to 日記と感想 2009年03月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170812(土)14:00お江戸こらりあーず演奏会、文京シビックホール
    170821(土)15:00お江戸コラリアーズ定期演奏会、文京公会堂
    170809     TW誕生日
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170708(土)14:00在宅医療説明会(キララホール)
    170707(金)10:00池谷医院
    170706      TM誕生日
    170702(日) 集会感話
    170701      TT誕生日
    170630(金)12:20キララホールエントランスコンサート
    170628      IY誕生日
    170627(火)11:00 能城牧師来訪
    170625)日)10:10トミ子集会感話
    170625(日)14:00茅ヶ崎金子邸
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール
    170610(土)14:00内村鑑三セミナー、立教大学12号館。矢田部、椚」山
    170609(金)   TS命日
    170608(木)12:15ボリショイ「白鳥の湖」、東京文化会館
    170707(水)10:00池谷医院
    170604(日)10:00集会感話、
    170604(日)16:30近藤恵邸起工式、福島市。
    170530(火)14:00田岡氏来訪
    170527(土)14:00今井館ピアノコンサート
    170521(日)14:00新宿フィル、ブラームス1番、レスピーギ「鳥」「ローマの松」。和田睦夫
    170425       TN)誕生日
    150420(木)09:30阿伎留センター泌尿器科)
    170416(日)14:00武蔵野室内合奏団、杉並公会堂(大坪満子)


神は人間の死を通して御自分を証明する ++++++++ 所感

2009/03/31 05:22

090331(火)退職後第一日目、3時半起床。●日野原重明著「60歳は2度目の成人式」を読書中。「人生60歳を過ぎたら下り坂ではなく登り坂と思え」とある。当面「黒崎幸吉新約聖書注解WEB化プロジェクト」という急な登り坂がある。人間、使命があるうちは死なないといわれている。感謝。●冷水で洗顔して「エペソ書3章の引照入力」●黙示により次回(4月5日)の感話のテーマがまた変わった。「神は人間の死を通して御自分を証明する」。・・・・①一粒の麦②キリストの苦しみの欠けたるを補う③信ずることだけでなく苦しむことをも賜る④凱旋行列に引きまわされる。さらしものにされる⑤生きるはキリスト、死ぬは益なり⑥十字架は栄光⑦百卒長の叫び「この人は本当に神の子であった」の意味・・・・これらを研究。●最近、主にある親が亡くなった結果、その子供が俄然信仰に目覚めた事を知ってこの黙示が与えられた。このように顕著な例は3度目である。神は人を死に至らしめて新しい生命を誕生させる。これ自然界の法則でもある。●福音は大所高所jから説いていては伝わらないようだ。●初代教会において信者が殺されれば殺されるほど新しい信者が生まれるという現象があって、そのことを指して「血は種子である」という言葉が生まれた●池谷医院、図書館●次回感話「キリスト信者が艱難に遭遇する理由・・・・神に似た者とされるため」をまとめ始める。●夕食に妻が退職祝といって鯛を出してくれた感謝。大きいので二人で一匹。

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退職祝と言って妻が鯛を焼いてくれた。大きいので二人で一匹。

2009.3.31 19:11

●私を癒す名曲。チャイコフスキー弦楽四重奏曲第一番第2楽章「アンダンテカンタービレ●5種類のCDを保有しているが、この曲はロシアとかスラブ系の楽団のものが心が沁みる。●演奏は次の▶ボタンをクリック。

Tchaikovsky:String Quartet No.1 in D major, Op11
2nd movement "Andante Cantabile"  

 

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●珍しいヴィオラ独奏のもの。

http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=YP82Bv9F7Yg

●次のサイトはヨーヨーマのチェロ。これはなかなかよい。心に沁みる。

http://www.youtube.com/watch?v=Rwgbczsgt3I&feature=related

●この曲が好きな理由。作曲者不明の「読み人知らずだから」。トルストイがこれを聴いて涙を流したというこの美しいメロディーは建築現場の左官職人が口づさんでいたものをチャイコフスキーが書きとめたもの。もともとは民謡らしい。同じような例ではピアノ協奏曲第一番の主旋律は橋のたもとで盲目の乞食が口ずさんでいたもの。名曲に「読み人知らず」がある。ドボルザークの「新世界」第2楽章の「家路」のメロディーも民謡である。●私の聖書の「読み」も読み人知らずでよいのだ。後世に名を残さなくてよいのだ。●夫が疲れていたら奥さんはこの曲を「アンタッテ、カンタンにくたビレる人なのね」と言ってCDを優しくかけてあげればよい。(おやじギャグ。自笑)

使徒伝承 「黒崎幸吉著 注解新約聖書Web版」

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最期の出勤日 ++++++++ 所感

2009/03/30 06:48

090330(月)5時半目覚め。最後の出勤日。讃美歌534番が聞こえてきて、胸が詰まった。定年の日を迎えられるとは、・・・・・・感謝、感謝。

讃美歌534番。

1. ほむ べき かな しゅ の みめぐみ,

   きょう まで たびじ をまもり たまえり.

 (Refrain)

   よろず の たみ よ, たたえ まつれ,

   "あがないぬし に みさかえ あれ," と.

 2. ほむ べき かな みな に よりて

   うくれば もの みな よからざる なし.

 3. ほむ べき かな しゅ の みな こそ

   いまわ の とき に も なぐさめ と なれ.

●家から駅に向かう時は上記讃美歌534番を歌った●電車の中で私の人生を支えてくださった「よき出会い」の方々が走馬灯のように浮かんで感謝で会った。人生は出会いである。●職場の主だった方々に最後の挨拶をして、昼前に職場を去った。総務部のIさんがエレベーターまで見送ってくれた。Iさんは10年前の入社のときも気を使ってくださった方。感謝。下りエレベータのボタンを押したときはなぜか涙が流れた。感謝の涙。●関連会社の「建設物価サービス」の新井社長に退職の挨拶。新井社長は私と同年。無教会や矢内原忠雄のことを御存知である。ご本人は「詩人」。●近くの公園で弁当。もう社員ではない。桜が7分咲きであった。さようなら建設物価調査会の皆さま。火災、脳内出血の時に支えていただき感謝です。●午後、あきる野に到着すると奥多摩連山が迎えてくれた。詩篇118篇が口に上った。

口語訳 詩  118:1
118:1 主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

●家に着くと妻が玄関で「お疲れ様でした」と迎えてくれた。感謝。なぜか疲れがどっと出て、しばらく横になった。

今日の写真。

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さようなら「㈶建設物価調査会」10年半をありがとうございました。私の苦難の日々を支えて下さいました。感謝。

2009.3.3011:36

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職場の小伝馬町交差点を振り返る。 2009.3.30 11:49

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近くの公園で弁当を開く。もう社員ではない。桜は7分咲きであった。 2009.3.30 12:31

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神田の駅から通勤コースを振り返る。この道は17年前に召された父が通勤で歩いた道でもある。父が「小西六」を退社したのはいつ頃だったかを歩きながら計算。それは56歳の頃で病気療養中の身であった。私が17歳の頃。それに比べて健康で退社出来る自分は感謝である。遠方は日本橋、その途中に「小西六」のあった室町がある。 2009.3.30 13:06

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あきる野に戻ると、奥多摩連山が迎えてくれた。勤務人生の終わり。なぜかどっと疲れが出た。家に着くと玄関で妻が「お疲れさまでした」と言ってくれた。感謝。 疲れたので横になる。 2009.3.30 14:46

●19:00 妻が退職祝に「すき焼き」を作ってくれた。今日までの長旅をお守りくださって感謝と祈り、二人で乾杯した。

●「私を癒す名曲」。パッヘルベルのカノン。●次の▶ボタンをクリックする。

Johann Pachelbel : Cannon in D  

 

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●弦楽合奏のよさが現れている名曲。15種類の演奏を保有。クリストファーホグウッド指揮+エンシェント室内管弦楽団のものは古楽器でとてもよい。パッヘルベルは1653年生まれだからバッハより前である。当然古楽器の時代であった。

●この曲の思い出。素晴らしい演奏のレコードを持っていたが火災で失った。子供たちのピアノ教師のKさんはヴァイオリニスト。国分寺の教会(連合設計社の吉田秀雄さんが設計)で演奏したのを聴きにいった事がある。ヴァイオリンが弾けたらこの曲をやりたかったのだが。・・・・

使徒伝承 「黒崎幸吉著 注解新約聖書Web版」

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「モーだめだ」と思うな ++++++++ 所感

2009/03/29 05:53

090329(日)5時半起床。●昨夜NHKTV21:00,脳治療最前線の番組を見た。私自身脳の病気をやったので関心がある。植物人間はモー反応しないと思われてきたが、それが脳へ様々な刺激を加えることで回復するようになったドキュメント4例。家族の懸命の看護、そしてわずかながらも反応するよになったときの家族と看護スタッフの「驚喜」の姿。●感想。僅かに反応するようになった夫の頭を抱えて涙する夫人、音楽の好きだっだ娘がキーボードでメロディーを弾いた時の父親の涙等が特に感動。●なぜ、結婚があるか、なぜ夫婦があるか、なぜ親子があるか。ヒルティは家庭というのは神の愛を学ぶ学校だという。然り。家庭内の不条理な苦難も悩みも涙もこれみんな神が御自分の愛の何であるかを学ばせる手段。神はそのために人を結婚させる。子供を与える。●御主人が反応を示した時の夫人の笑顔が天使のように美しかった。聖書の次の箇所を思い出した。

塚本訳 ルカ 15:23-24
15:23 それから肥えた小牛を引いてきて料理しなさい。みんなで食べてお祝いをしようではないか。
15:24 このわたしの息子は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。』そこで祝賀会が始まった。

塚本訳 ルカ 15:32
15:32 だが、喜び祝わずにはおられないではないか。このお前の弟は死んでいたのに生きかえり、いなくなっていたのに見つかったのだから。』」


塚本訳ルカ 15:10
15:10 わたしは言う、このように、一人の罪人が悔改めると、神の使たちに喜びがあるのである。」

●TVを見終わった感想。私の脳内出血は比較的軽かったこともあるが「それにしてもよく回復できなー」と思う。病院、家族に心より感謝。一時は子供から「お父さんはやっぱり話し方が少しおかしくなった」と言われたものだ。今の人生は恩赦の生活。●負けている野球を見ていて、9回ツーアウトになると私は「モーだめだ」と思うのだが、そんなとき妻は「まだまだ。これから」と言う。●信仰は女性だ。「あいつはモーだめだ。と思ってはいけない」。神はどんな奇跡をなさるかわからないのだ。自戒、自戒。●集会は藤巻、村上、横田●杉崎さん、小寺夫妻、トミ子と昼食。無教会の困難な現状について●キリスト教批判はすぐ「個人批判」になる。「ウチの教会はこれでいいのか」との議論は「ウチの牧師はこれでいいのか」となるから牧師という職能は気の毒だ。「汝ら教師となるな」の意味はこれである。裁きが下り易いからである。それでも牧師や伝道者に召された人は神に裁かれるのを覚悟で命がけでやらなければならない。

口語訳 ヤコ 3:1-2
3:1 わたしの兄弟たちよ。あなたがたのうち多くの者は、教師にならないがよい。わたしたち教師が、他の人たちよりも、もっときびしいさばきを受けることが、よくわかっているからである。
3:2 わたしたちは皆、多くのあやまちを犯すものである。もし、言葉の上であやまちのない人があれば、そういう人は、全身をも制御することのできる完全な人である。

●14:00「内村鑑三記念講演会」於・今井館聖書講堂。聴衆は100名弱。無教会の衰退ぶりを見るのは悲しく淋しい。無教会に昔日の栄光はない。なぜか。生きた使徒伝承が行われていないから。その結果の様々な枯れ葉枯れ枝の堕落現象を批判してもしょうがない。●しかしついでだから言えば、内村が「非戦」「平和」の闘士であったことを強調することがそもそも使徒伝承の本流から逸脱している「信仰堕落俗化」の証拠。今日の講演会はその典型的なもの。キリスト教は「政治的平和の地上王国実現」を目的としない。地上の平和は神との平和の結果である。天で内村、塚本、黒崎の諸先生が泣いている。●「質問懇談の時間」(そもそもこんなことをやることが間違っている)にはナなんと「防衛論争」。TS氏が高橋さんは今日は何も発言しませんでしたねと言うから「たまには黙っていなければならない」と答えたが、実は「信仰の堕落者に関わるのは不毛であり、ミイラ取りがミイラになるからやめたのだ。●しかしミイラのような「植物人間」も少しは回復する時代だ。「モーだめだ」と思わずにいよう。「9回ツーアウト」でも「まだまだ」と思おう●しかし「信仰堕落人間」とは戦ってはいけない。攻撃してはいけない。爆撃してはいけない。なぜか。人間の力では回復できないから。祈りつつ逃げよ。●休憩時間にピアノ伴奏の白石光隆氏(東京芸大ピアノ科非常勤講師)と音楽談義をして面白かった。「犯罪者はその直前に「名曲」を聴いていたら、その犯罪は犯さなかったであろう」と言われているそうだ。この私も「毒舌犯罪」を犯そうという時「名曲」を聴けば心が収まるか。(自笑)●15:00妻は東京オラトリオ研究会のバッハ「マタイ受難曲」のコンサートに新宿文化センター。指揮はハンス・ヨアヒム・ロッチェ。帰宅すると第39(47)曲のアルト独唱「私を憐れんでください」の部分が気に入ったと感想を言ったのでその部分のCDをかけた。

