to 日記と感想 2008年06月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171030(月)10:00 聖路加 桑本先生
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170824(木)12:10キララホールエントランスコンサート、マリンバ
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170813(日)10:30ナザレン教会浦和教会
    170813(日)14:00比企紀和君
    170812(土)14:00お江戸こらりあーず演奏会、文京シビックホール
    170809     TW誕生日
    170809(水)17:16初音吹奏楽、府中の森芸術劇場ドリームホール
    170808(火)0930池谷医院
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170708(土)14:00在宅医療説明会(キララホール)
    170707(金)10:00池谷医院
    170706      TM誕生日
    170702(日) 集会感話
    170701      TT誕生日
    170630(金)12:20キララホールエントランスコンサート
    170628      IY誕生日
    170627(火)11:00 能城牧師来訪
    170625)日)10:10トミ子集会感話
    170625(日)14:00茅ヶ崎金子邸
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール


死とは「お迎え」が来ること ++++++++ 所感

2008/06/30 11:15

080630(月)、出勤日、5時起床●早朝散歩で「黙想」。「死とはお迎えが来ること」。●余命短き人からお電話と手紙。黒人霊歌の「ゆれるよ幌馬車」という曲は天国に迎えられるときの歌だという。そこで、その方にテニスンの「砂州越えて」という詩も「天国で自分を呼ぶ声がする」というくだりがあるとお話した。●母の臨終のときのこと。母の胸にじっと聴診器を当てて聴いていたいた医者が、聴診器を耳からはずして私に言われた「残念ですが今お迎えが来ました」。私はこの「残念ですが」の言葉に非常に慰められた。また「お迎えが来ました」という言葉にも慰められた。●死とは神に迎えられることが、聖書的死生観である。死とは自分で「行く」のではない、迎えられることなのだ。他者の力なのだ。その他者とは「父なる神」なのだ。●ではその「お迎え」が来る日とはいつのことなのか。肉体の死のときか。NO!。「肉体の死」は単なる眠りである。「死は眠りである」とはイエスの言葉である。「ラザロは死んだのではない。眠っているのだ」と言った。(ヨハネ11:11)そこでイエスはラザロを蘇生させた。これ神の力を見せるシュミレーションであった。本当のお迎えは「終末、再臨」のとき呼び出されて「有体的復活」にあずかる時のことである。これも聖書的根拠がある。神はイエスを有体的に復活させて人類に来世のありうること、有体的復活のありうることの消息を示してくださった●しかし「そのときまで待てない」と言うのも人間の心理。それに対してイエスは「今、このときその状態を味わえる」と慰めた。ラザロの姉妹マルタに言った言葉「生きて私を信じるものは死んでも生きる」と、十字架の強盗に「、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あな たはきょう、わたしと一しょに極楽(パラダイス)にはいることができる。」がそれである。有体的復活は遠い先のこととしての「希望」ではなく、今この世に生きているときに「味わえる」ことなのだ。

塚本訳 ヨハネ11:23-27

"431123","イエスは言われる、「あなたの兄弟は生き返る。」"
"431124","マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」"
"431125","イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じてい る者は、死んでも生きている。"
"431126","また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが 信じられるか。」"

塚本訳 ルカ23:42-43

"422342","それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でに なる時には、どうかわたしのことを思い出してください。"
"422343","「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あな たはきょう、わたしと一しょに極楽(パラダイス)にはいることができる。」"

文語訳 ルカ23:43

イエス言ひ給ふ『われ誠に汝らに告ぐ、今日なんぢは我と偕にパラダイスに在るべし』


 

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有体的復活にピンと来る人、来ない人 ++++++++ 所感

2008/06/29 06:24

080629(日)4時15分起床●小雨の中を早朝散歩

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早朝散歩。2008.6.29 4:45

このトウモロコシは夜の間も成長していたのだ。次の聖句を思う。

塚本訳 マコ 4:26-27
4:26 また言われた、「神の国はこんなものだ。──ある人が地に種を蒔き、
4:27 夜昼、寝起きしていると、種は芽生えて育ってゆくが、本人はその訳を(すら)知らない。

●「有体的復活」を告知すると、これにピーンときて応答下さる方が、全国にいるのは不思議である。神の国の集まりは、地縁、血縁、師縁、学縁、遊縁(!)とは関係なくキリストの復活の霊縁で形成される。ピンとこない人には「何を言っても無駄」。●「有体的復活」はこれを信じられるようになる日というものがある。それまでは何人もこれを可能にすることはできない。ただ神のみにそれが可能である。●有体的復活を信じていないがための奇妙な行動はそれを矯めてもよいものは出てこない。奇妙な言動とは、社会批判、ヒューマニズム、現世主義、遊興主義、雰囲気主義、先生主義、雑学主義、回顧趣味、●上記マルコ4:27の新共同訳と口語訳は次の通り。

新共同訳1987

4:27 夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。

4:28 土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。

口語訳1955

4:26 また言われた、「神の国は、ある人が地に種をまくようなものである。

4:27 夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行くが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。

4:28 地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実ができる。

4:29 実がいると、すぐにかまを入れる。刈入れ時がきたからである」。

 

 ●またそれは人間の手によらない。そのことが一番良く表れている翻訳は次である。

新改訳1970

4:26 また言われた。「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、

4:27 夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。

4:28 地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実がはいります。

●集会は丹野、杉崎、横田●14:00妻と今井館100周年記念礼拝と講演会。大山綱夫氏の講演がよかった。●今井館での会話。心赦しあえる親しいS氏「私の蔵書量は5500冊。このたびその書斎を改造するのに600万円かかった」。(そのS氏に面と向かって)私「私は無教会者の家を27棟設計したが、蔵書量を誇る人ほど信仰が薄い。蔵書量と信仰の篤さは反比例する。これはほとんど真理」。S氏「私の本はほとんど仕事関係。(と弁解)。高橋さんの家はどこか。」(と訪ねたいというそぶり)。私(心で、ヤバイ。片付けなければ・・・) 



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「ゆれるよ幌馬車」、お迎えが来る日 ++++++++ 所感

2008/06/28 07:25

080628(土)5時15分起床●早朝散歩

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早朝散歩。梅の実が落ちている。十字架の下のキリストの血を思う。

キリストの贖罪は、どうしようも取り戻せない過去を消してくださるのだ。

2008.6.28 6:04

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早朝散歩。今朝もあの森に行ってみよう。 

2008.6.28 6.06

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早朝散歩。蟻の巣だ。建築士の身としては興味と同情が湧く。

蟻は集団で生きている。喧嘩y争いもあるのだろうなー。 

2008.6.28 6:11

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早朝散歩。美しい田園。ベートーヴェン、交響曲第6番「田園」第一楽章「田舎に着いた時の陽気な気分」

2008.6.28 6:12

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早朝散歩。森を抜けるとまた田園だ。 2008.6.28 6:15

●過日、余命少なき方から、黒人霊歌「ゆれるよ幌馬車」はいいと教えられて、昨日購入したロバートショウ合唱団のものを鑑賞。歌詞の内容は「エリアはヨルダン河を渡り、向こう岸に迎えに出ていた幌馬車で天国に昇った。私もそのようにという願い」。その人が先の少ないことを思って私にこの曲を教えてくださった気持ちを考えながら聞いて胸が詰まった。●人間は誰でも、最後は「お迎えが来る」のだ。来世があるかどうかは「行ってみてきたわけではない」ので分からないが、キリストの有体的復活という不思議な史実(使徒伝承)はその「希望」を抱かせてくれる。神はすごいことをしてくださった。来世の実在は五分五分だ。そればらば「希望」を持っていた方が「得」。なくてもともと。あれば「やっぱりなー。信じていて得した」ということになる。 ●13:00今井館100周年記念コンサートおよびシンポジウム(テーマ・「現代は何を求めているか」)。妻と出席。無教会主義集会の形が従来通りに「聖書講読中心でよいのか」という発言があった。小館美彦氏(登戸学寮寮長)が現場の苦労から「若者は本当の本物を求めている」と言ったのは出色であった。●私はフロアーから「若者は『死の悲しみ』を克服することを求めている。過日の春風学寮の礼拝にに招かれて『有体的復活』を告知したときの寮生の反応を見てそれを感じた」と話した。

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今井館100周年記念ンシンポジウム。

シンポジスト 左 独立学園の藤坂嘉信、 右 春風学寮の大田修

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今井館100周年記念シンポジウム。

シンポジスト 左 愛農学園 直木葉造 右 キリスト教愛真高校 来栖達郎


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キリスト教的ヒューマニズムはいけない ++++++++ 所感

2008/06/27 15:43

080627(金)出勤日、4時半起床●朝のひらめき「キリスト教的ヒューマニズムはいけない」●早朝散歩。

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早朝散歩。とうもろこしがぐんぐん伸びる。梅雨だとはいえ、今年は朝の景色が美しくない。
2008.6.27 4:37


●黒崎註解デジタル化プロジェクト、ネストレ引照インプット、マタイ10章●「キリスト教的ヒューマニズム」は一見よさそうに見えるが、かえって良くない。それは「神の力と主権を認めていないから」。ただ騒いでいるだけ。それを注意すると歯向かってくるのが彼らの共通点。なぜ歯向かってくるのか。自己のヒューマニストとしての主権を認められないからである。神の主権と力を信じていればあのような人間的言動にはならないはずだ。

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銀座御木本の入口の紫陽花。ここに植えられた花は空気が悪くて気の毒。

昼休み、銀座「山野」で黒人霊歌「ゆれるよ幌馬車」が入っているCDをロバートショウ合唱団のもので購入。教文館で「コテコテ聖書」(大阪弁訳の聖書)を購入。

●20:00妻が利尻富士登山及び礼文島から無事に戻る。ホッ。

 

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希望がかなえられない人へ ++++++++ 所感

2008/06/26 10:52

080626(木)5時起床●小雨の中を早朝散歩。継続は力なりだ。

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小雨の中を早朝散歩。継続は力なりだ。尿酸値を下げるためには適度な運動。2008.6.26 5.38

●黒崎註解デジタル化プロジェクトのネストレ引照マタイ9章。ネストレの引照は含蓄がある。●お金が不足で建築的に希望がかなえられなくて悲しんでいる人にメール。一部敷衍。

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○〇様

(お金がなくて〇〇の希望がかなえられなくて)「胸が痛む」とはこちらも悲しいです。

でも「(目的は〇〇です)」とは明快な希望です。よく言ってくださいました。

それでは、その部分はひとまず今回の計画からは外しましょう。

条件がそろったら追加でやればいいでしょう。条件とは「コスト」「時期」「家庭内意見の一致」などです。

「願い」が浮かんだことは、きっといつか実現しますよ。祈りです。以下略

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●世の中には生涯マイホームを持てない人もいる。それもまた人生だ。私たちの本当の家は天にあるのだ。●私の家は57歳の時に全焼。ローンが払い終わって、楽になったのも束の間。そのとき天から声が聞こえた「天の家は焼けない」。建築士の私は「ガン」と殴られた感じだ。

 

塚本訳  マタ 6:31-34
6:31 だから、『何を食べよう』とか、『何を飲もう』とか、『何を着よう』とか言って、心配するな。
6:32 それは皆異教人のほしがるもの。あなた達の天の父上は、それが皆あなた達に必要なことをよく御承知である。
6:33 あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。
6:34 だから、あしたのことを心配するな。あしたはあしたが自分で心配する。一日の苦労はその日の分で沢山である。

