to 日記と感想 2008年07月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171030(月)10:00 聖路加 桑本先生
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170824(木)12:10キララホールエントランスコンサート、マリンバ
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170813(日)10:30ナザレン教会浦和教会
    170813(日)14:00比企紀和君
    170812(土)14:00お江戸こらりあーず演奏会、文京シビックホール
    170809     TW誕生日
    170809(水)17:16初音吹奏楽、府中の森芸術劇場ドリームホール
    170808(火)0930池谷医院
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170708(土)14:00在宅医療説明会(キララホール)
    170707(金)10:00池谷医院
    170706      TM誕生日
    170702(日) 集会感話
    170701      TT誕生日
    170630(金)12:20キララホールエントランスコンサート
    170628      IY誕生日
    170627(火)11:00 能城牧師来訪
    170625)日)10:10トミ子集会感話
    170625(日)14:00茅ヶ崎金子邸
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール


無駄な抵抗はヤメロ ++++++++ 所感

2008/07/31 09:18

080731(木)3時半起床●朝風呂で本田哲郎神父の著書。神父や牧師が「低いところ」に降りようと思って釜が崎や山谷に入り込んでも真に低くなりきれない。挫折する。神父や牧師をやめて真の一介の労働者になり切らなければならない。あー無教会主義でよかった。●クリスチャンは全員「今自分が生きているところが釜が崎であり山谷である」。何も物理的に「釜が崎や山谷」に行かなくてもよい●ところが無教会主義者のなかにも「この世的になりすぎて」「下に降り過ぎたまま」で汚染されて少しもキリストの香りがしない人間がいる。そういう人間は「jこの世の人間」から「この人も一応はクリスチャンです」とあざけられるだけ。こういう人間を「キリストの顔に泥を塗る人間」という。早めに「キリスト教徒を辞任すべきである●K氏邸、ドラフト23.障害があればあるだけ設計内容がよくなる。人生と同じだ●私が訪問しようとする御家庭の夫人から「急いでかたずけなければなりません」という意味のメールが来たので、「無駄な抵抗はヤメロ。そのままそのままありのまま」と返メールした。すると感謝されたので、なぜありのままがよいのか、その理由を書いてまた送った。公的なことなので公開する。

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〇〇様

 

来客の直前にあわてて掃除したり片付けたことは、一目で分かると言いましたが、

マル秘ですがタネあかしをしましょう。

 

    Y市の家の増築の時のこと。書斎の机の真ん中に本が積まれていた。これじゃー勉強できない。散らかっていた本をあわててうず高く積んだのだ。ミエミエ。無理するな。

   の家の改築相談の時のこと。ものをどけたあとの拭き掃除がうまくできてなかった。ホコりがあった。悪いところを見てしまった。イヤナヤツとお思いでしょうが、プロの目にはごまかせないノダ。こういう家は翌日からすぐ元どうりになることが目に見える。「一時的なウソをつくな」(笑)。

    生活臭さが感じられない家はよくない。改造や増築をして使い良くするのが建築士の使命なのに、きれいなところを見せられては「設計のしがいがない。どこを不便と思っているのか見せるべきです。「ホレこの通り片付かないのです」というありのままを見せていただきたいのです。きれいなものを見せられては医者に行って「どこも悪くありません」というようなもの。「じゃー設計を頼むな」。

    そのまま、ありのまま。・・・・でもあんまり汚くてもいけませんね。(笑)。適当に生活臭さがあるのが良いのです。

    Ti市の共稼ぎの御家庭のこと。玄関の掃除が行き届いていなかった。こういうとき一瞬で共稼ぎの家庭だとわかってしまう。このようなことが分かる私は「いやなヤツ」なのです。職業柄しょうがないのです。ですから、そのままそのまま、飾らず、ウソつかず、ありのまま。

 

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●神も我々が罪を隠そうとヘタな努力をするのを見て「無駄な抵抗はヤメロ」と思っているのだ。そこで独り子を十字架につけて罪を購ってくださったのだ。そこが人間とは違う「親ごころ」なのだ。●10:30 ゆき皮膚科●ネストレ引照インプット●自転車の後部座席に子供を座らせる籠を取り付ける。ヘルメットも購入した。サー、孫よ来い来い。●夕方妻が愛子の手伝いから戻る。自分で作らない夕食は感謝。●今井館の相澤理事長から電話

 

 

 

 

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人間、この有限なる者としての悲しみ ++++++++ 所感

2008/07/30 13:24

080730(水)5時半起床●黒崎註解デジタル化WEB会議●080727のブログに孫息子(2歳10か月)の裸の写真を掲載したところ妻から「あれはよくない」と言われた。そこで削除したが、「人間生活でなぜ裸は良くないのだろう」と考えるに及び「創世記3章7節の意味することは何なのだろう」という疑問が湧き、その勉強をする機会を得た。

口語訳 創  3:6-7
3:6 女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。
3:7 すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた

●なぜ、ここで二人は急に裸を隠したのか。これが不思議。神の命令を破らない前には二人は裸を恥ずかしいとは思っていなかった。

口語訳 創  2:24-25
2:24 それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。
2:25 人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった

●神の命令を破ったその心が恥ずかしかった、その罪の心が恥ずかしかったのではあるまいか。自分が罪人であることを自覚したのではあるまいか。反抗していている人間は「目を合わせない」。ひどい時はサングラスをかける。気持ち悪い。

 

●しかし神はその罪の裸の姿を隠して下さる。しかし人類はこのときから裸を隠す「不自由なもの」といなったのだ。神が着物を作って着させられた事自身人間は「罪人」である証拠なのだ。裸では恥ずかしい存在なのだ。

 

口語訳 創  3:19-23
3:19 あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、/あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る」。
3:20 さて、人はその妻の名をエバと名づけた。彼女がすべて生きた者の母だからである。
3:21 主なる神は人とその妻とのために皮の着物を造って、彼らに着せられた
3:22 主なる神は言われた、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」。
3:23 そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕させられた。

●神は人間の罪の身をイエスの贖罪の業で覆い隠して下さる。神ががただで礼服を貸して下さるのにそれを拒否したことが良くないのだ。それがもっと深い罪なのだ。

塚本訳 マタ 22:11-14
22:11 王は客を見ようとして入ってきたが、そこに礼服を着けていない者が一人いるのを見て
22:12 その人に言った、『君、礼服も着ずに、なんでここに入ってきたのか。』その人が黙っていると、
22:13 王は家来たちに言った、『あの者の手足を縛って、外の真暗闇に放り出せ。そこでわめき、歯ぎしりするであろう。』
22:14 ──招かれる者は多いが、選ばれる者は少ないのだから。」

口語訳 黙  16:15
16:15 (見よ、わたしは盗人のように来る。裸のままで歩かないように、また、裸の恥を見られないように、目をさまし着物を身に着けている者は、さいわいである。)


口語訳 Ⅱコリ5:2-3
5:2 そして、天から賜わるそのすみかを、上に着ようと切に望みながら、この幕屋の中で苦しみもだえている。
5:3 それを着たなら、裸のままではいないことになろう

●結論。孫息子は2歳と10か月。本人は裸を恥ずかしいと思わないからカメラを向けても隠さなかった。罪の意識がないのだ。それを恥ずかしいと思うのは大人なのだ。だから子供に着物を着せようとすると嫌がる。2歳10か月の孫にカメラを向けたとき自分で身体を覆うようなしぐさをしたら、それこそ「気持ち悪い」。●かくいう私は妻がいないので家の中では全裸。これが実に気持ちいいのだ。地球温暖化防止、CO2削減に協力。クーラーを付けない。ただし玄関に人がきたときは「あわてて着物を着る」。隠す。●神がその光を人間にあてるとき人間はひとたまりもなく滅びる。罪を見られるからだ。だから本能的に隠したくなる。日本語の「罪」は「包む」から来るらしい。「頬かむりする」などといういやな言葉がある。

口語訳 イザ 6:4-7
6:4 その呼ばわっている者の声によって敷居の基が震い動き、神殿の中に煙が満ちた。
6:5 その時わたしは言った、「わざわいなるかな、わたしは滅びるばかりだ。わたしは汚れたくちびるの者で、汚れたくちびるの民の中に住む者であるのに、わたしの目が万軍の主なる王を見たのだから」。
6:6 この時セラピムのひとりが火ばしをもって、祭壇の上から取った燃えている炭を手に携え、わたしのところに飛んできて、
6:7 わたしの口に触れて言った、「見よ、これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの悪は除かれ、あなたの罪はゆるされた」。 

●神に光をあてられる人生のそういう最悪の場面のとき、神は我々をイエスという岩の裂け目に入れて隠して下さる。

口語訳 出  33:21-23
33:21 そして主は言われた、「見よ、わたしのかたわらに一つの所がある。あなたは岩の上に立ちなさい。
33:22 わたしの栄光がそこを通り過ぎるとき、わたしはあなたを岩の裂け目に入れて、わたしが通り過ぎるまで、手であなたをおおうであろう
33:23 そしてわたしが手をのけるとき、あなたはわたしのうしろを見るが、わたしの顔は見ないであろう」。

 ●今井館の相澤理事長と長懇談。とにかく人間として常識を逸した言動は困ると大抗議。●「人間、この有限なる者としての悩み悲しみ・・・有体的復活の使徒伝承に連なる喜び」をHPの使徒伝承にアップ。下記をクリックでもよい。

http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/denshou/nin.htm


 

 


 

 


 

 

 

 

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入道雲大好き ++++++++ 所感

2008/07/29 16:18

080729(火)朝から暑い。ブログ。●妻が一時帰宅。そこで裸生活をやめた。●妻は夕方また荒川の愛子の所に行った。食事を作っていってくれて感謝●農協、郵便局、イオン。孫を自転車に乗せるときの座席籠(後付)とヘルメットを購入。自分の子供たちは前であった。ヘルメットはなかった。

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入道雲大好き。2008.7.29 18:34

8年前、脳内出血が回復して退院してきたのは夏の終わり。あの日大好きな入道雲を見て思った。「生きているということは何と素晴らしいことなんだろう」

 

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流れに身を任せる ++++++++ 所感

2008/07/29 11:47

080728(月)三男恵の家で3時半起床●K氏邸基本設計ドラフト22。土地を購入するときは「付加価値」というものを考慮することがポイント。その人にとって「付加価値」は異なる。外の眺めが良いとか、家が付いているとか、将来性があるとかのことは、「不動産鑑定士」が行う一般的な鑑定の判断基準には入ってこない●購入したものに思わぬダイヤモンドが入っていた場合、売り主はあとで気がついても遅い。●結婚も同じ。学歴や家柄、経歴は不動産鑑定士的に言えば一般的な判断基準。それで神に祝された人間だとか性質がよい人だとは必ずしも言えない。●どんな相手にも「自分にきりわからない付加価値」というものがあるものだ。「あなたの良さはこの私にきりわからないのです」というのが最高のプロポーズの言葉。●クリスチャンにとっては相手の「信仰の程度」を見なければならない。クリスチャンにとっては信仰は付加価値ではなくて、本質的価値である。そのとき学歴や家柄は無価値。比較にならない。それを分からない信仰の浅い女性が学歴や家柄に目がくらんで結婚するから失敗するのだ。つまらない人生になるのだ。悔やむ人生になるのだ。

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近藤恵一家。経済的には貧しいが、「農業者の喜び」という数値では判定できないものを持っている。。夫人も夫の農業生活に協力的なのは感謝。子供は宝。神・天然・聖書を愛する人になりますように。前列左から近藤見時(みと)、風人、後列左から近藤恵、華子、高橋照男。

●9:30、K氏夫妻とと設計ドラフト22の打ち合わせ。土地にとって家は付加価値。その家をどう使うかによってその人や家庭の発展の仕方が決まる。財産は人のために使うべきだ。●学歴、家柄、頭の良さ、などはこれみな財産。それを神と人とに捧げると神に祝福される●12:30、3人でN工務店でK氏邸の工事打ち合わせ。一難去ってまた一難、が襲ってきた。建築設計はそういうことの連続。「安心しなさい。なんとかなります」と二人に励ました。

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K氏が購入しようとする土地(写真手前)の北側には道路を挟んで小さな山がある。山崩れの危害防止のため、この山のふもとから20メートルの範囲は家が建てられない。これは福島県の崖地条例。すると家の配置に制限が出てくる。写真のようにどう見ても崩れてはきそうにない小山だが、福島県の条例通りゆくと傾斜が30度以上かつ高さが2m以上ならば「崖」とみなされる。法律は困ったものだ。そこを担当の役人が柔軟に対処してくれればよいのだが。   

2008.7.28 15:33

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この小山の傾斜は30度以上あると「崖」とみなされて、ふもとから計測して水平距離20mの範囲は家が建てられない。問題はこの角度が30度あるかどうか。その30度の角度の部分が高さ2m以上あるかどうかが「崖」の適用を受けるかどうかの分かれ目。この山は上の方に行けば傾斜はなだらかである。確認申請を依頼する設計事務所に正確な測量をしてもらうことになった。家を建てる時はいつも「一難去ってまた一難」の連続である。家を建てる時の心得。「流れに身を任せる」。私には建築哲学がある「建つ家は建つ」「建たない家は建たない」。これは信仰と似ている。神が建てようとする家は建つ。御心でない家は「建たない」。後者はまた恐ろしいことにも当てはまる。御心でない家は「壊される」。

2008.7.28 15:33

 

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安達太良聖書集会 ++++++++ 所感

2008/07/29 09:47

080727(日)6時15分家を出立。福島県東北本線本宮下車の予定が一駅うっかり乗り乗り過ぎた。下車した駅は「杉田」であった、(笑)。笑ってはいられない。礼拝では私が話をするのだ。息子の恵が本宮から車で迎えに来てくれてセーフ。●安達太良聖書集会(湯浅鉄郎代表)では「人間、この有限なる者としての悩み悲しみ・・・・有体的復活の使徒伝承に連なる喜び」と題してⅠ時間話した。人間にとって「死」の問題は老いも若きも共通の悲しみだ。全国を行脚中の大川四郎ご夫妻がご出席。集会後、大内信一、富永國比古の両氏と懇談。息子の恵一家が出席、華子が奏楽(バッハ、「あまつましみず」「主をあおぎみれば」)。感謝。●クリスチャンにとって生きている間は「エクレシア」に所属することが大切。なぜか。「使徒伝承」は地上の要素を媒介にして伝わるのだから。キリストは肉体を取ってこの世に来られた。