●「私を癒す名曲」。モーツァルト「アヴェ・ヴェルム・コルプス」。KV612●まずその曲。次の▶ボタンをクリックする。人声が出ないのが残念である。

W.A.Mozart:Ave,verum Corpus K.618 in D   

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●次は単純な電子音で物足りないが二つ探した。

 http://file.buraidaru.blog.shinobi.jp/aveverumukorupusu.mid

http://midionngaku.blog31.fc2.com/blog-entry-11.html

●この曲の歌詞はカトリック教会の典礼歌であって無教会主義の私にはなじみが薄いが、音楽はすばらしい。カトリックの落ち着きというものが感じられてうらやましい。無教会に音楽らしい音楽がないのは淋しい●僅か46小節、3分間だがモーツアルトの最高傑作とも言われている非常に美しく癒されるもの。夫人が病気の時に世話になった人に感謝の気持ちからモーツァルトが捧げたもの。あのベートーヴェンの第九のシラーの「歓喜の歌」の詩も貧困なシラーのために家賃を支払ってくれた友人への感謝の気持ちから書いた詩。どんな仕事も感謝の気持ちからやればよいものができるものだなー。●10種類の演奏を保有しているが、素晴らしい順に書く。①フリッツ・ヴェルナー指揮+ハイルブロン・ハインリッヒシュッツ合唱団+プフォルツハイム室内管弦楽団。これは1982年にNHKFMで放送されたとき、そのあまりの素晴らしさに感激。早速銀座のハンターでレコードを購入。ところがあまり何回も聞いたので針飛びするまでぼこぼこになって、聴けなくなってしまった。この演奏のCDがあればどんなに高くても入手したい。②、カール・フォルスター指揮+ベルリン交響楽団+ベルリン聖ヘドヴィヒ大聖堂聖歌隊。これは①に近い演奏。①も②もドイツの威信にかけた名演奏という感じ。③ トン・コープマン指揮+アムステルダムバロック管弦楽団&合唱団。これもすばらしい。さすが宗教曲に強いトン・コープマンだ。④これは記念。2008年11月5日、妻(アルト)がチェコはプラハのスメタナホールで合唱した。よくやった。船橋洋介指揮+チェコプラハ管弦楽団+シュヴェル・デア・モーツァルト合唱団+地元チェコ人若干名。私は前から10番目の客席で鑑賞した。

 

使徒伝承 「黒崎幸吉著 注解新約聖書Web版」

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主よ、人の望みの喜びよ ++++++++ 所感

2009/03/28 08:30

090328(土)5時半起床●朝のひらめき「誰を信ずべきか」。次回の感話の黙想。急がねばならない●「私を癒す名曲」。バッハ「主よ、人の望みの喜びよ」。検索サイトで480万も出るとはこの曲が今もいかに人を癒しているかの証拠である。若い人に人気であるのはうれしい。日本も捨てたものではない。耳がある。次のサイトの★印の若い人の反応には感動する。

http://www.soundpie.com/sacred/kantate147-10.htm

これだけ若い人に訴えるものを作曲したバッハは偉大だ。同時にこれを世に紹介した編曲者のマイラ・ヘスも偉大だ。●原詩はS・フランク。カンタータ147番の第6曲と第10曲のコラールである●第10曲の詩が素晴らしいのでバッハ全集より杉山好訳で次に掲げる。感動の名訳である。

イエスは変わりなきわが喜び/わが心を支えうるうるおす生命の君、/イエスはもろもろの禍いを防ぎ、/わが生きゆく力、/わが目の喜び楽しむ太陽、/わがたましいの宝また嬉しき宿りとなりたもう。/ゆえにわれはイエスをば放すまじ、/こお心と眼を注ぎまつりて。

●メロディーは次の▶ボタンをクリック。

Johann Sebastian Bach:Herz und Mund und Tat und Leben BWV147   

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●次はこの曲を編曲してその素晴らしさを世に広めた(1926年出版)イギリスの名女流ピアニストマイラヘス自身の貴重な演奏。下記をクリックすれば画像と音が出る。

http://www.youtube.com/watch?v=GX87YeROnwY&feature=related

●下記のサイトをクリックすると10種類もの何種類もの演奏を無料で聴ける。http://www.youtube.com/watch?v=fbiqwIZpiHc

 ●ピアノ演奏で次のものもある。少し遅すぎる。それに途中で楽譜をめくるのが「玉に傷」。これぐらい暗譜でやるべきだ。

http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=qa-KqBCmGr8maru

●次も同じピアノ演奏。弾いているのは10代の少年。途中で何度か失敗するところがまたよい。彼の上に「主の霊」が下ることを祈りながら鑑賞した。

http://www.youtube.com/watch?v=fbiqwIZpiHc

 ●次は村治佳織のギター。ギターもよいものだ。しかしこの人信仰がなさそうだ。宗教曲は信仰のある人とない人では訴え方が違う。

http://www.youtube.com/watch?v=yPTyNv2ivzg&NR=1

●私が所有している名盤はりパッティの演奏。彼は若干33歳で白血病で亡くなった。記憶だが、最期の演奏会のアンコールに力を振り絞って演奏したのがこの曲であった。泣けてしまう。

●この曲の思い出。オーケストラ版のレコードをバックに流して、オーボエで演奏されるで部分をリコーダーで吹いて悦に入った事がある。私の葬儀には前奏か後奏にこの曲を流してもらうのと妻子に讃美歌を歌って見送ってもらうのが希望。キリスト教の葬儀は明るくなくてはいけない。来世への出発だ。●所有しているりパッティのピアノ演奏のCDは1992年に父が召されたとき、長男の新一が購入してくれたもの。2000年娘愛子の結婚式には娘自身の希望で前奏にこれがオルガンで演奏された。2005年、ライプチッヒの聖ニコライ教会で妻がバッハの「ロ短調ミサ曲」を歌った。バッハがこのカンタータ147番を初演したのは1724年そのライプチッヒにおいてであった。2006年頃のこと、三男恵の伴侶華子さん(オルガニスト)から「カンタータ147番の題名『心と口と生きざまもて』は無教会主義を言い表しているみたいですねー」と感想を言われてうれしかった。「汝よく見たり」である。●それにしてもマイラ・ヘスが編曲して世に紹介したのは偉い。それはバッハの初演から約200年後の1926年。不思議なことである。良いものはいつかよみがえる。発見される●不肖この私もバッハのこの曲のように後世の人を「癒す」ものを残したいものだが、才能がなくてだめだ。●原曲の歌詞のテキストはイザヤ書11章1-5節とルカ1章39-56節。イザヤ書を次に掲げる。

新共同 イザ 11:1-5
11:1 エッサイの株からひとつの芽が萌えいで/その根からひとつの若枝が育ち
11:2 その上に主の霊がとどまる。知恵と識別の霊/思慮と勇気の霊/主を知り、畏れ敬う霊。
11:3 彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。目に見えるところによって裁きを行わず/耳にするところによって弁護することはない。
11:4 弱い人のために正当な裁きを行い/この地の貧しい人を公平に弁護する。その口の鞭をもって地を打ち/唇の勢いをもって逆らう者を死に至らせる。
11:5 正義をその腰の帯とし/真実をその身に帯びる。

●日本では讃美歌第二篇の228番に取り入れられている。●所有しているバッハ全集からカンタータ147番をアーノンクール+ウィーン・コンツェルト・ムジクス+テルツ少年合唱団で鑑賞。淡々とした演奏。●バッハは毎週一曲のペースで教会の礼拝のためにカンタータを作曲、家族が総がかりで譜(多分パート譜)を書いたというから家族も立派。それを200曲近く(4-5年か)こなしていった教会の演奏者たちも偉かった。今から285年も前のこと。文化水準も信仰の篤さもすばらしかった。●モーツァルト「アヴェ・ヴェルム・コルプス」を7種類で鑑賞。素晴らしい。明日「私を癒す名曲」に書く。●17:00妻はモーツァルトの「レクイエム」の練習に出かけた。

主よ、人の望みの喜びよ、
我が心を慰め潤す生命の君、
使徒伝承 「黒崎幸吉著 注解新約聖書Web版」

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体験でなく伝承 ++++++++ 所感

2009/03/27 07:56

090327(金)朝のひらめき「自己の体験を信ずるのではなく使徒伝承を信じ受け入れること」。●これで次回の感話の内容は急遽変更。「何を信ずべきか」の根幹にかかわること。使徒伝承を担う「人間」を信ずべきか伝統の教会を信ずべきか。何を信ずべきかは聖霊が導く。しかし第一に大切なのは個人でも教会でも伝統の「使徒伝承」を保持し担い継承しているかどうかである。●無教会の初期にはそれが濃厚であったのだが、今はそれが変質している傾向が見られる。思想や運動に転化堕落している。栄養のない食べ物だから衰弱は当然。

●「私を癒す名曲」。ラフマニノフ「ヴォカリーズ」作品34の14.●ヴォカリーズとは歌手が練習するときに歌詞を歌わずに母音の「ア」の音でメロディーを歌って練習すること。日本では「母音唱法」と訳される。この ラフマニノフの曲は14曲からなる「歌曲集」の最後の曲。美しい旋律なので歌曲でなくいろいろな楽器に編曲されている。

●メロディーは次の▶ボタンをクリック。

Sergei Rachmaninoff : Vocalise op.34, No.14  

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●この曲の思い出。9年前に脳内出血で入院したとき、頭蓋骨を割って血液を吸い出すのではなく、固定療法といって三日間絶対に頭を動かさないで血液を固める方法がとられた。私は「直っても障害者になる。私の人生は短かったなー」と思って落ち込んだ。何人かの人が私のために泣いてくれた。そんな時お見舞いにいただいたCDの中にこの曲があった。盲目の川畠成道のヴァイオリン演奏。入院中に何度聴いたjかわからない。癒された。私は思った。「ナンノコレシキ。彼は盲目。私は57歳。もう十分に生きたではないか。」●退院して家で妻が懸命にリハビリの介助をしてくれた。感謝。真っすぐ歩けるようになった。会話の語尾がもつれていたが普通に話せるようになった。リハビリが過ぎてかいささか口が滑らかになり過ぎた嫌いもある。(自笑)。感謝。

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勤務先の小伝馬町交差点から見た街路の辛夷。退職まであと二日。 2009.3.27 10:14

●勤務先のパソコンから各種データを削除。身の回りの品物を段ボールに詰めて家に送ってもらう手続き。●12:30。9年前に(財)建設物価調査会に「総合研究所」が発足したが、その初代所長で理事であられた渡辺弘之氏に退職の御挨拶に伺う。渡辺氏は元建設省大臣官房審議官。現在は(社)全国公営住宅火災共済機構の専務理事。●JBCI(ジャパン・ビルディング・コスト・インフォメーション)プロジェクト立ち上げの時のことを回顧して楽しかった。

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(社)全国公営住宅火災共済機構のある森トラスト虎の門二丁目タワー21階からの景観。左は霞が関ビル。日本経済の中枢部だ。

2009.3.27 12:25

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(社)全国公営住宅火災共済機構の専務室で渡辺弘之氏と。9年前、私が職場である(財)建設物価調査会の総合研究所で脳内出血のために倒れ、救急車で聖路加国際病院に担ぎ込まれたところ、バタバタと病室に駆け込んで来てくださった。ベッドに覆いかぶさるようにして「高橋さん!大丈夫だ。JBCI(関わっていたプロジェクト)は動き出した。もう大丈夫だ」と叫ばれた。渡辺氏は(財)建設物価調査会を御退職後もなにくれとなく私に気をかけてくださった。感謝。火災のときも遠方のあきる野市までお見舞いくださった。新居にも来てくださった。忘れえぬ人である。感謝。

2009.3.27 13:54

 

●どうしても題名が思い出せないメロディー。こらえきれずにヤマハ銀座の荻野さんに電話で口づさんだら教えていただいた。「青い影」で原曲はバッハ管弦楽組曲第3番のアリア(G線上のアリアで有名)の下降のメロディーに作曲者のプロコルハルムがヒントを得たらしいことがわかった●曲名が思い出せない時の苦しさよ。この苦しみは経験した人でないとわからない。世の中には「鼻歌検索」というサイトがあることを荻野さんに教えられた。パソコンの前で鼻歌を歌えば曲名を教えてくれるものらしい。時間があったら試してみたい。●しかしそうして機械的に教えられてもつまらないだろうなー。「人間」に教えてもらうところのその質問と回答のやり取りが面白いのだ。建築設計と同じだ。 

 

 

 

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別れの曲 ++++++++ 所感

2009/03/26 08:57

090326(木)退職にともない、HPのトップページを修正。勤務先は女子大講師一つになった。また「2008プラハとミラノの旅」もアップできた。「父さん。パソコンの難しいことはやるな」と言ってくれる三男の恵がやってくれた。9年前の脳内出血は「深夜までパソコントラブル」に取り組んでいた」ことも遠因と思われるからである。

●「私を癒す名曲」。ショパン「エチュードホ長調、作品10-3(別れの曲)」。●演奏は次の▶ボタンををクリックする。

F.F.Chopin:ETUDEN Op.10-3 Edur Sadness  

 

