to 日記と感想 2008年12月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170821(土)15:00お江戸コラリアーズ定期演奏会、文京公会堂
    170809     TW誕生日
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170706      TM誕生日
    170701      TT誕生日
    170628       IY誕生日
    170625(日)14:00羽村フィル、ゆとろぎ。モーツァルト40番、チャイコフスキー5番
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール
    170610(土)14:00内村鑑三セミナー、立教大学12号館。矢田部、椚」山
    170609(金)   TS命日
    170608(木)12:15ボリショイ「白鳥の湖」、東京文化会館
    170707(水)10:00池谷医院
    170604(日)10:00集会感話、
    170604(日)16:30近藤恵邸起工式、福島市。
    170530(火)14:00田岡氏来訪
    170527(土)14:00今井館ピアノコンサート
    170521(日)14:00新宿フィル、ブラームス1番、レスピーギ「鳥」「ローマの松」。和田睦夫
    170425       TN)誕生日
    150420(木)09:30阿伎留センター泌尿器科)
    170416(日)14:00武蔵野室内合奏団、杉並公会堂(大坪満子)


孫の転落 ++++++++ 所感

2008/12/31 07:54

081231(水)昨夕は孫が擁壁からコンクリートの地面に転落して騒動になったが、大事に至らずひとまず安心した。このことは昨日のブログに書いた。このブログを見られた方(YT氏)が間髪を入れずに御心配のメールをくださった。「ネットエクレシア」のありがたさを感じた。●今朝は目覚めると寝床で「落ちる」ということについての聖書の箇所が4か所ひらめいた。感話を書く。

口語訳 詩 94:18
94:18 しかし「わたしの足がすべる」と思ったとき、主よ、あなたのいつくしみは/わたしをささえられました。

●人生は「すべる」ことが多い。受験に滑る。就職試験に滑る。山からすべりおちる。然り「人生に失敗する」。そこで人間は「滑るまい、滑るまい」と思って努力するがそれでも滑る時は滑るものだ。

塚本訳 マタ 11:23
11:23 それから、お前カペナウム、(わたしに特別に可愛がられたからとて、)まさか『天にまで挙げられる』などとは思っていないだろうね。(天に挙げられるどころか、)『お前は黄泉にまでたたき落されるであろう。』お前の所で行っただけの奇蹟をソドムで行ったなら、(あの堕落町でも、)きょうまで滅びずにいたにちがいないのだから。

●神の怒りの裁きは激しい「たたき落とされる」とある。神は愛ではない激しい裁きだ。甘くはない。戦慄する。それゆえの十字架の贖罪である。

塚本訳 ルカ 14:5
14:5 そして彼らに言われた、「あなた達のうちには、息子か牛かが井戸に落ちたとき、安息の日だからとてじきに引き上げてやらない者がだれかあるだろうか。」

●子供が病気や事故を起こした時の親の気持ちは古来深刻な悩みである。相当に深いあせりである。「オレオレ詐欺」はそこに付け込んでいる。「おばーちゃん俺だ。大変なことをしてしまった。金貸してくれー。親には言えない」と亡くなった母に孫から電話がかかってきたことがある、母はすぐさま振込に行った。幸い窓口でストップされた。●今回は孫の転落で、祖父の私があわてて「病院!、病院!」と言って脳外科にかつぎ込んだ。病院の廊下で祈った。暮れの30日なのに受け入れてくれた病院があったのは救いであった。イエスが「安息日だからとて」と言った意味がよくわかるようになった。こういう場合、安息日であってもユダヤ人は病院に急ぐのだろう。イエスは親の心理を言った。

新共同 Ⅰ列 17:17-23
17:17 その後、この家の女主人である彼女の息子が病気にかかっ
た。病状は非常に重く、ついに息を引き取った。
17:18 彼女はエリヤに言った。「神の人よ、あなたはわたしにどんなかかわりがあるのでしょうか。あなたはわたしに罪を思い起こさせ、息子を死なせるために来られたのですか。」
17:19 エリヤは、「あなたの息子をよこしなさい」と言って、彼女のふところから息子を受け取り、自分のいる階上の部屋に抱いて行って寝台に寝かせた。
17:20 彼は主に向かって祈った。「主よ、わが神よ、あなたは、わたしが身を寄せているこのやもめにさえ災いをもたらし、その息子の命をお取りになるのですか。」
17:21 彼は子供の上に三度身を重ねてから、また主に向かって祈った。「主よ、わが神よ、この子の命を元に返してください。」
17:22
主は、エリヤの声に耳を傾け、その子の命を元にお返しになった。子供は生き返った。
17:23 エリヤは、その子を連れて家の階上の部屋から降りて来て、母親に渡し、「見なさい。あなたの息子は生きている」と言った。

●ここに「親の深刻な悩みが書かれている。子供が病気になると親としては「代われるものなら代わってやりたい」と思うものである。私も子供のことのある悩みで「私はもう十分に生きた。この命をお取りください」と真剣に祈ったことがある。

塚本訳 ヨハ 9:1-5
9:1 イエスは通りがかりに、生まれつきの盲人を見られた。
9:2 弟子たちが尋ねた、「先生、この人が盲で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか、両親ですか。」
9:3 イエスは答えられた、「この人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。ただ神の御業がこの人に現われるためである。
9:4 わたし達はわたしを遣わされた方の御業を昼の間にせねばならない。(すぐ)夜が来る。するとだれも働けなくなる。
9:5 世におる間、わたしは世の光である。」

●この箇所は常に3節がクローズアップされるが、それは哲学であり、思想である。重点は4-5節である。2節は人間一般の常識である。原因と結果の関係を探る。「だから言ったじゃないの」と言う。。そういう結果にならないように気を付けるのは人間常識であるり義務でもある。予防である。しかしそれでも災いは起こる。その時は神の助けを祈るのも「自然の姿」である。信仰は「もしかしたら」とう賭けでよい、イチカバチカの気持ちでよい。溺れる者は藁をもつかむ気持ちでよい。恥ではない。それが有限なる人間の自然の姿である。ひそかにイエスを信ずるのでよい。ニコデモは人目をはばかって夜にイエスを訪ねた(ヨハネ3:2)。群衆に紛れてイエスの着物にそっと触った病気の女がいた。(マルコ5:25-29)。これでよいのだ。自暴自棄、恥も外聞もなく心の中で「神様!助けてください」とひそかに叫ぶのでよい。そして万が一直ったら神に感謝の意味で公に告白するのでよい。(ルカ17:11-19)。神の存在は沈思黙考哲学的神学的推論の結果で分かるものではない。この世的な「つまらない」ことの救いから神に罪の赦しをいただいて「心の目」が開けられて分かるものである。神は大脳皮質ではわからない。人生の失敗、汚点、恥、悲しみ、悩みを通して神によってで分からされるのである。

塚本訳ヨハ 9:1-5
9:1 イエスは通りがかりに、生まれつきの盲人を見られた。
9:2 弟子たちが尋ねた、「先生、この人が盲で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか、両親ですか。」
9:3 イエスは答えられた、「この人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。ただ神の御業がこの人に現われるためである。
9:4 わたし達はわたしを遣わされた方の御業を昼の間にせねばならない。(すぐ)夜が来る。するとだれも働けなくなる。
9:5 世におる間、わたしは世の光である。」

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元気に起きた孫のかなほ(2歳2か月)。よかったー。昨夕から親も祖父母もこの子に対する注目のしかたは大変なものであった。●人間にとって病気や事故は周囲に愛情を喚起するためのものではないのか。これは理屈抜きに真理●イエスが病気を直したのはまずイエスの愛がその人にじっと注がれたからであると考えられる。

2008.12.31 8:01

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昨日孫のかなほ(2歳2か月)が転落した擁壁(1メートル20センチ)。よく助かったものだ。「主に感謝せよ。主は恵み深く、そのいつくしみは永遠に絶えることがない」(詩篇106編)●以後この前を通る時は常に「かなほ」のことを思うであろう。イエスの言う「記念」という言葉を思う。

塚本訳 Ⅰコリ11:25
11:25 食事の後、杯を同じように(感謝)して(分けて、)言われた、「この杯はわたしの『血』の犠牲を払った『新しい約束』である。(今から後、)飲むたびごとに、わたしを記念するためにこのことを行ないなさい」。

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蝋梅の木を背にして、「かなほ」が元気になってほっとしている愛子。背中は健太郎。「母の苦」は並ではない。

2008.12.319:31

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静かな大晦日。背景は奥多摩連山とあきる野市役所。見事な牡丹を作った人。私に紅白一本づつくださった。

2008.12.31 9:36

●13:00BS2で「第九」。15:00から小沢+ベルリンでチャイコフスキーの「悲愴」。●黒崎註解のヨハネ13章引照入力。●KT氏夫人御病状おもわしくないとのご連絡。深く祈らせていただくと御返事。「死は神を思う時」。下記手紙を書いた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

KT 様

奥様のご病状思わしくなく、胸が痛みます。御奥様におかれましては、どうかお痛みなく御平安であられますようにお祈りさせていただきます。

私は確実に来世があることを信じています。イエスの復活がその証拠です。来世で愛する者と再会できることを固く信じます。(以下略)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

使徒伝承 「黒崎幸吉著 注解新約聖書Web版」

 

 

 

 

 

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使徒伝承の基本は聖書 ++++++++ 所感

2008/12/30 09:09

081230(火)朝の黙想「使徒伝承の基本は聖書」●モラビア兄弟団は歴史上はじめてのプロテスタント教会(集団)。その特徴は3っつ、①聖書、②教育、③聖霊。●その第一が聖書それ自身であることは喜悦である。「聖書学」ではない。聖霊による聖書読みである。「教育」も大切にしていることが無教会に欠けているところである●この「聖書読み」の人生に役立つ強烈なツールを作ることに生涯をかけたい。すでに完成しているBbB「聖書で聖書を読む」がそれであり、現在協力している「黒崎プロジェクト」もその一つである●しかし神の霊が降らないと人は聖書を読まない。それはつまらないものである。人が聖書それ自身を読まなくなるとき、イデオロギー、ヒューマニズム、社会批判、聖書学、に堕落する。●ウェスレーが英国から米国に渡るとき船が暴風あって沈みそうになった。英国人は恐怖で悲鳴を上げていたが、モラビア派のドイツ人は死を恐れずに冷静であった。その不思議な光景に打たれたウェスレーはその後モラビア派の集会に出て回心、後にメソジスト派の開祖になった。あの恐怖の時には聖書学、イデオロギー、ヒューマニズム、社会批判、は役に立たない。そういう人はおそらくただ恐怖で騒ぐだけ。 パウロの次の言葉を思う。

塚本訳 Ⅰコリ1:18-19
1:18 なぜか。この十字架についての言葉は、滅びゆく者には馬鹿なことであるが、わたし達救われる者には、神の力(の現われ)であるから。
1:19 (聖書に)こう書いてあるではないか、『知恵者の知恵をわたしは滅ぼし、賢い者の賢さをわたしは無にする』と。

●死の恐怖から人間を救うのは大脳皮質の安息ではなく、聖霊による安息、「からだのよみがえり」の希望である。ところが現代ではそれを言わなくなった教会や集会が多くなったのはなぜか。悪魔に大脳皮質で満足せよと欺かれているのだ。

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里帰りしている娘の愛子と3番目の子供の伊勢健太郎、5か月。この孫との交流も短い。おそらく20年以内。

子供の視線をカメラに向けさせるのは至難の業。母業は心身ともに重労働だ。2008.12.30 8:59

●故藤林益三先生は「信仰は一代だ」というお考えであった。信仰は世襲ではない。同じようにこの世の家系も一代であると考えるのがクリスチャンの基本である。肉の血統はあくまで「肉」である。神は肉に関係なく信者を霊によって誕生させる。それが真の家族、真の家系●教会、集会また同じ。それをただ継続させようと努力するのはこの世的であり不信仰である。建物、組織、集会を経済的にこの世的知恵で維持するのが「神に奉仕」していると錯覚しているのは信仰が堕落している兆候である。「からだのよみがえり」を信じられないでいるからそうなる。

塚本訳 ヨハ 16:2
16:2 彼らはあなた達を礼拝堂追放にするにちがいない。それどころか、あなた達を殺す者が皆、神に奉仕しているかのように思う時が来るであろう。

●信仰も家族も一代限り。ではどこに家族の「絆」「喜び」があるのか。それは主をかしらとする兄弟姉妹である。それはこの世の肉の命が別れても「また会える」。「からだのよみがえり」で会える。その信仰がない人はこの世の家系の継続に汲々となる。教会や集会の物理的継続に汲々とする。間違い。

●肉の関係(家庭の喜び、恋愛、親子、夫婦)は信仰に邪魔だとはまたイエスも厳しいことを言ったが、人間の弱さを考えれば本当だ。パウロは神の子には男もなく女もないという。

 塚本訳 ガラ 3:28
3:28 (神の子には、)もはやユダヤ人もなければ異教人もなく、奴隷もなければ自由人もなく、男もなければ女もない。あなた達はみなキリスト・イエスによって一つであるからである。

塚本訳 ルカ 20:34-36
20:34 イエスは言われた、「この世の人はめとり嫁ぐけれども、
20:35 あの世にはいる資格を与えられて、死人の中から復活する者は、めとることもなく嫁ぐこともない。
20:36 復活によって生まれる彼らは、天使と同じであり、神の子であるので、もはや死ぬことが出来ない、(従って子を産む必要がない)からである。

●16:00頃。娘と一緒に里帰りに来ていた伊勢かなほ(2歳2か月)が家の近くにある土留めのコンクリート擁壁(高さ1メートル20センチ)から落下、下のコンクリートに頭を打った。母親が抱きかかえるとグーグー寝ている。あくびもしているので駆け付けた私もびっくり。目白第二病院(脳外科で有名)に抱え込むと、この暮れでも救急で見てくれたが、2歳の子供にCTをやるのは動くので困難、普通に歩けるので様子を見るようにとのことになった。その間祖父の私も付き合った。その夜に急変するといけないので、念のため救急患者を受け入れる病院を調べておいた。●娘は「最近この子を強く抱きしめたことがなかった」という。そうか母親の胸で久し振りで気持ちよくぐっすり眠っていたのか。病院から家に戻ったら妻が作っておいてくれていたカレーライスをおいしそうに食べたので一安心。

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親はダメでも神はその子を救う ++++++++ 所感

2008/12/29 06:52

081229(月)昨夜081228、MKさんからうれしいニュース●無教会のMSさんのお住まいは12年前に私が設計、MSさんはその翌年召されて葬儀もした。そのMSさんの次男御一家(妻、一人娘共)が受洗されたという。この御次男はMSに対し猛烈な反抗息子であったが、11年後になってこのニュース。救いは人によらず神の業である実例。救いは伏流水となって何十年か後に湧きだす事実をまた見た。無教会に付着している無教会的伝統と形式の欠点も濾過されてより純粋になって湧きだす。●無教会主義の父親に猛烈に激しく激烈に反抗した息子がその後になって挙家、キリスト教に熱心になった例を聞くのはこれで2度目。この2例とももちろん親の祈りもあったことだろうが、伴侶の祈りも大きかったようだ。そしてプロテスタント教会に帰依しているところも共通点。しかし外側の形(教会か無教会か)はいか様でも、救いを与えられたことは人の力でなく不思議なことをなさる神の力の結果である。MS氏が天で喜ばれているであろう。

