to 日記と感想 2007年09月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170812(土)14:00お江戸こらりあーず演奏会、文京シビックホール
    170821(土)15:00お江戸コラリアーズ定期演奏会、文京公会堂
    170809     TW誕生日
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170708(土)14:00在宅医療説明会(キララホール)
    170707(金)10:00池谷医院
    170706      TM誕生日
    170702(日) 集会感話
    170701      TT誕生日
    170630(金)12:20キララホールエントランスコンサート
    170628      IY誕生日
    170627(火)11:00 能城牧師来訪
    170625)日)10:10トミ子集会感話
    170625(日)14:00茅ヶ崎金子邸
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール
    170610(土)14:00内村鑑三セミナー、立教大学12号館。矢田部、椚」山
    170609(金)   TS命日
    170608(木)12:15ボリショイ「白鳥の湖」、東京文化会館
    170707(水)10:00池谷医院
    170604(日)10:00集会感話、
    170604(日)16:30近藤恵邸起工式、福島市。
    170530(火)14:00田岡氏来訪
    170527(土)14:00今井館ピアノコンサート
    170521(日)14:00新宿フィル、ブラームス1番、レスピーギ「鳥」「ローマの松」。和田睦夫
    170425       TN)誕生日
    150420(木)09:30阿伎留センター泌尿器科)
    170416(日)14:00武蔵野室内合奏団、杉並公会堂(大坪満子)


孫への答え。千古不易の真理。 ++++++++ 所感

2007/09/30 05:21

070930(日)4時45分目覚め。孫の「死んだらどうなるのか」に対する答えが啓示としてささやかれる。「死んだら、体はなくなってしまうが、人には魂というのがあってそれが神様のところに眠る。けれども復活された神の御子((おこ)のエス様が迎えにきて眠りから覚ましてくださる。そして別の体(霊のからだ)で生き返らせてくださる。これを信じれば悲しみはなくなる」●これ一語一語に聖書的根拠があって千古不易の真理。●この一語一語の聖書的根拠は次の通り。


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死んだら体はなくなってしまうが、


文語訳 Ⅰペテ1:24
1:24 『人はみな草のごとく、その光榮はみな草の花の如し、草は枯れ、花は落つ


人には魂というのがあって


塚本訳 マタ 10:28
10:28 体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。


それが神様のところに眠る。


塚本訳 ルカ 8:52
8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。」


けれども復活された神の御子((おこ)のエス様が迎えにきて


新共同 Ⅰテサ4:14
4:14 イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます


塚本訳ルカ 23:42-43
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる。」


眠りから覚ましてくださる。


塚本訳ヨハ 11:11
11:11 こう話して、またそのあとで言われる、「わたし達の友人ラザロが眠った。目をさましに行ってやろう。」


塚本訳 ヨハ 11:43-44
11:43 こう言ったのち、大声で、「ラザロ、出て来い」と叫ばれた。
11:44 死人が手足を包帯で巻かれたまま、(墓から)出てきた。顔は手拭で包まれていた。イエスは「解いてやって(家に)帰らせなさい」と人々に言われた。


そして別の体(霊のからだ)で生き返らせてくださる。


塚本訳 ヨハ 11:23
11:23 イエスは言われる、「あなたの兄弟は生き返る。」


塚本訳 Ⅰコリ15:42-44
15:42 死人の復活もこのようである。(一つの体が死んで別の体が生まれる。)死滅の姿でまかれて不滅の姿に復活する。
15:43 恥辱の姿でまかれて栄光の姿に復活する。弱さの姿でまかれて力の姿に復活する。
15:44 (神の霊を持たない)魂だけの体がまかれて霊の体が復活する。魂だけの体がある以上は霊の体もあるわけである


これを信じれば悲しみはなくなる 


塚本訳  ヨハ 11:25-27
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」
11:27 イエスに言う、「はい、主よ、(信じます。)あなたが救世主で、神の子で、世に来るべき方であると、私は信じています。」


塚本訳 ヨハ 20:27-29
20:27 それから(すぐ)トマスに言われる、「指をここに持ってきて、わたしの手(の釘の跡)をよく見てごらん。手を持ってきて、わたしの脇腹に差し込んでみなさい。不信仰をやめて、信ずる者らしくしなさい。」
20:28 トマスがイエスに答えて言った、「わたしの主よ!わたしの神よ!」
20:29 イエスは言われる、「わたしを見たので、信じたのか。幸いなのは、見ないで信ずる人たちである。」


塚本訳 Ⅰペテ1:8
1:8 君達は彼を(目のあたり)見たことはないが、(これを)愛し、今も見ることは出来ないが、(これを)信じて、(既にかの日の)輝きに満ちた、言語に絶する喜悦を喜んでいる


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●この信仰に固く立つとき初めて無抵抗主義の生き方ができる。他国他人(それは猛獣)に食われても復活するという信仰があれば争いは無くなる。戦争はなくなる。●これなくしての戦争反対は「やせ我慢のヒューマニズム」。道徳思想のレベル。それはいつか「戦争を正当化」し始める。過去のキリスト教国同士の戦争は有体的復活の固い信仰がなかったからである。●日野原重明先生がご推奨される「葉っぱのフレディ」は、葉っぱは死んだら樹木の養分になるということで「死の慰め」になるというのだが、あれは輪廻転生の仏教くさい。キリスト教は復活。万物の再生である。●岩波新書、熊野純彦著「西洋哲学史」(古代から中世へ)、第3章を読む。パルメニデス、エレアのゼノン、メリッソス。さっぱり歯が立たない。これ専門領域の話。建築部品は5万種類あって、それを知らないと建築設計ができないのと同じ。哲学も専門の領域なのだ。●各職業分野には専門の領域があって、門外漢には手がでない歯が立たないのが普通。それを認識しないでやたらと天下国家を論じて政治批判する人間は他人の家に土足でドタドタと上がりこむようなもの。第一に失礼極まりない●宗教改革の本質は「個の尊重」である。個の職業領域の尊重である●某氏の家を設計した時のこと。その御令息から「設計の内容に注文をつけてよろしいものでしょうか」という質問があった。彼は弁護士であった。プロフェッションということを心得ておられた紳士であった。建築士としてはこういう人に心から尽くしたくなるものだ。 

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生活の貧しさ、心の豊かさ ++++++++ 所感

2007/09/29 05:46

070929(土)、3時半目覚め、4時半起床。寝付けない●次回の集会の話の構想。昨日のブログを書き直す●昨日は妻と「生活の貧しさと心の豊かさ」について語り合った●大塚久雄著で「生活の貧しさと心の豊かさ」という本があった。「生活は貧しくとも心まで貧しくなってはいけない」というのが結論であったように思う●キリスト教や信仰の蔵書量と信仰の深さは反比例する。自戒●大脳皮質の雑学知識の量と信仰も反比例する●著作数と信仰も反比例する。こと信仰に関しては大書大愚は真理。●社会批判の口数と有体的復活信仰の深さは反比例どころかあるかなきかである●年収の多さと信仰の深さも反比例する。わたしの知っている先輩は年金の月5万でニコニコして心豊かな生活をしている。「幸いなるかな貧しき者」は事実上の真理●ヒルティは「寄らば大樹の陰」という精神が若者をダメにすると言っている。この世の名誉、地位、権威、学歴、職歴、キャリア、有名校(ここへの入学は家庭の収入と比例するという単純なつまらない事実がある。知識の詰め込み競争だから)、有名企業、有名家系、有名人、大資産、イケメン、美人。これらを求める心理は実は「安心立命」「平安」「せつな的喜び」。●ところがこれらは実は「安心」できないのだ。喜びが続かないのだ。それが現実。そのことはみんな知っている。本人が一番よく知っている。今や役人は「天下り」もできにくくなっている。「天に宝を積め」。


塚本訳 ルカ 12:16-21
12:16 そこで一つの譬を人々に話された、「ある金持の畑が(ある年)豊作であった。
12:17 『どうしよう、わたしの作物をしまいこむ場所がないのだが…』と金持ちはひそかに考えていたが、
12:18 やがて言った、『よし、こうしよう。倉をみなとりこわして大きいのを建て、そこに穀物と財産をみなしまいこんでおいて、
12:19 それからわたしの魂に言おう。──おい魂、お前には長年分の財産が沢山しまってある。(もう大丈夫。)さあ休んで、食べて、飲んで、楽しみなさい、と。』
12:20 しかし神はその人に、『愚か者、今夜お前の魂は取り上げられるのだ。するとお前が準備したものは、だれのものになるのか』と言われた。
12:21 自分のために(地上に)宝を積んで、神のところで富んでいない者はみな、このとおりである。」


塚本訳 マタ 6:19-21
6:19 (このように、何事も天の父上相手でなければならない。たとえば)あなたたちは衣魚や虫が食い、また泥坊が忍び込んで盗むこの地上に宝を積まず、
6:20 衣魚も虫も食わない、また泥坊が忍び込むことも盗むこともない天に、宝を積んでおきなさい。(そうでないと、心が天に向かないであろう。)
6:21 宝のある所に、あなたの心もあるのだから。


●私が非常勤講師を務める昭和女子大の学長が「女性の品格」という本を著してベストセラーになっているが、雑学の学問知識は人間の品格を高めない。かえって争いの人間を作る。学校は人間を作らない。地上に宝を積む技術を教えて天に宝を積む人間をつくらない。●津上毅一さんと電話懇談。94歳にしてこのエネルギー。●妻と「アンサンブルポエム演奏会」(キララホール)に行く。パレストリーナの「祝えこの日を」、高田三郎の「心の四季」、ケルビーニの「エrクイエム」。17名の合唱団員は粒ぞろいであった●次回の集会の準備。「どうしたら安らかに逝けるか」。●妻は夜「メサイア」の練習


 

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どうしたら安らかに死ねるか ++++++++ 所感

2007/09/28 08:12

070928(金)4時起床。●朝風呂で岩波新書、熊野純彦著「西洋哲学史」(古代から中世へ)。第二章ピタゴラスとその学派、ヘラクレェイトス、クセノファネス。ナルホドと思った言葉「私は、じぶんが生まれたことを憶えていない。私はまた、私の死のそのさきになにが起こるかを知らない」。これ至言だ。また次の言葉にも感じた。「きみはおなじ川に二度と足を踏み入れることはないだろう、水は絶えず流されるからだ。」



回想写真。「川」、夏の秋川 2006.8.10撮影。そうだ人生も川の流れと同じだなー二度と同じところを流れない。人生も二度と同じところを通らない。この私は今後どのように流されていくのだろう。うまく大海(神の御許)に行けるか。


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回想写真、「川」。2007.6.20撮影。ザルツブルグ、カラヤンの家のそばを流れるザルツァッハ川(ドナウ川に注ぐ)。緑色をしているきれいな川だった。 


●具合の悪かった妻の口から意見とも小言ともつかない言葉だ出てうれしかった。なぜか。それは元気になった証拠だから。●次の集会の話の準備。「どうしたら安らかに死ねるか」。その骨子。


1・ 5歳の孫の質問。「死んだらどうなるのか」


   ライオンの餌食になる動物たちの絵本をみての質問


   人間の願望は、周囲に迷惑をかけないで安らかに逝きたい


2・心安らかに逝った二人の例


   死刑囚S。生涯病気であったUさん。


   平安、凱旋


   「苦しみは瞬時にして喜びは永遠」


3・この二人に共通なこと


   救いということを求めた。この世では不幸であった。


   救いに生涯感謝しつずけて、生涯神との交わりをもっていた


   有体的復活を固く信じていた


   複数の人(聖徒の交わり)を信じていた


4・「肉体を殺しても魂を滅ぼすことのできない者を恐れな」


   肉体はなくなるが魂は生きて霊の体で有体的に復活する


   初代キリスト教徒たちはライオンの餌食。


5・神は人間の「死の悲しみと不安」から救おうと必死である


   井戸に落ちた子供を救おうとする親の気持ちと同じ


   死の悲しみ恐怖から救われるために神はイエスを「死の床から


   起し」「復活させて」人類に来世実在の希望を与えた。


   我々はそれを信ずるかどうかにかかっている。

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真理は宣伝しなくても伝わる ++++++++ 所感

2007/09/27 05:04

070927(木)3時40分起床●朝風呂で岩波新書、熊野純彦著「西洋哲学史」(古代から中世へ)。●この本は20世紀で最大の書という評があるそうだ。そう言われると読まずにはいられない。しかし難解そうである。幸い最近は朝刊が遅いので、上下全30章を一日一章ずつ読もうと決心。●「はじめに」で捕まった。哲学とは個の経験疑問が言葉になって紡がれたものだという。そうか、すると孫が「死んだらどうなるのか」という疑問を呈したのは立派な哲学の始まりなのだ。この本は面白そうだ。なぜか。権威者が書いているからだろう。ところどころにギリシャ語や聖書が出てくるのがうれしい。●第一章はタレス、アナクシマンドロス、アナクシメネス。これエーゲ海沿岸のイオニアに発したミトレス学派。タレスは世界の原理は「水」と言っているがそれはエーゲ海の風景を見てその思想が紡ぎだされたのではないかと言う。なるほど、なるほど。


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回想写真。「カイザリアの港から見たエーゲ海」。2006.3.25撮影。さすがにきれいな海であった。「偉大なる思想は美しい景色から生まれる」というのが私の持論。


●今朝の囁き。「真理は宣伝しなくても伝わる」。●なぜこの囁きがあったのか。それは070925のブログへの応答に感じるところがあったのである。まずその070925のその部分を再掲する。


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070925ブログの一部


●「永遠と愛」・・エミールブルンナー教授説教集・・新保満の筆録による・・を読む。その「本書成立のいきさつ」に心打たれる。この本のもととなったのは新保氏が死刑囚に回覧したブルンナーの説教の筆記であった。新保氏の友人S氏は新保氏などの祈りの結果立派に回心して勇躍死刑台(福岡拘置所)に上った。平安であったという。●新保氏は福岡拘置所の死刑囚に、東京のいろいろな教会の牧師の説教を筆記して送ったがどれもこれも判らない(難しい)という。しかし吉祥寺教会の竹森満佐一牧師、東中野教会の由木康牧師、そして国際基督大学のブルンナーの説教はわかったらしい。このことを知って思う。説教が「良くわからない」というのは難しいのではなく、真理が説かれていないのだ。●明日にもわからぬ命の死刑囚の人たちには「十字架と復活の真理」だけが真剣に説かれなければならない


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


●これに対する応答がブログのコメント欄で公開の形で次のように寄せられた。公開になっているからここに再掲する。


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由木康さんって、「きよしこの夜」を翻訳した方?
讃美の世界ではよく聞く名前ですね。
言葉のセンスがすばらしい人。
そうかー、核心を語れる人だったんですねー。

熊野純彦さん、nikkou(高橋註、ブロガーのペンネーム)
の職場でも評判が高くて、nikkouは「シリーズ哲学のエッセンス」がとても勉強になりました。新書なのに「21世紀最大の書」と言われているとは!そんな本の創造の現場に立ち会ってみたいと思います。


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●このことで、思い当たることがある。福音の真理は、個人が把握すればそれですでに人類のもの、国家のもの、教会(集会)、家庭のものになったのだ。そしていったん把握すればそれは努力して(これ証と称する)宣伝しなくても漏れ出るものなのだ。伝わっていくものなのだ。さまざまな方法で。●つまりその信仰が本物であればたとえそれが一人であってもよい。それがパン種になる。からし粒である。教会(集会)にはそういう本物の信仰を持っている人が一人でもいれば福音は伝わるのだ。竹森、由木、ブルンナーは本物だったのであの死刑囚の心にも響いたのだ。このことをイエスは次のように言う。


塚本訳  マタ 5:14-15
5:14 あなた達は世の光である。山の上にある町は隠れていることは出来ない。
5:15 また、(せっかく)明りをともして枡をかぶせる者はない。かならず燭台の上に置く。すると、家の中におる人を皆照らすのである。


●070926の墓参の記事を読まれた方が、ブログ上の応答で「此処に余は在らず」と言って三谷隆正の言葉を教えて下さった。その日のブログコメント欄参照。


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回想写真 私を抱く母 1950年昭和20年頃(母30歳、私2歳の頃?) 浦和市 背景は隣の家でまだ実在する。070812ブログ参照


昨日は母の墓参をしたからだろうか、しきりに3年前に亡くなった母のことを思う。人が地上で「母」と死別するというのはとても悲しいことである。私の固く信ずるところによれば、信仰を持つことがなく逝った母とも来世では必ず会えると思う。なぜか。この私をお腹を痛めて生んでくれてキリストを信ずるようになるまで苦労して育ててくれたのだから。私だけが救われるということはないはずだ。母はその生前に、私が若い時にキリストを信ずるようになったわけはなぜであるか、それを常に不思議に思っていた。そのわけは「神のみぞ知る」だ。ただただ絶対恩恵だ。来世でわかる。復活のときにわかる。今しばしだ。


