to 日記と感想 2008年09月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170812(土)14:00お江戸こらりあーず演奏会、文京シビックホール
    170821(土)15:00お江戸コラリアーズ定期演奏会、文京公会堂
    170809     TW誕生日
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170708(土)14:00在宅医療説明会(キララホール)
    170707(金)10:00池谷医院
    170706      TM誕生日
    170702(日) 集会感話
    170701      TT誕生日
    170630(金)12:20キララホールエントランスコンサート
    170628      IY誕生日
    170627(火)11:00 能城牧師来訪
    170625)日)10:10トミ子集会感話
    170625(日)14:00茅ヶ崎金子邸
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール
    170610(土)14:00内村鑑三セミナー、立教大学12号館。矢田部、椚」山
    170609(金)   TS命日
    170608(木)12:15ボリショイ「白鳥の湖」、東京文化会館
    170707(水)10:00池谷医院
    170604(日)10:00集会感話、
    170604(日)16:30近藤恵邸起工式、福島市。
    170530(火)14:00田岡氏来訪
    170527(土)14:00今井館ピアノコンサート
    170521(日)14:00新宿フィル、ブラームス1番、レスピーギ「鳥」「ローマの松」。和田睦夫
    170425       TN)誕生日
    150420(木)09:30阿伎留センター泌尿器科)
    170416(日)14:00武蔵野室内合奏団、杉並公会堂(大坪満子)


生きがいを失いし時 ++++++++ 所感

2008/09/30 06:52

080930(火)5時起床。朝の黙想。「生きがいを失いし時」●朝風呂で瞑想「生きがいはどうしたら得られるのか」●内村鑑三の第一等の代表作である名著「キリスト信徒の慰め」(文庫本にあり)は次の6章からなる。①愛する者の失せし時、②国人に捨てられし時、③キリスト教会に捨てられし時、④事業に失敗せし時、⑤貧に迫りし時、⑥不治の病にかかりし時。これらの多くは内村自身の体験から出ていて、いわばその血涙のインクで綴ったものである。(「演説は生活なり」とヒルティは言う)。●これに第7章として不肖この私がつけ加えるとしたら、「生きがいを失いし時」である。昨日社内で技術講習会を開き、40名に向かって話をした時のこと。「現代は建築主が多面的かつ複数になっているので、建築労働者は建築主の顔が見えなくなり生きがいを失った」と語ったとき、若い者たちからビビッと反応があった。これだここが「イマドキのワカイモン」の「問題の所在」(三谷隆正)なのだと感じた●今年65歳の私に言わせれば、「生きがいは自己の大脳皮質で追及しても得られない。(かった)。なぜか。それは自己の欲望実現(貫徹)の道の探究だったから。生きがいは外から来た。それは人に「重荷を負わされる」時に到来した。自己の欲望貫徹からは生きがいは得られない。私に重荷を負わせた人の笑顔を見ることができたときに「生きがい」が得られた、「十字架を負いて我に従え」という言葉はこの面からも真理。建築は十字架で重荷だ●腎臓結石の摘出で立川病院に入院していた時のこと。(私は時々「大病」をする。そのたびに家族に「重荷」を負わせてしまった)。一人の看護婦が「私の生きがいは、弱って入院されてきた人の病が癒えて退院していく時の笑顔を見ることです」と言った。この言葉は忘れられない。●何年もして、その病院に行った時、それを語ってくれた看護婦に会おうと思って病棟を訪ねたが、すでにおられなかった。良い言葉を私の胸に残してくれた彼女はいまいずこ。!●オスカーワイルドの短編「幸福の王子」のあらすじ。王子(それは金箔の銅像)の「頼み」でその身体の表面の金箔を少しずつ剥がして気の毒な人に届けるツバメの話。このツバメは王子から「もう一枚、もう一枚」とお使いの仕事の「重荷」を負わされて、ついに仲間と南の島に行く時期を失って冬になる。そして雪の日。全身の金箔が剥がれている銅像を見た群衆は価値なきものとして引き倒してしまう。その傍らには一匹のツバメの死骸があった。という話。・・・・キリストのキの字も言わないが実にキリスト教の精神の匂いがする文学作品だ。それに比べて三浦綾子の作品は「キリスト教宣伝文学」で、まだまだ日本は低級だ。●建物に十字架の印があるもの、「キリスト教」の冠をつけた「団体・企業・集団」には意外に中味のキリストがない。なぜか。その物理的拡大のみに意を用いて「宣伝」に汲々としているから。神の国の価値は質であって物理的数量ではない。マタイ13:32の「鳥」とは悪魔であるとは黒崎幸吉の解釈。目から鱗であった。教会や集会も大きくなると悪魔がとまりにくるというのだ。

塚本訳 マタ 13:32
13:32 これはあらゆる種の中で一番小さいが、育つと、野菜の中で一番大きくなり、(大きな)木になって、『空の鳥が』来て『その枝に巣を作る』ようになるのである。」

●次の「パン種」も腐敗世俗主義の象徴だと黒崎は言う。これも目から鱗。


塚本訳 マタ 13:32-33
13:32 これはあらゆる種の中で一番小さいが、育つと、野菜の中で一番大きくなり、(大きな)木になって、『空の鳥が』来て『その枝に巣を作る』ようになるのである。」
13:33 またほかの譬を彼らに語られた、「天の国はパン種に似ている。女がそれを三サトン(二斗)の粉の中に混ぜたところ、ついに全体が発酵した。」

●「大きいことはいいことだ」と考える人は凡人で低級●昨日の講義で、「建築は小さいものの方が面白い。超高層ビルをやる喜びは真の喜びではない」と語った。●ベートーヴェんの和音。ピアノソナタ「熱情」の第2楽章をバックハウスで、ピアノ協奏曲第4番の第一楽章をポリーニで鑑賞。なんともまーすごい和音。心が揺さぶられる。いずれもベートーヴェンが耳が聞こえなくなってからの作品だと思うとハラハラと涙がこぼれた。●「黒崎幸吉著註解新約聖書」のWeb化のテストランのものを「わかってもらえそうな方々」にお送りしたところ、今日は神戸のM氏からうれしい応答があった。下記にそれを掲載する。一部省略改変

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高橋様

これはもの凄い迫力で圧倒されました。(スタッフの方々が・・・・高橋)仕事の片手間にやられたとは人間業とは思えません。完全に脱帽です。
一部拝見して、老化した私のようなものがお手伝いできるのは、誤植を見つけることくらいかな、と思います。どのようにお知らせすべきか、ご教示ください。


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●こういう応答があるのはうれしい。援軍現るである。しかしM氏はご老体である。若者よ出でよ!!。M氏に送ったものを次に掲げる。

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●黒崎幸吉著註解新約聖書サイトのお知らせ

 

このたび、日本キリスト教界の名著である、黒崎幸吉著「註解新約聖書」のWeb版ができましたのでお知らせいたします。「手入力」のため完成までに数年はかかりますが、とりあえず最初の部分ができましたのでお目にかけさせていただきます。開発の動機、目的などはトップページにある大島守夫代表の「Web化によせて」をご覧ください。スタッフ3名(シドニー、福島、東京)は離れて作業をしています。この名著をインターネットで無料公開できることを喜びとするものであります。「援軍」を期待します。

 

下記をクリックしてください

http://stonepillow.dee.cc/

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孫の問題発言 ++++++++ 所感

2008/09/29 11:15

080929(月)5時起床、出勤日●罪の本質は自己の欲望貫徹のために神様(人様)の顔を潰すこと。●人間の煩悩は罪ではない、神の(人の)顔を潰すことである。●その場合人間はうそをついて隠すという思いになる。自己の心の真実の醜さがバレないようにするためである。●これらの絶妙な心理描写は創世記3章のアダムとイブが神の戒めを破ってりんごを食べた記事にある。アダムとイブは神の顔を潰した、神の立場を無視したのである。そして二人は責任のなすりあいもする。裸を恥じるようになった事実。これが人類の始祖の「原罪」。第二のアダムたるキリストの「従順」による贖罪の十字架で初めて人類に救いの道が開かれた●中山国土交通大臣が「問題発言」で辞任。「出所進退は家に帰って妻(あの拉致問題担当の中山恭子)と相談する」と言った。しかし中山大臣はデータに基づいてずばり真実を言っただけのこと。日教組の強い県の学力は低い」と。●この真実発言は見上げたもの。「心に思っていても本当のことは言うな」と注意するのは大人の猿知恵。それがかえって世の中を暗くする。●この夏に孫の一人が家に泊まりにきたのでプールに連れて行った時のこと。裸になるとその孫が「ジージ(私のこと)はデブッチョだねー」と言った。これは「問題発言」であるが、実にさわやかであった。真実の発言であった。●イエスが幼子や子供をほめたのは、その真実性にあるのではないか●あんなことを言われて果たしてあの人と「うまくやっていけるだろうか」という危機的場面というものがある。人間的努力では到底修復できない。神による平和が実行されないと真の平和はこない。「悪いことは神が注意してくださる」(藤林益三)●15:00社内講習会「総合研究所技術講座」。40名。「現代は建築主が複数になってその顔が見えなくなったので、建築労働者の生きがいが失われた」と言ったとき、若い層からビビッと反応があった。目が向いた。そうかこれが「イマドキのワカモン」の問題なのだと感じた。

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虎の巻、土台強化 ++++++++ 所感

2008/09/28 06:21

080928(日)5時起床、「黒崎幸吉著新約聖書註解デジタル化プロジェクト」の共同作業者に長文のメール。かなり公的なことを含むので一部改変して公開する。

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両共同作業者殿

 

●「共同作業者メモ」におけるYu兄とのやりとりで思索深まりました。感謝。

「神の国は近づいたのか、来たのか、これからなのか」

昨日、次回の私の感話「神の国は待ち望むもの」の準備をしていて、結論を得ました。

「春が近づいた(3月)、春が来た(4月)、春爛漫(5月)」も同じ春のうち、それはキリストの時、「時の中心」(クルマン)。2000年の今は春爛漫の日を「待ち望む4月」こう結論します。Webによる「交わり」感謝。

 

塚本訳 マタ 11:12-13

11:12 とにかく、洗礼者ヨハネの(現れた)時からいままで、天の国は暴力で攻め立てられ、暴力で攻めた者がそれを奪いとっている。

11:13 すべての預言書と律法と[聖書]が預言しているのは、ヨハネ(の現われる時)まで(で、天の国はすでに来ているの)だから。

 

●過日、関西の重鎮、Ya氏との電話懇談中、「黒崎は牧師のアンチョコになっている」という言葉がありました。アンチョコは広辞苑によれば「虎の巻」に通じます。Yu兄の「Web黒崎で日本にリバイバルを」は夢ではないかもしれません。ただしそのリバイバルはあの興奮する「お祭り」のようなことではなく、静かに深く浸透する「土台強化」のようなものです。確かに今までの「試行品」を見る限り、これは「虎の巻」になりうる、牧師も、無教会者も「ひそかに」これを見ること間違いなし、と直感します。塚本先生の「聖書知識」が牧師の虎の巻であったのは「定説」。この私の人生も{Web黒崎}を通じて日本キリスト教界(狭い無教会だけではなく)の土台強化(それは日本キリスト教に対するボディーブロー)に参加できることを感謝します。塚本先生が農商務省を辞められたときの気持ちは「日本のキリスト教の土台になるような仕事をしたい」ということでした。これは私の残る時間に対する気持ちと同じです。

●「塚本虎二訳研究」と「Web黒崎」のお知らせをして、無教会の実態がわかりました。無教会は超高齢、

パソコンどころではない、ワープロどまり、パソコンはできてもメールどまり、インターネットまでは行かない。そこで{Web黒崎}の狙い目は次の世代。「若い牧師」「若い無教会者(これが少ないのが淋しい)」

●かって教文館が「内村鑑三全集」を出したとき、武藤富男社長はこう言いました。「この全集を牧師が読むことによって教会が強くなる逆説的なことを願う」と。・・・実は無教会は独自に教派を作るのでなく、「教会が強くなる」ことを祈ってきたのがその本質と解します。{Web黒崎}はそのために実にすごい「武器」だと解します。完成まで我々共同作業者3人の肉と霊が守られますように祈ります。

●このプロジェクトのために不思議にパソコンに強い強力なアドバイザー、味方が与えられたのは感謝。Ko氏(元コンピュータ大手Fu社米国社長)、Su氏(某社で大型コンピュータを扱っていた)。神からの援軍です。

2008.9.28 朝

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上記メールで言う「黒崎幸吉著註解新約聖書」のWebは次のURL。現在「工事中」で刻々内容が変化している。パソコンのできる「援軍」募集中。

http://stonepillow.dee.cc/

●菊池寛の小説「恩讐の彼方に」。僧禅海はあるとき人を殺してしまった。そのつぐないとしてひとつよいことをやって死のうと思い、大分県にある旅人の難所で多くの人が命を落とす崖に手作業でトンネルを掘ることにした。その途中で、殺した人の息子が僧禅海を見つけて「親の仇」と言って復讐にくる。そのとき僧禅海はこの岩を掘り抜くまでは殺さないでくれと頼む。するとその息子は一緒に掘り始める。それは何と30年。穴が開いた時、「さー殺してくれ」と僧禅海はその息子に首を出すが、息子は殺せない。二人は手を取りあって泣いたという話。●私の心境も同じ、「Web黒崎とその次のライフワーク引照集をやり遂げるまでは殺さないでくれ」と神に祈る。終わったら「さー殺してくれ。俺は悪いことをしたのだ。心の中で何人も人を殺したのだ」と言いたい。

●集会は宮崎、丹野、横田●杉崎孝さん(95歳)から私たち夫妻にお話し。昼食会談。集会での講義や感話は「聖書中心でなければならないこと。聖書に対する感話、感想、(それがどんなに拙いものでも)でなければならないこと」をご教示頂いた。●15:00妻と一橋大学兼松講堂でのコンサート。合唱団「ユマニテビステルコール」15名程度。●感想。1-2部は指揮者が前に立たない演奏。しっかりした指揮者がない演奏は骨がない。よくない。第三部は本格的な指揮者が登場。さすがにしまっている。大勢で演奏する音楽には人格的支配が必要。これ教会や集会も同じ。単なる仲良しクラブは臍がなくてよくない。教会や集会は一人の人格的指導者の支配の下にあるべきだ。●塚本虎二先生の集会は前後3回解散した。集会員が仲良くなりすぎて団子状態になり、風通しが悪くなったからである。信仰集団は各人が「信仰のみ」の前向きの姿勢のときに「仲良くなれる」これ逆説。

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一ツ橋大学兼松講堂。とても素晴らしいキャンパス 2008.9.28 16:47

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一ツ橋大学兼松講堂 古き良き時代のデザイン。2008.9.28  15:39

 

 

 

 

