to 日記と感想 2009年07月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170821(土)15:00お江戸コラリアーズ定期演奏会、文京公会堂
    170809     TW誕生日
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170706      TM誕生日
    170701      TT誕生日
    170628       IY誕生日
    170625(日)14:00羽村フィル、ゆとろぎ。モーツァルト40番、チャイコフスキー5番
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール
    170610(土)14:00内村鑑三セミナー、立教大学12号館。矢田部、椚」山
    170609(金)   TS命日
    170608(木)12:15ボリショイ「白鳥の湖」、東京文化会館
    170707(水)10:00池谷医院
    170604(日)10:00集会感話、
    170604(日)16:30近藤恵邸起工式、福島市。
    170530(火)14:00田岡氏来訪
    170527(土)14:00今井館ピアノコンサート
    170521(日)14:00新宿フィル、ブラームス1番、レスピーギ「鳥」「ローマの松」。和田睦夫
    170425       TN)誕生日
    150420(木)09:30阿伎留センター泌尿器科)
    170416(日)14:00武蔵野室内合奏団、杉並公会堂(大坪満子)


再び、自殺について考える ++++++++ 所感

2009/07/31 08:32

090731(金)3時45分起床

●去る7月28日29日の「自殺」に関する

ブログを見られた某氏から玉稿のコメントを頂いたので

公開する。

(コメント開始)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

自殺してはいけない

 日本では 自殺者が一年で3万人を超えるということで
自殺は 重いテーマです。
 重荷は 「病気」と「過去の罪」と さらに 「将来の不安」が
加わると 三重苦 となります。

 ここから 逃れるのは 本当に 主に頼るほかありませんね。

 
主の祈りの一節 「その日の食べ物をきょうも、わたしたちに戴かせて下さい」

(マタイ6:12 塚本訳)


 過去のことは 主に お委ねし 将来のことも 主にお委ねし
あとは 現在のこと 病 など 本日限りの 細分化された

 日常ならば その 重荷は 負えるように 思います。
主のお助けに よってですが。 福音が 特に若い方々に伝わりますように。

このブログも さらに 主によって 用いられますように。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(コメントおわり)

●朝から黒崎関連のメール。WEB黒崎は本物。

●本物は宣伝しなくても、また誰が言った、

誰がやったということなしに自然に広まる。

無教会主義の真理に似ている

●終日「黒崎註解プロジェクト」。ルカ引照入力終了。

妻のルカ校閲は18章まで終了。

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不可能を可能にする神の不思議 ++++++++ 所感

2009/07/30 06:28

090730(木)5時半起床●朝の黙想「不可能を可能にする神の不思議」●このテーマで聖書を探すと無数にある。●聖書の引照は自分で探すのが一番良い。なぜか。身につくから。他人が探した引照もよいがそれはヒントや参照にすべきであって、それに振り回されてはならない。自分で発見する引照が聖書を自家薬籠中のものにする道。●人生で悩みや困難や悲しみ不安に遭遇した時に「神を信ずれば神は人間の思い浮かばなかった道を開いてくださる」。そのとき人間はそれを「不思議」に思う。聖書には「不思議」という言葉が非常に多い。旧約32回、新約25回、いずれも口語訳。●神がその不思議を人間に起こそうとするとき、人間の側での言葉は「どうしてそんなことができるでしょうか」である。●卑近な例として、今協力関与している「黒崎幸吉著新約聖書注解WEB化プロジェクト」は、その実現に5~10年はかかり、経済的にも不可能と思われていた事であるが、2年弱で完成しようとしている。しかも無料公開。その8割程度はすでに公開。「伝道私信」第170号(2009.7)で大島智夫先生はこのことを「現代の奇跡」と言っておられる。●この奇跡の渦中に巻き込まれた私は幸いであった。なぜこの不思議が起こったか。神の手が降ったとしか思えない。そう実感する。●不可能を可能にする神の業とそれを不思議に思う人間の事例を次にあげる。

塚本訳 ルカ 1:34-38
1:34 マリヤが天使に言った、「まだ夫を知らぬわたしに、どうしてそんなことがありましょうか。
1:35 天使が答えた、「聖霊があなたの上に臨み、いと高きお方の力があなたを掩いかくすであろう。それゆえ(あなたから)生まれるものは、『聖』であり、神の子『と呼ばれる。』
1:36 実はあなたの親類のエリザベツも、あの老年で、男の子をさずかったのだ。石女と言われていた女が、今月はもう六月になっている。
1:37 『神には何一つ出来ないことはない』のだから。」
1:38 マリヤは言った、「かしこまりました。わたしは主の召使、お言葉のとおりに成りますように。」天使はマリヤをはなれ去った。

塚本訳 マタ 19:25-26
19:25 これを聞いて、弟子たちは非常に驚いて言った、「ではいったい、だれが救われることが出来るのだろう。」
19:26 イエスは彼らをじっと見て言われた、「これは人間には出来ないが、『神にはなんでも出来る。』」

塚本訳 ルカ 5:24-26
5:24 では、人の子(わたし)は地上で罪を赦す全権を持っていることを知らせてやろう」と彼らに言いながら、中風の者に言われた、「あなたに命令する、起きて、寝床をかついで家にかえりなさい。」
5:25 すると彼は即座に人々の目の前で立ち上がり、床をかついで、神を讃美しながら家にかえって行った。
5:26 皆が感動して神を讃美し、恐れに満たされて、「きょうは不思議なことを見た」と言った。

塚本訳 ヨハ 3:7
3:7 『あなた達は新しく生まれなおさねばならない』と言ったからとて、すこしも不思議がることはない。

●終日「黒崎幸吉新約聖書デジタル化」プロジェクト引照入力ルカ23章。イエスの受難の所では涙を禁じえない。●16:45日本聖書協会翻訳部のTUさんに問い合わせ。●19:00 癌で胃を半分切除された集会のFBさんにお見舞いの電話。ちょうど高橋に電話しようと思っていたところだったという。この肉体は「土の器」ということで意見が一致。病院ではずっと平安であったという。19:15故郷浦和の教会のMAさんに電話。8月2日にお伺いすること。

     

      使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

       http://stonepillow.dee.cc/

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自殺がいけない理由 ++++++++ 所感

2009/07/29 07:48

090729(水)5時15分目覚め●昨日の「自殺願望」電話に考えさせられる。電話の主は聖書の話は受け付けなかったが、「人間は自然に生き、自然に死ぬのがよい」という言葉は分かったようだ。しかしこれでは仏教的、汎神論的、諦念的で喜びがない。歓喜がない。●人を「自殺願望」から救済するには「心の重荷」を取り去ることに力を貸さなければならない。それには「私はキリストの故にこうして救われた」という「証人」になればそれだけで、あとは神が腰をあげて救ってくださるものと信じる●わたしたちは「証人」になるべきであって、「教祖」になってはいけない。

塚本訳 ルカ 8:39
8:39 「家に帰って、神がどんなにえらいことをしてくださったかを、(みんなに)話してきかせなさい。」すると彼は行って、イエスがどんなにえらいことを自分にされたかを、町中に言いふらした。


塚本訳  ルカ 24:47-48
24:47 また罪を赦されるための悔改め(の福音)が、その名においてすべての国の人に説かれる、エルサレムから始まって、と(聖書に)こう書いてある。
24:48 あなた達はこの(苦しみと復活との)証人である。

●自殺がいけない理由。この肉体は神にお預かりしているもの。だから自らの手でこれを壊すのは器物損壊の罪になるから。

●夕方の空3枚

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胸が熱くなるという不思議 ++++++++ 所感

2009/07/28 05:42

090728(火)3時半目覚め5時起床●朝の啓示「胸が熱くなるという不思議」●聖書の話をした場合、「イエスの墓が空になっていた」という伝承を話した場合は不思議に「後味」がよい。そして共鳴者が出る。反応がある。この不思議な現象は何なのだろう。●「胸が熱くなる」ことによって「有体的復活」が本当であることが信じられる不思議が起こる。神が復活がありうることを人間の理性にも訴えるために「墓を空にして見せた」のではあるまいか。これは歴史と信仰の世界の接点、ピンポイントである。●その根拠は「三日目に死人のうちよりよみがえり」ということである。三日目ということが「歴史内、時間内」のことを示す。「死人のうちより」ということも物理空間的なことを示す。このこと、つまり「復活」は歴史的物理的時間的な出来事であったことが、この有限的三次元の人間の「胸を熱くするのだ」。これ神のDO、神のアクション、神の歴史への介入。その神のエネルギーを取り次ぐから話の「後味」が良くて、反応者、共鳴者が出るのだ。共鳴者反応者の出現は「空の墓伝承」の真理性を示すものである。●かって某氏が私に言ってくれた。「あなたの墓碑銘は『胸が熱くなって見えたのだ』がよい」と。然り。この伝承が私のライフワークだ。●墓が空になっていたという聖書の箇所は次の通り。

塚本訳 ヨハ 20:4-9
20:4 二人とも(始めのほどは)一しょに走っていたが、もう一人の弟子の方が(年が若かったので、)ペテロより早く走っていって、先に墓に着いた。
20:5 身をかがめると、(墓の中に)亜麻布があるのが見えたが、それでも中には入らなかった。
20:6 続いてシモン・ペテロも来た。彼は墓に入り、亜麻布が(そのままそこに)あるのを見た
20:7 また頭をつつんだ手拭は亜麻布と一しょになく、これだけ別の所に、包んだまま(の形)になっていた。
20:8 すると先に墓に着いたもう一人の弟子も入ってきて、見て、信じた。
20:9 イエスは死人の中から復活されねばならないという聖書の言葉が、(この時まで)まだ彼らにわかっていなかったのである

●人間には「胸が熱くなる」という経験があり、そのことによって「復活」が信じられるようになる。その聖書的根拠は次の通り。

塚本訳  ルカ 24:29-32
24:29 二人はこう言って無理に引き留めた、「わたし達のところにお泊まりなさい。間もなく夕方で、日もはや傾いたから。」そこで彼らのところに泊まるために、(家に)入られた。
24:30 一しょに食卓について、(いつものように)パンを(手に)取り、(神を)讃美したのち、裂いて渡されると、
24:31 (その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。
24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。

●一昨日福島県本宮の「あだたら聖書集会」礼拝で話した「建築を通して学んだ聖書」をホームページ「使徒伝承」にアップロードした。配布資料には写真を4枚付けたが、インターネットのホームページにはアップすることがうまくできない。学習目標とする。

[自殺願望者に対する態度]

●電話を頂く。

「私はもぬけの空になった」「プロテスタントでは自殺はいけない事になっているか」「真剣に自殺を考えた」「高橋さんの時間のあるときにお電話を頂きたい」・・・・・電話を切ってから考えた。聖書に「自殺」のことはあるか。ユダが自責の念から首を吊ったぐらい。●自殺は食い止められない。その多くは精神的疾患が原因。心に大きな重荷を負っている人が自殺願望に陥る。大きな重荷が精神の病を起こす。●神の霊の介入以外に、この困難は解決できない。祈りあるのみだ。

●終日、「自殺願望」のことで頭が一杯。イエスはどうしたかを考える。イエスの周りには病人や罪人が続々と集まった。

塚本訳マコ 1:32
1:32 夕方になって日が沈むと(安息日が終ったので)、人々は病人や悪鬼につかれた者を皆イエスの所につれて来て、


塚本訳  ルカ 15:1
15:1 さて、イエスの話を聞こうとして、(いつものとおり)税金取りや罪人が皆近寄ってきた。

●「自殺願望」は重荷を負っていることが原因。その重荷とは二つ。「病気」と「過去の罪」。病気も「悪鬼につかれた者」という人間には到底直せないような難しい病気の持ち主が多くイエスのもとに連れて来られた。イエスはあらゆる病気を治した。次に罪人の罪を赦した。過ぎ去った過ちは「取り返し」がつかない。その罪をイエスは神の権威で赦した。病気の癒しと罪の赦し。この二つの重荷が取り去られfれば人間は「自殺」をしなくてすむ。●現代のキリスト教はこの二つの能力を具備しているのだろうか。病気は直せない。罪の赦しの権威能力もない。


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この家に主の恩恵豊かなれ。 ++++++++ 所感

2009/07/27 20:45

090727(月)

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見時(7歳)と風人(3歳)はよく喧嘩をする。風人の石頭による頭突攻撃はものすごい。私にも走って来て何度も頭突きをする。子供というのは親に向かって遠慮なく体当たり頭突攻撃きをして成長して行くもんだなー。親はこれを赦す義務がある。

塚本訳 マタ 10:21-24
10:21 また兄弟は兄弟を、父は子を、殺すために(裁判所に)引き渡し、『子は親にさからい立って』これを殺すであろう。
10:22 あなた達はわたしの弟子であるために皆から憎まれる。しかし最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
10:23 この町で迫害された時には、次の町に逃げてゆけ。アーメン、わたしは言う、人の子(わたし)は(すぐに)、あなた達がイスラエル人の町々を回りつくさぬうちに来るのだから。
10:24 弟子は先生以上でなく、僕は主人以上ではない。(だからあなた達が迫害されるのは当り前である。)

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さようなら、近藤恵一家。朝食での私の祈り「この家に末長くあなたの恩恵が豊かにありますように」。

新共同 Ⅱコリ13:13
13:13 主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。

●14:30あきる野の自宅に戻る。人間誰でも「自分の家」が落ち着くものだ。

 

 

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あだたら聖書集会 ++++++++ 所感

2009/07/26 18:20

090726(日)近藤一家全員とわたしたちの6人で「あだたら聖書集会(湯浅鉄郎代表)の礼拝に出席する。司会・石沢重吉。奏楽・近藤華子。感話「建築を通して学んだ聖書」・高橋照男。(HP「使徒伝承」にアップ)職業としての建築は私に人生と聖書を教えてくれたと話した。そして復活の体が、永遠の命、永遠の家だと結んだ。湯浅先生が賛美家217番「あまつましみず」を選定してくださった。これは高橋家のテーマソングだと御認識くださっている。感謝。

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礼拝後、あだたら聖書集会の若手メンバーと記念撮影。世の中は老人が多い教会(集会)が一般的であるがこの集会は若手がいて、たのもしい。神の祝福がある証拠。

塚本訳マコ 10:13-14
10:13 イエスにさわっていただこうとして、人々が子供たちをつれて来ると、弟子たちが咎めた。
10:14 イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた、「子供たちをわたしの所に来させよ、邪魔をするな。神の国はこんな(小さな)人たちのものである。


塚本訳 マタ 11:25
11:25 その時イエスは声をはげまして言われた、「天地の主なるお父様、(神の国の秘密に関する)これらのことを(この世の)賢い人、知恵者に隠して、幼児(のような人たち)にあらわされたことを、讃美いたします。


塚本訳 ルカ 10:21
10:21 この時イエスは聖霊にみたされ、感激にあふれて言われた、「天地の主なるお父様、(神の国の秘密に関する)これらのことを(この世の)賢い人、知恵者に隠して、幼児(のような人たち)にあらわされたことを、讃美いたします。ほんとうに、お父様、そうなるのがあなたの御心でした。


塚本訳マタ 21:16
21:16 イエスに言った、「あの子供たちがなんと言っているのか、聞えているのか。」イエスは言われた、「聞えている。あなた達は『(神よ、)あなたは幼児と乳飲み子との口によって、(御自分のために)賛美をお備えになった』と詩篇にあるのを、まだ読んだことがないのか。(大人が黙っているから、子供が叫ぶのだ。)」

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無教会のあだたら聖書集会(福島県本宮)の玄関で、中央は湯浅鉄郎代表。左高橋照男、右高橋トミ子。

口語訳 コロ 1:24
1:24 今わたしは、あなたがたのための苦難を喜んで受けており、キリストのからだなる教会のために、キリストの苦しみのなお足りないところを、わたしの肉体をもって補っている。

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孫の見時(左端)の満7歳の誕生日をデニーズで祝う。神の祝福が末長くこの子の上にそそがれますように。

塚本訳  ルカ 2:40
2:40 幼児は大きくなり強くなって、知恵満ち、神の恵みが彼をはなれなかった。

 

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恵の植えた稲が勢いよく成長している。恵は「神様、サマサマだ」と言ったことがある。無農薬有機農業は手間がかかる。しかし無農薬の田には鳥が近寄るという。鳥も喜んでいる。神の祝福の証しだ。

塚本訳マコ 4:26-29
4:26 また言われた、「神の国はこんなものだ。──ある人が地に種を蒔き、
4:27 夜昼、寝起きしていると、種は芽生えて育ってゆくが、本人はその訳を(すら)知らない。
4:28 (すなわち)地はひとりでに実を結ぶので、初めに茎、次に穂、次に穂の中に熟しきった粒ができる。
4:29 実が熟すると、すぐに『鎌を入れる。刈入れ時が来たのである。』」

塚本訳 マタ 13:31-32
13:31 またほかの譬を彼らに示して言われた、「天の国は芥子粒に似ている。ある人がそれを畑にまいた。
13:32 これはあらゆる種の中で一番小さいが、育つと、野菜の中で一番大きくなり、(大きな)木になって、『空の鳥が』来て『その枝に巣を作る』ようになるのである。」

