to 日記と感想 2008年04月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170821(土)15:00お江戸コラリアーズ定期演奏会、文京公会堂
    170809     TW誕生日
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170706      TM誕生日
    170701      TT誕生日
    170628       IY誕生日
    170625(日)14:00羽村フィル、ゆとろぎ。モーツァルト40番、チャイコフスキー5番
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール
    170610(土)14:00内村鑑三セミナー、立教大学12号館。矢田部、椚」山
    170609(金)   TS命日
    170608(木)12:15ボリショイ「白鳥の湖」、東京文化会館
    170707(水)10:00池谷医院
    170604(日)10:00集会感話、
    170604(日)16:30近藤恵邸起工式、福島市。
    170530(火)14:00田岡氏来訪
    170527(土)14:00今井館ピアノコンサート
    170521(日)14:00新宿フィル、ブラームス1番、レスピーギ「鳥」「ローマの松」。和田睦夫
    170425       TN)誕生日
    150420(木)09:30阿伎留センター泌尿器科)
    170416(日)14:00武蔵野室内合奏団、杉並公会堂(大坪満子)


淋しさが諸悪の根源 ++++++++ 所感

2008/04/30 08:30

080430(水)5時起床●昨日の「キリスト教性教育研究会」について思う●朝風呂で日経「私の履歴書」元参議院議長、扇千景。最終回。夫扇雀の女遍歴を暴露。夫の素行を広い心で見る態度も見上げたものだが、それでも清らかな愛による家庭平和の落ち着きがない。一流の人生観ではない。世界の一等国になれない●昨日の「キリスト教性教育研究会」の感想●まずカトリック、プロテスタント、無教会から教派を超えて多くの人が参集したことはこの問題がもたらす悲惨さがいかに深刻であるかを物語っている。教派争いなどを論じている暇はない●結論は青少年の非行の原因は「淋しさが原因」であり、それは家庭崩壊が背景にあるということ。具体的には夫婦の不和で妻に心の落ち着きがなく、子供を「アダルト・チルドレン」とすることによって、子供を自分の「生きがい」としてしまうこと。心理学的用語では「共依存症 」
。「あなたが幸せになれば、それだけでお母さんは幸せなのよ」という心理。こういう家庭を「機能不全家族」という。●こういう状態の妻にしてしまう原因は夫婦関係や嫁・姑関係のまずさ。父性の希薄さ。●その結果子供の精神が健全に育たず、諸悪(閉じこもり、性非行、非行行動、暴力、攻撃的暴言、不登校、得体のしれない行動などなど)が発生する。●夫が妻の心をゆったりさせるのが解決の道。●日本全国「機能不全家族」である。しかし神はその「欠陥家庭」のゆえにその家庭に救いを与える●心理学者、精神医学者、教育家、牧師などがその「機能不全」を追求し責めるが、神はその上を行く。その「不完全さを利用」して人や家庭を救う。 さらば喜んで弱さを誇ろう。不完全を嘆くまい●日本全国「完全なる家庭」はない。どんな人も何かしら家族のことで悩みを抱いているのだ。

塚本訳 ルカ 5:31
5:31 イエスはその人たちに答えられた、「健康な者に医者はいらない、医者のいるのは病人である。

文語訳  Ⅱコリ12:9
12:9 言ひたまふ『わが恩惠なんぢに足れり、わが能力は弱きうちに全うせらるればなり』さればキリストの能力の我を庇はんために、寧ろ大に喜びて我が微弱を誇らん。

新共同 Ⅱコリ12:9
12:9 すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。

●淋しいのは子供だけではない大人も淋しいのだ。人間はどの年齢層でも淋しいのだ●アウグスチヌスの次の言葉は至言である。

「人間はあなた(神)に向くように創られたものです。ですからあなたの御胸に憩うまでは私の心は安きを得ません」。

●これだ。これに開眼しないから人間はあらぬもの(酒、女、男、金、遊び)に安きを求めるのだ。しかしそれに触れるなとの説教では無理。人間は一度その道を実験してみた方がよいのかも知れない。不幸のどん底、ぼろぼろドロドロの辛い経験も必要悪なのかもしれない。それで人生に「箔が付く」のかもしれない。しかし子供を道連れにするという大犠牲が起る。だからお勧めはできない。その不幸で真の幸福に開眼すればいいが、それは残念ながら少数。大部分はその「あらぬもの」をもって「安し、安し」と嘘ぶいて一生を終わる。あー、達者で暮らせ。

新改訳 イザ 47:8-9
47:8 だから今、これを聞け。楽しみにふけり、安心して住んでいる女。心の中で、『私だけは特別だ。私はやもめにはならないし、子を失うことも知らなくて済もう。』と言う者よ。
47:9 子を失うことと、やもめになること、この二つが一日のうちに、またたくまにあなたに来る。あなたがどんなに多く呪術を行なっても、どんなに強く呪文を唱えても、これらは突然、あなたを見舞う。



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宗教的違和感は罪悪 ++++++++ 所感

2008/04/29 09:59

090429(火)5時起床●朝風呂で「永遠の生命は金で買えない」を推敲。教会が物理的に存続してもそこで永遠の命が学べるかどうかは別。●内村鑑三の「余はいかにしてキリスト信徒となりしか」は我が国のキリスト教史において重要な本。内村たちは、日本が外国のミッション同士の教派争いの戦闘の場所になってしまっているのを嘆いて独自の方針を打ち出した。歴史的にはそれがその後「無教会」というヘンテコリンな名称の集団が誕生した。●ところがそのヘンテコな名称の集団も100年も経過すると、「妙な雰囲気」のタコ壺的教派になりさがって、「教会的エートス」に違和感を感じる異様なヘンテコな集団ができてしまった。共産主義のイデオロギー闘争の粛清より陰湿である。無教会的エートスでは人は救われない。そのエートスは福音の外側にからみつく変な病的雰囲気である。ブルンナーは教会主義というのは周辺的なものが中心的なものになっている姿だと言っているが、今やそれは無教会主義についても言える。「無教会的雰囲気とかエートス」もまた周辺的なものであるがそれが中心的なものになっている。●無教会者が教会者に「違和感を感じる」ということ自体が教派根性の罪悪性を露呈している。神の恐ろしい裁きの鉄槌が下ることは必至。●マテマテ。その雰囲気をなくせと言ってもいまさら無理。自然消滅を待つより方法がない。自然死、それが裁きだ。「罪の値は死」●13:00国際基督教大学。「キリスト教性教育研究会」に出席。ほぼ40年ぶりに訪れた国際基督教大学のキャンパスの素晴らしさに感心した。●研究会ではカトリック、プロテスタント、無教会から多数の参加者を得て盛会であった。富永國比古会長の司会で活発な意見交換。パネリスト星野仁彦氏の話に同感した。青少年の各種非行(不純異性関係、ニート、閉じこもり、不登校、などありとあらゆる現象)の原因は「心の淋しさ」に尽きる。その原因は「家庭の機能不全」だと指摘された。●私はフロアーから発言「今日の会はただただ世の中は嘆かわしいというトーンのみであった。しかしイエスは「愛と性」で失敗した女性をとがめ立てせずに救った。不順な性行動が良くないことは人に言われるまでもなく本人が一番よく知っている。(良心に痛みがある。自然法だ。)この研究会はそういう失敗女性を救うために存在するべきだ」●パネリストICU教会森本あんり牧師の話にほっとした。性の失敗者の味方である。

 

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キリスト教性教育研究会。国際基督教大学。

左から高橋照男、富永國比古、星野仁彦。撮影は富永久美子・ICUのキャンパスはすばらしい。

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国際基督教大学礼拝堂。こういうすばらしい教会堂を見ると集会での私自身の話も「へんなもの」であってはならないと感じた。よい建物は人間の精神を正す。

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ICUキャンパス。図書館。これは素晴らしい設計だ。このキャンパスには高い建物ががないのがよい。

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ICU教会チャペル。立派なパイプオルガンがあった。すばらしい設計。間もなく結婚式が始まろうとしている。

森本あんり牧師の話。「愛が結婚を支えるのではなく、結婚が愛を支える」とは至言。

 

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チャペルの入口ホールにエミール・ブルンナーの胸像。「私がICUに招聘されたのは、神の招きであったのだと認める」と英文で書いてあった。氏は無教会の存在を世界に紹介した。

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キリスト教性教育研究会にて、千葉真氏(国際基督教大学教授)と

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ICUキャンパス内の「花水木」。すばらしい美しさ。こういうキャンパスで勉学できる学生は幸せだ。美しい景色は情操教育のためによい。


●森本あんり牧師と懇談。●帰途一緒の人。平田國夫、市川秀樹、武田晶子、田中健三。

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永遠の生命は金では買えない ++++++++ 所感

2008/04/28 08:35

080428(月)、有給休暇●4時半起床●朝風呂で5月4日の感話の準備「永遠の生命は金で買えない」●某氏邸基本設計。水回り(厨房、選択洗面、風呂、WCなどのこと)は主婦の意見による。ホテルの厨房はコック長の意向に沿って設計するのと同じ●次回の感話「永遠の生命は金では買えない」がまとまった。●「ロンドンデリーの歌」を土居裕子(彼女のファン。070823のブログにツーショットあり)の熱唱で聴き落涙。亡き子を思う母の気持ちが切々と歌われている。

「ロンドンデリーの歌」

さえずる 雲雀(ひばり)の声に

ふたたび春はめぐる いとしく育(はぐ)くみしわが子

ひととき帰りこよ せめては幻となりて

なつかしの母の夢に

りんごの花びらは春の

さかりを白く開く その花摘みしわが子の

幼き面影いずこよ 黄泉路(よみじ)をつかさどる神よ

ひととき返し給え いくとせ嘆き深まる

悲しき母の胸に

 

●世に深く愛した子供に先立たれることほどの悲しみがほかにあろうか。「有体的復活の信仰」以外に涙がぬぐわれる道はあるまいと思うのだが。・・・・この詩の「黄泉路(よみじ)をつかさどる神よ」とは死者が復活するまで、眠っている場所。地獄ではない。この詩は母の切なる祈りである「あなた(神様)は黄泉にまで力がおよぶと教会で聞きました。ですから神様、わずかでも良いですからわが子をこの胸に返してください」という母の切なる願いである。世に母の愛に勝るものはあるだろうか。

讃美歌312番「いつくしみふかき友なるイェスは」の歌詞が「母君に勝る友や世になし」というのを聞いたことがある。●私の親友のS君は一人っ子であったが還暦を迎えないで、その時88歳の母親を残して逝った。その御母堂は私に取りすがって呻くように号泣された。私はただただ背中をさするだけであった。世にこのような悲しいことがあるだろうか。誰がこの悲しみを救ってくれるか。そうだ。復活だ。有体的復活だ。そのためにイエスは十字架で死んで罪の購いを遂げて下さり、神によって復活させられたのだ。有体的復活。万物の再生。愛する者との再会。ある。ある。必ずある。馬鹿なことを信じているやつだと思って笑ってくれ。「お父さんはやっぱり(脳をやったので)少しおかしくなった」と思ってくれ。馬鹿で結構。バッハもヘンデルもベートーベンも馬鹿だったのだ。

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タンポポの花4本。私の子供も4人。このタンポポの種のように風に吹かれてどこかに飛んでいく。いやもう飛んで行ってしまった。15:56

もう戻ってはこないのだ。なるべく遠くに飛んで行こうとするのが植物、自然界の摂理なんだなー。残されるのは枯れた茎。そのうち刈られて焼かれるのだ。種よ飛んで行け。後ろを振り返るな。「父の家を忘れよ」。詩篇45:10

口語訳 詩  45:10
45:10 娘よ、聞け、かえりみて耳を傾けよ。あなたの民と、あなたの父の家とを忘れよ。

●「いつでも戻っておいで」というのは儒教。「飛んで行って帰ってくるな。親を忘れよ」というのがキリスト教。精神文化の差。後者の方が優れている。●NHK大河ドラマ「篤姫」の母親は偉い。「女の道は一本にござります」と言って子供を突き放す。

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春のあきる野。菜の花畑。とてもよいイエローだなー。向こうのものはビニールハウスといえどもそのホワイトの故にきれいだなー。15:58

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通勤の道。右側が我が家。16:36

花が見送ってくれる道。「働ける」というのは感謝なことだ。しかし通勤もあと一年を切った。

●久しぶりに畑仕事の田中三郎さんと会う。目の前で「カブ」を数本掘ってくださった。田中さんは通勤(片道2時間)に疲れたと言われて65歳で顧問を辞められた。


 

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ここがシクシク泣く場所です ++++++++ 所感

2008/04/27 07:46

080427(日)4時半起床●某氏邸基本設計●建築主との対話。夫人に「ここはあなたがシクシク泣く場所です」。御主人に「ここは夫婦喧嘩をしたら、ひそかに表に出ていく勝手口です」。●64歳の設計ともなると話題が暗くていけない。若い二人が楽しい家を描いているのに我ながら説明がクラァーイ。反省●集会は藤巻、高橋トミ子(自分の歩み。ヨハネ1章1-3節の感話。ロゴスが世界を創造されことがロマ書8章19節以下と関係するということがわかったという話)、横田(教会史。各種信条の源流は聖書に発する)。●横田氏の話にアーメンであったので集会後意見交換した。高橋「私がいつか話そうと思っていたことを先に話されてしまった」。横田「このことは何度話してもよいから大いにやってほしい」。●荒井献先生の発言をめぐって横田氏と意見交換。荒井先生から頂いたお手紙3通をお見せした。●歴史的事実と、信仰的事実の間には大脳皮質では渡れない深い溝がある。それをまともに言うと「あの人には信仰がないのではないか」と疑われる。そうではない。信仰とは霊の世界のことだから大脳皮質による推論やアプローチでは絶対に到達できないということを荒井先生は言われるのである。霊の世界というのはそういうものなのだと言われるのである。●パウロが霊のことは霊でなければわからないということと同じである●このことを荒井先生がヒヤッとするような「言い回し」をされるから誤解され「躓かれる」のである。もう少し大脳皮質にもわかりやすく説いていただきたい。

口語訳 Ⅰコリ2:14
2:14 生れながらの人は、神の御霊の賜物を受けいれない。それは彼には愚かなものだからである。また、御霊によって判断されるべきであるから、彼はそれを理解することができない。


新改訳 Ⅰコリ2:14
2:14 生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。


新共同 Ⅰコリ2:14
2:14 自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。霊によって初めて判断できるからです。


塚本訳Ⅰコリ2:14
2:14 しかし(御霊を持たない)生まれながらの人間は、神の霊から出てくることを受け入れない。彼にはそれが馬鹿なことなのである。またそれを理解することも出来ない。(霊のことは)霊的に判断されねばならないからである。

●このことをパウロはまた次のように言う。

口語訳 Ⅰコリ1:18
1:18 十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。


新改訳 Ⅰコリ1:18
1:18 十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。


新共同 Ⅰコリ1:18
1:18 十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。


文語訳Ⅰコリ1:18
1:18 それ十字架の言は亡ぶる者には愚なれど、救はるる我らには神の能力なり。


塚本訳 Ⅰコリ1:18
1:18 なぜか。この十字架についての言葉は、滅びゆく者には馬鹿なことであるが、わたし達救われる者には、神の力(の現われ)であるから。


●集会後大長老のS・Tさんから再びご忠告をいただく●昼食会は欠席●教文館に行って「聖書と経済」山本栄一著を購入。本はなるべく買わないようにしているが、これは仕事上にも関係するので「仕方なく」購入。しかし聖書そのものからくるインパクトはないであろうとは最初からの予想。●妻は「すずめの会」(集会の婦人会)

