to 日記と感想 2009年04月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170812(土)14:00お江戸こらりあーず演奏会、文京シビックホール
    170821(土)15:00お江戸コラリアーズ定期演奏会、文京公会堂
    170809     TW誕生日
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170708(土)14:00在宅医療説明会(キララホール)
    170707(金)10:00池谷医院
    170706      TM誕生日
    170702(日) 集会感話
    170701      TT誕生日
    170630(金)12:20キララホールエントランスコンサート
    170628      IY誕生日
    170627(火)11:00 能城牧師来訪
    170625)日)10:10トミ子集会感話
    170625(日)14:00茅ヶ崎金子邸
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール
    170610(土)14:00内村鑑三セミナー、立教大学12号館。矢田部、椚」山
    170609(金)   TS命日
    170608(木)12:15ボリショイ「白鳥の湖」、東京文化会館
    170707(水)10:00池谷医院
    170604(日)10:00集会感話、
    170604(日)16:30近藤恵邸起工式、福島市。
    170530(火)14:00田岡氏来訪
    170527(土)14:00今井館ピアノコンサート
    170521(日)14:00新宿フィル、ブラームス1番、レスピーギ「鳥」「ローマの松」。和田睦夫
    170425       TN)誕生日
    150420(木)09:30阿伎留センター泌尿器科)
    170416(日)14:00武蔵野室内合奏団、杉並公会堂(大坪満子)


私はあなたの涙を知っている ++++++++ 所感

2009/04/30 06:22

090430(木)3時40分目覚め。朝のひらめき「私はあなたの涙を知っている」●人生で極度の悲しみに陥って涙するとき、懊悩するときに、どこからともなく霊で「私はあなたの涙、苦しさを知っている」という声がささやかれると「癒される」。その聖書的根拠は次の通りである。

新共同 黙  2:9
2:9 「わたしは、あなたの苦難や貧しさを知っている。だが、本当はあなたは豊かなのだ。自分はユダヤ人であると言う者どもが、あなたを非難していることを、わたしは知っている。実は、彼らはユダヤ人ではなく、サタンの集いに属している者どもである。


新共同 黙  2:2
2:2 「わたしは、あなたの行いと労苦と忍耐を知っており、また、あなたが悪者どもに我慢できず、自ら使徒と称して実はそうでない者どもを調べ、彼らのうそを見抜いたことも知っている。


塚本訳ロマ 8:26-27
8:26 しかし(創造物やわたし達神の子が苦しんでいると)同じように、御霊も、弱いわたし達を助けてくださる。すなわち、(神のみ心にかなうには)どう何を祈るべきかわからないので、御霊自身が、無言の呻きをもって(わたし達の祈りを神に)執り成してくださるのである。
8:27 しかし(人の)心を見抜くお方[神]は、御霊が何を求めているか、すなわち、御霊が神の御心にかなうように聖徒たちのために執り成しておられることを、(もちろん)御存じである。

●「受くるよりは与うるが幸い」とは新約聖書の基本理念。聖書的根拠は次の通り。

塚本訳  使  20:35
20:35 わたしはあらゆる機会にあなた達に例を示したのだから、あなた達も同じように一生懸命に働いて、経済的に恵まれない者たちを助けなさい。主イエス御自身が言われた、『与えるのは貰うより幸いである』という御言葉を忘れずに!」

 ●パウロは自ら汗を流して働いた。

塚本訳 Ⅰテサ2:9
2:9 兄弟達よ、私達の労苦と骨折りを(まだ)憶えているであろう。私達は君達の誰にも厄介をかけまいとして夜も昼も働きながら、君達に神の福音を伝えたのであった。

 ●教会において会計役員に睨まれている牧師の説教は強くない

 塚本訳 ルカ 22:25-26
22:25 するとイエスが言われた、「世間では王が人民を支配し、また主権者は自分を恩人と呼ばせる。
22:26 しかしあなた達はそれではいけない。あなた達の間では、一番えらい者が一番若輩のように、支配する者が給仕をする者のようになれ。

 ●学校教育も家庭教育も親もすべて「人間は恩人と呼ばれるようになりなさい」と指導しているが誤り。それは人生はこの世限りという人生観による。来世観が欠如。


塚本訳マタ 20:28
20:28 人の子(わたし)が来たのも仕えさせるためではない。仕えるため、多くの人のあがない金としてその命を与えるためである。」

 ●私の平均余命は17年間、6200日、15万時間。これ私の財産で使い方は自由だが、

  イエスは「財産を捨てよ」と言われる     


口語訳 箴  19:17-18
19:17 貧しい者をあわれむ者は主に貸すのだ、その施しは主が償われる。

 ●貧しさとは経済的、健康的、精神的、家庭的、学問的、社会的地位、など種々あるが、イエスが注目したのは「霊の貧しさ」。この貧しさこそ人間の尊厳が失われている貧しさ。それは罪に泣く人。「心の貧しい人は幸い」とはこの観点からわかる。

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秋留台公園でラジオ体操。2009.4.30 6:35

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秋留台公園の展望台・2009.4.30 6:50

●「負けるが勝ち」

人生において「押し問答」や「ののしりあい」は避けられないが、クリスチャンの場合、最後は相手に言わせておしまいにすることが相手に「貸し」を作ることだ。それは「主に貸す」ことでもある。やっつけておしまいはサッパリはするがよくない。「やられっぱなし」がよい。「押されっぱなしでおしまいがよい」「負けるが勝ち」とはクリスチャンにとって信仰的に意味のあることだ。なぜか、「主に貸す」ことになって実益だから。自戒。相手には言われっぱなし。やられっぱなし。嘘のつかれっぱなし、あらぬ中傷のされっぱなし、失礼なことのされっぱなし、不義理のされっぱなし、がよい。その聖書的根拠は次の通り。

塚本訳  ロマ 12:20
12:20 むしろ、『あなたの敵が飢えているなら、食べさせてやれ。渇いているなら、飲ませてやれ。こうするのはその頭に炭火を積むことであるから、(いつかは恥じて悔改める。)』

●「モーメント」

力が一点に集中しない場合、建築力学においてはモーメントが起こるのでまずい。それは部材が一点に集中しないでずれるときに起こる。それと同じことが「真面目人間」と「不真面目人間」は人生観や生活がずれているのでそこにモーメントが起こって「争い」。家庭内、エクレシア内で起こる「ずれ」はモーメントが発生して「争い」となる。解決の方法は「真面目人間は不真面目人間から離れる」「真面目人間は不真面目人間を直そうとしないで逃げる」。なぜか。人間を直そうとするのは神以外にできないから。人間は人間を直せない。「相手の救いを祈りつつ一目散に逃げよ」。「自分には到底手に負えないと思え」「匙を投げると好転する例が多い」「力を抜け」。

「バッハ、ロ短調ミサ曲」

●15:30妻は、オラトリオ研究会の「バッハロ短調ミサ曲」演奏会にサントリーホールに出かける。妻はこの曲が好きである。2005年にライプチッヒニコライ教会で歌った。わたしは何と言っても出だしの和音に圧倒される。震えが来るようだ。知人の葬儀でこれを使用した。

●「私を癒す名曲」。バッハ・ロ短調ミサ曲。

曲は次をクリック。試聴盤なので30秒だけだが十分。

http://musico.jp/contents/player.aspx?id=tTV0R&p=internal

演奏は Joshua Rifkin/The Bach Ensemble

●この曲の思い出。

MHさんの御夫人はまだ成人していないお二人のお子様を残して若くして召された。前夜式(仏教の通夜)の晩、MHさんは夫人の御遺体の前で大声で泣かれた。人生にはこういう辛い瞬間があるのだ。夫人は病気が重くなり御自分の命は長くはないと悟られた時、MHさんに苦労はかけまいと思って後妻を指定してから逝かれた。告別式で司式を司ったわたしは開会にバッハのロ短調ミサ曲の冒頭(上記URL)をテープで流した。史上最高の名演奏といわれるカールリヒター+ミュンヘンバッハ管弦楽団&合唱団のもの。MHさんはその後お子様の御病気のことでも御苦労された。しばらくしてキリスト教信仰を捨てられたが神はMHさんを捨ててはいないと信ずる。私としてはキリスト教信仰を去っていく人がいるのは一番悲しいのだ。この曲を聴くたびにMHさんのことを思う。MHさんは今頃どうしておられるのだろう。


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O○さん、倒れるな! ++++++++ 所感

2009/04/29 06:14

090429(水)4時目覚め。●難しい病気になり、志半ばで郷里に戻られるOOさんに手紙を書いた。あえて「公表」する。

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○○様

 ○○さんが難しい病気になり、東京を去って郷里で静養するということをお伺いしたときは、「神の手が触れた」と直感しました。人間雄飛するときは一時的に屈伸させられます。人生雌伏の時です。その例をあげれば、モーセ(ミデアン)、パウロ(アラビヤ)、イエス(荒野)、バンヤン(牢獄)、ミルトン(失明)、ベートーベン(失聴)・・・・・・○○さんの病が神からのものであり、一時的なものであることは信じて疑いません。ヒルティは「汗は血の薬」だと言っています。軽い労働での穏やかな日々は「自然治癒」をもたらすでしょう。○○さんに対する神の目的が終了したら、再び「立たせられる」ことは間違いありません。

詩人のワーズワースはミルトンに呼びかけて次のように言いました。

「ミルトンよ、今あれかし。英国は汝を要す。来たりて我らを教えよ」。

これは私が9年前に脳内出血で倒れ、意識不明になったときに、尊敬する詩人のA先生から即刻頂いたお葉書でした。同じように今この言葉を○○さんに送ります。

○○よ、倒るるなかれ。日本は今汝を要す。来たりて我らを教えよ」。

病後のわたしは最初はまともに歩けず、しゃべることもうまくできませんでしたが、リハビリのおかげでまっすぐ歩けるようになり、口も滑らかになりました(笑)。○○さんが御発表になるという論考に関しては事前に論戦のボクシングを何度もやりましたねー。

「雌伏」と言いましたが、何も東京に戻らなくとも、いたるところ「神の国」です。讃美歌90番「ここも神の御国なれば、天地(あめつち)御歌を歌いかわし。岩に樹々(きぎ)に空に海に、たえなる御業ぞあらわれたる」です。

かって○○さんの部屋でベートーヴェンのピアノソナタの名演奏を聴かせていただきました。あれは「楽興の時」(シューベルト)でした。

御郷里は気候温暖なところと伺っています。ご一家の上に神の祝福が末長く注がれんことを祈ります。奥様によろしくお伝えください。

 

                          2009.4.29 高橋照男

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●「私を癒す名曲」。シューベルト「楽興の時」第3番

曲は次をクリックすれば聴ける。

www.geocities.jp/mani359/meigakkyounotoki.html

●この曲の思い出。

これはNHKの長寿名番組「音楽の泉」のテーマ音楽。この番組を私は小学校、中学校のときに盛んに聴いた。当時の解説者は堀内敬三であった。氏が「レコードは・・・」というとき「レ」に力を入れる正確な発音であったのは、氏が専門の「工学」で米国に留学していたからである。その米国では趣味で音楽を聴いていたが、後にそれが専門になり、NHKの洋楽部長になられた。名詩名歌の翻訳も手掛けられた。日本青年館で一度お見受けした。御老齢で御家族に手を引かれていた。

●15:00妻と武祐一郎先生の講演会を聞きに行く。「武士道とキリスト教」(於・お茶の水韓国YMCAセンター)内容は「武士道に接ぎ木されたキリスト教」という内村鑑三の主張に対する疑問と批判。猛烈な勉強ぶりに脱帽。●84歳の武先生が老骨に鞭打っての無教会自己批判。この御年齢の方の無教会自己批判は新鮮。遅きに失した感がある。中年がボンクラであったのかもしれない●次の方々にあった。吉田秀雄(元連合設計社市谷建築事務所長83歳で頭脳明晰。ゆっくり話せて感謝)、故北林哲夫人(御主人召されて早15年)、田村光三、今野(独立学園)、荒木(横浜集会)、塩澤(東京聖書集会)、相澤忠一(今井館理事長)、武敏代(武祐一郎夫人)、小館美彦(登戸学寮)、小澤(春風集会)、

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あきる野に戻ると日はとっぷりと暮れた。前を歩くのは妻。(帽子をかぶっている)。私「ここに来ると空気がおいしいねー」。妻「そうですねー」。主よ今宵も安らかに憩わせ給え。平安な日々を送らせ給え。子供たち家族の一人一人が神の前に誠実で罪を犯しませんように。もし犯していたらお赦しください。

2009.4.29 18:02

●一家の中で誰か一人が神に対して罪を犯すと、一族郎党全員が滅びるから恐ろしい。全く罪のない子供にも災いが降る。アー困った、困った。あーかわいそうな子供たちよ。家庭の崩壊だ。お家断絶だ●それとは逆に誰か一人神の前に正しい人がいると他家族が悪くてもその家は滅びない。

 

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とりなしの祈り ++++++++ 所感

2009/04/28 09:42

090428(火)5時起床。風邪気味だが、咳こまずに済んで感謝。とにかく「黒崎プロジェクト」が終わるまでは死ぬわけにはいかない。脳梗塞になるわけには●朝の啓示「とりなしの祈りは聴かれる」。黒崎註解の使徒行伝の引照を入力していてに学ぶところがあった。●パウロはステパノが石打ちで殺される時には加害者の一員であった。

塚本訳 使  7:57-58
7:57 すると彼らは大声で叫び、(冒涜の言葉を聞くまいとして)耳をふさぎ、一せいに襲いかかって、
7:58 彼を町の外に突き出し、石で打ち殺した。証人たちはぬいだ上着をサウロという青年の足下に置い(て、番をさせ)た

塚本訳 使  8:1
8:1 サウロは(石は投げなかったが、)ステパノを殺すことに賛成であった。その日エルサレムの集会に対して大迫害がおこり、使徒たち以外(の信者)は皆、ユダヤとサマリヤとの田舎に散らばった。

●これに対してステパノは彼らを赦し、それだけでなく彼らの救いを祈った。このとりなしの祈りがパウロの救いにつながったと見る。

塚本訳 使  7:59-60
7:59 ステパノは打ち殺されながら、イエスの名を呼んで、「主イエス様、わたしの霊をお受けください」と祈り、
7:60 それからひざまずいて、大声で叫んだ、「主よ、どうぞこの罪をこの人たちに負わせないでください!」こう言って、彼は眠りについた。

●神はどうしてパウロを選んで使徒にしたのか。それはパウロが学識にすぐれていたからか。それもあるかも知れないが、それ以前の主たる原因はステパノの「とりなしの祈り」であったと見る。

塚本訳 使  9:3-5
9:3 ところが進んでいってダマスコに近づくと、突然、天から光がさして彼のまわりを照らした。
9:4 彼は地上に倒れ、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と言う声を聞いた。
9:5 サウロが言った、「主よ、あなたはどなたですか。」彼がいわれた、「わたしだ、あなたが迫害しているイエスだ。

●「とりなしの祈り」が聴かれるのはステパノのように「殺(や)られながら、相手を赦して祈る」その「とりなし」である。イエスがそうであった。

塚本訳 ルカ 23:33-34
23:33 髑髏という所に着くと、(兵卒らは)そこでイエスを十字架につけた。また罪人も、一人を右に、一人を左に(十字架につけた)。
23:34 するとイエスは言われた、「お父様、あの人たちを赦してやってください、何をしているか知らずにいるのです。」『彼らは籤を引いて、』イエスの『着物を自分たちで分けた。』

●「とてもイヤな人」に意地悪されたり、「軽く扱われたり」「無視されたり」「迫害されたり」「のけものにされたり」「あらぬことを中傷されたり」「攻撃されたり」「訴えられようとされたり」「悪口を言われたり」「約束をすっぽかされたり」「非礼なことをされたり」「トンデモナイことをされたり」「失礼なことを言われたり」「不動徳なことをされたり」「非常識、礼儀知らずのことをされたり」「生意気なことを言われたり」した時は「とりなしの祈り」をすれば心が安らぐ。なぜか。神がその人に「自分はトンデモナイ人間だ」といつかは気付かせてくれるからだ。「普通の人間」であれば必ずその時は来る。それはとりなしの祈りがあれば神が聴いてくださるから。神は生きておられる。ヒルティはこのことを「この世には倫理的世界秩序が厳然と働いていることを固く信ぜよ」と言っている。「人間の良心を信ぜよ」というわけだ。「神が裁く、神が裁く、神が注意する。神がしつけてくれる。神が教育してくれる。生きていると心に念じて神と人間との良心を信じ抜くのだ。●かくして迫害する人は「とりなしの祈り」によって神に覚えられいつかはパウロのように大回心をするときが来ないとも限らない。否、必ず来る。なぜか。神は生きておられるから。●この「とりなしの祈り」が教育とエクレシアの原点。教育は知識の切り売りでなく、エクレシアは遊びの場所ではない。

