to 日記と感想 2008年08月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170812(土)14:00お江戸こらりあーず演奏会、文京シビックホール
    170821(土)15:00お江戸コラリアーズ定期演奏会、文京公会堂
    170809     TW誕生日
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170708(土)14:00在宅医療説明会(キララホール)
    170707(金)10:00池谷医院
    170706      TM誕生日
    170702(日) 集会感話
    170701      TT誕生日
    170630(金)12:20キララホールエントランスコンサート
    170628      IY誕生日
    170627(火)11:00 能城牧師来訪
    170625)日)10:10トミ子集会感話
    170625(日)14:00茅ヶ崎金子邸
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール
    170610(土)14:00内村鑑三セミナー、立教大学12号館。矢田部、椚」山
    170609(金)   TS命日
    170608(木)12:15ボリショイ「白鳥の湖」、東京文化会館
    170707(水)10:00池谷医院
    170604(日)10:00集会感話、
    170604(日)16:30近藤恵邸起工式、福島市。
    170530(火)14:00田岡氏来訪
    170527(土)14:00今井館ピアノコンサート
    170521(日)14:00新宿フィル、ブラームス1番、レスピーギ「鳥」「ローマの松」。和田睦夫
    170425       TN)誕生日
    150420(木)09:30阿伎留センター泌尿器科)
    170416(日)14:00武蔵野室内合奏団、杉並公会堂(大坪満子)


妻と二人で礼拝をする ++++++++ 所感

2008/08/31 13:28

080831(日)5時起床●早朝散歩。●集会が夏休みなので妻と二人で家庭礼拝。讃美歌「みめぐみゆたけき主の手に引かれて」。マタイ11章の各種訳朗読。用意したもの文語、塚本、武藤、フランシスコ会、口語、共同訳、新共同訳、田川(最新版)、以上朗読。準備したが時間切れで朗読しなかったもの、新改訳、岩波、講談社[田川)、前田、。各種訳の背景を解説。最後の讃美歌は「あまつましみず」。子供、孫、親戚の上に神の祝福があるように祈った。●イエスは弟子たちに「天国は近づいた」と伝えるように遣わしたが「何を伝えるために派遣したのか」分からずにいたが、黒崎の註解で「メシアが顕れた」ということを宣伝するちょうに使わされたのだと理解。黒崎註解のありがたさを感じた●ではそのメシアは何をしたか、「病気を治し、死人をよみがえらせた。そして罪を許した」。このことがメシア到来の徴。むずかしい信仰の論理ではなかった。●一昨日購入した田川建三訳註の「マタイ・マルコ」の註は実に面白い。まるでK-1の格闘技かシャモの喧嘩を見るようだ。興奮する。岩波の佐藤訳がめちゃくちゃにやられている。世にはこの格闘技レスラーのファンがいる、しかもそれが牧師たちだというのだから滑稽だ。腰抜け牧師だ。●素人は聖書を「聖書学者たちの手」から奪還しなければならない。素朴、単純な正統信仰が基本。聖書の出来事はそのまま起こったのだと信ずること。十字架、復活、再臨。これをまともに信じられる素人は幸いだ。●聖書学者の仲間になると、「聖書学会の趨勢」を問題にしなければならない。素人の信仰は聖書学会の趨勢に左右されてはならない。「聖書学会の趨勢など知らない!」と言わなければならない。それには固く「有体的復活」を信じる者でなければならない●妻は昼から二つの合唱団の練習。はじめはフォーレ「レクイエム」。次はモーツァルト「レクイエム」。●頭が疲れたので、夕方散歩に出る。

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夕方散歩の開始。あーきれいな夏の雲。この道は出勤するときの道。定年まであと7カ月。いやいや、先輩に言われた「クリスチャンに定年なし。定年制度は営利企業が勝手に定めているもの」。そうだ。知人のN氏は退職のあいさつで「さーこれからだ」と言って地方に去って行った。今では収入は少ないが幸福そうな日々である。

 2008.8.31 15:47

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夕方散歩。なかなか良い設計。これを都市型住宅tろ言う。力を入れたデザインだ。

2008.8.31 15:47

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夕方散歩。都市型住宅にはこういうコートハウスというものがあるが、これは全くの都心にたてるのならよいが、あきる野市には合わない。せっかくの景色が見えない。惜しい。 2008.8.31 16:08

 

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夕方散歩。これはいい。正統派住宅。日本人にしっくりする。落ち着く。住人の気品を感じる。

2008.8.31 

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夕方散歩の終わり。我が家。自惚れだが、やはり自分の家が最高だ。家を建てるときはその町でナンバーワンの家を目指さなければならない。完全に満足の家を建てなければならない。そう何度も建てられるものではない。この家は某建築士の批評ではあきる野市でベスト2のものの一とされた。満足。

2008.3.31 16:11

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井戸に落ちた息子を救え ++++++++ 所感

2008/08/30 07:41

080830(土)5時半起床。朝のひらめき。「井戸に落ちた息子を救え」

塚本訳 ルカ 14:3-5
14:3 イエスは自分の方から律法学者やパリサイ人たちに向かって口を切られた。「安息日に病気をなおすことは正しいか、正しくないか。」
14:4 彼らが黙っていると、その人(の手)をつかんで、病気を直してお帰しになった。
14:5 そして彼らに言われた、「あなた達のうちには、息子か牛かが井戸に落ちたとき、安息の日だからとてじきに引き上げてやらない者がだれかあるだろうか。」

●これは神がイエスをこの世に遣わした動機。サルベーションの精神。神は天からイエスという命綱をおろしたのだ。●問題は井戸の底の暗い所にいることが「楽しい」と思っている人がいることだ。その人は命綱をつかまない。「つかまれ」と説得するのは無理。本人が綱を掴む気が起きなければならない。●早朝散歩で自然を見ながら、昨日の3人の団論を思い出した。

島先(聖書協会翻訳部)「有体的復活はどのように説明できるか」

高橋「それは植物の譬が一番適している。イエスもパウロもそうした。内村鑑三が『復活がわかるのは神学者でなく農業者である』と言っている。復活は大脳皮質の勉強ではわからない」

池田裕「筑波大学で講義に出かけるときは途中で見る植物の生長がヒントになって、その日の講義の結論はそこに持っていった」

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早朝散歩。芙蓉。我が家に今年も芙蓉が咲いた。我が家で咲き、我が家で死ぬ。何ともいとおしいではないか。

2008.8.30 6:58 

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早朝散歩。カラス。身体を上下させて鳴いている。その全身全霊の一生懸命さに打たれる。誰も聴いてなくても、誰に理解されなくても一生懸命鳴いている。私の公開ブログも同じだ。 2008.8.30 6:58

●昨日購入した小林稔著「ヨハネ福音書のイエス」(岩波書店)。聖書の註解かと思ったら、著者の思想。つまらない。これでは水で薄めた牛乳だ。聖書の本文の註解ではないからつまらない。著者はイエズス会神父。キリスト教を職業にするからこうなる。聖書そのものは濃い牛乳。かじるのには固い食物。でもそこに味がある。

新共同 ヘブ 5:12
5:12 実際、あなたがたは今ではもう教師となっているはずなのに、再びだれかに神の言葉の初歩を教えてもらわねばならず、また、固い食物の代わりに、乳を必要とする始末だからです。

●まてまて、無教会でも聖書本文の勉強をしないで、それを説く先生の思想(それも天下国家断罪の政治思想)ばかりに心酔している。それは水で薄めた牛乳、分かりやすいが栄養がない。その結果どうなるか、栄養失調で成長しない。

●昨日購入した田川健三訳著「新約聖書マタイ・マルコ」。わが国聖書学の最高水準を示すもの。本格的なもの。ただし全824ページのうち註が700ページで85%。とても付き合ってはいられない。註は建築工事で言えば「足場」。この本は足場を外さないでそのまま建築主に引き渡すようなもの。新約聖書学者たちの仲間内の世界のいとなみ。足場である「註」を読んで初めて分かるようなことは大したことではない。「神は愛なり」「貧しき者は幸いなり」「一粒の麦死なずば」などの深いところはなまじの聖書学者の「註」ではわからない。なぜか。聖書の深いところは啓示で分かるのだから。第一、人生号泣もせず、聖書でメシを食っているような人間の「註」は役に立たない。栄養がない。頭でっかちになるだけだ。

新共同 Ⅱテモ3:14-17
3:14 だがあなたは、自分が学んで確信したことから離れてはなりません。あなたは、それをだれから学んだかを知っており、
3:15 また、自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。
3:16
聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。
3:17 こうして、神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられるのです。

●ポストに行く途中。入道雲(積乱雲)を見た。8年前の8月1日、脳内出血の病が癒えて一か月振りに退院した。その時大好きな入道雲を見て「あぁ、生きて帰れた」と思った。●入院の時、救急車の中で叫んだこと「(死にたくないよー)まだ子供がいるんだよー」。●100%神の力で生還させられた。これ信仰の根拠。

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入道雲を見ると、8年前に脳内出血の病が癒されて退院した時に見たことを思い出す。あのときは「あー、生きて帰れた」と思ったものだ。感謝感謝。あの積乱雲というのは高さ10キロメートルもあるそうだ。積乱雲を見るたびに神の力で生還させられた感謝の念が湧く。私はあの時一度死んだのだ。残りはお礼奉公だ。

2008.8.3016:17

 

 

 


 

 

 

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人生の雷雨と稲妻、そして平安 ++++++++ 所感

2008/08/29 06:27

080829(金)3時目覚め、起床。昨夜は8時35分就寝だから、6時間以上寝て十分。●昨夜の数時間は雷鳴と豪雨がひどかった。落雷のたびごとに地響きがした。こんなことは初めてだ。稲妻の時に窓がぱっと明るくなるのでそのたびに目が覚めた。●朝になって雨がやんだ。早朝散歩。

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早朝散歩。雷雨の夜が去り、静かな朝になった。奥多摩連山が雲の上に見える。2008.8.29 5:32

●ベートーヴェンの交響曲第6番の第4楽章は「嵐」、第5楽章は「嵐のあとの感謝」。このメロディー大好き。●ヴェートーヴェンの苦難は度重なる失恋、そして失聴。自殺を図った。ウィーンでそのデスマスクを見て胸がつまった。解剖のため耳がとられていた。

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早朝散歩。雷雨の夜が去って秋の空。平安な朝。2008.8.29 5:37

聖句二つ。

塚本訳 ヘブ 12:11
12:11 あらゆる訓練(というもの)は、その当座は喜びとは見えず、かえって悲しみと見えるが、しかしあとで、それで鍛えた者に(まことの)義の実である平安を与えるのである。


口語訳 詩  126:5-6
126:5 涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。
126:6 種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。

●人生にも雷雨の時がある。激しい雨、土砂降りの雨でずぶぬれの人生、みじめなワタシ。その雷は神の怒り、激怒。落雷は神の鉄槌。地響きは神による覚醒の揺さぶり。しかしその真っ暗な人生の時に稲妻が走る。神の啓示。雷雨には意味がある。しかしあとで分かる。ヒルティは言う。人生の苦難は神がその人の背中を耕すことなのだと。また「清めるために滓を吹き払うため」だとも言っている。ナルホド私の場合の苦難は「人には見えないが神には見えている罪」が問題にされたのだ。●人生の雷雨は必ずどんな人にも来る。来ない人はいない。外から見て「幸福そうだなー」と思える家庭にも何かしら「とげ」がある。そのとげは人にはわからない。パウロにもあった。パウロは神に言われた「わが恵み、汝に足れり」と。●人生には必ず雷雨があるが、それは必ずやむ。その時は平安、川のような平安がおとずれる。これ私の経験。

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早朝散歩。昨夜の豪雨で水溜まり。涙の水溜り。そこに秋の空が映る。 2008.8.29 5:42

●この水溜まりは人生の涙のようだ。涙にきれいな空が映っているいる。得体のしれない苦しみ、人生は不条理だと思うとき、「何でこの真面目な俺に」と思うような不可解な苦難。苦難の渦中ではその意味は分からない。しかし嵐が過ぎれば平安。神の愛きり見えなくなる。●一度ならず「号泣」しなければ人生はわからない。神の愛が見えない。●山野楽器(ヘンデルの「ジョージ2世戴冠式アンセム」をゲット)、教文館(小林稔「ヨハネ福音書のイエス」田川建三「訳著「新約聖書・マタイ、マルコ)、聖書図書館(島先氏、池田裕先生)・・・・今月の小遣いがすっ飛んだ●聖書図書館で池田先生と聖書協会翻訳部の島先氏と懇談。スコポス理論など。

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旧約の泰斗、池田裕先生(元筑波大学教授。筑波大学で恵がお世話になった)と。銀座の聖書図書館にて。撮影は聖書協会翻訳部の島先克臣氏。2008.829 13:41

聖書翻訳のスコポス理論を一言で言えば「人の顔を見て法を説け」ということだということで一致。

聖書協会翻訳部の島先氏からは、有体的復活(当たり前だが)を学問的歴史的に強力に主張している学者にN.T.Wright(英国、聖公会)がいること。彼の著に

Resurrection of the Son of God (2003 Fortress Press)があることを教えられた。二人で有体的復活を確認しおわったとき、島先氏は非常に大きな声で「アーメン」と言い、私の手を握った。万歳と思った。

 

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一番美しい言葉、「主にありて」。 ++++++++ 所感

2008/08/28 05:28

080828(木)4時20分起床。朝の啓示、「主にありて」●過日来訪された能城一郎牧師(Jバイブル開発者)から伺った話。●推定使用者1万人の「Jバイブル」には様々な質問が寄せられる。非常に難しい質問でも最後に「主にありて」と書くと通じやすい・・・ということ●これは私も同感。「主にありて」という言葉は人生で最も美しくかつ「気高く、尊く、喜ばしい」ものである。今朝はこの言葉について聖書を黙想してみる。●まず、頭の中に記憶されているもの。コンコルダンスやTSKやJバイブルに頼らないで記憶から呼び出してみる。聖書は自分の記憶の中から連鎖して読むのが一番よい。

文語訳Ⅰコリ15:58
15:58 然れば我が愛する兄弟よ、確くして搖くことなく、常に勵みて主の事を務めよ、汝等その勞の、主にありて空しからぬを知ればなり。

●空しくない仕事、無駄にならない仕事は「主にありて」する仕事。しかしそれはキリスト教の冠のつく仕事、キリストの名を標榜する仕事ではない。キリストの名において、「天下国家」を断罪することではない。最近は「無教会」の名において「天下国家」の悪を断罪する雑誌が出ている。これなどはキリストや「無教会」の顔に泥を塗っていることである。●人が「主にありて」生きる時、その技は「世に隠れる」。その業績は棺桶の蓋を閉じられてから気づかれる。(バッハのマタイ受難曲はは死後100年、シューベルトの「未完成」も死後に世に気づかれた)、しかし「主にありて」する仕事は生前にも栄える。なぜか。人が相手ではなく、主が相手だから「手抜き工事」はできないから。スイスの時計技術が世界一である原因、宗教改革で追われた「ユグノー派」の信者はスイスの山中に逃げた。彼らには「時計職人」が多かった。それが今日の「スイスの時計産業」の基礎を気づいた。「主にありて」仕事をした結果である。世界はその基礎である信仰を学ばずして、手先の技術だけを学んだ。猿真似、応用が利かない。神に祝福されない。「ハナサカjジジイ」の話の「イジワルジジイ」と同じ。

文語訳  黙  14:13
14:13 我また天より聲ありて『書き記せ「今よりのち主にありて死ぬる死人は幸福なり」御靈も言ひたまふ「然り、彼等はその勞役を止めて息まん。その業これに隨ふなり」』と言ふを聞けり。


塚本訳  黙  14:13
14:13 また私は天から声が(こう)言うのを聞いた、「書け、『今から後主にあって死ぬる死人は幸福である。』」御霊も言い給う、「然り、彼らはその労苦を休息む(ことが出来る)であろう。その(為した)業が彼らに随いて行くのであるから!」と。

●「死に方の理想」は「健康で長生きの大往生」であってはならない。それは人間としてつまらないことだ。レベルの低いことだ。人生は短くても長くても「主にありて」パッと散ることが美しいのだ。なぜか。終わりの時の「「有体的復活」を望み見て「喜んで」死ぬことができるからだ。その上、このヨハネ黙示録の著差は言う。「その(為した)業が彼らに随いて行くのであるから!」と。●これはまた尊いことではないか。死んだ後にその業績が讃えられるとは。これ生きているうちには人間どもの世界では評価されない、「死んだあとに評価される」ということだ。その人の人生に襲ってきた「不可解な苦難」の意味、「不条理」の意味もあとで分かるのだ。生きているうち襲ってくる思わざる苦難は本人も家族も周囲もいわんや世間もその「不可思議な不条理な苦難」の意味はわからないものだ。

●ここまで書いて夜が明けた。あー今日も「生きること」を赦された。感謝。「主にありて」「主のために」尽くそう。5:30

●NGO法人「ペシャワール会」(中村哲会長、我が家もささやかな援助者)の伊藤和也氏がアフガニスタンで殺害された。政治的抗争に巻きこまれたのが原因●人の死に方には様々あるが政治的抗争での死は何とも空しい。最も尊く心打たれるのは「誤解されて」殺されること。●自分の救いを心から祈ってくれている人を殺したとき、それが相手の真意が殺した後になって分かるとき。人間にとってその時が一番胸が張り裂けるときだ。●イエスは十字架に付けられた時「父よ彼らを赦し給え」と祈った。神は天で今でもその祈りをしている。「赦し給え。彼等は何をしているのかわからずにいるのです」と。●宗教家がイエスの人気を妬み、また自己の職業宗教家としての地位が危うくなるのを危険に感じて邪魔者イエスを殺害した。これは「神殺し」である。理由は簡単、自分たちが職業宗教家として「食べられなく」なるからある。●「祈りの友」会員の星野利男さん(全盲)をお見舞いしようと一昨日から何度も電話をしても出ないので、行ってみたが、おられない。ご出勤のお嬢様に置き手紙をして帰ってきた、

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妻と星野利男さんをおたずねするがおられなかった。どうされたのだろう。心配。

2008.8.28 14:16

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妻と星野利男さんをお尋ねしたした帰途、激しい豪雨でびしょぬれになった。秋川は温度差で湯気が立っていた。 2008.8.28   14:26

●「黒崎幸吉新約聖書註解デジタル化プロジェクト」に取り組んでいるが、本日高橋三郎先生の著作集の中に同書について言及されているのを読んだ。1970年黒崎幸吉惜別会の席上での「惜別のことば」である。以下に記す。

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  黒崎幸吉「惜別会」、高橋三郎の惜別の言葉 抜粋

 

キリスト新聞の社説欄において、武藤富男氏(キリスト新聞社社長、教文館会長・・・高橋照男)はすでに20年前に、

「黒崎幸吉こそ文化勲章を受けるにふさわしき人物である。その聖書学における業績は著しきものがあり、聖書の研究を通して日本文化に貢献したことは、他の分野における幾多人士の貢献よりも、質的に価値高きものがある」

と主張された由である。同氏はさらに言う、

「聖書に関する黒崎の著作はあまたあるが,『註解新約聖書』十巻は、古今の名著である。新約聖書の註解書はプロテスタント渡来以来、日本にも多く出版されたが、黒崎のものほど総合的で行き届いたものは存在しない。個々の章句の逐語解において、要義において、一語一句もゆるがせにせず、その上に指をおき、手を当て、初心者にわかるように解説し、要義において聖書神学に基づくすぐれた見解を示している。

