to 日記と感想 2009年10月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170821(土)15:00お江戸コラリアーズ定期演奏会、文京公会堂
    170809     TW誕生日
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170706      TM誕生日
    170701      TT誕生日
    170628       IY誕生日
    170625(日)14:00羽村フィル、ゆとろぎ。モーツァルト40番、チャイコフスキー5番
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール
    170610(土)14:00内村鑑三セミナー、立教大学12号館。矢田部、椚」山
    170609(金)   TS命日
    170608(木)12:15ボリショイ「白鳥の湖」、東京文化会館
    170707(水)10:00池谷医院
    170604(日)10:00集会感話、
    170604(日)16:30近藤恵邸起工式、福島市。
    170530(火)14:00田岡氏来訪
    170527(土)14:00今井館ピアノコンサート
    170521(日)14:00新宿フィル、ブラームス1番、レスピーギ「鳥」「ローマの松」。和田睦夫
    170425       TN)誕生日
    150420(木)09:30阿伎留センター泌尿器科)
    170416(日)14:00武蔵野室内合奏団、杉並公会堂(大坪満子)


肉の家族か霊の家族か ++++++++ 所感

2009/10/31 07:41

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

       http://stonepillow.dee.cc/

 

091031(土)3時頃目覚め、あとは寝つけず。瞑想。「肉の家族か霊の家族か」●TSK日本語化、マルコ2:1-5●明日の感話の資料がギリギリで直した。その目次。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

泣くな!崩壊家庭の子供

・・・悩みの日にわたしを呼べ 詩篇50:15a・・・

 

   2009年11月1日 東京聖書読者会 高橋照男

① 驚くべき離婚率

② 崩壊家庭の子供はこの世的に不利

③ 崩壊家庭の子供の救い

④ 霊の家族に生きる喜び

⑤ 老いの悲しみと霊に生きる喜び

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

上記の内、④は次の通り。

④ 霊の家族に生きる喜び

塚本訳 マコ 10:29-30
10:29
イエスは言われた、「アーメン、あなた達に言う、わたしのため、また福音のために、家や兄弟や姉妹や母や父や子や畑をすてた者で、

10:30
今、この世で──迫害のうちにおいてではあるが──百倍の家と兄弟と姉妹と母と子と畑とをまた来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。

神なき肉の関係の家庭には平和がないことになっている。真の幸福は肉の家庭ではない。聖霊によって生まれる人間関係が真の兄弟姉妹の家庭なのだ。肉の家族ではなく霊の家族。

塚本訳 マタ 12:46-50

12:46 イエスがまだ群衆に話しておられると、そこにその母と兄弟たちがイエスに話しがあって、外に立っていた。

12:47 〔無し〕

12:48 しかしイエスはそのことを知らせた者に、「わたしの母とはだれのことだ、わたしの兄弟とはだれのことだ」と答えて、

12:49 弟子たちの上に手をのばして言われた、「ここにいるのが、わたしの母、わたしの兄弟だ

12:50 だれでもわたしの天の父上の御心を行う者、それがわたしの兄弟、姉妹、また母であるから。」

 

塚本訳ピレ 1:10

1:10 あなたにお願いするのは、わたしが縄目のあいだに(福音によって)生んだわたしの子オネシモのことである。

 

塚本訳 Ⅰテモ1:2

1:2 (わが)信仰の本当の子なるテモテに手紙を遣る。願う、父なる神とわれらの主キリスト・イエスよりの恩恵と憐憫と平安あれ!

 

塚本訳 Ⅰコリ4:15

4:15 たとえキリストにある家庭教師は無数にあなた達にあっても、お父さんは沢山はないのだから。キリスト・イエスにあって、福音により、わたしがあなた達を生んだのではないか。

ダンテが彼を天国に導くヴァージルに初めて出会った時、ダンテは叫んで言った「お助けください、人であれ影であれ、この私をお助けください」。するとそのヴァージルは次のように答えた「今は人ではないがかっては人だった・・・・・・」と。(ダンテ「神曲」地獄篇第一歌65-67)

あの賀川豊彦は妾の子であった。賀川豊彦の記念会で村田四郎牧師は言った。「妾の子とさげすまれて淋しかった少年賀川を米国宣教師のマヤスとローガンはキリストに導いた(米国に感謝)。そのとき神は賀川に襲いかかったのだ」と。汚れた血統の賀川は神の霊に生まれて清められ別人になりあれだけの働きをした。霊南坂教会の小崎道雄牧師などが奔走してノーベル平和賞に推薦したが、ならなかった。賀川は天のノーベル賞だ。内村は離婚した。崩壊家庭である。その離縁された女性、浅田タケの子孫から熱心な伝道者の日永康氏が誕生した。氏は内村の肉の血統ではなく神の国の霊の血統に連なっている残念ながら家庭が崩壊した子孫にも、否、そういう子孫からの方が霊の家系に連なる人が生まれる。神はそこらの石ころからでもアブラハムを造ることができる。(マタ39)●無教会の子弟でクリスチャンになる人は少ない。信仰は一代だ。肉の血統に「代」はあっても霊の血統に「代」はない。霊に生まれたクリスチャンは常にいつでも一代だ。古い教会や集会には肉の血統や関係を誇る「古き人間」が幅を利かしているから禍である。新任牧師が萎縮する。霊に生まれた者は、自分の肉の家系の汚れに悩むな、親類縁者の家庭崩壊に悩むな。汚れた系図を悩むな。家庭の悪さに引け目を感じるな。永遠に生きる「神の子になれたのだ」。●某死刑囚。処刑の前に長い祈りをして、周囲の看守たちに「長々とありがとうございました。私はこれから父の御許に参ります」と言ったという。見送りは牧師一人であったらしい。

口語訳 詩  27:10

27:10 たとい父母がわたしを捨てても、主がわたしを迎えられるでしょう。

 

●イエスが頭に手を乗せて祝福した子供は崩壊家庭の子供ではあるまいか。

 

塚本訳 マタ 19:15

19:15 それから子供たち(の頭)に手をのせて祝福したのち、そこを去られた。

●さらば、泣くな!。崩壊家庭の子供。救いはある。霊に生まれることだ。そして来世は有体的復活だ。永遠の命に生きる喜びだ。人生は短い。その喜びはこの現世でも味わえる。

塚本訳 マタ 5:4

5:4 ああ幸いだ、『悲しんでいる人たち、』、(かの日に)『慰めていただく』のはその人たちだから

 

塚本訳 ルカ 16:25

16:25 しかしアブラハムは言った、『子よ、考えてごらん、あなたは生きていた時に善いものを貰い、ラザロは反対に悪いものを貰ったではないか。だから今ここで、彼は慰められ、あなたはもだえ苦しむのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●妻は中野の愛子の所に行く●明日の感話のプリント●14:10キララホールで「カンツォーネ研究会」発表会。こういう世界は初めてだが、これも勉強。

 

 

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聴かれる祈りとは何か ++++++++ 所感

2009/10/30 06:24

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091030(金)5時15分目覚め●朝の黙想「聴かれる祈りとは」●TSK]日本語化。マルコ1章終了、今日は5節出来た。この調子だと新約聖書は3年でできる。そのあと元気ならば旧約は9年ぐらいか。●「聴かれる祈りとは何か」

塚本訳 マタ 6:6
6:6 あなたが祈る時には、『奥座敷に入り、部屋をしめきった上で、』隠れた所においでになるあなたの父上に『祈れ。』そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。

●一人でボソボソと祈る方がよいらしい。●なけなしの財布から人に援助すると、神は見ていて満たしてくださる。これ神が祝福してくださる家庭。神は見ている。

塚本訳マコ 9:23
9:23 イエスは言われた、「もしお出来になるなら(と言うの)か。信ずる者にはなんでも出来る。」

●生まれたままの人間は「まさか」と思うのが自然。そこをひっくり返したのがイエスの奇跡。イチカバチかで頼み込むのが信仰●溺れる者は藁をもつかむ、なりふりかまわずの姿勢でよいのだ。

塚本訳マタ 17:20
17:20 彼らに言われた、「信仰が無いからだ。アーメン、わたしは言う、もしあなた達に芥子粒ほどでも信仰があれば、この山に向かい『ここからあそこに移れ』と言えば移り、あなた達に出来ないことは一つもない。」

●病気や貧困は「困難な山」。それがいつの間にか過ぎ去っても人間は神に感謝しない。

塚本訳マタ 19:25-26
19:25 これを聞いて、弟子たちは非常に驚いて言った、「ではいったい、だれが救われることが出来るのだろう。」
19:26 イエスは彼らをじっと見て言われた、「これは人間には出来ないが、『神にはなんでも出来る。』」

●人間には出来ないが神なら何とかしてくださるという「虫がよい」「あつかましい」態度が信仰。それでよいのだそれでといのだ。

塚本訳 マタ 21:21
21:21 イエスは答えられた、「アーメン、わたしは言う、もしあなた達に信仰があって疑わないならば、この無花果におこった(と同じ)ことをすることができるばかりか、この山にむかい『立ち上がって海に飛び込め』と言っても、その通りになる。

●信じる秘訣は「疑わない」ことだ。拝み倒せば神も何とか力をだしてくださるに違いない。

塚本訳 マタ 18:19
18:19 なお、アーメン、わたしは言う、何事によらず、もしあなた達のうちの二人が心を一つにして地上で祈るならば、わたしの天の父上は(きっとその願いを)かなえてくださるだろう。

●二人三人の証言は信用されるよいうことに通じる

塚本訳Ⅰペテ3:12
3:12 主の目は義人の上に注がれ耳は彼らの祈りに傾く、しかし主の御顔は悪を行う者にうち向かう』。(と詩篇にある。)

●かって集会のあとの報告で藤林益三先生が急いで講壇に立たれ、「〇〇さんが危篤です。皆様、御加祈ください」と言われた。これなどは集会の方々の祈りは聴かれると思われてのことだったのであろう。

塚本訳 ヤコ 5:15-16
5:15 信仰(による真)の祈りは病人を癒し、主は彼を立たせ給うであろう。そしてもし罪を犯して居るならば、赦されるであろう。
5:16 だから互いに罪を告白し、医されるため互いのために祈れ。義人の(熱心な)祈りは働くと大きな力がある。

●祈りは「熱心」でなければならない。熱祈でなければならない。

塚本訳  マタ 6:31-32
6:31 だから、『何を食べよう』とか、『何を飲もう』とか、『何を着よう』とか言って、心配するな。
6:32 それは皆異教人のほしがるもの。あなた達の天の父上は、それが皆あなた達に必要なことをよく御承知である。

●神は祈る前から「必要なもの」は御存知である。その心を信じて祈る祈りが聴かれる。神はそういう信頼の祈りを喜ばれる。

●11:00出発。妻と秋の「あきる野」を散策。

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秋の秋川の紅葉はまだだ。

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秋の秋川は静かだ。讃美歌「しずけき川の岸辺を」を思う。妻を入れたつもりだったのだが。

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秋川。その昔、妻の父をこの辺に案内したことがある。その父も召されて来年で7年になる。時の過ぎるのは川の流れのように速い。

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ドウダンツツジの美しい垣根。この色は日本的だ。下の玉石もいい。

●このあと、秋川の脇で持ってきた弁当を食べる。●そして「午後三時祈りの友」会員、全盲の星野利男さんをお訪ねしたが、ベルを何度押しても出てこられなかった。家に帰ってから分かったことだが、二階おられてベル(それもかなり大きな音がする)が聞こえなかったのだという。しかも午後2時ごろと予約してあったのだが。星野さんは今や全盲の上に耳もご不自由だ。闇でかつ音も聞こえない。何と言うことなのだ。

●今日は合計2時間20分ほど歩いた。


 

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建物の老朽化 ++++++++ 所感

2009/10/29 08:38

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091029(木)5時目覚め●朝の黙想「建物の老朽化」●今朝はネズミなし。●TSK(The Treasury of Scripture Knowledge)の日本語化4節●来週、島根県の愛真高校に行き、建物の老朽化診断と維持保全の対策を検討をする。●11月6日の朝拝で話を依頼されたので「建物の老朽化」の聖書的認識を取り上げる。

口語訳 マタ 6:19-20
6:19 あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。
6:20 むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。

●地上の物理的建物は老朽化する。シロアリ、錆び

口語訳 詩 90:10
90:10 われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。

●人間の寿命は80年程度、鉄筋コンクリートの建物と同じぐらい。木造は維持により長持ちする。

口語訳 Ⅱコリ5:1
5:1 わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。

●永遠の家は有体的復活による「霊の体」のこと。私の家は2000年3月に全焼した。

新共同 Ⅱコリ5:4
5:4 この幕屋に住むわたしたちは重荷を負ってうめいておりますが、それは、地上の住みかを脱ぎ捨てたいからではありません。死ぬはずのものが命に飲み込まれてしまうために、天から与えられる住みかを上に着たいからです。

●地上の建物や肉体は老朽化して「呻く」。天の住みかとは復活のからだ。それは霊の体。イエスの復活がそれを見せてくれた。

塚本訳  Ⅱコリ4:16
4:16 このゆえに、わたし達は気を落さない。いや、わたし達の(生れながらの)外の人はどんなにこわれていっても、(キリストによって生れた)内の人は一日一日と新しくされてゆく。

●人間の体も「老い」でその機能が失われて行く。しかし神に頂く霊の命は「老化」しないでますます明るくなる。

塚本訳 マタ 7:26-27
7:26 また、わたしの話を聞くだけでそれを行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。
7:27 雨が降って、大水が出て、風が吹いて、その家にうちつけると、倒れてしまった。ひどい倒れ方であった。」

●建物がなくなるのは、物理的老朽化ではなく、経済的、道徳的崩壊がほとんど。

塚本訳 マタ 24:1-2
24:1 イエスが宮を出て(オリブ山の方へ)歩いておられると、弟子たちが近寄ってきて、イエスに宮の(堂々たる)建築を指差した。(この宮が荒れ果てるなどとは考えられなかったのである。)
24:2 彼らに答えられた、「あれをすべてよく見ておけ。アーメン、わたしは言う、ここでそのまま重なっている石が一つもなくなるほど、くずれてしまうであろう。」

●エルサレム神殿は石造。石造建築も壊れるが、それは戦争によるか内部崩壊による解体。

塚本訳  ヨハ 2:19-22
2:19 イエスは答えられた、「このお宮をこわせ、三日で造ってみせるから。」
2:20 ユダヤ人が言った、「このお宮を建てるには四十六年もかかったのに、あなたは三日で造るというのか。」
2:21 しかしイエスは自分の体のことを宮と言われたのであった。
2:22 だから死人の中から復活された時、弟子たちはこう言われたことを思い出して、聖書とイエスの言われた言葉と(が本当であること)を信じた。

●地上の建物や肉体は滅びても復活の霊の体は永遠。

新共同 Ⅱペテ1:13-14
1:13 わたしは、自分がこの体を仮の宿としている間、あなたがたにこれらのことを思い出させて、奮起させるべきだと考えています。
1:14 わたしたちの主イエス・キリストが示してくださったように、自分がこの仮の宿を間もなく離れなければならないことを、わたしはよく承知しているからです。

●地上の建物は石でもコンクリートでも木でもそれは」「仮の宿」肉体も「仮の宿」。私の平均余命は16年。

●ラテン語の Memento mori  (メッメント モリ)は「死を覚えて生きよ」という警句。

塚本訳 ルカ 16:9-12
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。
16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。
16:11 だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。
16:12 もし他人のもの[この世のこと]に忠実でなかったならば、だれがあなた達のもの[天のもの]をあなた達に与えようか。

●地上の建物に従事することはこの世限りの「小事」に忠実なること。神と共にあればこの「小事」に熱心になれる。神に迎えられる。

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ラジオ体操の帰途、畑の一隅に菊。農夫の癒しである。

●愛真高校から電話。新型インフルエンザが発生。Ⅰ1月8日まで生徒は帰宅。6日の朝拝は教職員のみが対象。

●9:15 セコムの澤田氏来訪。

●17:00 あきる野図書館。聖書についての本はたくさんあるが聖書そのものがなかったので、購入リクエストしたところ、入れる予定でしたという。The Book と言えば「聖書」のことだから、図書館たるところに置いてないのは恥ずかしいと「苦言」を呈してきた。













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ネズミの遺体処理に思う ++++++++ 所感

2009/10/28 06:27

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091028(水)明け方、妻の「ネズミがかかっているわよ」で起きた。遺体の処理をせねばならないかと思って気分が重かった。寝床で、聖書のなかにネズミがあるかどうかを連想、次に「イエスの亡骸はヨセフに手厚く葬られたこと」「死はなぜ不浄に感じるのか」について黙想。●TSK日本語化●庭に穴を掘ってトリモチにかかったネズミを埋めた。まだ生きているのを生き埋めにした。チューと声を出した。「ぞっ」としたがこれが男の仕事と思って心を鬼にした。●かって中国兵を生き埋めにした日本人が未だその中国兵の叫び声が耳に聞こえてくる苦しみを味わっているという。●とにかく「生き物を殺すこと」は気分が悪い。「殺すなかれ」は人間ばかりでなく「生き物」全般に言えるのではないだろうか。

