to 日記と感想 2007年10月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    180422(日)   杉並公会堂・武蔵野室内合奏団「英雄」
    171229    TM誕生日
    180224   14:30 トミ子、モーチァルト{レクイエム) 171220     KK誕生日
    171225(月)10:45 聖路加診察脳神経外科桑本医師
    171218(月)10:30 聖路加MRI
    171203(日)14:00 無教会浦和集会、助川光子講演
    171126(日)  兄光男、弟靖男と三人会。於・日本橋
    171119(日)15:00 秋川キリスト教会、後藤牧人講演会
    171115    TM誕生日
    171107(月) TI手術、聖路加 171105(日) 照男・トミ子集会感話、トミ子午後郡山にSS見舞い
    171103(金)13:00南原繁研究会学士会館
    171030(月)10:00 聖路加 桑本先生


あぁシューベルトは31歳 ++++++++ 所感

2007/10/31 16:01

071031(水)6時半起床。●朝風呂で日経「私の履歴書」青木昌彦(経済学者・スタンフォード大名誉教授)。最終回。学際のこと。●次の集会の準備。「救われる人は少ないか・・・理性の安息と信仰による安息の葛藤」


文語訳 ルカ 13:23
13:23 或人いふ『主よ、救はるる者は少きか』


塚本訳 ルカ 13:23
13:23 するとある人が「主よ、救われる者は少ないでしょうか」と尋ねた。


●その結論。


「あの身内は救われるのか」という不安や悩み・・・この不安という病気は理性の安息でなく信仰による安息で癒される。神は理性による安息ではなく信仰による安息を求める


 


新共同 マコ 5:34


5:34 イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」


 


塚本訳ヨハ 11:24-26


11:24 マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」


11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。


11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。



 ●「藤林益三」という本の編集作業。その中で塚本虎二の略歴を簡単に書く。


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塚本虎二


1885--1973、福岡県生まれ。無教会主義キリスト教の伝道者、聖書学者。東京帝大在学中から内村鑑三に師事。後に師以上に無教会主義を唱導。月刊誌「聖書知識」を発行、新約聖書の翻訳に生涯を捧げる。著作に「福音書」「使徒のはたらき」(以上岩波文庫)「塚本虎二著作集」(聖書知識社)などがある。



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●音楽DVDで「シューベルト物語」。31歳で亡くなる。「何で、何で」心で泣いてつぶやいた。●シューベルト交響曲8番未完成第2楽章の冒頭、ヴァイオリンを支えるチェロのメロディに魅せられ、5種類のCDを鑑賞。●シューベルトの即興曲作品90の第3番を鑑賞。すばらしい。シューベルト様様である。これだけ人類を慰める曲を作った人間がなぜ31歳の若さで死ぬのだろう。あの「未完成」交響曲が初演されたのは死後37年のことであった。あぁ、人生は短い。悲しい、淋しい●シューベルトは生前に良い友人に恵まれた幸いな人生であったから、短くても良かったのかなー。しかし結婚はしなかった。その恋は「未完成」であった。●斎藤顕氏に質問電話。ルターの「そのとき私は教会であった」という言葉はどこで言ったのか。それから、ルターの農民戦争に対する姿勢、洗礼と聖餐を制定した意味などなど懇談●ムラウチ電気、図書館(ルターの文献3冊借りる)、歯医者



 



 


 

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赦してやれ ++++++++ 所感

2007/10/30 08:53

071030(火)、今日は女子大講義日。5時半起床。●朝の黙想「誘惑をもたらすものは災いだ」●昨日の、守谷元防衛省事務次官の国会証人喚問の中継を見たせいか●守屋氏の答弁はまことに正直でさわやかであった。自分の非を素直に認めた。確かにゴルフの200回は度が過ぎた。●私だったら「甘いもの」や妻に「高級ハンドバック」を送られたら引っかかるかもしれない(笑)●人間は誰でも誘惑に弱い。イエスだってサタンの誘惑にあった。(マタイ4章)。有能な人間ほど誘惑に直面するものだ●有能ではないダメ人間はサタンも近づかない●問題は誘惑をする者の方だ。今回の事件は「山田洋行」の元専務宮崎氏の方が問題。国会は宮崎氏の証人喚問を要求しないで、役人を呼べという。これは政治抗争がその目的。国会議員をあぶりだそうとするのが目的●宗教的に言えば宮崎氏が問題。ひっかかった守屋氏よりもひっかけた宮崎氏が悪い。その聖書的根拠は次の通り。


塚本訳マタ 18:6
18:6 しかしわたしを信ずるこの小さな者を一人でも罪にいざなう者は、大きな挽臼を頚にかけられて深い海に沈められる方が得である。


新改訳 マタ 18:6
18:6 しかし、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、大きい石臼を首にかけられて、湖の深みでおぼれ死んだほうがましです。


●ところが、守谷氏も宮崎氏も深く反省している。宗教的に言えば、「赦してやるべきだ」。イエスは次のように言う。


口語訳 ルカ 17:4
17:4 もしあなたに対して一日に七度罪を犯し、そして七度『悔い改めます』と言ってあなたのところへ帰ってくれば、ゆるしてやるがよい」。


文語訳ルカ 17:4
17:4 もし一日に七度なんぢに罪を犯し、七度「悔改む」と言ひて、汝に歸らば之をゆるせ』


塚本訳 ルカ 17:4
17:4 あなたに対して一日に七度罪を犯しても、七度『すまなかった』と言って、あなたの所へもどってきたら、七度赦してやらねばならない。」


●人を赦せるか。何度でも赦すべきだ。然りゴルフの回数200と同じく、赦すべきなのだ。イエスの言う七十七度とは無限に赦せという意味だ。


 口語訳 マタ 18:21-22
18:21 そのとき、ペテロがイエスのもとにきて言った、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか」。
18:22 イエスは彼に言われた、「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。


塚本訳マタ 18:21-22
18:21 その時ペテロが進み寄ってたずねた、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したとき、何度赦してやらねばなりませんか。七度まででしょうか。」
18:22 イエスがこたえられた、「いや、あなたに言う、七度までどころか、七十七度まで!


●それにしても罪を暴こうと執拗に追及するあの国会議員たちはイエスを断罪した「パリサイ人・聖書学者」を思い起させる。「自分が裁きの座に座っている」。神はあの国会議員たちを嫌う。かえって守屋、宮崎氏の方を「義」とする。その聖書的根拠は次の通り。 


塚本訳 ルカ 18:9-14
18:9 なお、自分(だけ)は信心深いとうぬぼれて人を軽蔑している者たちにも、この譬を話された。
18:10 「二人の人が祈りのために(エルサレムの)宮に上った。一人はパリサイ人、他の一人は税金取りであった。
18:11 パリサイ人は(得々と)ひとり進み出て、こう祈った、『神様、わたしはほかの人たちのように泥棒、詐欺師、姦淫する者でなく、また、この税金取りのような人間でもないことを感謝します。
18:12 わたしは一週間に二度も断食し、(きまったものの一割税だけでなく、)一切の収入の一割税を納めております。』
18:13 しかし税金取りは(罪に責められ、)遠く(うしろ)の方に立ったまま、目を天に向け(て祈りをささげ)ようともせず、ただ胸をうって、『神様、どうぞこの罪人のわたしをお赦しください』と言った。
18:14 わたしは言う、あの人でなく、この人の方が(神から)信心深いとされて、家にかえっていった。自分を高くする者は皆低くされるが、自分を低くする者は高くされるのである。」


●自分のことを棚に上げて人を赦さない人は神に罰される。その聖書的根拠は次の通り。


塚本訳マタ 18:21-35
18:21 その時ペテロが進み寄ってたずねた、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したとき、何度赦してやらねばなりませんか。七度まででしょうか。」
18:22 イエスがこたえられた、「いや、あなたに言う、七度までどころか、七十七度まで!
18:23 だから天の国は、王が家来たちとの貸し借りを清算しようとするのに似ている。
18:24 清算を始めると、(王に対し)一万タラント[三百億円]の借りのある家来がつれて来られた。
18:25 返すことができないので、主人は(その家来に、)自分も妻も子も持ち物も全部売って返すように命じた。
18:26 家来はひれ伏して、しきりに願った、『しばらく待ってください。全部お返ししますから。』
18:27 そこで主人は気の毒に思って、身柄をゆるした上、借金にまで棒を引いてやった。
18:28 ところがその家来は出ていって、自分に百デナリ[五万円]を借りているひとりの同僚に出合うと、これをつかまえ、喉頚をしめて、『借りているものを返せ』と言った。
18:29 同僚はひれ伏して、『ちょっと待ってくれ。返すから』と頼んだ。
18:30 しかし承知せず、(裁判官につれて)行って、負債を返すまで牢に入れた。
18:31 その人の同僚たちはこの出来事を見て非常に悲しみ、行って、出来事の一部始終を主人に報告した。
18:32 すると主人はその家来を呼び出して言う、『不埒な家来、あなたが頼んだから、わたしはあの負債に全部、棒を引いてやったのだ。
18:33 だからあなたもわたしに情をかけてもらったように、同僚に情をかけてやるべきではなかったのか。』
18:34 そこで主人は怒って、負債を全部返すまでその男を獄吏に引き渡した、(いう話。)
18:35 わたしの天の父上も、もしあなた達ひとりびとりが心から兄弟を赦さないならば、同じようにあなた達になさるであろう。」


●今度の事件をイエスが知ったら、簡単に総括して次のように言うに違いない。


塚本訳 ルカ 17:1-4
17:1 それから弟子たちに言われた、「罪のいざないが来るのは致し方がない。だが、それを来させる人は禍だ
17:2 この小さな者を一人でも罪にいざなうよりは、挽臼を頚にかけられて海に放り込まれる方が、その人の為である。
17:3 (人を罪にいざなわぬように注意せよ。(また)もし兄弟が(あなたに対して)罪を犯したら、これを咎め、悔改めたら、赦してやりなさい
17:4 あなたに対して一日に七度罪を犯しても、七度『すまなかった』と言って、あなたの所へもどってきたら、七度赦してやらねばならない。」


●守屋氏と宮崎氏に告ぐ。その反省の心ですでに「服役の期」は終わった。天国では迎えられる。防衛事務次官、商社専務のときの楽しみは「一夜の夢」であった。「(今の)苦しみは瞬時にして喜びは永遠なり」だ●守屋氏の退職金は7000万円。それを返納することでフイになったが、ナニ、天国の宝の方が莫大だ。彼は7000万円を失ったが天国に入れるのだ●回想。かって某建築技術雑誌に私の作成したグラフを無断盗用した人がいたので私は激怒。内容証明付きで手紙を出すと相手に通告。すると盗用した本人と雑誌の編集長が来て20万円を差出し、「これでご勘弁を」と言った。私は「そんなものいらない」と言って赦して帰ってもらった。なぜ赦せたかというと、彼らが来る前に天から「お前はどうなのか」という声が聞こえたからである。その時私が神の前に悔い改めたからである。・・・・・・・・・・・・今にして思えば「あー、あの時の20万円は惜しかったなーと思うが(笑)、マテマテ、彼を赦したことで天国に宝を積んだことになっているのかもしれない。それは20万円の70倍、1400万円かもしれない。だからイイヤイイヤ、今では喉からてが出るほど欲しいが、我慢しよう●守屋元事務次官は仕事のストレス解消のために土日にゴルフをやったという。これがいけなかった。もっと高級なことをやらなければならなかった。たとえば教会に行くとかバイブルの研究をするとかである。聖書は次のように言う。


口語訳 出  20:8-10
20:8 安息日を覚えて、これを聖とせよ。
20:9 六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。
20:10 七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならないあなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。


●つまり休みの日には神を覚えなければならないというのである。ゴルフやダンスやスポーツではいけない。この習慣が一生を左右するのだ●昭和女子大で建築の講義。大学ランキングにおいて女子大でトップになったから頑張れと「発破」をかける。そのあとで守屋次官の話に及び、私はゴルフができないし酒も飲めないが「甘納豆」は好きだと言ったら、「先生、今度甘納豆持ってきます」と言われた。●18:15 昭和女子大人見記念講堂で、イ・ムジチ合奏団のヴィヴァルディ「四季」を鑑賞。ヴァイオリン独奏はアントニオ・サルヴァトーレ。この合奏団はこの曲を何百回、何千回もやっているのだろうが、手を抜かずに全力投球で演奏しているのには感心した。派手な演奏ではない。●前原理事に挨拶する。●妻は好間に行っている。


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 昭和女子大人見記念講堂、座席数2008.私の好きなコンサートホール。イ・ムジチ合奏団でヴィヴァルディの「四季」を鑑賞。学生は授業の一環として聴いていたが、こんな名演奏を聴けるとはすばらしいことだ。恵まれている。


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 人見記念講堂は座席の前後の間隔が広くてゆったりしているところがよい。膝の前がこんなに余裕。


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 




 


 


 

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美人であることは幸福か ++++++++ 所感

2007/10/29 09:12

071029(月)有給休暇。4時半起床●朝風呂で岩波新書、熊野純彦著「西洋哲学史」(近代から現代へ)。第12章、ロッツェ、新カント学派、フレーゲ。難解で歯が立たないが、数学と哲学は密接な関係があることだけはわかった。哲学を知らない数学者は良くない●朝風呂で日経「私の履歴書」青木昌彦(経済学者・スタンフォード大名誉教授)。国際的に活躍。昨日は政府関係の要職をさっさと辞めた記事。しかしその短い期間でも政府関係の仕事のまずさを学んだという。人生の道はどんな道でも無駄にはならない。経験は一つも無駄にならない。そのポジションが自分の目的に合わないと見ると地位や肩書(もちろん報酬も)に未練を残さずさっさと辞める思いきりのよさに感心。●伸びる人は地位や肩書や報酬に未練を残さない。●NHKTV。アフリカの若者に将来の希望をインタビュー。ひとりの若者が叫ぶように「お金を設けて美人と結婚する」。このことについて考えた(暇な奴だなー)。この青年の気持は正直だ。しかし64歳のこの私は忠告する。金でなびく女性に素晴らしい人はいない。美人は冷たい。美人と付き合うとわがままだから振り回されて自分がなくなる。美人と一緒にいると楽ではない。あまり頭がよくない。美人薄命といわれるからいいことはない。●といって逆に「お茶の水卒」は薄命ではないかというとそうでもない。(笑)。でも何かと小ウルサイから楽ではない(笑)●塚本先生が集会の受付嬢をある女性に頼んだ時に言った言葉。「あまり美人でもなく、といってあまり不美人でもなく、あなたぐらいがちょうど良い」●昭和女子大でのこと。学生「高橋先生、ワタシ『うお座』の人と一緒にいると楽なんです」。私「結構結構、その『楽だ』という判断はよろしい。イケメンは頭が悪くてお金持ちにもなれないから避けたほうがよい」


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早朝散歩。何と美しい空なんだろう。心で讃美歌を歌う。


讃美歌216番


1. あぁ うるわしき シオン の あさ,


   ひかり ぞ てり そめ ける.


   やみ に まよう くにぐに も,


   いざ とも に いわえ かし.


2. あぁ かがやける しおん の あさ,


   たのしき ひ ぞ き に ける.


   いすらえる も, ことくに も


   いま こそ は さち を え め.


 3. あれし ち に も はな は さき,


   いずみ は わき あふれて,


   よも の やま に ひびき つつ,


   よろこび の こえ す なり.


 4. おおうみ より も くが より も,


   みかみ を たたえ まつれ.


   みち の ひかり かがやきて,


   あまねく よ を てらせり.


 


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 早朝散歩。「日の出の勢い」とはよく言ったものだ。


 讃美歌29番


1. ほのぼの のぼる あさひ に やみよ の かげ は きえぬ,


   しゅ よ, いま みまえ に いでて みかお を あおぎ まつる.


 2. みわたす たにま に, おか に よ の まく かかれる とき,


   かがやく ひかり いで きて あした は ち に めさめぬ.


 3. みざ より みそなわし つつ まよい の くも を ひらき,


   むかし に まさる みめぐみ あらた に そそぎ たまえ.


 4. うずもれ かくるる もの も しゅ は みな しり たまえ ば,   あした


  の そら に かがやく みことば よませ たまえ.


 5. くらき の あと だ に あらぬ とこよ の あさ と ならば,


   きよけき ひかり を あびて みまえ に ちかく はべらん.



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早朝散歩でまとわりついてしばらく離れなかった猫。たまらず「あっちへ行ってくれ」と別れた。かわいそうであった。心で「さようなら。達者で暮らせ」とつぶやいた。聖書には「達者で」という言葉がある。


口語訳 マコ 5:34
5:34 イエスはその女に言われた、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。すっかりなおって、達者でいなさい」。


塚本訳マコ 5:34
5:34 イエスは言われた、「娘よ、あなたの信仰がなおしたのだ。さよなら、『平安あれ。』もう病気をせず、達者でいなさい。」


新改訳 マコ 5:34
5:34 そこで、イエスは彼女にこう言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」


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 秋の朝、朝日が当たる我が家。秋の空はきれいだ。でもこういう景色を見ることができるのもあと17回ぐらいなんだなー。さびしいなー。


●13:00 守屋前防衛事務次官の国会証人喚問をテレビで観る。本人は「悪かった」「間違っていた」と再三謝っていて大変爽やかな態度であった。天国の法廷ではこういうときキリストがそばに来て代理で罪を贖ってくれるのだ。●聖書では「悪かった」と悔い改めればどんな罪でも赦されるのだ。●キリストは弁護者だ。否、弁護どころか身代わりで死んで下さったのだ。●守屋次官はゴルフの接待。その夫人はハンドバッグを贈られたことなどが仇になった。人間はその「欲」で足をすくわれる●高位高官には情報や判断の権限が集中するから汚職につながりやすい。組織やシステム上の問題。どんなに清廉潔白な人がやっても汚職の疑惑にさらされる●それにしても利害関係のある「山田洋行」とのゴルフが200回とはよくなかった。自分の地位を利用して遊び過ぎた。●だから酒、ゴルフ、マージャンはやらないほうが安全である。私は「甘いもの」で足をすくわれるか(笑)●こういう事件があるから役人は汚職の疑いをかけられまいとして生きるため、冒険をしないことが性分となってしまう。本人は悪くない。職業がそうしてしまうのだ。だから役人が民間会社に天下りしても「危険な橋を渡らない」ので、よい発想、思い切った発想はできない。民間では使い物にならない●人間は、誰でも守屋前防衛事務次官のように「証人喚問」の席に立たされるという運命にあう。それは地位が上がれば上がるほど、要職につけばつくほどその可能性がある。●そのようなときは「真実一路」「正直一点張り」で通せばよい。「Honesty is the best  polisy」(正直は最良の策である)。天は助けてくれる。


 

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人の居場所 ++++++++ 所感

2007/10/28 06:30

071028(日)5:45目覚め、朝の瞑想「人の居場所」●人は生まれた時から「居場所」を求める。その体験的考察。①一歳の孫娘に近づくと顔をそむけて母親にしがみつく。「人見知り」現象である。初めての経験ではないから嘆かない。一過性のものだ。孫娘にとっては母の懐が居場所。②学生が学校に合わないと「不登校」になる。③若者が家に居づらくなると「家出」をする、親に反抗して連絡もしてこない。④伴侶と合わないと「離婚」する。⑤若者に恋人ができるとさして用もないのに会ってばかりいる。⑤結婚すると伴侶のところに落ち着いて親との交流はパタリとやむ、これ「親離れ」⑥職場が合わないと「転職」する。転職の原因は大抵三つのうちのどれかである。仕事内容、地位、金の不満⑦オーケストラの団員は「水が合わない」と別の楽団に移る。水の合うオーケストラを求める⑧クリスチャンは教会が合わないと信仰が成長しない。落ち着ける教会(牧師、先生)を求めて「転会」する。⑨自分に合う職業を求めるが、それは大抵見つからない。⑩落ち着く住まいを探す。・・・・などなどなど、しかし「みんなよしよしよし」だ。●アウグスチヌスの祈り。「私の魂はあなた(神)に向うように創られたものです。あなたの懐に憩う時まで安らぎを得ません」。神の懐が人間の究極の「居場所」である。それは家庭、職場、伴侶、金、趣味、遊び、地位、仕事、恋人などのどれでもない。ただただ「創り主なる神」のところだ。そこに落ち着き場所がある。●昨日は妻と「伝道の書(コヘレトの言葉)」にある「時」について語り合う。


口語訳 伝  3:1-8
3:1 天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
3:2 生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
3:3 殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり、
3:4 泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり、
3:5 石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
3:6 捜すに時があり、失うに時があり、保つに時があり、捨てるに時があり、
3:7 裂くに時があり、縫うに時があり、黙るに時があり、語るに時があり、
3:8 愛するに時があり、憎むに時があり、戦うに時があり、和らぐに時がある。


●これらの人間の営みも結局は「居場所」を求めてのことなのだ。●今朝ブログを書くのをやめるのにも「時」がある!!。●集会は丹野、加藤辰巳(名古屋)、横田。●14:00、第34回塚本虎二先生記念会。司会高橋照男、講演、高木謙次(内村鑑三と塚本虎二)、感話、村松梅太郎、相澤忠一。●司会者としてのはじめの言葉は次の通り。


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 唯今より第34回の塚本虎二先生記念会を開催いたします。


司会の高橋照男と申します。はじめに司会者として一言申し上げます。


数年前から、その都度「もうこの記念会も今年で終わりだ」思ってきたのであります。と言いますのは、塚本先生を直接に知る方が次々と召されてまいりまして、少なくなってしまったからであります。今年に限っても3月には大熊好子さん、5月には藤林先生が召されました。


しかし不思議なことに、塚本先生を直接ではなく間接的に御存知の方がその都度与えられるのでございます。思いがけない方が思いがけないところであらわれるのでございます。これは実に不思議な現象でございます。ルターの把握した「神の義はその福音のうちに現れ」という真理は燎原の火のごとくドイツに広がりそれから世界に飛び火しました。同じように「無教会主義の真理」も時空を超えて日本各地に飛び火しました。「真理は時間空間を超えて飛び火する」という現象があります。本日の3名の講師も直接に深くは塚本先生に接触された方ではございません。しかし、人間塚本先生の思い出は語られませんが無教会主義の真理は伝承されます。その方が純粋でございます。



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●三名の全力投球の話は期せずして一致。聖霊の働きとしか考えられない。●初対面挨拶の方々。宇佐美哲郎、宏子夫妻。佐野光郎、秀子夫妻。春日義男、明子(秀村欣二四女)。これらのカップルはみな牛(妻)にひかれて善光寺参りか。これは意外に健全な姿。妻として最大の内助の功。最大の功績。天に宝を積む仕事。●新宿の篠田寿司店で小寺御夫妻と夕食。


 



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 第34回塚本虎二先生記念会(野口英世記念会館)。左から相澤忠一(感話)、村松梅太郎(感話)、高橋照男(司会)。


●ブログ読者から「就職相談」。6年前に私に会ったたという。すっかり忘れていたが過去日記で検索して思い出した。パソコンによる情報検索(IR)の威力は大したものだ。お勧め。脳の拡張だ。



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救われる者は少ないか ++++++++ 所感

2007/10/27 13:40

071027(土)5時起床●文化勲章の発表。人の世の勲章は、人の目、人間の判断。本当の勲章は神から頂かなければならない。それは人の目には隠れる●ノーベル平和賞というものほど神の勲章からは程遠いものかもしれない。個人的に相手を赦すこと、右の手のすることを左の手に知らせないこと、下着を取られたら上着も与えること、右の頬をぶたれたら反対の頬をも打たせよ。などを実行してもノーベル賞の対象にはならないが、神から勲章を頂ける●ルカ13:23の「救われる者は少ないか」について考え込む。三種の神器を駆使して得られた結論。身内のあの人間は救われるのか心配、不安。これは心の病気。この病が癒されるのは理性の安息ではなく信仰による安息というのが結論。


新共同 マコ 5:34
5:34 イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」


●図書館に「塚本虎二」の略歴をどう書くべきかの調査。各種人名事典を調べたが、「塚本虎二」が載っていないものもあった。●台風20号が接近。しかし妻は合唱の練習のために出かける。ドヴォルザークの「スターバトマーテル」。


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台風20号が接近。明日の「塚本虎二先生記念会」の出足が心配。お年寄りが多い。