●礼文島に旅行中の妻から電話。快晴だという。私「サラダオイルどこにあるのかなー」。●「求めない」という本が良く売れているらしい。聖書的にはその思想は無数。しかし人間、それがなかなかできないのだ。

塚本訳 マタ 6:3
6:3 あなたは施しをするときに、右の手のすることを左に悟られてはならない。


塚本訳  使  20:35
20:35 わたしはあらゆる機会にあなた達に例を示したのだから、あなた達も同じように一生懸命に働いて、経済的に恵まれない者たちを助けなさい。主イエス御自身が言われた、『与えるのは貰うより幸いである』という御言葉を忘れずに!」


塚本訳   ロマ 15:1
15:1 しかしわたし達強い(信仰をもつ)者は、強くない(信仰をもつ)者の弱さを負い、決して(勝手なことをして)自分を喜ばせてはならない。


塚本訳  Ⅱコリ11:9
11:9 そしてあなた達の所にいて不自由したときも、だれの厄介にもならなかった。わたしの不自由は(みな)マケドニヤから来た兄弟たちが補ってくれたのだから。こうして、わたしはあらゆることで自分があなた達の重荷にならないようにしていた。これからもそのつもりである。


 塚本訳  エペ 4:28
4:28 盗みをしている者は最早盗むな。むしろ困る人に分けて与れるよう(うんと)働いて、自分の手で正しく稼げ。


口語訳 箴  19:17
19:17 貧しい者をあわれむ者は主に貸すのだ、その施しは主が償われる。


塚本訳  ルカ 14:12
14:12 また自分を招いた人にも言われた、「朝飯や夕飯の会を催す時には、友人も、兄弟も、親族も、近所の金持も呼ぶな。そうでないと、その人たちもあなたを招待してお返しをするかも知れない。


 塚本訳  Ⅱコリ8:9
8:9 ──あなた達はわたし達の主イエス・キリストの恩恵を知っているではないか、彼は(神の子として)富んでおられたのに、あなた達のために(人間となって)貧しくなられた、この方の貧しさによってあなた達が富むためである。


 塚本訳  ルカ 22:25
22:25 するとイエスが言われた、「世間では王が人民を支配し、また主権者は自分を恩人と呼ばせる。

●図書館から借りたDVD「NHK名曲アルバム」(これ大好き)。ロシア・北欧編を見て何度も涙をぬぐった。名曲はなぜか作曲家の生前には認められないものが多い。チャイコフスキーの「白鳥の湖」「悲愴」。チャイコフスキーは失意のうちに死ぬ●あのヴェートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は死後38年目にメンデルスゾーンによって世に知られるようになった。その時にメンデルスゾーンは自身の名曲ヴァイオリン協奏曲を作曲。メンデルスゾーンは偉い。あのバッハのマタイ受難曲を100年ぶりに発掘。祖母がこの曲を彼に紹介したという。祖母も偉かった。目があった。●3年前訪れたライプチッヒの聖トーマス教会にはバッハ、ルターに並んでメンデルスゾーンのステンドグラスがあった●いいんだ、いいんだ。真理や真実は生きているうちには評価されないものなのだ。人間は生きているうちに評価されようとしてはいけないのだ。賞賛されようとしてはいけないのだ。お礼をもらおうとしてはいけないのだ。誉められようとしてはいけないのだ。●神にのみ認められ、評価されればいいんだ。知られないように隠れた祈りをするべきなのだ


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キリスト教が広まらない理由 ++++++++ 所感

2008/06/25 18:11

080625(水)5時半起床。●朝風呂、早朝散歩

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早朝散歩、今朝の林。 2008.6.25 7:23

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早朝散歩。いつも訪れる林。 2008.6.25 7:25


●妻が利尻富士登山で出かけているので、自炊朝食、洗濯。家事は時間がかかる●黒崎聖書注解デジタル化プロジェクト、ネストエrの引照マタイ8章をインプット●「藤林益三」の礼状を多数よむ。みんな内容のある素晴らしいものだ。まず字が達筆だ。ワープロで打ってきた人は少ない。礼状は肉筆が良いのかもしれない。●かって縁談をまとめようとしたとき、男性が履歴書をワープロで書いて破談。そういう時は超へたくそな文字でも肉筆であるべきだったのだ。その男性、超まずい字の持ち主であった。しかしその後うまく結婚できて、私は式に呼ばれてスピーチした。今では二児の父。ナニ、字が下手でも「心がよければ」幸せになれる。

今朝書いた某氏への返事の手紙。内容は公的なことなので差し障りのないところを公開する。一部改変。

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○〇様

 

我が国へのプロテスタントキリスト教宣教が150年経っても「さっぱり振るわない」という現実を背景に、「それはなぜだろうか。よく考えなさい」という意味が込められたお手紙と理解しました。

小なる私の考えは、それは「無教会の2代目ぐらいまでが固く保持していた。使徒伝承・・・正統信仰から軌道が外れたからである」と解します。そのことは「藤林益三」本の第二部の真の主題です。

私は昨夜のお電話のあとに塚本先生の「復活信仰の困難」(1931年5月聖書知識・・・添付します)を再読、そこに「復活信仰、特に有体的復活の信仰は、ほとんど今日の基督教会から消え失せた」(8ページ上段)に注目します。この塚本先生の指摘から今日で77年目です。有体的復活の信仰はますます消えてほとんどありません。このままでは完全に消失するかもしれないという感じがします。

ところが、神は生きておられます。先日6月8日の春風学寮の礼拝に大田修寮長から「有体的復活」を語るように招かれ、別紙のような「死のい悲しみの克服は・・・有体的復活の使徒伝承が信じられる日」ということを話してまいりました。12名の大学生(うち2名は中国人)が、全員心こもる感想を述べて応答してくれました。臨席された太田寮長と道正邦彦理事長の話では、今回の応答の盛り上がりは異例であったと評してくださいました。わたしは「死の悲しみに対する福音の効果、役目は、昔も今も、老いも若きも変わりはない」という手ごたえと自信を持ちました。キリスト教宣教の低迷、若者の宗教離れなんのそのという感じです。・・・以下略

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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余命短い人を思う ++++++++ 所感

2008/06/24 09:35

080624(火)4時半起床●早朝散歩でラジオ体操に参加。

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都立秋留台公園でのラジオ体操。こういう集団にも指導者というものがいるのだなー。よく見るとわたしのやり方と少し違うところがある。人の振りみてわが振りなおせ。勉強勉強。2008.6.24 6:30

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都立秋留台公園。もうコスモスが咲いている。コスモス大好き。2008.6.24 6:41

●余命少ない人のことを思う。こういうときの慰めは「イエスの有体的復活」の伝承。イエスの有体的復活は実に不思議な出来事であったらしい。だからこそ、来世の実在に希望がもてるのだ。「〇〇さん。来世はきっとある。また会う日まで」●K氏邸基本設計。建築主との格闘がまだ続く。●コンチェルトでは独奏者と指揮者は四つに組む●13:30今井館。各種展示物の管理。相澤忠一、鈴木九十九、武藤陽一、妹尾陽三、椎名栄一、の諸氏と懇談。内尾村鑑三のデスマスクを見た。巨人内村も普通の大きさの顔であった。穏やかな死に顔だ●18:15昭和女子大、人見記念講堂でコンサート。ドレスデンフィルハーモニー管弦楽団、指揮はラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス。ウェーバー「魔弾の射手序曲」「メンデルスゾーン、ヴァイオリン協奏曲」、」ヴァイオリンは千住真理子・・・重厚なオケに日本女性の繊細な演奏がうまく乗って名演奏。休憩後はヴェートーヴェンの運命。・・・ドレスデンの音色は「ザクセンの音」と言われているだけ、古色重厚、すごいなーという印象。千住真理子は会場に笑顔を振りまいて登場したが心中は緊張感で一杯なのだろうと思い、すごいことだなーと思った。●こういうときあきる野市は帰宅が遅くなる。●津上さんと電話。「死後のこと」「有体的復活」「リアライズド絵スカトロジー(実現した終末)」のこと、黒人霊歌の「ゆれるよ幌馬車」は素晴らしいことを教えられた。

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昭和女子大、人見記念講堂。これからドレスデンフィルハーモニー管弦楽団の演奏が始まる。2008.6.24 18:10

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素晴らしいコンサートであった。会場から出る生徒。このような素晴らしい演奏が授業の一環で500円で聴ける生徒は幸せである。 2008.6.24 20.19



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若し人に責むべき事あらば互に恕(ゆる)せ ++++++++ 所感

2008/06/23 05:23

080622(月)3時55分起床、出勤日。●朝の黙示は次の言葉。

文語訳 コロ 3:13
3:13 また互に忍びあひ、若し人に責むべき事あらば互に恕(ゆる)せ、主の汝らを恕(ゆる)し給へる如く汝らも然(しか)すべし。

●これは昨日の集会で学んだこと。この言葉には聖書注解がいらない。引照による研究もいらない。ただこの身に「かくあれかし」と祈る祈りがあるのみである。●これはこの私に向けられた「聖書の言葉」である。私はすぐ「人を責めてしまうのだ」「アイツにはあれが足りない、あれが不足だ、普通ではない、標準ではない、非常識だ」などと思ってしまうのだ●しかし人には必ず「責むべき事」はある。けれどもそれを注意し、悔い改めに導くのは人間でなく神である。あー反省反省自戒自戒。●人を責め攻撃し撲滅しようとする前に、この身を神に赦していただかなければならない●過日、某氏とその夫人が語り合ったという。「高橋さんは角がとれて丸くなったわねー」と。これに対して「まさかボケたわねー」と言ったのではないでしょうね」と返メールした。●人を責めないということと「関りを持たない」ということは違うのだろうか。かって肉の兄が「照男君はクリスチャンになって、本来の照男君らしくなくなった。照男君は自分(兄)にはない『おせっかい屋』という良いところがあったのだがなー」と言われた。弟思いの肉親の愛を思った。・・・どう考えたらよいのだろう。

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早朝散歩で。隣の家のみごとな紫陽花(あじさい)。2008.6.22 4:58

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我が家の紫陽花。小さい、貧相。いけないいけない。隣と比べちゃーいけないんだ。この紫陽花は私の家のために小さくても一生懸命に生きてくれているんだ。そして我が家の花であったということでその一生を終えるのだ。私の家にその命を捧げてくれているのだ。「小さくても、貧相でも」きれいだなー。紫陽花の命は短い。

2008.6.22 5:01

15:00勤務先の総合研究所主催の技術講座で2時間講義。「建築数量積算基準」。30年前にこれを制定したときの方針を話した。制定の目的。①数量積算の労苦を開放する。②パソコンで積算できるようにする③この数量で次第に単価というものが決まってくるようにする。・・・その後この3点がすべて実現しているのを見るのは喜びであると話した。今後「このような講義をすることはあるまい」と思った。●非常に疲れた。●妻は小寺七重さんと一緒に利尻富士登山に出発。ポイントポイントで必ず無事の電話を入れるように言った●今日から5日間は自炊だが、妻がかなり用意して行ってくれたのは感謝。

