to 日記と感想 2009年01月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171030(月)10:00 聖路加 桑本先生
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170824(木)12:10キララホールエントランスコンサート、マリンバ
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170813(日)10:30ナザレン教会浦和教会
    170813(日)14:00比企紀和君
    170812(土)14:00お江戸こらりあーず演奏会、文京シビックホール
    170809     TW誕生日
    170809(水)17:16初音吹奏楽、府中の森芸術劇場ドリームホール
    170808(火)0930池谷医院
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170708(土)14:00在宅医療説明会(キララホール)
    170707(金)10:00池谷医院
    170706      TM誕生日
    170702(日) 集会感話
    170701      TT誕生日
    170630(金)12:20キララホールエントランスコンサート
    170628      IY誕生日
    170627(火)11:00 能城牧師来訪
    170625)日)10:10トミ子集会感話
    170625(日)14:00茅ヶ崎金子邸
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール


神の存在証明はいかにしてなされるか ++++++++ 所感

2009/01/31 17:06

090131(土)6時起床●「黒崎幸吉新約聖書デジタル化プロジェクト」引照入力テトス。テトスには「健全な教え」ということが強調されている。当時は(も)不健全な教えが横行していたらしい。「黒崎の註解」は健全中の健全。牧師のバイブルとして有名。●明日の感話をまとめる。神の存在は大脳皮質では絶対にわからない。それは「心が開かれる」という不思議なことで分かるのである。その聖書の根拠は次の通り。

塚本訳 ルカ 24:31-32

24:31 (その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。

24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。

 

塚本訳 ルカ 24:45-46

24:45 それから聖書をわからせるために彼らの心を開いて

24:46 言われた、「救世主は苦しみをうけて、三日目に死人の中から復活する。

 

塚本訳 使  16:14

16:14 するとテアテラ町の紫毛織物の商人で、敬信家のルデヤという婦人が聞いていたが、主はその心を開いてパウロの話に耳を傾けさせられた。

●ではどうしたらその心が開かれるか。「周囲の祈り」。これがカトリックとプロテスタントの行き詰まりを突破する道。生まれながらの人は神がわからない。臨終のときカトリックは神父が「洗礼」を授けると必ず救われることになっている。それほど神父には権威がある。それが行われた例を私は3例知っている。プロテスタントは「本人の信仰」が条件。牧師はそれを本人との「対話で」吟味して洗礼を授ける。プロテスタントの牧師の洗礼に権威はあるか。それは有効なのか?。では無教会は?。無教会に洗礼なし聖餐なし。では不信者は救われないか。周囲の人々の祈りを神が聞きとって「立ち上がり」、直接その人の「心を開いて」下さることによって可能。新約聖書には「本人の信仰ではなく」周囲の人々、あるいは身内の人がイエスに救いを嘆願する例が非常に多い。それが正しい道であることを示している。その聖書の記事。

塚本訳 マタ 9:18-19

9:18 こう話しておられると、そこに一人の(礼拝堂の)役人が進み出て、しきりに願って言った、「わたしの娘がたったいま死にました。それでも、どうか行って、手をのせてやってください。そうすれば生き返りますから。」

9:19 イエスは立ち上がって彼について行かれた、弟子たちも一しょに。

 

 

塚本訳 マコ 9:21-25

9:21 イエスが父親に尋ねられた、「こうなってから、どのくらいになるか。」父親がこたえた、「子供の時からです。

9:22 霊はこの子を殺そうとして、幾たびか、火の中、水の中に投げ込みました。それでも、もしなんとかお出来になるなら、わたしども(親子)を不憫と思って、お助けください。

9:23 イエスは言われた、「もしお出来になるなら(と言うの)か。信ずる者にはなんでも出来る。」

 

塚本訳 ヨハ 4:46-47

4:46 それから、またガリラヤのカナに行かれた。そこは(前に)水を酒にされた所である。するとカペナウムに(ヘロデ・アンデパス)王の役人がいて、その息子が病気であった。

4:47 イエスがユダヤからガリラヤに来ておられると聞くと、イエスの所に行き、(カペナウムに)下ってきて息子を直してほしいと頼んだ。息子が死にそうだったのである。

 

resize0712.jpg 

冬枯れの樹。春の到来を待っている。

都立秋留台公園。2009.1.31 14:29

●妻は、過日のチェコ演奏旅行メンバーによる「写真交換会」(末広町)。鎌倉の方々3名等と再会。

使徒伝承 「黒崎幸吉著 注解新約聖書Web版」

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有体的復活は真理 ++++++++ 所感

2009/01/30 11:00

090130(木)4時半起床。今日は出勤日(週に「建設物価調査会」二回+昭和女子大一回)●一昨日「有体的復活の真理を想起します」というコメントをいただいた。●このとき私はホーと思った。そして返メール。「有体的復活を信じる人は私に対してやむにやまれずの連絡をくださるものです」と。この「やむにやまれず」の気持ちは「こらえきれずに」の気持ちに通じる。聖霊の促しなしにそれはできない。しかしそれは非常に少ない。「残りの者」である。北から南から全国からである。(無教会の)先生中心、教会(カトリックでもプロテスタントでも)中心、ブランド司祭牧師先生中心、東京中心、思想中心、学校中心(特に神学校)、コミュニティ中心ではない。●それはどちらかと言えば「地方」からのご連絡が多い。●全く利害関係のない方から「有体的復活」に対して「アーメン」のご連絡を複数いただくことには何よりもそれが真理であることの証明である。●東京には学問があっても「有体的復活」の信仰は少ない。東京はバビロン。そのビルは墓石。

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私の好きな女性のタイプ。嫌いなタイプ ++++++++ 所感

2009/01/29 06:23

090129(木)3時半目覚め、5時起床●朝の黙想「好きな女性のタイプ。嫌いなタイプ」●好きなタイプ。①信仰の深い人・・・天地宇宙の全能の生ける神とつながっていて、私のピンチの時に神を呼んでくれるから。②親切で優しい人・・・・神の愛の現れであるから。女性は美人になりたければ信仰をもてばよい③目の大きい人、・・・眼は心の窓であるから。・・・・これその後に妻から修正動議が出たので「目の澄んでいる人」に改める④罪を悔いている人・・・・神の祝福を受けているから。⑤音楽を好む人・・・天国には音楽がありそうだから●嫌いなタイプ。・・・・①学歴、地位、権力、財産、家柄家系ブランド品を好む人・・・・俗的でこの世的だから。神を信じてないから学歴地位権力に頼る。 ②冷たい人、口の悪い人、不親切な人、天下国家を批判する政治的な人・・・・・口が悪いのは心が悪いからである。ヒルティは平気で虫を殺すような女性のもとに育つ子供は不幸だと言っている。③だれでもがハッとするような「美人」・・・・大抵は「わがまま」であり、そういう女性を妻にすると男は振り回されて「自分を失う」。④罪の自覚がなく、常に自分を正当化する人、・・・創世記のイブがそうであった。⑤音楽がわからない人・・・・芸術が分からない人はつまらない●では理想的で完全な女性はいるか。いない。みんなボロボロで欠点だらけだ。かくいうこの私もだ。人間、この地上では完成しない。直らない。●しかし、キリストの十字架の血潮で罪が贖われ清められると人間は完全になる。そして来世ではその完全な姿で「有体的に復活できる」。「完成する」。これ永遠の命だ。●もし来世で会えるなら会ってみたいなーと思う女性は英国の女流詩人クリスチナ・ロゼッティである。彼女は幼いころから胸を病んだ。熱心な英国国教会の信者。婚約者がカトリックに帰依したとき、結婚を断念する。1894年没。彼女の「信仰詩集」は私の宝物。私の家が火災になったとき、灰の中から第一に取り出した。●ヒルティは来世で会えるとしたら「妻にのみ会いたい」と言っている。スイスのベルンにあるヒルティの墓を訪ねた時、夫人のヨハンナ・ヒルティと共に病弱でヒルティの悩みの種であった息子エドガー・ヒルティーの名前が一緒に刻まれてあるのを見て胸が詰まった。この時ヒルティーが「眠られぬ夜のために」を書いた意味が「読めた」。●時間があれば「イエスの怒り」「イエスの嘆き」「イエスの憤り」というキーワードで聖書の箇所を集めてみたい。人間は「怒り、嘆き、憤る」ときに心の真実が吐露されて、真理が伝達できるのだ。●2月1日の集会の感話を準備。「霊とは何か」。この質問は大脳皮質によるアプローチではわからない。霊のことは霊でのみ分かる。それは神が心を開いてくださるときに分かる。これが結論。聖書的根拠は次の通り。

塚本訳 Ⅰコリ2:14
2:14 しかし(御霊を持たない)生まれながらの人間は、神の霊から出てくることを受け入れない。彼にはそれが馬鹿なことなのである。またそれを理解することも出来ない。(霊のことは)霊的に判断されねばならないからである。


塚本訳ヨハ 3:5
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。


塚本訳ルカ 24:31-32
24:31 (その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。
24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。


塚本訳 ルカ 24:45-46
24:45 それから聖書をわからせるために彼らの心を開いて
24:46 言われた、「救世主は苦しみをうけて、三日目に死人の中から復活する。

●妻がかなり大変な検査を受ける日。「何かあったら迎えに来てください」と言って出かけた。後姿をじっと見送った。●「黒崎幸吉註解引照入力」ユダ。●17:00東秋留の駅で妻を出迎え。「何でもなかったわよ」と言って帰って来た。感謝。「何でもなかったわよ」と言えない日が来るのか。●17:00 歯科

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お金にならない労働もしろ ++++++++ 所感

2009/01/28 13:11

090128(水)5時起床●「黒崎幸吉新訳聖書注解デジタル化」引照入力、第3ヨハネ。午前中で終了●作業中に次の聖句にぶつかった。

新共同 使  20:34-35
20:34 ご存じのとおり、わたしはこの手で、わたし自身の生活のためにも、共にいた人々のためにも働いたのです。
20:35 あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。」


塚本訳 使  20:34-35
20:34 この二つの手が、わたしの必要のためにも、わたしと一緒にいる者たちのためにも働いたことは、あなた達自身が知っている。
20:35 わたしはあらゆる機会にあなた達に例を示したのだから、あなた達も同じように一生懸命に働いて、経済的に恵まれない者たちを助けなさい。主イエス御自身が言われた、『与えるのは貰うより幸いである』という御言葉を忘れずに!」

●人間の労働はほとんどが自分のためである。しかしわずかでも全く報酬をうけないボランティア的な仕事をすると本業のためにもよい。精神衛生上よい。●お金にならない仕事と言っても趣味教養の遊びではない。なにか世のため人のための仕事である●現在やっている「黒崎幸吉新約聖書デジタル化」プロジェクトのスタッフは全員無報酬。これがまた自由で楽しい。なぜか。出来上がったものは販売しないので作る方も自由で楽である●福音の伝承もまったく「自由」の立場でなされなけばならない。●パウロも「人から食べさせてもらっていないという自負に強みがあった●教会史はこれ聖職者の保身の戦い。●昨日再び読んだ岩下壮一の「愛の要求としての教権」もつまるところ聖職者の存在意義弁護。決して使徒伝承の防衛という尊い話ではない。神がいます限り「使徒伝承」はさまざまの形でなされる。

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春の芽吹きを期待して、種を播く人。ミレーの「種を播く人」を想う。

2009.1.28 14:54

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器官は多いが体は一つ ++++++++ 所感

2009/01/27 08:39

090127(火)4時半起床。●昨日怪我をして帰った夜、妻が「神様、怪我をしてしまいました。今夜痛みが出ませんように」と祈ってくれたことにより聖書の次の言葉がひらめいた。

塚本訳 Ⅰコリ12:26
12:26 もし一つの器官が苦しみをうければ、(ほかの)すべての器官が一しょに苦しみ、もし一つの器官がとうとばれれば、(ほかの)すべての器官が一しょに喜ぶのである。

●人生のもろもろの事件はこれ聖書の深いところを教えてくれる。パウロのエクレシア論は第一コリント12:12-26において「人体とその器官との譬」であらわされている。これを文字や頭だけで読んでいてはわからない。実際に自分(というひとつの器官)が痛んだ時に他の器官が一緒にその痛みを感じてくれるという嬉しい不思議な体験に出あわないとこのエクレシア論の意味は読めない。

この箇所の関連聖句は次の通り。

新共同 Ⅰコリ12:14
12:14 体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。

新共同 Ⅰコリ12:20
12:20 だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。

塚本訳 ロマ 12:15
12:15 喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣け。

塚本訳 Ⅱコリ11:29
11:29 ああ、だれかが弱って、わたしが弱らないことがあるか、だれかが罪にいざなわれて、このわたしが(悲しみに)燃えないことがあるか。

塚本訳 ガラ 6:2
6:2 (互が)互の重荷を負え。そうすれば救世主の律法を成就することができる。

塚本訳 ヘブ 13:3
13:3 (主のための)囚人を、同囚人として記憶せよ。虐待されている人たち(のこと)を記憶せよ、あなた達自身も(なお)肉体においてあるのだから。

新共同 Ⅰペテ3:8
3:8 終わりに、皆心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、憐れみ深く、謙虚になりなさい。

塚本訳 ロマ 12:4-8
12:4 なぜなら、わたし達には一つの体に多くの器官があるが、すべての器官が同じ働きをしないと同様に、
12:5 わたし達(信者)も大勢が(全体としては)キリストにおいて一つの体であり、一つ一つとしては互が互の器官であ(って、互に補い合うからであ)る。
12:6 (すなわち)わたし達は与えられた恩恵(の分量と種類と)に応じて、(ひとりびとりが)ちがった賜物を持っているのだから、(たとえば、)預言(の力)を持っているなら、信仰の量に応じて預言せよ。
12:7 (貧しい人の救済その他の)職務を持っているなら、その職務に、教師なら教育に、
12:8 伝道なら伝道に、精を出せ。施す者は純粋に、世話をする者は熱心に、慈善を行う者は喜んで、しなければいけない。

●伊藤整形外科。右上腕と右肩の打撲傷であった。レントゲン、骨に異常なし。●14:30 昭和女子大、総務部の柳さんと懇談。昭和女子大の小中高の入学方法。●14:50 最終授業と試験問題提示●数人の生徒と、進路問題の相談。建築は目的でなく手段であることを話した●福祉の勉強のためにスウェーデンとデンマークに旅をするという生徒のKさんと懇談。「働かなくても食べていけるというのは真の福祉ではなく。労働は呼吸と同じで人間の本分だ。ヒルティの『幸福論』はそれを言っている。間違った福祉は人間に生きがいを失わせる。スウェーデンは自殺率が高いことを研究してみなさい」とアドバイスした。●20:20帰宅

 


 

