to 日記と感想 2007年04月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171030(月)10:00 聖路加 桑本先生
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170824(木)12:10キララホールエントランスコンサート、マリンバ
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170813(日)10:30ナザレン教会浦和教会
    170813(日)14:00比企紀和君
    170812(土)14:00お江戸こらりあーず演奏会、文京シビックホール
    170809     TW誕生日
    170809(水)17:16初音吹奏楽、府中の森芸術劇場ドリームホール
    170808(火)0930池谷医院
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170708(土)14:00在宅医療説明会(キララホール)
    170707(金)10:00池谷医院
    170706      TM誕生日
    170702(日) 集会感話
    170701      TT誕生日
    170630(金)12:20キララホールエントランスコンサート
    170628      IY誕生日
    170627(火)11:00 能城牧師来訪
    170625)日)10:10トミ子集会感話
    170625(日)14:00茅ヶ崎金子邸
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール


新天新地の歌 ++++++++ 所感

2007/04/30 17:20

070430(月)振替休日、5時起床●朝風呂で「日経・私の履歴書」はセブン&アイ・ホールディングス会長の鈴木敏文。ハーバードビジネススクールとケンブリッジ大学で講義。民間で苦労して成果を上げたことが貴重。それが大学に招かれる理由。実額は象牙の塔では身に付かない。民間の底辺で呻吟してはじめて体得できる。ただし神を信じて清い心でなければ真に身につかない。ただ民間にいればよいということではない。それはだだ汚濁に埋没するだけ●東北からメール「使徒伝承一本槍でおやりください」。これに奮い立つ。顔をまっすぐにさせられた。信仰の交わりはありがたい。感謝●「信仰者、藤林益三先生を追悼する」と名称を変更して、はじめにと「⑧新天新地の歌」を追加。


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はじめに



「東京聖書読者会」を発足された藤林益三先生は2007年4月24日に心不全のため99歳で、稲城市の病院で召された。各新聞は元最高裁判所長官だったということで大きく報道した。私としてはお許しを頂いて5月24日の青山葬儀所での公式の告別式とは別にこの集会で信仰者藤林益三先生についての個人的な思い出をもって追悼させていただく。内容は外部では話せない信仰的なことであるので私個人としても大なる光栄である。このように純信仰的に追悼させていただくことは藤林先生が最も喜んでくださるでことあろうと多くの方々がおっしゃってくれた。



⑧新天新地の歌


 先生のご著書はたくさんあるが、先生がいかにしてキリストを信ずるようになったのか、その具体的な記録はない。しかしあるとき、「私は讃美歌355番が好きだ。自分の葬儀のときにはこれを歌ってもらおう」とおっしゃられた。私はこれを伺い、先生の信仰告白の表明はこれに尽きると思った。この讃美歌355番は日本人の作詞作曲になる非常に古いもので、作られた時の題は「新天新地の歌」というものである。内容は罪からの救い、復活、永遠の生命、というキリスト教の中心的なことが簡潔に歌われている。これは先生をお見送りするのにふさわしい讃美歌であるので、最後にここにご列席の信仰者の皆様と心を合わせて歌いたいと思う。どこで歌うよりもこの集会この会場で信仰者の皆様に歌っていただけることが先生の一番お喜びになられることであると固く信ずるものである。


来世での有体的復活は先に召された木の枝夫人の固く信ずるところであった。私も残る人生を有体的復活を信じてキリスト・イエスに向かって突入したい。イエスの言葉、「死んだ者の葬式は死んだ者にまかせ、あなたは行って神の国を伝えなさい」(ルカ9:60)を心したい。そして復活の朝には先生からまた初めと同じ言葉をかけていただきたいと思う。「高橋君、君はやっぱり特攻隊だったねー」と。


 


讃美歌355番


1. 主を 仰ぎ 見れば  古き われ は,


    うつし 世 と 共に  速(と)く 去り ゆき,


   我ならぬ われの あらわれ きて,


    見ずや天地(あめつち)ぞあらたまれ る.


2. うつくし の 都(みやこ)エルサレム は


    今 こそ くだりて われ に 来 つれ.


   主とも に 在(いま)せば つきぬさちは


    きよき 河 の ごと  湧きてながる.


 3. うるわし慕(した)わし とこ世のくに,


    うららに恵みの 日かげ 照れば,


   生命( いのち)の木(こ) の 実(み)は 


   みのり しげく,


    とわに死の影も なやみもなし.


  4. つゆだに功(いさお)の  あらぬ  を も


    潔 (きよ)めてみくにの 世嗣(よつぎ)となし,


    黄金(こがね)のみとの に  住ませたもう


    わが 主の 愛こそ  かぎり なけれ.


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我が家の北面。新築後満6年。なぜか漆喰の白は汚れない。木のステインは剥げてきたがこれは塗り直しをしないで、黒ずんでいくのを待つ。あきる野市で二つの良い建物のうちの一つとは某建築士の評。ガッツポーズ。よく見てくれた、目がいい。2007.4.30 


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都忘れの花が咲く ++++++++ 所感

2007/04/29 07:45

070429(日)5時起床●朝風呂で「日経・私の履歴書」はセブン&アイ・ホールディングス会長の鈴木敏文。家庭のことは妻任せ。子供は両親の背中を見て育つ●信仰は努力で得られるものではない。天から降ってくるもの。恩恵、お情け、憐み、同情、●からし粒ほどの信仰も人間にはなかったことが分かると、自分に信仰があることを人には誇れない。だから無信仰者をさばけない。


塚本訳 ルカ 17:6
17:6 主が言われた、「もしあなた達に芥子粒ほどでも信仰があれば、──(あなた達にはそれがないが、もしあれば)──この桑の木にむかい『抜けて海に植われ』と言っても、言うことを聞くであろう。


●この塚本訳の敷衍の「あなた達にはそれがない」は重要な言葉。自分には信仰があるというところがいけない。他人をさばく。●集会は丹野武宣、田中桂子、高木。終了後横田淳氏より藤林益三先生の闘病、最後のご様子、葬儀についてご説明があった。●昼食会で藤林先生を偲ぶ会の相談。


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後ろは恵一家が福島の地に出発するときに植えていったオリーブの樹。あれは2003年7月19日のことであった。もう4年。早いなー


手前はその福島の恵のところから持ってきた「都忘れ」。


2007.4.29


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勢いよく泳ぐ鯉。でも一人ッ子だなー。 2007.4.29



 

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人を真に赦せるか。心の末期癌患者 ++++++++ 所感

2007/04/28 08:49

070428(土)4時半起床●朝風呂で「日経・私の履歴書」はセブン&アイ・ホールディングス会長の鈴木敏文。企業合同の話。企業の合同や合併は基本的には経済的原因だが、実はトップの個人的相性。縁による。だから人間は常に自分を磨かなければならない。相手が合併の話に乗ってくれない。いかに経済的に計算が合っても人間が嫌われれば話は進まない●妻と老後の人生設計をする。どちらかが一人になったら、あきる野の家と土地を売却して、独り身の生活に備える。「子に美田は残さず」の方針とする。●チェロのロストロポービッチが逝去。80歳、早かった。追悼の意味でドボルザークのチェロ協奏曲をロストロポービッチ+カラヤン+ベルリンフィル1968年不滅の名演を鑑賞。●「人を真に赦せるか」について黙想。それが真に可能になるのは自分が神に赦されるとき。「神様、私が悪かったのです。あの人が私を責めるのは当然です。このふつつかな私をお赦しください。」という砕けた祈りの気持ちが与えられる時に初めて心が静かになりあのどうしようもなく憎くて憎くてしょうがない人をも不思議に赦せて、その人の幸福を祈れるようになる。それまではどんなに人間的に悶々と努力しても赦せない。こういうとき信仰がないと、逆襲したり相手の不幸を願ったり相手が少しでも失敗したりするとザマーミロと思ってしまう。しかしそういうことでは平安は訪れない。暗い。


口語訳 詩  34:18
34:18 主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる。


口語訳 詩  51:17
51:17 神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心を/かろしめられません。


口語訳 詩  147:3
147:3 主は心の打ち砕かれた者をいやし、その傷を包まれる。


口語訳 イザ 57:1
57:1 正しい者が滅びても、心にとめる人がなく、神を敬う人々が取り去られても、悟る者はない。正しい者は災の前に取り去られて、


●現在、死因の35%は悪性腫瘍、つまり癌だ。しかし心の癌患者は人口の100%である。全員が死んでいる。人を赦せないという末期癌。これから救われるには人間の医者では無理。神御自らが手を下す罪の赦しという奇跡的大手術に与らなければ治らない。●昨日のブログ日記に、津地鎮祭訴訟判決における藤林先生の追加反対意見を書き加えた。(⑤信仰が生活や仕事に反映する。の項)先生が最高裁判所の長官に選ばれたことの神の摂理を改めて感じた

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信仰者藤林益三先生を追悼する ++++++++ 所感

2007/04/27 09:18

070427(金)4時半起床。窓を開けると朝焼けが素晴らしいかったので、表に出て撮影。


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素晴らしい朝焼け。去る24日に召された藤林先生を思う。信仰をもって99歳で召された先生は「凱旋」であった。2007.4.27 4:52


塚本訳  Ⅱコリ4:16
4:16 このゆえに、わたし達は気を落さない。いや、わたし達の(生れながらの)外の人はどんなにこわれていっても、(キリストによって生れた)内の人は一日一日と新しくされてゆく。


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奥多摩連山はまだ明けない。2007.4.27  4:56 人は死んでも山は残っている。しかしこの山も週末にはなくなる。永遠の命だけが残る。復活、復活。有体的復活。永遠の喜び。


塚本訳  ロマ 8:24
8:24 なぜなら、わたし達は(最後の日に救いが完成されるという)望みをもって、救われているからである。目に見ることのできる望みは望みではない。人はいま現に見ているものを、なんでその上望む必要があろうか。


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朝日に映える我が家の窓。あの部屋で今日も「使徒伝承」を発信するのだ。手前は春の花。菜の花。


神よ、今日一日も守らせたまえ。 2007.4.27 5:01


新共同 ピリ 3:7-9
3:7 しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。
3:8 そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています


●「信仰者、藤林益三先生を追悼する」を執筆。次の通り。


来る5月6日に集会で話す原稿。


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  「信仰者、藤林益三先生を追悼する」


               東京聖書読者会 高橋照男 2007.5.6


はじめに


「東京聖書読者会」を発足された藤林益三先生は2007年4月24日に心不全のため99歳で、稲城市の病院で召された。各新聞は元最高裁判所長官だったということで大きく報道した。しかし先生には4つの面があった。第1は法律家、法曹界の人としての面、第2は長らく銀行の顧問弁護士をされていたので経済界の人としての面、第3は藤林家における2男3女の父親としての面、第4は無教会のキリスト信者としての面。私たちは、この第4の信仰者としての面で交わらせていただいてきた。そこで私としては今日はお許しを頂いて5月24日の青山葬儀所での公式の告別式とは別にこのキリスト教の集会において第4の面の信仰者藤林益三先生について、個人的な思い出を通して追悼させていただく。内容は他の3面の方々には通じない信仰的なことであるので私個人としても大なる光栄であり、話すのにも楽である。このように先生を純信仰的に追悼させていただくことは藤林先生が最も喜んでくださるでことあろうと多くの方々が激励してくれた。


   「君は特攻隊のようだねー」


 今から40年も前の私が22~23歳の頃のことであった。私は集会の司会を会の責任者であられた藤林先生に志願した。その時先生が言われたのは「君は特攻隊のようだねー」であった。これが先生と初めて交わした言葉であった。しかし志願したというのは誤りで実はもう一人の責任者であられた大木重吉さんという方から「若い者は自ら進んで司会を申し出なければならない。君が都合の良い日を藤林先生に言いなさい」と裏で工作されたのであった。


  若い者の面倒をよく見てくださった


次は23~24歳頃のことである。その頃私は某建設会社の埼玉県の支店に勤務していた。私は東京に出て毎日曜日に集会に出席し、またギリシャ語のクラスに入って聖書の勉強をしたいと思うようになった。すると周囲の人が藤林先生に働きかけてくださり先生が顧問をされていた東京の某建設会社に転職が決まりかけた。しかし勤務先の慰留があってそのまま元の会社の東京の本社に転勤になり、先生の御意向には添えなかった。その後結婚の話が持ち上がり、婚約式も結婚式も司式をしてくださった。結婚式の式辞で忘れられないのは、「私は妻の寝顔を見ていると、よくこんな私のところに来てくれたものだなーと思う。こういう気持ちがあれば結婚生活は長続きするものだ」と。そして誓約の段になって「(間違いを犯してはいけない)いいな」と真剣な顔で私の眼をじっと見られた。とても怖い顔であった。これは私が26歳の時のことであった。長男の名前は先生がその頃最高裁判所の判事に任命され、ご自分の新しい出発でもあり、また私たちの初めての子でもあるというので、「新一」と命名してくださった。こういうわけで新一の年齢はその後も常によく覚えていてくださった。幼少の頃にお父上に先立たれ、家族五人離散の悲運という辛酸を舐められた先生には常に「若い人に苦労をかけまい」というお気持ちがあられた。


  藤林邸の設計に関しての思い出


次は33歳のとき。その頃目黒の藤林邸を新しくすることになり、設計監理を依頼された。リューマチで悩んでおられた木の枝夫人に快適な環境を整えてほしいというのがご方針であった。木の枝夫人は自宅で葬式を行う時に便利なように設計して欲しいというご希望をされた。新居の設計中に先生は最高裁判所の長官にご就任になられ、御公務が忙しいので建築に関しては私が全権を委任された形になった。このとき私は「仕事というのは人を信用して全面的に相手に任せるもの」ということを学ばされ、この経験によって後に建築の「プロジェクトマネジメントの知識」や「コストプランニングの知識」という本など建築の本を10冊執筆することになった。特に鹿島出版会から出版したもののうちの2冊は技術書としては異例の20年間のロングセラーになっている。ロングセラーの秘密は、「仕事は心」ということを先生から学び、技術というよりも心を説いたものだからである。建築主としての先生は一度決定したことが後戻りしない理想的な建築主であった。そして、「私はどんな家でも与えられれば感謝だ」とも言われた。こう言われると建築する者は発奮するものである。不平や文句を言わないで生きること、これは食事でも、結婚相手でも、子供のことでも、自分の不運な人生について同じである。何事も与えられたものに感謝の心をもって生きるべきことを学んだ。それから12年後に夫人は召され、先生から葬儀の司式を依頼された。前夜式は御希望通りにご自宅で執り行うことができたので木の枝夫人の約束を果たせた感じがした。欧米では医者、弁護士、牧師、建築家が4大プロフェッションと言われている。この職能に限らず仕事という仕事は他人の財産や命を預かってこれを守ることであることを学んだ。こういう認識を持つことができたのは先生が若輩の私を一人前のプロフェッショナルと認めてくださったからである。完成したとき、設計も費用も工期もよかったと喜んでいただき、ご満足いただけた。(藤林邸はHP主要建築作品の写真を参照)。藤林邸の完成に伴い、無教会者からの建築設計の依頼が増え、同時にその約三分の一の方々から告別式もやってほしいというご依頼があった。私としてはこの世の「見える住まい」と、来世の「見えない住まい」へのお見送りに関与させられたことは信仰的にも有益であった。しかし中には信仰とは全く無縁の御遺族とソリの合わないこともあったが、そういう時の対処の仕方も教えていただいた。信仰は一代限りだというお考えでもあられた。


  無教会集会の性格を形作る


 現在の「東京聖書読者会」という無教会集会のそれ以前の名称は「丸の内聖知読者会」というものであった。これは当時発行されていた塚本虎二先生の「聖書知識」という雑誌の購読者の会という性格のものだった。ところが昭和48年に塚本先生が召天されると同時に雑誌も終刊した。その後、私の友人が集会に出席するようになり、「『聖書知識』という雑誌を購読すればよいのですね」と質問があった。しかしその時はすでに雑誌は終刊になっていたのである。そのことを藤林先生に申し上げるとしばらくして「会の名称を変更しよう」ということになり、集会の何人かに案を出してもらって最終的に先生が「東京聖書読者会」と命名された。つまり一人の先生の本を読む会ではなく、聖書そのものを読む会ということに方針を改められた。これは無教会主義集会の今後のあるべき姿を打ち出された画期的なことであった。つまり、聖書そのものを読んで、その感想を述べ合う会というのである。それは、昭和49年のことであった。それから9年後の昭和58年、私が40歳の時に先生から月に一回聖書の感話をするように命じられた。その時、次のように指導された。「聖書そのものを読んで来てその感想を話せばよい。他人の知識をかき集めるような勉強はしてこないこと。この集会は予習してくるような人間はいないから恐れることはない、大丈夫だ。」と躊躇する私を励ましてくださった。先生は常に「新約聖書は手紙だ。難しく読むことはない」と言っておられた。また各人の信仰の違いやズレに関しては「間違っていることは神ご自身が注意してくださる」とおっしゃられた。これは、今日全国に大小300程度あるといわれる無教会主義集会の今後の指標でもあると思う。


