to 日記と感想 2007年11月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170821(土)15:00お江戸コラリアーズ定期演奏会、文京公会堂
    170809     TW誕生日
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170706      TM誕生日
    170701      TT誕生日
    170628       IY誕生日
    170625(日)14:00羽村フィル、ゆとろぎ。モーツァルト40番、チャイコフスキー5番
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール
    170610(土)14:00内村鑑三セミナー、立教大学12号館。矢田部、椚」山
    170609(金)   TS命日
    170608(木)12:15ボリショイ「白鳥の湖」、東京文化会館
    170707(水)10:00池谷医院
    170604(日)10:00集会感話、
    170604(日)16:30近藤恵邸起工式、福島市。
    170530(火)14:00田岡氏来訪
    170527(土)14:00今井館ピアノコンサート
    170521(日)14:00新宿フィル、ブラームス1番、レスピーギ「鳥」「ローマの松」。和田睦夫
    170425       TN)誕生日
    150420(木)09:30阿伎留センター泌尿器科)
    170416(日)14:00武蔵野室内合奏団、杉並公会堂(大坪満子)


「妻子を捨てよ」とはどういうことなのか ++++++++ 所感

2007/11/30 07:48

071130(金)出勤日。6時15分目覚め。朝のひらめき「妻子を捨てよ」●朝風呂で日経「私の履歴書」は野村証券元会長の田淵節也。最終回。家族のこと。妻への感謝。自身の人生観。しっかりした人生哲学を持っている。残りの人生でやりたいこと二つ。一つはアメリカの変化を見届けたいこと。二つ目はブラジルで夕日に向かって祈っていた奴隷の子孫のあの思い出の地に行きたいということ。・・・・・見事な最終回だ。「祈りの姿」に感動している。●「妻子を捨てよ」とは何か。イエスもパウロも独身。その弟子たちもたぶん独身(ペテロを除き)、無教会の先達はなぜか夫人を神に取られている。内村、塚本、黒崎、矢内原、三谷、南原、・・・・・アー、神は何と残酷なことをなさるのか●人間は妻子を捨てられない。捨ててはいけない。しかしそれにとらわれては真に神に帰依することはできないというのだろう。だから儒教の日本ではキリスト教は躓きだ●キリスト教に入信するとき、あるいは信仰に深くなるとき「父母を捨てる」例はザラ。無数。しかし「妻子を捨てる」例はまれ。それだけ妻子や孫は強力な引力なのだ。捨てられないのだ●思い浮かぶ聖句。

塚本訳マタ 19:12
19:12 というのは、(同じ独身でも、)母の胎内から結婚できないように生まれついた者があり、また人から(無理に)結婚できないようにされた者があり、また天の国のために自分で(決心して)結婚しない者がある。(この最後のものが本当の独身である。)出来る者はしたがよかろう。」

塚本訳Ⅰコリ7:33-34
7:33 結婚している男は、どうしたら妻に喜ばれるかと、この世のことに気をつかって、
7:34 心が割れるのである。また独身の女と処女とは、身も霊もきよくあろうとして、主のこと(ばかり)に気をつかうが、結婚している女は、どうしたら夫に喜ばれるかと、この世のことに気をつかうのである。

●カトリックの聖職者は独身。誰にも足を引っ張られずに神に仕えられるから。しかしそれで信仰が深いかどうかは別●プロテスタントや無教会は妻帯。神は結婚の秩序をおきめになられた。イエスはカナの結婚式に招かれて行った。子供を祝福された。放蕩息子を迎える父を語った。十字架上で「母」を気遣った。そして何よりも神のことを「天の父」と言った。こういうことは結婚生活によって生み出される家庭内のごたごたや悩み喜びを知らないと「人に話せない」事柄なのだ。イエスは独身を勧めない。●問題は神よりも妻や子供や孫を愛してはいけないということなのだ。しかし果たしてそれができるか●内村鑑三は孫の正子さんをとてもかわいがった。その正子さんとは昨年の夏に軽井沢の「星野遊学堂」での礼拝でお会いした。秋田稔先生のご紹介。内村先生の額に似ておられた。●塚本先生はあるとき、内村鑑三に「先生は神様より正子さんの方が大切なのではないですか」というようなことを言ったら、内村の顔は真っ青になったという。「神にとられる」と直感したのではないだろうか●人間を神から離すものは財産と伴侶と家族。これはいったん神に返して、神の手からいただくこと。これが道である。それが、財産を捨て、妻を捨て、子供を捨て、孫を捨てることなのだ。そうすると正しい財産、正しい伴侶、正しい子供、正しい孫という関係になる●日経「何でもランキング」第一位の小伝馬町今半の「すきやき肉まん」をゲット。夕飯に食べたが、一個600円は少々高すぎる。●防衛省の守屋事務次官の過ちはその夫人が元凶。夫人をも逮捕したのは特捜部の正解●ヒルティは、女性の存在は、男性を良くするか逆に全く悪くするかのどっちかだと言っている。守屋次官の場合は後者。守屋夫人は夫の道を誤らせた。●キリスト教会は女性を清く正しく導かなければならない。真に神を信じる謙遜な心砕けた女性を育成しなければならない

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祈りはずっと後になって聴かれる ++++++++ 所感

2007/11/29 08:36

071129(木)4時20分起床。●朝刊が到着していないので、朝風呂でロングフェローの詩を訳しなおしてみた。

ロングフェロー(Henry Wadsworth Longfellow 米国詩人1807-1882)

The Arrow and the Song

I shot an arrow into the air,
It fell to earth, I knew not where;
For, so swiftly it flew, the sight
Could not follow it in its flight.

I breathed a song into the air;
It fell to earth, where, I knew not where;
For who has sight so keen and strong,
That it can follow the flight of song?

Long, long afterward, in an oak
I found the arrow, still unbroke;
And the song, from beginning to end,
I found again in the heart of a friend.

上記英詩の信仰的自由訳 高橋照男

 矢と歌(ロングフェロー)

私は大空に向かって「自分の矢」を放った。
それはどこかに飛んでいってしまった。
それは一瞬のことであったので見えなくなってしまったのだ。
私は大空に向かって一人で「自分の歌」を歌った
それもどこかに消えていってしまった。
だれもその矢の行方をしっかり見届けることはできなかった。
だれもその歌が人の耳に届いたのかどうかを知ることはできなかった。
しかし、多くの多くの日の後に
あの「自分の矢」が堅い樫の木に折れずに突き刺さっているのを見つけた。
あの「自分の歌」が愛する人の胸の内にそっくりそのまま覚えられているのを知った。


●ロングフェローはユニテリアン(三位一体の正統信仰ではない)であった。内村鑑三はロングフェローの故にユニテリアンを低く評価できないと言っている。●祈りというのは当座は「聴かれるのか、聴かれたのか」さっぱりわからない手ごたえのない空しいものである。しかしずーっとずーっと後になって「思わぬ形」で聴かれていることを知るのだ。●ロングフェローの詩は「キリスト教用語」がむき出しには出ていないが、信仰の雰囲気が馥郁(ふくいく)と香ってくる。こういうのが真のキリスト教文化である。●キリストの名を振りかざすのは真にその人のものになっていない証拠、ないものねだりに近い●若い者が少し信仰に熱心になると周囲におだてられて「神学校」に行ったり「修道女」になったり「マザーテレサ」のような仕事をしようとしたりする。その姿勢間違っている。早まるな。まずキリスト教職業倫理を学べ。ルカ16:1-13を塚本訳で深く学べ。「普通の仕事」に就け。キリスト教をむき出しにするな。それは早晩むなしい気持ちになって辞めるようになる。するとキリストの顔に泥を塗ることになる。●「普通の仕事」「普通の人」になれ。その見栄えのしないパッとしない「普通の仕事」「普通の人」の中に福音の香りが漂うとき真に福音が土着したことになるのだ●キリスト教を振りかざして天下国家批判、天皇制打倒、神観論議、神学論争をする人間に信仰の深い人を見かけたことはない。彼らは自分の心に落ち着きがないのだ。平和はまず自分の心に平安がなければならないのだ。●日経「私の履歴書」は野村証券元会長の田淵節也。「作家の曽野綾子さんが、やはり無給でに日本財団(日本船舶振興会)の二代目会長に就任した時、聖書の言葉を引用して『仮に金の出所や動悸が不順でも、その金をどう使うかが大事』と言ったのに僕も同感だ」・・・・・・このことは私(高橋)はよく覚えている。このとき曽野綾子が引用した聖書の箇所は次である。

塚本訳 ルカ 16:9
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。

●こういうときに聖書の言葉を持ち出すのはどうかなーと当時思ったのである。曽野綾子は「競輪競馬の収益であっても病院建築や慈善事業をやればよいではないか」という意味に取っているのだ。困った困った。●悪魔は聖書をも引用するという。(シェークスピア)。この曽野綾子(カトリック)の見解はあのイエスを誘惑したサタンの言葉にどこか似ている。

塚本訳 マタ 4:5-6
4:5 そこで悪魔はイエスを聖なる都(エルサレム)に連れてゆき、宮の屋根の上に立たせて
4:6 言った、「神の子なら、下へ飛びおりたらどうです。『神は天使たちに命じて、手にてあなたを支えさせ、足を石に打ち当てないようにしてくださる。』と(聖書に)書いてあります。(人々はそれを見て信じ、たちどころにあなたの国が出来ます。)」

●イエスはうっかりこのサタンの巧みな言葉に乗りかかったのではないだろうか。●これだけのお金を差し上げます。これで大病院の建設や大慈善事業をすれば多くの病人を治せます。貧しい人を救えます。この甘い言葉に「心が揺れない人間があろうか」。一見よさそうな誘いなのだ。しかし「待て」。少しでも「OK」するとあとは「金の奴隷」。若者たちよ、サタンに魂を売るな。●「先月、ビルを売却致しました」との手紙が来た。心血を注いで設計したビルが人手に渡ることを知って、大きな声を伴うため息数回。所詮建物はこの世のこととはいえ、淋しい、悲しい、残念、無念。●その二代目のオーナーに電話。ご本人はビルのための借入金返済から解放されて楽になったようで安心した。よかった、よかった。あの建設の時の「楽しい思い出」だけが残った。そのことが神に思い出されればそれでよしとしよう。ルカ16:9-13を再読した。建物は「この世の富」なのだ!!。神の目からすれば「不正な富」なのだ。しかしこれに一生懸命従事するべきなのだ。きそれがクリスチャンの職業倫理。私はあの初代オーナー夫妻は故人になられた。

塚本訳 ルカ 16:9-13
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。
16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。
16:11 だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。
16:12 もし他人のもの[この世のこと]に忠実でなかったならば、だれがあなた達のもの[天のもの]をあなた達に与えようか。
16:13 しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。」

●妻は今井館へ行って「クリスマスコンサート」リハーサルの世話役準備。●「ピラミッド」に関するDVD。解説の吉村作治氏はピラミッド公共事業説。失業対策説。



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パウロはパソコンを使うか ++++++++ 所感

2007/11/28 07:40

071128(水)5時半起床●朝風呂で日経「私の履歴書」は野村証券元会長の田淵節也。・・・・・華麗なる交友録。ただしその全部が基本的には「金がらみ」。金以外の話題で仲良くなるが結局最後は「金儲けの話」。気の毒。●人生、お金が必要な時には必ず「必要な時に必要な金額だけ与えられる」。人間正しく生きていれば餓死はしない●私の体験、子供4人の教育費が重なったとき、運よく(?)バブル。それが一段落したころにバブルは崩壊。私にとってはバブル様様である。火災で家屋を失って途方に暮れていた、その翌々日に隣地の地主が訪ねて来られて土地を高く購入してくれた。火災保険会社の査定員は建築をよく知っていて「良い建物でしたねー」と言って「満額を保障」。●職場の同僚は思わず「高橋さん。神様っているんですねー」。・・・・徴を見て信じたのではいけない。

塚本訳 ヨハ 3:3
3:3 イエスが答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、(徴を見て信じたのではいけない。)人は新しく生まれなおさなければ、神の国にはいることは出来ない。」

●神を信じる人間はなぜ餓死しないか。神がご自分の名誉のために支えるから。

口語訳 詩 126:5
126:5 涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。

●人間の職場は「最も良い所に導かれる」のも不思議。人の歩む道はイザヤ書によく出ている。導かれるのだ。ヒルティはそれを力説する。●人間は、どこに住むべきか。それも神が与える。

口語訳 詩 16:6
16:6 測りなわは、わたしのために好ましい所に落ちた。まことにわたしは良い嗣業を得た。

●パウロはパソコンを使うか●もちろん「使う」。なぜか、そのスピードと手軽さ安さ。●ではブログをやるか。、やる。なぜか、「使徒伝承」を不特定多数に広められるから。その効用はパウロへの批判の声も入ってくるから、自分のためにもなる。自分の不明や弱さを補ってくれる人があるから●わたしのHPは「路傍伝道」。いろいろな人が覗いている。励ましてくださる。教えてくださる。その結果非常に啓発されて向上させられる。●集会の94歳の杉崎孝さんのご依頼で、千葉県流山市のお宅に行って自称「聖書勉強の三種の神器」をパソコンにインストール。●お住まいは木々に囲まれてゆとりのある素晴らしい設計のマンションであった。あきる野から武蔵野線、つくばエクスプレス(初めて)、を乗り継いで二時間での到着は速かった。●ギリシャ語フォントもうまくインストールできてほっとした。94歳にしてこの聖書勉強欲には脱帽。お嫁さんの杉崎純子(すみこ)さんが操作方法をよく理解してくださったのは救いであった。●そのお嫁さんが「お父様、これで120歳ぐらいまで勉強ができますね」と言われた。●お嫁さんの言葉「父は勉強ばかりで世話のかからない人です」。理想的な晩年、すばらしいお嫁さん。●杉崎さんは「Jバイブル」の検索能力。特にそのAND検索の威力に舌を巻かれた●妻は小寺七重さん、田中よし子先生の三名で高尾山に登山。夕食のときその話を聞く。紅葉がきれいであったという。
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無教会は砂漠に消えゆく川 ++++++++ 所感

2007/11/27 21:43

071127(火)6時半起床。●風邪気味で朝風呂は中止●朝風呂で日経「私の履歴書」は野村証券元会長の田淵節也。すぐれた人物との交友。・・・・人生は交友で決まる。職場、友人、教会、集会、最大は伴侶。某氏に「ドイツ敬虔主義と無教会主義の関係」に関する文献を送りその最後に次のように書いた。一部改変。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以上が(無教会主義とドイツ敬虔主義の)主たる文献(ヒルティ著作集再刊の月報10。「無教会主義の系譜としてのヒルティ」高橋照男、1979年など数点)ですが、そのほか、思い出すままに関連事項を書きます。グンデルトが内村を慕って日本に来たのは自分の家系(ドイツ敬虔主義)によく似たキリスト教があると感じたからです。グンデルトは塚本先生とも交流がありましたが、日本に来て仏教に改宗したと思われていました。少なくとも無教会者の間(S先生も)では・・・・しかし私がひょんなことから「そうではない事実」を知って、その後、このことがY氏の解説によって「内村鑑三研究」2002年に発表されました。
2006年、私がドイツに旅をしたとき、ハイデルベルグにて知人からシュナイスという牧師を紹介されました。氏は長らく日本に伝道され、「富坂キリスト教センター」を創立されました。そのハイデルベルグで「ドイツ敬虔主義と日本の無教会」について意見を交換をしました。
またかってこのことについて関根正雄先生とも意見交換しました。そして次は2007.11.23、今井館で「無教会はルターの信仰から何を継承したか」という講演です。講演者はルター研究の泰斗徳善義和牧師がありました。講演の中で無教会とドイツ敬虔主義の関係が指摘されました。私は「我が意を得たり」でありました。これらのことから、ドイツ敬虔主義は無教会と似ているのではなく、関係があることは動かぬ見解になった感がございます。
さて、現在の私はどういう思いかを申し上げます。ドイツの敬虔主義はルターのあとのルター派正統主義教会の膠着状態を批判して生まれた「運動」でしたが歴史の中に消え去りました。しかし音楽(バッハ)賛美歌(P・ゲルハルト)哲学(シュライエルマッハー、カント)聖書学者(べンゲル)近代聖書学(多数)などなど計り知れない深い影響を与えました。一方「真理の発見としての日本の無教会」は今や「虫の息」「無教会難民の続出」で気息庵庵(えんえん)です。かっての敬虔主義がそうであったように日本の無教会主義も「砂漠の中に消える川」(ダイスマン)の運命になると予想します。寂しいが宿命のような気がします。しかし日本の文化文明に深い影響を与えたことは確かです。「派」としての無教会主義は消え去ることは歴史の宿命と思いますが、その影響の深さは神に覚えられると思います。「派」としての無教会を「延命処置」しようとするのは邪道であると解しています。全国に無教会主義集会は2~300ありますが、老齢化とともになぜか北の方から消滅しつつあります。私が無教会主義に出会って36年になりますが、最近はことにその老齢化した集会の姿と消えゆく姿に接するのは悲しいことです。
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●池谷医院で診察。インフルエンザの注射。●音楽DVDでワーグナー「タンホイザー」、最初と第二幕と最後。シノーポリ+バイロイト祝祭歌劇場管弦楽団&合唱団。ストーリーがすばらしい。タンホイザーに対する献身的な愛をもつ一女性エリーザベットの死を通して罪の赦しに導かれるというもの。すごいなーすごいなー。崇高な愛だ。●ベタベタ愛情の「情死もの」を好む日本とは精神的にダンチだ。●妻は昭和女子人見記念講堂に「ウィーンフィルハーモニア、ピアノ三重奏団」演奏会

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SWORDが海外で利用される ++++++++ 所感

2007/11/26 07:35

071126(月)5時15分起床、出勤日●朝の閃き「福音を運ぶもの」●朝風呂で日経「私の履歴書」は野村証券元会長の田淵節也。交友録。金融界のリーダーの若手集団に入る。どんな分野でも常に「若返り」が必要。肉体的にも精神的にも限界があるから「老人」は去るべきなのだ。イエスが殺されたのは34歳の頃であった。●畢生の事業は聖書勉強の「三種の神器」の普及。その一つである「SWORD日本語ヴァージョン」がはるかオーストラリアで高度に利用されていることを知ってガッツポーズ。良いものはあまり宣伝しなくても自然に普及する。●夕食時に妻が今日の報告。養沢の池谷家にお悔やみに行ったこと。五日市の広徳寺の銀杏は紅葉がまだだったこと。●清水望先生に電話
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八木一夫のこと ++++++++ 所感

2007/11/25 20:39

071125(日)6:10起床●朝風呂で日経「私の履歴書」は野村証券元会長の田淵節也。「今振り返って、内部留保を溜めすぎるのは考えものだという思いがある。(中略)これからの経営は、利益は配当で吐き出し、利益が出なくなったら社長が替わればいい」という。・・・・利益日本一になった会社にしてこの言葉。田淵氏は非凡だ。●家庭もおなじ。金がありすぎるとよいことはない。カスカスのぎりぎりがよい家計だ。綱渡り家計が緊張を生み、家族も結束できる。子供がよく勉強し、勤労を尊ぶようになる。大金持ちの家は子供が健全に育たないとは鉄則だ●集会は土肥、山本、横田●14:30今井館で「八木一夫の生涯」八木誠一。八木誠一氏の父親である八木一夫氏は誠一氏に「君は宗教哲学者」になると言ったそうである。父親には一度も叱られた覚えはないという。今日は心温まる話を聞いた●帰途は鈴木久氏と●ブログの応答(信仰者)がシドニーからあって、心が広くなった。WEBの威力、インターネットの威力、ブログの威力。ブログによる心の交わりは楽し。地球の反対側の人と「聖徒の交わり」ができるとはイエスさまもビックリではないか。オーストラリアにも行ってみたくなった。

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八木誠一先生と。今井館聖書講堂控室にて。私は若いころ先生の本をたくさん読んだ。私「先生は仏教の方に関心を持たれて、キリスト教との中間の位置におられるのはなぜですか」。八木「真理とは何かを追求しているのです」






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ロングフェローの詩だった ++++++++ 所感

2007/11/24 07:52

071124(土)昨夜はシドニーの覗き見読者(?)から、私が長いこと捜し求めていた詩の出典を教えていただけた。昨日のブログでゲーテの詩ではないだろうか、うろ覚えでわからないということを書いたことに対するご教示である。インターネットブログ万歳。世界中の人から私の不明や弱点を補強していただける。以下がそのシドニーからの応答。

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高橋様、
大島と申します。いつも楽しく拝見させていただいております。
ゲーテの詩ですが、おそらくロングフェロー(Henry Wadsworth Longfellow)の次の詩と思われます。

The Arrow and the Song

I shot an arrow into the air,
It fell to earth, I knew not where;
For, so swiftly it flew, the sight
Could not follow it in its flight.

