to 日記と感想 2009年05月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170812(土)14:00お江戸こらりあーず演奏会、文京シビックホール
    170821(土)15:00お江戸コラリアーズ定期演奏会、文京公会堂
    170809     TW誕生日
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170708(土)14:00在宅医療説明会(キララホール)
    170707(金)10:00池谷医院
    170706      TM誕生日
    170702(日) 集会感話
    170701      TT誕生日
    170630(金)12:20キララホールエントランスコンサート
    170628      IY誕生日
    170627(火)11:00 能城牧師来訪
    170625)日)10:10トミ子集会感話
    170625(日)14:00茅ヶ崎金子邸
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール
    170610(土)14:00内村鑑三セミナー、立教大学12号館。矢田部、椚」山
    170609(金)   TS命日
    170608(木)12:15ボリショイ「白鳥の湖」、東京文化会館
    170707(水)10:00池谷医院
    170604(日)10:00集会感話、
    170604(日)16:30近藤恵邸起工式、福島市。
    170530(火)14:00田岡氏来訪
    170527(土)14:00今井館ピアノコンサート
    170521(日)14:00新宿フィル、ブラームス1番、レスピーギ「鳥」「ローマの松」。和田睦夫
    170425       TN)誕生日
    150420(木)09:30阿伎留センター泌尿器科)
    170416(日)14:00武蔵野室内合奏団、杉並公会堂(大坪満子)


現代の奇蹟 ++++++++ 所感

2009/05/31 07:47

090530(日)5時半起床●「黒崎プロジェクト」、シドニーのマネジャーと連絡作業。完了率67%。あと37%。よくここまで進めた。10年プロジェクトと思われていたのが2年弱。現代の奇跡に近い。参戦者が多く出たのも奇跡。神の恩恵に感謝。

使徒伝承 「黒崎幸吉著 注解新約聖書Web版」

       http://stonepillow.dee.cc/

 

●集会は高橋トミ子(司会)大山(GDP、デミング賞)、横田(教会史、リマ文書)●14:20今井館理事会。新井明先生が新潟から7年ぶりに戻られた。帰途、新井先生、浅野氏と駅まで。●20:00NHK第3、「日曜美術館」建築科で伝道者のヴォーリズのこと、彼の設計した建物は1000にも上る。みな温かいものばかりであるがその原因は「信仰」とか「永遠の概念」に篤とまでは追及していたがイマイアチ。「惜しい」。しかしNHKはよくやった。

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都立大の住宅街、素晴らしい門の立たずまい

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渋谷駅コンコースにある岡本太郎の壁画

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時がくれば神が教えてくれる ++++++++ 所感

2009/05/30 06:13

090530(土)4時半起床●朝の啓示「神の国の真理は神が教えてくれるという不思議」●宗教的真理は大脳皮質の納得ではなく霊による示し、啓示でわかる。ここが難しいところ。しかし「時が来れば」。神が「それはwたしだ。(エゴーエイミ)」とその人の迫ってくださる。●神が分かる、信仰が分かるというのは物理数学や哲学文学を「教」えるようには「教」得られないので難しいのだ。Jバイブルで「教」をヒットし、心に響いたものを列挙する。

ヨハ   6: 45 [塚本訳

預言書に、〃(最後の日に)人は皆神に教えを受けるであろう〃と書いてある。(そして神に引っ張られる者、すなわち本当に)父上に聞き、また学ぶ者は皆、わたしの所に来る。

ヨハ   7: 16 [塚本訳

イエスは答えて言われた、「わたしの教えはわたしの教えではない。わたしを遣わされた方の教えである。

ヨハ   7: 17 [塚本訳

その方の御心を行おうと決心する者には、わたしの教えが神から出たものか、それともわたしが自分で勝手に話しているかがわかるであろう。

ヨハ   7: 28 [塚本訳

すると宮で教えていたイエスは、こう言って叫ばれた、「なるほどあなた達はわたしを知っている。どこから来たかも知っている。だが、わたしは自分で勝手に来たのではない。わたしを遣わされた真実な方がある。あなた達はその方を知らないが、

ヨハ   8: 14 [塚本訳

イエスは答えて言われた、「たとえ自分で自分のことを証明しても、わたしの証明は信用すべきである。わたしは自分がどこから来たか、どこに行くかを知っているのだから。(わたしは父上のところから来たので、父上がなんでも教えてくださるのである。)しかしあなたたちはわたしがどこから来て、どこに行くか知らない。

ヨハ   8: 28 [塚本訳

そこでイエスが言われた、「あなた達は人の子(わたし)を十字架に挙げた時にはじめて、わたしがそれであること、また、わたしが自分では何もせず、ただ父上に教えられたままを語っていたことを知るだろう。

ヨハ   14: 26 [塚本訳

(わたしが去ったあとで、)父上がわたしの名で遣わされる弁護者、すなわち聖霊が、あなた達にすべてのことを教え、またわたしが言ったことをすべて思い出させるであろう。

ヨハ   17: 6 [塚本訳

わたしは、あなたがこの世から(選び出して)わたしに下さったこの人たち((弟子たち))に、あなたの名を──(あなたについての一切のことを)──知らせてやりました。彼らはもとあなたのものであったのに、わたしに下さったのです。彼らは(わたしが教えた)あなたの言葉を守りました。

マタ   7: 29 [塚本訳

自分たちの聖書学者のようでなく、権威を持つ者のように教えられたからである。

マタ   13: 52 [塚本訳

イエスは言われた、「(これがわかれば、すべてがわかるのである。)だから天の国のことに通じた学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものとを(心のままに)取り出す家の主人に似ている。(古い教えと新しい教えとを自由に使いこなすことが出来る。)」

マタ   13: 54 [塚本訳

郷里(ナザレ)に行ってその礼拝堂で教えられた。すると人々が驚いて言った、「この人はどこからこの知恵と、奇蹟とを覚えてきたのだろう。

マタ   16: 12 [塚本訳

その時(やっと)弟子たちは、イエスがパン種でなく、パリサイ人とサドカイ人との教えを警戒せよ、と言われたことを悟った。

マタ   21: 23 [塚本訳

宮に来て教えておられると、大祭司連と国の長老たちが寄ってきて、言った、「なんの権威で(きのうのような)あんなことを(宮で)するのか。だれがあの権威を授けたのか。」

マタ   22: 16 [塚本訳

その弟子たちをヘロデ党の者と共にイエスのところにやって言わせた、「先生、あなたは正直な方で、本当のことを言って神の道を教えられ、だれにも遠慮されないことをよく承知しております。人の顔色を見られないからです。

マタ   22: 33 [塚本訳

民衆はこれを聞いて、その教えに感心してしまった。

マタ   28: 20 [塚本訳

わたしがあなた達に命じたことを皆守るように教えながら。安心せよ、世の終りまでいつもわたしがあなた達と一しょにいるのだから。」

●集会の某婦人(故人)は長らく数学の教師をされていたが、あるとき次のような感話をされた。「一人の生徒を個人指導したことがある。世の中にこんなにものわかりの悪い人間はいないのかとホトホト困りぬいていた。しかしあるときその子供が一つの問題でにひらめきがあった。それ以後は堰を切ったように数学が分かりはじめぐんぐん伸びた」。この世の数学(それは大脳皮質)にしてこれだ。ましてや神の国のことは神の示しがあるまでは人間は全員「ものわかりの悪い」存在なのだ。

●中野の初音(小1)の運動会は雨で中止。妻はおはぎだけ届けて、そのまま東京芸術大学へ。フォーレ「レクイエム」のレクチャー受講と演奏。

「私を癒す名曲」

讃美歌428

1. またき あい たもう かみ よ,

   おおまえ に むすばれし

   この いもせ あい の みて に

   しゅくし はぐくみ たまえ.

2. みめぐみ の ゆたか なれば,

   なぐさめ と のぞみ と は,

   その いえ に わき あふれて,

   おそれ なやみ は きえなん.

3. かなしみ は きよき さち に,

   あらそい は やわらぎ に,

   ことごとく かわり ゆきて,

   とわ の やすき は みちなん.

●曲は次をクリック。

http://www.moclin.jp/hymnal/midi/hymn_1-428-o_perfect_love_all_human_thought_transcending.mid

●この曲について。

これは結婚式に歌われる。結婚式は告別式より感動する。なぜか。結婚式はお互いが自己に死ぬ葬式だからだ。決死の覚悟をするのが結婚式だ。この讃美歌を歌う時は涙が落ちる。私たちを主にあって結んでくださった。大熊好子さんは一昨年神の御許に行かれた。結婚式を司ってくださった藤林益三先生は誓約の時に私たちの目を見て「間違ったことをしてはいけない。いいな」と非常に厳しい顔をして言われた。そのF先生もまた一昨年主の御許に行かれた。残りの生涯、お二人に喜ばれるように生きなければならない。

 

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行け!異邦人のもとへ ++++++++ 所感

2009/05/29 06:57

090529(金)5時半目覚め。昨日、季刊「無教会」の編集者から原稿依頼があったが、その雑誌の「社会派」的傾向に対して激怒激白した。その内容は昨日28日のブログに掲載。すると昨夜「その激白内容でもよいから執筆していただきたい」と依頼があった。馬の耳に念仏。肌に合わないと思って断った。すると今朝、次の聖句が啓示された。

新共同 使 22:21
22:21 すると、主は言われました。『行け。わたしがあなたを遠く異邦人のために遣わすのだ。』」

●これで「気を取り直し」たので敵(?)の中に遣わされたのかと思い、テーマである「いのち」について執筆しようという気が起こった。多分他の執筆者は「この世の命」に関して書くであろう。自殺、少子化、高齢化、医療、食、健康、幼児、子育て、などなど。しかし私は「永遠の命」について「復活の命」についてなら書ける。それ以外の「この世の命」については書く気がない。いったん意識不明になったこの身、力がわかない。私の題は「無教会から『いのち』が去る時」とでもしようか。

● 上記使 22:21 の関連聖句。

新共同 使  9:15-16
9:15 すると、主は言われた。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。
9:16 わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」


新共同 使 15:7
15:7 議論を重ねた後、ペトロが立って彼らに言った。「兄弟たち、ご存じのとおり、ずっと以前に、神はあなたがたの間でわたしをお選びになりました。それは、異邦人が、わたしの口から福音の言葉を聞いて信じるようになるためです。

新共同 使 26:17
26:17 わたしは、あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、彼らのもとに遣わす。

新共同 使 28:28
28:28 だから、このことを知っていただきたい。この神の救いは異邦人に向けられました。彼らこそ、これに聞き従うのです。」

●福音は敵陣(いやな奴)に無理に引きづり込まれて「証しさせられる」ものなのだ。そこでは無理解と迫害が待っているだけ。馬の耳に念仏を説くようなもの。パウロが第三回旅行の最後でエルサレムに向かうときに、エペソの長老たちに別れを告げて次のように言った。

塚本訳  使  20:22-25
20:22 (だがいよいよお別れだ。)さあ、わたしは御霊に縛られて、エルサレムにのぼって行く。そこでどんな目に会うか、わたしは知らない、
20:23 ただ、聖霊は(預言者たちをもって)到る所の町で、縄目と苦難とが(あそこで)わたしを待っていると証しをしてくださったことのほかは。
20:24 しかしわたしは、自分の走るべき道を走りおえて、主イエスから託された、神の恩恵をつたえる福音を証しする役目をはたすためなら、自分の命のことなど口にする値打もないと思う。
20:25 さあ、もう二度と、あなた達みんなはわたしの顔を見ることはあるまい。わたしにはそれがわかっているのだ!ほんとうにわたしはあなた達の間を、御国(の福音)を説きながら回ったのだ。

[五つ誉めて一つ注意]

●朝食事時に見たNHKTV、良いところばかりを探す「覆面調査会社」の話。客になりすまして店に侵入、店員の良いところをチェックして店長に報告、それを店長が店員に伝えると売り上げが20%上昇。店員にやる気が出たから。そして締めくくりの言葉に「人には五つ誉めて、一つ改善点を言う」。同じものを見ていた妻が私に「あなたもああいう態度であってほしい」と言った。自戒。私の場合は「一つ誉めて、五つ批判している」のではないだろか。●以前、同じNHKTVで、リハビリ期間が短くなる方法として、看護婦が「昨日より良くなったわねー」と言うだけでよいということが放映されていた。●しかしあまり過度に誉めまくっても相手に「手の内」を見破られるし、言う時に顔が引きつる。真実は真実として直言しなければならないと思うんだがなー。「良薬、口に苦し」ということもある。第一に預言者は誉めていては務まらない。

●メール2通●「黒崎幸吉註解デジタル化プロジェクト」、次のルカの準備。校閲ペーパーコピー。●季刊「無教会」の巻頭言を依頼される。題は「本当の命とは」。これなら書けそうだ。なぜか。人類は全員が「本当の命」を求めているからだ。死んだあとの命も欲しているからだ。

[イエスとの出会いの喜び]

●死んだあとに復活するということは人間には信じがたいことだが、もしそれが本当なら人生にも希望がある。そのことを神は最も分かりやすく示したのが、イエスの復活ではないだろうか。さわれもし、さわれなかった。見えていたがすぐ消えた。墓は空になっていた。ドアの向こうからスーッと入ってきた。声は聞こえたが姿は見えなかった。現れ方は様々。しかし共通なのはそれに接した人に不思議に湧きあがった「喜び」の感情。・・・これが「ほんとうの命」。今の我々は復活のイエスの顕現に接しないが、聖霊の喜びで、死後またこの私も有体的に復活できるのだという「希望」を持つことができる。我々は生きてその喜びに満たされるのだ。「胸が熱くなる」のだ。●この胸が熱くなるときの喜びが来世実在の証拠、保証。●次回テキストヨハネ8:56は難解である。アブラハムも我々も歴史的イエスに出会ったことはないが、聖霊の働きで時間的錯誤の不思議な喜びに満たされる。

塚本訳 ヨハ 8:56
8:56 あなた達の父アブラハムは、生きてわたしの日、(わたしが来て神の契約を成就するその日)を見ることを、楽しみにしていた。そして(実際)それを見て、喜んだ。」


塚本訳マタ 13:17
13:17 アーメン、わたしは言う、多くの預言者と義人とは、あなた達が(いま)見ているものを見たい見たいと思ったが見られず、あなた達が(いま)聞いているものを聞きたい聞きたいと思ったが、聞かれなかったのである。

新改訳 Ⅰペテ1:8
1:8 あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。

口語訳 エペ 1:14
1:14 この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである。

口語訳 Ⅱコリ1:22
1:22 神はまた、わたしたちに証印をおし、その保証として、わたしたちの心に御霊を賜わったのである。

口語訳 Ⅱコリ5:5
5:5 わたしたちを、この事にかなう者にして下さったのは、神である。そして、神はその保証として御霊をわたしたちに賜わったのである。

塚本訳 ヘブ 11:13
11:13 信仰に従い、これらの人たちは皆、(地上では)約束のものを受けずに死んだのである。彼らはただ遠くからそれを眺めて歓迎し、自分たちは、『この地上では外国人であり、旅の者』であると認めた。

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あきる野はトウモロコシで有名。夏になるとこれらが五日市街道で売り出される。




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衰えねばならない ++++++++ 所感

2009/05/28 08:39

090528(木)5時半起床●YT氏とのメール交換で玉稿をいただいたのでわたしだけのものとしておくに忍びず、公開する。順序として27日の私のメールから掲載する。

●5月27日 高橋からYT氏宛。その一部分。( )で若干補筆

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●これで(黒崎註解デジタル化引照入力の)「使徒」は終わりましたが、実に面白かったです。●パウロは旅行中に今日われわれが手にする各種書簡が書かれたのでしょうが、それが使徒行伝のどこにも書いてないのは、もっと多数の手紙があったからではないのか。すると各書簡の宛先は大切だが「いつどこで」それを書いたのかはあまり大切なことでないとも思いました。●パウロの最後は杳(よう)として分かりません。しかし28章で福音が異教ローマに確実に入ったということは確かです。肉のパウロの足跡はここで忽然と消えます。その最後の様子を知りたくありますが、それはどの道この「肉の体」の滅び方です。パウロは有体的復活の希望に満たされて地上を蹴って行ったのだと信じます。

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(メール引用終わり)

●これに対するYT氏から高橋宛の「玉稿」返メール。

YT氏から高橋宛。5月28日。一部分。

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教職者も平信徒も聖書そのものを読まなくなっているというのが実感です。

聖霊の導きを祈りつつ聖書そのものをもっと読むようにしなければ信仰は衰退するでしょう。

聖書そのものを読むというのが無教会のよき伝統であったのではないかと理解しています。

塚本先生も黒崎先生も、その他の諸先生、諸先輩方も、聖書をよく読まれた。

なぜか?そこに真理が見出されること。真のいのちへの道が示されていること。

そしてとにかく貴兄の体験されたように「おもしろい」というのはきわめて大切な要素です。

塚本先生も黒崎先生も、おもしくてしかたがなかったのでしょう。そうでなければ続きません。黒崎Pも同様です。マタイ13:44!

 

パウロの晩年や最期が聖書では不明なところが、私は聖書の魅力であり、聖書を聖書として信じる所以です。パウロがいのちを賭けて証ししようとしたところが遺されていればよいのです。福音が伝えられればよいのです。その福音によってたった一人でも救われればよいのです。パウロの本望だったでしょう。パウロ先生記念講演会をパウロ自身は望まなかったでしょう。使徒行伝を通して聖霊の働きがいかに偉大であるかがわかれば、あとに続くものはパウロにではなくパウロに働き給うた生ける神に依り頼んで生きるでしょう。よくhistory(歴史)は、His story(彼の物語)と言われ

ますが、まことにそのとおり、福音書は彼(イエス)の物語、使徒行伝は彼(聖霊)の物語、そして歴史はすべて彼(父なる神)の物語です。真の歴史は、神による人類と万物の「救いの歴史・再創造の歴史」であると信じています.

(追伸)

パウロの晩年および最期についての小生の独断偏見の引照はヨハネ3:30です。

 

聖書を読み思い巡らすことは何と感謝すべきことでしょう。

 

バプテスマのヨハネもパウロも内村も塚本も黒崎もみな唯主の御名のために与えられた一生を完走しました。

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(メール引用おわり)

●これに感動(特にヨハネ3:30の指摘)した私からの早速の返事を次のように書いた。

高橋からYT氏宛。5月28日。

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塚本訳 ヨハ 3:30

3:30 あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。(それが神の御心である。)

 

アーメン、アーメン、アーメン。「衰えねばならない」は今朝の啓示。老化と死の意義はここにあり。

 

聖書による「返歌」(?)を私から。

 

新共同 ヨハ 12:24

12:24 はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。

 

●この「ねばならない」が人生。この不肖私は生まれてこなければならなかった。不幸にならねばならない。苦しまねばならない。嘆かねばならない。衰えねばならない。老化現象にならなければならない。死ななければならない。・・・・・しかし神はすべて先刻ご承知。「それが神の御心」。老化と死の意義はここにあり!!。実を結ぶために。

 

追伸

かって前田護郎先生が復活祭講演会(於・東洋英和女学院講堂。30年以上も前のことだったか)で語られたことで忘れられないこと。「洗礼者ヨハネが牢に捕まったとき、神はなぜ奇跡を起こして救出しなかったか(ペテロ、パウロのように)。私(前田)はこのことに苦しんだ。『しかしそれでは洗礼者ヨハネが崇められてしまってイエスが復活のメシアであることが世の人にわからないようになるから』と思うに及んだ」。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(メール引用おわり)

●10:30.季刊『無教会』の編集から電話があったので、大略次のように激白した。

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①無教会の子弟がクリスチャンになりにくいのは親を見ていて少しも幸福そうではないから.