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ああいう人に私はなりたい ++++++++ 所感

2008/09/27 05:19

080927(土)4時50分目覚め●朝のひらめき「神の国は待ち望むもの」。つくり出すものではない。これで次回の感話の結論が与えられた●神の国を待ちのぞむ姿勢が理想像。ああいう人に私はなりたい。それはシメオン、洗礼者ヨハネ、アリマタヤのヨセフ。聖書は次の通り。こういうのを探すときに聖書ソフト「Jバイブル」は必携。コンコルダンスよりもすぐれている。聖書は意味の同じ所を探しつつ読むのが「王道」。

塚本訳 ルカ 2:25
2:25 さて(そのころ)エルサレムに名をシメオンという人がいた。この人は正しい、信心深い人で、イスラエルの慰め(である救世主)を待ち望み、聖霊が彼をはなれなかった

塚本訳 ルカ 7:19-20
7:19 主の所にやって、「来るべき方(救世主)はあなたですか、それともほかの人を待つべきでしょうか」とたずねさせた。
7:20 その人たちはイエスの所に来て言った、「洗礼者ヨハネから来ました。『来るべき方はあなたですか、それともほかの人を待つべきでしょうか』とおたずねするよう申しつけられました。」

塚本訳  ルカ 23:51
23:51 ──この人は(イエスの処分について、)同僚たちの(今度の)決議と行動とに賛成しなかった。──ユダヤの町アリマタヤ生まれで、神の国(の来るの)を待ち望んでいた

●エクレシアも「神の国がくるのを待ち望む」という姿勢が正しい。

塚本訳 ルカ 24:49-53
24:49 待っておいで、わたしが父上のお約束のもの[聖霊]をあなた達におくるから。あなた達は(この)天よりの力を身につけるまで、都に止まっていなさい。」
24:50 それから、彼らを(オリブ山の頂上の)ベタニヤ道のところまでつれてゆき、手を挙げて祝福された。
24:51 そして祝福しながら、(天へと)はなれてゆかれた。
24:52 彼らは大喜びでエルサレムに帰り、
24:53 いつも宮にいて、神をほめたたえていた


塚本訳使  1:6-9
1:6 さて彼らは集まっていたとき、こう言ってイエスに尋ねた、「主よ、(聖霊で洗礼を授けられる)その時に、あなたはイスラエルのために(約束の)国を回復されるのですか。」
1:7 彼らに言われた、「(その時ではない。回復の)時と、(それまでの)期間とは、父上が御自分の権力で決めておられるのであって、あなた達の知るべきことではない
1:8 ただ聖霊があなた達にくだるとき、あなた達は力を戴いて、エルサレムをはじめユダヤ全体、またサマリヤ、さては世界の果てまでも、わたしの証人になるであろう。」
1:9 イエスはこう言って、彼らの見ている前で(天に)上げられ、雲が彼を迎えて見えなくなった。

●神の国は待ち望むものであって、人間が奮励努力、がんばって努力してつくりだすものではない。この世の改造改善で来るものではない。●ここが信者と不信者の見分け方。神の国を待ち望むことの少ない人はどういう人か。「待つ」という匂いのしない人。天下国家を断罪する人、キリスト教の蔵書量を自慢する人、自分の学歴と雑学知識量を自慢する人、年金もらって暇な遊び人、教会の人数の増加を腐心する人、集会の維持継続発展を腐心する人、立身出世と金儲けと遊びが人生目標の人・・・・これほとんどキリスト教の世界にいるから驚き。自戒。●私に向かって「待つばかりでなく行動しろ」という人は「信仰薄き」人間。●もし神の国を待ち望んでいた、シメオン、洗礼者ヨハネ、アリマタヤのヨセフと一緒に生活したら、さぞ窮屈だろうなー、「そんなテレビ見ているな」「どこに出かけるのだ」「そんな音楽聴くな」「また旅行か」「そんな本は読むな」「そんな御馳走は食べるな」。・・・・・・・いたたまれず「別居」を望むようになるだろう。これは聖と俗の戦い。この戦いがキリスト教2000年の歴史。信者集団の戦い、いがみ合い。「アイツとは一緒にいられない」という感じになる。これが親子別れ、夫婦別れ、信者別れ、教会分裂の原因●クリスチャンがいつの時代も嫌われるのはこの原理。●パウロも死は眠りだという。「神の国を待ち望みつつ」死んでいった人のことを「眠りについた人」と言っている。

塚本訳 Ⅰコリ15:6
15:6 そのあと、一度に五百人以上の兄弟に御自分を現わされた。そのうちの多数の者はいまでも生きてい(て、わたしが嘘を言っていないことを証明してくれ)る。もっともすでに眠った者もあるにはある

●エクレシアは主の再臨による「神の国の到来を待ち望む集まり」であることを歌ったピタリの讃美歌は191番。

讃美歌191番

1. いとも とおとき しゅ は くだりて,

   ち の あたい もて たみ を すくい,

   きよき すまい を つくり たてて,

   そ の いしずえ と なり たまえり.

 

2. よも の くに より えらば るれど,

   のぞみ も ひとつ わざ も ひとつ,

   ひとつ の みかて とも に うけて,

   ひとり の かみ を おがみ たのむ.

 

3. さわ の あらそい みたみ を さき

   よびと そしりて なやむれども,

   かみ は たえざる いのり をきき,

   なみだ に かえて うた を たまわん.

 

4. よ に のこる たみ さりし たみ と

   とも に まじわり,  かみ を あおぎ,

   とわ の やすき をまちのぞみ て,

   きみ の きます を せつ に いのる.

●この讃美歌の1節「きよき住まい」とはエクレシアの意義、・・・これ理性がすっきりする。霊は見える形になる。2節の「四方のくによりえらばるれど」とは神の国は遠く離れたところの人に存在する、3節の「さわのあらそい」とは神学論争、聖書学論争、教派争い、国家間の争い、信者のいがみ合い、ねたみあい。4節「きみのきますをせつにいのる」ということは神の国到来を待ち望むエクレシアの本質。・・・・・・この讃美歌はすばらしい。●この讃美歌の作詞者はサミュエル・ジョン・ストーン(英国1839-1900)で詩の全体は使徒信条の「われは・・・聖なる公同の教会、聖徒の交わり・・・を信ず」の部分のパラフレーズ。3節の「さわのあらそい」とは「数多(さわ)の争い」ということで、当時起こっていた聖書学論争、神学論争による教会の分裂闘争が背景にあると言われている。(梅染信夫著讃美歌物語2、・・・・『頌むべきかな』) ●次回10月5日の集会での感話の骨子が固まった。

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神の国を待ち望む

   東京聖書読者会 2008.10.5 高橋照男

①神の国、天の国、御国 その原語。

②神の国とは何か。それを大脳皮質では捉えられないもどかしさ。不安。

それは「いつ、どこに、いかに」・・・・聖書の答えの不明解さ

③神の国の存在は「知る」ものではなく信ずべきもの

  しかしそれで満足がいくか。人間は証拠がないと安心しない。

④神の国を待ち望んだ人々

  シメオン、洗礼者ヨハネ、アリマタヤのヨセフ、

⑤エクレシアの本質は「神の国を待ち望む」ことにある

  それは神の約束を信じて、待つこと。待ち望む形や姿は様々。

 

 

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●次回の感話の草稿を執筆。神の国の到来を待つのがエクレシア。その結論を次のようにまとめて胸が詰まる。

塚本訳 ヘブ 10:25

10:25 (また、)ある人々がするように、集会を怠けず、むしろ互に勧め(合って出席す)るようにしなくてはいけない。その日が近づいていることをあなた達は知っているから、いよいよそうしなくては!

 

口語訳 ヘブ 10:25

10:25 ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで互に励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか。

 

新改訳 ヘブ 10:25

10:25 ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。

 

新共同 ヘブ 10:25

10:25 ある人たちの習慣に倣って集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう。かの日が近づいているのをあなたがたは知っているのですから、ますます励まし合おうではありませんか。

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秋留台公園でラジオ体操。指導者はやはり少し違う。2008.9.27 6:33

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秋の秋留台公園 落ち葉を踏みしめて歩く。 2008.9.27 6:49

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カケス。電柱の右側ポツポツが電線の部品、左がカケス(?)。似ているので面白く思った。 2008.9.27 7:00

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ミノムシは一本の命綱でぶら下がっている。面白い造りの家だなー

2008.9.27 11:27

●イオンへ行ってカラープリンターのインクを購入●夕方、妻はフォーレ「レクイエム」の練習。フォーレは落ち着く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

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旅に出る前にやります。 ++++++++ 所感

2008/09/26 07:55

080926(金)4時半起床●人生、失うものがあって泣く時、新しい世界が開かれる。この世のものへの執着は本能。それを取られるのは本能に反すること。神の特別の招き●9月21日のブログで「Web黒崎幸吉著註解新約聖書」のお知らせをし、またこれぞと思う人57名にメールでお知らせしたところ、うれしい反応とご返事がある。●今や情報伝達は書籍ではない、人間の集まりではない。●某氏への郵送メールの一部を公開する。

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○○様

「黒崎幸吉著註解新約聖書」(10ページ)と「塚本虎二訳研究」(6ページ)をお送りします。(中略)

小生は上記2つのプロジェクトにかかわり、「書籍」の時代は終わったという感じがいたします。この2つのサイトはインターネットで全世界の人の目に触れることになります。インターネットへのアクセス数は全世界で一日推定20億回です。どこかで誰かが、黒崎、塚本、無教会に引っかかることを期待します。パソコンが楽にできる若い人に期待します。

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●黒崎幸吉註解Web化プロジェクト作業。過日スタッフの一人へ送ったメールの一部を公開する。

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○○様

(前略)

eb黒崎の「売り」は、①活字が大きく、難漢字に振り仮名が付いている・・・・判読不明活字の解明に意味がありました②引照が一気に見られる。ネストレの引照もついている(新共同の引照は日本初、ネストレはおそらく世界初)③親切編集。カラー、ボタン、④デジタル化のため、コピーやプリントができる。⑤インターネットなので、理論的には世界中で一日20億人の目に触れてもらえる⑥そして何よりも「無料!!」。・・・・・・だと思います。

(中略)

こうなっては私の残りの作業(力仕事)に火が付きました。マタイの読み、(註解、辞解、要義)、ピレモン、ガラテヤの読み(註解、辞解、要義)、ピレモン、ガラテヤの引照(新共同、ネストレ)。急ぎます。10月一杯の予定。11月2-10日はプラハ、ミラノへ旅行します。プラハは妻の合唱団演奏の応援です。それまでに私の作業を終了しませんと「旅に出る」ことはできません。

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神田。父が小西六に通っていた時の道を歩いて出勤。高いビルは最近できた三井タワー。その手前に小西六があった。3人の子供を抱えた「父」の苦労を思った。2008.9.26 10:02

●中野次長、吉田氏と会議。●19:20 風間文子先生から鈴木福治先生が召天のお知らせ。その後宮部健氏に話を伺う「鈴木福治。101歳 2008.9.26 15:00頃 友隣病院、肺炎。お別れの会、有隣ホームボランティアルーム。司式は宮部健。ごく内輪で行うので出席はご遠慮願いたい」

 

 

 

 

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[いつ」「いかに」「どこに」 ++++++++ 所感

2008/09/25 11:23

080925(木)4時半起床●朝の黙想「神の国は「いつ、どこに、いかに」。これすべて両極端のことが聖書にある。●「いつ?」。今来ている、来りつつある、間もなく来る。「どこに」、イエスの所に、イスラエルに、全世界に。「いかに」、人間の行いで、神の一方的な主権で、その両方で。この9通りの考えがひしめく。●聖書は「厚み」がある。どれか一つを強調する学説を読んでも人間は決して満足しない。聖書には厚みがあるから人間の頭で一つの解釈すると「はみでる」部分がある。●聖書解釈は「群盲、象をなでる」である。●聖書は巨視的に読まなければならない。 ●神の国は「いつ、いかに、どこに」と問うのは有限なる人間が大脳皮質の理性の安息と満足を求めているのである。しかし聖書はその問いに決して満足な答えを提供していない。答えには極端な幅がある。●では人間は「神の国」の理解についてどのようなことで安心をしたらよいのか。答えは簡単、「人の言葉を信じればよい」のである。「行ってみてきた人の話を信用すればよいのだ」 .そしてその人とは「イエス」だけである。

塚本訳  ヨハ 6:46
6:46 (聞き、学ぶと言っても、)これはだれかが父上を見たというのではない。神のところから来た者、(すなわちわたし)だけが、父上を見たのである

●こんな自覚を持っていたイエスは「神を冒涜する者」として殺されるようになったのは当然である。●母の最期の時に私が「天国へ行けば楽になるよ」というと母は「照男さん行って見てきたのですか」と真剣な目つきで言われた。後日某牧師にこのことを言うと「行って見てきたんだと言えばよかったのに」と言われた●人を信用するということが大切ということで、次のようなことがあった。●あきる野市で山の中に新しいくハイキングコースができたというので地図をもらいに行った。私「地図がないと不安で行けない」。観光課の職員「まだ地図は作ってない。入口に表示があるだけだ」。私「それでは不安である。地図か欲しい」。観光課職員、怒りながら「私が作った道だ。大丈夫だ」・・・・・その言葉を信用して行ってみたらちゃんと道はあった。●イエスが昇天されて再臨を待つまでの間の現在、人は何を信用すればよいのか。「聖書」と「教会」である。ところがその聖書解釈で「信じてない人」の解釈が横行、また教会や集会には「処女降誕、有体的復活、再臨」という本質中の本質を信じていない「遊び人」が跋扈。これでは「教会」や「集会」や「聖書学者」が天国の門を閉ざしている。終末の裁きは近い。

塚本訳  マタ 23:13
23:13 ああ禍だ、君たち聖書学者とパリサイ人、この偽善者!君たちは人々を天の国から締め出して、自分が入らないばかりか、入ろうとする者をも入らせないからだ。

