to 日記と感想 2007年08月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171030(月)10:00 聖路加 桑本先生
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170824(木)12:10キララホールエントランスコンサート、マリンバ
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170813(日)10:30ナザレン教会浦和教会
    170813(日)14:00比企紀和君
    170812(土)14:00お江戸こらりあーず演奏会、文京シビックホール
    170809     TW誕生日
    170809(水)17:16初音吹奏楽、府中の森芸術劇場ドリームホール
    170808(火)0930池谷医院
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170708(土)14:00在宅医療説明会(キララホール)
    170707(金)10:00池谷医院
    170706      TM誕生日
    170702(日) 集会感話
    170701      TT誕生日
    170630(金)12:20キララホールエントランスコンサート
    170628      IY誕生日
    170627(火)11:00 能城牧師来訪
    170625)日)10:10トミ子集会感話
    170625(日)14:00茅ヶ崎金子邸
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール


暗い人も生まれ変われる ++++++++ 所感

2007/08/31 03:49

070831(金)2時半目覚め。寝付けないのでそのまま起床。それでも睡眠5時間半だから可。●あさのひらめき。「暗さと明るさ」●人間は暗さを嫌う。暗い所を嫌う。暗い道を嫌う。子供を押入れに閉じ込めると泣く。暗い性格の人間は魅力がない。●今から数十年前は戦争の暗さ悲惨さを嫌って有為な青年は共産党に関心を持ったが、現代では「家庭の暗さ」が問題。●はて、キリスト教はその家庭の暗さに嫌気がさす青少年を救う「受け皿」でありうるか●人間の暗さはどこからくるか。命の光たる神とキリストに帰依していないから、つながっていないから、コンセントをつないでいないから●肝心の教会や集会が聖霊に満たされていないで、思想、神学、先生、ヒューマニズム、社会批判、趣味、芸術、音楽、イベント、・・・などに熱心になっているのでは「暗い」。●人間、育ちが悪い人は、人の親切を嫌って人の親切を拒否する。●親切の背後にはなにかあるのだとう疑う人は、「愛」ということを信じられないで育ってきた人間。家庭環境が悪いとこうなる●暗い家庭という絶望的な環境でゆがんだ性格に育った子供も、神の救いにあずかると生まれ変わったような「光の子」になれる●盲目のテノール歌手新垣勉は両親が離婚して暗い性格で育った.荒れた子供であった。しかし彼の生い立ちに涙した教会の牧師に触れて、薄紙を剥ぐように心が癒され、ついに「光の子」になった。私は彼のコンサートを3回聴いた。神の奇蹟だ●人間は、どんなに歪んだ卑しく暗い性格の子供でも神の霊に触れると生まれ変わることができる。この奇跡は神学、趣味教養の遊び、先生の思想、社会悪の批判、社会制度の批判からは生まれない●賀川豊彦は妾の子供。幼い頃皆から冷たくされいじめられた。暗く淋しい賀川少年を救ったのは、マヤスとローガンという宣教師(米国に感謝)。賀川は神の光、神の霊に触れて生まれ変わり、光の子になった。米国のプリンストン大学の神学部で学んだ後に神戸の貧民屈に入り込んで「心の貧しい者」の友となったが、その不衛生な環境で眼を悪くした。後にノーベル平和賞の候補にまでなった。米国にはカガワストリートがある。●私は高校生の時に「賀川豊彦伝」を読んで感動した。亡き父も賀川を尊敬していて、一時はくっついて回った●暗い人も神によって救われると生まれ変わったようになる。霊の光に接するからである。●うちの旦那はダメだ。うちの女房はダメだ。うちの子供はダメだと思っている人にも「望み」がある。新垣勉や賀川豊彦の実例を知れば希望が湧く。●神は人を「新しく創造する」その力がある。●内村鑑三は賀川と会っている。そのことを松沢資料館で調べたことがある。内村「(賀川さん)。うちの青年たちがあなたのような活躍をするように一度指導してもらいたい」●塚本虎二先生は内村先生の弟子であったので(キリスト教界の)大抵の人物に出会っているが賀川豊彦には会っていないと言った。(講演テープで聞く)。●使徒伝承の概念は次の通り。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




●人は使徒伝承という外部情報を受け入れ、ある時聖霊を頂くことによって胸が熱くなりそれによって心の目が開き、使徒伝承を信じることができる。それは瞬間の出会いである。するとその人は次の世への使徒伝承の担い手になる。誰もが光の使徒になる。


●自分の身に起こったことを世に広めたくなる。言わざるを得なくなる。これが使徒伝承。


●使徒伝承を受け入れることが救いの道。世に使徒伝承が絶対に必要な理由はここにある


 


塚本訳 ルカ 24:32-34


24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。


24:33 時を移さず二人は立ち上がってエルサレムに引き返して見ると、十一人とその仲間とが集まっていて、


24:34 「ほんとうに主は復活して、シモン(・ペテロ)に御自分を現わされた」と話してくれた。


 


塚本訳 ルカ 8:39


8:39 「家に帰って、神がどんなにえらいことをしてくださったかを、(みんなに)話してきかせなさい。」すると彼は行って、イエスがどんなにえらいことを自分にされたかを、町中に言いふらした。


 


塚本訳 マタ 5:14-15


5:14 あなた達は世の光である。山の上にある町は隠れていることは出来ない


 


塚本訳 ロマ 10:13-15


10:13 ほんとうに(預言者ヨエルが言うように、)『主[キリスト]の名を呼ぶ者はすべて救われる。』


10:14 ところで、(呼ぶだけで救われると言うが、)信じたことのない者を、どうして呼ぶことができようか。聞いたことのない者を、どうして信ずることができようか。説く者がなくて、どうして聞くことができようか。


10:15 (神に)遣わされなければ、どうして説くことができようか。(しかし説く者はある。それはわたし達である。)『善いこと[福音]を伝える人たちの足の、なんと美しいことよ!』と書いてあるとおりである。


 


●教会史の本質は使徒伝承の連鎖反応。人間からの水平情報が大脳皮質に入っていて、ある時神から聖霊が下ると胸が熱くなり、それが本当だと分かる。聖書や使徒伝承を信ずることができるようになる。それを模式図に描くと次のようになる。



 


      聖 霊     聖 霊     聖 霊           ↓      ↓       ↓       ↓


 →使徒伝承→胸熱→使徒伝承→胸熱→使徒伝承→胸熱→使徒伝承







●この図において、使徒伝承と聖霊という垂直情報がぶつかったところで胸が熱くなる。


●水平情報だけであると、胸が熱くならず、逆に垂直情報だけであると歴史から遊離する。


●人は新しく霊に生まれると、水平情報の源(親、先生)から離れていく宿命がある。


 


 


塚本訳 Ⅰコリ15:3


15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、


 


塚本訳 ヨハ 13:20


13:20 アーメン、アーメン、わたしは言う、わたしが遣わす者を受けいれる者は、わたしを受けいれるのであり、わたしを受けいれる者は、わたしを遣わされた方を受けいれるのである。」


 


塚本訳 ルカ 10:16


10:16 (七十二人の者に言っておく。──)あなた達の言うことを聞く者は、わたしの言うことを聞くのであり、あなた達を排斥する者は、わたしを排斥するのである。わたしを排斥する者は、わたしを遣わされた方を排斥するのである。」


 


●使徒伝承の「型」は自由形でよい。福音の光は本物であればどんな形でも漏れる。


●茶道、花道、俳諧に流派、植物に種類があるように、キリスト教には教派がある。あった方がよい。人には「向き向き」ということがある。人は様々。福音受容排斥の型も様々。しかし神は生きておられる。いつの日にかきっと全員を捕まえてくださる。


 


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 


 ●朝風呂で日経「私の履歴書」、俳人の森澄雄。最終回。「俳諧はもともと大きな遊び、虚空の遊び」と本人が告白。妻に先立たれてからは妻を詠んだ作品を作り続けているという。これは異常だ●妻としてはいつまでも思われていることはうれしいだろうがキリスト教的ではない。キリスト教の妻は「私のことは忘れてください。あなたにはやるべきことがあります」というであろう●塚本虎二先生はクリスチャンは葬式の時には泣いてはいけない」と言われた。●17:00 新一から結婚式のときのDVDが送られてきたので妻と鑑賞。違った視点からの部分を見ることができてよかった。プロの作成になるものはよくできている。神の引き合わせたもうた結婚であることが強調されていた素晴らしい編集であった。衣純さんの教会の友人の涙ながらの祝辞に胸を打たれた。●9月2日の礼拝の準備。


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ずたずたでボロボロの人生 ++++++++ 所感

2007/08/30 07:29

070830(木)4時45分起床。朝のひらめき。


塚本訳 Ⅱコリ3:17
3:17 主は即ち御靈なり、主の御靈のある所には自由あり。


●朝風呂で日経「私の履歴書」、俳人の森澄雄。この人の句碑は全国に6か所もあるという。仲間内の誉め合いであって、人の霊魂を救わない。叙情的感傷に過ぎない。●人生とはうまくいかないものである。そういうことになっている。誰もがボロボロでずたずたの人生になる。受験の失敗、会社の倒産、健康の喪失、失恋、夫婦の不和、家庭の崩壊、子供の非行、失業、愛する者との死別、などなど、人生はこれ「行き詰る」ようにできている。泣くようにできている。しかしこれらの不幸は真の幸福に至る「門」、必須の「門」である。恥ではない。「失敗は成功のもと」。この不幸に遭遇したら「素直に転ぶ」べきである。「素直に号泣」するべきである。これがヒルティの「幸福論」の本質。福音の本質。救いの本質。キリスト教の本質である。●自分は神を信ずるなどという「弱い」人間ではないと豪語する人間には、ギブアップするだけの大不幸が訪れますように。ずたずたでボロボロの人生になりますように。その人には神が愛の鉄槌を下して真の幸福に目覚めるときがきますように。そのような厳しくも深い神の愛が訪れるように祈る。


塚本訳 マタ 11:28
11:28 さあ、疲れている者、重荷を負っている者はだれでも、わたしの所に来なさい、休ませてあげよう。


塚本訳  ルカ 15:11-17
15:11 また話された、「ある人に二人の息子があった。
15:12 『お父さん、財産の分け前を下さい』と弟が父に言った。父は身代を二人に分けてやった。
15:13 幾日もたたないうちに、弟は(分け前)全部をまとめて(金にかえ、)遠い国に行き、そこで放蕩に財産をまき散らした。
15:14 すべてを使いはたしたとき、その国にひどい飢饉があって、食べるにも困り果てた。
15:15 そこでその国のある人のところに行ってすがりつくと、畑にやって、豚を飼わせた。
15:16 彼はせめて豚の食う蝗豆で腹をふくらしたいと思ったが、(それすら)呉れようとする人はなかった。
15:17 ここで(はじめて)本心に立ち返って言った。──お父さんのところでは、あんなに大勢の雇人に食べ物があり余っているのに、(息子の)このわたしは、ここで飢え死にしようとしている。……


●宅急便、図書館DVDとCD●昭和16年改正の治安維持法について調べる。体制は時局に都合のよいように法律を作る●三宅正太郎は司法次官のときにこれを制定したが、その後大審院の裁判長になったとき浅見仙作を自らが制定したこの改正治安維持法で裁くことになった。しかし「裁判官の良心」から熱心にこれに取り組み無罪にした。この背後には無教会の力があった。塚本虎二、藤林益三である。しかし、三宅正太郎は戦後この法律を制定した人物だとの理由で公職追放になった。神は見ている。良心に基づいて名判決をした三宅正太郎は神に褒められる。


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小雨の涼しい日。こうなると心細くすこし淋しくなる。猛暑でも困るが、曇りで小雨の淋しい日も困る。讃美歌512番


讃美歌512番


1. わが たましい の したい まつる


   イエス きみ の うるわしさ よ,


   あした の ほし か, たに の ゆり か,


   なに に なぞらえて うたわん.


   なやめる とき の わが なぐさめ,


   さびしき ひ の わが とも,


   きみ は たに の ゆり, あした の ほし,


   うつしよ に たぐい も なし.


 


2. み の わずらい も よ の うれい も,


   われ と とも に わかち つつ,


   いざなう もの の ふかき たくみ


   やぶり たもう うれしさ よ.


   ひと は すつれど きみ は すてず,


   みめぐみ は いや まさらん,


   きみ は たに の ゆり, あした の ほし,


   うつしよ に たぐい も はし.


 


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赦せない不自由、赦せる自由 ++++++++ 所感

2007/08/29 08:09

070829(水)3時半起床。寝てられない。睡眠5時間。睡眠は長さでなく深さ●目覚めで、長いこと赦せなかった人が赦せて、その人の幸せを祈ることができるようになった。不思議、奇蹟。すると泉のように聖書の言葉が湧いてきてその真の意味を理解できるとうになった。●使徒伝承のなかには「罪の許し」という言葉があるが、こえは神の人間に対する赦しであると同時に人間同士の「赦し合い」のことでもあると思う。なぜか、その前に「聖徒の交わり」という言葉があり、それと無関係ではなさそうだ。


塚本訳 マタ 6:12-15
6:12 罪を赦してください、わたしたちも罪を犯した人を赦しましたから。
6:13 わたしたちを試みにあわせないで、悪から守ってください。
6:14 (祈る前に、まず人の罪を許さねばならない。)あなた達が人の過ちを赦してやれば、天の父上もあなた達を赦してくださるが、
6:15 人を赦さないならば、父上もあなた達の過ちを赦してくださらないであろう。


●この箇所は、以前から疑問であった。まず人間的努力として「人を赦す」行為が先でそののちに祈れというのでは到底できないと思ってきた。ここはそうではないのだ。まず神の方から人を赦す霊を頂いて、奇蹟的に人を赦すことができた人の祈りなのである。だからこの並行箇所のるかでは次のようになっている。


塚本訳  ルカ 11:4
11:4 罪を赦してください、わたしたちも罪を犯した人を皆赦しておりますから。わたしたちを試みにあわせないでください。」


●どうしても赦せなかった人を赦せるようになるというのは奇蹟。人間の努力ではできない。それができるようになるから不思議。なぜか。神の霊がその人に降るから。


塚本訳 ロマ 7:24-25
7:24 なんとわたしはみじめな人間だろう!だれがこの死の体から、わたしを救い出してくれるのだろうか。
7:25 ──神様、感謝します、わたし達の主イエス・キリストによって!──従って、このわたしは理性では神の律法に仕えるが、肉では罪の法則に仕えるのである。


●パウロはこの24節と25節の間に何が起こったのか。それは簡単、神の霊が下ったのだ。●24節は救われる前のパウロか、救われた後のパウロかの果てしない議論には興味が失せた。どっちでもよい。いずれにしても神の霊によって解放され、感謝の気持ちになれたのだ。


●人が憎くて憎くてどうしようもない時、相手の失脚や失敗をさえ願うとき、決して葬式なんかに行ってやるものか、とんでもないことだなどと思うとき、それは不自由な人間、それは自分。罪にもがく人間、それは私。人間はその不自由さからは自由になれない。これが人間の罪というもの。しかしそのもがきの苦しい人生に主の霊が下るとき人間は初めて自由になれる。これ奇跡の体験。不思議。


ヨハ   8: 32 [塚本訳


真理を知り、その真理があなた達を自由にするであろう。」


ヨハ   8: 33 [塚本訳


しかし彼らは(その意味がわからずに)答えた、「わたし達はアブラハムの子孫で(自由人で)ある。いまだかつてだれの奴隷にもなったことはない。どうして『あなた達は自由になる』と言われるのか。」


ヨハ   8: 36 [塚本訳


だから、もし子(たるわたし)が(罪から)自由にしてやれば、あなた達は本当に自由になるのである。(そしていつまでも父上のところにおることができる。)


Ⅱコリ  3: 17 [塚本訳


(ここで)主(と)は御霊(のこと)である。主の御霊のあるところには自由が(あるから、ベールが取り除かれるので)ある。


●12:00茅ヶ崎の金子幸子さんの家で「主の集まり」。


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金子幸子さんの家で「主の交わり」


大御馳走を頂きながら主にある歓談。主にある交わりはホッとする。はじめに「天国は宴会の如し」とあると祈りをした。


前列左から高橋照男 小寺利男


後列左から 高橋トミ子 茂木洋子 金子幸子 小寺七重 宮崎トキ



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まだ陰府がある ++++++++ 所感

2007/08/28 08:15

070828(火)5時50分起床●朝のひらめき。「まだ陰府がある」。神を信じないで死んだ人はどうなるか。「まだ陰府がある」。神は失われた者をどこまでも追いかけて行って救う。子供だから。●「使徒信条」は救いの経験をしたものの「説明」であるから。これを理解するためには信条を作った人間と同じ救いの経験をしなければならない。●使徒信条は前半は後回しにして読むべきである。後半の経験をしたものが初めて前半を承認できる●朝風呂で日経「私の履歴書」、俳人の森澄雄。夫人の突然の死に「号泣」。そこで一句詠むが、これが限界。それはあのミリオンセラーになった今日流行の「千の風になって」の詩による慰めどまり。復活がない。身体のよみがえりの歓喜がない。暗くてジメジメしている。この世界はキリスト教信仰とは全く縁遠い。●安倍改造内閣が発足。民衆の目(それは票)を意識した布陣。しょせん政治は人間のやること。小沢がやっても同じこと。だからこれを批判すると同じレベルの人間になる。政治でよくなるのはたかだか「この世」のこと。●この世が良くなって楽になるのは金のこと肉体の健康のこと。霊魂の苦悶や死後の不安は解消できない。●クリスチャンの中にもそれがわからなくて共産党の尻馬に乗って「まだ」社会批判をしている人間がいる。この世の改造に関しては共産党の方がよっぽど熱心である。矢内原忠雄の「キリスト教とマルクス主義」の冒頭でもそう言っているところがある。あの人間はクリスチャンをやめて共産党に入党した方がよい。共産党が喜ぶ。●安達太良聖書研究会の準備。「使徒伝承」。●BbBのバグ修正●孫のために木のおもちゃの模型を作り始めたが挫折。時間がかかりそうなのでやめた●小学生の頃、「小学生」という雑誌の付録に模型パーツがあっ。亡き父はその付録を私に隠して本だけ渡した。自分がその面倒な模型を作らされるのを嫌ったからである。父のことを思い出した●DVD「五重の塔はなぜ倒れないか」を見る。実物の5分の一の模型を作って、震度6で振動実験。倒れなかった。現代の耐震工学の先を行っていた。●トミ子が愛子のところから戻る。引っ越し先は下町の日暮里。新しい地での生活に神の祝福がありますように●夕食後、急いで郵便局と図書館●津上さんからFAX。政教分離の法的推移について勉強が進んで感謝
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人が嫌いになったら ++++++++ 所感

