to 日記と感想 2009年12月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170821(土)15:00お江戸コラリアーズ定期演奏会、文京公会堂
    170809     TW誕生日
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170706      TM誕生日
    170701      TT誕生日
    170628       IY誕生日
    170625(日)14:00羽村フィル、ゆとろぎ。モーツァルト40番、チャイコフスキー5番
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール
    170610(土)14:00内村鑑三セミナー、立教大学12号館。矢田部、椚」山
    170609(金)   TS命日
    170608(木)12:15ボリショイ「白鳥の湖」、東京文化会館
    170707(水)10:00池谷医院
    170604(日)10:00集会感話、
    170604(日)16:30近藤恵邸起工式、福島市。
    170530(火)14:00田岡氏来訪
    170527(土)14:00今井館ピアノコンサート
    170521(日)14:00新宿フィル、ブラームス1番、レスピーギ「鳥」「ローマの松」。和田睦夫
    170425       TN)誕生日
    150420(木)09:30阿伎留センター泌尿器科)
    170416(日)14:00武蔵野室内合奏団、杉並公会堂(大坪満子)


死んだらどうなる ++++++++ 所感

2009/12/31 09:34

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

       http://stonepillow.dee.cc/

091231(木)4時半目覚め。●来年1-2月の「今井館伝道聖書集会」の骨子を黙想●TSK日本語化●孫の初音(小一)を交えて3人で朝食。私「初音さん野菜食べないと美しくなれませんよ」。初音「私、これ以上美人になりたくないもーん」。私「・・・・・・・・・・」●「WEB黒崎」の協働者と終末論義。公的なことなので公開する。

(終末論、メール)一部

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

両兄

非常に興奮する「神学論争」(?)です。感謝。

かって旧約学者の中澤樹先生と信者は死んだらどこにいると言うことをめぐって書簡のやりとりをしました(1993年)。というのは先生が仙台嘉信会で「霊魂不滅と復活」という講演をされまして、その講演記録の感想を書いたことがございます。往復何通にもなりました。私は十字架の強盗の言葉「私を思い出してください」(ルカ2342)を頼りに、死んだら体も霊魂も何もなくなる、ただ神の記憶の中にあるのみ。だから終末の時は神が人の名を「思い出す」ことで復活させられるのではないかと申し上げました。(中澤先生には「忘却と想起」という御本があります。)すると先生は「高橋にはチト薬が効き過ぎたと思われたのか、あわてて私の見解を打ち消すように必死で防戦(?)、死後のことは秘儀に属すことだがと申されまして「信者の霊魂は神の懐に隠されている(コロサイ33).死んだ場合は終末に霊の体を取って現れる」と御教示くださいました。私はこれで落ち着きました。

 

口語訳 コロ 3:3

3:3 あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである。

 

塚本訳コロ 3:3

3:3 君達は(既にこの世に)死んで、その生命はキリストと共に神の右に隠されているのだから。

 

新改訳 コロ 3:3

3:3 あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。

 

文語訳コロ 3:3

3:3 汝らは死にたる者にして、其の生命はキリストとともに神の中に隱れ在ればなり。

 

新共同 コロ 3:3

3:3 あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。

 

それとは別に塚本先生も、信者は十字架を信じたとたんに生きているうちにキリストの霊を宿していると言われます。これも正解と思います。ヨハネ伝はそのことと解します。ドッドの「realized eschatology」というクリスマスラジオ講演(焼失)は確かヨハネ伝がベースだったように思います。つまり終末は始まったというのです。「実現し始めた終末」ということです。イエスの思想もこれであったと解します。とするとエクレシアの意義も見えてまいります。終末の徴はエクレシアにおいて始まった。始まりつつあるということです。「キリストの体なる教会」というの神秘的な言葉もここから理解できます。中澤先生はすでに召されました。、もし終末で先生とお会いできたら「あー、こういうことだったのですか」と申し上げることができるのかと希望を持っています。(以下略)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(終末論メール)終わり

●今井館伝道聖書集会4回のうち、3回分の構想骨子を書く●山下次郎先生から贈られた「塚本虎二を偲びて」の感想御礼状を執筆。山下先生が塚本先生の信仰は「上から下へ」の啓示に基づくもので、無教会主義もそれが原因だと言われていることに同感した。

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近くの公園に孫の初音(小一)と行くが、風が冷たかったのですぐ戻った。初音はしりとりができるほど言葉をたくさん覚えた。

●13:00 クルトマズア指揮N響の第九を鑑賞。初音にお爺ちゃんどうして泣いているのと言われてしまった。●19:15 紅白歌合戦。舞台装置が大掛かりなのにびっくり。またわたしたち夫婦が全く知らない歌手や団体を孫の初音(小一)が良く知っているのにびっくり。紅白は若者どころか幼年のものだなーと感じた。

 

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神にだけは躓いてくれるな ++++++++ 所感

2009/12/30 09:15

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091230(水)6時起床。風邪治る●朝の黙示「神にだけは躓いてくれるな」●TSK日本語化●公園でのラジオ体操は中止●私の人間的欠陥に躓いて神もキリストも信仰も嫌いになった人に言いたい。「神にだけは躓いてくれるな」●その関連聖句を書く。

塚本訳  マタ 12:32
12:32 人の子(わたし)を冒涜する者ですら赦していただけるが、聖霊を冒涜する者は、この世でも来るべき世でも(決して)赦されない。

●神の救いを冒涜するものは最後審判で永久の滅亡。げにおそろしき光景。それを思うと、この私一個に加えれた非難冒涜の言葉は「我慢できる。

私が冒涜された言葉の数々

 「あの夫婦はおかしな人たちだ」「馬鹿は死ななきゃ直らない」。「信ずる者は救われるだと」「だからキリスト信者はおかしい」「(キリストの)墓が空になったなどというのは自由だ」「有体的復活は高橋の造語だ」「日曜日に話すことと普段の日に話すことに矛盾がある」。・・・・あー、生きてゆけない。躓かれるばかりだ。私の存在が彼に救いの門を閉ざした。「私に躓いても神とその救いには躓かないでくれー!」


塚本訳 ルカ 23:28-29
23:28 イエスは女たちの方に振り向いて言われた、「エルサレムの娘さんたち、わたしのためには泣いてくれなくともよろしい。それよりは自分のため、自分の子供のために泣きなさい。
23:29 いまに人々が、『石女と、(子を)産んだことのない胎と、飲ませたことのない乳房とが羨ましい』と言う(恐ろしい)日が来るのだから。

●イエスの気持ちは「私のことなどどうでもよい。最後の審判の日の自分の滅びを嘆け」ということ。イエスの言動はすべて「最後の審判」の恐ろしさから出ている。


塚本訳ロマ 15:2-3
15:2 わたし達各自は、(弱い)隣の人を喜ばせるように生きようではないか。彼の最善をはかり、(信仰を)造りあげるために。
15:3 キリストすら御自分を喜ばせる御生涯ではなかったのであるから。むしろ(聖書に)書いてあるとおりであった、』あなたを罵る者の罵りが、わたしの上に落ちた』と。

●このパウロの言葉は先のイエスの言葉の解説である。

塚本訳 ロマ 9:3
9:3 ほんとうに、兄弟すなわち血を分けた同胞の(救われる)ためならば、このわたしは呪われて、救世主(の救い)から離れ落ちてもよいと、幾たび(神に)願ったことであろう。

●パウロは同胞が救われるなら自分が最後の審判に漏れてよいとまで言う。パウロの同胞に対する愛の深さよ、すごさよ。私はここまでなれるか。なれない。自分の方が大切だ。この大矛盾の私をも神に赦して頂きたい。そしてこの大矛盾の私という「躓きの石」のために神の救いを拒否した人でも、救われると希望する。なぜか。神はそこらの石ころからでもアブラハムを自由にお造りになれるからだ。神様頼みます。私は生きれば生きるほど「躓きの石」そのものでダメなのです。

塚本訳 マタ 3:9
3:9 『われわれの先祖はアブラハムである(から大丈夫だ)』などと考えてはならない。わたしは言う、神はそこらの石ころからでも、アブラハムの子供を造ることがお出来になるのだ。

●「WEB黒崎」のヨハネ黙示録校閲校閲終了。これで第一期工事の私の作業はすべて終了。感謝。このプロジェクトは実に多くの人の助力が加わったのは不思議なことであった。神の祝福があった証拠。実感する。

●妻が中野の愛子の所に正月料理を届けに行き、帰りに初音を連れて来た。初音は正月にディズニーランドなどに行くよりも「おじいちゃんとおばあちゃんのところに泊まりに行く方がよい」と言ったからという。うれしいことだ。●老人は忙しくしていれば認知症にはなりにくいのではないか。

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褒美は神から貰え ++++++++ 所感

2009/12/29 12:05

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
       http://stonepillow.dee.cc/

091229(火)4時半目覚め。朝の黙想「褒美は神から貰え」●TSK日本語j化●6:30 公園でラジオ体

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この源氏襖の向こうが私の書斎。戦場。

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公園のラジオ体操へ行く途中。

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日の出の瞬間。

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我が家に朝日。私の子供達の家族、孫、私の親戚一同の上に神の祝福がありますように。

●庭の樹木を短く切って収集トラックのために束ねる●「神からの褒美」についてJバイブルで検索。塚本訳。ディボーションする。●は感話

検索 褒美 [塚本訳] 新約
ヒット数 検索 28

マタ   5: 12 [塚本訳

小躍りして喜びなさい、褒美がどっさり天であなた達を待っているのだから。あなた達より前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。

●目標は「天」。

マタ   5: 46 [塚本訳

自分を愛する者を愛したからとて、なんの褒美があろう。(人でなしと言われるあの)税金取りでも同じことをするではないか。

●人間も犬も、自分を愛してくれる人を知っている。

マタ   6: 1 [塚本訳

(しかし戒めだけでなく、行ないにおいても聖書学者、パリサイ人以上でなければならない。すなわち)見せびらかすために、人の見ている前で善行をしないように気をつけよ。そうでないと、あなた達の天の父上の所で褒美をいただくことはできない。

●人間の行動の動機は誰かに褒められよう、認められよう、というもの。問題はその「誰か」が問題だ。

マタ   6: 2 [塚本訳

だからあなたが施しをする時には、偽善者のように、自分の前にラッパを吹きならして(吹聴して)はならない。彼らは人に褒められようとして、礼拝堂や町の中でそうするのである。アーメン、わたしは言う、彼らは(褒められたとき、)すでに褒美をもらっている。

●慈善は人に知られようとするのがその動機の大半。かって日曜学校の生徒で誰も見ていないところで友達に親切をしている子供がを偶然に観てしまった。そのとき「どっと」あの子に褒美をやろうという気持ちが湧いた。神の思いもこれと同じ。

マタ   6: 4 [塚本訳

これは施しを隠しておくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。

●人間の誰もが見ていないことをすることは流れ星を見るようだ。内村鑑三と札幌農学校で同期の土木工学者廣井勇の逸話。冬の寒い夜、いつものように散歩に出かける廣井に妻が新調の羽織をかけてやった。散歩から戻った廣井はその羽織を着ていない。夫人が「あなた、羽織はどうなさったのですか」。廣井「そんなことを聞くものではない」と謎の言葉。死後になってから夫人の推測「おそらく寒空の道端に家もない乞食が震えていたので、新調の羽織をかけてやったのではないだろうか」。神は見ている。廣井勇は日本の土木工学の父になった。氏の設計した小樽湾防波堤は幾多の暴風雨にびくともせず、今も健在。この人にしてこの業あり。人の目につかない所に力を注いだのだろう。

マタ   6: 5 [塚本訳

また祈る時には、偽善者のようにしてはならない。彼らは人に見せようとして、礼拝堂や大通りの角に立って祈ることを好むのである。アーメン、わたしは言う、彼らは(褒められた時、)すでに褒美をもらっている。

●イエスが病気の治癒をすると、きまって「黙っていろ」と言ったことは「イエスの沈黙命令」として聖書学的神学的にいろいろ推察されるが、もっと簡単に考えた方がよい。人間の世界で有名になりたくなかったのだ。

マタ   6: 6 [塚本訳

あなたが祈る時には、『奥座敷に入り、部屋をしめきった上で、』隠れた所においでになるあなたの父上に『祈れ。』そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。

●私は多くの人に祈られていることを感じる。家が全焼したとき「高橋さんの家が焼けたのは私の罪のためです」と言って献金してくださった方がいる。名前はわからない。神よその人に褒美を与えてください。

マタ   6: 16 [塚本訳

また断食をしている時には、偽善者のように陰気な顔つきをしてはならない。彼らは断食をしていることを人に見せようとして、(顔を洗わず、髭をそらず、わざと)顔を見苦しくするのである。アーメン、わたしは言う、彼らは(褒められた時、)すでに褒美をもらっている。

●社会批判をする無教会の信者はこれ。陰気な顔付をして常に社会悪を憂いている。そういう人は信者ではなく人権主義者。だからその言動や行為が人に褒められたとき神は「あれはあれで褒美をもらったから、自分からは何もやらなくてよい」と思うのだろう。

マタ   6: 18 [塚本訳

これは断食をしていることを人に見せず、隠れた所においでになるあなたの父上に、見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。

●「神の祝福」というものは確実にある。人にも家庭にも、教会にも、集会にも。立派な家柄、血筋、高度な学問、立派な会堂があっても神の祝福というものがないところ衰退する。某有名神学者が牧師の教会、信者はその神学思想の奴隷。心が熱くなっていない。無教会も先生の人権思想の奴隷的信者がいる。先生がいなくなると四分五裂。思想的斬り合いになるのは目に見えている。

マタ   10: 41 [塚本訳

預言者を預言者として迎える者は、預言者と同じ褒美を戴き、義人を義人として迎える者は、義人と同じ褒美を戴くであろう。

●人間としての預言者、人間としての義人から直接的に、人間的に誉められてはいけない。それはほとんどの場合セクトになる。暴力団の山口組のようになる。だから褒美は神から頂かなければならない。

マタ   10: 42 [塚本訳

また(わたしの)弟子としてこの一人の小さな者に一杯の冷たい水でも飲ませる者は、アーメン、わたしは言う、(天にて)その褒美にもれることはない。」

●この小さな者とはキリストの弟子のこと。社会的弱者のことではない。この箇所を社会福祉的に読むのは間違い。

マタ   16: 27 [塚本訳

(永遠の命のために働け。)人の子(わたし)は父上の栄光に包まれ、自分の使いたちを引き連れて(ふたたび地上に)来るが、その時、『ひとりびとりの行いに応じて褒美を与えるのである』から。

●地上王国、地上の平和のために働いてはいけない。「永遠の命」のために働かなくては行けない。それは伝道ではない、説教ではない、聖書勉強でもない。隠れたところで十字架を負うことだ。

マタ   19: 27 [塚本訳

その時、ペテロが口を出してイエスに言った、「でも、わたし達は(あの金持とちがいます。)この通り何もかもすてて、あなたの弟子になりました。わたし達にはいったいなんの褒美があるのでしょうか。」

●キリスト信者の褒美はこの世では頂けない。来世での永遠の命。有体的復活。この世で遊び抜き、最後の審判で悔い改めればそれでもよいか。ノーと聖書は言う。そんな虫のよい話は通じない。

マコ   6: 22 [塚本訳

ヘロデヤの娘が席に出て舞をまい、ヘロデと列座の人々とを喜ばせたのである。王が少女に言った、「ほしいものがあったら言ってみよ。褒美にやろう。」

●ルターは奥さんのカタリーナ(脱走修道女であまり美人ではなかったが信仰が篤かった。ドイツで彼女の銅像を見たがお世辞にも美人とは言えない)のことを、「悪魔がドイツ国半分やると言ってもカrタリーナを渡すわけにはいかない」と言った。「賢き妻は主より賜る」。さすが宗教改革の祖。

マコ   9: 41 [塚本訳

キリストの弟子だからとてあなた達に一杯の水を飲ませる者は、アーメン、わたしは言う、(天にて)その褒美にもれることはない。

●「キリストの弟子だから」と言うところがポイント。「キリストの弟子だから」嫌いだと言う人は地獄の業火で焼かれる。そういう人がいるものだ。かわいそう。

ルカ   6: 23 [塚本訳

その日には躍りあがって喜びなさい、どっさり褒美が、天であなた達を待っているのだから。あの人達の先祖も、同じことを預言者たちにしたのである。

●「躍りあがって喜」ぶほどにならないのは「その日」に対する信仰が薄いから。自戒である。

ルカ   6: 35 [塚本訳

しかし、あなた達は敵を愛せよ、親切をせよ、何も当てにせずに貸しなさい。そうすれば褒美をどっさりいただき、かつ、いと高きお方の子となるであろう。いと高きお方は恩知らずや悪人にも、憐れみ深くあられるのだから。

●「恩知らずや悪人」に対する態度。難しい。これができないのだ。神よ赦し給え。

ルカ   16: 14 [塚本訳

金の好きなパリサイ人の人々は一部始終を聞いて、イエスを鼻で笑った。(富は信仰の褒美と考えていたのである。)

●クリスチャンも、教勢の大きさ、集会の大きさ、雑誌の購読者数の数で「信仰の深さ、水準」を判断しようとする。半分は当たっているが半分は間違っている。間違っているのはこの世の人が大企業、高学歴、大金持ち、イケメンに群がる心理と同じだから。

ルカ   17: 10 [塚本訳

そのようにあなた達も、(神に)命じられたことを皆なしとげた時、『われわれは役に立たない僕だ、せねばならぬことをしたまでだ。(褒美をいただく資格はない)』と言え。」

●「私は生きている時にこういうことをしてまいりました」という人は99%、神に嫌われる。

Ⅰコリ  3: 8 [塚本訳

植える者と水をやる者とは一つ(のことをするの)であり、ただ(働きが違うから、)めいめいが自分の骨折りに応じて、自分の褒美を受けるのである。

●主にある「骨折り」は人の目に隠れる。

Ⅰコリ  3: 14 [塚本訳

その(土台の)上に建てたある人の仕事がそのままのこれば、褒美を受け、

● どんな建物が神に喜ばれるか。喜ばれないのはキリストの冠をつけた建物。教会。これは勤め先も同じ。キリストの冠のついた企業、職場、学校は神から遠い。

Ⅰコリ  9: 18 [塚本訳

では、わたしの褒美とはいったい何であるか。それは、わたしが福音を伝えるとき、無報酬で福音を提供し、福音にあってもつわたしの権利を利用しないことである。

●真の福音伝道は無報酬。無報酬の方が力がある。教会長老の顔色をうかがわないから。無教会の伝道者に力がある秘密はここにある。

ピリ   3: 14 [塚本訳

(或る)目標に向かって、すなわち神がキリスト・イエスにおいて天上に招き給う褒美に向かって(ひた走りに)走っているのである。

パウロの念頭には終末のみがあった。

Ⅱテモ  1: 18 [塚本訳

(──その褒美に)主がかの日、主の所で彼に憐憫を見出さしめ給わんことを!──また彼がエペソで私にしてくれたことは何でも皆、君が一番よく知っている。

●「かの日」である。

Ⅱテモ  2: 6 [塚本訳

苦労する農夫がまず収穫(の分け前)に与るのは当然である。(褒美を得ようとする者は、そのことに全力を尽くさねばならぬ。)

●キリスト教の報酬観念は、ボランティア精神ではない。ただ受け取る先が人間からではなく神から。

●「WEB黒崎」黙示録辞解校閲をパソコンに反映。明日はいよいよ最後の最後で黙示録要義の校閲をパソコンに反映。明日で第一期工事の私の作業は終了。千秋楽。「WEB黒崎」は5~10年はかかると思っていたのが2年弱で完成。神の祝福が降った証拠。●風邪気味なので早寝をすることにする。明日のため。

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悲しむ者はなぜ幸いか ++++++++ 所感

2009/12/28 10:16

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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091228(月)5時半起床●TSK日本語化、マルコ6:27-29●「WEB黒崎」の第一期工事が完了、シドニーの大島マネジャーと協働者の湯浅鉄郎氏に次のようなメールを送った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
両兄

「これで全書巻の工事中がなくなりました。」とのご報告。
完成、感謝。神に栄光あれ。
建築の上棟式、竣工式の喜びです。肩の荷がおりました。
2009年12月28日の(第一期)完成は誰の頭にも思い浮かばなかったことです。
まさに「思いに優る」ことが実現しました。これ一つをとってもこのプロジェクトには神の祝福があったことの証明です。

第二期工事に改善は「読者のニーズ、意見」を多く取り入れることが大切と思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●6:30 公園でラジオ体操、遅刻魔の私のために場所を空けておいてくれるようになった●朝の黙想。「悲しむ者はなぜ幸いか」。
●この世的な人間的慰めは多くの人が語っている。しかしそれは「死人の葬式は死人に任せよ」

塚本訳 マタ 8:21-22
8:21 またほかの一人の弟子が言った、「主よ、(お共をする)その前に、父の葬式をしに行かせてください。」
8:22 イエスはその人に言われる、「(今すぐ)わたしについて来なさい。死んだ者の葬式は、死んだ者にまかせよ。」

●では聖書的な答えとは何か。

塚本訳  マタ 5:4
5:4 幸福なるかな、悲しむ者。その人は慰められん。


塚本訳 マタ 5:4
5:4 ああ幸いだ、『悲しんでいる人たち、』、(かの日に)『慰めていただく』のはその人たちだから。

●文語訳ではいつどのようにであるかが分からない。神によって慰められることは聖書に書いてあるから自明だが、問題はそれは具体的にいつどのようにしてなのか。塚本訳に敷衍(かの日に)が千金の重みである。この世での慰めは死とともに亡くなる。そうではない。「かの日」、つまり終末の時に真に「慰められる」のである。それは「黙示録」である。●イエスの言葉には「終末」が念頭にある。生き返らせられたラザロは寿命がきて死んだはずだ。肉体の様々な病気を癒された人も寿命で死ぬ。●真の慰めは「永遠の命」。それも概念ではない。霊魂不滅概念ではない。霊の有体的復活である。それを頂いて初めて人間は涙が拭われる。●貧困、病、争い(宗教へ走る三大欲求)がなくなっても神との命の交わりなくして真の喜びはない。霊の有体的復活なくして真の「慰め」はない。