I breathed a song into the air;
It fell to earth, where, I knew not where;
For who has sight so keen and strong,
That it can follow the flight of song?

Long, long afterward, in an oak
I found the arrow, still unbroke;
And the song, from beginning to end,
I found again in the heart of a friend.

伝道の矢は、我が胸の奥深くに突き刺さり、長い年月を経てもなを光り続けていると、勝手に解釈しています。
(以下省略)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●地球の裏側のシドニーの方がブログの応答で教えてくださった上記の英詩を自由に意訳してみた。信仰的自由訳、勝手解釈訳である。


矢と歌(ロングフェロー米国詩人1807-1882) 高橋照男 信仰的自由訳


私は大空に向かって矢を放った
それはどこに飛んでいったのかわからなくなった
あまりに速かったので見失ってしまったのだ
悲しくなって私は歌を口ずさんだ
その歌とても大空の彼方に吸い込まれて消えてしまった
あのとき誰があの矢と歌の行方を終わりまで
見届けることができただろうか
しかし、ずーっとずーっと後の日、それは忘れた頃になって
その私の矢がそのままの形でカシの木に突き刺さっているのを見つけた
その私の歌の初めから終わりまでが友人の心の中に覚えられているのを
知ったのだ


●朝風呂で日経「私の履歴書」は野村証券元会長の田淵節也。バブルで野村証券は利益で日本一になる。バブルの予兆を感じたのは田淵氏の目のよさ。そのことに関して記者団の質問に「神の摂理」だと言った。・・・・こういうとき「神」を持ち出してよいものか。ことの本質は神の業だが、真剣に神を信じて神に帰依していない人間が、金儲けに都合のよい風が吹いてくると、「神のおかげだ」というのは虫が良い。次の聖書の言葉を思い出した。

新共同 出 20:7
20:7 あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。

塚本訳 マタ 5:34-35
5:34 しかしわたしはあなた達に言う、いっさい誓ってはならない。神の御名はもちろん、『天』にかけても(誓ってはならない)。(天は)『神の御座である』から。
5:35 『大地』にかけても。(大地は)『神の足台である』から。エルサレムにかけても。(エルサレムは)『大王(なる神)の都』であるから。

●日経「何でもランキング」は「肉まん」。第一位は「人形町今半・特選すき焼き肉まん」。二個で1218円。勤務先の近くだ。今度買ってこよう●人を憎まないようにするには食事から改善しなくてはいけない。何を食べればよいのか。答えは「ニクマン」。(自笑)
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隠れた祈りこそ聴かれる ++++++++ 所感

2007/11/23 07:13

071123(金)(勤労感謝の日)4時半目覚め。朝の啓示「隠れたる祈りこそ聴かれる」●朝風呂で日経「私の履歴書」は野村証券元会長の田淵節也。多くの大企業のトップとの交流録。・・・・企業が大きくなるのはそのトップの資質であることがわかる。しかし単なる金もうけが目的の村上ファンドの村上氏やホリエモンには批判の目を向ける。野村が優秀になったのはそのトップであった田淵節也氏のすぐれた資質によったのだ。●デジカメの修理ができて昨日送られてきたので、久し振りの早朝散歩で朝の景色を撮影したが、PCのブログの不調で写真を掲載できないのは無念。イイヤ、イイヤ、世の中にはPCもデジカメも扱えない人の方が多いのだ。伝達や表現の方法はいくらでもある●早朝散歩で閃く。「十字架を負うとは隠れたる祈りを捧げること」なのだ。書物より、PCによるBbBやTSKより、早朝散歩で美しい景色を見る方がよいひらめきが湧く。●今朝のひらめき「隠れた祈りこそ神に聴かれる」について黙想連想。こういう連想は、コンコルダンス、注解書、わがBbB、それにTSKなどより、直接の天からのひらめきの方が力がある。効力がある。

塚本訳 マタ 6:6
6:6 なんぢは祈るとき、己が部屋にいり、戸を閉ぢて、隱れたるに在す汝の父に祈れ。さらば隱れたるに見給ふなんぢの父は報い給はん。

塚本訳 マタ 14:23
14:23 そして群衆を解散させると、祈りのため自分だけ山に上られた。暗くなってもひとりそこにおられた。

塚本訳 ヨハ 4:21
4:21 イエスが言われる、「女の人、わたし(の言葉)を信じなさい。(間もなく)あなた達が、この山でもエルサレムでもなく(どこででも、)父上を礼拝する時が来る。

塚本訳マタ 26:36
26:36 ほどなくイエスは弟子たちと一しょに(オリブ山の麓の)ゲッセマネという地所に着くと、弟子たちに言われる、「わたしがあちらへ行って祈っている間、ここに坐って(待って)おれ。」

塚本訳 マタ 23:37
23:37 ああエルサレム、エルサレム、預言者を殺し、(神から)遣わされた者を石で打ち殺して(ばかり)いる者よ、雌鳥がその雛を翼の下に集めるように、何度わたしはお前の子供たちを(わたしの所に)集めようとしたことか。だがお前たち(エルサレムの者)はそれを好まなかった。

塚本訳 マタ 6:3-4
6:3 あなたは施しをするときに、右の手のすることを左に悟られてはならない。
6:4 これは施しを隠しておくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。

塚本訳 マタ 6:13-15
6:13 わたしたちを試みにあわせないで、悪から守ってください。
6:14 (祈る前に、まず人の罪を許さねばならない。)あなた達が人の過ちを赦してやれば、天の父上もあなた達を赦してくださるが、
6:15 人を赦さないならば、父上もあなた達の過ちを赦してくださらないであろう。

塚本訳 ルカ 23:34
23:34 するとイエスは言われた、「お父様、あの人たちを赦してやってください、何をしているか知らずにいるのです。」『彼らは籤を引いて、』イエスの『着物を自分たちで分けた。』

塚本訳 マタ 5:43-44
5:43 あなた達は(昔の人がモーセから、)『隣の人を愛し、』敵を憎まねばならない、と命じられたことを聞いたであろう。
5:44 しかしわたしはあなた達に言う、敵を愛せよ。自分を迫害する者のために祈れ。

塚本訳 ルカ 22:32
22:32 しかしわたしはあなたのために、信仰がなくならないように祈っておいた。(だから一度信仰を失っても、またもどってくる。)もどってきたら、あなたが兄弟たちを強めてやってほしい。」

塚本訳 ルカ 21:2-4
21:2 またある貧しそうな寡婦がレプタ銅貨[五円]二つをそこに入れるのを見て、
21:3 言われた、「本当にわたしは言う、あの貧乏な寡婦はだれよりも多く入れた。
21:4 この人たちは皆あり余る中から賽銭を入れたのに、あの婦人は乏しい中から、持っていた生活費を皆入れたのだから。」

●人のために祈る隠れた祈りの思い出。思い出すまま。●私が洗礼を受けた教会を去る時、牧師は私の姿が見えなくなるまで見送ってくれた。もう45年も前のことになった●無教会の某夫人が「照男さんの今日あるのはお父様の祈りがあったからですよ」。私「・・・????」。しかし人の子の親になってわかるようになった。私が「イエスは神の子である」という超自然的な信仰を与えられたのは、亡き父の祈り、あの牧師の隠れたる祈りがあったからだ。その後も多くの人の祈りがあったからだ。●中沢樹先生ご夫妻が聖地旅行帰国のご挨拶に塚本先生をご訪問されて帰られるとき、塚本先生はその中沢先生御夫妻のうしろ姿が見えなくなるまでじっと見送られたという。塚本先生が御発病されたのは間もなくのことであった。中沢先生の奥様の生子さんは、その後「脳の病気」で意識のないまま10年以上も病床にあられて召された。中沢先生はその10年間の苦闘の日のあるとき夢を見られた。生子夫人が病院に行って「何でもなかったわよ」と笑顔で玄関に戻ってきたというのであった●中沢先生のお住まいは処分されたが、そこにあった小さなステンドグラス(「イエスキリスト神の子救い主」を表す魚の絵)が今井館の資料館建築に際して寄贈されたので2階のホールに取り込んだ●前田護郎選集の第一巻が最近送られてきた。その前田先生のこと。前田先生に躓いて去って行った若者が以前先生に贈られた「二本のネクタイ」があった。何と先生はそのネクタイ2本だけを生涯にわたって付け続けていたという。きっと毎朝ネクタイをするとき、その去って行った若者のことを心で祈っていたのであろう。これが隠れた祈り。その若者よ、「いずこ!!」

塚本訳 マコ 10:22-23
10:22 彼はこの言葉に顔をくもらせ、悲しそうにして立ち去った。大資産家であったのである。
10:23 イエスは(うしろ姿を見送っておられたが、)やがて見まわして、弟子たちに言われる、「物持ちが神の国に入るのは、なんとむずかしいことだろう。」

●この(うしろ姿を見送っておられた)というのは塚本先生の名敷衍。塚本訳は「伝道者訳」だと言うのは能代一郎牧師●ゲーテの詩。うろ覚え。「一人の少年が空高く放った矢はどこに飛んでいったのか見失ったが、老年になって矢が森の高い木の枝にに刺さっているのを発見した」というもの。(過日、ゲーテ協会に尋ねたが不明)。祈りというものは祈ったときには「果たして本当に聞かれるのだろうか」と思って祈る。それは当座はむなしくどこに行ったのかわからなくなる。しかし多くの日の後に別の形、思わぬ方法で、「思いに過ぐる」形で聴かれるものだ。

新共同 伝 11:1
11:1 あなたのパンを水に浮かべて流すがよい。月日がたってから、それを見いだすだろう。

口語訳 詩 126:5-6
126:5 涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。
126:6 種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。

塚本訳 Ⅰコリ15:58
15:58 だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ。骨折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから。

●13:00 無教会研修所助言者会議。無教会に本格的な聖書学者がいなくなった嘆き●15:00 無教会研修所15周年記念講演援会。ルーテル神学大学名誉教授徳善義和「無教会はルターの信仰からなにを継承しているのか」●「無教会はドイツ敬虔主義の影響を受けている」という話に「我が意を得たり」であった。●質問時間に私が「聖餐式論争」。●教会は「聖礼典」を行うがゆえに永遠性があるということに考えさせられた。無教会主義集会は先生とか指導者の死ないしは老齢化で消滅する。●私は「見える言葉としての聖礼典の意味はわかるが、それは建物としての教会堂の存在と同じではないか」と質問。・・・この論争は「終末」まで続き、きりがない●帰途、喫茶店で懇親懇談。内坂晃(日本基督教団牧師)、武藤陽一、佐藤洋子、坂内宗男。議論は果てしなく続くので、早々に切り上げたのは正解。帰宅20:15.

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今井館聖書講堂で。徳善義和教授と。ピエティスムスのことを懇談した。

















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経験という財産 ++++++++ 所感

2007/11/22 04:58

071122(木)4時起床●朝の黙想「エホバ与え、エホバ取り給う。エホバの御名は讃(ほ)むべきかな」(ヨブ1:21)●私の「経験という財産」は西暦2000年、齢(よわい)56歳の時の「家屋の全焼と3か月後の脳内出血による意識不明」である。そのとき私は財産を取られ、命を取られた。しかしこのとき二つの「認識」を与えられた。それは大脳皮質を通しての勉強からでは得られない「認識」であった。火災では「天国の家は焼けない」。脳内出血では「この命は100%(99%ではない)神に握られている」。この二つの認識が私の人生最高の「財産」。●すべてを奪われたヨブの言葉「エホバ与え、エホバ取り給う。エホバの御名は讃(ほ)むべきかな」はどこか「がんばり」とか「克己心」という響きがある。しかし私は違った。その後、土地家屋と命を奇跡的に回復された。土地も家屋も大きくなったし、口数も多くなった(笑)。そこで私は言う。「エホバ与え、エホバ取り給う。しかし必ず回復し給う。エホバの御名は讃(ほ)むべきかな」と。●この体験以後、「キリストの墓が空になっていたことが有体的復活の物理的証拠」であることをしきりに言うようになった。子供の一人が「お父さんやっぱり頭がおかしくなった」と言うようになった。結構だ。「お父さんは気が狂ってしまったのだ」。

口語訳 ヨブ 1:21
1:21 そして言った、/「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」。

新改訳 ヨブ 1:21
1:21 そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」

新共同 ヨブ 1:21
1:21 「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」

NKJV ヨブ 1:21
1:21 And he said:"Naked I came from my mother's womb,And naked shall I return there.The Lord gave, and the Lord has taken away;Blessed be the name of the Lord."

TEV ヨブ 1:21
1:21 He said, "I was born with nothing, and I will die with nothing. The Lord gave, and now he has taken away. May his name be praised!"

●新築なった「イオン」に行く。とにかく巨大なものができたものだ。映画館もある。早速「ノジマ」に行って、パソコン修理でお世話になった柳沼氏のお礼をした。

●福島の湯浅氏から林文雄に関する「追加情報」。それに関して返信し、過去日記041018も添付した。それを下記に再掲する。

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041018(月)5時半起床。朝風呂20分で日経新聞、今月の「私の履歴書」はつまらない。●朝の瞑想「天職には次第に導かれてゆく」ということ●過日某氏から次のような話を聞かされた。・・・「幼児が病院内を徘徊している姿をテレビで見てショックを受けた」と。・・・・・・
それに対して彼にはそのような人を慰め救いを与えるべく天職の道が開かれていることを直感したので次のように手紙にした。「君の天命は『徘徊している幼児の救い』にあるのではないでしょうか。その救いの道を『商売抜き』でつまり職業にせずに献身するように仕向けられているのではないでしょうか。」。●人の天性や天命は外部からよくわかるものだ●リンカーンは青年の時、奴隷売買の市場で母子が引き裂かれていく悲惨な場面に遭遇した。そして「よし将来は奴隷解放に尽くそう」と固く心に誓ったという。後に米国第16代目の大統領になり「奴隷解放の父」と呼ばれたが暗殺された。●1997.3.22の日記、「北海道立近代美術館で林竹治郎の画「朝の祈り」を観る。この祈りの家にして頼病救済医師の林文雄あり」。●この絵には朝の祈りで母が祈っているその膝に頭をうずめて祈っている幼児のときの林文雄の姿が描かれている。林文雄が次第次第に天職に導かれたその原点は「母の祈り」にあった。この母にしてこの子あり●塚本虎二先生の令妹の善子さん(故人)から側聞した話。「兄(虎二)は若い頃『罪』ということに非常に深く悩みました」。この深い悩みが後のキリスト教伝道者「塚本虎二」を生んだ。●青年期に戦争に遭遇して心に傷を受けた人は「平和問題」がその人の生涯の課題となっている●人は若き時の悩みが生涯の課題となる。これ神の計画●私は「離婚家庭の子女の救い」に目が行く。母が両親の離婚で若き日に不遇な道をたどったからである。母は若き日に人生の辛酸を舐めた。幼児のころの悲惨体験は性格もゆがませる。母は人付き合いが苦手であったのもその原因●プロテスタント教会が「信徒の交わり」と称して「お付き合い」を重視するのは、自分の境遇や過去に自信のない人にとっては重荷。これが教会を近づきがたいものにしている。つまらない風習で人を神に近づけないでいる●現代において離婚率40%。その暗い家庭に悩む子供は多い。「来たれ。家庭の暗さに悩む青少年よ,幼児よ」●現代のプロテスタント教会の本質はお付き合いによる「お遊び」●過日の「癌」講演会で聞いた話。某夫人曰く「私は夫婦仲があまりよくありませんでした。子供は20歳すぎて間もなく癌で死亡しました」・・・・私はこれに対して直感した「子供は夫婦仲の悪さの十字架であった。贖罪死であったのだ」。このことは医学やヒューマニズムでは認識できないこと。人生はこれを宗教的に見なければ浅い人生観のまま。歴史認識も同じ。ヒストリーとは、His Story であってこのHisは「彼」つまり神のこと。神などいないという(馬鹿な無教養な低級な)唯物的人生観は人生と世界の半面きり見てない●このような時、夫婦仲の悪さの原因を探ろうとするのがこの世的解決方法、妻の不満とツッパリが原因か。はたまた夫が原因か。しかし原因がわかれば問題が解決するとは限らないのが悩み。それはもっと深い解決の道に導かれる一過程である。それは霊魂の救い,新生。根本の治療。

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*                         *
*(ここに画像データあるが、現在はまだブログ不調で
    アップできない)                     **************************


          『朝の祈り』
    ( 林竹治郎作)1904年 北海道立美術館


        キリストは私の家の主

      キリストは私の家の主です、
      毎日の食卓に迎える見えない客です、
      私たちの会話の静かな聞き手です。

      Christ is the Head of this House,
      The Unseen Guest at every Meal,
      The Silent Listener to every Conversation.

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●私のブログ不調で画像データアップできなかったところ。ブログに次のような公開コメントが送られてきたので掲載させていただく。「朝の祈りの画像」が見られます。感謝。この画像は霊感が湧く。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
毎日楽しみにしています。ありがとうございます。

上記掲載記事中の林竹治郎画「朝の祈り」をご覧になりたい方は下記をクリックしてください。高橋さんが私個人に宛てたメールに添付してくださったものを小生のブログに転載しました。

http://blogs.yahoo.co.jp/trntim/26617791.html

湯浅鉄郎(福島)
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林文雄という人物 ++++++++ 所感

2007/11/21 13:25

071121(水)6時起床。朝の啓示「礼拝ということ」●朝風呂で日経「私の履歴書」は野村証券元会長の田淵節也。大蔵省との戦い。・・・・歯に衣を着せない話はおもしろい。「大蔵省にはあきれた」とか(野村の方針の通りいっていたら)「日本の金融の構造改革は10年は早まったと思う」と言う。田淵氏は大蔵省や銀行に比べて地位の低かった証券業界の地位を高めた功績がある。・・・・・・地位の低い職業の地位を高めるのは「天、地、人」の三要素が大切。このうち最大のものは「人」である。その「人」は大脳皮質の雑学知識を肥大させる現代の教育システムではダメだ。霊性を高める宗教に目覚めなければ、「金儲けにも!!」失敗するのだ。●朝の黙示の「礼拝ということ」について朝風呂で黙想。●Jバイブルで「礼拝」をヒット。

ヨハ 4: 21 [塚本訳

イエスが言われる、「女の人、わたし(の言葉)を信じなさい。(間もなく)あなた達が、この山でもエルサレムでもなく(どこででも、)父上を礼拝する時が来る。

ヨハ 4: 22 [塚本訳

ただ(同じ神を、)あなた達は知らずに礼拝し、わたし達は知って礼拝している。救いはユダヤ人から出る(のでわたし達だけに神が示された)からである。

ヨハ 4: 23 [塚本訳

しかし(ユダヤ人もサマリヤ人もなく、)本当の礼拝者が霊と真理とをもって父上を礼拝する時が来る。いや、今もうきている。父上もこんな礼拝者を求めておられるのである。

ヨハ 4: 24 [塚本訳

神は霊である。だから礼拝者も霊と真理とをもって礼拝せねばならない。」

ロマ 12: 1 [塚本訳

(このように、神は偉大な計画によって人類を一人のこらず救おうとしておられるのであって、救いは確かである。)だから、兄弟たちよ、わたしは神のこの慈悲を指してあなた達に勧める。あなた達の体を(感謝のしるしとして神に)捧げよ。この生きた聖なる犠牲こそ、神のお気に入るものであり、(霊なる神を拝むにふさわしい、)あなた達の霊的な礼拝である。(あなた達の礼拝は動物を供えるような不合理なものでなく、全心全霊をささげる合理的な礼拝でなければならならない)

ヘブ 9: 14 [塚本訳

まして永遠の御霊の力によって傷のない自分自身を神に捧げたキリストの血が、わたし達の良心を死ぬ行いから清めて、生ける神を礼拝させないことがあるだろうか。

ヘブ 10: 18 [塚本訳

(すでに)こんな(罪の)赦しがある以上、もはや罪のための捧げ物(の必要)はない。(旧約による祭司制度も礼拝の行われる聖所も、全然必要がなくなったのである。)

ヘブ 12: 28 [塚本訳

だからわたし達は(永遠に)揺り動かぬ国を授かったのだから、(神に)感謝しようではないか、それによって敬虔と畏怖とをもって、お気に入るように神を礼拝しようではないか。