口語訳 出  20:12-13
20:12 あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである。
20:13 あなたは殺してはならない

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ラジオ体操に行くとき、空に浮かぶ雲が今朝殺したネズミに見えた。「悪かったねー」と心に念じた。

●「生き物」を殺すとなぜこんなにも気分が悪いのかを考えた。きっと神の創造の道理にかなっていないからなのであろうと思う。聖書にその心の咎めを探る。

塚本訳マタ 27:24
27:24 ピラトは(自分のすることが)なんの甲斐もないばかりか、かえって騒動が起りそうなのを見て、水を取り寄せ、群衆の前で手を洗って言った、「わたしはこの人の血(を流すこと)に責任をもたない。お前たちが自分で始末しろ。」

●無実の人間に死刑を下さなければならないことにピラトの良心は傷んだ。これ役人の悲哀。ピラトの良心は水で手を何度洗っても安らぎは来ない。しかしピラトはイエスが宗教家たちの妬みから捕まったのであることを知っていたので必死に赦そうとした。伝説によればピラトはある教派では高く評価されているという。しかしピラトも組織人間の弱み、保身術としてイエスを捨てた。●私のかっての知人は企業の副社長になった時、リストラで多くの人の首を切った。彼曰く「高橋君。俺の手は血で真っ赤だよ」。これ組織人間の保身術の悲哀。彼は経済的に裕福であるが、心の安らぎはあるのだろうか。彼は信仰を捨てたらしい。

塚本訳  マタ 27:3-5
27:3 その時イエスを売ったユダは、イエスの判決が決まったのを見て後悔し、(受け取ったシケル)銀貨三十枚を大祭司連、長老たちに返して、
27:4 「罪もない(人の)血を売って、悪いことをした」と言った。彼らが答えた、「われわれの知ったことではない。お前が自分で始末しろ!」
27:5 ユダは銀貨を宮に投げ込んで去り、行って首をくくった。

●ユダも人の子、良心に責められて自殺した。彼は純粋な人であった。イエスに弟子の一人であった。ユダ自殺の知らせがイエスの耳に入ったとしたらイエスは言ったに違いない。「馬鹿!馬鹿!。俺はお前を赦していたのに」と。


塚本訳 使  10:38-39
10:38 すなわち、『神が』いかに聖『霊』と(大いなる)力と『をもって』ナザレのイエスに『油を注がれ(て聖別され)た』か、このイエスが(あちらこちらを)巡回しながら、恩愛を施し、悪魔におさえつけられている者を皆直されたかを。神がご一緒におられたからです。
10:39 ──(使徒たる)わたし達は、イエスがユダヤ人の地、ことにエルサレムでされた一切のことの証人です。──このイエスを人々は『(十字架の)木にかけて』処刑した。

●イエスが殺されたことに、ペテロが一枚かんでいる。「あの男のことは知らない」と裏切った。上記の説教はユダヤ人に向けてのペテロの説教であるが、ペテロの自己反省のことばでもある。伝説によれば、ペテロは殉教するとき主イエスと同じ死に方ではかたじけないと思い、逆さになって十字架にかかったという。


塚本訳 使  7:57-58
7:57 すると彼らは大声で叫び、(冒涜の言葉を聞くまいとして)耳をふさぎ、一せいに襲いかかって、
7:58 彼を町の外に突き出し、石で打ち殺した。証人たちはぬいだ上着をサウロという青年の足下に置い(て、番をさせ)た。

●ステパノが石打ち刑にされたとき、サウロ(パウロ)はその加害者の一人であったことは上記の箇所で分かる。パウロの罪の自覚の深さの一つはこれが原因でもあったのだろう。ステパノは石打ちで殺されるときあるいはパウロの顔がチラッと見えたのではないだろうか。ステパノは「彼らにこの罪を負わせないでください」と祈って眠りについた。復活のイエスがパウロに現れたのはこの時のステパノの「とりなしの祈り」のためだったのではあるかいか。

●以上を見ると信者は「殺(や)られる」方が福音が伝わる。そこに神の愛があふれ出る。なぜか。ある人間が無実の人間を殺したり、追放したり、排除したり、いなくなってしまえと思ったり、早く死んでしまえと思ったりすると、良心に苛まれるという、責め苦にあう。これ神の摂理、ヒルティの言う「倫理的世界秩序」である。この責め苦は神を信じない人間にも等しく降ってくる。神に愛されている人間だからだ。キリスト教は信者が殺されることによって広まってきた。伝道説教ではなかった。

●もし誰かに恨まれて「死んでしまえ」とか「いなくなればよい」と思われていたら、神が正しい裁きをしてくださると考えるとよい。もし相手が悪い場合はその人に良心の責め苦という懲罰を加えてくださる。

新改訳 出  14:14
14:14 主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。

●ネズミは旧約聖書に8回でてくるが「地をあらすもの」とか「偶像」とか、何かとよくは思われていない。新約聖書には出てこない。

●「死や遺体」は不浄なものと思われているが、遺体を手厚く葬るということは大切なことだ。イエスの遺体はヨセフが手厚く葬った。

塚本訳 マタ 27:57-60
27:57 夕方になると、アリマタヤ生まれの金持でヨセフという人が来た。彼もイエスの弟子であった。
27:58 この人がピラトの所に行って、イエスの体(の下げ渡し)を乞うた。そこでピラトはそれを渡すように命じた。
27:59 ヨセフは体を受け取り、清らかな亜麻布で包み、
27:60 岩に掘らせた自分の新しい墓にそれを納め、墓の入口に大きな石をころがしておいて、立ち去った。

●終日「WEB黒崎」。Ⅱコリ校閲反映●昼食後、図書館から借りたDVDで妻と「モーツァルト・レクイエム」を観賞。コーリンデービス指揮、ドレスデン歌劇場管弦楽団&合唱団。字幕をじっくり読んで、この曲の死者に対する「とりなしの祈り」を味わった。死後の裁き、贖罪、復活が見事に歌われている。

 

 


 

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不幸は真の幸福のために必要 ++++++++ 所感

2009/10/27 06:02

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091027(火)5時起床●朝の黙想「不幸は神の見世物にされること」●TSK日本語化●ヒルティの幸福論Ⅲは真の幸福は不幸を通じてもたらされるものだということを言っている。真の幸福はこの世の幸福と思われるものが次々と奪い去られることによって見出されるものだからである。だから「不幸は真の幸福のために必要」というのである。●これを信仰的にもう一歩考えを深めると「神は人間の不幸を通じて御自分の愛の何であるかを世に語る」ことである。当の人間は「神の愛も何もあったものではない何でこの俺がこんな不幸に会わねばならないのだ、神は愛ではない」と神が見えなくなりそうな時があるが、そこに神の深い目的がある。イエスが「エリ、エリ」と叫んだときは一瞬神が見えなくなった時である。神を疑った時である。このとき一番つらかったのは「父」なる神であった。愛児の必死の願いを退けたのだ。●イエスならぬ我々においても「一見不可解な不条理なところに神の恵みの知恵が隠されている」。それは同時にこの世に神自身が御自分の愛の何であるかを示そうとされることでもある。神がこの世に語る手段として我々の不幸が利用される。「さらば、泣くな!崩壊家庭の子供。キリストの血潮で清められるのだ」「さらば、泣くな!直りにくい病気にかかった人、真の体は肉体でなく霊の体だ.心の病が直れば難しい精神的病気は直る。」「さらば、泣くな!死の悲しみに震える人。有体的復活がある」。これらの不幸は私自身の体験を通して真実であることを告白できる。この証言のために残りの命を使い果たそう。●だから十字架と三位一体と有体的復活を伝承していない教会や集会やエクレシアは神の救いの機能を有してないから直ちにやめるべきである。解散すべきである。「キリスト教の看板に泥を塗るだけである」「滅びよ!」

新共同 Ⅱコリ12:15a
12:15 わたしはあなたがたの魂のために大いに喜んで自分の持ち物を使い、自分自身を使い果たしもしよう

塚本訳  Ⅱコリ1:4
1:4 どんな苦難の時にもわたし達を慰めてくださる神、こうしてわたし達自身も神に慰めていただくその慰めをもって、どんな苦難の中にいる人たちをも慰めることが出来るのである


塚本訳 ヨハ 9:25
9:25 彼が答えた、「罪人かどうか知りません。ただ、(もと)盲であったわたしが、いまは見えるという、この一つのことだけ知っています。」

●8:00台所の流し台の上にネズミがかぼちゃの種を食い荒らした跡。妻からの報告を受けて、退治する方策を検討。ネズミの嫌いな超音波発信機(安いもの)で平和的に追放しようと考えたが、2001年12月の日記(ネズミ発生)を見て、それが効果がなかったことを知り、その時と同じくトリモチボックスを購入して「死刑!」ということに決定。過日三男の恵がキャベツにつく虫に悩んでいる時「虫も必死だ。平和共存の道を探れ」とメールで説教したが、イザ自分の家の鼠のことになるとそんなことをすっかり忘れて「死刑!」の決定。こういう矛盾があるから私は子供に「躓かれた」のだ。「言っていることと、やることが違う」。子供は見ている。自戒。●イエスにも矛盾、パウロにも矛盾があった。人間だった。●夕方、コンビニから航空チケットの支払。便利になったものだ。●図書館で鍋谷堯爾「老いと死を考える」を読む。日本人の死生観は「自然」。アウグスチヌスの死生観は「頭」。どちらも「喜び」がない。死の悲しみを突破する道はイエスそれ自身の「思想」ではなく神がイエスの有体的復活を見せて、人類に「安心せよ」、来世は実在するお示してくださったことである。その使徒伝承を信じて胸を熱くされ、来世での復活への希望を持つことにある。

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久しぶりによく晴れた。朝の富士

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昼、秋晴れの雲。スゴイ造形だなー。

 


 

 

 

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福音は人を介して伝わる ++++++++ 所感

2009/10/26 08:35

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091026(月)3時45分起床●昨日の「塚本先生第36回記念会」での30人のスピーチを総合すると、福音は「人を介して伝わる」ということがますます理解できた。塚本先生から直接、あるいは友人知人に塚本先生を紹介されたというようにして信仰を得たという証言が多かった。●このことから次の聖句が思い浮かんだ。

塚本訳 ヨハ 14:9
14:9 イエスは言われる、「ピリポ、こんなに長い間一しょにいるのに、あなたはまだわたしがわからなかったのか。(父上とわたしとは一つである。)わたしを見た者は父上を見たのだ。どうして『父上を見せてください』と言うのか。

●目に見えない神のことはイエスという歴史的実在を介して人類に示された。しかしこの神の親切がユダヤ人に逆に「躓き」となった。

●どんなに素晴らしい信者が存在しても、それに接する人で救われる人と救われない人がいる。この世で「救われる人と救われない人」がいるのは神が掌握しておられる。多くの信者に慕われ尊敬される大伝道者の子供必ずしも信者にならない。ここにその家庭の涙がある。

塚本訳 ヨハ 5:39-40
5:39 あなた達は聖書(旧約)をもっていることが永遠の命を持っていることのように思って、それを研究している。ところがこの聖書は、(永遠の命である)このわたしのことを証明しているのに、
5:40 あなた達はその命を得るためわたしの所に来ようとしない。

●聖書それ自身は人に何も語りかけない。これを証言するという「人物」が必要。大脳皮質、それも文字を読む左脳からだけでは福音は伝わらない。

●某氏(未信者)の家に行ったら本棚に聖書があった。それを見た私はこれを説く人がいないといけないなーと思った。教養のある人の本棚には聖書がある。

●その人のことを「祈る人」がいないと福音は伝わらない。

●翻訳の良し悪しで福音が伝わったり伝わらなかったりすることはない。「神は愛ではない」と訳す聖書はない。翻訳の微妙な違いのところは「どうでもよい」ことが多い。


塚本訳Ⅱコリ3:3
3:3 (実際)あなた達はわたし達によって配達されたキリストの手紙であって、インキでなく生ける神の霊で、また、(モーセ律法とは違い)『石の板』にではなく『人の心の板』に書かれていることが、知れ渡っているのである。

●聖書がなくてても福音は伝わる。しかし人がいなければ伝わらない。福音は真空では伝わらない。あえて言えば「犠牲死」で伝わる。

●イエスは「本」を書かなかった。使徒伝承が大切なことは福音は書物でなく人から人に伝わるものであることを示している。それは祈りと十字架と犠牲死。頭と口の説教ではない。

●島根県愛真高校のOK先生から建物改修のご相談。11月4-6日に伺うことにした。

 





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使徒伝承は行われているか ++++++++ 所感

2009/10/25 06:04

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091025(日)5時10分起床●朝の啓示「使徒伝承は行われているか」●TSK日本語化マル1:25-27●「使徒伝承は行われているか」について黙想。キリスト教2千年の伝統は使徒伝承であった。組織の継続でなく、神学の継承でなく、人間の継承でなく、使徒伝承の継承である。それが行われていれば外側の形態(教会、集会、行動)はお国柄、人柄でいかようでも構わない。●無教会の歴史的本質はこの「使徒伝承」(それは正統信仰)の継承から始まった。ところがその後その継承が退潮して今や無教会主義ではなく「無・使徒伝承」主義となった。神に喜ばれないのは当然である。今や無教会から神の祝福は去った。やるべきことをやっていないからである。何をやっているかというと、社会批判とイベントやお祭りの遊びである。集会維持第一、はたまた人間である先生の宗教思想や雰囲気や行動の継承宣伝である。これ信仰者の堕落の姿である。神は「遊び人」を嫌う。●しかしこう批判すること自体が間違っている。「ない袖」を振れというものだからである。批判しても袖は出てこない!。●パウロは自分の福音は「エルサレム教会」から受けたものだと言って、喧嘩別れしたエルサレム教会とのつながりをあくまで持とうとしている。そしてコリントの教会に対してエルサレム教会の貧しい「聖徒」に献金を呼び掛けている。(Ⅱコリ9章)。これ喧嘩別れしたとはいえ大使徒たち、つまり使徒伝承の源流に敬意を払っている姿である。福音は真空から生まれない。有体的復活の歴史的事実に根拠を置き、その伝承に土台がある。聖書的根拠は次であるが、特に無教会主義者塚本虎二訳Ⅰコリ15:3における「エルサレム集会から」という敷衍は重要である。


塚本訳 Ⅰコリ15:3-4
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、

●妻と集会に行く。集会は丹野、大山、横田(リマ文書)●14:00第36回塚本虎二先生記念会。全30名。全員感話。塚本先生の人格があらわれたような明るい喜ばしい雰囲気になった。●私のスピーチ。「WEB黒崎」には使徒伝承正統信仰の国宝級のもの(敷衍訳塚本訳新約聖書と黒崎幸吉註解新約聖書)が入っていること。シューベルトの未完成交響曲(塚本虎二改訳新約聖書も未完成)はシューベルト死後約60年経って世に認められるようになった。塚本訳も黒崎註解も今から50年、100年後のその真価が見出されるであろう」

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新米収穫の喜び ++++++++ 所感

2009/10/24 08:48

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091024(土)福島県で無農薬米を作っている三男のK(http://chitata.com/)から、新米の注文を受け付けるとの案内が届いた。農業は苦労も多いが収穫の喜びはよそでは味わえないものであることが添付の文章に現れていて、わたしもうれしくなった。その案内文に対する返事の一部を公開する。一部加筆修正。

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K君

(前段省略)

さて文章を書く技術ですが、くどいぐらいにダメ押しで書くことが必要です。なぜか。文章を書く人は情報が自分の頭にだけあるので、思想が短絡しがちです。自分の思想を相手に伝えるときは自分の頭にある思想をもう一度取り出して相手に示すのです。そうしないと読む人に思想の連絡が伝わりません。これは特に自然科学技術の分野では「間違い」を防ぐいために重要です。「くどい」と言われてもこの「親切」をしなければなりません。

御父さんの赤字の補筆では「自慢めいた」ことになりますがこういうこともはっきりさせるために必要です。「自慢文章」はお父さんの場合は「度が過ぎる」ことがあってよくお母さんに注意されますが、これも「言わんとする意味をはっきりさせる」親切心からなのです。K君からは「それ前に聞いたことがある」と指を4本出されることがあるのですが、「大切なことなので」くどく言っているつもりなのですが、(笑)。・・・・・

さて「続々と新米の注文がある」とは嬉しいではありませんか。

申し込み書に私の名前が打たれているところがまた良かった。この私を知ってくれているという証しです。

 

仕事というのは相手の顔が見える範囲に留めるのが喜びがある秘訣です。心と心が通うからです。建築設計も同じで小さい建物の方が面白いのです。これが大量(巨大)になると人の顔が見えなくなって「金の顔」ばかりが見えてきます。すると、人間としてもっとも大切な「労働の喜び」が消えます。市場経済において人の心が病む原因はここにあります。人間は仕事の大きさや金の量では真の喜びは得られないからです。