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田の草を取らないとこうなるという実例を見せてもらってぞっとした。こうなると収穫量は三分の一になり、いもち病にもなるという。恵は「これだからみんな農薬を撒くのfだ」という。

塚本訳 マタ 13:24-30
13:24 またほかの譬を群衆に示して言われた、「天の国は畑に良い種をまく人にたとえられる。
13:25 人々が(夜)眠っている間に敵が来て、麦の中に毒麦をまいて行った。
13:26 苗が芽生えて実を結ぶと、その時毒麦も現われた。
13:27 使用人たちが来て家の主人に言った、『ご主人、畑には良い種をまかれたのではないですか。すると毒麦はどこから来たのでしょうか。』
13:28 主人がこたえた、『敵のしわざだ。』使用人たちが言う、『では、行って抜き取りましょうか。』
13:29 主人が言う、『いや、毒麦を抜き取ろうとして、麦まで一しょに引き抜くかも知れない。
13:30 両方とも刈入れまで育つままにしておけ。刈入れの時、わたしが刈入れ人たちに言いつける、まず毒麦を抜き取り、束にしばって焼きすてよ、麦の方は集めて倉に入れよ、と。』」

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恵が愛犬ジークの毛を刈る。ジークはおとなしくしている。

口語訳 イザ 53:7
53:7 彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。

 

 

 

 

 

 

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草野茂直7回忌法要 ++++++++ 所感

2009/07/25 17:16

090725(土)一番電車に乗り、東京駅7:30発いわき行きのバスで3時間。●11:00妻の父、草野茂直(91歳)の7回忌法要。

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いわき市にある真言宗の寺に妻の父である草野茂直は眠る。91歳、長命であった。キリスト教ではなかったが、信仰心の篤い人であった。人生は短いなー。この付近の墓のカロート(遺骨を納める地下の箱)の底はコンクリートを打たずに土のままにして、そこに遺骨をバラ播く。東京では底がコンクリート。そのコンクリートボックスに骨壷を安置する。人間は「土に返る」という思想だから、土に撒かれる方が自然か。「土に返る」という思想は旧約聖書の詩篇にもある。

口語訳 詩  90:1-4
90:1 主よ、あなたは世々われらのすみかで/いらせられる。
90:2 山がまだ生れず、あなたがまだ地と世界とを造られなかったとき、とこしえからとこしえまで、あなたは神でいらせられる。
90:3 あなたは人をちりに帰らせて言われます、「人の子よ、帰れ」と。
90:4 あなたの目の前には千年も/過ぎ去ればきのうのごとく、夜の間のひと時のようです。


口語訳 詩  90:9-10
90:9 われらのすべての日は、あなたの怒りによって過ぎ去り、われらの年の尽きるのは、ひと息のようです。
90:10 われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。

●しかしキリストを信じて死んだ者は、この肉体は土に返っても、霊魂は神の懐に眠っていて、終わりの日に神に呼び出されて、今度は霊の体でよみがえる。パウロは次のように言う。

塚本訳 Ⅰコリ15:38-45
15:38 しかし神は御心のままにそれに体をお与えになる、しかもそれぞれの種に独得の体を。
15:39 すべての肉が同じ肉ではない。人間の(肉)がちがい、家畜の肉がちがい、鳥の肉がちがい、魚の(肉)がまたちがう。
15:40 天の体があり、地の体がある。しかし天のものの輝きは別であり、地のもののはまた別である。
15:41 (天のものの輝きにしても、)太陽の輝きがちがい、月の輝きがちがい、星の輝きがまたちがう。その上、星はひとつびとつ輝きが相違している。
15:42 死人の復活もこのようである。(一つの体が死んで別の体が生まれる。)死滅の姿でまかれて不滅の姿に復活する。
15:43 恥辱の姿でまかれて栄光の姿に復活する。弱さの姿でまかれて力の姿に復活する。
15:44 (神の霊を持たない)魂だけの体がまかれて霊の体が復活する。魂だけの体がある以上は霊の体もあるわけである。
15:45 (聖書にも)このように書いてある、「最初の『人』アダム『は魂だけの生きものになり』、最後のアダム[キリスト]は命を与える霊になった」と。


塚本訳 Ⅰコリ15:48-49
15:48 土の人たちはこの土の人(アダム)のようであり、天の人たちはこの天の人(キリスト)のようである。
15:49 こうしてわたし達は土の人の姿を帯びたように、(復活の時は)天の人の姿を帯びるであろう。


塚本訳 Ⅱコリ4:6-7
4:6 というのは、(世界創造の時、)「光、暗闇から輝き出でよ」と言われたその神は、キリストの顔に現れている神の栄光を知る知識が明らかになるため、わたし達の心の中に光を輝かせてくださったからである。
4:7 しかしこの宝が、(貧弱な)土の器の中にある。それはその素晴らしい力が神のものであって、わたし達(土の器)から出るのではないことがわかるためである。

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妻の母、草野タキイ 89歳。認知症で私のことを忘れた。2年前は「照男さんだ」と覚えていてくれたのに。娘である私の妻のこともよく分からないようだ。でもにこにこしている。「美しく老いた」という感じがする。人に「忘れられる」というのは非常に淋しく、悲しいことだ。しかし神に認知症はない。永久に名前を覚えていてくださる。終末の日には、人は「個々の名前で呼び出される」

口語訳 出  33:17
33:17 主はモーセに言われた、「あなたはわたしの前に恵みを得、またわたしは名をもってあなたを知るから、あなたの言ったこの事をもするであろう」。


塚本訳ヨハ 11:43
11:43 こう言ったのち、大声で、「ラザロ、出て来い」と叫ばれた。


塚本訳  ルカ 7:14
7:14 近寄って棺に手をかけ──担いでいる者は立ち止まった──「若者よ、あなたに言う、起きよ!」と言われた。

●読経をあげて供養してくださった住職は、6年前に亡くなった草野茂直のことを「よく菊の花を持ってきてくれました」と覚えていてくださった。檀家の人の名前をよく覚えておられる住職の態度は立派。キリスト教に檀家制度なし。そこにキリスト教の弱さがあるか。檀家制度なきキリスト教は純粋でよいが、多くの場合「キリスト教信仰一代」で終わりになる。これでいいのかなー

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法事のあとの会食。母は認知症で多くのことを忘れているが、こうして子供たちに覚えられているのは幸せだ。人間は長生きするとだれでもこのような認知症という悲しい状態になるのかなー。認知症も神の恩恵なのかなー。その積極的な意味は何だろう。

新共同 詩  133:1
133:1 【都に上る歌。ダビデの詩。】見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。

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 福島県二本松市で有機農業を営んでいる三男の近藤恵のところに行く。長男の見時(みと)が犬のジーク(ワーグナーの楽劇から命名したという)をかわいがっている。神は羊の一匹をも惜しんで愛する。

塚本訳ルカ 15:4
15:4 「あなた達のうちのだれかが羊を百匹持っていて、その一匹がいなくなったとき、その人は九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を、見つけ出すまではさがし歩くのではないだろうか。

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妻と孫(左は風人3歳、右は見時7歳)とジーク。後は新装なったピアノ室。近藤恵の家は神、農業、音楽の生活。有機農業は厳しい労働だが喜びがある生活。なぜか。多くの人に喜ばれるものを生産しているから。

口語訳 詩  128:1-3
128:1 すべて主をおそれ、主の道に歩む者はさいわいである。
128:2 あなたは自分の手の勤労の実を食べ、幸福で、かつ安らかであろう。
128:3 あなたの妻は家の奥にいて/多くの実を結ぶぶどうの木のようであり、あなたの子供たちは食卓を囲んで/オリブの若木のようである。

 ●恵のところの食事はそのほとんどが詩篇128:2の文字通り、自分が作ったもの。これは健康的だ。

●風呂に入ると、近くの林の「ひぐらし」の鳴き声が聞こえた。最高だ。

 

 

 

 

 

 


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キリストの体 ++++++++ 所感

2009/07/24 09:51

090724(金)5時間半熟睡で3時10分起床。●朝のひらめき「キリストの体」。明後日26日の「あだたら聖書集会」での礼拝感話にはこのことも話さなければならないので配布資料に急遽追加。関連聖句は次の通り。

新共同 ヨハ 2:19-22
2:19 イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」
2:20 それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。
2:21 イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである
2:22 イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。


新共同 ヘブ 8:1-2
8:1 今述べていることの要点は、わたしたちにはこのような大祭司が与えられていて、天におられる大いなる方の玉座の右の座に着き、
8:2 人間ではなく主がお建てになった聖所また真の幕屋で、仕えておられるということです。


新改訳 ルカ 22:19
22:19 それから、パンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行ないなさい。」


新共同 Ⅰコリ3:16
3:16 あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。


新共同 コロ 2:16-17
2:16 だから、あなたがたは食べ物や飲み物のこと、また、祭りや新月や安息日のことでだれにも批評されてはなりません。
2:17 これらは、やがて来るものの影にすぎず、実体はキリストにあります。


新共同 ヘブ 3:3
3:3 家を建てる人が家そのものよりも尊ばれるように、イエスはモーセより大きな栄光を受けるにふさわしい者とされました。


口語訳 Ⅱコリ5:1
5:1 わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。


口語訳 エペ 2:20
2:20 またあなたがたは、使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられたものであって、キリスト・イエスご自身が隅のかしら石である。


塚本訳  ルカ 16:9
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。


新共同 Ⅱペテ1:13-14
1:13 わたしは、自分がこの体を仮の宿としている間、あなたがたにこれらのことを思い出させて、奮起させるべきだと考えています。
1:14 わたしたちの主イエス・キリストが示してくださったように、自分がこの仮の宿を間もなく離れなければならないことを、わたしはよく承知しているからです。


新共同 ヘブ 11:13
11:13 この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。


塚本訳  Ⅱコリ5:1-4
5:1 なぜ(こんな希望に生きることができるの)であろうか。もし地上の家であるわたし達のこのテント、(この肉体)がこわれるならば、天に、神の建てられた建物、(人間の)手で造らない永遠の家をいただいていることを、わたし達は知っているからである。
5:2 どうしてであろうか。わたし達はこのテントにいて、天の住いを上に着たくてたまらずに呻いているからである。(この憧れと呻きこそ、永遠の住いのある証拠ではないか。)
5:3 ほんとうにもしこれを着たならば、裸(の恥しい姿)であることはないであろう!
5:4 それで、わたし達のこのテントにいる者は、重荷に呻いている。これを脱ぎたい(つまり死にたい)のではなく、(天の住いを)上に着たいからである。これは死ぬべきものが命に飲み込まれるためである。

●季刊「無教会」巻頭言「泣くな!ほんとうの命が神によって与えられる」を推敲38回でようやく脱稿。建築設計と同じで締め切り時間ギリギリまで直したくなるものだ。明日が締切日なので思い切って「送信」。あとは神の手にゆだねる。●黒崎P、ルカ22章引照入力終了。歯医者で銀をかぶせる

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建築を通して学んだ聖書 ++++++++ 所感

2009/07/23 05:42

090723(木)4時15分起床●来る26日、福島県の「あだたら聖書集会」での礼拝感話「建築を通して学んだ聖書」のまとめ。目次は次の通り。

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「建築を通して学んだ聖書」

1・職業としての建築の意義を模索した日々

2・建築を通して聖書を学ぶ

3・地上の建物が消滅して、来世の「永遠の家」に希望を託す

4・聖書の理解は一生涯かかる。応答の手紙2通に感謝

5・死んだらどうなるのか。復活の体が永遠の命、永遠の家

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●昨日のあきる野市文化講演会で詳しく知ったゴーギャンの下記絵画(昨日のブログを再掲)のタイトル「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」はどこかで似たようなものを聞いたような気がしたが、ヒルティ幸福論Ⅰにあることを確認した。

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ゴーギャン

《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》

1897-98年 ボストン美術館

●ヒルティ幸福論Ⅰ「人間とは何だろう・・・どこから来て、どこへ行くのか、あの金色に光る空のかなたには誰が住んでいるのか?」(白水社版ヒルティ著作集、氷上英廣訳)

●ヒルティはこれは詩人ハイネの言葉であって、人間として「疑問中の疑問」なのだが「たいがいの人は今日、解答を見つけないままに、人生を去っていく」ということから説き起こし、いつもの博覧強記で古今東西の人生観(仏教も!)を批判する。それらはすべて頭脳による解決を求めているからダメなのであって、真の解答はキリスト教の聖書が指し示す「霊」にあると結論する。

●昨日の講演会最後の質問の時間に私はフロアーから聞いた。「ゴーギャンはタヒチに行ってこの難問に解答を得たのですか。それがこの画なのですか」。講演者(結城昌子)「ゴーギャンは解答を得ないままこの画を遺書としてタヒチで死んだのだと思う」。●私は淋しくなった。ヒルティがいたら「現代人の多くがこれなのだ」と批判するだろう。現代人の多くは「人は様々だ。ゴーギャンのように暗中模索のままの死でもいいじゃーないか」と言うかもしれない。しかしヒルティは人間はそれでは決して満足しないと言う。●私の場合は高校生の時に塚本虎二先生の紹介でヒルティに出会ったことは幸福であった。

●終日、黒崎幸吉註解デジタル化プロジェクト引照ルカ22章入力。●夕方図書館。●小田島陽太郎氏から電話。「あきる野市はよいところですねー」●ルカ福音書22章36節。「衣を売りて剣を買え」の研究。●19:30NHKクローズアップ現代はトムラウシ遭難事故の原因。複合要素であるという。

 

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

       http://stonepillow.dee.cc/

 

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悔やむ人は幸い ++++++++ 所感

2009/07/22 06:54

090722(水)昨夜は9時半就寝。今朝は2時半目覚め。床の中で「あだたら聖書集会」感話原稿の推敲2時間。4時半起床●朝の黙想「悔む人は幸い」。聖書は人生を悔やむ人「が」幸いであることが基調。新約聖書だけでも非常に多くある。そしてそれはルカ福音書に多いのが注目すべきことである。①大勢の罪人 ②放蕩息子. ③ザアカイ ④罪の女(これは娼婦) ⑤税金取り ⑥十字架の上の強盗

塚本訳ルカ 15:1
15:1 さて、イエスの話を聞こうとして、(いつものとおり)税金取りや罪人が皆近寄ってきた。


塚本訳ルカ 15:7
15:7 わたしは言う、このように、一人の罪人が悔改めると、悔改める必要のない九十九人の正しい人以上の喜びが、天にあるのである。


塚本訳ルカ 15:21-22
15:21 息子は父に言った、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。もうあなたの息子と言われる資格はありません。……』
15:22 しかし父は(皆まで聞かず)召使たちに言った、『急いで、一番上等の着物をもって来て着せなさい。手に指輪を、足にお靴をはかせなさい。


 塚本訳ルカ 19:7-10
19:7 皆がこれを見て、イエスは(税金取りのような)罪人の所に入りこんで宿を取った、と言ってぶつぶつ呟いた。
19:8 しかしザアカイは進み出て主に言った、「主よ、わたしは(誓って)財産の半分を貧乏な人たちに施します。人からゆすり取ったものは四倍にして返します。」
19:9 イエスが(人々に)言われた、「救いは(きょう、)この家に入った。(人でなしのように言われる)この人も、やはり(あなた達と同じ)アブラハムの末だから。
19:10 人の子(わたし)は『滅びうせた者をさがして』救うために来たのである。」


塚本訳ルカ 7:37-38
7:37 すると、その町に一人の罪の女がいた。イエスがパリサイ人の家で食卓についておられることを知ると、香油のはいった石膏の壷を持ってきて、
7:38 泣きながら後ろからイエスの足下に進み寄り、しばし涙で御足をぬらしていたが、やがて髪の毛でそれをふき、御足に接吻して香油を塗った。


塚本訳 ルカ 7:44-47
7:44 女の方に振り向き、シモンに言われた、「この婦人を見たか。わたしがこの家に来たとき、あなたは足の水もくれないのに、この婦人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でふいてくれた。
7:45 あなたは接吻一つしてくれないのに、この婦人はわたしが(この家に)来たときから、わたしの足に接吻のしつづけである。
7:46 あなたは(普通の)油をすら頭に塗ってくれないのに、この婦人は(高価な)香油を足に塗ってくれた。
7:47 だから、わたしは言う、この婦人の多くの罪は赦されている。(いま)多くわたしを愛したのがその証拠である。赦され方の少ない者は、愛し方も少ない。」


塚本訳ルカ 18:13-14
18:13 しかし税金取りは(罪に責められ、)遠く(うしろ)の方に立ったまま、目を天に向け(て祈りをささげ)ようともせず、ただ胸をうって、『神様、どうぞこの罪人のわたしをお赦しください』と言った。
18:14 わたしは言う、あの人でなく、この人の方が(神から)信心深いとされて、家にかえっていった。自分を高くする者は皆低くされるが、自分を低くする者は高くされるのである。」

塚本訳ルカ 23:41-43
23:41 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる。」

●マタイ5:3の文語訳「幸福なるかな、心の貧しき者。天國はその人のものなり。」はこの観点から納得できる。砕いて言えば「幸いなるかな、自分の人生を悔やむ人。神に愛されるのはそういう人たちだ」である。人生を悔やむ人は成功の人生である。なぜか。神に愛され祝福されるからである。●14:00五日市公民館、結城昌子講演「ゴーギャンが教えてくれたこと」。妻と。ゴーギャンのタヒチ島での有名な画「我々はどこから来たのか。我々は何者か。われわれはどこへ行くのか」の詳しい説明。この画は現在日本に来ている。

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《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》 1897-98年 ボストン美術館
Tompkins Collection-Arthur Gordon Tompkins Fund,36.270
Photograph©2009 Museum of Fine Arts, Boston. All rights reserved.