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ヘッドスライディング ++++++++ 所感

2009/01/26 10:58

090126(月)出勤日。3時半起床●冷水で洗顔し、気合を入れて「黒崎註解デジタル化プロジェクト」引照入力●「心の目が開く」という言葉はすばらしい。他人の苦労がわかるようになるのは、同じ境遇に陥ったときのことである。「子を持って知る親の恩」などがその代表的なもの●しかし聖書的に「心の目が開く」というのはイエスが神の子であるということがわかるときに使われる。これは神の主権により霊の働きで「心の目」が開けられるのである。

 塚本訳 ルカ24:45-47

"422445","それから聖書をわからせるために彼らの心を開いて"
"422446","言われた、「救世主は苦しみをうけて、三日目に死人の中から復活する。"
"422447","また罪を赦されるための悔改め(の福音)が、その名においてすべての国の人
に説かれる、エルサレムから始まって、と(聖書に)こう書いてある。"

 塚本訳 ルカ24:31-32

"422431","(その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)そ
の姿が見えなくなった。"
"422432","二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖
書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。"

塚本訳 使徒16:14

"441614","使徒 16:14","するとテアテラ町の紫毛織物の商人で、敬信家のルデヤという婦
人が聞いていたが、主はその心を開いてパウロの話に耳を傾けさせられた。"

●この「心の目」は人間の医学では開けられない。では魂の医者であるカトリックの祭司、プロテスタントの牧師、あるいは無教会の伝道者に可能か。出来ない。人間には絶対にできない。イエスが神の子であることの証明(証し)は人間にはできない。出来ると思うところに「職業としての聖職者」なるものが誕生する。誤り。どんなに優れた人物でもそれは不可能である。ルター、カルヴァン、ローマ法王、内村でも無理。出来るのは全能の神ご自身のみ。それは次のとおりである。

塚本訳 ヨハネ5:34

"430534","わたしは人間(ヨハネ)から証明してもらう必要はない。わたしがヨハネのことを言うのは、ただあなた達が(彼の証明によりわたしを信じて)救われるためである。"

●通勤途中、青信号が赤にならないうちに早く渡ろうと思って駆け出したとたんに躓いて見事なヘッドスライディング。メガネは飛び、手からは血が流れ、ズボンには穴が開く。みっともない格好になった。「だから言ったじゃないの」と叱られるのは必至なので悩んだ。●65歳。注意力のほかに運動神経も衰えてがっくり●勤務先のN嬢が包帯で傷の手当てをしてくれた。また話を聞きつけた人事のS嬢が席に来て「労災で病院を手配しましょうか」と言ってくれたが、それほどまでではなかったので丁重にお断りした。しかし隣席のY嬢が心配して「打ち身はあとが怖いですよ」と言う。皆さん優しい人ばかりでありがとうありがとう。これからは急がないでゆっくり歩きます。●建築士として思う。歩道に平板ブロックはよくない。微妙な段差が出来る。

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人間失格 ++++++++ 所感

2009/01/25 04:38

090125(日)3時起床。5時間熟睡は十分●冷水で洗顔、気合いを入れて、「黒崎幸吉新約聖書デジタル化」引照の入力●朝のひらめき「約束をスッポカス人間の心理」。今まで何人かに約束をスッポカされてその都度「煮え湯を飲まされた」。時間を守らない。送ると言って送らない(お金、モノ、情報)、情報ルートを無視して行動する。つまり顔を潰す。人の立場をなくす。・・・・・・などなどアノ人、コノ人の顔が浮かぶ。共通なのは自分の欲望を最優先にして、人の顔を潰すの心理である。●こういう人間は神の前などというのではなくまず社会的に制裁と断罪をされなければならない。事実それらの人間の家庭はめちゃくちゃである。身近な家人がその不誠実さを一番知っている。天罰である。それで、本人が気がつけばよいが、ほとんどの場合、気が付いていない。反省していない。●「忙しいから」「別の用事が先だから」という理由で人との約束を後回しにする人間は、神にも人にも誠実ではないから、「人間たること」をやめた方がよい。●なぜか。自分が最優先に思っているその「自己の欲望」を達成しようとする「忙しい」「別の仕事」は成功する見込みはないからである。人間関係がまずくなるから何をやってもうまくいかない。信用が失墜する。●そういう人間は私の周囲に3人もいる。どうも評判がよくない。彼らは「人間失格」だから早めに人生をやめた方が良い。生きていても栄えない。その忙しいとやらいうことはうまくいくはずはないからである。●契約行為は何種類かあるがその中で「請負契約」というのは「まだできあがらないものを約束して金銭授受が行われる。たとえば「建築工事請負契約」というのは建築が完成していないのに前払い金を頂くのである。人間どうしの約束である。建築を職業とする者は高い倫理性と誠実さがなければならない。それができない人は少なくとも建築を職業にはできない。否、人間社会で生きていてはいけない。●あの3人「生かしちゃーおけねー」。彼らはまず倫理性が問われる集団社会では生きていく資格がない。「生きるのをやめろ」周囲に迷惑をかけるだけだ●人物判定の方法は、その人物が誠実に約束を守るかどうかである。これはペーパーテストや面接試験では判定できない事柄である●「お祈りしています」と言ってしないのは約束を守っていないこと●私の知人で手紙の末尾に「お祈りしています」と書いた場合は投函するとき祈ったそうだ。●クリスチャンで約束を破ったり、「その時はお声をかけます」と言っておきながら声をかけなかった某教会の人、本を送ってくれると言っておきながらまだ送っくれない某集会の主宰者。あーいう人とは「主にある交わり」は決してできない。付き合うのはやめておこう。●かくいう私は「神の掟」(ヨハネ第一の手紙4章21節)に誠実か。自戒、反省。人の心を大切にしているか。誠実か。まずこの私が神に罪を赦していただかなければならない。あの3人よりも悪い人間だ。「人間失格」「クリスチャン失格」だ。●集会は長島、大山。横田。小寺夫妻とわたしたちで昼食●午後、黒崎註解の引照入力。ヨハネ書簡の著者はヨハネ福音書の著者とはなんとなく違う。またその執筆目的もグノーシス対策のほかに著者の属している集団の内部分裂を憂いているように感じる。これたはいずれも素人の「直観」。

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真剣勝負の会話 ++++++++ 所感

2009/01/24 09:46

090124(土)長文のメール●「癌の余命告知から死までの期間」というものは、人生真剣勝負の時である。なぜこうも癌による死亡が多くなったのか。思うにそれは人生の真剣勝負の会話をするようにその時間が備えられたのではあるまいか。●今や死因の筆頭は「癌」。その割合はまもなく50%になるだろう。なぜかくも癌の死が多くなったのだろう。思うにこれは神の御配慮で、「死ぬまでの猶予期間にじっくり神と来世のことを考えろ」ということではないだろうか。●私の母は5年前に肺癌で逝ったが、余命6か月と告知されてからの母との火花を散らすような真剣勝負の会話が今も忘れられない。●母(神を信じられないでいた。信者ではなかった)に病名は癌であることと余命は6か月であることを告知した。告知することは兄(信者ではない)に反対されていた。私はその反対を押し切って、背広にネクタイを絞めて居ずまいを正して言った。私「おばーちゃん(母のこと)。癌だそうだ。あと6か月と(主治医に)言われた」。すると母は私の目をじっと見て「照男さん。よく言ってくれました」というような顔をして動じなかった。私はこのとき「母は強い人だなー」と思ったものである。そして母のいつもの口調で「(次の仕事に)遅れるわよ。早く行きなさい」とせかすように言った。病室のドアーを閉めたとき私は一人で泣いたが、あのとき母も泣いていたのであろうか。●それ以後のある日の母との会話。その時はすでにホスピスであった。私「おばーちゃん。今の苦しみ(癌は肺から骨に転移。これは猛烈にに痛い)は来世にいけば楽になるよ」。母「照男さん。行って見てきたの?」と真剣な面持ち。私「そう信じているのだ」。母は冷やかに笑った。火花が散る真剣勝負の会話であった。●このときの母の質問でわたしの信仰が深まると同時に神を信じられないでいる人への姿勢も変わった。●このような時に「そう信じているんだ」ということでは迫力も説得力もない。あの時は「行って来て見たわけではないが、(霊で)体験したんだ」と言えばよかったなー、と今になって悔やむ。●しかし母とこういう会話をすること自体が神に備えられた「時」だったのだと考える。あの時の真剣勝負の会話はその後の私にとって実に有益であった。「見ないものを見たとは言えない。しかし体験により信じられた」というのは紛れもない真理だ。これは曲げられない。嘘ではない。否定できない。人が押しつぶすことはできない●最後までどうしても神を信じられないで逝った母は今頃はどこにいるのだろう。黄泉か、地獄か、天国か。まだ生きている私にとってはそれを知る由もないが、神の「覚え」、神の「御胸」のなかにあることは確かだ。聖書を読めば読むほどそう信じられる。なぜか。神は健康な羊99匹を残してでも、迷い出た(つまり神を信じられない)一匹の羊を探し出されるお方だからだ。神の子イエスは次のように言った。この「見つけ出すまでは」という言葉に感動する。

塚本訳 ルカ 15:4
15:4 「あなた達のうちのだれかが羊を百匹持っていて、その一匹がいなくなったとき、その人は九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を、見つけ出すまではさがし歩くのではないだろうか。

●「真剣勝負の会話」で忘れえぬこと。これは公表されていることである。

●大島智夫先生の御令兄(シベリヤ抑留でのあまりの過酷な労働で神も人も信じられなくなって別人のようになって帰還)が病で最期近い時、智夫先生は「兄さん。脳がやられて判断できなくなる前に読んでください」と言って塚本虎二著「放蕩息子とその父」を読むように勧められた。するとしばらくして「智夫には世話になった。俺は塚本虎二の最劣等の弟子だと認めてくれ」と手紙に言い残して召された。ドタンバでの回心。人間、死に直面すると何が起こるか分かない。どのような奇跡が起こるか分らない。これでよいのだ。これでよいのだ。

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小雪の舞う寒い日。奥多摩連山は白い。図書館、歯医者。 妻はこの寒い中を夕方からモーツァルト「レクイエム」の合唱練習に出かけた。

2009.1.24 15:15

 

 

 

 

使徒伝承 「黒崎幸吉著 注解新約聖書Web版」

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リフォームの美 ++++++++ 所感

2009/01/23 19:44

090123(金)黒崎幸吉新約聖書注解デジタル化プロジェクトの引照入力●昭和女子大論文テストの問題を作成し、急いで大学にメール●手紙原稿●東部図書館●歯医者●妻は自彊術(体操)●過日20日女子大で。ハウスメーカーのリフォーム部に就職が決まったという生徒を意識して次のように話した。「桂離宮はりふぃーむを重ねて行ってあんなに美しくなった」●人生も観られない人生がキリストの血潮で罪がすっかり清められると、味のある美しい人物になる●次回の感話は「霊とは何か」その結論は次の通り。みなヨハネ福音書だ。

塚本訳 ヨハ 4:24
4:24 神は霊である。だから礼拝者も霊と真理とをもって礼拝せねばならない。」


塚本訳ヨハ 6:63
6:63 霊が命を与える。肉はなんの役にも立たない。いまわたしがあなた達に話した言葉は、霊である。だから、命である。


塚本訳ヨハ 3:5
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。

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ネットエクレシア ++++++++ 所感

2009/01/22 12:08

090122(木)今日は特別出勤日●黒崎註解の入力作業。ネストレ引照●人間は古来物理的に集団を形成する。家、村、国家、企業、教会、集会・・・・これらは多くの場合血縁、金銭縁というこの世的なものである●ところが真理をそのつながりの原理とする場合は物理的集団を形成することはない。エクレシアは「主の霊」がつながりの原理である●現在作業中の「黒崎幸吉註解新約聖書デジタル化プロジェクト」は物理的には遠い、シドニー(責任者、まとめ役)と福島と東京で作業中である。そのつながりの原理は「主の霊」。金銭的つながりは全くなく、完成するものはこれまた無料公開である。●インターネットのおかげである。ほぼ30%進んだが、三人は今までその仕事のために一度も会ったことがない。●しかし「主の霊」による「祈り」でつながっている。途中で私に「癌」の疑いが持ちあがった時は「断食祈祷」をしてくださった。そのとき胸が熱くなって、このような気持で死ねれば死も楽だなーと思えた●祈りは離れたところからの祈りでも効き目があることを如実に知った●ネットエクレシアはある。理論ではなく実在としてある。●物理的に一ヶ所に集まる教会や集会にエクレシアがあるとは限らない。人いきれやいがみ合いのある信者集団にキリストの望むコイノニアがあるかどうかは分からない●15:00OECDが取りまとめるICP(建築費国際比較)の会議。20年間これに関わってきたがわたしとしては今日が最後。20年前にパリのOECD本部における会議に出席したことが思い出に残る。

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暗黒の地に光が照った。 ++++++++ 所感

2009/01/21 06:24

090121(水)3時半目覚め5時起床●朝の啓示「。暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った。」(イザ9:2口語)●人生って「何となくうまくいかないものだ」「一生懸命生きているつもりなのにうまくいかない」。なぜだろう。その人間の一生懸命という方法だけでは真の幸福が来ないのだ。●解決は、万策尽きたときに与えられる天からの「光」。それは「暗闇に輝く光」である。●人生はこの不思議なる光に遭遇しないと、人間的なあらゆる方法では「安らぎ」を得られない●その最たるものが家庭の建設である。これならうまくいくかなー」と思って出発した結婚生活が、何がいけなかったのか残念ながら次々と破壊していく。至近弾が頻繁に落ちている●NHKの特集番組では、今や、米国の離婚率は5割。恋愛感情は2年で冷めるという。そしてその年数というのは生物学的には子供が乳離れするころと一致するという。すると次は家庭内別居から離婚。そして離婚のピークは結婚後4年だという。そして「恋愛感情というのは、人類が子孫を残そうとするためのある一時的な生物学的法則なのだ」とNHKは言う。暗い。それは生物学的唯物的法則に納得し自らを慰めているだけ。NHKに救いなし。マスコミに救いなし。●では結婚とはこれでいいのかなー。そうだとすると長い結婚生活は地獄である。闇である。墓場である。死の谷である。「結婚は墓場である」とは真理である。●その離婚を食い止めるにはいかなる人間的手段、つまり経済、哲学、倫理、道徳、宗教、信仰、相性、血液型、恥、世間体でも支えきれない。これだけでは家庭は保持できない。人生そういうことになっている。だから離婚率が高くなっているのだ●「女の道は一本にござりまする。決して戻ってくるような恥をなさりますな」(篤姫の乳母の言葉)でも結婚生活は支えきれない。●そのドロドロの暗い家庭が救われるたのは、外部からの「光」。奇跡的な「光」。それが「福音」。

口語訳 イザ 9:1-3
9:1 しかし、苦しみにあった地にも、やみがなくなる。さきにはゼブルンの地、ナフタリの地にはずかしめを与えられたが、後には海に至る道、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤに光栄を与えられる。
9:2 暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た。
暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った。
9:3 あなたが国民を増し、その喜びを大きくされたので、彼らは刈入れ時に喜ぶように、獲物を分かつ時に楽しむように、あなたの前に喜んだ。