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建築設計は心の整理、希望の整理 ++++++++ 所感

2008/04/26 20:05

080426(土)4時半起床●引照集マタイ9章●某氏邸基本設計。限られた予算なので工夫がいる。設計は心の整理、希望の整理●黒崎プロジェクトWEB会議●妻と無教会集会論。恩恵のあと。不思議な導きの御手を思う。●ノジマ電気●某氏と基本設計の内容について電話で打ち合わせ。●妻は合唱の練習。ドヴォルザーク「スターバト・マーテル」。
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夫婦喧嘩の原因 ++++++++ 所感

2008/04/25 11:22

080425(金)5時起床●某氏邸基本設計。希望とコストの相克。建築設計はお金を握っている人、お金を自分の裁量で自由に出来る人とでなければ話が進まない。そういう人のことを建築の業界用語で「決定実力者」という。その人は誰であるかを探すことが建築営業のポイント。これはどの分野でもおなじ。●出勤途中で隣の子供連れの夫人が目の前のご主人と夫婦喧嘩。( )内は私が心で言ったこと。夫人「何でこんなにジュースを200mlも(子供に)上げるのよ。」主人「じゃーお前がとめればイイダロウ」。夫人「私もう一緒に行きたくない。○○チャン帰りまショ」。主人「死ね!」(私・そりゃー言いすぎだよ)。夫人「死んでヤルワよ。離婚しましょ」(私・そこまで言っちゃーまずいよ)。席を立つときチラッと夫人の顔をみたら、とんがった目つきをしていた。●感想(と言うこともないが).喧嘩は二人の間にヒトやモノが介在するところに発生する。「幸いなるかな貧しきもの」はこの面からも真理。●よい子供が育つ条件は「貧乏で夫婦仲がよいこと」だといわれる●「アンタ今いくら財布にお金残っている?」と聞くような綱渡り生活の方が人生スリルがあって面白いのだ。●金はなくても喧嘩になるが、あっても喧嘩になる。金のことで人間は心の底が露呈する。●松本部長(土木専門)に「斜め堰」の原理を説明していただく●13:30開成出版の黒田氏に「藤林益三」第2校を渡す。文章はディスプレイ画面より印刷文字のほうが読みやすいという話をうかがう。黒崎プロジェクトのこと●聖路加入口の鈴木さん(焼き芋屋)さんがいない。ご病気か亡くなられたのかあるいは商売を閉じられたのか。寂しかった。人間の別れというものはこういうものなのだろうか。いつの間にかいなくなってしまわれた。

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いつもここにいるはずの焼き芋屋の鈴木さんがいない。ご病気か、亡くなられたのか。あるいは廃業されたのか。人生の別れというのはこういうものなのかなー。さびしいなー。今日はここで壺焼き芋を買おうと思ったのだが・・・・・ここで弁当を食べながらいろいろ「私の悩み」を聞いてくださった鈴木さん。「高橋さん。それでいいんだよ。それでいいんだよ」と何度も言ってくださったっけなー。

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銀座一丁目にできた新しいビル。なかなかのデザインだ。日本にもこういうデザインのビルができるようになった。

●銀座三越で「焼き芋」を購入。三越の焼き芋はさすが高級だ。●聖書協会の「聖書図書館」にいき、翻訳部の高橋裕子さんから、フランスのOSTYの聖書を見せてもらった。引照が素晴らしいといわれるのだが、残念ながらフランス語は読めない。●恵から電話。打ち合わせ検討。


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律法は柵。それで人間はよくならない ++++++++ 所感

2008/04/24 18:25

080424(木)5時起床●朝風呂で日経「私の履歴書」元参議院議長、扇千景。政治家の票集めに利用される芸能人。田中対福田の抗争に巻きこまれる姿。政治家の抗争は猿山のボス争い。暴力団の跡目争いと変わりはない。政治をよくしても世の中よくはならないことの姿。●某氏に黒崎プロジェクトの概要を報告。孤独なレース。青の洞門の禅海和尚の心境。(菊池寛「恩讐の彼方に」)。「この仕事が終わったら殺してくれ。それまでは待ってくれ」の心境」。●某氏邸の基本設計。子供が危険なところに近寄らないために柵を作ることにしたが、それは聖書でいう「律法」の思いがした。子供が柵を乗り越えたり破ったりするのはそれが冒険であり面白いのかもしれない。パウロの次の言葉を思う。

塚本訳 ロマ 7:22-24
7:22 すなわち、(わたしの中に二つのわたしがあって、)内の人としてのわたしは神の律法を喜ぶが、
7:23 わたしの肢体にもう一つの(わたし、罪の)法則(を喜ぶ外の人としてのわたし)があり、(その神の律法を行おうとする)わたしの理性の法則と戦って、肢体にあるこの罪の法則の捕虜にすることを、経験するのである。
7:24 なんとわたしはみじめな人間だろう!だれがこの死の体から、わたしを救い出してくれるのだろうか。

●人間は柵としての「律法」では良くならない。柵は日本では「しつけ」や道徳。人間は神に救われて生まれ変わらなければ「柵」である律法や道徳からは解放されない●建築設計は人生設計。夢の実現。「神が建てようと思う家は建つ」。これ私の建築人生の結論。●引照集マタイ8章。ペテロに夫人がいたことは、1コリ9:5が根拠と思っていたが、マタイ8:14も根拠になることがwかった。イエスはペテロの家に行きしゅうとめの病気を治したとある。聖書は細かいところに重要なことが書かれている。●歯医者●バッハのコラール集を鑑賞。このようなプロテスタントの芸術を生んだドイツの教会はすごい。

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有体的復活が信じられるのは少数者 ++++++++ 所感

2008/04/23 06:30

080423(水)5時起床)●朝風呂で黙想「有体的復活が信じられるのは少数者」●朝風呂で日経「私の履歴書」元参議院議長、扇千景。・・・国会議員のセンセイたちは非常に勉強家であることを知る。しかしその勉強とは大脳皮質の雑学。政策用の戦略のため。ヒルティのいう「教養」ではない。その勉強で人間はよくならない。●昨年御夫人を失われた方から私の「復活の喜び」に対する応答。ときどきこういう応答があるからうれしい。こういう応答があることにとって、私が叫ぶ「有体的復活」が真理であることに自信が湧く。そかしそれは残念ながら東京には少ないのだ●「有体的復活が信じられるのはクリスチャンでも少数」。これ残念な現実。キリスト教弱体の原因●といってどうすればそれが信じられるのかというと、学校で習った大脳皮質への知識の詰め込み方法では到達できない。霊を天から下す、歌や踊りでも無理。●それは全く神秘的な、不思議な方法で「思わざる人」に啓示される。●それは物理的地域的近さ、同一先生を慕う人間集団、特定教派、肉親同族、世襲にはよらないから悲しく難しい。そこに「無理解」という悲劇が生じる。●ナニ、イエスだって身内から「気が違った」と思われて取り押さえられにきたージャーナイカ●私が脳内出血が回復して退院してから、子供の一人が「お父さんはやっぱり少しおかしくなった」と言った。

塚本訳  マコ 3:21
3:21 身内の者たちが(イエスの様子を)聞いて(ナザレからカペナウムへ)取りおさえに出てきた。「気が狂っている」と思ったのである。

塚本訳 Ⅱコリ5:13
5:13 なぜなら、もし(非難されているように)わたし達が「気が狂った」のなら、神に対して(熱心だから)である。もし正気なら、あなた達に対して(そのためを考えるから)である。

塚本訳  使  26:24
26:24 彼がこのように弁明したとき、フェストが大声で(それをさえぎって)言う、「パウロ、お前は気が狂っている。博学がお前を狂わせたのだ。」

●つまり人を「有体的復活の信仰」に導くのは人間的手法のなにをもってしても無理。説教や批判や断罪でも無理。●ではどうすりゃーいいんだ。だれか教えてくれー●日本キリスト教団某教会の一信徒の私への手紙の一部。「教会が衰退しているのは牧師が原因」。NO!。牧師が悪いのではない。「今の時」が悪いのだ。●私が「有体的復活」をしきりに言うと、これを冷やかす人がいる。そういう人は地獄に落ちて、裂け目が深く、天国にはいけない。(ルカ16章、金持ちとラザロの譬を見よ)

塚本訳 ルカ 16:26
16:26 そればかりではない、わたし達とあなた達との間には大きな(深い)裂け目があって、ここからあなた達の所へ渡ろうと思っても出来ず、そこからわたし達の所へ越えてくることもない。』


塚本訳 ルカ 16:30-31
16:30 彼が言った、『いいえ、父アブラハムよ、もしだれかが死人の中から行ってやれば、きっと悔改めます。』
16:31 しかしアブラハムは答えた、『モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。』」

●引照集マタイ7章。これで山上の説教は終わった。旧約の引用が多い。キリスト教はユダヤ教が母体であることがよくわかった。●某氏邸の基本設計第4案。この辺が建築主との挌闘のしがいがあるところ。「難産の子はよく育つ」。●東急あきる野店に「文教堂」という大型書店ができたので建築コーナーをのぞいたが、私の本はなかった。時代は進んだ。●キリスト教コーナーに行ったが、購入したい本はなかった。「~についての本」や「聖書の周辺の本」が多すぎる。●今日は8年前に家屋が全焼した日。あと18年もするとこの身体も焼かれるのだ。すると美しい景色も見られなくなり、親しい人とも別れなければならない。有限の人間は悲しい。どうしたらこの無限の寂しさから救われるか。そうだ、イエスの有体的復活の事実だ。その使徒伝承だ。

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都立あきる台公園の「花水木(ハナミズキ)」。素晴らしい美しさ。清楚な美しさ。人間にもこういう雰囲気の女性がいる。 2008.4.23  17:23

今日は8年前に家屋が全焼した日。そうだ、あの頃もこの花、「花水木」が咲いていたっけなー。


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胸がドキドキするような ++++++++ 所感

2008/04/22 18:06

080422(火)5時起床●朝風呂で日経「私の履歴書」元参議院議長、扇千景。・・・参議院議員に出馬を要請される。芸能人が政治の世界に利用されるのは「票集め」のため。それに踊らされる民衆の程度が低いのだ。こういうことはマスコミは書けない。販売部数に影響するから。●キリスト新聞の報道によれば日本キリスト教団では未受洗者を聖餐式にあずからせてよいものかどうかの議論で紛糾。こんな話を聞くと無教会主義の存在意義を感じるが、洗礼聖餐が救いに必須だという考えがまだプロテスタント教会にあるのだろうか。洗礼は学校の入学式や軍隊の入隊式と同じ。それを拒否するのは「礼儀」に欠けるという程度のもの。かといって洗礼聖餐がなければ霊が下るかというとそうでもないから困るのだ。霊がエクレシアから去ると、無教会主義の「雰囲気主義」が横行して「教会的雰囲気」を批判するヘンテコな宗派が誕生する。それは不立文字の、以心伝心の禅宗の様相を示す。言葉がないから伝承できないで衰退してゆく。イエスは「言葉」で真理を表現した。●いまどき、プロテスタント教会の牧師で洗礼や聖餐に呪術的意味があると思っている人はいまい。ではなぜ牧師は「洗礼聖餐」に秘儀があってそれは救いに必要だとこだわるのか。答えは簡単。自己の職業的地位の保身のためである。それ以外の何物でもない●教会の牧師に「洗礼聖餐無用論」を言うと激高する。その激高ぶりは、無教会主義の中の社会派にその行動の不信仰性を非難すると怒りだすのとどこか似ている。つまり自分のやっていることが人間の思いであり、この世的であり、神の真理に立ってないことの証明である●黒崎プロジェクトのうち引照集マタイ6章。この世で誉められた人は神から慰められない。なぜか。それですでに報いを受けてしまっているからとは明快な理由だ●某氏邸の基本設計打ち合わせ。私「この基本設計を見て、胸がドキドキ、わくわくしなければ建築するのはおやめなさい」。某氏夫人「わくわくします。目が輝きます」。私「それなら建築をおやりなさい」。●何事も同じ。コンサートもエクレシアも、そこに行く時に胸が高鳴るようでなければならない●復活のイエスに出会った人に共通なのは「喜び」であった。理屈抜き、無条件の喜びが湧いたのである。●高橋三郎先生から私の拙文を週報に載せたということの「感謝」のお手紙●日永康氏から拙論「内村鑑三の建築観と藝術観を批判する」に関してのお電話。この小論はどうも評判が悪い。この世のことを批判するのは見識の狭さを露呈することになるのか。「汝人を裁くなかれ」なのか●津上毅一さんから「藤林益三」の校正に関しての電話。●某氏邸の基本設計のことで夫人から電話「主人も私もこの基本設計にワクワクしています」。「お金も何とかします」。●人間はほしいものが現れると、「あのことに使おうと思っていたお金はこれに回そう」という気になるものだ。聖書は次のように言う。

文語訳 マタ 6:21
6:21 なんぢの財寶のある所には、なんぢの心もあるべし。


塚本訳 マタ 6:21
6:21 宝のある所に、あなたの心もあるのだから。

●建築家のバイブル「ウィトルウィルスの建築論」によれば、建築設計の基本は限られたお金の配分。これコストプランニングの源流。●人間、お金の使い方で人生観世界観宗教観がモロに現れる。建築設計は面白い。

 

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人間の縁の不思議 ++++++++ 所感

2008/04/21 10:52

080421(月)4時半起床●朝風呂で黙想「縁の種類」●引照集マタイ5章●人間の縁とは不思議なものである。その種類。

①血縁。これは自分では選べない。不幸な星の下に生まれる気の毒な人がいる

②地縁。生まれ育つ場所も選べない。まずい環境に育つ人は不幸。孟母三遷の教え。公立学校は地区で決まってしまう。

③師との出会い。良い教師との出会いは人生の宝。しかしその師が亡くなると縁も切れる

④金縁。職場の関係は金の縁。だから金の切れ目が縁の切れ目。

⑤遊び仲間。趣味教養習い事の縁。その興味が失せると縁が切れる

⑥結婚の縁。これ重要。失敗すると一生悔やむ。愛の喪失が縁の切れ目だが、人間の愛はマー2~3年で冷え切る。なぜか。それは肉的なものだからである。神の愛の土台がなければ夫婦愛は続かない。

⑦霊の縁。これは続く。エクレシアは世にも不思議な団体。①~⑥がすべて肉的関係だからいつかは縁が切れるが、霊の縁は来世まで続く。

●しかしエクレシアも⑤の趣味教養の団体や②の師(この場合は信仰の師)を共有する団体の場合は永続しない。それはこの世的な肉的要因でつながっているから。世の中にはこの肉的縁の手法をエクレシアに持ち込もうとするトンデモナイ迷妄人間がいる。●クリスチャンは不思議なことを信じている人間である。キリストが世界を造ったとかイエスは神の子で処女マリヤから生まれたとか、復活して今も生きておられるとか。大脳皮質ではとうてい納得しがたいことを信じている●そういう人間達の集まりであるエクレシアは当然ながら不思議な団体である。この世の原理とは違う法則で集団が形成されている。●連合設計社市谷建築事務所の吉田桂二と電話相談