2007/08/27 08:06

070827(月)3時半起床●朝風呂で日経「私の履歴書」、俳人の森澄雄。どうもピンとこない。ディレッタンティズムだからなのか●自転車で6時半に集めにくるポストに走る●人が嫌いになったときに楽になる方法。「あの人には○○が欠けている。○○が足りない」と思うから嫌いになるのである。そうではなく「あの人には○○がある。○○があるのが特徴だ」と思うと楽になる●あるとき偉い人にとてもいやな奴のことについて不満をぶちまけたら「あの人にはいいところもある」と慰められた。こう考えるのがこの世の人間関係を楽にするの秘訣らしい●5階のヴィオリストの和田氏と音楽懇談。興味ある話を伺い、ためになった●橋本次長と今年度の建築学会九州大会のこと。時代は進む。●清水建設技術研究所にO氏の消息を聞いたら13年も前に退職されたという。時の過ぎるのは早いなー


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22:56 夜中にトイレに起きたら、窓から月が見えた。月の明かりが強かった。ヴェート―ヴェンのピアノソナタ「月光」を思った。


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この世的ならざる話 ++++++++ 所感

2007/08/26 09:13

070826(日)3時45分起床。朝のひらめきこの世的ならざること」●NHKTV「心の時代」は医師(香川県高松市)の朝日俊彦氏。「明快な来世観を抱いている人は病気に対する姿勢が強い。夫が死ぬ時「ありがとう」と心から感謝された夫人はその後の人生を非常に元気で生きる」●この話を妻に言うと「あなた。口先ばかりではダメなのよ」●朝風呂で日経「私の履歴書」、俳人の森澄雄。この人の関心は「この世の感情」のこと。感性のこと。●神のなさる業は「この世的ならざること」。それに触れた人間はそれを「不思議なこと」に見える。イエスの復活がその最高のこと。


塚本訳 マタ 21:42


21:42 イエスは彼らに言われた、「あなた達は聖書で(この句を)まだ読んだことがないのか。──『大工たちが(役に立たぬと)捨てた石、それが隅の土台石になった。これは主のなされたことで、われわれの目には不思議である。』





●9月2日の安達太良聖書研究会での話の準備。「身体のよみがえりとはどういうことなのか」。「使徒伝承を語ってください」との要請に答えることにする。●10:00釘本寛子、石川緒子姉妹を迎えて夏休み家庭礼拝。「身体のよみがえり」の話をした。「我が名によりて2、3人集まるところに我もおるなり」である。話の途中でマジックをしたら、二人が目を点のようにされ「トマス」のような顔をしておられた。●床の間の掛け軸に本格的なものがなかったところ、今年召された釘本京子さんが表具されたものを二幅頂く。作品は森千鶴子(釘本さんの叔母)の南画。釘本京子さんの御心が我が家に来られた感じがする●イエスが病気治癒の奇跡を行った気持ちがわかった。多分、気持ちを自分にひきつけるためのコミュニケーションの手段だったのだ。●14:30今井館理事会。胸襟を開いて様々な意見を言った。仲田幹事が久しぶりにご出席。帰途、大山綱夫、佐藤洋子さんと一緒。●大山綱雄氏と車中懇談。私信というのは大切であるということ。西村秀夫先生のこと。西村夫人の葬儀に元東大全共闘議長の山本義隆が見えたということなど。●あの混乱のとき、内村鑑三、塚本虎二、カールヒルティなどに出会って社会悪批判の運動に加わらなかったことは人生の正解であった。●キリスト教は地上王国の建設を目指さない。地上王国を目指すのは家内安泰、商売繁盛、無病息災、健康長寿を人生目標とするのと同じ●では何を目指すか。地上の不幸を利用して天国に入る準備をすること。地上の苦難を通じて神に覚えられるように生きること。


 



 

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妬まれたときはどうするか ++++++++ 所感

2007/08/25 04:54

070825(土)4時起床●私のブログで癒されたという知らせ。(ガッツポーズ)●自分が遭遇した苦しみは他の人を慰める力となる。だから公開ブログは有益。私としても好き好んで(実はそういう面もあるが)公表をしているわけではない。妻曰く「あなたは目立ちたがり屋だわ」●かって某女から「高橋さんのHPは癒しです」と言われたことがあった。そのとき私はその人に「エッ、卑しいですか」と聞きなおした。卑しいではなく本当に癒しになるのだそうだ。これは感謝だ。私の失敗や苦難がそのまま人のためになるとは。こうなるとHPやブログ日記はもう人間の業ではなくて神の業だ。●自分史は自慢史ではいけないと「自分史の書き方講座」で教えられた。しかし私のは大半が自慢史かなー。でもパウロは「苦難をも誇る」というから、苦難や失敗も自慢史の一部、これがまた人のために慰めと益となるとはありがたい。


塚本訳 ロマ 5:3-4
5:3 そればかりではない。苦難をも誇る。苦難は忍耐を、
5:4 忍耐は鍛錬を、鍛錬は希望を生むことを知っているからである。


文語訳  ロマ 5:3-4
5:3 然のみならず患難をも喜ぶ、そは患難は忍耐を生じ、
5:4 忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ずと知ればなり。


新共同 ロマ 5:3-4
5:3 そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、
5:4 忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。


口語訳 ロマ 5:3-4
5:3 それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、
5:4 忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。


●人から攻撃や「あらぬ疑いをかけられる」というのは人生の苦難のうちでも大きなことである。そういう時はどうしたらよいのか、聖書からその対処の仕方を学ぼう●まずある人が自分を罪に定めようと攻撃してしてくるとき、その大部分は「妬み」からなのである。だから自分の心の中に「この世の人」から妬まれ、嫉妬され、うらやましがられるようなことを人生目標にしてはいないのかどうか反省すべきである。「自分にも悪いところがあったのではないかと反省すべきである」●私の場合は「あの人が嫌いなばかりに」「徹底的にコキおろしたことがある」。反省。それが恨みや憎しみを買っているのだ●イエスは民衆に人気が出てきたので職業宗教家たちから嫉妬され妬まれて殺されたのが歴史の真相である。汚いものとてこの「妬みや嫉妬ほどのものはない。●「嫉妬」は2文字とも女偏からできているから女性に特有のものかと思うが、これが男性にあると激しい争い、醜い争いになる。●宗教家の嫉妬や妬みは奥が深く激しいものとされている。なぜか。宗教家はある意味で「人気商売」だからである。すぐれた人に多くの人がなびくとき、凡人の罪人たる宗教家は「妬み」を起こすものだ。教会間の憎しみ、伝道者間の嫉妬、教派間の妬みはみな同じ。


 塚本訳 ヨハ 11:47-48
11:47 そこで大祭司連とパリサイ人は最高法院を召集して言った、「どうすればよいだろう、あの男はたくさん徴[奇蹟]をしているのだが。
11:48 もしこのまま放っておけば、皆があれを信じ(て王に祭り上げ)るであろう。すると騒動が起り、ローマ人が来て、われわれから(エルサレムの)都も国民も、取ってしまうにちがいない。」


塚本訳 ヨハ 12:10-11
12:10 そこで大祭司連はラザロをも殺す決意をした。
12:11 彼のことで多くのユダヤ人がだんだん離れていって、イエスを信じたからである


塚本訳 ヨハ 12:19
12:19 そこでパリサイ人が互に言った、「見ろ、何もかもだめだ。世界中があんなに、あの男のあとについて行ってしまった。」


●人から妬まれると「あらぬ嫌疑をかけられたり荒さがしをされる」ことが人の世の常である。失敗を望まれる。イエスは十字架にかけられた時、詩篇22編が口から溢れ出た。


新共同 詩  22:12-17
22:12 わたしを遠く離れないでください/苦難が近づき、助けてくれる者はいないのです。
22:13 雄牛が群がってわたしを囲み/バシャンの猛牛がわたしに迫る。
22:14 餌食を前にした獅子のようにうなり/牙をむいてわたしに襲いかかる者がいる。
22:15 わたしは水となって注ぎ出され/骨はことごとくはずれ/心は胸の中で蝋のように溶ける。
22:16 口は渇いて素焼きのかけらとなり/舌は上顎にはり付く。あなたはわたしを塵と死の中に打ち捨てられる。
22:17 犬どもがわたしを取り囲み/さいなむ者が群がってわたしを囲み/獅子のようにわたしの手足を砕く。


●人間が嫉妬に駆られるとその人間の顔は「牙をむいてわたしに襲いかかる者」というようになる。周囲に「根拠薄弱な悪口」を言いふらす。あの人がそうだ。あーかわいそうに神に罰される。根拠薄弱の邪推をしたからである。退任すべきである。人間ならば恥じて逃げ出すべきである。


塚本訳 マタ 5:11
5:11 わたしゆえに罵られたり、迫害されたり、あらん限りの根も葉もない悪口を言われたりする時、あなた達は幸いである。


●こういう人生の苦難に出会ったときはどうすればよいか。なまじ我慢していては体に良くない。復讐、復讐、反撃である。黙ってはいない方がよい。しかしその復讐は神と協力すべきである。その方が徹底的に復讐できるからだ。●自分だけの復讐なら、大したことはない。口で言い返すことぐらいである。あるいは相手の不幸や失脚を心に念ずることぐらいである。それでは不徹底である。もっと大打撃を相手に仕返ししなければならない。だから自分でやってはならない。神に報復を任せるべきである。そのほうが徹底的に相手を打てるのだ。義は貫徹しなければならない。このことを聖書は次のように言う。


口語訳 出  14:14
14:14 主があなたがたのために戦われるから、あなたがたは黙していなさい」。


新共同 ロマ 12:19
12:19 愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。


口語訳 詩  94:1
94:1 あだを報いられる神、主よ、あだを報いられる神よ、光を放ってください。


口語訳 レビ 19:17-18
19:17 あなたは心に兄弟を憎んではならない。あなたの隣人をねんごろにいさめて、彼のゆえに罪を身に負ってはならない。
19:18 あなたはあだを返してはならない。あなたの民の人々に恨みをいだいてはならない。あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない。わたしは主である。


●神が悪に徹底的に報復、復讐することは恐ろしいほどである。幸福論のカール・ヒルティは「この世には『倫理的世界秩序』というものが厳然とあり、悪はかならず徹底的に消滅するか滅ぼされるのだ」と、固くこれを信じ抜くことが大切と言っている。


新共同 イザ 10:33
10:33 見よ、万軍の主なる神は/斧をもって、枝を切り落とされる。そびえ立つ木も切り倒され、高い木も倒される


●悪人が自分の悪に気がついた時の現象。人間だから恥じてコソコソと逃げ出す。●私は最近、神の復讐、神が膿を出すことに働かれたということを如実に体験して神が生きて働いてくださることを体験して、ますます信仰が固められた。


口語訳 詩  1:4-5
1:4 悪しき者はそうでない、風の吹き去るもみがらのようだ
1:5 それゆえ、悪しき者はさばきに耐えない。罪びとは正しい者のつどいに立つことができない。


塚本訳 ロマ 12:20
12:20 むしろ、『あなたの敵が飢えているなら、食べさせてやれ。渇いているなら、飲ませてやれ。こうするのはその頭に炭火を積むことであるから、(いつかは恥じて悔改める。)』


●ではこういうときはどのような態度をとるべきか。いい気味だ。ザマーミロと思うべきだろうか。マテマテ、そう思ってはいけない。次のような祈りをするべきだ。


「神様!。あの人にも良いところはあります。あまりひどくはなさらないでください。あの人は私に親切をしてくれたことがあります。私と仲が悪くなったのは私の方にも悪いところがあったのです。火のないところには煙も立たないのです。私の罪を許してください」


塚本訳  マタ 6:11-15
6:11 その日の食べ物をきょうも、わたしたちに戴かせてください。
6:12 罪を赦してください、わたしたちも罪を犯した人を赦しましたから。
6:13 わたしたちを試みにあわせないで、悪から守ってください。
6:14 (祈る前に、まず人の罪を許さねばならない。)あなた達が人の過ちを赦してやれば、天の父上もあなた達を赦してくださるが、
6:15 人を赦さないならば、父上もあなた達の過ちを赦してくださらないであろう


新改訳 エペ 4:32
4:32 お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい


●朝風呂で日経「私の履歴書」、俳人の森澄雄。文章の間に俳句があるが、それは私のブログのところどころに写真を載せるのと同じ心境だと感じる。一方は五七五の文字で、私は写真で。だから写真の説明文は短く、俳句のようであったほうが良いのかもしれない。●図書館、東急、ムラウチホビー●昼食後の休みに音楽DVD「ヨハンシュトラウスⅡ世」を妻と鑑賞。ウィーンが沢山でてきたので面白かった●明日の家庭礼拝の準備●妻は、夜、ヘンデルのメサイアの練習。今日は最初の合唱「こうして神の栄光はあらわれ」だそうだ。英語の発音が難しいという。


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 夏雲大好き。入道雲大好き。7年前、脳内出血が癒えて聖路加国際病院から退院するとき見たのは入道雲。そのとき思った。「あぁ生きていられるというのはこんなにうれしくありがたいことなのか」。あれから7年。


●国際陸上(大阪)を見る。はじめからリードして予選通過は間違いないと思う選手は途中から急にスピードを落として「流して」走るのはよくない。パウロは次のように言うでははないか。


新改訳 ピリ 3:12-14
3:12 私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕えようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕えてくださったのです。
3:13 兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、
3:14 キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです


 


 


 

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この世的なるもの ++++++++ 所感

2007/08/24 07:28

070824(金)4時起床●朝のひらめき「私の国はこの世のものではない」●朝風呂で日経「私の履歴書」、俳人の森澄雄。面白くない。なぜだろう。「暇な遊び人」だからか。●信者の生き方は「この世的なるもの」であってはならない。


塚本訳  ヨハ 18:36
18:36 イエスが答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであったら、わたしの手下の者たちが、わたしをユダヤ人に渡すまいとして戦ったはずである。しかし実際のところ、わたしの国はこの世のものではない。」


新共同 ヨハ 18:36
18:36 イエスはお答えになった。「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない。」


●これの解明のためにTSK日本語ヴァージンを使う。


John 8:15:
あなたがたは肉によって人をさばくが、わたしはだれもさばかない。


Luke 12:14:
彼に言われた、「人よ、だれがわたしをあなたがたの裁判人または分配人に立てたのか」。


Luke 17:20:
神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。


Luke 17:21:
また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。


Romans 14:17:
神の国は飲食ではなく、義と、平和と、聖霊における喜びとである。


Colossians 1:12:
光のうちにある聖徒たちの特権にあずかるに足る者とならせて下さった父なる神に、感謝することである。


●これで心一杯、胸一杯。アーソウカと思う。信者がこの世の人とこの世のことで競ってはならない。金、美、教養、雑学、学力、旅行、遊び、ダンス、マージャン、ゴルフ、趣味、遊び、見栄、政治的平和、聖書知識、健康、福祉、有名校、有名企業、美人、イケメン、集客力(集会の人数)、個人雑誌の購読者数、これらはすべて「この世的なるもの」●ストイックな人間とは付き合いたくないという人は「この世的人間」。●物事を隠したり、嘘をつく「癖」のある人間は「この世的なるもの」。なぜか。神という絶対者が心にないから、保身術のために嘘をつくのである。悲しいかな「嘘」による保身術はいつかはバレて身を滅ぼすのだ。


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早朝散歩で、朝日のもとに鳥が群れて舞っているのをみた。写真中央、太陽の左上。讃美歌32番を口ずさむ。「光に歩めよ」