●キリスト教の最も基本的な信条は「使徒信条」。これはカトリック、プロテスタント、無教会に共通なものである。その中に「教会を信ず」という言葉がある。肉で生きている人間はまず肉でのとっかかりとして何かを信じないと「神の国」に入れない。それはイエス在世中はイエス、イエスの昇天後は「信者」か「教会(集会)」。ところが今その「信者」や「教会(集会)」が問題なのだ。使徒信条の「処女降誕」と「からだのよみがえり」を信じていないのだ。まず牧師が信じていない。日本の牧師の三分の一は「有体的復活」つまり「からだのよみがえり」を信じていないらしい。世も末とはこういう時に使う。米屋に行って米が売ってない以上に奇異なことだ●そんなところに「トンデモナイ」電話がかかってきたので相手に激怒。「非常識もはなはだしい」。あーいうのが人を天国に入らせない人間というのだ。神の裁きは「目に見えてくる」。●しかしよそ見はしていられない。自戒、自戒。「前を見よう」 ●「今井館建造物の記録」校正。●今日は建築人生40年において今までに経験したことのない「トンデモナイ」非常識、非礼な電話がかかってきたので、一日中気分が悪かった。こういうことはヒルティに言わせれば「氷のかけらにぶつかる」ということだという。あまりこういうことで気を病むと再び「脳内出血」になる●軽井沢の星野温泉の初代、星野嘉助氏によれば、軽井沢の別荘は3代続かないと言った。そして軽井沢に別荘を持っている人はなぜか心が淋しい人だという。内村の弟子である星野氏は「よく見た」。●「『売り家』と唐様で書く三代目」という諺がある。家でも会社でも一般に三代目で潰れる例が多いが、その三代目は坊ちゃん育ちで手習いの習字だけはうまく「売り家」という看板を「唐様」という立派な書体で書くのだという。ところが最近は3代目どころか、2代目で「売家」となるケースも出てきた。万やむをえない経済事情とはいえ、何か神の祝福というものが去ったという恐ろしい現象を目の当たりに見るようで悲しくかつ淋しくてしょうがない。哀れとしか言いようがない。●無教会も3代目で終わって4代目がないという感じ。「売り家」という看板は「ギリシャ語かヘブライ語」で書かれているのではないか。マテマテ、主の再臨を待ち望むエクレシアは潰れてはならない。世の終わりまで続かなくてはならない。永代である。3代で潰れるような俗っぽい人間集団は早く潰れた方が良いのだ。潰れて初めて新しいものが生まれるのだ。

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あっという間に来るもの ++++++++ 所感

2008/09/24 07:21

080924(水)4時起床●朝の瞑想「神の国はあっという間に来る」●朝風呂●「黒崎幸吉註解新約聖書」Web会議●「あっという間に来る」もの。①定年、この間入社した人がもう定年 ②癌の宣告から死の時まで、・・・・母の場合は5ヶ月③寿命、男性78歳、女性85歳。私の平均余命は17年④子供の成長、孫はすぐ学齢期、⑤婚期。男30歳、女25歳、④出かけて行った上司、夫、妻がすぐ帰ってくる。羽を伸ばせるのはわずか ⑥期末テスト ●イエスは神の国はあっという間に「向こうから来る」「人間の意志や努力ではなく恩恵として与えられるもの」●だから神の国は心して待ち望むもの。イエスの「神の国の譬」はその精神で貫徹している●だから天下国家の批判や国家体制への抵抗、民主主義の発展、教会の教勢の発展、集会の存続維持、先生の思想の普及、などの人間の努力で神の国が来ると考えている「行為主義者」はもーちっと聖書を真面目に深く読む必要がある。「人間先生の書を捨てて聖書そのものに返れ」 ●神の国は待ち望むもの、それは運動という人間の努力では来ない。聖書には次のようにある。イエスの譬はその精神、いちいちあげない。

塚本訳 ルカ 17:20-21
17:20 パリサイ人から神の国はいつ来るのかと尋ねられたとき、答えられた、「神の国は、(いつ来るのかと計算や)観測のできるようにしては来ない。
17:21 また『そら、ここに(ある)』とか、『かしこに(ある)』とか言うことも出来ない。神の国はあっと言う間に、あなた達の間にあらわれのだから。」


塚本訳 マタ 6:33
6:33 あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。


塚本訳マタ 6:10
6:10 お国が来ますように。お心が行われますように、天と同じに、地の上でも。

●神が見えなくなったときに信者の間で起こるもの。①神学 ②社会批判運動 ③人物崇拝 ④集会の物理的維持継続発展運動 ⑤信者どうしのいがみあい、ねたみあい、違和感による排除のしあい。・・・・これが国家間、教派間、集会間、信者間の争い、イデオロギー闘争に発展する

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都立秋留台公園でラジオ体操。公園のコスモス。コスモス大好き。可憐、柔軟、素直、パステルカラー、群れている、弱い、比較的長く咲く、静か・・・・・・・理想的人間も同じ。  2008.9.24 6:46

●次回「感話」の準備。「神の国はあっという間にくる。ルカ17:21の研究」・・・・何冊かの註解書を読み、次に5カ国の聖書の引照を全部当たったが。後者の方が数倍も力がある。これは不思議。聖書の解釈に厚みが出る。それに比べて人間の註解というのは厚みのある聖書から、ひとつの解釈を導くのでどうしても薄っぺらになる。頭はすっきりするが聖書の厚みを感じない。

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夕方の林。コローの森の絵の色はこれぐらいだ。図書館に行く途中。

2008.9.24 16:11

 

 

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人に拝まれようとするな ++++++++ 所感

2008/09/23 08:16

080923(火)秋分の日、5時半起床●朝風呂で「日経、私の履歴書」理化学研究所理事長、野依良治.化学の世界の話。人間関係。学術誌の話。日本の学術誌の低さに苦言。どの世界でも「人材」が決めて。キリスト教や教会や集会も同じ。人材なくしてキリスト教も教会も集会もなし。●公園でのラジオ体操の前後に秋のあきる野の写真を多く撮影。

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書斎の窓を開けると朝日。今日はヤルことが5つある。遊んではいられない。気合いが入った。  2008.9.23 5:42

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早朝散歩に出発。近所の家の花。  きれいだなー。朝から咲いている 2008.9.23 6:27

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秋空の下でラッパの花が咲いている。終末を教えている。黙示録では終末にはラッパが鳴り響くという

2008.9.23 6:29

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コスモスの向こうにボヤーっと富士山が見える。コスモス大好き。風に逆らわず美しく揺れる。神ママの信仰人生のようだ。   2008.9.23 6:50

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今日は文字通り「彼岸晴れ」。いつも訪れる林。パステルカラーのスカイブルー 2008.9.23 6:51

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早朝散歩の終わり。秋空の下の我が家。 2008.9.23 2008.9.23 6:56

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妻「彼岸花が咲いたわよ」。私「どこ?どこ?。ここかー」。妻「いったいどこから種が飛んできたのでしょうねー」    2008.9.23 6:58

●早朝散歩での黙想。「人に拝まれようとするな。人を拝もうとせよ」。●人類の「業、本能」は人に(社員に、家族に、、民衆に)拝まれようとすることである。仕えられようとする。だから競って「偉くなろう」とする。それが争いの元である。覇権争いになる。イエスはその逆を身をもって実行した。その思想と行動を聖書に探る。こういうのはコンコルダンスからは引っ張れない。意味の同じ所を探すのは自分の体験や経験や自戒。

塚本訳  ルカ 22:24-27
22:24 また弟子たちの間に、自分たちのうちでだれが一番えらいと思われているかについての争いもあった。
22:25 するとイエスが言われた、「世間では王が人民を支配し、また主権者は自分を恩人と呼ばせる
22:26 しかしあなた達はそれではいけない。あなた達の間では、一番えらい者が一番若輩のように、支配する者が給仕をする者のようになれ。
22:27 食卓につく者と給仕をする者と、どちらがえらいか。食卓につく者ではないのか。でもわたしはあなた達の間で、あたかも給仕をする者のようにしている。

塚本訳マタ 20:24-28
20:24 (ほかの)十人(の弟子)はこれを聞いて、二人の兄弟のことを憤慨した。
20:25 するとイエスは彼らを呼びよせて言われた、「あなた達が知っているように、世間では主権者が人民を支配し、また(いわゆる)えらい人が権力をふるうのである
20:26 あなた達の間では、そうであってはならない。あなた達の間では、えらくなりたい者は召使になれ
20:27 一番上になりたい者は奴隷になれ。
20:28 人の子(わたし)が来たのも仕えさせるためではない。仕えるため、多くの人のあがない金としてその命を与えるためである。」

塚本訳 マコ 9:33-35
9:33 カペナウムに来た。家につかれるとイエスは、弟子たちにお尋ねになった、「道々何を評議していたのか。」
9:34 彼らは黙っていた。(自分たちのうちで)だれが一番えらいかと、道々論じ合っていたからである。
9:35 イエスは坐って、十二人を呼んで言われる、「一番上になりたい者は皆の一番下になれ、皆の召使になれ。」

●朝食の時。「まずい人とはあまり深く付き合ってはいけないこと」を話した。まずい人がいたら、戦うな、矯正するな、爆撃するな。ただ一目散に逃げろ。アイツ一人を矯正させてもそれだけのこと。排除しても効果は少ない。時間の無駄。●組織というのがあると違和感のある人物を排除、矯正、爆撃しはじめる。禍なるかな人間の組織、●だからと言って人間は一匹狼で仕事はできない。しかしその組織が金もうけやこの世的な繁盛を目指すとき、それは神の国とは正反対になる。気に入らないものを排除したり、切り合いになる。キリストの教会や集会にその風潮が侵入する時は神の霊が去っている証拠。

●「黒崎幸吉著・註解新約聖書Web版」のお知らせを書いてメールで送信。53人。

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各位

 

このたび、日本キリスト教界の名著である、黒崎幸吉著「註解新約聖書」のWeb版ができましたのでお知らせいたします。「手入力」のため完成までに数年はかかりますが、とりあえず最初の部分ができましたのでお目にかけさせていただきます。開発の動機、目的などはトップページ大島守夫代表の「Web化によせて」をご覧ください。スタッフ3名(シドニー、福島、東京)は離れて作業をしています。この名著をインターネットで無料公開できることを喜びとするものであります。「援軍」を期待します。

 

URL     http://stonepillow.dee.cc/

 

                      2008.9.23 高橋照男

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●須山英三さんと電話懇談。無教会は聖書を読まなくなった驚くべき事実の「嘆き」。原因は簡単。聖書でメシを食う人間が出現したのでその先生の話を聞いていれば自分は聖書を読まなくてよいと「安心」するようになったから。何かというと「先生はどういうお考えか」と問うことになり、人物崇拝の人間集団になり下がり身動きできなくなっている。●仏教で「学僧」が威張りだした禍と似ている。●宗教の世界においては大脳皮質の雑学は「権威」がない。それに気がつかないのはダメ信者。

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夕方の散歩。讃美歌「日暮れて」を心で歌う。2008.9.24 17:19

 

 

 

 

 

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愚かなことを言うな。 ++++++++ 所感

2008/09/22 08:39

080922(火)5時15分目覚め。朝のひらめき「神の国は待つものであって造るものではない」●黒崎幸吉デジタル化プロジェクトでシドニーへ長文のメール●次回感話での「神の国」について黙想。るか17:21は塚本訳だけが突出して翻訳が違う。
口語訳 ルカ 17:21
17:21 また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。

新改訳 ルカ 17:21
17:21 『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」

新共同 ルカ 17:21
17:21 『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」

塚本訳ルカ 17:21
17:21 また『そら、ここに(ある)』とか、『かしこに(ある)』とか言うことも出来ない。神の国はあっと言う間に、あなた達の間にあらわれるのだから。」

文語訳 ルカ 17:21
17:21 また「視よ、此處に在り」「彼處に在り」と人々言はざるべし。視よ、神の國は汝らの中に在るなり』

NKJV ルカ 17:21
17:21 "nor will they say, 'See here!' or 'See there!' For indeed, the kingdom of God is within you."

TEV ルカ 17:21
17:21 No one will say, "Look, here it is!' or, "There it is!'; because the Kingdom of God is within you."

●神の国は人間の努力で来るものではない。社会批判、善行。国家への抵抗。教会の物理的発展、集会の維持継続●このルカ17:21の解釈でいわゆる「行為主義の社会派」と「待ちの福音派」が別れる。●かって私が行為主義の社会派の人間(聖書をさっぱり勉強してない)に冷たく当たったとき「何もしないよりはいいでしょう」「何もしなくてよいのですか」などと逆襲されたことがある。愚かなことを言うな」●行為主義社会派の人間に告ぐ。モチット聖書を深く学べ。ルカ17:21を学べ。●行為主義社会派は大所高所から言うだけで「底辺の仕事」をしてない。「言うだけで行わない」。私の見る限り社会の中に入って行って「底辺の仕事」をしているのは待ちの福音派。これは不思議な現象。しかし歴史をみれば待ちの福音主義者の方が「よい働き」をしたのは事実●いがみ合ってはいけない。神は見ている。終末では行為主義社会派も待ちの福音派も区別なく裁きが下る。●マタイ6:33の翻訳の差も同じ。

口語訳 マタ 6:33
6:33 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。


新改訳 マタ 6:33
6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。


新共同 マタ 6:33
6:33 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。


文語訳マタ 6:33
6:33 まづ神の國と神の義とを求めよ、さらば凡てこれらの物は汝らに加へらるべし。


塚本訳マタ 6:33
6:33 あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。

●私の息子の一人はこの塚本訳のおかげでいわゆる「行為主義」から解放されれた。●義を行為するな。義は義とされることなのだ。●行為主義社会派の人間には「有体的復活」がさっぱり通じない。生きる原理が違うのだ●福岡の少年殺しは母親だったと妻から。私は言った「世も末だ」。なぜなぜ。と思う。●12:00聖路加にMRIの結果を聞きに行く。村形先生。昨年と比べて変化なし。減量すること、良く会話することの二つを言われた。 

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聖路加国際病院入口。いつもここにいた焼き芋屋の鈴木さんが今日もいない。いよいよおかしい。亡くなられたのだろうか。私の「悩みの日」に「高橋さんそれでいんだよ、それでいいんだよ」と慰めてくれた。その鈴木さんとこんな別れ方をするとは、・・・・・人生は悲しいなー、さびしいなー 2008.9.22 11:48

 

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仮公開!。Web黒崎幸吉著「註解新約聖書」 ++++++++ 所感

2008/09/21 07:34

080921(日)5時半起床。●ついに「Web黒崎幸吉著註解新約聖書」の仮公開ページが代表者の大島守夫氏(在・シドニー)から公表された。下記アドレス。

http://stonepillow.dee.cc/

このプロジェクトはまだ緒に就いたばかりである。全員自由参加型である。パソコンができる方で、黒崎註解に関心があり、完成に御協力をいただける方は、ご参加ください。黒崎註解を「精読」することにより正統信仰に触れる恩恵があります。これが天からの大なる報酬です.●妻と集会に行く●集会は藤巻、土肥(詩篇22編)、望月●帰途最長老の方から本日の集会について「激怒」。小説の話をするようではひどすぎる。之に対して私は「無教会者はなぜ集まるのか。集まって何をするのか」を根本的に考えなければならない。ダメな集会は指導者の方針が悪いから堕落する。ダメな集会は天罰が下る」と話した。またその長老から講師の一人ひとりについても批判が出た。あれでは自分が知らなかったことを頭で勉強してきたことの発表であって聴く者を馬鹿にしている。第3チャンネルの番組のような内容ではまずい。●5人で昼食(小寺夫妻、土肥、トミ子、私)。話題は集会のこと。私の発言「長老から今日の集会を大批判激怒された。塚本先生は3回程度集会を一時解散した。今の講師陣は総辞職すべきかもしれない」、そうすると異口同音に「誰もやる人がいなくなる。誰がやっても似たり寄ったりだ」と反論された。●信仰者集団が堕落するとどうなるか。その現象として人物崇拝、思想的一致、気風的一致、伝統墨守が起こり、違和感のあるものを排除し始める。新撰組、共産主義集団、イデオロギー集団の様相を示す。

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集会が終了してあきる野に戻る。ラッパの花が咲いていた。ヨハネ黙示録を思う。終末のときにはラッパが鳴るという。このあたしははたして「救われるのか」

2008.9.21 14:45

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神による心の交わりは楽し ++++++++ 所感

2008/09/20 20:35

080920(土)5時起床。●早朝、コンビニに走って黒崎本のコピー。黒崎本の機械的読み取りについてWeb会議●台風は上陸せず去った。のあきる野は美しい。


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台風13号は東京に上陸しなくて去った。あきるの野は美しい。人生は暴風雨があっても必ず晴れる。

いやもし晴れなくても来世では晴れる。 2008.9.20 9.51

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雨によく耐えてくれた秋空の下の我が家。家というのはありがたい。2008.9.2010.13

●15:00 コストスクールで「プロジェクトマネジメントとは何か」を講義。江口禎先生と懇親懇談。清水誠氏と懇談。当麻正氏と懇談●妻は今井館で「愛真高校の集い」、その後モーツァルト「レクイエム」の練習。●この短い人生で一番の楽しみは「神による心の交わり」。これ以上に喜ばしいものはない。 讃美歌403番の通りである。

 

讃美歌403番 

 

1. かみ に よりて いつく しめる

   こころ の まじわり いと も たのし.