しかも参考書として、古今の名著を渉猟し、英独米の大学者の文献を研究し、その博学深遠なるものを内に蔵しつつ、これを平明に表現し、つねに聖書神学の正統的学説に立って釈義を施しているのである。

この「註解新約聖書」は昭和3年マタイ伝発行以来、現在にいたるまで42年を経ており、半世紀に近い間、それが信徒・求道者の霊眼を開き、その信仰をつちかったことは多大なものがある。その内容は西欧の名だたる諸註解書に比するも決して遜色なく、むしろこれよりすぐれた点が多く見出され、新約聖書思想の日本文化への浸透、聖書思想の土着化、福音の伝播に資するところ絶大であったし、今後もしかりと言いうるのである。(以下略)」(「キリスト新聞)1970年6月20日号」

 黒崎幸吉先生の業績の偉大さを、このように絶賛する人物が、教会の中におられるということも、まことに深き摂理のなすところと思わざるを得ない。そして事実、先生の残して行かれた多くの著作は、今後も永くそののりを生みだし続けるであろうが・・・・・

・・・・(中略)・・・・

先生は晩年白内障になられました。あのこまかい活字のぎっしりつまっている『註解新約聖書』十巻、そのほか『旧約略註』三巻、、『新約略註』一巻、合計十四巻にものぼる、あのこまかい仕事をなさって、白内障になるのは当たり前だ、と山田孝三郎先生が言われましたが、黒崎先生の命を奪ったものは、あの烈しい勉強だけではありませんでした。(以下略)

 

(『十字架の言』1970年8月号所載)

高橋三郎著作集11 わが師・わが友 P112-123

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●ここで言われている「古今の名著」が絶版になるというので、これを半永久的に後世に残そうとするプロジェクトである。完成したらインターネットで全世界に向けて無料で公開する。シドニー+福島+東京のスタッフが完成まで(7~10年)健康が守られるように祈る。

●最近はよく夕食後二人とも食卓で寝込むことがある。話しかけようと思うと眠っている。いつかは話しかけても起きない日が来るのだろうか。それはあまりにむごい、さびしい事ではないか。マテマテ。有体的復活だ。それなくしてこの短い人生はあまりに悲しい、むごいことではないか。

 

 







 

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なりふり構わずの気持ちになること ++++++++ 所感

2008/08/27 09:43

080827(水)4時20分起床。朝のひらめき。聖句二つ。

●1コリ15:58、。主にあって、が重要。塚本訳の「骨折り」もぐっとくる

口語訳 Ⅰコリ15:58
15:58 だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。


文語訳 Ⅰコリ15:58
15:58 然れば我が愛する兄弟よ、確くして搖くことなく、常に勵みて主の事を務めよ、汝等その勞の、主にありて空しからぬを知ればなり。


新共同 Ⅰコリ15:58
15:58 わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。


塚本訳Ⅰコリ15:58
15:58 だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ。骨折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから。


新改訳 Ⅰコリ15:58
15:58 ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。

●マタイ22:37。これは心一杯、全力を尽くすということである。

文語訳 マタ 22:37
22:37 イエス言ひ給ふ『なんぢ心を盡し、精神を盡し、思を盡して主なる汝の神を愛すべし」


口語訳 マタ 22:37
22:37 イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。


新改訳 マタ 22:37
22:37 そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』


新共同 マタ 22:37
22:37 イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』


塚本訳マタ 22:37
22:37 イエスは言われた、「『心のかぎり、精神のかぎり、』思いの『かぎり、あなたの神なる主を愛せよ。』

●この2か所に共通でかつ連想する箇所がある。それは次の通り。

新改訳 詩  84:2
84:2 私のたましいは、主の大庭を恋い慕って絶え入るばかりです。私の心も、身も、生ける神に喜びの歌を歌います。

新共同 Ⅱサム6:14
6:14 主の御前でダビデは力のかぎり踊った。彼は麻のエフォドを着けていた。

●人間は人生で一度は「なりふり構わずあることに狂うように打ち込むものがなければならない。一回限りの人生だ。●「一生懸命になれるものがあればそれはなんでもいい」というのが今日の無神論の学校教育者。●低級なのは金、物欲。次にまずいものは「人間」、これが問題。異性であったり、信仰の先生であったり、少し高度になるのは思想、主義主張、地上の平和、真理、しかしこれは99%が自分の「腹」を拝んでいる。最高に高度なことは、「神」。その福音、使徒伝承。なぜか。それが一番心が満足するから。人のためになることだから。●政治的主張に身をささげることほど馬鹿らしいことはない。なぜか、圧迫された人を解放しようというのがその主張。物欲の満足が解放と思っている。しかしそれは真に人間を解放しない。人間はいつまでも罪の奴隷。

新共同 ヨハ 8:34
8:34 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。

●「人間」を伝道するのも効果がない。無教会が先生を伝承することが福音の伝承だと思っているが大間違い。どんなに素晴らしい先生でも鼻から息する人間に救いの力はない。神の霊に救いがあるのであって、先生の思想信仰に救いはない。これの誤解が今日の無教会の衰退の原因である。●自分を救いに導いてくれた信仰の師を愛して尊重するのはよいが、その先生の「人間」を伝承してはまずい。●先生を語りつつ先生が目指したものを伝承するというのは詭弁。●しかし、こういうことを言っても「私はこの先生を慕います」という感情を壊すわけにはいかない。その仲を裂くことはことはできない。恋愛関係の男女の仲を裂くのと同じく困難。目が覚めるか、老齢化によっての死を待つより方法がない。「師の美しい思い出を抱いて死ぬのも結構」だが、あとが続かない。なぜか。あらぬものを拝んでいるからである

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図書館の帰途。故郷浦和の林に似ている。2008.8.27 11:50

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図書館の帰途、都立秋留台公園。セミだ。近寄っても逃げない。あの透明な羽。なんていうセミだったけなー。小さい頃だっらすぐわかったのに。モー忘れた。   2008.8.27 11:56

●NHKFMでエジプト考古学者の吉村作治氏の話。一回の発掘踏査の費用は2億円。その全部に自費を投入。「古代への情熱」のシュリーマンに似ている。このように一つのことに「なりふり構わず」一生懸命になれる人は幸いだ。吉村氏は借家住まい。全身全霊をエジプト考古学に捧げている●しかし誰でもこのようなことはできない●誰でも出来る喜び。真理への共鳴の喜び。それは福音の真理、有体的復活で胸が熱くなる喜びの共鳴の喜び。これは誰えもできる喜び●真理への共鳴の喜びは音楽に対する共鳴共感の喜びにに似ている。聖書的には次の通り。

口語訳 マタ 18:20
18:20 ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」。


塚本訳マタ 18:20
18:20 二人、三人、わたしの名によって集まっている所には、わたしがいつもその真中にいるのだから。」

●床屋、図書館、「黒崎幸吉新約聖書デジタル化プロジェクト」。これは無料公開にするのだから、全身全霊を捧げているのだ。●夕刻散歩一時間。田中三郎さんの畑に行って、福島の三男が作った「豆菓子」を差し上げた。するとスイカとカボチャを下さった。

 

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夕刻散歩。秋の気配。虫の声が大きい。田中三郎さんの畑に向かう。 2008.8.27 17:56

 

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夕刻散歩。我が家の灯。妻の夕食が待っている。感謝。田中三郎さんがくださったスイカとカボチャが土産だ。一時間歩いて疲れた。  2008.8.27 18:33

 

 

 





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神を信じれば仕事に成功する。美人になれる ++++++++ 所感

2008/08/26 05:57

080826(火)4時起床●朝風呂●早朝散歩でで瞑想。昨日の能城牧師との懇談で、キリスト教は頭だけではなく実際面を救わなければならにということに深く感じる●そこで現代日本人のニーズにキリスト教はどう応えるかを考えてみた●成人男子に告ぐ。神を信じれば仕事に成功する。・・・・なぜか。遊びに熱心でなく仕事熱心になれるから。・・・・学生に告ぐ。神を信じれば頭が良くなる・・・・実例。能城牧師の知人の子供。どうしても国語の成績が上がらずいつも3」。その時クリスチャンの祖母が「一年間、日曜日は国語の勉強をしないで聖書だけを読んでみなさい」と言った。それを実行したら「5」になったという。神を信じれば成績は上がる。なぜか。頭から雑念が取り去られるから問題の本質がすぐ見えるようになる。頭脳明晰になる。ものごとのポイントを邪念なく見えるようになる。・・・・・女性に告ぐ。神を信じれば美人になれる。・・・・なぜか人間の本質は霊魂、いくら外形的な造形が美しくても中味に命がなければ、それはただの蠟人形、話してもつまらない。交際してもすぐ飽きてしまう。少しぐらい(少しぐらいである。笑)造形が悪くても命があれば、心があれば美しい。交際していると面白い。●病苦の人に、病苦の伴侶を抱えている友に。・・・神を信じれば治る。なぜか神は全能だから。「神がいるならなぜ病気などがあるのだといつまでも言うな。」●ワカイモンに告ぐ。「あまりの美人」は良くない。なぜか。美しさを鼻にかけるからワガママである。周囲からチヤホヤされるからである。「美人」と結婚する男は「焼き尽くされる」。振り回される。●私の知人、一見美人のような人と結婚したが、それだけか。中味はどうなのかーと思ってしまう。●女生徒に告ぐ。男はイケメンはいけない、なぜか。たいていは中味がない。金持ちでない。・・・・女子生徒「高橋先生、最近はそうでもないですよ」●金持と美人は神を信じにくい。金持ちや美人でしかも神を信じる人はよっぽど優れている人だ。しかし彼らにはそれなりに苦難がある●16年前に逝った父の遺品を見ていたら、新聞の切り抜きがあった。朝日歌壇1953.10.10「癒ゆる当なきわれをみとりてやつれたる妻の寝顔に声なく泣けり」(秋田・志磨田林火)。父は病苦であった。母が苦労した。母は4年前に逝った。その母に「キリストによる救い」を分かってもらえなったことは私の生涯の悔いである。母は「照男は私に向かって説教する」と泣いたことがあると人づてに聞いた。救いは人間の力であると考えていたこの私の信仰の薄さが原因である。もう取り返しのつかないことをしてしまった。終わりの日に人は皆墓から蘇ると聖書は言う。まだチャンスはある。●クリスチャンはキリストの体なるエクレシアに加わって、「骨を折る」必要がある。そのエクレシアとは物理的集団に限らず、何らかの形で横のつながりを持っていた方がよい。なぜか。「一人よがりの信仰」にならないためである●NHKFM。アーノンクール+ウィーン・コンツェルトムジクスでバッハ「マタイ受難曲」。バッハは重い。ヘンデルは軽い。癒しならヘンデル。
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人に認められなくなったとき ++++++++ 所感

2008/08/25 08:32

080825(月)5時半起床。有給休暇●朝風呂で日経,[私の履歴書」電通最高顧問の成田豊。常に社会的ニーズを掴もうとする。●日経「春秋」蘭に論語の予期言葉があった。「人知らずして慍(いか)らず。亦(ま)た君子ならず乎(や)」(人から認められなくても腹をたてない、それこそ君子ではないか)。・・・・・論語はすばらしい。わかりやすい。しかし「罪からの救い」はない。●早朝散歩でそのことを黙想。

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雨中の早朝散歩。奥多摩連山は見えない。いや山は存在している。隠れているだけだ。●人生では最も近しい人が「見えなくなる」ことがある。親、妻、夫、子供、先生、上司、同僚・・・・また相手が自分を認めてくれないということもある。これらはお互いに相手が「見えなくなった」ことなのである。●神の子イエスも父なる神が一瞬見えなくなった時がある。十字架につけられたとき、助けに来てくれると思っていた神が来ない。もーだめだと思ったときイエスは「わが神、わが神、何で私を捨てるのですか」と言った(マタイ27:46)。ノー、神は存在する。イエスに一瞬見えなくなっただけだ。このときは神の方が辛かったのだ。   2008.8.25 6:57

●集会長老で書を好んだK氏(故人)から伺った話。孫に習字を教えている時のこと。孫は習い終わった筆を洗っておかないでおいたまま。K氏がその夜に隠れてそれをきれいに洗ってやっておくと、孫は翌日また「何でもなかったように」一生懸命習字の練習をする。・・・という話。このとき孫はK氏の夜の隠れた行為が見えない。これ神の行為と似ている。イエスは言った「右手のすることを左手に知らせてはならない」。

 文語訳マ タ 6:3-4
6:3 汝は施濟をなすとき、右の手のなすことを左の手に知らすな。
6:4 是はその施濟の隱れん爲なり。さらば隱れたるに見たまふ汝の父は報い給はん。


塚本訳  マタ 6:3-4
6:3 あなたは施しをするときに、右の手のすることを左に悟られてはならない。
6:4 これは施しを隠しておくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。

●人に認められなくて、困ったとき、悲しんでいる時はこうつぶやけばよい「イイヤ、イイヤ。神だけは知っていてくださる。」「今にわかる。そのうち分かる」●神はきっといつかこの自分の名誉回復して下さる。復権して下さる。復讐して下さる。それはこの私のためでなく神ご自身の名誉のために●イエスの十字架は敗北。「わかってもらえなかった」。しかしその有体的復活は神によるイエスの復権。神の人類に対する愛の復讐。しかしそれは分かる人にだけわかり、わから無い人には永久に分からないという性質のもの。

●北京オリオンピック閉幕。回想シーンの放映で金メダルの人だけが盛んにもてはやされている。期待されながら金メダルをとればかった人には見向きもしない。マスコミの勝手である。民衆はマスコミに「思想や見方」を作られる。だからマスコミや世論は危険。●ダンテの言う通りである。「この世の誉はどこ吹く風よ、こちらと思えばあちら、あちら思えばまたこちら」●マスコミや世論で自己の人生観世界観が形成されるほど低級なことはない。その最たるものが、学校ランキング、企業ランキングである。それは数値判定で示せることによるランキング。これは世を毒している。「お受験」や勤務先企業による「社会的信用」が生まれる。有名企業に在籍していれば銀行もお金を貸しやすい。銀行員同士動の縁談はすぐ決まるという。なぜか。企業での一時試験がパスしているからである。 しかしそれは「この世的な基準」。●某氏とメールでヘンデル談義。その内容をメールで公開する。●なぜ公開するか。人と人を結びつけるものは第一に「真の信仰」、次に音楽である。この不思議なことは体験的に感じる。ヘンデル大好き人間がいれば「しめた」ものだから。一部改変加筆。

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○○様

 

ヘンデルの音楽(歌曲、メール添付のMP3でお送り頂き)真にありがとうございました。クリヤーに聞けます。この曲は単独の曲なのでしょうか。

去る23日、NHKFMで素晴らしい合唱曲が流れていたのであとでNHKに尋ねましたところ、

「ジョージ2世戴冠式アンセム」(全4曲)の第2-3曲でした。この曲は第一曲目は「祭司ザドク」というものでかなり有名らしいのですが私は知りません。

好きな曲となると、いたたまれなくすぐCDを入手したくなるのですが、地元の図書館にはなく、ヤマハ銀座になく、山野銀座では輸入盤がありました(2500円)、29日に出勤したとき購入しますが、ひょっとして○○様はこの曲をお持ちですか?。

もしご所有でしたら、コピーしていただけないでしょうか。もしお持ちでない場合は小生が購入したものをコピーして○○様に差し上げることにします。商売でなければコピーしてもよいことはヤマハの人から教えられています。ヘンデルの歌曲、合唱曲はすばらしいです。2005年ドイツを旅したときヘンデルの出身地「ハレ」を訪れました。そこでなぜヘンデルはドイツを去って英国に帰化したのだろうとしきりに考えました。そしてもし英国に帰化しなかったらあのメサイアのような明るい(福音的明るさ)曲はできなかったのではないかと思います。(メール添付で)いただきました曲も「福音の明るさ、はずむような喜び」を感じます。ヘンデルは「母の懐」のような落ち着きがあります。

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13:00能城一郎牧師が来訪。「塚本虎二訳研究」というサイトが完成したという御報告をいただく。

9月1日、リリース。高度な研究サイトが完成した。感謝。2008.8.25 18:29

トミ子撮影。

 

●能城一郎牧師(聖書ソフト「Jバイブル」の開発者)との話は尽きず、延々5時間半。多くを学んだ。・・・・・パソコンのやり過ぎによる能城氏の体調不良、聖書翻訳理論の変遷、最近はスコポス理論、引照のこと、黒崎幸吉註解デジタル化のこと、キリスト教では「伝道」という言葉はなじまない、中国は家族に福音が伝わりやすい、1980年ごろからのニューエイジの動き、塚本訳の変遷について、塚本虎二の翻訳は伝道者訳、中国韓国はキリスト教がブルーカラーから入ったが日本は上部階級にアプローチしているのででうまくいかない、キリストは経済的困窮、病人の要求に応えた、現代日本の聖書学者たちの話題、祈りについて、音楽について、・・・・・・最後に「塚本虎二訳研究」のサイトをインストールして解説してくださった。

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一人で礼拝をする ++++++++ 所感

2008/08/24 12:45

080824(日)5時起床●前田と中沢を読む●前田護郎選集第4(昨日到着)「内村鑑三とその遺産」・・・無教会について英語読者向けに書かれた最上のもの。原文は英文、上田明子訳。「バルトとの会遇の思い出」・・・・ハイライトは前田の主張、「三位一体の中にロゴスが入らず霊が入ったということ。これが無教会の本質。「黒崎幸吉先生」「黒崎先生のお手紙」「塚本先生ご召天」。・・・・前田護郎ありて無教会は世界的にも通用するようになった。●中沢樹選集、第3巻「無教会と伝統」「20年から30年へ」「伝統について」、第4巻「最近の邦訳聖書」「聖書翻訳を通して見た塚本虎二」・・・・・中沢樹ありて無教会は神学的にその立場の説明がされている。●11:00妻が荒川の愛子のところに子守に行っているので私は一人礼拝。愛子は上の二人を連れて教会に行っているという。讃美歌「聖なる聖なる」。聖書読み、マタイ8章、文語、口語、新共同、フランシスコ会、新改訳、塚本、田川、佐藤、前田。・・・・・・文語訳は挌闘高く名訳、意味を掴むなら塚本訳。●K氏夫妻と建築のこと、電話。建築設計は聞く技術だ。「着てみなきゃーわからない」ことがたくさんある。
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公開ブログは捨て身だ ++++++++ 所感

2008/08/23 08:58

080823(土)4時半起床●朝のひらめき「捨て身で生きる」●公開ブログの精神の聖書的根拠は次のとおり。

口語訳 エレ 20:9
20:9 もしわたしが、「主のことは、重ねて言わない、このうえその名によって語る事はしない」と言えば、主の言葉がわたしの心にあって、燃える火の/わが骨のうちに閉じこめられているようで、それを押えるのに疲れはてて、耐えることができません。

新共同 エレ 20:9
20:9 主の名を口にすまい/もうその名によって語るまい、と思っても/主の言葉は、わたしの心の中/骨の中に閉じ込められて/火のように燃え上がります。押さえつけておこうとして/わたしは疲れ果てました。わたしの負けです。