●ブログの応答には珠玉のものがある。●イエスの言葉はすべて問答や応答。●かって某女との対話で「バッハ、カンタータ147番『心と口と行いと生きざまをもて』は無教会主義をあらわしているようですね」と言われたのは啓示であった。●対話は自己を向上させる。なぜか。人間は小宇宙だから対話は他の宇宙との出会いなのだ。●妻が病み寝込む。私は夕食の買い物。妻「私、ずいぶん弱くなったわ」。私「しょうがないよ。子供を4人も育てて、しかも老年になったのだから●10月7日の集会の話の準備。「どうすれば安らかに逝けるか」

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墓参する ++++++++ 所感

2007/09/26 07:34

070926(水)4時半目覚め、起床。朝の囁き。「人が救われるのは風のようだ」。「人が神を知るのは100%神の意志。人間の側の努力や行為は0%」・・・これ今日の勉強課題●朝風呂で日経「私の履歴書」、文楽人形遣いの吉田蓑助。リハビリをやりつつ舞台に復帰。NHKの山川静夫氏も同病であって、励まされたこと。同病相哀れむ。これはキリスト教でも同じ。「私もあなたと同じ罪を犯したものです」というのが福音伝承の基礎。●長野県で、中学3年の少年が寝ていた父親の頭を斧で殴って重傷を負わせた。調べに対し殺意があったという。これを知った人は「それは私と同じです」というようでなければならない。そう思わない人間は罪悪感覚が乏しいから、救いに遠い。「あのいやな奴は早く死なないかなー」「あのいやな姑、早く死んでくれないかしら」「あのいやな奴は失敗して失脚しないかな―、早く定年になって辞めないかなー」などというのはすべて人pには知られないが神は知っている。心の中を見通している。●塚本虎二先生記念会の準備で各講師に連絡。


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妻と秋川霊園に父母の墓参。二人で私たちはあと何年生きられるのかなーと話し合った。私たちが死ぬと子供たちはあきる野市には縁がなくなるからなかなかここに墓参にも来てもらえないだろうなーとも話し合った。この墓には父母と、母の父と母の養母が眠っている。墓碑銘は「神は愛なり」。日本の長男は先祖からの檀家を守らなければならないのでキリスト教には帰依しにくい事実があることを話し合った。集会の某氏の父は仏教の僧侶、息子がキリスト教になると聞くと、「檀家に申し訳ない。腹を切って死ぬ」と言われた。今、その某氏の信仰は固い。


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そばに、セブンスデーアドベンチスト八王子教会の墓がある。そうだ、信者は墓にはいないのだ、神のみもとに眠り続けるのだ。そして最後の日に有体的に復活するのだ。墓参に来てもらえなくてもよいのだ。墓参の習慣などは異教思想だ。子供たちはそれぞれのところで生きて死ねばよいのだ。「父母を忘れよ」。人は誰からも「拝まれよう」としてはいけないのだ。



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妻の友人の浦上さんの御両親の杉浦家の墓。聖書の言葉が書かれている。来世は神のところに眠るという人生観は喜びだ。


●昭和女子大後期授業準備。今年はどんな学生が来るだろう。





 

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聖徒の交わりとは何か ++++++++ 所感

2007/09/25 07:39

070925(火)5時半起床。寝過ぎは頭が悪くなる。朝のひらめき。「聖徒の交わり」とは何か。これ今朝の勉強課題。●朝風呂で日経「私の履歴書」、文楽人形遣いの吉田蓑助。人間国宝のあとに次々と各種の賞を受賞。NHK放送文化賞、大阪芸術賞、紫綬褒章、日本芸術院章。この世の賞というのは、大体において仲間内の褒め合いである。なぜか。「その道」のことは仲間内切りわからないから。賞は、その道の団体に対して章を与えるから「誰か一人推薦せよ」というプロセスが多い。私は建築関係でその推薦のプロセスの一端に加わったことがあるからその仕組みがよくわかる●かって元有名大学の医学部長であった方の名刺を頂いたが、裏を見ると各種団体の要職がズラーッと書かれていた。肩書きが多すぎて重そうであった。これなんかは元医学部長であったということでその肩書きを利用されているにすぎない。悔しくて言うのではないが、この世の判断基準は「人間の価値」とは縁遠いものである。●本人は悪くない。肩書きを担ぐ周囲のこの世的人間がいけない。●またそういう人間に担がれる人間もこの世的人間。●辞職した安部元首相は、そのスタートは国民的人気があるという数値的判断で担がれて首相なったが、世論の人気の低下でその座を去った。悪いのは軽薄な「世論」、またその数値で物事を判断する神なきマスコミの連中。


塚本訳 ルカ 16:15
16:15 そこで彼らに言われた、「あなた達は人の前では信心深そうな顔をしているが、神はあなた達の心を見抜いておられる。人の中で尊ばれるものは、神の前では嫌われるものである


●文楽人形遣いの吉田蓑助はこの世の名誉を一手に握ったあと「脳内出血」で倒れる。そして懸命のリハビリ。右手が不自由であったが、ソフトボールを固く握る訓練で、ボールがべこべこになるまで励んで、カムバック。この世の名誉を受けた話よりこの話の方が非常に心打たれた。●「聖徒の交わり」とは何かを学ぶために三種の神器を使う。


●まずJバイブルで「交わり」を検索。心に響くものをピックアップ。


使    2: 42 [塚本訳


彼らは使徒たちの教えを固く守り、(信者の)交わりと、(一緒に)パンを裂くことと、祈りとに余念がなかった。


ロマ   1: 26 [塚本訳


このゆえに神は彼らが恥ずべき肉欲におぼれるに任せられた。すなわち、女はその自然の交わりを不自然な交わりにかえ


ロマ   1: 27 [塚本訳


同じく男も女との自然の交わりをすてて互に情熱をもやし、男と男とが恥ずべきことを行い、迷いに対する当然の報いをその身に受けている。


ロマ   15: 26 [塚本訳


それは、マケドニヤ(州)とアカヤ(州)と(の兄弟たち)が、エルサレムの貧しい聖徒たちのためにいささか交わりのしるし(の醵金)をすることに決心した(ので、持参せねばならない)からである。


Ⅰコリ  1: 9 [塚本訳


神は誠実であられる。この神によって、御子なるわたし達の主イエス・キリストとの交わりに、あなた達は召されたのである。


Ⅰヨハ  1: 3 [塚本訳


わたし達が見たもの、また聞いたものを、あなた達にも告げる。あなた達もわたし達と(霊の)交わりを持つためである。しかしわたし達のこの交わりは、(他方においては)父(なる神)とその子イエス・キリストとの交わりである。


Ⅰヨハ  1: 4 [塚本訳


わたし達が(この手紙を)書くのは、(あなた達がわたし達との交わりに入り、)わたし達(が父と子と)の(交わりにおいてもっている)喜びが、完全なものとなるためである


●これらを並べてみると、神との交わりが基本で、そこから創造の秩序の法則にもとづく「ただしい「自然な交わり」が男女間、夫婦間、信者間で営まれる。神なき家庭や教会(集会)は神ならぬものを第一とするから真の交わりに欠け、秦の喜びがない。●人間はまず神との霊的交わり、その結果としての地上での横の交わり。しかもそれは霊的交わりが基本。縦の霊的交わりがあっての横の霊的交わりが成立する。●交わりの徴は「お遊び」「おしゃべり」ではなく、献金。資金援助。お金がなければ「労働奉仕」。身を捧げること。時間を割くこと。


●次に三種の神器の第二番目BbBで1ヨハネ1:3-4を見てみよう。 


(独)NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 27版1993 の引照


新共同 ヨハ 15:11


15:11 これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。


 


(英・米)THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE 1982 の引照


口語訳 Ⅱコリ13:13-14


13:13 主イエス・キリストの恵みと、神の愛と、聖霊の交わりとが、あなたがた一同と共にあるように。


 口語訳 ピリ 2:1


2:1 そこで、あなたがたに、キリストによる勧め、愛の励まし、御霊の交わり、熱愛とあわれみとが、いくらかでもあるなら、


 (日)新共同訳1987の引照


新共同 Ⅰヨハ4:14


4:14 わたしたちはまた、御父が御子を世の救い主として遣わされたことを見、またそのことを証ししています。 


新共同 Ⅰコリ1:9


1:9 神は真実な方です。この神によって、あなたがたは神の子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです。


 (仏)THE NEW JERUSALEM BIBLE 1985 の引照


口語訳 Ⅰコリ1:9


1:9 神は真実なかたである。あなたがたは神によって召され、御子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに、はいらせていただいたのである。


●これを見るとやはり何と言っても個の神との交わりが基本。すべてはそれがしっかりしていないといけない。それなくして、聖書も、神学も、教会も、集会も、仕事も、家庭尾も、然り人生もない。特にキリスト教芸術もない。


●次に三種の神器の三番目TSKを見てみよう。


John 17:3:
永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります


 John 17:21:
父よ、それは、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、みんなの者が一つとなるためであります。すなわち、彼らをもわたしたちのうちにおらせるためであり、それによって、あなたがわたしをおつかわしになったことを、世が信じるようになるためであります。


I Corinthians 1:9:
神は真実なかたである。あなたがたは神によって召され、御子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに、はいらせていただいたのである。


Colossians 1:13:
神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった。


I Thessalonians 1:10:
そして、死人の中からよみがえった神の御子、すなわち、わたしたちをきたるべき怒りから救い出して下さるイエスが、天から下ってこられるのを待つようになったかを、彼ら自身が言いひろめているのである。


●これを読むと、永遠の生命とは「神との交わり」であることがわかる。●これで心一杯、胸一杯。「聖徒の交わり」とは神との交わりから自然に発生する神的公的な横の交わりのことである。したがってそれを「信ずる」ということは神を受け入れることである。●「永遠と愛」・・エミールブルンナー教授説教集・・新保満の筆録による・・を読む。その「本書成立のいきさつ」に心打たれる。この本のもととなったのは新保氏が死刑囚に回覧したブルンナーの説教の筆記であった。新保氏の友人S氏は新保氏などの祈りの結果立派に回心して勇躍死刑台(福岡拘置所)に上った。平安であったという。●新保氏は福岡拘置所の死刑囚に、東京のいろいろな教会の牧師の説教を筆記して送ったがどれもこれも判らない(難しい)という。しかし吉祥寺教会の竹森満佐一牧師、東中野教会の由木康牧師、そして国際基督大学のブルンナーの説教はわかったらしい。このことを知って思う。説教が「良くわからない」というのは難しいのではなく、真理が説かれていないのだ。●明日にもわからぬ命の死刑囚の人たちには「十字架と復活の真理」だけが真剣に説かれなければならない●本書の中に、「聖徒の交わり」という言葉がでてくる。死刑囚のSを救いに導いたのは 複数の信者であるというのである。●この本の書き込みに、私は1989年11月25~16日読了。Good.(感銘した本にはこう記すことにしている)。藤林先生推薦。とある。藤林先生はなぜこの本をご推薦なさったのか、今では聞くことができない。●藤林先生は常に「死は罪を清める」とおっしゃっておられた。●図書館からの音楽DVDでブラームスのドイツレクイエムを鑑賞。カラヤン+ベルリオンフィル+ウィーン国立歌劇場合唱団+ソプラノ・グンドラヤノヴィッツというちょう豪華メンバー。この演奏ではカラヤンは目を開けて一緒に歌っていた。会場はザルツブルグ祝祭劇場。ザルツブルグはカラヤンの故郷。この会場は本年6月21日に訪れたことがある。この音楽祭のチケットは4~5万円。しかもなかなかとれないという。


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回想写真 2007.6.21 ザルツブルグ祝祭劇場の見学。ザルツブルグ祝祭劇場はホールが複数あるが、このホールは大きいもの。舞台ではチャイコフスキーのエフゲニーオネーギン(多分)の準備中であった。このホールのチケットは4-5万円でとても手が出ないし、世界中から詰めかけてくるので入手困難という。故郷ザルツブルグで棒を振ることのできたカラヤンの心境やいかに。


●「21世紀の最大の書」との評判もあるという岩波新書・熊野純彦著「西洋哲学史」二巻を図書館で借りてきたが、目次を見て簡単には歯が立ちそうにない。どうしよう。全部で30章あるから一日一章ずつ格闘して読むか。ラスキンの「建築の七燈」のときはそうしたものだった。


●市役所屋上、田中三郎畑、池谷医院、BK、郵便局、ノジマ、図書館、薬局。これで半日かかった。


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あきる野市役所の屋上から丹沢の方角を望む。秋の空は雲が美しい。 206.9.26 10:27


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今日は十五夜、中秋の名月。しかし左の方が少し欠けている。妻の説明では十四夜の方が満月に見えるのだそうだ。その昔、天体望遠鏡でクレーターを見たことを思い出した。両親を招いて見せたものだったなー。2007.9.25 18:18


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妻が「今日はまた別の月下美人が咲きそうよ」と言って鉢を家の中に入れる。夜半に起きると咲いていた。 2006.9.26 0:21


 起きた時にはもうしぼんでいた。この花は6時間の命であった。アー「花の命は短いなー」。まてまて人の命も短いのだ。聖書の二か所を思う。


文語訳 Ⅰペテ1:24-25
1:24 『人はみな草のごとく、その光榮はみな草の花の如し、草は枯れ、花は落つ。
1:25 されど主の御言は永遠に保つなり』、汝らに宣傅へたる福音の言は即ちこれなり。


口語訳 詩  90:4-5
90:4 あなたの目の前には千年も/過ぎ去ればきのうのごとく、夜の間のひと時のようです。
90:5 あなたは人を大水のように流れ去らせられます。彼らはひと夜の夢のごとく、あしたにもえでる青草のようです。


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来世の実在はいかにして証明されるか ++++++++ 所感

2007/09/24 08:22

070924(月)振替休日●4時20分起床●朝のひらめきと黙想「来世の実在はいかにして証明されるか」。●これは孫の「死んだらどうなるの」という母親に対する質問に触発されてのこと。●神は来世の実在を、歴史的証明で示した。「ただ信ぜよ」と理性を犠牲にするような無理なことはしなかった。ただその証明はあくまでも歴史的なこと、この世のこと。しかしながらそれを見たり知ったりした人に霊霊(神の力)が働かなければ来世を信じることはできない。●神がイエスを通じて来世の実在を人類に証明したことの数々。①ラザロの姉妹にラザロを復活してみせた。②トマスに脇腹を見せた。③ヨハネはイエスの墓が空になっているのを見た④エマオの二人は復活のイエスが目の前の机に座っているのを見た。これらは見ても聞いても「胸が熱くならなければ」。ただの偶然であってそのままでは信じられない。●では現代の我々にはいかにして来世の実在が証明されるか。それは複数の救われた人間の存在。それがエクレシア、教会の存在意義。複数でなければ効果がない。「わが名によりて2-3人集まる所に我もおるなり」。はこの真理を指す●その実例二つ。①私の知人は大学生の時、3人の無教会の先生に聖書を指導された。その3人の先生に共通の土台を見た。②我が家の子供の1人は、「日曜日になると父母はあわただしく集会に行く」。二人が同じ方向に歩いて行くのをなにか不思議に感じたのか●ずっと以前のこと。「御両親に信仰があればお子様はきっと信仰に入ります」と話してくれた御夫人(故人)がおられた。これも複数の証明の原理●真理の証明には複数の人間の存在が必要らしい●5歳の子供が来世を信ずるのにはどうしたらよいか。「お父さんもお母さんも学校の先生も信じているからきっと(来世)はあるのではないか」と考えるのが王道ではないか。●そうしているうちに彼自身に神の力が働いて(聖霊が下って)いつの日か自分自身の信仰になるのではないか●高校生の時にキリスト教の米国の高校に留学した人はキリスト教信仰に目覚やすいという話を聞いたことがある。●某氏のお子様が外国に行ったらそこの教会で話していることは日本にいたときに「お父さんが話していたことと同じだ」ということがわかったという。これも複数の証明に力があることの原理●現代における来世の証明は、胸が熱くなって来世を信じられた複数の人間の実在。これが教会エクレシアのレゾンデートル(存在意義)。●上からの聖霊だけではいけなくて地上の証明が必要な理由はわからない。神が人の子イエスの姿になってこの世に下った意味に遡る。●朝風呂で日経「私の履歴書」、文楽人形遣いの吉田蓑助。人間国宝になった話。ますます異分野の世界のことでつまらない履歴書の内容。「人間の間で尊ばれるものは神が嫌う」というのは真理。(ルカ16:15)●6時半の収集ポストに間に合うように自転車を飛ばして一通投函。朝の空気はおいしい●日経で、今度自民党総裁になった福田氏はバルトークの音楽が好きだというので、CDで聴いてみたが難曲。小泉元首相の好きなのはイタリアオペラだったという。なるほど「郵政民営化」を故パバロッティのように大声で叫んでいたなー。福田氏の政治はバルトークのように難しくなければよいがとは日経記者の弁。同感。●先週一週間のブログのまとめとプリント●「藤林益三記念講演会」のまとめ。●図書館、CDとDVD
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死んだらどうなる ++++++++ 所感

