to 日記と感想 2009年11月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    180422(日)   杉並公会堂・武蔵野室内合奏団「英雄」
    171229    TM誕生日
    180224   14:30 トミ子、モーチァルト{レクイエム) 171220     KK誕生日
    171225(月)10:45 聖路加診察脳神経外科桑本医師
    171218(月)10:30 聖路加MRI
    171203(日)14:00 無教会浦和集会、助川光子講演
    171126(日)  兄光男、弟靖男と三人会。於・日本橋
    171119(日)15:00 秋川キリスト教会、後藤牧人講演会
    171115    TM誕生日
    171107(月) TI手術、聖路加 171105(日) 照男・トミ子集会感話、トミ子午後郡山にSS見舞い
    171103(金)13:00南原繁研究会学士会館
    171030(月)10:00 聖路加 桑本先生


まだ可能性はある ++++++++ 所感

2009/11/30 06:53

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
       http://stonepillow.dee.cc/

091130(月)4時20目覚め●次回12月6日の感話の方針がひらめいた。「まだ一時間は働ける」。「まだ可能性はある」。●次回のテキストはマタイ20:1-16「葡萄園の労働者の譬」。これはラスキンの「Unto this Last(この最後のものにも)」のテーマである。ラスキンはこの経済思想で英国民の尊敬を集めた。鳩山首相の「友愛」精神は同じように見えるが、根がない。●「葡萄園の労働者の譬」は神の心は「働きはなくとも信仰で義とされる」というパウロの思想と内的に一致するものであるが、使用者の一方の心は「まだ使える」という目もある。塚本訳の敷衍である(まだ一時間は働ける)は適切である。

塚本訳  マタ 20:7
20:7 彼らがこたえる、『だれも雇ってくれないのです。』彼らに言う、『(まだ一時間は働ける。)あなた達も葡萄畑に行きなさい。』

●この「まだ」に注目する。建築をすぐ壊す無教養、無芸術な人間がいるが、「まだ使える」という精神が欠如している。●日本語の「もったいない」という言葉に当てはまる外国語はないらしいが、神の心はこの「もったいない」である。神はどんな罪人をも「滅ぼすにはもったいない」と思ってくださる。その有益性の可能性を見てくださる。一時間きり働くことができなくてもである。「惜しい」という神尾の心が現れている聖書は次の通り。

新改訳 ヨナ 4:10-11
4:10 主は仰せられた。「あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる
4:11 まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。」

口語訳 イザ 31:5
31:5 鳥がひなを守るように、万軍の主はエルサレムを守り、これを守って救い、これを惜しんで助けられる」。


口語訳 エゼ 20:17
20:17 けれどもわたしは彼らを惜しみ見て、彼らを滅ぼさず、荒野で彼らを絶やさなかった。

●人間は最後の最後の瞬間まで「まだ」救いの可能性はある。あきらめてはならない。最後の一時間、一秒にも可能性は残されている。祈りは10年必要とは昨日教えられたこと。

塚本訳マタ 19:30
19:30 しかし(決して油断をしてはならない。)一番の者が最後になり、最後の者が一番になることが多い。

塚本訳ルカ 23:42-43
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる。」

塚本訳ルカ 15:32
15:32 だが、喜び祝わずにはおられないではないか。このお前の弟は死んでいたのに生きかえり、いなくなっていたのに見つかったのだから。』」

塚本訳ルカ 15:10
15:10 わたしは言う、このように、一人の罪人が悔改めると、神の使たちに喜びがあるのである。」

●残り時間の少ない老人や老朽化したものを大切にする心。

出    10: 9 [口語

モーセは言った、「わたしたちは幼い者も、老いた者も行きます。むすこも娘も携え、羊も牛も連れて行きます。わたしたちは主の祭を執り行わなければならないのですから」。

ヨシ   13: 1 [口語

さてヨシュアは年が進んで老いたが、主は彼に言われた、「あなたは年が進んで老いたが、取るべき地は、なお多く残っている。

ヨブ   12: 12 [口語

老いた者には知恵があり、/命の長い者には悟りがある。

ダニ   7: 9 [口語

わたしが見ていると、もろもろのみ座が設けられて、日の老いたる者が座しておられた。その衣は雪のように白く、頭の毛は混じりもののない羊の毛のようであった。そのみ座は火の炎であり、その車輪は燃える火であった。

レビ   19: 32 [口語

あなたは白髪の人の前では、起立しなければならない。また老人を敬い、あなたの神を恐れなければならない。わたしは主である。


新共同 箴  16:31
16:31 白髪は輝く冠、神に従う道に見いだされる。

検索 老人 [口語訳] 全書巻
ヒット数 検索 32

創    43: 27 [口語

ヨセフは彼らの安否を問うて言った、「あなたがたの父、あなたがたがさきに話していたその老人は無事ですか。なお生きながらえておられますか」。

士    19: 16 [口語

時にひとりの老人が夕暮に畑の仕事から帰ってきた。この人はエフライムの山地の者で、ギベアに寄留していたのである。ただしこの所の人々はベニヤミンびとであった。

Ⅰ列   12: 13 [口語

王は荒々しく民に答え、老人たちが与えた勧めを捨てて、

箴    17: 6 [口語

孫は老人の冠である、父は子の栄えである。

箴    20: 29 [口語

若い人の栄えはその力、老人の美しさはそのしらがである。

ヨエ   2: 28 [口語

その後わたしはわが霊を/すべての肉なる者に注ぐ。あなたがたのむすこ、娘は預言をし、あなたがたの老人たちは夢を見、あなたがたの若者たちは幻を見る。

使    2: 17 [口語

『神がこう仰せになる。終りの時には、/わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、/若者たちは幻を見、/老人たちは夢を見るであろう。

Ⅰテモ  5: 1 [口語

老人をとがめてはいけない。むしろ父親に対するように、話してあげなさい。若い男には兄弟に対するように、

●弱ったものを強める心。直す心。

塚本訳 マタ 11:2-6
11:2 さて(洗礼者)ヨハネは牢屋で、(イエスの)救世主としての働きを聞くと(心が動揺し、)弟子たちをやって、
11:3 「来るべき方(救世主)はあなたですか、それともほかの人を待つべきでしょうか」とたずねさせた。
11:4 イエスは答えられた、「行って、(今ここで)聞いていること見ていることをヨハネに報告しなさい。
11:5 ──『盲人は見えるようになり、』足なえは歩きまわり、癩病人は清まり、聾は聞き、死人は生きかえり、『貧しい人は福音を聞かされている』と。
11:6 わたしにつまずかぬ者は幸いである。」

マタ   12: 20 [口語

彼が正義に勝ちを得させる時まで、いためられた葦を折ることがなく、煙っている燈心を消すこともない。

ルカ   10: 34 [口語

近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

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一番大切なことは永遠の命 ++++++++ 所感

2009/11/29 07:49

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

       http://stonepillow.dee.cc/

091129(日)4時半起床●今日の感話の最終準備でプリント修正。本日の感話の結論は。外部環境より命が大切。肉の命よりも霊の命が大切。聖書的根拠は次の二つ。


塚本訳  Ⅱコリ4:16
4:16 このゆえに、わたし達は気を落さない。いや、わたし達の(生れながらの)外の人はどんなにこわれていっても、(キリストによって生れた)内の人は一日一日と新しくされてゆく。


塚本訳  マタ 6:25
6:25 だから、わたしは言う、何を食べようかと命のことを心配したり、また何を着ようかと体のことを心配したりするな。命は食べ物以上、体は着物以上(の賜物)ではないか。(命と体とを下さった天の父上が、それ以下のものを下さらないわけはない。)

●外部環境とは政治形態、経済状態、建築、地球環境。これらより肉の命そのものが大切。我が家が火災になったとき、多くの人から「命に別状はありませんでしたか」と聞かれた。私にとって2000.4.23家が焼けたことは外部環境の崩壊であった。●三か月後の2000.7.6には今度は脳内出血でその肉の命を一撃された。意識不明になった。2004.3.18には母が肺癌で召された。2005年には主治医から「死ぬ時は癌です」と宣告された。これらのことが重なって、一番大切なことは「永遠の命」「有体的復活」であるという認識に追い込まれた。●5:00NHKTV3CH「こころの時代」は社会学者の論客、故鶴見和子のこと。癌で亡くなる11年前に脳出血で半身不随。最後近くの歌に「永遠(とわ)に生きるとは何かとを思う」とがある。●これだけの知性の人には「なまじのキリスト教」では通じない。遊びのプロテスタント教会(集会)では無理●しかしヒルティはゲーテ的知性の人生観には救いはないと批判している。●もしこういう知性教養豊かな人がイエスに「永遠の生命とは何か」と問うたら、イエスは言うであろう「汝なお一つ欠く」(マルコ10:21)●今日の私の感話は「永遠の命を頂くにはどうすればよいのか」である。●集会は村上、小寺、高橋(永遠の命をいただくにはどうしたらよいのか●クリスチャンが日曜礼拝を休む事が多くなったら、集会に問題があるというよりまず本人の信仰がおかしくなったと見るべきであろう。この世の神なるサタンに手招きされてそっちの方が楽しくなったのである。●神の祝福がないと本人の信仰は続かない。家庭や教会や集会も同じ。神の祝福が去る時、信仰も去る。信仰集団をサロンや趣味教養同好会、仲良しクラブと心得ている人間は、それだけで神の祝福が去っている徴である。●キリストの集会をそのような集まりと心得る愚かな暇人間、遊び人間がいたら禍である。裁きは神の集会から始まると言われる。

新共同 Ⅰペテ4:17
4:17 今こそ、神の家から裁きが始まる時です。わたしたちがまず裁きを受けるのだとすれば、神の福音に従わない者たちの行く末は、いったい、どんなものになるだろうか。

●お茶の水韓国YMCAでクリスマスの集まり。妻と出席。講演者は小館美彦、武義和、武祐一郎。吉田秀雄さんほか多くの人に会った。武義和さんの指導で讃美歌を沢山歌った。塩澤さんとは来世と復活の話。ピリピ書に注目という。●武祐一郎先生からは「10年間祈って、聴かれた」という貴重な体験談を伺った。●さらば、困難なことが起きたら「10年間は祈り続けよう」

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銀杏の落ち葉、秋留台公園(091128)

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神田カトリック教会、確か重要文化財。立っているのは妻。

無教会クリスマス講演会(神田YWCA)に行く途中。

カトリックの芸術に対する姿勢は立派。

 

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コピー(広告宣伝の言葉)大好き ++++++++ 所感

2009/11/28 10:32

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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091128(土)5時半起床●TSK日本語化●公園でラジオ体操●朝の黙想「キムチのネーミング」●福島県で有機農業を営んでいる三男の恵(http://chitata.com/)がキムチを作ったのでネーミングをするという。私はコピー(広告宣伝の言葉)大好き人間なので次のようにメールした。一部省略改変。

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K君

君の作った無農薬キムチのネーミングの昨夜の話の続きです。
ネーミングというのは大切な大事業です。命名は無から有を生みだす大苦脳をします。
人の名前には深い意味が込められています。
さて、無農薬キムチのネーミングを「安心キムチ」としようということですが、気持ちは分かりますがネーミングとしてはイマイチと思います。それは不動産広告の「日当たり良好、眺望抜群、駅至近、美邸」の類です。
私はコピー(広告宣伝の言葉)大好き人間です。今朝浮かんだコピーは次の通りです。ご参考にしてください。あくまで参考です。
健康キムチ(安心キムチよりはいい。安心という言葉は排他的、攻撃的、穏やかではない)、朝のキムチ(粗食を連想)、なつかしいキムチ(添加物はないという意味)、冬のキムチ(韓国映画の「冬のソナタ」を連想、)、光のキムチ(光という言葉の中には安心も健康も朝も入る)、農園キムチ(牧歌的、廉価をイメージ)、おじいさんのキムチ(信用、懐かしさの概念)。・・・・・・・
 
あくまでご参考です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●14:00 ハンガリーの「バルトーク・ベーラ室内合唱団」演奏会に妻と行く。(あきる野市キララホール)。主としてバルトークとコダーイの合唱曲。素晴らしい声。何となく日本的であると思って聴いたら、檀上からの井崎氏の解説によればハンガリーと日本は民族的に似ているところがあり、赤ん坊で蒙古斑点があるのは、蒙古とハンガリーと日本だけだという。納得。

 

 

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癒しがたき悲痛 ++++++++ 所感

2009/11/27 11:12

 

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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091127(金)5時半起床●TSK日本語化●公園でラジオ体操●朝の黙想「死んだらすぐ会えるのか」●有体的復活は終末の時であると説くと、伴侶を亡くされた方々から「自分が死んだら、先に逝った伴侶とすぐ会いたい」という声が出る。●これに関して聖書は有体的復活はあくまで終末の時のことだと言っているので残酷である。死んだらすぐ会えるというのは異教思想である。残酷であるが、聖書がそういうのだから仕方がない。人間は神の介入により第二の創造、霊の体での有体的復活が頂ける。それまで待てないうのは肉の感情である。このことの消息は次の箇所である。

塚本訳ヨハ 11:23-27
11:23 イエスは言われる、「あなたの兄弟は生き返る。」
11:24 マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」
11:27 イエスに言う、「はい、主よ、(信じます。)あなたが救世主で、神の子で、世に来るべき方であると、私は信じています。」

●マルタにとって死んだ愛する兄弟のラザロに「すぐにも会いたい。終末までは待てない」という気持が24節に現れている。これは「死んだら先に逝った伴侶とすぐに会いたい」という気持ちと同じ質のものである。●この難問にイエスは「私が復活だ」(エゴーエイミ)と言って霊の人格の臨在があることで慰めた。これが根本的な解決。つまり霊の臨在を頂いてその喜びのうちに終末を待つのである。死の眠りの期間は短い。あっというまに目が覚める。その時は「愛」「神の愛」。●内村鑑三は言う。「キリスト・イエスを救い主と仰ぎて癒しがたき悲痛あるなし」と。●「来世で会える」となると、有体的復活の人間に名前はあるのか。個性はあるのか、人格はあるのか。清められてすっかり別人格になってしまうので伴侶がわからなくなるのか。そうではない。人格と名前があると聖書はいう。そうでなければ「わが妻(夫)に会えない」。その聖書的根拠は次である。

塚本訳  ルカ 20:37-38
20:37 死人が復活することは、(聖書にはっきり書いてある。)モーセも茨の薮の(燃える話の)ところで、主を『アブラハムの神、またイサクの神、またヤコブの神(である)と』と言ってこれを示している。
20:38 ところで神は死人の神ではなく、生きている者の神である。神に対しては、すべての者が生きているのだから。(してみるとアブラハム、イサクなども皆復活して、今生きているわけではないか。)」

●これによると、アブラハムは死んでもアブラハム、イサクは死んでもイサク、ヤコブは死んでもヤコブである。名前のない「天使一同」にはならない。名前のある霊の体である。●教会の牧師は来世のことは分かりません。だだ信じればよいのです」というがそれは良くない。個人の人格は地上では約80年間だけ肉の体を纏っているが、死んで後、神の力の介入で終末の時に有体的に霊の体で目覚める。再創造される。新しい創造である。名前をもった人格はある。●だから眠りから覚めるときは愛するわが子、わが妻、わが夫、わが兄弟に会える。その眠りの期間は短い。人は眠っている時は時間を感じない」。その意味では死ねばすぐ目覚めの時である。

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同じ方向に歩く夫婦。人生の道も同じ方向であれば幸福だ。

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道端に咲く菊。菊を見ると私達の結婚記念日(11月3日)を思い出す。

 

 

 

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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人生はリフォームでは駄目 ++++++++ 所感