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長老にかなり叱られる ++++++++ 所感

2008/04/20 16:26

080420(日)5時起床●引照集マタイ●日経「私の履歴書」元参議院議長、扇千景。夫婦の危機。がマスコミで有名人になり、次第に政治家に利用される道を歩み始める。しかし気が外に向いて夫婦の危機もそれでなんとなく消えてきたというからこれもまたいいことか。なにせ、社会の単位は家庭。●妻と集会へ●集会は宮崎、村上、望月●集会後S・Tさん(94歳)がら集会のことで激しいお叱りを受ける。山本さんにそばに来ていただいて3人で話。お叱りごもっともなので二人で「わかりました。すみません」と言った●昼食は7名。クリスチャンが集まるときは何をするのが良いのかの話題。●以下は全無教会に共通の大問題。「なんでもいいから話をすればよい」というのは無教会に確固とした集会論がない証拠。この世の遊び集団と同じで「なんでもよいから仲良くやっていけばよい」という態度が無教会集会衰退の原因。福音が真面目に伝承されていない。自由のはき違え。●日本に無教会集会は大小2-300ある。若い集会から老人集会までピンキリ。みな少人数。あぶくがつぶれるように休会か消滅していっている無教会ははたして歴史的使命が終わったのか。無教会の危機、風前の灯。●共通的に言えることは聖書の「読み」を中心にして使徒伝承をしっかりつかんでいなければ、話がこの世のことの漫談となる。●「集会の将来を心配するのがそもそもおかしい」というトンチンカンな不真面目思想は使徒伝承に固く立ってない証拠。やるべきことがわかってない。神は見ている。●集会を遊びのために平気で休む人間はまず信用ならない。それはこの世的思想の持ち主。●無教会に決定的に欠けていること。命がけで使徒伝承をする人がいないこと。S・Tさん(94歳)の目を見ていてそれを促された気がした。誰かが悪いのではない、この私が良くなかったのだ。命がけでないのだ。遊び半分なのだ。

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東の窓を開けるとこの景色。朝の光は荘厳だなー。心が洗われる。

5時11分  

 

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集会の帰途、きれいな花が咲いていた。名前はわからないが、癒される。

花に個々の名前は付いていない。いいんだ、いいんだ。「名もなく貧しく美しく」でよいのだ。

神が装ってくださるのだ。

文語訳  マタ 6:30
6:30 今日ありて明日、爐に投げ入れらるる野の草をも、神はかく装ひ給へば、まして汝らをや、ああ信仰うすき者よ。

塚本訳 マタ 6:30
6:30 きょうは花咲き、あすは炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこんなに装ってくださるからには、ましてあなた達はなおさらのことではないか。信仰の小さい人たちよ!

14時46分

●上記花の名前は「西洋石楠花(しゃくなげ)」だと妻が教えてくれた。

 

 

 


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悩みと病はキリストの贖罪に導く ++++++++ 所感

2008/04/19 07:59

080419(土)5時目覚め。朝の啓示「悩みと病はキリストの贖罪に導く」●メールで黒崎プロジェクトのWEB会議。シドニー&福島。WEB会議は能率がよい。出かけなくてよい、服装を整えなくてよい。文章にするので頭の整理ができる。会っての会議はその場の「空気」というものがあるから考えが大勢に流れることがある。山本七平に「空気の研究」というのがあるが読んではいない。人の家に伺っての会議では茶菓が出されるから相手を批判できない。(笑)●朝風呂で「悩みと病はキリストの贖罪へ導く」の黙想●人間の集まりは人体の器官と同じ。一か所に悪いところがあれば他のところが悩む、痛む。これ人体の不思議でもある。発熱や「おう吐」は解毒の作用。パウロはエクレシアについて次のように言う。

塚本訳 ロマ 12:5
12:5 わたし達(信者)も大勢が(全体としては)キリストにおいて一つの体であり、一つ一つとしては互が互の器官であ(って、互に補い合うからであ)る。

塚本訳Ⅰコリ12:14
12:14 ほんとうに、体は一つの器官でなく、多くの器官から成っているのである。


塚本訳Ⅰコリ12:25-26
12:25 これは体の間に仲間割れがなく、(多くの)器官が一致して互に心を配り合うためである。
12:26 もし一つの器官が苦しみをうければ、(ほかの)すべての器官が一しょに苦しみ、もし一つの器官がとうとばれれば、(ほかの)すべての器官が一しょに喜ぶのである。

●エクレシアだけでなく、家庭や集団また同じ。拡大すれば国家や人類●家庭内に悩みや病気がおこるときは贖罪を暗示する。しかしそれを他人から「何か悪いことがあるからだ」と指摘されるときはカツンとくる。なぜか。それは断罪だから。●神に「罪を指摘される」ときはその背後に救いが用意されている。断罪ではなく救いが目的●「よい家庭に悩み多し」という。なぜか。そこに解毒作用が働いているから●しかし病気になったら「これは他人(親や子供)の罪のためだ」などと思ってはいけない。自分の罪のためだと思わなければならない。●人間の悩みや病気は人を救わない。贖罪の力はない。「罪なき神の子キリストの死」のみが罪のこの身を贖う力がある。つぐなう力がある。家庭内の悩みや病気の解決は結局「キリストの贖罪の力」にまで行きつかないといけない。悩みや病気はそこに導かれるようにできているのだ。●生まれ育ちの穢れという絶望の悩みはキリストの血による「新生」でのみ慰められる。人間のもたらすどんな慰めも慰めにならない。生まれ変わらなければならないのだ。嘘ではない。それはできるのだ。「灰色だった醜いアヒルの子が、美しい白鳥になれるのだ」(アンデルセン)。それは私自身の実験だ。耳あるものは聞け。

口語訳 詩  51:5
51:5 見よ、わたしは不義のなかに生れました。わたしの母は罪のうちにわたしをみごもりました。

口語訳 ヨブ 3:1
3:1 この後、ヨブは口を開いて、自分の生れた日をのろった。

塚本訳 ヨハ 1:13
1:13 この人たちは、人間の血や、肉の欲望や、男の欲望によらず、神(の力)によって生まれたのである。

口語訳 Ⅰヨハ5:18
5:18 すべて神から生れた者は罪を犯さないことを、わたしたちは知っている。神から生れたかたが彼を守っていて下さるので、悪しき者が手を触れるようなことはない。

●新約聖書新共同訳の引照集を作成。マタイ3章までできた分を聖書協会(高橋裕子さん)に送り、「完成したらHPで公開してもよいか」と聞いたら、許可された。感謝。新約聖書260章、一日一章の目標で来年2月、順調にいけば退職の日までに完成できる。●カラヤン+ベルリンでシューベルト交響曲5番と8番を鑑賞。5番の第2楽章には癒される。大好き。「懐かしの唱歌」を鑑賞。心に染み込んでいる。

 




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絶体絶命の人生 ++++++++ 所感

2008/04/18 05:10

080418(金)出勤日。4時起床。昨夜小寺利男さんから教えられたので、NHK-1ラジオ深夜便「こころの時代」京都大学名誉教授、元最高裁判所判事の奥田昌道、「ヒルティ幸福論」第2回目を聞く。ヒルティの復活論、奥田氏の復活論。アーメンである。●キリストの存在は歴史的事実。しかも死後霊体で現れた。これも事実。我々も十字架の救いで肉体が死んでも霊体が本然として新生する。●奥田氏は京都キリスト召団代表で小池辰雄氏の弟子。聖霊を強調していた。●出社前に「新約聖書引照集」の作成。●人生にはどうしようもない絶体絶命のことがある。それは過ぎ去ったこと。過去の失敗。罪の事実。これはどうしようもない。取り返しのつかないことだ。ただ悔やむだけだ●かって尊敬する某先生から「高橋君は学位(博士号)を持っていないから教授会では認められない」と言われて大学教師の道は無理と思っていた。そのときそういう世界観人生観の世界には縁がないと思った。あの時は絶体絶命であった。●たとえば不遇な誕生をした人間は「人間の世界」では絶対に受け入れられない。それは絶対絶命である。十字架の救いで新生してまったく違う人生観世界観の人たちがいる新天新地に身を移さなければならない。残念ながらそれは日本では無理、教会や無教会集会では無理、親族の間でも無理。夫婦の間でも無理。「汝の若き日に汝の造り主をおぼえよ」のとおり、本当の造り主の愛に出会わなければならない。そこに本当の愛がある。それは人間の愛ではないのだ。●その後私はその尊敬する某先生の推薦で大学の非常勤講師として招かれた。不思議。次の言葉は昔も今も同じ。「学校信仰」、人間の頭の限界。残念ながらキリスト教会がこの「学校信仰」に汚染されている。「神学」を学んだ者でなければ聖書の話はできないと思っている。

塚本訳ヨハ 7:15
7:15 ユダヤ人は驚いて言った、「この人は学校に行ったこともないのに、どうして聖書を知っているのだろうか。」


文語訳ヨハ 7:15
7:15 ユダヤ人あやしみて言ふ『この人は學びし事なきに、如何にして書を知るか』


新共同 ヨハ 7:15
7:15 ユダヤ人たちが驚いて、「この人は、学問をしたわけでもないのに、どうして聖書をこんなによく知っているのだろう」と言うと、

●あの賀川豊彦は妾の子、小さい頃みんなにいじめられて淋しく育った。自分ではどうしようもない「絶体絶命の人生」であった。しかしマヤス、ローガンという宣教師に導かれて「本当の造り主」に出会って新生。明治学院、プリンストン大学神学部を経て、牧師となる。私の父は賀川を尊敬していた。●「新生」それは肉の世界、汚れの世界」からその人に新しい霊の世界が本然の現れることなのだ●かって「松沢資料館」で内村鑑三と賀川豊彦の出会いについて調査したことがある。内村は賀川に次のように言ったという「うちの青年たちに(勉強ばかりしてないで)よい活動をするように教えてくれないか」と。●「崩壊家庭に生まれ育った子供達の救い」。この命題は今日非常に重要。喫緊の課題。子供に罪はない。●神はこういう気の毒な子供を御自分のもとに招く。神が私をして彼らに向かって喜びの福音を伝える道を開き給わんことを。

口語訳 詩 27:10
27:10
たとい父母がわたしを捨てても、主がわたしを迎えられるでしょう。

●中央線が事故で立ち往生、そこで車中で瞑想、黙想、祈り。一時間遅れで出勤。●勤務先の関口顧問(元建設省、一歳年長)と懇談。人間何もしなくて良い身分になると張りがなくなるということを二人の実例で教えてくださった。●人間は最後まで何か仕事をしていなければならない。これはヒルティの人生観でもある。ヒルティは仕事中に死ぬのが理想的であるといい、自分がそのようになった。心臓麻痺であった。

 

 

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こんなはずではなっかったんだけどなー ++++++++ 所感

2008/04/17 06:18

080417(木)4時45分目覚め。朝の啓示「不条理からの救い」「財産は命の足しにはならない」「慰めよ、我が民を慰めよ」●朝風呂で日経「私の履歴書」元参議院議長、扇千景。・・・・普通の女優と違い、子を産んで子育てに苦労する。ここは立派だ。●人生には「こんなはずではなっかたんだけどなー」という場面が多い。またそういう人がほとんどだ。これがなぜか。神が人間に「財産は命の足しにはならない」ということを学ばされるためではないのか。健康、財産、学問教養、学歴、家庭、子供、職業、地位、職場、結婚、家庭、仕事、妻、夫、・・・・みんながみんな「こんなはずではなっかたんだけどなー」と思うのが「普通」。●「新約聖書新共同訳引照集」のマタイを試行。●聖書協会翻訳部の高橋裕子さんと話。東京神学大学の左近淑教授が、「聖書の引照は自分で探すのが一番よい」と話されたという。これまったく同感の真理。引照は人に教えられてもあまり力はないことは私の実感である。それでも引照は聖書読みの基礎中の基礎だ。●過日「復活の喜び2題」をお送りしたN・Y氏からの応答。N・Y氏が御自分の集会で「墓が空になった史実と有体的復活」を語ったらいつもとは違って数人から反応があったという。私は言った「その方たちはホンモノです」。時々こういう方が出現するからうれしい。日本も捨てたものではない。

●ブログの写真がアップしないトラブル発生。修復方法は息子に聞かなければならないので写真はしばらく「休止」。●人間の病気は徐々に進行するがパソコントラブルは突然起る。これパソコンの病気。神はパソコンのトラブルも御存じ。●鉄建建設の社長、どうしても抜けなかった杭が必死に祈ったら抜けたことがあったという。偉くなる人は違う。人知を尽くしてそれでも及ばないときは祈ることをした。●「神なんかいない」と豪語する人間に限って、どうしようもなくなると「あらぬ手段」にすがりつくから見苦しい。●私の知人でエクレシアを批判して去った人間、その後占いに凝った。今頃どうしているのだろう。ああいう人間は神キリストが見えないで、人間ばかりが見えていた。

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斉藤建雄写真展「日本の百名山の花と友」あきる野綜藝舎ギャラリー。14:00。立っている人が斉藤建雄氏。65歳で百名山(深田久弥)の登頂を45年間で達成。

山好きはすぐ友達になって初対面でも話が盛り上がっていた。音楽仲間と似ている。左端の人は剣岳に30回登頂。これには驚いた。左から3番目は元同じ職場の田中三郎氏夫人、この人はあと一つの八幡平で百名山を登頂。山が苦手の私はと言えば、百のうちそれでも6つに登って(車やケーブルカー含む)いる。(富士山、磐梯山、筑波山、美ヶ原、蔵王、阿蘇)。しかし、「何が名山なのか」の話題が出て、「わが心の百名山」でよいということになった。これ人を見る見方でもある。「わが心の尊敬する人物」「わが心の美人」。それでよいのだ。何事も一般論ではいけない。「聖書の読み方」も同じ。「ここのところは自分ではこう納得する」という読み方でよいのだ。

●「あなたのよいところはこの私だけがよく知っている」というのが正しい人間関係。夫婦、親子、職場の関係。●「あなたの悪い秘密はこの私だけが知っている」というのは週刊誌の記者。人間の中にはそういうイヤなヤツがいるものだ。それはダメ人間。なるべく付き合わない方がよい。避けた方がよい。何を言われるかわからない。

●歯が痛むので歯医者に飛び込み治療。レーザー光線で歯茎を焼いた●帰ってみたらブログの写真が「自然に直った」不思議。こういうこともあるのか。

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神は棲むところを与えてくださる ++++++++ 所感

2008/04/16 07:15

080416(水)4時15分目覚め。朝のひらめき「神は棲むところを与えてくださる」●朝風呂で日経「私の履歴書」元参議院議長、扇千景。・・・・穢れやしきたりに嫌気がさして「歌舞伎界の家」を飛び出て東京のアパートに暮らすも、経済的に困窮。この人も経済的に困窮したのか。経済的困窮は人間を練る。よい人生観が鍛えられる。●朝風呂で講談社の「類語辞典」。序文を読む。12年間かかって完成。でも広辞苑ほどに使われないのはなぜか。「辞書を必要とするとき」の動機分析、ニーズの分析がイマイチだったのではないのか。世の中には「作り手の一方的な思想だけ」で作られる本がある。●「聖書の類似思想辞典」を作ってみたいがまず読まれない。なぜか。聖書は自分の頭にひらめいたところを次々と調べるときに本当に力がある。だから類似思想辞典で調べても自分が納得しなければ「栄養にならない」●朝のひらめき「神は棲むところを与えてくださる」を自分の頭や心に浮かんだものを並べてみる。これが本当の「類似思想辞典」。その類似性は自分にきりわからないもの。 ●「住む」は人間の住まいを連想する。棲むは動物などの住み家を連想する。この方がなじむ。それは「場所」の概念が強いから。どこに住むかではなくどこに棲むかとなる。