2007/09/23 20:37

070923(日)5時半起床●プリンターの色合いが悪いので悪戦苦闘。●朝風呂で日経「私の履歴書」、文楽人形遣いの吉田蓑助。●集会は茂木洋子、小寺、高橋(使徒伝承の聖書的根拠)●妻は愛子のところに「かなほ」の見舞い●私は14:0村野直子フルートリサイタル」(キララホール)。企画の成功。ショパンのノクターンを日舞で踊ったのは新鮮でよかった●プリンターが正常になる。なんのことはないカートリッジにインクの種類を間違えていただけのこと●最近は集会で話した後に「疲れ」が出るようになった●孫の一人がその母親に「死んだらどうなる」ということをしきりに訪ねるという。●そこで図書館で「死んだららどうなる」ということに関する絵本をレファランスに訪ねると、数冊出してくれた。この問題は真面目なるものなのでおろそかにはできない。課題が与えられた。
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必死の祈りは聞かれる ++++++++ 所感

2007/09/22 20:13

070922(土)5時起床。明日の集会の準備。配布するプリントには最後の最後まで手を入れたくなる。これ建築設計と同じ。●明日の話のタイトルは「使徒伝承の聖書的根拠」副題は「9月18日、寝ていた父親の首を斧で切って殺した16歳の娘のことを思う。もし彼女を獄中に訪ねることができたら伝えたいこと」●カラープリンターのインクが切れて困った。電気店に自転車を飛ばした。このインクは高い。●エプソンにカラープリンターの原理を聞いて感心した。●14:00練馬文化センターに妻と「合唱団かわせみ」の定期演奏会。ザルツブルグとウィーンに一緒に行ったメンバーがいた。指揮者の山本義人先生は司会も歌も同時にこなして見事であった。●妻は、中座して桐朋学園文化祭の「メサイア」にアルトのエキストラ出演●原因不明の高熱で入院していた愛子の次女「かなほ」が退院できたと母(愛子)から明るい声で電話。「こんなに必死に祈ったのは生まれて初めてのこと」だという。子供に「祈ること」を伝授できたのはありがたいことだ。感謝。なぜか。祈りは打ち出の小槌だからだ。原子力発電所を設けるより効果大。なぜか。祈りは全能の神とつながれるから●人生、どんな些細なことでも困ったらまず神に「必死に祈る」ことが大切。なりかまわず祈るのだ。トイレの中で祈るのだ。●「母」の最大の役目は「子供のために祈ること」だ。「必至の祈りは聴かれる」。「涙の子は滅びない」(放蕩息子アウグスチヌスの母モニカを慰めた司教の言葉)●病気が治ったら、まず神に感謝すること。それを忘れて病院や医者や自己の判断のおかげだと傲慢な態度でいるとまたまた病気になる。●津上毅一さんからワープロ原稿がもう到着。94歳ににしてこの能力は脱帽。私より30歳も上。


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電気店にカラープリンターのインクを購入するために自転車を飛ばしている時。秋の空。パステルカラーの空だ。日本人好みの色合いだ。 2007.9.22 10:49


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練馬文化センターでのコンサートが終わって表に出ると、この空。練馬の夕方の景色。今日のコンサートはよかった。 2007.9.22 16:06

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死は良いものをもたらす ++++++++ 所感

2007/09/21 06:56

070921(金)4時半目覚め●朝のひらめき。「死はよいものをもたらす」。イエスは洗礼者ヨハネが殺されたと聞くと伝道に腰を上げた。


塚本訳  マコ 1:14-15
1:14 (洗礼者)ヨハネが牢に入れられた後、
イエスはガリラヤにかえり、神の福音を説いて
1:15 言われた、「時は満ちた、神の国は近づいた。悔改めて福音を信ぜよ」と


塚本訳 マタ 14:10-13
14:10 人をやって牢でヨハネの首をはねさせた。
14:11 首は盆にのせて持ってきて少女に渡され、少女は母に持っていった。
14:12 ヨハネの弟子たちは来てなきがらを引き取って葬り、行ってイエスに報告した。
14:13 これを聞くと、イエスは自分(と弟子たち)だけ、そこから舟で人里はなれた所へ立ちのかれた。すると群衆はそれと聞いて、町々から陸を歩いてついて行った。


●人間には「自責の念」というものが必ずある。ペテロは自己保身のために嘘をついた。


塚本訳 マタ 26:75
26:75 ペテロは、「鶏が鳴く前に、三度、わたしを知らないと言う」と言われたイエスの言葉を思い出し、外に出ていって、さめざめと泣いた


●ユダの裏切りの原因は謎だが、イエスが自分にとって期待はずれの男であったことは確か。それで密告した。しかし悔いて自殺。「自責の念」が厳然としてあることの証明。


塚本訳 マタ 27:3-5
27:3 その時イエスを売ったユダは、イエスの判決が決まったのを見て後悔し、(受け取ったシケル)銀貨三十枚を大祭司連、長老たちに返して、
27:4 「罪もない(人の)血を売って、悪いことをした」と言った。彼らが答えた、「われわれの知ったことではない。お前が自分で始末しろ!」
27:5 ユダは銀貨を宮に投げ込んで去り、行って首をくくった


●パウロのあの激しい伝道のバネはキリスト者を殺したという自責の念でもあるという学者がいる。


塚本訳 使  22:4
22:4 わたしはこの(キリストの)道を迫害し、男女の別なく(信者を)しばって牢に入れ、殺すことをも辞さなかったのであります


●これによりパウロのあの難解な言葉の一面がわかってくる。「死は人に良いものをもたらす」


口語訳 ピリ 1:21
1:21 わたしにとっては、生きることはキリストであり、死ぬことは益である


●イエスはもっと簡単にしかも深く言う。


文語訳  ヨハ 12:24
12:24 誠にまことに汝らに告ぐ、一粒の麥、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし


●なぜこういうことが死後に起こるのか。イエスは言う。


塚本訳  ヨハ 16:13-14
16:13 真理の霊が来る時、彼があなた達を導いていっさいの真理を悟らせるであろう。(いっさいの真理というのは、わたしと同じく、)彼は自分勝手に話すのではなく、(父上から)聞いたことを話すからである。また将来起るべき(世の終りの)ことをあなた達に知らせるであろう。
16:14 彼は(こうして)わたしの栄光をあらわすのである。というのは、彼はわたしのものの中から取ってあなた達に知らせる(ので、結局わたしに代って仕事をつづける)のだから


●朝風呂で日経「私の履歴書」、文楽人形遣いの吉田蓑助。人が成功してくると全く違う分野のことになって話もわからなくなり履歴書もつまらない。●過日は三越+高島屋、昨日はシャープ+パイオニア。今日は三井不動産+帝国ホテルの提携。あー経済の世界はめまぐるしい。仕方がない。しかしむなしいなー、悲しいなー。人生がめちゃくちゃになる人もいるなー。●大企業必ずしも安定していない。最近では官吏も生きにくい。天下りができにくくなったからである。●結局、人生はこの世では「落ち着けるところ」というものはないものだ。●昼食は秘書の村松さんと殺人事件のTVを見ながら。懇談。●新一から結婚式DVDの修正版が届く。衣純さんからすばらしい手紙。●津上さんと高木謙次氏に電話●風邪気味の妻は医者に行って少し良くなる。


 


 


 


 

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人生のうめきと祈り ++++++++ 所感

2007/09/20 05:03

070920(木)4時起床●朝の黙想「人生のうめきと祈り」●人生の旅では様々な「苦」というものがあるが、そのうちで時々襲ってくるのは人間関係における苦、トラブル、その時の「うめき」である。これはかなり苦しい。肉体の苦痛とは違う霊魂の苦である。その場合はどうしたらよいかを黙想する。その答えを聖書に求めてみよう。●このとき役に立つのがJバイブル(私の言う三種の神器のうちの第一番目のもの。いのちのことば社刊行、パソコンソフト約一万円。キリスト信者の必携)。これで「うめき」を検索。●次に役立つのがBbB(三種の神器の第二番目、私のHPに掲載、無料)●次はTSK日本語ヴァージョン(三種の神器の第三番目。私のHPで紹介、無料)。●ロマ書8:26が一番ピタリときた。この箇所は亡くなった父の愛唱句であった。


文語訳  ロマ 8:26
8:26 斯くのごとく御靈も我らの弱を助けたまふ。我らは如何に祈るべきかを知らざれども、御靈みづから言ひ難き歎きをもて執成し給ふ


塚本訳  ロマ 8:26
8:26 しかし(創造物やわたし達神の子が苦しんでいると)同じように、御霊も、弱いわたし達を助けてくださる。すなわち、(神のみ心にかなうには)どう何を祈るべきかわからないので、御霊自身が、無言の呻きをもって(わたし達の祈りを神に)執り成してくださるのである


●私が苦難の時に人生の先輩から短いアドバイスを頂いた。そのうちで心に残るもの。


「祈りは聴かれる」(Sさん)、「すべてのこと相働きて益となる」(父、T先生)、「意外なことが起こりますよ}(M先生)、「悩んでいないでガーッと言ってしまった方がよい」(T先生)、「あの人にはいいところある」(Tさん)、「悪いところは神が注意してくださる」(F先生)、「人の信仰内容は批判しないこと」(Oさん)


●朝風呂で日経「私の履歴書」、文楽人形遣いの吉田蓑助。米国講演は成功したが、中には人形劇だと思って子供連れできた親が「心中もの」だとわかってあわてて席を立ったこともあったという。米国健全なり。●心中ものを美化するような日本精神は低級である。世界的になれない。●戦後、谷崎文学が米国に紹介されたことを知った矢内原忠雄は頭に原爆が落ちたよりショックだったという●不倫を美化するような親からは倫理的に健全な子供は出ない。それは判でついたように決まっている。家庭が崩壊する。自業自得、身から出た錆である。●家庭の土台に宗教(信仰)がないと崩壊しやすい。なぜか。この世の欲は神によらなければ避けられない。この世の欲(金、異性)は魔物である。神なき生まれつきの人間はそれに弱い。それを神として拝む。


文語訳  マタ 7:24-27
7:24 さらば凡て我がこれらの言をききて行ふ者を、磐の上に家をたてたる慧き人に擬へん。
7:25 雨ふり流みなぎり、風ふきてその家をうてど倒れず、これ磐の上に建てられたる故なり。
7:26 すべて我がこれらの言をききて行はぬ者を、沙の上に家を建てたる愚なる人に擬へん。
7:27 雨ふり流みなぎり、風ふきて其の家をうてば、倒れてその顛倒はなはだし』


塚本訳  マタ 7:24-27
7:24 だから、以上のわたしの話を聞いてそれを行う者は皆、岩の上に家を建てた賢い人に似ている。
7:25 雨が降って、大水が出て、風が吹いて、その家に襲いかかったが、倒れなかった。岩の上に土台があったからである。
7:26 また、わたしの話を聞くだけでそれを行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。
7:27 雨が降って、大水が出て、風が吹いて、その家にうちつけると、倒れてしまった。ひどい倒れ方であった。


 ●塚本先生が農商務省を辞して聖書の研究に没頭するようになった間接的な動機と言われる「鈴弁殺し」の事件(1919年5月1日)について調べる。犯人の山田憲は東大農学部卒の農商務省外米管理部技師。塚本先生は米(コメ)問題に尽力。したがって同僚であったと思われる。山田憲は株に失敗、借金に困って米成金の鈴木弁蔵(これが鈴弁殺しと言われる由縁)をバットで撲殺、バラバラにしてトランクに詰め信濃川に捨てたもの。後に死刑。塚本先生はその事件が起きたじ月に農商務省を辞職している。●キリスト教に深く帰依して大きな働きをした人物はその背後に傷心の事件がある。●パウロ(キリスト信者を迫害し殺害。使徒22;4)、ユダはイエスを売った。ペテロはイエスを捨てた。アウグスチヌスは放蕩の限りをつくした。我が内村鑑三は離婚で傷心、米国に行く。我が塚本虎二は鈴弁殺しの事件がきっかけで農商務省をやめて聖書研究に没頭。●ゲーテは友人が人妻に恋してピストル自殺、れにヒントを得て「若きウェルテルの悩み」を執筆、自らの恋の悩みを小説上で殺して人生を再生。●人の死は何か良いものを生むものだ。


文語訳 ヨハ 12:24
12:24 誠にまことに汝らに告ぐ、一粒の麥、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし。


塚本訳  ヨハ 12:24
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)


●キリスト教の世界の大物は大抵「傷心」が人生のバネになっている。とても良い働きをするようになった例が多い。


 


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親殺しの娘の救い ++++++++ 所感

2007/09/19 05:31

070919(水)4時半起床●朝のひらめき。「罪もない人の血を売って悪いことをした」。●昨日のニュースで「16歳の娘が寝ている父親の首を斧で切って殺害。その娘は『お父さんが嫌いやから殺した』と供述しているという。日頃から仲が悪かったらしい。この事件が頭から去らなかったからこの聖句がささやかれたらしい●これは他人事ではない。この娘の供述はそのまま私たち全員の心である。「アノ嫌いな人早く死んでくれないかしら」と思うだけでも殺人なのだ。イエスは言う。


塚本訳  マタ 5:21-22
5:21 (だからわたしの戒めは彼らよりもきびしい。)──あなた達は昔の人が(モーセから、『人を)殺してはならない、』殺した者は裁判所で罰せられる、と命じられたことを聞いたであろう。
5:22 しかしわたしはあなた達に言う、兄弟に腹をたてる者は皆、(ただそれだけの理由で、天国の)裁判所で罰せられる。兄弟に馬鹿と言う者は、最高法院で罰せられる。畜生と言う者は、火の地獄で罰せられる。


●ではこの殺人娘はキリストの十字架で簡単に救われて良いものだろうか。ノー。神の罰がある。それは「自責の念」の苦しみである。義は罰を要求する●パウロは罪もないクリスチャンを迫害した。パウロのあの激しい伝道はその「自責の念」がバネではなかったのかという学者もいる


塚本訳 使  22:4
22:4 わたしはこの(キリストの)道を迫害し、男女の別なく(信者を)しばって牢に入れ、殺すことをも辞さなかったのであります。


塚本訳 使  26:11
26:11 わたしはまたあらゆる礼拝堂でしばしば罰をもって彼らを強要して、(イエスを)冒涜させようとしました。そして彼にむかい猛り狂って、(ユダヤの)国の外の町々にまで行って、迫害をつづけたのであります


塚本訳ロマ 7:24
7:24 なんとわたしはみじめな人間だろう!だれがこの死の体から、わたしを救い出してくれるのだろうか。


●ユダは自分の欲(あるいは恨み、あるいはイエスに対する期待はずれの気持ち)から罪もないイエスを銀30枚で売ったのはいいが、自責の念に駆られて自ら首を吊った。●人生には「自責の念」というものが存在する。これは神の裁きであり神の罰である。ドストエフスキーの「罪と罰」はそれがテーマ。


塚本訳  マタ 27:3-5
27:3 その時イエスを売ったユダは、イエスの判決が決まったのを見て後悔し、(受け取ったシケル)銀貨三十枚を大祭司連、長老たちに返して、
27:4 「罪もない(人の)血を売って、悪いことをした」と言った。彼らが答えた、「われわれの知ったことではない。お前が自分で始末しろ!」
27:5 ユダは銀貨を宮に投げ込んで去り、行って首をくくった。


●その娘は犯行後「放心状態」だたっという。●その母親は「主人が斧で首を切って自殺した」と虚偽の通報をした。娘をかばう気持ちからかもしれないが、この罪悪感の希薄さがいけない。これが日本を救わない●この娘は一生を棒に振った。台無しにした。しょうがない。それ相当の刑に服さなければならない。母親もそれを受け入れなければならない。「罪の値は死である」。助命嘆願などをしてはいけない。●服役中に十字架の贖罪の福音に接して救われた某死刑囚のこと。死刑執行の日に、「一言祈らせて下さい」と言い、終わると監守たちに「長々お世話になりました。これから父の御もとにまいります」と頭を下げて死刑台に上ったという。多分親類縁者のだれも立ち会わなかったことであろう●この殺人娘も、親殺しは「とっさのこと」「思わぬこと」の犯行で不幸なことではあったが、これを機会に「自責の念から」主イエスの十字架の贖罪の福音に接して霊魂が救われれれば結果的に幸いであったといえる。●だれか彼女に聖書の差し入れをしていただけないか。あるいは救われるかもしれない。。なぜか。彼女は今、霊魂の平安に必死であるから。●救いというのは本人が救われたいという「必死の思い」と福音を熱心に説く人の存在による。その出会いによる●しかし、聖書を提供しただけで人は救われるものだろうか。だれか福音を説く人、つまり「私も同じ罪人でしたが救われました」という歴史的実在がなければならない。●聖書を読んだ彼女は「このことは歴史的事実ですか、今でも、この私でも救われますか」と聞いてくるであろう。


塚本訳 使  8:27-31
8:27 彼は立って出かけた。ちょうどそこに一人のエチオピヤ人が通りかかった。この人はエチオピヤの女王カンダケの宮内官で、女王の全財産を監理している宦官であったが、礼拝のためエルサレムに行って、
8:28 今はその帰り道であった。車の上に坐り、(声を出して)イザヤ預言書を読んでいた。
8:29 御霊がピリポに、「行って、あの車にぴったりついて歩け」と言った
8:30 ピリポが駈けよってゆくと、その人がイザヤ預言書を読んでいるのが聞こえたので、たずねた、「どうです、読んでおられるところが読めていますか。」
8:31 彼がこたえた、「だれかに手引をしてもらわねば、とてもわたしには読めません。」そして(車に)乗って一緒に坐ってもらいたいとピリポに頼んだ。