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有体的復活の共鳴者 ++++++++ 所感

2008/06/22 21:16

080622(日)5時半起床●小雨の中を早朝散歩●黒崎註解デジタル化プロジェクトのネストレ引照マタイ6章。時間不足でラジオ体操は中止●集会は藤巻、山本、小寺(ヨハネ伝におけるイエスの足跡・・・これは興味深かった)●聖書の集会は各自が聖書そのものを自分で読んだ感想でなければならない。〇〇先生はこういうお考えですというのは「聴いている人を馬鹿にした話である。●また聖書の周辺の話もよくない。なぜか。それは雑学知識のレベルであるから。その道の権威者の話ならいざしらず、聖書の周辺でしかも素人の話を聞くには時間と交通費の無駄。第一に「勉強してきた話をします」とは「人を馬鹿にしていること」はなはだしい。まてまて憤慨しても仕方がない。本物でないものは自然消滅する。●昼食会でY氏に「無教会集会で塚本訳を使用しているのは私たちの集会ぐらい」「塚本訳は動的等価法の翻訳だから、限界がある」「無教会における〇〇先生記念会は自殺行為。人間に対する偶像崇拝である」「その先生を知らないと肩身が狭くて近づけないような集会が無教会には多すぎる。」「〇〇先生のことはこの自分がよく知っているという先生追従者が今日の無教会の衰退弱体をもたらしている」●送られた本の礼状を2通書く。そのうちの一つは「有体的復活の講演記録」に対する礼状。内容は真理にかかわることなので、あえて公開する。一部省略。

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〇〇様


このたびは玉稿「死と復活」を御恵送下さりありがとうございました。後日、集会で配らせていただきます。
まずもって「有体的復活」の真理が御地にも共鳴者が現れ、恐れにも似た喜びです。(有体的復活はキリスト教の本質で当たり前のことなのですが・・・・)。有体的復活の真理把握者は局所ではなく全国各地に点在します。「有体的復活」を声高に叫んでいて私が受けた「アーメン」という応答は少数です。全国の地方にいます。この方々は「残された者」です。今や無教会は先生で、集会でもありません。こういう少数者が「残りの者」です。
さて私も貴殿と同じ立場ならと同じような話をしたでしょう。同封のプリントおよびHPでのように貴殿と同じく盛んに「有体的復活」を語ってきました。ところが最近こう思い始めました。「では永遠の生命、有体的復活にあずかるのには『どーしたらよいのか』」とう問いにはどう対処すべきなのか。
これは無教会主義に課せられた課題です。カトリックでは神父が不信仰者の頭に手を載せて祝福すれば、本人の信仰の有無にかかわらず「罪が赦されて救われます」。ご立派な教義、ドグマです。それほど神父には使徒としての権威があるのです。それに比べて無教会では「私は救われますか、あの身内は救われますか」という真剣な問いに対して「さーねー?」というのがその答えでした。しかしイエスは「さーねー?」とは言いませんでした。「門を叩け。狭き門より入れ。求めよ」でした。イエスはカルヴィニズムではありませんでした。そのことは同封プリントの「金持ち(物持ち)も救われるか」の論考の④~⑦でまとめました。ご一瞥ください。付箋を付けました。なお最後のプリント「死の悲しみの克服は・・・有体的復活の使徒伝承が信じられる日」(付箋付けました)は去る6月8日に、無教会主義の学生寮「春風学寮」の礼拝で語ったものです。これは学生たちに異例の反響がありました。宗教離れの若者も実は「死の問題」は心の奥底での関心事であることがわかりました。ではなぜ宗教離れなのかと考えますと、少なくともキリスト教が「有体的復活」の使徒伝承を怠っているからであると思うのです。その意味で今回の貴殿の論考は「アーメン」「万歳」です。私は残る生涯を「有体的復活の使徒伝承」に身を捧げたいと思います。・・・以下省略

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●上記レター中の2論考は拙HOPの「使徒伝承」に掲載してある。

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集会の帰りに美しい紫陽花(あじさい)を見た。6月は紫陽花。

●妻は娘愛子のところから合唱の練習。今日はモーツァルトのレクイエム。

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親不知(おやしらず)の海岸 ++++++++ 所感

2008/06/21 06:34

080621(土)4時半起床●雨の早朝散歩。


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雨の早朝散歩。草木は夏の日照りに備えて十分に水を吸っている。2008.6.21 5:11

 

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まだ一番電車が行かない五日市線。一本道の線路。人間は誰でも「going myway] なんだなー。2008.6.21 5:13

●沖縄のK・K氏から「有体的復活」の講演記録が届く。「有体的復活」は多言を要さない。わかる人にはわかる。共鳴者が全国に幅広く点在する。「有体的復活は真理だ」。しかしそもそもこれはキリスト教の本質である。その本質が伝承されてないから、今日のキリスト教が弱体しているのだ。思想運動や社会運動や、ひどいのになると「集まり」を先生の同窓会、趣味教養のサロン、企業経営のように考える「みじめ」な姿もある。天罰必至。わかる人は匂いで近づかない。●しかしそのみじめな姿のものがなくなったといってもそれで「よいもの」が出てくるとは限らないから悲しい。神が生むものだけが「生きる」●新潟県西頚城郡青梅町には「親不知(おやしらず)の海岸」というのがあるそうだ。(北陸道の5キロメートルの険路)そこは波が高くて親が子を、子が親を顧みるほどの暇がないほどの荒波で危険な海岸だという。一度訪れてみたいものだ●人間はそこを通るとき、人間的な礼を失するまでに非常識な行動に出て「子が親を、親が子をかえりみない」。わが身を守ることに必死だからである。それでいいんだ。それでいいんだ。そのときは相手がどうなってもよいと思うのだ。人生にはそんな涙の惨めなひどいことになることもあるものだ。●イエスは母と決別、パウロは国と決別。ともに神の国の高い使命のため。ところが普通人間は、自己の欲望のため、自己の幸福のため、自己の満足のため、お金のため、一人間のために「親不知(おやしらず)」になることがほとんど。人生は荒波だからしょうがない。それでもいいんだ。それでいいんだ。小なりとはいえそれぞれに必死の人生なのだ。●13:30聖書セミナー「聖書翻訳の今」島先克臣(聖書協会翻訳部)。翻訳の歴史、理論などの解説。私は新共同訳の改定動きはあるのかと質問。「それは理事会の決定すること」と答えをかわされた。●妻は浦上さんと小平にコンサート、その後合唱の練習。●ネストレ引照マタイ6章のインプット


 

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有限なる者、人間の悲しさ ++++++++ 所感

2008/06/20 07:06

080620(金)4時半起床。昨夜、妻と懇談したことの反省。「人生は思い通りにならないところによいことがあるものだ」「希望がかなえらないところに真の幸福が待っているのだ」●黒崎注解デジタル化プロジェクトでネストレ引照搭載の試行。マタイ5章の「幸いなるかな悲しむ者」について黙想。スタッフへ次のように感話メール。


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〇〇様
「悲しむ者は幸い」ということを考察。人間はその存在が有限なるがゆえに「悲しむべき存在」。何が気の毒と言って過ぎ去った過去は取り戻せない・・・・罪の赦し。死後のことが分からない不安・・・・有体的復活。まことに福音はこの有限なる人間の「どうしようもない悲しみ」を救う神の愛の業であると再認識しました。つまり過ぎ去った過去、わからない将来という、いずれも人間では手の届かない「時」を消したり、希望を持たせて「楽に」してくださるのです。それに比べて「現在の苦」、病気や貧困は「人間の努力でだんだん改善されていく」ものと解します。それが医学や経済や政治の役割です。有限なる人間としてどうしようもないことは過去と将来という「時」。有限なる人間は「悲しい」存在。その悲しみは十字架と有体的復活の使徒伝承による「希望」で「慰められる」ものと学びました。

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早朝散歩。コローは森を愛した。それに習って最近は林に向う。(080617のブログに「フォンテーヌブローの想い出」を別の方法でアップロードしたのですぐ画面に出るようになった。) 2008.6.20 5:10頃

●沖縄から「有体的復活」の講演記録をいただく。無教会大丈夫だ。有体的復活を心から信じている人が全国的にいる。この方々は日本のコーナーストーン(隅の首石)だ。「黄泉の力もこれをつぶすことはできない」

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あのままにしておいてみよう ++++++++ 所感

2008/06/19 08:55

080619(木)4時起床●早朝散歩で啓示「しばらくあのままにしておいてみよう」。人間的この世的でどうも気になる人間に対しては、「しばらくあのままにしておいてみよう」が処世術。なぜか。それが真理でなければ長続きしない。後継者が出ない。自然消滅する。それは時間の問題。その言動を注意したり潰したところで「よいもの」はなにも出てこないから批判するのは徒労。ひとりでに滅びるのを待てばよい。待てしばらくのことだ。・・・聖書的根拠は次の通り。


塚本訳 使 5:38-40
5:38 だから今のところ、わたしは諸君に言う。あの人たちから手を引いて、(そっと)放っておきなさい。それは、
もしあの企てやすることが人間(の考え)から出たものならば、(手を下すまでもなくひとりでに)ほろびるであろうし、
5:39 神から出たものなら、(どんなにしても)彼らをほろぼすことは出来ないのだから。
そうでないと、諸君は神に手向かう者にならぬとはかぎらない。」そこで彼らはその勧告に従って、
5:40 使徒たちを呼びいれて(鞭で)打ち、(今後決して)イエスの名を使って話をしてはならないと命令して、釈放した。


塚本訳 マタ 13:25-30
13:25 人々が(夜)眠っている間に敵が来て、麦の中に毒麦をまいて行った。
13:26 苗が芽生えて実を結ぶと、その時毒麦も現われた。
13:27 使用人たちが来て家の主人に言った、『ご主人、畑には良い種をまかれたのではないですか。すると毒麦はどこから来たのでしょうか。』
13:28 主人がこたえた、『敵のしわざだ。』使用人たちが言う、『では、行って抜き取りましょうか。』
13:29 主人が言う、『いや、毒麦を抜き取ろうとして、麦まで一しょに引き抜くかも知れない。
13:30 両方とも刈入れまで育つままにしておけ。刈入れの時、わたしが刈入れ人たちに言いつける、まず毒麦を抜き取り、束にしばって焼きすてよ、麦の方は集めて倉に入れよ、と。』」

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キツネだ!!。早朝散歩でキツネに出会うとは。5時01分だ。間違いなくキツネだろうなー。尻尾が長くて太い。キツネにつままれているのではないだろーなー。 

 
塚本訳 マタ 8:20
8:20 イエスはその人に言われる、「には穴がある、空の鳥には巣がある。しかし人の子(わたし)には枕する所がない。(その覚悟があるか。)」


●昔からキツネというのは「よく言われていない」。イエスもヘロデのことを「あの」と悪く言った。イエスに奥さんがいたら「あなたそんなことを言うもんじゃありませんよ」と言うにちがいない。人を批判しないというのは「保身術」なのだ。愛があれば「激怒」するものだ。

塚本訳 ルカ 13:32
13:32 彼らに言われた、「(忠告はありがたいが、)行って、あの(のヘロデ)にこう言ってもらいたい、『見よ、わたしはきょうとあしたは、(まだここにいて)悪鬼を追い出し治療を行い、三日目に(仕事が終って)全うされる。


