12 しかしわたし達はこの世の霊でなく、神から来るその霊を戴いた。それは、神から恩恵として賜わったもの(の何であるか)が、わかるためである


 


塚本訳 使  17:32
17:32 死人の復活と聞くと、嘲る者もあり、「そのことはまたいつかあなたに聞こう」と言う者もあった。


 


塚本訳 使  18:15
18:15 問題が(宗教の)教義や、(救世主という)人物や、あなた達の律法に関するものなら、自分で始末したがよかろう。わたしはそんなことの裁判官になりたくない。」


 


塚本訳 使  25:19
25:19 この男に対しての問題は、何か彼らの宗教に関してと、死んだイエスとかいう者を、パウロ(というその囚人)が、(今も)生きていると主張したことに関してであった


 


 塚本訳 使  26:24-25
26:24 彼がこのように弁明したとき、フェストが大声で(それをさえぎって)言う、「パウロ、お前は気が狂っている。博学がお前を狂わせたのだ。」
26:25 パウロが言う、「フェスト閣下、気は狂っておりません。わたしは正気で真理の言葉を話しています。


 


  塚本訳 Ⅰヨハ2:20
2:20 そしてあなた達は聖者(キリスト)から油を注がれ(て聖者となっ)たのであるから、皆、(何が真理で、何が嘘であるかを)知っている。


 


 塚本訳 Ⅰヨハ2:27
2:27 しかしあなた達は、キリストから戴いた油(すなわち聖霊)が留っているのだから、だれからも教えてもらう必要はない。彼の油が万事についてあなた達に教えるように、またそれはまことであって、嘘ではない。そしてその油があなた達に教えたとおり、(つねに)キリストに留っておれ。


 


塚本訳Ⅰヨハ5:20
5:20 しかしわたし達は知っている、神の子が来て、(唯一の)まことの者(なる神)を知る知識力をわたし達に与えられたことを。そしてわたし達はこのまことの者の中に、(然り、)御子イエス・キリストの中に、あるのである。この方はまことの神であり、また永遠の命である。


 


●霊の世界のことが分からない人には「やさしく」話さなければならない。わかりやすく話す努力が必要だ。パンを水の上に投げよ。


 


  塚本訳ガラ 6:1
6:1 兄弟たち、もし何か過ちを犯した人があったら、あなた達霊の人は、柔和な心でこんな人を正しい道に引戻さねばならない。(ただ)あなたも(一緒に)誘惑されないように、自分に注意せよ。


 


●私たち信者としてのこの永遠の苦悩と涙は決して無駄に終わらない。


 


 塚本訳Ⅰコリ15:58
15:58 だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ。骨折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから。


 


 塚本訳Ⅰテサ3:3
3:3 (斯くして)この(大なる)患難の際に(君達の中の)誰一人も揺すぶられることの無いためである。──私達(キリストを信ずる者)が斯く運命づけられていることは、君達自身が(よく)承知しているはずだ。


 


 塚本訳 ピリ 2:16
2:16 かくて私の走ったことが無駄にならず、』苦労したことが無駄に』ならずに、キリストの日に名誉が私に帰するであろう


 


●被造物はうめいている。信者はうめいている。


 塚本訳 ロマ 8:22-23
8:22 わたし達が知っているように、全創造物は(かの日から)今まで、一しょになって呻き、一しょになって産みの苦しみをしている。(父なる神がこの  呻きに耳を傾けられないことがあろうか。)
8:23 しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証拠として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである



塚本訳ピリ 1:29
1:29 君達はキリストのために──ただ彼を信ずるばかりでなく、また彼のために苦しむことをも恵まれたからである


 


塚本訳 コロ 1:24
1:24 今私は君達のために苦しむことを喜びとし、またキリスト・イエスの体なる教会のために私の体でキリストの患難の不足を補っている


 


塚本訳 ガラ 4:19
4:19 わたしの子供たちよ、あなた達の中にキリストが形づくられるまで、わたしはもう一度産みの苦しみをしている


 


 


●クラウス著「ダンテ」の結語


 


ダンテは常に謎の人であった。しかし彼の何であるかに気づいた少数の者には、天国への道を彼は開いた。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 


 


 


 


 


 


 


 






 


 


 


 


 


 


 




 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 




 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


自分に与えられた役目に一所懸命になれ ++++++++ 所感

2007/03/14 08:25

070314(水)6時起床●日経第一面、「三菱重工が米国で原発2基受注」。三菱重工の技術力と三菱商事の商社力の勝利。仕事は技術力だけではだめ。なぜか、技術者は自分で自分の仕事に「悦に入って」物事が公平に見えないから。会社でも営業と技術が組む必要があるのはそのため。営業と技術の喧嘩は宿命、それは健全な姿●学校は経営の理事会と、学問の教職員は分けてバランスをとった方がよい●キリストのエクレシアも同じ、パウロは次のように言う。エクレシアはキリストの体だと。


塚本訳 Ⅰコリ12:4-7
12:4 ところで、(神の霊の賜物は同じものではない。しかし)賜物はいろいろあるが、同じ御霊(の働き)である。
12:5 役目はいろいろあって、しかも同じ主(が与えるもの)である。
12:6 力の働きはいろいろあって、同じ神(から出るもの)であり、このお方がすべての人の中にすべてのことを行なわれるのである。
12:7 御霊が(このように)それぞれの人に現われるのは、(集会全体の)利益のためである。


●5節、集団には役目はいろいろあるというところが現代的である。オーケストラや企業と同じ。各自は自分に与えられている役目に一生懸命になるのがよい。これアダムスミスが「国富論」で説くところも同じ。各自は小さい歯車、神は時計職人、多くの小さい歯車をうまく組み合わせて時計(世界歴史)を動かす。これ、全体の方向に「無知」ということではない。全体が正しい方向に行くことは「祈り」。●「祈り」だけではダメだ「行動だ、行動」と言う人間は神の力というものを知らない唯物人間。7節、各自に役目が分かれるというのは「(集会全体の)利益のため」とはこれまた深い考え。パウロは新しい。また塚本敷衍の(集会全体の)は慰めに満ちるものである。●各ポジションで有能な人間になれば「経営会議」という全体の方向を決める会議に招かれる。経営会議には営業、経理、技術、現場のトップで形成される。だから自分に与えられたポジションで有能になるべきだ●技術者は技術者らしく、教師は教師らしく、企業人は企業人らしく、商社マンは商社マンらしく、政治家は政治家らしく、然り牧師は牧師らしく、伝道者は伝道者らしく、学者は学者らしく、役人は役人らしく、主婦は主婦らしく生きるべきである。牧師伝道者がこのこの世の政治に口出しし、主婦が髪振り乱して政治演説をするようではプロテスタンティズムを理解しているとは言いがたい。それは信者の堕落というものである●宗教改革の本質は「個の尊重」。各自に与えられた世俗の職業が神からのものと信じてこれに邁進すること●人間は「らしく」生きるように創造されているのだ。それが神の創造の目的だ。●こういうことを言うと「高橋は世の悪に気がつかずにいて行動しない怠慢人物だ」という批判がある。こういう人物は私の「天敵」。なぜか。そういう人間に限ってイエスの「有体的復活」を信ずることが希薄。「神の」力を信ずることに希薄。マテマテ、パウロに次のように「制止」させられる。


塚本訳 Ⅰコリ12:12
12:12 なぜか。体はただ一つであって、それに多くの器官があるけれども、この体の器官が皆、多くあっても、一つの体を成しているように、キリスト(の体である集会)の場合も同じである。


●これ人間社会の仕組み。銀行は人間の信用度を集団の一員であるかどうかで判断する。集団に属していないとお金を貸さない。信仰も同じ。「無教会ですから一人で聖書勉強してます」というのは実際問題としてアブナイ。一人よがりの思想になる。「どちらの教会(集会)ですか」と尋ねることが肝要。●かって初対面の某氏は私の名詞に所属集会の名前を書き込まれた。これクリスチャンの信用度を測る最大のこと。●銀行はその人物の信用度を判定するために今勤務している企業に何年勤続しているかを聞く。これも人間の「信用度」を測る有効な手段。クリスチャンまた同じ、「教会を転々とする人間」はまず信仰が疑われる。牧師の説教の「つまみ食い人間」だから。


塚本訳Ⅰコリ12:14-18
12:14 ほんとうに、体は一つの器官でなく、多くの器官から成っているのである。
12:15 たとい足が、「自分は手でないから、体に属していない」と言ったからとて、それゆえに体に属していないことにはならない。
12:16 またたとい耳が、「自分は目でないから、体に属していない」と言ったからとて、それゆえに体に属していないことにはならない。
12:17 もし体全体が目であったら、どこに聴覚があるのか。もし体全体が聴覚であったら、どこに嗅覚があるのか。
12:18 しかし実際は、神は御心どおりに、器官をひとつびとつそれぞれ(の用途に従って、)体に配置された。