新改訳 エレ 20:9
20:9 私は、「主のことばを宣べ伝えまい。もう主の名で語るまい。」と思いましたが、主のみことばは私の心のうちで、骨の中に閉じ込められて燃えさかる火のようになり、私はうちにしまっておくのに疲れて耐えられません。

●ブログのアクセスが合計8万回を突破。そのほとんどが「のぞき見」読者。しかし中には主にある応答がある。霊による真の交わりで感謝。しかし少ない。少なくても喜びだ。東京にはいない。海外や地方だ。●公開ブログは危険である。「消せ」「消さないと訴えるぞ」「ヤメロ」などという批判もある。しかし上記エレミヤのようにもし語るのをやめると病気になる。脳内出血が再発する。公開ブログは自分の健康のためだ。「消せ」と言ってきた人のものは即刻消す。そのかわりその人とは「永久決別」だ。検索でその人の名前を一瞬に全部消したことがある。また「訴えるぞ」と言ってきた人には「まず親告罪のルールからして私のブログのせいで自分がどんな被害があったかをお知らせいただきたい。それを私が天下に公表させていいただいた上で訴えを公開で聞こう」と言っている。しかしその後まだ言ってこない。●私のブログは神に言えとつねられているから「しかたなく」言っているようなものだ。「自慢」「みせびらかし」「私憤披歴」「天下国家断罪}ではない。笑うものは笑え。私はただ「気の毒な人」に向かうのだ。●福音、聖書、神、聖霊、有体的復活、三位一体、処女降誕などのことがさっぱりわからない人がいる。信者と自称する人の中にも!。これを何にたとえられるか。波長が合わないラジオ、色眼鏡で見ているから実像が「見えない」人。あぶりだしで見える絵でも火にかざさないから絵が浮かび上がってこないので見えない人。彼等は信者を「愚か者」に見える。心が狭いという。聖霊をいただかない人間は信者たちが愚かに見えるのは当然すぎるほど当然だ。その聖書的根拠は次の通り。

塚本訳 Ⅰコリ1:18
1:18 なぜか。この十字架についての言葉は、滅びゆく者には馬鹿なことであるが、わたし達救われる者には、神の力(の現われ)であるから。

新共同 Ⅰコリ2:14
2:14 自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。霊によって初めて判断できるからです。

●イエスは「ソロモンより大いなるものがここにいる」と言った。ウェストミンスター寺院やヴァチカン宮殿を見るとプロテスタントは貧弱だが、一人の「苦難の生涯」そのものが「大寺院」以上なのだ。その苦難の生涯こそ「ソロモンの神殿より大いなるもの」なのだ。●エクレシアには中心的な「人格」がなければならない。コリント教会に対するパウロの「父意識」はすごい。コリント教会にとってパウロは絶対的権威の人格だ。

口語訳 Ⅰコリ4:15
4:15 たといあなたがたに、キリストにある養育掛が一万人あったとしても、父が多くあるのではない。キリスト・イエスにあって、福音によりあなたがたを生んだのは、わたしなのである。

●こういう絶対的権威がないエクレシアは、中味なしにただ「仲良くしていこう」というということになる。それは烏合の衆であり、時間とともに分散離散する。真理よりも人間関係を重んじるから集団に命がなくなる●集会の絶対的権威を聖書に求めるのは現実的に無理。なぜか。聖書の解釈で分かれるからである。●内村は言う「教会だったらカトリック。然らずば無教会」と。(内村鑑三全集第32巻P330「教会諸問題」)。プロテスタント教会と無教会主義集会は中途半端でどうも落ち着かない。教派、信者どうしのいがみ合いである●ヘンデルの合唱曲は素晴らしい。FMでヘンデル作曲「ジョージ2世戴冠式アンセム」から第2-3曲を鑑賞。これはすばらしい。ヘンデル大好き。●黒崎幸吉新約聖書註解デジタル化プロジェクト作業●10:00妻が荒川区の愛子の所に子守の手伝いに行く。その後、モーツアルト「レクイエム」合宿練習。祖母もまた忙し。●16:20小寺利男さんが来訪、主にある歓談は深い喜び。途中車が渋滞。小寺さんに11人目のお孫さんが誕生(8月20日)。「あと一人で12人になり。ヤコブのようになる」と言って笑われた。神に祝福されている。

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16:20小寺利男さんが来訪。主にある歓談は楽し。1コリ4:15について語り合った。キリストの体なる教会(集会)には(必死の)「人格」がなければならないということ。

塚本訳Ⅰコリ4:15
4:15 たとえキリストにある家庭教師は無数にあなた達にあっても、お父さんは沢山はないのだから。キリスト・イエスにあって、福音により、わたしがあなた達を生んだのではないか。


 

 

 

 

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人生のピンチとガッツポーズ ++++++++ 所感

2008/08/22 05:46

080822(金)出勤日。4時半起床●昨夜は北京オリンピックのソフトボール決勝日本対アメリカを観戦。前日は延長12回(ソフトボールは7回)4-3のサヨナラ勝ちでオーストラリアに辛くも勝った。決勝は4連覇を狙うアメリカ。今までどうしても勝てずに金メダルを阻まれていた相手。試合は再三のピンチを凌いで3-1のまさかの勝利。歓喜、歓喜であった。●中でも特に光ったのは前日2試合(午前と午後)を投げ、そして決勝を投げた上野投手。信じられない3連投。もう英雄である。●どんな試合も「絶体絶命。もーだめだ」と思っている時に奇跡的勝利を得ると選手も監督も喜びが大きい。そのときは体中でガッツポーズ。観戦者も思い出に残る。●プロボクシング、モハメッドアリがザイールの世界戦でロープに追い詰められてダウン寸前、その直後まさかの軌跡の逆転勝ち。今でも語り継がれいる。もっと古いところではプロレスの力道山。痛めつけられやられていても最後には空手チョップで逆転勝利。日本中が興奮した。(もっともシナリオ通りの試合だったかもしれないが)●今朝の目覚めの時の黙想。「人生のピンチとガッツポーズ」●イスラエルはエジプトに奴隷状態でさんざん痛めつけられたが、神の導きでエジプト王パロの手から逃げることができた。イスラエルのガッツポーズは詩篇136編である。そこでは「キ・レオラミ・カスドー」(その憐れみ永遠なればなり」という神への賛美が何度も繰り返される。人類歴史のガッツポーズの歌としてこれ以上のものはあるまい。●不肖私のガッツポーズは何であるかと考えると、2000年7月3日、脳内出血で意識不明、救急車で聖路加に担ぎ込まれたピンチから助かったこと。一か月後の退院の日に見ることができた大好きな「入道雲」。あれを見た時は「ガッツポーズ」であった。その三か月前には家屋の全焼という人生の大ピンチ。それでかなり疲れていた時の脳内出血であった。さんざんのどん底であった。あきらめた人がいた。泣いてくれた人がいた。しかし100%神の力で生還。●では神のガッツポーズは何か。その独り子イエスがサタンの誘惑に負けないで「十字架の死」を遂げたその瞬間が神ご自身のガッツポーズなのである。これで人類の罪が消える。しかしそれは愛する独り子の犠牲の死によった。もしあのときイエスが「自分の命が惜しくて」「十字架を避けたら」贖罪の救いは成就しなかった。神としてもイエスの動きをハラハラドキドキ見ていたに違いない。土壇場までそれは分からなかった。ゲッセマネでは「父よ、できることならこの杯を注さないでください」と愛する子イエスに祈られた。それを拒否した父なる神の苦脳。父としの苦しいピンチ。しかしイエスは父の真意に忠実に従って「十字架の死」を遂げた。神はガッツポーズしたであろう。しかし悲しいガッツポーズ。涙のガッツポーズ。●この世的人間のガッツポーズは何か。東大入試合格。有名企業就職。選挙で当選。博士号取得、コンクール優勝、大企業の重役、企業の発展維持継続、経済的安定、高収入、商売繁盛、信者の増加、教会教勢の拡大、教会・集会の維持継続、子供の良縁、健康、長生き、大往生。●人間というのはみんな人生にピンチが訪れないように努力している。つまらない、低級なことだ●生きとし生けるものはみな「死ぬまい、死ぬまい」と思っている。それでいいのだ。それが自然だ。しかしそれはこの世限りの生命のことだ●人生は大ピンチのあとに神によって助けらられることが真のガッツポーズである。人間は「自分で自分を誉める」ガッツポーズをするが、クリスチャンは神を誉めるガッツポーズでなければならない。●然り、罪の人生、失敗の人生、悔いの人生が神の贖罪の福音で救われることが真のガッツポーズである。逆転の勝利である。その人は生涯神に感謝し、神をたたえるガッツポーズで終わるのだ●それにしても上野投手は再三のピンチを凌いだナイスピッチングであった。・・・ここまで書いて夜が明けた。●今日は妻が福島から戻ってくる。これガッツポーズだ。

文語訳  マタ 5:3-5
5:3 『幸福なるかな、心の貧しき者。天國はその人のものなり。
5:4 幸福なるかな、悲しむ者。その人は慰められん。
5:5 幸福なるかな、柔和なる者。その人は地を嗣がん。

●妻が福島の実家から帰宅。里の話。●人間にとっては心が休まるところが必要。それにはまず住居、職場、伴侶、健康。このどれかが欠けても人間は不安。不安定。しかし不幸にもそれが欠けてもなお幸福の場所がある。それは神の懐。

 

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つまらないことで争うな ++++++++ 所感

2008/08/21 07:54

080821(木)5時起床。争いを起こしているいやな夢を見た●目覚めに啓示「つまらないことで争うな」「争いというのは「人、モノ、金、地位、名声」の奪いあい。自らの地位品格を落とすのみだ。これらのものを捨てるときに争いは止む。●ヒルティの言葉。「誉を求めるな。それはあまりに高価(無駄金)だ。求めよいつくしみを神の恵みを」●昨夜N氏から電話。「亡くなられたI氏の信仰は自分(N)より深いので伝記(記念文集)を作るのに骨が折れる。●「偉人の伝記は偉人でなければ書けない」という。・・・・この意味は何か。同じ真理把握をしたものでないと伝記執筆の資格がないという意味か。●神学校に行って大脳皮質で正統信仰を学んでも、本人がその真理を体験的に把握してないので、今日において福音は伝わらない。聞く方は敏感だ。「あの人は話の内容を自分では信じていない」と感じる。ここが伝統を墨守する教会主義に無理があるところ。正統信仰を大脳皮質のレベルで伝承しようとしている。命がない。●マテマテ、無教会の某集会でも「自分たちが信じられない三位一体を子供たちには教えられないと言って教師陣が分裂したという。●当然のなりいきとはいえあまりに嘆かわしいことではある。●早朝散歩で妻の自転車を駅まで取りに行く。

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早朝散歩。朝焼け。今日も暑くなるのかなー。2008.8.21 5:26

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早朝散歩。こんなに早くから畑仕事をしている。涼しい朝は能率が上がる。この人の生活も人生もおそらくきちっとしているのだろう。

2008.8.21 5:33

●妻が福島に規制しているので、自炊、洗濯、花の水。家事労働はきりがないものだなー。●メンデルスゾーンを聴く。この人は幸福であった。それが音楽に現れている。ヴェートーヴェンとは違う。しかしあの人はあの人、この人はこの人。然り、自分は自分だ。他の人や家庭と比較して嘆いたり喜んだりしてはいけないのだ。●建築現場労働者の劣悪な労働時間の改善に取り組んでいるT君から「新聞記事」。T君は学生の時からマルキシズムに傾倒。労働運動に熱心。

そのT 君にメール。公的なことなので公開する。一部加筆改変。

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T様

新聞の記事ありがとうございました。

建築現場の労働環境が他産業と比べて劣悪であることがわかりました。

私も18から25歳までは厳しい現場労働。休みが少なかった。この頃母が私に聞いた。「一日中立ちっぱなしなの」。26から35歳までは同じゼネコンの内勤で積算。これも残業が多かった。聖日の午後も会社に行った。36から55歳は設計事務所。56から65歳が公益法人の調査会社。そして来年は退職。すべてのステップがそれまでの経験が生きました。現場の苦労も今となっては良い思い出です。

ゼネコンの現場勤務のとき、日曜日は聖書集会に行きたいので内勤希望を出しました。設計事務所にいたとき「日曜日は聖書集会に出るので仕事はできません」と言ったら、役員が「その精神が君のレゾンデートル(存在意味)だ」と誉められました。その役員(故人)は「祈りをすることができる人間」ということで私をスカウトしてくれたのです。

そんなことを回想しました。

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●、「ノダメカンタービレ」は音楽関係の物語だというので噂であったが時間がなくて本が読めなかった。しかし民放TVでそのドラマをやっていたので観た。バックに音楽があるので本よりよい。この分野のオタクの話だ。どんな世界にもオタク集団、同好会、同窓会、ファンクラブがある。無教会にも先生のファンクラブがあって、人間に対する偶像崇拝的になっていて、神とキリストと先生の顔に泥を塗っている。それは罪悪である。キリスト伝道ではなく先生伝道だからである。それは一代限りであって後が続かない。そのファンクラブ的集団も老齢化。この際、エクレシアとは何かを真剣に考え直さなければならない。●「ノダメカンタービレ」に出てきたホルストの惑星から木星をカラヤン+ウィーンフィルで鑑賞。

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図書館への途中。大好きな夏雲、入道雲。積乱雲。ずいぶん高いのだ。

8年前の8月、脳内出血から生還させられてみた空を思いだす。

2008.8.21 17:15

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図書館の帰途。今年もいつものところにユリが咲いていた。いつのころからか、百合は復活の象徴だ。讃美歌496番「うるわしのしらゆり」を思う。復活の朝には、あの人、あの人、あの人、あの人が「うるわしの白百合のような姿であらわれるのだろう」。にこにここちらを向いて笑っている。  2008.8.21 18:00

 

 

 

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民主主義がそんなに大切か ++++++++ 所感

2008/08/20 09:11

080820(水)5時起床●朝のひらめき。「民主主義がそんなに大切か」。●60年安保闘争の時塚本虎二は、政府のやりお方にいきり立つ集会の若い者達に向かって「民主主義がそんなに大切か」と怒鳴ったという。私の知人はそに一声でデモに行くのをやめたという。●クリスチャンにとってはこの世のことはすべて「相対化」すべきである。民主主義、健康、地上の平和、経済、食糧、勤務先、家族、教会、無教会、内村、・・・・これらは「そんなに大切か」というべきである。●地上の政治体制はいかなるものであっても信仰は持てる。塚本先生は「自分はデモクラシーでなくてデモクラセルー(でも暮らせる)だ」と言われた。これの応用。クリスチャンは地上の生活がどんなにみじめでも「デモクラセルー」主義でなければならない。●「内村鑑三がそんなに大切か」。「○○先生がそんなに大切か」ということは、「無教会に昔日の栄光はない(田川建三)」と言われている今日、傾聴に値する。なぜ傾聴に値するかというと、○○先生ではなく、先生の信じていたところの雰囲気や形を継承するというのは実は神ではなく「偶像崇拝」なのである。先生は悪くはない不肖の弟子たちが良くないのだ。●「黒崎新約聖書註解デジタル化プロジェクト」WEB会議(シドニー+福島+東京)の一部を公開する。 先が見えてきた喜び。


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両スタッフ殿

上棟式の日のような喜び、「ワクワク」です。建築では棟上げが一番ドキドキ興奮します。なぜかと考えると頭の中だけのことが現実に目の前に現れるからです。「有体的復活」の真理もこのようなことだと思います。(以下省略)

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聖路加にMRIによる検査に行く。8年前の今月末。暑い時に私は退院した。その日、この聖路加タワーに上って真夏の都心を見ながら脳内出血の病を癒されたことを神に感謝した。あの日大好きな入道雲をみて「生きているということは何とうれしいことだろう」と思ったものだ。聖路加は私の肉の命を救ってくれた。感謝。私の主治医であった安中先生は故郷の九州にお帰りになり家業の医院を継がれた。聖路加チャペルのパイプオルガン委員長の野辺地さんは召された。8年もたつと人も変わるなー。

2008.8.20 12:53

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都心から2時間。あきる野市に戻ってほっとした。2階の窓からの景色。この緑、この空。棲むなら郊外だ。都心から1~1.5時間が理想だが、ここあきる野は2時間。少し遠い。でも贅沢は言えない。

2008.8.20 15:00

●「早食いはなぜ太るのか」の疑問に初めて納得の行く答えに出あった。・・・・「満腹中枢が働くまで20分かかりますから、食事時間は30分が目安。よく噛んでゆっくり食べれば、ゆっくり吸収されます。すると血糖値が一気に上がらないのでインスリンが大量に分泌しない。そうすれば、中性脂肪に変えて溜め込む作用が弱くなるから、内臓脂肪がつきにくくなります。」(メディカルアーバンクリニック院長望月俊男。second stage,日経BP社2008summer)。現にこの院長はこの方法で一年で10キロ減量したという。●普通「ゆっくり食べれば太らない」というとき満腹中枢が働く20分以上かけて食べれば少食済むから太らないという説明が多いがそうではないのだ。それをこの望月氏は納得のいく説明をしてくれた。まだインスリンと内臓脂肪の関係が完全には理解できないが、とにかくゆっくり食べれば食が少なくてよいから太らないというのは間違いであることがわかった●ブログは「忘備録」。後日「早食い」で検索するとここがすぐ出てくる●人にある行動や決断をさせるのには本人の「納得」が必要。ただやみくもに「ゆっくり食べなさい」では「納得しない」。なぜか。その言葉に理論が伴っていなくて言う本人も原理がわかっていないからだ。それでは真理は伝わらない。●これキリスト教の伝道も同じ。本人が信じていない正統信仰(処女降誕、十字架、有体的復活、再臨)は人に伝わらない。神学校で頭だけの勉強をしてきた男の伝道が振るわないわけは、本人が真理の把握をしていないから。●これ無教会主義集会も同じ。「有体的復活」を信じていないものがいくら集まってもそこにはキリスト教の真理が伝わる要素がない。伝道の方法や集会存続のありかた問題などではない。「種」がなければならない。

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黒崎幸吉新約聖書註解デジタル化プロジェクト ++++++++ 所感

2008/08/19 13:32

080819(火)5時起床●朝風呂●「黒崎幸吉新約聖書デジタル化プロジェクト」はシドニー+福島+東京の三者が「WEB会議」で構築しているが、グーグル上で無料公開できる見込みがついた。●これができればアジアはもちろん、全世界にいる日本人の喜びとなる。この本は名著だが出版元が絶版にするというので何とか半永久的に残そうとするのである●「全世界に福音を宣教せよ」というイエスの命令は現代ではインターネットである。●今日はその校正。これもWEB作業。●妻は今日から福島に帰省。22日の夜に戻る●「清永本」の最終整理。清永丈太しに残122冊を寄贈。清永出版会では10冊保管。●「黒崎幸吉新約聖書デジタル化プロジェクト」でグーグル上での共同作業のため、繋ぎ込みで難儀する。スタッフのY氏から懇切丁寧な指導を受ける。私はパソコンが弱い
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命を捧げても惜しいとは思わないこと ++++++++ 所感

2008/08/18 07:00

080818(月)5時起床,出勤日。●早朝散歩で黙想。残りの日々に成し遂げたいこと。使徒伝承の一環の人物であり続けること。その結果は期待しない。人間的集団は作らない。使徒伝承の真理を発信して、囚われて苦しんでいる人を解放すること。福音の説きっぱなし。それができれば「この命惜しくはない」。それはこの自分の最高の喜び、満足、喜悦。霊の喜び。爆発的喜び●パウロの次の言葉は私の心である。