●過日の「内村鑑三研究セミナー」(6月14日ブログ参照)での討論時間の一場面。私の発言は大略次の通り。


●パネラーの某氏が荒井献の見解を披瀝。「復活は史実ではない」
これに対して私は次のように言った。「それは『復活は、大脳皮質でとらえることのできるところのいわゆる史実ではない』と読まなければならない。だから荒井先生は復活信仰の何であるかを言っておられる。しかし荒井献先生の言い方は信仰なき人間を躓かせる荒井マジックである。」。・・・・躓く者には躓かせておけ。復活信仰は大脳皮質に訴えるのでは百万言尽くしても分からない。わかるに人にはわからないものなのだ。これは三位一体の秘儀と同じ。


●某牧師。「イエスの墓が空になったというだけでは、復活信仰は生まれない」
これに対して私は心で「バカなことを言うなー」と思いつつ言った。「そんなこと当たり前である。(この研究会の席で)そんなことを言うのは時間の無駄である。私の言うのは信仰は歴史的事実として伝承されなければならないということを言っているのである。キリスト教は阿弥陀の本願の宗教(仏教)ではない。福音書でイエスの墓が空になったことまでは歴史内のことであることは荒井献先生と確認しあった」


●某牧師。「復活ばかりを強調すると罪の赦しが見えなくなるのではないか」
これに対しては心で「この牧師は聖書の読みが浅いなー」と思いつつ言った。「復活のイエスはペテロに現れた。ここに罪の赦しがあったことを読まなければならない。ヨハネ福音書は無教会的である。しかしその最終の第21章は増補改訂版であってそこではペテロの権威を認めている。こういうと高橋はカトリックになるのではないかと考える人がいるがそうではない。」


●黒崎註解デジタル化プロジェクトでシドニーのO氏とWEB会議。私の見解の一部を公開する。
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〇〇様

黒崎註解デジタル化プロジェクトが完成すれば、日本中の神父、牧師、真の聖書読者は「必ず」アクセスしてくるでしょう。なぜなら、私たちの「下積み」の作業が彼らにとって時間の節約となるからです。聖職者達には説教準備のために欠かせないツールとなるでしょう。また今後、つまらない註解書は「売れなくなる」かもしれません。なぜか。黒崎注解の水準の高さ、その正統信仰、それに引照が瞬時に見えるからです。母国語で作成したという精神が「世界的」なものとして評価されるでしょう。それに「素人」たちがやったというところが尊い(価値あり)と思われるでしょう。
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●K氏邸の見積もり検討。コストダウンは自分の欲望や満足度の整理。無駄の排除●終日「ネストレ&アーラント、ギリシャ語新約聖書」の引照のインプット、完成すれば世界初。


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気の毒な人に向かえ ++++++++ 所感

2008/06/18 09:23

080618(水)4時半起床●朝の啓示「気の毒な人に向かえ。気の毒な人に向かえ」。この言葉が頭の中をガンガンと回った●早朝散歩。雉が鳴いている。「気の毒な人に向かえ」を考えながら歩く。イエスの第一声は次の通りであった。

塚本訳  ルカ 4:16-19
4:16 それからお育ちになったナザレに行って、安息の日にいつものとおり礼拝堂に入り、(聖書を)朗読しようとして立たれた。
4:17 (係の者から)イザヤの預言書が手渡され、その巻物をお開けになると、こう書いた所が出てきた。──
4:18 『主の御霊がわたしの上にある、油を注いで(聖別して)くださったからである。主は貧しい人に福音を伝えるためにわたしを遣わされた。囚人に赦免を、盲人に視力の回復を告げ、』『押えつけられている者に自由をあたえ、
4:19 『主の恵みの年(の来たこと)を告げさせるために。』

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早朝散歩。昨日のコロー展の影響で林に行った。コローは森を愛した。コローは「森にはミューズ(愛の女神)がいる」という。森は物語を生む。ドイツは音楽の国でもあると同時に森の国でもある。

●黙想。「気の毒な人」とは誰か。

有限なる人間として「どうしようもないこと」。過ぎ去った過去・・・罪の苦。死んだらどうなるのかの不安と寂しさ・・・・・死の悲しみ。この過去と将来。有限なる人間のどうしようもないこと。これが「気の毒な人間」なのだ。この二つの「苦」を神は救ってくれた。十字架と復活。●それに比べて「今の苦」は病気と貧困。それは医学と社会科学や政治が救ってくれる。それは人間の努力で次第に解決していく。人間の努力ではどうしようもなく解決しないもの。それは過ぎ去った時間とわからない来世。●その人間としての気の毒さの救いに向かわなければならない。それは十字架による罪の許し、過去の罪の清算。有体的復活の福音伝承による来世実在の希望。●日本になぜキリスト教が広まらないか。答えは簡単。「金持の青年」だから。●明治以降、キリスト教の受容は「中産階級」であった。神は「彼はもーそれでいいじゃないか」と思っているのだ。適当に幸福ではないかと思っているのだ。何をこの上「永遠の生命」か。贅沢だ。●妻は今井館のウィークデーの集い。今日は倉石忠子さん。故雲野武夫氏のお孫さん高広幸子さん(フルーティスト)が来られて妻と懇談。雲野武夫氏が召されてもう20年経つという。

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ネストレの威力 ++++++++ 所感

2008/06/17 08:09

080617(火)5時起床●医者の勧めで早朝散歩再開。デジカメ片手の散歩は楽しい。

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夏は来ぬ。トウモロコシの夏。

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トウモロコシ畑より、我が家を望む。

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若干電柱が邪魔だが、我が家のロケーションはこの位置からが最高。鶴が舞い降りたようだと評価されたことがある。(と自慢しているワタシ)。パウロ先生に言うと次のようにたしなめられそうだ。

塚本訳  ロマ 5:11
5:11 そのことばかりではない。主イエス・キリストによって今すでにこの和睦を得たわたし達は、彼によって神を誇るのである。(自分を誇らない。キリストを誇り、神を誇る。)

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ひめしゃらの樹が大きくなった。これを勧めてくれた造園屋を思い出す。

 

●黒崎註解のデジタル化プロジェクトに「ネストレ&アーラント、ギリシャ語新約聖書」の引照を導入するかどうか検討中。その検討WEB会議での一幕。

●私のメール

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(マタイ3:15)でネストレの引照にウーンとうならされました。マタイ3:15は次の通りです。

 

3:15 しかし、イエスはお答えになった。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」そこで、ヨハネはイエスの言われるとおりにした。

 

 

この部分の引照は新共同訳にはありませんが、ネストレは次のような引照です。

NESTLE-ALAND  NOVUM  TESTAMENTUM  GRAECE 27版2001の引照

 

新共同 マタ 5:17

5:17 「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。

 

 

●これは実に深い引照です。イエスはなぜ洗礼者から洗礼をうけたのか。それは「旧約の成就である」とマタイは考えた。これで大きな註解書を読まずとも「聖書が聖書を教えてくれます。」ネストレの引照の強みです。

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●これに対して、プロジェクトスタッフのY氏から次のような貴重なメールをいただく。

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 早速ギリシヤ語原文をチェックしてみました。マタイ3:15(「行うのは(プレローサイ)」)とネストレ引照個所マタイ5:17(「完成するため(プレローサイ)」)では、いずれも全く同じ言葉(活用も全く同じ動詞プレローのアオリスト形の能動態不定詞(プレローサイ))が用いられていました。口語訳はいずれも「成就する」と訳出してあります。想像するにギリシヤ語に非常に精通している読者(ネストレ&アーランドおよびその弟子たち)がギリシヤ語原文で3:15を読むと、5:17が思い浮かぶのではないかと思いました。ギリシヤ語原文を読んで3:155:17をすぐに連想するのは、常人では不可能ですから、やはり引照は一般平信徒には威力がありますね。

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●肩の痛みが取れないので「十字式健康法」(気功)に行って治療。背骨と頸椎が曲がっていた。パソコンで同じ姿勢のためらしい。触らずに治療。すぐ直るから不思議●13:30妻と国立西洋美術館で「コロー展」シスレーにも影響を与えている。フォンテンブローとモルトフォンテーヌは違うことが初めて判明。前者はパリの南東、後者は北東。ナポレオン3世が買い上げたというコローの傑作「モルトフォンテーヌの想い出」の場所がはっきりした。パリ北東の郊外。

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コロー展。国立西洋美術館。ポスターは真珠の女。

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妻とコロー展に行く。傑作、私の大好きな「モルトフォンテーヌの想い出」を見た。

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コローの傑作「モルトフォンテーヌの想い出」。これはコローが家族をピクニックに連れていって、遠くから妻と子供たちを見ながら、「あー結婚してよかったなー」と思っている場面だと思っていた。ところが今回のコロー展で初めて知った。コローは生涯独身だった!。人は結婚しなくても人生がわかる。ベートーヴェン、カント、イエス。

●18:15妻と人見記念講堂で京劇「花木蘭(ムーラン)」を鑑賞。今後の人生で中国をおとづれることはあるまいと思って観た。日本の歌舞伎+ミュージカルのようであった。ストーリーは儒教思想。中国の歴史は古い。大国ではあるが、その精神文化はキリスト教文明と比べてイマイチ●帰宅22:20。あきる野市は遠い。しかし都心だと自然に接することができない。都心で接することができる文化は本当の文化だろうか。それに接して本当の喜びが得られるだろうか。芸術、学問、人間、文明。

 

 

 





 

 

 



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父の墓参 ++++++++ 所感

2008/06/16 21:45

080616(月)休み。●父の墓参。16周年。早いなー。私の余命は約17年なので、それとほぼ重なる。人生は瞬間だ。



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父母の墓。墓碑銘は「神は愛なり。「おじーちゃん来たよ。」

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墓参、掃除の帰り。秋川霊園。妻の後姿。「ありがとう、ありがとう」。

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秋川霊園を下から見上げる。父は空が好きだった。父に「白い雲」という詩集がある。

●池谷医院●頂いた風鈴を聞きながら昼寝。幸せな気分だ。


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神の祝福なき人の運命 ++++++++ 所感

2008/06/16 08:42

080615(日)5時起床。朝の啓示「神の祝福」。神の祝福というのは「なんとなく感じる」ものである。神の祝福なき「信者と自任する人間」。神の祝福なき家庭、教会、集会、企業、国家。これみんな「時間の問題」でなくなる。●神に祝福されている人間や集会はなんとなく匂うから年はとるものだ。●神に祝福されていない人間や集会は「信仰者らしくない行動が目につくものだ。といってその「らしくない」行動をやめれば祝福されるかというとそうではないから難しい。神の祝福は行為の結果ではなく、神の一方的な思いなのだ。●では神の祝福を得るのは絶望的かというとそうではない。イエスはカルヴィニズムではなかった、「求めよさらば与えられん」と言った。●神に祝福されてないもののひとつは今日の「無教会主義集会」である。自分の師事した先生の「なつかしのメロディー」ばかりを歌っている。「先生を拝まずして先生の目指したものを目指す」とは口ばかりで相変わらず先生の周辺のことや雰囲気を真似している。これ偶像礼拝であるがゆえに神に祝福されない。また回顧趣味で、目が後についている老人集団になり下がっている。ロトの妻のように「塩の柱」となる恐ろしい天罰は必至。●「内村先生記念会」の類はみなこれ。内村のカビ臭い匂いはしても「キリストの香り」はしない