  判決のバックボーンには聖書があった


 先生が最高裁判所の判事に任命されたときには、聖書一冊を抱えて初登庁された。そして昭和48年、尊属殺人事件の判決の時には私が30歳の時に妻の協力を得て編集した「聖書知識、新約知識、旧約知識、聖書索引」が判決に役立ったと感謝された。私はこのとき、聖書が最高裁判所に入ったと感じることができ、うれしかった。裁判官としての先生の精神的バックボーンは聖書であった。昭和52年、先生70歳の時の「津地鎮祭違憲訴訟」における最高裁判所長官としての追加反対意見はその後全国に起こる「政教分離裁判」関連の理論的根拠となり、今やその追加反対意見の考え方が主流になったと聞いている。これは法律家としての先生の人生のハイライトでもあるのでそのいきさつを先生の文章をそのまま引用して詳しく書く。「この裁判は、三重県津市が市立体育館の起工式(地鎮祭)を神式で行ったことが発端になった。市議会議員の一人が、この起工式の費用を市が負担したのは政教分離を定めた憲法に違反するとして訴えを起こした。二審の名古屋高裁の裁判官は大変な勉強家で、内外の文献などをよく調べて、市の地鎮祭への費用支出は違憲だ、という画期的な判決を下した。私が最高裁に入ってから、一年ほどして事件が最高裁に上がってきた。私は、自分の関心のある信教の自由の原則にかかわる問題であったので、米国の判例や文献などに当たり、勉強していた。だが、まさか自分が長官として判決を下そうとは想像もしていなかった。判決は、この起工式は宗教活動に当たらないから、市の支出は合憲 ――という内容だった。十対五であった。私は違憲とする反対意見に加わったが、反対意見だけでは十分でないと思ったので、追加反対意見を書いた。私以外の四人の裁判官は特に信仰を持っているわけではなく、理論的な立場から違憲との判断に達したのだが、私は宗教に対する考え方がほかの人と違ったから、その部分を追加反対意見に書かせてもらった。私の意見を要約すればこうである。神職が四人も来て起工式を執り行ったのは、単なる余興ではなく、工事の無事安全を祈るためだ。人力以上のものを願って祈る行為を宗教的といわないで、一体何が宗教的活動にあたるのか。またこのような行為に違和感を覚える少数者がいるのに、その宗教や良心の自由を多数決で侵犯するのは許されない、ということである。・・・・中略・・・・私は、戦時中、宗教弾圧を身近に体験した。弁護士として弁護活動もした。だから公権力が宗教や良心の問題に介入してくるのに人一倍敏感なのである」。(藤林益三著作集⑧私の履歴書P83~85)。最高裁判所大法廷の判決を取りまとめる長官の立場でありながら一人で追加反対意見を書くことは、長官の地位を危うくしかねない勇気のいることであった。しかしながら、今では先生の決死のこの追加反対意見が法曹界や学会の主流になっていると聞いている。私の職業領域の建築界においても、このとき以来公的な建築工事では神主を呼んで行う地鎮祭はやらなくなった。これは先生の信仰が具体的にご自分の職業領域で発揮されたもので、信仰と仕事の関係を考える上で我々の指標となるものであった。とかく塚本門下は、「信仰のみ」であって社会問題に無関心と思われがちであるが、藤林先生のこの勇気ある「追加反対意見」を見ればそうではないことが分かる。「信仰のみ」に徹する方が逆にこの世に強い影響をもたらすという宗教現象の歴史的証明でもある。日本はこれによって「宗教的弾圧」ということから解放される法的根拠が打ち出されたのである。ここに先生が短期間ではあったが最高裁判所の長官に選ばれたことの神の摂理を感じるものである。しかしこの追加反対意見の存在は信仰者でなければそのありがたさがわからないものであろう。


  隠れた経済的支援


 先生はよく隠れた経済的支援をされた。それは「右の手のなすことを左の手に知らすな」(マタイ6章3節)で、周囲にはわからなかったが、薄々感じられた。その金額も半端なものではなかった。私が知っていることを並べ立ててもよいが、それは「右の手のなすことを左の手に知らす」ことになり、先生が天で神からの報酬を頂けなくなるので言うことは差し控える。また、先生が招かれたり、媒酌人をされた結婚式の回数は非常に多く、あるときそのデータを見せてくださったことがあるがそれは61回もあった。告別式も合わせれば先生が冠婚葬祭に出向かれたことは優に100回以上にもなるであろう。その中には天皇家の法事である皇室行事も含まれている。皇室行事は「天皇家の法事」とのお考えであられ、先生の常識人としての面が躍如としておられた。また90歳になられても礼状は必ず自筆で書いておられた。先生はどんな小さな人との交流にも骨惜しみをされなかった。また今井館はじめ無教会全体への協力も惜しまれなかった。


  晩年の御苦難


 木の枝夫人の慢性関節リューマチは先生が最高裁の判事になられたころに出始め、昭和57年、先生が75歳の頃に重症になり、その激しい痛みはご家族の方々をも非常に苦しめた。そのころ私は藤林邸をバリアフリーに改築した。木の枝夫人が車椅子の生活でも便利なようにしたのである。浴槽には特殊な椅子を設置した。しかし先生はじめご家族の介護もむなしく、夫人は昭和63年6月に74歳で召された。先生はその時「(妻は)病苦から解放された」と言われた。ほっとされたのであった。先生はそのとき81歳、先生は深く奥さまを愛しておられた。夫人の本葬は東京青山葬儀所で行われたのであるが、司式を命じられた私が先生と二人でリハーサル行っていた時、先生は夫人のことを思い出されて急に絞り出すように号泣された。私は先生が泣きやまれるのをしばらく待っていたがそれはそれは長い時間であった。その1年後の平成元年、婦人之友社の発行する「明日の友」という雑誌に先生と私の対談記事が掲載された。題名は「現代の光と影・・・人生における苦難と救い・・・」であった。先生が対談の相手に社会的に無名の私を選ばれたのは、先生はこの世的に偉い人間が大嫌いであられたからである。先生はまたこの世的に偉い面を見て近づく人をも非常に嫌われた。先生は私が訪問すると大そう喜ばれるということをご家族の方からお手紙をいただいたことがある。その「明日の友」の対談記事の事前打ち合わせの時、「妻の家系では妻だけがあんなに苦しんだ。なぜだろう」と言って目を庭に転じられた。そのころ先生は集会で旧約聖書のヨブ記を読んでおられた。その対談記事には次のようにある。「私が何故そこで今、(集会で)ヨブ記について話をするかと言いますと、それはおっしゃるとおり家内の病気が原因でした。どんなに篤い信仰があっても、人は病気になると、大変な苦痛を味わうのは何故か、その疑問を究明したいという気がしたのです」(婦人之友社発行「明日の友1989年夏66号P12)。90歳を超えられてからも集会で聖書講義をされておられたが、千駄ヶ谷の駅からご一緒の時が何年か続いた。あるとき先生は歩きながら「母や妻から、早くこっちにいらっしゃいと呼ばれているような気がする」と語られたことがある。最晩年のある日、妻と病床の先生をお見舞いした。久し振りで私を見られた先生はベッドに寝たまま、「高橋君、頭がずいぶん白くなったねー、箴言の言葉にあったねー」と言ってくださった。私は先生に褒められた思いがして胸が熱くなった。その箴言の言葉というのは次の通りである。


新共同 箴  16:31
白髪は輝く冠、神に従う道に見いだされる。


最近の先生は目も耳も足もご不自由になられ、ついに肉のお住まいは住みにくくなられた。そしてこのたび、その肉のお住まいの労苦から解放され、私としてはほっとした感じがする。真に休めるようになられたと思うからである。召された4月24日、私は妙に胸騒ぎがした。そして今や藤林先生は霊の体で我々の間に戻って来られた感じがしている。先生のご平安な最後を思うとき、黙示録の言葉を思い出す。


口語訳 黙  14:13
14:13 またわたしは、天からの声がこう言うのを聞いた、「書きしるせ、『今から後、主にあって死ぬ死人はさいわいである』」。御霊も言う、「しかり、彼らはその労苦を解かれて休み、そのわざは彼らについていく」。


この最後のところは新共同訳では次のようになっている。


「然り。彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである。」


この新共同訳のとおり先生は神に報われるのであるから、人間たるわれわれが、いかに先生を尊敬し、人間的に慕っても先生は報われないのである。このことをパウロは次のように言う。


塚本訳  Ⅱコリ5:16
5:16 だからこのわたし達は、今からのちだれをも人間的に知ろうとはしない。たとい(以前は)キリストをも人間的に知っていたにせよ、今はもはや(そのように)知りはしない。


これによって同時にイエスの不思議な次の言葉もよく理解できる。


塚本訳  ルカ 9:59-60
9:59 またほかの一人に言われた、「わたしについて来なさい。」その人が言った、「その前に、父の葬式をしに行かせてください。」

9:60 その人に言われた、「死んだ者の葬式は死んだ者にまかせ、あなたは行って神の国を伝えなさい。」


  新天新地の歌


 先生のご著書はたくさんあるが、先生がいかにしてキリストを信ずるようになったのか、その具体的な記録はない。しかしあるとき、「私は讃美歌355番が好きだ。自分の告別式のときにはこれを歌ってもらおう」とおっしゃられた。私はこれを伺い、先生の信仰告白の表明はこの讃美歌の歌詞に尽きると思った。この讃美歌355番は日本人の作詞作曲になる非常に古いもので、作られた時の歌詞の題は「新天新地の歌」というものであった。内容は罪からの救い、復活、永遠の生命、というキリスト教の中心的なことが簡潔に歌われている。これは信者である我々が先生をお見送りするのにふさわしい讃美歌と思われるので、最後にここにご列席の皆様とこれを心を合わせて歌いたいと思う。どこで歌うよりもこの集会この会場で信者の皆様に歌っていただくことが先生の一番お喜びになられることであると固く信じる。


来世での有体的復活は先に召された木の枝夫人の固く信ずるところであった。私も残る人生を有体的復活を信じてキリスト・イエスに向かって突入したい。イエスの言葉、「死んだ者の葬式は死んだ者にまかせ、あなたは行って神の国を伝えなさい」(ルカ9章60節)を心して生きたい。そして私としては復活の朝には先生からまた初めと同じ言葉をかけていただきたいと思う。「高橋君、君はやっぱり特攻隊だったねー」と。


讃美歌355番


1. 主を 仰ぎ 見れば  古きわれは,


    うつし世と共に  速(と)く去りゆき,


   我ならぬわれの あらわれきて,


    見ずや天地(あめつち)ぞあらたまれる.


2. うつくしの 都(みやこ)  エルサレムは


    今こそくだりて われに来つれ.


   主ともに在(いま)せば つきぬさちは


    きよき河のごと 湧きてながる.


 3. うるわし慕(した)わし とこ世のくに,


    うららに恵みの 日かげ照れば,


   生命(いのち)の木(こ)の 実(み)は  みのりしげく,


    とわに死の影も なやみもなし.


  4. つゆだに功(いさお)の  あらぬ身をも


    潔(きよ)めてみくにの 世嗣(よつぎ)となし,


    黄金(こがね)のみとのに  住ませたもう


    わが主の愛こそ かぎりなけれ.


                              


                                                 高橋照男 


 


●図書館にCD、ヴィヴァルディ●山下次郎先生から「イエスという人」が寄贈された。また激烈批判を書かねばならない。●藤林先生の訃報を朝日新聞に読む。密葬をやったと書いてあったので一安心。先生は肉体の苦痛から解き放たれたのでほっとした。これで先生は霊で戻ってこられたという感じがした

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人間は何の縁でつながるべきか ++++++++ 所感

2007/04/26 06:18

070426(木)5時起床●朝風呂で「日経・私の履歴書」はセブン&アイ・ホールディングス会長の鈴木敏文。中国への進出が成功。その理由は中国人の心をつかんだから。「これがいいんだ」という押し付け商売は失敗する。●「葬式は死んだ者にまかせよ」というイエスの言葉について研究。●まずその問題の個所。昨日はルカ、今日はマタイを引用。


文語訳 マタ 8:22
8:22 イエス言ひたまふ『我に從へ、死にたる者にその死にたる者を葬らせよ』


塚本訳 マタ 8:22
8:22 イエスはその人に言われる、「(今すぐ)わたしについて来なさい。死んだ者の葬式は、死んだ者にまかせよ。」


口語訳 マタ 8:22
8:22 イエスは彼に言われた、「わたしに従ってきなさい。そして、その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい」。


新改訳 マタ 8:22
8:22 ところが、イエスは彼に言われた。「わたしについて来なさい。死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。」


新共同 マタ 8:22
8:22 イエスは言われた。「わたしに従いなさい。死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。」


岩波翻訳委員会訳1995


しかしイエスは彼に言う、「私に従え。そして〔その〕死人どもに彼らの死人たちを葬らせよ」。



  前田訳1978


  イエスは彼にいわれる、「わたしに従いなさい。死人に自分たちの死人を葬らせておきなさい」と。


われた。「わたしについて来なさい。死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。」


●これは葬式や結婚式に行かないで聖書を勉強していろとか伝道していろというのではない。不義理をせよというのではない。人間は何の縁でつながるべきかを教えてくれる。●思いは様々に広がるのでそれを抑えてBbBとTSKに当たる。まずBbB。


(日)並行個所・・・・・・塚本虎二訳


ルカ



9:60 その人に言われた、「死んだ者の葬式は死んだ者にまかせ、あなたは行って神の国を伝えなさい。」


(英・米)THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE 1982 の引照


 口語訳 Ⅱコリ8:9


8:9 あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っている。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、あなたがたが、彼の貧しさによって富む者になるためである。


●次にSWORDによるTSK


Luke 15:32:
しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである』」。


Ephesians 2:1:
さてあなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって、


Ephesians 2:5:
罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし――あなたがたの救われたのは、恵みによるのである――


Ephesians 5:14:
明らかにされたものは皆、光となるのである。だから、こう書いてある、/「眠っている者よ、起きなさい。死人のなかから、立ち上がりなさい。そうすれば、キリストがあなたを照すであろう」。


Colossians 2:13:
あなたがたは、先には罪の中にあり、かつ肉の割礼がないままで死んでいた者であるが、神は、あなたがたをキリストと共に生かし、わたしたちのいっさいの罪をゆるして下さった。


I Timothy 5:6:
これに反して、みだらな生活をしているやもめは、生けるしかばねにすぎない。


John 1:43:
その翌日、イエスはガリラヤに行こうとされたが、ピリポに出会って言われた、「わたしに従ってきなさい」。


●ナルホド、ナルホド。TSKの威力はすごい。インスピレーションが湧く。この世の祭りごとは「死人が一所懸命になること」なのだ。①政治の意味はまつりごと、②教会のミサ典礼はアウグスチヌスの言う「見えざる恩恵の見えるしるし」だが、これもお祭り。それに呪術的な効果はない。つまり救いの条件ではない。これが教派間の争いのもと。それはお祭りの意義とやり方の争い●だから無教会はその争いのもとになる聖餐式、洗礼、教会のありかたの論争をしない。それを一切行わない●クリスチャンの中にはこのお祭りに一所懸命になる人がいる。それのみに一所懸命、そこに信仰的意義があると思う人がいる。それは「この世的4次元人間」。まてまて、こういうことをいうこと自体が教派争いと同じなのだ●イエスの言葉は「人間は何の縁でつながるべきかが問題だ」ということを教える。血縁ではいけない、それは死で終わる。金銭の縁でもいけない、それは金の切れ目が縁の切れ目。趣味教養の縁でもいけない、それは水準が落ちると追い出される。イデオロギーの縁でもいけない、それは必ず切りあいになる。批判のし合いになる。論争になる。同じ先生であることの縁でもいけない、先生がいなくなると継続しない。永続性がない。美の縁、これも容貌が落ちると愛も冷める●主の霊の縁が本当の縁。その聖書的根拠は次の通り。●まず血縁との断絶。


塚本訳 マタ 12:48-50
12:48 しかしイエスはそのことを知らせた者に、「わたしの母とはだれのことだ、わたしの兄弟とはだれのことだ」と答えて、
12:49 弟子たちの上に手をのばして言われた、「ここにいるのが、わたしの母、わたしの兄弟だ。
12:50 だれでもわたしの天の父上の御心を行う者、それがわたしの兄弟、姉妹、また母であるから。」


●先生縁との断絶、イデオロギー的一致との断絶


塚本訳  ルカ 18:18-23
18:18 ひとりの(最高法院の)役人が尋ねた、「善い先生、何をすれば永遠の命がいただけるでしょうか。」
18:19 イエスは言われた、「なぜわたしを『善い』と言うのか。神お一人のほかに、だれも善い者はない。


●金銭縁との断絶


塚本訳 ルカ 18:22-23
18:22 イエスは聞いて言われた、「もう一つ欠けている。持っているものをことごとく売って、(その金を)貧乏な人に分けてやりなさい。そうすれば天に宝を積むことができる。それから来て、わたしの弟子になりなさい。」
18:23 彼はこれを聞き、しょげてしまった。非常な金持であったのである。


●藤林益三先生の偉い面に惹かれて縁をつないではいけない。先生のクリスチャンの面、主の霊によってつながっていなければならない。それは永遠である。●藤林先生のお考えでは「クリスチャンは一代でおしまい」。淋しいがそれでいいのだ。クリスチャンは世襲であってはいけない。


塚本訳  ヨハ 1:12-13
1:12 しかし受け入れた人々、すなわち、その名を(神の子であることを)信じた人には一人のこらず、神の子となる資格をお授けになった。
1:13 この人たちは、人間の血や、肉の欲望や、男の欲望によらず、神(の力)によって生まれたのである。


塚本訳 マタ 24:37-42
24:37 人の子の来臨は、ちょうどノアの(洪水の)時のようであるから。
24:38 すなわち洪水の前のあのころ、『ノアが箱船に入った』日まで、人々は飲んだり食ったり、嫁にやったり取ったりしていて、
24:39 洪水が来て一人のこらずさらってゆくまで、それに気づかなかった。人の子の来臨もこのようである。
24:40 その時、二人の男が畑にいると、一人は(天に)連れてゆかれ、一人は(地上に)のこされる。
24:41 二人の女が臼をひいていると、一人は連れてゆかれ、一人はのこされる。
24:42 だから(たえず)目を覚ましておれ。あなた達は主がいつの日来られるか、知らないのだから。


塚本訳 ルカ 17:26-35
17:26 ちょうどノアの(洪水の)時にあったようなことが、人の子の(来る)日にも起るであろう。
17:27 『ノアが箱船に入った』日まで、人々が飲んだり食ったり、嫁にやったり取ったりしていると、洪水が来て、一人のこらず滅ぼしてしまった。
17:28 ロトの時にも、ちょうど同じようなことがあった。人々が飲んだり食ったり、売ったり買ったり、植えたり建てたりしていると、
17:29 ロトがソドムから出た日に、『(神は)天から火と硫黄とを降らせて、『一人のこらず滅ぼしてしまわれた。
17:30 人の子があらわれる日にも同じことが起るであろう。
17:31 その日には、屋根の上におる者は、(何か大切な)家財道具が家の中にあっても下におりて取り出そうとするな。畑におる者も同じく『(家に)もどる』な。
17:32 ロトの妻のことを思え。
17:33 (この世の)命を保とうとする者は(永遠の)命を失い、(この世の命を)失う者は、(永遠に)生きながらえるであろう。
17:34 わたしは言う、その晩、二人の男が一つ寝床にねていると、一人は(天に)連れてゆかれ、他の一人は(地上に)のこされる。
17:35 二人の女が一しょに臼をひいていると、一人は連れてゆかれるが、他の一人はのこされる。」