●この旧約の預言はイエスの到来で実現した。それが福音である。

塚本訳 マタ 4:15-17
4:15 『(ガリラヤの)湖に向かった、ゼブルン(族)の地とナフタリ(族)の地、ヨルダン川の向こう(のペレヤ)、異教人の(住む)ガリラヤ──
4:16 暗闇に住まう(これらの地方の)民は大いなる光を見、死の陰の地に住まうこの人々に光がのぼった、』
4:17 この時から、イエスは「悔改よ、天の国は近づいた」と言って、教えを説き始められた。

●この福音の光を浴びで人間は生物学的法則から解放され、生まれ変わる。人間でなくなる。天使のごとくなるのだ。

●次回の感話の一部。「イエスのことで意見が分かれた」(ヨハネ7:43)に思う。光であるイエスがこの世に到来したとき、人間の間では「蜂の巣をつついたようになった」。それはピンキリ。イエスの話に権威を感じたものから、殺そうと思ったものまで幅があった。なぜ殺そうと思う人間がでてきたのか。それは簡単である。自分にとってイエスの存在は「心の中で異物であり、邪魔であった」からである。イエスの存在によって「良心が痛む」のでなきものとしたかったのである。●だからクリスチャンは「遊び人」と一緒に生活(家庭、職場)してはいけない。イエスは言う。

塚本訳  ルカ 5:36-38
5:36 なお一つの譬を彼らに話された、「新しい着物を切って、古い着物に継ぎをする者はない。そんなことをすれば、新しい着物も疵ものになり、新しいのから切った継ぎも古いのにあわない。
5:37 また新しい酒を古い皮袋に入れる者はない。そんなことをすれば、新しい酒は皮袋を破って流れ出し、皮袋もだめになるであろう
5:38 新しい酒は新しい皮袋に入れねばならない。

●これが肉の関係(夫婦、親子、親族)であるときに「悲劇」となる。そういう場合は平和的に別れよとパウロは言う。無理があってはいけないという。ただしそれは片方が不信者の場合であって、不信者が信者との生活に「息苦しくなって」自ら離れていく場合である。遊び人は信者のストイックな生活に「息が詰まる」のである。

塚本訳 Ⅰコリ7:15
7:15 しかし不信者の夫(なり妻なり)が別れるなら、別れさせよ。こんな場合に、兄弟なり姉妹なり(つまり信者)は(結婚に奴隷として)束縛されてはいない。神は平和な生活へあなた達をお召しになったのである。(無理があるのは、御心ではない。)

●そしてパウロはいう。世の終わりが近いから「自分の幸福」を追求するなという。パウロは狂信的でなく常識家である。

塚本訳  Ⅰコリ7:26-3
7:26 それで、わたしの考えでは、患難が目の前に迫っているのだから、これがよろしい、すなわち人は現状維持がよろしい。
7:27 あなたはすでに妻に縛られているのか。解くことを求めるな。妻に結ばれていないのか。妻を求めるな。
7:28 しかしたといあなたが結婚したからとて、罪を犯したことにはならない。またたとえ処女が結婚しても、罪を犯したことにはならない。しかしこんな人たちは、肉体に苦しみがあるにちがいない。わたしはあなた達をそんな目に合わせたくないのである。
7:29 兄弟たちよ、わたしが言うのはこのことである。──時は迫った。(だから)今から後は、妻を持つ者は持っていない者のように
7:30 泣いている者は泣いていない者のように、喜んでいる者は喜んでいない者のように、(物を)買う者は(何も)持っていない者のように、
7:31 (つまり、)この世と交渉のある者は交渉がない者のように、しなくてはいけない。この世の姿は(じきに)消え去るのだから

●集会も同じ。「来るものを拒まず、去る者を追わず」がよい。去る者にはそれなりの個人的な「この世的遊びの!!」理由があるのだ。●長らく臥せておられた集会の青木満里子さん凱旋(召天)のニュース。2009年1月10日。ニュースは遅かったのだがこれでよいのだと思った。われらの国籍は天にあるからだ。いずれまたお会いできる●葬儀のやり方で本人が天国に行けるかどうかは関係ない。葬儀のやり方で本人が冥途に行けるけるかどうかが決まると思うのは異教思想。それは形式主義、行為主義。●葬儀は残された人の宗教観、人生観が現れる。宗教信仰の仲間を良くは思わないご家族からは「まともなご連絡」もないことはしばしば。これでいいのかなー。淋しいなー。●遺された人に信仰がない場合は亡くなった人の意思に関係ない方法で葬儀が行われる場合がある。「死人に口なし」だ.●いくら遺言で葬儀の方法を書いておいても御遺族がそれに従わないことがある。●だからクリスチャンは生きているうちにコイノニアの人に「お礼と感謝」を常に述べておかなければならない。死んでからでは遅い。自分の遺体がどのような形で埋葬されるか分からないからだ●長いこと集会の長老であられた方が、「いつの間にか」亡くなられていたことがあった。しばらくしてお悔やみに伺ったら夫人から一時間ばかり御主人の悪口を言われた。葬儀は御長男のご意向で「町内会」の方法で「済ませました」とのこと。おそらく仏式だったのだろう。アー。●13:30から18:30あきる野図書館で「モラビア兄弟団」読了。それから老年の生き方の本を読む。

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元気なうちは働け ++++++++ 所感

2009/01/20 14:46

090120(火)●定年後の生活について考察●人間は元気なうちは汗を流す労働をするようにできているらしい。賃金はそのときにいただけるだけのものでよい。老年になれば少なくなるのは仕方がない。●ヒルティは労働は人間としての分(要素)だと言っている。だから働かなくても食べていける年金生活などというのはヒルティには到底考えられないことなのだ●私の知っている人で年金伝道者とおぼしき人がいるが、全く力がない。ふにゃけている。現業で働いていた時の方が話にキレがあった。パンチがあった。年金生活で時間があるから聖書の勉強ができると思ったのだろうが逆であった。後退した。なぜか、聖書は時間と経済に余裕のある人にはその真理が開示されないものらしい。●聖書は「生活苦」の人によくわかるものだ。第一に年金をもらっている人が「幸いなるかな貧しきもの」の解説はできない。年金伝道者が、リストラの不安。派遣切りの不安におびえている人に向かって聖書の「経済の心配はするな」とは説けない●14:50 昭和女子大講義、二コマ。●一生徒「先生、どうしたら一級建築士に受かりますか」。私「建築士というのは法律の番人だ。だから国が最低でもこれだけのことは覚えていてほしいという問題きりでない。毎朝30分。過去の問題集をやり続け、出題の傾向を知って、800問マスターすれば受かる。」

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三男の恵(福島県、二本松市)が作った干し柿が送られてきた。私たちがⅠ1月に行った時に妻が皮向きを手伝った。とても美味しくできていた。

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聖書のマスターキーは「霊」 ++++++++ 所感

2009/01/19 11:44

090119(月)朝一番で「黒崎註解WEB」の入力。ヨハネの完成はもう少しだ●朝のひらめき。「神は霊である」(ヨハネ4:24)。これについて黙想●聖書理解の鍵は「霊」である。霊ということがわからないと聖書は全くわからない。大脳皮質による「勉強」ではわからない。新約聖書にはこの「霊」が与えられなければ何もわからないことがたくさん出てくる●これがわかればそれはどのドアーでも開けられる万能の鍵(マスターキーという)である●では、①その「霊」とは何か。②「どうしたらその霊をいただくことが出来るのか」●聖書にはありがたいことに「神は霊である」(ヨハ4:24)という概念規定がある。すると神がわかることが霊がわかることである。神がわかるのは霊をいただくという「体験」「経験」である。それが神と出会うということである。神に見出されるということである。神に拾われるということである。沈思黙考、机上で万巻の書籍、八百万の神を大脳皮質で探求しても見出せない。●ではその「体験」「経験」にはいかにして遭遇できるか。答えは簡単、「求めよさらば与えられん」である。●聖書の宗教は「体験宗教」「経験宗教」である。これ神の側jからすれば「啓示宗教」である。●生まれつきの人間はこの「霊」なるものに無関心であるが、人生の途上で「神=霊」に出会うとすべてを捨てて熱心になる。モーセ、イエス、パウロ、パスカル、シュヴァイツァー●塚本虎二先生も人生の途上で何度も「霊」による「啓示」の体験をされて、その都度信仰が高まり思想も飛躍された。①高等学校のとき牧師から「放蕩息子の譬え」を聞いて涙を流され、「なんだか神がいそうに思えた」。これ求道のはじまり。②東大の三四郎の池で本を読んでいると、神とキリストと自分が一直線の光の中にいるのを体験、このときあれほどわからなかった十字架がわかった。本格的にキリスト教に傾く。③関東大震災で夫人が家の下敷きで死なれて、呆然としているとき、天から「神は愛なり」という声(鼓膜の振動ではない)を聞いて、神の絶対的存在を体験。これが無教会主義の原点となる。④戦前、無教会で社会問題に挺身する人間が多くなるなかで、天から「お前は福音だけを説け」という声を聞いて、「愛国者の看板を降ろす」と宣言。以後社会問題はこれを相対化して一切かかわらなくなった。これを評して「塚本は神のものとカイザルのものとの区別をしなかった」という聖書の半可通が出てきた。「樹はその実によって知らるる」。信仰のみを説いた塚本門下から社会の中枢に入って根本に影響を与えた人物が多く出た。天下国家を非難する人が社会の根本に影響を与えたという例は少ない。なぜか。批判ばかりで十字架を負っていないから。⑤ご自分の生活が惨めなのを嘆いて、天国に行けば楽になると思っていたら、これも天から声が響いた。「NO!。天国も今と同じだ。人の下積みだ。人の足を洗うばかりの仕事だ」。これで開眼、天国は地上と地続きであると認識。人の上に立って権力を行使して「支配する」ことが幸福ではなく、涙の人と一緒に泣いて人の足を洗い、十字架を共に負うのが幸福だと認識。●人間はこのようにある宗教的体験をしないと神の存在はわからない。したがって「霊」がわからない。しかしその体験は人生における「痛み」「不幸」のときである。幸福感あふれるとき神は近づいてくださらない。だから山上の説教の冒頭に「幸いなるかな悲しむ者」「幸いなるかな、貧しき者」という言葉がある。あれは神の招きである。

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人にはできないことも、神にはできる ++++++++ 所感

2009/01/18 06:43

090118(日)●聖日の朝、次のようなありがたいメールをいただいた。わたし一人で隠しておくにはあまりに尊い内容なので、公開させていただく。ネットコイノニアのありがたさだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

高橋ご夫妻

 

 

主に在る交わり感謝です。

 

115日ブログにおける高橋兄コメントへの率直な感想。

 

 (以下引用始め)

 

●妻と夕食のときの会話「モーあの人に期待するのはやめましょう」。人生は嘆きの涙の谷。その涙が相手を赦すこと。天国で期待にこたえてもらおう。天国に宝を積もう。

 

(以上引用終り)

 

 ルカ18:1口語訳 また、イエスは失望せずに常に祈るべきことを、人々に譬で教えられた。

 

ルカ18:27口語訳 イエスは言われた、「人にはできない事も、神にはできる」。

 

 具体的にどのようなことかは皆目わかりませんが、失望しては、諦めてはいけません。この世において「人にはできない事も、神にはできる」。信じて、この世にある限り、この世において解決していただくように祈るべきです。信仰をもってする祈りは必ず聴かれます。この世において与えられているほんのわずかな時間は、「人にはできないが、神にはでくる」という偉大な真理を体験し、それをこの世に証しするためです。

 

 

 

主に在る兄弟より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●これに対する感謝御礼のメールを次のように打った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

貴兄の聖書の言葉にによる励ましにより、

次の箇所を思い出し新たな解釈をいただけました。主にありて感謝いたします。

 

塚本訳マタ 26:37

26:37 そしてペテロとゼベダイの子二人(だけ)を連れて(奥の方へ)ゆかれると、(急に)悲しみおののき始められた。

 

 ●神の子イエスにして「悲しみおののいた」・・・・同感、低い所にまで降ってくださった「人の子」

 

塚本訳マタ 26:38

26:38 それから彼らに言われる、「『心がめいって』『死にたいくらいだ。』ここをはなれずに、わたしと一しょに目を覚ましていてくれ。」

 

 ●神の子イエスにして「死んでしまいたい」などという弱音の時があった。「人の痛み」を分かってくださっている神の子のありがたさ。

 

塚本訳マタ 26:41

26:41 目を覚まして、誘惑に陥らないように祈っていなさい。心ははやっても、体が弱いのだから。」

 

 ●この誘惑とは、私が陥った(陥っている!!)ような「諦めよー」という人間的な思い。この世的な判断。

 

塚本訳ルカ 22:42-45

22:42 言われた、「お父様、お心ならば、どうかこの杯をわたしに差さないでください。しかし、わたしの願いでなく、お心が成りますように!」

22:43 そのとき天から一人の天使がイエスに現われて、力づけた。

22:44 イエスはもだえながら、死に物狂いに祈られた。汗が血のしたたるように(ポタポタ)地上に落ちた。

 

 ●人知を尽くしたと思う時、「モーだめだ。諦めよう」と思う時、「天使が現れて、力づけた」とは今回の貴兄の「励まし」

 ●この私は神の子イエスのようにもだえながら、死に物狂いに、汗が血のようにしたたるようになるまで祈っているか。反省、自戒。

 

 

塚本訳Ⅱコリ4:8

4:8 わたし達はあらゆることで悩まされる、しかし行き詰まらない。当惑する、しかし絶望しない。

 

 ●これの文語訳は

   「われら四方より患難を受くれども窮せず、爲ん方つくれども希望を失はず、」・・・人生ピンチの時の簡単な御言葉

 

塚本訳 Ⅰコリ15:58

15:58 だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ。骨折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから。

 

 ●「この悩み、骨折りは無駄には終わらない」というのも慰めだが、その前に祈りだ。

 

塚本訳 Ⅱコリ7:10

7:10 なぜなら、神の御心に沿った悲しみは、(人を)救いに入れる悔いのない悔改めをもたらすけれども、この世(的)の悲しみは、(絶望と)死をもたらすからである。

 

 ●何しろクリスチャンの辞書には「絶望」という文字はあってはならない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●感謝言い尽くせず、追伸で次のように打った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

追伸

(貴兄文章)

この世において「人にはできない事も、神にはできる」。信じて、この世にある限り、この世において解決していただくように祈るべきです。

(貴兄文章終り)

 