●昨日認知症の方をお見舞いして「認知症」のことで頭が一杯。癌で死ぬことの方が早くて(!)スッキリきれいに逝ける。認知症になると、家族に大迷惑をかける。多くの場合、家庭崩壊にもつながる。●神はなぜ「認知症」(有吉佐和子の「恍惚の人」以来社会的関心が高まった。)を創ったのか●この大問題も私としては「聖書的」に捕える使命がある。「認知症」もこれ神の備えたもうもの。何か意味があるはずだ。これから探究する課題。

●SJさんから紹介された森幹郎著「老いと死を考える」の認知症の部分を読む。森幹郎氏は無教会のクリスチャン(政池仁先生に聖書を学ぶ)。●癌の終末期医療、緩和ケア。ホスピスなどはキリスト教徒たちがいわゆる「先端技術者」である。「認知症」問題こそキリスト教徒の出番である。なぜか。「認知症」は神の備えた意味あることだと直感するからだ。 ●人間は等しく必ず「死ぬ」が癌になるか認知症になることも「必然」に近い。この悲しいことを聖書的にどう捉えるか。●解決のヒント。手がかり。

文語訳 マタ 16:26
16:26 人、全世界を贏くとも、己が生命を損せば、何の益あらん、又その生命の代に何を與へんや。


塚本訳 マタ 16:26
16:26 たとい全世界をもうけても、命を損するならば、その人は何を得するのだろう。それとも、人は(一度失った永遠の)命を受けもどす代価として、何か(神に)渡すことができるのだろうか。

●「認知症」で頭が一杯になっていた昨日、図書館で若い人が盛んに勉強(受験?)しているのを見て、多くの知識を記憶しても老人になって「認知症」にでもなれば、それらはすっかり頭から失われる。その時ひらめいたのが上記マタイ16:26.つまり全世界のことを知る知識を記憶しても「命のたし」にはならない。●同じく、死ぬまで認知症にならないで突然に死ぬピンコロ死(ピンピンしていてコロッと死ぬこと)や「大往生」が理想かというと、そうでもない。そえrはあまりに意味のない淋しい人生観だ。●「永遠の命」をゲットするのが最高の人生目標だ。●そうだ。それをゲットするできるのは「悲しむ」人なのだ。「幸いなるかな悲しむ者」とはこの観点から理解できる。●「認知症の恐怖」は人をして真の人生目的は何かを考えさせる働きをする。それは特に家族である。本人はいたって平安。「認知症」の本人はニコニコしているばかりだ。

 




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衣を賈りて劍を買へ ++++++++ 所感

2009/12/27 09:55

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091227(日)4時50分目覚め●朝の「衣を賈りて劍を買へ」●TSK日本語化、マルコ6:24-26●6:30公園でラジオ体操●今朝の啓示である「衣を賈りて劍を買へ」(ルカ22:36)について探究。黒崎註解、塚本聖書知識、新約知識で勉強。

文語訳 ルカ 22:36
22:36 イエス言ひ給ふ『されど今は財布ある者は之を取れ、嚢ある者も然すべし。また劍なき者は衣を賣りて劍を買へ


塚本訳 ルカ 22:36
22:36 彼らに言われた、「しかし今は(もうそれではいけない。)財布を持っている者は持ってゆけ。旅行袋も同様。剣を持たない者は、(もし金がなかったら、)上着を売ってでも買いなさい。

●その結論は次の通り。私の解釈。読み。

●これは最後の晩餐の場面。時が迫った(ローマ兵が間もなく来る)から心して臨戦態勢の心の準備をせよと言うために「絵言葉」で「剣」と言ったのである。

「捕縛されることを覚悟せよ」との戦陣訓である。もうジタバタするな。神の御心を遂行するための「覚悟」をせよ。死ぬ覚悟をせよとのこと。「メメントモリ(死を思え)」である。

●剣とは「御霊の剣」のことではない。平和の議論や無抵抗主義の議論はするな。神の御心を遂行するために「死を覚悟せよ」。我が国の譬で言えば「気を引き締めよ」「ふんどしを締め直せ」「襟を正せ」「背筋をまっすぐにせよ」ということである。

●クリスチャンの人生訓。人生は長いようで短い。終末は間もなくだ。人生の死期も間もなくだ。(私の場合も少ない)遊んでいるな。武士が剣を構えるあの姿勢になれ。

●この箇所を理解する最強の註解および引照は次である。ここに「剣」という言葉がある、「絵言葉」である。


塚本訳 マタ 10:34-36
10:34 地上に平和をもたらすためにわたしが来た、などと考えてはならない。平和ではない、剣を、(戦いを)もたらすために来たのである。
10:35 わたしは子を『その父と、娘を母と、嫁を姑と』仲違いさせるために来たのだから。
10:36 『家族が自分の敵となろう。』

●クリスチャンは信仰に熱心になればなるほど「この世」に対して「剣」を持つような構えの姿勢になってしまう。だから不信仰者から恐れられ、嫌われ、反目され、遠ざけられ、逃げられる。これ宿命。悲しい、淋しい。

●「誰が私をこんな変な男にした!!」。いいさ、いいさ、終末の時に分かる。

●10:00 妻と二人で家庭礼拝。讃美歌、二人で祈り。昨日と今日のブログの聖書箇所を読んで私が感想。

●15:30 あきる台病院に妻と二人でKHさんを見舞う。認知症になられ、私のことも妻のことも分からなくなられた。暗然となった。認知症になると人の顔も聖書も神もキリストも分からなくなり、祈ることもできなくなるのか。妻は常日頃から「自分が認知症になるのは決定的だ」と言って私を悲しませる。この私自身はアト10年の命。●15:50 湯浅兄と電話で信仰の交わり。イエスが肉体を取ってこられたこと。イエスには3年という「余命」の意識があったことなど。あだたら聖書集会は今日がクリスマス。三男のK一家4人が揃って出席したという。感謝。

 

 


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霊とは何か ++++++++ 所感

2009/12/26 14:57

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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091226(土)5時30分起床●TSK日本語化●6:30公園でラジオ体操。遅刻魔で有名になった●朝の黙想「霊とは何か」

●聖書もキリスト教もその根本は「霊」である。霊によらなければ聖書も神も救いも全く完全にわからない。ここが難しいところ。霊は元素記号で説明出来ない。大脳皮質ではわからない。

塚本訳 Ⅰコリ2:14
2:14 しかし(御霊を持たない)生まれながらの人間は、神の霊から出てくることを受け入れない。彼にはそれが馬鹿なことなのである。またそれを理解することも出来ない。(霊のことは)霊的に判断されねばならないからである。

塚本訳 ヨハ 3:5
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。

●処女降誕も復活も再臨も終末も霊でなければわからない。然り、教会の本質もわからない。理性ではわからない。ここがむずかしい。

塚本訳 マタ 1:18
1:18 さてイエス・キリストの誕生はこのようであった。──イエスの母マリヤがヨセフと婚約の間柄で、まだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重となっていることが知れた。

塚本訳  ロマ 1:3-4
1:3 その御子、すなわち、人間としてはダビデの末から生まれ、
1:4 聖なる霊としては死人の中から復活して力ある神の子と定められた方、わたし達の主イエス・キリストに関するものである。

塚本訳  黙  22:17
22:17 すると御霊と新婦とが(答えて)言う、「来たり給え」と。聞く者も(また)「来たり給え」と言え。渇く者は来い。望む者は無代で生命の水を受けよ。

塚本訳  黙  14:13
14:13 また私は天から声が(こう)言うのを聞いた、「書け、『今から後主にあって死ぬる死人は幸福である。』」御霊も言い給う、「然り、彼らはその労苦を休息む(ことが出来る)であろう。その(為した)業が彼らに随いて行くのであるから!」と。

塚本訳  黙  2:7
2:7 耳を有っている者は、御霊が(全)教会に言い給うことの何であるかを聴け。勝利者には、神の楽園にある生命の樹からその実を食うことを許すであろう。

●ではその「霊」とは何か。「(御霊を持たない)生まれながらの人間」(Ⅰコリ2:14)に何と言って説明すればよいのか。「霊とは何か」を神学的に考察するよりも聖書自身で読んだ方がよい。今Jバイブルで塚本訳により「神」と「霊」が同時に出てくるAND検索機能をかけて心に響くものを掲げる。これを読めば「アーソーカ」となる。「神は霊である」ということがすべてのすべて(ヨハネ4:24)。これ以上の百千の言葉や説明は百害あって一利なし。大脳皮質に訴える人間の言葉では説明しきれない。

検索 神 [塚本訳] 新約
And検索 霊
ヒット数 検索 2064  And  105

ルカ   1: 47 [塚本訳

わたしの霊は、『救い主なる神を喜びたたえる、』

ヨハ   3: 34 [塚本訳

神がお遣わしになった方は神の言葉を話される。神は(その方に)いくらでも霊をお与えになるからである。

ヨハ   4: 24 [塚本訳

神は霊である。だから礼拝者も霊と真理とをもって礼拝せねばならない。」

ヨハ   19: 30 [塚本訳

イエスは酸っぱい葡萄酒を受けると、「(すべて)すんだ」と言って、首を垂れて霊を(神に)渡された。

使    2: 17 [塚本訳

神が仰せられる、──最後の日に、『わたしはすべての人にわたしの霊を注ごう。するとあなた達の息子と娘とは預言し、青年は幻を見、老人は夢をゆめみる。

ロマ   1: 9 [塚本訳

わたしはこの神を霊をもって、すなわち、その御子の福音を伝えることをもって、礼拝しているのであるが、神がわたしの証人として、

ロマ   7: 6 [塚本訳

しかし今は縛られていた律法に対して死に、律法から解かれたので、(律法の)古い文字によらず、(福音の)新しい霊において(神に)仕えるのである。

ロマ   8: 9 [塚本訳

しかしあなた達は肉にある者ではなく、霊にある者である、(すでにキリストを信じて)神の御霊があなた達の中に住んでおられる以上は。しかし(神の御霊すなわち)キリストの霊を持たないなら、その人はキリストのものではない。

ロマ   8: 12 [塚本訳

(こんなに大きな恩恵をいただいているの)だから、兄弟たちよ、わたし達は義務がある。(もちろん)肉に対して、肉的に生きる義務があるのではない。(神に対して、霊によって生きる義務があるのである。)

ロマ   8: 15 [塚本訳

なぜなら、あなた達が(神から)戴いた霊は、(あなた達を)もう一度(律法の支配の下に置いて)びくびくさせる奴隷の霊でなく、(神の)子の霊である。(その証拠には、)わたし達は(祈るとき、)その霊によって「アバ(お父様)、お父様」と大声で呼ぶではないか。

ロマ   8: 16 [塚本訳

御霊自身が、今すでにわたし達が神の子供であることを、わたし達の霊に保証してくださるのである。

ロマ   12: 1 [塚本訳

(このように、神は偉大な計画によって人類を一人のこらず救おうとしておられるのであって、救いは確かである。)だから、兄弟たちよ、わたしは神のこの慈悲を指してあなた達に勧める。あなた達の体を(感謝のしるしとして神に)捧げよ。この生きた聖なる犠牲こそ、神のお気に入るものであり、(霊なる神を拝むにふさわしい、)あなた達の霊的な礼拝である。(あなた達の礼拝は動物を供えるような不合理なものでなく、全心全霊をささげる合理的な礼拝でなければならならない)

ロマ   12: 11 [塚本訳

熱心で倦まず、(神の)霊に燃え、主に仕えよ。

Ⅰコリ  2: 4 [塚本訳

そしてわたしの話も説教も、人を感服させる知恵の言葉によらずに、(神の)霊と力との(直接の)立証によった。

Ⅰコリ  2: 11 [塚本訳

なぜなら、(たとえば)人間のことも、その人間の中にある霊のほかに、いったいだれがわかっていよう。そのように神のことも、神の霊のほかに、わかった方はいままでなかった。

Ⅰコリ  2: 12 [塚本訳

しかしわたし達はこの世の霊でなく、神から来るその霊を戴いた。それは、神から恩恵として賜わったもの(の何であるか)が、わかるためである。

Ⅰコリ  3: 16 [塚本訳

(とにかく、)あなたは達は神のお宮であり、神の霊があなた達の中に住んでいてくださることを、あなた達は知らないのか。

Ⅰコリ  6: 11 [塚本訳

そして(かっては)あなた達も幾人かは、こうした者であった。しかしもはや(洗礼を受けて汚れを)洗っていただいたのであり、聖別されたのであり、義とされたのである、主キリストの名によって、またわたし達の神の霊によって。

Ⅰコリ  7: 40 [塚本訳

しかしもしそのままにしておれば、より仕合わせである。これはわたしの意見であるが、わたしも神の霊をいただいていると思う。

Ⅰコリ  12: 3 [塚本訳

だから(霊の見分け方について、)あなた達に次のことを知らせる、神の霊に感じて語る者は、だれも 呪われよ、イエス!とは言わない、また聖霊に感じてでなければ、だれも、イエスは主と言うことは出来ない。

Ⅰコリ  12: 4 [塚本訳

ところで、(神の霊の賜物は同じものではない。しかし)賜物はいろいろあるが、同じ御霊(の働き)である。

Ⅰコリ  14: 16 [塚本訳

そうでないと、もしあなたが霊(言)で(神を)讃美(し感謝)するならば、(集会で)初心者の席を占める者は、あなたの感謝の祈りに対してどうしてアーメンを言うことができようか。あなたがなんと言っているのかわからないのだから。

Ⅰコリ  14: 33 [塚本訳

(その霊をお与えになった)神は無秩序の神でなく、平和の神だからである。聖徒の集会全体での(習わしの)ように、

Ⅱコリ  3: 3 [塚本訳

(実際)あなた達はわたし達によって配達されたキリストの手紙であって、インキでなく生ける神の霊で、また、(モーセ律法とは違い)『石の板』にではなく『人の心の板』に書かれていることが、知れ渡っているのである。

Ⅱコリ  3: 6 [塚本訳

神はわたし達に、新しい契約のための世話役、(すなわち古い契約にある律法の)文字のためではなく、(神の)霊のための世話役たる能力をお与えになったのである。文字は殺すが、霊は命を与えるからである。

Ⅱコリ  10: 4 [塚本訳

なぜなら、わたし達の戦いの武器は人間的のものではなく、(霊の武器であり、)神のために(あくまで)強力であって、(福音の邪魔をするすべての)砦を打ち破るからである。わたし達は(すべての)詭弁と、

ガラ   4: 6 [塚本訳

しかしあなた達が(いまや神の)子であることは、神がわたし達の心に、「アバ[お父様]、お父様」と呼ぶ御子の霊をお遣わしになったことによって(、知り得るの)である。

ガラ   4: 9 [塚本訳

しかし今あなた達は神を知っている、いや、むしろ神に知られているのに、どうしてもう一度無力な、貧弱なあの元素の霊(の崇拝)に戻るのか。(どうして)もう一度あらためて(その奴隷として)仕えようと思うのか。

ガラ   6: 8 [塚本訳

というのは、肉に蒔く者は肉から滅亡を刈取り、霊に蒔く者は(最後の日に神の)霊から永遠の命を刈取るであろう。

エペ   1: 3 [塚本訳

賛美すべきかな、天上におけるあらん限りの霊の祝福をもって私達をキリストにあって祝福し給うわれらの主キリスト・イエスの父なる神!

エペ   1: 17 [塚本訳

われらの主イエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と黙示との霊を君達に与えて神の知識に至らせ給わんこと、

エペ   2: 18 [塚本訳

というのは、(今)私達二つの者が、(イスラエル人も異教人も、)一つの霊で父(なる神)に近づくことが出来るのは彼によるのであるからである。

エペ   2: 22 [塚本訳

君達も彼において一緒に建て合わされ、神の霊の御住居となるのである。

エペ   4: 4 [塚本訳

(すなわち)一つの体、一つの霊──君達が(神に)召されたその召しもまた同じく一つの希望に至らんためである。

ピリ   3: 3 [塚本訳

(割礼は無いが、)私達こそ本当の割礼者である。(その証拠には、)私達は神の霊によって神に仕え、(ただ)キリスト・イエスを誇りとし、(決して)肉に、(人間の特権に)頼らないからだ──

コロ   1: 8 [塚本訳

彼はまた君達が(神の)霊による愛を持っていることを私達に明らかにしてくれた。

Ⅱテモ  1: 7 [塚本訳

神が私達に与え給うた恩恵は臆病の霊でなく、能力と愛と節制の霊であるから。

ヤコ   4: 5 [塚本訳

それとも君達は「(神は)私達の中に住ませ給うた霊を嫉みぶかく慕い給う」と聖書が言うのを空なことと思うのか。

Ⅰペテ  2: 5 [塚本訳

そして君達自身も(主と同じく)活きた石として建てられて、霊の家となれ。これは君達が聖い祭司として、イエス・キリストによって神の御意に適う霊の供物を献げるためである。

Ⅰペテ  3: 18 [塚本訳

というのはキリスト(御自身)すら罪の(贖いの)ために、義しい人でありながら義しからぬ人々のために、ただ一度死に給うたのである。これは君達を神に連れ行くためで、彼は肉では殺され給うたが、霊では活かされ、

Ⅰペテ  4: 6 [塚本訳

何故なら、肉体では人間的に(既に罪人として)審かれ(て死んだが、)霊では神に倣って(永遠に)生きるため、(陰府に在る)死者にも(キリストによって)福音が宣べ伝えられたからである。

Ⅰペテ  4: 14 [塚本訳

もし君達がキリストの名において罵られるならば幸福である、(それは、その時)栄光の霊と『神の霊が』君達の上に『留まっている』(証拠である)から。

Ⅱペテ  1: 21 [塚本訳

というのは、預言はかつて人間の意志から出たことがなく、人が聖霊に駆り立てられ神(の霊)によって語ったものである。

Ⅰヨハ  1: 3 [塚本訳

わたし達が見たもの、また聞いたものを、あなた達にも告げる。あなた達もわたし達と(霊の)交わりを持つためである。しかしわたし達のこの交わりは、(他方においては)父(なる神)とその子イエス・キリストとの交わりである。

Ⅰヨハ  3: 9 [塚本訳

すべて神(の力)によって生まれた者は罪を犯さない。神の(霊の)種がその人に留っているからである。彼は神(の力)によって生まれた(者である)から、罪を犯すことが出来ない。

Ⅰヨハ  4: 1 [塚本訳

愛する者たちよ、(今わたしは神の霊と言ったが、)どの霊をも信じないで、(まず)それらの霊が神から出たのかどうかを吟味しなさい。というのは、多くの偽預言者が(キリストの集会をはなれたこの)世に出てきているからである。

Ⅰヨハ  4: 2 [塚本訳

(しかしこれを吟味することは難しくない。)あなた達はこのことで神の霊を知るのである。──どんな霊でも、イエス・キリストは肉体で(この世に)来られた(神の子である)ことを公然認めるものは、神から(出たの)であり、

Ⅰヨハ  4: 3 [塚本訳

どんな霊でも、イエス(が肉体を取られた神の子であること)を公然認めないものは、神から(出たの)ではない。それは反キリストの霊である。それが来ることを、あなた達は(かねがね)聞いていたのであり、今やすでに、それがこの世におるのである。

Ⅰヨハ  4: 6 [塚本訳

わたし達は神から(出たの)である。(だから)神を知っている者はわたし達の言うことを聞くが、神から出たのでない(この世の)者は、わたし達の言うことを聞かない。このことで、真理の霊と迷いの霊(との区別)をわたし達は知るのである。

Ⅰヨハ  4: 13 [塚本訳

わたし達が神に留っており、彼もわたし達に留っておられることは、彼がその霊をわたし達に分けてくださったそのことで、わかるのである。

黙    3: 1 [塚本訳

また、サルデス教会の御使いに(手紙を)書け、神の七つの霊と、七つの星とを持つ者がこう言うと──私はお前の業を知っている。活きているという(えらい)評判はあるが、お前は死んでいる。

黙    4: 5 [塚本訳

そして玉座からは、電光と、(鳴り轟く雷の)声と、雷霆とが(絶えず)出ている。そして神の七つの霊である七つの炬火が、(その)玉座の前に燃えている。

黙    21: 10 [塚本訳

そして霊にて私を大きな高い山の上に連れて行き、聖なる都エルサレムが神の栄光をもって天から、神(の御許)から降って来るのを私に示した。

黙    22: 6 [塚本訳

彼が私に言うた、「(凡て)これらの言は信ずべくまた真実である。預言者達の霊の主なる神がその使いを遣わして、(必ず)直に起こるべき(これらの)ことをその僕達に示し給うたのである。」

●12:30 NHKTV「立花隆、がん・生と死の謎に挑む」アンコール放送の二回目。これで通算3回見た。傑作。長編のノーカット版が27、28、29日の21:10から三夜連続で放映される。また見なければならない。

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終末の喜び ++++++++ 所感

2009/12/25 08:14

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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091225(金)クリスマス●4時50分起床●TSK日本語化●6:30公園でラジオ体操。まだ暗いが2-30人程度集まる。●朝の黙想「万物完成の嬉し泣き」「終末の喜び」●昨日は「WEB黒崎」ヨハネ黙示録21章の引照を入力しつつ5回「嬉し泣き」した。(その箇所と理由は昨日のブログ)。今日は「終末の喜び」を書く。