●岩波新書、熊野純彦著「西洋哲学史」(近代から現代へ)、第11章。ヘーゲル左派、マルクス、ニーチェ。馴染みの言葉が出てきた。シュトラウス「イエスの生涯、バウアー「共観福音書批判」、フォイエルバッハ「キリスト教の本質」、マルクス/エンゲルス「ドイツイデオロギー」、ニーチェ「ツァラストラスかく語りき」。など。哲学では神を知るには至らないことを知る。しかしこれらの無策がその後の20世紀の「聖書学」の基礎となったのだから、よしとしなければならない●鉄学は神学の僕と言われていると思われるが、神学は聖書の僕、聖書は信仰の僕だ。

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三位一体は頭ではわからない ++++++++ 所感

2007/10/26 09:45

071026(金)3時45分起床●岩波新書、熊野純彦著「西洋哲学史」(近代から現代へ)。第10章、ヘーゲル。イエスについて言及しているが当たってない。隣の畑を荒らすなという感じ。●朝風呂で日経「私の履歴書」青木昌彦(経済学者・スタンフォード大名誉教授)。ぐんぐん有名になっていく姿。家庭的な落ち着きがバックにあることが感じられる。●女性は男性の「助け手」であることは真理。だから家では妻が夫を「支配」してはいけない。そういう家庭から良いものは生まれない。子供も健全に育たない。創造の目的に反しているからだ。創造の秩序に反するからだ●女性の見方としてこういう考えを持っていることは、政治家や教師などの「人気商売」の人間には言えないことだ。●妻は夫に支配される宿命を負っているが、キリストにあるときにそれは喜びとなる。それがわからない女は「ジェンダー」だとか何だとか言って「平等」を叫ぶ。クリスチャンの中にもそういう人がいるから困るのだ。特に無教会に目立つ。髪振り乱してデモなどをやる女性まで出る始末。注意しないでほおっておくと街角で社会批判を一席ぶたないとも限らない。●そういう女性の姿を見る親がいたら「わが娘」をキリスト教会にやりたくない気持ちになるだろう。「かわいい我が娘があーいう姿になっては困る」と思うだろう。そういう女性を生み出した社会派キリスト教の指導者の罪は重い。


新改訳 創  2:18
2:18 その後、神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」


新共同 創  3:16
3:16 神は女に向かって言われた。「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む。お前は男を求め/彼はお前を支配する。」


●津上さんに手紙を書く。「三位一体のこと」。アウグスチヌスの言うように、三位一体は頭では理解できない。そえrがわかる道はただひとつ。次の通りである。


塚本訳 マタ 16:13-17
16:13 ピリポ・カイザリヤ地方に行かれたとき、イエスはこう言って弟子たちに尋ねられた、「世間の人は人の子(わたし)のことをなんと言っているか。」
16:14 彼らが言った、「あるいは洗礼者ヨハネ、あるいは預言者エリヤ、あるいはエレミヤとか(昔の)普通の預言者とか言う者があります。」
16:15 彼らに言われる、「では、あなた達はわたしのことをなんと言うのか。」
16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主、生ける神の子であります!」
16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから


●10月28日「第34回塚本虎二先生記念会」司会者の言葉の準備。●音楽DVD「ハイドン」。ハイドンも苦労した。幼いころ家庭が貧困だったのでハープシコードの練習ができなかった。結婚相手の妻は「音楽に理解」がなかった。これはつらかっただろうなー●家は貧困でも妻が主人の生き方や仕事に理解を示して協力してくれれば、家は明るく、子供はよく育つものだ。●DVDで「映像100年史」の「昭和46~47年」を見る。 記憶がよみがえってくる


 

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JBCI2007説明会 ++++++++ 所感

2007/10/25 20:27

071025(木)5時起床、6時半出発●9:30浜離宮建設プラザで「JBCI(ジャパン・ビルディングコスト・インフォメーション)2007」の説明会。午前午後で250名、現在ではWEBサイトへのアクセス数が月に4万、すっかり定着した。清水理事と私がはじめに挨拶。橋本君と丸木君が説明解説。8年も継続して来たことは感謝。立ち上げのとき疲れたのが障ったのかあのときは脳内出血になった。●橋本、丸木君と3人で築地市場内で昼食。新鮮な魚●陶山(すやま)君のWEB建設物価の説明に感心した。ITは若いもののものだ。●長島君、神田君、小町君、丸山君と懇談。清水理事に「技術講座」の件を話す●中谷義昭氏と会う、2年半ぶり。●汐留の超高層ビル群にびっくりした。



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汐留の電通。圧倒されて息もつけないビル。人間性がない。ストレスのみで幸せとは程遠い建築だ。喜びがない。


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築地の国立がんセンター。15年以上も前に父が入院した病院。母と私と妻がよく通った。父がそばの「朝日新聞社」を見学したいというので車椅子を押して行ったことを思い出す。係りの人が新聞の「見学者氏名欄」にお父さんの名前を記念に出しましょうと言ってくれた。その後、あれから15年以上、すっかり新しくなり高層になった。


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あきる野市に戻るとこの空。ホッとする。住むのは自然に接することができるところがよい。


●妻と加藤常昭牧師の「岩下神父について」のラジオ放送を聞く。カトリックには「人物」がいる●NHK朝のバロックの解説者であった日野直子さんは某神父の影響でカトリックになった●人がクリスチャンになるのは人物との出会いである。

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どん底人生から報われてゆく ++++++++ 所感

2007/10/24 06:47

071024(水)休み。5時起床。●朝風呂で日経「私の履歴書」青木昌彦(経済学者・スタンフォード大名誉教授)。夫人の死、右手不自由になる。そのどん底人生における再婚、二人の子供に恵まれ、「人生ヤル気が起きる」。学問業績も認められ、職場にもめぐまれてくる。●再婚した奥さんの内助の功が大きかったと見る。先に逝った夫人が天で喜んでいることだろう●かって犯罪を犯して収監されていた夫をヘリコプターを使って外部から救い出した妻がいた。新聞はこれを「外女の功」と報じた●妻は外にいても「内助の功」である。「内助」とは物理的な内外ではない。(笑)●人がどん底人生から報われてゆく姿を見るのはうれしいことである。●どういう人間が「どん底人生」から報われてゆくか。それは「真面目に生きている」人だ。天は見ている。来世でなくこの世で報われていく。●知人の牧師が「牧師をやめて郷里に帰る」という。職業としての牧師はやめても祭司たることをやめてはならない。


塚本訳Ⅰペテ2:4-5
2:4 彼は人からは(役に立たぬと)棄てられたが、神の前では、『選ばれた尊い』活きた『石』(である。)
2:5 そして君達自身も(主と同じく)活きた石として建てられて、霊の家となれ。これは君達が聖い祭司として、イエス・キリストによって神の御意に適う霊の供物を献げるためである。


塚本訳Ⅰペテ2:9
2:9 しかし君達は『選ばれた種族、王なる祭司、聖き民族、』神の『所有物なる民』(である。そして君達がかく神の所有物となったのは、)君達を暗から驚くべき光へと召し給うたお方の『功業を宣べるためである』。


●DVDで「バッハ物語」。バッハが死ぬと聖トーマス教会は彼を忘れたという。しかし100年後にモーツアルトやメンデルスゾーンがバッハを発見。今日のバッハになった●バッハもモーツアルトもその傑作は「生活のため」に作曲したものである。それでいいのだ、それでいいのだ。牧師の説教も「生活のため」でよいのだ。それでよいのだ。それでよいのだ●クリスチャンが人に親切をするのも「自分が神に認められて、天国に行くため」というエゴの動機でよいのだ。それでよいのだ。それでよいのだ。神は人間のエゴを利用するのだ。●池谷医院、散髪、聖トーマス教会「マタイ受難曲」チケットをゲット、図書館、●私と妻のパソコンにウィルスバスター2008をインストーる。時間がかかった。パソコンが電話並みに簡単にならないと普及しない。●妻のパソコンをMEからXPにヴァージョンアップしていたが本日完了。

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昭和女子大が教育力でトップ ++++++++ 所感

2007/10/23 21:23

071023(火)5時起床。昭和女子大講義日●朝の囁き。「2~3人の証言は信用すべし」●ヴェート―ヴェンのエグモント序曲を、カラヤン、デービス、ショルティ、フルトヴェングラーで鑑賞。やはりフルトヴェングラーがよい。最後一分間のヴィオラとヴァイオリンのかけあいがすばらしい。天空に木霊するようだ●朝風呂で日経「私の履歴書」青木昌彦(経済学者・スタンフォード大名誉教授)。右手で字が書けなくなる●津上さんにFAX●DVD「日本の100年史」昭和41-42年。●ノジマに妻のパソコンをMEからXPにヴァージョンアップしてもらったものをとりに行く。柳沼氏がよくやってくれた●東洋経済の大学ランキングで昭和女子大は教育力において女子大学でトップになったという話を前原副理事長が話してくれた。●14:50から二コマ連続3時間の講義は疲れる。しかし教育力トップのメンツにかけて頑張らなければならないと思う。オヤジギャクなどあまりしゃべれない●授業後、一人の生徒が進路相談に来た。大企業や組織に身を託すというのはやめてまず「建築士」を目指しなさいと指導。●岩波新書、熊野純彦著「西洋哲学史」(近代から現代へ)、第9章、マイモン、フィヒテ、シェリング。難しい。●世の中、難しいものに真理はないと思って間違いはない。イエスの話は優しかったが、心でキャッチしなければわからない。これ霊の働きがその人に降ってはじめて解読可能。●CDにデータがあってもそれを読み出すソフトがなければだめなのと同じ。そのソフトのことを新約聖書は「聖霊」という。●古巣の連合設計社市谷建築事務所の社屋改修改装に対して2007年度のグッドデザイン賞が与えられたといううれしい知らせが来た。デザインということに努力精進してきた褒美だ●こういう知らせというものは、「建築デザインのことだったら、連合設計社市谷建築事務所に頼もう」という気を起させるから有効。賞は「第三者性の判断」という力がある●自分はこういう分野で努力していてそれを商売にしていますという宣伝は常に行っていなければならない。●しかし人の世の「賞」等というのは「仲間内の褒めあい」が多いから、これで「鼻を高くして傲慢にならないようにしなければならない●そのグッドデザイン賞を受賞した連合設計社市谷建築事務所を3か月前の2007年7月23日に訪問したときの写真を下記に再掲する。


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設計室。吉田所長も所員と机を並べて図面を書いている。所長でも別室に閉じこもるようなことはしていなかった。ご立派。2007.7.23




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広いギャラリー。この豊かな空間性がよい。吉田さんの個展は今後ここで開くという。2007.7.23




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打ち合わせ室の一角にオープンキッチンという大胆なデザイン。キッチンの背後はロッカーだが、個別ロッカーでなく全員の洋服が一本の棒にぶら下げてある。ナルホド、個別ロッカーだと各自が不要な物を入れたがる。トイレが大胆なデザイン。またシャワー室もある。仕事柄、資金面のことを伺った。2007.7.23




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2階へのもう一つの階段。曲線の手すりだけで縦棒の「手すりこ」がない。若干降りにくかった。デザイン先行の階段。2007.7.23


 


 

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病人は宥めの供え物 ++++++++ 所感

2007/10/22 07:09

 071022(月)出勤日、5時半起床。朝の囁き「宥めの供え物」●最近きた知らせで病人というのはその家の罪の贖いのためではないかと思えたからである。


●まず三種の神器の第一である「Jバイブル」で「宥め」を検索。それはロマ書3:25であることがわかる。これで翻訳比較をする。


 口語訳 ロマ 3:25
3:25 神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。それは神の義を示すためであった。すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、


新改訳 ロマ 3:25
3:25 神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現わすためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。


新共同 ロマ 3:25
3:25 神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。


文語訳ロマ 3:25
3:25 即ち神は忍耐をもて過來しかたの罪を見遁し給ひしが、己の義を顯さんとて、キリストを立て、その血によりて信仰によれる宥の供物となし給へり。


塚本訳ロマ 3:25
3:25 すなわち神は御自分の義を示すために、宥めの供え物としてキリストを提供された。これはキリストの血でなされたものであり、(人は)信仰によ(ってこの恩恵にあずか)るのである。このことは──神が(長いあいだ)忍耐をもって過ぎし日に犯した罪を罰せずにおられたので──


●次にロマ3:25を含む標題内の各国引照を三種の神器の第二であるBbB(聖書で聖書を読む。私のHP無料)で調べる。



各国聖書引照編集


 


(独)NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 27版1993 の引照


新共同 ロマ 1:17


1:17 福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。


 


新共同 Ⅰヨハ1:2


1:2 この命は現れました。御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです。――


 


新共同 Ⅰヨハ2:2


2:2 この方こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。


 


新共同 エペ 1:7


1:7 わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。


 


新共同 ガラ 2:16


2:16 けれども、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです。


 


新共同 Ⅰコリ8:6


8:6 わたしたちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ帰って行くのです。また、唯一の主、イエス・キリストがおられ、万物はこの主によって存在し、わたしたちもこの主によって存在しているのです。


 


新共同 マタ 5:17


5:17 「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。


 


(英・米)THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE 1982 の引照


口語訳 ロマ 1:17


1:17 神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。


 


口語訳 ロマ 10:3-4


10:3 なぜなら、彼らは神の義を知らないで、自分の義を立てようと努め、神の義に従わなかったからである。


10:4 キリストは、すべて信じる者に義を得させるために、律法の終りとなられたのである。


 


口語訳 Ⅱコリ5:21


5:21 神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである。


 


口語訳 ピリ 3:9


3:9 律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基く神からの義を受けて、キリストのうちに自分を見いだすようになるためである。


 


口語訳 ロマ 1:2


1:2 この福音は、神が、預言者たちにより、聖書の中で、あらかじめ約束されたものであって、


 


口語訳 ロマ 16:25-26


16:25 願わくは、わたしの福音とイエス・キリストの宣教とにより、かつ、長き世々にわたって、隠されていたが、今やあらわされ、預言の書をとおして、永遠の神の命令に従い、信仰の従順に至らせるために、もろもろの国人に告げ知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを力づけることのできるかた、


16:26 (25節に合節)


 


口語訳 ロマ 4:3-13


4:3 なぜなら、聖書はなんと言っているか、「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」とある。


4:4 いったい、働く人に対する報酬は、恩恵としてではなく、当然の支払いとして認められる。


4:5 しかし、働きはなくても、不信心な者を義とするかたを信じる人は、その信仰が義と認められるのである。


4:6 ダビデもまた、行いがなくても神に義と認められた人の幸福について、次のように言っている、


4:7 「不法をゆるされ、罪をおおわれた人たちは、/さいわいである。


4:8 罪を主に認められない人は、さいわいである」。


4:9 さて、この幸福は、割礼の者だけが受けるのか。それとも、無割礼の者にも及ぶのか。わたしたちは言う、「アブラハムには、その信仰が義と認められた」のである。


4:10 それでは、どういう場合にそう認められたのか。割礼を受けてからか、それとも受ける前か。割礼を受けてからではなく、無割礼の時であった。


4:11 そして、アブラハムは割礼というしるしを受けたが、それは、無割礼のままで信仰によって受けた義の証印であって、彼が、無割礼のままで信じて義とされるに至るすべての人の父となり、


4:12 かつ、割礼の者の父となるためなのである。割礼の者というのは、割礼を受けた者ばかりではなく、われらの父アブラハムが無割礼の時に持っていた信仰の足跡を踏む人々をもさすのである。


4:13 なぜなら、世界を相続させるとの約束が、アブラハムとその子孫とに対してなされたのは、律法によるのではなく、信仰の義によるからである。


 


口語訳 ロマ 5:1


5:1 このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。


 


口語訳 ガラ 3:6


3:6 このように、アブラハムは「神を信じた。それによって、彼は義と認められた」のである。


 


口語訳 ガラ 3:28


3:28 もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである。


 


口語訳 ロマ 3:9-19


3:9 すると、どうなるのか。わたしたちには何かまさったところがあるのか。絶対にない。ユダヤ人もギリシヤ人も、ことごとく罪の下にあることを、わたしたちはすでに指摘した。


3:10 次のように書いてある、/「義人はいない、ひとりもいない。


3:11 悟りのある人はいない、/神を求める人はいない。


3:12 すべての人は迷い出て、/ことごとく無益なものになっている。善を行う者はいない、/ひとりもいない。


3:13 彼らののどは、開いた墓であり、/彼らは、その舌で人を欺き、/彼らのくちびるには、まむしの毒があり、


3:14 彼らの口は、のろいと苦い言葉とで満ちている。


3:15 彼らの足は、血を流すのに速く、


3:16 彼らの道には、破壊と悲惨とがある。


3:17 そして、彼らは平和の道を知らない。


3:18 彼らの目の前には、神に対する恐れがない」。


3:19 さて、わたしたちが知っているように、すべて律法の言うところは、律法のもとにある者たちに対して語られている。それは、すべての口がふさがれ、全世界が神のさばきに服するためである。


 


口語訳 ロマ 1:28-32


1:28 そして、彼らは神を認めることを正しいとしなかったので、神は彼らを正しからぬ思いにわたし、なすべからざる事をなすに任せられた。


1:29 すなわち、彼らは、あらゆる不義と悪と貪欲と悪意とにあふれ、ねたみと殺意と争いと詐欺と悪念とに満ち、また、ざん言する者、


1:30 そしる者、神を憎む者、不遜な者、高慢な者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者となり、


1:31 無知、不誠実、無情、無慈悲な者となっている。


1:32 彼らは、こうした事を行う者どもが死に価するという神の定めをよく知りながら、自らそれを行うばかりではなく、それを行う者どもを是認さえしている。


 


口語訳 ロマ 11:32


11:32 すなわち、神はすべての人をあわれむために、すべての人を不従順のなかに閉じ込めたのである。


 


口語訳 ガラ 3:22


3:22 しかし、約束が、信じる人々にイエス・キリストに対する信仰によって与えられるために、聖書はすべての人を罪の下に閉じ込めたのである。


 


口語訳 ロマ 5:2


5:2 わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。


 


口語訳 Ⅰテサ2:12


2:12 御国とその栄光とに召して下さった神のみこころにかなって歩くようにと、勧め、励まし、また、さとしたのである。


 


口語訳 ロマ 4:16


4:16 このようなわけで、すべては信仰によるのである。それは恵みによるのであって、すべての子孫に、すなわち、律法に立つ者だけにではなく、アブラハムの信仰に従う者にも、この約束が保証されるのである。アブラハムは、神の前で、わたしたちすべての者の父であって、


 


口語訳 ロマ 8:30


8:30 そして、あらかじめ定めた者たちを更に召し、召した者たちを更に義とし、義とした者たちには、更に栄光を与えて下さったのである。


 


口語訳 Ⅰコリ6:11


6:11 あなたがたの中には、以前はそんな人もいた。しかし、あなたがたは、主イエス・キリストの名によって、またわたしたちの神の霊によって、洗われ、きよめられ、義とされたのである。


 


口語訳 ロマ 5:9


5:9 わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるであろう。


 


口語訳 Ⅰコリ7:23


7:23 あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。人の奴隷となってはいけない。


 


口語訳 Ⅰコリ15:3


15:3 わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、


 


口語訳 ガラ 2:20


2:20 生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。


 


口語訳 ロマ 8:33


8:33 だれが、神の選ばれた者たちを訴えるのか。神は彼らを義とされるのである。


 


口語訳 Ⅰコリ1:29-31


1:29 それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。


1:30 あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。


1:31 それは、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりである。


 


口語訳 ロマ 8:3


8:3 律法が肉により無力になっているためになし得なかった事を、神はなし遂げて下さった。すなわち、御子を、罪の肉の様で罪のためにつかわし、肉において罪を罰せられたのである。


 


口語訳 ガラ 5:4-5


5:4 律法によって義とされようとするあなたがたは、キリストから離れてしまっている。恵みから落ちている。


5:5 わたしたちは、御霊の助けにより、信仰によって義とされる望みを強くいだいている。


 


口語訳 ロマ 1:16


1:16 わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。


 


口語訳 ロマ 10:12-13


10:12 ユダヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである。


10:13 なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。


 


口語訳 ガラ 2:14-16


2:14 彼らが福音の真理に従ってまっすぐに歩いていないのを見て、わたしは衆人の面前でケパに言った、「あなたは、ユダヤ人であるのに、自分自身はユダヤ人のように生活しないで、異邦人のように生活していながら、どうして異邦人にユダヤ人のようになることをしいるのか」。


2:15 わたしたちは生れながらのユダヤ人であって、異邦人なる罪人ではないが、


2:16 人の義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰によることを認めて、わたしたちもキリスト・イエスを信じたのである。それは、律法の行いによるのではなく、キリストを信じる信仰によって義とされるためである。なぜなら、律法の行いによっては、だれひとり義とされることがないからである。


 


口語訳 ガラ 3:8


3:8 聖書は、神が異邦人を信仰によって義とされることを、あらかじめ知って、アブラハムに、「あなたによって、すべての国民は祝福されるであろう」との良い知らせを、予告したのである。


 


(日)新共同訳1987の引照


新共同 ロマ 1:2


1:2 この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、


 


新共同 ロマ 1:17


1:17 福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。


 


新共同 ロマ 3:22


3:22 すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。


 


新共同 ガラ 2:16


2:16 けれども、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです。


 


新共同 ガラ 2:20


2:20 生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。


 


新共同 ガラ 3:22


3:22 しかし、聖書はすべてのものを罪の支配下に閉じ込めたのです。それは、神の約束が、イエス・キリストへの信仰によって、信じる人々に与えられるようになるためでした。


 


新共同 ロマ 4:5


4:5 しかし、不信心な者を義とされる方を信じる人は、働きがなくても、その信仰が義と認められます。


 


新共同 ロマ 10:12


10:12 ユダヤ人とギリシア人の区別はなく、すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。


 


新共同 ガラ 3:28


3:28 そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。


 


新共同 コロ 3:11


3:11 そこには、もはや、ギリシア人とユダヤ人、割礼を受けた者と受けていない者、未開人、スキタイ人、奴隷、自由な身分の者の区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにおられるのです。


 


新共同 ロマ 3:9


3:9 では、どうなのか。わたしたちには優れた点があるのでしょうか。全くありません。既に指摘したように、ユダヤ人もギリシア人も皆、罪の下にあるのです。


 


新共同 エペ 1:7


1:7 わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。


 


新共同 コロ 1:14


1:14 わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。


 


新共同 ヘブ 9:15


9:15 こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者なのです。それは、最初の契約の下で犯された罪の贖いとして、キリストが死んでくださったので、召された者たちが、既に約束されている永遠の財産を受け継ぐためにほかなりません。


 


新共同 ロマ 4:16


4:16 従って、信仰によってこそ世界を受け継ぐ者となるのです。恵みによって、アブラハムのすべての子孫、つまり、単に律法に頼る者だけでなく、彼の信仰に従う者も、確実に約束にあずかれるのです。彼はわたしたちすべての父です。


 


新共同 エペ 2:8


2:8 事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。


 


新共同 Ⅰペテ1:19


1:19 きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです。


 


新共同 黙  1:4-5


1:4 -5ヨハネからアジア州にある七つの教会へ。今おられ、かつておられ、やがて来られる方から、また、玉座の前におられる七つの霊から、更に、証人、誠実な方、死者の中から最初に復活した方、地上の王たちの支配者、イエス・キリストから恵みと平和があなたがたにあるように。わたしたちを愛し、御自分の血によって罪から解放してくださった方に、


1:6 わたしたちを王とし、御自身の父である神に仕える祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン。


 


新共同 ヘブ 9:5


9:5 また、箱の上では、栄光の姿のケルビムが償いの座を覆っていました。こういうことについては、今はいちいち語ることはできません。


 


新共同 Ⅰヨハ2:2


2:2 この方こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。


 


新共同 Ⅰヨハ4:10


4:10 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。


 


新共同 ロマ 2:4


2:4 あるいは、神の憐れみがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか。


 


新共同 ロマ 2:17


2:17 ところで、あなたはユダヤ人と名乗り、律法に頼り、神を誇りとし、


 


新共同 ロマ 2:23


2:23 あなたは律法を誇りとしながら、律法を破って神を侮っている。


 


新共同 ロマ 4:2


4:2 もし、彼が行いによって義とされたのであれば、誇ってもよいが、神の前ではそれはできません。


 


新共同 Ⅰコリ1:29-31


1:29 それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。


1:30 神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。


1:31 「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。


 


新共同 ロマ 9:32


9:32 なぜですか。イスラエルは、信仰によってではなく、行いによって達せられるかのように、考えたからです。彼らはつまずきの石につまずいたのです。


 