塚本訳  ロマ 12:19-20
12:19 愛する者たちよ、自分で仕返しをするな、(裁きの日の神の)怒りにまかせよ。こう書いてあるではないか、「主は言われる、『仕返しはわたしのもの、』わたしが『報いをする』と。」
12:20 むしろ、『あなたの敵が飢えているなら、食べさせてやれ。渇いているなら、飲ませてやれ。こうするのはその頭に炭火を積むことであるから、(いつかは恥じて悔改める。)』

●いくら「とりなしの祈り」をしても「恥じない」人間とは付き合うなとも聖書は言う。人生では「縁を切るべき」時があるものだ。かえってその方が相手のためによいことがある。時にはそのようにして好転したこともあった。匙を投げて自己の力を捨てたのがよかったのかもしれない。「縁を切れ」と示されることはある人に深入りしている自分が反省する時、気付かされる時でもある。なぜか。「愛は憎しみに変わる」からである。相手がどうしても変わらないときは、憎しみに変わらないうちに縁を切れとの警告である。

塚本訳 マタ 18:15-17
18:15 それで、もし兄弟が罪を犯し(て悔改めなかっ)たら、行って、あなたと二人だけの間で忠告をしてやりなさい。もし言うことを聞けば、あなたは(天の国のために)兄弟を一人もうけたのである。
18:16 しかし(どうしても)聞かないなら、ほかに一人か二人、一しょに連れてゆくがよい。『すべてのことは、二人もしくは三人の証言によって定められる』(というモーセの掟に従う)ためである。
18:17 しかし彼らの言うことを聞かないなら、集会に申し出よ。集会の言うことも聞かないなら、(その時は已むを得ないから、その人と交際をたって)異教人か税金取りのように思ってよろしい。

塚本訳  マタ 10:12-14
10:12 家に入ったらば、まず平安を祈れ。
10:13 もしその家が(その祈りをうけるのに)ふさわしければ、あなた達の(祈った)平安はかならずその家に臨み、もしふさわしくなければ、その平安はあなた達にもどってくる。(そしてあなた達のものとなるのである。)
10:14 しかし人があなた達を歓迎せず、あなた達の言葉に耳をかたむけないなら、(すぐ)その家なり町なりを(出てゆけ。そして)出てゆくとき、(縁を切った証拠に)足の埃を払いおとせ。

●「私を癒す名曲」。讃美歌57番。「みさかえこよなき 主なる神よ」

歌詞

1. みさかえ こよなき しゅ なる かみ よ,

   みまえ に いずる は  うれしき かな.

2. ただ しゅ を したいて しおん の みち を

   ふみゆく わが み は いと も たのし.

3. みまえ に つかうる ひとひ こそは,

   この よ の ちとせ に まさる もの を.

4. しゅ は わが しろ なり, また たて なり,

   めぐみ と ちから の みなもと なり.

5. みさかえ こよなき しゅ なる かみ よ,

   しゅ に よる みたみ は さち なる かな.

●曲は次をクリック。聴きながら再びこの画面を開ければ伴奏つきで歌える。

http://www.moclin.jp/hymnal/midi/hymn_1-057-o_god_of_hosts,_the_mighty_lord.mid

●この曲の思い出。

1989年、パリででのOECDの国際会議に建築専門家代表で出席した帰途、単独でイタリア旅行をした。ローマでは初代キリスト教徒の隠れ家と墓地であるカタコンベを訪れた。そこに首に一回りグルッと切り傷のある女性像があった。首を切られて殉教したのである。帰国してからこの讃美歌57番を歌った時、彼女のことを思って胸に迫るものがあった。特に3節の「みまえ に つかうる ひと日 こそは, この 世 の千年( ちとせ) に まさる もの を」はキリスト信者のあるべき人生観をあらわすものである。ただ健康で長生きするのが良いのではない。この短い一生を神に捧げて「花と散る」のが理想である。延命長寿を主たる目的とする日本の医学界に見るべき思想なし。あの殉教した女性は何歳だったのか、家族はいたのか、多分いなかったであろう。御両親はどうだったのだろう。望みのある有意な人生を振り切って殉教した女性。彼女にとって殉教の瞬間は「苦しみは瞬時にして喜びは永遠」の気持ちではなかったか。肉体は切り裂かれても霊魂で復活。そして永遠の生命だ。一粒の麦たる彼女の人生は悪のローマ帝国を倒した。わたしも彼女に見習いたい。 ことにわが身は一度脳内出血で意識不明になったのだ。今生きてるのは執行猶予期間。余命に未練を持ってはいけないのだ。

   

 

 

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不条理で不可解な人生 ++++++++ 所感

2009/04/27 06:15

090427(月)5時目覚め。朝の啓示「不条理で不可解な人生の時」。●次回感話の一項目にこれを入れる。

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「不条理で不可解な人生の旅。それは神を深く知るための時」

新共同 伝  3:1-8
3:1 何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
3:2 生まれる時、死ぬ時/植える時、植えたものを抜く時
3:3 殺す時、癒す時/破壊する時、建てる時
3:4 泣く時、笑う時/嘆く時、踊る時
3:5 石を放つ時、石を集める時/抱擁の時、抱擁を遠ざける時
3:6 求める時、失う時/保つ時、放つ時
3:7 裂く時、縫う時/黙する時、語る時
3:8 愛する時、憎む時/戦いの時、平和の時。


新共同 詩  90:10
90:10 人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十年を数えても/得るところは労苦と災いにすぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。

口語訳 伝  12:1
12:1 あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、

塚本訳  ヨハ 9:1-3
9:1 イエスは通りがかりに、生まれつきの盲人を見られた。
9:2 弟子たちが尋ねた、「先生、この人が盲で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか、両親ですか。」
9:3 イエスは答えられた、「この人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。ただ神の御業がこの人に現われるためである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●人生は時に「こんなに真面目に生きているこの俺が何の因果でこんな目に遭わなければならないのだ。神の馬鹿野郎!」と叫びたくなるときがあるものだ。これに対して人間は人間を納得させることはできない。慰めることはできない。神御自身がもっともっと「思いに優る」良いものを具体的に下さる時に初めて納得する。それは聖霊、永遠の命。●不条理で不可解のうち最大のものは病気。次に人間関係。「わたしとしたことが何でこんな人と結婚してしまったのだろう。失敗したー」「何でこんな子供が生まれたのだろう」「何でこんな親のもとに生まれたのだろう」「何でこんなに嫁にいじめられなければならないのだろう」「何で姑にいやみを言われなければならないのだろう」「何でアンな上司のもとで働かねばならないのだろう」「何であんな腑甲斐ない部下が来たのだろう」「息子は何であんな嫁を好きになったのだろう」「娘は何であんな男と一緒になったのだろう」「父親としては娘が付き合う男は誰であろうと気にくわない。虫がついたと思うだけ」「ウチの牧師は本当にしょうがない」「うちの教会の信者はなってない」「何であのような俗的信者(男女とも)がウチの教会・集会にウヨウヨいるのか」・・・・などなど。しかしこれらはみんな「あとの祭り」「運命。宿命」

●娘は結婚問題のとき「お母さん。どうしてあんなお父さんみたいな人と結婚したの」と妻に泣き崩れたことがある。しかし「親は選べない」。これが人生の宿命なのだ。娘の父親はこの私一人だ。変えることはできない。また親としても息子の嫁は選べない。ただ感謝していただくだけ。娘の夫も選べない。結婚していただけるだけで感謝と思わなければならない。これらは人生の最大難問。最高の悩み。人生の不可解な不条理。

●この難問を突破する聖句は次。自戒を込めて書く。

口語訳 Ⅰテモ4:4
4:4 神の造られたものは、みな良いものであって、感謝して受けるなら、何ひとつ捨てるべきものはない。

新改訳 Ⅰテモ4:4
4:4 神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。

新共同 Ⅰテモ4:4
4:4 というのは、神がお造りになったものはすべて良いものであり、感謝して受けるならば、何一つ捨てるものはないからです。

文語訳 Ⅰテモ4:4
4:4 神の造り給へる物はみな善し、感謝して受くる時は棄つべき物なし。

塚本訳 Ⅰテモ4:4
4:4 何故なら、神の創造り給うたものは皆佳く、感謝をもって受くれば廃り物は一つも無い。

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書斎の窓を開けると朝日。ずいぶん北から昇るようになった。

讃美歌23番「くるあさごとに」を思う。2009.4.27 5:33

●6:30 秋留台公園でラジオ体操。天気が良いので帰途写真を多く撮る。

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今日は菜の花の向こうに富士が良く見える。富士の真下は我が家。2009.4.27 6:53

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ツツジ畑の向こうに奥多摩連山を望む。あきる野市庁舎も写る。

「役人は神の使い」(ロマ13:1-2)。体制とみると見境もなく批判する人間の気が知れない。そういう人間は罰を受ける。第一にそういう人間に同調する人間は少ない。同調する人がいれば半人間でおかしい。

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菜の花の向こうに奥多摩連山。花の命は短いが精いっぱい伸びている。 2009.7.27 7:00

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家に到着。これから朝食、感謝。 2009.4.27 7:05

●終日「黒崎幸吉註解デジタル化プロジェクト」使徒9章の引照入力。

●18:00夕方散歩で図書館へ。奥多摩連山の夕陽を見ながら歩く。

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奥多摩連山に夕陽が落ちる。このような景色の時は必ず讃美歌43番が口に上る。

2009.4.27 18:16

●「私を癒す名曲:

讃美歌43番

歌詞

1. みかみ の たましい この ひ も くれけり,

   いざ や けさ の ごと みめぐみ を たたえん.

2. ひかり に むかいて めぐる ち と とも に,

   ち に ある みたみ は みわざ に いそしむ.

3. くにぐに, しまじま, しずか に あけゆき,

   いのり は もださず, ほめうた は つきず.

 4. われら に わかれて かくれし ひかげ は,

   にし に すむ とも を みわざ に ぞ さます.

5. おこりて ほろぶる よ の くに に かわり,

   ときわ に さかゆる みくに ぞ とうとき.

●曲は次をクリック。曲を流しながら、再びこの画面にもどれば伴奏つきで歌える。

http://www.moclin.jp/hymnal/midi/hymn_1-043-the_day_thou_gavest_lord_is_ended.mid

●この曲について

夕陽を見ると思わず口に上るのがこの曲。歌いながら歩く。家路につく。なんという素晴らしい詩なのだろう。天地と自然と人生が一致調和している。平和。平安。

 

 


 

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信仰が分かる道 ++++++++ 所感

2009/04/26 06:12

090426(日)5時半起床●朝の啓示「それはわたしだ」との出会い●聖書理解の唯一の道、信仰が分かる唯一の道、キリスト教が分かる唯一の道、それは神がその人に「それはわたしだ」と現れる時である。●この啓示をうけて全身に力が湧いた。すべての疑問が吹きとんだ。●今まで「信仰がわからない」と言って亡くなった方が何人かいる。信仰を持ちたくてももてないで死んで行った。その人にも「答え」が与えられた●神が人間に「それはわたしだ」「わたしがそれだ」「ありてあるもの」と霊でせまるとき、現れるとき、すべてが氷解する。●モーセ、ヨブ、イエス、ペテロ、使徒たち、ラザロの姉(?)のマルタ、ステパノ、パウロ、それ以後にも「それはわたしだ」(人間世界の言語で表現すればこうなる)との霊の迫りで眼が開いた人は多い。クリスチャンは何らかの形で神から「それはわたしだ」という示しを受けて信仰に入れるのだ。聖書以後でその代表者を一人上げればあの「パスカル」。最高の頭脳の持ち主がひとたに神の霊の顕現に接すると、それまでの数々の名声(今で言えばノーベル賞を複数受賞するぐらいのもの)をかなぐり捨てて「キリスト教弁証」に走った。死後、彼が着ていたチョッキの裏側に「私はアブラハム、イサク、ヤコブの神と出会ったのだ」という意味のことが書かれていた。●この世の人はこういう人を「キリストに狂った男」とさげすむであろう。パウロも「狂った男」だったのだ。パウロは狂ったように言う。

塚本訳 Ⅰコリ1:24-25
1:24 (神に)召された者だけには、ユダヤ人、異教人の別なく、(これこそ)神の力、また神の知恵なるキリストを(説くのである)。
1:25 というのは、神の(業はどんなに)馬鹿なこと(に見えても、それ)は人よりも知恵があり、神の(業はどんなに)無力(に見えても、それ)は人よりも力があるからである。

●次回の感話のタイトルを俄然次のように変更。

「『わたしがそれである』との出会い・・・・神が備える『その時』・・・」

●神が世界を創造された(創1:1)などという現代人には通じない論理は、自らの新生の体験を踏まえれば納得である。へブル11:3の「信仰によって、わたし達はこのこの世界が神の言葉で造られたことを知る」とあるが、この「信仰によって」とは「新生の体験によって」ということである。

●「わたしがそれである」と神が現れてくださるのは、人間が極度の悲しみや困難や行き詰まりや信じられないでいるときである。

弟子たちが舟を漕ぎ悩んでいるときに「わたしだ」と言って現れた。

塚本訳  マタ 14:24-27
14:24 (弟子たちの)舟はすでに幾スタデオも(一スタデオは約五分の一キロ)陸を離れていたが、向い風のため波になやまされていた。
14:25 第四夜回りのころ(すなわち夜明けの三時ごろ、)イエスは湖の上を歩いて彼らの所に来られた。
14:26 弟子たちはイエスが湖の上を歩いておられるのを見ると、幽霊だと思って肝をつぶし、恐ろしさのあまり叫んだ。
14:27 しかしイエスはすぐ彼らに話しかけて言われた、「安心せよ、わたしだ。こわがることはない。」

信じられないで困っている時にも「わたしだ」と現れてくださる。

愛する兄弟の死に悲しんでいたマルタに

塚本訳  ヨハ 11:21-26
11:21 マルタがイエスに言った、「主よ、あなたがここにいてくださったら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。
11:22 しかしあなたがお願いになることなら、神様は何でもかなえてくださることを、わたしは今でも知っています。」
11:23 イエスは言われる、「あなたの兄弟は生き返る。」
11:24 マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」

復活が信じられないトマスに

塚本訳  ルカ 24:36-39
24:36 二人がこう話しているところに、(突然)御自身でみなの真中に出ておいでになった。
24:37 ぞっとして震えあがり、幽霊でも見ているように思っていると、
24:38 彼らに言われた、「なにをうろたえるのか。なぜ心に疑いを起すのか。
24:39 わたしの手と足とを見てごらん。だれでもない、わたしだよ!さわってごらん、幽霊には肉も骨もないが、わたしには、それがあるのがわかるから。」

●では神はなぜ、あの自殺した友人に、集会を離れた友人に、信仰がわからないで逝った母に、「わたしだ」といって現れてくれなかったのか。マルタの嘆きはよくわかる。

塚本訳  ヨハ 11:21

マルタがイエスに言った、「主よ、あなたがここにいてくださったら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。

●しかし思う。神はすべての人に「わたしだ」と現れたく思っている。人間がそれを受け入れるか受け入れないかは二の次のことである。

信ずればよし、信じなくても神の心は変わらない。

●8:00妻と集会に出発●集会は横田、恵子・ホームズ、村上。●恵子・ホームズさんは在ロンドンから来日。英国人捕虜と日本軍人の和解という大きな働きをなさっておられる。人を赦すと顔が輝き、病気も治るという驚くべき奇跡を目の当たりに見るという。捕虜の扱いにひどいことをした日本人を赦す英国人は立派。「エリザベス女王から勲章をもらっている。「キリストは我らの平和」を思い出した。

新共同 エペ 2:14
2:14 実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、

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集会から家に戻る妻。前方は我が家。遠方は奥多摩連山。昔、二人であの山に登った。子供4人はすべて巣立ち、今は妻と二人だけの生活。 2009.4.26 14:19

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夕食前に散歩に出かける。上記写真とほぼ同じ方角を撮影。讃美歌49番を思う。いろいろこの世の苦難に押し潰されている人のことを思って心で泣きながら祈りながら歩く。2009.4.26 18:13

●私を癒す名曲

讃美歌49番

歌詞

1. ゆうひ おちて そら くらく,

   ね に ゆく とり かげ きえぬ.

   ほし は さめて はな ねむり,

   きょう は さりて よる は きぬ.

2. かみ よ, こよい よ も すがら

   みふところ に やすませて,

   てり かがやく みすがた を

   みさせ たまえ, ゆめじ にも.

3. なみ に のれる ふなびと も,

   みち に くれし たびびと も,

   めざす かた え ともないて

   つかせ たまえ, やすらか に.

4. あくる まで は みつかい の

   つばさ を もて おおい つつ,

   こころ きよき もの と して

   さまし たまえ, わが かみ よ.