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安達太良聖書集会。2008.7.27 12:57

右から大川四郎、高橋照男、湯浅鉄郎、湯浅理恵子、大川記代子。主にある交わりは、初対面でも「永遠の友」の感じ

●恵一家とファミレスでその長男見時の満6歳誕生日の食事。●私が誕生日プレゼントに買った拡大鏡ボックスに恵が毛虫を入れて見時に見せたらたらあまりのすごさに泣きだした。毛虫ではよくなかったか●よかれと思うものがそうでもないことがある。「親の心子知らず」という逆の言葉もある●K氏が購入する土地と家に行く。隣家の渡辺氏に境界のブロック塀解体の挨拶をした。落雷。●モノの価値は見る人によって大きく異なる。K氏が購入する土地には古いといえども「家」が付いているので建築士の私としては大いに価値ありと見た。家は使いようである。●福島市蓬莱の恵の家で、孫にマジック。今日は親指がブチッとちぎれるもの。見時(みと)が目を丸くして大声で「エーッ?!」と叫んだ。これだ。これが快感なのだ。手ごたえあり。「師匠、教えてください」と頭を下げられたのでタネを明かした●神もイエスを通して奇跡を起こし、人間に「なんとかイエスを信じさせよう」としたのだ。それなのに「あれは嘘だ。間違いだ。作り話だ。伝説だ」というような冷めた見方をしては神もそういう人間を「カワユクナイ」と思う。神としてもそういう人間には彼に人生の苦難が起きてもを奇跡を起こしてまで助けることはしまい。●同じ棟に住む近藤従子(よりこ・華子妹)さんと直彦君を交えて夕食。二男の風人はいつも風呂にのぞきにくる。

●(この部分に孫二人の写真を掲載したが、風人の方が裸であったので妻からNGを出されてカット。その写真の説明文だけを下記に残す) 

孫の見時6歳、風人2歳9か月。おもちゃの奪い合いあいをして喧嘩して双方が泣く。人間、モノがあると喧嘩するものだ。大人の場合はそれが「お金」や「財産」なのだなー。●子供はおもちゃ、大人はおかねで喧嘩する ●この二人、保育園でいじめられることがあるというので、そういうときは「逃げろ」と教えた。そして振り返って見て追いかけてこなければそれでいいが、まだ追いかけてきたらまた逃げて、相手が疲れたろうと思うときに急に振り返って一発殴れと教えた●これ大人も同じ。悪口を言うやつにはさんざん言わせておけばよい。そのうち疲れてしまうかか恥じてやめる。人間だから自責の念にかられるはずだ。   

 2008.7.27 22:06




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顔の美しい輝き ++++++++ 所感

2008/07/26 05:52

080726(土)4時20分起床。睡眠は時間数とともに時刻が大切。私の場合は4時以降に起きるのがベスト。ときどき早く寝て3時頃目覚めるが、その日は調子がよくない●私は父母の眠る秋川霊園の墓に入ることになっていて、そこには「神は愛なり・高橋家」と刻んである。しかしもし私単独の墓を建てるとしたらその墓碑銘は「この男は有体的復活を望み見て死んでいった」と書いてもらいたいものだ。●昨日、愛子の第3子のお祝いに東京衛生病院に来てくださった渡辺さんという方が、かって私の家に来たことがあるという。そこで過去日記で「渡辺」をヒットするとあった。7年前のブログを再掲する。

(ブログ再掲)

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010623日(土)・・・・・・愛子の職場東京衛生病院栄養課から、米山課長、渡辺(男性)、深沢、長谷川、猪股、秋山、大磯、渡辺(女性)、渡辺(パラグアイ出身、世界相撲大会パラグアイ代表)、篠原の諸氏。衛生病院の料理方針は自然主義、丸ごと主義(大根の葉も捨てない等)、手作り主義、という。これは新居の設計方針と同じであった。子供達の職場の方々がこのように祝福してくれるのはありがたい。

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(ブログ再掲終わり)

●この過去ブログのおかげで、昨日お祝いに来てくださった3人はすべて7年前に拙宅に来られた方だったことがわかった。パソコン日記の検索威力はすごい。お勧め。●それにしても神の栄光はその人の顔の美しい輝きになって現れる。誤解してくれては困る。美しい顔の輝きではない!。いわゆる美人でなくても神と交わりがあれば顔が美しく輝く。ここが私の女性の見方がチョイちがうところなのだ。この世的人間にはそれがわからない。建築の美また同じ。

塚本訳 使  6:15
6:15 法院に坐っていた者が皆ステパノに目をとめた。彼の顔がちょうど天使の顔のように(輝いて)見えた


塚本訳 Ⅱコリ4:6
4:6 というのは、(世界創造の時、)「光、暗闇から輝き出でよ」と言われたその神は、キリストの顔に現れている神の栄光を知る知識が明らかになるため、わたし達の心の中に光を輝かせてくださったからである。


●私が最も嫌いなのは「女性神学者」。すぐつっかかって来る。その顔にはキリストの栄光の輝きがない。そういう女性は大脳皮質の肥大で目がとがっている。イエスが「災いなのは聖書学者」と言った意味が分かる。マテマテそういう女性は放っておけば老婆になるし後が続かない。弟子はできないはずだ。もう少しの忍耐だ。●明日の安達太良聖書集会の準備、プリント。建築設計と同じで最後の最後まで手直ししたくなる。●11:00歯医者。歳をとるといろいろガタが来るのはしょうがないか。奥歯がぐらついているのはその下に骨がないから。●今日も猛暑。CO2削減+電気代節約のためにクーラーをつけないで一糸まとわぬ全裸で仕事。庭の緑からそよぐ風が身体にあたり実にさわやかだ。人類の祖先は猿であったのだろうと思う。●CO2削減の方法は簡単だ。人間が限りなく原始生活に戻ればよいのだ。●洗濯機が動かないので荒川の愛子の家に手伝いに行っている妻に電話で聞くと、「蓋を閉めればよい」という単純なことであった。機械製品は複雑になりすぎている。●図書館で借りたDVDでウィーン+バーンスタインでベートーベン5番、6番、レオノーレ第3番。ポリーニ+ウィーン+べームでモーツァルトPコンチェルト第23番。(この第一楽章大好き)

resize0297.jpg 

あきる野市内の住宅。2008.7.26 12:52

これはなかなか良い設計ではあるが、色彩で失敗。惜しいなー。

色彩は素人が決めると9割方失敗する。

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6人目の孫と対面 ++++++++ 所感

2008/07/25 08:17

080725(金)5時起床、出勤日。今日は6人目の孫と対面の日だ、「産めよ増えよ地に満てよ」だ。●妻は今日から一週間、荒川の愛子の所に行って手伝い。●子供は多い方が良い。神はなんとか生活を支えて下さるものだ●子供のできない人。神はそのことを御存じ。神の大命がある証拠。●人間は来世では独身なのは、永遠の生命をいただくので子供を作らなくてよいから。生きているうちにそのようにさせられる人がいる。●独身で人類に大なる貢献をした人は多い。イエス、パウロ、ベートーベン、カント、コローなどなど無数。●「イエスの沈黙命令」について黙想。

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    イエスはなぜ「沈黙命令」を発したのか。

 

自分の本当の姿は、奇跡行者でないことを示すため。奇跡を起こしたあとあわてて打ち消したのだ。

 

「神の子なら奇跡を起こしてみよ」という民衆の要求を拒否した。ぐっと我慢しおたのだ。これは自分が奇跡行者、現世救済者ではないことをはっきりするためであった。

 

悪魔の荒野での誘惑を拒否したのはイエスの自分に対する戦い。

「十字架から飛び降りて見よ」という嘲笑に対して拒否したのは民衆に対する深い愛。「私はそのためにこの世に来たのではない」ということを示す最高の忍耐。 郷里では奇跡を行わなかったのも同じ。ではなぜ多くの病人を癒したのか。「はらわたがちぎれるほど」(佐藤研)憐れんだから。やむにやまれず奇跡行者になった。けれどもあわててそれを否定して「黙っていろ」といった。

 

「沈黙命令」の謎を解く箇所はどこか。聖書で聖書を理解する。それはマルコ9:9とヨハネ20:17.復活の姿が自分の本当の姿であることを示すために「この世的奇跡行為」を口止めさせた。イエスは「復活」が主眼だったのだ。この意味がわかれば心一杯、胸一杯である。聖書を真に理解したことになる。ヴレーデの「メシアの秘密」の研究は「j編集史的方法」の先駆けであったが、あれでは聖書の真の理解には到達できない。聖書は聖書学ではなく聖霊によってのみ理解できる。

 

塚本訳 マコ 9:2-9
9:2 (それから)六日の後、イエスはただペテロとヤコブとヨハネだけを連れて、高い山にのぼられた。すると彼らの見ている前でイエスの姿が変った。
9:3 着物(まで)が真っ白に輝きだし、この世のどんな晒し屋でも、これほど白くは出来ないくらいであった。
9:4 するとエリヤがモーセと共に彼らにあらわれ、二人はイエスと話していた。
9:5 ペテロが口を出してイエスに言う、「先生、わたし達(三人)がここにいるのは、とても良いと思います。だから小屋を三つ造りましょう。あなたに一つ、モーセに一つ、エリヤに一つ。」
9:6 彼はなんと言ってよいかわからなかったのである。三人とも怯えていたから。
9:7 すると雲がおこって彼ら(イエスとモーセとエリヤと)を掩い、「これはわたしの『最愛の子、』『彼の言うことを聞け』」という声が雲の中からきこえてきた。
9:8 途端に(すべてが消えうせて、)見まわすと、もはやだれも見えず、ただイエスだけが、自分たちと一しょにおられた。
9:9 山を下りながら、イエスは、人の子(わたし)が死人の中から復活する時でなければ、いま見たことをだれにも話してはならないと彼らに命じられた


塚本訳  ヨハ 20:11-20
20:11 (二人について来ていた)マリヤは(ひとり)墓の外に立って泣いていた。(二人が去ったあと、)泣きながらかがんで墓の中をのぞくと、
20:12 白い衣をきた二人の天使が、一人はイエスの体が置いてあった所の頭の方に、一人は足の方に坐っているのが見えた。
20:13 天使がマリヤに言う、「女の人、なぜ泣くのか。」マリヤが言う、「わたしの主を取っていった者があります。どこに置いたのかわかりません。」
20:14 こう言って後を振り向くと、イエスがそこに立っておられるのが見えた。しかしイエスだとは気づかなかった。
20:15 イエスが言われる、「女の人、なぜ泣くのか。だれをさがしているのか。」マリヤはそれを園丁だと思って言う、「あなた、もしあなたがあの方を持っていったのだったら、どこに置いたか教えてください。わたしが引き取りますから。」
20:16 (こう言って、また墓の方を向いていると、)イエスが「マリヤ!」と言われる。マリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う。(そしてイエスに抱きつこうとした。)
20:17 イエスが言われる、「わたしにすがりつくな。まだ父上の所に上っていないのだから。わたしの兄弟たち(弟子たち)の所に行って、『わたしは、わたしの父上、すなわちあなた達の父上、わたしの神、すなわちあなた達の神の所に上る』と言いなさい。」
20:18 マグダラのマリヤは行って弟子たちに、「わたしは主にお目にかかった」、また、主がこのことを彼女に言われた、と報告した。
20:19 その日すなわち週の初めの日の晩であった。ユダヤ人を恐れて、弟子たちのおる部屋の戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスが(どこからともなく)はいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた。
20:20 そしてそう言いながら、手と脇腹とをお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。


 

●結論。

イエスがこの世にこられた本質は「この世の王」になるためではではなかった。「奇跡行者」になることではなかった。復活を通して人類に罪の赦しと来世実在を示すことが本命の仕事であった。それ以外の者(政治家、経済学者、奇跡行者など)に間違えられないために、「沈黙命令」を放った。病人癒しの軌跡はいわば「やむにやまれぬ」思いからであった。

有限なる人類として最も悲劇なのは、過ぎ去った過去を取り戻せないこと、死後来世のことが分からないこと。これが人類の最大の悩み悲しみ。過去の「時」、未来の「時」。有限なる人間はこの前と後の「時」の狭間にあって全くの無力。これに比べて「今の時」の悩みは人間の努力で次第次第に良くなっていく。医学、政治、文化文明など。ところが過ぎ去った過去の「時」と死後来世の「時」のことは全くどうしようもない。無力。福音はこの両方の悩み悲しみの涙を拭う。

過ぎ去った過去は十字架の贖罪で罪の過去人生が消される。これ最大の奇跡。肉の病が治る以上の軌跡。肉の病は人間の医者でも直せる。世の中は政治でいくらかは良くなる。素晴らしい建築でいくらかは住み安くなる。しかし「人間の罪の過去を消す」ことはできない。過ぎ去った「時」を消すことはできない。しかし神にはそれが出来る。

塚本訳 Ⅱコリ5:17
5:17 だから、キリストと結びついている者は、新しい創造物である。古いものは消え失せて、いまここに、新しくなってしまっている!

次に死後どうなるかの不安については、神はイエスをある期間「有体的に復活させ」人類に「来世実在の希望」が与えられた。だからその使徒伝承は大切。その使徒伝承なくして理性は安息できない。そしてこのイエスの復活は同時に「罪の赦しの保証」でもある。神の人類に対する契約の「実印」でもある。血判である。

塚本訳 使  5:30-32
5:30 わたし達の先祖の神は、あなた方が(十字架の)『木にかけて』殺害したイエスを復活させられました。
5:31 この方を神は、イスラエルに悔改めと罪の赦しとを与えるために、(命の)先達また救い主として御自分の右に挙げられたのです。
5:32 わたし達はこれらの事柄の証人であります。神が御命令に従う者にお与えになる聖霊も、同じくその証人であります。」

すべては「復活」。イエスの有体的復活は人類の希望。!!