新共同 エペ 2:9


2:9 行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。


 


新共同 ロマ 3:20


3:20 なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。


 


新共同 ロマ 5:1


5:1 このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、


 


新共同 ロマ 9:24


9:24 神はわたしたちを憐れみの器として、ユダヤ人からだけでなく、異邦人の中からも召し出してくださいました。


 


新共同 ロマ 15:9


15:9 異邦人が神をその憐れみのゆえにたたえるようになるためです。「そのため、わたしは異邦人の中であなたをたたえ、/あなたの名をほめ歌おう」と書いてあるとおりです。


 


新共同 Ⅰコリ8:4


8:4 そこで、偶像に供えられた肉を食べることについてですが、世の中に偶像の神などはなく、また、唯一の神以外にいかなる神もいないことを、わたしたちは知っています。


 


新共同 ガラ 3:8


3:8 聖書は、神が異邦人を信仰によって義となさることを見越して、「あなたのゆえに異邦人は皆祝福される」という福音をアブラハムに予告しました。


 


新共同 ロマ 3:4


3:4 決してそうではない。人はすべて偽り者であるとしても、神は真実な方であるとすべきです。「あなたは、言葉を述べるとき、正しいとされ、/裁きを受けるとき、勝利を得られる」と書いてあるとおりです。


 


新共同 ロマ 8:4


8:4 それは、肉ではなく霊に従って歩むわたしたちの内に、律法の要求が満たされるためでした。


 


(仏)THE NEW JERUSALEM BIBLE 1985 の引照


口語訳 ロマ 1:16


1:16 わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。


 


口語訳 ガラ 2:16


2:16 人の義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰によることを認めて、わたしたちもキリスト・イエスを信じたのである。それは、律法の行いによるのではなく、キリストを信じる信仰によって義とされるためである。なぜなら、律法の行いによっては、だれひとり義とされることがないからである。


 


口語訳 ガラ 3:1-29


3:1 ああ、物わかりのわるいガラテヤ人よ。十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前に描き出されたのに、いったい、だれがあなたがたを惑わしたのか。


3:2 わたしは、ただこの一つの事を、あなたがたに聞いてみたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行ったからか、それとも、聞いて信じたからか。


3:3 あなたがたは、そんなに物わかりがわるいのか。御霊で始めたのに、今になって肉で仕上げるというのか。


3:4 あれほどの大きな経験をしたことは、むだであったのか。まさか、むだではあるまい。


3:5 すると、あなたがたに御霊を賜い、力あるわざをあなたがたの間でなされたのは、律法を行ったからか、それとも、聞いて信じたからか。


3:6 このように、アブラハムは「神を信じた。それによって、彼は義と認められた」のである。


3:7 だから、信仰による者こそアブラハムの子であることを、知るべきである。


3:8 聖書は、神が異邦人を信仰によって義とされることを、あらかじめ知って、アブラハムに、「あなたによって、すべての国民は祝福されるであろう」との良い知らせを、予告したのである。


3:9 このように、信仰による者は、信仰の人アブラハムと共に、祝福を受けるのである。


3:10 いったい、律法の行いによる者は、皆のろいの下にある。「律法の書に書いてあるいっさいのことを守らず、これを行わない者は、皆のろわれる」と書いてあるからである。


3:11 そこで、律法によっては、神のみまえに義とされる者はひとりもないことが、明らかである。なぜなら、「信仰による義人は生きる」からである。


3:12 律法は信仰に基いているものではない。かえって、「律法を行う者は律法によって生きる」のである。


3:13 キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。聖書に、「木にかけられる者は、すべてのろわれる」と書いてある。


3:14 それは、アブラハムの受けた祝福が、イエス・キリストにあって異邦人に及ぶためであり、約束された御霊を、わたしたちが信仰によって受けるためである。


3:15 兄弟たちよ。世のならわしを例にとって言おう。人間の遺言でさえ、いったん作成されたら、これを無効にしたり、これに付け加えたりすることは、だれにもできない。


3:16 さて、約束は、アブラハムと彼の子孫とに対してなされたのである。それは、多数をさして「子孫たちとに」と言わずに、ひとりをさして「あなたの子孫とに」と言っている。これは、キリストのことである。


3:17 わたしの言う意味は、こうである。神によってあらかじめ立てられた契約が、四百三十年の後にできた律法によって破棄されて、その約束がむなしくなるようなことはない。


3:18 もし相続が、律法に基いてなされるとすれば、もはや約束に基いたものではない。ところが事実、神は約束によって、相続の恵みをアブラハムに賜わったのである。


3:19 それでは、律法はなんであるか。それは違反を促すため、あとから加えられたのであって、約束されていた子孫が来るまで存続するだけのものであり、かつ、天使たちをとおし、仲介者の手によって制定されたものにすぎない。


3:20 仲介者なるものは、一方だけに属する者ではない。しかし、神はひとりである。


3:21 では、律法は神の約束と相いれないものか。断じてそうではない。もし人を生かす力のある律法が与えられていたとすれば、義はたしかに律法によって実現されたであろう。


3:22 しかし、約束が、信じる人々にイエス・キリストに対する信仰によって与えられるために、聖書はすべての人を罪の下に閉じ込めたのである。


3:23 しかし、信仰が現れる前には、わたしたちは律法の下で監視されており、やがて啓示される信仰の時まで閉じ込められていた。


3:24 このようにして律法は、信仰によって義とされるために、わたしたちをキリストに連れて行く養育掛となったのである。


3:25 しかし、いったん信仰が現れた以上、わたしたちは、もはや養育掛のもとにはいない。


3:26 あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。


3:27 キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは、皆キリストを着たのである。


3:28 もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである。


3:29 もしキリストのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのである。


 


口語訳 エペ 2:8


2:8 あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。


 


口語訳 Ⅰヨハ2:2


2:2 彼は、わたしたちの罪のための、あがないの供え物である。ただ、わたしたちの罪のためばかりではなく、全世界の罪のためである。


 


口語訳 Ⅰヨハ4:10


4:10 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。


 


口語訳 ロマ 2:17


2:17 もしあなたが、自らユダヤ人と称し、律法に安んじ、神を誇とし、


 


口語訳 ロマ 4:2-3


4:2 もしアブラハムが、その行いによって義とされたのであれば、彼は誇ることができよう。しかし、神のみまえでは、できない。


4:3 なぜなら、聖書はなんと言っているか、「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」とある。


 


口語訳 ロマ 5:2


5:2 わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。


 


口語訳 ロマ 11:18


11:18 あなたはその枝に対して誇ってはならない。たとえ誇るとしても、あなたが根をささえているのではなく、根があなたをささえているのである。


 


口語訳 ガラ 6:13-14


6:13 事実、割礼のあるもの自身が律法を守らず、ただ、あなたがたの肉について誇りたいために、割礼を受けさせようとしているのである。


6:14 しかし、わたし自身には、わたしたちの主イエス・キリストの十字架以外に、誇とするものは、断じてあってはならない。この十字架につけられて、この世はわたしに対して死に、わたしもこの世に対して死んでしまったのである。


 


口語訳 エペ 2:9


2:9 決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。


●次にロマ書3:25だけをピンポイントで三種の神器の第三のTSKを使って調べる。


I Peter 1:18:
あなたがたのよく知っているとおり、あなたがたが先祖伝来の空疎な生活からあがない出されたのは、銀や金のような朽ちる物によったのではなく、


Leviticus 16:15:
また民のための罪祭のやぎをほふり、その血を垂幕の内に携え入り、その血をかの雄牛の血のように、贖罪所の上と、贖罪所の前に注ぎ、


Romans 5:1:
このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。


Romans 5:9:
わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるであろう。


Romans 5:11:
そればかりではなく、わたしたちは、今や和解を得させて下さったわたしたちの主イエス・キリストによって、神を喜ぶのである。


Isaiah 53:11:
彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。


John 6:47:
よくよくあなたがたに言っておく。信じる者には永遠の命がある。


John 6:53:
イエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。


I John 2:2:
彼は、わたしたちの罪のための、あがないの供え物である。ただ、わたしたちの罪のためばかりではなく、全世界の罪のためである。


I John 4:10:
わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。


Romans 5:1:
このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。


Romans 5:9:
わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるであろう。


Isaiah 53:11:
彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。


John 6:47:
よくよくあなたがたに言っておく。信じる者には永遠の命がある。


John 6:53:
イエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。


Colossians 1:20:
そして、その十字架の血によって平和をつくり、万物、すなわち、地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、彼によってご自分と和解させて下さったのである。


Hebrews 10:19:
兄弟たちよ。こういうわけで、わたしたちはイエスの血によって、はばかることなく聖所にはいることができ、


Hebrews 10:20:
彼の肉体なる幕をとおり、わたしたちのために開いて下さった新しい生きた道をとおって、はいって行くことができるのであり、


Romans 3:23:
すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、


Romans 3:24:
彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。


Acts 13:39:
信じる者はもれなく、イエスによって義とされるのである。


Acts 17:30:
神は、このような無知の時代を、これまでは見過ごしにされていたが、今はどこにおる人でも、みな悔い改めなければならないことを命じておられる。


I Timothy 1:15:
「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった」という言葉は、確実で、そのまま受けいれるに足るものである。わたしは、その罪人のかしらなのである。


Hebrews 9:15:
それだから、キリストは新しい契約の仲保者なのである。それは、彼が初めの契約のもとで犯した罪過をあがなうために死なれた結果、召された者たちが、約束された永遠の国を受け継ぐためにほかならない。


Hebrews 9:25:
大祭司は、年ごとに、自分以外のものの血をたずさえて聖所にはいるが、キリストは、そのように、たびたびご自身をささげられるのではなかった。


Hebrews 9:26:
もしそうだとすれば、世の初めから、たびたび苦難を受けねばならなかったであろう。しかし事実、ご自身をいけにえとしてささげて罪を取り除くために、世の終りに、一度だけ現れたのである。


Hebrews 10:4:
なぜなら、雄牛ややぎなどの血は、罪を除き去ることができないからである。


Hebrews 11:17:
信仰によって、アブラハムは、試錬を受けたとき、イサクをささげた。すなわち、約束を受けていた彼が、そのひとり子をささげたのである。


Revelation of John 5:9:
彼らは新しい歌を歌って言った、「あなたこそは、その巻物を受けとり、封印を解くにふさわしいかたであります。あなたはほふられ、その血によって、神のために、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から人々をあがない、


●アーソーカ、ナルホド、ナルホド。神の霊による救いの真理を大脳皮質で把握できる「言語」であらわしてもそれは不完全。それは単に「説明」になる。各人の救いの経験が大切聖トーマス教会+げヴァントハウスの「マタイ受難曲」のチケットをゲット。パソコンより電話の方が応答があるから安心●6階にいるヴィオリストの和田睦夫氏のところに行き、昨日のコンサートのお礼。しばし音楽談義。和田理論なるものを聞く。「演奏のうまい人は人格的にはイマイチ」。これは建築の世界でも言える。「腕の良い技術者はとかくつっけんどん」。●なぜだろうと考えた。自分の技術や腕に自信があるから人にぺこぺこ頭を下げなくてもよいからだ。●これ福音を伝える者にも言える。「真理は説きっぱなし」がよい。「いらっしゃい、いらっしゃい」と人を呼びこむ教会(無教会)は真理がない証拠。腕がない証拠。自信がない証拠。●白土部長、土淵部長、橋本次長と新しい企画のことで懇談。生みのくるしみ●田町へライト棒を買いに行く。孫のおもちゃ。●朝風呂で岩波新書、熊野純彦著「西洋哲学史」(近代から現代へ)。第8章、カント。神の存在証明はできないということ。存在するとも存在しないとも言えない。●無神論者は神を「経験してない」から「神はいない」という。●かって友人が私に向かって「神なんていませんよ」と断言した。神に「めぐりあっていない」人にはその発言は当然の真理●人間にとって真理とは「経験」なのだ。



 

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真理だけを語ればよいのだ ++++++++ 所感

2007/10/21 06:20

071021(日)5時20分起床。朝の黙想「真理だけを語ればよいのだ」●NHKTV3CH「心の時代}大田愛人の「パウロの手紙」。次の言葉に改めて心が打たれた。


新共同 ロマ 2:21a
2:21 aそれならば、あなたは他人には教えながら、自分には教えないのですか。


●これは、7年前、若者の聖書勉強会で「金持ちの青年」のところを話していて家に戻ったら、家が燃えていたときに天から囁かれた言葉であった。


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2007.10.21 5:32  東の窓を明けると朝焼け。今日は天気が良さそうだ。鳥が飛んだ。


●朝の黙想の勉強。「真理を語ればよいのだ」●福岡刑務所の死刑囚の心に響いたのは、ブルンナー、竹森満佐一、由木康の「説教」だったという事実を知って、「真理は時空を超えて人のこころに浸透する」ことを知った●そこで救われた人間はその事実真理だけを語ればあとは何もなくても何をしなくてもよいことを学んだ●私にないものは学問、人格(喧嘩っ早い、すぐ人を批判する)、語学力、聖書知識、教会史の知識、神学、学歴、財産、地位、有名建築作品、業績、賞、・・・・何もない。しかし「救いの経験的事実」のみがある。であるから言う。「金銀我になし、されどキリストイエスの名によりて歩め」●聖書にはこのことが次のように書かれている。


文語訳使  3:6
3:6 ペテロ言ふ『金銀は我になし、然れど我に有るものを汝に與ふ、ナザレのイエス・キリストの名によりて歩め』


塚本訳 ヨハ 9:25
9:25 彼が答えた、「罪人かどうか知りません。ただ、(もと)盲であったわたしが、いまは見えるという、この一つのことだけ知っています。」


塚本訳ルカ 8:39
8:39 「家に帰って、神がどんなにえらいことをしてくださったかを、(みんなに)話してきかせなさい。」すると彼は行って、イエスがどんなにえらいことを自分にされたかを、町中に言いふらした。


塚本訳 ヨハ 7:15
7:15 ユダヤ人は驚いて言った、「この人は学校に行ったこともないのに、どうして聖書を知っているのだろうか。」


●集会は、宮崎トキ、土肥佑子(台湾、中国、チベットの話)、望月明(申命記)●小寺夫妻と私達で昼食●14:00王子の「北とぴあさくらホール」で職場のヴィオリスト和田睦夫氏の招待による文京区民オーケストラ定期演奏会。ベートーベン「エグモント序曲」、メンデルスゾーン「イタリア」、チャイコフスキー「交響曲4番」。アマチュアオーケストラとしては多分最高峰。二階席で鑑賞、エグモントの最後部分で10名のヴィオリストが一斉に身体を屈めてボーイングするのをみてゾクゾクッと来た。メンデルスゾーンの「イタリア」では「ブラボー」とやった。


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王子の「北とぴあさくらホール」は1300名収容、客席のつくりが良かった。2階席で鑑賞。オーケストラは全部が見える2階席がよい。


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都電荒川線(チンチン電車)のとある駅。ホームに本屋が直結している珍しい光景。荒川線ならではの風景。


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都電荒川線の荒川区役所前駅に愛子と初音が迎えにくる。小さい時愛子に自転車を習わせておいてよかったと思った。初音が「おじーちゃーん」「おばーちゃーん」と呼んでくれたが、このような幼児でも記憶というものがしっかりしている。脳のメカニズムというのは大したものだと思った。この辺は下町情緒が旺盛、前任地の品川より人情があるという。




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伊勢喜明氏の職場が変わったので、その新居を訪問。新聞販売店が一階、住まいが二階、社員15名を抱える店長としての経営は重責。愛子も社員になって手伝っている。愛子にいろいろ厳しく説教。「職場は家庭の延長ではないから喜明さんへの態度などけじめをしっかりしなければならない」


左から伊勢かなほ、愛子、高橋照男、伊勢喜明、高橋トミ子、伊勢初音。かなほは「人見知り」で泣いて困ったが、これも一過性のものだ。


初音はキリスト教会の幼稚園に行くことになり、「お礼拝」に出て、その話を家に帰ってよくしゃべるという。結構結構感謝感謝。


帰りは喜明氏が東京駅まで車で送ってくれる。近い。しかしあきる野までは遠い。



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泥沼人生からの救い ++++++++ 所感

2007/10/20 07:40

071020(土)、今日は終日日の出が丘病院。6時起床。


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窓を開ける。今朝は久しぶりに良い天気だ。


●今朝は知人の家庭崩壊の悪い夢を見て目覚める。そして囁かれた言葉。


塚本訳 ガラ 1:4
1:4 キリストはわたし達の父なる神の御心にしたがい、わたし達を悪い現在の世から救いだそうとして、わたし達の罪のために自分を与え(て十字架につけ)られたのである。


●そうだ、これだ。ここに救いがあるのだ。ドロドロ人生、ズタズタ人生、どうしようもない過去、重荷で苦しむ。借金と、不倫と、夫婦仲の悪さ、子供との確執、親類縁者との疎遠、職場からの追放・・・・などなど。目も当てられない泥沼人生。●この泥沼から救われる道はあるのか。趣味、サークル、遊び、ダンス・スポーツ、酒たばこで気を紛らわしても救いに至らない。平安はこない。それらに走るとなお周囲の人間に迷惑をかける。では回心して真面目な生活に戻れるか。ノー。悪魔はその人の過去を暴いて立ち直らせないようにする●だから人間は罪の過去を清算しなければならない。しかし過ぎ去った過去は人間清算できない。生まれ変わって過去をなくし、別人間にならなければならない。それが十字架の救い。●あー、このような泥沼人生からの救いに尽くす「救世軍」SaivationArmy(サルベーションアーミー)の存在に気が引かれる。その精神が優れている。ヒルティも藤林先生も「救世軍」に好意を持っていた。●上記ガラテヤ1:4をTSK日本語ヴァージョンで調べてみよう。


Matthew 20:28:
それは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである」。


Matthew 26:28:
これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。


Luke 22:19:
またパンを取り、感謝してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「これは、あなたがたのために与えるわたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」。


John 10:11:
わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。


John 10:18:
だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのである。わたしには、それを捨てる力があり、またそれを受ける力もある。これはわたしの父から授かった定めである」。


Romans 4:25:
主は、わたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるために、よみがえらされたのである。


Ephesians 5:2:
また愛のうちを歩きなさい。キリストもあなたがたを愛して下さって、わたしたちのために、ご自身を、神へのかんばしいかおりのささげ物、また、いけにえとしてささげられたのである。


I Timothy 2:6:
彼は、すべての人のあがないとしてご自身をささげられたが、それは、定められた時になされたあかしにほかならない。


Titus 2:14:
このキリストが、わたしたちのためにご自身をささげられたのは、わたしたちをすべての不法からあがない出して、良いわざに熱心な選びの民を、ご自身のものとして聖別するためにほかならない。


Hebrews 9:14:
永遠の聖霊によって、ご自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は、なおさら、わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、生ける神に仕える者としないであろうか。


Hebrews 10:10:
この御旨に基きただ一度イエス・キリストのからだがささげられたことによって、わたしたちはきよめられたのである。


I Peter 2:24:
さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。


I Peter 3:18:
キリストも、あなたがたを神に近づけようとして、自らは義なるかたであるのに、不義なる人々のために、ひとたび罪のゆえに死なれた。ただし、肉においては殺されたが、霊においては生かされたのである。


I John 2:2:
彼は、わたしたちの罪のための、あがないの供え物である。ただ、わたしたちの罪のためばかりではなく、全世界の罪のためである。


I John 3:16:
主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである。


Revelation of John 1:5:
また、忠実な証人、死人の中から最初に生れた者、地上の諸王の支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。わたしたちを愛し、その血によってわたしたちを罪から解放し、


Galatians 6:14:
しかし、わたし自身には、わたしたちの主イエス・キリストの十字架以外に、誇とするものは、断じてあってはならない。この十字架につけられて、この世はわたしに対して死に、わたしもこの世に対して死んでしまったのである。


Isaiah 65:17:
見よ、わたしは新しい天と、新しい地とを創造する。さきの事はおぼえられることなく、心に思い起すことはない。


John 15:19:
もしあなたがたがこの世から出たものであったなら、この世は、あなたがたを自分のものとして愛したであろう。しかし、あなたがたはこの世のものではない。かえって、わたしがあなたがたをこの世から選び出したのである。だから、この世はあなたがたを憎むのである。


John 17:15:
わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、彼らを悪しき者から守って下さることであります。


Romans 12:2:
あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。


II Corinthians 4:4:
彼らの場合、この世の神が不信の者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしているのである。


Ephesians 2:2:
かつてはそれらの中で、この世のならわしに従い、空中の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、歩いていたのである。


Ephesians 6:12:
わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。


James 4:4:
不貞のやからよ。世を友とするのは、神への敵対であることを、知らないか。おおよそ世の友となろうと思う者は、自らを神の敵とするのである。


I John 2:15:
世と世にあるものとを、愛してはいけない。もし、世を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにない。


I John 5:4:
なぜなら、すべて神から生れた者は、世に勝つからである。そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。


I John 5:5:
世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。


I John 5:19:
また、わたしたちは神から出た者であり、全世界は悪しき者の配下にあることを、知っている。


I John 5:20:
さらに、神の子がきて、真実なかたを知る知力をわたしたちに授けて下さったことも、知っている。そして、わたしたちは、真実なかたにおり、御子イエス・キリストにおるのである。このかたは真実な神であり、永遠のいのちである。


Revelation of John 5:9:
彼らは新しい歌を歌って言った、「あなたこそは、その巻物を受けとり、封印を解くにふさわしいかたであります。あなたはほふられ、その血によって、神のために、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から人々をあがない、


Matthew 26:42:
また二度目に行って、祈って言われた、「わが父よ、この杯を飲むほかに道がないのでしたら、どうか、みこころが行われますように」。


John 5:30:
わたしは、自分からは何事もすることができない。ただ聞くままにさばくのである。そして、わたしのこのさばきは正しい。それは、わたし自身の考えでするのではなく、わたしをつかわされたかたの、み旨を求めているからである。


John 6:38:
わたしが天から下ってきたのは、自分のこころのままを行うためではなく、わたしをつかわされたかたのみこころを行うためである。


John 14:31:
しかし、わたしが父を愛していることを世が知るように、わたしは父がお命じになったとおりのことを行うのである。立て。さあ、ここから出かけて行こう。


Romans 8:3:
律法が肉により無力になっているためになし得なかった事を、神はなし遂げて下さった。すなわち、御子を、罪の肉の様で罪のためにつかわし、肉において罪を罰せられたのである。


Romans 8:27:
そして、人の心を探り知るかたは、御霊の思うところがなんであるかを知っておられる。なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。


Romans 8:32:
ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。


Ephesians 1:11:
わたしたちは、御旨の欲するままにすべての事をなさるかたの目的の下に、キリストにあってあらかじめ定められ、神の民として選ばれたのである。


Hebrews 10:4:
なぜなら、雄牛ややぎなどの血は、罪を除き去ることができないからである。


Matthew 6:9:
だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。


Romans 1:7:
ローマにいる、神に愛され、召された聖徒一同へ。わたしたちの父なる神および主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。


I Thessalonians 3:11:
どうか、わたしたちの父なる神ご自身と、わたしたちの主イエスとが、あなたがたのところへ行く道を、わたしたちに開いて下さるように。


I Thessalonians 3:13:
そして、どうか、わたしたちの主イエスが、そのすべての聖なる者と共にこられる時、神のみまえに、あなたがたの心を強め、清く、責められるところのない者にして下さるように。


II Thessalonians 2:16:
どうか、わたしたちの主イエス・キリストご自身と、わたしたちを愛し、恵みをもって永遠の慰めと確かな望みとを賜わるわたしたちの父なる神とが、


●新約聖書は十字架の救いで一貫している。●馬場さんと会う。10:00日の出が丘病院で「忍ぶ会」。私は「癒し」ということは「私も同じでした」ということに勝るものはないと挨拶●今年定年退職される佐々木課長は今年癌になられて、初めて患者の気持ちがわかるようになったと言われたので、それは佐々木課長の卒業論文であったと言って労をねぎらった●そして今日を限りに日の出が丘病院の日の出会(癌で家族を失った家族の会)の代表を辞することを話した。死別の悲しみは2~3年も経つと薄らぐ●今年一年間でホスピスでなくなった方は170名という多さ●大蔵理事長、白崎事務局長、小野寺医師、沖医師等と懇談。●午後は「病院で死ぬこと」の著者山崎章郎氏とともに「ケアタウン小平」を開設した長谷方人氏の講演●母が死のときにお世話になったホスピスを後にする時、感謝の気持ちと一抹の寂しさがあった。