 2. ちち の まえ に せつ に いのらん,

   のぞみ も おそれ も とも に おなじ.

 3. とも に しのぶ うき なやみ も,

   ゆたけき めぐみ に やがて きえなん.

 4. わかるる とき かなし けれど,

   ふたたび あい みる さち や いかに.

 5. つみ と うれい なき みくに の

   つきせぬ むつび を よろこび またん.

●癌の激痛は医学の発達で将来はなくなるという。残るのは心の痛み。楽に死にたいといゆ希望が残る。その道は、復活の希望に満たされること。●人間はいずれは死ぬのだ。しかし心安らかに死にたいものだ。 

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昼の東京タワー。どうも少し傾いていると思うのエ、設計者内藤多仲しのご令息(知人)にお尋ねしたことがある。すると「そう言われることがるが傾いてはいない」とのお答え。 2008.9.20 13:42

 


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この私は天国に行けるのだろうか。 ++++++++ 所感

2008/09/19 06:57

080919(金)出勤日。4時半起床●次回の集会での感話のスケッチをする。骨子は次の通り。

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神の国とは何か

聖書に聞く

 

          2008.10.5 東京聖書読者会 高橋照男

 

①神の国(天の国)の言語的定義。それだけではわかりにくい。

②神の国とはどういうところか。それは誰もが行きたいところだ

③それはどこにあるのか。この世にあるのか。死んだら誰も確実に行けるのか。

④教会や集会は神の国か。それはこの世限りのものだ。人間の組織ではない。

④努力すれば入れるところなのか。熱心度が認められて入れるのか。

⑤入れる人と入れない人がいるのは宿命か。そうなら親子別れになって困る。

⑥神の国は終末に「到来する」ものだというのなら、それはいつのことか

⑦神の国到来に、イエスの役割は何か。

⑧神の国はこの世の国家と衝突するのか

⑨地上王国ではないとしたら、「御国を来らせ給え」という祈りとは何か

⑩この私は「神の国」「天の国」に行けるのか。それは確実なのだろうか。

⑪先に逝ったあの人は今頃どこにいるのだろう。あの人と会えるのだろか

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●難問続出。イエスに聞いても「さーねー」と言われそうだ。●こういう難問を教会に聞くと答えは決まっている。「天国の様子は聖書に書いてない」と。それでは困るのだ。イエスはなんとか分かることだけでも答えようとしているのだ。●台風13号接近。●帰途駅からの歩数をチェック1600歩16分●須山英三氏と電話懇談「黒崎プロジェクト」の機械読み取りの検討

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精神の病は家庭崩壊の原因 ++++++++ 所感

2008/09/18 14:20

080918(木)5時起床。●朝風呂で日経「私の履歴書」、理化学研究所理事長・野依良治。・・大学教授、ノーベル賞などの世界。私とは全く縁がない。しかし幸福そうではない。栄誉、栄達、ねたみ、競争。そこに安らぎはない。●「黒崎幸吉新約聖書註解デジタル化プロジェクト」で原本から機械的に写す技術的方法をSU氏に電話で聞く。思わぬところから道が開けるかもしれない。●人生、モーだめだと思うところに神の救いの手が下るものだ。●昨夕は妻から病気のために家庭が崩壊した例を聞き、「悩み多きこの世なるかな」と思うと同時にイエスが多くのむずかしい病を癒した意味を深く考えた。●病の中で精神の病、自閉症、閉じこもり、不登校、出社拒否などの難しい病気は現代特有の病。どうしたらよいかわからない。付ける薬がない。神に奇跡を発動してもらわなければならない。神に腰を上げてもらわなければならない。すると「幸いなるかな精神の病に陥った人」ということになる。神には直せない病はない。医者が匙を投げる病でも神は治す。

塚本訳 マコ 9:20-29
9:20 人々がイエスの所につれて来ると、霊はイエスを見るや否や、その子をひどくひきつけさせたので、子は地に倒れ、泡をふきながらころげまわった。
9:21 イエスが父親に尋ねられた、「こうなってから、どのくらいになるか。」父親がこたえた、「子供の時からです。
9:22 霊はこの子を殺そうとして、幾たびか、火の中、水の中に投げ込みました。それでも、もしなんとかお出来になるなら、わたしども(親子)を不憫と思って、お助けください。」
9:23 イエスは言われた、「もしお出来になるなら(と言うの)か。信ずる者にはなんでも出来る。」
9:24 即座にその子供の父親が叫んだ、「信じます。不信仰をお助けください。」
9:25 イエスは群衆が駆けよってくるのを見ると、(急いで)汚れた霊を叱りつけて言われた、「唖と聾の霊、わたしが命令するのだ、この子から出てゆけ、二度と入るな!」
9:26 霊はどなって、はげしくひきつけさせて、出ていった。子は死んだようになったので、多くの人が、「死んだ」と言った。
9:27 イエスはその子の手をとって起された。すると立ち上がった。
9:28 家にかえられると、弟子たちは人のいない時に尋ねた、「なぜわたし達には霊を追い出せなかったのでしょうか。」
9:29 彼らに言われた、「この種類(の霊)は、祈り以外(の手段)では決して出てゆかせることは出来ない。」

●全国の無教会主義集会に言う。教会でつまはじきされた人(精神病者、家庭崩壊者、犯罪歴のある人・・・)の受け皿となれ。教会に嫌われた人の友となれ。教会はサロン、親睦団体、趣味同好会サークル、先生同窓会、思想団体、天下国家批判集団、社会運動福祉団体などの人間集団に堕落している。●CDで岳藤豪希指揮エヴァンゲリウム・カントライの讃美歌138番を聞いてメガネが曇り、袖で涙をぬぐった。

讃美歌138番

1. ああ、主 は た が ため よ に くだりて,

   かく まで なやみ を うけ たまえる.

 2. わが ため じゅじか に なやみ たもう

   こよなき みめぐみ はかり がたし.

 3. とが なき  かみ の こ とが を おえば,

   てる ひ も かくれて やみ と なりぬ.

 4. じゅじか の みもと に こころ せまり,

   なみだ に むせびて ただ ひれふす.

 5. なみだ も めぐみ も むくい がたし,

   この み を ささぐる ほか は あらじ.

●この最後の言葉「このみをささぐるほかはあらじ」はアーメンである。私の公開ブログは捨て身の告白である。「このみを神と人に捧げているのだ」。批判もあるが、やめることはできない。なぜか。もしやめると神の手を押しとどめることになり、再び家屋の全焼と脳内出血になるかもしれないからである。自己防衛である。●「塚本虎二訳研究」のサイトが能城一郎牧師によって 公開されたせいかどうかわからないが、最近は急に私のホームページへのアクセス数が多くなり、先日は一日に122件とレコードを記録した。どこの誰が「のぞき見」しているのか全く不明。いいのだいいのだ。ザアカイのような人だらけでよいのだ。こっちは一方的に発するだけだ。見返りは期待しない。たまに応答があるのはうれしいがそれが目的ではない。

塚本訳 ルカ 19:1-4
19:1 エリコに入って、(そこを)通っておられた。
19:2 すると、(町に)名をザアカイという人がいた。この人は税金取りの頭で、金持であった。
19:3 イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低いので、群衆のため見ることが出来なかった。
19:4 それで先の方に駈けていって、桑無花果の木に上った。そこを通られるところを見ようとしたのである

●私のホームページを「のぞき見」る人が、「のぞき見」がきっかけで全国どこか地元の片田舎の集会や教会で救いに導かれたとすれば私の役目は少し果たせたことになる。私は生涯その人のことを知らない。知らなくてよい。知らない方がよい。知ると喧嘩になる。

 

 


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神の国とは何か ++++++++ 所感

2008/09/17 13:00

080917(水)5時起床。●「黒崎幸吉新約聖書デジタル化プロジェクト」Web会議。シドニー、福島にいるスタッフと会わなくても仕事ができるのはインターネットのおかげ●これからは人が物理的に一ヶ所に集まるということは必須条件ではなくなるだろう。心の交わりはネットと祈りで可能である。物理的に集まる教会や集会は「いがみあい」が起きる。●地球の反対側の人とも祈りあって仕事ができる。そのWeb会議の一こまを公開する。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・○○兄

新約聖書の写本は虫食いや壊れがあっても複数のもので推測して本文を確定します。(本文批評)。その苦労はネストレーアーラントのグループが最先端と思います。それに比べて我々はどうだろうかと考えました。黒崎は27版もあるので、そのどこかで本文がわかるということが我々にはわかっています。黒崎の本文をクリヤーにして後代に送るというそこのところに(時間がかかっても)本プロジェクトの意義があると自らを慰めようではありませんか。

次の例。あの死海写本の原本は一部の人だけに見られたのですが、世界の学者はファクシミリ版でもよいから見られるようにしてもらいたいと願っていました。現在はそれが可能になったということを聞きます。それに比べて我々は恵まれているではありませんか。手入力の労苦そのものにすでに「後世への最大遺物」が込められているのではないでしょうか。

あまり機械的にさっと出来るのはなぜか「魂」がこもってはいません。建築もハウスメーカーの工場製品は工期が60日と早いのですが、なぜかありがたくありません。なぜか。建築主としては「そんなに早く施工してもらわなくてもよい。ゆっくりでもよいから丁寧にやってもらいたい」と思うのです。工期の短縮は工事会社のコストダウンの理由だけなのです。われわれのプロジェクトはもとより無料公開。○○兄のおっしゃられる通り、「10年でも20年でもよいではないか」に賛成です。「ゆっくり行こうぜ」という感じです。

高橋 080917 10:58

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●次回の集会の感話のテーマは「神の国とは何か」。その黙想をする。パウロは次のように言う。

口語訳 ガラ 5:22-23
5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、
5:23 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。


新改訳 ガラ 5:22-23
5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
5:23 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。


塚本訳ガラ 5:22-23
5:22 しかし霊の実は愛、喜び、平和、寛容、親切、善良、忠実、
5:23 柔和、節制である。これらのものに対しては律法は(力が)ない。

 

●これだ。神の国の姿とはこれだ●ではこれはどこにあるのか。教えていただきたい。そういうところがあるなら全資金をはたいてでもそこに行きたい。家庭を捨ててでも行きたい●それは教会か、集会か、人間か、No!,No!No!この素晴らしいところをこれらに求めても得られない。失望するだけである。●「永遠の生命」を求めて「どうしたらそこにはいれるか」との質問をイエスにした人がいた。その人は金持の青年。

 

塚本訳 マコ 10:17
10:17 旅行に出ようとされると、ひとりの人が駆けてきて、ひざまずいて尋ねた、「善い先生、永遠の命をいただくには、何をすればよいでしょうか。」

 

●これは理にかなった質問である。プロテスタントの牧師は言う「救いは神の御心次第、人間が何かをして神の国にはいれるわけではない。」これは「木で鼻をくくったような答え」。イエスはそうは言わなかった。「努力してみよ」と。しかしその努力とは「神に一生懸命になれ」というのだ。「財産を捨ててこい」というのもその一つ。「なりふり構わず祈れ」というのもそのひとつ。すると「神が振り向いて救ってくださる」●そういう人がいた12年間も病気で悩んでいた女性。

 

塚本訳 マタ 9:20-22
9:20 するとそこに、十二年も長血にかかっていた女が近寄ってきて、後ろからイエスの上着の裾にさわった。
9:21 「お召物にさわるだけでも、なおるにちがいない」と、ひそかに思ったのである。
9:22 イエスは振り向いて、女を見ながら言われた、「娘よ、安心しなさい、あなたの信仰がなおした。」するとちょうどその時から、女はなおった。

 

●神の国は「メシア」の所にある。メシアとは誰か。その質問をした人がいる。それは洗礼者ヨハネ

 

塚本訳 マタ 11:2-6
11:2 さて(洗礼者)ヨハネは牢屋で、(イエスの)救世主としての働きを聞くと(心が動揺し、)弟子たちをやって、
11:3 「来るべき方(救世主)はあなたですか、それともほかの人を待つべきでしょうか」とたずねさせた。
11:4 イエスは答えられた、「行って、(今ここで)聞いていること見ていることをヨハネに報告しなさい。
11:5 ──『盲人は見えるようになり、』足なえは歩きまわり、癩病人は清まり、聾は聞き、死人は生きかえり、『貧しい人は福音を聞かされている』と。
11:6 わたしにつまずかぬ者は幸いである。」

 

●イエスは自分にメシヤ意識があり、自分の所に神の国があると言った。それは次の言葉からわかる。

 

塚本訳 ヨハ 12:34-36
12:34 すると群衆が答えた、「われわれは律法[聖書]で、救世主は〃永遠に〃(地上に)生きながらえると聞いていたのに、あなたはどういう訳で、人の子は(死んで天に)挙げられねばならぬと言われるのですか。その人のことはいったいだれのことです。」
12:35 するとイエスは(それには答えず、)彼らに言われた、「もうしばらくの間、光はあなた達のところにある。光のある間に(早く)歩いて、暗闇に追い付かれないようにせよ。暗闇を歩く者は、自分がどこへ行くのか知らない。
12:36 光のある間に光を信じて、光の子になりなさい。」、こう話すと、イエスは(そこを)立ち去って、彼らから姿をお隠しになった。(イエスの伝道はこれで終ったのである。)

 

塚本訳 マタ 12:28
12:28 しかし、もし(そうでなく、)わたしが神の霊で悪鬼を追い出しているのであったら、それこそ神の国はもうあなた達のところに来ているのである