2009/11/26 10:35

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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091126(木)5時50分起床●TSK日本語化、マルコ4章●YT氏のブログ(http://blogs.yahoo.co.jp/trntim/folder/584389.html)に次のような部分があった。文中のTT氏とはおそらく私のこと。

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よく世間では二度目(の新築)で本当によい家が建つという。まことに至言、人生においてもまことに然り。人生においてこそ斯く有らねばならぬ。
建築家のTT氏は自ら設計した自宅を完全に焼失、新築した。さぞかし素晴らしい住まいが与えられたことであろう。人生こそが斯く有らねばならない。主が富める青年に「なおひとつ足りないことがある...」と言われたのもこのことではあるまいか。人生はリフォームではだめなのではあるまいか。

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●これに対してブログの執筆者YT氏に次のように感謝のメールをした。

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実は、次回の集会感話で「神は再生する」という題でA高校改修のことを踏まえた話をしようと思い、準備の矢先でした。
そこに貴兄のこのブログ、「人生ではリフォームではだめなのではあるまいか」は衝撃。と同時に感話の結論が与えられました。イエスが神の国到来の徴と語った次の言葉
 
塚本訳 マタ 11:5
11:5 ──『盲人は見えるようになり、』足なえは歩きまわり、癩病人は清まり、聾は聞き、死人は生きかえり、『貧しい人は福音を聞かされている』と。
 
これは見ようによっては、肉体のリフォームです。しかし神は肉体のリフォームを見せながら福音によって肉から霊に生まれ変わるべきことを示したのではあるまいか。ここは最後の「福音を聞かされている」に重点を置いて読むべきものと思いました。肉体がリフォームできても人間の中味が霊に生まれ変わらなければ意味はない。なぜか。肉体はいつかは焼かれます。
あの火災を目の当たりに見せつけられ、三か月後に脳内出血で意識不明になったとき、あのとき私は「もはやこれまで」と思い、目の前から地平線は消えました。本日のブログは私の初心を思い起こさせてくださいました。深謝です。
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●オユ氏と来年の「今井館伝道聖書集会」の打ち合わせ。私の部分は次のように決定。
      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    復活の使徒伝承を継承する    
                        高橋照男
新約聖書の中心的使信である「永遠の命と復活」について、私の人生体験を通して示されたことをお話したいと思います。
 
「永遠の命とは何か」
・・・家が全焼してわからされた事・・・・
マルコ十章十七~二十七節(金持と神の国)


「イエスの復活とはどういうことだったのか」
・・・脳内出血で意識不明になって信じさせられたこと・・・・
マルコ十二章十八~二十七節(復活問答)

          
「死ぬというのはどういうことなのか」
・・・「死因は癌になる」と宣告されて考えさせられたこと・・・
第一コリント十五章三十五~四十九節(復活体の問題)

 
「神は命を再生する」
・・・建物の改修工事を通して神による「命の再生」を知る・・・
マタイ十一章二~六節(神の国到来の徴は命の再生)
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resize1203.jpg 
我が家のドウダンツツジがきれいになった。

 

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永遠の命をいただくには ++++++++ 所感

2009/11/25 10:50

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091125(水)6時起床。TSK日本語化●「永遠の命をいただくには」について黙想。ある真面目な青年が発したイエスに対する質問は「全人類の切なる願いの質問」である。代表質問である。

塚本訳マコ 10:17
10:17 旅行に出ようとされると、ひとりの人が駆けてきて、ひざまずいて尋ねた、「善い先生、永遠の命をいただくには、何をすればよいでしょうか。」

●これに対して、我々プロテスタントとしては「それは神の恩恵で与えられるものだから人間の側に為すべき手だてはない」と答えがちだが、イエスは違った。「一生懸命になって求めればよい」という。

塚本訳 マタ 7:7-11
7:7 (ほしいものはなんでも天の父上に)求めよ、きっと与えられる。さがせ、きっと見つかる。戸をたたけ、きっとあけていただける。
7:8 だれであろうと、求める者は受け、さがす者は見つけ、戸をたたく者はあけていただけるのだから。
7:9 あなた達のうちには、自分の子がパンを求めるのに、石をやる者がだれかあるだろうか。
7:10 また魚を求めるのに、蛇をやる者があるだろうか。
7:11 してみると、あなた達は悪い人間でありながらも、自分の子に善い物をやることを知っている。ましてあなた達の天の父上が、求める者に善い物を下さらないことがあるだろうか。


塚本訳  ルカ 11:13
11:13 してみると、あなた達は悪い人間でありながらも、自分の子に善い物をやることを知っている。まして天の父上が、求める者に聖霊(という善いもの)を下さらないことがあるだろうか。」


塚本訳  マタ 22:36-37
22:36 「先生、どの掟が律法の中で最大ですか。」
22:37 イエスは言われた、「『心のかぎり、精神のかぎり、』思いの『かぎり、あなたの神なる主を愛せよ。』


塚本訳  ルカ 10:42
10:42 無くてならないものはただ一つである。マリヤは善い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」

●「天は自ら助くるものを助く」である。メンツを捨ててなりふり構わず救いを求める姿に神もキリストも心を動かされる。この絵画的伝承は病気の治癒として福音書に無数にある。●塚本先生は、ある若い求道者の質問に(多分むずかしい質問であったのだろう)。「君、黙って集会に10年間通ってみたまえ」と答えたという●これに反する例。私の友人が高校生の時通い始めた教会の牧師に「信仰がどうしてもわかりません」というと、その牧師は「聖霊を頂かなければわかりません」と答えられてしまったと私に訴えたことがある。これは残酷な話だ。彼はついに求道をやめてしまった。その牧師の答えは真理ではあるが、もうすこし言いようがなかったのか。この牧師の責任は重い。●イエスの場合はこの牧師のように答えをいなさなかった。「何をすればよいか」の質問の答えに「一つ足りない」(マルコ10:21)と言ってなお「何かすればよい」という姿勢を示した。力には力である。●しかしはたしてこの求道者はその一つのこと、つまり「金を第一としないでひたすら神を求める姿勢を受け入れなかった。そこで悲しくなって去ったとある。(マルコ10:22)●その次の塚本訳の(うしろ姿を見送っておられたが、)は涙を禁じえない名敷衍である。

塚本訳 マコ 10:23
10:23 イエスは(うしろ姿を見送っておられたが、)やがて見まわして、弟子たちに言われる、「物持ちが神の国に入るのは、なんとむずかしいことだろう。」

●教会の牧師や集会の伝道者はこのように「うしろ姿を見送る」ことの連続だ。「泣け。福音を説くものよ。その労苦や悲しみは天で覚えられる」

●さて幸いに神の恩恵で永遠の命をいただいた人はその後「何をすればよいのか」。何をすれば終わりの日に「復活の体をいただけるのか」。この世の各種資格のように一度取得してしまえば永久に効力があるのか。これに対しては聖書はまたしても「一生懸命」になれという。

塚本訳  マタ 19:30
19:30 しかし(決して油断をしてはならない。)一番の者が最後になり、最後の者が一番になることが多い。

●救われた者がその恩恵を保持して最後の日の栄光の霊の体(これが永遠の命)をいただくには残りの生涯はただただ「忍耐の連続」だという。つまり「親の手を離すな」である。聖書は忍耐について次のように言う。

塚本訳 ロマ 8:25
8:25 しかしわたし達が見ていないものを望むとすれば、忍耐をもって待たねばならない。


塚本訳ルカ 21:16-19
21:16 あなた達はまた親、兄弟、親族、友人からまで(裁判所に)引き渡される。殺される者もあろう。
21:17 またわたしの弟子であるために皆から憎まれる。
21:18 しかしあなた達の髪の毛一本も決して無くならない。
21:19 あなた達は忍耐によって、自分の(まことの)命をかち取ることができる。

●午前中は各種メールと次回感話の準備●午後は「WEB黒崎」の引照入力●夕方図書館。●NHKTV「ためしてガッテン」で肺がんのこと。煙草を吸わなくても肺癌になるという。もはや癌は防ぐ方法がなさそうだ。いよいよMEMENTO MORI(メメントモリ。死を思え)である。人は必ず死ぬ。だから死の準備は必ず必要。

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秋留台公園の皇帝ダリア、皇帝ひまわり

 

 

 

 

 















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これだけは言い残しておきたい ++++++++ 所感

2009/11/24 08:16

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091124(火)5時15分目覚め。朝の黙想「これだけは言い残しておきたいこと」●家の中でラジオ体操●昨日来年の「今井館伝道聖書集会」(岡野行雄氏主宰)から、3回程度話をするようにと依頼があった。そこで次のような構想を練った。

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復活の使徒伝承を継承する

「永遠の命とは何か」・・・家が全焼してわからされた事・・・・

マルコ10章17-27節 (金持と神の国)

●新約聖書が告知することは「永遠の命の喜び」である。ではその「永遠 の命」とは何か。

「イエスの復活とはどういうことだったのか」・・・脳内出血で意識不明になって信じられたこと・・・・

マルコ12章18-27節 (復活問答)

●復活とは霊魂不滅信仰ではない。神の力により第二の人として新しく霊の体に創造されることで ある。使徒的伝承を確認し、日本人の復活観の問題点を問う。


「死ぬというのはどういうことなのか」・・・「癌で死ぬ」と宣告されて考えること・・・

              第一コリント15章35-49節(復活体の問題)

●聖書では「死は眠り」であるという。神の力によって眠りから覚まされるときは霊の体による有体 的復活である。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●午後は昭和女子大で建築の講義。二コマ。●約束の時間に現れない人にがいた。理由があって遅れるなら使いをよこしてでも「遅れる」と連絡せよと怒った。約束を守らない人は人間として最低である。そこに「真実性」というものがない。●なかには約束をスッポカス人間もいる。そういうのはもう「人間ではない」。動物以下である。神により激しく断罪されるべきである。●妻は今井館から愛子の家。


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品質と価格への姿勢 ++++++++ 所感

2009/11/23 09:08

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091123(月)昨夜はヴァン・クライヴァーン国際コンクールに優勝した全盲の辻井伸行のコンクールの軌跡が放映されたので、23時半まで見てしまった。名だたる国際コンクールに優勝した人たちを退けて優勝したのはなぜか。その人たちは自信過剰の態度に見受けられた。ところが辻井氏は第一次予選にでも通ればよいと謙虚な気持ちであった。彼の音は澄んでいた。母親は号泣。奇跡的な快挙であった。●これは罪人が罪赦されて神の子に生まれ変わることができるという奇跡の似姿ではないのか。人間として号泣すべきは十字架の贖罪による「罪の赦し」である。●辻井氏の快挙に父親の姿が見えないが、産婦人科の院長。父親が偉かったと思われる●母親に対しては「どうすればわが子の才能を見出せるか」というような質問が愚かな母親から殺到しているらしいが、イエスはその態度に「激怒」する。日本の教育が悪くなっているのはそのような親の態度に汚染されているからだ。

塚本訳 マタ 20:20-23
20:20 その時、ゼベダイの子(ヤコブとヨハネと)の母がその(二人の)子をつれてイエスの所に来て、ひざまずき、何かお願いしようとした。
20:21 彼女に言われた、「何の願いか。」彼女が言う、「(来ようとしている)あなたの御国で、この二人の子が一人はあなたの右に、一人は左に坐るよう御命令ください。」
20:22 イエスが答えられた、「あなた達は自分で何を願っているのか、わからずにいる。(ヤコブとヨハネに聞くが、)わたしが飲まねばならない(苦難の)杯を飲むことが出来るのか。」「出来ます」と二人がこたえる。
20:23 イエスは言われる、「いかにも、あなた達はわたしの杯を飲むにちがいない。しかしわたしの右と左の席、それはわたしが与えるのではなく、(あらかじめ)わたしの父上から定められた人々に与えられるのである。」

●福島で有機農業を営んでいる三男の息子のブログ(http://chitata.blogspot.com/)に対していつも感想を書いている。今日は次のように書いた。関係ある人がいると思うのでその一部を改変して公開する。

(感想メール)

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K君

●「収獲感謝祭」とは良い言葉です。米国のサンクスギビングデーに倣ったものと思われます。

感謝とはまず神への感謝です。聖書には神への捧げものという概念が多くあります。

●写真。キムチは実においしそうです。新鮮さがこのおいしそうに見える原因かと思います。

●「価格に努力してたくさんの人に食べてもらいたい」の言葉に価格と品質について思うところを述べます。

 建築会社で、超すばらしい施工をする会社に水沢工務店というのがあります。歌舞伎役者の家などを多く手がける会社で、見積もりを徴収すると群を抜いて高いのです。それでもその工事経歴書を見る人はズラーッと歌舞伎役者の名前が出ていると恐れ入って「高くても」注文する人がいます。あの大手ゼネコンの竹中工務店もそうです。高くても仕事が取れる会社です。(でした。・・・過去形)これを「殿様商売」と言います。ところが建築主が不景気になると、「よいことは分かっている」「高いだけのことはあるのだろう」と思っていても「無い袖は振れない」で、しかたなしに安い会社の方に手を出すようになります。そこで竹中工務店などは最近「コストダウンに努力」するように姿勢が変わりました。そうしないと竹中工務店としても注文がとれなくなり不景気になるからです。コストダウンとと言っても品質は堅持です。ここにおいてその竹中の品努力は立派だと思いました。世の中は、「あの竹中なら価格を下げても『竹中の看板、メンツ』のために品質は下げないだろう」と思うから客離れは少ないと思いますが・・・・。そこでK君もまず「Tブランド」という高品質を確立して世に知ってもらい、その上で「価格に努力」つまりコストダウンに努力してもらいたいものだと願います。あくまで「品質、水準を落とさない」ことが大切です。その姿勢がないとすぐ価格競争のために「品質水準」を落とすことに走ります。これはいけない。こういう短絡的なことをすると企業は衰退します。品質を落とすとまず社員のヤル気をなくします。投げやりになります。プライドが下がります。ただいつまでも「武士は食わねど高楊枝」ではいけません。常に「価格(ダウン)に努力(工夫)」していれば神の祝福が得られるでしょう。それは神と人に仕える「愛」の姿勢だからです。少しずつのコストダウンは「塵も積もれば山となる」「千里の道も一歩から」の態度です。この姿勢自体が神に祝福されます。御健闘を祈ります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(感想メールおわり)

●某用件で新宿の「貴金属店」に数軒。●14:30無教会研修所助言者会議。(於・今井館)。●22:00.本日も就寝時間の延長。NHKTV。評論家の論客である立花隆が膀胱がんになり、がんとは何かの問題に立ち向かったドキュメント。「がんとは戦わないで死のう」と言う考えになったという結論。同感。立花隆は言う。「人間は死ぬまでは生きられるのだ」。これも同感。癌とは生命増殖がある生物には宿命としてつきまとうものだという。●立花隆氏の御両親は無教会のクリスチャン。御母堂と会ったことがことがある。氏はきっと信仰に帰依するかもしれない。それを祈る●同じ評論家の加藤周一はカトリックに帰依して亡くなった。

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今井館の帰途。サンタが上り下りするイルミネーション

 

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我が国にキリスト教が根付かない理由 ++++++++ 所感

2009/11/22 21:37

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091122(日)5時起床●NHKTV3CH「こころの時代」。竹脇義果。(氏の父は往年の名アナウンサー竹脇昌作、しかし自殺。弟は俳優の竹脇無我、若くして病死)。義果氏は事業に成功して大金持ちになり、2000万円もするヨットも手に入れたが、心は空しかった。そこに過労がたたって右目を失明。左眼がわずか見えるまでに不自由になる。そkのとき20年ぶりでキリスト教会に行って信仰の道に帰依。万歳!●妻と集会に行く。高木、土肥(暴風を静めるイエス)、横田(リマ文書)、●昼食は小寺夫妻、宮崎、私たち●妻は合唱団の会計●私は「WEB黒崎」引照入力ロマ14章●寒い夜を自転車で図書館にCDを借りに行く●次週の感話の準備。レジュメは次の通り。