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結城昌子講演「ゴーギャンが教えてくれたこと」を聴講に行く。妻と。五日市駅前。

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結城昌子講演「ゴーギャンが教えてkぅれたこと」を聴講に行く。妻と知人のYさん。五日市駅前。

●16:00妻と「午後三時祈りの友」会員の星野利男さんを見舞う。全盲かつ難聴で非常に御不自由。しかし信仰に支えられている。三人で讃美歌を歌い、祈って別れた。

 

 

 

 

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死んだらどうなる ++++++++ 所感

2009/07/21 05:19

090721(火)4時半目覚め。朝の啓示「死んだらどうなる」●聖書の言うところは次の通り。「人間は死んだら肉体は土に帰る(創3:19)が人格(霊魂不滅説と間違えるからあえてこう言う)は神の懐に眠っていて(ルカ8:52、ヨハ11:11)終末の時に神に呼び出され今度は肉体ではなく霊の体をまとって甦る。(一コリ15:42-44)●日本のキリスト教が弱いのは復活観が弱いからであると思う。霊魂は不滅であると考えるのはギリシャ哲学や仏教であって、そこには神の呼び出しというものがない。ただ連続である。●神の子イエスが「ラザロ。出てこい」(ヨハ11:43)「若者よ、あなたに言う、起きよ!」(ルカ7:14)と言って死んだものを生き返らせたことは、一旦死ぬ我々も終末の日に神に呼び出される消息を物語る。●霊魂不滅説はこの世の悪に抵抗するときに「ねばり」が出ない。なぜか。どうせ死ぬならこの世を遊んでおいた方がよい。どうせ明日はわからぬ身だというのが正論だからである。(ルカ12:19、Ⅰコリ15:32、ヤコ4:13-14)そこには「神」という存在がない。●「肉体を滅ぼしても魂を滅ぼすことができない者を恐れるな」(マタ10:28)は霊魂不滅説とは違う。そこには神は人格を掌握していて正しい者を甦らせるという信仰がある。この信仰があったので初代キリスト教は強かった。ローマ帝国(この世の悪の象徴)は初代キリスト教徒を殺せば殺すほど信者が誕生した。これを言い表した言葉に「血は種子であった」という歴史認識がある。続々と殺されていった信者の血は新しい信者を続々と産んだのである。信者を殺せば殺すほど新しい信者が生まれた。今日においても新しい信者を生みだすのは伝道ではない。復活を信じて死ぬ信者の死である。そういう人間は悪による迫害、病気による肉体の苦難、不運な人生にめげない。「何のこれしき」と言って「ねばる」。人生は後半戦がるからである。●イエスの死生観には「次の世」というものが確実にあった。(ルカ20:35、ルカ16:25)。●死の時はサッカーで言えば「ハーフタイム」である。野球ではラッキーセブンである。「サーこれからだ」という時である。野球は9回ツーアウトからである。(ルカ23;42-43)。まだ逆転のチャンスがあると信じることが今生きる80年の人生に「ねばり」をもたらす。なぜか。それは「復活の希望」「逆転勝利の希望」だからである。(マタ17:22-23)

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涙で見える聖書の意味 ++++++++ 所感

2009/07/20 08:09

090720(月)5時45分目覚め。朝の啓示「涙で見える聖書の意味」●聖書の真理は人生の苦難の涙でその意味がわかる。●私の場合は次の三つだ。たった三つだがそれだけで神の心の全部が「見えた」

①父の結核再発による家庭の経済的困窮で希望進路の断念。その時見えた言葉。これは貧困の経験をしなければ分からない。大脳皮質ではわからない。16歳。

文語訳 ルカ 6:20
6:20 イエス目をあげ弟子たちを見て言ひたまふ『幸福なるかな、貧しき者よ、神の國は汝らの有なり。

②集会に行っている留守中に家屋全焼。目の前で屋根で消火中の消防士の姿を見させられた。財産は自らの意志では捨てられない。無理に取り上げられる。神は残酷だ。このときわかった言葉。57歳。

口語訳 Ⅱコリ5:1
5:1 わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。

③家屋全焼のわずか3ヶ月後に脳内出血で意識不明。往復ビンタであった。しかしこの時「命は100%神の主権に掌握されている」ことを認識して次の言葉がわかった。そして、「イエスの有体的復活」と「死は一時の眠り」であることも認識した。復活は死に目にあって生還しなければ信じにくい。57歳。

塚本訳ルカ 8:52
8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。」

●6:00 政府関係団体の理事長にご就任された方からの御挨拶状にご返事。氏名その他を伏せて公開する。

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○○様

過日、小生の㈶建設物価調査会退職に際しましては御厚情を賜り深く感謝御礼申し上げます

このたび○○様におかれましては、「○○○○理事長」への御着任、お役目誠に御苦労さまでございます。

 新しいお仕事は今まで以上に重く困難なそしてわが国にとって非常に重要なお役目であると考えられます。

しかし○○様のことですから難問山積の場所でもよい御働きをなされるものと拝察申し上げます。

最後に、○○様のご健康と、ご一家の皆様のご安泰とをお祈り申し上げます。お知らせありがとうございました

              2009年7月20日

                  高橋照男

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一軒隣の横関さんが来られて、「夏休みにお孫さんが来たらあげてください」と、爽太(そうた)君が採集したカブトムシ4匹をくださった。爽太(そうた)君は昆虫少年。秋留台公園で捕ったという。今週末に福島の孫の所に行くので持って行きます。ありがとう。感謝。

●19:30 八王子の小寺夫妻が来訪。2時間半、歓談。トムラウシ登山、遭難事故、塚本先生のこと、音楽のこと。

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歴史に残る大事業 ++++++++ 所感

2009/07/19 06:56

090719(日)5時45分目覚め。二日間の寝不足が解消。眠りは神の与えたもう恩恵だ。


口語訳 詩  3:5
3:5 わたしはふして眠り、また目をさます。主がわたしをささえられるからだ。

口語訳 詩  4:8
4:8 わたしは安らかに伏し、また眠ります。主よ、わたしを安らかにおらせてくださるのは、ただあなただけです。

口語訳 詩  127:2
127:2 あなたがたが早く起き、おそく休み、辛苦のかてを食べることは、むなしいことである。主はその愛する者に、眠っている時にも、なくてならぬものを与えられるからである。

●大島智夫著「伝道私信・・・海老名だより・・・」2009年7月、第180号に「WEB黒崎」のことが全4ページで詳しく紹介されていた。協力者の一人として「足れり」という感じがした。まず次の句を思った。

口語訳 詩  126:5-6
126:5 涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。
126:6 種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。


口語訳 黙  21:4
21:4 人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。

●上記「伝道私信」の記事の一部に次のようにある。大島守夫マネジャーや協力者及び内助の家人たちへの「労を多とする慰労の言葉」としてこれ以上のものはない。長文であるが、掲載する。

(「伝道私信」引用)

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§新約聖書ウエブ版黒崎注解の出現による新たな希望

旧黒崎幸吉新約聖書註解の再刊は種々の理由で不可能でありながら、それが消え去る事を惜しむ声は絶えませんでした。それに応えて、無教会の平信徒たちが作業の困難にひるまずウェブ版で新しく使い勝手のよい形で旧著者の精神と信仰を甦らせたことは、日本の無教会史上に残る大事業です。私はこの不可能視された気のとおくなるような作業をあえて発意した方および協力を惜しまれなかった十数人の方々に心からの敬意を払い、改めて脱帽せざるを得ないのです。それこそ現代の奇跡であったのです。「黒崎はもう古い」と黒崎の註解が一顧だにされずに葬り去られる寸前に、神はこれを守り御手を伸ばして働き人を集め、この註解を守って次の世代の国民のために蘇らせたのです。このウエブ版黒崎註解が家庭のパソコン画面に登場し、家庭礼拝を潔め、出勤前の家人を勇気づけ、子供たちに真理を伝え、日本の社会を潔める日が来ますよう切に祈る次第です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(「伝道私信」引用おわり)

●集会は横田、村上、望月。●午後は前期終了感謝会

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東京聖書読者会前期終了感謝会。

妻はトムラウシ遭難事故から免れた話をした。

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集会よりあきる野にもどる。ネクタイが曲がっているワタシ。

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二階の窓から奥多摩連山の夕陽を眺める。

讃美歌535番。

1. きょう を も おくりぬ, しゅ に つかえて,

    よ の ひかげ うつれど も,

    あまつ いのち ひ に ひ に

    ちかく ぞ ある

 (Refrain)

    みむね かしこみ

    いそしめる み に,

    いこい を つぐる

    あした の かね.

 2. きょ うを も おくりぬ, しゅ に つかえて,

    みめぐみ を よ に つたえ,

    みな の さかえ かたる は

    たのしき かな.

 3. いか に さち なる わが つとめ や.

    なやみ に も のぞみ あり,

    しゅ よ, みむね に かなわば,

    あす も つくさん.

 

 

 

 

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登頂断念の英断 ++++++++ 所感

2009/07/18 07:33

090718(土)昨夜0時前に妻が帰還。私「よかった、よかった」。妻「途中で早く連絡しなくてすみません」。私としても多くの人のアドバイスで怒鳴らなくて済んだのは上出来。●コースを聞いてびっくり。妻たちノマド(山岳旅行企画会社)の一行8人はガイドの宮下岳夫氏(マッキンリーやマナスル、アルプス経験のベテラン)の判断に従いトムラウシ山(2141M)の登頂を何と2日前に断念して早々に撤退したという。つまり登頂計画を途中で放棄した。この英断がパーティ全員の命を救った。あとで別パーティであるアミューズトラベルの遭難事故を知った一行は宮下氏に感謝したという●アミューズトラベルのパーティの一行15名は旭岳から入って40キロを強行縦走した。強風(20-25m)と雨で低体温症(体温が30度以下になると身体機能に障害が起きる)により動けなくなり8名が死ぬ夏山史上最悪の大惨事になった。●新聞TVの報道によれば、今回の事故原因はガイドの判断ミスとパーティ15名の意見の不一致(進むか撤退するかの各人の勝手な希望)も原因だったという。●5時45分目覚め。朝の啓示「主は我が牧者なり」。人生の旅も超ベテランガイドに忠実に従うことが命拾いになる。●超ベテランガイドとは(神・キリスト)。このベテランガイドに忠実に従うことが信仰。

口語訳 詩  23:1-6
23:1 主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。
23:2 主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。 23:3 主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
23:4 たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
23:5 あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。
23:6 わたしの生きているかぎりは/必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。

塚本訳 ヨハ 10:14-18
10:14 わたしが良い羊飼である。わたしはわたしの羊を知っており、わたしの羊もわたしを知っている。
10:15 父上がわたしを知っておられ、わたしが父上を知っているのと同じである。そしてわたしは羊のために命を捨てる。
10:16 ・・なおわたしには、この檻のものでない、ほかの羊がある。(彼らはまだ野山をさまよっている。)わたしはそれをも導いてやらねばならない。彼らはわたしの声を聞きわけ、かくて群一つ、羊飼一人となるであろう。・・
10:17 だから父上はわたしを愛してくださる。(羊のために)命を捨てるからである。しかしわたしが捨てるのは、(まことの命として)ふたたび取るためである。
10:18 だれもわたしから(力ずくで)命を取り上げることはできない。わたしが自分で(自由に)捨てるのである。わたしにはこれを捨てる権利があり、ふたたびこれを取る権利がある。(命を捨て、また取る)この命令を、わたしは父上から受けた。」

●妻たちのパーティが遭難を免れた原因として、ガイド宮下岳夫氏の英断が光る。氏は山の様子を見てまだ晴れている2日も前に登頂日の悪天候を予測して前進を断念したという。また8名全員の気持ちが一致していて宮下氏に従順に従ったことも偉かった。この二点がパーティ全員の命を救ったようだ。●人生は長いようで短い旅だ。超優秀な人生ガイドに従順に従うことが大切。自分の思いのままに遊び歩く「迷い出る」羊になると、人生必ず遭難する。超優秀な人生ガイドとは人間ではない。神・キリスト・聖霊の三位一体の霊。行く先は「緑の野」「永遠の命」。●人間、誰をガイドに選ぶかによってその人生が決定する。

塚本訳ヨハ 10:27-28
10:27 わたしの羊はわたしの声を聞きわける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。
10:28 するとわたしが永遠の命を与え、彼らは永遠に滅びない。また彼らをわたしの手から奪い取る者はない。

●図書館の帰り。梅雨明けの夏の夕暮れ

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この色彩は素晴らしい。パステルカラー。しっくりする。

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何かを語る夕暮れの空。雲の形は一つとして同じものがない。人間の心も顔も姿も同じだ。

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我が家に夜の帳が下りる。今日一日も感謝。御心ならば明日も生かし給え。

●トムラウシ関連で寝不足二日間。疲れた。

 

 

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妻は無事。御心配をおかけしました。 ++++++++ 所感

2009/07/17 10:12

090717(金)6時起床。睡眠不足。妻が登山しているトムラウシ山(2141メートル)で遭難事故。朝からNHKはトップニュースでこの報道だらけ。死亡1名、意識不明3名。強風と雨で体温低下が原因らしい。幸い妻のパーティは遭難パーティとは違ったので難を逃れた。夜が明けるのを待って、今朝は御心配の電話3本。メールは昨夜一本、今朝一本。こちらから電話したのが2本。メールで御心配下さった方に返事をしたものを下記に公開する。皆さま御心配おかけしました。妻は無事でした。感謝。今夜12時頃帰宅予定です。

(以下返メール) 

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HM様

昨夜は第一番の御心配メールありがとうございました。昨夜と深夜のいきさつは16日のブログを御一瞥ください。

妻の登るトムラウシ山は最初大雪山の北方とブログに書きましたが実は南方で、遭難事故のあった山と日が同じでしかも中高年のパーティでした。しかし別パーティでした。

昨夜(実は本日17日)は午前3時まで寝られず、今朝(17日)は6時起床。NHKTVはひっきりなしに報道です。

ご心配してくださる方々から早朝電話が3本。メールが2本。こちらから電話2本。応対に追われています。妻の友人のNさんは深夜ニュースを聞き放しで全然寝られす。明け方を待って電話をくださいました。

今夜(17日)深夜の12時頃に妻が帰ってきた時に玄関で何と言うかを考えています。

私は「このたわけ!!」「この放蕩娘!」「もう山に行くのは赦さない」「この心配で脳内出血が再発しそうだ」と一発言おうかと抑えきれない気持ちを何人かにぶちまけると、いろいろ聞いて下さりアドバイスをしてくださいました。

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「夕べさんざん怒ったのだからこれ以上言うとトミ子さんは家出して、照男さんはやもめになるわよ」

「生きていてよかったねー」と一言でいい。

「お帰り」と言えばいい

「心配でやつれた様子を見せなさい」「涙を流せばよい」

「バッハを聴いて心を静めてください」

「散歩しなさい」「人と会って気を鎮めたらいい」

「山の天気は予想できないので仕方がないわ」

「登山ガイドは他のパーティの動向は把握できないからトミ子さんのパーティ(8人)は遭難チームのことは全くわからなかったはず」

「トミ子さんはホテルについても疲れていてすぐには電話できなかったのよ」

「本人はもう反省しているわよ」

 

子供たちの多くは「母さんが下山直後ホテルからすぐ父さんに連絡しなかったのが根本的にいけない」という意見。

私は「みんなも時間の約束は守るように気をつけなさい」と言いました。

 

昨夜は早速一番の御心配メールありがとうございました。

 

高橋 2009.7.17 932

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(返メール終わり)

●昨夜からのことで朝食がとれない。やつれるか。●トムラウシで妻が死んだら「トムラウシ」きゃーなかったことになったのだが、そうはならなくてよかった。(笑・オヤジギャグ)●昨夜から今朝にかけて御心配下さった方々への感謝を記憶に残すためにを時間順に印す。

16日(木)

●KTさん。22時。入院先の病室テレビでニュースを知り ご自宅の夫人に電話。

●HMさん。23時。御心配のメール。

17日(金)

●TMさん。0時30分。残業で帰宅するタクシーの中で報道を聞き、驚いて電話をくださった。熟睡中の私は飛び起きた。私が遭難事故を知ったのはこれが初めて。直後1時10分からMHKTVが特別ニュース。録音を撮った。

●NHさん。6時半電話。昨夜は深夜放送を聞き放しで寝られず。夜が明けるのを待って電話をくださった。

●KNさん。7時電話。山に詳しい方なので冷静なご説明をしてくださった。

●YTさん。7時。お見舞いのメール。詳しいご返事を初めて書く

●TSさん。7時半。安否問い合わせの電話。北海道の地元の情報密度は東京とは違う。今日はゆっくりしてください。

●IAさん。8時。こちらから無事を報告。遭難事故知らずびっくり。

●KHさん。8時半。こちらから無事を報告。(主人が16日ブログを見て無事であることは知りました。よかったです)