 

仕事がおもしろい時は肉体が知らず知らずのうちに疲労しています。日曜日は完全休息が大切です。神も休みました(創世記22-3

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秋留台公園でのラジオ体操のあとは多くの人がグラウンドの周りを一周散歩する。こういうときおしゃべりするのは女性たち。

●終日「WEB黒崎」引照入力●夕方から妻はモーツァルト「レクイエム」の練習に出かける●私は図書館で鍋谷堯爾「老いと死を考える」を読む。●明日の塚本虎二先生記念会のスピーチの準備

 

 

 

 

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あらゆる苦難を慰める力 ++++++++ 所感

2009/10/23 06:27

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091023(金)5時起床●朝の黙想「あらゆる苦難を慰める力」●TSK日本語化。マルコ1:19-21●昨日は久しぶりに96歳のSTさんからお身体ご不調のお電話を頂いた。66歳の若僧の私は年齢も信仰も大先輩に向かって「お慰め」の言葉もないが、待てよ、主の慰めは人間的な慰めではないので年齢や経験には関係ないものだと思った。生ける主の力がこの「若僧」から「も」流れ出ていけばそれで少しは大先輩の「お役」に立つことになるのではないかと思う。その聖書的根拠は次である。

塚本訳 Ⅱコリ1:4-7
1:4 どんな苦難の時にもわたし達を慰めてくださる神、こうしてわたし達自身も神に慰めていただくその慰めをもって、どんな苦難の中にいる人たちをも慰めることが出来るのである。
1:5 というのは、キリストの苦しまれた(苦しみをわたし達は共に苦しむので、その)苦しみがわたし達に満ちあふれるのと同じように、わたし達の慰めもキリストを通じて満ちあふれるからである。
1:6 (すなわち)わたし達が苦しめられるにしても、それはあなた達の慰めとなり救いとなるためであり、わたし達が慰めていただくにしても、それはあなた達の慰めとなるためであって、その慰めが働いて、わたし達がうけるのと同じ苦しみをあなた達は耐え忍ぶことが出来るのである。
1:7 そしてあなた達に関するわたし達の希望は動揺しない。あなた達は苦しみを共にしてくれる者であると同じように、慰めをも共にする者であることを知っているからである。

●それにしても「聖書を説く」ものは、「自分の苦難がが聖書で慰められ、救われた」そのことを伝えることでなければ、単なる受け売りか借り物の説教になってしまう。

●主の慰めは「人間的なもの」ではない。それは罪の赦し、現世の肉の痛みの解消、それに来世での有体的復活の約束。この三点だ。

●「WEB黒崎」引照入力。Ⅱコリ10章。パウロがローマで殉教したのはおそらくローマ。その時のローマ皇帝は「ネロ」。イエスの十字架刑の時の皇帝はオクタヴィアヌス。ローマ帝国は史上最強の国家であったが、「神の国」には及ばない。民に「永遠の命」を与えられなかった。●夕方、散歩一時間。「崩壊家庭の子供の救い」について思いをめぐらせた。「金銀我になし。されどキリスト・イエスの名によりて永遠の生命に生きよ」。 

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人は責めても救えない ++++++++ 所感

2009/10/22 10:32

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091022(木)5時半目覚め●朝の黙想「人は責めても救えない」●人は不幸になっても悔い改めない。罰を受けても悔い改めない。そのことは旧約の歴史である。神は人の堕落を怒って洪水で人類を殲滅しようとした。しかし神はそれを実行して「後悔」した。ここに裁きでなく贖罪で人を救うにことにした神の「反省」の源流を見る。次の創世記の記事がそれである。 虹が契約の徴である。

口語訳 創 9:11
9:11 わたしがあなたがたと立てるこの契約により、すべて肉なる者は、もはや洪水によって滅ぼされることはなく、また地を滅ぼす洪水は、再び起らないであろう」。


口語訳 創 9:15
9:15 こうして、わたしは、わたしとあなたがた、及びすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた契約を思いおこすゆえ、水はふたたび、すべて肉なる者を滅ぼす洪水とはならない。

●神は今度は律法を与えて人をよくしようと思ったが失敗。ノアを惜しんで残したばかりにそうなった。●そこで神は今度は「敵になり下がった人間」を神の子キリストの贖いの方法で救う道を開かれた。それが次である。「敵を救う道」道は自らの犠牲死である。 新約がこれである。これが新しい契約。つまり新約である。


塚本訳 ロマ 5:8
5:8 しかしわたし達が(義人でも善人でもなく、)まだ罪人(神の敵)であったとき、キリストが私たちのために死んでくださった。このことによって、神はわたし達に対する愛をお示しになったのである。

●人はどんなに不幸になってもそのことでは自らの罪を反省しない。しかし人が自らの罪に気づいて涙を流す時は来る。それは人生で最良の神による恩恵の日である。カトリックではその反省の瞬間を「痛悔」という。これは不思議な瞬間である。それは人が相手に教えたり説教したり責めたり攻撃したりして来るものではない、人間の分際でそれはできない。神が、神のみがその恩恵の日をもたらせてくださる。
そういう日を来させて下さいと神に祈ることだけが人間にできる唯一の「業」である。●さらば、人を責めるな。裁くな、憤慨するな。赦せ。そうして神による「痛悔」をもたらされることを祈れ。神いませば必ずその瞬間が与えられる。

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天に向かってぐんぐん伸びる。父なる神を喜んで称える。子供の育ち方も人間ではなく。神に向かって育つように仕向けなければならない。

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四苦八苦からどう逃れるか ++++++++ 所感

2009/10/21 07:20

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091021(水)6時起床●朝の黙想「人生は四苦八苦」●TSK日本語化●公園でラジオ体操●「四苦八苦」をネットで調べる。

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ベストアンサーに選ばれた回答

四苦八苦は仏教語で、本来は人間のあらゆる苦しみのことをいう語
四苦八苦の「四苦」とは「生老病死(しょうろうびょうし)」のことで、人間として逃れられない必然的な苦しみをさす。
四苦八苦の「八苦」とは、生老病死の四苦に「愛別離苦(あいべつりく)」「怨憎会苦(おんぞうえく)」「求不得苦(ぐふとくく)」「五陰盛苦(ごおんじょうく)」の四苦を加えた八つの苦のことで、四苦と八苦で十二苦あるわけではない。
後半の四苦の意味は、「愛する人と別れる苦しみ(愛別離苦)」「怨み憎む人と出会う苦しみ(怨憎会苦)」「求めるものが得られない苦しみ(求不得苦)」「存在を構成する物質的・精神的五つの要素に執着する苦しみ(五陰盛苦)」で、人間として味わう精神的な苦しみのことをいう。


四苦とは「生・老・病・死」の四つで「生」は生きていくということ、すなわち人生の事で、その人生という旅路の中で、私たちはだれもが、様々な困難を経験しますし、老・病・死も避けられぬ苦だといえましょう.

人生にはさらに次の四つの苦があります。
愛別離苦
怨僧会苦
求不得苦
五陰盛苦
プラス「生・老・病・死」=八苦
ということです。
詳しくは↓をどうぞ。
http://gogen-allguide.com/si/shikuhakku.html

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●もう一つネットで調べると次がでてきた。

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四苦八苦の最初の四苦は肉体的なもの、あとの四苦は精神的なものと理解されるとわかりやすいかもしれません
もちろん「生」が物事のはじまりですから、生以外の7つの苦はすべて「生」無しには成り立ちません。
人の寿命はそれぞれですが、人の一生の間にはなにびとにも平等にこの八つの苦しみがあると説いているのです
肉体の苦はゆっくりゆっくり来ますが(統計的にですが)、感情の苦は一瞬一瞬に来ます。つまり毎日毎日、苦に会わないほうがめずらしいことなんですね。 また、この感情の苦がどれだけ毒となって自分の寿命をちじめているか、ということを知って、極力この感情の炎を鎮める努力をすることが必要だということを釈迦は説いています。 これには六波羅蜜の行ないがよいと言っておりますので、時間がありましたら調べてみるとおもしろいかもしれません。

釈迦がある日、ある村にさしかかると、女が我が子の亡骸を抱えながら泣きながら釈迦に懇願しました。「どうか釈尊の偉大なる慈悲でもって、最愛なる我が子を生き返らせたまえ」 すると釈迦はその母親に言いました。 「それでは、この村の一軒一軒を訪ねて、病気に苦しんでいる者と死者をいちども家から送ったことのない家族を連れてきたら、その子供を生き返らせてやろう」 母親は喜び勇んで家家を尋ね回りましたが、ついに死者と病人を一人も出さなかった家をみつけることができませんでした。 泣きじゃくる母親に釈迦が説きます。 「子を亡くして辛い気持ちはよくわかる。しかし生きている以上みんな大なり小なり辛いのだよ」 釈迦はねんごろに子供を供養し、母親はようやく納得しました。

おもしろいのは、釈迦が子供を生き返らせなかったという事です。 釈迦は神通力がありましたから、たとえ数分でも子供を生き返らせることは出来たはずですが、四苦八苦という人類の永遠の真理を、死人を生き返らせるという奇跡を使わずに、真っ向から直視し、その苦しみを乗り越えてでも生きていくという、普通の道を示したのです。 これはのちに釈迦が80歳の天寿をまっとうして死ぬ時もそうですが、ごくごく普通ですが、人間の理想の死に方を身を持って示しています。 ここがキリスト教と仏教の決定的に違うところです。

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●最後の、「ここがキリスト教と仏教の決定的に違うところです」に刺激されて、四苦八苦の解決に聖書はどうこたえるかを考えてみると、それは仏教のように「頭」や思想の解決ではなく、神の霊の実在での解決である。

●四苦八苦解決の聖書的答えを列挙する時間がないが、一言で言えば神との交わりによる、光と喜びである。仏教のように暗くはない。時間軸で簡単に言えば、過ぎ去った過去の苦(家系の汚れ、自分の罪、過ち、失敗)は神の子イエスの贖罪死で贖われる。現在のもろもろの苦(貧、病、争)は現実的に直してくださる。仏教のように頭の悟りで平静になるのではない。イエスは現実に病気を治し、死人を生き返らせた。今もその奇跡は続く。病院で病気が治ったにしてもその背後には神の存在がある。これを感じない人間は少しオメデタイ。心の病が直ると肉の病が直るというのは宗教的真理。将来の苦は、死後どうなるかの不安。聖書はそれを「有体的復活」があるという。イエスはその初穂。過去、現在、未来の四苦八苦、聖書はこれにことごとく答えてくれる。母が「照男さん。キリスト教は難しい。仏教の方が分かりやすい」と言ったが、私は暗い仏教よりも明るいキリスト教の方に親しみを持つ。耳ある者は聞け。自分で判断せよ。

●午前中は「WEB黒崎」引照入力。塚本改訳コリントの問題点をスタッフに連絡●国立西洋美術館開館50周年記念事業 「古代ローマ帝国の遺産」展に行く。見ごたえがあった。キリスト信徒の私としてはアウグストゥスが主ではなく、イエスキリスとが「主である」ことを再認識。ローマ帝国の宗教のパネルには次のようにあった。「AD1世紀。ローマ帝国は多神教だったが、ディオニソス教、イシス教、ミトラス教、キリスト教など、死者に死後の救済を約束するこれらの宗教が浸透することでローマ古来の宗教は大きく揺らいだのでした」。●後に国教になるキリスト教への言及が足りなかったのは不満。●史上最強を誇るローマ帝国も、民に「永遠の生命」は与えることができなかった。デナリ銀貨を見た。

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国立西洋美術館の「古代ローマ帝国の遺産」展に行く。ル・コルビジェ設計のこの建物は世界遺産に申請中。

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展覧会を見終わると夕方になった。西洋美術館前庭のロダン作「カレーの市民」

●18:00-20:00昭和女子大で社会福祉学科懇談会。私はスピーチで、「福祉+建築の組み合わせははinterdisciplinary(学際)であるから大切である。しかし2年後に福祉学科では建築を教えなくなるというのは残念である」「徘徊がなくなる老人ホームの設計、不登校児童が出やすい家の間取り研究、などの実例がある」と言った。すると良いスピーチでしたと挨拶に来られた方があった。●帰宅22:00

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神の祝福が去る日 ++++++++ 所感

2009/10/20 07:15

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091020(火)5時目覚め●朝の黙想「神の祝福が去る日」●TSK日本語化30分●「神の祝福が宿らない日、神の祝福が去る日」について聖書を連想する。

新共同 創  6:2-3
6:2 神の子らは、人の娘たちが美しいのを見て、おのおの選んだ者を妻にした。
6:3 主は言われた。「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから。」こうして、人の一生は百二十年となった。

●人間は神ならぬもの(人の娘)に心ひかれて神の怒りをかい、命が去ることになった。恋愛が悪いのではない。人が神よりも上になることがいけないのだ。

新共同 創  6:13
6:13 神はノアに言われた。「すべて肉なるものを終わらせる時がわたしの前に来ている。彼らのゆえに不法が地に満ちている。見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。

●「肉なるものを終わらせる時」とは厳粛な言葉だが、これが神の定め。これが後の日に十字架の贖いにつながる。

新共同 創  11:8
11:8 主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。

●バベルの塔は、神の祝福が去ったので建設が中止になった。神の祝福のない仕事の運命。会社、家庭、エクレシア皆同じ。神を押しのける「ヒューマニズムの信仰集団」の運命また同じ。人の名は有名(創11:4)になっても神の顔が立たない。

口語訳 詩  127:1
127:1 主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい。

●エクレシアの存続をこの世の営利企業や趣味娯楽団体の手法に習おうとするトンデモナイ人間は、それだけで神の祝福が去っている。某教会の人が言った「教会員を増やすために博報堂)(広告会社の雄)の手法を学ぼう」。教会もここまで堕落したか。

塚本訳 マタ 10:14
10:14 しかし人があなた達を歓迎せず、あなた達の言葉に耳をかたむけないなら、(すぐ)その家なり町なりを(出てゆけ。そして)出てゆくとき、(縁を切った証拠に)足の埃を払いおとせ。

●ある母親に「子供を教会学校に行かせたらどうか」と話したら「あたしソーユーノ嫌いなの」と言われた。もうこの家は無理だと感じた。その後のその家庭の惨状は語ることができない。時間が無駄。

塚本訳  ルカ 16:28-29
16:28 わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。』
16:29 しかしアブラハムは言う、『(その必要はない。)彼らにはモーセ(律法)と預言書と[聖書]がある。その教えに従えばよろしい。』

●来世に行く準備としては「聖書を読む」生活をしていればよいとイエスが言うのだが、残念ながら無教会はその聖書を読まなくなった。聖書に関する周辺の本は読むが聖書そのものを読まなくなった。これ無教会から神の祝福が去った徴候。見るに堪えない惨状にならなければよいが。

塚本訳 Ⅰコリ15:33
15:33 迷わされてはならない。(復活の信仰のない人との交際に注意せよ。)悪い交際は良い習慣をこわす。(と詩人も言っている。)

●信者と自称しながら、使徒伝承の有体的復活と三位一体を心から信じていない人がいる。そういう人とは深く付き合ってはいけない。信仰が堕落する。神は見ている。自然崩壊を待つに限る。放っておけ。

塚本訳 Ⅱコリ6:14
6:14 不信者と一緒に不似合いな軛を負うようになってはいけない。なぜというか。義と不法とはなんの共同関係があろう。また光は暗闇に対しなんの共通性があろう。

●信者は自分より信仰の篤い人を友達とせよ。

塚本訳 Ⅱコリ6:16-18
6:16 神の宮が偶像となんの一致があろう。わたし達はたしかに生ける神の宮である。神がこう仰せられた。──『わたしは彼らの間に住みまた歩むであろう、わたしは彼らの神になり、彼らはわたしの民になる』
6:17 それゆえに、『あなた達は彼らの中から出よそして離れよ、』と主は仰せられる、そして『清くないものに触れるな』と。『そうすればわたしはあなた達を受け入れる、』
6:18 『わたしは』あなた達の『父になり、』あなた達は『わたし達の息子』娘『に』なる、『と全能者である主が仰せられる。』

●もし自分の先生や、教会や集会が信仰的におかしくなったら、これを攻撃するのは御心ではないから、「離れよ」

塚本訳 Ⅰコリ5:9-13
5:9 (前の)手紙で、決して不品行な者たちと付き合ってはならないと書いたが、
5:10 あれはこの世の不品行な者や貪欲な者、略奪者や偶像礼拝者などと決して付き合うなというのではない。もしそうならば、あなた達はこの世から出てゆかねばならないからである。
5:11 しかしわたしは(はっきり)書く。──もし兄弟と呼ばれる者が、不品行な者や貪欲な者や偶像礼拝者や罵る者や大酒飲みや掠奪者などであるならば、付き合ってはならない。そんな者とは一しょに食事もしてはならない。
5:12 なぜというのか。(主を信じない)外の人たちを、なんでわたしが裁くことがあろう。あなた達は、内輪の者たちだけを裁くべきではないのか。
5:13 外の人たちは神が裁かれる。『あなた達の中から悪人を取ってのけよ。』