文語訳  ヨハ 12:24
12:24 誠にまことに汝らに告ぐ、一粒の麥、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし。


塚本訳  ヨハ 12:24
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)

●また無教会の家庭に信仰が伝わらない嘆きを聞くが。この2例を知って救いは人間たる親のデキ如何によらず全く100%神の業であることを知って安心した。たった2例でも事実は事実だ。親が力足らずでダメでも神はその子孫を救う。かえって力足らずのダメ親の方がその子は救われる。万歳、栄光神にあれ。

塚本訳 マコ 4:26-29
4:26 また言われた、「神の国はこんなものだ。──ある人が地に種を蒔き、
4:27 夜昼、寝起きしていると、種は芽生えて育ってゆくが、本人はその訳を(すら)知らない。
4:28 (すなわち)地はひとりでに実を結ぶので、初めに茎、次に穂、次に穂の中に熟しきった粒ができる。
4:29 実が熟すると、すぐに『鎌を入れる。刈入れ時が来たのである。』」

●MSさんの天での喜びは次のようであろう。

塚本訳 ルカ 15:6-7
15:6 家にかえり、友人や近所の人たちを呼びあつめてこう言うにちがいない、『一しょに喜んでください。いなくなっていたわたしの羊が見つかったから』と。
15:7 わたしは言う、このように、一人の罪人が悔改めると、悔改める必要のない九十九人の正しい人以上の喜びが、天にあるのである。

塚本訳  ルカ 15:9-10
15:9 そして見つけると、友だちや近所の女たちを呼びあつめてこう言うにちがいない、『一しょに喜んでください。無くした銀貨が見つかりましたから』と。
15:10 わたしは言う、このように、一人の罪人が悔改めると、神の使たちに喜びがあるのである。」


塚本訳 ルカ 15:23-24
15:23 それから肥えた小牛を引いてきて料理しなさい。みんなで食べてお祝いをしようではないか。
15:24 このわたしの息子は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。』そこで祝賀会が始まった。

●「MSさん喜んでください。あなたの祈りは死後11年で聴かれました。このことは私達に祈りは死後に聴かれるという希望を与えてくださいました。」

●娘の愛子が子供3人(5歳、2歳、5か月)を連れて「里帰り一週間」。母になった娘を見てつくづく「子育ては心労を伴う重労働」であることを感じる。●そこで「世界の子守唄」をCDで聴いたが、子守唄の本質がわかった。人間は労働が苦しい時には思わず「歌」を歌いたくなるものだ。ボルガの舟歌、日本の「ヨイトマケ」、黒人労働者たちの歌。軍人の歌。「子守唄」はそれと同等である。子供を寝かしつけるのはものすごい労苦である。私も自分の子供で難行苦行であった。●では讃美歌は何か。人生苦を励ます「歌」である。

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孫の初音。寒いのでストーブのそばにきた。このうちにずーといてもいいかなーという。

2008.12.29 7:19

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昼食後、孫二人を連れて公園に行く。初音(5歳)は下に二人の姉になったので、その雰囲気がでてきた。

妹の手を引く。  2008.12.29 13:10

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公園の地面に、孫がアンパンマンとドラえもんの絵を描く。2008.12.29 13:32

●夜、就寝の布団の上に丸く座って祈り。初音(5歳)、かなほ(2歳、これは何やらごにょごにょと「神様、アーメン」だけ)、愛子、トミ子、私の順番。各祈りの最後は「このお祈りをイエス様のお名前を通してお捧げいおたします」と全員で唱和する。孫をここまで指導教育してくれたプロテスタント教会の日曜学校に感謝する。

 

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住む所がない苦 ++++++++ 所感

2008/12/28 07:13

081228(日)朝の黙想「住む所」●不景気による「派遣切り」で社員寮を追われた人の嘆きが報道されている●「衣食住」のうち建築士の私としては「住」に対してなんとかしなければならないと思う。●不景気による住宅難は世界的なものである。●人間にとっては「住む所」が基本でありることは、理論より現実である。日本国憲法がそれを言う

第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

●次に聖書

●真の信仰を持つと人間は追放されるものだ。

塚本訳 マタ 8:20
8:20 イエスはその人に言われる、「狐には穴がある、空の鳥には巣がある。しかし人の子(わたし)には枕する所がない。(その覚悟があるか。)」

塚本訳 ヨハ 16:2
16:2 彼らはあなた達を礼拝堂追放にするにちがいない。それどころか、あなた達を殺す者が皆、神に奉仕しているかのように思う時が来るであろう。

●しかし神は正しいものに住まいを与える

塚本訳  マタ 6:28-32
6:28 また、なぜ着物のことを心配するのか、野の花の育つのを、よく見てごらん、苦労をせず、紡ぐこともしない。
6:29 しかし、わたしは言う、栄華を極めたソロモン(王)でさえも、この花の一つほどに着飾ってはいなかった。
6:30 きょうは花咲き、あすは炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこんなに装ってくださるからには、ましてあなた達はなおさらのことではないか。信仰の小さい人たちよ!
6:31 だから、『何を食べよう』とか、『何を飲もう』とか、『何を着よう』とか言って、心配するな。
6:32 それは皆異教人のほしがるもの。あなた達の天の父上は、それが皆あなた達に必要なことをよく御承知である。

塚本訳 ヨハ 14:2
14:2 父上のお家には、沢山住居がある。(あなた達は一人のこらず、そこに住むことが出来る。)もしそうでなかったら、『あなた達のために場所の準備に行く』と言うわけがないではないか。

口語訳 詩  68:6
68:6 神は寄るべなき者に住むべき家を与え、めしゅうどを解いて幸福に導かれる。しかしそむく者はかわいた地に住む。


新改訳 詩  68:6
68:6 神は孤独な者を家に住まわせ、捕われ人を導き出して栄えさせられる。しかし、頑迷な者だけは、焦げつく地に住む。

●人間は、どこに住もうとするべきか。神のそばがよい。良いことが待っている。その人の人生も家庭も栄える。繁栄する。通勤に便利、家賃が安い、景観がよい、遊びに便利等という「この世的」な判断で「住むところ」を決めてはいけない。クリスチャンなら教会や集会に通うのに便利という基準がよい。

口語訳 詩  84:1-7
84:1 万軍の主よ、あなたのすまいはいかに麗しいことでしょう。
84:2 わが魂は絶えいるばかりに主の大庭を慕い、わが心とわが身は生ける神にむかって喜び歌います。
84:3 すずめがすみかを得、つばめがそのひなをいれる巣を得るように、万軍の主、わが王、わが神よ、あなたの祭壇のかたわらに/わがすまいを得させてください。
84:4 あなたの家に住み、常にあなたをほめたたえる人はさいわいです。〔セラ
84:5 その力があなたにあり、その心がシオンの大路にある人はさいわいです。
84:6 彼らはバカの谷を通っても、そこを泉のある所とします。また前の雨は池をもってそこをおおいます。
84:7 彼らは力から力に進み、シオンにおいて神々の神にまみえるでしょう。

塚本訳  マタ 6:33
6:33 あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。

●実証

わたしの家は2000年3月に焼失した。今後どうしようかと途方に暮れていたとき、隣の地主が私の土地を高く購入してくれたので、別の所にもっと大きな家を建てられることができた。土地も大きくなった。神は家を与えてくださった。次の言葉は心からアーメンである。百倍ではないが。

塚本訳 マコ 10:29-30
10:29 イエスは言われた、「アーメン、あなた達に言う、わたしのため、また福音のために、家や兄弟や姉妹や母や父や子や畑をすてた者で、
10:30 今、この世で──迫害のうちにおいてではあるが──百倍の家と兄弟と姉妹と母と子と畑とを、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。

●「派遣切り」で住むところを失った人に告ぐ。大企業に「寄らば大樹の陰」というこの世的人生観が良くなかった。改めた方が良い。腕に職をつけて勤務先が潰れても生きていけるように人生観、職業観を改めるべきである。トヨタも赤字になる時代である。大企業も安心ではない。役人とて安心の職場ではない。部下の不祥事で引責で辞めなければならないこともある。そうすると公務員宿舎も出なければならない。●現在日本では、住宅の数は世帯数を上回っている。住むところはある。物理的に多い。リストラされた派遣社員が「住宅を、住宅を」と叫んでいるが、「安い住宅を」という意味である。それなら酒たばこをやめて住居費につぎ込め。酒とたばこはなくても生きていける。●だから昔から労働組合などというのは嫌いだったのだ●地方に行けば住居費は安い。職業の再編成、居住地の再編成である。大企業クソクラエと思え。それよりも前にこれを機会に自分の人生観を見直すべきだ。●10:00妻と二人で家庭礼拝。「モラヴィア兄弟団」の話、本日の黙想「住むところ」。一時間。最初は私の祈り、最後は妻の祈り。讃美歌「わがたましいを愛するイエスよ」「みめぐみゆたけき主の手に引かれて」●なにかといさかいがあっても礼拝の時は一致するのは感謝だ。●夫婦にはなぜいさかいがあるのか。二人に分け造られているので、「情報回路」が途切れているのである。「そんなつもりじゃーなかった」というのがいさかいの原因である。「電気つけっぱなしよ」「ドアはちゃんと閉めて」「ウルセー。またすぐ行くんだ]」●図書館で「モラビア兄弟団」の2章を読む。コメニウスのこと。シュライエルマッハーの本を注文。世界歴史地図を2種類借りる。●伊勢喜明一家(5人)が来訪、7人で夕食は賑やか。初音(5歳)が板上で「トリプルアクセル」の真似をした。健太郎(5か月)がおとなしい。●夜、うれしいニュース。12年前に住まいを設計、その翌年召されて私が葬儀をしたMS氏の次男一家(妻、一人娘)が受洗されたという。この次男はMS氏に対して猛烈な反抗息子であったが、本日11年後にこのニュース。救いは人によらず神の業。救いは伏流水となって何十年か後に湧きだす事実をまた見た。伏流水は砂に濾過されてより純粋になってでてくる。無教会に付着している欠点も濾過されてより純粋になって湧きだす。●無教会主義の父親に猛烈に激しく激烈に反抗した息子がその後になって挙家、キリスト教に熱心になった例を聞くのはこれで2度目。この2例とも伴侶の祈りのようだ。そしてプロテスタント教会に帰依しているところが共通点。しかし外側の形はいか様でも(それは状況による)、救いを与えられたことは人の力でなく不思議なことをなさる神の力の結果。万歳である。MS氏が天で喜ばれているであろう。

文語訳  ヨハ 12:24
12:24 誠にまことに汝らに告ぐ、一粒の麥、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし。


塚本訳  ヨハ 12:24
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)

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聖書が分かるということ ++++++++ 所感

2008/12/27 07:13

081227(土)朝の黙想「聖書が分かるということ」●最近は朝風呂は中止。理由は妻によれば「健康のためにそんなに良くないらしいから。同時に新聞は読まなくなった。ヒルティは朝の時間に新聞を読むことはやめた方がよいと言っている。然り、朝、頭が新鮮な時に「罪の世の混乱」に頭も心も汚濁させない方がよい。最近はすっきりする●「聖書が分かる」というのはもちろん聖書学的な知識(文献学、様式史、伝承史、編集史、原語などの大脳皮質で分かること)ではなく、神の心が分かることである。それは人生で体験的に自分のものになるものである。心が納得するものである。しかもそれは「痛ましく、悲しく、不幸なこと」を通して分かるものだ●「貧しき者は幸い」「財産を捨てよ」「金銀我になし」「男女は親を離れて一体となる」「自分が赦されて人を赦せる」「病気になって神を知る」などの単純な真理は「体験」でのみ自分のものとなる。●その自分の納得を補強するものは「神学」や「先生のお言葉」でなく聖書それ自身である。多くは必要がない。暗記できるものがよい。少なくてよい●残る生涯でその補強のツールを作りたい。「モラヴィア兄弟団に源を発するヘルンフート派の「日々の聖句」(ローズンゲン)は毎年新しいものが編集されすでに260年以上続いている。そのようなものを編集して死にたい。祖国への置き土産だ。

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きれいな朝焼けだったので、非常に寒かったが表に出て撮影。

讃美歌「ああ麗しきシオンの朝」を心で口ずさんだ。

2008.12.27 6:47

●終日、黒崎ヨハネ引照入力。●15:00からあきる野図書館。国会図書館から取り寄せた「モラビア兄弟団」定家都志男著。館外持ち出し禁止、コピー禁止なのでノートを取りながら3時間集中読書。おかげでよく頭に入った。コピー文明は頭に入らない欠点がある。●モラビア兄弟団はルターより60年前のこと。世界で初めてのプロテスタント教会●純粋な信仰は「この世的なるもの」から迫害される。政治的にも教会主義的にももちろんこの世の罪悪からも。それがモラビア兄弟団が常に迫害を受けた真相であることがわかった。これ教会史の宿命的現象。今も同じ。●19:00スケート日本選手権を見る。浅田真央が優勝。試合前の緊張感が何とも言えない。それはヴァイオリン独奏者が舞台に出てくる時、大学の教壇に立つ時に似ている。人間が神の前に立つ時も同じ、全身全霊の緊張だ。●人間は誰でも神の前に立つ時は「絶対絶命」の緊張を強いられる。大丈夫な人は一人もいない。そこに十字架のイエスの故に無条件に救われる。何とありかたいことではないか。悪いことは言わない。福音を受け入れるか、拒否するかは個人の自由だ。聞く耳のある者は聞け。

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義か愛か ++++++++ 所感

2008/12/26 11:02

081226(金)勤務は今日で終わり。●朝の黙想「義と愛」。生きていくうえではしばしば「義と愛」の板ばさみになる。●ルターは神の「義」におびえたが、「神の義はその福音のうちに顕れ」rという大真理がわかって恐怖から開放された。その真理認識が全ドイツに広まって宗教改革が起こった。ルター力ではない。福音の真理それ自身の力である。●では神は義なのか愛なのか。しの両方を満足させるために「十字架の贖罪死」が必要だったのだ。●かなり昔のこrと「NHK宗教の時間」で禅の大家である鈴木大拙と哲学者の谷川徹三の対談があった。谷川徹三が「キリスト教は義、仏教は慈悲(愛)ではありませんか。」と言って暗に仏教の方が勝るというような問いを発した。すると鈴木大拙は谷川徹三をたしなめるように「義がなければ愛に効きめがない」と言った。わたしはこれを聞いて鈴木大拙のほうが二枚も三枚も上だなーと感じた●それにしてもプラハとミラノの旅をして「マリア」像の多いことを知った。人間は「母なるもの」を求めるからか?。カトリックはマリア崇拝が有る限りなくならないらしい。●人生体験で知ったこと。子供は母親のもの。息子たちは嫁さんたちのものだ!。男はツライヨ。●内村鑑三は宣教師があまりに「愛、愛」と説くので神の義の面を強調した。●しかしその弟子の塚本虎二は「十字架は義としてみるよりも愛としてみたほうがよくわかる」と言った。●私は思う。真の愛はその裏に義が隠れているのだ。苦闘が隠れているのだ。●しかし人間はそれを知らずに「そしらぬ」態度で平気でいるのだ●義には愛なし、愛には苦あり●ルターが発見した「神の義はその福音の内に現れた」というパウロの言葉(ロマ1:17)が世界を変えた●親というものが先に死ぬというのは単に生物学的なことばかりではあるまい。子供の罪の贖罪ではあるまいか。死は罪を清める。●去る12月24日のブログ「信仰の遺産」に対してMY氏から次のようなすばらしい応答があった。隠しておくのは惜しいので全文を公開する。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