●歯医者、図書館にCD、きねはら皮膚科、BK、●藤林先生関連で電話3本来る。藤林益三先生は東京聖書読者会だけのものではない。裁判官としてのその信仰的お働きは、この世の人には分からない。信仰的見地からに藤林先生のお働きを「総括」する必要があるとアドバイスがあった。●この世の人は先生の偉い面に注目するが信仰者はそれと同じであってはならないとも言われた。


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 素晴らしい鯉のぼり。2007.4.26





 


 



  

 


 


 

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「日の丸・君が代」問題 ++++++++ 所感

2007/04/25 07:44

070425(水)5時起床●シベリヤ抑留で辛酸を舐められた80代の方から「自分の国があるというのはありがたいことだ。むやみやたらに「『日の丸・君が代』に反対する人の気持ちがわからない」としてご自身の随筆「国敗れて山河あり」をお送りくださった●そしてこの問題に関アして私の見解をお訊ねになられたので以下のようにご返事した。ほぼ全文。


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○○○様


「国敗れて山河あり」の玉稿ありがとうございました。私としては「第三の立場」のお考えに触れることができて感謝です。


私の周囲には(主としてクリスチャンですが)、「日の丸、君が代」問題に関して二種の考え方が渦巻いています。


第一は戦時中に青少年時代を過ごし、戦後になって教科書に墨を塗られて心に傷を負った方々です。この方々は「日の丸・君が代」をアレルギー的に嫌悪してこれに激しく反対します。第二はそれより一世代上の方で皇室を尊敬していたり、元軍人がおられます。人品卑しからぬ立派な人が多くいます。第一と第二ははっきり区別できなかったり、逆であったりしてそれは「複雑系」です。


そこへ、このたび○○さんのお考えのような方がおられることを存じ上げ、私としては「日の丸・君が代」問題はまさに「複雑系」であると感じている次第です。特にシベリアで辛酸を舐められた方にしてこのお考えということは一種の驚きでもございます。


では高橋自身はどう思うのかと問われれば、「この世の出来事は来世の鏡」という考えです。しかしこの世の完成が目的ではなく、それは手段であると考えています。この世の生き方で「天に宝を積む」ということができるものと思います。ただし、人間の運動や行為で平和は到来せず、神との平和がまずあって初めてこの地上に平和が来るものと解しています。


このたびはわざわざ私の意見をお訊ねくださり感謝いたします。


お元気でお過ごしください。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 


●「日経・私の履歴書」はセブン&アイ・ホールディングス会長の鈴木敏文。この人は経営者の鏡。哲学が立派。「常に顧客だけを見る」「強いニーズがある以上、(経営)はきっと成り立つ」「みんながいいと言う」ことは単純競争に陥り大抵失敗し、みんなに反対されることはなぜか成功する」●13:30会内で総合研究所研究成果発表会。吉本、橋本、松本●帰宅すると藤林益三先生(元最高裁判所長官)訃報の知らせ。24日午前8時40分、心不全99歳。告別式は5月24日13;00東京青山葬儀所。喪主は次男の道夫氏。●藤林先生関係の電話2本、長電話。●約40年間にわたる藤林先生の思い出は尽きない。塚本先生丸の内講演テープの会、婚約式司式、結婚式司式、藤林邸の近くに住む、聖書知識バックナンバーを借りる、藤林邸設計、最高裁判所長官になられたこと、長男新一の命名、集会講師の指名、木の枝夫人の葬儀を依頼される、最高裁判所見学のこと、木の枝夫人のために建物改造、勤務先転職のご相談、2階増築、藤林日記のこと、家屋全焼のときの激励。先生の存在は私の人生であった。私が訪問すると先生は大変喜ばれるということをご家族から伺ったことがある●最後にお会いしたのは2005.8.4であった。そのとき98歳、随分お弱りになられておられた●葬儀に関する所感。無信仰の人がやる葬式は「この世的に派手なお祭り」になる。神抜きの葬儀。その時キリスト教は刺身の妻。






文語訳 ルカ 9:60
9:60 イエス言ひたまふ『死にたる者に、その死にたる者を葬らせ、汝は往きて神の國を言い弘めよ』





塚本訳  ルカ 9:60
9:60 その人に言われた、「死んだ者の葬式は死んだ者にまかせ、あなたは行って神の国を伝えなさい。」




口語訳 ルカ 9:60
9:60 彼に言われた、「その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい。あなたは、出て行って神の国を告げひろめなさい」。



新改訳 ルカ 9:60
9:60 すると彼に言われた。「死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。あなたは出て行って、神の国を言い広めなさい。」



新共同 ルカ 9:60
9:60 イエスは言われた。「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」


 




●世の中には葬式をやってもらうために教会や集会につながっているいる人がいる。誤り。葬式は10名ぐらいの質素なものがよい。「泣かれず惜しまれず」神にのみ知られる死がよい●


 


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されば汝は神の子なるか ++++++++ 所感

2007/04/24 06:51

070424(火)4時30分目覚め、黙想●朝風呂で「日経・私の履歴書」はセブン&アイ。ホールディングス会長の鈴木敏文.昨日と本日の分を読む。この人はやはり非凡である。常に顧客のことを第一に思っている。セブンイレブンで販売するチャーハンを試食して「こんなのチャーハンではない」とNG。一年八か月もかけてようやくOKし、これが大ヒット。またかつお節は原材料のかつおの漁獲海域までも検討。和洋中の料理の第一人者に指導を仰ぐ。麺は硬さと弾力性を数値化、連続11回NGを出して12回目にOK。その次がすごい。味は飽きられるから去年とは同じにしない。・・・・偉くなる人は違うなー。●一昨日の「来世では結婚生活なし」(HP使徒伝承に掲載)が女性たちの間で評判がいいことを側聞した。同時に初めて椅子に座って講義したことにご心配いただいた。●私としては「使徒伝承」を語りつつ倒れれば本望だ。講壇で崩れ落ちてもよい●イエスは人間か神の子か、イエスの思いとパウロの思いは違うのではないか。イエスには本当に神の子の自覚があったのか。・・・・この千古の謎に答えるのは聖書注解でも神学書でも牧師伝道者の説教でもない。その答えは聖書それ自身に書いてある。人類を代表してユダヤ人が質問してくれていた。それに対するイエスの答え、「スーエイパス」は直訳で「それは君が言う」であるが翻訳に差がある。塚本訳の「そうだと言われれなら、ご意見にまかせる」は意訳だがこれが一番意味が通じる。つまり「(私を何者かを)どう思うおうがあんたの勝手だ」ということである。●これ信仰の本質。他人の書いた本を浅く読んで「イエスには神の子の自覚がなかった」と言う人間は聖書の表面の文字だけを4次元の大脳皮質で読んでいる半可通の人間。とてもクリスチャンとは言えない。


文語訳ルカ 22:70
22:70 皆いふ『されば汝は神の子なるか』答へ給ふ『なんぢらの言ふごとく我はそれなり』


塚本訳 ルカ 22:70
22:70 皆が言った、「ではお前が、神の子か。」彼らに言われた、「そうだと言われるなら、御意見にまかせる。」



新共同 ルカ 22:70
22:70 そこで皆の者が、「では、お前は神の子か」と言うと、イエスは言われた。「わたしがそうだとは、あなたたちが言っている。」


口語訳 ルカ 22:70
22:70 彼らは言った、「では、あなたは神の子なのか」。イエスは言われた、「あなたがたの言うとおりである」。


新改訳 ルカ 22:70
22:70 彼らはみなで言った。「ではあなたは神の子ですか。」すると、イエスは彼らに「あなたがたの言うとおり、わたしはそれです。」と言われた。


●イエスに神の子の自覚があったかどうかは、イエス自身が「あった」とも「なかった」とも言っても始まらない。人がイエスをどう思うかどうかにかかっている関係概念なのだ。だからイエスはそのことを次のように言う。


塚本訳 ルカ 22:66-68
22:66 朝になると、国の元老院、すなわち大祭司連や、聖書学者たちが集まって、イエスを彼らの法院の議場に引いていって
22:67 言った、「お前が救世主なら、そうだとわれわれに言ってもらいたい。」彼らに答えられた、「言っても、とても信じまいし、
22:68 尋ねても、なかなか返事ができまい。


●これに関連するところは次の通り。他人の噂を引き合いに出してはいけない「あなたはどう思うのか」である。


塚本訳  マタ 16:13-17
16:13 ピリポ・カイザリヤ地方に行かれたとき、イエスはこう言って弟子たちに尋ねられた、「世間の人は人の子(わたし)のことをなんと言っているか。」
16:14 彼らが言った、「あるいは洗礼者ヨハネ、あるいは預言者エリヤ、あるいはエレミヤとか(昔の)普通の預言者とか言う者があります。」
16:15 彼らに言われる、「では、あなた達はわたしのことをなんと言うのか。」
16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主、生ける神の子であります!」
16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから。


塚本訳 Ⅰコリ12:3
12:3 だから(霊の見分け方について、)あなた達に次のことを知らせる、神の霊に感じて語る者は、だれも 呪われよ、イエス!とは言わない、また聖霊に感じてでなければ、だれも、イエスは主と言うことは出来ない


●神を信じない人間の企画発想はすべて「人間の目を恐れて」いる萎縮した低級な陳腐なものだから良くない。それは人間におもねるものだから伸びない。栄えない、発展しない。絶望。●あの人のやることはどうしようもなくだめだ。これから何をやってもだめだ。●まてまてあんな奴は自然消滅を待つほかはない。あんなヤツにかかわりあっているほど残り時間がない。時間が惜しい。


塚本訳 マタ 15:13-14
15:13 イエスは答えられた、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜かれる。
15:14 あの人たちを放っておけ。盲人の手引をする盲人だ。盲人が盲人の手引をすれば、二人とも穴に落ちよう。」


●歯医者、図書館でCD、村内ホビー、マイクロソフト、ノジマ●どうしても思い出せなった曲名がわかってうれしかった。レスピーギ、リュートのための古代舞曲とアリアのイタリアーナ。●カラヤン+ベルリンフィル1978でブラームス交響曲4番。カラヤン小品集のビデオを鑑賞、指揮は芸術●明日は特別に出勤することにした。


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普門禅寺で夜6時の鐘。一度鐘を衝いているところを見たかった。若い住職と話。「六つ打ちます。遠くからも聞こえますと言われるとうれしくなります」 2007.4.24 18:05


●今日の聴き納に「賛美歌」を聴いたら、なぜかとめどもなく涙が出て止まらなかった。過ぎにし方を思っての感謝、あと18年の短い命、先に逝ってしまった親しき友のこと、今は亡き父母の愛のこと、教会の恩、家を焼かれてしまったこと、すぐ大病するこの弱い身、家族に面倒をかけたこと、老いの悲しさ、有限の命の淋しさ、聴かれない祈り、祈りが足らずに人をつまずかせた深い悔い、などなどごちゃまぜの涙、ティッシュで拭いても拭いてもあとからあとから噴き出す。袖で振り払っても振り払っても吹き出てきて止まらない。なぜこんなに涙が出るのだろう。●だめだこんなことでは。十字架を背負って刑場に行くイエスは自分のために泣いている女性たちに向かって言った。「わがために泣くな」と。


口語訳 ルカ 23:28
23:28 イエスは女たちの方に振りむいて言われた、「エルサレムの娘たちよ、わたしのために泣くな。むしろ、あなたがた自身のため、また自分の子供たちのために泣くがよい。


新改訳 ルカ 23:28
23:28 しかしイエスは、女たちのほうに向いて、こう言われた。「エルサレムの娘たち。わたしのことで泣いてはいけない。むしろ自分自身と、自分の子どもたちのことのために泣きなさい。


新共同 ルカ 23:28
23:28 イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。


●そうだ、死を目前にした土壇場のイエスがこう言っていることを思えば、クリスチャンは自分の運命のことで泣いてはいけないのだ。●内村鑑三は言った。「キリストイエスを救い主と仰ぎて、癒しがたき悲痛あるなし!!」●クリスチャンはめったなことで泣いてはいけないのだ。


 


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無教会の聖書の読み方 ++++++++ 所感

2007/04/23 06:24

070423(月)出勤日。無教会の聖書の読み方について整理●昨日の集会で「聖書学の歴史、聖書の読み方」について簡単に話した。それは次の通り。


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①、文献批評学(1900-1950)・・・・文献批評、伝承史、様式史、生活の座、ディベリウス、ブルトマン


②編集史1950-2000・・・著者の神学の研究、文学社会学、コンツェルマン、エレミヤス、荒井献、田川建三、大貫隆、


③構造主義2000以降・・・・通時的解釈と共時的解釈の調和、通時的解釈は日本聖書学研究所の営み。共時的解釈は自己と現代の問題を聖書に解決を求める。そこからパワーを受ける。これは牧師の説教。無教会は通時的解釈と共時的解釈の調和を行ってきた。そこに矛盾を起こさないで読んできた。塚本、黒崎。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


●私のブログ日記は聖書の共時的解釈の営み。通時的解釈は行わない。それは聖書学を仕事にする人の営み。私は聖書の「素人読み」に徹する。しかし素人読みは「本質読み」につながる。つながらなければならない。●肩と首が痛むので出勤前に「十字式健康法」で気功治療。首の骨が曲がっていた。同じ姿勢を続けるのがいけないと言われた。●ヴィオリストの和田睦夫氏と昨日の演奏会の感想懇談●13:30関口顧問と真澄設計事務所●歯痛で歯医者。痛みをとってくれる医者の存在はありがたい。●妻は今日から三日間、里帰り、福島県いわき市。25日は二人の方を大熊好子さんのお墓にご案内。大熊好子さんは死後になってその墓参の希望者が6名も現れた。人の価値は棺桶の蓋を閉じてから決まるとは真理。


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花を愛する住人を思う。菊を見るときはそれを作った人がしのばれる。木はその実によって知らるる。この親にしてこの子あり。蛙の子は蛙。我を見しものは父を見しなり(イエス)。2007.4.23

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われに觸(さは)るな ++++++++ 所感

2007/04/22 07:51

070422(日)主の日。妻と集会に行く。今日は私が当番●朝風呂で「我に触れるな」ヨハネ20:17の黙想。天国では夫婦関係なし。結婚生活なし。「我に触れるな」ノリ・メ・タンゲレはその様相を示す。なぜ結婚生活がないか。天使のごとくなるから子供を産まなくてよいから。人格はあるが肉体ではない。これで「復活問答」が解ける。天国では地上の結婚関係は継続しない。これ結婚問題で悩める多くの人に「福音」。


塚本訳  ヨハ 20:16-17
20:16 (こう言って、また墓の方を向いていると、)イエスが「マリヤ!」と言われる。マリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う。(そしてイエスに抱きつこうとした。)
20:17 イエスが言われる、わたしにすがりつくな。まだ父上の所に上っていないのだから。わたしの兄弟たち(弟子たち)の所に行って、『わたしは、わたしの父上、すなわちあなた達の父上、わたしの神、すなわちあなた達の神の所に上る』と言いなさい。」


文語訳  ヨハ 20:17
20:17 イエス言ひ給ふ『われに觸(さは)るな、我いまだ父の許に昇らぬ故なり。我が兄弟たちに往きて「我はわが父すなはち汝らの父、わが神すなはち汝らの神に昇る」といへ』


塚本訳マタ 22:23-30
22:23 同じ日にサドカイ人たちが近寄って、復活なしと主張しながら、イエスにこう言って質問した。
22:24 「先生、モーセは(その律法に)、『もし人が子がなくて死んだ場合には、弟に兄嫁をめとり、兄の家をつぐべき子をもうけよ』と言っています。
22:25 ところがわたし達のところに七人の兄弟があって、長男が結婚して死に、子がなかったので、その妻を弟にのこしました。
22:26 同じように、次男も三男も、ついに七人まで(子をのこさずに)死んで、
22:27 一番しまいにその女も死んでしまいました。
22:28 すると(もし復活があるなら、)復活の折には、この女は七人のうちのだれの妻になるのでしょうか。皆その女を妻にしましたから。」
22:29
イエスは答えられた、「あなた達は聖書も神の力も知らないので、間違いをしている。
22:30 復活の折には、めとることもなく嫁ぐこともなく、ちょうど天の使いのようである。


 塚本訳  ルカ 20:29-36
20:29 ところで(ここに)七人の兄弟があって、長男が妻をめとったが、子がなくて死に、
20:30 (この律法に従って、)次男、
20:31 三男と、(つぎつぎに)その女をめとり、ついに七人とも同様に子を残さず死んで、
20:32 しまいにはその女も死んでしまいました。
20:33 すると(もし復活があるなら、)復活の折には、この女はその(七人の)うちのだれの妻になるのでしょうか。七人とも女を妻にしましたから。」
20:34 イエスは言われた、「この世の人はめとり嫁ぐけれども、
20:35 あの世にはいる資格を与えられて、死人の中から復活する者は、めとることもなく嫁ぐこともない。
20:36 復活によって生まれる彼らは、天使と同じであり、神の子であるので、もはや死ぬことが出来ない、(従って子を産む必要がない)からである。


塚本訳 Ⅰコリ15:46-49
15:46 しかし霊のものが最初でなく、魂だけのものであり、その次に霊のものである。
15:47 最初の『人は地から出て土で出来たものであり』、第二の人は天の出である。
15:48 土の人たちはこの土の人(アダム)のようであり、天の人たちはこの天の人(キリスト)のようである。
15:49 こうしてわたし達は土の人の姿を帯びたように、(復活の時は)天の人の姿を帯びるであろう。


●集会は土肥、横田、高橋(イエス伝と「来世では結婚生活なし」)。少し体調悪く、椅子に座って話した。心配をかけた●14:30ミッテンヴァルト室内合奏団演奏会。JTアートホールアフィニス。勤務先の和田睦夫氏が出演。ヴィヴァルデイの「調和の霊感がよかった。文字どおり音が調和して霊感のようであった。偶然高木博義ご夫妻も聴きに来ておられた。


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 JTアートホールアフィニス 300席程度の気持ちの良いホール。ミッテンヴァルト室内合奏団演奏会。勤務先の和田睦夫氏が出演。ヴィヴァルデイの「調和の霊感」がよかった。文字どおり音が調和して霊感のようであった。2007.4.22