●天下国家を批判する人間は国電に乗れない、郵便を出せない、水道を使えない。つまり天下国家を批判すると「この世から出てゆかなければならない(5:10)からだ。批判すべきものはエクレシア内部の悪だ。有体的復活や三位一体を信じないで平気な顔をしている悪人(5:13)はエクレシアから追放せよ。叩きだせ。

塚本訳 ヨハ 13:20
13:20 アーメン、アーメン、わたしは言う、わたしが遣わす者を受けいれる者は、わたしを受けいれるのであり、わたしを受けいれる者は、わたしを遣わされた方を受けいれるのである。」

●なぜか私をひどく嫌って受け入れない人がいる。向こうが「離れて」行く。そういう人にはキリスト教は伝わらない。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」である。私が嫌われる理由は心当たりがあるものの、私とて完全ではない。この不完全な私の故に人をつまずかせたとすれば私は「救いの門」を閉ざしたことになる。ただただ生けるキリストにすがらなければならない。

●午前中は「WEB黒崎」引照入力●12:00出発昭和女子大で建築経済の講義。一コマ90分を2コマ。将来ある若き女性に話すのは楽し。●構造計算を専門にしたいという生徒は希少なので励ました。●福祉の建築に進みたいという人には若くして召された建築家外山義(ただし)のことを話した。●外山義(ただし)の設計する老人ホームに入ると徘徊が止む。老人の思い出の品(額入り写真、タンスなど)を持ち込んでもよいという設計思想。老人は思い出に生きる。外山氏はクリスチャンであった。●20:00帰宅は疲れる。●妻は月本昭男先生の旧約講義(無教会研修所)に新宿まで行って21:15帰宅


 

 

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泣くな。崩壊家庭の子供 ++++++++ 所感

2009/10/19 08:58

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091019(月)4時50分起床●「WEB黒崎」の作成協力者とネット霊交。

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〇〇様

Ⅱコリ5:1にある天の永遠の建物というパウロの概念は、復活のときの霊の体(有体的)であることが、新共同訳とネストレの引照でさらに明快になりました。感謝です。

 

新共同 Ⅱコリ5:1

5:1 わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。

 

●新共同訳引照

 

新共同 Ⅰコリ15:47

15:47 最初の人は土ででき、地に属する者であり、第二の人は天に属する者です。

 

 

●ネストレ引照

 

新共同 Ⅱペテ1:13-14

1:13 わたしは、自分がこの体を仮の宿としている間、あなたがたにこれらのことを思い出させて、奮起させるべきだと考えています。

1:14 わたしたちの主イエス・キリストが示してくださったように、自分がこの仮の宿を間もなく離れなければならないことを、わたしはよく承知しているからです。

 

新共同 知 9:15 朽ちるべき体は魂の重荷となり、/地上の幕屋が、悩む心を圧迫します。

 

新共同 ヘブ 9:11

9:11 けれども、キリストは、既に実現している恵みの大祭司としておいでになったのですから、人間の手で造られたのではない、すなわち、この世のものではない、更に大きく、更に完全な幕屋を通り、

 

新共同 コロ 2:11

2:11 あなたがたはキリストにおいて、手によらない割礼、つまり肉の体を脱ぎ捨てるキリストの割礼を受け、

 

 

●次なる問題。来世の家を頂けるという「保証としての霊」とはなにか。この場合の保証とは天国の家の「権利書」である。しかしそれは物理的に目に見えるものではないから難しい。お金を出せば買えるというものでもない。

 

新共同 Ⅱコリ5:5

5:5 わたしたちを、このようになるのにふさわしい者としてくださったのは、神です。神は、その保証として""を与えてくださったのです。

 

●ここの新共同訳の引照

 

新共同 Ⅱコリ1:22

1:22 神はまた、わたしたちに証印を押して、保証としてわたしたちの心に""を与えてくださいました。

 

新共同 ロマ 8:23

8:23 被造物だけでなく、""の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。

 

 

●では霊とは何か。霊は獲得するものでなく、勉強して認識するものでなく、ただただ神に「いただくもの」「与えられるもの」。それには頂けるように呻きながら祈ること。それには霊を頂いた人の働きは様々であるとパウロは言う。異言を語るだけが「霊のはたらき」ではない。、

 

塚本訳 Ⅰコリ12:3

12:3 だから(霊の見分け方について、)あなた達に次のことを知らせる、神の霊に感じて語る者は、だれも 呪われよ、イエス!とは言わない、また聖霊に感じてでなければ、だれも、イエスは主と言うことは出来ない。

 

 

塚本訳 Ⅰコリ12:11-12

12:11 しかしこれら一切のことはただ一つの同じ御霊が行なうのであって、その思いどおりに、それぞれの人にそれ特有のものを分けてくださるのである。

12:12 なぜか。体はただ一つであって、それに多くの器官があるけれども、この体の器官が皆、多くあっても、一つの体を成しているように、キリスト(の体である集会)の場合も同じである。

 

 

塚本訳Ⅰコリ12:14

12:14 ほんとうに、体は一つの器官でなく、多くの器官から成っているのである。

12:15 たとい足が、「自分は手でないから、体に属していない」と言ったからとて、それゆえに体に属していないことにはならない。

 

 

塚本訳Ⅰコリ12:20-21

12:20 しかし実際は、器官は多いが、体は一つなのである。

12:21 目は手に、「お前はいらない」、あるいはまた頭は足に、「お前たちはいらない」と言うことは出来ない。

 

●この辺のところで黒崎先生は、高等動物ほど働きの器官が多く、下等動物ほど働きの器官が少ないと言っておられたと思いますが、実に分かりやすい説明であったと思います。今日もまた聖書から多くを学ぶことができました。

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●驚くべき数値。

今や離婚率は4割近いという惨憺たる現状。人口動態統計資料によれば離婚率の推移は次の通り、1970年10%、1990年22%、2000年32%、2006年38%。だからすでに40%にはなっていると思われる。私の親類縁者の実態を見ればうなずける。英米ロシアは日本よりも離婚率が高い。終末が近いか。・・・・ちなみに死因における癌の割合は現在30%だが2020年には50%になる見込み。これも驚くべき数値。

●崩壊家庭の子供をいかにして慰めるか

塚本訳 Ⅱコリ1:4
1:4 どんな苦難の時にもわたし達を慰めてくださる神、こうしてわたし達自身も神に慰めていただくその慰めをもって、どんな苦難の中にいる人たちをも慰めることが出来るのである。

●私の血は汚れている。母方の父(私の祖父)は子供が8人もありながら妻子を捨てて別の女に走った。家庭崩壊で私の母(8人兄弟の末っ子)は不遇な育ちをした。母はまだ歩けないうちに父親がいなくなった。苦労した。そのことを母から聞いた私は母を不遇にしたそんな祖父の血が我が身に混じっているのだと思って体をかきむしった。私の生まれる前に死んだその祖父を深く深く憎んだ。しかし幸いなことに「福音」というものに出会い、キリストの宝血で全身の血液を入れ替えていただけた。喜びが与えられた。すると不思議にあれほど憎んでいた祖父を許せるようになった。この苦難が私をして、崩壊家庭の子供を慰めることができる資格を与えてくれた。どんなにダークな家庭の子でもアンデルセンの「醜いアヒルの子」のようになれるのだ。そして主にある真の祖父母、父母、兄弟姉妹、妻、子供が与えられるのだ。これが本当に喜びの人生だ。さらば「泣くな崩壊家庭の子供」。その悲しみは神の子になれる道が開かれている証拠だ。この短い人生でその悲しみに遭遇したことは不運であり不幸なことであったが、その涙により永遠の命に目覚めるとすれば幸いだ。

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暗き所に光が射す。神の愛、神の救い。

 

 

 

 

 

 

 

 

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癌を宣告されてもあわてるな ++++++++ 所感

2009/10/18 05:53

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091018(日)4時45分目覚め●朝の啓示「癌を宣告されてもあわてるな」●昨日の日の出が丘病院における講演会における開会の挨拶は緩和病棟(ホスピス)医長の沖陽輔医師。沖先生は母を看取ってくださった方。その挨拶で「癌を宣告されてもあわてないように」と言われた。事実2020年には死因の5割は癌になるという。●沖医師は昨年御自分が癌になり、考えるところあって仏教に帰依し「僧医」になられた。医者が得度すると「僧医」と呼ばれるらしい。カッコイイ名称だ●このことが念頭にあり、私(ワタシ)的に考えた。人間は誰でも死の準備をして生きなければならない。「その時」にあわてないために●世の人に向かって「死ぬと神の裁きにあう」というキリスト信者の脅かしよりも、2020年には死亡原因の5割は癌になる(現在は3割)という科学的な告知の方がよっぽどリアリティがある。●「ではあわてないようにすればどうしたらよいか」とのフロアーから私の質問に対し「入院と死までの過ごし方、残される家族のことを考えておくことだ」とリアリティのあるお答えであった。●私は「聖書では、死後の魂の行き場のことを考えておけということだ」と思った。これが仏教とキリスト教の違いだろうか●まともな人間なら、「死んだら灰と煙になっておしまいだ」とは思わない。何かあるという漠とした不安のようなものが必ずある。●そこで聖書にはあわてないで「死後の準備をしておけ」という事はどこにあるかを思いめぐらした。ある。①愚かな金持ちの譬 ②王子の結婚披露の譬 ③金持とラザロの譬・・・この三つを説教臭くなく感じるところを書いてみる。

①愚かな金持ちの譬

塚本訳 ルカ 12:13-21
12:13 すると群衆の中の一人がイエスに言った、「先生、遺産を分けてくれるように、兄に言ってください。」
12:14 イエスは「君、だれがわたしを、あなた達の裁判官また遺産分配人に任命したのか」とこたえておいて、
12:15 人々に言われた、「一切の貪欲に注意し、用心せよ。いかに物があり余っていても、財産は命の足しにはならないのだから。」
12:16 そこで一つの譬を人々に話された、「ある金持の畑が(ある年)豊作であった。
12:17 『どうしよう、わたしの作物をしまいこむ場所がないのだが…』と金持ちはひそかに考えていたが、
12:18 やがて言った、『よし、こうしよう。倉をみなとりこわして大きいのを建て、そこに穀物と財産をみなしまいこんでおいて、
12:19 それからわたしの魂に言おう。──おい魂、お前には長年分の財産が沢山しまってある。(もう大丈夫。)さあ休んで、食べて、飲んで、楽しみなさい、と。』
12:20 しかし神はその人に、『愚か者、今夜お前の魂は取り上げられるのだ。するとお前が準備したものは、だれのものになるのか』と言われた。
12:21 自分のために(地上に)宝を積んで、神のところで富んでいない者はみな、このとおりである。」

●年金への期待、終末期医療の考察、最後の過ごし方、残された家族の心配・・・・・それらを考えること大切だが「空しい」。なぜか。「今夜」(12:20)死ぬかもしれないのだ。すると「あれこれ心配すること」も貯めておいたお金も空しい。お金は大切だがそれを子供に残してもその子供にとってはお金で永遠の生命は買えない。

②王子の結婚披露の譬 

塚本訳  マタ 22:9-14
22:9 だから町の出口の所に行って、出会った者をだれでもよいから宴会に呼んでこい。』
22:10 家来たちは道に出ていって、出会った者を悪人でも善人でも皆集めてきたので、宴会場は客で一ぱいになった。
22:11 王は客を見ようとして入ってきたが、そこに礼服を着けていない者が一人いるのを見て
22:12 その人に言った、『君、礼服も着ずに、なんでここに入ってきたのか。』その人が黙っていると、
22:13 王は家来たちに言った、『あの者の手足を縛って、外の真暗闇に放り出せ。そこでわめき、歯ぎしりするであろう。』
22:14 ──招かれる者は多いが、選ばれる者は少ないのだから。」

●神の裁きの時にはキリストの血という「衣」を無料で貸してくれるというのに「突っ張って」それを借りようとしない「頑固者であってはならない。そうすると「素直」に受けるという良い性質に子供を育てることが親の義務ではあるまいか。子供が神の裁きにあう時に親は付き添えない。神対子供自身の一対一の問題だ。●バッハのカンタータ180番「装いせよ、おお わが魂よ」は聖書のこの箇所がテーマである。バッハはすごい伝道者だ。

③金持とラザロの譬

塚本訳ルカ 16:27-31
16:27 金持が言った、『父よ、それではお願いですから、ラザロをわたしの父の家にやってください。
16:28 わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。』
16:29 しかしアブラハムは言う、『(その必要はない。)彼らにはモーセ(律法)と預言書と[聖書]がある。その教えに従えばよろしい。』
16:30 彼が言った、『いいえ、父アブラハムよ、もしだれかが死人の中から行ってやれば、きっと悔改めます。』
16:31 しかしアブラハムは答えた、『モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。』」

●ではどのように準備をすればよいかというのが重要な問題。プロテスタント教会に聞くと「恩恵のみ」「神の祝福のみ」と言われてそこからの人間の手だての道は見えなくなる。カトリック教会に聞くと「カトリックに帰依して洗礼を受けなさい」という。これは人間の手だてが示されるが、「水の洗礼」を受けれてもそれで救われたことにならないし、現に魂の喜びはない。●では本家本物のキリストにこれを聞くとどうか。イエスは言う。「聖書を読んで生活せよ」(16:29)。しかし聖書ではだめだから誰かすごい先生が行って伝道してくれればあるいは「悔い改める」(16:30)かもしれない。これに対してイエスはどんな有名人物(たとえば死んだルター、カルヴァン、内村、塚本、黒崎、植村、ビリーグラハム、賀川豊彦・・・)が「死人のなかから」(16:30)行っても本人がその気にならなければ無理。「たとえ死人が復活しても無理(16:31)。●ただひたすらライ病を直せたお方、ラザロやヤイロの娘をよみがえらせたお方の奇蹟にすがらなければならない。

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集会に行く途中、妻に花の名前を聞く。ダリヤ。

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集会会場の野口英世記念会館の蔦。秋の色だ。

●妻と集会に行く。集会は高木(詩篇90-92)とホロコーストの話。望月(第一コリント)。●集会後、望月、小寺、山本の諸氏に第一コリントの聖書テキストは塚本訳に言及しなければならないのではないかと意見具申した。●14:00妻とアンサンブルポエムの演奏会(秋川キララホール)に行く。曲目はヴィクトリアのモテット、混声合唱「蔵王」、ヴェルディの聖歌4篇。指揮者の冨澤裕の熱演で宗教の大曲をよくこなした。地元あきる野市は田舎であるが、この地でよくここまでできると感心。

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アンサンブルポエム音楽会の帰途、妻を写す。

 

 

 

 

 

 

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夕暮れ時に光がある ++++++++ 所感

2009/10/17 08:27

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091017(土)4時半起床●朝の黙想「夕暮れ時に、光がある」●「人生の諸段階(ヒルティ)」にはその段階ごとに特有の嘆き悲しみがある。幼い時、青春の時、壮年の時、子育ての時、熟年の時、老年の時。私(66歳)はこれから「老年の時」を迎える。●この段階の心細さは、先の見えないトンネルに入っていくような気分である。このとき「信仰が必要」。来世の有体的復活の希望。この信仰によってトンネルの出口に光が小さく見えてくる。●夕暮れに帰宅するときに我が家の灯がかすかに見え出す感じである。聖書的には次である。

新改訳 ゼカ 14:6-7
14:6 その日には、光も、寒さも、霜もなくなる。
14:7 これはただ一つの日であって、これは主に知られている。昼も夜もない。夕暮れ時に、光がある

●この引照をTSKで見てみよう。次が心に響く。

口語訳 イザ 60:19-20
60:19 昼は、もはや太陽があなたの光とならず、夜も月が輝いてあなたを照さず、主はとこしえにあなたの光となり、あなたの神はあなたの栄えとなられる。
60:20 あなたの太陽は再び没せず、あなたの月はかけることがない。主がとこしえにあなたの光となり、あなたの悲しみの日が終るからである。

●「有体的復活」「永遠の命」。そうだ、それは「悲しみの日が終わるとき」である。この希望にかけて生きよう。この世におけるもろもろの悩みや難問は神にその解決をゆだねて残りの日々を「かけぬけよう」。