口語訳 使 20:24
20:24 しかし、わたしは自分の行程を走り終え、主イエスから賜わった、神のめぐみの福音をあかしする任務を果し得さえしたら、
このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思わない。


新改訳 使 20:24
20:24 けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。


新共同 使 20:24
20:24 しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。


文語訳 使 20:24
20:24 然れど我わが走るべき道程と、主イエスより受けし職、すなわち神の惠の福音を證する事とを果さん爲には
、固より生命をもお重んぜざるなり。 


塚本訳 使 20:24
20:24 しかしわたしは、自分の走るべき道を走りおえて、主イエスから託された、神の恩恵をつたえる福音を証しする役目をはたすためなら、自分の命のことなど口にする値打もないと思う。

●なぜ惜しいとは思わないか。それは人を霊魂の苦悩から(経済的、社会的、肉体的苦脳ではない)人を解放し、自由にするからである。それは十字架と復活。時の過去と将来の悩みと不安からの救い。 ●次の聖句が心に響く。

塚本訳  ルカ 4:16-19
4:16 それからお育ちになったナザレに行って、安息の日にいつものとおり礼拝堂に入り、(聖書を)朗読しようとして立たれた。
4:17 (係の者から)イザヤの預言書が手渡され、その巻物をお開けになると、こう書いた所が出てきた。──
4:18 『主の御霊がわたしの上にある、油を注いで(聖別して)くださったからである。主は貧しい人に福音を伝えるためにわたしを遣わされた。囚人に赦免を、盲人に視力の回復を告げ、』『押えつけられている者に自由をあたえ、』
4:19 『主の恵みの年(の来たこと)を告げさせるために。』


塚本訳 Ⅰコリ1:18-21
1:18 なぜか。この十字架についての言葉は、滅びゆく者には馬鹿なことであるが、わたし達救われる者には、神の力(の現われ)であるから
1:19 (聖書に)こう書いてあるではないか、『知恵者の知恵をわたしは滅ぼし、賢い者の賢さをわたしは無にする』と。
1:20 『どこに知恵者が』、『どこに聖書学者が、どこに』この世の議論家がいるのか。神は(この)世の『知恵を馬鹿なものにされた』ではないか。
1:21 なぜなら、(この)世(の人)が自分の知恵により(判断し)、神の知恵(の現われである御業)において神を認めることをしないので、神は馬鹿な(ことと見える十字架の)説教によって信ずる者(だけ)を救おうと、お決めになったからである。

塚本訳ヨハ 8:31-32
8:31 すると信じたユダヤ人に言われた、「もしわたしの言葉に留まっておれば、あなた達は本当にわたしの弟子である。
8:32 真理を知り、その真理があなた達を自由にするであろう。」

●中野次長と懇談会議●関口顧問と懇談会議●BK●「黒崎新約聖書デジタル化プロジェクト」マタイ注解の「チェック読み」に入る。

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今日は特に疲労して帰宅。あれは食卓の灯。妻が夕食を作って待っていてくれる。感謝。しかしこのようなことがあと何年続くのか。2008.8.18 18:59

●夜、山本正則氏から電話。電話を切ってから思った。神ママ神ママ、自然に自然に、御心のままに御心のままに、自然に生き自然に死ぬ、無理しない無理しない。肉なるものは人間も集会も教会も死ぬ。●黒崎新約聖書デジタル化プロジェクトが大きく前進。グーグル上で公開、全世界の人が福音の恩恵に浴せる。






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私の三先生の共通点 ++++++++ 所感

2008/08/17 06:30

080817(日)4時半起床●朝風呂で黙想。「私の三先生の共通点」。●私の人生の師である三先生は①塚本虎二(1885-1973。聖書学者、無教会主義の唱導、岩波文庫「福音書」、塚本虎二著集。,②カール・ヒルティ(1833-1909、スイスの哲学者、政治家。岩波文庫「幸福論」「眠られぬ夜のために」白水社「ヒルティ著作集」③藤林益三、(1907-2007、弁護士。最高裁判所長官)である。・・・・空気のような身内はそれ以上であるが語らず●三先生との出会いと関係。①塚本虎二(高校生の時にその著書と出会う。キリスト教の本質と無教会主義キリスト教を学ぶ。1983年塚本虎二先生10周年記念講演会で話す。「続・塚本虎二著作集月報に寄稿)②カール・・ヒルティ(塚本虎二に教えられる。高校生の時にその著作を熟読。白水社「ヒルティ著作集」の月報に寄稿。1983年スイスのベルンに墓参)③藤林益三(所属集会東京聖書読者会の責任者、結婚、就職など間接的に世話になる。藤林邸建築設計。2008年「藤林益三」編集)●三先生の「人脈」により、すばらしい人物(伴侶も含め)との出会いをいただけたことは人生最大の感謝である●三先生の共通点は「神の主権による導きを第一にして生きる」ということである。これを人生の指針として学んだ●三先生に共通なことは家庭的な不幸である。①塚本虎二は38歳の時、関東大震災で夫人を失う。その時「神は愛なり」という声を聞いて俄然と伝道者になる。母亡き幼児を二人抱えて人生の辛酸を舐められた②カール・ヒルティは息子が病弱であった。「眠られぬ夜のために」の著作の背景はそんなところにあった。「幸福論」の著作の底流には「苦難」の思想がある。その墓には夫人の名前と共に息子の名前があるのを見て胸が詰まった。③藤林益三は幼少の時に父に死別され苦学した。晩年には夫人が激しい痛みを伴う「リューマチ」になり、苦しまれた。99歳に時に58歳の長男(弁護士)に先立たれた●三先生に共通なことは「教団、教派、集団」を形成しなかったことである。①塚本先生の「丸の内キリスト教講演会」は解散。②カールヒルティには「ヒルティ学会」なるものはできなかった。③藤林先生は「信仰は一代である」というお考えであった。三先生には「人間集団的な遺産」はなかった。いわゆる「派閥」「同窓会」的なものは望まなかった。しかし私にとっては主にあってその交わりは永遠に続く。

塚本訳 Ⅰペテ1:23-25
1:23 (君達は)朽つる種でなく、朽ちぬ種から、(すなわち)神の活ける、また(永遠に)消え失せぬ言によって新しく生まれたのである。
1:24 何故なら『人はみな草』のよう『また』その『栄華はみな草の花のようである』。『草は枯れた花は落ちた』
1:25 『しかし』主の『言は永遠に消え失せない』。これが君達に』宣べ伝えられた福音の言』である。

●この聖句は私に妻を紹介してくださった大熊一雄、好子夫妻の墓碑銘である。塚本虎二先生の筆跡を写された。その墓は妻の郷里である福島県のいわき市にある。大熊さんはお子様に恵まれなかった。 「また会う日まで」。

●北京オリオンピックでせっかく「銀メダル」を取ったのに、NHkは「金でなくで残念であった」としきりにいう。「次のロンドン大会で頑張ってほしい」という。当の本人は感謝してさばさばしているのにである。マスコミは罰(バチ)があたる。「期待とハラハラドキドキのあせり」はマスコミが作り出している。日本中をあおっている●これ親の教育熱にも通じる。「がんばれガンバれ」と言って自分の心の満足のために子供の成績向上を応援する。これじゃー子供本人がまいってしまう(自戒)。しかしこの「熱心」は人間の「業」。人間は「愛国心」から逃れられない。高校野球も郷里の県を応援する。イエスは「神の国」と言った。しかし「私の国はこの世のものではない」とも言った。

塚本訳  ヨハ 18:35-37
18:35 ピラトが答えた、「このわたしを、ユダヤ人とでも思っているのか。お前の国の人たち、ことに(その代表者の)大祭司連が、(その廉で)お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしでかしたのか。」
18:36 イエスが答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであったら、わたしの手下の者たちが、わたしをユダヤ人に渡すまいとして戦ったはずである。しかし実際のところ、わたしの国はこの世のものではない。」
18:37 そこでピラトが言った、「では、やっぱりお前は王ではないか。」イエスが答えられた、「王だと言われるなら、御意見にまかせる。わたしは真理について証明するために生まれ、またそのためにこの世に来たのである。真理から出た者はだれでも、わたしの声に耳をかたむける。」


 

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自分の命をかわいがるものはこれを失う ++++++++ 所感

2008/08/16 09:00

080816(土)夜半に目覚め。メモ用紙に書きつけたこと。①「自分の命をかわいがるものはこれを失う」

塚本訳マタ 10:39
10:39 (十字架を避けてこの世の)命を得る者は(永遠の)命を失い、わたしのために(この世の)命を失う者は、(永遠の)命を得るであろう。

●これはどういう意味か。自分の欲望の赴くままに生きようとする者は肝心の永遠の生命を失う。この世の時間、宝、能力、健康、人生を神のために失うものは永遠の生命を得るということだ。といって修道院に入るのではない。キリスト教関係の仕事をすることではない。それは「みせびらかし」である。普通一般の仕事をすることだ。②「自分の子供をかわいがるものはこれを失う」。こえ恐ろしい現実 ③最大の親不孝は道徳的に外れたことをする者。親が倫理的に苦悩する ④親を悲しませる者は親をののしる者。これ千古不易の真理。親に不満があってもそれはいけない ⑤親をののしる者は自らの家庭に大不幸が訪れるのは必至。それは関係のない人までも巻き添えにする。それから逃れる道。それは人生の悔い改め。 すると人生が普通の人より良くなる。神は悔い改めた人の方をかわいく思う。人生は悔い改めと十字架を信じることで清められ、やり直すことができる。

塚本訳  マタ 21:31-32
21:31 この二人のうち、どちらが父の心を行ったのだろうか。」「もちろん長男」と彼らが答える。イエスが言われる、「アーメン、わたしは言う、税金取りや遊女たちは、あなた達よりも先に神の国に入るであろう。
21:32 そのわけは、(洗礼者)ヨハネが義の道を示しに来たのに、あなた達は彼を信ぜず、税金取りや遊女の方がかえって信じたからだ。しかしあなた達は(あの人たちが悔改めるのを)見たあとでも、後悔して彼を信じようとしなかった。

⑥健康であることは幸福ではない。心身が健康であっても幸福ではない。肉体の維持保存を至上のことだと思っている人間は、それを失う時が「人生探求のスタート」。人間の本質はその中身である霊魂である。⑦霊は形を取る。(これはネストレが無教会主義者塚本虎二先生に宛てた手紙。意味が深い) ⑧心の一致が結婚という形を取る。家庭内の平和が住居新築の形を取る。⑨霊の一致がエクレシアを形成する。⑩肉の想像はこの世の体。新しい想像が有体的復活。いずれも形を取る。

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ゆき皮膚科+図書館の帰途。この林は故郷浦和の林に似ている。そこの林を所有していて一緒に遊んだタ・キ君は大宮の方に婿に行ったという。懐かしいので何年か前に尋ねたらそうおし終えてくれた。もう50年も前のことだなー。   2008.8.16 10:01

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ゆき皮膚科+図書館の帰途。夏の雲。パステルカラーの空。手前は茶畑。今日も暑くなりそうだ。早く秋にならないかなー。  2008.8.16 10:16

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ゆき皮膚科+図書館の帰途。高い、高い、夏の雲、しかしあの形は一度限りでまもなく消える。人の命ようだなー。しかしそれでいいんだ。それでいいんだ。神によって創られ、覚えられたのだから。人生は一瞬。それでいいんだ。

2008.8.16 10:19

●クーラーをつけないで、気合いを入れて「黒崎新約聖書注解デジタル化プロジェクト」の入力作業。(ネストレ引照)。スタッフ(シドニー、福島)と「WEB会議」。その一部を公開する。

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今や世界は「オリオンピック」騒ぎです(今年はオーストラリアが気になります)が、黒崎註解は日本が世界に誇るもの。これだけの価値のものがアジア発のものとしてインターネットで無料公開ということで「アジア新(初)」、新共同訳の引照は「日本新(初)」、ネストレの引照は本国ドイツでは無いそうなのでこれは「世界新(初)」。何れも最新鋭のものばかりです。神が残りの我々の労働を祝してくださいますように祈ります。

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叱られたら来ていいよ ++++++++ 所感

2008/08/15 07:02

080815(金)5時起床。孫がうつ伏せで寝ている。彼女の将来の恩恵を祈った●昨夜の会話を思い出す。孫「ワタシ家出したことあるの」。私「ママに叱られたら、また泊まりに来ていいよ」。孫(目を輝かせて)「エーッ、ホントー」●朝風呂●早朝散歩。今日はまた猛暑らしいが景色は秋の気配。

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書斎の窓を開けるとこの景色。今日はまた暑くなるらしい。 2008.8.15 5:14

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早朝散歩に出発。高くなった空の下の我が家  2008.8.15 5:35

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早朝散歩。秋の高い空。バッハのコラール「高きみ空よりわれは来れり」を思う。 2008.8.15 5:43

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早朝散歩。車椅子の障害者(夫らしい)に付き添う若い夫人(らしい)。偉い。彼女はその生涯を彼に捧げるのだ。天に宝を積んでいる。 振り返って写真を撮った。通り過ぎて思った。夫婦というのは、お互いに障害者としての伴侶に仕えるようにできているのだのだ。・・・・肉体の障害(病気)、知能の障害(認知症も)、性格の障害(生まれつきの性質)、精神の障害(治りにくい)、美醜の障害(肥満も含む。笑)、経済的障害(貧困、運不運にもよる)。・・・・・結婚の意義はそこにある。

新改訳 創  2:18
2:18 その後、神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」

●結婚というのはそれがどんな形の結ばれ方であろうとも相手は自分にとって「ふさわしい」人なのだ。「自分にはもったいない人」と思わなければならないのだ。

                                    2008.8.15 5:48

●孫の昨夜の祈り。「父なる神様・・・・・あした帰ります。」にイエスの言葉を思う。

塚本訳 ヨハ 13:1
13:1 過越の祭の前、イエスはこの世から父上の所に移ってゆく時が(ついに)来たことを知って、この世で愛された弟子たちを、最後の瞬間まで愛しぬかれた。──

塚本訳  ヨハ 14:1-4
14:1 (あなた達の来られない所にわたしが行くからとて、)心を騒がせるな。神を信ぜよ、またわたしを信ぜよ。
14:2 父上のお家には、沢山住居がある。(あなた達は一人のこらず、そこに住むことが出来る。)もしそうでなかったら、『あなた達のために場所の準備に行く』と言うわけがないではないか。
14:3 (間もなく出かけるが、)行って場所の準備ができたら、もどって来て、あなた達をわたしの所に連れてゆく。わたしのおる所にあなた達もおるためである。
14:4 (今)あなた達はわたしがどこへ行くか、その道がわかったはずだ。」

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出勤前。初音さんさようなら。4日間。プール楽しかったね。食事楽しかったね。お絵かき楽しかったね。トランプ強かったね。お祈り良くできるようになったね。「また会う日まで、さようなら」 

2008.8.15 8:10

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出勤途中。振り返って奥多摩連山を見る。今日は猛暑らしいが空は秋の空だ。 今日は孫が帰って、家はまた静寂が訪れるなー。    2008.8.15 8:20

●勤務先のパソコンが新機種に変更。周囲の若い人がすべてセッティングしてくれた。感謝。パソコンのつなぎこみやトラブルは私にとっては「トラウマ」。8年前の脳内出血の前夜はパソコンを修理していて疲れた。●経済研究部の中野次長と長懇談。苦難は新しい道が開かれる前兆。陣痛の苦しみ。



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ワタシを一番愛してくれるのは誰か ++++++++ 所感

2008/08/14 08:36

080814(木)5時起床●早朝散歩をすると不思議によい思いが浮かぶ

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早朝散歩。讃美歌216番「あぁうるわしきシオンの朝」を心で歌う。 2008.8.14 5:28

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早朝散歩。空が高くなった。今日も猛暑らしいがもうすぐ秋だ。「酷暑の夏来りなば涼しき秋遠からじ」だ。もうすぐ、もうすぐ。

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早朝散歩。林の中から朝日を見る。 林はすばらしい自然だ。 2008.8.14 5:38

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早朝散歩。朝早くから畑仕事をしている人「朝は能率が良いねー。こう暑くちゃ昼間は動けないよ。キューリあげるよ」。この人はリタイヤして趣味の畑仕事。私「ウチの息子は福島で有機農業をやっているんだ」

2008.8.14 5:42

●5歳の孫の深刻な問題。「ワタシのことを一番カワイイと思ってくれる人は誰か」。この問題は実は大人の問題でもある。「ワタシのことを一番愛してくれる人は誰か」。それが「ワタシ」の造り主なる神であることを知るまで人間は真の安らぎを得ない。アウグスチヌスは言う「私はあなた(神)に向けられて造られた者です。ですからあなたの御胸に憩うまでは安らぎを得ません」。讃美歌273番、チャールズ・ウェスレー「わがたましいを愛するイェスよ」。ペテロは次のように言う。

塚本訳 ヨハ 6:68
6:68 シモン・ペテロが答えた、「主よ、(あなたを離れて)だれの所に行きましょう。永遠の生命の言葉はあなただけがお持ちです(から)

 ●人は「ワタシ」を一番愛してくれる人を求めて彷徨する。自分を愛してくれる「牧師や伝道者」を探し回って教会や集会を転々とする人間は悲劇である。それは人間を求めているのであるから決して「満足」には到達しない。本当の造り主(真の親)のもとに行かなければならないのだ。無教会主義の積極的意義はそこにある。

新改訳 詩  27:10
27:10 私の父、私の母が、私を見捨てるときは、主が私を取り上げてくださる。

●どんなにすばらしい先生でも所詮それは「人間」。その素晴らしい「先生」を伝道する人間は人をして永遠の生命に導かない。先生の人間的素晴らしさを感心させようとしているだけだから。無教会主義の根本的誤りはそこにある。しかしそれは「先生」が悪くはない。不肖の弟子たちが悪いのである。●けれども経験としてその「師弟の仲を割こうとする」のはいけないことだ。その人にとってはその関係が生き甲斐でありライフワークなのだから。ただしあまりの狂信的人間崇拝はいただけない。人間崇拝の狂信的信者は常に次のように言う。

塚本訳  ヨハ 9:24-25
9:24 そこでユダヤ人は、盲であった男をもう一度呼んで言った、「本当のことを言うように!あの人が罪人であることは、われわれにはよくわかっている(のだから。)」
9:25 彼が答えた、「罪人かどうか知りません。ただ、(もと)盲であったわたしが、いまは見えるという、この一つのことだけ知っています。」

●こういう人は異常である。手が付けられない。「そういう例もあるのかなー」と傍観しているだけでよい。批判するだけ愚かである。いつまでもいるわけではない。

●塚本虎二先生の一人娘Tさん(故人)は、あるとき「お父ちゃんは、ワタシよりも療養所の娘の方がカワイイのだ」と言って泣かれたらしい。真のキリスト信者の家庭にはこういう大悲劇がある。しかしこういう家庭内悲劇の「苦」が福音が外に流れて行った原因である。塚本先生の家庭内の「涙」はどんなの多くの人を救ったか、計り知れない。●牧師や無教会の伝道者の子弟必ずしも信仰に入らない。それがいかなる意味を持つのかは被造物たつ人間にはわからない。しかしその涙が家庭外の「気の毒な人」に福音が流れていく原動力である。●人生は「エリエリ」である。「なぜだ」「なぜなんだ」という人生のまた家庭内の大悲劇は神がその人を「打って」、福音を語らしめる手段なのだ●人生の不可思議な「苦難」は生涯その意味がわからないことがある。それでよいのだ。それでよいのだ。神のみが御存じであればそれでよいのだ。●終末の時には恐ろしいことになる。子殺し、兄弟殺し、親殺し。