●これは下手をすると風通しの悪い教会(集会)になる。「愛、愛」とばかり言って、相互批判のない教会(集会)はよどむ。金魚鉢はときどき底にたまった汚物を掃除しないと金魚自身が死ぬ。窒息する。新しい若い人間が入ってこない。


塚本訳 Ⅰコリ12:21-24
12:21 目は手に、「お前はいらない」、あるいはまた頭は足に、「お前たちはいらない」と言うことは出来ない。
12:22 いや反対に、体の中でわりあいに弱いと見える器官こそかえって必要であり、
12:23 また体の中でわりあいにりっぱでないとわたし達が思う器官は、これにことさらにりっぱなものをまとわせるのである。またわたし達の見苦しい部分はことさらに体裁よくするが、
12:24 (始めから)体裁のよい部分は、その必要がない。むしろ、神は劣っている部分にことさらにりっぱなものを与えて、体(全体)を統合された。


●これいわゆる「神学論争」。「神学者のわめきあい」。である。信仰者のいがみ合いやねたみというのは強烈。おそろしい。


塚本訳Ⅰコリ12:25-31
12:25 これは体の間に仲間割れがなく、(多くの)器官が一致して互に心を配り合うためである。
12:26 もし一つの器官が苦しみをうければ、(ほかの)すべての器官が一しょに苦しみ、もし一つの器官がとうとばれれば、(ほかの)すべての器官が一しょに喜ぶのである。
12:27 (同じことをあなた達についても言うことが出来る。)あなた達はキリストの体であり、ひとりびとりとしては器官である。
12:28 神はある人々を集会に置かれた、第一に使徒として、第二に預言者として、第三に教師として、次に奇蹟を、次に治療の賜物、援助、(集会の)管理、各種の霊言(など)を。
12:29 皆が使徒であろうか。皆が預言者であろうか。皆が教師であろうか。皆が奇蹟をするのであろうか。
12:30 皆が治療の賜物を持っているのであろうか。皆が霊言を語るのであろうか。皆がそれを解釈するのであろうか。
12:31 ただあなた達は(絶えず)より大きい賜物を得ようと努力せよ。それで、(これらの賜物より)なお一層すぐれた道をあなた達に示そう。


●キリスト教にいろいろな派があるのはこの観点から見ると理解できる。いわゆる福音派は第一の使徒、いわゆる社会派は第二の預言者。神学や聖書学や語学に強い者は教師。そのほか神癒や異言、社会奉仕、教会経営、などなどこの箇所は現代的である。●ヘンデルのメサイアを某氏から頂いた「ビーチャム+ロイヤルフィル」で鑑賞。シンバルが鳴り響き、ド派手。ヘンデルもびっくりではないか。作曲者の指示に従わない演奏で有名なのは、フルトヴェングラー+バイロイトの「第九」の最後。速度記号無視で突っ走っている。オケがよくくっついていった。第二次世界大戦終了後はじめてのバイロイト音楽祭の幕開け演奏会のライブ。1951年。フルトヴェングラーの熱の入れようはすさまじいものであった。ベートーヴェンの制止を振り切っている●師の制止を振り切って突っ走ったのはドイツ人牧師のボンヘッファー。やむにやまれず「ヒトラー暗殺計画」に加わった。牧師の身でありながらイエスの「汝殺すなかれ」の戒めを振り切った。その自分を捨てた決断に泣けてくる。しかしナチス降伏の一日前にその暗殺計画が発覚され処刑された。これでよかった。ヒトラーを殺さずに済んだのだから●英国のチャーチルは「悪魔と手を握ってでもナチスを撃つ」と演説してソ連と組んだ。これで世界が動いた。これは常識の制止を振り切った事例●人間は一生のうちに一度は制止を振り切って突っ走ることがあるものだ。これ「親不知(親知らず)」の時だ。●バンヤン「天路歴程」の冒頭。主人公は家人の制止の言葉を聞くまいと両耳に指を突っ込んで「永遠の生命!、永遠の生命!」と叫んで家を飛び出す●先日の「若者と語るシンポジウム」で「私は長男なので家の檀家を引き継がなければならないのでクリスチャンにはなれない」という人がいるということを聞いた。異教国日本の苦難。しかしここが人生勝負。クリスチャンになるには家を捨て、親兄弟を捨てなければならないことがある●私の知人は僧侶の息子。住職の父親から「お前がキリストの道を歩むなら、檀家の皆さんに申し訳ないから自分は腹を切って死ぬ」とすごまれた。彼は制止を振り切り、父を捨て家を捨ててクリスチャンになった。他にも同じような例がある。●日本ではクリスチャンになることは命がけだ。教会(集会)は遊びやお祭りの場ではない。定年後のボケ防止の勉強会ではない●クリスチャンになることを親から制止されたとき、それを振り切るのは「親不孝の親孝行」。来世でわかる。復活のときにわかる。●しかしイマドキのワカイモンは低級なことで「親不知(親知らず)」になるから情けないのだ。困るのだ。制止を振り切って向かう先とは何のことはない「この世的なこと」なのだ。アー情けない。求めよ「永遠の生命を!」「神の道を!」「神の国を!」


塚本訳  ルカ 18:29-30
18:29 彼らに言われた、「アーメン、わたしは言う、神の国のために家や妻や兄弟や親や子を捨てた者で、
18:30 この世でその幾倍を、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。」


●このところはこれが原形らしい、妻さえも捨てろとは驚き。・・・平行記事のマルコやマタイでは次のように「妻」が抜けている。!!。


塚本訳 マコ 10:29-30
10:29 イエスは言われた、「アーメン、あなた達に言う、わたしのため、また福音のために、家や兄弟や姉妹や母や父や子や畑をすてた者で、
10:30 今、この世で──迫害のうちにおいてではあるが──百倍の家と兄弟と姉妹と母と子と畑とを、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。


塚本訳 マタ 19:29
19:29 そしてわたしのために家や兄弟や姉妹や父や母や畑をすてた者は一人のこらず、(この世で)その幾倍を受け、また(来るべき世では)永遠の命をいただくのである。


●これはこういうものだとも推測されている。つまり妻が多くなるのは「まずい」から、マルコとマタイでは捨てるものの中から「妻」を削除したのではないかと言われる。これは「どの口伝、どの写本、どのイエス語録」を採用したのかの正文批評の分野。私の場合は妻が増えると「小言」も増えて大変だから妻は捨てられない(笑)。●小論二つをHP「使徒伝承」にアップ。「何故キリスト教徒になったのですか」「聖書の深いところは人生の苦難でわかる」●メサイアをクレンペラーとリヒターで鑑賞。●武藤陽一氏と内村の芸術館について意見交換。「内村鑑三研究」誌に発表する「内村鑑三の建築観」の準備。


s2007_0314_162621AA.jpg


これはなかなかよいデザインの住宅。我が家の近くにある。住人のセンスのよさと教養の高さが現れている。設計者の質が高い。ベリーグッド。 信仰者は信仰の美を求めなければならない。それは神への深い信仰からくる。建築は美しくなくてもよいという信仰者は人間的にバランスが取れてない。教養がイマイチ。若い者が取り付く島がない。創世記1章、神が天地を創造されたときこれを見て「良し」とされたとある。この「良し」は言語のヘブライ語では「トーヴ」。これには「美しい」という意味が含まれている。神は美の創造者である。


            2007.3.14 16:46


 


 


 


 


 


 


 


 




 

トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


わずかばかりの運の悪さを恨んだりして ++++++++ 所感

2007/03/13 07:58

070313(火)5時半起床●昨夜はNHKTVで小椋桂をやっていたので遅くまで見た。理由は「愛燦燦」を聞きたかったから。小椋桂の次男は脳梗塞で倒れ一家は10年間苦労した。しかし献身的な介護で奇跡的に回復。息子は勤め人は無理だと思って枇杷職人の道に進ませた。息子の行く末を案じるその親心に感じ入った。愛燦燦の詩はすばらしい。


 愛燦燦


小椋佳作詞・作曲


雨 潸潸(さんさん)と この身に落ちて
わずかばかりの運の悪さを 恨んだりして
人は哀しい 哀しいものですね
それでも過去達は 優しく睫毛(まつげ)に憩(いこ)う
人生って 不思議なものですね

風 散散(さんざん)と この身に荒れて
思いどおりにならない夢を 失(なく)したりして
人はかよわい かよわいものですね
それでも未来達は 人待ち顔して微笑(ほほえ)む
人生って 嬉しいものですね

愛 燦燦(さんさん)と この身に降って
心秘そかな嬉し涙を 流したりして
人はかわいい かわいいものですね
ああ 過去達は 優しく睫毛に憩う
人生って 不思議なものですね
ああ 未来達は 人待ち顔して微笑(ほほえ)む
人生って 嬉しいものですね





●この中で「わずかばかりの運の悪さを 恨んだりして」という部分では聖書を連想する。


塚本訳 マタ 5:3-4
5:3 ああ幸いだ、神に寄りすがる『貧しい人たち、』天の国はその人たちのものとなるのだから。
5:4 ああ幸いだ、『悲しんでいる人たち、』、(かの日に)『慰めていただく』のはその人たちだから。