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●勤務先を早退して愛子の第3子、私にとって6人目の孫に会うために東京衛生病院に行く。

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東京衛生病院(キリスト教のセブンスデーアドベンチスト派が経営)の廊下はいつ見ても掃除が行き届いている。それもただきれいというのではなく、心をこめた掃除なのだ。見れればすぐわかる。なんとなくわかる。その教会の信仰が本物かどうかは、トイレに入ってみればわかる。これ企業も同じ。家も同じ。

2008.7.25 15:56

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第3子を産んだ愛子。これで女、女、男。「よくヤッタ。もう一人行け」と檄を飛ばした。

「産めよ増えよ地に満てよ」だ。 080725 16:04 乳児面会室。

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愛子の第3子、男。2008.7.23,16:51分誕生。まだ名前はない。「名前はわかりやすい方がよい」とアドバイス。

祈り。「神よ、この幼子がその人生の長旅の途上において本当の造り主なるあなたの存在を知る日のきますように。しかしもしこの子供にとって福音がむずかしくて(ロマ10:19)生涯あなたを知ることがなかったとしても、どうかこの子供の生涯をお赦しください。そしてあなただけはこの幼子のことを生涯覚えつづけて最後の日にあなたの御許(みもと)に引き上げてください。これからの彼の長い人生の旅の上にあなたの恩恵が末永く限りなくありますように。この幼子の上に真の災いが下りませんように。そして来世でのよみがえりの日に、今日会っているように再びこの子供と会える日が来ますように」

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愛子の知人先輩が祝福に来て下さる。長谷川、渡辺、大磯。大勢に祝福されて生まれてくることができる子供は幸せだ。080725 16:10

荻窪までの帰途、子供が授からない方々と一緒。子供が授からないというのは子育て以外の大命を神から拝受しているのだ。神はご存じ。天国では結婚生活がないのは「永遠の生命」をいただいた者は「子を産む必要がないからだ」と聖書に書いてある(ルカ20:34-36)と慰めた。人間にとって「子育て」は苦労が多いが楽しい。しかし「永遠の生命」をいただいてそれに生きる方がより喜悦だ。

塚本訳 ルカ 20:34-36
20:34 イエスは言われた、「この世の人はめとり嫁ぐけれども、
20:35 あの世にはいる資格を与えられて、死人の中から復活する者は、めとることもなく嫁ぐこともない。
20:36 復活によって生まれる彼らは、天使と同じであり、神の子であるので、もはや死ぬことが出来ない、(従って子を産む必要がない)からである。

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西荻窪に途中下車して、24歳ごろからよく通った「登亭」(とんかつ屋)に行ったがない!!。店が変わっていた。隣の人に尋ねると店主は昨年店を閉じたらすぐ亡くなられたという。あー40年もの長い付き合いだったのになー。淋しいなー。でも新しい子供が誕生するのと交代なのかなー。それにしても店を閉じたらすぐ亡くなったということはヒルティが「人生は最後まで仕事をせよ。仕事の最中に死ぬのが理想だ」と言ったことを思い起こす。年金もらってぶらぶらし、「遊びに夢中」になる老後は一番よくない。一番効果がないのは「年金伝道者」。迫力がない。080725 17:10

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あきる野の自然に戻るとホッとする。しかし夕立が来そうだ。早く帰ろう。

080725 19:00

●どうもアイツは心が暗くて行けない。常に世の中をひねくってみる癖がある。たしかに病気だ。健全でない。●どうもアノ人の私に対する思いはよくない。常に私を「高慢ちき」だと思っている。邪推している。誤解している。とにかく私にとってあの人は気持ち悪い存在だ。私への非難はどうやら「妬み」からくるらしい。イエスは時の宗教家たちから「神を冒涜する高慢ちき」だと思われたが、その実それは「妬み」からであった。イエスは民衆に支持されていたからである。あの気持の悪い男はそのうち神から天罰が与えられるであろう。「汝、自身を知れ」

 

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イエスの沈黙命令 ++++++++ 所感

2008/07/24 07:05

080724(木)5時半起床、朝から暑い●朝の黙示「イエスの沈黙命令」の意味。今日の勉強課題●朝風呂で日経「私の履歴書」。作家の平岩弓枝。小説の世界には興味がわかないのはなぜか。創作は架空であって真実ではないからか。●猛暑。黒崎註解デジタル化プロジェクトマタイのネストレ引照入力。。クーラーは絶対につけないことにして全裸で作業●午後、妻は荒川の愛子の家に子守の手伝い。祖母の身も忙しい●Jバイブル開発者の能城一郎牧師より電話。塚本訳のこと
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出産の不安苦しみと喜び ++++++++ 所感

2008/07/23 06:19

080723(水)5時起床●朝のひらめき「人間、この有限なる者としての悩み悲しみ・・・・有体的復活の使徒伝承に連なる喜び・・・」。「夫婦喧嘩はなせ起きるのか」「内村鑑三の悪影響は今に至る」●早朝散歩

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早朝散歩で。2008.7.23 6:47。道端でトウモロコシを売る準備。5本750円。

私「おばさん写真撮らせてもらっていいですか。」

おばさん「こんな恰好じゃねー」。

私「いいんですよ。トウモロコシが中心ですから」

●夫婦喧嘩はなぜ起きるのか。理由は簡単。神が男と女に創造したから。情報の交換がうまくいかないから。思いと言葉が完全に一致せず、言葉の手段では思いが完全に伝わらないから。喧嘩の内容が「お金」のことになると深刻。過日のこと。

私「あなたの説明の仕方は下手です。言葉が足りない。あんたみたいな人は私の周囲にはいない。!」 妻「あなたみたいにもの分かりの悪い人はいません。!」

●「お金のこと」になると人間はなぜ争いになるのか。答えは簡単。聖書には次のようにある。

塚本訳 マタ 6:21
6:21 宝のある所に、あなたの心もあるのだから。

●この言葉、覚えていくと他人と言い争いやいがみ合いになった時に少しは冷静になれる。相手の心はその人の宝のあるところにある。人はそれぞれ自分の宝と思っているものがあるので、その宝のずれがお金の使い方のずれになって争いになるのだ。その場合、相手が「宝」と思っていることを「尊重」する気になれば少しは「我慢できる。・・・とカッコイイことを言っても現実は「カッ」となるのが自然。

●「内村鑑三の悪影響」。

過日のこと。私の設計した無教会関係の建物について年輩女性二人から設計内容み非難があった。技術的なことは謙虚に聞かなければならないが、デザインのことにふれられたので、頭に来た。「カッ」となった。この年輩女性、デザインや建築のこと少しもワカッチャいないと思うと同時に内村鑑三の「美」嫌いの悪影響はこの女性たちにも及んでいるのかとがっくりであった。これでは無教会に若者はこない。なぜか。芸術に対して禁欲的であり、潤いがないからである。内村の言う「芸術の盛んなるところ信仰は衰退する」とは一面の真理だが、それは全面的真理ではない。人間内村鑑三一人に「完全なるもの」を求めているからこうなるのだ。内村鑑三には限界がある。そのことは拙HP「使徒伝承」の次の論考に書いた。(文字をクリックすればリンクする)

内村鑑三の建築観と芸術観を批判する

●今日は愛子の三番目の子供の出産予定日。昔と違って、促進剤を打って、入院した日に出産できるという。妻が東京衛生病院に付き添いで行っているが、17時になってもまだ連絡がない。祖父としても「ソワソワ」して落ち着かない。孫は6人目だがそれでも落ち着かない。安産を祈る。御心のままに、御心のままに。聖書の次の句を思い出した。

塚本訳ヨハ 16:21
16:21 女が子を産む時には、女の(宿命の)時が到来したので悲しみがあるけれども、子が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはや(お産の)苦しみを覚えていない。


口語訳 ヨハ 16:21
16:21 女が子を産む場合には、その時がきたというので、不安を感じる。しかし、子を産んでしまえば、もはやその苦しみをおぼえてはいない。ひとりの人がこの世に生れた、という喜びがあるためである。


新改訳 ヨハ 16:21
16:21 女が子を産むときには、その時が来たので苦しみます。しかし、子を産んでしまうと、ひとりの人が世に生まれた喜びのために、もはやその激しい苦痛を忘れてしまいます。


新共同 ヨハ 16:21
16:21 女は子供を産むとき、苦しむものだ。自分の時が来たからである。しかし、子供が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはやその苦痛を思い出さない。


文語訳 ヨハ 16:21
16:21 をんな産まんとする時は憂あり、その期いたるに因りてなり。子を産みてのちは苦痛をおぼえず、世に人の生れたる喜悦によりてなり。

●こう書いている時に電話。伊勢喜明氏「男の子が生まれました。お父さんに(私のこと)に似ています。」 私「それじゃー美男子だ」(笑)。私「(私みたいに)もう一人、4人目を目指せ。」、伊勢氏「ガンバリます」。よかったよかった。●おそらくこの子が成人式の日には私は生きていない。そのことを思って、この子供の生涯の神の導きを深く祈った。「本人があなたを知ると知らざりしとにかかわらず、生涯にわたってあなたの方だけは彼のことを覚えてください」●かって参列した結婚式の誓約で牧師は次のように言った「〇〇さん。もし△△さんがあなたを愛せなくなったとしても、あなたの方だけは△△さんのことを生涯愛し続けますか。それをここで神に誓いますか」。・・・これは人間的な踏ん張りではできないのだ。神が働かなければできないのだ。・・・しかし不幸にもその誓いを破ることになっても悔い改めれば神は赦して下さる。そして前にもまして別の形で良い人生を送らせて下さる。神の国というのは「一番の者が最後になり、最後のものが一番になる」とイエスは言う。●妻は荒川の愛子のところに孫の子守に行って23時に帰宅。一人の子供が生まれるときは親族や社会が総がかりになって助けるものだなー


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有体的復活の共鳴者 ++++++++ 所感

2008/07/22 07:01

080722(火)4時半起床●早朝散歩。黙想。「有体的復活の共鳴者が現れる不思議」

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早朝散歩の帰途。我が家を望む。このロケーションが一番良い。電柱とネットの塀が邪魔であるのが残念。 2008.7.22 5:51

●「有体的復活、空の墓」を語ると種々反応があるが、その3通りのパターン。①胸が熱くなったと言ってくる人・・・・全国的に現れる。これは不思議な現象。真の喜び。真のエクレシア。物理的かつ一人の先生に蛸壷的に集団を形成するのとは違う。「有体的復活の使徒伝承」は倫理的思想的感化ではない。神ご自身が伝道される。②「高橋さんはものすごい確信。うらやましい」と言いう人。・・・・こういう人は神が間もなくその人を「ものすごい確信」に導く。(080717ブログ参照)③全く無関心の人。これにはさらに3種類ある。A・揶揄する人、B・聖書的根拠を持って非難する人、C・愚か者と思う人。このうちCは問題ないが、AとBは福音の敵。基督者の集まりから叩き出さなければならない。追放しなければならない。新約聖書にはそういう人間をはじき出す激しい面がある福音が生きているとそうなる●有体的復活の共鳴者は私にとって「神が与えて下さる真の友」(ヨハネ12:20-24)。「黄泉の門もこれを壊すことができない」(マタイ16:16)。●内外に敵のいたイエスにとって、真理に対する共鳴者が現れるのは喜びであった。それは次の通り。

塚本訳  ヨハ 12:20-24
12:20 この祭にお参りするため上ってきた人たちの中に、数人の(改宗した)異教人があった。
12:21 ガリラヤのベッサイダの人ピリポの所に来て、こう言って頼んだ、「君、イエスにお会いしたいのですが。」
12:22 ピリポは行ってアンデレに話し、アンデレはピリポと行ってイエスに話した。
12:23 するとイエスは(非常に感動して)二人に答えられる、「人の子(わたし)が栄光を受ける時がついに来た。
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)


塚本訳  マタ 16:16-18
16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主、生ける神の子であります!」
16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから
16:18 それでわたしもあなたに言おう。──あなたはペテロ[岩]、わたしはこの岩の上に、わたしの集会を建てる。黄泉の門[死の力]もこれに勝つことはできない。

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秘密の森。子供とここに栗拾いに来たなー。もう30年近くも前のことだ。あのときは紙袋いっぱいになったものだ。子供たちとここのところを「秘密の森」と呼んだものだ。 2008.7.22 11:58 イオンにレンタルDVDを返却にいくとき。

●電話懇談。大川四郎、湯浅鉄郎、大島智夫、無教会者の話は「話が速い」のが特徴。なぜか。組織がなくしがらみがないから。「お伺いを立てる」とか「みんなの意見を聞いてみよう」んどというのは「この世的やりかた」。●「連帯責任は無責任」「組織にお伺いを立てるのは自己保身術」。それは結局「思い切った独創的な、清新なもの」ができない。企業は100年も継続すると膠着状態になる。教会組織また同じ。


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親を怨んで殺人 ++++++++ 所感

2008/07/21 08:49

080721(月)海の日、休日●4時半起床●朝風呂で黙想「復活と罪の赦しは一体」「記念するということ」●早朝散歩で思索。「黒崎註解デジタル化の意義」「人間は似たもの同士で集まる。「種類ごとに群れるのは生き物の性質」「キリスト教の教派は変形して存続する」

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早朝散歩、ラッパの花。黙示録を思う。最後の日はラッパが鳴る。

2008.7.21 5:37 後方のネットはトウモロコシの防御。白鼻心(アライグマ?)が来るからだという。

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早朝散歩。トウモロコシを収穫する人。2008.7.21 6:01

なんであっても収穫は喜びの時だ。

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早朝散歩。この人は耕している。収穫を望んでいる。

2008.7.21 6:02

●「復活と罪の赦しは一体のもの」 ・・・イエスの復活は神の人類にたいする「罪の赦しのサイン告知である。

塚本訳  使 5:30-31
5:30 わたし達の先祖の神は、あなた方が(十字架の)『木にかけて』殺害したイエスを復活させられました。
5:31 この方を神は、イスラエルに悔改めと罪の赦しとを与えるために、(命の)先達また救い主として御自分の右に挙げられたのです

●「記念する」ということ。・・・人間が集まるというのは何かを記念するため。人間(内村、塚本)を記念するためであってはならない。クロスチャンの毎週の集まりは「主の死」の記念のため。ユダヤ人の過ぎ越しの祭りの精神。

塚本訳Ⅰコリ11:23-25
11:23 なぜというか。わたしは(晩餐のことを)主から授かり、それをまたあなた達に伝えたのであるが、それはこうである。──主イエスは(敵に)引き渡された夜、パンを手に取り、
11:24 (神に)感謝して裂いて、言われた、「これはあなた達のためにわたすわたしの体である。わたしを記念するためにこのことを行ないなさい」。
11:25 食事の後、杯を同じように(感謝)して(分けて、)言われた、「この杯はわたしの『血』の犠牲を払った『新しい約束』である。(今から後、)飲むたびごとに、わたしを記念するためにこのことを行ないなさい」。