このルカ1827(塚本訳)は最後の最後のかすかなしかし最大の望み。また「この世にある限り、この世において解決していただく」とは開眼です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●集会は茂木、村上、望月。最後に松島省三、信子さんの御長男の松島武夫氏が御母堂信子さん召天の御挨拶があった。啓子夫人、長女の恵さんも来られた。●「黒崎註解」ヨハネのGoogleへのアップ。●妻はモーツァルトのレクイエムの練習

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人生の駆け込み寺 ++++++++ 所感

2009/01/17 18:46

090117(土)「黒崎註解デジタル化プロジェクト」引照入力ヨハネ21章。ヨハネの校閲をGoogleniアップ●黙想。「人生の駆け込み寺」はどこにあるか。悩み悲しみ淋しさの時の駆け込み寺はどこにあるか。普通は「遊び」「酒」「金」「異性」「家庭」「組織宗教」「教会」「仏門」である。しかしそのどれでも人間は満足いかない。人生を失敗する。失敗するとわかっていても行ってしまう人間の弱さ。失敗の人生。めちゃくちゃの人生、ドロドロの人生。見られない人生。取り返しのつかない人生になる。「永遠の生命という幸福」を得るには生命そのものに向かわなければならない。

塚本訳ヨハ 6:68
6:68 シモン・ペテロが答えた、「主よ、(あなたを離れて)だれの所に行きましょう。永遠の生命の言葉はあなただけがお持ちです(から)。

●愛子から今度は「中野」に転勤との知らせが入る。4月の入学にちょうどよいタイミングだ。●某氏から「栄転」の話。「おめでとうございます」と言った。彼はおそらく今までよりも3倍は働く。時間として3倍というのでなく、仕事の重圧が加わるからだ。経営者は失敗は許されない。 神の祝福と守りを祈る。神の助けなくして経営は順調にいかない。●17:00 図書館に「モラビア兄弟団」を読みに行く●コンビニで「ヨハネ書簡」の拡大コピー●夕食のときに、今度栄転されて経営者となった人と、その家庭に神の祝福があるように祈った。

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見苦しい死に方でよい ++++++++ 所感

2009/01/16 14:13

090116(金)5時起床、真っ先に「黒崎註解デジタル化」引照入力。ヨハネ21章●一昨日のブログ、「美しく死ぬということ」で「来世のよみがえりを固く信じて安らかに逝きたいものだ。美しくカッコよく逝きたいものだ。」と書いたら、主にある某氏から激烈な抗議メール。内容を要約すると「聖書に出てくる信仰の人は安らかに逝かなかった例が多い。信者は必ずしもこの世的な意味では安らかに逝かない。それでいいのではないか」●これに対して私は「大いに反省しました」と返礼。 主にある方からのご注意や批判は自らの信仰を高めていただけるので感謝。これだから心情をさらけ出す公開ブログはやめられない。●そこでこのことについてさらに黙想した●人間は誰でもマーマーの平均的な年齢で安らかに痛まずに、しかも「泣かれて惜しまれて」逝きたいものだ。これが自然の人生観であり、日本の医学の目指すところでもある。だから「大往生」という本がよく売れた。しかし、これは「この世本位」の人生観の結論である。人類始まって以来の宗教の結論である。しかしこれで人間は真に満足か。●ここにあるのは静寂、平安、悟り、落ち着き、諦念、であって、「喜び」というものがない。端的に言うと「暗い」。だから満足はない。そこへ今から約2000年前に人類に一筋の光が差し込んだ「永遠の生命!!」。イエスを神の子と信ずれば罪が赦され、清められて永遠の生命をいただける」。こんな驚天動地のヘンテコリンな信仰が誕生した。●そういうおかしなことを信じた人間は、周囲や身内兄弟子供たちからも変人と思われる。時には迫害される。嫌われる。煙たがられる。●私の場合、我が家が全焼したとき「高橋さん。日曜日にキリスト教の集会に出かけているときに火事になるなんて、神様信じていても御利益はありませんでしたねー」とか、我が家を憎く思っている人からはこの時とばかりに「反省したのか」とまで言われた。クソッ!●そうだ、公平に考えて、キリストを信じてもこの世的には何もよいことはない。では何が得か、何が信仰のメリットなのか。あまりない。物理的にはない。人格もよくならない!!。品格は今もってもとの木阿弥だ。●では何が与えられたか。それは「永遠の生命の希望」。「来世でのからだのよみがえりの希望」。●しかしその「希望」さえ奪われることがある。イエスは十字架で「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と希望すら失って苦悶のうちに死んだ。神の子イエスは父なる神がわからなくなった。神の顔が見えなくなった。この叫びは詩篇22篇の冒頭であって、最後は神への賛美で終わっているから、イエスは神を信頼していたのだというのは古来の説。最近はイエスはまったく文字通り神に絶望したのだという説がかなり多くて私もその方が聖書全体の脈絡からして素直に受け入れられる。つまりイエスは神によって殺されたのだ。捨てられたのだ。人類を救うために。●その火災の3ヵ月後にわたしは「脳内出血」で救急車で運ばれた。「苦悶」。ただうめくだけで祈りなど出来なかった。あとで聞くと車内で「死ぬのかよー。死ぬのかよー」と叫んでいたそうである。●あのとき、あのまま逝っていたら、私は苦悶の死に方、見苦しい死に方であった。普段信仰信仰といっている割には「かなりはしたなく、見苦しいではないか」と思われたはずだ●入院一ヶ月で回復。そのときわかったこと。「この肉の命は100%(99%ではない)神が完全に握っておられるのだ」と。私は全く神に「生かされた」。「命は神が付与するのである」ことを悟った●だから人間はどんなに見苦しく死んでもよいのだ●痴呆になって神も信仰もわからなくなってもよいのだ。救いは神が握っておられるのだ。●人は死に直面すると、聖書の深いところがわからされる。塚本先生が「福音書異同一覧」を作られたときの助手は若き「皆川とし子」さんであった。あまりに精緻な仕事で脳を酷使したために頭がおかしくなり、最後は神も信仰もわからなくなって召された。塚本先生は遺体の前で呆然。「自分の助手をしたばかりこうなってしまったのだ」と非常に嘆かれた。しかしそのとき、イエスの「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」(詩篇22篇冒頭)は文字通り神の顔が見えなくなり、信仰を失った人の見苦しい叫びであることに気がつかれた。●死に様と信仰の深さは関係ない。はしたなく、見苦しく、かっこ悪く死んでよいのだ。私も痴呆症になって神も信仰も無教会も(!)わからなくなって死んでもよいのだ。イエスさえ神が見えなくなったのだ。信仰を失ったのだ。 ●信仰の篤い方からの御忠告や批判は私自身の信仰が深まるが、わたしを憎く思っている人からの批判は蝮の毒であるから「人殺し」である。神よそのような人から私を守りたまえ。そのような人をわたしに近づけないで平安に過ごさせてください。否、彼らを赦してお救いください。

口語訳 マタ 12:34
12:34 まむしの子らよ。あなたがたは悪い者であるのに、どうして良いことを語ることができようか。おおよそ、心からあふれることを、口が語るものである。

口語訳 ロマ 3:13-14
3:13 彼らののどは、開いた墓であり、/彼らは、その舌で人を欺き、/彼らのくちびるには、まむしの毒があり、
3:14 彼らの口は、のろいと苦い言葉とで満ちている。

●17:30 荻窪の画廊で鈴木延子さん(わたしの親友であった故鈴木忠昭君夫人)の絵画個展を妻と観賞。終了後延子さんと妻と私の三人で会食しながら鈴木君の想い出を語りあって大笑い。もう7年になった。鈴木君亡きあと、その御母堂(姑)を長く看護された延子さんは偉い。立派。近頃あまり聞かない美談である。その御母堂も昨年9月に亡くなられた。「御苦労さまでした」と慰労の言葉をかけた。●イマドキの嫁は主人が亡くなると姑も舅も捨てて「わが道」を行く。事情も理由も理屈もあろうが、日本精神の美しさが失われつつある。あれでは一緒に連れて出て行った子供が良く育つわけはない。子は母の背中を見て育つのだから。

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救われる者は少なきか ++++++++ 所感

2009/01/15 20:52

090115(木)5時起床。冷水で顔を清めて「気合を入れ」黒崎註解デジタル化の引照入力5時間。ヨハネ20章。●共同作業者シドニーと福島にメール●その他の仕事をやってから、図書館に行って「モラビア兄弟団」を読む。●「救われる者は少ないか」という問題。少ないということはない。神は全人類が救われることを願っている。しかし人間の力で救われるのではなく、神の全権、神の主権で救われるのであるから、「救われる者は少なきか」という疑問が起こるのである●これに対してイエスはイエスともノーとも言わずに答えをいなす。なぜいなすか。人間の側の「祈り」「求め」「願い」を期待しているからである。●そういう態度になればあるいは神がその人に主権を発動して「救われるかもよ」というのである。この辺のむずかしい問題は次の箇所に出ている

塚本訳  ヨハ 14:22-24
14:22 イスカリオテでない方のユダが言う、「主よ、いったいどういうわけで、わたし達だけに御自分を現わし、この世(の人)にはそうしようとされないのですか。」
14:23 イエスは答えられた、「わたしを愛する者は、わたしの言葉を守る。するとわたしの父上はその人を愛され、わたし達は(父上もわたしも)、その人のところに行って、同居するであろう。
14:24 (しかし)わたしを愛しない者は、わたしの言葉を守らない。(だからわたしを見ることができない。)あなた達が(わたしから)聞く言葉はわたしの言葉ではない、わたしを遣わされた父上の言葉である。

●イエスの答えは大脳皮質を満足させない。しかしこれが本当の答えだ。「求めよさらば与えられん」の言葉は救いである。どんなにめちゃめちゃになった人生でもわずかの望みがあるという意味だからだ●イエスの十字架の血は過去の一切の罪を贖って、人間は完全に清められる。そして清い身体で有体的に復活させられ、永遠の命を与えられる●妻と夕食のときの会話「モーあの人に期待するのはやめましょう」。人生は嘆きの涙の谷。その涙が相手を赦すこと。天国で期待にこたえてもらおう。天国に宝を積もう。

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美しく死ぬということ ++++++++ 所感

2009/01/14 21:51

090114(水)10:00 品川区西五反田の桐ヶ谷斎場(よい設計)。仕事上の恩師である黒田隆氏夫人「黒田春」さんの葬儀。「神道式」。出棺のときの黒田隆氏の挨拶がよかった。「一生のうちで最初にして最後のオノロケを言います。臨終と病院からの報告で駆け付けてから、私が傍にいて息を引き取るまでの間の故人は実に安らかな顔であった」●黒田氏はこう言いたかったのであろう。「妻は私の前で実に美しく安らかに逝った」と。●私の最後もそうありたい。来世の体のよみがえりを固く信じて安らかに美しく死にたい●黒田氏は87歳。とっくに建築の現役を引退しているのに、氏に建築経済、建築積算、建築コストなどを学んだ者が集まった。●しかし夫人を亡くされた黒田氏は憔悴しきっておられた。私の顔を見るなり、「来てくれてありがとう。君の顔をみるとホッとするよ」と言われた。そして宗教の話を持ち出された●人間は死に直面すると神や宗教のことを考える。それが正道だ●参列された吉村達之助(元戸田建設)、岡野忠史(元建設工業経営研究会)と三人で喫茶店で懇談。●14:30池谷医院、定期検査と風邪の診断。この年齢になると風邪もなおりにくい。●11日の集会の帰途、YH夫人とMY夫人に「体が衰えた」と訴えると「何を言っているの。高橋さんは黄金の60代ですよ」と叱られた。

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黒田隆氏夫人黒田春葬儀。西五反田の桐ヶ谷斎場。右、黒田隆。左高橋照男

2009.1.14 9:56

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あきる野市庁舎6階から見たサンセット。わずかに富士が見える。私のサンセットの時期は神が握っておられるが、来世のよみがえりを固く信じて安らかに逝きたいものだ。美しくカッコよく逝きたいものだ。

2009.1.14 16:39

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どうしたら人を赦せるか ++++++++ 所感

2009/01/13 05:23

090113(火)起床してすぐ「黒崎註解デジタル化プロジェクト」引照入力作業。最近は朝風呂中止、新聞を読まない。テレビで見るのはニュースと、プロボクシング世界戦(ここに人生を学ぶ)。●イスラエルとガザ地区パレスチナの果てしなき争いのニュースに思う●人間は人間であるかぎり人を許せない。だから戦争は止まない●これ韓国人の日本人に対する「憎しみ」が消えないのに似ている●「親と子」「嫁と姑」「金を返さない人」「挨拶ができない人」「自分の子供の悪口を言った人」「自分を集団から追放しようとする人」・・・・などなど皆同じ根っこである●人を赦そうと思っても赦せないのが現実であって、ここに人生の「苦」がある。●ではどうしたら人を赦せるか。それは簡単である。人間が人間であることをやめることができる時である。生まれ直すことができる時である。●そんなバカなことができるか。豹の斑点が消えないように人間は「憎しみ」という斑点を消すことができない。そこで我々は「もがく」。ヒューマニズムの思想や運動に走る。けれども「許せない」。エジプトの政治的和平交渉が成功してもイスラエルとパレスチナ相互の憎しみは消えない。これが苦しい。しかしこの「相互的憎しみ」は「この私の問題でもある」。パウロは言う。

塚本訳  ロマ 7:24
7:24 なんとわたしはみじめな人間だろう!だれがこの死の体から、わたしを救い出してくれるのだろうか。

●この人類の叫びは神に聞き届けられて「救いの道」が完成した。人間は生まれ直すことができるのだと。イエスは次のように言う。

塚本訳  ヨハ 3:3-9
3:3 イエスが答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、(徴を見て信じたのではいけない。)人は新しく生まれなおさなければ、神の国にはいることは出来ない。」
3:4 ニコデモがイエスに言う、「(このように)年を取った者が、どうして生まれなおすことが出来ましょう。まさかもう一度母の胎内に入って、生まれなおすわけにゆかないではありませんか。」
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。
3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。
3:7 『あなた達は新しく生まれなおさねばならない』と言ったからとて、すこしも不思議がることはない。
3:8 風[プニューマ]は心のままに吹く。その音は聞えるが、どこから来てどこに行くか、あなたは知らない。霊[プニューマ]によって生れる者も皆、そのとおりである。」
3:9 ニコデモが言葉を返した、「(霊によって生まれるなどと、)そんなことがどうして出来ましょうか。」

●イエスはもっと分かりやすくも言う。次の譬だ。自分に借金をしている人間(それはお礼を言わず、挨拶もせず、返事もしない人間)を赦せという。

add 2 マタ 18:23-33
18:23 だから天の国は、王が家来たちとの貸し借りを清算しようとするのに似ている。
18:24 清算を始めると、(王に対し)一万タラント[三百億円]の借りのある家来がつれて来られた。
18:25 返すことができないので、主人は(その家来に、)自分も妻も子も持ち物も全部売って返すように命じた。
18:26 家来はひれ伏して、しきりに願った、『しばらく待ってください。全部お返ししますから。』
18:27 そこで主人は気の毒に思って、身柄をゆるした上、借金にまで棒を引いてやった。
18:28 ところがその家来は出ていって、自分に百デナリ[五万円]を借りているひとりの同僚に出合うと、これをつかまえ、喉頚をしめて、『借りているものを返せ』と言った。
18:29 同僚はひれ伏して、『ちょっと待ってくれ。返すから』と頼んだ。
18:30 しかし承知せず、(裁判官につれて)行って、負債を返すまで牢に入れた。
18:31 その人の同僚たちはこの出来事を見て非常に悲しみ、行って、出来事の一部始終を主人に報告した。
18:32 すると主人はその家来を呼び出して言う、『不埒な家来、あなたが頼んだから、わたしはあの負債に全部、棒を引いてやったのだ。
18:33 だからあなたもわたしに情をかけてもらったように、同僚に情をかけてやるべきではなかったのか。』

●しかしこれができないのだ。難しいのだ。人間である以上「絶対に」できないのだ。「本能的に」できないのだ。ではどうしたらできるか。神に罪を赦されるとき、たくまずして努力なしに憎い相手を赦せている自分を「発見する」。人間の栄光は上がらないが神の栄光が上がる。●イエス降誕の時天使は歌った。

塚本訳 ルカ 2:13-14
2:13 するとたちまち、おびただしい天使の群がその天使のところにあらわれて、神を讃美して言った、──
2:14 いと高き所にては神に栄光、地上にては(いまや)平安、御心にかなう人々にあり!