塚本訳 Ⅱコリ5:16
5:16 だからこのわたし達は、今からのちだれをも人間的に知ろうとはしない。たとい(以前は)キリストをも人間的に知っていたにせよ、今はもはや(そのように)知りはしない。

塚本訳  Ⅰコリ3:3
3:3 まだ肉の人だから。あなた達の間に妬みや争いがあるかぎり、肉の人であって、人間的な思いで歩いているのではないか。

塚本訳 ルカ 17:28-32
17:28 ロトの時にも、ちょうど同じようなことがあった。人々が飲んだり食ったり、売ったり買ったり、植えたり建てたりしていると、
17:29 ロトがソドムから出た日に、『(神は)天から火と硫黄とを降らせて、『一人のこらず滅ぼしてしまわれた。
17:30 人の子があらわれる日にも同じことが起るであろう。
17:31 その日には、屋根の上におる者は、(何か大切な)家財道具が家の中にあっても下におりて取り出そうとするな。畑におる者も同じく『(家に)もどる』な。
17:32 ロトの妻のことを思え。

●集会は大山、宮崎、山本●14:30 今井館総会と理事会。振るわない。●浅野摂郎氏(新宿集会)と「藤林益三」本をめぐって懇談し非常に有益であった。内容は次の通り。「三位一体の真理(聖書にはその言葉はないが新約聖書の実態はそのこと)は不立文字ではなく「ロゴス」で言わなければならない。なぜなら神は「ロゴス」になったから。「キリストの体なる教会」ということは復活のキリストの実存証明として重要。「神が起こす」という聖書の真理は、個人にも集会にも当てはまり、神に祝福されないと集会は立ちいかない。続かない。つまり神の祝福なきところ個人の信仰も集会もない。また塚本先生は関根先生以上に「神学的であった」。バルト言う救いは人間の側になく神の側にあるのだということは実に無教会的である。人間塚本流、人間藤林流の「やり方」を墨守(あるいは回顧)していると神の祝福がそこに下りにくくそれは「時間が証明」して恐ろしい結果になる。「神の祝福」を受けられるような祈りが一番大切なことである。 」●このような話し合いができることは幸いである。キリストが実在する感じ。

 

 

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もうチョット待ってみよう ++++++++ 所感

2008/06/14 05:43

080614(土)右肩が痛くて夜半に一回目覚め。5時起床。パソコンのやりすぎか●朝風呂で(昨日の)日経「私の履歴書」。元阪神監督・吉田義男。ショート吉田は失策(エラー)の名人。時の阪神監督は松木謙次郎。吉田に言った。「人は失敗して覚える。もう一つエラーしてみろ」。吉田は言う「この監督でなかったら私はなかった」。そして自分が監督にになると選手にこの言葉を借りて指導したという。聖書の次の言葉を思い出した。

塚本訳 ルカ 13:6-9
13:6 そこでこの譬を話された、「ある人が葡萄畑に一本の無花果の木を植えておいた。(ある日)実をさがしに来たが、見つからないので、
13:7 葡萄畑の作男に言った、『もう三年この方、この無花果の木に実をさがしに来ているのに、まだ実がならない。切ってくれ。(ならないばかりか、)なんで土地までくたびれさせることがあろう。』
13:8 答えて言う、『ご主人、今年もう一年だけ勘弁してやってください。今度は回りを掘って、肥料をやってみますから。
13:9 それで来年実を結べばよし、それでもだめなら、切ってください。』」

●神にとってはこの「もうちょっと待ってみよう」という気持ちは「終末まで待ってみよう」ということだ。その根拠は次だ。

塚本訳  マタ 13:24-30
13:24 またほかの譬を群衆に示して言われた、「天の国は畑に良い種をまく人にたとえられる。
13:25 人々が(夜)眠っている間に敵が来て、麦の中に毒麦をまいて行った。
13:26 苗が芽生えて実を結ぶと、その時毒麦も現われた。
13:27 使用人たちが来て家の主人に言った、『ご主人、畑には良い種をまかれたのではないですか。すると毒麦はどこから来たのでしょうか。』
13:28 主人がこたえた、『敵のしわざだ。』使用人たちが言う、『では、行って抜き取りましょうか。』
13:29 主人が言う、『いや、毒麦を抜き取ろうとして、麦まで一しょに引き抜くかも知れない。
13:30 両方とも刈入れまで育つままにしておけ。刈入れの時、わたしが刈入れ人たちに言いつける、まず毒麦を抜き取り、束にしばって焼きすてよ、麦の方は集めて倉に入れよ、と。』」

●そうだそうだ「トテモいやなやつ」がいたら「もうちょっと待ってみよう。いや終末まで待ってみよう」と思えばいいのだ。放っておけ。神が注意する。●還暦を待たずして逝った友人のS君。あるとき「聖書ってそんなに面白いのかねー」と言った。日本には「神がいるものなら信じてみたい」という人が多い。しかし神の存在を知るためには「痛い目に遭わなければならない」。それは自分の罪の自覚。罪の発見。それはとても苦しいいやなことなのだ。しかしそれは産みの苦しみなのだ。 

塚本訳  ヨハ 3:5-7
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない
3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。
3:7 『あなた達は新しく生まれなおさねばならない』と言ったからとて、すこしも不思議がることはない。

塚本訳ヨハ 16:21
16:21 女が子を産む時には、女の(宿命の)時が到来したので悲しみがあけれども、子が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはや(お産の)苦しみを覚えていない。

●午前。「岩手宮城内陸地震」。妻の郷里が福島県いわき市なので、子供たちから安否を問う電話がきた。感謝。

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池谷医院へ行く途中。勢いよく成長するねぎ。遠方はあきる野市役所。

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内村鑑三研究セミナー。於、富坂キリスト教センター。左から田村光三、

吉田秀雄、高橋照男。撮影は高橋トミ子。

●大田修氏の「復活」の話がよかった。私は「無教会衰えたりと思えるが今日の話を聞いて無教会は大丈夫だと感じた」とコメントした。

●帰途、斉藤みちさんのご案内でみちさんの生家跡を見せていただいた。喫茶店で黒崎プロジェクトのこと。塚本訳聖書の一巻本化の懇談。

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June Bride ++++++++ 所感

2008/06/13 06:43

080613(金)出勤日。5時起床●朝風呂で、「ネストレ・アーラント ギリシャ語新約聖書」の序文(橋本滋男訳)を読む。ドイツ人の精緻な作業に脱帽。●「June Bride 6月の花嫁」と「賢き妻は主より賜る」(箴言19:14)について黙想。●ただ単に6月に結婚すりゃー「幸せ」になれるというものではない。結婚相手は神から賜るという気持ちにならなければ幸せになれないのだ。そうすると結婚は6月でなくてもよい●「主より賜る」というのは、結婚は恋愛結婚ではなく見合結婚でなければならないというのではない。紹介者だって人間(罪人)である。,●恋愛でも見合でも紹介でも、偶然の出会いでも、結婚(それは神の制度)はみんな「神の引きあわせたもうこと」。「幸せな結婚」になれるかどうかは相手の人を「神様がこの私ごとき者に賜った素晴らしくもったいない人」と思えるかどうかにかかっている。箴言19:14の文語訳は次の通り。

家と資財(たから)とは先祖より承嗣(うけつ)ぐもの 賢き妻はヱホバより賜ふものなり

●これ「子供」についても言える。子供はこの死ぬべき罪人の私にも恩恵として「授けて」くださった。「賜った」。「この子は(一時的に)神からお預かりしているのだ」と思うのが正しい考えである。

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庭の木々に朝日が射す。今日は天気が良さそうだ。

●出勤●午後は休暇。中央三井信託銀行、聖書図書館館。70人訳聖書のことを翻訳部の高橋裕子んに教えていただく。ネストレ・アーラントギリシャ語聖書のマタイ引照には70人訳が37か所ある。そのうち邦訳が対応しているのは8箇所。そのほかはまだ邦訳はない。そこで、ネストレ・アーラント引照デジタル化には70人訳は断念●16:30昭和女子大「生活環境学科」講師懇談会。一級建築士受験資格取得者は116名。なかなか熱心だ。会議に臨んだ板東真理子学長は「女の品格」に続いてて「親の品格」という本を上梓したらしい。●明後日は父の日だ。私に「品格」はなさそうだ。すると講師も失格だ。なぜか。非常「勤」講師でなく、非常「識」講師であり、講師でなく「公私」混同の講義が多いからだ。
 

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あの人のようになりたい ++++++++ 所感

2008/06/12 06:48

080612(木)5時起床●朝の啓示「キリスト教は平和でなく、分裂をもたらすときが正常」●「あの人のようになりたい」と思われる人が真の伝道者。●私の知人で四国在住のKさん(妻、母、看護婦、嫁、娘の5役で奮闘)のこと。病で残り時間の少ない父親の看病に病院に行くたびに父親に背を向けて病室の片隅でボソボソと祈っていた。ある日のことその父親が言いだした。「死んだらお前が信じている神様(とやら)のところに行きたい」と。葬儀はキリスト教で行うようになったという。葬儀のやり方は救いに関係ないが、とにかく万歳だ。●そのKさんとその友人二人(一人は全盲)と4人で食事を共にしたときのこと。三人は食前に何やら額を当てあってボソボソと話しはじめた。何と私にわからないように食前の祈りをひそかに捧げていたのだ。●それに比べて私はと言えば肺癌で臨終まじかい母に面と向かって「説教」がましいことばかりを言っていたのではないか。あのとき母は真剣なまなざしで言った。「照男さん。(天国では痛みはないといいますけど)行って見てきたのですか?」●あー俺は失格だ。元気なころ母は私の娘に涙ぐんで言ったという。「照男は私に向かっていつも説教をする」と。●アー、俺はだめだ。だめだった。イエスの言葉を誰に対しても守れなかった。無益の僕であった。

文語訳  マタ 6:6
6:6 なんぢは祈るとき、己が部屋にいり、戸を閉ぢて、隱れたるに在す汝の父に祈れ。さらば隱れたるに見給ふなんぢの父は報い給はん


塚本訳  マタ 6:6
6:6 あなたが祈る時には、『奥座敷に入り、部屋をしめきった上で、』隠れた所においでになるあなたの父上に『祈れ。』そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう

●私はKさんのような人になりたい。それが人生目標だ。 ●上記Kさんがいつも手を引いている友人のTさん
は全盲。若いころから次第に目が悪くなっていった。あるとき「明日のことを思い煩うな」というイエスの言葉にぶつかる。そして祈った「神様、明日のことを思い煩うな、というなら私の目を今開けてください。もしそれがかなわないなら私を殺してください」と。しかしそれ以来次第に安らかになり、ついに「心の眼」が開いたという。神がわかった。彼女は真の意味で見えるようになった。彼女の笑顔は目明きの笑顔よりも美しかった。万歳、万歳。

文語訳  ヨハ 9:39
9:39 イエス言ひ給ふ『われ審判の爲にこの世に來れり。見えぬ人は見え、見ゆる人は盲目とならん爲なり』


塚本訳  ヨハ 9:39
9:39 イエスは言われた、「わたしは裁きのためにこの世に来たのだ。・・盲が目明きに、目明きが盲になるために!」

●ジイドの「田園交響楽」(盲目の女性がでてくる)を再読したいが、時間がない。

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今日は雨。神は正しい者にも正しくない者にも雨を降らす。

父の16回目の墓参(命日は6月9日であった)は延期になった。

文語訳  マタ 5:45
5:45 これ天にいます汝らの父の子とならん爲なり。天の父は、その日を惡しき者のうへにも、善き者のうへにも昇らせ、雨を正しき者にも正しからぬ者にも降らせ給ふなり