 

●イエスの到来と終末の日は一体であるとイエスは認識していた。イエスの時と終末の連続性がここにある。

 

塚本訳 マタ 26:29
26:29 しかしわたしは言う、わたしの父上の国で、あなた達と一しょに新しいのを飲むその日まで、わたしは今後決して、この、葡萄の木から出来たものを飲まない。」

 

●では神の国はどこにあり、いつ来るのか。それをパリサイ人がイエスに質問した。

 

口語訳 ルカ 17:20-21
17:20 神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。
17:21 また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。


塚本訳  ルカ 17:20-21
17:20 パリサイ人から神の国はいつ来るのかと尋ねられたとき、答えられた、「神の国は、(いつ来るのかと計算や)観測のできるようにしては来ない。
17:21 また『そら、ここに(ある)』とか、『かしこに(ある)』とか言うことも出来ない。神の国はあっと言う間に、あなた達の間にあらわれるのだから。」


新共同 ルカ 17:20-21
17:20 ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。
17:21 『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」


新改訳 ルカ 17:20-21
17:20 さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。
17:21 『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」


口語訳 ルカ 17:20-21
17:20 神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。
17:21 また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。

 

●神の国はこの世の国と衝突しない。イエスはそれを言う。これはまた新約聖書の根本思想である。

 

塚本訳 マタ 22:18-21
22:18 イエスは彼らの悪意を知って言われた、「なぜわたしを試すのか、この偽善者たち、
22:19 税の貨幣を見せなさい。」デナリ銀貨を差し出すと、
22:20 言われる、「これはだれの肖像か、まただれの銘か。」
22:21 「皇帝のです」と彼らが言う。すると言われる、「では皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返せ。」

 

塚本訳  ヨハ 18:36
18:36 イエスが答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであったら、わたしの手下の者たちが、わたしをユダヤ人に渡すまいとして戦ったはずである。しかし実際のところ、わたしの国はこの世のものではない。」


塚本訳 ロマ 13:1
13:1 人は皆上に立つ(国家の)官憲に服従せねばならない。神からではない官憲はなく、現存の官憲は(ことごとく)神から任命されたものであるから。


塚本訳 Ⅰペテ2:13-15
2:13 主の(立て給うたものであるが)故に、人間の凡ての制度に服従せよ。あるいは主権者として王に、
2:14 あるいは悪人を罰し善人を褒めるため王から遣わされた者としての総督達に(服従せよ)。
2:15 (君達の)善行によって、(君達を危険人物のように考えている)無理解な人達の無知(な非難)を沈黙させることは、神の御旨であるからである。

 

 

 

 

●神の国は人間の大脳皮質で認識できるようにはこない。また大脳皮質で頑張ってこさせることもできない。神の力で人間世界に到来する。それは終末再臨の時。あっという間に来る。●その日までエクレシアは主の来りたもうことを祈り求めつつ待つ。●妻はウィークデーの集い●夕食の時に妻から話。「一家の主人が精神の病に陥って家庭が崩壊した例」。別れた妻とその子供が無教会集会に集っているという。万歳。神の手がその家に下った。家内安全商売繁盛は真の幸福ではない。健康で長生きも幸福ではない。直りにくい病気、特に精神の病に見舞われた家は幸いだ。なぜか。神にすがるより道がないからだ。その結果精神の病も治り、霊魂の救いも得られる。●現代のプロテスタント教会は精神病の人間と離婚者を毛嫌いして遠ざける。そうするのは牧師ではなくむしろこの世的な信者ども。私はその実例を知っている!!。神の裁きは必至。「滅びよ」。

 

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一人ぽっちの鳥がいた。独身か。妻に先立たれたのか。病妻を抱えているのか、子供に背かれたのか。見る人によって見え方が違うものだ。2008.9.17 17:33


 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

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一日20億回アクセスの世界へ ++++++++ 所感

2008/09/16 08:59

080916(火)5時起床。●福音伝達の手段について黙想。●イエスは12弟子を付近の村や町に派遣した。イエスには書籍なし。パウロはアジアを3回伝道旅行した。専門家では書けないパピルスで手紙を書いた。集会はそれを回し読みした。ヒエロニムス8350-420)のラテン語訳聖書(ウルガダ)は長く中世に影響。しかしそれは教会のもの。近代になってグーテンベルグの印刷術は宗教改革を支えた。ルターは聖書を僧侶の手から奪還した。次は現代、出版とメディア。聖書協会による聖書の普及、無教会は「伝道雑誌」に効果があった。(内村の「聖書之研究」はその嚆矢。塚本虎二の「聖書知識」は毎月4000部発行。塚本先生は丸の内集会よりもそちらに主眼があった)。最近はインターネット。その検索エンジン(グーグル、ヤフー、マイクロソフトなど)のアクセス回数は全世界で一日20億回。人類が文字を発明して以来の驚異的衝撃と言われる●このたび、そのインターネットに「塚本訳」が公式に載り、将来は「黒崎註解」が載る。イエス、パウロ、ヒエロニムス、ルター、グーテンベルグ、内村、塚本、黒崎もビックリのはず●しかし福音は「見ても見ても、聞いても聞いても」分からないという性質がある。●ではなせインターネットか。それは次の一句に尽きる。●ターゲットは「見知らぬ人」「ずっと後の日」である。

 

口語訳 伝  11:1
11:1 あなたのパンを水の上に投げよ、多くの日の後、あなたはそれを得るからである。


新改訳 伝  11:1
11:1 あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。


新共同 伝  11:1
11:1 あなたのパンを水に浮かべて流すがよい。月日がたってから、それを見いだすだろう。


NKJV 伝  11:1
11:1 Cast your bread upon the waters,For you will find it after many days.

●「黒崎幸吉著註解新約聖書デジタル化プロジェクト」の前文がシドニーの大島守夫氏から送られてきた。その名文に圧倒された。ヒルティの「演説(文章)は生活なり」の言葉を思い出した。この文章は苦脳のあとが滲みでている。●BK、郵便局、眼鏡店●バッハカンタータ156番「わが片足すでに墓穴に入りぬ」の第一曲、シンフォニアを鑑賞。素晴らしいメロディー。オーボエがよい。

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信仰と学問の調和 ++++++++ 所感

2008/09/15 08:51

080915(月)敬老の日。4時起床●14:00「内村鑑三研究会」(於・今井館)①道家引一郎「内村鑑三と高等批評」・・・・内村が贖罪信仰の継承にいかに苦闘したかの話。②泉治典「創世記から黙示録を一眸(ぼう)の内に見る」(内村の言葉)・・・・80歳になって無教会が分からなくなったという衝撃的な講演。内村は「神の像」「キリストの契約」についてすっとばして解説してないという。・・・・・・・フロアーからの私の質問。道家氏に質問「内村は191510.10の『旧式や新式や』で信仰と学問の調和を理想とする人物出でよ、と言っているがそれが塚本とか黒崎に結実した。しかしその学問もいつかは古くなる。これをどう考えたらよいか。」道家氏の答え「信仰は信仰、学問は学問。学問の進歩はきりがない。・・・泉氏に質問「同感するところ多い。そうすると無教会には神学的欠陥があると解してよいか。無教会では見える先生が「像」になって、そこに安息を得ている」。泉「内村が『神の像』について言及しないのは積極的な意味はなかったと思う」●今日の出会い、塩澤潤、大山綱夫、武富保、吉田秀雄、高木謙次、相澤忠一、須山英三、斉藤みち、●帰途は武藤陽一氏と新宿まで●妻は「すずめの会」「モーツァルト・レクイエムの練習」その後荒川の娘(愛子)に家に泊まり。

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月下美人。この花は生涯一晩だけ咲いて翌朝はしぼむ。人生のようだ。

いや。咲かない花もある。それでいいのだ。それでいいのだ。神は知っていてくださるから。 2008.9.15 21:22

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癌になって癌患者の気持ちがわかる ++++++++ 所感

2008/09/14 07:00

080914(日)4時起床。朝の黙示「無教会は幼児教育で失敗」●今年夏は娘の子供(5歳)が一人で4日泊まっていった。寝るときに声を出して祈る。「天のお父様。今寝ます。・・・・・・」から始まる。通っている教会付属の幼稚園のおかげで、母親に連れられて日曜礼拝に出席している。妻の報告では、その下の2歳の娘も寝る前になにやら「ぶつぶつ」お祈りするらしい。私としてはガッツポーズである。「霊の喜び」を与えられた。「祈りの世つぎ」ができたと思ったからである●この孫の祈りの姿を見て「無教会は幼児教育に失敗した」と思った。教育は100年の計。それを怠った●無教会でも親たちが個々に自分の子供にキリスト教教育をしているが、「まずい」「淋しい」家庭の子供を受け入れる「機関」としての場所がない。それに西日本の方面で幼児を対象にする集まりがあっても「信じていない三位一体を幼い子供に教えられない」といと言って教師陣が分裂。腰ぬけ集団だ。そういう集団が継続するということが証明されてはならない●5:00NNHKTV3CH「心の時代」。ヴォーリズ記念病院ホスピス医長の細井順「ガンで見つめるいのち」。心に残る言葉「人は癌で死ぬのではなく、人間だから死ぬのである」「外科医からホスピス医への転身は父が癌になったとき外科医の自分としては何もしてあげられなかった事実」「柏木哲夫氏に出会って人生転換、43歳」「ヴォーリズ記念病院にホスピスができるときにその設立に参加。しかしその時に自分が癌になる」「その時に初めて患者に向かって直してあげるとか痛みをとってあげるという気持ちから解放され、『共に在る者として共に在る今』という姿勢になる」・・・・・・・・細井氏は祖父母も両親もクリスチャンであったが、それ以上に「教会の人たち」に愛されて育った。そして自分は幸福に育ったので、将来はこれを人に分かち合わなければならないと思ったという。●キリスト教伝道は高校生以下。それ以上の年齢になって人生の汚濁にまみれてズタズタになってからでは救われないことはないが、神としても「手間がかかる」(?)。それに偏屈になった人間はどんなにひどい人生苦難に遭遇しても、それが神を信ずる動機はならず、かえって意固地になる。「神がいるなら抗議したい。どうして俺を家庭を子供をこういう不幸にするのだ」という。もう手に負えない。●クリスチャンと称する人間の中に「年金もらって遊び抜こう」という輩がいる。そういう人間を批判することほど残り時間の無駄な使い方はない。●集会は茂木、杉崎、山本(使徒)●昼食をともにしながら杉崎孝氏(95歳)と小寺利男氏(79歳)に「塚本虎二訳研究」のサイト完成について説明した。

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秋の天に向かってぐんぐん伸びる植物。青少年のようだ。神の業だ。なぜ育つのか。

2008.9.14 17:26

口語訳 マコ 4:26-27
4:26 また言われた、「神の国は、ある人が地に種をまくようなものである。
4:27 夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行くが、どうしてそうなるのか、その人は知らない

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苦しみからの解放に邁進せよ ++++++++ 所感

2008/09/13 09:03

080913(土)4時半起床。朝の啓示「苦しみからの解放に邁進せよ」。●朝風呂で日経「私の履歴書」、理化学研究所理事長・野依良治。・・・・科学的発見の苦労は建築工事の苦労と似たり寄ったり。けれどもそれが成功すると世間にもてはやされる。影響効果が大きいから。しかし家事労働とか建築労働は相手が限られている「小なること」、小事である。しかも目立たない。それを嫌って「有名になる」「永遠に残る」仕事をしたがるのは間違い。それは神に覚えられにくい。●徳島県の貝出久美子さんに信仰詩集「風に歌う」のお礼メール。信仰の友は遠い所にいる。

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早朝散歩、朝日、雲、林、畑、秋の風。さー今日も一日「主のために」働こう。2008.9.13 6:30

●我々のこの世での働きは何か。少しでも周囲の人を「楽」にすることだ。現世の苦からの解放だ。私の場合は過去の苦からの解放、十字架による贖罪の告知。来世の不安の苦からの解放、有体的復活の告知。何れも「使徒伝承」。これを行いつつ「安らかに生き、安らかに死ぬこと」これが私の残りの人生目標だ。「年金もらって無償奉仕の老後だ」。遊んじゃーいられない。人間が人間を解放できるか。できる。それは使徒伝承の告知」●真理は人を解放する。自由にする●モーツァルト「レクイエム」をベーム+ウィーンフィル+ウィーン国立歌劇場合唱団+ソプラノ・エディットマティス+於ウィーンムジークフェラインザール 1971の名演で鑑賞。さすがである。「Hostias et preces 賛美のいけにえ」は心から感動し、心で泣く。

「Hostias et preces 賛美のいけにえ」

主よ われらの賛美のいけにえと祈りとを ささげたてまつる

今日われらが記念する霊魂たちのため

これを受け入れたまえ

主よ、彼らを死より生命へと移らせたまえ

これアブラハムとその子孫に

かって約束したまえることなり

●「塚本虎二訳研究」を「Jバイブル2008」で稼働。製作者能城一郎牧師の御苦労を思う●これで塚本が世界に向けて発信された。グーグルだけでも一日2億回のアクセス。ヤフーなども入れれば3億回。●これに将来「黒崎」が発信されれば日本の把握した「無教会」が世界に流れる●メール2通、封書一通●図書館、郵便局、イオン●「黒崎幸吉註解デジタル化プロジェクト。●「塚本虎二訳研究」を「とじた君」で6冊製本。●夕食後、妻は合唱の練習。フォーレ「レクイエム」

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私が殺している人 ++++++++ 所感

2008/09/12 07:30

 
080912(金)出勤日。5時起床●朝の黙想「私が殺している人」●朝風呂で日経「私の履歴書」、理化学研究所理事長・野依良治。・・・・・過去数回分をまとめて読む。学者の世界の話。しかしその評価基準はこの世的名声(大学の地位、教授助教授、研究室、留学、文化勲章、ノーベル賞)。人間の判断。目的は人間を「この世で楽にすること」。霊魂の平安ではない。神に褒められることではない。●人間に褒められた人は神からは褒められにくい。これ聖書の精神。

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総長散歩。よく会う3人組。2008.9.12 6:35

 

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早朝散歩。秋晴れのあきる野 いつも訪れる林、遠方は奥多摩連山、右はあきる野市役所、2008.9.12 6:50

●私が心で殺している人が数人いる。その人たちに共通なことがある。①同じ組織内の人,②私にねたみを持っている人,③私が攻撃している人、心の中で「アイツはだめだなー」と思っている。「俗人だなー」と思っている。④早く死なないかなー、罰が当たらないかなー、と思っている人 ⑤共通的に私を「攻撃して」「早く死なないかなー、罰が当たらないかなー、滅びないかなー、失敗しないかなー」「罪が見つかれば暴いてやろう」「失敗を願っている」・・・・などと恐ろしいことを思っている。