●この塚本訳の「あり!」は独特の訳語。「あれ!」(ほとんどがこの願望訳。ヒューマニズム的役)ではない。「あれ」なら人間の活動努力の要因が必要に思われる。平和は神の救いの業で開かれた。人間は「霊に生まれ変わる」ことで心に平安をいただけて対人関係に「平和」がくる。●しかし「言うは安く、行うは難し」●ではいつ実行できるか。神によってこの罪の肉体が死刑にされるとき、一粒の種が地に落ちるときに可能である。氏は罪を清める。すると実を結ぶ。

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女子大へ講義に出かけるとき、後を振り返ると奥多摩連山。

「行って来るぞ」  2009.1.13 11:25

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思いきり泣け。 ++++++++ 所感

2009/01/12 13:40

090112(月)成人の日。冷水で洗顔して気合いを入れて「黒崎註解デジタル化」引照入力ヨハネ18章。専心6時間。●モラビア派の研究中、チンチェンドルフは「逆境の育ち」であることを知った。生後6週間で父親が死に、母は再婚。天涯孤独になった。しかし母方の祖母がすばらしい人で彼を育てた。そしてキリスト教の歴史に大なる足跡を残した。●人間「望まない逆境に泣くとき」魂が清められる。人間が向上する。●思わぬ「逆境」に遭ったら「素直に泣けばよい」「思いきり泣けばよい」そのとき地上の塵が払われるのだ。「思わぬ良いもの」が与えられるのだ。同じ逆境の人を慰めることができるのだ。そういう「資格」が与えられるのだ。●英国の詩人クリスティナ・ロゼッティは胸を病んで若くして亡くなった。彼女の「信仰詩集」はわたしの「宝物」である。家屋が焼けたとき、灰燼の中から必死に探し出した。その詩の中の一節「いたましくひとりでお泣き。心を涙に浸して」の部分を読みたかったのだ。この詩集は現在書棚の最も大切な所に置いてある。古くなった。わたしの人生とともにあった。48年も前に購入したものだ。訳者は大原三八雄。この人も逆境の人、被爆者である。●人生「逆境」に遭わなければ人間は練られない。●「泣け、泣くんだ。思いきり泣くんだ」。「いたましく泣くんだ」。●神戸照子さんという方は、婚約者を戦争で亡くされた。塚本虎二先生のところに泣きに行くと、先生は「タオルでは足りない。毛布がぐしょぐしょになるまで泣きなさい」と言われた。この一言で人生立ち直り、YWCAに多大の貢献をされた。●その後あるとき婚約者が戦死したという南方の島を訪れ、海岸を行ったり来たりしてその名前を大声で呼んだという。●過日、神戸さんはその後どうしておられるか消息を調べたところ、すでに召されていた。アー人生は短い。そして涙の谷だ。●昨夜読んだ「出せなかったあの人への手紙」という手紙集に、胸打たれるものがあった。

「42歳のまま年をとらないお父さん。私は今年、お父さんより年上になってしまいました」(田辺光恵43歳)、

「新調の背広にネクタイ、洋一の成人式の写真を見てください。あなたに似た優しい男の子に育ちました」(三沢敦子45歳)・・・今日は成人式だ・・・・

「妻に似たまなざしの娘よ、その笑顔を絶やさないでおくれ」(佐藤義弘45歳)

「もっと話をすればよかった。いなくなっちゃうなんてズルイよ お姉ちゃん」(野田徹也15歳)

●人生はなぜ「涙の谷」なのか。それは地上の幸福以上の幸福があることを教えらえるためではあるまいか。その幸福とは「からだのよみがえり」「永遠の生命」

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秋川駅前の、イルミネーション 。これは喜びの美しさではない。永遠の生命の喜びの色ではない。

神なき人生はこのイルミネーションのように冷たく淋しい。図書館で「モラビア派」の本を読んだ帰り道。

2009.1.12 18:13

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真剣勝負の人生 ++++++++ 所感

2009/01/11 16:45

090111(日)4時半起床。今日は一番寒い日。冷水で洗面、気合いを入れて「黒崎註解デジタル化プロジェクトの引照入力」。●冷水で洗顔するとき、永平寺の僧侶を思った。彼らは厳寒のさなかに冷水で雑巾がけをする。また塚本虎二先生は毎朝冷水を頭からかぶって勉強を開始したというが、その気持ちがわかった。気合いを入れたのであろう。カトリックの修道僧は19時就寝、3時起床。人生「真剣勝負」のモードになる時は早起きして冷水をかぶるようだ。イエスも朝「山に上った」。●集会は藤巻、高木(ローズンゲン、アメリカのデモクラシー、オバマの就任演説の内容予想。移民の子であることをアッピールするのではないか)。山本(使徒)●帰宅してから「黒崎引照ヨハネ17章」を完成してシドニーと福島に送信。ヨハネはあと4章。自分に鞭を入れる●妻は東京発13:00のバスで郷里「いわき市」へ。渡辺房江先生の葬儀と母の見舞い。13日夜帰宅予定

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家の窓から新宿の超高層ビルが見える。冬は空気が澄んでいる。あそこまで35キロ。今日は聖日。

集会は都心。 集会というのは地方性がないといけないと思うのだが。都心に良いものなし。

   2009.1.11 6:51 

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集会からあきる野に戻るとこの景色。ほっとする。心安らぐ。人間は自然がなじむ

20089.1.11 14:05

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あきる野の夜。今夜は満月か。赤い大きな月が昇った。すごいなー。なぜあなに大きく見えるのだろう。

科学的理由ではなしに知りたい。  2009.1.11 17:09

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挨拶をするな ++++++++ 所感

2009/01/10 13:29

090110(土)黒崎註解デジタル化プロジェクト。私が一番遅れているので、冷水で洗面後、気合いを入れて一切の仕事を振り切って引照を入力。振り切ったもの。ブログ、メール、調べもの、CD、音楽番組。朝刊など。一心専心にやったのでヨハネ16章は午前中に完成。作業中に次の聖句が浮かんだ。

塚本訳 ルカ 10:4
10:4 (だからただ信仰で武装せよ。)財布も旅行袋も持ってゆかず、靴もはくな。だれにも道で挨拶をするな。

●これはイエスが弟子に「神の国」を宣教するときの心得として語った言葉である。今までこの「誰にも挨拶するな」の気持ちがわからなかったが、専心「黒崎プロジェクト」をやることによって今日わかった。極端な言葉あるが、真剣勝負の人生ではこうなるのだ。●だらしない生活をしている者が手紙の返事をしないのはこの「挨拶をするな」の精神tとは程遠い。それは「非礼」というものであり、彼の人生はうまくゆかない。失敗することは目に見えている。傲慢不遜、生意気人間の徴である。●ところが自分の商売金儲けではなく本当に尊い何事かに打ち込んでいて手紙での「挨拶」もろくろくできない人のことは「許せる」。しかしこの世に「ありがとう」の一言の連絡もできないほど時間のない人はいないとヒルティはいう。金儲けで忙しくて「お礼」の連絡すらもできない人は逆説的だが、その肝心の金儲けがうまくいかなくなる。なぜか。「感じの悪いやつ」と思われて、「人が離れる」からである。客がい安くなる。部下が離れる。そうなってからでは遅い。

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窓を開けるとこの美しい朝。時間が惜しかったが、表に出て撮影。讃美歌を思う。

2009.1.10 7:02

讃美歌29

1. ほのぼの のぼる あさひ に やみよ の かげ は きえぬ,

しゅ よ, いま みまえ に いでて みかお を あおぎ まつる.

2. みわたす たにま に, おか に よ の まく かかれる とき,

かがやく ひかり いで きて あした は ち に めさめぬ.

3. みざ より みそなわし つつ まよい の くも おをひらき,

むかし に まさる みめぐみ あらた に そそぎ たまえ.

4. うずもれ かくるる もの も しゅ は みな しり たまえ ば,

あした の そら に かがやく みことば よませ たまえ.

5. くらき の あと だ に あらぬ とこよ の あさ と ならば,

きよけき ひかり を あびて みまえ に ちかく はべらん.

●14:00妻とコンサート。「あきる野市若き音楽家フェスタ」キララホール。ソプラノの橋本美香がよかった。あきる野市に優秀な音楽家が出ていることはうれしい。●歯医者●妻は合唱団「もくせい」の練習。モーツァルトのレクイエム

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あきる野の夕暮れ。讃美歌90番を独唱した。

2009.1.10 17:03

  讃美歌90

1. ここ も かみ の みくに なれば,

   あめ つち, みうた を うたい かわし,

   いわ に, きぎ に, そら に, うみ に,

   たえなる みわざ ぞ, あらわれたる.

 2. ここ も かみ の みくに なれば,

   とり の ね, はな の か, しゅ を ば たたえ,

   あさひ, ゆうひ, はえ に はえて,

   そよ ふく かぜ さえ かみ を かたる.

 3. ここ も かみ の みくに なれば,

   よこしま しばし は とき を う とも,

   しゅ の みむね の やや に なりて,

   あめ つち つい に は ひとつ と ならん.

●私の目指すべきこと。「自己の罪や失敗で人生を悔やんでいる人」「死の恐怖におびえている人」。この人たちに「使徒伝承」を伝えたい。どんな過去の罪も失敗も赦される。キリストの血で贖われる。来世の有体的復活はある。永遠の生命はある。このことを一心不乱に伝えたい。それを行いつつ死ねれば本望だ。悔いは残らない。

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頭悪くても生きてゆける ++++++++ 所感

2009/01/09 11:10

090109(金)最近は「うっかり」や「物忘れ」が多くなって困る。昨日は図書館に行く途中のポストに入れるべき手紙を入れ忘れ、寒風の中をもう一度戻った。●小学生のとき算数が苦手であった私の子供の一人のこと。あるとき「算数できなくても生きてゆける!!」と絞りだすように泣いて言った。このとき私は「これは真理だ」と思った。●爾来30年、折にふれこの叫びが頭をよぎる。「人間、頭が悪くても生きてゆける。!!」●社会は頭脳の優れた人が偉くなったり、高い地位につき、そして収入も高い。そこで普通一般の女性は「東大卒・大蔵省(現財務省)勤務」の人間にあこがれる。しかしそれに目が眩んで結婚し、今頃になって「私は結婚に失敗したー、失敗したー」と嘆かれた女性を知っている。今からでは遅い。自分に目が無かったのだ。自業自得だ。●ところで「惚け」というのも年をとって頭が悪くなることの一つである。しかし思う。「人間、惚けても生きてゆける!!」●昨年の大晦日に95歳で召された松島信子さんは、その御晩年は少し「惚け」られた。しかし2-3年前のある日、お嫁さんの促しで電話の先で賛美歌461番「主われを愛す」を大声で歌ってくださった。しっかり歌われた。私はリフレインを唱和した●私自身の恐れは自分が惚けた場合、神もキリストも信仰も聖書も「からだのよみがえり」も!すっかりわからなくなってしまうのでないかということである。しかし思う。信仰は自分からのものではない。「主が強ければ」私の頭が弱くても、「恐れはあらじ」だ。信仰や救いは神からのものなのだ。「惚けたときは惚けたときだ」。神の真理は滅びない。主が強いからだ。

賛美歌461

1. しゅ われ を あいす, しゅ は つよければ,

   われ よわくとも おそれ は あらじ

(リフレイン).

  わが しゅ いえす, わが しゅ いえす,

   わが しゅ いえす, われ を あいす.

 2. わが つみ の ため さかえ を すてて,

   あめ より くだり じゅじか に つけり.

 3. みくに の かど を ひらきて われ を

   まねき たまえり, いさみて のぼらん.

 4. わが きみ いえす よ, われ を きよめて,

   よき はたらき を なさしめ たまえ.