塚本訳 ルカ 22:14-16
22:14 (日が暮れて食事の)時間になると、イエスは席につかれた。使徒たちも一しょであった。
22:15 彼らに言われた、「わたしは苦しみをうける前に、あなた達と一しょにこの過越の食事がしたくて、たまらなかった。
22:16 わたしは言う、神の国でほんとうの過越の食事──(罪のあがないの記念の食事)──をする時まで、わたしはもう決して、この(エジプトからあがなわれた記念の)食事をしないのだから。」

●「黒崎幸吉新約聖書注解デジタル化」の意義。

聖書の意味の分からないところを素早く調べるため。(辞書を引く動機と酷似)

引照は聖書の句を深く知るため。.Devotion(黙想)のため.。長文の論考ではなく「聖書で聖書」を学ぶため。

デジタル化の意義は、スピード化による利便性。無料公開。「紙媒体」では膨大なページ数になり、コストが合わない。

●生き物は植物も動物も種類ごとに群れる。人間も同じ。キリスト信者も同じ。だから教派はできる。●体制的になった「教会」に反抗して出現した教派はたくさんある。英国のプレマスブレズレン(日本に伝送されて同信会。黒崎も矢内原もはじめはこの派に所属)、ドイツのピエティスムス(日本の無教会はこれに酷似しているだけでなく、底流で影響があった。グンデルト、シーリー、ヒルティ)、フランスのジャンセニズム(パスカルはこの派に参入した)

●キリスト教の教派は変形変質して存続する。ドイツのピエティスムス(敬虔派)は無数の形になって文化の底流になった。

●川口で中学3年の長女が親を怨んで殺人。人間常識や日本の法律ではどう処置されようとも神の裁きは正しく下る。「心の中でバカと言っただけで殺人」であるから神の眼には人類は皆殺人犯。


塚本訳 マタ 5:21-22
5:21 (だからわたしの戒めは彼らよりもきびしい。)──あなた達は昔の人が(モーセから、『人を)殺してはならない、』殺した者は裁判所で罰せられる、と命じられたことを聞いたであろう。
5:22 しかしわたしはあなた達に言う、兄弟に腹をたてる者は皆、(ただそれだけの理由で、天国の)裁判所で罰せられる。兄弟に馬鹿と言う者は、最高法院で罰せられる。畜生と言う者は、火の地獄で罰せられる。

●ヤバイ。かくいう私なんかは毎日「人に腹をたてている」。地獄行きは当然だ。

●日本には「親を怨んで心の中で殺す」子供が多い。「心の中のことだから赦される」という罪の認識の甘さが日本を根本的に救わない。残念でかわいそうだがあの中3の少女が刑を受けることに情状酌量の余地はない。それが本人のためでもある。しかし神は罰して赦す。この世の法律は罰するだけで救わない●あの中3の少女は神の裁きでは死刑が当然。しかし十字架の贖罪で神は赦す。福音というのは神の義と愛が両立する。義だけはない。愛だけでもない。●「とんでもないことをしてしまった」と反省しているらしい。だれかあの少女を救いに導けないか。もし十字架の救いに預かれれば、失敗の人生で肉体は死刑で切り裂かれようとも、真に成功の人生だ。贖罪は「虫のよい話」ではない。本人にとっては真剣にすがりつく道なのだ。●自分の犯した罪におののおき震える人間は「贖罪は虫のよい話」などと暇な議論はしていられないほど必死。幸いなるかな自分の犯罪に泣く人。●妻とコンサート。バッハ「ロ短調ミサ曲」。埼玉第九合唱団、東京交響楽団、大宮ソニックシティ大ホール。テノールは大川信之。●この合唱団は実力派、2時間の大曲を暗譜でこなしたのは立派。●演奏会終了後、大川四郎、記代子御夫妻、蜷川文子さんと会食。私は「ロ短調ミサはイエスの復活の告知であること。バッハのマタイ受難曲は復活を前提にしての曲であること。有体的復活について」を話題にした。●大川ご夫妻は、全国を徒歩旅行、大阪釜が崎にボランティアで献身。


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大宮ソニックシティ大ホール。2200席程度。なかなか良いホールだが、ホワイエの設計がイマイチ。音楽は始まる前の雰囲気が大切なのだ。その点、日本の神社の参道は心を落ち着けるための仕掛けとしてよくできている。2008.7.21 14:52


 

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キリスト教の俗化現象 ++++++++ 所感

2008/07/20 20:56

080720(日)4時起床●黒崎註解デジタル化プロジェクト、ネストレ引照インプット●K氏て基本設計ドラフト21●集会は藤巻、大山、望月●午後は感謝会。最近召された山口尾喜代子さんの想い出。Y氏から集会の始まる前に私語が多いことの注意があり、「本人が自覚するのを待つよいほかに方法がない」という話であったが、私語を赦す雰囲気がいけないと感じた●私のスピーチ。「「藤林益三』の本の感想で、東京聖書読者会は福音が受肉していると誉める人がいたが、私としては受肉しきって俗化し、「キリストの香り」がさっぱりしていないのではないか」。「塚本虎二も藤林益三も(死んだ人間は)化石。(化石)人間を記念する会はただちにやめたほうがよい」●塚本虎二記念会について意見が多く出た。塚本虎二に福音を学んだ人間が生きている間は記念会はやった方がよいという意見、講演会方式はやめて、座談会形式が良いという意見、無理してつづけない方がよいという意見。など種々意見が出たが、これも時間の問題。とにかく「使徒伝承」をそっちのけで「人間の記念」をやっているのでは神の祝福が去るのは当然。当然どころか人間偶像礼拝の罪悪。
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客を迎える心 ++++++++ 所感

2008/07/19 09:32

080719(土)4時起床。●来週は愛子が大任。神の祝福を祈る。●K氏邸ドラフト20の設計。建築設計は難題、難問が襲ってくれば来るほど良くなる。なぜか。建築主の要求の解決に向かうから。オーダーの設計の醍醐味がそこにある。建築主の家庭の姿を形にすることが目的。面白い。●今日は来客なので、朝から家の中を大片付け。●一時的な片付けでも準備の心、もてなしの心、その姿勢が大切なのか。キリストの来臨の日を待ち望む心と似ている。




塚本訳 ルカ 12:36-37
12:36 あなた達は、主人が宴会からかえって来て戸をたたいたときすぐあけられるように、帰りいつかと待ちかまえている人のようであれ
12:37 主人がかえって来たとき、目を覚ましているところを見られる僕たちは幸いである。アーメン、わたしは言う、主人の方で裾をひきからげて、僕たちを食卓につかせ、そばに来て給仕をしてくれるであろう。


塚本訳 マタ 24:45-46
24:45 (旅行に出かける)主人が一人の僕を(えらんで)奉公人たちの上に立て、時間時間に食事を与えさせることにした場合に、いったいどんな僕が忠実で賢いのであろうか。
24:46 それは主人がかえって来たとき、言いつけられたとおりにしているところを見られる僕で、その僕こそ幸である。


塚本訳 マタ 25:1-4
25:1 (人の子が来る)その時、天の国は、十人の乙女がそれぞれランプを手に持って花婿を迎えに出かけるのたとえられる。
25:2 そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。
25:3 愚かな女たちはランプを持っていったが、(予備の)油を持ってゆかず、
25:4 賢い女たちは油を入れ物に入れて、ランプと一しょに持っていった


塚本訳 マタ 25:14-17
25:14 (ほんとうに目を覚ましておれ。人の子が来る時、)天の国は、旅行に出かける人が僕たちを呼んで財産を預けるようなものであるから。
25:15 それぞれの力に応じて、一人には五タラント[千五百万円]、一人には二タラント[六百万円]、一人には一タラント[三百万円]を渡して旅行に出かけた。
25:16 五タラントあずかった者はさっそく行ってそれを働かせ、ほかに五タラントもうけた。
25:17 同じように、二タラントの者もほかに二タラントもうけた。

●神も来世もあるものかと言って「遊びに夢中になっている」人間は「準備の心」に欠けている。クリスチャンの中で、知的遊びに長けている人とは付き合ってはいけない。そこに真の安息はない。そういう人間に限って信仰に熱心な人たちを「心が狭い」という。大間違い。聖書は「神に仕えることが真の自由だという」。彼らにはそれがわかっていないから、生理的にどうしても付き合えない。永久に付き合えない。朱に交われば赤くなる。アブナイ、アブナイ。しかし匂いで分かる。「間違ったことは神が注意してくださる」.

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五日市の景色。山の中腹の緑に家が点在するのはどこの国でもよい風景だ・スイスのようだ。

2008.7.19 11:20

 

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佐々木典夫、静枝夫妻(衣純さん御両親)、高橋新一、衣純夫妻をお招きして。於・五日市の黒茶屋。2008.7.19 15:30

佐々木典夫さん(私と同年)は来週JICA(ジャイカ:国際協力機構)の仕事でベトナムに3週間行かれるという。現役をリタイヤしてもなお御活躍であることに刺激された。

 

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佐々木御夫妻、高橋新一夫妻を拙宅にお迎えして。 2008.7.19 16:30

「(自分で美しいと思う方の)顔の面が見えるように立つ。写真に顔の正面を向けない。身体を45度にして立つ。、少し顎を引いてカメラ側の肩を幾分下げれば写真写りが良くなる」とレクチャー。女性たちはそのようにポーズ。Ⅰ時間前の上記「黒茶屋」での写真よりはるかによく撮れた。●人間関係でも相手の正面に向いてはいけないのではないだろうか。斜めに構えて自分の美しい方の面を見せ、かつ相手の意見をかわす(受け流す)のが良いのだ。

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かけ値と値切り交渉なき文化の源流 ++++++++ 所感

2008/07/18 05:40

080718(金)出勤日、4時20分起床●朝風呂で黙想。「かけ値と値切り交渉なき文化」。●早朝散歩

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早朝散歩。久しぶりにきれいな空。トウモロコシがぐんぐん成長する。2008.7.18 4:40

 

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早朝散歩。我が家の庭はまだ暗い。妻が草むしりをしたあとを見る。 2008.7.18 4:55

●価格交渉における文化の違い。中近東では「値切らなければ損」。値切れば安くなる。英米では値切ると顰蹙をかう。ピューリタンの精神で生きているから、掛け値なしの値段で勝負。自由競争の世界である。日本はその中間●かって輸入住宅の交渉でポートランドに行ったときのこと。日本の業者が建具を大量に注文したので「いくらか負けろ」と言ったら、米国の担当者が目を丸くして「定価どおり」と言った●かって大林組のM積算部長が言った。「外国(多分米国)の工事の積算は楽である。専門業者の見積もり書は価格交渉しなくてよい。ゼネコンに提出される見積書は常に最終価格だからである」●米国は「腐っても鯛」。「掛け値と値切り交渉がない文化」である。ピューリタニズムの精神がまだ生きている。ダメなのは日本である。そういうところを学ばない。●日本はプロフェッショナルに対しても値切る風潮は聞いたことがないが、危ない。医者を値段で交渉する時代が来るか。●建築は「普請」といって掛け値なしでみんなで協力して建てる時代は美しかった。それが「商品」となり、住宅産業部品(カタログ製品)の集積となってからは「建築」が堕落した。●かって設計監理料を「値切ってきた」商売人の息子がいた。親の感化が悪く働いた。こういう人間の仕事は設計中に心に影が差す。「どうせアイツの家か」と思って熱が入らない。あの息子「まずい発言をした」。なぜか。設計とは出来上がった製品を買うのでなく、これから「造り上げていく」前に労働賃を値切ったので「良くないものを造ってくれ」といったようなものだから。●その建築主の「値切り」にはこちらもプライドがあるので「一銭も負けなかった」が、その後別の件で苦いことがあり、疎遠になった。あの息子のことは「苦い思い出」である。「お客様は神様だ」とは建築設計の世界では通じないのだ。

 

 

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住宅建築の面白さ ++++++++ 所感

2008/07/17 06:12

080717(木)2時半目覚め(睡眠5時間)その後うつらうつらで5時起床。4時に目覚めでそのまま起床が理想だが・・・・●早朝散歩少し。

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早朝散歩。我が家の鮟鱇(あんこう、・・建築用語)に泥がつまってそこに草が生えた。

あの草、大きくなるかもしれない。へー、あの人がクリスチャンにねー、意外だなー、ということがあるから人生は捨てたものではない。人知では考えられない神の不思議な取り計らいなのだ。   2008.7.17 5:31

福音の種も「思わぬところに落ちて」伸びるのだ。 讃美歌536番を思う。

讃美歌536

1. むくい を のぞまで

   ひと に あたえ よ,

   こ は しゅ の かしこき

   みむね ならず や.

   みず の え に おちて,

   ながれし たね も,

   いずこ の きし に か

   おいたつ もの を

 

2. あさき こころ もて

   こと を はからず,

   みむね の まに まに

   ひたすら はげめ.

   かぜ に おられ し と

   みえし わかき の,

   おもわぬ こかげ に

   ひと も や やどさん.