信仰という遺産

信仰という遺産!アーメンです。
何よりも大切なのは信仰ですから。

もっとも大切なものが与えられているならば
火事があろうと 病気があろうと 全ては

益となります。
(私の場合も 火事があり 大病がありました。)

「信仰をもって、世の人からみて 「おかしなこと」を信じて
しかし幸福に世を去った」と思われるのは

おおきな証であると思います。
実存を賭けた 証で、 書斎の理論でないからです。

ボンフェッファーが処刑される寸前
「これで終わりです。しかし新しい始まりです」

といったといわれてますが、この世だけでおわらず
来るべき世があるという 信仰があったからであると
思います。

高橋様の本日の記事も、クリスマスにふさわしい デボーションですね。

今年もあと僅かとなりました。
どうぞ、来年も主にありて 心豊かな日々を過ごされますように。

来年も、日記も毎日 喜んでよませていただきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(以上応答全文終わり)

●夕食後。NHKの連ドラ「篤姫」の総集編を少し見る。篤姫が家を出るとき、乳母が「女の道は一本でございまする。決して戻ってくるような恥のことはなさいませぬように」と言う。襟を正される。これは「死に行く道」である。このような高い倫理のある日本にキリスト教が根付かないわけはない。ただしその根本は「恥」である。日本は「恥」の文化である。「恥をかくまいとする」ことだけでは人間は律しきれないほと現実は厳しいのだ。神の恩恵がない限り「女の道」は全うできないのだ。己を捨てて全く神に身を捧げなければ「一本道は歩けない」のだ。転んで失敗して恥をかいて失望して、しかし絶対恩恵の罪の赦して再生させられる。これが「信仰の道でござりまする。」だ。

 

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本当のクリスマス ++++++++ 所感

2008/12/25 08:38

081225(木)KKさんからメールでクリスマスのメッセージが入った。これで本当のクリスマスの喜びがきたような気がした。「本当のクリスマスの喜び」があふれている。クリスマスの真の喜びはバチカン、ベツレヘム生誕教会のミサ。お祭りのプロテスタント教会。銀座通りにはない。「御心にかなう人々」の心にある。KKさんのメッセージは次の通り。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

お久しぶりです。・・・・・・(中略)・・・・

(以下はKKさんの詩)

遠い昔 イエス・キリストは

この地上に生まれてくださった

わたしたちの罪を担って

十字架で死んでくださるために

・・・不思議な不思議な事実ですね

 

寒い夜、暗い場所にお生まれになった主イエス

すべては神様のご計画の中に。

そして、今、わたしたちもそのご計画の中に。

感謝の感謝の御業です

ただ、これからも

主イエスの救いを見つめていきたい

きょうはクリスマス

ハレルヤ!

ハレルヤ!

メリークリスマス

 KK

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

このような詩を書かれる方からメッセージをいただけるとは感謝。そこでつぎのように返信した

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

KK様

あなたのクリスマスメッセージを読んで「本当のクリスマス」が来たように感じました。

 

塚本訳 ルカ 2:14

2:14 いと高き所にては神に栄光、地上にては(いまや)平安、御心にかなう人々にあり!

 

平安はすでに「御心にかなう人々」の心にあるのです。平和運動をしても平和はこないのです。塚本訳の「あり」がそれを示します。

KKさんの「ハレルヤ」の心がそれです。

 

あなたがお父上の病室の片隅で必死にお父上の救いを祈っておられたお姿。そしてついにお父上が御臨終の時に「お前の信じている神様のところに行きたい」と漏らされたことはあなたの信仰の勝利です。学びました。

 

来年もまた「主にある」よいお働きがなされますように。

 

高橋照男

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●このKKさんは多くの子供の母にして病院の看護婦、しかも直りにくい精神の病の病棟。妻、母、嫁、看護婦、病人の友として全力で奮闘●彼女の周りには障害者が集まる。彼女のような人に看取られればたとえ肉の病が治らなくてもよいとさえ思う。彼女を信仰の友にもてて私も幸せである。●朝食のとき、妻と2006年に訪れたベツレヘム生誕教会の思い出を語り合った。今朝はNHKTVでそこのミサの場面が放映された。しかし日本人の私としてはどうもしっくり落ち着かない。●クリスマスの曲をCDで鑑賞、①バッハ「クリスマスオラトリオ」BWV248第一部。リヒター+ミュンヘンバッハ②シャルパンティエ「真夜中のミサ」③「ルター派のクリスマス」(キリスト教音楽の歴史27)●シドニーのOM氏からメール。感謝●終日「黒崎P」ヨハネ11章の引照。●夜、恵と電話●夕食の祈り、病気の方の回復。病気には意味がある。悪いようにはならない

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「信仰の遺産」 ++++++++ 所感

2008/12/24 06:16

081224(水)、クリスマスイブ。●朝の黙想「信仰の遺産」。これは神父、岩下壮一の本のタイトルである。実にすばらしい言葉である。●このことを黙想する●私に財産はない。家屋の全焼で多くを失った。またときどき大病をする男なので健康にも自信はない。このことでは家人に苦労をかけてきた。●しかし私に、遺産がある。信仰という遺産である。しかしこれは物理的に残らない。著作も建築も子供も永久に残るものではない。それは物理的消滅とともに「作者」の名も永久に忘れ去られる。多分4代先の子孫は「曾祖父」としての私の名前も知らなくなるであろう。墓も朽ちてゆくであろう。●しかしこの私の真の造り主なる父なる神は永久に私のことを覚えていてくださる。イエスが墓に向かって「ラザロ、出て来い」(ヨハネ11:43)とその名前を呼んだように、最後の日には私の名前が呼ばれて「からだのよみがえり」を実現してくださる。これ永遠の命、復活の命である。●世の人に私の思い出があるとすれば「あいつは『来世があり、(霊の)からだがよみがえる』という実におかしなことを信じて死んで行った。しかし死後に希望を持っていただけあって幸せそうであった。奥さんも同じ神を信じていた」ということだけでよい。またそれ以外であってはならない。これのみが私の遺産である。●65歳のクリスマスの日に私はペテロとともに次のように叫びたい。

文語訳 使 3:6
3:6 ペテロ言ふ『金銀は我になし、然れど我に有るものを汝に與ふ、ナザレのイエス・キリストの名によりて歩め』


口語訳 使 3:6
3:6 ペテロが言った、「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。


塚本訳 使 3:6
3:6 ペテロが言った、「金銀は持っていない。わたしの持っているもの、それをやろう。──ナザレ人イエス・キリストの名で歩きなさい!」


新改訳 使 3:6
3:6 すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」と言って、


新共同 使 3:6
3:6 ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」

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冬至から4日目、だんだん日が長くなってくる。いつものようにラジオ体操をする時間の東の窓。 2008.12.24 6:38

●年賀状の添え書き。「主にある御交誼を頂き感謝です」というものが多い。●14:00 妻と「祈りの友」会員HTを見舞うが、ベルを3回鳴らしても出てこられなかった。後でわかったが、耳がお悪いので聞こえなかったという。全盲で耳も御不自由とは、何とお気の毒なことかと思うが、御本人は「なんのこれしき」と言って笑っておられる。召されれば永遠の生命だ。目が開く、耳が聞こえる。

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冬の秋川。夏の賑わいはない。2008.12.24 14:05

●15:00、その後妻と集会のKHさん79歳をお見舞いし、集会の「婦人の集まり」からの届けものをする。「うれしい、うれしい」とおっしゃられた。オヤジギャグを3っつ話すと全部手を口にあてて笑われたので「ボケてはいませんよ」と励ました。御令弟のKH氏も臨席された。●18:00二人だけで静かなクリスマスイブを迎えた。

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降誕物語の影絵を食卓に飾って、二人で静かなクリスマスイブ。感謝。

2008.12.24 17:58

 

 

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皇室と無教会主義キリスト教 ++++++++ 所感

2008/12/23 07:25

081223(火)5時40分起床。天皇誕生日、本日75歳●正しい意味で「God save the queen」の精神で祈りたい。●私の祈りは僕の形でキリストが皇室に入ることである。●成甲書房刊、鬼塚英昭著「天皇とロザリオ」によれば、戦後カトリック教会とマッカサーは昭和天皇をカトリックに帰依するように努力したが失敗に終わった。しかし昭和天皇自身が皇太子(現天皇)の家庭教師にはクリスチャンを迎えよと希望したり(それは米国クェーカー教徒のヴァイニング夫人が呼ばれた)、植村環牧師が皇室に出向いて皇后陛下に聖書講義をしているときに臨席したという。●私も参列した中沢樹先生の告別式には三笠宮が弔辞を述べられた。また、常陸宮正仁親王はクリスチャンであるという。洗礼を受けなくてもクリスチャンでありうる●しかしながらキリスト教はカトリックのように地位の高い人(皇室、政治家、教授、社長など)から接近して人民を教化するのでなく無教会主義のように僕の形で入るのが本来の姿だと思う。侍従の重鎮、故関谷貞三郎、故三谷隆信、村井長正(第三代登戸学寮寮長)はいずれも無教会主義のクリスチャンである。そして現在、侍従の三分の一はクリスチャンだという。(鬼塚英昭)●侍従とは僕である。●私の祈りは現在3人(シドニー、福島、東京)で鋭意入力作業をしている「WEB黒崎幸吉著、黒崎幸吉新約聖書註解」がネットを通じて皇室に僕として侵入して「ひそかに」読まれることである。神は僕の形でこの世に降られた。「黒崎」がネットを通し、皇室のいわば裏口から僕の形で入ることを祈る●皇室の人も「死は恐怖」。そのとき「からだのよみがえり」の福音を聞きつけて救われますように。「からだのよみがえり」の福音とは「この罪の身がよみがえる」というまさに驚天動地の福音なのだ。地位の高い人も低い人も等しく耳を傾けざるをえない使徒伝承なのだ。●「国民の少数であるがあのクリスチャンという者どもは来世があるなどとおかしいなことを信じて死んで行ったが実に幸せそうであった」と皇室の人に思われれば成功である。

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一昨日の冬至より2日目。いつものラジオ体操の時間でもこの暗さ。「光!、光!、光が欲しい」。世の光キリスト。明日はクリスマスイブ。「いざ来りませ異邦人の救い主。バッハ・カンタータ61番」「もろびとよ歓呼して神を迎えよ。バッハ・カンタータ51番」 

2008.12.23 6:38

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図書館に行く途中で夕暮れの富士を見る。こういう景色を見るとなぜか泣けてくる。なぜだろう。残り少ない人生だからだろうか。NO!。クリスチャンに定年なし。人生の終わりなし。肉体の生命は尽きても「からだのよみがえり」があるのだ。

2008.12.23 16:41

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あきる野ルピア広場のイルミネーション。イエスが「私が世の光である」と言ったのは、神殿のかがり火を背景にして語ったことことらしい。そうだ、人間の作り出すいかなる「光」も真に人間の「光」にはならない。それはいつまでも淋しい。このイルミネーションもどこか淋しい。

2008.12.23 17:21

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家に到着すると、南西の空に明るい星。カメラでは良く写らないが金星。(良く見るとわずかに写っている。私のカメラの望遠機能は低い)イエスが誕生した夜には明るく大きな星が馬小屋の上に輝いたという。神の御子は貧しい生まれ方をした。産院ではなかった。神にとってはいとし子を失う最も悲しい日。人類の罪を赦すため。神は愛子を失った。明日はクリスマスイブ。

2008.12.23 17:38

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主よ大変です。○○が病気です。来てください。 ++++++++ 所感

2008/12/22 06:10

081222(月)5時半起床●嫁の病気が癒されるように祈る●人生、身内の病気ほど辛いことはない。●嫁の一人が幼い子供二人がありながら、病に臥し、実家に帰って静養の身になった。●こういう人生の「ヘルプ」のとき、聖書は「力」になる。身内が病気になったときイエスに「なんとか直してほしい」と願う親の記事がたくさんある。これは絵画的に脳裏に焼きついている。最近の聖書学に「福音書記者」のことをストーリーテラー(物語作者)という見方がある。●人生の苦難の時に聖書が助けになるためにはその内容が絵画的に脳裏に焼きついていてそのつどそこを引っ張り出せるようでなければならない。●昔から「物語」というのは脳裏に焼きつくものだ●「主よ大変です。〇〇が病気です。助けてください」と身内のことを祈るときの祈りは深い。〇〇は夫、妻、子供、嫁、孫、親、兄弟姉妹である。しかし神は癒す。その力がある。現代医学、医者が匙を投げるような複雑で重い病でも創造主はこれを深く御存知で奇跡的に癒してくださる●新約聖書の記事で、「主よ大変です」という箇所をピックアップしてみよう。以下、ホームページ「主よ大変です。母が死にそうです。来てください」より転載する。

塚本訳 ヨハ 11:3

11:3 マリヤとマルタとはイエスに使をやって、「主よ、大変です。あなたの可愛がっておられる人が病気です」と言わせた。

 

塚本訳 ヨハ 11:11

11:11 こう話して、またそのあとで言われる、「わたし達の友人ラザロが眠った。目をさましに行ってやろう。」

 

塚本訳 マコ 5:22-24

5:22 するとヤイロという一人の礼拝堂監督が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏し、

5:23 しきりに願って言う、「わたしの小さな娘が死にかかっています。助かって命びろいをするように、どうか行って、手をのせてやってください。」

5:24 イエスは彼と一しょに出かけられた。大勢の群衆がイエスについて行って押しまくった。

 

塚本訳 マタ 9:18-19

9:18 こう話しておられると、そこに一人の(礼拝堂の)役人が進み出て、しきりに願って言った、「わたしの娘がたったいま死にました。それでも、どうか行って、手をのせてやってください。そうすれば生き返りますから。」

9:19 イエスは立ち上がって彼について行かれた、弟子たちも一しょに。

 

塚本訳 マコ 1:29-31

1:29 イエスは礼拝堂を出ると、すぐヤコブとヨハネとをつれて、シモンとアンデレとの家に行かれた。

1:30 シモンの姑が熱病で寝ていた。人々がすぐ彼女のことをイエスに言うと、

1:31 進み寄り、手を取って起されたすると熱が取れ、彼女は彼らをもてなした。

 