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①永遠の命とは復活による霊の体
②死は眠りであり、神の力で霊の体に復活させられる
③復活の霊の体は第2の創造で第2の人
④永遠の命の希望。先に逝った人と早く会いたい気持ち
⑤泣くな!ほんとうの命が神によって与えられる。

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●「WEB黒崎」ロマ14章の感想を次のように認めて関係者に送った。一部分。

(感想)

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さて、ロマ書8章にさかのぼります。我が国に福音が根付かない原因はいろいろ考えられていますが、私は簡単だと思います、「サタン」によって血液の中に毒素を注入されているので、神に敵対するように仕向けられているからだと思います。そのことを次のロマ8:7に読みます。我が国に福音が浸透しない理由は福音が難しいからでもなく、ギリシャ思想的仏教地盤だからではなく、サタンの働きにより「肉の思い」に汚染されていて、「神に敵対する」ように洗脳されているからだと思います。これを突破するのは殉教者の血が必要だと思います。

新共同 ロマ 8:7
8:7 なぜなら、肉の思いに従う者は、神に敵対しており、神の律法に従っていないからです。従いえないのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(感想おわり)



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親は子供の罪を償えるか ++++++++ 所感

2009/11/21 08:01

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091121(土)4時半目覚め。床の中で黙想「親は子供の罪を償えるか」●TSK日本語化、マルコ4章●「親は子供の罪を償えるか」。交際相手の女性との縒りを戻そうとしたが断られたのに逆上しメッタ打ちにして殺害した事件が報道された。その父親は「息子の罪の償いにどうすればよいのか」と言った。このことについて黙想。●なるまじきは「親」である。子供を与えられるのは喜びもあるがどちらかというと悩み苦しみの方が大きい。
しかしそれは親の宿命だ。自分の子供のことで親が悩むのは義務だ。イエスは「自分の十字架を負え」という。子供は親にとって重い十字架だ。

塚本訳  マタ 16:24
16:24 あとでイエスは弟子たちに言われた、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、自分の十字架を負い、それからわたしに従え。

●義人ヨブは偉かった。自分の子供たちの罪のために常に祈った。

新改訳 ヨブ 1:5
1:5 こうして祝宴の日が一巡すると、ヨブは彼らを呼び寄せ、聖別することにしていた。彼は翌朝早く、彼らひとりひとりのために、それぞれの全焼のいけにえをささげた。ヨブは、「私の息子たちが、あるいは罪を犯し、心の中で神をのろったかもしれない。」と思ったからである。ヨブはいつもこのようにしていた。

●本事件の場合、親は息子の罪の償いをしたいと言っている。気持は分かる。地元あきる野市(当時は五日市)でかって多数の幼児殺害犯がでた。その父親は青梅方面の高い橋から飛び降り自殺。弁護士への書き置きは「○○先生。息子をよろしくお願いします」であった。また犯罪を犯した息子の父(校長)は納屋で首つり自殺をした事件もあった。この二つの事件は心に残っている。父親の自殺である。「死は罪を清める」。息子の罪はその父親の自殺で社会的には話題にならなくなり一見落着のように見られる。●しかし果たしてそれで神の前に息子の罪は赦されるのであろうか。父親の「身から出た錆び」なので親が死んで詫びても赦されないだろう。罪が赦されるのは罪なき人が身代わりで死んでくださる時に初めて贖罪が達成される。●いまだかって罪を犯さなかった人はいない。だから罪なき神の子イエスの十字架の血潮のみが罪を赦す。これを「なぜだろう」とつべこべ研究しているうちは信じられない。追い詰められて「仕方なく」信じる人は幸いだ。●親は子供の罪の償いをできない。親自身の汚れた血では効果がない。神は親の償いの行為を嫌う。親が子の罪を「死んで詫びて」も救いはない。自殺は自分の心の安心のため自己満足だけである。●ではどうすればよいのか。まず親たる自分が罪なきイエスの十字架の救いを受け入れて、しかる後、息子もその救いを受け入れるように生涯祈り続けることだ。それが親にとって残された生涯の「十字架の道」である。だから自殺はいけない。それは自己満足で「自分の行いを義とする」自己主張である。子供の犯罪に対して親は生涯「自分の十字架を負う」ことをしなければならない。それがイエスの弟子としての道だ。マタイ16:24を再掲する。

塚本訳  マタ 16:24
16:24 あとでイエスは弟子たちに言われた、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、自分の十字架を負い、それからわたしに従え。

●これ家族関係も同じ。パウロは次のように言う。

塚本訳 Ⅰコリ7:13-14
7:13 また、不信者の夫を持ち、その夫が彼女と一しょに生活することを喜ぶ場合の妻は、夫と離婚してはならない。
7:14 (夫婦は結婚生活で一体となるため、)不信者の夫は(信者の)妻によってすでにきよめられており、不信者の妻は兄弟(すなわち信者の夫)によってすでにきよめられているからである。そうでなければ、あなた達の子供は清くないはずであるが、現に彼らはきよい(と認められている)ではないか。

●つまり身内にとんでもない夫、妻、子供がいても必死の熱心な祈りでそのトンデモナイ人間は清められるというのだ。なぜか。神は人に話せないような家庭内の恥を祈るその隠れた祈りを聞いてくださるからだ。●人にはそれぞれ漏らしたくない「自分の十字架」というものがあるものだ。しかしその隠れた涙の祈りを神は御存知だ。●アウグスチヌスの母モニカは息子アウグスチヌスの放蕩に泣いて司教アンブロジウスに訴えた。すると司教は「涙の子は滅びません」と慰めた。アウグスチヌスは回心してキリスト教会の祖になった。神は親のひそかなる祈りをこそ聴いてくださる。なぜか。隠れた祈りが聞かれるからだ。

塚本訳 マタ 6:6
6:6 あなたが祈る時には、『奥座敷に入り、部屋をしめきった上で、』隠れた所においでになるあなたの父上に『祈れ。』そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。

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讃美歌46番

1. やま の は に ひ は おちて ゆうばえ いろ は あせ ゆく,

   ひかり の しゅ なる ちち よ, われ に ともない たまえ.

   しゅ いま さ ば やみ は さり, よる も ひる と かがやかん.

 

2. わが ひ かげ うすれ ゆき, やがて やみ に きえ うせん.

   いのち の しゅ なる かみ よ, われ を まもらせ たまえ.

   しゅ いまさば やみ は さり, かぜ も なみ も しずまらん.

 

3. あらなみ の さかまきて ふね も すすまぬ よわ に,

   おそるる みでし たち を すくい たまいし ごとく,

   よ の やみじ ゆく み を も たすけ たまえ, わが しゅ よ.

 

メロディーは次をクリック

http://www.moclin.jp/hymnal/midi/hymn_1-046-the_day_is_gently_sinking_to_a_close.mid

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讃美歌39番

1. ひ くれて よも は くらく

   わが たま は いと さびし,

   よるべ なき み の たよる

   しゅ よ, とも に やどり ませ.

 

2. いのち の くれ ちかずき

   よ の いろか うつり ゆく,

   とこしえ に かわらざる

   しゅ よ, とも に やどり ませ.

 

3. よ の やみ おしせまりて

   いざない の こえ しげし,

   とき の ま も さり まさ で

   しゅ よ, とも に やどり ませ.

 

4. し の はり いずこ に ある,

   しゅ の ちかく ましまさば,

   われ かちて あまり あらん,

   しゅ よ, とも に やどり ませ.

 

5. じゅじか の くしき ひかり

   とずる め に あおがしめ,

   みさかえ に さむる まで

   しゅ よ, とも に やどり ませ.

  

メロディーは次をクリック

http://www.moclin.jp/hymnal/midi/hymn_1-039-abide_with_me_fast_falls_the_eventide.mid

 

 




 

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「祈りは聴かれる」ということの言語的絵画的表現 ++++++++ 所感

2009/11/20 11:57

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091120(木)6時起床●公園でラジオ体操。●TSK日本語化●「祈りは聴かれる」ということは聖書に数多く出てくるが、これを言語的表現とイエスの行動で示す絵画的表現の二種類がある。その代表的なものを共観福音書で拾ってみる。こういうとき「Jバイブル」は便利。圧倒的に絵画的表現が多い。これをまともに信じれば、病気の悩み、経済的悩み、罪の悩み、死の悩み、然り、生きる悩みの万般で癒されぬ悩みはない。●内村鑑三の言葉に次がある「キリスト・イエスを救い主と仰ぎて癒しがたき悲痛あるなし」

●言語的表現

塚本訳 マコ 11:22-25
11:22 イエスが彼らに答えられる、「神(の力)を信ぜよ。
11:23 アーメン、わたしは言う、だれでもこの山に向かい、『立ち上がって海に飛び込め』と言って心に疑わず、自分の言うことは成ると信ずるならば、そのとおりになる。
11:24 だからわたしは言う、(神に)祈り求めるものはなんでも、すでに戴いたと信ぜよ。そうすればそのとおりになる。
11:25 なお立って祈っている時に、だれかに恨みがあったら赦してやれ。これは天の父上からも、あなた達の過ちを赦していただくためである。」

塚本訳 マタ 11:28-30
11:28 さあ、疲れている者、重荷を負っている者はだれでも、わたしの所に来なさい、休ませてあげよう。
11:29 わたしは心がやさしく、高ぶらないから、わたしの軛を負ってわたしの弟子になりなさい、そうすれば『魂の休息が得られよう。』
11:30 わたしの軛は甘く、わたしの荷は軽い。」

 塚本訳 ルカ 11:9-13
11:9 それで、わたしもあなた達に言う、(ほしいものはなんでも神に)求めよ、きっと与えられる。さがせ、きっと見つかる。戸をたたけ、きっとあけていただける。
11:10 だれであろうと、求める者は受け、さがす者は見つけ、戸をたたく者はあけていただけるのだから。
11:11 あなた達のうちのどんなお父さんでも、子が魚を求めるのに、魚の代りに蛇をやるだろうか。
11:12 また卵を求めるのに、蝎をやるだろうか。
11:13 してみると、あなた達は悪い人間でありながらも、自分の子に善い物をやることを知っている。まして天の父上が、求める者に聖霊(という善いもの)を下さらないことがあるだろうか。」

 

●絵画的表現


 塚本訳 ルカ 18:35-43
18:35 エリコの(町の)近くに来られた時のこと、ひとりの盲人が道ばたに坐って物乞いをしていた。
18:36 群衆が通り過ぎる音を聞くと、あれは何ごとかとたずねた。
18:37 人々がナザレ人イエスのお通りだとおしえてやると、
18:38 盲人は、「ダビデの子のイエス様、どうぞお慈悲を」と言って叫んだ。
18:39 先頭に立っていた人たちが叱りつけて黙らせようとしたが、かえってますます、「ダビデのお子様、どうぞお慈悲を」と叫びつづけた。
18:40 イエスは立ち止まって、盲人をつれてくるように命じられた。盲人が近づいてくると尋ねられた。
18:41 「何をしてもらいたいのか。」彼がこたえた、「主よ、見えるようになりたい。」
18:42 そこでイエスが、「見えるようになれ。あなたの信仰がなおした」と言われると、
18:43 たちどころに見えるようになって、神を讃美しながらイエスについて行った。人々は皆これを見て、神に讃美をささげた。

塚本訳 マコ 1:40-42
1:40 すると(ある日)一人の癩病人がイエスの所に来てひざまずき、「清めてください。お心さえあれば、お清めになれるのだから」と言って願った。
1:41 イエスは(そのあわれな姿を見て悪魔に対する)怒りに燃え、手をのばしてその人にさわり、「よろしい、清まれ」と言われると、
1:42 たちまち癩病が消えうせて、その人は清まった。


塚本訳 マコ 5:27-34
5:27 イエスのことを聞いて、群衆にまじってついて来た女が、後ろからその着物にさわった。
5:28 「お召物にでもさわれば、なおるにちがいない」と思ったのである。
5:29 はたしてすぐ血の源がかれて、病気が直ったのを身に感じた。
5:30 イエスは自分の中から力が出ていったのにすぐ気がついて、群衆の中で振り返ってたずねられた、「わたしの着物にさわったのはだれか。」
5:31 弟子たちが言った、「御覧のとおり群衆が押しまくっているのに、さわったのはだれか、とおしゃるのですか。」
5:32 イエスはこのことをした女を見つけようとして、(黙って)見まわしておられた。
5:33 女は自分(の身)におこったことを知っているので、恐ろしくなって震えながら、進み出てイエスの前にひれ伏し、すべてをありのままに話した。
5:34 イエスは言われた、「娘よ、あなたの信仰がなおしたのだ。さよなら、『平安あれ。』もう病気をせず、達者でいなさい。」


塚本訳 マコ 5:22
5:22 するとヤイロという一人の礼拝堂監督が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏し、


塚本訳 マコ 5:39-41
5:39 (家の)中に入って言われる、「なにを泣いたり騒いだりするのか。子供は死んではいない、眠っているのだ。」
5:40 人々はあざ笑っていた。しかしイエスは皆を外に出し、子供の父と母と、一しょに来た者(三人だけ)を連れて、(死んだ)子供のいる所に入ってゆかれる。
5:41 そして子供の手を取って、「タリタクミ!]と言われる。訳すると「少女よ、あなたに言う。起きなさい!」である。


 塚本訳 マコ 8:4
8:4 弟子たちが答えた、「こんな荒野で、いったいどこからパンを買って来て、この人たちを満腹させることが出来ましょうか。」


塚本訳 マコ 9:17
9:17 群衆のうちの一人が答えた、「先生、唖の霊につかれている伜をあなたの所につれて来ました。


 塚本訳 マコ 9:21-29
9:21 イエスが父親に尋ねられた、「こうなってから、どのくらいになるか。」父親がこたえた、「子供の時からです。
9:22 霊はこの子を殺そうとして、幾たびか、火の中、水の中に投げ込みました。それでも、もしなんとかお出来になるなら、わたしども(親子)を不憫と思って、お助けください。」
9:23 イエスは言われた、「もしお出来になるなら(と言うの)か。信ずる者にはなんでも出来る。」
9:24 即座にその子供の父親が叫んだ、「信じます。不信仰をお助けください。」
9:25 イエスは群衆が駆けよってくるのを見ると、(急いで)汚れた霊を叱りつけて言われた、「唖と聾の霊、わたしが命令するのだ、この子から出てゆけ、二度と入るな!」
9:26 霊はどなって、はげしくひきつけさせて、出ていった。子は死んだようになったので、多くの人が、「死んだ」と言った。
9:27 イエスはその子の手をとって起された。すると立ち上がった。
9:28 家にかえられると、弟子たちは人のいない時に尋ねた、「なぜわたし達には霊を追い出せなかったのでしょうか。」
9:29 彼らに言われた、「この種類(の霊)は、祈り以外(の手段)では決して出てゆかせることは出来ない。」


塚本訳 マコ 10:47-52
10:47 ナザレのイエス(のお通り)だと聞くと、「ダビデの子イエス様、どうぞお慈悲を」と言って叫び出した。
10:48 多くの人が叱りつけて黙らせようとしたが、かえってますます「ダビデのお子様、どうぞお慈悲を」と叫びつづけた。
10:49 イエスは立ち止まって、「あれを呼べ」と言われた。人々が盲人を呼んで言う、「安心せよ。起きよ。お呼びだ。」
10:50 盲人は上着をぬぎ捨て、躍り上がってイエスの所に来た。
10:51 イエスが彼に言われた、「何をしてもらいたいのか。」盲人がこたえた、「先生、見えるようになりたい。」
10:52 そこでイエスが、「お帰り。あなたの信仰がなおした」と言われると、すぐ見えるようになって、イエスの旅行について行った。