●5年前に母が召された日の出が丘病院のホスピス主催の「忍ぶ会」に出席。午後の講演会は青梅市立総合病院緩和ケアチーム委員長の高野省吾医師。●後半の質問の時間。母を看取ってくれた日の出が丘病院の沖医師に私が質問「癌を宣告されてもあわてるなと言われますが、2020年には死因の50%は癌になる見込み。多くの人が確実に癌で死ぬ。ではあわてないためにどうしたらよいか」。沖医師「どこで最期を迎えるか準備をしておくのがよい」。●帰宅してから妻と懇談。死んだらどこに行くのかの「準備」の方が大切。それには「信仰」だ●全国のホスピスの傾向は癌患者でも認知症の人は受け入れない。(小野寺医師)。しかし日の出が丘病院は受け入れる(沖医師)●妻曰く「私は100%認知症になります。(母も祖母も認知症になったから)」●そういう人はまだ正常の時に遺言書を書いておく必要がある(小野寺医師)という事を本日学んだ。●過日は三井信託銀行の人に「成年後見人を決めておけ」。と指導された。認知症の本人に代わって財産処理を決定する者のことである。●本日は日の出が丘病院の色々な人から意見を聞いて方針が固まった。二人で生きられる時は「老々介護」で生きる。どちらか一人になったら介護保険を大いに利用してなるべく国の方針である在宅看護を受けること。それでも駄目になった時は家と土地を手放して、「医療療養型病棟」か「介護療養型医療施設」に入る。・・・・世の中の仕組みは「だんだんよくなっていく」。●だから天下国家の悪を批判していてはいけない。

塚本訳 ロマ 13:1
13:1 人は皆上に立つ(国家の)官憲に服従せねばならない。神からではない官憲はなく、現存の官憲は(ことごとく)神から任命されたものであるから。


塚本訳  ロマ 13:4
13:4 官憲はあなたの最善のためにつくす神の召使であるから。しかしもし悪事をすれば、恐れねばならない。見えのために剣をささげているのではないのだから。官憲は神の召使で、悪事を行う者に対して(神の)怒りをあらわす復讐者である。


塚本訳 ロマ 13:6-7
13:6 それゆえに(同じ理由で、)あなた達は貢をも納めねばならない。官憲は神につかえる者であり、いま言った職務に全力をそそいでいるからである。
13:7 (彼らに対して、信ずる者には普通の人以上の、言わば借りがある。)すべての役人にこの借りを返しなさい。貢取りには貢を、官税取りには官税を、恐るべき者には恐れを、尊敬すべき者には尊敬を。


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農業は聖書を分からせてくれる ++++++++ 所感

2009/10/16 11:24

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091016(金)4時50分起床●TSK(The Treasury of Scripture Knowledge)の日本語化を試みる。●「WEB黒崎」の作業●福島で貧しいながらも有機農業を営んでいる三男の10月15日のブログ(http://chitata.blogspot.com/)に次のようにあった。

「たくさんのモミを見て、人の食を背負っているのだとジーンとこみあげてくるものがあった」

●これに対して次のようにメールした。

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K君はモミの死を見て、人のために死ぬということに感じるところがあったのだ思いまして私も「ジーン」ときました。

K君は農業をやって「聖書がわかった」のだと思います。

K君が学生の頃、「どうしても贖罪の死というものがわからない。」と言ったことがあります。そのころ私は脳内出血で倒れたのですが、ベッドの上で、もしK君にこの「贖罪の死」の意味を教えてくれるなら自分の命と引き換えてもよいと正座して祈りました。その時から10年。K君は農業を通して神の心がわかったのだと思います。感謝

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イエスの母マリヤの老後を想像する ++++++++ 所感

2009/10/15 18:07

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091015(木)4時45分起床●「老いの悲しみと喜び」。老いは悲しい。肉体の機能が衰えていく。知人友人が先に逝く。しかし喜びもある。若い人に「先輩風」を吹かせることができる。定年を迎えて時間ができる。聖書が鳥瞰的に俯瞰できる。●このことは亡くなった父が晩年に次の言葉を言っていた。

塚本訳 Ⅱコリ4:16
4:16 このゆえに、わたし達は気を落さない。いや、わたし達の(生れながらの)外の人はどんなにこわれていっても、(キリストによって生れた)内の人は一日一日と新しくされてゆく。

文語訳 Ⅱコリ4:16
4:16 この故に我らは落膽せず、我らが外なる人は壞るれども、内なる人は日々に新なり。



口語訳 Ⅱコリ4:16
4:16 だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。

●そうだ。壊れ、衰えるのは生まれつきの体なのだ。キリストによって生まれた霊の命は老化しない。日々新たになっていくのだ。●生まれたままの肉体は衰えるのが宿命だ。それは地上のものでありもろいものなのだ。イエスも言う。

塚本訳 マタ 6:19-21
6:19 (このように、何事も天の父上相手でなければならない。たとえば)あなたたちは衣魚や虫が食い、また泥坊が忍び込んで盗むこの地上に宝を積まず、
6:20 衣魚も虫も食わない、また泥坊が忍び込むことも盗むこともない天に、宝を積んでおきなさい。(そうでないと、心が天に向かないであろう。)
6:21 宝のある所に、あなたの心もあるのだから。

●現実問題として、老後をどうやって過ごすかが誰の心配である。動けなくなったrどうするか。誰に面倒を見てもらうか。経済はどうか。●イエスは自分が十字架で死にゆく時、母のマリヤの老後を心配した。

塚本訳 ヨハ 19:25-27
19:25 ところが一方、イエスの十字架のわきには、その母(マリヤ)と母の姉妹、クロパの妻マリヤとマグダラのマリヤが立っていた。
19:26 するとイエスは母上と、そのそばに立っている自分の愛する弟子とを見て、母上に言われる、「女の方、これがあなたの息子さんです。」
19:27 それからその弟子に言われる、「これがあなたのおかあさんだ。」この時以来、その弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。

●この所で、いつも疑問に思うことは、二つある。
①イエスには兄弟がいたのになぜ、身内の兄弟にに母を託さなかったのか。イエスは兄弟と仲が悪かったのか。さもあらん家を捨てて伝道に飛び回った兄イエスを弟たちはよくは思っていなかったのであろう。あるときは「気が狂った」思ってとりおさえに来た。(マコ3:21)
②イエスの愛弟子(12弟子の一人のヨハネと考えられる)にしてもよく他人の母を「家にひきとった」ものだ。家庭騒動にならなかったのか。ヨハネの家でいわば居候の身でマリヤは肩身が狭くなかったのか。同じ宗教、霊の親子とはいえ、それを理解しないヨセフの家の人は何と思ったのか。経済はどうしたのだろう。
●しかし、神はイエスの母マリヤを養った。その詳細はわからない。マリヤのその後の生きざまをしる手がかりは次の句だけである。

塚本訳  使 1:13-14
1:13 (都に)入ると、彼らはいつも泊まっている二階の部屋に上がった。それはペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党のシモンとヤコブの子ユダ(の十一人)であった。
1:14 この人々は皆、女たち、とりわけイエスの母マリヤや、イエスの兄弟たちと、心を一つにして祈りに余念がなかった。

●これからは私の想像。イエスの母は自分が産んだ子を神の子として崇めるという最高に困難なことをした。そして主の弟子たちと交わり、共に祈り、彼らに愛され、彼らの世話をして精神的に豊かな幸福な生涯を送ったのではあるまいか。再臨と復活を固く信じて召されたのではあるまいか。「主の業」をなしつつ召されたのではあるまいか。●幸福な死は「仕事中に死ぬ」ことだとヒルティはいう。マリヤは「主の業」をしつつ召されたのではあるまいか。理想的な老年で理想的な死を迎えたのではあるまいか。

●夕食後、妻と、老後の住まいと経済について長懇談。人は「裸で生まれて裸で死ぬ」。人間、最後はすべてを捨てて逝くのだ。地上のものへの未練はいけないと思った。

新改訳 ヨブ 1:20-21
1:20 このとき、ヨブは立ち上がり、その上着を引き裂き、頭をそり、地にひれ伏して礼拝し、
1:21 そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」

新改訳 Ⅱペテ1:14
1:14 それは、私たちの主イエス・キリストも、私にはっきりお示しになったとおり、私がこの幕屋を脱ぎ捨てるのが間近に迫っているのを知っているからです。


新改訳 ルカ 17:28-33
17:28 また、ロトの時代にあったことと同様です。人々は食べたり、飲んだり、売ったり、買ったり、植えたり、建てたりしていたが、
17:29 ロトがソドムから出て行くと、その日に、火と硫黄が天から降って、すべての人を滅ぼしてしまいました。
17:30 人の子の現われる日にも、全くそのとおりです。
17:31 その日には、屋上にいる者は家に家財があっても、取り出しに降りてはいけません。同じように、畑にいる者も家に帰ってはいけません。
17:32 ロトの妻を思い出しなさい。
17:33 自分のいのちを救おうと努める者はそれを失い、それを失う者はいのちを保ちます。

 

 


新改訳 ヨブ 1:21
1:21 そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」




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肉と霊の対立 ++++++++ 所感

2009/10/14 09:10

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091014(水)5時15分起床●朝の黙想。「肉と霊の対立」。神の霊ががこの世に入って来ると肉の思いと激しく対立する。

口語訳 ロマ 8:6-9
8:6 肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。
8:7 なぜなら、肉の思いは神に敵するからである。すなわち、それは神の律法に従わず、否、従い得ないのである。
8:8 また、肉にある者は、神を喜ばせることができない。
8:9 しかし、神の御霊があなたがたの内に宿っているなら、あなたがたは肉におるのではなく、霊におるのである。もし、キリストの霊を持たない人がいるなら、その人はキリストのものではない。


口語訳 エペ 2:3
2:3 また、わたしたちもみな、かつては彼らの中にいて、肉の欲に従って日を過ごし、肉とその思いとの欲するままを行い、ほかの人々と同じく、生れながらの怒りの子であった。


口語訳 Ⅱコリ10:3
10:3 わたしたちは、肉にあって歩いてはいるが、肉に従って戦っているのではない。


口語訳 Ⅱコリ11:18
11:18 多くの人が肉によって誇っているから、わたしも誇ろう。


塚本訳 Ⅰコリ6:9-11
6:9 それとも、不正な人たちは神の国を相続しないことを、あなた達は知らないのか。思い違いをするな。不品行な者も、偶像礼拝者も、姦淫する者も、男娼も、男色をする者も、
6:10 泥坊も、貪欲な者も、大酒飲み、罵る者、掠奪者も、神の国を相続することはない。
6:11 そして(かっては)あなた達も幾人かは、こうした者であった。しかしもはや(洗礼を受けて汚れを)洗っていただいたのであり、聖別されたのであり、義とされたのである、主キリストの名によって、またわたし達の神の霊によって。

●キリスト教が異教に進展するときの宿命の戦いがこの「肉と霊」の戦いである。わが国でも、この戦いが政治社会ばかりでなく家庭内でも起こる。●では霊にある人の異教の「肉の人」に対する姿勢はいかにあるべきか。●ブルンナーがICUの招きで日本に来た時、ある人が「日本ではキリスト教になると酒たばこをやめなければならない」と思われて、なかなかキリスト教が広がらない」と負ったところ、ブルンナーは「それは大変だ。YMCAあたりで『酒の正しい飲み方』を教えるべきだ」と言った。しかし滞在中82-3年か)ブルンナーは葉巻をピタッとやめたところが偉い。●これはパウロの次の精神から来ているのぺあろう。これが異教に生きる「霊の人」の姿勢であろう。

塚本訳Ⅰコリ8:9-13
8:9 しかし気をつけよ、(強い)あなた達のその自由が、弱い人たちにつまずきにでもなることがないように。
8:10 なぜなら、あなたが知識を持っているため、偶像のお宮で食事の席について(供え物の肉を食べて)いるのを、(知識を持たない)ある人が見たとすると、その人は弱いのに、その良心が(はたしてあなた達がいうように「強め」られるであろうか。いや全く)「強め」られて、偶像に供えた肉を(御利益でもあるように思って)食べる、ということにならないであろうか。
8:11 そんなことになると、弱い人、一人の兄弟があなたの知識に禍されて滅びるのである。キリストはその人のためにも死なれたのである。
8:12 このようにあなた達が兄弟に対して罪を犯し、彼らの弱い良心を傷つけるのは、(取りも直さず)キリストに対して罪を犯すのである。
8:13 それゆえに、食べ物がわたしの兄弟を罪にいざなうなら、わたしは兄弟を罪にいざなわないために、永遠に断じて肉を食べない。

●パウロはまた次のようにも言う。

塚本訳Ⅰコリ5:9-11
5:9 (前の)手紙で、決して不品行な者たちと付き合ってはならないと書いたが、
5:10 あれはこの世の不品行な者や貪欲な者、略奪者や偶像礼拝者などと決して付き合うなというのではない。もしそうならば、あなた達はこの世から出てゆかねばならないからである。
5:11 しかしわたしは(はっきり)書く。──もし兄弟と呼ばれる者が、不品行な者や貪欲な者や偶像礼拝者や罵る者や大酒飲みや掠奪者などであるならば、付き合ってはならない。そんな者とは一しょに食事もしてはならない。

●「WEB黒崎」引照入力。Ⅱコリ。●妻から本日のウィークデーの集いの報告を聞く。


 

 

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崩壊家庭の子供の救い ++++++++ 所感

2009/10/13 09:38

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091013(火)5時半目覚め。崩壊家庭の子供の救い●人生万般の諸問題は新約聖書の中にその解決がある。そしてその解決は人間的な慰めとは質が異なり、人間を真の人生に目覚めさせる。「崩壊家庭の子供の救い」に焦点をあててみよう。
●崩壊家庭の子供の救い。
 今や離婚率は4割近いという惨憺たる現状。(人口動態統計資料によれば離婚率の推移は次の通り、1970年10%、1990年22%、2000年32%、2006年38%。・・・・ちなみに死因における癌の割合は30%だが2020年には50%になる見込み)

これでは下痢をしている時のように社会も家庭も力が出ない。神の祝福がないと人間は不倫が自然になって夫婦関係は冷えて家庭崩壊。子供が精神的に落ちつけずに親の真似をして非行に走る。人間道徳では不倫感情をとどめられない。これに対する聖書の答えは、汚れたる肉の系図を捨てて神の系図に移れという。出来るか。できる。まずイエスの 汚れたる系図を知るべきである。マタイ冒頭のイエスの系図にはいかがわしい女と不倫関係が4名もいたことがが書かれている。聖なる神の子が肉の系図では血が汚れている。つまりイエスは不倫の子の子孫であることが分かる。塚本訳ではそのことを敷衍でそれを明快にしている。あのソロモンは不倫の子。 イエスはその子孫。

塚本訳 マタ 1:1-6
1:1 アブラハムの末のダビデの末のイエス・キリストの系図──
1:2 アブラハムの子はイサク、イサクの子はヤコブ、ヤコブの子はユダとその兄弟たち、
1:3 ユダの(その嫁)タマルによる(不倫の)子はパレスとザラ、パレスの子はエスロン、エスロンの子はアラム、
1:4 アラムの子はアミナダブ、アミナダブの子はナアソン、ナアソンの子はサルモン、
1:5 サルモンの(遊女)ラハブによる子はボアズ、ボアズの(異教国モアブの女)ルツによる子はオベデ、オベデの子はエッサイ、
1:6 エッサイの子はダビデ王である。ダビデの(将軍)ウリヤの妻による子はソロモン、

●このどうしようもない過去。血の汚れ。醜い家系。どうしたらよいのか。救いはあるか。ある。霊によって生まれ直すのである。

塚本訳 ガラ 4:4-6
4:4 しかし(定められた)時が満ちると、神はその御子を女から生まれさせ、律法の下に置いて、(この世に)お遣わしになった。
4:5 これは律法の下に(奴隷になって)いる者を贖い出して、わたし達に子たる身分を受けさせるためである。
4:6 しかしあなた達が(いまや神の)子であることは、神がわたし達の心に、「アバ[お父様]、お父様」と呼ぶ御子の霊をお遣わしになったことによって(、知り得るの)である。

塚本訳 ヨハ 1:12-13
1:12 しかし受け入れた人々、すなわち、その名を(神の子であることを)信じた人には一人のこらず、神の子となる資格をお授けになった。
1:13 この人たちは、人間の血や、肉の欲望や、男の欲望によらず、神(の力)によって生まれたのである。


塚本訳  ヨハ 3:3-9
3:3 イエスが答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、(徴を見て信じたのではいけない。)人は新しく生まれなおさなければ、神の国にはいることは出来ない。」
3:4 ニコデモがイエスに言う、「(このように)年を取った者が、どうして生まれなおすことが出来ましょう。まさかもう一度母の胎内に入って、生まれなおすわけにゆかないではありませんか。」
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。
3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。
3:7 『あなた達は新しく生まれなおさねばならない』と言ったからとて、すこしも不思議がることはない。
3:8 風[プニューマ]は心のままに吹く。その音は聞えるが、どこから来てどこに行くか、あなたは知らない。霊[プニューマ]によって生れる者も皆、そのとおりである。」
3:9 ニコデモが言葉を返した、「(霊によって生まれるなどと、)そんなことがどうして出来ましょうか。」