塚本訳 ヨハ 4:46-50

4:46 それから、またガリラヤのカナに行かれた。そこは(前に)水を酒にされた所である。するとカペナウムに(ヘロデ・アンデパス)王の役人がいて、その息子が病気であった。

4:47 イエスがユダヤからガリラヤに来ておられると聞くと、イエスの所に行き、(カペナウムに)下ってきて息子を直してほしいと頼んだ。息子が死にそうだったのである。

4:48 イエスは言われた、「あなた達は徴[奇蹟]と不思議なことを見なければ、決して信じない。」

4:49 王の役人が、「主よ、子供が死なないうちに(カペナウムに)下ってきてください」と言いつづけると、

4:50 イエスは言われる、「かえりなさい、息子さんはなおった。」その人はイエスの言われた言葉を信じて、かえっていった

 

新共同 マコ 5:34

5:34 イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさいもうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」

 

塚本訳 マコ 9:17-18

9:17 群衆のうちの一人が答えた、「先生、唖の霊につかれている伜をあなたの所につれて来ました。

9:18 この子は霊がつくと所かまわず投げ倒され、泡をふき、歯斬りして、体がこわばってしまいます。それで霊を追い出すことをお弟子たちに頼みましたが、おできになりませんでした。」

 

口語訳 詩  3:4-5

3:4 わたしが声をあげて主を呼ばわると主は聖なる山からわたしに答えられる

3:5 わたしはふして眠り、また目をさます。主がわたしをささえられるからだ。

 

新共同 ヨハ 11:24-25

11:24 マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。

11:25 イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。

 

新共同 ヨハ 11:40

11:40 イエスは、「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言われた。

●帰宅すると嫁の病に関して主にあるエクレシアの祈りが篤いというお知らせをいただき、目頭が熱くなった。無教会大丈夫と思った。教会論は理論でなく愛の実力で決まる。

口語訳 Ⅰコリ4:20
4:20 神の国は言葉ではなく、力である。

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人生、このかくも短き旅よ ++++++++ 所感

2008/12/21 07:46

081221(日)今日は妻が集会で「5回の演奏旅行を終えて」と題して感話をする。ハンガリー2回、ドイツ、オーストリア、チェコ。●人生は「旅」だ。それも短い旅。出あいも一瞬だ。友人は先に逝った。子供たちもみんな走り去った。後を見ずに!!。よいのだ、よいのだ。それでよいのだ。人生は出会いと別れの連続だ。●そうだ。私も天の国を目指して、ひた走りに走ろう。後を振りかえらずに。

口語訳 ヘブ 11:13
11:13 これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。

新改訳 ヘブ 11:13
11:13 これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。

新共同 ヘブ 11:13
11:13 この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。

塚本訳ヘブ 11:13
11:13 信仰に従い、これらの人たちは皆、(地上では)約束のものを受けずに死んだのである。彼らはただ遠くからそれを眺めて歓迎し、自分たちは、『この地上では外国人であり、旅の者』であると認めた。

●集会は土肥、高橋トミ子(海外演奏会5回の話)、望月●午後は感謝会、クリスマス会、18名。老齢者ばかりで若者や子供がいないのが淋しい限りである。これでは誰が考えても自然消滅。わたしは「砂漠に消える川がいつかどこかで伏流水が湧きだすように無教会主義の真理も消えてなくならずに湧き出る」と話した。その兆候として①孫が祈りをするようになった.②春風学寮で大学生に「死の克服は有体的復活」と話したら手ごたえがあった③黒崎幸吉著「新約聖書注解」の反響が大きいことから、内村、塚本の「人間の言葉」を宣伝するのは行き詰まること。黒崎注解のように聖書そのものに固着すると驚くべき反応があること。の3点を話した。●「からだのよみがえり」を言わずにただ経済的物理的に集会を維持しても意味はなく、そういう人間や集会は伏流水にはならずに地下に消滅する●冬至の夜、妻と帰りながら、高橋家の新年会は来年で中止することを話した。子供4人の司会も一巡し、各家庭にそれぞれの事情があるからである。各自自由にあきる野に来て頂くことにした。3家族は泊まれる。家庭は独立、老父母も子供たちから独立である●夜、恵から電話。妻の華子が病に臥し、実家の宮城県小牛田の御母堂のところに帰って静養。超心配。華子は6歳と3歳の子供が気になるという。回復を熱祈。●クリスマスは北欧の冬至の太陽祭が起源という。日が短いときに「光なるキリスト」を待望するということかららしい。「世の光キリスト」である。

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いざ来ませ異邦人の救い主よ ++++++++ 所感

2008/12/20 07:18

081220(土)5時目覚め。朝のひらめき「いざ来ませ異邦人の救い主」バッハカンタータ第61番(BWV61)●人間の救いは外から「救い主」がこなければならない。●神抜きの人間は常に「いかにしたら」と探り続ける。しかし効果はない。可能だと思ったら「実験してみればよい」。信仰なんぞはそのあとでよい。●人は「信仰のみで救われる」という真理でカトリック教会から解放されたが、そのプロテスタント教会は人間は「ではいかなる信仰で救われるか」と言ってまたまた反目しあい、微妙な差で教派が無数に誕生した。それを嘆いて「正しい神観に立ち戻れ」と叫んで屋上屋を重ねる指導者もいる。効果がない。プラスワンである●そんな嘆かわしい現状の時、バッハの「いざ来ませ異邦人の救い主」カンタータ61番の言葉がが響く。バッハはすごい伝道者だ。外からの救い主の到来が人も家庭も国家も救う。●内村鑑三はキリスト教国同士が戦争を始めたのを嘆いて「再臨運動」に走った。●今や無教会もピンチ。高齢化で風前の灯。しかし「無教会主義の真理」は高齢化で消滅はしない●問題は無教会のカリスマ先生」が講壇を去ると、今度はカリスマ神父(年間80人に洗礼を授けるという)」に走る「カリスマ信者」のことである。あっちこっちにうろつきまわる。NO!。人間は聖書に向かわなければならない。なぜか。聖書そのものが「使徒伝承」なのである。●バッハがカンタータ第61番として作曲した「いざ来ませ異邦人の救い主」はライプチッヒ1714年での作曲。バッハはライプチッヒの聖トーマス教会と聖ニコライ教会をかけもちであった。●このカンタータには書簡章句としてロマ13:11-14、福音書章句としてマタイ21:1-9が書かれている。クリスマスを待ち望む頃によく演奏される。しかしこれはクリスマスの時ばかりでなく、人生、家庭、教会、国家、世界がピンチの時に人間が常に祈るべき言葉である。「主よ来りませ」と叫ぶ言葉である。その聖書の箇所を連想してみよう。

塚本訳 ルカ 8:22-24
8:22 ある日のこと、イエスは弟子たちと舟に乗って、「湖の向こう岸に渡ろう」と言われるので、船出した。
8:23 渡ってゆくうちに、イエスは寝入ってしまわれた。すると突風が湖に吹きおろし、彼らは水をかぶって危険になった。
8:24 弟子たちがそばに来て、「先生、先生、わたし達は溺れます」と言ってイエスを起した。イエスが目をさまして風と浪とを叱りつけられると、(たちどころに)静まって、凪になった。


塚本訳  ヨハ 11:3
11:3 マリヤとマルタとはイエスに使をやって、「主よ、大変です。あなたの可愛がっておられる人が病気です」と言わせた。


塚本訳  マコ 5:22-23
5:22 するとヤイロという一人の礼拝堂監督が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏し、
5:23 しきりに願って言う、「わたしの小さな娘が死にかかっています。助かって命びろいをするように、どうか行って、手をのせてやってください。」


塚本訳  ヨハ 4:47
4:47 イエスがユダヤからガリラヤに来ておられると聞くと、イエスの所に行き、(カペナウムに)下ってきて息子を直してほしいと頼んだ。息子が死にそうだったのである。 


塚本訳  マタ 9:18
9:18 こう話しておられると、そこに一人の(礼拝堂の)役人が進み出て、しきりに願って言った
、「わたしの娘がたったいま死にました。それでも、どうか行って、手をのせてやってください。そうすれば生き返りますから。」


塚本訳 マコ 1:30-31
1:30 シモンの姑が熱病で寝ていた。人々がすぐ彼女のことをイエスに言うと、
1:31 進み寄り、手を取って起された。すると熱が取れ、彼女は彼らをもてなした。

●「主よ大変です。私の息子、娘、親、婿、嫁、夫、妻、兄弟、親戚がひどいのです。このままでは家庭が滅びます。崩壊です。死にます。トンデモナイことになってしまいます」というのが我々の日常の現実的な叫びである。そんなときは儒教的な「お説教」は無理。それほど深みにはまってしまっているのだ。溺れているのだ。どうしようもないのだ。死にそうなのだ。いや霊的に死んでいるのだ。そんなとき「主よ来てください。ヘルプ!」と心で念じ、信じたこともない神にすがればよいのだ。恥も外聞もなく「溺れる者は藁をもつかむ」の気持ちでよい。人間、メンツを捨てなければ救われない。●かわいい子供が結婚したら相手の影響で悪くなってしまった。すっかり変わってしまった。息子は嫁に取られた。娘は男に取られた。嫁が悪い、男が悪い。嫁が憎い、男が憎い。これが世の親の嘆きの一般的な姿である。●罪の認識なしに子供をかばう親はその子供を悔い改めに導かないから地獄に落とす●米国の映画「陽のあたる場所」。息子が殺人犯として疑われた母親は息子に言う「あなたは確かに実際に殺してはいなかったでしょうが、心の中で『あの人は死んでくれたらいい』と思ったのではありませんか。そうだとしたらあなたは神の前に殺人を犯したのです」と冷たく言い放つ。息子をかばわない。そして息子が死刑台に引かれていくとき、その母は神に祈る「このような息子に育ててしまったふつつかなこの母をお赦しください」と。米国は腐っても鯛である。このような映画を作れる。日本は100年経っても作れないであろう。罪の認識が希薄である。●「あの人早く死んでくれないかしら」と思うのは神の前に殺人である。●牧師でさえ憎い信者のことを「交通事故にでもあって死んでくれないかなー」と思うそうである。この話はかってキリスト新聞で読んだことがある。人間は人間をとうてい導けない。救えない●バッハ全集から「カンタータ61番」を鑑賞。アーノンクール+ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス。●クリスマスが近いのでバッハの「クリスマスオラトリオ」BWV248を鑑賞。 アーノンクール+ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス+ウィーン少年合唱団+ウィーン合唱隊。●私のパソコン内にある「過去日記」 で「クリスマスオラトリオ」と検索すると061210に妻が昭島公会堂で歌っている。パソコンの検索威力はすごい。●かって約束をスッポカス人間がいた。それは「人間関係の破壊者」。普通道徳も守れないどうしようもない人間。救いがたい。人間も家庭も滅びる。当然だ。「人間失格」だ。滅びだ。地獄の業火で苦しまなければ悔い改めない。 ●かって勤務先で「平気でウソをつく人」がいた。周囲がかなり苦労した。悩んだ。彼はなせ「平気で嘘をつく人」(同名の本があった)であったか。保身術であった。神を信じない人間は嘘をつく、自分を隠す。グレーな人生だ。滅びだ。地獄の業火で苦しまなければ悔い改めない。

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いつも訪れた林。夏は葉がおい茂って蝉が鳴いていたが今は冬枯れの様。明日は冬至だ。讃美歌496番の3節を思う。神は人間を冬枯れの様より栄光の復活のすがたによみがえらせ給う。復活!、「罪が赦されてからだがよみがえる!」キリストは、その初穂として有体的によみがえった。これが使徒伝承。

2008.12.20 16:13

讃美歌496番 3節

冬枯れのさまより 百合しろき花野に

いとし子を御神は 覚(さま)したもう今なを

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自分のからだを打ちたたいて ++++++++ 所感

2008/12/19 07:25

081219(金)5時起床。起き上がるときに体がきつい。年齢のせいだ。パウロの言葉がひらめいた。

口語訳 Ⅰコリ9:27
9:27 すなわち、自分のからだを打ちたたいて服従させるのである。そうしないと、ほかの人に宣べ伝えておきながら、自分は失格者になるかも知れない。

●この関連聖句を「sword」で調べると心に響くものが出た。

 口語訳 Ⅰコリ9:25
9:25 しかし、すべて競技をする者は、何ごとにも節制をする。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするが、わたしたちは朽ちない冠を得るためにそうするのである。


口語訳 Ⅰコリ4:12
4:12 苦労して自分の手で働いている。はずかしめられては祝福し、迫害されては耐え忍び、


口語訳 Ⅰコリ8:13
8:13 だから、もし食物がわたしの兄弟をつまずかせるなら、兄弟をつまずかせないために、わたしは永久に、断じて肉を食べることはしない。


口語訳 ルカ 9:25
9:25 人が全世界をもうけても、自分自身を失いまたは損したら、なんの得になろうか。

●各位へお知らせ。

2008.11.28 から小学館百科事典(ジャポニカ)の内容がネットで無料で見られるようになりました。

検索エンジン(YAHOOかGOOOGLE)で「YAHOO百科事典」と打てばでます。ネットで公開しても紙媒体の百科事典の売れ行きは阻害しないという小学館の英断です。紙媒体のよさ、ネットのよさは違うものです。ネットで無料公開すると本が売れなくなると愚考している企業に聞かせたいものです。

●国立国会図書館の蔵書が家にいながら検索できます。これは以前からわかっていたことですが、各位の近く(全国)の公立図書館で取り寄せてくれることを知りました。古い文献などの検索には便利です。検索エンジン(YAHOOかGOOOGLE)で「国会図書館」と打ち、「国立国会図書館NDL-OPAC」のところを開きます。ここでIDパスワードを打たなくても可。先に進む。目的の文献があったら、最寄の公立図書館から国会図書館に照会してもらって取り寄せてもらえます。

●東京都の公立図書館の蔵書が家にいながら横断検索できます。これは東京都内であれば最寄の図書館で取り寄せてもらえます。しかも貸し出しもしてくれます。検索エンジン(YAHOOかGOOOGLE)で「東京都公立図書館横断検索」と打ち条件を入力しますが、多少時間がかかります。1分程度。この方法は東京都のあきる野図書館の場合ですが、おそらく多くの県でも同じようなことが可能と解します。つまり「〇〇県公立図書館横断検索」と打てばよいのです。

●18:00昭和女子大で温交会(忘年会のようなもの)。体育館で質素にやったのはよかった。日本人のバカ騒ぎはよくない。人見理事長、前原副理事長、柳同窓会担当、などと懇親懇談。