●この場合、ピリポはエチオピヤの宦官にとって教会(集会、エクレシア)であった。ピリポは使徒伝承を行った。


塚本訳 ロマ 10:14


10:14 ところで、(呼ぶだけで救われると言うが、)信じたことのない者を、どうして呼ぶことができようか。聞いたことのない者を、どうして信ずることができようか。説く者がなくて、どうして聞くことができようか。


10:15 (神に)遣わされなければ、どうして説くことができようか。(しかし説く者はある。それはわたし達である。)『善いこと[福音]を伝える人たちの足の、なんと美しいことよ!』と書いてあるとおりである。



●今頃あの16歳の少女は自分の犯した罪に震えおののいているであろう。自責の念に苦しんでいることだろう。誰か福音を伝えに行っていただける人はいないだろうか。●私の祈りは皇室(おおっぴらに聖書を読めないと側聞する)と死刑囚のいる監獄に私のHPが侵入していくことである。電波はどこにも侵入できる!!。●我が子に殺された父親のことを思う。彼にはこの世のどんな慰めも通じない。ただ、この事件によってもし我が子がキリストの救いに預かるとすればすべてが解決する。復活の朝、来世で和解できる。それは次の言葉である。




文語訳  ヨハ 15:13
15:13 人その友のために己の生命を棄つる、之より大なる愛はなし。



塚本訳 ヨハ 15:13
15:13 (わたしはあなた達のために命を捨てる。)友人のために命を捨てる以上の愛はないのだ。




●そうだこの父親は娘の真の救いのために自分の命を捨てたのだ。この父親は殺されることによって真の愛を我が子に注げたのだ。●古い写真をスキャナでブログにアップできるようになり、早速1980年6月にスイスのベルンにヒルティの墓に詣でた時の写真をアップした。070916のブログ。●寝ている父の首を斧で切って殺害した16歳の娘のことが頭から離れない。カトリックの神父は彼女が悔いることを見届けたら、彼女の頭に手を置けば救われるという。では無教会はどうか。聖霊が下るとき救われるという。教会によらない神父によらないと主張する。しかし説く人がいないと救われない。●津上さんから原稿到着。94歳でこのエネルギー。脱帽●図書館からの音楽DVDでカラヤン+ベルリンフィルでブラームス交響曲第一番。1973年版。カラヤンの指揮ぶりは非常に芸術的だがどこかヒットラーにイメージが似ている。自分に酔っている。●孫が多くなると病気も増えて心配も増える。


 


 


 


 


 


 


 

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肉体の疲れと霊魂の疲れ ++++++++ 所感

2007/09/18 07:25

070918(火)4時半起床●朝の囁き。


塚本訳 マタ 11:28
11:28 さあ、疲れている者、重荷を負っている者はだれでも、わたしの所に来なさい、休ませてあげよう。


●昨夜は妻と「疲れるようになったわねー」という話をしていたからだろうか●「疲れ」には肉体の疲れと霊魂の疲れの二種類がある。イエスのいう疲れは霊魂の疲れ。これは寝ても医者に行っても直せない。●どうすれば直せるのか。次にイエスは言う。


塚本訳  マタ 11:29-30
11:29 わたしは心がやさしく、高ぶらないから、わたしの軛を負ってわたしの弟子になりなさい、そうすれば『魂の休息が得られよう。』
11:30 わたしの軛は甘く、わたしの荷は軽い。」


●この解釈が難しい。ではBbBを見てみよう。


口語訳 ロマ 7:22-25


7:22 すなわち、わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、


7:23 わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。


7:24 わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。


7:25 わたしたちの主イエス・キリストによって、神は感謝すべきかな。このようにして、わたし自身は、心では神の律法に仕えているが、肉では罪の律法に仕えているのである。


 


口語訳 ガラ 5:1


5:1 自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。


 


口語訳 Ⅱコリ10:5


10:5 神の知恵に逆らって立てられたあらゆる障害物を打ちこわし、すべての思いをとりこにしてキリストに服従させ、


  


口語訳 Ⅱコリ1:4-5


1:4 神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。


1:5 それは、キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれているように、わたしたちの受ける慰めもまた、キリストによって満ちあふれているからである。


 


口語訳 Ⅱコリ12:9-10


12:9 ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。


12:10 だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。


 


新共同 ガラ 5:23


5:23 柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。


 


新共同 ガラ 6:1


6:1 兄弟たち、万一だれかが不注意にも何かの罪に陥ったなら、“霊”に導かれて生きているあなたがたは、そういう人を柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい。あなた自身も誘惑されないように、自分に気をつけなさい。


 


新共同 使  15:10


15:10 それなのに、なぜ今あなたがたは、先祖もわたしたちも負いきれなかった軛を、あの弟子たちの首に懸けて、神を試みようとするのですか。


 


新共同 Ⅰペテ2:21


2:21 あなたがたが召されたのはこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。


 


新共同 Ⅰヨハ2:6


2:6 神の内にいつもいると言う人は、イエスが歩まれたように自らも歩まなければなりません。


 ●次にTSKで6:28-30を調べてみよう


Isaiah 53:2:
彼は主の前に若木のように、かわいた土から出る根のように育った。彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。


Isaiah 53:3:
彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。


Isaiah 55:1:
「さあ、かわいている者は/みな水にきたれ。金のない者もきたれ。来て買い求めて食べよ。あなたがたは来て、金を出さずに、ただでぶどう酒と乳とを買い求めよ。


John 6:37:
父がわたしに与えて下さる者は皆、わたしに来るであろう。そして、わたしに来る者を決して拒みはしない。


John 7:37:
祭の終りの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。


Revelation of John 22:17:
御霊も花嫁も共に言った、「きたりませ」。また、聞く者も「きたりませ」と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい。


Matthew 23:4:
また、重い荷物をくくって人々の肩にのせるが、それを動かすために、自分では指一本も貸そうとはしない。


Genesis 3:17:
更に人に言われた、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、/地はあなたのためにのろわれ、/あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。


Job 14:1:
女から生れる人は/日が短く、悩みに満ちている。


Psalms 32:4:
わたしが自分の罪を言いあらわさなかった時は、ひねもす苦しみうめいたので、わたしの骨はふるび衰えた。


Psalms 38:4:
あなたの怒りによって、わたしの肉には全きところなく、わたしの罪によって、わたしの骨には健やかなところはありません。


Psalms 90:7:
あしたにもえでて、栄えるが、夕べには、しおれて枯れるのです。


Ecclesiastes 1:8:
すべての事は人をうみ疲れさせる、人はこれを言いつくすことができない。目は見ることに飽きることがなく、耳は聞くことに満足することがない。


Ecclesiastes 1:14:
わたしは日の下で人が行うすべてのわざを見たが、みな空であって風を捕えるようである。


Ecclesiastes 2:22:
そもそも、人は日の下で労するすべての労苦と、その心づかいによってなんの得るところがあるか。


Ecclesiastes 2:23:
そのすべての日はただ憂いのみであって、そのわざは苦しく、その心は夜の間も休まることがない。これもまた空である。


Ecclesiastes 4:8:
ここに人がある。ひとりであって、仲間もなく、子もなく、兄弟もない。それでも彼の労苦は窮まりなく、その目は富に飽くことがない。また彼は言わない、「わたしはだれのために労するのか、どうして自分を楽しませないのか」と。これもまた空であって、苦しいわざである。


Isaiah 61:3:
シオンの中の悲しむ者に喜びを与え、灰にかえて冠を与え、悲しみにかえて喜びの油を与え、憂いの心にかえて、さんびの衣を与えさせるためである。こうして、彼らは義のかしの木ととなえられ、主がその栄光をあらわすために/植えられた者ととなえられる。


Isaiah 66:2:
主は言われる、「わが手はすべてこれらの物を造った。これらの物はことごとくわたしのものである。しかし、わたしが顧みる人はこれである。すなわち、へりくだって心悔い、わが言葉に恐れおののく者である。


Acts 15:10:
しかるに、諸君はなぜ、今われわれの先祖もわれわれ自身も、負いきれなかったくびきをあの弟子たちの首にかけて、神を試みるのか。


Psalms 94:13:
あなたはその人を災の日からのがれさせ、悪しき者のために穴が掘られるまで/その人に平安を与えられます。


Psalms 116:7:
わが魂よ、おまえの平安に帰るがよい。主は豊かにおまえをあしらわれたからである。


Isaiah 28:12:
主はさきに彼らに言われた、「これが安息だ、疲れた者に安息を与えよ。これが休息だ」と。しかし彼らは聞こうとはしなかった。


Isaiah 48:17:
あなたのあがない主、イスラエルの聖者、主はこう言われる、「わたしはあなたの神、主である。わたしは、あなたの利益のために、あなたを教え、あなたを導いて、その行くべき道に行かせる。


Isaiah 48:18:
どうか、あなたはわたしの戒めに聞き従うように。そうすれば、あなたの平安は川のように、あなたの義は海の波のようになり、


Jeremiah 6:16:
主はこう言われる、「あなたがたはわかれ道に立って、よく見、いにしえの道につき、良い道がどれかを尋ねて、その道に歩み、そしてあなたがたの魂のために、安息を得よ。しかし彼らは答えて、『われわれはその道に歩まない』と言った。


Hebrews 4:1:
それだから、神の安息にはいるべき約束が、まだ存続しているにかかわらず、万一にも、はいりそこなう者が、あなたがたの中から出ることがないように、注意しようではないか。


Philippians 2:7:
かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、


Philippians 2:8:
おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。


I Peter 2:21:
あなたがたは、実に、そうするようにと召されたのである。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである。


 Proverbs 3:17:
その道は楽しい道であり、その道筋はみな平安である。


Galatians 5:1:
自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。


Galatians 5:18:
もしあなたがたが御霊に導かれるなら、律法の下にはいない。


I John 5:3:
神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない。


John 16:33:
これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。


II Corinthians 1:4:
神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。


II Corinthians 1:5:
それは、キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれているように、わたしたちの受ける慰めもまた、キリストによって満ちあふれているからである。


II Corinthians 4:17:
なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。


II Corinthians 12:9:
ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。


II Corinthians 12:10:
だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。


Philippians 4:13:
わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。


●私が父から聞いた聖句を次に掲げよう


塚本訳 Ⅱコリ4:16
4:16 このゆえに、わたし達は気を落さない。いや、わたし達の(生れながらの)外の人はどんなにこわれていっても、(キリストによって生れた)内の人は一日一日と新しくされてゆく。


●これだけ聖句を読むとワカッタ、ワカッタという感じ。つまり神のところに行けば休まるのだ。これで私の霊魂は元気になった。霊魂が元気になると肉体も元気になる。「疲れは気から」である。肉体の疲れなど「何のこれしき」である。●讃美歌で「疲れ」をピックアップする。


177-1



1. かみ の いき よ, われ を いやし,


   つかれし こころ を つよめ たまえ. 


272-1


1. ナザレ の ふせや に つかれ を いとわで,


   いそしみ たまいし むかし は しらねど,


   のこり し みわざ に わが しゅ と しる かな.


273-3



3. わが み は またく けがれ に そめど,


   きみ は まこと と めぐみ に みちて,


   われ の うちと を ことごと きよめ,


   つかれし たま を なぐさめ たまわん.


286-4



4. みことば の みず は つかれ を いやして,


   あらた なる いのち あたえて つき せじ.


301-4



4. みかみ は わざわい を も さけ しめ


   つかれし たましい を も やすます.


   いずる おり, いる おり も,


   たえせず なれ お まもらん.


517-2



2. つかれ はてし たびびと,


   おもに お おろして,


   きたり いこえ, わが しゅ の


   あい の みもと に.


528-2



2. わが たま は つかれ かわける とき に,


   みつばさ の かげ の いずみ を くみて,


   しずか に やすらい きみ と かたらう


   その よろこび こそ たぐい も あらね.


●過去(1980年、スイスベルンにあるヒルティの墓参り)の写真をスキャンしてマイピクチャーに入れたがそれからブログにアップできない。悪戦苦闘半日、夜農作業から戻った福島の三男に聞いたら原因が一瞬でわかった。パソコンは教えられたほうが時間が得。


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老後の不安 ++++++++ 所感

2007/09/17 05:59

070917(月)敬老の日。5時起床。寝過ぎだが、頭すっきり●今朝の囁き「明日のことを思い煩うな。明日は明日自ら思い煩わん」。(マタイ6:34)●昨夜は妻と「理想的な死に方」を話し合ったからこの聖句がささやかれたのか。とにかく朝は適切な聖句が与えられ、勉強の課題が示される.●ヒルティはどこかで大略次のようなことを言っている。「人生にはその諸段階で特有の不安というものがある。学生のときは増大する宿題や試験勉強に、成人すればその諸段階で特有の悩みや不安がある。しかし神に導かれている人間にはかならずその時に『恐れるな』という声がささやかれる」。と言って聖書の中の「恐れるな」という言葉を無数に引用していた。●これを言っているヒルティの著作はどこか忘れた。ヒルティ著作集を見たが、見いだせなかった。しかしその著作の目次を見ながら、ヒルティの論考はすべて「人生の慰め」に満ちたものであることを知り、わたしも残る生涯、このような「キリスト教的著作」を執筆したいと方針を与えられた。塚本虎二先生の「断片録」も理想的な著作である●ところで私の64歳になった人生の段階の「不安」は老後の生活である。妻に先立たれたらどうしよう。(統計的には私が先に逝くことになってはいるが)、寝た切りになったらどうしよう。食事はどうしよう。大病したらどうしよう●昨夜そのような不安を抱いていたから、今朝「明日のことを思い患うな」という聖句が与えられたのかもしれない。「老後の生活については思い煩うな」と。


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書斎の窓を開けるとこの景色。あー秋の朝だ。5:19


 


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早朝散歩でよく出会う犬。イタリアングレーハウンド4歳オス。


愛称はデルピー。足が速いという。全身筋肉だらけでうらやましい。



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早朝散歩で富士を見る。ヒルティは言うに違いない。「スイスに来なくたって、日本にも良い景色があるではないか」と。 6:19



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我が家に芙蓉の花が咲いた。しかし花の命は短いのだ。人生と同じだ。しかし一瞬でも美しく咲いて人を喜ばせ楽しませればそれでよいのだ。人生も同じだ。この芙蓉、よく我が家の花として咲いてくれている。 6:30


●「癌になってしまいました」と御連絡のあった方(070910ブログ)から、妻に「肺がんに効くというイレッサを服用したら、少しはよくなりました」というお電話。イレッサはアジア人で酒も煙草も飲まない人には効き目があるという。3年前に亡くなった母がイレッサを服用した。途中から電話を私が代わって「私たちは永遠の生命を頂いているのだ」と激励。すると「そうです、そうです」と明るい応答。ナニ、この肉体の生命は高々7~80年じゃーないか。人はみんな死ぬことになっているのだ。


●「明日のことを心配するな」(マタイ6:34)のデボージョン(黙想)。


まずBbB


新共同 マタ 10:31


10:31 だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」


 口語訳 ピリ 4:6


4:6 何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。


 口語訳 ロマ 8:32


8:32 ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。


  口語訳 ロマ 14:17


14:17 神の国は飲食ではなく、義と、平和と、聖霊における喜びとである。


 口語訳 ロマ 10:2-4


10:2 わたしは、彼らが神に対して熱心であることはあかしするが、その熱心は深い知識によるものではない。


10:3 なぜなら、彼らは神の義を知らないで、自分の義を立てようと努め、神の義に従わなかったからである。


10:4 キリストは、すべて信じる者に義を得させるために、律法の終りとなられたのである。


新共同 Ⅰコリ7:32-34


7:32 思い煩わないでほしい。独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を遣いますが、


7:33 結婚している男は、どうすれば妻に喜ばれるかと、世の事に心を遣い、


7:34 心が二つに分かれてしまいます。独身の女や未婚の女は、体も霊も聖なる者になろうとして、主のことに心を遣いますが、結婚している女は、どうすれば夫に喜ばれるかと、世の事に心を遣います。


 新共同 ピリ 4:6


4:6 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。


 新共同 Ⅰペテ5:7


5:7 思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。


 新共同 ヤコ 4:14


4:14 あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです。あなたがたは、わずかの間現れて、やがて消えて行く霧にすぎません。


 新共同 Ⅰテモ4:8


4:8 体の鍛練も多少は役に立ちますが、信心は、この世と来るべき世での命を約束するので、すべての点で益となるからです。


 口語訳 ヤコ 4:13-14


4:13 よく聞きなさい。「きょうか、あす、これこれの町へ行き、そこに一か年滞在し、商売をして一もうけしよう」と言う者たちよ。


4:14 あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。あなたがたのいのちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない。


●次にTSK


Exodus 16:18:
しかし、オメルでそれを計ってみると、多く集めた者にも余らず、少なく集めた者にも不足しなかった。おのおのその食べるところに従って集めていた。


I Kings 17:4:
そしてその川の水を飲みなさい。わたしはからすに命じて、そこであなたを養わせよう」。


I Kings 17:14:
『主が雨を地のおもてに降らす日まで、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えない』とイスラエルの神、主が言われるからです」。