●運の悪い人はどのようにして慰められるか。①悲運逆境は努力で跳ね除けられる。・・・努力。②悲運逆行の人は多くいる。・・・・仲間。③悲運逆境によって真の幸福に目覚める・・・・覚醒 ●このうち①と②は人間の「はからい」という行為。努力は立派だが、残念ながら真の慰めを得られない。③は決定的な慰め。これ聖書的な道。努力では得られないもの。①や②の人には「宗教に逃げ込む」と非難されるがそれは当たらない。なぜか。①と②ではついに真理に到達できないからだ。●神は人間が不運だと感じることを「利用して」真の幸福、真の喜びに導くのだ。不運の種類は家系、健康、知能、学歴、貧困、結婚、夫、妻、子供、職業、職場、宗教、教会(集会)、姑、嫁、あー、この世は悩みだらけだ。不運の連続だ。●それは「わずかばかりの運の悪さ」なのだ。人生長くて80年。神はその運の悪さによって我々に「神の愛の何であるか」を教えるのだ。不運の連続の人こそ神に愛されているのだ。「何のこれしき」。この人生いいこともあるじゃないか。●火災で失ったヘンデルのメサイア(ビーチャム+ロイヤルフィル)を贈ってくださった方がいた。早速鑑賞、「懐かしい、懐かしい、懐かしい」。ハープやシンバルをふんだんに強調しての劇的演奏。ヘンデルはこれを英国で作曲したからビーチャムとロイヤルフィルは「本家」意識があるのだろうか。大熱演。


s2007_0313_060209AA.jpg


あー、今朝も太陽が出る。2007.3.13 6:02 讃美歌「父の神よ、夜は去りて」が胸に浮かぶ


s2007_0313_153649AA.jpg


妻と秋川霊園に行って、父母に感謝の報告。2007.3.13 15:36



s2007_0313_153839AA.jpg


高橋家の墓。墓碑銘は「神は愛なり」 2007.3.13 15:38


父が召されたのは15年前、母が召されたのは3年前。どう考えても「父母は、この墓の中にはいない気がする」「千の風になって」の曲を思う。「私のお墓の前で泣かないでください。そこにわたしはいません」



s2007_0313_155903AA.jpg


残照の平井川。2007.3.13 13:59 子供たちは巣立っていった。私たちはなお残りの日々を「主に仕えて」生きねばならない。妻といくつまで働けるだろうかと話し合いながら歩いた。


s2007_0313_173718AA.jpg


残照の奥多摩連山。讃美歌「今日をも送りぬ。主に仕えて」が胸に浮かぶ。今日は二人で随分歩いた。秋川霊園までの往復4時間。途中、畑仕事の田中三郎さんに出会った。


2007.3.13 17:37



 


 


 


トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


ブログ日記のありがたさよ ++++++++ 所感

2007/03/12 07:15

070312(月)5時起床●ヘンデルのメサイア、ビーチャム+ロイヤルフィルは火災で失って残念とブログ日記(070310)に書いたら、「(自称)メサイア大好き人間」から、コピーして今送り出したとのメール。夢かと思った。この歴史的名演奏は古いので入手不可能と思っていたからである●ブログ日記では、執筆者の不足を見て、これを満たしてくれたり、慰めてくれたりする人が現れる。ブログ日記ありがたさを感じる。●ブログ日記は「自慢日記」ではいけない。「説教や義憤日記」でもいけない。これ我が反省事項。ブログ日記はドキュメントの正直日記であるべきである。それには「自分を捨てる」という態度でなければならない。●「個人情報の秘匿」をねじ曲げてなんでもかんでも秘密にしようとする「この世的な罪の人間」は、自分というもの「不足」「病」「失敗」「悩み」「心配」が世にも神にも知られずに闇から闇に生きて、誰にも然り神にも知られずにそのまま淋しく死んでいく暗い人生なのだ。●韓国の若者の三分の一はブログをやっているという。やっていない人間は「気持ち悪い人間」だと思われているらしい。日本は韓国に負ける●私のホッとする人間は「信仰の友」、次にクラシック音楽がわかる人間●私の経験ではクラシック音楽愛好家に悪い人間はいない。それに頭がよい人が多いから面白い。大脳皮質のゴミタメにある雑学知識を披瀝して振り回す人間とは付き合いにくい。避けたい。なぜか。自分のためにならない。自分の向上につながらない。●霊の世界のことは霊の人でないと全く100%わからないものであることを体験的に知った。これを知ると人間的な思いからの伝道の無意味性を理解できて、肩の荷が下りる。


新改訳 Ⅰコリ2:14
2:14 生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。


新共同 Ⅰコリ2:14
2:14 自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。霊によって初めて判断できるからです。


塚本訳 Ⅰコリ2:14
2:14 しかし(御霊を持たない)生まれながらの人間は、神の霊から出てくることを受け入れない。彼にはそれが馬鹿なことなのである。またそれを理解することも出来ない。(霊のことは)霊的に判断されねばならないからである。


●イエスは、信じないようにされている人間は復活に出会ってもそれを信じないであろうと言う。だから親の熱心では子は救われない。これで肩の荷が下りる。


塚本訳  ルカ 16:31
16:31 しかしアブラハムは答えた、『モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。』」


新改訳 ルカ 16:31
16:31 アブラハムは彼に言った。『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』」


口語訳 ルカ 16:31
16:31 アブラハムは言った、『もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう』」。

トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


聖書は人生の苦難でわかる ++++++++ 所感

2007/03/11 07:12

070311(日)5時起床●朝風呂で「日経・私の履歴書」ねむの木学園園長の宮城まり子。米国へミュージカルの勉強に行く。日本を離れれば妻子ある吉行淳之介を忘れることができると思ったという。甘い!。妻子ある身でありながら未婚の宮城まり子と交際するようでは、吉行のほうがよくないことがわかった。こういう場合ダンテは二人とも地獄に落としている●だから文士は嫌いなのだ。叙情や人間性を最高のものとしている。そういう人間は「健全な正統信仰」を持ちにくいものだ。内村鑑三は文学者とソリが会わなかった。●愛弟子の有島武郎が人妻と情死したときの怒り方はものすごかった。この集まりのなかで有島に少しでも同情するものがいたらここから直ちに出て行ってくれと言った●聖書は人生の苦難で分かる。その実例①ピスティス(まこと)。人は信仰によって救われない。神の行為で救われる。・・・これは私が脳内出血で意識不明の状態から生還してわかったこと②復活は霊体の史実。・・・これは難解な空の墓」のところで胸が熱くなってわかったこと③万物のうめきロマ8:22.うめきは終末の再生で解決する。・・・これは母の死といわゆる社会派信者に接してその「うめき」に接して分かった。●集会は長島、小寺(ピリピ)、山本(使徒)●今日の集会は小寺、山本の両氏から故大熊好子さんの追悼の言葉があって、期せずして告別式のようになってよかった●昼食は小寺、山口と私たちの4人。大熊さんを偲ぶ食事会となった●武祐一郎先生、町田集会閉会に当たっての記念文集作成のために次のような寄稿をした。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



聖書の深いところは人生の苦難でわかる


 東京聖書読者会 建築士 高橋照男


 


武先生は、聖書の深いところを人生の苦難を通して把握されたと拝察いたします。私が武先生と同じ思いにさせられたところを申し上げます。


 


1・ロマ書3章22節「ピスティス」・・・ここは普通は「人はキリストを信じる信仰によって救われる」という解釈の翻訳が多いのですが、武先生は癌になられ、そこから回復されたご経験から、ここはもう一つの解釈であるところの「人はキリストのピスティス(まこと)によって救われる」という解釈に立たれるようになりました。私も脳内出血で意識不明の床から生還させられ、この命は99%でなく100%神に握られていることをいやおうなしに理解させられました。そして人は100%神の意志で救われるのだということを理解させられました。


2・マタイ28章6節「空の墓」・・・武先生はイエスの復活の物的証拠をイエスの墓が空になっていたということに置いておられます。私は集会でこの箇所を講じたときにこれをまともに信じている人々の本を読んで「胸が熱くなる」体験をしました。イエスの復活の物的証拠を「空の墓」に置かれる先生と信仰が一致したことを喜ぶものです。


3・ロマ書8章22節「被造物のうめき」・・・武先生は軍国少年からキリストの道に転向されたご経験の持ち主です。その後は社会的実践として平和運動に挺身されてこられました。それは世の悲惨な様を見られての「うめき」です。私も母の肺がんによる苦しみの様を目の当たりに見て、「被造物のうめき」というものを身近に体験しました。


4・ピリピ2章16節「終末信仰」・・・病気、戦争、死などの人間の苦しみは「うめき」であります。これは究極的には神ご自身の介入による「万物の再生、復活」によって完成されます。罪の体が贖われます。人間は有体的に復活させられます。武先生の平和運動はこの「うめき」の一環であり、必ずやそのうめきの労苦が無駄に終わらなかったという日が訪れることでありましょう。武先生の終末への希望はここにあります。