文語訳 マタ 5:22
5:22 されど我は汝らに告ぐ、すべて兄弟を怒る者は、審判にあふべし。また兄弟に對ひて、愚者よといふ者は、衆議にあふべし。また痴者よといふ者は、ゲヘナの火にあふべし。


口語訳 マタ 5:22
5:22 しかし、わたしはあなたがたに言う。兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受けねばならない。兄弟にむかって愚か者と言う者は、議会に引きわたされるであろう。また、ばか者と言う者は、地獄の火に投げ込まれるであろう。


塚本訳 マタ 5:22
5:22 しかしわたしはあなた達に言う、兄弟に腹をたてる者は皆、(ただそれだけの理由で、天国の)裁判所で罰せられる。兄弟に馬鹿と言う者は、最高法院で罰せられる。畜生と言う者は、火の地獄で罰せられる。


新改訳 マタ 5:22
5:22 しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし。』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者。』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。


新共同 マタ 5:22
5:22 しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。

●人をあやめた私は「死刑」である。贖罪の旅に出なければならない。巡礼の旅に出なければならない。●しかし仕事では違う。私は別名「人斬りの高橋」と言われている。それは建築プロジェクトのメンバーを揃えるときはバサバサと人を斬る。反対者を斬る、銀行を斬る、設計者を斬る、ゼネコンを斬る。不動産会社を斬る●プロジェクトを温情主義でやると「人の顔は建つがビルは建たない」。建て主の社長の息子(これがいつもいけない)も斬った。これが「人斬り魔の高橋」の所以である。捨て身であった。建築プロジェクトは甘っちょろいものではない。●その後遺症で斬った人間から逆恨みされて、それが今でも尾を引いているケースがある。●「成功する建築プロジェクト」の秘訣。それは実に簡単、プロジェクトマネジャーは「優秀なスタッフをそろえること」。そうすれば放っておいても経済原理で自動的にプロジェクトが動く。そのためにはプロジェクトの途中で「人斬り」を行うこと。●このことは建築にかかわらず、もろもろのプロジェクトについて言える。教会の建設、企業の建設、家庭の建設、●プロジェクトに熱心になると人を斬らざるをえない。イエスの気持ちが分かる。ルターの気持ちが分かる。その聖書的根拠は次のとおりである。●イエスが殺された原因は歴史的にはこれだと言われている。神殿経営と深くかかわりを持っていた祭司階級がイエスを憎んだのである。

塚本訳ヨハ 2:13-17
2:13 ユダヤ人の過越の祭が近くなると、イエスは(弟子たちと)エルサレムに上られた。
2:14 宮の庭で牛や羊や鳩を売る者、また両替屋が坐っているのを見られると、
2:15 縄で鞭をつくって、何もかも、羊も牛も宮から追い出し、両替屋の銭をまき散らし、その台をひっくり返し、
2:16 また鳩を売る者に言われた、「それをここから持ってゆけ。わたしの父上の家を商店にするな。」
2:17 (これを見て)弟子たちは、〃(神よ、)あなたの家に対する熱心が、わたしを焼きつくします〃と(詩篇に)書いてあるのを思い出した。


 

 

 

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老後は年金もらって無償奉仕 ++++++++ 所感

2008/09/11 20:32

080911(木)5時半起床。朝の黙想「親殺しの原因」・・・・それは心の圧迫をはねのけようとするのが動機。バッハ「人よ、汝の罪の大いなるを嘆け」。「罪の自覚なき人間はまだ動物的存在●親殺しの子供はそれがいかに若くても「罪は罪であって死刑だ」。親の人生館が悪いから子供に殺されるのだという甘い思想が日本をダメにする。罪の恐ろしさを知らない。だから日本には贖罪宗教のキリスト教がNESTLE-ALAND NOVUM TESTAMENTUM GRAECE 27版2001の引照づかないのだ●「塚本虎二訳研究」を製本する準備。これは結婚当初から妻と作業をしてきたので約40年はかかっている●9:00阿伎留医療センター、森一博先生。内視鏡検査の打ち合わせ●14:30「午後三時祈りの友」会員の星野利男さん(全盲)を妻とお見舞い。讃美歌321「見恵みゆたけき主の手に引かれて、この世の旅路をあゆむぞうれしき」を3人で歌う。宙を見て歌っていたほ園さんは涙が枯れ果てたのかともった●私は「来世では「眼があく」といったら、笑みを浮かべられた。こえrはアーメンと負う意味だ。3人で祈って別れた。

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早朝散歩。コスモス大好き。「遠い山から吹いてくる。個寒い風にゆれながら、気高く清く匂う花」

2008.9.11 6:45

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早朝散歩。秦家の中の百日花(さるすべり)。さるすべり大好き。なぜか百日も咲いているから。私も82歳といわずに百歳まで生きてみたい。 夢か。   2008.9.116:55

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妻と散歩。大悲願寺。あきる野の名所。名刹。2008.9.11 16:18

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妻と散歩。大悲願寺境内 2008.9.11 16:20

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妻と散歩。大悲願寺は白萩で有名。伊達政宗が所望したという。 2008.9.11 16:23

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妻と散歩。武蔵増戸付近。父母のいた家の近くを通り、二人を偲んだ。素晴らしい栗林。2008.9.11 16:43

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妻との散歩の終わり。奥多摩連山が暗くなる。人生も「妻との散歩」が終わりの日が来るのだ。妻が撮影。私の姿は薄くなっている。    2008.9.11

●生まれ故郷浦和の比企紀和君から電話。古き友はよし。大笑いした。JICA(ジャイカ・国際協力機構)の募集にに応募して合格。2年間インドネシアに行くという。無償援助(生活費だけを保証されるという)。定年後の人生時間のよい使い方、その素晴らしい精神に学んだ。「年金もらって無償奉仕」である。企業の現役で身につけた能力を発揮できるという。福島県二本松の研修センターで65日間缶詰でインドネシア語の勉強から始めるという。ご立派●「年金もらって遊び抜こうという人生観の持ち主は、そのうち行き詰る。なぜか。まともな人間ならばそれが空しく思う日が来るからである●人間、自分一個の幸福を追求する人生はいけない●老後の安定と幸福を目的とする人生観はむなしい。その先がない。●あの人の人生目標は「一生遊び抜く」ことなのかなー「彼は遊び人だ」「彼はその一生を金儲けのために費やすのかなー」「彼は家庭を守ることだけが生きがいなのかなー。そういう親はそのうち子供から見放される。軽蔑される。」「お父さんの人生観て貧弱ねーと言われる」「生きよ。真理のために」「求めよ。神の命を、神の恵みを」●神を信じようとしない者は、どんな不幸や苦難に会っても神を信じようとはしないものだ。「神の前に無駄な抵抗はヤメロ」

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不思議な音色に引かれて ++++++++ 所感

2008/09/10 08:46

080910(水)5時半起床●朝の黙想。「パソコンができなければ救われないか」●今日は病院の検査なので朝食は抜き。● 早朝散歩

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早朝散歩。途中、秋留台公園でラジオ体操。参加者が多くなった。みんな前に立つ指導者の真似をしている。ここに人間社会の真理性を見る。しかし「不運にもまずい」親の子供に生まれたとしても、神は清めて良くしてくださる。あの賀川豊彦は妾の子供であった。新垣努(テノール歌手)は幼児の時に両親に捨てられた。しかし神は救う。

2008.9.10 6:32

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早朝散歩。秋留台公園のバラ園。造られた公園はなぜか感動しない。フランスのヴェルサイユ宮殿、

ウィーンのシェーンブルン宮殿、すごく広い庭で驚かされたが、造られた庭でなんとなくつまらない。

人間また同じ。礼儀作法など「造られた人間」は面白くない。 2008.9.10 6:47

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早朝散歩。陽にあたる葉の裏側の色はきれいだ。この味わいは絵の具ではなかなかうまく出せない。

人生も表街道ではなく裏街道を歩く人間に「ピカッ」と光る美しいものがあるのだ。

2008.9.10 65:48

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早朝散歩。秋留台公園。不思議な音に引かれて近ずくと、初老の人。伺うとアンデスのインディオの竹の笛だという。心に沁み入る。この笛を吹く仲間は少ないという。この人は「家」では吹けないのかなーと思って立ち去った。いいんだ、いいんだ。信仰も一人だ。信仰は一代なのだ。2008.9.10 6:56

●9:00 池谷医院。検査。●朝の黙想。「塚本虎二訳研究」のサイトを送ることができたのは、パソコンのできる方々。これを喜んで下さるであろう方は他にも多くおられるが、残念ながらパソコンはお出来にならない。だから手紙でお知らせしてもそれは「見せびらかし」になるだけ●そこで考えた。文字が読めず、心がない人でも救われるのではないだろうか。パウロの次の言葉は救いは人間の側の「態度次第」のようでもあるがそうではないと思う。

塚本訳 ロマ 10:9-11
10:9 つまり、あなたは『口で』イエスを主と告白して、『心で』神がイエスを死人の中から復活させられたことを信ずれば、救われる。
10:10 『心で信じて義とされ、口で告白して救われるからである。──(こうわたし達は説いているのである。)
10:11 (なぜ信仰だけで救われるか。)『これ[キリスト]を信ずる者は』すべて、(最後の裁きの日に)『恥をかかないであろう』と聖書が言っているからである。

●では、心のない人、信仰告白のできない人は救われないのか。そうだとしたら人間は全員絶望である●無教会の某氏の集まりは「聖餐式」を始めた。その理由はご自身に「脳性小児麻痺」の子供が生まれた。心なく、信仰告白などとてもできない。氏は「本人がわかっても分からなくてもせめて神の救いを「見える形で示したい。」というのが切なる願いであった。●氏の場合、「刑罰代受説」がいいか悪いかなどの「暇な神学論争」は関係ない。●神は本人の信仰のあるなし、キリスト教に対する態度のよしあしで救うのではない。次のマルコ2章5節は、本人の信仰でなく、周囲の者の信仰で救われたのである。このようなケースはほかにもある。神はその主権で自由に人を救われる。「刑罰代受説」を肯定しても否定しても救われない。●神を信じない人間は常に「恐怖」というものがある。その最大の恐怖は自分が滅びることである。具体的には病気、家庭崩壊、失業、失敗、批判。これ「罪人の恐怖」という。いつも何かを恐れている。その人間の目を見れば分かる。常に戦々兢々としている。いつも何かに脅えていて落ち着かず、敵がいる。落ち着きというものがない。攻撃的である。この不安や恐れから救われるには自分を守って下さる「神」の存在が心から信じられなければならないとヒルティは言う。それが幸福の基礎。幸福観の基礎。●ある特別な人にひどく嫌われる時、憎悪に近く嫌悪されるとき、、それはの困難の内で最も大きなものである。そんな時はどうすればよいか。いたずらに人間的行為で「平和」「仲直り」「校流」を求めてはならない。神の裁きに身を任せ正しく裁いていただかなければならない。相手が悪いとか自分が悪いとか自分で判断せず「こうなるのも御心」と思うしかない●まことに残念ではあるが、神はその人を引き離してl下さる。別れさせてくださる。なぜか。各々が「平和に暮らせる」ようになるためである。人間関係で無理があってはいけない。神は「楽」にしてくださる。残念ではあるが「縁を切る」しか方法がない。パウロは次のように言う。

塚本訳 Ⅰコリ7:15
7:15 しかし不信者の夫(なり妻なり)が別れるなら、別れさせよ。こんな場合に、兄弟なり姉妹なり(つまり信者)は(結婚に奴隷として)束縛されてはいない。神は平和な生活へあなた達をお召しになったのである。(無理があるのは、御心ではない。)

●人間「自分一個の幸福を求める」生き方をしてはいけない。自分のヒューマニスティックな信念で生きてはいけない、。神に召され、神のために身をささげる人生でなければならない。

t塚本訳 マタ 10:39
10:39 (十字架を避けてこの世の)命を得る者は(永遠の)命を失い、わたしのために(この世の)命を失う者は、(永遠の)命を得るであろう。

●人に嫌われ、憎悪され、邪魔者と思われ、追放され、死ぬことを願われ、病気や不幸や失敗を願われ、殺されることが「十字架を負う」ことなのだ。そうして殺されると神は殺人者に復讐して救う。かくて我々は「いと粒の麦」の死の生き方になり、相手を救うことがd切るのだ。●だから、裁いてはいけない。復讐は神が実行する。

 

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汝の罪ゆるされたり ++++++++ 所感

2008/09/09 20:15

080909(火)4時半起床●朝の啓示「救いは神の主権による」●朝風呂で黙想。高橋三郎先生は最近「キリスト教の古来からの伝統的教義である「刑罰代受説」がキリスト教の歴史に悪影響を及ぼして来た」という主張を盛んにあれておられる。この神学的問題に決着を付けるのには次のイエスの一句である。

文語訳マコ 2:5
2:5 イエス彼らの信仰を見て、中風の者に言ひたまふ『子よ、汝の罪ゆるされたり

●つまり人が罪から救われえるのは「刑罰代受説」を受け入れてそれを信ずるのではなく、神からの示しで、個々に「汝の罪赦されたり」と圧倒的に迫られる時である。神ご自身によって示され、あらわされることである。「救いは全く神の主権によって救われる」。その観点からは「信仰のみで救われる」よいう命題とも微妙に違う。●宗教改革者たちが「人は信仰で救われる」と言ったとき、教会の権威によらないで救われると言ったのであるが、「信仰で」が大脳皮質概念に堕落している今日では「人は神の主権によってのみ救われる」と言い変えなければならない。●問題はその体験を「どう説明するか」である。その説明としてパウロの言う「刑罰代受説」以上に「うまい」説明は今のところないのではないか。しかしそれはあくまで「説明」である。●このことを卑近な例で例えると「食べ物の贈り物本体と」「添え状」にたとえられる。食べ物本体は「神からの霊、示し、あらわし」である。それは食べておいしい。それについての送り主からの添え状は説明である。説明書は単なる神である。食べられない。こういうわけで贈ったのだと「大脳皮質に分かるように書いてある。」●この添え状の書き方、説明書の書き方でで論争するのが「神学論争」である。本体でないからどっちに転んでもどのように書いてもかまわない。本体には変化がない。

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早朝散歩散歩のスタート。朝日に映える我が家。きれいな秋の空。

2008.9.9 6:20

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早朝散歩。秋晴れのあきる野。左下に撮影している自分の影。今日もあの林に行ってみよう。 2008.9.9 6:24

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早朝散歩。秋晴れの下の林。パステルカラーの空。2008.9.9 6:53

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早朝散歩。林の中に朝日が射す。これから一日が始まる。2008.9.9 6:54

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昼の散歩。図書館の帰途、今朝の林に寄ってみた。「ツクツクホーシ」が鳴いていたが、近づくと鳴きやんだ。  2008.9.9 12:35