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昭和女子大。温交会で、人見理事長と。

人見理事長は一年のうち、ウィーンとボストンと東京の3か所を住み分けている。ウィーンが本拠地だという。

2008.12.19 18:47

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孫は聖書に導け ++++++++ 所感

2008/12/18 05:55

081218(木)3時目覚め、5時起床●寝床でヒルティ。昨夜は「老年について」(白水社ヒルティ著作集第10巻)。今朝は「孫たちに幸あれ」(幸福論第3巻)。●「孫たちに幸あれ」の結論は「孫は聖書に導け」。●ヒルティは私の「人生の師」。高校生の時から愛読し、人生の折々、曲がり角になるとよく読んだ。「孫たちに幸あれ」は通算5回目。この年、65歳になり孫が6人与えられて改めて読みヒルティの結論に同感。●しかしヒルティはキリスト教的環境で育ったからいいが、日本の環境はキリスト教的ではない。唯物的、拝金的、この世的である。孫たちをこの「悪霊」に染まらないようにするには、親という環境、幼児の面倒見がよい教会、集会、エクレシアという環境が必要。無教会はその点で失敗●我が国の教育が「宗教」を排除したことは致命的。その結果いたいけない幼児が「拝金主義」「出世主義」「雑学教養主義」に導かれ汚染されてしまった。その道に「幸福」はない●「孫たちに幸あれ」の中に「霊」のことが強く書かれている。この「霊」というもの抜きにしてキリスト教はわからないという。至言。●日本では「霊」というと、幽霊,背後霊,守護霊、霊媒、霊能者とか得体の知れないものを連想する風潮がある。キリスト教会がヒューマニズム、思想、雑学、親睦団体に堕落してしまってその本来の「霊」の力を示さなかったことが原因である。●36歳の時、白水社ヒルティ著作集再刊第10巻の月報にヒルティ、敬虔主義、無教会主義の系譜について執筆。37歳の時にはスイスの首都ベルンにあるヒルティの墓に詣でることができた。そして今「孫たちに幸あれ」を読む年齢になった。●必ずしもヒルティに誉められる生き方をしてこれなかったが、ヒルティの指し示す「幸福」を目指して生きてきた。●ヒルティは優秀な婦人と結婚しベルン大学の総長にもなって「この世的」には幸福そうであるが、内実は違った。かなり「苦難の人」であった。息子が病弱であったのもその一つ。その「苦難」の共有においてわたしも波長が合う。もし来世でヒルティに出あえたら「苦難」の同士として握手してくださるであろう。「高橋君。君は苦難の故に『幸福』であったねー」と。●人間が統制する経済が誤っていたのはソ連共産主義が70年で崩壊したのを見ればわかる。同じく思想の統制もよくない。それは軍国主義の日本の結果を見ればわかる。何れも生ける神という信仰がないところに「人間の統制」というものが起きたためである。同じく、職場も学校も家庭も無理な統制があるところに「自由なる進展」がおこらない。●号令一下統制する姿を見て喜ぶのは「この世的人間」であり、神の主権と人間の尊厳にもとずく自由に対する「尊重」が欠けている。教会主義の悪い点もそこに起因する。神抜きで人間を支配する。儒教道徳も同じ。共産主義同じ。すべて神による自由という雰囲気がない。●では信仰者はどんな場合も人間から自由かというと。完全に神に従うと完全に人間に「仕える」という姿になる。ルターの「キリスト者の自由」の第一命題は次の通りである。

「キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な主人であって、だれにも従属していない。
キリスト者はすべてのものに奉仕する僕であって、だれにも従属している。」

●これは人間ルターの言葉であって神学的である。しかしこのことはすでに聖書が次のように言っている。

新共同 Ⅰコリ9:19
9:19 わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。


塚本訳Ⅰコリ9:19
9:19 それで、わたしはすべての人から(全く)自由であるが、(同時に、)自分をすべての人の奴隷にした。(キリストのために出来るだけ)多数の人を得るためである。

●これとの関連聖句は次の2か所

塚本訳 ロマ 13:1
13:1 人は皆上に立つ(国家の)官憲に服従せねばならない。神からではない官憲はなく、現存の官憲は(ことごとく)神から任命されたものであるから。


塚本訳  ガラ 4:4
4:4 しかし(定められた)時が満ちると、神はその御子を女から生まれさせ、律法の下に置いて、(この世に)お遣わしになった。

●「有体的復活」「からだのよみがえり」を信じられない信者は目がこの世に向いていて目的は地上王国の完成。だから上記ロマ13:1を理解できないで騒ぐ。●「からだのよみがえり」を信じられない信者はガラ4:4が処女降誕と同じことであることがわかっていない。いずれも「大脳皮質だけの無霊人間」

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図書館に行く途中。馴染みの林は冬の姿。枯れ葉はつぎの生命の肥しとなるというのは仏教的思想。諦念思想。喜びはない。キリスト教では樹木の枯れは霊の体の復活の前兆。日没の次は喜びの朝。

2008.12.18 15:50

●図書館で念願のチョンキョンファのヴィヴァルディ「四季」をゲット。長いこと定番であったイ・ムジチの演奏を超えるものが出現した●あきる野図書館で全東京の図書館の蔵書内容を即時に自宅パソコンで検索できることを教えてもらった。これはあきる野図書館を通して取り寄せてもらい3週間借りることができる●国立国会図書館の蔵書を自宅で全検索出来て、しかもあきる野図書館に送ってもらい館内閲覧という制限があるもののあきる野にいながら国会図書館の本を読むことが出来る。国会図書館(不便、入館が面倒)まで足を運ばなくてよいので便利。早速火災で焼失してしまった「モラヴィア兄弟団」を探すと「あった」。「役人はよいことをしてくれる神の使い」だありがたい●図書館の人から最近小学館の百科事典がネットで公開され、しかもコピー&ペーストができることを知ってびっくりしたということを教えられる。●小学館の言い分は、ネットで公開しても「本」そのものの売れ行きを阻害しないことを認識しての決断だという。小学館は偉い。頭が良い。この会社は伸びる。この話は日本聖書協会に聞かせたい。

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自分一個の幸福を求めるな ++++++++ 所感

2008/12/17 07:12

081217(水)朝の黙示「自分一個の幸福を求めるな」。これに続く聖書の箇所の黙示。

塚本訳 ロマ 12:1
12:1 (このように、神は偉大な計画によって人類を一人のこらず救おうとしておられるのであって、救いは確かである。)だから、兄弟たちよ、わたしは神のこの慈悲を指してあなた達に勧める。あなた達の体を(感謝のしるしとして神に)捧げよ。この生きた聖なる犠牲こそ、神のお気に入るものであり、(霊なる神を拝むにふさわしい、)あなた達の霊的な礼拝である。(あなた達の礼拝は動物を供えるような不合理なものでなく、全心全霊をささげる合理的な礼拝でなければならならない)

マタ   10: 39 [塚本訳

(十字架を避けてこの世の)命を得る者は(永遠の)命を失い、わたしのために(この世の)命を失う者は、(永遠の)命を得るであろう。

マタ   16: 24 [塚本訳

あとでイエスは弟子たちに言われた、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、自分の十字架を負い、それからわたしに従え。

●アダムスミスが説いたところに始まるく「市場原理」の鉄則を自分流に解釈すれば「各自は自分一個の欲望を貫徹せよ。個人は時計の歯車である。そうすれば歯車全体を設計する時計職人たる神は、個々の歯車をうまく組み合わせて時計が動くようにする。だから個人はもっぱら自分のことだけを考えていれば良いのだ。なまじ全体のことを考えて逆に回ろうとしたり動かなかったりするなどと一個の歯車の分際で余計なことを考えるな。激しく自己のみ欲望を求めよ。それは低級な激しいエゴでもよい。神はその低級なエゴを利用してインビジブルハンド(見えざる御手)をもって世界をうまく動かすのだ」。・・とまーこのように解釈してきた。この原理は真理である。自分一個の、自分の家庭の、自分の子供だけの、自分の勤務先の、自国のその一個の幸福を激しく求めるのが「民活」エネルギーの源泉である。だから常に全体のことを考えて生きてきた公職の人間が民間の生き馬の目を抜くような生き方をしている「市場」に参入しても全然役に立たない。石原都知事の構想した「新銀行」がうまくいかないのは(なまぬるい)役人がやっているからである。民間の市場経済は甘くはない。●ところがクリスチャンに神から「お声がかかる」とその歯車が普通とは違う回り方をする。動かなくなったり逆回りをする。イエスがそうであったからユダヤ社会からはじき出された。役に立たぬ石として捨てられた。役に立たぬ歯車であった。しかしそれも「神のなさった」ことであった。●人間には右よりの人間と左よりの人間がいる。体制順応型人間と体制批判型である。しかし神はその逆まわりの小歯車もうまく組み合わせる。時計の歯車は常にその隣は自分とは逆周りをしている。●一個の人間が目の敵にして喧嘩批判する人間は常に逆まわりの歯車である。だから激烈批判する。そしてそれは常に「隣」にいるようになっている。神は偉大である。そうなるように近づけて歯車を組み合わせているのだ。右回りの歯車の隣には左回りの歯車がある。

●クリスチャンに神から声がかかったら、俄然この世の一切をかなぐり捨てなければならない。それがクリスチャンの歯車のまわり方だ。実に変な回り方をするようになるのだ。誰もがその行動を理解できない。イエス、パウロ、パスカル、シュヴァイツァー、皆同じ●バンヤンの「天路歴程」の冒頭は主人公が両耳に指を突っ込んで家族の制止を振り切って「永遠の生命!、永遠の生命!」と叫んで「家」を飛び出す。

塚本訳ルカ 9:62
9:62 しかしイエスは言われた、「鋤に手をかけたあとで後を見る者は、神の国の役に立たない。」

●この箇所のネストレの引照には次がある。

塚本訳ルカ 14:33
14:33 だから同じように、(家族や財産など)一切合切、自分のものと別れなければ、あなた達のだれ一人、わたしの弟子になることは出来ない。

口語訳 創  19:17
19:17 彼らを外に連れ出した時そのひとりは言った、「のがれて、自分の命を救いなさい。うしろをふりかえって見てはならない。低地にはどこにも立ち止まってはならない。山にのがれなさい。そうしなければ、あなたは滅びます」。

口語訳 創  19:26
19:26 しかしロトの妻はうしろを顧みたので塩の柱になった。

●これで一撃を食らう。ネストレの引照は「意味が同じ」「思想が同じ」「思想の連絡」があるので有益である。


 

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真の憩いはどこにあるのか ++++++++ 所感

2008/12/16 06:24

081216(火)女子大講義日。5時起床。次第に本来の生活習慣に戻りつつある。朝の黙想「真理は継承される」●昨日の職場講義は最後の講義であったので次のように話した。(以下昨日のブログから転載)・・・・「建築プロジェクトの経済評価」。環境影響評価という概念はもはや常識であるが経済評価という概念はなかったので8年前に執筆しはじめた。しかし様々な事情で完成できなかった。その無念を込め、「この分野は絶対に開発されねばならない」と言って若い人たちに後を託した。(ブログからの転載終わり)・・・・●「真理」というのは人間が滅んでも「真理それ自身」で伝わっていく。それは「何らかの方法」「意外なる方法」「思いにすぐる方法」「人知では計り知れない方法」「意外な姿形、形式」で継承される。砂漠に消えた川は伏流水となって思わぬところから噴き出す。福音の真理また同じ。思わぬ姿形であらわれる「はずだ。」●現代の日本は若者の宗教離れがはなはだしい。しかしいつの日かその若者(そのときは中年か老年)たちは命の水に渇いて必死に「水!、水!」と喘ぎ求める日は来る。なぜか。人間は「神の霊の命」に出会って真に安らぐことができるからだ。人間はそのように創造されているのだ。「人はあなたに向かうように創られているので、あなたの胸に憩うまでは安らぎを得ません」(アウグスチヌス)。●人間にとって「真の安らぎ」は神の御胸に憩う時である。●人間は常に「渇きを癒そう」と思ってこの世のあらぬものに手を出す。求める。しかし何をやっても渇きはとまらない。癒されない。命の君であるイエスは十字架上で「渇く」と叫んで神に殺された。その結果人間は罪の赦しをいただけて真の「命の水」を飲んで渇きを癒すことができるようになった。

文語訳ヨハ 4:14
4:14 されど我があたふる水を飲む者は、永遠に渇くことなし。わが與ふる水は彼の中にて泉となり、永遠の生命の水湧きいづべし』

●NHKFM「バロックの森」、ケンブリッジキングズカレッジ合唱団+スティーヴン・クレオペリー指揮で「ファーストノエル」(日本語讃美歌103牧人ひつじを」。英国クリスマスの雰囲気濃厚。この曲は作詞作曲者不肖(イギリスで数百年前から伝わるクリスマスキャロル)。しかしよいもの(真理)は伝承される。あの大好きな「アデスデ・フィデレス」(日本語讃美歌111番「神のみ子はこよいしも」)・・・これもイギリスの曲であるが作詞作曲者がいまひとつはっきりしないらしい。よい歌に「読み人知らず」が多い。私も「読み人知らず」の存在になりたい。真理の伝承をした者という存在だけになりたい。●あいつは馬鹿の一つ覚えのようにイエスの「有体的復活」「からだのよみがえり」を信じて死んで行ったということだけでよい。名前は残らなくてよい。●7:50妻は孫の初音が教会のクリスマス降誕劇に出るというので荒川に出かける。孫が教会に行くようになって感謝に堪えない。 ●妻が荒川区、聖和幼稚園(教会付属)のクリスマス会に行く。わたしは女子大講義で行けないので、デジカメを持って行ってもらい撮影してもらった。

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伊勢健太郎4.5か月   2008.12.16

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初音(右から3人目)がハンドベルでキラキラ星を演奏する 2008.12.6

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サンタクロース(牧師さん)からプレゼントをもらった初音。 2008.12.16

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左から伊勢初音(5歳11か月)、かなほ(2歳2か月)、健太郎(4.5か月)、愛子 2006.12.16・・・・以上トミ子が撮影。

●昭和女子大の講義、2コマ。J・ラスキンの「藝術経済論」を解説した。ラスキンは言う「経済は芸術があって生きる。それは旧約聖書箴言31章の『ユダヤ人の理想の妻』のようであるべきだ。彼女は家庭の経済を握りつつも美しい着物を作り、気品に満ちて後の日を笑っている。」ラスキンはこの女性に「芸術と経済の麗しい調和」を見ている。そして女子大でラスキンのこの本を講義できることを喜びとすると語った。授業後、二人の生徒と進路の相談、アドバイス。●講義で読み上げた「ユダヤ人の理想の妻」の聖書の箇所。箴言31章。これが(家計)経済と芸術との麗しい調和の例だとラスキンは言う。

口語訳 箴  31:15,22,25

31:15 彼女はまだ夜のあけぬうちに起きて、その家の者の食べ物を備え、その女たちに日用の分を与える。
31:22 彼女は自分のために美しいしとねを作り、亜麻布と紫布とをもってその着物とする。
31:25 力と気品とは彼女の着物である、そして後の日を笑っている。

 


 

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美しく老い、美しく死ぬ ++++++++ 所感

2008/12/15 06:00

081215(月)出勤日。4時半起床。普段の調子に戻れて感謝●今日は職場で来年3月の退職を前にしての最終講義。「やりのこした構想」を若い人たちに託す。最後に「美しく老いる」として所感を述べる●創世記の天地創造が終わったとき神は次のように言われた。