●メロディーは次をクリック

http://www.moclin.jp/hymnal/midi/hymn_1-049-now_the_day_is_over.mid

●この曲について

この詩はすばらしい。キリスト信者の死生観をよく表している。信者にとって「死は眠り」。復活の朝に再び目覚めるのだ。最後4章節のメロディー(詩では第4行目のところ)がすばらしい。人生の最後の安息を表している。人間どうせ死ぬなら来世での復活を望み見て、信じきって死にたいものだ。

●風邪気味で力が入らず、「黒崎プロジェクト」は休み。「千里の道も一歩から」これはノロノロ運転で行こう。●代わりに次回感話の準備。

使徒伝承 「黒崎幸吉著 注解新約聖書Web版」

       http://stonepillow.dee.cc/



 


 

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「わたしがそれである」との出会い ++++++++ 所感

2009/04/25 08:08

090425(土)4時半起床。久しぶりで朝風呂に入り、黙想。●次回(5月3日)感話の骨子をまとめる。聖書的根拠は省略して次に掲げる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  神が備える「その時」
「わたしがそれである」との出会い
 
           東京聖書読者会 2009.5.3 高橋照男


わたしがそれである・・・・・エゴーエイミ


● 神が天地と人間を創造した時
● キリスト誕生の時
● キリストが世にいます時
● 十字架の時
● 復活の時
● 復活のイエスが有体的に現れた時
● 聖霊が下る時
● 福音が播かれる時
● 人に神の存在が分かる時
● 三位一体の信仰の時
● 真の礼拝者が誕生する時
● 信仰を失う時。エクレシア(教会・集会)から神の霊が去る時、
● 地上の人生の時。「わたしがそれである」との出会いの時。
● 信者の人生は苦しみの時
● 死、それは眠りの時
● 陰府にいる時
● 終末、再臨で呼び出される時
● 永遠の生命に生きる時

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●午前中は「黒崎幸吉新約聖書註解デジタル化」使徒8章の引照入力。●雨の中を図書館。CD4枚借りる。

●「私を癒す名曲。

ヘンデル:歌劇《クセルクセス》から アリア「オンブラ・マイ・フ」

歌詞 ・・・各種あるが林一訳が一番良い。原詩はイタリア語

[ なつかしい木陰]

わがいとしのプラタナスの

若く美しい枝葉よ

お前のお陰で、わが運命も輝こう

雷鳴も雷光も嵐も

お前の平和を乱しはしない

荒々しい南風もお前の美しさを汚しはしない

二人やさしく

愛すべき木陰を

与えてくれた植物が

ほかにあったであろうか?

●メロディーは次のサイトをクリック。下までスクロールして►ボタンを押す。本来は歌曲だが、ここではヴァイオリン。

http://www.voiceblog.jp/andotowa/206001.html

●この曲について

歌劇「クセtルクセス」の冒頭のアリア。普通うヘンデルの「ラルゴ」と言えばこの曲を指すほど有名。「なつかしい木陰」と訳されるが「やすらぎの木陰」とも訳され、私はこの方がぴったり。クセルクセス王のことは旧約聖書エズラ記にあるが勉強不足。20年ほど前にキャスリーンバトルが歌うCMでわが国で大ブームになった。しかし今日でも「癒し度」の上位にある。このメロディーでなぜ癒されるのか、その音楽的原理を知りたい。わたしはCDを8種類保有している。甲乙つけがたいがあえて「これだ」と言えばホセカレーラス。それぞれの感想を書く。

①ホセカレーラス(テノール)・・・・あの独特の節回しがあって「血湧き肉踊る」という感じ。家に客が来ると聞いてもらう。

②アレッドジューンズ(ボーイソプラノ)・・・・・おそらく青筋を立てて歌っているであろうその一生懸命さに打たれる。家に音楽愛好家がくるとこれも聴いていただく。

③ベニアミーノ・ジーり(テノール1890-1957)・・・骨太のテノールで。ぞくぞくっとくる。真打という感じ。このCDは貴重。

④レナータ・テバルディ(ソプラノ)・・・・・・ソプラノではこれが最高。大御所という感じ

⑤鮫島有美子(ソプラノ)・・・・我が鮫島有美子はさすが日本人。しっくりする。

⑥マリリン・ホーン(ソプラノ)・・・もっとじっくり歌えばよいのだが。

⑦ジャネット・ベイカー(メゾ・ソプラニ)・・・怖いおばさんという感じ。

⑧長島伸子・・・・残念ながら録音不良

●かって地元の「キララホール」にソプラノの佐藤しのぶが来てこれを歌った。最前列で聴いたがその声量にびっくり。この曲はもっとヘンデルらしく歌わなければならない。やたら声を張り上げて歌うものではない。

 

 



 

 


 

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ヨブの妻は悪妻か ++++++++ 所感

2009/04/24 05:55

090424(金)5時半起床。朝のひらめき「見よ、今は救いの時」 (Ⅱコリ6:2)。人生というのは神を知る「時」「期間」なのだ。それは臨終でもよい。否、陰府でもよい。否、来世でもよい。なぜか、来世はこの世と「地続き」なのだ。●イエスの次の言葉は日本人にとっては、否、唯物論者にとっては「仰天」である。人間は死んでも霊で生きるのだ。

塚本訳 マタ 22:29-32
22:29 イエスは答えられた、「あなた達は聖書も神の力も知らないので、間違いをしている。
22:30 復活の折には、めとることもなく嫁ぐこともなく、ちょうど天の使いのようである。
22:31 死人の復活については、(聖書にはっきり書いてある。)神があなた達に言われたこの言葉を読んだことがないのか。──
22:32 『わたしはアブラハムの神、またイサクの神、またヤコブの神である』と。(ところで)神は死人の神ではなく、生きている者の神である。(だからアブラハム、イサクなども復活して、今生きているわけではないか。」

●「ヨブの妻は悪妻か」について黙想。・・・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 によれば「世界三大悪妻 」は次の通り。

クサンティッペ(哲学者ソクラテスの妻)
コンスタンツェ・モーツァルト(作曲家モーツァルトの妻)
ソフィア・トルストイ(作家トルストイの妻)

悪妻の定義は次の通り

過度の浪費、賭博好き
浮気
夫に対する暴力
したがって、金銭的な問題と夫に対する愛情の欠如という問題に集約できるものと見られる。

三大悪妻のほかに歴史上「悪妻」とささやかれた人物はjかなりあるが、その実態を観察して総括すると

権力欲が強い
嫉妬深い
自己主張が強い
夫に従順でない
などが基準になっていると考えられる。

・・・・と「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 に書いてある。

ここからが私の言葉。●聖書の中の「悪妻」は誰か。それは「ヨブの妻」が筆頭にあげられる。なぜか。ヨブが不幸や病気で苦しんでいる時、次のように言った。

新共同 ヨブ 2:9
2:9 彼の妻は、/「どこまでも無垢でいるのですか。神を呪って、死ぬ方がましでしょう」

これに対してヨブは「バカモン。お前を見損なった。離婚だ」とは言わないで次のように言ったというのだから「偉い」

新共同 ヨブ 2:10
2:10 ヨブは答えた。「お前まで愚かなことを言うのか。わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」

●ところで、このあと「ヨブの妻」はどうしたか。これに対して聖書は「沈黙」。このことに関してある日本の聖書註解で「きっと毎日黙々とごはんを作っていたのであろう」と。この解釈の深さにショックであった。このような解説は外国の註解書には絶対に出てこない。●聖書の有名人の背後には「ご飯を作ってくれる人がいるのだ」その夫人はたまには夫に厳しいけれども結局は「良妻」なのだ。ヨブの妻もある日たまりかねて思わず「神を呪って死になさい」などと言ったが、結局は「ご飯を作り続けた」のではないか。●ヨブの妻は悪妻ではないというのが私の考え。●里帰りしている妻はあと二日すれば帰って来て「暖かいごはん」を作ってくれる。もう少しだ(笑)。

●10年前に私が火災に遭い、続けざまに脳内出血で倒れたとき、ある人が「現代のヨブのようですね」と言われた。尊敬するAA先生からは「現代のヨブよ倒れるなかれ」と激励のお手紙をくださった。人間は所詮みな「現代のヨブ」なのだ。その時はヨブのように「わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」(ヨブ2:10)と言わなければならないのだ。

●NHKニュースで「親のお見合いパーティ」という報道。全国から殺到。一時間半で定員オーバー。自分の子供の写真と経歴書を何枚も持参して会場に集まる。これを「代理婚活(結婚活動)」というのだそうだ。親は真剣そのもの。この背景には30代半ばでの独身者の8割は親と同居という実態があるからだそうだ。●子供というのはだれも親を嫌って、いわば「家出」同然で結婚するのが生物学的に自然の姿なのかもしれない。親は捨てられる。聖書的には次だ。

塚本訳  マタ 19:4-5
19:4 答えて言われた、「造物者が始めから『彼らを男と女とに造られた』こと、
19:5 また、『それゆえに人は父と母とをすてて妻に結びつき、二人は一体となる』と言われたことを、あなた達は読んだことがないのか。

●ここの翻訳で塚本訳は赤字のように「すてて」と儒教道徳の日本では受け入れられないような訳になってりる。この「すてて」は他の訳は「離れて」となっている。言語的に詳しいことはわからないが、これは現実ではない。子供は親を捨てなければ結婚はできないのだ。これ実感。●先のNHK報道で、親同士がよかれと思ってその子供同士が見合いをしたが「物別れ」になった例も報道。そーだろーなーと思った。生物学的生理的に不自然なのだ。

●「私を癒す名曲」椰子の実

http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=yNXM5mTzL2c

これはあまりに日本的抒情過ぎる。救いはない。もっと明るくありたい。シラーの詩のように「友よ、その調べではないのだ」である。そこでやはり前向きに明るく讃美歌を取り上げる。

●「私を癒す名曲」 讃美歌2番

歌詞

1. いざや とも に こえ うち あげ て,

   くしき みわざ ほめ うたわ まし,

   つくり まし し あめ つち みな,

   かみ に より て よろこび あり 

2. はは の むね に あり し とき より,

   わが ふむ みち さきわい たもう.

   いま も のち も あだ を ふせぎ,

   よ の わざわい のぞき たまわん.

3. まよい を さり, やすき を あたえ,

   つね に めぐみ なぐさめ たもう.

   ちち なる かみ, みこ, みたま に,

   よよ みいつと みさかえ あれ.

●曲は次をクリック。

http://www.moclin.jp/hymnal/midi/hymn_1-002-nun_danket_alle_gott.mid

●これは歌詞も曲も実に壮大で「礼拝」にふさわしい曲。体中が喜ぶ。「ミラノ司教であったアンブロシウスとその弟子のアウグスチヌスの合作」と言われている。4~5世紀にまでさかのぼる名歌である。ビリビリッと来る。特に2節の「母の胸にありしときより」はパウロの次の言葉を思い出す。

塚本訳 ガラ 1:15
1:15 しかし『わたしが母の胎内にいる時から』(すでに)わたしを聖別し、また恩恵によって『召された』お方[神]が、

私を生む時に「苦しんでくれた」母は、その父母の離婚で不遇な人生になった。私はそんな母に何とか神の救いにあずかって貰おうと祈りに篤いものがあったが、神は聴いてくれなかった。しかし母の臨終のときの不思議な光景を見て、信仰はなくとも神の方で母を覚えていてくださるという確信を得て安心した。また信仰なくして死んだ人が終末まで待つという「陰府」の存在も内的要求から信じざるを得なくなった。

使徒伝承 「黒崎幸吉著 注解新約聖書Web版」

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愛の人とは ++++++++ 所感

2009/04/23 08:50

090423(木)5時半起床。寝床で黙想。「キリストの香り」「愛の定義(1コリ13章」「愛の人」「信ずるだけでなく苦しむことも賜った」「キリストの苦しみの欠けたるを補う(キリストの体なるエクレシアの誕生)」「踏みつけられてもじっと我慢(マタイ5:5塚本訳)」「信じて待ち続ける」

文語訳 Ⅰコリ13:4-8
13:4 愛は寛容にして慈悲あり。愛は妬まず、愛は誇らず、驕らず、
13:5 非禮を行はず、己の利を求めず、憤ほらず、人の惡を念はず、
13:6 不義を喜ばずして、眞理の喜ぶところを喜び、
13:7 凡そ事忍び、おほよそ事信じ、おほよそ事望み、おほよそ事耐ふるなり。
13:8 愛は長久までも絶ゆることなし。然れど預言は癈れ、異言は止み、知識もまた癈らん。


口語訳 Ⅰコリ13:4-8
13:4 愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。
13:5 不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
13:6 不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
13:7 そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
13:8 愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。


新共同 Ⅰコリ13:4-8
13:4 愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。
13:5 礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。
13:6 不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
13:7 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
13:8 愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、


塚本訳 Ⅰコリ13:4-8
13:4 愛はじっと辛抱する、愛は親切である。妬まない、愛は自慢しない、得意にならない。
13:5 無作法をしない、自分勝手をしない。激昂しない、『(人の)悪いことを根にもたない』。
13:6 偽りを見て喜ばない、むしろ真理を喜ぶ。
13:7 すべてを我慢し、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐え忍ぶ。
13:8 愛は決してすたらない。預言も無くなるであろう、霊言もやむであろう、知識も無くなるであろう。

 

●6:30秋留台公園でラジオ体操。それから写真。

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秋留台公園の展望台に登る。赤いツツジの小山。白い花水木、遠方は神奈川県の丹沢、今日の空は青い。

アー麗しきシオンの朝8讃美歌(216番)  2009.4.23 6:54

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家に戻る。白壁に強烈な朝日。思わず撮影。日本家屋には白壁が合うことは伝統藝術、伝統文化。建築の色彩は個人的趣味で決定してはいけない。みんなの目に触れるから。

2009.4.23 7:10

●OM氏からのメールの中に「猿知恵」という言葉があったので、次のように返メール。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ところで、貴メールでの「猿知恵」という言葉に考えさせられました。人間の文明はこれ全て神から見れば「猿知恵」なのではないでしょうか。高く(高層ビル)速く(エレクトロニクス)、強く(軍事)、長く(長寿)、大きく(国家)・・・・・「神笑い給う」です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●終日「黒崎プロジェクト」。使徒7章。ステパノが石打ち刑にされたとき、パウロは加害者側にいた。そんなパウロをも神は赦して復活のイエスを現してくださった。パウロの罪の自覚の深さは、ステパノ殺しではないだろうか。誰かが殺されなければ福音は伝わらない。●居間のテレビが故障。寿命らしい。書斎の小型テレビを移動。地デジテレビに買い替えなければならないのは2011年7月24日まで。それまで我慢●福島のKHさんに電話。英国の宗教音楽家ラターのCDをコピーさせていただくことにした。

●私を癒す名曲。讃美歌75番

歌詞

1. もの みな こぞりて みかみ を たたえ よ,

   はれるや, はれるや.

   ひかり の もと なる ひ を つくり ましし

   みかみ を たたえ よ,

   はれるや, はれるや, はれるや.

2. つき かげ さやか に みそら に かがやく,

   はれるや, はれるや.

   きらめく ほし を も しずかに みちびく

   みかみ を たたえ よ.

   はれるや, はれるや, はれるや.

3. おがわ の ながれ は ほめごと ささやく,

   はれるや, はれるや.

   みのり も ゆたけき だいち を あたえし

   みかみ を たたえ よ.

   はれるや, はれるや, はれるや.

4. よ の なやみ も し も いかで おそる べき,

   はれるや, はれるや.

   たがい に たすくる こころ を たまいし

   みかみをたたえ よ,

   はれるや, はれるや, はれるや.