●「塚本虎二訳研究」(能城一郎牧師作)のサイトが完成したので、「わかってくれるであろう人」「喜んでくれるであろう人」を選んで発信するする。その送り状。

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各位

このたび、「塚本虎二訳研究」というサイトが完成しましたのでお知らせします。

苦節12年(途中に家屋の火災、脳内出血)。妻にも手伝ってもらいました。添付を見てください。また具体的にURLで見てください。

「塚本虎二訳研究」が世界に向けて発信できるようになったのは喜びです。感謝。

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●「塚本虎二訳研究」のサイトは次の通り。

http://www.jbible.net/testup/J-Tukamoto/

●図書館で借りたCDでモーツァルト「レクイエム」を妻と鑑賞。

リッカルド・ムーティ指揮、ベルリンフィルハーモニー。合唱、スウェーデン放送合唱団、ストックホルム室内合唱団、指揮はエリックエリクソン

最高のメンバー。No10の「いけにえ」で胸が詰まった。これを聴くと、後半は全くジェスマイヤーの作ではなく、原作はやはりモーツァルとではないかと思う。

 

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人生、淋しいとき。 ++++++++ 所感

2008/09/08 07:33

080908(月)4時起床。出勤日。朝のひらめき。「人生、淋しい時。●日経「私の履歴書」、理化学研究所理事長・野依良治。・・・・化学の世界のことはわからないが、ノーベル賞を受賞した研究のこと。スタッフの支えがあったことが分かる。●「人生、さびしい時」。65年も生きていると、淋しい現実に出会った人の多くに遭遇した。その一つ一つはあまりに多いので書けないが、共通点は一つ。「自分は捨てられたと思う時」である。●しかしそのことは人間に捨てられたのである。批判され、理解されず、攻撃され、疑いをかけられ、手伝ってくれる人がいなく、病気が治らず、お金がなく、出世に遅れ、病気、不運、財産を失い、馬鹿にされ、嫌われ、去られ・・・・・・」自分を捨てた人がほかの人と楽しそうにしている。それを見るときたまらなく淋しくなる。こんなときどうすればよいのか。自分を捨てた相手が身近な人であればあるだけそれは悲劇になる(親、伴侶、子、親族、嫁、姑、勤務先、教会、集会、牧師、伝道者・・・・)。●イエスも多くの人から見放された。家族、母、弟子、そしてついにはあろうことか父なる神からも捨てられた。十字架に付けられた時叫んだ。「エリ、エリ、ラマサバクタニ」(父よ、何で私を捨てられたのですか)。この言葉は割引して考えられない。事実その通りイエスは悲しかったのである。淋しかったのである。しかし神はイエスの有体的復活の勝利をもって人類に「復讐」した。●神は復讐する。愛の復讐。そのために我々は「使われる」。そこに人生の「淋しさ」の意味があるのだ。「淋しさ」は無駄には終わらない●だから人生淋しい時、人間に走ってはならない、遊びに走ってはならない、悪の仲間に走ってはならない。そこには究極の癒しはない。●昼休みに教文館。●関口顧問と懇親懇談●中野経済研究部次長と打ち合わせ。

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家に帰る。日が暮れたあきる野。都心から2時間、遠いけれども空気はおいしいし景色もよい。まーいいか。便利さは幸福ではない。妻の夕食が待っている。しかしそれも期限があるのだ。  2008.9.8 18:56

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生きがいを失う時 ++++++++ 所感

2008/09/07 11:45

080907(日)4時半起床。朝の啓示「仕事に生きがいを失うとき」●NHKTV3CH「心の時代」・・・「親鸞の涙に導かれて」張偉(チャン・ウェイ)。中国文化大革命のとき父に反抗して家を飛び出る。その時の父の悲しそうな顔が忘れられなかttが、そのことがずっと「悔い」であったが、作家の野間宏の影響で親鸞と出会い、仏教に帰依して救われた。歎異抄を中国語に翻訳。現在は「教行信証」を翻訳中。●こどもに反抗されても赦した「父」が偉かった。そこに父の涙があった。子供に捨てられた父の姿があった。しかしそこに救いの道があった。聖書の次の言葉を思い出した。●反抗されること、捨てられることは、主にあるときそれは芽が出るための準備。

文語訳 ヨハ 12:24
12:24 誠にまことに汝らに告ぐ、一粒の麥、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし。

●9:30妻と二人で家庭礼拝。「神の国」について思索をした。まず言葉。

バシレイア・・・①統治、支配、王威 ②王国

バシレイオス・・王の、王にふさわしい

バシレウス・・・①民の指導者 王 ②ローマの帝王③(ユダヤ人たちの)王(メシヤ)

         ④(キリストと共に永遠に世を統べ治める)王(キリスト信者)

         ⑤(万物の)王(神)

バシレイオー・・①王として治める ②王となる

●次ぎにJバイブルで「神の国」をヒット。すると83か所が出てくる。それを次の概念で一つ一つを整理した。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

①それは信者が求めるべきもの

 

②どのようにして来るか

 

③いつ来るのか

 

④どこにあるのか

 

⑤入りにくい人、入れやすい人

    ⑤-1金持ちは入りにくい

 

   ⑤-2学者や聖書学者は入りにくい

 

   ⑤-3遊び人は入りにくい

 

   ⑤-4神があらわす人が入る

 

⑥それはキリストの時に来た

 

⑦どのような性質を持っているのか

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●妻は合唱の練習に茗荷谷に出発、モーツァルト「レクイエム」。

●今朝の啓示「生きがいを失う時」について黙想。・・・・・仕事に熱が入ら無くなる時がある。それはどういうときか。①仕事が途切れて暇になったとき。(福祉の充実したスェーデンは自殺率が高い)。②仕事を通じて人を愛せなくなった時。(「仕事」という字は「つかえること」よいう意味である。仕事がその本道を逸脱して金とか名声だとかが目的になる時は生きがいを失う。それはよいことだ。警告だから③勤務先組織の方針と自分の人生観がズレたとき。組織は社会的有用性があるから存在するのであるから、自分の人生観がズレるというのは大抵は自分のワガママ。だからそんな浅はかな気持で組織を飛び出すと路頭に迷う。 ●神はその人にちょうど良い時に「満足のいく仕事」を与える。それは自分のエゴの心からいくら追求しても見いだせないものである。導かれるのである。その道に入れられたら、「いきがいのなんの」とは言っていられない。一心にその仕事にまい進するのだ。●子育て中の「母親」は子供を育てるのに無我夢中だから「生きがい喪失」などということはない。

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子供の夢を見る ++++++++ 所感

2008/09/06 19:19

080906(土)3時45分目覚め●一人の子供の夢を見る。なぜだろう。悪いことがなければよいが。起き上がって祈った●親はいつまでも親だ。心配がある。●「黒崎幸吉新約聖書註解デジタル化プロジェクト」作業●妻は今井間に行く。武義和「賛美の会●本箱作り。●図書館へ行って帰るとセコムが作動していた。昨日も同じ空間センサーの作動。担当者が飛んできた。原因不明なのでその空間セサーの一か所を解除。虫が動いても感知するという。あまりの敏感さも困る。 ●聖書ソフト「Jバイブル」の開発者である能城一郎牧師はこのたび「塚本虎二訳研究」というサイトを立ち上げられた。塚本訳の研究が進むのは喜ばしいことだ。URLは下記。

http://www.jbible.net/testup/J-Tukamoto/

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書館へ行く途中。夕方の積乱雲。きれいだなー。高いなー  2008.9.6  17:40

 

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書館の帰途、いつも訪れる林に月が上った。讃美歌を口ずさんだ。

讃美歌49番 

1. ゆうひ おちて そら くらく,

   ね に ゆく とり かげ きえぬ.

   ほし は さめて はな ねむり,

   きょうは さりて よる は きぬ.

 2. かみ よ, こよい よ もすがら

   みふところ に やすませて,

   てり かがやく みすがた を

   みさせ たまえ, ゆめじ にも.

 3. なみ に のれる ふなびと も,

   みち に くれし たびびと も,

   めざす かた へ ともないて

   つかせ たまえ, やすらか に.

 4. あくる まで は みつかい の

   つばさ を もて おおい つつ,

   こころ きよき もの と して

   さまし たまえ, わが かみ よ.

 ●今日は肉体労働をして身体が疲労。ビールが飲みたくなって夕食の前に「アサヒスーパードライ」の小を飲む。最初の一口が何ともうまい。しかしこれだけで体がぐったり。酒はその後が能率悪くて良くない。●妻から今日あったできごとを聞く。

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納得・長寿の秘密 ++++++++ 所感

2008/09/05 05:42

080905(金)3時半起床、出勤日●ラジオ深夜便「こころの時代」、マリヤ・サキム(中国、新疆ウィグル自治区の医者)。新京ウィグル自治区は長寿の国。100歳の医者はザラ。最近85歳で死んだ医者がいたが、それは若い方だという。寝たきり老人はいない。●その秘訣は「心と生活の満足度」、、具体的には①恨みがあっても復習しない。復讐は神に任せる,②病気は自然治癒で直す(身体を温める。砂の中に入って汗をかき老廃物を出す),③悩み事は人に話す(家族、友人)、④一日一回、人間は死ぬ運命にあるのだと思う(そうすれば人を赦せる)●このラジオを聞いて「気合が入った。「寝たきり老人にならないで、100歳まで生きよう!」。(このコピーいいかもしれない)

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ダメな嫁を救え ++++++++ 所感

2008/09/04 09:31

080904(木)4時半起床●朝の啓示「ダメな嫁を救え」●世の中でひどく痛めつけられている存在として「嫁といわれる存在」程のものはない。私の身近に経験したことで「気の毒な嫁」の例をあげてみよう。①デキた姑と一緒に住んでいる嫁は顔が冴えない。「別れて住むのがいいです」というとパッと顔が明るくなる。その姑も嫁もそれぞれが実にすばらしいクリスチャンなのだが・・・・こういう場合二世帯住宅にしてもうまくいかない。離れ屋でもいけない。②小姑たちにいじめられる嫁もいる。小姑たちはそれぞれが立派であるのに生きているだけで「嫁」に圧力的存在となる。・・・・日本社会がもつこのどうしようもない悩み。どうしたらそこから「嫁」を救えるか。●答えは簡単、日本が儒教的風土からキリスト教的風土に変わらなければならない。儒教には上下、長幼、の序列を重んじて部下や嫁は「こうあるべきだ」という「律法的雰囲気」がある。嫁たちはその律法の重圧に縛られている。押さえつけられている。常に「ダネな嫁」として見られている。●嫁として「親切心」でやったことが姑に誤解され、嫌味を言われる●姑よ小姑よクソ喰らえ!●といって部下や嫁は「正義、自由、自立、進歩、解放」のためだ言って上司や親や姑に「堂々と」つっかかるのはいけない。そういう部下や子どもや嫁はデキてない。●嫁たちに告ぐ・・・・姑にどんなにいじめられても「実家」に逃げてはいけない。「ここが我慢のしどころ」「何のコレシキ」「神は真実をみている」「これが普通だ」と思え●しかしどうしても我慢できなかったら「○○のバカヤロォー」と実際に声を出して10回叫べ。すると数回目には姑の良いところが見えてくるハズ。こうしてスッキリすれば甘いものに手を出さないから肥満の解消にもなるらしい●姑、小姑に告ぐ・・・・「この欠点の多い息子(兄弟)に嫁が来てくれるているだけで感謝と思え。●しかしどうしても我慢できなかったら嫁が留守の時に「○○のバカァー」と実際に声を出して10回叫ぶのがよい。すると数回目には嫁の良いところが見えてくるハズ。●いずれの場合もそう叫ぶと自分の欠点反省点も見えてくるハズ。そして「○○さんゴメンナサイ」という気にもなる●それにしてもダメなのは男どもだ。嫁と姑の間に挟まってオロオロしている。男はまず経済。金をしっかり稼げ。●この「○○のバカヤロォー」と叫ぶのは夫婦間にも適用すればよい。毎日一回は夫の留守、妻の留守に叫べばよい。すると途中で「あいつにもいいところはある」と思えてきたり自分の悪いとkろも見えてくるものだ●「バカヤロー」と言って圧迫された精神を解放することは医学的にもいいことらしい●しかし真の解決は「十字架による罪の赦し」をいただいて「赦しあう」こと。解決は家制度の崩壊、儒教風土の崩壊ではない。家の造りようではない。十字架による救いである●十字架による救いは「奇跡」。とうてい赦せないと思う人でも赦せる。それは奇跡●かつその上で「離れて暮らす」。若い夫婦は親の財産をあてにしないこと。親の家には住まない事。老人たちは子供の家に住まないこと。精神衛生上、精神の発達のためにもそれがよい。●私は母を不幸な生涯にした母の父(私の祖父、離婚して母を見捨てた・・・わたしの生まれる前に死んだ)を長いこと赦せなったが、わたしが十字架の血潮で罪赦されたとき不思議に赦せるようになった。●嫁と姑はお互いに心の中で殺し合い、捨てあい、いがみ合い、「早く死んでくれないかなー」「罰があたらないかなー」などと思っている。●人間は分離するものだという聖書的根拠を見てみよう。ただし「神に従うことによる分離」であって、人間的な争いではない。

塚本訳マタ  10:34-35
10:34 地上に平和をもたらすためにわたしが来た、などと考えてはならない。平和ではない、剣を、(戦いを)もたらすために来たのである。
10:35 わたしは子を『その父と、娘を母と、嫁を姑と』仲違いさせるために来たのだから

塚本訳 マタ 12:46-49
12:46 イエスがまだ群衆に話しておられると、そこにその母と兄弟たちがイエスに話しがあって、外に立っていた。
12:47 〔無し〕
12:48 しかしイエスはそのことを知らせた者に、「わたしの母とはだれのことだ、わたしの兄弟とはだれのことだ」と答えて、
12:49 弟子たちの上に手をのばして言われた、「ここにいるのが、わたしの母、わたしの兄弟だ。


塚本訳 ルカ 2:48-49
2:48 両親はこれを見て驚き、母が言った、「坊や、どうしてこんなことをしましたか。ごらん、お父さまもわたしも(こんなに)心配して、あなたをさがしているではありませんか。」
2:49 彼らに答えられた、「なぜおさがしになったのです。わたしが(天の)お父さまの家に居るのは当り前でしょう。御存知なかったのですか。」

●以上、嫁と姑は別れて暮らすことが「平和」だと言ったが、そこで起るのが核家族の現象。そこに発生するのが「おばあちゃんの知恵」が得られない「嫁」が陥る「育児ノイローゼ」。「あーこの世は悩みだらけだ」。●イエスが「天国が近づいた」と言ったとき、その証拠は「病人は癒され、死人がよみがえり、罪が赦されている」という意識だった。

塚本訳マタ 10:7
10:7 行って、『天の国は近づいた』と説け。


塚本訳マタ 11:3-5
11:3 「来るべき方(救世主)はあなたですか、それともほかの人を待つべきでしょうか」とたずねさせた。
11:4 イエスは答えられた、「行って、(今ここで)聞いていること見ていることをヨハネに報告しなさい。
11:5 ──『盲人は見えるようになり、』足なえは歩きまわり、癩病人は清まり、聾は聞き、死人は生きかえり、『貧しい人は福音を聞かされている』と。