5・ロマ書8章23節「体の贖い、有体的復活」・・・武先生は「イエスの復活は歴史的にただ一回だけ起った。それは霊の体であった」という信仰に立たれておられます。これは使徒伝承そのものです。イエスは霊の体で有体的に復活されました。同じく私たちも終末の日に体が贖われて霊の体に復活させられます。これが死の悲しみ嘆きを乗り越える人類の唯一の希望であります。


私は以上のような点で武先生と信仰が一致したことを神に感謝するものです。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 ●070310のブログに於いて保有するメサイアの8種のリストを書いたら、「(自称)メサイア大好き人間」から氏保有のメサイアリストのお知らせが来た。070320ブログ日記コメント参照。上には上がいるものだ。こういう音楽は神への信仰をもって福音によって救われた人間が演奏しないと「魂」が入らないのだが。・・・・・日本人のキリスト教文化受容をどう考えたらよいのだろう。


トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


不倫を美化するヤツは「死ね!」 ++++++++ 所感

2007/03/10 09:14

070310(土)5時半起床●朝風呂で「日経・私の履歴書」ねむの木学園園長の宮城まり子。妻子ある作家の吉行淳之介と不倫。こういうことを日本の知識人が美化是認するから日本の性道徳が乱れるのだ。孤児があふれるのだ。子ども達の精神を腐らせて堕落させるのだ。日本人の低級な哀れな性道徳よ。ねむの木学園で障害児に尽くしても不倫の不道徳は消えない。不倫を美化するヤツは「死ね!」●14:00町田の武集会最終回。後半は感謝御礼の感話会。スピーチするもの20名。私も話すためにあらかじめ原稿を用意していたが、前半の講義に感ずることがあり全文変更。「聖書の分からないことは、体験によって分かるようになる」として話した。①人間の信仰で救われるのか神自身が救うのか②イエスの復活はどこまでが史実か③被造物のうめきについて・・・途中まで話したがタイムオーバーのサインが出たので、尻きれトンボで無念。真理は短い言葉で話さなければいけないなーと反省しきり●初対面、藤原将人・・復活を固く信じておられる●有体的復活はクリスチャンと称する人のなかでも一握りの少数の人が分かるものだと感じる●妻は「メサイア」の練習。●メサイアは何と言っても明るい。福音の喜びに満ち満ちている。●妻の合唱団のメンバーから「メサイア」はどのようなものを保有しているかと問い合わせがあったのでリストアップ。CDは①鈴木雅明+バッハコレギウムジャパン②リチャードボニング+イギリス室内管弦楽団③カールリヒター+ロンドンフィル(抜粋版)④クレンペラー+フィルハーモニア⑤ハリークリストファーズ+シックスティーンコーラス&オーケストラ⑥コーリンデービス+ロンドン交響楽団、レコードは⑦ボールト+ロンドンシンフォニー⑧オーマンディー+ロイヤルフィル、以上8種類。残念なのはビーチャムの歴史的名演をレコードで持っていたが火災で失う。
トラックバック(0) | コメント(3) | top▲


人に知られないで死んでいくということ ++++++++ 所感

2007/03/09 09:31

070309(金)5時起床●朝風呂で「日経・私の履歴書」ねむの木学園園長の宮城まり子。「ガード下の靴みがき」が大ヒット。社会の下積みで苦労している人の多くを慰めた。宮城まり子自身がこの詩に目をつけたのである。「演説は生活なり」(ヒルティ)である。●しかし慰めも同情も真の救いにはならない。キリストの身代わりの死が真の慰めまた同情である●塚本先生を尊敬していた大熊好子さんはその死に方まで師に倣った。つまりだれもみていないところで一人で逝った。●人間は生まれてくるときは一人、死ぬときも一人が自然の姿だ●家族に看取られ、愛する人に手を握られているうちに死ぬということでなくてよい。●「泣かれて惜しまれて」盛大な葬式をされなくてもよいのだ。神にのみ知られることで満足するする人生が理想なのだ。大熊好子さんは理想的な死に方も私に教えてくださった。感謝(しかしこの件、3月9日18:30の「大熊好子さんを送る会」で甥の佐藤啓一氏夫人一人が病院におられたということが判明した)●ヒルティもバルトも一人で逝った。ヒルテイは愛嬢が暖かい飲み物を持ってきたら「彼の魂はすでに天の星にむかって飛翔していた」(シュトゥッキのヒルテイ伝P333)。●バルトの場合は夫人がいつものように目覚めの曲にモーツゥアルトをかけに入ったら、息がなかった。眠っているうちに逝ったのだ●ヒルティは64歳で夫人に先立たれた。それから12年間は一人。夫人を失ったとき、私は半分になってもう完全ではないと嘆いたとう。長男のエトガルは生涯病弱であって、それがヒルテイの悩みの種、それがあの「眠られぬ夜のために」を生んだ。●1980年にスイス・ベルンのブルームガルテンにあるヒルティの墓に詣でた。その墓にはヒルテイと夫人とそれに長男エトガルが眠っていた●人間、「思いがけない、とんでもない苦難」が逆に高尚な思想を生むものだ●070306のブログに「モーツァルトピアノソナタ15番K545の第一楽章聞き比べ7種類。モーツアルトの音楽とは何かと聞かれたらまずコレだ」と書いたら某氏から「自分はヴェートーヴェンのピアノソナタ30.31.32だけでも数十枚保有していると返メールが来た。上には上がいるものだ。音楽愛好会のためにそのメールをご参考のために掲載する。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


・・・・・・・・(ヴェートーヴェンのピアノソナタ、30.31.32は)昔の主なものは廃盤を含め、大体持っています。同じ奏者でも年代、場所、状況によって当然ながら変わってきます。インスピレーションのあるものは、激しい鬼気があり、人間業ではありません! ブレンデルは、確か数回録音しており、癖の無い、聞きやすい演奏部類に入るかと思います。 私はバックハウスから入りましたが、以後、興味が尽きず、思い出せるだけでも、リヒテル(数種)、ブレンデル(数種)、ゼルキン(数種)、ケンプ、アラウ、グールド、ポリーニ、ウゴルスキー、シュナーベル、フィッシャー、グルダ、アシュケナージ、ヴェデルニコフ、ナット、ネイ、アファナーシェフ、ホルショフスキー、デムズ、内田光子等々、ラジオでのエアチェックを合わせると幾つかわかりません(笑)。・・・・・・・・・


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


●「内村鑑三研究」誌への「内村鑑三の建築観」とう論考は締め切りが5月末だが、方針を変えたくなった。「無教会は建築や絵画には弱いが音楽鑑賞に深い造詣があるのはなぜか」というテーマに。●音楽に聴くということは聖書に聴くということ同質ではないのか。●あのアルベルトシュヴァイツァーは「音楽芸術家には二種類ある。ひとつは演奏芸術家、もう一つは聴く芸術家。そしてこの二種の芸術家には上下の区別はない」●富永國比古先生からお電話。ヒルティは「神に導かれる道は次々と目の前のドアが開かれていく」と言っている。


20070309110005.jpg
ありし日の大熊好子さん。私たちと


2006.7.9 野口英世記念会館。久しぶりに


三重県から来られた。14日に癌の手術をされるという前に。


s2007_0309_195412AA.jpg


大熊好子さんを送る会」2007.3.9 18:00 於・野口英世記念会館分室。後列左から、高木博義、高木千賀子、金子幸子、山口喜代子、高橋トミ子、小寺七重、山本淳子、前列左から、高橋照男、小寺利男、佐藤啓一(好子さんの甥、三重県から)、山本政則


●ご遺族としては明日10日、福島県いわき市の墓に埋骨するというので、東京通過の際、信仰の仲間が急遽集まって「送る会」を開いた。讃美歌を歌って全員2分間スピーチの心暖まる理想意的なよい「前夜式」であった。内容は「お祝い」の「送る会」であった。私のスピーチ「私が25歳のとき、大熊さんが『この中に大切なものが入っています』と言って縁談の手紙をお渡しくださった。開封するといわき市の四家ケイ先生の大熊好子さんに対する手紙。「トミちゃんのことを考えてくださってありがとう。・・・・トミちゃんは信仰も立派・・・・」。わたしはこの一言を信じて妻と会わずに結婚を「決断」。妻も私に会わずに「決断」。38年前のことであった。大熊さんはその生き様を通して『無教会』を教えてくださった」。妻のスピーチ「大熊さんは私がいわき市にいたらダメになると思われて東京に呼び出してくださったのだそうです」


s2007_0309_182054AA.jpg


 ●ご遺族の佐藤啓一氏がお持ちになられた「若かりし時の大熊好子さん。みんな「ワーッ、きれい」。これ信仰美人という。2007.3.9 「送る会」


●写真の大熊さんが「死んでなんかいません(千の風になっての詩の一節)」と言っているような気がする。


●遺骨は御遺族の佐藤啓一氏が松阪(三重県)からお運びになられ、東京の野口英世記念会館で急遽開かれた「送る会」の終了後20:40すぐご主人の眠る福島県いわき市に向かった。大熊さんは東京通過の途中で「東京聖書読者会」の面々に会っていかれたという感じ。


●「さようなら大熊さん。40年間の長きにわたりありがとうございました。あなたは私と家族の歴史でした。守護神でした。無教会を教えてくださいました」「復活の日、その朝にまたお会いできますことを固く信じます」。「大熊さん万歳!凱旋です」


トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


私は死んでなんかいません ++++++++ 所感

2007/03/08 16:52

070308(木)4時半起床●朝風呂で「日経・私の履歴書」ねむの木学園園長の宮城まり子。継母のいる家にはいづらくて弟と家を出る。アー人生はかくも悲しい厳しいものか。●早朝散歩。何を見ても大熊さんの顔が浮かんでくる。


s2007_0308_071523AA.jpg


朝日を見ると「千の風になって」の詩の一節。「私は・・・死んでなんかいません」と大熊好子さんが言っているようだ。 2007.3.8 6:40


s2007_0308_071859AA.jpg


富士を見ても大熊好子さんを思う。讃美歌310を思う   2007.3.8 6:40


讃美歌310番3節


3. しずけき いのり の とき は いと たのし.