●崩壊家庭の子供は精神的発育が健常ではない。従って結婚や就職に絶対に不利。貧困になる。●女子大の生徒に建築士になりたいが両親が別れてお金がなく、建築士受験の「塾」に行けないと言って泣かれたことがある。彼女の髪は赤かった。●あー、離婚は子供を不幸にする。●泣くな。たとえこの世では不遇であっても、その悲しみを通して来世の有体的復活に希望をつなげ。●とても素晴らしいクリスチャンの女性がいてお子様には恵まれなかった。彼女が言った「母というものになってみたかった」。その時わたしは思ったこんな素晴らしい人が「母」になれたらどんなにか素晴らしいことかと。どんなに素晴らしい子供が生まれるだろうかと●しかし、私は思う。この世の不幸は神の国に生まれ変わることによって「真の人間」「真の人生」を歩むようになるのだ。そうだ、その人は神の子になったのだ。父なし母なし子なしだ。さらば、他人のこの世的な幸福をうらやむな。

塚本訳 マコ 10:29-30
10:29 イエスは言われた、「アーメン、あなた達に言う、わたしのため、また福音のために、家や兄弟や姉妹や母や父や子や畑をすてた者で、
10:30 今、この世で──迫害のうちにおいてではあるが──百倍の家と兄弟と姉妹と母と子と畑とを
また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。

●真の人生は聖霊によって生まれることなのだ。

塚本訳  マタ 1:18
1:18 さてイエス・キリストの誕生はこのようであった。──イエスの母マリヤがヨセフと婚約の間柄で、まだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重となっていることが知れた。


塚本訳 マタ 3:9
3:9 『われわれの先祖はアブラハムである(から大丈夫だ)』などと考えてはならない。わたしは言う、神はそこらの石ころからでも、アブラハムの子供を造ることがお出来になるのだ


塚本訳 マタ 22:41-45
22:41 イエスは(そこに)集まっているパリサイ人にお尋ねになった、
22:42 「あなた達は救世主のことをどう思うか。だれの子だろうか。」「ダビデの子」と答えると、
22:43 彼らに言われる、「ではダビデが御霊に感じて、救世主を主と呼んでいるのはどういう訳だろう。彼はこう言っている。──
22:44 『(神なる)主はわが主(救世主)に仰せられた、『わたしの右に坐りなさい、わたしがあなたの敵を(征服して)あなたの足の下に置くまで』と。』
22:45 だから、ダビデが(このように)救世主を主と呼んでいる以上、どういう訳で(その救世主が)ダビデの子であろうか。」


塚本訳  Ⅰコリ12:3
12:3 だから(霊の見分け方について、)あなた達に次のことを知らせる、神の霊に感じて語る者は、だれも 呪われよ、イエス!とは言わない、また聖霊に感じてでなければ、だれも、イエスは主と言うことは出来ない。


塚本訳 Ⅰコリ2:10-16
2:10 しかしわたし達には、神が御霊によって(すべてを)あらわしてくださった。(わたし達に住ませてくださる)その御霊は、すべてのことを、神の(御心の)深いところまでも、見抜かれるからである。
2:11 なぜなら、(たとえば)人間のことも、その人間の中にある霊のほかに、いったいだれがわかっていよう。そのように神のことも、神の霊のほかに、わかった方はいままでなかった。
2:12 しかしわたし達はこの世の霊でなく、神から来るその霊を戴いた。それは、神から恩恵として賜わったもの(の何であるか)が、わかるためである。
2:13 またその(賜物の)ことをわたし達が話すにも、人間的な知恵に教えられた言葉によらず、御霊に教えられた言葉による。霊のことに霊のことを当てはめ(て解しようとす)るのである。
2:14 しかし(御霊を持たない)生まれながらの人間は、神の霊から出てくることを受け入れない。彼にはそれが馬鹿なことなのである。またそれを理解することも出来ない。(霊のことは)霊的に判断されねばならないからである。
2:15 反対に、霊の人はすべてのことを判断することができるが、しかし彼自身はだれからも判断されることがない。
2:16 なぜなら(聖書に)、『だれが主の御心を知って、主を教えることができるか』とあるからである。ただわたし達(主キリストを信ずる者)は、キリストの(霊を持ち、その)心を持っているのである。

●ダンテが彼を天国に導くヴァージルに初めて出会った時、ダンテは叫んで言った「お助けください、人であれ影であれ、この私をお助けください」。するとそのヴァージルは次のように答えた「今は人ではないが、かっては人だった・・・・・・」と。(ダンテ「神曲」地獄篇第一歌65-67)●あの賀川豊彦は妾の子であった。賀川豊彦の記念会で村田四郎牧師は言った。「妾の子とさげすまれて淋しかった少年賀川を米国宣教師のマヤスとローガンはキリストに導いた(米国に感謝)。そのとき神は賀川に襲いかかったのだ」と。汚れた血統の賀川は神の霊に生まれてあれだけの働きをした。小崎道雄氏などが奔走してノーベル平和賞に推薦したが、ならなかった。賀川は天のノーベル賞だ。●内村は離婚した。崩壊家庭である。その離縁された女性の子孫から熱心な伝道者の日永康氏(息子の一人に紹介したことがある)が誕生した。これは公開されていることである。氏は肉の血統ではなく霊の血統に連なっている●残念ながら家庭が崩壊した子孫にも、否、そういう子孫からの方が霊の家系に連なる人が生まれる。そこいらの石ころからでもアブラハムを造ることができる神の業。(マタ3:9)●私の知人の女性で常に肉の血統を自慢する人がいる。自分は3代だか5代だかの信者だということをしきりに言う。しかし肉の血統に「代」はあっても霊の血統に「代」はない。クリスチャンは常にいつでも一代だ。ちなみに彼女は私の見るところ信仰が薄い。キリストの香りがしない。●古い教会や集会にはこういうことを誇る「古き人間」が幅を利かているから禍である。新任牧師が萎縮する。●霊に生まれた者は、家系の汚れに悩むな、親類縁者の家庭崩壊に悩むな。過去を悩むな。学歴、経歴の惨めさを嘆くな。今現在「神の子」なのだ。●12:00出発。三軒茶屋の昭和女子大で建築経済の講義。二コマ。20:00帰宅。

 

 

 

 

 

 




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ものはかわり よはうつれど ++++++++ 所感

2009/10/12 06:38

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091012(月)体育の日。●5:45起床。朝のひらめき●昨日の無教会全国集会では旧知、新知の方々に多く出会ったが、「あの人も、この人もなくなりました」という報告。あー、淋しいなー、人生は短いなー●そこで今朝は讃美歌486を思った。23回も続いた「全校集会」も形式は変わり人は変わる。しかし変わらないのは「主イエス」「福音の真理」●無教会主義というのは真理だから全国に飛び火している。辞解は京阪神地区で行われる。誰か一人の大人物の影響でその輪が広がっていくのとは違う伝わり方をする。


讃美歌486


1. もの は かわり, よ は うつれど,

うごかぬ わ みくに,

いざ や うたわん, われら とも に

とこしなえ の うた お,

とこしなえ の うた お.

いざ や うたわん, われら とも に

とこしなえ の うた を.


2. さめて おもい いねて ゆめみ,

わすれぬ は みくに,

いよよ はゆる おもかげ みゆ,

かすみ は ひ に きえて,

かすみ は ひ に きえて.

いよよ はゆる おもかげ みゆ,

かすみ は ひ に きえて.


3. よ に かちし いくさびと に

さずくる は これ と,

たま の かむり かかげ もちて

いえす きみ は まち たもう,

いえす きみ は まち たもう.

たま の かむり かかげ もちて

いえす きみ は まち たもう.


4. て に は おごと, くち に は うた,

たのしき は みくに,

すぎし とき の うき なやみ も,

きよき しらべ と ならん,

きよき しらべ と ならん,

すぎし とき の うき なやみ も,

きよき しらべ と ならん.


●メロディーは次をクリック

http://www.moclin.jp/hymnal/midi/hymn_1-486-i_will_sing_you_a_song_of_that_beautiful_land.mid

 

●無教会全国集会第2日。今回は「神の義の喜び」という良いテーマであった。「ルターの神の義の発見」に関するj講演もあって良い会であった。●出会った人、小島拓人、武祐一郎、吉田秀雄、相澤忠一、坂内宗男。塩澤潤、松永晃子、浅野摂郎、●しかしキリスト今日は人を集めることではない。発信である。その観点からすると「WEB黒崎」hあその発信の「縁の下の力持」である。●全国集会は中座して13:30から「午後三時祈りの友、東京支部会」。(於・石神井公園センター)。人数は少ないが「苦難共同体」の真剣な集まり。今日のテーマは「祈りは聴かれる」。私はロングフェローの「矢と歌」の詩を読んだ。

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午後三時祈りの友会東京支部。この苦難共同体では教派争いはない。後列左から、加藤広子。加藤宮吉、高橋照男、前列左から、清水都留子、鈴木千都子、五十嵐正義。

 







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2009無教会全国集会 ++++++++ 所感

2009/10/11 07:38

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091011(日)5時起床●NHKTV3CH5:00「こころの時代」は建築家安藤忠雄。氏のヒューマニティな建築が章紹介されたが、「神の栄光を現す」という概念に欠けているのが不満。ただ68歳なのに世界を股にかけて活躍に脱帽。「青春とは年齢ではなく前向きに何かを追求し希望を持って生きること」「生きることは楽しいことだということを教えたい」と言ったjことが心に残った。氏は正式に学校で建築を学ばなかったが、最後は東大教授になったが、最近やめられた。辞職の弁を聞いたことはないが、おそらく左脳肥大人間にはよい設計はできないと悟ったのではあると想像できる。なぜか。今日官公庁に勤める技術者にはディザイんができない。山手線は設計できても成田エクスプレスのようなデザインはできない。●7:00友寄さんと朝食。沖縄のこと、仕事のこと。健康のこと。主にある35年の付き合いは楽し。家の子供たちのことをよく知っていて下さる。

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沖縄の友寄隆房氏と集会に出発。左は妻のトミ子

●集会は茂木、丹野武宣、山本正則、●14:00 無教会全国集会、青山学院、約150名。●徳島からの貝出久美子さんと握手して彼女の詩集に対して感想を述べ懇談。同じく徳島からの全盲の綱野さんと強く握手●夕食時に塩澤潤、吉田秀雄、高橋昭、飯田順朗の諸先輩と、「死、死後の状態、復活の体」について胸襟を開いて懇談。夫人を送った方の思いは頭だけの復活観とは違うことがわかった。

 

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元連合設計社市市谷建築事務所(私が20年間勤務)所長の吉田秀雄さんと。

 

 

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主の復活の証人として死にたい ++++++++ 所感

2009/10/10 06:27

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091010(土)4時45分目覚め●何をして死ねば満足かを黙想。それは「主の復活の証人」でありきること。●かって「イエスの墓が空であった」ことを学んだとき、これは創作だと思っている人の説は頭がすっきりした。しかし史実であると信じていた人の言葉(これ復活の証人)には胸が熱くなり、有体的復活を信じられるようになった。その結果死後への希望が湧いて「人生が楽になった」。●私は残る生涯を、私の胸を熱くした「復活の証人」の群れに連なりたい。そのような存在の本質になれれば大満足だ。いつ死んでもよい。「主の復活の証人」でありつづけることは「伝道」ではない、勢力や賛同者の拡大ではない。ただただ証人としての本質であればよいのだ。その結果の形は気にしない。形が「形成」されなくてもよい。いわゆる教会やエクレシアが形成されなくてもよい。●私の胸を熱くした人々。(「復活のおとずれ」1998に書いたもの)。こういう人々の一員でありたい。正統信仰の持ち主である。本を読むならこういう人の本を読むべきである。カンペンハウゼン、エレミヤス、塚本虎二、松村成沽、山谷省吾、シュタウファー、ハンター、E・シュヴァイツァー、フランシスコ会聖書研究所、内村鑑三、ディベリウス、松永希久夫、黒崎幸吉、高橋三郎、前田護郎、H/ツァールント、豊田栄、S・ブラウン、中澤樹、山内真、P・パーキンズ、雨宮正夫、榊原康夫、村瀬俊夫、藤原藤男、ドッド、山下次郎、泉治典、藤井孝夫、ジョルジュ・ネラン●逆に私の頭はスッキリしたが胸を熱くさせなかった人々。(ただし一部の文献のみの判断)ブルトマン、キュネット、シュルツ、ボルンカム、熊沢義宣、白井きく、政池仁、バークレー、森好春、村田四郎、E・ブラウン、T・Wマンソン、荒井献、アウグスティヌス、八木誠一、E・ローゼ、竹森満佐一、バルト、原野和男、関根正雄、●正統信仰をもっていない人の本を読むのは時間と金の無駄。人生は短い●長寿それ自身は幸福ではない。長寿の人の現実を見てそう思う。周囲の人のやっかいものになっているのが正直なところだ。●終日「WEB黒崎」の作業。妻がⅠコリを校閲したものをパソコンに入力してシドニーと福島に送信。●ホロヴィッツ1962年演奏のシューマン、トロイメライに大感動。●本日は沖縄から友寄隆房氏が訪れる(明日の無教会全国集会に出席のため)。「朋遠方より来る。亦楽しからずや」

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沖縄から友寄隆房氏が7年ぶりで来訪。主の交わりをした。

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強き神の子 不朽の愛 ++++++++ 所感

2009/10/09 09:22

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091009(金)5時起床。●「生きる喜び」。生涯で「生きる喜び」ということを如実に感じたのは2回ある。はじめはキリスト教に出会って「強き神の子 不朽の愛」の実態に出会った時。2回目は56歳の時に脳内出血から救われて大好きな入道雲を見ることができたとき。●高校生の時、カトリック神父、故ヘルマンホイヴェレス著の「生きる喜び」(文春文庫?火災で焼失)を読んだとき、キリスト教に求道することを決心。●人間は「強き神の子 不朽の愛」という実態に出会うとき、そこに真の幸福を見出す。●英国の桂冠詩人テニスンの「インメモリアル」は「強き神の子 不朽の愛よ」から始まる。真に高貴な言葉。

Strong son of God,immortal Love,
Whom we,that have not seen thy face,
By faith,and faith alone,embrace,
Blieving where we cannot prove;

これは讃美歌275番になっている。

    讃美歌275番

1. つよき かみ の こ, くちぬ あい よ,

   われら は きみ を みる を え ねど,

   みる に も まして いと さやかに,

   しんこう に よりて きみ を あおぐ.

2. きみ こそ きよき かみ の すがた,

   うえ なく たかき ひと の こ なれ.

   われら が いし を さずかりし は

   ふたたび きみ に かえす ため ぞ.

3. ちしき は うつり すたり ゆけど,

   ただ しんこう こそ とこしえ なれ.

   ひと の ちしき は きみ の ひかり

   ほのかに うつす ひらめき のみ.

4. ちしき の ます に いや まさりて

   うやまう こころ ふかまり ゆき,

   こころ と たま と ひとつ に あう

   たえなる しらべ かなで よかし.