 塚本訳 マタ 6:6-8
6:6 あなたが祈る時には、『奥座敷に入り、部屋をしめきった上で、』隠れた所においでになるあなたの父上に『祈れ。』そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。
6:7 また祈るとき、異教人のようにベラベラしゃべるな。彼らは口数が多ければ、聞いてもらえるものと思っている。
6:8 彼らの真似をしてはならない。神はあなた達の父上である。求める前から、あなた達に必要なものをよく御承知である。


塚本訳 マタ 6:25-34
6:25 だから、わたしは言う、何を食べようかと命のことを心配したり、また何を着ようかと体のことを心配したりするな。命は食べ物以上、体は着物以上(の賜物)ではないか。(命と体とを下さった天の父上が、それ以下のものを下さらないわけはない。)
6:26 空の鳥を見てごらん。まかず、刈らず、倉にしまいこむこともしないのに、天の父上はそれを養ってくださるのである。あなた達は鳥よりも、はるかに大切ではないのだろうか。
6:27 (だいいち、)あなた達のうちのだれかが、心配して寿命を一寸でも延ばすことが出来るのか。
6:28 また、なぜ着物のことを心配するのか、野の花の育つのを、よく見てごらん、苦労をせず、紡ぐこともしない。
6:29 しかし、わたしは言う、栄華を極めたソロモン(王)でさえも、この花の一つほどに着飾ってはいなかった。
6:30 きょうは花咲き、あすは炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこんなに装ってくださるからには、ましてあなた達はなおさらのことではないか。信仰の小さい人たちよ!
6:31 だから、『何を食べよう』とか、『何を飲もう』とか、『何を着よう』とか言って、心配するな。
6:32 それは皆異教人のほしがるもの。あなた達の天の父上は、それが皆あなた達に必要なことをよく御承知である。
6:33 あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。
6:34 だから、あしたのことを心配するな。あしたはあしたが自分で心配する。一日の苦労はその日の分で沢山である。

 塚本訳 マタ 8:1-4
8:1 イエスが山を下りてこられると、多くの群衆がついて来た。
8:2 すると一人の癩病人が近寄ってきて、しきりに願って言った、「主よ、(清めてください。)お心さえあれば、お清めになれるのだから。」
8:3 イエスは手をのばしてその人にさわり、「よろしい、清まれ」と言われると、たちまち癩病が清まった。
8:4 イエスはその人に言われる、「だれにも言わないように気をつけよ。ただ(全快したことを)世間に証明するため、(エルサレムの宮に)行って体を『祭司に見せ、』モーセが命じた供え者を捧げよ。」


塚本訳 マタ 8:23-27
8:23 舟に乗られると、弟子たちも従った。
8:24 するとにわかに湖に激しい嵐がおこって、ついに舟は波をかぶった。しかしイエスは眠っておられた。
8:25 弟子たちがそばに来て、「主よ、お助けください、溺れます」と言って起した。
8:26 彼らに言われる、「なんでそんなに臆病なのか、信仰の小さい人たちよ!」それから起き上がって風と湖とを叱りつけられると、(たちどころに)大凪になった。
8:27 人々は驚いて、「この方はどうした人だろう、風も湖も、その言うことを聞くのだが」と言った。

塚本訳 マタ 9:18-26
9:18 こう話しておられると、そこに一人の(礼拝堂の)役人が進み出て、しきりに願って言った、「わたしの娘がたったいま死にました。それでも、どうか行って、手をのせてやってください。そうすれば生き返りますから。」
9:19 イエスは立ち上がって彼について行かれた、弟子たちも一しょに。
9:20 するとそこに、十二年も長血にかかっていた女が近寄ってきて、後ろからイエスの上着の裾にさわった。
9:21 「お召物にさわるだけでも、なおるにちがいない」と、ひそかに思ったのである。
9:22 イエスは振り向いて、女を見ながら言われた、「娘よ、安心しなさい、あなたの信仰がなおした。」するとちょうどその時から、女はなおった。
9:23 やがてイエスは役人の家に着いて、笛吹き男と騒いでいる群衆とを見ると、
9:24 言われた、「あちらに行っておれ。少女は死んだのではない、眠っているのだから。」人々はあざ笑っていた。
9:25 群衆が外に出されると、イエスは(部屋に)入っていって少女の手をお取りになった。すると少女は起き上がった。
9:26 この評判がその土地全体に広まった。


 塚本訳 マタ 9:27-31
9:27 そこから出かけられると、二人の盲人が「ダビデのお子様、どうぞお慈悲を」と言って叫びながら、イエスについて来た。
9:28 そして家にかえられると、盲人たちがそばに来たので、イエスが言われる、「わたしにそれが出来ると信じるのか。」「はい、主よ」と二人がこたえる。
9:29 そこで彼らの目にさわり、「あなた達の信仰のとおりに成れ」と言われると、
9:30 二人の目があいた。するとイエスは(急に)いきり立ち、二人にむかって、「気をつけて、だれにも知られないようにせよ」と言われた。
9:31 しかし彼らは出てゆくと、その土地全体にイエスのことをふれまわった。

塚本訳 マタ 17:14-20
17:14 (山を下りて)群衆の所にかえると、ひとりの人がイエスに近寄り、ひざまずいて
17:15 言った、「主よ、どうぞ伜にお慈悲を。癲癇で、ひどく苦しんでおります。幾たびも幾たびも火の中、水の中に倒れるのです。
17:16 それでお弟子たちのところにつれて来ましたが、なおおしになれませんでした。」
17:17 イエスは答えられた、「ああ不信仰な、腐り果てた時代よ、わたしはいつまであなた達と一しょにおればよいのか。いつまであなた達に我慢しなければならないのか。その子をここにつれて来なさい。」
17:18 そしてイエスが悪鬼を叱りつけられると、悪鬼が出ていって、その時から子はなおった。
17:19 あとで弟子たちは人のいない時にイエスの所に来て言った、「なぜわたし達には悪鬼を追い出せなかったのでしょうか。」
17:20 彼らに言われた、「信仰が無いからだ。アーメン、わたしは言う、もしあなた達に芥子粒ほどでも信仰があれば、この山に向かい『ここからあそこに移れ』と言えば移り、あなた達に出来ないことは一つもない。」


 塚本訳 マタ 21:18-21
21:18 (次の)朝早く都に帰られるとき、イエスは空腹であった。
21:19 それで道ばたに一本の無花果の木があるのを見て、そこに行かれた。が見ると、ただ葉ばかりで何もなかった。イエスはその木に言われる、「もはやいつまでも、お前には実がなってはならない!」無花果の木は見る間に枯れてしまった。
21:20 これを見て弟子たちは驚いて言った、「なぜ無花果は見る間に枯れてしまったのですか。」
21:21 イエスは答えられた、「アーメン、わたしは言う、もしあなた達に信仰があって疑わないならば、この無花果におこった(と同じ)ことをすることができるばかりか、この山にむかい『立ち上がって海に飛び込め』と言っても、その通りになる。


 塚本訳 ルカ 1:34-38
1:34 マリヤが天使に言った、「まだ夫を知らぬわたしに、どうしてそんなことがありましょうか。」
1:35 天使が答えた、「聖霊があなたの上に臨み、いと高きお方の力があなたを掩いかくすであろう。それゆえ(あなたから)生まれるものは、『聖』であり、神の子『と呼ばれる。』
1:36 実はあなたの親類のエリザベツも、あの老年で、男の子をさずかったのだ。石女と言われていた女が、今月はもう六月になっている。
1:37 『神には何一つ出来ないことはない』のだから。」
1:38 マリヤは言った、「かしこまりました。わたしは主の召使、お言葉のとおりに成りますように。」天使はマリヤをはなれ去った。


 塚本訳 ルカ 1:45
1:45 主の仰せられたことはきっと成就すると信じたこの人は、なんと仕合わせでしょう。」


 塚本訳 ルカ 4:40-41
4:40 日が沈むと、(安息日が終ったので、)さまざまな病人をかかえている人々は皆、それをイエスの所につれてきた。イエスはひとりびとりに手をのせてなおされた。
4:41 悪鬼も、「あなたは神の子だ」と叫びながら多くの人から出ていった。イエスは悪鬼どもが救世主だと知っているので、これを叱りつけ、口をきくことをお許しにならなかった。


 塚本訳 ルカ 8:25
8:25 彼らに言われた、「あなた達の信仰はどこにあるのか。」弟子たちは驚き恐れて、「この方はいったいだれだろう、この方が命令されると、風も水も、その言うことを聞くのだが」と語り合った。

 

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公園でのラジオ体操の帰途、野菜が育つのは神の祝福。背景は奥多摩連山。

●私の葬儀の時の故人略歴は簡単である。「故人は死後の有体的復活を馬鹿の一つ覚えのように固く信じ希望をもって死んでいった」。私の人生はこれ以上でなく以下でもない。然り、これ以外であってはならない。

●終日「WEB黒崎」引照入力。ロマ12章、いわゆる「キリスト教道徳」「救われた者の努力」。シドニーと福島にレターを次のように認めた。

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感想

1節の冒頭の「さらば」は、重要で、我々は救われているのだから「こうしなさい」というのであって、クリスチャンの完全に近づくためにこうしなさいというのではないことを、黒崎は次のように註解しています。

 

「汝らはかかる大なる救に預りたる以上はとの意」

 

また塚本は「だから」の前に長い敷衍で次のように言っています。

 

(このように、神は偉大な計画によって人類を一人のこらず救おうとしておられるのであって、救いは確かである。)だから、

 

両者のこの読み方がプロテスタントの真髄の読み方と教えられました。

 

少しさかのぼりますがロマ104では次のように新共同訳とそのほかでは翻訳の差があります。一方は「目標」一方は「終わり」。

 

10章4 キリストは(すべ)(しん)ずる(もの)()とせられん(ため)律法(おきて)(をはり)となり(たま)へり。[引照]

口語訳

キリストは、すべて信じる者に義を得させるために、律法の終りとなられたのである。

塚本訳

(では律法を守ることが、なぜいけないか。律法はキリストによって目的を達し、もうなくなってしまったからである。)すなわち、キリストは(御自分を)信ずる者が一人のこらず義とされるために、律法の終りとなられたのである。

新改訳

キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。

前田訳

キリストは信ずるものすべてが義とされるため、律法の終わりとなられました。

新共同

キリストは律法の目標であります、信じる者すべてに義をもたらすために。

 

 

●ここで新共同訳が「キリストは律法の目標」とあって、明らかに他と違います。この件に関してはかって大島智夫先生がその雑誌で、この部分を引き合いに出され、新共同訳はカトリックとプロテスタントの妥協の産物だとかなり強く批判されたことがあります。

 

●わたしは12章を読んで、マタイの山上の説教やⅠコリ13章に通じるところがあると感じると同時に、私自身「クリスチャン失格」だと、何度も胸を刺されました。しかしそれは「キリストを律法の目標」として努力しようとするプロテスタントにあるまじきトンデモナイ考えであることを思います。

私は今後どんなに修養努力しても「良くはなれない」。だから十字架の慰め、救いがあるのだと反省しました。私は山上の垂訓、Ⅰコリ13章、それに今日のロマ書12章は守れなくてよい。守ったところで救われるわけではない。逆に守れないからといって断罪されるわけではない。ロマ1-11章の故にすでに救われている。「だから」復讐してはならない。悪をもって悪に報いてはならない。救われているのだから「努力する」。しかしこの私は一生完成しない。最後は十字架の故に赦していたく。

パウロのいわゆる「キリスト教道徳」はすごいものと思いました。それと同時に聖書はこう読めと教えてくださった塚本+黒崎のプロテスタント両巨頭に感謝です。

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日本人の間違った復活信仰 ++++++++ 所感

2009/11/19 14:34

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091119(木)5時半起床●朝の黙想「日本人の間違った復活信仰」●TSK日本語化マルコ3章●「日本人の間違った復活信仰」について黙想。新約聖書の復活観」を一言、31字で言えば「死は眠りであり、、神の力で霊の体に復活させられる」。●この新約の復活信仰は世界に伸びていく時に霊魂不滅思想が困難な敵となった。グノーシスもその一つである。日本では伝来の仏教がギリシャ哲学の霊魂不滅思想にかなり類似しているので新約の復活信仰が根付かない。なぜか根を張ろうとしても土壌が悪いので根が「腐ってしまうのである。このことを考察するときに次のイエスの言葉は重要である。

塚本訳 マタ 22:29
22:29 イエスは答えられた、「あなた達は聖書も神の力も知らないので、間違いをしている。

●つまり「神の力」ということを知らないところに復活信仰の間違いがある。復活などないと言ったサドカイ派の間違いは「神の力」を知らない、信じないところにあった。●我が国のキリスト信者も「死んだらすぐ自動的に神の所にい行けて先に逝った家族に会える」と思っている。ここが間違いである。死の後の「神の力」の介入というものがない。ギリシャ哲学や仏教と似たりよったりである。7人の夫に仕えた女性は来世では誰の妻かという質問は、死して後の「神の力」による再生という考えがない。復活は肉なるものが清算されて全く新しい霊体によみがえるのだ。そのとき肉の関係であった地上の関係は消える。「天国では結婚なし」(ルカ20:35)である。みんな復活の霊体である。その消息は福音書に現れたイエスの復活と考えてよいと解する。●イエスによれば死は眠りである。(ヨハネ11:11、マタイ9:24)。人類は等しく全員肉の体で死ぬ。しかし最後の日に神の力が介入して霊体で復活する。これがイエスとパウロの復活観である。●この信仰に立脚しないキリスト教はニセモノであるから、神に祝福されないために広まらない。否、広まってはいけない。●この信仰に立脚しないキリスト教の様々な現象は多々あるが、共通点は現世主義である。とにかく現世で平和で楽しければよいという人生観である。これではなにもキリスト教でなくてもよい。 

●妻は郷里いわき市に母の見舞いに行く●私は大島富士子(大島智夫先生の御長女)ソプラノリサイタルに行く。

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新宿モザイク通りのイルミネーション。クリスマスが近づく。

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大島富士子ソプラノリサイタル(代々木上原、けやきホール)

大島智夫御夫妻と記念撮影。「WEB黒崎」の完成間近で、ご夫妻は大変お喜びであった。 

小島拓人、斉藤みち、前川純一、芳賀義恵、佐藤洋子などの諸氏に会った。

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檀上で、シューベルトの「鱒」は実は「イワナ」であると説明される大島智夫先生。右はウィーンからの大島富士子さん。オールシューベルトプログラム。美しいソプラノであった。ピアノ伴奏はジェラルドムーアに続く著名なダルトン・ボールドウィン。