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●人間にとって死は眠り。眠りから呼び覚まされる喜び。期待、希望の喜び。
●キリスト再臨の時は万人が墓から呼び起される。不信者も呼び出される喜び。
●最後の審判で、全員が神の裁きの座に立つ。不信者もそこで「救いの道」を聴かされる。そのチャンスある喜び。
 神もキリストも信じられないで逝った母にもチャンスがある希望の喜び。
●最後の救いは「命の書」に書かれているかどうか。それがどう書かれているかはわからない。
●意外な人の名前があるかもしれない。その期待の喜び。ダメだと思っていた人が逆転するかもしれない喜び。
●「神も聖霊も冒涜」して、最後の審判での救いの手(義の衣を貸してくれるという)を拒否する人間が永遠の滅亡になることの「義の喜び」。神の怒りがある喜び。神の怒りは救わんとするためにある。
 
●有体的霊の体なる「永遠の命」を頂ける喜び。
●不治の病。重い精神病者も完全な体になれる喜び。 直る!。
●新しく生まれ変われるので罪汚れの過去が消される喜び。 新しい自分になる。
●地上の過去の履歴(血統、親族、学歴、離婚歴、職歴、住所)は問われない喜び。
●まずい血統とは縁切りになり、神を真の父とする主にある真の家族を頂ける喜び。
●「ホザンナ」「ハレルヤ」という天国の天使達の大合唱の音楽が聴ける喜び。
●「天の都」という大建築が見られる喜び。
●会いたい人に会える喜び。
●神キリストを冒涜する人がいない喜び

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●来世での喜びは地上で前味として感じられるからうれしい。ただしこの世的な教会や無教会集会では味わえない。

●内村鑑三は臨終の時に、「宇宙の完成を祈る」と言った。内村は終末の喜びを期待したのだ。

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クリスマスの日の夕方の空。讃美歌101番、「いずこのいえにも」を思う。

マルチンルターの作詞作曲。1535年。古い讃美歌だ。

1・いずこの家にも  めでたき音ずれ

  伝うるためとて 天(あめ)よりくだりぬ

3・神なるイェスこそ 罪とがきよむる

  きずなき小羊 救いの君なれ

●18:30 「WEB黒崎」黙示録22章の引照入力終了。これで新約全27巻の引照入力が全部終了した。健康が守られ、パソコンが故障しなくて感謝。「WEB黒崎」起案から約2年、大島智夫先生の批評によれば「WEB黒崎」は「気の遠くなるような作業、日本の無教会史に残る大事業、現代の奇蹟」であった。(海老名通信180号P6)●夕食時引照入力完成の感謝を祈った時は声が詰まった。

 

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堕落しているクリスマスイブ ++++++++ 所感

2009/12/24 10:28

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091224(木)5時50分起床●TSK日本語化●6:30公園でラジオ体操●三男Kの作った「有機米」を食べたKさんから「とても美味しかった、手紙やメールでは済まない」と言って喜びのお電話を頂いた。労働の報酬は「感謝のお礼の気持ち」。感謝してくださる人の顔が見えなくなったとき労働は苦痛になる。現代の労働問題の「根」はそこにある。●有機農業は非能率非効率(おそらく75%)であって収入は少ないが、喜びは倍。効率化で濡れ手に泡で儲ける商売は財布は熱くなるが心は冷えている。心に隙間風が吹いている。労働の喜びというものが全くない。「人間性」を失っている。金の顔は見えても人の顔は見えてない●労働の真の報酬とは何かを教えて下ったそのKSさんに次のようなメールを送った。内容は労働と報酬の本質にかかわるものなのであえて公開する。

(KSさんへの手紙)
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K様

おいしく頂いてくださって感謝です。私はここ10年、ご飯は茶碗一杯ですがKSさんのお電話で二杯目を食べた感じです。
息子が褒められるというのは親として嬉しいものです。人間が「子なるイエス」を誉める(称える)と親である「父なる神」が喜ぶのに似ていると思います。
親馬鹿ですが三男のKが経営している(と言っても一人)「ちたた農園」のホームページをご紹介します。
http://chitata.com/
子供たちがエクレシアの皆さまの「主にある愛」で育てられていることを深く思い、神に感謝します。
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(KSさんへの手紙)おわり。

●今日はクリスマスイブだが、街も男女関係もこの時とばかりに堕落する。新約聖書「黙示録」の著者が堕落したローマのことを「大淫婦」と言って嘆いている。●「クリスマス」がなぜこうも堕落するようになったか、教会自身が「聖夜」でなく歌や踊りで遊んで「さわがしい夜」にしているからだ。むなしい喜びだ。教会のその騒ぎで心は満たされない。「楽しかった」と同時に何となく空しい感じが襲う。裁きは「神の家から始まる」

●東京は堕落したローマと同じくバビロン。黙示録の著者の嘆きを書く。

新共同 黙  17:1
17:1 さて、七つの鉢を持つ七人の天使の一人が来て、わたしに語りかけた。「ここへ来なさい。多くの水の上に座っている大淫婦に対する裁きを見せよう。

新共同 黙  18:2-3
18:2 天使は力強い声で叫んだ。「倒れた。大バビロンが倒れた。そして、そこは悪霊どもの住みか、/あらゆる汚れた霊の巣窟、/あらゆる汚れた鳥の巣窟、/あらゆる汚れた忌まわしい獣の巣窟となった。
18:3 すべての国の民は、/怒りを招く彼女のみだらな行いのぶどう酒を飲み、/地上の王たちは、彼女とみだらなことをし、/地上の商人たちは、/彼女の豪勢なぜいたくによって/富を築いたからである。」

新共同 黙  18:4-5
18:4 わたしはまた、天から別の声がこう言うのを聞いた。「わたしの民よ、彼女から離れ去れ。その罪に加わったり、/その災いに巻き込まれたりしないようにせよ。
18:5 彼女の罪は積み重なって天にまで届き、/神はその不義を覚えておられるからである

新共同 黙  18:8-9
18:8 それゆえ、一日のうちに、さまざまの災いが、/死と悲しみと飢えとが彼女を襲う。また、彼女は火で焼かれる。彼女を裁く神は、/力ある主だからである。」
18:9 彼女とみだらなことをし、ぜいたくに暮らした地上の王たちは、彼女が焼かれる煙を見て、そのために泣き悲しみ、

新共同 黙  18:11-12
18:11 地上の商人たちは、彼女のために泣き悲しむ。もはやだれも彼らの商品を買う者がないからである。
18:12 その商品とは、金、銀、宝石、真珠、麻の布、紫の布、絹地、赤い布、あらゆる香ばしい木と象牙細工、そして、高価な木材や、青銅、鉄、大理石などでできたあらゆる器、

新共同 黙  18:15-17
18:15 このような商品を扱って、彼女から富を得ていた商人たちは、彼女の苦しみを見て恐れ、遠くに立って、泣き悲しんで、
18:16 こう言う。「不幸だ、不幸だ、大いなる都、/麻の布、また、紫の布や赤い布をまとい、/金と宝石と真珠の飾りを着けた都。
18:17 あれほどの富が、ひとときの間に、/みな荒れ果ててしまうとは。」また、すべての船長、沿岸を航海するすべての者、船乗りたち、海で働いているすべての者たちは、遠くに立ち、

新共同 黙  18:18
18:18 彼女が焼かれる煙を見て、「これほど大きい都がほかにあっただろうか」と叫んだ。

新共同 黙  19:1-3
19:1 その後、わたしは、大群衆の大声のようなものが、天でこう言うのを聞いた。「ハレルヤ。救いと栄光と力とは、わたしたちの神のもの。
19:2 その裁きは真実で正しいからである。みだらな行いで/地上を堕落させたあの大淫婦を裁き、/御自分の僕たちの流した血の復讐を、/彼女になさったからである。」
19:3 また、こうも言った。「ハレルヤ。大淫婦が焼かれる煙は、世々限りなく立ち上る。

●このように堕落した暗いローマにさわやかな清い一陣の風が吹いた。それがキリスト教徒の群れ。この一陣の風に人々は力を取り戻しキリスト教が急速にローマ帝国に広まったとヒルティはいう。●人間は本来汚れと暗さを嫌ったからである。

●18:20 妻と二人だけのクリスマスイブ。「聖夜」。はじめに愛唱讃美歌111番「アデスデフィデレス。神のみ子はこよいしも」を歌う。これは古くからある讃美歌。次にそれぞれが祈りを献げる。今までと本年の旅路の無事を感謝。アルコール分の少ないシャンパン。豆腐の鍋物は暖かくておいしかった。

●「WEB黒崎」は黙示録21章の引照。シドニーのマネジャーと福島の協働者への送り状は次の通り。

(送り状感想文。一部分)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

両兄へ

本日、クリスマスイブに黙示録21章をやりつつ、5回嬉し泣きをいたしました。次のところです。
 
新共同 黙  21:1
21:1 わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。
 
新共同 黙  21:4
21:4 彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」
 
新共同 黙  21:5
21:5 すると、玉座に座っておられる方が、「見よ、わたしは万物を新しくする」と言い、また、「書き記せ。これらの言葉は信頼でき、また真実である」と言われた。
 
新共同 黙  21:6
21:6 また、わたしに言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう。
 
新共同 黙  21:23
21:23 この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明かりだからである。
 
●なぜ「嬉し泣き」したかと言いますと、この人生の解決不可能な深い悩みは終末の時にすべて氷解するのではないのか、その希望が湧いたのです。●昼のニュースで、熊本の病院が「赤ちゃんボックス」を作って捨てられた子供を引き受けることにしたところ2年半でナント51人もの赤ちゃんが捨てられたことが報道されました。その子供は一生父も母も分からずに人生を歩みます。この深い悩みの子供には地上のいかなる人間的慰めも効き目がありません。ただ、ただ終末、新天新地の出現のみがこの不条理を納得させるのではないか。新天新地が現れることにより、その捨てられた人は「自分を捨てた両親を赦せる」ようになるのです。自分の汚れた血がキリストの宝血に入れ替えられ、血肉の関係を離れて全く新しい神の子になったとき、自分を捨てた両親を赦せるのです。それは終末です。●この「嬉し泣き」はパウロの「被造物の呻き」とその悩みからの救いの希望と一致します。これはY兄の言われる通りです。
 
 
新共同 ロマ 8:20-23
8:20 被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。
8:21 つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。
8:22 被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。
8:23 被造物だけでなく、"霊"の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。
 
新共同 ロマ 8:11
8:11 もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。
 
●「WEB黒崎」の最後に「黙示録」をやって、新約聖書はこれ黙示録から全部解けるのではないかとさえ思うようになりました。イエスの言動はことごとく「終末」が前提、パウロの言葉も終末意識を前提にしてみると分かりそうな気がします。
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(送り状感想文 終わり)
 
 
 
 
 

 


 


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ラスキン著「芸術経済論」 ++++++++ 所感

2009/12/23 10:13

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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091223(水)6時半起床●TSK日本語化●昨日(0912222)のこと14:50から昭和女子大で建築の講義。ラスキンの「建築の七燈」と「芸術経済論」を紹介。ラスキンは「芸術と経済を融合調和させる人間にならなければならないとして旧約聖書の箴言31章15,22、25節の箇所を良い事例として引用しているが、『みんなもこのユダヤ人が理想とする婦人にならなければならない』とその旧約聖書の箇所を読んで解説した。

口語訳 箴  31:15
31:15 彼女はまだ夜のあけぬうちに起きて、その家の者の食べ物を備え、その女たちに日用の分を与える。

口語訳 箴  31:22
31:22 彼女は自分のために美しいしとねを作り、亜麻布と紫布とをもってその着物とする。

口語訳 箴  31:25
31:25 力と気品とは彼女の着物である、そして後の日を笑っている。

●とても気持ちよく講義ができた。私語がなくて結構な大学だが、鏡で自分の顔を芸術(化粧)している人がいるのをラスキンが知ったら苦笑するかもしれない。●「毎年期末に我が家(材料は木と漆喰と紙と竹)の見学会を開くので自由に来なさい」と言うと「(家もですが)先生の奥様に会いに行きたい」と言われた。ギョッ!。私の講義を聞きながらそういうことを考えていたのか。

●「WEB黒崎」黙示録20章の引照を入力したので、送信。その感想文は次の通り。

(感想文)

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感想。
●人間は死後に必ず神の裁きの前に立つことは聖書で明快です。これは万人が死後の裁きというものを「漠」と感じじていることにも関係します。
 
新共同 黙  20:12
20:12 わたしはまた、死者たちが、大きな者も小さな者も、玉座の前に立っているのを見た。幾つかの書物が開かれたが、もう一つの書物も開かれた。それは命の書である。死者たちは、これらの書物に書かれていることに基づき、彼らの行いに応じて裁かれた。
 
新共同 ヨハ 5:28-29
5:28 驚いてはならない。時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の子の声を聞き、
5:29 善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来るのだ。
 
新共同 ヘブ 9:27
9:27 また、人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように、
 
●問題はその裁きは何のためにあるのかというと、結局は神がすべての人を救おうとするためではないかと思います。万人が「裁きの座」に引き出されるというのは救いです。
そこで神が万人に対面する機会を設けてくださるからです。私の母はついに神もキリストも信じられないで亡くなりましたが、終末には墓から呼び出されて「審判の座」につかされる。これは私の救いです。私の祈りが足りなくて母は信ずるに至りませんでしたが、最後の審判では神が直接対面して下さる。そして救いのチャンスを与えてくださる。その根拠を次に読みます。
 
新共同 マタ 11:2-6
11:2 ヨハネは牢の中で、キリストのなさったことを聞いた。そこで、自分の弟子たちを送って、
11:3 尋ねさせた。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」
11:4 イエスはお答えになった。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。
11:5 目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている
11:6 わたしにつまずかない人は幸いである。」
 
●ここの神の国到来の徴を言っている「貧しい人は福音を告げ知らされている」という部分です。最後の日には万人が墓から(無理に)引きずりだされて福音を聞かされる。それは神によってですから私のような拙い説き方ではないのでかたくなな人間も心を開いて信じるようになる。そのことに期待します。
●あと二か所根拠があります。
 
新共同 ヨハ 3:17
3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。
 
新共同 ヨハ 12:47
12:47 わたしの言葉を聞いて、それを守らない者がいても、わたしはその者を裁かない。わたしは、世を裁くためではなく、世を救うために来たからである。
 
●つまり神は根本的には「世を救おう」とされておられる。ですから最後の審判は裁きが目的ではなく救いが目的ではないのか。けれども慈悲だけではない神は「永久の裁き」「第二の死」を実行される「恐ろしいお方」。十字架の罪の贖いは実はこの恐ろしい「永久の死」からの救いです。ここに十字架の真のありがたさがあると解します。神の恐ろしさは次です。
 
新共同 黙  20:15
20:15 その名が命の書に記されていない者は、火の池に投げ込まれた。
 
新共同 黙  20:10
20:10 そして彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄の池に投げ込まれた。そこにはあの獣と偽預言者がいる。そして、この者どもは昼も夜も世々限りなく責めさいなまれる。
 
●裁きの法廷で福音を受け入れない者は神の最終判断が下される。神が「貸す」という礼服(無条件の罪の赦し)を素直に受けないからです。
 
新共同 マタ 22:10-14
22:10 そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった。
22:11 王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。
22:12 王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』と言った。この者が黙っていると、
22:13 王は側近の者たちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』
22:14 招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」
 
●以上のようなわけで、救いを受け入れなった母も、また親類縁者で神もキリストも信じないで死んだ者も、最後の日には神が対面して、「礼服」を貸してくださる。
その時に母は素直に借りるという行動に出てほしいと祈るばかりです。
●黒崎幸吉先生は「万人救済説」に立たれておられます(各所)、しかしそれは機械的な「教義」ではなく、あくまで神の「お心」でそれが決められるのだと言っておられます。次は黙示20章15節の要義です。
 
要義3[如何なる人が生命の書に録さるるや]これは全く我らの憶測によりて決定することができない。しかしながらもしある想像が許さるるならば釈迦、孔子、ソクラテスその他有名無名の聖賢や、また終始真実と正直とをもって立派な生涯を送った多くの無名の士らにして未だ福音に接せざる人々などもこの中に在るのではないかと思う。神は彼らの名を生命の書に、彼の行為を行為の書に録して彼らの霊に適当の導きを与え、彼らをして永生に相応しきものとなし給うのであろう。
 
●この最後の部分の「彼らの霊に適当の導きを与え、彼らをして永生に相応しきものとなし給うのであろう」が重要と思います。神は「釈迦、孔子、ソクラテスその他有名無名の聖賢や、また終始真実と正直とをもって立派な生涯を送った多くの無名の士らにして未だ福音に接せざる人々なども」をも導いて救いに入れ給うというのであります。母も導いていただける。
 
●「黙示録」の引照入力をやって、聖書の死生観を学ぶことができて大感謝です。
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(感想文おわり)

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イエスが最も憎んだこと ++++++++ 所感

2009/12/22 08:09

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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091222(火)6時起床。冬至●TSK日本語化●朝の黙想「イエスが最も憎んだこと」●イエスが最も憎んだことは「信仰の薄いこと」である。その表面に現れた言動は無数にある。●「信仰が薄い」というのは神の力を信じないことである。薄いのでなく全く無いのである。芥子粒ほどの大きさも無いのである。その時のイエスの「怒り」は無数にある。叱った例。水の上を歩いたペテロが途中で疑った。生活の心配をする弟子、兄弟のラザロの死を嘆いたマルタ。復活を疑ったトマス、●信仰対無信仰。これを現代の教会問題に置き換えてみると次のようになる。イエスの怒りは次のような人に向けられるはず。行為主義、教会成長主義。教勢拡大主義、集会繁盛継続主義、人間勢力主義、地上王国、現世平和主義、人間主義、イベント屋、雑誌屋、集会サロン化主義者、集会仲良しクラブ主義者、復活否定論者、処女降誕否定論者、音楽屋、学校主義、・・・・これらはすべて神の力への信仰抜きの人間行為主義である●かってある女性二人から「信仰さえあれば何もしなくてよいのですか」と言われた。私は言いたい「あなたは神の力というものを信じているのですか」と。その二人は社会活動家であって、クリスチャンの「香り」がしない。イエスが憎み嫌う人はこのような人である。平和運動が悪いのではない。信仰がないのである。信仰の結果の平和運動だとはどうしても思えない。その人格に信仰の匂いがしない。こういう人とは親しくはなれない。悪いパン種だからである。●こういう人が終末に「私はこういうことをしてきました」と自慢しても神は聴かない●しかし本当の信仰は、結果的に、結果的にである。実ができる。「樹はその実によって知られる」である。●「主よ、主よ」というものが天国に入れるわけではない(マタイ7章の最後)が、逆に実を結ばない者はそのバロメータの故に信仰が審査され、切り落とされる(ヨハネ15章)●なぜこんなことを言うのかというと、有体的復活のことを話すと行為主義者はピンと来ないほど信仰が「無い」のである。●私への批判の言葉二つ「高橋は塚本虎二の最も悪いところを継承している」「高橋は社会問題を論ずる人間は信仰が堕落していると言っている」。・・敵は最もこちらの本質を知るという。言ってくださって感謝。●10:30 仕事上の恩師である黒田隆氏を目黒のご自宅に訪問。88歳だが頭脳明晰。見習いたい。黒田「私が信仰というものを持てるのはいつのことだろう」。高橋「それはTHE・DAYであって黒田さんに神が介入するときです」●奥様に先立たれてお淋しいい日々、400円のコンビニ弁当を購入して行って食す。大喜びで召しあがられた。

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終末に期待する ++++++++ 所感

2009/12/21 12:11

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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091221(月)5時30分起床●TSK日本語化●6:30公園でラジオ体操

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6:25公園でのラジオ体操に出発。まだ暗い。明日は冬至。

讃美歌66番「聖なる、聖なる、聖なるかな」を心で歌う。

「神の御名をば あさまだき おきいででこそ ほめまつれ」

●「WEB黒崎」黙示録19章の送り状の感想文

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感想です。
●19章は長い暗闇を抜けて明るい所に出た感じです。神による逆襲勝利の歌のはじまりという感じです。
 
新共同 黙  19:1
19:1 その後、わたしは、大群衆の大声のようなものが、天でこう言うのを聞いた。「ハレルヤ。救いと栄光と力とは、わたしたちの神のもの。
 
●私は次のように「終末に期待」します。
①不義を行った人には裁きがあってほしい。神は「アノ人」に復讐していただきたい。正義の満足のため。私は長い間「アノ人」に苦しめられ続けてきたのだ。しかし救われてもらいたい。
②この世で何らかの事情で「福音を聞かされ」(マタ11:5)なかった人にセカンドチャンスを与えてほしい。私の母は地上ではついに神もキリストも信じられないで逝った。私の祈りは聞かれなかった。しかし最後の日に神御自身の説教で、母が救われてもらいたい。そのチャンスがあることを真に期待する。
③この世で、病気であった人が最後の日にすっかり良くなって喜べますように。難病、不治の病、精神病。
④その日、崩壊家庭の子供たちが真の父に出会えますように。肉の父母がいない人、親に捨てられた子供たちがキリストを長とする「神の子の」真の家庭の喜びにひたれますように
⑤かくいうこの私自身が、「絶対恩恵による無条件の罪の赦し」にあずかりたい。
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(送り状終わり)
●「レテーロイ」という雑誌に木村護郎氏が「『日々の聖句』の発祥地をたずねて」という貴重な体験記を書かれた。これでまた敬虔主義(ピエティスムス、ヘルンフート派)と無教会主義の関係に対する研究材料が加わった。その礼状を認める。●これに関連してTH氏にも手紙。●寒い夜。図書館、年賀状投函●孫が新型インフルエンザ。回復を祈る