●大塚きみさんが去る4月1日に95歳で召されたことを知った。長男栄治氏夫人節子さんにお悔やみの電話をする。●きみさんは私に素晴らしい言葉を残してくれた。それは一生忘れない。「この大塚ビルは屋上でご一緒に見た隅田川の花火のようにすぐ消えてゆくでしょう。永遠の時の流れからすると建築の寿命は一瞬です。しかし高橋さんに一所懸命に造っていただいたという思い出は私の胸に一生残ります」。私はこの言葉によって職業の本質、仕事の生きがいというものをひしひしと感じたものであった。●あれは1990年、47歳の時のことであった。(建築作品集オオツカビル参照)。あれから17年。これから18年もすると私の死期が訪れる。人生は短いものだなー。●しかし人の心に永遠に残る仕事とは、神が永遠に覚えていてくださることにつながる。人生の目的はそこにある。生きがいや仕事の喜びもそこにある。人にではなく神に知られ、覚えられる人生が最も尊いものなのだ。 ●大塚きみさんは晩年に失明されたが、心の眼ははっきり開いていた●「大塚さん、さようなら。よい言葉をありがとうございました。復活の朝、来世でお礼を申しげます」●仕事は建築のように物理的に残るものでなくて良い。人の心に良い印象を残す仕事であればよいのだ。それが天に宝を積むことなのだ。仕事の物理的成果はいつかは消えてなくなる。しかし神に覚えられるということは永遠である。次の聖書を連想する。


塚本訳 マタ 6:3-4
6:3 あなたは施しをするときに、右の手のすることを左に悟られてはならない。
6:4 これは施しを隠しておくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。


塚本訳  マタ 6:6
6:6 あなたが祈る時には、『奥座敷に入り、部屋をしめきった上で、』隠れた所においでになるあなたの父上に『祈れ。』そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。


塚本訳 マタ 25:34-40
25:34 それから王(なる人の子)は右側の者に言う、『さあ、わたしの父上に祝福された人たち、世の始めからあなた達のために用意された御国を相続しなさい。
25:35 あなた達はわたしが空腹のときに食べさせ、渇いたときに飲ませ、宿がなかったときに宿をかし、
25:36 裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢に入っていたときに訪問してくれたのだから。』
25:37 その時、正しい人たちは答える。『主よ、いつわたし達はあなたの空腹を見て食事を差し上げ、渇かれているのを見てお飲ませしましたか。
25:38 また、いつお宿がないのを見てお宿をし、裸でおられるのを見てお着せしましたか。
25:39 また、いつ御病気であり、牢に入っておられるのを見て、おたずねしましたか。』
25:40 すると王は答える、『アーメン、わたしは言う、わたしのいと小さいこの兄弟たちの一人にしたのは、わたしにしてくれたのと同じである


塚本訳  ルカ 12:33-34
12:33 (ただ御国のために働けばよろしい。)持ち物を売って施しをしなさい。(すなわちそれによって)自分のために古び(て破れ)ることのない財布をつくり、泥坊が近づくことも、衣魚が食うこともない天に、使いつくすことのない宝をつんでおきなさい
12:34 宝のある所に、あなた達の心もあるのだから。


塚本訳 ルカ 18:21-23
18:21 その人が言った、「それならみんな若い時から守っております。」
18:22 イエスは聞いて言われた、「もう一つ欠けている。持っているものをことごとく売って、(その金を)貧乏な人に分けてやりなさい。そうすれば天に宝を積むことができる。それから来て、わたしの弟子になりなさい。」
18:23 彼はこれを聞き、しょげてしまった。非常な金持であったのである。


 


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天国は親に慰められるような所 ++++++++ 所感

2007/04/21 05:53


070421(土)
4時半目覚め、ひらめきと黙想●天国とは親に慰められるような所。これ「兄弟のうちで遅れをとった子どもに気持ちが行く親心」がわかれば理解できる。昨日の「天国の内容を知ったら行きたくない」というのは訂正。それは4次元の頭のことであった。親に慰められるというようなところが天国である。その聖書的根拠は次の通り。


塚本訳 2 ルカ 16:25
16:25 しかしアブラハムは言った、『子よ、考えてごらん、あなたは生きていた時に善いものを貰い、ラザロは反対に悪いものを貰ったではないか。だから今ここで、彼は慰められ、あなたはもだえ苦しむのだ。


塚本訳 ルカ 15:31-32
15:31 父が言った、『まあまあ、坊や、お前はいつもわたしと一しょにいるではないか。わたしの物はみんなお前のものだ。
15:32 だが、喜び祝わずにはおられないではないか。このお前の弟は死んでいたのに生きかえり、いなくなっていたのに見つかったのだから。』」


●人間の地上での「苦」は来世ではことごとく親に慰められるように神に癒され慰められる。イエスは神のことを「父」だと言った。その聖書的根拠。


その①貧困の苦・・・・・親の慰め、神の慰めの言葉。「貧しかったけれどもよく働いたねー、疲れたねー、くたびれたねー」。


塚本訳 マタ 5:3
5:3 ああ幸いだ、神に寄りすがる『貧しい人たち、』天の国はその人たちのものとなるのだから。


塚本訳 2 ルカ 16:25
16:25 しかしアブラハムは言った、『子よ、考えてごらん、あなたは生きていた時に善いものを貰い、ラザロは反対に悪いものを貰ったではないか。だから今ここで、彼は慰められ、あなたはもだえ苦しむのだ。


その②病気の苦・・・・親の慰め、神の慰めの言葉。「辛かったねー。痛かったねー、苦しかったねー、気の毒だったねー、よく頑張ったねー、よく忍耐したねー」。天国では悩みなし、痛みなし、号泣なし!!。


文語訳 マタ 5:4
5:4 幸福なるかな、悲しむ者。その人は慰められん。


塚本訳 マタ 5:4
5:4 ああ幸いだ、『悲しんでいる人たち、』、(かの日に)『慰めていただく』のはその人たちだから。


文語訳 黙  21:4
21:4 彼らの目の涙をことごとく拭ひ去り給はん。今よりのち死もなく悲歎も號叫も苦痛もなかるべし。前のもの既に過ぎ去りたればなり』


新共同 黙  21:4
21:4 彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」


その③、結婚の苦、家庭の苦。・・・・・親の慰め、神の慰めの言葉。「結婚と家庭問題で苦労したねー。残念ながらうまくかなかったねー、さびしかったねー、天国では天使のようになるので夫婦、親子の関係はなくなるのだ。すべての人に対して自由なる『愛』の存在になるのだ。これ結婚に失敗した人、子育てに失敗した人に大いなる慰めである。


文語訳 マタ 22:30
22:30 それ人よみがへりの時は、娶らず嫁がず、天に在る御使たちの如し


塚本訳 マタ 22:30
22:30 復活の折には、めとることもなく嫁ぐこともなく、ちょうど天の使いのようである


●先日の「すずめの会」(婦人の聖書勉強会)で「芥子粒ほどの信仰」について学んだ。私は次のような発言をした「芥子粒ほどの信仰があればよいというが、それすらも人間にはないのだ。信仰は全く100%神から与えられるものだ」と語った。これと同じで、私たちには天国に行ける資格は一つもない。天国には信仰がなくても招かれる所なのだ。「絶対恩恵による無条件の罪の赦し」が執行されるところなのだ。親心の愛が実行されるところなのだ。天国への無条件の招きが実在であることは、親心が分かる時にはじめて分かる。●「自分には芥子粒ほどではあるが天国に入れる信仰がある」と思うのは全く間違い。人間には自分の努力で得ることができる信仰というものは全く100%無いのだ


塚本訳ルカ 17:5-6
17:5 使徒たちが主に言った、「もっと信仰を下さい。」
17:6 主が言われた、「もしあなた達に芥子粒ほどでも信仰があれば、──(あなた達にはそれがないが、もしあれば)──この桑の木にむかい『抜けて海に植われ』と言っても、言うことを聞くであろう。


文語訳 マコ 9:23-24
9:23 イエス言ひたまふ『爲し得ばと言ふか、信ずる者には、凡ての事なし得らるるなり』
9:24 その子の父ただちに叫びて言ふ『われ信ず、信仰なき我を助け給へ』


新共同 マコ 9:23-24
9:23 イエスは言われた。「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」
9:24 その子の父親はすぐに叫んだ。「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」


●「信仰なき我を助け給へ」は信仰の極地。それが聴かれる祈り。同じように「信仰というものが全くない夫を、妻を、子供を、親族を、アノ人を助け給え」の祈りが聴かれる。 絶対恩恵の無条件の罪の赦しで「お情け」で救ってくださいうという祈りが御心にかなう真の祈り。


●Y氏から昨日のブログの内容(天国論)に「苦言を呈す」つもりだったが今朝のブログで氷解したとのお電話をいただく。ブログで「主の交わり」ができて「ひとりよがりの信仰」に陥らなくてすみ感謝。●10:00八王子の能城一郎牧師(Jバイブルの開発者。内燃機関の工学を研鑚中に牧師に転向、最近米国での勉強を終えて帰国)が来訪。通持的、共時的の問題、複雑系、宗教と芸術、音楽、腰痛、Jバイブル、翻訳理論、新改訳第3版、Jバイブルのバージョンアップが7月20日にリリース、信仰という言葉の概念、シソーラス、タイセン、広井勇、ミズリー州スプリングフィールド、セントルイス、星野温泉の2代目、などなど。2時間の時間制限のため目覚まし時計をセットして話に熱中。●私に代って妻が病院に薬を取りに行ってくれた


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八王子暁キリスト教会の能城一郎牧師が来訪。目覚ましを2時間にセットして話に熱中。 2007.4.21


●13:30日の出会、「生きがいとは何か」を話し合う。愛する対象がないとき生きがいを失う。生きていても経済的に意味のないような人にこそ「生きていてほしい」という思いが湧くという話に感動●妻が寝たままテレビが見やすいようにコードレスヘッドホンを購入。図書館でCD。


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奥多摩連山の夕暮れ。人生の夕暮れも淋しい。復活の希望。これが有限の人間としての 淋しさの涙を拭う。来世へは行ってみたわけではない。「希望」なのだ。来世の実在は5分5分だが、信じられるとは有り難い。 2007.4.21


 


 


 


 

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天国は内容を知ったら行けない ++++++++ 所感

2007/04/20 06:54

0704208(金)出勤日、5時起床●朝風呂でMeditation (瞑想)。天国は信ずべきもので知るべきものではない●朝風呂で「日経・私の履歴書」はセブン&アイ。ホールディングス会長の鈴木敏。この人は会長になるだけの器である。ヨーカ堂が創業以来はじめての減益になたっとき「買い手市場への対応が遅れ始めたのが原因」。「改革はむしろ経営破した時の方がやりやすく、まだ大丈夫だと思っているときが一番むずかしい」。後者などは人間の救いにも当てはまる。人生が破綻しないと神に目がむかない。●日経第一面「ネットと文明」に「メールでいつも外部とつながっているせいか、考えを自分の中で熟成させられない人が増えている」。至言。●天国はこれを知ったら行く気がしない。なぜか。


その①、経済状態が逆転し、金持ちが苦しむ。真面目に蓄財した人が気の毒。


塚本訳  ルカ 16:24-26
16:24 声をあげて言った、『父アブラハムよ、どうかわたしをあわれと思ってラザロをよこし、指先を水にひたしてわたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの焔の中でもだえ苦しんでおります。』
16:25 しかしアブラハムは言った、『子よ、考えてごらん、あなたは生きていた時に善いものを貰い、ラザロは反対に悪いものを貰ったではないか。だから今ここで、彼は慰められ、あなたはもだえ苦しむのだ。
16:26 そればかりではない、わたし達とあなた達との間には大きな(深い)裂け目があって、ここからあなた達の所へ渡ろうと思っても出来ず、そこからわたし達の所へ越えてくることもない。』


その②、「死も、悲しみも、叫び」もないとなると無感覚なのか。ツマラナソー。死がないというのは眠れないというので逆に恐怖だ。しかし「痛み」がないというのは、末期がんなどで苦しんでいる人には魅力。この箇所は口語訳がぴったりくる。「痛み」という訳だから。


口語訳 黙  21:3-4
21:3 また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、
21:4 人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。


その③結婚生活なし。これまたつまらなそー。子供も孫もいない。第一に妻がいないから暖かい食事を作ってくれる人がいない。


塚本訳 ルカ 20:34-36
20:34 イエスは言われた、「この世の人はめとり嫁ぐけれども、
20:35 あの世にはいる資格を与えられて、死人の中から復活する者は、めとることもなく嫁ぐこともない
20:36 復活によって生まれる彼らは、天使と同じであり、神の子であるので、もはや死ぬことが出来ない、(従って子を産む必要がない)からである


●以上は4次元の大脳皮質で理解できる言葉での説明だから、魅力がなくなるのだ。●では我々はどうしたら「安心」できるのか。知って安心するのではなく、信じて安心するのが道である。来世を信じている人を信ずることである。このことをイエスは次のようにいう。


塚本訳 ヨハ 11:25-26
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」


●パウロは次のように言う。


塚本訳 ロマ 8:24
8:24 なぜなら、わたし達は(最後の日に救いが完成されるという)望みをもって、救われているからである。目に見ることのできる望みは望みではない。人はいま現に見ているものを、なんでその上望む必要があろうか。


●橋本次長と長懇談研究●松本部長+丸木氏と懇談研究●迷惑メール対策、防衛策。


 


 


 


 


 


 


新共同 黙  21:3-4
21:3 そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、
21:4 彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」


 

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罪には高級も低級もない ++++++++ 所感

2007/04/19 05:38

070419(木)3時45分起床●朝風呂で黙想。罪の4段階。罪には高級も低級もない●朝風呂で「日経・私の履歴書」はセブン&アイ・ホールディングス会長の鈴木敏文。セブンイレブンの急成長、イトーヨーカ堂の躍進、デニーズの成功。この人のやることは皆「当たる」。その原因は目が消費者のニーズに向いているから。仕事は相手のためを思ってやるべし。企業のありかたも同じ。組織ぐるみで消費者に仕えるのだ。自己の成長を目的とすると客に逃げられる●昨日は「不当請求」の問題で嵐のような午前中であった。警視庁と消費者センターから「あなたの場合は錯誤(うっかりミス)であって犯罪にはなりません。支払いの義務はありません」と言われて、心の咎めから解放されて嬉しかった。(昨日のブログに記述)●世の中のシステムはよくできている。罪を指摘するサタンのような人間もいればそれから救ってくれる人や機関もある●「あなたは犯罪者ではありません」といわれてありがたく思った。パウロの次の言葉を思い出した。


塚本訳  ロマ 8:33-34
8:33 だれが(わたし達)神の選ばれた者を告発することができるか。神が(裁判官として)『罪なしと宣告しておられるのに。』
8:34 『だれが(わたし達を)罰することができるか。』キリスト・イエスが(わたし達の罪のために)死んで、それだけでなく復活して、いま神の右においでになって、わたし達のために執り成していてくださるのに。


●罪の4段階を考える。


第④段階。司直のやっかい、警察のご厄介になる罪。殺人、窃盗、強盗・・・新聞種・・・低級な段階と思われている。


第③段階。人倫に悖(もと)ること。不倫、堕胎、姦淫、離婚、子捨て、親捨て・・・文学種・・・罪ではないと思いたくなるから「文学」がはやる。しかし平安はこない


第②段階。心の中で犯す罪。心の中での殺人(あんな姑、夫、妻、親、子供、上司なんか早く死んでしまわないかなーと心で思うこと)。心の中での不倫(アノ美しいと人、かっこいい人と仲良くなりたい。隣人の妻を自分のものにしたいと思うこと)・・・・いわゆる犯罪にはならないが家庭崩壊という天罰が下る。私の友人(故人)は「高橋君。そんなこと言われると俺生きていけないよー」と言った。家庭の日曜学校で息子の一人は「それができないんだよなー」と言った。至言。これ人間の本能。・・・教会が問題にすること。・・・マタイ5-7章山上の説教に詳しい


第①段階。神への反抗。実は②③④の根はここにある。神と断絶しているから心が「楽」でなく、②③④の罪を実行して自らの心を「楽」にしたく思う。楽になりたいと思う。落ち着きたいと思う。神との平和、神との交わりができていれば心が満たされて淋しくないから②③④に手を染めなくても済む。・・・救いの深層・・・一般に高級な罪と言われていること。・・教会や修道院のような物理的環境では得られないこと。・・・・神と自分の個別の関係


●この4段階の罪に対して、イエスは③④段階の罪人を愛して救いの対象とした。③④段階のいわゆる犯罪者は、社会や教会から毛嫌いされ、避けられ、追放されもするのだ。反対に②①に熱心で自分は正しいと思っている人、宗教家だと自認している人をイエスは嫌った。それは次の箇所。


塚本訳 ルカ 18:9-14
18:9 なお、自分(だけ)は信心深いとうぬぼれて人を軽蔑している者たちにも、この譬を話された。
18:10 「二人の人が祈りのために(エルサレムの)宮に上った。一人はパリサイ人、他の一人は税金取りであった。
18:11 パリサイ人は(得々と)ひとり進み出て、こう祈った、『神様、わたしはほかの人たちのように泥棒、詐欺師、姦淫する者でなく、また、この税金取りのような人間でもないことを感謝します。
18:12 わたしは一週間に二度も断食し、(きまったものの一割税だけでなく、)一切の収入の一割税を納めております。』
18:13 しかし税金取りは(罪に責められ、)遠く(うしろ)の方に立ったまま、目を天に向け(て祈りをささげ)ようともせず、ただ胸をうって、『神様、どうぞこの罪人のわたしをお赦しください』と言った。
18:14 わたしは言う、あの人でなく、この人の方が(神から)信心深いとされて、家にかえっていった。自分を高くする者は皆低くされるが、自分を低くする者は高くされるのである。」


●イエスは罪人を救うために来たというのは上記4段階のすべて(人類全体)の人が対象であるが、必死に救いを求めるのは③④の人である。人に知られてしまった罪を犯した人である。人間の社会からはじきだされ、抹殺される人である。レッテルを貼られた人である。この社会でも求めてくる人にのみ商売が成立する。不動産の広告は1000通播いて反応は5人ぐらい、そのうち②-3人が詳しく聞いてくると言われる。イエスの救いも耳を傾けて求めてくる人は1000分の2-3ではないか。あとは「馬の耳に念仏」。●しかし③④で人生の苦境に陥っている人は救われようとして必死。心が楽になりたくて必死。救いは必死の人にきり効果がない。イエスは次のように言う。