口語訳 箴 19:14
19:14 家と富とは先祖からうけつぐもの、賢い妻は主から賜わるものである。

 ●家を建てるときお金が溜まってから建てる人は皆無。たいていはローンか親の財産。金は天下の回りもの。遺産相続で家が建つか手付金が支払える。

新共同 詩 84:3-5
84:3 主の庭を慕って、わたしの魂は絶え入りそうです。命の神に向かって、わたしの身も心も叫びます。
84:4 あなたの祭壇に、鳥は住みかを作り/つばめは巣をかけて、雛を置いています。万軍の主、わたしの王、わたしの神よ。
84:5 いかに幸いなことでしょう/あなたの家に住むことができるなら/まして、あなたを賛美することができるなら。〔セラ

●孟母三遷の教え。クリスチャンは教会や集会に通えるかどうかが「住い」を構えるときの判断基準であるべきだ。

●私の生まれた「浦和」は進学学区。よそから移り住んでも浦和高校へ行こうとしている。生存競争のためのさびしい人生観。


口語訳 詩 84:10
84:10 あなたの大庭にいる一日は、よそにいる千日にもまさるのです。わたしは悪の天幕にいるよりは、むしろ、わが神の家の門守となることを願います。

●一流企業に「千日」いるのは金が目当てなら苦痛。ましてやそれが「悪の天幕」だったら給料が高くても地獄。自分を滅ぼす。一流企業は社員が家を持ったり建てたりする時は応援してくれる。そうして社員を「金」でつないでおく。これは人間が腐る原因。

●私がかって勤務していた会社が「ギャンブル場」を設計しそうになった。わたしはどうしても「ヤル気がしなくて」その仕事の担当重役と激突。以後かなり嫌われた。「悪の天幕」とまでは言えないが、自分の勤務する会社が軍需産業などに加担するような場合はクリスチャンとしては「人生の関ヶ原」だ。それを批判して止めさせられてもなんとか「食えて」いけるものだ。

塚本訳マタ 6:25-30
6:25 だから、わたしは言う、何を食べようかと命のことを心配したり、また何を着ようかと体のことを心配したりするな。命は食べ物以上、体は着物以上(の賜物)ではないか。(命と体とを下さった天の父上が、それ以下のものを下さらないわけはない。)
6:26 空の鳥を見てごらん。まかず、刈らず、倉にしまいこむこともしないのに、天の父上はそれを養ってくださるのである。あなた達は鳥よりも、はるかに大切ではないのだろうか。
6:27 (だいいち、)あなた達のうちのだれかが、心配して寿命を一寸でも延ばすことが出来るのか。
6:28 また、なぜ着物のことを心配するのか、野の花の育つのを、よく見てごらん、苦労をせず、紡ぐこともしない。
6:29 しかし、わたしは言う、栄華を極めたソロモン(王)でさえも、この花の一つほどに着飾ってはいなかった。
6:30 きょうは花咲き、あすは炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこんなに装ってくださるからには、ましてあなた達はなおさらのことではないか。信仰の小さい人たちよ!

●大切な順番は,  命>身体>食べ物>着物>家  か。

●塚本敷衍では家は「それ以下」ということになる。だから与えてくださるというのだ。

塚本訳 マタ 10:29
10:29 雀は二羽一アサリオン(三十円)で売っているではないか。しかしその一羽でも、あなた達の父上のお許しなしには地に落ちないのである。

●鳥の活動は空。いわば棲み家。そこから地に落ちることは「死」。神はそこに棲むための条件を鳥に与えている。ましてや人間においておやというのがイエスの考え。●ホームレスの人のテントの家は内部が立派なのがあるそうだ。人間の身体はそもそもテント。住居の原語スケーナスをエルサレムバイブルでは「テント」と訳している。岩波の佐藤訳は「幕屋」と訳している。●テントだけれどもそれを造る人間は「いい加減」ではいけない。一生懸命立派なものを作らなければならない。それは次の通り

口語訳 ルカ 14:28-30
14:28 あなたがたのうちで、だれかが邸宅を建てようと思うなら、それを仕上げるのに足りるだけの金を持っているかどうかを見るため、まず、すわってその費用を計算しないだろうか
14:29 そうしないと、土台をすえただけで完成することができず、見ているみんなの人が、
14:30 『あの人は建てかけたが、仕上げができなかった』と言ってあざ笑うようになろう。


塚本訳  マタ 6:31-32
6:31 だから、『何を食べよう』とか、『何を飲もう』とか、『何を着よう』とか言って、心配するな。
6:32 それは皆異教人のほしがるもの。あなた達の天の父上は、それが皆あなた達に必要なことをよく御承知である。

●異教人としての日本人がほしがるものは、学歴、金、マイホーム、良い伴侶、健康、長寿、良い子ども。・・・・・しかしこれは命のたしにはならない。


●妻は今井館「ウィークデーの集いの出かける●14:00 津上さん(95歳)を訪問。「藤林益三」本の第2校をお願いする。本の体裁も検討。仕事の話は15分。あとは、三位一体、バルトは無教会に酷似、神の方が人間を知ること、塚本虎二への啓示、エクレシア論、無教会集会論、キリストの体なる教会論、黒崎プロジェクトなどなど話は尽きず、お嬢様の恵子さんが入ってこられ「パパは高橋さんとの話が大好きなのですが、体が心配です」とドクターストップ(?)で、15:45に辞去。●19:55オーストラリア、シドニーのO氏に「バイブルソフト」を郵便局の夜間窓口で発送。EMS(国際スピード郵便)。家に帰って宛名を間違えたことに気づき急遽郵便局に戻る。配送のトラックを待たせておいて宛名書き直し。間一髪であった。

 




















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崩壊する後ろを振り返るな。中央突破 ++++++++ 所感

2008/04/15 06:52

080415(火)5時目覚め。朝の囁き「崩壊するこの世を振り返るな。中央突破」

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久しぶりの太陽。「ブラウニングの詩」を思う。

   春の朝   ロバアト・ブラウニング   上田敏「海潮音」

  時は春、
      
 日は朝(あした)、

 朝(あした)は七時、
 
 片岡(かたおか)に露みちて、
 
 揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
  
 蝸 牛(かたつむり) 枝(えだ)に這(は)ひ、
  
 神、そらに知ろしめす。
  
 すべて世は事も無し。


●朝風呂で日経「私の履歴書」元参議院議長、扇千景。・・・今日は少し良いことが書いてある。義父が外に女を作って子供を産ませるような歌舞伎界の汚れた雰囲気に嫌気がさし,夫に「義父母を取るか私を取るか」と迫り、京都の家から無一物で東京に逃げ出す。これはよい。人間は生まれ育った家の穢れを見ると出たくなる。父母を棄てて妻と一体になるというのは聖書的にも真理.●ただし義父の穢れは自分の穢れと同じ。そこに気がつかなければ人間は誰も救われない●この地球も、身体も崩壊する。そのとき再創造、有体的復活。それまでは地球もこの身体も人生も「呻く」。崩壊する地球も家庭も肉の身体も捨てよ。後ろを振り返るな。中央突破!!。

塚本訳 ルカ 17:28-33
17:28 ロトの時にも、ちょうど同じようなことがあった。人々が飲んだり食ったり、売ったり買ったり、植えたり建てたりしていると
17:29 ロトがソドムから出た日に、『(神は)天から火と硫黄とを降らせて、『一人のこらず滅ぼしてしまわれた。
17:30 人の子があらわれる日にも同じことが起るであろう。
17:31 その日には、屋根の上におる者は、(何か大切な)家財道具が家の中にあっても下におりて取り出そうとするな。畑におる者も同じく『(家に)もどる』な。
17:32 ロトの妻のことを思え。
17:33 (この世の)命を保とうとする者は(永遠の)命を失い、(この世の命を)失う者は、(永遠に)生きながらえるであろう。

●「新共同訳新約聖書引照集」 構想●「黒崎プロジェクト、ドラフト8」作成●妻は腰痛のため「十字式」に行く。その後心臓を手術した友人の見舞い●「藤林益三」本の初校が完成、第2校に入る。開成出版は「速い」。

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故佐藤努画伯の絵を掛ける。佐藤画伯逝ってすでに9年。だんだん天国の方がにぎやかになっている。

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菜の花。2008.4.15 17:49 朧月夜(おぼろづきよ)の歌を口づさむ

●この歌を習った故郷浦和のことを思い浮かべる

 

昭和8年(1933年)『新訂尋常小学唱歌 第六学年用』

朧月夜おぼろづきよ)  高野辰之

菜の花畑に 入日(いりひ)薄(うす)れ
見わたす山の端(は) 霞(かすみ)ふかし
春風(はるかぜ)そよ吹く 空を見れば
夕月(ゆうづき)かかりて 匂(にお)い淡(あわ)し

里(さと)わの火影(ほかげ)も 森の色も
田中(たなか)の小径(こみち)を たどる人も
蛙(かわず)の鳴くねも 鐘(かね)の音(おと)も
さながら霞(かす)める 朧月夜(おぼろづきよ)

 

 

 

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人生の不条理は新しい出会いを生む ++++++++ 所感

2008/04/14 08:06

080414(月)5時起床。朝の啓示「人生の不条理は新しい出会いの始まり」」。朝はいい。これで5月27日に「春風学寮」で学生相手に話すことの方針が決まった。●福島のY兄から「創造、再創造、からだの復活」についてメール。真理の覚醒、感謝●「黒崎プロジェクト」WEB会議。執行部の面々、それぞれ多忙の合間をぬっての会議。●送られた本のお礼メール。●5月25日春風学寮礼拝「人生の不条理は新しい出会いを生む・不利亦利用」骨子。

1・中学生の時。父の結核再発による家庭経済の困窮。
  無教会主義キリスト教との出会い。すばらしい人物との出会い。

     自分の罪の自覚という出会い。十字架の救いとの出会い。

2・母の不遇な育ちを知った事。

    安らかな家庭を望む。

  私に会いもせず 「信仰のみ」が条件で嫁いできてくれた妻との出会い。

  赦せなかった祖父を赦せたこと

 
3・他人の悩みや病気はこの自分の贖罪のため。

  病気には意味があるという認識との出会い。

4・「胸が熱くなった」経験

  イエスの墓が空であったことが史実と信じられた理由

  有体的復活を信じられるようになったこと。

  有体的復活の信仰で琴線にふれる人との出会い。


5・家屋の全焼
  天国の家は焼けないとの認識。この身体も死によって焼かれる


6・脳内出血で倒れる

  この肉の命は100%神に握られているという認識との出会い。

7・子どもたちの結婚

  伴侶たちとの出会い。孫たちとの出会い。


6・母の死
  本人に信仰がなくても神は人を救うという認識との出会い。      

7・がん疑惑

  断食祈祷をしてくださった人。エクレシアとの出会い。 

     死の川を渡るときの安心感を垣間見る。

8・設計した家との別れ

  「永遠の家」という認識との出会い 。詩篇第126編。

  使徒伝承を叫びつつ終末待望。有体的復活の希望

      中央突破。後ろを振り返るな。

 

●夜、福島の恵から長電話の相談。人生には「時」がある。相談相手になってやれるのも「時」の間だ。

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信ずればいいんだ ++++++++ 所感

2008/04/13 05:59

080413(日)5時起床●朝の啓示「信ずればいいんだ」。これは4月9日のブログで下記を書いたことに対する「天からの答え」であった。

4月9日のブログに一部を再掲
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●肺がんの母は臨終近くに苦しそうに肩で息をしていた。私は思わず「天国に行けば楽なるよ」と言った。母はジロッとわたしの目を真剣に見て、「照男さん行ってみてきたの?」と言う。私は「聖書にそう書いてある」と言った。すると母は冷笑して「あんたは見ないものを信じて喜んでいる」と言った。●あのとき私は「何と言えばよかったのだ」・・・・・・祈りが足りなかった。・・・・●「あんたは見ないものを信じて喜んでいる」との問題は母からの課題、生涯の宿題だ。

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あの時、母に「信ずればいいんだ」と言えばよかったのだ。しかしそう言ったら母は「冷笑」しただろう。●イエスであったらそう言っただろう。それは兄弟のラザロが死んで悲しんでいたマルタにイエスは言った。

ヨハ   11: 26 [塚本訳

また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」

●こう言えなかった私の信仰はどこかおかしかったのではあるまいか。ただいたずらに「聖霊のはたらき」のみを期待して、半ばあきらめていた私の信仰は正しいのだろうか。●しかし自分の子供に頭を下げることは親として本能的にできないらしい●親は子に、子は親に「使徒伝承」はできないのか。教会のない無教会の家庭内伝道がうまくいかないのはそのような宿命なのではないだろうか●2000年間連綿と続いてきた「使徒信条」はクレドといい、それは「我信ず」という意味である。全条これ「信ず」ということからなっている。「見てきたものを確認するのではない」。「信ずる」のである。●聖書には「これが信じられるか」という言葉がしばしば出てくる。

マタ   9: 28 [塚本訳

そして家にかえられると、盲人たちがそばに来たので、イエスが言われる、「わたしにそれが出来ると信じるのか。」「はい、主よ」と二人がこたえる。

ヨハ   1: 50 [塚本訳

イエスが答えて言われた、「あなたを無花果の木の下で見たと言ったので、信ずるのか。信ずれば、あなたはもっと驚くべきことを見るであろう。」

ヨハ   9: 35 [塚本訳

イエスは彼が追放されたと聞いて、出合ったときに言われた、「あなたは人の子を信ずるか。」

ヨハ   11: 26 [塚本訳

また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」

ヨハ   16: 31 [塚本訳

イエスは(いとおしげに彼らを見やりながら)答えられた、「いま信ずるというのか

使    26: 27 [塚本訳

アグリッパ王よ、王は預言者たち(の言葉)を信じておられますか。(ユダヤ人たるあなたは、もちろん)信じておられると思いますが。」

ヤコ   2: 19 [塚本訳

君は神は唯一であると信ずるか。それはよいことである。(しかしその信仰だけでは足りない。)鬼ですら(それを)信じて慄くのである。

●しかし、生まれつきの肉の人間は「信じられないのが普通」。人間は大脳皮質だけでは神を信ずるに至らない●ここがキリスト教のむずかしいところ。ではどうしたら信じられるのか。人間の側の要件はなにか●人生追い詰められて「なりふり構わずすがりつく」ことがその要件だ。●どんなに科学医学が進歩しても「なりふり構わずすがりつく」絶体絶命の苦しい局面に立たされることが必要。それは「罪の自覚」!!。●これなくして十字架が現れない。十字架の救いの欲求がないところ救いはない。●しかしあのとき母は「なりふり構わず」の気持であったのだがなー。「行ってみてきたの?」の言葉がそれだった。あのとき私はどうして「信ずればいいんだ」と言えなかったのだろう。それが使徒伝承だったのだが・・・・・悔やまれる。●臨終の切羽詰まったとき多くの場合、家族や周囲の人間は神父さんを呼んで「終油の秘跡」をしてもらう。2例知っている。牧師さんを呼んで洗礼を授けてもらった人がいる。一例知っている。何れも家族か周囲の人の懇請である。しかしそれで「安堵」するのは家族や周囲の人。本人はどうなのか●無教会ではこういうとき「どうすればよいのか」。「私を信じなさい」と言えるだけの人がいないのではないのか。私は素人ですと言って無責任なのではないのか●人生「せっぱつまった人」はたくさんいるんだがなー。なぜ神に目がいかないのかなー、神を呼ばないのかなー。キリスト教が難しすぎるのかなー。「罪の赦しと復活」の使徒伝承が発せられていないのではないのか。●妻と集会へ。集会は丹野、大山、山本●妻はモーツアルト「レクイエム」の練習。その後懇親会