新共同 創  1:31
1:31 神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。

●この「良かった」という言葉はヘブライ語で「トーヴ」であって、それは「美しい」という意味でもある。●人間は生まれた時は誰でもきわめて「美しい」。美しく生まれる。願わくは死ぬ時も「美しく死にたい」ものだ。●それには「美しく老い」なければならない。●今日はヒルティの「老年について」を車中で読む。●ヒルティは「仕事中に死ぬことが良い」という。それが「美しく老いるということなのだろう。前向きで、来世の「からだのよみがえり」を確信しつつ、はつらつと働いて、できることなら「ボケ」ずにスっと死ぬのが理想。ヒルティはそのとおりに逝った。令嬢が温かい飲み物を書斎に運んで行ったら亡くなっていた。書きかけの論考は「永遠の平和」であった●ヒルティは「美しく老い、美しく死んた」。76歳。夫人に先立たれて12年後のことであった。●1980年37歳の時、スイスのベルンにあるヒルティの墓に詣でた。墓碑には来世ではただ一人、妻にだけ会いたいと言ったその「ヨハンナ」の名前と生涯病弱の故にヒルティを悩まし続けた息子の「エドガー」の名前があった。エドガーは両親と共に眠っていたのだ。このときなぜヒルティが「眠られぬ夜のために」を書いたのか、その意味がわかった。●塚本虎二先生の告別式のとき、私は裏方で檀上の幕の後にいた。式辞を述べられた南原先生が「塚本君は美しく老いた」と語られたとき一人ではふり落ちる涙を拭った。●「美しく老い、美しく死にたい」●美しいという言葉には「良い」という意味が込められている。清いということも連想する●たとえその人生が清くなく、汚れていても神は十字架の贖罪ですっかり清め洗って今生まれた「みどり児」として抱きかかえてくださる●老人は自らの力で「美しく」はなれない。老醜が増すばかりである。望まないのにボケるかも知れない。しかし神の力で真の意味で美しくなれる。内なる命の充実だ。パウロの最後の様子は分からないがおそらく殉教である。そのパウロは次のように言う。

文語訳 Ⅱコリ4:16
4:16 この故に我らは落膽せず、我らが外なる人は壞るれども、内なる人は日々に新なり。

塚本訳コリ4:16
4:16 このゆえに、わたし達は気を落さない。いや、わたし達の(生れながらの)外の人はどんなにこわれていっても、(キリストによって生れた)内の人は一日一日と新しくされてゆく。

●パウロは美しく死んだ。現代の老人に向かって「落膽」するな「気を落すな」と言っているように聞こえる。

●15:00職場で「技術講習会」第6回(最終回)。受講者40名。来年3月辞職の挨拶。講義は①「請負契約書」。請負契約とは見えないものを約束して(手段は図面)、完了したら報酬(手段は見積書)を支払うということであり、人間を信頼してかからなければできない高尚なことであると話した②ジョン・ラスキン「藝術経済論」。一国の興亡の印は建築の美にあり、それは国家体制の良しあしである、というラスキンの主張を現代にあてはめ社会主義体制の国家の建築は実に「醜悪」であると話した③「建築プロジェクトの経済評価」。環境影響評価という概念はもはや常識であるが経済評価という概念はなかったので8年前に執筆しはじめた。しかし様々な事情で完成できなかった。その無念を込め、「この分野は絶対に開発されねばならない」と言って若い人たちに後を託した。

 


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「証人」の存在 ++++++++ 所感

2008/12/14 06:58

081214(日)5時起床。●NHKテレビ3ch「こころの時代」。日本テレマン協会代表、延原武春。テレマンとの出会い、教会音楽との出会い、カトリック夙川(しゅくがわ)教会西村良次神父との出会い、韓国籍を捨てて日本籍となる、ドイツで数多くの演奏会、ドレスデン、ライプチヒ(ニコライ教会)、ヘンデルメサイア、ヴェートーヴェン「荘厳ミサ」。●延原氏にとって、神とキリストへの道は「音楽」が証人であった。●人が何かを信ずる時は「証人」とか「証言」が必要。世俗では会計監査、第三者の査定が必要。市場経済社会ではこの「第3者性」というものが必要●ものを購入するときは「一番売れているのはどれか」と聞くのがよい。これ第3者性●信ずるには「証人」が必要であることは聖書に多くでてくる●「樹はその実によって知らるる」(マタイ12:33)とは現実的な判定方法●私が若き日に塚本虎二先生を「信用」したのは、弟子に沢山のすぐれた人がいたからである。関根、前田、中沢、●家の中で父と母が同じ神を信じているというのは子供にとって重要な「証言」●若き日に米国に留学した学生が、米国のキリスト教文化に触れて、「両親と同じものを信じているではないか」と感じるとき、それは米国が「証人」になったのである。●目に見えない神とか復活のキリストとか、聖霊とかを信ずるに至る道には「証人」というものの存在がある。●だから教会、集会、エクレシアはその役目を果たすものであるが、有体的復活も処女降誕も信じていないようでは「証人」としての資格がない。これでは人をだますだけであるから即刻「キリスト教信者」たることをやめた方がよい。それは「盲人の手引をする盲人」(マタイ15:14)だ。●キリスト教文化の底が浅い日本は聖職者たちが少し勉強しただけで「ゲルマン捕囚」になり、今や牧師の三分の一は有体的復活や処女降誕を信じなくなった。あれでよく「商売(?)」をやっていけるなーと思う。●何を目指しているか。正統信仰抜きの人間集団(遊び、サークル)、思想集団、社会批判運動、ヒューマニズム運動、音楽集団、などになり下がっている。これキリスト教の展開ではなく堕落というのが実情である。●そういう集団は長続きしないということで真価がわかるが、それよりも前に神の鉄槌がくだることが恐ろしい。神は「キリスト教の看板を降ろせ」という●チェコのモラヴィア教徒は組織としてのカトリック教会(オーストリアのハプスブルグ家の統治)などに迫害された。いつの世でも純粋な生けるキリスト教は世俗的キリスト教から「やっかいもの」にされて迫害される。●唯一の慰めは隠れた信者である。しかしそれは少数。●妻は午後のコンサートの準備のため集会は休み●集会は藤巻、杉崎、山本●14:00昭島公会堂で「もくせい」コンサート。フォーレレクイエム。妻はアルト。団員達の心の交流があるためか良くまとまっていた。ピアノの山本先生、蜷川さん、守と和歌が来てくれた。3年前のドイツ演奏旅行の面々と再会した。●スナップ写真を頼まれたが、おもちゃのようなデジカメではピシと写らなかった。

●行く時に昭島の駅で守と和歌に会ったので、道々「子育ての期間は短い」と話しながら歩いた●道で偶然に家族と会うと歩きながら普段では話せないようなことが話せるのは「歩きながら話す」からなのだろうか。人生は道を歩く旅なのかもしれない●もう30年近く前に子供の一人と勤務先の帰りに家の近くで出会い一緒に家に向かった。「どおかね。最近は」と話したことがある。彼は普段しゃべらないようなことを話したものだ●コンサートの帰途は蜷川文子さんと喫茶店で懇親懇談。無教会人物事情を伺った。

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合唱団「もくせい」、フォーレ「レクイエム」。於・昭島市民会館。

2008.12.14 14:14

東京の田舎で「フォーレ・レクイエム」を歌う日本の音楽文化に感心した。あの名演、アンドレクリュイタンス+パリ音楽院管弦楽団の演奏にはとうてい及ばないが、素人合唱であるという点において勝る。願わくは、その歌詞の意味が全員に深くわかるようにと願わずにはいられない。これはモーツァルトの「レクイエム」やヘンデルの「メサイア」についても同じ。

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指揮者の小津準策。第3部は「クリスマスの歌」。讃美歌も数曲。最後は会場の全員で「もろびとこぞりて」。この讃美歌は日本人のほぼ全員が歌える。私はテナーの部分を大声で歌った。

2008.12.14 15:52

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真理は真理自身で流れ出る ++++++++ 所感

2008/12/13 09:57

081213(土)4時目覚め。朝の啓示「真理は真理自身で流れ出る」。黒崎幸吉ヨハネの引照作業でヨハネ7:38に教えられた。

新改訳 ヨハ 7:38
7:38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」

●真理が伝わるのは方法を問わない。方法にさえぎられない。●出版事情が悪くてキリスト教書籍が出ない。キリスト教主義の学校が経営に行き詰る。教会や集会や講習会に人が集まらない。などなど市場経済の原理で宣教の手段が行き詰るとき、福音の真理はあらゆる方法で流れ出る。●この世的の手法は「集客」。しかし福音は発信である。川の水があふれるように流れ出る。●真理の伝承にイエスは村や町を歩いた。パウロは「手紙」。カトリック教会は「教会組織」。宗教改革は「書物」。プロテスタントは「人を集めての説教。エクレシアという集団形成」。大集会の世界宣教。歌やイベント。そして次はラジオやテレビ。今やインターネット。・・このいずれもが一長一短。決定的なものはない。信者として地上に完全に心が休まるところはない。「地上に宝を積むな」である。●真理は流れ出た先で「思いもかけない形を作り出す。その場所で「しっくり」いく形をつくる。その形は結果であって目的ではない。だからそれは永続性がない。カトリック教会は閉塞状態、プロテスタント教会も潰れ、伝道者は死に、無教会の「先生」も死ぬ。集会は高齢化で自然消滅する。●しかし福音の真理は全く思いがけないところから泉のように川の水のように噴き出る。おもいがけない人の胸に種が落ちて芽生える。讃美歌536番

讃美歌536

1. むくい をのぞまで

   ひと に あたえ よ,

   こ は しゅ の かしこき

   みむね ならず や.

   みず の え に おちて,

   ながれし たね も,

   いずこ の きし に か

   おいたつ ものを

2. あさき こころ もて

   こと を はからず,

   みむね の まに まに

   ひたすら はげめ.

   かぜ に おられ し と

   みえし わかき の,

   おもわぬ こかげ に

   ひと も や やどさん.

●故S氏の御長女はS氏の御生前はキリスト教に反発していた。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎し」であった。ところが、S氏が召されると俄然と「求道」。それは伏流水が噴き出てきたようであったとは、S氏ご長男(無教会○○集会)が語ってくださった。真理の伝承は人間によらず真理自身の力による。●年賀状88枚。はがきソフトは郵便番号を入力すると住所が出るので超便利。やめられない●来年一年の一覧カレンダーを居間と勉強質と風呂場に貼ったが、貼りながら「複雑な気持ち」になった。「わたしの時」は神が握っておられる。来年一杯生きられると思ういうのは間違い。この命は100%神が握っておられる。一日一日が感謝なのだ。そして「死の眠り」。しかし「からだのよみがえり」。「明日がある。明日がある」「次がある」 ●無教会者で目覚ましい活動をされておられるY・T氏の雑誌の添書きに次のようにあった。全文。

 「高橋様 黒崎幸吉のコメント WEBのを時々参照させていただいてます。主に感謝です(Y)」

●早速、シドニーと福島の「共同作業者」にメールで連絡●過日は黒崎註解WEBを80歳を超えられた老婦人が読んでおられること、また本日は伝道の第一線で苦闘されておられるY氏が参照されておられることを知り、非常にうれしかった。ガッツ・ポーズである。これからの作業の「励み」である。本物は本物に知られるものだ。●神を知ればイエスが神の子であるということが分かるというのはヨハネ福音書のトーン。それと似ている。

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人はいかにして神に出会うか ++++++++ 所感

2008/12/12 06:33

081212(金)出勤日。集団の親族旅行のとき、電車の中で一人寝過してしまい、みんなに遅れてしまって迷惑をかけたという苦しい夢。なにか相模湖か河口湖の方面への旅行のようであった。●朝の黙示「人はいかにして神に出会うか」。それは極度のどうしようもない悲しみの時に神の方から顕れてくださる。これは不思議なことだ。聖書にそのような例はたくさんあるが代表的なものは次の3か所。いずれも人間のどうしようのない不安悲しみ嘆きの時に神の子イエスが「私だ」(エゴーエイミ)と顕れてくださった。それは現代でも同じ。極度の悲しみのときに神は顕れてくださる。

(第一)

塚本訳 マコ 6:48-51
6:48 そして向い風のために弟子たちが漕ぎなやんでいるのを見ると、第四夜回りのころ(すなわち夜明けの三時ごろ)、湖の上を歩いて彼らの所に来て、(舟のわきを)通りすぎようとされた。
6:49 弟子たちはイエスが湖の上を歩いておられるのを見ると、幽霊だと思って声をあげて叫んだ。
6:50 イエスを見て、皆肝をつぶしたのである。しかしイエスはすぐ彼らに話しかけ、「安心せよ、わたしだ。こわがることはない」と言われる。
6:51 そして彼らの舟に乗られると、風はやんだ。弟子たちはすっかり呆気にとられてしまった。

●人生の荒波、暴風、経済的苦境、進学できない、縁談が壊れる、家庭崩壊、病気による苦難、リストラ、集団内での不和、人間関係の不和、これで人生も家庭も沈没する。家族が分かれる。不仲になる。そんなピンチの時に神は顕れてくださる。「恐れるな。私だ。(エゴーエイミ)」●ウェスレー作詞の讃美歌273番「わが魂を愛するイェスよ。波はさかまき、風吹き荒れて、沈むばかりのこの身を守り、天(あめ)のみなとに導きたまえ」●今日のように経済的に苦境の時代にあって「食べることに苦労してない」聖職者がこの聖書の箇所を引いて「信仰の小さいものたちよ」と檀上から説教しても通じない。年金伝道者の姿勢また同じ。それは経済的に苦境の人に失礼なことだ。イエスは貧しかった。孤独であった。

(第二)

塚本訳 ヨハ 11:21-26
11:21 マルタがイエスに言った、「主よ、あなたがここにいてくださったら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。
11:22 しかしあなたがお願いになることなら、神様は何でもかなえてくださることを、わたしは今でも知っています。」
11:23 イエスは言われる、「あなたの兄弟は生き返る。」
11:24 マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」

●肉親の死は人生で深い悲しみである。「死の哲学」や「諦念」では決して慰められない。「わたしが復活だ。命だ」と言って神ご自身が近付いてくださるとき、「楽」になれる。●私の場合は「母の死」がその極度の悲しみのときであった。●子供を失った母親は人間の誰からも慰められようとしない。(マタイ2:18)●伝説によればイエスの父は早くになくなったらしい。福音書にはイエスが成長してからの父ヨセフの記事はない。イエスは肉親の死に早くから遭遇した。その後は母と弟妹を養ったらしい。

(第三)