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泣くな!リストラされた人。 ++++++++ 所感

2009/11/18 06:33

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091118(水)5時起床●TSK日本語化3節●朝の黙想「リストラの悲哀」。昨日は勤務先の大学で学科長と来年度カリキュラムの打ち合わせ。聖徒の応募状況を背景に経済原理から私の講義を受講する複数の部門のうちある部門の講義は廃止となった。●同時にこの世というのは経済利益の判定が方針の決定原理である事も知り、リストラされた人に対する同情が湧いた●この世の組織で「あなたはいらない」と棄てられる原理はそのほとんどが経済効果がその理由である。本人の悪さではない。世の中の変化である。中には倫理的理由で追放されることもあるがそれとても経済原理と絡んでいる●経済原理の内容を見ると、「売れない」「人気がない」「収益が少ない」「赤字である」。営利優先の会社ではこういうことは日常茶飯事であるが、これが政治、はては宗教の世界にまで波及しているのは悲しい●学生も教会の信者も、目先の利益を求めている。すなわち人数が第一の判定材料である。学校では「資格習得」にあまり益のない科目は切り捨てられる。だから教養科目などは棄てられる●日本の建築文化の底の浅さについて学科長と嘆き合った。●聞いた話ではあるが、牧師は一年間に何人受洗者を獲得したかで、長老会と称する役員会で牧師の成績が判定されるという。●私の知る都心の某教会では牧師が故郷に帰った。想像するに教会員の減少という数値判断で長老会がその牧師を「捨てた」と直感する。くたばれ教会の長老会!。汝は教会を営利団体と心得ている。●今や教会も無教会集会もこの世の営利団体の意識とかわらないものになった。常に「人数」や「人気」を気にする。数値判断である。すぐ数える。●若き牧師に告ぐ!。信者の減少を嘆くな。組織の維持拡大のために尽くすな。使徒伝承の真理継承のために尽くせ。その結果人が集まらなかったら「世の中悪いのだ」と思え。●生徒や信者が集まらないのは世の中の少子化現象である。●さらば泣くな!。リストラされた教師や牧師。自分を責めるな。世の中が悪い。イエスだって弟子は12人。しかもその弟子も最後はみなイエスを捨てたではないか。

塚本訳マコ 14:50-52
14:50 一人のこらずイエスをすてて逃げた。
14:51 ある青年が素肌に亜麻布をひっかけて、イエスについて来ていた。人々が捕えようとすると、
14:52 亜麻布を(人々の手に)残して裸で逃げていった。

●この「青年」のあわてぶりが目に浮かぶ。保身術である。自分が危ないと分かると一目散になりふり構わう逃げる。裸で逃げる。イエスはついに弟子たちからも棄てられた。あー信用ならないのは信者である。正統的なるもっともな理由をつけて平気で先生を捨てる。●信じてはいけないのは先生を担ぐ信者である。彼らにとって「先生」は自分に都合の良い時だけである。自分に都合が悪くなるか「先生」が落ち目になると「雑巾」のように捨てる。くたばれ「先生信者」。

●イエスは時の宗教家たちから排斥され殺された。イエスの人気が高まり自分たちの宗教的地位が危なくなったからである。(ルカ11:53)。経済利益の保身術であった。民衆も悪かった。イエスを「十字架につけろ」と叫んだ。イエスにこの世の王を期待していたのに裏切られたので一転、心変わりしたのである。これも経済的判断である。信用ならないのは「民衆心理」である。大衆だから顔が見えない。

塚本訳  マタ 27:23
27:23 ピラトは言った、「いったいどんな悪事をはたらいたというのか。」しかし人々はいよいよ激しく、「十字架につけるのだ」と叫びつづけた。

●NHKや新聞による「世論調査」は信用ならない。熱しやすく冷めやすい。政治が「世論」をバックに勢力を張るから、国民におもねる政策をうちたてる。浅い。●預言者は「この世」から排斥される。会社から組織団体から、営利団体から、血縁家族から。然り、教育現場から、教会や集会から。

塚本訳  マタ 5:10-12
5:10 ああ幸いだ、信仰のために迫害される人たち、天の国はその人たちのものとなるのだから。
5:11 わたしゆえに罵られたり、迫害されたり、あらん限りの根も葉もない悪口を言われたりする時、あなた達は幸いである。
5:12 小躍りして喜びなさい、褒美がどっさり天であなた達を待っているのだから。あなた達より前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。

●「WEB黒崎」ロマ書10章の引照入力で大きな収穫があった。在シドニーのOマネジャーと福島のY協働者に感想として次のように書いた。

(ロマ書10章引照入力、添え状)

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感想

日本に「WEB黒崎」を与えられたことは「福音」です。難解なパウロのロマ書も大部の本を読まずとも

簡単にその深い意味が分かります。それは次の通りです。

5年前に亡くなった母は、晩年に「キリスト教はむずかしい。仏教のお坊さんの話の方がよくわかる」と言ったことがあります。

そして母は福音を信じられないまま亡くなりました。この母の「むずかしい」という言葉が胸に刺さっていて以後の私の生涯の課題になっていました。

ところが今回10章の引照入力で私のこの課題はパウロと同じであることが分かりました。WEB黒崎でロマ書10章19節の各種翻訳を見ると、塚本訳に次のようにあります。ここに「むずかしくて」という敷衍が出てきます。

 

塚本訳ロマ 10:19

10:19 しかし、わたしは(なお)考える、イスラエル人は(聞くには聞いたが、むずかしくて)わからなかったのではあるまいかと。(そんなことはない。)第一にモーセは言っている。(『神は言われる、)「わたしはわたしの民でない者(を救うこと)によって』あなた達に『妬みをおこさせ、愚かな民によって』あなた達を『怒らせる」(と。)』(愚かな異教の民さえ信じたのである。)

 

そしてパウロは19-20節で旧約を引っ張って自問自答しています。そして旧約をいささか自説に都合のよいように援用しているように見えます。このパウロの「牽強付会」は黒崎の20節の辞解から読み取れます。

 

(WEB黒崎ロマ10:20)

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辞解

本節イザ65:1の七十人訳により(前後転倒)たるものである。イザ65:1は異邦人に関する言にあらず、イスラエルの中のある者に関する言であると解する学者が多い(M0I0E0)、批評学の定説に近い、併しパウロと同じくこれを異邦人に関するものと見る学者も無くはない(G1A1Z0)。パウロは次節より見るも明かにこれを異邦人に関する語と見たので、これは恐らくその当時の一般の解釈によったものであろう(Z0)。

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(WEB黒崎ロマ10:20 おわり)

 

塚本訳の19節は(そんなことはない。)と敷衍を入れ、最後に(愚かな異教の民さえ信じたのである。)とまた敷衍を入れて意味を通してあります。これで明快です。

 

塚本訳ロマ 10:19

10:19 しかし、わたしは(なお)考える、イスラエル人は(聞くには聞いたが、むずかしくて)わからなかったのではあるまいかと。(そんなことはない。)第一にモーセは言っている。(『神は言われる、)「わたしはわたしの民でない者(を救うこと)によって』あなた達に『妬みをおこさせ、愚かな民によって』あなた達を『怒らせる」(と。)』(愚かな異教の民さえ信じたのである。)

 

そして21節の塚本訳は次のようでありますが、最後の敷衍((だから彼らが信じないのは、頑なで自分の義を立てようとしたからであって、弁解の言葉はない。)が19節冒頭の設問の答えになっています。これはダメ押しと思います。

 

塚本訳 ロマ 10:21

10:21 彼はまたイスラエル人について言っている、』(神は言われる、)「一日中、この不従順な反抗ばかりしている民に、わたしは手を伸べていた」(と。)』(だから彼らが信じないのは、頑なで自分の義を立てようとしたからであって、弁解の言葉はない。)

 

●日本は「WEB黒崎」によりその註解・辞解・要義と塚本敷衍訳を同時に素早く見ることができて難解なパウロ書簡も意味を通すことができます。これ両巨頭の正統信仰のおかげです。今後日本人はこれでどんなに益することでしょう。私自身も母の「福音はむずかしい」という言葉の解決が得られた感じで感謝です。しかし母が福音を信じられなかったことに対しては「弁解の余地はない」と言われるといささか淋しい気もいたします。

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(添え状おわり)

●イオンで空CD。図書館で鍋谷尭爾著「老いと死を考える」。最後の最後でイエスの復活に言及しているが「頭だけの復活論」で、不満。イエスの復活は霊体で歴史的事実であったのに●夕食時に、妻から今日のウィークデーの集いの報告を受ける。今日は落語家柳亭こみちさん。古典落語を二つ。無教会も裾野が広くなったものだ。

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晩秋の空。このような素晴らしい景色を見ることもできるのも限られている。人生は淋しい。NO!。復活すればまた見られるのだ。そういう希望で生きよう。

 

 

 

 

 

 

 

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選ばれなかった子 ++++++++ 所感

2009/11/17 10:23

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091117(火)5時起床●TSK日本語化●寒い朝、公園でラジオ体操。遅刻常習犯で有名になった●「WEB黒崎」引照ロマ9章の入力●シドニーのマネジャーと福島の協働者に送信。その送り状の感想

(送り状)

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感想

ロマ書9章を一言で言えば「選ばれなかった子供への神の愛」ということでしょうか。人間の目には「あの人は神の救いから漏れている、と見える」人も実は神は完全にその人のことを御存知で、いつか神御自身のご計画の時に救われるということだと思います。その時、その人は「行いによらず」「反省によらず」「悔い改めによらず」、絶対恩恵の無条件の罪の赦しで、人間の側に「功績がなくても」、神の側からの一方的な憐みの愛で救済される。パウロは栄光のイスラエル民族は今は一見神に反抗していて救いから漏れているようだが、実はそうではないと言っているのだと思います。この思いはパウロが同胞の惨めな様を見て苦しみ悩んだ末の「自問自答」の屁理屈のようにも考えられますが、実はイエスの心と内的に底流で一致しているものと思考します。ロマ書は、9年前に脳内出血で入院した時にじっくり読みましたが、今度引照を入力しながらさらにじっくり読む機会が与えられて感謝です。

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(送り状おわり)

●今日の午後は昭和女子大で建築の講義。●14:50から二コマ。18:00終了。●文化創造学科長の太田鈴子教授と懇談一時間。次年度からのこと●妻は、無教会研修所、月本昭男先生の「旧約講義」。歴史的事実の話で非常に面白いという。

 

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永遠の命を得るにはどうすればよいのか ++++++++ 所感

2009/11/16 13:56

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091116(月)6時起床●TSK日本語化●次回(11月29日)感話の構想。

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永遠の命を得るにはどうすればよいのか
       2009年11月29日 東京聖書読者会 高橋照男

塚本訳 マコ 10:17-22
10:17 旅行に出ようとされると、ひとりの人が駆けてきて、ひざまずいて尋ねた、「善い先生、永遠の命をいただくには、何をすればよいでしょうか。
10:18 イエスは言われた、「なぜわたしを『善い』と言うのか。神お一人のほかに、だれも善い者はない。
10:19 (するべきことは神の掟を守ることだけで、)掟はあなたが知っている通り。──『殺してはならない、姦淫をしてはならない、盗んではならない、偽りの証言をしてはならない、』奪い取ってはならない、『父と母とを敬え。』(ただこれだけである。)」
10:20 その人が言った、「先生、それならみんな若い時から守っております。」
10:21 イエスは彼をじっと見て、かわいく思って言われた、「(よく守った。だが)一つ足りない。家に帰って、持っているものをみな売って、(その金を)貧乏な人に施しなさい。そうすれば天に宝を積むことができる。それから来て、わたしの弟子になりなさい。」
10:22 彼はこの言葉に顔をくもらせ、悲しそうにして立ち去った。大資産家であったのである。

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①永遠の命とは何か
②財産を捨てるとはどういうことか
③永遠の命の希望に生きるということ
④泣くな!ほんとうの命が神によって与えられる。
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●「WEB黒崎」引照8章をシドニーのマネジャーと福島の協働者へ送信。その添え書き。

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感想

圧倒的な「勝利」「喜び」のこの章に何度か胸が詰まりました。

それと同時にあの7章14-25の「私」は誰かという古来からの大論争は

素人の私の「聖書で聖書を読む」方法で、その解決は実に8章22節の一句に込められていると解します。

 

新共同 ロマ 8:22

8:22 被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。

 

つまり7章の「私」の苦脳は8章22節の長い敷衍ではないのか。

とすると、救われたパウロは「在りし日の(悩みの)私」を回顧したのが7章だったのではあるまいか。

最近の学説では「この箇所(ロマ714-25)の内容自体はまだ律法の下にある入信以前の人とする解釈が今では圧倒的に多くなってきた。・・・・入信以前の人間を信仰者の目を通して観察した姿の叙述とみなければならないーーーこれがキュンメルの結論であり、以後現在まで大部分の新約学者が、この見方を支持しているのである」。(高橋三郎著「新稿ロマ書講義上」P310-311

そして塚本虎二はこう言っています。

「これはクリスチャンパウロが過去の事実を現在の自分として言ったもので・・・・」(塚本虎二著作集10巻、P89L6)

塚本虎二の翻訳はその時の学説の多い方を採用しているので、ここの解釈も圧倒的に多くなって(上記の高橋三郎の言葉)いる説に人生の後半は傾いたのであろう。塚本虎二は人生の初めは、アウグスチヌスや内村のような伝統的な「入信後」説だったのですが途中から変わりました。(塚本虎二著作集10巻、P88 左6l)

 

●不肖、素人の私は、ロマ書7章は被造物の呻きとしてのパウロ。それは8章では22節。このことを救われて喜びのうちにある私(8章の)パウロは7章で、被造物の呻きの一員であった私パウロのことを回顧している。あの苦しかった自分(7章)に比べて今の私(8章)は大勝利。大喜悦。今に比べてかっての私は何と苦しかったことよと叙述したのが7章。したがって素人ながら最近の学説に納得です。

今回はこのような感想を持ちました。WEB黒崎をやって学ぶこと多く感謝です。

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●妻はコーラスモデラートの練習。演奏会が近づく。●寒い夜を自転車で20分、パソコン関連の品物を購入に行ったが、レジで財布を持って行かなかったことに気が付く。注意物忘れが多くなっていかん。●帰途、図書館で、鍋谷尭爾著「老いと死を考える」を読む。著者は牧師なので聖書へも言及があるが、なぜ復活のことを言わないのだろう●愛なる神は人間の究極の悩み悲しみである「死の恐怖」から救ってくださるためにキリストを通して罪の赦しと復活を示して下さったのに。それを言わないのは何も言わないのと同じだ。

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晩秋の秋留台公園。こういう素晴らしい景色を見られるのも限りがある。人生は淋しい。


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ロマ書7:14-25 の「私」 ++++++++ 所感

2009/11/15 06:50

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091115(日)5時起床●昨日「WEB黒崎」引照入力ロマ7章の送信に伴い、マネジャーと協働者に送った感想。

(感想)

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感想

ロマ7:14-25 の「私」はパウロの入信以前の「私」か入信以後の「私」かの論争バトルが面白く、黒崎、塚本、田川、高橋三郎の見解を読みました。

 

ざっくり整理すると次の通りです。

 

回心以前と見る人

 塚本(後期)・・・・塚本著作集第10巻P88-89 同じものは聖書知  識335号P6-7・・・学問的立場から1958年

 

回心以後と見る人

 黒崎・・・・註解新約聖書 同じものはWEB黒崎・・・入信以前、以後と時間的に分けるのはよくない。1934年

       7:25の付記1

これを要するに14-25節を新生の前か後かと云う如き時間的区割によりて決定せんとするは誤の本であって人間の肉は回心前も後も同一の肉であり、唯新生の後は御霊によりてこの肉に打勝ち得るの差があるに過ぎない。故に基督者と雖も若し御霊によりて歩まないならば、この肉の戦は直ちに自己の中に起って来るのである。その意味に於てこの戦は回心前も後も常に同一である。唯信仰により御霊に導かるゝ場合、この戦は霊と肉との戦となり霊の勝利に帰する。故に14-25節は新生せざるものは勿論新生せるものと雖も御霊の導に自己を委ねざる場合には必ず起る内心の分離の姿である。信仰によりて常にキリストに連る事の必要なる所以はここにある。