塚本訳 マタ 9:11-12
9:11 パリサイ人はこれを見て、弟子たちに言った、「なぜあなた達の先生は、税金取りや罪人と一しょに食事をするのか。」
9:12 聞いて言われた、「丈夫な者に医者はいらない、医者のいるのは病人である。


塚本訳マコ 2:16-17
2:16 パリサイ派の聖書学者たちは、イエスが罪人や税金取りと一しょに食事をされるのを見て、弟子たちに言った、「なぜあの人は税金取りや罪人と一しょに食事をするのか。」
2:17 イエスは聞いてその人たちに言われる、「丈夫な者に医者はいらない、医者のいるのは病人である。わたしは正しい人を招きに来たのではない、罪人を招きに来たのである。」


塚本訳 ルカ 5:30-31
5:30 パリサイ人とパリサイ派の聖書学者が弟子たちに向かってつぶやいた、「なぜあなた達は税金取りや罪人と一しょに飲み食いするのか。」
5:31 イエスはその人たちに答えられた、「健康な者に医者はいらない、医者のいるのは病人である。


●私に「不正請求」をしてきた男は、イエスが救いの対象とした「税金取り」ではないのかーと思った。なぜか。多分本人は悪いことをしていると罪悪感にさいなまれているのである。●誰だか知らないが「不正請求」をしてきたグループの男に告ぐ。あなたのメールアドレスと電話番号はしかるべきところに報告したから捕まるかもしれない。覚悟した方がよい。●儲かるからと言って悪いことはやらない方がよい。頭がよいからといって人の弱みに付け込む巧妙な手口を使わない方がよい。そういうことで稼いだ金で食べるパンはおいしくないはずだ。貧困でも正しく稼げばパンはおいしい。・・・・まてまて、イエスはこういう男を救おうとしたのだ。彼には後ろめたさがあるからだ。税金取りの後ろめたさと同じなのだ。だから私としては逆に訴えることはしない。赦す。●イエス当時の「税金取り」は人をゆすっていた。これ私に「不正請求」をしてくる態度と同じ。それは「ゆすり」。聖書の次の箇所に出てくる。


口語訳 ルカ 19:8
19:8 ザアカイは立って主に言った、「主よ、わたしは誓って自分の財産の半分を貧民に施します。また、もしだれかから不正な取立てをしていましたら、それを四倍にして返します」。


新改訳 ルカ 19:8
19:8 ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」



新共同 ルカ 19:8
19:8 しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」



塚本訳 ルカ 19:8
19:8 しかしザアカイは進み出て主に言った、「主よ、わたしは(誓って)財産の半分を貧乏な人たちに施します。人からゆすり取ったものは四倍にして返します。」



文語訳 ルカ 19:8
19:8 ザアカイ立ちて主に言ふ『主、視よ、わが所有の半を貧しき者に施さん、若しわれ誣(し)ひ訴へて人より取りたる所あらば、四倍にして償はん』


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秋留台公園へ行く道。きれいな空。大空は神の栄光を表す。パステルカラーの空。日本人好みの色 2007.4.19


●ワードが不調だったので新しくマイクロソフトオフィス2007(ワード、エクセル、アウトルック)のアップグレード版(22800円)を購入インストール。ホームページビルダーが4700円と激安で購入できた。ノジマの末広克行店長は優秀●15:30妻の腰が悪いので庭の草むしりをする

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迷惑メールにひっかかる ++++++++ 所感

2007/04/18 06:17

070418(水)5時目覚め。寝床で昨夜に来たメールのことを妻に話す●「あなたは契約規定を読んだものとみなします。あなたは契約違反です。支払い期限を35日も過ぎています。直ちに○○に98100円を振り込んでください。もしそれでも支払いがなければ関係者に公開し、かつ法的処置に出ます」というギョッとするメール。●そういえばあのとき興味を示したものにワンクリックしてしまったことを思い出した。●早速、ヤフーで「迷惑メール被害」に関して調べる。この種の事件が非常に多いとあってその手口と対策の手法が書いてあった。ひとまず安心●私の場合は日に4-50通もの迷惑メール。年間1万通以上。中には娘や息子の伴侶の名前と同じのものがあるから紛らわしい。「何かな」と思ってトップページを開いてその中のボタンをワンクリックするとアダルト画像や興味深い商品が出てきて、見たとたんに「契約」したことになるという。アダルト画像は直ちに「鑑賞会員」になったことになるのだという。会員規約(読みにくいもの)をご承知の上でご覧になったものとみなしますという仕組み●被害の対策のマニュアルがまたうまくできている。被害者の心のスキや弱みを少しも咎めるようなことをしないようにやさしく書かれている。ありがたい。①違法者として公開されるのではないかという恐怖心があっても「あわてるな」、②法律的にはワンクリックしただけでは契約行為をしたことにならないから「絶対に支払うな」③あわてて支払い方法を問い合わせるボタンを押すと「カモ人間」(心配人間、覗き見の弱みを感じた人間)とみなされ、さらに請求してくる。だから絶対応答するな。支払いの意志を示すな。●人間の弱みに付け込んで「引っ掛けてくるのは、商品の広告、アダルトビデオ、・・・・などなど沢山ある。「少しでも興味を示してTOPページのボタンを一つでも押すと、それだけで契約したことになる巧妙な手口。「興味を示すものを目の前に並べられる」と「どんなものかなー」と思う人間の弱みを掴むうまい手口●各地の「消費者センター」「警察」あるいは「警視庁」のその種の事件の対策窓口があるから「相談すること」と書いてあった●サタンは人間の弱みに付け込む。●誰にも相談できないことを抱えたら、思い切って「妻だけ」には話す方がよい。妻は一言苦言を言うが、あとは「助け手」だから味方になってくれる。これ結婚生活のよいところ●妻に「あなたは何にでも興味を持つからよ」とチクリといわれたが、あとは味方になってくれた。感謝●人間が興味を示そうなことを目の前にズラッと並べるのはサタンのうまい「手法」。聖書の勉強にもなる。サタンはその手法をイエスに使った。それは次のとおり。特に赤字の部分。


塚本訳 マタ 4:1-11
4:1 間もなくイエスは悪魔の誘惑にあうため、御霊につれられて荒野に上られた。
4:2 四十日四十夜断食をされると、ついに空腹を覚えられた。
4:3 すると誘惑する者[悪魔]が進み寄って言った、「神の子なら、(そんなにひもじい思いをせずとも、)そこらの石ころに、パンになれと命令したらどうです。」
4:4 しかし答えられた「『パンがなくとも人は生きられる。(もしなければ、)神はそのお口から出る言葉のひとつびとつで(パンを造って、)人を生かしてくださる』と(聖書に)書いてある。」
4:5 そこで悪魔はイエスを聖なる都(エルサレム)に連れてゆき、宮の屋根の上に立たせて
4:6 言った、「神の子なら、下へ飛びおりたらどうです。『神は天使たちに命じて、手にてあなたを支えさせ、足を石に打ち当てないようにしてくださる。』と(聖書に)書いてあります。(人々はそれを見て信じ、たちどころにあなたの国が出来ます。)」
4:7 イエスは言われた、「ところが、『あなたの神なる主を試みてはならない』とも書いてある。」
4:8 悪魔はまたイエスを非常に高い山に連れてゆき、世界中の国々と、栄華とを見せて
4:9 言った、「あれを皆あげよう、もしひれ伏してわたしをおがむなら。」
4:10 そこでイエスは言われる、「引っ込んでいろ、悪魔!(聖書に)『あなたの神なる主をおがめ、』『主に』のみ『奉仕せよ』と書いてあるのだ。」
4:11 そこで悪魔が離れると、たちまち天使たちが来てイエスに仕えた。


●サタンはイエスにパンを「見せた」。エルサレムの群集を「見せた。世界中の国々と栄華を「見せた」。●誘惑の手法で一番よいのは「見せる」こと。人間の心理はこれに弱い。男にとってはアダルト画像、女性にとってはブランド商品。宝石類。これに引っかかる●誘惑には人間の克己心、道徳心では防ぎきれない。人間は誘惑には負ける。だから主の祈りの次の言葉の意味がわかった。人間の努力では誘惑に勝てないから「祈り」に頼るのである。赤字の部分。


塚本訳 マタ 6:9-13
6:9 だからあなた達は、このように祈りなさい。──、わたしたちの天のお父様、お名前がきよまりますように。
6:10 お国が来ますように。お心が行われますように、天と同じに、地の上でも。
6:11 その日の食べ物をきょうも、わたしたちに戴かせてください。
6:12 罪を赦してください、わたしたちも罪を犯した人を赦しましたから。
6:13 わたしたちを試みにあわせないで、悪から守ってください。



●長い間わからなかった次の聖句もわかるようになった。


塚本訳  マタ 18:7-9
18:7 この世は罪のいざないがあるから禍だ、罪のいざないの来るのを避けることができないからである。しかしいざないを来させる人は禍だ。
18:8 (だから)もし手か足があなたを罪にいざなうなら、切り取って捨てよ。両手両足があって永遠の火の中に投げ込まれるよりも、片手片足で(永遠の)命に入る方が仕合わせである。
18:9 もしまた目があなたを罪にいざなうなら、くじり出して捨てよ両目があって火の地獄に投げ込まれるよりも、片目で(永遠の)命に入る方が仕合わせである


●この言葉からすると「迷惑メールが来るのは避けることができない。問題は興味を示すな。見るな。」ということだ。●ルターは聖書の一句を友人に示して、「この一句がわかるのならこの指一本を切り落としてもよい」と言った。イエスは五体の一部を失っても永遠の生命に入った方がよいという。イエスはルター以上に厳しい。●私は聖書の言葉が二箇所わからせていただいたので98100円を支払っても良いなーと思うような心境である。五体を失うことに比べれば安い。でも今の私の経済状態では98100円は「痛い」。●パウロの言葉も連想した。


 文語訳  ピリ 3:8
3:8 然り、我はわが主キリスト・イエスを知ることの優れたるために、凡ての物を損なりと思ひ、彼のために既に凡ての物を損せしが、之を塵芥のごとく思ふ


塚本訳  ピリ 3:8
3:8 否、ただにそれ(らの特権)ばかりでなく、わが主キリスト・イエス(を知る)の知識が(余りにも尊く)優れているために、本当は(今は)一切合切のものを損だと思っている。(実際)彼のために何もかも損してしまったのだが、(そんなものは皆)塵芥と思っている。これはキリスト・イエスを自分の有とし、


●ルターなら言うに違いない「高橋君。聖書の3箇所の深い意味がわかったのだから98100円は支払ってしまえ。彼らは金に困っているのだ」と。●この種の事件は「東京都消費者生活総合センター」の不正請求の係り03-3235-2400が受けつけてくれた。それによると「電子商取引法」では双方合意の上で契約が成り立つので、利用規約を見落としてのうっかりクリックの場合は契約が成立してないから、法的にも対抗できるとのこと。プロバイダーに着信拒否をセットすれば以後は追いかけてこない。現に今朝は「まだ応答がありません。追加金が加算されます」との脅しメールが来ていた。●そこでアサヒネットに着信拒否をセット(無料)してこの件は、一件落着●今回のトラブルのお陰で聖書の意味がわかるようになった。無料でわかるようになって得した。


塚本訳 ロマ 8:28
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。


●妻への遺族年金の額を各所に問い合わせ調査。老後の経済計画、妻が独り身になったときの計画。住居計画をする。●私が先に死んで妻が独り身になったら、このあきる野の土地建物は手放して老人独り身の生活に快適な場所に移るように計画をする●問題は寝たきりになったときの対策。今後はその研究をすることにした。そのときはもう病院だ●24時間、人手を煩わせて生きること自体が不自然だ。介護人としての家族の人生も奪ってしまう。●このようなときにいつも思い出すのが次の句である。


塚本訳マタ 6:25-34
6:25 だから、わたしは言う、何を食べようかと命のことを心配したり、また何を着ようかと体のことを心配したりするな。命は食べ物以上、体は着物以上(の賜物)ではないか。(命と体とを下さった天の父上が、それ以下のものを下さらないわけはない。)
6:26 空の鳥を見てごらん。まかず、刈らず、倉にしまいこむこともしないのに、天の父上はそれを養ってくださるのである。あなた達は鳥よりも、はるかに大切ではないのだろうか。
6:27 (だいいち、)あなた達のうちのだれかが、心配して寿命を一寸でも延ばすことが出来るのか。
6:28 また、なぜ着物のことを心配するのか、野の花の育つのを、よく見てごらん、苦労をせず、紡ぐこともしない。
6:29 しかし、わたしは言う、栄華を極めたソロモン(王)でさえも、この花の一つほどに着飾ってはいなかった。
6:30 きょうは花咲き、あすは炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこんなに装ってくださるからには、ましてあなた達はなおさらのことではないか。信仰の小さい人たちよ!
6:31 だから、『何を食べよう』とか、『何を飲もう』とか、『何を着よう』とか言って、心配するな。
6:32 それは皆異教人のほしがるもの。あなた達の天の父上は、それが皆あなた達に必要なことをよく御承知である。
6:33 あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。
6:34 だから、あしたのことを心配するな。あしたはあしたが自分で心配する。一日の苦労はその日の分で沢山である


●人間の「経済計画」がその通りにはうまくいかないことに関しては次の言葉を思い出す。


塚本訳 ルカ 12:16-21
12:16 そこで一つの譬を人々に話された、「ある金持の畑が(ある年)豊作であった。
12:17 『どうしよう、わたしの作物をしまいこむ場所がないのだが…』と金持ちはひそかに考えていたが、
12:18 やがて言った、『よし、こうしよう。倉をみなとりこわして大きいのを建て、そこに穀物と財産をみなしまいこんでおいて、
12:19 それからわたしの魂に言おう。──おい魂、お前には長年分の財産が沢山しまってある。(もう大丈夫。)さあ休んで、食べて、飲んで、楽しみなさい、と。』
12:20 しかし神はその人に、『愚か者、今夜お前の魂は取り上げられるのだ。するとお前が準備したものは、だれのものになるのか』と言われた。
12:21 自分のために(地上に)宝を積んで、神のところで富んでいない者はみな、このとおりである。」


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 庭の垣根のどうだんつつじの花をヒヨドリが食べている。妻も初めて見たらしくびっくりして言う。「だからこの鳥はよくは思われていないのだわ」  2007.4.18


●HPの「使徒伝承」に「来世では結婚生活なし」をアップロード。●郵便局、図書館●妻は腰痛の治療のため十字式健康法へ行く。




 


 


 

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小市民的幸福の追求で終わるな ++++++++ 所感

2007/04/17 11:44

070417(火)5時起床●朝風呂で「日経・私の履歴書」はセブン&アイ・ホールディングス会長の鈴木敏文。牛乳を各メーカーごとに搬入させていたのをまとめて搬入させて大幅に合理化。伝統や習慣に縛られているところからの脱却には痛みが伴う。しかしそれは一時的なもの。●異文化の融合にも痛みが伴う。嫁と姑の争い、キリスト教教派間の習慣の争い、親子の世代間の争い。民族紛争、男女間、夫と妻の考え方の違い、経営者と労働者、官公庁と民間、官吏と国民、などなど。この争いのときに有効な思想は「複雑系」。複雑系とは簡単に言うと「イロイロアラーナ」ということだ。●19:00朝の黙想を終えたという某氏から電話。「日本のクリスチャンはほぼ全員がプチブル(小市民的幸福追及者)。これでは真に聖書を読めない」と私にも通じる痛い御指摘。小市民的幸福の追求で終わるなtろいうこと●プチブルの構図。良い学校、よい成績、健康、良い体力、美しくなる、ブランド品を持つ、美人と結婚、派手な結婚式、大企業への就職、安定経済の職場、お受験、志望校合格、資格取得、御三家、東大、御茶ノ水、ブランド校、学位取得、良い結婚、子宝、よい子供、こどもの健やかな成長、高い地位、良い趣味、教養、雑学知識、マイホーム、夫婦円満、安定収入、著作、旅行、良い友人、年金、健康長寿、孫の成長、痛まないで死ぬ、ホスピス、泣かれて惜しまれて盛大な葬式をしてもらう。・・・・・アー人間の欲望はきりがない。●しかしこれらすべてを手中に収めても心は淋しいのではないか。負け惜しみではない。これら一つ一つを達成するとまた次の欲望が湧くものだ。「一番食欲が湧くのは食事のあとだ」とも言われる。あるいはかげろうのようなもの。そばに行くとなくてまたまたその先に先にある●これらの小幸福を得られた人はまず幸福である。しかし神はこれらの小幸福を無残にも取り上げて「真の喜び」「真の幸福」に導く。しかしこれも一時的な痛みだ。●私としてはこんな小幸福に恵まれない「気の毒な人」の友となりたい。それには出家すべきか。いやいや自分がその小幸福から見放されることが「友になれる条件」だ。●イエスは上記の小幸福のほとんどに恵まれなかった。次の言葉はそういうイエス自身の背景がある。


文語訳 マタ 5:4
5:4 幸福なるかな、悲しむ者。その人は慰められん。


塚本訳  マタ 5:4
5:4 ああ幸いだ、『悲しんでいる人たち、』、(かの日に)『慰めていただく』のはその人たちだから。


●雨の中を郵便局と図書館。雨の日の夕方は淋しい。悲しい。人生って何でこうも悲しく淋しいのだろう。私の余命は18年。18年をさかのぼると45歳のときのことだ。ついこの間のことではないか。


 

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良寛の心境 ++++++++ 所感

2007/04/16 08:23

070416(月)5時起床●朝風呂で「日経・私の履歴書」はセブン&アイ・ホールディングス会長の鈴木敏文。セブンイレブン立ち上げの苦労。小さく始めたのが成功のもと●凡人は大きくなろうとする。高いところに住もうとする●名簿作成●今は良寛の心境


裏を見せ、表を見せて、散るもみじ  良寛


●私の場合は「有体的復活の使徒伝承」を叫びながら散ることが人生の目的。「おっかさんとめてくれるな俺の道」の心境だ。●私にはもうおっかさんはいない。「妻よ子供よ止めてくれるな俺の道」だ。●バンヤン「天路歴程」の主人公の気持ちと同じ。その冒頭は次の通り。


彼は、家を出て、一目散に走り出した。ほどなく気づいた彼の妻と子供たちとが、彼に帰るようにと、泣き叫んだ。が、彼は、自分の指で、耳の穴をふさぎ、「永遠のいのち!」ということばを、連呼しながら走っていった。(関根文之助訳・小学館)