●午後は休み。13:00TK氏と平河工業社に行く。一流の会社は仕事ぶり、応対ぶりもしっかりしている●帰途、15:00連合設計社市谷建築事務所から独立してコアシステムという設計事務所を設立した猪野豊、桜井明氏を訪問。設立時の代表者、鈴木忠昭君のことなどを話し合った。とにかく独立経営は厳しい●17:00東急ハンズで「孫」の土産。これがまた難しいのだ。孫は年とともに興味の対象が違ってくるのだ。●夫の悪さは夫人が原因。夫人の悪さは夫が原因のことがある。夫婦は一体である。あの人らしくない発言だと感じるときはその背後に伴侶の影がちらつく●家庭内の金の使い方で夫婦喧嘩が起る。男性の変節の背後に悪い夫人の影がある。女性の行動の変節の背後に夫の影がある。夫婦は頸木(くびき)につながれたものとはよく言ったものである。


塚本訳  マタ 19:5-6
19:5 また、『それゆえに人は父と母とをすてて妻に結びつき、二人は一体となる』と言われたことを、あなた達は読んだことがないのか。
19:6 従って、もはや二人ではない、一体である。だから夫婦は(皆)神が一つの軛におつなぎになったものである。(どんな理由があっても)人間がこれを引き離してはならない。」


 





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周恩来は偉い人だ。 ++++++++ 所感

2007/08/23 07:25

070823(木)3時目覚め4時半起床●朝風呂で日経「私の履歴書」、俳人の森澄雄。この人の履歴書はなぜか心に訴えない。なぜか。「遊び人生」だからではないのか●過日、中国の周恩来首相の偉さについて示唆されたので、解説書を調べてみたらなるほどすごい人物だ。中国人民の多くが日本人に恨みを持っているのに「過去の戦争は一部日本軍部の仕業であり日本人民も被害者だ」と言って中国人をなだめ、同時に日本を赦している。こういう人物を大人(タイジン)という。周恩来の「赦し」の心はどこから来るか。その解説書には聖書のマタイ6章12-13節が引かれてあった。


出典、知的社会研究所(代表内山敬康・・ひろやす)。「中国のひとたちは日本人への恨みをどのようにして乗りこえたか」・・・7)http://home.hiroshima-u.ac.jp/utiyama/ISIS-12.3.W.html


文語訳 マタ 6:12-13
6:12 我らに負債ある者を我らの免したる如く、我らの負債をも免し給へ。
6:13 我らを嘗試に遇はせず、惡より救ひ出したまへ」


塚本訳 マタ 6:12-13
6:12 罪を赦してください、わたしたちも罪を犯した人を赦しましたから。
6:13 わたしたちを試みにあわせないで、悪から守ってください。


●その解説書では「周恩来が日本を赦したことをあまり吹聴しないのはなぜか」とその理由を探るのにまた聖書を引用している。この解説者の内山敬康(ひろやす)は水準が高い。目がある。神抜きのヒューマニズムでは真の国際平和は来ない。


文語訳  マタ 6:3
6:3 汝は施濟をなすとき、右の手のなすことを左の手に知らすな。


塚本訳 2 マタ 6:3
6:3 あなたは施しをするときに、右の手のすることを左に悟られてはならない。



●日本の政治家にも周恩来のような大人物が出なければならない。●マテマテ、この私も日常生活で「復讐してやろう」と思うことがしばしばある。しかしそれではいけないのだ。自分が神に赦されたのだからあのイヤな奴のことも赦さなければならないのだ。それが「道」だ。●信者同士の争いで、この世の裁判に訴えようとする心の持ち主は大人(タイジン)でなく小人(ショウジン)。そういう人物は先が望めないから、さっさと叩きだせ!!


塚本訳 Ⅰコリ6:5-11
6:5 あなた達を辱めるために言うのだ。そんなに、あなた達の間には、兄弟と兄弟との間を調停することの出来る分別のある人が、たった一人もないのか。
6:6 それどころか、兄弟が兄弟を訴え、しかも不信者の(裁判席の)前に持ち出すのか。
6:7 その上、そもそも(信仰の兄弟でありながら)、互に裁判沙汰にすることが、すでにあなた達の失敗である。なぜむしろ不正をさせないのか。なぜむしろ奪い取られないのか。
6:8 あなた達は自分の方でかえって不正をし、奪い取っている、しかも兄弟たちに対して。
6:9 それとも、不正な人たちは神の国を相続しないことを、あなた達は知らないのか。思い違いをするな。不品行な者も、偶像礼拝者も、姦淫する者も、男娼も、男色をする者も、
6:10 泥坊も、貪欲な者も、大酒飲み、罵る者、掠奪者も、神の国を相続することはない。
6:11 そして(かっては)あなた達も幾人かは、こうした者であった。しかしもはや(洗礼を受けて汚れを)洗っていただいたのであり、聖別されたのであり、義とされたのである、主キリストの名によって、またわたし達の神の霊によって。




 ●電動自転車のアシスト機能が故障。購入した店(秋多輪業)で調べてもらったらヒューズが切れていたので1Aを10Aに変更(それきりなかった)して直る。●美声で感心していたソプラノ土居裕子のコンサートに行く。南青山マンダラ。前列至近距離の席。耳をつんざくほどの声量に驚く。ドボルザーク交響曲第9番「新世界」から第2楽章、コールアングレ(家路)などを熱唱。この人の声の質は森山良子よりもよっぽどさわやか。額の青筋と首の血管がよく見えた。この人の美声は以前から天の賜だと感心し、うらやましくさえ思っていた。


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 演奏会終了後入り口で、土居裕子さん(ソプラノ)と。私「あなたの美声は天からの賜です。私はキリスト教徒ですが、今度は讃美歌を歌ってください」。


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 奥多摩連山のきれいな夕焼け。神はすべてをなさってくださることを思い感謝の念をもった。神が実在して苦境を助けてくださることは、体験を通して認識できる。


 


 


 


 


 




 

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うるわしの白百合 ++++++++ 所感

2007/08/22 07:20

070822(水)5時起床●朝風呂で日経「私の履歴書」、俳人の森澄雄。どうもこういう世界は好きになれない。私が内村鑑三の影響のもとに生きているせいか。幅広く物を見よと言われても無理。何事も雑居性はよくない。


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夜中に起きたら「月下美人」が咲いていた。午前0時36分。この花は一年に一晩だけ咲く。人間の出会いと同じようだ。一期一会。人間の付き合いというのは夫婦も子供も職場の同僚も信者の付き合いも、これみな瞬間の出会い。月下美人との出会いと同じだ。だから人のちょっとした美しいところを覚えていてそこを念頭に置いて付き合うのが人との付き合いのコツのようだ。いやな奴だなーと思ったら「あいつにはいいところ『も』ある」と心に念じるべきなのだ。自戒。詩篇90篇を思う。


新共同 詩  90:4-6
90:4 千年といえども御目には/昨日が今日へと移る夜の一時にすぎません。
90:5 あなたは眠りの中に人を漂わせ/朝が来れば、人は草のように移ろいます。
90:6 朝が来れば花を咲かせ、やがて移ろい/夕べにはしおれ、枯れて行きます。


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早朝散歩。うるわしの白百合。イエスの復活の使徒伝承は教会(集会・個人)によってなされる。地上の人間によってなされる。それはうるわしい花なのだ。讃美歌496番を歌いながら歩いた。


讃美歌496番 


1. うるわし の しらゆり ささやきぬ むかし を


   イエス きみ の はか より いで まし し むかし を.


 


(Refrain)


   うるわし の しらゆり ささやきぬ むかし を,


   ゆり の はな, ゆり の はな, ささやきぬ むかし を.


 


2. はる に あう はな ゆり ゆめじ より めさめて,


   かぎり なき いのち に さき いずる すがた よ.


 


3. ふゆがれ の さま より ゆり しろき はなの に,


   いとしご を みかみ は さまし たもう いま なお.


●池谷医院。市民検診の結果尿酸値が高い。減量と散歩を勧められた。妻が心配●散髪。図書館●13:00高校野球の決勝を見る。8回裏で満塁逆転ホームラン。野球は最後までわからない。人間の救いというものも臨終の時までわからない。イエスと一緒に十字架に付けられた強盗は臨終の土壇場で悔い改めた。その結果人類で一番先に救われた。


塚本訳  ルカ 23:42-43
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる。」


●死後になって評価されるのは偉大な音楽家に共通のことだ。バッハ、モーツァルト。あまりに優れている人は同時代人からは受け入れられない。イエス、パウロ。なぜか。同時代人というのは「この世」の権化だから。●音楽DVD「スメタナとドヴォルザーク」を妻と鑑賞。あぁスメタナも50歳で耳が聞こえなくなった。あの「わが祖国から」は耳の聞こえなくなってからの55歳の作品。演奏会のときはその音楽も拍手も聞こえなかったという。あぁ悲しい。気の毒。「わが祖国から」の第2曲目がなんとあの名曲モルダウだ。



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 この猛暑にも耐えて美しく咲く百日紅(さるすべり)。




 


 


 

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ザマーミロ ++++++++ 所感

2007/08/21 07:01

070821(火)4時半起床●朝風呂で日経「私の履歴書」、俳人の森澄雄。父の死を通して宗教書を紐解く。聖書が出てこないのはなぜか。本人は真剣な生活かもしれないが、はたからみればツマラナイ人生。なぜか。詩歌では真の救いはないからだ。自己満足に過ぎないから。マテマテ「信仰」というのも「自己満足の慰め」であってはならないのだ。信仰というのは本当の苦悩からの救いに「出番」があるのだ。その苦脳とは「死の不安や恐怖ではない」。罪の自覚の懊悩である。これ癌による肉体の苦しみよりも大きい。ツマラナイ履歴書も反面教師となる。●某氏の公開ブログに私の公開ブログ日記を見られた感想が出ていた。へー、私のことをそういう風に見てくれているのかと感心した。ためになった。だから情報は公開した方が得。世の中には情報を隠すことが「癖」の人がいる。これは周囲の人間に嫌われるから本人のためにもならない。「人がつかない」から勤務先のためにもならない。情報を隠す「癖」がある人間はプロジェクトのメンバーとしてふさわしくない。なぜか。「隠す」ことによって良い情報が逆に入ってこないのでプロジェクトの水準が低級になるから。●情報を公開せよというのは、何でもかんでもペラペラしゃべれ、秘密をリークせよ、というのではない。このj情報は隠すことが親切か公開することが親切か、いずれにしても己の利を求めない人にその正しい判断ができる。要は情報を握る人間の人物、人格、如何である。●ゲーテは「それ大いなるものは人格なり」と言った。●中国の周恩来は大人(タイジン)であった。偉大な人格であった。周恩来の言葉(うろ覚え)「井戸水を飲むときはその井戸を掘った人のことを思うべきである」●「あの人は自分に迷惑をかけるいやな奴だなー」と感じている人の人生がうまくいかなくなって不幸になった時はどうするか。「天罰だ」「いい気味だ」「さもあらん」「ザマーミロ」と思うのが人間としての自然な感情。しかしクリスチャンはそうであってはならない。その不幸失敗を通して「救われますように」と祈るべきなのだ。しかしできないんだなーこれが。私の努力目標。救われた者の道徳。


●昨夜の発信メール。公的なことなので公開する。人物を特定できないように若干改変。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


○○様



まずはお子様のご誕生おめでとうございます。


また拙文の読後感をかくも詳しくありがとうございました。


目に見えぬ信仰とその結果の見える形。見える形があって人間は初めて「理性の安息」が得られます。


無教会は霊の方面を強調するあまり、見えることへの遠慮、恐怖、躊躇がるのではないでしょうか。


岩下壮一神父はかって「無教会が真理ならばキリストが肉体をとってこの世に下らなくてもよかった」と鋭く批判しました。


聞こえぬ霊界のことが音楽になり、見えぬ心の一致が見える建築となり、救いの神秘性が見える言葉としての典礼になる。無教会はこのことをもう一度とらえ直す必要があるのではないでしょうか。


若い者が無教会離れになるのは「理性の安息」が得られないからではないでしょうか。


・・・という難しい議論をしているより、乳飲み子の顔を見ている方がよっぽど神の栄光が現れていることを学びますね。


 


塚本訳 マタ 21:16


21:16 イエスに言った、「あの子供たちがなんと言っているのか、聞えているのか。」イエスは言われた、「聞えている。あなた達は『(神よ、)あなたは幼児と乳飲み子との口によって、(御自分のために)賛美をお備えになった』と詩篇にあるのを、まだ読んだことがないのか。(大人が黙っているから、子供が叫ぶのだ。)」


 


ありがとうございました。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・







●今朝の発信メール。内容は公的なことなので公開する。人物が特定できないように若干変更


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



○○様



(前部分省略)



私が建設会社の積算部にいた頃の打率(見積もったもののうち契約にいたるもの)は当時の巨人軍長嶋選手の打率と同じ3割3分程度でした。そのとき私は思いました。まてよ、すると私の今後の人生は6割7分(10割-3割3分)が無駄になるのか。空振り人生か、と空しい気持ちになりました。そこでたまらなくなり、早く「建築積算」の世界から足を洗いたいと思ったのです。しかし今にして思えば、その6割7分の空振りが役に立ったのではないかと思っています。その後私は「積算」の苦労から多くの人を解放しようと思って本を10冊執筆したのです。そのうちの2冊は技術書としては異例の20年間のロングセラー。今でもベストセラーの上位を占めています。一時は2冊合わせてトップにもなりました。空振りは空振りで終わりません。人生は空振りから学ぶものです。失敗から学ぶものです。私の中学の恩師(故人)は卒業の時「不利亦利用」と書いてくれました。「人生のハンディ亦利用」です。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・







●もう一人への発信メール。これも内容は公的なものなので公開する。人物が特定できないように若干改変。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・○○ 様


 


そのうち次第に経済的にも恵まれるでしょう。神は真面目な者を捨てません。


 


口語訳 詩  37:25


37:25 わたしは、むかし年若かった時も、年老いた今も、正しい人が捨てられ、あるいはその子孫が/食物を請いあるくのを見たことがない。


 


この句は、私の人生の師、藤林益三先生が特に好まれた句です。先生は幼少の頃に父親に死に別れ、母親に手を引かれ、長らく親戚の醤油屋の倉庫の二階に寝泊まりする若き日を過ごされました。そこで先生は冬の寒い日に醤油の自転車配達をされました。ある日、雪の中に転んで自転車が壊れ、パイプが足に刺さり、その傷が晩年になるまでありました。けれども「正しく」生きられたので、神は先生を高く引き上げ、最高裁判所長官にまでされました。私はそのとき先生のお住まいを建てることができたので光栄でした。あなたのお子様方の上にもこれからどんな「試練」が待ち構えているかわかりませんが、「正しく真面目に」生きれば神は見捨てたまわないことを固く信じます。


「信仰の遺産」という言葉があります。信者が子孫に残せるものはこれです。しかしこれが最高で、これ以外であってはならないと思います。お身体のご回復を切に祈ります。


 



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




●さらにもう一人へ発信メール。公的問題。一部省略


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 


○○様


(前文省略)


あるとき矢内原先生の集会に韓国の方が聴講に来られた時のこと。先生は壇上から次のように述べたそうです。「まず自分の罪を神に赦してもらいなさい。そしてそのうえで日本を赦しなさい」と。


(側聞。出典不明)ここに日韓問題の福音による根本解決の道があることを私は見ました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




●昨日郵送した手紙。内容は公的なことなので人物を特定できないように一部省略追加して公開する。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


○○様 



「神が」内村を起用した。「神が」塚本を起用した。と私も思うのであります。


このことは年来の私の考えでもあります。


証拠ではありませんが、資料を二つ同封させていただきます。


   塚本先生25周年記念講演会のときの私の話(赤線)


   今年の塚本虎二先生記念会のチラシの文言。(赤線)


 


この点において○○様と考え方を一致させていただきましたことを感謝します。「神が」という視点を欠落させますとキリスト教はヒューマニズムに堕落すると私は考えます。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




●音楽DVD「ハイドン物語」を鑑賞。ハイドンはその生前に世界中の人から尊敬され、音楽の父とも呼ばれた。この点モーツアルト等多くの音楽家とは違って幸福であった。ただし一つだけ不幸なことがあった。28歳の時に結婚した夫人(マリア・アンナ)が音楽に全く関心がなくまた嫉妬深く、みじめな結婚生活であった。お金もあり名声も得ていても肝心の妻に自分の仕事を理解してもらえなかったのは淋しかっただろうなーと思った。良い子供は夫婦仲がよいことと貧乏であることが条件であるということを学んだことがある。そうかもしれない。●子供が悪く育つのはお金があって夫婦仲が悪いこと。最近のニュースで医者の家に身内殺しが複数あった。●市民プールで泳ぐ●津上さんと電話交信。むずかしい問題が一件落着して感謝。神は見ていて苦しむものを楽にしてくださる。●讃美歌90番3節は真理だ。


「よこしま暫しは ときを得とも、主のみむねの ややになりて、あめつち遂には 一つとならん」




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 市民プールで泳いだ帰り。お地蔵さんがあったが、西羊人形とクリスマスツリーもあった。日本人の心の中を象徴しているようであった。結婚式は神道、商売はクリスマスセールでキリスト教、そして葬式は仏教。これではすべての神様からそっぽを向かれる。受験の時に「単願制度」というのがあるが、神様にも「単願」しないとこちらを向いてくれない。