塚本訳 ヨハ 8:7-11
8:7 しかし彼らがしつこく尋ねていると、身を起こして言われた、「あなた達の中で罪(をおかしたこと)のない者が、まずこの女に石を投げつけよ。」
8:8 そしてまた身をかがめて、地の上に何か書いておられた。
8:9 これを聞くと、彼らは皆(良心に責められ、)老人を始めとして、ひとりびとり出ていって、(最後に)ただイエスと、真中に立ったままの女とが残った。
8:10 イエスは身を起こして女に言われた、「女の人、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罰しなかったのか。」
8:11 「主よ、だれも」と女がこたえた。イエスが言われた、「わたしも罰しない。おかえり。今からはもう罪を犯さないように。」】

●長い人生では、些細なことで人に罪を責められる時がある。その結果、職場を追われる。集団から追い出される。路頭に迷う。そんな時は反撃せず、じっと嵐の過ぎるまで待っている方がよい。責める人が悪いのか、あるいはやはり私自身が悪いのかは、神ご自身が判定してくださる。人は人に裁かれたくない。神によって裁かれるならば「納得」である。政治の世界など相手を倒すことが目的の「断罪攻撃」は、根が清くないから、裁かれる方はじっとがまんしていればよい。●イエスは罪人とされ追われた。殺されそうになった。否殺された。

●以上の三か所の聖書の記事の共通点は一つ。

塚本訳 マタ 5:2-4
5:2 イエス口を開き、教へて言ひたまふ、
5:3 『幸福なるかな、心の貧しき者。天國はその人のものなり。
5:4 幸福なるかな、悲しむ者。その人は慰められん。

●沈思黙考、神は存在するか。イエスは神か神の子かあるいは人間かなどと座ったまま大脳皮質で考えていてはわからない。人生、極度の悲しみや不安の時、自分の罪に懊悩するとき、ひどく疑われて自分でも「自分の行ったことが罪なのかどうか」わからないとき。神が顕れて決着して下さる。神が弁護してくださる。●古今、人が神に出会うのはこのような場合である。高尚な「思索」の結果神が分かるのではない。遺伝、教育、家系がよいから神に出会うのでもない。人生のドロドロ、失敗、争いなどでどうしようもなくなった時に神の救いを求める「欲求」が生まれる。●罪がわかってはじめて神が分かる。このひどく醜いどうしようもない自分をどうにかしてくれと思う時、「ヘルプ!}「藁をもすがる」思いのときに神が顕れてくださる。そのとき神は「井戸に落ちた息子」を救う気持で救ってくださる。(ルカ14:5)●ただしヘルプの内容が「金」「病気」「縁談」「争い」「試験」などの低次元のことで、それが人間の努力や助けで解決すると急に神を必要としなくなる。問題が解決するとさっさとキリスト教を離れる。教会を去る。それが無数。●ところが「罪の懊悩」「罪の自覚」によって「ヘルプ」と言った人はその後神を離れられなくなり、清く明るい生涯を歩むようになる。毎週神への礼拝を忘れない。

●妻に風邪をうつしてしまった。14日にフォーレ「レクイエム」の演奏のため、急遽医者に行く●10:30 日積サーベイの生島社長が来訪、橋本次長と応対。不景気が深刻なこと●16:00 関口顧問と細井設計に年末の挨拶。細井所長に会えず。●妻は医者の薬が効いて少し良くなり、自彊術の忘年会●年賀状宛名印刷

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いかにして神を知るに至ったか ++++++++ 所感

2008/12/11 07:40

081211(木)ブログの「覗き見読者から」のうれしい応答メールに対して次のようなメールを打った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

○○

どの場所にあっても、神と共に歩むことが幸福の道だと解します。

 どうぞよい信仰人生となりますように。○○さんは神に愛されているという感じがいたします。

 神の豊かな祝福が〇〇さんご一家の上にあることをお祈り申し上げます。

 ○○さんのような方がおられることを知り、私もブログを書くのがさらに励みになりました。

 方向としては「神は私にどうしたか」という姿勢に徹します。「事実、事実」を書くわけですから楽です。

 近々、「私はいかにして神を知るに至ったか」ということを書いてみたいと思います。

 「恥は私に、栄光は神に」です。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●終日黒崎引照入力。●年賀状、「筆王」●妻は国立にがん検診。その後井上充代さんの絵画個展に行く

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苦難は心の友をつくる ++++++++ 所感

2008/12/10 09:41

081210(水)咳が少なくなり大分楽になった●朝の啓示「苦難は心の友をつくる」。●「苦難は幸い」か。聖書には苦難は幸いであるということが無数に書いてある。しかし苦難は幸いではない。不幸である。家庭が崩壊する。結婚できない。人生を失敗する。悩む、嘆く。子供が非行に走る●だから人間は苦難や不幸や苦しみというものに遭うまい遭うまいと思って必死に努力する。受験競争、出世競争、結婚競争、競争、競争、競争。その根本原因は不幸や苦難の回避のためである。●だから苦難や不幸は自らの招きではこない。本能に反することだから。それは思わざる時に思わざる事が起こる。願わざることが願わざる時に襲いかかる●その結果自暴自棄になってふてくされて「女や酒におぼれる」人間と、それを機会に「人生とは何か」を初めて考える人とに分かれる●私はその自暴自棄になった人を知っている。「俺の人生はこんなはずでは無かったのに」とぼやいて常に過去の栄光・・・「家柄がよかったこと」「成績が良かったこと」「有名大学をでたこと」・・・を誇る。遅い。人間は常に今が大切なのだ●これとは反対に苦難や不幸が原因で深く「人生とは何か」を考えて、ついに「神を知るようになった人」がいる。「彼は宗教に走った」と軽蔑されるが、それでもいい。彼にとっては不幸や苦難が幸いして「永遠の命」の道を手に入れた●「女や酒」に走るのと「宗教に走る」のとでは方向が違う。どちらが良いか、結果はその後の人生の事実が証明する。●宗教に走らずとも、唯物的無神論の人生観で歩む者もいるがかなりグレーな人生。全然幸福そうではない●苦難に遭った人はその苦難のゆえに同じ苦難の中にいる人に「声をかける」ことができる能力を与えられる。その能力は学校での勉強では得られない。人間の努力でも得られない。●苦難は同じ苦難の人に心が無条件に通じる。これ「同質の原理」。苦難は心の友をつくる。その聖書的根拠は次の通り。

口語訳 ヘブ 2:18
2:18 主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試練の中にある者たちを助けることができるのである。

新改訳 ヘブ 2:18
2:18 主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。

新共同 ヘブ 2:18
2:18 事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。

文語訳ヘブ 2:18
2:18 主は自ら試みられて苦しみ給ひたれば、試みられるる者を助け得るなり。

●13:30今井館で「クリスマスコンサート」フルートとピアノの演奏会。

フルートの高広幸子さんは今や有名なフルーチストになられた。私が祖父の雲野武夫さん(東京聖書読者会会員、故人、)の建物を設計したとき(下記2棟)はまだ学生であった。それが今日は20年ぶりの再会。私が建築設計した関係の家から本格的な「音楽家」が誕生したのはこれで2人目。うれしいことだ。帰りに入口で今年リリースされたCD「風の行方~フランクのソナタ」を購入した。幸子さんの御両親とも20年ぶりの再会。

                     ディアハイム北品川
                     1985年 東京都品川区
                     建築主・雲野武夫
                     施工・鹿島建設

ぱすとらーれ目黒
1988年目黒区
建築主・雲野武夫
施工・三井建設

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今井館クリスマスコンサートで、フルート独奏者である高広幸子さんと20年ぶりの再会。建築主であった祖父の雲野武夫さん(1989年召天、82歳)のことをしきりに思いだした。もう20年経ったか、早いもんだなー。統計的に私は20年は生きられない。

2008.12.10 15:36

 

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からだのよみがえり ++++++++ 所感

2008/12/09 06:30

081209(火)5時半起床。咳は大分少なくなった。今日は午後から女子大講義。●朝の啓示「からだのよみがえり」。・・・これで次回感話のテーマが決まった。①「からだのよみがえり」の聖書的根拠。②古代教会の信仰告白における「からだのよみがえり。③「からだのよみがえり」の希望がもたらす現世の生き方の転換●現世のいかなる悲惨苦脳も「からだのよみがえり」の信仰で突破できる。なぜか。次があるのだから。サッカーで言えばこの人生は前半、まだ後半があるのだ。逆転が可能なのだ●しかもサッカーと違って前半みじめだった人は後半に有利になる。聖書はつぎのように言う。

塚本訳  マタ 5:1-12
5:1 イエスはこれらの群衆を見て、(近くの)山に上られた。お坐りになると、弟子たちがそばに来たので、
5:2 口を開き、こう言って教えられた。(群衆も集まってきて聞いた。)──
5:3 ああ幸いだ、神に寄りすがる『貧しい人たち、』天の国はその人たちのものとなるのだから。
5:4 ああ幸いだ、『悲しんでいる人たち、』、(かの日に)『慰めていただく』のはその人たちだから。
5:5 ああ幸いだ、『(踏みつけられて)じっと我慢している人たち、』、『(約束の)地(なる御国)を相続する』のはその人たちだから。
5:6 ああ幸いだ、(神の)義に飢え渇いている人たち、(かの日に)満足させられるのはその人たちだから。
5:7 ああ幸いだ、憐れみ深い人たち、(かの日に)憐れんでいただくのはその人たちだから。
5:8 ああ幸いだ、『心の清い人たち、』(御国に入って)神にまみえるのはその人たちだから。
5:9 ああ幸いだ、平和を作る人たち、神の子にしていただくのはその人たちだから。
5:10 ああ幸いだ、信仰のために迫害される人たち、天の国はその人たちのものとなるのだから。
5:11 わたしゆえに罵られたり、迫害されたり、あらん限りの根も葉もない悪口を言われたりする時、あなた達は幸いである。
5:12 小躍りして喜びなさい、褒美がどっさり天であなた達を待っているのだから。あなた達より前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。

●年賀状の文面を書く。その末尾を次のようにした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

聖書によれば「死は眠り」とあります。目覚めたときの

「からだのよみがえり」を「望み見る」この頃です。    

                   高 橋 照 男  ト ミ 子

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

resize0657.jpg 

   あきる野の朝焼け 2008.12.9 6:47

聖書の言葉を思う。

新共同 マタ 16:3
16:3 朝には『朝焼けで雲が低いから、今日は嵐だ』と言う。このように空模様を見分けることは知っているのに、時代のしるしは見ることができないのか。

●S氏から「新型インフルエンザは確実に襲ってくる。その防衛をせよ」とアドバイスのメールをいただく。その防衛方法を転写させていただく。

(以下S氏のメールの一部)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それで、個人の対策を下記します。

新型インフルの死者が出始めたら、外出を絶対にしない

そのために、水と非常食を8週間分確保する。

 

水道関係の人が死に始めると、水が出なくなる。

運転手が死に始めると、流通が止まる。スーパーに食糧がなくなる。

 

通常のインフルエンザワクチンを受ける

 

これを受けておくと、新型に襲われても、半分は生きる。マウスで実験済み。

 

新型インフル用のマスクをひとり20枚買う。

 

 

以上の3つは、個人が行う対策。

これが始めれば、日本の各地は阿鼻叫喚の修羅場となります。

火葬場は、死人であふれ、焼き場の人が死ぬので、誰も焼く人がいなくなり、

死体が腐乱して、散乱します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(S氏のメールの一部終わり)

●「新型インフルエンザの襲来は『時の徴』かもしれない。

●HPの使徒伝承に「人生を悔いる日」と「キリスト教が分かりにくい理由」の2論考(集会で配布したプリント)をアップした。アップしないうちは「胸のつかえ」があるようだったのですっきりした。

●14:50より昭和女子大講義2コマ。建築人生の経験を若き女性徒に話すのは楽しい。しかし体全体が私の話を聞いてくれている生徒、目を合わすとそらす生徒、眠っている生徒、など様々。私のオヤジギャクを笑ってくれた生徒には名簿に印をつけてあり、「目をかける」ことにしている。成績に反映させる!。なぜか。伸びる人だから。わたしとしてもむやみやたらにオヤジギャグを飛ばしはしない。相手の反応を見て人物判定をしているのだ。笑ってくれる人は伸びる。将来性がある。柔軟な心、豊かな人。相手を思いやることのできる立派な人。これに反して冷笑する人は「付き合いにくい」人だ。伸びない。仕事を頼まれない。雨の中に帰宅20:30●妻は「すずめの会」(集会の婦人たちの聖書勉強会)。今日は国立の清水望邸。その後新宿で月本昭男先生の旧約講義を聴講。帰宅21:30●嬉しい手紙を頂く。「今は高橋様のブログを拝見するのが楽しみな毎日です。・・・・・・・・高橋様のブログを拝見して勉強させて頂いております。○○○にも一読者がおります事お知らせいたします。・・・・・・・・」。私はこれを読んでガッツポーズ。感謝。私の苦難人生にも共感してくださっている。こういう方が私の「目的とするブログ読者」。人生の苦難共同体である。この方はすでに救われた。神に覚えられたという感じがする。教会員にならなくてもよい。洗礼、聖餐を受けずとも神ご自身がこの人をとらえられたと感じる。この方になお一層神の恵みが豊かに下り、ますます「心の目」(エペソ書1:18)が開かれますように祈る。聖句2か所を思う。

新共同 エペ 1:17-18
1:17 どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、
1:18 心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。

●このエペソ書著者の祈りは、私に手紙をくださったブログ応答者に対する私自身の祈りそのものである。

塚本訳 使  16:14
16:14 するとテアテラ町の紫毛織物の商人で、敬信家のルデヤという婦人が聞いていたが、主はその心を開いてパウロの話に耳を傾けさせられ
た。

●神がルデアの「心を開い」たのでパウロの話に耳を傾けるようになったのであってその逆ではない。これが神父、牧師、伝道者が間違えてはいけないことである。人は人を救うことはできない。心の目を開く「手術」は神だけにできることである。

●カトリック教会に行って物理的に教会員になり、洗礼聖餐などを受けるのは「カトリック信者」。プロテスタント教会に物理的に足を運んで行って「牧師の説教」を聞くのは「プロテスタント信者」。それに比べてその人の心に神が働いて私のブログをひそかに覗いているのは「覗き見信者」。人は「覗き見信者」でよい。物理的に集まらなくてよい。心で信じるのでよい。イエスの弟子になったザアカイは「覗き見」であった。次の通り。

塚本訳 ルカ 19:1-4
19:1 エリコに入って、(そこを)通っておられた。
19:2 すると、(町に)名をザアカイという人がいた。この人は税金取りの頭で、金持であった。
19:3 イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低いので、群衆のため見ることが出来なかった。
19:4 それで先の方に駈けていって、桑無花果の木に上った。そこを通られるところを見ようとしたのである。

 

 


 

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病や苦難には意味がある。 ++++++++ 所感

2008/12/08 07:00

081208(月)出勤日。毎夜鼻水と痰をぬぐうティッシュで紙袋が一杯になっていたが、昨夜はそれが半減した。快方に向かっている。入院は免れそうである。感謝●「病には意味がある」。人間は苦難や病気を通して、「人生何を第一にして生きるべきか」を自覚させられる。そのように促される。●ヒルティはそれを「溶鉱炉で滓が吹き払われる」ことだという。●私の場合は「人生の第4コーナー」を曲がってホームストレッチになった感じである。「残り時間が少ない」という感じ。「有体的復活の使徒伝承を告知する」ことを第一にして生きるべきことを促された感じ。聖句③つ。