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 早朝散歩。秋留公園。2008.7.17 5:37。孫と遊びに来たことがあったなー。あのときは振り回されたなー。子育ての母親は24時間苦労するなー。

●新聞がまだなので朝風呂で黙想。「住宅設計は面白い」。・・・建築主の心や思いを形にするのはオーダーの作品。ここに住宅設計の醍醐味がある。特に設計中に建築主のの胸がワクワクドキドキすれば成功。●我々が天国の家に行くのも同じ。胸ワクワクドキドキしなければ天国の魅力はない。アイツがいるなら天国には行きたくないというのでは天国も苦痛。来世は「無教会主義」だろうか。無教会主義だったら音楽がないのでつまらないかも知れない。

(以下拙著「プロジェクマネジメントの知識」鹿島出版会P18より引用)

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●建築は、それにたずさわる者が幸福であるときによい建築になるというラスキンの言葉は至言である。●ラスキンはあるとき、スイス、ベルンの高地グリンデルヴァルト近くの美しい一村荘にかかっていた詩に目がとまった。ラスキンはその詩に「平穏な安息所を建ててこれを所有することを許したまえる神の恩恵」への感謝が溢れているのを見た。その詩を次に掲げるが、そこには建設労働者の祈りと幸福が込められていて天地が調和している。その労働は喜びのうちにあり、それが天にこだましている。筆者の好きな詩である。

心からなる信頼をもて

ヨハンネス・モーテルとマリアルビが

この家をば建てさせたのである。

願わくは御神よ我らを守らせ給え

あらゆる不幸と危害より。

そうしてこの家をば祝福の中に建たしめたまえ

苦難のこの世の旅、

信仰深き人皆の住む天国への旅において。

かの国にて神は彼等に報い給うであろう

平和の冠をもて

永遠の永遠までも。

(ジョン・ラスキン『建築の七灯』6章6節)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(以上引用終わり)

●上記の訳は岩波文庫の高橋松川訳と鹿島出版会の杉山真紀子訳を自由に書き換えたもの。このラスキンの「建築の七灯」はキリスト教の信仰がなければ訳せない。日本では岩波で昭和6年に訳されたまま。以後名だたる人が挑戦したが、未だうまくいかない。杉山真紀子さん(建築は専門外)は、私に意見を聞きながら訳したかったと言われたが出版後であったので遅かった。日本のキリスト教文化の底は浅い。ラスキンの水準は高い。過日、某女から次のようなメールをいただいた。

(以下メールの一部)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・“「有体的復活」がわかった!"

という高橋さんの最近のブログ記事、

本当に、「目が開いた!」という感じで、

とてもうらやましいです。

ものすごい確信に満ちておられますね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(以上メールの一部終わり)

●この「ものすいごい確信」は勉強でも努力でもなく、ただただ、上からの恩恵である。私のことを「うらやましい」と思われることはそれだけで神に祝福されている証拠。この人はきっとわたしのような「ものすごい確信」を得られるようになること間違いなし。●人にうらやましがられる内容が、「有体的復活の確信」とは私も「うれしき身」となった。私の人生目標は「使徒」になることだから。「使徒伝承」をすることだから。それを行いつつ死ねればこの身は長くても短くてもどうなっても本望だ。パウロの次の心境だ。

口語訳 使  20:24
20:24 しかし、わたしは自分の行程を走り終え、主イエスから賜わった、神のめぐみの福音をあかしする任務を果し得さえしたら、このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思わない


新改訳 使  20:24
20:24 けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません


新共同 使  20:24
20:24 しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません


塚本訳 使  20:24
20:24 しかしわたしは、自分の走るべき道を走りおえて、主イエスから託された、神の恩恵をつたえる福音を証しする役目をはたすためなら、自分の命のことなど口にする値打もないと思う

 

●K氏邸基本設計。外観立面図、配置図、増築計画図。建築は「夢」を形にして「正夢」にすること。私の経験では計画したものが「夢」だけで終わったことはない。次の聖書の言葉を連想する。

口語訳 ピリ 2:13
2:13 あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。

新改訳 ピリ 2:13
2:13 神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。


新共同 ピリ 2:13
2:13 あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。


文語訳  ピリ 2:13
2:13 神は御意を成さんために汝らの衷にはたらき、汝等をして志望をたて、業を行はしめ給へばなり。


塚本訳 ピリ 2:13
2:13 (しかしもちろんこれは君達の力では出来ない。)何故なら、(救いに関わる)御旨を成し遂ぐるため、君達のうちに働いて、(救いの)願望を起こさせ、これを成就せしめ給う者は、神であるからである。

●15:30妻と出発。牛腸達也さんご夫妻の車で、渡邊聡邸(玉川学園そば)に伺い夕食懇談。音楽談義。渡邊ご夫妻とは2005年のドイツ旅行でご一緒。●その後皆で青葉台のフィリアホールでのコンサートを鑑賞。ファタ・モルガナ(桐朋の卒業生たちの自主的な集まり、牛腸氏令息の和彦氏がトランペットで出演。指揮者なし)。曲目はビーバーの8本のトランペットとティンパニのためのソナタ。シューベルト八重奏曲ヘ長調(これは冗長で退屈であった)ヴェートーヴェン交響曲8番。(ベートーヴェンはいい)●18日朝嫁のHさんから「ファタ・モルガナは評判のオケ。ヴェートーベンの8番はベートーヴェンの自信作」だということを教えられる。

 

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青葉台フィリアホール。客席500程度のなかなおよいホール。ホワイエの造りもよい。

 

 

 

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青葉台フィリアホールで。左は渡邊聡、右は牛腸達也。音楽の友。

 

●音楽の友は「心が通じる」のはなぜだろう。異次元での交流(脳のある部分での感情の共有)だからか。信仰の友に近い。しかし信仰の友というのは「神学レベル」では友達になれない。なぜか。大脳皮質での一致はありえないから。「神学の友」はすぐ「斬り合い」になるから嘆かわしい。「共有の先生での一致」は先生がいなくなるとバラバラになる。人間たる先生は一致の基礎ではない。いまや内村鑑三記念講演会は下火。これは「教会、エクレシア、無教会」を考えるよい機会だ。 ●「教会論、エクレシア論、無教会論、先生論」という「論」では人間は一致できない。それは大脳皮質レベルのことだから。●「職場」は基本的には「金儲けの仲間」。だから金儲けに役に立たなくなると義理もなにもなくお互いが「斬りあう」。阿鼻叫喚の修羅場となる。そして「金の切れ目が縁の切れ目」である。

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雉だ! ++++++++ 所感

2008/07/16 08:09

080716(水)4時起床●新聞がまだなので、朝風呂で黙想●「黒崎註解デジカル化プロジェクト」でスタッフとWEB会議。私のメールで公的な部分を公開する。

(以下メール)

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○〇様

 

なるほど、聖書解読は言語に精通してないと「危険」という感じがします。自戒です。

その意味で、「引照」だけで解釈を決定し、振り回すのもいけないとも感じます。

聖書の解読は「多方面」からバランスをとってアプローチする必要を認識しました。

その意味で、聖書の不明なとところは、言語(複数)、翻訳(複数)、引照(複数)、それに黒崎のようなわかりやすい註解(複数)の4方面から接近する必要があると解します。しかし何と言っても真の解読は「人生苦難」と「聖霊の働き」が聖書の「真の読み」をなさしめてくれるものと思います。たとえば「貧しきものは幸いなり」「神は愛なり」などは苦難の生涯をかけて分からされるものではないでしょうか。内村、塚本、黒崎などは、皆「人生苦難」による聖書解読なので「力」が備わっているものと観察します。この意味で「弟子は師に勝らず」(この意味は弟子の苦労はは師に勝らないということ)なのでしょうか。自戒。

黒崎註解デジタル化が完成すれば、日本中の牧師、伝道者、真面目な聖書読みの人間はこのサイトを無視はできないでしょう。

真の黒崎の復活です。使徒伝承です。

(以下略)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(以上メール終わり)

 

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早朝散歩。「けーん、ケーン」と雉が鳴く。近寄っての撮影はこれぐらいが限界。写真中央の黒い点

。近寄るとすぐ逃げる。

2008.7.16 6:25

 

 

 

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早朝散歩。あきる台公園でラジオ体操。開始の前に準備運動。2008.7.165 6:31


 

 

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早朝散歩。あきる台公園。もうコスモスが咲き始めた。コスモス大好き。風のままに揺れるその可憐さは「信仰者」のようだ。神が助けてくれる。

2008.7.16 6:44

 

 

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「人間」、この気の毒な者よ。 ++++++++ 所感

2008/07/15 09:40

080715(火)5時起床。昨夜は厚くて寝苦しかった。朝のひらめき「気の毒な人に向かえ」●朝風呂で日経「私の履歴書」。作家の平岩弓枝。「交友抄」は医師で僧侶の資格をもつ友人を持った人の幸いについて。●人間は誰でも「自分の職業専門領域+信仰の世界」を持たなければ一人前ではない。どちらか片方では半人前である。これ主婦+信仰、学問+信仰、芸術+信仰にも言える●早朝散歩、自然は発想、黙想に益する。

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早朝散歩。よし、今日はまたあの林に行ってみよう。 2008.7.15 6:29

 

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早朝散歩。都立秋留台公園。この広場は犬の運動場でもある。夫人が愛犬に向かって「陽に当たりなさい。日陰に行っちゃだめよ」と言っていた。犬も辛いだろうなー。 2008.6:50

 

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早朝散歩。林に行く。太陽の陽にあたる葉の裏側の色はとてもきれいなものだ。

2008.7.15 6:55

●朝ひらめいた「気の毒な人に向かえ」という「気の毒な人」とはだれか。それは「時」というものを支配できない「人間」のことだ。まず「過去」は取り戻せない。失敗や罪は消せない。永久に汚点として付きまとう。次に「未来」である。これはどうなるかわからない。先が見えない不安。人間はこの「過去と未来の狭間にあって、どうしようもすることのできない「気の毒な存在」なのだ。それに比べて病気や社会問題は「現在のこと」なので医学や政治などで「今なんとかなる」。しかし「時」は「どうしようもない」。これ有限なる人間として最奥の解決できない問題。苦脳。●しかし、神は「なんとかして」くださる。奇跡。過去の罪を十字架の贖罪で消して下さる。未来、死後の不安を「イエスの有体的復活」を示して、来世実在の希望を与えてくださった。●そうだ神は私にその「人間の気の毒さに向かえ」というのだ。それは「福音の使徒伝承」だ。 ●黒崎注解デジタル化プロジェクト。ネストレ引照インプット、マタイ17章●K氏邸新築工事基本設計案。住宅の場合、ご夫妻から信頼され、愛されての設計は120%の力が発揮できる。具体的には「先生」と呼んでもらえると「いい気分になって」腕を振るえるのだ。その反対に尊敬されず、私を下請け扱いする人間には「ヤル気」が起きない。持てる力の30%も出せない。(下記マタイ13:58参照)。そういう不幸な関係が過去に2-3件あった。そいういうときは「相手が悪い」「相性が悪い」と判断し、「縁がなかった」とみなして、「ジェントリー(紳士的)」に引き下がった方がお互いに傷がつかない。ある事例で引き下がるときに、非常に悔しくてそれまでに要した多額の費用を請求し取り戻したことがあったが、あのとき私はジェントリー(紳士的)でなかった。ジェントルマン(紳士)でなく「銭取る(ゼントル)マン」であった。(笑、自戒)

塚本訳  マタ 13:54-58
13:54 郷里(ナザレ)に行ってその礼拝堂で教えられた。すると人々が驚いて言った、「この人はどこからこの知恵と、奇蹟とを覚えてきたのだろう。
13:55 これはあの大工の息子ではないか。母はマリヤで、兄弟はヤコブとヨセフとシモンとユダではないか。
13:56 女兄弟たちは、みんなわたし達の所に住んでいるではないか。するとこの人は、こんなことを皆どこから覚えてきたのだろう。」
13:57 こうして人々はイエスにつまずいた。しかしイエスは彼らに言われた、「預言者が尊敬されないのは、その郷里と家族のところだけである。」
13:58 彼らの不信仰のゆえに、そこではあまり奇蹟を行われなかった。(出来なかったのである。)

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「65」という数字 ++++++++ 所感

2008/07/14 11:03

080714(月)出勤日。5時半起床●昨日は満65歳の誕生日であったので、子供達4人の家庭からそれぞれの形で祝福のメッセージをもらい、非常にうれしかった。その返礼をメールで次のように書いた。

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各位、

 子供たち4家庭から、それぞれの形で、私の65歳の誕生日の祝福メッセージをいただき

衷心より感謝御礼申しげます。

かくなる上は、私の残る生涯、この一身を全身全霊神に捧げる気持ちが一層強くなりました。

皆様のご家庭の上に神の祝福が豊にありますように心よりお祈り申し上げます。

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●昨日は65歳の誕生日なので、ヤフーで「65」の数値に関連するものを見た。地球の人口は65億人、ダイエットサイトによるターゲットはほとんどが65キロ、エレベーターの定員は一人65キロで計算する●妻は昨日午後から愛子のところに行って泊まり。祖母の身もまた忙しい。●土地購入で苦慮中の某氏から「購入決断」をした知らせ。●信仰的な決断のように思えたのでうれしかった。人間はどの道「お先真っ暗」のところを歩かせられるのだ。そのとき如何なる人間的手法の「予測」も役に立たない。最後は「信仰的決断」である。●「この人と結婚していいのか、悪いのか」という深刻な問題も最後は「信仰的決断」きり方法がない●某氏は言う。「それで悪かったら。そのときはまた新たな道が開ける。あるいは用意されているのだと思う」と。氏は、今回の土地購入問題で非常に練られ、信仰的に飛躍した。●この事で次の聖句を思い出した。

塚本訳 マタ14:25-33

"401425","第四夜回りのころ(すなわち夜明けの三時ごろ、)イエスは湖の上を歩いて彼ら
の所に来られた。"
"401426","弟子たちはイエスが湖の上を歩いておられるのを見ると、幽霊だと思って肝を
つぶし、恐ろしさのあまり叫んだ。"
"401427","しかしイエスはすぐ彼らに話しかけて言われた、「安心せよ、わたしだ。こわが
ることはない。」"
"401428","ペテロが答えた、「主よ、あなたでしたら、どうかわたしに命令して、水の上を
歩いてあなたの所へ行かせてください。」"
"401429","「こちらに来なさい」とイエスが言われた。ペテロは舟から下り、水の上を歩
いてイエスの所へ行った。"
"401430","しかし(いま一足という所で)強い風を見たため、おじけがつき、沈みかけた
ので、「主よ、お助けください」と叫んだ。"
"401431","イエスはすぐ手をのばし、ペテロをつかまえて言われる、「信仰の小さい人よ!なぜ疑うのか。」"
"401432","そして二人が舟に乗ると、風はやんだ。"
"401433","舟にいた人たちは、「あなたは確かに神の子です」と言ってイエスをおがんだ。