●曲は次をクリック

http://www.moclin.jp/hymnal/midi/hymn_1-075-laudato_sia_dio_mio_signore.mid

●この曲の感想。この讃美歌の詩に出会った時。天地万有に向かって「神をほめたたえよ」と歌う被造物の「長」たる人間のすごさというものを感じた。あとになって、この作詞者はあのアッシジのフランチェスコ81181-1226)であることがわかった。さすがだと思った。この詩は旧約聖書の詩篇にも匹敵する雄大さがある。裕福な家に生まれたがために放蕩の生活であったが、後に回心、一転清貧の生活になる。フランチェスコは「自然」を讃えるのでこのような美しい詩が生まれたのである。思想も生活態度も世界的に影響を与えた。45歳で召されるとは、短い生涯であった。米国のサンフランシスコは彼の名にちなんだ都市名。マザーテレサは彼の思想信条生活に影響を受けた。人間はこの世的に貧しい(金も地位も知識も)と神の国に富む。

 

 

 

 

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家路 ++++++++ 所感

2009/04/22 20:57

090422(水)4時目覚め。寝床で次回集会感話の黙想構想。こういうのは朝にがぎる。●冷水で洗顔して「黒崎プロジェクト」開始●6:30秋留台公園でラジオ体操。

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花水木の美しい季節だ。2009.4.22 6:49

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書斎の窓。花は妻が生けてくれる。 2009.4.22 6:59

●14:30 妻は3日間の里帰りで福島県のいわき市に出発。里には少し痴呆の進んだ母が待っている。この年齢になっても母は母なのだなー。里の「家路」を急ぐときはいつもうれしそうだ。わたしは49歳で父を、60歳で母を送った。「孝行したい時には親はなし」「墓に布団はかけられない」は真理だ。

●「私を癒す名曲」

ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 作品95 「新世界より」 第2楽章

●メロディーは次のサイトをクリック。最後までスクロールして►ボタンを押す。

http://www.voiceblog.jp/andotowa/402361.html

●この曲の思い出。

中学生の時。カラヤンが来日してNHK交響楽団を振った最初のころだったと思う。テレビがどこの家にもなかったので、よその家でこの「新世界」の演奏を見せてもらって衝撃。カラヤンはこの第二楽章のイングリッシュホルンの奏でる「家路」のメロディーのところで、指揮をしない。手を顔の前で左右に静かに動かしているだけ。あとで知ったのだが、カラヤンはオーケストラの演奏において独奏楽器が演奏する部分(たとえばこの「新世界」第二楽章のイングリッシュホルンがの演奏)では指揮をしないそうだ。その理由は独奏者が「今はわたしがオーケストラを引っ張っているのだ」という自覚を持たせてのびのびとやらせるためだという。わたしはこの一言でカラヤンがすっかり好きになった。この精神はチームで仕事をするときの「心得」なのだ。今日、妻は福島に「家路」を急いだ。三日間私は「指揮」をしない。自由になって貰いたい。

使徒伝承 「黒崎幸吉著 注解新約聖書Web版」

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神が備える「その時」 ++++++++ 所感

2009/04/21 05:46

090421(火)4時目覚め●朝の黙想「神が備える『その時』」。早起きは三文の得。次回感話の準備ができた。その骨子。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

神が備える「その時」

①生まれる時

②律法の時

③キリストの時

③有体的復活の時

⑤聖霊が下る時

⑥宣教の時

⑦悔い改めの時、神を知る時

⑧人生の期間という時

⑨死、その眠りの時

➉終末と再臨の時

⑪永遠の命に生きる時

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●イライラするとき。

人間関係でイライラするのは人生の災難であり、苦しみでもある。そんなときの解消方法は3っある。その1は「歴史」を知ることである。悪は自然消滅することを歴史に学べばよい。その2は生き物には「種類」というものがあり、その性質も実に様々で、考え方も自分と同じではない人がたくさんいることを知るべきである。生物は何十万もの種類がある。木や花や葉も一つとして同じものがない。家の形もまた同じ。プレハブ住宅のように全く同じ形のものは「味がない」のですぐ飽きる。それは人間の頭で大量生産しようとする心が優先して、建築主の「個」の尊重をしないからである。その第3は心の中で「○○の馬鹿ヤロー、何やっているんだ、非常識にもほどがある」と最低でも10回叫べばよい。すると6-7回叫ぶ頃にはその人のよいところ「も」見えてきて、7-8回目にはその人の笑顔が浮かんできて赦せるようになるから不思議。スッキリする。これは医学的見地からも正しいことらしい。姑に苦労してやけ食いして肥満になった女性。河原に行って「姑の馬鹿ヤロー」と何日も叫び続けたら減量できたという。大阪の医師の報告。●自分の不幸不運を嘆く人は「神様の馬鹿ヤロー。なんてことするんだよー」と10回は叫べばよい。スッキリする。病気も治ってくる。

●決定的な解決方法は「私にはその資格はありません」と思えるようになることである。身も心も粉々にされることである。すると「イライラすること」などおこがましくトンデモナイことであることが分かる。その聖書的根拠は次の通り。Jバイブルで「資格」でヒット。

マタ   22: 8 [塚本訳

それから家来たちに言う、『宴会の用意はできているが、招いた人は(客たる)資格のない者(ばかり)だ。

ルカ   7: 7 [塚本訳

だから自分でお願いに出る資格もないと考えたのです。(ここでただ)一言、言ってください。そうすれば下男は直ります。

ルカ   15: 19 [塚本訳

もうあなたの息子と言われる資格はありません。どうか雇人なみにしてください』と。

ルカ   15: 21 [塚本訳

息子は父に言った、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。もうあなたの息子と言われる資格はありません。……』

ルカ   17: 10 [塚本訳

そのようにあなた達も、(神に)命じられたことを皆なしとげた時、『われわれは役に立たない僕だ、せねばならぬことをしたまでだ。(褒美をいただく資格はない)』と言え。」

ルカ   20: 35 [塚本訳

あの世にはいる資格を与えられて、死人の中から復活する者は、めとることもなく嫁ぐこともない。

ヨハ   1: 12 [塚本訳

しかし受け入れた人々、すなわち、その名を(神の子であることを)信じた人には一人のこらず、神の子となる資格をお授けになった。

ヨハ   1: 27 [塚本訳

これがわたしのあとから来られる方で、わたしはその方の靴の紐をとく資格もない。」

使    13: 25 [塚本訳

そしてヨハネは(務めを果たして)走るべき道を終ろうとする時に、『あなた達がそれだと考えている者は、わたしではない。今すぐわたしのあとから来られる。わたしはその足の靴をぬがしてあげる資格もない者である』と言った。

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秋留台公園の花水木。美しくスッと立っている。すばらしいなー。人間もこういう佇まいでありたい。

2009.4.21 6:48

●15:30 妻は無教会研修所、月本昭男先生の「旧約講義」受講に新宿に出かける。

●私を癒す名曲。讃美歌96番

歌詞

1. えっさい の ね より おい いで たる

   くすしき はな は さき そめ けり.

   わが しゅ いえす の

   うまれ たまいし この よき ひ よ.

2. いざや の つげ し すくい ぬし は,

   きよき はは より うまれ ましぬ.

   しゅ の ちかい の

   いましも なれる この よき ひ よ.

3. たえ に ととき いえす の みな の

   かおり は とおく よ に あまね し.

   いざや とも に

   よろこび いわえ, この よき ひ を.

曲は次をクリック。聴きながらこの画面に戻れば歌詞を見ながら歌える。

 http://www.moclin.jp/hymnal/midi/hymn_1-096-flos_de_radice_jesse.mid

 

●この曲について。これはクリスマスの歌で大好きなもののひとつある。キリストの誕生は古くから預言されていたこと、神の力により処女マリアから生まれたこと。この喜ばしい福音は全世界に広まっていったことが、短い詩の中に見事に言い表されている。かって私の職場は富士見町教会のそばにあった。ある年のクリスマスが近い日の夕礼拝でこれを心から歌った。すると後の席で実に素晴らしい声で歌う女性がいた。礼拝中なので後を振り返るわけにいかなかった。礼拝が終わると彼女は師走の街にスーッと消えて行った。ついに顔を見ることはできなかった。ただあの素晴らしい声だけが耳の底に残っている。彼女は今頃どこでどのように神の「御用」をしているのだろう。この曲を歌うとあの夕方の礼拝を思い出すのだ。

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ジブンヲカンジョウニ入レズ ++++++++ 所感

2009/04/20 07:04

090420(月)5時半起床●朝の啓示「ジブンヲカンジョウニ入レズ」(宮澤賢治・・・・「雨ニモマケズ」の一部)。宮澤賢治のこの名詩のモデルは当時岩手県の花巻にいた斎藤宗次郎のことではないかとされつつある。斎藤宗次郎は内村鑑三に私淑していた人物。●「ジブンヲカンジョウニ入レズ」の精神を聖書に探すと次であろう。

塚本訳 ルカ 22:25-26
22:25 するとイエスが言われた、「世間では王が人民を支配し、また主権者は自分を恩人と呼ばせる
22:26 しかしあなた達はそれではいけない。あなた達の間では、一番えらい者が一番若輩のように、支配する者が給仕をする者のようになれ。

塚本訳ルカ 17:10
17:10 そのようにあなた達も、(神に)命じられたことを皆なしとげた時、『われわれは役に立たない僕だ、せねばならぬことをしたまでだ。(褒美をいただく資格はない)』と言え。」

塚本訳  ルカ 6:22-23
6:22 人に憎まれる時、また、人の子(わたし)のゆえに除名されたり、罵られたり、悪様に言われたりする時には、あなた達は幸いである。
6:23 その日には躍りあがって喜びなさい、どっさり褒美が、天であなた達を待っているのだから。あの人達の先祖も、同じことを預言者たちにしたのである。

●「私を癒す名曲」

ショパン:ノクターン 第20番 嬰ハ短調 「遺作」。

曲は次のサイトをクリックして最後部分のオ-ディオ装置の▶ボタンをクリック。

http://www.voiceblog.jp/andotowa/244412.html

●この曲の思い出。

映画「戦場のピアニスト」(2002年カンヌ映画祭最優秀作品賞。2003年アカデミー賞では監督賞+主演男優賞+脚色賞)。ポーランドの実在のピアニスト、シュピルマンを描いた作品。場所は第2次世界大戦でナチス・ドイツに占領されたポーランドの首都ワルシャワ。放送局でシュピルマンが弾くのがこの曲。演奏中にナチスの爆撃で演奏は中断。廃墟を逃亡中にナチスの将校(ボーゼンフェルト大尉、実在)が彼を逃がす。そのときピアニストのシュピルマンが「あとで何かお礼をしたい」と言う。するとその将校は「お礼は来世で頂こう」と言って闇の街に消えていく。戦争が終ってシュピルマンは手を尽くしてその将校を探すが行方不明。実はその将校は戦後になって精神の病に陥って死んだのだという。この曲を聴くたびにクルッと背中を向けて去って行ったあの将校のボーゼンフェルト大尉の後姿を思い出すのだ。そうだ。この私も「この世でお礼を頂いてはいけないのだ」「この世から賞賛されようとする動機で良いことをしてはいけないのだ」「人から恩人と呼ばれることを目的で生きてはいけないのだ」。

 

●ポーランドとかチェコというのは強国から「カンジョー」に入れられないような負け犬の弱小国。しかし神はこの世からは弱小な人間だと見られて無視される人間を「カンジョーに入れ」て救う。その聖書的根拠は次。

塚本訳 ルカ 15:4
15:4 「あなた達のうちのだれかが羊を百匹持っていて、その一匹がいなくなったとき、その人は九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を、見つけ出すまではさがし歩くのではないだろうか。

 ●ナチスの党員もその一人一人はゲーテを読んだりピアノを弾いたりする善良な人間。ところが集団で徒党を組むと悪人になる。この現象はどんな分野でも同じ。かって日本も国家という集団のために恐ろしいことをした。米国また同じ。戦争は報復が「善」となる。国家というのは根本的に「エゴ」。広島原爆投下の爆撃機「エノラ・ゲイ」が飛び立つときは牧師が祈ったという。会社の利益のためには悪も悪ではなくなる。なぜか。会社の生存のためには何をしてもかまわないという「行動理由」を持つようになるからである。「あのライバル会社なんか潰れてしまえ」と思ったのはほかならぬこの私である。あー、人間は終末の日まで清くなれないのか。

●アンナヤツ「追い出せ」という心は集団徒党を組むところに生まれる悪の心。自分の心に異物感があるからそうなるのである。教会主義がそれである。ところが無教会主義集会にもそのような悪がはびこって来始めた。あいつは「自分の先生とは違う」「あいつはオレとは違和感ある」「アイツは伝統的無教会とは少し違う」などと個人的に思うトンデモナイ人物は「教会主義」より何倍も悪くて地獄行きは必至。

使徒伝承 「黒崎幸吉著 注解新約聖書Web版」

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神が備える「その時」 ++++++++ 所感

2009/04/19 04:56

090419(日)4時15分起床。熟睡5時間半はちょうどよい。●朝の啓示「わかる時は神が備える」。
人が神の存在や福音の真理が分かるのは神の側が準備した「その時」がくるときである。その聖書的根拠は多い。

塚本訳 ヨハ 4:21
4:21 イエスが言われる、「女の人、わたし(の言葉)を信じなさい。(間もなく)あなた達が、この山でもエルサレムでもなく(どこででも、)父上を礼拝する時が来る

塚本訳 ヨハ 4:23
4:23 しかし(ユダヤ人もサマリヤ人もなく、)本当の礼拝者が霊と真理とをもって父上を礼拝する時が来る。いや、今もうきている。父上もこんな礼拝者を求めておられるのである。

塚本訳ルカ 24:47-49
24:47 また罪を赦されるための悔改め(の福音)が、その名においてすべての国の人に説かれる、エルサレムから始まって、と(聖書に)こう書いてある。
24:48 あなた達はこの(苦しみと復活との)証人である。
24:49 待っておいで、わたしが父上のお約束のもの[聖霊]をあなた達におくるから。あなた達は(この)天よりの力を身につけるまで、都に止まっていなさい。」

塚本訳 使  1:6-8
1:6 さて彼らは集まっていたとき、こう言ってイエスに尋ねた、「主よ、(聖霊で洗礼を授けられる)その時に、あなたはイスラエルのために(約束の)国を回復されるのですか。」
1:7 彼らに言われた、「(その時ではない。回復の)時と、(それまでの)期間とは、父上が御自分の権力で決めておられるのであって、あなた達の知るべきことではない。
1:8 ただ聖霊があなた達にくだるとき、あなた達は力を戴いて、エルサレムをはじめユダヤ全体、またサマリヤ、さては世界の果てまでも、わたしの証人になるであろう。」

塚本訳 ロマ 11:25-27
11:25 兄弟たちよ、この秘密を知らずにいてもらいたくない、あなた達(異教人諸君)が、自分は賢い(からこの特権を得た)などとうぬぼれることのないために。一部のイスラエル人が頑なになって(キリストを信ぜずに)いるのは、異教人が(信仰に)入って定数に満ちるまでであり、
11:26 こうして(イスラエル人は異教人が妬ましくなり、悔改めて信仰に入り、)イスラエル人全部が救われる、ということである。(聖書に)書いてあるとおりである。『シオンから救済者が来て、ヤコブ(の子孫)から不信心を遠ざけるであろう。
11:27 ──これが彼らと立てる私の契約である、』『彼らの罪をわたしが取り除くその時に。』

●キリスト教の真理は個人にも「わかる時が来る」というのが根本原理。それまでは周囲がいかに「努力して」も「馬の耳に念仏」。しかし神による備えの「わかる時」がくるとその周囲の声に逆らってでも本人が信仰に熱心になる。●このキリスト教の真理が、グノーシス主義、仏教、ギリシャ哲学とは異なるところである。●個人にも集団にも国にも「聖霊が下る」「その時」が来る。その時が来ない限り聖書の真理はわからない。●だから救いの主権は100%神に握られている。 ●同時にこれがキリスト教の分かりにくいところ。「素直に受け入れる」ということが嫌い,人に頭を下げることが嫌いで何でも「自力」でやらねば気が済まない強欲、勝気、傲慢な人間にはキリスト教の福音はわかりにくい。●しかし神はそんな育ちの悪い人間も神が備える救いの「その時」が来ればすっかり変えられるからありがたいのだ。神は心のライ病も直してくださる●これで次回の感話の準備ができた。

●集会は高木、加藤辰巳(名古屋における無教会集会の報告)望月(第一コリント)

●14:00妻と練馬文化センターで混声合唱団「かわせみ」演奏会。ジョン・ラターの 「The musics always there with you」 が良かった。ラターの作品に興味を持つ。砂土居さん、工藤さん、相川さん、山本義人先生に会う。

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練馬文化センターのツツジは美しかった。2009.4.19 13:36

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あきる野に戻ると奥多摩連山に陽が落ちる。妻が前を歩く。

二人だけの生活への家路。 2009.4.19 18:06

 ●「私を癒す名曲」。讃美歌90番。

歌詞

1. ここ も かみ の みくに なれば,

   あめ つち, みうた を うたい かわし,

   いわ に, きぎ に, そら に, うみ に,

   たえなる みわざ ぞ, あらわれたる.

 2. ここ も かみ の みくに なれば,

   とり の ね, はな の か, しゅ を ば たたえ,

   あさひ, ゆうひ, はえ に はえて,

   そよ ふく かぜ さえ かみ を かたる.

 3. ここ も かみ の みくに なれば,

   よこしま しばし は とき お う とも,

   しゅ の みむね の やや に なりて,

   あめ つち つい に は ひとつ と ならん.