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 あきる野の畑の中に鶏頭が咲いていた。見事な赤だなー。色彩は「うるおい」だなー。建築でもポイントに朱色を配することがある。ただし建築のカラーコンディショニングは素人がやってはいけない。某高校の外壁のタイルの色は生徒から募集して決定したために大失敗。色彩などは本人の好みだから何でもいいじゃないかという思想が日本人の思想の雑居性につながっている。プロフェッショナルということを尊重してない。「文化」というものがない。






 


 


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「感謝」という心 ++++++++ 所感

2007/08/20 07:27

070820(月)5時起床●朝風呂で日経、5面「アダムスミスをもう一度」。「見えざる手」について考察しているが信仰なき人間の論調は浅い。11面「感性検索販売広がる」。言語の検索ではない検索方法。聖書の検索方法にも応用できそう●私の開発したBbBは意味の同じである聖書の箇所の検索に威力を発揮する。●図書の検索方法にシソーラスというのがあり、キーワードからではなく意味から検索する●対人関係では言葉を聞かなくても相手の心を読むことが必要。私は商売柄、相手と少し会っただけで「どんな程度の家を希望しているか」がわかる。目つき顔つきでわかる●「感謝」という言葉は人間として最も尊い。感謝=ありがとう=お礼申し上げます=ごめんね=赦してください=幸せにね=かたじけない=もったいない・・・これ意味が類似している。●しかし心が豊かでないとこの言葉は発せられない。道徳や躾で「こう言いなさい」といっても無理。「ない袖は振れない」●子供にはこの感謝の言葉が発せられるように育てることが最高の目標。家庭教育の目的。それにはどうするか。親の背中を見せて育てなければならない●「感謝」という言葉を発しない人間はその親のどちらかに「感謝」の言葉がない。蛙の子は蛙。子は親を真似る。「感謝」という言葉を発しない親、まともな礼状というものを書いたことがない親からはそれと同じような子供が育つ。おそろしいことだ。●「感謝」という言葉をJバイブルで調べてわかったこと。詩篇に多い。それからパウロの「感謝は」「神に対する感謝」ということだということ。これは大いなる発見であった。神が見えなくなるときクリスチャンは「人間」や「教会」に感謝するだけになる。●某氏に手紙を書く。「神が内村鑑三を起用し、神が塚本虎二を起用したという観点は貴殿と一致したことを感謝します。」●神が見えなくなって人間だけが見えるとき「思想的争い」が起こる。教派争いになる。

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真の国際平和 ++++++++ 所感

2007/08/19 20:13

070819(日)5時起床●NHKTV「こころの時代」大田愛人牧師。ピリピ書●10:00妻と二人で家庭礼拝。「世の力と神の力」と題してブログ8月16日に記したようなことを手品を交えて話した。1●14:00今井館で「歴史に学ぶ会」二木ふみ子、森山浩二氏の講演。司会は田村光三氏。真の国際平和はキリストの血で贖われたものどうしによって成立すると感じた。パウロが次のように言う通りである。


塚本訳  ガラ 3:28
3:28 (神の子には、)もはやユダヤ人もなければ異教人もなく、奴隷もなければ自由人もなく、男もなければ女もない。あなた達はみなキリスト・イエスによって一つであるからである。


●討議の時間に、キリストにある真の国際平和を樹立するためには日本が内村鑑三、韓国が金教臣を持ち出してはいけないと発言した。●するとわたしの発言を意識して、「神が」内村を使って日本に語りかけたと見るべきだという人が現れたので、同感と思った。●高橋集会の熊川忠氏と隣り合わせであった。

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恵みの雨 ++++++++ 所感

2007/08/18 07:15

070818(土)4時半起床。昨夜は雨で猛暑も一段落。楽になった。早朝散歩。涼しくて気持ちがよい。恵みの雨ということを考える。


新共同 詩  84:6-7
84:6 いかに幸いなことでしょう/あなたによって勇気を出し/心に広い道を見ている人は。
84:7 嘆きの谷を通るときも、そこを泉とするでしょう。雨も降り、祝福で覆ってくれるでしょう。


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早朝散歩。涼しい朝、一番電車が来る前の五日市線。5時。


●朝風呂で日経「私の履歴書」、俳人の森澄雄。●神学は「詩歌」と同じ。神学は慰めにはなるが救いには至らない。●臨終で瀕死の人の前で「一句」は詠めない。同じく神学は説けない。同じく聖書の言葉を投げかけられない。それらはすべて自己満足。相手のためにならない●食べるのに一生懸命で忙しい人に「暇な遊び人」が近づいて神学や詩歌の必要は説けない●今日は涼しくて楽。聖書に涼しいという言葉はあるか。


口語訳 創  3:8-9
3:8 彼らは、日の涼しい風の吹くころ、園の中に主なる神の歩まれる音を聞いた。そこで、人とその妻とは主なる神の顔を避けて、園の木の間に身を隠した。
3:9 主なる神は人に呼びかけて言われた、「あなたはどこにいるのか」。


●老いを感じるこの頃、聖書で「老」を検索する。


詩    37: 25 [口語


わたしは、むかし年若かった時も、年老いた今も、正しい人が捨てられ、あるいはその子孫が/食物を請いあるくのを見たことがない。


詩    71: 9 [口語


わたしが年老いた時、わたしを見離さないでください。わたしが力衰えた時、わたしを見捨てないでください。


詩    71: 18 [口語


神よ、わたしが年老いて、しらがとなるとも、あなたの力をきたらんとするすべての代に/宣べ伝えるまで、わたしを見捨てないでください。


●何と「老」は旧約にはあるが、新約にはない。!!。キリストを信ずる者は「老」がないのかもしれない。


●ラフマニノフ、パガニーニの主題による狂詩曲の第18変装を3人のピアニストで聞く。アシュケナージが一番良い。情感がこもっている。●13:30日の出が丘病院で「日の出会」。4月に夫人を亡くされた高橋氏が初めて出席。皆で慰めた。癌は家族病。WHOが家族ケアを推進しようとしているのは正解。●DVDで「世界遺産オーストリア編」を見る。モーツアルトは35歳でウィーンで死す。その音楽は死後に評価された。あぁモーツァルトも悲し。●夜、妻はドボルザークのスターバトマーテルの練習●物置にあった子供たちの本を思い切って整理。子供はいつまでも親元にはいない。ただし名作は孫のために残した。


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大切なものほど見えない ++++++++ 所感

2007/08/17 10:12

070817(金)4時半起床。早朝散歩でよい発想。写真撮影


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早朝散歩で讃美歌90番を歌う。


1. ここ も かみ の みくに なれば,


   あめ つち, みうた を うたい かわし,


   いわ に, きぎ に, そら に, うみ に,


   たえなる みわざ ぞ, あらわれたる.


 


2. ここ も かみ の みくに なれば,


   とり の ね, はな の か, しゅ を ば たたえ,


   あさひ, ゆうひ, はえ に はえて,


   そよ ふく かぜ さえ かみ を かたる.


 


3. ここ も かみ の みくに なれば,


   よこしま しばし は とき を う とも,


   しゅ の みむね の やや に なりて,


   あめ つち つい に は ひとつ と ならん.


●一昨日15日、聖路加の上田憲明チャプレンとの懇親懇談のときに教えられた言葉。「大切なものほど目に見えない。・・サン・デグジュペリ」について思いを巡らす。建築というのは心の一致。それが形になる。教会の典礼は救いの真理を目に見える形にしたもの。三位一体の教理は救いの真理を概念にしたもの。だから目に見えるものにあずからなくても、言わなくても救いは実在する。●三位一体の真理を信仰告白信条にもとづき言葉で表さなくても救いは実在する。真理の把握は実在する●救いの表現は様々、複雑系。あるいは社会派、あるいは福音派、あるいは教会派、あるいは無教会派、あるいは神学派、あすいは音楽派。・・・・これらはすべて「実」。そして一番大切なものは見えない。●朝風呂で日経「私の履歴書」、俳人の森澄雄。なぜこの人の履歴書は心を打たないのか。自己の苦難を「歌」でいなしているからではないのか。マテマテ。私も自己の苦難を聖書の言葉に逃げ込んだりいなしているのではないのか●フジ子ヘミング+ユーリ・シモノフ指揮モスクワフィルでチャイコフスキーピアノ協奏曲第一番を鑑賞。この人の演奏は人生の「心」がある.●音楽DVD「ワーグナー」(解説池辺晋一郎)を鑑賞。生まれたその年に父親が死ぬ。翌年母親は再婚。あー。長じて革命軍の首謀者の一人になり亡命生活。そのとき最初の妻は逃げて行く。ルードヴィッヒⅡ世の庇護のもとに楽劇という新しい分野を開くも、そのルードヴィッヒⅡ世も死ぬ。音楽家というのはどうしてこうも恵まれないのだろうか。●2年前に訪れたライプチッヒが出てきたので懐かしかった●市民プールで泳ぐ●足立守男氏(元竹中工務店見積部長、積算協会理事関東支部長)逝去の知らせ。76歳、典型的な竹中紳士であった。お世話になったが先約のため通夜葬儀とも失礼する旨を積算協会に連絡。


 


 


 

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神の力に身を任せる ++++++++ 所感

2007/08/16 08:52

070816(木)昨夜は10時就寝、暑くて2時目覚め、あとはウトウトで5時起床。今日は昼寝をしなければならない。●朝風呂で日経「私の履歴書」、俳人の森澄雄。あーまたつまらない。「暇な遊び人」という感じ。●部屋の温度は朝から34度。扇風機の風も生暖かい。●「世の力ではなく神の力に身を任せる」という話の骨子をまとめる。


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世の力ではなく神の力に身を任せる


人間世界での「世の力」。それから逃れられない人間の悩み


①重力・・・・重いものは落ちる。地震災害。体重を軽くしたい。


②金力・・・お金持と結婚したい。政治は金の力、学問も金の力、金の切れ目が縁の切れ目


③魅力・・・美人になりたい。美しい人、かっこいい人に惹かれる。恋愛の悩み


④権力・・・人間は下積みでなく、支配する人になりたい。自由になれるから。だから偉くなりたい。


⑤学力・・・頭がよくなりたい。有名校に入りたい。有名企業に入りたい。出世したい。そしてよい結婚をしたい。


⑥戦力・・・強い国になりたい、隣国に攻め滅ぼされたくない


⑦死力・・・病気になりたくない。死にたくない。死んでも命のありますように。


 


これに対して「神の力」はこの「世の力」から解放する。それは不思議に思えることばかり


①重力からの解放。


イエスならまだしもペテロも水の上を歩けた。


塚本訳  マタ 14:26-32
14:26 弟子たちはイエスが湖の上を歩いておられるのを見ると、幽霊だと思って肝をつぶし、恐ろしさのあまり叫んだ。
14:27 しかしイエスはすぐ彼らに話しかけて言われた、「安心せよ、わたしだ。こわがることはない。」
14:28 ペテロが答えた、「主よ、あなたでしたら、どうかわたしに命令して、水の上を歩いてあなたの所へ行かせてください。」
14:29 「こちらに来なさい」とイエスが言われた。
ペテロは舟から下り、水の上を歩いてイエスの所へ行った。
14:30 しかし(いま一足という所で)強い風を見たため、おじけがつき、沈みかけたので、「主よ、お助けください」と叫んだ。
14:31 イエスはすぐ手をのばし、ペテロをつかまえて言われる、「信仰の小さい人よ!なぜ疑うのか。」
14:32 そして二人が舟に乗ると、風はやんだ。


②金力からの解放


人間は食べられなくなりそうになると悪魔に頭を下げるが、神を信じていれば悪魔に頭を下げなくても生きていける。神は生かして下さる。


塚本訳 マタ 4:1-4
4:1 間もなくイエスは悪魔の誘惑にあうため、御霊につれられて荒野に上られた。
4:2 四十日四十夜断食をされると、ついに空腹を覚えられた。
4:3 すると誘惑する者[悪魔]が進み寄って言った、「神の子なら、(そんなにひもじい思いをせずとも、)そこらの石ころに、パンになれと命令したらどうです。」
4:4 しかし答えられた「『パンがなくとも人は生きられる。(もしなければ、)神はそのお口から出る言葉のひとつびとつで(パンを造って、)人を生かしてくださる』と(聖書に)書いてある。」


③人間の魅力からの自由


男は美人に惹かれ、女は金持ちでカッコイイ男に惹かれる。そして心はその人に囚われて不自由になる。しかし神の子イエスに出会うとその人が色あせて見える。かくして人間の魅力から解放される。イエスは人間の誰よりも美しく心を満たしてくれる。


口語訳 詩  45:2
45:2 あなたは人の子らにまさって麗しく、気品がそのくちびるに注がれている。このゆえに神はとこしえにあなたを祝福された。


口語訳 ヘブ 1:3
1:3 御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の真の姿であって、その力ある言葉をもって万物を保っておられる。そして罪のきよめのわざをなし終えてから、いと高き所にいます大能者の右に、座につかれたのである。


塚本訳ガラ 3:28
3:28 (神の子には、)もはやユダヤ人もなければ異教人もなく、奴隷もなければ自由人もなく、男もなければ女もない。あなた達はみなキリスト・イエスによって一つであるからである


塚本訳 ルカ 20:34-36
20:34 イエスは言われた、「この世の人はめとり嫁ぐけれども、
20:35 あの世にはいる資格を与えられて、死人の中から復活する者は、めとることもなく嫁ぐこともない。
20:36 復活によって生まれる彼らは、天使と同じであり、神の子であるので、もはや死ぬことが出来ない、(従って子を産む必要がない)からである



④権力からの自由


人間は誰でも人の上に立って偉くなりたい。なぜならそこに自由があるから。お金も入るから。ところがキリストによって救われると世界中のものが自分のものになる。


塚本訳 マタ 4:8-10
4:8 悪魔はまたイエスを非常に高い山に連れてゆき、世界中の国々と、栄華とを見せて
4:9 言った、「あれを皆あげよう、もしひれ伏してわたしをおがむなら。」
4:10 そこでイエスは言われる、「引っ込んでいろ、悪魔!(聖書に)『あなたの神なる主をおがめ、』『主に』のみ『奉仕せよ』と書いてあるのだ。」


塚本訳 Ⅰコリ3:22
3:22 パウロでもアポロでもケパでも、世界でも命でも死でも、現在起こっていることでも将来起こることでも、万物はあなた達のものである


⑤学力を得たい


大脳皮質への詰め込みの雑学知識は力がない。権威がない。神による権威が本当の権威。


塚本訳 ヨハ 7:14-16
7:14 祭がすでに半ばになったとき、(すなわち祭の四日目に、)イエスが宮に上って教えておられると、
7:15 ユダヤ人は驚いて言った、「この人は学校に行ったこともないのに、どうして聖書を知っているのだろうか。
7:16 イエスは答えて言われた、「わたしの教えはわたしの教えではない。わたしを遣わされた方の教えである。


塚本訳  マタ 7:28-29
7:28 イエスがこれらの話を終えられた時、一しょに聞いていた群衆はその教えに感心してしまった。
7:29 自分たちの聖書学者のようでなく、権威を持つ者のように教えられたからである


口語訳 箴  1:7
1:7 主を恐れることは知識のはじめである、愚かな者は知恵と教訓を軽んじる。



⑥戦力からの解放


人間は憎しみから自由になれない。十字架によって救われると憎い人を不思議に赦せる。これは奇蹟。戦争の動機は「復讐」。復讐心が消えれば戦争はなくなる。しかし赦せtるか。


塚本訳  ルカ 23:34-35
23:34 するとイエスは言われた、「お父様、あの人たちを赦してやってください、何をしているか知らずにいるのです。」『彼らは籤を引いて、』イエスの『着物を自分たちで分けた。』
23:35 民衆は立って『見物していた。』最高法院の)役人たちは『鼻で笑って』言った、「人を救ったのだ、(今度は)自分を救えばいいのに、神の救世主、(神に)選ばれた者なら!」


塚本訳 ヨハ 14:12-13
14:12 アーメン、アーメン、わたしは言う、わたしを信ずる者は、わたしがするのと同じ業をすることができる。いや、それよりももっと大きな業をすることができる。わたしが父上の所に行って、
14:13 あなた達がわたしの名で願えば、なんでもかなえてあげるからだ。これは父上が子によって栄光をお受けになるためである。


⑦死の力からの解放、復活の希望。


死は誰にでもおとづれるものだが、自分にとってはそれは遠い先のことだと誰もが思っている。ハイデッガー。


死後の有体的復活の希望は聖霊によって胸が熱くなる時に得られる。


塚本訳 ヨハ 20:8-9
20:8 すると先に墓に着いたもう一人の弟子も入ってきて、見て、信じた
20:9 イエスは死人の中から復活されねばならないという聖書の言葉が、(この時まで)まだ彼らにわかっていなかったのである。


塚本訳ルカ 24:32
24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。


塚本訳 使  10:39-40
10:39 ──(使徒たる)わたし達は、イエスがユダヤ人の地、ことにエルサレムでされた一切のことの証人です。──このイエスを人々は『(十字架の)木にかけて』処刑した。
10:40 (しかし)神はこの方を三日目に復活させ、(人の目にも)見えるようにされた。