●THさん。9時。こちらから無事を報告。

●KNさん。10時。こちらから電話してこの山のことを伺う

[トムラウシ遭難事故は大惨事。9名死亡]

YAHOOニュースより転載。

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遭難 9人死亡 北海道の2パーティー

7月17日9時6分配信 毎日新聞

遭難 9人死亡 北海道の2パーティー
拡大写真
救助され、ヘリを降りて自力で歩く登山者=北海道新得町で2009年7月17日午前5時22分、西本勝撮影
 北海道大雪山系のトムラウシ山(2141メートル)と美瑛岳(2052メートル)で登山ツアー中の二つのパーティーが遭難した事故で、道警などの救助隊は17日早朝、トムラウシ山のパーティー18人のうち、男女12人を発見、道警などのヘリコプターで収容したが、8人は死亡。5人は自力で下山した。残る1人の行方は分かっていない。一方、同日未明には、救助隊が美瑛岳のパーティー6人を発見した。兵庫県姫路市の尾上敦子さん(64)が死亡、5人は命に別条はないという。

【事故の第一報 現場地図も】大雪山系で中高年7人孤立 別山では1人心肺停止

 道警などによると、トムラウシ山のパーティーで死亡したのは女性6人と男性2人。いずれも山頂付近などで救助隊に発見されたという。

 真鍋記余子さん(55)=浜松市=ら4人は生存が確認された。

 また、亀田通行さん(64)=広島市▽前田和子さん(64)=同▽斐品(ひしな)真次さん(61)=山口県岩国市▽長田良子さん(68)=仙台市▽戸田新介さん(65)=愛知県清須市--の5人は16日深夜から17日早朝にかけて自力で下山した。

 一方、美瑛岳のパーティーで生存が確認された5人のうち、自力歩行が困難な浦野ひろ子さん(62)=埼玉県草加市▽小市匠さん(32)=茨城県つくば市=の2人は道警ヘリで旭川市内の病院に運ばれた。大西倫子さん(55)=姫路市▽小坂吏亮さん=30代、道内▽白石淳也さん(27)=札幌市=の3人は救助隊とともに下山し始めた。 【吉井理記、和田裕幸、久野華代】

トムラウシ山と美瑛岳の位置

トムラウシ山と美瑛岳の位置
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(YAHOOニュースより転載終わり)。
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妻が登っている山で遭難事故 ++++++++ 所感

2009/07/16 06:55

090716(木)4時50分起床●朝の啓示「人の思いに勝ることが起きる」●神を信ずる者の道には「人の思いに勝ることが起きる」から信者はやめられない。聖書道楽はやめられない。その数々を思いつくままに列挙する。

新改訳 出 34:10
34:10 主は仰せられた。「今ここで、わたしは契約を結ぼう。わたしは、あなたの民すべての前で、地のどこにおいても、また、どの国々のうちにおいても、かつてなされたことのない奇しいことを行なおう。あなたとともにいるこの民はみな、主のわざを見るであろう。わたしがあなたとともに行なうことは恐るべきものである。

●これはヒルティ「幸福論Ⅲ」の「驚くべき導き」(岩波版)のタイトルの根拠。その論考の最期はヘルンフート派の讃美歌の次の言葉で終わっている。「ついに君は、深く顧みて言うであろう。神は、すべてをなし遂げ給うた、と」。この論考は人生の岐路に当たって読んだもの(年齢19.31.34.54.54.59.59.61)。私の愛読していた白水社版は47年間手元にあり、よれよれである。ヒルティの言うことは正しかった。


新共同 箴 19:14
19:14 家と財産は先祖からの嗣業。賢い妻は主からいただくもの。

●これも本当だ。人間の小さい頭で考えていた以上もののが与えられるのは、家屋、土地、妻。家では「素人設計」はよくない。住むべき土地も偶然(に見える)に転がり込む。結婚も「出会い」である。恋愛結婚の多くが破綻するのは「自分の思い」が中心だからだ。

塚本訳 ロマ 8:28
8:28 神を愛する者、すなはち御旨によりて召されたる者の爲には、凡てのこと相働きて益となるを我らは知る。

●17年前に召された父から「耳タコ」で聞かされた句。66歳の今、これは本当だと思う。

塚本訳 マタ 21:42
21:42 イエスは彼らに言われた、「あなた達は聖書で(この句を)まだ読んだことがないのか。──『大工たちが(役に立たぬと)捨てた石、それが隅の土台石になった。これは主のなされたことで、われわれの目には不思議である。』

●神が開いた贖罪の救いの道は人間の誰にも思いのおよばなかった道である。それは不思議なことだった。

塚本訳 Ⅰコリ2:9
2:9 しかし(聖書に)書いてあるとおり(に実現したの)である。『目も見ず耳も聞かず』、人の『心に起こらなかった』もの、『これを神は御自分を愛する者たちのために』用意された。

●絶対恩恵の無条件の罪の赦しの道は驚天動地、人間の誰にも思い浮かばなかったことだ。

新共同 イザ 65:17
65:17 見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。初めからのことを思い起こす者はない。それはだれの心にも上ることはない。

●救いの道は神の遠大なるご計画にあったのだとは、聖書は深い。

新共同 詩 45:3
45:3 あなたは人の子らのだれよりも美しく/あなたの唇は優雅に語る。あなたはとこしえに神の祝福を受ける方。

●「信仰の美」とは神秘的輝き。これは人間には作り出せない。

文語訳マタ 6:28-29
6:28 又なにゆゑ衣のことを思ひ煩ふや。野の百合は如何にして育つかを思へ、勞せず、紡がざるなり。
6:29 されど我なんぢらに告ぐ、榮華を極めたるソロモンだに、その服装この花の一つにも及かざりき。

●某女かってキリスト教画家に向かって言った。「あなたの描くものより花や自然の景色の方が美しい」と。私はその場に居た。

塚本訳 マタ 6:30-33
6:30 きょうは花咲き、あすは炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこんなに装ってくださるからには、ましてあなた達はなおさらのことではないか。信仰の小さい人たちよ!
6:31 だから、『何を食べよう』とか、『何を飲もう』とか、『何を着よう』とか言って、心配するな。
6:32 それは皆異教人のほしがるもの。あなた達の天の父上は、それが皆あなた達に必要なことをよく御承知である。
6:33 あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。

●かくい言うイエスは父なる神の絶対的守りを信じていた。我が家が全焼したとき、妻の友人(信者)が叫んだという。「着るものある?。寝るとこある?」と。これ神の心配の反映であった。その後私は食べるの事欠くことなく、着るものに不自由せず、家も土地も大きいものが与えられた。

新共同 Ⅰテモ6:6-7
6:6 もっとも、信心は、満ち足りることを知る者には、大きな利得の道です。
6:7 なぜならば、わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができないからです。

●信仰の道は豊かになる。なぜか。変な遊びをしないから。極貧の伝道者の子弟が「医学部」におく例を複数知っている。これなども不思議なことである。

●窓を開けるときれいな朝日。思わず外に出て空を映す。5時頃の早朝散歩は人も少ない。今日も暑い日になりそうだ。

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窓を開けるとこの景色。思わず。「表に出よう」。

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神はすごいなー。大空のだおキャンバスに筆をひとなぐりしている。

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きれいな色彩。屋根の並びがまたいい。「あー麗しきシオンの朝」

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吸いこまれるような空。「大空はその御手の業を示す」(詩篇19編)

●11:00ゆき皮膚科、●午後は「黒崎プロジェクト」ルカ20章入力●日中の室内気温35度。クーラーなしで扇風機で突破。●妻が登山したトムラウシは昨日と今日は雨。今日夜に電話をかけるように約束したがまだ来ない。21:00 。非常に心配。事故でなければよいが。約束は絶対に守ってもらわなければならない●長い人生で、約束をすっぽかす人間、平気でウソをつく人間、時間を守らない人間にぶつかったことがある。彼らの心理を分析すると自分の欲望や遊び心が第一で人を踏みにじることなどなんでもないと思っているのだ。人間常識に欠けるから社会生活はできない人間たちだ●内村鑑三は信仰は普通道徳の上に築かれると言っている。すると約束を破る人間、時間を守らない人間、嘘をつく人間は神に対しても嘘をつくので本人が心から悔い改めない限り到底救われない。 この3種類の人間に共通なのは「遊び人」であること。親も同様であること●こういう人間は決まって家庭がうまくいってない人。伴侶に愛想をつかされるのは当然だ。人生ボロボロだ。●こういう人間はどんな苦難にあっても悔い改めて神を信じようとしない。つき放しておくのが一番の親切だ。

「妻が登っているトムラウシ山(2141メートル)で遭難事故」

●17日午前0:30 ぐっすり寝ていたら突然電話。次男の守から「今NHKニュースで北海道大雪山系トムラウシ山で遭難事故。母さんのチームと日程は同じようだ。母さんぐらいの人が一人意識不明と放送があったが何か連絡があったか」。悪い予感。●山岳ガイドの会社など方々に連絡したが連絡とれず、トミ子の携帯に電話するとホテルで寝ているという。「遭難事故ニュース」のことは全く知らないという。思わず「馬鹿ヤロー」を二度三度喉が痛くなるほど叫んだ。16日18:00に層雲峡のホテルに下山到着して22:00頃照男の携帯に入れたが出なかったという。もう寝たのだと思ったという。私はその時入浴中であったので電話に気がつかなかった。「18:00にホテルについたのなら約束どうりなぜすぐ電話をかけないのだ。東京じゃそのニュースでもちきりで大変だ!!馬鹿にするのもいい加減にしろ」とまた大声で怒鳴り散らした。●17日午前1:10「NHK総合テレビ」でトムラウシ山(トミ子が登った山)で「強風のため下山できず。朝になって救助に向かう」とかなり長い報道。録音テープにとった●17日午前1:30.パソコンのNHKオンラインやYAHOOニュースでも大々的に取り上げられていて、印刷すると数種類9枚になった。●その一枚には64歳の女性が死亡。また別の報道では4名が駄目かもしれないとの報道。トミ子との電話がなかったら私はパニック状態になったはずだ●とにかく妻のチームは無事でよかったが、一番の問題は、ホテルに到着したら約束通りすぐ電話をくれなかったことが最大の混乱心配のもと。その妻のまずい態度が返す返すも悔やまれる。癌があらわになった。神は注意するときは何か事件を起こす。病気や失敗や不幸がそれである。こういうとき人間は自分の罪に震えておののかなければならないのだがなー。●今回は多くの人にご心配をかけた。もし電話をもらえていたら安心したのだが。帰ってきたら何と言おうか。「何と怒鳴り散らそうか」「無事でよかった、よかった」で軽く済むことではない。現在17日午前2時10分。これから寝つけるか。●罪には代償がないとおさまらない●妻の参加したN山岳ガイドの会社も電話が出なかったが、遭難した山岳ガイドの会社とは違うとはいえ、問い合わせに応じるためこういう時は夜中でも起きているべきだ。また宿泊先のホテルも東京での騒ぎは全く知らずにいた。困ったことだ。地方の情報の薄さを非常に感じた。






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神の怒りは確実にある ++++++++ 所感

2009/07/15 08:34

090715(水)4時20分起床●朝の黙示「神の怒りは確実にある」●メール2通●「神の怒りは確実にある」ことについて黙想。

新改訳 出  33:22
33:22 わたしの栄光が通り過ぎるときには、わたしはあなたを岩の裂け目に入れ、わたしが通り過ぎるまで、この手であなたをおおっておこう。

●罪人なる人間は聖なる神の光に照らされると死ぬ。そのとき神は私たちを岩の裂け目なるイエスの懐に隠してくださる。そして滅びから救ってくださる。

口語訳 イザ 6:5
6:5 その時わたしは言った、「わざわいなるかな、わたしは滅びるばかりだ。わたしは汚れたくちびるの者で、汚れたくちびるの民の中に住む者であるのに、わたしの目が万軍の主なる王を見たのだから」。

●このイザヤの句は文学史上最高の言葉とされている。人類の神に対する叫びだ。

新共同 マコ 1:24
1:24 「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」

●現代は神に対する「畏れ」というものがなくなってしまった。唯物教育と民主主義のあやまった平等観の結果。

口語訳 Ⅰペテ4:17
4:17 さばきが神の家から始められる時がきた。それが、わたしたちからまず始められるとしたら、神の福音に従わない人々の行く末は、どんなであろうか。

塚本訳 ルカ 12:46-48
12:46 予期せぬ日、思いもよらぬ時間に、その僕の主人がかえってきて、僕を八つ裂きにし、不信者と同じ目にあわせるにちがいない。
12:47 主人の心を知っていながら用意せず、あるいは主人の心に従って行動しなかった僕は、(鞭で)打たれることが多い。
12:48 しかし(主人の心を)知らない者は、打たれるようなことをしても、打たれ方が少ない。(神に)多く渡された者は皆多く請求され、(信頼して)多く任された者は一そう多く要求される。

新共同 ヤコ 3:1
3:1 わたしの兄弟たち、あなたがたのうち多くの人が教師になってはなりません。わたしたち教師がほかの人たちより厳しい裁きを受けることになると、あなたがたは知っています。

●イエスは祭司階級や学者を厳しく叱った。その社会的地位にふさわしくないようなふるまいをしていたからである。ではそれを嫌って普通の信徒(無教会)の方が安全か。裁かれないか。NO-。皆滅びる。

塚本訳  ルカ 13:2-5
13:2 その人たちに言われた、「そのガリラヤ人たちはそんな目にあったので、(ほかの)すべてのガリラヤ人よりも罪人だったと思うのか。
13:3 そうではない。わたしは言う、あなた達も悔改めなければ、皆同じように滅びるであろう。
13:4 またシロアムの(池の)近くの櫓が倒れて(下敷になって)死んだあの十八人は、(当時)エルサレムに住んでいた(ほかの)すべての人よりも罪人だったと思うのか。
13:5 そうではない。わたしは言う、あなた達も悔改めなければ、皆同様に滅びるであろう。」

●神の裁きはその社会的地位や貧困の度合いにかかわらず平等に来る。●ヒルティは「この世には倫理的世界秩序というものが厳然と支配している」としばしば言う。これヒルティ自身の慰めであったのだろう。●神の裁きは確実にあある。それは待ったなしの恐ろしいことである。個人の家庭の企業の教会の集会の国家の滅びは厳然としてある。抗弁はできない。その時一条の救いの光が差す。神の子の贖罪の光。これがあってこの厳しい人生も「安らげる」。教会や集会はその「救いの家」、「逃れの岩の裂け目」。●神はそこで御子イエスの血で過去をすっかり清めてくださるのだ。

塚本訳ルカ 15:22
15:22 しかし父は(皆まで聞かず)召使たちに言った、『急いで、一番上等の着物をもって来て着せなさい。手に指輪を、足にお靴をはかせなさい。

 

 

 

 

 


 

 

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神の国の家は貸家 ++++++++ 所感

2009/07/14 08:23

090714(火)4時半起床●朝のひらめき「神の国の家は貸家」。26日あだたら聖書集会の感話の黙想●「天に宝を積め」という精神からすると地上で神に喜ばれる生き方をしていればそれが天の家をこしらえることになると考えていたが、天の家、あるいは復活の体はそもそも自分のものではないと考えた方が聖書的に正しいと思う。そう思うと急に眼が開けてきた。その聖書的根拠は無数。これは福音の本質ではあるまいか。「天国の家はこの手では造れない。それは頂くもの、着せていただくもの。住まわせていただく貸家」。●この世のものは「自分のもの」と思うところから「悩み」が生じる●貸家よりマイホームの方が気分がよいが、そのマイホームでも神からの貸家なのだ。この肉体もだ。我々はこの貸家なる肉体(それは土の器。ぼろぼろの人生)、虫がつく家屋を脱ぎ棄てる時が来るのだ。

塚本訳 ルカ 15:22
15:22 しかし父は(皆まで聞かず)召使たちに言った、『急いで、一番上等の着物をもって来て着せなさい。手に指輪を、足にお靴をはかせなさい。

 塚本訳 マタ 22:11-14
22:11 王は客を見ようとして入ってきたが、そこに礼服を着けていない者が一人いるのを見て
22:12 その人に言った、『君、礼服も着ずに、なんでここに入ってきたのか。』その人が黙っていると、
22:13 王は家来たちに言った、『あの者の手足を縛って、外の真暗闇に放り出せ。そこでわめき、歯ぎしりするであろう。』
22:14 ──招かれる者は多いが、選ばれる者は少ないのだから。」


塚本訳 マタ 6:25
6:25 だから、わたしは言う、何を食べようかと命のことを心配したり、また何を着ようかと体のことを心配したりするな。命は食べ物以上、体は着物以上(の賜物)ではないか。(命と体とを下さった天の父上が、それ以下のものを下さらないわけはない。)


塚本訳 ヨ ハ 14:2
14:2 父上のお家には、沢山住居がある。(あなた達は一人のこらず、そこに住むことが出来る。)もしそうでなかったら、『あなた達のために場所の準備に行く』と言うわけがないではないか。