II Kings 7:1:
エリシャは言った、「主の言葉を聞きなさい。主はこう仰せられる、『あすの今ごろサマリヤの門で、麦粉一セアを一シケルで売り、大麦二セアを一シケルで売るようになるであろう』」。


Luke 11:3:
わたしたちの日ごとの食物を、日々お与えください。


Hebrews 13:5:
金銭を愛することをしないで、自分の持っているもので満足しなさい。主は、「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」と言われた。


John 14:27:
わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。


John 16:33:
これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。


Acts 14:22:
弟子たちを力づけ、信仰を持ちつづけるようにと奨励し、「わたしたちが神の国にはいるのには、多くの苦難を経なければならない」と語った。


I Thessalonians 3:3:
このような患難の中にあって、動揺する者がひとりもないように励ますためであった。あなたがたの知っているとおり、わたしたちは患難に会うように定められているのである。


I Thessalonians 3:4:
そして、あなたがたの所にいたとき、わたしたちがやがて患難に会うことをあらかじめ言っておいたが、あなたがたの知っているように、今そのとおりになったのである。


John 14:27:
わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。


●14:00今井館で「内村鑑三研究会」。大山、原島、渋谷の諸氏の発表。私はフロアーから経験主義(ピエティスムス)について大山氏に質問した。高木、田村、内坂、矢沢、斎藤みち、千葉、大田、鈴木孝司の諸氏に挨拶。●妻も私も「疲れる」ことが多くなった。肉体は衰えていく。 




 


 

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明日もわからぬ命 ++++++++ 所感

2007/09/16 07:51

070916(日)5時起床●朝の囁き「明日にもわからぬ命」「徴を見て信じたのではいけない」。今日の勉強はこれだ。


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朝、書斎の窓を開けるとこの景色。あー、秋の朝だ。


●NHK3CH心の時代、大田愛人「パウロの獄中書簡」●朝風呂で日経「私の履歴書」、文楽人形遣いの吉田蓑助。分裂していた文楽のグループが合同したのはよいが、役から外された人が不満。企業合併は人事が中心課題。不満があってはならない。


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妻と集会に向かう。空は秋の空。主の交わりの集会に行くのは楽し。


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秋の空の下で農作業をする人。健康的だなー


●集会は丹野、高木、望月●妻は午後メサイアの練習


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集会の帰途、あきる野市に到着するとこの景色。奥多摩連山が迎えてくれる


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秋の雲は美しいなー。シスレーなら描いたであろう空。


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秋の空の下の我が家。家というのはありがたい。人生を守ってくれる。家づくりは面白い。この家は奇蹟的に「頂いた」感じがする。


●夕食の時、妻と「理想的な死に方」について話し合う。最後の最後まで元気に生活していて急に死ぬのがよい。だから食事つきケア付きの老人ホームの生活はどうなのかなーと妻はいう。ヒルティは「仕事中に死ぬ」のが理想だと言って、自分がその通りになった。「永遠の平和」という論考を執筆したばかりであった。シュトゥッキのヒルティ伝は次のようにある。「(朝の散歩から戻って、部屋に戻ると、)ヒルティは気分が悪くくなって少しばかり横になろうと思った。愛嬢が彼に暖かい飲み物麻痺が彼をおそったのであった。」そのときヒルティ76歳。夫人に先ただれて12年後のことであった。●私がスイスのベルンにあるヒルティの墓に詣でたのは1980年37歳の時であった。ヒルティ夫妻の下に息子の名前もあった。その息子は生涯病弱であってヒルティの悩みの種であったらしい。それを知って私は胸が熱くなった。ヒルティが「眠られぬ夜のために」を執筆した意味が読めた。


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回想。1980年6月 


スイスのベルンにヒルティの墓を訪ねた。37歳。


病弱でヒルティの悩みの種であった息子のエドガーヒルティも一緒に眠っているのを知って胸が熱くなった。




 


 

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子育ては母親8割父2割 ++++++++ 所感

2007/09/15 07:28

070915(土)5時起床。●まだあの人から返事がこない。こういうときはどうすればよいのだろうか。イライライライラだ。こういうことで人物に差がついてしまうんだがなー●返事は何を差し置いても至急出さなければならない。お金というのもたとえ請求書が来なくても至急支払わなければならない●今年99歳で召された藤林益三先生は、90歳を過ぎても礼状を自筆で「すぐ」出された●人物判定の簡単な方法はその人が「すぐお礼を言えるかどうか」。それは手紙でも電話でもFAXでもメールでもよいのだ。●通信技術が発達してもそれを利用して「お礼」が言えなければ技術の発展も無意味だ●朝風呂で日経「私の履歴書」、文楽人形遣いの吉田蓑助。馬の脚専門の下っ端歌舞伎役者が主人公のドラマを見て一座全員が声を上げて泣いたという。なぜか。ある女性が主人公に「悲観しなさんな。あんたがいるから拍手喝采を浴びる人がいるんじゃないか」と慰めの言葉をかけられたから。●昨日、職場のヴィオリスト氏と懇親のときに「子育ては母親8割父2割」ということを教えられ。深く考えるところがあった。(昨日ブログ参照)。なぜだろう。子供は母親と接触する時間が多いからではないのか。事実その割合は8対2ぐらいか。考え方、対人関係、習慣、感じ方、人生観、世界観、宗教間、教育観、などなどそのほとんどを子供は母親の影響を受ける。●ジャー父親はドースリャいいのか。まずは妻子のためにお金を稼いでくればいいのだ。●これで、女は男の「助け手」(創世記2章8節)。の深い意味がわかった。女は子育てを通して男の「助け手」となるのだ。男は経済、女は子育て。●前厚生労働大臣の言う「女は生む機械」ではない。機械は育てるということはできない。この大臣は女性の真の価値を知らなかったのかなー●プロテスタントキリスト教が日本に来た時、女子教育に力を入れたのは慧眼であった●リヒター+ミュンヘンバッハの「マタイ受難曲」で第47曲「憐れみたまえ、わが神よ」。●9:00暁キリスト教会の能城一郎牧師が来訪。Jバイブル、BbB、TSK、塚本訳、新改訳、中国人の性格のことなど懇談。目覚まし時計でタイムキープ。3時間。


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能城一郎牧師が来訪。Jバイブル、BbB、TSK、塚本訳、新改訳、中国人の性格などなどみっちり3時間懇親。

●13:30 日の出会●19:00昭島で「エレメンツ弦楽四重奏団演奏会●妻はドヴォルザーク「スターバトマーテル」の練習


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奥多摩連山にきれいな雲。秋だなー


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慰めよ我が民を慰めよ ++++++++ 所感

2007/09/14 05:06

070914(金)3時45分目覚め。●朝の囁き「慰めよ我が民を慰めよ」。(イザヤ40:1)。今日はこれの勉強だ。


●まずTSKでイザヤ書40:1を調べる。心に響くものをピックアップ。


Isaiah 35:4:
心おののく者に言え、「強くあれ、恐れてはならない。見よ、あなたがたの神は報復をもって臨み、神の報いをもってこられる。神は来て、あなたがたを救われる」と。


Isaiah 41:10:
恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。


Isaiah 41:27:
わたしははじめてこれをシオンに告げた。わたしは、よきおとずれを伝える者を/エルサレムに与える。


Isaiah 49:13:
天よ、歌え、地よ、喜べ。もろもろの山よ、声を放って歌え。主はその民を慰め、その苦しむ者をあわれまれるからだ。


Isaiah 50:10:
あなたがたのうち主を恐れ、そのしもべの声に聞き従い、暗い中を歩いて光を得なくても、なお主の名を頼み、おのれの神にたよる者はだれか。


Isaiah 51:3:
主はシオンを慰め、またそのすべて荒れた所を慰めて、その荒野をエデンのように、そのさばくを主の園のようにされる。こうして、その中に喜びと楽しみとがあり、感謝と歌の声とがある。


Isaiah 51:12:
「わたしこそあなたを慰める者だ。あなたは何者なれば、死ぬべき人を恐れ、草のようになるべき人の子を恐れるのか。


Isaiah 57:15:
いと高く、いと上なる者、とこしえに住む者、その名を聖ととなえられる者がこう言われる、「わたしは高く、聖なる所に住み、また心砕けて、へりくだる者と共に住み、へりくだる者の霊をいかし、砕ける者の心をいかす。


Isaiah 60:1:
起きよ、光を放て。あなたの光が臨み、主の栄光があなたの上にのぼったから。


Isaiah 62:11:
見よ、主は地の果にまで告げて言われた、「シオンの娘に言え、『見よ、あなたの救は来る。見よ、その報いは主と共にあり、その働きの報いは、その前にある』と。


Isaiah 62:12:
彼らは『聖なる民、主にあがなわれた者』ととなえられ、あなたは『人に尋ね求められる者、捨てられない町』ととなえられる」。


Isaiah 65:13:
それゆえ、主なる神はこう言われる、「見よ、わがしもべたちは食べる、しかし、あなたがたは飢える。見よ、わがしもべたちは飲む、しかし、あなたがたはかわく。見よ、わがしもべたちは喜ぶ、しかし、あなたがたは恥じる。


Isaiah 65:14:
見よ、わがしもべたちは心の楽しみによって歌う、しかし、あなたがたは心の苦しみによって叫び、たましいの悩みによって泣き叫ぶ。


Nehemiah 8:10:
そして彼らに言った、「あなたがたは去って、肥えたものを食べ、甘いものを飲みなさい。その備えのないものには分けてやりなさい。この日はわれわれの主の聖なる日です。憂えてはならない。主を喜ぶことはあなたがたの力です」。


Psalms 85:8:
主よ、あなたのいつくしみをわれらに示し、あなたの救をわれらに与えてください。


Jeremiah 31:10:
万国の民よ、あなたがたは主の言葉を聞き、これを遠い、海沿いの地に示して言いなさい、『イスラエルを散らした者がこれを集められる。牧者がその群れを守るようにこれを守られる』と。


Zephaniah 3:14:
シオンの娘よ、喜び歌え。イスラエルよ、喜び呼ばわれ。エルサレムの娘よ、心のかぎり喜び楽しめ。


Zechariah 9:9:
シオンの娘よ、大いに喜べ、エルサレムの娘よ、呼ばわれ。見よ、あなたの王はあなたの所に来る。彼は義なる者であって勝利を得、柔和であって、ろばに乗る。すなわち、ろばの子である子馬に乗る。


I Thessalonians 4:18:
だから、あなたがたは、これらの言葉をもって互に慰め合いなさい。


Zephaniah 3:14:
シオンの娘よ、喜び歌え。イスラエルよ、喜び呼ばわれ。エルサレムの娘よ、心のかぎり喜び楽しめ。


Hebrews 6:17:
そこで、神は、約束のものを受け継ぐ人々に、ご計画の不変であることを、いっそうはっきり示そうと思われ、誓いによって保証されたのである。


Hebrews 6:18:
それは、偽ることのあり得ない神に立てられた二つの不変の事がらによって、前におかれている望みを捕えようとして世をのがれてきたわたしたちが、力強い励ましを受けるためである。


●これらを読んで感じたこと。「慰め」とは何かを世に向かって行動することではない。「慰め」の言葉を気の毒な人にむかって上から垂れることではない。自らが主の喜びにいて「喜びの生活」をしていることそのもの、その存在、実在そのものが「世の希望」なのだ。信者は行為主義ではいけない。●「地の果てまで行って福音を宣べ伝えよ」、という地の果てとは今各人が立っているその場所が「地の果て」なのだ。なにも東南アジアやアフリカや未開民族に出かけて行くことはない。福音は伝道ではなく生活そのもので伝わる。生きる喜びで伝わるべきものだ。説教や社会批判では福音は伝わらない


●次にBbBでイザヤ40:1を見る。


口語訳 マタ 3:3


3:3 預言者イザヤによって、「荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」と言われたのは、この人のことである。


 


口語訳 ヨハ 10:11


10:11 わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。


  


口語訳 Ⅰペテ2:25


2:25 あなたがたは、羊のようにさ迷っていたが、今は、たましいの牧者であり監督であるかたのもとに、たち帰ったのである。


 


口語訳 Ⅱコリ1:4


1:4 神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。


 


口語訳 マタ 3:3


3:3 預言者イザヤによって、「荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」と言われたのは、この人のことである。


 


口語訳 マコ 1:3


1:3 荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」と書いてあるように、


 


口語訳 ルカ 3:4-6


3:4 それは、預言者イザヤの言葉の書に書いてあるとおりである。すなわち/「荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』。


3:5 すべての谷は埋められ、すべての山と丘とは、平らにされ、曲ったところはまっすぐに、わるい道はならされ、


3:6 人はみな神の救を見るであろう」。


 


口語訳 ヨハ 1:23


1:23 彼は言った、「わたしは、預言者イザヤが言ったように、『主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の声』である」。


 


口語訳 ヤコ 1:10


1:10 また、富んでいる者は、自分が低くされたことを喜ぶがよい。富んでいる者は、草花のように過ぎ去るからである。


 


口語訳 Ⅰペテ1:24-25


1:24 「人はみな草のごとく、/その栄華はみな草の花に似ている。草は枯れ、/花は散る。


1:25 しかし、主の言葉は、とこしえに残る」。これが、あなたがたに宣べ伝えられた御言葉である。


 


口語訳 ヤコ 1:10-11


1:10 また、富んでいる者は、自分が低くされたことを喜ぶがよい。富んでいる者は、草花のように過ぎ去るからである。


1:11 たとえば、太陽が上って熱風をおくると、草を枯らす。そしてその花は落ち、その美しい姿は消えうせてしまう。それと同じように、富んでいる者も、その一生の旅なかばで没落するであろう。


 


口語訳 黙  22:12


22:12 「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。


 


口語訳 ヨハ 10:14-16


10:14 わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。


10:15 それはちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。そして、わたしは羊のために命を捨てるのである。


10:16 わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう。


 


口語訳 ヘブ 13:20


13:20 永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死人の中から引き上げられた平和の神が、


 


口語訳 Ⅰペテ5:4


5:4 そうすれば、大牧者が現れる時には、しぼむことのない栄光の冠を受けるであろう。


 


口語訳 ルカ 2:25


2:25 その時、エルサレムにシメオンという名の人がいた。この人は正しい信仰深い人で、イスラエルの慰められるのを待ち望んでいた。また聖霊が彼に宿っていた。


 


口語訳 ヨハ 1:14


1:14 そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。


 


口語訳 ヤコ 1:10-11


1:10 また、富んでいる者は、自分が低くされたことを喜ぶがよい。富んでいる者は、草花のように過ぎ去るからである。


1:11 たとえば、太陽が上って熱風をおくると、草を枯らす。そしてその花は落ち、その美しい姿は消えうせてしまう。それと同じように、富んでいる者も、その一生の旅なかばで没落するであろう。


 


口語訳 マタ 24:35


24:35 天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。


 


新共同 ヨハ 1:23


1:23 ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と。」


 


新共同 Ⅱコリ1:4


1:4 神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。


 


新共同 ヤコ 1:10


1:10 また、富んでいる者は、自分が低くされることを誇りに思いなさい。富んでいる者は草花のように滅び去るからです。


 


 ●以上のBbBを読んでの感想は、「神の救いは神の方から来る。神ご自身が実現する」ということである。人間の努力で神の国が到来するわけではない。悪に対する人間の抵抗運動で神の国が来るのでもない。そう思って社会批判に奔走している人間は神への信仰ということがワカッチャイナイ。


 


●同じ内容のメールを発信して、返事のある人とない人がいる。これで人物判定が自然にできてしまう。ささいなことにお礼を言うことができる人は最高の人だ。そういう人は「ホット」する。催促されなければ約束を果たさない人は伸びない。●約束をすっぽかす人がいる。その人は徹底的に断罪され、地獄にでも落ちなければならない。こう思うのがその人への親切だ。神は正義を貫徹してもらいたい。●6階のヴィオリスト和田睦夫氏とバッハ「マタイ受難曲」談義。



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うれしい手紙 ++++++++ 所感

2007/09/13 08:23

070913(木)5時目覚め。●目覚めの囁き「貧しきものに福音を宣べよ」●早朝散歩で霊感。早起きは三文の得。


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早朝散歩で日の出を写す。5:34分。今日は天気がよい。


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      孫がそばにいたらの想定問答。


私「○○チャン。あそこに鳥は何羽いる?」 孫「10羽」 私「あのうち1羽を鉄砲で撃ったら残りは何羽残る?」 孫「9羽」。 私「ブブー。驚いてみんな逃げちゃうから0羽だよ。あははー」。5時41分。


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早朝散歩で前方から左足を引きずって歩いてきた人がいた。同病相哀れむの気持ちからお訊ねすると私と同じ脳内出血。それも5年前。そのときは助からないと思われていた。今度出血すると危ないとのこと。私と同じ状況。後姿を2-3度振り返って写真撮影。彼の残りの人生の道に幸あれ。6時1分


●昨日は某ご母堂からうれしい手紙が来た。「(若い二人は)毎日楽しそうに暮らしているようですので、ご安心なさってください」。この手紙は早朝散歩中に神の声と閃く。そこで急いで次のような返事を書いた。一部改変省略。