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病院の帰り。柿、秋の空。色彩が合う。


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 秋の空、筆で描いたような雲


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 奥多摩連山の秋の夕暮れ。夫人を亡くされた人の言葉。「秋の夕方が一番淋しい」。今日の病院での写真展で「写真俳句」というものがあることを知った。その解説には次のようにあった。1・句会に出席しない。2・他人の句を批評しない 3・名句をたくさん読む 4・歳時記に親しむ 5・俳句は足でつくる。この五つが写真俳句上達の秘訣。


●妻は三多摩合唱祭で演奏。その後西東京合唱団の練習。ドボルザークのスターバトマーテル。


 

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お返しのできない人と付き合え ++++++++ 所感

2007/10/19 06:48

071019(金)出勤日。4時50分起床。朝の黙想、「真理は時空を超えて飛んでゆく」「お返しのできない人と付き合え」●朝風呂で日経「私の履歴書」青木昌彦(経済学者・スタンフォード大名誉教授)。専門領域の話でつまらない。マルクス主義を一時的にでも勉強することは必須のような書き方だが、ノーである。おかしいものは遠くから見てもわかる、匂いで分かるから勉強することはない。●新保満著「ブルンナー説教集。永遠と愛」に、福岡刑務所の囚人たちがピンときて喜んで読んだ説教集は次の三人のものだったという。国際基督教大学のブルンナー教授。吉祥寺教会の竹森満佐一牧師、東中野教会の由木康牧師。全員「説教」である。無教会が「聖書講義」に徹しているのとは違う●かって日曜日の朝に電車の中で加藤常昭牧師に出会った時、無教会の私にこう言われた。「私はこれから説教に行くのです」と。●塚本先生の集会は300人ぐらいが水を打ったような静かさであったらしい。それに驚いた教会の人に先生は「もったいないが秘密を教えよう」と言われて次の二つを言われた。①聖書そのものを説く。つまり聖書のここのところは何を言っているのかを解明する、②来るものを拒まず、去る者を追わず。鳥籠の入口は開けっ放しにしておくこと。この二つは重要な真理である●イエス、ペテロ、パウロは聖書講義をしなかった。説教をした。現在、その言葉が書かれている聖書を解明することが説教であり、使徒伝承である。これ無教会主義集会のあり方である。●今朝は次の集会の準備、構想を与えられた。解明かつ説教たるポイントは次の個所


新共同 ルカ 14:12-14
14:12 また、イエスは招いてくれた人にも言われた。「昼食や夕食の会を催すときには、友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない。その人たちも、あなたを招いてお返しをするかも知れないからである。
14:13 宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。
14:14 そうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる。」


塚本訳 ルカ 14:12-14
14:12 また自分を招いた人にも言われた、「朝飯や夕飯の会を催す時には、友人も、兄弟も、親族も、近所の金持も呼ぶな。そうでないと、その人たちもあなたを招待してお返しをするかも知れない。
14:13 御馳走をする時には、むしろ貧乏人、片輪、足なえ、盲人を招きなさい。
14:14 この人たちはお返しができないから、あなたは幸いである。(最後の日)義人の復活の時に、あなたは(神から)お返しをうけるのだから。」


●これはかって嫁の一人から「天に宝を積む」、もう一人の嫁とは「神の国をつくる」ということが話題に上ったことに対する研究解明である。●まず聖書勉強の三種の神器の第2であるBbB(聖書で聖書を読む)を見てみよう。BbBは私のHPにあり、無料。


各国聖書引照


 


(英・米)THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE 1982 の引照


口語訳 ピリ 4:17-19


4:17 わたしは、贈り物を求めているのではない。わたしの求めているのは、あなたがたの勘定をふやしていく果実なのである。


4:18 わたしは、すべての物を受けてあり余るほどである。エパフロデトから、あなたがたの贈り物をいただいて、飽き足りている。それは、かんばしいかおりであり、神の喜んで受けて下さる供え物である。


4:19 わたしの神は、ご自身の栄光の富の中から、あなたがたのいっさいの必要を、キリスト・イエスにあって満たして下さるであろう。


 口語訳 ピリ 3:11


3:11 なんとかして死人のうちからの復活に達したいのである。


 口語訳 Ⅰテサ4:16


4:16 すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、


 (日)新共同訳1987 の引照


新共同 使  24:15


24:15 更に、正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。この希望は、この人たち自身も同じように抱いております。



●アーソーカ、ナルホド、ピンとくる。良いことをすることは結局自分が来世で復活するために行うのだ。報酬を目当てにしているのだ。結局お返しを目的とするのだが、それは人間からではなく神から。無神論かつこの世限りの人生観とここが違う。●次にルカ14:12をピンポイントでまた聖書勉強の三種の神器の第三番目、TSK日本語ヴァージョン(これも私のHPから導ける。無料)で見てみよう。


Luke 1:53:
飢えている者を良いもので飽かせ、富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます。


Proverbs 22:16:
貧しい者をしえたげて自分の富を増そうとする者と、富める者に与える者とは、ついに必ず貧しくなる。


James 2:1:
わたしの兄弟たちよ。わたしたちの栄光の主イエス・キリストへの信仰を守るのに、分け隔てをしてはならない。 


Luke 6:32:
自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。


 Matthew 5:46:
あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。


Matthew 6:1:
自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。もし、そうしないと、天にいますあなたがたの父から報いを受けることがないであろう。


Matthew 6:16:
また断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな。彼らは断食をしていることを人に見せようとして、自分の顔を見苦しくするのである。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。


●アーソーカ、ナルホド、ナルホド。ピンとくる。人生は人間に喜ばれたり、人間に注目されようとしたり、人間に愛されようとして生きてはいけないのだ。具体的に言うと、マスコミ、勤務先の社長、夫や妻、そして子供、そして学生たちから人気を得ようとしてはいけないのだ。お礼の返事をもらおうとしてはいけないのだ。ブログも応答を期待してはいけないのだ。自戒。●そこで以上とは別に私が思い浮かぶ聖句を次に掲げよう。


塚本訳  ルカ 22:25-26
22:25 するとイエスが言われた、「世間では王が人民を支配し、また主権者は自分を恩人と呼ばせる。
22:26 しかしあなた達はそれではいけない。あなた達の間では、一番えらい者が一番若輩のように、支配する者が給仕をする者のようになれ。


塚本訳 マタ 6:3-4
6:3 あなたは施しをするときに、右の手のすることを左に悟られてはならない。
6:4 これは施しを隠しておくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。


塚本訳 マタ 25:34-40
25:34 それから王(なる人の子)は右側の者に言う、『さあ、わたしの父上に祝福された人たち、世の始めからあなた達のために用意された御国を相続しなさい。
25:35 あなた達はわたしが空腹のときに食べさせ、渇いたときに飲ませ、宿がなかったときに宿をかし、
25:36 裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢に入っていたときに訪問してくれたのだから。』
25:37 その時、正しい人たちは答える。『主よ、いつわたし達はあなたの空腹を見て食事を差し上げ、渇かれているのを見てお飲ませしましたか。
25:38 また、いつお宿がないのを見てお宿をし、裸でおられるのを見てお着せしましたか。
25:39 また、いつ御病気であり、牢に入っておられるのを見て、おたずねしましたか。』
25:40 すると王は答える、『アーメン、わたしは言う、わたしのいと小さいこの兄弟たちの一人にしたのは、わたしにしてくれたのと同じである。』


塚本訳  マタ 5:39-45
5:39 しかしわたしはあなた達に言う、悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打ったら、左をも向けよ。
5:40 (裁判所に)訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせてやれ。
5:41 だれかが無理に一ミリオン[一キロ半]行かせようとするなら、一しょに二ミリオン行ってやれ。
5:42 求める者には与えよ、借りようとする者を断るな。
5:43 あなた達は(昔の人がモーセから、)『隣の人を愛し、』敵を憎まねばならない、と命じられたことを聞いたであろう。
5:44 しかしわたしはあなた達に言う、敵を愛せよ。自分を迫害する者のために祈れ。
5:45 あなた達が天の父上の子であることを示すためである。父上は悪人の上にも善人の上にも日をのぼらせ、正しい人にも正しくない人にも、雨をお降らしになるのだから。


●アーソーカ。ナルホド、ナルホド、ピンとくる。そうすると神に喜ばれる生き方とは、この世では主にあって負け犬、負け組、やられたままになる、馬鹿にされる、ことなのだ。けれどそれは「主にあって」である。それは崇高な生き方、「天に宝を積むこと」「神の国をつくること」なのだ。●あー聖書で聖書を勉強することは面白くてやめられない。●私はかって家が全焼し、引き続き脳内出血に見舞われた。多くの方々に援助されたが、「お返しができない」状況であった。その礼状に上記マタイ25章34-40節を引いて、神からお返しをいただけますようにと書いた。その中に仏教の僧侶になるという人がおられたが、私の礼状に痛く感激されたという。●積算協会へ書籍を物色に行く。吉村達之助さん、宇都宮さんと久しぶりにあう。













 



 


 


 

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苦しい夢を見る ++++++++ 所感

2007/10/18 07:23

071018(木)苦しい夢を見て、目が覚める。「夢でよかった」。まだ午前2時半。また寝る。


新共同 詩  3:4-7
3:4 主よ、それでも/あなたはわたしの盾、わたしの栄え/わたしの頭を高くあげてくださる方。
3:5 主に向かって声をあげれば/聖なる山から答えてくださいます。〔セラ
3:6 身を横たえて眠り/わたしはまた、目覚めます。主が支えていてくださいます。
3:7 いかに多くの民に包囲されても/決して恐れません。


●苦しい夢の内容。ブログで夢の内容まで書くとは・・・・・一生懸命やっているのに真意が理解されず、文句を言われた苦しみ。●イーヤ、イーヤ。神は見ていてくださる。その苦が夢であればよいが、夢ではなく、現実のことであるときは苦難である。「夢であってほしい」と思うこともある。ナニ、この人生は一夜の夢だ。その苦難の災いは一瞬だ。しかも神がすべて御存じだ。●これをあきらめと考えてはいけない。改善努力の放棄怠慢だと思ってはいけない。それは真に正しい人生観への目覚めである。そしてそれに目覚めれば、無神論より粘り強くなり、改善に真の貢献をする。病気もよくなる。災いも過ぎ去る。なぜか。「目覚め」という目的を達したから。


塚本訳マタ 26:39
26:39 そしてなお少し(奥に)進んでいって、俯けに倒れ、祈って言われた、「お父様、出来ることなら、どうかこの杯がわたしの前を通りすぎますように。しかし、わたしの願いどおりでなく、お心のとおりになればよいのです。」


塚本訳ロマ 8:18
8:18 (しかもこの苦しみは恐れることはない。)なぜなら、わたしはこう考える。今の世の苦しみは、わたし達に現われようとしている栄光(──キリストと一しょに神の国の相続人になる最後の日の大いなる光栄──)にくらべれば、言うに足りない。


塚本訳 ロマ 8:23
8:23 しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証拠として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである


塚本訳ロマ 8:26
8:26 しかし(創造物やわたし達神の子が苦しんでいると)同じように、御霊も、弱いわたし達を助けてくださる。すなわち、(神のみ心にかなうには)どう何を祈るべきかわからないので、御霊自身が、無言の呻きをもって(わたし達の祈りを神に)執り成してくださるのである。


塚本訳ロマ 8:28
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立のである。


●朝風呂で日経「私の履歴書」青木昌彦(経済学者・スタンフォード大名誉教授)。頭がよいのでどんどん出世していく様子。人間、頭がよいことは生きていく上において有利であるが、それが神を知る道ではない。かえって不利。なぜか。自分の力に頼り、過信するから。


新共同 Ⅰコリ1:26-28
1:26 兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。
1:27 ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。
1:28 また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者身分の卑しい者見下げられている者を選ばれたのです。


●早朝散歩で精神リラックス。


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昨年の今頃のブログを見て、今年は朝の空が美しくない。なぜだろう。地球の異常気象のせいだろうか。


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 スイスのヒルティの言葉が浮かぶ。「世界中の人が癒しを求めてスイスの景色を見に来るがその目的を達しない」と。そうだ、景色そのものは人を真に癒さない。癒しは生命の本源たる神にあるのだ。するとどこにでも、どこの景色でも癒しとなるのだ。然り、どんな職場、どんな家庭においても神の国となりうるのだ。讃美歌90番の通りである。


讃美歌90番


1. ここ も かみ の みくに なれば,


   あめ つち, みうたを うたい かわし,


   いわ に, きぎ に, そら に, うみ に,


   たえなる みわざ ぞ, あらわれたる.


 


2. ここ も かみ の みくに なれば,


   とり の ね, はな の か, しゅ を ば たたえ,


   あさひ, ゆうひ, はえ に はえて,


   そよ ふく かぜ さえ かみ を かたる.


 


3. ここ も かみ の みくに なれば,


   よこしま しばし は とき を う とも,


   しゅ の みむね の やや に なりて,


   あめ つち つい に は ひとつ と ならん.


 


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 秋の空と蜘蛛の巣。私は妻に「蜘蛛の巣を壊してはいけない」と言っている。蜘蛛にとってそれは家であり、虫を捕獲する生活の手段である。建築士の私はそれを壊すのが忍びない。


●朝風呂で岩波新書、熊野純彦著「西洋哲学史」(近代から現代へ)、第4章、ライプニッツ。ライプニッツが今日のコンピュータの元祖であることを知った。哲学者は数学者である。哲学なき数学者は迷走する。●今年、ウィーン樂友協会で行われた世界合唱祭のDVDをまた鑑賞。会場に私がいるのが見えた。●小学校のときの担任、故鶴岡鈴枝先生の写真を15枚プリント。来月のクラス会のため。●DVDで英文学者斉藤秀三郎の伝記を見た。巨人である。猛勉である。指揮者の斉藤秀雄はその子供。この父にしてこの子あり。●その和英辞典は名著。その訳は全く日本語になっている。それは日本の通俗本をかなり読んでいたかららしい。●聖書の意味を解明するとき、日本の故事ことわざを持ってくるのはどうだろう。翻訳ではなかなかできないことがそれによってはできそうである。たとえば。マタイ7章6節の「聖なるものを犬にやるな」の意味は「猫に小判」「水を飲みたがらない馬を川に連れて行っても無駄」と言うように。


 


 


 


 


 


 


 


 


 

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集りの神秘性 ++++++++ 所感

2007/10/17 07:06

071017(水)5時半起床。朝の聖書。朝のひらめき


文語訳 マタ 18:20
18:20 二三人わが名によりて集る所には、我もその中に在るなり』


今日はこの聖句の勉強だ。集まるということの神秘性についての研究。エクレシアの神秘性。


●これをTSK日本語ヴァージョンで調べる。


John 20:19:
その日、すなわち、一週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、「安かれ」と言われた。


John 20:26:
八日ののち、イエスの弟子たちはまた家の内におり、トマスも一緒にいた。戸はみな閉ざされていたが、イエスがはいってこられ、中に立って「安かれ」と言われた。


I Corinthians 5:4:
すなわち、主イエスの名によって、あなたがたもわたしの霊も共に、わたしたちの主イエスの権威のもとに集まって、


I Thessalonians 1:1:
パウロとシルワノとテモテから、父なる神と主イエス・キリストとにあるテサロニケ人たちの教会へ。恵みと平安とが、あなたがたにあるように。


Philemon 1:2:
姉妹アピヤ、わたしたちの戦友アルキポ、ならびに、あなたの家にある教会へ。


Matthew 28:20:
あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。


John 8:58:
イエスは彼らに言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。アブラハムの生れる前からわたしは、いるのである」。


Revelation of John 21:3:
また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、


●アーソウカ。神は人が目的を一緒にしているところに降って来るのだ。だから神観論争などをしているところには降ってこない。


●朝風呂で日経「私の履歴書」青木昌彦(経済学者・スタンフォード大名誉教授)。米国において「数理経済学」の分野で最先端の勉強をして複数の大学からオファーされる。・・・・なぜか。ケチをつけるわけではないが、物珍しい研究だからである。学問と学問はその融合で新分野が開かれる。天文学と物理学の融合で「天体物理」。生物学と化学の融合で「生化学」。そして数学と経済学の融合で「数理経済学」。新しく生まれた学問分野は元の領域を凌駕する。ノーベル賞などはそういうところに与えられる。新しくて珍しいからである。●しかしそれが真に人類に貢献するかどうかはまた別問題。あのDDTはノーベル賞の対象であったが、今や公害の元凶●クリスチャンは天からのノーベル賞を目指さなければならない。それは間違いがない。天からオファーされなければならない。天からの「ほうび」は人の目に隠れる。人の世には見えない。わからない。●朝風呂で岩波新書、熊野純彦著「西洋哲学史」(近代から現代へ)第3章。ロック。標題は「経験にこそ、いっさいの知の基礎がある」。このことはわかるが、そのあとがいけない。難しい。●真理をわかりやすく言うか難しく言うかの分水嶺はそれを商売にするかどうかと関係がある。●神学は信仰を仕事や商売にしようとする人が取り組むものだ。●最近、「女性神学者」とおぼしき人から批判的ないやな手紙がきた。だから「神学」は嫌いなのだ。人の顔を見るとすぐ斬りかかってくるからだ。それがその人の「仕事」「商売」になってその人間の性癖や本性になっている。かわいそうである。気の毒な人である。尊敬できない人物である。マテマテ、私としても今は哲学の勉強をしているのだ。「そういう風に考えられるのか」「そういう人もいるのか」「世の中いろいろな人がいて面白いナー」と思わなければいけないのだ。自戒。●信仰の寛容を叫ぶ人間に最も非寛容の面があるのはなぜか。「ないものねだり」なのかもしれない。そういうグループの論争に巻き込まれると時間の損失だ。「議論から信仰は生まれない」。36計逃げるが勝ちだ。●人間は自分の尊敬する先生が批判されると猛然と反発するという卑しい性質がある。人間の業。これがプロテスタントキリスト教に教派が生まれる根本原因。●高木謙次氏、津上毅一氏と電話懇談。クリエイティブなことは手紙やメールではよくない。話のニュアンス、受け答えで相手の心の内を探れるのは電話か面談に勝るものはない。最高は面談である。電話では相手の目が見えないから。●そのうちテレビ電話が発達してくるだろう●自分史で欠損のところの補充でずいぶん時間がかかった●妻はウィークデーの集い。湯沢さん。●フルトヴェングラーの伝記的DVDを見る。彼には音楽性がある。●妻と「すぐ返事のない人間たち」について懇談。赦せる人と赦せない人がいる。こういうストレスが私自身の「脳内出血」につながる。また痴呆症につながる。●ヒルティはいやな人物と接触することを「氷のかけらにぶつかるようなこと」であると言っている。これ人生の苦しみの一つである。●私の経験上の氷のかけらのような人物は次の通り。「平気でウソをつく人」「約束を平気ですっぽかす人」「返事をよこさない人」「遊び人」「神学や思想で斬りつけてくる人」「神学者」「依頼したのに返事をよこさない人」「売名家」「素直でない人」「出身校を自慢する人」・・・・こういう「氷のかけらの人物は直そうとしても無理。神がその人を痛い目にあわせて注意してくださる。その人の救いを祈って36計逃げるが勝ち。

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死んでいた子供が帰ってきた喜び ++++++++ 所感

2007/10/16 08:52

071016(火)、女子大講義日。5時50分起床。安達太良に登山している妻の無事を祈る。朝の黙想。「死んでいた子供が帰ってきた喜び」●朝風呂で日経「私の履歴書」青木昌彦(経済学者・スタンフォード大名誉教授)。だんだん偉くなってくるとこの「履歴書」もつまらない。特殊分野、特殊部落での活躍の話になるからだ。人間は誰でも特殊部落(専門分野)に生きるものだ。そこでの価値は門外漢にはわからないものだ。●この世の賞や名誉などはその特殊部落内での仲間内の褒めあいである。この世の賞というものは仲間内の推薦や持ち回りの順番で決められる●それよりも昨日の夕刊の「こころの玉手箱」欄の三菱地所相談役の福沢武氏の回顧録の方が胸をうつ。小学校の時に結核、13年間療養生活、学歴は小学校卒。中学以降は独学、大検で慶応に入学、三菱地所に入社、常務、専務、社長、会長になる。「長い闘病生活の経験は私の人生に大きな影響を与えた。あの闘病生活抜きに今の私は存在し得ない」と言う。・・・・この経歴は凄い。家庭は裕福ではなかったが、その父が偉かった。慶応に合格した時のこと、「親戚たちは家計の窮状をみかねて進学を思いとどまらせようとしたが、『まあ、初年度の学費ぐらいは何とかするさ』と父の言葉に救われ入学した」と言う。・・・・・・この父にしてこの子ありだ。また福沢あっての三菱地所だ。●思わざる病気で社会的に遅れをとった若者たちに告ぐ。福沢武を見よ。逆境を忍べ。天は見ている。希望がある。●朝風呂で岩波新書、熊野純彦著「西洋哲学史」(近代から現代へ)、第2章。スアレス、マールブランシュ、スピノザ。タイトルは「存在するすべてのものは神のうちに存在する」。神という言葉が出てくるが難解。神の存在は「知」からではない「罪の赦し」で初めてわかるものなのだ。●人生の喜びのうちで、もっとも大きいものに次のようなことがある。これみな私の経験。「子供の病気が直って家に戻ったとき」「出産した妻が子供を抱えて家に帰って来るとき」「心が離れていた子供から連絡があるとき」・・・・この「喜び」は天での喜びと同じだとイエスは言う。、それは神が人間の心と交流を回復した時の喜びである。


塚本訳 ルカ 15:32
15:32 だが、喜び祝わずにはおられないではないか。このお前の弟は死んでいたのに生きかえり、いなくなっていたのに見つかったのだから。』」


塚本訳 ルカ 15:4-6
15:4 「あなた達のうちのだれかが羊を百匹持っていて、その一匹がいなくなったとき、その人は九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を、見つけ出すまではさがし歩くのではないだろうか。
15:5 そして見つけると、喜んで肩にのせて
15:6 家にかえり、友人や近所の人たちを呼びあつめてこう言うにちがいない、『一しょに喜んでください。いなくなっていたわたしの羊が見つかったから』と。


塚本訳  ルカ 15:8-9
15:8 また、どんな女でも、ドラクマ銀貨[五百円]を十枚持っていて、もしその銀貨を一枚無くしたとすれば、明りをつけて家(中)を掃き、それを見つけ出すまでは、丹念にさがしつづけるのではないだろうか。
15:9 そして見つけると、友だちや近所の女たちを呼びあつめてこう言うにちがいない、『一しょに喜んでください。無くした銀貨が見つかりましたから』と。


●このうち、ルカ15:5は「良い羊飼い」と言って、羊飼いの少年が羊を肩に乗せて帰ってくる姿の絵画で有名。私はかってこの絵がローマのカタコンベに描かれてあったのを見た。初代キリスト教徒は福音の本質をスターから正しく荷なっていたのだ。●次にルカ15:32をTSK日本語ヴァージョンで見てみよう。


Isaiah 35:10:
主にあがなわれた者は帰ってきて、その頭に、とこしえの喜をいただき、歌うたいつつ、シオンに来る。彼らは楽しみと喜びとを得、悲しみと嘆きとは逃げ去る。


Jonah 4:10:
主は言われた、「あなたは労せず、育てず、一夜に生じて、一夜に滅びたこのとうごまをさえ、惜しんでいる


Jonah 4:11:
ましてわたしは十二万あまりの、右左をわきまえない人々と、あまたの家畜とのいるこの大きな町ニネベを、惜しまないでいられようか」。


Romans 15:9:
異邦人もあわれみを受けて神をあがめるようになるためである、/「それゆえ、わたしは、異邦人の中で/あなたにさんびをささげ、/また、御名をほめ歌う」/と書いてあるとおりである。