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●12種類の演奏を持っているが、何といってもホロヴィッツのものが最高。録音1972年7月6日ニューヨーク。残念ながら上記はホロヴィッツではない。●本来は練習曲であるがショパンの伝記映画(1934年ドイツ)の邦訳が「別れの曲」であったことから、日本では「別れの曲」として親しまれている。しかしショパン自身、彼の弟子の一人、アドルフ・グートマンとのレッスンでこの曲を教えていたとき、ショパンは「ああ、私の故国よ!」と泣き叫んだという。ショパンは故郷のポーランドへ帰国できなかったのである。(理由は長くなるので書かない)。またショパン自身が友人に「これほど美しい旋律を書いたことがない」と語ったという逸話が残っているそうだ。●この曲の思い出。NHKでこの曲をホロヴィッツの演奏で聴いた時は衝撃であった。緩急緩急の心地よいテンポ、和音を崩して弾くところなどにすっかり魅せられた。さすが伝説のホロヴィッツ。早速CDを購入。もう21年も前の1988年のことであった。以後、この曲を聴く時は必ずホロヴィッツである。そのほかの演奏では、ポリーニ、サンソン・フランソワ、フジコ・ヘミング、アシュケナージ(超スローテンポ)などもよいが、ホロヴィッツには及ばない●人生は「出会いと別れ」である。恋愛映画で一方が死んでしまう悲恋物語を観るのが大好き。そこに人生が凝縮されているからである。妻はそういうメソメソ映画は好まないが、私は号泣する。小説ではハムスン(1920年ノーベル文学賞受賞者)の「ヴィクトリア」(1898年作)など。●人生、泣いて泣いて泣きあかして、涙が枯れ果てたときに新しいものが見えてくる。●私は家と「別れ」た。それは手塩にかけて設計して愛していた家(建築士会で賞を取った自慢の家。4人の子供を育てた思い出が詰まっていた家)が目の前で全焼した。・・・(しかもそれは住宅ローンがやっと支払い終わって間もなくのことであった。神は残酷だ、愛ではない!)・・・・長男が私の背中をなぜて励ましてくれた。翌日焼け跡を片付けている時「父さん。虹が出ている」と教えてくれた。「虹」は神と人間との約束の印しである(創世記9:11-17)。神は2度と人類を滅ぼすなどというむごいことをするまいと思って契約のサインとして「虹」をあらわしたのだ。新約の「絶対恩恵による無条件の罪の赦し」の源流はこの創世記の記事にある。

口語訳 創  9:11-17
9:11 わたしがあなたがたと立てるこの契約により、すべて肉なる者は、もはや洪水によって滅ぼされることはなく、また地を滅ぼす洪水は、再び起らないであろう」。
9:12 さらに神は言われた、「これはわたしと、あなたがた及びあなたがたと共にいるすべての生き物との間に代々かぎりなく、わたしが立てる契約のしるしである。
9:13 すなわち、わたしは雲の中に、にじを置く。これがわたしと地との間の契約のしるしとなる。
9:14 わたしが雲を地の上に起すとき、にじは雲の中に現れる。
9:15 こうして、わたしは、わたしとあなたがた、及びすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた契約を思いおこすゆえ、水はふたたび、すべて肉なる者を滅ぼす洪水とはならない。
9:16 にじが雲の中に現れるとき、わたしはこれを見て、神が地上にあるすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた永遠の契約を思いおこすであろう」。
9:17 そして神はノアに言われた、「これがわたしと地にあるすべて肉なるものとの間に、わたしが立てた契約のしるしである」。

●その後神は私に再び新しい家をくださった。失った家と似ているように設計した。神は回復してくださった。神はやはり愛だ。●ショパンの「別れの曲」は人生を泣いた人でないと心に沁みる深い演奏はできない。聖書の「読み」もまた同じ。涙を流さないとその真理は解読できない。深い読みはできない。●夕方の散歩で釘本さんをお見舞い。弟さんだけに会う●キララホールで「青梅第3中学校、吹奏楽部定期演奏会」指揮小玉公ニ。水準が高くなった。●3月21日から始めた「私を癒す名曲」コーナーを読んで、その曲を図書館から借りて聴く人がいることを知った。コリャー大変だ。作品番号をしっかり書かなければならなくなった。しかし張り合いが出てきた。

 

 

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熟睡する秘訣 ++++++++ 所感

2009/03/25 09:04

090325(水)夜半に一度起きたが、珍しく7時間の熟睡は感謝。頭スッキリ。睡眠できることは幸福。

口語訳 詩 3:4-5
3:4 わたしが声をあげて主を呼ばわると、主は聖なる山からわたしに答えられる。〔セラ
3:5 わたしはふして眠り、また目をさます。主がわたしをささえられるからだ。


口語訳 詩 4:7-8
4:7 あなたがわたしの心にお与えになった喜びは、穀物と、ぶどう酒の豊かな時の喜びに/まさるものでした。
4:8 わたしは安らかに伏し、また眠ります。主よ、わたしを安らかにおらせてくださるのは、ただあなただけです。

口語訳 詩 127:2
127:2 あなたがたが早く起き、おそく休み、辛苦のかてを食べることは、むなしいことである。主はその愛する者に、眠っている時にも、なくてならぬものを与えられるからである

●熟睡できないことは不幸である。

幸福論の著者のヒルティには「眠られぬ夜」があったらしい。病弱な息子を抱えていたらしい。スイスはベルンにあるヒルティの墓に詣でたとき、ヒルティ夫妻の下に息子のエドガーヒルティの名前が一緒に刻まれているのを知って胸が詰まったものだ。

●路上ホームレスを社会復帰させる「手段」は「ぐっすり眠れるところ(宿泊施設)」の確保だという。これは入佐明美(釜が崎の路上ホームレス救済に奮闘)、と奥田知志牧師(北九州市、ホームレスを社会復帰させる率は9割という驚異的手腕の持ち主)の共通の認識。

●「寝るところがある」というのは人間の尊厳を回復する最低の条件。人間の尊厳は金銭や食料の充足ではない。まず寝るところである。建築士の使命はここにある。イエスは建物の重要性を次のように言う。

塚本訳 ヨハ 14:2
14:2 父上のお家には、沢山住居がある。(あなた達は一人のこらず、そこに住むことが出来る。)もしそうでなかったら、『あなた達のために場所の準備に行く』と言うわけがないではないか。

●人間としての最大の不幸は貧困ではない、病気ではない。「ぐっすり眠れない」ことである。イエスの弟子になるのはその最も悲惨なことも覚悟しなければならないとイエスはいう。 イエスは常につけ狙われていて「ぐっすり」眠っていられなかったのではないか。

塚本訳  マタ 8:19-20
8:19 すると一人の聖書学者が進み出て言った、「先生、どこへでもおいでになる所へお供をします。」
8:20 イエスはその人に言われる、「狐には穴がある、空の鳥には巣がある。しかし人の子(わたし)には枕する所がない。(その覚悟があるか。)」

●熟睡する秘訣は就寝前に床の上で祈ることである。心の重荷を降ろせばよく眠れる。

●「私を癒す名曲」。ドビュッシーのピアノ曲「アラベスク第一番」●メロディーは次の▶ボタンをクリック。

Debussy:Arabesque No.1  

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●CDは3種類持っているがギーゼキング演奏のものを聴く●この曲の思い出。9年前に脳内出血で聖路加国際病院に入院していたときのこと。誰もいないトイスラー礼拝堂にフト入ると、そこに備えてあるピアノでうら若い女性がこの曲を練習していた。私一人がパチパチと拍手すると、彼女は私に向かって急に話し始めた。「自分も入院中だが家には帰りたくない」というのだ。再びピアノに向かったとき、ピアノの向こう側に松葉杖が立てかけてあるのに気がついた。足が御不自由らしい。私は静かに立ち去った。彼女よいまいずこ!。この曲を聴くたびに彼女のことを思い出す。神の恩恵彼女の上にあれ。

●去る22日の集会感話のプリント(私のHP「使徒伝承」に掲載)を読まれたTH先輩から、素晴らしい感想をいただいた。そのお礼のご返事を下記に掲載する。一部改変

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

TH様

 

私にとって実に貴重なお手紙を賜り、衷心より御礼申し上げます。

第1の『高橋にとっては「死ぬまで現役」であれ』、は残りの生涯のモットーになることでしょう。

第2のことが私にとって「目からうろこ」でした。「人の財産の管理と保護は労働の本質ではありません」という御指摘です。私は一撃食らい「そうだ」と思わされました。プリント「41」の建物は集会の故OT様の「Oビル」のことです。私の企画した「事業収支計画」はバブル崩壊で見事に外れ、Oビルは2007年に売却。「人の財産の管理と保護」は失敗に終わりました。しかしTH様の「人の財産の管理と保護は労働の本質ではありません」という言葉は私にとって大きな慰めです。この失敗は「未完のプロジェクト」そのものでした。しかしO家2代目夫人が「ビル経営」のお悩みもあって信仰に導かれ、今では熱心なクリスチャンになられたことは私の慰めです。

このたびは玉稿のお手紙をありがとうございました。

当日、TH様がおられなくて残念ではありましたが、かえってこのようなお手紙をいただけたことは幸いでした。

 

2009.3.25 高橋照男

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意義ある犠牲死を遂げよ ++++++++ 所感

2009/03/24 09:11

090324(火)朝の黙示「意義ある犠牲死を遂げよ」●「丈夫で長生きしたい」「天寿まで、平均以上生きれば満足」などという日本人の普通の人生観は受験競争の点数主義に毒された低級な人生観。●ワカイモンに告ぐ「老後の安泰」を目的に今を働くな。老後の楽しみを目的に貯蓄するな。その頃年金はどうなるかわからないのだ。「健康で長生き」それ自身に人生の意義はない。馬齢を重ねるな。●教会には「引退牧師」という妙な言葉がある。無教会には「年金伝道者」とおぼしき力なき人物がいる。実にまずい現象だ。自戒。パウロが聞いたら激怒。パウロは次のように言う。「犠牲」の人生たれ。

塚本訳  ロマ 12:1-2
12:1 (このように、神は偉大な計画によって人類を一人のこらず救おうとしておられるのであって、救いは確かである。)だから、兄弟たちよ、わたしは神のこの慈悲を指してあなた達に勧める。あなた達の体を(感謝のしるしとして神に)捧げよ。この生きた聖なる犠牲こそ、神のお気に入るものであり、(霊なる神を拝むにふさわしい、)あなた達の霊的な礼拝である。(あなた達の礼拝は動物を供えるような不合理なものでなく、全心全霊をささげる合理的な礼拝でなければならならない)
12:2 また、この世に調子を合わせてはならない。むしろ反対に、何が神の御心であるか、何が善であり、お気に入るものであり、また完全であるかを見分け得るために、(御霊によって)心を一新されて自分を造りかえていただけ。(そうすれば来るべき世への準備ができる。)

●「私を癒す名曲」。ラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」。ピアノ曲。ラヴェルがルーブル美術館にあったベラスケスの「若い王女の肖像画」にインスピレーションを受けて作曲したもの。パヴァーヌとは舞曲の形式。哀愁を帯びたメロディーは亡き王女への断ち切れぬ想いを表現している。●メロディーは次の▶ボタンををクリック。

M.Ravel:Pavane pour une Infante defunte   

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●CDとテープは管弦楽版も含めて12種類持っているがアシュケナージのピアノ演奏を好む●この曲の思い出。故郷浦和で同年齢のISさんは高校生の時に私に向かって「照男さん。わたしはまだ神様の存在がわからないのです」と言った。そのまま人生の道は別れた。それから20数年後のある日、ISさんの友人から突然電話があった。「照男さん。ISさんが亡くなりました。何でもクリスチャンになって死んだようですよ」。私は急いで彼女を看取ったという聖路加国際病院のチャプレン(病院付き牧師)のI氏に彼女のことを電話で伺った。熱心に求道されたが最期は癌が脳に転移した。実に立派な信仰を持たれて召されたという。彼女は43歳。1987年のことであった。神は人を御自分の所に引き寄せるためには残酷なことをなさるものだと思って泣いた。その時自分を慰めるために何度も何度も聴いたのがこのラベルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」。するとその夜ISさんが夢枕に立って言った「照男さん。私の命は短かったけれども照男さんは私の分までかんばってくださいね」。●その後ある日。浦和をおとづれた折ISさんの家に百合の花を持って伺った。一緒に行った妻は遠慮して家の中に入らず外で待っていてくれた。ISさんの遺影には若き日の面影があった。御母堂がISさんの遺品の日記を見せて下さった。死期を悟ったISさんが世話になった看護婦の名前を一人一人あげて形見の品を指定してあった。私は超優秀なお子様に先立たれてお悲しみの御母堂をお慰めして言ったものだ。「来世できっと会えます。そうでなければこの人生はあまりに残酷です」と。●そしてその13年後のこと。今度は私が聖路加国際病院に脳内出血で入院した。彼女を看取られたそのチャプレンはすでに御老齢になっておられたがISさんの事をよく覚えておられ、最期のことを詳しくお話ししてくださった。不思議な出会いであった。●私は生き延びて今65歳になった。残る生涯、馬齢は重ねられない●ラヴェルが自動車事故により記憶障害になった時、この曲を聴いて「この曲はとてもすばらしい。誰が書いた曲だろう。」と言ったという。

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うれしい便り ++++++++ 所感

2009/03/23 07:33

090323(月)4時半起床。朝の黙想。

塚本訳 マコ 9:40-41
9:40 反対しない者はわたし達の味方である。
9:41 キリストの弟子だからとてあなた達に一杯の水を飲ませる者は、アーメン、わたしは言う、(天にて)その褒美にもれることはない。

●嬉しい便りに感謝の長文返礼●絶対にだめだと思っていることも神の不思議なる業で助かることがあるから、人生は捨てたものではない

●「私を癒す名曲」。チャイコフスキー「なつかしい土地の思い出。よりメロディ」。これはヴァイオリンの素晴らしい小品。3種類の演奏を持っているが千住真理子のものを好む。女性らしい繊細さがある。●千住真理子の演奏ではないが、メロディーは次の▶ボタンをクリック。

Tchikovsky:Melodie Op.42 No.3 from“Souvenir dun lieu cher”  

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●私の「なつかしい土地」は埼玉県の浦和市。霊肉の誕生の地。一年に一度、洗礼を受けた教会に挨拶に行く。無教会になったころ浦和を離れ、すでに45年。故郷(ふるさと)の山はありがたきかな。老牧師もおられ感謝。浦和に行くと空気も森もみな懐かしい。しかしもう浦和に戻ることはない。●幼くして母と別れるという悲しいことがあったチャイコフスキーの「懐かしい土地」とはどこだったのだろう。●妻の故郷は福島県のいわき市である。結婚後初めて「いわき無教会」に妻と出席したときに妻は讃美歌263番をリクエストした。そこに「ふるさと」という言葉が2度出てくるので、私としては妻の気持ちを思って感慨深かったものだ。このこと妻は知らない。

讃美歌 263

 1. よろこばしき こえ ひびかせ,

   つのぶえ もて ふれ しめせ よ,

   "よろず の くにびと, いま し も ヨベル の

   とき こそ きつれ," と.