塚本訳 マタ 10:21-23
10:21 また兄弟は兄弟を、父は子を、殺すために(裁判所に)引き渡し、『子は親にさからい立って』これを殺すであろう
10:22 あなた達はわたしの弟子であるために皆から憎まれる。しかし最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
10:23 この町で迫害された時には、次の町に逃げてゆけ。アーメン、わたしは言う、人の子(わたし)は(すぐに)、あなた達がイスラエル人の町々を回りつくさぬうちに来るのだから。

●しかしそういうひどい目にあっても「キリスト信者としてはこれが当然で普通のことだ。驚いてはいけない」「何のこれしき」と忍耐しなければならない。そういう時は逆襲するな。報復するな。矯正するな。教育するな。批判するな。向かうな。伝道するな。ただひたすら「逃げろ」。彼の救いを祈りつつ逃げるんだ。イエスは続けて言う。

塚本訳 マタ 10:22-25
10:22 あなた達はわたしの弟子であるために皆から憎まれる。しかし最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
10:23 この町で迫害された時には、次の町に逃げてゆけ。アーメン、わたしは言う、人の子(わたし)は(すぐに)、あなた達がイスラエル人の町々を回りつくさぬうちに来るのだから。
10:24 弟子は先生以上でなく、僕は主人以上ではない。(だからあなた達が迫害されるのは当り前である。)
10:25 弟子は先生のよう、僕は主人のようであれば、それで満足すべきである。家の主人(たるわたし)が(悪鬼の頭)ベルゼブルと(悪口を)言われたのだから、その家族(たるあなた達)はなおさらのことである。

●初代教会ではキリストを信ずるが故の分離は数多くあったらしい。だから次の句が伝承されたらしい。

塚本訳  マタ 5:10-12
5:10 ああ幸いだ、信仰のために迫害される人たち、天の国はその人たちのものとなるのだから。
5:11 わたしゆえに罵られたり、迫害されたり、あらん限りの根も葉もない悪口を言われたりする時、あなた達は幸いである。
5:12 小躍りして喜びなさい、褒美がどっさり天であなた達を待っているのだから。あなた達より前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。

●終末とはいつか、それは今である。「親殺し、子殺し、兄弟殺し」が多くなった。地の果てまで福音を宣教せよ(マタイ28;19)というが、その「地の果て」とはここ、いま自分が立っているこの所、家庭、職場、集会、教会である。●終末の日の阿鼻叫喚はひどいことらしい。だからイエスは言ったのだ「子を持たない人は幸いだ」と。子は宝であって喜びで幸福ではあるが、イエスの幸福観は違った。

塚本訳 ルカ 23:27-32
23:27 民衆と、イエスのために悲しみ嘆く女たちとの大勢の群が、あとにつづいた。
23:28 イエスは女たちの方に振り向いて言われた、「エルサレムの娘さんたち、わたしのためには泣いてくれなくともよろしい。それよりは自分のため、自分の子供のために泣きなさい。
23:29 いまに人々が、『石女と、(子を)産んだことのない胎と、飲ませたことのない乳房とが羨ましい』と言う(恐ろしい)日が来るのだから
23:30 その時人々は『山にむかっては、『われわれの上に倒れかかって(殺して)くれ』、丘にむかっては、『われわれを埋めてくれ』と言い』続けるであろう。
23:31 (罪のない)生木(のわたし)でさえ、こんな目にあわされるのだ。まして(罪にくされた)枯木は、どうなることであろうか!」
23:32 ほかに二人の罪人も、処刑されるためイエスと共に引かれていった。

●13:20 初音と市民プールへ。自転車。流れるプールは子供が喜ぶように設計されている。海に行くのは時間も費用も労力も危険度も大変だが、近くにこういう施設があるのはありがたい。●しかし雷雨が来て間もなく遊泳中止。家に戻って早い風呂。孫娘の頭と体を洗いつつ、30年ぐらい前にこの子の母親を風呂に入れたことを思い出した。もうこういうことはあるまい。孫のはじめての一人泊まり、4日間。泣かずに偉かった。あまりひどいわがままもなかった。信仰的に学ぶことが多かった。この調子で孫が次々と来ればいいんだがなー。

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孫の初音(5歳)とトランプの神経衰弱をやる妻のトミ子。妻はよく付き合ってくれる。感謝。私はとてもじゃーないが長時間は付き合えない。子育ては女性だ。大人は真剣勝負でやって互角。聖書の話も「子供向け」というのはなく、誰にも真剣勝負でよくないか。この孫とも明日は、お別れだ。   2008.8.14 16:31 

●妻は子供(4人)が私の仕事や勉強の邪魔にならないようにと子育ての重荷を一手に引き受けてくれていたのだ。だから子供たちは私になつかないで妻になつくよになったのは当たり前なのだ。

●子供が近寄ってくる人格は天性のものだ。神学をかじって教会の教師の資格を持っているが「冷たくて」子供が寄ってこない女性を知っている。そういう女性は男性も近づかない。「災いなるかな聖書学者」とイエスは言う。

新共同 マタ 19:13-14
19:13 そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。
19:14 しかし、イエスは言われた。「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」

●女性の一番よい見分け方。その女性の子供に接する態度。「子供は嫌い」という女性とは結婚してはいけない。トンデモナク冷たい家庭になる。私が最も嫌いなのは「女流神学者」。「教会教師の資格を持つ女性」。子供が寄っていかない。

●20:00 布団の上で3人が丸くなって一人づつ寝る前に祈る。孫の初音(5歳)の祈り「父なる神様。今寝ます。家の人たちをお守りください。あした帰ります。今夜は良い夢を見ることができますように。このお祈りをイエス様のお名前を通してお捧げいたします。アーメン。」 ●なかなかよい祈りだ。孫に祈りの習慣が伝わった。母親と教会学校のおかげ。感謝。




 

 


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怖い夢に学ぶ ++++++++ 所感

2008/08/13 06:53

080813(水)明け方、怖い夢を見て目が覚める●昨夜寝る時3人で祈る。孫の初音の祈り。「神様、事故とか、火事とか、地震とかがおこりませんように。このお祈りをイエス様のお名前によってお捧げいたします」。私の祈り「怖い夢を見ませんように。」●ところが怖い夢を見てしまった。キリスト教講演会の講師であるのにその時間に遅れてタクシーに乗ったが、運転手が道がわからないので怒った・・・そこで夢が覚めて「アー夢でよかった」と思った●この夢で学んだこと。終末の備えとして次の聖句を思い出し、終末の裁きの日の備えとして何をすればよいのかを考えさせられた。

塚本訳 ルカ 12:42-46
12:42 主が言われた、「(旅行に出かける)主人が一人の番頭を(えらんで)召使たちの上に立て、時間時間にきまった食事を与えさせることにした場合に、いったいどんな番頭が忠実で賢いのであろうか。
12:43 それは主人がかえって来たとき、言いつけられたとおりにしているところを見られる僕で、その僕こそ幸いである。
12:44 本当にあなた達に言う、主人は彼に全財産を管理させるに違いない。
12:45 しかしその僕が、
主人のかえりはおそい、と心の中で考えて、下男や下女をなぐったり、飲んだり食ったり酔っぱらったりし始めていると、予期せぬ日、思いもよらぬ時間に、その僕の主人がかえってきて、僕を八つ裂きにし、不信者と同じ目にあわせるにちがいない。
12:46 予期せぬ日、思いもよらぬ時間に、その僕の主人がかえってきて、僕を八つ裂きにし、不信者と同じ目にあわせるにちがいない。

●まず「下男や下女を殴って」はいけないことを反省。昨夜の夢でのことだったが、自分が時間のゆとりをもって出かけなかったのが悪いのにタクシーの運転手に「それぐらいの道がわからないのか」と怒鳴った態度が良くない。何らかの事情で神を信じることなく生きてきた人間に「(人生の)道がわからないのか」と怒ってはいけないのだ。●「藤林本」を送ったのに(それも大量に)未だ代金を支払わない男がいて「イライラ」しているが、それも「心で殴る」ことになるのだと反省。その人はあるいは生活費に困っているのかもしれない。催促することは「殴りつける」ことなのだ。やめておこう。イエスの次の忠告を思う。

塚本訳 マタ 18:21-35
18:21 その時ペテロが進み寄ってたずねた、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したとき、何度赦してやらねばなりませんか。七度まででしょうか。」
18:22 イエスがこたえられた、「いや、あなたに言う、七度までどころか、七十七度まで!
18:23 だから天の国は、王が家来たちとの貸し借りを清算しようとするのに似ている。
18:24 清算を始めると、(王に対し)一万タラント[三百億円]の借りのある家来がつれて来られた。
18:25 返すことができないので、主人は(その家来に、)自分も妻も子も持ち物も全部売って返すように命じた。
18:26 家来はひれ伏して、しきりに願った、『しばらく待ってください。全部お返ししますから。』
18:27 そこで主人は気の毒に思って、身柄をゆるした上、借金にまで棒を引いてやった。
18:28 ところがその家来は出ていって、自分に百デナリ[五万円]を借りているひとりの同僚に出合うと、これをつかまえ、喉頚をしめて、『借りているものを返せ』と言った
18:29 同僚はひれ伏して、『ちょっと待ってくれ。返すから』と頼んだ。
18:30 しかし承知せず、(裁判官につれて)行って、負債を返すまで牢に入れた。
18:31 その人の同僚たちはこの出来事を見て非常に悲しみ、行って、出来事の一部始終を主人に報告した。
18:32 すると主人はその家来を呼び出して言う、『不埒な家来、あなたが頼んだから、わたしはあの負債に全部、棒を引いてやったのだ。
18:33 だからあなたもわたしに情をかけてもらったように、同僚に情をかけてやるべきではなかったのか。』
18:34 そこで主人は怒って、負債を全部返すまでその男を獄吏に引き渡した、(いう話。)
18:35 わたしの天の父上も、もしあなた達ひとりびとりが心から兄弟を赦さないならば、同じようにあなた達になさるであろう。」

●キリスト信者の終末への備えは、主が我々を赦して下さったように、神を信じない者を赦し続けることである。●なにか主のために「ヒトカドの行為」をすることではない。天下国家を断罪したり、社会的に意義のある事業をしたり、キリスト教の冠を掲げる行為をすることではない。そういうこことをやって「得々」と神の前に出ると神は次のように言うであろう。

塚本訳 マタ 7:22-23
7:22 (最後の裁きの)かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、(入れてください。)『わたし達はあなたの名で伝道し、』あなたの名で悪鬼を追い出し、あなたの名で奇蹟を沢山行ったではありませんか』と言うであろう。
7:23 その時わたしは、はっきり彼らに言おう、『かってお前たちを弟子にした覚えはない。『この不届者、わたしを離れよ!』』と。

塚本訳 ルカ 18:9-14
18:9 なお、自分(だけ)は信心深いとうぬぼれて人を軽蔑している者たちにも、この譬を話された。
18:10 「二人の人が祈りのために(エルサレムの)宮に上った。一人はパリサイ人、他の一人は税金取りであった。
18:11 パリサイ人は(得々と)ひとり進み出て、こう祈った
、『神様、わたしはほかの人たちのように泥棒、詐欺師、姦淫する者でなく、また、この税金取りのような人間でもないことを感謝します。
18:12 わたしは一週間に二度も断食し、(きまったものの一割税だけでなく、)一切の収入の一割税を納めております。』
18:13 しかし税金取りは(罪に責められ、)遠く(うしろ)の方に立ったまま、目を天に向け(て祈りをささげ)ようともせず、ただ胸をうって、『神様、どうぞこの罪人のわたしをお赦しください』と言った。
18:14 わたしは言う、あの人でなく、この人の方が(神から)信心深いとされて、家にかえっていった。自分を高くする者は皆低くされるが、自分を低くする者は高くされるのである。」

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孫の初音(5歳)。2008.8.13 9:00

●食卓での会話。孫の初音(5歳)「シュート君のこと好き。デートしちゃった。ワタシ結婚するんだ」「シュート君はカノンちゃんとワタシのことが好き」。ジージ「それならシュート君に嫌われないようにしなくてはいけない。『いや、いや』しないでなんでも『ハイハイ』という子にならなければいけないよ」。・・・・・この子はませている。先が思いやられる。誰に似たのだろう。それにしてもジージの注意は説教臭くていけない。これじゃー孫に嫌われる。 ●三浦綾子の文学は「キリスト教宣伝文学」で説教臭くていけない。キリスト教文学ならトルストイの民話やオスカーワイルドの「幸福の王子」のようでなければいけない。そこにはキリストの言葉は出てこなくても「キリストの香り」がある。これと同じく「キリストの冠」をつける慈善企業や慈善行為や親業や建築はまだ文化の底が浅い。人生また同じ。神父や牧師と分かるような「職業宗教家」は文化の底流にキリスト教を浸透させにくい。

●オスカーワイルド(1854-1900)の短編「幸福の王子」はキリス教文学の中で傑作と思う。一心に王子に仕えるツバメ。南の島に帰る仲間においていかれて冬になり凍え死ぬ。身体の金箔がはがれ何の価値もなくなって民衆から馬鹿にされる王子、そのそばにツバメの死体がある。・・・この王子もツバメもキリスト信者として理想の人生だ。涙を禁じえない。さすがは英国文学。キリスト教が底流にある。しかし読む人に信仰がないとその深い意味はわからない。

●私に向かって「真面目な信仰者は堅苦しく、また心が狭い」と言うう連中がいる。そういう人間類型は判でついたように決まっている。「遊び人」か「この世的人間」である。それが信者の中にいるから困るのだ。真面目な信者に牙を剥いて「歯向かってくるのは社会派信者また同じ。そういう人間は我こそは本当の信者であると自認している「行為主義者」。八つ裂きにされるらしい。(ルカ12:42-46)

●隣の部屋からモーツァルトの「ヴェスペレ」が流れてくる。私の大好きな曲。今秋、妻がプラハのスメタナホールでモーツァルトの「レクイエム」と共に歌う。●11:40高橋穂澄と和歌(3歳)が練馬から来訪。初音と和歌は従姉妹どおしてよく遊ぶ。●大人たち(私たち夫婦と穂澄)は長懇談。

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孫世代の従姉妹どおしはよく遊ぶ。左伊勢初音(5歳)、右高橋和歌(5歳)

2008.8.13 13:30

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後列左から高橋照男、高橋穂澄、高橋トミ子。前列は従姉妹、左から高橋和歌(3歳)、伊勢初音(5歳)

2008.8.13 16:06

●18:00夕食時。5歳の孫の初音にも、精神的に深い悩みがあることを知った。そこで私は答えた「初音さんを一番可愛がってくれる人はいっぱいいるよ。その中でも一番は天の神様だ」。するとうなずいてくれた。ガッツポーズ。通っている教会に感謝。孫をここまで教育してくれたことは教会のすごい組織力だ。教育は100年の計。無教会はそれを怠ってきたから今日の衰退がある。●今日も3人で寝る時にお祈りした。 初音「今夜事故とか起こりませんように。このお祈りをイエス様のお名前を通してお捧げいたします」●孫の人生は祈ることができるようになれれば祖父として安心だ。それは健康、財産、学力、良縁以上に良いものを保有したことになる。全宇宙の造り主なる神を味方にできるからだ。



 

 

 


 


 


 

 

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愛の思い出が残るのはなぜか ++++++++ 所感

2008/08/12 09:30

080812(火)5時起床。昨夜は妻と孫の初音と3人で川の字になって寝た。こういう形は30年ぶりだ。●孫の初音と早朝散歩。秋留台公園で一緒にラジオ体操●初音「ジージの机、汚いねー。片づけなければいけないでしょう」・・・・子供は「真理を遠慮なく言う」。 なぜか。恐れるものがないからなのだろう。次の聖句を思い出した。

t塚本訳 マタ 21:16
21:16 イエスに言った、「あの子供たちがなんと言っているのか、聞えているのか。」イエスは言われた、「聞えている。あなた達は『(神よ、)あなたは幼児と乳飲み子との口によって、(御自分のために)賛美をお備えになった』と詩篇にあるのを、まだ読んだことがないのか。(大人が黙っているから、子供が叫ぶのだ。)」


口語訳 詩  8:2
8:2 みどりごと、ちのみごとの口によって、ほめたたえられています。あなたは敵と恨みを晴らす者とを静めるため、あだに備えて、とりでを設けられました。

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孫「ジージ、双六と(トランプの)神経衰弱ヤッテ」。私(心で)「ダー!」。しかし妻が孫の相手をしてくれた。子育ては女性だ。感謝。2008.8.12 10:00

●人間関係で「愛の思い出」というものは不思議に残る。これはなぜなのだろう。それは人間にとって「愛」ということが最高の目的なのだからだと思考する。 その聖書的根拠を探る。

文語訳 ヨハ 15:13
15:13 人その友のために己の生命を棄つる、之より大なるはなし。

●人間の意志行為で自分の命を捨てるとき、それは人間の栄光は上がっても神の栄光は上がらない。カトリックのコルベ神父が身代わりになって死んだこと、洞爺丸事件で牧師が浮き輪を人に渡したこと、、無教会者が軍事国家体制に果敢抵抗したことなどは、人間性が誉められても神の栄光は上がらない。


塚本訳  マタ 22:36-37
22:36 「先生、どの掟が律法の中で最大ですか。」
22:37 イエスは言われた、「『心のかぎり、精神のかぎり、』思いの『かぎり、あなたの神なる主をせよ。』

●教会主義と無教会主義の違いは教会という組織の有無ではない。「神の主権を第一にする」か否かである。そうすると時には国を、家族を、教会を、然り、自分の人生を捨てることにもなる。神ママで生きる結果である。


塚本訳 Ⅰコリ13:4-13
13:4 はじっと辛抱する、は親切である。妬まない、は自慢しない、得意にならない。
13:5 無作法をしない、自分勝手をしない。激昂しない、『(人の)悪いことを根にもたない』。
13:6 偽りを見て喜ばない、むしろ真理を喜ぶ。
13:7 すべてを我慢し、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐え忍ぶ。
13:8 愛は決してすたらない。預言も無くなるであろう、霊言もやむであろう、知識も無くなるであろう。
13:9 なぜなら、わたし達がいま知っているのは部分的であり、預言しているのも部分的であって、
13:10 完全なものが来る(最後の)時には、部分的なものは(みな)無くなるからである。
13:11 わたしが幼児であった時は、幼児のように語り、幼児のように思い、幼児のように考えていたが、おとなになると、幼児の時のことを捨ててしまった(のと同じである)。
13:12 わたし達はいまは(何事も)鏡でおぼろに見ているが、(完全なものが来る)その時には、顔と顔と相対してみるのである。いまはわたしは部分的に知っているが、その時には、(今神に)知りつくされているからそのようにわたしも知りつくすであろう。
13:13 それゆえに、いつまでものこるものは信仰と希望と、この三つ。しかし、この中で一番大きいのは