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早朝散歩。温室。屋根の頂上に空気抜きがある。 2008.9.4 5:49

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早朝散歩。孫と遊んだ公園。「夏草や兵(つわもの)どもが夢のあと。」(芭蕉) 2008.9.4 5:52

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早朝散歩。ガーデニングの素晴らしい家。建物も立派。家の造りは、お金があっても住む人の趣味やセンスがよくなければよいものはできない。  2008.9.4 5:58 

 

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早朝散歩。ガーデニングのすばらしい家(上の写真)の門。素晴らしい。この家を訪れる人はこの門から玄関に行く前に心が和む。コンサートホールのコリドー、神社の参道また同じ。心を静め、落ち着かせて、心の準備をしてから入るのだ。建築にはそういう仕掛けが大切。●お金がなければこういう素晴らしい家はできないという人はたいていお金があってもできない。発想が悪いのだ。夢がない。

2008.9.4 6:06

●13:30.妻と音楽DVDを鑑賞。モーツァルト「レクイエム」。(バーンスタイン+バイエルン放送合唱団と管弦楽団。1988.7アンマーゼー・ディーゼン、修道院付属教会、ライブ)終了すると教会の鐘が静かに長く鳴った。パーンスタイの祈りの姿。その日はバーンスタインの夫人逝去の10年目の記念日。妻は途中アルトのパートを口ずさんだ。

●「黒崎幸吉新約聖書註解デジタル化プロジェクト」。●雷鳴、落雷。9時半就寝。

 

 

 

 

 

 

 


 

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左遷、降格、減給に腐ってはいけない ++++++++ 所感

2008/09/03 12:38

080903(水)5時15分。苦しい夢で目が覚める。人生には夢でよかったということがある。●夢の内容。勤務先から左遷の通知。「何でだよ~」「なぜだ」と言っている私。●そこで目覚めてから「左遷、降格、減給、注意、追放。」について黙想する。●そういうことが起こるのは集団の論理」から外れるときである。それでその人の人格が否定されたことにはならないのだから腐ってはならない。営利第一目的のこの世的集団の論理から外れることだけのことだからガッカリしてはならない。それで人格が裁かれたことにはならないのだ●内村鑑三は生きている魚は流れに逆らって反対方向に泳ぐものだと言っている●男一匹、所属集団と一度は激突しなければ一人前ではない。しょっちゅうぶつかっていてはいけない。●イエスは、職業宗教家とパリサイ人たちと激突して殺された。ダンテはフローレンスを追放された。流れに逆らって生きる者はそういう運命に遭うものだ●不肖私の場合、勤務先がギャッブル場の仕事にかかわるというので、「私はできない」と言って猛烈に反対。追放覚悟で担当役員と激突。住民の反対でその計画は潰れたが、その役員は住民集会で「わが社では内部でこの計画に反対の人物がいる」と言ったという●しかし今になって思えば、つまらないことで激突したものだなーと反省。どうせ激突するならもっと「高尚なこと」でなければならない。男は真理のために「激突」しなければならない。●早朝散歩でラジオ体操。朝日の景色を映す。

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早朝散歩。朝日の秋留台公園。朝日というのは強い。勢いがある。 2008.9.3 6:46

 

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早朝散歩。あれがいつも訪れる林。朝日が当たって美しい。讃美歌353番を歌う。2008.9.3 6:52

讃美歌353番

1. いずみ と あふるる いのち の いのち よ,

   あさひ と かがやく ひかり の ひかりよ.

 2. この よ の あたうる さち より のがれて,

   こよなき きみ へ と わが み は あこがる.

 3. きみ こそ とこよ に かわらぬ よろこび,

   くめども つきせぬ めぐみ の もと なれ.

 4. みかお を あおげば, うれい は さりゆき,

   みうで に たよれば, ちから は わき いず.

 5. しゅ イエス よ, たえせず わが み に ともない,

   ひかり の みち を ば あゆませ たまえ や.

●この讃美歌は10年以上前に勤務秋近くの「富士見町教会」の昼礼拝で後ろで大きな美しい声で歌っていた人がいた。あの人は今頃どこでどうしているのだろう。イイサイイサ。人生は出会いと別れの連続だ。

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早朝散歩の終わり。朝日の我が家。主よ、今日一日もあなたと共に歩ましめたまえ。

2008.9.3 6:59

●新垣努のテノールで、レオんカヴァレロの「朝の歌」を鑑賞。新垣努は幼くして朗新に捨てられた。生涯の目的は二人に復讐することであった。しかし、城間牧師の家にひきとられ、家族の一人として育てられる。牧師の奥さんが偉かった。キリストの救いにあずかって二人を赦せるようになった。奇跡。しかし一度でよいから「かーちゃん。と言って抱かれてみたかった」ということを語ったように記憶する。

新改訳 詩  27:10
27:10 私の父、私の母が、私を見捨てるときは、主が私を取り上げてくださる。

●この聖句は人が企業から捨てられた時も同じだ。神が養って下さる●「黒崎幸吉新約聖書註解デジタル化プロジェクト」。スタッフの一人から「たとえ10年、20年かかろうともやり抜きましょう」とのメ―ルに対する返メール。一部を公開する。

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〇〇様.

内村鑑三の最も中心的な良いところを継承したのが塚本と黒崎だと思います。聖書中心、正統信仰。

これを継承することが「使徒伝承」の業だと認識します。

そしてその伝承の方法がグーグルとはすばらしいことです。グーグルのことを調べますと次のように書いてありました。「世界シェア60%、一日10億回アクセス。人類は一日一回は必ずグーグルを開く計算。検索エンジンは人類が文字を発明して以来の衝撃」。

 

黒崎をグーグルに載せられるということは新しい形の「世界伝道」「世界戦略」。また内村の「初夢」の詩が実現する一つの形ではないでしょうか。

パソコンに強い〇〇兄、ギリシャ語に強い□□兄がイエスに呼ばれたのは意味があると思います。足手まといの小生もライフワークの「使徒伝承」の業の一つがこのような形でできることを感謝に思っています。

 

こうなると体力勝負。目が悪くならないように、本日は照明器具を工夫します。

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●妻は婦人の「読書会」。7名で聖書勉強。●書斎の照明を明るくする。照明器具を購入せずに自ら工事。日曜大工大好き。命の最後まで「視力がおちないように」したい●「黒崎幸吉新約聖書註解デジタル化プロジェクト」●夜、NHKためしてガッテンで「アルツハイマーにならない方法」。①散歩。 ②よく人と話す ③肥満防止・・・・・③が努力目標

 

 

 

 

 

 

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福田首相突然辞任 ++++++++ 所感

2008/09/02 07:09

080902(火)4時半起床、5時間睡眠は少し寝不足。昨夜は福田首相突然辞任のニュースを見ていたので寝るのが遅くなった。●一年間に二人も首相が変わるとは、自分や自分の政党の安泰を第一に考えているからだ。世論の支持率の低下が引き金であろう。これで政治は「人気商売」であることが露呈した●評論家天野祐吉の解説では「福田氏は冷静のようだが意外に感情的な人である。今回は民主党や自民党に対して肩透かしの奇襲である。やれるものならやってみろという態度である」●「王」や「親」というものは民衆や家族から批判されたとき、「じゃーアンタやってみろ」と言ってはいけないのだ。なぜか。その役割は神から与えられたものだから、人気が低迷してもその役を投げ出してはいけないのだ●日本の政治家は自分の職が神からのものであるという「世界観・人生観・職業観」がしっかりしていないから不利になるとすぐその職を放りだしてしまう。無神論で信仰のない人間はだめだなー。粘りがない。●聖書の句を思う。

新共同 伝  1:9
1:9 かつてあったことは、これからもあり/かつて起こったことは、これからも起こる。太陽の下、新しいものは何ひとつない。

●政治が良くなることによってもたらされるのは「肉の幸福」。それは自然に「だんだんよくなっていく」。なぜか。肉の要求だjから。無意識のうちに本能的に良くなっていく。しかしそえは究極の幸福ではない。地上王国が目的だから。

●雲がきれいなので表に出てみる。書斎から大自然の中へ。

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夏の雲。すごいなー。奇麗だなー。 2008.9.2 10:41

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夏雲の下の我が家。雲も白、我が家も白。白はきれいだ。2008.9.2 10:46

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新築なった加藤久雄氏(我が家建築の棟梁9の家を訪問するために妻と一時間歩く。途中睦端を超える。玉川の色は青く美しかった。ザルツブルグのザルツァッハ川を思い出した。   2008.9.2 14:58

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加藤久雄邸の新築祝いに行く。加藤さんは棟梁。わたしの家の子供たちのことをよく知っていてくれる。60歳にして3棟目の家。指を切断する怪我(大工としては致命的)をされたが、まだ現役。それでのはも仕事が途切れずにくるのは人望があるから。下請けの職人がよくつく。ご立派。

2008.9.2 16:32

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どんな人と付き合うべきか ++++++++ 所感

2008/09/01 08:26

満65歳と41日。 職場完全退職まであと7ヶ月 平均余命約17年。死亡推定年齢82歳。(未定。神の御心次第)。ライフワークは、「有体的復活」の伝承を担う使徒でありうること。「神の絶対恩恵による無条件の罪の赦し」を伝承すること。

080901(月)5時半起床●朝の啓示「パリサイ人のパン種に気をつけよ」「どんな人とつきあうべきか」●朝風呂●早朝散歩、ラジオ体操。

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早朝散歩。あー秋の空だ。風も涼しくて心地よいなー。「夏来りなば秋遠からじ」。苦しみは瞬時にして喜びは永遠なり」[ヒルティ)      2008.9.1 6:29

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早朝散歩。秋留台地nの秋。高い空、きれいな雲。四季はすばらしい。自然はすばらしい。良い思想や芸術は自然の風景がすばらしいところに生まれる。本からは良いものは得られにくい。

2008.9.1 6:32

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ラジオ体操。秋留台公園。指導者のやり方は「美しい」。人の目につくことは「美しく」なければならない。建築また同じ。文章また同じ。思想また同じ。

2008.9.1 6:39

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ラジオ体操終了後、コスモスを見た。コスモスは秋の空に合う。秋留台公園。コスモス大好き。風にユラユラと揺れるところが「神ママ」に揺れる信仰の人生に似ている。風に逆らわない。神に逆らわない。素直。

2008.9.1 6:46

 

 

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ラジオ体操終了後、犬と出会う。私「いまこの犬はどういう気持ちなのですか」。飼い主「耳を垂れているときは安心して親しもうとしているのです」。そこで近寄って頭をなでると喜んだ。よしよし、「汝はかわいい」。人間関係も同じだ。寄ってくる人を愛すればよいのだ。追いかけていって余計な注意をしてはいけないのだ。噛みつかれる。

ボーダーコリー。スコットランド産。牧羊犬。3歳オス。名前「よう」。飼い主が撮影するとき「よう、こっち向いて」

2008.9.1 6:52


●朝風呂で「日経、私の履歴書」理化学研究所理事長、野依良治。ノーベル章受章の場面。自然科学者としては最高の喜びだという。うらやましいと思う反面、もっと嬉しいことが人間にはある。それは神と共にあることだ。ヒルティは幸福というのは神と共にあって(世には目立たない)仕事をすること」。これは万人が手に入れることができる「幸福」だ。●「どんな人と付き合うべきか。➀深い信仰を持っているい人,②音楽が好きな人」●付き合わない方が良い人。①無神論者(人生観が全く合わない、唯物的、功利的で心が暗い)、②遊び人(不倫を美化する人)、③美人と金持ち(鼻にかけるから)④血統、学歴、勤務先を語る人(自慢するから)⑤高額商品購入談、旅行談をする人、美食家(見せびらかしだから聞いていて面白くない)、⑤役人(虎の威を借る狐だから。人間的にすばらしい人は稀。たいていは空威張り、。民間の苦労を知らない)●では高橋はどんな人物が理想なのかという質問に答えるとすれば、「名もなく貧しく美しく」だ。その美しさとは神を信ずることによる美しさだ。男は神を信じて汗を流して一生懸命労働することが美しい。その姿は女性に美しい(ステキ)と思われる。女性が神を信じている姿は神々しい美しさ。それはこの世の女優的な美しさではない。神の国の美しさなのだ●類は類を呼ぶ。よい友達は自分を高める。何事もよい先生を選べ。キリストの教会(集会)も選ぶ必要がある。エクレシアは「遊び仲間」「趣味同好会」「同一先生の同窓会」であってはならない。そういう匂いのする教会(集会、人物)からは命からがら一目散に逃げなければならない。改造なんかは無理。無駄。徒労。そのままにしておけば自然消滅。縁を切ることが大切。

塚本訳マタ 16:6
16:6 するとイエスは弟子たちに、「パリサイ人の(パン種)とサドカイ人のパン種に注意し、警戒せよ」と言われた。


塚本訳 マコ 8:15
8:15 するとイエスは弟子たちに、「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とに注意し、気をつけよ」と命じられた。


塚本訳 ルカ 12:1
12:1 とにかくするうちに、(足を)踏み合うほど数かぎりない群衆が集まってきた。イエスはまず弟子たちに言い出された、「パリサイ人のパン種──彼らの偽善──を警戒せよ。


塚本訳マタ 10:14
10:14 しかし人があなた達を歓迎せず、あなた達の言葉に耳をかたむけないなら、(すぐ)その家なり町なりを(出てゆけ。そして)出てゆくとき、(縁を切った証拠に)足の埃を払いおとせ。

●アマゾンで洋書を注文。早くて便利。●黒崎幸吉新約聖書註解デジタル化プロジェクト作業で疲れたので夕方散歩に出る。

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夕方散歩。讃美歌43番を口ずさむ  2008.9.1 18:02

讃美歌43番

1. みかみ の たまいし この ひ も くれけり,

   いざ や けさ の ごと みめぐみ を たたえん.

 

2. ひかり に むかいて めぐる ち と とも に,

   ち に ある みたみ は みわざ に いそしむ.

 

3. くにぐに, しまじま, しずか に あけゆき,

   いのり は もださず, ほめうた は つきず.

 

4. われら に わかれて かくれし ひかげ わは

   にし に すむ とも を みわざ に ぞ さます.

 

5. おこりて ほろぶる よ の くに に かわり,

   ときわ に さかゆる みくに ぞ とうとき.

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夕方散歩。いつもの林に行くとすずめの大群がものすごく鳴いていた。この時間になぜ鳴くのだろう。一日が終わって喜んでいるのか。近づくと一瞬鳴き声が小さくなった。

2008.9.1 18:09

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夕方散歩の終わり。夕陽の下の我が家。妻の作ってくれる夕食が待っている。感謝。 

2008.9.1 18:19

 


 

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