 2. ち の はて より ち の はて まで,

   あがなわれし つみびとら よ,

   よろこび いさみて ふるさと さし つつ

   いそぎて かえれ や.

 3. こひつじ こそ ほむべき かな,

   きよき ち に て あがない たもう.

   かえれ や, つみびと, いま し も ヨベル の

   とし こそ き に けれ.

  4. よろこばしき とし き に けり.

   あがなわれし つみびとら よ,

   よろこび いさみて ふるさと さし つつ

   いそぎて かえれ や.

●クリスチャンにとって本当の故郷は「天」にあるのだ。

新共同 ヘブ 11:13-16
11:13 この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。
11:14 このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのです。
11:15 もし出て来た土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません。
11:16 ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです。

●14:15黒田隆様の所に退職の挨拶に伺う。年頭に奥様を亡くされたことがまだ癒えずにおられた。キリスト教の墓誌に「また会う日まで」というものがありますと話すと感動された。帰り際に「奥さんを大切にしてください」と言われた。黒田さんは奥様の最期を十分看病をなさった。見習いたい。

resize0765.jpg

黒田隆邸。目黒区 2009.3.23 14:19

resize0766.jpg 

職業上の恩師、黒田隆様(88歳) 次に来られたお客様に私のことを「この人は私の一番弟子です」と紹介された。

2009.3.23 16:56

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なぜ死があるのか ++++++++ 所感

2009/03/22 07:50

090322(日)朝の黙想●次回(4月5日)の感話は「なぜ死があるのか」に決定。

●「私を癒す名曲」。

ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲 作品43より 第18変奏

●音楽は次をクリック。スクロールして最後の▶ボタンを押す。

http://www.voiceblog.jp/andotowa/285429.html

●この曲の思い出。中学生のときに盛んに聞いたNHKの名番組「希望音楽会」のテーマ曲。仕事が一段落したしたときにしばしば骨休みに聴くと癒される。3種類の演奏を持っているがアシュケナージのものをよく聞く。たばこはやらないが、たばこがわりの一曲だ。●妻と集会へ。大山、土肥裕子(詩篇84編)、高橋8建築を通して学んだ聖書)●昼食会。10名程度。●妻は中野の愛子の所に寄って自作の「おはぎ」を届ける。初音とかなほが喜んでペロリと食べたという。何事も「喜んでいただける」ことが労働の報酬だ。

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私を癒す名曲 ++++++++ 所感

2009/03/21 07:14

090321(土)朝の黙想●「肉の父の限界」

口語訳 ヘブ 12:10
12:10 肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、たましいの父は、わたしたちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。

新改訳 ヘブ 12:10
12:10 なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。

新共同 ヘブ 12:10
12:10 肉の父はしばらくの間、自分の思うままに鍛えてくれましたが、霊の父はわたしたちの益となるように、御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです。

塚本訳 ヘブ 12:10
12:10 というのは、肉の父は(ほんの)少しの日数(だけ)、自分の考えに従って訓練したのに反して、神はわたし達を益するため、わたし達をその聖さにあずからせるために、訓練されるのであるから。

●肉の親が子供を教育できるのは僅かの期間、10数年か。あとは神が育てる。導く。その方が教育的に優れている。子供が親に向かって「ウザッテー」と思うようになるのは神の摂理。神が肉の親に対して「お前はもーいい。私にまかせよ。」と言っているのかもしれない。自戒。

●嫁の一人から、ブログの朝の「黙想」の次に「癒しの音楽」を解説してみてはどうかという提案があったので、面白いと思って本日から試みる。内容は「私を癒す名曲」というもので、この「私を」がポイント。私自身だけのもの。癒される音楽は人様々。だから「この私を癒す名曲」である。●「私を癒す名曲」。バッハ「2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調第2楽章ラルゴ」●4種類持っているがメニューイン+フェラスの演奏が素晴らしい●この曲は5年前に母が召された時にCDが擦り切れる(?)ぐらい何度も聴いた。「音楽力」「音楽の癒しのちから」の著者である日野原重明先生は「悲しい時は悲しい音楽を聴け。それは同質の原理」だと言っている。この日野原先生は10年前に私が脳内出血で聖路加に入院したとき私に「病気は病院では直りませんよ。リハビリは家に帰っておやりなさい」と言ってくださった非凡な先生。現在98歳で診療の現役。階段は2段跳び。誰も先生の真似はできない。同年齢の老人を励ますこともあるが、「がっくり」させていることも事実ではないか。比べてはいけない。

●バッハ「2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調第2楽章ラルゴ」

下記をクリック

8. 2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調BWV1043 第2楽章:ラルゴ・マ・ノン・タント

に行って「試聴」をクリック。試聴なのfr30秒。

http://www.7andy.jp/cd/detail/?accd=C1078529#audition

●私のブログを「癒しです」と応答してくださる方がいる。女性。しかし中には癒しではなく「卑しい」(オヤジギャグ)と言って文句をつけてくる人がいる。大抵は男。しかし「ギャグ(逆)もまた真なり」かもしれない(自笑)。自戒。●16:00「キリスト教性教育研究会」(於・聖心女子大学)。富永國比古先生(会長)、世話役の町田健一先生(ICU)、武田晶子さんと懇親懇談。今日の発表者は滝沢美津子先生(山梨大)。とにかく現代日本の性の紊乱ぶりはすさまじいものらしい。基督者として何ができるかを懇談。私はローマ帝国末期と似ているのではないかと発言。また現代教会・無教会には「聖なるもの」という雰囲気が欠けているから、この世の人に対して「キリスト教に惹かれるもの」を与えられない。裁きは神の家から始まると発言。

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泣くな、眠っているだけだ ++++++++ 所感

2009/03/20 07:08

090320(金)今日は妻と一緒に母の墓参に行く。早いもので5年になる。命日は一昨日の18日。●17日には妻の従姉妹のKTさんがこの日を覚えていてくださって、お電話をくださった。感謝。●今朝の目覚めのときの天からの声。

塚本訳 ルカ 8:52
8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。」

●信仰なくして死んだ母の霊魂の行く末が心配なのでこの言葉が響いたらしい。全能の神は死者をよみがえらせる力を持つ。この心配に対してへブル書は次のように言う。

塚本訳 ヘブ 11:19
11:19 神は死人の中からでも生きかえらせる力があると考えたからであった。そのため(この信仰に対する報いとして、)彼はその子を(キリストの死と復活との)比喩として返してもらったのである。


口語訳 ヘブ 11:19
11:19 彼は、神が死人の中から人をよみがえらせる力がある、と信じていたのである。だから彼は、いわば、イサクを生きかえして渡されたわけである。


新共同 ヘブ 11:19
11:19 アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです。それで彼は、イサクを返してもらいましたが、それは死者の中から返してもらったも同然です。

●これは信仰をもたない子供、親族兄弟に対する心配についても言える。「心配するな。眠っているだけだ」と。

塚本訳 ヨハ 11:11
11:11 こう話して、またそのあとで言われる、「わたし達の友人ラザロが眠った。目をさましに行ってやろう。」

●野球の世界戦、日本が韓国に勝利した試合を見てから母の墓参。自転車で40分の秋川霊園。

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母の命日は3月18日。5周年だ。早いなー。「おじーちゃん来たよ。おばーちゃん来たよ。」と言って水をかけた。「愛子に三人目の子供が与えられました」と報告。「また会う日まで」。墓碑は「✞神は愛なり 高橋家」

妻と一緒に墓掃除。誰かが線香を備えてくれてあった。「誰だろう」。

2009.3.20 15:10

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午後は晴れて、17年前に召された父の好きであった「白い雲」が浮かんでいた。墓の前で。

2009.3.20 15:18

●夜は恵と華子さんと電話懇談。元気な声に安堵した。感謝。●恵からは「父さん、パソコンのあまり難しいことをやるな」と脳内出血のことを心配してくれた。感謝。●華子さんからは「ブログの朝の瞑想の次に今朝の一曲というのを書くのはどうか」という提案。これは面白そうだ。やってみようか●私のブログを読むと「癒される」という人がいる。ガッツポーズ。それが目的なのだ。

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病妻(夫)を抱える ++++++++ 所感

2009/03/19 14:29

090319(木)6時前に起床。寝過ぎ。●冷水で顔を洗って「黒崎幸吉新約聖書注解」のへブル11章引照入力。昨日やるべきところが未完成であったので急いでやろうと思ったが、「信仰列伝」であって、引照を読むことが多く、余り進まない●人生の苦難のうち、自分の病で苦しむ人以上に、伴侶の病に悩む人が多い。伴侶は半身である。だから妻のまた夫の病は「わが悩み苦しみ」である。ある意味で「わが苦しみ」以上である。●私の父は子供たちが勉学盛り進学盛りの時に若いころの結核が再発して家庭が経済的に傾き、暗かった●母が苦労した。悲しんだ●晩年健康が回復した父は子供たちが望む道に進ませてやれなかったことをしきりに悔やんだ●私は父を慰めて言った。「モーいいよ。おかげで私は『貧しき者は幸いなり』というイエスの言葉がわかったのだから」●思う。人間に襲いかかる不可解な不条理な不幸は、きっと、絶対に、その背後に神の大なる恵みが計画されているのだということを。●伴侶の病、それも不治に近い病は、絶対に「神が御存知だ」。この人生は短い。肉の健康は永遠の生命に比べれば価値は低い。肉の病を通して「永遠の生命」に気がつけば「伴侶の病」また意味があったことが、あとで分かるものだ。●私は「午後三時祈りの友」会の加祈者になっている。父のあとを継いで入会した。これは病の「苦難共同体」である。●バッハのゴールドベルグ変奏曲をペライアの演奏で観賞。1955年のグールドのものは20世紀最大のセンセーショナルな演奏といわれているのでそれも聴いたが私にはどーもしっくりいかない。●昨日は久しぶりで独立学園の武祐一郎先生にお電話。本の御礼●今朝は妻が恵に電話。伴侶の華子さんの具合が思わしくない。●次の聖日(22日)「感話」の原稿を推敲。15回目。建築設計と同じようで全然苦にならない。

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万策尽きたときの祈り ++++++++ 所感

2009/03/18 07:16

090318(水)朝の黙想「万策尽きたとき」●長い人生では「万策尽きた」と思うことが何度かあるものだ。●それは、病気、人間関係、いじめ、貧困、死、そして罪、犯罪。●そのときは「祈り」きり道がない。神なんかいない、祈りなんか弱者のすることだ、強者はあくまで「自力」で解決すると思う人は祈りも宗教も関係ない。必死で自己の力、人間の文明にすがればよい。ひたすら努力すればよいのだ●ところが「どうしようもなく、万策尽きる」ことが人生にはあるのだ。そのときは理屈なしに「祈り」だ。●スポーツで「必勝祈願」で神社に参拝する例がある。あのとき相手チームも祈願に来たら神はどうするのかなーと思ってしまう●「万策尽きたとき」の祈りの実例を聖書に見てみよう。まず病気。

塚本訳  マコ 5:25-29
5:25 すると十二年も長血をわずらって、
5:26 大勢の医者からひどい目にあわされて、財産を皆使いはたして、なんの甲斐もなくて、かえってますます悪くなって、
5:27 イエスのことを聞いて、群衆にまじってついて来た女が、後ろからその着物にさわった。
5:28 「お召物にでもさわれば、なおるにちがいない」と思ったのである。
5:29 はたしてすぐ血の源がかれて、病気が直ったのを身に感じた。

●この女性の「もしかしたら」と思う心が「祈り」である。祈りはこの「もしかしたら」でよいのだ。恥も外聞もなく「はしたなく」「なりふり構わず」すがればよいのだ。そのように人生を追い詰められた人は幸いだ。

●次は人間関係の悩み、いじめ、どうしてもうまく行かない人、ひいては迫害、追放、裁判沙汰。それが身内の時、近しい人の時はドロドロでみじめになる。こういう人間関係は特に「どんなに努力しても」うまくいかない。努力すればするほど「深み」にはまってどうしようもなくなる。「どうしても赦せない」。なぜか。相手があることだから。相手は小宇宙。宇宙の先まで手が及ばないのだ。相手を直せると思ったら大間違いだ●そんな目にあった人の実例。

塚本訳  使 7:54-60
7:54 これを聞いて(法院にいた)人々は怒り心頭に発し、ステパノに向かって歯ぎしりした。
7:55 しかしステパノは聖霊に満ちて天をじっと見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見ると、
7:56 「おお、天が開けた、人の子が見える、神の右に立っておられる!」と言った。
7:57 すると彼らは大声で叫び、(冒涜の言葉を聞くまいとして)耳をふさぎ、一せいに襲いかかって、
7:58 彼を町の外に突き出し、石で打ち殺した。証人たちはぬいだ上着をサウロという青年の足下に置い(て、番をさせ)た。
7:59 ステパノは打ち殺されながら、イエスの名を呼んで、「主イエス様、わたしの霊をお受けください」と祈り、
7:60 それからひざまずいて、大声で叫んだ、「主よ、どうぞこの罪をこの人たちに負わせないでください!」こう言って、彼は眠りについた。

●ステパノは迫害(いじめ)されて死んでしまったが、こういう場合は神が復讐する。●イエスの死は復活という神の逆襲になった。 ●雑事をしたので「黒崎引照入力」が進まない●図書館で音楽の本、を数冊借りる。音楽は癒しということを学ぶ。

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図書館に行く途中。辛夷(こぶし)の花が咲いた。春の日。

2009.3.18  16:07

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図書館の帰り。奥多摩連山に陽が沈む。讃美歌43番を歌う。

2009.3.18  17:41

讃美歌43

1. みかみ の たまいし この ひ も くれけり,

   いざ や けさ の ごと みめぐみ を たたえん.