曲は次をクリック。聴きながら再びこの画面に戻れば伴奏つきで歌える。

http://www.moclin.jp/hymnal/midi/hymn_1-090-this_is_my_faters_world.mid

●この曲の感想

私たちの結婚式(1969年11月3日)の式辞で藤林益三先生は次のように言われた。「私は妻の寝顔を見ると、『よく私のような者のところに来てくれたものだ』と思う。結婚生活を長続きさせるためにはこの気持ちを持つことが大切だ」。そして誓約の段になって「決して間違ったことをしてはいけない。いいな」と言われて私の眼をじっと見つめられた。そのお顔は非常に厳しかった。先生は一昨年の4月24日に99歳で召された。今月はちょうど満2年だ。私たちは今年の11月3日で結婚生活満40年になる。感謝。●35歳の時、先生のお住まいを設計。そのとき先生は最高裁判所の判事であられた。設計を注文するときこう言われた。「私は与えられたところならばどんなところでも不満を持たない」。建築士としてはこう言われると全身全霊で設計に腕を振るいたくなるものだ。設計中に先生は最高裁判所長官に昇格された。この讃美歌を聴くと「私は与えられたところならばどんなところでも不満を持たない」という先生の言葉を思い出すのだ。 ●「与えられる」というのは「場所、人(両親、兄弟姉妹、妻、夫、子供、嫁、婿、姑、舅、甥、姪、親戚、上司、部下、)、牧師(信者はとかく牧師に不満を持つ)、教会員(牧師はとかく教会員に不満をもつ)、エクレシアの仲間(信者はとかく同信の信者に不満を持って批判する)、境遇、地位、人生の期間、学校(生徒はとかく教師に不満を持つ。教師はとかく生徒と保護者に不満を持つ)、職場、職業、然り(みじめな、不遇な、病気の)人生。などなど自分の置かれたところのすべてだ。・・・と説教調で書いたがが、実はこれ全部自戒。




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死の恐怖を克服する道 ++++++++ 所感

2009/04/18 05:39

090418(土)5時半起床。朝の啓示「死の恐怖の克服」●「死の恐怖の克服」は有体的復活の使徒伝承を信ずること。それを大脳皮質で受信して「聖霊」を受ければ恐怖がなくなる。●それが信じられれば体の底の底から喜びが爆発する。残る生涯、このことに賭けて「悔い」はない。なぜか。これだけが人生の悩み苦しみを克服する道、「死の恐怖」を克服する唯一の道だからだ。

●「私を癒す名曲」

讃美歌154番「地よ声高く」

●歌詞

1. ち よ, こえ たかく つげ しらせ よ,

   きょう いえす きみ は よみがえ れり,

   いのち の きみ は あまつ その に

   われら を めし て いれ たまえり.

2. とこよ の ひかり てり かがやく

   みくら に います きみ を あおがん.

   あめ より もるる かちうた に ぞ,

   ち なる われら も こえ を あわせん.

3. あめ よ, よろこべ, つち よ, うたえ,

   もの みな とも に ほめたたえ よ,

   いえす きみ きょう ぞ よみがえ れる.

   ああ かぎりなき さかえ の ひ よ.

 

●曲は次をクリック。

http://www.moclin.jp/hymnal/midi/hymn_1-154-chi_yo_koe_takaku.mid

 

●この曲について。

作詞はダマスコのヨハネという神学者(~749)。随分と古いものでギリシャ正教(東方教会、ロシア正教)最大の讃美歌と呼ばれている。復活祭の日には大群衆がローソクに点火して「クリストス・アネスチィ」(キリスト甦り給えり)と言ってこの「地よ、声高く、告げ知らせよ」を合唱するのだそうだ。もし参加できるならぜひ行って一緒に心から歌いたいたいものだ。たとえ、その場で倒れたとしても私は本望だ。リムスキーコルサコフに「ロシアの復活祭」というのがあるが、私がこの曲がすきなのはその雰囲気を伝えているのではないかと思われるからである。現行讃美歌の曲は英国のヘンリー・トーマス・スマート(1813-79)の作曲。この讃美歌を歌えることは「被造物」として最大の喜び、最高の栄光である。栄誉である。高貴な価値あることである。喜悦である。身体全体が騒ぎ立つ。それは人間同士の仲間内の褒め合いであるノーベル賞、文化勲章、学士院会員、大学教授、学長、一流大学、一流企業、一流家系、一流家庭、企業社長、司教、牧師、総理大臣、大統領、博士号、美女、イケメン、一流ブランド品、一流教会(集会)、財産資産、金銭の比ではない。●かって鹿島出版会が建築学会文化賞を受賞したときその一員に選ばれたことがあるが、建築学会賞に限らず〇〇賞というものの大部分は「仲間内の褒め合い」に過ぎない。「君にもそろそろ博士号をあげてもよい年頃だから、何か論文を書きたまえ」と言われて、今までの論考をかき集めて博士号を取得した人がかって身近にいた。彼の博士論文などこそ「仲間うちの褒め合いの手段」。仲間うち以外に価値なし。●「建築経済」の分野で博士号を取得した人は50人ほどいるが、そのほとんどが重箱の隅をつつくような研究であって、現場の第一線で苦労している人の役にたたない。●神学博士また同じ。米国では内村鑑三を研究して博士号を取得した人がいたらしい。瀕死の人間にその博士論文は役立つか●日本では大学の卒業論文に「内村鑑三」を取り上げて「卒業」した人がいる。その論考を読んだが、おそらく内村自身がスンナリ分かるだろうか疑問。無教会が広がるのは良いが、思想やヒューマニズムの運動に堕落して行くのを見るのは嘆き以外のなにものでもない。

●有体的復活と三位一体を信じられない人に向かって憤激するのは間違っている。自戒。なぜか。それは人間の努力ではとうていわからないことだからである。それが無理なこと、即ち人間が人間の大脳皮質に向かってそれを説いても人はそれを信じることは絶対に出来ない。そのことをイエスは人は「生まれ変わらなければ神の国に入ることができない」と言った(ヨハネ3:3)。またパウロは復活を説明するときに植物の種と芽の事実を持ちだした。(Ⅰコリ15:37-38)。そして自分がなぜイエスの復活を信じるに至ったかの説明に、大脳皮質による理論ではなく、自己の体験のみを語った。(使徒、9.22,28章)

●人間は最後の最後には神による「永遠の命の福音」に目を向けるようになる。人間がそうなることは安心している。なぜか。その他のいかなる方法も「死の恐怖」から逃れる手段にはならないからである。あるのだったら教えていただきたい。人間は最終的には「有体的復活と三位一体の歴史的実態」に行きつかなければ「安息」は得られない。そこに行きつくまで、人間は一度「人生ズタズタ」どん底の経験をする必要があるのだ。その時「ドン底」で人間は初めて目覚めて自覚的に「助けてくれー」と叫ぶ。それでよいのだ。それでよいのだ。そうなるのが神の御心だったのだ。人生はその目覚めに至るようにできているのだ。そしてその目覚めは臨終のときでもよいのだ。神にとっては「かわいい者には旅をさせよ」の心なのだ。放蕩息子の父は悔いて帰って来た放蕩息子をかわいがった(ルカ15章)。

●過日、某家の放蕩息子(今では立派な信者になられた)の「兄」と話す機会があった。その兄が私に質問するに「(ルカ15章の)放蕩息子の兄はその後父に愛されて信者になったのでしょうか」。この質問にはマイッタ。その質問の底には「放蕩息子の兄のような自分は永久に救われないのか」という御自分のことを重ね合わせての御不安があったからである。私が答えに窮しているうちに電話が切れたのはよかった。こういう全人格をかけた真面目なご質問は簡単には答えられない。私は神ではない。この質問は私の残る生涯の課題となった。神よ教え給え。その放蕩息子の兄の御父上(立派な信者)はすでに召されてこの世にはおられない。

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黄、黄、黄、きれいな黄色。今年もあきる野に菜の花が来た。

2009.4.18 6:52

●8:00トミ子は田中ヨシ子先生(子供のSの小学校時代の担任)と二人で高尾山。ケーブルカーを使わないで下から登ったという。私はとてもだめだ。登り下り合計4時間半で 17::30帰宅。

 

使徒伝承 「黒崎幸吉著 注解新約聖書Web版」

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呻きは救いがある証拠 ++++++++ 所感

2009/04/17 07:12

090417(金)5時半起床。朝の黙示「呻きは救いがある証拠」。

塚本訳 ロマ 8:22
8:22 わたし達が知っているように、全創造物は(かの日から)今まで、一しょになって呻き、一しょになって産みの苦しみをしている。(父なる神がこの  呻きに耳を傾けられないことがあろうか。)

●この人生、みやみやたらに「悩みや呻き」があるはずはない。神のなさることに無駄はない。「悩みや呻き」は救いがある証拠。救いが始まる陣痛の苦しみ。

●女性は子を産むとき「呻く」、男性は労働で「呻く」、親は子育てで呻く、子供は親のことで呻く、結婚すればお互いのことで「悩み呻く」、病気や失敗で「呻く」。そして最後は「死」で呻き悩み悲しむ。アー、人生は「悩みと呻き」の連続だ。人生なんて全くいいことない。詩篇作者の言う通りだ。

口語訳 詩  90:10
90:10 われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。

●かって私の兄弟の一人が私に食ってかかって言った。「もし神がいるなら抗議する」と。彼の(この世的)不幸を思って返す言葉がない。なまじ口先だけのことを言うとキリスト教の顔に泥を塗って信用を落とす。神も聖書も信用できないと思われる●人生の「悩みと呻き」は神御自身にきり慰められない。来たれ聖霊、来たれ終末、来たれ万物の再生、来たれ永遠の生命。「その時に分かる。その時に分かる」。その時に「あの悩みと呻き」は意味があったのだと分かる。

●「私を癒す名曲」。

ベートーヴェン:ピアノソナタ第8番 ハ短調 作品13「悲愴」 第2楽章。わたしにとってベートーヴェンのピアノソナタと言えば「悲愴」の第二楽章だ。CDは次の5種類を持っている。ポリーニ、ルービンシュタイン、ギレリス、ブーニン、バックハウス。この中では何と言ってもルービンシュタインが最高。1962年ニューヨークでの収録。
メロディは次のサイトにある。まず名解説がある。スクロールして最後のオーディオ画面の▶ボタンを押せばよい。

http://www.voiceblog.jp/andotowa/215501.html

●この曲に思うこと。ベートーヴェンがこの曲を作曲したのは耳がだんだん悪くなり始めたころ。病気というのは病気の渦中よりもそれが「ひたひた」と迫りくるときが一番つらい。癌で言えば癌宣告を受けてからの余命期間(おおよそ数か月)。その期間は本人ばかりでなく、家族も「予期悲嘆」という深刻な苦悩に陥る。最期の一週間ぐらいは死に行くのに忙しくて悲嘆どころではない。5年前に母を肺癌で送った経験からそう思う。ベートーヴェンの「悲愴」の第二楽章は癌を宣告されたときの「予期悲嘆」の「悲嘆」に通じる。しかしベートーヴェンは偉かった。この第二楽章は自分に負わされた運命を受容しようとする気持ちが表れている。心が澄んでいる。ベートーヴェンは何度か恋もしたがそのすべてが破れた。ついに家庭は持てなかった。そのうえ音楽家にとって最も大切な耳が聞こえなくなるとは。・・・。「神様、あんまりじゃーないですか」。ベートーヴェン可哀そう。ベートーヴェン気の毒。人生なんていいことありゃーしない。しかし彼はそこから「気を取り直して」後世の人を癒す名曲の数々を生みだした。並の人間ではない。彼にこの不幸がなければ「癒しの名曲」は生まれなかったであろう。彼の葬儀にはウィーンの多くの人が詰めかけた。

●人間は誰でも皆「小ベートーヴェン」なのだ。ベートーヴェンを見習え!!。今抱えている悩みはベートーヴェンの「嘆きと呻き」を思って「何のコレシキ」と思え。神様はすべてを御存知だ。

使徒伝承 「黒崎幸吉著 注解新約聖書Web版」

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真の礼拝者 ++++++++ 所感

2009/04/16 05:17

090416(木)4時半目覚め。朝の啓示「真の礼拝者」。●次回の感話のテーマの一つがまた加わった。「神は真の礼拝者を起こす」。

文語訳 ヨハ 4:23
4:23 されど眞の禮拜者の、靈と眞とをもて父を拜する時きたらん、今すでに來れり。父はかくのごとく拜する者を求めたまふ。



塚本訳 ヨハ 4:23
4:23 しかし(ユダヤ人もサマリヤ人もなく、)本当の礼拝者が霊と真理とをもって父上を礼拝する時が来る。いや、今もうきている。父上もこんな礼拝者を求めておられるのである。


新共同 ヨハ 4:23
4:23 しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。


新改訳 ヨハ 4:23
4:23 しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。


口語訳 ヨハ 4:23
4:23 しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。

NKJV ヨハ 4:23
4:23 "But the hour is coming, and now is, when the true worshipers will worship the Father in spirit and truth; for the Father is seeking such to worship Him.


TEV ヨハ 4:23
4:23 But the time is coming and is already here, when by the power of God's Spirit people will worship the Father as he really is, offering him the true worship that he wants.

●こういう「真の礼拝者」は人間の教育,感化,説教では造りだせない。神御自身がその力で「起して」下さらなければ生まれない。それは個別である。●4月12日は「復活祭」であった。復活とは「神が起こす」ということである。●真の礼拝者はいずこ!

●「私を癒す名曲」。讃美歌147番。私にとって復活の歌と言えばこれが一番。なぜか。人間の最後、最大の欲求、希求と言って「復活、永遠の命」ほどのものはない。この讃美歌はその喜びがおとづれたことを歌っている。地がどよめくのである。全身全霊の喜びが爆発している。

歌詞

讃美歌147番

1. よろこび たたえ よ, しゅ は し に うちかち,

   よみ より かえりぬ, はれるや, はれるや, はれるや.

 2. かち の しゅ むかえて たたえ の はなたば,

   みまえ に ささげ よ, はれるや, はれるや, はれるや.

 3. きょうより ときわ に つきせぬ いのち わ,

   この よ を うるおさん, はれるや, はれるや, はれるや.

 4. いのち の しゅ を ほめ, もろごえ あわせて

   この ひ をたたえ よ, はれるや, はれるや, はれるや.

●メロディーは次をクリック。これを流しながら、再びこの画面に戻れば歌詞を追いながら、「大声で」歌うことができる。これは1609年の作曲とあるから随分古いものだ。しかし復活の喜びは「世々の聖徒」たちに共通のものだ。「十字架と復活」は古き古き使徒伝承。

http://www.moclin.jp/hymnal/midi/hymn_1-147-good_christian_men_rejoice_and_sing.mid

●春になると神は花を「起こす」。春は復活の「時」。

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雲間から朝日が出て、生きものが喜びの声をあげているように見える。イエス復活の喜びだ。

2009.4.16 6:37

●この曲の感想。「走れマリア」。イエスの墓が空になっているのを最初に見たのはあの(人生ズタズタの)マグダラのマリア。そのマリアは「走って」使徒達に告げに行った。マリアこそ使徒たちよりも先に復活を告知した最初の人物。神はこの人類最高の「告知作業」を事もああろうに罪の女マグダラのマリアに負わせた!●復活の告知は「走る」。なぜか。喜びだから。●わたしの残る人生も復活の使徒伝承に「走る」ものでありたい。

塚本訳 ヨハ 20:1-2
20:1 (翌々日、すなわち)週の初めの日(日曜日)の朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に来てみると、墓(の入口)から石がのけてあった。
20:2 そこでシモン・ペテロと、イエスが可愛がっておられたもう一人の弟子との所に走って行って言う、「主を墓から取っていった者があります。どこに置いたのかわかりません。」

●同じ「走れ」でも太宰治の「走れメロス」とは全然違う。質が違う。この世の人間は、金もうけに走る。商売に走る。遊びに走る。立身出世に走る。家事に走る。人間に走る。神抜きの平和運動に走る。みな空しいことだ。

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皐月が近づく。鯉のぼりは男の子がいる印し。2009.4.16 16:09

 

 






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光!、光! ++++++++ 所感

2009/04/15 06:43

090415(水)5時15分起床。窓を開けると「朝日!」。昨日は曇りdと雨だったのでうれしくてたまらず書斎を出て早朝散歩。讃美歌97番「朝日は昇りて」を歌いながら歩いて写真撮影。

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光!。世のはじめには「神の霊」があって、次に神は「光あれ」と言われた。創世記1章2-3節。神は土から人間を造って、その鼻から「命の息を吹き入れた」創世記2章7節。  2009.4.15. 5:46

●「私を癒す名曲」讃美歌87b。「めぐみのひかりは」。

歌詞。

1. めぐみ の ひかり は わが ゆき なやむ

   やみじ を てらせり, かみ は あい なり.

   われら も あいせん, あい なる かみ を

 2. うきぐも おおえど みかお の えみ は

   さやか に てり いず, かみ は あい なり.

   われら も あいせん, あい なる かみ おを

 3. うれい の とき に も のぞみ お あたえ,

   なぐさめ たまえり,  かみ は あいなり.