●あるとき、この記事をめぐって妻と会話。私「あなただったら。こういう場合水の上を歩いていくかい?}。妻「『こちらに来なさい』と言った人が誰であるかによっては歩いて行くヮ」。このとき私は思った。妻の信仰は立派だ。●信仰は女性である。この場合男どもは「数学的判断」「常識的判断」きりできない。特に私は体重があるから「すぐ沈む」という恐怖がおこって「おじけづく}(笑)●私たちの結婚。某氏から紹介されてお話があったとき、私は妻の写真を見たが、妻は私の写真を見させられないで「信仰的決断」をして結婚を決めた。お互いに「信仰のみ」の決断で、一度も会わずに決めた。●結婚してからのこと。妻「あの時写真を見たり、会っていたら結婚しなかったかもしれないヮ。」私(心で)「ウッシッシッー。今からでは遅い。あとの祭りよ」(笑)●この場合、「見ずして信ずるは幸いなり」とは私が言ってはいけない●その結婚が良かったどうかは、自分の側の物差しでは決まらないものだなー ●16:00 増田専務と懇談。定年退職後のこと。
"

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測りなわは、わたしのために好ましい所に落ちた ++++++++ 所感

2008/07/13 06:27

080713(日)5時起床・今日は私の65歳の誕生日だ。人生最後のコーナーを曲がった。これからホームストレッチだ。駆け抜けよう。走り抜けよう●NHKTV3CH「こころの時代」カトリック司祭本田哲郎「弱き立場の人々に学ぶ」。●この人のセミナーを聞いたことがある。そのときフロアーから発言した。その時のブログを再掲する。

(以下ブログ再掲)

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080524(土)●13:30教文館ビルで「聖書セミナー第3回。本田哲郎フランシスコ会司祭「3つの聖書を翻訳して」。学者の説で訳した聖書が釜ケ崎のホームレスたちには通じないことを痛感。そこに入り込んで一緒になろうとしたが、貧しく低くなりきれなくて挫折。質問時間に私が次のように発言「今日の話は相手の低さにまで降りようとして失敗挫折したまでは感動的であったが、その後彼らと連帯して生きていこうという結論は竜頭蛇尾。それでは社会主義と同じだ」。●帰宅すると某氏から私の発言がよかったと「エールのメール」。ガッツポーズである。

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(ブログ再掲終わり)

●無教会主義者はそれぞれ今いるところが「釜が崎、山谷」である。わざわざそこに出かけていかなくてよい。「今そこにおかれているところが『地の果て』なのだ。●人生の決断の苦悩にある御夫妻にメール。公的な部分を公開する。

(以下公開メール)

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 ○〇  様

○〇夫人様

 

人がどの道を選択するか、人生の岐路に立たされた時の決断には脳漿を絞り切る(あらん限りの知恵を出す)苦脳があります。

東京駅丸の内側の「東京海上ビル」の設計で首脳陣は、ビルを建てる方法で、深刻な苦悩に陥りました。それはゼネコンに設計を頼む「設計施工」にするか、設計と施工を分離する「設計施工分離」にするかの岐路に立たされたときのことでした。首脳陣は建築界の人物を呼んで「ヒヤリング」を行いました。R設計のEさんも呼ばれ意見を陳述しましたが、Eさんは「設計施工分離」を主張しました。その時のEさんの感想は、「大きな投資(おそらく100億位以上)をする時の「首脳陣の深刻な苦悩」は計り知れないものがあることがわかった」とというものでした。

今回決断を迫られる場面に立たされた当事者としてのお二人の「苦脳」は当事者でない私の10倍も100倍も深く重く深刻ものがあると思います。つまりあの○〇の土地を買うべきかどうかの問題です。幸い検討期間が与えられたようで感謝です。

 さて昨夜の段階で、また情勢が変わりました。まず土地の値段が確定したことです。デパートで商品の値段を値切る人はいません。ですから判断は楽です三越が高ければ西部に行ってみるということをします。まさかデパート(三越)の店員に値引き交渉をする人はいません。また三越の店員に同じ品物が西部ではいくらでしたよと言う人はいません。(こういうとき三越と西部のものでは品物が違うから決断に迷うのです)その点で○〇の値段は決まりました。寝切ったとしても○○万円程度です。しかしそれは不可能。つまらない努力。しかも「びた一文」もまけないとなっているのですからOさんの言うように「二人がそれでよいのかどうか考えなさい」というのは正しいお答えです。つまり○〇〇万をどう考えるかは「家庭の事情など」があるので第3者は判定できる立場にはないということです。その点では私もOさんと同じ立場です。全人格的決断は「本人のするべきこと」なのです。ここが難しいこと、「主人」としての悩みどころです。この苦悩の人に「ストレートシンキング」の手法は大脳皮質の悩みの整理に有効ですがそれは数学的整理です。効果があります。そのことはブログに書きました。

(以下ブログ再掲)

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080711(金)4時45分起床。●某氏が建築企画で大変迷っていて苦労。そこで判断技術の秘策をアドバイス●高校生の時に読んだW・ライリィの「Straight Thinking」(ストレート、シンキング)の手法。(同文館・絶版)。これはその後建築企画や人生の諸段階で左右を決するときに非常に役立った。●それは次の通り。各種案ごとに良い点、悪い点、心配、不安、満足、不満足、好き、嫌い、コスト、喜び、悲しみ。無理、安心、不確実、自慢、陳腐観、貧相観、嫌気、などなど思いつくままなんでもかんでも書き出す。フト思ったことでも書く。思いつきの思いを出した相手を非難しない。意見の提出はなるべく多くの人からがよい。潰さない。それをよいもの明るいものを「+」プラス思考の欄に書き、不安や心配や嫌気などの悪いもの暗いものを「ー」マイナス思考の欄に書く。すると自然に「決定すべき」案が見えてくる●これで無用な不毛な言い争いは避けられる●ところがクリスチャンになってからは変わった。神の導きの道は人間の判断で決定的に「ー」マイナスと判断される道、不利な道、いやな道にいやおうなしに導かれ、与えられることがある。それは当座は悲しいことでもあるが、後になってそれはすばらしいことであったことが分かる●神は「意外なことをなさる」●私の家は全焼、脳内出血は思いもよらぬことであった。しかし結果的に「良かった」。

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(ブログ再掲終わり)

「私がクリスチャンになってからはこの方法は最終のものではなくなった」と。つまり「先が真っ暗」な時は「ストレートシンキング」も無力の時があるのです。今回の場合は今のところ別案「対抗案」が出てないから決定がしにくいのです。ジレンマです。しかし複数の人間で検討するときはこの方法はうまい手法ですから、今回は特に有効です。無用な喧嘩が避けられます。冷静になれます。(自戒)

結論を急ぎますと、最後は「信仰的決断」きり方法がありません。お二人にこのようなことを言うことができるのは幸いです。

今朝は次の句がひらめいたのでこの手紙を書いているのです。

 

口語訳 詩  16:6

16:6 測りなわは、わたしのために好ましい所に落ちた。まことにわたしは良い嗣業を得た。

 

新改訳 詩  16:6

16:6 測り綱は、私の好む所に落ちた。まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。

 

新共同 詩  16:6

16:6 測り縄は麗しい地を示し/わたしは輝かしい嗣業を受けました。

 

●この意味は、「土地を計測する縄(巻尺)は、実によいところを測ることになった。これは天から与えられた土地だと感じる」という意味です。

 

●今回の土地がそれであるのかどうか、数学的人間的判断では決定できません。どの道を決断しようとしても「お先は真っ暗」なのです。

現実的にはドアがパタパタと閉められて「行くべき道」が少なくなってくることが決断に楽なのです。

 

●最後に私の経験を言います。人生の歩みで、垣根があって、考える余地もなく「その道」きり選べないように「追い込まれる」状態になってきたというのが実際でした。ですからお二人も「考える余地もなく」「その道きりない」という状況になることを祈ります。

●昨日は、値段が決まったこと(垣根の一つ)、検討期間が与えられたことの二つが与えられたことが新しい状況です。

●そんなことよりも神の啓示があって「この道だ!」という示しがあり、「信仰的決断」をされることを祈ります。

●その道の示しは祈りで得られます。私も祈っています。

●決断の時、「天・地・人」のうち、「人」を第一番に大切にすることが望ましいです。

(以下省略)

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(以上で公開メール終わり)

●妻と集会へ。川上、小寺、山本。集会は人数が激減。神の祝福が去ったのではあるまいか。NO!。キリスト教は教会ではない集会ではない組織ではない。個の救いである。●使徒伝承が語られないところ集会の意義はない。集会や教会が神に祝福されない原因はそこにある。天罰。この世的「延命処置」はさらなる愚行で罪悪。何事も見苦しくならないうちに幕を引くのがよい。往生際が悪くてはいけない●帰途、丹野御夫妻、杉崎さんと●妻は愛子の所に行く。

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ひまわり。2008.7.13 13:54 

太陽、夏、暑さ、陽に向かう、ゴッホ、フランス。

            


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天・地・人 ++++++++ 所感

2008/07/12 08:54

080712(土)5時起床

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窓を開けると久しぶりによい景色。それにしても今年はきれいな空がみられない。異常気象なのかなー。 2008.7.12 5:14

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早朝散歩。あきる野名物のトウモロコシが日の光を浴びてぐんぐん伸びる。

2008.7.12 6:36

●去る7月10日のブログに次のように書いた。

(以下070810ブログから転載)

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「非常に相性の悪い施主の建築についてその関係者に「私はまた脳内出血になりそうだ」と超激怒した。こういうときは「『私はあなたのことでこんなに苦しんでいるのだ』とはっきりモノを言った方が相手のためにも良い。変に我慢するよりその方が逆に心が通じる」とはさる精神科医の勧め。黙っていればいい気になって私を苦しめ続けるから「ズバリ激怒」したほうが真理のためだ。私の脳の健康のためだ。あーすっきりした。続きをまた言ってしまおうか」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(以上ブログからの転載終わり)

●すると、このブログ見られた某氏から「まさかわたしのことではないでしょうね」と来た。「違いますよ」と言いつつ「それは誰のことです」とは言わないところが建築士(プロフェッショナル)としての限界。節度。言ってはいけない。いけない。話してはいけない。でもブログというのは「もしかしたら私のことかも知れない」と思わせるところがメリットだ。●「もしかしたら私のことではないでしょうね」の言葉に最後の晩餐のイエスの言葉を思い出した。

塚本訳マタ 26:20-25
26:20 夕方になると、イエスは十二人の弟子たちをつれて席につかれた。
26:21 彼らが食事をしているとき、言われた、「アーメン、わたしは言う、あなた達のうちの一人が、わたしを(敵に)売ろうとしている!」
26:22 (これを聞くと)弟子たちはすっかり悲しくなって、「主よ、わたしではないでしょう!」(「わたしではないでしょう!」)と、ひとりびとりイエスに言い始めた
26:23 イエスは答えられた、「わたしと一しょに同じ鉢から食べている者、それがわたしを売る。
26:24 人の子(わたし)は聖書に書いてあるとおりに死んでゆく。だが人の子を売るその人は、ああかわいそうだ!生まれなかった方がよっぽど仕合わせであった。」
26:25 イエスを売るユダが口を出した、「先生、わたしではないでしょう。」彼に言われる、「いや、そうかも知れない。」

●この最後のイエスの言葉の翻訳は次のように各種ある。

口語訳 マタ 26:25
26:25 イエスを裏切ったユダが答えて言った、「先生、まさか、わたしではないでしょう」。イエスは言われた、「いや、あなただ」。


新改訳 マタ 26:25
26:25 すると、イエスを裏切ろうとしていたユダが答えて言った。「先生。まさか私のことではないでしょう。」イエスは彼に、「いや、そうだ。」と言われた。


新共同 マタ 26:25
26:25 イエスを裏切ろうとしていたユダが口をはさんで、「先生、まさかわたしのことでは」と言うと、イエスは言われた。「それはあなたの言ったことだ。」


文語訳マタ 26:25
26:25 イエスを賣るユダ答へて言ふ『ラビ、我なるか』イエス言ひ給ふ『なんぢの言へる如し


塚本訳 マタ 26:25
26:25 イエスを売るユダが口を出した、「先生、わたしではないでしょう。」彼に言われる、「いや、そうかも知れない。」

●私は語学に弱いが、塚本訳のニュアンスが好き。イエスはそれはユダであることを知っていて「そうかもねー」と言ったのだ。本人に自覚させようとしたのだ。●ギリシャ語は「スー・エイパス」で直訳すると「それは君が言う」。だから新共同訳は「それはあなたの言ったことだ。」である。文語訳は「なんぢの言へる如し」でほぼ同じ。しかしこれでは日本語にならない。質問の答えにならない。塚本訳のようにそうかもしれない」なら日本である。しかしこれはイエスのいじわるの答えだ。「よくわかった。君なのだ」と言ってもらった方がユダにとってよかったのかもしれないが・・・・・・●私の場合「相性の悪い建築主」の記事は「日をずらして書けば読まれた方から「あのブログの内容はまさか私のことではないでしょうね」という御心配をかけなかったのだ。私は気遣いが足りなかった。●建築企画で非常に悩んでいるご夫妻にアドバイスのメール。コトは公的なことなので差し障りのあるところを改変して公開する。

(以下メール一部改変)

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○〇  様

  夫人様

どこかの住宅雑誌の冒頭に次のようなことを書きました。長年の経験です。どれか一つが欠けても家は建ちません。ですから「設計をやるかやらないか」判断するのは楽です。

(以下住宅雑誌)

家が建つ時の3条件

①家庭内の意見の一致。(銀行はそれを注意深く観察するから、どちらか一方が話に行ってもとりあわないことがある。設計者も同じ。夫婦から意見を聴く)

②資金が用意されていること。(見込みがあるというだけでは、建築チームは危ないから請け負わない。引き受けない。だから住宅金融公庫(今は住宅支援機構)による建物は建築会社は喜んで受注する。なぜか。BKや国がバックで資金がしっかりしているから。金融公庫のお金がおりるとそのお金は建築主の目の前を素通りしてそのまま建築会社に入る)

③法律的に合致していること。(建築基準法に適合しない土地、面積、隣地関係なども問題がクリヤーしていること。あるとき開口一番「違反建築をしてください」と注文されたことがある。そういう注文をしてきた会社は間もなく潰れた)

(以上住宅雑誌終わり)

中国古来の諺

天・地・人

これは経営の精神でもあります。戦争に勝つ時の条件でもあります。

「天」とは天の時、聖書にも「建てるに時あり」(伝道の書)とあります。

「地」とは地の利のことです。地理条件が良くなければ家は建ちません。これは建築基準法で赦される敷地なのかどうかです。設計者はこれを注意深く見ます。道路問題、面積限度問題。