塚本訳  使  26:16-18
26:16 さあ、起きて、『自分の足で立て。』わたしが(今)現われたのは、君を選んで、わたしを見たことと、(今からも)君に現われて示すこととの証人として、わたしに仕えさせるためである。
26:17 (かずかずの迫害や危険がのぞむが心配するな。)わたしは君をこの(イスラエルの)民(の手)から、また』異教人(の手)から』『(かならず)救い出してやる。』『彼らの中にわたしが君を遣わすのは、』
26:18 彼らの』目をあけて』彼らが『暗闇から光に、』悪魔の権力から神に帰るため、そうして彼らがわたしに対する信仰によって罪の赦しを得、きよめられた人たちの仲間に入れていただくためである』と。

塚本訳 Ⅰコリ15:3-5
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。

塚本訳  Ⅰコリ1:17-18
1:17 救世主がわたしをお遣わしになったのは、洗礼を授けさせるためでなく、福音を説かせるためなのだから。それも、言葉の上の知恵をもって(説くの)ではない。それでは(人間の言葉の力が大きくなり)、キリストの十字架(の救い)が空虚なものになる恐れがあるからである。
1:18 なぜか。この十字架についての言葉は、滅びゆく者には馬鹿なことであるが、わたし達救われる者には、神の力(の現われ)であるから。

●昼休みに銀座へ。聖書図書館、翻訳部の高橋裕子さんと懇親懇談。●教文館で佐竹明著「ヨハネの黙示録」上巻。を購入。ドイツのマイヤーの註解書に採用されたもの。世界最高の水準。●C・メラー著「魂への配慮の歴史」シリーズ第7巻。「正統派、敬虔派。啓蒙派も時代の牧会者たち1」を購入・このシリーズは独立学園の助川先生の推薦。

 

 

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主の勤めを果たす ++++++++ 所感

2008/12/07 20:27

081207(日)集会は高木、大山、高橋(キリスト教が分かりにくい理由)。生まれつきの人間はXYZの3次元の世界に生きているがキリスト信者はもう一つのW軸である霊の世界にも生きているから。3次元人間には理解されにくいのだと話した。咳き込まずに「主の勤め」を果たせたのは感謝。帰りに二人の方から今日の話のお礼を言われた。今日の話は後日HPの「使徒伝承」にアップする。●小寺夫妻と私たちとで昼食●妻はフォーレの「レクイエム」の練習。

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集会の帰途。紅葉のあきる野。2008.12.7.15:32

●図書館に行き、「森麻季」のCDを借りる。そのほか聴きたいものをカードに書き抜いた。

 

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夕暮れに富士が浮かぶ。日没。来世での有体的復活を思う。

●本日の集会感話ではY・J先生への手紙を引用した。その手紙の一部を次に掲げる。「キリスト教がわかりにくい理由」である。

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Y・J先生

 

このたびは御著○○をお送り頂き衷心より御礼申し上げます。早速一気に拝読させていただきました。

神とか福音を物理学者のお立場から「なんとかして」(1コリ922)御説明なさろうとされるその懸命のご努力に敬服いたします。それはパウロの心です。

 

口語訳 Ⅰコリ9:22

9:22 弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。すべての人に対しては、すべての人のようになった。なんとかして幾人かを救うためである。

 

塚本訳Ⅰコリ9:22

9:22 (信仰の)弱い者たちには弱くなった。弱い者たちを得るためである。わたしはこれらみんなのために、どんなものにでもなった。せめて幾人かだけでも救うためである。

 

しかしこのことがいかに困難なことであるかを、私は建築士の立場から図学的に考察しました。この世は縦、横、高さ(X,Y、Z)の3次元でできています。これが建築の世界でもあってこの原理が真理なので建物が物理的に建ちます。ところが神とか聖霊とか復活とかはこの3次元とは別に斜め上方から光が射し来ることなのです。しかもその光は3次元の座標軸を通るのです。これを第4の座標軸でW軸と言ってもよく、4次元と言えば4次元です。しかしこの第4の軸は3次元の座標では認識できないのです。見えず、聞こえずだからです。しかしその光に打たれた者、光を感じた人間は3次元空間の空間に戻って言語(ロゴス)で説明します。ここが3次元世界の人間に説明しようとしてもそれは不可能なことの原理的な理由と解します。

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あの人の心の目を開いてください ++++++++ 所感

2008/12/06 17:23

081206(土)8:15妻が池谷医院へ本日診療の予約をしに行ってくれる●12:30咳が止まらずひどいので再度診察。レントゲンを撮り、強い薬を出してもらったが、これで直らなければ入院と言われた●私は大病する癖のある人間だ●明日の感話の準備。「キリスト教が分かりにくい理由」。その副題は「あなたの御力によってあの人に霊を降し、心の目を開いてください」とした●来年の3月は母が逝って5年目である。あるとき「照男さん。キリスト教は難しい」と言った。そして肺がんになって最後の時、苦しんでいるのを見かねて「母さん、天国へ行けば楽になれるよ」と言ったところ、「照男さん。行って見てきたのですか」と真剣な目つきで聴かれた●母の為に祈りが足りなかったことが悔やまれて仕方がない。「あなたの御力によって母に霊を降し、心の目を開いてください」とひたすら祈り続ければ良かったのに、それが少なかった。慙愧に堪えない。

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病院の帰り。いつも訪れた林はすっかり葉を落としている。秋の林。私も「人生の秋」だ。冬まで生きられるのだろうか。 2008.12.6.13:34

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寝るのが恐怖 ++++++++ 所感

2008/12/05 07:19

081205(金)出勤日。昨夜も咳き込んで一時間ほど寝つけなかった。寝るのが恐怖である。加齢で風邪の直り方も遅くなった。●次回感話の骨子をまた変更した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

キリスト教が分かりにくい理由

神ご自身が教えて下さる

 

         東京聖書読者会 高橋照男 2008.12.7

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1・キリスト教はわかりにくいものである。その歴史的事実。

2・分からない原因は「聖霊」の存在。

   だから普通常識で分からなくて当然。

3・救いは神の一存。人間の側からの手だてはない。

4・しかし祈りで変更してくださる。

   補欠でもいいから入れていただきたい。

5・先に救われた者はキリストの患難の不足を補う。神に負わされる労苦。

6・どうかあの人の上に神の霊が降って「心の目」が開かれますように。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●職場の和田睦夫して過日の演奏会について懇親懇談。ブルックナーについて教えられた●13:00。三人で会議一時間。咳き込んで迷惑をかけた●なんとか夕方まで勤務

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キリスト教が分かりにくい理由 ++++++++ 所感

2008/12/04 07:21

081204(木)昨夜もひどく咳き込む。早く良くなりたい●朝の黙想。12月7日の感話。その骨子。①分からなくて当然のキリスト教。その歴史的事実。 ②キリスト教がわかりにくい理由は「聖霊」ということが鍵だから ③神が分かるとき。・・・神がわからせてくれる。神の主権、神の一存 ④人間の側から分かる道はないのか・・・本人の祈り、周囲の祈り ⑤神の主権が発動されるのはどういうときか●クリスチャンと自称する者の中に「有体的復活や処女降誕を信じない者」がいる。日本の牧師はゲルマン捕囚で、イエスの有体的復活を信じていない者が三分の一はいるという。福音が広まる「種」がないからいくら「伝道、伝道」と言っても無理。神が許さない●そういう連中は何に熱心になるかというと「この世の王国」が目的だから、社会改良に熱心。社会批判に熱心。マルキシズムと変わることはない。そんな「運動」は後継者が出ないということで一代で消滅する●また、「仲良しクラブとしての集会の維持継続に熱心」になる現象もある。仲良しの原因が「有体的復活や処女降誕」という使徒伝承に根拠をおいてないから、継続しない。神が許さない。老齢化と共に一代で消滅する。●次回感話の骨子をまとめる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

キリスト教が分かりにくい理由

神ご自身が教えて下さる

 

    東京聖書読者会 高橋照男 2008.12.7

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1・キリスト教はわかりにくいものである。

   その歴史的事実。

2・分からない原因は「聖霊」の存在。

   だから普通常識で分からなくて当然。

3・神と聖霊の実在は神ご自身が分からせて下さる。

4・神は救われるべき人を我々の心配の祈りの前に先刻  

   御存知である。

5・キリストの患難の不足を補う。キリストと共働。

6・神の霊が下りますように

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●ムラウチ、郵便局、図書館、コンビニでヨハネのコピー、薬局。あんまんを買ってきて妻と食べる●黒崎註解の引照打ち込み。●咳が止まらず、寝るとさらに激しくなるので寝るのが恐怖。祈る。

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「今年は楓がきれいよ」という妻の言葉に促されて撮影

2008.12.4 10:49

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どうだんツツジもきれいな色になった。2008.12.4 10:57

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あきる野の紅葉 2008.12.4 13:42

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神の主権と人間の祈り ++++++++ 所感

2008/12/03 08:27

081203(水)風邪は少しよくなる。この年齢になると風邪の回復も遅い●妻は「読書会」。当番なので資料作成。{Jバイブル」の使用法についてレクチャー。とにかく聖書の勉強は聖書pそれ自身が「王道」。〇〇先生で聖書を読むというのは良くないし、長続きしない。「聖書で聖書を」読むことをしなければならない。●次回の集会のテキストはヨハネ7:37-52「イエスと御霊」。これに関して「キリスト教はなぜわかりにくいのか」を中心に話す。●対象は宗教や信仰や宗教というものを全く頭から嫌う人、生活が乱れていて「聖」ということに本能的に恐怖を感じる人、すでにキリスト教以外に信じるもの(宗教、金、彼氏、彼女、勤務先、マルキシズム、人間、科学、健康、出世による地位、権力、などなど)を持っている人は相手にできない。それは「馬の耳に念仏」。徒労。●問題は現在の生活になにか満たされないものを感じて人生の「道」を探している人。真面目な求道者。●その人に向かって「聖霊が降らなければ神も救いも信仰もわからない」という突っぱね方でよいのだろうか。●また救いは神の側の「御意志」にかかる(たとえばヨハネ5:21)のだから人間の側ではどうしようもないと言ってこれまた冷たく突き放すのでよいのだろうか。

塚本訳 ヨハ 5:21
5:21 それは父上が(心のままに)死人を生き返らせて命を与えられるように、子も自分の欲する者に命を与えるからである。

●この救済論ないし聖書解釈でプロテスタント教会は多くの派に分かれる●神の主権でのみ人は救われるという面は多い。これ結論はカルヴァンの「予定説」に行きついて冷たい神学になる。無教会主義はこれに近い●一方、救いは人間の努力次第、伝道次第だとして盛んに「人間的活動」をするグループがある。それは「大挙伝道集会」となる。大音楽会となる。イベントをする。しかしこれも熱が冷めるとみんないなくなる。。●では聖書それ自身は何を言っているのか。人の救いは神の主権の一存によるが、その主権の発動は「祈りによって」動かされる。これが聖書の言うところである。。「神の主権と人間の祈り」この両面。これが人を救う。その根拠はたくさんある。●トイレの排水が詰まって、加藤さんに見てもらう。明日真空ポンプを買うことにした。医者に支払う金は惜しくないのに、建築修理にかかる費用は惜しいのはなぜだろう●妻は夫人の聖書勉強会(読書会)のために千駄ヶ谷。妻が当番。マタイ5章の「さいわいな人々」●妻はその後渋谷で映画「ベルリンフィル・・・・最高のハーモニーを求めて」を鑑賞。●終日「黒崎幸吉Web化の引照をインプット」次回の感話の準備にもなった。●夕食のとき妻から今日の報告。ベルリンフィルは若返ったという。

 

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人のことを悩むことが愛 ++++++++ 所感

2008/12/02 06:10

0811202(火)昨夜は医者の薬のおかげで少し楽になれた。「よいものは高い」。●人の救いもキリストの宝血という計りしれない高価なもので可能である。ヒューマニズムや社会改良で人間を救うことはできない。●朝の黙示。12月7日の感話の骨子「基督信者は悩む」①キリスト教はわかりにくい。説明できない わかってもらえない ②信者の肉親は救われるか 惨憺たる家族、みじめな精神状態を見ることの辛さ ③教派争い、信者同士のいがみあい 離反 ④負わされる十字架は重い・・・・・これらもろもろの深い悩みに答えるのは聖書そのもの。

●人の救いは全能の父なる神によれば絶対に可能。人間の側では「あなたにはできないことはありません」という芥子粒ほどの信仰でよい。

塚本訳 ヨハ 5:21
5:21 それは、父上が(心のままに)死人を生き返らせて命を与えられるように、子も自分の欲する者に命を与えるからである。

塚本訳 ルカ 17:6
17:6 主が言われた、「もしあなた達に芥子粒ほどでも信仰があれば、──(あなた達にはそれがないが、もしあれば)──この桑の木にむかい『抜けて海に植われ』と言っても、言うことを聞くであろう。

●信者は悩みがなくなることが人生の目的ではない。人のことを悩みつつ死ぬことがその人生目的である。


塚本訳 マタ 16:24-25
16:24 あとでイエスは弟子たちに言われた、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、自分の十字架を負い、それからわたしに従え。
16:25 (十字架を避けてこの世の)命を救おうと思う者は(永遠の)命を失い、わたしのために(この世の)命を失う者は、(永遠の)命を得るのだから。

●キリスト信者は信ずる喜び、救いの喜びとともに十字架を負う「仕事」「義務」「悩み」も課せられている。これがこの世への「愛」、家族への「愛」、隣人への「愛」だ。


塚本訳 コロ 1:24
1:24 今私は君達のために苦しむことを喜びとし、またキリスト・イエスの体なる教会のために私の体でキリストの患難の不足を補っている。


塚本訳 ピリ 1:29
1:29 君達はキリストのために──ただ彼を信ずるばかりでなく、また彼のために苦しむことをも恵まれたからである。

●14:50 昭和女子大講義2コマ。今日は演習。一人づつ添削するときの対話が楽しい。教育は一対一がベストだ。●授業後、数人の生徒に「課外授業。相性について。授業よりも熱心な反応があった。みんな「シアワセ」を望んでいる。●18:15学内の人見記念講で「ドレスデン聖十字架合唱団」のクリスマスコンサートを鑑賞。さすがバッハやモーツァルトが誉めた合唱団。派手でなく教会の雰囲気。ドイツのクリスマスの雰囲気に浸った。ソプラノ独唱の森麻季がすばらしくよかった。注目。トミ子の知人も一緒。森田、山本、牛腸夫妻。咳がおさまらず苦しい鑑賞。

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今年も昭和女子大にクリスマスツリーがともった。

2008.12.2 18:06

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コンサートの帰途、渋谷で「岡本太郎」の壁画を観る。

左から、森田、トミ子、山本。撮影は照男。 2008.12.4 20:51

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