   われら も あいせん, あい なる かみ を

 4. もの みな うつれど めぐみ の ひかり,

   とわ に ぞ かがやく, かみ は あい なり.

   われら も あいせん, あい なる かみ を

●メロディーは次をクリック。聴きながら、再びこの画面に戻れば歌詞を追いながら歌える。

  http://www.moclin.jp/hymnal/midi/hymn_1-087b-god_is_love_his_mercy_brightens.mid

●この曲の思い出。父の晋(1905-1992)が初めてキリスト教に出会った時に歌ったのがこの讃美歌。父は25歳の時に結核になり、臨終の床で「罪の赦しの十字架の光」を受けて「生き返る」。奇跡。社会復帰したのは30歳?。病み上がりであることを知りながら、父に嫁いできてくれた母のことを父は終生感謝していた。子供が三人与えられ、その名を光男、照男、靖男と付けた。みんな「光」に関係する。靖男の靖は晴れるという意味だそうだ。なんの幸いか私にはクリスチャンの女性が与えられた。4人の子供たちも全員キリスト教に親しんでくれている。その名前は新一(イザヤ書より)、守(神の守り)、愛子(神は愛なり)、恵(神の恵み)。そして孫(現在6人)のうちの何人かも祈りをすることを覚えた。私の切なる祈りは兄と弟の救い。それに5年前に信仰なくして死んだ母(現在は陰府に眠っていると信じる)の救い。パウロは同胞ユダヤ人が救われるのなら、この身は神に呪われてもよいと言ったが(ロマ9章)、私も同じ気持ちである。

●世の中、人生は暗くとも、必ず「光」は射し来る。なぜか。それが神の創造の「本能」だから。

●10:30 今井館ウィークデーの集い。金沢幾子。「むかしばなしと祈り」。グリム童話などの背後にある「祈り」の心。すばらしい話であった。キリスト教が文化の底流に流れている。日本がこのようになるのは数百年かかると思うが、無教会はその嚆矢であると思った。●積算協会、で当麻、野呂氏と懇談。

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永遠の命!、永遠の命! ++++++++ 所感

2009/04/14 06:20

090414(火)3時半に目覚め。自分と周囲と知人に襲う人生の様々な「悩み、嘆き、悲しみ、懊悩、不義、苦しみ」を思って寝つけず。しかし空が白み始める頃に啓示。「永遠の命!、永遠の命!」。これで息が付けた。すると新約聖書の言わんとすることはつまるところこの「永遠の命」のことであることを再認識した。●人生の様々な悩み苦しみはつまるところ「不完全」ということである。それは「呻き」である。●この苦難に処する道は次の言葉。「神はすべてを御存知」、「悪いことは神が注意してくださる」。「万物の完成はある」。「終末の時にすべての人に神がわかる」。「すべての悩みはこれ絶対に神の定め給うことで、そこには不思議な意味がある」●問題はその「永遠の命」はどこにあるか。「求めて」いれば見つかる。いつかその人に神が霊を降す。その時にわかる。●「永遠の命」が存在しないところは教会や集会や先生のところ。つまり自分以外のところ。それは単なる導き手。永遠の生命は個人の内に与えられる。それは個人に神の霊が降るとき。●永遠の命は使徒伝承の連鎖のうちにある「人物」の所にあるが、その人物が永遠の命そのものではない。それは「導き手」「指導者」であるが、「永遠の命そのもの」ではない。無教会の陥りやすい間違いはこれ。●教会や集会の「集団」そのものに永遠の命はない。「お交わり」が永遠の命ではない。儀式典礼が永遠の命ではない。これが教会主義の陥りやすいあやまり。●「永遠の命」を黙想するための聖句は次の通り。

塚本訳  ヨハ 4:23-24
4:23 しかし(ユダヤ人もサマリヤ人もなく、)本当の礼拝者が霊と真理とをもって父上を礼拝する時が来る。いや、今もうきている。父上もこんな礼拝者を求めておられるのである。
4:24 神は霊である。だから礼拝者も霊と真理とをもって礼拝せねばならない。」

塚本訳  ヨハ 5:39
5:39 あなた達は聖書(旧約)をもっていることが永遠の命を持っていることのように思って、それを研究している。ところがこの聖書は、(永遠の命である)このわたしのことを証明しているのに、


塚本訳 ヨハ 6:69
6:69 あなたこそ神の聖者(救世主)であると、わたし達は信じております。また知っております。」


塚本訳 ヨハ 17:3
17:3 永遠の命とは、ただひとりのまことの神なるあなたと、あなたが遣わされた(子)イエス・キリストとを知ることであります。


新共同 ルカ 17:21
17:21 『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」


塚本訳 ルカ 17:21
17:21 また『そら、ここに(ある)』とか、『かしこに(ある)』とか言うことも出来ない。神の国はあっと言う間に、あなた達の間にあらわれるのだから。」


塚本訳 マタ 18:20
18:20 二人、三人、わたしの名によって集まっている所には、わたしがいつもその真中にいるのだから。」


塚本訳ロマ 10:14
10:14 ところで、(呼ぶだけで救われると言うが、)信じたことのない者を、どうして呼ぶことができようか。聞いたことのない者を、どうして信ずることができようか。説く者がなくて、どうして聞くことができようか。

●「私を癒す名曲」。ベートーヴェン:ピアノソナタ第14番 嬰ハ短調 作品27の2 「月光」 第1楽章

●メロディーは次のサイトをクリックして最後のオーディオの▶ボタンをクリック。加工してあるので演奏家は不明。

http://www.voiceblog.jp/andotowa/277135.html

●ヴェートーヴェンの思い出。2007年にウィーンを訪れたとき、ヴェートーヴェンのデスマスクを見てゾクッとした。それは苦難の人生を耐え抜いた顔をしていた。デスマスクというのはいくつか見たことがあるが(内村鑑三、ゲーテなど)、ゾクッときたのは初めて。次は私が撮影した写真。身震いするほど荘厳な顔をしている。

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ヴェートーヴェンのデスマスク。ウィーン、ハイリゲンシュタット。

彼が遺書を書いた家。2007.6.24

彼はこの家の窓から教会の鐘の動くのを見たが、音が聞こえない。その時耳が聴こえなくなくなっていることに気が付く。音楽家にしてこの不条理。誰だって自殺したくなる。しかしそれからのヴェートーヴェンが偉かった。気を取り直して続々と傑作を生みだした。この「月光」もその一つである。

使徒伝承 「黒崎幸吉著 注解新約聖書Web版」

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神の霊が降るときに分かる ++++++++ 所感

2009/04/13 06:00

090413(月)朝の啓示「神の霊が降るときすべてが分かる。これ新約聖書の一貫基調」●次回の感話の根本。「一粒も麦死なずば」もここから理解できる。「イエスを十字架にかけたあとにわかる」というのは、その後に聖霊が降ったから。親が死んで子供が信仰に目覚めるというのも同じ。神の霊がその子供に降るのだ。肉の父の教育期間は短いが霊の父のそれは長い。親が子供に対して自らの躾や教育を放棄して手を放す(祈りのみになる)と子供は信仰的に伸びる。これは「子を持って知る親の恩」「かわいい者には旅をさせよ」のたぐいの子供の人間的な「悟り」ではない。神の霊が降るのだ。

●「私を癒す名曲」。讃美歌539番。朝の礼拝にふさわしい曲。全身全霊が清められる感じがする。内容は三位一体の神を讃えるもので新約聖書の第二コリント13:13に源流を発し、「頌栄」として古来から歌い続けられてきた。原形は英国の詩人、トマス・ケン(1637-1711)。かって書かれたいかなる神学的著作よりも優れていて、短い期間に各国に広まったといわれるもの。

●歌詞

讃美歌539番

1・あめ つち こぞりて

 かしこみ たたえ よ,

 みめぐみ あふるる

 ちち みこ みたま を

2・みめぐみ あふるる

  ちち みこ みたまの

  ひとりの みかみに

  みさかえ つきざれ

●同じメロディーでの4番の歌詞もすばらしい。

讃美歌4番

1. よろず の くにびと, わが しゅ に むかい て

   こころ の かぎり に よろこび たたえ よ.

 2. しゅ こそ は かみ なれ, しゅ は わが かいぬし,

   われら は その たみ, みまき の ひつじ ぞ.

 3. もろごえ あわせ て おおみな ほめ つつ,

   みかど に いり ゆき, みまえ に ちかずかん.

 4. めぐみ は ゆたか に, あわれみ つきせず,

   こよなき まこと は ときわ に かわらじ.

●このメロディーはもう一つ、讃美歌5番がある。この詩も素晴らしい。

讃美歌5番

1. こよなく かしこし わが しゅ の みさかえ,

   よろず の くにたみ, みまえ に ひれふせ.

 2. みこと の ま に ま に もの みな なり けり,

   みいかり うけなば ものみな きえ う せん.

 3. ちり より ひと を も つくれる みちから,

   さからう もの なく, あおがぬ もの なし.

 4. そら より ひろけし, わが しゅ の みめぐみ,

   ときわ に たえせじ, わが しゅ の みおきて.

 5. くにぐに ことなる よろずの ことば の

   たたえ の うたごえ みとの を ゆるがさん.

●現行讃美歌における4,5,539番の歌詞に使われたメロディーは、これまた荘重である。これを歌う時には「礼拝の喜び」という気分に浸るのだ。作曲者はルイ・プルジョワ(1510-1561)。メロディーは次をクリック。音を流したまま、再度このブログを開ければ歌詞を見ながら歌うことができる。人いきれがして、組織上のゴタゴタのある教会や集会より、静かに「一人礼拝」をすることが、キリスト教の本質であり中核。それが神の喜び給うことである。なぜか。「人に知られないように祈れ」(マタイ6:5-6)とあるから。

 http://www.moclin.jp/hymnal/midi/hymn_1-005-before_jehovahs_awful_throne.mid

●この讃美歌(歌詞は4番か5番か539番か?)はあのぺりー提督が浦賀に上陸する日の艦上(いわゆる黒船)での礼拝において歌ったもの。それは1853年(嘉永6年)7月10日(日曜日)。その船には日本宣教を夢見て最初の日本語訳新約聖書の偉業を行った青年ゴーブルが乗っていた。ありがとう米国。貴国は立派です。

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早朝散歩で、大自然の中で一人礼拝。2009.4.13 6:36

讃美歌5番、4-5節。   

4. そら より ひろけし, わが しゅ の みめぐみ,

   ときわ に たえせじ, わが しゅ の みおきて.

 5. くにぐに ことなる よろずの ことば の

   たたえ の うたごえ みとの を ゆるがさん.

●終日、「黒崎幸吉新約聖書註解デジタル化」引照入力。●15:30、徒歩で花店、郵便局。公園の出店で「たこ焼き」。買おうか買うまいか迷ったが、三男がいればこれが好きだったので絶対に買うだろうと思って、かわりに妻のために購入。とかく妻との二人暮らしは「思い出」に生きるようになるものなのか。

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妻への感謝状 ++++++++ 所感

2009/04/12 06:17

090412(日)5時45分起床●一昨日は天皇御成婚50年記念日。NHKが天皇陛下御一家の素顔を撮影。記者会見でお互いに感謝状を送りたいと言われた。それを見ていた私は妻に「私の場合は、あなたに感謝状+殊勲賞+敢闘賞+技能賞だ」と言った。私たちは来年11月で結婚40年である。それは「荒野の40年」であった。苦難の日には必ず妻が傍にいてくれたことが感謝。その苦難に対し妻は常に敢闘してくれた。●この番組を見ながらお互いに「天皇夫妻のように丁寧な話し方ができるだろうかなー」とも語り合ったが、「自然でいいじゃないか」ということになった。●6:30 秋留台公園に行ってラジオ体操。指導者は違う。藝術的である。●妻と集会へ、集会は川上、大山、山本●帰途は高木博義さんと新宿まで。有益なお話を伺う●妻は「すずめの会。」「いなくなった羊の譬」(ルカ15章)を妻が担当発表。

●「私を癒す名曲」。讃美歌24番。「父の神よ」

1. ちち の かみ よ, よる は さり て,

   あらた なる あさ と なりぬ.

   われら は いま みまえ に いで て,

   みな を あがむ.

 2. ばん ゆう の しゅ よ, みかお あおぐ

   しもべ ら を つよく なして,

   あまつ くに の つきぬ めぐみ を

   えさせ たまえ.

 3. みつ に まして ひとり の かみ,

   みすくい は とうとき かな.

   みな の ひかり てり かがやき て,

   よ に あまね し.

●音源は次をクリック。音を流しながら、その後再びこのブログ画面を出せば、歌詞を追いながら歌える。

 http://www.moclin.jp/hymnal/midi/hymn_1-024-nocte_surgentes_vigilemus_omnes.mid

●この曲の感想。人間には「礼拝性」ということが人間たることの要素として必要。イエスにも「礼拝」という言葉がある。

塚本訳  ヨハ 4:23-24
4:23 しかし(ユダヤ人もサマリヤ人もなく、)本当の礼拝者が霊と真理とをもって父上を礼拝する時が来る。いや、今もうきている。父上もこんな礼拝者を求めておられるのである。
4:24 神は霊である。だから礼拝者も霊と真理とをもって礼拝せねばならない。」

●その礼拝の讃美歌としてこの曲はふさわしい。●小さい頃、朝、父に手を引かれて散歩したものだ。父は信仰が篤い人であった。この曲を聴くと17年前に召された父のことを思い出す。私の信仰は父譲りなのかもしれない。孫が祈ることを覚えたと報告したら喜んでもらえたであろうが、もういないのは淋しい。●礼拝なき人間は動物と同じ。仕事も金儲けもなにもかもうまくいかない。

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神は歴史を作る ++++++++ 所感

2009/04/11 06:18

090411(土)4時半起床●冷水で洗顔し、気合いをいれてまず「黒崎プロジェクト」●朝の黙想「真理は死後に見出されるという不思議」。これ次回の感話のテーマ。そのスケッチ。

塚本訳 ヨハ 8:28
8:28 そこでイエスが言われた、「あなた達は人の子(わたし)を十字架に挙げた時にはじめて、わたしがそれであること、また、わたしが自分では何もせず、ただ父上に教えられたままを語っていたことを知るだろう


塚本訳ヨハ 2:22
2:22 だから死人の中から復活された時、弟子たちはこう言われたことを思い出して、聖書とイエスの言われた言葉と(が本当であること)を信じた

塚本訳  ヨハ 12:24
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)

●ヨハネ福音書には「イエスのことが死後になって分かった」というトーンが多い●名曲は作曲者の死後にその真価がわかったものが多い。バッハのマタイ受難曲、シューベルト未完成交響楽、ショパン幻想即興曲。●ダンテは故郷を追われたが、死後その遺骨は流浪先とダンテを追放した故郷で奪い合いになった●一粒の麦は死んで初めて実が結ぶ●なぜそうなるのか。その原理はわからない●初代教会の殉教者は種子。この世(ローマ帝国)が殺せば殺すほど信者が増加(現代日本のキリスト教は死ぬ人がいないから実も結ばない。キリスト信者は「この世的幸福」を求め過ぎている!!)●種はどんなに形が悪くても(つまりみじめな人生、土の器でも)種は種。死ねば実を結ぶ●「人は棺おけの蓋を閉じてから真価がわかる」。生きているうちに評価されよう、感謝されよう、慕われようと思うな●親が死んで、俄然子供が信仰に目覚めた3例を身近に知る。クリスチャンは死んで初めて子孫に福音が伝わるが、伝わらない場合もある。不条理。なぜかわからない。神に握られた秘密。しかしそのことも神はすべてを御存知。気にかけている家族は自分の死後に救われる。なぜか。神が引き受けるから●私は脳内出血でいったん「意識不明」になって助かったことで、聖書の多くのことを学んだ。●あのときTH氏は私に向かって「高橋君!死に急ぐな」と言ってくれた。AA氏は「現代のヨブよ!倒るるなかれ」と激励文をくださった。そして職場の人間は「奮起」した。不思議な現象であった。

●ヒストリーとは歴史と訳されるが、元の意味はヒズストーリー、ヒズとは彼のであり、彼とは神のこと、つまり歴史は神が作り給う。神は歴史を掌握する。人生の歴史も掌握する。

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 秋留台公園でラジオ体操。みんなでやると私のいたらないところがわかってよい。2009.4.11 6:36

●讃美歌の良い音源を発見。曲数もかなりある。製作者に感謝。

http://moclin.jp/hymnal/index.html

●「私を癒す名曲」讃美歌39番「ひくれてよもはくらく」。

●歌詞 

 讃美歌39番

 1. ひ くれて よも は くらく

   わが たま は いと さびし,

   よるべ なき み の たよる

   しゅ よ, とも に やどり ませ.

 2. いのち の くれ ちかずき

   よ の いろか うつり ゆく,

   とこしえ に かわらざる

   しゅ よ, とも に やどり ませ.