●メロディーは次をクリック

http://www.moclin.jp/hymnal/midi/hymn_1-275-strong_son_of_god_immortal_love.mid

●テニスン、ワーズワース、ロングフェローのような詩人になりたかった。あるとき人に言われた「高橋さん。詩では食べていけませんよ」。いいんだ、詩で生活しようとは思わない。詩で生活しようとすると詩が堕落する。福音宣教また同じ。●NHKTVBS2 金8:15「名曲探偵アマデウス」は素晴らしい番組。(再放送はNHKTV総合金15:15)。クラシック音楽ファンは必見。今日はヴィヴァルディの「四季」の解説。初めてその深い内容を知った。

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はっとする。久しぶりに晴れた朝

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早朝散歩。鳥がさえずっている

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おーい、蜘蛛。収穫できたかい。お互いに生活していくのは大変だなー。ところで家族はいるのかい。

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むくむくと盛り上がってくる太陽。すごいなー。神の力を感じる。来世に行ってもこのような美しい光景は見られるのだろうか。

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いつもラジオ体操をする秋留台公園の看板

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きれいな空、作物の成長、「生きる喜び」

●終日「WEB黒崎」。Ⅰコリ校閲の反映。

 

 

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イエスはなぜ嵐を恐れなかったのか ++++++++ 所感

2009/10/08 13:45

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091008(木)5時起床●台風18号が愛知県知多半島に上陸。本土縦断の恐れ。●福島県で有機農業をやっている三男の刈り入れ前の稲が心配●イエスは嵐でも恐れず寝ていた。難しいことは抜きにして、できれば私もそのような境地になりたいと思う。ではどうしてイエスは嵐を恐れなかったのか。それを黙想する。

塚本訳  ルカ 8:22-25
8:22 ある日のこと、イエスは弟子たちと舟に乗って、「湖の向こう岸に渡ろう」と言われるので、船出した。
8:23 渡ってゆくうちに、イエスは寝入ってしまわれた。すると突風が湖に吹きおろし、彼らは水をかぶって危険になった。
8:24 弟子たちがそばに来て、「先生、先生、わたし達は溺れます」と言ってイエスを起した。イエスが目をさまして風と浪とを叱りつけられると、(たちどころに)静まって、凪になった。
8:25 彼らに言われた、「あなた達の信仰はどこにあるのか。」弟子たちは驚き恐れて、「この方はいったいだれだろう、この方が命令されると、風も水も、その言うことを聞くのだが」と語り合った。

●この結論は次の言葉である。イエスは神は人間を愛してくださるのでむやみやたらに死ぬことはないと思っておられたのである。

塚本訳Ⅰヨハ4:17-18
4:17 (そして最後の)裁きの日にわたし達が(喜びの)確信を持っていることによって、わたし達の側の愛は完全にされるのである。というのは、彼(イエス)が(神に、神も彼に留って)おられるため、(彼の愛が完全であるように、)わたし達(の愛)もこの世で同じくあり得るからである。恐れは愛にはない
4:18 完全な愛は(平安で、すべての)恐れを追い払う。というのは、恐れは(つねに最後の裁きの日)の刑罰と関係があるのであって、恐れる者は(まだその)愛において完全になっていないのである

●では、このイエスの深い信仰が言葉になっている部分を見てみよう。

塚本訳  マタ 4:3-4
4:3 すると誘惑する者[悪魔]が進み寄って言った、「神の子なら、(そんなにひもじい思いをせずとも、)そこらの石ころに、パンになれと命令したらどうです。」
4:4 しかし答えられた「『パンがなくとも人は生きられる。(もしなければ、)神はそのお口から出る言葉のひとつびとつで(パンを造って、)人を生かしてくださる』と(聖書に)書いてある。」

塚本訳  マタ 6:26
6:26 空の鳥を見てごらん。まかず、刈らず、倉にしまいこむこともしないのに、天の父上はそれを養ってくださるのである。あなた達は鳥よりも、はるかに大切ではないのだろうか。

塚本訳 マタ 6:28-29
6:28 また、なぜ着物のことを心配するのか、野の花の育つのを、よく見てごらん、苦労をせず、紡ぐこともしない
6:29 しかし、わたしは言う、栄華を極めたソロモン(王)でさえも、この花の一つほどに着飾ってはいなかった。

塚本訳 マタ 10:29-31
10:29 雀は二羽一アサリオン(三十円)で売っているではないか。しかしその一羽でも、あなた達の父上のお許しなしには地に落ちないのである
10:30 ことにあなた達は、髪の毛までも一本一本数えられている。
10:31 だから恐れることはない。多くの雀よりもあなた達は大切である。

塚本訳 マタ 14:26-32
14:26 弟子たちはイエスが湖の上を歩いておられるのを見ると、幽霊だと思って肝をつぶし、恐ろしさのあまり叫んだ。
14:27 しかしイエスはすぐ彼らに話しかけて言われた、「安心せよ、わたしだ。こわがることはない。」
14:28 ペテロが答えた、「主よ、あなたでしたら、どうかわたしに命令して、水の上を歩いてあなたの所へ行かせてください。」
14:29 「こちらに来なさい」とイエスが言われた。ペテロは舟から下り、水の上を歩いてイエスの所へ行った。
14:30 しかし(いま一足という所で)強い風を見たため、おじけがつき、沈みかけたので、「主よ、お助けください」と叫んだ。
14:31 イエスはすぐ手をのばし、ペテロをつかまえて言われる、「信仰の小さい人よ!なぜ疑うのか。」

塚本訳 マタ 26:51-53
26:51 すると、見よ、イエスと一しょにいた一人の人が手をのばして剣を抜き、大祭司の下男に切りかかって片耳をそぎ落してしまった。
26:52 その時イエスが言われる、「剣を鞘におさめよ。剣による者は皆、剣によって滅びる。
26:53 それとも、
父上にお願いして十二軍団以上の天使を今すぐ送っていただくことが、わたしに出来ないと思うのか。
14:32 そして二人が舟に乗ると、風はやんだ。

塚本訳  マタ 26:39
26:39 そしてなお少し(奥に)進んでいって、俯けに倒れ、祈って言われた、「お父様、出来ることなら、どうかこの杯がわたしの前を通りすぎますように。しかし、わたしの願いどおりでなく、お心のとおりになればよいのです。」

塚本訳 ルカ 23:46
23:46 その時イエスは大声をあげて言われた、「お父様、』わたしの霊をあなたにおあずけします。』」こう言われるとともに、息が絶えた。

●嵐を恐れなかったモラヴィア教徒の深い信仰に心打たれたのはあのジョン・ウェスレー。メソジスト派の祖となった。彼は英国を疲弊から救った。

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台風(18号)一過の西の空。何事もなくよかった。

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台風(18号)一過でも風は強かった。背景は我が家。

●19:05 台風は福島県を直撃。刈り入れ直前の稲のことが心配で妻が三男に電話で様子を聞く。野菜に被害はあったが稲は大丈夫であったという。よかった。●明日が4歳の誕生日の孫の風人と電話懇談。兄の見時が「いじめる」のだと悲しそうな声。そこで「いじめられたらお父さんやお母さんに言いなさい」と助言した。 


 

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生き物は殺すな ++++++++ 所感

2009/10/07 09:04

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091007(水)5時半起床●福島で有機農業を苦闘しながら営んでいる三男から「ものの見事に」青虫に食われているキャベツの葉の写真が送られてきた。そして青虫という生き物をつぶして殺すという「つらいこと」もやらねばならないという悩みと嘆きが書いてあった。そこで次のような素人アイデアをメールした。一部改変して公開する。

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kさん

 前メールで「自分のところにきた虫だから、よく来てくれたと愛せないか」というようなことを書きましたが、

今回「穴だらけ」のキャベツの葉をみてぞっとし「こりゃー赦せねー」と思いました。(笑)

 

塚本訳 マタ 13:25-28

13:25 人々が(夜)眠っている間に敵が来て、麦の中に毒麦をまいて行った。

13:26 苗が芽生えて実を結ぶと、その時毒麦も現われた。

13:27 使用人たちが来て家の主人に言った、『ご主人、畑には良い種をまかれたのではないですか。すると毒麦はどこから来たのでしょうか。』

13:28 主人がこたえた、『敵のしわざだ。』使用人たちが言う、『では、行って抜き取りましょうか。』

 

Kさんが青虫を「殺す」という気持ちになったのもうなずけます。しかし「殺す」というのは不穏当です。虫と人間の生存競争とはいえ神も泣いています。

そこは素人の強み。次のような案はどうなのでしょう。SS先生から果物は混植すると虫が来ないと聞きました。農薬散布で殺さないのです。これを伺った時、素人としては「平和的解決」だなー」と思いました。

野菜は混植できないのでしょうか。素人のアイデは貴重です。私の仕事の経験でも、素人の私の発想に対して専門家に「そんなことはできない」と鼻で笑われたことがあります。しかし、ナ、ナント今ではその方法が便利。私はその手法を本にまで書きました。これをヒントに次のような一案も考えました。素人のタワゴトと思ってお聞きください。

キャベツ、ブロッコリー、白菜、ラディッシュ、・・・・・など7(聖書によく出てくる数値)種類を一列ずつ植える。すると青虫はそのうち一番おいしいものだけを食べる。人間はその収穫はあきらめる。こちらも「青虫に譲歩」、「敵を愛せ」です。

お母さんにこのアイデアを話すと「青虫にとっては野菜全部がおいしい」・・・・ここでひるんではならない。つまり青虫が特別によく好む野菜を見出して何列かおきに植えるのもどうか。・・・・とにかく「抜く」とか「殺す」というのはドーモ平和的ではない。なぜか。次の創世記の記事に深く考えさせられます。神の創造する物に無駄はないと思うのです。

 

新共同 創  1:29-30

1:29 神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。

1:30 地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」そのようになった。

 

 

あるいは畝の間に青虫の好む「御馳走」を播く、それを青虫が食べると葉を食べる意欲がなくなるほど満腹になる。殺さないで肥満にする(?笑)だけ。これも素人の発想。・・・とにかく「殺さない」で「平和的解決」を目指すのがよいと思うのです。

神は「すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう」とあるではありませんか。それを「殺そう」という発想がそもそも地球環境破壊の原因ではありませんか。「平和共存」「平和共生」の理念からきっとよいアイデアが生まれると思います。なぜか、創造主自身がアイデアをひらめかせてくれると思うからです。

御健闘を祈ります。

 

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●終日「WEB黒崎」引照入力Ⅰコリ16章。これでⅠコリ完了、あと三巻、「勝利宣言」も近い。●過日集会で話した「死は有体的復活への門」の配布資料をHP「使徒伝承」にアップした。

http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/denshou/mon.htm

●Ⅰコリ15:58の「主の業」とは何かを考察する。

新共同 Ⅰコリ15:58
15:58 わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。


塚本訳  Ⅰコリ15:58
15:58 だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ。骨折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから。

●「主の業」とか「主の仕事」とは聖職者になることやキリスト教関係の団体に就職することではない。ここが教会主義と無教会主義の分水嶺である。●ところがこれを誤解して、べったり「この世的」な生き方をするのがいいのか。遊び人でいいのか。新約聖書の書簡は「エクレシアの俗化」との戦いである。つまりクリスチャンは神に熱心であれ、遊び人とは交際するな、ということを言う。●私の知っている無教会クリスチャンで、この世人間とべったり交際する人間がいる。こういう人間をラオデキヤ人間という。この世の人間から堅物クリスチャンと言われるのを恐れて、この世におもねっている。こういう人間は「キリストの香り」がしない。真のクリスチャンは世の敵になるのである。この世人間から「理解されない」のである。

 

 

 

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自殺願望者に告ぐ ++++++++ 所感

2009/10/06 05:29

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091006(火)5時目覚め起床。一度も起きずに熟睡5時間半は楽●昨日「なぜ自殺してはいけないか」との問いに、「この肉体は神から頂いたものだから自分で壊すのは器物損壊の罪だ」と言ったところ、「アーソーカ」との答え。わかっていただけたようである。●しかし今朝考えてそれは宗教家、道徳家、律法学者的な答えであったなーと反省●ではイエスだったらどう答えたであろうかと黙想。●イエスであったら、そういう質問を発するに至った原因を解消することに注目したであろう。●聖書に「自殺」という言葉はあるか。ヨハ8:22、使徒16:17の2か所にある。当時も「自殺」という概念はあったことが分かる●しかしそれを読んでも「自殺してはいけないか」の答えにはならない●「自殺してはいけないか」の質問を発する人は「万策尽きて」心が疲れている時なのだ。●ナ、ナント、イエス自身が自殺をしようと思ったことがあるのだ。

塚本訳 マタ 26:38
26:38 それから彼らに言われる、「『心がめいって』『死にたいくらいだ。』ここをはなれずに、わたしと一しょに目を覚ましていてくれ。」


●神の子イエスも「人間」。自殺したくなったのは弱かったからである。

塚本訳ヘブ 5:2
5:2 彼は自分自身も(人間で、彼が代って犠牲を捧げる人々と同様、人としての)弱さを身に帯びているので、無知の人々、また(罪に)迷う人々を思いやることが出来るのである。

●これが「福音」の源流である。イエスはどうされたか。神に「ヘルプ」と叫んだ。

塚本訳ヘブ 5:7-8
5:7 彼はその(地上における)肉の日に、烈しい叫び声と涙とをもって、彼を死から救い得るお方に向かって祈りや嘆願を捧げ、その敬虔のゆえに聞きいれられた(方である)。
5:8 彼は御子であるにもかかわらず、苦しみをうけて従順を学び、

●それだからイエスは真の祭司になれたのであるというのは次である。しかしこれは難しい。神学である。

塚本訳 ヘブ 5:9-10
5:9 完成されたので、(今度は彼が、)彼に従順であるすべての人に対して『永遠の救の』本源となり、
5:10 神から『メルキゼデクと同等の』大祭司と呼ばれたのである。

●イエスは難しいことを言わずに「悲しみの本」を取り除いた。人間にとってどうしようもない「悲しみ」は三つある。

①過ぎ去った過去。「過ぎ去った時は神でも取り戻せない」と言ったのは三浦綾子である。(彼女の小説は真のキリスト教文学とは程遠い。真のキリスト教文学とはたとえばオスカーワイルドの「幸福の王子」である。そのツバメの生き方である。そこにはキリスト教の「キ」の字も出ないが、福音の香りが馥郁と漂う。これに比べて三浦綾子の小説はキリスト教宣伝文学であって、幼稚である)●しかし神は過ぎ去った時を取り戻せる。十字架の贖罪を通して過去を全く消してくださる。今生まれた「みどり子」のようにしてかわいがってくださる。罪を清めてくださる。

②現在の苦。「医者も匙を投げる」重い病をイエスは直した。イエスの周りには病人が群がった。特に精神の病と思われる病人もいた。イザヤ書のメシア預言は、目が明き、足萎えが直り、耳が聞こえるようになるという。イエスはその通りのことをされた。

③将来の苦。それは死の不安と悲しみ。神は生物(それは死ぬまい死ぬまいと思っている)としての「死」の悲しみを有体的復活を示して、来世の実在を証明した。

●「自殺願望者に告ぐ」。「頭のいい奴は自殺する」しかしちょっと待て。最後にもう一つ試してみることがある。いるかいないかわからない神に叫べばよい。「ヘルプ!」と。

●イエスが死にたいと思って血のしたたるような汗(血の汗ではない)を流して祈られた。ルか22:44.すると天使が力づけたルカ22:43.

●9:00 池谷医院、定期健診。血管年齢検査。成績よし。もう少し減量の必要あり。●14:50-18:00 昭和女子大後期授業開始。2コマ。帰宅20:10 やはり疲れる●鈴木孝司さんから電話

 

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人間は年金貰ってダメになる。 ++++++++ 所感

2009/10/05 06:23

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091005(月)4時45分目覚め。朝の黙想「人間は年金貰ってダメになる」「神は悔いる人間を愛す」。この二つには共通のことがある。●ずっと過日のこと。集会の某夫人から「高橋さんのお話は、高橋さんが大苦難に見舞われていたときにはビンビンと胸に迫るものがありましたが、年金貰うようになってからはそれがありません」と言われた。よく言ってくれた。こういうことは自分では絶対にわからないことだ。「年金制度」は人をダメにする」。政党が選挙公約で盛んに「年金」の充実を掲げるが、肉の人間は喜ぶが、真に人のためにならない。人間は苦しんで悲しんで生きているときの生き様が人に訴えるものを持つ。●イエスは33歳で殺されたが、あの倍も3倍も生きて、年金などないが「大往生」したとしたら、物理的時間で何事かの作業ができて本でも残せたかも知れないが、人に訴えるものは残せなかったはずだ。イエスが「エリエリ」と叫んで父なる神に絶望して死んだその死にざまが福音を伝えることになったのだ。イエスの神は「父」として苦渋の選択をして、愛する子を見殺しにした。そお父なる神の心が世に伝わった。●昨夜はNHKTVで太宰治が愛人大田通子に産ませた太田治子(作家)の話があった。ベストセラー「斜陽」のモデルである大田道子を「古い道徳に立ち向かって生きた母(大田道子)を誇りに思う」というのだが、どうも頂けなかった。ダークである。全身が「Oh No!」と叫ぶ。人間はこの暗さに耐えられない●桜桃忌に群がる若い者がこんなことに心惹かれるのかと思うと。「そこに救いはない『光を求めよ』」と叫びたくなる。「若者よ、それで満足なのか」と叫びたくなる●心中した相手がまた別の愛人だったので太宰は女癖が悪い男だったと知った。こんな男には同情してはいけない。「愚か者!」と一喝するのが真の親切である。彼も人間だと言って同情するのは不親切。救わない。●しかし太宰は最後近くに聖書を読んでいたことも放映されて息をついた●太宰は塚本虎二の「聖書知識」を読んでいた。真剣勝負で伝道した塚本虎二はこれまた人間として正直に真剣勝負で生きていた太宰に訴えるものがあったのかもしれない。「太宰治と『聖書知識』」という本がある。●塚本虎二先生は太宰治が自分の雑誌「聖書知識」の購読者であることを彼の自殺後に知って(もちろん本名の津島と太宰がくっつかなかったのであろう)、「もう少し以前から彼を知っていれば心をつかめた(自殺を思いとどめらせたかも知れない)のに」と言って残念がった。●私は勤務先の上司と太宰の正妻に建築設計の打ち合わせで会ったとがある。印象はあるがここでは書けない●イエスは人生を悔いる人を愛された。(聖書的根拠は多い)●私(高橋)の話は大苦難の時の方がよかったという某夫人の感想と、太宰のように人生を悔いた話(小説)とはどこか似ているのか。●そうではない。太宰は悔いていないのかもしれない。不倫を美化しているのだ!。甘い!弛んでいる!。太宰がもっと真剣勝負に生きていれれば自分の罪の懊悩にたまらず「十字架」にすがるに至り、自殺などしなかったはずだ。●年金貰っている人間は死んでいる。太宰は自分を美化した。両方とも真剣勝負で生きていない。楽している。これでは人を救えない。●10:30聖路加で過日のMRIの結果判定。新しく小さい出血が増えた。これは老化の徴。体重をさらに減らすようにとのとの指示を受ける。●13:15目黒の「林試の森公園」(筑波に移転した林業試験場の跡地公園)を散歩。素晴らしい公園だ。