文語訳Ⅰコリ15:55
15:55 『死よ、なんぢの勝は何處にかある。死よ、なんぢの刺は何處にかある


塚本訳  黙  5:5
5:5 すると(かの)長老の一人が私に言う、「泣くな。視よ、ユダ族の獅子、ダビデの根(である者)が(既に)勝った(から)、彼がその巻き物と七つの封印とを開く(ことが出来る。)」


●神が働かれるとき、それは人間には「不思議だなー」「意外だなー」と感じるものである。


塚本訳 マタ 21:42
21:42 イエスは彼らに言われた、「あなた達は聖書で(この句を)まだ読んだことがないのか。──『大工たちが(役に立たぬと)捨てた石、それが隅の土台石になった。これは主のなされたことで、われわれの目には不思議である。』


塚本訳 マコ 16:17-18
16:17 そして信じた者(の伝道)には、次のような(不思議な)徴が伴うであろう。──わたしの名を使って悪鬼を追い出し、新しい(霊の)言葉を話し、
16:18 蛇をつかむことができ、たとえ毒を飲んでも決して害をうけず、病人に手をのせれば(かならず)癒えるであろう。」


塚本訳  ルカ 5:26
5:26 皆が感動して神を讃美し、恐れに満たされて、「きょうは不思議なことを見た」と言った


塚本訳  ヨハ 3:7
3:7 『あなた達は新しく生まれなおさねばならない』と言ったからとて、すこしも不思議がることはない。


新改訳 出  14:14
14:14 主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」


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●音楽DVDで「ショパン」」(解説池辺晋一郎)を鑑賞。結核による病弱で家庭を持つことができずに31歳の若さで死亡。途中ジョルジュサンドという女性に介護を受けたが、彼女からも捨てられる。あぁショパンは悲し●音楽DVDで「バッハ」(解説池辺晋一郎)を鑑賞。あぁバッハも悲し。9歳で母と10歳で父と死別。兄の世話になるが職場を転々、若くして最初の妻に先立たれ、その間にできた7人の子供のうち3人までが夭折、後妻のバーバラとの間に生まれた13人の子供のうち7人が夭折。仕事は忙しかったが、その作品は同時代人には認められず、今日では人類の至宝であるあの「マタイ受難曲」もなんと死後100年もたってからメンデルスゾーンによって評価されて世に出た。悲しいといってバッハの生涯のごときも少ないのでは●偉大な人物やその作品は決まって同時代人には理解されない。イエス、パウロ、ダンテ、ルター。●これはなぜか。同時代人はその偉大な人物によって自分の地位が危うくなるからである●これは会社や集団や家庭でも同じ。アイツがいると邪魔だ。常にこの俺を攻撃する。と思って自分の地位が危うくなると感じるダメ人間に排斥される。意味もなく、わけもなく。●会議から良いものは生まれないというのも同じこと。独創的なアイデアは役員会では否決される。そして平凡無難な道が選択される。役員会というのはまさに同時代人である。●「有体的復活」などと先の先の絵空事のようなことを説く人間も同時代人からは理解されないのは当然だ。今にわかる今にわかる。死んでからわかる。


 





 



 

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ありがとうと言えない人には ++++++++ 所感

2007/08/15 07:01

070815(水)4時半起床。●目覚めのひらめき。


塚本訳 マタ 21:42
21:42 イエスは彼らに言われた、「あなた達は聖書で(この句を)まだ読んだことがないのか。──『大工たちが(役に立たぬと)捨てた石、それが隅の土台石になった。これは主のなされたことで、われわれの目には不思議である。』


●イエスの復活は神の人間に対する愛の復讐。赦しの証明。人類を救うという復讐。だから人類は畏れなければならないのだ。●戦争という戦争の動機は人間の「復讐心」。「ネバー、パールハーバー」は米国兵士の士気を鼓舞した言葉。●人間の本能から「復讐心」を静めるためには「神の復讐」ということが確実にあるということを固く信ずることである。それは不思議な方法で実現される。


塚本訳 マコ 15:29
15:29 通りかかった人々が『頭をふりながら、』こう言ってイエスを冒涜した、「へへえ、お宮をこわして三日で建てるという人、


●このことを見て、人間は復讐を心に誓う。人間の復讐は人を殺す。しかし神はイエスを復活させて人類に罪の赦しという復讐をした。●人間世界でも赦すことが最大の復讐であり、最大の裁きである。悔しいけれどもなー。


口語訳 詩  1:1
1:1 悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。


●大衆の心理はマスコミの喧伝で動かされる。そして「あざける者」となる。今回民主党が勝利したが、こんなことも信用ならない。民主党が政権をとっても失敗すると今度は自民党が逆転勝利する。信用ならないものとしてマスコミによって動かされる一般大衆である。こういうことは新聞では書けない、。購読部数が減るからである。●イエスはあざけられた」


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早朝散歩。自転車大好きワンちゃん。名前はピョン(12-3歳で老人)。「遅く家に戻っても寝ないで待ってくれているからかわいいんだ」と飼い主は言う。人間が犬を飼う心理はそこにあるということで意見が一致。


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石灰石の採掘で景観がそこなわれたと思っていた山だが、オーストリアのザルツブルグの山にに似ていると思うと、いやでなくなった。日本にだって沢山いいとこあるさ。神は公平だ。美しい自然を賜る。


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朝日に照らされた林。


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朝日に映える我が家の北からの景観。某氏が「(この家は)はきだめに鶴」と評した。


●妻と「ありがとう」と言えない人々の話題になった。●「ありがとう」と言えない人に共通のことは、自分の人生や対人関係で「不満不平」があること。自分の人生は「失敗だ」と思っていること●だから、しつけや教育や批判で「こういうときはお礼を言うべきだ」と言ってもそれは効果があない。「人生の不平不満」という根っこが悪いのだから「いちいちそういう時はお礼を言うべきだ」と注意しても良くはならない。人生の根本が直らなければ無理。●その人が救われて感謝の人になればお礼の言葉は自然に口からあふれ出るものだ。●朝風呂で日経「私の履歴書」、俳人の森澄雄。アーつまらない履歴書よ。「遊び人」の履歴書だ。●音楽DVDでシューベルト。五線譜は友人にもらった。31歳の若さで死ぬ。あの「未完成交響曲」も菩提樹を含む「冬の旅」も生前はその演奏会を聴くことはなかった。未完成にいたっては死後37年目に世に出た。あぁシューベルトも悲し。●11::00聖路加脳神経外科村形先生のところにへ行って先週のMRIの結果を聞く。7年前の脳内出血のあとは黒い空洞のままだが問題ない。白い小さい斑点については以前はこれを脳梗塞の前兆と言っていたが今はそうではないとしている。これで脳梗塞の心配不安から7年ぶりに解放された。血圧132-80.ただしもう少し痩せなさいと注意を受けた。


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聖路加の帰途、猛暑のあきる野台地。里芋の葉もぐったりしている。館林では40.2度。灼熱の太陽は恐ろしい。それは人間にとって禍である。詩篇121篇を思う。


新共同 詩  121:0-8
121:1 【都に上る歌。】目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。
121:2 わたしの助けは来る/天地を造られた主のもとから。
121:3 どうか、主があなたを助けて/足がよろめかないようにし/まどろむことなく見守ってくださるように。
121:4 見よ、イスラエルを見守る方は/まどろむことなく、眠ることもない。
121:5 主はあなたを見守る方/あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。
121:6 昼、太陽はあなたを撃つことがなく/夜、月もあなたを撃つことがない。
121:7 主がすべての災いを遠ざけて/あなたを見守り/あなたの魂を見守ってくださるように。
121:8 あなたの出で立つのも帰るのも/主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。


●暑くてたまらず、家に帰って風呂に飛び込む



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猛暑日の夕方、東の空の雲も焼けたように赤い。暑かったなー。


●NHKのアナウンサーが「暑い、暑い」と言っても涼しいスタジオの中からの言葉。慰めにならない。●人生問題も同じ。自ら不登校の経験をした僧侶。不登校中の少年に「今日は学校にいかないでどこにいたんだ」。少年「土管の中に隠れてた」。僧侶「そりゃー辛かったなー」。少年は突然涙を流した。僧侶が「そりゃー辛かっただろうなー」ではなく「辛かったなー」と言ったことが少年と同じレベルに下ったのだ。少年はこれで僧侶に心を開いた。心が通じた●亡くなった母は娘に「照男は私に向かって説教する」と涙ぐんだという。これなど人に心が通じなかった例。●イエスは「罪人の一人に数えられた」


新共同 イザ 53:12
53:12 それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし/彼は戦利品としておびただしい人を受ける。彼が自らをなげうち、死んで/罪人のひとりに数えられたからだ。多くの人の過ちを担い/背いた者のために執り成しをしたのは/この人であった。


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猛暑美の夕方の西の空。焼けたような雲。森には鳥がたくさん戻ってきて鳴いている。私としても今夜、安らかに眠れるだろうか。


●たまらずクーラーを3時間だけつけて就寝。


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シューマンは悲し ++++++++ 所感

2007/08/14 20:16

070814(火)5時起床●朝風呂で日経「私の履歴書」、俳人の森澄雄。この人の伝記、なぜ面白くないのだろう。心をが打たれないのはなぜだろう。人生苦が情緒に昇華されるからか●音楽DVDでロベルト・シューマンを鑑賞。夫人のクララを熱愛した生涯。二人の結婚に反対したピアノの師でありクララの父を法廷に訴えてでも結婚したしかし精神の病で44歳の時に自殺未遂。クララは懸命に看護するが2年後に死去。クララは子供の養育のためにピアノ演奏で生計を立てる。それをシューマンに認められて世に出たブラームスが生涯応援。あーシューマンは悲し●妻と、作曲家は命短いなーと話し合う。使命が終わるとさっさと死んでいくのか●某氏に手紙を書くも妻に内容が穏当ではないと批評されて送るのをやめる。妻は夫の助け手と言うが、その本領はこういうところにある●物置に母の遺品の円座をようやく探す。固定観念があったのでなかなか見つからなかった。意外な形の箱に入っていた。●人間は固定観念にとらわれているから相手のよい所が見えないのかもしれない。自分の中に「あるべき姿」を固定観念として持っていると争いがおこりやすい。●人を裁くというのは自らの心の幅の狭さを示すもの。その時点で神にその人間の幅を決定される。


塚本訳 マタ 7:1-4
7:1 (人を)裁くな、自分が(神に)裁かれないためである。
7:2 (人を)裁く裁きで、あなた達も裁かれ、(人を)量る量りで、あなた達も量られるからである。
7:3 なぜあなたは、兄弟の目にある塵が見えながら、自分の目に梁があるのに気付かないのか。
7:4 また、どうして兄弟にむかって、『あなたの目の塵を取らせてくれ』と言うのか。そら、自分の目に梁があるではないか。


●大塚節子さんと話。●どんな建物にもその使命というものがあって、使命が終わるとそこを去ったり売却するということもある。


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今朝の窓。太陽の光は人間の罪を清める。「我は世の光なり」とはイエスの言葉。



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早朝散歩の道。朝の散歩は良い発想が浮かぶ。

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歴史から学んでない ++++++++ 所感

2007/08/13 10:53

070813(月)3時半起床。睡眠5時間。一度目覚めるともう寝られない●朝のひらめき。「神の力」ということ。これを感じるかどうかが聖書の不思議を信じられるかどうかの分かれ目。まt三位一体のキリスト教の真理がわかるかどうかの分かれ目。「神の力」を感じない人にはその大脳皮質に向かって何を言っても通じない。わかってもらえない。ここがキリスト教の難しいところ。●恵から電話。妻と私がかわるがわる話す。畑仕事で熱中症にならないように。●勤務先の机に、職場のヴィオリ」スト氏から先日話題に出た話のメモ。


「We learn from history that we do not iean from history.」


われわれは歴史を学ぶと、われわれが歴史から何も学んでいないことがわかる。ヘーゲル。


●これはなぜか。技術の進歩は積み重ねだが、人間の経験は人生の長さの7-80年で最初に戻るから。人間は自分で経験して納得したものでなければ自分の理解ということにはならない。だから戦争はなくならない。戦争という阿鼻叫喚の痛い目にあった人は一代限り。その痛さを伝承しても新しい人は「自分でその痛さを経験しなければ自分の認識にはならない」

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稲妻の意味 ++++++++ 所感

2007/08/12 07:43


070812(日)
5時起床●朝風呂で日経「私の履歴書」、俳人の森澄雄。今回はなぜかつまらない。●ルターは神学は「歌」だと言った。人生の苦難に喘いで「真剣勝負」で生きている人間にとって「神学」は「遊び」に感じてつまらないものと思う。無教会が神学を好まなかった原因はここにある。●「神学」や「詩歌」に一生懸命な人間は総じて「暇」な人間が多い。●某氏のブログ日記に「稲妻というのは稲に実が入る時に起こるものだ」という貴重な体験認識をしたとあったので、感想として以下のことを書いて送った。若干加筆改変。


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○○様


雷が稲に実を入れる時なぜ「妻」なのかな―。と考えました。


私なりの勝手な解釈は、妻が私に雷を落とすときは実ではなく「喝」を入れる時です。


そういうことで家庭内に「実=喝」が入るのかなー。(笑)。


これあながち間違っていないかもしれません。神は人間が育つときに喝を入れるために雷を落とします。


私の火災と脳内出血は神に「喝」を入れられたのだと思っています。大きな雷でした。


私の記憶では雷は「神鳴り」です。


雷を落とされない人間は成長しません「実」が入りません。


神からの喝が入らない人間は節のないない竹に育ちます。弱いものです。


昔から怖いものを「地震、雷、火事、親父」と言います。とするとこの雷は妻のことなのかなー(笑)
家庭内ではコワーイ雷を落とす妻がいないと家庭内に実が入りません。成長しません。よい家庭になりません。


夫婦関係でどちらかが雷を落としたら(ベートーベン交響曲第6番田園の第4楽章の如く)、何も言わずに(言いにくいから、気恥しいから)アイスを買ってきて無言で渡せばいいのです。なぜか。「君を愛す(アイス)」。(このギャグ2回目か)。すると次は第5楽章になります。それは感謝の楽章です。でも毎日雷を落としてはコストがかかるよね。だから雷は時々がいいよね。


(雷が鳴ったとき)「子供を抱きかかえ」というところに感じ入りました。家庭内では父親の雷が子供に落ちる時は母親が子供を「抱きかかえ」ます。母親が子供に雷を落とすときは父親が「抱きかかえます」。では妻が夫に雷を落とす時は「私は」神に抱きかかえられるより逃げ場がありません。困ったことがあったら誰も神に逃げ込み、神に抱きかかえられることが一番安全な道ですね。詩篇46:2です。


 


新共同 詩  46:2


46:2 神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。


 


今回のブログ、わたし自身、非常に勉強になりました。(以下略)



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●毎年8月は霊肉の故郷「浦和」を訪れる月。チャイコフスキーに「懐かしい土地の想い出」というヴァイオリンの小品がある。懐かしい景色ばかりなので写真を撮りまくった。






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南浦和の駅前にある像。これはもと浦和駅前にあったもの。小学生の時、この像を含む駅前ロータリーの絵を描いて賞をとった思い出がある。






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よく遊んだ「シンヤマ」という森の小道は両側に塀ができて昔の面影はなくなってしまった。しかしこの森は私の心にある「自然」だ。


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突き当りが私の生まれ育った家。この景色は私の心象風景。小さい頃家に向かって走り帰るときの景色。


泣いてゆく 向こうに母や 春の風 (加賀千代)


父母は昭和40年に浦和を去ってから2-30年間一度も浦和を訪れることはなく逝った。気がかりなことである。しかし人生の旅は後ろを振りかえらないものなのかもしれない。



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 家の真向かいにある「中田」さんの家。よく「ボールとらせてください」と言っておそるおそる入ったものだ。


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私の家の隣の「黒羽さん」の家。ピアノが聞こえてきた家。西洋館に日本家屋がくっついた典型的な昭和初期のデザイン。次の代は篠村さんの家になったが、今はまた違う人の所有のようだ。


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私の家があったところ。家は建て変わったが、庭には父が植えた懐かしい樹木がある。ゲーテの詩を思い出した。「少年の頃に放った矢が老年になってそれが高い木のこずえに突き刺さっているのを発見した」という詩である。これは祈りというのは言い放つとどこに消えて行ったのかわからないものだが、多くの日の後に思わぬ形で聴かれていることを発見するという意味である。ゲーテはすごいなー。


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昭和62年、35歳の若さで召された井上佐紀子さんの家。「照男さん。わたしまだ神さまということがわからないのです」と高校生の時に言ったものだ。彼女は癌になって聖路加で井原チャプレンの指導でクリスチャンになって天翔った。佐紀子さん万歳!。人生は長さではない。神を知るかどうかだ。7年前にわたしが脳の病気で聖路加に入院したとき、井原チャプレンと彼女のことを話し合った。この家も建て変わった。


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47年前の16歳の時に洗礼を受けた日本ナザレン教団浦和教会に行く。増田愛子さんと記念撮影。「ザルツブルグとウィーンは憧れですがもう無理です」と言われるので「まだ大丈夫ですよ」と言った。