●これを難しく神学的に言うと次のようになる。


塚本訳 エペ 2:1-10
2:1 君達も(私達と同様に)自分の咎と罪によって死んだ者であって、
2:2 かつてはこの世の世界の流れに従い、すなわち空中の権威と、今も不従順の子らの中に働いている(悪)霊との首領に従って、その咎と罪の中を歩いたのであった。
2:3 (否、)私達も皆かつてはこの人達に伍して自分の肉の欲の中に生活し、肉と欲望の欲するままに振舞って、他の(異教)人達のように生まれながら(神の)怒りの(審判に定められた)子であった。
2:4 しかし憐憫に富み給う神は、その大なる愛によって私達を愛し
2:5 咎によって死んでいたこの私達をもキリストと共に活かし──君達が救われたのは恩恵によるのだ──
2:6 キリスト・イエスにおいて彼と共に蘇らせ、共に天上に坐らせ給うたのであるが、
2:7 これはキリスト・イエスにおいて私達に与えられた慈愛による神の恩恵の豊富絶大なることを、来るべき代々(の人達)に示し給わんためである。
2:8 然り、君達は恩恵の故に、信仰によって救われた者である。これは君達の力によるのでなく、神の賜物である
2:9 業によるのではない──誇る者の無からん為である!
2:10 何故なら私達は神が予め準備し給うた善い業のため、その中を歩くために、キリスト・イエスにおいて創造られた神の作品である。


●イエスの言葉は太陽。パウロ、第二パウロ、ペテロ、ヨハネなどはその太陽の光に関する救いの説明。「~についての説明」。説明だからそれがわからなくても太陽の光の恵みに浴すればよいのだ。●失った子供の心を取り戻す唯一の手法は「祈り」。祈っていれば必ず回復する。これ私の経験。この祈りは不思議に必ず聴かれる。なぜか。神の思いも同じだから、神が応援してくれるからだろう。●「いつまでも残るものは愛」。新約聖書の中で最高の言葉の一つはコリント前書13章13節。この言葉だけでパウロの価値はある。●人は死んで「愛が残る」「愛の思い出が残る」


新共同 Ⅰコリ13:13
13:13 それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残るその中で最も大いなるものは、愛である


●昭和女子大「建築」講義。建築士を目指すなら音楽の素養も身につけなければならないとして先週亡くなった建築家の黒川紀章のことを話した。『黒川紀章は女優の若尾文子に向って「あなたはバロックみたいな人ですね」と言って結婚に至った。それを「あなたは「バラックみたいな人ですね」と言ったら結婚には至らなかったはずだ』。こんな講義をしていては非常勤講師でなく非常識講師である。連続二コマの授業は疲れる。●助手の女性に教えられて三軒茶屋のすずらん通りで夕食●守から電話。外苑前の路上で偶然「小寺先生」(子供たちの土曜学校の教師)に出会ったという。●我が家の子供たちは全員エクレシアによって信仰を養われた。●エクレシアの価値、意義、働き、神秘性、効力というものに感じ入った。●街角で偶然に出会う。人生の途上で不思議な人に出会う。などという「出会い」には神秘的なことがある。不思議な摂理というものがある●その昔、デボラ・カー演じる「めぐりあい」という映画があった。「めぐりあい」で恋仲になった二人が再会を約して別れたのであったが、その間に女性は交通事故で車椅子の身になり、身を引いて会うのをやめた。しかしまた偶然の「めぐりあい」で、彼女が身を引いた理由を知った男性は返って女性に愛を注ぐようになったというストーリー。これを観た私はオイオイと泣いたものだった。●「あなたはなぜキリスト信者になったのか」との問いの答えは百人百様であるが、一つの共通点は「人物」に「出会う」「めぐり会う」ことである。その影響、感化を受けることである。私はずいぶん良い人物に出会えたものである。感謝●人間が生まれてから出会う人物。母、父、兄弟、教師、学友、伴侶、子供、同僚、医者、・・・大体この順序か。しかし人生はこれ全部「めぐりあい」と「別れ」の連続である。「会うは別れのはじめ」である。アー、人生って悲しいものだなー●21:00、安達太良に登山した妻が無事に戻ってきた。紅葉がすばらしかったという。


 


 

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気の毒な人 ++++++++ 所感

2007/10/15 05:52

071015(月)出勤日。4時45分目覚め、「大変だー」。妻が4時にセットしておいたはずの目ざましがならなかった●5:00妻が安達太良登山に出発。闇の中に消えていく妻の後ろ姿を見て、「私が死んだら灰は東北の山に撒いてもらおうかしら」と言ったことを思い出した●人間はいつか闇の中に消えていくような悲しい別れの時が来るものだ●昨日の朝の囁きは「貧しき者」。今朝の囁きは「気の毒な人」。広辞苑で「気の毒」を調べると、「心を痛め、苦しむこと。困ること。共に心配すること、同情」などがある。これは聖書でいう「貧しき者」のぴったりの概念ではないか。●だから幸いなるかな貧しき者」は「幸いなるかな気の毒な人」のほうがぴったりくる。●Jバイブルで「気の毒」を調べるとわずか3か所だけ。それでもぴったりくる。


口語訳 ルカ 10:33
10:33 ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、


塚本訳 マタ 18:27
18:27 そこで主人は気の毒に思って、身柄をゆるした上、借金にまで棒を引いてやった。


塚本訳 使  11:29
11:29 そこで(主の)弟子たちはめいめい分相応、ユダヤに住んでいる(気の毒な)兄弟たちに援助を送ることに決めた。


●ここで連想するのは、イエスの次の言葉。


塚本訳 マタ 26:11
26:11 貧乏な人はいつもあなた達と一しょにいるが、わたしはいつも(一しょに)いるわけではない。


塚本訳  ヨハ 12:7-8
12:7 イエスは言われた、「構わずに、わたしの埋葬の日のためにそうさせておきなさい。
12:8 貧乏な人はいつもあなた達と一しょにいるが、わたしはいつも一しょにいるわけではないのだから。」


●アーソウカ、「貧しい人」や「気の毒な人」は「いつもあなた達と一しょ」なのか。その人たちと一緒の生活をすればよいのだ。それが主に生きることなのだ。そこで連想するのは次の3個所。


塚本訳 ルカ 4:18-19
4:18 『主の御霊がわたしの上にある、油を注いで(聖別して)くださったからである。主は貧しい人に福音を伝えるためにわたしを遣わされた。囚人に赦免を、盲人に視力の回復を告げ、』『押えつけられている者に自由をあたえ、』
4:19 『主の恵みの年(の来たこと)を告げさせるために。』


塚本訳ルカ 6:20
6:20 イエスは目をあげ、(十二人の使徒その他の)弟子たちを見ながら話された。──「ああ幸いだ、『貧しい人たち、』神の国はあなた達のものとなるのだから


塚本訳マタ 25:34-40
25:34 それから王(なる人の子)は右側の者に言う、『さあ、わたしの父上に祝福された人たち、世の始めからあなた達のために用意された御国を相続しなさい。
25:35 あなた達はわたしが空腹のときに食べさせ渇いたときに飲ませ、宿がなかったときに宿をかし
25:36 裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢に入っていたときに訪問してくれたのだから。』
25:37 その時、正しい人たちは答える。『主よ、いつわたし達はあなたの空腹を見て食事を差し上げ、渇かれているのを見てお飲ませしましたか。
25:38 また、いつお宿がないのを見てお宿をし、裸でおられるのを見てお着せしましたか。
25:39 また、いつ御病気であり、牢に入っておられるのを見て、おたずねしましたか。』
25:40 すると王は答える、『アーメン、わたしは言う、わたしのいと小さいこの兄弟たちの一人にしたのは、わたしにしてくれたのと同じである。』


●このうち、マタイ25:36の「牢に入っていたときに訪問」という言葉に心が引かれる。それは頑固な思想犯ではない、真に自分の罪を悔やんでいる人である。そういう人は何も物理的に収監されているわけではない。自分の人生は「めちゃくちゃで見られない」「自分の人生は失敗であった」「自分ははじめは成績もよく将来を嘱望されていたが、挫折して自堕落になった。道に外れた」「あの病気さえしなければ自分の人生も順調だったのだが」などと思っている人である。こういう気の毒な人が「心の貧しき者」なのだ。「幸いなるかな心の貧しき者。天国は彼らのものなり」(マタイ5:2)●私は思う。彼らと出会わせてわせてください。私はもう金持ちには行かない。貧しきものに行く。しかし金銀はないから施しはできない。


塚本訳  使  3:6
3:6 ペテロ言ふ『金銀は我になし、然れど我に有るものを汝に與ふ、ナザレのイエス・キリストの名によりて歩め


塚本訳 ヤコ 5:20
5:20 罪人を迷いの道から引き戻した者はその人の魂を死から救い、且つ多くの『罪を蔽う』ことを知れ


●松本部長、白土部長と新企画について会議。良い企画はあまり障害なくススッと立ちあがる●妻のPCをとり外す。明日ノジマに持ち込んでMEからXPにヴァージョンアップするため。●守から電話。久しぶりに話す●いわき市の秋山慎平氏が85歳で召天の知らせ●妻のトミ子は今晩は安達太良山の山小屋。無事を祈った



 


 

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貧しき者に ++++++++ 所感

2007/10/14 21:34

071014(日)5時半起床、朝の黙想、「貧しきものに」●朝風呂で日経「私の履歴書」青木昌彦(経済学者・スタンフォード大名誉教授)。ゼンガクレンを研究していた米国の教授に拾われて米国留学。著者のように学生運動に熱心であった人物は企業では採用しないから「先生にでもなるか」という道きりない。●人間はペーパーテストで判断できない。ペーパーテストではねられた人にはもっと良い道が供えられる●集会は藤巻、村上、山本。坂本登さんが東北出張の帰途久し振りで来会、●山口喜代子さんを囲んで小寺夫妻を交えて昼食。山口さんは薬が効いて少し良くなる。病気は信仰に益となる。進歩する。深くなる●1950年以前、無教会は聖書の学問的研究の水準は高く、信仰は深いことで群を抜いていたものだが、今や聖書の学問的研究の水準は低く、信仰はこれまた浅い。どんなキリスト教の集団も100年たつと衰亡する。●外部手摺の塗装、津上レター、図書館、ノジマ、●岩波新書、熊野純彦著「西洋哲学史」(近代から現代へ)。第一章、デカルト。数学者は哲学にも強くなければならない。哲学なき数学者は薄っぺらな算数人間。●妻は合唱の練習から、今年のオーストリア世界合唱祭のメンバーたちとの交歓会で池袋●妻が、ウィーン樂友協会での世界合唱祭DVDを持ってきたので少し見る。素晴らしいカメラワーク。ウィーン少年合唱団の朗男君(母親は日本人070621ブログ)を探す。トミ子はもちろんだが、会場の私も頭だけが少し映っていた。合同演奏ではやはりウィーン少年合唱団の声が突出して響いている。樂友協会の音の響きはDVDになっても素晴らしいことがわかる。まろやかな音色
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祈りは聴かれるか ++++++++ 所感

2007/10/13 09:02

071013(土)4時40分起床。黙想。「祈りは聴かれるか」●朝風呂で岩波新書、熊野純彦著「西洋哲学史」(近代から現代へ)第1章、デカルト。疑うということは大切なことであるという。それは思考するということであって人間の存在の基本であるという。これを読むとナルホド哲学とは心を広くするものだ。「何事も疑わず信ぜよ」というとき、それは理性というものを犠牲にしている。また真理の実在は感覚によって捉えることができるという。感覚によってとらえられることのみが真理だという●これは今朝の黙想「祈りは聴かれるか」の答えでもある。祈りは聴かれてはじめて神を信じることができる。ではその感覚とは何か。御利益ではない。罪の赦しの体験的実験的感覚である。人間はこの大きな体験的感覚で初めて神の存在を知るのだ。●初詣に川崎大師に行ったらその年は立て続けに良いこと(縁談など)があったという故人がいた。こういうのは信仰に入らない。単なる御利益信仰というものである。こういう人は他にもっと大きい御利益をくださる神に出会うとそちらに乗りかえる。また御利益をくださらなくなるとその神を捨てる●朝風呂で日経「私の履歴書」青木昌彦(経済学者・スタンフォード大名誉教授)。マルクス主義からの脱却はよいが、まだ経済「学」を信仰に近く学んでいる。経済の底流には「インビジブルハンド」(神の見えざる御手)がある。それを感覚として認識しない限り「経済学」も砂上の楼閣●13:30日の出会、世話人会。私は会長を3年もやっているので交代していただいた。新しいことをやるには人が変わらなければならない。また家族を癌で亡くした人の心の痛みは2年もすると次第に癒えてくる●癌の痛みはあと数年もすれば医学の進歩でなくなる可能性がある。しかし最後まで残るのは「死の悲しみ」。その心の痛みは同じ経験をした人でなければ癒せない。●妻のPC、MEをXPにヴァージョンアップのためデータをバックアップ。ノジマPC相談室の指導●妻はメサイアの練習。
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「神の国をつくる」とは ++++++++ 所感

2007/10/12 06:30

071012(金)出勤日。5時半起床。朝の囁き「神の栄光をあらわす」●朝風呂で日経「私の履歴書」青木昌彦(経済学者・スタンフォード大名誉教授)。学生活動家たちの四分五裂の凄惨n内ゲバ。彼らは行くところがなくて「先生にでも」なったのだから、そこで学んだ子供たちにまともな者が出にくいのは当然である。「樹はその実によって知らるる」(彼らの生きがいは頭だけの「理論武装」である。脅威である。暴力である。●彼らの手法に感染した人間が無教会にも流れ込んできているから困るのだ。対処の仕方は「自然消滅」を待つより方法はない。現にすでにそういう人物のあとに続くものはでない。真似するものはいない●最近結婚した人からの手紙の中に「私たちは、神の国をつくるために結婚しました。」という言葉があった。それの関係で今朝のささやきがあったのか。そこで「神の栄光」という句をまず、BbBで調べる。たくさん出てくるがパソコンだと一気に見られるから便利。その中でも心に響いたものはロマ書15:7。


口語訳 ロマ 15:7
15:7 こういうわけで、キリストもわたしたちを受けいれて下さったように、あなたがたも互に受けいれて、神の栄光をあらわすべきである。


塚本訳 ロマ 15:7
15:7 このゆえに、キリストが(命をすてて)あなた達(みんな)を(神の聖なる家族の)仲間に入れ、神の栄光をあらわされたように、あなた達も互を仲間に入れなさい。


文語訳 ロマ 15:7
15:7 此の故にキリスト汝らを容れ給ひしごとく、汝らも互に相容れて神の榮光を彰すべし。


●この箇所をさらにTSK日本語ヴァージョンで調べると、また多く出てくるがその中でも心に打たれたものは次の個所。


塚本訳 ロマ 14:1-3
14:1 信仰の弱い人をも(あなた達の)仲間に入れてやりなさい。(その人の)考えの違いをかれこれ言わずに。
14:2 (信仰は人それぞれで、たとえば、)ある人は(信仰が強くて肉でも)なんでも食べてよいと信じており、(信仰の)弱い人は野菜(だけ)を食べる。
14:3 (肉)を食べる人は食べない人を軽蔑してはならないし、(肉を)食べない人は食べる人を裁いてはならない。神はその人をも(聖徒の)仲間にお入れになったのだから。


塚本訳  ロマ 15:9
15:9 他方では、異教人が(彼によって神の家族の仲間入りができるという大なる)憐れみのゆえに、神をあがめるためである。(異教人の救いについては聖書に)書いてあるとおりである。『このためにわたしは異教人の中であなたを讃美し御名をほめ歌います。』


塚本訳 ルカ 15:2
15:2 パリサイ人と聖書学者たちがぶつぶつ呟いて言った、「この人は罪人を歓迎するし、また(招かれていって)食事までも一しょにする。」


塚本訳 ヨハ 6:37
6:37 (だが、信じないのは父上の御心である。)父上がわたしに下さるものは皆、わたしの所に来、わたしの所に来る者を、わたしは決して放り出さない。


塚本訳 ヨハ 13:34
13:34 (別れにのぞんで)新しい掟を与える、──互に愛せよ。わたしがあなた達を愛したのだから、そのようにあなた達も互に愛せよ。


●ここまで読むと「アーソーカ」とわかるのである。つまり神の栄光をあらわすとは罪人を受け入れることなのだ。そしてこれが同時に「神の国をつくる」ことなのだ。外に向かって何か実行することでなく受け入れ難いものを受容することなのだ。何かを発信しようするのではなく受信しようとする心である。ワカッタ。自戒である●自称三種の神器の威力は大したものである。自己が改造される。牧師さんが説教の準備に使っているということがわかる。●通勤の車中で岩波新書、熊野純彦著「西洋哲学史」(古代から中世へ)、第15章。スコトゥス、オッカム、デカルト。哲学者は喧嘩居士である。それが商売。これで半分読めた。●教文館で絵本を物色。「良い本だなー」と思っていたら店員が「それは牧師さんも買われますよ」というので購入。●日本聖書協会翻訳部の高橋裕子さん、島崎克彦氏と懇親懇談●東京銀座画廊で宮崎トキさんの作品「カンタータ」を鑑賞●東京駅まで歩く。駅周辺は超高層ビルラッシュ。なぜかホッとしない。人間は大自然を見ることができるところに住むのがよい。精神的にも思考するのもよい。●「週末は山梨にいます」という山梨県へ勧誘のポスターをみた。


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銀座御木本真珠店の入り口コーナーの花檀。ほっとする。一等地のこれだけのスペースを花檀にするのは建築主と建築家によほどの「建築的教養」がないとできない。経済原理からすれば損失だがこの潤いの価値は金銭では測れない。良い都市景観や良い建築は「金を握っている人」の教養で決まる。教養のない人間が建築主になった時の建築家はみじめ。そういう場合は残念ながら仕事を断ったほうが後々のために良い。なぜか。経歴に傷がつく。「武士は食わねど高楊枝」だ。













 














 

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私がこういう目に会うのは当然です ++++++++ 所感

2007/10/11 07:37

071011(木)4時半起床。朝の囁き「私がこういう目に会うのは当然です」。神は悔いる人間を愛す。かわいそうに思う。●朝風呂で岩波新書、熊野純彦著「西洋哲学史」(古代から中世へ)、第14章。トマス・アクィナス。「神が存在することは五つの道によって証明される」としてあの「神学大全」を著したが、死の前年に「私がこれまでに書いたものは、すべてわらくずのように思える」と友人に語ったという。ほっとした。その変化の原因は聖霊体験とも病気とも言われていて謎。しかしこれであの「神学大全」を読む必要がないことがわかって有益であった。この本(上下)もこれで半分、千里の道も一歩からだ。●神の存在証明はどういう道でなされるか。それは自己の罪がキリストの十字架の救いによって赦されることによって自分自身に証明されるのだ。●日経「私の履歴書」青木昌彦(経済学者・スタンフォード大名誉教授)。60年安保、岸首相退陣で学生運動の終焉。私8高橋)はこのころ、ひたすら塚本虎二、内村鑑三、カールヒルティであった。その後の人生を考えると、これが良かった。「思想で立つ者は思想で倒れる」。●昨日、某プロテスタント教会の牧師から非常にうれしいメールが届いた。公的なことなので一部省略して天下に公表する。


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Subject: 高橋照男様 いつも聖書サイト助かっております。

 


 


高橋照男様


 


大変お世話になっております。


○○で牧師をしております。○○○と申します。


説教準備にこのサイトは欠かせなくなっています。感謝しております。ありがとうござ


います。


 


さて、前田訳のマタイ1042ですが、途中できれているような気がします。


もともと、このような訳なのか、それとも入力ミスか何かでしょうか。


高橋様に一応お知らせすることにしました。


ご検討よろしくお願い致します。


 


○○○○キリスト教会


○○○



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●これに対する私の返メールも公的なことなので天下に公表する。人間、隠してばかりいないで、良いことは公表しなければならない。



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○○○様


説教のご準備にBbBが使われてうれしく思います。感謝です。


BbBバグのお知らせありがとうございました。


2008年の1月末にはバグをまとめて修正する予定です。


前田訳マタイ10:42は下記のようでございます。修正リストに加えさせていただきます


ありがとうございました。先生のお働きの上に主の恩恵が豊かでありますようにお祈りいたします。


 


前田訳1978  マタイ


10:42 そして、これら小さいもののひとりに弟子として冷たい水一杯を飲ませるものは、本当にいう、決して相応な報いにももれまい。



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●数年かけて作成したBbB(聖書で聖書を読む)がこのように使われることを夢見ていたのであるが、それが実現して感謝。●この先はこれがカトリックにも皇室にも使われることを祈る。無教会はこのような形でプロテスタント教会やカトリックに奉仕する。●皇室の侍従の三分の一はクリスチャンであると側聞するが、普段はおおっぴらに聖書を読めないという。私は皇族それ自身がインターネットで聖書やBbBを「ひそかに」読むようになる日を夢見る●今朝、囁かれた聖句の研究。


先ずBbBで翻訳比較。



ルカ23:41


十字架


 


翻訳比較


 


岩波翻訳委員会訳1995


422341俺たちにとっては正当なことだ。俺たちのやったことにふさわしい〔罰〕を受けているのだからな。しかしこの人は何も不正なことはしていないのだ」。


新共同訳1987


23:41 われらはしたことの報いを受けているから当り前だが、この方は何もまちがいをなさらなかった」と。


新改訳1970


23:41 われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」


塚本訳1963


23:41 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」


口語訳1955


23:41 お互は自分のやった事のむくいを受けているのだから、こうなったのは当然だ。しかし、このかたは何も悪いことをしたのではない」。


文語訳1917


"422341","我らは爲しし事の報を受くるなれば當然なり。されど此の人は何の不善をも爲さざりき』"



●次にBbBで各国引照から心に響くもの



各国聖書引照


(独)NESTLE-ALAND 


 NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 27版1993 の引照


新共同 使  3:17


3:17 ところで、兄弟たち、あなたがたがあんなことをしてしまったのは、指導者たちと同様に無知のためであったと、わたしには分かっています。


 新共同 マタ 27:19


27:19 一方、ピラトが裁判の席に着いているときに、妻から伝言があった。「あの正しい人に関係しないでください。その人のことで、わたしは昨夜、夢で随分苦しめられました。」


 


(英・米)THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE 1982 の引照


口語訳 ガラ 3:13


3:13 キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。聖書に、「木にかけられる者は、すべてのろわれる」と書いてある。



口語訳 Ⅰコリ6:10-11


6:10 貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者は、いずれも神の国をつぐことはないのである。


6:11 あなたがたの中には、以前はそんな人もいた。しかし、あなたがたは、主イエス・キリストの名によって、またわたしたちの神の霊によって、洗われ、きよめられ、義とされたのである。


 口語訳 ピリ 1:23


1:23 わたしは、これら二つのものの間に板ばさみになっている。わたしの願いを言えば、この世を去ってキリストと共にいることであり、実は、その方がはるかに望ましい。


 


●次にTSK日本語ヴァージョン




Luke 15:18:
立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。


 Luke 15:19:
もう、あなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇人のひとり同様にしてください』。


Leviticus 26:40:
しかし、彼らがもし、自分の罪と、先祖たちの罪、すなわち、わたしに反逆し、またわたしに逆らって歩んだことを告白するならば、


Leviticus 26:41:
たといわたしが彼らに逆らって歩み、彼らを敵の国に引いて行っても、もし彼らの無割礼の心が砕かれ、あまんじて罪の罰を受けるならば、


Joshua 7:19:
その時ヨシュアはアカンに言った、「わが子よ、イスラエルの神、主に栄光を帰し、また主をさんびし、あなたのしたことを今わたしに告げなさい。わたしに隠してはならない」。


Joshua 7:20:
アカンはヨシュアに答えた、「ほんとうにわたしはイスラエルの神、主に対して罪を犯しました。わたしがしたのはこうです。


II Chronicles 33:12:
彼は悩みにあうに及んで、その神、主に願い求め、その先祖の神の前に大いに身を低くして、


Daniel 9:4:
すなわちわたしは、わが神、主に祈り、ざんげして言った、「ああ、大いなる恐るべき神、主、おのれを愛し、おのれの戒めを守る者のために契約を保ち、いつくしみを施される者よ、


I John 1:8:
もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。


I John 1:9:
もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。


Matthew 27:4:
言った、「わたしは罪のない人の血を売るようなことをして、罪を犯しました」。しかし彼らは言った、「それは、われわれの知ったことか。自分で始末するがよい」。


Matthew 27:19:
また、ピラトが裁判の席についていたとき、その妻が人を彼のもとにつかわして、「あの義人には関係しないでください。わたしはきょう夢で、あの人のためにさんざん苦しみましたから」と言わせた。


Matthew 27:24:
ピラトは手のつけようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、水を取り、群衆の前で手を洗って言った、「この人の血について、わたしには責任がない。おまえたちが自分で始末をするがよい」。


Matthew 27:54:
百卒長、および彼と一緒にイエスの番をしていた人々は、地震や、いろいろのできごとを見て非常に恐れ、「まことに、この人は神の子であった」と言った。