●この「愛の定義」を書いたパウロという人物は超スゴイ人物だ。2000年も前の話、人類は進歩しているのだろうか。「愛は残る」とはここに出ている。


塚本訳エペ 5:25
5:25 夫達よ、妻をせよ、キリストが教会をし、そのために自分を棄て給うたように。──

●いわゆる「恋愛」は動物的生理的「好き」というレベル。それは本当の愛ではない。なぜか、恋愛は第3者を排除するから。だからその二人の関係はそのうちドロドロになる。にっちもさっちもいかずに息苦しくなる。●夫婦の愛は男の方が高度であると感想を述べた人がいた。なぜか。この句を引用して妻を愛するのは男であってそれは「死」をかけることができるからという理由であった。面白い理由であった。しかし現実はどうか。伴侶のために目立たないようにその生涯を捧げているのは妻ではないであろうか。 

●伊勢喜明氏から電話。今度の子供の名前は「健太郎」に決めたという報告。健やかに、健やかに育ちますように。●今日もまた孫の初音とプール。4メートルぐらい泳げる。もぐってじゃんけんができる。水の中で目を開けているのは立派。息つぎができるのは時間の問題●その後図書館に行って3冊、「図書館のおねーさん」が探してくれた。「間違い探し」の本を3人でやったが、私は途中でリタイヤ。妻が最後まで付き合ってくれたのは感謝。子育ては女性だ。●21:30 今井館の管理人倉石真氏(新進のテノール歌手)から「地デジ」テレビ導入のことで相談の電話。後半は音楽談義。音楽が共通の話題になる

 

 



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「まいった」する心 ++++++++ 所感

2008/08/11 08:01

080811(月)、夏休み。5時起床。今日は孫が来る。命が来る●北京オリンピック。柔道66キロ級決勝を見る。内柴選手がフランス人選手を抑え込むと「まいった」の合図で一本勝ち。すぐ「まいった」をしたのを不思議に思った。そして「まいった」のルールのある柔道を尊敬した。そこに美しいものを感じた●「まいった」の精神を聖書に求める。あるか。ある。こういうのを探すのはコンコルダンスでも引照集でもできない。 頭の中で聖書全体をくるくる検索する。これはパソコンではできない。建築デザインの発想がパソコンではできないのと同じ。

塚本訳  ロマ 7:24
7:24 なんとわたしはみじめな人間だろう!だれがこの死の体から、わたしを救い出してくれるのだろうか

●これはパウロの「まいった」である。この「まいった」の合図に神は応えて救いの手を伸ばすのだ。抑え込みの締め付けを外すのだ。●もう一つ心に浮かぶのは次である。

口語訳 詩  50:15
50:15 悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう」。

●人生にはどうしようもない苦しみ、万策尽きるときがある。そのときは「人間的な意地」をはって頑張らないで、神にギブアップ、まいったをしなければならない。神はた助けてくれる。審判は試合をストップさせる。●日本の親はすぐ「ガンバレ、ガンバレ」というが。あれはあまり美しい心ではない。「頑張り」というのはみっともない言葉。頑固の「頑」と、欲張りの「張り」が組み合わされた言葉。教養なく育ちが良くない人がよく発する。「勉強、あの人に負けないようにがんばりなさい」という親の叱咤激励がいたいけな子供を潰す。親の見栄とブランド志向に幼児や子供が利用されている●日本に真の宗教が根付かない原因の一つに親たちの子供に対する「ガンバレ精神」がある。宗教なんかに走るのはみっともない。もっと自分の努力で「がんばりなさい」という。これがいけない。罪の自覚の苦悶には人間は「まいった」をせざるを得ないのだ●孫たちに伝えたい言葉は詩篇50:15「悩みの日に主を呼べ」である。●下着を取ろうとしたら上着をも与えよというのも「まいった」に似ている。「悪魔に絡まれたら戦うな」ということである。相手がこの世的な悪魔であったら「36計逃げるが勝ちだ」の方が賢い。がんばって立ち向かわない方がよい。撲滅しようとしない方がよい。あんな馬鹿連中と戦うとこちらのレベルが下がると思えばよい。神が何とかして下さる。●こちらの柔道の階級は「神の血潮」で清められた軽量級なのだ。「この世の罪の重荷に絡まれている重量級の連中とは階級が違うのだ」。同じ土俵には上がれないと思えばよいのだ。

塚本訳 マタ 5:38-42

♦悪人に手向かうな

5:38 あなた達は(昔の人がモーセから、)『目には目、歯には歯』──(人の目をつぶした者は自分の目で、人の歯を折った者は自分の歯で、つぐなわなければならない)と命じられたことを聞いたであろう。
5:39 しかしわたしはあなた達に言う、悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打ったら、左をも向けよ。
5:40 (裁判所に)訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせてやれ。
5:41 だれかが無理に一ミリオン[一キロ半]行かせようとするなら、一しょに二ミリオン行ってやれ。
5:42 求める者には与えよ、借りようとする者を断るな。

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早朝散歩で、ラジオ体操 2008.8.11 6:38 秋留台公園

指導者のやり方は少し違う。見え方がきれいになるようにしている。

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早朝散歩。今日も「農業ハウス」の研究。光を通す緑色のビニールが開発されれば、日本の田園の景観も良くなるかもしれない。2008.8.11 6:52

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孫の初音(5歳)が来た。市民プールの「流れるプール」で遊ぶ。「ジージはデブッチョだねー」と言われた。ズバリ言う態度は誰に似たのだろう。水に顔をつけて浮けるので間もなく泳げるようになる。大人のプールに移って、あきる野市民水泳大会4位(シニアの部)の実績を持つ私の泳ぎ方のカッコイイ姿を見せたが、顔を上げてプールサイドの初音をみると全然見ていない。「コノーォー!」。このことを「親の心子知らず」というのだがマテヨ「子の心親知らず」かもしれないと反省。 2008.8.1113:21

●見せびらかせようとしたのがいけなかったのだ。猛省。次の聖句通りだ。

塚本訳  マタ 6:1-2
6:1 (しかし戒めだけでなく、行ないにおいても聖書学者、パリサイ人以上でなければならない。すなわち)見せびらかすために、人の見ている前で善行をしないように気をつけよ。そうでないと、あなた達の天の父上の所で褒美をいただくことはできない。
6:2 だからあなたが施しをする時には、偽善者のように、自分の前にラッパを吹きならして(吹聴して)はならない。彼らは人に褒められようとして、礼拝堂や町の中でそうするのである。アーメン、わたしは言う、彼らは(褒められたとき、)すでに褒美をもらっている。

 ●我が家に孫が一人で泊まりに来たのはこの初音が初めて。寝るときの初音の祈り。「神様、地震とか火事とかが来ませんように。怖い夢を見ませんように。このお祈りをイエス様のお名前を通してお捧げいたします。アーメン」。通っている教会学校の指導は大したもんだ。無教会の反省点。●北京オリンピック。建築技術、運営方法、計測技術など大したものだ。何よりも中国国民が世界の人を歓迎しているのはうれしいことだ。●建築は、国家スタジアム(鳥の巣)も素晴らしいが国家水泳プールもすばらしい。建物全体が内部の光で光る。中国の建築技術を見直した。

 北京オリンピックメインスタジアム鳥の巣

中国国家スタジアム(通称鳥の巣)

これはスイスの設計事務所「ヘルツォーク&ド・ムーロン」のデザイン。そこに在籍していた日本人建築家菊池宏氏が参加。次は菊池氏の言葉

『「担当者は大変だろうな」。人ごとのように思っていたが、「手助けしてくれ」と頼まれ、外殻の設計を引き受けた。特殊なコンピューターソフトを駆使し、04年初旬から約3カ月かけて作業を進めた。3、4人が担当を断るほど難しい仕事だった。・・・あれだけ複雑な建造物ができたのは奇跡に近い。中国人の底力を感じた」。安い人件費と豊富な労働力、そして五輪に向けた社会の高揚感。「多くの条件がそろう現在の中国でなければ、完成できなかったはずだ」と実感した。』

 ●国家体育場は南北333メートル、東西294メートル、高さ69メートルの巨大施設。最大で9万1000人を収容できる。さまざまな長さや形の鉄骨を組み立てて本体を殻のように包み、鳥の巣のように見える外観ができあがった。鉄骨の総重量は4万2000トン。ピーク時には建設現場で約8000人が働いていたという。●建築は設計にも施工にも「苦脳」があったものだけが人の心を打つ。ローコストかつ経済効率のみを追及する日本の建築に心を打つものは少ない。それは「苦脳なき楽な道」なのだ。人生これまた同じ。 ●私の町に超ローコストのプレハブ住宅を建てた人がいる。それは南極基地のようなもので工場生産率は高いもの。部屋のユニット(スチール製)を現場にクレーンで運搬してそれをくっつけるだけのもの。案の定満足がいかなくてほどなく解体して新しく自由設計の家を新築した。こういうのを「安もの買いの銭失い」という。建築は「自由設計」というものが「満足いく」。人間には個性という尊厳があるからだ。それを無視して「金の効率」を第一にするのは偶像礼拝の罪悪に近いのだ。しかし、無駄で贅沢で遊びの建物必ずしも満足はいかない。そこが建築主と建築士の教養が現れる。

 

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韓国人の無教会観 ++++++++ 所感

2008/08/10 11:04

080810(日)5時起床●気合いを入れて、黒崎プロジェクト、ネストレ引照の26章を入力。スタッフへの送信メールを次のように書いた。一部改変。

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スタッフ殿

26章、息詰まる章です。イエスの孤独を思って思わず涙しました。

イエスは貧しい家庭に生まれ、結婚もせず、母と別れ、弟子に捨てられ、誰にも理解されずに、痛い目にあわされて死んで行った「神の子」!!。

「気の毒な生涯」!!。神はそのイエスを有体的に復活させた。神の逆襲。それで人類は救われた。

26章をやり、福音書はやはり「受難物語」が中心であることがわかります。黒崎プロジェクトの一員、感謝。

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●14:00「歴史に学ぶ会」(今井館)。韓国人2名の無教会をめぐる講演。

①吉廣雄(キルガンウン)「韓国無教会の発生とその将来」、②徐正敏(ソションミン)「韓国教会史における無教会主義」。まとめは津上毅一氏と千葉真氏。●徐正敏(ソションミン)の講演は各国において独自のスタイルのキリスト教が生まれるものが「本物」だという主旨。同感だったので、終了後固い握手を交した。●内村鑑三の無教会は「日本的キリスト教」、内村に学んだ韓国人金教臣によって生まれた韓国の無教会は「韓国的キリスト教」●建築にも、英国風、フランス風、日本風があるのが自然。戦後「国際建築」という運動があり世界共通のデザインを目指したがその後下火で今はない。●信仰のスタイルにも女性的なるものと男性的なるもの、若者的なるもの、中年的なるもの、老年的なるもの、都会的なるもの、地方的なるもの、戦中派的なるもの、戦後的なるもの、現代的なるものなどがあるのが自然の姿である。

 

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呪縛と縛りからの解放 ++++++++ 所感

2008/08/09 08:53

080809(土)5時起床●朝の黙想。「呪縛からの解放」。●人間たるもの必ず何かに「呪縛」されている。縛られている。その不自由さの苦しみからの「自由、解放」が文化文明進歩の原動力である。しかしその「呪縛と縛り」からの解放に2種類ある。「自由と解放」をされるべき「呪縛と縛り」と「自由と解放」がされてはならないものである。●人間が解放されるべき「呪縛と縛り」は「過去の罪」の苦である。また「死後の不安」である。この「時」の前後は人間として「そうしようもない」「縛りである。これは有限なる人間としてどうしようもない「時の縛り」の問題である。人間はこの「加古の時」の呪縛、「死後の世界」の不安から解放されなければならない。神はこの有限なる人間としての最奥の悩み悲しみを、「十字架と復活」ということを通して解放した。これぞ最高の「福音」である。このことに関してはHp使徒伝承」の「人間、この有限なる者の悩みと悲しみ///・・・有体的復活の使徒伝承に連なる喜び」を参照。下記URLをクリックすると出る。
http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/denshou/nin.htm

●問題は「今の時」の呪縛と縛りからの解放である。イエスは「悪霊や病」に苦しむ人を解放した。また思想的呪縛に苦しんでいる人を解放した。それはユダヤ教の律法主義からの解放であった。罪人や税金取りは「ユダヤ主義」によって思想的に呪縛され縛られていたので、彼らの味方になって救った●この「思想的呪縛と縛り」は今に生きる人間の最も深刻な問題である。子供たちは「学歴主義」の呪縛で苦しむ。立身出世することが幸福の条件だという思想的縛りに苦しむ。キリスト信者は「教会主義」という思想的呪縛と縛りで苦しむ。ムk東海主義はそえから神学的に解放した。ところがその無教会主義の中に「行為主義」「人間主義」が蔓延し、思想や人間の呪縛に苦しんでいる人がいる。これには人間ではなく「神第一、神にのみ主権を認める、聖書にのみ権威を認める」。信仰告白という行為も含めて「行為主義」から解放されるのには「正統信仰」の徹底が必要。それが人間を「思想的呪縛」から解放させる。●人間がこれこそが「呪縛と縛り」だと思い、それからの解放が人生の目的と考える人間グループがいる。①政治的開放運動、②社会的経済的抑圧からの解放運動、労働運動③妻は夫から解放されなければならにという啓蒙思想の婦人運動、④学歴出世主義は、子供を抑圧しそれに伴い疾病や親殺しの事件になる。そういう抑圧からの解放・・・・・などなど、「今の時」はその時代特有の「呪縛」がある。アウグスティヌスには「マニ教」の呪縛があった。●クリスチャンはその「今の時」の呪縛や縛りから解放されよう、解放しようと思って「人間運動」をする。しかしそれは神抜きで可能。何もキリスト教を掲げなくてもよい。その熱心さはヒューマニストやマルキストのほうが熱心で徹底的絵ある。勇敢である。●キリスト信者の使命は「今の時の苦しみ」(パウロ、ロマ書8章18節)からの解放でなく、「時の前と後」に対する有限なる人間としてどうしようもない「苦脳懊悩」からの解放である。それでは何がその「懊悩苦脳」から人間を解放し救うのか、「十字架と復活」の使徒伝承の連鎖的告知に連なることである。●そのことを第一に強調しないで「今の時の苦しみ」を解放しようと「人間運動」に狂奔する人間は、「熱心だが的が外れている」。

塚本訳  ロマ 10:1-2
10:1 兄弟たちよ、彼ら[イスラエル人]が救われること、これがわたしの切なる望み、また彼らのための神への願いである。
10:2 彼らは神に対して(ほんとうに)熱心だからである。そのことを彼らのために証明する。ただ、(残念なことに、その熱心が正しい)認識を欠いている。

●キリスト教徒は自分を福音に導いてくれた大恩人の「人間的思想」の呪縛を受ける。カトリック信者はローマ法王、ルター派はルター、カルヴィン派はカルヴィン、メソジスト派はウェスレー、これらの教派主義を嫌って出発した無教会主義者は内村鑑三。これら人間はは皆「使徒伝承」の周辺の「人間思想」(政治的見解、社会に対する見解、信仰や教会や集会のりかたや雰囲気)に呪縛汚染されてこれら周辺のものを「伝承」している。中心的な「使徒伝承」という本物を伝承していない。●メニューイン+フルトヴェングラーでブラームスのヴァイオリンコンチェルトを鑑賞。スゲー。1949 年入魂の演奏。第2楽章のオーボエ演奏はエドガスキャン。これがまた素晴らしい泣けてくる。私の知人のことを思った。彼は生まれつきの小児麻痺、うまくしゃべれない。しかし音楽好きでブラームスが好きだという。夫人がまた偉い。そんな彼の妻となって尽くしている。子供はない。●朝から猛烈な暑さ。ぐったりで何もできないのでたまらずクーラーを入れる。クーラーは「救い」だ。肉体が楽になる。地球温暖化問題。CO2削減問題はどう考えたらよいのだろう。机上の論理だけではだめだ。●モーツァルトのレクイエムをベーム+ウィーンフィル+ウィーン国立歌劇場合唱連盟+ソプラノ・エディットマチスで鑑賞。1971年ウィーン楽友協会(ウィーン。ムジークフェラインザールでの録音)。これはベーム2度目の録音で名演。今日はCDで聴いたが、やはりレコードの方がよい。●黒崎註解デジタル化プロジェクト。ネストレ引照入力。●K氏邸ドラフト24.●荒川の愛子の所に産後の手伝いに行っている妻から電話。今日も野菜炒め。これ得意になった。自分で作る料理はおいしいもんだ。

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「祈りは聴かれる」「疑うな、あきらめるな」 ++++++++ 所感

2008/08/08 13:23

080808(金)3時半起床●ヤコブ書5章15-18節の研究。

まず翻訳比較

岩波翻訳委員会訳1995

 590515信仰の〔うちになされる〕祈りは弱り果てた人を救い、

 主が彼を起こして下さるであろう。彼が〔以前に〕罪を犯していたとしても、〔その罪は〕赦されるであろう。

590516それゆえ、互いに自分の罪を告白し合いなさい。そして、癒されるため、互いのために祈り合いなさい。

義人の嘆願は大いに力があって、効果を生むことができる。

590517エリヤは私たちと同じような人間であつたが、雨が降らないようにと、彼が熱心に祈ると、その地には三年六ヵ月の間、雨が降らなかった。

590518そして、再び祈ると、天が雨を降らせ、大地はその実を実らせた。

 

新共同訳1987

 5:15 信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます。

 5:16 だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。

5:17 エリヤは、わたしたちと同じような人間でしたが、雨が降らないようにと熱心に祈ったところ、三年半にわたって地上に雨が降りませんでした。

5:18 しかし、再び祈ったところ、天から雨が降り、地は実をみのらせました。

 

前田訳1978

 5:15 信仰による祈りは病む人を救い、主はその人をお立たせになります。その人が罪を犯していてもゆるされます。

 5:16 それで、互いに罪を告白し、いやされるよう互いのためにお祈りなさい。義人の祈りは力強く、働きがあります。

5:17 エリヤはわれらと同じような人間でしたが、雨が降らないよう祈ると、三年六か月、地に雨が降りませんでした。

5:18 そしてふたたび祈ると、天は雨を与え、地はその実を生みました。

 

新改訳1970

 5:15 信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。

 5:16 ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。

5:17 エリヤは、私たちと同じような人でしたが、雨が降らないように祈ると、三年六か月の間、地に雨が降りませんでした。

5:18 そして、再び祈ると、天は雨を降らせ、地はその実を実らせました。

 

塚本訳1963

 5:15 信仰(による真)の祈りは病人を癒し、主は彼を立たせ給うであろう。そしてもし罪を犯して居るならば、赦されるであろう。

 5:16 だから互いに罪を告白し、医されるため互いのために祈れ。義人の(熱心な)祈りは働くと大きな力がある。

5:17 エリヤは私達と同じ(ただの)人間であるが、雨が降らないように切に祈ると、地上に三年六か月雨が降らなかった。

5:18 そして再び祈ると、天は雨を与え地はその果実を生じた。

 

口語訳1955

 5:15 信仰による祈は、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。かつ、その人が罪を犯していたなら、それもゆるされる。

 5:16 だから、互に罪を告白し合い、また、いやされるようにお互のために祈りなさい。義人の祈は、大いに力があり、効果のあるものである。

5:17 エリヤは、わたしたちと同じ人間であったが、雨が降らないようにと祈をささげたところ、三年六か月のあいだ、地上に雨が降らなかった。

5:18 それから、ふたたび祈ったところ、天は雨を降らせ、地はその実をみのらせた。

 