●10:30「今井館ウィークデーの集い」。島根県から来訪の多田恵子(よしこ)「私の出会いと目覚め」。12名。司会はトミ子。多田恵子さんは私の愛真高校での7年前の講演、「イエスの復活の物理的証拠は空になった墓」という話に「胸が熱くなりました」と言ってこられた方。この話で胸が熱くなったと言ってこられた方は全国で12名。そのうちの一人が多田恵子さんであるとスピーチした。●帰途、多田恵子さん、高橋芙美さん(初対面。関根集会、柴田集会)と喫茶店で懇親懇談●マイクロソフト社に問い合わせ。女性のサポーターは親切であった。優しかった。しかしなお未解決●新一と電話懇談。形式問題は「複雑系」。●某女から「もう書類は送らないで欲しい」との手紙。クソッ!誰が送るものか。ああいう人間にはこちらから塩をまいて撤退だ。


塚本訳 マコ 6:11
6:11 しかしある所で、あなた達を歓迎せず、言うことに耳をかたむけないなら、(すぐその土地を出てゆけ。そして)そこを出てゆくとき、(縁を切ったことを)そこの人々に証明するため、足の裏の埃を払いおとせ。」


塚本訳  マタ 10:14
10:14 しかし人があなた達を歓迎せず、あなた達の言葉に耳をかたむけないなら、(すぐ)その家なり町なりを(出てゆけ。そして)出てゆくとき、(縁を切った証拠に)足の埃を払いおとせ。


●キリスト教が堕落すると、ヒューマニズム、社会改良、社会福祉、神学、思想、教育哲学、芸術、遊び、お祭り、人物崇拝主義、などを第一にし始める。それが信仰の展開だと思っている。NO!。それは人間の思いだ。またそれを職業にし始める。その延長に教会第一主義、集会第一主義、がある。これは全部4次元人間の業、神ママの精神がないから、思想統制があり、思想闘争になる。神学論争になる。先生のエピゴネン同士の争い、思想的切り合い、神学的切り合いが始まる。否、始まっている。戦争の悲惨さと同質。●これらは「有体的復活の使徒伝承」が見えなくなったときに起る大脳皮質レベルでのはかない行為。そこに効果なし、救いなし。しかしながらその行為に何か意味があると若い者に思わせているから禍だ。


塚本訳  マタ 15:13-14
15:13 イエスは答えられた、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜かれる。
15:14 あの人たちを放っておけ。盲人の手引をする盲人だ。盲人が盲人の手引をすれば、二人とも穴に落ちよう。」


 

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ゼロワン人間 ++++++++ 所感

2007/04/15 07:35

070415(日)主の日、聖日、妻と集会に行ける●朝風呂で「日経・私の履歴書」はセブン&アイ・ホールディングス会長の鈴木敏文。日本初のコンビニチェーン「セブンイレブンジャパン」の立ち上げの苦労。鈴木氏はゼロワン男である。人間はゼロワン人間になることは「生きがい」である。●ゼロワン人間」とは0(ゼロ)から1(ワン9に立ち上げることに生きがいと情熱を持つ人間のこと。これやりがい一杯、生きがい一杯である。しかしその大半は失敗に終わる。なぜか。その思いが「人間的な欲望、名誉欲、売名欲、権勢欲から」だからである。周囲の嫉妬に潰される。●そのような反対勢力を突き抜けて実行できるのは、その発想が神からのものである場合に限る。だから無神論者の事業は栄えない。栄えていても一時的、一代で終わる。永続性がない。●ゼロワンの発想が成功するのは動機が「愛」「親切」に根ざしているとき。●女性の出産行為はゼロワンの最たるもの。結婚も子育てもゼロワン。「生きがいとは何か」なんか言ってられない。必死である。


塚本訳マタ 15:13
15:13 イエスは答えられた、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜かれる。


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妻は集会に行ける。感謝。妻がそろそろ歩いている後姿。私たちは主の集まりには「這ってでも」行く。主の集まりは私たちの家庭の基礎。人生の土台。祝福の基。私の経験では少し風邪気味でも集会に出ると直る。私たちにとって「主の集まり」というのは魅力だ。2007.4.15


新共同 詩  84:1-3
84:1 【指揮者によって。ギティトに合わせて。コラの子の詩。賛歌。】
84:2 万軍の主よ、あなたのいますところは/どれほど愛されていることでしょう。
84:3 主の庭を慕って、わたしの魂は絶え入りそうです。命の神に向かって、わたしの身も心も叫びます。


●「主の集まり」とは世にも不思議な団体である。それは趣味、教養、知的満足、お祭り、イベント、人が大脳皮質で勉強した話を聞きに行くのではない、牧師の説教を聞きに行くのではない、音楽を聴きに行くのではない典礼に参加しに行くのではない、「霊の集まり」である。そこで何をするかは第二位の問題、大した問題ではない。●集会は藤巻、村上(創世記)、望月(申命記)●13:00婦人の勉強会「すずめの会」にオブザーバーとして杉崎孝さん(94歳)と共に出席。後半は大熊好子さんの思い出を話し合う。とにかく大熊さんは「主にある人」であった。めずらしい人であった。人生の出会いで指折りの人であった。ああいう人は今後現れるだろうか。私の家庭の造り主であった。


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主の日、聖日の夕方。奥多摩連山に夕陽が沈む。讃美歌43番を心に思いながら家路に着く。特にその4節。2007.4.15


讃美歌43番


1. みかみ の たましい この 日 も暮れけり,


   いざ や けさ の ごと みめぐみ を たたえん.


 


2. ひかり に むかいて めぐる 地 と とも に,


   地 に ある みたみ は みわざ に いそしむ.


 


3. くにぐに, しまじま, しずか に 明けゆき,


   いのり は もださず, ほめうた わ つきず.


 


4. われら に わかれて かくれし 日かげ は


   西 に 住む友 を みわざ に ぞ さます.


 


5. おこりて ほろぶる 世の くに に かわり,


   ときわ に さかゆる みくに ぞ とうとき.


●「いかに幸なる我が勤めや悩みにも望みあり御旨にかなわば明日も尽くさん」。讃美歌535番を思う。


讃美歌535番



1. 今日をも 送りぬ, 主 に つかえて,


   世 の 日かげ うつれど も,


   あまつ いのち 日 に 日 に


   ちかく ぞ ある


(Refrain)


   みむね かしこみ


   いそしめる み に,


   いこい を 告ぐる


   ゆうべの 鐘.


 


2. 今日をも 送りぬ, 主 に つかえて,


   みめぐみ を 世 に つたえ,


   み名 の さかえ かたる は


   たのしき かな.


 


3. いか に 幸 なる わが つとめ や.


   なやみ に も のぞみ あり,


   主 よ, みむね に かなわば,


   あす も つくさん.



●妻が快方に向かいつつあること、「主の集まり」に出かけられることを喜んでくださった方から「喜びのメール」を戴いたので次のようなメールを送った。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


○○様



「泣くものと共に泣け」はでき易いのですが「喜ぶ者と共に喜ぶ」というのはできにくいといわれます。しかし○○様はそれをしてくださいました。感謝です。

 

塚本訳2 ロマ 12:15
12:15 喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣け。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 




●人の幸福を見て、心から喜べないのは「ねたみ」「嫉妬」。清くない心から湧く思い。自分を捨ててないことから出る思い。●「割礼なき女」という言葉がある。(士師記14:3)。愛の独占をしたがる女性は清められていない、穢れている女性。そういう人は大抵「有名人好み」「東大好み」。キリストの香りがしない。

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パソコンの故障でも祈る ++++++++ 所感

2007/04/14 08:09

070414(土)5時目覚め6時起床●昨夜来のパソコンの不調で「故障」ということを黙想する●各種の「故障」は人生の悩みの中でも大きいものだ。病気は肉体の故障、妻の腰痛はその最近のこと。建物の故障は激しいクレームで攻撃される。心霊上の故障は宗教上の問題。この心霊上の故障は肉体の病や人生や家庭生活、人間関係の故障の原因でもある●パソコンの故障は「純粋に科学技術上の問題であるから「お祈りしなくても」原因がわかれば直る●ところがこういう科学技術上の故障もお祈りした方が直りやすいのだ。そんなバカな!と思うのが神を信じない現代人の悲しさ●普段は無神論の者でもお祈りに何か効き目があるのではないかと思うのが人間の心理。「おぼれるものは藁をも掴む」。それでよいのだ。●失敗続きであった国産ロケットの発射に際して技術陣は揃って神社に参拝した。かってニューヨークに行ったとき、着陸不能で空港の上を何回も旋回、同乗の黒人の団体がぶつぶつ祈っていた。(これ讃美歌作者のウェスレーの難破の体験と同じ)。ワールドカップの時は日本のチームは神社に参拝、神主が祭壇にサッカーボールを捧げて祈願。ボクサーが相手をダウンさせたとき、胸で十字を切った。終了後アナウンサーが「あの時何を祈ったのですか」と聞くとボクサーは「相手が起き上がってこないように祈った」と答えた。(笑)。その他必勝祈願、合格祈願、恋愛成就祈願、商売繁盛祈願、などなど結構結構、人間には祈る心が大切なのだ。その謙遜の心が大切なのだ●かって東京衛生病院でポリープの手術をしたとき、そこに勤務していた娘から、この病院は手術の前にスタッフが全員祈りを捧げるという話を聞いた。わたしはそれを聞いて、こういう人たちに手術してもらえればたとえ失敗しても恨めないなーと思った●人生には「人知の手には負えない」ことが沢山ある。身近な例としては結婚、出産と死,犯罪を犯してしまったときである。●ということで私のパソコンの不調もその回復のために祈ることにしよう●無神論者に告ぐ。お祈りすることの現実的効果は、心が落ち着く。待つという気持ちが生まれる。見えないものが見えてくる。専門のことは専門家に任せるという謙遜な気持ちになる。●私の63年間の経験で、お祈りなんて効き目がないと冷笑する人間は「一流人間」ではない。常に人間に喜ばれることだけをしようとするからその発想が低級で陳腐。一流人間ほど「人間の限界」を知っている。●無神論者の決まり文句、「お祈りなんて効き目がないから、そんな暇があったら行動だ、行動だ」。これはクリスチャンの社会派の精神に通じるから困るのだ。


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増設本棚完成。大工仕事大好き。材料費1万5千円、ホワイトウッド厚さ18ミリ。材料はケチらない方があとあとの楽しみのためによい。左下はクラシックCD、あと120枚入るので合計2000枚は収蔵可能。上段は内村鑑三全集。中間にあるのはグスタフ・ラインハルト「マタイ受難曲」CDのジャケット。この十字架像が気に入っている。左端はスピーカー。窓はコーナー出窓、妻の管理になる植物がある。本のスペースもこれでさらに少し余裕ができたが、一年間持つか。書斎のしっくいの白壁が本棚で次第に少なくなってきた。2007.4.14

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「愛の人」になる条件 ++++++++ 所感

2007/04/13 07:02

070413(金)出勤日、妻のベッドの下で5時起床。寝室は病室になった。妻の痛みは少しずつ和らいできた。多くの人のアドバイス、祈り、暖かいお心に感謝。人は不幸になるとその親切が身に染みる。それは生涯忘れない。


塚本訳 マタ 25:34-40
25:34 それから王(なる人の子)は右側の者に言う、『さあ、わたしの父上に祝福された人たち、世の始めからあなた達のために用意された御国を相続しなさい。
25:35 あなた達はわたしが空腹のときに食べさせ、渇いたときに飲ませ、宿がなかったときに宿をかし、
25:36 裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢に入っていたときに訪問してくれたのだから。』
25:37 その時、正しい人たちは答える。『主よ、いつわたし達はあなたの空腹を見て食事を差し上げ、渇かれているのを見てお飲ませしましたか。
25:38 また、いつお宿がないのを見てお宿をし、裸でおられるのを見てお着せしましたか。
25:39 また、いつ御病気であり、牢に入っておられるのを見て、おたずねしましたか。』
25:40 すると王は答える、『アーメン、わたしは言う、わたしのいと小さいこの兄弟たちの一人にしたのは、わたしにしてくれたのと同じである。』


●朝風呂で「日経・私の履歴書」はセブン&アイ・ホールディングス会長の鈴木敏文。米国に行って超小型店舗の「セブンイレブン」のあり方に目をつける。小さいものに目をつけたところが非凡。案の定内外から猛反対。一般に独創的な発想は平均的常識的護身術の判断きり下せない役員会からは生まれない●時々「愛の人」「こまやかな心ずかいの人」「慰めの人」「ほっとする人」に出会うが、その人たちに共通的なことは若いときに不条理な不可解な不幸に出会っていることである。それが痛みになっていて、バネになって「愛の人」になれたのだ。だから「愛の人」になるのには人間の努力、親の教育では無理。なぜか。人間は常に「不幸になるまい」と努力するから。


口語訳 哀  3:27-29
3:27 人が若い時にくびきを負うことは、良いことである。
3:28 主がこれを負わせられるとき、ひとりすわって黙しているがよい。
3:29 口をちりにつけよ、あるいはなお望みがあるであろう。


新改訳 哀  3:27-29
3:27 人が、若い時に、くびきを負うのは良い。
3:28 それを負わされたなら、ひとり黙ってすわっているがよい。
3:29 口をちりにつけよ。もしや希望があるかもしれない。


新共同 哀  3:27-29
3:27 若いときに軛を負った人は、幸いを得る。
3:28 軛を負わされたなら/黙して、独り座っているがよい。
3:29 塵に口をつけよ、望みが見いだせるかもしれない。


●日経、第一面。「米国の大手モルガンスタンレーが全日空ホテルの13箇所を2800億円で買収」。この世の動きはすべて経済現象。社員がかわいそう。人間関係がずたずたになる。私の勤務していた建設会社も銀行管理になり、その後準大手に吸収された。人間関係は「金の切れ目が縁の切れ目」であった。●企業の買収、合併、吸収はザラ。それは単なる経済現象。罪悪でもなんでもない。「お家断絶」の悲哀は日常茶飯事。全くこの世は不安定。●人生は、変わらないものに土台を置かなければならない。ここで直接「聖書」を持ち出すことはせず、まず讃美歌を見よう。ヒルティも賛美歌を多く引用している。


讃美歌139番


1. うつり ゆく 世 に も かわら で 立てる


   主 の 十字架 こそ われ は ほこらめ.


 2. 聖書(みふみ) の ひかり は つみ を あがなう


  十字架の うえ に ぞ みな あつまれる.


 3. おそれ と なやみ の せまる とき に も,


  十字架は やすき と よろこび 満てり.


 4. 十字架 の うえ より さしくる ひかり,


   ふむ べき 道をば てらして おしう.


 5. わざわい さいわい よし あし とも に,


   ただ十字架に こそ きよく せらるれ.


●マイクロソフトワードが不調で、ノジマサポートセンターと22:30まで悪戦苦闘。原因不明。明日マイクロソフト社に問いあわせることにした。パソコンは難しい。


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勤務から帰る時、家の方に見事な金星。世の光イエス、エクレシアの愛を思う。残念ながら写真には写らなかった。2007.4.13



 


 

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自然に生き自然に死ぬ ++++++++ 所感

2007/04/12 20:02

070412(木)5時起床●朝風呂で「日経・私の履歴書」はセブン&アイ・ホールディングス会長の鈴木敏文。周囲の反対にあっても自分の信ずるところを貫くには天啓を受けたような自信が必要。「人の顔をみながら決断する人間は神という絶対者を知らない人間。大成しない●22日の準備で「来世には結婚生活なし」を執筆●火災保険の契約続行のために石坂氏が来訪●高木博義氏から電話●ムラウチホビー、図書館●妻の腰痛は薄紙を剥ぐ様に良くなりつつある●妻と、どちらかが独り身になって「寝たきりになった場合」の生活の方法を話し合う●妻と経済計画。経済設計●人の手の計画によって植えられたのではなさそうな桜は美しい。人間もこのように自然に生き、自然に死ぬのが美しいのだ。人工美は真に美しいとはいえない。


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自然体で咲いている桜。人間の手で計画的に植えられたとは思えない。人間も普通人間として自然に生き、自然に死ぬのが美しいのだ。無理はいけない。桜並木とか桜公園というのはどうも「人間の計画性」が感じられて感動しない。   2007.4.12


●20:30恵にパソコンのレクチャーを受ける。息子「父さんに教えているより、自分でやっちゃった方が早いから、データ送ってください」。すつとあっという間にできた。感謝。かくして私に技術進歩なし。●こういうときただ冷たく突き放す人がいるがあれではこちらも「やる気がしない」●アフリカの一部族の子供は世界一「歩き出す」時期が早い。ハーバード大学のチームがそこに入り込んでその理由を調べたらわかった。母親ははじめは非常に懇切丁寧に歩き方を教えるが、ある段階からは教えない。子供が転んでも助け起こさない。転んで泣いていた子供は母親が助け起こしてくれないと知ると、仕方なく自分で起き上がって歩くという。これが世界一早く歩き出す理由●パソコンを教えてもらおうとすると「原理がわかっちゃいない」とひとくさり説教を垂れる人がいるが、実は「むっと」来るのだ。二度と聞く気にはなれない。●教育は、はじめの懇切丁寧な「教え」が大切。それなくして意地悪から懇切丁寧な教えをしないと子供は歩き出せない。生徒も覚えない。意地悪して教えない理由は「教えると本人が覚えないから」というのだが、全くの誤り。はじめの懇切丁寧な「教え」を怠っている。


 