塚本訳  マタ 6:20
6:20 衣魚も虫も食わない、また泥坊が忍び込むことも盗むこともない天に、宝を積んでおきなさい。(そうでないと、心が天に向かないであろう。)

塚本訳  ルカ 12:33
12:33 (ただ御国のために働けばよろしい。)持ち物を売って施しをしなさい。(すなわちそれによって)自分のために古び(て破れ)ることのない財布をつくり、泥坊が近づくことも、衣魚が食うこともない天に、使いつくすことのない宝をつんでおきなさい。

塚本訳 Ⅱコリ5:4
5:4 それで、わたし達のこのテントにいる者は、重荷に呻いている。これを脱ぎたい(つまり死にたい)のではなく、(天の住いを)上に着たいからである。これは死ぬべきものが命に飲み込まれるためである。


新共同 Ⅱペテ1:13-14
1:13 わたしは、自分がこの体を仮の宿としている間、あなたがたにこれらのことを思い出させて、奮起させるべきだと考えています。
1:14 わたしたちの主イエス・キリストが示してくださったように、自分がこの仮の宿を間もなく離れなければならないことを、わたしはよく承知しているからです。

新改訳 ガラ 3:27
3:27 バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。


新共同 ヘブ 11:13
11:13 この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。

[神に貸す]

●天国の家に入るには「神に貸す」ことをすればよい。この聖書的根拠も沢山ある。

塚本訳 ルカ 16:9
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。

塚本訳 マタ 25:40
25:40 すると王は答える、『アーメン、わたしは言う、わたしのいと小さいこの兄弟たちの一人にしたのは、わたしにしてくれたのと同じである。』

塚本訳マタ 10:42
10:42 また(わたしの)弟子としてこの一人の小さな者に一杯の冷たい水でも飲ませる者は、アーメン、わたしは言う、(天にて)その褒美にもれることはない。」

塚本訳 ルカ 21:0-4
21:1 それから目をあげて、金持たちが賽銭箱に賽銭を入れるのを見ておられた。
21:2 またある貧しそうな寡婦がレプタ銅貨[五円]二つをそこに入れるのを見て、
21:3 言われた、「本当にわたしは言う、あの貧乏な寡婦はだれよりも多く入れた。
21:4 この人たちは皆あり余る中から賽銭を入れたのに、あの婦人は乏しい中から、持っていた生活費を皆入れたのだから。」

塚本訳マコ 10:21-22
10:21 イエスは彼をじっと見て、かわいく思って言われた、「(よく守った。だが)一つ足りない。家に帰って、持っているものをみな売って、(その金を)貧乏な人に施しなさい。そうすれば天に宝を積むことができる。それから来て、わたしの弟子になりなさい。」
10:22 彼はこの言葉に顔をくもらせ、悲しそうにして立ち去った。大資産家であったのである。

●午前中は「黒崎註解」ルカ引照18章入力●昨日と今日、塚本虎二訳新約聖書の使用許可願が2件きた。一人は条件付き許可、一人はお断り。翻訳はただ数多く集めればよいというものではない●BK、図書館、歯科。●妻が登山するトムラウシ(大雪山南方)の明日の天気は強い雨の予想で心配●「黒崎註解」の事でメール会議(シドニー+福島+東京)

 

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命は神によって与えられる ++++++++ 所感

2009/07/13 06:05

090713(月)4時45分起床。今日は満66歳の誕生日。朝の啓示「命は神によって与えられる」。●季刊「無教会」夏号の巻頭言を依頼されていて、そのテーマが「本当の命とは」である。その結論部分を次のようにまとめた。 ちょうどよい日に結論が与えられた。

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文語訳  ルカ 23:28
23:28
イエス振反りて女たちに言ひ給ふ『エルサレムの娘よ、わが爲に泣くな、ただ己がため、己が子のために泣け。



十字架を担ぐイエスの姿を見て泣いた女性たちに向かってイエスは「我が為に泣くな」と言った。「己がために泣け」とは、自己の悪と滅びを泣けという意味である。世界の悪は自分の悪。『無教会』に新しい「命」である若い人が誕生せず「いのちが失われている」のは、キリスト教2000年の「有体的復活」の使徒伝承を継承していないからである。『無教会』はパウロが「最も大切な」こと(第一コリント153)だと言う有体的復活の信仰から逸脱している。ではいのちはどうしたら生み出せるか。

塚本訳マコ 8:36-38

8:36 全世界をもうけても、命を損するのでは、その人になんの得があろう。

8:37 また、人は(一度失った永遠の)命を受けもどす代価として、何か(神に)渡すことができようか。

●生命科学者は遺伝子操作はできても「命」そのものを生みだすことはできない。ましてやほんとうの命なる「永遠の命」はいかに努力しても人間には獲得できない。私は9年前に脳内出血で意識不明になったが幸い回復された。その時に与えられた認識は「命は99%ではなく100%神に握られている」ということであった。

新共同 マタ 19:25-26

19:25 弟子たちはこれを聞いて非常に驚き、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言った。

19:26 イエスは彼らを見つめて、「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」と言われた。

●さらばこの世の命のことで嘆くな。

「泣くな!ほんとうの命が神によって与えられる。」


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あきる野の朝。「もろもろの天は神の栄光を表し、大空は御手の業を示す」(詩篇19編)

●26日のあだたら聖書集会感話のために新しい視点が与えられた。「この世の建物は見えないものであるキリストの身体の影」。建築士はこの見えないものの性質を真似して作る。

新共同 コロ 2:16-17
2:16 だから、あなたがたは食べ物や飲み物のこと、また、祭りや新月や安息日のことでだれにも批評されてはなりません。
2:17 これらは、やがて来るものの影にすぎず、実体はキリストにあります。


新共同 ヘブ 8:5
8:5 この祭司たちは、天にあるものの写しであり影であるものに仕えており、そのことは、モーセが幕屋を建てようとしたときに、お告げを受けたとおりです。神は、「見よ、山で示された型どおりに、すべてのものを作れ」と言われたのです。


新共同 ルカ 17:28-29
17:28 ロトの時代にも同じようなことが起こった。人々は食べたり飲んだり、買ったり売ったり、植えたり建てたりしていたが、
17:29 ロトがソドムから出て行ったその日に、火と硫黄が天から降ってきて、一人残らず滅ぼしてしまった。

 ●また「命」というのは何ものにも勝っていることをイエスは次のように言う。

塚本訳マタ 6:25
6:25 だから、わたしは言う、何を食べようかと命のことを心配したり、また何を着ようかと体のことを心配したりするな。命は食べ物以上、体は着物以上(の賜物)ではないか。(命と体とを下さった天の父上が、それ以下のものを下さらないわけはない。)

●これを演繹すると体は着物以上。命は体以上。するとこうなる

着物(建築) ≺ 身体 ≺ (肉の)命

●信者はさらにこうなる

着物(建築) ≺ 身体 ≺ 肉の命 ≺ 復活体の命。

●なぜこういうか。次の通りである。

塚本訳 Ⅰコリ15:38-44
15:38 しかし神は御心のままにそれに体をお与えになる、しかもそれぞれの種に独得の体を。
15:39 すべての肉が同じ肉ではない。人間の(肉)がちがい、家畜の肉がちがい、鳥の肉がちがい、魚の(肉)がまたちがう。
15:40 天の体があり、地の体がある。しかし天のものの輝きは別であり、地のもののはまた別である。
15:41 (天のものの輝きにしても、)太陽の輝きがちがい、月の輝きがちがい、星の輝きがまたちがう。その上、星はひとつびとつ輝きが相違している。
15:42 死人の復活もこのようである。(一つの体が死んで別の体が生まれる。)死滅の姿でまかれて不滅の姿に復活する。
15:43 恥辱の姿でまかれて栄光の姿に復活する。弱さの姿でまかれて力の姿に復活する。
15:44 (神の霊を持たない)魂だけの体がまかれて霊の体が復活する。魂だけの体がある以上は霊の体もあるわけである。

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妻は北海道のトムラウシ登山(大雪山の北側)のために出発。4日間家を空ける。

無事帰って来られるようにと後姿を祈る。「カムバック。シェーン」の気持ち。

 

 



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小さいものの方が大きい ++++++++ 所感

2009/07/12 07:43

090712(日)5時15分起床」●朝食前に「黒崎註解デジタル化」ネストレ引照入力ルカ17章●朝の黙想「神の国では小さいものの方が大きい。その聖書的根拠は無数。

塚本訳 ピリ 2:6-9
2:6 彼は(先には)神の姿であり給うたが、神と等しくあることを棄て難いことと思わず、
2:7 かえって自分を空しうして人と同じ形になり、奴隷の姿を取り給うたのである。そして人の様で現れた彼は、
2:8 自ら謙り、死に至るまで、(然り、)十字架の死に至るまで(父なる神に)従順であり給うた。
2:9 それ故に神も彼を至高く上げ、凡ての名に優る(「主」なる)名を与え給うた。


塚本訳 マタ 20:28
20:28 人の子(わたし)が来たのも仕えさせるためではない。仕えるため、多くの人のあがない金としてその命を与えるためである。」

塚本訳 マタ 10:42
10:42 また(わたしの)弟子としてこの一人の小さな者に一杯の冷たい水でも飲ませる者は、アーメン、わたしは言う、(天にて)その褒美にもれることはない。」

塚本訳 マ タ 18:3
18:3 言われた、「アーメン、わたしは言う、あなた達は生まれかわって子供のように(小さく)ならなければ、決して天の国に入ることはできない。

塚本訳 マタ 18:6
18:6 しかしわたしを信ずるこの小さな者を一人でも罪にいざなう者は、大きな挽臼を頚にかけられて深い海に沈められる方が得である。


 塚本訳 マタ 18:10
18:10 この小さな者を一人でも軽んじることのないように注意せよ。わたしは言う、(わたしの父上は片時も彼らをお忘れにならない。)あの者たちの(守り)天使は、天でいつもわたしの天の父上にお目にかかっているのだから。

 塚本訳 マタ 18:14
18:14 このように、この小さな者たちが一人でも滅びることは、あなた達の天の父上の御心ではない。

 塚本訳 マタ 19:14
19:14 イエスは言われた、「子供たちを放っておけ、わたしの所に来るのを邪魔するな。天の国はこんな(小さな)人たちのものである。」

 塚本訳 マタ 25:40
25:40 すると王は答える、『アーメン、わたしは言う、わたしのいと小さいこの兄弟たちの一人にしたのは、わたしにしてくれたのと同じである。』

 塚本訳 マタ 25:45
25:45 その時、王は答える、『アーメン、わたしは言う、このいと小さい者たちの一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったのと同じである。』

新共同 マタ 13:31
13:31 イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、

新共同 マタ 17:20
17:20 イエスは言われた。「信仰が薄いからだ。はっきり言っておく。もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことは何もない。」

新共同 マコ 4:31
4:31 それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、

新共同 ルカ 17:7
17:7 あなたがたのうちだれかに、畑を耕すか羊を飼うかする僕がいる場合、その僕が畑から帰って来たとき、『すぐ来て食事の席に着きなさい』と言う者がいるだろうか。

塚本訳 ルカ 16:10
16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。

●集会は土肥、高木(詩篇、問答形式)、山本(ガラテヤ書)●14:00妻と文教区民オーケストラ定期演奏会(文教シビックホール)。エルガーの2曲とヴェートーヴェン「英雄」。指揮は松下功。「英雄」の第二楽章はテンポを早くしたのがよかった●この演奏会はヴィオラで出演の和田睦夫氏の招待。感謝。アマチュアオーケストラとしては最高レベルと思われる、ヴェートーヴェンはいい。

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文教シビックホール。オーケストラは二階席がよい。演奏者の全部を見ることができる。

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集会からあきる野に戻る。夕暮れ

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妻が撮影する

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妻の後姿を写す。

●集会の帰途、「終末」が来なければ世は救われないと思った。

人間の努力では世は救われないのだ。これを怠慢と思う人間はこの世の力のものすごさを知らない。クリスチャンは「終末」を祈らなければならない。

 

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神の国の家の設計方針31 ++++++++ 所感

2009/07/11 06:50

090711(土)5時起床●朝の啓示「神の国の家の設計方針」●建築設計ははじめに建築主から「どういう家を造ってほしい」と注文がでることから始まる。その心を形にするのが建築士の役目だ。●神の国の家の建築主である神からは「人を迎え入れる」のに適したものを設計してほしいと言われるに決まっている。その聖書的根拠は次の通りだ。

塚本訳 ルカ 16:9
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。

●ここに「永遠の住居」というすばらしい言葉がある。注目すべきはその次の「迎えてくださる」ということ。神の国の家は人を迎えるのにふさわしいものでなければならない。神の国の家の敷居は高くない。

塚本訳 ヨハ 14:2
14:2 父上のお家には、沢山住居がある。(あなた達は一人のこらず、そこに住むことが出来る。)もしそうでなかったら、『あなた達のために場所の準備に行く』と言うわけがないではないか。

●家を設計するときは客を泊めることができるように考えることが必要。神の国の家は満杯になることはない。断られることはない。ただし学者パリサイ人のような人は断られる。それが次の言葉だ。

塚本訳マタ 21:31
21:31 この二人のうち、どちらが父の心を行ったのだろうか。」「もちろん長男」と彼らが答える。イエスが言われる、「アーメン、わたしは言う、税金取りや遊女たちは、あなた達よりも先に神の国に入るであろう。

●税金取りや遊女の方が先に入れる。その心は放蕩息子の父の心でもある。

塚本訳  ルカ 15:22-24
15:22 しかし父は(皆まで聞かず)召使たちに言った、『急いで、一番上等の着物をもって来て着せなさい。手に指輪を、足にお靴をはかせなさい。
15:23 それから肥えた小牛を引いてきて料理しなさい。みんなで食べてお祝いをしようではないか。
15:24 このわたしの息子は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。』そこで祝賀会が始まった。

●建築設計士は召使でもある。「一番上等の着物をもって来て着せなさい」というのは、「一番上等の家を設計しなさい」という設計方針なのである。この父は帰ってきた息子の寝る部屋を立派なところにしたに違いない。ただし汚い服は脱ぎ捨ててから入らなければならない。それが次だ。

塚本訳 マタ 22:11-14
22:11 王は客を見ようとして入ってきたが、そこに礼服を着けていない者が一人いるのを見て
22:12 その人に言った、『君、礼服も着ずに、なんでここに入ってきたのか。』その人が黙っていると、
22:13 王は家来たちに言った、『あの者の手足を縛って、外の真暗闇に放り出せ。そこでわめき、歯ぎしりするであろう。』
22:14 ──招かれる者は多いが、選ばれる者は少ないのだから。」

●ただし神の国の家に入るにはきれいな礼服を着なければならない。当時の習慣では宴会の入り口で貸衣裳が渡された。ニューヨークでもでもそのような経験をした事があるという話を集会の人から聞いた。いくら汚い洋服を着ていてもその礼服を素直に貸してもらえばよい。過去は問われない。ボロは隠されてすっかりきれいになり神の国の宴会に座れる。その礼服を貸してくれるというのに断る人は神に嫌われる。だから神の国の入り口には香衣裳を置いておく部屋の設計が必要。神社の手水鉢である。

塚本訳  マタ 16:18-19
16:18 それでわたしもあなたに言おう。──あなたはペテロ[岩]、わたしはこの岩の上に、わたしの集会を建てる。黄泉の門[死の力]もこれに勝つことはできない。
16:19 わたしはあなたに天の国の鍵をあずける。(だから)あなたが地上で結ぶことは(そのまま)天でも結ばれ、地上で解くことは(そのまま)天でも解かれるであろう。」

●神の国の家の入口は常に開いている。鍵は主人が持っているが、気の毒な人は入れられる。現在でもカトリック教会とか聖公会の礼拝堂は自由に出入りできるのは立派。プロテスタント教会はそうなっていない。御主人を亡くされた御婦人が悲しみのあまりにプロテスタント教会の礼拝堂に入ろうとしたが断られたという話を伺った。心が閉じているのだ。●船の事を英語ではherという。女性は受け入れるのが本能。家も船と同じで人を受け入れて運ぶ。それが本質だ●無教会はどうか。無教会主義集会は「来るものを拒まず去る者を追わず」だがどこにあるのかわからない。あったとしても人間である先生の「懐かしのメロディー」ばかりで異様な雰囲気。その先生を知らないと肩身が狭い。2000年の伝統である。三位一体と復活が説かれていない。これでは「救い」がない。盲人の手を引く盲人で二人とも穴に落ち込む。 

●13:30 目黒区碑文谷の津上毅一邸に妻と共に伺い、津上毅一編「藤林益三」の決算報告書類をお届けし説明する。その後音楽、、バッハ、ヴェートーヴェン、モーツァルト、ショパン、ハラシュエビチ、ホロヴィッツ、信仰、無教会、エクレシアの大切さ、塚本先生はかなり神学的なお方であった、WEB黒崎、名作や傑作は同時代人にはその真価がわからない不思議。バッハのマタイ、シューベルト未完成、などは皆そうだということ。塚本虎二訳聖書も死後30年を経た今になってあろうことか教会の牧師がその価値を見出してきた事、「藤林益三」の「信教の自由の法的分野での働きは根本に「三位一体の正統信仰」があった、しかしそれを見出す人は少ないということ。名残惜しかったがお身体にさわるといけないので2時間でおいとました。