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○○様   


(前部分省略)


手紙の中で大変うれしかったのは、「若い人たちは毎日楽しそうに暮らしているようですのでご安心なさってください。」の部分でした。


特に下線を引いた部分が昨夜から今朝にかけて何度も何度も心にささやかれました。そして聖書の次の句が連想させられました。


 


文語訳  ルカ 7:50


7:50 ここにイエス女に言ひ給ふ『なんぢの信仰なんぢを救へり、安らかに往け


 


文語訳 ルカ 2:28-32


2:28 シメオン、イエスを取りいだき、神を讃めて言ふ、


2:29 『主よ、今こそ御言に循ひて、僕を安らかに逝かしめ給ふなれ


2:30 わが目は、はや主の救を見たり。


2:31 是もろもろの民の前に備へ給ひし者、


2:32 異邦人をてらす光、御民イスラエルの榮光なり』


 


○○様の「ご安心なさってください」は私にとって天の啓示でした。「安心してお前の使命に邁進せよ」との声のようでした。ありがとうございました。・・中略・・これ以上の喜びはございません。「涙が喜び」に変わりました。(詩篇126篇5-6節)。


 


 


口語訳 詩  126:5-6


126:5 涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。


126:6 種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。


 


どうぞ○○のことを主にあってよろしくお願い申し上げます。私は安心しました。何かと御苦労をおかけすることと思いますが、主にある御導きをよろしくお願い申し上げます。


今朝、私としてはどうしても感謝の気持ちをお伝えしたかったのでお手紙をさせていただきました。



(後部分省略)


 


                                 2007.9.13


                                  高橋照男



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●イエスの伝道の第一声は次の通り。




文語訳  ルカ 4:18-19
4:18 『主の御靈われに在す。これ我に油を注ぎて貧しき者に福音を宣べしめ、我をつかはして囚人に赦を得ることと、盲人に見ゆることとを告げしめ、壓へらるる者を放ちて自由を與へしめ、
4:19 主の喜ばしき年を宣傳へしめ給ふなり』




塚本訳  ルカ 4:18-19
4:18 『主の御霊がわたしの上にある、油を注いで(聖別して)くださったからである。主は貧しい人に福音を伝えるためにわたしを遣わされた。囚人に赦免を、盲人に視力の回復を告げ、』『押えつけられている者に自由をあたえ、』
4:19 『主の恵みの年(の来たこと)を告げさせるために。』




●「貧しき者」とは誰か。生来の人間が目標としない人。そうなりたくない人。収入が低い人、この世的にパッとしない人。カッコ悪い職業の人、罪を犯して震えている人、過去がある人、履歴書がまずい人、系図がまずい人、学歴がない人、引け目を感じる人、田舎者だと感じている人、性格が歪んでいる人、言葉使いが上品でない人、趣味が悪い人、病気を持っている人、家族の中に「遊び人」がいる人、パソコンができない人、英語ができない人、自慢できる仕事に就いてな人・・・・・実はこれ地上の教会(集会)には顔出しできない人たち。これは人間社会の「北の果て」にいる人●「福音を宣ベ」るとは何か。社会改造を目指すな。道徳的覚醒を叫ぶな。天皇制打倒などとのつまらないことに時間を費やすな。教会(集会)形成を目指すな。この世の趣味教養の団体に参加するな。ましてや教会(集会)を趣味サークルと同一視するな。●朝風呂で日経「私の履歴書」、文楽人形遣いの吉田蓑助。父と確執があったが、あるとき舞台の袖でそっと顔を半分隠して演技を見てくれていることに気がついて涙する。こういう父の姿を「ウザッテェー」と思う子供はできてない。先がない。親の心子知らずのダメ人間。またその父が大阪で死んだという知らせがあったが「公演中は舞台を外すな」というその父の声が聞こえてきて、駆けつけなかった。父の戒めを守った。偉い。●某氏にあなたのお子様の横眼づかいは詩人ゲーテの肖像に似ていると言ってその肖像を添付してメールで送った。私はゲーテの詩人の面が好きだ




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       ゲーテ 1828年 79歳の時の肖像


           (出典 ウィキペディア)




私が一番好きなゲーテの肖像。「人間」ということを感じさせる。2005年にドイツのワイマールを訪れ、「もっと光を」と叫んだ終焉の家を見た。あまりよい建物ではなかった。案内人がゲーテの周りに10人ぐらいの女性像がある絵を見せてくれたが、それはここワイマールでのゲーテの「女友達」だという。ゲーテのこういう面が合わなくて私は高校生の半ばでゲーテと別れ、内村鑑三、塚本虎二、ヒルティの圏内に入った。この出会いは間違ってなかった。ゲーテは女たらしの遊び人だ!。「彼に従っても霊魂の救いはない」というヒルティの忠告は至言である。


 



●1948年、カラヤン+ウィーンフィルハーモニー+ウィーン国立歌劇場合唱団がウィーンムジークフェラインザール(ウィーン楽友協会)で演奏したというものすごいものを鑑賞。ワーグナー「大行進曲と歌の殿堂をほめたたえようの合唱」。合唱の音色がすごくて思わず落涙。もし私に歌の才能があればウィーンかベルリンの合唱団の一員になりたいのだが。マテマテ、主のエクレシアの一員になる方がより大なる光栄なのだ●妻は胃カメラ検査。●図書館に行く途中で畑仕事の田中三郎氏と懇談。さつまいもを頂く●安倍総理が辞任。心身がボロボロ。入院という。多分家族の意向ではないか。こういう事態は総理の首が変わっても政治の大局は変わらないことの証明。●安倍総理は「世論」という無責任な存在に翻弄された。無責任で無人格であてにならないのは「世論」。民主主義は多数決という誤った思想が悪い。こういうことはマスコミでは言えないからあえて言う。世の中を悪くし、日本を誤らせるのは「世論」。●「噂(うわさ)」というのも悪いものだ。またそれをまともに信じる人間は人間として低級である。先がない。






 

 









 



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恐れるな小さき群れよ ++++++++ 所感

2007/09/12 04:56

070912(水)3時半起床。●朝の囁き。これでガバッと起きる。


文語訳 ルカ 12:32
12:32 懼るな小き群よ、なんぢらに御國を賜ふことは、汝らの父の御意なり


塚本訳 ルカ 12:32


12:32 小さな群よ、恐れることはない。あなた達の父上は御国をあなた達に下さるつもりだから







●今朝はこの勉強をしよう。面白そうだなー。








●朝風呂で日経「私の履歴書」、文楽人形遣いの吉田蓑助。食うや食わずの一座に「三越劇場」での公演が舞い込む。人生は真面目に生きていればそのうち良い話が舞い込むものだ。それまでは「貧乏も人生修業」、「空腹は快楽」、「何のこれしき」、「嵐は長くは続かない」だ。日経「交友渉」は日本テレビ放送網会長の細川知正。高校生の時にキリスト教会に誘ってくれた友人のおかげで入信。しかしその友は大学生のときに突然亡くなる。使命を果たすとスッと消える姿はキリストのようだ。私たちも使命を帯びて生きて、途中でもスッ消えるべきだ。あとは神がなんとかしてくださる。●自己の延命を人生目標とし、いたずらに馬齢を重ねるのはよくない。それが神なき日本人の人生観、医学界の目的。低級である。生ける屍である。






●今朝の囁き。





塚本訳 ルカ 12:32


12:32 小さな群よ、恐れることはない。あなた達の父上は御国をあなた達に下さるつもりだから







●まず頭の中で連想する。これにはツールとして「Jバイブル」が便利。聖書勉強には必須。いのちのことば社発行約1万円。紙情報のコンコルダンスでは遅い。手間がかかりすぎる。





塚本訳 ルカ 11:13
11:13 してみると、あなた達は悪い人間でありながらも、自分の子に善い物をやることを知っている。まして天の父上が、求める者に聖霊(という善いもの)を下さらないことがあるだろうか。」





塚本訳 マタ 6:8
6:8 彼らの真似をしてはならない。神はあなた達の父上である。求める前から、あなた達に必要なものをよく御承知である





黙    2: 10 [新共同


あなたは、受けようとしている苦難を決して恐れてはいけない。見よ、悪魔が試みるために、あなたがたの何人かを牢に投げ込もうとしている。あなたがたは、十日の間苦しめられるであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう


 





塚本訳  ルカ 15:4-6
15:4 「あなた達のうちのだれかが羊を百匹持っていて、その一匹がいなくなったとき、その人は九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を、見つけ出すまではさがし歩くのではないだろうか
15:5 そして見つけると、喜んで肩にのせて、
15:6 家にかえり、友人や近所の人たちを呼びあつめてこう言うにちがいない、『一しょに喜んでください。いなくなっていたわたしの羊が見つかったから』と。








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口語訳 ロマ 8:32


8:32 ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。


口語訳 ピリ 4:19


4:19 わたしの神は、ご自身の栄光の富の中から、あなたがたのいっさいの必要を、キリスト・イエスにあって満たして下さるであろう。


口語訳 ピリ 2:13


2:13 あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。


口語訳 ロマ 6:23


6:23 罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。


新共同 ヘブ 12:28


12:28 このように、わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝しよう。感謝の念をもって、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えていこう。


新共同 ヤコ 2:5


2:5 わたしの愛する兄弟たち、よく聞きなさい。神は世の貧しい人たちをあえて選んで、信仰に富ませ、御自身を愛する者に約束された国を、受け継ぐ者となさったではありませんか。


新共同 黙  1:6


1:6 わたしたちを王とし、御自身の父である神に仕える祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン。


新共同 Ⅰテモ6:19


6:19 真の命を得るために、未来に備えて自分のために堅固な基礎を築くようにと。


新共同 コロ 3:1-2


3:1 さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。


3:2 上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。


口語訳 使  4:34


4:34 彼らの中に乏しい者は、ひとりもいなかった。地所や家屋を持っている人たちは、それを売り、売った物の代金をもってきて、


●次にTSK日本語ヴァージンを見る。私のHP利用、無料。


http://www.asahi-net.or.jp/%7EEJ2T-TKHS/bunshou/tsk.html


Isaiah 40:11:
主は牧者のようにその群れを養い、そのかいなに小羊をいだき、そのふところに入れて携えゆき、乳を飲ませているものをやさしく導かれる。


Isaiah 41:14:
主は言われる、「虫にひとしいヤコブよ、イスラエルの人々よ、恐れてはならない。わたしはあなたを助ける。あなたをあがなう者はイスラエルの聖者である。


Isaiah 53:6:
われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。


Matthew 20:16:
このように、あとの者は先になり、先の者はあとになるであろう」。


Luke 10:21:
そのとき、イエスは聖霊によって喜びあふれて言われた、「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。父よ、これはまことに、みこころにかなった事でした。


Matthew 11:25:
そのときイエスは声をあげて言われた、「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。


Ephesians 1:5:
わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。


Philippians 2:13:
あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。


Jeremiah 3:19:
どのようにして、あなたをわたしの子どもたちのうちに置き、万国のうちで最も美しい嗣業である良い地を/あなたに与えようかと、わたしは思っていた。わたしはまた、あなたがわたしを「わが父」と呼び、わたしに従って離れることはないと思っていた。


Matthew 25:34:
そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。


John 18:36:
イエスは答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っている者たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし事実、わたしの国はこの世のものではない」。


Romans 6:23:
罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。


II Thessalonians 1:5:
これは、あなたがたを、神の国にふさわしい者にしようとする神のさばきが正しいことを、証拠だてるものである。その神の国のために、あなたがたも苦しんでいるのである。


Hebrews 12:28:
このように、わたしたちは震われない国を受けているのだから、感謝をしようではないか。そして感謝しつつ、恐れかしこみ、神に喜ばれるように、仕えていこう。


James 2:5:
愛する兄弟たちよ。よく聞きなさい。神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富ませ、神を愛する者たちに約束された御国の相続者とされたではないか。


I Peter 1:3:
ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ、


II Peter 1:11:
こうして、わたしたちの主また救主イエス・キリストの永遠の国に入る恵みが、あなたがたに豊かに与えられるからである。


Revelation of John 1:6:
わたしたちを、その父なる神のために、御国の民とし、祭司として下さったかたに、世々限りなく栄光と権力とがあるように、アァメン。


Revelation of John 22:5:
夜は、もはやない。あかりも太陽の光も、いらない。主なる神が彼らを照し、そして、彼らは世々限りなく支配する。


●これで心一杯、胸一杯である。満腹である。ワカッタ、モーイーという感じである。


●これだけ聖句が並ぶとそのシークエンス(seguence/連続)で聖書の精神、イエスの心が見えてくる。並べることによってその共通点が見えてくるのである。●この作業をすれば、人の手になるどんな註解書や語学的探求よりも効果的である。それは月の光、聖書は聖書で読まなければならない。●かってこの聖書勉強法を「御言葉の氾濫」と言って批判し、私から去っていった人がいる。そういう人は自分で聖書を読まないで牧師や先生の「お話」を聞きに行く信者である。「自分の先生自慢」や「自分の教派教会自慢」になる。●呪うわけではないが、そういう方法では時間とコストがかかるばかりでなく、真の満足が得られない。聖書は自分で読む必要がある。「先生の追っかけ」をしてはいけない。先生が死んだときに困る●聖書のポイント研究もいいが、私としては聖書あちこちを並べて学ぶそのシークエンス効果というものを叫びたい。これ聖書の素人勉強としては多分最高。これを私は聖書の「串団子読み」と称したい。団子を並べると共通点としての串が見えてくるのである。その串が大切。●10:30今井館ウィークデーの集い。講師、加納孝代(旧姓木下)。「イザベラ・バードの旅・・・19世紀の英国女性旅行家」。40年前に美ヶ原聖書研究会の合宿で一緒であった。40年を経てお互いに信仰が続いていることがうれしかった。40年ぶりの再会は、信仰の交わりだから。帰途は堀江規子(のりこ)さん(初対面)と自由が丘まで。














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奇形の人に神は現れる ++++++++ 所感

2007/09/11 07:49

070911(火)6時起床。寝過ぎであった。「短く深く眠る法」によれば寝過は健康によくない。クリスチャンは遅起きはよくない。なぜか神の囁きは早朝だから●朝風呂で日経「私の履歴書」、文楽人形遣いの吉田蓑助。仲間とともに独立のグループを設立したが、うまくいかない。父は家計が苦しくなって松竹に舞い戻る。それで父子の関係が悪くなり、父をなじる。18歳の時のこと。人間だれしも「父をなじる」というときが訪れるものだなー。人間としての宿命なのかなー。自分が父親になってみれば父の気持ちも分かることがあるのかもしれないが。●ワニが逃げ出すというニュース。飼い主は無許可でを飼っていた。無許可はいけないというのがこの世の掟。●私の家は材木の継ぎ手に金物を使っていないので、「10年保証」という国の基準に合わない。いわば無許可。しかし金物を使うと弱くなるからそれ以上の「貫工法」という構造にしたまでだ。「10年保証」の基準そのものが程度が低いのだ●無教会のクリスチャンは洗礼を受けていないので、教会の人やこの世の人から見れば「無許可クリスチャン」である。●洗礼聖餐を行わないクリスチャンは無許可で不完全か。ノー。「この世の見える権威」を欲する気持ちが信仰者やエクレシアを殺す。●パウロは自らをこの世的には不完全なものと称しているが実は真の使徒との自覚があった。


田川建三訳(2007.8.10発行) 1コリントス 15:8


15:8 すべての最後に、生まれそこないのような私に対しても現れた


●ここのところ他の日本訳は「月足らず」である。(口語、新共同、新改訳、文語、塚本)。田川の「生まれそこない」は激しい訳である。その意味は奇形児である。エルサレムの人たちからみればパウロは本流でなく傍流で奇形児。しかしその奇形児に神が「現れた」。ここの「現れた」にポイントがある。●さらば奇形のクリスチャンよ喜べ。「経歴、学歴、家系、人格、知識教養、過去、家庭、伴侶、子供、親族、健康、財産、」などがみな不完全で奇形。満足なところは一つもない。しかしこの奇形児に神は「現れ」てくださった。さらば我らは「奇形」を誇ろう。そこに神の栄光が現れるのだ。「絶対無条件の罪の赦しの恩恵」。


●図書館の音楽DVDでバーンスタイン+ウィーンフィルでヴェート―ヴェン「田園」「運命」「レオノーレ3番」を鑑賞。ウィーンムジークフェラインザールは懐かしかった。●津上さんから論考がきて眼を通す。94歳にしてこの能力に驚嘆●妻は愛子のところから月本先生の旧約講義へ。●図書館のDVDで「日本の記録」昭和26-27年、だんだん私の記憶がある時代のことで興味深い。


 