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時が解決しない人生苦 ++++++++ 所感

2007/04/11 08:51

070411(水)4時15分目覚め。妻のベッドの下で寝起き●人生の「苦」について黙想。経済苦、病苦、結婚苦、争い苦。そして老いの苦。しかし多くの場合これらは「時」が解決する。「時」が解決しないもの、それは罪の苦、穢れの苦。これは過去のことだから「時」が解決しない。いつまでも追いかけてくる。罪の自覚の懊悩、その罪にさいなまれる。「この罪は人類の共通。みんなと同じだ」と思っても安らぎがこない。この人生はそういうことになっているのだから仕方がない。●ではどうすればよいか。「死」である。死は罪を清める。自殺。・・・・罪は死で精算される。死刑の意味はそこにある。●福音の福音たるゆえんはここにある。キリストは人間の罪を背負って身代わりになって死んでくださった。そのことが「この私のためだ」と認識できるのは「今に働く聖霊の力」。これを神学用語で「同時性」という。時空を超えたヘンテコリンな論理である。つまり4次元人間から5次元人間への変身である。●朝風呂で「日経・私の履歴書」はセブン&アイ・ホールディングス会長の鈴木敏文。五反田の店舗が火災のとき、一人の死者も出さなっかたのは日頃の訓練の成果。次第に腕を上げていく。勤め人は降りかかった災難をうまく処理して行くことが「腕」の見せ所。チャンス。平穏なときに何か目立つことをやることではない●息子との電話。息子「腰痛は人類が四足歩行から二足歩行になってから起り始めたものなのでしょうがないんだ」。私「痔もそうである。猿には痔がない。私はこのことをサル人から聞いた」。息子「俺は忙しいんだ」(笑)。息子「パソコンがわからない時は自分が遠隔指導するから無理して触るな。」脳内出血の再発を心配してくれて感謝。●妻の激しい腰痛に対して多くの人から治癒の方法を教えていただいた。感謝。共通のことは体を「冷やさないこと」「暖めること」●妻に小言を言われ、叱られる回数が次第に増えてきた。結構結構元気になってきた証拠だ。少しぐらい小言があっても元気でいてくれた方がよい●あきる野市役所で「東京大空襲」の写真展。原水協の主催。累々たる黒焦げの死体を見て、戦争はしてはならないと思った。主催者の人に対して「良い写真展をやっていただいて良かったが、ヒューマニズムでは平和は来ない。戦争はいつの時代でも正義の貫徹という名目である。この写真展を米国の若者に見せたら、『米国も日本にやられた』のである、と言うにちがいない。」と話した。●原水協のようなヒューマニズムに訴える「反対運動」では政治的平和はあるいは来るかもしれないが、真の平和である神との平和がなければ真の平和はこない●確定申告による国税を郵便局で支払う。人間、税金はしっかり支払わなければならない。これ肉の人間として日本に生きていくための義務である。


塚本訳マタ 22:17-22
22:17 それで御意見を聞かせてください──(わたし達は異教人である)皇帝に、税を納めてよろしいでしょうか、よろしくないでしょうか。」
22:18 イエスは彼らの悪意を知って言われた、「なぜわたしを試すのか、この偽善者たち、
22:19 税の貨幣を見せなさい。」デナリ銀貨を差し出すと、
22:20 言われる、「これはだれの肖像か、まただれの銘か。」
22:21 「皇帝のです」と彼らが言う。すると言われる、「では皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返せ。」
22:22 彼らは聞いて驚き、イエスをそのままにして立ち去った。


塚本訳 ロマ 13:6-8
13:6 それゆえに(同じ理由で、)あなた達は貢をも納めねばならない。官憲は神につかえる者であり、いま言った職務に全力をそそいでいるからである。
13:7 (彼らに対して、信ずる者には普通の人以上の、言わば借りがある。)すべての役人にこの借りを返しなさい。貢取りには貢を、官税取りには官税を、恐るべき者には恐れを、尊敬すべき者には尊敬を。


 ●本箱作り。ムラウチホビーで材木を購入。大型機械にようカットのサービスはありがたい。日曜大工大好き。5時間夢中で「我ながらよくできた」。これでクラシックCDもあと140枚は収納できるので累計2000枚になる。本というのは溜まる一方。「捨てる技術」が必要●先日購入した私にとっての幻の銘酒「あさ開き」(岩手県産)を少々。仕事で盛岡に行って初めて飲んだときに感じたあの「おいしさ」ほどでもなかった。


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 国税を支払いに行くときに見た鯉のぼり。2007.4.11


日本はすばらしい。日本人であることは嬉しい、すばらしい。だから国税は正しく心から支払わなければならない。鯉のぼりを見て、心の中で文部省唱歌の「鯉のぼり」を歌う。あー、日本はいいナー。

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祈りの力 ++++++++ 所感

2007/04/10 09:12

070410(火)5時起床●朝風呂で「日経・私の履歴書」はセブン&アイ・ホールディングス会長の鈴木敏文。新興スーパーであったイトーヨーカ堂に入り、下積みの係長で苦労する。「スモールビギニング」。以下は説教??。人間は何事も小さいところから始めて苦労しなければならない。イマドキのワカイモンは日経企業ランキングなどを見て「寄らば大樹の陰」の気持ちから大企業有名企業に入りたがる。しかしそれは人間の精神を鈍化させ、個の人格の成長を止める。つまり会社人間で一生を終える。あげくのはては「定年帰農」だなどといって農業に目を向けるが、そのときはもう遅い。頭も体もいうことをきかないからうまくいかない。●妻が「少しよくなったわよ」と言いながら寝室から出てきた。万歳。回復に向かった。反転し始めた。多くの人の祈りのおかげだ。感謝。●「十人のライ病人」の話を思い出した。真に直ったのは御礼を言いにきた人だけ。肉の病の目的は霊の病の癒しであることがわかる。


塚本訳 ルカ 17:11-19
17:11 エルサレムへ進んでおられた時のこと、サマリヤとガリラヤとの間を通られた。
17:12 とある村に入ると、十人の癩病人に出合われた。彼らは(規則どおりに)遠くの方で立ち止まったまま、
17:13 声をはりあげて、「イエス先生、どうぞお慈悲を」と言った。
17:14 イエスは見て言われた、「(全快したことを世間に証明してもらうため、エルサレムの宮に)行って体を『祭司たちに見せなさい。』」すると行く途中で、(皆いつとはなしに体が)清まった。
17:15 ところでそのうちの一人は自分が直ったのを見ると、大声で神を讃美しながら帰ってきて、
17:16 イエスの足下にひれ伏してお礼を言った。それはサマリヤ人であった。
17:17 イエスは言われた、「十人とも清められたのではなかったか。九人はどこにいるか。
17:18 この外国人一人のほかには、(九人のユダヤ人のうちに)帰ってきて神に栄光を帰する者はだれもないのか。」
17:19 そしてその人に言われた、「さあ立って行きなさい。あなたの信仰がなおしたのだ。」


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秋留台公園の桜。2007.4.10


●郵便局、ホビー、図書館、歯医者、夕食●妻は十字式健康法から月本先生の旧約講義。大変だったらタクシーを使うようにと言う●NHK「夫婦の絆は取り戻せるか」。妻の不満は夫が自分を理解してくれないこと。夫が妻の悩みを理解していないことが問題。夫の「ごめんね」「ありがとう」「大丈夫?}の三つの言葉が夫婦の絆の回復の言葉だという。私は(しょっちゅう)言っている。●経済的に自立さえできれば離婚したいという女性が多いという。これ結婚の何たるかを知らない証拠。結婚は経済的に楽になるためのものではない。結婚は神に向かっての個人的な約束。夫が夫足らずとも妻が妻たらずとも神との約束を破ってはならない。●イマドキノワカイモンは結婚ということが自分への「死」であることを認識していない●HPの一般文書に写真を貼り付ける方法が難しい。四苦八苦。

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妻病みて ++++++++ 所感

2007/04/09 06:20


070409(月)
4時45分起床●妻が病んで、人のために祈る祈りが本当の祈りではないかと思うようになった●妻を知る人々から祈られた。感謝●病というのは意外なときに訪れるものだ。意外な病になるものだ。●ゲレルトの「病中吟」は「私はちょうど良い時に病気になった」という主題である。●常日頃、妻が一人身になったときの生活設計を考えていたが、逆の場合もありうるのかも知れないと思うようになった●妻より先に逝きたいと思っていたが、案外そうはならないかもしれない。人生は希望通り、計画通りにはいかないものだ●かって市内の「尾崎観音」に行ったとき、そこの絵馬に「主人の病気が早くよくなりますように」とあったのを見て目頭が熱くなったことがある。と同時に「いい奥さんだなー」と思ったものである。結婚の意味はこういうところにある。結婚生活はお互いがお互いのための「助け手」なのだ。


口語訳 創  2:18
2:18 また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。


●人間の祈りはその99%が自分のための祈りだ。自分が楽になる幸せになるための祈りなのだ。●国家社会の批判をする人の祈りも良く聞いてみると「自分の心の平安のため」である。心に平安を欠く人物達である。自己中心的である●そこで「人のために祈る祈り」がいかに尊いもので、神に喜ばれることであるかの関連聖句を連想してみた。


塚本訳マタ 6:3-4
6:3 あなたは施しをするときに、右の手のすることを左に悟られてはならない。
6:4 これは施しを隠しておくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。


塚本訳 マタ 6:5-6
6:5 また祈る時には、偽善者のようにしてはならない。彼らは人に見せようとして、礼拝堂や大通りの角に立って祈ることを好むのである。アーメン、わたしは言う、彼らは(褒められた時、)すでに褒美をもらっている。
6:6 あなたが祈る時には、『奥座敷に入り、部屋をしめきった上で、』隠れた所においでになるあなたの父上に『祈れ。』そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。


塚本訳  ルカ 23:34
23:34 するとイエスは言われた、「お父様、あの人たちを赦してやってください、何をしているか知らずにいるのです。」『彼らは籤を引いて、』イエスの『着物を自分たちで分けた。』


塚本訳 使  7:59-60
7:59 ステパノは打ち殺されながら、イエスの名を呼んで、「主イエス様、わたしの霊をお受けください」と祈り、
7:60 それからひざまずいて、大声で叫んだ、「主よ、どうぞこの罪をこの人たちに負わせないでください!」こう言って、彼は眠りについた。


塚本訳  ロマ 12:19-20
12:19 愛する者たちよ、自分で仕返しをするな、(裁きの日の神の)怒りにまかせよ。こう書いてあるではないか、「主は言われる、『仕返しはわたしのもの、』わたしが『報いをする』と。」
12:20 むしろ、『あなたの敵が飢えているなら、食べさせてやれ。渇いているなら、飲ませてやれ。こうするのはその頭に炭火を積むことであるから、(いつかは恥じて悔改める。)』


●聴かれる祈りは「相手に気づかれないように」ひそかに祈る祈りだ。なぜか。それは神が聴いて下さっているから。●子供が病気のときは非常に辛いものだが、妻の病気というのも辛いものだ。健康のときはありがたさがわからないものだ。●妻は小学校中学校を通じて9年間、無遅刻無欠席であった。結婚してからも病気らしい病気はなかった。そこへ今度の腰痛の病。本人が精神的にまいっている●私に対して「看病疲れにならないように」との激励メール。感謝。「何のこれしき」、夫人が病の人は多くいるのだ●昨日の集会での某女との対話。私「妻の病は私がもっと妻をいたわるようにという神の警告なのかも知れない」。Yさん{そうですよー。その通りですよー」。●4月4日に紛失した「パス入れ」が警視庁福生警察署に届いているとの連絡。早速取りに行く。現金、会社のIDカード、スイカ、パスネット、回数券、名刺が入っていた。完全にあきらめて、IDカードの再発行やスイカ、回数券を再購入したところであった。届けた人は名前を名乗らなかったという。こういうことはこれで2回目。暖かい心に気分がよくなった。ルカ15:8-10を思った。


塚本訳 ルカ 15:8-10
15:8 また、どんな女でも、ドラクマ銀貨[五百円]を十枚持っていて、もしその銀貨を一枚無くしたとすれば、明りをつけて家(中)を掃き、それを見つけ出すまでは、丹念にさがしつづけるのではないだろうか。
15:9 そして見つけると、友だちや近所の女たちを呼びあつめてこう言うにちがいない、『一しょに喜んでください。無くした銀貨が見つかりましたから』と。
15:10 わたしは言う、このように、一人の罪人が悔改めると、神の使たちに喜びがあるのである。」


●名前も告げずに立ち去ったという「届け主」の方へ。神からお礼をもらってください。


塚本訳 マタ 6:3-4
6:3 あなたは施しをするときに、右の手のすることを左に悟られてはならない。
6:4 これは施しを隠しておくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。


●警察署というのは無私の心で社会に奉仕するよい機関だ。


 塚本訳 ロマ 13:4-7
13:4 官憲はあなたの最善のためにつくす神の召使であるから。しかしもし悪事をすれば、恐れねばならない。見えのために剣をささげているのではないのだから。官憲は神の召使で、悪事を行う者に対して(神の)怒りをあらわす復讐者である。
13:5 だからかならず服従せねばならない。ただ怒りの(恐ろしさの)ためだけでなく、(それが信ずる者の義務であることを知っているあなた達は、自分の)良心のためにも。
13:6 それゆえに(同じ理由で、)あなた達は貢をも納めねばならない。官憲は神につかえる者であり、いま言った職務に全力をそそいでいるからである。
13:7 (彼らに対して、信ずる者には普通の人以上の、言わば借りがある。)すべての役人にこの借りを返しなさい。貢取りには貢を、官税取りには官税を、恐るべき者には恐れを、尊敬すべき者には尊敬を。


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 出勤の途中で。菜の花の黄色はいいナー 2007.4.9


 


 

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イースター(復活祭)の喜び ++++++++ 所感

2007/04/08 21:23

070408(日)イースター(復活祭)。16歳のイースターに洗礼を受けたので、47年間キリストを信じて生きてきたことになる●妻と集会に行く。妻はそろそろ歩く。まだ痛そう。●妻は午後の合唱の練習二つを休む。深呼吸が辛いという●妻の腰痛でお見舞いやお祈りの連絡が来る。感謝。私のことまで心配して「看病疲れ」にならないようにと言ってきた人がいる。感謝●妻に対して「オーバーワーク」だという批判的忠告がしきりである●某氏からイースターのメッセージ。


もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。


(コリント人への第一の手紙15:13 新改訳)


●この難解な部分を黙想●集会は、小寺、大山、山本。復活祭の喜び●清水澄子さんと立ち話●杉崎孝さんからギリシャ語のご指導を戴く●昼食は小寺夫妻と私たちで●図書館でCD。●東京都知事選挙。石原慎太郎氏が当選。黒川紀章氏の票は伸びなかった。畑違いのことをすべきでなかった●人間、政治で幸福にはなれないが、これも「小事に忠なれ」で対処すべきである。しかし小事が目的であってはならない。それは手段である。来世への準備である。


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寺のような造りの和風住宅。日本人はこういうデザインがしっくりする。2007.4.8

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来世では結婚生活なし。天使のごとくになる ++++++++ 所感

2007/04/07 08:13

070407(土)3時半目覚め。「復活の時には天使のごとくになり、結婚なし」について黙想。5時起床●朝風呂で「日経・私の履歴書」はセブン&アイ・ホールディングス会長の鈴木敏文。実業高校から中央大学へ。政治家志望。信望厚く学生運動に。●妻の腰痛まだ直らず、今日は鈍痛。また「十字式健康法」に行くことにする。今朝は妻の靴下を履かせる。結婚生活ではじめてのことだ。今後こういうことが続くのかもしれないと思った●イエスの結婚観は「結婚はこの世限りのもの」。来世では結婚生活なし。天使のようになると言う。●このことは、現世で生きているときの結婚生活はお互いに「天使のことき存在であれ」というものなのだ。お互いに与えつくして生きろということなのだ。だから儒教道徳とは全く違う。●現世と来世は「地続き」なのだ。●結婚生活は「この世限りのもの」「この人の妻(夫)であるのはこの世限りのもの」という人生観は、精神衛生上もまた非常に良い。この人に仕えるのも限りがある。だから一生懸命に尽くそうと言う気になるのだ。●ルカ16章の「不埒な番頭の譬え」もこの観点から理解できる。小事に忠なるものは大事に忠なりだ。


口語訳 マタ 22:30
22:30 復活の時には、彼らはめとったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使のようなものである。


新改訳 マタ 22:30
22:30 復活の時には、人はめとることも、とつぐこともなく、天の御使いたちのようです。



新共同 マタ 22:30
22:30 復活の時には、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。



文語訳マタ 22:30
22:30 それ人よみがへりの時は、娶らず嫁がず、天に在る御使たちの如し。



塚本訳マタ 22:30
22:30 復活の折には、めとることもなく嫁ぐこともなく、ちょうど天の使いのようである。


●妻の腰痛が癒えず、今日も治療のために吉祥寺の「十字式健康法」に行く。治療を終えると少し楽になる。歩き方も違う●妻は腰痛がひどいと小言も出ない。少しぐらい小言を言ってくれてもいいから元気になって欲しいものだ●帰途、吉祥寺駅で兄の光男とばったり。3年ぶりだ。ダンスのレッスンに行く途中だと言う。元気にしているらしくて嬉しかった。日高の家に遊びに来て欲しいと言う。


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 兄の高橋光男(68歳)と吉祥寺駅でばったり。元気であるらしく安堵した。兄はダンスのレッスン。「家族の皆さんお元気ですか」と5歳下の弟の私を肉の兄らしく心配してくれた。肉親の情だ。感謝。日高の新居にも遊びに来て欲しいと言う。2007.4.7 トミ子撮影


●妻の寝起きが楽なように、寝室に書斎のソファーベッドを持ち込む。このまま寝たきりの生活にならなければ良いのだが。・・・・


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あきる野市のさくら通り。  すごいなーこの桜のトンネル 2007.4.7


●今晩は、妻の叔母である田野崎フジエさん(フジネーチャン。妻の母の妹)の通夜が新潟であるが、妻は腰痛で欠席。


 

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人生をむなしく感じるとき ++++++++ 所感

2007/04/06 14:40

070406(金)5時起床。●妻の腰痛が昨日よりも激しいので、朝食後にすぐ吉祥寺の「十次式健康法」に向かう。歩行困難のためタクシーで東秋留駅。電車は病人ということで若い人に席を譲ってもらった。一番で治療。痛みは不思議に緩和した。整復作用で昨日の治療の痛みが出たのだと言う。それにしても気合を入れると「瞬時で痛みが取れる」とは超不思議なこと。腰痛、肩こり、首の痛みなどなど、西洋医学では治りにくいものはこの気功で一瞬で直る。費用は一回2000円程度。一回から二~三回で直るから安い。ダメでもともと。苦しんでいる人は一回ためして見るとよい。悪いことは言わない。全国に支部がある。仙台、品川、吉祥寺、日暮里などなど。吉祥寺会場の電話は042-244-9775


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妻の腰痛の治療の帰途、東秋留の駅前の桜を鑑賞。2007.4.6


妻「この満開は入学式までもつかしら」


私(心の中で)「桜の命は短いなー。人生のようだなー」


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痛い腰をいたわりながら歩く妻の後姿。この肉体の命はもろい。パウロが言うように「土の器」だ。壊れやすいのだ。 2007.4.6