 

 

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神の自由意思なる絶対主権 ++++++++ 所感

2009/12/20 05:05

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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091220(日)4時15分起床●朝の啓示「神の自由意思、絶対主権」。これで来年1月24日の今井館伝道聖書集会と2月7日の集会感話の方針が与えられた。神は話すべきことをマナのように天から掲示して与えて下さる。

(2010.2.7集会感話骨子)

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①永遠の命は神の自由意志なる絶対主権で与えられる。

塚本訳ヨハ 10:27-28
10:27 わたしの羊はわたしの声を聞きわける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。
10:28 するとわたしが永遠の命を与え、彼らは永遠に滅びない。また彼らをわたしの手から奪い取る者はない。

②永遠の命とは概念ではなく霊の体。肉の体に対するもの。

塚本訳Ⅱコリ5:1
5:1 なぜ(こんな希望に生きることができるの)であろうか。もし地上の家であるわたし達のこのテント、(この肉体)がこわれるならば、天に、神の建てられた建物、(人間の)手で造らない永遠の家をいただいていることを、わたし達は知っているからである。

③永遠の命の保証は聖霊の実在

塚本訳エペ 1:13-14
1:13 このキリストにおいて君達(異教人)もまた、真理の言すなわち君達の救いの福音を聴いたので──このキリストにおいて君達もまた、信ずることにより約束の聖霊をもって封印されたのであるが、
1:14 この聖霊こそ(実は)私達が神の王国を相続することの担保であり、私達を贖って神の所有とするのであって、(凡ては)神の栄光が讃美されんためである。

④「わたしの羊」とは何か。「檻の外の羊」も御手のうち。

塚本訳 ヨハ 10:26
10:26 だが、あなた達は信じない。わたしの羊でないからだ。


塚本訳 ヨハ 10:14-16
10:14 わたしが良い羊飼である。わたしはわたしの羊を知っており、わたしの羊もわたしを知っている。
10:15 父上がわたしを知っておられ、わたしが父上を知っているのと同じである。そしてわたしは羊のために命を捨てる。
10:16 ・・なおわたしには、この檻のものでない、ほかの羊がある。(彼らはまだ野山をさまよっている。)わたしはそれをも導いてやらねばならない。彼らはわたしの声を聞きわけ、かくて群一つ、羊飼一人となるであろう。・・

塚本訳 ヘブ 4:1-2
4:1 だから、神の休みに入る約束は(今日もまだ)満たされていないのに、あなた達のうちだれかが、(それに)入ることができぬと考えることのないように、わたし達は注意を払おうではないか。
4:2 なぜなら、彼等(イスラエル人がエジプトの虐待から釈放される福音を聞かせられた)と同じように、わたし達も(罪の赦しの)福音を聞かせられたからである。ただ(モーセから)聞いた(神の)言葉が、聞く人たちに信仰で結びつかなかったため、(すこしも)彼らを益しなかった。

⑤キリストの他に永遠の命の救いはない。

塚本訳  ヨハ 14:6
14:6 イエスは言われる、「わたしが道である。また真理であり、命である。(手段であると同時に目的であるから。)わたしを通らずには、だれも父上の所に行くことはできない。

塚本訳ヨハ 10:30
10:30 しかもわたしと父上とは一つである(からだ)。

口語訳 Ⅰテモ2:5
2:5 神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである。

口語訳 使  4:12
4:12 この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」。

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(2010.2.7集会感話骨子)終わり

●10:00 集会は丹野、大山、望月。●午後は感謝会14名。年季の入った重厚な感話が多かった。TH氏より「勉強してきた話はよくない」という重要な発言があった。同感。「教えてヤル」という姿勢になるからいけないのである。また自分の知らなかったことを披瀝しても意味はない。それは大学のゼミの発表●Kさん「私は神様に「愚痴をこぼすことにしてます」。神への愚痴が祈りだ。イエスもパウロも神への愚痴だらけだった。祈りは愚痴。●私の発言。「無教会主義集会の話は全く自由であるが、正統信仰使徒伝承を逸脱する傾向があるから問題である。東京『聖書』読者会なのだから、集会が「聖書」を読むのをやめたらまずい。無教会主義に似ているヘルンフート派の本質は開放性(自由性)と共同性の調和。無教会はこのうち開放性の点で共通点があるが共同性である正統信仰使徒伝承に欠ける傾向がある」

●「WEB黒崎」の黙示録18章引照の関係者への送付文書は次の通り。

(送付感想文)

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感想
●黙示録はこれを「学者読み」しないで、「聖書で聖書を読む」素人読みをすると意外にやさしいことが分かりました。
まず謎の言葉の意味は聖書自身が解説しています。これはイエスが譬の意味を内輪の弟子たちだけに語ったことに似ていると感じました。
 
塚本訳 マタ 13:10-13
13:10 弟子たちが進み寄って、「あの人たちにはなぜ譬をもって話をされますか」とたずねると、
13:11 答えられた、「あなた達(内輪の者)には、天の国の秘密をさとる力が授けられている(のでありのままに話す)が、あの(外の)人たちには授けられていないのだ。
13:12 だれでも持っている人は(さらに)与えられてあり余るが、持たぬ人は、持っているものまでも取り上げられるのである。
13:13 だから、あの人たちには譬をもって話すのである。『見ても見えず、聞いても聞えず、また悟らない』からだ。
 
 
塚本訳マタ 13:18
13:18 だからあなた達には種まく人の譬を説明してあげよう。──
 
●黙示録の謎の言葉の解説は黙示録自身が示しているところは次などです。
 
新共同 黙  17:5
17:5 その額には、秘められた意味の名が記されていたが、それは、「大バビロン、みだらな女たちや、地上の忌まわしい者たちの母」という名である。
 
 
新共同 黙  17:7
17:7 すると、天使がわたしにこう言った。「なぜ驚くのか。わたしは、この女の秘められた意味と、女を乗せた獣、七つの頭と十本の角がある獣の秘められた意味とを知らせよう。
 
 
新共同 黙  17:9
17:9 ここに、知恵のある考えが必要である。七つの頭とは、この女が座っている七つの丘のことである。そして、ここに七人の王がいる。
 
 
新共同 黙  17:12
17:12 また、あなたが見た十本の角は、十人の王である。彼らはまだ国を治めていないが、ひとときの間、獣と共に王の権威を受けるであろう。
 
 
●これ以上の詳しい説明をしなくても、当時生きていた人(信者)ならば「あーこれはあの人のことを言っているのだ」とピンとくる事柄なのだと思います。
●黙示録の謎の言葉は、ローマ帝国が怖いので、隠語や隠れた数字でズバリ言わないのかと思っていましたが、実はそうでもなく、ローマをバビロンに例えて次のようにズバリと言っています。
 
新共同 黙  18:2-3
18:2 天使は力強い声で叫んだ。「倒れた。大バビロンが倒れた。そして、そこは悪霊どもの住みか、/あらゆる汚れた霊の巣窟、/あらゆる汚れた鳥の巣窟、/あらゆる汚れた忌まわしい獣の巣窟となった。
18:3 すべての国の民は、/怒りを招く彼女のみだらな行いのぶどう酒を飲み、/地上の王たちは、彼女とみだらなことをし、/地上の商人たちは、/彼女の豪勢なぜいたくによって/富を築いたからである。」
 
●黙示録はローマ帝国という局地的、特定時代的、現実的、具体的な問題であるだけに返って普遍的、世界的な著になったものと解します。
●「WEB黒崎」の黙示録の作業で急に黙示録に興味が湧き、集会で現在行っているイエス伝の次は「黙示録」にしようと心に決めました。
●そのイエス伝も、終末、最後審判の観点から見直して読み直すことにしたいと思うようになりました。
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(送付感想文)おわり
resize1239.jpg 
集会の帰り。あきる野から夕陽の富士を見る。寒い夕方。
妻との生活も40年を超えた。山あり谷あり涙あり喜びあり。
今は人生の秋、人生の初冬。復活の春を待つ。永遠の命を信ずる。
 
 
 
 
 

 

 


 

 

 

 

 

 


 

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お礼はもらうな。言われるな。報酬は神から頂け ++++++++ 所感

2009/12/19 09:06

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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091219(土)6時起床●TSK日本語化●朝の黙想「お礼は貰うな。言われるな。報酬は神から頂け」●キリスト教の根本精神に「お礼はもらうな。言われるな。報酬は神から頂け」がある。その関連聖句を思いつくまま挙げてみる。

朝のディボーション(黙想)。

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 塚本訳 ヘブ 11:13
11:13 信仰に従い、これらの人たちは皆、(地上では)約束のものを受けずに死んだのである。彼らはただ遠くからそれを眺めて歓迎し、自分たちは、『この地上では外国人であり、旅の者』であると認めた。

 ●子供達の成長はこれ「遠くから眺める」必要がある。いつまでも慕われようとしててはいけない。これ自戒。


塚本訳  マタ 6:3-4
6:3 あなたは施しをするときに、右の手のすることを左に悟られてはならない。
6:4 これは施しを隠しておくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。

 ●施しは隠れてやれば、神が見ていて(すでにこの世で!)帳尻は合わせてくださる。

塚本訳 マタ 6:5-6
6:5 また祈る時には、偽善者のようにしてはならない。彼らは人に見せようとして、礼拝堂や大通りの角に立って祈ることを好むのである。アーメン、わたしは言う、彼らは(褒められた時、)すでに褒美をもらっている。
6:6 あなたが祈る時には、『奥座敷に入り、部屋をしめきった上で、』隠れた所においでになるあなたの父上に『祈れ。』そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。

 ●「隠れた祈り」は親しい人にも恥ずかしくて言えない悩み苦しみ。神は知っていてくださる。


 塚本訳 ヨハ 5:41
5:41 (こう言うのは、自分を認めてもらいたいからではない。)わたしは人間の名誉などほしくない。

 ●この世の教育は「人間の名誉」を求めることを指向する。有名大学、大企業


塚本訳 ルカ 22:25
22:25 するとイエスが言われた、「世間では王が人民を支配し、また主権者は自分を恩人と呼ばせる。

●これ政治の目的。ローマ帝国は史上最強最高の国家。その皇帝は人民から自分を「主」と呼ばせた。しかし「永遠の命を与えることはできなった。「イエスが主」●人を自分に拝ませようとしてはいけない。人を拝もうとせよ。人はどんな人でも拝むべきよい部分が少しはあるものだ。


塚本訳 ルカ 16:15
16:15 そこで彼らに言われた、「あなた達は人の前では信心深そうな顔をしているが、神はあなた達の心を見抜いておられる。人の中で尊ばれるものは、神の前では嫌われるものである。

●とにかく、この世の教育や親の教育方針は「人の中で尊ばれる人になりなさい」ということだ。これ間違い。それが事実上空しいものであることは本人が一番よくわかる。


塚本訳 Ⅰコリ15:58
15:58 だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ。骨折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから。

●なぜ「無駄にならない」のか。「主の仕事」だから。「主の仕事」とはキリスト教関係の仕事をすることではない。みじめな名もなき普通の仕事をすることだ。


塚本訳 Ⅱコリ7:10
7:10 なぜなら、神の御心に沿った悲しみは、(人を)救いに入れる悔いのない悔改めをもたらすけれども、この世(的)の悲しみは、(絶望と)死をもたらすからである。

●「神の御心に沿った悲しみ」が苦難の本質。今の悩み苦しみには意味がある。神が御存知。


塚本訳 ヨハ 15:13
15:13 (わたしはあなた達のために命を捨てる。)友人のために命を捨てる以上の愛はないのだ。

●施しの究極の姿。しかし神に強いられる時に意味がある。人にいじめられるということは十字架を負うことで、「友人のために命を捨てること」


塚本訳 Ⅱコリ4:8-10
4:8 わたし達はあらゆることで悩まされる、しかし行き詰まらない。当惑する、しかし絶望しない。
4:9 迫害される、しかし(神に)見捨てられない。打ち倒される、しかし死にはしない。
4:10 わたし達はいつもイエスの死の苦しみを体に受けて持ち回っている。それはわたし達の体にイエスの命も現れるためである。

●8節後半の文語訳で覚えておくとよい。「爲ん方つくれども希望を失はず」


塚本訳 ロマ 8:18
8:18 (しかもこの苦しみは恐れることはない。)なぜなら、わたしはこう考える。今の世の苦しみは、わたし達に現われようとしている栄光(──キリストと一しょに神の国の相続人になる最後の日の大いなる光栄──)にくらべれば、言うに足りない。

●この言葉は病気、貧困、子育てに苦労した父(17年前に召された)の特愛の言葉。何度も聞かされた。どんな苦難に遭遇している人でも慰められる言葉だが、信仰が分からないと通じないのが悲しい。


塚本訳  Ⅱコリ1:6
1:6 (すなわち)わたし達が苦しめられるにしても、それはあなた達の慰めとなり救いとなるためであり、わたし達が慰めていただくにしても、それはあなた達の慰めとなるためであって、その慰めが働いて、わたし達がうけるのと同じ苦しみをあなた達は耐え忍ぶことが出来るのである。

●苦難の人は同じ苦難の人を慰められる。過日癌手術が成功した御夫人に言った。「あなたは癌患者を慰めるために余命があるのです」


塚本訳 コロ 1:24
1:24 今私は君達のために苦しむことを喜びとし、またキリスト・イエスの体なる教会のために私の体でキリストの患難の不足を補っている。

●クリスチャンは神を信じて幸福な生涯を送れるが、同時に「苦しみも賜る」。ここに意味がある。それは「主の仕事」「主の手伝い」。

塚本訳  ピリ 1:29
1:29 君達はキリストのために──ただ彼を信ずるばかりでなく、また彼のために苦しむことをも恵まれたからである。

●天下国家を批判することではない。アフリカ東南アジアに伝道することではない。自分に負わせられや人に言えない特有の十字架を負いことが伝道である。主に負わせられる「主の仕事」だ。それは惨めな、悔しいことである。イエスは次のように言う。

塚本訳  ルカ 14:27
14:27 自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることは出来ない。

●多くの場合、「自分の十字架」は恥ずかしくて敷居の外に出せない。最も親しい人にも打ち明けれられない。だから隠れている。隠れた祈りになる。隠れた祈りを神は聞いてくださる。


 塚本訳 ヤコ 1:2
1:2 わが兄弟達よ、種々な試練に遭った時には、(それを)無上の喜びと思え。

●この境地にはなかなかなれない。なぜか。この世に未練があるから。


塚本訳 Ⅰコリ7:15
7:15 しかし不信者の夫(なり妻なり)が別れるなら、別れさせよ。こんな場合に、兄弟なり姉妹なり(つまり信者)は(結婚に奴隷として)束縛されてはいない。神は平和な生活へあなた達をお召しになったのである。(無理があるのは、御心ではない。)

●離婚、親子別れ、家庭内確執、ごたごたは「恥」であるが、クリスチャンはこれを当然のことと思わなければならない。キリスト教は平和教ではなく、分離教である。イエスは次のように言う。

塚本訳 マタ 10:34-36
10:34 地上に平和をもたらすためにわたしが来た、などと考えてはならない。平和ではない、剣を、(戦いを)もたらすために来たのである。
10:35 わたしは子を『その父と、娘を母と、嫁を姑と』仲違いさせるために来たのだから。
10:36 『家族が自分の敵となろう。』

●真のクリスチャンの判別法。家族や組織の中でと何となくうまく行ってない人。「うまくいっている人」は、この世半分の生き方をしている人。信仰の道を隠している人。ラオデキヤ教会(黙示録3:14-15)のような人。信仰に固く立てばこの世の悪霊に取りつかれた人から憎まれるのが本道。なぜか悪霊は本能的に神を憎んで嫌うから。●キリスト教は平和教ではない。この世との分離教である。無教会主義が信仰抜きの平和運動や人権主義にコケでいるのは信仰が堕落している結果。生きていない。


塚本訳 Ⅱコリ1:4
1:4 どんな苦難の時にもわたし達を慰めてくださる神、こうしてわたし達自身も神に慰めていただくその慰めをもって、どんな苦難の中にいる人たちをも慰めることが出来るのである。

●苦難は同じ苦難の人を慰めるようにと神から負わせられた重荷。意味がある。恥ではない。


塚本訳 Ⅰペテ1:7
1:7 これは君達の信仰が、火によって本物であると証明された(この世の)はかない金よりも尊い本物であることが判り、イエス・キリストの顕現の時に(君達の)面目また光栄また栄誉とならんためである。

●私の家が全焼したとき、大島智夫先生は「君の信仰がなくならなかったことを喜ぶ」とお手紙をくださった。地上の苦難、病気、不治の病、精神病、家庭崩壊、などはこれ人間が「本物」に目覚めるためにある。神の恵みの知恵。


口語訳 出  14:14
14:14 主があなたがたのために戦われるから、あなたがたは黙していなさい」。

●仏教用語の四苦八苦。四苦は「生老病死」であり追加四つで八苦。その追加の苦の一つに「怨憎会苦(おんぞうえく)」がある。これは「怨み憎む人に出会う苦しみ」のことである。これは確かに組織や親類縁者家族という社会的枠組みの中でどうしてもいやな人に会わなければならない日は憂鬱であり、その人に会った日から2~3日はいやーな気分になる現実がある。こんな時はどうすればよいか。集会の責任者であられた故藤林益三先生は「悪いこと、間違っていることは神が注意してくださる」と言われた。たしかに人間が人間に注意すると喧嘩にならだけだ。

口語訳 詩  27:10
27:10 たとい父母がわたしを捨てても、主がわたしを迎えられるでしょう。

●離婚率4割。家庭崩壊で投げ出される子供は多い。しかし真の父なる霊の神に目覚めるための道。しかし気の毒だ。その苦脳と涙。神が覚えてくださいますように祈る。


口語訳 詩  50:15
50:15 悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう」。

●人生には「悩みの日」がある。その時は真の父なる神に泣き叫べ。真の救いに至る。人間的な慰めは効き目がない。

塚本訳 Ⅱコリ12:9 -10
12:9 主は(その都度)言われた、「わたしの恩恵はあなたに十分だ。力は弱さの中に完成されるのだから。」、それでわたしはキリストの力がわたしに住みついてくださるように、大喜びで、むしろ(自分の)弱いことを自慢しよう。

12:10 それゆえわたしは弱いことを、虐待、艱難、また迫害と苦悩をうけることを、キリストの故に喜ぶ。わたしは弱い時には、(彼の力によってかえって)強いのであるから。

●クリスチャンは儒者のように人間的にまた人格的に立派な人を目指してはならない。弱い人、悩みの人でありつづけるべきだ。その弱さに神の光が射す。

塚本訳 ロマ 12:20
12:20 むしろ、『あなたの敵が飢えているなら、食べさせてやれ。渇いているなら、飲ませてやれ。こうするのはその頭に炭火を積むことであるから、(いつかは恥じて悔改める。)』

●第二次世界大戦中、米国の教会は日本の教会のために祈って献金をしていたという。戦後この事実を知ったKさんは「日本は軍事力で負けたのでなく精神的に負けたのである」ことがわかってキリスト教に帰依された。

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朝のディボーション(黙想)終わり。

●14:00 妻の所属する女性合唱団「モデラート」の演奏会に行く。(於・あきる野市キララホール)、ジョンラターの曲がよかった。2時間全曲暗譜は立派。楽に聴けるプログラムであった。●次男のM一家が来てくれた。●蜷川文子さんと並んで聞いた。


 

 

 

 

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今井館伝道聖書集会 ++++++++ 所感

2009/12/18 08:03

 

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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091218(金)5時45分目覚め●朝の啓示「今井館伝道聖書集会」(2010年4回)の骨子●寒い朝、公園でラジオ体操。毎回遅刻。

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あきる野の日の出。ちょうど飛行機が飛んでいるところを撮影。パイロットはこんなに早く労働か。御苦労さんだと思った。

●「今井館伝道聖書集会」の骨子が霊に示された。

(今井館伝道聖書集会2010年4回。骨子)

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①「永遠の命とは何か」(1月24日)

 永遠の命とは霊魂不滅の概念ではなく、最後審判の時に復活させられる霊の  体。それまで人は「眠る」。
 これは家屋の全焼で分からされた

②「イエスの復活とはどういうことだったのか」(2月14日)
 イエスの復活は歴史的事実。神は復活の霊の体に起こしてくださることを
 「イエスの有体的復活」で分かりやすく教えてくれた。
 これは脳内出血で意識不明になって信じさせられた

③「死ぬとはどういうことなのか」(2月28日) 
 肉の体の死と、最後審判による霊魂の永久滅亡という「第二の死」(黙示録)とがある。十字架のありがたさ。
 これは「死因は癌になる」と宣告されて考えさせられたこと。

④「神は命を再生する」(12月12日)
 新約聖書は「最後の審判」が前提。地上で信仰のなかった者は、ラストチャンスがある。その最後審判の時の「悔い改め」が命の新生の時。神の再生は新生。神の国到来の徴は「命の再生、罪の赦しの開始」。

 これは建物の改修工事を通して「新創造」ということを考えさせられた。

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(今井館伝道聖書集会2010年4回。骨子 おわり)

 
 

 

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9:00 池谷医院の前で自動車事故。死者は出なかったという。車体も人体もか弱いものだなー。あっという間に潰れる。

 

 

 

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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崩壊家庭の子供に救いはあるか ++++++++ 所感