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むなしさの原因 ++++++++ 所感

2007/09/10 05:40

070910(月)4時起床。今日は遅い夏休み●朝風呂で「頭のいい人の短く深く眠る法」(藤本憲幸著)。感ずるところ多し。●人生が空しく思える日。何をやっても面白くない。砂利を噛むような人生。それは災いである。●その原因は命の交わりが途切れている時。仕事がなくても生きていける日。愛する対象がないとき。●子育て中の母親は「無我夢中」であるから「むなしさ」というものはない。「生きがいのむなしさの」なんぞは言っていられない●老人福祉の行き届いているスウェーデンの自殺率は高い。何もしなくてもよいから。●某氏が塚本先生に尋ねる「先生、貧しい人はなぜ幸いなのでしょうか」。塚本先生「一生懸命あくせく働かなくてはならないからじゃーないかなー」。至言。●むなしさの真の原因は罪の生活。金、女、遊興、地位、名誉などを求めてばかりいて、命の源流なる神を求めないとむなしくなる。そのむなしさは神の摂理。なぜか。そこに真の喜びがないことを示すサインなのだから。人生というのはこの空しきものに真の喜びがないことに気がつく旅だ。イエスの放蕩息子の譬は多くの人を信仰に導いた。イエスの譬のベスト。人生の真理が数分で語られているから驚異。


塚本訳  ルカ 15:11-32
15:11 また話された、「ある人に二人の息子があった。
15:12 『お父さん、財産の分け前を下さい』と弟が父に言った。父は身代を二人に分けてやった。
15:13 幾日もたたないうちに、弟は(分け前)全部をまとめて(金にかえ、)遠い国に行き、そこで放蕩に財産をまき散らした。
15:14 すべてを使いはたしたとき、その国にひどい飢饉があって、食べるにも困り果てた。
15:15 そこでその国のある人のところに行ってすがりつくと、畑にやって、豚を飼わせた。
15:16 彼はせめて豚の食う蝗豆で腹をふくらしたいと思ったが、(それすら)呉れようとする人はなかった。
15:17 ここで(はじめて)本心に立ち返って言った。──お父さんのところでは、あんなに大勢の雇人に食べ物があり余っているのに、(息子の)このわたしは、ここで飢え死にしようとしている。……
15:18 よし、お父さんの所にかえろう、そしてこう言おう、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。
15:19 もうあなたの息子と言われる資格はありません。どうか雇人なみにしてください』と。
15:20 そして立ってその父の所へ出かけた。ところが、まだ遠く離れているのに、父は見つけて不憫に思い、駈けよって首に抱きついて接吻した。
15:21 息子は父に言った、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。もうあなたの息子と言われる資格はありません。……』
15:22 しかし父は(皆まで聞かず)召使たちに言った、『急いで、一番上等の着物をもって来て着せなさい。手に指輪を、足にお靴をはかせなさい。
15:23 それから肥えた小牛を引いてきて料理しなさい。みんなで食べてお祝いをしようではないか。
15:24 このわたしの息子は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。』そこで祝賀会が始まった。
15:25 兄は畑にいたが、家の近くに来ると鳴り物や踊りの音が聞えるので、
15:26 ひとりの下男を呼んで、あれはいったい何ごとかとたずねた。
15:27 下男が言った、『弟さんがかえってこられました。無事に取り戻したというので、お父様が肥えた小牛を御馳走されたのです。
15:28 兄はおこって、家に入ろうとしなかった。父が出てきていろいろ宥めると、
15:29 父に答えた、『わたしは何年も何年もあなたに仕え、一度としてお言い付けにそむいたことはないのに、わたしには友人と楽しむために、(小牛どころか)山羊一匹下さったことがただの一度もないではありませんか。
15:30 ところがあのあなたの息子、きたない女どもと一しょに、あなたの身代をくらいつぶしたあれがかえって来ると、肥えた小牛を御馳走されるのはどういうわけですか。』
15:31 父が言った、『まあまあ、坊や、お前はいつもわたしと一しょにいるではないか。わたしの物はみんなお前のものだ。
15:32 だが、喜び祝わずにはおられないではないか。このお前の弟は死んでいたのに生きかえり、いなくなっていたのに見つかったのだから。』」


●フランスの作曲家シャルパンティエ(1643-1704)の「真夜中のミサ」を鑑賞。これはいい。しかしこの曲が評価されたのは最近のこととは。アー、名作や偉人は生きているうちは評価されないものだ。なぜか、同時代人が足を引っ張るのもその理由の一つ。●何をやっても反応がない時は「むなしい」そんな時は「パンを水の上に投げよ」という伝道の書の言葉を思う。それをTSKで調べると心に響くものがある。


口語訳 伝  11:1
11:1 あなたのパンを水の上に投げよ、多くの日の後、あなたはそれを得るからである。


新共同 伝  11:1
11:1 あなたのパンを水に浮かべて流すがよい。月日がたってから、それを見いだすだろう


口語訳 詩  126:5-6
126:5 涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る
126:6 種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。


口語訳 ルカ 14:12-14
14:12 また、イエスは自分を招いた人に言われた、「午餐または晩餐の席を設ける場合には、友人、兄弟、親族、金持の隣り人などは呼ばぬがよい。恐らく彼らもあなたを招きかえし、それであなたは返礼を受けることになるから。
14:13 むしろ、宴会を催す場合には、貧しい人、体の不自由な人、足の悪い人、目の見えない人などを招くがよい
14:14 そうすれば、彼らは返礼ができないから、あなたはさいわいになるであろう。正しい人々の復活の際には、あなたは報いられるであろう」。


口語訳 ガラ 6:8-10
6:8 すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう
6:9 わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。
6:10 だから、機会のあるごとに、だれに対しても、とくに信仰の仲間に対して、善を行おうではないか。


●上記ルカ14:13-14の「お礼のできない人」に親切をせよ、というのはいかにも神の子らしい崇高な考えである。凡人はお礼を期待して親切をするからだ。しかしキリスト教の報酬観念は善のための善ではない。やはり褒美が欲しい。ただしそれはこの世においてではない。神から来世において褒美をもらいたいのだ。この思想は新約聖書にたくさん出てくる。「天に宝を積む」という思想である。しかしもし来世がなかったどうするか。損の人生か。バカ見たことになるか。マテマテ、この世で生きているうちに返礼を期待している方が苦しいのだ。なぜか。期待しているほど返礼はないからだ。だからいっそのこと、返礼はないと考えた方が気が楽になる。その意味で「天に宝を積む」気持ちで生きていた方がすっきりするのかもしれない。讃美歌536番を思う。


讃美歌536番


1. むくい を のぞまで


   ひと に あたえ よ,


   こ は しゅ の かしこき


   みむね ならず や.


   みず の え に おちて,


   ながれし たね も,


   いずこ の きし に か


   おいたつ もの を.


 


2. あさき こころ もて


   こと を はからず,


   みむね の まに まに


   ひたすら はげめ.


   かぜ に おられ し と


   みえし わかき の,


   おもわぬ こかげ に


   ひと も や やどさん.


●風呂に入っていると妻が「○○さんから『癌を宣告されました』と電話がありました」と伝言。クリスチャンはは癌と言われてもこの世の人と同じように驚きあわててはならbない。妻に「御心だ」と話した。65歳以上の死亡原因の半分は癌。思わなければならない、。癌の宣告は信仰が試されるとき。抗がん剤、延命剤などにすがってもよいが、心は「いよいよ来たか、御心だ」と思わなければならない。明るく行こう。我々は永遠の命に生きているのだ。この世の命はどの道限界がある。少しだけ早いか遅いかの差だ。復活!、永遠の生命!。


塚本訳  マタ 6:27
6:27 (だいいち、)あなた達のうちのだれかが、心配して寿命を一寸でも延ばすことが出来るのか。


新共同 マタ 6:27
6:27 あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。


 




 


 


 


 


 


 


 


 


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相和天皇の戦争責任観 ++++++++ 所感

2007/09/09 07:53

070909(日)5時起床●図書館DVD「日本の記録・敗戦争廃墟からの出発」を見る。1945.9.27昭和天皇は占領軍総司令官マッカーサーを訪問して言った「私は戦争遂行に当たって、すべての責任を負うものとして、私自身をあなたの代表する諸国の裁定にゆだねるためにお訪ねした」。この言葉を聞いてマッカーサーは感動し、その後天皇を守る立場をとるようになったと言われる。●当然とは言え、昭和天皇の態度は偉かった。いわば「どうにでもしてくれ」と言って首をさしだしたのだ。それに比べて側近の軍部要人は、ばたばたと自殺していく。自殺するというのは神への反抗。自己正当化。●自己の我意や生存欲が徹底的に神に滅ぼされ、人間が神に無条件降伏をしない限り、この世から戦争はなくならない。●東条は自殺未遂になったが、そのとき輸血したのは米国人。私は小学校の時に米国が提供したスキムミルクを飲んで育った。●私や妻を育てた両親の戦後の苦労は大変なものだった。●集会に行く途中、電車の中で元鎌倉雪の下教会牧師の加藤常昭先生に会う。名建築の鎌倉雪の下教会の建設の建築にまつわるお話を伺った。●集会は藤巻、杉崎、山本●昼食は妻と共に杉崎さん(94歳)からお話を伺う。これからの無教会は「小粒共の集まりが真打」を形成するということ。これエクレシアの究極の真理。集まる原理は「主の交わり」。イエスは次のように言う。


本訳マタ 18:20
18:20 二三人わが名によりて集る所には、我もその中に在るなり』


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図書館に行く途中。美しい秋の夕暮れ。きれいな空だなー



●恵から台風9号の被害状況の報告。稲は大丈夫だったが、白菜と大根の芽は豪雨にやられて収穫は半分の予想。ファーマーの苦労を思う。企業経営者は経済の浮沈に一喜一憂。どの職業でも苦労は多い●「午後三時祈りの友」東京支部長の加藤宮吉さんから電話。肺の手術をしたが、癌ではなかったこと。今年の祈りの友、東京支部会は来春に延期のこと。

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使徒伝承の聖書的根拠 ++++++++ 所感

2007/09/08 17:12

070908(土)5持起床


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東の窓を開ける。オー太陽。太陽はありがたいありがたい


●朝風呂で日経「私の履歴書」、文楽人形遣いの吉田蓑助。文楽の駆け出し時代は給金が少なく、貧乏。芋の蔓までたべた。しかし「貧乏と感じない」のは目標があったからであろう。経済の貧しさより心の貧しさの方がよくない。●日曜日のために「使徒伝承の聖書的根拠」を執筆。概要は次の通り。


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使徒伝承連鎖反応の姿


 



                   聖霊が降る


               ↓


               


  →使徒伝承を聞かされる→③胸が熱くなる→④使徒伝承→


 


 



  地上での伝承。耳と目、五感、大脳皮質で聞いたり見たりする。これなくして信仰は歴史から遊離したものになる。何らかの方法で耳や目に入れられる。


 


塚本訳 Ⅰコリ15:3


15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、


15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、


15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。


 



 


  聖霊の働き。目で見、耳で聞いていたことをわからせて下さる。それには時が必要。神の力はいつか必ず発揮されるというその時を信じて忍耐が必要。


 


塚本訳ヨハ 14:26


14:26 (わたしが去ったあとで、)父上がわたしの名で遣わされる弁護者、すなわち聖霊が、あなた達にすべてのことを教え、またわたしが言ったことをすべて思い出させるであろう


 


塚本訳 ヨハ 16:13-14


16:13 真理の霊が来る時、彼があなた達を導いていっさいの真理を悟らせるであろう。(いっさいの真理というのは、わたしと同じく、)彼は自分勝手に話すのではなく、(父上から)聞いたことを話すからである。また将来起るべき(世の終りの)ことをあなた達に知らせるであろう。


16:14 彼は(こうして)わたしの栄光をあらわすのである。というのは、彼はわたしのものの中から取ってあなた達に知らせる(ので、結局わたしに代って仕事をつづける)のだから。


 


塚本訳 ヨハ 15:26


15:26 (また)わたしが父上のところからあなた達に遣わす弁護者、すなわち父上のところから出てくる真理の霊が来る時、それがわたしのことを(すべて)証明するであろう


 



   胸が熱くなる、心の目が開かれる、使徒伝承が見えて信じられるようになる不思議な現象。心の変化。全能の父なる神の力が発揮される時が必ず訪れる。


 


塚本訳 ルカ 24:32


24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。


 


塚本訳 ルカ 24:44-47


24:44 それから彼らに言われた、「(あなた達が見聞きした)これらのことは、わたしがまだあなた達と一しょにいたとき、わたしについてモーセの律法と預言書と詩篇と[聖書]に書いてあることは一つのこらずきっと成就する、と話したその言葉(が実現したの)である。」


24:45 それから聖書をわからせるために彼らの心を開いて


24:46 言われた、「救世主は苦しみをうけて、三日目に死人の中から復活する。


24:47 また罪を赦されるための悔改め(の福音)が、その名においてすべての国の人に説かれる、エルサレムから始まって、と(聖書に)こう書いてある。


 




   ④  


使徒伝承の発信形態は様々。「心と口と行いと生きざまをもて」バッハカンタータ147番BWV147。教会の典礼(サクラメント)は見える言葉。教会は形成主義。堕落するとお祭りの遊び。無教会は十字架と復活のみの「生きざまの実在」。一人一教会。信仰の自由、聖書解釈の自由。堕落すると勉強会、知識の争い,切り合い。地上の教会(集会)は生命の成長のために分裂(子弟別れ、親子別れ、分派)がある。しかしこれらすべてに共通なのは「使徒信条」


 


塚本訳 Ⅰコリ9:16


9:16 なぜなら、たとい福音を伝えたところで、わたしの誇りにはならない。なぜなら、(神に)強要されているのだから。なぜなら、もし福音を伝えないならわたしは禍だからである。


 


田川建三 第1コリントス 9:16


何故なら、私が福音を述べ伝えるとしても、それは私にとって誇りにはならない。私はそうせざるをえない、ということなのだ。もしも私が福音を宣べ伝えないようなことがあれば、わたしに禍いあれ。




 



 


 




 使徒信条


 


我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子我らの主、イエス・キリストを信ず主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生れポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架に付けられ、死にて葬られ陰府(よみ)にくだり三日目に死人のうちよりよみがえり、天にのぼり、全能のなる神の右に座したまえり、かしこより来りて生ける者と死ねる者とを審きたまわん。我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体(からだ)のよみがえり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。アーメン。


 


 


     讃美歌566番は使徒信条。霊肉分離のグノーシス思想に対抗してできた可能性大


     正統信仰が使徒伝承の連鎖反応になる。これが2000年の教会史の本質。


● 「身体(からだ)のよみがえり」と「陰府(よみ)にくだり」が異教地盤の日本の死生観とは決定的に違うところ。私たちは終末のときに霊の身体(からだ)でよみがえる。


     内村鑑三「私は古き古き十字架教だ」


 


  古代教会からある「身体(からだ)のよみがえりを信ず」という信仰箇条



●古代の信条は下記が通例(参考。渡辺信夫「古代教会の信仰告白」新教出版社P7など)


使徒信条*(最も古く、最も基本的でエキュメニカルなもの。原型は2世紀のローマ信条*に遡り、8世紀には今日の形に固まる)、ニカイア・コンスタンティノポリス信条*、アタナシウス信条*、(以上が三大信条)ニカイア信条、カルケドン信条。


●これらのうち*印に「身体のよみがえり」の信条が含まれる。


●上記使徒信条で太字下線は使徒信条の原型と考えられるローマ信条


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台風が去って、農業者はまた種まき。イエスの「種まきの譬」を思った。良い地に落ちた種はすくすくと育つ。



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今日はまた熱くなったこうなると太陽もありがたくない。でも農業者にとってはありがたいのだ。



●恵一家はいわき市へ。草野茂直、大熊好子さんの墓参●トミ子は練馬の守宅へ。それからメサイアの練習●「我と我が家は主に仕えん」。●図書館DVDで「太平洋戦争の記録」。ヒットラーやムッソリーニに煽動されたように日本国民も一部の日本軍人に煽動された。国民全体に深い教養がなかったせいだろうか。いやあのドイツでさえもそうなった。するとこれは人間の本能である「生存欲」が戦争を引き起こしたのではあるまいか。戦争の阻止はヒューマニズムやイデオロギーや教育や道徳では無理。キリストの十字架でまずこの自分が打ち砕かれ、滅ぼされて生まれ変わらなければならないのだ。



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台風で雨漏り ++++++++ 所感

2007/09/07 06:55

070907(金)5時半起床。「私は昔○○さんの家を設計しました」と話している相手が当の○○さんだったという変な夢。●昨夜は台風9号が東京を通過、激しい風雨で思わぬところから雨漏り、バケツや洗面器を6個も持ち出して防戦。こういう現象は工務店や大工さんに訴えてもしょうがない。建築士としては無理なことは無理だと思うから施工者を訴えない。自画自賛だがそこが建築士(プロ)としての良いところ。多分医学の世界でも同じだろう。世の中にはだめなものはだめなものがあるのだ。それをわきまえないで人を糾弾するとき神は怒る。「人を裁くな」。こういうとき同情がなく人を断罪する人間は神に裁かれる。


文語訳マタ 7:1-2
7:1 なんぢら人を審くな、審かれざらん爲なり。
7:2 己がさばく審判にて己もさばかれ、己がはかる量にて己も量らるべし。


塚本訳 マタ 7:1-2
7:1 (人を)裁くな、自分が(神に)裁かれないためである。
7:2 (人を)裁く裁きで、あなた達も裁かれ、(人を)量る量りで、あなた達も量られるからである。