●アーソーカ。これだけ読めば「心一杯、胸一杯」である。●日常生活で日曜日ごとに「礼拝」の習慣や癖をつけておけば「人生は成功」である。

塚本訳使 8:27-28
8:27 彼は立って出かけた。ちょうどそこに一人のエチオピヤ人が通りかかった。この人はエチオピヤの女王カンダケの宮内官で、女王の全財産を監理している宦官であったが、礼拝のためエルサレムに行って、
8:28 今はその帰り道であった。車の上に坐り、(声を出して)イザヤ預言書を読んでいた。

●この人は信用できる男である。お金に間違いのない人である。土日に接待ゴルフなどに行かない人である。●男は出世したければ日曜日には礼拝に出ればよい。なぜか。神の霊に触れて良い企画発想(それはひらめき)が浮かぶからである。また「あの人はクリスチャンだ」ということだけで信用を得て商売が繁盛するからである。若い女性は美人になりたければ礼拝に出ればよい。神の霊で洗顔すると顔に輝きが増すからである。ただし痩せることは保証できない(笑)。母親は子育てをゆったりした心で行うには礼拝に出ればよい。なぜか。母親自らの心が安らぎ落ち着くから。●現在のプロテスタント教会、無教会主義集会に「礼拝」の雰囲気なし。あるのは「お交わり」と称するおしゃべり。「聖書勉強」とは名ばかりの雑学の披露。●最近、在京の某女から「某無教会主義集会では落ち着けない」と言われた。然り、そこには礼拝の雰囲気がないからである。個人は「教会」や「集会」に安らぎと落ち着きを求める。それが満たされない教会や無教会主義集会からは遠慮なく人が去る。集まらない。これ市場原理の法則と同じである。●福島の湯浅鉄郎先生から電送された「加藤常昭牧師の講話」の音声データ「林文雄」を妻と拝聴。ショック。こういう生涯こそ「主に捧げた生ける礼拝」だ。その夫人の林富美子さんはこれまたハンセン氏病患者のために尽くされたという。●林文雄(1900-1947)についてさらに知りたく思って「検索エンジン」で調べると以下の記事に出会った。中村圭助牧師の「説教」である。
●「林文雄はクリスチャンの家に生まれ、札幌の帝国大学医学部に入学し、やがてお父さんの関係で医科大学の教授になる道が用意されていたようである。しかし彼は在学中にハンセン病のことを知り、この研究を自分の使命とするようになった。不治の病とされたハンセン病患者に何とか希望の光をもたらしたいと願ってのことである。卒業と共に、この方面での就職を願った林文雄に、お父さんは大反対であった。帝国大学まで行かせたのは、お前の将来を考えてのことであり、人々が省みることの無い呪われた病のために生涯を棒に振るようなことは許せないということである。お父さんはクリスチャンである前に、一人の父親として息子の将来を案じたのである。ルターの父親が、ルターの前途を心配したのと同様である。しかし文雄の決心は固く、両親の思いに反して、そうすることが神の御心と信じて、ハンセン病患者の治療に全生涯を捧げた人である。」●これが「父を捨て、自分の命を捨てる」道である。そのよい注解である。

塚本訳 マタ 19:29
19:29 そしてわたしのために家や兄弟や姉妹や父や母や畑をすてた者は一人のこらず、(この世で)その幾倍を受け、また(来るべき世では)永遠の命をいただくのである。

●林文雄は結核で47歳の若さで召された。加藤常昭牧師がお訪ねされた夫人の富美子さんは御存命らしい。。

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負わされる十字架 ++++++++ 所感

2007/11/20 06:58

071120(火)5時半起床。朝の啓示「負わされる十字架」●朝風呂で日経「私の履歴書」は野村証券元会長の田淵節也。・・・・・・人材の野村。企業発展の秘訣は人材の育成。そこで社内研修の充実と海外留学を積極的に行う。それと若返り。会議で居眠りしている年齢の人間には退職金を弾んでさっさと辞めてもらった。「野村は日本で最も多くの社員を留学させた会社」、「金融機関が再編に巻き込まれる中で、野村が名前も実態も継続している理由を一つだけ挙げれば、人材がいたからだと思う」と言う。・・・・・教育は100年の計だ。●日経第二部。インタビュー「八塩圭子」。テレビ東京に入社、あちこちまわされるがそれがすべて「経験」となり、9年目で退社。フリーになり、社会人大学院に入って勉強、MBA取得。現在は関西学院大学で准教授も務める。「日本には会社に尽くさせる文化があるが、若い人はそういう文化にはついていけない。会社を自己実現の場と考える若い社員の気持ちを認めることが必要」という。・・・・苦労人の言葉だ●今朝の啓示「負わされる十字架」について黙想。これは次回の集会の話のテーマにしよう。その骨子。


「十字架を負え」という言葉はイエスの真正の言葉か。イエスまでさかのぼるのか。


「十字架は負えるものなのか」


「負いきれない十字架に意味があるのではないのか」


「十字架を負う仲間。同病相哀れむ」


●14:50 昭和女子大で建築の講義。BC450頃の歴史家ヘロドトスの「歴史」に積算とおぼしき記事があることを講義。●みんながケンタッキーフライドチキンを買うとき「何個買っていこうか」と考えるのがそもそも積算の本質だ」と話すと急に目がこちらを向いた。
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バッハ「イエスよ、わが喜び」 ++++++++ 所感

2007/11/19 06:53

071119(月)4時半目覚め。朝の啓示「イエスよ、わが喜び」●朝風呂で日経「私の履歴書」は野村証券元会長の田淵節也。単なる「株屋」から銀行にも匹敵する金融界の「雄」に成長していく様子・・・・・・・それはトップの資質、良い世界観人生観宗教観による。有名大学を出ただけでも心は金まみれの低級な思想であったら企業は伸びない。なぜか。天が味方をしないから。その前に人心に軽蔑される。市場における企業イメージが落ちる●アイツは遊び人だ。ディレッタンティズムだ。雑学知識を教養と思っている。接待ゴルフのやりすぎだ。あんなことでは高貴な良い発想は出ない。●「聖書勉強の三種の神器」の第三番目「SWORD]をインストール。30分でできたのはインストールの解説(息子の恵の作成)が親切にできていたから。今後はこのインストールマニュアルをさらにわかりやすくする。●今朝のひらめき「イエスよ、わが喜び」に関連する黙想。●「喜び」にはいろいろある。第1は知の喜び。学ぶことは喜び。知ることは喜び。それによって目が開くことは喜び。これは大脳皮質。これは知性。第2は肉の喜び。健康、病気の回復、食欲、性欲、金銭欲、など。これは身体性にかかわること。第3は精神的喜び。音楽、アーキテクチャー、恋愛、交流、子育て、社会的地位、これらは右脳や心に関すること。精神性。そして第4は霊の喜び。聖霊に満たされること。神との交わり、祈り、これは宗教性。靈性。近代人はこの第4の喜びが欠落しているといわれる。しかし人間としてはこの第4がないと真の幸福観がない。満たされない。この喜びを体験しないと人生は不満足。人間としてバランスが取れてない。逆に1~3の喜びが不満足でもこれがあれば人生は喜びである。幸福感の基礎である。第4が満たされるとき1~3の喜びは色褪せて見える。争いも止む●ではこの「霊の喜び」とは何か。近代人に「霊」と言うと、教養のない人間は「すぐオカルト宗教」を連想するがそれは誤り。メジャー宗教での「霊」はその宗教の本質。メジャー宗教であっても靈性が欠如すると宗教が学問や、ヒューマニズムの社会運動に変質する。●靈性のない音楽や絵画は命がないから一流の域には到達できない。●福音書における「霊の喜び」をTSKで検索。


ルカ   1: 47 [塚本訳


わたしのは、『救い主なる神を喜びたたえる、』


ヨハ   3: 29 [塚本訳


花嫁を持つものは花婿である。花婿の友達は花婿のそばに立っていて耳を傾け、花婿の(喜ぶ)声を聞いて喜びにあふれるのである。(花婿の友達である)わたしのこの喜びは、いま絶頂に達した。


ヨハ   15: 11 [塚本訳


このことを話したのは、わたしのもっている喜びが(また)あなた達のものとなり、あなた達のその喜びが完全なものとなるためである。


ヨハ   16: 20 [塚本訳


アーメン、アーメン、わたしは言う、(わたしがいなくなると)あなた達は泣いて悲嘆にくれるが、この世は喜ぶであろう。あなた達は悲しむが、その悲しみは(やがて)喜びにかわるであろう。


ヨハ   16: 22 [塚本訳


だから、(同じく)あなた達にも今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなた達に会うのだから、(その時)あなた達の心は喜ぶであろう。そしてあなた達からその喜びを奪う者はだれもない。


ヨハ   16: 24 [塚本訳


いままであなた達は何一つわたしの名で(父上に)お願いしなかった。(わたしがまだ父上の所に行かなかったからである。しかし今は)お願いせよ、そうすれば戴ける。あなた達の喜びが完全なものとなるためである。


ヨハ   17: 13 [塚本訳


しかしわたしは今あなたの所に行きます。(だから彼らのことをお願いします。)そして(まだ)この世にいる間にこれを申し上げるのは、(彼らがこの祈りをきいて、自分たちがあなたに守られていることを信じ、)わたしのもっている喜びを、彼らも自分で完全にもつことが出来るためであります。


●バッハ「イエスよ、わが喜び」BWV227。ストクホルムバッハ合唱団+ウィーンコンツェントゥすムジクス+アーノンクールで鑑賞。バッハは霊に満たされていたので名曲を作曲できたのだ。


 

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真に落ち着ける場所はあるか ++++++++ 所感

2007/11/18 06:38

071118(日)5時25分起床、朝の黙想「真に落ち着ける場所」●NHKTV3CH「心の時代」。大田愛人牧師の「パウロの手紙」●昨日のクラス会は57年も前の小学生時代の旧交を温めた会で楽しかった。人生のささやかな喜びのひとつである。しかし横浜線での帰途、何か満たされないものを感じた。それは若き日に通った「教会」の帰途の感情と同じであった。「何か満たされない」。●これはなぜであるかを黙想。それは「人間の集まり」であるからだと思う。●人間の集まりに憩いなし。そこでは落ち着けない。その数々。クラス会、趣味勉強会、サークル、スポーツ、ダンス、飲み会、同窓会、恩師会、家庭、家庭団欒、愛人、思想行動団体、習い事、然り、社交団体としての教会、無教会集会!●人間的集まりに憩いなし。●内村、塚本、黒崎、矢内原の集会に大勢の人が集まったのは、人間を拝む擬似礼拝であったから。その結果、それらの先生が死ぬと蜘蛛の子を散らすように分散する。あるいは四分五裂する●ではどうすればよいか。まず個人の祷り、次に聖書。集まりは聖書を中心にすること。「聖書の周辺」に関する頭で勉強してきた話は長続きしないものだ。それは大脳皮質の知識であって命がない。●個人が深く神と交わること。聖書を読むこと。真の信仰を持っている人と心の交わりをすること。


塚本訳ヨハ 6:68
6:68 シモン・ペテロが答えた、「主よ、(あなたを離れて)だれの所に行きましょう。永遠の生命の言葉はあなただけがお持ちです(から)。


●集会は、川上、村上、望月●杉崎さん(94歳)にギリシャ語ソフトの件●杉崎、小寺、高橋で問題を懇談しながら帰る●山口、小寺夫妻、私たちで昼食●妻は「メサイア」の練習。今日から次男の守が参加●パソコンのデータの一部が消えたのでノジマデンキの柳沼崇之氏がサルベージ(救出)が試みたが失敗。かなりのデータが消えた。自分のせいですと平謝りされた。その誠意に打たれた。●湯浅先生から、「パソコン直りましたか」とのお電話をいただいたので、「大切なことは有体的(紙か粘土板)に残さないと安心しない」と申し上げた。●イエスの十字架も復活も「史実」。目に見えることであった。ただし復活は霊眼。福音が精神的なものであttら、信用できない。それは電子データのようにすぐ消えるから。

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神は人に救いの願望を起こさせる ++++++++ 所感

2007/11/17 07:03

071117(土)5時45分目覚め。朝の黙示「神は人に救いの願望を起こさせて実願する●日経「私の履歴書」は野村証券元会長の田淵節也。国債を大量に扱って「株屋」の暗いイメージから脱却。・・・・どんな商売でも高貴な思想に立てば価値あるものになる。弁護士もその初期は喧嘩や争いの代弁屋のイメージがあったそうだ。土建屋は土木家、建築家に向上、質屋は銀行家になった。どんな小さな職業分野でもこれを天職と考える信仰があれば清く尊いものになる。聖書の言葉を思い出す。


塚本訳 ルカ 16:9-13
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。
16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。
16:11 だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。
16:12 もし他人のもの[この世のこと]に忠実でなかったならば、だれがあなた達のもの[天のもの]をあなた達に与えようか。
16:13 しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。」


●私の知人はその野村証券に勤務していた。あるとき私が自分の会社の不満を吐露したとき、「自分が社長ならこうするんだがなーと思わなくてはいけない」と諭されたことがある。彼はそのことを私の結婚の披露宴でもスピーチしてくれた。そうだ。天下国家や勤務先や家庭という環境に不平を漏らす者は「小人」なのだ●朝の黙想「神は人に救いの願望を起こさせる」(ピリピ2:13)について、TSK日本語ヴァージョンを見る。


口語訳 Ⅰ歴 29:14-18
29:14 しかしわれわれがこのように喜んでささげることができても、わたしは何者でしょう。わたしの民は何でしょう。すべての物はあなたから出ます。われわれはあなたから受けて、あなたにささげたのです。
29:15 われわれはあなたの前ではすべての先祖たちのように、旅びとです、寄留者です。われわれの世にある日は影のようで、長くとどまることはできません。
29:16 われわれの神、主よ、あなたの聖なる名のために、あなたに家を建てようとしてわれわれが備えたこの多くの物は皆あなたの手から出たもの、また皆あなたのものです。
29:17 わが神よ、あなたは心をためし、また正直を喜ばれることを、わたしは知っています。わたしは正しい心で、このすべての物を喜んでささげました。今わたしはまた、ここにおるあなたの民が喜んで、みずから進んであなたにささげ物をするのを見ました。
29:18 われわれの先祖アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ、あなたの民の心にこの意志と精神とをいつまでも保たせ、その心をあなたに向けさせてください。


Ezra 7:27:
われわれの先祖の神、主はほむべきかな。主はこのように、王の心に、エルサレムにある主の宮を飾る心を起させ、


Nehemiah 2:4:
王はわたしにむかって、「それでは、あなたは何を願うのか」と言われたので、わたしは天の神に祈って、


John 6:45:
預言者の書に、『彼らはみな神に教えられるであろう』と書いてある。父から聞いて学んだ者は、みなわたしに来るのである。


John 6:65:
そしてイエスは言われた、「それだから、父が与えて下さった者でなければ、わたしに来ることはできないと、言ったのである」。


I Peter 1:3:
ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ、


Ephesians 2:8:
あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である


II Thessalonians 1:11:
このためにまた、わたしたちは、わたしたちの神があなたがたを召しにかなう者となし、善に対するあらゆる願いと信仰の働きとを力強く満たして下さるようにと、あなたがたのために絶えず祈っている。


●10:00 横浜をブラリ散策。桜木町下車、ランドマークタワー、日本丸、汽車道、赤レンガ倉庫、山下公園、昼食、元町商店街、横浜外人墓地、山手住宅街、フェリス女学院●16:00 中華街の老舗である聘珍樓(へいちんろう)で浦和(現さいたま市)仲本小学校1~4年、故鶴岡鈴枝先生の組のクラス会。57年も経た今日でも集まるのは先生の遺徳である。幹事団3名が横浜近郊なので横浜が会場になった。出席者は武藤、今村、中村、池田、高橋、大和、程塚、鈴木、小出の9名。次回の幹事は大和+青木に決定。石川町から八王子を通って帰宅21:00●今日の写真がパソコンの修理中で掲載できない。後日掲載する●出席した池田君から興味ある話を聞く。25歳のころ、自分の体から電気が出て人の病気をなおせる超能力があることを自覚。多くの人を癒しているという。ただし自分の小学生時代のことを知っている同窓会のメンバーは治せないという。私は聖書に「預言者は故郷では敬われない」という言葉があると話した。すると「われわれがテルチャンと気安く呼んでいるようではテルチャンはわれわれにキリスト教の布教はできないわけですね」と別の人から言われた。これは真理だ。牧師、伝道者、信者の子弟ならびに親類縁者は必ずしも信仰に入らない、かえって躓く。躓かないまでも無関心。これは神の国の広まり方の悲しい真理。宿命。だれが悪いということではなさそうだ。躓く人、躓かれる人に責任があるわけではなさそうだ。


塚本訳 マコ 6:4-5
6:4 イエスは彼らに言われた、「預言者が尊敬されないのは、その郷里と親族と家族のところだけである。」
6:5 (郷里の人々の不信仰のゆえに)そこでは何一つ奇蹟を行うことが出来ず、ただわずかの病人に手をのせて、なおされただけであった。

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仲本小学校クラス会。後列左から小出、高橋、大和、池田、鈴木

前列左から 今村、武藤、中村、程塚(女性はみな旧姓)

 


 

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人生って悲しいものだなー ++++++++ 所感

2007/11/16 07:39

071116(金)5時45分起床。朝の黙想「人生って悲しいものだなー」●朝風呂で日経「私の履歴書」は野村証券元会長の田淵節也。野村の海外進出。世界に通用する一流の金融会社になっていく様。・・・・・証券会社の本質は「金儲けの予想屋」。しかし軽蔑してはいけない。人間は生きている間は「金儲け」が大切。これをバカにするものは神の国にも役立たない。●私の知人で野村証券の人が結婚の挨拶に塚本先生宅に伺ったときのこと。先生は彼の顔を見て、「君は聖書の勉強よりも、会社の仕事を一生懸命にやって、人から後ろ指を指されない人間になりなさい」と言われたという。彼は仕事を熱烈にやって取締役にまでになった。イエスの言葉を思う。


塚本訳 ルカ 16:9-13
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。
16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である
16:11 だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか
16:12 もし他人のもの[この世のこと]に忠実でなかったならば、だれがあなた達のもの[天のもの]をあなた達に与えようか
16:13 しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。」


●ただし彼の場合、その金儲けが、自分が神の国に入るための準備になっていたのかどうか疑問。単なる金儲けだけであってはダメなのだとイエスは言う●人間はお金に対する姿勢で信仰が計られるものだ。●国会証人喚問で、元防衛事務次官の守屋氏は宴会の席に連なった政治家の名前を2名挙げた。これに対して福田首相は「こういうことは政治家にとってよくあること」と言って取り合わなかったが正解。とかく批判という批判はまず相手をやり込めようという魂胆が先にあって、何か失策がないかと荒探しを始めるのだ。憎い相手の「塵」を探してそれを「あげつらう」のだ。国事を扱う国会の大切な時間をこのようなことばかりで費やすのはそれこそ税金の浪費だ●「悪事をあぶりだして膿をだすのだ」と正義ぶっているがそれは危ない。こういう場合、批判者は自分の失策を棚に上げているからだ。神は批判者自身の失策を追求して罰す。聖書には次のようにある。


塚本訳 マタ 7:1-4
7:1 (人を)裁くな、自分が(神に)裁かれないためである
7:2 (人を)裁く裁きで、あなた達も裁かれ、(人を)量る量りで、あなた達も量られるからである
7:3 なぜあなたは、兄弟の目にある塵が見えながら、自分の目に梁があるのに気付かないのか。
7:4 また、どうして兄弟にむかって、『あなたの目の塵を取らせてくれ』と言うのか。そら、自分の目に梁があるではないか。