2009/12/17 06:26

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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091217(木)3時半目覚め、寝つけず床の中で黙想「崩壊家庭の子供に救いはあるか」●TSK日本語化●寒い朝、公園でラジオ体操●「崩壊家庭の子供に救いはあるか」。こういう人智では解決不可能なこと、絶望的なことは神の作用で救われる。●崩壊家庭の子供はこの世では完全に不利、全く絶望。就職、結婚、性格、この絶望の淵で、唯一救ってくださるのは神のみ。神の外側からの不思議な作用、働きによって可能。肉のこの世を去って新しく生まれることである。

●家庭崩壊の子供の救いは次の聖書の箇所による。この聖書があって人生には光が射す。

塚本訳 2 ヨハ 3:1-21
3:1 ところでパリサイ人の中に名をニコデモという人があった。ユダヤの(最高法院の)役人であった。
3:2 ある夜、イエスの所に来て言った、「先生、わたし達はあなたが神のところから来られた先生であることを知っています。神がご一しょでなければ、あなたのされるあんな徴[奇蹟]はだれもすることは出来ません。」
3:3 イエスが答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、(徴を見て信じたのではいけない。)人は新しく生まれなおさなければ、神の国にはいることは出来ない。」
3:4 ニコデモがイエスに言う、「(このように)年を取った者が、どうして生まれなおすことが出来ましょう。まさかもう一度母の胎内に入って、生まれなおすわけにゆかないではありませんか。」
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。
3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。
3:7 『あなた達は新しく生まれなおさねばならない』と言ったからとて、すこしも不思議がることはない。
3:8 風[プニューマ]は心のままに吹く。その音は聞えるが、どこから来てどこに行くか、あなたは知らない。霊[プニューマ]によって生れる者も皆、そのとおりである。」
3:9 ニコデモが言葉を返した、「(霊によって生まれるなどと、)そんなことがどうして出来ましょうか。」
3:10 イエスが答えて言われた。──「あなたはイスラエルの(名高い)先生でありながら、それくらいなことがわからないのか。
3:11 アーメン、アーメン、わたしは言う、わたし達(神の国を説く者)は知っていることを話し、(自分で)見たことを証しするのである。しかしあなた達はその証しを受けいれない。
3:12 わたしが(いま)地上のことを言うのに、それを信じないから、天上のことを言うとき、どうして信じることができよう。
3:13 しかも天から下ってきた者、すなわち人の子(わたし)のほかには、だれ一人天に上った者はない。(また天上のことを知っている者はない。)
3:14 そして、ちょうどモーセが荒野で(銅の)蛇を(竿の先に)挙げたように、人の子(わたしも十字架に)挙げられ(て天に上ら)ねばならない。
3:15 それは、(蛇にかまれた者がその銅の蛇を仰いで命を救われたように、)信ずる者が皆(天に上った人の子を仰いで、)彼にあって永遠の命を持つためである。
3:16 そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである。
3:17 神は世を罰するためにその子を世に遣わされたのではなく、子によって世を救うためである。
3:18 彼を信ずる者は罰されない。信じない者は(今)すでに罰されている。彼を神の独り子として信じていないからである。
3:19 すなわち、光が世に来たのに、人々は自分たちの行いが悪いので、光よりも暗さの方を愛したこと、それが罰である。
3:20 悪いことをしている者は皆、光を憎んで光に来ない。自分の行いが明るみに出されたくないのである。
3:21 これと反対に、真理を行っている者は、光に来る。自分の行いが神にあってなされたことを、現わしたいのである。」

●新しく生まれ直すということは霊に目覚めることである。暗くて嫌な崩壊家庭を捨てて新しい霊の家族の交わりに入ることである。

●キリスト教は崩壊家庭の淋しい子供を受け入れなければならない。ところが日本のキリスト教は「中産階級に入った」(隅谷三喜男)ために教会も無教会も「サロン化」してしまい、崩壊家庭の人間や精神病の人間を快く受け入れない。冷たい。そういう教会や無教会集会を私は知っている。!!。名前は言わないが、滅びよ!。キリスト教徒が増えないと嘆いているのは当たり前だ。天罰だ。

●崩壊家庭の子供の救いに人権主義者は「この世的に応援する」。就職斡旋、経済援助、結婚相談、性格矯正。などしかし就職、経済、結婚、人格、これ幸福ではない。肉のの充足は真の幸福ではない。肉の健康はそれだけで必ずしも幸福ではない。病気のないことは、それだけで幸福ではない。人間として真の幸福は新しく霊に生まれ直して神の子になることだ。今日のキリスト教はヒューマニズムと似たり寄ったりのものにコケているので力がない。ましてや社会批判して平和運動などばかりしているようでは「真の救いの道」を閉ざしていることになる。キリスト教人権主義者、現世完成キリスト教主義者の罪は重い。政治的平和状態は楽だが霊は不満足。だから私はそんなつまらない、永久的効果のない、暇人や遊び人のする様なことをしない。残り時間は少ない。もったいない。

●建築力学で「作用」という言葉がある。建物の外部から加わる「力」である。風圧、地震力、加重などである。人生の難問、特に家庭崩壊、不治の病、ことに精神病、犯罪、罪、先祖家系の汚れ、などは神の力による外部作用が加わらなければ解決できない。救われない。人間がその神の作用で救われるとき人々は「不思議」なことが起こったと驚く。事例は聖書に無数にある。聖書は人間の希望。

●家庭崩壊で孤児になった子供。不倫で生まれて全くどうしようもない気の毒な子供。その絶望の果てに新の救いがある。「霊に生まれ直すことだ」。

●泣くな!。救いの道はある。「神による新生」(賀川豊彦)の世界だ。

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淋しい夕暮れ。あきる野。富士が見える。復活の希望が頼りだ。


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淋しい家庭の子供の救い ++++++++ 所感

2009/12/16 07:01

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

       http://stonepillow.dee.cc/

091216(水)5時起床。●朝の黙想「淋しい家庭の子供の救い」●TSK日本語化●公園でラジオ体操●現在は離婚率4割という驚くべき率。そこには複雑な家庭の故に淋しい思いをしている「気の毒な子供」がたくさんいる。●彼らの慰め癒しは「人間の言葉」ではだめである。神の招きによる真の親(父なる神)との出会いで初めて「この不幸」にも意味があったと理解できるときに氷解する。癒される。●人の世は血が汚れていてドロドロである。その暗さ淋しさに一条の光が射して、これを清めたのがイエスの血。罪を贖った。●淋しい家庭から優秀なクリスチャンが誕生したのは枚挙にいとまがない(賀川豊彦、藤林益三、新垣勉、・・・・)。皆神の遠大なご計画である。「幸いなるかな、悲しむ者」の実証である。●人間はすべて血が汚れている。家庭が複雑であるのはザラ。普通。そこからイエスの宝血で清められ、霊の父に出会い、新しい人に生きることが人生の究極の目的である。このとき肉の父は「養父」である。●霊の父が本当の父で、肉の父は養父であることは、次のブログ,の12月15日の後半でで明快に説かれている。http://blogs.yahoo.co.jp/trntim/folder/584389.html

●人間がある期間だけ肉の父母の世話になってついに本当の父(神)に出会うようになることが人生の目的。このとき、地上の家庭がいかに破壊していてもそれは益となる。両親が離婚していて(死別、生き別れ、行方不明、出奔、不倫・・・事例は無数で複雑)、淋しい家庭、暗い家庭であることが返って神の招きとなる。●肉の親子と霊の親子の違いについて聖書を思いつくまま挙げる。

 口語訳 創  2:7
2:7 主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。

  ●土の化学成分と人間のそれは似ているらしい。

口語訳 詩  27:10
27:10 たとい父母がわたしを捨てても、主がわたしを迎えられるでしょう。

  ●肉の父母が捨てた子供から真のクリスチャンが誕生する。

塚本訳 マタ 12:48-49
12:48 しかしイエスはそのことを知らせた者に、「わたしの母とはだれのことだ、わたしの兄弟とはだれのことだ」と答えて、
12:49 弟子たちの上に手をのばして言われた、「ここにいるのが、わたしの母、わたしの兄弟だ。

  ●これを聞いた母マリヤは泣いたに違いない。この涙の別れはすべてのクリスチャンの宿命。この悲しみなくしてクリスチャンにはなれない。キリスト教と儒教とは違う。私の場合も信仰なくして逝った母からもそう思われていた。母は実母から引き離されて養母に育てられた。あるとき家のお手伝いさんから密かに教えられて養母が実母でないことが分かったのは大きくなってから。母はその時から「人を斜めに見る(つまり、信用できない)ような性格になったという。不遇な育ちの母が信仰に至れず、父なる神をも信じられないで逝ったことが悔やまれる。

口語訳 伝  12:1a
12:1a あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。

  ●私の肉の子供に聖書を買った時、表紙裏にこの言葉を墨で書いた。肉の父としての切なる祈りまた願いである。神はきっといつの日か聞いてくださると信じる。

塚本訳マコ 3:21
3:21 身内の者たちが(イエスの様子を)聞いて(ナザレからカペナウムへ)取りおさえに出てきた。「気が狂っている」と思ったのである。

 ●イエスは霊の父に従ったために肉の家族から「気が狂った」と言われた。不肖私もそのようなことがあった。


口語訳 箴  19:14
19:14 家と富とは先祖からうけつぐもの、賢い妻は主から賜わるものである。

 ●無教会の大先輩からこの句を言われた。このとき私は結婚は「好き」という肉の感情を土台にしてはいけないことを強要された。無教会が「結婚の土台は恋愛感情」ではいけない」ということを継承しているのは大いなる遺産である。これは尊重しなければならない。

塚本訳 マタ 19:5
19:5 また、『それゆえに人は父と母とをすてて妻に結びつき、二人は一体となる』と言われたことを、あなた達は読んだことがないのか。

  ●私の親友(故人。父親の顔を見たことがない。彼が幼い時に病死した)は一人息子であって老いた母親を引き取って同居していた。その家庭内トラブルのときの生活の知恵を次のように語ったことがある。彼は苦労した。

 ①母と妻が争った時は妻につく

 ②母と子供が争った時は母につく

 ③妻と子供が争った時は子供につく

  ●彼はあるときこう言った「高橋君。聖書ってそんなに面白いものなのかい?」。彼は信仰を持たずに逝った。わたしの祈りが足りなかったことに負い目を感じている。

口語訳 詩  45:10
45:10 娘よ、聞け、かえりみて耳を傾けよ。あなたの民と、あなたの父の家とを忘れよ。

  ●結婚式は親子別れの儀式。子供たちよ。後を振り返るな。肉の父母を忘れよ。捨てよ(塚本訳マタ19:5は捨てよという訳)。本当の父親(造り主なる霊なる神)を目指して「行け!」「私から離れよ!」「私たちを蹴飛ばして行け!」。

塚本訳  マタ 8:21-22
8:21 またほかの一人の弟子が言った、「主よ、(お共をする)その前に、父の葬式をしに行かせてください。」
8:22 イエスはその人に言われる、「(今すぐ)わたしについて来なさい。死んだ者の葬式は、死んだ者にまかせよ。」

  ●この世の人間は葬式をきちんとやりたがるが、キリスト信者はそれはちゃんとはやるが「タンタン」とやる。それは「レクイエム」の精神。

塚本訳 マタ 10:21
10:21 また兄弟は兄弟を、父は子を、殺すために(裁判所に)引き渡し、『子は親にさからい立って』これを殺すであろう。

  ●霊肉の分裂は具体的にこういうことになる。このとき真の家族、霊の家族が見えてくる。しかし悲しい。淋しい。

塚本訳  マタ 10:34-35
10:34 地上に平和をもたらすためにわたしが来た、などと考えてはならない。平和ではない、剣を、(戦いを)もたらすために来たのである。
10:35 わたしは子を『その父と、娘を母と、嫁を姑と』仲違いさせるために来たのだから。

  ●信仰が深くなればなるほど血縁との亀裂が増す。悪霊は一番のウィークポイントを知っている。ローマの殉教女ヴィクトリアは実兄から「ローマ皇帝が主だと一言言って老父母に孝養しなさい」と説得された。しかしヴィクトリアは決然とその説得を退けた。この涙は終末の日に全員が分かってくれる。

塚本訳マタ 10:37
10:37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたし(の弟子たる)に適しない。わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたし(の弟子たる)に適しない。

  ●キリスト教が日本に根を下ろさない理由はここにある。しかし最後の日に分かる。

塚本訳ルカ 1:80
1:80 幼児は大きくなり霊も強くなって、(洗礼者として)イスラエルの民の前にあらわれる日まで、荒野に(かくれて)いた。

  ●「霊も強くなる」とは何か。本当の父親を認識するようになって行ったのではあるまいか。

塚本訳 ルカ 2:48-51
2:48 両親はこれを見て驚き、母が言った、「坊や、どうしてこんなことをしましたか。ごらん、お父さまもわたしも(こんなに)心配して、あなたをさがしているではありませんか。」
2:49 彼らに答えられた、「なぜおさがしになったのです。わたしが(天の)お父さまの家に居るのは当り前でしょう。御存知なかったのですか。」
2:50 両親にはこう言われた言葉(の意味)がわからなかった。
2:51 それからイエスは一しょに(エルサレムから)下ってナザレに帰り、両親につかえられた。母(マリヤ)はこのことを皆胸に秘めていた。

  ●神の子イエスの片鱗はこのとき現れた。51節のマリヤが「胸に秘めていた」との言葉は深い。「この子は不思議な子だったなー」とあとで思い返したのではあるまいか。

塚本訳  ヨハ 2:4
2:4 イエスが言われる、「女の方、〃放っておいてください。〃わたしの栄光(を示す)時はまだ来ておりません。」

  ●母親に向かって「女の方」と冷たく言うとは。これまた肉の母親との別れの言  葉。

塚本訳 マタ 1:18-21
1:18 さてイエス・キリストの誕生はこのようであった。──イエスの母マリヤがヨセフと婚約の間柄で、まだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重となっていることが知れた。
1:19 夫ヨセフはあわれみぶかい人であったので、(これを公沙汰にして)女を晒し者にすることを好まず、内緒で離縁しようと決心した。
1:20 しかし(なおも)そのことを思案していると、主の使いが夢でヨセフに現われて言った、「ダビデの末なるヨセフよ、心配せずにあなたの妻マリヤを(家に)迎えよ。胎内にやどっている者は、聖霊によるのである。
1:21 男の子が生まれるから、その名をイエス(訳すると、神はお救いになる)とつけよ。この方がその民を罪からお救いになるのだから。」

  ●イエスは聖霊により、処女マリヤから生まれたということは100%信じられる。

塚本訳 ルカ 23:46
23:46 その時イエスは大声をあげて言われた、「お父様、』わたしの霊をあなたにおあずけします。』」こう言われるとともに、息が絶えた。

  ●イエスは肉の養父、養母に育てられて本当の父のもとに帰った。

塚本訳  ロマ 1:3-4
1:3 その御子、すなわち、人間としてはダビデの末から生まれ、
1:4 聖なる霊としては死人の中から復活して力ある神の子と定められた方、わたし達の主イエス・キリストに関するものである。

  ●パウロの「処女降誕」の言葉はここ。これは読む側にその信仰がないとそのことが読みきれない。

塚本訳 使  1:14
1:14 この人々は皆、女たち、とりわけイエスの母マリヤや、イエスの兄弟たちと、心を一つにして祈りに余念がなかった。

  ●マリヤは偉い。(多分)おしめを取り換え、さんざん冷たい言葉を放った「気の狂った」我が肉の子イエスを神の子と崇めるようになるとは。まさにマリヤ自身が霊に生まれたから出来たことなのだ。

塚本訳 Ⅰコリ4:15
4:15 たとえキリストにある家庭教師は無数にあなた達にあっても、お父さんは沢山はないのだから。キリスト・イエスにあって、福音により、わたしがあなた達を生んだのではないか。

 ●パウロの霊の父としての強烈な自覚。また自信。


塚本訳 Ⅰテモ1:2
1:2 (わが)信仰の本当の子なるテモテに手紙を遣る。願う、父なる神とわれらの主キリスト・イエスよりの恩恵と憐憫と平安あれ!

 ●「本当の子」とはまた家庭内トラブルの原因。塚本先生の娘の嗣子さんは、「御父さんは私よりも療養所の娘たちの方が可愛いんだ」と言って泣かれたことがあるという。伝道者の家庭の悲劇。でも最後の日に分かる。いつか分かる。塚本先生の二人のお子様はすでに召された。●不肖この私も信者さんの建築工事を通して「本当の子」という感情で愛された。するとその信者さんの肉の子供たち(多くは同年代)から恨まれた。


塚本訳 ピレ 1:10
1:10 あなたにお願いするのは、わたしが縄目のあいだに(福音によって)生んだわたしの子オネシモのことである。

 ●信仰によって生む子供が本当の子供。パウロにはおそらく家庭はなかった。子供もなかった。けれどもオネシモが霊の子供。彼は肉の子供はなかったが、真の子供がいた。

塚本訳  Ⅰヨハ1:4
1:4 わたし達が(この手紙を)書くのは、(あなた達がわたし達との交わりに入り、)わたし達(が父と子と)の(交わりにおいてもっている)喜びが、完全なものとなるためである。

 ●クリスチャンは霊の兄弟姉妹に生きる。これが真の交わり。真の喜び。真の人生。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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神の正しい裁き ++++++++ 所感

2009/12/15 09:04

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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091215(火)5時起床●TSK日本語化●公園でラジオ体操。寒い朝

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あきる野の朝

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我が家のどうだんツツジ。

●{WEB黒崎」引照黙示15章。
その送付に添え書き。

(添え書き)
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今日の感想です。

黙示録15章4節に感じるところがありました。

新共同 黙 15:4
15:4 主よ、だれがあなたの名を畏れず、/たたえずにおられましょうか。聖なる方は、あなただけ。すべての国民が、来て、/あなたの前にひれ伏すでしょう。あなたの正しい裁きが、/明らかになったからです。」

●「畏れ」・・・・民主主義、平等、男女同権、などの教育で、人間は神と対等に口をきけると思って神を畏れなくなってしまった。
●「聖なる方」・・・「聖なるもの」(オットー)という「畏れ」がないところに信仰は生まれない。恐怖からの信仰ではなく、聖なる者への「畏れ」が必要
●「あなただけ」・・・・宗教は皆同じ、宗教もヒューマニズムも同じもの、などと思うところには「あなただけ」という「畏れ」はない。
●「ひれ伏す」・・・・人間は、自分の腹を神と拝んでいるうちは真の神にはひれ伏すことはしない。
●「あなたの正しい裁き」・・・・裁判員制度の議論があるが、正しい裁きは神にのみ出来る。またそれは必ずある。
               集会におられた裁判官(故人)は自分が裁判官をやっていることができるのは、自分のジャッジが間違っても最終的には神が正しく裁いてくれる。そのお方(神)がおられるから人間のジャッジをやれているのだと言われたことがあります。
●「明らかになった」・・・・来世、神の実在、裁き、はその日がくれば必ず「明らかになる」。

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(添え書きおわり)

●Y兄から電話。「霊の父が本当の父で、肉の父は養父」である聖書的真理について。イエスがその考えを濃厚にもっておられたと御教示をいただく。問題解決の啓示を受けた。●塚本先生は母親になった人に次のように言われた。「子供は神様からの預かりものであると思って育てなさい」。●地上の親子関係は養父母がその本質。天の父、霊の父にお預かりしている子供は返さなければならない。これがキリスト教的親子関係。家庭問題の真の解決の道。●子供も、親も、妻も、自分のものではない.それは地上の短い期間における神のご計画による「お付き合いすべき人」。派遣社員。いつかは別れるものだ。帰りゆく人だ。御返しすべき人だ。


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世の終末と人間の終末 ++++++++ 所感

2009/12/14 08:22

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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091214(月)5時半起床。●TSK日本語化●昨日のブログに端を発し、「WEB黒崎」の協働者と「万人救済説」で意見交換。わたしの考えを次のように書いた。一部追加

(メール内容、一部)