●次は私自が連想する引照。砕けた魂を神は祝福するということ。


口語訳 詩  51:17
51:17 神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心を/かろしめられません。


新改訳 詩  51:17
51:17 神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。


新共同 詩  51:19
51:19 しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を/神よ、あなたは侮られません。


塚本訳  ルカ 18:9-14
18:9 なお、自分(だけ)は信心深いとうぬぼれて人を軽蔑している者たちにも、この譬を話された。
18:10 「二人の人が祈りのために(エルサレムの)宮に上った。一人はパリサイ人、他の一人は税金取りであった。
18:11 パリサイ人は(得々と)ひとり進み出て、こう祈った、『神様、わたしはほかの人たちのように泥棒、詐欺師、姦淫する者でなく、また、この税金取りのような人間でもないことを感謝します。
18:12 わたしは一週間に二度も断食し、(きまったものの一割税だけでなく、)一切の収入の一割税を納めております。』
18:13 しかし税金取りは(罪に責められ、)遠く(うしろ)の方に立ったまま、目を天に向け(て祈りをささげ)ようともせず、ただ胸をうって、『神様、どうぞこの罪人のわたしをお赦しください』と言った。
18:14 わたしは言う、あの人でなく、この人の方が(神から)信心深いとされて、家にかえっていった。自分を高くする者は皆低くされるが、自分を低くする者は高くされるのである。」


●家の外部の木部に塗装をする。木部は自然に黒ずんでいくほうが風情が増すのだが、剥げたようになったところはどうしても塗りたくなる。●妻は友人の車で白州次郎の記念館「武相荘」(町田)に行く。白州次郎の書棚に「Holy Bible 」があたっという。農家を買い取って住んでいてそれが記念館になっていた。夫人の白州正子が蒐集した陶器が展示されていたという。ハイレベルの人物だったらしい。●田中三郎氏に畑であって、 生姜を頂く。●ビールが飲みたくなって近くに買いに行ったが、酔うと疲れて何もできなく案るので、コカコーラのノンカロリーのものを購入、妻と半分ずつ飲む●新一夫妻から、新居マンションのパンフレットが送られてきた。人生における家屋と貯蓄と返済など経済について妻と懇談


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 田中三郎さん。(元建設省、前建設物価調査会) 今年は虫の害で収穫は半分ほどだったという。生姜を頂いた。


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 秋。赤トンボ。アキアカネと言うのか。近づくとすぐ逃げるがまた戻ってくる。人間を怖がらないところがうれしい。


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 秋の夕闇せまる我が家。今日は気になるところの木部塗装をしてきれいになった。家は美しくなければいけない。「家」というのはありがたいものだ。しかし、本当の家は神のふところだ。


 


 


 

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キリスト教に名士なし ++++++++ 所感

2007/10/10 07:09

071010(水)5時半起床、曇り●朝風呂で日経「私の履歴書」青木昌彦(経済学者・スタンフォード大名誉教授)。学生運動のやり過ぎで巣鴨刑務所に2ヶ月収監され読書三昧。すると思想に変化があって学生運動には前ほど気が乗らなくなる。ナルホド。留置というのは意味があるのだ。●2ヶ月収監されてコロッと変わるようでは「思想」というのも頼りないものだ。「思想で立つ者は思想で倒れる」「有名先生で立つ者は先生がういなくなると倒れる」。いずれもこの世のものにすがっていたからこうなる。●パウロは収監されたとき次のように言った。


口語訳 Ⅱテモ2:9
2:9 この福音のために、わたしは悪者のように苦しめられ、ついに鎖につながれるに至った。しかし、神の言はつながれてはいない。


塚本訳Ⅱテモ2:9
2:9 私はこの(福音の)ため罪人として縛られるまでに苦しみを受けているが、神の言は縛られてはいない。


●環境が変わるとコロッと捨てるようなもの真に尊いものではない。永遠的なものではない。①お金が入ると生活が変わる ②結婚すると付き合い方が変わる ③地位が高くなると挨拶の仕方が変わる ④職場が変わると天下国家を批判する。「あのブドウは酸っぱい」という。これイソップ物語。 ⑤偉い先生がいなくなると別の先生に乗り換える。あの先生はラテン語もできるのだと驚いている人がいる。 ⑥部長が変わるとまたぺこぺこする人間は地位という椅子にお辞儀しているのである ⑥国家体制がかわるとその思想に乗り遅れまいとして「転向」する ・・・・・かってのまた現在の一人ひとりの顔が浮かんでくる●キリスト教に名士なるものはない。「ある」と考えるのは、この世的に偉い人の宗教がたまたまキリスト教であるというまでである。一番まずいのはキリスト教に熱心だからその高い地位にまでなれたのだと考えるこの世的連中。●神の国の名士は人の目に隠れる。


塚本訳  ルカ 16:15
16:15 そこで彼らに言われた、「あなた達は人の前では信心深そうな顔をしているが、神はあなた達の心を見抜いておられる。人の中で尊ばれるものは、神の前では嫌われるものである。


塚本訳 ヨハ 5:41
5:41 (こう言うのは、自分を認めてもらいたいからではない。)わたしは人間の名誉などほしくない


塚本訳 マタ 6:19-21
6:19 (このように、何事も天の父上相手でなければならない。たとえば)あなたたちは衣魚や虫が食い、また泥坊が忍び込んで盗むこの地上に宝を積まず、
6:20 衣魚も虫も食わない、また泥坊が忍び込むことも盗むこともない天に、宝を積んでおきなさい。(そうでないと、心が天に向かないであろう。)
6:21 宝のある所に、あなたの心もあるのだから。


●無教会もこの悪霊に取りつかれていて、学者、博士、教授、高位高官、名誉、名士を尊ぶ傾向がある。信仰衰退の現象。信仰の「目がない」。それらを尊ぶ連中に共通のことは「聖書そのもの」を読むことに不熱心。有体的復活ということを信じていない。使徒伝承を真面目に伝承しない。●信用できる人間の判断の方法。①、返事が早いか遅いか。中には返事がない人がいるが、全くダメ ②キリスト教関係の蔵書量と信仰の深さは反比例 ③地位の高い人、この世的有名度と信仰の深さも反比例する。なぜか。貧しくないから。旧約聖書では「貧しい」という語と「神に敬虔」という語はシノニム(同義語)。●朝風呂で岩波新書、熊野純彦著「西洋哲学史」(古代から中世へ)。第13章、偽」ディオニシオス、エリウゲナ、アンセルムス。「神だけがそれ自体で存在するものであり、その神が、無から他のいっさいを造るのである」(アンセルムス)。「神とは存在するすべてのもののなかで最高のもの」(アンセルムス)・・・これらを読むと哲学から信仰には到達できないことがわかる。自己の罪に苦しみ悩みキリストの十字架の救いに預かるときに初めて「神の存在」を認識する。存在ではない実在を実感する。その人が哲学的思考で神を表現するとアンセルムスのようになる。それは結果。表現方法の一つ。哲学の暗闇に迷い込んでいる人間には哲学的言語で「救出」しなければならないからそのとき「哲学」は有用だが、人間は哲学の素養なくして「信仰」で救われる。

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落ち着ける場所はどこか ++++++++ 所感

2007/10/09 10:53

71009(火)5時半起床。朝の囁き「落ち着けるところ」●朝風呂で岩波新書、熊野純彦著「西洋哲学史」(古代から中世へ).第12章ボエティウス。三位一体論を哲学で構築。ダンテはその「神曲」のなかで彼を高く評価しているという。三位一体は信仰で把握すべきものであって哲学では把握できない。しかし信仰の結果は哲学で表現することもできる。●妻と「目の合わない人」について語り合う。目があわないというのは心が合わないということ。心が合わないと口を利かなくなる。その聖書的根拠は次。


新共同 マタ 6:22-23
6:22 「体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、
6:23 濁っていれば、全身が暗い。だから、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう。」


塚本訳ロマ 10:8-9
10:8 しかしこれはいったい何を言っているのか。(キリストはすでに天から下り、また死人の中から復活されたので、もうそんな努力の必要はない、これも聖書にあるように、)『言葉はあなたに近い。あなたの口に、あなたの心にある』(というのである。)すなわちこの言葉こそ、わたし達が説いている信仰の言葉[福音]である。
10:9 つまり、あなたは『口で』イエスを主と告白して、『心で』神がイエスを死人の中から復活させられたことを信ずれば、救われる。


●音楽DVDでチャイコフスキー「白鳥の湖」、ボリショイバレエ。振付がすばらしい。最後の場面が見ものであった。悪魔ロットバルトが王子ジークフリートに襲いかかろうとすると、オデットが自らの身の危険をも顧みずにジークフリートをかばってロットバルトの前に立ちはだかる。この愛が悪魔の力を減衰させるというハッピーエンド。この素晴らしい振付に泣けた。聖書の言葉を思い出したからである。


文語訳 ヨハ 15:13
15:13 人その友のために己の生命を棄つる、之より大なる愛はなし。


●このバレエ、原作は悪魔の呪いが解けないのを悲しんだ二人が湖に身を投じるというものであった。しかし「それではあんまりかわいそうだ」ということから現在では「ハッピーエンド」の振りつけにするものがほとんどだという。私はかって東京で見た「レニングラードバレエ団」の「白鳥」は二回ともハッピーエンディングであった。人生は悲劇の方が良いのかとも思う。なぜか。人生はこの世限りではないのだから。イエスは悲劇、伝説によればパウロもペテロの最後も悲劇。●人間、ほとんどの人が、人生をハッピーエンドで終わらせようと考えているが誤り。なぜか。来世ではこの世と逆らしいから。


●「落ち着ける場所はどこか」の探求。


Jバイブルで「安らか」を検索すると92か所出てくる。そのうち心に響いたものは下記。


レビ   25: 18 [口語


あなたがたはわたしの定めを行い、またわたしのおきてを守って、これを行わなければならない。そうすれば、あなたがたは安らかにその地に住むことができるであろう。


レビ   25: 19 [口語


地はその実を結び、あなたがたは飽きるまでそれを食べ、安らかにそこに住むことができるであろう。


レビ   26: 6 [口語


わたしが国に平和を与えるから、あなたがたは安らかに寝ることができ、あなたがたを恐れさすものはないであろう。わたしはまた国のうちから悪い獣を絶やすであろう。つるぎがあなたがたの国を行き巡ることはないであろう。


申    33: 12 [口語


ベニヤミンについては言った、/「主に愛される者、/彼は安らかに主のそばにおり、/主は終日、彼を守り、/その肩の間にすまいを営まれるであろう」。


Ⅰ列   4: 25 [口語


ソロモンの一生の間、ユダとイスラエルはダンからベエルシバに至るまで、安らかにおのおの自分たちのぶどうの木の下と、いちじくの木の下に住んだ。


詩    4: 8 [口語


わたしは安らかに伏し、また眠ります。主よ、わたしを安らかにおらせてくださるのは、ただあなただけです。


詩    16: 9 [口語


このゆえに、わたしの心は楽しみ、わたしの魂は喜ぶ。わたしの身もまた安らかである


詩    22: 9 [口語


しかし、あなたはわたしを生れさせ、母のふところにわたしを安らかに守られた方です。


詩    55: 18 [口語


たといわたしを攻める者が多くとも、主はわたしがたたかう戦いから/わたしを安らかに救い出されます


詩    78: 53 [口語


彼らを安らかに導かれたので/彼らは恐れることがなかった。しかし海は彼らの敵をのみつくした。


詩    102: 28 [口語


あなたのしもべの子らは安らかに住みその子孫はあなたの前に堅く立てられるでしょう


詩    128: 2 [口語


あなたは自分の手の勤労の実を食べ、幸福で、かつ安らかであろう


詩    131: 2 [口語


かえって、乳離れしたみどりごが、その母のふところに安らかにあるように、わたしはわが魂を静め、かつ安らかにしました。わが魂は乳離れしたみどりごのように、安らかです。


箴    1: 33 [口語


しかし、わたしに聞き従う者は安らかに住まい、災に会う恐れもなく、安全である」。


箴    3: 23 [口語


こうして、あなたは安らかに自分の道を行き、あなたの足はつまずくことがない。


箴    29: 25 [口語


人を恐れると、わなに陥る、主に信頼する者は安らかである


イザ   32: 18 [口語


わが民は平和の家におり、安らかなすみかにおり、静かな休み所におる。


エレ   33: 16 [口語


その日、ユダは救を得、エルサレムは安らかにおる。その名は『主はわれわれの正義』ととなえられる。


エレ   34: 5 [口語


あなたは安らかに死ぬ。民はあなたの先祖であるあなたの先の王たちのために香をたいたように、あなたのためにも香をたき、またあなたのために嘆いて「ああ、主君よ」と言う』。わたしがこの言葉をいうのであると主は言われる」。


ルカ   2: 29 [口語


「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりに/この僕を安らかに去らせてくださいます


Ⅰコリ  16: 18 [口語


わたしの心とあなたがたの心とを、安らかにしてくれた。こうした人々は、重んじなければならない。


Ⅰテモ  2: 2 [口語


それはわたしたちが、安らかで静かな一生を、真に信心深くまた謹厳に過ごすためである。


Ⅱペテ  3: 14 [口語


愛する者たちよ。それだから、この日を待っているあなたがたは、しみもなくきずもなく、安らかな心で、神のみまえに出られるように励みなさい。


●次に詩篇4:9を掲げる。


口語訳 詩  4:7-8
4:7 あなたがわたしの心にお与えになった喜びは、穀物と、ぶどう酒の豊かな時の喜びに/まさるものでした。
4:8 わたしは安らかに伏し、また眠ります。主よ、わたしを安らかにおらせてくださるのは、ただあなただけです


●この4章8節をTSKで調べる


Psalms 3:5:
わたしが声をあげて主を呼ばわると、主は聖なる山からわたしに答えられる。


 Job 11:18:
あなたは望みがあるゆえに安んじ、/保護されて安らかにいこうことができる。


Job 11:19:
あなたは伏してやすみ、/あなたを恐れさせるものはない。多くの者はあなたの好意を求めるであろう。


Proverbs 3:24:
あなたは座しているとき、恐れることはなく、伏すとき、あなたの眠りはここちよい


I Thessalonians 4:14:
わたしたちが信じているように、イエスが死んで復活されたからには、同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう。


Revelation of John 14:13:
またわたしは、天からの声がこう言うのを聞いた、「書きしるせ、『今から後、主にあって死ぬ死人はさいわいである』」。御霊も言う、「しかり、彼らはその労苦を解かれて休み、そのわざは彼らについていく」。


Leviticus 25:18:
あなたがたはわたしの定めを行い、またわたしのおきてを守って、これを行わなければならない。そうすれば、あなたがたは安らかにその地に住むことができるであろう。


Leviticus 25:19:
地はその実を結び、あなたがたは飽きるまでそれを食べ、安らかにそこに住むことができるであろう。


Leviticus 26:5:
あなたがたの麦打ちは、ぶどうの取入れの時まで続き、ぶどうの取入れは、種まきの時まで続くであろう。あなたがたは飽きるほどパンを食べ、またあなたがたの地に安らかに住むであろう。


Deuteronomy 12:10:
しかし、あなたがたがヨルダンを渡り、あなたがたの神、主が嗣業として賜わる地に住むようになり、さらに主があなたがたの周囲の敵をことごとく除いて、安息を与え、あなたがたが安らかに住ようになる時、


Deuteronomy 33:27:
とこしえにいます神はあなたのすみかであり、/下には永遠の腕がある。敵をあなたの前から追い払って、/『滅ぼせ』と言われた。


Ezekiel 34:25:
わたしは彼らと平和の契約を結び、国の内から野獣を追い払う。彼らは心を安んじて荒野に住み、森の中に眠る。


Hosea 2:18:
その日には、わたしはまたあなたのために野の獣、空の鳥および地の這うものと契約を結び、また弓と、つるぎと、戦争とを地から断って、あなたを安らかに伏させる


Romans 8:35:
だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。


●以上を読んでアーソウカと思うことは、神とともにあるときに霊肉ともに安らかである、ということ。●また職業柄「安らかに住む」ということに目が行く●結論的に言うと、安らかな心は次のものからは得られない。家庭、職場、夫、妻、教会、無教会集会、先生、金、異性、趣味、サークル、などなど。安らかな憩いは「主のもとにある」。これ千古不易の真理●妻は病気が少し良くなった方と食事をしてから、無教会研修所。月本昭男先生の「旧約聖書概説」


 

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自殺寸前で救われる ++++++++ 所感

2007/10/08 23:00

071008(月)●朝風呂で岩波新書、熊野純彦著「西洋哲学史」(古代から中世へ)第11章、アウグスチヌス。「アウグスチヌスの哲学的生涯は論争に明け、異端との戦いに暮れた」とある。・・・私の知人でアウグスチヌスを専攻している人がいるが、普段、論争に強く、論争に長けている。職業的習癖。そういう人には三十六計逃げるが勝ち9:00妻と無教会全国集会の第二日目に出席。自殺寸前で救われた方の話を二つ聞く。中川春美さんと岩谷さんの話は感動的であった。日永康氏と柏木今井館の位置を確認しあった。高木謙次氏と本の打ち合わせ。他に大友陽子さん、松永晃子さん、田村光三、白井徳満、鷲見誠一、坂内宗男、小館美彦、佐藤明、


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今朝の東の空は秋の雲。2007.10.8.


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無教会全国集会。武義和氏と。2007.10.8。武氏の講演要旨は次のとおり「自分は父(祐一郎)になじめなかったが、ある日四谷の階段を降りるとき父はあわてて階段を転がり落ちた。悪いことに人を巻き添えにしてしまいその人に平謝りに謝っていた。そのみじめな姿を見て父とキリスト教を見直した」というもの。


●親は子供の教育に際して堅い存在であってはならない。無教会の子弟教育の失敗の原因は大抵父親が律法的に頑固で堅いこと。子供が素直に信仰に入るのは大抵母親が偉い(強い?)場合。●子育ては、母親8割、父2割」。しかしその母親を支えるのは夫たる父親。つまり父親は母を通じて子供と接するようにできているらしい。●ペアのダンス競技では、女性が目につくが、実は男性が8割影響があるという。つまり目につく女性の踊りの出来は男性次第であるということ。これ家庭も同じ。父親は家庭では基礎、また骨組。それは表には表れないが最重要。


●17:30から「若者の集い」。全員元気なく、声が小さく、弱弱しいのにがっくり。無教会の将来に希望を失った●隣席の徳島の吉村孝雄氏と長懇談。「聖霊」という言葉が頻繁に出てきた。高橋のHP(年間1万回のアクセス)はいつか必ず実を結ぶ。自分もそうであった。自分(吉村)のHPを見た沖縄の人が集会に来られた。パンを水の上に投げよ。ただしHPそれ自身が聖霊に満たされていなければならない」とアドバイスされた。

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無教会全国集会 ++++++++ 所感

2007/10/07 07:47

071007(日)、5時半起床。今日は集会で私の当番、「どうしたら安らかに逝けるか」。孫への答えは自分自身への答えでもある。昨日ブログにその骨子を書いた●朝風呂で岩波新書、熊野純彦著「西洋哲学史」(古代から中世へ)第10章、フィロン、プロティノス、プロクロス。「身体という多を一にするのはたましいであり、たましいは多なる一なのである」。・・・何が何だかさっぱりわからない。この本、それでも一日一章で10章まで読んだ。「千里の道も一歩から」である。三分の一読んだことになる。でも栄養になるかなー●集会は丹野竹子、小寺、高橋、結論として次のように話した。「以上、聖書を根拠にして話したが、5歳の孫にはわかってもらえそうにない。それよりも次のように話そうと思う。神様がいますことは君のお父さんも、お母さんも、オジイチャンもオバアチャンも固く信じているのだよと」。


新共同 マタ 18:20
18:20 二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」


●13:30 無教会全国集会(於、青山学院大学)。多くの面々と会う、武義和(骨折治癒)、量義治(無教会に神学なし)、高木謙次(書籍のこと)、箱崎健(歌手を目指した人)、大友陽子(翻訳作業の問題)●集うもの約200名、無教会老いたり。衰退もはなはだしい。これが現実。自然現象●これに対してはどう対処すべきか。ホスピスの精神がよい。延命処置は人間の精神。神の手に任せ自然に生き、自然に死ぬのがよい。●「無教会史Ⅳ」は当初は「分散の時代」という副題であったが、中沢樹先生がお亡くなりになり、それを「連帯の時代」としてしまったことは誤りであったということで量義治氏と意見が一致●延命処置は神を信じない者の焦り。人間的な思い●18:45からはテノール歌手、倉石真のコンサート。「ブラボー」を2発叫んで喉が痛くなった。発声は喉からではなくお腹からでなければならないと妻に言われたので、「では今度からブラバラー」と言おうと返した(面白くない)。



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無教会全国集会。2007.10.7.青山学院。 徳島県から、中 綱野悦子 右 貝出久美子 二年ぶりの再会。


一昨年の綱野さんの証。051009のブログを下記に再掲 


徳島から来られた綱野悦子さんの話に感動。・・・・・25歳の時に失明。その時に祈った。「神様、あなたは明日のことは思い煩うなと言います。それならこの私の目を開けてください。もし出来ないのならこの命を取り上げて下さい」と。結局、私の目は開きませんでしたが、イエス様が私の光となってくださいました。それ以来25年以上経ちました・・・・・万歳、万歳、万歳。綱野さんは肉の目は開かなかったが霊の目は開いた。幸福な生涯。感謝。その顔は平安で目明きより美しい顔をされている。昨夕は貝出さん(051008の日記に記載)と熊野さんと一緒に食事ができた。そのとき私はイエスの復活の話をした。イエスの墓が空になっていたことがその証拠だと。気の毒な人を慰めるには「イエスの復活」という使徒伝承以外にはない。「イエスの復活」はどんなに不遇な人をも慰めることができる「力」であることをこのとき実感した。イエスの復活は罪の赦しと来世の実在と永遠の生命の確実な証拠


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無教会全国集会 徳島の吉村孝雄氏。2007.10.7.氏は上記二人を信仰に導いた。そのほかに聾啞者が来ていたが、彼らに手話で講演内容を同時通訳していた。



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 無教会全国集会 沖縄の友寄隆房氏。2007.10.7.私の家の子供の名前を呼び捨てで語り、よく知っていてくださる。


 

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永遠の生命の保証とは何か ++++++++ 所感

2007/10/06 05:18

071006(土)3時半起床●朝の黙想。「永遠の生命の保証とは何か」。非常によい聖書の句が与えられた。昨夜、妻と来年3月のライプチッヒ聖トーマス教会合唱団の音楽チケットの購入計画をしたからか。コンサートのチケットは「入場の保証」「座席の保証」「音楽が聴ける保証」。●永遠の生命は生きているうちにその「保証」が物理的に欲しい。そのことをエペソ書(第二パウロ)はズバリ次のように言う。


口語訳 エペ 1:13-14

1:13 あなたがたもまた、キリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなたがたの救の福音を聞き、また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印をおされたのである
1:14 この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである。


●保証としての聖霊とは異常な聖霊体験や熱狂的な歌や踊りではない。「祈れること」「信じられること」それ自身がすでに聖霊を頂いている保証である。物理的なものではない●祈れる人間、信じられる人間にさせられた者はこの世で「安らかに」生きることができる。なぜか。すでに音楽会のチケットを入手したのと同じだから。「だから」さらに熱心にその日まで「身を清めて」待っていなければならないのだ。救われるための努力ではない。救われたのだから努力しようというのである。これが「キリスト教道徳」である。Ⅱペテには次のように書いてある。ここに「安らかな心」といういちじるしい言葉がある。人間は誰でも「安らかに」逝きたいと願っているのだ。


口語訳 Ⅱペテ3:12-14
3:12 極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。
3:13 しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。
3:14 愛する者たちよ。それだから、この日を待っているあなたがたは、しみもなくきずもなく、安らかな心で、神のみまえに出られるように励みなさい