●NHKはじめマスコミはスキャンダルや疑獄事件を「話題」にしたがるのは世論におもねっているから。そういうことに興味を持つ国民の程度の低さが問題。また宴席に連なった程度のことで与党を追求している野党の策のなさよ。●こういうことの批判をかわそうとするから「役人」は何もしないのが無難で危ない橋を渡らないように生きるのが性格となる。だから民間に天下っても使い物にならない。●人間が、批判するという魂胆には相手に対する「妬み」ということが原因。かっての山本七平(イザヤ・ベンダサン)、海野義男(ヴァイオリンニスト)はその実力を妬まれて批判された。●「人生って悲しいものだなー」について黙想。何が悲しいか。「悲しみのカタログ」は次のとおり。病(身体や精神)、罪、貧、醜(容貌、性格、家系、過去)、争(非難、中傷)、不幸(挫折、失敗、不運、不幸、災難)、不足、離反(別離、反抗、反逆)、孤独、老、死、・・・・アー、人生の旅って楽しいことはなくて悲しいことの連続だ。これは全部私の経験したものだ。しかしその旅の途上で不思議に「イエス」に出会ったことは救いであった。イエスを「神の子」と信じられる幸いを頂いた。新約聖書はこの「悲しみのカタログ」に対してイエスがどうしたが書かれている。そして根本的な解決を行った。それは十字架による罪の赦しと復活。そして永遠の生命を指差す。●キリスト教はこれら「悲しみのカタログ」に対して超然とせよということは言わない。厭世観ではない。この世で具体的に癒してくれるのだ。神を信じれば美人になれる(!)。痩せられる(笑)、お金が儲かる(!)、すばらしい人と結婚できる(!)、病気が直る、仕事が面白くなる、生きがいが増す、孤独が癒される。・・・・・その聖書的根拠は次のとおり。


塚本訳 ルカ 18:28-30
18:28 ペテロが(イエスに)言った、「でも、わたし達はこの通り、自分の持ち物をすててあなたの弟子になりました。」
18:29 彼らに言われた、「アーメン、わたしは言う、神の国のために家や妻や兄弟や親や子を捨てた者で、
18:30 この世でその幾倍を、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。


塚本訳マコ 10:29-30
10:29 イエスは言われた、「アーメン、あなた達に言う、わたしのため、また福音のために、家や兄弟や姉妹や母や父や子や畑をすてた者で、
10:30 今、この世で──迫害のうちにおいてではあるが──百倍の家と兄弟と姉妹と母と子と畑とを、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない


塚本訳マタ 19:27-30
19:27 その時、ペテロが口を出してイエスに言った、「でも、わたし達は(あの金持とちがいます。)この通り何もかもすてて、あなたの弟子になりました。わたし達にはいったいなんの褒美があるのでしょうか。
19:28 イエスが彼らに言われた、「アーメン、わたしは言う、新しい世界が生まれて、人の子(わたし)が栄光の座につく時には、わたしの弟子になったあなた達十二人も十二の王座について、イスラエル(の民)の十二族を支配するのである。
19:29 そしてわたしのために家や兄弟や姉妹や父や母や畑をすてた者は一人のこらず、(この世で)その幾倍を受け、また(来るべき世では)永遠の命をいただくのである
19:30 しかし(決して油断をしてはならない。)一番の者が最後になり、最後の者が一番になることが多い。


●上記の平行記事を比較すると、ルカ(原型らしい)には「妻を捨てる」とあるが、マルコとマタイには欠落している。これは妻を捨ててはいけないことと、捨てた場合百倍の妻を与えられるというのはおかしいということから(マタイ?、マルコ?の)写本筆記者の気の弱さから勝手に変えたのではないかと想像されている。(この経緯複雑。聖書学の分野)●現実に妻が百人もいたらウルサクてやりきれないだろうなー(笑)●音楽DVDでモーツァルトクラリネット協奏曲。シュミーデル+バーンスタイン+ウィーンフィル●音楽DVDで「ブラームス物語」。大作曲家というのはどうしてこうも生前には不遇な人が多いのだろう●14;30岸サイクル店●18:15妻とピアノの山本先生と共に昭和女子大人見記念講堂で「キエフ国立フィルハーモニー、指揮ニコライ・ジャジューラ」オールチャイコフスキープログラムを鑑賞。ウクライナから来たこのオーケストラはスラブの血を引いているので、本場の音という感じ。イタリア奇想曲、ピアノ協奏曲第一番(ピアノはアリス=紗良・オット、若干19歳の演奏は見事だったので、ブラバーと叫んだ)、交響曲第6番{悲愴」。アンコールはくるみ割り人形から「花のワルツ」。今日はよい演奏会であった。

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人の子がくる時に信仰はあるか ++++++++ 所感

2007/11/15 07:06

071115(金)5時目覚め。朝の黙想「人の子がくる時に信仰はあるか」●朝風呂で日経「私の履歴書」は野村証券元会長の田淵哲也。・・・・この人の話は生きたものなので面白い。頭だけではない。54歳で社長になるが、前3代の社長を褒めているのは麗しい。「自分の力で改革し、大きくなった」と思う人間はよくない。そういう人は後が続かない。その人に嫌気が差すから。また真理ではないから。●「人の子が来る時に信仰はあるか」という謎の言葉について研究。●これがどこにあるのかをすばやく調べるには、「聖書勉強の三種の神器」の第一「Jバイブル」(いのちの言葉社刊、約1万円)。で検索すると、それはルカ18:8であることがわかる。「人の子」と「信仰」のAND検索。●聖書研究はまずその項目全体で前後を読む。そして翻訳比較をする。そのためには「聖書研究の三種の神器」の第二を利用する。信用のある日本語訳7種類が読める。意味を取るには日本語訳を複数読むことが効果的。なぜか。外国語はオーバーの上から痒いところを掻くようなもの。原語で読むのもも同じ。原語で意味のわかるようなことは「信仰のたし」にはならないこと。それよりは翻訳のプロが訳したものを複数読んだほうが真実に接近できる。そのためには「聖書勉強の三種の神器」の第二番目、BbB(拙HPの掲載、無料)が便利。


塚本訳  ルカ 18:1-8
18:1 なお、気を落さずに常に祈るべきことについて、一つの譬をひいて弟子たちに話された、
18:2 「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官があった。
18:3 またその町に一人の寡婦がいた。いつもその裁判官の所に来ては、『(早く裁判をして)わたしのため敵に仕返しをしてください』と言っていた。
18:4 裁判官はしばらくの間は取り合おうとしなかったが、あとでひそかに考えた、『わたしは神を恐れず、人を人とも思わないが、
18:5 この寡婦はどうもうるさくて、やりきれないから、(裁判をして、)この女のために仕返しをしてやろう。そうしないと最後にはやって来て、わたしをどんなひどい目にあわせるか知れない。』」
18:6 それから主は言われた、「この不埒な裁判官の言うことを聞け。
18:7 (こんな男でもこのとおり。)まして神が、夜昼叫んでいるその選ばれた人々のために仕返し(の裁判)をせず、気長に放っておかれることがあろうか。
18:8 わたしは言う、間もなく彼らのために仕返しをされるであろう。しかし人の子(わたし)が来るときに、はたして地上に信仰(をもつ人)が見当るだろうか!


●これで、苦難があっても「信仰」とういう神に目を向ける人、つまりこの寡婦のような人がいるだろうかということであることがわかる。●次に18:8だけをピンポイントで調べる。すると次の5箇所が心に響いた。


塚本訳 マタ 24:9-13
24:9 その時あなた達は苦しめられ、殺される。またわたしの弟子であるために、すべての国の人から憎まれる。
24:10 するとその時、『多くの人が信仰から離れて、』互に裏切り、互に憎むであろう。
24:11 また多くの偽預言者があらわれて、多くの人を迷わすにちがいない。
24:12 また(兄弟たちの間に)不法がふえるので、多くの人の愛が冷える。
24:13 しかし最後まで耐え忍ぶ者は救われる。


塚本訳 マタ 24:24
24:24 偽救世主たち、『偽預言者たちが』あらわれて、大がかりな『奇蹟や不思議なことをして、』あわよくば、選ばれた人々までも迷わそうとするのだから。


塚本訳Ⅰテサ5:1-3
5:1 兄弟達よ、(来臨までの)時間と(その)時期とについては、(更めてここに)書く必要はあるまい。
5:2 主の日が夜の盗人のように(不意に)来ることを君達は精密く知っているのだから。
5:3 人々が無事だ、大丈夫だと言っている時、丁度妊婦に陣痛が起こると同じように、思いもかけず滅亡が来て、決して逃げ出すことは出来ない。


塚本訳 ヘブ 10:23-26
10:23 また、わたし達は(洗礼のとき)告白した(主の再臨の)希望を、動かさずに守っていようではないか。──(これを)約束された方は忠実であるから。──
10:24 また、わたし達は愛と善い業とを励まし合うように互に心掛けようではないか。(堅い信仰と動かぬ希望と愛の励み、この三つこそ最も尊い神の賜物である。)
10:25 (また、)ある人々がするように、集会を怠けず、むしろ互に勧め(合って出席す)るようにしなくてはいけない。その日が近づいていることをあなた達は知っているから、いよいよそうしなくては!
10:26 なぜなら、わたし達が(キリストの)真理の知識を受けた後、故意に罪を犯すならば、その罪のために、もはや(これをあがなうべき)犠牲は残っていない。


塚本訳 ヤコ 5:8
5:8 君達も忍耐せよ、心を強くせよ、主の来臨は近づいたから。


●アーソーカ。わかった。イエスの言うのは、終末のときの悲惨な状態を予感しているのだ。●多くの人の愛が増える。信者同士もいがみ会う。肉親殺し、天変地異など・・・・これ現代の有様ではないのか。終末は近いのではないのか。●9:00出発。妻とハイキング。十里木から城山、臼杵山方面に登り、荷田子に降りて「瀬音の湯」に行く予定であったが、道を間違えて山の反対斜面を降りてしまい、「瀬音の湯」に行くのは断念。途中「道なき道」の斜面を降りるとき非常なる危険を感じた。人生も「道なき道」を通る心細いことがある●帰途14:30「祈りの友会」の星野利男さん(84歳、全盲、夫人に先立たれる)をお見舞い。「『我は道なり真理なり生命なり』の言葉をギリシャ語で言ってみなさい」と言われ、すぐできずに困っていたら、先に「エゴー、エイミ、へー、ホドス、カイ、へー、アレーセイア、カイ、へー、ゾーエー」とすらすらと言われてしまった。●イエスの言葉を思い出す。


塚本訳 ヨハ 9:39
9:39 イエスは言われた、「わたしは裁きのためにこの世に来たのだ。・・盲が目明きに、目明きが盲になるために!


●私「私の余命はあと18年です」。星野「神様のお考えを先取りしてはいけません」。妻「ほーら、見なさい」。●私「奥様に先立たれてお寂しいでしょう」。星野、全盲の顔に笑みを浮かべて「妻には悪いが、そうでもないよ」。●妻と私が聖書朗読、三人で賛美歌と祈り●パソコンの故障でOSをノジマの技術者がリカバリーしたときにCドライブ内データ(文章)が消えたことが判明。担当者に平謝りされたが、幸い文章は紙データにとってあることと日記はブログから回復できるので、「安心してくれ」と言って励ました。彼は今日は家に帰って残業で修理するという●著作の原稿が本屋に渡す寸前に焼けてしまった悲劇を2例知っている。本の内容は古くなったが、著者が気を取り直して「もう一度やった」という粘りの気持ちの方が「後世に」伝わっている。一人はカーライル(内村鑑三の「後世への最大遺物」)、もう一人はブルトマンの「ヨハネ福音書」の訳者杉原助。


 


 

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私を嫌う人々 ++++++++ 所感

2007/11/14 07:28

071114(水)5時半目覚め●朝の黙想「私を嫌う人々」●朝風呂で「私の履歴書」は野村証券元会長の田淵哲也。・・・・金融界の細かいことはよくわからないが、大蔵省や銀行と争っていることだけはわかる。どんな分野でも専門専門というものがあるから、政治のことは政治家に医学のことは医者に任せなければならない。それを心得ないで「越境して」天下国家をヒューマニズムの心で批判するのは誤り。自分の専門は何かを心得なければならない●ロマ書13章の「上に立つ権威はすべて神からのものか」という難しい問題は「人間の判断」では判定不可能。神に植えられない木は抜かれるということを固く信じてじっと待つほかはない。難しい本を読むと理論闘争になる。


新改訳 マタ 15:13
15:13 しかし、イエスは答えて言われた。「わたしの天の父がお植えにならなかった木は、みな根こそぎにされます。



塚本訳 マタ 15:13
15:13 イエスは答えられた、「わたしの天の父上がお植えにならないもの皆、引き抜かれる。


●今朝の黙想の展開。私を嫌う人々の分類。


①私の方に非がある場合。・・その原因は私がその人をひどくコキオロシタ場合。傷つけた場合。相手を断罪しダメなヤツと思っていると相手はそのことを敏感に感じて逆襲や反抗や報復をしてくる。あらぬことを邪推して非難する。失脚を画策する。これは私が彼をコキオロシタことがいけなかったのだから自らが神の前に悔い改めなければならない。神に悔い改めると自分が変わり、知らず知らずのうちに自然に相手と和解できる。もし相手に赦されなくても自らが神の前に平和をえていればよしとしなければならない。


塚本訳  ロマ 12:17-18
12:17 だれにも悪をもって悪に報いず、どんな』人の前でも善をするように心がけよ。』
12:18 出来るなら、(少なくとも)あなた達の方では、どんな人とも仲良くせよ。


②自分の罪を私の中に見て非難攻撃する人・・・・・かわいそうだがこういう人は神に裁かれる。


塚本訳マタ 7:1-3
7:1 (人を)裁くな、自分が(神に)裁かれないためである。
7:2 (人を)裁く裁きで、あなた達も裁かれ、(人を)量る量りで、あなた達も量られるからである。
7:3 なぜあなたは、兄弟の目にある塵が見えながら、自分の目に梁があるのに気付かないのか。


こういう場合は、裁かせておけばよい。右の頬をぶたれたら左の頬をも出せばよい。神が報復する。復讐は神に任せればよい。しかし自らが悪いのかもしれない。裁きは人間でなく神に任せる謙遜な姿勢が大切。


③生物学的な離反・・・・・結婚するときは親のもとがつまらなくなってこれを批判して出て行く。いつまでも親にべったりであると結婚はできないから結構なことである。しかしイエスが「人は親を捨てて妻と一体となる」 ということを強調して日本人としての麗しい儒教倫理の風習をも投げ捨てるのはいかがかと思う。クリスチャンである前に日本人、常識人でなければならない。「悪魔は聖書の言葉を利用する」(シェークスピア)。サタンはイエスを誘惑するときにに聖書の言葉を利用した。(マタイ4:1-11)


塚本訳 マタ 19:4-5
19:4 答えて言われた、「造物者が始めから『彼らを男と女とに造られた』こと、
19:5 また、『それゆえに人は父と母とをすてて妻に結びつき、二人は一体となる』と言われたことを、あなた達は読んだことがないのか。


「親」という漢字を分析すると立っている木を遠くから見るという意味がこめられている。


④神の摂理としての分離反抗・・・・パウロのユダヤ主義からの分離(キリスト教の誕生)、ルターの宗教改革(近代文化の誕生)。アメリカの独立戦争(自由主義の誕生)。チャーチルはたとえ悪魔(ソ連のこと)と手を握ってもヒットラーを撃つと言ったこと(ナチスの崩壊)。塚本虎二の内村鑑三からの分離(無教会主義の誕生)などは神の摂理。学問芸術の分野では弟子が師を乗り越えて行くときはたいていが「喧嘩別れ」。しかし弟子はその師よりも「苦労する」のが一般的。そのことをイエスは次のように言う。


塚本訳 マタ 10:23-24
10:23 この町で迫害された時には、次の町に逃げてゆけ。アーメン、わたしは言う、人の子(わたし)は(すぐに)、あなた達がイスラエル人の町々を回りつくさぬうちに来るのだから。
10:24 弟子は先生以上でなく、僕は主人以上ではない。(だからあなた達が迫害されるのは当り前である。)


この言葉は「進歩向上」を否定したものではない。弟子たるあなたたちの苦労は師たる私以上ではないというイエスの暖かい慰めの言葉なのである。弟子は先生以上には苦労していないというのは私の見聞きするところでもある。日本では「売り家と唐様で書く三代目」という諺があるが似ている。


⑤愛の鞭で批判される場合・・・・・「叱られる」というのがこれ。あるとき関根正雄先生が講演されたとき、フロアーからの質問に対して、「馬鹿だねー君は!」と満座の前で言われた。言われたのは愛弟子であった。わたしの場合、「聖書の集まり」で本で勉強してきたことを右から左に大学のゼミのように発表していたら、「君!、やめたまえ」と講壇から引きずりおろされたことがあった。それを言ってくれた長老は私に目をかけていてくれた人であったが、すでにこの世にはいない。人間、叱ってくれる人がいなくなると危ない。見込みがない人は叱られない。叱ってくれる人がいないと人生はさびしい。妻はよく私に注意したり、叱ってくれるが、これもあと十数年間のことだ。(笑)7年前の家屋全焼とそれに続く脳内出血での意識不明は私にとって「神の鞭、訓練」であった。しかしそれによってよいものが与えられた。病気や不幸は主の訓練。


塚本訳 ヘブ 12:5-11
12:5 また、(親がその)子に話すようにして話される(神の)励ましを忘れてしまっている。──『わが子よ、主の訓練を軽んずるな、処罰されるときに、ひるむな。
12:6 なぜなら、主は愛する者を訓練し、好きな子をすべて懲らしめられる。』
12:7 (神の)『訓練』を受けるために、(迫害を)耐え忍べ。神はあなた達を(自分の)『子』のように取り扱われるのである。なぜなら、父の『訓練し』ない『子が』どこにかあるのか
12:8 もし皆が受ける『訓練が』ないとすれば、それこそあなた達は私生児で、(ほんとうの)『子』ではない。
12:9 かつまた、わたし達は訓練をする者として肉の父を尊敬した(とするならば)、まして霊魂の父に服従して、(永遠に)生きないことがあるだろうか。
12:10 というのは、肉の父は(ほんの)少しの日数(だけ)、自分の考えに従って訓練したのに反して、神はわたし達を益するため、わたし達をその聖さにあずからせるために、訓練されるのであるから。
12:11 あらゆる訓練(というもの)は、その当座は喜びとは見えず、かえって悲しみと見えるが、しかしあとで、それで鍛えた者に(まことの)義の実である平安を与えるのである。


口語訳 詩  23:1-4
23:1 主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。
23:2 主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。
23:3 主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
23:4 たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます


口語訳 詩  19:7-14
19:7 主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ、主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。
19:8 主のさとしは正しくて、心を喜ばせ、主の戒めはまじりなくて、眼を明らかにする
19:9 主を恐れる道は清らかで、とこしえに絶えることがなく、主のさばきは真実であって、ことごとく正しい。
19:10 これらは金よりも、多くの純金よりも慕わしく、また蜜よりも、蜂の巣のしたたりよりも甘い。
19:11 あなたのしもべは、これらによって戒めをうける。これらを守れば、大いなる報いがある。
19:12 だれが自分のあやまちを知ることができましようか。どうか、わたしを隠れたとがから解き放ってください
19:13 また、あなたのしもべを引きとめて、故意の罪を犯させず、これに支配されることのないようにしてください。そうすれば、わたしはあやまちのない者となって、大いなるとがを免れることができるでしょう。
19:14 わが岩、わがあがないぬしなる主よ、どうか、わたしの口の言葉と、心の思いが/あなたの前に喜ばれますように。


●パソコン修理でOSの再インストールをしたために各種アプリケーションプログラムをインストール。メール、ウィルスバスター、プリンター、Jバイブル、パワー2GO、筆王、ブログ(ただし写真は不可)、今日は疲れた。●妻からウィークデーの集いの話を聞く。日原芳子。ハンセン氏病の人たちに対する個人的な草の根活動のはなし。ハンセン氏病に対する接近はカトリック(岩下壮一)、プロテスタント(賀川豊彦)などが目立ち、無教会からは皆無かと思っていたが、隠れた働きがあることを知って心強くされた。

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印としての人生 ++++++++ 所感

2007/11/13 09:18

071113(火)5時半起床●朝のひらめき「印としての人生」●朝風呂で日経「私の履歴書。野村証券元会長の田淵節也。田淵氏の知人の猛烈社員のこと。出世したが、晩年は車椅子。・・・・・これを読んで、お金も地位も健康や命の足しにはならないものだなーと感じた。聖書的には次の箇所だ。


新共同 ルカ 12:15
12:15 そして、一同に言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」