●この賛美歌のリフレインは孫が覚えた。新年会の全員合唱のとき唱和した●20世紀最大の神学者といわれるバルトが米国に行ったとき米国の記者が「先生の著作は膨大ですが、それを一言でいうとどういうことですか」と尋ねた。この質問はすばらしい。バルトはしばらく考えていたが、この賛美歌の第一節であるとこれまたすばらしい答え方をした。 ●最も英語の賛美歌では一節の最後に「と聖書は書いてあります」とあるらしいのだが、私の手元にその賛美歌がなくなったので不明である。●そうだ。「惚けてしまって」、妻の顔も神もキリストも信仰もわからなくなっても「主が強ければ」それでよいのだ。「われ弱くとも」よいのだ。「恐れず」生き抜こう。

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どうしたら神が分かるか ++++++++ 所感

2009/01/08 14:03

090108(木)顔を洗って気合いを入れ、一切の誘惑(ブログ、メール、手紙、調べ物、建築、音楽)を振り切って「黒崎幸吉著新約聖書注解WEB化プロジェクト」の引照入力。6時間でヨハネ14章終了。「神の国と神の義を第一に求める」。すると就労したとき、メロディーは浮かぶが曲名がわからなかた曲の題名がポッとわかった。神の国を第一にしていれば良いことがある証明。●次回の感話は「霊」。この得体のしれない、大脳皮質ではわからない、学校で教えられないことをどうjとらえるか。●ヨハネ14章の引照をやっていてその答えが明快に与えられた。聖書は引照で読む以上に力になることはない。心一杯、胸一杯どぁる。ブルトマンの「ヨハネ」は以前に購入してあったが、今後もう読むことはあるまい。

塚本訳 使 19:2
19:2 「あなた達は信仰に入ったとき、聖霊を受けたか」とたずねると、「それどころか聖霊があることを聞いたことすらありません」とこたえた。

塚本訳 ヨハ 15:26
15:26 (また)わたしが父上のところからあなた達に遣わす弁護者、すなわち父上のところから出てくる真理の霊が来る時、それがわたしのことを(すべて)証明するであろう

塚本訳 ヨハ 16:13
16:13 真理の霊が来る時、彼があなた達を導いていっさいの真理を悟らせるであろう。(いっさいの真理というのは、わたしと同じく、)彼は自分勝手に話すのではなく、(父上から)聞いたことを話すからである。また将来起るべき(世の終りの)ことをあなた達に知らせるであろう。

塚本訳 Ⅰヨハ2:27
2:27 しかしあなた達は、キリストから戴いた油(すなわち聖霊)が留っているのだから、だれからも教えてもらう必要はない。彼の油が万事についてあなた達に教えるように、またそれはまことであって、嘘ではない。そしてその油があなた達に教えたとおり、(つねに)キリストに留っておれ。

塚本訳 Ⅰヨハ4:6
4:6 わたし達は神から(出たの)である。(だから)神を知っている者はわたし達の言うことを聞くが、神から出たのでない(この世の)者は、わたし達の言うことを聞かない。このことで、真理の霊と迷いの霊(との区別)をわたし達は知るのである。

塚本訳 Ⅰヨハ5:6
5:6 彼こそ水と血とを経て来られた方、イエス・キリストである。ただ水をもってばかりでなく、水をもってまた血をもって(、こられたのである)。(彼が受けられた洗礼の水と、十字架の上に流された血が、彼を神の子と証しするのである。)また御霊(弁護者)が(まことの)証しをする者である。御霊は真理であるからである

●人間が神を知る道は神の側からか、人間の側からかの果てしない議論は次の聖句で一発で分かる。 それは「愛」であるという。つまり、まずキリスト教や好きにならなければならない。自分を愛してくれる人が信じている宗教を自分も信じたいというのが自然の感情である。●「坊主温けりゃ袈裟まで憎い」という。●神を知らない人に信者は尊敬されなければはじまらない。(自戒)。教会、集会なた同じ。

塚本訳 ヨハ 14:22-23
14:22 イスカリオテでない方のユダが言う、「主よ、いったいどういうわけで、わたし達だけに御自分を現わし、この世(の人)にはそうしようとされないのですか。」
14:23 イエスは答えられた、「わたしを愛する者は、わたしの言葉を守る。するとわたしの父上はその人を愛され、わたし達は(父上もわたしも)、その人のところに行って、同居するであろう

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図書館に行く途中で。今日もきれいなあきる野の夕暮れ。

2009.1.8 16:41

 







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恐れずに説け ++++++++ 所感

2009/01/07 09:54

090107(水)朝のひらめき「恐れずに説け」。「隠れているものであらわえrないもんはない」「真理は真理自身の力で伝わる」。●私がキリスト教2000年、千古不易の真理である「からだのよみがえり、有体的復活」を言うとちんぷんかんぷんで「有体的復活は高橋の造語」だなどと極めて不信仰な「この世的人間」の攻撃にあう。表面はキリスト教的であるが中味はこの世のことで一杯の地獄の魂。●こういう批判に対してはイエスの「恐れずに説け」が慰めになる。次である。

塚本訳 マタ 10:26-33
10:26 だから彼らを恐れるな、(すべてはじきに明らかになるであろう。)覆われているものであらわされないものはなく、隠れているもので(人に)知られないものはないからである。
10:27 わたしが暗闇で(こっそり)話すことを、(大胆に)明るみで言え。耳うちされたことを屋根の上で宣伝せよ。
10:28 体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。
10:29 雀は二羽一アサリオン(三十円)で売っているではないか。しかしその一羽でも、あなた達の父上のお許しなしには地に落ちないのである。
10:30 ことにあなた達は、髪の毛までも一本一本数えられている。
10:31 だから恐れることはない。多くの雀よりもあなた達は大切である。
10:32 それだから(恐れずに説け。)だれでも人の前で(公然)わたしを(主と)告白するものを、わたしも(裁きの日に)、わたしの天の父上の前で(弟子として)認める。
10:33 しかしだれでも人の前でわたしを否定する者を、わたしも天の父上の前で否認するであろう。

●声だけで十分理解できる。引照は必要ない。心一杯胸一杯である。●私が「有体的復活」をいうと「わかる人」は「やむにやまえず」に「アーメン」と言ってくるから不思議。これ真理の証明。しかし数は少ない。少なくても真理は真理。アインシュタインの相対性原理が理解できたのは当初は世界で5人程度うぇあったという。「有体的復活にアーメンと言って来られた方はそれ以上であるから「よい」としなければならない。添えにしても古代教会からの「使徒伝承」である「有体的復活」、つまり「からだのよみがえり」を信じなくなったキリスト教とは何なのだろう。その現象だけを言う。組織維持、教会堂維持、趣味サークル、聖書の周辺の大脳皮質による勉強会、音楽団、先生の回顧集団、神学思想の一致集団(「神観」論争など。こういうのはすぐ斬り合いになって消滅する。「見て過ぎよ」ダンテ)、社会的罪悪の批判(これは無神論の共産党に任せよ)、天皇制批判(天皇も人間、彼の救いを祈れ)、そして教会批判、無教会批判(自戒。これをやっても不毛。あなたの顔少し崩れてているのではないですか、というようなもの)●「有体的復活」や「処女降誕」を信じていない人間に「告別式」をやる資格はない。そういう人の式は単なるお祭り。故人も行く所に行けないで浮かばれないからかわいそう●昨日初めて会った吉祥寺キリスト集会のベック氏と電話懇談。ベック氏の聖書読みの方法に関する本を注文した。ついでに、モラビア派、ピエティスムス、無教会、ローズンゲン、松島省三、松島信子、松島悌二氏について話す。そして純粋の信仰者はいつの時代も組織的教会者から迫害されるものだということで意見が一致。 ●黒崎註解は私の受け持ちの「引照入力が遅れている。完成の期日は私のスピード如何にかかっている。●各種仕事の時間の隙間に「黒崎引照入力」をやろうとすると「押せ押せ」になってついに一日中できない。そこで明日から、作業方針を変更、まず一日の朝の第一に「黒崎」を決まった時間だけやる。約3時間。それから、雑仕事を行う。仕事は仕事自身で重要度を比較させて何を先にやるべきかを決めよとはヒルティの助言。私にとって重要度とは「聖書」のことだ。聖書的には次だ。

新改訳 マタ 6:33
6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

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書館に行く途中で、西の空がきれいだ。すごいなー。生きてこのような美しい景色が見られるのはあと何年だろうか。NO!。復活だ。からだのよみがえり、永遠の生命だ。

詩   19:  1  口語

もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。

 

使徒伝承 「黒崎幸吉著 注解新約聖書Web版」

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お礼は神から貰え ++++++++ 所感

2009/01/06 09:06

090106(火)、本日伺う「松島信子葬儀」(吉祥寺キリスト集会)の案内書に「お花料は、ご辞退させていただきます」と書いてある。このことについて黙想。「お礼は人間からでなく神から貰え」●この精神の聖書的根拠をひらめくままにアップする。こういうひらめきは「コンコルダンス」では無理。意味の同じ所を引っ張ってくるのは「聖霊の働き」。

塚本訳  マタ 6:1-4
6:1 (しかし戒めだけでなく、行ないにおいても聖書学者、パリサイ人以上でなければならない。すなわち)見せびらかすために、人の見ている前で善行をしないように気をつけよ。そうでないと、あなた達の天の父上の所で褒美をいただくことはできない。
6:2 だからあなたが施しをする時には、偽善者のように、自分の前にラッパを吹きならして(吹聴して)はならない。彼らは人に褒められようとして、礼拝堂や町の中でそうするのである。アーメン、わたしは言う、彼らは(褒められたとき、)すでに褒美をもらっている。
6:3 あなたは施しをするときに、右の手のすることを左に悟られてはならない。
6:4 これは施しを隠しておくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう


塚本訳 マタ 6:5-6
6:5 また祈る時には、偽善者のようにしてはならない。彼らは人に見せようとして、礼拝堂や大通りの角に立って祈ることを好むのである。アーメン、わたしは言う、彼らは(褒められた時、)すでに褒美をもらっている。
6:6 あなたが祈る時には、『奥座敷に入り、部屋をしめきった上で、』隠れた所においでになるあなたの父上に『祈れ。』そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう


塚本訳 マタ 24:45-47
24:45 (旅行に出かける)主人が一人の僕を(えらんで)奉公人たちの上に立て、時間時間に食事を与えさせることにした場合に、いったいどんな僕が忠実で賢いのであろうか。
24:46 それは主人がかえって来たとき、言いつけられたとおりにしているところを見られる僕で、その僕こそ幸である
24:47 アーメン、わたしは言う、主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。


塚本訳 マタ 25:37-40
25:37 その時、正しい人たちは答える。『主よ、いつわたし達はあなたの空腹を見て食事を差し上げ、渇かれているのを見てお飲ませしましたか。
25:38 また、いつお宿がないのを見てお宿をし、裸でおられるのを見てお着せしましたか。
25:39 また、いつ御病気であり、牢に入っておられるのを見て、おたずねしましたか。』
25:40 すると王は答える、『アーメン、わたしは言う、わたしのいと小さいこの兄弟たちの一人にしたのは、わたしにしてくれたのと同じである。』


塚本訳  マタ 6:19-21
6:19 (このように、何事も天の父上相手でなければならない。たとえば)あなたたちは衣魚や虫が食い、また泥坊が忍び込んで盗むこの地上に宝を積まず、
6:20 衣魚も虫も食わない、また泥坊が忍び込むことも盗むこともない天に、宝を積んでおきなさい。(そうでないと、心が天に向かないであろう。)
6:21 宝のある所に、あなたの心もあるのだから。


塚本訳  Ⅰコリ15:55-58
15:55 『死よ、どこに、お前の勝利は。死よ、どこに、お前の剣は』。
15:56 ──死の剣は罪である、罪の力(の源)は律法である。──
15:57 しかし神に感謝あれ、勝利をわたし達の主イエス・キリストによってわたし達にお与えになる神に!
15:58 だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ。骨折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから

塚本訳  ルカ 16:25
16:25 しかしアブラハムは言った、『子よ、考えてごらん、あなたは生きていた時に善いものを貰い、ラザロは反対に悪いものを貰ったではないか。だから今ここで、彼は慰められ、あなたはもだえ苦しむのだ。

●お返しはしないということは信者の間ではなかば「常識」になっているが、この「常識」をこの世の人に適用してトンデモナイことになったことがある●最初の子供がうまれたとき、親戚から「お祝」をいただいたが、その親戚(キリスト教には無縁)にお返しをしなかったところ、非常に怒られたことがある。そしてあの二人(私たち夫婦のこと)はおかしい人間だといわれるようになった。●信者の間での「常識」をこの世の風習にドップリの人にあてはめるのは良くなかった。私も若かった。キリスト教人口の少ない日本では日本的常識で生き抜かなければならない。パウロは次のように言う。

口語訳 Ⅰコリ9:21-22
9:21 律法のない人には――わたしは神の律法の外にあるのではなく、キリストの律法の中にあるのだが――律法のない人のようになった。律法のない人を得るためである。
9:22 弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。すべての人に対しては、すべての人のようになった。なんとかして幾人かを救うためである。

塚本訳  ロマ 13:1-7
13:1 人は皆上に立つ(国家の)官憲に服従せねばならない。神からではない官憲はなく、現存の官憲は(ことごとく)神から任命されたものであるから。
13:2 従って官憲に反抗する者は、神の命令に違反する者である。違反する者は、自分で自分に(神の)裁きを招くであろう。(この世で罰を受けるばかりでなく、最後の日にも。)
13:3 役人が恐ろしいのは、善いことをする者でなく、悪いことをする者である。(だから)あなたは官憲を恐れたくなければ、善いことをせよ。そうすれば官憲から誉められる。
13:4 官憲はあなたの最善のためにつくす神の召使であるから。しかしもし悪事をすれば、恐れねばならない。見えのために剣をささげているのではないのだから。官憲は神の召使で、悪事を行う者に対して(神の)怒りをあらわす復讐者である。
13:5 だからかならず服従せねばならない。ただ怒りの(恐ろしさの)ためだけでなく、(それが信ずる者の義務であることを知っているあなた達は、自分の)良心のためにも。
13:6 それゆえに(同じ理由で、)あなた達は貢をも納めねばならない。官憲は神につかえる者であり、いま言った職務に全力をそそいでいるからである。
13:7 (彼らに対して、信ずる者には普通の人以上の、言わば借りがある。)すべての役人にこの借りを返しなさい。貢取りには貢を、官税取りには官税を、恐るべき者には恐れを、尊敬すべき者には尊敬を。

●信者はこの世の常識で生きる必要がある。神道の地鎮祭の時は私は参列して頭を下げる。その代り起工式をキリスト教式でやるときはみなさんに来ていただき、「キリストの父なる神」に頭を下げていただく。私はそうやってきた。式という式は「この世のこと」、所詮相対的なこと。そのことで信仰的に突っ張るのは意味がない。キリスト信者は非常識だと思われるだけである。●集会の故藤林益三先生はよく皇室の葬儀に出席されたが、「あれは天皇家の法事に呼ばれたのだから行くのだ」と言われていた。常識的であった。 ●13:00 吉祥寺キリスト集会での松島信子葬儀に妻と出席。95歳。故松島省三先生を生涯支えられた。私は1994年に新座市の松島省三邸を設計した。父上にひどく反抗されておられた御二男の悌二氏が人生半ばで見事な回心。その証言に心打たれた。御両親の祈りは聞かれた。●悌ニ氏の夫人真知子さんがこの集会で最初に受洗、続いて一人娘の梓さん(愛真高校卒業)、続いて悌二氏が信仰に入る。あれほどのワル(御自分の言葉・・・・喧嘩、万引き、酒、たばこ、麻雀、睡眠薬、補導、停学、退学、などなどの経歴)がかくも見事な変わり方をするとは、・・・・神生きたもうことの証明。救いの実証。万歳、万歳、ハレルヤ●「吉祥寺キリスト集会」と「ベックさん」のことは噂では耳にしていたが、初めて出会えてよかった。ほとんど無教会的である。●奏楽はヴァイオリン独奏でバッハのカンタータ156番「わが片足墓穴に入りぬ」から冒頭のシンフォニア(アリオーゾ)。これが良かった。●見事な回心をされた悌二氏としばし懇談。15年前にお会いした時に比べてすっかり目が穏やかになられで輝いておられた。その顔の輝きはキリストの輝きであられた。救われた人の顔であった。「吉祥寺キリスト集会とベック氏」の祈りの賜物だ。信子さんは内村鑑三と塚本虎二の弟子だが、その御子息の悌二氏は「吉祥寺キリスト集会」で救われ、この集会の熱心な信者になられ、御母堂信子さんの葬儀もこの集会でなさるようになった●帰途、私は天を仰ぐような気持ちになった。私たちの無教会集会は何をやっているのだろう。多くの人が教会や集会の世話になっている。