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 昨夜は台風のために思わぬところからの雨漏りに悩まされた。今朝は風雨が収まり一安心。


ベートーヴェン交響曲第6番「田園」の第5楽章「嵐のあとの感謝」を思う。


●朝風呂で日経「私の履歴書」、文楽人形遣いの吉田蓑助。14歳の時みんなを困らせてやろうと思って一日だけサボる。すると先輩に「休んだら、みんなが困ると思ったやろう。だれが困るかいアホ!わしが足持ったわぃ」と怒鳴られた。自分の存在は職場では「一角」の者だと自負している場合、それほどでもないことが多い。●サボれば親や教師や会社が困るだろうと思っているときは人生「本道」ではない。「私は取るに足らぬものです。お役に立っているどうか心配です」と思っていなければならない。


塚本訳 ルカ 17:5-10
17:5 使徒たちが主に言った、「もっと信仰を下さい。」
17:6 主が言われた、「もしあなた達に芥子粒ほどでも信仰があれば、──(あなた達にはそれがないが、もしあれば)──この桑の木にむかい『抜けて海に植われ』と言っても、言うことを聞くであろう。
17:7 ただ(次の譬を聞け。)あなた達のうちに耕作、あるいは牧畜をする僕を持っている人があって、その僕が畑からかえって来たとき、『すぐここに来て食事をしなさい』とその人は言うだろうか。
17:8 むしろ反対に、『夕食の用意をして、わたしが食事をすますまで裾をひきからげて給仕をし、そのあとで食事をしなさい』と言うのではあるまいか。
17:9 言いつけられたことをしたからとて、主人が僕に感謝するだろうか。
17:10 そのようにあなた達も、(神に)命じられたことを皆なしとげた時、『われわれは役に立たない僕だ、せねばならぬことをしたまでだ。(褒美をいただく資格はない)』と言え。」


●17:7-10をBbBで調べると次が出てきて納得。イエスの言葉はパウロが解説してくれている。



口語訳コリ9:16-17


9:16 わたしが福音を宣べ伝えても、それは誇にはならない。なぜなら、わたしは、そうせずにはおれないからである。もし福音を宣べ伝えないなら、わたしはわざわいである。


9:17 進んでそれをすれば、報酬を受けるであろう。しかし、進んでしないとしても、それは、わたしにゆだねられた務なのである。


 


口語訳 ピリ 3:8-9


3:8 わたしは、更に進んで、わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに、いっさいのものを損と思っている。キリストのゆえに、わたしはすべてを失ったが、それらのものを、ふん土のように思っている。それは、わたしがキリストを得るためであり、


3:9 律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基く神からの義を受けて、キリストのうちに自分を見いだすようになるためである


 


口語訳 ロマ 12:3


12:3 わたしは、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりびとりに言う。思うべき限度を越えて思いあがることなく、むしろ、神が各自に分け与えられた信仰の量りにしたがって、慎み深く思うべきである


 


口語訳 ピリ 2:3


2:3 何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい


 


口語訳 ロマ 3:27


3:27 すると、どこにわたしたちの誇があるのか。全くない。なんの法則によってか。行いの法則によってか。そうではなく、信仰の法則によってである


 


口語訳 Ⅰコリ4:7


4:7 いったい、あなたを偉くしているのは、だれなのか。あなたの持っているもので、もらっていないものがあるか。もしもらっているなら、なぜもらっていないもののように誇るのか。


●出勤のために駅に行くと多摩川が増水で五日市線が不通。やむなく有給休暇とする。●過去に浸水被害のあった杉並の鈴木延子さんと斎藤顕さんにお見舞いの電話。今回は無事とのこと●図書館からのDVDで「日本のモダニズム建築」を鑑賞。建物の映像とバックグラウンドミュージックがマッチングしているすばらしい作品。製作者に御礼と激励の電話をする。彰国社編集部トミシゲ氏。村野藤吾設計広島平和記念聖堂はモーツァルトクラリネット協奏曲第二楽章。村野藤吾設計千代田生命本社ビル(現目黒区役所)はドボルザークのスターバトマーテル第5曲「わがためにかく傷つけられた」(これはたまたま妻が現在練習中のもの)●建築美と音楽のマッチングは研究の対象となる。脳のどこかで一致する。だれか若い人がこの課題に取り組んでもらいたい。


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台風9号一過の夕焼け。今朝と同じ2階の窓から撮影。台風のエネルギーは核爆発よりも大きい。人間は思いあがってはならない。


●妻が恵の稲の様子を聞く。大丈夫らしくて一安心。



 

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田川建三訳新約聖書 ++++++++ 所感

2007/09/06 08:08

070906(木)4時半起床。母を見舞いに行こうと思ったが母はもういないことに気がついたという夢。母は今頃どこにいるのだろう。救いの恩恵に浴せず、信仰なくして亡くなった母は陰府にいるのだろうか。夢の中で「照男ちゃん」と呼ばれたような気がするのだが。●朝風呂で日経「私の履歴書」、文楽人形遣いの吉田蓑助。敗戦で文楽の道具が焼ける。人間は一生のうちに火災にあってすってんてんになることが大切。目が明く。●HPの「使徒伝承」に新しく2本アップ。●DVDで「第二次世界大戦」と「ファシズム」を一気に見る。あのドイツ国民が狂人ヒトラーに従順になったのはなぜかを考えた。DVDの解説に次のようにあったのにはうなずけた。「ヒトラーもムッソリーニも人間の卑しい本能をくすぐり大衆をあやつり、暴力に訴え人権を踏みにじり、そして世界制覇夢見る権力を握った」。この二人に我が国が加わり日独伊三国同盟を結んだとはなんと情けないことであったことか。野蛮で教養のない国であった。天罰が当たって滅びるのは当然であった。●ドイツはキリスト教国なのになぜあのように狂ってしまったのか。福音には戦争を阻止する力はないのだろうか。人間が人間である限り、その本能から「生存欲」のために戦争が起こる。ヒトラーのポーランドやオーストリア侵略の大義名分はその国に居住するドイツ人の「生存権」を確保するというものであった。●「生存欲」と信仰とは相容れない。 ルカ 14:26のとおりである。ドイツ国民はこのイエスの言葉に真に帰依していなかったのだ。神学者のニーバーは「国家は基本的にはエゴである」と言ったが、至言である。


塚本訳  ルカ 14:26
14:26 わたしの所に来て、その父と母と妻と子と兄弟と姉妹と、なおその上に、自分の命までも憎まない者は、だれもわたしの弟子になることは出来ない


塚本訳ヨハ 12:25
12:25 [(この世の)命をかわいがる者は(永遠の)命を失い、この世で命を憎む者は、命を守って永遠の命にはいるであろう。


●ヒトラーは愛されることなく育ったらしい。育ちが悪いと年が増すと「愛」を奪う。ヒトラーの場合はそれがドイツ国民の賞讃という人間の愛だったのだ。パウロは次のように言う。



新共同 使  20:24
20:24 しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません


●田川建三訳新約聖書「パウロ書簡その一」がアマゾンで到着。気になるところを拾い読み。72歳にして相変わらずの「田川節」。しかし水準の高さにこれからの日本訳は刺激を受けることであろう。●台風9号接近でベランダに雨除けルーバーを設置。●夕食時の祈りで福島の恵の稲に被害がないようにと祈った





 

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シャルパンティエ ++++++++ 所感

2007/09/05 09:44

070905(水)5時起床。睡眠8時間半。レコード●朝風呂で日経「私の履歴書」、文楽人形遣いの吉田蓑助。修業時代の寝泊まりは楽屋。奈落に落ちる失敗。初めての給金を親に渡すと、両親は丁寧に神棚にお供えした。この親にしてこの子あり。文楽の人形は三人がかり。足遣いの修行に10年、左手を持つ左遣いの修業に15年を務めてから右手と首(かしら)を遣う主役の主遣いにたどりつくという。こういう世界の人には「なまじ」のキリスト教では通用しない。●シャルパンティエ(1643-1704)を鑑賞。ヘンデルのメサイアと同じく、救いの喜びがはじけるような曲。キリスト教芸術は何と言っても救いの喜びが溢れ出る明るいものでなくてはならない●妻が婦人の聖書勉強会の当番。BbBを使っているのでJバイブルも使うようにコーチ。●DVDで「超高層ビルの記録」。現場技術者の苦労に注目してあるのはよかった。●DVDで「日中戦争」。軍国主義に向かう日本の様子がわかった。やはり日本は倫理がなかった。野蛮で無教養な国民であった。世界はよく日本を赦してくれた。


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台風9号が接近。恵が福島県で稲を作っている。被害がなければよいが。

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この父にしてこの子あり。 ++++++++ 所感

2007/09/04 11:53

070904(火)5時起床●朝風呂で日経「私の履歴書」、文楽人形遣いの吉田蓑助。6歳で文楽の師匠のところに住み込みでやられる。父は「厳しい芸の道に入るなら、いくら幼くても他人の飯を食った方がいいと考えた」という。この父にしてこの子ありだ。●日記の整理●三男の恵が作ったジャガイモで昼食。有機野菜はおいしい●午後、立川の三菱東京UFJに行く。パンクで自転車店、図書館。●妻は明日聖書勉強の発表当番。聖書の引照の引き出しとプリントのためにBbBとJバイブルの使い方をコーチ。BbBはゆっくり浸透していく●田中三郎さん宅へ。雨に降られる


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あきる野大地に雨雲。ベートーヴェン交響曲第6番第4楽章「嵐」を思う。雨に降られ、帰宅してすぐ風呂に入る。

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吾妻小冨士、パイプオルガン ++++++++ 所感

2007/09/04 09:42

070903(月)恵の家で5時半起床。布団の上で見時とプロレス。6人で朝食。


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近藤恵の一家。左より近藤華子、近藤恵(三男)、近藤見時(孫5歳1か月)、高橋トミ子(妻)、近藤風人(孫1歳11か月)、高橋照男(64歳)。狭いながらも楽しい家。教育費は一時的な出費、(真面目に生きていれば)何とかなるもんだと話した。



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孫の見時を連れて3人で吾妻小富士(旧火山)に登る。5歳の見時がスイスイ登るのに感心。思わぬ晴れで一切経、浄土平、吾妻山の眺めが素晴らしかった。途中バスの車窓からの雲海、磐梯山、安達太良連峰の景色も素晴らしかった。


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妻は、故郷の「いわき市」の方を望みたかったのか福島市を見たいと言って山頂を目指して先に歩いた。この写真は吾妻小富士山頂。噴火口のすり鉢で。下界は雲で見えなかった。


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14:00.福島市音楽堂は月に一回、練習用に大ホールのパイプオルガンを市民に開放。華子さんがそれに応えて時々練習。今日は最初にパイプオルガンの仕組みを私たち二人と見時に詳しく教えてくれた。見時はストップを面白がって引き出した。オルガニストの母親の観察では見時にはまだモーツァルトのような才能は見受けられないらしい。とにかくオルガンのメカニックのすごさに驚く。コンピュータのように複雑。私は最大音響を出してみたいと単純な希望を出して、だれもいない大ホール一杯に大音響を響かせた。あー気持ちがよい。妻も少し鍵盤に触る。

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あだたら聖書集会、孫に会う ++++++++ 所感

2007/09/02 05:26

070902(日)5時起床●朝風呂で日経「私の履歴書」、文楽人形遣いの吉田蓑助。人形遣いの父には叱られた記憶はない。父は女の子、母は男の子を連れての再婚。人形遣いは給金が安かったが周囲が質素だったので貧乏だとは思わずに育った。小学校に上がる前から父に連れられて文楽行っていたのでその空気になじんだ。●キリスト教も小学校に上がる前に教会や集会の「よい空気」に触れさせることが肝心。学校に通うようになると「宗教的雰囲気」からは縁遠くなるのでよくない。それに現代の学校は宗教を相対化するから真の信仰に帰依する道は教えない。その結果「神などいない」などと教え込まれて身を滅ぼす。●6時出発。福島県二本松の「あだたら聖書集会」。私は使徒伝承を語った。湯浅泉、(湯浅鉄郎先生次女。オーストラリアで勉強中)、平野勇、武田章、堀越利雄、大内信一、石沢重吉、富永國比古御夫妻、佐久間ご夫妻、などの面々と会う。福島の地に確実に根付いたエクレシア。●代表の湯浅鉄郎先生から、会員の山の井家に起こった奇蹟を伺った。山の井家では墓を造るにあたって、気の毒な人や身寄りのない人をも招き入れようとしたら、家族に反対がないばかりか、このことによりお子様方が信仰に導かれたという。これを湯浅先生は「樹はその実によって知られる」だと言われる。私はその樹とはその家と「あだたら聖書集会」であると感じた。同時に神の国は言葉でなく「力」であると思った。


新改訳 Ⅰコリ4:19-20
4:19 しかし、主のみこころであれば、すぐにもあなたがたのところへ行きます。そして、思い上がっている人たちの、ことばではなく、力を見せてもらいましょう。
4:20 神の国はことばにはなく、力にあるのです


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今年は成績の良い三男恵の水田。有機米。「(農業って)面白いんだよなー」という息子のつぶやきに安心しまた感謝した。有機農業は神と自然との共同作業であると感じた。左から妻のトミ子、孫の見時、三男の恵。福島県二本松。


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 後藤果樹園で桃と梨を自分でもいで食す。これは初めて。もぎたての幸水梨はサイコー。素晴らしい労働環境なので後藤氏に「果樹園の息子だと言ってHPなどを立ち上げればお嫁さんが大勢押しかけて来るかもよ」と話す。福島市。


左から三男の近藤恵、妻のトミ子、後藤喜考(恵と筑波大学で同期)


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福島市にある三男の近藤恵の家に泊まる。二人の孫はもう自力で食事をする。左から近藤見時(5歳1か月)、近藤風人(1歳11か月)。育てたもうは神である。感謝。手品をやると「エーッ?!」と素直に驚いてくれる。手品師(?)にとってはこの反応が快感なのだ。イエスは次のように言った。


塚本訳  ルカ 18:17
18:17 アーメン、わたしは言う、子供のように(すなおに)神の国(の福音)を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできない。」


それに比べて大人たちはトマスのように疑いの目をもって見るから「カワユクナイ」。

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神の霊に触れればわかる ++++++++ 所感

2007/09/01 09:01

満64歳1ヶ月 職場完全退職まであと1年8ヶ月 平均余命18年。死亡推定年齢82歳。ライフワークは、「有体的復活]の伝承を担う使徒でありうること。


070901(土)●朝風呂で日経「私の履歴書」、文楽人形遣いの吉田蓑助。脳出血で倒れる。救急車で運ばれて行く時、まだ舞台が残っている弟子たちに「見送り」を拒否する。偉い。人間は人に見送られることを期待して生きてはいけないのだ。葬式の形をどうしようかなどと考えているのは真剣に使命に生きていない証拠。三日間意識不明ののち、必死のリハビリで八カ月半ぶりに舞台復帰したときは場内を揺るがす大拍手だったという。男は使命に生きて「花と散る」のが美学的生き方だ●明日の安達太良聖書研究会礼拝での「使徒伝承」の結論を執筆。建築設計と同じで最後の最後まで修正したくなる。


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【結論】


●「身体のよみがえり」も「陰府にくだり」も物理的、空間的、場所的、様態的にこれを大脳皮質でわかろうとしてもわからない。矛盾だらけ。●それは神の霊に触れることによって信じることができる。●これはキリスト教の本質である「三位一体」を信じるということについても同じことが言える。●子供の一人「お父さんの話を聞いてもさっぱり胸が熱くならない」●では神の霊にはどうしたら触れることができるか。「祈り求めれば」与えられる。




塚本訳 ルカ 11:13


11:13 してみると、あなた達は悪い人間でありながらも、自分の子に善い物をやることを知っている。まして天の父上が、求める者に聖霊(という善いもの)を下さらないことがあるだろうか。」



●だから我々の使命は、人が「神の霊」を求める者となるように祈り続けることである。




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 ●図書館の音楽DVDで「メンデルスゾーン物語」。あぁメンデルスゾーンも38歳で亡くなる。バッハのあのマタイ受難曲はメンデルスゾーンが100年ぶりに発掘して世に知らしめたのだが、何とその楽譜をメンデルスゾーンに示したのは母であった。音楽は家庭環境だ。メンデルスゾーンは幸福な生涯であった。愛妻(プロテスタントの牧師の娘)家であった。メンデルスゾーンが死ぬと後を追うように愛されたその妻はすぐ亡くなった●図書j館のDVDで「激動の記録、日本と中国」を鑑賞。中国の内戦(国民党軍と共産党軍の戦いから毛沢東の死」までの実写フィルム。日本はやはり侵略戦争であった。しかし結局戦争というのは「この世の争い」。どんな政治体制になっても「この世に安らぎはない」。中国も日本も結局「神なき国」であった。真の神なきところ人間が偶像となる。中国は毛沢東、日本は天皇。●ヒューマニズムや音楽では平和は来ないというのが私の持論●妻はロッシーニの「スターバトマーテル」の練習。


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 図書館の帰途、小雨のあきる野台地。涼しい。過日の猛暑がうそのようだ。しかし涼しいのは淋しさにつながる。人間は淋しさには耐えられないものなのだ。




 

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