文語訳1917

 "590515","さらば信仰の祈は病める者を救はん、主かれを起し給はん、もし罪を犯しし事あらば赦されん。"

 "590516","この故に互に罪を言ひ表し、かつ癒されんために相互に祈れ、正しき人の祈ははたらきて大なる力あり。"

"590517","エリヤは我らと同じ情をもてる人なるに、雨降らざることを切に祈りしかば、三年六个月のあひだ地に雨降らざりき。"

"590518","かくて再び祈りたれば、天雨を降らし、地その果を生ぜり。"

●次にヤコブ5:15をTSK(聖書知識の宝庫、英・米製)で調べて見る、心に響いたものは次。

塚本訳 マタイ17:14-20

"401714","(山を下りて)群衆の所にかえると、ひとりの人がイエスに近寄り、ひざまず
いて"
"401715","言った、「主よ、どうぞ伜にお慈悲を。癲癇で、ひどく苦しんでおります。幾た
びも幾たびも火の中、水の中に倒れるのです。"
"401716","それでお弟子たちのところにつれて来ましたが、なおおしになれませんでし
た。」"
"401717","イエスは答えられた、「ああ不信仰な、腐り果てた時代よ、わたしはいつまであ
なた達と一しょにおればよいのか。いつまであなた達に我慢しなければならないのか。そ
の子をここにつれて来なさい。」"
"401718","そしてイエスが悪鬼を叱りつけられると、悪鬼が出ていって、その時から子は
なおった。"
"401719","あとで弟子たちは人のいない時にイエスの所に来て言った、「なぜわたし達には
悪鬼を追い出せなかったのでしょうか。」"
"401720","彼らに言われた、「信仰が無いからだ。アーメン、わたしは言う、もしあなた達
に芥子粒ほどでも信仰があれば、この山に向かい『ここからあそこに移れ』と言えば移り、
あなた達に出来ないことは一つもない。」"

塚本訳 マタイ21:17-22

"402117","イエスは彼らをすて置き、都を出てベタニヤにゆき、そこで夜を過ごされた。"
"402118","(次の)朝早く都に帰られるとき、イエスは空腹であった。"
"402119","それで道ばたに一本の無花果の木があるのを見て、そこに行かれた。が見ると、
ただ葉ばかりで何もなかった。イエスはその木に言われる、「もはやいつまでも、お前に
は実がなってはならない!」無花果の木は見る間に枯れてしまった。"
"402120","これを見て弟子たちは驚いて言った、「なぜ無花果は見る間に枯れてしまったの
ですか。」"
"402121","イエスは答えられた、「アーメン、わたしは言う、もしあなた達に信仰があって
疑わないならば、この無花果におこった(と同じ)ことをすることができるばかりか、こ
の山にむかい『立ち上がって海に飛び込め』と言っても、その通りになる。"
"402122","信じて祈れば、求めるものはなんでも、戴くことができる。」"

●反省。このイエスの言葉を私はまともに心から信じているだろうか。正直なところ半分疑ってかかっている。●その結果、どういうことになるかというと。ガンは治らないと決めてかかったり、あの人は救われないのではないかとあきらめている。また自分の余命年数を決めてかかっている●しかしイエスは「祈りは聴かれる」「疑うな、あきらめるな」と言うのである。(猛省)。私はのイエスの言葉を人に教えることは出来ない。この点「信仰は女性」である。まともに信じるから立派である。●古きクリスチャンの知人からご主人が無宗教だが葬儀の方法をどうしたらよいか「ご意見を伺いたい」というので手紙で答えた。公的な問題なので、さしさわりのあるところを改変や削除して公開する。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

〇〇様

さて葬儀の方法について「いつか高橋さんに相談してみようと思っていました」という部分がございましたので、私の考えるところを述べます。

クリスチャン人口1%の日本にとって葬儀の方法は難問です。私の年来の「人は神の主権で墓から呼び出されて有体的に復活する」という話を聞枯れた、御年配の方から長文の感謝のお手紙が参りました。概略次のようなことでした。『キリスト教で結婚式を挙げたが、妻は3年前に先に逝った。自分としてはキリスト教で葬儀をやりたかったが、病身の故、信仰のない子供二人の主導で仏教で式をやられてしまった。すると集会(無教会ではこういいます)の長老から大叱責された。それ以来、自分は信仰の薄い裏切り者ではないか。終末のときに妻は神に迎えられるのだろうか、と悩み続けてきた。しかしこのたび高橋さんの「人間は神の主権にもとづく呼び出しで有体的に復活させられる」というお話で、悩みから解放され楽になりました』。・・・・・私(高橋)は思いました。「真理は人を自由にする」と。ヨハネ8章3節。・・・そしてこれは私が語ったのではない。神ご自身が真理をお語りになったのだと感じました。つまりこのは「行為主義」という呪縛から解放されたのでした。

次の話。一昨年聖地旅行を一緒にした集会のYさん(73歳)は御結婚されず、しかもご兄弟がおられませんでした。生前から自分が死んだら両親の眠る仏教のお寺に入りたいということをもらしておられました。先月肺ガンで召されましたが、ご希望通り仏式で葬儀を行い、ご両親の眠る新宿のお寺に入ります。そこで集会で私はYさんを追悼する話をして、終末の時にはきっとYさんに会える。なぜなら神が彼女を墓から呼び出すからだといいました。つまり、人間は葬儀の方法で神の国に迎えられたり、拒否されたりするのでは「絶対ない」と考えます。なぜか。「死んだものの葬式は死んだ者に任せよ」とイエスは言われるからです。(マタイ8;22)。

次の話。私の母のこと。母は私の長年の祈りもむなしく信仰を持つことなく4年前に肺ガンで亡くなりました。最後、昏睡状態に陥ったとき、私は非常に落胆しました。母は遂に自分の口で信仰を表明せずに死んでいくのか。これでもう救いの望みはないのだ。母は救われないのだ。・・・するとその昏睡睡状態の中から「照男ちゃん、照男ちゃん、照男ちゃん、照男ちゃん、」と手をまさぐるようにして4回も言ったのです。私はぞっとしました。不思議な光景でした。母が私を呼んだということはどういう意味か今となっては聞くことも出来ずにわかりませんが、私はそのときはっきり自覚しました。「神は母を捕らえてくれた」と。つまり救いは人間の側の「行為としての信仰告白」にはよらない。全く神の自由なる主権で救われるのだと。・・・この母の私への「呼びかけ」を聞いてから私は「楽」になりました。何よりも沈みこんでいた私に平安がおとずれたのでそばに居た妻も「楽」になったそうです。神は昏睡状態の母に「照男ちゃん」と言わせることにより私を安心させてくださったのだと今も思っています。神は「お母さんのことは引き受けた安心せよ」と私に示してくださったのだと思っています。母は葬儀なしの「献体」を希望してましたのでそのようにしました。ただ埋骨の時には「照男君に拝んでもらいたい」と言っていましたので親戚を呼び墓前で私が聖書を読んで祈りました。墓地は私の住むあきる野市に近い「秋川霊園」です。そこには16年前に召された父が眠っています。

以上が最近体験した葬儀の事例です。あなた(〇〇様)の場合については不肖私は次のように思います。〇〇様が先に召される場合は所属されておられる教会が葬儀をしてくれるでしょう。そのためには生前にご主人に「私が先に死んだら教会で葬儀をするように依頼して欲しい」と言っておく必要があります。反対にご主人が先に召された場合。ご本人に信仰がなく、しかも「ご主人」のご本家が熱心な仏教徒であることから、仏式が自然な形と思います。夫婦が違う葬儀であることは、特に片方がクリスチャンである場合は「非常に残念無念」かつ「祈りの足りなさ」で自分を責めるようになりますが、救いは神の主権に基づくこと、人間の責任ではありません。問題は墓地、お墓、墓石。・・・これにはこう思います。次のようにしています。ご主人の眠る仏教のお寺の墓に埋骨されることが自然です。そのとき、墓誌の名前の上に十字架を刻印してもらうのです。私は集会の人にそう勧めています。ご主人と別れて自分だけ「教会墓地」に埋骨されるのはいかがなものでしょう。どうせ私たちは「墓から呼び出されて」有体的に復活する身なのです。そのときは再会です。どこの墓に居ようとも「呼び出される」のです。 日本の長男はキリスト教に入りにくいと言われています。なぜなら先祖から続く檀家の地位を捨てなければならないからです。わたしはこの文化的摩擦には無理があってはいけないと思っています。止むを得ぬ理由で仏教の寺に入っても「救い」が無効になることは「絶対にありえない」と信じます。

以上、深刻な話になりましたので、最後に私自身のこと。私は先に述べた秋川霊園の父母の眠る墓に入ります。その墓標には「神は愛なり」と書かれてあり-ます。命日には妻と墓参に行きます。あるとき墓の前で私は妻に尋ねました。「あなたもここに私と一緒に入ってくれますか」。すると妻は言いました「考えておきます」。・・・・!!!????・・・・こりゃー大変だ。これからの妻に対する態度如何で「一緒に眠ってくれるのかどうかが決まる」。!!!。

こう言われりゃー、妻を大切にしなきゃーいけないなーと思う毎日です。なにせ、わたしは妻が居ないと洗濯機も動かせないからです。(笑)(・・・といって妻は洗濯女ではありませんが)

 

「死は眠り」とイエスは言います。「また会う日まで」が私たちの「希望」です。来世では結婚はないと書いてあります。なぜなら、永遠の生命を頂いたものは「子を産む必要がない」からとあります。

 

塚本訳 ルカ20:34-36

"422034","イエスは言われた、「この世の人はめとり嫁ぐけれども、"
"422035","
あの世にはいる資格を与えられて、死人の中から復活する者は、めとることも
なく嫁ぐこともない。"
"422036","
復活によって生まれる彼らは、天使と同じであり、神の子であるので、もはや
死ぬことが出来ない、(従って子を産む必要がない)からである。"

 

では、またお会いできます日までさようなら。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●9:00オリンピック開会式を観る。国家スタジアム(通称「鳥の巣」・・・中国+スイス人の設計。ベリーグッド)の内部構造。オリンピック旗掲揚の時の音楽(タマラ作曲の名曲)、聖火の点火方法(その技術)、を見ようとしたが、全体時間が長すぎて、肝心の日本国の入場行進の時は眠っていた。それにしても中国13億人のオリンピックにかける熱意は大変なものだ。報道機関の情報だけで中国観を構築するのは誤りだ。●オリオンピックが「平和の祭典」というが「オリオンピックを毎年やるようになっても」真の平和はこない。●「民族、宗教の対立を超えて友好を」という主催者の挨拶にはひっかかる。子供どうしが結束して仲良くしても「親」を認めないのでは「父なる神」としては大不満だと思うからである。

 

 

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人は他人の労苦によって楽になる ++++++++ 所感

2008/08/07 10:25

080807(木)4時20分起床。朝のひらめき。「人は他人の労苦によって楽になる」●これは人生の大真理である。ルターが「人の救いは行いによらず信仰のみによる」との真理を把握したとき歴史が動いたが、「人は他人の労苦によって救われる」という真理はそれ以上に大真理である。人生の公理である。●その聖書的根拠は無数にある。 以下はほんの一例。

塚本訳  ヨハ 12:24
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)


塚本訳  Ⅰコリ15:58
15:58 だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ。骨折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから。


塚本訳コロ 1:24
1:24 今私は君達のために苦しむことを喜びとし、またキリスト・イエスの体なる教会のために私の体でキリストの患難の不足を補っている。


塚本訳  ヨハ 16:21
16:21 女が子を産む時には、女の(宿命の)時が到来したので悲しみがあるけれども、子が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはや(お産の)苦しみを覚えていない。

●夫婦はお互いに自分の生涯を相手に捧げあう。これ「労苦」●親は子供を産み育てる。これ労苦。●キリストはエクレシアのために命を捧げる。これ労苦。●職業社会生活はこれみな他人への「労苦」。●この人生の大真理を教えないで「自由」「解放」「自立」「不服従」などを狂い叫んでそれを人にも教える教師は「盲人を手引きする盲人」。だから女流神学者は嫌いなのだ。その膝もとからはトッポイ人物はでてもよい人物が出るはずはない。●「神に従うことが本当の自由である」というのは人間としての大真理●上司や教師や夫が「バカに見えて」不服従こそ善だと思うとき、全部ではないが一般的にその人の頭はたいていおかしい。「自分の方が正しい。上だ」と思っているからである。それは自分の腹を神と拝んでいる証拠。たとえ「相手がバカで下」だったとしてもそれに対する姿勢がよくないことがほとんど。(自戒)。

塚本訳ピリ 3:19
3:19 あの人達の最後は破滅、その神は自分の腹、その光栄(と考えているもの)は(実は)恥であって、あの人達は(ただ)地のこと(ばかり)に気を取られているのだ!

●「藤林益三」の本の注文に徳島のY氏(81歳)からお電話。手が不自由なので手紙が書けないから電話したという。いろいろ教えられた。なかでも次の言葉が痛かった。「定年制度は企業が自分の都合で勝手に決めていること。クリスチャンに定年はない」「現在の無教会が衰えたのは先人が遭遇したような人生苦が足りないからだ」

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書斎の窓から。昆虫少年がいる。浦和に住んでいた時に私も昆虫少年だった。この年齢になるとすぐ昔のことを思い起こす。 2008.8.7 8:43


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かーちゃん。俺もう一人で生きていけるよ ++++++++ 所感

2008/08/06 06:22

080806(水)5時起床●早朝散歩で農業ハウスの研究をした。毎日何気なく通り過ぎていた「農業ハウス」も、一歩中に入るとそこは別世界。かなり高度なことが盛り込まれている。地球温暖化対策、CO2削減対策に寄与できそうである。また美観も大切。田園がハウスだらけになると景観を壊す。東海道新幹線の岐阜付近はハウスだらけで見られない景観。あれはなんとかならないものか。安いばかりが良いことではない。


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これは本格的なハウス。建築に近い。しかしかなり工場建築のようで汚らしい。屋根も外壁もポリカーぼネートである。これなんとか木造で美しくできないものか。  2008.8.6 5.28

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こうなると工場建築と同じ。工場建築も最近は「美しく」作らなければならない。

これは汚らしい建築。ここで働く人の労働意欲を削ぐ。 2008.8.6 5:38

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農業ハウスをつなげて建てるとこのように中が広く使える。ハウスを建築的につくることのメリット。

こういう大空間となると、かなり建築の技術が必要。これ木造で設計したらかっこいいんだがなー。素材の金属はいただけない。

2008.8.6 5:38

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これはビニールハウス。天井の高さは4メートル程度。天井が高いのはなかなか気持ちがよい。このスパンは木造では難しい。コストがかかる。ビニールだから骨組みが簡単で大スパンが可能。木造なら中央に柱を立てなければならない。作業性が悪いか。  2008.8.6 5:39

 

resize0329.jpg  

前の写真の外観。ハウスというものは天井が高ければ内部空間は気持ちがよいが、外部の景観はいただけない。美しい田園の風景を壊す。ここが今後の課題だ。安いばかりが良いのではない。このハウスは暑さよけのためか黒いシートをかぶせてある。また突き出し窓もある。ハウスの室内環境は建築的に考えなければならない。天窓の光量は垂直の窓の7倍。そうすると農業ハウスの壁は建築的にして、天井だけをビニールかポリカーボネートにできないものか。それに骨組みは金属を使用しないで足場丸太のようなものでできないか。壁は木製ルーバーなら景観を壊さないのだが。  2008.8.6 5:40

●2週間前に出産という大事業をした愛子の次女(1歳10か月)が熱を出した。妻は産後まもない愛子のことが心配で「落ち着かない」。そこで私は言った。「私のことは考えないで、すぐ愛子の所に手伝いに行ってくれ」。●「私のことはどうでもよい」と言ったことで次の聖句を思い出した。

文語訳 ルカ 23:28
23:28 イエス振反りて女たちに言ひ給ふ『エルサレムの娘よ、わが爲に泣くな、ただ己がため、己が子のために泣け。

塚本訳 ルカ 23:28
23:28 イエスは女たちの方に振り向いて言われた、「エルサレムの娘さんたち、わたしのためには泣いてくれなくともよろしい。それよりは自分のため、自分の子供のために泣きなさい。

●この箇所の深い意味を各種引照で探る。 TSK,、新共同、ネストレ、黒崎、BbB、結論は次の句だ。

新共同 ルカ 23:29-31
23:29 人々が、『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来る。
23:30 そのとき、人々は山に向かっては、/『我々の上に崩れ落ちてくれ』と言い、/丘に向かっては、/『我々を覆ってくれ』と言い始める。
23:31 『生の木』さえこうされるのなら、『枯れた木』はいったいどうなるのだろうか。」

●つまり「終末の裁きの日」は阿鼻叫喚。子供を抱えている女は気の毒。嘆きが大きい。かえって子供が与えられない人の方が幸いだというのだ。この世の幸福観とは逆だ。そしてそれは不信者というより、まず神の民にそれがくるというのだから恐ろしい。

新共同 Ⅰペテ4:17

4:17 今こそ、神の家から裁きが始まる時です。わたしたちがまず裁きを受けるのだとすれば、神の福音に従わない者たちの行く末は、いったい、どんなものになるだろうか。

●「自分のことはどうでもよい」ということで思い出されること。男の子(小学校5年だったか?)を夫の元に残して離婚した女性(私の知人)。どうしてもその子供のことが気がかりで、たびたび学校に行って休み時間に会うことをした。あるときその子供は母親に言った。「かーちゃん。そんなに会いに来てくれなくてもいいよ。俺もう一人で生きて行けるよ」。私はそれを聞かされて泣いた。彼はその後内装業の職人になり建築現場で働いている。学歴はなくとも、真面目で健康ならば生きて行ける。神はこういう子供にこそ絶対に目をかける。がんばれ。●「有体的復活の真理」は「神の主権で人間は復活させられる」というもの。長い間「行為主義」の呪縛に苦しめられていた某氏から感謝の手紙を頂いた。私の年来の主張、「神の主権によって人は有体的に復活させられる」という「使徒伝承」を聞いて解放されたと言うのである。「真理は人を自由にする」。

新共同 ヨハ 8:32
8:32 あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする

2005年に東ドイツを旅して感じたこと。ルターの影響は「神の義はその福音のうちに現れた」という単純な真理の再認識であった。この認識が燎原の火のごとくドイツ中に広まったのだ。決して「宗教改革」という運動や行為ではなかった。私は日本にはびこっている「行為主義」と戦わなければならない。その呪縛で苦しんでいる人(教会主義も行為主義)を開放しなければならない。そのためには宣伝の「行為」でなく、「真理の告知」である。

文語訳 ロマ 1:17
1:17 神の義はその福音のうちに顯れ、信仰より出でて信仰に進ましむ。録して『義人は信仰によりて生くべし』とある如し。


新改訳 ロマ 1:17
1:17 なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。


塚本訳  ロマ 1:17
1:17 信仰から出て信仰に終る、(徹頭徹尾信仰本意の)神の義が、この福音において現わされているからである。『信仰による義人は生きる』と(聖書に)書いてあるとおりである。


 