「人」とは人の和です。いくら資金があってよい地の利でも、内部紛争があってはうまくいきません。部下がが腐ります。

 

●天の導きで「地」は与えられます。恵みです。△△さんのおかげです。私はこれは神が与えたもう土地と思います。

Kさん、Oさん、Iさん、Nさんは「人」です。これらの人をこちらの経済判断だけからの理由で切ると今後うまくいきません。悪い評判が立ちます。

感謝すべきです。土地の値段もOさん理論でよいと思います。問題は建築資金と家庭内部の意見の一致。これが揃わないと家というのは「いくらあがいても」建ちません。それには「時」が必要です。「建てるに時あり」(伝道の書3:3)は真理です。

                   2008.7.11  高橋照男

 

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(以上メール終わり)

●建築企画の初めで土地購入交渉中のご夫妻から電話。神の御心を感じる。次の聖句を思って感謝した。

口語訳 箴  19:14
19:14 家と富とは先祖からうけつぐもの、賢い妻は主から賜わるものである。

●黒崎註解デジタル化プロジェクト。マタイ16:23のネストレの引照に感心。

 

16:23 イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」

 

NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 272001の引照

 

新共同 Ⅰコリ 2:11

2:11 人の内にある霊以外に、いったいだれが、人のことを知るでしょうか。同じように、神の霊以外に神のことを知る者はいません。

 

新共同 Ⅰコリ 3:3

3:3 相変わらず肉の人だからです。お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる、ということになりはしませんか。

●妻は、夕方からコーラスの練習。フォーレ「レクイエム」。●明日は65歳の誕生日。形式的には老人だが、そんなことは言っていられない。人生はこれからだ。

 

 

 

 

 

 


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各種案を決するときの判断技術 ++++++++ 所感

2008/07/11 11:44

080711(金)4時45分起床。●某氏が建築企画で大変迷っていて苦労。そこで判断技術の秘策をアドバイス●高校生の時に読んだW・ライリィの「Straight Thinking」(ストレート、シンキング)の手法。(同文館・絶版)。これはその後建築企画や人生の諸段階で左右を決するときに非常に役立った。●それは次の通り。各種案ごとに良い点、悪い点、心配、不安、満足、不満足、好き、嫌い、コスト、喜び、悲しみ。無理、安心、不確実、自慢、陳腐観、貧相観、嫌気、などなど思いつくままなんでもかんでも書き出す。フト思ったことでも書く。思いつきの思いを出した相手を非難しない。意見の提出はなるべく多くの人からがよい。潰さない。それをよいもの明るいものを「+」プラス思考の欄に書き、不安や心配や嫌気などの悪いもの暗いものを「ー」マイナス思考の欄に書く。すると自然に「決定すべき」案が見えてくる●これで無用な不毛な言い争いは避けられる●ところがクリスチャンになってからは変わった。神の導きの道は人間の判断で決定的に「ー」マイナスと判断される道、不利な道、いやな道にいやおうなしに導かれ、与えられることがある。それは当座は悲しいことでもあるが、後になってそれはすばらしいことであったことが分かる●神は「意外なことをなさる」●私の家は全焼、脳内出血は思いもよらぬことであった。しかし結果的に「良かった」。●勤務先は午後休暇にする。三越。16:30昭和女子大福祉環境学科講師懇談会。この学科における建築コースは廃止する話。この学校の良いところは「だめな道はすぐやめる変わり身の早さ」。大企業や官公庁ではできないこと。だから大組織は制度疲労になる。ある程度大きくなると成長しない。 

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女性の品格、講師の品格 ++++++++ 所感

2008/07/10 21:50

080710(木)5時起床、●K氏邸土地購入問題●8:30非常に相性の悪い施主の建築についてその関係者に「私はまた脳内出血になりそうだ」と超激怒した。こういうときは「『私はあなたのことでこんなに苦しんでいるのだ』とはっきりモノを言った方が相手のためにも良い。変に我慢するよりその方が逆に心が通じる」とはさる精神科医の勧め。黙っていればいい気になって私を苦しめ続けるから「ズバリ激怒」したほうが真理のためだ。私の脳の健康のためだ。あーすっきりした。続きをまた言ってしまおうか。●16:30昭和女子大文化創造学科、非常勤講師懇談科会。坂東眞理子学長と懇談。

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昭和女子非常勤講師懇談科会。ベストセラー「女性の品格」の著者坂東眞理子学長と懇談。

私「今度はまさか『講師の品格』という本を書かれないでしょうねー」(笑)

坂東「高橋さんが書くとしたらどのように書きますか」(笑)

私(この人、頭がいい。やられたと思いつつ)「生徒の人気を取ろうとしないでリンとした態度の先生が品格あるのだと思います」とカッコイイことを言わされた。

2008.7.10 17:00

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道が塞がれるのには意味がある ++++++++ 所感

2008/07/09 09:12

080709(水)4時半起床●朝風呂で日経「私の履歴書」。作家の平岩弓枝・・・直木賞を受賞したお祝いに幼い頃の友人からのものがあったが名前だけ書いてあって住所がなかった。それがどういう意味なのかは読者に考えさせる余韻を残しての文章はさすが「作家」●早朝散歩でポストに。今年はやはり空がきれいな日が少ない。地球の温暖化による異常気象なのかなー。洞爺湖サミットが開かれている。

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早朝散歩。この景色の広がりはいいなー。2008.7.9 6:10

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早朝散歩。あの木の形は物語性があるなー。 2008.7.9 6:21

●昨夜はお金がなくて「行く手を塞がれた人」の相談二人。一人は両親が離婚して建築士受験のための塾に行けないといって泣かれた。別に道があると励ました。人生何事も行く手を塞がれたらそれは「神の御心」と思うことがよい。そこには必ずなにか意味があるのだ。神の深い計画があるものだ。新しい道が開かれるものだ。しかしそれはあとでわかる。「あのとき希望通りの道に行けなくてよかった」と思える日が必ず来るものだ。●だいたいお金を出せばかなえられるものというのはたいしたものではない。パウロはそういうものを「糞土」だと言っている。●今や学力はその家の経済力に比例する。なぜか。塾にいけるから。受験の特訓を受けられるから。●東大生の家庭は高収入という統計がある。当たり前だ。金を出して受験の特殊教育をさせられたからだ。特訓の調教をさせられたからである。決して頭脳が良いというわけではない。金の力の差である。その結果頭の中は雑学知識のゴミ。塵芥である。それは人を救わない●金で得られた知識は天国に入るのに役に立たない。イエスは蔵書家ではなかった。しかし貧困の経験をしたので聖書の本質がよくわかっていた。

口語訳 ピリ 3:8
3:8 わたしは、更に進んで、わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに、いっさいのものを損と思っている。キリストのゆえに、わたしはすべてを失ったが、それらのものを、ふん土のように思っている。それは、わたしがキリストを得るためであり、


新改訳 ピリ 3:8
3:8 それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、


新共同 ピリ 3:8
3:8 そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、


文語訳 ピリ 3:8
3:8 然り、我はわが主キリスト・イエスを知ることの優れたるために、凡ての物を損なりと思ひ、彼のために既に凡ての物を損せしが、之を塵芥のごとく思ふ。


塚本訳 ピリ 3:8
3:8 否、ただにそれ(らの特権)ばかりでなく、わが主キリスト・イエス(を知る)の知識が(余りにも尊く)優れているために、本当は(今は)一切合切のものを損だと思っている。(実際)彼のために何もかも損してしまったのだが、(そんなものは皆)塵芥と思っている。これはキリスト・イエスを自分の有とし、

●この「ふん土」「塵芥」はわたしに言わせればゴミや垢である。ただしこのようなものをすべて失ったパウロにして初めて言えるのである。この世の名誉や金に恵まれている人が言っても効き目はない。●教会員から給料をもらっている牧師は講壇で「さいわいなるかな貧しき者」とは説教できない。働け働け、自らの手で働け。パウロだって自分の手で稼いだではないか

●お金を出しても買えないもの。味わえないもの。それは悲しい時の涙。淋しい時の涙。人から非難されること。人から悪口を言われること。迫害されること。いじわるされること。いじめられること。思わぬ病気。望まぬ境遇。●「敵はただで教育してくれる」という言葉がある


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神は子供の不登校を利用する ++++++++ 所感

2008/07/08 09:46

080708(火)4時半起床●早朝散歩

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早朝散歩。トウモロコシが実る。間もなく街道で売り出される。五日市街道のこの辺はトウモロコシの店が多く出る。

2008.7.8 4:58

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早朝散歩。都立秋留台公園運動場。徒競争の応援の歓声が聞こえてくるようだ。2008.7.8 5:08

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早朝散歩。カブトムシやクワガタのとれる林に行った。ことしはもう時期が遅いのでいなかった。子供たちが採集した名残の木の根元。今日は採れなくてよかった。なぜか、採れたら飼わなければならないし、虫には虫の「人生」(?)があるのだからと思えたから。

2008.7.8 5:15

●早朝散歩で雨が降り出したので急いで家に戻った。

●一昨日(6日)のブログのより詳しい内容を書いて某氏に送信。内容は公的なことなので公開する。

(以下メール)

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東後勝明氏のこと。・・・子どもの不登校には意味がある

2008年7月6日 NHKTV3CH5時「こころの時代」、タイトル「いのち伝えることば」 早稲田大学教授、元NHKラジオ英語会話講師、東後勝明氏。インタビューアーはNHKアナウンサー
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放映の概略
父が早くに亡くなるが、最後の言葉は「出世するんだぞ」。その言葉を胸に秘めて克己奮励努力、高校生の時に英語力で頭角を現す。スピーチコンテストでリンカーンのゲティスバーグの演説をネイティブ以上に流暢に話して外国の審査員をうならせた。結婚しても猛勉強。家庭サービスで海水浴に行ってもそこで勉強やNHKのラジオテキストの原稿。常に家の中がピリピリしていた。まず夫人が精神的にまいった。次に英国のスクールに通っていたお嬢さんがポツリポツリと学校を休むようになった。そのとき東後勝明氏は「なぜなんだ。私の家庭のどこが悪いんだ。私に悪いところでもあるのか」と思っていた。そのうち早稲田教授会の最中に原因不明の腸の出血。そのころは「学位」を取ろうと思って猛勉中。病院のベッドに寝ている時、夫人が通っていた教会の牧師が尋ねてきて、詩篇23編を読んでくれた。すると両眼から涙がはふり落ちた。そのときはじめて神を知る。それを境に「学位なんかどうでもよい」と思うようになる。するとお嬢さんが回復。不登校発病から14年目のこと。最後は浦和東教会の様子が放映。氏がじっと眼をつぶって祈っている姿。そして言う「娘の不登校には意味があった」。お譲さんは結婚して幸福。
氏は語学者らしく次のように言う。「言葉の源流は音声、音声を発するのは声帯、声帯を震わすのは息、息の源流は命、命の元は神。ヨハネ1章1節に、『はじめに言葉があった』。とある」
東後さん万歳!。お譲様万歳!
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●浦和は私(高橋)の生まれ故郷。東後氏の家庭生活と子供への対応は私に似ているところがあって深い感銘を覚えた。(浦和は勉強や進学に熱心な地域)。不登校の子供が出た家はかなり長期間苦しむが、結局は良い家庭になる。そして川のような平安がおとずれる。

塚本訳ヘブ 12:11
12:11 あらゆる訓練(というもの)は、その当座は喜びとは見えず、かえって悲しみと見えるが、しかしあとで、それで鍛えた者に(まことの)義の実である平安を与えるのである。
新共同 ヘブ 12:11
12:11 およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。

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(以上メール終わり)

●不登校の子供が出た場合、周囲も家庭内も当の子供も99%は「あれが悪かった、誰が悪かった。おやじが悪かった」などと批判し責める。なぜか。その不可思議なことの原因を理性で納得したいからである。しかしそのように責める人間はたいていは「この世的な罪人で低級人間」。神の思いは高い。それは神がその人間や家庭や当の子供に対してより高い次元に引き上げようとする苦肉の策なのだ。これ「不登校の苦しい体験をしたことのない人には絶対にわからないこと」なのだ。「罪人たちよ勝手に想像しろ」だ。

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様々な形があるのは真理 ++++++++ 所感

2008/07/07 07:08

080707(月)4時45分起床●小雨の中を早朝散歩。●まだ新聞が来ないので朝風呂で黙想●プロテスタント教会に行ったら、牧師が聖餐式はキリストの制定したものという前提で説教したのを聞いたと言って憤慨。それに触発されてつぎのような返事のメール。さしさわりのあるところを改変して公開。私は「やわらかくなった」のか、それとも「無教会ボケ」か。

(以下メール)

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〇〇様

貴殿の憤慨と批判精神に触発されて小生は次のように黙想しました。触発感謝。批判は命の現れ。生きている証拠。

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①カトリックは「おミサ」。・・・この儀式は「見える言葉」として文化的に意味はある。特に見えないものを見える形にすることを商売にしている建築士としては良く分かる。無教会のS氏は自分の家庭集会で「聖餐式」を始めた。理由は脳性小児麻痺の子供が生まれてしまった。その子は文字も言葉も理解できない。いわんや信仰告白などできない。しかし親としては「子供がわからなくても、神の救いの秘儀を見せるだけでもしたい」というのである。無教会の某青年が「カトリックの学校をでたが、あのミサというのは自分も参加しているという気分になり気持ちがよい」という発言がをした。わかる気がする。

②プロテスタント教会は「説教」。・・・ところがこれは信者の中に「説教食い」という連中がでて、自分にピタリの説教をする牧師をあちこち点々と探し回る。そのあげく無教会の先生の「説教」(?)が気に入るとその先生が生きている間だけその集会にとどまる。これを「つまみ食い信者」という。その無教会の大先生がいなくなるとパラパラと教会に向かう。

③無教会は「聖書読み」。・・・ところが最近は無教会は聖書を読まなくなったというのがもっぱらの評判。塚本黒崎の時代の実力は失せた。「無教会に昔日の栄光はない」とはあの田川建三の批判(書物としての聖書)。原因は老齢化。組織疲労。既存教会を批判して起こった宗教団体の宿命。ここから各種バリエーションの見慣れない型が出現。音楽集会、集会の維持延命にこの世的手法を導入しようとするグループ、天下国家の断罪批判が「神への奉仕」だと履き違えているグループ。・・・・・