   そびゆる ピスガ の やま の たかね より


   ふるさと ながめて のぼりゆく ひ まで,


   なぐさめ を あたえ, よろこび を みたす.



s2007_0308_091639AA.jpg


昭和女子大、卒業制作展展示。被服科の作品。裾が長いなー。若い女性の憧れはこういうウェディングドレスを着ることなのか。あー人生の花のときだ。しかしこれもまた結構だ。 2007.3.8 9:15


s2007_0308_091939AA.jpg


昭和女子大卒業式 「行け!」。社会は荒波だ。幸多かれ。 2007.3.8 12:30


●今期限りで退任の平井聖学長の式辞「私の末娘を嫁がせるときに言った言葉を皆さんにも言いたい。『元気で行ってらっしゃい』」。それに続き卒業生代表の答辞。これがまたよかった。そして「仰げば尊し」の音楽。たまらず目がウルウルになった。私は古風なのかなー。●別れの儀式はいつも緊張する。葬儀、結婚式、卒業式、臨終のとき、火葬場で遺体を窯にいれるとき。これすべて厳粛な行事である。神の業である。それはショー、お祭り、イベントではない●明日のことで名古屋の啓一さんからお電話。高木博義さんからお電話。●信仰の世界のことは信じていない人にとっては全く「おかしな人たち」「愚かな人たち」に見えるらしい。

トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


好きな人が夢中になっているもの ++++++++ 所感

2007/03/07 08:28

070307(水)5時起床●朝風呂で「日経・私の履歴書」ねむの木学園園長の宮城まり子。ビクターに入りたくて日参。何かをつかもうと思ったらこの一所懸命さが必要だ。仏門に入るときの姿勢は厳しい。何度も門前で追い払われる。●それに比べてキリスト教会はなっちゃない。「イラッシャい、いらっしゃい」「よく来られました」の連続だから気持ち悪くてしょうがない。こうだからイマドキノワカイモンも行く気がしないのだ。厳しさがないから真理もなさそうに見えてしまうのだ●久しぶりにHPを見たという人から次のような嬉しいコメント。一部。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ピアノ音楽についての感想、私もとても興味深く読みました!私も学生時代からの趣味で、ピアノ音楽に目がありません!(最近はCDは買いませんが…)特にベートーベンの最後のソナタは一生の宝物で、数十のCDで楽しんでいます。ベートーベンが天の力に抱擁された稀有な記録だと感動しています。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


これに対して私の応答を次のように書いた。その一部。一部改変。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


今回の応答で一番嬉しかったのは「音楽」のことです。実はこの6月にウィーンへ行きます。妻がウィーン楽友協会ホールでウィーン少年合唱団と共演する「世界合唱祭」に参加するためです。私はといえば、7年前に建築の立場からそのホールの音響を聞きに行こうと計画していたのですが「脳内出血」で挫折。今回はリベンジです。今、ウィーンの勉強を始めたのですが、○○さんのメールで「ベートーヴェン」に絞ろうと決めました。ありがとうございました。そして○○さんの好きなベートーベンの最後のピアノソナタなるものに注意を向けられました。本日聴いてみようと思います。これです。コレです。この真理です。自分が打ち込んで熱心になっているものが「人に伝わるのです」。キリスト教伝播の奥義です。長男はこういいました「両親は喧嘩していても日曜日には揃って集会に行く」と。このことに感じるものがあたっようです。クラシックのCDは保有枚数1830枚、その多くが図書館から借りたもののコピーです。商売にしなければコピーはよいそうです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


●キリスト教の伝播は、「伝道説教ではない」。それはこういう具合に広まる。人間は尊敬していたり愛する人や好きな人が熱心になっているものに引かれる。その人が熱心になっているものを自分も勉強したくなるものだ。愛する人好きな人に気にいられようとするからだ。●先日の「若者と語るシンポジウム」でのこと。某青年が「とても好きな女性がいたがその人から『クリスチャンとでなければ結婚しません』と言われて失恋した」と。・・・・私は言いたい。彼を振ったその女性よ『よく言ってくれた』。彼はその後紆余曲折があったが、熱心なクリスチャンになって、このたび別のクリスチャンの女性と結婚することになった。万歳。彼にとってその失恋の経験は天国への門であった。彼女の門前払いがよかったのだ。●イマドキの若いクリスチャンの女性に告ぐ。東大大蔵省の人間にプロポーズされても。No!と言え。「クリスチャンにならなければいやです」と言え。イマドキノワカイモンにそれが言えるか●信仰は結婚してから徐々に導くと言うのは大間違い。99%失敗する。その例を知っている。●私が郵送した「初代教会史文献リスト」と「千の風になって」の応答があり、「無教会は風通しがよいですね」と感想を言われてガッツポーズした。無教会はお互いに遠慮なくものが言える。無組織のありがたさよ●大熊好子さんが召されたとの報告が山口喜代子さんから入る。そこで甥の啓さんと連絡しあってご主人の一雄さんの眠るいわき市の墓に納骨される3月10日の前夜(3月9日)に東京でごく少数で祈祷会をすることに決定。●無教会は何事もスット決まるからありがたい。組織の無いところの強み。これが組織だと「顔やメンツを立てる」という順序があるからもめる。ゴタゴタして何日もかかる。そしてスット決まらない●かって葬儀社の方から無教会は決定が早くてありがたい。無教会のやり方はプロテスタントの牧師やカトリックの神父に見習ってもらいたいと言われた。万歳。無教会の勝利?だ。●大熊さんが召されたのは3月6日、午前0時30分、一時間前まではラジオを聴いていたと言うから、苦しまずに安らかに逝かれたようだ。ご病名は卵巣癌であったという。甥の啓さんが駆けつけたときは召されていたと言う。一人で逝ったのだ。●人間、誰にも看取られないで一人で逝くということを人生観とした方が楽だ。「泣かれず惜しまれず」に眠っている間に逝くのだ。神にのみ知られる人生だ●大熊さんに毎週プリントして送っていたブログ日記は最後の分まで読まれたようだ。また別に送った「初代教会史文献リスト」「千の風になって」(ブログ070220に掲載。これはまたHP「使徒伝承」にもアップ)も多分目を通してくださったはず●大熊好子さんは私たちの仲人。思い出はきりがない。我が家の深いところまで愛をもって導いてくださった。大熊好子さんなくして我が家はなかった。大熊さんは我が家の歴史だ。淋しい。淋しい。●大熊好子さんからは「無教会者」の生き方を身をもって教えてもらった。すごい文化であった。重要無形文化財であった●しかし「千の風になって」の中の、「私は死んでなんかいません」という声が聞こえてきた●あまりに悲しいので母のときと同じようにバッハの「二つのヴァイオリンのための協奏曲の第二楽章」を二回聴いた。でも淋しい。悲しい。●これは大切なお手紙ですから家に帰ってから開けなさいといわれて妻との結婚の話が写真入であった。あれが初めだ。あのときから私の人生も「ツキ」が向いてきたのだ。