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 両兄
●さて、「万人救済説」ですが、たしかにこれが不信仰者に「理論」だけで信じられたら信仰も十字架も、イエスの受難も無意味なものになってしまいます。Y兄が(万人救済説は)「サタンにつけ入られる隙、足元をすくわれる危険がある」と感じられるのはそのことだと私も思います。この辺日本人の汎神論的、また「ヒューマニズム」の思いが正邪善悪に厳しいキリスト教の最大の敵と思います。「あの人が滅びるのは気の毒だ」、または「わが子が滅びるのは忍びない」とか「愛なる神がそんなことをするはずはない」と肉の思いで勝手に考えることが特に日本のクリスチャンの陥りやすい危険であり、涙であると私も思います。これを突破するにはレクイエムの精神、つまり「死者のため」のとりなしの祈りに生きることではないでしょうか。信仰の意見交換感謝です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(メール終わり)
●13:30 御家族が癌宣告を受けたという方から電話。11月に癌宣告を受けて余命6か月と言われたが、もっとはやまりそうだとの悩み。正月は越せそうだが、という。
大略次のようにアドバイスした。
(アドバイスの内容)
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●現段階では癌には勝てないから、「自然に生き、自然に死ぬ」という思いで生きる。どの道6か月以内には召される。
●癌は「予期悲嘆」という家族病が発生し、多くの家族が落ち込む。だから家族のケアが必要。
●もしホスピスへ入るとしても最後2週間程度の段階。医者が延命をあきらめた時がよい。この期間は年々短くなってきた。
●現在、大きな病院には緩和ケア部門(いわゆるホスピス)があるからがんセンターなどへの転院はしない方がよい。どこに行っても死ぬときは死ぬ。
●現在、死因の3割は癌。2010年には5割になる。
●人間の存在が生命細胞増殖の仕組みを持つ存在なので癌の発生は宿命。癌はどうしようもなく手ごわいものであることは過日の立花隆のNHKドキュメントで報道の通り。立花隆は膀胱がんであるが、最後の時はジタバタせず延命処置はしないと宣言した。
●「溺れる者は藁をもつかむ」。ありとあらゆる「民間療法」(サプリメントなど)にすがるが、それはなすがままにさせたほうがよい。「そんなもの効き目がない」と批判してはいけない。ナリフリ構わずの自然体にさせるべきだ。押しとどめてはいけない。
●本人に対しても家族に対しても「患者が心安らかに逝けるように」、あなた自身が明るくふるまうこと。だから「あなた自身がホスピスの看護婦になったつもりで」残りわずかの日々を貴重な時間だと思って過ごすこと。
●癌患者の直接血縁者の悩みは深く大きい。患者と血縁関係が少し離れたあなたのような人とでは悩みの程度が全然違う。だから「大変ですねー」と言うだけにとどめ、あれこれ医学的知識を振り回して指図しない。
●自分自身が来世観をしっかり持って明るく振る舞うことが周囲によい影響をもたらす。あなた自身の存在を示すまたとないチャンス。
●私自身も死ぬ時は「癌」であると聖路加の主治医から宣告されています。母が癌で死に、弟が癌の経験者なので「決定的」なのだそうです。統計的には余命16年、私は82歳が限界です。
●癌患者ご本人が安らかに逝けるように、またその期間において周囲のご家族が安らかでありますように私も祈っています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(アドバイス終わり)
●癌末期の患者のケアのことを「終末期医療」という。キリスト教の「終末論」と通じるものがある。世の終末に対する姿勢は人間一個の終末に対する姿勢と同じ。それは神に対する姿勢。「神まま」がよい。
●癌は隠すな!!。日本人の死生観は暗くてじめじめしている。癌という噂が流れるとひた隠しに隠すのは得策ではない。癌を秘密にしておくと直りが遅いことは医学的常識。直るものも直らない。癌に限らず難しい病気にかかると天罰だと思って隠すのは日本人の宗教観の低級さ。人生観の低級さ。癌も病気も神の御手のうち。神の召し。癌を宣告されてその人の人生観が試される。
●癌患者が出たら家族は隠すな。それを隠す家族は罪悪を行っている。本人が落ち込むからというのは大間違いである。隠して良いことは何もない。本人のためにも家族のためにもよくない。これは常識。教養ある家庭は癌を秘密にしない。日本人はもうそろそろいい加減にそのことに気がつかなければならない。米国では癌の公表は10年以上前から行われている。その方が治療のために良いという観点からである。
●家族に癌患者が出た場合、それを隠すのは教養のない人間、教養のない家庭。勉強不足。宗教観の欠如。人生観が低級。
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レクイエムを歌う人 ++++++++ 所感

2009/12/13 18:49

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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091213(日)NHKTV3CH「心の時代」は沖縄那覇中央教会名誉牧師、金城重明81歳、沖縄戦の集団自決で16歳の時母と兄弟を殺した。その痛みが癒えず、キリスト教に帰依、牧師になった。話の重みが違う●集会は茂木、高木、山本。20名足らずの小人数になったが。正統的使徒伝承を固く握り続けることが大切●悪霊は本能的に神に敵対するということは真理。悪霊は人をキリストの集会から引き離す。●14:00 昭島公会堂で合唱団「もくせい」のモーツァルトレクイエム」。妻がアルト。次男のMが妻を応援するためにテナーで参加してくれたのは感謝。指揮者マウラー氏の最後の特訓がよかったのか、良くまとまっていた。男性は小人数だったが頑張ってよく響いていた。

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オーストリアから来日の指揮者マウラー氏と。

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演奏会終了後ロビーで記念撮影、左から高橋照男、高橋トミ子(アルトで出演)、右の3人は集会の方々。

●2005年にライプチッヒでの演奏旅行(バッハ、ロ短調ミサ曲)に一緒だった人にも多く再会した。

●演奏会の感想。

合奏団員約80名、オーケストラ約40名、独唱者4名、指揮者1名。合計約125名。

この人たちがレクイエムの中の次の一節を歌った。

「世の罪を除きたもう神の小羊、

彼らに永遠の安息を与え給え」

こういう歌詞を歌うほどの人は信仰のあるなしにかかわらず、救われて欲しいなーと思った。

その希望の聖書的根拠は次である。

塚本訳 マタ 10:42
10:42 また(わたしの)弟子としてこの一人の小さな者に一杯の冷たい水でも飲ませる者は、アーメン、わたしは言う、(天にて)その褒美にもれることはない。」

塚本訳 マコ 9:38-40
9:38 ヨハネがイエスに言った、「先生、わたし達の仲間でない者が、あなたの名を使って悪鬼を追い出しているのを見たので、止めるように言いました。仲間にならないからです。(しかし言うことを聞きませんでした。)」
9:39 イエスは言われた、「止めさせるに及ばない。わたしの名を使って奇蹟を行ったすぐそのあとで、わたしの悪口の言える者はないのだから。
9:40 反対しない者はわたし達の味方である

●檀上の約125名を見ながらしきりに祈った。、「この檀上の人たち自身がその人生のいつの日にか罪を取り除く神の小羊の存在を知り、最後の日にこのレクイエムの歌詞を思い出して自分の救いのために唱えますように」と。●と同時に私が彼ら檀上の人々をとりなす祈りを生涯続けなければならないと思った。「主よ、彼らに永遠の安息を与え給え」。

 

 

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悩みの日にわたしを呼べ ++++++++ 所感

2009/12/12 07:25

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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091212(土)5時半起床●TSK日本語化。マルコ5:23 に素晴らしい引照があった。詩篇50:15「悩みの日にわたしを呼べ」である。

口語訳 詩 50:15
50:15 悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう」。

類似のものは

口語訳 詩 107:19
107:19 彼らはその悩みのうちに主に呼ばわったので、主は彼らをその悩みから救い

これが出ているTSKの部分は次の通り。

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【KJV】
Mar
5:23 And besought him greatly, saying, My little daughter lieth at the point of death: I pray thee, come and lay thy hands on her, that she may be healed; and she shall live.

口語訳 マコ 5:23
5:23 しきりに願って言った、「わたしの幼い娘が死にかかっています。どうぞ、その子がなおって助かりますように、おいでになって、手をおいてやってください」。

besought.
7:25-27; 9:21,22; 2Sa 12:15,16; Ps 50:15; 107:19; Lu 4:38; 7:2,3,12
Joh 4:46,47; 11:3

口語訳 マコ 7:25-27
7:25 そして、けがれた霊につかれた幼い娘をもつ女が、イエスのことをすぐ聞きつけてきて、その足もとにひれ伏した。
7:26 この女はギリシヤ人で、スロ・フェニキヤの生れであった。そして、娘から悪霊を追い出してくださいとお願いした。
7:27 イエスは女に言われた、「まず子供たちに十分食べさすべきである。子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない」。


口語訳 マコ 9:21-22
9:21 そこで、イエスが父親に「いつごろから、こんなになったのか」と尋ねられると、父親は答えた、「幼い時からです。
9:22 霊はたびたび、この子を火の中、水の中に投げ入れて、殺そうとしました。しかしできますれば、わたしどもをあわれんでお助けください」。


口語訳 Ⅱサム12:15-16
12:15 こうしてナタンは家に帰った。さて主は、ウリヤの妻がダビデに産んだ子を撃たれたので、病気になった。
12:16 ダビデはその子のために神に嘆願した。すなわちダビデは断食して、へやにはいり終夜地に伏した。


口語訳 詩 50:15
50:15 悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう」。


口語訳 詩 107:19
107:19 彼らはその悩みのうちに主に呼ばわったので、主は彼らをその悩みから救い


口語訳 ルカ 4:38
4:38 イエスは会堂を出てシモンの家におはいりになった。ところがシモンのしゅうとめが高い熱を病んでいたので、人々は彼女のためにイエスにお願いした。


口語訳 ルカ 7:2-3
7:2 ところが、ある百卒長の頼みにしていた僕が、病気になって死にかかっていた。
7:3 この百卒長はイエスのことを聞いて、ユダヤ人の長老たちをイエスのところにつかわし、自分の僕を助けにきてくださるようにと、お願いした。


口語訳 ルカ 7:12
7:12 町の門に近づかれると、ちょうど、あるやもめにとってひとりむすこであった者が死んだので、葬りに出すところであった。大ぜいの町の人たちが、その母につきそっていた。


口語訳 ヨハ 4:46-47
4:46 イエスは、またガリラヤのカナに行かれた。そこは、かつて水をぶどう酒にかえられた所である。ところが、病気をしているむすこを持つある役人がカペナウムにいた。
4:47 この人が、ユダヤからガリラヤにイエスのきておられることを聞き、みもとにきて、カペナウムに下って、彼の子をなおしていただきたいと、願った。その子が死にかかっていたからである。


口語訳 ヨハ 11:3
11:3 姉妹たちは人をイエスのもとにつかわして、「主よ、ただ今、あなたが愛しておられる者が病気をしています」と言わせた。

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●「悩みの日にわたしを呼べ」(詩篇50:15)について黙想。

●人生はそれぞれの段階において特有の「悩み」がある。そのとき「主を呼べ」というのが「幸福論」のヒルテイの結論。

●人生の諸段階(ヒルティ)と悩みの数々。勉学、教養、進学、点数競争、いじめ、進路、学歴、無学、無教養、貧困、就職、弱小職場、職業選択、社会的地位、家系、容姿、性格、相性、恋愛、失恋、性欲、結婚、出産、不妊、虐待、暴力、不具の子、難病、不治の病、精神の病、伴侶の先立ち、両親の離婚、親のない子、孤独、子供の病気、反抗、非行、離反、罪、失敗、激怒性格、犯罪、住居、親の介護、浮気、不倫、欠陥妻、欠陥夫、病妻、病夫、不和、家庭内確執、家庭内別居、家庭崩壊、別居、離婚、子供の晩婚、子供の離婚、縁談、伴侶の死、子供の死、不況、減給、遅配、倒産、降格、左遷、失職、解雇、リストラ、財産の消失、人間関係(職場、家庭、教会・無教会集会)、キリスト教会(集会)の俗化、戦争、誹謗中傷非難、パソコン、定年退職、遺産相続、相続争い、年金、癌宣告、老化、介護、死、死後の不安、最後審判の恐怖。・・・・・・・まだまだある。あー、人生はこれ悩みの連続、悩みのデパートだ。苦しみに押しつぶされる。人生は生き地獄、「真っ暗闇」だ。ダークだ。人生なんてクソクラエだ。人生なんて全然いいことない。神に文句を言いたい。

●このうち最も「どうしようもないこと」は家系の汚れ、罪、子供の病気。これ以外の大半は何とか人間の努力で回避できる。一般に宗教を求める動機は貧、病、争、と言われる。人間の努力ではどうしようもないことだ。人智では解決しがたいこと。

●「子供の悩み」で「イエスを呼んだ」人は多い。そのことが聖書にかなりあることは、人間にとって「子供の悩み」がいかに深刻であるかの証左である。上記TSKの引照の数々がそれである。人生は「子供のことで悩む」。

●。「世界史は世界審判」(シラー、ヘーゲル)というが、自分史は最後審判だ。この人生が神の審判の始まりである。審判の結果である。

●この生き地獄の人生を「楽」に旅するには神の啓導が必要。そのときこれらの悩みのことごとくが人生を楽に歩くための「鞭」となる。これが「幸福論」の著者ヒルティの言わんとするところだ。不幸や悩みは神が人間に永遠の命に目を向けさせるための「鞭」。本当の幸福に導こうとする愛の業。罰ではない。

●イエスは「健康な人には医者はいらない」と言う。健康な人は神を呼ばないが、呼ぶ日が来る。必ず来る。それは罰ではなく、神に呼ばれる日だ。人生で悩みのない人はいない。建築設計の経験。金持ちの未亡人の「防犯」の心配は底なし沼。いくつ鍵を設計しても安心しない。これ持てる者の悩み。金があっても心は地獄。

●「悩みの日にわたしを呼べ」。これ聖書の語りかけているところである。宗教は「逃げ」ではない。神を知るという人間として最も大切な「人間としての尊厳」に至る入口である。人生は神を知ることによって始まり、終わる。老年になって最後の日に神を呼ぶのでもよい。●しかし神を知るのは青春の日がよい。

文語訳 伝  12:1

汝(なんじ)の少(わか)き日に汝(なんじ)の造主(つくりぬし)を記(おぼ)えよ。即(すなわ)ち悪しき日の来り、年のよりて我は早(はや)何も楽しむところ無しと言うにいたらざる先

口語訳 伝  12:1
12:1 あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、


新改訳 伝  12:1
12:1 あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に。


新共同 伝  12:1
12:1 青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。「年を重ねることに喜びはない」と/言う年齢にならないうちに。


NKJV 伝  12:1
12:1 Remember now your Creator in the days of your youth,Before the difficult days come,And the years draw near when you say,"I have no pleasure in them":


TEV 伝  12:1
12:1 So remember your Creator while you are still young, before those dismal days and years come when you will say, "I don't enjoy life."

●「WEB黒崎」黙示録12章の引照をOマネジャー(在シドニー)と福島のY協働者に送信。その送り状に次のような感想を添えた。

(送り状感想)

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両兄
引照黙12章、2本です。
 
感想。
この章では「投げ落とされる」という言葉に注目させられました。91013節です。
 
新共同 黙  12:9
12:9 この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた
 
 
新共同 黙  12:10
12:10 わたしは、天で大きな声が次のように言うのを、聞いた。「今や、我々の神の救いと力と支配が現れた。神のメシアの権威が現れた。我々の兄弟たちを告発する者、/昼も夜も我々の神の御前で彼らを告発する者が、/投げ落とされたからである。
 
 
新共同 黙  12:13
12:13 竜は、自分が地上へ投げ落とされたと分かると、男の子を産んだ女の後を追った。
 
●概して黙示録は最後の審判のプログラムと読みます。
●「WEB黒崎」協力の最大の恩恵は、聖書は最後審判の観点から読むべきことを学んだことです。この観点から読むとイエスの言動もパウロの手紙もスルスルと解けてくる様に思います。来年からの聖書講義はすべてこの観点から読み直すことにします。
●とすると、黙示録はその最後審判のプログラムとして読むと俄然興味が湧いてまいりました。
●「最後の日」にはキリストを信じ忍耐して生き抜いた者は「白い衣」(黙318=Ⅱコリ51-10)を着せられる。
●この信仰を信じ抜く戦いが地上のエクレシアの使命。
●現代の教会も無教会もこの戦いから逸脱している。キリスト教で世界を漸次的に良くしていこうとしている。これは人間的努力という不信仰の悪霊。「惑わす者」。その精神の持ち主(私はこういうことをやりましたと思う人間)は最後の日に「投げ落とされる」。
●このような感想を持ちました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(送り状おわり)
●妻はモーツァルト・レクイエムの練習。明日が本番。
●レクイエムは「死者のためのミサ曲」。死んだ人が最後の審判の時に神に救われるようにとの「とりなしの祈り」。そのミサ曲。意味は深い。私の残りの生涯もこの「とりなしの祈り」をする日々でありたい。心で毎日「レクイエム」を唱える日々でありたい。ヨブは偉かった。
新共同 ヨブ 1:4-5
1:4 息子たちはそれぞれ順番に、自分の家で宴会の用意をし、三人の姉妹も招いて食事をすることにしていた。
1:5 この宴会が一巡りするごとに、ヨブは息子たちを呼び寄せて聖別し、朝早くから彼らの数に相当するいけにえをささげた。「息子たちが罪を犯し、心の中で神を呪ったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつもこのようにした。
●カトリックが生んだ「レクイエム」の意味は深い。死、復活、十字架、最後の審判(怒りの日)、キリストの救い、とりなしの祈りが含まれている。それに比べてプロテスタント、特に無教会の葬儀はなっちゃない。故人の徳をたたえたり、この世的業績を並べたてて終わり。あれでは「代祈、とりなしの祈り」がないから故人は「浮かばれない」。


 


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レクイエムは無教会のためにある!! ++++++++ 所感

2009/12/11 08:06

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
       http://stonepillow.dee.cc/

091211(金)一番電車の音で起床、5時半●朝の瞑想「うまくいかない人生」●TSK日本語化●昨日会った大川四郎氏の話。「現在台湾伝道をしているが『WEB黒崎』を大いに活用している。あまり台湾の人に知られるようになるとわたしの伝道説教のタネがバレてしまう(笑)。」●「WEB黒崎」が台湾、韓国、それに世界中にいる日本人クリスチャンの間に浸透するのは時間の問題だと感じた。昨年11月にWEBで無料公開してほぼ一年だが、今日までのアクセツ数(訪問者数)は9686回。ホンモノは宣伝しなくても伝わる。●8:15BS2で「名曲探偵アマデウス」を見る。今日は「フォーレのレクイエム」。解説者は「レクイエムの目的は聖書の言葉をいかに響かせるかにある」と言った。ガッツポーズである。無教会は教会組織や芸術的方面でカトリックに劣るが、カトリック教会が生んだレクイエム(傑作はモーツァルト、ヴェルディ、フォーレ)は何と「聖書の言葉を響かせるためにある」とはまた嬉しい。聖書に固着してしがみつく無教会の生き方に間違いはない。●レクイエムは無教会のためにある!!●来る13日は妻の所属する合唱団がモーツァルトのレクイエムを歌う。妻は3回目なので暗譜している。妻はかってフォーレのレクイエムも歌った●今朝の瞑想「うまくいかない人生」。過日、「わたしの人生がこうなるのはあたりまえだ」と思っている人にであった。このとき、こういう人は神に目をかけられると思った。その聖書的根拠は次の通り。心が砕けているからだ。

詩    34: 18 [口語

主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる。

詩    34: 19 [新共同

主は打ち砕かれた心に近くいまし/悔いる霊を救ってくださる。

詩   51: 17 [口語

神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心を/かろしめられません。

詩    51: 19 [新共同

しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を/神よ、あなたは侮られません。

詩    147: 2-3 [新共同


147:2 主はエルサレムを再建し/イスラエルの追いやられた人々を集めてくださる。
147:3 打ち砕かれた心の人々を癒し/その傷を包んでくださる。

イザ   57: 15 [新共同

高く、あがめられて、永遠にいまし/その名を聖と唱えられる方がこう言われる。わたしは、高く、聖なる所に住み/打ち砕かれて、へりくだる霊の人と共にあり/へりくだる霊の人に命を得させ/打ち砕かれた心の人に命を得させる。

イザ   61: 1 [新共同

主はわたしに油を注ぎ/主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして/貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み/捕らわれ人には自由を/つながれている人には解放を告知させるために。

塚本訳 ルカ 23:41-43
23:41 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる。」


塚本訳 ルカ 18:13-14
18:13 しかし税金取りは(罪に責められ、)遠く(うしろ)の方に立ったまま、目を天に向け(て祈りをささげ)ようともせず、ただ胸をうって、『神様、どうぞこの罪人のわたしをお赦しください』と言った。
18:14 わたしは言う、あの人でなく、この人の方が(神から)信心深いとされて、家にかえっていった。自分を高くする者は皆低くされるが、自分を低くする者は高くされるのである。」

●この最後の「自分を高くする者は皆低くされるが、自分を低くする者は高くされるのである」は終末、最後の審判の時の姿だ。●最後の審判の時「俺の人生は失敗だった。うまくいかなかった。霊魂の永久滅亡は当然だ。救われがたい人間だ」と思った人ほど神にかわゆく思われるのだ。聖職者、聖書学者はこうはいかない。神に嫌われる。そのことは聖書に無数にある。●この地上ではなぜ救われない人、信仰に至らない人がいるのか。この千古の謎も「最後の審判の時」という光を当ててみれば氷解する。つまりこの世で一番遅れた人が絶対無条件の罪の赦しで一番になる為である。聖書的根拠は次である。聖書はこれすべて最後の審判の観点から読めば理解でき易い。●わたしを悩ませるあの人はきっと最後の日に絶対無条件の罪の赦しで真っ先に救われるのだ。そういう希望を持とう。

塚本訳 ロマ 11:32
11:32 つまり神はすべての人を不従順の中に閉じこめられたが、これはすべての人に憐れみを施すためであった。


塚本訳 ガラ 3:22-23
3:22 しかし(律法は命を与えるものでなく、人を罪に閉じこめる力をもつだけである。)聖書はすべての人を(律法によって)罪の下に閉じこめ、イエス・キリストを信ずる信仰によって、信ずる者に約束が与えられるのである。(律法は約束に矛盾しない。むしろこれに導く家庭教師である。)
3:23 しかし信仰が来る前には、わたし達は(みな)律法の下に閉じこめられ、監督されて、信仰が現れねばならぬ時にまで及んだ。

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家庭のイルミネーションもここまでやるとやり過ぎを通り越してみっともない。


 

 

 


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淋しい時 ++++++++ 所感

2009/12/10 06:24

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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091210(木)5時半起床●啓示「淋しい時」●TSK日本語化

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公園でのラジオ体操の帰途、朝日を撮る。今日は特別に大きな太陽だ。

●「淋しい日」。それは心に隙間風が吹く時。寒風が吹く時。身も心も冷え込む時。人間、肉の痛みは何とか耐えられるし精神力はある。また耐えられる物理的手段方法はあるが、心の淋しささを癒す健全な方法は見出しにくい●酒、煙草、遊び、スポーツ、健康、金儲け、恋愛、家庭生活、性の交わり、家庭団欒、子供、孫、仕事、地位、音楽・・・つまりありとあらゆるこの世の肉の手段(それは一般に常識的に善とされるもの)では心の渇きをいやせない。●理由は、神との命の交わりが絶たれた状態だからである。命の交流が絶たれる状態を聖書に見る。