塚本訳 マタ 5:45
5:45 あなた達が天の父上の子であることを示すためである。父上は悪人の上にも善人の上にも日をのぼらせ、正しい人にも正しくない人にも、雨をお降らしになるのだから。

●ワルター+コロンビアでヴェートーヴェン「田園」を鑑賞。素晴らしい。この演奏は専門家のランキング(交響曲の部)で不動の第一位であったフルトヴェングラー+バイロイトの「第九」を抜いて第一位となった。

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束の間の晴れ間に「藤林益三」の発送。野の花に蝶が舞っている。私が小さい頃より少なくなった。なぜだろう。

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ピアノの調律に田岡雄民氏(高橋三郎集会)が来訪。仕上げには必ず「讃美歌」を弾かれる。終了後の懇談が楽しみ。田岡氏は「祈りの人」、子供会の世話役。「この子はどうなんだろう」という子供が子供会を通して神に接すると次第に変わっていくという話を聞いた。

 

●「ネストレ・アーラント ギリシャ語聖書27版」の引照の略記号をアルファベット順に編集。紙張り。

 




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ハラハラと悔いの涙を流す日 ++++++++ 所感

2008/06/11 15:11

080611(水)4時目覚め。朝の啓示「人間は必ずハラハラと涙を流す悔ゆる日がおとづれる」。放蕩息子、ユダ、十字架の強盗。罪の女・・・・●5時起床●朝風呂で日経「私の履歴書」。元阪神監督・吉田義男。●マタイ引照に「ネストレ・アーラント27版」を入れ始める。できればデジタル化で世界初。スタッフ一同の健康が支えられますように●人は誰でもハラハラと涙を流す悔ゆる日が必ず訪れるものだ。それは周囲でヤキモキしなくても必ず訪れるものだ。なぜか。人間だからそうなるようにできているのだ。もしそういう日が訪れないという人がいたらその人は「人間でなく動物である」。その日は人生臨終の土壇場でもかまわない。あのイエスと一緒に十字架に付けられた強盗は、人生の土壇場で悔い改めた。それでよいのだそれでよいのだ。●イエスを金で売ったユダは「罪も無い人の血を売り渡した」と悔いて首を吊って死んだ。イエスがそれを聞いたとしたら何と思ったか。多分「バカ、バカ、バカ」と言って嘆いたに違いない。なぜか。最後の晩餐でイエスはユダの殺意を翻そうとあの手この手を尽くしてやめさせようと努力するほどユダを愛していたのだ。●人生、悔い改めるのに遅いことはない。人生ではその日、ハラハラと悔いの涙を流す日がもっとも尊い日なのだ。イエスはそういう人を喜んで招いた。

塚本訳  マタ 21:31-32
21:31 この二人のうち、どちらが父の心を行ったのだろうか。」「もちろん長男」と彼らが答える。イエスが言われる、「アーメン、わたしは言う、税金取りや遊女たちは、あなた達よりも先に神の国に入るであろう。
21:32 そのわけは、(洗礼者)ヨハネが義の道を示しに来たのに、あなた達は彼を信ぜず、税金取りや遊女の方がかえって信じたからだ
。しかしあなた達は(あの人たちが悔改めるのを)見たあとでも、後悔して彼を信じようとしなかった。

塚本訳  ルカ 5:29-32
5:29 レビがイエスのために家で大宴会を催すと、税金取り、その他の人々が大勢、(イエスや弟子たちと)共に食卓についていた。
5:30 パリサイ人とパリサイ派の聖書学者が弟子たちに向かってつぶやいた、「なぜあなた達は税金取りや罪人と一しょに飲み食いするのか。」
5:31 イエスはその人たちに答えられた、「健康な者に医者はいらない、医者のいるのは病人である。
5:32 わたしは正しい人を招きに来たのではない、罪人を招いて悔改めさせるために来たのである。」

●妻は小寺七重さんたちと飯能の山に登山。●去る6月8日に「春風学寮」の礼拝で話した内容をHPの使徒伝承にアップした。「死の悲しみの克服は・・・・有体的復活の使徒伝承が信じられる日」。これ私の福音だ。これを語るとなぜか後味がよい。真理だからなのだろう。下記をクリック。

http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/denshou/shi

 

●この様子は「春風学寮」のHPに掲載された。

http://www.shunpu.org/page1.htm  ここから入って ⇒「聖書の学び」 ⇒「「2008/6/8 」⇒「集会を開く」をクリックすると礼拝の内容が全部録音されている。画面は出ない。 私の話に対する最後の寮生全員の感話が聞きものである。特に中国人2名の応答はうれしかった。話をする者にとって応答ほどうれしいものはない。

http://shunpu.sblo.jp/        ・・・・・・・・大田寮寮長の記録解説、私の写   真がわざと見えるか見えないぐらいに掲載されている。

 

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そんな古本は目方で売ってしまえ ++++++++ 所感

2008/06/10 19:34

080610(火)5時起床●某氏に手紙。「三位一体のことは人間が人間を教えられない。わかる日がくるときに自然にわかる」と書いた。●津上毅一さんに「藤林益三」の礼状を送る●山川歯科。今日で終了●黒崎デジタル化プロジェクト」でシドニー、福島、東京間でWEB会議。ネストレ・アーラント28版デジタル版について。●妻は病人のK・Nさんと共に病気の方の見舞い。その後月本昭男先生の旧約講義。●図書館でDVD。「NHK名曲アルバム●自分史過去日記の整理、Cドライブに保存するがトラブルでマイクロソフト社に聞いて完了。64年間のデータは6233ページ177MB。●また火災になるとデータが消失するので、CDにコピーして庭の物置にしまった。自分の生きてきた道は「一度きり通れなかった道」だ。良くも悪しきも貴重だ●日経「私の履歴書」。元阪神監督・吉田義男。●森山浩二氏から「玄界灘に橋を架ける」(増補版)をいただく。感謝●大変な勉強家が亡くなり、その関係者から、蔵書の処分方法を相談されたので次のように答えた。「塚本虎二先生の本は私が引き取る。それ以外は目方で売り払ってしまいなさい」「洋書類は学問的に古くて使いものにならない。内村鑑三全集は欠本があると無価値である」。●無教会には古い本を後生大事に保存している人があるが、あんな本は魂の抜け殻。本の中に命はない。内村学をやる人間以外はあまり意味はない。聖書学はパソコンのヴァージョンアップと同じですぐ古くなる。●M・ノートの十二部族連合は一頃ブームだったので、時間ができたらゆっくり勉強しようと思っていたが、月本先生によればもうそれは古いものになったという●ただし三位一体、十字架、有体的復活は古びない。●某氏にメール。「無教会は内村、塚本、黒崎の時代には正統信仰が横溢していて、それが教会の方々の尊敬の的でもあったのですが、次の関根、前田、それからその弟子たちの時代になると、聖書で飯(メシ)を食う人たちが出現して正統信仰が希薄になり、堕落して今日の衰退弱体になった。貴殿としては無教会が正統信仰を取り戻し、それを継承していくためにはどうしたらよいのか、そのお考えをお伺いします。」●無教会は先生の聖書読みの結果を喜んで聞いているから、自分で聖書を読まなくなった。先生の研究余滴を喜んで聞いてきたから今日の惨状になった。今や無教会は聖書を読まなくなった。そのかわり無教会には暇な「遊び人」が多くなった。●仏教も「学僧」が威張りだすとよくない。●妻から今日の病気見舞いの報告。

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歯医者の帰りに素晴らしい庭の家を見た。2008.6.10 10:49

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図書館の帰り。あきる野の林を見る。木漏れ日がいい。

2008.6.10 15:18

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あきる野。種を播く人。2008.6.11 15:19

詩篇第126編5節

涙とともに播くものは 喜びとともに刈りとらん。

この句はブラームスのドイツレクイエムの第一曲目に出てくるとY・Mさんが「藤林益三」の本のお礼の手紙で教えてくれた。そこでカラヤンとプレビン指揮のものを鑑賞した(11-12日)。編集長の津上さんもこのCDを注文したという。カラヤンはこの曲が得意で、映像を含めて6種類のディスクがあるという。


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パソコンの威力。過去日記の検索 ++++++++ 所感

2008/06/09 11:39

080609(月)4時半起床。出勤日。●今日は父の命日。16年目。早いなー。今から16年後は私の死ぬころだ。16年もあればかなりのことができる●昨日の春風学寮の礼拝模様が音声でHPにアップされている。昨日のブログに追加記入。●過去日記3ヶ月分の修正を行う準備。●パソコンの威力は検索能力。過去日記の検索は超便利。人間の頭脳では出来ないことをやってくれる。行ったところ、出会った人、などの日にちが一瞬のうちにわかる。だからブログはお奨め。人生は一回限り。自分の歩いてきた道は一つだけ。貴重な過去。●総合研究所技術講座の資料作成●中央三井信託銀行に解約に行く。地下の巨大な貸金庫(東洋一)を見せてもらった●新約聖書ネストレーアーラント28版はデジタル版。その調査をした。●秋葉原で「通り魔」事件。人生には不可解、不条理なことが起こるものだ

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オット 素晴らしいデザインの車だ。ドイツの Sie Matic(ジーーマチック)社のショールーム。流し台セットもあった。イタリアやドイツのデザインは違うなー。練りに練ったデザインだ。2008.6.9 13:06


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あきる野市に帰る。大雨の後の夕暮れ。茜色の夕空は美しい。人間の造るデザインも素晴らしいが神の創造物はもっと素晴らしい。2008.6.9 18:54

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家が近づく。あの灯りは食卓。妻が夕食を作って待っていてくれる。感謝。しかしこういう幸いもいつまで続くのだろうか。 2008.6.9 19:04


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春風学寮礼拝 ++++++++ 所感

2008/06/08 19:50

080608(日)5時起床●9:00 経堂の春風学寮で礼拝。「死の悲しみの克服は・・・有体的復活の使徒伝承が信じられる日」として一時間話した。終了後寮生全員(12人)から活発な感想。こんなにみんなが熱心なのは異例であったと道正邦彦理事長と大田寮長が話してくださった。●その様子は早速「春風学寮」のHPに掲載された。

http://www.shunpu.org/page1.htm  ここから入って ⇒「聖書の学び」 ⇒「「2008/6/8 」⇒「集会を開く」をクリックすると礼拝の内容が全部録音されている。画面は出ない。 私の話に対する最後の寮生全員の感話が聞きものである。特に中国人2名の応答はうれしかった。話をする者にとって応答ほどうれしいものはない。

http://shunpu.sblo.jp/        ・・・・・・・・大田寮寮長の記録解説、私の写   真がわざと見えるか見えないぐらいに掲載されている。

 

●大田寮長の部屋で道正邦彦理事長(88歳)と懇談。氏は昨年9月に10年間看病された夫人を送り、蛻(もぬけ)の殻(から)になったと嘆かれた。夫人に先立たれた男の話が話題。ヒルティ、塚本、藤林●大田寮長がベートーヴェンのピアノソナタ第32番の第2楽章をバックハウスの演奏で聴かせてくれた。大田さんの解説がまたすばらしかった。耳の聞こえないベートーヴェンがこんなに美しい曲をつくれるとはと感心しあった。●夫人の真実さんは二人の子育てと寮生の寮母として奮闘活躍。●大田修氏の寮長としての精神的労苦の現実を知った。キリストの苦。●妻はいつもの集会に出て午後は「すずめの会」