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以上の様々な型は人の顔形、着物の種類と思います。今更「あんたの顔おかしいんじゃない?」とは言えない。そのように生れついた理由がそれぞれにあり、そこに一長一短もある。無教会のわれわれも実は一つの顔。日本的な顔。文字が読める国民と水準の人物たちが相手。

無教会の先達の努力もその辺に位置づけられていると解します。そこに今の無教会者は遣わされる「方面」があるのだと解します。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

(以上メール終わり)

●人や集会や教会には様々の型、形があることは現実的などうしようもない動かし難い真理●かって子供の恋愛問題に悩んでいた時。某学者が私に慰めて言った「高橋さん。恋愛も真理だ」と。●「それもよし、よしよしよし」「それでいいんだ、それでいいんだ」というようになる人は大抵が老人。私も「老いた」か。

 

 

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死の悲しみと淋しさ。嘆きの河が溢れる時。 ++++++++ 所感

2008/07/06 19:44

080706(日)5時起床●NHKTV3CH「こころの時代」「いのち伝えることば」。早稲田大学教授、元NHKラジオ英語会話講師の東後勝明。娘の不登校の原因は自分が「出世」に一生懸命になっていたから。東浦和教会の牧師に救われる。クリスチャン。娘さん回復。「学位」取得が相対的になる。子供の不登校には意味がある●集会は横田、高木、高橋(死の悲しみと淋しさ。それは嘆きの河が溢れるとき)。その骨子は次の通り。

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  死の悲しみや淋しさの現実。それは嘆きの河があふれる時。

  人間は死の悲しみや淋しさをどのように克服しようとしているのか。

  天からの力、全く別次元からの救い。救いは向こうから来る。外からの光。

  有体的復活の信仰が定着させられた事件。

  死の悲しみと淋しさ。・・・有体的復活の「使徒伝承」を信じる道がある。

  死とは神が出迎えに来てくださること。キリスト教では「召される」という。

  死は眠り。終末、再臨の日に神の力で有体的に復活させられる。

  山口喜代子さん追悼。墓から呼び起こされる復活の朝「また会う日ま

 で」

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●上記の⑤の部分を次に掲げる。

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⑤ 死の悲しみと淋しさ。

            ・・・有体的復活の「使徒伝承」を信じる道がある。

有体的復活という「いわゆる史実ではない」不思議な出来事の使徒伝承が信仰と理性の安息。落ち着く場所はどこにあるか。カトリックの「おミサ」、プロテスタント教会の「説教」、無教会主義は聖書の「読み」。信者の集まりはいずれもその中核に有体的復活の「使徒伝承」がなければ落ち着けないことになっている。餅屋には餅が売っていなければならないが餅を売っていないおかしな餅屋がある。無教会が聖書それ自身を読まなくなった原因は偶像礼拝と俗化現象。無教会主義でも「使徒伝承」の行為は可能。使徒伝承は「個人」に宿る。「使徒伝承」は組織、教会、集会、信条には宿らない。「救われる者は少ないか」の質問に対すイエスのチグハグな返答の謎。救いは神の主権にある。だから求めよ、門を叩け。(もしかしたら)開けてもらえるかもしれない。この千古不滅の巨大な真理を真面目に求道してみるだけの値打はある。何を大切に思って生きるか。「信仰・希望・愛」。人間にとって「希望」ということは大切。「有体的復活」の希望、それは人間にとって最高の希望。

塚本訳 ルカ 13:23-24

13:23 するとある人が「主よ、救われる者は少ないでしょうか」と尋ねた。人々に言われた、

13:24 「全力を尽くして(今すぐ)狭い戸口から入りなさい。あなた達に言う、(あとになって)入ろうとしても、入れない者が多いのだから。

 

●矢内原忠雄の質問「自分の親は救われますか」。内村鑑三「さーわからない。しかし祈ってみたまえ」。これイエスの答えと同じ。

 

文語訳 Ⅰコリ13:13
13:13
げに信仰と希望と愛と此の三つの者は限りなく存らん、而して其のうち最も大なるは愛なり、

●有限なる人間の悲しみに対する神の福音は、過去の罪の購いと有体的復活の希望

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●真夏日。●妻は合唱の練習、2か所。フォーレ「レクイエム」、モーツァルト「レクイエム」。

 

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イエスの有体的復活は「見える言葉」 ++++++++ 所感

2008/07/05 13:31

080705(土)5時起床。●朝風呂で日経「私の履歴書」。作家の平岩弓枝.文学少女の萌芽。●早朝散歩でラジオ体操。

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早朝散歩。ケーン、ケーンと鳴くので、その方を見ると。雉(きじ)。写真中央の黒い鳥。近寄ると逃げ足が速い。雉を飼う人はいないなー。なぜだろう。雉は何を食べて生きているのだろう。雉は空を長く飛べないようだ。 2008.7.5 6:50

●明日の感話の準備。「聖書にイエスの有体的復活という不思議な出来事の記事があることは来世がありうることの希望を与えてくれる」「有体的復活は希望である。聖書はその希望を与えてくれる」。●イエスの有体的復活は神の発した「見える言葉」●K氏が土地購入の価格交渉にはいるというのでアドバイスをした。御心のままに。御心のままに●市場価格は「決まる所できまる」●昼、32度。真夏の暑さだ。私は夏に弱い。●人生は出会いと別れ。残念ではあるが人生には別れというのがあるものだ。縁がなかったということだ。離れていく人の幸福を祈る。うまくいかない人の将来を祈る●大田修氏と復活論、内村論の電話。●K氏夫人と土地価格論、建築論。●黒崎註解デジタル化プロジェクト、ネストレの引照マタイ13章インプット。習熟してくると早くなる。●妻は釘本京子さんの命日(昨年召天)のために釘本寛子さんに花を届けた。

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どう祈るべきかわからない苦しい時 ++++++++ 所感

2008/07/04 05:50

080704(金)4時半目覚め。出勤日●雷鳴と強い雨。朝のひらめき。「どう祈るべきかわからない苦しい時」。

口語訳 ロマ 8:26
8:26 御霊もまた同じように、弱いわたしを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。


文語訳 ロマ 8:26
8:26 斯くのごとく御靈も我らの弱を助けたまふ。我らは如何に祈るべきかを知らざれども、御靈みづから言ひ難き歎きをもて執成し給ふ。


新改訳 ロマ 8:26
8:26 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。


新共同 ロマ 8:26
8:26 同様に、"霊"も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、"霊"自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。


塚本訳ロマ 8:26
8:26 しかし(創造物やわたし達神の子が苦しんでいると)同じように、御霊も、弱いわたし達を助けてくださる。すなわち、(神のみ心にかなうには)どう何を祈るべきかわからないので、御霊自身が、無言の呻きをもって(わたし達の祈りを神に)執り成してくださるのである。

●呻きは祈りそのものである。言葉に出せなくてよい。次の塚本訳の「禍なる哉」のルビは「ウワイ」となっているのが印象的。

塚本訳 黙  18:16
18:16 言うであろう、『禍なる哉(ウワイ)、禍なる哉(ウワイ)、大なる都、細布と紫と緋の衣を着、金と宝石と真珠とにて(身を)飾っている者、

●次のひらめき。「福音は様々な形で吹き出てくる。湧きあがってくるものだ」。それがもし残念ながら少し奇形であっても批判するのはやめよう。

●メール2本。少し改変して公開。はじめは土地取引の交渉に当たっている某氏に。

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○〇様

昨夜の電話の続きです。

「相場」とは市場経済の指標で大切なことです。私の会社はその建設分野の調査会社です。相場は「神の手」です。

土地の相場は「取引事例」として公的に記録されていて、不動産鑑定士などはそれ(付近の取引事例)をもとに土地の値段を査定します。先方さんが相場を調べ専門家を立てるというのは理にかなっています。

しかしそれはあくまで「相場」。あくまで現実的な一対一の力関係で個々の値段が決定されます。そういうことが集積されてまた新たな相場が形成されます。交渉による価格の決定の背後には個々人の心に現在の景気や先行きの見通しなどの思い入れが含まれるので、市場経済の指標となるのです。それは様々な職業領域の事情のぶつかり会いです。銀座4丁目の鳩居堂前の土地の値段は坪約1億円(ちなみに私の土地は約50万円)。しかし人間はお金があってもシアワセではないようです。「幸いなるかな。貧しきもの」ですね。値段交渉は御心のままに、御心のままに。負けるが勝ち。相手の立場も考えよう。勝ったと思ったらいつかやられる。負けた場合はいつか神が補填してくださる。モノは高いと思えば高い。安いと思えば安い。個々人のコスト対効果の考え。今回の場合、神はもう値段を決めている!!。何事も感謝して頂こう。

今朝は雷が鳴って大雨です。そちらもこうならいいなーと思って書いています。

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●次は国外の人。電話線(インターネット)が回復したお知らせに対する返事。

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○〇様

回復感謝。神の福音は父の子に対する関係の回復だと思いました。何事も回復は喜びです。

それにしても日本のNTTは優秀なのだなーと思いました。

また、建築では東京の職人と地方の職人では「スピード」に差があります。

東京本社の現場監督が地方に転勤になると「職人」ののろさにイライラします。

しかし、それもそれ。東京にはないよさがあります。建築は急いで作らなくてよい。

プレハブ住宅の工期は60日。ありがたさがありません。建築主はそんなに早く作ってくれることを望んではいません。

工期の短縮は建設会社自身の経費削減の理由からです。建築主はもっと工期がかかってもよいからじっくり確かなものを作ってくれと思うのです。

 

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●16:00、勤務先の関口顧問と真澄建築設計社の細井真澄君を夏の挨拶に訪問。●3人で私の来年3月の定年後の身の振り方について懇談。私が㈱高橋建築研究所を設立して業務提携設計事務所を周りに複数つけて協力体制を敷けばうまくいくということになった。●帰宅してから妻に話すと、「生活は貧しくともいいから、あなたは福音一途に生きてほしい」という。●はてどうすべきか。生涯「建築士」で生き抜きたい。それが無教会者らしい生き方だが。

 

 

 

 

 


 

 

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山口さん、さようなら。また会う日まで。 ++++++++ 所感

2008/07/03 19:45

080703(木)山口喜代子さんの葬儀のために妻と6時半出発。●千葉県の京成八柱下車セレモニーホール江戸川会館で山口喜代子さんの告別式。仏式。集会から10名参列。●御兄弟がないため御両親の眠られる新宿の西光庵(尼寺)に埋骨されることをご希望。●葬儀は仏式。そこで6日の集会の感話で「山口喜代子さんを追悼する」と題して話す。その骨子は次の通り。

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 山口喜代子さん追悼。「また会う日まで」

 

山口さんの人生。幼き日にお父上(針ヶ谷姓)と死別(結核)。お母上は喜代子さんを連れて群馬県の実家に戻る。御母堂の御苦労、林野庁善福寺寮の寮母。寮生から母娘共に慕われた。弔辞は寮生。住宅公団勤務。旅行好き。私たちと聖地旅行。2007年8月に癌の宣告(5段階のうちの第4段階)。最後まで聖書勉強。御兄弟がないため、ご両親の眠るお寺(新宿、西光庵)に埋骨されることを希望。2008年7月1日午前0時30分、平安のうちに召される。葬儀の問題。仏教の偉さ。その伝統の強さ。キリスト教は罪の赦しと有体的復活が本質。福音が異教の日本に定着するのには300年はかかるか。

 

口語訳 詩  103:3-5

103:3 主はあなたのすべての不義をゆるし、あなたのすべての病をいやし、

103:4 あなたのいのちを墓からあがないいだし、いつくしみと、あわれみとをあなたにこうむらせ、

103:5 あなたの生きながらえるかぎり、良き物をもってあなたを飽き足らせられる。こうしてあなたは若返って、わしのように新たになる。

 

山口さん!、復活の朝に「また会う日まで」さようなら。

死は一時の眠りです。私たちの希望は「有体的復活」にあります。

 

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山口喜代子告別式。2008.7.3 9;00 看板の前はトミ子

セレモニーホール江戸川会館、京成八柱

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山口喜代子遺影。復活の朝に「また会う日まで」さようなら。

死は一時の眠りです。私たちの希望は「有体的復活」にあります。

 



 

 

 

 

 

 

 

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建設業界は大海に浮かぶクラゲ ++++++++ 所感

2008/07/02 06:59

080702(水)4時20分起床。朝の啓示「悪い遊び人とは付き合うな」●同窓のT君(建設会社社長)がNHKTV,BSの深夜番組に出演するから「見ろ」と連絡があったので、ビデオに撮っておいたものを今朝見た。その感想を以下のように書いて送信。一部改変で公開。

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T様

昨夜ビデオを撮っておいたものを、今朝拝見しました。経済のシワヨセが景気に敏感な建設業界に来ていることをNHKは的確にとらえていました。景気の悪化で建設業界の経営は悪化の下降線をたどっているものの、T君の頭の平地部分は上昇中。これをどう考えたらよいのか。経営者の苦悩は頭の平地面積の拡大現象となって現れると考察、御苦労のほどお察しいたしました。私としては景気は必ず回復し、落ち着く、特に建設業は経済という大海に浮かぶクラゲのようなもので、波間にプカリプカリと浮いているようなもの。ここしばらくの我慢と解します。今回の荒波は30年以上前のオイルショックの時の「スライド条項」(註・・経済の激変があれば請負金額を変更できるという決まり)の適用までには至らないと思います。今しばしの忍耐と思います。それまでは贅沢はしないで「しのぐ」必要があると解します。第一、景気悪いと言いながらあんなバリッとした背広を着ていては建築主に値上げにお願いに行っても気持ちが通じません。建築現場でT君が撮影される場面は、恩師のI先生がそうであったようにヨレヨレの作業着でなければならなかったんだがなーと感じました。T君とこの年齢でこのような話ができることを喜びに思います。人生、もう少し、お互いに健康に留意してまいりましょう。このたびはお知らせありがとうございました。

 

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●高校生の時、T君はトルストイの「戦争と平和」、私は「復活」を読んでいた。時はめぐって現在私はトルストイの精神を校訓とする「昭和女子大」の講師、T君の会社はその近くにある。不思議な縁である。

 

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