今日は聖餐式があった。礼拝の後に皆さんに挨拶。「私の髪の毛を白くしてくださった浦和教会の皆様にお礼申し上げます。箴言に『白髪は正しく生きた証拠。神に従う道に見出される』(16章31節)とあります。」と挨拶、続いて「この句は周りを見回して禿げた人がいないかどうか確かめてから言うことが大切」とも言った。少しだけ前方が禿げかかった人がおられた。それから有体的復活の話もした。この写真のシャッターを押してくれた若い女性に「あの髪の毛の話まずかったかなー」と言った。


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関谷忍牧師。1960・4・16に私に洗礼を授けて下さった。ある日、教会を去る時、私の姿が見えなくなるまで見送って下さった。私もこういう人になりたい。


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浦和駅の西口にはこんな超高層マンションもできた。変わったなー。



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浦和駅の東口にはパルコができた。ずいぶん変わったなー。


●14:00、その後今井館に「歴史を学ぶ会」。津上、高木さんに会う.。高校の恩師五十嵐永吉先生夫人の順子さんにも合う●家に帰ると福島から戻った妻が夕食を用意して待っていてくれた。妻がこの家は(風がよく通り)涼しくて「天国のようだ」と言ってくれた。うれしかった。


 

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有体的復活 ++++++++ 所感

2007/08/11 04:39

070811(土)3時起床。睡眠5時間だからマーマーだ。睡眠は長さでなく深さだ。昨夜は夢も見ず熟睡●もし、私の死後、高橋照男というのはどういう人物であったかと尋ねられたら、ぜひこのことを言ってもらえば足りる。「彼は有体的復活を固く信じて死んでいった」と。私の人生はこれ以外ではないことは光栄である。●現在、死亡原因の約3割は癌。その癌の痛みもあと何年かすると取り去ることができるようにまで医学が進歩したという。そして残るは「心のケア」だそうだ。これはクリスチャンではない医師(ホスピスで私の母を看取ってくださった方)の話である。そうか、死に行く人に来世での有体的復活の希望を持って死んでいけるように尽くすのが私の使命だ。それにはまず私自身がそのことを固く信じなければならない。●しかしこの「使徒伝承」の道は厳しい。黙示録2章8-11である。


文語訳 黙  2:8-11
2:8 スミルナに在る教會の使に書きおくれ。「最先にして最後なる者、死人となりて復生きし者かく言ふ。
2:9 われ汝の艱難と貧窮とを知る・・されど汝は富める者なり。我はまた自らユダヤ人と稱へてユダヤ人にあらず、サタンの會に屬く者より汝がそしりを受くるを知る。
2:10 なんぢ受けんとする苦難を懼るな、視よ、惡魔なんぢらを試みんとて、汝らの中の或者を獄に入れんとす。汝ら十日のあひだ患難を受けん、なんぢ死に至るまで忠實なれ、然らば我なんぢに生命の冠冕を與へん。
2:11 耳ある者は御靈の諸教會に言ひ給ふことを聽くべし。勝を得るものは第二の死に害はるることなし」


新改訳 黙  2:8-11
2:8 また、スミルナにある教会の御使いに書き送れ。『初めであり、終わりである方、死んで、また生きた方が言われる。
2:9 「わたしは、あなたの苦しみと貧しさとを知っている。――しかしあなたは実際は富んでいる。――またユダヤ人だと自称しているが、実はそうでなく、かえってサタンの会衆である人たちから、ののしられていることも知っている。
2:10 あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。
2:11 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者は、決して第二の死によってそこなわれることはない。」』


●朝風呂で日経「私の履歴書」、俳人の森澄雄。ボルネオで死に直面、極限状態で「句」を読む。へーこういうときに歌は役立つのか。けれども詩歌は慰めにはなるが霊魂の救いではない。そこを混同すると教会も歌ばかり歌う「お祭り」となる。●心は形になるが、形から救いには到達できない。なぜか。イエスは「徴を見て信ずるのではいけない」と言った。


塚本訳 ヨハ 3:1-3
3:1 ところでパリサイ人の中に名をニコデモという人があった。ユダヤの(最高法院の)役人であった。
3:2 ある夜、イエスの所に来て言った、「先生、わたし達はあなたが神のところから来られた先生であることを知っています。神がご一しょでなければ、あなたのされるあんな徴[奇蹟]はだれもすることは出来ません。」
3:3 イエスが答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、(徴を見て信じたのではいけない。)人は新しく生まれなおさなければ、神の国にはいることは出来ない。」


●この世的に偉い人が信者であるというのは伝道の役にたたない。なぜか。信仰があったから偉くなれたのだと誤解して霊魂の救いには到達できないから。その偉い人が偉くなくなったり死んだりするとチリジリになって元偉かった人を捨てる。イエスはそういうことで捨てられた●教会の美しさや、その音楽に惹かれて教会に来ても秦の救いに到達できない人がいる。人がキリスト教に来るきっかけはそれでもよいがそれは入口。救いの奥殿に入らなければならない。導かなければならない。ところが教会にも集会にもその奥殿がないところがある。●早朝散歩5時半。写真7枚


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 早朝散歩。都立秋留台公園。蝉のこえがものすごい。アブラゼミとミンミンゼミ。よく鳴いているなー。七日間の命だからなー。


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 秋留台公園。これはクワガタとカブトの採れる林。昨年は6月にきてたくさん採って孫にやった。今年はもう8月だから一匹もいなかった。


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蝉の抜け殻。人間の日記とか伝記というのも「抜け殻」なのだ。そこに命はない。イエスの言葉を思う。


塚本訳 ヨハ 5:39-40
5:39 あなた達は聖書(旧約)をもっていることが永遠の命を持っていることのように思って、それを研究している。ところがこの聖書は、(永遠の命である)このわたしのことを証明しているのに、
5:40 あなた達はその命を得るためわたしの所に来ようとしない。


●聖書学の誤りはここにある。






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蝉が死んでアスファルトの上に仰向け。少し動いている。今日死ぬのか。ここではかわいそうと思って羽をつかんで草むらに投げた。あーこのセミの命は7日間だったのか。生物の命の長さは7日、7か月、7年、70年。短いなー。詩篇90篇を思う。


口語訳 詩  90:5-10
90:5 あなたは人を大水のように流れ去らせられます。彼らはひと夜の夢のごとく、あしたにもえでる青草のようです。
90:6 あしたにもえでて、栄えるが、夕べには、しおれて枯れるのです。
90:7 われらはあなたの怒りによって消えうせ、あなたの憤りによって滅び去るのです。
90:8 あなたはわれらの不義をみ前におき、われらの隠れた罪をみ顔の光のなかにおかれました。
90:9 われらのすべての日は、あなたの怒りによって過ぎ去り、われらの年の尽きるのは、ひと息のようです。
90:10 われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。



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 大好きなコスモスが咲きだした。コスモスは藤井武が好きだった。この風にシナシナと揺れるところが「神ママ」の生き方のようで、私も好きだ。


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畑でハトがたくさん落ち穂(?)を食べていた。鳥のために少しは残しておくべきなのか。旧約聖書を思う。


口語訳 レビ 23:22
23:22 あなたがたの地の穀物を刈り入れるときは、その刈入れにあたって、畑のすみずみまで刈りつくしてはならない。またあなたの穀物の落ち穂を拾ってはならない。貧しい者と寄留者のために、それを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である』」。


共生。生態系はうまくできているのだ。水鉢のボウフラに困っていた人、メダカを放ったらきれいにしてくれたと言った。(日経8・11「プラスワン」18面)




ミレー「落ち穂拾い」。


出典:IPA「教育用画像素材集サイト」 http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/


これは旧約聖書ルツ記に題材をとったもの。


●この際、旧約聖書ルツ記(わずか4章)を読んだ。新共同訳、口語訳、新改訳、岩波。このうち新共同訳が一番わかりやすかった。●貧しくても清く正しく生きたルツは再婚してオベドを産んだ。その子孫からあのダビデが生まれ、その子孫から世を救ったキリストが誕生したのだと思うと泣けてきた。●ルツは異教の女、しかも再婚者。神はその子孫から世を救うキリストを誕生させた。肉の汚れは真の汚れではない。血統が穢れていても神は霊で人間を新しく生まれさせる。●喜べ、血が穢れている者、家庭が複雑な者、キリストの系図も非常に穢れていたのだ。その系図をさかのぼれば異教人ルツ、ダビデの不倫の子供であるソロモン、ユダのその嫁タマルの不倫の子パレスがいる。汚れたるキリストの血統よ!!。●神から生まれる者は肉の汚れは問題ではない。


塚本訳 ヨハ 1:12-13
1:12 しかし受け入れた人々、すなわち、その名を(神の子であることを)信じた人には一人のこらず、神の子となる資格をお授けになった。
1:13 この人たちは、人間の血や、肉の欲望や、男の欲望によらず、神(の力)によって生まれたのである


●今日も猛暑日(35度以上)、あまりの暑さに、禁を破ってクーラーをつける●市民プール、ノジマ、図書館、東急●音楽DVDで「ブラームス」。シューマンによって世に出された。そのシューマンは早死。懸命に看病した妻クララを次第に尊敬するようになり、その後生涯の友情を結ぶ。「そういうことだったのか」


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 あきる野名物の栗がなりはじめた


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あきる野市民プール。かって私はここで行われた市民水泳大会のシニアの部50メートル自由形で第4位であった。出場人数はというと5名(笑っちゃいけない。強豪ぞろいであったのだ)


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猛暑日のあきる野台地。葉もぐったりしている。手前の赤い花は鶏頭。

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後ろを振り返るな ++++++++ 所感

2007/08/10 04:37

070810(金)3時起床。睡眠は長さでなく深さ●今朝の聖書6箇所。


塚本訳 ヘブ 13:13
13:13 それならばわたし達も彼(と同様)の罵りを忍んで、(肉のこの)『宿営の外』に出て彼のところにゆこう。


新共同 ロマ 8:34
8:34 だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。


新共同 ヘブ 12:11
12:11 およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。


塚本訳 Ⅱコリ7:10
7:10 なぜなら、神の御心に沿った悲しみは、(人を)救いに入れる悔いのない悔改めをもたらすけれども、この世(的)の悲しみは、(絶望と)死をもたらすからである。


塚本訳 ロマ 8:28
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。


塚本訳 Ⅱコリ4:7-10
4:7 しかしこの宝が、(貧弱な)土の器の中にある。それはその素晴らしい力が神のものであって、わたし達(土の器)から出るのではないことがわかるためである。
4:8 わたし達はあらゆることで悩まされる、しかし行き詰まらない。当惑する、しかし絶望しない。
4:9 迫害される、しかし(神に)見捨てられない。打ち倒される、しかし死にはしない。
4:10 わたし達はいつもイエスの死の苦しみを体に受けて持ち回っている。それはわたし達の体にイエスの命も現れるためである。


●人生にはちょうど良い時にちょうど良い「事件」が起こるものだ。それによって、どうしても手放せなかったものが手放せ、どうしても手放せなかった地位も手放すことができるのである。やめられなかったことをやめることができるのである。自分の手ではどうしても切れなかった関係を切らされるのである。自分の努力ではどうしても離れられなかったことから離れさせられることになるのだ。「俺はどうしていつまでもこんなことをやっていたのだ」と目覚めさせられる。あー、賢いのは神の導きだ●人間は不幸や悲しみに遭遇すると本来の使命に目を向けさせられる。心と眼を固く天に向けさせられる。その時の言葉は次のとおりである。


塚本訳ルカ 9:60-62
9:60 その人に言われた、「死んだ者の葬式は死んだ者にまかせ、あなたは行って神の国を伝えなさい。」
9:61 もう一人のほかの人も言った、「主よ、お供します。ただその前に、家の者に暇乞いをさせてください。」
9:62 しかしイエスは言われた、「鋤に手をかけたあとで後を見る者は、神の国の役に立たない。」


●「惰眠から覚まされるとき」(ヒルティ)が人生にはちょうど良い時に訪れる。外的な事件が起こる。これ神の恩恵の時。そのとき人間は「私はなんでこんなものにいつまでも執着していたのだろう」と目覚める。そしてその人にとっての真の使命に追いやられる。●私の場合は「イエス復活伝承の使徒」だ。「止めてくれるなおっかさん。」の気持ちである。イエスは言う。家の者に暇乞いするなと。誰に対しても振り切って来いと言う。「命からがら脱出すべきことは」終末の様相である。「逃げよ、弁明に戻るな」。


塚本訳マタ 24:15-20
24:15 それで、預言者ダニエルをもって言われた『(聖なる所を)荒らす忌わしいものが聖なる所に』立つのを見たら[読者はここに隠された意味をよく考えるがよい]、
24:16 その時ユダヤ(の平地)におる者は(急いで)山に逃げよ。
24:17 屋根の上におる者は、下におりて家にある物を取りだそうとするな。
24:18 畑におる者は上着を取りに『(家に)もどる』な。
24:19 それらの日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、ああかわいそうだ!
24:20 逃げるのが冬や安息日にならないように祈れ。


●人生の転機がおとづれた人の言葉。


塚本訳 ピリ 3:8-11
3:8 否、ただにそれ(らの特権)ばかりでなく、わが主キリスト・イエス(を知る)の知識が(余りにも尊く)優れているために、本当は(今は)一切合切のものを損だと思っている。(実際)彼のために何もかも損してしまったのだが、(そんなものは皆)塵芥と思っている。これはキリスト・イエスを自分の有とし、
3:9 彼に在ることが出来──(もちろん)これは律法(を守ること)から来る私自身の義によるのでなく、キリストの信仰による(義、)すなわち信仰に基づいて神から与えられる義によるのであるが──
3:10 かくて(ますます深く)キリストを知り、その復活の力を受け、その苦難に与り、彼と同じような死様をして、
3:11 あわよくば私も(最後に)死人の復活に達したいためである。


●「何も言わずに家出する」「何も言わずに消えて行く」「戦わず、争わず、断罪せず、攻撃せず、不満を言わず、呪わず、弁明せず、批判せずに出て行く」・・これ出家人の姿。「鋤に手をかけたものが後ろを振り返る」ことなく行く時の姿。こういう人間、世話になったすべての人に感謝し、世話になった人の上に主の祝福が末永くあることを祈り、その人の生涯の幸福を祈って出て行くのである。いつの間にかいなくなっているのである●朝風呂で日経「私の履歴書」、俳人の森澄雄。戦争体験。ボルネオで死の行進。バタバタと死んで行ったり、自決したりする。人類は戦争による殺し合いというなんてバカなことをするのだろう。ジャングルのなかに戦友の遺骸を葬り、墓標を立てて一句を吟じたという。「歌」というのはこれぐらいの役に立つだけなのか。キリスト教もそうであってはならないのだが。


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出勤途上、白い百日紅(さるすべり)があることを知った。花の色はいろいろあるなー。複雑系だなー。人間もおなじだなー。


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猛暑日(最高気温35度以上)の朝。


●また難しい問題に頭を悩ます。困ったなー●しかしどんなときにも「真実一路」「神ママ」「正直は最良の政策なり」が大切。悪い人間は風の吹き去るくみがらのようにいつのまにかいなくなる。


口語訳 詩  1:1-4
1:1 悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。
1:2 このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。
1:3 このような人は流れのほとりに植えられた木の/時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。
1:4 悪しき者はそうでない、風の吹き去るもみがらのようだ。


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 




 

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嫌疑をかけるのは罪 ++++++++ 所感

2007/08/09 07:25

070809(木)5時起床。昨夜はよく眠れなかった。脳内出血の原因は高血圧、加齢、それに睡眠不足。これはまずい●人に「あらぬ嫌疑」をかけるのは大罪悪である。疑いが晴れた場合は嫌疑をかけた事実だけが残る。嫌気が残る。人間関係は破綻。いやそれだけでは済まないかもしれない。神は見ている。●あの人にはきっと大きな裁きが下ることは間違いない。そうとでも考えないと腹の虫が収まらない。●手紙3通●人物判定の方法。妻がいるか、家庭があるか、勤務がしっかりしているか。・・・これ銀行が人にお金を貸すときの判定方法。●初代教会でユダヤ教対新興キリスト教の戦いは激しかったが、クリスチャン達の清く正しい生活が証明になって決着した。その聖書的根拠は次の通り。


文語訳  マタ 12:33
12:33 或は樹をも善しとし、果をも善しとせよ。或は樹をも惡しとし、果をも惡しとせよ。樹は果によりて知らるるなり。


塚本訳 マタ 12:33
12:33 木を良いとするなら、その実をも良いとせよ。また、木を悪いとするなら、その実をも悪いとせよ。木(の良し悪し)は実で知られるのである。


●中国の諺に「地は人によって知られる」とあるが、それも同じ。


●神の存在証明は「ユダヤ人」であると言った人がいる。これにならって私の信仰生活の真理証明は妻と4人の子供と5人の孫だ。そういうことを聖書は次のように言う。


口語訳 詩  127:4-5
127:4 壮年の時の子供は勇士の手にある矢のようだ。
127:5 矢の満ちた矢筒を持つ人はさいわいである。彼は門で敵と物言うとき恥じることはない。


新改訳 詩  127:4-5
127:4 若い時の子らはまさに勇士の手にある矢のようだ。
127:5 幸いなことよ。矢筒をその矢で満たしている人は。彼らは、門で敵と語る時にも、恥を見ることがない。