①神に楽園を追放される。神との交わりの断絶。人類はここから堕落が始まった。淋しさが始まった。

新共同 創 3:23-24
3:23 主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。
3:24 こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。

②結婚は神の定めたもの。それは「人格の交わり」。だからそれが絶たれると人間は淋しい。

新共同 創 2:18
2:18 主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」

③離婚してはいけない。その後の人生が暗くなる。淋しくなる。

新共同 マタ 19:5-6
19:5 そして、こうも言われた。「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。
19:6 だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」

④親に捨てられる子供は淋しい。離婚率4割。子供に罪はない。子供を捨てた親の運命は暗いことは当然。

新共同 詩  27:10
27:10 父母はわたしを見捨てようとも/主は必ず、わたしを引き寄せてくださいます。

⑤子供を失う時の親の苦脳と淋しさは大きい。

新共同 マタ 2:18
2:18 「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、/慰めてもらおうともしない、/子供たちがもういないから。」

⑥仕事がない時の、人間としての淋しさ。

新共同 マタ 20:7
20:7 彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。

新共同 ルカ 16:3
16:3 管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。

●淋しさが癒える道が開かれた。光、愛、やさしさ、赦し、暖かさ、明るさ。

①渇きが癒される命の水

新共同 ヨハ 4:12-15
4:12 あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです。」
4:13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。
4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」
4:15 女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」

②人は新しく創造されることによって淋しさが癒える。神との交わりの回復。

新共同 ロマ 5:18-19
5:18 そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。
5:19 一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。

③聖書の目的は人間が淋しさから癒されて喜びが満ちあふれるようになるためである。命の交わりの回復。

新共同 Ⅰヨハ1:1-4
1:1 初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。――
1:2 この命は現れました。御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです。――
1:3 わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。
1:4 わたしたちがこれらのことを書くのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるようになるためです。

●CDでドヴォルザーク交響曲第8番「イギリス」をカラヤン+ベルリンフィルで観賞。その名演に感動。ドヴォルザーク大好き。なんとなく日本人に合う。

●13:30 今井館、クリスマスコンサート

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今井館クリスマスコンサート。ヘンデル、ハイドン、メンデルスゾーン、グノー、マスネ、フランク、アダンの歌曲。本格派の力演。大川氏は無教会、柴田文明氏集会に出席。

右はテノール大川信之。左はソプラノ佐藤りな(大川信之氏夫人)

最後にクリスマス讃美歌を全員で合唱

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花束贈呈。左は蜷川文子、右は高橋トミ子

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左は大川信之氏御尊父の大川四郎氏、台湾に伝道中で、「WEB黒崎」を大いに活用されているという。右は高橋照男。今井館会場で。●大川氏と懇談。無教会は音楽を好む人が多いが、造形視覚芸術には関心がないのはなぜだろうと話し合った。

●帰途は武藤陽一氏と復活、最後の審判について話し合いながら帰った。内村鑑三全集DVD版(武藤氏はその委員)についても意見交換。「WEB黒崎」を無料で発信していることに驚いておられた。









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敵を愛せない悩み ++++++++ 所感

2009/12/09 08:45

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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091209(水)4時半目覚め。朝の黙想「敵を愛せない悩み」●TSK日本語化●秋留台公園でラジオ体操●昨日学校で、「好きという感情は愛すということとは違う」とカッコイイことを講義した(内容は昨日のブログ参照)が、では果たしてこの私は「好きではない人も愛せるか。敵をも愛せるのか」と自問自答したが「否」である。ではその悩みをどうしたらよいのかを黙想。聖書のあちこちが浮かんできた。

(朝の黙想)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

塚本訳 マタ 5:43-44
5:43 あなた達は(昔の人がモーセから、)『隣の人を愛し、』敵を憎まねばならない、と命じられたことを聞いたであろう。
5:44 しかしわたしはあなた達に言う、敵を愛せよ。自分を迫害する者のために祈れ。

塚本訳ルカ 6:28
6:28 呪う者に(神の)祝福を求め、いじめる者のために祈れ。

塚本訳 ロマ 12:14
12:14 (あなた達を)迫害する者に(神の)祝福を求め、祝福して呪うな。

●聖書はこういうもののこれができないのだ。できにくいのだ。無理なのだ。

 塚本訳ヨハ 15:13-14
15:13 (わたしはあなた達のために命を捨てる。)友人のために命を捨てる以上の愛はないのだ。
15:14 あなた達はわたしの命ずることを行ってさえおれば、わたしの友人である。

●と言われても、変な人間のために命を捨てることはできない。自分がもったいない。無駄なことはしたくない。


 塚本訳マタ 10:28
10:28 体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。

●イエスの新しい掟を実行するには何か特殊な原理が必要らしい。それは肉の世界の「ヒューマニズム」では無理。肉より霊魂のほうが大切と思う考えにならない。それがこの言葉かも知れない。これはかって矢内原忠雄先生が国家の悪と戦った時に同志を励ました言葉である。


 塚本訳ピリ 1:21
1:21 何故なら、私にとって生きることはキリスト(を生きること、彼が私に生き給うことである。否、彼が私の生命)である。そして死ぬることは(完全にキリストと共に生きることであるから、私にはむしろ)利益である。

●パウロの不屈の戦いもこの「死ぬるは益」という考えに立っていた。死ねばキリストが働くという認識。


 塚本訳ピリ 1:29
1:29 君達はキリストのために──ただ彼を信ずるばかりでなく、また彼のために苦しむことをも恵まれたからである。

文語訳 1 ピリ 1:29
1:29 汝等はキリストのために啻に彼を信ずる事のみならず、また彼のために苦しむ事をも賜はりたればなり。

●松島省三先生が出征するときのこと。列車に乗る寸前に信子夫人が一枚の紙切れを先生の軍服にねじこんだ。列車の中でそれを開けるとこの聖句が書かれていた。(文語)。そのとき先生は滂沱の涙。そしてクリスチャンの女房をもらってよかったと思ったという。戦地から引き上げてみると愛児が亡くなっていた。信子夫人は晩年、車椅子の御生活。電話の先で讃美歌「主われを愛す」を歌ってくださった。「苦しむことも賜る」というところにクリスチャンのこの世での苦しみの深い意味が込められている。


塚本訳Ⅰコリ15:58
15:58 だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ。骨折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから。

●人生で最も空しいと思うことは、無意味性の感情である。「この仕事」「この苦しみ」「この悩み」は無駄に終わるのではないかという空しさである。しかし主にあるとき悩み苦しみの一つとして無駄に終わらないとは大なる慰めである。


塚本訳マタ 5:38-42
5:38 あなた達は(昔の人がモーセから、)『目には目、歯には歯』──(人の目をつぶした者は自分の目で、人の歯を折った者は自分の歯で、つぐなわなければならない)と命じられたことを聞いたであろう。
5:39 しかしわたしはあなた達に言う、悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打ったら、左をも向けよ。
5:40 (裁判所に)訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせてやれ。
5:41 だれかが無理に一ミリオン[一キロ半]行かせようとするなら、一しょに二ミリオン行ってやれ。
5:42 求める者には与えよ、借りようとする者を断るな。

●ぶたれたり、悪く言われることのことごとくが無駄に終わらない。その一つ一つが神に覚えられて、天国に貯金されている。


塚本訳 使  7:54-60
7:54 これを聞いて(法院にいた)人々は怒り心頭に発し、ステパノに向かって歯ぎしりした。
7:55 しかしステパノは聖霊に満ちて天をじっと見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見ると、
7:56 「おお、天が開けた、人の子が見える、神の右に立っておられる!」と言った。
7:57 すると彼らは大声で叫び、(冒涜の言葉を聞くまいとして)耳をふさぎ、一せいに襲いかかって、
7:58 彼を町の外に突き出し、石で打ち殺した。証人たちはぬいだ上着をサウロという青年の足下に置い(て、番をさせ)た。
7:59 ステパノは打ち殺されながら、イエスの名を呼んで、「主イエス様、わたしの霊をお受けください」と祈り、
7:60 それからひざまずいて、大声で叫んだ、「主よ、どうぞこの罪をこの人たちに負わせないでください!」こう言って、彼は眠りについた。

●ステパノが迫害者を許せたのも「天が開けて、人の子が見えたから」である。決して人間的な「我慢」ではない。


塚本訳 ロマ 9:1-3
9:1 私はキリストにある者として本当のことを言う、嘘はつかない。わたしの良心も聖霊によって、(それが本当であることを)保証してくれる。
9:2 (わたしが急にこんなことを言い出したら信じてくれないかも知れないが、)わたしに大きな悲しみと、心に絶えざる痛みとがあるのである。
9:3 ほんとうに、兄弟すなわち血を分けた同胞の(救われる)ためならば、このわたしは呪われて、救世主(の救い)から離れ落ちてもよいと、幾たび(神に)願ったことであろう。

●同胞のためなら自分が「救いから離れ落ちてもよい」ということは霊魂が永久滅亡してもよいということ。驚くべきパウロの同胞への愛の深さ。


 塚本訳 ルカ 23:33-35
23:33 髑髏という所に着くと、(兵卒らは)そこでイエスを十字架につけた。また罪人も、一人を右に、一人を左に(十字架につけた)。
23:34 するとイエスは言われた、「お父様、あの人たちを赦してやってください、何をしているか知らずにいるのです。」『彼らは籤を引いて、』イエスの『着物を自分たちで分けた。』
23:35 民衆は立って『見物していた。』最高法院の)役人たちは『鼻で笑って』言った、「人を救ったのだ、(今度は)自分を救えばいいのに、神の救世主、(神に)選ばれた者なら!」

●イエスは人類の救いのために神から棄てられた。霊魂の永久滅亡を神に強要された。イエスはたまらず叫んだ。「わたしの神様、わたしの神様、なぜわたしをお見捨てにおなりましたか!」と(マタイ27:46)


塚本訳ガラ 5:13
5:13 兄弟たちよ、あなた達は自由のために(神から)召されたのである。ただこの自由を(濫用して)肉を満足させる機会としてはならない。むしろ愛によって互に奴隷として仕えるべきである。

●肉の人間は人の奴隷にはなるまいと思う。神の奴隷になって莫大な霊の富を頂く時に、初めて「互に奴隷として仕える」ことができる。キリスト教をたかだかヒューマニズムの一つと考える人間は、この句が受け入れられない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(朝の黙想、終わり)

●昨日の講義で「好きと愛とは違う」ことを体験談を交えて語ったところ、(昨日のブログ参照)生徒から「先生ってプレーボーイだったのですか」と聞かれてショックであった。こんなことを聞かれたのは初めてであった。しかし胸に手を当てて考えると、次の聖書の箇所が浮かんできた。

塚本訳 エペ 2:1-5
2:1 君達も(私達と同様に)自分の咎と罪によって死んだ者であって、
2:2 かつてはこの世の世界の流れに従い、すなわち空中の権威と、今も不従順の子らの中に働いている(悪)霊との首領に従って、その咎と罪の中を歩いたのであった。
2:3 (否、)私達も皆かつてはこの人達に伍して自分の肉の欲の中に生活し、肉と欲望の欲するままに振舞って、他の(異教)人達のように生まれながら(神の)怒りの(審判に定められた)子であった。
2:4 しかし憐憫に富み給う神は、その大なる愛によって私達を愛し、
2:5 咎によって死んでいたこの私達をもキリストと共に活かし──君達が救われたのは恩恵によるのだ──

●そうだ、私は「かっては」この世のプレーボーイだったのだ。しかしそれは悩みが多かった。ところが絶対恩恵の罪の赦しに救われて。真の意味での「プレーボーイ」になれたのだ。自由、歓喜、喜び、永遠、愛。

 

 

 

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ボロボロ人生でよいのだ ++++++++ 所感

2009/12/08 10:34

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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091208(火)5時起床●TSK日本語化●公園でラジを体操。遅刻常習犯なので「遅刻のオジサン」と呼ばれるようになった。●「WEB黒崎」。引照入力、黙示録8章。シドニーのマネジャーと福島県の協働協力者へ送付の際の感想文は次の通り。

(感想文)

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両兄殿

感想を申し上げます。
 
●この黙示録8章には天変地異の様子が描かれています。
 
新共同 黙  8:7-12
8:7 第一の天使がラッパを吹いた。すると、血の混じった雹と火とが生じ、地上に投げ入れられた。地上の三分の一が焼け、木々の三分の一が焼け、すべての青草も焼けてしまった
8:8 第二の天使がラッパを吹いた。すると、火で燃えている大きな山のようなものが、海に投げ入れられた。海の三分の一が血に変わり、
8:9 また、被造物で海に住む生き物の三分の一は死に、船という船の三分の一が壊された。
8:10 第三の天使がラッパを吹いた。すると、松明のように燃えている大きな星が、天から落ちて来て、川という川の三分の一と、その水源の上に落ちた。
8:11 この星の名は「苦よもぎ」といい、水の三分の一が苦よもぎのように苦くなって、そのために多くの人が死んだ。
8:12 第四の天使がラッパを吹いた。すると、太陽の三分の一、月の三分の一、星という星の三分の一が損なわれたので、それぞれ三分の一が暗くなって、昼はその光の三分の一を失い、夜も同じようになった。
 
●そして次の13節では「地上に住む者は不幸だ」と言いきっています。
 
新共同 黙  8:13
8:13 また、見ていると、一羽の鷲が空高く飛びながら、大声でこう言うのが聞こえた。「不幸だ、不幸だ、不幸だ、地上に住む者たち。なお三人の天使が吹こうとしているラッパの響きのゆえに。」
 
●現在、地球温暖化防止のために国際会議を開かれて「地球を滅ぼすまい、滅ぼすまい」と騒いでいます。しかし黙示録に書かれている天変地異の恐ろしい様相は、地球温暖化によって生じる地球の壊滅の姿の想定よりもひどいものであると感じました。●この有限なる地球を大切にすることは「小事」に忠なるべきことで大切ではありますが、それは有限なるがゆえに「不正の富」であります。これに目を向けるのは「小事」であります●私が有限なる建築という「不正な富」に生涯携われたのは次の箇所(ルカ16:9-13)がその神学的根拠です。有限かつ不正であるものを愛するのは背後に無限かつ真正の富を抱いているときです。地球の完成が目的ではありません。同じく人格の完成も目的ではありません。これらの有限かつ不完全であるが故に「不正」なものは、不完全のままに神に献げる。完成しなくてよい。ボロのままでよい。ズタズタのままでよい。めちゃくちゃの人生そのままを神に受容していただく。神にすがる。
 
 
塚本訳 ルカ 16:9-13
 ◆富の利用について
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。
16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。
16:11 だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。
16:12 もし他人のもの[この世のこと]に忠実でなかったならば、だれがあなた達のもの[天のもの]をあなた達に与えようか。
16:13 しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。
 
●地球は滅びる。天変地異驚くことはない。しかしキリスト信者はこれを滅びないように努力する。「小事」に忠ならんとする。しかしその忠実は「まことの冨」を頂いている者の方が無神論者やこの世主義者よりも熱心かつ高度にできる。これ逆説である。なぜか。神が援助者で応援してくださるから。神御自身が「この世」を愛されるから。(ヨハ3:16)。この故にキリスト信者は厭世主義者にはならない。粘る。●この逆説は歴史的事実となって表れた。神を第一にしてこの世の完成を第二にするプロテスタント教の国の方が科学技術が進歩した。完全に逆説である。神に熱心なユダヤ人の方がこの世の改造に功績があった。少人数のユダヤ人がノーベル賞の20%を受賞。また「富よりも神を第一にして建国した米国が世界一の富者になった」ことも信仰第一による逆説の歴史的証明。
 
●しかし、終末の天変地異のときに神を信ずる者は驚いてはいけない。「いよいよ神の手が下ったか」と思うべきである。
讃美歌520番4節である。
 
 讃美歌520番 4節
 
おおぞらは巻き去られて
地はくずるるとき
つみの子らはさわぐとも
神による御民は
おりかえし)
こころ安し、神によりて安し
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(感想文おわり)
●讃美歌520番のメロディーは次をクリック
●地球は滅びる。維持できない。人格も完成しない。人生も家庭もボロボロ。それでよいのだ、それでよいのだ。ズタズタ人生のまま泣いて神に取りすがるほうがよいのだ。その方が神に喜ばれすのだ。
●去る12月6日の集会感話「最後の審判がある」をHPの「使徒伝承」にアップロードした。
●午後、女子大で建築講義。二コマ。どうしても好きになれない建築主の仕事をしなければならなくなったらどうすべきか。こういう難問についてレクチャー。女子大生の身近な問題を例にして講義。
私・・・「好きな人と結婚できなくても構わない。なぜか。『好き』というのは『真の愛』とは違ってそれは相手に心がとらわれた状態であって、不自由という病気である。また『好き』というのは相手の心をを奪おうという気持ちである。だから相手の愛を奪えない時は憎むようになる。真の愛は無死の心で相手に尽くし抜く心であるからもし相手から愛が得られなくても憎むようなことはしない。だから『好き』な人とは結ばれなくてよい。結ばれない方がよい。その方が「シアワセになれる。なぜか。『好き』という感情は長続きしないのですぐ破局するから。」
生徒質問1・・・「私はお見合い結婚をしたい」
生徒質問2・・・「『好き』も『愛』も経験された先生ってプレーボーイだったのですか」
生徒質問3・・・「先生はイマ奥さんに対して『好き』なのですか『愛』なのですか。シアワセですか」
生徒質問4・・・「私の場合はどうすればよいのですか」
生徒質問5・・・「先生、マリッジブルーという言葉を知っていますか」
●純粋な若い人と話をするのは勉強になる。「結婚のシアワセ」を求めている。その真剣な態度、(それは祈りに近い)がたのもしい。彼女たちが真のシアワセである「幸い=永遠の命」にめぐりあえることを祈った。
●妻はモーツァルトのレクイエム。ドイツから指揮者のマウラー氏が来日。本番前の練習。
 
 

 

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「何となく違う」ということ ++++++++ 所感

2009/12/07 07:27

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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091207(月)5時起床●TSK日本語化

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公園でのラジオ体操の帰途、朝日を撮影。イエスは言う「私が世の光だ」

●福島県で有機農業を営んでいる息子のブログ(http://chitata.blogspot.com/)に感想を書いた。一部改変して公開する。

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K君
感想です。

●(写真に写っているような)もち切り器があるとは初めて知りました。私の家にあれば便利かなーとも思いますが、私の場合は年一回だけ。汗をかくことにします。
能率向上のための設備投資は大切です。しかしこれが過大になるとそのローンで儲けが食われてしまいますので要注意ですね。

●建築は数十種類(学校、住宅、事務所、病院、工場・・・・・・)以上ありますが、原材料である木材、コンクリート、杭、鉄筋、などは全部に共通です。
これはK君の作る品物がパン、餅、キムチ、味噌など多品種であってもその原材料である米、麦などは共通であるのに似ていると思いました。
さて、ここで盲点はコストの中にその加工能力、ノウハウ、つまり労働の価値を軽視しがちなことです。特に日本人はそのことに気がつかないことが多いのです。しかしそれが企業でも人でも「財産」なのです。水沢工務店は超高級な木造住宅が専門(歌舞伎役者の家が多い)で、そこに注文すると出来上がりが違うのです。技術が違うのです。食べ物に即して言えば出来上がりが違うので「超おいしい」ということになりましょうか。「何となく違う」のです。音楽でも演奏家によって同じ楽譜でも「何となく違う」ものが生み出されるのです。銀行では貸出金利はどこでも同じですが、接客態度に「何となく違う」差が出ているのです。悪い銀行は冷たいのです。時にはとんでもなくひどい態度をします。病院の看護婦また同じです。銀行でも病院でも「悪い人間」のいるところは少しづつ客足が遠のきます。私の経験では無教会は教会と比べて「何となく違う」のです。この「何となく違う」ものを生み出すためには「金儲け第一でなく、人間への愛情第一」の不断の努力(それはほんの少しずつの積み重ね)が必要と思います。あのスーパーゼネコンの清水建設の営業は「風呂場のスノコ直しからやります」と言っていました。立派な精神です。藤林益三先生は「大事件をやるな。小さいものを沢山やれ」と弁護士の初年兵に教えられました。そのために先生はよく働かれました。忙しかったのです。K君も「何となく違う」ものを生みだすための御健闘をお祈りいたします。
追伸
スイスはなぜ高級時計生産の国になったか。宗教改革のときフランスで迫害された「ユグノー教徒」がスイスの山の中に逃げ込んだ。その中に時計職人多くいて、金でなく神第一の生活をしていた(おそらく清貧)。そこからスイスの高級時計が生まれたました。

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(メール終わり)

●「人との付き合い方6種」

生きていく上での大きな悩みの一つに「人間関係」がある。全員にうまくいくわけではない。聖書から学ぶことはおおよそ6種類。聖書的根拠は多いので書かない。

①普通に無理なく自然に付き合う人。相手を改造しない。攻撃しない。責めない。親しくなろうとしない。攻撃しない。少しでも良いところだけがあればそれを覚えていて尊敬する。

②特に親しく付き合う人。主にある「心の交わり」。これは楽である。来世まで続く。神からの賜物。大切な宝ものの人と思う。神に特別に与えられる「慰めの人」

③残念で悲しいことではあるが、どうしても「ウマが合わない」「ソリが合わない」「血が騒ぐ」「会うと2-3日。いやな思いがする」などの人がいるものだ。こういう人とは仲よくなろうとして無理して付き合うようなことはしない方がよい。こういう場合イエスも、パウロも自分の方から離れた。その地を去った。