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目黒区下目黒の「林試の森公園」を散策。広大なすばらしい公園。

筑波に移転した林業試験場の跡地。多くの種類の大木がある。

●14:00黒田隆さんを訪問。88歳。頭は冴えておられる。二時間歓談・奥様の遺影に御挨拶して辞去。本棚に新約聖書があった。教養ある人間の書棚には聖書がある。しかしこれが真に個人に語りかけるようになるにはどうしたらよいのだろうと思った。●某氏との対話。某氏「自殺はなぜいけないのでしょうか。私「この肉体は神のものだから自らの手でこれを壊すのは器物損壊の罪です」。某氏「あー、わかりました」。私「人間は二重苦です。取り返しのつかない過去の罪の苦、わからない死後の不安という苦。これを神は十字架と復活という出来事で人間を救いました。」。私「絶対に有体的復活、霊の体での復活があります。『また会う日まで』という言葉があります。」●人が自殺したくなるのは「心が疲れている」からである。そのために「生きる喜び」が失せたからである。ガソリン切れのエンストである。「生きる喜び」に満たされていれば「自殺したい」などという気は起らない。●私の経験では、「生きがいが失せる」というのは、仕事が「暇になった時」である。ふっと「生きがいがなくなる」という感情に襲われる。これ「自殺したくなる」という気持になる時と共通である。●人間から「神の霊」が去る時、人間はただの肉になるので「生きがいを失い」「生きる喜び」を失い、自殺したくなる。根本治療は人間が神の霊を頂く」ことである。

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全被造物は復活再生する ++++++++ 所感

2009/10/04 04:30

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091004(日)3時半起床。今日の感話の準備。●急遽配布プリントを変更。これを言わなければ気がすまない。それは次の通り。

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●全被造物は、即ち不信者も最後にはついに復活再生する。Ⅰコリ15:24のテロスは普通「終わりが来る」と訳されるが塚本訳は「残りの人たちが」である。

 

塚本訳 Ⅰコリ15:23-26

15:23 ただ(それには順序がある。)ひとりびとりが自分の(属する)組の番の時に(復活する。)最初は(すでに)キリストが、その次に、キリストの来臨の時にキリストのものである人たちが、

15:24 それから(最後に)残りの人たちが。この時、キリストはすべての支配(天使)、すべての権威(天使)と権力(天使)とを滅ぼした後、神にして父なるお方にその王国を引き渡される。

15:25 彼はすべての『敵を(征服して)足の下に置く』(まで、地上に)王であらねばならないからである。

15:26 最後の敵として、死が滅ぼされる

 

塚本訳 ロマ 8:21

8:21 創造物自身も、滅亡の奴隷になっている(現在の)状態から自由にされて、神の子供たちがうける栄光と自由とにあずかるのだから。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●集会は高木、土肥(ルカ16章、不埒な番頭の譬)、高橋(ヨハネ10章、私は羊の門。死は有体的復活の門)。私は集会が十字架の贖罪と有体的復活を説かないのは世に「救いの門」を閉ざしていることだから直ちにやめた方がよい。有体的復活を信じない人とは交際してはならない。信仰をそっちのけで仲良くはできない。全被造物は最後に復活する。などと話した。●東京聖書読者会なので「聖書」そのものを読む会でなければならない。しかし聖書を一ページも読まない人が現れ、自分の頭で勉強してきたことを大学のゼミの発表のような形で発表するのは間違っている。無教会集会は行き詰ってきている●13:00新宿で鈴木孝司氏と会う。WEB黒崎のこと。塚本虎二著作集のこと、そして新しい企画のこと。何か神にネジを巻かれたような感じがした。●有楽町交通会館に「宮崎トキ」絵画個展鑑賞。宮崎さんとしばし懇親懇談。

 

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老いの悲しみと復活の喜び ++++++++ 所感

2009/10/03 06:03

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091003(土)3時50分起床。6時間熟睡で十分●朝の黙想「老いの悲しみと復活の喜び」。

塚本訳 マタ 6:19-20
6:19 (このように、何事も天の父上相手でなければならない。たとえば)あなたたちは衣魚や虫が食い、また泥坊が忍び込んで盗むこの地上に宝を積まず、
6:20 衣魚も虫も食わない、また泥坊が忍び込むことも盗むこともない天に、宝を積んでおきなさい。(そうでないと、心が天に向かないであろう。)

●この肉の体は建物と同じように経年的に衰えていく。イエスは地上のものは「衣魚や虫が食い、また泥坊が忍び込んで盗む」ものだという。●私の死因は「癌」であることは脳内出血の時に私を救ってくださった聖路加国際病院の主治医Y先生の話である。母は肺癌でなくなり、弟も肺癌の手術をした。だから家系から推量して私も癌になるのは確実らしい。統計的には残り16年の命●妻は母も祖母も「認知症」なので間違いなく自分も同じようになると淋しいことを言う。妻が私のことがわからなくなってしまうとは考えられない。●第一に妻も私も疲れやすくなった。過日集会の某夫人から。「何言ってるの高橋さん。黄金の60代ではないですか」と発破をかけられた。しかし老いは悲しい、淋しい。●妻が認知症にならないためには面倒を見なければならない人がいればいいらしい。ヨシ、それでは私がその人になろう●生きとし生けるものはすべて「永遠の命」を望む。そんな夢のようなことはあるのか。新約聖書には「永遠の命」という言葉がある。復活という言葉がある。証拠は?。イエスの有体的復活であると神はイエスの事実で示した。●騙されたと思ってもこれに賭けるほかはない。なぜか。「罪の赦しと復活の喜び」の告知はどこにもないからだ●明日の集会の感話では私がそのことを話す。次はその骨子。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・             死は有体的復活への門

                2009.10.4 東京聖書読者会 高橋照男

 

① 死は有体的復活への門

② 有体的復活の体は建物に譬えられる

③ 塚本虎二先生の「有体的復活」観

④ 有体的復活を信ずる人から応答がある不思議

⑤ 薄幸な青年に告ぐ。「有体的復活がある」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●骨子作成の背景。①、集会のHBさんは本年癌の手術をされたが完全にとりきれなかった。そのHBさんが私に言うことに「死は来世への門だ」と。②TKさんは「高橋さんがしきりに有体的復活というのは建築士であることと関係がありそうだ。有体的復活と建物の関係の探究をライフワークとしてください」と言われた。③私が「有体的復活」というと、それは高橋の造語だと批判した人がいた。この言葉は私の造語ではないことを塚本虎二先生の著作から何箇所か引用してみる。しかし塚本虎二先生を待つまでもなく。新約聖書全体がそれを指し示す。④イエスの墓が空になったことが有体的復活の歴史的物理的な面からの証拠であることを言い始めたのは1997年からである。間違ってはいけないのでこのことは荒井献、佐藤研の両先生から裏付けをとった。また有体的復活の最後の砦は「墓が空であった」という事実であることは塚本先生も言っておられる。(聖書知識231号、昭和24年7月P6)●有体的復活を告白すると顔も知らない全国の少数の方々から「然り、アーメン」という応答がある。実に不思議な現象である。これが私の信仰が間違っていないことへの自信となった。⑤薄幸な青年に出会った。私として彼にかけられる言葉は何か。「金銀我になし。されど有体的復活の希望の喜びを伝承する。これは2千年来の使徒伝承だ。言い放しにする。信じるかどうかは君次第だ。」

●人生の喜びは、次の言葉を信じるかどうかにかかっている。

塚本訳 Ⅰコリ15:42-49
15:42 死人の復活もこのようである。(一つの体が死んで別の体が生まれる。)死滅の姿でまかれて不滅の姿に復活する。
15:43 恥辱の姿でまかれて栄光の姿に復活する。弱さの姿でまかれて力の姿に復活する。
15:44 (神の霊を持たない)魂だけの体がまかれて霊の体が復活する。魂だけの体がある以上は霊の体もあるわけである。
15:45 (聖書にも)このように書いてある、「最初の『人』アダム『は魂だけの生きものになり』、最後のアダム[キリスト]は命を与える霊になった」と。
15:46 しかし霊のものが最初でなく、魂だけのものであり、その次に霊のものである。
15:47 最初の『人は地から出て土で出来たものであり』、第二の人は天の出である。
15:48 土の人たちはこの土の人(アダム)のようであり、天の人たちはこの天の人(キリスト)のようである。
15:49 こうしてわたし達は土の人の姿を帯びたように、(復活の時は)天の人の姿を帯びるであろう。

●「うそだ。パウロは行って見てきたわけではない。真っ赤なうそだ。いい加減なことは言わないでほしい」。当時も今も同じような呟きがあったはずだ。これにたいしパウロは言う。

塚本訳 Ⅱコリ1:22
1:22 このお方がまた、わたし達に(御自分のものという)証印をおし、その手付けとして御霊をわたし達の心の中にくださったのである。

●「手付け」とはよい言葉だ。人間社会では「手付金」ということがある。その手付けとは「御霊」のことだが、それは異言などをともなう陶酔的な状態のことではない。心の安らぎ、祈り、希望、などを伴う静かなものである。

●Ⅰコリント15:22-24の勉強をして、最後は被造物全体が、即ち不信者も、復活再生することをパウロは信じていることを知って涙がこぼれた。

塚本訳 Ⅰコリ15:22-24
15:22 (一人の人)アダムとのつながりのゆえにすべての人が死ぬのと同じように、(一人の人)キリストを信じてすべての人が命を与えられるのである。
15:23 ただ(それには順序がある。)ひとりびとりが自分の(属する)組の番の時に(復活する。)最初は(すでに)キリストが、その次に、キリストの来臨の時にキリストのものである人たちが、
15:24 それから(最後に)残りの人たちが。この時、キリストはすべての支配(天使)、すべての権威(天使)と権力(天使)とを滅ぼした後、神にして父なるお方にその王国を引き渡される。

●24節は普通「終わりが来る」という訳が多いが(文語、口語、新改訳、前田、新共同)、塚本訳は「残りの人たちが」復活するという読みをしている。黒崎も同様の考えである。(黒崎註解Ⅰコリ15:28の要義)これはギリシャ語原語のテロスの読みにかかっているのだが、パウロのロマ書8章19-21節の考えからすれば全被造物はすなわち不信者も最後に復活再生すると読む方が自然である。●これで心が晴れた。楽になった。あの人、この人も最後は神を知るのだ。神の救いにあずかれるのだ。

●「WEB黒崎」のⅠコリ15章引照入力をしている時、ヘンデルメサイアの第三部を観賞。何と、その歌詞の8曲中6曲はⅠコリ15章からではないか。するとⅠコリ15章の音楽はヘンデルのメサイア第三部ということができる。終わりの時にはラッパが鳴る。ヘンデルは聖書をこんなにも深くよく知っていたのか。

 

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記念すべきことは何か ++++++++ 所感

2009/10/02 07:19

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

       http://stonepillow.dee.cc/

091002(金)2時10分目覚め。寝つけずに床の中で感話の準備と黙想。4時10分起床。黙想「記念すべきことはなにか」。●第36回目の塚本虎二先生記念会が近づく。(10月25日)。もうそろそろやめた方が良いのではないかというのが私の意見。神学論争は別にして、実際に塚本先生を知る人がいなくなった。今後同窓会的な雰囲気はしようにもできなくなる。内村鑑三記念講演会も下火になり最近では聴衆が100名程度。無教会全国集会も振るわない。原因は何か。明快である。「記念すべきこと」を記念していないからである。●では「記念すべきこと」とは何か。新約聖書の塚本訳で「記念」は7回出てくる。それは次である。すべて「イエスの死」の記念を言う。

マタ  26: 13 [塚本訳

アーメン、わたしは言う、世界中どこでも(今後)この福音の説かれる所では、この婦人のしたことも、その記念のために一しょに語りつたえられるであろう。」

マコ   14: 9 [塚本訳

アーメン、わたしは言う、世界中どこででも(今後)福音の説かれる所では、この婦人のしたことも、その記念のために(一しょに)語りつたえられるであろう。」

ルカ   22: 16 [塚本訳

わたしは言う、神の国でほんとうの過越の食事──(罪のあがないの記念の食事)──をする時まで、わたしはもう決して、この(エジプトからあがなわれた記念の)食事をしないのだから。」

使    10: 4 [塚本訳

彼は天使を見つめたが、こわくなって言った、「主よ、何の御用でしょう。」天使が言った、「あなたのかずかずの祈りと施しとは神のところまで上っていって、(受けいれられ)記念されている。

使    10: 31 [塚本訳

言う、『コルネリオ、あなたの祈りは聞きいれられ、かずかずの施しは神に記念されている。

Ⅰコリ  11: 24 [塚本訳

(神に)感謝して裂いて、言われた、「これはあなた達のためにわたすわたしの体である。わたしを記念するためにこのことを行ないなさい」。

Ⅰコリ  11: 25 [塚本訳

食事の後、杯を同じように(感謝)して(分けて、)言われた、「この杯はわたしの『血』の犠牲を払った『新しい約束』である。(今から後、)飲むたびごとに、わたしを記念するためにこのことを行ないなさい」。

●一貫して共通のことは「イエスの死」の記念である。これなくして記念会は無意味である。人間を記念する会は即刻やめた方がよい。それを続けることは内村、塚本先生の顔に泥を塗っていることになる。罪悪である。泥で顔を潰されている両先生は天で泣いている。

●「WEB黒崎」引照入力。Ⅰコリ15章。イエスとパウロの復活観が分かって嬉しかった。●不信者はどうなるのか。聖書の復活観は次の通り。終末には不信者もまた霊の体で有体的に復活させられる。そこでもう一度福音と出会うと私は信ずる。

塚本訳 Ⅰコリ15:20

15:20 しかしながら今、キリストは死人の中から復活しておられる、眠った者の(復活の)最初として。

 

塚本訳 コロ 3:3-4

3:3 君達は(既にこの世に)死んで、その生命はキリストと共に神の右に隠されているのだから。

3:4 (しかし今でこそ隠されているが、)私達の生命であるキリストが顯れ給う時には、君達もまた彼と共に栄光の裡に顯れるであろう

 

塚本訳ヨハ 11:11

11:11 こう話して、またそのあとで言われる、「わたし達の友人ラザロが眠った。目をさましに行ってやろう。」

 

塚本訳 ヨハ 5:28-29

5:28 あなた達は(子が裁くという)このことを驚くに及ばない。時が来ると墓の中にいる者が皆子(たるわたし)の声を聞いて、

5:29 (墓から)出てくるからである。すなわち、善いことをした者は(永遠の)命にはいるために復活し、悪いことをした者は(死の)罰を受けるために復活する

 

 ●これらのことが根本的に分かると次の難解な聖句が分かる。

塚本訳 ルカ 20:37-38
20:37 死人が復活することは、(聖書にはっきり書いてある。)モーセも茨の薮の(燃える話の)ところで、主を『アブラハムの神、またイサクの神、またヤコブの神(である)と』と言ってこれを示している。
20:38 ところで神は死人の神ではなく、生きている者の神である。神に対しては、すべての者が生きているのだから。(してみるとアブラハム、イサクなども皆復活して、今生きているわけではないか。)」


塚本訳 Ⅰコリ15:13
15:13 しかし死人の復活がないのなら、キリストも復活しておられないわけである。


塚本訳Ⅰコリ15:16
15:16 死人は復活しないのなら、キリストも復活しておられないのだから。


add 2 Ⅰコリ15:20
15:20 しかしながら今、キリストは死人の中から復活しておられる、眠った者の(復活の)最初として。


塚本訳  コロ 3:3-4
3:3 君達は(既にこの世に)死んで、その生命はキリストと共に神の右に隠されているのだから。
3:4 (しかし今でこそ隠されているが、)私達の生命であるキリストが顯れ給う時には、君達もまた彼と共に栄光の裡に顯れるであろう。

●理髪店に行く。店長の中野さんは私が定年になったというので今までより500円安くして3000円にしてくれるという。●妻は「おはぎ」を福島の実家の母につくる。「わかってくれるかしら」という。私が郵便局から送る。●TVの音楽番組「音楽探偵、アマデウス」(この番組はすばらしい)でベートーヴェン、ピアノソナタ「悲愴」を道郁代で鑑賞。これに刺激されて、家にあるCDを聴き比べる。ポリーニ、ギレリス、バックハウス、ブーニン、ルービンシュタイン、ブレンデル。ヴェートーヴェンが難聴で悩み始めた頃の気持ちを一番よく表しているのはブレンデル。

 

 

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