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状況説明の大切さ ++++++++ 所感

2008/08/05 08:35

080805(火)5時45分起床●朝風呂で日経,●早朝散歩、秋留台公園でラジオ体操●朝の黙想「状況説明の大切さ」。●人に話をする時は面倒ではあるがまず自分だけが把握している数字的物理的状況を相手に説明をしなければならない。それをすると話が通じる。わかりあえる。その状況説明なしに結論だけ言うと通じない。その前提となる状況を共有できないでいるからである。●その実例。社員「もっと給料をあげろ」。経営者「上げられない」。・・・・これではいけない。こういうときは次のように言えばよい。社員「ヨソの会社の給料水準はこのくらいです。ですからわが社も同水準にしてください」。・・・・これに対して経営者はこう言えばよい。「上げてやりたいのはヤマヤマなんだが、今会社の経理状態はこう何だ」。・・・・お金の争いはすべてこのようだ。状況説明をしても解決がつかにのがお金の問題。●男と女の人生観の差は状況説明では解決つかないことがある。特に子供に対する思い入れには男女間で差がある。これは難しい。●建築設計の打ち合わせでは。「こうしてほしい」という要求の背後にはかなり「友人の家と同じにしてほしい」という比較による願望がある。それは深い意味がないが、まーその願望も少しはいいか、という思いをすべきである。●**県の会館を設計したときのこと。開口一番「〇〇県の会館よりも高いものを設計してください」と注文された。なぜか。その状況は**県と〇〇県は明治以来のライバル。覇権争いをしていて、やったりやられたりしていたのである。こういう状況説明は**県の人の口には上がらないが、設計者としては察しなければならない●かって私が勤務していた設計事務所でのこと。あるゼネコンの営業がこちらの社員(E氏)のについて文句を言いに来た。それに応対したK氏は「彼(E氏)の立場も考えてやってくれ」と言った。この温かい言葉はなぜか忘れられない●状況説明は面倒であるが「くどい」ぐらいにした方がよい。その方が話が通じやすいので結局は自分のためだ。状況説明は話をする時の技術である。本を執筆するとその技術が身に付く●状況説明をくどいくらいにやっていると、結論を言わなくても相手は察してくれることもある。●実例。子供「誰誰ちゃんはお小遣い〇〇円なんだって」。・・・・親はこれで察しなければならない。最後まで言わせてはならない。・・・しかしこれには親とうしで異論がある。「甘やかせてはいけない」「うちは質素」「我慢もしつけのうち」・・・・あー、人生はむずかしい。●神に祈る時もこの「状況説明」から入ればよい。「神様、私はいま〇〇さんにこのように意地悪され、このように悩んでいるのです」と、くどくどと状況説明すればよい。そうすると心がスッとするばかりでなく、神は皆まで聞かずに察してくださる。そして、神ご自身がきっとその人を注意して下さる。なんとかしてくださる。●神は私たちの味方である。

塚本訳  ルカ 15:21-24
15:21 息子は父に言った、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。もうあなたの息子と言われる資格はありません。……』
15:22 しかし父は(皆まで聞かず)召使たちに言った、『急いで、一番上等の着物をもって来て着せなさい。手に指輪を、足にお靴をはかせなさい。
15:23 それから肥えた小牛を引いてきて料理しなさい。みんなで食べてお祝いをしようではないか。
15:24 このわたしの息子は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。』そこで祝賀会が始まった。

塚本訳  ロマ 8:26-27
8:26 しかし(創造物やわたし達神の子が苦しんでいると)同じように、御霊も、弱いわたし達を助けてくださる。すなわち、(神のみ心にかなうには)どう何を祈るべきかわからないので、御霊自身が、無言の呻きをもって(わたし達の祈りを神に)執り成してくださるのである。
8:27 しかし(人の)心を見抜くお方[神]は、御霊が何を求めているか、すなわち、御霊が神の御心にかなうように聖徒たちのために執り成しておられることを、(もちろん)御存じである

塚本訳  ロマ 8:30-31
8:30 そして(時が来ると)あらかじめお定めになった人たちを召し、お召しになった人たちを義とし、義とした人たちには栄光をお与えになるだろう。
8:31 すると、それはどういうことになるのだろうか。----神がわたし達の味方である以上、だれがわたし達に敵対できるか。


●名医は患者が口にだして説明しなくても顔を見ただけで「痛いところが分かる」らしい●優秀な建築家も建築主の望むことが雰囲気ですぐわかる●よい妻は夫が何を食べたいかを察する。(笑)●私は二言三言聞けばその人がどのぐらいのレベルの家を希望しているかがすぐわかる●どんな分野でも相手に口で説明させなければわからないようではまだ一人前ではない●だから私は建築設計の打ち合わせの時は相手の「目を見て」心を読む。●1988年から10年間NHK-FM「朝のバロック」のナレーターをしていた日野直子さん(昭和12年生)は某神父の感化でカトリックに帰依。NHKを退職して現在は郷里大分県に戻り音楽イベントを発信(現在はNPO法人おおいた豊後ルネサンス理事長)。NHK-FM「朝のバロック」は日野さんが降板してからすっかり面白くなくなったという噂がある。神に帰依した人間は「この世」からは消えるのだ。この世的に有名ではなくなるのだ。この世の名声からおさらばするのだ。「それではみなさまサヨウナラ。お達者で」なのだ。それにしても日野さんを信仰に導いた神父は偉い。●黒崎註解デジタル化プロジェクト、ネストレ引照マタイ23章打ち込み。●黒崎註解デジタル化プロジェクトでWEB会議。公的な部分のみを公開する。一部改変。

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〇〇様

 聖書の難解なところは、引照+註解が必要と思いました。その意味で黒崎プロジェクトは実際的に有益です。

さて、過日「Jバイブル」の開発者、N牧師が来訪されました。(080802ブログ参照)その時、黒崎註解デジタル化プロジェクトが進行中であることを報告して、同時に「黒崎註解」をどう思うかとお尋ねしたところ、次のようなお話をしてくださいました。「自分(N)が神学生の時、コロサイ124について論文を書けというのがあり、そのときいろいろ註解を読んだが、黒崎のものが一番良くわかった。それは天皇陛下と一兵卒の関係を持ち出しているのであった。自分(N)もびっくりしたが非常によくわかった。それを土台にレポートしたら、良い点をとれた。」というものでした。その箇所は有名な次の箇所です。

 

文語訳 コロ 1:24

1:24 われ今なんぢらの爲に受くる苦難を喜び、又キリストの體なる教會のために、我が身をもてキリストの患難の缺けたるを補ふ。

 

私(高橋)自身がその黒崎の註解を読んでみました。黒崎は次のように註解してます。(高橋若干書き換え)。「天皇陛下は戦争より生ずるすべての悩みは天皇ご自身の悩みである。しかしながら天皇御自ら前線に立って将兵の苦労までも悩み給うことはできない。それ故に将兵は前線にありて天皇の悩みの欠けたるを補うのである。これは将兵にとって無上の光栄であって、日本の将兵はこの苦労を喜ぶのはそのためである。云々」。これは昭和18年の発行ですから、正に戦争の渦中、日本人にとってはまことにわかりやすい註解です。見事です。この意味で、黒崎註解は「日本人のもの」「時代のもの」です。その方が却って意味がよく通じます。従って黒崎註解デジタル化は「復刻版」に徹すべきと解しました。

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夕方、雷雨。ビニールハウスはこのような強風にも耐えられるものでなければならないから大変だ。2008.8.5 17:43

 

 

 

 

 

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「神に祈ることを教える」ということ ++++++++ 所感

2008/08/04 06:47

080804(月)5時起床、出勤日●早朝散歩で黙想。「神に祈ることを教える」ということ。これが人間としての文化伝承の最高のことだ。私にそれを伝承してくださった方がいる。昨日080803のブログ参照。これ教会や集会やキリスト信者の親の最高の使命●人に「神に祈ることを教える」ということはどういうことかを列挙してみる。①万能のツールを与える.。打出の小槌(うちでのこづち)を与える。マスターキー(その建物のどんな扉も開けられる鍵)を与える②携帯電話を与える③天国行きのキップを与える④全宇宙を支配するお方を紹介する。そのお方は最強。(医者+弁護士+用心棒+カウンセラー以上)。⑤莫大な財産をあたえる●「祈ること」を教えるということは人に対する「最高の親切」。キリスト教を宣伝してこれに従わせようなどという思いとは全然違う●教師が生徒に「先生あのね」というノートを渡した例がある。そのノートには生徒が先生に何でも個人的に話しかける交換ノート。私たちの神に対する祈りは「神様あのね」で始まるのでよい。「神様あのね。私はいまこういうことで困っているのです」と。●その昔、妻は子供の一人に「テレフォンカード」を買って渡したことがあった。「何かあったらこれで連絡しなさい」と言って。わたしはそのことをほほえましく思ったことだ。神は私達に「祈りという手段」を買い与えて下さったのだ。かなりの犠牲を払って買い与えてくださった。

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早朝散歩。これは何の足跡だろう。人間の靴のようであるが歩き方がふらふらしている。動物か?

2008.8.4 5:26

●ルネッサンス期の音楽、ビクトリア(1548-1611)をタリススコラーズの演奏で鑑賞。●6階のヴィオリストW氏と音楽談義。指揮者は団員に尊敬されてなければよい音楽は作り出せないという。建築設計と同じだ。 ●落雷で五日市線が不通。福生まで行って臨時バスで家の近くで降りる。稲妻、雷鳴、雨の中を歩き、家の明かりが見えた時はほっとした。夕食が待っている。

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五日市線が落雷で不通。臨時バスで帰宅。雷雨の中を歩いて家が近ずくと明かりが見える。夕食が待っている。ありがたい。 2008.8.4 19:30

 

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故郷浦和を訪ねる ++++++++ 所感

2008/08/03 18:19

080803(日) 5時起床●朝風呂で日経,[私の履歴書」電通最高顧問の成田豊。ビジネスマンの文章は無駄がなくてよい。●毎年夏になると生まれ故郷の浦和を訪ねる。20歳までいたので心のふるさとだ。45年前に浦和を去ったので、いろいろな思い出は50年以上も前のことばかりだ。

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浦和に来ると森も雲もみんな浦和の雰囲気だ。こういう森を見ると中学高校の時に出会ったゲーテやヘッセを思い出す。浦和はその後私をキリストに出会わせてくれた。2008.8.3 9:25

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浦和の街路のたたずまい。大谷石に垣根。たまらなく懐かしい。これ幼い日の心象風景。

2008.8.3 9:26

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浦和の街路のたたずまい。懐かしい。心象風景。落ち着いている街路。 2008.8.3 9:46

 

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懐かしい浦和の街路。大谷石の崖が何ともいえずに心安らぐ。 

2008.8.3 13:11

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私の家があったところ。次の住人の柴田さんに挨拶しようと思って門のベルを3回押したが出てこられなかった。そうか風の噂では亡くなられたとも聞いていた。いいやいいや、同じところに住んでいる人間というのは人間としてあまり深い関係ではないなー。この大谷石、やはり懐かしいなー。家は柴田さんが建て替えたものだ。家が残っていたらたまらなく懐かしいだろうなー。浦和の友人の多くは亡くなったり、よそに行った。訪ねる人はいない。2008.8.3 13:03

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10:15私が受洗したナザレン教団浦和教会の礼拝に出席。50年前の15歳のころ、私に「神に祈る」ことを教えてくださった方が御健在なのはうれしい限りである。右、関谷忍牧師、中、増田愛子、左、高橋照男。「神に祈る」ということは人間として最高の文化。このお二人はその最高の文化を私に教えてくださった。礼拝のあとで、「孫が祈るようになりました。喜んでください」と挨拶した。お二人とも末永くお健やかで。私もこの「最高の文化」を伝承出来るような者になりたいと思う。愛餐会に残るように誘われたので関谷牧師の隣で食事をさせていただいた。「今の無教会の集会で特別な用事の日以外は50年間一度も日曜の集会を休んだことはなかった」と言ったら喜んで下さった。多くの方々が召されたことを知った。そうか50年もたったのだからなー

2008.8.3 12:49

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私の家の地主、金子さんの家の大木。古い町にはこのような大木があるからいい。「物語性」がある。森の国ドイツを思う。 この大木は50年前も大木だったなー。これ以上伸びないのかなー。この大木もいつかは倒れるのだろうなー。 2008.13:09

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幼稚園に通ったときに通ったコンクリートのガード。60年前と同じに、「アー」と声を出したら昔のように響いた。急に幼児に戻った。あの時の友達は今頃どうしているかなー。 2008.8.3 13:24

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幼稚園への通路。この石垣を曲がるとすぐ幼稚園であった。この石垣、60年前と同じだ。懐かしい。

2008.8.3 13:26

 

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私が通った幼稚園も建て替わっていた。「学校法人羽鳥学園二葉幼稚園」という看板になっていた。

そういえば園長先生のお名前は「羽鳥」であった。 その奥様にアルファベットを習ったっけなー。

2008.8.3 13:28

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これも浦和の風景だ。日本家屋に西洋館の小さいものがつけ足されている。これ大正から昭和初期の建築様式だ。ハイカラな家のイメージ。裕福な家の象徴でもあったなー。2008.8.3 13:36

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調宮(つきのみや)神社にも行ってみた。七五三の時に母は私をここに連れて来た。母と一緒に頭を下げたときに神主がパサッ、パサッとお祓いをしてくれたことを思いだす。私が5歳の時のことだから60年前のことだ。母は何を心に念じたのだろう。その母は4年前に逝った。「母の祈り」というものは誰でも同じなのだろう。私はその後、イエスキリストの父なる神に帰依した。妻も同じキリストの道の人をいただけた。感謝。絵馬を「見るとはなしに」多く見てしまった。実に多くの願い事があるが、みな「この世のことの念願成就や幸福成就」。でもこれでいいのだ。これが普通だなーと思った。この神社は毎年12月12日に「12日町」という縁日が開かれる、母から小遣いをもらってレースのゲームを買ったなー  2008.8.3 13:45

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旧中仙道に出て浦和駅に向かう。古い建物がいくつか残っている。いいなー。こういう家に比べて新しいビルは味わいがないなー。風情がないなー。 さー、あきる野の我が家に帰ろう。自分の家が一番良い。2008.8.3 13:55 

●あきる野の「我が家」に戻る。猛烈な暑さにたまらず、今年初めて書斎にクーラーをつけた。風呂に飛び込んで汗を流す。●妻は合唱の練習二つ、フォーレ「レクイエム」とモーツァルト「レクイエム」。夜遅い。夕食を用意しておいてくれた。感謝。

 

 

 

 

 

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孫に「祈り」が伝承される ++++++++ 所感

2008/08/02 08:16

080802(土)5時起床●朝風呂で日経,[私の履歴書」電通最高顧問の成田豊。さすが民間のトップ。話に無駄がない●「福田改造内閣」のニュース。政治家は世論を恐れる。企業は消費者を恐れる。牧師は長老と信者を恐れる。教師は生徒を恐れる。校長は父兄を恐れる。しかし神を恐れれば、世論、消費者、長老、信者、生徒、父兄、何者ぞなのだがなー●今夏で一番うれしかったこと。孫が祈りをするようになったこと。食前に、就寝時に祈る。内容は「今日の反省とこれからの希望」。祈りは文化である。幼子の祈りは神は聞いてくださるであろう。祈りが伝承できたことは「使徒伝承」ができたことと同じ。しかも最も根本的な伝承。世に汚染された人間に「使徒伝承」をしても時間ばかりかかる上に、効果も少ない。それよりは「幼児」に「お祈りする」ことを伝承した方が効果がある。それには「母の祈り」が大切。祈ることは「母が伝承する」。●人の顔をみればすぐつっかかる目付きの悪い女流神学者には子供に「祈ること」の伝承はできない。(これまた高橋節か)●神に祈ることを教えないで育てられた子供は、汚染された大人たちの指導によってこの世の幸福を祈る人間になる。それの獲得を祈るようになる。「金、有名学校への入学、有名企業への就職、健康、良縁、美人になること、マイホーム、出世、末は博士か大臣か、趣味遊び、平安な老後、大往生、子孫繁栄、・・・・」これらは人間として低級な願い。陳腐な願望●某氏に長いメール。公的なところを公開する。かなり改変。

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〇〇様

●この世の雑事(小事+家事)で大事(神の国のこと)ができないとしても、

その雑事がそれでそのまま大事なのではないか。なぜか。「このいと小さき者にしたることは我になしたるなり」(マタ2540)です。

神の国のことをやっていると自認している祭司階級がイエスに糾弾されました(よきサマリア人の話、ルカ1025-37。ヴァンダイク?の小説「4人目の博士」)。

●男にとって食事を料理してくれる妻の存在が非常にありがたいです。私はかってホスピス遺族会の会長をしていましたが、夫人に先立たれた男の悲哀は「食事の用意」であることが共通でした。ですから夫人に感謝。半分の力です。

●毎日のご勤務の最先端のお仕事の内容が聖書の勉強にも良い影響を与えることになれば、それこそ天の導きです。大学の建築学科の教授はほとんど自分の設計事務所を持っています。なぜかというと、常に「生産現場」に足を入れてないと最先端の講義ができないのです。東大教授」であった丹下健三も自分の事務所を持っていました。

●画面操作は書棚の本を開けるようなシステムが最先端とはナルホドと思いました。過日妻が一週間家にいなかったとき、洗濯機の使い方がわかりませんでした。そのとき思ったのは「昔の洗濯板」を使うときのような簡単さにはできないのかな―と年寄りは思いました。ボタンが多すぎるのです。どんな分野でも道具は見ただけで使い方がわからなければなりませんね。ビルも「この方向に行けば階段、エレベータ、トイレ、出口などがあることが自然にわかるもの」が良いのです。最近、アップルが開発したという携帯も限りなく手作業に近いもの(指でスクロールするなど)になっているようです。過日テレビで、ヤシの実を石で割るサルを発見したという報道をみました。石は見ただけで「使い道」「使い方」がわかります。

●本日(8月2日)10時、(あと3時間後)に拙宅に「Jバイブル」開発者の能城一郎牧師が来ます。塚本訳の小見出しができたというのです。「聖書の小見出し」は便利です。能城牧師は塚本訳の小見出しの優秀さを高く評価しています。そのとき現行の{Jバイブル」の不便さを率直にお伝えします。技術的なことなので非難ではありません。

●私ももっと仕事を単純化すべきか。ブログのやり過ぎか。と反省しています。しかしこれは今のところ「精神衛生上」必要不可欠です。

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●「Jバイブル」の開発者、能城一郎牧師が来訪、「塚本虎二訳研究」の話。塚本虎二訳がパソコンで自在に分析できるプログラムを見せてくださった。(未完)。驚くべき進歩に喜んだ。●塚本虎二の「聖書学者になるな」の言葉をめぐって懇談。制限時間を2時間にするために目覚まし時計をセット。盛りだくさんの話題にさすが疲れた。

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能城一郎牧師が来訪、「塚本虎二訳研究」の話。 塚本虎二訳のパソコンによる研究。能城牧師の塚本訳への傾倒はすごい。塚本先生が生きておられたらどんなに喜ばれるだろうかと思った。2008.8.2 12:42

妻のトミ子が撮影。

●過日の安達太良聖書集会での私の話に対する長文の応答が到着。「胸が熱くなる人」はいるところにはいる。福音は説きっぱなし、使徒伝承は告知のしっぱなしがよい。結果を期待しない方が純粋だ

 

 

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