②無教会の子弟の婚期が世の中一般と比べて特に遅いのは両親を見て結婚生活というものが幸福そうではないから。従って家庭を持とうとする気が起きない。意欲がわかない。ローマ帝国の滅亡は人口の減少。

③自分の娘が無教会のクリスチャンになると、「かわいい娘も髪振り乱して天下国家を断罪批判するように変身するかもしれないから心配」と思う。こういう心配をする親は自分の子弟を無教会集会に安心して預けられない。「あんな風に生意気な女性になっては困る」と思うから。

④今や無教会から神の霊は去っている。その結果としての憂うべき珍現象の数々は次の通り。

  a,聖書を読まなくなった。(田川建三に言わせれば無 教会に昔日の栄光なし)。

  b、天下国家を断罪しているだけで十字架を負おうとしない。社会批判が信仰の当然の「業」だと誤解している。信仰が覚醒すれば社会悪が見えてくるから社会批判が正道と思いこんでいる。聖書、特に使徒行伝を深く読んでない証拠。

  c、「神観」論争が湧きあがってきているがそれは大脳 皮質レベルの「神学」論争。わめき合い。不毛。神学は歌(ルター)。こういう論争をするのは大体において年金生活をしている暇人の「いとなみ」

  d、戦争に反対するかどうか、社会批判をするかどうかで人の信仰を判別する。それはこの世に対する考え方の一つにすぎない。そうではない。信者の判別は使徒信条を信じているかどうか、特に有体的復活を心から信じているかどうかである。社会批判を熱心に「やっている」「行為している」人間から有体的復活の信仰告白をあまり聞いたことがない。

  e、無教会では幼児教育が足りなかった。だから無教会の子弟の多くは教会の教会学校の世話になっている。これはカッコー鳥と同じ。他人の巣に卵を産んでいる。

  f,過度の人物崇拝。先生を神様のように思っている。遺跡の発掘で新しいことが分かっても先生の言っておられる古い図の方が正しいと信じ込んでいる。滑稽を通り過ぎて罪悪。

⑤今の無教会は自然死を待つよりしょうがない。過去の多くの教派の消滅と同じ運命。老人に注射をして、マラソンしろというのと同じで無理。

⑥原因は使徒伝承の連鎖が途切れていること。正統信仰からの逸脱。使徒信条、特に有体的復活をまともに信じていないからこうなった。その結果グノーシスや仏教とあまり変わりない宗教集団になっている。これも神の霊が去った結果の惨めな現象

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そして最後に「このような『無教会の自己批判』を書いても編集会議でどうされるか分からないから書いても徒労に終わる」と言った。●電話を切って思った。無教会には本部なし。代表なし。実態の把握は困難だからこのような「自己批判」も空論に終わる。批判すればするほど自分自身への批判になってしまう。自戒反省。●ではどうすればよいか。二つ。①神の祝福と聖霊の降下を祈る、②正統信仰である「使徒伝承」を継承する殉教的闘士の輩出を祈る

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ラスキン理想の婦人 ++++++++ 所感

2009/05/27 08:40

090527(水)5時半起床●昨日は昭和女子大「文化創造学科」の非常勤講師懇談会で、建築の女子教育にはラスキンの所論が必要だと発言した。事実わたしは授業の一端でラスキンを論じている。●ラスキン(1815-1900、英国の芸術批評家、社会思想家。英国の政治家において尊敬される人物の筆頭。英国は水準が高い)はその著「建築の七燈」(世界の建築家のバイブル。ところが日本人には聖書の素養がないから読めない。正しく訳せない)において理想の婦人として旧約聖書箴言31:10-29をあげ、特に次の箇所を注目せよという。これが私が建築の女子教育の根本はラスキンにあるという理由である。 貧しさの中にも「美」を忘れない女性。

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新共同 箴 31:13
31:13 羊毛と亜麻を求め/手ずから望みどおりのものに仕立てる。


新共同 箴 31:19
31:19 手を糸車に伸べ、手のひらに錘をあやつる。


新共同 箴 31:22
31:22 敷物を自分のために織り、麻と紫の衣を着ている。


新共同 箴 31:24
31:24 彼女は亜麻布を織って売り、帯を商人に渡す。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●その旧約聖書「箴言」31章10-29の全文を掲げる。

新共同  箴 言 31:10-29
◆有能な妻
31:10 有能な妻を見いだすのは誰か。真珠よりはるかに貴い妻を。
31:11 夫は心から彼女を信頼している。儲けに不足することはない。
31:12 彼女は生涯の日々/夫に幸いはもたらすが、災いはもたらさない。
31:13 羊毛と亜麻を求め/手ずから望みどおりのものに仕立てる。
31:14 商人の船のように/遠くからパンを運んで来る。
31:15 夜の明ける前に起き出して/一族には食べ物を供し/召し使いの女たちには指図を与える。
31:16 熟慮して畑を買い/手ずから実らせた儲けでぶどう畑をひらく。
31:17 力強く腰に帯し、腕を強くする。
31:18 商売が好調かどうか味わい/灯は夜も消えることがない。
31:19 手を糸車に伸べ、手のひらに錘をあやつる。
31:20 貧しい人には手を開き、乏しい人に手を伸べる。
31:21 雪が降っても一族に憂いはない。一族は皆、衣を重ねているから。
31:22 敷物を自分のために織り、麻と紫の衣を着ている。
31:23 夫は名を知られた人で/その地の長老らと城門で座に着いている。
31:24 彼女は亜麻布を織って売り、帯を商人に渡す。
31:25 力と気品をまとい、未来にほほえみかける。
31:26 口を開いて知恵の言葉を語り/慈しみの教えをその舌にのせる。
31:27 一族の様子によく目を配り/怠惰のパンを食べることはない。
31:28 息子らは立って彼女を幸いな人と呼び/夫は彼女をたたえて言う。
31:29 「有能な女は多いが/あなたはなお、そのすべてにまさる」と。

●女子大の会議で私は次のうように発言した。

「女子学生はひとしくシアワセを求めている。どんなに家が貧しくても、美しいクロスを織るそんな女性が理想だ。これラスキンの言うところ。私は地方から出てきた女子学生に授業で言う。『都心によい建物はない。故郷に帰って小さな工務店の二代目社長の夫人になって会社を切り盛りせよ』。我が国の建物の95%程度は戸建住宅。それを担っているのは地方の小さな工務店。その小さいところにシアワセがある」

●大脳皮質レベルの思想を振り回し、髪を振り乱して天下国家断罪の演説をするような「女性」を見たらラスキンはがっくりであろう。そんな女性を複数生みだした日本無教会の罪は重い。●自分の娘が「ああなっては心配だ」と思う親がいる限り無教会は伸びない。 ●過日某婦人から「高橋さんの女性観はかなり古いわねー」と言われた。しかし決して古くはない。上記箴言は3000年も前のもの。古くても内容は新しい。 この理想的なる婦人像は人類が滅びるまで永遠に廃らないであろう。だからこの箴言31:10-29 を読んで「古いわねー」という女性がいたら、その人の考えはすぐ古くなる。







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私はダメでも神はいます ++++++++ 所感

2009/05/26 06:52

090526(火)4時半起床●メール3通●朝の黙想。「私はダメでも神はいます」●「使徒伝承は困難だ」と思う時、無教会の将来を悲観するとき、エクレシアの存続継続を心配するとき、この自分一個の能力を感じるとき、自分のいたらなさで身内親戚に福音が伝わらないと嘆く時、・・・・「私はダメでも神と聖霊は実在する」と思えばよい。このことをYT氏とのメール交流で教えられ開眼。楽になった。感謝。●「黒崎プロジェクト」使徒引照27章を特急入力して関係者に送付。そのコメントは次の通り。一部改変

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

○○様 □□様。

引照使徒27章を送ります。パウロのローマ行きの船旅のドラマ、実に面白かったです。映画にできそうです。

今度初めて頭に入りました。場所を地図で確認しながら自分の頭で追っているからだと思います。またパウロの3回の旅行よりもずっと面白く感じられました。次に感じたままの感想を書きます。

ネストレ引照の27:1-28:16の引照は使徒16:10!となっています。「!」はここに多数の引照があるという意味です。そこでこの16:1を見ると次が示されています。使徒16:10-17 使徒20:5-15 使徒21:1-18 使徒27:1-28:16 これは「わたしたち記録・・・We sections・・・パウロを含むわたし(ルカ)たち」を示しています。使徒27章はパウロのローマ行きの記録で、「わたしたち記録」の一つです。実に細かいことが生き生きと書かれていて面白いのはパウロの同行者ある「わたし(ルカ)」でなければ書けない内容だったからと思われます。聖書を自分で読んで「27章は面白いなー」と思えたことが土台にあって、その上で聖書学的にこれが「わたしたち記録」の一つであると知ると「ナルホド」と補強されます。無教会の聖書の素人読みはまず自分が「感じ」、しかる後に聖書学がそれを補強する。これが筋であると思います。

新共同 使  27:11

27:11 しかし、百人隊長は、パウロの言ったことよりも、船長や船主の方を信用した。

●パウロの言ったことが受け入れられなかったために難船することになるのです。しかし結果的に良い方向になった。自分の意見がが拒否されても神がうまく導くものと思いました。人生、家庭、職場、エクレシア、これみな同じとも思いました。

新共同 使  27:22

27:22 しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです。

●会社は「船」。経営がおかしくなると経済的に「不要な人間」はリストラされますが、パウロは違った「船」=会社は失うが社員は助かるということか。この世では「会社組織」が偶像。その偶像の存続のために命たる個人が切られる。神なき社会の悲惨。

 

新共同 使  27:24-25

27:24 こう言われました。『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。』

27:25 ですから、皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。

●パウロの自信は経営手腕でなく、この旅は神の命令であるから「大丈夫」という信仰的自信。イエスが暴風の時に船(小舟)で寝ていた心理がパウロの言葉を通して読めました。「黒崎P」が終わるまでは「一人残らず」健康が守られると信じます。なぜか。神の命令のプロジェクトと思うからです。

新共同 使  27:25-26

27:25 ですから、皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。

27:26 わたしたちは、必ずどこかの島に打ち上げられるはずです。」

●「必ずどこかの島に打ち上げられるはず」という希望に驚きます。「なんとかなる」ということです。かって集会で藤沢武義先生にお話しを頂いた時の内容。藤沢武義先生の家庭でお金がなかったとき。藤沢「なんとかなる、なんとかなる」。(子供を抱えた)夫人「では今、ここに食べ物を出してください」。・・・これが藤沢先生が生涯で一番こたえたことだそうです。わたしはそのお子様を知っています。ご立派に育たれました。そのあと、先生は机に聖書をバンと叩きつけ「独立伝道者出よ!。神が何とかしてしてくださる」といわれました。パウロのようでした。

新共同 使  27:33

27:33 夜が明けかけたころ、パウロは一同に食事をするように勧めた。「今日で十四日もの間、皆さんは不安のうちに全く何も食べずに、過ごしてきました。

●塚本訳マタイ44は「パンがなくとも人は生きられる」。集会の先輩で収入は月5万年の年金だけの人がいます。「高橋君。この塚本訳は本当だ」と私に言います。そして過日、「臨時収入が5000円入ってきたので、独立学園の校舎増築費用に寄付したよ。君関係しているんだろう」と言われました。脱帽でした。

新共同 使  27:44

27:44 残りの者は板切れや船の乗組員につかまって泳いで行くように命令した。このようにして、全員が無事に上陸した。

●結局、船(この世のもの、偶像)は失いましたが、全員が助かりました。

 

 

・・・・これから「小事」である女子大の会議にでかけます。

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●教文館でリチャードR二ーバー著「復活と歴史的理性」を購入●16:30から三軒茶屋の昭和女子大文化創造学科非常勤講師懇談会。私は建築の女子教育にはラスキンを教えることが必要だと発言した●新しい助手「実川さとみ」さんを紹介された。●20:10帰宅

 

 

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初物の喜び ++++++++ 所感

2009/05/25 06:17

090525(月)4時半起床●福島県で農業を営んでいる三男のKはHPで日記(ブログ)を写真付きで公開している。

HPは http://chitata.com/

日記(ブログ)は http://chitata.blogspot.com/

昨日の日記(ブログ)は、初物のズッキーニが取れた喜びであった。こちらもうれしくなったので次のようなメールを送った。

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K君

5月24日ブログ「初物」拝見。

「疲れた身体も初物の喜びで休まりました」ということは最高、素晴らしい。労働の理想。

聖書を思いだしました。

 

口語訳 詩  126:5-6

126:5 涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。

126:6 種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。

 

新共同 Ⅰコリ15:20

15:20 しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。

 

新共同 Ⅰコリ16:15

16:15 兄弟たち、お願いします。あなたがたも知っているように、ステファナの一家は、アカイア州の初穂で、聖なる者たちに対して労を惜しまず世話をしてくれました。

 

●お父さんの場合の喜びはまず「上棟の日」。頭の中で考えていたことが実際に目に見える形で実現する喜悦。次が「竣工引き渡しの日」で建築主に感謝されて背中を見送られるとき。「どうかこの家に神の祝福が末長くありますように」と祈りながら帰るそのとき。●「正しい労働」は「清い喜び」が真の報酬です。物理的金銭では買えないものです●お母さんに「ズッキーニ、食べた事あったかなー」。お母さん「夏に調理したことがあるわよ」。

 

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●「黒崎幸吉註解デジタル化」プロジェクト。引照使徒26章入力。第一次資料である聖書そのものを「自分で」読むことの面白さと確信の喜び。おかげでパウロの3回の旅行コースが大体頭に入った。

 

 

 

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ヴォーリズの作風に似ている ++++++++ 所感

2009/05/24 22:01

090424(日)4時45分起床。●朝の黙想「復活の希望」。復活の希望はどうしたら持てるか。「使徒伝承を聞くこと。聖霊を頂くこと」。この両方が必要。使徒伝承は水平情報、歴史的伝承。聖霊は垂直情報。どちらが欠けても福音ではない●妻と集会に行く。集会は山本、土肥(詩篇23編)、小寺(エペソ書)。集会が今日のように聖書そのものに固着している時は健全。それが聖書から逸脱して大脳皮質で勉強してきたことを大学のゼミのような気分で発表するのは、集会に来る人に大変失礼なことである。なぜか。自分が知らなかった雑学を披歴しているだけのことだから。聖日の2時間はNHK第3チャンネル(某氏批評)のようであってはならない。それは礼拝にはならない。しかもその内容も資料がかなり古いときてはなおさら聞くに堪えない。●聖日は何があっても万障繰り合わせて礼拝に出席。これが人生成功の秘訣。

塚本訳  マタ 6:33
6:33 あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。

●かって次のような人がいたが、そういう人は「俗的人間」「この世的人間」「遊び人」。職業的牧師ではなく無教会の「自由人」が言うのだから、耳を貸さない者は真に禍である。

①新約聖書ギリシャ語の勉強会にゴルフバッグを提げてきた人間。真剣味がたりなかったからギリシャ語も習得できなかった。無教会衰退の原因。神は見ている。信仰の道は遊びではない。この世の趣味道楽の団体と同一視してはいけない。

②夫人の都合で集会を休むのはいたし方がないとしても休む理由を堂々と「女房の手伝い」などとシャーシャーと集会の席でいう人間。女房と集会のどちらが大切なのだ。悪妻の典型。夫は遊び人の典型。無教会をはき違えて聖日にも俗生活とは情けない。無教会の先達が天で泣いている。信者の看板を下ろした方がよい。かって私が上司から「明日は日曜出勤して仕事をしてくれ」と言われたとき、「明日は教会に行くのでできません」と答えたところ、ひどく誉められ「それが君のレゾンデートル(存在理由)だ」と言われた。その上司は長く患って他界した。信者ではなかったがこのことの故に神に覚えられたと信じている。理由の聖書的根拠あり。

③偉い人大好き人間。大学教授やこの世的地位の高い人の信仰を信ずる心理。これ無教会七不思議の一つ。なぜか。簡単である。これは「霊の目」が明いてない人間の特徴。その「偉い人」が大学教授やこの世的地位がなくなるとその人を信ずることもやめる。結局、その地位というものを拝んでいた偶像礼拝者。神が一番嫌う。

④遊び第一人間。「聖なる者」「清い者」としてのキリストの香りがしない。キリスト教の正統信仰が希薄。イエスが処女から生まれたことを信じられないのがその特徴。イエスは人間だと平気で思っている。

⑤仕事第一人間。これは言うまでもなく仕事が栄えない。発想がこの世的で陳腐だから。神のツキがないから。日曜の午前中の時間も惜しんで「金儲け」や「仕事」に熱中する人間は先がない。なぜか。神のエネルギーを補給しないから。ガソリン切れのエンストは目に見えている。

●以上のことは「教会に来い来いという」牧師が言うのではない。無教会の自由人である私が言うのである。「耳が痛くない」としたら鈍感である。禍。先がない。

●30年前に設計したKS邸の建築主さんからお電話。「今朝のNHKTV『日曜美術館』で建築家W・M・ヴォーリズのことをやっていたが、あなたの設計したこの家と作風がどこか似ている。今もとても快適に住んでいる」と。●この嬉しいお電話に次のようにお答えした。「私はヴォーリズの建築があこがれであった。あるとき、その本拠地であった滋賀県近江八幡に彼の作品の数々を家族とともに見に行った。彼はキリスト教の伝道者。建築設計はそのための経済的手段。米国メンソレータムの本社は彼の日本伝道を経済的に支援するためにメンソレータムの日本における販売権を彼に渡した。近江兄弟社がそれである。世田谷の無教会学生寮である春風学寮は彼の設計であった。独立学園の鈴木初代校長に内村鑑三を紹介したのも彼であった。教会堂の名建築である旧霊南坂教会は東京駅設計の辰野金吾とされてきたが、最近の研究ではヴォーリズが加わっていることが判明した。さもあらん。彼の建築にはどれも福音的暖かさがある。KSさんが、私の建築の作風がどこかヴォーリズと似ていると言ってくださったのは私の建築人生で初めて聞くお誉めの言葉。よく感じてくださって感謝感激光栄です。ヴォーリズの死後、近江兄弟社は営利第一になって倒産。ヴォーリズ建築設計事務所も今や昔日の栄光はない。」

●港区赤坂の旧霊南坂教会堂(赤レンガ造、その模型は同教会のロビーにある)の献堂式には内村鑑三が招かれた。内村は中に入るやいなや感動したと自分の日記に書いている。無教会の内村がよい建築に素直に感動。目に見える建築には関心をもたないという現代無教会のグノーシス的人間とは違う。