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吉祥寺キリスト集会でのベック氏(ドイツ人)。私は塚本虎二先生に学んだ無教会だと自己紹介すると驚かれ、、酒枝先生がこの「集会でお話し下さったことがあると言われた。 20089.1.6 14:34

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左、松島武夫(長男)。中、松島悌二(次男)、見事な回心の証しをされた。右、高橋照男。吉祥寺キリスト集会での松島信子葬儀で。  2009.1.6 14:39

●訃報。黒田春(黒田隆氏夫人)78歳。心不全。通夜1月13日18:00、告別式1月14日10:00.品川区桐ケ谷斎場。晩年多くのご病気を抱え御苦難であられたが、最後は御平安であられたという。式は神式。

 

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合う人と合わない人 ++++++++ 所感

2009/01/05 07:05

090105(月)出勤日、勤務先での最後の新年会(夕方)。●今朝の黙想、「会う人と合わない人がいる理由」●生きていく上で相性の良い人と悪い人がいるのは厳然たる事実であってこれいかんともしがたいことである。何か人間に負わされた宿命のような感じがする。悩みであり、苦難であり、災難でもある●相性の悪い人と同席した会議は2-3日気分が悪くてしょうがない。どんなに努力してもうまくいかない。血が騒ぐ。某氏に「高橋さんはあの人とは天敵の間柄のようですね」と言われたことがある。そうだ。あの人の顔を見るだけで血が騒ぐのである。●女子大の講義で「建築主と相性が良いと素晴らしい設計ができる」と講義している。そして血液型による相性を話すとみんなが真剣になって聞いている。そして結婚相手は「金持や地位やイケメンでなく心が楽な人が良い」と言っている。こんなことを講義する私は非常「勤」講師ではなく非j常「識」講師である●昨年は「血液型の本が売れたそうだが、それは人間関係に悩む人が多いからだと推測する。●しかし私に言わせれば血液型の悪い組み合わせというのはなく、相手によって「付き合い方を変えよ」ということなのである。A、B、AB、O型の人と、それぞれ付き合い方を変えれば「うまく、長続き」するのである。人間関係は「自分を捨てて柔軟になれ」という神の摂理なのかもしれない●だから「どうもあの人とはうまくいかない」と思ったら「自分が悪いのだ、自分に非があるのだ、自分のせいだ」などと自分を責めない方がよい。最も「自分に悪いことがある」場合も大ありのこともあるにはあるが。また、相手を責めてはいけない。相手も困っているのだ。相手によって柔軟に付き合い方を4通りの型にすればよい。四十ハ手までいかなくてよい●ちなみに私はO型で妻はAB型である。この組み合わせは、お互いにベタベタせずにサラッとしていれば「平和で楽」な生活ができる。●周囲の状況を見ていると「人間的ベタベタ」でスタートした結婚は意外に早く破綻する。子供がかわいそうである。逆に神第一による結婚は真のベタベタになって天国まで長続きする●過日、O型の夫人に、A型の御主人とのつき合い方を指南した。「あなたの場合は日本婦人の従順型ではなく、御主人を尻に敷け。その方がお互いが楽で平和に暮らせる」と。●各血液型の「付き合い方」は紙幅がないので書かない。個人的問い合わせには応じる。●ユダヤ人とサマリア人は犬猿の仲であった。しかしイエスは「よきサマリア人の話」(ルカ10:25-37)でいやなヤツをも「愛せ」と血が騒ぐような無理なことを言う。●キリストの血で生まれつきの血液を入れ替えられたクリスチャンには相性の悪い血液型はない。「キリストは我らの平和」(エペソ2:14)

新共同 エペ 2:14-16
2:14 実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、
2:15 規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、
2:16 十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。

●イスラエルとパレスチナの憎しみはなかなか消えない。今日も戦争のニュース。日本と韓国も同じ。しかしキリストの血によって「まず自分が罪赦され、然る後相手を赦す。」これが道である。いや不思議に赦せるようになっている奇跡を自分に見るであろう。●しかし教会史は憎しみの流血の歴史。これはどう考えたらよいのか。カトリックとプロテスタントは流血の歴史。●塚本先生は「カトリック教会とプロテスタント教会の溝より、プロテスタント教会と無教会との溝の方が深い」と言ってブルンナーをあわてさせた。しかしその無教会も集会ごと、先生ごと、個人ごとに憎しみやいがみ合いがあって、人間世界にはいつまでたっても平和はない。終末を願うようにさせられているのだろうか。然り。主よ来たりませ。

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最も大切なこと ++++++++ 所感

2009/01/04 08:10

090104(日)朝の黙想「最も大切なこと」●人間にとって最も大切なことは「満足感」「充実感」「喜び」である.●なぜ「最も大切なこと」なのか、それは「罪と死」という人間としての塗炭の苦しみからの救いが可能だからである。絶対に可能だからである。その救いが「満足感」「充実感」「喜び」となる●なぜ、絶対か。キリストの復活は霊体ではあるが歴史的事実だからである●「からだのよみがえり」の信仰もこのキリストの復活の歴史的事実の使徒伝承に土台を置いている。キリスト教は仏教と違い、「教え」ではない。歴史的事実に根拠がある。弥陀の本願への信仰ではない。●私の残りの時間は少ない。「最も大切なこと」を伝承しなければならない。それは死後の「永遠の生命」のことである。この理解が現世の生き方を規定する。パウロは次のように言う。●これを 聖書勉強の「三種の神器」で追及してみよう。●集会が冬休みなので、今日は妻と二人の家庭礼拝。以下を二人で朗読、45分かかった。パウロが傍に座っていてくれているようであった。Ⅱコリ11:2「気が変になったように言う」。Ⅱコリ12:11「わたしは愚かものになった」というパウロの気迫に圧倒される。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

①翻訳比較(Jバイブル)

塚本訳 Ⅰコリ15:3-6
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。
15:6 そのあと、一度に五百人以上の兄弟に御自分を現わされた。そのうちの多数の者はいまでも生きてい(て、わたしが嘘を言っていないことを証明してくれ)る。もっともすでに眠った者もあるにはある。
口語訳 Ⅰコリ15:3-6
15:3 わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、
15:4 そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、
15:5 ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである。
15:6 そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れた。その中にはすでに眠った者たちもいるが、大多数はいまなお生存している。

新改訳 Ⅰコリ15:3-6
15:3 私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
15:4 また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、
15:5 また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。
15:6 その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。

新共同 Ⅰコリ15:3-6
15:3 最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、
15:4 葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、
15:5 ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。
15:6 次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。 

文語訳 Ⅰコリ15:3-6
15:3 我が第一に汝らに傳へしは、我が受けし所にして、キリスト聖書に應じて我らの罪のために死に、
15:4 また葬られ、聖書に應じて三日めに甦へり、
15:5 ケパに現れ、後に十二弟子に現れ給ひし事なり。
15:6 次に五百人以上の兄弟に同時にあらはれ給へり。その中には既に眠りたる者もあれど、多くは今なお世にあり。

TEV Ⅰコリ15:3-6
15:3 I passed on to you what I received, which is of the greatest importance: that Christ died for our sins, as written in the Scriptures;
15:4 that he was buried and that he was raised to life three days later, as written in the Scriptures;
15:5 that he appeared to Peter and then to all twelve apostles.
15:6 Then he appeared to more than five hundred of his followers at once, most of whom are still alive, although some have died.

NKJV Ⅰコリ15:3-6
15:3 For I delivered to you first of all that which I also received: that Christ died for our sins according to the Scriptures,
15:4 and that He was buried, and that He rose again the third day according to the Scriptures,
15:5 and that He was seen by Cephas, then by the twelve.
15:6 After that He was seen by over five hundred brethren at once, of whom the greater part remain to the present, but some have fallen asleep.

 

②高橋照男のHPによるBbB(聖書で聖書を読む)

各国聖書引照編集

 

(独)NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 27版1993 の引照

新共同 マタ 16:21

16:21 このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。

 

新共同 使  12:17

12:17 ペトロは手で制して彼らを静かにさせ、主が牢から連れ出してくださった次第を説明し、「このことをヤコブと兄弟たちに伝えなさい」と言った。そして、そこを出てほかの所へ行った。

 

新共同 Ⅰコリ3:10

3:10 わたしは、神からいただいた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据えました。そして、他の人がその上に家を建てています。ただ、おのおの、どのように建てるかに注意すべきです。

 

新共同 Ⅱコリ11:5

11:5 あの大使徒たちと比べて、わたしは少しも引けは取らないと思う。

 

新共同 Ⅱコリ11:23

11:23 キリストに仕える者なのか。気が変になったように言いますが、わたしは彼ら以上にそうなのです。苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。

 

(英・米)THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE 1982 の引照

口語訳コリ1:23-24

1:23 しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、

1:24 召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神の力、神の知恵たるキリストなのである。

 

口語訳 Ⅰコリ2:2-7

2:2 なぜなら、わたしはイエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト以外のことは、あなたがたの間では何も知るまいと、決心したからである。

2:3 わたしがあなたがたの所に行った時には、弱くかつ恐れ、ひどく不安であった。

2:4 そして、わたしの言葉もわたしの宣教も、巧みな知恵の言葉によらないで、霊と力との証明によったのである。

2:5 それは、あなたがたの信仰が人の知恵によらないで、神の力によるものとなるためであった。

2:6 しかしわたしたちは、円熟している者の間では、知恵を語る。この知恵は、この世の者の知恵ではなく、この世の滅び行く支配者たちの知恵でもない。

2:7 むしろ、わたしたちが語るのは、隠された奥義としての神の知恵である。それは神が、わたしたちの受ける栄光のために、世の始まらぬ先から、あらかじめ定めておかれたものである。

 

口語訳 ガラ 1:6-12

1:6 あなたがたがこんなにも早く、あなたがたをキリストの恵みの内へお招きになったかたから離れて、違った福音に落ちていくことが、わたしには不思議でならない。

1:7 それは福音というべきものではなく、ただ、ある種の人々があなたがたをかき乱し、キリストの福音を曲げようとしているだけのことである。

1:8 しかし、たといわたしたちであろうと、天からの御使であろうと、わたしたちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その人はのろわるべきである。

1:9 わたしたちが前に言っておいたように、今わたしは重ねて言う。もしある人が、あなたがたの受けいれた福音に反することを宣べ伝えているなら、その人はのろわるべきである。

1:10 今わたしは、人に喜ばれようとしているのか、それとも、神に喜ばれようとしているのか。あるいは、人の歓心を買おうと努めているのか。もし、今もなお人の歓心を買おうとしているとすれば、わたしはキリストの僕ではあるまい。

1:11 兄弟たちよ。あなたがたに、はっきり言っておく。わたしが宣べ伝えた福音は人間によるものではない。

1:12 わたしは、それを人間から受けたのでも教えられたのでもなく、ただイエス・キリストの啓示によったのである。

 

 

口語訳 Ⅰテサ2:13

 

2:13 これらのことを考えて、わたしたちがまた絶えず神に感謝しているのは、あなたがたがわたしたちの説いた神の言を聞いた時に、それを人間の言葉としてではなく、神の言として――事実そのとおりであるが――受けいれてくれたことである。そして、この神の言は、信じるあなたがたのうちに働いているのである。

 

口語訳 ロマ 5:2

5:2 わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。

 

口語訳 Ⅱコリ1:24

1:24 わたしたちは、あなたがたの信仰を支配する者ではなく、あなたがたの喜びのために共に働いている者にすぎない。あなたがたは、信仰に堅く立っているからである。

 

口語訳 ロマ 1:16

1:16 わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。

 

口語訳 Ⅰコリ15:2

15:2 もしあなたがたが、いたずらに信じないで、わたしの宣べ伝えたとおりの言葉を固く守っておれば、この福音によって救われるのである。

 

口語訳 Ⅰコリ15:14

15:14 もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。

 

口語訳 Ⅱコリ6:1

6:1 わたしたちはまた、神と共に働く者として、あなたがたに勧める。神の恵みをいたずらに受けてはならない。

 

口語訳 ガラ 4:11

4:11 わたしは、あなたがたのために努力してきたことが、あるいは、むだになったのではないかと、あなたがたのことが心配でならない。

 

口語訳 Ⅱコリ5:21

5:21 神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである。

 

口語訳 ロマ 6:4

6:4 すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。

 

口語訳 Ⅰコリ15:16-21

15:16 もし死人がよみがえらないなら、キリストもよみがえらなかったであろう。

15:17 もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになろう。

15:18 そうだとすると、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのである。

15:19 もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる。

15:20 しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。

15:21 それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。

 

口語訳 Ⅱコリ11:5

11:5 事実、わたしは、あの大使徒たちにいささかも劣ってはいないと思う。

 

口語訳 Ⅱコリ12:11

12:11 わたしは愚か者となった。あなたがたが、むりにわたしをそうしてしまったのだ。実際は、あなたがたから推薦されるべきであった。というのは、たといわたしは取るに足りない者だとしても、あの大使徒たちにはなんら劣るところがないからである。

 

口語訳 ガラ 1:13

1:13 ユダヤ教を信じていたころのわたしの行動については、あなたがたはすでによく聞いている。すなわち、わたしは激しく神の教会を迫害し、また荒しまわっていた。

 

口語訳 ロマ 12:3

12:3 わたしは、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりびとりに言う。思うべき限度を越えて思いあがることなく、むしろ、神が各自に分け与えられた信仰の量りにしたがって、慎み深く思うべきである。

 

口語訳 Ⅱコリ3:5-6

3:5 もちろん、自分自身で事を定める力が自分にある、と言うのではない。わたしたちのこうした力は、神からきている。

3:6 神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされたのである。それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者である。文字は人を殺し、霊は人を生かす。

 

口語訳 ガラ 2:20

2:20 生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。

 

口語訳 ピリ 2:13

2:13 あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。

 

口語訳 ピリ 4:13

4:13 わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。

 

(日)新共同訳1987の引照

新共同 ガラ 1:11

1:11 兄弟たち、あなたがたにはっきり言います。わたしが告げ知らせた福音は、人によるものではありません。

 

新共同 ロマ 5:2

5:2 このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。

 

新共同 ロマ 11:20

11:20 そのとおりです。ユダヤ人は、不信仰のために折り取られましたが、あなたは信仰によって立っています。思い上がってはなりません。むしろ恐れなさい。

 

新共同 Ⅰコリ16:13

16:13 目を覚ましていなさい。信仰に基づいてしっかり立ちなさい。雄々しく強く生きなさい。

 