●カールリヒター+ミュンヘンバッハ合唱団で、バッハ「マタイ受難曲」(抜粋)、ロ短調ミサ曲を鑑賞。信仰的にはやはりマタイが良いということになり、来年の聖トーマス教会合唱団のコンサートはマタイに決定。●カールリヒター+ロンドンフィルハーモニー+ジョン・オールディス合唱団でヘンデル「メサイア」(抜粋)を鑑賞。やはりマタイよりメサイアの方がよい。うれしい、明るい。●明日の話の準備。配布資料を最後の最後まで修正。明日の話はリヒターのマタイ受難曲の演奏会よりも意味がある。なぜか。集うものの全員が主にあるからである。エクレシアとはキリストの体、世にも不思議な集団●明日の話の結論を下記に記す。孫の質問に対する答えはおろそかにできない真剣勝負。もし不確かなことをしゃべると「うそっぽい」と思われたり、「説教くさい」と感じられて信用がなくなる●今までの無教会のよいところは宗教的ドグマから自由であって信じられないことは人に離さないことになっていること。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・どうしたら安らかに逝けるか


・・・神は人間の死の悩み悲しみという暗闇から救い出してくださる・・・


            2007.10.7 東京聖書読者会 高橋照男


 


1・さしせまった問題


 


1・1 5歳の孫の質問。ライオンの餌食になる動物の絵本を見て悲しみ、「人は死んだらどうなるの」ということをその母親にしつこく聞くという。




8・結論。孫への答え


死んだら体はなくなってしまうけれども、人には霊魂というものがあってそれが神様のところに眠る。けれども復活された神の御子((おこ)のエス様が迎えにきて眠りから覚ましてくださる。そして別の体(霊のからだ)で生き返らせてくださる。これを信じることができれば悲しみはなくなり、安心していられる。


●この聖書的裏付け


死んだら体はなくなってしまうけれども、


文語訳 ペテ1:24
1:24
『人はみな草のごとく、その光榮はみな草の花の如し、草は枯れ、花は落つ


人には霊魂というものがあって


文語訳マタ 10:28


10:28 身を殺して靈魂をころし得ぬ者どもを懼るな、身と靈魂とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ。


それが神様のところに眠る。


塚本訳 ルカ 8:52
8:52
(集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。」


新共同 コロ 3:3


3:3 あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです


けれども復活された神の御子((おこ)のエス様が迎えにきて


新共同 テサ4:14
4:14
イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます


眠りから覚ましてくださる。


塚本訳ヨハ 11:11
11:11
こう話して、またそのあとで言われる、「わたし達の友人ラザロが眠った。目をさましに行ってやろう。」


そして別の体(霊のからだ)で生き返らせてくださる。


塚本訳 コリ15:44
15:44
(神の霊を持たない)魂だけの体がまかれて霊の体が復活する魂だけの体がある以上は霊の体もあるわけである


これを信じることができれば悲しみはなくなり、安していられる。 


塚本訳  ヨハ 11:25-26
11:25
イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。

11:26
また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」


塚本訳 ヨハ 20:29
20:29
イエスは言われる、「わたしを見たので、信じたのか。幸いなのは、見ないで信ずる人たちである。」


塚本訳 ペテ1:8
1:8
君達は彼を(目のあたり)見たことはないが、(これを)愛し、今も見ることは出来ないが、(これを)信じて、(既にかの日の)輝きに満ちた、言語に絶する喜悦を喜んでいる


口語訳 Ⅱペテ3:14


3:14 愛する者たちよ。それだから、この日を待っているあなたがたは、しみもなくきずもなく、安らかな心で、神のみまえに出られるように励みなさい。



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●朝風呂で日経「私の履歴書」青木昌彦(経済学者・スタンフォード大名誉教授)。先祖に西原衛生の創業者がいることを知る。その人は独学で環境工学のパイオニヤになった。●岩波新書、熊野純彦著「西洋哲学史」(古代から中世へ)第9章、メガラ派、アカデメイア派、ピュロン主義。哲学の世界でも派が多いことを知る。そのな違いとなると全くわからない。キリスト教の諸派も外部から見たらその違いはわかりずらいものであろう●妻は夜、合唱の練習。●私は東急に靴下を買いに行く。


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人に捨てられると逆に良い道が開かれる ++++++++ 所感

2007/10/05 06:20

071005(金)出勤日、3時40分起床●朝の囁き「捨てられる」●朝風呂で日経「私の履歴書」青木昌彦(経済学者・スタンフォード大名誉教授)。全学連での活動。わたしはこういう連中とは一線を画していたことが人生の益であった。彼らの共産主義的思想はなんとなく脅威を感じるものであった。なぜか。思想で人を「支配」しようとする人間エゴ丸出しだから。●共産主義国家の崩壊は道徳的腐敗であったと見る。国家上層部の汚職による蓄財は共産主義思想とは程遠いものであった。●「人に捨てられる」ということを黙想する。人生は「捨てられる旅」だ。しかしそれによってこの世につけるものが振り払われ、ひたすら神に向かうようになるのだ。


①、母親の育児放棄。これは悲劇。人間でも動物でも捨てられた赤ん坊は愛情不足で肉体的にも精神的にも正常に育たない。しかし神は拾う。


27:10 私の父、私の母が、私を見捨てるときは、主が私を取り上げてくださる。


②、不運。不幸な運命になること。運から見放される。病気、家庭崩壊、両親の離婚。


文語訳マタイ5:4


"400504","幸福なるかな、悲しむ者。その人は慰められん。"


③、失恋。世の中にはもっと美しい人がいる。それはキリストだ。


新改訳 詩篇45:2


45:2 あなたは人の子らにまさって麗しい。あなたのくちびるからは優しさが流れ出る。神がとこしえにあなたを祝福しておられるからだ。


④、リストラ。企業が人を捨てる理由は99%が経済的理由


塚本訳 マタイ6:24


6:24 (わたし達の心は天か地かに引かれる。)だれも(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。


離婚。その理由のほとんどが「性格の不一致」。私にも少しは悪いところがあったのだと悔やむと、神は過去を清算して新しい道を開いてくださる。


塚本訳ルカ18:13-14


18:13 しかし税金取りは(罪に責められ、)遠く(うしろ)の方に立ったまま、目を天に向け(て祈りをささげ)ようともせず、ただ胸をうって、『神様、どうぞこの罪人のわたしをお赦しください』と言った。


18:14 わたしは言う、あの人でなく、この人の方が(神から)信心深いとされて、家にかえっていった。自分を高くする者は皆低くされるが、自分を低くする者は高くされるのである。」



師との別れ。学芸や宗教の世界につきもの。世の進歩発展のためには仕方がない。


塚本訳マタイ5:10-11


5:10 ああ幸いだ、信仰のために迫害される人たち、天の国はその人たちのものとなるのだから。


5:11 わたしゆえに罵られたり、迫害されたり、あらん限りの根も葉もない悪口を言われたりする時、あなた達は幸いである。


子供は親を捨てる。子供が結婚すると豹変して親を捨てる。生物界の自然の摂理とは言えいささか淋しいものだ。しかしこれで老人は新しい目的が与えられる。


塚本訳マタイ19:4-5


19:4 答えて言われた、「造物者が始めから『彼らを男と女とに造られた』こと、


19:5 また、『それゆえに人は父と母とをすてて妻に結びつき、二人は一体となる』と言われたことを、あなた達は読んだことがないのか。


●朝風呂で岩波新書、熊野純彦著「西洋哲学史」(古代から中世へ)第7章。ストア学派。魂も物質であるという。「へーぇ、そんな考えもあるんだなー」と思う。哲学をやると心が広くなるはずだ。●関口顧問、高橋(俊)課長、橋本次長に私の構想を話す。おおむね賛同を得たので実現しそうである。●企業内で「新しい構想」が実現するかどうかは要人、それも実務の人間に複数聞いてみると大体分かる。実務レベルに新構想の要望がなければ無理というものだ●馬は喉が渇いていなければ水を与えても飲もうとしない。これ、聖書、信仰、キリスト教、永遠の生命、罪の赦し、などに同じこと。●喉が渇いてない連中にこれらを話しても「心が通じない」。それこそ「馬の耳に念仏」というものだ。そのことをイエスは次のように言う。


口語訳 マタ 7:6
7:6 聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。


塚本訳  マタ 10:12-16
10:12 家に入ったらば、まず平安を祈れ。
10:13 もしその家が(その祈りをうけるのに)ふさわしければ、あなた達の(祈った)平安はかならずその家に臨み、もしふさわしくなければ、その平安はあなた達にもどってくる。(そしてあなた達のものとなるのである。)
10:14 しかし人があなた達を歓迎せず、あなた達の言葉に耳をかたむけないなら、(すぐ)その家なり町なりを(出てゆけ。そして)出てゆくとき、(縁を切った証拠に)足の埃を払いおとせ。
10:15 アーメン、わたしは言う、(最後の)裁きの日には、あの(堕落町)ソドムやゴモラの地の方が、まだその町よりも罰が軽いであろう。
10:16 いまわたしがあなた達を送り出すのは、羊を狼の中に入れるようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように純真であれ。


●であるから、私のHPを見てこれを「バカな奴よ」と思う人間はまず「救い」からは遠い。喉が渇いてないからそういうことを言うのだ。アーかわいそうだ。しかしいつかわかる、「いつかわかる」「神御自身ががきっとわからせてくださる」。なぜか。神に造られた人間だから。●神は井戸に落ちている人間を親心で必死に救おうとされる。井戸の底に人間は助けに降りていけない。それはあまりに深すぎるのだ。あまりに込み入った精神状態になっているのだ。神にのみ引き上げられる難しいことなのだ。


塚本訳 ルカ 14:5
14:5 そして彼らに言われた、「あなた達のうちには、息子か牛かが井戸に落ちたとき、安息の日だからとてじきに引き上げてやらない者がだれかあるだろうか。」


●来年3月にライプチッヒ聖トーマス教会合唱団とゲバントハウス管弦楽団がが来日して「マタイ受難曲」と「ロ短調ミサ曲」をやるというので、妻と相談して「ロ短調」のチケット購入を計画した。●問題はマタイ、終演が9時半だとあきる野市に帰るのが非常に遅くなる。●永遠の生命を頂くには音楽会のチケットのような「安心する約束のもの」「保障」の証拠が欲しい。そのことをパウロは次のように言う。


口語訳 エペ 1:11-14
1:11 わたしたちは、御旨の欲するままにすべての事をなさるかたの目的の下に、キリストにあってあらかじめ定められ、神の民として選ばれたのである。
1:12 それは、早くからキリストに望みをおいているわたしたちが、神の栄光をほめたたえる者となるためである。
1:13 あなたがたもまた、キリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなたがたの救の福音を聞き、また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印をおされたのである。
1:14 この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって
、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである。



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新約聖書解読の鍵は聖霊 ++++++++ 所感

2007/10/04 07:11

071004(木)5時起床●朝の囁き、「聖霊」。●朝風呂で日経「私の履歴書」青木昌彦(経済学者・スタンフォード大名誉教授)。学生時代に学生運動に熱心だった連中が教師になったり、世の指導者になると、その教えを受けた子供たちの心は退廃的になる。なぜか。その思想が無神論唯物的だから。理由があれば簡単に親を殺し、子供を捨てる今の若い者を見よ。地上の政治的平和問題、経済問題のみに目を注いできた教育の「実」である。これを直すのには2-300年はかかりそうだ。●朝風呂で岩波新書、熊野純彦著「西洋哲学史」(古代から中世へ)第7章。難解な本も少しずつ読めばもう20%は進んだ。今日はアリストテレス。興味深い言葉にであった。「植物はおのずと生長、枯死するけども、建造物がさらに自分で階をかさねることはない」。ナルホド。これはうなずける。建築関係者で一番生き生きとして付き合っていて気持ちがいいのは、「材木屋」と「造園業者」。この職種は「生き物」を相手にしているから。添えに比べて無機質の素材を扱っている職種の人間は目が死んでいる。●アリストテレスでもう一つ興味を覚えた言葉。それは「形相」。これは南原繁先生の「歌集」の題である。目に見えない形而上のことは実体になって現れる。それが「形相」だというのである。●目に見えないものが見える形になったというのが新約聖書の本質。これがわかればアリストテレス以上になれる。


新共同 コロ 2:8-9
2:8 人間の言い伝えにすぎない哲学、つまり、むなしいだまし事によって人のとりこにされないように気をつけなさい。それは、世を支配する霊に従っており、キリストに従うものではありません。
2:9 キリストの内には、満ちあふれる神性が、余すところなく、見える形をとって宿っており、


塚本訳ロマ 1:19-20
1:19 というのは、神について知り得るほどのことは、彼らに明らかなのである。神が現わしてくださったから。
1:20 すなわち神の性質は、永遠の能力も神性も、人の目には見えないものであるが、世界創造の時から、理性の目をもって造られた物の中に見ることができるのである。従って(全然)言い訳は立たない。


塚本訳Ⅱコリ4:18
4:18 このわたし達は見えるものに目を向けているのではなく、見えないものに目を向けているのである。見えるものは一時的、見えないものが永遠だからである。



塚本訳コロ 1:15
1:15 (まことに)彼は見えざる神の御像、凡て創造られた物の(前に生まれた)長子であり給う。


新共同 Ⅰテモ1:17
1:17 永遠の王、不滅で目に見えない唯一の神に、誉れと栄光が世々限りなくありますように、アーメン。


 新共同 Ⅰテモ6:16
6:16 唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、だれ一人見たことがなく、見ることのできない方です。この神に誉れと永遠の支配がありますように、アーメン。


口語訳 使  17:29
17:29 このように、われわれは神の子孫なのであるから、神たる者を、人間の技巧や空想で金や銀や石などに彫り付けたものと同じと、見なすべきではない。


口語訳 詩  90:2
90:2 山がまだ生れず、あなたがまだ地と世界とを造られなかったとき、とこしえからとこしえまで、あなたは神でいらせられる。


●ところがこれらの頭に訴える言葉ではなく、イエスの次の言葉を聞けばもっとすぐわかる。「神学」でなければキリスト教がわからない人は別に納得のいく思想がくるとそちらに転ぶ。「思想で立つ者は思想で滅びる」「先生で立つ者は先生で倒れる」


塚本訳マタ 5:45
5:45 あなた達が天の父上の子であることを示すためである。父上は悪人の上にも善人の上にも日をのぼらせ、正しい人にも正しくない人にも、雨をお降らしになるのだから。


●マルコ福音書一つは貴重である。全パウロ書簡を失ってもよいという人がいる。至言。パウロは人間、イエスは神の子。イエスの言葉は格が違う。またやさしくわかりやすい。●今朝の囁きは「聖霊」。新約聖書解読の鍵は「聖霊」。では「聖霊」とは何か。我が国の教育や世間では「霊」すらも教えない。ましてや「聖霊」となるとほど遠い話である。●では「聖霊」徒は何か。こういう疑問のとき、人間の書いた書物に走ってはならない。神学書に走ってはならない。バルト、内村、塚本、辞書、言語に行ってはならない。「聖書で聖書を読む」道に行かなければならない。●それには私の推奨する三種の神器というツールを使うと「便利で早い」。しかしそれはあくまでもツール。聖霊が真にわかるのは「聖霊」それ自身でなければならない。


三種の神器の第一は「Jバイブル」(いのちのことば社発行のソフト一万円程度、PCを動かせる信者は必携)。これで「聖霊」を検索。塚本訳では全部で108か所でてくる。これを全部読む。こういうとき紙媒体のコンコルダンスでは無理。パソコンだkら次々と108菓子全部読める。これで頭の土台づくりができる。心に響く個所をセレクトしてコピー。


マタ   1: 20 [塚本訳


しかし(なおも)そのことを思案していると、主の使いが夢でヨセフに現われて言った、「ダビデの末なるヨセフよ、心配せずにあなたの妻マリヤを(家に)迎えよ。胎内にやどっている者は、聖霊によるのである。


マタ   12: 32 [塚本訳


人の子(わたし)を冒涜する者ですら赦していただけるが、聖霊を冒涜する者は、この世でも来るべき世でも(決して)赦されない。


マコ   1: 8 [塚本訳


わたしは水で洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」


マコ   13: 11 [塚本訳


人々があなた達を引いていって(裁判所や役人に)引き渡した時には、何を言おうかと取越し苦労をするな。なんでもその時に(神から)授かるもの、それを言えばよろしい。言うのはあなた達でなく、聖霊だから。


ルカ   2: 25 [塚本訳


さて(そのころ)エルサレムに名をシメオンという人がいた。この人は正しい、信心深い人で、イスラエルの慰め(である救世主)を待ち望み、聖霊が彼をはなれなかった。


ルカ   3: 16 [塚本訳


ヨハネがみんなに言った、「わたしは水で洗礼を授けているが、わたしよりも力のある方が(あとから)来られる。わたしはその方の靴の紐をとく値打もない者である。その方は聖霊と(裁きの)火とで洗礼をお授けになる。


ルカ   3: 23 [塚本訳


このイエスは(伝道を)始められたとき、三十歳ばかりであった。(聖霊による子であったが、)世間ではヨセフの子と思われていた。ヨセフはヘリの子、


ルカ   10: 21 [塚本訳


この時イエスは聖霊にみたされ、感激にあふれて言われた、「天地の主なるお父様、(神の国の秘密に関する)これらのことを(この世の)賢い人、知恵者に隠して、幼児(のような人たち)にあらわされたことを、讃美いたします。ほんとうに、お父様、そうなるのがあなたの御心でした。


ルカ   11: 13 [塚本訳


してみると、あなた達は悪い人間でありながらも、自分の子に善い物をやることを知っている。まして天の父上が、求める者に聖霊(という善いもの)を下さらないことがあるだろうか。」


ルカ   12: 10 [塚本訳


また、人の子(わたし)を冒涜する者ですら、皆、赦していただけるが、聖霊を冒涜する者は(決して)赦されない。


ルカ   12: 12 [塚本訳


言うべきことは、その時に聖霊が教えてくださるのだから。」


ヨハ   14: 26 [塚本訳


(わたしが去ったあとで、)父上がわたしの名で遣わされる弁護者、すなわち聖霊が、あなた達にすべてのことを教え、またわたしが言ったことをすべて思い出させるであろう。


使    1: 6 [塚本訳


さて彼らは集まっていたとき、こう言ってイエスに尋ねた、「主よ、(聖霊で洗礼を授けられる)その時に、あなたはイスラエルのために(約束の)国を回復されるのですか。」


使    6: 5 [塚本訳


この言葉は会衆一同の賛成を得、信仰と聖霊とに満ちた人ステパノをはじめ、ピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、およびアンテオケの改宗者ニコラオ(の七人)を選んで、


使    19: 2 [塚本訳


「あなた達は信仰に入ったとき、聖霊を受けたか」とたずねると、「それどころか聖霊があることを聞いたことすらありません」とこたえた。


ロマ   5: 5 [塚本訳


そしてこの『希望は(必ず実現して、わたし達を)失望させることはない。』神はわたし達に聖霊を授け、それによって愛をわたし達の心の中に(いつも豊かに)注いでいてくださるからである。


ロマ   14: 17 [塚本訳


神の国は(なんでも自由に)食べることや飲むことではなく、義と平安と聖霊による喜びとであるから。


ロマ   15: 13 [塚本訳


希望の源である神が、(彼を)信ずることにおいて来る無上の喜びと平安とであなた達を満たし、聖霊の力によって(豊かな)希望に溢れさせられんことを。


ロマ   15: 16 [塚本訳


この恩恵とは、わたしが(神に選ばれて)異教人のためにキリスト・イエスにつかえる者になり、神の福音のために祭司の職をすることであって、こうして異教人が聖霊によって聖別され、御心にかなう捧げ物になるようにしているのである。


ロマ   14: 17 [塚本訳


神の国は(なんでも自由に)食べることや飲むことではなく、義と平安と聖霊による喜びとであるから。


Ⅰコリ  6: 19 [塚本訳


それとも、あなた達の体は神からいただいた聖霊の住んでおられるお宮で、自分のものでないことを、あなた達は知らないのか。


Ⅰコリ  12: 3 [塚本訳


だから(霊の見分け方について、)あなた達に次のことを知らせる、神の霊に感じて語る者は、だれも 呪われよ、イエス!とは言わない、また聖霊に感じてでなければ、だれも、イエスは主と言うことは出来ない。


エペ   4: 30 [塚本訳


神の聖霊を悲しませるな。君達は贖いの日(に永遠)の(救いに入る)ためこの御霊をもって封印されたのである。


Ⅰヨハ  2: 27 [塚本訳


しかしあなた達は、キリストから戴いた油(すなわち聖霊)が留っているのだから、だれからも教えてもらう必要はない。彼の油が万事についてあなた達に教えるように、またそれはまことであって、嘘ではない。そしてその油があなた達に教えたとおり、(つねに)キリストに留っておれ。


●以上を読んで思うことは、「聖霊」とはペンテコステに代表されるような異言を伴う異常な状況を指すのでなく、静かな、そして人格的な、どちらかというと知的なものである。●よく「証」と称して異常なる聖霊体験を披歴してそのような経験をしたことのない人を不安がらせるが、あれは誤り。新約聖書の聖霊を全部読むと聖霊とは静かなもの知的なものである。春雨のごとく静かに心に注ぐものである。神とともにあること、祈れることそのことが聖霊を頂いていることなのである。異言経験なくて可。異常体験無くて可、熱狂的な歌や踊りなどなくて可。●聖霊(プニューマ)は真理の霊(テス、アレーセイアス、プニューマ)とも表現される。「真理の霊」を塚本訳でヒットすると4か所出てくる。


ヨハ   14: 17 [塚本訳


これは真理の霊である。この世(の人)には見えもせず、わかりもしないから、これを受けいれることが出来ない。(しかし)あなた達にはこの霊がわかる。いつもあなた達のところをはなれず、また、あなた達の中におるのだから。


ヨハ   15: 26 [塚本訳


(また)わたしが父上のところからあなた達に遣わす弁護者、すなわち父上のところから出てくる真理の霊が来る時、それがわたしのことを(すべて)証明するであろう。


ヨハ   16: 13 [塚本訳


真理の霊が来る時、彼があなた達を導いていっさいの真理を悟らせるであろう。(いっさいの真理というのは、わたしと同じく、)彼は自分勝手に話すのではなく、(父上から)聞いたことを話すからである。また将来起るべき(世の終りの)ことをあなた達に知らせるであろう。


Ⅰヨハ  4: 6 [塚本訳


わたし達は神から(出たの)である。(だから)神を知っている者はわたし達の言うことを聞くが、神から出たのでない(この世の)者は、わたし達の言うことを聞かない。このことで、真理の霊と迷いの霊(との区別)をわたし達は知るのである。


●この中でヨハネ16:13にピンときたので、ここに集中してさらに調べる。「悟らせる」ということにピンときたのである。聖霊は悟りを得させる。まず三種の神器の第二番目BbB(聖書で聖書を読む。私のHPに掲載、無料)を調べるとヨハネ16:12-15の翻訳比較と各国聖書引照が出てくる。この中でナルホド、アーソーカと思うところをセレクトをピックアップする。


各国聖書引照


 


(独)NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 27版1993 の引照


新共同 ヨハ 14:17


14:17 この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。


 新共同 ヨハ 14:26


14:26 しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。


 (英・米)THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE 1982 の引照


口語訳 Ⅰコリ3:1-2


3:1 兄弟たちよ。わたしはあなたがたには、霊の人に対するように話すことができず、むしろ、肉に属する者、すなわち、キリストにある幼な子に話すように話した。


3:2 あなたがたに乳を飲ませて、堅い食物は与えなかった。食べる力が、まだあなたがたになかったからである。今になってもその力がない。


 口語訳 Ⅰコリ2:9-14


2:9 しかし、聖書に書いてあるとおり、/「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、/人の心に思い浮びもしなかったことを、/神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」/のである。


2:10 そして、それを神は、御霊によってわたしたちに啓示して下さったのである。御霊はすべてのものをきわめ、神の深みまでもきわめるのだからである。


2:11 いったい、人間の思いは、その内にある人間の霊以外に、だれが知っていようか。それと同じように神の思いも、神の御霊以外には、知るものはない。


2:12 ところが、わたしたちが受けたのは、この世の霊ではなく、神からの霊である。それによって、神から賜わった恵みを悟るためである。


2:13 この賜物について語るにも、わたしたちは人間の知恵が教える言葉を用いないで、御霊の教える言葉を用い、霊によって霊のことを解釈するのである。


2:14 生れながらの人は、神の御霊の賜物を受けいれない。それは彼には愚かなものだからである。また、御霊によって判断されるべきであるから、彼はそれを理解することができない。


 口語訳 Ⅰコリ12:3


12:3 そこで、あなたがたに言っておくが、神の霊によって語る者はだれも「イエスはのろわれよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことができない。