敵(相性の悪い人)をも愛さなければならないと自分を責めて努力するのは信仰とは違う「行為主義」「ヒューマニズム」。神に喜ばれない。その人の「幸福」を祈って呪わない。人生ではこういう人がいるのも祈りの試練だと思う。神はそういう人を目の前から去らせて「楽にして」くださる。

④負わされる十字架としての付き合い。これは神から与えられた人だから熱心に祈ってその人の救いを祈る。こういう祈りはいつか聴かれる。

⑤師事する人。神から与えられた師として没入する。親鸞は師である法然のことを「騙されて地獄に行くとも信じ抜く」と言った。信仰にはこの姿勢が必要。自分の判断を中心にしていては真理は認識できない。信仰はもてない。

⑥真理の敵たる人間。ヒルティは敵を持てという。こういう相手とは徹底抗戦。ただしその敵とは「真理の敵」。集団や企業、派閥内の勢力争いの敵ではない。誰を敵とするか、何を敵とするかで人間の大きさが量られる。(マタイ7:1)。ルターの敵はローマ教皇。「神の義はその福音のうちに現れた。人は信ずるのみで救われる」という千古不易の大真理のために命を賭した。不肖私は「使徒伝承」の継承に命を賭す。なぜか。人に永遠の命の道を告知して「真に楽に」することだから。

●「WEB黒崎」引照7章入力。シドニーのOマネジャーと福島県のY協働協力者に次のような送付メールを送った。

(送付メール)

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 両兄殿

感想
黙示録の中心的急所が16-17節にあると感じました。
 
新共同 黙  7:16-17
7:16 彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、/太陽も、どのような暑さも、/彼らを襲うことはない。
7:17 玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、/命の水の泉へ導き、/神が彼らの目から涙をことごとく/ぬぐわれるからである。」
 
●これがあって、どんな不遇な人も慰められないことはありません。内村鑑三の言葉「キリスト・イエスを救い主と仰ぎて癒し難き悲痛あるなし」の聖書的根拠はここであると感じます。「第二の死」「最後審判」「子羊の救い」「永遠の命」が強く書かれている「黙示録」が魅力的になりました。集会では現在「イエス伝」をやっていますが、次は「黙示録」をやってみたくなりました。「WEB黒崎」作業の最後が黙示録で、両兄から御教示頂き、信仰を篤くして頂き感謝です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(送付メール終わり)


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霊魂の永久滅亡という衝撃 ++++++++ 所感

2009/12/06 18:56

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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091206(日)4時起床。今日の感話の準備。プリント整備。Y兄の御教示で土壇場で追加修正。●TSK日本語化●集会は藤巻、宮崎トキ、高橋(最後の審判がある)・・・霊魂の永久滅亡という第二の死があるので十字架の救いがありがたい。しかし代わりにイエスが「なぜ私をお見捨てになられたのですか」と叫んだのだ。と話した。●テキストである「葡萄畑の労働者の譬」は終末の様相であると読むべきであって、ヒューマニズム的に読んではいけないとも話した●「霊魂の永久滅亡」は「第二の死」(特に黙示録)として聖書の前提である。これは百千の宗教の説かないことであるので「衝撃」である●私の前に宮崎トキさんが「最後の審判は戦慄だ」とお話しされたので私の話が楽になった。●小寺利男さんと二人で昼食

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都心からあきる野に戻るとこの景色。遠方は奥多摩連山。

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今年も秋川駅北口にイルミネーションが灯った。

イエスは言う。「私が世の光だ」

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最後の死の裁きを免れるためには ++++++++ 所感

2009/12/05 09:19

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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091205(土)5時半起床●TSK日本語化●Y氏の御教示に刺激され、明日の感話資料を土壇場で一項目追加。「最後の死の裁きを免れるためには」。これで明日の感話の骨子が確定した。それは次の通り。

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最後の審判がある
                 2009.12.6 東京聖書読者会 高橋照男
 
①葡萄園の労働者の譬は「最後の審判」の様相。聖書は「最後の審判」  が前提。
②黙示録の「第二の死」とは霊魂の永久滅亡。火の池の死。永遠の死。
③「最後の審判」を受けるためにすべての人が墓から有体的に復活させられる
⑤「最後の審判」があると言われると不安になる理由は、良心の呵責のため。
⑥神の国の経済原理はこの世と同じではなく不合理かつ不経済。神は骨を折る。
⑦最後の日に「貧しいものは福音を聞かされる」。不信者にラストチャンス有。
⑧「最後の死の裁き」を免れるためにはどうしたらよいのか。
⑨「キリスト賛歌」。「最後の審判」で絶対恩恵による無条件の救いを頂ける。
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●上記⑧の内容は次の通り。
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⑧ 「最後の死の裁き」を免れるにはどうすればよいのか
  
    ●キリストの衣を着る
 
塚本訳 Ⅱコリ5:4
5:4 それで、わたし達のこのテントにいる者は、重荷に呻いている。これを脱ぎたい(つまり死にたい)のではなく、(天の住いを)上に着たいからである。これは死ぬべきものが命に飲み込まれるためである
 
  ●十字架の上の強盗のようになりふり構わずとりすがって叫ぶ
 
塚本訳ルカ 23:42-43
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる。」
 
   ●聖書を信じ復活があることを信じる生活をして準備をしていればよい
 
塚本訳 ルカ 16:28-31
16:28 わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。』
16:29 しかしアブラハムは言う、『(その必要はない。)彼らにはモーセ(律法)と預言書と[聖書]がある。その教えに従えばよろしい。』
16:30 彼が言った、『いいえ、父アブラハムよ、もしだれかが死人の中から行ってやれば、きっと悔改めます。』
16:31 しかしアブラハムは答えた、モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。』
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●「最後の審判」を話すと大部分の人に嫌われるらしい。これが多くの殉教者たちの宿命の道であったのかも知れない。
●11:37 去る11月29日の集会感話「永遠の命をいただくにはどうすればよいのか」の配布資料をHP「使徒伝承にアップロード。しかしその後の一週間で「最後の審判」「第二の死」などの真理に目から鱗が落ちた。明日12月6日の感話「最後の審判がある」の内容とは若干力点が違うが大筋では違わない。●しかしこれからは「最後の審判、第二の死」から福音を説こう。それが聖書の根底だから。十字架の必要もそこにある。●イオンで買い物、図書館でCD●トミ子は夕方からモーツァルト「レクイエム(死者のためのミサ曲)」の練習。●改めて「レクイエム」の歌詞を読んだが、初めてと言って良いぐらいにことごとく「アーメン」である。レクイエムは終末の裁きの日、神の怒りの日に、イエスの故にこの私を救ってくださいというもの。真に死者のための音楽だ。●これを歌っている多くの人達にこの歌詞の内容が心から「アーメン」と言える日の来る事を祈る。●次は「赦祷文」の歌詞。これは全く黙示録の祈りだ。心からアーメンと言える。カトリック教会がこれを生みだし保存し継承していることに脱帽。私としてはこれがわかるまでに随分と時間がかかった。この部分はレクイエムでもヴェルディとフォーレにはあるがモーツァルトにはない。●以下はWikipediaからの引用。
赦祷文 (Responsorium)

ミサの終了後の赦祷式(Absolutio ad Tumbam)で歌われる。ミサには含まれないが、葬儀に関連するため、曲がつけられることがある。通常のミサで使われる嘆願(Libera nos)と区別するため Libera meと呼ぶことが多い。

主よ、永遠の死から私をお救いください
恐るべきその日に。
天と地が揺れ動き、
主が炎を持ってこの世を裁く日、
来るべき裁きと怒りの時に
私は恐れおののく。
天と地が揺れ動く。
その日は怒りの日、
災いと不幸の日
大いなる嘆きの日。
主よ、永遠の安息を彼らに与え、
絶えざる光でお照らしください。
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キリスト賛歌の喜び ++++++++ 所感

2009/12/04 07:02

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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091204(金)5時半起床●朝の啓示「キリスト賛歌の喜び」●TSK日本語化●公園でラジオ体操。素晴らしい朝日。キリスト賛歌を連想する。

●黙示録の「第二の死」は霊魂の永久滅亡のことである。霊魂不滅の思想(ギリシャ哲学)や宗教(仏教)に対して、これは衝撃である。しかし聖書を貫徹する思想はこの最後審判である。キリストの言葉はこの「最後の審判」がマスターキーである。その最後のときに不信者(心の貧しい者)は福音を聞かされる。そのラストチャンスにも神を信じない者の霊魂は永久滅亡である。イエスはこの永久滅亡を「暗闇にほおり出されて歯ぎしりする」という表現を使う。●しかし生きて絶対恩恵の無条件の救いを聞かされて信じた者、または最後の審判のラストチャンスにそれを信じた者は、救い主キリストの賛歌を歌う。

新共同 黙  4:8b
4:8 b 彼らは、昼も夜も絶え間なく言い続けた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、/全能者である神、主、/かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」

新共同 黙  4:11
4:11 「主よ、わたしたちの神よ、/あなたこそ、/栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方。あなたは万物を造られ、/御心によって万物は存在し、/また創造されたからです。」

新共同 黙  5:12
5:12 天使たちは大声でこう言った。「屠られた小羊は、/力、富、知恵、威力、/誉れ、栄光、そして賛美を/受けるにふさわしい方です。」

●人生の最大最高の喜びはこの「キリスト賛歌」を心で歌うことである。密室で、ベッドで歌うことである。この世から迫害されるつつなおも歌うことである。これができればこの世の何もなくても成功の人生である。●これができれば憧れのベルリン国立歌劇場合唱団j、ウィーン国立歌劇場合唱団、ベルリン聖ヘドウィヒ教会聖歌隊の一員になれなくても神の国の聖歌隊員になれるのだ。

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公園でのラジオ体操の帰途。美しい朝日が見えた。

讃美歌353番はキリスト賛歌だ。

讃美歌353

1. いずみ と あふるる いのち の いのち よ,
   あさひ と かがやく ひかり の ひかりよ.
 
2. この よ の あたうる さち より のがれて,
   こよなき きみ へ と わが み は あこがる.
 
3. きみ こそ とこよ に かわらぬ よろこび,
   くめども つきせぬ めぐみ の もと なれ.
 
4. みかお を あおげば, うれい は さりゆき,
   みうで に たよれば, ちから は わき いず.
 
5. しゅ いえす よ, たえせず わが み に ともない,
   ひかり の みち を ば あゆませ たまえ や.
●讃美歌のメロディーは次をクリック

 

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我が家の秋の庭。木漏れ日。

日本人には日本の景色が一番しっくりする。

 

 

 

 

 

 

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霊魂の永久滅亡 ++++++++ 所感

2009/12/03 06:28

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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091203(木)5時起床●朝の黙想「第二の死は霊魂の永久滅亡」●TSK日本語化●黙示録でいう「第二の死」の概念に圧倒される。第二の死は明らかに肉体の死の次に来るものでそれは霊魂の死。●人類の大半(おそらく60%以上)が肉体は死んでも霊魂は残ると考えている。肉体が死んだら全く何もなくなってしまうと考える人は非常に少ない。10%以下。残りは「わからない」というもの。●「くわばら、くわばら。死んでも命のありますように」というのが人間の究極の願望●「行って見てきたわけではない」から言えないが、コト新約聖書に関して言えば第二の死である霊魂の永久滅亡が前提。最後の審判である。イエスはその霊魂の永久滅亡から救ってくださった。●人間は「来世があって何らかの裁きがある」ことは獏とではあるが不安に思っている。第二の死(=霊魂の永久滅亡)の予感の不安である。まず7-80%がそういう思いであろう。その代表的な例を聖書に見る。

塚本訳 使  24:24-25
24:24 数日の後ペリクスは、ユダヤ人であるその妻ドルシラと一緒に(監禁の場所に)来て、パウロを呼び、キリスト・イエスに対する信仰の話を聞いた。
24:25 ところがパウロの話は、義と、節制と、来るべき(最後の)裁きとについてだったので、ペリクスは恐ろしくなって、「本日はこれで帰ってよろしい。よい折があったら、また呼びにやるから」と言った。

●ぺリクスはユダヤ駐在のローマ総督、奥さんを3回もとっ変えた。ドルシラも夫を捨ててぺリクスに走ったという「いわくつき」の悪女。ペリクスは美人であった人妻ドルシラを策略で奪ったという。こういう二人であったからパウロが「最後の裁き」を話したときに「恐ろしくなった」のは人間として当然のこと。こういうとき恐ろしくならないのは「人間失格」である。そういう人間に罪からの救いを説くのは不毛。「馬の耳に念仏」とはこういうときに使う。●もう一人、自分の罪に不安になった人物がいる。あの悪女ヘロデヤと妻に頭の上がらない気の弱いヘロデ。ヘロデヤは夫ピリポを捨ててヘロデに走った女。

塚本訳 マタ 14:3-5
14:3 それにはこういう訳がある。──ヘロデは(前に)その兄弟ピリポの妻ヘロデヤのことから、ヨハネを捕らえ、しばって牢に入れたことがあった。
14:4 ヨハネがヘロデに、「あなたはあの婦人を妻にするのはよろしくない」と言ったからである。
14:5 ヘロデではヨハネを殺したいと考えたが、民衆はヨハネを預言者と思っていたので、彼ら(が騒ぎ出すの)を恐れた。

●洗礼者ヨハネに罪を指摘されたヘロデは「洗礼者ヨハネ」を「殺したい」と考えた。人間が男女間の不倫を指摘されるとき、自分の欲望を貫徹するために「邪魔者は殺したい」という思いになる。ヘロデは妻(ヘロデヤ)の機嫌を取ろうとして神を捨てて女をとった●夫を神から遠ざけようとする妻は最大の悪女。地獄行きで第二の死。●「あの世で裁きがある」と言われて「怒る」人間の深層心理は「罪の不安がある」証拠である。難しいことはない。

塚本訳 マタ 14:6-12
14:6 ところでヘロデでの誕生祝いがあったとき、ヘロデヤの娘が満座の中で舞をまい、ヘロデを喜ばせた。
14:7 そのためヘロデは娘に、願うものはなんでもやろう、と誓いまで立てて約束した。
14:8 娘は母の入り知恵で、「洗礼者ヨハネの首を盆にのせて、今ここに戴きます」と言う。
14:9 王は悲しんだが、列座の人々の前で立てた誓いの手前、それを与えるように命じ、
14:10 人をやって牢でヨハネの首をはねさせた。
14:11 首は盆にのせて持ってきて少女に渡され、少女は母に持っていった。
14:12 ヨハネの弟子たちは来てなきがらを引き取って葬り、行ってイエスに報告した。

●ぺリクス、ドルシラ、ヘロデ、ヘロデヤ。この4人は肉の欲望、人間の楽しみを貫徹しようとして神を捨てた。●日本にキリスト教が根付かない原因は簡単である。日本全体がぺリクス、ドルシラ、ヘロデ、ヘロデヤだからだ。自分の欲望貫徹のためにはキリスト教が邪魔だからこれを殺して捨てているのだ。理由はしごく簡単だ。●といっても「煩悩は罪ではない」。人たる者「神か煩悩か」の迷いの時に煩悩を捨てて、つまり自分を捨てて神につくのでなければならない。多くの人間は神を捨てて煩悩につく。ここが人生の分水嶺である。●若者よ、人間の愛ではなく神の愛をつかめ。●またたとえ人生を失敗した人でも「今からでも遅くはない」。悔い改めて神に立ち帰れ」●この世の罪を指摘した人物は殺される。洗礼者ヨハネ、イエス、ステパノ、パウロ、●この世人間は彼らの存在が「心に痛い」のである。だからその「心の邪魔」を葬りたいのである。●こういう場合、彼らに殺されることで神の救いがこの世に来る。一粒の麦として死ぬと「血は種子」となって救いが望む。殉教である。

●「WEB黒崎」の協働協力者から次のようなメール。真に大切で公開すべきことなので掲載する。●良いことは隠してはいけない。個人情報の保護を盛んに言いながら自分の都合第一で正当事由を振りかざして何でも隠したがる人間に複数出会うが、共通点は人間が何となくダーク。明るくない。

(メール引用一部)

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主の十字架と復活によって既に「死のとげ」は抜かれ信じる者にとっては死は無力化しています(Ⅰコリ15章)。しかしなお最後の審判の時まで忍耐して信仰を持ち続けることが求められています。肉体の死、すなわち第一の死が信ずる者にとっても悲しみであり、苦しみであるこが他の人々同様であるのは、第二の死の予型であると私は信じています。つまり離別の悲しみ、関係の断絶の悲惨と苦しみを体験することによって「第二の死」=霊的永遠の死を予感するのです(ただし第一の死は再臨・復活による新天新地の出現までの一時的です。これを信ずる希望によって救われています。ロマ8章)。第二の死とは、いのちの源なる神、父との関係の永遠の断絶です。第二の死によって自分という存在がまったく無に帰してしまうなら第二の死はさほど恐ろしいものではないでしょう。復活は永遠のいのちと共に永遠の死(苦しみ)の存続をも予感させます。だからこそ神は永遠の亡びと苦しみ(黙示録各所)から私たちを(自らが造り給うた、いのちを与え給うた愛する子供たち)を救おうと主イエスを遣わされたのだと信じます。
 
愛読書であるバンヤンの「天路歴程」も物語の発端は主人公クリスチャンが最後の審判を意識し、自らの罪の重荷をいかにして下ろすかという問題だと解しています。
これが私たちの人生最大の課題でしょう。
 
黒崎P(WEB黒崎プロジェクトのこと・・・:高橋)をきっかけにこのようなメールのやりとりができますことを感謝しています。
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(メール引用終わり)

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同感激励のメール ++++++++ 所感

2009/12/02 06:27

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
       http://stonepillow.dee.cc/

091202(水)4時半目覚め●朝の啓示で楽になる。「葡萄園の労働者の譬(マタ20:1-16)は最後の審判の様子」「最後の日に有体的に復活させられるのは最後の審判を受けるため(ヨハ5:28-29)」●これで聖書の復活観、最後の審判、来臨、十字架の救い、が一貫した。安心できた。次回12月6日の感話が決まった。神は「何を話すべきか」を時にかなって教えてくださる●TSK日本語化●メールを開くと、12月1日ブログ「最後の審判はある」に同感激励が届く。ガッツポーズ。これで今朝の啓示を感話の主題にすることの裏付けができた。間違いない。内容は真に大切なことで公的なことであるので要点を公開する。

(メール引用)

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高橋兄

12月1日ブログ記事「最後の審判はある」を感謝と感激をもって拝読。

まことにアーメンです。真面目に聖書を「神のことば」、イエスを救い主なる神の独り子と信じて読む者の当然の帰結です。

再臨、死者の復活、最後の審判こそキリスト教(イエス・キリストの教え、イエスをキリストと信じたパウロ、ペテロ、ヨハネをはじめとする使徒たちの教え)です。

しかし本気でこれを信じて大胆に宣伝えている教会、キリスト者はほとんどありません。教会も無教会も例外ではありません。

恐るべき最後の審判がなければ、主の十字架も必要なかったでありましょう。

主が十字架で死なれたのは私たちを「第二の死=永遠の死」から救うためであったと私は信じています。内村の再臨運動」も最後の審判を強く意識したからでしょう。

(中略)

貴兄が記されたとおり「最後の審判」を説かぬは異教です。最後の審判で人々を脅すのではありません。恐るべき審判、「第二の死」(第一の死、すなわち肉体の死は第二の死の予型)から私たちを救うためにこそ主イエスは十字架で「第二の死」遂げてくださったのです。

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(メール引用終わり)

 ●来る12月6日の感話の骨子が一気に出来た。

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最後の審判がある

      2009.12.6 東京聖書読者会 高橋照男

①黙示録の「第二の死」ということを考える(黙示2:11、20:14.21:8)

②最後の審判がある。(マタ10:15、Ⅱペテ2:10、3:7、Ⅰヨハ4:17)

③すべての人が復活するのは「最後の審判」を受けるため(ヨハ5:28-29)

④葡萄園の労働者の譬は「最後の審判の様子」(マタ20:1-16 19:29-30)

⑤神の国の経済観念(ルカ15:1-7、8-10)

⑥最後の日に「貧しいものは福音を聞かされる}(マタ7:22-23)

⑦「最後の審判」は無条件の救いを受けるラストチャンス((マタ22:1-14)

 

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●9:15 池谷医院定期検診。順調●理髪店。私が行くとクラシックをかけてくれる。今日はドヴォルザーク「新世界」。●12:00 ふれあいセンターでミニコンサート。ピアノとマリンバ。マリンバでリストの「ラ・カンパネラ」が立派。

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秋の秋留台公園。シスレーの絵の風景のようだ。シスレー大好き。

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これらの野鳥はほとんど姿が見えない。声だけ。

それでいいのだ。それでいいのだ。

●有体的復活を頂いた人はその後どうなるのか。キリストを信じないで死んだ人はどうなるのか。死んだらすぐ有体的復活の体をいただけるのかなどなど復活に関しての難問があった●そんなとき「WEB黒崎」の黙示録の引照入力をやっていて「第二の死」という言葉にぶつかった(黙示2:11、20:14.21:8)。肉体が死んで後の霊魂の第二の死。このことですべての御紋が氷解した。新約聖書の中心的真理である、復活、再臨、最後審判、イエスの言葉、十字架、不信者の救いなどが一貫してつながった。理性の安息を得た●最後の日の審判は救われるための裁きである。この世で様々な事情で信仰を持てなかった人も最後の審判で救われるチャンスがある。それはラストチャンス。それは絶対恩恵による無条件の救い。その救いを受け入れない人間は「第二の死」(永遠の死)である。●ラストチャンスを受け入れない人は礼服を貸してくれると言うのに素直に着ない傲慢な人間。(マタ22:1-14)これが第二の死。そういう人間は暗闇に投げ捨てられるという恐ろしいことが書いてある。
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