新共同 Ⅱコリ1:24

1:24 わたしたちは、あなたがたの信仰を支配するつもりはなく、むしろ、あなたがたの喜びのために協力する者です。あなたがたは信仰に基づいてしっかり立っているからです。

 

新共同 Ⅰペテ5:12

5:12 わたしは、忠実な兄弟と認めているシルワノによって、あなたがたにこのように短く手紙を書き、勧告をし、これこそ神のまことの恵みであることを証ししました。この恵みにしっかり踏みとどまりなさい。

 

新共同 ヘブ 4:14

4:14 さて、わたしたちには、もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているのですから、わたしたちの公に言い表している信仰をしっかり保とうではありませんか。

 

新共同 黙  3:11

3:11 わたしは、すぐに来る。あなたの栄冠をだれにも奪われないように、持っているものを固く守りなさい。

 

新共同 ガラ 3:4

3:4 あれほどのことを体験したのは、無駄だったのですか。無駄であったはずはないでしょうに……。

 

新共同 Ⅰコリ11:23

11:23 わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、

 

新共同 ガラ 1:4

1:4 キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです。

 

新共同 ヘブ 5:1-3

5:1 大祭司はすべて人間の中から選ばれ、罪のための供え物やいけにえを献げるよう、人々のために神に仕える職に任命されています。

5:2 大祭司は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な人、迷っている人を思いやることができるのです。

5:3 また、その弱さのゆえに、民のためだけでなく、自分自身のためにも、罪の贖いのために供え物を献げねばなりません。

 

新共同 Ⅰペテ2:24

2:24 そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。

 

新共同 Ⅰコリ15:18-20

15:18 そうだとすると、キリストを信じて眠りについた人々も滅んでしまったわけです。

15:19 この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です。

15:20 しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。

 

新共同 Ⅰコリ9:1

9:1 わたしは自由な者ではないか。使徒ではないか。わたしたちの主イエスを見たではないか。あなたがたは、主のためにわたしが働いて得た成果ではないか。

 

新共同 Ⅱコリ12:11

12:11 わたしは愚か者になってしまいました。あなたがたが無理にそうさせたのです。わたしが、あなたがたから推薦してもらうべきだったのです。わたしは、たとえ取るに足りない者だとしても、あの大使徒たちに比べて少しも引けは取らなかったからです。

 

新共同 エペ 3:8

3:8 この恵みは、聖なる者たちすべての中で最もつまらない者であるわたしに与えられました。わたしは、この恵みにより、キリストの計り知れない富について、異邦人に福音を告げ知らせており、

 

新共同 Ⅰテモ1:15

1:15 「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。

 

新共同 ロマ 12:3

12:3 わたしに与えられた恵みによって、あなたがた一人一人に言います。自分を過大に評価してはなりません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の度合いに応じて慎み深く評価すべきです。

 

新共同 Ⅱコリ11:23

11:23 キリストに仕える者なのか。気が変になったように言いますが、わたしは彼ら以上にそうなのです。苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。

 

新共同 コロ 1:29

1:29 このために、わたしは労苦しており、わたしの内に力強く働く、キリストの力によって闘っています。

 

新共同 Ⅰテサ5:12

5:12 兄弟たち、あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主に結ばれた者として導き戒めている人々を重んじ、

 

新共同 Ⅰテモ4:10

4:10 わたしたちが労苦し、奮闘するのは、すべての人、特に信じる人々の救い主である生ける神に希望を置いているからです。

 

新共同 Ⅰコリ3:6

3:6 わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。

 

新共同 Ⅱコリ3:5

3:5 もちろん、独りで何かできるなどと思う資格が、自分にあるということではありません。わたしたちの資格は神から与えられたものです。

 

新共同 ピリ 2:13

2:13 あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。

 

(仏)THE NEW JERUSALEM BIBLE 1985 の引照

口語訳 Ⅰテサ2:13

2:13 これらのことを考えて、わたしたちがまた絶えず神に感謝しているのは、あなたがたがわたしたちの説いた神の言を聞いた時に、それを人間の言葉としてではなく、神の言として――事実そのとおりであるが――受けいれてくれたことである。そして、この神の言は、信じるあなたがたのうちに働いているのである。

 

口語訳 Ⅰコリ11:2

11:2 あなたがたが、何かにつけわたしを覚えていて、あなたがたに伝えたとおりに言伝えを守っているので、わたしは満足に思う。

 

口語訳 Ⅰコリ11:23

11:23 わたしは、主から受けたことを、また、あなたがたに伝えたのである。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンをとり、

 

口語訳 ロマ 1:1

1:1 キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び別たれ、召されて使徒となったパウロから――

 

口語訳 エペ 3:8

3:8 すなわち、聖徒たちのうちで最も小さい者であるわたしにこの恵みが与えられたが、それは、キリストの無尽蔵の富を異邦人に宣べ伝え、

 

口語訳 Ⅰテモ1:15-16

1:15 「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった」という言葉は、確実で、そのまま受けいれるに足るものである。わたしは、その罪人のかしらなのである。

1:16 しかし、わたしがあわれみをこうむったのは、キリスト・イエスが、まずわたしに対して限りない寛容を示し、そして、わたしが今後、彼を信じて永遠のいのちを受ける者の模範となるためである。

 

口語訳 ガラ 1:13-14

1:13 ユダヤ教を信じていたころのわたしの行動については、あなたがたはすでによく聞いている。すなわち、わたしは激しく神の教会を迫害し、また荒しまわっていた。

1:14 そして、同国人の中でわたしと同年輩の多くの者にまさってユダヤ教に精進し、先祖たちの言伝えに対して、だれよりもはるかに熱心であった。

 

口語訳 Ⅱコリ11:23-24

11:23 彼らはキリストの僕なのか。わたしは気が狂ったようになって言う、わたしは彼ら以上にそうである。苦労したことはもっと多く、投獄されたことももっと多く、むち打たれたことは、はるかにおびただしく、死に面したこともしばしばあった。

11:24 ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、

 

③TSK(高橋照男のHPより)誘導

口語訳 Ⅰコリ11:23
11:23 わたしは、主から受けたことを、また、あなたがたに伝えたのである。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンをとり、


口語訳 ガラ 1:12
1:12 わたしは、それを人間から受けたのでも教えられたのでもなく、ただイエス・キリストの啓示によったのである。


口語訳 マタ 26:28
26:28 これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。


口語訳 ロマ 3:25
3:25 神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。それは神の義を示すためであった。すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、


口語訳 ロマ 4:25
4:25 主は、わたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるために、よみがえらされたのである。


口語訳 ガラ 1:4
1:4 キリストは、わたしたちの父なる神の御旨に従い、わたしたちを今の悪の世から救い出そうとして、ご自身をわたしたちの罪のためにささげられたのである。


口語訳 ヘブ 10:11
10:11 こうして、すべての祭司は立って日ごとに儀式を行い、たびたび同じようないけにえをささげるが、それらは決して罪を除き去ることはできない。


口語訳 Ⅰペテ2:24
2:24 さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。


口語訳 Ⅰヨハ2:2
2:2 彼は、わたしたちの罪のための、あがないの供え物である。ただ、わたしたちの罪のためばかりではなく、全世界の罪のためである。


口語訳 ルカ 24:27
24:27 こう言って、モーセやすべての預言者からはじめて、聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた。


口語訳 ルカ 24:46
24:46 言われた、「こう、しるしてある。キリストは苦しみを受けて、三日目に死人の中からよみがえる。


口語訳 使  3:18
3:18 神はあらゆる預言者の口をとおして、キリストの受難を予告しておられたが、それをこのように成就なさったのである。


口語訳 使  26:23
26:23 すなわち、キリストが苦難を受けること、また、死人の中から最初によみがえって、この国民と異邦人とに、光を宣べ伝えるに至ることを、あかししたのです」。

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どう祈るべきかわからないとき ++++++++ 所感

2009/01/03 18:01

090103(土)昨日は一家族、今日は三家族がいっぺんに帰って、「嵐のあとの静けさ」(ロッシーニ・ウィリアムテル序曲)になった。私の家を中心とする新年会は昨日で終わりとした。子供たちはそれぞれ「家」を構えたので「父の家を忘れて」歩むべきである。責任もそれぞれの家庭にある。人間は結婚して伴侶をいただけば精神的に独立して、親と子は別れる。 そしてお互いに親でもなく子でもない。

 新改訳 創  2:22-24
2:22 こうして神である主は、人から取ったあばら骨を、ひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて来られた。
2:23 すると人は言った。「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。」
2:24 それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。


新改訳 詩 45:10
45:10 娘よ。聞け。心して、耳を傾けよ。あなたの民と、あなたの父の家を忘れよ。

●これは「息子よ。聞け。」ということも同じである。私の子供たちは私と妻とを忘れなければならない。だから「イイ年」していつまでも生みの親を批判していたり親に甘えていたりする人間は精神的に「成長してない」。まだ一人前ではない。一人前でないだけでなく、周囲に不快感を与え、神の恐ろしい「裁き」が待っているようで不安である。

新改訳 出 20:12
20:12 あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。

●長い人生では人間関係に悩み、何をどうやってもうまくいかず、もがけばもがくほど深みにはまるような極度の苦しみに陥ることがある。そんな時は次の聖句が力になる。ロマ8:26は17年前に召された父から耳にタコができるくらいに聞かされたものであった。


塚本訳 ロマ 8:26
8:26 しかし(創造物やわたし達神の子が苦しんでいると)同じように、御霊も、弱いわたし達を助けてくださる。すなわち、(神のみ心にかなうには)どう何を祈るべきかわからないので、御霊自身が、無言の呻きをもって(わたし達の祈りを神に)執り成してくださるのである。

●神の子イエスも「どう祈るべきか」分からくなったことがあった。

塚本訳 ヨハ 12:27-28
12:27 今、わたしは胸がどきどきしてならない。ああ、なんと言っ(て祈っ)たらよいだろう。『お父様、この(試みの)時からわたしを救ってください』(と祈ろうか。)いやいや、わたしはこのため、この時のために(この世に)来たのだ。
12:28 『お父様、(どうかわたしを御心のままになさって、)あなたの御名の栄光をあらわしてください!』」すると天から声がひびいた、「わたしは(あなたの業で)すでに(わたしの)栄光をあらわした。(今)また(あなたの苦しみによって)栄光をあらわすであろう。」

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子どもや孫が12名帰った夕方の景色。富士が良く見える 2009.1.3 16:55

年賀状の返事と「郵パック」を送りに行く。





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最後の合同新年会 ++++++++ 所感

2009/01/02 08:39

090102(金)5時半起床。今日は14名が集まるので、朝からテーブルと椅子の用意をする。●会議でもそうだが、全員が都合のよい日を決定するのは至難の業である。それぞれの家庭のやむを得ない事情あるようになった。●カトリックが世界統一の方式をとるのは無理がある。各国民族で「しっくりする」キリスト教の形がある。●しかし「しっくり」を第一に大切にしてキリスト教の本質を逸脱するのは間違い。キリスト教の真理はもともと生まれつきの「肉の人間」にはしっくりいかないものである●「罪の赦しとからだのよみがえり」は使徒伝承の本質中の本質。これをしっくりいかないと言って「信じなくてもよい」となると、もはやキリスト教ではない。そういう人が幅をきかす集会は指導者が問題である。今日のキリストの集会は信仰抜きの仲良しクラブ、サークル、同窓会などに堕落している。●年賀状で最高のものは「有体的復活を信じます」と書いてこられた方のもの。こういう人が一人でもいるのば「からだのよみがえり」の真理証明である。●肉の血とキリストの血の濃さを考える。肉の兄弟関係は親が死ぬと疎遠になる。結び付けているものは生理的な血液であるから肉の血を分けた兄弟姉妹の縁は薄い。遺産問題でこじれると骨肉の争いになる。ところがキリストの血を分けた兄弟姉妹の関係は永遠に続く。しかし同じ信仰の先生だということのつながりは薄い。なぜか。「先生」といえども肉であるから。先生論ですぐ「神学論争」になる。

塚本訳  ヨハ 1:12-13
1:12 しかし受け入れた人々、すなわち、その名を(神の子であることを)信じた人には一人のこらず、神の子となる資格をお授けになった。
1:13 この人たちは、人間の血や、肉の欲望や、男の欲望によらず、神(の力)によって生まれたのである。

●ところがパウロは自分を「父」だという。その父は肉の父ではなく「福音によって生んだ霊の父」である。これが本当の父。パウロの「父親論」は次の通り。

新共同 Ⅰコリ4:15
4:15 キリストに導く養育係があなたがたに一万人いたとしても、父親が大勢いるわけではない。福音を通し、キリスト・イエスにおいてわたしがあなたがたをもうけたのです。

●ここに牧師伝道者の家庭の悲劇がある。「お父さんは俺よりも教会(集会)の人の方が好きなんだ」と肉の子供から不満が出る。これ牧師伝道者の避けられない「十字架」である。なぜか。妻子を捨てなければキリストに従えないからその道を歩んでいるのだから。家庭が犠牲になる。●その家庭の子供の救いは肉の父以外の霊の父が現れることによる。あるいは信者の伴侶が現れることである。そしてその出合いは奇跡的である。「福音を通しての父」「福音を通しての妻(夫)が現れる。その出会いは神の導きとしか考えられない「向こうから来る」ということが共通の不思議なことである。

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2009高橋家最後の合同新年会。Ⅰ4名(2名欠席)。子供4人がそれぞれよき伴侶を頂き、それぞれの家が独立。そこで高橋照男、トミ子のあきる野の家での合同の新年会は今回で終了。来年の正月からは自由に来たい人は来ていただきたいと挨拶。各家庭の上に末永く神の祝福がありますように。●司会は近藤恵(これで子供の司会は一巡)●開会の祈りを私が捧げる。最後の「このお祈りをイエス様のお名前によってお捧げいたします」を孫が唱和したのはうれしかった。●各家庭持ち寄りのもので食事●讃美歌461「主われを愛す」、405「神ともにいまして」、217番「あまつましみず」を守と愛子の伴奏で全員合唱。●恵の「福島弁あて」のクイズ。ねばす(くっつける)、いぐね(暴風林)、がおる(病気になる)、くろ(田んぼの土手)、ばっち(末っ子)。トミ子を除いてみんなほとんどわからなかった。●各自の年頭の抱負スピーチが興味深かった。●孫たち5人は休むことなく動き回る。

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風人と散歩。風人「お母さん病気なの」。私「神様がきっとなおしてくれるよ」。寒いので父親の恵がジャンバーを持って追いかけてきた。恵が風人を肩車して電車を見せると、電車の好きな風人は手を大きく振った。父親となった恵のこういう姿を見る日が来るとはなー。

使徒伝承 「黒崎幸吉著 注解新約聖書Web版」

 

    http://stonepillow.dee.cc/

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