 ●次に三種の神器第三番目TSK日本語ヴァージョン(私のHPから導きインストール。無料)でヨハネ16:13をピンポイントで調べる。 


John 14:17:
それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。


John 15:26:
わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう。


I John 4:6:
しかし、わたしたちは神から出たものである。神を知っている者は、わたしたちの言うことを聞き、神から出ない者は、わたしたちの言うことを聞かない。これによって、わたしたちは、真理の霊と迷いの霊との区別を知るのである。


 John 14:26:
しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。


I Corinthians 2:10:
そして、それを神は、御霊によってわたしたちに啓示して下さったのである。御霊はすべてのものをきわめ、神の深みまでもきわめるのだからである。


I John 2:20:
しかし、あなたがたは聖なる者に油を注がれているので、あなたがたすべてが、そのことを知っている。


I John 2:27:
あなたがたのうちには、キリストからいただいた油がとどまっているので、だれにも教えてもらう必要はない。この油が、すべてのことをあなたがたに教える。それはまことであって、偽りではないから、その油が教えたように、あなたがたは彼のうちにとどまっていなさい。


John 3:32:
彼はその見たところ、聞いたところをあかししているが、だれもそのあかしを受けいれない。


John 7:16:
そこでイエスは彼らに答えて言われた、「わたしの教はわたし自身の教ではなく、わたしをつかわされたかたの教である。


John 8:38:
わたしはわたしの父のもとで見たことを語っているが、あなたがたは自分の父から聞いたことを行っている」。


John 12:49:
わたしは自分から語ったのではなく、わたしをつかわされた父ご自身が、わたしの言うべきこと、語るべきことをお命じになったのである。


Joel 2:28:
その後わたしはわが霊を/すべての肉なる者に注ぐ。あなたがたのむすこ、娘は預言をし、あなたがたの老人たちは夢を見、あなたがたの若者たちは幻を見る。


Acts 2:17:
『神がこう仰せになる。終りの時には、/わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、/若者たちは幻を見、/老人たちは夢を見るであろう。


Acts 2:18:
その時には、わたしの男女の僕たちにも/わたしの霊を注ごう。そして彼らも預言をするであろう。


Acts 11:28:
その中のひとりであるアガボという者が立って、世界中に大ききんが起るだろうと、御霊によって預言したところ、果してそれがクラウデオ帝の時に起った。


Acts 20:23:
ただ、聖霊が至るところの町々で、わたしにはっきり告げているのは、投獄と患難とが、わたしを待ちうけているということだ。


Acts 21:9:
この人に四人の娘があったが、いずれも処女であって、預言をしていた。


I Timothy 4:1:
しかし、御霊は明らかに告げて言う。後の時になると、ある人々は、惑わす霊と悪霊の教とに気をとられて、信仰から離れ去るであろう。


II Peter 2:1:
しかし、民の間に、にせ預言者が起ったことがあるが、それと同じく、あなたがたの間にも、にせ教師が現れるであろう。彼らは、滅びに至らせる異端をひそかに持ち込み、自分たちをあがなって下さった主を否定して、すみやかな滅亡を自分の身に招いている。


Revelation of John 1:1:
イエス・キリストの黙示。この黙示は、神が、すぐにも起るべきことをその僕たちに示すためキリストに与え、そして、キリストが、御使をつかわして、僕ヨハネに伝えられたものである。


●これを読むと、予言をするものというのも聖霊の業であることがわかる。●また、I John 4:6:によれば、神の霊を持たないものは「わたしたちの言うことを聞かない」とは至言。私のHPを「のぞき見」している人間で「なんてバカなことを言っているのだ」と思う人間は神の霊が宿っていないのだ。そのことをパウロは次のように言う。


塚本訳 Ⅰコリ1:18
1:18 なぜか。この十字架についての言葉は、滅びゆく者には馬鹿なことであるが、わたし達救われる者には、神の力(の現われ)であるから。


●以上で今朝の聖書勉強はおしまい。アー面白かった。三種の神器で頭が整理でき、改造された。聖書で聖書を読むのだから安心。間違いはない。これを人間たる先生の本に走って学ぶからキリスト教は「先生主義」の団子状態、蛸つぼ状態になり教派同士の争いになるのだ。●夜、新一から報告の電話。私たち老人は子供から独立して生きていかなければならない。 ●人間の最後は人の世話にならなければならないのが宿命なのだろうか。昔からそうだったのだろうか。諸外国はどうなのだろうか。●人間の理想的な最後は最後の日まで元気で生きていることである。 ●ヒルティはその理想形であった。「永遠の平和」という論文を執筆中に逝った。愛嬢が温かい飲み物を部屋に運んで行ったら、こと切れていたという。私も何か有意義な仕事をしている時に逝きたいものだ。ヒルティは64歳(今の私と同じ!)のときに夫人に先立たれなお12年間生きて76歳で召された。ヒルティは来世では妻にのみ会いたいと言っていた。藤林益三先生もそう言っておられた。


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 あきる野の秋の夕暮れ。空はきれいだなー


 


 


 




 


 

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万物は復活する ++++++++ 所感

2007/10/03 06:27

071003(水)5時起床。寝過ぎ。寝過ぎは頭に悪い。睡眠は長さでなく深さ。●朝の囁き「万物はよみがえる」●朝風呂で日経「私の履歴書」青木昌彦(経済学者・スタンフォード大名誉教授)。学生運動の挫折からの出発。人生は挫折からの出発がよい。挫折した人は伸びる。●人生の挫折とは、悲運、病気、不治の病、貧困、悔み、犯罪、失敗、親不孝、子育て放棄、親別れ、子別れ、不妊、子なし、家庭崩壊、受験失敗、進学不能、争い、不和、失業、リストラ、失職、追放、失恋、別れ、醜さ、性格の悪さ、育ちの悪さ。●朝風呂で岩波新書、熊野純彦著「西洋哲学史」(古代から中世へ)第6章プラトン。イデア論。言葉の厳密な概念規定は技術の世界と似ている。パソコン故障のとき。専門家はさまざまな質問をしてくるがあれは切り分けていって患部を発見する。その切り分け作業は哲学の言葉の定義の「作業」と似ている。●物忘れの防止法。ある脳外科医の結婚式でスピーチに立った床屋さんの話。「道具は必ずもとあった場所に置いておくこと」。これは実際に役立つ知恵。しかし昨日は大学に行く時、教職員章のカードを忘れた。いつもと同じところに置いてあったのだが。こういうときはどうすればよいのだろう●ロマ書8章20-25節の翻訳比較。これは三種の神器の第一であるJバイブルを利用。はじめに文語訳(ADDONで入れてある。が私のBbBからでも引っ張れる。)


文語訳  ロマ 8:20-25
8:20 造られたるものの虚無に服せしは、己が願によるにあらず、服せしめ給ひし者によるなり。
8:21 然れどなほ造られたる者にも滅亡の僕たる状より解かれて、神の子たちの光榮の自由に入る望みは存れり。
8:22 我らは知る、すべて造られたるものの今に至るまで共に嘆き、ともに苦しむことを。
8:23 然のみならず、御靈の初の實をもつ我らも自ら心のうちに嘆きて、子とせられんこと、即ちおのが軆の贖はれんことを待つなり。
8:24 我らは望みによりて救はれたり、眼に見ゆる望は望にあらず、人その見るところを爭でなほ望まんや。
8:25 我等もし其の見ぬところを望まば、忍耐をもて之を待たん。


●これでは難しくて意味が通らない。意味を通すのには塚本訳が一番良い。次の通り。


塚本訳 ロマ 8:20-25
8:20 なぜであるか。創造物は自分から(今のような)はかない運命に屈伏したのでなく、それは屈伏させたお方([神]の御心)によるからである。(彼らはアダムの罪の責任を負わされたのである。)しかし(この屈伏には)望みがある。
8:21 創造物自身も、滅亡の奴隷になっている(現在の)状態から自由にされて、神の子供たちがうける栄光と自由とにあずかるのだから。
8:22 わたし達が知っているように、全創造物は(かの日から)今まで、一しょになって呻き、一しょになって産みの苦しみをしている。(父なる神がこの  呻きに耳を傾けられないことがあろうか。)
8:23 しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証拠として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである。
8:24 なぜなら、わたし達は(最後の日に救いが完成されるという)望みをもって、救われているからである。目に見ることのできる望みは望みではない。人はいま現に見ているものを、なんでその上望む必要があろうか。
8:25 しかしわたし達が見ていないものを望むとすれば、忍耐をもって待たねばならない。


●この部分を三種の神器第二番目BbB(私のHP無料)を開き各国語聖書の引照で見てみよう。多くあるが心に響く個所をピックアップする。そしてブログにコピーで持ってこられる。しかしセレクトするために一つ一つを見る必要があって目を通さざるをえない。これがよいことだ。そうでなくて一気にコピーするだけだと頭に残らない。


各国聖書引照編集


 (独)NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 27版1993 の引照


新共同 ガラ 5:5


5:5 わたしたちは、義とされた者の希望が実現することを、"霊"により、信仰に基づいて切に待ち望んでいるのです。


 新共同 Ⅰヨハ3:2


3:2 愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。


 新共同 Ⅱコリ1:22


1:22 神はまた、わたしたちに証印を押して、保証としてわたしたちの心に"霊"を与えてくださいました。


 新共同 ロマ 8:15


8:15 あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。


  新共同 ガラ 5:5


5:5 わたしたちは、義とされた者の希望が実現することを、"霊"により、信仰に基づいて切に待ち望んでいるのです。


 (英・米)THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE 1982 の引照


口語訳 Ⅱコリ4:17-18


4:17 なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。


4:18 わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。



 口語訳 ロマ 5:5


5:5 そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。


 口語訳 Ⅱコリ1:21-22


1:21 あなたがたと共にわたしたちを、キリストのうちに堅くささえ、油をそそいで下さったのは、神である。


1:22 神はまた、わたしたちに証印をおし、その保証として、わたしたちの心に御霊を賜わったのである。


 口語訳 Ⅱコリ5:5


5:5 わたしたちを、この事にかなう者にして下さったのは、神である。そして、神はその保証として御霊をわたしたちに賜わったのである。


 口語訳 ガラ 5:22-23


5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、


5:23 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。


 口語訳 Ⅱコリ5:2-4


5:2 そして、天から賜わるそのすみかを、上に着ようと切に望みながら、この幕屋の中で苦しみもだえている。


5:3 それを着たなら、裸のままではいないことになろう。


5:4 この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえている。それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためである。


 口語訳 ピリ 1:21-23


1:21 わたしにとっては、生きることはキリストであり、死ぬことは益である。


1:22 しかし、肉体において生きていることが、わたしにとっては実り多い働きになるのだとすれば、どちらを選んだらよいか、わたしにはわからない。


1:23 わたしは、これら二つのものの間に板ばさみになっている。わたしの願いを言えば、この世を去ってキリストと共にいることであり、実は、その方がはるかに望ましい。


 口語訳 ピリ 1:6


1:6 そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している。


 口語訳 ピリ 3:20-21


3:20 しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。


3:21 彼は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう。


   口語訳 ガラ 5:5


5:5 わたしたちは、御霊の助けにより、信仰によって義とされる望みを強くいだいている。


    口語訳 ロマ 8:23


8:23 それだけではなく、御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる。


 (日)新共同訳1987の引照


新共同 Ⅱコリ4:17


4:17 わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。


 新共同 Ⅰペテ4:13


4:13 むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びに満ちあふれるためです。


 新共同 ピリ 1:20


1:20 そして、どんなことにも恥をかかず、これまでのように今も、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています。


 新共同 Ⅱペテ3:13


3:13 しかしわたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。


 新共同 黙  21:1


21:1 わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。


 新共同 ロマ 5:3


5:3 そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、


 新共同 Ⅱコリ1:22


1:22 神はまた、わたしたちに証印を押して、保証としてわたしたちの心に"霊"を与えてくださいました。


 新共同 ロマ 7:24


7:24 わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。


 新共同 Ⅱコリ5:2-4


5:2 わたしたちは、天から与えられる住みかを上に着たいと切に願って、この地上の幕屋にあって苦しみもだえています。


5:3 それを脱いでも、わたしたちは裸のままではおりません。


5:4 この幕屋に住むわたしたちは重荷を負ってうめいておりますが、それは、地上の住みかを脱ぎ捨てたいからではありません。死ぬはずのものが命に飲み込まれてしまうために、天から与えられる住みかを上に着たいからです。


 新共同 ロマ 8:19


8:19 被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。


 新共同 ロマ 8:25


8:25 わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。


 新共同 ガラ 5:5


5:5 わたしたちは、義とされた者の希望が実現することを、"霊"により、信仰に基づいて切に待ち望んでいるのです。


  新共同 テト 3:7


3:7 こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。


 新共同 Ⅱコリ4:18


4:18 わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。


  新共同 ヘブ 11:1


11:1 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。


   新共同 ロマ 8:16


8:16 この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。


 新共同 エペ 6:18


6:18 どのような時にも、"霊"に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。


 新共同 Ⅰテサ2:4


2:4 わたしたちは神に認められ、福音をゆだねられているからこそ、このように語っています。人に喜ばれるためではなく、わたしたちの心を吟味される神に喜んでいただくためです。


 新共同 ロマ 8:6


8:6 肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります。


 新共同 ロマ 8:34


8:34 だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。


 (仏)THE NEW JERUSALEM BIBLE 1985 の引照


口語訳 Ⅰペテ4:13


4:13 むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど、喜ぶがよい。それは、キリストの栄光が現れる際に、よろこびにあふれるためである。


  口語訳 ロマ 5:2-5


5:2 わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。


5:3 それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、


5:4 忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。


5:5 そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。


 口語訳 Ⅱコリ4:17


4:17 なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。


 口語訳 Ⅰペテ5:1


5:1 そこで、あなたがたのうちの長老たちに勧める。わたしも、長老のひとりで、キリストの苦難についての証人であり、また、やがて現れようとする栄光にあずかる者である。


 口語訳 コロ 3:3-4


3:3 あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである。


3:4 わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう。


 口語訳 Ⅰヨハ3:2


3:2 愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである。


 口語訳 Ⅱペテ3:12-13


3:12 極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。


3:13 しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。


 口語訳 黙  21:1


21:1 わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。


 口語訳 Ⅱコリ5:2-5


5:2 そして、天から賜わるそのすみかを、上に着ようと切に望みながら、この幕屋の中で苦しみもだえている。


5:3 それを着たなら、裸のままではいないことになろう。


5:4 この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえている。それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためである。


5:5 わたしたちを、この事にかなう者にして下さったのは、神である。そして、神はその保証として御霊をわたしたちに賜わったのである。


 口語訳 ロマ 7:24


7:24 わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。


 口語訳 ピリ 3:20-21


3:20 しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。


3:21 彼は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう。


 口語訳 Ⅱコリ5:7


5:7 わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである。


 口語訳 ヘブ 11:1


11:1 さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。


 口語訳 ロマ 8:15


8:15 あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。


 口語訳 ガラ 4:6


4:6 このように、あなたがたは子であるのだから、神はわたしたちの心の中に、「アバ、父よ」と呼ぶ御子の霊を送って下さったのである。


 口語訳 ヤコ 4:3


4:3 求めても与えられないのは、快楽のために使おうとして、悪い求め方をするからだ。


 口語訳 ヤコ 5:5


5:5 あなたがたは、地上でおごり暮し、快楽にふけり、「ほふらるる日」のために、おのが心を肥やしている。


 口語訳 エペ 1:4-14


1:4 みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、


1:5 わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。


1:6 これは、その愛する御子によって賜わった栄光ある恵みを、わたしたちがほめたたえるためである。


1:7 わたしたちは、御子にあって、神の豊かな恵みのゆえに、その血によるあがない、すなわち、罪過のゆるしを受けたのである。


1:8 神はその恵みをさらに増し加えて、あらゆる知恵と悟りとをわたしたちに賜わり、


1:9 御旨の奥義を、自らあらかじめ定められた計画に従って、わたしたちに示して下さったのである。


1:10 それは、時の満ちるに及んで実現されるご計画にほかならない。それによって、神は天にあるもの地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされたのである。


1:11 わたしたちは、御旨の欲するままにすべての事をなさるかたの目的の下に、キリストにあってあらかじめ定められ、神の民として選ばれたのである。


1:12 それは、早くからキリストに望みをおいているわたしたちが、神の栄光をほめたたえる者となるためである。


1:13 あなたがたもまた、キリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなたがたの救の福音を聞き、また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印をおされたのである。


1:14 この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである。


●これだけ(主として)パウロに言われれば降参である。「信じられなくてスミマセン」という気持ちになる。さらに的を絞ってロマ書8:23だけをTSK日本語ヴァージョン(私のHPから導ける。無料)で見てみよう。これは三種の神器の第三番目。これもコピーでブログに持ってこられるが、セレクトするために一つ一つ見る必要があって目を通さざるをえない。これがまたよいことだ。


Romans 8:15:
あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。


Romans 8:16:
御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。


Romans 5:5:
そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。


II Corinthians 5:5:
わたしたちを、この事にかなう者にして下さったのは、神である。そして、神はその保証として御霊をわたしたちに賜わったのである


Galatians 5:22:
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、


Ephesians 1:14:
この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである。


II Corinthians 5:2:
そして、天から賜わるそのすみかを、上に着ようと切に望みながら、この幕屋の中で苦しみもだえている。


II Corinthians 7:5:
さて、マケドニヤに着いたとき、わたしたちの身に少しの休みもなく、さまざまの患難に会い、外には戦い、内には恐れがあった。


Philippians 1:21:
わたしにとっては、生きることはキリストであり、死ぬことは益である。


I Peter 1:7:
こうして、あなたがたの信仰はためされて、火で精錬されても朽ちる外はない金よりもはるかに尊いことが明らかにされ、イエス・キリストの現れるとき、さんびと栄光とほまれとに変るであろう。


Romans 8:19:
被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。


Romans 8:25:
もし、わたしたちが見ないことを望むなら、わたしたちは忍耐して、それを待ち望むのである。


Luke 20:36:
彼らは天使に等しいものであり、また復活にあずかるゆえに、神の子でもあるので、もう死ぬことはあり得ないからである。


Philippians 3:20:
しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。


Philippians 3:21:
彼は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう。


II Timothy 4:8:
今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう。


Titus 2:13:
祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神、わたしたちの救主キリスト・イエスの栄光の出現を待ち望むようにと、教えている。


Hebrews 9:28:
キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた後、彼を待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現れて、救を与えられるのである。


I John 3:2:
愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである。


Ephesians 1:14:
この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである。


Ephesians 4:30:
神の聖霊を悲しませてはいけない。あなたがたは、あがないの日のために、聖霊の証印を受けたのである。


●以上を通読して感じたことは「聖霊を頂かなければ始まらない」ということである。それは自動車があってもガソリンがないと車は走らないようようなものである。 ●最後に万物は復活することということは「まだ起きていないことなので」「見たことではない」。それをどうして人に言えるかというと、これも聖霊というチケットをいあた抱いているので音楽会を事前に楽しめるような気分になれることなのである●ではこのことを孫の世代にはどう伝えたよいのか。それは「オジーチャン」としては聖書に書いてあるから信じているのだとき言いようがない。しかしその様子は絵画的に絵本を想定して話せる。それは次の個所である。


口語訳 イザ 11:6-9
11:6 おおかみは小羊と共にやどり、ひょうは子やぎと共に伏し、子牛、若じし、肥えたる家畜は共にいて、小さいわらべに導かれ、
11:7 雌牛と熊とは食い物を共にし、牛の子と熊の子と共に伏し、ししは牛のようにわらを食い、
11:8 乳のみ子は毒蛇のほらに戯れ、乳離れの子は手をまむしの穴に入れる。
11:9 彼らはわが聖なる山のどこにおいても、そこなうことなく、やぶることがない。水が海をおおっているように、主を知る知識が地に満ちるからである。


口語訳 イザ 65:25
65:25 おおかみと小羊とは共に食らい、ししは牛のようにわらを食らい、へびはちりを食物とする。彼らはわが聖なる山のどこでもそこなうことなく、やぶることはない」と主は言われる。


●つまり来世では生きものの「食いあい」はない。殺し合いはない。全員ベジタリアンのようなるらしい。否、食べなくてもいいのかもしれない。なぜか。肉の体ではないから。●17:00釘本寛子さんがヘルパーさんに付き添われて来訪。姉上の釘本京子さんのお骨をご郷里の佐賀県小城町に埋葬したという御報告。召されるとそれぞれご郷里に眠られる。遠くて墓参にいけない。来世でお会いできるものと信ずる。See you again in heaven.






 


 


 


 


 

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何も取り出すな。後ろを振り向くな ++++++++ 所感

2007/10/02 06:05

071002(火)、3時半目覚め、4時半起床。今日は女子大講義の日●朝の囁き。「家から何も取り出すな」「人生は荒野の旅」●朝風呂で岩波新書、熊野純彦著「西洋哲学史」(古代から中世へ).ソフィストたち、ソクラテス、ディオゲネス。感じた部分。「ソクラテスがただの一文字も書きのこさなかったのに対して、プラトンは大量のテクストを遺している」。なるほど。この世には「何か本を遺そう」などという思いから。くだらない本を書く人間が多いが、あれは「地に宝を積む」ようなもの。人間の間で知られようとするだけのこと。本当の著作は「天に宝を積む」ことであって、神の心に文字を刻見込むことだ●あの奴隷のエピクテトスの財産は下着と椅子だけだったという。もちろん著作はなかった。しかしその思想は人類に益した。ヒルティは幸福論d取り上げている●イエスには著作はなかった。なぜか。復活して今も語り続けているから。それを信じないで、イエスの思想を見る人間は大脳皮質にんげんだから、イエスの本質が見えてない。●「家から何も取り出すな」という囁きは昨夜の妻との会話が原因らしい。(昨日の日記参照)。終末の日には偽預言者にまどわされるなという注意の中でイエスは次のように言う。


塚本訳  ルカ 17:28-32
17:28 ロトの時にも、ちょうど同じようなことがあった。人々が飲んだり食ったり、売ったり買ったり、植えたり建てたりしていると、
17:29 ロトがソドムから出た日に、『(神は)天から火と硫黄とを降らせて、『一人のこらず滅ぼしてしまわれた。
17:30 人の子があらわれる日にも同じことが起るであろう。
17:31 その日には、屋根の上におる者は、(何か大切な)家財道具が家の中にあっても下におりて取り出そうとするな。畑におる者も同じく『(家に)もどる』な。
17:32 ロトの妻のことを思え。


●「人生は荒野の旅」という囁き。最近はなぜか昔を回想をすることが多くなった。還暦を過ぎた64歳。4人の子供たちは皆巣立ちそれぞれの家庭が持てた。私は終りが近いのかなー。詩篇を思った。


口語訳 詩  84:6
84:6 彼らはバカの谷を通っても、そこを泉のある所とします。また前の雨は池をもってそこをおおいます。


新改訳 詩  84:6
84:6 彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。


新共同 詩  84:7
84:7 嘆きの谷を通るときも、そこを泉とするでしょう。雨も降り、祝福で覆ってくれるでしょう。


●自分の人生を振り返ると、どちらかというと「苦しみと悩み悲しみ」の方が多かったのではないかと思えた。しかしまたキリストに出会えて多くの良い人に出会えたことは感謝であった。このことを回想して枕が濡れた。詩篇を思う。


新共同 詩  90:10
90:10 人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十年を数えても/得るところは労苦と災いにすぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。


新改訳 詩  90:10
90:10 私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。


●ヒルティは言う。「人生は詩篇90編0節のように「労苦とわざわい」であっても、それでも、それでも、それでも、神を知ることができれば、その生涯の終りに『私の人生は感謝でした』と言える」。と


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「砂漠」の回想。
ベエル・シェバの周囲に広がるネゲブ砂漠 2006.3.22撮影


アブラハムが仕え女のハガルとその子供のイシマエルを追放したのはこのような砂漠であったと思うと感慨一入であった。イシマエルの子孫がアラブ人となった。イスラエルとアラブの争いはここにまで溯る。厳しい砂漠。


●14:50 昭和女子大後期授業開始。今年から4次限と5時限。中10分の休みで連続2コマは疲れる。でも若い女性たちの将来のことを思うと嘆いてはいられない。今年は昨年より受講生が少ない。


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昭和女子大の近くの家に珍しい花が咲いていた。あとで妻に写真を見せるとアジサイだという。


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 昭和女子大構内の池、ここのベンチでおやつに握り飯を食べる。


 


 

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