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 前列左津上和子(90歳)、右津上毅一(97歳)

後列左高橋トミ子 右高橋照男

目黒区碑文谷の津上邸にて

●かって津上和子さんからはこう言われたことがあった。「神の子が人の姿をとって来られたということが大切なのですよ」。立ち話であったが、このなにげない一言は重かった。キリスト教三位一体の正統信仰の深い持ち主である。こういう人に感化される。

塚本訳 ピリ 2:6-8
2:6 彼は(先には)神の姿であり給うたが、神と等しくあることを棄て難いことと思わず、
2:7 かえって自分を空しうして人と同じ形になり、奴隷の姿を取り給うたのである。そして人の様で現れた彼は、
2:8 自ら謙り、死に至るまで、(然り、)十字架の死に至るまで(父なる神に)従順であり給うた。

 ●帰途、妻が「津上ご夫妻のようなお年になるまで信仰がピタリと一致していたい」と言った。わたしも「そうだねー」と同感した。●妻は夕方からモーツァルト「レクイエム」の練習。●昨日か一昨日、HP「使徒伝承に「不条理な人生をどう捉えるか・・・生まれつき全盲の人に学ぶ」(7月5日集会での感話資料)をアップしたが。すんなりアップできずかなり往生した。

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神の国の家は犠牲によって建つ ++++++++ 所感

2009/07/10 11:51

090710(金)5時起床●26日あだたら聖書集会の感話のための黙想。「神の国の家は犠牲によって建つ」

塚本訳  使 4:10-12
4:10 あなた方御一同はもとより、イスラエル国民全体も、このことを知ってほしい。ナザレ人イエス・キリスト──あなた方が十字架につけ、神が死人の中から復活させられた方──その名で、この人がよくなって、あなた方の前に立っているのです。
4:11 この方は、(聖書にある)『大工の』あなた方から』投げ捨てられ、隅の土台石になった石』です。
4:12 この方のほかのだれによっても救いはない。天下ひろしといえども、わたし達が救われるべき名はこれ以外、人間に与えられていないからです。」

●この部分の「黒崎註解」は次の通り。まさに世界史の不思議である。人間の判断がいかに誤るかの証明でもある。●来世の家は建築士がこの世の家を建てるような方法では建たない。それは犠牲によって建つ。

(黒崎註解)
メシヤ預言としてしばしば引用せらるる詩118:22によりペテロはイエスのメシヤたる事を証明し、その十字架の死は隅の首石が造家者に捨てられし事に相当する事を示す。この詩は本来イスラエルが神の建物たるこの世界の最も重要なる役目を果すべき国民であるにも関らずこの世界はイスラエルを棄てし事を意味する詩であるけれども、これが預言的意味に於て最も良くイエスに適応する。

●またエペソ書には次のようにある。エクレシアはキリストの犠牲の血が土台である。

新改訳 エペ 5:25
5:25 夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。

(黒崎註解)
妻には絶対服従が要求せらるると共に夫には絶対愛が要求せられる。西洋近代の道徳においては前者が軽視せられ、東洋道徳においては後者が軽視せらる。共にキリスト教道徳の真諦ではない。妻の服従の模範が教会のキリストに対する服従であると同様夫の愛の模範はキリストの己を捨て給いし愛である。

●990424のブログに次のように書いた。

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(メサイア演奏会)帰りの車中での立ち話でHJ氏と次のような対話をした。私「残る生涯は来世の家の建築に尽くしたい。」HJ氏「それはどうやって建てるのですか」私「それは犠牲によって建つのです」。そばでHMさんと妻がこの話を聞いていた。私にとって至福の時であった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●このブログを書いた時から10年。はたして来世の家を建てる犠牲の生活をしているだろうか。 この会話をした時から一年後に家屋の全焼と脳内出血。そうだ神の国の家とはこの世の家のように自分の意志や努力で建てるものではないのだ。犠牲を強いられることによって建てさせられるのだ。十字架は負おうとして負えるものではない。イエスは負いきれずに崩れ落ちたのだ。そしてあのクレネ人シモンも十字架を無理やりに負わされたのだ。●我々も十字架は重くて負いきれない。十字架には無理がある。負いきれない十字架のもとに崩れるときに神によって軽くされるのだ。そのとき神の国の家が建つのだ。●終日「黒崎註解」引照ルカ16章入力。●東急に買い物●「藤林本」決算書類の作成●日本聖書協会翻訳部聖書図書館に問い合わせ 。ネストレの第4エズラは新共同訳旧約続編のエズラ記(ラテン語)のことか。早速回答があって「それでよい」とのことであった

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朝のあきる野の空。梅雨の晴れ間。讃美歌「あぁ麗しきシオンの朝」

を思う。

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あきる野市庁舎5階から夕陽の奥多摩連山を望む。

讃美歌「御神のたまいしこの日もくれけり」を口づさむ。

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妻の「今日は夕焼けがきれいよ」の声に促されて二階の窓から撮影。神よ、今宵も安らかに眠らせたまえ。そして御心ならば明日も目覚めさせたまえ。残る生涯あなたのために尽くしたいのです。


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「永遠の家」とは復活のからだ ++++++++ 所感

2009/07/09 08:41

090709(木)5時起床●朝の黙示「永遠の家とは復活のからだ」。7月26日あだたら聖書集会での感話準備●普通、来世の状態は分からないとされている。聖書にもはっきり書いてない。(と教会の牧師は言う)しかしイエスもパウロもそれをはっきり言っている。ただし来世の家についてはこの世の建築士が設計図を示すような方法では説明していない。ただその状態だけをいう。だから来世の家に関して物理的説明を要求している人には聖書は大脳皮質に納得するような答えは出していない。「永遠の家」とは復活のからだのことなのだ。そして聖書はまたその家にに入れる条件を言う。

塚本訳 ヨハ 2:21-22
2:21 しかしイエスは自分の体のことを宮と言われたのであった。
2:22 だから死人の中から復活された時、弟子たちはこう言われたことを思い出して、聖書とイエスの言われた言葉と(が本当であること)を信じた。


 塚本訳ヨハ 4:21
4:21 イエスが言われる、「女の人、わたし(の言葉)を信じなさい。(間もなく)あなた達が、この山でもエルサレムでもなく(どこででも、)父上を礼拝する時が来る。


塚本訳 Ⅰコリ15:48-49
15:48 土の人たちはこの土の人(アダム)のようであり、天の人たちはこの天の人(キリスト)のようである。
15:49 こうしてわたし達は土の人の姿を帯びたように、(復活の時は)天の人の姿を帯びるであろう。


 塚本訳Ⅱコリ5:1-4
5:1 なぜ(こんな希望に生きることができるの)であろうか。もし地上の家であるわたし達のこのテント、(この肉体)がこわれるならば、天に、神の建てられた建物、(人間の)手で造らない永遠の家をいただいていることを、わたし達は知っているからである。
5:2 どうしてであろうか。わたし達はこのテントにいて、天の住いを上に着たくてたまらずに呻いているからである。(この憧れと呻きこそ、永遠の住いのある証拠ではないか。)
5:3 ほんとうにもしこれを着たならば、裸(の恥しい姿)であることはないであろう!
5:4 それで、わたし達のこのテントにいる者は、重荷に呻いている。これを脱ぎたい(つまり死にたい)のではなく、(天の住いを)上に着たいからである。これは死ぬべきものが命に飲み込まれるためである。


 塚本訳黙  21:3
21:3 そして私は玉座から大きな声が(出てこう)言うのを聞いた、「視よ、人と共に神の幕屋がある! 神が彼らと共に住み、彼らは神の民となり、神自ら彼らと共にいまして、

●そして決定的なことは、大切なのは肉体的命ではなく霊の命だとイエスが言っていることである。

塚本訳マタ 6:25
6:25 だから、わたしは言う、何を食べようかと命のことを心配したり、また何を着ようかと体のことを心配したりするな。命は食べ物以上、体は着物以上(の賜物)ではないか。(命と体とを下さった天の父上が、それ以下のものを下さらないわけはない。)

●つまりこうだ。着るものとか、建築的物理環境は命そのものより低いものなのだ。

●そして、さらに肉体的生命より霊の命の方が大切であることはイエスの治癒活動の動機を調べればわかる。イエスの治癒活動は罪の赦しの外面的証明のために行われた。次がそれだ。

塚本訳マコ 2:9-12
2:9 この中風の者に、あなたの罪は赦された、と言うのと、起きて担架をかついで歩け、と言うのと、どちらがたやすい(と思う)か。
2:10 では、人の子(わたし)は地上で罪を赦す全権を持っていることを知らせてやろう」と彼らに言いながら、中風の者に言われる、
2:11 「あなたに命令する、起きて担架をかついで、家に帰りなさい。」
2:12 すると彼は起き上がり、すぐ担架をかついで、皆の見ている前を出ていった。皆が呆気にとられ、「こんなことはかって見たことがない」と言って、神を讃美した。

●この世の肉体的不完全さの不条理は次の言葉から理解できる。この地上の家は不完全な土の家である。虫が食い、倒壊し、火災で焼ける。

文語訳 Ⅱコリ4:7
4:7 我等この寶を土の器に有てり、これ優れて大なる能力の我等より出でずして、神より出づることの顯れんためなり。

●こうなると来世では建築士(医者、洋服屋も同じ)は失業である。なぜか。永遠の家とは復活のからだのことであり、それは人間では造れないものだから。しかしその永遠の家をつくる方法がある。実はそれは来世に行ってから造るのではない。地上に居るうちに造っておくものなのだ。それは次の聖句がヒントだ。

新共同 ルカ 12:33
12:33 自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。

●つまりこの地上にいるうちに「擦り切れることのない財布を作り」、という語句の財布を建築に置き換えればよいのだ。この世で来世の永遠の家を作っておくのだ。このことから次の聖句も理解できる。

 塚本訳ルカ 16:9
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。

●つまりこうだ。来世の永遠の家はこの地上にいるうちに造る!。しかし「自分は造れなかった」と嘆く人の方が先に入居できる。神の国の家は絶対恩恵の無条件の罪の赦しで入居できる。

塚本訳 マタ 21:31
21:31 この二人のうち、どちらが父の心を行ったのだろうか。」「もちろん長男」と彼らが答える。イエスが言われる、「アーメン、わたしは言う、税金取りや遊女たちは、あなた達よりも先に神の国に入るであろう。

●来世で「永遠の家」に住むことができる証拠はなにか。それは自己の罪の赦しの体験的事実である。コンサートの切符はまだ聴かない演奏に対する入場証明書、入場許可証である。私たちは「罪の赦しと」という体験の喜びがその入場証明書であって、まだ聴いていないコンサートのチケットを握りしめて喜ぶのと同じである。

新改訳 Ⅰペテ1:8
1:8 あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。

●7:00妻は仲間と高尾山方面に小登山。来週の北海道トムラウシ登山の足慣らし。18:40帰宅。

●終日「黒崎註解」引照入力、ルカ15章。●図書館へCDを借り行く。徒歩往復40分。

[悪い友人をもつな]

●クリスチャンにとって悪い友人とは復活を信じない人。

塚本訳 Ⅰコリ15:33
15:33 迷わされてはならない。(復活の信仰のない人との交際に注意せよ。)悪い交際は良い習慣をこわす。(と詩人も言っている。)

復活を信じない人と交際すると、信仰が堕落する。信仰が思想に転嫁する。そしてヒューマニズムや社会運動に奔走するようになる。

●男にとって悪い友人とは、不道徳な人間。特に女性関係でだらしない人

こういう親の子供は判でついたように同じく女性関係がだらしなく、家庭はすぐ崩壊する。私の周囲であの家庭、この家庭、2-3ある。みな親がまずい。男は生涯一人の女性を愛すべきである。これを承服できない男の家は崩壊する。神は見ている。家庭崩壊は天罰だ。

塚本訳エペ 5:25
5:25 夫達よ、妻を愛せよ、キリストが教会を愛し、そのために自分を棄て給うたように。──

塚本訳エペ 5:28
5:28 これと同様に夫【もまた】自分の妻を自分の体のように愛すべき義務がある。自分の妻を愛する者は自分自身を愛するのである。

●ヒルティは次の句を盛んに用いているが、私としてもこれは動かしがたい人生の真理だなーと思う。父の罪は曾孫までにまで及ぶ!かわいそうなのは子や孫である。生まれつき親の罪業を背負う。

口語訳 出  20:4-6
20:4 あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。
20:5 それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、
20:6 わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。

●女性にとって悪い友人とは、「主人」をないがしろにする人間。主人に対する「恐れ」というものがない。神に対する「恐れ」が肉の主人に対する「恐れ」になる。だから容易に「謝らない」。「ごめんなさい」と言えない。育った家庭環境が悪かった、特にその母親の姿を見て育った。主人の気持ちより自分の欲望(大抵は遊び・・・これ偶像)の方を上に考えてそれを貫こうとする妻は家庭秩序を壊すので家庭が崩壊する。家庭崩壊は天罰。下記の聖書の言葉を承服できない女性は家庭を持つ資格はない。

塚本訳エペ 5:22-24
5:22 妻達よ、主に対するように自分の夫に服従せよ。
5:23 キリストが教会の頭であり給うように、夫は妻の頭であるから──しかも彼は(同時に)その体(なる教会)の救い主であり給う。(この点においてキリストと夫とはもちろん異なる。)──
5:24 しかし教会がキリストに服従するように、妻もまた何事によらず夫に服従せよ。

●父の罪は孫子に悪影響を及ぼすが、キリスとの血はその宿縁を断ち切る。生まれつきの盲に対するイエスの言葉は次の通り。

塚本訳  ヨハ 9:1-3
9:1 イエスは通りがかりに、生まれつきの盲人を見られた。
9:2 弟子たちが尋ねた、「先生、この人が盲で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか、両親ですか。」
9:3 イエスは答えられた、「この人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。ただ神の御業がこの人に現われるためである。

●イエスは親の罪業を背負って生まれた罪もない気の毒な孫子を救う。霊の命を与えて清める。●ナニ、イエスの血統自身が汚れていたのだ。イエスの系図にはいかがわしい女が3人もいたではないか。

塚本訳 マタ 1:3
1:3 ユダの(その嫁)タマルによる(不倫の)子はパレスとザラ、パレスの子はエスロン、エスロンの子はアラム、


塚本訳マタ 1:5
1:5 サルモンの(遊女)ラハブによる子はボアズ、ボアズの(異教国モアブの女)ルツによる子はオベデ、オベデの子はエッサイ、


塚本訳マタ 1:6
1:6 エッサイの子はダビデ王である。ダビデの(将軍)ウリヤの妻による子はソロモン、

●人間は肉の血統の毛並みではない。今、神の救いを頂いて生まれ変わり「神の子」になるかどうかだ。


 

 


 

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I for Japan。「一流の信仰」 ++++++++ 所感

2009/07/08 07:14

090708(水)5時起床●「黒崎幸吉註解デジタル化」作業連絡をする。そのプロジェクトのマネジャーOM氏とYT氏へのメールを一部改変して公開する。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

OM

YT

確認しました。早速ありがとうございました。これで引照入力作業の気持ちが楽になりました。

ネストレに強い人も、我々の「適宜割愛」という姿勢の中に積極的なものを見てくれるでしょう。WEB黒崎は聖書学者向けではなく、一般信徒向けだからです。

黒崎先生の「新約聖書註解」の狙いはそこにあったのだと解します。これは塚本訳の敷衍の意味と同じで「簡潔に分かりやすく」が目的です。「『WEB黒崎』は日本の信者を真に強くするためにある!」(ご参考。聖書学者のMG先生は塚本先生にさかんに敷衍をとるようにと助言されたそうです。聖書学の発展でまずい部分が出てくると思われたからなのでしょう。しかし塚本先生はそれに応じませんした。塚本訳の敷衍は生涯寝たきりの病人が分厚い註解書を読まなくても簡単に意味が通るようにとの目的でした。そして6冊に分冊で刊行したのも病人が仰向けで長時間読めるように軽くするためでした。)

ネストレの引照をこのように電子化して文字展開するのはどうやら世界「初」のようです。(Jバイブル開発者のN牧師談)

それから新共同訳の引照を電子化して文字展開するのも日本「初」(日本聖書協会翻訳部のTHさん談)のようです。

WEB黒崎の仕事は、内村鑑三の墓碑銘I for Japan, Japan for the World,The World for Christ, And All for Gad.」の精神に連なるものと解します。感謝。

追伸

過日銀座教文館のYさんという古い店員から伺ったことですが、「黒崎註解」の需要は絶えず、そのたびに絶版とお答えになっているそうです。そこでWEB黒崎の公開が始まったことをお知らせしました。本を入手できない人がWEB黒崎に流れてくる「時」が到来したと思います。OM兄の「この本は博物館入りにはしたくない」という企画方針が神に祝福されたのだと思います。

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●6:30 公園でラジオ体操。共産党の市議会議員に「今度の選挙はどうなるか」と聞いたら「民主が勝つが、自民と保保連合となる。なぜか、民主はそもそも保守だから」と答えが返ってきた。政治の世界は空しい。

 [この世主義者」にはどう対応するか]