 塚本(前期)・・・・塚本著作集第10巻P88-89 同じものは聖書知識335号P6-7・・・自分の体験から1958年

高橋三郎・・・・体験と学問的立場から・・・新稿「ロマ書講義上」P307-320 1983年

        ルターの「義人にして同時に罪人」を根拠とする。

田川建三・・・個人訳「新約聖書」P213-214 言語学的立場から。 2009年

 

●それでは素人の私はどう読むか。素人にはここを入信以前か以後かというようには読まない。回心以前でもあり以後でもあつてよい。だから黒崎説に同感。つまり人間は生涯罪に悩む。しかし常にキリストがいてくださる。聖書的根拠は次です。

 

塚本訳Ⅰヨハ1:7

1:7 しかしもし神が光の中にあるように、わたし達も光の中を歩いているならば、(神と交わりを持ち、従って)互に(まことの)交わりを持つ(ことができる)のである。そして(たとい罪を犯すことがあっても)、その子イエスの血があらゆる罪から清めてくださる。(かくてわたし達は光の子となるのである。)

 

口語訳 Ⅱコリ5:2

5:2 そして、天から賜わるそのすみかを、上に着ようと切に望みながら、この幕屋の中で苦しみもだえている

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(感想終わり)

●集会は大山、山本、望月●昼食は小寺高橋、それぞれの夫婦で、●午後、妻はモーツアルト・レクイエムの練習。私は「WEB黒崎」ロマ書8章の引照。何度も胸が詰まった。この圧倒的な勝利の言葉の前には7章14-25の「私」は虚無(ロマ8:20)なる被造物全体の呻き(ロマ8:22)をパウロが代表して述べているのだと思えるようになった。聖書の分からないところは聖書の別の箇所が教えてくれる。人間に聞いてはいけない。

 

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主にある家族の喜び ++++++++ 所感

2009/11/14 06:17

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091114(土)4時半起床●TSK日本語化3節。新約聖書は8000節。千里の道も一歩からだ●朝から嬉しいニュース。福島の孫がマラソンで新記録(H小学校低学年の部)を出し、そのメダルを通っているキリスト教集会に行ったところ多くの人に喜ばれたという。このことをその集会の代表から報告があった。その御礼の返事を下記に記す。このようなことは私事にわたることだが、半分は公的なことが含まれるのであえて公表する。

(返メール。一部改変)

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○○兄

貴集会で孫がメダルを見せたところみんなが喜んだというお知らせ誠にありがとうございました。
孫の様子が手に取るように浮かびます。息子一家に対する主にある御愛労、衷心より御礼申し上げます。
「主にある、父母、おじさんおばさん」が「喜ぶ者と共に喜」んでくださり、霊の喜悦です(ロマ12:15)。そのことのために肉の祖父である私も喜悦です。しかし肉の孫を霊の家族にとられた感じで一末の寂しさもあります。塚本先生の一人娘の園子さん(故人)は、あるとき「お父様は私より療養所の娘の方が可愛いんだ」と言って泣かれたことがあるそうです。肉の祖父母は離れているのでメダルを見せてもらえません。
孫が走った距離は1キロ。それを4分35秒。H小学校低学年の記録としては新記録です。(とジジ馬鹿)
こういう肉の誉れを喜ぶと昔は「またオヤジのばか自慢」だと家族たちから卑しく思われて淋しかったのですが、今回は特に主にある家族が主にあって喜んでくださり、私の喜びも主にあって肯定された感じで感謝です。
誰に似たのか?。とのご疑問ですが、両親とも足が速かったそうです。かくいう私も小学生のときはリレーの選手、妻も小学校の時は早かったと言います。(こういう場合、みんなが、自分に似たのだと言いだすのは不思議な現象です。笑)
「似る」と言うことで、イエスが大きな業をすると、父の真似をしているのだと言ったことを思い出しました。

塚本訳 ヨハ 5:19
5:19 そのとき、イエスは彼らに答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、子は父上のなさることを見て(それを真似るので)なければ、自分では何一つすることが出来ない。父上のなさるのと同じことを、子もまたするのだから。

●孫が霊に成長して「自分の(肉の)成功は、神の真似をしたからだ」と感じられるようになることを祈ります。御教導よろしくお願いいたします。

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(返メール終わり)

●14:00 コールアカデミーひがしやまと演奏会、於・ハミングホール(東大和市)。モーツァルト戴冠ミサ曲。妻と行く。●帰途、28年前の1981年にに設計した喫茶店「どっぽ」を訪ねる。ずいぶんきれいに使っておられて嬉しくなった。随分落ちついた喫茶店だと評判のようだ。経済的動機で簡単に建物を壊す「建築文化に無教養」な人がいる中で、このような人がいるのは嬉しい。店主の望月明さんと姉の佐野光子さんに会った。

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1981年、28年前に設計した喫茶店「どっぽ」。東大和市南街。樹木も建物も落ちついている。体になじませて使っているという感じ。建築士としての喜びが湧いた。

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喫茶店「どっぽ」の内部。木をふんだんに使った内装は非常に落ち着いている。一緒に設計した鈴木忠昭君は先に逝った。内部を見ながらしきりに彼のことを思った。

 


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孫がマラソン新記録で優勝 ++++++++ 所感

2009/11/13 18:28

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091113(金)4時45分起床●TSK日本語化、マルコ3章。毎日3節づつ。新約聖書は8000節。千里の道も一歩から。完成したらHPで無料公開の予定●「WEB黒崎」引照入力。ロマ6章。シドニーのOマネジャーと福島の協働者Y氏に送付。その添え書きは次の通り。一部改変。
(添え書き)

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○○様

感想
ロマ書6章は5章に続いて「救いの原理」についてのパウロの必死の「説明」ですが、この説明は旧約の下地のない日本人にはスッキリ分かりません。パウロの屁理屈のように聞こえてしまいます。ユダヤ人向けの「説明」だと解します。
またその論述は「神秘主義的」です。A・シュヴァイツァーに「パウロの神秘主義」という著作があったと思いますが、そのとおりと思います。
これは救いの体験をしなければ全くわからないことです。しかし一たび十字架の救いの体験をすればパウロの言っていることは異教の日本人でもことごとくアーメンであります。
パウロの手紙はすべて対症療法のようなもので、日本人には日本人向けの対症療法的説明があるべきだと思います。
パウロに比べてイエスの言動は全世界の人に分かりやすいものであり、さすが神の子と思います。
今回はこのような感想を持ちました。
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(添え書き終わり)

●夕方妻から嬉しそうな声で報告がある。「福島の小一の孫が、通っている学校の校内マラソン大会で新記録(1-2年低学年の部)
で優勝」。両親も我々祖父母も手放しで大喜び。みんなが「自分の遺伝だ」と言って喜ぶ(?!)。●私が一番うれしかったのは、みんなが素直に喜んでいることである。聖書には「喜ぶ者と共に喜べ」とある。

文語訳  ロマ 12:15
12:15 喜ぶ者と共によろこび、泣く者と共になけ。


塚本訳  ロマ 12:15
12:15 喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣け。

●人間、泣くものと共に泣くことは出来ても、喜ぶ者と共に喜ぶことは難しいものだ。●凡人は喜んでいる人を見ると内心「妬ましく」思う。これは自分を捨て切れてない人で、相手の喜びを自分の喜びに出来ない人である。●中にはその喜んでいる人を見て「あれは卑しい感情だ」と思う病的にひねくれた人間がいる。それは「喜ぶ者と共に喜べない」汚れた罪人であって異常人間である。明るくない。ダークである。●かって私はそういうことでかなり痛めつけられ嫌な思いをしたが、今回はそのようなことがなく、感謝である。平安である。神は人間をいつまでも苦しみの中に置いてはおかない。いつかは平安にしてくださる。闇はいつかは去るものだ。●今回、特に嬉しいのは人を蹴落とす頭の勉強での優勝ではなく、肉体での「走りっこ」で新記録を出したということである。




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容疑者市橋達也君に告ぐ! ++++++++ 所感

2009/11/12 08:53

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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 091112(木)5時半目覚め「市橋容疑者の逮捕に思う」●TSK日本語化●返メール一通

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秋留台公園でのラジオ体操は銀杏の落ち葉の中。秋だ。

 

●2007年3月千葉県市川市のマンションで英国籍の英会話講師リンゼイ・アン・ホーカーさん(当時22歳)が見つかった事件で市橋達也容疑者(30)が死体遺棄容疑で逮捕された。一昨日からこのニュースで持ちきりである。●この逮捕をめぐって聖書のあちこちが思い浮かぶのでそれを書いてみる。

●顔の整形手術をしてまで逃げまくり、その期間は2年7か月。人間の目には整形手術でごまかせても神にはごまかせない。神は罪をとことん追求する。沖縄へ行ってそこから国外に逃亡しようとしたのかもしれないが、神は国外までも追いかけて行く。なぜか。神は愛だから。

口語訳 詩  139:8-10
139:8 わたしが天にのぼっても、あなたはそこにおられます。わたしが陰府に床を設けても、あなたはそこにおられます。
139:9 わたしがあけぼのの翼をかって海のはてに住んでも、
139:10 あなたのみ手はその所でわたしを導き、あなたの右のみ手はわたしをささえられます。

●逃亡生活2年7か月。物音に常に怯えていたであろう。安心して眠れる日はなかったであろう。

口語訳 箴  28:1
28:1 悪しき者は追う人もないのに逃げる、正しい人はししのように勇ましい。

●記者会見に臨んだ両親は「息子は捕まって良かった。素直に法の裁きに服してもらいたい」と言った。立派な父親だ。母親は憔悴しきった様子であった。両親とも医者、市橋容疑者も成績は優秀であったが、いまいち欠けるものがあった。それはこの世には法と正義の支配というものが厳然とあることを学ばなかった。神の掟は天地が消え失せても存在するという。神が存在するからである。

口語訳 出  20:13
20:13 あなたは殺してはならない。

塚本訳マタ 5:17-18
5:17 わたしが律法や預言書[聖書]を廃止するために来たと思ってはならない。廃止するどころか、成就するために来たのである。
5:18 アーメン、わたしは言う、天地が消え失せても、(そこに書かれている)すべてのことが実現するまでは、律法(と預言書)から、その一点一画といえども決して消え失せない。

●彼は親不孝の息子であった。親を悲しませた。迷惑をかけた。「Jバイブル」によって箴言で「子」をヒットするとたくさん出てくる。昔から子は親の悩みの種であることがわかる。心に響いたものを掲げる。

箴    6: 20 [口語

わが子よ、あなたの父の戒めを守り、あなたの母の教を捨てるな。

箴    10: 1 [口語

ソロモンの箴言。知恵ある子は父を喜ばせ、愚かな子は母の悲しみとなる。

箴    13: 24 [口語

むちを加えない者はその子を憎むのである、子を愛する者は、つとめてこれを懲らしめる。

箴    15: 20 [口語

知恵ある子は父を喜ばせる、愚かな人はその母を軽んじる。

箴    17: 6 [口語

孫は老人の冠である、父は子の栄えである。

箴    17: 21 [口語

愚かな子を生む者は嘆きを得る、愚か者の父は喜びを得ない。

箴    17: 25 [口語

愚かな子はその父の憂いである、またこれを産んだ母の痛みである。

箴    19: 13 [口語

愚かな子はその父の災である、妻の争うのは、雨漏りの絶えないのとひとしい。

箴    19: 18 [口語

望みのあるうちに、自分の子を懲らせ、これを滅ぼす心を起してはならない。

箴    19: 26 [口語

父に乱暴をはたらき、母を追い出す者は、恥をきたらし、はずかしめをまねく子である。

箴    22: 6 [口語

子をその行くべき道に従って教えよ、そうすれば年老いても、それを離れることがない。

箴    23: 13 [口語

子を懲らすことを、さし控えてはならない、むちで彼を打っても死ぬことはない。

箴    23: 19 [口語

わが子よ、よく聞いて、知恵を得よ、かつ、あなたの心を道に向けよ。

箴    23: 24 [口語

正しい人の父は大いによろこび、知恵ある子を生む者は子のために楽しむ。

箴    23: 26 [口語

わが子よ、あなたの心をわたしに与え、あなたの目をわたしの道に注げ。

箴    24: 21 [口語

わが子よ、主と王とを恐れよ、そのいずれにも不従順であってはならない。

箴    27: 11 [口語

わが子よ、知恵を得て、わたしの心を喜ばせよ、そうすればわたしをそしる者に答えることができる。

箴    28: 7 [口語

律法を守る者は賢い子である、不品行な者と交わるものは、父をはずかしめる。

箴    29: 15 [口語

むちと戒めとは知恵を与える、わがままにさせた子はその母に恥をもたらす。

箴    29: 17 [口語

あなたの子を懲らしめよ、そうすれば彼はあなたを安らかにし、またあなたの心に喜びを与える。

箴    31: 2 [口語

わが子よ、何を言おうか。わが胎の子よ、何を言おうか。わたしが願をかけて得た子よ、何をいおうか。

箴    31: 28 [口語

その子らは立ち上がって彼女を祝し、その夫もまた彼女をほめたたえて言う、

●市橋容疑者の大学時代の恩師は自分のホームページに「市橋達也君に告ぐ」と題して「早く自首するように説得する文章を掲げた。

http://sites.google.com/site/naokimotoyama/ichihashi

ホームページもこういうときに神の道具である。私のブログも遊びではない。自慢ではない。誹謗中傷断罪ではない。社会批判ではない。啓示を受けた事を決死の覚悟で言っているまでである。耳あるものは聞け。

塚本訳 マタ 10:27
10:27 わたしが暗闇で(こっそり)話すことを、(大胆に)明るみで言え。耳うちされたことを屋根の上で宣伝せよ。


口語訳 アモ 3:8
3:8 ししがほえる、だれが恐れないでいられよう。主なる神が語られる、だれが預言しないでいられよう」。


文語訳 Ⅰコリ1:18
1:18 それ十字架の言は亡ぶる者には愚なれど、救はるる我らには神の能力なり。

●私も子供4人、孫6人。いつ市橋容疑者の親のような立場にならないとも限らない。その時はどうするか。ただただ十字架の贖いにすがるしかない。市橋容疑者はキリストの贖いの血潮で救われる。

新改訳 テト 3:3-5
3:3 私たちも以前は、愚かな者であり、不従順で、迷った者であり、いろいろな欲情と快楽の奴隷になり、悪意とねたみの中に生活し、憎まれ者であり、互いに憎み合う者でした。
3:4 しかし、私たちの救い主なる神のいつくしみと人への愛とが現われたとき、
3:5 神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。

塚本訳 ロマ 3:23-26
3:23 なぜか。すべての人が罪を犯したため、いまだれ一人、(かつて持っていた)神の栄光をもたない。
3:24 (さりとて失った栄光を回復する力はないので、何一つ)代価を払わず、(ただ)神の恩恵によって、キリスト・イエスによるあがないの力で、(神に)義とされる(道が設けられた)のである。
3:25 すなわち神は御自分の義を示すために、宥めの供え物としてキリストを提供された。これはキリストの血でなされたものであり、(人は)信仰によ(ってこの恩恵にあずか)るのである。このことは──神が(長いあいだ)忍耐をもって過ぎし日に犯した罪を罰せずにおられたので──
3:26 今の世において、御自分の義を示そうとされたのである。すなわち御自分が義であること、またイエスを信ずる者を義とするお方であることを、(この世に)示されたのである。

●無教会主義は彼を救うことができるか。犯罪者はよく教会に逃げ込む。無教会主義では逃げ込むところがない。実際はどうか。無教会の雑誌は監獄に入る。服役者に読まれる。人間の姿で服役者に接近する。復活のキリストは裁判官、弁護士の姿で近づく。エマオの二人に復活のキリストは旅人の姿で近づいた。無教会者は普通の職業者で近づく。親、教師、友人、子供。そして耳ある人間はその声に耳を傾ける。胸が熱くなる。復活のキリストは役目を果たすとすっと消える。

