to 日記と感想 2010年01月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171030(月)10:00 聖路加 桑本先生
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170824(木)12:10キララホールエントランスコンサート、マリンバ
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170813(日)10:30ナザレン教会浦和教会
    170813(日)14:00比企紀和君
    170812(土)14:00お江戸こらりあーず演奏会、文京シビックホール
    170809     TW誕生日
    170809(水)17:16初音吹奏楽、府中の森芸術劇場ドリームホール
    170808(火)0930池谷医院
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170708(土)14:00在宅医療説明会(キララホール)
    170707(金)10:00池谷医院
    170706      TM誕生日
    170702(日) 集会感話
    170701      TT誕生日
    170630(金)12:20キララホールエントランスコンサート
    170628      IY誕生日
    170627(火)11:00 能城牧師来訪
    170625)日)10:10トミ子集会感話
    170625(日)14:00茅ヶ崎金子邸
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール


大声を出す。 ++++++++ 所感

2010/01/31 07:51

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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100131(日)4時半目覚め。本日の感話の資料「塚本虎二先生からの宿題」を推敲、第11回目。これが最後●YT氏から「本日の感話のために祈っている。思う存分話せ」と激励のメール。祈りは最大の応援、後押し。拳を握りしめた●死のときも、信仰の友に「安心して行け」と見送られたいものだ。●集会は茂木、村上(聖書の油)、橋(「塚本先生からの宿題」)

●終了後信仰の篤い方3名からそれぞれに「感謝の言葉」を頂けた。
「感謝の言葉」というのは「誠に、然り、アーメンです」ということに受け取れた。
●感謝の言葉を下さった方々は「有体的復活」という言葉が琴線に触れたようである。これは不思議な言葉である。
●そのうちの一人の方からは「何かに憑かれたような話しぶりでした」と評された。これ本日のために祈って下さっている方の祈りの力の故だと思った。
●しかし今日の私の話を「わからない」「受け入れられない」という人がいたようだ。
 ●神は福音に対してわかる人と反発する人に分けられるようである。「あんな俗臭芬々たる不信の連中にわかるはずはない。否、わかってたまるか。」とイエスも思ったに違いない。
塚本訳マタ 13:13-14
13:13 だから、あの人たちには譬をもって話すのである。『見ても見えず、聞いても聞えず、また悟らない』からだ。
13:14 こうしてイザヤの預言はあの人たちに成就した。──『あなた達は聞いても聞いても、決して悟るまい、見ても見ても、決してわかるまい。
 
 塚本訳 マタ 13:16
13:16 だが、あなた達の目は見、耳は聞くから幸いである。
 
●本日の結論の聖句は次の通り。
 
塚本訳Ⅰコリ6:14 (戦後の改訳)
6:14 そして神は主を生きかえさらせたばかりか、(最後の日には)わたし達(の体)をも御力をもって生きかえらせてくださるのである。
 
●しかしこの翻訳より塚本先生の戦前の試訳の方が明快であると話した。
 
塚本訳Ⅰコリ6:14 (戦前の試訳)
そして神は主(キリスト)を甦えらせ給うたのであるから、その御能力をもって、また私達(の体)をも甦らせ給うであろう。
 
●ここに我々の信仰は歴史的事実としてのイエスの有体的復活がバネであること。つまりその有体的復活の事実が来世での我々の体の復活があることの根拠であることがこの翻訳で明快であることを話した。この辺で「大声」を出した。
●小寺夫妻と私達夫婦の4名で昼食●ぐったり疲れたので帰宅してから午睡。ところが悪い夢を見て苦しむ。時間になって起こされたので「アー夢でよかった。救われた」と思った。しかし世の中にはこのような苦しみの人もいるのだと同情し、祈った。
 
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病気は治らなくてもよい ++++++++ 所感

2010/01/30 10:04

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100129(土)気管支喘息、まだよくならない。しかし明日は集会での感話、回復への祈りに熱いものがある。●昨夜TV、21時BS2、「夢コンサート」のこと。一人の女子高生がソプラノサックスでそれはそれは素晴らしい演奏をした。東フィルをバックに体を大きく振って実に「歌心」のある感動の演奏であった。終了後のインタビューで将来は音楽を通して人を慰めたいというようなことを語った。歩く姿からしてどうやら彼女は足が悪いように見受けられた●これで思った。もし彼女が足が悪いという悲しさの故に「永遠の命」を見出したのなら、生涯「足が悪いままの方が良い。ナマジ足が治ると神を忘れる。信仰も失う。祈らなくなる。涙がなくなる。永遠の命を失う。その意味で彼女の足は一生治らなくてもよい。イエスは次のように言う。