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集会の帰途、あきる野でしだれ桜を見る。桜の名所に行かなくても

桜は近くにあるものだ。しだれ桜は力を抜いて「自然に垂れている」

姿が好きだ。人間も「自然に生き、自然に死ぬ」のがよい。

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さくら色はきれいだなー。でも花の命は短いなー。

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春。ハイドンのオラトリオ「四季」。「来よ、のどけき春」を思う。
●歯が急に痛み飛び込みで治療●黒崎プロジェクトWEB会議●福島のY兄より電話。万物の呻きと復活について。有体的復活について。励まされた。啓示であった。

 

 

 

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肉の衣を脱ぎ捨てる日 ++++++++ 所感

2008/04/12 08:14

080412(土)5時半起床。朝のひらめき。「肉の衣を脱ぎ捨てる日」「私がこんな目に遭うのは当然だ」●朝風呂で大島智夫著「その日より、その日まで」。日経「私の履歴書」元参議院議長、扇千景。●人間はいつかは死ぬのだが、新約聖書は「死」を眠りである(イエス)とも肉の衣を脱ぎ捨てる(パウロ)ともいう。その整合は頭では難しいが、いずれにせよ「次がある」ということだけは動かない。それを理性でも納得できるようにしてくださったのが、神による「イエスの復活」。見えるようで見えない、見えないようで見えた。ただし新聞記者にわかるようにではなく、写真に写るようにでもなかった。特別な人にはそれが確実に実在した。肉眼ではないが霊眼で見えた。それはいわゆる歴史(万人が認めること。ナポレオンがいた、徳川家康がいたというもの)ではない。しかし霊の世界での実在。神はイエスの復活という摩訶不思議なことを通して人類に来世の実在を垣間見させてくださった。歴史外と歴史内の境のピンポイントの啓示がイエスの復活の記事。「何かあったらしい」。「何かが起こったらしい」。これで理性も半分納得。残りの半分は聖霊をいただいて「胸が熱くなるとき」来世の実在が完全に信じられる。大脳皮質による歴史認識だけでもダメ。それは半分。もう片方の「胸が熱くなる」という聖霊の働きだけでもダメ。その両方がなければ「生きている」人間としては信仰に至らない。バランスがとれない。理性の安息が得られない●使徒信条は「信ず」「信ず」の連続。「エクレシア(聖なる公同の教会のこと)を信ず」とある。これは何か。「その集まりの根底にあるものを信ず」ということなのだ。●どんな人間でも「私がこんなひどい目に遭うのは当然だ」と思わなければならない。これが「我、我が罪を知る」ということ。神はそういう砕けた魂を喜ぶ。「個人情報」を叫んで、神にも自分の罪を隠して「私は何も悪いことをしてない」などとウソぶいているうちは人生始まらない。人生は自分の過去の惨めさを悔いるところからはじまり、神に救われて終わる。アー人生は長旅だなー。●終日、黒崎プロジェクトの「引照」の研究。聖書協会から各種文献を多数FAXで送っていただきよくわかった。聖書協会の努力、また組織力の強さに感心した。●13:30 郷里のいわき市に母の見舞いに行っていた妻が帰ってきた。母の容態は好転したので安心した。しかし87歳の身では弱るのは仕方がない●久し振りで妻の手作りの食事は感謝●妻は再び合唱の練習に出かける。フォーレ「レクイエム」。パレストリーナ「ミサ・プレヴィス」。
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どんなに重い罪でも赦される ++++++++ 所感

2008/04/11 06:12

080411(金)出勤日。3時15分目覚め。床の中で黙想。以下の印。4時半起床。

父としてのヨブは偉かった。息子たちのために身代わりの祈りをした。朝早く起きたという。子どもたち全員のために燔祭をささげた。平等であった。こういう人物がいるところ、どんなに重い罪でも赦される。父ヨブの行為は新約の燭光である。

口語訳 ヨブ記1章5節

1:5 そのふるまいの日がひとめぐり終るごとに、ヨブは彼らを呼び寄せて聖別し、朝早く起きて、彼らすべての数にしたがって燔祭をささげた。これはヨブが「わたしのむすこたちは、ことによったら罪を犯し、その心に神をのろったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつも、このように行った。

●不信仰者との戦いは不毛。それはマルキストや学生運動の内部のイデオロギー闘争や派閥闘争や勢力争いと同じ。それは恐ろしい粛清の心であって自らを低める。

●現代のキリスト教は使徒信条の伝承が希薄である。その成立を考えると、信条の各終りに「これを信じない人は災いだ」と付け加えればはっきりする。成立の時にそういう不信仰の人物達がいたのだ。つまり「三日目に死人のうちから蘇り」はその背景にこれを信じない人がいたのだ。「主は乙女マリヤより生まれ」はその背景にこれを信じない人がいたのだ。・・・・・現代教会・無教会は残念ながら全条項に「これを信じない人は災いだ」という言葉を補わなければならない現状だ。

●「グノーシス主義」は歴史的に幅が広いので「つかみ所がない」が、少なくとも新約聖書が「信仰の敵」とみなした「グノーシス主義」の実態はヨハネの手紙を裏返して読めば、おぼろげながらに見えてくる。つまり、当時「イエスは肉体をとってこの世に来なかった」という「思想」がおこっていた。

●「高橋君。イエスの遺体が墓で腐乱していたとしても復活信仰はあるのだよ」と私に言った元老がいた。私は断然その人と袂を分かった。これ現代のグノーシス主義。歴史性の軽視である。「信仰は各自自由でよい」とはいえ、「道が違う」のでニコニコとはしてられない。しかしこういう不信仰者と「論争」してもそれは不毛だ。処女降誕や復活が史実と信じられるのは大脳皮質の作用でなく聖霊によって「胸が熱くなる」場合なのだから。

●経済的繁栄は神を忘れさせる。教会や集会の物理的維持繁栄を目指すのは不信仰者の行動。教会・集会のすべてを腐敗させる。牛乳の中にハエが一匹入ったら、ただちに全部を捨てなければならない。マテマテ。「悪いことは神が注意してくださる」「悪い樹木は神が抜かれる」

塚本訳  マタ 15:12-14
15:12 あとで弟子たちが来てイエスに言う、「パリサイ人がお話を聞いて腹を立てたことを御存じですか。」
15:13 イエスは答えられた、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜かれる
15:14 あの人たちを放っておけ。盲人の手引をする盲人だ。盲人が盲人の手引をすれば、二人とも穴に落ちよう。」

●これは「建物」についても言える。神が支えない家は「壊される」。ロトの妻のように後ろを振り返ってはならないのだ。それはソドム・ゴモラ。天罰が下ったのだ。昔を懐かしむとこの身が「塩」になってしまう。

口語訳 詩  127:1-5
127:1 主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい。

●日経「私の履歴書」元参議院議長、扇千景。・・・・「女優は子供を産まないのが普通」だという考えがあることを初めて知る。どうもこういう世界は神に祝福されていない。中村扇雀との結婚式のあと、扇雀から数えきれないほどの女性遍歴の話を聞いたという。こういう雰囲気の世界に福音を伝承することはできない。本人が罪に苦悩してないからだ。●こういう世界には金や名声があっても、清く安らかな心の喜びはないのだろうなー。ない。確実にない。聞かなくても想像できる。

新共同 マタ 7:6
7:6 神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。」

●どうしてこういう人間が参議院議長に選ばれなければならなかったのだ。国会が間違っている。政治家が間違っている。国民が間違っている。●妻が里の母の見舞いに行っているので、自炊が続く。今日は自分で弁当を詰めたが、おかずに困った。●ホスピスの遺族会での経験。妻に先立たれた夫の一番困ることは食事。●終日、社内講習会のテキストづくり。●夕食は自炊。妻が作っておいてくれたおかずが底をついたのでインスタントラーメンン。夫人に先立たれて20年以上の方がおられる。「3~4日の自炊ぐらいで何だ」と叱られそうだ。●聖書協会にルター訳について質問したものが、本日回答がきた。18日間かかった。ドイツに問い合わせていたので遅くなったらしい。正確を期するドイツ魂の表れか

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神の愛こそが永遠 ++++++++ 所感

2008/04/10 09:25

080410(木)4時目覚め。寝床で黙想「愛の思い出が残る人」●朝風呂で日経「私の履歴書」元参議院議長、扇千景。・・・また中村扇雀との色恋沙汰の話●日本人の「愛」の概念は「好きという感情」。それは動物的欲情がその根底にある。だからこじれてドロドロになる●日本には「恋」とか「好き」いう概念はあったが「愛」という概念はなかった。それをもたらしたのはキリスト教●「あなたのことをたまらなく愛してます」というのは「あなたのことがたまらなく好きです」というのであって、それは動物的欲情。それはいつかは冷めて破綻する。●家は壊れる。人間は死ぬ。動物的な「好き」という感情は冷える。●ある人が死んで「愛の思い出」が残った場合、その人は生前「愛の人」だったのだ。それは誰にでもある。「母の愛」だ。「母の愛」はキリスト教の愛の概念に近い●(おそらく結婚していなかったであろう)パウロはすごいことを言った。「愛は決して滅びない」と(1コリ13:8)。この「愛」はギリシャ語で「アガペー」が当てられている。それは「神の愛」●1コリ13:8-10の勉強。


1コリ13:8a ギリシャ語原文   

ホ  アガペー(愛は)  ウーデポテ(決して)   ピプテイ (滅びない)
               

1コリ13:8a 翻訳比較

岩波翻訳委員会訳1995

461308愛は決して倒れることがない。しかし、〔それが〕預言であれば、壊されるであ

ろう。異言であれば、途絶えるであろう。知識であれば、壊されるであろう。

新共同訳1987

13:8 愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、

 前田訳1978

 13:8 愛は決して絶えません。預言はすたれ、異言は止むでしょう。知識もすたれましょう。

 新改訳1970

 13:8 愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。

 塚本訳1963

 13:8 愛は決してすたらない。預言も無くなるであろう、霊言もやむであろう、知識も無くなるであろう。

 口語訳1955

 13:8 愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。

 文語訳1917

 "461308","愛は長久(いつ)までも絶ゆることなし。然れど預言は癈れ、異言は止み、知識もまた癈らん。"

NKJV Ⅰコリ13:8-10
13:8 Love never fails. But whether there are prophecies, they will fail; whether there are tongues, they will cease; whether there is knowledge, it will vanish away.

TEV Ⅰコリ13:8-10
13:8 Love is eternal. There are inspired messages, but they are temporary; there are gifts of speaking in strange tongues, but they will cease; there is knowledge, but it will pass.

【KJV】 1Co 13 章

 13:8 Charity never faileth: but whether there be prophecies, they shall fail; whether there be tongues, they shall cease; whether there be knowledge, it shall vanish away.

【NIV】 1Co 13 章

 13:8 Love never fails. But where there are prophecies, they will cease; where there are tongues, they will be stilled; where there is knowledge, it will pass away.

各国聖書引照

(独)NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 27版1993 の引照

新共同 ヨハ 10:14

10:14 わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。

(英・米)THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE 1982 の引照

口語訳 Ⅰコリ1:7-8

1:7 こうして、あなたがたは恵みの賜物にいささかも欠けることがなく、わたしたちの主イエス・キリストの現れるのを待ち望んでいる。

1:8 主もまた、あなたがたを最後まで堅くささえて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、責められるところのない者にして下さるであろう。 

口語訳 ロマ 11:34

11:34 「だれが、主の心を知っていたか。だれが、主の計画にあずかったか。

口語訳 ピレ 1:5-7

1:5 それは、主イエスに対し、また、すべての聖徒に対するあなたの愛と信仰とについて、聞いているからである。

1:6 どうか、あなたの信仰の交わりが強められて、わたしたちの間でキリストのためになされているすべての良いことが、知られて来るようになってほしい。

1:7 兄弟よ。わたしは、あなたの愛によって多くの喜びと慰めとを与えられた。聖徒たちの心が、あなたによって力づけられたからである。

口語訳 ロマ 5:4-5

5:4 忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。

5:5 そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。

 口語訳 Ⅰテサ1:3

1:3 あなたがたの信仰の働きと、愛の労苦と、わたしたちの主イエス・キリストに対する望みの忍耐とを、わたしたちの父なる神のみまえに、絶えず思い起している。

口語訳 Ⅱコリ5:14-15

5:14 なぜなら、キリストの愛がわたしたちに強く迫っているからである。わたしたちはこう考えている。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである。

5:15 そして、彼がすべての人のために死んだのは、生きている者がもはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえったかたのために、生きるためである。

 (日)新共同訳1987の引照

新共同 Ⅰコリ13:2

13:2 たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。

新共同 Ⅰコリ12:28

12:28 神は、教会の中にいろいろな人をお立てになりました。第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、次に奇跡を行う者、その次に病気をいやす賜物を持つ者、援助する者、管理する者、異言を語る者などです。

新共同 Ⅰコリ13:9

13:9 わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。

新共同 Ⅰコリ8:3

8:3 しかし、神を愛する人がいれば、その人は神に知られているのです。

新共同 ロマ 13:10

13:10 愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。

新共同 コロ 3:14

3:14 これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。

新共同 Ⅰペテ4:8

4:8 何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。

新共同 Ⅰヨハ4:7

4:7 愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。

新共同 Ⅰヨハ4:16

4:16 わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。

 (仏)THE NEW JERUSALEM BIBLE 1985 の引照

口語訳 Ⅰコリ13:13

13:13 このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。

口語訳 ガラ 4:9

4:9 しかし、今では神を知っているのに、否、むしろ神に知られているのに、どうして、あの無力で貧弱な、もろもろの霊力に逆もどりして、またもや、新たにその奴隷になろうとするのか。

口語訳 Ⅰヨハ3:2

3:2 愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである。

 ●以上、聖書のいう「愛」とは人間の愛ではなく、「(人間の)愛の想い出」でもなく、「神の愛」そのもの。これは永遠で廃らない、壊れない、消えない、というのである。そしてそれは終末の日にあらわれて完全になるというのだ。その時地上の建物も身体もなくなり、永遠なる「神の愛」のみが残るというのだ。偉大なるかなパウロ。これあって有限なる人間の地上の涙は拭われる。なぜか。地上の家は壊される。地上の肉体は病気になって滅びる。死ぬ。そこで別れの悲しさ、別れの涙がある。しかし「復活」がある。これなくして人生は空しい。さびしい。●「黒崎プロジェクト」WEB会議●「藤林益三」校正。校正は時間がかかる●「なつかしの讃美歌」を鑑賞●某女から大量の書籍が届いた。随分勉強家だ。●寒い雨の日。市役所に行く●世の中には不幸にも「病気」になって「失敗の人生になってしまった」と思っている人がいる。思わぬこと、望まぬことに遭遇して家庭が崩壊した人がいる。アー人間はみんな何か「不足」なのだ。不完全なのだ。病院で直ればいいが、薬石の効なく一生「病気」を抱えたままの人がいる。万策尽きた人がいる。●人生の不条理は「復活」なくして解決できない。人生は「次の世」があるのだ。●これあきらめではない。無策ではない。まず自助努力をして、その結果「どうしようもなく」なっ時の正しい認識である。不条理はその認識に到るためにどうしても必要なものなのだ●そういう人達のために「私は医者ではない」からどうしようもできない。「全能の父なる神」に祈ることにしよう。祈ればよいのだ。「聴かれない祈りはない」。