塚本訳 ルカ 24:30-32
24:30 一しょに食卓について、(いつものように)パンを(手に)取り、(神を)讃美したのち、裂いて渡されると、
24:31 (その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。
24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。

●悔い改めて福音を信ずるのは人生の「わずかな時間」のうちだ。ルカ16章の不埒な番頭は主人の金を使い込んでしまったが、バレる前のわずかな時間の合間に、大急ぎで天下り先に「恩を売って」延命策を講ずる。我々の人生も短い。そのわずかの時間の間に来世行きの延命策を講ずる必要がある。

塚本訳 ルカ 16:6
16:6 『油百バテ[二十石]』とこたえた。番頭が言った、『そら、あなたの証文だ。坐って、大急ぎで五十と書き直しなさい。』

●このブログを見ることはない、市橋達也君に告ぐ!天に向かって言う。君の人生は残念ながら短い。しかしまだ時間はわずかにある。その間に「どんなに重い罪でも赦される」というキリストの十字架の福音を信じて心を楽にして死んでもらいたい。法の裁きに服してもらいたい。人間社会では法の裁きで肉体は滅ぼされるが魂までは滅ぼせない。神は君の罪を赦して新しい人間として有体的に復活させてくださる。神は愛だ。

塚本訳マタ 10:28
10:28 体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。


塚本訳Ⅰコリ15:44
15:44 (神の霊を持たない)魂だけの体がまかれて霊の体が復活する。魂だけの体がある以上は霊の体もあるわけである。

 

 


 

 


 

 

 

 

 

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私は癌で死ぬ ++++++++ 所感

2009/11/11 11:11

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091111(水)6時起床●TSK日本語化●某氏に長文の返メール。差し障りのあるところを改変して公開する。

(返メールの一部)

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○○様

●妻は時々「私は必ず認知症になる」と言って、私を悲しませます。理由は自分の母も祖母も認知症になったからというのです。かくいう私が癌になることは必至だそうです。聖路加病院の主治医がそういいます。私の母は肺癌で5年前に死亡、弟も肺癌(この場合は手術が成功して回復)。癌が家系に二人もいるので私が癌になることは決定的なのだそうです。認知症も癌も仕方がないと思います。現在死亡原因の30%は癌、2020年には50%になると言われています。母の最期を看取って、私は癌で死にたいと思います。現在、癌の痛みは取れるようになりました。医学の進歩に感謝です。私の平均余命は16年です。平均余命の認識は毎日の仕事に益があります。人は多くの仕事ができません。ラテン語のmemento mori メメントモリ 「死を思え」という格言は良い言葉だと思います。

 

 

●失礼ながら伝道や聖書関係の仕事一本の生活に参入されることには反対です。特に「この世の仕事など」という「など」という言葉には大いにひっかかります。無教会の本領は「小事」を「小事」と思わないところにあると解します。その聖書的神学的根拠はルカ161-13、塚本訳で明快です。ローンの重荷、勤務先という網、家族というしがらみが「小事」と解します。「重い小事」は恩恵です。「網も家族も残してキリストについていった弟子達」も偉大ですが、イエスの死体を手厚く葬った(隠れた人)アリマタヤのヨセフも神の国で同等に偉大であると思います。

 

塚本訳 マコ 15:43

15:43 名望の高い最高法院の議員であるアリマタヤ生まれのヨセフが来て、臆することなくピラトの所に行き、イエスの体(の下げ渡し)を乞うた。彼も神の国(の来るの)を待ち望んでいた一人であった。

 

塚本訳 ヨハ 19:38

19:38 そのあとで、アリマタヤ生まれのヨセフが、──この人はユダヤ人(の役人たち)を恐れて、隠れてイエスの弟子になっていた人である──ピラトに、イエスの体を取りおろしたいと願い出た。ピラトが許すと、彼は行って体を取りおろした。

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(メールの一部終わり)

 

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「贖罪」ということは神の祝福でわかる ++++++++ 所感

2009/11/10 09:15

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091110(火)4時半起床●TSK日本語化●「WEB黒崎」引照入力ロマ3章●それをマネジャーとスタッフに送った時の感想文を掲げる。一部改変。

(感想文)

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〇〇様 ロマ書3章の感想です。

24節 神の恵みにより無償で義とされるのです。

 

●何事も市場経済の「取引」の考えに汚染されている人間にはこの言葉が信じられません。某氏は大学生の時に自分の罪が他人の行いで赦されるということがどうしてもわからないと私に言いました。その後わたしが脳内出血で倒れたとき、氏にこのことを分からせて下さいと必死に祈りました。病院に駆け付けた氏はベッドに頭をうずめて泣いていました。なぜ泣いていたのかその意味は分かりません。その後、氏は人生の「時」を通じて贖罪、代償という天地万有と聖書の大真理を知ったのではないかと思っています。

●人が贖罪の真理を悟るのは神の恩恵、神の祝福によるものと解します。それにはゆっくりの時間が必要なのだと思います。神は時間をかけるのだと思います。しかし時間はかかるが神の導きの業は確実だと思います。

●パウロの贖罪論の背後には厳然たる霊の臨在があるから激しい律法主義批判になるのだと思います。パウロがほとんどの書簡の冒頭で「キリストの恵みがありますように」と書いているのは、キリストの恵み、神の祝福による霊の割礼(ロマ2:29)なしには自分の手紙はさっぱり分からないのだと言っているのだと解しました。

 

27節 信仰の法則

 

●建築では力学を学びますが、信仰にも力学的法則があり、それは救いは向こうからやってくる力を受けるという法則なのだと解します。救いの原理を決して自分の頭で考えることではないと思います。この向こうからの霊の力を受け取るという「信仰力学」なしに救いを説明しようとすると「教派争い」や「神学論争」が起きて、究極的にはいがみあいや排斥の戦争になるものと思いました。

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(感想文おわり)

●12:00 連合設計社市谷建築事務所へ「吉田桂二個展」。英国の落ち着いた建物の画。吉田桂二氏と昼食懇談。14:50昭和女子大授業2コマ。20:20帰宅

 

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相手の立場を尊重せよ ++++++++ 所感

2009/11/09 07:04

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091109(月)5時目覚め●朝の啓示「相手の立場を尊重せよ」●TSK日本語化。マルコ2章まで終了●公園でラジオ体操

 

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ラジオ体操のあと、秋色深まる秋留台公園を歩く。秋は物悲しいがクリスマスの喜び、明るさが近づく。

●今朝の啓示である「相手の立場を尊重せよ」の聖書的根拠は何かを考えて歩く。次の箇所がひらめいた。

口語訳 マコ 4:27
4:27 夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行くが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。

●人間の魂の成長、悔い改め、回心などの最も高貴な進歩的なことは神がなさことなので、人間が横から介入してはならない。

●人間の魂の成長には時間がかかるものだ。「夜昼寝起きしている間」という「時間」が必要。

●なぜ人が回心したリ、悔い改めたりするのか、それは神と人の間の最奥の神秘的なことだから、その救いの原理はわからない。だから人間が横から介入して「説教」して、無理に悔い改めさせて救おうとしてはならない。

●人が救われるのには神の思い入れの「時」があるのだ。神は悪いことを御存知で信者不信者の区別なく正しく御裁きになる。つまり人類の全員を知っておられる。その聖書的根拠は次である。

塚本訳  ロマ 2:8-9
2:8 自分本意で、真理に従わず偽りに従う者には、怒りと憤りとが待っている。
2:9 (つまり、)苦しみと悩みとは悪を働くすべての人、まずユダヤ人、次に異教人に、

●「人を裁くな」という原理は「神が裁くから」ということである。「悪」に対しては「時が決める」ダメなものは自然に滅びる。「忍耐せよ」と盛んに言われるが、その内的原理は「神が見ておられる」ということ。

塚本訳  ロマ 2:6-7
2:6 神は『ひとりびとりの行いに応じて報いられる』(と聖書は言う。)
2:7 すなわち、忍耐して善を行うことによって栄光と栄誉と不滅とを求める者には、神は永遠の命をおあたえになるが、

●人間の魂の成長には時間がかかるが確実に正しい方に導かれる事例。●過日愛真高校で伺った話。学校を嫌って退学した生徒が7年ぶりで「魂の故郷である愛真に尋ねてきた」という。●不登校の生徒は5年間スパンで忍耐していれば神が正常にしてくださる。5年間は長いようで短い。●Y先生曰く、「不登校になる生徒は、真面目、繊細、勉強熱心。これに反して不登校にならない生徒はズボラ、鈍感、不勉強」●さらば、泣くな!不登校児を持つ親よ。豊かな実りが本人と家族に訪れる。確実に訪れる。神は生きて働いておられる。神は真面目な親と子に「悪いようにはしない」「最善を下さる」

 

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山の上にある町は隠れていることは出来ない ++++++++ 所感

2009/11/08 07:08

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091108(日)4時半起床●朝の啓示「山の上にある町は隠れることがない」●NHKTV3ch「こころの時代」。「究極の悲しみに寄り添う」。グリーフケア研究所長、高木慶子(カトリックシスター)。人間の喪失の悲しみは同じ喪失体験した人によって癒される。GRIEFとは悲嘆。●人間の喪失の悲しみは、家族の死、体の一部の喪失、仕事の喪失、など。

塚本訳  マタ 5:14-16
5:14 あなた達は世の光である。山の上にある町は隠れていることは出来ない。
5:15 また、(せっかく)明りをともして枡をかぶせる者はない。かならず燭台の上に置く。すると、家の中におる人を皆照らすのである。
5:16 そのようにあなた達も、その光を世の人の前に輝かし、人があなた達の良い行ないを見て、あなた達の天の父上をあがめるようにせよ。

●11月4日にキリスト教愛真高校の小田教頭から伺った話。11年前の新校舎竣工記念の時に話した「胸が熱くなったこと」という私の講義は今でも忘れられないということ。あのとき点火した火は今でも人の心に燃え続けていてた。これは不思議な事実だ。上記マタ5:14の「山の上にある町は隠れていることは出来ない。」は真理だ。私の話が良かったのではない。イエスの墓が空になった史実、有体的復活は、真理だから「隠れていることは出来ない」のだ。あのとき点じた火が11年も燃え続けていたことがうれしい。

●マタ5:14 の黒崎の辞解

辞解
[山の上にある町] パレスチナにはこの種の町が多い、ガリラヤのサフエツトやナザレ等はこれであって、イエスはおそらくこれを指しつつ語り給うたであろう。

●マタ5:14の各種引照で心に響くもの

口語訳 イザ 2:2
2:2 終りの日に次のことが起る。主の家の山は、もろもろの山のかしらとして堅く立ち、もろもろの峰よりも高くそびえ、すべて国はこれに流れてき、

口語訳 Ⅱコリ6:14
6:14 不信者と、つり合わないくびきを共にするな。義と不義となんの係わりがあるか。光とやみとなんの交わりがあるか。

口語訳 ピリ 2:15
2:15 それは、あなたがたが責められるところのない純真な者となり、曲った邪悪な時代のただ中にあって、傷のない神の子となるためである。あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。

●集会は長島、高橋トミ子(私を導いた忘れえぬ言葉)、山本(ガラテヤ書)●13:30あきる野市民祭、トミ子がコーラスモデラートで出演。

 

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祈りは聴かれる ++++++++ 所感

2009/11/07 19:58

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091107(土)5:00起床●メール3通●関西在住の某氏から無教会集会の存在を訪ねてきた。現在所属されている教会には合わないと言われる。そこで「集会や教会はむきむきである。あなたにしっくりするところが見つかるように祈ります」と言って無教会集会の一つを紹介した。●光男兄から手紙。祈っていただけあってうれしかった。祈りは聴かれるものだと実感した●三男の恵から電話。このたび私が初めてお会いした愛真高校の安昌美校長とはかって一緒に仕事をしたことがあるという。世間は狭いものだ。●図書館でクラシックCDのリストをコピー●妻は夕方からモーツァルト・レクイエムの練習に出かける。

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愛真高校で「WEB黒崎」の説明をする ++++++++ 所感

2009/11/06 19:15

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091106(金)8:30愛真高校朝礼拝。生徒は新型インフルエンザで全員帰宅しているので教職員25名のみ。次のように話した。

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建物の改修を聖書で考える

キリスト教愛真高校 礼拝 2009.11.6  高橋照男

 

① 建物の老朽化

② 神は修理する

③ 聖書で建物は体に譬えられる。

④ 建物という有限的なるものへの愛

⑤ 神による建築は必ず建つ

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●礼拝の中で、11年前に設計した新校舎が、きれいに使われているのを見るのは、嫁がせた娘が「良く働いて」可愛がられている姿を見るようでうれしいと話した。

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浅利海岸から見る日本海は美しかった。生徒たちはここを「展望台」と呼んでいるという。ハワイのモロカイ島の景観を思い出した。小田教頭が撮影。

●11:00 昨夜の企画会議で作成した改修の企画内容を教師全員に報告。事実上これが第一回目の企画会議。

●11:30 聖書担当の教師3名と関係者の合計8名に対し、視聴覚室で「WEB黒崎」の説明。6つの翻訳比較が出るところではどこからともなく「ウーン」という唸り声があがった。

●小田教頭が2時間かけて空港まで送ってくださった。車中、小田教頭の歩みを伺った。哲学が御専門でアウグスチヌスのご研究に時間をかけられた。

●16:30 出雲空港発東京。

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出雲を発つとすぐ夕陽の雲海が見えた。雲というのはこれが表であって、地上で見るものは裏側である。

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離陸10分後に姿のよい大山(1729m)上空を通過。

●17:55分羽田着で、帰宅は20:30●手紙が数通待っていた。

 

 

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愛真高校改修企画会議 ++++++++ 所感

2009/11/05 18:30

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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091105(木)朝から小田弘平教頭、植松事務長の案内で愛真高校キャンパスの調査。●11年前に設計した新校舎が有効にきれいに使用されているのを見たのはうれしかった●15:30から20:20まで改修の企画会議。9名での議論は実りが大きかった。●主たる改造は寮室の環境改善●安昌美校長、小田教頭。三沢寮監(新任)と夕食懇談。

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評判のよい新校舎の中央廊下。力を抜いて設計したところだが、一番評判がよい。脱力で事に当たればうまくいくことは何ごとも同じらしい。ピアノ、授業。子育ても同じだ。

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浅利海岸に風力発電。一基一億円。

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Ⅰ1年前に設計した新校舎。この地は石州瓦の赤が美しい。

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キャンパスの背後にある浅利富士。海と山に囲まれたこのキャンパスの環境はすばらしい。



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Ⅰ1年ぶりの愛真高校 ++++++++ 所感

2009/11/04 18:00

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091104(水)12:00真澄設計の細井真澄所長と懇親。●14:00 建設物価調査会に7か月ぶりにい行く。和田睦夫氏をはじめ多くの人と久しぶりに会う●15:00 建設物価調査会のJBC委員会。委員の立場で出席したので発言が自由で楽になった。委員長の長倉先生(80歳)から「昭和女子大を長く勤めてください」と言われた。渡邊弘之前理事に挨拶。●委員会を中座して、18:30羽田発で出雲へ。●20:00 出雲空港にキリスト教愛真高校の小田弘平教頭、植松事務長が出迎え。夕食をとりながら愛真高校改修の打ち合わせ。愛真高校は11年前に新校舎を設計して以来の訪問。