塚本訳マタ 5:30
5:30 もしまた右の手があなたを罪にいざなうなら、切り取って捨てよ。手足が一本無くなっても、全身が地獄へ行かない方が得であるから。

塚本訳マタ 5:4
5:4 ああ幸いだ、『悲しんでいる人たち、』、(かの日に)『慰めていただく』のはその人たちだから。

●人間、五体満足が幸福ではない。五体満足がそんなに幸福か!!。幸せな結婚が幸福か!!。家庭円満がそんなに大切か!!。国家間に戦争がなくなることが本当の平和か!!楽か!!。民主主義がそんなに大切か!!。

●これ地上王国の建設を放棄した現実逃避ではない。地上王国では真の幸福は得られないのだ。五体満足、家庭円満、経済充足になるとき人間は神を忘れる。

●かってA集会での復活の講義終了後のこと。一人の御婦人が「来世での復活について」真剣なまなざしで体当たりするような姿勢で質問してきた。主宰者に聞くと彼女はそのとき夫とはうまくいかず離婚問題が発生、また癌で余命いくばくもない状態だと教えられた。年月を経て集会主宰者に彼女の消息を伺ったところ、家庭問題は解決し、癌も消えたが、集会へは来なくなったという。私は思った。彼女にとっては家庭問題が解決せず、癌も消えない方が良かった。なぜか。その方が毎日祈り続け、この世限りの家庭の幸福や肉体の健康よりも「永遠の命」を得られたであろうからである。●家庭の幸福、夫婦関係、親子関係の円満は幸福ではない。その状態に真の満足、安息はない。●元大阪府知事の岸昌氏のことを巡ってYR氏と情報交換。岸昌氏には「終末から考える」という著作がある。図書館から借りたところ内容はこれ全部キリスト教神学。府知事の激職にありながらよくぞここまで勉強された。●昨日の鳩山首相の施政方針演説(50分)の中に「命」という言葉が24回もでてきたという。鳩山首相には「命」の意味について岸氏ほどの深い思い入れはあるまい。鳩山首相の頭にある「命」は所詮この世の命。人間この世の命が救われても「永遠の命」を得られなければ本当のシアワセにはなれない。●YT氏から「黙示録」に関する文献を5冊贈呈された。感謝。「これを読め」という神からの促し。●明日の感話「塚本虎二先生からの宿題」。プリント資料推敲10回目で見切りをつけて印刷開始●その骨子は次の通り。

(感話骨子)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

塚本虎二先生からの宿題
            東京聖書読者会 2010.1.31 橋照男
 
①礼状。山下次郎著「塚本虎二を偲びて」読後感・・その一
 
②塚本虎二先生の「有体的復活」観
 
③礼状。山下次郎著「塚本虎二を偲びて」読後感・・その二
 
④聖書は終末の観点から読むべし。塚本訳新約聖書の敷衍に濃厚な「終末観」
 
⑤塚本先生からの宿題。復活の伝承を継承しつつ終末での復活を信じ抜くこと
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(感話骨子おわり)
●図書館と東急ストアーに買い物。表に出ると急に激しく咳きこむのはなぜだろう。この病気(気管支喘息)の特徴なのだろうか。長い、困った。

 

 