塚本訳 ルカ 12:15
12:15 人々に言われた、「一切の貪欲に注意し、用心せよ。いかに物があり余っていても、財産は命の足しにはならないのだから。」


●これに比べて、社会的地位がなく、貧困であっても神を信じて心が豊かで喜びの生活をしているものは幸福だ。然り、車椅子の生活になっても平安と喜びがある。そしていきつく先は「永遠の生命」だ。●今朝は妻と老後の相談。経済、住居などなど。「私のほうが先に逝くから看取ってもらいたい」というと妻が「それはわからない。私の方がポックリ先に逝くかもわからない」という。●ヒルティが夫人に先立たれたのは64歳のときで、ちょうど今の私の年齢。それからヒルティは12年間生き延びた。晩年は娘さんの世話になっていたようだ。夫人の死に際してヒルティは「私は半分になった。不完全になった」と嘆いた。そして「もし天国というところがあるならば、妻とだけ会いたい」と言っている。ヒルティの結婚生活は美しかった。成功であった。●聖書の翻訳はインターネットで無料で読める時代になった。私のHPからBbBで日本語聖書は7種類。同じく「便利なサイト」から英訳は13種類が読める。●集会の94歳になる篤学の方から、ギリシャ語でアクセント記号のあるものがほしいという要望。インターネットで無料でアクセスできるものはないものだろうか。どなたかご存知の方がおられたらお教えください。●グーテンベルグによる印刷機の発明が宗教改革の下支えになったように、IT革命によるインターネットでの聖書読みが新たな革命をもたらすかもしれない●私のパソコンが不調で修理に出しているが「重症」との連絡が入る。各種データは確保できるが、OSの入れなおしのために,アプリケーションプログラムの「Jバイブル」と「ソード」はまた入れなおさなければならない。●この世で苦労するものは肉体の病気とパソコンの故障。天国にはパソコンの悩みなし。●朝のひらめき「印としての人生」について聖句が浮かぶ。


塚本訳 ルカ 2:34-35
2:34 シメオンは両親を祝福し、母マリヤに言った、「驚きなさるなよ、この幼児はイスラエルの多くの人を、(この方に対する態度によって)倒されたり立たせたりする、また、一つの目印となって(この世の烈しい)反対をうける、使命を負わされているのです。──
2:35 (母人よ、)あなたも劔で胸を刺しつらぬかれ(る苦しみをせ)ねばなりますまい。──これは多くの人の心の(隠れた)考えを外に出させるためなのです。」


塚本訳 Ⅱコリ2:14-15
2:14 しかし神に感謝せねばならない。神はいつでもわたし達をキリストによる凱旋行列に(虜として)引き回し、至る所でわたし達を通して御自分を知らせる知識の薫りをお広めになる。
2:15 というのは、わたし達は救われる者の間でも、滅びゆく者の間でも、神にささげられるためのキリストのよい薫である


口語訳 エペ 5:2
5:2 また愛のうちを歩きなさい。キリストもあなたがたを愛して下さって、わたしたちのために、ご自身を、神へのかんばしいかおりのささげ物、また、いけにえとしてささげられたのである


塚本訳  マタ 5:14
5:14 あなた達は世の光である。山の上にある町は隠れていることは出来ない


●14:50昭和女子大建築講義。2コマ。●19:30帰宅して図書館でヘロドトスの「歴史」を借りる●ノジマで修理なったPCを受け取る。明日各種アプリけーションをインストールする●妻は月本昭男先生の「旧約講義」。非常に面白いという。山口喜代子さんと一緒。


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心の平和はいかにして来るか ++++++++ 所感

2007/11/12 07:56

071111(月)6時起床●朝の黙想「心の平和はいかにして来るか」●人間は心の平和を求める。争いから逃れて心の平和を願う。●人の世の争いの数々。国家間、南北間、宗教間、宗派間、政党間、企業間、学術間、男女間、夫婦間、親子間、兄弟姉妹間、親戚間、信者間、社員間、上司部下間・・・・・などなど、この世は争いが普通、いがみ合いが普通、戦いが普通。共通点は自分のほうが偉い、正しい、上手、一枚上、優秀、相手は不足、あの人はだめだなー、という自負。しかし争いは悩み。この「苦」から逃れるのはどうしたらよいのか●なまじの方法では平和はこない。この解決にはヒューマニズムや音楽芸術などでは目的を達しない。道徳や教訓も無理。儒教倫理でも無理。相手から逃れるという手段は現実的だが、逃げてもまたそこで新たな争いが起こる。人間は人間であるときどこに行っても争いの苦から逃れられない。●聖書はどう言うか。Jバイブルで「平和」をヒットし、心に感じるものをコピーする。新約聖書は人間の「心の平和」がありうることを教えてくれる。


マタ   10: 34 [塚本訳


地上に平和をもたらすためにわたしが来た、などと考えてはならない。平和ではない、剣を、(戦いを)もたらすために来たのである。


ルカ   1: 79 [塚本訳


『暗やみと死の陰とに住まう人々を照らし、』われらの足を『平和の道』へと導くであろう。


使    9: 31 [塚本訳


さて、集会は(サウロの回心と共に)ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤ全体を通じて平和を得、基礎が固まり、主を恐れて日を過ごし、(迫害の後に)聖霊の慰めをうけて信者の数がふえていった。


使    10: 36 [塚本訳


『神は御言葉をイスラエルの』子孫に『おくり、』イエス・キリストをもって、『(御自分との間の)平和の福音を伝えられました。』──イエスは万人の主であります。──


ロマ   5: 1 [塚本訳


だから、わたし達は信仰のゆえに義とされたのであるから、わたし達の主イエス・キリストによって、いま神と平和ができた


ロマ   15: 33 [塚本訳


平和の神があなた達一同と共においでになるように、アーメン。


ロマ   16: 20 [塚本訳


平和の神が間もなく悪魔をあなた達の足の下に踏み砕かれるであろう。わたし達の主イエスの恩恵、あなた達と共にあらんことを。


Ⅰコリ  7: 15 [塚本訳


しかし不信者の夫(なり妻なり)が別れるなら、別れさせよ。こんな場合に、兄弟なり姉妹なり(つまり信者)は(結婚に奴隷として)束縛されてはいない。神は平和な生活へあなた達をお召しになったのである。(無理があるのは、御心ではない。)


Ⅰコリ  14: 33 [塚本訳


(その霊をお与えになった)神は無秩序の神でなく、平和の神だからである。聖徒の集会全体での(習わしの)ように、


Ⅱコリ  13: 11 [塚本訳


それでは、(愛する)兄弟たちよ、御機嫌よう。正しい道にもどってくれ。自分を戒めよ。思いを同じくせよ。平和を保て、そうすれば、愛と平和との神が一緒にいてくださる。


ガラ   5: 22 [塚本訳


しかし霊の実は愛、喜び、平和、寛容、親切、善良、忠実、


エペ   2: 14 [塚本訳


何故なら、彼(キリスト)が私達の』平和』であって、(今まで離反していたイスラエルと異教人の)両者を一つにし、(その仲を割いていた)仕切りの籬なる敵意を取り除け給うたからである。すなわちその肉で、


エペ   2: 15 [塚本訳


(あらゆる)命令規則から成る律法を廃止し給うたのである。これは(今まで敵であった)この二つの者を己において一つの新しい人に創造りかえて平和を作るため、


エペ   2: 17 [塚本訳


且つ来て、『遠い』君達に『平和の福音を宣べ、また近い者にも平和の福音を宣べ給うた』のである。


エペ   4: 3 [塚本訳


平和の帯によって(結ばれて)御霊の(与うる)一致を保つよう努力せよ。


エペ   6: 15 [塚本訳


和の福音の用意を』(靴として)『足に』穿いて立て。


エペ   6: 23 [塚本訳


願う、父なる神及び主イエス・キリストよりの信仰と共に平和と愛とが、兄弟達にあらんことを


ピリ   4: 9 [塚本訳


君達が学びまた伝えられ、私に聞きまた見たことは、(すべて)これを行え。そうすれば平和の神が君達と共にいまし給うであろう


コロ   1: 20 [塚本訳


その十字架の血によって平和を作り、彼によって地上のものも天上のものも、万物を(悉く)彼によって御自分と和睦させようと決心し給うたからである


コロ   3: 15 [塚本訳


またキリストの平和に君達の心を心配せよ。君達もまた一体としてこの平和に召されたのである(から)。また(神に対し)感謝深くあれ。


Ⅰテサ  5: 23 [塚本訳


願わくは、平和の神自ら君達を潔め尽くし、私達の主イエス・キリストの来臨の時咎められることの無いように、君達の霊と心と体を完全に守り給わんことを。


Ⅱテサ  3: 16 [塚本訳


願わくは、平和の主自ら、何時如何なる場合においても、君達に平安を与え給わんことを!主が君達一同と共に在し給わんことを!


Ⅱテモ  2: 22 [塚本訳


だから若い時の情欲を避け、潔い心で主を呼び求むる者と共に義、信仰、愛、平和を追い求めよ


ヘブ   11: 31 [塚本訳


信仰によって、遊女ラハブは(イスラエルの)間諜を平和をもって歓迎したので、不従順な(国)人と一しょに滅びなかった。


ヘブ   12: 14 [塚本訳


すべての人との『平和を追い求めよ』、また聖潔を。聖潔がなければ、だれも主にまみえることはできない。


ヤコ   3: 17 [塚本訳


上からの知恵はまず聖く、次に平和を好み、親切で、温順で、憫れみと善き果実に満ちて居り、党派根性がなく、偽善でない。


ヤコ   3: 18 [塚本訳


そして(この)義の果実は平和を作る人(の心)に、(神によって)平和の裡に播かれるのである。


Ⅰペテ  3: 11 [塚本訳


悪を避け、善を行え、平和を探し、追い求めよ


●秋田県の快挙。全国学力テストで秋田県が一位。しかも秋田県は塾が少ない。その理由。テストの結果をパソコンに入れて分析し弱点を補強する。学校の熱心とIT技術の結果こうなった。それから、家庭学習を強化、家庭学習ノートに先生の赤ペンが入る。ベテラン教師が教室を回ってアドバイス。いずれにしても学校側の熱心。●総合研究所の松本部長、橋本次長と打ち合わせ会議をする。



 

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イエスを神の子と信じおられるのは神秘的な人 ++++++++ 所感

2007/11/11 07:53

071111(日)5時半起床●朝の黙想「イエスを神の子と信じられるのは神秘的な人」●朝風呂で日経「私の履歴書」野村証券元会長の田淵節也。捨て身で働く様子・・・・イエスがこの姿を見たら自分の弟子としてスカウトしたであろう●イエスを神の子と信じるのは神秘的な人である。それは人知ではとうてい達し得ない不思議なことだからである。神の働きによるのである。だから行動様式が少し違っていても批判できない。それは罪の発見、十字架の赦しの体験によって到達できるものである。●そういう人の交わりは世にも不思議な集団になる。それを大脳皮質でわかる文言にするから「教会」が生まれる。束縛されて不自由になる。●集会は長島、茂木、山本●集会の杉崎 孝さん(94歳)と昼食。かなりご注意を頂く。杉崎 孝さんは東京高校で関根正雄、森有正と同期。●14:30今井館理事会。何としても若返りが必要●帰途拝島駅で妻と会う。妻は午後東京文化会館での全日本合唱コンクールを聴きに行った。守の属する「なにわコラリアーズ」は会場がどよめくほどの見事な演奏で「金賞」だったという。
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老化現象の悩み ++++++++ 所感

2007/11/10 07:46

071110(土)5時半起床。朝の黙想「老化現象の悩み」●朝風呂で日経「私の履歴書」、野村證券元会長の田淵節也。野村に入社してバリバリ働く様子。・・・人生はバリバリ働くという時期があるものだ。私(照男)も残業していてフト「アー、私には家庭というものがあったのだ」と思った時があった。そういう人生の働き盛りというのは30から40代だ。この時期にその人の「専門領域」というものが確定する。その後はその時の知識や経験を応用して世に貢献し花を咲かせる時期だ。それが50代。60代は後進の指導にあたるとき。50~60代の活動は30~40代の下積みの苦労の経験がモノを言う。●最近は老化現象ということを感じる。まず脳、忘れやすい、うっかりする。第二は肉体の疲労。筋力の低下。床から立ち上がるとき「心でヨイショ」と言う。●鹿島建設は50歳を過ぎると重要工事の現場所長をさせないという。物忘れがあり、先の注意を怠るからである。クレーンなどを倒してしまう。あー悲しい。建築工事の現場監督の最盛期は50歳以下なのだ●建築材料に「疲労現象」というものがある。常に繰り返して動いているものはいつか疲労して破断する。超高層ビルは風で常に揺れている。鉄橋は列車が通るたびにしなる。このことで「金属疲労」という現象が起こる。それは「くたびれる」という現象。超高層ビルの寿命は金属疲労の限界で100年。人間と同じ。●人生の老化現象の悩みのときはどうするか。医学的に納得するのが第一、それは「肉体疲労」だからしょうがないと思うこと。次は肉体は老化しても霊魂には老化現象がないことを知ることが「元気」になれる方法。●悩み事は主に告げるべきである。若き日に教会で教えられた「聖歌」423番には次のようにある。


告げよ主に 告げよ今 内にある悩みを み恵みに富める主は 聴きたまわん 親しく 


主のもとに おろせ汝(な)が重荷のすべてを み恵みに富める主は 取りたまわん のこらず


●人間、心の悩みというものがある。些細なことからどうしようもなく深く重いものまで。そのときは他人に打ち明けて「心の重荷」を軽くすることが必要。それも同病の人からは慰められる。ところがとても重い悩みは人に「打ち明ける」だけでは軽くならない。神に打ち明けなければその重荷は取れない。●その前に昔から「聖書を読む」ということも手段の一つである。老化の悩みに関しては次の3箇所が思い浮かぶ。


塚本訳 Ⅱコリ4:16
4:16 このゆえに、わたし達は気を落さない。いや、わたし達の(生れながらの)外の人はどんなにこわれていっても、(キリストによって生れた)内の人は一日一日と新しくされてゆく


新共同 マタ 26:41
26:41 誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」


口語 イザヤ 40:31:
しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない


●この3箇所に関していつものようにTSK日本語ヴァージョン(拙HPから導ける。無料)で探索してみよう。そこに出てくるものはキーをいちいち打たなくてもCtrl+Cで画面にコピーできるから便利。感じたものだけをピックアップしてさらに強く感じたところを赤字反転。まずⅡコリ4:16。


塚本訳 Ⅱコリ4:16
4:16 このゆえに、わたし達は気を落さない。いや、わたし達の(生れながらの)外の人はどんなにこわれていっても、(キリストによって生れた)内の人は一日一日と新しくされてゆく


 新共同 Ⅱコリ4:1
4:1 こういうわけで、わたしたちは、憐れみを受けた者としてこの務めをゆだねられているのですから、落胆しません


Psalms 119:81:
わたしの心を全くして、あなたの定めを守らせてください。そうすればわたしは恥をこうむることがありません。/カフ


Isaiah 40:29:
弱った者には力を与え、勢いのない者には強さを増し加えられる


I Corinthians 15:58:
だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである


II Corinthians 12:15:
そこでわたしは、あなたがたの魂のためには、大いに喜んで費用を使い、また、わたし自身をも使いつくそう。わたしがあなたがたを愛すれば愛するほど、あなたがたからますます愛されなくなるのであろうか。


Job 19:26:
わたしの皮がこのように滅ぼされたのち、/わたしは肉を離れて神を見るであろう


口語訳 イザ 57:1-2
57:1 正しい者が滅びても、心にとめる人がなく、神を敬う人々が取り去られても、悟る者はない。正しい者は災の前に取り去られて、
57:2 平安に入るからである。
すべて正直に歩む者は、その床に休むことができる。


Matthew 5:29:
もしあなたの右の目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に投げ入れられない方が、あなたにとって益である。


Matthew 5:30:
もしあなたの右の手が罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に落ち込まない方が、あなたにとって益である。


 口語訳 ロマ 7:22-23
7:22 すなわち、わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、
7:23 わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。


Ephesians 3:16:
どうか父が、その栄光の富にしたがい、御霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強くして下さるように、


I Peter 3:4:
かくれた内なる人、柔和で、しとやかな霊という朽ちることのない飾りを、身につけるべきである。これこそ、神のみまえに、きわめて尊いものである。


Isaiah 40:31:
しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。


Romans 12:2:
あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。


口語訳 エペ 4:22-24
4:22 すなわち、あなたがたは、以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て、
4:23 心の深みまで新たにされて、
4:24 真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである


Colossians 3:10:
造り主のかたちに従って新しくされ、真の知識に至る新しき人を着たのである


Titus 3:5:
わたしたちの行った義のわざによってではなく、ただ神のあわれみによって、再生の洗いを受け、聖霊により新たにされて、わたしたちは救われたのである。


Luke 11:3:
わたしたちの日ごとの食物を、日々お与えください。


●次にマタ 26:41をTSK日本語ヴァージョンで探求してみよう。


新共同 マタ 26:41
26:41 誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」


Matthew 24:42:
だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。


Matthew 25:13:
だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである


Mark 14:38:
誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。心は熱しているが、肉体が弱いのである」。


Luke 21:36:
これらの起ろうとしているすべての事からのがれて、人の子の前に立つことができるように、絶えず目をさまして祈っていなさい」。


Luke 22:46:
言われた、「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らないように、起きて祈っていなさい」。


I Corinthians 16:13:
目をさましていなさい。信仰に立ちなさい。男らしく、強くあってほしい。  


Ephesians 6:18:
絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。


I Peter 4:7:
万物の終りが近づいている。だから、心を確かにし、身を慎んで、努めて祈りなさい


I Peter 5:8:
身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。


Revelation of John 16:15:
(見よ、わたしは盗人のように来る。裸のままで歩かないように、また、裸の恥を見られないように、目をさまし着物を身に着けている者は、さいわいである。)


Matthew 6:13:
わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください


Proverbs 4:14:
よこしまな者の道に、はいってはならない、悪しき者の道を歩んではならない。


Proverbs 4:15:
それを避けよ、通ってはならない、それを離れて進め。


Luke 8:13:
岩の上に落ちたのは、御言を聞いた時には喜んで受けいれるが、根が無いので、しばらくは信じていても、試錬の時が来ると、信仰を捨てる人たちのことである


I Corinthians 10:13:
あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。


口語訳 Ⅱペテ2:9-10
2:9 こういうわけで、主は、信心深い者を試錬の中から救い出し、また、不義な者ども、
2:10 特に、汚れた情欲におぼれ肉にしたがって歩み、また、権威ある者を軽んじる人々を罰して、さばきの日まで閉じ込めておくべきことを、よくご存じなのである。こういう人々は、大胆不敵なわがまま者であって、栄光ある者たちをそしってはばかるところがない


Revelation of John 3:10:
忍耐についてのわたしの言葉をあなたが守ったから、わたしも、地上に住む者たちをためすために、全世界に臨もうとしている試錬の時に、あなたを防ぎ守ろう


Psalms 119:32:
主よ、わたしはあなたのあかしに堅く従っています。願わくは、わたしをはずかしめないでください。


Psalms 119:117:
あなたの約束にしたがって、わたしをささえて、ながらえさせ、わが望みについて恥じることの/ないようにしてください。


Romans 7:18:
わたしの内に、すなわち、わたしの肉の内には、善なるものが宿っていないことを、わたしは知っている。なぜなら、善をしようとする意志は、自分にあるが、それをする力がないからである。


Romans 8:3:
律法が肉により無力になっているためになし得なかった事を、神はなし遂げて下さった。すなわち、御子を、罪の肉の様で罪のためにつかわし、肉において罪を罰せられたのである。


I Corinthians 9:27:
すなわち、自分のからだを打ちたたいて服従させるのである。そうしないと、ほかの人に宣べ伝えておきながら、自分は失格者になるかも知れない。


Galatians 5:16:
わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。


Galatians 5:17:
なぜなら、肉の欲するところは御霊に反し、また御霊の欲するところは肉に反するからである。こうして、二つのものは互に相さからい、その結果、あなたがたは自分でしようと思うことを、することができないようになる。


Galatians 5:24:
キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである


口語訳 ピリ 3:12-14
3:12 わたしがすでにそれを得たとか、すでに完全な者になっているとか言うのではなく、ただ捕えようとして追い求めているのである。そうするのは、キリスト・イエスによって捕えられているからである。
3:13 兄弟たちよ。わたしはすでに捕えたとは思っていない。ただこの一事を努めている。すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、
3:14 目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである。


●アーソーカ。人間は最後まで目を覚ましていなければならない。痴呆になっても目を覚まして祈らなければならない。●かって坂上国蔵さんという方を病床にお見舞いしたときのことである。辞去しようとすると、傍らにおられたご婦人が「お父さん。高橋さんとお会いできるのはこれが最後ですよ。」と言った。すると坂上さんはやおら身を起こされて目をカッと開いて私の目を見られ、「今の丸の内(現在の東京聖書読者会)は眠っている!!」と叫ばれた。 あー、来世で坂上さんに顔を合わせることができるだろうか。●次にイザヤ40:31を探求してみよう。ここには「疲れない」という言葉がある。なぜ「疲れない」というのだろう。何が疲れないというのだろう。