新共同 詩  127:4-5
127:4 若くて生んだ子らは、勇士の手の中の矢。
127:5 いかに幸いなことか/矢筒をこの矢で満たす人は。町の門で敵と論争するときも/恥をこうむることはない。


●銀行に対して信用してくれと言う場合や、あらぬ嫌疑をかけられた場合は、「どこが悪いんだ。信用できなければ子どもと孫の数で信用せよ」ということにしよう。●人に嫌疑をかける人間はかわいそうだが伸びない。神の天罰あるのみ。気の毒だが仕方がない。「倫理的世界秩序」(ヒルティ)の法則だ。●私はアノ人に滅びの徴、没落の兆候を感じてしまった。直感的にそう感じてしまったのだからいたし方がない。●妻と杉並公会堂に「女性作曲家の作品」という音楽会に行く。私の経験的持論は「建築家と作曲家に女性で優れた人はいない」 というのだがそれが崩されるかどうかを試しにいった。結論。骨がない、構成力がない。しかし女性らしさというものがあった。そこで思う。建築では企画構成、構造骨組みの設計は男性、飾りは女性ができる。音楽は低音部は男性、高音部は女性。かくして男女の協力でよいハーモニーになる。家庭の建設も同じ。経済は男性、子育ては女性。病院でも同じではないのか。手術治療は男性、回復期の介護は女性。男性も含むために看護「師」というようになったが看護「婦」のほうがよいのではなかろうか。看護は女性の天職と思うが。


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主の工事には会計検査なし ++++++++ 所感

2007/08/08 03:36

070808(木)2時半目覚め3時起床、睡眠6時間●今朝のひらめきは「主にある工事は会計検査なし。なぜなら人を疑わないから」。その聖書的根拠は次の通り。


口語訳 Ⅱ列 12:14-15
12:14 ただこれを工事をする者に渡して、それで主の宮を繕わせた。
12:15 またその銀を渡して工事をする者に払わせた人々と計算することはしなかった。彼らは正直に事をおこなったからである


新共同 Ⅱ列 12:15-16
12:15 その献金は工事担当者に渡され、主の神殿の修理のために用いられた。
12:16 工事担当者に与えるように献金を渡された人々は忠実に仕事をする者であったので、会計監査を受けることはなかった


口語訳 Ⅱ列 22:6-7
22:6 すなわち木工と建築師と石工にそれを渡し、また宮を繕う材木と切り石を買わせなさい。
22:7 ただし彼らは正直に事を行うから、彼らに渡した銀については彼らと計算するに及ばない」。


新共同 Ⅱ列 22:6-7
22:6 すなわち職人、建築作業員、石工に渡し、神殿修理のための木材や切り石を買わせなさい。
22:7 ただし、彼らは忠実に仕事をしているから、彼らに渡した金の監査は必要ではない。」


●世の中には疑いや邪推をして「根も葉もない悪口」をいう人間がいる。そういう人間にはいくら正しく正確に説明してもそもそも「心が通じてない」ので、説明は無駄、徒労、時間の無駄。相手を憐れんで赦して放っておいて神の裁きにゆだねるしか方法がない●人に嫌疑をかけるとうのは罪だ。●人間の交際は「来るものを拒まず、去る者を追わず」がよい。これ「神ママ」の生き方である。神は良い人を近づけてくださる。いやな人を遠ざけてくださる。神は私たちが「平和に暮らせる」ように取り計らってくださる。ジェントリーに別れたほうがよい。その聖書的根拠は次の通り。


口語訳 Ⅰコリ7:15
7:15 しかし、もし不信者の方が離れて行くのなら、離れるままにしておくがよい。兄弟も姉妹も、こうした場合には、束縛されてはいない。神は、あなたがたを平和に暮させるために、召されたのである。


 ●キリスト信者というのは歴史的にも「組織にはなじまない者」たちなのだ。なぜか。個々人が神と直結しているからである。そして一方組織というのは「人為的」なものだからである。組織そのものに神的権威をもつと考えているのがカトリック教会である。だからそこに破門というのがあって、教会に合わないものを追放する。ルター、カルヴァンが出て今日これほどプロテスタントが孫愛しているのにもかかわらず、カトリックは最近唯一正統の教会はカトリック教会のみという考えを宣言したという。時代の逆行である。●なぜ、こんなことになるのか。プロテスタントのなかに正統信仰から外れた奇妙な集団が続出しているからではあるまいか●10:20聖路加国際病院に行って脳のMRI検査。検査の時、頭を高くしてくれたので右腕の痛みがなくて楽であった。●上田憲明チャプレンと懇談。お礼●聖路加の旧館チャペるに入ったらオルガンの演奏(練習)をしていた。見事なステンドグラスに感心しながら祈りをささげた●千駄ヶ谷社会教育会館へ部屋の予約●一番熱いときに帰宅。すぐ風呂に入る。


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聖路加国際病院の新館2階にあるトイスラーホール礼拝堂。7年前に入院していた時よく来たものだ。


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聖路加国際タワー。7年前退院の日、・・・それは今日と同じように8月の暑い日であった・・・・あのブリッジから都心を見て、退院の感謝の祈りを捧げたものだ。あれから7年。憐れみで生かされたのだがそれに報いることをしているだろうかと思って涙を流した。


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図書館に行く途中。暑い夏の夕暮れ。トウモロコシは今日の太陽の陽でまた成長。


●黒田隆氏からお送りした写真集の御礼と感想のお電話をいただく。も0を送るときは「喜んでくださる人」にのみ送るべきだ●新島依子さんに電話。「川崎哲也追悼文集第2週」の御礼。一教師が生徒たちからこれほど慕われていたことは驚異。

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今度出血したら植物人間 ++++++++ 所感

2007/08/07 09:55

070807(火)4時半起床。またまた良い発想3つ。①残りの人生でなにかしなければと思うとき。神は人間に何か良い業を期待してはいない。神を信ずることだけを期待する。


塚本訳 ヨハ 6:28-29
6:28 すると人々がたずねた、「(それをいただくために)神の(御心にかなう)業をするには、何をすればよいのでしょうか。」
6:29 イエスは答えられた、「神がお遣わしになった者を信ずること、これが(御心にかなうただ一つの)神の業である。」


②とても手ごわい人、匙を投げた人、人間関係がとても修復できそうにない人がいたら。神が動く、神が腰を上げる。この悩みは神がご存じと思えばよい。


口語訳 出  14:14
14:14 主があなたがたのために戦われるから、あなたがたは黙していなさい」。


新改訳 出  14:14
14:14 主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」


新共同 出  14:14
14:14 主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。」


③伝道をしなければならないと「あせる」とき。伝道とは「自分はダメ男だったが恩恵で直された」と恥をかいて公表すればよいことなのだ。説教ではいけないのだ。


塚本訳 ルカ 8:39
8:39 「家に帰って、神がどんなにえらいことをしてくださったかを、(みんなに)話してきかせなさい。」すると彼は行って、イエスがどんなにえらいことを自分にされたかを、町中に言いふらした。


口語訳 エペ 2:8-9
2:8 あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。
2:9 決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。


塚本訳 ガラ 1:4-5
1:4 キリストはわたし達の父なる神の御心にしたがい、わたし達を悪い現在の世から救いだそうとして、わたし達の罪のために自分を与え(て十字架につけ)られたのである。
1:5 栄光は永遠より永遠に神のものであれ、アーメン。


口語訳 エペ 2:1-5
2:1 さてあなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって、
2:2 かつてはそれらの中で、この世のならわしに従い、空中の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、歩いていたのである。
2:3 また、わたしたちもみな、かつては彼らの中にいて、肉の欲に従って日を過ごし、肉とその思いとの欲するままを行い、ほかの人々と同じく、生れながらの怒りの子であった。
2:4 しかるに、あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、
2:5 罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし――あなたがたの救われたのは、恵みによるのである――


●早朝散歩5時で写真撮影


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朝焼けに飛行機雲。写真上部。あのパイロットは早朝出勤だなー。御苦労さんだなー


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今朝の日の出。見ている間にぐんぐん登っていく。イエスの復活は神に起こされたこと。その神の心に触れないと復活は理解できない。


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 左半身が不自由な散歩人とすれ違う。思わず声をかけた。同病相哀れむ。


私「私は7年前に脳内出血でした。しかし今は歩けてしゃべれます。あなたは?」


散歩人「私もあなたと同じ頃に右脳の出血。それで左半分不自由、左目の視野が狭くなった。こういう病気は二度目には植物人間になる。気をつけなよ」


私「普段どういうことに注意してますか」


散歩人「早朝散歩する。肉は食べない。ラーメンは食べない。特にその汁は飲まない。野菜中心で魚はイワシ、サンマ、サバなどを食べる」


思わず振り返って後姿を見た。はたしてまた会えるだろうか。


●連合設計社市谷建築事務所から独立して建築設計事務所を営んでいる若い二人に独立経営の苦労話を聞く。みんな妻子を抱えてよくやっている。はじめはは食うや食わずで軌道に乗るまでは3~5年はかかる。注文はほとんどがインターネットのHPによるという。それも人脈。いろいろな団体に属しているとそこから仕事を紹介されるという。みんな頑張っている。●妻は友人と青梅美術館に行く。●独立経営者の心意気は勤め人月給取りとは比較にならないほどしっかりしている。考え方にバランスがある。人間一度は一匹狼の独立経営者になるのが良いのかもしれない。それは苦労が多いが人間の成長にとって尊い経験だ。●トンデモナイいやな手紙が舞い込んで脳内出血寸前。急遽激烈な返事を書いたが精神的に参った。●人を嫌うとその人を陥れようと荒探しを始める人間がいる。そういう時は「じっと」我慢していれば神が裁く。相手を赦して黙っていればよい。●人を疑うと疑念地獄に陥る。そこから抜け出すことはまず無理。一瞬でも人を疑うことは罪だ。疑った方が間違いであった場合、御免だけではすまない。「疑って悪かった」と丁重に謝罪するか、辞任するか、死をもってその罪を償わなければならない。



 


 

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残る生涯はいけにえ、犠牲 ++++++++ 所感

2007/08/06 05:01

070806(月)4時目覚め。またまたよいひらめき。ロマ書12章1節。「ここだー」と示された。


文語訳ロマ 12:1
12:1 されば兄弟よ、われ神のもろもろの慈悲によりて汝らに勸む、己が身を神の悦びたまふ潔き活ける供物として獻げよ、これ靈の祭なり。


口語訳 ロマ 12:1
12:1 兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。



新改訳 ロマ 12:1
12:1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。



新共同 ロマ 12:1
12:1 こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。



塚本訳 ロマ 12:1
12:1 (このように、神は偉大な計画によって人類を一人のこらず救おうとしておられるのであって、救いは確かである。)だから、兄弟たちよ、わたしは神のこの慈悲を指してあなた達に勧める。あなた達の体を(感謝のしるしとして神に)捧げよ。この生きた聖なる犠牲こそ、神のお気に入るものであり、(霊なる神を拝むにふさわしい、)あなた達の霊的な礼拝である。(あなた達の礼拝は動物を供えるような不合理なものでなく、全心全霊をささげる合理的な礼拝でなければならならない)


●どういうところが示されるか。前日前夜から問題意識のあることで「解決を得たい」と思っていることが「朝」になって聖書の箇所が示される。それは天のひらめき、「ここだー」と示されるのだ。今朝はそれがロマ書12章1節。問題意識としては「残りの人生をどうすべきか」という悩みである。その答えが示された。この体を「聖なるいけにえ」として捧げよというのである。●「いけにえ」「供えもの」「犠牲」。あーそれは厳しい道かもしれない。「苦」の道かもしれない。それ以上の「苦」が待ち構えているのかもしれない。それを与えられることが「犠牲」に供されることなのかもしれない●「楽」「安楽」「平穏」「案心」の道ではないかもしれない。どんな「苦しみ」が待ち構えているのだろうか。●7年前に家屋を焼かれ、脳内出血で意識不明になったことが「犠牲」と「いけにえ」の始まりではなかったのか。●犠牲とは野球の犠打である。自分が死んで他を生かすことである。●そうか、残りの生涯は「神のために何かをする」のでなく、「神のために神によって自分に死ぬこと」なのだ。「他を生かすために自分が犠牲になることなのだ」「楽しみを追い求めることではないのだ」●聖書理解は朝が勝負。朝に良いひらめきが与えられる●内村鑑三に良い言葉がある。「一日は貴い一生である。之を空費してはならない。そして有効的に之を使用するの途は神の言を聴いて之を始むるに在る。一日の成負は朝の心持如何に由て定まる。朝起きて先ず第一に神の言を読みて神に祈る。斯くなして始めし日の戦は勝利ならざるを得ない。たとえ敗北の如くに見ゆるも勝利たるや疑いなし。そして斯かる生涯を終生継続して一生は成功を以て終わるのである」。●ヒルティは最も楽な人生観は「神の啓導」によって導かれるものだという。その豊かな喜びの人生観をイザヤ書のあちこちを引用して説いている。「眠られぬ夜のために第1巻」の最後に『なおりおたたいのか』という論考のそれがある。私はこれを高校生の時に読んでこの人生観に惹かれこれに人生をかけた。今64歳、その道は間違っていなかったことを思う●ここにJバイブルを利用してイザヤ書から「道」を選択し、心に響くものを下記に記す。この人生観がまー私の知りうる最高の人生観、最高に楽で喜びの人生観だ。悩みにも希望のある人生観だ。


イザ   30: 21 [口語


また、あなたが右に行き、あるいは左に行く時、そのうしろで「これは道だ、これに歩め」と言う言葉を耳に聞く。


イザ   35: 9 [口語


そこには、ししはおらず、飢えた獣も、その道にのぼることはなく、その所でこれに会うことはない。ただ、あがなわれた者のみ、そこを歩む。


イザ   37: 29 [口語


あなたが、わたしにむかって怒り叫んだことと、あなたの高慢な言葉とがわたしの耳にはいったゆえ、わたしは、あなたの鼻に輪をつけ、あなたの口にくつわをはめて、あなたを、もと来た道へ引きもどす』。


イザ   40: 3 [口語


呼ばわる者の声がする、「荒野に主の道を備え、さばくに、われわれの神のために、大路をまっすぐにせよ。


イザ   40: 27 [口語


ヤコブよ、何ゆえあなたは、「わが道は主に隠れている」と言うか。イスラエルよ、何ゆえあなたは、「わが訴えはわが神に顧みられない」と言うか。


イザ   41: 3 [口語


彼はこれらの者を追って/その足のまだ踏んだことのない道を、安らかに過ぎて行く。


イザ   42: 1 [口語


わたしの支持するわがしもべ、わたしの喜ぶわが選び人を見よ。わたしはわが霊を彼に与えた。彼はもろもろの国びとに道をしめす。


イザ   42: 3 [口語


また傷ついた葦を折ることなく、ほのぐらい灯心を消すことなく、真実をもって道をしめす。


イザ   42: 4 [口語


彼は衰えず、落胆せず、ついに道を地に確立する。海沿いの国々はその教を待ち望む。


イザ   42: 16 [口語


わたしは目しいを/彼らのまだ知らない大路に行かせ、まだ知らない道に導き、暗きをその前に光とし、高低のある所を平らにする。わたしはこれらの事をおこなって彼らを捨てない。


イザ   43: 16 [口語


海のなかに大路を設け、大いなる水の中に道をつくり、


イザ   43: 19 [口語


見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起る、あなたがたはそれを知らないのか。わたしは荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる。


イザ   48: 17 [口語


あなたのあがない主、イスラエルの聖者、主はこう言われる、「わたしはあなたの神、主である。わたしは、あなたの利益のために、あなたを教え、あなたを導いて、その行くべき道に行かせる。


イザ   55: 7 [口語


悪しき者はその道を捨て、正しからぬ人はその思いを捨てて、主に帰れ。そうすれば、主は彼にあわれみを施される。われわれの神に帰れ、主は豊かにゆるしを与えられる。


イザ   55: 8 [口語


わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると/主は言われる。


イザ   55: 9 [口語


天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。


イザ   56: 11 [口語


この犬どもは強欲で、飽くことを知らない。彼らはまた悟ることのできない牧者で、皆おのが道にむかいゆき、おのおのみな、おのれの利を求める。


イザ   57: 10 [口語


あなたは道の長いのに疲れても、なお「望みがない」とは言わなかった。あなたはおのが力の回復を得たので、衰えることがなかった。


イザ   57: 18 [口語


わたしは彼の道を見た。わたしは彼をいやし、また彼を導き、慰めをもって彼に報い、悲しめる者のために、くちびるの実を造ろう。


イザ   62: 10 [口語


門を通って行け、通って行け。民の道を備えよ。土を盛り、土を盛って大路を設けよ。石を取りのけ。もろもろの民の上に旗をあげよ。


イザ   65: 2 [口語


よからぬ道に歩み、自分の思いに従うそむける民に、わたしはひねもす手を伸べて招いた。


●早朝散歩で大好きな百日紅(さるすべり)を撮影する。



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 これは大きな百日紅(さるすべり)だ。春に咲く桜のようだ。大企業のようだ。


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 トウモロコシ越しに写してみた。やはりすごいなー


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 我が家の百日紅(さるすべり)は南側の庭に一本、道路側に小さいものが一本。小さくても花は花、本質は同じだ。 中小企業でもそこに働く人間は大企業に働く人間と人間の質は同じなのだ。