 2. ひかり に むかいて めぐる ち と とも に,

   ち に ある みたみ は みわざ に いそしむ.

 3. くにぐに, しまじま, しずか に あけゆき,

   いのり わはもださず, ほめうた は つきず.

 4. われら に わかれて かくれし ひかげ は,

   にし に すむ とも を みわざ に ぞ さます.

 5. おこりて ほろぶる よ の くに に かわり,

   ときわ に さかゆる みくに ぞ ととき.

 




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建築士の使命 ++++++++ 所感

2009/03/17 09:03

090317(火)5時半起床●朝は心が澄んでいる時に清い仕事をすべきである。ヒルティはあさは新聞を読むなと言っている。●そこで次回の感話をまとめる。その骨子は次の通り。聖書の引用は省略して掲げる。

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建築を通して学んだ聖書

東京聖書読者会 2009.3.22 高橋照男

 

 

はじめに 感謝の言葉

1・職業としての建築の意義を模索した日々

2・建築を通して聖書を学ぶ

3・地上の建物が消滅して、来世の「永遠の家」に希望を託す

4・涙とともに播くものは、喜びとともに刈りとらん。手紙二通。

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はじめに・・・感謝の言葉

 

今月、勤務先を退職することで、建築の現業を退く。

建築士として歩んだ45年間を振り返ってみる。

職業としての建築を聖書と無教会主義キリスト教が教えてくれたことを思い、

ここに感謝の言葉を述べる。特に私を信用し、建築を依頼してくださったの建築主にこれを捧げる。その多くの方たちはすでに主の御許に眠っておられる。

 

1・職業としての建築の意義を模索した日々

 

1-1 人間はなぜ労働が苦役なのだろう。滅びゆく建築を造ることに「生きる喜び」はあるのか。「伝道者になるな」の指導を受ける。

 

Ⅰ-2 塚本虎二著「放蕩息子とその父」との出会い。その第七章「救われた人の生涯」で労働は来世への準備ということを学ぶ。

 

1-3 人の財産保護が労働の本質。「建築は手段で目的は人」。この理念で執筆した本2冊は技術書としては異例の19年間のロングセラー。「同じ値段でもっとよいものを設計してあげます」という心。

 

2・建築を通して聖書を学ぶ

2-1 神はなぜ天地を創造されたのか。被造物で御自分を賛美させ 

    るため

2-2 満足の創造。創造の喜び。

建物は完全に満足するものでなければならない。

2-3 建物は人間が思い立つがその背後には必ず神がおられる。

2-4 建築には莫大な費用がかかる。人生、ここ一番のときはそれなりの覚悟が必要。高額出費の覚悟は全身全霊の信仰の姿勢に似ている。信仰の道は生半可中途半端ではいけない。

2-5 人間の尊厳を回復し、保持するのは、自分の部屋、安心して枕できるところを確保すること。路上ホームレス救済の

入佐明美(釜が崎)、奥田知志(北九州市)の一致した意見。

2-6 建物は多くの職種、多様な材料が集まってできるもの。

     エクレシアの本質。家庭親族、職場、人間社会みな同じ。

2-7 無教会者の建築観は「本物主義」。内村鑑三の建築観の問題点。「無教会者で建築士は珍しい」と考える一部無教会者職業観の問題点。

2-8 人の体は神の神殿。復活のイエスが神殿。へブル書の精神。

2-9 建物は神の国の影。建物をみれば、建築主の品格がわかる。

2-10 建築は捧げもの。パウロ、バッハ、ラスキン「建築の七燈」

2-11 家が建つには犠牲の血が流される。建築現場の事故死。

2-12 建物を引き渡すときの祈り。「この家に末永く神の祝福がありますように」。娘を嫁がせる気持ち。「役目を果たせ」

 

  

3・地上の建物が消滅して、来世の「永遠の家」に希望を託す

 

3-1 我が家が目の前で焼ける。「天国の家は焼けない」との認識を得る。神を信じる者は失ったものは必ず回復される。

3-2 脳内出血で意識不明になる。神の力で助けられ、有体的復活のありうることを真に信じられるようになる。

3-3 建築と葬儀。神は土の体に霊の命を吹き込み、取り去る。

3-4 復活の希望は使徒伝承を信じることが土台。歴史の必要性。

 

4・涙とともに播くものは、喜びとともに刈りとらん。手紙二通。

 

4-1 建築を学ぶことによって生きる喜びを感じたという手紙

4-2「建築は一瞬、思い出は永遠」という手紙

4-3 涙とともに播くものは、喜びとともに刈りとらん。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●妻は中野の愛子のところに「子守り」の応援。

 

 

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絶え間ない痛み ++++++++ 所感

2009/03/16 07:34

090316(月)朝のひらめき「いざ来ませ異邦人の救い主」バッハカンタータ61-62●パウロは心に痛みがあった。それは肉親の救いである。●パウロは肉親が救われるいのならこの身は死んでもよい、神に捨てられてもよいと思ったパウロは超偉大である。キリストが身を捧げた心に通じる。

塚本訳  ロマ 9:2-3
9:2 (わたしが急にこんなことを言い出したら信じてくれないかも知れないが、)わたしに大きな悲しみと、心に絶えざる痛みとがあるのである。
9:3 ほんとうに、兄弟すなわち血を分けた同胞の(救われる)ためならば、このわたしは呪われて、救世主(の救い)から離れ落ちてもよいと、幾たび(神に)願ったことであろう。

新共同 ロマ 9:2-3
9:2 わたしには深い悲しみがあり、わたしの心には絶え間ない痛みがあります。
9:3 わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています。

●私もかって、脳内出血の時、「もしあの人に救いを分からせていただければこの際、この身は死んでもよい。お取りください」と真剣に祈ったことがある。●バッハのカンタータ61-62番「いざ来ませ。異邦人の救い主」は相手に悔い改めを迫るものではなく。神の側からの救いを祈る心である。聖霊というものが降らなければ人は「十字架の意味」がわからない。●これは再臨を待望する心と同じである。

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若ものと語る「無教会と信仰」 ++++++++ 所感

2009/03/15 22:54

090315(日)5時半起床。黒崎幸吉新約聖書デジタル化プロジェクト引照入力へブル9章。●妻と集会へ。●集会は丹野、小寺、望月●礼拝の前に3名が大きな声で私語をしていたので「静粛に!」と言ったら。シーンとなった。とにかく礼拝の雰囲気が欠落。喜んできているんだから自由でいいじゃないかないかというのは大間違い。なぜか。集会は親睦団体のサロンではないから。●終了後、講義のありかた、集会のありかたについて二人の人と懇談。●14:00今井館で「若ものと語る『無教会と信仰』」。パネリスト小澤平、小館知子、佐藤明。懇談の時間に私も発言した。無教会の問題点は「聖なる礼拝の雰囲気の欠如」。「平和運動をやっている人間は信仰が堕落している!」。●M氏(平和運動家)から反論。「そういうことを言う高橋さんと私は仲がよい。無教会はいろいろな人がいて一つの体である」●終了後木村護郎君(5ヶ国語を操るバイリンガル)と懇談。木村君はモラヴィアのヘルンフート兄弟団の集会に出たことがあってそれは無教会の集会とよく似ていたという。わたしはモラヴィア兄弟団は無教会の源流であると言った●17:30TGY合唱団+東京カンマーフィルハーモニー演奏会(同仁キリスト教会)。チェコ、ウィーンに言ったときの面々と会えた。指揮者の山本義人先生に挨拶。よく訓練された素晴らしく演奏であった。バッハ「主よ人の望みの喜びよ」は生演奏が迫力があってよかった。感動。この0曲、生演奏で聞くのはこんなにも素晴らしいものか!。

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捧げる喜び ++++++++ 所感

2009/03/14 07:16

090314(土)5時15分起床。今朝の黙想「捧げる喜び」●人が幸福になろうとする時の手段は「獲得」「安定」である。それは常に「ー」マイナスである。吸引である。奪うことである。しかしそれとは全く正反対の喜びがある。それは「捧げる」という喜びである。「+」プラスである。これは最高の喜びである。聖書にはこの「捧げる喜び」のことががたくさん出てくる。

塚本訳 ロマ 12:1
12:1 (このように、神は偉大な計画によって人類を一人のこらず救おうとしておられるのであって、救いは確かである。)だから、兄弟たちよ、わたしは神のこの慈悲を指してあなた達に勧める。あなた達の体を(感謝のしるしとして神に)捧げよ。この生きた聖なる犠牲こそ、神のお気に入るものであり、(霊なる神を拝むにふさわしい、)あなた達の霊的な礼拝である。(あなた達の礼拝は動物を供えるような不合理なものでなく、全心全霊をささげる合理的な礼拝でなければならならない)

塚本訳 Ⅱコリ2:15
2:15 というのは、わたし達は救われる者の間でも、滅びゆく者の間でも、神にささげられるためのキリストのよい薫である。


塚本訳 ガラ 2:20
2:20 わたしはもはや生きていない。キリストがわたしの中に生きておられる。いまわたしが肉体で生きるのは、わたしを愛し、このわたしのために自分をすてられた神の子を信ずる信仰によって生きているのである。

塚本訳 エペ 5:2
5:2 そして愛に歩め──キリストが君達を愛し、私達のために自分を『献げ物また犠牲』として献げ、神への『馨しい香りとなり』給うたように。

塚本訳 Ⅱテモ4:6
4:6 もう(直に)私は(犠牲の)血を注ぐのであって、別離の時は迫った。──

新共同 テト 2:14
2:14 キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。

塚本訳 ヘブ 10:10
10:10 この(神の)『御心』によって、イエス・キリストの『体が捧げられること』により、わたし達はただ一度かぎりで、きよめられているのである。

塚本訳  ヘブ 10:14
10:14 なぜなら、彼は(ただ)一つの捧げ物をもって、(その)きよめられた人々を永久に完全にされたからである。

塚本訳 ヘブ 11:17-18
11:17 信仰によって、『アブラハムは(神に)試されたとき、(燔祭として)イサクを捧げた。その独り子を』捧げようとしたのである。彼は(神の)約束を受け、
11:18 『イサクから生まれる者が、あなたの子孫となるべきである』と語られた者であった。

塚本訳 ヘブ 13:15
13:15 だからわたし達は、イエスによって『讃美の犠牲を』絶えず『神に捧げようではないか。(すなわち)これは御名をたたえる『唇の実』である。

塚本訳 Ⅰペテ2:5
2:5 そして君達自身も(主と同じく)活きた石として建てられて、霊の家となれ。これは君達が聖い祭司として、イエス・キリストによって神の御意に適う霊の供物を献げるためである

塚本訳  ヨハ 3:16
3:16 そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである。

●「捧げる」ということが最高の喜びであることは、聖書以外にもある。バッハの「音楽のささげもの」はフリードリッヒ大王という人間に捧げたもの。建築家のバイブルであるラスキン「建築の七燈」の第一章は「犠牲の燈」。ここでラスキンは建築は神に捧げるものでなければならない」と言っている。●建築も「捧げる」という気持ちがあるときによいものができる。「好きな人」のためには一肌も二肌も脱いで設計したくなるものである。金や義理や義務からの建築は命がない。よいものができない。●キリストは教会のために身を捧げた。

塚本訳 エペ 5:25
5:25 夫達よ、妻を愛せよ、キリストが教会を愛し、そのために自分を棄て給うたように。──

●「若者に告ぐ」。人間、間違っても営利組織それ自身の発展に身を捧げてはならない。遊びに身を捧げてはいけない。自分のこの世的安楽生活のために身を捧げてはならない。●マスコミと政治に身を捧げるな。それはむなしい。人格が破壊する。品性が落ちる。●次回の感話「建築を通して学んだ聖書」の原稿。聖書の深いところは実人生が教えてくれる●15:30家にいてばかりいると運動不足なので図書館に歩いてゆく。往復40分。●途中、身近な人間の救いはいかにしたらありうるのかを黙想●自己の深い罪に懊悩して十字架の救いにすがることなしに神を知る道はない。自己の罪悪性に戦慄し、窒息の苦しみに遭遇し、「助けてくれー」と心に念じるときにどこからか「十字架の光」が差し込む。そして救われて神の実在を知る。●罪の深い自覚は人間には指摘できない。聖なる神の光に照らされて初めてそれがわかる。だから人間は人間を導くのは難しいのだ。

塚本訳  ヘブ 4:12-13
4:12 というのは、神の言葉は生きていて、活動し、あらゆる諸刃の剣よりも鋭く、精神と霊魂と、関節と骨髄との境までも突きいって、心の考えと思いとを裁くからである。
4:13 かくて創造物は(何一つ)神の前にあらわれないものはない。(然り、)神の目には万物が裸で姿をあらわし、わたし達はこのお方に対して、勘定を払わねばならないのである