口語 イザヤ 40:31:
しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない


Isaiah 30:18:
それゆえ、主は待っていて、あなたがたに恵を施される。それゆえ、主は立ちあがって、あなたがたをあわれまれる。主は公平の神でいらせられる。すべて主を待ち望む者はさいわいである。


Psalms 25:3:
わが神よ、わたしはあなたに信頼します。どうか、わたしをはずかしめず、わたしの敵を勝ち誇らせないでください。


Psalms 25:5:
主よ、あなたの大路をわたしに知らせ、あなたの道をわたしに教えてください。


Psalms 37:34:
主は正しい人を悪しき者の手にゆだねられない、またさばかれる時、これを罪に定められることはない。


Psalms 92:13:
正しい者はなつめやしの木のように栄え、レバノンの香柏のように育ちます。


Lamentations 3:25:
主はおのれを待ち望む者と、おのれを尋ね求める者にむかって恵みふかい。


Lamentations 3:26:
主の救を静かに待ち望むことは、良いことである。


II Corinthians 1:8:
兄弟たちよ。わたしたちがアジヤで会った患難を、知らずにいてもらいたくない。わたしたちは極度に、耐えられないほど圧迫されて、生きる望みをさえ失ってしまい


II Corinthians 4:8:
わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。


II Corinthians 4:16:
だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。


II Corinthians 12:9:
ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。


II Corinthians 12:10:
だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。


II Corinthians 4:16:
だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。


Galatians 6:9:
わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。


Hebrews 12:1:
こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。


Revelation of John 2:3:
あなたは忍耐をし続け、わたしの名のために忍びとおして、弱り果てることがなかった。


●アーソウカ。まず神にあって霊魂の健康、霊魂が元気であること。すると肉体も疲れないというものであるらしい。●妻と、ガーディナー+イギリスバロック管弦楽団+モンテヴェルディ合唱団のメサイアを鑑賞。さすがイギリス。本家の正調という感じ。●15:20妻はメサイアの練習に出発 


 


 

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何をしてもつまらない ++++++++ 所感

2007/11/09 07:39

071109(金)6時起床●朝の黙想「人生がつまらないとき」。人生はあるときなにもかもつまらなくなるときがある。何をやってもむなしいときがある。それは災いのときである。そんなとき人間は心の渇きを癒そうとする行動に走る。遊び、刺激、スポーツ、異性、恋愛、社会運動、趣味習い事、金儲け、酒、タバコ、ゴルフ、賭け、マージャン、ゲートボール、教会での遊びとお祭り、自慢話のおしゃべり、映画、テレビ漬け、意味のない集まり、奉仕、ボランティア活動、暇つぶし、・・・・モーなんでもよい。自分を満たしてくれるものであればなんでもよい。刺激がるものであれば何でもよい。一生懸命になれるものであればなんでも良い、生きがいを与えてくれるものならば何でも良い。●しかしそれで満たされない。長続きしないのがその証拠。人間は生まれつきのままの状態では心の渇きが癒されないことは、古典によく現れている。大抵はその本の冒頭にそれが書いてある。ダンテ「神曲」、バンヤン「天路歴程」、ゲーテ「ファウスト」。人生というのはそれから求道が始まる●このことを簡潔にかつ真理をずばり書いてあるのが新約聖書ヨハネ福音書4章13-14節である。この女性は人生を遍歴してついにイエスに出会った。命の君に巡り合った。幸いなるかな惨めな人生よ。見られない人生よ。ずたずたの人生よ。失敗の人生よ。悔やまれる人生よ。恥の人生よ。人間に後ろ指指される人生よ。実はそれが幸いして永遠の命に導かれるようになったのだ。真の食物。真の水を得て「魂の乾き」を癒されたのだ。


塚本訳 ヨハ 4:13-14
4:13 イエスは答えられた、「この(井戸の)水を飲む者はだれでもまた渇くが、
4:14 わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」


●これをTSK日本語ヴァージョン(拙HPから導ける。無料)で拡大調査探求する。するとピンと来るものがある。


13節


John 6:27:
朽ちる食物のためではなく、永遠の命に至る朽ちない食物のために働くがよい。これは人の子があなたがたに与えるものである。父なる神は、人の子にそれをゆだねられたのである」。


John 6:49:
あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死んでしまった


Isaiah 65:13:
それゆえ、主なる神はこう言われる、「見よ、わがしもべたちは食べる、しかし、あなたがたは飢える。見よ、わがしもべたちは飲む、しかし、あなたがたはかわく。見よ、わがしもべたちは喜ぶ、しかし、あなたがたは恥じる。


Isaiah 65:14:
見よ、わがしもべたちは心の楽しみによって歌う、しかし、あなたがたは心の苦しみによって叫び、たましいの悩みによって泣き叫ぶ。


Luke 16:24:
そこで声をあげて言った、『父、アブラハムよ、わたしをあわれんでください。ラザロをおつかわしになって、その指先を水でぬらし、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの火炎の中で苦しみもだえています』。


14節


John 6:35:
イエスは彼らに言われた、「わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない


John 6:58:
天から下ってきたパンは、先祖たちが食べたが死んでしまったようなものではない。このパンを食べる者は、いつまでも生きるであろう」。


John 11:26:
また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。


John 17:2:
あなたは、子に賜わったすべての者に、永遠の命を授けさせるため、万民を支配する権威を子にお与えになったのですから。


John 17:3:
永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。


Isaiah 49:10:
彼らは飢えることがなく、かわくこともない。また熱い風も、太陽も彼らを撃つことはない。彼らをあわれむ者が彼らを導き、泉のほとりに彼らを導かれるからだ。


Romans 6:23:
罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。


Revelation of John 7:16:
彼らは、もはや飢えることがなく、かわくこともない。太陽も炎暑も、彼らを侵すことはない。


John 7:38:
わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。


John 7:39:
これは、イエスを信じる人々が受けようとしている御霊をさして言われたのである。すなわち、イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊がまだ下っていなかったのである。


John 10:10:
盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである


John 14:16:
わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう


Romans 5:21:
それは、罪が死によって支配するに至ったように、恵みもまた義によって支配し、わたしたちの主イエス・キリストにより、永遠のいのちを得させるためである


Romans 8:16:
御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。


Romans 8:17:
もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。


II Corinthians 1:22:
神はまた、わたしたちに証印をおし、その保証として、わたしたちの心に御霊を賜わったのである


Ephesians 1:13:
あなたがたもまた、キリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなたがたの救の福音を聞き、また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印をおされたのである


Ephesians 1:14:
この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである。


Ephesians 4:30:
神の聖霊を悲しませてはいけない。あなたがたは、あがないの日のために、聖霊の証印を受けたのである。


I Peter 1:22:
あなたがたは、真理に従うことによって、たましいをきよめ、偽りのない兄弟愛をいだくに至ったのであるから、互に心から熱く愛し合いなさい。


I John 5:20:
さらに、神の子がきて、真実なかたを知る知力をわたしたちに授けて下さったことも、知っている。そして、わたしたちは、真実なかたにおり、御子イエス・キリストにおるのである。このかたは真実な神であり、永遠のいのちである


●松本部長から「技術講座」発足決定の話●昼は村松秘書、佐野監事と懇談。昨日音楽会で写した美智子皇后の写真を見せる●先日も今日も帰途に車中で居眠りして乗り越す。


 


 

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人生、失敗したら大泣きすればよい ++++++++ 所感

2007/11/08 06:47

071108(木)4時半起床、●次回の集会感話(ルカ14:28-33下記)を黙想。イエスの真意を探る。真の幸福を得るには最初に「この世の幸福」を手放せということをイエスは言う。そのことはなかなかできないから人生には不幸というものがあるのだ。「人生は一度大泣きしなければならない」。手放しで泣かなければならない。号泣しなければならない。それが真の幸福に至る道だ。


塚本訳 ルカ 14:28-33
14:28 (このように、わたしの弟子になるには最初の覚悟が必要である。)なぜか。(次の譬を聞きなさい。)あなた達のうちには櫓を建てようと思うとき、まず坐って、はたして造りあげるだけの金があるかと、その入費を計算しない者がだれかあるだろうか。
14:29 そうしないで、土台をすえただけで完成ができないと、見る人が皆、
14:30 『あの人は建てかけたが、完成できなかった』と言って笑うであろう。
14:31 また、ある王が他の王と戦いを交えようとする時には、まず坐って、(自分の)一万(の兵)で、二万(の兵)を率いてすすんで来る敵をむかえ撃てるかどうかを考えないだろうか。
14:32 そして、もしかなわないと見たら、敵がまだ遠くにいるうちに、使者を派遣して講和を申し出るであろう。
14:33 だから同じように、(家族や財産など)一切合切、自分のものと別れなければ、あなた達のだれ一人、わたしの弟子になることは出来ない。


●この世の幸福で真の幸福を得られるか。その判断は議論ではなく実験が必要。わたしの経験では、人もうらやむ「この世の幸福」を得ていると思われる人の晩年はたいてい不幸である。大企業で出世した人、高位高官になった人、学問的に業績を上げた人、賞を得た人・・・・・彼らに共通のことは「不満」。いつまでも不足感があるのだ。そして家庭的な不幸。子供がよく育たない●宗教に走る人は「負け犬」、「この世的な敗残者」と思う人に限って自分のリストラや病気や会社から追放されること、追い越されることに「青い顔」をする。恐怖心におびえる。つまり真の人生教養がない低級人物。常になにか恐怖心に満ちている。目を見ればわかる。言動でわかる。人物としては三流。だから仕事が栄えない。人がつかない。その友人はすべて金の縁、仕事の縁、趣味遊びの縁。しかし心の友がいない。●真の幸福は宗教的幸福。永遠の生命。それを得るにはまず「この世的幸福」とは縁のない人にさせられなければならない。人生の「最初に」その不幸が訪れなければならない。それは本能に反する逆境である。そのとき人間は「大泣き」しなければならない。「この私になぜこの不幸が!」と叫ばなければならない。失敗して「悔やむ人生」にならなければならない。「もーだめだ」と泣き崩れなければならない。その涙と叫びと嘆きの後に真の幸福が待っている。●私の逆境経験。父の結核再発で家が貧しくなった。住宅ローンを払い終わった家屋の全焼。脳内出血で意識不明●イエスの指し示す人生の真の幸福に至る道を歩もうとするものは「まず、この世の幸福」というものを手放せということだ。その関連箇所を思うと次のとおりだ。


塚本訳 ルカ 14:25-27
14:25 大勢の群衆がイエスと一しょに旅行をしていると、振り向いて言われた、
14:26 わたしの所に来て、その父と母と妻と子と兄弟と姉妹と、なおその上に、自分の命までも憎まない者は、だれもわたしの弟子になることは出来ない
14:27 自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることは出来ない。


塚本訳 マコ 10:17-23
10:17 旅行に出ようとされると、ひとりの人が駆けてきて、ひざまずいて尋ねた、「善い先生、永遠の命をいただくには、何をすればよいでしょうか。」
10:18 イエスは言われた、「なぜわたしを『善い』と言うのか。神お一人のほかに、だれも善い者はない。
10:19 (するべきことは神の掟を守ることだけで、)掟はあなたが知っている通り。──『殺してはならない、姦淫をしてはならない、盗んではならない、偽りの証言をしてはならない、』奪い取ってはならない、『父と母とを敬え。』(ただこれだけである。)」
10:20 その人が言った、「先生、それならみんな若い時から守っております。」
10:21 イエスは彼をじっと見て、かわいく思って言われた、「(よく守った。だが)一つ足りない。家に帰って、持っているものをみな売って、(その金を)貧乏な人に施しなさい。そうすれば天に宝を積むことができる。それから来て、わたしの弟子になりなさい。」
10:22 彼はこの言葉に顔をくもらせ、悲しそうにして立ち去った。大資産家であったのである。
10:23 イエスは(うしろ姿を見送っておられたが、)やがて見まわして、弟子たちに言われる、「物持ちが神の国に入るのは、なんとむずかしいことだろう。」


塚本訳 ルカ 16:13
16:13 しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。」


塚本訳マタ 4:18-22
4:18 ガリラヤ湖のほとりを歩いておられるとき、二人の兄弟、ペテロと言われたシモンとその兄弟アンデレとが、湖で網を打っているのを見られた。彼らは漁師であった。
4:19 「さあ、ついて来なさい。人間の(漁をする)漁師にしてあげよう」と言われると、
4:20 彼らはすぐ網をすててイエスに従った
4:21 またそこから進んでいって、ほかの二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟のヨハネとが、父ゼベダイと一しょに舟で網を繕っているのを見て、お呼びになった。
4:22 彼らはすぐ舟と父とをのこして、イエスに従った


新共同 ガラ 1:16-17
1:16 御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、わたしは、すぐ血肉に相談するようなことはせず、
1:17 また、エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした。


塚本訳 Ⅰコリ9:5
9:5 わたし達には他の使徒たちや、主の御兄弟たちやケパのように、姉妹を妻として連れてまわる権利がないというのか。


塚本訳 マコ 10:28-31
10:28 ペテロがイエスに、「でも、わたし達は(あの金持とちがいます。)この通り何もかもすてて、あなたの弟子になりました」と言い出した。
10:29 イエスは言われた、「アーメン、あなた達に言う、わたしのため、また福音のために、家や兄弟や姉妹や母や父や子や畑をすてた者で、
10:30 今、この世で──迫害のうちにおいてではあるが──百倍の家と兄弟と姉妹と母と子と畑とを、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。
10:31 しかし(決して油断をしてはならない。)一番の者が最後になり、最後の者が一番になることが多い。」


塚本訳 ルカ 6:20
6:20 イエスは目をあげ、(十二人の使徒その他の)弟子たちを見ながら話された。──「ああ幸いだ、『貧しい人たち、』神の国はあなた達のものとなるのだから


塚本訳  ルカ 9:57-62
9:57 彼らが道を進んでいると、ある人がイエスに言った、「どこへでもおいでになる所はお供をします。」
9:58 イエスはその人に言われた、「狐には穴がある、空の鳥には巣がある。しかし人の子(わたし)には枕する所がない。(その覚悟があるか。)」
9:59 またほかの一人に言われた、「わたしについて来なさい。」その人が言った、「その前に、父の葬式をしに行かせてください。」
9:60 その人に言われた、「死んだ者の葬式は死んだ者にまかせ、あなたは行って神の国を伝えなさい。」
9:61 もう一人のほかの人も言った、「主よ、お供します。ただその前に、家の者に暇乞いをさせてください。」
9:62 しかしイエスは言われた、「鋤に手をかけたあとで後を見る者は、神の国の役に立たない。


●イエスの言わんとするところは、人間が真の幸福を得るには、中途半端ではなく、最初に徹底的に決心せよ、この世を一切を捨てよ、最初が肝心。イエスはこういうことを言っているのだ。「この世半分、あの世半分」ではいけない、それでは真の幸福は得られないというのだ。●これは何も伝道者や聖職者に向けられた言葉ではない。たとえば「金持ちの青年」にも向けられたものである。富を捨てて神に帰依せよと。それは永遠の生命という真の幸福を見出す道であると。●人は若いうちに、つまり最初に「富よりも神」という覚悟をせよ。それが幸福に至る道だというのがルカ14:28-33の主眼のようだ。それはルカ9:62の精神と似ているので、そこをピンポイントでTSK日本語ヴァージョンで探ってみよう。


塚本訳  ルカ 9:62

9:62 しかしイエスは言われた、「鋤に手をかけたあとで後を見る者は、神の国の役に立たない。


●上記のTSK日本語ヴァージョン(拙ホームページに導入方法解説あり。無料)


Luke 17:31:
その日には、屋上にいる者は、自分の持ち物が家の中にあっても、取りにおりるな。畑にいる者も同じように、あとへもどるな。


Luke 17:32:
ロトの妻のことを思い出しなさい。


Psalms 78:9:
またその先祖たちのようにかたくなで、そむく者のやからとなり、その心が定まりなく、その魂が神に忠実でないやからと/ならないためである。


II Timothy 4:10:
デマスはこの世を愛し、わたしを捨ててテサロニケに行ってしまい、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマテヤに行った。


James 1:6:
ただ、疑わないで、信仰をもって願い求めなさい。疑う人は、風の吹くままに揺れ動く海の波に似ている


塚本訳 Ⅱペテ2:20-22
2:20 然り、もし彼らが主また救い主イエス・キリストを知る知識によって、この世の穢れから逃げ出し(た後)再びこれに絡みつかれて降参すれば、後は(きっと)前より悪くなるのである
2:21 (一旦)義の道を知った後で、授けられた聖なる戒めから後戻りするより、むしろ(始めから)知らなかった方がましであるから。
2:22 (まことに)「『犬は自分で吐いた物に戻る』」、「豚は体を洗って泥に転ぶ」なる諺の真理は、この連中に適中している。


●ルカ14:33が譬えの結論であるので、そこをTSKで探求する。


Luke 14:26:
「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない。


Luke 5:11:
そこで彼らは舟を陸に引き上げ、いっさいを捨ててイエスに従った。


Luke 5:28:
すると、彼はいっさいを捨てて立ちあがり、イエスに従ってきた。


Luke 18:22:
イエスはこれを聞いて言われた、「あなたのする事がまだ一つ残っている。持っているものをみな売り払って、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。


Luke 18:23:
彼はこの言葉を聞いて非常に悲しんだ。大金持であったからである


Luke 18:28:
ペテロが言った、「ごらんなさい、わたしたちは自分のものを捨てて、あなたに従いました」。


Acts 5:1:
ところが、アナニヤという人とその妻サッピラとは共に資産を売ったが


Philippians 3:7:
しかし、わたしにとって益であったこれらのものを、キリストのゆえに損と思うようになった


Philippians 3:8:
わたしは、更に進んで、わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに、いっさいのものを損と思っている。キリストのゆえに、わたしはすべてを失ったが、それらのものを、ふん土のように思っている。それは、わたしがキリストを得るためであり、


II Timothy 4:10:
デマスはこの世を愛し、わたしを捨ててテサロニケに行ってしまい、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマテヤに行った。


●朝風呂で日経「私の履歴書」、野村證券元会長の田淵哲也。野村證券に入社のいきさつ。その豪快な姿勢が気に入られたようだ。人間魚雷で死に損なった身なので何事も豪放。この記事は上記の聖書の解説にもなる。つまり、人間は最初が肝心、一切を捨ててかかった人生になっている。何がきても怖がらない。鉄は熱いうちに打てである。●9:15 市民検診に行く。肺がんと大腸がん。胃がんは今朝食事をしてしまったので12月に延期。妻に書類をよく読まない不注意だとひどく叱られる。トホホホホー。「そんなに怒るなよ」と言った。●若い者は老人を馬鹿にしてはいけない。老人はパソコンもITも電気製品もわからないものなのだ。それがわからないといって小馬鹿にすると、逆襲されて大馬鹿にされる●あの人には「あれが足りない」という批判のことを「欠如の批判」というらしい。人間に欠如の批判をしたらきりがない。人間は全能ではない。他人の欠如批判をするものは逆に自分の欠如が批判される。●「神観」批判ほど危険で神に嫌われるものはない。なぜか、人は誰でも神ならぬものを神として拝んでいるからである。たとえばヒューマニズム、平和思想。理想国家。地上王国。


塚本訳マタ 7:1-6
7:1 (人を)裁くな、自分が(神に)裁かれないためである。
7:2 (人を)裁く裁きで、あなた達も裁かれ、(人を)量る量りで、あなた達も量られるからである。
7:3 なぜあなたは、兄弟の目にある塵が見えながら、自分の目に梁があるのに気付かないのか。
7:4 また、どうして兄弟にむかって、『あなたの目の塵を取らせてくれ』と言うのか。そら、自分の目に梁があるではないか。
7:5 偽善者!まず自分の目の梁を取ってのけよ。その上で、兄弟の目の塵を(取ってやれるなら、)取ってやったらよかろう。
7:6 (とはいえ、正しい判断は出来ねばならない。神に供えた肉など)神聖な物を犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。豚はそれを足で踏みつけ、向き直ってあなた達を噛み裂くかも知れない。