トラックバック(0) | コメント(1) | top▲


何故キリスト教徒になったのですか ++++++++ 所感

2007/03/06 07:58

070306(火)5時半起床●朝風呂で「日経・私の履歴書」ねむの木学園園長の宮城まり子。歌がうまかったので日劇にデビュー。「宮城まり子」の大看板を見て「お母さん、見て」と心の中で(亡くなった)母を呼んだという。・・・・・複雑な気持ち。はたしてお母さんは喜んだだろうか。●今日の受験地獄の元凶は親である。有名校に合格すると「父さん、母さん。おれヤッタゼ。」という子は親に操られた子どもである。そういうことを喜んでいる親の「この世的で陳腐な穢れた人生観」が子どもを受験競争に追いやり、子どもをダメにする。いじめも不登校も閉じこもりもフリーターもその元凶は「親のまずい人生観」。そういう親は「死ななければ」世の中改まらない。●「崇高な人生観」を教える学校は少ない。団塊の世代の親は「競争競争」で他人を押しのけることに優越感の快感を覚える人生観で生きてきた。悲しいことだがそういう親から生まれた子どもが親を喜ばせようとするから受験地獄はやまない。●しかし世の中は変わる。少子化で全員入学の時代。暗記テストばかりのゲームのような受験競争はそのうちになくなる。●有名校に入れるか否かは統計的には親の財力にかかってている●不幸なる家庭に生まれ、望む進学コースにを歩めなかった若者に告ぐ。「何のこれしき」と思え。人間の価値は受験で判定されるような大脳皮質の雑学の量ではない。出身校で人を判断するような企業や人物とは縁の無い世界に生きよ。そういう企業や人物の元に真の満足、安らぎ、幸福はない。●子どもの頃読んだ絵本。狐か狸に化かされて札束を握らされた男が、札の枚数を数えているうちにそれが「木の葉」に変わっていく。イマドキのワカイモンの姿を暗示●人間の価値は金でない、地位でない、大脳皮質内の雑学量ではない。「神を知る者」となるかどうかである。


s2007_0301_061340AA.jpg


雨上がりの朝の太陽 「陽はまた昇る」 2007.3.6 6:15


s2007_0306_071932AA.jpg


讃美歌「光に歩めよ」を思う。2007.3.6 6:20


讃美歌326番


1. ひかり に あゆめ よ, さらば ふかき


   みたま の まじわり たえず ぞ あらん.


 2. ひかり に あゆめ よ, さらば また と


   この よ の けがれ に そまず ぞ あらん.


 3. ひかり に あゆめ よ, さらば くらき


   たにま を ゆく とも, やすく ぞ あらん.


 4. ひかり に あゆめ よ, さらば はか も


   くちざる さかえ の かど と ぞ ならん.


 5. ひかり に あゆめ よ, さらば きえぬ


   ひかり の みかみ は こころ に まさん.


s2007_0306_073050AA.jpg


 秋留台公園でラジオ体操。こういうときにでも「指導者」というものが自然にできる。「お手本」である。新しいことを学んだ。 2007.3.6 6:30


●福島の某氏からお電話。「有体的復活。万物の復活、創造と堕落、公同の教会」について。アーメンであった。パウロの言う奥義は深い。内村鑑三の臨終の祈りは「宇宙の完成」であった。


塚本訳 ロマ 8:19-24
8:19 (そしてこの栄光は必ず与えられる。)その証拠(の第一)は、創造物が神の子たちの現われるのを、首を長くして待ちこがれていることである。
8:20 なぜであるか。創造物は自分から(今のような)はかない運命に屈伏したのでなく、それは屈伏させたお方([神]の御心)によるからである。(彼らはアダムの罪の責任を負わされたのである。)しかし(この屈伏には)望みがある。
8:21 創造物自身も、滅亡の奴隷になっている(現在の)状態から自由にされて、神の子供たちがうける栄光と自由とにあずかるのだから。
8:22 わたし達が知っているように、全創造物は(かの日から)今まで、一しょになって呻き、一しょになって産みの苦しみをしている。(父なる神がこの  呻きに耳を傾けられないことがあろうか。)
8:23 しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証拠として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである。
8:24 なぜなら、わたし達は(最後の日に救いが完成されるという)望みをもって、救われているからである。目に見ることのできる望みは望みではない。人はいま現に見ているものを、なんでその上望む必要があろうか。


 ●2月25日に今井館で行われた「若者と語るシンポジウム」の原稿を依頼されたので執筆。「何故キリスト教徒になったのですか」(3月5日執筆)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


      「何故キリスト教徒になったのですか」


高橋照男 2007.3.5


 


懇談の時間に真面目そうな一青年から「(皆さんは)何故キリスト教徒になったのですか」という質問が出た。これに対して私は概略つぎのように答えた。「今の質問はよい質問です。しかしある人がキリスト教に入った場合、振り返ってその理由を人に語るとき『何故』ということでは答えにくい。『如何に』ということなら語ることができる。入信のプロセスは百人百様であるが、ただ共通点はある。それは『人物』との出会いである」と。そしてこの私の発言に続いて二人の方から「私は如何にしてキリスト教徒になったか」の話があった。


シンポジウム終了後から一週間「私の答えはあれでよかったのかなー」と反省しきりである。なぜか。あの真面目な青年の問いを「いなした」答えになってしまったのではないだろうか、と思うからである。


 キリスト教ニ千年、こういう真摯な問いに如何に答えるかが教会の苦闘の歴史であった。そこで工夫されたのが「信仰問答書」であった。そもそもイエスの多くの言葉も実は弟子たちの問いに対する答えが多い。いわば問答書である。信仰の真理は「問答」で伝わる。


 翻って、無教会主義はこれにどう答えてきたか。信仰は「不立文字」(禅宗の立場を示す標語で、「悟りは文字や言説では伝えられず、心から心へ伝えるものである」ということ)であるという雰囲気で、「何故」に対する応答に積極的でなかった嫌いがあった。会の終了後、彼と言葉を交わしたが、今は「ミサ曲」を歌っているという。無教会は「何故」に対する応答の知的努力、信仰の表現としての芸術(音楽、絵画、建築など)にきわめて無知無関心であったのではないか。これでは「若いものに対する言葉」の無い、不親切な無教会ではないだろうか。もとより救いは「知や芸術」で得られることではない。しかし肉で生きているうちは何らかの「肉の手段」が信仰への「きっかけ」として必要ではないだろうか。今回のシンポジウムのあの青年の質問は私に大きな課題を残した。人間の力には限界がある。救いは神ご自身の霊の働きである。祈る。神があの真面目な青年に「人物」を遣わして彼に「永遠の生命」への道を開いてくださることを。彼の上にいつか神の恩恵が下ることを。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 ●モーツァルト「ピアノソナタ15番K545」の第一楽章聞き比べ7種類。モーツアルトの音楽とは何かと聞かれたらまず「コレだ」。ピリス(イイノホール)、エッシェンバッハ(速すぎ、モーツァルトもびっくり)、シフ(若さ)、グルダ(かなり遊びがある)、内田光子(いいぞ、)、エンゲル(朴訥としているがちょうどよい速さ、心地よい)、ピリス(ハンブルグ、女性の繊細さ)●工学院大学の畑村洋太郎教授は「失敗学」が専門。しかしよく聞くと、結局は成功の為にある学問。それではつまらないのだ。●子どもが病気にならないためには、子どもの成績が悪くならないためには、子どもが閉じこもりにならないためには、子どもがいじめられないためには、・・・・・・などなど。これすべて「成功への欲望」である。この世にどっぷりの親の欲である。そんな陳腐な精神の親では子育ては完全に失敗する。●本当の失敗学は「もう絶対に取り返しのつかないことをしてしまった」時の回復の道を説くことである。もう絶対に自力では回復不能の人生はどうしたらよいのか、が本当の失敗学だ。それは他者の購いを待つほか無い。この罪だらけの過去は自力では贖えない。身代わりで死んでくれる人が現れてはじめてこの私は赦される。そんな虫のいい、ずるい、卑怯な道は好かないと思っても、自力ではダメなのだから「いかんともしがたい」。不本意ながらキリストの十字架にすがりつくより方法がない。●村松梅太郎氏に塚本虎二先生記念会の講師をお願いする。ご快諾いただく。塚本先生とは何度も話をしたことがあるという。●「千の風になって」Oh No!をHP使徒伝承にアップロード。手間がかかる。


 

トラックバック(0) | コメント(1) | top▲


人生は涙の谷 ++++++++ 所感

2007/03/05 06:03

070305(月)4時半気象●朝風呂で「日経・私の履歴書」ねむの木学園園長の宮城まり子。小学生のとき、実母が34歳の若さで逝去。その後「ダリやのようにうつくしい」継母がきたが、「夕顔の花のイメージ」であった実母のことを思って淋しく、亡くなった母がかわいそうでならなかったという。・・・・ああ人生は涙の谷だ。


新改訳 詩  84:5-6
84:5 なんと幸いなことでしょう。その力が、あなたにあり、その心の中にシオンへの大路のある人は。
84:6 彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。


●銀行に行って相談。世の中だんだん楽になる。●昔のこと。建築主とそりが合わなくなって建築設計の途中で解任されたことがある。所長から「高橋君、こういうときはジェントリー(紳士的)に引き下がるのだ」と諭されたことがある。しかし先方は私をやめさせるにあたって、理屈に通らないことを言ってきたので悔しさのあまりそれまでにかかった費用をばっちりタンマリ請求してやった。●最近、このことを某氏に話したら、その某氏「その時、高橋さんはジェントルマン(紳士)ではなくゼニトルマン(銭取るマン)でしたね。」と言われた。人生は金銭をめぐっても「涙の谷」だ。●人間社会は「償い」ということをしなければ納まらないことがある。金銭による解決ですまない場合は「死」によって清算されなければならない。死は罪を清める