●17:00妻は合唱団「もくせい」のモーツァルト「レクイエム」の練習

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馬鹿だねー!君は ++++++++ 所感

2009/03/13 14:23

090313(金)昨日出勤したので、本日は休み。喉が腫れて痛む。送別会疲れか。過日のこと。某氏が「〇〇の馬鹿が・・・・」と言い始め、しかも2回も言ったのでびっくり。そこで「馬鹿」ということを瞑想する。広辞苑によれば馬鹿とは僧侶の隠語で梵語のmoha(慕何)が原語で「無知」の意味。新約聖書のギリシャ語では「ラカー」。周囲で聴いていてもあまりよい感じはしない。言う人間の品格を疑ってしまう。ところで人間は理性を失うと品格もなにも考えずに「馬鹿!」と怒鳴ってしまうことがある。イエスは次のように言う。

塚本訳 マタ 5:22
5:22
しかしわたしはあなた達に言う、兄弟に腹をたてる者は皆、(ただそれだけの理由で、天国の)裁判所で罰せられる。兄弟に馬鹿と言う者は、最高法院で罰せられる。畜生と言う者は、火の地獄で罰せられる。

あの人はわたしのことを「馬鹿」と言ったヮ」と表面の言葉だけで「律法的」に人を裁いてはならない。神は外側でなく心を見る。人が「馬鹿」と叫ぶ時は2種類ある。相手を潰そうとするときの「馬鹿!」。これはイエスの言う「殺人」の心。神に厳罰をくらう。あるいは相手に謝罪しなければならない。もう一つは相手を愛している時に出る「馬鹿!」後者の「馬鹿!」の実例二つ。某氏宅にお邪魔した時、その幼い子供が高い窓から身を乗り出した。そのとき父親の某氏はびっくりするぐらいの大声で「バカ」と怒鳴った。これは子を思う親の愛情からである。旧約聖書の泰斗であられた故関根正雄先生が今井館で講義をされたときのこと。終了してフロアーからIJ氏の質問があった。すると先生は万座の前で「馬鹿だねー!君は」と身を乗り出して言われた。わたしはびっくり。そのIJ氏は先生の愛弟子であった。これは弟子を愛するあまりの「馬鹿!」である。人生の不幸と思われることは実は神の「馬鹿だねー!君は」である。その「馬鹿」は人類一般の「馬鹿」ではなく、君は馬鹿だねーという「君」がついているところの「馬鹿」なのである。「不幸が続く時」それは神の「馬鹿だねー君は」が長く続いているのだ。●10年前に私の家が全焼し、その3か月後に今度は脳内出血という不幸が続いた。今にして思えばあれは神に「馬鹿ヤロー」「馬鹿ヤロー」と続けて怒鳴られたのだと信じている。「幸いなるかな悲しむ者。彼らは慰められん」(マタイ54)はこの角度からも真理である。ホームレスとはハウスレスではなく、自分を心配してくれる人がいない人のことだというだからウルサイ夫人に「もーどうなったて知らないワョ」と言われている人は貧しくてハウスレスであってもホームレスではない。●人間、夫からも妻からも子供からも「馬鹿だねー君は」と言われなくなったらおしまい。●イエスはパリサイ人は相手にしたが祭司階級のサドカイ人は相手にしなかった。自分の地位に安住していて悔い改めの見込みがなかったからである。「馬鹿だね-」という気も起きなったのかもしれない.●同じく、無教会主義を司祭や牧師に説いても通じない。自己の職業的地位の保身のために耳を貸さない。危険を感じて超激怒する。●900 喉が腫れたので池谷医院。3時間待ちで診察3分。待合室で次回感話「建築を通して学んだ聖書」の準備。

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家族の救いの心配 ++++++++ 所感

2009/03/12 08:07

090312(木)3時半起床。今日は勤務先総合研究所内部の送別会(退職と転部)なので出勤。●信者になったが故の最大の「心配」は家族が救われるのかどうかである。これはイエスの時、また初代教会の時からの深刻な問題であった。

塚本訳  ヨハ 14:22-23
14:22 イスカリオテでない方のユダが言う、「主よ、いったいどういうわけで、わたし達だけに御自分を現わし、この世(の人)にはそうしようとされないのですか。」
14:23 イエスは答えられた、「わたしを愛する者は、わたしの言葉を守る。するとわたしの父上はその人を愛され、わたし達は(父上もわたしも)、その人のところに行って、同居するであろう。

●このイエスの答えは謎である。まず人間の方からが神を求め(愛する)ことをしなければならないように見える。しかし生まれつきの人間は神を求めない。救いは最初に神の選びがなければならないという面があるからである。しかし「求めよ」ともあるから、「求めれば得られる」。するとわたしたちにできることは、心配の対象である家族が、神を求めるような「環境」を作っておくことが大切なのかもしれない。あとは神次第だ。

塚本訳   使  16:30-33
16:30 そして二人を外につれだして言った、「先生方、救われるにはどうしなければならないのですか。」
16:31 二人が言った、「主イエスを信じなさい。そうすればあなたも家族も救われる。」
16:32 そして彼に、家中の者も一緒にして、神の言葉を語った。
16:33 すると夜のそんな時刻であったが、牢番は二人を(井戸端に)連れていって打ち傷を洗い、一家こぞってその場で洗礼を受けた。

●この家族は何となく仲がよさそうである。親子兄弟親戚とはまず普通に人間的に仲が良くなければ福音は伝わらない。ところがそれができないのだ。信者は逆に家族から嫌われることが多いのだ。絶対恩恵の罪の赦し。家族がめちゃくちゃでも神の救いはあることを固く信じるより方法がない。このように追い詰められるのが普通の信者の宿命だ。イエスは言う。「家族を捨てよ」。これは家族の救いは神に任せよ、という意味だ。

塚本訳マタ 6:5-8
6:5 また祈る時には、偽善者のようにしてはならない。彼らは人に見せようとして、礼拝堂や大通りの角に立って祈ることを好むのである。アーメン、わたしは言う、彼らは(褒められた時、)すでに褒美をもらっている。
6:6 あなたが祈る時には、『奥座敷に入り、部屋をしめきった上で、』隠れた所においでになるあなたの父上に『祈れ。』そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。
6:7 また祈るとき、異教人のようにベラベラしゃべるな。彼らは口数が多ければ、聞いてもらえるものと思っている。
6:8 彼らの真似をしてはならない。神はあなた達の父上である。求める前から、あなた達に必要なものをよく御承知である。

●救いはただただ神の主権によるのみ。だから神にその主権を発動していただけるように必死にひたすら祈るのみである。それも相手にわかるように、これ見よがしでは効果がない。隠れた祈りでなければならない。相手に分かってしまったらいけない。ひそかに、相手に知られないように祈れば祈りは聞かれるらしい。

●退職の日が近づき、「通勤途中」の景色が名残惜しくなったので撮影した。

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あきる野。振り返るとあきる野連山。2009.3.12 8:33

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立川から座って神田駅下車。9年前、脳内出血の後、ゆっくり座ってこられる時間に出社してくださいとい言ってくださった故高橋時造理事長を思う。感謝。2009.3.12 9:58

 

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神田駅から小伝馬町まで歩く。向こうは日本橋。右側に父が生涯務めた「小西六写真工業」(現コニカミノルタ)がある。17年前に召された。父が通った道。父の退職の時は結核の再発で家庭療養をしているときの退職であった。家庭が暗く、あのとき子供たちは誰一人「御苦労さまでした」と言ってあげられなかったことを今になって悔やむ。悪かった。おかげさまで私は健康で退職の日を迎えられて感謝。

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小伝馬町にあるフジスタービル。この5-7階が「財団法人・建設物価調査会」。ここに55歳から10年半勤務した。病後、出勤条件を楽にしてくれたり、周囲の人がいたわって下さり感謝であった。

●12:30 17年前に設計した「佐竹ビル」の佐竹良好光氏を訪問。久しぶりにお伺いしたので道が分からなくなり、佐竹氏に途中まで迎えに来ていただいた。このビルも見納めだ。経堂聖書会の様子をお聞かせ頂き勉強になった。勤務先における留守中に初代総合研究所長の渡邊弘之氏(元建設省参事官、現全国公営住宅火災共済機構)が私の退職を知られて挨拶に来てくださったという。感謝●17:30 総合研究所が近所の寿司屋で退職の私と転部の3人の送別会を開いてくださった。感謝。

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総合研究所の松本精一部長(農学博士)と 2009.3.12 09

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右は次長の橋本真一君。橋本君には脳内出血で倒れてから9年間、いたわってくださり何事も大目に見ていただき、公私ともに大変お世話になった。感謝。左は丸木君、期待の人。2009.3.12 20:11

 

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左は池原君 右は中山君、期待の人たち。2009.20:15

 

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送別会で記念に頂いた花を妻が玄関に飾ってくれた。感謝 2009.3.12 22:54

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ここ一番の覚悟 ++++++++ 所感

2009/03/11 09:16

090311(水)朝の黙想。ルカ14:28-33「櫓の譬と戦争の譬」(塚本訳)、ルカ14:25-33{弟子の条件」(新j共同訳)は建築士として長年熟読してきた個所であるが、この年になり、また新たな読み方ができた。
イエスがここで言わんとすることは、「人生ここ一番のときは覚悟せよ」ということである。 これを別の角度から「聖書で聖書を読む」方法をしてみる。それは次である。

塚本訳  ルカ 9:61-62
9:61 もう一人のほかの人も言った、「主よ、お供します。ただその前に、家の者に暇乞いをさせてください。」
9:62 しかしイエスは言われた、「鋤に手をかけたあとで後を見る者は、神の国の役に立たない。」

●あるとき、家を新しくしたいと言いだされた御主人がいた。夫人はそばにいなかった。設計の受注ができたとと喜んで家に帰ったら、その夫人から電話、「さっき主人が何かお願いしたようですが、あれは主人一人の考えです。あの話はなかったことにしてください」。●こういうとき、イエスのこのルカの言葉「十分な費用があるかどうか、まず腰をすえて計算」しなさい。(ルカ14:28新共同訳)が効いてくる。建築士の私としても言いたい。建築するというのは莫大な費用がかかる。「人生ここ一番のときは、覚悟せよ」。軽はずみな心で人に設計を依頼するな。●結婚も同じ。「結婚はお互いに自己の死」である。それで初めて二人が一体となって「新しい人格」となるのだ。軽はずみな結婚はするな●NHK連続テレビ「篤姫」。乳母が篤姫を送り出すときに「女の道は一本にてござりまする。決して戻ってくるような恥のことはなさいますな」。この乳母にして篤姫あり。●熱血伝道者であった故藤沢武義氏夫人華子さん(故人)の結婚式では塚本先生は「本日限りであなたと子弟の関係を断つ。今からは先生でも弟子でもない。覚悟せよ」と厳命した。参列者は泣いたという。参列者のお一人であられた矢内原忠雄先生は、「こんなに泣く結婚式はゴメン」だと言われたという。●不肖私の場合、妻となる人に「貧乏になるかもしれないが、それでもよいか」と手紙に書いた覚えがある。●最近無教会の「定年伝道者」の堕落ぶりを耳にする。かなり勉強して活発であった人が晩年になって「伝道ヤーメタ」と言って隠退(?)した。九州地方!。もう一人も老齢化といえ毎日テレビばかり見ているという。これは東京!。エクレシアには定年や隠居があってはならないのだ!。こういうときもイエスの譬が効いてくる。イエスに言わせれば「途中で建築をやめるような見苦しことはするな」である。「それなら初めからヤルナ、みっともない。エクレシアに泥を塗るな」ということである。●クリスチャンの老年は「年金で遊ぶな」「クリスチャンの晩年は人生最後のここ一番の時だ」「後を見るな。覚悟せよ。全時間、全財産を主のために捧げよ」である。 ●私がテレビを見るので好きなのはボクシングの世界戦。始まる前の両選手のあの覚悟の顔つきが素晴らしい。それからたまにコンサートのときの舞台裏が撮影されることがある。そこではこれから舞台に出ていく演奏者の緊張した顔がある。演奏者は舞台に出ればニコニコしているが、出る前は違う。非常に緊張している●人間は所詮「屠られゆく羊」の一生である。死刑執行の身である。緊張の顔で生きなければならない。

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建築を通して学んだ聖書 ++++++++ 所感

2009/03/10 21:45

090310(火)4時半起床●「黒崎幸吉新約聖書デジタル化プロジェクト。へブル5章引照入力。●妻は中野の愛子の所に手伝いに行く。18:15帰宅●池谷医院で定期健診。医者は費用がかかるものだ。●次回感話の骨子を寝る。こういう文章を構築するのは建築設計と同じぐらいに喜悦だ。

  建築を通して学んだ聖書

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

はじめに 感謝の言葉

1・労働としての建築の意義を模索した若き日

2・建築を通して学んだ聖書

3・失われる建築で来世を望む

4・老人の住まいと復活体の希望

おわりに 生きる喜び

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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医者の帰り。きれいな空と雲。2009.3.10 17:07

風がつめたい。「早春賦」を歌いながら自転車で走った。

「春は名のみの風の寒さや」

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妻が「退職記念」と言ってネクタイを買ってくれた。

退職の日に妻がいてくれるのは感謝だ。40年の旅路。

2009.3.10 18:17

・禁を犯して22:00からTV。NHK「プロフェッショナル」。牧師の奥田知志(46歳)。お子様は現在愛真高校生徒。北九州市で路上ホームレスを立ち直らせている。その社会復帰率は90%と驚異的。「神は時々このような人を起こすなー」という感想をもった。賀川豊彦(神戸新川)、北原レイ子(アリの町のマリア)、マザーテレサ(カルカッタ)、A/シュヴァイツァー(アフリカ、ランバレネ)、入佐明美(大阪釜が崎)。●ホームレスを社会復帰させる秘訣は入佐さんと一致しているようだ。まず住むところ(アパート)を確保さすること。建築士のわたしとしてはこれが嬉しい。人が尊厳をとりもどすのは、お金でもない、食べ物でもない。安心して寝ることができる場所。●このような活動ぶりをみて「では私も」と考えるのは間違い。それはしばしば行為主義。神に押し出されなければならない。●人は各自が今いるところが「釜が崎」なのだ。世界の果てにまで伝道せよといって「現実を捨て」るのは間違い。「世界の果て」とは各自が今立っているところが「世界の果て」である。神学生や牧師がよく「山谷」に入り込むのは「ないものねだり」が多い。それを察する路上ホームレスは言う「余計なことはしないでくれ。放っておいてくれ」●ホームレスはハウスレスとは違う。それは人間関係がない人のこと。このことを学んだ、そうすると現代はハウスはあってもホームレスの人が多いのではないだろうか。●「個人情報の秘密」を振り回す人はホームレス予備軍。豊な人生にはならない