 3. よ の やみ おしせまりて

   いざない の こえ しげし,

   とき の ま も さり まさ で

   しゅ よ, とも に やどり ませ.

 4. し の はり いずこ に ある,

   しゅ の ちかく ましまさば,

   われ かちて あまり あらん,

   しゅ よ, とも に やどり ませ.

 5. じゅじか の くしき ひかり

   とずる め に あおがしめ,

   みさかえ に さむる まで

   しゅ よ, とも に やどり ませ.

●メロディーは次をクリック。音楽を聴きつつ再びブログ画面を開けば、メロディーを聴きながら歌詞をたどれる。

 http://www.moclin.jp/hymnal/midi/hymn_1-039-abide_with_me_fast_falls_the_eventide.mid

●この曲の思い出。A・シュヴァイツァーが好きであった讃美歌。中学生の時に「シュヴァイツァーの世界」という写真集(ユージンスミスであったか?)を見て、感動したものだ。シュヴァイツァーは白人が黒人に犯した罪の償いでアフリカに医療伝道で身を捧げた、●8年ほど前、中学校からの親友のO君(56歳)の葬儀を終えてあきる野市に戻ると夕暮れであった。奥多摩連山を見ると思わずこの讃美歌が口に上った。2節「いのちのくれちかづき」は私の心境である。妻は「あなたはまだ老人ではない」という。日野原重明先生は老人は75歳からだという。そして60歳からは「実年」だという。●私の残りの人生の時間はわたしの財産。神は財産を捨てて我に従えと言う。私の「時間」という財産は神に捧げよう。

●夕方、無教会横浜集会の荒木義雄氏からNG氏(以前は東京聖書読者会で現在は横浜集会)が召天されたとの報告。それは3月20日のことであり、知ったのは2-3日前であったという。ご家族に信仰がなかったからとは言え、何も御連絡いただけなかったことは淋しい限りである。無教会は純粋と言えば純粋だが、これでいいのだろうか●妻はモーツァルト「レクイエム」の練習。●「今井館100周年記念誌」のことで相澤理事長と私の論考に関して最後の詰め。原稿は見れば見るほど訂正が出てくる。

使徒伝承 「黒崎幸吉著 注解新約聖書Web版」

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救いは神の光による ++++++++ 所感

2009/04/10 07:13

090410(金)5時起床●早朝散歩。書籍よりも自然から神の国の真理を多く学ぶ。

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満開の桜の向こうに奥多摩連山を望む。秋留台講演の展望台より。

2009.4.10 6:27

 

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陽の光を浴びてどんどん伸びる菜の花。「世におる間、私は世の光である」、(ヨハネ9:5)を思う。

どんなにひねくれて堕落している人間も神の光が当たると癒され、直る。神のなさる奇跡。肉の人間にはできないこと。

2009.4.10 6:50

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我が家の前の花。この花を見る人の数は少ない。それでいいのだ。それでいいのだ。神は知っていてくださる。 

文語訳  マタ 6:28
6:28 又なにゆゑ衣のことを思ひ煩ふや。野の百合は如何にして育つかを思へ、勞せず、紡がざるなり。

2009.4.10 6:55

●「私を癒す名曲」。バッハ、平均律クラヴィア曲集第一巻第24番ロ短調、BWV869 プレリュード。●メロディーは次をクリックして「試聴」に行き、「再生」をクリック。「試聴」盤なので30秒だけ。

http://yamaha.jp/pianorg/detail/43

●この曲の思い出。これはNHKの「名演奏家の時間」のテーマ音楽。私のクラシック音楽愛好は中学生のときにはじまった。この曲はそのころ耳に入ったものと思われる。「音楽というのは何度も聴きこむと」好きになるらしい。これもその例。●この曲はなぜか落ち着く。旧約聖書の詩篇を読むような感じである。

使徒伝承 「黒崎幸吉著 注解新約聖書Web版」

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信仰なき者も救われる ++++++++ 所感

2009/04/09 07:23

090409(木)5時40分起床●6:00早朝散歩。

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2009.4.9 6:19 早朝散歩。

●一本の野の花を見て、霊感。「信仰なき者も救われる」。なぜか。神はこの花を咲かせる。花に信仰があるかないかは問わない。神の一方的な「力学」で花は咲く。これ信仰力学。同じように人間の側に見るべき信仰がなくても神は救う。その聖書的根拠は次の通り。パウロではなくイエスに聞く。

文語訳 マコ 9:22-24
9:22 靈しばしば彼を火のなか水の中に投げ入れて亡さんとせり。されど汝なにか爲し得ば、我らを憫みて助け給へ』
9:23 イエス言ひたまふ『爲し得ばと言ふか、信ずる者には、凡ての事なし得らるるなり』
9:24 その子の父ただちに叫びて言ふ『われ信ず、信仰なき我を助け給へ

●信仰なくして死んだ母も救われる。なぜか。神は「死後」も支配する。第一ペテロにある。パウロはロマ書9章で救いには順序があるという。順序というのだから後のものも神の射程の中にあるのだ。●最近の出来事。長い間心を痛めていた人が神に目を向け始めた燭光を見て、神は生きて働き、この人間たる私にはできないことを実現してくださるということを実感した。

塚本訳  Ⅰペテ3:18-21
3:18 というのはキリスト(御自身)すら罪の(贖いの)ために、義しい人でありながら義しからぬ人々のために、ただ一度死に給うたのである。これは君達を神に連れ行くためで、彼は肉では殺され給うたが、霊では活かされ、
3:19 且つ霊で行って、(陰府の)獄に閉じ込められていた(悪)霊達に(救いの福音を)宣べ給うた
3:20 彼らはかつてノアの日に、箱船が造られる間神が寛容をもって(悔い改めを)待ち給うた時不従順で、(ただ)小数の者、すなわち(ノアとその家族)八人(だけ)がこの箱船に入り水を通って救われた。
3:21 今やこの水の対型たる洗礼は、肉の穢れを除くことでなく、善い良心を神に祈願することであって、イエス・キリストの復活により君達をも救うのである。

 

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2009.4.9 6:22 早朝散歩。見事な紅色。

新改訳 イザ 1:18
1:18 「さあ、来たれ。論じ合おう。」と主は仰せられる。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる

 

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2009.4.9 6:43 早朝散歩。

秋留台公園でラジオ体操。指導者はみんなに向かって立つため、左右逆で手足を動かす。正式でないから不自由そうだ。真実でないことを演じる。気の毒。「汝ら、教師になるな」

マタ   23: 10 [口語

また、あなたがたは教師と呼ばれてはならない。あなたがたの教師はただひとり、すなわち、キリストである。

ヤコ   3: 1 [口語

わたしの兄弟たちよ。あなたがたのうち多くの者は、教師にならないがよい。わたしたち教師が、他の人たちよりも、もっときびしいさばきを受けることが、よくわかっているからである。

●「私を癒す名曲」。

ショパン幻想即興曲 嬰ハ短調 作品66。この曲はショパンの曲でも最も人気の高いものとされている。中間部のモデラートカンタービレのところに癒されるのだが、音楽辞典をみると、この曲はこの部分の美しさで世に知られているという。さもありなん。これはショパンの死後発見されたというのだから驚き。「幻想」とはそこから付けられたらしい。よいものは死後に見出されるという例はこれもまた一つである。私が保有しているのは6種類。好きな順に書く。

①ルービンシュタイン。1964年3月カーネギーホール。

さすがショパンの権威者。老舗という感じがする

②アシュケナージ

ものすごいテクニックでありながら音楽性がある。これを聴いたらピアノを弾けるようになりたいなどという希望は完全に打ち砕かれる。

③ケンプ

ドイツ的な重厚さがある。ショパン的な軽さがない。

④アルゲリッチ

情熱的。髪振り乱しての演奏か。いつもながらの一生懸命さに胸が打たれる。

⑤小山実稚恵

我が小山も頑張っているが、なぜか味がない。彼女は人生を苦労していないのか。

⑥サンソン・フランソワ

なぜかいただけない。

●音源は次のサイトをクリック。加工してあるので演奏者は特定できない。

名解説のあとにオーディオ装置がありその▶ボタンをクリック。

http://www.voiceblog.jp/andotowa/446222.html


●この曲の思い出。中学生の時の親友O君とは「音楽の友」「信仰の友」。下校時間を過ぎて真っ暗な音楽室でひそかにレコードを聴いた仲。YMCAでの彼の結婚式には私たち夫婦が呼ばれた。1996年、浦和の彼の家を設計した。CD4000枚を収納する棚のあるオーディオルームを設けた。O君は特に末娘のNちゃんをかわいがっていたが、2001年、彼女のピアノのおさらい会でこの「幻想即興曲」を弾く事になったと言って楽しみにしていた。しかし直前に急死。まだ56歳であった。そのときNちゃんは中学生。私が葬儀の司式を行ったが、式の中でO君が楽しみにしていたこの「幻想即興曲」を弾いてもらった。そして「O君。聴こえたか?」と言ったまま言葉が続かなかった。みんな泣いた。Nちゃんは部屋の片隅で目を赤くはらして泣いていた。●今年その夫人からいただいた御家族一同の写真入りの年賀状ではそのNちゃんはすっかり大きくなっておられた。笑っている。●この曲を聴くたびにO君のことを思いだすのだ。

●「定額給付金」申請書類に記入、我が家は2万が二人だから4万円●去る4月5日の集会での「感話」、「人生の不条理は神の愛の存在証明」をHPの使徒伝承にアップ。これかなり面倒で毎回30分近く時間を要する。

使徒伝承 「黒崎幸吉著 注解新約聖書Web版」

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外されたものによいものがある ++++++++ 所感

2009/04/08 21:03

090408(水)6時起床、●「黒崎幸吉註解新約聖書デジタル化プロジェクト」エペソ書5章引照入力。12時終了。●午後は手紙4通。●16:30運動散歩。畑仕事の田中三郎さんと懇談。郵便局、イオン、図書館。帰宅19:00●20:00NHK「ためしてがってん」。脳卒中で機能が麻痺した人が回復する事例。失われた脳の機能は周囲の脳が補う事実(可塑化)に注目したリハビリ。家人の愛情と工夫でそれが可能。ただ単に本人に叱咤激励努力させればよいということではない。またその日のリハビリ訓練が終了したら「昨日よりここがよく出来るようになりましたね」と誉めると機能回復期間が三分のニになるということが分かったという米国の例。

●「私を癒す名曲」。チャイコフスキー「くるみ割り人形」より、パドゥドゥ。これは組曲に入れられてないが、素晴らしいメロディー。全曲盤はアンドレプレビン+ロイヤルフィルのものを保有している。このパドゥドゥは№14-aである。ハープとチェロで奏でられるこのメロディーはなんてすばらしいのだろう。こんなメロディを作曲して後世に「癒し」を残したチャイコフスキーは偉大だ。

●メロディーは次をクリック。

http://www.voiceblog.jp/andotowa/246257.html

●この曲の思い出。チャイコフスキーの「くるみ割り人形」は中学の時に観たデズニーの「ファンタジア」でその素晴らしさを知った。しかし組曲にこの素晴らしいメロディのパドゥドゥが外された。組曲はチャイコフスキー自身が選定したらしいがなぜだろう。●何事も「外されたもの」によいもの、見るべきものがある。「捨てられた石が隅の親石となった」という不思議はかなりある。なぜか。外す人間の方に問題がないとはいえないからだ。学校や会社や教会から外された人間は「人間の基準」に合わないから外されただけなのである。神の基準は違う。外された人間を神は拾う。救う。●過日、ヴィオリストのWM氏が来られたとき、私の好きな曲を何曲か聞いていただいた。するとWM氏は、私の好きな曲は似ていて共通点は短調だと指摘された。目からウロコであった。

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春の喜び。復活の喜び ++++++++ 所感

2009/04/07 07:10

090407(火)朝の黙示「天国の喜び」●長いこと心を痛めていた、人物が不思議な経緯でキリスト教に関心を持ち始めた。●驚喜した。不思議だ。神は思わぬ方法で人を導かれる●人が心を神に向けるときはその言動で分かるものだ。神はついに彼に針を引っ掛けた。万歳。●「天国の喜び」はこういうものなのかもしれない。聖書には次のようにある。

塚本訳 ルカ 15:3-7
15:3 そこで彼らにつぎの譬を話された。
15:4 「あなた達のうちのだれかが羊を百匹持っていて、その一匹がいなくなったとき、その人は九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を、見つけ出すまではさがし歩くのではないだろうか。
15:5 そして見つけると、喜んで肩にのせて、
15:6 家にかえり、友人や近所の人たちを呼びあつめてこう言うにちがいない、『一しょに喜んでください。いなくなっていたわたしの羊が見つかったから』と。
15:7 わたしは言う、このように、一人の罪人が悔改めると、悔改める必要のない九十九人の正しい人以上の喜びが、天にあるのである。


塚本訳 ルカ 15:8-10
15:8 また、どんな女でも、ドラクマ銀貨[五百円]を十枚持っていて、もしその銀貨を一枚無くしたとすれば、明りをつけて家(中)を掃き、それを見つけ出すまでは、丹念にさがしつづけるのではないだろうか。
15:9 そして見つけると、友だちや近所の女たちを呼びあつめてこう言うにちがいない、『一しょに喜んでください。無くした銀貨が見つかりましたから』と。
15:10 わたしは言う、このように、一人の罪人が悔改めると、神の使たちに喜びがあるのである。」


塚本訳  ルカ 15:32
15:32 だが、喜び祝わずにはおられないではないか。このお前の弟は死んでいたのに生きかえり、いなくなっていたのに見つかったのだから。』」

塚本訳 マタ 20:16
20:16 このように、最後の者が一番になり、一番の者が最後になるであろう。」

塚本訳 マコ 9:40
9:40 反対しない者はわたし達の味方である。

●実は彼のことは半ばあきらめていたのだ。それがこの事実。夢か。夢ではない。人間の力を放棄したのが良かったのかもしれない。●春の喜び、復活の喜び、天国の喜び。神は生きておられる。祈る前から私たちの悩み、呻き、苦痛を御存知だ。

塚本訳  ロマ 8:22
8:22 わたし達が知っているように、全創造物は(かの日から)今まで、一しょになって呻き、一しょになって産みの苦しみをしている。(父なる神がこの  呻きに耳を傾けられないことがあろうか。)


塚本訳  ロマ 8:26
8:26 しかし(創造物やわたし達神の子が苦しんでいると)同じように、御霊も、弱いわたし達を助けてくださる。すなわち、(神のみ心にかなうには)どう何を祈るべきかわからないので、御霊自身が、無言の呻きをもって(わたし達の祈りを神に)執り成してくださるのである。

口語訳 ロマ 8:27
8:27 そして、人の心を探り知るかたは、御霊の思うところがなんであるかを知っておられる。なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。

●キリスト新聞、4月11日号。「評論家の加藤周一はまだ意識のはっきりしていた昨年8月にカトリックの洗礼を受けた。2008年12月5日逝去、享年89歳」との記事。氏の評論には耳を傾けていた私はうれしかったが、同時に次のことを思った。「まだ意識のはっきりしているうちに」ということは、救いは本人の信仰告白が土台ということなのだろうか。カトリックはそう考えるのだろうか。もう一つ。この世的に偉い有名な人が洗礼を受けたということは「神の存在証明」にはならない。そんなことでキリスト教に接近する人間はその偉い人、有名人が死ぬと自分の信仰もおかしくなる。

●「私を癒す名曲」.