塚本訳 マタイ20:28


,"人の子(わたし)が来たのも仕えさせるためではない。仕えるため、多くの人のあがない金としてその命を与えるためである。」"



新共同 コロ 1:14


1:14 わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。


 新共同 Ⅰテモ2:6


2:6 この方はすべての人の贖いとして御自身を献げられました。これは定められた時になされた証しです。


●6階の関口顧問と懇談。第三者の意見を聞くことは非常に有益である。●夜、妻と人生相談。この家にはどちらかが動けなくなるまでいよう。その後はまたそのとき考えようということになった。●また経済戦略会議。二人で考えれば「文殊の知恵」が浮かぶ。いや神を交えて「三人寄れば文殊の知恵」だ。名案が浮かぶものだ。


 






トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


宝のあるところに心もある ++++++++ 所感

2007/03/04 21:36

070305(日)5時半起床●NHKTV3CH「心の時代」戦場写真家が死んだ兵士のポケットに家族の写真が入っていたのを見て愕然となり、以後反戦写真家となった話●集会は藤巻、杉崎、高橋。私は「信仰は天性か努力か」熱心か」「千の風になってOh No」を話した。●杉崎孝さん(93歳)は今の世相を憂い、キリスト教愛真高校とキリスト教独立学園の存在意義とすばらしさをお話くださった●「千の風になって Oh No」の反響が大きい●小寺御夫妻と昼食●妻は合唱の練習●高木謙次氏から電話。塚本虎二先生記念会の講演を依頼する。演題は「内村鑑三と塚本虎二」●妻と今月の経済戦略会議。経済会議のときはいつでもどこでも激論険悪ムードになるが、これはなぜか。「宝のあるところに心もある」が真理だからだ。しかしこれも通り過ぎれば「遠い雷」。「そんなことがあったのかなー」と懐かしく思う日が来る。我が家の場合、4人の子ども達の学校が重なったときは年間2000万円不足の年があった。汲汲の生活。しかし何とか不思議に切り抜けた。いまでは懐かしい思い出。来世では経済の苦しみはない。経済難はこの世だけの「小事」。しかしこの小事に誠実に対処しなければならない。


塚本訳マタ 6:21
6:21 宝のある所に、あなたの心もあるのだから。


文語訳マタ 6:34
6:34 この故に明日のことを思ひ煩ふな、明日は明日みづから思ひ煩はん。一日の苦勞は一日にて足れり。


塚本訳ルカ 16:9-13
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。
16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。
16:11 だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。
16:12 もし他人のもの[この世のこと]に忠実でなかったならば、だれがあなた達のもの[天のもの]をあなた達に与えようか。
16:13 しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。」


 


トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


信仰は天性か努力か熱心か ++++++++ 所感

2007/03/03 07:00

070303(土)5時起床●朝風呂で「日経・私の履歴書」ねむのき学園園長の宮城まり子。学校になじまない子どもであった。窓際のトットチャンの黒柳徹子の幼少時代に似ている。コレという人物は若い頃から既成の思想や伝統的な習慣になじまないことが多い。●明日の準備として「信仰は天性か努力か熱心か」について考察。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


         信仰は天性か努力か熱心か


                東京聖書読者会 20047.3.4 高橋照男


塚本訳マタ 17:14-21
17:14 (山を下りて)群衆の所にかえると、ひとりの人がイエスに近寄り、ひざまずいて
17:15 言った、「主よ、どうぞ伜にお慈悲を。癲癇で、ひどく苦しんでおります。幾たびも幾たびも火の中、水の中に倒れるのです。
17:16 それでお弟子たちのところにつれて来ましたが、おなおしになれませんでした。」
17:17 イエスは答えられた、「ああ不信仰な、腐り果てた時代よ、わたしはいつまであなた達と一しょにおればよいのか。いつまであなた達に我慢しなければならないのか。その子をここにつれて来なさい。」
17:18 そしてイエスが悪鬼を叱りつけられると、悪鬼が出ていって、その時から子はなおった。
17:19 あとで弟子たちは人のいない時にイエスの所に来て言った、「なぜわたし達には悪鬼を追い出せなかったのでしょうか。」
17:20
彼らに言われた、「信仰が無いからだ。アーメン、わたしは言う、もしあなた達に芥子粒ほどでも信仰があれば、この山に向かい『ここからあそこに移れ』と言えば移り、あなた達に出来ないことは一つもない。」
17:21 〔無し〕


●63年も生きていると、信仰深い顔をしているなーと思う人に出会う。これ芥子粒ほどの信仰の持ち主だなーと思う。それに反して蔵書量や知識量を誇る人間は信仰がイマイチ。信仰がないとは言わないが薄い。話すことは不信仰からの迷妄だらけ●かって「聖書の高等批評」をやる人間にロクなやつはいないと言われる時期があった。今も同じような人間がいる。


塚本訳 ルカ 12:15
12:15 人々に言われた、「一切の貪欲に注意し、用心せよ。いかに物があり余っていても、財産は命の足しにはならないのだから。」


●信仰のあるなしは天性という運命的宿命的なものではなく、神にすがることに熱心になれというトーンである。その聖書的根拠は枚挙にいとまがない。熱心とは努力とはニュアンスが違う。ギブアンドテイクの精神でもない。神の愛を信じ込んで熱心になれということである。


●信仰は天性のもの、生まれつきのものなのかなーと思わされる箇所。


塚本訳ヨハ 1:45-47
1:45 (すると今度は)ピリポがナタナエルに出合って言う、「わたし達はモーセが律法に書き、預言者たちも書いている人を見つけた、ヨセフの子、ナザレ人イエスだ。」
1:46 ナタナエルが言った、「あのナザレから何か善いものが出るだろうか。」ピリポが言う、「来なさい、そうすればわかる。」
1:47 イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て、彼のことをこう言われる、「そら、あれは生粋のイスラエル人だ。すこしもごまかしがない。」


塚本訳 マタ 8:23-27
8:23 舟に乗られると、弟子たちも従った。
8:24 するとにわかに湖に激しい嵐がおこって、ついに舟は波をかぶった。しかしイエスは眠っておられた。
8:25 弟子たちがそばに来て、「主よ、お助けください、溺れます」と言って起した。
8:26 彼らに言われる、「なんでそんなに臆病なのか、信仰の小さい人たちよ!」それから起き上がって風と湖とを叱りつけられると、(たちどころに)大凪になった。
8:27 人々は驚いて、「この方はどうした人だろう、風も湖も、その言うことを聞くのだが」と言った。


塚本訳  使  16:13-14
16:13 安息の日に、わたし達は(町の)門を出て川ばたにいった。祈り場がありそうに思ったのである。そして(そこに)坐って、集まってきた婦人たちに話をした。
16:14 するとテアテラ町の紫毛織物の商人で、敬信家のルデヤという婦人が聞いていたが、主はその心を開いてパウロの話に耳を傾けさせられた。


●生まれも育ちも悪く、家庭環境もなく、学問教養もなく、自分の性質も悪く、惨めな罪の過去があり、信仰など高尚なこととは無縁であっても「熱心」さえあれば信仰は得られる。救いは得られる。


塚本訳 マタ 15:21-28
15:21 イエスはそこを出て、ツロとシドンとの地方に引っ込まれた。
15:22 すると、その地方生まれの一人のカナンの女が出てきて叫んだ、「主よ、ダビデのお子様よ、どうぞお慈悲を。娘がひどく悪鬼に苦しめられています。」
15:23 しかしイエスは一言も答えられなかった。弟子たちが来て、願って言った、「願いをかなえてやって、(早く)この女を追い払ってください。どなりながらついて来ますから。」
15:24 イエスは答えられた、「わたしはイスラエルの家のいなくなった羊だけにしか、遣わされていない。」
15:25 するとその女が来て、しきりに願って言った、「主よ、お助けください。」
15:26 イエスは答えられた、「子供たちのパンを取り上げて、(異教の)小犬どもに投げてやるのはよろしくない。」
15:27 しかし女は言った、「主よ、是非どうぞ!小犬どもも、御主人の食卓から落ちるパン屑をいただくのですから。」
15:28 そこでイエスは答えられた、「ああ、女の人、りっぱな信仰だ。願いどおりに成れ。」すると、ちょうどその時から、娘は直った。


塚本訳マタ 9:18-26
9:18 こう話しておられると、そこに一人の(礼拝堂の)役人が進み出て、しきりに願って言った、「わたしの娘がたったいま死にました。それでも、どうか行って、手をのせてやってください。そうすれば生き返りますから。」
9:19 イエスは立ち上がって彼について行かれた、弟子たちも一しょに。
9:20 するとそこに、十二年も長血にかかっていた女が近寄ってきて、後ろからイエスの上着の裾にさわった。
9:21 「お召物にさわるだけでも、なおるにちがいない」と、ひそかに思ったのである
9:22 イエスは振り向いて、女を見ながら言われた、「娘よ、安心しなさい、あなたの信仰がなおした。」するとちょうどその時から、女はなおった