●ヴォーリズはキリスト教伝道者であることが本質であって建築設計はその経済的手段。これは聖書の次の箇所を思う。この難解な箇所は塚本訳の敷衍が良く意味を通す。

ここにおいて「不正な富」とは地上の建物。なぜか真正の富とは神の国の建物だから。それは「小事」。

塚本訳 ルカ 16:9-13
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。
16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。
16:11 だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。
16:12 もし他人のもの[この世のこと]に忠実でなかったならば、だれがあなた達のもの[天のもの]をあなた達に与えようか。
16:13 しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。」

●ヴォーリズはこの世の建物という「小事」に神にあって忠実だったので、その面だけでも栄えた。彼(後年日本に帰化、夫人は日本人)は日本の名建築家100人の中に入った。彼は学校で正式に建築学を学ばなかった。ヴォーリズに生き方は上記ルカ16:9-13の生きた註解である。私の人生観、職業観はこのルカ16:9-13の塚本虎二の解説で決定した。●塚本先生は言う。「キリスト教の世界だけで通用するような人間にはなるな。」と。しかし、「小事」と「大事(神の国)」を履き違えて逆になり、キリスト教信仰を「手段」としてこの世(小事)の世界で偉くなろうとする愚か信者がいるから困る。

 

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死の悲しみと復活の希望の喜び ++++++++ 所感

2009/05/23 10:59

090523(土)4時起床。●メール3通ほど●朝の黙想「死の悲しみと復活の希望」●パウロの伝道のバネは復活。●「ユダヤ人に対して「聖書でメシアは復活すると書いてあるがそれが起こった。それがj伝えているあのナザレのイエスだ」というのがパウロの主張であった。●そのときパウロは自分は復活の証人であるとともに「希望」でもあると言った。 ●パウロはユダヤ人とかなり「議論」したらしい。


●現代の我々が復活を信じられるというのはどういうことか復活の希望を抱くというのはどういうことか。その解明は次でできる。

塚本訳 使 17:2-4
17:2 パウロはいつものとおり入っていって、三度の安息日に聖書に由って彼らに話をした。
17:3 すなわち救世主は苦しみを受けて(十字架の上に死に、)死人の中から復活せねばならなかったこと、また、「わたしがあなた達に宣べ伝えているイエス、この人こそ救世主である」と説き明かし、論証した。
17:4 すると、中には信じて、パウロとシラスとに従った者もあった。なお敬神家の異教人の大勢の群と、少なからぬ有力な婦人たちも従った。


●ここでパウロはユダヤ人に向かって話した。ユダヤ民族は聖書を信じていて「メシアは復活する」ということも信じている。そのメシアがあのナザレにイエスであった。なぜなら復活したイエスに自分は出会った。使徒にも現れた。というのである。この前提は強い。ユダヤ人はメシアを待望していたからである。つまり耳か目で外部情報をキャッチして大脳皮質でとらえ、ある日あるとき聖霊を頂いてその人が「それは本当だ」と信ずるようになるのが、現代の復活信仰のプロセス。それには「イエスは復活したという使徒伝承の連鎖が絶対に必要。復活信仰は真空から生まれない。●パウロの話を聞いて「すると中には信じて」とあるから、信じた人は少数であったことが予想される。これ慰めである。復活を信じる人は少数。しかし少数でもいることはいる。教会でも集会でもそれは少数。全員ではない。●だから「イエスの墓が空になっていたこと、イエスは有体的に復活されたことを信じないで、またそれを伝承しない教会や牧師や無教会集会は「看板に偽りがある」。「盲人の手を引く盲人」。 人を救わない詐欺行為だからただちに信者の看板を下ろすべきだ。雑誌をやめるべきだ。●「一人一教会」を履き違えて「処女降誕も有体的復活も信じないで」信者であると自認している人間がいる ●そういう人間は宗教なら何でもよい。という団体があるからそちらに転向した方がよい。
●現代の我々にとって「復活は希望の喜び」である。パウロも「復活は希望」であると言っている。

塚本訳 使 24:15
24:15 (また)この人たち自身もいだいている(復活の希望、)正しい人と正しくない人との復活が来ようとしているという希望を、神に対して持っているのであります。

●その希望の喜びはどうしたら得られるか。まず使徒伝承を信じることと、次に聖霊によって「心の目が開かれる」ことである。

塚本訳 使 16:14
16:14 するとテアテラ町の紫毛織物の商人で、敬信家のルデヤという婦人が聞いていたが、主はその心を開いてパウロの話に耳を傾けさせられた。

●終日黒崎幸吉註解新約聖書デジタル化プロジェクト引照入力、使徒25章●妻は東京芸術劇場にコンサート鑑賞。ブラームス、ドイツレクイエム。モーツァルト戴冠ミサ曲。東京オラトリオ合唱団ほか。












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「あの人邪魔だ」と思うのは人殺し ++++++++ 所感

2009/05/22 06:27

090522(金)4時目覚め●朝の黙想「あの人邪魔だと思うのは人殺し」「あの人は自分にとって都合が悪い」と思うのも人殺し。●次回感話のテキストに次のような恐ろしいいやな言葉がある。残念ながら真理である。

口語訳 ヨハ 8:44
8:44 あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている。彼は初めから、人殺しであって、真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。彼が偽りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ。


新改訳 ヨハ 8:44
8:44 あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。


新共同 ヨハ 8:44
8:44 あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。悪魔は最初から人殺しであって、真理をよりどころとしていない。彼の内には真理がないからだ。悪魔が偽りを言うときは、その本性から言っている。自分が偽り者であり、その父だからである。


塚本訳  ヨハ 8:44
8:44 (そのはずである。)あなた達は悪魔なる父の子で、父と同じ欲望を遂げようと思っているのだ。(人殺しをし、嘘をつくのは、そのためである。)悪魔は始めから人殺しである。(また嘘つきで、)真理に立ってない。彼の中には真理がないからである。だから彼は嘘をつく度ごとに、その本性を表しているのである。嘘つきで、嘘の父だからだ。

●このことについて関連聖句を思いつくまま列挙する。

●人間は生まれつき悪魔であることについて。・・・・・あの人は親が悪い、家系が悪い、育ちが悪い、教育が悪い、躾が悪い、実家の家風がいけない、生まれたところが悪かった。・・・・・などなどいろいろ批評されるが、所詮人間は全員生まれつき悪魔。

口語訳 詩  51:5
51:5 見よ、わたしは不義のなかに生れました。わたしの母は罪のうちにわたしをみごもりました。


塚本訳  ロマ 3:10
3:10 (聖書に)こう書いてある。──『正しい人がいない、一人もいない、


新共同 詩  14:1-3
14:1 【指揮者によって。ダビデの詩。】神を知らぬ者は心に言う/「神などない」と。人々は腐敗している。忌むべき行いをする。善を行う者はいない。
14:2 主は天から人の子らを見渡し、探される/目覚めた人、神を求める人はいないか、と。
14:3 だれもかれも背き去った。皆ともに、汚れている。善を行う者はいない。ひとりもいない。

●心の中で「あいつ病気か交通事故で早く死なないか」「ねたましい奴だ」「失敗しないか」「除名せよ」「邪魔な奴だ」「どこかへ消え失せろ」「失脚しないか」「どこかに飛ばされないか」「早く帰らないかしら」「早く寝ないかしら」「アイツはみんなの評判が悪いから早く降格させられないか」「馬鹿だねー」「訴えるぞ」「教会・集会・教派教義に合わないから破門しろ」「無教会の家風にあわない」「社風に合わない」「私に合わない」「ねたましいあいつを消せ」「あの姑、小姑、嫁、親、夫、妻、子供、さえいなければ」「あいつは勉強不足、学歴がない、心が狭い」・・・・・などと心で思うだけで「人殺し」である。神の国の水準は高い。だから生まれつきの「人間」は誰もこの水準に達しないので「生きていけない」。少なくともこの私は。

塚本訳 マタ 5:22
5:22 しかしわたしはあなた達に言う、兄弟に腹をたてる者は皆、(ただそれだけの理由で、天国の)裁判所で罰せられる。兄弟に馬鹿と言う者は、最高法院で罰せられる。畜生と言う者は、火の地獄で罰せられる。

塚本訳 ロマ 1:29
1:29 彼らはあらゆる不道徳・悪意・欲張り・悪念に満ちた者、妬み・人殺し・喧嘩・悪巧み・よこしまで一ぱいな者、陰口をきく者、

塚本訳  マタ 27:18
27:18 ピラトは人々が妬みからイエスを引き渡したことを知っていたのである。

口語訳 ルカ 4:28-29
4:28 会堂にいた者たちはこれを聞いて、みな憤りに満ち、
4:29 立ち上がってイエスを町の外へ追い出し、その町が建っている丘のがけまでひっぱって行って、突き落そうとした。

塚本訳  マタ 5:11-12
5:11 わたしゆえに罵られたり、迫害されたり、あらん限りの根も葉もない悪口を言われたりする時、あなた達は幸いである。
5:12 小躍りして喜びなさい、褒美がどっさり天であなた達を待っているのだから。あなた達より前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。

塚本訳 ルカ 6:22
6:22 人に憎まれる時、また、人の子(わたし)のゆえに除名されたり、罵られたり、悪様に言われたりする時には、あなた達は幸いである。

塚本訳 使  5:32-33
5:32 わたし達はこれらの事柄の証人であります。神が御命令に従う者にお与えになる聖霊も、同じくその証人であります。」
5:33 これを聞いた者たちは真赤になっておこり、彼らを殺そうと思った。

塚本訳 使  25:2-3
25:2 大祭司連とユダヤの名士たちとはパウロに不利な申し出をして頼み、
25:3 自分たちのため特別の計らいをもって、パウロをエルサレムに呼んでもらいたいと願うのであった。途中で無き者にしようと、たくらんでいたのである。

塚本訳 使  23:12
23:12 朝になると、ユダヤ人は互に結託して、パウロを殺すまでは食べもしない飲みもしないと、呪いをかけて誓った。

塚本訳 マタ 10:21
10:21 また兄弟は兄弟を、父は子を、殺すために(裁判所に)引き渡し、『子は親にさからい立って』これを殺すであろう。

●ではこの生まれつきの「殺人鬼」はどうしたら救われるのか。道徳、修行、躾、訓練、感化、忍耐、我慢、訓練、歴史勉強、人間の性格の勉強・・・などの人間的努力では全く効果がない。すこし我慢していてもいつか「爆発」する。・・・イエスは言う「生まれ変わらなければだめだ」と。

新共同 ヨハ 3:3-7
3:3 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」
3:4 ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」
3:5 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。
3:6 肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。
3:7 『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。

●今にして反省。建築プロジェクトを立ち上げるときは優秀なメンバーをそろえることが「プロジェクトマネジャー」の主たる業務。そのために私はよく「人や会社を斬った」。特に建築主(社長)の息子(多くは専務か常務)がプロジェクトのメンバーに加わると、能力のないのに「地位の権威だけ」を振り回すから、「除名」したことがしばしば。顔を立てるとビルが建たないからである。そのためわたしは「ニコニコしているが、実は人斬り魔」と言われたことがある。しかしビルは建ったものの、その息子との人間関係は悪化、憎まれ恨まれることが多い。今にして思えば「ビルは建って社長に喜ばれたが息子の顔を潰した」。しかし息子の顔を立てなかったことはその社長(親)を悲しませたのかもしれない。現業を退職した現在の甘い心境だろうか。しかしあの時は必死だった。イエスもパウロも「狐」だとか「狼」だとかの激烈なことを言った。裁きは神が行う。

塚本訳  ルカ 13:32
13:32 彼らに言われた、「(忠告はありがたいが、)行って、あの狐(のヘロデ)にこう言ってもらいたい、『見よ、わたしはきょうとあしたは、(まだここにいて)悪鬼を追い出し治療を行い、三日目に(仕事が終って)全うされる。

 
塚本訳 マタ 7:15
7:15 偽預言者に用心せよ。(やさしい)羊の皮をかぶって来るが、内側は強盗の狼である。


塚本訳 使  20:29
20:29 わたしが立ち去った後、獰猛な狼どもがあなた達の間に入ってきて、群を(荒して)容赦しないことが、わたしにわかっている。

●公共工事は顔を立てるから「談合」はなくならない。建設技術の能力無視で低価格の所に決めるだけの馬鹿な(?!)役人のやり方だからいけない。

[今日の写真]

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強い風の朝。風はプニューマ。聖霊の風

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朝の奥多摩連山。風。

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遠い山から吹いてくる

小寒い風に揺れながら 気高く清く 匂う花

きれいな野菊 うす紫よ

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夕暮れ、こういう景色を見ると泣けてくる。多くの苦難悲しみの人のことを思うからだ。

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死の悲しみと復活の喜び。そうだ私に与えられた伝承の使命だ。復活なくして人生は空しい。

●今日も終日「黒崎幸吉新約聖書注解デジタル化」プロジェクト。引照入力。使徒24章。●某氏お素晴らしいブログに感想メール。

●某氏に聖書の感想メール。一部改変して下記に掲げる。

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○○様

感想を書かせていただきます。

 

新共同 使  17:7

17:7 ヤソンは彼らをかくまっているのです。彼らは皇帝の勅令に背いて、『イエスという別の王がいる』と言っています。」

 

●この世に生きていながら「実は別の王がいる」とは貴兄の言われる通りです。しかしパウロはローマ皇帝を転覆しようとは思っていない。これは貴兄の姿勢と重なります。この戦いは戦時中の塚本、黒崎の姿勢と同じです。その姿勢のためにかえって主眼は「十字架・復活」であることがクリヤーになりました。キリスト教は共産主義とは違います。それが最近の無教会は正統信仰から逸脱しているから、体制を転覆させる思想集団と同じになっています。

 

新共同 使  24:13

24:13 そして彼らは、私を告発している件に関し、閣下に対して何の証拠も挙げることができません。

 

●小事に忠ですから、告発されたら「私の勤務態度のどこが悪いのですか」と開き直ることができます。

 

新共同 使  24:16

24:16 こういうわけで私は、神に対しても人に対しても、責められることのない良心を絶えず保つように努めています。

 

●クリスチャンは「旅人」(貴兄の言われる通り)です。旅人としてこの世の人に「責められることのない」生き方が望ましいとこのパウロの弁明から学びます。

 

新共同 使  24:21

24:21 彼らの中に立って、『死者の復活のことで、私は今日あなたがたの前で裁判にかけられているのだ』と叫んだだけなのです。」

 

●これ「だけ」、このこと「だけ」で捕まったとパウロは言います。これ私の理想。訴えられるとしたら「復活伝承のことだけ」で捕まりたいと私も思います。

 

新共同 使  25:8

25:8 パウロは、「私は、ユダヤ人の律法に対しても、神殿に対しても、皇帝に対しても何も罪を犯したことはありません」と弁明した。

 

●宗教的にも先祖をないがしろにしてない。むしろそこに書かれていることを忠実に守っているというパウロの自信がみられます。

 

新共同 使  17:2-3

17:2 パウロはいつものように、ユダヤ人の集まっているところへ入って行き、三回の安息日にわたって聖書を引用して論じ合い、

17:3 「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」と、また、「このメシアはわたしが伝えているイエスである」と説明し、論証した。

 

●聖書を尊重するから「メシアの復活も尊重する」。その復活があのイエスだというパウロの論争は強かったと思います。

 

 

新共同 使  24:15

24:15 更に、正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。この希望は、この人たち自身も同じように抱いております。

 

●死後、人間はまず全員復活する。これ現代に最も大切なメッセージと思います。

 

 

●以上、貴兄の姿勢を重ね合わせることができ、また戦時中の塚本・黒崎の姿勢こそ「正統信仰」の本質がクリヤーになっていたのだとわかり感謝です。

 

●パウロの逮捕劇はイエスの逮捕劇とかなり一致します。イエスは「私の国はこの世の国とは違う」(ヨハ1836)と言ったイエスを思います。

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使徒伝承 「黒崎幸吉著 注解新約聖書Web版」

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イエスが神の子と分かるには ++++++++ 所感

2009/05/21 07:16

090520(木)4時半目覚め●朝の啓示「イエスが神の子とわかるには」●次回「感話」テキストの一部には次の箇所がある。これは難解である。物理的、時間的、空間的には全くわからない、大脳皮質では絶対にりかい不可能なヘンテコリンなイエスの言葉である。クリスチャンはこんなことをまともに信じているから「おかしなヤツ」だと思われる。それは当然。大脳皮質ではわからないから。

新共同 ヨハ 8:58
8:58 イエスは言われた。「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある。』」


塚本訳 ヨハ 8:58
8:58 イエスは言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、アブラハムが生まれる前から、わたしはいたのだ。」

●はたしてイエス自身に神の子の自覚があったのか」という問題は「イエスの尊厳意識」の問題として「聖書学会」で取り上げられているらしい。その結論は「イエスには神の子の自覚はなかった」というのが現代の「学会の趨勢だという。●これは塚本虎二著作集第一巻(1979.9)の月報に聖書学者の荒井献が書いている。「イエスのいわゆる『尊厳意識』」。荒井献先生なぜ塚本虎二著作集に書いたか。それは塚本シューレ(学校、グループ)は固く「イエスは神の子、有体的復活、処女降誕」を信じているグループだからという認識だからである。よくぞ言ってくれた。問題の所在がクリヤーになったからである。その塚本シューレはいまや正統信仰がぐらつき始めているからである。「処女降誕、有体的復活、(これ神学用語で三位一体)」をまともに信じられない俗化人間が跋扈。パウロに言わせればこういう「狼」(使徒20:29)は真面目な信仰者グループ(教会ではない)から叩き出さなければならない。●荒井先生は個人的にお手紙をくださったりしているので恩義がある。荒井先生の発言は「荒井マジック」で「狼の面をかぶった羊」。われわれに真の正統信仰を促すために揺さぶりをかけてくださったのだと解す。先生は「イエスの墓が物理的に空になった」ということを信じているわたしを佐藤研氏と示し合わせて「支持」してくださっている。●「内村鑑三研究」第28号(1991.5)に私は書いた。「イエスは確かに言葉として『私は神の子だ』とは言わなかったけれども、聖霊を頂くとイエスが『神の子に見えてしまう』」というのが結論。つまりイエスが神の子にいますことはイエスが自分で神の子だと言ったから信じるという大脳皮質経由の信仰ではいけない。霊でわかることがその正道だということを言った。●この内容を「内村鑑三研究セミナー」の席上で発表したときの結論でこういった。「良い父親は子供に向かって『わたしはお前の父なのだぞ』とは言わないでひたすら子供の足を洗い続ける。するといつの日か子供から「お父さん!」と言われて『満足する』」と。会場から拍手が起こった。TS氏であった。もう20年も前のことだ。●次回感話のテキストの一部「アブラハムが生まれる前からわたしはいたのだ」。は「ありてあるもの(エゴーエイミ)」である。これは真正のイエスのことばであるかどうかその聖書学的操作は知らない。(ブルトマンの「ヨハネ福音書」を読んでもはっきりしない。1032ページの本は熟読する暇も興味もない)●しかし聖霊を頂くとイエスが「エゴーエイミ、(ありてあるもの9」と言ったとしても不思議ではないと思う。アーメンと思う。そして理性の方も「そう言ったであろう」と信じてしまう。決して理性を犠牲にしていない。●「アブラハムが生まれる前から私はいた」に対して霊は叫ぶ。「アーメン。あなたこそその方です」と。●こういうことを信じられない大脳皮質だけ人間に向かって、「怒っても」「叱っても」「批判しても」「憤慨しても」「嘆いても」始まらない。なぜか。それは「狼」に向かって「空を飛べ」というのと同じ。言う方が間違っている。パウロは次のように言う。