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左から春風学寮寮長の大田修、高橋照男 春風学寮理事長道正邦彦(元・内閣官房副長官、かってネストレ版ギリシャ語聖書の誤植を数多く指摘されたことがある)

 

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春風学寮寮長太田修一家。真美さんはは二児の母と寮母で奮闘活躍。

左から大田清音(長女2歳)、大田修(父)、大田永太郎(長男、間もなく一歳)、太田真実(母)、

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あきる野市に戻ると「田園」。トウモロコシ畑。ほっとする。

 


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赦すことが愛することだが、それはできるか ++++++++ 所感

2008/06/07 13:25

080607(土)4時起床●明日の礼拝「感話」準備。「死の悲しみを克服するには・・・・有体的復活が信じられる日」。●クリスチャンと自称する者のなかに「有体的復活を信じない人がいる。そういう輩には「大馬鹿モン」と一喝すればよい。 パウロはそうした。信じない人には百万言を尽くしても永遠に無理。

塚本訳 Ⅰコリ15:35-36(昭和51年第6分冊)

15:35(以上私は復活が無ければならぬことを論じた。)しかし或る人は(なお)言うであろう(---仮に復活があるとしても、)如何して、(どんな風にして)死んだ者が復活するのか。(復活の時には)どんな体で来るのか、(と。)

15:36(君は何という)愚か者(であろう)君の播くものが(一旦)死ななければ、活かされ(て新しい芽となら)ない(ではないか。)

●「赦すことが愛することだ」とはわかっているが、人間それができないのだ。無理なのだ。努力してもできないのだ。●一昨日、孫が「今度△△君をやっつけるんだ」と言ったとき、私が「それはいけないなー、赦してやれ」と言うと偽善になる。●あのとき孫と一緒に「神様、○〇君を懲らしめてください。僕に代わってあなたがやっつけてください」と祈るべきだったのだろうか。マテマテそれは旧約の思想だ。●やはり孫には「悔しいけれども赦してやろうか。努力してみようか」と教えるべきだったのだ。私は孫教育で失敗した。失格。●某氏からメール「無教会は聖書を読まなくなった」。至言。餅屋に行ったら餅が売っていなかったということ以上に不思議な現象●「有体的復活」を口にすると「この世の改造、この世の生命の延命」に熱心な信者は「恐れ」をなす。彼らには「有体的復活」の信仰が大嫌いなのだ。彼らはそれが苦手なのだ。自らの活動のレゾンデートルがなくなるのだ。●日経「私の履歴書」。元阪神監督・吉田義男。「きれいな人だった・・・・その後、あの人はどこで、どんな人生を送られたのだろう」と過去形で言っている。人生も晩年になるとこういうことを過去形で言うようになるものだ。しかしなまじ知らない方がよい場合がある。なぜか。さまざまな苦労を背負っていることがその大半だから。そしてそれは「どうしようも助けることができないことが多いのだ。それに昔の容貌がそのままだとは限らないからだ。●人間は人を愛するというときそれは「好きだ」「惹かれる」ということになっている。それは生理的感情なのだ。だから「好きである、惹かれる」という要素がなくなると愛することをしなくなるものだ。あー人間の愛は「もろい」ものだ。永遠の愛は神にのみある。それは真の生みの親だからだ。●HPの「使徒伝承」に「金持ち(物持ち)も救われるか」(東京聖書読者会感話2008.6.1)をアップロード。36分かかった。●「黒崎註解デジタル化プロジェクト」のWEB会議。ネストレの引照を導入するかどうか。本国のドイツではこの引照はデジタル化してないので、もしこれができれば「世界初」。強力なデーだべースとなる。 

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それが出来ないんだよなー ++++++++ 所感

2008/06/06 13:27

080606(金)3時半起床。目覚めて「ここは福島だ」。●K氏邸「ディテール」設計。●K氏夫妻と設計打ち合わせ。「心=金」「価値=金」「それに対してその金は惜しくない」「そんなにかかるものならやらない」「どうしてもやりたい。」「それは夢」「贅沢はするな」。「心のあるところに金もある」●「思いっきり理想的なものを計画せよ」「最後は神が値段を決める」「コストオーバーの現実が、様々な欲望を諌める」それでよいのだ。●車が渋滞で予定の新幹線に間に合わなかった。建築のコスト予測を「ある地点に車で行くときの時間を言うようなものである。途中、思わぬアクシデントが起きて、予定時刻通りには到着しないものだ」と言った人がいるが至言。●帰りの新幹線で昨夜の孫との対話(昨日ブログ参照)を思い返した。あのときイエスの言葉をバックにして「復讐してはいけない」と言ったらどうだったろうか。●かって自分の息子に「そういうことをしてはいけない」と言ったときだったか、息子の一人が「それが出来ないんだよなー」とパウロのような(ロマ書7章15-24)ことをつぶやいたことがある。わたしは躓かれた。私がいけなかったのだ。●イエスの「復讐してはいけない」(マタイ5章38-42)の戒めは、自らがそれを守れない人間が口先だけで「説教」するのはいけないことなのだ。まず自らが「復讐しない人間」にならなければならない。・・・しかし「人間、それが出来ないんだよなー」。これは真理だ。

塚本訳1963

7:14 (要するに罪は掟になく、私の中の罪にある。)その訳は、わたし達が知っているように、律法は(神から与えられた)霊的なものである。しかしわたしは肉的なものであり、(奴隷として)売られて罪の(支配の)下にいるからである。

7:15 (罪の命ずるままに動くだけで、)自分のしていることを知らないのである。(それは自分と結びつかない。)したいと思うことはせず、いやでたまらないことばかりしているのだから。

7:16 ところで、したくないと思うことばかりをしているのなら、律法が良いものであることを認めているわけである。

7:17 そうすると、それをしているのはもはやこのわたしではなく、わたしの中に住み込んでいる罪である。

7:18 なぜなら、わたしの中には、すなわちわたしの肉の中には、(何一つ)善いものが住んでいないことを、わたしは知っている。良いことをしたいと思う意志はいつもわたしにあるが、(悲しいかな、)する力がないのである。

7:19 したいと思う善いことはせずに、したくないと思う悪いことばかりを、するからである。

7:20 ところで、したくないと思うことばかりをしているのだから、それをしているのはもはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪である。

7:21 だから、わたしが良いことをしたいと思えば、かならず悪いことがわたしに生まれるという法則があることを、発見する。

7:22 すなわち、(わたしの中に二つのわたしがあって、)内の人としてのわたしは神の律法を喜ぶが、

7:23 わたしの肢体にもう一つの(わたし、罪の)法則(を喜ぶ外の人としてのわたし)があり、(その神の律法を行おうとする)わたしの理性の法則と戦って、肢体にあるこの罪の法則の捕虜にすることを、経験するのである。

7:24 なんとわたしはみじめな人間だろう!だれがこの死の体から、わたしを救い出してくれるのだろうか。

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死の悲しみの克服は ++++++++ 所感

2008/06/05 07:22

080605(木)4時45分起床●妻が母の見舞いに郷里のいわき市に行っているので、自炊。●8日の「春風学寮」での礼拝の「感話」準備。●「死の悲しみの克服は」。その骨子を構想。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「死の悲しみの克服は・・・・・有体的復活の使徒伝承を信ずること」

                         2008.6.8 春風学寮 礼拝

①死の悲しみの現実。
 有限なるものとしての根源的な悲しみ。ハイデッガーの言葉。子供達に死の「悲しみを味あわせなければならない悲しみ。死の悲しみはどういうときに襲ってくるのか。(楽しいことがあった日の夜、淋しい夕暮れ、冬木枯らしの日暮れ、シリウスを見るとき、残りの年数を思うとき、宇宙はこの私を忘れると思うとき、がんの宣告を受けたとき、親しい人の死、肉親の死、特に母の死、聖書の事例の数々。)

若山牧水・・「幾山河越えさり行かば寂しさの、終てなむ国ぞ今日も旅ゆく」

②人間は死の悲しみをどのように克服しようとするか
 思いっきり泣く。号泣する。悲しい音楽を聴く(チャイコフスキー、千の風になって)
。同質の原理。あきらめる(誰だって死ぬんだ)。人間(異性や仲間)の愛に走る。宗教団体に走る。哲学に走る。霊魂不滅思想。(ギリシャ哲学)、輪廻転生を信ずる(仏教、良寛、葉っぱのフレディ)、旧約聖書の詩人に共鳴する。叙情歌に浸ってオイオイ泣く(カールブッセ、「山のあなた」)。飲んで騒ぐ。遊んで騒ぐ。スポーツに興じて疲れて早く寝る。永遠の生命を獲得しようとした不撓不屈の努力(ミイラ、秦の始皇帝の兵馬俑、4大文明の本質は永遠に存続の希求)。医学の延命処置。不老長寿の薬(アガリスク、)ホスピス。

山のあなた カール・ブッセ 上田敏訳 「海潮音」より

  山のあなたの空遠く

  「さいはひ」住むと人のいふ。

  噫   ああ、われひととめゆきて、

  涙さしぐみ、かへりきぬ。

  山のあなたになほ遠く

  「さいはひ」住むと人のいふ。

裏を見せ、表を見せて散るもみじ 良寛 



③天からの光、まったく別次元からの救い。

イエスの有体的復活の伝承を「目と耳」で知って「胸が熱くなった」こと。ヨハネ20章「空の墓」の伝承を聞いて「胸が熱くなった」事実。胸が熱くなって見えたもの。

1 空の墓は歴史的事実であること、
2 それは罪の赦しと永遠の生命の実在の証拠であること、
3 その信仰告白は地上で(歴史的に)連鎖的につながりついにこの私にまで    到達した。

有体的復活。湧きあがった喜び。エマオの二人の事実。復活体は写真に写ったか。顕現物語の背後にある歴史的事実。パウロの確認であるエルサレム訪問。有体的復活を言うと、胸が熱くなる人、共鳴者が出現する不思議。荒井献、佐藤研氏との往復書簡。わが名によりて2~3人集まるところ」の意味。パウロの信仰はエルサレム教会の伝承に土台を置いている(1コリ15:3).。復活は神が起こしたもうこと。resurrectuon(復活)<resurrect(復活させる)。復活の信仰もまた神が起こす。有体的復活の歴史的時事実が信仰の安息。

塚本訳1963

第一コリント15章3節

15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、

 