●厨房の換気扇のランプがつかないので東芝に来てみてもらったら、私が取り替えた電球のねじ込み方が足りなかっただけのこと。ご足労をかけてしまった。●18:15ヘルシンキ大学男声合唱団演奏会を昭和女子大人見記念講堂で鑑賞。妻、山本先生(妻のピアノ教師)、守。と一緒●演奏曲目のなかに、美智子皇后陛下の訳されたものがあったので、妃殿下が御臨席。入退場のときに自然に拍手が沸きあがったのは美しかった。「日の丸君が代問題」などここでは起こらない。あれはイデオロギーの争い●アンコールでシベリウス「フィンランディア」から讃美歌にもなっているメロディ。男声合唱はすばらしい●美智子妃殿下を大勢の人が見送った。妃殿下は帰ってから天皇に今日の演奏会をどのようにご報告なされるかということを話し合いながら帰った。●美智子皇后を写真撮影したが、照男PC不調で現段階ではブログに掲載できない。修復後に編集する。

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昭和女子大人見記念講堂でヘルシンキ大学男声合唱団演奏会。守と

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ヘルシンキ大学男声合唱団演奏会。美智子皇后陛下のお帰り。

手の振りかたがゆっくりであった。


 


 

 

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身代わりの祈りに効果あり ++++++++ 所感

2007/11/07 07:08

071107(水)5時半起床●朝風呂で日経「私の履歴書、野村證券元会長の田淵節也。1943年、京都大学入学のときに応召。人間魚雷の特攻になったが、死なずに済む。軍隊の嫌な面を体験。そして終戦。これを一回分の紙幅でまとめたのは見事。●人間「嫌なことも肥やし」になる。●昨日のブログへのコメント(公開)に触発されて「身代わりで祈ること(代祷ともいう)の効果」について黙想。この観点からすると聖書は実はそのことの記事が多い。その数々を思い浮かぶままに下記に記す。


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ルカ   2: 25 塚本訳


さて(そのころ)エルサレムに名をシメオンという人がいた。この人は正しい、信心深い人で、イスラエルの慰め(である救世主)を待ち望み、聖霊が彼をはなれなかった。


ルカ  23: 34 塚本訳


するとイエスは言われた、「お父様、あの人たちを赦してやってください、何をしているか知らずにいるのです。」『彼らは籤を引いて、』イエスの『着物を自分たちで分けた。』


塚本訳 マタ 8:5-6
8:5 カペナウムに帰られると、一人の百卒長がそばに来て願って
8:6 言った、「主よ、うちの下男が中風で家にねていて、ひどく苦しんでおります。……」


塚本訳 ルカ 4:38
4:38 イエスは立って礼拝堂を出て、シモンの家に入られた。シモンの姑がひどい熱病に苦しんでいた。人々が彼女のことを願うと、


塚本訳 マタ 8:16
8:16 夕方になると、人々は悪鬼につかれた者を大勢イエスのところにつれて来た。イエスは言葉をもって霊どもを追い出し、また一人のこらず病人をなおされた。


塚本訳マコ 2:3-5
2:3 人々が一人の中風の者を、四人にかつがせてつれて来る
2:4 群衆のためイエスのところにつれて行けないので、おいでになる所の(上の)屋根をはがして穴をあけ、中風の者を担架に寝かせたまま(イエスの前に)吊りおろす。
2:5 イエスはその人たちの信仰を見て(驚き)、中風の者に言われる、「子よ、いまあなたの罪は赦された。」


塚本訳 マタ 6:5-6
6:5 また祈る時には、偽善者のようにしてはならない。彼らは人に見せようとして、礼拝堂や大通りの角に立って祈ることを好むのである。アーメン、わたしは言う、彼らは(褒められた時、)すでに褒美をもらっている。
6:6 あなたが祈る時には、『奥座敷に入り、部屋をしめきった上で、』隠れた所においでになるあなたの父上に『祈れ。』そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。


塚本訳マタ 9:18
9:18 こう話しておられると、そこに一人の(礼拝堂の)役人が進み出て、しきりに願って言った、「わたしの娘がたったいま死にました。それでも、どうか行って、手をのせてやってください。そうすれば生き返りますから。」


塚本訳マタ 9:32-33
9:32 ちょうど二人と入れ違いに、人々が悪鬼につかれた唖をつれて来た
9:33 悪鬼が追い出されると、唖が物を言うようになった。群衆が驚いて、「こんなことはかってイスラエル人の中で起ったためしがない」と言った。


塚本訳 マタ 12:22
12:22 そこに、悪鬼につかれた盲の唖をつれて来られたので、それをなおされると、唖が物を言い、目が見えるようになった。


塚本訳マタ 15:30
15:30 大勢の群衆が足なえ、片輪、盲人、唖、そのほか多くの者をつれてイエスの所に来て、足もとに置いたので、それをなおされた。


塚本訳マコ 9:20-23
9:20 人々がイエスの所につれて来ると、霊はイエスを見るや否や、その子をひどくひきつけさせたので、子は地に倒れ、泡をふきながらころげまわった。
9:21 イエスが父親に尋ねられた、「こうなってから、どのくらいになるか。」父親がこたえた、「子供の時からです。
9:22 霊はこの子を殺そうとして、幾たびか、火の中、水の中に投げ込みました。それでも、もしなんとかお出来になるなら、わたしども(親子)を不憫と思って、お助けください。」
9:23 イエスは言われた、「もしお出来になるなら(と言うの)か。信ずる者にはなんでも出来る。」


塚本訳 ルカ 7:11-15
7:11 そのあとで、ナインという町に行かれた。弟子たちおよび多くの群衆も一しょに行った。
7:12 町の門の近くに来られると、ちょうど、ある独り息子が死んで、(棺が)舁き出されるところであった。母は寡婦であった。町の人が大勢その母に付添っていた
7:13 主は母を見て不憫に思い、「そんなに泣くでない」と言って、
7:14 近寄って棺に手をかけ──担いでいる者は立ち止まった──「若者よ、あなたに言う、起きよ!」と言われた。
7:15 すると死人が起き上がって物を言い出した。イエスは『彼を母に渡された。』


塚本訳ヨハ 4:47-50
4:47 イエスがユダヤからガリラヤに来ておられると聞くと、イエスの所に行き、(カペナウムに)下ってきて息子を直してほしいと頼んだ。息子が死にそうだったのである。
4:48 イエスは言われた、「あなた達は徴[奇蹟]と不思議なことを見なければ、決して信じない。」
4:49 王の役人が、「主よ、子供が死なないうちに(カペナウムに)下ってきてください」と言いつづけると、
4:50 イエスは言われる、「かえりなさい、息子さんはなおった。」その人はイエスの言われた言葉を信じて、かえっていった。


口語訳 ヨハ 15:13-14
15:13 人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。
15:14 あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。


塚本訳Ⅰコリ7:13-14
7:13 また、不信者の夫を持ち、その夫が彼女と一しょに生活することを喜ぶ場合の妻は、夫と離婚してはならない。
7:14 (夫婦は結婚生活で一体となるため、)不信者の夫は(信者の)妻によってすでにきよめられており、不信者の妻は兄弟(すなわち信者の夫)によってすでにきよめられているからである。そうでなければ、あなた達の子供は清くないはずであるが、現に彼らはきよい(と認められている)ではないか。


塚本訳  黙  18:16
18:16 言うであろう、『禍なる哉(ウワイ)、禍なる哉(ウワイ)、大なる都、細布と紫と緋の衣を着、金と宝石と真珠とにて(身を)飾っている者、


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


●身代わりの祈り、隠れたる祈りについて回想すること。


①私の妻は長男に乳を含ませるときにはまず祈ってからした。幼子の代わりに祈った。


②私が15歳のころ、教会に通うようになったある日、父はわたしに内緒でそこの牧師を訪問、「どうか息子を救ってくれ」と願ったそうである。わたしはそのことを受洗を決意したときに牧師から聞いた。「アーよかった。お父さんに頼まれていたのです」と。


③その後、私が無教会になったある日牧師を訪問した。帰るときにわたしの姿が見えなくなるまで見送ってくれていた。きっと心の中で祈っていてくれたのだろう。もう40年以上も前のことになった。


③無教会の某婦人が私に言った。「今の照男さんがあるのは、お父さんのお祈りがあったからですよ」と。私はそのときはピンとこなかったが、最近わかるようになった。祈りは相手に知られないように祈るものだと。愚鈍なる私よ。今頃わかったのだ。


塚本訳 マタ 6:6
6:6 あなたが祈る時には、『奥座敷に入り、部屋をしめきった上で、』隠れた所においでになるあなたの父上に『祈れ。』そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。


④父の臨終のときわたしは耳もとで「ロマ書8章!、ロマ書8章!」と」叫んだ。私はこのとき代祷の心であった。父はロマ書8章が好きで、特にその26節は耳にタコができるほど聞かされた。


塚本訳 ロマ 8:26
8:26 しかし(創造物やわたし達神の子が苦しんでいると)同じように、御霊も、弱いわたし達を助けてくださる。すなわち、(神のみ心にかなうには)どう何を祈るべきかわからないので、御霊自身が、無言の呻きをもって(わたし達の祈りを神に)執り成してくださるのである。


⑤中沢樹先生は常に「葬儀は故人の罪の赦しを願う代祷でなければならない。故人に呼びかけたり、故人の徳をたたえるものであってはならない」とおっしゃっておられた。


●プロテスタント教のほとんどは、救いは本人の「信仰告白」にもとづくという教義である。幼児洗礼を否定した「再洗礼派」などはその典型的なものである。これに反してカトリックでは臨終に際して本人の信仰にかかわらず、周囲の願いで神父が「終油」の秘蹟を行えばそれで救いが得られるらしい。●今朝の勉強で、聖書を公平に読めば五分五分か。●黒田隆氏から電話。英語のエコノミーは家政、フランス語ではエコノミエ、ギリシャ語のオイコスは家、オイコノミスで家政、ラテン語ではオイコノミヤ。これで建築経済の担い手は女性であることをひらめく。昭和女子大に招かれて、建築経済、建築積算を講じるように導かれた意味が見えてきた●守から電話●音楽DVDでヴェートーヴェン。激しく人付き合いの下手なヴェートーヴェンがなぜあのような美しい音楽を作曲できたのか。天才は人付き合いが下手と考えれば納得がいく。パウロもイエスも人付きあいが下手であった。その美しさは願望であったのか●音楽DVDでチャイコフスキー。彼は同性愛者であり、最後は自殺。ずばりと解説している。チャイコフスキーの音楽も美しいがその人生は悲劇であった。彼の音楽の美しさもあるいは願望だったのかもしれない。


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 




 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 

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人生の諸段階 ++++++++ 所感

2007/11/06 08:18

071106(火)、昭和女子大講義日。昭和女子大は財務力、教育力、就職力の総合点で女子大のトップになった(東洋経済10月13日号)。講義中に親父ギャグなど言っているとマズイか。「逆(ギャグ)もまた真なり」だから、マー赦されるか。●4時半起床。朝の黙想「人生の諸段階」。人生の段階を書いたものには種々ある。ヒルティ幸福論Ⅱ所収「人生の段階」、バンヤン「天路歴程」(ピルグリム・プログレス)、ダンテ「神曲」、塚本虎二「信仰の4段階」など。●私自身は次のように考える。それは神に出会う段階。塚本虎二は「人生は神に出会うように始まり、そして終わる」と言っている。人生の目的は神に出会うことだ。


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1・神を求めはじめる段階。・・・・今までの行き方に満足しない、満たされない。バンヤン「天路歴程」の主人公は両方の耳に指をつっこんで妻子の引き止めるのも聞かず永遠の生命、永遠の生命!」と叫んで家を飛び出して、「天路歴程」の旅に出る。ゲーテ「ファウスト」の冒頭、どんな学問をやってもつまらないと主人公は言う。ダンテ「神曲」の冒頭、主人公は自分が「とある小暗い森の中にいる」ことを知る。彼らはすべて「これではいけない」「このままではいけない」と感じる。この思いが人生の出発である。賛美歌に「めさめよわが魂、朝日にともない」というのがある。キリスト教を覗き見する段階。


塚本訳マタ 6:33
6:33 あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。


塚本訳マタ 7:7-10
7:7 (ほしいものはなんでも天の父上に)求めよ、きっと与えられる。さがせ、きっと見つかる。戸をたたけ、きっとあけていただける。
7:8 だれであろうと、求める者は受け、さがす者は見つけ、戸をたたく者はあけていただけるのだから。
7:9 あなた達のうちには、自分の子がパンを求めるのに、石をやる者がだれかあるだろうか。
7:10 また魚を求めるのに、蛇をやる者があるだろうか。


塚本訳 ルカ 19:2-4
19:2 すると、(町に)名をザアカイという人がいた。この人は税金取りの頭で、金持であった。
19:3 イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低いので、群衆のため見ることが出来なかった。
19:4 それで先の方に駈けていって、桑無花果の木に上った。そこを通られるところを見ようとしたのである。


2・神に招かれる段階。・・・人間は人生の不満のとき、心が乾くときがある。それは今までの人生観や生き方が「本物」ではなかった証拠。論より証拠である。ギブアップすべきときである。そんな時こそ神の招きの言葉が染み入りやすい。それは神の招きがあるとき。


マタ   11: 28 [塚本訳


さあ、疲れている者、重荷を負っている者はだれでも、わたしの所に来なさい、休ませてあげよう。


塚本訳 マタ 5:3-8
5:3 ああ幸いだ、神に寄りすがる『貧しい人たち、』天の国はその人たちのものとなるのだから。
5:4 ああ幸いだ、『悲しんでいる人たち、』、(かの日に)『慰めていただく』のはその人たちだから。
5:5 ああ幸いだ、『踏みつけられて)じっと我慢している人たち、』、『(約束の)地(なる御国)を相続する』のはその人たちだから。
5:6 ああ幸いだ、神の)義に飢え渇いている人たち、(かの日に)満足させられるのはその人たちだから。
5:7 ああ幸いだ、憐れみ深い人たち、(かの日に)憐れんでいただくのはその人たちだから。
5:8 ああ幸いだ、『心の清い人たち、』(御国に入って)神にまみえるのはその人たちだから。


塚本訳 ルカ 19:5-7
19:5 イエスはその場所に来られると、ザアカイを見上げて言われた、「ザアカイ、急いで下りておいで。きょうはあなたの家に泊まることになっているから。」
19:6 ザアカイは急いで下りてきて、喜んでお迎えした。
19:7 皆がこれを見て、イエスは(税金取りのような)罪人の所に入りこんで宿を取った、と言ってぶつぶつ呟いた。


3・神の救いが与えられるとき。・・・・十字架の救いによる超自然的な新生が起こる。霊の新生。なぜそうなるのかその理由はわからない。医学的には解明できない不思議なこと。神の主権により与えられる神秘的なこと。新しい霊の誕生のこと。


塚本訳  ヨハ 3:5-8
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない
3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。
3:7 『あなた達は新しく生まれなおさねばならない』と言ったからとて、すこしも不思議がることはない。
3:8 風[プニューマ]は心のままに吹く。その音は聞えるが、どこから来てどこに行くか、あなたは知らない。霊[プニューマ]によって生れる者も皆、そのとおりである。」


塚本訳 ヨハ 1:12-13
1:12 しかし受け入れた人々、すなわち、その名を(神の子であることを)信じた人には一人のこらず、神の子となる資格をお授けになった。
1:13 この人たちは、人間の血や、肉の欲望や、男の欲望によらず、神(の力)によって生まれたのである


塚本訳 Ⅰヨハ5:4-5
5:4 というのは、すべて神(の力)によって生まれたものは、(掟に反抗する)この世(の悪の力)に勝っているからでる。そしてこの世に勝った勝利、それはわたし達の信仰。


4・目が開く、イエスを神の子と信じられるようになる。・・・・この霊の誕生は神秘的で不思議なること。医学的には解明できない超自然的なこと。


塚本訳 Ⅰコリ12:3
12:3 だから(霊の見分け方について、)あなた達に次のことを知らせる、神の霊に感じて語る者は、だれも 呪われよ、イエス!とは言わない、また聖霊に感じてでなければ、だれも、イエスは主と言うことは出来ない。


塚本訳 マタ 16:16-17
16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主、生ける神の子であります!」
16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから。


5・自分の変化を告知するようになる。・・・やむにやまれず伝承者、宣教者、祭司となる。


塚本訳  マコ 5:19
5:19 しかし許さずに言われた、「家に帰ってうちの者に、(神なる)主があなたを憐れんで、どんなにえらいことをしてくださったかを、知らせてやりなさい。


塚本訳  ルカ 19:8-10
19:8 しかしザアカイは進み出て主に言った、「主よ、わたしは(誓って)財産の半分を貧乏な人たちに施します。人からゆすり取ったものは四倍にして返します。
19:9 イエスが(人々に)言われた、「救いは(きょう、)この家に入った。(人でなしのように言われる)この人も、やはり(あなた達と同じ)アブラハムの末だから。
19:10 人の子(わたし)は『滅びうせた者をさがして』救うために来たのである。」


塚本訳ヨハ 9:25
9:25 彼が答えた、「罪人かどうか知りません。ただ、(もと)盲であったわたしが、いまは見えるという、この一つのことだけ知っています。」


塚本訳 ロマ 10:15
10:15 (神に)遣わされなければ、どうして説くことができようか。(しかし説く者はある。それはわたし達である。『善いこと[福音]を伝える人たちの足の、なんと美しいことよ!』と書いてあるとおりである。


塚本訳 Ⅰペテ2:5
2:5 そして君達自身も(主と同じく)活きた石として建てられて、霊の家となれ。これは君達が聖い祭司として、イエス・キリストによって神の御意に適う霊の供物を献げるためである


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●ミッシャマイスキーのチェロでバッハ「無伴奏チェロソナタ」を鑑賞


●湯浅鉄郎氏のブログ(http://blogs.yahoo.co.jp/trntim/folder/584389.html)の11月4日に、森寛子なる人物の紹介があり、プロテスタント的祭司の典型と思われたのでここに転載させていただく。


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 集会(礼拝)では、1999年にキリスト教放送局FEBCで放送された番組、加藤常昭先生による「み言葉を生きた人々」というシリーズの中の「森寛子」の第二話(CD)を聞く。

森寛子(1864-1943)は明治維新の中心人物のひとり岩倉具視の五女、旧久留米藩主有馬頼万(よりつむ)と離婚後、森有礼(初代文部大臣)と再婚(有礼も再婚)、森有礼の後妻となって先妻の2人の子を育て、有礼との間に三男「明」を与えられた。有礼は42歳で刺殺され、結婚生活はわずか1年7ヶ月であった。
寛子はその後三男明(後に牧師となる)と共に植村正久牧師より1904年市ヶ谷教会で受洗。

フランス文学者であり哲学者、そして何よりも真摯なキリスト者であった森有正、日本YWCA元会長関屋綾子は森明の子、寛子の孫にあたる。

寛子は祈りの人であった。晩年は自宅で病臥する生活が続いたが毎日朝2時間、夕方1時間、敷きっ放しの布団の上に聖書を開き端座し、み言葉を拝読しながら祈り続けたという。

寛子61歳のとき、実子である三男明(37歳)と死別。悲しむに沈み、眠れない夜が続く寛子に孫娘の関屋綾子は祖母と一緒の部屋で寝たいと申し出たという。祖母はこれを大変喜び、綾子は祖母の部屋でしばらくの期間一緒に寝るようになった。

そんなある夜、綾子がふと目を覚ますと、祖母森寛子の祈りの声が聞こえた。そこには、50人以上にもおよぶ甥や姪の名を挙げて、具体的に一人一人の救いのために必死に祈っている寛子がいた。この体験が関屋綾子の人生にも忘れることのできない霊的体験となった。


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 ●ボヴィス・レンドリースのJ・ディキソン氏に電話。国際人。●午後は昭和女子大で講義。建築上のギャグを発したが笑ってもらえなかった。全員わかっちゃいない。がっくりきたので同僚の講師に嘆きを漏らしたら「そういう時は教師を立てよ」(少しは笑えの意味)と言ったほうがいいと言われたのだが。・・・・・帰宅19:40.