新共同 Ⅰコリ2:14
2:14 自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。霊によって初めて判断できるからです。


文語訳 Ⅰコリ2:14
2:14 性來のままなる人は神の御靈のことを受けず、彼には愚かなる者と見ゆればなり。また之を悟ること能はず、御靈のことは靈によりて辨ふべき者なるが故なり。


塚本訳 Ⅰコリ2:14
2:14 しかし(御霊を持たない)生まれながらの人間は、神の霊から出てくることを受け入れない。彼にはそれが馬鹿なことなのである。またそれを理解することも出来ない。(霊のことは)霊的に判断されねばならないからである。

●では本当のところイエスは「アブラハムが生まれる前からわたしはいた」ということを言ったのか。霊の示しでは言ったように思えるし、言ったとしてもおかしくはないし、言ったのが本当であったとなってほしい。しかし、この発言がなかったとしても私の信仰は動かない。私の信仰は「学会の趨勢」に左右されない●しかし「学会の趨勢」大歓迎。なぜか。信仰とは大脳皮質経由ではないことがクリヤーになるからである。かえって教会主義の「ドグマ」から解放されるからである●かってヨアキム・エレミヤスの本の訳者のTS氏(カトリック)が拙宅にこられたときの話。「田川建三などの本を読んでも最後は『かもしれない』ということだ」。そのとおりであって聖書学は常に「かもしれない」がその結論。それならば聖書に書いてることはことごとく「本当におこった」ことだと信じていて一向に間違いではない。損ではない。嘲り笑われない。「イエスは処女マリヤより生まれ、十字架につけられ、有体的に復活し、再び来られる。信ずる者は最後の日に霊の体で有体的に復活する。アーメン。」

[今日の写真]

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朝日、今日は暑い日になりそうだ

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あきる野市庁舎に朝日が当たる

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書斎の花に朝日が当たる

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五日市線の下を掘ってトンネルを作っている。電車を止めないでの高度な技術。こういう工事は鉄建建設なければほとんどできすにない。この分野は市場競争原理ははたらきにくい。

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ここあきる野市は「近郊農業」。向こうに見えるのはあきる野市庁舎。

●終日「黒崎幸吉著新約聖書デジタルかプロジェクト」。夕方図書館にCD、ノジマでカラーインク。●夕食後、妻に「黒崎幸吉著新約聖書註解WEB版」の使い方と引照入力の作業システムについてレクチャー

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「本当に自由になる」とは ++++++++ 所感

2009/05/20 06:26

090520(水)3時半目覚め●朝の啓示。次回感話のテキストはヨハ8:30-50.。その36節に「本当に自由になる」。という著しい言葉がある。その関連聖句が次々と浮かんだので列挙する。

{テキスト}

新共同 ヨハ 8:36
8:36 だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。

口語訳 ヨハ 8:36
8:36 だから、もし子があなたがたに自由を得させるならば、あなたがたは、ほんとうに自由な者となるのである。

新改訳 ヨハ 8:36
8:36 ですから、もし子があなたがたを自由にするなら、あなたがたはほんとうに自由なのです。

add 2 ヨハ 8:36
8:36 だから、もし子(たるわたし)が(罪から)自由にしてやれば、あなた達は本当に自由になるのである。(そしていつまでも父上のところにおることができる。)


add 1 ヨハ 8:36
8:36 この故に子もし汝らに自由を得させば、汝ら實に自由とならん。

{連想聖句}

塚本訳 ヨハ 8:32
8:32 真理を知り、その真理があなた達を自由にするであろう。


塚本訳Ⅱコリ13:8
13:8 というのはわたし達は神の真理に逆らっては何も出来ないが、真理のためには何でも出来るからである。


塚本訳ロマ 11:8
11:8 『神は彼らに』『麻酔の霊を』『与えて、目を見えなくし、耳を聞こえなくされた、今日に至るまで。』と書いてあるとおりである。

塚本訳ヨハ 9:39
9:39 イエスは言われた、「わたしは裁きのためにこの世に来たのだ。・・盲が目明きに、目明きが盲になるために!」


塚本訳ヨハ 4:13-15
4:13 イエスは答えられた、「この(井戸の)水を飲む者はだれでもまた渇くが、
4:14 わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」
4:15 女が言う、「主よ、その水を下さい。(二度と)渇くことがないように、またここに汲みに来なくてもよいように。」


口語訳 Ⅰコリ1:25
1:25 神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからである。

塚本訳 Ⅱコリ6:14-15
6:14 不信者と一緒に不似合いな軛を負うようになってはいけない。なぜというか。義と不法とはなんの共同関係があろう。また光は暗闇に対しなんの共通性があろう。
6:15 キリストがベリアルに対してなんの調和があろう、また信者は不信者となんの共同があろう。

新共同 エペ 3:18-19
3:18 また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、
3:19 人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。

塚本訳 ルカ 13:24
13:24 「全力を尽くして(今すぐ)狭い戸口から入りなさい。あなた達に言う、(あとになって)入ろうとしても、入れない者が多いのだから。

塚本訳 ヨハ 6:68
6:68 シモン・ペテロが答えた、「主よ、(あなたを離れて)だれの所に行きましょう。永遠の生命の言葉はあなただけがお持ちです(から)。

塚本訳 ルカ 13:24
13:24 「全力を尽くして(今すぐ)狭い戸口から入りなさい。あなた達に言う、(あとになって)入ろうとしても、入れない者が多いのだから。

塚本訳 ヨハ 6:68
6:68 シモン・ペテロが答えた、「主よ、(あなたを離れて)だれの所に行きましょう。永遠の生命の言葉はあなただけがお持ちです(から)。

塚本訳 Ⅰコリ3:22
3:22 パウロでもアポロでもケパでも、世界でも命でも死でも、現在起こっていることでも将来起こることでも、万物はあなた達のものである。

塚本訳 ロマ 16:18
16:18 こんな者はわたし達の主キリストの奴隷ではなくて、自分のお腹[下等な欲求]の奴隷であり、あまい言葉と諂いとで無邪気な人たちの心を惑わすからである。


塚本訳 ピリ 3:19
3:19 あの人達の最後は破滅、その神は自分の腹、その光栄(と考えているもの)は(実は)恥であって、あの人達は(ただ)地のこと(ばかり)に気を取られているのだ!

塚本訳マタ 16:26
16:26 たとい全世界をもうけても、命を損するならば、その人は何を得するのだろう。それとも、人は(一度失った永遠の)命を受けもどす代価として、何か(神に)渡すことができるのだろうか。

●人間の営みはこれ全てこれ「自由へのあがき」。速く、高く、束縛されず、命は長く、大きく、・・・しかしすべて目的を達せず常に渇いている。満足していない。真の喜びと平安がない。●生まれつきの人間は「従順」という言葉が耳に痛い。本能がそれを拒絶する。そして自由になろうとして「自分の腹」自分の腹とは「人間の欲望、遊び、享楽、理念、思想」。その奴隷になっている。自分の腹が神になっている●「神への従順が真の自由」ということが全くわからない。半人前の人間。●「欲望を断つ」ことが神への道ではない。条件ではない。神の霊という天からの宝を頂くと「この世の宝、楽しみ、喜び」が色褪せて「つまらない」ものになるのだ。●天からの霊を頂くと「聖書学」「神学」が面白くなくなる。聖書の語句そのものに肉薄する方が面白い。なぜか。それは神の言葉(ロゴス)だから。これ無教会主義の生き方●天からの霊を頂くと「お交わり」「お祭り」「典礼」の教会行事がつまらなくなる。心が満たされないものになる。これ無教会主義の実際の原理。●人は教会組織では救われない。神の霊の「それはわたしだ(エゴーエイミ)」の接近で救われる。●しかし「正統信仰」の伝承があってそれは可能。復活のイエスは生前イエスのことを知っていた、あるいはパウロのように耳で聞いていたという人にのみ現れた。

[女性の価値]

●ヒルティは女性は二分されるという。一方は男性を神のもとに導く気高い存在。もう一方は男性を悪魔に手渡す存在。「アンタもっと稼いできてちょうだい」「わたしアレが欲しいヮ」「あの子は有名学校に入れたいヮ」「あの人と同じものを持ちたいヮ」「わたしあの人嫌いョ」「だれからも命令されずに自由でありたいヮ」「女王になっていたい」などという思いを男性に囁くと「夫は妻を喜ばせようとして」悪魔と手を握りやすくなる。事例は多数。その結果男は人生を失い、家庭は崩壊し、国家は転覆する。悪魔は高笑いしている。

塚本訳Ⅰコリ7:33-34
7:33 結婚している男は、どうしたら妻に喜ばれるかと、この世のことに気をつかって、
7:34 心が割れるのである。また独身の女と処女とは、身も霊もきよくあろうとして、主のこと(ばかり)に気をつかうが、結婚している女は、どうしたら夫に喜ばれるかと、この世のことに気をつかうのである。

●このことから、では「カトリックの修道院に飛び込もう」という考えを起こすのは聖書の読みが浅い。物理的環境を変えたところで「主に喜ばれない」。プロテスタントはこの世の泥沼が修道院だ。泥沼に咲くハスの花。掃溜めに鶴の存在で生きるべきだ。

[あきる野の5月 農作業]

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私「まっすぐですねー」。農家の人笑いながら「あー」。

讃美歌369番を思った。

 讃美歌369

1. はたらきびと に しゅ は いませり,

   われ も ひごと の わざ を つとめん.

   いそしむ もの の おるところ に,

   はたらきびと の しゅ わはまし まさん.

2. くみ の ひとり に しゅ は いませり,

   われ も くみ なる ちかい かえじ.

   まこと の くみ の ある ところ に,

   くみ の ひとり の しゅ も まし まさん.

3. たすけ ぬし に て しゅ は いませり,

   なやめる もの を われ も たすけん.

   たすくる ひと の ある ところ に,

   たすけ ぬし なる しゅ も まし まさん.

4. ひと の ひと に て まし ます しゅ の

   みあと に つきて とも に すすまん.

   はらから とも に むつぶ ところ,

   うえ なき あい の しゅ も まし まさん.

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夕方の農作業

●妻は今井館ウィークデーの集い。坂内善子「チェルノブイリを訪れて」、●妻に話す「精神科の医者の子供が引きこもりになる、脳の専門家自身が脳の病気になる、建築士の私が目の前で家が焼かれる。これは全部「恥」。しかしこれ何かある。神のご計画がある」●神はある大事業を人に託す時はいったんその人を谷底に突き落とすのかもしれない。神の子イエスにして荒野の誘惑をくぐらされた。ましてや凡人の人間が「大聖業」を負わされる時は不可解な不条理な苦しみにあう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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彼は有体的復活を固く信じて死んでいった ++++++++ 所感

2009/05/19 05:54

090519(火)3時目覚め。●朝の啓示。私の告別式での故人略歴は簡単。「彼は有体的復活を固く信じて死んで行った」。これさえ言ってもらえば大満足。これ以外の人生の歩みはこの信仰に至る準備のためにあった。●葬儀ではいつも故人略歴は5分以内でお願いしてきたので、私自身のも5分以内で収まるように「原稿」を書いた。あとで公表する。●葬儀の時に御遺族に必ず準備しておいていただくのは故人略歴。しかし御遺族としても突然に書くとなると時間がかかるし難しいので、それは自分で書いておく必要がある。過去の動かしがたい事実だけをありのままに記せばよいので「飾ったり、自慢したり」しなければ楽に書ける。

{あきる野の5月 早朝 4:30-5:10]

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日の出 2009.5.19 4:45

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あきる野市庁舎に朝日。奥多摩連山はまだ暗い

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富士

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わたしと同じ脳内出血を患った人。20年も前から右半身が御不自由。会話も御不自由。肉体の不自由は「この短い地上生活」だけのことだ。「何のコレシキ」。あの人の上に神の祝福あれ。

●終日「黒崎幸吉著新約聖書註解デジタル化プロジェクト」使徒21章引照入力。パウロとの3回の旅行は楽しかった。●15:00妻は無教会研修所の月本昭男先生「旧約講義」に新宿に行く。

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人間であることの悩みと救い ++++++++ 所感

2009/05/18 06:24

090518(月)4時半目覚め。朝の黙想「人間であることの悩みと救い」●過日、某女(信者)との対話。「あの人は人間なのよ。人間なのよ」。こう語るのが女性であるところに深いものを感じた。カトリックのマリア崇拝は永久に廃らないと言われているのはうなずける●しかし人をその人間性故に赦せるだろうか。そこに救いはあるだろうか●中学生の時にゲーテを盛んに読んだ。その人間性にほっとして魅かれていた。ゲーテは、自然、人間、世界を常に美しく見る。また「向上しようとする人間は迷うものだ」という素晴らしい言葉もある。確かにA・シュヴァイツァーはゲーテの賞を受賞している。無教会の中にもゲーテ愛好家がいる。しかし私の場合は高校生になってゲーテが嫌いなヒルティに出会って転向。ヒルティはゲーテ的なるものに救いも幸福もないというのである。●2005年にドイツ旅行の途次ゲーテが長く居たワイマールを訪れた。案内人がゲーテの顔とその周りに10人以上の女性の顔がある絵を見せて、「これはゲーテがここワイマールで交際した女性です」と説明。私は「ゲーテはやっぱりダメだなー」と思った。私のそばには一人の妻が居た!!。日本人は早くからゲーテを受け入れ、その名称も多くて何十もあり、「ギョーテとは誰のことかとゲーテ言い」という川柳まである。●しかし私はそのゲーテ的なるものからヒルティによって救われた。ゲーテの人間性礼賛に救いなし。それは実際のところ「息苦しいのだ」「真の自由がないのだ」●人は人を「人間であること」の故には大目には見られない。真の赦しは「贖罪」にある。真の幸福は神のところにある。そしてゲーテに別れてヒルティに走った。●といって救われた者は人間として生きている人にその人間性故の行いを断罪できない。自分がそうであったから。イエスは次のように言う。

塚本訳  マタ 23:2-4
23:2 「聖書学者とパリサイ人はいまモーセの(後継ぎとしてその)椅子に坐っている。(彼らにはモーセの権威がある。)
23:3 だからなんでも彼らがあなた達に言うことを行い、また守れ。しかし、そのすることを真似てはならない。あの人たちは言うだけで行わないのだから。
23:4 すなわち思い荷をたばねて人の肩にのせながら、自分では(担ってやるどころか、)指一本でこれを動かしてやろうともしない。

●ゲーテ的なる者たちからクリスチャンは堅い、狭い、人間性への理解がないと非難されても「じっと耐えなければならない」。なぜか。人間性を礼賛する「ゲーテ的なるもの」に救いはないからである。そこにあるのは息苦しさと不自由感●「ゲーテ的なるもの」が好きな人間に向かって信仰の道は説けない。酒屋の前で酒の害を演説するようなものだから●若者の宗教離れという原因は実はこの辺に理由がある。人間性が求める遊び楽しみは一見魅力的だが、そこに真の自由の喜びはない。しかし本人が人生の荒波でそのことに気がつくまではいくら「真の自由の道」を説いても「馬の耳に念仏」である。●かって無教会の某先生に尋ねた。私「ゲーテは当時の教会的キリスト教には入らなかったが、無教会的キリスト教には入った(?)のではないでしょうか」。某先生「入るかも知れないがすぐ通り過ぎて行くだろう」。そうだ無教会的キリスト教の方がゲーテとは相入れないのかもしれない。なぜか。無教会は生活全体が礼拝だから。ゲーテからすれば「堅苦しく」思うであろう。●ゲーテ的なる人間は「ゲーテ的集団」と群れをなすほうが幸福である。しかしそこに真の喜びはないはずだ。●創世記の次の箇所は現代にも通じる。人の命に限りがあるのは「ゲーテ的なるもの」に目がくらみ永遠の命を求めなかったからである。

新共同 創  6:2-3
6:2 神の子らは、人の娘たちが美しいのを見て、おのおの選んだ者を妻にした。
6:3 主は言われた。「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから。」こうして、人の一生は百二十年となった。

●ローマ帝国の滅亡は人口の減少。人口の減少の原因は「性の堕落頽廃」。清く明るい家庭の喜びがなかった。ヒルティは大略つぎのように言う「初代キリスト教徒の集団は、そんな暗いローマ帝国に一陣の清い風が吹いてきたようなものであった。それで人類は生き返った」と。(幸福論Ⅲ.白水社版「わが汝になさんとするは、驚くべきことなり」、岩波版「驚くべき導き」の冒頭)。ここでヒルティは上記創世記6:2-3を引用している。●翻ってわが国を見るとローマ帝国の末期症状と似ている。右を見ても左を見ても家庭崩壊の話ばかり。ここがキリスト教の出番である。今が出番である。清く明るいさわやかな風を吹かせるものであるべきだ。

[あきる野の5月 鳥 ]

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早朝散歩ではよく「ケーン、ケーン」という雉(きじ)の鳴き声がするがなかなか見えない。しかし今日は見えた。写真中央。少しづつ近づき3枚撮ったがこれが限度。このあとすぐ逃げられた。顔と頭が赤くて美しかった。2009.5.18 6:48

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烏(からす)。小屋の屋根にいる。

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使徒伝承 「黒崎幸吉著 注解新約聖書Web版」

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負わされる十字架 ++++++++ 所感

2009/05/17 07:43

 090517(日)4時半起床●朝の啓示「クレネ人シモン・・・負わされる十字架」●イエスが十字架を負わされてゴルゴダに歩かせられたとき、(鞭打ちでおそらく)衰弱していて「負いきれ」なくなった。そのとき野良から来て通りかかった(マコ15:21塚本訳)クレネ人シモンは有無を言わせずその重き十字架を負わせられた。●十字架は予期せぬときに予期せぬことを負わされる。自分の望まぬ不幸を負わされる。●「自分の十字架を負え」(マタ16:24)とは各自に負わされる十字架(不幸、苦難、悩み、悲しみ)はそれぞれ違うということ。ある人には夫が、ある人には妻が、ある人には子供が、ある人には親が、そして国が、職場が、そして肉体の悩み、仕事、労働、家庭、などなどこれらはすべて「己が十字架」であり、種類は様々。●しかしありがたいことにその十字架の悩みは、それがどんなに小さいものでも、否、小さければ小さいほど神に覚えられる。知られる。ひそかに流す涙は神に覚えられる●クレネ人シモンにとってこの予期せぬ出来事は幸いした。一家がクリスチャンになった。その妻はパウロをして「自分の母である」とまで言われるようになった。(ロマ1613)。その子供はアレキサンデルとルポスである(マル15:20)。クリスチャンになったので福音書記者マルコに知られる所になった。一家は神に祝福されることになった●予期せぬ十字架を負わされるところに幸いな人生が待っている。●妻と集会に出かける。藤巻、村上、高橋(先週御夫人を亡くされた望月明氏のピンチヒッター)「予期せぬ出来事・・・2009.5.10-5.16のブログから」。次をクリック。文中の×赤印はそれをクリックすると写真がでる。

http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/denshou/yoki

●ピンチヒッターなので肩の力を抜いて、勉強準備せずにブログからピックアップしたところ。「今日の話はとても良かった」と二人の方から感想を頂いた●肩の力を抜いて設計したら誉められた経験。キリスト教愛真高校の校舎増築で、旧校舎と新校舎をつなぐ中央廊下はまったく力を抜いて設計したところそれが広くて明るくて非常に喜ばれている。●ピアニストのダンタイソンはロシアに留学したところそこで教えられたことはただ「脱力」の技術。それで演奏技術が向上した。●子育ても「肩の力を抜いて」育てるとのびのびとした子供ができる。●力を抜くとなぜうまくいくのだろうか。それは人間の力が抜けて神の力が発揮されるのではないだろうか。●数人で昼食●妻はモーツァルトレクイエムの練習