新共同 Ⅱコリ4:7
4:7 ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。


塚本訳  Ⅱコリ4:7
4:7 しかしこの宝が、(貧弱な)土の器の中にある。それはその素晴らしい力が神のものであって、わたし達(土の器)から出るのではないことがわかるためである。


●妻の腰痛で、創世記32章のヤコブのことを思い出した。


新共同 創  32:25-26
32:25 ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。
32:26 ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。


新共同 創  32:29
32:29 その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」


新共同 創  32:32-33
32:32 ヤコブがペヌエルを過ぎたとき、太陽は彼の上に昇った。ヤコブは腿を痛めて足を引きずっていた
32:33 こういうわけで、イスラエルの人々は今でも腿の関節の上にある腰の筋を食べない。かの人がヤコブの腿の関節、つまり腰の筋のところを打ったからである


●普門禅寺の桜を鑑賞する。


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普門禅寺。門から中をうかがう。人はいない。桜だけ。2007.4.6


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暗い門をくぐって中に入るとこの景色。暗いところから急に開ける眺め。この劇的な造りがまたよいのだ。 2007.4.6


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そしてこのたたずまい。この落ち着き。この日本的なるもの。あー日本人であることのすばらしさよ。嬉しさよ。この美的文化は世界に負けないものなのだ。  2007.4.6


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散歩していると、巨大な「ごよう松」があった。「名木巨木百選指定、秋川市平成5年3月15日」と札がかけてあった。「松」も日本の景色に良く合うものだなー 2007.4.6


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が動けないので、使いをする。あきるの市庁舎の屋上から曇ってきた奥多摩連山を眺める。墨絵のようだなー。 2007.4.6 


●人生をむなしく感じるときがある。それは大体において「暇」なとき。35歳のとき、身に余る大仕事が降りかかってきたときから、空しさはなくなった。なぜか。空しい空しいなどと言っている「暇」などない。次から次に波が押し寄せてくるときの波乗りのようなもの。●人間、暇だと空しさを感じる。福祉の充実したスェーデンの自殺率は高い。日本住宅公団高島平団地は自殺の名所。なぜか、収入が高水準の人たちの集まりであったから。人生が安定している人たちだから。屋上からの飛び降り自殺防止のためにこの頃から傾斜屋根にして億条には出られないようにした。●「幸いなるかな貧しきもの」(ルカ6:20)はこの観点からも真理。貧困の国の自殺率は低いはず。●秋田稔先生からお手紙。ロマ書8章23-24節が人類の究極の願いであることに「同感」とあった。有体的復活の希望。この肉体が贖われること。罪の生涯が清められて霊の体で有体的に復活できること。私たちはその「希望」で救われているのだ!!。アーメン。

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妻の腰痛 ++++++++ 所感

2007/04/05 08:16

070405(木)5時15分起床●朝風呂で「日経・私の履歴書」はセブン&アイ・ホールディングス会長の鈴木敏文。上田中学(現上田高校)の受験に失敗。この欄に出てくる人はかなり「受験失敗者」が多い。受験の失敗はその後の人生のバネ。鈴木敏文氏の失敗の原因は面接のときにあがったこと。そこでそれを克服するために弁論部に入る。また徒競走が苦手であったので陸上部に入ってそれを克服し、県大会に出場までになった。エライ!。自分の欠点を知ってそれを克服しようとした精神は見上げたもの。何が偉いかと言うと自分の欠点を認識して認めたところ。訓練ではなおらないこともあるかもしれないが初めに自己の弱点を知ったことが偉いところなのだ。ここから説教?。イマドキのワカイモンにはこれがない。何でも世の中が悪い、会社が悪い、教育がわるい。先生が悪い、親が悪い、家庭が悪い、親戚兄弟が悪い、家系が悪い、などなど周りのせいにする。原因と結果できりモノゴトを考えられない小なる人間。●妻が腰に激痛。少しもかがめない。息をするのも苦しいという。そこで早速吉祥寺の「十字式健康法」に飛び込むことにする。気功。私の20年来の肩こりはこれで治った。子供たちも直った。妻は気功の治療を信じないといっていたが、この痛みではこらえきれずに「行く」という。●治療室から出てきた妻の顔は晴れやか。痛みが緩和したという。これでも直らなければあと2-3回来るようにとのこと。驚き。原因は背骨の曲がり。背骨の曲がっているところにめがけて離れたところから「気合い」を入れて直す。触らないで直す。●私もついでに治療。私の場合は肩、心臓、腰。私も背骨が曲がっていると言う。これはレントゲンの結果と同じ。心臓が痛むのは「胃酸の逆流」。これは地元内科の医師と見解が同じ。●医療は西洋医学と東洋医学があり、これも「複雑系」●待合室で偶然に小林幸子さん(塚本先生に学ばれた方)と会い、この種の治療は「(直るんだ)と信じる、信仰の篤い人」に効き目があると話した。●妻の激しい腰痛で次の二つの聖書の箇所を学んだ。


塚本訳  Ⅰコリ12:26-27
12:26 もし一つの器官が苦しみをうければ、(ほかの)すべての器官が一しょに苦しみ、もし一つの器官がとうとばれれば、(ほかの)すべての器官が一しょに喜ぶのである。
12:27 (同じことをあなた達についても言うことが出来る。)あなた達はキリストの体であり、ひとりびとりとしては器官である。


塚本訳マコ 2:10-12
2:10 では、人の子(わたし)は地上で罪を赦す全権を持っていることを知らせてやろう」と彼らに言いながら、中風の者に言われる、
2:11 「あなたに命令する、起きて担架をかついで、家に帰りなさい。」
2:12 すると彼は起き上がり、すぐ担架をかついで、皆の見ている前を出ていった。皆が呆気にとられ、「こんなことはかって見たことがない」と言って、神を讃美した。


●吉祥寺で二人で昼食、妻の笑顔と小言が復活して安堵した。元気の無いときは小言も出ないものだ。小言を言われるのは辛いが、ないよりはあった方がよい。それは元気の印だ。


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腰痛の妻の後姿。「十字式健康法」という気功でいくらか痛みが緩和したのだが。・・・・・私たちの肉体の健康はいつまで続くのだろう。肉体の健康というものには「限界」というものがある。しかし「とにかくこの痛みを取り去って欲しい」と言うのが人間の切なる願いなのだ。常の願いなのだ。 2007.4.5

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悪魔は人の罪を見るのが本性 ++++++++ 所感

2007/04/04 11:33

070404(水)4時10分起床●朝風呂で「日経・私の履歴書」はセブン&アイ・ホールディングス会長の鈴木敏文.終戦。教科書に墨を塗られたショック。この年代の人は戦争トラウマ、終戦トラウマだ。これがその後の人生の思想を規定し、生き方も規定する。ただしそれはいつの時代にも通用する思想ではない。●キリスト教はヒューマニズムではない。●永遠に変わらないものは「十字架と有体的復活」の使徒伝承●職場で「トンデモナイ」人物に出会った。仕事の前に「人間」、仕事の前にまず「人格」が必要。自分の頭に入らないことを毛嫌いして排除する姿勢、嘘をつく姿勢、売名行為、護身術、保身術。こういう人物が「地位だけ」を保身していると部下は腐る。おまけにその地位は実力で得たものでないからなお始末が悪い。●国家も企業も学校も結婚も家庭もまず「人間の質」が大切●悪魔は相手の罪を見るのが本性。相手の欠点や悪いことばかりを追求する●悪魔は仲の良い人間を妬んでその間を裂こうとする●神は罪を赦す。贖う。尻ぬぐいする。仲のよいことを妬まないで喜ぶ●イエスは愛するユダの心に悪魔が入らないように必至に努力した。「最後の晩餐」のドラマはそう読むべきである。しかし悪魔はユダの心に進入した。ユダはイエスを売ろうという気持ちになった。イエスの祈りも水の泡。愛する者に裏切られたイエスの嘆きはいかばかりであったか。


塚本訳 ヨハネ13:26ー30


13:26 イエスが(彼に)答えられる、「わたしが一きれのパンをひたして渡すその人が、それだ。」それからパンを(汁に)ひたし、イスカリオテのシモンの子ユダに渡される。


13:27 ユダがそのパンを受け取(って食べ)ると、その時、悪魔がユダに入った。そこでイエスがユダに言われる、「しようとしていることをさっさとしたがよかろう。」


13:28 しかしなんのためにこう言われたのか、食卓につく者のだれにもわからなかった。


13:29 中には、ユダは金箱をあずかっているので、イエスは「祭に必要な物を買っておけ」とか、貧乏な人たちに何かやるように、とか言われるのだと思った者があった。


13:30 ユダはパンを食べると、すぐ出て行った。夜であった。──(そとは丸い月がかがやいていたが、ユダの心は真暗であった。)


●コストスクールの講義。11年間続いた私の講義は本日で終了。コストスクールの立ち上げに関わった者として一抹の淋しさがある。しかし、ここが引き際。世代交代だ。今期の受講生には建設物価調査会から吉田光正、高橋俊一の両氏がいる。吉田光正氏に建設物価調査会発行の各種資料の解説をお願いした。


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日本建築積算協会コストスクール。11年間続いた私の最終講義。背後のグラフは私のオリジナルである「建築経済力学相関図」。コストスクールの立ち上げに携わっただけに一抹の淋しさがある。副校長の仕事は続行する 2007.4.4


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 コストスクールのスタッフ。左は村山さん、右は荒木さん。2007.4.4


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現代の聖徒 ++++++++ 所感

2007/04/03 06:09

070403(火)3時45分起床、睡眠5時間●朝風呂で「日経・私の履歴書」はセブン&アイ・ホールディングス会長の鈴木敏文.10人兄弟であった。厳しかった母のこと。「この母にしてこの子あり」だ。どのように厳しかったかと言うと、①掃除や、ニワトリ、ウサギ、蚕の世話をしてからでないと食卓につかせなかった。②礼儀作法、間違ったことは赦さない、甘やかさない③教育熱心であったが、それは「受験勉強」のようなものでなく「躾」だった④自分は寸暇を惜しんで机に向かい本を読んだり書き物をしていた⑤夫は農協の組合長や町長などの公職であったために家事一切を切り盛りした。・・・・・敏文氏は厳しくしかられたときなど「自分は拾われてきた子ではないのか」と子供心に真剣に考えて悲しくなったという。しかし普段は子煩悩で家庭は温かい。厳しさと慈愛。明治の女そのものだった」と言う●イマドキの母親にはこういう人物は少ない。だから子供が脆弱に育つ。自分の欲望のおもむくままに成長し、世の中も間違った自由を助長する。躾がなっていないから、自己の欲望が疎外されると官吏、上司、親、を簡単に批判し攻撃するような礼儀作法知らずの人間に育ってしまう●脆弱に育った人間は厳しさを避け、見境なく自分を愛してくれる人の方になびくのでますます悪くなる●あー、日本に将来はあるのか●「祈りの友」228号、2007年4月号。昨年12月にご主人中川晶輝氏の後を追うようにして召された中川正子さんの追悼文を読む。こういう人こそ「現代の聖徒」(ヒルティ幸福論Ⅲ所収)だと感じた。体全体から光を発していて、接する人に無言で暗いことを吹き飛ばした。どんな人にも強い印象を与え続けた●どんな人になりたいかと言って私は「中川正子」さんのような人になりたい。それは「聖徒」。ヒルティが言うところに「現代の聖徒」。しかしそれは私にとって到達できない理想であるから、目標である。●中川さんのような「光の人」に接すると、暗い思想は持っていられなくなる。つまらない遊びは時間の無駄と思う。●「祈りの友会」での正子さんの祈りにビリビリッと来たことがある。それは凛として「復活の朝(あした)に会う」という言葉を発せられたことである。アーこの人は「有体的復活、来世での再会」を固く信じているのだなーと瞬間にわかった●祈りの友会東京支部の100名程度(上野博子御夫妻の後、中川ご夫妻が20年間ほど支部長であられたとき)を諳んじていて、各人のご家庭でのお立場のことにも言及されるのには仰天したことがある。●無教会の育ちであったが、信望厚く最後までご主人晶輝氏の所属された信濃町教会の役員をされていた●私の父の葬儀にお見えくださった。私がある問題を抱えたとき私のことを「あなたの考えは律法的です」とご注意くださった。●中川正子さんは「愛の人、光の人」であった。こういう人格の人は珍しい。しかしその人格は病弱な人生がその背後にあった。病気は人間を練り清める。光の人にする。愛の人にする。努力でなれるものではない。苦難と涙の祈りがそういう人にさせてくださる。この肉体の人生は短い。●光の存在は無言のうちに暗闇を追い払う。


口語訳 ヨハ 1:5
1:5 光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。


塚本訳 ヨハ 12:35
12:35 するとイエスは(それには答えず、)彼らに言われた、「もうしばらくの間、光はあなた達のところにある。光のある間に(早く)歩いて、暗闇に追い付かれないようにせよ。暗闇を歩く者は、自分がどこへ行くのか知らない。


塚本訳 ヨハ 12:46
12:46 わたしが光として世に来たのは、わたしを信ずる者はだれも、暗闇の中に留っていないようにするためである。


●池谷医院。風邪+胃酸の逆流による胸苦しさ●13:00昭和女子大学短期大学部の入学式。●教授室で伊藤セツ教授(経済学博士でクララツェトキンの研究者)と懇親懇談。ライプチッヒのこと。クルトマズアのこと●パソコンの過去日記からピックアップして「大熊好子さんの思い出」を作成。パソコンの検索威力はたいしたものだ。人間の脳は負ける。


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あきる野市、普門禅寺のしだれ桜。 2007.4.3 こういう美をザ・ジャパンという。世界は真似できない。日本人もこういう美しさを尊重しなければならない。日本のキリスト教会は西洋かぶれでバタ臭くていけない。日本には日本固有の文化があるから、キリスト教もその本質を掴んだら外側の形は日本的なるものになっていかなければならない。それが自然の姿。外側の形まで西洋の真似をしてはいけない。


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あきる野市、普門禅寺のたたずまい。2007.4.3 この静けさ、この落ち着き、これがザ・ジャパンだ。日本文化はしっくりする。

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企業内で出世したかったら ++++++++ 所感

2007/04/02 11:27

070402(月)5時半起床●朝風呂で「日経・私の履歴書」イトーヨーカ堂会長兼CEOの鈴木敏文。駆け出しは出版社のトーハン、そこで7年。この下積みの時代に自分の目前の仕事には統計学と心理学が必要だ」と感じて猛勉強、後の経営者としての基礎を作る。縁あってイトーヨーカドーに移る。後に古巣のトーハンに呼び戻され副会長になったというのだからご立派●出世する人間は「目前の仕事に忠実」だ。●内村鑑三は「自分にあてがわれた目前の仕事を忠実にやっていれば自然自然に天職に導かれる」と言う。(「いかにして我が天職を知らんか」)●ヒルティは「幸福とは神と共にあることと仕事」といい、その仕事はどんな仕事でもよいという●イエスは「小事に忠なるものは大事にも忠だ」と言って、この世の世俗の職業を尊重するように言っている。●今の仕事が「自分に合わない」「金儲けの仕事は尊くない」「今の仕事にむなしさを感じる」ということを考えるときは大体において「暇」なとき。●では忙しければよいのかというとそうではない。企業戦士は定年を迎えて虚脱状態になり、やたらと「生きがいのある」仕事を求めるが、もうそのときはボケが始まるから戦力にならない。●旧約聖書のコヘレトの言葉、12章1節の表題はすばらしい。「人生の最後の日々」


     


人生の最後の日々


 


翻訳比較


 


新共同訳1987


12:1 青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。「年を重ねることに喜びはない」と/言う年齢にならないうちに。




 

 


新改訳1970


12:1 あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に。


 


口語訳1955


12:1 あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、


●ヴィオリストの和田睦夫氏と音楽談義






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招かざる不幸は人を救う力がある ++++++++ 所感

2007/04/01 07:49

 


満63歳9ヶ月 職場完全退職まであと2年0ヶ月 平均余命18年3ヶ月。死亡推定年齢82歳。ライフワークは、「有体的復活]の伝承を担う使徒でありうること。


070401(日)4時半起床●NHKTV「こころの時代」。名古屋大教授としてアフリカに稲の生育に行ったが、マラリヤ予防薬のためにほとんど失明。そのとき同じ境遇の盲人の少女の言葉に愕然となる。「私の目は見えませんが、心で何でも見えます」。そこで人性方向癲癇、若きときに洗礼を受けた教会の牧師となる。安城教会。●マルチンルーサーキング牧師の言葉が引用された「招かざる不慮の死は、人を救う力がある」●これは「招かざる不幸は人を救う力がある」とも言い換えることが出来る。●これで今日集会で話すことのヒントになった。見えないものが見えるということ。●集会は藤巻、杉崎(愛真高校のこと)、高橋(「キリスト信者はなぜ身内から疎まれるのか・・・大熊一雄さんと好子さんへのレクイエム(鎮魂曲」・・HP使徒伝承にアップ)●人間の関係はおおよそ三種類①社会的関係(職場、故郷、学校、習い事、政治、趣味・・・)②生物学的関係(夫婦、親子、親戚)③霊的関係(教会、集会・・・・これ世にも不思議な団体)●小寺利男さんと新宿の「しのだ寿司」●トミ子は合唱団「もくせい」の練習。メサイア。●16:00府中の森芸術劇場で「八王子高等学校吹奏楽部第30回定期演奏会」。ものすごく高水準であった。演奏、歌、踊りと三拍子揃ったものですごいものであった。●開幕前に幕の後ろで讃美歌39番「ひくれてよもはくらくわがたまはいとさびし」が演奏されたのには感激した●ガーシュインの「ラプソディーインブルー」の難曲をクラリネットがやってのけたのには仰天●本日小ホールで「水永ピアノ教室発表会」があったようだ。時間が合わずに水永一家にはお会いできなかった。


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府中の森芸術劇場どりーむホール。八王子高校定期演奏会。演奏+合唱+踊りは高水準で「すごいなー」と言う気持ちになった。 2007.4..1 16:00


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八王子高校吹奏楽部のマスコットキャラクター「蜂の子」。うでの細さからどうやら中身は女性らしかった。このキャラクターが舞台で踊った。このキャラクター、舞台で可愛く踊った。2007.4.1




 

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