 

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イエスを神の子と信じられるようになった人 ++++++++ 所感

2007/11/05 06:24

071105(月)、出勤日、5時10分起床。朝の黙想「イエスを神の子と信じられるようになった人」●朝風呂で日経。民主党の小沢代表が辞意。不確かで頼りないのが政治の世界。「自分の主張が受け入れられない」という理由ですぐ辞意を出す。前には安倍首相、今度は小沢代表。これだから政治は最終形態ではない。●小沢代表はTV中継の記者会見で朝日、日経を除く「マスコミ」の捏造記事に怒りをこめて大批判したが、その発言が日経には取り上げられてないのはなぜか。日経すらも真実を報道しないのか●朝風呂で日経「私の履歴書」、野村証券元会長の田淵節也。朝鮮で育つ。母親の影響が大きかった話。男は経済、女は子育てだ。●女性の資質(地位ではない、権利ではない)が向上しないことには世の中はよくならない。そこに着目した女子教育の先駆者はキリスト者であった。●今朝の黙想「イエスを神の子と信じられるようになった人」について浮かんだ聖句。


塚本訳 Ⅰコリ12:3
12:3 だから(霊の見分け方について、)あなた達に次のことを知らせる、神の霊に感じて語る者は、だれも 呪われよ、イエス!とは言わない、また聖霊に感じてでなければ、だれも、イエスは主と言うことは出来ない。


塚本訳 ヨハ 1:13
1:13 この人たちは、人間の血や、肉の欲望や、男の欲望によらず、神(の力)によって生まれたのである。


塚本訳 マタ 16:16-17
16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主、生ける神の子であります!」
16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから。


塚本訳 Ⅰヨハ5:4-5
5:4 というのは、すべて神(の力)によって生まれたものは、(掟に反抗する)この世(の悪の力)に勝っているからでる。そしてこの世に勝った勝利、それはわたし達の信仰
5:5 では、だれがこの世に勝つのであるか、イエスは神の子であると信ずる者でなくして。


●このうちⅠコリ12:3を三種の神器のうちの一つ「TSK日本語ヴァージョン」(拙HPより導ける。無料)で調べてみよう。


John 16:15:
父がお持ちになっているものはみな、わたしのものである。御霊はわたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるのだと、わたしが言ったのは、そのためである。


I John 4:2:
あなたがたは、こうして神の霊を知るのである。すなわち、イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白する霊は、すべて神から出ているものであり、


I John 4:3:
イエスを告白しない霊は、すべて神から出ているものではない。これは、反キリストの霊である。あなたがたは、それが来るとかねて聞いていたが、今やすでに世にきている。


I Corinthians 16:22:
もし主を愛さない者があれば、のろわれよ。マラナ・タ(われらの主よ、きたりませ)。


I Corinthians 8:6:
わたしたちには、父なる唯一の神のみがいますのである。万物はこの神から出て、わたしたちもこの神に帰する。また、唯一の主イエス・キリストのみがいますのである。万物はこの主により、わたしたちもこの主によっている


Matthew 16:16:
シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。


Matthew 16:17:
すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である


John 13:13:
あなたがたはわたしを教師、また主と呼んでいる。そう言うのは正しい。わたしはそのとおりである。


John 15:26:
わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう


II Corinthians 3:5:
もちろん、自分自身で事を定める力が自分にある、と言うのではない。わたしたちのこうした力は、神からきている


II Corinthians 11:4:
というのは、もしある人がきて、わたしたちが宣べ伝えもしなかったような異なるイエスを宣べ伝え、あるいは、あなたがたが受けたことのない違った霊を受け、あるいは、受けいれたことのない違った福音を聞く場合に、あなたがたはよくもそれを忍んでいる。


●次にマタイ16:17をまた「TSK日本語ヴァージョン」で調べてみよう


Matthew 5:3:
「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。


Matthew 13:16:
しかし、あなたがたの目は見ており、耳は聞いているから、さいわいである


Matthew 13:17:
あなたがたによく言っておく。多くの預言者や義人は、あなたがたの見ていることを見ようと熱心に願ったが、見ることができず、またあなたがたの聞いていることを聞こうとしたが、聞けなかったのである


Luke 10:23:
それから弟子たちの方に振りむいて、ひそかに言われた、「あなたがたが見ていることを見る目は、さいわいである。


Luke 10:24:
あなたがたに言っておく。多くの預言者や王たちも、あなたがたの見ていることを見ようとしたが、見ることができず、あなたがたの聞いていることを聞こうとしたが、聞けなかったのである」。


I Peter 1:3:
ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ、


Galatians 1:11:
兄弟たちよ。あなたがたに、はっきり言っておく。わたしが宣べ伝えた福音は人間によるものではない。


Galatians 1:12:
わたしは、それを人間から受けたのでも教えられたのでもなく、ただイエス・キリストの啓示によったのである


Galatians 1:16:
異邦人の間に宣べ伝えさせるために、御子をわたしの内に啓示して下さった時、わたしは直ちに、血肉に相談もせず、


Matthew 11:25:
そのときイエスは声をあげて言われた、「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました


Isaiah 54:13:
あなたの子らはみな主に教をうけ、あなたの子らは大いに栄える


Luke 10:21:
そのとき、イエスは聖霊によって喜びあふれて言われた、「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。父よ、これはまことに、みこころにかなった事でした。


Matthew 5:3:
「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。


Luke 10:22:
すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子がだれであるかは、父のほか知っている者はありません。また父がだれであるかは、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほか、だれも知っている者はいません」。


John 6:45:
預言者の書に、『彼らはみな神に教えられるであろう』と書いてある。父から聞いて学んだ者は、みなわたしに来るのである。


John 17:6:
わたしは、あなたが世から選んでわたしに賜わった人々に、み名をあらわしました。彼らはあなたのものでありましたが、わたしに下さいました。そして、彼らはあなたの言葉を守りました。


I Corinthians 2:9:
しかし、聖書に書いてあるとおり、/「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、/人の心に思い浮びもしなかったことを、/神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」/のである。


Ephesians 1:17:
どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と啓示との霊をあなたがたに賜わって神を認めさせ


Ephesians 1:18:
あなたがたの心の目を明らかにして下さるように、そして、あなたがたが神に召されていだいている望みがどんなものであるか、聖徒たちがつぐべき神の国がいかに栄光に富んだものであるか、


Ephesians 2:8:
あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である


Ephesians 3:5:
この奥義は、いまは、御霊によって彼の聖なる使徒たちと預言者たちとに啓示されているが、前の時代には、人の子らに対して、そのように知らされてはいなかったのである。


Ephesians 3:18:
すべての聖徒と共に、その広さ、長さ、高さ、深を理解することができ、


Ephesians 3:19:
また人知をはるかに越えたキリストの愛を知って、神に満ちているもののすべてをもって、あなたがたが満たされるように、と祈る。


Colossians 1:26:
その言の奥義は、代々にわたってこの世から隠されていたが、今や神の聖徒たちに明らかにされたのである。


Colossians 1:27:
神は彼らに、異邦人の受くべきこの奥義が、いかに栄光に富んだものであるかを、知らせようとされたのである。この奥義は、あなたがたのうちにいますキリストであり、栄光の望みである


I John 4:15:
もし人が、イエスを神の子と告白すれば、神はその人のうちにいまし、その人は神のうちにいるのである。


I John 5:20:
さらに、神の子がきて、真実なかたを知る知力をわたしたちに授けて下さったことも、知っている。そして、わたしたちは、真実なかたにおり、御子イエス・キリストにおるのである。このかたは真実な神であり、永遠のいのちである。


イエスを神の子と信ずる人が友人にいればそれは最大の宝物である。その人の教派が少し違っていても大切にしなければならない。なぜか。イエスを神の子と信じられるのは神の力によるのだから。得がたい友人である。たとえその人が人間的欠点に満ちていたり、行動様式が自分と少しぐらい違っていても気にしてはいけないのだ。自戒。●このブログは妻のPCで作成。PCは二台保有することがよい。一台が故障したとき(現在の私がそれ、修理中)に便利。もともとWWWの開発思想がそれであった。●関口顧問、和田睦夫氏と懇親懇談。話すことはよいことだ。頭が改造される。和田氏から「ギャグもまたよいものですよ」。なぜか「逆(ギャグ)もまた真ですから」と教えられた(笑)●一日10人と話をし、5回笑えば癌にはなりにくいということを聞いた●職場のヴィオリスト和田氏からは「バッハの無伴奏チェロソナタはミッシャマイスキーの演奏がすばらしいと教えられた。またよい音楽とは聞いていて「楽」な気分のものであるということで意見が一致。私は「ショスタコヴィッチは楽ではない」と言った。和田氏からは「ショスタコヴィッチを演奏するのは難しく、指にタコができる」ということを聞いた。(自笑)


 


 

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イエスを神の子と信じられるようなった理由 ++++++++ 所感

2007/11/04 07:44

071104(日)5時40分起床●朝の黙想「イエスを神の子と信じられるようになった理由」●それは不思議なプロセス。罪の自覚とその苦しみ、十字架による救いによってイエスを神の子と信じられるようになった●それは超自然的な心霊上の変化。理性ではわからない。なぜそうなるのか合理的な説明はできない。それを無理して頭で説明したのが「パウロ神学」。しかし頭では説明しきれない●イエスが神の子であることが分かるのは、神の力、聖霊の力。超自然的なこと。その聖書的根拠はたくさんある●そのことがわかればその人の地上での信仰生活の形態は「自由」。教会でも無教会でも可。福音派でも社会派でも可。大切なのは「イエスが神の子」であると告白すること。三位一体の使徒伝承に固く立つこと●イエスを神の子と信ずる人、信じられる人は「少ない」。●朝風呂で日経「私の履歴書」野村証券元会長の田淵節也。母からの影響が大きいという。戦時中に死にかけた時「母の名を呼んだ」という。母の力は偉大である。なぜか。「愛」のみだからではないか。●塚本先生は言う「十字架は義として見るより愛として見た方がその意味がわかりやすい」●集会は藤巻、小寺、高橋(救われる者は少ないか)●杉崎孝さんから話●小寺ご夫妻と昼食、妻は合唱の練習●PCのメール機能故障のためEマシンをノジマ(柳沼氏)に持ち込む。●ブログは他のパソコンからも書き込みができるから便利。

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理想の老人、理想の老年 ++++++++ 所感

2007/11/03 07:24

071103(土)38回目の結婚記念日。5時半起床。●朝の黙想「理想の老年」。シメオンとロイス●昨夜、妻と「老年の過ごし方」について話し合ったからか●朝風呂で日経「私の履歴書」野村証券元会長の田淵節也。「魚雷艇の特攻要員として訓練されたがで死にそこなった」ということだけあって、その後の人生の苦難にも腹が座っている。「取り調べ」にあっても「そうですねー、そうですねー」という姿勢は見上げたもの。●人間はどんな人でも叩けばほこりがでるものだ。無意識の内に蟻を踏み殺してしまう。そんなとき「しょうがないじゃーないですか」と言わないで「そうですねー、気をつけて歩かなければならないですねー」と言ってその場をかわさなければならない。「取調官」の立場というものもある。●人間は一度は「死に目に合わなければ」、すぐれた人生観を得られない。●「理想の老人」、「理想の老年」について、聖書中の二人を思う。男性はシメオン。


塚本訳ルカ 2:25-32
2:25 さて(そのころ)エルサレムに名をシメオンという人がいた。この人は正しい、
信心深い人で、イスラエルの慰め(である救世主)を待ち望み、聖霊が彼をはなれなかった。
2:26 かつ主の救世主を見ないうちは決して死なないと、かねて聖霊からお告げを受けていた。
2:27 (この日)御霊に感じて宮に行くと、ちょうど両親が、律法の仕来りどおり幼児イエスに行おうとして彼をつれて入ってきたので、
2:28 シメオンは幼児を両腕に抱き、こう言って神を讃美した。──
2:29 今こそ、
主よ、あなたはこの僕をしてお言葉のとおり安らかに(この世に)暇乞いをさせてくださいます、
2:30 わたしの目が『もうあなたの救いを拝見しました』からです。
2:31 この救いこそ、あなたが『全人類の(ため、その)目の前で』用意されたもの、
2:32 『異教人には啓示を、』あなたの民『イスラエルには栄光をあたえる』『光』であります。


●カールヒルティは、理想的な死に方は「(有意義な)仕事をしている最中に召されること」であると言っている。現に彼は「永遠の平和」という論文を執筆中に心臓麻痺で召された。1909年、76歳であった。「もし天国というところがあればただひとりの人、妻のヨハンナにだけ会いたい」と言っていたその夫人に先立たれて12年後のこと。●ヒルティ著作集(白水社)の第10巻(1979年)に「老年について」という論考がある。 この巻の月報には拙論「無教会主義の系譜におけるヒルティ」がある●現在編集中の「藤林益三」という本の編集長の津上毅一氏は、94歳でありながらワープロを打たれて執筆に余念がない。「内村、塚本、浅見、藤林」の系譜に「三位一体の信仰」があることを発見したといって情熱を傾け「自分がこの年齢になるまで生かされてきた意味がわかった」とまで言っておられる。●この二人が私の理想の老年、理想の老人。●次は「祖母ロイス」


 口語訳 Ⅱテモ1:5-7
1:5 また、あなたがいだいている偽りのない信仰を思い起している。この信仰は、まずあなたの祖母ロイスとあなたの母ユニケとに宿ったものであったが、今あなたにも宿っていると、わたしは確信している。
1:6 こういうわけで、あなたに注意したい。わたしの按手によって内にいただいた神の賜物を、再び燃えたたせなさい。
1:7 というのは、神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである。


●テモテは新約聖書で有名であるが、その信仰の源流は祖母ロイス。テモテはその孫。信仰が本物だと、孫に伝わる。「テモテへの手紙」を読むときは祖母ロイスと母ユニケのことを思わなければならない。●11:00妻と連合設計社市谷建築事務所に 行って「吉田桂二個展」を鑑賞。英国コツウェルの風景。吉田桂二にぜひそこに旅するように勧められた●15:00大井町の「きゅりあん」で「早稲田大学グリークラブOBメンバーズ演奏会」に行く。超難曲が多かった。守も指揮をした。●穂澄さんと和歌が私たちの結婚記念日(38回目)を祝して食事をしてくれた。●愛子から私たちの38回目の結婚記念日へのメッセージ。「決して実家に戻ってきてはいけないと厳しく説教してくださりありがとうございました。」という。●岩波新書、熊野純彦著「西洋哲学史」(近代から現代へ)。第15章ハイデガー、ウィトゲンシュタイン、レヴィナス。「哲学」はこれで終了。結論は「哲学には救いなし」。心は広くなることは有益であるが、また反対に争いのもとにもなる。知識は救いではない。

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メール故障しました。 ++++++++ 所感

2007/11/02 07:18

071102(金) 出勤日。5時15分起床●昨夜は福島の恵にパソコンを教えてもらう。ところがその後、「メール機能」が故障。送受信出来なくなった。●ブログを見ておられる方々、覗き見の方々へ。メールでのご連絡は受け付けられませんので、電話かFAX(電話と同じ番号)でお願いします。それにしてもパソコンはしばしば故障があるので厄介です。連絡応答がパソコンの故障で途絶えると「誤解」を招くので困りものです。ブログは正常ですので、コメントなどは受信可能です。●朝風呂で日経「私の履歴書」野村証券元会長の田淵節也。さすが証券界のドン。証券界の不祥事で国会の証人喚問を受けても堂々としている。間違いは間違い、として素直に認めた受け答えは立派。しかし不勉強(と言っても世界が違うのだが)の国会議員は歯が立たなかったらしい。●総合研究所松本技術部長と長懇談。懇談ということは良いことだ●村松秘書と昼食懇談。老人の世話について●14:20 中谷義昭氏が来会。78歳で現役コンサルタント。大いに刺激された。日本の建築業界で最も求められている職能をお持ちである。●パソコンのマイクロソフトアウトルックが故障、対策に腐心。●妻と老後の暮らしの話。経済計画についての話。
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老人は死を待つ存在であってはならない ++++++++ 所感

2007/11/01 08:11

 満64歳3ヶ月 職場完全退職まであと1年6ヶ月 平均余命18年。死亡推定年齢82歳。ライフワークは、「有体的復活」の伝承を担う使徒でありうること。「神の絶対恩恵による無条件の罪の赦し」を伝承すること。


071101(木)4時15起床。●岩波新書、熊野純彦著「西洋哲学史」(近代から中世へ)第14章。フッサール。ここでも数学と哲学の関係。数学は哲学よりも上という考えは誤り。●朝風呂で日経「私の履歴書」野村証券元会長の田淵節也。話に無駄がない。さすが民間人。市場原理を指す言葉、アダムスミスの「神の見えざる手」という言葉が好きだという。●しかし氏はクリスチャンでないから、それを「お天道様」とか「お陰様」という言葉に置き換えている。無神論者の思想よりもましだが、日本の第一級の経済人の宗教観としては実に低級で情けない。アダムスミスの言っていることを真に理解しない日本の知識人の象徴的な言葉だ。日本は宗教観が一流にならないと経済もなにも一等にならない。●明後日の集会の準備。標題と結論は次のように変更した。


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 標題


「救われる者は少ないか」「あの人はどうなるのか」


・・・神は人に理性の安息ではなく、信仰による安息を要求する・・・


      


塚本訳 ルカ 13:23a


13:23a するとある人が「主よ、救われる者は少ないでしょうか」と尋ねた。


 


塚本訳ヨハ 21:21


21:21 ペテロはその人を見て、イエスに言う、「主よ、あの人はどうなるのでしょうか。

















●結論。「あの人はどうなるのか」という不安や悩み・・・この不安という病気は理性の安息でなく信仰による安息で癒される。神が求めるのは理性ではなく信仰による安息。イエスが人の救いに関して理性での答えを避けた理由がここにある。無教会主義が教会や神学を持たず、社会改造を主眼としない理由は理性ではなく信仰による安息の真理に生きているから。


 




 


塚本訳ヨハ 11:24-26


11:24 マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」


11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。


11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。


 


塚本訳ヨハ 20:29


20:29 イエスは言われる、「わたしを見たので、信じたのか。幸いなのは、見ないで信ずる人たちである。」



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●アルフレッド・ブレンデルでシューベルトのピアノ曲を鑑賞。シューベルトはすばらしく美しいメロディーを残して死んだ。その幸福感に溢れるメロディーはメンデルスゾーンに似ている●彼はシューベルティアーデという集まりを持っていて、よい友人たちに囲まれていた。●短い人生の喜びは「良い人との出会いや交わり」である。だから人間は人との出会いというものを大切にしなければならない。それはかけがえにない人だからである。両親、先生、伴侶、子供、親戚、職場の同僚、仕事上の付き合い、教会(集会)の信者、趣味サークルの仲間。然り、自分の運命。「二度と通れない」一回限りの自分の道。●単行本「藤林益三」の編集長津上毅一氏は、94歳の御高齢ながら、本書において「三位一体の信仰」を告白すべく、情熱を傾けてパソコンを打っておられる。わたしはこの姿に接して、「長生きする意義」ということを知った。啓発された。人間の肉体は聖霊の神殿である。健康に気をつけて長生きすることは神の神殿を保存することである。肉の体は神の霊を保存する器である。やたらに死を待つ存在であってはならない。





新共同 Ⅰコリ3:16


3:16 あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。


 


新共同 Ⅱコリ4:7


4:7 ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。


 


●子供が親元から離れて行ってさびしい時の慰めの言葉。「かわいい子には旅をさせよ」。私はかって苦境に陥った時に隅谷三喜男先生からこの言葉を頂いた。「高橋さん。かわいいものには旅をさせましょう」と。この意味を広辞苑は次のように解説している。「子供は甘やかして育てるより、手許からはなしてつらい経験をさせ、世の中の辛苦をなめさせたほうがよい」。このことの類似思想は聖書にあるかを考えた。





 塚本訳マタ 26:38-39
26:38 それから彼らに言われる、「『心がめいって』『死にたいくらいだ。』ここをはなれずに、わたしと一しょに目を覚ましていてくれ。」
26:39 そしてなお少し(奥に)進んでいって、俯けに倒れ、祈って言われた、「お父様、出来ることなら、どうかこの杯がわたしの前を通りすぎますように。しかし、わたしの願いどおりでなく、お心のとおりになればよいのです。


 


●このとき父なる神は愛する子イエスから目をそむけて、助けなかった。イエスの願いを聞きいれなかった。イエスは人には「神は父だから祈れば何でも聞いてくださる」と教えていきながら、自分の願いは聞いてもらえなかった。ここに人類の救いがあった。●昨夜、福島にいる妻からの電話。「親友(シ)さんのご主人が9月に亡くなったことを知ったのでお悔やみに行くから遅くなる」とのこと。シさんは私たちの結婚式に出席してくてた上に、あきる野の我が家にも来てくれたことがある。人生は短いなー。●武祐一郎先生から電話。●ソニーのMDが故障。ソニーのサービスセンターの電話対応は優れている


 


 


 



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