[あきる野の5月 空 14:34-14:54]

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予期せぬ出来事 ++++++++ 所感

2009/05/16 06:52

090516(土)4時半起床●水曜日の夜に依頼されたこと。土曜日に葬儀、日曜日に集会のピンチヒッターの感話。こういうことが重なることはあっても、それが「突然」依頼されて重なることは初めて。予期せぬ出来事である。●ダビデはゴリアテに対して武装服ではなく河原に行って石コロ5個拾って投げつけた。(Ⅰサム17章31-51)。私の突然のピンチヒッターとしての「感話」も石コロを投げつけるしか方法がない。準備の武装はできない。時間がない。●塚本虎二先生が無教会主義を唱導したときはカトリック教会とプロテスタント教会さらには内村鑑三の弟子たちからも攻撃があって文字通り「十字砲火」を浴びた。そのとき塚本先生はカトリックの強固に武装された神学体系にはとても勝てないと思い,「ダビデがゴリアテに対して石コロで戦ったと同じく『聖霊の石コロ』で戦う」と悲壮な発言をされた。●17日の感話はM氏であったが、ご夫人が召されたので突如私に依頼があった。私としては準備に時間がないが、この一週間のブログを整理することで急場をしのぐこととした。これこそ河原に落ちている「石コロ」である。お粗末な武器である。●「感話」のプリント推敲修正7回目。建築設計と同じく締め切りまで何度も直したくなるものだ。●歌舞伎役者が予期せぬ出来事により舞台で倒れると、急遽弟子がその続きを舞うのである。予期せぬ出来事なので準備の練習なし、下手でもよいのである。●かってサントリーホールにモーツァルトピアノ協奏曲23番を聴きにいったとき、指揮者のジャンフルネが急病で倒れ、急遽指揮者なし、コンサートマスターのリードで「こなした」。終演のときそのコンサートマスターはステージに呼び戻されて拍手を浴びた。

●10:50 練馬区豊玉ホールで、望月はま子告別式。60分以内で終わる簡素な式で良かった。参列者は無教会キリスト教のことを御存知ないと思い、永遠の命の根拠はイエスの有体的復活の使徒伝承が根拠であることと、葬儀の本質は「とりなしの祈り」であることを祈りを通して語った。

 

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望月はま子告別式、於・練馬区豊玉ホール。東京聖書読者会で参列の方々 2009.5.16 12:15

●出棺お別れのとき、多くの孫たち子供たちに声をあげて泣かれた「はま子さん」は実に愛された方であることがわかった。●しかし「泣かれず、惜しまれず」に逝くのも人生。そういう人生の方が神に迎えられる可能性が多い。

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キリスト教の告別式は明るい ++++++++ 所感

2009/05/15 17:28

090515(金)5時半起床。

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秋留台公園、朝のラジオ体操。 2009.5.15 6:32

●突然指名された17日(日)の感話の準備に追われた●明日16日の告別式の準備。聖書朗読は第一コリント15:1-11.有体的復活の伝承が復活の希望の根拠。開式の祈りの原稿は次の通り。有体的復活が我々のただ一つの信仰の根拠であり、希望であることを言う。 キリスト教を信じていない人の前での告別式は、キリスト教の告別式は明るいということをアピールしたい。

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開会の祈り

 

本日、ここに主にある○○さんをあなたのもとに見送る壮行会をさせていただきます。

生けるものにとって「死」というものは恐怖の王であります。人類はこの恐怖から逃れようとして様々な努力を重ねてまいりましたが、どれ一つとして満足と安らぎを得るものはございませんでした。しかし今から2000年前にイエスが有体的に復活されたという情報が発信せられ、それが今日まで連綿と伝承されてまいりました。それを信ずる者は不思議なことに「罪が赦されて肩の重荷が下り」、永遠の生命の喜びに入れていただける事実をいただきます。

本日、ここにお見送りします○○さんも若き日にその体験をいたしまして86歳の今日までそのことを固く信じ、永遠の命を頂き、今しばし神の御許に眠り、世の終わりの日に霊の体を持って再びよみがえります。これがキリスト信徒の信仰であります。もとより来世のことは行って見てきたわけではありませんが、今から2000年前のキリストの有体的復活を信ずることにより、来世の実在を信ずることができます。キリスト信者の墓にはよく「また会う日まで」と書かれることがあります。本日執り行います式はその「また会う日まで」のしばしのお別れの会でありますが、これは永遠の別れではなく、「ほんのしばし」の別れ、そしてすぐ「また会える」のであります。開式にあたり、この喜びの壮行会をあなたが祝してくださいますようにお祈りいたします。

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●閉式の祈りの原稿は次の通り。キリスト教の告別式の本質は「とりなしの祈り」「代祷」である。そのことを祈りでもって実行する。

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閉式の祈り

キリスト教の告別式の意義は、故人が親しかった者たちによる神への「とりなしの祈り」を捧げることにあります。これからその「とりなしの祈り」を皆様とともに捧げたいと思います。

神様。○○さんの86年の長き人生の旅路において、本人が気付かない過ち、故人がどうしても赦せない人がいたこと、家族に対する悔いの思い、などなど、どうか今ここにご出席の皆さまの「とりなしの祈り」の故にその罪をお赦しくださいますように深くお願い申し上げます。そして終わりの日に、再び愛する夫、子供たちと会えるようにしてください。

閉式にあたり、この切なる願いを救い主イエスキリストの十字架の故にきこしめし給え。

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葬儀の本質は「とりなしの祈り」 ++++++++ 所感

2009/05/14 08:03

090514(木)5時半目覚め。朝の啓示「葬儀の本質はとりなしの祈り」●昨夜突然葬儀の計画が発生。キリスト教の葬儀の本質は死者のための「とりなしの祈り」であることを再認識。故人の犯した罪に対して「赦しをこう祈り」。●「とりなしの祈り」は聞かれる。ステパノは石打ちの死刑で殺されつつあるとき、次のように祈った。

塚本訳  使 7:60
7:60 それからひざまずいて、大声で叫んだ、「主よ、どうぞこの罪をこの人たちに負わせないでください!」こう言って、彼は眠りについた。

●これがステパノの「とりなしの祈り」。この祈りにある「この人たち」という言葉の中に、あのパウロが含まれていた。パウロは上着の番をしていただけだが、まぎれもなく殺害者の仲間であった。心でイエスを殺していた。 それは次の通り。

塚本訳  使 7:58
7:58 彼を町の外に突き出し、石で打ち殺した。証人たちはぬいだ上着をサウロという青年の足下に置い(て、番をさせ)た。

●つまりステパノの祈りの「射程距離内」に、後の大伝道者、キリスト教の土台を据えた「パウロ」がいたのだ。新約聖書はこれほとんどがパウロの影響下にある。

●復活のイエスはなぜサウロ(ギリシャ名でパウロ)に現れたか。それはステパノの「とりなしの祈りが」が聞かれたからだと私は思う。

●イエスは十字架で殺されながら次のように祈った。これも「とりなしの祈り」である。

塚本訳 ルカ 23:34
23:34 するとイエスは言われた、「お父様、あの人たちを赦してやってください、何をしているか知らずにいるのです。」『彼らは籤を引いて、』イエスの『着物を自分たちで分けた。』

●すると十字架に付けた異教ローマの百卒長は次のように告白した。


塚本訳 マコ 15:39
15:39 イエスと向かい合ってそばに立っていた百卒長は、こんなにして息が絶えたのを見て、「この方は確かに神の子であった」と言った。

●初めてイエスを(心から)「神の子」と告白したのは実に異邦人、このとき福音は異邦に流れ出た。イエスのとりなしの祈りにある「あの人たち」という言葉の中に殺害者である「百卒長」が含まれていたのだ。なぜ異教人の百卒長が人類で最初に信仰告白をしたのか。イエスの「とりなしの祈り」の射程距離内に「百卒長」はあったからで、イエスのとりなしの祈りが聞かれたからであると私は思う。

●葬儀は「とりなしの祈り」がその本質。信仰なくして眠った人間も周囲の熱心な「とりなしの祈り」があれば神を動かす。陰府で神に声をかけられると私は思う。「○○○。なぜ生前に私を迫害してたのだ」「なぜキリスト教を嫌っていたのだ。それはわたしだ(エゴーエイミ)」と。

●「使徒行伝」には不思議に「家族」という言葉が5回も出てくる。初代教会の人も「家族の救い」が深刻な問題であったのであろう。


使 11: 14 [新共同

あなたと家族の者すべてを救う言葉をあなたに話してくれる。』

使 16: 15 [新共同

そして、彼女も家族の者も洗礼を受けたが、そのとき、「私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊まりください」と言ってわたしたちを招待し、無理に承知させた。

使 16: 31 [新共同

二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」

使 16: 33 [新共同

まだ真夜中であったが、看守は二人を連れて行って打ち傷を洗ってやり、自分も家族の者も皆すぐに洗礼を受けた。

使 16: 34 [新共同

この後、二人を自分の家に案内して食事を出し、神を信じる者になったことを家族ともども喜んだ。

●かって集会で某氏が危篤の時、故藤林益三先生が集会最後の「報告」のときに言われた「○○さんが危篤です。皆さん、御加祷ください」と。先生の思いの中には次の言葉があったのだろう。

塚本訳ヤコ 5:16
5:16 だから互いに罪を告白し、医されるため互いのために祈れ。義人の(熱心な)祈りは働くと大きな力がある。

●プロテスタント神学では人が救われるためには「本人の信仰告白」がその条件だという。幼児洗礼を無効として大人になってから「再び」洗礼を要求する「再洗礼派、(アナバプテスト派)」の主張は分かるが、神はそういう「教派神学」や「教派教義」よりも大きい。その具体例がステパノとイエスの祈りである。●神は救おうとされる人に「わたしだ(エゴーエイミ)」と言って不思議なる方法で迫ってくださる。それはこの世でも、陰府でも、然り、来世でも可能だと信ずる。なぜか。神は「時間」の主でもあるから。

●かって無教会の某氏が召されたとき、御遺族で葬儀方法の議論があり、「葬儀を素人の○○氏と高橋に頼むより、費用を弾んでも本格的な宗教家(牧師?、司祭?)の方がよい」という意見が出たそうだ。素人では、故人が「行く所に行けない」と思ったか、大勢が来るので「素人ではかっこ悪い」と思われたのかは謎。御遺族にキリスト教に対する信仰がなかったことだけは確か。結果的に無教会(方式?)で「素人の○○氏と高橋」に依頼されたので執り行った。何式でもよい。問題は葬儀の時に「とりなしの祈り」があるかないかだ。もしそれが行われなければ葬儀は単なる「お祭りのイベント」に過ぎない。そういう「お祭りのイベント葬儀」がキリスト教に多い。無教会にも多い。そういう時にイエスは言うに違いない。

塚本訳 マタ 8:21-22
8:21 またほかの一人の弟子が言った、「主よ、(お共をする)その前に、父の葬式をしに行かせてください。」
8:22 イエスはその人に言われる、「(今すぐ)わたしについて来なさい。死んだ者の葬式は、死んだ者にまかせよ。」

【葬儀方法は残された家族のもの】

●「死人に口なし」。葬儀方法は残された家族の姿勢できまる。御遺族に信仰がなければ、また信仰がしっかりしていなければ、故人の遺言がどうあろうとそれを「踏みにじって」、無宗教でなされる場合もある。まさに「死人に口なし」である。だからキリスト教の葬儀は御家族からの御依頼がなければやってはいけない。一般に御遺族はキリスト教信仰をよくは思っていないのが普通。なぜか。イエスは次のように言う。

塚本訳  マタ 10:35-36
10:35 わたしは子を『その父と、娘を母と、嫁を姑と』仲違いさせるために来たのだから。
10:36 『家族が自分の敵となろう。』

塚本訳 マタ 10:21
10:21 また兄弟は兄弟を、父は子を、殺すために(裁判所に)引き渡し、『子は親にさからい立って』これを殺すであろう

●熱心な信者であっても御遺族に信仰がないばかりに、葬儀が無宗教や町内会のやり方で簡単に済ませられた事があった。それでは信者であった故人がかわいそうだと思うこともあるが、葬儀の方法如何で故人の「行き先」が決まるわけではない。かえってイマドキのキリスト教、特に無教会の有体的復活を信じない人たちの「お祭りイベント」の葬儀では神に嫌悪されるに違いない。葬儀の本質は「とりなしの祈り」。だからお祭りイベントの形式的葬儀をしなくても可能。イエスが死んだとき、十字架の墓で泣泣いた女性。その心が神に祝福された。復活のイエスは弟子たちよりも先に「マリヤ」に現れた。

塚本訳 ヨハ 20:11
20:11 (二人について来ていた)マリヤは(ひとり)墓の外に立って泣いていた。(二人が去ったあと、)泣きながらかがんで墓の中をのぞくと、

塚本訳 ヨハ 20:15-16
20:15 イエスが言われる、「女の人、なぜ泣くのか。だれをさがしているのか。」マリヤはそれを園丁だと思って言う、「あなた、もしあなたがあの方を持っていったのだったら、どこに置いたか教えてください。わたしが引き取りますから。」
20:16 (こう言って、また墓の方を向いていると、)イエスが「マリヤ!」と言われる。マリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う。(そしてイエスに抱きつこうとした。)

 

【あきる野の5月、緑  6:40~7:05】

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●終日、17日の感話の準備。●イオンと図書館に写真を撮りながら徒歩往復2時間。

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図書館の帰り。奥多摩連山の夕暮れ。讃美歌43番「御神の賜いし、この日も暮れけり、いざや今朝のごと御神をたたえん」を独唱する。2009.5.13 17:40

●散歩していると聖書の解読に有益なひらめきが湧く。

【アブラハムが生まれる前から私はいた】(ヨハネ8:59)

このヘンテコリンなイエスの言葉は当時も現在も人間にはわからない言葉である。これは「神学用語」うぇは「イエスの尊厳意識」という。最近の聖書学ではイエスには「尊厳意識」はなかったという方向になりつつあるらしいが、断然NO!、である。聖書的根拠としては次である。

塚本訳  ヨハ 8:58
8:58 イエスは言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、アブラハムが生まれる前から、わたしはいたのだ。」

塚本訳  マタ 12:6
12:6 わたしは言う、(ダビデ王よりも、祭司よりも、)宮よりも大きい者が(今)ここにいる。


塚本訳  マタ 12:42
12:42 また、南の国(シバ)の女王がこの時代の人と一しょに(最後の)裁きの(法廷に)あらわれて、この人たちの罪が決まるであろう。というのは、彼女は地の果てからソロモン(王)の知恵を聞きに(エルサレムに)来たが、(この人たちは、)いまここにソロモンよりも大きい者がいる(のに、それに耳を傾けない)からである。

塚本訳  マタ 22:43-45
22:43 彼らに言われる、「ではダビデが御霊に感じて、救世主を主と呼んでいるのはどういう訳だろう。彼はこう言っている。──
22:44 『(神なる)主はわが主(救世主)に仰せられた、『わたしの右に坐りなさい、わたしがあなたの敵を(征服して)あなたの足の下に置くまで』と。』
22:45 だから、ダビデが(このように)救世主を主と呼んでいる以上、どういう訳で(その救世主が)ダビデの子であろうか。」

塚本訳  マタ 26:63-65
26:63 しかしイエスは黙っておられた。大祭司が言った、「生ける神に誓ってわれわれにこたえよ。お前が、神の子救世主か。」
26:64 イエスは(はじめて口を開いて)彼に言われる、「(そう言われるなら)御意見にまかせる。だが、わたしは言う、あなた方は今後『人の子(わたし)が』『大能の(神の)右に坐り、』『天の雲に乗って来るのを』見るであろう。」
26:65 そこで大祭司は自分の上着を引き裂いて言った、「冒涜だ!これ以上、なんで証人の必要があろう。諸君は今ここに(おのれを神の子とする許しがたい)冒涜を聞かれた。

●世の始まる前からキリストはいたのだという実にヘンテコな「三位一体の信仰を固く信じられるかどうかに我が国にキリスト教が土着するか否かのがかかっている。●現在の日本のクリスチャンは三位一体、処女降誕、有体的復活を信じられないでいる。●これでは救いを求めてくる人に「天国への門を閉じていることになる。

 

 

 

 

 

 

 




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アブラハムが生まれる前からわたしはいた ++++++++ 所感

2009/05/13 06:14

090513(水)5時目覚め●朝の黙示「アブラハムが生まれる前からわたしはいた」(ヨハ8:58)●クリスチャンと称する人間でもこのヘンテコリンな「三位一体の信仰」を信じられるかどうかに我が国のキリスト教の存立がかかっている●生まれつきの普通の大脳皮質ではこれは「頭に入らない」。物理的、空間的、時間的にどうしても信じられない。●イエスの「臨在」を如実に実感するとき,あるいは「胸が熱くなるとき」にのみこれが分かる。人間の側の思考や推論や知識ではこの信仰に到達できない。大脳皮質ではなく、「霊」で分かる。●「わたしはいた」の箇所は新共同訳では「わたしはある」としているが日本語になっていない。原語は「エゴーエイミ」であるから「わたしはある」の方が神学的な意味はよく通じるが、イエスが語ったときはそうは言わなかったであろう。コンテキストからすれば「アブラハムの前からわたしはいた」(塚本)とか「いる」(口語、新改訳、新共同、岩波小林)の方が素直だ。●これで次回感話のテーマが決まった●このヘンテコリンな信仰は神学的には「先在のキリスト」という。しかしこう言うとわからなくなるから、「わたしはある(エゴーエイミ)」の方がまだよい。●クリスチャンがこの「アブラハムが生まれる前からわたしはいる」という信仰を持たないとどうなるか。その現象としては、三位一体、処女降誕、有体的復活の信仰告白がない。そして盛んに地上天国の構築、平和運動、天下国家の断罪、社会運動、幸福なる人生、趣味教養の遊び、・・・などにひた走る。●一昨年「藤林益三」という本を編集したが、その底流には「三位一体」の信仰が流れている。藤林先生はその結果としての「信教の自由」の戦いであった。単なるヒューマニズムや「人権思想」からではなかった。浅見仙作の「再臨信仰」にもとずく裁判も同じであった。●もしクリスチャンがこのようなヘンテコリンな信仰を持たないとしたら、「この世から歓迎される」ものになるであろう。●「黒崎プロジェクト」資料をコンビニで拡大コピー

【あきる野の5月の花】

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●集会の望月明氏のご夫人が86歳で召天。2009.5.12・14:00.86歳。2名の方と告別式のことで電話打ち合わせ。 ●16日告別式の司会に決定●17日は望月氏に代わってわたしが「感話」。さーて忙しくなった。