④有体的復活を信ずるための定着焼きつけ。

家屋の全焼・・・天国の家は焼けない

脳内出血・・・・・この命は100%(99%でない)神に握られている。

母の死・・・・・・・神は信仰告白なき人も救う

i胃癌疑惑・・・・・ 祈りの輪。コイノニアの実感。「胸の熱さ」により死の恐怖がやわらぐ。

塚本訳1963

ローマ人へ1章4節、

1:4 聖なる霊としては死人の中から復活して力ある神の子と定められた方、わたし達の主イエス・キリストに関するものである。

⑤有体的復活の「希望」が死の悲しみ克服の根本。

有体的復活の史実の使徒伝承が信仰の安息。カトリックの「おミサ」、プロテスタント教会の「説教」、無教会主義は聖書の「読み」。いずれもその中核に「使徒伝承」がなければ意味がない。本質がない。餅屋は餅を売ってなければならに。餅が売ってない餅屋がある。無教会主義でも「使徒伝承」の行為は可能。使徒伝承は「人」に宿るから。「使徒伝承」は組織や教会堂や信条には宿らない。「救われる者は少ないか」の質問に対すイエスのチグハグな返答。救いは神の主権にある。だから求めよ、門を叩け。(もしかしたら)開けてもらえるかもしれない。真面目に求道せよ。試してみるだけの値打はある。「信仰・希望・愛」。人間にとって希望は大切。それは「有体的復活の希望。

文語訳 Ⅰコリ13:13
13:13 げに信仰と希望と愛と此の三つの者は限りなく存らん、而して其のうち最も大なるは愛なり、

塚本訳1963

ルカ13章23~25節

13:23するとある人が「主よ、救われる者は少ないでしょうか」と尋ねた。人々に言われた、
13:24「全力を尽くして(今すぐ)狭い戸口から入りなさい。あなた達に言う、(あとになって)入ろうとしても、入れない者が多いのだから。"
13:25家の主人が立ち上がって戸をしめたあとで、あなた達が外に立って、『ご主人、あけてください』と言って戸をたたきつづけても、主人は、『わたしはあなた達がどこの人だか知らない』と答えるであろう。"


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●8:56 東秋留発12:18福島県二本松着。k氏夫妻とN工務店に行って打ち合わせ。お金の話をするときは体中が耳と神経になって終了すると「フラフラ」である。●建築の打ち合わせは決定実力者の会談でなければ、「創造的」なことにならないものだ●畑仕事のO氏親子に挨拶。福島市にもどってK氏邸。K・Y親子を交えて夕食、相撲、●孫の一人が「○○君が僕をいじめたので、今度△△君と一緒になってやっつけるんだ」。私、とても下手な説教は出来ないと思って「復讐するのか」。孫「・・・・・・・・」。

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恵がトラクターを運転する。トラクターは大内信一氏のものをお借りしている。

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福島市の三男の恵の家に泊まる。左から近藤見時、高橋照男、近藤風人。近藤恵、近藤華子。有機農業、信仰、音楽、子育て、貧困だが幸いなる家庭だ。見時と一緒に風呂に入った。

 

 

 

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仕事の順番、仕事の範囲 ++++++++ 所感

2008/06/04 11:11

080604(水)4時10分起床●朝風呂で日経「私の履歴書」。元阪神監督・吉田義男。野球少年のころ。●K氏邸打ち合わせ。「蟹は自分の甲羅に合わせて穴を掘る」「もっとも大切な順序からやる」最も大切な仁徐とは①生命の危険にかかわること②生産性にかかわること③今すぐやらなくても我慢できること。●黒崎幸吉著「註解・新約聖書」の版の探究。活字がより鮮明なものを探究。どうやら昭和初期から活字の精度がよくなかったらしい。古本を探しても望み薄。●「黒崎注解デジタル化プロジェクトにネストレ・アーラント27版の引照をどう入れるかの研究」。これができれば世界初となる。
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シンプルな装丁の中に深い内容 ++++++++ 所感

2008/06/03 09:21

080503(火)5時半起床●朝風呂で日経「私の履歴書」。元阪神監督・吉田義男。・・・両親は子供5人を残して他界。長姉が母親代わり。逆境の育ち。●人間、逆境こそが真の教育環境。ただしまじめであるいことが条件。義男の名前は家にいた正直者の奉公人、義雄の義をもらい、父が命名。その奉公人の義雄は終戦4か月前にフィリッピンで戦死。あー。●「藤林益三」の本の「お礼」が続々と到着。その中で一番うれしかったのは次の言葉。「シンプルな装丁の中に深い内容」。よくぞ言ってくださった。私の家を「シンプル、ソリッド、ノーブル」と評してくださった言葉に匹敵するもの。感謝●これ人生にも言える・シンプルな人生に深い内容が込められていることが肝心。しかもそれがソリッドでノーブルであれば最高。●モーツァルト「ヴェスペレ」「アベベルムコルプス」とグルダ+アーノンクール+ロイヤルコンセルトヘボウで「ピアノコンチェルト26番戴冠式」「ピアノコンチェルト23番」を鑑賞。●わたしを嫌って敬遠する人間の類型。たいていは次の3種類のどれかである。

①私の存在のために「自分の生き方」が阻害されると思っている人。たいていは陳腐な思想の持ち主。自分の臍ばかり見てないで目をあげよ。世界は広いのだ。

②「ねたみ」「やっかみ」。私のことを「いまいましい」と思う人。「にがにがしく」思う人。「違和感がある」と思う人。「自分の卑しい心を私の中に見る人」。邪推。私の行為の動機が不純だと見えてしまう人。そういう人たちは「汝自身を知れ」。

③私に「キリスト教や神を持ち出される」と「ヤバイ」と思う人。早く自分の罪を清算しろ。無駄な抵抗はやめろ。私に知らせなくてよい。天を仰いで悔い改めよ。一日早ければそれだけ楽になる。

●こんな連中を気にしてかまっていては時間が惜しい。私の人生はあと17年だ。達者で暮らせ。神の特別の恩恵の働きがありますように。パウロの次の言葉を思う。

塚本訳  ガラ 6:17-18
6:17 今後、だれもわたしに迷惑をかけてくれるな。このわたしの体にはイエスの焼印があるのだから!
6:18 わたし達の主、イエス・キリストの恩恵、あなた達の霊と共にあらんことを、兄弟たちよ、アーメン。

●私は後ろを振り返って塩の柱になったロトの妻のようにはなりたくない。●BKにカードローンの極限度の額をアップしてもらおうと思ったが、総収入をはじめとする総合判断で、あまり増えないことが予想され増額はやめることにした。人生、借金はワナである。借りるときは夢が膨らむが、返済は地獄。長い期間の心理的重圧は金では計算できない。●日本人の多くは銀行から借りたお金の返済で苦しんでいる。人生のボディーブローである。はっきりものが言えない不自由人間が多くなる●男は「借金」するな。たとえ公的資金でも。ましてや親戚からは絶対に借金してはいけない。人間が小さくなる、人間関係で真理を言えない。不自由になる。

080602(月)出勤日。帰るとき6月23日に社内講習会の依頼があったほかは何があったか失念。日記忘れ。

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それでもだめなら、切ってください ++++++++ 所感

2008/06/01 04:43

満64歳10ヶ月 職場完全退職まであと10ヶ月 平均余命約17年。死亡推定年齢82歳。(未定。神の御心次第)。ライフワークは、「有体的復活」の伝承を担う使徒でありうること。「神の絶対恩恵による無条件の罪の赦し」を伝承すること。

080601(日)4時起床●朝の黙想。「それでもだめなら、切ってください」とは私のことだ。・・・・今日の感話の最後は次の聖句でまとめる。

塚本訳 ルカ 13:7-8

13:6 そこでこの譬を話された、「ある人が葡萄畑に一本の無花果の木を植えておいた。(ある日)実をさがしに来たが、見つからないので、

13:7 葡萄畑の作男に言った、『もう三年この方、この無花果の木に実をさがしに来ているのに、まだ実がならない。切ってくれ。(ならないばかりか、)なんで土地までくたびれさせることがあろう。』

13:8 答えて言う、『ご主人、今年もう一年だけ勘弁してやってください。今度は回りを掘って、肥料をやってみますから。

13:9 それで来年実を結べばよし、それでもだめなら、切ってください。』」

●今日の集会の結論として次のように言おう「この言葉はまるで私に向けられているようだ。私は3年どころか25年も第一日曜日のこの講壇を汚している。しかし全然実がならない。元老の諸先輩から見れば『まだ実がならない。切ってくれ』とお思いになられるかとも思われる。「彼の話を聞くのもくたびれた」と思われているだろう。こういう場合、プロテスタント教会の牧師だったらクビである。現に私は8年前に家屋を全焼させられ、脳内出血で一時意識不明になった。あのときは『裁かれた。もはやこれまで』と思った。しかし不思議に助けられた。きっとキリストが神に「ご主人、今年もう一年だけ勘弁してやってください」ととりなしてくださったのだと思う。それが8年にもなった。もうそろそろ『やっぱりだめだから切ろう』と言われても仕方がない。しかし最後の日にはまた「勘弁してやってください」と言ってくださるかもしれないキリストにすがろうと思う」

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ここまでブログを書いて窓を開けると「朝日」。アー神は今日も生きることを赦してくれるのだと思えて感謝の気持ちが沸いた。電線には鳥がとまっていた。 2008.6.1 4:54

塚本訳 マタ 5:43-48
5:43 あなた達は(昔の人がモーセから、)『隣の人を愛し、』敵を憎まねばならない、と命じられたことを聞いたであろう。
5:44 しかしわたしはあなた達に言う、敵を愛せよ。自分を迫害する者のために祈れ
5:45 あなた達が天の父上の子であることを示すためである。父上は悪人の上にも善人の上にも日をのぼらせ、正しい人にも正しくない人にも、雨をお降らしになるのだから。
5:46 自分を愛する者を愛したからとて、なんの褒美があろう。(人でなしと言われるあの)税金取りでも同じことをするではないか。
5:47 また兄弟にだけ親しくしたからとて、なんの特別なことをしたのだろう。異教人でも同じことをするではないか。
5:48 だからあなた達は、天の父上が完全であられるように『完全になれ。』

●集会で「藤林益三」を注文者に配布。●集会は藤巻、星勇(イスラエル旅行)高橋(金持ちも救われるか)●終了後星勇氏が私にこう言って謝られた。「Y君から時間の制限を聞いてなったのでまとめにくく時間がオーバー(15分)して高橋に迷惑をかけて申し訳なかった」。そこで星氏に感話を依頼した二人のY氏に苦言を呈した。すると二人が責任のなすりあい。●無教会がこういうことでは醜態、無教会の恥、無教会堕落の兆候が如実。●とにかくいかなる人であっても時間を守らないというのは他人の時間を奪うことである●星氏が壇上からもう少し時間をオーバーしてよろしいかと私に聞かれた ので「私も時間が必要だ!」と叫んで、即座に止めていただいた。私が星氏に「話足りなかった分はまた今度いつかお願いします」と言ったら苦笑いして「もう二度とやりたくない」というお顔をされた。依頼の仕方の不備。不徹底。全く失礼なことをしたものだ。●14:00今井館で「黒崎幸吉記念キリスト教講演会」。講演者の一人大島智夫先生は「キリスト教の明日を担う黒崎幸吉」。話のポイントは「一つの教会」という本の世界的な広まりと、「黒崎新約聖書註解デジタル化の動きについて」。●思わぬ講演内容に感激。大島先生の最後の祈祷もこのデジタル化プロジェクトが完遂するようにと祈られた。●懇親会の席上で私から「黒崎新約聖書デジタル化プロジェクト」の内容について説明報告した。 

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黒崎幸吉記念キリスト教講演会で。大島智夫先生と。(無教会の土門拳といわれている飯田順郎氏撮影)。「先生の目の黒いうちに黒崎註解デジタル化は完成しなければならない」と言ったら「生きていられるかなー」とおっしゃられた。

 


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