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祈ることができる人 ++++++++ 所感

2009/03/09 13:43

090309(月)4時半起床、出勤日●「北の国から」うれしいメール。「子供がお祈りをするようになりました」。●私「オーイ、母さん。孫がお祈りするようになったって!」。妻「アラー!よかったこと」●人間「祈ることができる」というのが最高。それが教育の最終目標。人生の最終目標。最高の価値●天地万物を支配する父なる神に祈ることができるというのは「人間の質」として最高。●祈りは「打ち出の小槌(こづち)」だから子や孫に「祈ること」を教えられたら天地万物を自分のものにする能力を与えたことになる。これ信仰の遺産。最高の遺産。●私は35才のとき、建築の工事会社から建築の設計事務所に招かれたが、招聘してしてくれたE氏には「高橋は祈ることができる男だ」という認識があった。E氏は晩年長い昏睡状態の末に召された。一日E氏を病院に見舞った私は耳元に口を近づけて大声で言った。「高橋です。高橋ですよ!」。E氏は眼を開けなかった。●世の中にはマスコミの中の低級人間が取り上げるランキングがある。この世的人間は人を見る眼をそこに置く。成績のランキング、学校の偏差値ランキング、企業のランキング、地価のランキング、所得ランキング、年収ランキング、マスコミの人気ランキング、美人のランキング。商品売れ行きランキング。しかしこれらの「この世的ランキング」はしばしば順序が入れ替わる。流行だからである。●イエスの人間の見方は、信仰の篤さのランキングである。信仰番付表がつくれそうなのでそのうちまとめてみる。イエスが「これほどの信仰は見たことがない」と驚いたのが「横綱」。十字架の上の強盗は大関。イエスの衣の裾にさわった「十二年長血の女」も大関。「税金取りと遊女たち」は関脇。疑う弟子たちは幕下。大祭司と聖書学者たちは序二段か番外。●地価倉庫にある資料ダンボール箱を再度整理。半分以下の5個と少なくなった。「思い出は捨てよ」「鋤に手をつけたあとで後ろを振りかえるのは神の国にふさわしくない」●建築主が逝去した建物の図面やデータは不要だ。火葬のときに棺桶のなかに故人が着ていた着物を入れて一緒に焼くことがある。この世の建物も、故人が着ていた着物と同じだ。一緒に焼かれるべきものなのだ。●この世の建物は「仮の宿」「着物」に過ぎないのだ。●「祈る」とか「信仰」とか「宗教」というとオウム真理教や得体の知れない御利益宗教きり浮かばない人間は教養の無い低級人間。なぜ低級か。その人間が神抜きで一生懸命に追求していることが「うまく」いかないことが多いのだ。仕事が行き詰まり、家庭が崩壊するのだ。そのときトンデモナイ宗教や占いに凝るから情けない●夫人に先立たれ、人生を悩んで無教会から「風水」という占いに凝った人間がいた。姓名判断にも凝り、私の名前も見てやろう、家の間取りも問題だなどと言い出した。無教会がしっかりしてなく、生命の喜びがないからこうなった。誰の責任だ。●大阪の日積サーベィの生島宣幸社長と建設物価総合研究所の橋本真一次長が私の「退職送別会」をしてくださった。於・東京駅八重洲口の新装大丸、「たん熊」。感謝。●席上、日積サーベイの生島社長はわたしが以前大阪講習会で語った話の一部に「いたく泣けた」という思い出を語ってくれた。それは拙宅にも来てくださったことのあるS建設の工事所長M氏の「生涯で一番つらかった瞬間」の話。●M氏が北海道赤平炭鉱の工事現場所長であった時のこと。転落事故で地元の人が死亡。こういうときには留守宅に報告に行くのが工事現場所長の役目。貧しい炭鉱長屋の玄関をガラッと開けると。奥から小さな子供の声。「アッ、父ちゃんが帰って来た」。・・・この時が生涯で一番辛かった瞬間であったという。●時は流れて、ある時、私はその北海道赤平に講習会に出かけたことがある。私は思った。「あの子供よ。いまいずこ!。まさか工事現場の所長をやっているのではあるまいなー」。何事も「現場には苦労や悩み悲しみが多い」のだ。●多くの人の協力が集中する現場の仕事は「紙と鉛筆」ではとても体得できない経験をするものだ。●「幸いなるかな貧しき者」「パンがなくとも人は生きられる」などという聖書の言葉は「人生の底辺の現場」でなければその真の意味は理解できない。実際に泣かなければわからないことだ

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わたしの退職記念会を開いてくださった。感謝。

2009.3.9 20:11

左、大阪の日積サーベィ生島宣幸社長

右、建設物価調査会総合研究所 橋本真一次長

於・東京駅八重洲口、新装の大丸。「たん熊」(京都の老舗)

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この階のトイレは、前面の壁がガラス張りで東京駅と丸ビルに向かって「放尿」するようなよい気分(?)になる。これはなかなかよい設計だ。またここに来たくなる(笑)。

2009.3.9 20:13

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美人になる方法 ++++++++ 所感

2009/03/08 05:50

090308(日)4時半起床●朝の黙想「神の愛に命を捧ぐ」。●間違っても次のことに命を捧げることはできない。金(勤務先、職業)、人間(家庭、子供)、仕事(地位、名声、成功)、喜び(遊び、享楽、音楽、スポーツ、サークル)、天下国家(地上王国の完成、地上の平和、自由、解放)、健康(長寿)、キリスト教(教会、集会、聖書)。幸福!。これらは小事。ところが神に身を捧げるとこれらの小事に尽くすことが大事であることに気が付く。なぜか。「神は独り子を賜うほどに『この世』を愛したまえり」だから。しかしこれを読み間違えてはいけない。神が愛されたのは「この世」そのものではなく、この世の『人』を愛されたのである。あくまでも「人」である。神は金や名声や地上王国を偶像としない。●地上の幸福を求めるな。神の愛に命を捧げよ。そうすれば求めている地上の幸福が結果として得られる。経済の安定、家庭の幸福、子供の教育、仕事の成功、そして美人になれる!美男子になれる!。

新共同 詩  45:3
45:3 あなたは人の子らのだれよりも美しく/あなたの唇は優雅に語る。あなたはとこしえに神の祝福を受ける方。

●神への従順が真の自由(ダンテ)。これは体験しなければわからない霊的なこと。人間は「苦」から自由になろうとして解放運動に熱心になる。勤務先の上司からの自由、他国からの自由、親からの自由、夫からの自由、妻からの自由。貧困からの自由。しかしいつまでも真の自由は得られない。常に不自由感、束縛感、にさいなまれる。なぜか。人間は「欲望の奴隷」だから。「罪の奴隷」だから。「悪魔の奴隷」だから。十字架の血潮で悪魔という主人から解放されると「罪と欲望の充足」という「給料」ではなく神から「霊の給料」を頂く。これ真の自由。これは「貰って見なきゃわからない」から言葉での説明は無理、無駄、徒労。●真の美人とは映画俳優や女性週刊誌の表紙に出てくるような人ではない。それは「この世的美人」。普通の人でよい。その人が神を信じると顔つきがよくなるのだ。目が輝いてくるのだ。優しくなるのだ。それが真の美人。見える人には見える。わかる人にはわかる。●一般的に「この世的美人」は中味が乏しい。話をしても話題が低級で面白くない。ぞっとする。いたたまれない。だから「この世的美人」の美しさにひっかかる男は、男の方も低級。●女性が目指すべきは「福音的美人」。つまり「神とつながっている人、神から常に栄養素をいただいている人。最近はあまりいないなー。天下国家を批判する人の目つきは悪く、お世辞にも美しいとは言えない。●集会は茂木、山本、小寺。●会の終了後、先週S長老からご注意を受けた讃美歌の歌い方について某氏と二人で反省会●14:00昭和女子大の短期大学部の卒業式。過日拙宅に来られた7名の内の一人、TMさんが学長賞を受賞されたのを知って嬉しかった。●在校生送辞、卒業生答辞。「仰げば尊し」の音楽で壇上にいた私は眼がウルウルになった。やはり卒業式はこの歌がよい。イマドキの若者の歌では騒がしい「お祭り卒業式」だ。

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昭和女子大のシンボルである「カリヨン」(鐘) 2009.3.8 13:54

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卒業式は人見記念講堂。トルストイ像の前で記念撮影。 2009.3.8 16:31

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神の子は人の姿になった ++++++++ 所感

2009/03/07 21:36

090307(土)黒崎幸吉新約聖書注解引照入力、へブル書2章。次の箇所に心打たれる。

新共同 ヘブ 2:14-15
2:14 ところで、子らは血と肉を備えているので、イエスもまた同様に、これらのものを備えられました。それは、死をつかさどる者、つまり悪魔を御自分の死によって滅ぼし、
2:15 死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを解放なさるためでした。


塚本訳 ヘブ 2:14-15
2:14 だから、『子らは』血と肉とを共有しているので、(イエス)彼自身も、(全く)同じようにこれを保たれた。(これはその)死によって、死の権力をもっている者、すなわち悪魔をほろぼし、
2:15 死を恐れ、全生涯(その)奴隷になっている彼ら(人類)を(のこらず)釈放するためであった。

●伝道は「教えてやる」という態度ではない。自らが「死」を目指さなければならない。●あきる野図書館。国会図書館から取りとせて貰った「来世と復活:(塚本虎二、斉藤茂、松村成沽著)は戦中のもので紙質が悪く、マイクロフィルムになっていたので、画像を筆記2時間、うでが痛くなった。斎藤先生の「空の墓」にたいする姿勢に同感。
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道徳的完全を求めるな ++++++++ 所感

2009/03/06 11:43

090306(金)出勤日。いよいよ今月一杯で退職。●しかし建築士に退職なし。クリスチャンに退職なし●人に向かって、また自分に対しても「道徳的完全を求めるな」。なぜか。どんなに道徳的に完全になったとしてもそれは所詮「肉」「この世」。いつかは焼かれて消え去るのだ。●人格がよくても神の栄光が上がらなればなにもならない。●それよりも自己の恥を披歴して神の栄光を上げよ●遊び人とは付き合うな。イエスも「パリサイ人のパン種に気をつけよ」と言った。「朱に交われば赤くなる」。●人間、その友人を見れば程度がわかる。夫人を見れば夫が分かる。その逆も同じ。子供をみれば親がわかる。なぜか。「樹はその実によって知らるる」とイエスがいう。●教会や集会の中に不信仰の種が少しでも交ったら早急に潰さなければならない。他の部分が腐るからである●教会(集会)でゴルフの話や遊びの話をする人間がいたら「ソドム・ゴモラ」。激しく叩き出さなければならない。遊びとは享楽にかぎらず信仰とは肌合いが異なる知的遊び。そういう人間は「キリストの香り」がしない。●教会(集会)は知的遊びのサロン化してはならない。神や信仰抜きの「人間的仲よしクラブ」を目指してはならない。なぜか。自然消滅するから●勤務先の地下倉庫にあるダンボール7箱分の資料を家に送付する手続き。これだけは残しておきたい設計図や見積書、それに私の著作の数々。これらは「買えない」保存すべき財産。

→ more・・ ・
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神に絶対信頼の心 ++++++++ 所感

2009/03/05 06:05

090305(木)朝の黙想。「神に絶対信頼の心」

①塚本訳マタ 4:4
4:4 しかし答えられた「『パンがなくとも人は生きられる。(もしなければ、)神はそのお口から出る言葉のひとつびとつで(パンを造って、)人を生かしてくださる』と(聖書に)書いてある。」

●これを誤解していた。パンがなければ神はウドンかご飯を作ってくれるのだと思っていた。そうではなかった。神への絶対信頼から「父なる神は何とかしてくださる」というその幼児の気持なのだ。ごはんかウドンかなどと考えなくてよい。●私の考えが間違っていたことは月収5万円で生活されている人に注意されてわかった。

②塚本訳 マタ 6:28-33
6:28 また、なぜ着物のことを心配するのか、野の花の育つのを、よく見てごらん、苦労をせず、紡ぐこともしない。
6:29 しかし、わたしは言う、栄華を極めたソロモン(王)でさえも、この花の一つほどに着飾ってはいなかった。
6:30 きょうは花咲き、あすは炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこんなに装ってくださるからには、ましてあなた達はなおさらのことではないか。信仰の小さい人たちよ!
6:31 だから、『何を食べよう』とか、『何を飲もう』とか、『何を着よう』とか言って、心配するな。
6:32 それは皆異教人のほしがるもの。あなた達の天の父上は、それが皆あなた達に必要なことをよく御承知である。
6:33 あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。

●これも①の絶対信頼の心からくる。人間の心配は他人に遅れれを取るまいとする比較から来る事が多い。建築設計において建築主の希望は「あの人の家と同じに」という希望が多い。つまらないことだ。独自性がない。●学校選択、職業選択、伴侶選択、子育てまた同じ。自戒。