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「永遠の命」の証拠は ++++++++ 所感

2009/05/12 09:05

090512(火)3時半目覚め。黙想「永遠の命の証拠は?」●寝床でNHKブックス、佐竹明著「使徒パウロ」に第二回伝道旅行の部分を読む。かなり水準の高い本。●佐竹は「パウロはユダヤ人には「律法からの自由」を説いたが異邦人にはその話をしなかった」。と指摘(p189-190)。我が意を得たり。日本人にも旧約の前提がないからその話(律法からの自由)は通じない。仏教、儒教、神道が旧約だというのはあたらない。●日本人には「罪からの自由」がそのニーズ。そしてその結果としての「永遠の命」。「使徒行伝」において福音が律法を知らない異教人にも関係のあることになるのが「罪からの自由、解放」。聖書的には次の箇所。

塚本訳 使  11:18
11:18 これを聞いて人々は沈黙し、「それでは異教人にも、神は(永遠の)命を得させる悔改めをお与えになったのだ」と言って、神を讃美した。


塚本訳  使  17:30
17:30 ところで神は(こんな)無知な時代を大目に見ておられるが、今や人類に対し、どこの者でも皆、悔改めねばならないことをお告げになっています。


塚本訳使  20:21
20:21 わたしはユダヤ人にも異教人にも、神に帰る悔改めと、わたし達の主イエスに対する信仰とを、証ししたのであった。


塚本訳使  26:20
26:20 まずダマスコとエルサレムとの人たちに、ユダヤ全国に、それから異教人に、悔改めて神に帰り、悔改めにふさわしいわざをするようにと告げました。

●パウロは異教のアテネでギリシャ人に分かりやすいように「哲学」的に語ったとろ失敗。通じなかった。それは大脳皮質への話だったから●では日本人にはどうか。ユダヤ人と同じく「証拠」を求めるにちがいない。証拠で信じるのは「科学教育」、「裁判」。これ同じく大脳皮質の満足を目指す。これに対してキリスト教は「見ずして幸いなり」と言って疑問をいなすが、それは理性を犠牲にすることでよくない。●「永遠の命」の証拠は?。ある。それは今の時代のこの私の「罪の赦しの事実」「罪の苦からの自由」の事実。これが神の存在と永遠の命の証拠。だからこの解放の体験をしなければ神も永遠の命もわからない。新生の体験である。イエスは尋ねてきたニコデモに次ぎのように言った。

塚本訳 ヨハ 3:3-5
3:3 イエスが答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、(徴を見て信じたのではいけない。)人は新しく生まれなおさなければ、神の国にはいることは出来ない。」
3:4 ニコデモがイエスに言う、「(このように)年を取った者が、どうして生まれなおすことが出来ましょう。まさかもう一度母の胎内に入って、生まれなおすわけにゆかないではありませんか。」
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。

●日本の若者の「宗教離れ」は深刻。神を信じているという方が珍しいという惨状。しかし若者にニーズはある。それは死の恐怖からの解放と永遠の命。それに至るには十字架による罪の赦し。罪の赦しは手段で目的は永遠の命●ところが社会派キリスト教徒は「地上天国」の構築が目的なので「罪の赦し」が目的。だから人の罪悪を断罪して終わり。これでは福音ではない。その話を聞く者がいない。若者は去る。 なぜか。真理ではないから。福音の目的は「永遠の命」。これはユダヤ人も異教人も共通。

塚本訳 Ⅰコリ1:22-24
1:22 実際、ユダヤ人は(信ずるための証拠に神からの不思議な)徴を乞い、異教人は(真理を知るために)知恵を求めるが、
1:23 わたし達は十字架につけられたキリストのこと(だけ)を説く。すなわち、ユダヤ人にはつまづき、異教人には馬鹿なことであるけれども、
1:24 (神に)召された者だけには、ユダヤ人、異教人の別なく、(これこそ)神の力、また神の知恵なるキリストを(説くのである)。

塚本訳  ロマ 10:11-12
10:11 (なぜ信仰だけで救われるか。)『これ[キリスト]を信ずる者は』すべて、(最後の裁きの日に)『恥をかかないであろう』と聖書が言っているからである。
10:12 (「すべて」と言う以上、)ユダヤ人も異教人も、その間になんの差別もないのである。なぜなら、同じ一人の方がすべての人の主であって、御自分を呼ぶすべての人に、あり余る恩恵をお与えになるからである。

文語訳 ヨハ 3:16
3:16 それ神はその獨子を賜ふほどに世を愛し給へり、すべて彼を信ずる者の亡びずして、永遠の生命を得んためなり。


塚本訳  ヨハ 3:16
3:16 そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである。

【孤独なレース】

某氏に口を滑らせて自らを「孤独なレース」と言ってしまい反省。そこで次の訂正メールを送った。

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前メールで「孤独なレース」と口を滑らしたのを訂正します。神が御一緒ならば「孤独」ということはありません。申し訳ありませんでした。

かってカナダ在住のYHさん(老いた御婦人)が塚本先生にお聞きしたいことがあると言ってわざわざ来日。「先生のおっしゃる無教会主義は分かりますが、・・・でも淋しくはありませんか」。すると先生はキッと居ずまいを正されて「神様がご一緒ならば淋しくはありません」と言われたそうです。YHさんの悩みは氷解。心晴れてカナダに戻られました。YHさんはもう「この世」にはおられないでしょう。そのことを思い出しました。

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使徒伝承 「黒崎幸吉著 注解新約聖書Web版」

       http://stonepillow.dee.cc/

 

 

 

 

 


 

 

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老いの淋しさ、死の悲しみ、復活の喜び ++++++++ 所感

2009/05/11 09:57

090511(月)5時目覚め。朝の黙想「死の悲しみ、復活の喜び」

●【死はなぜ悲しいのか】

①この個である「高橋照男」という存在が未来永劫永久にこの宇宙から歴史から滅却して二度と現れない。永久に表れない。この恐怖、空しさ。

②短い人生、地球100億年の歴史でたとえ100年生きてもそれは一億分の一。瞬き以下。空しい。

③忘れられる悲しさ。子孫の3代先はこの高橋照男がいたことさえ忘れられる。

④美しい景色がみられなくなる。好きなクラシック音楽を聴けなくなる。

⑤愛する家族、孫たちと別れなければならない。

⑥病気や事故の場合、他人と比較して短い人生の不満。

⑦死の時の「苦痛」。安らかに逝きたいのだが。・・・・

⑧老いの悲しさ、淋しさ。能力の低下。経済の不安。介護の不安。看取られない。

 

●【人間の文明は死を避けたいという模索の努力】

①霊魂不滅の思想・・・ギリシャ哲学、仏教の輪廻。

②不老長寿の薬。健康長寿。天授の満足

③忘れられないために「有名になろうとする」「藝術は永遠」、しかしどんなに有名人でも記憶は失せる。

④4大文明は死後の世界にまで地上の楽しみが連続することを願う。埋葬品の品々。ミイラ、秦始皇帝。

⑤無理心中。後追い自殺。

⑥自暴自棄の享楽。短い人生だから生きているうちに遊びぬこう。

⑦緩和ケア。ホスピス

⑧老化防止。数々の医療、薬品。老いの住まい。介護制度。看取り

 

●【復活の喜び】

①驚天動地、人の心に浮かばなかった「永遠の命」という「知らせ」

②復活の実証に接する「喜び」。使徒伝承を信じて、聖霊を頂く。理性の安息を得る。

③人には忘れられても神には忘れられないこの自分

④神と共に世を治める。

⑤肉の関係ではなくなるが「天使のことく」なる

⑥「永遠の命」を頂く時、「短い人生」という不満はなくなる

⑦死の苦痛は一瞬。喜びは永遠。肉の苦痛は霊の喜びの実在で克服。永遠の命への「希望」の喜び。

⑧外の命は衰えるが、内なる命は日々新しい。

【秋留台公園のバラ園。2009.5.11 6:40-6:50】

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●終日「黒崎幸吉新約聖書注解デジタル化プロジェクト」引照入力、使徒18章●図書館まで徒歩往復45分。

 

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【妻の顔は夫の成績表】 ++++++++ 所感

2009/05/10 18:57

090510(日)5時起床●幸いな妻。母の日にあたり、妻は息子娘たちからメッセージをもらった。こういうとき同時に夫たる私もうれしくなるものだ。なぜだろう。夫婦は一体だからなのであろう。

塚本訳 マタ 19:4-6
19:4 答えて言われた、「造物者が始めから『彼らを男と女とに造られた』こと、
19:5 また、『それゆえに人は父と母とをすてて妻に結びつき、二人は一体となる』と言われたことを、あなた達は読んだことがないのか。
19:6 従って、もはや二人ではない、一体である。だから夫婦は(皆)神が一つの軛におつなぎになったものである。(どんな理由があっても)人間がこれを引き離してはならない。」


●毎年のことながら妻に子供たちからメッセージをもらうと、妻は幸いな「女性」だなーと思う。そして同時に箴言の次の句を思うものだ。

口語訳 箴 31:28-30
31:28 その子らは立ち上がって彼女を祝し、その夫もまた彼女をほめたたえて言う、
31:29 「りっぱに事をなし遂げる女は多いけれども、あなたはそのすべてにまさっている」と。
31:30 あでやかさは偽りであり、美しさはつかのまである、しかし主を恐れる女はほめたたえられる

●この20節の「立ちあがって」という言葉に含蓄がある。イマドキの言葉では「スタンディングオーべーションである。

●【妻の顔は夫の成績表】
このような題名の本が図書館にあった。妻の心の健康は夫次第だというのである。夫向けの本である。夫としては常に妻を心地よくしておけば妻の顔は輝くというわけだ。聖人のように気高くなるというものだ。ヒルテイの幸福論に「現代の聖徒」というのがある。プロテスタントはこの世の混濁のなかでどこででも「聖徒」でなければならないとヒルティは言う。●ダンス競技では観ている者には女性が目立つが、専門家に言わせると9割は男性の力にかかっているのだという。「妻の顔は夫の成績表」とはこの面からも考えられる。かくして妻が子供たちから「祝福される」ときは一体であるこの私も祝福されたと思ってよいのかも知れないが・・・・・・。我田引水?。自画自賛?。自己満足?。

●集会は丹野、高木(詩篇78編、聖書それ自身を読み込むという素晴らしい講義。無教会の理想)、山本(使徒)●小寺、宮崎。土肥、高橋で昼食。その席上、転んでけがをされた96歳の杉崎孝さんへ宮崎さんの絵がある絵葉書にお見舞いの寄せ書き。●高木さんが講義の中で「高橋さんがいつも『胸が熱くなる』というが同感だ」と言われた。アーメン、万歳、御霊の一致。●妻は磐城女子高校東京支部同窓会のために上野精養軒へ行く。その後東京都美術館に宮崎さんの作品を鑑賞に行く

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庭は緑が濃くなった。デジカメテスト 2009.5.10 15:10

●「私を癒す名曲」

讃美歌122番「みどりもふかき」

1. みどり も ふかき わかば の さと,

   なざれ の むら よ, な が ちまた を

   こころ きよら に ゆきかい つつ,

   そだち たまいし ひと を しるや.

2. その こうべ に は かむり も なく,

   その ころも に は かざり も なく,

   まずしく ひくき たくみ と して,

   しゅ わ わかき ひ を すぎ たまえり.

3. ひと の こ いえす よ, きみ の みな を

   みつかい たち の ほむる とき に,

   めぐみ に におい あい に かおる

   みあし の あと を われ は たどらん.

●曲は次をクリック。音楽を流しながら、再びこの画面にもどれば、伴奏付きで歌える。

http://www.moclin.jp/hymnal/midi/hymn_1-122-ye_fair_green_hills_of_galilee.mid

●この曲について。

神の子は人の子の姿をとってこの世に来られた。それは法王ではなく、神学博士ではなく、牧師ではなく、社会事業家ではなく、天下国家を断罪する批評家ではなく、大企業の社員でなく、大学教授ではなかった。辺境の一寒村ナザレのおそらく貧しかったであろう大工の息子(おそらく後継ぎ)であった。つまり人に尊敬されるカッコイイ地位や職業ではなかった。学歴もなかった。この讃美歌はそのイエスをだれが神の子と思ったであろう分かりはしなかった、というのである。当時の人はイエスが大工の息子であったというだけで「つまずいた」。つまずく人間は「この世人間」。しかし人間は分かる時が来る。上より聖霊を頂くとわが身は全身で叫ぶのだ「あなたこそ神の子です」と。木々の緑が深い季節になると第一節に「みどりも深き」という言葉があるこの曲を思うのだ。

●【イエスは聖書の勉強に学校に行かなかった】

塚本訳 2 ヨハ 7:15
7:15 ユダヤ人は驚いて言った、「この人は学校に行ったこともないのに、どうして聖書を知っているのだろうか。」

●イエスは今日の聖書学の「12部族連合」「J資料、E資料、P資料」「編集史」などを知らなかった。けれども聖書の本質を知っていた。だから話に権威があった。 

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図書館の帰り。夕日。「御神のたまいし、この日も暮れけり、いざや今朝のごとみめぐみをたたえん」讃美歌43番を心で歌う。

2009.5.10 18:01

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神は使徒伝承をする人間を起こす ++++++++ 所感

2009/05/09 07:51

090509(土)5時目覚め●朝の啓示「イエスこそメシア」●「黒崎幸吉註解新約聖書デジタル化プロジェクト」の使徒をやっていての感想。パウロの伝道は「あの歴史的イエスこそ待望のメシアだ」ということをユダヤ人に向かって宣伝した。ユダヤ人の会堂に入って安息日ごとに話した。だから聞く方はメシア待望という前提があった。何事も「ニーズ」のある所にのみ情報は受け入れられるものだ。建築も同じ。「建てようと思う人から設計の要求がある。●旧約の前提のない日本に「イエスこそメシア」の情報は伝わらない。メシアの待望がないからである。では日本人の要求とは何か、それは全人類共通の要求である「永遠の命」。日本の若者は「死」に対して無意識のうちに関心があることを知った。 昨年春風学寮で若い人を相手に「有体的復活」を伝承したら、非常に関心をしめし、道正邦彦理事長から「今までにこのようなことはなかった」と言われた。それもそうだ誰も自分の行き先を知りたいのは「ニーズ」だから。

[(あの歴史的)イエスこそメシア(救い主)]

初代教会が宣教したその聖書的根拠。

使    2: 36 [新共同

だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」

使    3: 20 [新共同

こうして、主のもとから慰めの時が訪れ、主はあなたがたのために前もって決めておられた、メシアであるイエスを遣わしてくださるのです。

使    5: 42 [新共同

毎日、神殿の境内や家々で絶えず教え、メシア・イエスについて福音を告げ知らせていた。

使    9: 22 [新共同

しかし、サウロはますます力を得て、イエスがメシアであることを論証し、ダマスコに住んでいるユダヤ人をうろたえさせた。

使    17: 3 [新共同

「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」と、また、「このメシアはわたしが伝えているイエスである」と説明し、論証した。

使    18: 5 [新共同

シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。

使    18: 28 [新共同

彼が聖書に基づいて、メシアはイエスであると公然と立証し、激しい語調でユダヤ人たちを説き伏せたからである。

[神は使徒伝承を継承する人間を歴史の中に起こす]

●使徒伝承は「あの(復活した歴史的)イエスこそ(罪と死の悩み悲しみから人類を解放する)メシア(救世主)だ」ということである。これを継承するのは(この世の組織である)教会に限らない。神はこの伝承者を教会組織とは関係なく自由に「起こす」その筆頭がパウロ。以後神は御自分の「福音」を伝承する「人」を起こして伝承の連鎖を継続した。それは「この教会」「この人」と人間の頭で決定できないところが難しく、また望みもある。我が国独自に生まれた「無教会主義」はすそ野が広がり、浸透し、厚みが増している。どこでどのように正統の「使徒伝承」が行われているかがつかめない。それはまさに「無」教会主義である。無教会主義は統一できないものだ。

【新しいデジカメのテスト。朝撮影の7枚】

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●終日「黒崎幸吉著新約聖書註解デジタル化プロジェクト」引照入力、使徒17章。今回ほどじっくりパウロと一緒に歩いたことはない。地図を見ながらの「読み」は楽しい。●13:00池谷医院、咳はアレルギーらしい。。その薬が処方された。●「「今井館の歩み」ができてきた。相澤理事長にメール●妻はモーツァルトレクイエムの練習に出かける。

 

使徒伝承 「黒崎幸吉著 注解新約聖書Web版」

       http://stonepillow.dee.cc/

 

 

 

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生涯未婚率3割は亡国の徴 ++++++++ 所感

2009/05/08 06:29

090508(金)4時45分目覚め。朝の黙想「結婚の喜び」●昨日、「黒崎幸吉註解新約聖書デジタル化プロジェクト」の共働者に宛てたメール。私信だが内容は聖書勉強に関することなので差し障りのあるところを改変して公開する。

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○○様
パウロの第二回伝道旅行において6節からの進み方、いわゆる「南北ガラテヤ問題」(つまり、そこから西進した南ガラテヤ説か、北進した北ガラテヤ説かの問題。)が面白くてかなり時間がとられました。これは「ガラテヤ書」の宛先問題が絡む興味ある問題です。調べたものを並べますと次の通りです。

南ガラテヤ説(文語訳聖書末尾地図、口語訳末尾地図、新共同訳末尾地図、黒崎、山谷、八木、 高橋三郎、

北ガラテヤ説(新改訳聖書末尾地図、新共同訳聖書注解、新聖書大辞典、旧約新約聖書事典地図、NTD新約聖書注解「使徒」の地図、岩波新約聖書「ルカ文書」地図、塚本、佐竹、)

佐竹明の解説(NHKブックス「使徒パウロ」P141)にはつぎのようにある。「この両節は18世紀以来争われてきたが、最近は北ガラテヤ説を支持する学者の方が多く、私(佐竹・・・高橋補注)もその見方をとる。」
しかし不肖高橋照男は山谷省吾の解説(「新約聖書解題]P39-42)がしっくりきます。パウロがあの激烈な「ガラテヤ書」を認めたのは非常に愛した教会に対してであろうと考えられる。その教会がパウロとは違う信仰に汚染されているのを知ったからではないのか。その教会はいわゆる南ガラテヤ地方のアンティオキア付近と思われるからです。
しかしこういう問題は「引照」だけからはわからないのですが、わかっても信仰そのものには影響ありません。けれども「最新の学説」も大切で、黒崎の聖書勉強の姿勢は「最新学説」を取り入れることであったと解します。黒崎はバランスがとれていました。
「黒崎プロジェクト」のおかげでパウロとじっくり旅をすることができて感謝です。

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[生涯未婚率3割の衝撃]

昨日NHKTV19:30「日本の、これから・・・・生涯未婚率3割の衝撃」を見ての感想。日本は将来ローマ帝国がそうであったように人口減で消滅する。その原因は人間が神の命から離れたので、「生きる喜び」がなくその結果として「結婚の喜び」がないからである。討論に参加した人の意見を聞いて「マー何とも淋しい人生観、結婚観よ」と思った。結婚するかしないかが経済問題になり下がっている。神の霊の命がないから枯れ木のような人生観と結婚観になっている。

[聖書の結婚の喜び]