 

 

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バッハ・ヘンデルは大馬鹿だった ++++++++ 所感

2008/04/09 08:47

080409(水)5時半起床●朝のひらめき「神にはできないことはない」●朝風呂で日経「私の履歴書」元参議院議長、扇千景。・・・中村扇雀との色恋沙汰の話。こういう話を聞くと「嫌悪感」を感じる・「オエッ」と思うのだ。その後扇雀は人間国宝、扇千景は参議院議長。あーこんな人間がこの世にもてはやされるとは・・・・この世にはいいことがない。望みがない。こういう世の中だから「神を信じて清い生活を営もうとする」人間を嫌うのだ。キリスト教が日本に浸透しない理由は簡単。日本人が悪魔にかみつかれているからだ。その毒素が注入されているからだ。イエスの血清が必要だ。●矢内原忠雄は谷崎文学が米国に翻訳されて輸出されたと聞いた時「頭に原爆が落ちた」ようなショックだったという。●「黒崎プロジェクト」のWEB検討会議(シドニー&福島)。次の世に真に伝承すべきものは何かを検討。育ちも環境も違う人間が「主にあって」一致できることに意義がある。●「神にはできないことはない」。(トンデモナイ)あの人は救われるか。あの人の病気は治るか。信仰なくして死んだ母は救われるか。・・・人生には「どうしたらよいのか」「とうてい無理だ」と途方に暮れることが多くある。そんなとき「神にはできないことはない」という信仰は慰めだ。

塚本訳 ルカ 18:26-27
18:26 聞いている人たちが言った、「それでは、だれが救われることが出来るのだろう。」
18:27 イエスは言われた、「人間に出来ないことが、神には出来る。

塚本訳 マタ 8:2-3
8:2 すると一人の癩病人が近寄ってきて、しきりに願って言った、「主よ、(清めてください。)お心さえあれば、お清めになれるのだから。」
8:3 イエスは手をのばしてその人にさわり、「よろしい、清まれ」と言われると、たちまち癩病が清まった。

●9:30妻がいわき市の母の見舞いに急遽出発●私の母の最期は、蝋燭(ろうそく)の火が消えるようであった。私と妻が手を握っているうちに逝った。息が細くなりスーッと止まった。心臓の鼓動を聞いていた医者が耳から聴診器を外して「残念ながらお迎えがきました」と言った。「残念ながら」の一言が私を慰めた。私が泣いているともう一人のベテラン医師が「それでいいんだ。それれでいいんだ」と声をかけてくれた。・・・あれはもう4年も前のことだった。●いつかはこの私もそういうときがくる●肺がんの母は最後近くに苦しそうに肩で息をしていた。私は思わず「天国に行けば楽なるよ」と言った。母はジロッとわたしの目を真剣に見て、「照男さん行ってみてきたの?」と言う。私は「聖書にそう書いてある」と言った。すると母は冷笑して「あんたは見ないものを信じて喜んでいる」と言った。●あのとき私は「何と言えばよかったのだ」・・・・・・祈りが足りなかった。・・・・●「あんたは見ないものを信じて喜んでいる」との問題は母からの課題、生涯の宿題だ。●見ないものを信じて喜んでいるのは馬鹿。馬鹿で結構。私は大馬鹿だ。笑ってjくれ、冷笑してくれ。この私が馬鹿なら、バッハもヘンデルもレンブラントもみんな大馬鹿だったのだ。●某女の「死んだら愛する人に会えるのか」に対する返メールを書いた。ことは死と復活と再会のまじめな問題。下記に公開する。一部改変。

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〇〇 様

(前略)

あなたの「先に召された○〇とは、いつか、復活の日に会えるのでしょうか。」

 

これについて思うところがあってメールさせていただきました。

 

恐れ入りますが、ヨハネ11:1-44をまず読んでください。その感想を私が言います。

かって集会で「死は眠り」で長い長い眠りの後に(ここが我ながらおかしい、寝ているときは人間は時間の概念はないので長いとは感じないのだが・・・・)目覚める(復活できる)と話しました。また天国では結婚生活がないことも常に話していました。すると長年車いす、その上しゃべれなかったご主人を看護されたのちに見送られた老婦人が私に「私は死んだらすぐ主人に逢いたい」と言われました。そのことがずっと私の念頭にありました。

 

塚本訳 ルカ 20:35-36

20:35 あの世にはいる資格を与えられて、死人の中から復活する者は、めとることもなく嫁ぐこともない。

20:36 復活によって生まれる彼らは、天使と同じであり、神の子であるので、もはや死ぬことが出来ない、(従って子を産む必要がない)からである。

 

これ重要問題です。ところが最近、ラザロという弟(多分)を失ったマルタにイエスが慰めの言葉をかけた(ヨハネ11章)というのは、来世では「愛する人に会える」という前認識があってのことだということに気がつきました。

こういうことを信じているこの私は馬鹿かもしれません。今日のブログ4月9日のところを読んでみてください。

あなたのご質問で私も信仰がまとめられました。感謝。

 

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●4年前に母が死んだときにすり減るほど(CDは擦り減らないが)聴いて慰められたバッハの「二つのヴァイオリンのための協奏曲BWV1043」の第二楽章ラルゴをトレヴァーピノック+イングリッシュコンサートとメニューイン+クリスチャンフェラスの2種類で鑑賞。素晴らしい。バッハはなぜこんな曲を作れたのか。その原因は大勢の子どもが夭折したからだ●私が脳内出血で聖路加に入院していた時に会ってくださった日野原重明先生は「音楽力」という本の中で「悲しい時は悲しい曲を聴け」と言っている。至言。

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叫びつつ倒れてもよいこと ++++++++ 所感

2008/04/08 09:24

080408(火)5時15分起床●朝の啓示「悔いなき叫び」。叫びつつ倒れても良いこと。それは「有体的復活の使徒伝承」●この9年、「有体的復活」を叫んで、数は少ないが心の友が得られた。応答があった。これが私の自信を深めた。有体的復活は真理だと認識させた。この世ならざる神秘的な交わり。●新約聖書学用語のケリュグマはケリュッゴー(叫び)からくる。この叫びは叫ぶだけで集団の結成を目的としない。勢力を張ることを目的としない。結果を期待しない。応答を気にしない。しかし思わぬ人から思わぬところから応答があるから不思議。東京は人口の割には少ない!!。●叫びが伝わる手段は「文書」「IT」。物理的集団は必ずしも効果はない。なぜか。集団形成のいがみ合いという派生的なことがあるから。●エクレシアは今や物理的集団よりも、空間的に離れている方が良いのではないのかと思えるようになった●パウロの交わりも「手紙」であった。遠くの人たちであった。●人間はくっついていると、われはアポロに、パウロにという分争が起こる。そしてその争いはこの世的なこと●罪とは何か。自分中心にものを考えること。だから神なき人間が「自由」「自主」「人間尊重」「個性尊重」などを叫ぶときそれは神と人への「傲慢」という罪の本質のあらわれ。●ダンテは言う「神への従順が真の自由」と。これ神なき人間は「恐怖」の言葉。奴隷になってしまうのではないかとの恐怖。●「ジェンダー」とか「フェミニズム」を叫ぶ女史たちに告ぐ。警告する。神なき人間たちから喝采を浴びるとき、気をつけた方がよい。なぜか。神なき人間の「神への不従順という傲慢」の心が彼らを喜ばせているだけだからである。●この件、論客の女史軍団にいつも反撃されるが、「自由」「フェミニズム」「ジェンダー」などを「狂い叫ぶ女史」たちには「毒」があることを嗅ぎわけるだけの「信仰的センス」を持たなければならない。毒まんじゅうは匂いを嗅いだだけでわかるようにならなければならない。●この件、私は「悪者」になって言っておく。私は女子大の講師だが、女性にチヤホヤする男に大した人物はいない。組織の長にはなれても「後世」に残る意味ある戦いの仕事はできてない。●ヒルティは「鉄の額(ひたい)を持て」と言っている。これは人生は「真理の敵をもて」という意味だ。●でもなー、アンナ人間を敵にもったら、「男として自分が廃る。自分が小さくなる」●「黒崎注解口語化電子化プロジェクト」でWEB会談。そのほんの一部を下記に転載する。

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〇〇様 

(前文、略)

●最新の学徒は塚本も黒崎も読まない。なぜか、その参考文献は1950年以前のもの。むろん内村も

読まない。ではだれが(内村、塚本、黒崎を)読むか。学者ではない素人読みの人間。これ隠然たる力。内村黒崎塚本の信仰の確かさ、使徒伝承を固く保持、正統信仰の継承。ここに価値がある。私は「使徒伝承」をライフワークにしていますが、黒崎のその正統的使徒伝承を継承できる喜びがあるので、「黒崎プロジェクト」に協力する気持になれるのです。

(後略)

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●モーツアルトクラリネット協奏曲をプリンツ+べーム+ウィーンで鑑賞。協奏曲の名演で第二位にランキングされているもの。シューベルトのドイツミサ曲をカールフォルスター+聖ヘドウィッヒ教会合唱団で鑑賞、第6曲目がすばらしい。●池谷医院、郵便局で「藤林出版会」の口座開設に行く。強い風雨で困った。●妻は夕方から月本昭男先生の旧約聖書講義に新宿まで行く●好間正一さんから電話

 

 

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人は外の顔かたちを見、主は心を見る ++++++++ 所感

2008/04/07 07:22

080407(月)4時45分起床。出勤日。●朝風呂で日経「私の履歴書」元参議院議長、扇千景。各所からスカウトされる。この人はそれだけの「タレント」性があるから。しかし、それも天から与えられたものと「感謝」できなければ外形は美しくても心は醜いのだ。

口語訳 1サム 16:7

16:7 しかし主はサムエルに言われた、「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」。

●朝風呂で黒崎注解。ルカ16章14-18節。註解とか翻訳には限界がある。岸に何人もいる(学者たちの学説のこと)があるのに船には一人きり乗せられないというジレンマがあるものと思われる。●6:00メールで「議論」。「復活問答」(これは東京と)「黒崎プロジェクト」(これはシドニーと福島)●メールで議論は頭の整理になって有益。●通勤は片道2時間。座っていけるので車中読書。今日はルカ16章14-18節を塚本虎二の「聖書知識」で。聖書そのものの正しい解読が一番インパクトがある。●勤務先で久しぶりに会った人の二人から「痩せましたね」と言われた。毎日そばにいる人にはわからないものだ。何事も「少しずつ、少しずつ」だ。ゲーテの言葉に「急がず。休まず」というのがある。ダイエットもこの精神だ。

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永遠の住居とは何か ++++++++ 所感

2008/04/06 21:48

080406(日)4時半起床●今日の話の準備。「永遠の住居」について、家(オイコス)と天幕(スケーノス)の違いの勉強。この違いは深い。人間の身体はスケーノスで神の霊の宿る場所。●集会は長島、山本、高橋(ルカ16章1-13と「永遠の住居とは何か」・・・HP「使徒伝承」にアップ)●黒崎新約聖書注解口語化、電子化プロジェクトを発表。二人の人から、「文語体」は本文も解説も残した方が良いとの貴重な意見を受けた。黒崎先生の御本で学ぶなら「文語体」を学べまで言われた。●杉崎孝さん(94歳)と昼食懇談。とても厳しいことを言われた。●妻は合唱の練習、フォーレの「レクイエム」、パレストリーナ「ミサ・プレヴィス」。●16:00歯科。●今日は疲れた
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それは受難だなー ++++++++ 所感

2008/04/05 12:00

080405(土)5時半起床●朝風呂で日経「私の履歴書」元参議院議長、扇千景。父の反対を押し切って入団した宝塚。入団直後に肺に影。結核で一年休学。その間に猛勉強して優等生になる。先月の人物も逆境を経て成功。人間大成するには貧困、病苦、不幸などの逆境に遭わなければならないらしい。●某氏から深刻なご連絡。よかれと思って連絡したことに対してトンデモナイ誹謗を浴びて少々ノイローゼ気味だという。そこで激励の返メール。内容は公的なことなので、さし障りのあるところは伏せたり改変して公開する。こういうことを公開するのも勝手な趣味でやっているのではない。同じような目に逢って苦労している人に対する励ましである。人を傷つけないために、だれのことだかわからないように書くのも一苦労なんだなー。

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○○様

貴殿のことをお祈りさせていただきました。ブログ○○のところををご一瞥ください。
さて貴殿は「受難です」。某教派の社会委員長ともあろうものからそのようなメールとは。「ノイローゼ」にならない方がおかしいです。私のブログも「路傍伝道」ですから、石が投げられます。それは決まってこの私のことを「よく知っている人間」から投げつけられます。だからがっくり来るのす。全く知らない人間なら気にしませんが・・・ごく身近な人だからガツンと来るのです。そういう攻撃の種類を分析分類すると次のとおりです。 大体がこの種類のうちです。


①自己の罪の自覚を感じての恐怖心から ②ねたみから ③自分の立場が失われる恐怖から(今回はおそらくこのケース)

というわけで、貴殿の「受難」はキリストを信ずる者の「宿命の涙」です。負わされる十字架ではないでしょうか。

ワーズワースがミルトンを誉めた言葉に習って 貴殿にも送ります。

 「ミルトンよ今あれかし。英国は汝を要す。来りて我らを教えよ」(ワーズワース)

 「〇〇よ倒るるなかれ。日本は今汝を要す。来りて我らを教えよ」(高橋)

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●私は趣味でブログを公開していない。苦難に遭遇している人への慰めと励ましである。●「高橋さんのHPやブログは『癒し』ですと言ってくださったかたがいた。こういう方の存在がブログを書く目的。私はこういう人をたずね求める。私のブログで実際に被害に遭われた方がいたら、実名で(匿名ではなく)その経過と内容を直接私にお知らせいただきたい。小生としては、ブログにおいて実名そのままでその被害内容を天下に公表し、私が悪い場合は私の謝罪文も公表する。それが紳士的ルールだ。●プリンター不調。メーカーに「明日使う資料が印刷できなく困っている。拝むタノム」と懇願したら、電話指導でいろいろ修復を試みて考えてくれて直った。●人生には「拝む、タノム」という姿勢が必要。その最大のことは「私は罪を犯しました。苦しいのです。救ってください。拝みます。タノミます」という場面。これが神に帰依する前提だ。「私の過去はけがれています。このままでは天国に行けません。迎えてもらえません。それでも、それでも、それでも、どうか入れてください。拝みます、タノミます」。●神もここまで拝み頼まれれば捨てるわけにはいかない。キリスト教や信仰などは難しくない。人間にこの姿勢があるかないかなのだ。神は存在するか、キリストは神の子かなどと研究する態度では神としても「カワユクナイ」から願いを聞かない●こういう人間はそもそも願いや祈りがない。●妻は今井館に「武義和氏の音楽レクチャー」。その後東京文化会館に合唱の練習。ドボルザークの「スターバトマーテル」 ●「使徒伝承」が昨年の秋からなかなかUPできないでいたが、昨日福島の三男のところに行って原因を教えられ、3本アップできた。長文なのでブログに掲載できない。読まれる方はHPトップページから「使徒伝承」に行けば読めます。今回は一気に次の3本をアップした。