キリスト教ははじめから「この世主義者」との戦いであった。どうせ来世なんかあるかどうかわからないのだから「今のうちに遊んでおこう」という精神である。「この世を楽しみぬこう」という精神である。こういう精神は一理ある。だから彼らに向かっての「注意」は力がわかない。「来世は見たことがないのだから」。こういう「この世主義者」は手ごわいから、人間の忠告では無理で、それは神にきりできないことだ。イエスは次のように言う。

塚本訳  マタ 19:23-26
19:23 イエスは弟子たちに言われた、「アーメン、わたしは言う、金持が天の国に入ることはむずかしい。
19:24 かさねて言う、金持が天の国に入るよりは、駱駝が針のめどを通る方がたやすい。」
19:25 これを聞いて、弟子たちは非常に驚いて言った、「ではいったい、だれが救われることが出来るのだろう。」
19:26 イエスは彼らをじっと見て言われた、「これは人間には出来ないが、『神にはなんでも出来る。』」

●26節の「じっと見て」が胸に迫る。イエスの心は「本当だ。なまじのことでは説得できないのだ。それは神の力でなくては不可能なのだ」というのであろう。

●「この世主義」が手ごわいものであることをイエスはいたるところで言う。それは次の通りだ。

塚本訳  マコ 4:18-19
4:18 また他のものは、茨の中にまかれたものである。これは御言葉を聞くが、
4:19 (しばらく信じているうちに、)この世の心配や富の惑わしやその他の欲が入ってきて御言葉を押えつけて、みのらない人たちである。

塚本訳 マタ 6:24
6:24 (わたし達の心は天か地かに引かれる。)だれも(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。


塚本訳 ルカ 12:20
12:20 しかし神はその人に、『愚か者、今夜お前の魂は取り上げられるのだ。するとお前が準備したものは、だれのものになるのか』と言われた。

塚本訳マコ 10:23-25
10:23 イエスは(うしろ姿を見送っておられたが、)やがて見まわして、弟子たちに言われる、「物持ちが神の国に入るのは、なんとむずかしいことだろう。」
10:24 弟子たちはその言葉にびっくりした。(彼らは富むことが、神に特別に愛されているしるしと信じたのである。)イエスはかさねて言われる、「子供たちよ、神の国に入ることは、なんとむずかしいのだろう。
10:25 金持が神の国に入るよりは、駱駝が針の孔を通る方がたやすい。」

●この世主義者の理由にも耳を傾けなければならない。

新共同 伝  2:1-3
2:1 わたしはこうつぶやいた。「快楽を追ってみよう、愉悦に浸ってみよう。」見よ、それすらも空しかった。
2:2 笑いに対しては、狂気だと言い/快楽に対しては、何になろうと言った。
2:3 わたしの心は何事も知恵に聞こうとする。しかしなお、この天の下に生きる短い一生の間、何をすれば人の子らは幸福になるのかを見極めるまで、酒で肉体を刺激し、愚行に身を任せてみようと心に定めた。

●こういう「この世主義者の理由は正しい。仮定や希望だけの来世であったら説得力に欠ける。それは5分五分。これに対してパウロは次のように言う。

塚本訳  Ⅰコリ15:32-33
15:32 もしわたしが(復活の信仰からでなく、)人間的な思いからエペソで獣と戦ったとすれば、わたしにとってなんの得があろう。死人が復活しないのなら、『食おうじゃないか、飲もうじゃないか、どうせあしたは死ぬ身だ』である。
15:33 迷わされてはならない。(復活の信仰のない人との交際に注意せよ。)悪い交際は良い習慣をこわす。(と詩人も言っている。)

●33節の「復活の信仰のない人との交際に注意せよ」は「復活の信仰のない人とは付き合うな」ということである。これけだし名敷衍である。なぜか。そういうこの世主義者は神でも「手ごわい」存在なのだから、

●24節でイエスは「かさねて」言った。それがどんなに難しいことなのかを暗示している。ではそれは絶対だめか。人間が人間を説得するのは100%無理である。そえrは神の奇跡によれば可能である。そのことをイエスは次のように言う。

塚本訳マコ 10:27
10:27 イエスは彼らをじっと見て言われる、「人間には出来ないが、神には出来る。『神にはなんでも出来る。』」

●「この世主義者」に対処する心得。「神にはなんでもできる」「神にはなんでも出来る」。これを心で何度か念ずればよい。

●「この世主義者からは逃げよ」ということだ。それは負けではない敗北ではない。「彼らを呪うな」「彼らの救いを神に任せて祈りつつ逃げよ」。それは名誉ある撤退、最も賢い道である。

[ 一流の信仰を目指せ]

●日本の音楽家が次々と世界のコンクールで優勝して「一流の音楽家」になっている。故斎藤秀雄の土台作りが大きかった。小澤、諏訪内、庄司、神尾などなど。●それに刺激され、発奮してクリスチャン達も「一流の信仰」を目指さなければならない。一流の信仰とは何か。イエスに聞けば次の言葉が返ってくるに違いない。

塚本訳 マタ 8:5-10
8:5 カペナウムに帰られると、一人の百卒長がそばに来て願って
8:6 言った、「主よ、うちの下男が中風で家にねていて、ひどく苦しんでおります。……」
8:7 彼に言われる、「(ユダヤ人の)このわたしが、(異教人のあなたの家に)行ってなおすのか。」
8:8 百卒長は答えた、「主よ、わたしはあなたを、うちの屋根の下にお迎えできるような者ではありません。(ここで)ただ一言、言ってください。そうすれば下男は直ります。
8:9 というのは、わたし自身も指揮権の下にある人間であるのに、わたしの下にも兵卒がいて、これに『行け』と言えば行き、ほかのに『来い』と言えば来、また僕に『これをしろ』と言えば(すぐ)するからです。(ましてあなたのお言葉で、病気が直らないわけはありません。)」
8:10 イエスは聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた、「アーメン、わたしは言う、イスラエル人の中でも、こんなりっぱな信仰をもっている者を一人も見たことがない。

塚本訳 マタ 16:24-26
16:24 あとでイエスは弟子たちに言われた、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、自分の十字架を負い、それからわたしに従え。
16:25 (十字架を避けてこの世の)命を救おうと思う者は(永遠の)命を失い、わたしのために(この世の)命を失う者は、(永遠の)命を得るのだから。
16:26 たとい全世界をもうけても、命を損するならば、その人は何を得するのだろう。それとも、人は(一度失った永遠の)命を受けもどす代価として、何か(神に)渡すことができるのだろうか。

●「一流の信仰」とは何か。それは「聖書学」に詳しいことではない。心から神の力を信じる姿勢があるかどうか。

塚本訳 マタ 14:25-33
14:25 第四夜回りのころ(すなわち夜明けの三時ごろ、)イエスは湖の上を歩いて彼らの所に来られた。
14:26 弟子たちはイエスが湖の上を歩いておられるのを見ると、幽霊だと思って肝をつぶし、恐ろしさのあまり叫んだ。
14:27 しかしイエスはすぐ彼らに話しかけて言われた、「安心せよ、わたしだ。こわがることはない。」
14:28 ペテロが答えた、「主よ、あなたでしたら、どうかわたしに命令して、水の上を歩いてあなたの所へ行かせてください。」
14:29 「こちらに来なさい」とイエスが言われた。ペテロは舟から下り、水の上を歩いてイエスの所へ行った。
14:30 しかし(いま一足という所で)強い風を見たため、おじけがつき、沈みかけたので、「主よ、お助けください」と叫んだ。
14:31 イエスはすぐ手をのばし、ペテロをつかまえて言われる、「信仰の小さい人よ!なぜ疑うのか。」
14:32 そして二人が舟に乗ると、風はやんだ。
14:33 舟にいた人たちは、「あなたは確かに神の子です」と言ってイエスをおがんだ。

●この箇所についてある日某女に「あなたがこのペテロだったら、水の上を歩いて行きますか」と尋ねた。すると彼女は答えた「誰が呼んでいるかを見極めて、それによっては歩いて行きます」と。私は彼女の信仰は一流だと思った。神を信じ込むことができる人、これが「一流の信仰者」である。この点男はダメである。ペテロも男三流だ。まず聖書学者も牧師伝道者もおそらく失格。信仰は女性だ。●我々も命の終わりの日に神に「こちらに来なさい」(マタイ14:29)呼ばれるのだ。そのときは復活を信じて「水の上を歩く」(マタイ14:29)気持ちで行くのだ。ペテロのように「おじけずいて」(マタイ14:30)はいけないのだ。最後は一流の信仰で御国に行きたいものだ。それが人生目標だ。

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妻に頼まれて郵便局。CDを借りに図書館に。梅雨の晴れ間の気持ちの良い夕暮れ。あきる野から奥多摩連山を望む。目が明いてこのような景色が見えるのは感謝だ。でもあと16年間(統計上)。

 

 

 

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相手を傷つけるな ++++++++ 所感

2009/07/07 06:25

090707(火)5時半起床●朝の黙想「相手を傷つけるな」●福音が世俗に入ると悪の世は激昂する。なぜか。悪を指摘されると「滅ぼされる」と恐怖を感じるからである。

塚本訳 マコ 1:23-24
1:23 そのとき、その礼拝堂に汚れた霊につかれた一人の人がいたが、たちまち声をあげて叫んで
1:24 言った、「ナザレのイエス様、『放っておいてください。』わたしどもを滅ぼしに来られたにちがいない。あなたがだれだか、わたしにはわかっています。神の聖者(救世主)です。」

●この世の悪をそうめんからズバリ指摘して恨まれて殺されたのは「洗礼者ヨハネ]」。真理は真理でも「まともに」言ってはいけない。

塚本訳マコ 6:18-20
6:18 ヨハネがヘロデに、「あなたは自分の兄弟の妻を妻にするのはよろしくない」と言ったからである。
6:19 (そのため)ヘロデヤはヨハネを恨んで、殺したいと考えていたが、出来なかった。
6:20 それはヘロデがヨハネを正しい聖なる人と知って、これを恐れ、保護を加えていたからである。ヘロデはヨハネに話を聞くと非常に当惑したが、それでも喜んで聞いていたのである。

●しかし20節は救いである。いやな奴と思っていても、何かひっかかるものがあって「喜んで聞いていた」のである。「あれも人の子」である。「あれも人間である」。良心というものがある。身体はそむけても心と耳は神に向いている。

●洗礼者ヨハネに比べてイエスは「悪」を正面切って言わなかった。相手がいないところで言った。内輪の人に言った。イエスが「本人のいないところで言った例は次の通り。なぜ本人に向かって言わないか。預言者のように言わないか。悪は注意して直るものではない。預言者の存在で直るのではない。贖罪の行為で直るのだ。

塚本訳  ルカ 13:31-32
13:31 ちょうどその時、数人のパリサイ人が来てイエスに言った、「(すぐ)ここを逃げ出しなさい。ヘロデ(王)があなたを殺そうと思っています。」
13:32 彼らに言われた、「(忠告はありがたいが、)行って、あの狐(のヘロデ)にこう言ってもらいたい、『見よ、わたしはきょうとあしたは、(まだここにいて)悪鬼を追い出し治療を行い、三日目に(仕事が終って)全うされる。

●「数人のパリサイ人」に言いたい事を「あの狐(のヘロデ)にこう言ってもらいたい」と遠回しに言うイエスの知恵。パリサイ人はこれに気付かなかった

塚本訳マコ 10:22-23
10:22 彼はこの言葉に顔をくもらせ、悲しそうにして立ち去った。大資産家であったのである。
10:23 イエスは(うしろ姿を見送っておられたが、)やがて見まわして、弟子たちに言われる、「物持ちが神の国に入るのは、なんとむずかしいことだろう。」

●(うしろ姿を見送っておられたが、)という塚本訳敷衍は絶妙である。本人のいるところで「君のその態度では救われないよ」と言ったら相手を傷つけてしまうのだ。

塚本訳 マコ 4:10-19
4:10 ひとりでおられた時、弟子たちが十二人とともにこれらの譬(の意味)を尋ねると、
4:11 言われた、「あなた達(内輪の者)には、神の国の秘密が授けられたいる(のでありのままに話す)が、あの外の人たちには、すべてが譬をもって示される。
4:12 これは(聖書にあるように)『彼らが見ても見てもわからず、聞いても聞いても悟らないようにする』ためである。『そうでないと、心を入れかえて(わたし[神]に帰り、罪を)赦されるかも知れない。』」
4:13 また彼らに言われる、「この(一番簡単な)譬がわからないのか。それで、どうしてほかの譬がわかろう。(では説明しよう。)──
4:14 種まく人は(神の)御言葉をまく。
4:15 道ばたのものとは、御言葉がまかれて、それを聞く時、すぐ悪魔が来て、その人たちにまかれた御言葉をさらってゆく人たちである。
4:16 同じく岩地にまかれたものとは、御言葉を聞く時すぐ喜んで受けいれるが、
4:17 自分の中に(しっかりした信仰の)根がなく、ただその当座だけであるから、あとで御言葉のために苦難や迫害がおこると、すぐ信仰から離れおちる人たちである。
4:18 また他のものは、茨の中にまかれたものである。これは御言葉を聞くが、
4:19 (しばらく信じているうちに、)この世の心配や富の惑わしやその他の欲が入ってきて御言葉を押えつけて、みのらない人たちである。

●これも同じである。この世のことで「一生懸命」の人に向かってこの世の心配や富の惑わしやその他の欲が入ってきて御言葉を押えつけて、みのらない」(19節)というとあれは俺にあてつけに言っているのだと感じてカチンとくる。イエスはだから例え話の意味を内輪の者に話した(10.11節)

塚本訳 ルカ 12:16-20
12:16 そこで一つの譬を人々に話された、「ある金持の畑が(ある年)豊作であった。
12:17 『どうしよう、わたしの作物をしまいこむ場所がないのだが…』と金持ちはひそかに考えていたが、
12:18 やがて言った、『よし、こうしよう。倉をみなとりこわして大きいのを建て、そこに穀物と財産をみなしまいこんでおいて、
12:19 それからわたしの魂に言おう。──おい魂、お前には長年分の財産が沢山しまってある。(もう大丈夫。)さあ休んで、食べて、飲んで、楽しみなさい、と。』
12:20 しかし神はその人に、『愚か者、今夜お前の魂は取り上げられるのだ。するとお前が準備したものは、だれのものになるのか』と言われた。

●これもイエスは譬で遠まわしに言っている。以上いずれも相手を傷つけない態度である。神の子イエスは洗礼者ヨハネとは役者が一枚違う。では遠まわしに言って気がつくか。言わないよりまともに言った方が本人のためではないのか。●イエスはどうか。その人のために「祈った」のだ。

塚本訳 ルカ 22:32
22:32 しかしわたしはあなたのために、信仰がなくならないように祈っておいた。(だから一度信仰を失っても、またもどってくる。)もどってきたら、あなたが兄弟たちを強めてやってほしい。」

●人には正面から注意するより効果がある方法がある。それは「隠れた祈り」。ここが無神論者の教育者と神を信ずる教育者の分かれ目。人は「悪の指摘」でよくなるものはない。自戒。

新改訳 マタ 6:18
6:18 それは、断食していることが、人には見られないで、隠れた所におられるあなたの父に見られるためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が報いてくださいます。

●この精神はヨブにさかのぼる。

口語訳 ヨブ 1:5
1:5 そのふるまいの日がひとめぐり終るごとに、ヨブは彼らを呼び寄せて聖別し、朝早く起きて、彼らすべての数にしたがって燔祭をささげた。これはヨブが「わたしのむすこたちは、ことによったら罪を犯し、その心に神をのろったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつも、このように行った。

●東京聖書読者会の世話人であられた故藤林益三先生は集会の最後でこう言われたことがある。「悪いことは神が本人に注意してくださる」と。「悪いこと」に対処する元最高裁判所長官の苦しい胸のうちを垣間見た思いがした。無教会や集会の中で「あの人がいたのでは正統信仰も無教会もダメになる」と思っても「じっと我慢」「何のこれしき」と思いつつ「神が知っている。神が注意してくださる」と心に念じてその人のことを祈るべきなのだ。自戒。

●終日「黒崎」引照入力●都議会議員選挙公報が来たので、妻の意見も聞いて投票する人を決定。女性は人物をみるとき、直感的「好き嫌い」が先行する。市役所に行って期日前投票●図書館の行き帰りに梅雨の晴れ間の美しい空を見た。天国でもこのようなきれいな空を見ることができるのだろうか。あと16年(統計上)だ。

 

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 大好きな積乱雲(入道雲)が出始めた。聖霊が盛り上がっているような感じなのだ。

 

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ひまわり。この形、太陽のようだなー。笑っているように見える、

 

 

 


 

 

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ワッツの「希望」 ++++++++ 所感

2009/07/06 05:34

090706(月)5時起床

Hope/

ジョージ・フレデリック・ワッツ “希望

1886年・テート・ブリテン所蔵

●この画はワッツ(1817-1904英国)の最高傑作「希望」である。目隠しをされた一人の女性が地球に腰かけて残されたただ一すじの弦をかきならしている。一度見たら忘れえぬ画である。●昨日の集会の感話「不条理な人生をどう捉えるか・・・ヨハネ9章シロアム池の盲人に学ぶ・・・」の資料の最後に添付した●その檀上で「この画が発表されたとき英国の人は驚いて『ワッツ』と叫んだ」とオヤジギャグを飛ばしたら笑ってくれたのはたったの2名。それは若い女性。だから集会は若くなくてはいけない。笑。●この画に描かれた女性にとっての「希望」はきっと復活だ。