聖書に現れた「結婚の喜び」

新共同 創  2:23
2:23 人は言った。「ついに、これこそ/わたしの骨の骨/わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう/まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」


新共同 創  1:22
1:22 神はそれらのものを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」

口語訳 詩  19:5
19:5 日は花婿がその祝のへやから出てくるように、また勇士が競い走るように、その道を喜び走る。

塚本訳 マタ 9:15
9:15 イエスは言われた、「婚礼の客は花婿がまだ一しょにいる間に、(断食をして)悲しむことが出来ようか。しかしいまに花嫁を奪いとられる時が来る。すると彼らは(いやでも)断食をするであろう。

塚本訳 ヨハ 3:29
3:29 花嫁を持つものは花婿である。花婿の友達は花婿のそばに立っていて耳を傾け、花婿の(喜ぶ)声を聞いて喜びにあふれるのである。(花婿の友達である)わたしのこの喜びは、いま絶頂に達した。

新共同 黙  19:7-8
19:7 わたしたちは喜び、大いに喜び、/神の栄光をたたえよう。小羊の婚礼の日が来て、/花嫁は用意を整えた。
19:8 花嫁は、輝く清い麻の衣を着せられた。この麻の衣とは、/聖なる者たちの正しい行いである。」

口語訳 黙  21:2
21:2 また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。

口語訳 黙  21:9
21:9 最後の七つの災害が満ちている七つの鉢を持っていた七人の御使のひとりがきて、わたしに語って言った、「さあ、きなさい。小羊の妻なる花嫁を見せよう」。

新共同 黙  22:17
22:17 "霊"と花嫁とが言う。「来てください。」これを聞く者も言うがよい、「来てください」と。渇いている者は来るがよい。命の水が欲しい者は、価なしに飲むがよい。

[女は子を産むことによって救われる]

過日、「キリスト教性教育研究会」(富永國比古会長)に出席したとき、助産婦学の専門の方から素晴らしい発表を聞いた。「軽はずみの関係で妊娠してしまった女性でも、新しい生命がお腹の中に10か月間生きているうちに、その神秘的な生命の動きに感動し、今までの軽はずみな生き方を反省して悔い改める例が多い」と。これは聖書の次の言葉を連想する。

文語訳  Ⅰテモ2:15
2:15 然れど女もし愼みて信仰と愛と潔とに居らば、子を生むことに因りて救はるべし。


塚本訳Ⅰテモ2:15
2:15 しかしもし婦人が慎みをもって信仰と愛と聖潔とを保っているならば、子を産むこと(、これを育てて母の務めを果たすこと)によって救われるであろう。(婦人は教会でなく家の中で働くべきである。)

●これに対して出席者から質問が出た。「女性はそうかもしれないがそのとき男性はどうなのか」。発表者からははっきりした答えを伺えしなかった。私は思う。男性は「一生懸命稼がないと育てていけない」と思って「額に汗する」ようになって人生観が正しくなるのではあるまいか。しかしそういう人間ばかりではない。多くはおそらく、「堕胎するにはいくらかかるのか」と平然とした顔で医者に聞くのであろう。こういう神も生命をも恐れぬ態度が神の怒りを買うのだ。神を恐れない男の結婚観は自己の欲望第一。それは聖書的には次だ。ここにある「自分の好む者」という言葉の中に神の存在を無視するという響きがある。神が人間の命に120年と限度を設けた遠因はこの結婚観もあるのではなかろうか。

口語訳 創  6:2-3
6:2 神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった。
6:3 そこで主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう」。

●「私を癒す音楽」

ヘンデル「水上の音楽」 第1組曲 へ長調 第5曲. エアー

曲は次をクリック、しばらくすると音楽が流れる。試聴用なので最初の部分のみ。

http://musico.jp/contents/player.aspx?id=r7PGOG&p=internal

●この曲について。

結婚式で、新郎新婦がこの曲に合わせてしずしずと入場するときに思う。「素晴らしいなー、結婚とは神の定めたものだなー」と。結婚式の曲としてはメンデルスゾーンやワーグナーのものがあるが、このヘンデルのものがよっぽど素晴らしい。バルトという神学者はこの世は全く罪汚れてしまって神の姿が全く見られないと言った。これに対して同じ神学者のブルンナーは全くは破壊してない。その一つが「結婚制度」だという。バルトとブルンナーの神学論争はわからないが、ブルンナーのいう結婚制度は神の定めたもうものであるというのはうなずける。このヘンデルの曲が流れる中を新郎新婦が神に目を向けてまっすぐに歩く時、特にそのことを感じるのだ。結婚とは自己に対する死。お互いが自分に死んで相手に身を捧げる一生となること。これが結婚なのだ。私たちの結婚は、仲人さんを信じて「これは神の導きだ」と思い、お互いが顔を会わすことなく相手を決めた。神のみを信じての「愛の冒険」の結婚であった。間違っていなかった。あの結婚式は自分に対する葬式であったのだ。結婚とは相手ではなく神に対する約束。相手に裏切らレたとしても神との約束は破ってはいけない。

●新しいデジカメが届いたので早速テスト。マニュアルは分かりにくく、パソコンへの取りこみ方法を含めて富士フィルムのサポートセンターの指導を受ける。優秀なサポーターであった。この分野のサービスは看護婦と同じで女性が優れている。。機械もの特に電子機械はサポート体制が必要。その優劣の差が売れ行きに関係する。●「道具」というのはマニュアルがなくても分かるのが一番すぐれている。チンパンジーに棒きれを与えるとそれで高い所にある果物を取る。この時に棒きれの使い方のマニュアルはない。見れば分かる。これが最高の道具。建築も部品も同じ。

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新しいデジカメでバラの花を撮影 

FUJIFILM FINPIX F60 1200万画素

2009.5.8 14:00

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新しいデジカメで色彩テスト、緑色  2009.5.8 15:25

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新しいデジカメで接写テスト 都(ミヤコ)忘れ(福島から頂いたもの)

 2009.5.8 16:10

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デジカメテスト、ひなげし 秋留台公園 2009.17:03

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デジカメテスト 森 秋留台公園 2009.5.8 17:10

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デジカメテスト ドラクター あきる野の農地 2009.5.8 17:26

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デジカメテスト 空 家の近くで 2009.5.8 17:38

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デジカメテスト室内。フラッシュ使用。

書斎出窓の花はいつも妻が飾ってくれる。 2009.5.818:23

使徒伝承 「黒崎幸吉著 注解新約聖書Web版」

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悩み多きこの世なるかな ++++++++ 所感

2009/05/07 07:19

090507(木)4時50目覚め。●朝の啓示「理想的な人生観。バルナバ・・・慰めの子」●ヒルティは「慰めの子」と呼ばれるような人になるのが人生の理想だとどこかで言っている。その聖書的根拠は次。

塚本訳 使  4:36
4:36 ヨセフは使徒たちからバルナバ[訳すれば「慰めの子」]とも言われた、クプロ(島)生まれのレビ人であったが、

●現業激務渦中の人から「心臓が止まるような」メール。原因は「人為的ミス」だという。その返メールの一部を公開する。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

○○様

・・・・・・・・・・

バベルの塔の崩壊も神と人間の心の交流がなかったことによる「人為的ミス」。私は無教会者の建築に27棟携わりましたが、建築主は多くのミスを見逃してくれました。建築部品というのは一棟5万部品(種類レベル)。27棟ならば135万部品(種類)。建築は「赦されなければ」できない仕事です。

貴兄の「小事」が神の恩恵に支えられて、「万事益となる」(ロマ8章28節)ことを祈ります。・・・・・・「ほとんど寝る時間もなく」とありますが、難破しそうな暴風の時、イエスは寝ていました。お身体に気をつけてください。祈らせていただきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●まことに「悩み多きこの世なるかな」である。

●最高に満足のゆく「人生観」

歴史的に見て、この世にプロテスタンティズムがもたらした功績はその「職業観」である。ヒルティの「幸福論」は「神に導かれる人生とこの世の職業」である。現業の苦である。また現実の家庭生活における苦である●頭だけの「職業観」「家庭観」だけでなく、具体的にこの職業、この職場、この家庭に導かれていく中に「神の意志」を見て取ることである。それはヒルティの「眠られぬ夜のためにⅠ」末尾の「なおりたいのか」によく現れている。●また神の啓導による人生観(「眠られぬ夜のためにⅠの3月3日」が一番楽で喜ばしい人生観であるという。私は高校生の時にこの人生観にかけた。具体的にはわが国に生まれた「無教会主義キリスト教」による歩みであった。65歳の今にして思う。この道は間違ってはいなかった。

●「遊び人とは付き合うな」

塚本虎二先生に深く影響を受けられた方が私に呟いた次の言葉が忘れられない。

某婦人「あの方はこの世のことで忙しい方です」

法曹界重鎮「あいつは暇な奴だ」。

とにかく短い一生である。遊ぶことが好きなダメ人間と付き合ってはいけない。時間の無駄である。無駄どころか汚染される。「朱に交われば赤くなる」である。聖書的根拠は次の通り。

口語訳 Ⅱコリ6:15
6:15 キリストとベリアルとなんの調和があるか。信仰と不信仰となんの関係があるか。


塚本訳 Ⅱコリ6:15
6:15 キリストがベリアルに対してなんの調和があろう、また信者は不信者となんの共同があろう。

ここに「調和」という言葉がある。信者は遊び人から「堅い」「堅苦しい」「狭い」「冷たい」「面白くない」などと言われる。そういう人間とは永久に「調和」はない。塚本訳では「共同」という言葉もある。こと教会・集会・エクレシアに関しては不信者とは絶対に「共同」できない。イエスは「パリサイ人のパン種に気をつけよ」と言っている。

塚本訳マコ 8:15
8:15 するとイエスは弟子たちに、「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とに注意し、気をつけよ」と命じられた。

「ベリアル」とは何か。

上記Ⅱコリ6:15 にでてくる「ベリアル」は新約では一回。聖書辞典で「ベリアル」を引くと「無益な者」「よこしまな者」とあり、旧約(口語)では「よこしまな者」として次の箇所を参照せよとある。

 

口語訳 ヨブ 34:18
34:18 王たる者に向かって『よこしまな者』と言い、/つかさたる者に向かって、『悪しき者』と/言うことができるであろうか。


口語訳 ナホ 1:15
1:15 見よ、良きおとずれを伝える者の足は山の上にある。彼は平安を宣べている。ユダよ、あなたの祭を行い、あなたの誓願をはたせ。よこしまな者は重ねて、あなたに向かって攻めてこないからである。彼は全く断たれる。


口語訳 申  13:13
13:13 よこしまな人々があなたがたのうちに起って、あなたがたの知らなかった『ほかの神々に、われわれは行って仕えよう』と言って、その町に住む人々を誘惑したことを聞くならば、


口語訳 Ⅰサム2:12
2:12 さて、エリの子らは、よこしまな人々で、主を恐れなかった。


口語訳 Ⅱサム16:7
16:7 シメイはのろう時にこう言った、「血を流す人よ、よこしまな人よ、立ち去れ、立ち去れ。

「ベリアル」がいたら、これを攻撃したり、矯正したりしようとするのは誤り。神に裁きを任せなければならない。神は「ベリアル」を裁く。人間の分際で「潰そう」「叩こう」「追い出そう」という越権行為をしてはいけない。

●子供を上品で素直な人に育てるには

「頭の良いい子」「成績の良い子」に育てようとせず、「上品で素直な子供」に育てようとしなければならない。それには親をはじめ教師、友人など、周囲をそういう人で固める「環境」を整えなければならない。まず親がそういう人間にならなければならない。自分の子供に「イヤな面」を見たら自分の鏡だと思えばまず99%間違いなし。なぜか。子供は親の真似をするから。聖書はは次のように言う。

塚本訳  ヨハ 14:9
14:9 イエスは言われる、「ピリポ、こんなに長い間一しょにいるのに、あなたはまだわたしがわからなかったのか。(父上とわたしとは一つである。)わたしを見た者は父上を見たのだ。どうして『父上を見せてください』と言うのか。


塚本訳  ヨハ 5:19
5:19 そのとき、イエスは彼らに答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、子は父上のなさることを見て(それを真似るので)なければ、自分では何一つすることが出来ない。父上のなさるのと同じことを、子もまたするのだから。


新共同 エペ 5:1
5:1 あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。

●芸術家は神を信じなければよいものが生みだせない。

音楽家にしても建築家にしても神を信じない人間のものは底が浅くて聴くに堪えない、見るに堪えない。今どき「無神論」を堂々と言うオメデタイ人間がいるから情けない。日本の教育は一番大切なことをやっていない。そういう人間に接すると「脳内出血」が再発しそうだ。しかし神の存在は「勉強」ではわからない。大脳皮質ではわからない。神の側から「わたしがそれである。エゴーエイミ」と霊の世界において出現して下さらなければわからない。人間はそもそも霊的存在だからそういうことは起こりうる。しかし人生の荒波でそれが示される「その時」が来るときまではわからない。「その時」は神の主権で「到来する。周囲の「とりなしの祈り」がそれを実現する。

●「私を癒す名曲」

「スコットランドの釣鐘草」.いろいろな訳があるが、私は稲垣千頴(ちえい?)の「美しき」という訳詞が好きである。三人の子供を兵隊にとられた母親が「帰って来てくれ」と切に祈る気持ちが現れている。いつも土居裕子の素晴らしい歌唱力のCDで聴く。

「美しき」

【訳詞】稲垣千頴

美しき わが子やいずこ
美しき わが長(かみ)の子は
 弓とりて 君のみさきに
 勇みたちて わかれ行きにけり

美しき わが子やいずこ
美しき わが中(なか)の子は
 太刀はきて 君のみもとに
 勇みたちて わかれ行きにけり

美しき わが子やいずこ
美しき わが末(すえ)の子は
 ほことりて 君のみあとに
 勇みたちて わかれ行きにけり

●曲のMDは次のものがよい。スクロールしてまん中ぐらいのオーディオ装置左端の▶をクリック。

http://www.worldfolksong.com/songbook/others/bluebell.htm

 

  

●「母の日に思う」

稲垣千頴(ちえい?)の「美しき」という訳に現れた「母の思い」は時代と場所を通じて共通。讃美歌312番「いつくしみ深き友なるイェスは」はその昔「母君にまさる友や世になし」と歌われたこともあったらしい。山室軍平に「母の愛」という名説教があった。一度テープかレコードで聴いた。山室は「母の愛」を通して「神の愛」を知ったという。5月10日は「母の日」だ。私の孫たちが伴侶の「母」を大事にして「尽くす」ような上品な品格の持ち主に育つことを祈る。それにはまず親たる者が姑に不満を持っていてはいけない。子は親を真似る。「嫁は姑に対してああいう態度でもでもいいんだ」という考えが孫の血液に自然に沁み込む。取り返しのつかないことになる。

使徒伝承 「黒崎幸吉著 注解新約聖書Web版」

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孫が帰る ++++++++ 所感

2009/05/06 20:36

090506(水)昨夜は寝るとき6歳の初音に変形の「赤ずきん」を話したが、先に眠ってしまった。●「黒崎幸吉新約聖書註解デジタル化プロジェクト」引照入力

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弟の取りっこ。姉二人で健太郎(呼び名はケンケン)の取りっこをしている。しかし本人は泣いている。2009.5.6 8:58


●妻と孫たちがパン作り。アンパンマンなどをこしらえていた●13:30愛子と孫3人が中野に帰る。妻と拝島まで見送り。6歳(歩き)2歳(ベビーカー)9か月(おんぶ)の母親は大変だ●「黒崎幸吉新約聖書註解デジタル化プロジェクト」引照入力でパウロの第二回伝道旅行道程のいわゆる「南北ガラテヤ説」に興味を持ち時間がとられた。推理を説くようで興味尽きず。南北問題は5分5分、学問的には決定できていない。●「ジューサー」で初めて「りんごラッシー」を作ってみた。おいしい●孫が去って家の中はまた二人。妻も私も早寝。

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孫と川の字で寝る ++++++++ 所感

2009/05/05 07:29

090505(子供の日)4時半目覚め。隣に妻と孫の初音が寝ている。川の字で寝るのは何十年ぶりか。9年前に倒れ、意識不明になった身なのに生かされてこのような光景を見ることができるのは神の赦しの恩恵で感謝。喜明さんは今日の仕事があるというので真夜中に帰ったらしい。車がなかった。●激務の某氏夫妻にお礼のメール。人生には学ぶ時、激務で働く時、子育てで忙しい時、病の時、死別の時、定年の時。老年の時、天が下のことにはすべて「時」があるものだなー。

過日の感話の一部を掲げる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

● 不条理で不可解な人生の時。それは神の恵みの何であるかを知るための時。

 

新共同 伝  3:1-8

3:1 何事にもがあり/天の下の出来事にはすべて定められたがある。

3:2 生まれる、死ぬ/植える、植えたものを抜く

3:3 殺す、癒す/破壊する、建てる

3:4 泣く、笑う/嘆く、踊る

3:5 石を放つ、石を集める/抱擁の、抱擁を遠ざける

3:6 求める、失う/保つ、放つ

3:7 裂く、縫う/黙する、語る

3:8 愛する、憎む/戦いの、平和の

 

●人生を空しく思う時

 

新共同 詩  90:10

90:10 人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十年を数えても/得るところは労苦と災いにすぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。

 

口語訳 伝  12:1

12:1 あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に

 

● 人生は罪に悩み、死を恐れ、泣く時

 

塚本訳 ヨハ 4:47

4:47 イエスがユダヤからガリラヤに来ておられると聞くと、イエスの所に行き、(カペナウムに)下ってきて息子を直してほしいと頼んだ。息子が死にそうだったのである。

 

塚本訳 ルカ 7:12

7:12 町の門の近くに来られると、ちょうど、ある独り息子が死んで、(棺が)舁き出されるところであった。母は寡婦であった。町の人が大勢その母に付添っていた。

 

塚本訳 ヨハ 11:32

11:32 マリヤはイエスのおられる所に来ると、イエスを見るなり、足もとにひれ伏して言った、「主よ、あなたがここにいてくださったら、わたしの・・わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。」

 

塚本訳ヨハ 20:15-15

20:15 イエスが言われる、「女の人、なぜ泣くのか。だれをさがしているのか。」マリヤはそれを園丁だと思って言う、「あなた、もしあなたがあの方を持っていったのだったら、どこに置いたか教えてください。わたしが引き取りますから。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●去る5月3日の集会での感話、「『わたしがそれである』との出会い・・・神が備える『その時』」をホームページの「使徒伝承」にアップ。

http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/denshou/sore.htm

●郵便局(宅急便2ヶ)、イオン(CD-R、コピー用紙)、図書館(CD)

●「みじめな人生になった人に」。

キリスト教は来世に望みを託す「諦めの宗教」ではない。キリストがこの世に来られた時、「神の国が来た印しとして足なえは歩き、盲人の眼が開く」と言ったが最後に「貧しい人は福音を聞かされる」と言われた。これは罪人が赦されるということである。心の足が曲がり、心の眼が潰れている人が直るのだ。これはこの世の医者にできないことである。罪が赦されて人間が神の子になれるというのは、肉の足が直り、肉の眼が開く以上の喜びなのだ。なぜか。肉体はたかだか80年程度。それに比べて霊の命は永遠。然り「永遠の命」。素直に伝承を信ずる者は聖霊という賜物を頂けて永遠の生命に生きることができる。地上伝承のを聞いて上からの聖霊を頂くと「心の眼」が開かれる。