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クリスチャンのアリ ++++++++ 所感

2007/08/05 07:10

080705(日)6時起床。昨夜は猛暑でたまらずはじめて冷房を2時間つけて寝た●朝風呂で日経「私の履歴書」、俳人の森澄雄。歌人の履歴書はつまらない.。ためにならない。なぜだろう●平岡広志氏(日本同盟キリスト教団富士川教会会員)のHPに良い話があったので転載させていただく。出典は次。


http://www.geocities.co.jp/SweetHome-Brown/3753/index.html


以下は平岡氏の文章(転載) 


ーーーーー礼拝の説教の中で、すごい話を聞きました。

小学生の子供を持つお母さんが、ある時、担任の先生から呼び出されたそうです。
最初は、自分の子供が何か悪いことでもしでかしたのではないかと思ったのですが、そうではありませんでした。
先生が言うには、先日の授業で生徒に『アリとキリギリス』の話で作文を書かせたそうです。

夏の間、アリは一生懸命に働いて食べ物を蓄え、一方キリギリスは毎日歌ってばかりいて働かなかった。
冬になり、食料がなくなったキリギリスはアリのところにやって来て、食べ物を分けてほしいと頼むわけです。
ここで先生は、生徒たちに、この物語の続きを作文として書かせたそうなのです。
一番多かったのは、「同情したアリはキリギリスに食べ物を分けてあげて、二人は仲良く暮らしました」というものだったそうです。
それから、少数ながら「アリはキリギリスに対して、人生はそんなに甘くない。夏の間、働かなかったあなたが悪いのだから自業自得だ、と言って追い返した」。
まあ、これもシビアではありますが一理あります。

ところが、担任の先生が言うには、このお母さんの子供の作文は、そのいずれでもなかったということなのです。

この子の書いた童話の続きは次のようなものでした。
「かわいそうに思ったアリは、自分がためていた食べ物を全部キリギリスにあげました。そして、自分は死んでしまいました」

この結末に驚いた先生は、その生徒を呼び、どうしてこういう結末を書いたのかを尋ねたそうです。

その子供は答えました。
「先生、聖書には『人が、その友のために命を捨てる。これよりも大きな愛はない』と書いてあります。アリさんは、大切な友達のキリギリスさんを救うために自分の命を捨てたんです」と・・・。

私たち大人は、時として子供の純粋な信仰に教えられることがあります、と牧師先生はこの話を引用して言いました。
本当に、そのとおりだと思います。
私たちは、とてもこのアリさんのような真似はできませんが、しかし、キリギリスのように後先のことを考えずに好きなことをして滅びの淵まで行った私たちを、自分の命を捨てて救って下さったイエス・キリストーーーーー


以下は高橋の感想●これクリスチャンのアリである。クリスチャンの人間は真似できるか。人生目標であるが。●かくしてキリスト教は幼子の口を通して浸透する。平岡広志氏は良い話を取り次いでくれた。●キリギリスとは誰か。「神などあるものか」、「来世での罰などあるものか」「アーメン、ソーメン、ヒヤソーメン」、「信ずるものは皆救われる」「人生に行き詰った人は宗教に走る」「罪などはない」「お祈りなんて効き目がない」などと言ってこの人生(それは夏)を遊び暮らしている人間。その結果、家庭でも勤務先でも皆から嫌われて人生うまくいかない人、ボロボロ人生、ドロドロ人生。失敗の人生。そういう人がいたら、「ザマーミロ。自業自得だ」などと思ってはいけないのだ。その人を赦して救いを祈るべきなのだ。自戒●10:20釘本姉妹を交えて4名で家庭礼拝。私の話は「信じて疑わなければその通りになる」というのは神のからくりの言葉である。それは神は人間が求めない前に必要なものはくださるという原理がその背後にあるからなのだ。という話をした。●それからこのたび召された姉上の墓の相談。先祖からの寺に入るには仏教の戒名が付けられるのもやむなしということになった。我々の国籍は天にあって、有体的に復活するのだからこの世の墓の形態はどうでもよいと話した。


口語訳 ピリ 3:20
3:20 しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。


文語訳 ピリ 3:20
3:20 されど我らの國籍は天に在り、我らは主イエス・キリストの救主として其の處より來りたまふを待つ。


塚本訳  ピリ 3:20
3:20 しかし(私達はそうであってはならない。)私達の故国は天にある。私達は主イエス・キリストが救い主として其処から来給うのを待っているのである。


●音楽DVDで「ベートヴェン」を鑑賞。この6月に訪れたウィーンの「ベートーヴェンの散歩道」が映し出された。ベート―ヴェンは耳が聴こえなくなってから傑作を続々と生み出した。身分違いの恋をして失恋もした。56歳で亡くなる。その不屈の生涯に泣けた。その葬儀にはウィーン市民の10%、2万人が参列。ベートーヴェンは音楽を宮廷貴族のものから市民のものに取り戻したからである●人間はどんなに不幸にあってもベートーヴェンのことを思って「何のコレシキ」と粘らなければならない●新築なった中央図書館に往復2回、CDとDVD。その行き帰りで写真を写す。


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私の散歩道。あきる野台地。時々雉が出る。「ケーン」と鳴く。ヴェート―ヴェンだったらどんな楽器で作曲するか。


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 夏の日の我が家。庭木を刈り込んだので風通しがよくなった。


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夏のあきる野台地。手前のトウモロコシが枯れ始めた。


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夏のあきる野台地。手前の赤い花はケイトウ。緑に会うなー


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夕立が来そうな気配。林から鳥たちが飛び立つ。夕立ちを察したのだ。ヴェート―ヴェン交響曲第6番「田園」第4楽章「嵐」を思う。


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大塚古墳公園。アニラゼミが一斉に鳴いている。やはり夕立ちを察してのことか。


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夕立ちの気配がする我が家。屋根がある家に住めるのは幸せだ。


●ビールと思ったがグタグタになって何もできなくなるのでサイダーを購入してぐっと一杯。アーおいしい。サイダーはビールより安い。


●午後、妻は合唱団「もくせい」で、ヘンデルの「メサイア」の練習。

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聖書は朝のひらめきでわかる ++++++++ 所感

2007/08/04 13:22

070804(土)5時起床●目覚めで朝のひらめき。聖書の難解なところが分かる。難解なマルこ11:24はマタイ19:26とヨハネ15:7とルカ11:9で氷解。●聖書は聖書でわかる。そして天からのひらめきでわかる。書物からはわからない。


塚本訳 マコ 11:24
11:24 だからわたしは言う、(神に)祈り求めるものはなんでも、すでに戴いたと信ぜよ。そうすればそのとおりになる


●これがマー荒唐無稽なことでわからないのだ。絵空事で自分には関係なさそうなことなのだ。もしこれが本当のことなら、人生は楽なんだが。普通の人間は「こういうことを信じる人間はよほど人生に行き詰ったひとではないのか」と思う。


●これの解読は朝のひらめきで天から「ここだー」と示されたのでわかった。書物からではない。天のひらめきだ。朝の目覚めのときだ。


塚本訳 マタ 19:26
19:26 イエスは彼らをじっと見て言われた、「これは人間には出来ないが、『神にはなんでも出来る。』」


塚本訳 ヨハ 15:7
15:7 もしあなた達がわたしに留まっており、わたしの言葉があなた達に留まっておれば、なんでもほしいものを願いなさい。かならずかなえられる。


塚本訳 ルカ 11:9
11:9 それで、わたしもあなた達に言う、(ほしいものはなんでも神に)求めよ、きっと与えられる。さがせ、きっと見つかる。戸をたたけ、きっとあけていただける。


塚本訳 マタ 6:8
6:8 彼らの真似をしてはならない。神はあなた達の父上である。求める前から、あなた達に必要なものをよく御承知である


塚本訳マタ 6:32
6:32 それは皆異教人のほしがるもの。あなた達の天の父上は、それが皆あなた達に必要なことをよく御承知である


 


●「祈れば何でもかなえられる」というのは神のカラクリ、神のマジックである。なぜか。神は人間が「求める前から」必要なものをご存じだから無条件に与えてくださる。ではなぜ「祈れば聴かれる」というのか、それは神が人間との交流を要求するからである。●音楽DVDでブランデンブルグ協奏曲第3番、管弦楽組曲第2番をカラヤン+ベルリンフィルで鑑賞。カラヤン自身がチェンバロを弾いている珍しい映像●音楽DVDで「フルトヴェングラーと独墺(ドイツ・オーストリア)の栄光のマエストエロたち」を鑑賞。フラフラと首を振りながら指揮をするフルトヴェングラー(振ると面食らう)の貴重な映像●ナルホド。フルトヴェングラーはフラフラッと振り始める。あれじゃーオケはどの段階から音を出してよいかわからない。したがって彼が「振ると面食らう」=(フルトヴェングラー)と言われるのだ(笑)●「関根正雄伝道50年史」を読み終える。浅野攝郎氏、森田外雄氏にお礼の電話。森田氏の最大の著作、労作。無教会集会の継承の姿を学んだ●高木謙次選集の第5巻が到着、早速高木氏に電話。


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 我が家の庭の百日紅(さるすべり)。百日紅(さるすべり)大好き。なぜか、百日も咲いているから。


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 あきる野の夏祭り。踊りはいい。みんな真剣で一生懸命なところがいい。


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祭マークの法被(はっぴ)姿はいい。日本の姿だ


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少女の浴衣姿がまたいい。ザ・ジャパンだ。


 

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何事も自力でやるとうまくいかない ++++++++ 所感

2007/08/03 07:34

070803(金)5時起床●朝風呂で日経「私の履歴書」、俳人の森澄雄。先祖は長崎の隠れ切支丹。「父はカソリックの洗礼を受けているが、その後、仏教徒の母と結婚したため終生の悩みを抱え込んだことは後に触れる」とある。●歌の世界は理性でなく感性。それはまた霊性ではないから信仰の世界とは多くの場合相入れない●過日の対話。「家を造る場合、自分で各職人を呼んできて造れば安くできませんか」。私「やってできないことはないが、たいていの場合、高くて悪いものができる。なぜなら、各職人はあなたが一回限りの客だと知ると高い見積もりを出すから安くならない。それに自力の設計は自己満足があるだけでトンデモナイ醜悪な素人デザインになる」。●専門のことは専門家に任せないところが人間として文化程度が低い証拠。●宗教改革で職業はベルーフ、またはコーリングという認識になった。つまり各職業は神の「お呼び」でそれに就くのである。それを無視して専門家に任せず何でも自力でやろうとするのは低級な自己満足。できても醜悪なものになる●これ人生観にも通じる。聖書は数千年の歴史もあるのにこれを嫌って自力のつたない人生観、ちっぽけな自己満足で生きる人間の人生は惨めで醜悪●パソコンも同じ。自分の周囲によくわかる人がいてわからなければその人に「すぐ聞く」ことが上達の道。自力で知ろうとすると時間と金の無駄遣い●だから聖書勉強も第一優の人物に師事することが大切。そうでないと人生失敗する●JR四ツ谷駅から北側に伸びる道は道路拡張で両側に新しいビルが一斉にできたが、幅が狭い上にてんでんばらばらなデザインで醜悪な景観。それに電線だらけ。恥ずかしくて外国の人に見せられない。行政の指導が欠けていた。地域の景観をとくする建築協定というものを発動することができなかったのかなー。●都心を逃げ出したくなるのはこういう景観を見るとき。こういうところで育つ子供は不幸。「偉大なる思想」は生まれない。有名校に進学して金儲けにスバシコイ人間になることが人生の喜び、それが人生目標の小さい人間がが生まれるだけ●日経9面。「転職したい社員」は入社3年目で転職したいとおもう割合は37.5%。宗教的人生観、宗教的幸福感、宗教的生きがい観、宗教的経済観がなっちゃないからこうなる。これじゃ日本も崩壊だ。●人間は何を恐れるかによって価値がわかる。大抵の場合は自分の生命が壊れることが「恐れ」の第一である。具体的には「食えなくなること」つまり会社を辞めさせられること。社会的地位を失うこと。健康を害すること。貧困になること。この恐れがある人間は上に立つ者に媚びる。この世の命の延命に汲々とする。だからオリジナリティのある独創性が生まれない。常に上司にへつらうから命令に従うだけであって社会のニーズをつかめないでいる●その上司たるものが社会のニーズというものをつかめない場合は、部下もろとも組織全体が地盤沈下である。●そういう組織の現象としては「社内管理」ばかりが強くなって社会的に良い仕事ができない●神を信じない人間は「人を恐れる」。「会社を恐れる」「病気を恐れる」。そういう人間は三流である。何をやっても実りがない。つまらない発想ばかりする。●神を恐れる人間は人を恐れない。神を恐れる人間は金や地位や健康が失われることを恐怖に思わない。●神を信じない人間は金、地位、健康、会社、国家を恐れる。こういう人間は会社にも社会にも国家にも真に役に立たない。イエスは次のように言う。


文語訳 マタ 10:28
10:28 身を殺して靈魂をころし得ぬ者どもを懼るな、身と靈魂とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ。


塚本訳 マタ 10:28
10:28 体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。


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 あきる野に帰るとこの景色。自然は癒しだ。金と組織のドロドロで気持ち悪い気分に落ち込んでいる時、自然を見ることは癒しだ。人よ、悪とは戦うな。それはどうしようもないから離れよ、罪から逃れよ。悪から脱出せよ。どうしようもないから捨てよ。

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凡て祈りて願ふ事は、すでに得たりと信ぜよ ++++++++ 所感

2007/08/02 07:25

070802(木)5時半起床●目覚めでまたよいひらめき。「凡て祈りて願ふ事は、すでに得たりと信ぜよ」。これは不思議な言葉だ。神に信じ込めばその通りになるということだ。「信ぜよ」というだけならば、大脳皮質への慰めだけ。イエスが言うのははそういう人間的なことではない。「その通りになる」という驚くべきことなのだ。人間としては「本当かなー」と思ってしまうのだが●ポイントは「祈りて」である。神なき世界の「ガンバレガンバレ」「初心貫徹」「信念」「目標達成」「叱声」「一徹」「恋愛成就」などという人間的な頑張りとは全く違う。こういうことを最も大切なことだと教えているマスコミや教育のレベルは低いんだなー。●だから「仇討」を美徳とする時代劇は好きになれないのだ。●人間愛を貫徹する「恋愛」「不倫」も人間的思いのレベルなのだ●マルコ11:23-24 をJバイブルで翻訳比較する。


文語訳マコ 11:23-24
11:23 まことに汝らに告ぐ、人もし此の山に「移りて海に入れ」と言ふとも、其の言ふところ必ず成るべしと信じて、心に疑はずば、その如く成るべし。
11:24 この故に汝らに告ぐ、凡て祈りて願ふ事は、すでに得たりと信ぜよ、さらば得べし。


口語訳 マコ 11:23-24
11:23 よく聞いておくがよい。だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう。
11:24 そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。



新改訳 マコ 11:23-24
11:23 まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。
11:24 だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。



新共同 マコ 11:23-24
11:23 はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。
11:24 だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。



塚本訳 マコ 11:23-24
11:23 アーメン、わたしは言う、だれでもこの山に向かい、『立ち上がって海に飛び込め』と言って心に疑わず、自分の言うことは成ると信ずるならば、そのとおりになる。
11:24 だからわたしは言う、神に)祈り求めるものはなんでも、すでに戴いたと信ぜよ。そうすればそのとおりになる。


●朝風呂で日経「私の履歴書」、俳人の森澄雄。40年経て生家を確認。●人生には父母のルーツや自分の出生の秘密を知ってがっくりすることがある。その時は自分の血が汚れていると感じ、身をかきむしりたくない。これ人間世界のどんな癒しも通じない。この深い悩みから救われる唯一の道は「生まれ変わり」である。キリストの十字架による救いは「古い自分に死んで新しい自分になることである」


文語訳 Ⅱコリ5:17
5:17 人もしキリストに在らば新たに造られたる者なり、古きは既に過去り、視よ、新しくなりたり。


塚本訳 Ⅱコリ5:17
5:17 だから、キリストと結びついている者は、新しい創造物である。古いものは消え失せて、いまここに、新しくなってしまっている!



塚本訳ヨハ 3:3-7
3:3 イエスが答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、(徴を見て信じたのではいけない。)人は新しく生まれなおさなければ、神の国にはいることは出来ない。」
3:4 ニコデモがイエスに言う、「(このように)年を取った者が、どうして生まれなおすことが出来ましょう。まさかもう一度母の胎内に入って、生まれなおすわけにゆかないではありませんか。」
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。
3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。
3:7 『あなた達は新しく生まれなおさねばならない』と言ったからとて、すこしも不思議がることはない。


●図書館で音楽DVDを借りる。ヘンデル「メサイア」を妻と鑑賞。チェコのカペラ・イストロポリターナ管弦楽団、プラティスヴァラ・シティ合唱団、ヤロスラフ・クレチェク指揮。映像はバイエルンのベネディクト派大修道院。古楽器のなかなか良い演奏であった。ただし、合唱曲のみ収録。●メサイアははじけるような喜びのリズム。これ福音の喜び。ヘンデルが把握している福音の喜びが音楽に表れている●市販のDVDはまずほとんどがコピー不可能であることを知る。

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