 永遠の住居(すまい)とは何か

 詩篇第126篇を読む

 人生を決定した本、塚本虎二著「放蕩息子とその父」

●「藤林益三」の編集。ゲラ校正大詰め。津地鎮祭訴訟の「多数意見」の判決文を詳しく読んで「もっともだ」と思う部分もあった。日本人の大多数の思いであろう。しかしそこに「福音、三位一体」の信仰が落ちるから「戦い」が始まったのだ。●自転車で郵便局にエクスパックを出しに行く。夕方は寂しい。●去る4月1日、「復活の喜び、2題」として、集会で語った「詩篇第126篇を読む」と9年前の「復活の喜び」をメールの添付、および郵送でも送ったが、開封確認だけの応答も含めて続々と返事がくる。 ところが偉い人ほど「内容の是非にかかわらず」応答が速い。この現象はなんなのだろう。返事のない人はそういうふうだから「偉くなれなかったのかなー」と思ってしまう。事実を言うまでだ。ウンともスンとも言わない人は「余計なものを送ってくれるな」と思ったのかも知れないなー。まさか宗教の勧誘だとは思ってはいないのだろうなー。そういう人には送ってないから。●某氏からメール「ブログが高橋様の心の記録という事はよく承知しています」。そうだ、そうなんだ。わたしのブログは「心の記録」なのだ。よく言ってくれた。一方通行なのだ。返事は期待しちゃーいけないのだ。福音は「叫び」なのだ。誰も聞いてくれず、応答なく、良い返事がなくても叫べばよいのだ。



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大切な順序 ++++++++ 所感

2008/04/04 11:42

080404(金)福島の三男の家で目覚め4時。気温が低い●6:00恵からパソコンのレクチャー。恵は「私に教えているより、自分でやってしまう方が速い」という。私のHPは本年度末に恵が東京の家に来たときに「ホームページビルダー」に切り替えてくれるという。パソコンが出来る人間にとってわたしのような老人はお荷物だ。●パソコンが全くできない人はこれからも多いだろう。

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6:30近藤家で朝食。左から近藤華子、近藤風人、近藤恵、近藤見時、高橋照男。子供が心身ともに健やかに育つ環境とは何だろう、幸福は都会よりも田園生活にあるのではないだろうか。ワーズワースを思う。都心とか、人間集団には「争い」がある。いやになった。●お金があっても「給料が少ない」と思っている人もいるかと思うと収入は少なくても「父さん俺貧乏と思っていないよ」という人もいる。●子供がよく育つ条件を聞いたことがある。貧乏で夫婦仲がよいこと。

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新幹線の車窓から見えた山。山を見ると何かを語っているように見えるのだ。

●7:40 福島発で勤務先に10::05到着は、新幹線のおかげ。●中津元次氏(建築コンサルタント)の知恵。全松下の工場の改修計画。その手のつける順序。①生命に危険のかかわること。②生産性にかかわること。③快適性 ④今すぐ改修しなくてもよいこと。この4種類に整理して大成功。●中津氏は建築出身でなく、コンピュータの設計者だったでこの優れた発想がでた。●建築「「屋」だと、上記の④の発想がでない。「ついでに全部やってしまいましょう」ということになる●中津氏の発想が非凡なのは「今すぐ改修しないで、後からやるために発生する無駄な費用(例・足場の再度の掛けなおしなど)の計算したところ。そういうリスクがあっても、「今すぐやらなくてよいことはやらない」ほうがよいのだ。●このことは、人生の残り時間の少なくなった人にも言える●第一にやらなければならないことは、上記①の「生命の危険にかかわること」をまず第一にすべきである。それは「永遠の住まい」に入れるような準備。●神の国を第一にすべきことが最大の「知恵」。イエスは次のようにいう。

塚本訳 ルカ12:15-31

"421215","人々に言われた、「一切の貪欲に注意し、用心せよ。いかに物があり余っていて
も、財産は命の足しにはならないのだから。」"
"421216","そこで一つの譬を人々に話された、「ある金持の畑が(ある年)豊作であった。
"
"421217","『どうしよう、わたしの作物をしまいこむ場所がないのだが…』と金持ちはひ
そかに考えていたが、"
"421218","やがて言った、『よし、こうしよう。倉をみなとりこわして大きいのを建て、そ
こに穀物と財産をみなしまいこんでおいて、"
"421219","それからわたしの魂に言おう。──おい魂、お前には長年分の財産が沢山しま
ってある。(もう大丈夫。)さあ休んで、食べて、飲んで、楽しみなさい、と。』"
"421220","しかし神はその人に、『愚か者、今夜お前の魂は取り上げられるのだ。するとお
前が準備したものは、だれのものになるのか』と言われた。"
"421221","自分のために(地上に)宝を積んで、神のところで富んでいない者はみな、このとおりである。」"
"421222","それから(また)弟子たちに言われた、「だから、わたしは言う、何を食べよう
かと命のことを心配したり、また何を着ようかと体のことを心配したりするな。"
"421223","命は食べ物以上、体は着物以上(の賜物)だから。(命と体とを下さった神が、
それ以下のものを下さらないわけはない。)"
"421224","烏をよく見てごらん。まかず、刈らず、納屋も倉もないのに、神はそれを養っ
てくださるのである。ましてあなた達は、鳥よりもどれだけ大切だか知れない。"
"421225","(だいいち、)あなた達のうちのだれが、心配して寿命を一寸でも延ばすことが
出来るのか。"
"421226","それなら、こんな小さなことさえ出来ないのに、なぜほかのことを心配するの
か。"
"421227","花は紡ぐことも、織ることもしないのに、よく見てごらん。しかし、わたしは
言う、栄華を極めたソロモン(王)でさえも、この花の一つほどに着飾ってはいなかった。
"
"421228","きょうは野に花咲き、あすは炉に投げ込まれる草でさえ、神はこんなに装って
くださるからには、ましてあなた達はなおさらのことである。信仰の小さい人たちよ!"
"421229","あなた達も、何を食べよう、何を飲もうと考えるな、また気をもむな。"
"421230","それは皆この世の異教人の欲しがるもの。あなた達の父上は、それがあなた達
に必要なことを御承知である。"
"421231","あなた達はむしろ御国を求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなもの
は、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。"

 

 

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突然に福島へ ++++++++ 所感

2008/04/03 11:17

080403(木)5時起床●6:15福島にいる三男の恵との電話で、急遽福島に行くことになった。●東秋留10:40発、福島県二本松着14:02 新幹線は速い。恵出迎え●景色のよいところで華子さんを交えて相談

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恵の作業着姿。すっかり、農業人になったなー。田園生活は厳しいが喜びも大きいようだ。神と天然博物相手の人生は心が豊かだ。

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川が流れる田園風景。人間は自然の中で生きるのが理想なのではあるまいか。ただしそんなには甘くないらしい。

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景色のよいところを散策。今日は安達太良山が見えない。遠方の建物は小学校。
●本宮の安達太良聖書集会、湯浅鉄郎先生ご夫妻にご挨拶に伺う。恵を交えて懇親懇談2時間半。直接お話しするというのはメールでは感じ取れないものがある。パウロの「今はおぼろげながらに見ているが、終末のときは顔と顔を合わせて語る」とある。●湯浅先生のお話。「一心に神に従っていればこの世のことは神が面倒を見てくれるものだ」。その面倒見は具体的には「人物」を通してなされる。なぜか。神の心は人間のロゴズで伝えられるから。ヨハネ1章1-3節は実生活上の体験でその真理がわかる。

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安達太良聖書集会。左から近藤恵、湯浅哲郎、湯浅理恵子、高橋照男

●福島市に行き、孫の二人(見時、風人)に会う。「おじーちゃんお土産買ってきた?」。風人もプロレスが出来るようになった。見時はいつもより早くすぐ寝たという。プロレスをやり過ぎて疲れたらしい。●恵夫妻と懇談。人生は好転するときが来るものだ。天の恵みに感謝。

 


 

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悩みの日にわたしを呼べ。 ++++++++ 所感

2008/04/02 09:59

080402(水)5時起床。朝の黙示。「悩みの日に我を呼べ」。これはどこか。Jバイブルを使用して検索。 

口語訳 詩  50:15
50:15 悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう」。

●これだ、これが「人生を楽に渡れる」道だ。ヒルティの幸福論はこの一言に尽きる。●人生には「悩み」が多い。その大半は「人間関係の争い」「病気」「経済苦」。どうか私の関係者(家族、親戚、集会の方々)がこの「悩み」から救われますようにと祈る●「黒崎新約聖書注解口語化、電子化プロジェクト」WEBでの戦略会議。シドニーと福島。神がこのプロジェクトを導いてくださいますように●シドニー、福島でも「祈り」は通じる。人は物理的に集まらなくても仕事はできる。●私が怒りやすいのはEQが低いかららしい(3月31日〰4月1日のブログ参照)ので、昨夕早速図書館でEQに関する本を5冊借りてきた。そのうちで最も読みたくなったのが神津健一著「食べるだけでIQ・EQが高まる」。まずこれから読んでみよう。食べればEQが高まるならば一石二鳥だ(笑)●それよりも、人が憎くなったら食べればすっとするものがある。それは肉まん(憎まん)であると聞いた。本で勉強するよりもこの方が説得力があるなー●音楽DVDでモーツァルトのピアノコンチェルト23番を鑑賞。ポリーニ+べーム+ウィーン+楽友協会。●人からあらぬ嫌疑をかけられたとき、憎まれたとき、ねたみを起こされたとき、誤解されたときはどうすればちょいか。、これ人生の「悩み」である。その時は「そのまま勝手に思わせておけ。そのうち自分が恥じる」。これが処世術。●あるいは「本当に自分が悪いのかも知れない」。でも神に注意されるのなら納得するが、人に注意されるのは癪だなー●4月6日の感話は「永遠の住居」。ここで身体のよみがえりのことを話す。●古代教会の人たちはどうして「からだのよみがえり」などというへんてこりんなことが信じられたか。●現代でもこの疑問は深い。肺がんで臨終の母に「天国に行けば楽になるよ」と言ったら「照男さん行って見てきたのですか」と真剣に聞かれた。●神はこの母の真剣な質問にどう答えよというのか。もう過ぎたことなのだが。今後の人のために聞きたい●有体的復活の使徒伝承を信じるのが唯一の道。だからその使徒伝承を担う教会や人を信じて自らが聖霊をいただいてその使徒伝承が本当のことであることを信ずれば「安心立命」が得られる。イエスが有体的に復活されたのは、来世の実在の証明。来世で有体的復活がありうることの証明。墓が空になったことは史実。これらの使徒伝承を信じて初めて左脳が安静する。●だから使徒伝承を連鎖として担う教会や人物が絶対的に必要。ティルトリアヌスが「教会の外に救いなし」と言ったが、それは「使徒伝承が語られる場以外に救いなし」ということである。●今や「使徒伝承」はどこで語られているのか。●霊的体験のみでは「使徒伝承」は起こらず、「からだのよみがえり」の信仰も生まれない。キリスト教はイエスの有体的復活の使徒伝承が信仰の根拠である。

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庭の木瓜(ぼけ)が咲いた。きれいだなーきれいだなー。

●「藤林益三」本の校正。浅見仙作事件の三宅正太郎の名判決。

●妻は婦人の聖書勉強会、パレスチナ問題の映画、それからモーツアルト「レクイエム」の練習。●パソコンの「使徒伝承」がうまくUPできない。恵にやってもらうことにした●春風学寮の太田修氏からの招きで5月25日の礼拝で話すことになった●4月6日の「感話」が出来上がった。少し長いが早い方がよいので下記に掲載する。

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永遠の住居(すまい)とは何か

旧約の喜びから新約の復活の喜びへ

 

  東京聖書読者会 高橋照男 2008.4.6

 

●建築士の私としてはルカ16章9節の「永遠の住居(すまい)」という言葉に非常に惹かれる。

 

塚本訳ルカ 16:9

16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。

 

原典    aijwnivou"    skhnav".

とこしえの    住居(複)

 

各種翻訳

岩波翻訳委員会訳1995 佐藤研・・・永遠の幕屋

新共同訳1987        ・・・永遠の住まい

前田訳1978         ・・・永遠の住居

新改訳1970         ・・・永遠の住まい

塚本訳1963         ・・・永遠の住居

口語訳1955         ・・・永遠のすまい

文語訳1917         ・・・永遠の住居(とこしへのすまひ)

 

    KJV1611  everlasting  habitations  (格式語)永遠の住み家

    RSV1946  eternal habitations

        NEB1961  eternal home

        REB1989  eternal home

    JB 1966  tents of eternity 永遠のテント(天幕)

    NIV1973  eternal dwellings 永遠の住居(格式語)

    TEV1976  eternal home

    NKJV1982 everlasting home

    NJB1985  eternal dwellings 永遠の住居(格式語)

 

ルター訳15221984発行版) ewigen Hutten   永遠の小屋

           詩篇第84篇を読む

 

●旧約の喜びは「神と共なる喜び」である。それが一番よく表現されているものの一つが、詩篇第84篇である。この詩に「住まいの喜び」というものが現れている。

 

 

詩篇84篇 

 

口語訳1955  小文字は黒崎注解の口語化

 

ギテトの琴にあわせて聖歌隊の指揮者にあわせてうたわせたコラの子の歌

 

アサフ歌集は第83篇をもって終わり、84-88篇は「コラの子ら」の歌集となり、エロヒム歌集の色彩がほとんどなくなっている。本篇は第42、43篇と内容においても構造においても相近く、主の宮に対する熱情と宮もうでの幸福とを歌っている。おそらく王朝時代の作と思われるけれどもその内容はいずれの時代においても真である種類の詩である。学者は本編の中にある神殿関係の語を具体的にエルサレムの宮と解しているけれども、むしろ一層抽象的に霊的に解する事を適当とする。セラによって区分される通り1-4,5-8,9-12の3部からなる。

 

[]神の家(1-4)

84:1 万軍の主よ、(主にいましたもう)あなたの(住みたもう)すまい(なる神の宮、否、人手にて造らざる宮)はいかに麗しいことでしょう。

84:2 わが魂は絶えいるばかりに主の(宮の周囲にある)大庭を慕い、わが心とわが身は生ける神にむかって喜び歌います。(かくしてわたしは全身全霊をもって主なる神をよろこぶ)

84:3 すずめが(神の造りたまえる自然の中に)すみかを得、つばめが(木の間に)そのひなをいれる巣を得るように、万軍の主、わが王、わが神よ、(このあなたの造りたまえる大自然である)あなたの祭壇のかたわらに/わがすまいを得させてください。

84:4 (信仰をもってあなたと共にいて)あなたの家に住み、(あなたの御そばに侍りあなたをあおぎ見つつ)常にあなたをほめたたえる人はさいわいです。〔セラ

 []神の宮に詣でる者の幸い(5-8)

84:5 その力があなたにあり、(あなたにより頼んで力を得、あなたにまみえんとして進みいきつつ)その心がシオンの大路にある人はさいわいです。

84:6 彼らはバカの(の生い繁る水気なき)谷を通っても、そこを泉のある所とします。(エルサレムに詣でんとする者にはその途中のあらゆる苦難も歓喜と化するように神を信ずる者に取っては苦難も甘い喜びとなる)また前の雨は池をもってそこをおおいます。(このようにして神の宮に向かって進む者の上に神の恩恵は豊かに下るのを見る)

84:7 彼らは力から力に進み、(ますます力づけられ)シオンにおいて(神の宮に詣で)神々の神にまみえるでしょう。(これに勝る幸福とてはない)