③塚本訳マタ 8:23-26
8:23 舟に乗られると、弟子たちも従った。
8:24 するとにわかに湖に激しい嵐がおこって、ついに舟は波をかぶった。しかしイエスは眠っておられた。
8:25 弟子たちがそばに来て、「主よ、お助けください、溺れます」と言って起した。
8:26 彼らに言われる、「なんでそんなに臆病なのか、信仰の小さい人たちよ!」それから起き上がって風と湖とを叱りつけられると、(たちどころに)大凪になった。

●企業や家庭が経済的に潰れそうになったとき、グーグー寝ているのは「怠慢社員」「怠慢主人」。しかしあせって考えてもよい案が浮かばない。「父なる神が何とか助けてくださる」という絶対信頼があれば「悪い金」にてを出さずに切り抜けることができる。この辺が無神論者と信仰者の分かれ目。

④塚本訳 ヨハ 11:3-4
11:3 マリヤとマルタとはイエスに使をやって、「主よ、大変です。あなたの可愛がっておられる人が病気です」と言わせた。
11:4 イエスは聞いて言われた、「これは死ぬための病気ではない。神の栄光のためである。すなわち(神の栄光をあらわすために、)神の子(わたし)がこれによって栄光を受けるためである。」

●人間は家族が病気で今にも死にかけると「大変だー」と思う。それが自然。そのとき神を忘れる。神の助けなんかない。「人事を尽くして天命を待つ」だ。だから八方手を尽くそうと思うのが自然。わたしの場合。母が癌でb余命6っか月と宣告されたとき、癌患者の家族が陥る特有の精神的病、「予期悲嘆」にっかかった。こういうとき信者でも「神よりは医者だったり、薬」だったりする。私は信仰が薄かった。

⑤塚本訳マタ 14:28-31
14:28 ペテロが答えた、「主よ、あなたでしたら、どうかわたしに命令して、水の上を歩いてあなたの所へ行かせてください。」
14:29 「こちらに来なさい」とイエスが言われた。ペテロは舟から下り、水の上を歩いてイエスの所へ行った。
14:30 しかし(いま一足という所で)強い風を見たため、おじけがつき、沈みかけたので、「主よ、お助けください」と叫んだ。
14:31 イエスはすぐ手をのばし、ペテロをつかまえて言われる、「信仰の小さい人よ!なぜ疑うのか。」

●妻に「こういうときあなただったらどうする」と聞いた。すると「誰が言ったのかによって、信じて歩いて行く」と答えが来た、信仰は女性だ。●あの世界的な神学者エミールブルンナーは「私は初めの3年間、信仰なくて牧師をやってました」と語って周囲をびっくりさせたそうだが、そのときの信仰とは上記のような信仰。

⑥塚本訳マタ 26:51-53
26:51 すると、見よ、イエスと一しょにいた一人の人が手をのばして剣を抜き、大祭司の下男に切りかかって片耳をそぎ落してしまった。
26:52 その時イエスが言われる、「剣を鞘におさめよ。剣による者は皆、剣によって滅びる。
26:53 それとも、父上にお願いして十二軍団以上の天使を今すぐ送っていただくことが、わたしに出来ないと思うのか。

●「復讐はするな」の内的原理はここにある。神がやっつけてくれる。これも幼児の信頼。わたしのこと。兄にいじめらた弟が泣いてわたしのところにきたので「よーし。お父さんが注意しておく」と言ったら「絶対だよ。きつーくだよ」と言った。

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コンビニに聖書の拡大コピーに行く時に見た朝日。讃美歌「ひかりにあゆめよ」「聖なる聖なる」を歌いながら自転車を走らせた。 2009.3.5 6:19

  讃美歌326

1. ひかり に あゆめ よ, さらば ふかき

   みたま の まじわり たえず ぞ あらん.

 

2. ひかり に あゆめ よ, さらば また と

   この よ の けがれ に そまず ぞ あらん.

 

3. ひかり に あゆめ よ, さらば くらき

   たにま を  ゆく とも, やすく ぞ あらん.

 

4. ひかり に あゆめ よ, さらば はか も

   くちざる さかえ の かど と ぞ ならん.

 

5. ひかり に あゆめ よ, さらば きえぬ

   ひかり の みかみ は  こころ に まさん.

讃美歌  66

 1. せいなる, せいなる, せいなる かな,

   みつ に いまして ひとつ なる

   かみ の みな を ば あさまだき

   おきいでて こそ ほめ まつれ.

 

2. せいなる, せいなる, せいなる かな,

   かみの みまえ に せいと ら も,

   かむり を すてて ふし おがみ,

   みつかい たち も みな を ほむ.

 

3. せいなる, せいなる, せいなる かな,

   つみ ある め に は みえね ど も,

   みいつくしみ の みち たれる

   かみ の さかえ ぞ たぐい なき.

 

4. せいなる, せいなる, せいなる かな,

   みて の わざ なる もの みな は,

   みつ に いまして ひとつ なる

   かみ の おおみな ほめ まつらん.

●13:30 職場の「音楽の友」でヴィオリストの和田睦夫氏が来訪。妻も交えて「音楽談義」。お別れの懇親。わたしの好きな小品をCDで複数聴いていただいたら、皆似たような和音であり短調だと共通点を指摘してくださった。眼からウロコであった。

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和田睦夫氏がピアノを弾いて和音のレクチャーをしてくださった。

2009.3.5 15:20

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和田睦夫氏。音楽のことを教えて下さり感謝。  わたしの家が木でできていて、天井が高いので友人を連れて来て「弦楽四重奏」を演奏したいと言われた。歓迎だ。

2009.3.5 17:00 ごろ

●20:30 F・Eさんからパソコンの「Jバイブル」と「塚本訳研究」の使い方とプリントの方法の質問があった。電話の先で画面を見ていただきながらお答えする。しかしバイブルをパソコンで読む人の人口は増えそうにないという感じがした。なぜだろう。だからプリントしたくなるのか。●電気信号は物理的に実在ではないからだろうか。目に見えないからだろうか●神の子は肉体をとってこの世に来られた。復活も実在であった。有体的であった。●無教会主義はグノーシスか仏教と似たりよったりの危険、堕落寸前●神の霊はこれをいただいた人には実在だが、いただかない人には実在ではない。ここが難しいところ。

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後の橋を落とされる ++++++++ 所感

2009/03/04 13:14

080304(水)冷水で洗顔し気合いを入れて黒崎幸吉新約聖書注解デジタル化プロジェクト引照入力。コロサイ4章●79歳でまだ活躍中の建築家のY・K氏に電話で退職の挨拶をしたところ、「君はもう建築の第一線には立てない。聖書を研究してその方面の本を執筆したほうがよい」とショッキングなことを言われた。どの分野でも第一線から少しでも退くとその分野では使い物にならない。ましてや年金生活になったら廃人だ。●なにか後ろの橋を落とされた感じ。もう建築の第一線には立てない。戻れない。感覚がつかめないから笑われる。嫌われる●音楽家に定年なし、クリスチャンに定年なし。定年とはこの世の営利企業の決めること。●ということで、きれいさっぱりと建築とはおさらばだ。次回の感話は力点を変えて「神の国は建物に例えられる」とする。視点はひたすら「神の国」だ。●人間最後まで創造的な好きなことをやっていなければならない。その方が周囲に対してもよい。人間は隠居したら最後●I・Aさんから3月1日の集会感話「彼女を記念しなさい」を詳しく知りたいと言ってきたので、HPの「使徒伝承」にアップしましたと答えた。真理は宣伝しなくても伝わる●「第一線を退く」ということはどんな分野でも共通ではないか。「親としての第一線を退く」ということにも通じるのではないか。子供が独立したり結婚したりしたらいつまでも「親だ。親だったのだ」などと「親の風」を吹かせていてはいけないのだ。パウロがそうであったように最後までひたすら「前へ前へ」だ。顔を固く前に向けて進むのだ。

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 書斎の窓を開けると雪。寒い朝。 2009.3.4 6:24

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実務としての建築人生を終えるにあたって ++++++++ 所感

2009/03/03 18:38

090303(火)朝の囁き。罪と死に悩む同胞を救え。それは可能だ。残る生涯を捧げよ。●それにはどうすればよいのか。自分がさらしものになればよいのだ。自分を捨てれば良いのだ。 ●恥を「さらしもの」にすればよいのだ。恥は私に栄光は神に。

新共同 コロ 2:15
2:15 そして、もろもろの支配と権威の武装を解除し、キリストの勝利の列に従えて、公然とさらしものになさいました。

●今月で公益法人を定年を迎える。昭和女子大の講師は続ける。●実務としての建築人生50年を終えるに当たっての感想を次回の感話で話す。その骨子は次の通り。いろいろな思い出が去来して万感胸にせまる。建築という小事をやり遂げることができたことは感謝である。しかしはたしてこれで来世に迎えられる準備ができただろうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  神、建物、来世・・今去来するもの

       東京聖書読者会 2009.3.22 高橋照男

実務としての建築人生の現役を終了するにあたって。

建築工事会社勤務15年、建築設計事務所勤務20年、建設省所管公益法人勤務10年 合計45年。 現在は女子大で建築を教えている。

無教会の信徒として、建築という職業一筋に歩めたことを感謝する。

 

    職業としての建築に対する姿勢を学ぶ

1-1 塚本虎二著「救われた者の生涯」との出会い。

1-2 小事に忠なれ。建築は小事。小事が大事。家事の祝福(ガリラヤの道)

1-3 無教会者の職業観に学ぶ。伝道者になるな。

1-4 建築と葬儀。来世の住まいへの見送り。

 

    無教会の方々の家を造るように導かれたこと。27棟。

2-1 無教会者の建築観 本物主義。ラスキンの建築観と同じ

2-2 内村鑑三の芸術観 無教会主義の欠陥

2-3 美しい建物 「よし」と言った。「トーヴ」

2-4 福音の美、無教会の美

 

    職業の本質を教えてくれたすばらしい手紙

3-1 建築は一瞬、想い出は永遠 大塚紀美 節子

3-2 文化財としての建築 東京駅対八重洲口側ビル

 

    神の国は建物に譬えられる

4-1 安息の場としての建物。部屋がある。釜が崎

4-2 復活の体が建物 イエス

4-3 手にて作らぬ宮  ステパノ、使途のはたらき

4-4 永遠のすまい ルカ16:9

4-5 エクレシアが建物 パウロ 汲み上げられて教会

4-6 来世の住まい パウロ 壊れない家がある

4-7 肉体が建物 パウロ  肉体を脱ぎ捨てる

4-8 仮の宿  パウロ

4-9 からだのよみがえり イエス パウロ

 

    建築行為のプロセスを聖書に学ぶ

5-1 企画起案は神・・ 建てようとする心、願いを起こすのは神、実現も神

5-2 設計・・変貌の小屋

5-3 予算・・積算をする。建築積算の古典

5-4 普請・・力を合わせる。ブレーキになる人の排除

5-5 完成・・栄光の輝き、見えないものの放射

 

    失われる建築

5-1 ノアの洪水・・神は人類と文化を壊す

5-2 バベルの塔・・人間お計画をよしとしなかった神

5-3 ソドムとゴモラ 神の怒りと文化の崩壊

5-4 シロアムの櫓倒壊・・悔い改めなければ皆滅びる

5-5 エルサレム神殿の崩壊 美しい建物も壊れる

5-6 我が家の消失 天国の家は焼けない

5-6 肉体の崩壊 脳内出血。神の恩恵で再生

5-7 手塩にかけた建築が失われる。経済的理由。

5-8 よい建物は壊されない。目黒区役所、三井本館。

 

    老年人生とすまい

7-1 ヨセフに引き取られたマリヤ どのようなところで暮らしたか

7-2 無教会者の老後 好かれるか嫌われるか。どこに住むか

7-2 老年人生はどれだけのスペースが必要か

7-3 在宅看護が日本の目標。世帯数<住居数。問題は介護人

 

    来世の家に住むための準備

7-1 霊魂の安息の地  エホバの神殿を慕い

7-2 迎えられるということ アブラハムとラザロ

7-3 来世の家を今から建てておく トマス、インドの王様

7-4 霊魂不滅でなく有体的復活の希望 日本のキリスト教の試金石

7-5 墓誌。「また会う日まで」

 

使徒伝承 「黒崎幸吉著 注解新約聖書Web版」

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神の国 来世 建物 ++++++++ 所感

2009/03/02 11:37

090302(月)4時半起床●「黒崎幸吉新約聖書註解デジタル化プロジェクト」引照入力、コロサイ2章。出勤までの時間に一切の雑事をやめてただひたすら入力。イエスが弟子を遣わすとき「道で挨拶するな」と言ったことを思い出す。なにか一心にやるときは親戚知人周囲に「不義理をする」。●英語学者の斉藤秀三郎は、「一生のうちで子供の結婚式に出席する日の日数だけがもったいない」というほど英語に打ち込んだ●何かをやるのならこれぐらいの意気込みでなければならない●その「斉藤英和」は名著だがそれでも2割程度残して未完成。豊田実が補って完成。モーツァルトのレクイエムのようだ●次回3月22日にも感話を依頼されたので、建築の現業を去ることを考え、「神の国 来世 建物」として建築人生50年の感想を話そうと考え付いた。●真澄設計の細井所長とお別れ昼食会。●12日の総合研究所退職送別会に際してのことで幹事(中山君)と打ち合わせ。●昨年のプラハ演奏旅行のDVDを見た感想文を同行の人にメールした。海外旅行を一緒にした という体験はなぜか思い出に残る。日本を離れるからだろうか。

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出勤日・久しぶりの好天。出勤途中で奥多摩連山を撮影。

2009.3.2 8:31 

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仕事を終って、小伝馬町交差点の夕方。間もなくこの景色ともお別れだ。

2009.3.2 17:23

使徒伝承 「黒崎幸吉著 注解新約聖書Web版」

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