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羽田発18:30 東京の夜景。東京は大都市だ。

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南原繁シンポジウム ++++++++ 所感

2009/11/03 20:26

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091103(火)3時40分起床●TSK日本語化●「WEB黒崎註解」●愛真高校礼拝の準備。レジュメ次のようにした。

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建物のと改修を聖書で考える
キリスト教愛真高校 礼拝 2009.11.6  高橋照男

① 建物の老朽化と肉体の老朽化
② 修理する心
③ 建物と体の新約聖書的概念
④ 建物という有限的なるものへの愛
⑤ 普請(ふしん)という言葉の意味

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朝の秋留台公園。落ち葉がきれいだ。


●13:00神田の学士会館で「第6回 南原繁シンポジウム・・・南原繁をめぐる人々(4)」

主題講演 加藤節「南原繁と近代日本の民主主義」
パネラー  吉野作造・・・宮崎文彦
       和辻哲郎・・・川口雄一
       田邊 元・・・橋爪孝夫
       賀川豊彦・・・柴田真希都
       福田歓一・・・木花章智

 ●パネラー5人の平均年齢は33歳。若い人の台頭はたのもしい。聴衆200名は盛会。青森や四国からも来られた●終了後「賀川豊彦」を発表した柴田氏に「賀川は建築に造詣が深く、ラスキンの『ヴェニスの石』の翻訳がある、また建築ギルドという思想もあってそれを実践した」と話した。●帰途は途中まで大山綱夫先生と●夕食は結婚40周年記念。 ●愛真高校礼拝の準備


 

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延命処置をしない生き方 ++++++++ 所感

2009/11/02 06:25

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091102(月)5時目覚め●朝の黙想「延命処置をしない生き方」●TSK日本語化●「延命処置をしない生き方」について考える●5年前に肺癌の母をホスピスに預けるときの担当医の条件は「延命処置はしない。抗がん剤は打たない。ただ痛みを取るだけ」ということであった●現在、死因の30%は癌。2020年には50%になる。●このことで日本人の人生観は揺さぶられている。「emento mori メメントモリ ラテン語」「死を思って生きよ」。これに対するキリスト教的指針は「死は神の決めたもう時だから、これに抵抗するな。戦うな。」である。こういうと医学の進歩に水を差すようであるがそれは違う。病気の治癒には心の平安が必要であるとはすでに医学会の常識。これは解明できないことだが事実●死は一人ひとりに対する神の決断のことだから、これを神に従う心で受け入れなければならない。●神を知らない人間は何とか延命処置をしたがる。焦る。もがく。それは生物として当然であり、自然である。これに迎合して医学界も心情なき延命技術の向上に邁進する。一分一秒でも延命することに腐心する●肉の延命処置には限界がある。死は確実におとづれる●宗教は諦念ではない、進歩向上の努力に対する怠慢ではない。事実「心の平安」が治癒に貢献する。●イエスの病気治癒は決まって「心の癒し」が伴っている。イエスにとっては肉の癒しを手段にして目的は心の癒し。神への信仰が目的。永遠の生命を持つようにするのが目的●神なき、信仰なき病人は禍だ。直りが遅い●神なき、信仰なき医者は禍だ。「心の平安」を扱わないから、直す能力にイマ一つ欠ける。名医にはなれない。●キリスト信徒の仲間よ。癌を宣告されても泣くな。それが伝道だ。宣教だ。布教だ。●9:00 池谷医院で定期健診とインフルエンザ予防注射●図書館で「老いと死を考える」鍋谷尭爾著を読む。東急、ホビー、●14:00 昨日の感話資料「泣くな!崩壊家庭の子供」をホームページの「使徒伝承」にアップ。この捨て身で決死の証しをどれだけの人が読んでくれるだろう。イイサ、イイサ。福音の証しは言いっぱなし、説きっぱなしだ。いつか誰かが地球の片隅で、気にとめて福音の喜び、救いの喜びに導かれてくれればそれでよいのだ。

●私を癒す名曲。バッハ、チェンバロ協奏曲第5番第2楽章「アリオーソ」。下記サイトの画面を出し最後までスクロールしてオーティオマシンの►をクリック。

http://www.voiceblog.jp/andotowa/413924.html

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悩みの日にわたしを呼べ ++++++++ 所感

2009/11/01 06:21

 使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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66歳4か月。平均余命16年(生命保険会社統計)、5800日、14万時間。この時間をすべてキリスト教使徒伝承の連鎖に捧げる。罪と死の悲しみを克服する「十字架の贖罪の福音と有体的復活の希望の喜び」の伝承。自分のため、親類縁者のため、気の毒な人のため。

 

 091101(日)3時半目覚め。朝の黙想「悩みの日にわたしを呼べ」●今日の感話資料の修正とプリント。●TSK日本語化●今日の感話の題は「泣くな!崩壊家庭の子供」。その副題は「悩みの日にわたしを呼べ。詩篇50:15a」

 

 

口語訳 詩  50:15
50:15 悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう」。

 

この箇所の引照。

悩みの日に(口語)

口語訳 詩  91:15
91:15 彼がわたしを呼ぶとき、わたしは彼に答える。わたしは彼の悩みのときに、共にいて、彼を救い、彼に光栄を与えよう。

口語訳 詩  81:7
81:7 あなたが悩んだとき、呼ばわったので/わたしはあなたを救った。わたしは雷の隠れた所で、あなたに答え、メリバの水のほとりで、あなたを試みた。〔セラ


口語訳 詩  107:6
107:6 彼らはその悩みのうちに主に呼ばわったので、主は彼らをその悩みから助け出し、


口語訳 詩  107:13
107:13 彼らはその悩みのうちに主に呼ばわったので、主は彼らをその悩みから救い、


口語訳 詩  107:19
107:19 彼らはその悩みのうちに主に呼ばわったので、主は彼らをその悩みから救い、


口語訳 詩  107:28
107:28 彼らはその悩みのうちに主に呼ばわったので、主は彼らをその悩みから救い出された。

 

苦難の日(新共同)

新共同 詩  81:8
81:8 わたしは苦難の中から呼び求めるあなたを救い/雷鳴に隠れてあなたに答え/メリバの水のほとりであなたを試した。〔セラ


新共同 詩  91:15
91:15 彼がわたしを呼び求めるとき、彼に答え/苦難の襲うとき、彼と共にいて助け/彼に名誉を与えよう。


新共同 詩  107:6
107:6 苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと/主は彼らを苦しみから救ってくださった。


新共同 詩  107:13
107:13 苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと/主は彼らの苦しみに救いを与えられた。


新共同 詩  107:19
107:19 苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと/主は彼らの苦しみに救いを与えられた。


新共同 詩  107:28
107:28 苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと/主は彼らを苦しみから導き出された。

あがめる(口語訳)

口語訳 詩  22:23
22:23 主を恐れる者よ、主をほめたたえよ。ヤコブのもろもろのすえよ、主をあがめよ。イスラエルのもろもろのすえよ、主をおじおそれよ。


口語訳 詩  50:23
50:23 感謝のいけにえをささげる者はわたしをあがめる。自分のおこないを慎む者にはわたしは神の救を示す」。

 

栄光を輝かす(新共同)

新共同 詩  22:24
22:24 主を畏れる人々よ、主を賛美せよ。ヤコブの子孫は皆、主に栄光を帰せよ。イスラエルの子孫は皆、主を恐れよ。


新共同 詩  50:23
50:23 告白をいけにえとしてささげる人は/わたしを栄光に輝かすであろう。道を正す人に/わたしは神の救いを示そう。」


●新共同 詩篇50:23 には「告白をいけにえとしてささげる人は/わたしを栄光に輝かすであろう。」とあるのに励まされて今日の感話の一部を公開する。捨て身の証しである。恥は私に栄光は神に。

(感話資料の一部引用)

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① 驚くべき離婚率

塚本訳 マタ 19:10

19:10 弟子たちが言う、「夫婦の関係がそんな(面倒な)ものなら、結婚をしない方が得だ。」

●離婚は結婚生活が「面倒」と思うところから生じる。神なき人間の自然的なる感情。

 

091013(火)、091019(月)のブログを編集人生の深い悩みは人間的な慰め「政治、経済、医学、活動、諦念、享楽、詩歌、人間崇拝、恋愛、結婚、家庭」では真の満足はいかないことになっている。しかし聖書の慰めはこれら人間的なる慰めとは質が異なる霊であり、人間を真の喜びに導き、真の人生を教えてくれる。それはどういう慰めか。

 

塚本訳 ヨハ 14:27

14:27 (今別れにのぞんで)平安をあなた達にのこしておく。わたしの平安をあなた達に与える。わたしが与える平安は、この世の人が『平安あれ』といのるような(言葉だけの)ものではない。(だから)心騒がせるな、気を落すな。

 

塚本訳 Ⅰヨハ1:4

1:4 わたし達が(この手紙を)書くのは、(あなた達がわたし達との交わりに入り、)わたし達(が父と子と)の(交わりにおいてもっている)喜びが、完全なものとなるためである。

 

●驚くべき数値。

今や離婚率は4割近いという惨憺たる現状。人口動態統計資料によれば離婚率の推移は次の通り、197010%、1990年22%、2000年32%、2006年38%。だから現在ではすでに40%にはなっていると思われる。私の親類縁者の実態を見ればうなずける。英米ロシアは日本よりも離婚率が高い。終末が近いか。・・・・ちなみに死因における癌の割合は現在30%だが2020年には50%になる見込み。これも驚くべき数値。

●夫婦の離婚で犠牲になるのは子供。離婚多発で路頭に迷う気の毒な子供の数は多い。崩壊家庭の子供に救いはあるのか。新約聖書はどう答えるのか。まずはじめに私自身の体験を通し、恥を忍んで捨て身で「救い」の事実を証しする。恥は私に栄光は神に。

 

新共同 Ⅱコリ12:15a

12:15 わたしはあなたがたの魂のために大いに喜んで自分の持ち物を使い、自分自身を使い果たしもしよう。

 

塚本訳 Ⅱコリ1:4
1:4
どんな苦難の時にもわたし達を慰めてくださる神、こうしてわたし達自身も神に慰めていただくその慰めをもって、どんな苦難の中にいる人たちをも慰めることが出来るのである。

 

塚本訳 ヨハ 9:25

9:25 彼が答えた、「罪人かどうか知りません。ただ、(もと)盲であったわたしが、いまは見えるという、この一つのことだけ知っています。」

 

●私の血は汚れている。私は物心がついた時に自分は「母方の祖父母を知らない」ことに気がついた。長い間不思議に思っていたが、ある日思い切ってその理由を母に聞いてみると次のようなことであった。母の父(私の祖父)は某銀行の頭取になり羽振りが良くなった時に料亭の女将と親しくなり、子供が8人もありながら先妻と離婚、その女将を後妻にした。私の母は末っ子でその後妻に育てられたが人生を苦労した。そのことを母から聞いた私は母を不遇にしたそんな祖父の血が我が身に混じっているのだと思って体をかきむしったのである。そして私の生まれる前に死んだその祖父を深く深く憎んだ。しかし幸いなことに「福音」というものに出会い、キリストの宝血で全身の血液を入れ替えていただき喜びが与えられた。すると不思議にあれほど憎んでいた祖父を赦せるようになった。存在が不明であった祖父の墓を後妻の里である九州は水俣の山の中に探し出し、母の希望でその遺骨を東京に持ち帰った。骨壷には祖父と後妻の骨が一緒になっていた。この苦難が私をして、崩壊家庭の子供の救いに目を向けさせた。どんなに暗い家庭の子供であってもキリストの血潮によりアンデルセンの小説「醜いアヒルの子」が白鳥なったように生まれ変わることができるのだ。清くなれるのだ。そして主にある真の祖父母、父母、兄弟姉妹、妻、子供が与えられるのだ。これが肉によらない本当の家族、本当の喜びの霊の家族だ。さらば「泣くな崩壊家庭の子供」。その悲しみは神の子になれる道が備えられている証拠だ。真の家庭を持つに至れる道が開かれているのだ。たった一度のこの短い人生でその悲しみに遭遇したことは不運であり不幸なことであるが、その涙により永遠の命に目覚めるとすればこの不遇なるみじめな人生も幸いだ。人生は短い。来世は復活による永遠の喜びだ。

 

塚本訳ヘブ 10:19

10:19 (わたし達は今や旧約の律法から解放されて、新約の時代に入った。)だから、兄弟たちよ、わたし達はイエスの血により、安心して聖所に入ることができるのである

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(感話資料の一部引用おわり)

●崩壊家庭から清い根が出る。その一例として浅田ノブの例を記す。

内村鑑三は最初の妻タケとの間に一人娘のノブがあった。しかし内村鑑三はタケと折り合いが悪く離婚、家庭は崩壊した。ノブはタケの兄の浅田信芳に子供がなかったのでその養女となった。タケは内村に復縁を迫ったが、内村が承知しなかったので別の人と再婚した。鑑三はノブが18歳になるまでその顔を見なかった。またノブは父鑑三から実母タケとの交際を固く禁じられていたので、生涯実母を知ることなく終わった。従ってノブは18歳にしてはじめて実父である鑑三と会ったが、それまでは実父母とは合わないで育ったという不遇であった。ところがそのノブは信仰の篤い人で、鑑三に可愛がられた。ノブに対する毛筆の「父訓」があるが、これは国際基督教大学内村記念文庫に所蔵されている。ノブは群馬県の小学校教員をしていたときに同僚の日永初太郎氏と出会い結婚した。ノブは日永ノブとなった。日永氏ははじめ教会の信者であったが、内村に接するようになって無教会的信仰になった。ノブは1965年(昭和42年)まで信仰の生涯を送り、夫と子、孫たちにみとられつつ、幸福のうちに80歳で天に召された。(以上は政池仁「内村鑑三伝」、および、日永康「上州安中教会(上)」(石原兵永「聖書の言1984」)による。この日永家から、生まれれたのが無教会日永集会の日永康氏(つまり内村の孫)である。私(高橋)は日永氏と親交をいただいている。●神は汚れたる肉の系図から清い芽を出す。神はそこらの石コロからでもアブラハムを起こす。(マタ3:9)●神は意外で不思議なことをなさる。

塚本訳  マタ 21:42
21:42 イエスは彼らに言われた、「あなた達は聖書で(この句を)まだ読んだことがないのか。──『大工たちが(役に立たぬと)捨てた石、それが隅の土台石になった。これは主のなされたことで、われわれの目には不思議である。』

新共同 詩  118:22-23
118:22 家を建てる者の退けた石が/隅の親石となった。
118:23 これは主の御業/わたしたちの目には驚くべきこと。

●妻と集会に行く。集会は藤巻、小寺、高橋(泣くな!、崩壊家庭の子供)●帰途、藤巻さんと死後の姿について懇談。私は死後の姿を頭で描くこ、知ることによって安息を得ようとしていたことが誤りであったことに気がついた。それは理性の安息を得ようとする努力であった。藤巻さんは霊のイエスが傍にいてくださるということが安息なのだと言われた。目から鱗であった。87歳の藤巻さんは本年6月に癌の手術をされたが取りきれずにいて余命2年だという。●14:30今井館理事会。司会は副理事長の新井明先生。福島穆(あつし)さんが常務理事になられた。●帰途、拝島駅でモーツァルトレクイエムの練習を終った妻と会う。明後日は結婚40年の記念日、お互いに「よく持ったねー」と同感であった。夫婦仲が崩壊しない秘訣は伴侶よりも神を第一にすること。これなくして家庭は「必ず!」崩壊する。子供が非行に走る。神は残酷だ。

塚本訳 マタ 7:26-27
7:26 また、わたしの話を聞くだけでそれを行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。
7:27 雨が降って、大水が出て、風が吹いて、その家にうちつけると、倒れてしまった。ひどい倒れ方であった。」

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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