84:8 万軍の神、主よ、(御前に詣でて祈る)わが祈を(私の願いを成就し)おききください。ヤコブの神よ、耳を傾けて(わたしの願いを聞いて)ください。〔セラ

 []神のめぐみ(9-12)

84:9 神よ、われらの盾(としてすべての敵より我らを守りたもうもの)をみそなわし、あなたの油そそがれた者(メシアなる王たる我)の顔をかえりみてください。

84:10 あなたの大庭にいる一日は、(他のあらゆるこの世の幸福に浸って)よそにいる千日にもまさるのです。わたしは悪の天幕に(悪人と共に泰然としてして)いるよりは、(たとえ人の目にいかに憐れむべきものに見えるにしても)むしろ、わが神の家の門守となることを願います。

84:11 主なる神は日(のごとく輝くもの)です、(また)盾(のごとくに我らを守りたもう者)です。主は(彼を信ずる者に)恵みと誉とを与え、直く歩む者に良い物を拒まれることはありません。

84:12 万軍の主よ、あなたに信頼する人はさいわいです。

 

●「住む」と「棲む」

  「住まい」とは人間が生活する場所。「棲みか」とは動物が生息する場所。

  

●「住まい」や「棲みか」の本質は「落ち着ける場所」「やすらげる場所」「癒しの場所」「喜びの場所」「泣く場所」「怒る場所」。それは神の懐

 

●人間は心身共に真に安らげ落ち着ける場所を求めている

 

●地上に物理的住居が持てない嘆き悲しみ。それを失う悲しみ。

 

●「建築主のために一生懸命に建築できた思い出」は胸の中に永遠に残る。

 

●神の裁きは、個人、家庭、家屋、企業、組織、集団、国家などの崩壊となる。

 このとき、人間の知恵の延命処置は徒労。世の各種知恵はその「あがき」。

 

  文語訳 ロマ623a  

それ罪の拂ふ價は死なり、

新約の喜びは「からだの復活」。

  復活のからだが永遠の住まい

 

●イエスもユダヤ人であってエルサレム神殿を深く愛した。ヨハネ2章17節は詩篇69篇の9節からに引用である。

 

口語訳 詩  69:9

69:9 あなたの家を思う熱心がわたしを食いつくし、あなたをそしる者のそしりが/わたしに及んだからです。

 

塚本訳  ヨハ 2:17-22

2:17 (これを見て)弟子たちは、〃(神よ、)あなたの家に対する熱心が、わたしを焼きつくします〃と(詩篇に)書いてあるのを思い出した。

2:18 するとユダヤ人が口を出した、「あなたはこんなことをするが、(その権威を証明するために、)どんな徴[奇蹟]をして見せることができるのか。」

2:19 イエスは答えられた、「このお宮をこわせ、三日で造ってみせるから。」

2:20 ユダヤ人が言った、「このお宮を建てるには四十六年もかかったのに、あなたは三日で造るというのか。」

2:21 しかしイエスは自分の体のことを宮と言われたのであった。

2:22 だから死人の中から復活された時、弟子たちはこう言われたことを思い出して、聖書とイエスの言われた言葉と(が本当であること)を信じた。

 

●イエスは歴史上のご自分の復活の体をもって「宮」「神殿」だと言った。

 

塚本訳 ヨハ 4:20-21

4:20 (それでお尋ねしたいのですが、)わたし達の先祖はこの(ゲリジム)山で(神を)礼拝したのに、あなた達(ユダヤの人)は、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。(どういう訳でしょうか。)」

4:21 イエスが言われる、「女の人、わたし(の言葉)を信じなさい。(間もなく)あなた達が、この山でもエルサレムでもなく(どこででも、)父上を礼拝する時が来る。

 

●イエスはサマリヤの女に「この私がその宮(神殿)だ」ということを言いたかったのである。21節の「女の人、わたし(の言葉)を信じなさい。」がそれを示す。それは歴史上のイエス、その後は過去も現在も使徒伝承を担う「人物」一個人のところに救いがある。それは「集団、会、組織、教理」それ自身には救いはない。●復活の体というものがある。これが有体的復活という喜び。

塚本訳 Ⅰコリ15:35-38

15:35 しかし、ある人は言うかも知れない、(かりに復活があるとしても、)どんな風にして死人が復活するのか、どんな体で来るのかと。

15:36 訳のわからない人!あなたがまくものは、死ななければ生かされないのだ。

15:37 そしてあなたのまくものは、やがて出来る体をまくのではなく、たとえば麦にしても何かほかの種類にしても、裸の粒にすぎないのである。

15:38 しかし神は御心のままにそれに体をお与えになる、しかもそれぞれの種に独得の体を。

 

塚本訳 Ⅰコリ15:39-41

15:39 すべての肉が同じ肉ではない。人間の(肉)がちがい、家畜の肉がちがい、鳥の肉がちがい、魚の(肉)がまたちがう。

15:40 天の体があり、地の体がある。しかし天のものの輝きは別であり、地のもののはまた別である。

15:41 (天のものの輝きにしても、)太陽の輝きがちがい、月の輝きがちがい、星の輝きがまたちがう。その上、星はひとつびとつ輝きが相違している。

 

塚本訳 Ⅰコリ15:42-49

15:42 死人の復活もこのようである。(一つの体が死んで別の体が生まれる。)死滅の姿でまかれて不滅の姿に復活する

15:43 恥辱の姿でまかれて栄光の姿に復活する。弱さの姿でまかれて力の姿に復活する。

15:44 (神の霊を持たない)魂だけの体がまかれて霊の体が復活する。魂だけの体がある以上は霊の体もあるわけである。

15:45 (聖書にも)このように書いてある、「最初の『人』アダム『は魂だけの生きものになり』、最後のアダム[キリスト]は命を与える霊になった」と。

15:46 しかし霊のものが最初でなく、魂だけのものであり、その次に霊のものである。

15:47 最初の『人は地から出て土で出来たものであり』、第二の人は天の出である。

15:48 土の人たちはこの土の人(アダム)のようであり、天の人たちはこの天の人(キリスト)のようである。

15:49 こうしてわたし達は土の人の姿を帯びたように、(復活の時は)天の人の姿を帯びるであろう。

 

塚本訳Ⅰペテ1:23

1:23 (君達は)朽つる種でなく、朽ちぬ種から、(すなわち)神の活ける、また(永遠に)消え失せぬ言によって新しく生まれたのである

 

塚本訳ロマ 8:23

8:23 しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証拠として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである。

 

塚本訳 Ⅱコリ5:1-4

5:1 なぜ(こんな希望に生きることができるの)であろうか。もし地上の家であるわたし達のこのテント、(この肉体)がこわれるならば、天に、神の建てられた建物、(人間の)手で造らない永遠の家をいただいていることを、わたし達は知っているからである。

5:2 どうしてであろうか。わたし達はこのテントにいて、天の住いを上に着たくてたまらずに呻いているからである。(この憧れと呻きこそ、永遠の住いのある証拠ではないか。)

5:3 ほんとうにもしこれを着たならば、裸(の恥しい姿)であることはないであろう!

5:4 それで、わたし達のこのテントにいる者は、重荷に呻いている。これを脱ぎたい(つまり死にたい)のではなく、(天の住いを)上に着たいからである。これは死ぬべきものが命に飲み込まれるためである。

 

●ここに「永遠の家」「天の住まい」という言葉が出てくる。我々の復活の体が「永遠の家」「天の住まい」だというのである。それは「栄光の体」(ロマ書8:23)である。

 

塚本訳 ロマ 8:11

8:11 しかしイエスを死人の中から復活させたお方の御霊があなた達の中に住んでおられるなら、キリスト・イエスを死人の中から復活させたそのお方は、あなた達の中に住んでおられるその御霊によって、あなた達の死ぬべき体をも生かしてくださるであろう

 

●使徒信条にある「身体のよみがえり」とはこのことである。この信仰は「古代教会の信仰告白の最古層に属するもので、キリスト教のはじめのはじめである。(渡辺信夫著「古代教会の信仰告白」新教出版社)。我々は死んでも終末の日に、栄光の復活の身体でよみがえるのだ!!。

 

●イエスの復活体との出会いは理屈抜きの無条件の喜びが湧く。現代でもそれが起こる。胸が熱くなる時である。

 

塚本訳 ルカ 24:31-32

24:31 (その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。

24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。

 

塚本訳 マタ 28:8

28:8 女たちは恐ろしいが、また嬉しくてたまらず、(中には入らずに)急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走っていった。

 

塚本訳 ヨハ 20:19-20

20:19 その日すなわち週の初めの日の晩であった。ユダヤ人を恐れて、弟子たちのおる部屋の戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスが(どこからともなく)はいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた。

20:20 そしてそう言いながら、手と脇腹とをお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ

 

●神が共にいてくださるという喜び

 

塚本訳 ヨハ 14:22-23

14:22 イスカリオテでない方のユダが言う、「主よ、いったいどういうわけで、わたし達だけに御自分を現わし、この世(の人)にはそうしようとされないのですか。」

14:23 イエスは答えられた、「わたしを愛する者は、わたしの言葉を守る。するとわたしの父上はその人を愛され、わたし達は(父上もわたしも)、その人のところに行って、同居するであろう。

 

●結論。この喜びが来世実在、来世での復活がありうることの希望の根拠。再臨終末のときに我々に与えられるこの復活の体。そして復活のイエスと共に居ることが我々にとっての永遠の住居である。それは壊れない。病気にならない。

塚本訳 黙  21:3-4

21:3 そして私は玉座から大きな声が(出てこう)言うのを聞いた、「視よ、人と共に神の幕屋がある! 神が彼らと共に住み、彼らは神の民となり、神自ら彼らと共にいまして、

21:4 彼らの目から悉く涙を拭い取り給うであろう。最早死もなく、悲嘆も叫喚も疼痛も最早無いであろう。初めの(天と地にあった)ものが(すっかり)消え去ったからである。」

 

●どうしたら「からだのよみがえり」を信ずることができるか。

耳で有体的復活の使徒伝承を聞いて聖霊をいただければそれを信ずることができる。●信仰はその両面がなければならない。「耳で」とは歴史的連鎖。これは理性の安息をもたらす。聖霊とは神からの直接的な働き。

 

塚本訳 ヨハ 11:23-27

11:23 イエスは言われる、「あなたの兄弟は生き返る。」

11:24 マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」

11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。

11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」

11:27 イエスに言う、「はい、主よ、(信じます。)あなたが救世主で、神の子で、世に来るべき方であると、私は信じています。」

 

●26節と27節の間でおそらくマルタに神の力が降った。だから信じられた。

●このイエスの答えからすると、来世では「愛する人」と確実に会えるらしい。

●古代教会の人たちはどうして「からだのよみがえり」などというへんてこなことが信じられたか。●現代でもこの疑問は深い。肺がんで臨終の母に「天国に行けば楽になる」と言ったら「照男さん行って見てきたのですか」と真剣に聞かれた。●母のこの真剣な質問に対して私はどう答えればよかったのだろうか。もう過ぎたことなのだが。これ今後の私の生涯の課題●有体的復活の使徒伝承を信じるのが唯一の道。だからその使徒伝承を担う人物を信じて自らが聖霊をいただいてその使徒伝承が本当であると信じられるようになれればこの世ならざる「不思議な平安」が得られる。イエスが有体的に復活されたのは、来世の実在の証明。来世で有体的復活がありうることの証明。墓が空になったことは史実。歴史に生きる我々はこれらの使徒伝承を信じて初めて安らげる。

 

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怒りそうになったら、EQ!EQ! ++++++++ 所感

2008/04/01 07:14

 満64歳7ヶ月 職場完全退職まであと1年0ヶ月 平均余命18年。死亡推定年齢82歳。(未定。神の御心次第)。ライフワークは、「有体的復活」の伝承を担う使徒でありうること。「神の絶対恩恵による無条件の罪の赦し」を伝承すること。

080401(火)5時20分起床●目覚めに昨日来訪の能城牧師との会話を思い出した。●話が脳の仕組みに及んだ時のこと。私「怒りたくなるときは体の中からマグマが湧いてきて抑えられず、すぐカッとなるのはどういう原理ですか」、能城「高橋さんはIQ(Intelligence Quotientインテリジェンス・クォーシェント知能指数)は高いがEQ(Emotional Quotientエモーショナル・クォーシェント感情指数)が低いからです」。私「EQって何ですか?」。能城(最近米国に留学された御経験から米国事情をもとに)「エモーショナル・クォーシェントといい、簡単に言うと『我慢づよさ』のこと」。私「それが、どうしてもできないのです。押さえているとまた脳内出血が起こりそうで恐怖です」。能城「それは相手を神に全く委ねてないからです。相手を捨てきってないからです。祈りがないからです」。私、グサッとやられて「そうですねー、そうですねー」。傍で聞いていた妻が大喜び。●その後能城先生からEQに関するサイトのお知らせメールをいただいた。

https://www.okajob.com/ssl/htdocs/EQ/what.html

 

●対人関係、特にビジネスに有利らしいので、要点を転記する。「怒りそうになったらEQのことを思おう」。

 

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EQ(Emotional Intelligence)とは、イエール大学のピーター・サロベイ博士とニューハンプシャー大学のジョン・メイヤー博士によって、1989年に初めて論文で発表された理論です。
その後、ジャーナリストのダニエル・ゴールマン氏が、その理論を用いて上梓した「Emotional Intelligence」(邦訳『EQ:こころの知能指数』)という本がベストセラーになり注目を集めました。
EQについて、サロベイ博士とメイヤー博士は次のように定義しています。
「EQは、情動状態を知覚し、思考の助けとなるよう情動に近づき、情動を生み出し、情動や情動的知識を理解し、情動面 や知的側面での成長を促すよう情動を思慮深く調整する能力である」(Salovey & Mayer, 1997)
今話題のEQが社会に 広まるきっかけとなった 書籍です。

 EQとは.......はじめに
EQの高さは、総合的な社会的知性の高さです。決して単一の要素で決まるものではありません。EQは、心内知性(セルフコンセプト)、対人関係知性(ソーシャルスキル)、状況判断知性(モニタリング能力)の3つの知性で決まります。つまり、自分で自分の状態が分る心内知性(セルフコンセプト)、他者に適切かつ効率的に働きかけることができる対人関係知性(ソーシャルスキル)、自分と他者の両者の状態を同時に認知できる状況判断知性(モニタリング能力)、この3つの知性をそれぞれどの程度備えているかということ、および3つの知性のバランスがどの程度良いかということでEQの高さは決まります。

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●あいつは私の古いところを見ているなー。あいつは自分の心にある醜い面を私にみているいやな奴だなー。●EQ!、EQ!。●しかしやっぱり「怒っちゃう」方がすっきりサッパリするんだがなー ●能城先生はこうも言われた。「人間がいくら怒っても神の摂理はその上にある。」。これで私もほっとする。どんなに人間が怒り狂って人間関係が分裂してうまくいかなくなっても神はうまく導く。●ソーダ。自然体でいこう。泣き、笑い、怒りは自然のままでいこう。(この男反省の色がないか)●朝風呂で日経「私の履歴書」、前参議院議長、扇千景。芸能人が政治をやるのはなぜだろう。 ●終日、パソコンに座り「使徒伝承」の仕事。

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強風「春の嵐」。ヘルマンヘッセの「ペーターカメンチント」を思う。

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郵便局、図書館、電気店に行く途中。こういう景色を見ると泣けてくる。

なぜか、人間は有限で、永遠には生きられないからだ。NO!、NO!。

終末のときに新しい霊の姿でからだをもって復活するのだ。




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