塚本訳ルカ 21:1-4
21:1 それから目をあげて、金持たちが賽銭箱に賽銭を入れるのを見ておられた。
21:2 またある貧しそうな寡婦がレプタ銅貨[五円]二つをそこに入れるのを見て、
21:3 言われた、「本当にわたしは言う、あの貧乏な寡婦はだれよりも多く入れた。
21:4 この人たちは皆あり余る中から賽銭を入れたのに、あの婦人は乏しい中から、持っていた生活費を皆入れたのだから。」


塚本訳ルカ 23:39-43
23:39 磔にされている罪人の一人がイエスを冒涜した、「お前は救世主じゃないか。自分とおれ達を救ってみろ。」
23:40 するともう一人の者が彼をたしなめて言った、「貴様は(このお方と)同じ(恐ろしい)罰を受けていながら、それでも(まだ)神様がこわくないのか。
23:41 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」
23:42 それから(イエスに)言った
、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる。」


●人間が願わずとも神の方から積極的に救おう招こう思ったのだなーと思わされるケース。


塚本訳 ヨハ 5:5-9
5:5 するとそこに三十八年病気の人がいた。
5:6 イエスはその人が横になっているのを見、すでに長い間わずらっていることを知ると、「直りたいか」とたずねられた。
5:7 病人が答えた、「主よ、水がかきまわされた時に、わたしを池に入れてくれる者がないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に下りてゆきます。」
5:8 イエスが言われる、「起きて担架をかついて、歩きなさい。」
5:9 するとその人はすぐ直って、担架をかついで歩きまわった。あいにくその日は安息日であった。


塚本訳 マタ 9:9-13
9:9 イエスはそこから出かけて、(湖のほとりで)マタイという人が税務所に坐っているのを見て、「わたしについて来なさい」と言われると、立って従った。
9:10 イエスが家で食卓についておられるたときのこと、大勢の税金取りや罪人も来て、イエスや弟子たちと同席していた。
9:11 パリサイ人はこれを見て、弟子たちに言った、「なぜあなた達の先生は、税金取りや罪人と一しょに食事をするのか。」
9:12 聞いて言われた、「丈夫な者に医者はいらない、医者のいるのは病人である。
9:13 『わたしは憐れみを好み、犠牲を好まない』という(神の言葉の)意味を、行って、勉強したがよかろう。わたしは正しい人を招きに来たのではない、罪人を招きに来たのである。」


塚本訳 使徒使 14:7-10
14:7 そこで福音を説いていた。
14:8 当時ルステラに、足のきかない一人の男が坐っていた。母の胎内から足なえで、まだ一度も歩いたことがなかった。
14:9 この人がパウロの話を聞いていると、パウロはじっと見つめ、(足が)直るに必要な信仰があるのを見て、
14:10 大声で、「『自分の足で』まっすぐに『たちなさい!』」と言った。すると(たちまち)躍って歩きまわった。


●では信仰の天性もなく、芥子粒程の信仰もなく、熱心さも足りないこのどうしようもない私はどうしたらよいのか。そういう人間は「あつかましく」「暴力的に」「なりふりかまわず」祈ればよい。信仰にはこのあつかましさが必要だ。「熱心なクリスチャン」という言葉がある。


塚本訳ルカ 18:1-8
18:1 なお、気を落さずに常に祈るべきことについて、一つの譬をひいて弟子たちに話された
18:2 「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官があった。
18:3 またその町に一人の寡婦がいた。いつもその裁判官の所に来ては、『(早く裁判をして)わたしのため敵に仕返しをしてください』と言っていた。
18:4 裁判官はしばらくの間は取り合おうとしなかったが、あとでひそかに考えた、『わたしは神を恐れず、人を人とも思わないが、
18:5 この寡婦はどうもうるさくて、やりきれないから、(裁判をして、)この女のために仕返しをしてやろう。そうしないと最後にはやって来て、わたしをどんなひどい目にあわせるか知れない。』」
18:6 それから主は言われた、「この不埒な裁判官の言うことを聞け。
18:7 (こんな男でもこのとおり。)まして神が、夜昼叫んでいるその選ばれた人々のために仕返し(の裁判)をせず、気長に放っておかれることがあろうか。
18:8 わたしは言う、間もなく彼らのために仕返しをされるであろう。しかし人の子(わたし)が来るときに、はたして地上に信仰(をもつ人)が見当るだろうか!」


塚本訳 ルカ 16:16
16:16 (あなた達は聖書を誇るが、時代はもう変っている。)律法と預言書と([聖書]の時代)は(洗礼者)ヨハネ(の現われる時)までで、その時以来神の国の福音は伝えられ、だれもかれも暴力で攻め入っている


塚本訳 ロマ 12:10-12
12:10 親身の兄弟のように互に愛し合い、尊敬し合って互に(人を自分より)えらく思え。
12:11 熱心で倦まず、(神の)霊に燃え、主に仕えよ
12:12 希望をもって喜び、苦難に耐え、たゆまず祈れ。


●マタイ17章20節で「あなたたちには信仰が無い。もし芥子粒ほどの信仰があればあなたたちにできないことは一つもない。の次の21節が抜けている翻訳がある。異本を〔〕つきで採用した翻訳もある。異本は「では、芥子粒ほどの信仰がなければどうすればよいのか」という疑問が湧くのは当然だから。それに答えるために後代の人が挿入した疑いがある。


新共同訳(底本は聖書協会世界連盟修正第3版)


17:21 (†底本に節が欠落 異本訳)しかし、この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行かない。


新改訳(底本はネストレ24版)


17:21 〔ただし、この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行きません。〕」


口語訳(ネストレ21版)


17:21 〔しかし、このたぐいは、祈と断食とによらなければ、追い出すことはできない〕」。


NKJV マタ 17:21
17:21 "However, this kind does not go out except by prayer and fasting."


 岩波佐藤 塚本 新共同 文語 前田 ネストレ24,25,26,27版


17:21 なし 


正文批評の趨勢で21節は本文にしていないほうが多い


●しかしこの異本の内容に興味が湧く。マルコ9:19による後代の挿入と見る説、教会において禁欲生活が尊ばれるようになってからの挿入であるとも言われるが、写本者がこれを挿入したくなった気持ちは分かる。生きていくときの困難に対処する方法はどうしたらよいかとの重要質問に対する答えなのだ。それは「断食をするほどの熱心な祈り」だということなのだ。


塚本訳マコ 9:28-29
9:28 家にかえられると、弟子たちは人のいない時に尋ねた、「なぜわたし達には霊を追い出せなかったのでしょうか。」
9:29 彼らに言われた、「この種類(の霊)は、祈り以外(の手段)では決して出てゆかせることは出来ない。


●信仰は天性ではない。人間の行為による取引ではない。神の愛をかぼそくでも一心に熱心に信じ込むことなのだ。では聞かれる祈りの具体的な「技術は?」「その方法は?」隠れたところでひそかに祈ればよい。か細い声で祈ればよい。


塚本訳 マタ 6:6
6:6 あなたが祈る時には、『奥座敷に入り、部屋をしめきった上で、』隠れた所においでになるあなたの父上に『祈れ。』そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。


●孫が交通事故で頭に重症を負ったとき、断食して全身汗だくで夜を徹して「熱祷」した藤沢武義氏のことを思う。「山を動かす」祈りになって、そのお孫さんは奇跡的に回復、その後は米国留学までして、普通の人よりも頭がよい。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


●妻は品川の愛子の所に「かなほ」の初節句。その後辻音楽事務所に「ウィーン世界合唱祭の練習」。



 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 

トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


聖徒の交わりの喜び ++++++++ 所感

2007/03/02 08:12

070302(金)4時半起床●朝風呂で「日経・私の履歴書」ねむのき学園園長の宮城まり子。母親のこと。●「千の風になって」に関して、および「初代教会史文献」に関して返礼と激励がくる。「聖徒の交わり」の喜びを感じる。感謝●復活の希望をどのように歌うか。


毛虫匍(はらば)へり蝶となる日を夢見つつ  


玉木愛子(長島愛生園、ハンセン病患者、1969年召天82歳)


●三位一体の教義をどのように譬えるか。


遠山の金さんは奉行所で犯人に向かって、「この桜吹雪の刺青がみえねーか」と言って上衣を脱ぐ。これ三位一体の原理と似ている(武祐一郎氏の説明)


●三位一体の教義は大脳皮質に訴えてもわからない。それは神の霊に触れた時に氷解するが、それを理論で説明するとなると遠山の金さんの二役の姿の説明のようにならざるをえない。三位一体は大脳皮質で考えてもわかるようにはならない。五次元のことは四次元のレベルでは分からないから。●妻は西東京合唱団の練習●物忘れの度合いがひどくなり、探し物をする時間が増えた。愕然となった。鹿島建設は50歳以上になると重要現場の現場所長はやらせないそうだ。注意が行き届かないでクレーンなどを倒す危険もあるから。肉体の衰え、脳の衰えは悲しい。認知症にはなりたくない、ボケ老人にはなりたくない。その前に逝きたい。

トラックバック(0) | コメント(0) | top▲




| Top | Next
0814