●「子供は真理を尋ねる」

孫の初音が書斎に来て。「おじーちゃん。この本全部読んだの?」。私「全部は読んでないよ」。・・・・そうだ一生で読める本の量は限られているなー。問題はあとの限られた時間で何を読むかだなー。

●17:00KHさんから贈られたクープラン(1668-1733)を鑑賞。これ石造建築の教会堂で聴けば最高だと思った。宗教と建築と音楽は一体のものだ。

●「私を癒す名曲」

クープラン:クラヴサン組曲 第2巻 《アルマンド》 ニ短調

曲は次をクリック。最後までスクロールして▶をクリック。

http://www.voiceblog.jp/andotowa/366382.html

●クープラン(1668-1733)について。

三男が農業労働で疲れて帰ってきた時、伴侶がクープランをかけたら疲れが取れたという。そのCDを送ってもらって聴いたら、音楽の基本中の基本という感じのする「声楽」であった。この曲は石造の教会堂の中で聴くと素晴らしいだろうなーと思った。クープランについては全く無知であった。そこで「名曲ライブラリー」を見ると上記のクラヴサン組曲 第2巻 《アルマンド》 ニ短調があった。これも鍵盤楽器の原点のような感じ。建築も古いものによいものがあるのと似ている。

使徒伝承 「黒崎幸吉著 注解新約聖書Web版」

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無教会の自己批判 ++++++++ 所感

2009/05/04 06:02

090504(月)5時目覚め。朝の啓示「しるしを見て信じたのではいけない」●昨日は集会の「感話」の中で「無教会の自己批判」をした。その内容●①ヒルティ「神が見えなくなった時に起こるのがキリスト教の学問」。②ブルンナー「無教会は将来人間崇拝に堕落する」。無教会の「先生記念会」は「懐かしのメロディーの音楽会」。若い人が集まらないのは当然。③ルター「神学は歌である」。最近は無教会の中にも歌ばかり歌う暇人が出現④塚本「神のエクレシア」が社会事業団体や商事会社と変わらないものに堕落。第一に集会の会計報告などを一生懸命にやるこの世の親睦団体と同じような運営方法をしている。⑤礼拝性の欠如。集会におしゃべりが多い。イエスには「礼拝をする」という概念があった。ヨハ4:21-24。以上の①-⑤はみなエクレシアから神の霊が去ったときの珍現象。珍現象はその元を正さなければ直らない。それは有体的復活と三位一体の正統信仰の伝承。●昨日の「無教会の自己批判」①‐⑤に今朝は次のものを加える⑥イエス「しるしを見て信じてはいけない」(ヨハ3:3塚本訳)。無教会は大脳皮質の雑学と社会的地位が「しるし」になっている。信仰の程度は二の次で専門の学問は問わず大学教授だというだけでその聖書講義が信用される。⑦大所高所からの天下国家罪悪を批判することや、ヒューマニズム人権運動が信仰の「実」であり「展開」であると思っている。そういう人はなぜか有体的復活と三位一体の復活信仰の「匂い」がしない。希薄。彼らにとって終末と再臨は無関心。人間努力による地上平和王国の建設が主眼だから。彼らはマルキストに似ているが熱心さは彼ら以下。(矢内原忠雄の「マルクス主義とキリスト教」の冒頭参照)⑧内村批判。「かって内村に欠けている点」を言ったところ。内村の血縁筋の伝道者から逆襲された。それは「私の身内の悪口を言うな」という雰囲気。無教会は血が濃くてドロドロ。風通しが悪い家屋。⑨「わめき合い」。プロテスタントの教派争いを嫌って出発した無教会の「一人一教会主義」が悪く働いて汚物を吐き出すような「先生批判、集会批判」のわめき合い。そして常に分裂離散。少しも落ち着きがない。最近は「若者の無教会難民」という言葉が出ている。漂着する島が見つからない。➉かと思うとその反対に、信仰の内容はどうでもよく、ただ仲良く集まっていればよいという「ボケ集団」もある。「一人一教会」の履き違え。●以上①-➉のすべては自己批判の自戒。●こういうことを言ってめった切りしていると友人がいなくなる。この世に生きる人間もエクレシアも所詮「破れた存在」。「破れの悩みを赦し、重荷を負うのがエクレシア」。しかしそれでも落ち着かない。唯一落ち着ける場所は神から直接「それは私である。(エゴーエイミ)」と現れていただくことである。

塚本訳 ヨハ 6:66-69
6:66 (このはげしい言葉の)ために、多くの弟子がはなれていって、もはやイエスと一しょに歩かなくなった。
6:67 するとイエスが十二人(の弟子)に言われた、「まさか、あなた達まで離れようと思っているのではあるまいね。」
6:68 シモン・ペテロが答えた、「主よ、(あなたを離れて)だれの所に行きましょう。永遠の生命の言葉はあなただけがお持ちです(から)。
6:69 あなたこそ神の聖者(救世主)であると、わたし達は信じております。また知っております。」

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ラジオ体操ヘ行く途中。ファーマーはもう働き始めている。朝から働く人は栄える。 2009.5.4 6:28

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伊勢喜明・愛子一家が来訪。夫婦仲が良いと子供は落ち着く。

手前 左から伊勢初音(小1、6歳) 伊勢健太郎(9か月)

伊勢かなほ(2歳) 2009.5.4 19:14

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伊勢健太郎(9か月) 2009.5.4 19:03

●私「初音さん。小学校では何の時間が一番好き?」。初音「給食の時間かなー」。●夕食のとき、「かなほ」と「初音」が食前に自由な自作の祈りを捧げた。私としてはこれが一番うれしかった。初音の祈り。「神様、ワタシこれから食べます。・・・・・・・・・・」

●子供は真理を話す。

初音「ジージの頭は何で白いの」。私「先生とママの言うことを素直に聞いていると髪の毛が白くなるよ。聖書にそう書いてあるよ」。初音「でもまだ黒いところも少しあるワョ」。私「ギクッ!??????」

新共同 箴  16:31
16:31 白髪は輝く冠、神に従う道に見いだされる。

新共同 箴  20:29
20:29 力は若者の栄光。白髪は老人の尊厳。

口語訳 箴  20:29
20:29 若い人の栄えはその力、老人の美しさはそのしらがである。

新共同 イザ 46:4
46:4 同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。

使徒伝承 「黒崎幸吉著 注解新約聖書Web版」

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復活のキリストは透明人間 ++++++++ 所感

2009/05/03 07:26

090503(日)3時半目覚め。上よりの力を頂き、本日の感話のプリントの終生。これで推敲17回目。推敲箇所は次の通り

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

塚本訳 Ⅰコリ15:3-5

15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、

15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、

15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。

15:6a そのあと、一度に五百人以上の兄弟に御自分を現わされた

 

● イエスがまず弟子たちに有体的復活の姿として様々な形で現れた時

 

塚本訳 ルカ 24:30-34

24:30 一しょに食卓について、(いつものように)パンを(手に)取り、(神を)讃美したのち、裂いて渡されると

24:31 (その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。

24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。

24:33 時を移さず二人は立ち上がってエルサレムに引き返して見ると、十一人とその仲間とが集まっていて、

24:34 「ほんとうに主は復活して、シモン(・ペテロ)に御自分を現わされた」と話してくれた。

 

塚本訳 ヨハ 20:26-27

20:26 八日ののち、弟子たちはまた家の中に(集まって)いた。今度はトマスも一しょであった。戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスがはいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた

20:27 それから(すぐ)トマスに言われる、「指をここに持ってきて、わたしの手(の釘の跡)をよく見てごらん。手を持ってきて、わたしの脇腹に差し込んでみなさい。不信仰をやめて、信ずる者らしくしなさい。」

 

塚本訳 ルカ 24:45-49

24:45 それから聖書をわからせるために彼らの心を開いて

24:46 言われた、「救世主は苦しみをうけて、三日目に死人の中から復活する。

24:47 また罪を赦されるための悔改め(の福音)が、その名においてすべての国の人に説かれる、エルサレムから始まって、と(聖書に)こう書いてある。

24:48 あなた達はこの(苦しみと復活との)証人である。

24:49 待っておいで、わたしが父上のお約束のもの[聖霊]をあなた達におくるから。あなた達は(この)天よりの力を身につけるまで都に止まっていなさい。」

 

● 復活の証人たちに聖霊が降り、上よりの力を頂いて宣教が開始される時

 

塚本訳 使  1:8

1:8 ただ聖霊があなた達にくだるときあなた達は力を戴いてエルサレムをはじめユダヤ全体、またサマリヤ、さては世界の果てまでも、わたしの証人になるであろう。」

 

塚本訳 使  2:1-2

2:1 五旬節の祭の日(すなわち五旬節最後の日)になって、(使徒たちが)皆一緒に集まっていると、

2:2 突然、天から激しい風が吹いてきたようなざわめきがしてきて、座っていた家中にひびきわたった。

 

塚本訳 使  9:4-5

9:4 彼は地上に倒れ、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と言う声を聞いた。

9:5 サウロが言った、「主よ、あなたはどなたですか。」彼がいわれた、「わたしだ、あなたが迫害しているイエスだ。

 

塚本訳 Ⅰコリ1:23-24

1:23 わたし達は十字架につけられたキリストのこと(だけ)を説く。すなわち、ユダヤ人にはつまづき、異教人には馬鹿なことであるけれども、

1:24 (神に)召された者だけには、ユダヤ人、異教人の別なく(これこそ)神の力、また神の知恵なるキリストを(説くのである)。

 

● 証人の言葉を聞き、心の眼が開かれ十字架と復活が分かる人が誕生する時

 

塚本訳 使  16:14

16:14 するとテアテラ町の紫毛織物の商人で、敬信家のルデヤという婦人が聞いていたが、主はその心を開いてパウロの話に耳を傾けさせられた。

 

塚本訳 ヨハ 9:2-3

9:2 弟子たちが尋ねた、「先生、この人が盲で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか、両親ですか。」

9:3 イエスは答えられた、「この人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもな

い。ただ神の御業がこの人に現われるためである

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●聖書には「天よりの力を受ける」という言葉がある。然りアーメンである。

塚本訳 ルカ 24:48

24:49 待っておいで、わたしが父上のお約束のもの[聖霊]をあなた達におくるから。あなた達は(この)天よりの力を身につけるまで都に止まっていなさい。」

●そうすると理屈抜きに「発信が始まる」

塚本訳 使  1:8

1:8 ただ聖霊があなた達にくだるときあなた達は力を戴いてエルサレムをはじめユダヤ全体、またサマリヤ、さては世界の果てまでも、わたしの証人になるであろう。」

●かって米国の宣教師が「伝道説教」を始めるときは指をポキポキと鳴らしたそうだ。聖霊に満たされるとそういう気持になるのだ。

●復活のキリストは透明人間

小さい頃、米映画「凸凹透明人間」という娯楽映画を観た。主人公のボクサーに対して透明人間が味方につく。自分のパンチが当たらないのに、透明人間が後に立っていて殴るので相手がのけぞる。自分は相手から離れていてなにもしなくても相手の顔が右に左に揺れる。コーナーに戻った相手はセコンドに「おかしい?。二人いるようだ」とボヤく。そして主人公は勝利する●キリストの宣教も同じ。自分の言葉が相手に効果的には当たらなくても、復活の透明人間なるキリストが相手を打つ。自分の力で殴ろうと接近すると逆にやられる。キリストは我々の味方の透明人間だ。離れていても勝利する。自分の力でパンチしなくても勝利する。難しい強打者には接近するな。透明人間なるキリストに戦ってもらおう。●我々は常に祈って聖霊を頂き、戦う前に指をポキポキと鳴らせばよい。なぜか。こちらは透明人間の復活のキリストと二人。勝利は確実だから。●集会は大山、小寺(塚本先生のエペソ書講義)、高橋(「わたしがそれである」との出会い。・・・神が備える「その時」)●昼食は小寺、宮崎、高橋●妻と小寺七重さんは大船の病院に川上さんをお見舞い。帰途茅ヶ崎の金子幸子さんを訪問●紀伊国屋新宿南店で本を2冊購入。荒井献著「初期キリスト教の霊性」(岩波書店)。外山義(ただし)著「自宅でない住宅」(医学書院)●杉崎孝さんにお電話。96歳と3か月。集会にはお一人で遠くから来られていることは脱帽である。

 

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自殺した友。彼に会わせる顔がない私 ++++++++ 所感

2009/05/02 08:48

090502(土)4時半目覚め。昨夜は咳込まずに寝られた●明日の感話の原稿を推敲。14回目。建築設計と同じで、締め切り時間ギリギリまで修正したくなる。今朝追加した項目は次の通り。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●人生を空しく思う時

 

新共同 詩  90:10

90:10 人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十年を数えても/得るところは労苦と災いにすぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。

 

口語訳 伝  12:1

12:1 あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に

 

● 人生は罪に悩み、死を恐れ、泣く時

 

塚本訳 ヨハ 4:47

4:47 イエスがユダヤからガリラヤに来ておられると聞くと、イエスの所に行き、(カペナウムに)下ってきて息子を直してほしいと頼んだ。息子が死にそうだったのである。

 

塚本訳 ルカ 7:12

7:12 町の門の近くに来られると、ちょうど、ある独り息子が死んで、(棺が)舁き出されるところであった。母は寡婦であった。町の人が大勢その母に付添っていた。

 

塚本訳 ヨハ 11:32

11:32 マリヤはイエスのおられる所に来ると、イエスを見るなり、足もとにひれ伏して言った、「主よ、あなたがここにいてくださったら、わたしの・・わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。」

 

塚本訳ヨハ 20:15-15

20:15 イエスが言われる、「女の人、なぜ泣くのか。だれをさがしているのか。」マリヤはそれを園丁だと思って言う、「あなた、もしあなたがあの方を持っていったのだったら、どこに置いたか教えてください。わたしが引き取りますから。」

 

 永遠の命が実証された喜びの時。

 

塚本訳 ヨハ 4:50-51

4:50 イエスは言われる、「かえりなさい、息子さんはなおった。」その人はイエスの言われた言葉を信じて、かえっていった。

4:51 しかしすでに途中で、僕たちが出迎えて、子供がなおったことを知らせた。

 

塚本訳 ルカ 7:12-15

7:12 町の門の近くに来られると、ちょうど、ある独り息子が死んで、(棺が)舁き出されるところであった。母は寡婦であった。町の人が大勢その母に付添っていた。

7:13 主は母を見て不憫に思い、「そんなに泣くでない」と言って、

7:14 近寄って棺に手をかけ──担いでいる者は立ち止まった──「若者よ、あなたに言う、起きよ!」と言われた。

7:15 すると死人が起き上がって物を言い出した。イエスは『彼を母に渡された。』

 

塚本訳 ヨハ 11:43-45

11:43 こう言ったのち、大声で、「ラザロ、出て来い」と叫ばれた。

11:44 死人が手足を包帯で巻かれたまま、(墓から)出てきた。顔は手拭で包まれていた。イエスは「解いてやって(家に)帰らせなさい」と人々に言われた。

11:45 すると、マリヤの所に来てイエスのされたことを見たユダヤ人のうち、多くの者は彼を信じた。

 

塚本訳 ヨハ 20:16-18

20:16 (こう言って、また墓の方を向いていると、)イエスが「マリヤ!」と言われる。マリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う。(そしてイエスに抱きつこうとした。)

 

口語訳 Ⅰペテ1:8

1:8 あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが、彼を愛している。現在、見てはいけないけれども、信じて、言葉につくせない、輝きにみちた喜びにあふれている。

 

● 赦せない人がいる時。神が共に苦しみを負ってくださる時。終末待望の時。

 

塚本訳 ロマ 8:26-27

8:26 しかし(創造物やわたし達神の子が苦しんでいると)同じように、御霊も、弱いわたし達を助けてくださる。すなわち、(神のみ心にかなうには)どう何を祈るべきかわからないので、御霊自身が、無言の呻きをもって(わたし達の祈りを神に)執り成してくださるのである

8:27 しかし(人の)心を見抜くお方[神]は、御霊が何を求めているか、すなわち、御霊が神の御心にかなうように聖徒たちのために執り成しておられることを、(もちろん)御存じである

 

文語訳 ロマ 8:18

8:18 われ思うに、今の時の苦難は、われらの上に顯れんとする榮光にくらぶるに足らず。

 

新共同 Ⅰコリ15:58

15:58 わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。

 

新共同 ピリ 1:29

1:29 つまり、あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです

 

文語訳 コロ 1:24

1:24 われ今なんぢらの爲に受くる苦難を喜び、又キリストの體なる教會のために、我が身をもてキリストの患難の缺けたるを補ふ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 ●「私を癒す名曲」 讃美歌63番「いざや友よ」

歌詞

1. いざ や とも よ, いさみ すすめ,

   さかえ に かがやく あまつ しろ へ.

 2. ち なる ひと は いか に も あれ,

   みくに の よつぎ は うたいて ゆかん.

3. みくに へ ゆく たび の みち に,

   のぞみ は はなさき あい は かおる.

 4. みかど とおく うちあおげば

   こがね の しろ より さち は ながる.

5. いまぬえる の みち を ふみて,

   たえなる さかえ の みくに に いらん.

 

 曲は次をクリック

 http://www.moclin.jp/hymnal/midi/hymn_1-063-come_we_that_love_the_lord.mid

 

●この曲に思う

私の若き日からの友人MM君は歌詞の1節にあるような「友」であった。私が24歳頃のこと、美ヶ原の聖書研究会で初めて出会った。以後、よく夜遅くまで語り合ったものだ。彼のおばさん(無教会)からは私製のネーム入り便せんで「Mのことをよろしく」という長文の手紙を頂いた。責任を感じた。彼は大学受験に2度失敗し、不運にもその頃御母堂が亡くなられた。次第に精神を病み始めた。入院したとは聞いたが、精神の病の人を訪問して「励ます」ことはよくないと聞いていたのでわざと見舞いに行かなかった。その後、彼は川に入って自殺したということを聞いた。暗然とした。彼は5節「インマヌエル」(神共にいます)が最後まで分からなかった。私としてはどうすればよかったのだろう。元気だった彼の笑顔を思うたびに、彼にも彼のおばさんにも「会わす顔がない」と思っているのだ。祈りが足りなかったこの私は果たして赦されるのだろうか。

●終日「黒崎註解デジタル化プロジェクト」引照入力。使徒13章。うっかりして13章前半の一部を上書きしてしまい。まっ白。頭もまっ白。時間のロス。しかし消えた部分を再入力。すると異常な早さでできた。なぜか。頭の作業が終わっているのでただ打てばよかったから。パソコン作業はいかに頭脳労働が多くの時間を占めていることがわかった。失敗も益であった。パウロの言葉を思った。

新共同 ロマ 8:28
8:28 神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。

●仕事は次は早いパソコンは便利だが、データが消えるという危険もある。これが不安なのだ。●実験中、失敗にもめげずに初めから何度もやり直したのはキュリー夫人。ラジウムのことはわからないが、気を取り直してやりなおす」精神をキュリー夫人に学んだ。仕事で失敗して初めからやリ直すとき、いつもキュリー夫人を思い出す。

 

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