グリーグ「二つの悲しき旋律」OP.34-2「過ぎにし春」。グリーグは夫人が歌手であったために美しい旋律の歌曲をたくさん作曲した。夫婦愛。その一つがヴィニエ(ノルウェー詩人1914-1970)の詩に曲をつけたこの曲。有名である。

 

ヴィニエの詩

また再び冬が逃げ去り春に時を譲るのを私は見る

去年花で一杯だったサクランボの木も また花で一杯だ
また再び氷が消えて 大地が姿を現すのを見る
雪が溶けて滝のような水は ほとばしり流れる
緑に萌える草はまた再び 花と共に現れ出でて
また聞こえてくる春の鳥たちの声は 太陽に、そして夏に向かっていく

輝く光が再び春の丘で踊っているのを私は見る
蝶たちはひらひらと飛び交い花を揺らしている
私がこの春の息吹に見るのは長い間なくしていたもの
だが私は憂鬱に自分にこう問いかけるだろう「これで最後なのか?」
なるようになればいい、私はそれでも生命の息吹を感じるのだから
この春を味わいつくし そしてすべてが終わるのだ

一日中、春の香りに浸って わが目をうるおし
一日中くつろいで 春を体一杯に浴びる
春が私にもたらしてくれるのは 摘み取った一輪の花
祖先の魂が踊り、吐息をついている そんな風に思える
だから白樺ともみの木の間には 春には謎があり
私の削り出した笛の音は すすり泣くように訴えてくるのだ

●音源は次のものがベスト。下記をクリックすると音楽が始まる。途中で止まるような時は、やり直し。下記を反転しコピーでアドレスバーに貼り付けてエンター。

http://classical-music.sakura.ne.jp/ID3v2-2/Grieg-2ElegiacMelodies-Spring.mp3

http://yunta.cool.ne.jp/index.html

●この曲の思い出。実に胸を打つ癒される旋律で忘れられないたものであった。あるとき息子がこれを合唱したので感激であった。●北欧にも行ってみたいものだがもう無理。●あるときMT氏に「私は詩人になりたかった」と言ったら御夫婦が口をそろえて、「詩人では生活できませんよ」と言った。●職場にかなりの「詩人」(私と同年)がいた。退職の挨拶懇談の時に私は彼に言った「年金貰って楽になると良い詩はできませんよ。モーツァルトの交響曲39-41番は貧困の時に金のために作曲した。キリスト教の伝道者も生活に楽な人の布教はフニャケていて力がなく、人を救えない。」と。●神は真の伝道者を「貧困にする」。神は彼に必死に福音を説かせて食べさせる。ただしその伝道者は金儲けが目的で福音を説くのではない。必死に福音を説いていれば食べられるという信念からである。神は真の伝道者を貧しくする。しかし生きていける。●世に害悪を流すのは「年金伝道者」。力がない。必死ではない。命がけではない。人が救いを求めて彼に行くと「私は素人ですから」と謙遜を装って「逃げる」。悪質である。やめた方が神の栄光のためだ。●13:30良い天気だ。妻とカタクリの花と桜を鑑賞に散歩に出かける。

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カタクリは少なくなっていた。時期が遅すぎた。桜の時期の 前でなければならないと妻は言う。 2009.4.7 14:07

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秋川の土手の桜。九分咲き。カメラを持っている人にシャッターを頼むと大抵うまく撮影してくれる。

2009.4.7 14:30

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秋川の向こう岸の山は新緑に山桜が映える。美しいなー。日本の美だ。   2009.4.7 14:39

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秋川で魚釣りをする子供。

土手に座っている私たち「何が釣れるのぉー」

子供「ハヤですぅー}

私たちの子供もよく魚釣りをしたものだったなー。

自然環境の良いところで育つ子供は幸福だ。

2009.4.7 14:48

●帰宅15:30 散歩は2時間。

 






 

 

 

 

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一流の篤い信仰を目指せ ++++++++ 所感

2009/04/06 06:09

090406(月)5時起床。朝の啓示「一流の篤い信仰を目指せ」●この世はいつも一流好み。学校、会社、国、人間、道徳、商品。●ところがクリスチャンは信仰の篤さの「一流」を目指さなければならない。その一流になるためには「この世」の一流が他との比較で人を蹴落として常に上昇するのとは正反対に下に下るものである。人にやられるのである。無視され馬鹿にされたままで我慢することである。●それは痛み苦しみの道さるが、神は御存知であって下さり、逆転して下さる。「悪いことは神が注意してくださる」

塚本訳 マタ 5:5
5:5 ああ幸いだ、『(踏みつけられて)じっと我慢している人たち、』、『(約束の)地(なる御国)を相続する』のはその人たちだから。

●65歳で定年退職した私の新たな「受験準備」は「一流の篤い信仰」である。それは大脳皮質による聖書の勉強ではない。この世を改造してよくする運動ではない。天国に入るための「受験準備」である。天国は「一流の場所」である。●一昨日の「NHKスペシャル」は近代の戦争について公平な立場でまとめられていた。結論は、人間の努力による平和運動は人間の欲である「力」(軍事力、経済力、国家エゴ)の前には通用しなかったということである。これ正解である。なぜか。人間どおし仲良くしても神がないがしろにされているからである。子供どおし仲良くしてもオヤジを認めてくれなければ「不満」であるのと同じ。●一昨日の「退職祝の会」の礼状を子供たち4家族に発送。

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桜は満開。あきる野市の「さくら通り」。桜はすごいなー。

2009.4.6 10:56

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秋留台公園の桜。 かってこのポイントで撮影したものをあきる野市フォトコンテストに出したが、落選。最近入選するのは風景ではなく、人物写真らしい。それに安いデジカメでは無理らしい。いいさいいさ、賞はとれなくても自分さえ「きれいだ」と思えばそれでいいのだ。

2009.4.6 11:04

●「私を癒す名曲」 ドボルザーク。4っつのロマンチックな小品OP.75、第一曲。●メロディーは次をクリック。試聴盤なので30秒間だけなのは残念。本当は3分間。ヴァイオリンは松田理奈。素晴らしい演奏だ。

http://musico.jp/contents/player.aspx?id=r7DYKN&p=internal

●この曲の思い出。かってNHKで放送されたのを初めて聞いてメロメロになったもの。涙ハラハラである。すぐさまNHKに問い合わせて曲名を知った。癒しの曲としてお勧め。●三男の嫁の華子は音楽家。この曲が好きだと言うと、「お父様の好みの曲はこういう傾向のものですねー」と言い当てられた。そうなんだ。そうなんだ。こういう曲を聴くと「泣き崩れ」そうになるのだ。上記の松田理奈が赤いドレスでこれを演奏したとき、聴衆は身も心も奪われたそうだ。●なぜ私も心が奪われるか。それはボヘミヤのドボルザーク、スラブ系の音楽だからではないのか。気持ちが通じるものがあるからではないのか。昨年、チェコを訪れて、そのボヘミヤの雰囲気に魅せられたものだ。●嫁の華子から「私を癒す名曲」コーナーについてアドバイスを貰う。曲に対する体験的思い出というのはその人固有のものだからもっと詳しく。季節感を出すこと。その曲に関連する絵画や建築芸術にも触れること。すると、聖書+音楽+詩歌+絵画+建築+体験的思い出の融合になるかもしれない。面白そうだ。

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本当のお母さんはどこに? ++++++++ 所感

2009/04/05 04:42

090405(日)3時50分起床●今日の感話のプリント、最後の直し。表題をを次のようにした。「人生の不条理は神の愛の存在証明。・・・・神は人生の不条理を通して御自分の愛の何であるかを世に示される・・・・」●昨日聞いた話。娘の愛子があまりに長女の初音を叱るので、ある日初音は父親に「私の本当のお母さんはどこにいるの?」と泣いたそうだ。今日の感話の結論はこれだ。神は愛する者を叱る。人にはそれが不条理な苦難に見えるが、神は「本当の幸福」を教えるためにやむをえず行う、神の恵みの知恵だ。

 

塚本訳  ヘブ 12:5
12:5 また、(親がその)子に話すようにして話される(神の)励ましを忘れてしまっている。──『わが子よ、主の訓練を軽んずるな、処罰されるときに、ひるむな。


塚本訳  黙  3:19
3:19 (何も私のこの烈しい言に驚くことはない。)私は愛する者を罰し、また躾る。だから熱心になって、(早く)悔い改めよ。


口語訳 申  32:10-11
32:10 主はこれを荒野の地で見いだし、/獣のほえる荒れ地で会い、/これを巡り囲んでいたわり、/目のひとみのように守られた。
32:11 わしがその巣のひなを呼び起し、/その子の上に舞いかけり、/その羽をひろげて彼らをのせ、/そのつばさの上にこれを負うように、

●集会は宮崎、杉崎、高橋(人生の不条理は神の愛の存在証明・・・神は人生の不条理を通して御自分の愛の何であるかを世に示される・・・・)●「敵を愛せ。敵のために祈れ」とあるから、われわれは金正日(キムジョンイル)の救い、北朝鮮の教会のために祈らなければならないと話したが、ちょうどそのころ(11時半)ミサイルが発射された。●「WEB黒崎」の反応を見て「神の言葉は老化しないと感じた」とも話す●杉崎さんと懇談。小寺夫妻と昼食●妻はモーツアルト「レクイエム」のレッスン。●新宿の紀伊国屋で本、八木誠一「イエスの宗教」(岩波)を購入。音辞典を見たが本格的なものは42000円もするので断念。●あきる野に戻って桜見物。

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普門禅寺の桜を観に行く・ 20089.4.5 15:18

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しだれ桜が美しい。寺の境内の桜は落ち着く 2009.4.5 15:14

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今日は満開だ。 「サクラ、サクラ」を口ずさむ。2009.4.5 15:15

●「私を癒す名曲」。日本古謡「さくらさくら」江戸時代だが作者不詳。●琴の演奏は次をクリック。スクロールして【試聴・歌詞】さくらさくら、まで行き、►ボタンをクリック。

http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/sakura.htm

 ●この曲の思い出。父と米国旅行に行った帰途、日本に近づくと日本航空のスチュワーデスは白地に胸に赤い鶴のマークがデザインされた制服に着替えて、日本食を運んだ。そしてその機内に流されたのがこの「さくらさくら」。ほっとして癒された。このときほど「日本人」であることのうれしさを感じたことはない。「美しい日本よ!」●この曲は作者不詳であって、何百年も歌い続かれた。よいものは自然に伝承されるものだ。

使徒伝承 「黒崎幸吉著 注解新約聖書Web版」

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「退職祝」の会 ++++++++ 所感

2009/04/04 09:20

090404(土)5時起床。明日の感話の準備、プリント推敲11回。テーマは「神は人間の不条理を通して御自分の姿を世に示す」●とにかく「万物の再生、有体的復活」のことを語れるのは感謝である●今日は在東京の子供たちが私の「退職祝の会」を開いてくれる。感謝。夢のようだ。●12:00中野の愛子のところ(伊勢喜明邸)で私の「退職祝居の会」。「まず、妻と子供たちの皆さんに感謝します。実に様々なことがありましたが、このような日を迎える事は考えたことはありませんでした。感謝です。皆さんも健康でこのような日を迎えられますように望みます」と挨拶した。

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善明さんと愛子の三番目の子供「健太郎」は8か月。おとなしい子だ。誰に似たのだろう・

2009.4.4 11:46 

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在東京の子供たちの3家族が「退職祝の会」を開いてくれた。(於・中野の伊勢喜明邸)。福島の恵はメッセージをくれた。

2009.4.4 15:33

●「私を癒す名曲」。マクダウェル、「野ばらに寄す」。メtロディーは次をクリック。

http://yunta.cool.ne.jp/music25.html

http://yunta.cool.ne.jp/index.html

●この曲の思い出。マクダウェル(1860-1908、米国の作曲家)の曲はほとんど知られていないが、この曲だけは忘れられない。散歩中によく口づさむ。私が癒される曲である。●マクダウェルは交通事故のため心身の病になり48歳の若さで亡くなった。しかしこの名曲は残った。

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アイツにはいいところ「も」ある ++++++++ 所感

2009/04/03 09:12

090403(金)5時半起床。退職したので出勤なし●苦難に処する方法。私の経験でベストツー。①神様は御存知だと思うこと。TKさんは生まれつき歩けなかった。人生で4回「あるけなくてつまらない」と泣かれたそうだが、その都度母親のTTさんは「いいのよ。神様がすべて御存知だから」と慰めたという。この言葉以上の慰めの言葉はない。TTさんは召される寸前、うわごとのようにTKさんのことを御心配された。TKさんは棺に取りすがって「お母さんきれいだね。お母さんきれいだね」と言った。②人間関係の苦しみの時は「アイツにはいいところ『も』ある」と心に10回ぐらい念じれば7回目ぐらいに落ち着く。神はそのうちその人から離して、楽にしてくださる。

●「私を癒す名曲」、ドビュッシー、小舟にて。メロディーは次をクリック。

http://yunta.cool.ne.jp/music36.html

http://yunta.cool.ne.jp/index.html

●この曲の思い出。小舟に乗るというのは意味がある。ヘミングウエィの「武器よさらば」は主人公が身重の夫人(恋人?)をボートに乗せて湖をボートでスイスに脱出。しかしスイスの病院で女性は死ぬ。映画ではこの脱出シーンで嵐の中を必死に漕ぐ夫人公の姿が忘れられない。●シュトルムの「みずうみ」という小節では、主人公が故郷を離れて遠くに勉強に行って帰ってきたら、恋人が別の人と婚約することになっているのを知る。その話をその恋人から聞くのがボートの中。それがために主人公は生涯独身。晩年、彼女のシルエットを見て「エリーザベット!」とつぶやくところから回想シーンが始まる。●心残りのこと。妻は怖がってボートというものに乗りたがらない。今まで何度か誘ったが無理だった。生涯のうちで一度でもよいから妻をボートに乗せて漕いでみたいものだ。現世では無理なら「三途(ず)の川」(人が死んで七日目に渡るという川)」を渡るときに実現できるか。・・・・ただしそれはお互いの死ぬ間隔が7日以内でないとできない。私が先に死んだら妻には7日以内に死んで来てもらいたい。その三途(ず)の川の「小舟にて」わたしは妻を乗せて漕ぐのだ。(自笑)●終日「黒崎幸吉新約聖書デジタル化」へブルの校閲をグーグルにアップ。●16:20 散髪。店主と話。「悩み多きこの世なるかな」である。20:00 妻とショパンの「別れの曲」をポリーニ、フジコ・ヘミング、ホロヴィッツ、それにブログ3月26日にアップしたものを聴き比べた。

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月の光 ++++++++ 所感

2009/04/02 10:12

090402(木)5時起床。次回感話の準備、タイトルを「人生の不条理は神の存在証明」に変更。この題名は危険。信者でなければ分からないことなのだ。

●「私を癒す名曲」ドビュッシー「月の光:●演奏は次の►ボタンをクリック。

Claude Achille Debussy:Suite Bergamasque
Ⅲ.Clair de Lune  

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●この曲の思い出。火災で焼失した家が神の恩恵で再建できた。その寝室は「月の光」によって障子に庭の樹木の影が映る。それを見るとこの曲を思い出す。静かに静かに流れる曲。そのたびに神の愛を思う。人生の不条理は神が真の愛の何であるかを教える恵みの知恵だ。●「クラシック名曲ライブラリー」というすごいサイトを発見した(昨日ブログ参照)のでブログの過去(3月22日)に戻り、そのライブラリーから演奏をインプットした。制作の方法はわからないが「MIDIによるDTM1制作音楽」というのだそうだ。100%、もとの本源に忠実というのだから御立派。ただし人声は再現できないのが残念。●終日へブル書の校閲結果をグーグルにアップ。ヘビーだ。一日で終わらなかった。

使徒伝承 「黒崎幸吉著 注解新約聖書Web版」

   http://stonepillow.dee.cc/

 

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人生の不条理 ++++++++ 所感

2009/04/01 19:39

 満65歳と9ヶ月。j実年第1年。平均余命約17年。死亡推定年齢82歳。(未定。神の御心次第)。ライフワークは、「有体的復活」の伝承を担う使徒でありうること。「神の絶対恩恵による無条件の罪の赦し」を伝承すること。

 090401(水)3時目覚めで、感話の構想。5時起床。4月5日の感話の準備。骨子がまた変わった。その骨子は次の通り。

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人生の不条理は神の存在証明

            東京聖書読者会 2009.4.5 高橋照男

 

 

1・キリスト信者はなぜ不条理な苦難に襲われるのか

2・苦難に耐える方法

3・苦難は神に似た者とさせられるための鍛練

4・終末と再臨を待ち望む。完成は終末。

5・万物再生の祈り。人生の不条理は神の存在証明。

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●9:30 福島の華子さんから電話。つい音楽談義。郡山の富永先生の勉強会「カイロス会」でバッハをレクチャーしたという。私のブログの「私を癒す名曲コーナー」についてアドバイスを頂く。信仰+音楽+建築の関係について深い話になった。病が癒えて感謝。●「私を癒す名曲コーナー」のために「音源」を捜していたところ、「クラシック名曲ライブラリー」というすごいサイトを発見した。電子音でなく、普通の演奏の音がそのまま無料で聴ける。かなり多くの曲が収録されているので驚き。なぜこのようなことができるかは発信者の解説を読んで頂きたい。著作権問題でウルサイ世界をかいくぐって合法的によくぞやってくれた。発信者に感謝。今後の私の「私を癒す名曲コーナー」はここから取り込むことができそうだ。アドレスは次の通り。お勧めであ

る。

http://www.voiceblog.jp/andotowa/

●そこで早速。今日の「私を癒す名曲コーナー」。

シューベルト。即興曲作品90/D899 第3番

次の▶ボタンをクリック

 

Schubert:IMPROMPTUS Op.90-3  

  

 

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●なぜこの曲が好きか。それはドビュッシーのアラベスク一番と非常に似ていて、心が洗われるようだからである。シューベルトの「歌心」がいかんなく発揮されている。聴く方は心地よいが演奏する方はかなり大変だろうなーと思う。そのドビュッシーのアラベスク第一番は次の▶をクリックすれば聴ける

 

Debussy:Arabesque No.1  

  

 

 

 

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