口語訳 ロマ 6:5

6:5 もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう

 

文語訳 Ⅱコリ4:8

4:8 われら四方より患難を受くれども窮せず、爲ん方つくれども希望を失はず、

 ●「藤林本」の正誤表と決算書類を作成●人が召されると遺稿集の類の本が次々と出されるが、それらが並んだ書棚をみるとまるで「墓場」を見るようだ。最近流行の「千の風になって」の歌詞ではないが「わたしはここにいません」というのが召されたご本人のお気持ちではないだろうか。信者は「後を振り返るな」「思い出に浸るな」「感傷にふけるな」。パウロのような姿勢であるべきだ。

塚本訳 ピリ 3:12
3:12 しかしこれは(何も)既に(それを)捉えたとか、既に完成されているとか言うのでは(もちろん)ない。ただもしや私も(それを)捉えることが出来はしないかと、走っているまでである。私もキリスト・イエスに捉えられたのだから。

 ●以下の5行は、上記の画をgoogleのサイトから取り込む時に張り付いてきた「広告」なので消せません。本ブログとは関係ありません。

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「神には出来る」×7 ++++++++ 所感

2009/07/05 04:32

090705(日)3時15分起床●朝の啓示「神には出来る」×7●人生窮地に陥った時には「神には出来る」と7回心の中で念仏(?)を唱えればよい。なぜ7回か。「7」は聖書でいう「完全数」だから。7回も念じればまず心が落ち着く。これおまじないではない。御心に適う祈りは聞かれる。特に人間関係で、「難しい人」に悩み、「匙を投げたくなる」時はこの「神には出来る」を7回唱えればよい。「必ず道が開ける」。なぜか。「何でもお出来になる」全能の神が味方だから。その関連聖句を掲げる。

塚本訳マタ 19:25-26
19:25 これを聞いて、弟子たちは非常に驚いて言った、「ではいったい、だれが救われることが出来るのだろう。」
19:26 イエスは彼らをじっと見て言われた、「これは人間には出来ないが、『神にはなんでも出来る。』」

塚本訳マタ 9:18
9:18 こう話しておられると、そこに一人の(礼拝堂の)役人が進み出て、しきりに願って言った、「わたしの娘がたったいま死にました。それでも、どうか行って、手をのせてやってください。そうすれば生き返りますから。」


塚本訳2 ルカ 7:8
7:8 というのは、わたし自身も指揮権に服する人間であるのに、わたしの下にも兵卒がいて、これに『行け』と言えば行き、ほかのに『来い』と言えば来、また僕に『これをしろ』と言えば(すぐ)するからです。(ましてあなたのお言葉で、病気が直らないわけはありません。)」

塚本訳 マタ 26:52-53
26:52 その時イエスが言われる、「剣を鞘におさめよ。剣による者は皆、剣によって滅びる。
26:53 それとも、父上にお願いして十二軍団以上の天使を今すぐ送っていただくことが、わたしに出来ないと思うのか。

新共同 出 3:20
3:20 わたしは自ら手を下しあらゆる驚くべき業をエジプトの中で行い、これを打つ。その後初めて、王はあなたたちを去らせるであろう。

新共同 出 34:10
34:10 主は言われた。「見よ、わたしは契約を結ぶ。わたしはあなたの民すべての前で驚くべき業を行う。それは全地のいかなる民にもいまだかつてなされたことのない業である。あなたと共にいるこの民は皆、主の業を見るであろう。わたしがあなたと共にあって行うことは恐るべきものである。


新共同 詩 23:4
23:4 死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖/それがわたしを力づける。

●この「神には出来る7回」法(?)は万能のツール。人間関係だけではなく、難病、難産、仕事上の難問、経済的ピンチなどなと。人生窮地に陥ったらこの方法が最高、最善だ。●人間関係で最も難しいのは「夫婦関係」、次が「親子関係」、次が「嫁姑関係」。これに比べて職場や組織の人間関係などは軽い。なぜか。しばらくがまんすれば「人事異動」がある。●教師にとって「難しい生徒」がいた場合、「もう少しで卒業する」と「匙を投げる」ことではなく「神には出来る7回法」を実行してみることがよい●神にとっての最大難問は「罪の赦し」。これには神も困ったのだろう。遂に独り子を殺すという「策」に出た。これが十字架だ。道が開けた。これを信ずれば人間だれでも罪から救われる。奇跡的に助かる。過ぎ去った過去の「罪」「失敗」「悔むこと」。この人生最難問から救われるのは「神にきりお出来にならない」。しかしそえれは「神にはお出来になる」●嘘だと思うなら「信じる」ということを「実験」してみるがよい。人生は一度限り、ダメでモトモト。「お試し」は「無料」だ。特に無教会主義は全く無料。しかも追いかけてこない。尾を引かない。●ただし「信じる」ときは「ひやかし」ではなく「崖から飛びこむ気持ち」で信じ込まなくてはいけない。建築設計も同じであった。真剣に頼んできた人にはしっかり受けtめたくなるのだ。神も同じはずだ。 ●妻と集会に。集会は丹野、大山(フォードの経営)、高橋(不条理な人生をどう捉えるか)●小寺ご夫妻と新宿で昼食●妻は「西東京合唱団」のフォーレ「レクイエム」を鑑賞(昭島)●帰宅したが綿のように疲れてなにもできなかった。








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全盲の方々に学ぶ ++++++++ 所感

2009/07/04 08:27

090704(土)5時起床●朝の黙想「信仰は全盲の方々に学ぶ●明日の感話はヨハネ9章「シロアム池の盲人」。その配布資料の一部に次のことを書いた。

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●信仰は全盲の方々に多くを学ぶ。「心の目」が明いていて明るいからである。●私が(直接間接に)関わる全盲の方々。                 

①新垣勉(自分を捨てた両親への復讐心が消える)②Mさん(4重苦で誕生。家族4人をキリストに導く)③長島愛生園の方々(愛真高校生徒の名前を暗記していて毎日祈る)④大塚紀美(故人。ビルを失ったが嫁が信者に)⑤網野悦子(復活の希望に顔が輝く)⑥星野利男(耳も遠いが「何のこれしき」と笑う)⑦黒崎幸吉(故人。晩年失明したとき「目は見えんが先は見えちょる」と言われた)

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上記⑤の網野悦子さん(徳島県)は無教会全国集会2005東京で檀上から話された。「25歳の時に失明。教会で『明日のことを思いわずらうな』という聖書の言葉(マタ6:34)を聞いた。その時から次のように祈った。『神様、明日のことを思いわずらうなというなら、この私の目を明けてください。もしできないのならこの命をお取りください』と。結局わたしの目は明きませんでしたが、イエス様は私の光となってくださいました。それからもう25年がたちました。」わたしは会の終了後網野さんと一緒に食事をした。目の前に座る網野さんに対峙させられた。「彼女に向って何と声をおかけするか」神に試されているようであった。私は絞り出すように言った「次があります。復活があります」それ以上、お慰めする言葉は見つからなかった。その2年後の2007年に再び網野さんと出会った。手をひいておられた貝出久美子さんという方が、網野さんに「ホラ、高橋さんですよ。高橋さんですよ」と言って手を出すように仕向けた。すると網野さんは私の手を触りながら「あー、あのお家が全焼になった高橋さん?」と私のことを覚えていてくださった。網野さんは「心の目」が明いていたので覚えておられたのだ。このお二人を主に導かれたのは徳島の吉村孝雄さんだ。●思う。もし網野さんの肉の目が明いたら信仰を持ち続けることはあるいは無かったかもしれない。イエスは次のように言う。

塚本訳  マタ 18:9
18:9
もしまた目があなたを罪にいざなうなら、くじり出して捨てよ。両目があって火の地獄に投げ込まれるよりも、片目で(永遠の)命に入る方が仕合わせである。

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秋留台公園。緑の野はよい。

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草とりは大変そうだ。福島で農業をやっている三男の苦労を思う。神からの慰めと癒しがありますように。

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最近見かけなくなった「案山子」。芸術的で癒しだ。うるおいだ。

●午後は明日の感話の準備と「黒崎幸吉註解新約聖書デジタル化プロジェクト」の引照入力。●16:15妻は集会の釘本寛子さん(あきる野市在住)のお見舞いに出かける。多くの人が御高齢になって集会にも来られなくなった。

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

       http://stonepillow.dee.cc/

 

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一番恐るべきこと ++++++++ 所感

2009/07/03 06:24

090703(金)夜半に目覚めて、そのまま寝つけず5時起床●朝の黙想「一番恐るべきこと」。それは「神の祝福が去ること」である。人、家庭、企業、教会、集会、国などから「神の祝福が去る」と急速にあっという間に瓦解する。●季刊「無教会」(8月夏号)という雑誌の巻頭言に次のように書いた。(一部)

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『無教会』に新しい「命」である若い人が生まれないのはこの使徒伝承の連鎖が途切れていることが原因であると私は考える。『無教会』は信仰を失ったのではあるまいか。神の祝福が去り、命が取られるという一番恐るべきことが起きているのではあるまいか。(ロマ書11.1

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窓を開けると濃霧の朝。人生も先が見えないものだなー。

●次回感話ヨハネ9章。シロアム池の盲人」。私が関わる4人の全盲の方のことを話題に出す。(AT氏、Mさん、OKさん、HTさん)●イエスはなぜ肉体の癒しを行ったか。心の中の見えない「罪の赦し」ということが事実であることを肉眼を明けるという誰もが分かる形で示すためであった。「罪を赦せるなんて嘘だ、内面の見えないことだからなんとでも勝手に言えると思っていたユダヤ人にカッとなって思わず。「ジャー外面の肉体の癒しを通して内面の罪の赦しが事実であることを示そう」と思って奇跡をおこなったのだ。その聖書的根拠は次である。

塚本訳 マコ 2:7-11
2:7 「この人はなぜあんなことを言うのだろう。冒涜だ。神お一人のほか、だれが罪を赦せよう。」
2:8 イエスは彼らがひそかにこう考えているのを、すぐ霊で見抜いて、「なんで、そんなことを心の中で考えているのか。
2:9 この中風の者に、あなたの罪は赦された、と言うのと、起きて担架をかついで歩け、と言うのと、どちらがたやすい(と思う)か。
2:10 では、人の子(わたし)は地上で罪を赦す全権を持っていることを知らせてやろう」と彼らに言いながら、中風の者に言われる、
2:11 「あなたに命令する、起きて担架をかついで、家に帰りなさい。」

●イエスがカっとなったのは次の通り。カッとなったとは書いてないが「心に憤りながら」と書いてある38節)。私だったらここのところは「カッとなって」と意訳すんだがなー。ここの所、40節でもイエスは「カッとなって」いる。「(さきほども)あなたに言ったではないか」がそれである。「イエスの病気治療の動機はユダヤ人の不信仰に「カッとなった」ことによるのだろう。これは自分がすぐ「カッとなる:癖があるので自分をを省みての「素人読み」である。

塚本訳 ヨハ 11:37-40
11:37 しかし中には、「盲人の目をあけたこの人にも、このラザロが死なないように出来なかったのか」と言う者もあった。
11:38 そこでイエスはまたも心に憤りながら、(ラザロの)墓に来られる。墓は洞穴で、入口に石を置いて(ふさいで)あった。
11:39 「石をのけなさい」とイエスが言われる。死んだ人の姉妹のマルタが言う、「主よ、もう臭くなっています。四日目ですから。」
11:40 イエスがマルタに言われる、「信ずれば神の栄光が見られると、(さきほども)あなたに言ったではないか。」

●東急に注文してあったメガネを取りに行く。オーダーだから楽でよくみえる。建築もオーダーがよい。心の襞に合わせて設計するから「満足度」が違う。キリスト教の救いもオーダーが良いのだ。イエスは「人を見て法を説いた」。教会や集会も向き向きがあって「しっくり」いくところがよいのではないかなー。教派が多数あるというのはそういう意味ではないのかなー●14:30山川歯科。銀歯の土台作り。建築と同じで土台は入念作業。

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4人のマリアは同一人物か? ++++++++ 所感

2009/07/02 07:24

090702(木)5時起床。●6:25妻は13日からの北海道トムラウシ登山の「足慣らし」のために仲間たちと小田原近辺のハイキングに出かける●新約聖書にたびたび出てくるマリア4名(イエスの母を除く)は同一人物であるのか?という興味ある問題について、「黒崎幸吉註解新約聖書デジタル化プロジェクト」の2名に送ったメールを公開する。(一部改変や省略)とにかく聖書は自分の目で読んで「自分が感じる」ところに重大な意義がある。聖書をローマ法王や牧師の解釈するところに従ってはいけない。自分自身の頭で読んで「カン」を働かせて「あーそーか」と思う時に初めてキリスト教が日本に定着したと言える。そこに聖書読みの「迫力」というものもある。

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OM様 YT様(090701)

ルカ10章38-42説に出てくるマリアについて考えました。自分で直接聖書にあたって素人の直感で感想を持つのが「素人読み」の極意と思います。

マリアは有名な箇所として4回出てきます。

➀ルカ10章のマリア  (もてなしをしなかった怠けのマリア)

②ヨハネ11章のマリア (ラザロの兄弟のマリア)

③ヨハネ12章のマリア (ナルドの香油の罪の女のマリア・・・氏名不詳)

④ヨハネ20章のマリア (墓で泣くマグダラのマリア)

 

このうち①と②のマリアは同一人物と感じます。その理由は①では積極的なもてなしをしなかったこと。動きが悪い。②でもイエスが来たと言ってもすぐ動こうとしなかった。つまり、何か病気だったか、動きが悪い。おそらく①と②のマリアは同一人物。

③と④も同一人物ではないか。その理由。④の「墓で泣くマリア」はヨハネ2018でマグダラのマリアであることは確定。問題はこのマリアが③の「ナルドの香油の罪の女」のマリアと同一の可能性が高いのは、ルカ8:2に「7つの悪鬼を追出されたマグダラの女と呼ばれたマリヤ」(塚本訳)とあることから、「罪の女」というのが直感的印章。

とすると、マリアは2名ではないのか

、一人は「動きの悪いマリア」①②

もう一人は「罪の女のマリア」③④

これ素人の「カン」です。

そうすると怠け者で罪の女という姿が浮かび上がります。箸にも棒にもかからないような「屑」のような人間を神は愛した。

聖書は引照もそうですが自分の「カン」で読むのが一番面白く、その素人読みが尊いものであると解します。

「黒崎P」で私のマリア推測ができて感謝です。

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●ところがこの素人の「カン」は崩れた。そのことを二人に次のようにメールした。

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OM様 YT様(090702)

ところが、昨夜次の箇所があることを発見(?)。私の「カン」は崩れました。

 

新共同 ヨハ 11:2

11:2 このマリアは主に香油を塗り、髪の毛で主の足をぬぐった女である。その兄弟ラザロが病気であった。

 

つまり、これによれば昨日のメールにおける②と③は同一人物ということになります。すると私の「カン」(もうたよりになりませんが)を土台にすると、4人のマリアは同一人物か?。

これ以上は追及に時間がかかるのでやめます。妻とも話し合いましたが、妻は①と②は同一人物だとは思っていたようですがそれと③④との関係ははっきりしていないようでした。その話し合いの時、「怠け」とか「動きの悪い」とかのあだ名はよくないと指摘がありましたので、「ゆっくりのマリア」に訂正いたします。しかし本件は実に興味ある問題です。推理問題です。

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●聖書は引照を含めて、これ「自分の頭で読む」ところに深い意味がある。それを「間違った読みをしてはいけないから法王や牧師や先生が読んであげる」というのは大不親切。それは薄められた牛乳であって栄養価が低いばかりかときには雑菌が混入している。●今回の「マリア推測」で聖書は間違ってもよいから「自分で読んで自分で感じる」ところに我が国に福音が定着する最重要の鍵があることを感じた。これおそらく内村、塚本、黒崎が悲願としたところであろう。しかし無教会はその後がいけない。聖書を商売にする「聖書学者」が生まれた。大学者だからなおいけない。またその大学者の「研究余滴」や「感想」を喜んで聞く「追従信者」が生まれた。そういう信者は薄められた栄養価のない牛乳を飲んでいるので成長しない。●某氏にメールが届かないので苦慮したが、結局アドレスが変更になっていた。この点郵便ならば、一年間は転居先に届けてもらえるが、メールはそうはいかないようだ。一番確実安全で意思疎通ができるのは「電話」次が「郵便」。やはり信用できる。メールは。「開封確認」などの応答があれば別だが、不安だ。よくない●相手の悪いところ、欠点、弱点を指摘するのはよくない。それが正しくても聞く方ではカチンと来る。悪いことを指摘しなくても相手に自分で気付かせるのが最高の方法。しかし難しいことだ。「赦すことが最大の裁き」だということを聞いたことがある。別の言い方では「相手の欠点弱点の重荷を黙って負うことが最大の注意」なのだ。

 

 

 

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