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よき音ずれを告げる喜び ++++++++ 所感

2010/01/29 07:13

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100129(金)4時半目覚め。次回感話資料の推敲。まだ咳がとまらない。でも病気は神の愛からだと思おう●朝の啓示。「よき音ずれを告げる喜び」●よき音ずれとは、終末到来ですべての悩み悲しみ涙がぬぐわれることである。これ以上の喜びはない。●終末期待は現実逃避ではない。なぜか。終末の完成ではなく、自力で得るこの世の幸福は完全な幸福ではない。肉の体を癒してもいつかは死ぬ。地上の平和は完全なる平和ではない。だから私はキリストの名の故の社会運動は行わない。●終末で到来する喜びは、永遠の命、罪の赦し、神との平和、肉体の癒し、痛みなく涙なく、悩みなく、病気なく、貧困なく、永遠の喜び。●キリストを信じる者は終末を経験しなくても信じることにおいて喜べる。希望がもてる。●キリストを信じることなく肺癌の苦しみのうちに逝った母。最期の時に私が思い余って「天国に行けば楽になる」と言うと、母は「照男さん行ってみてきたのですか」と真剣な顔で言った。私が「聖書に書いてある」と言うと「あなたは見ないことを信じるだけで喜んでいる」と冷笑した。●今、悔いる。母が「照男さんのいうことだから本当でしょう」というまでに私が「いたらなかった」ことを●しかし終末がくれば神が直接母に教えてくれる。だから私は終末を待ち望む●親が(おしめを取り換えた)子供を信じることは難しいことだと言われている。その点、マリヤは偉かった。(おしめを取り換えたであろう)イエスを神の子と礼拝した。(使徒1:14)。なぜこれがえきたか。イエスが復活したからである。肉の人間ではなくなったからである。●復活したイエスにマグダラのマリヤが喜びのあまり抱きつこうとするとイエスは「ノリ・メ・タンゲレ(私にすがりつくな)」と言った。このことも肉のイエスが霊のイエスに変化したことを示すものである。●「WEB黒崎」の同労者YT氏のブロク(下記)

http://blogs.yahoo.co.jp/trntim/folder/584389.html

の本日1月29日の最期付近に「東京のTさん}とあるのは私のことである。実に不思議な話である。「事実は小説より奇なり」と言われるが、神いましたもうのでそれを信じるとき「奇は奇でなくなる」。●早速YT氏に次のようなメールを打った。神いましたもう。神は実在し生きて働き給うことの動かぬ証明としてこれを公開する。

(YT氏へのメール)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

YT兄

本日29日の貴ブログ拝見。
CG社のこと、デザイナーIK氏のこと。まるで映画のストーリー、いや映画以上の不思議なことです。
実は、こういうことです。
「WEB黒崎」の黙示録の作業を通して終末ということに目をあけられました。終末から創世記を見る。終末からイエスの言動を見る。終末からパウロを読む。これが聖書の読み方としては正解だと思います。そこで今講義中のイエス伝(残り約30%)は今年からギヤチェンジして終末の観点から、具体的には黙示録とイエスの言葉ないし行動を対応しながら進めたいと思います。
参考資料は
●塚本虎二「聖書知識」・・・昭和9年ごろの黙示録講義・・(内容は、学者読みするな。どの道この書は百姓漁師相手の書だ。謎の数値の意味は解明するな、心を読め) 
●黒埼幸吉「WEB黒埼」・・・(文字が大きくなり、引照もすぐ引けるので楽。                                  黒崎の深い読みに期待)
●秋田稔「ヨハネの黙示録に学ぶ」・・・最近刊。著者は塚本門下の深い信仰の持ち主、バランスのとれた健全な書
●この他に次のものがあります。
●NTD註解「ヨハネの黙示録」E・ローゼ。火災のときの消火で濡れたあとあり。
●佐竹明「ヨハネの黙示録」。ドイツのマイヤーの註解書に採用された世界最高峰のものと言われる。2007年の上巻は購入したが、2009年の(中・下)は未購入。学者読みの代表格。おそらく栄養価はないと思われる。
●泉治典「ヨハネの黙示録を読む」。未購入
 
ところがここへきて、YT兄御推薦のCG社の「ヨハネ黙示録」を贈呈いただけるとは、感謝です。神に「これを読め」と言われたようなものです。全4巻とはまた大部です。頂いてしまってよろしいのでしょうか。
神にこの書を小脇に抱えさせられ、「残る人生は終末をめざして走れ!」と言われているような感じです。本の到着をワクワクしながらお待ちしてます。
このたびは単に書籍の御送付をいただけるだけでなく、御入手の不思議ないきさつをもお教えいただき、神の促しを感じさせていただきました。感謝いたします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(メール終わり)
 
 
 

 

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4重苦のピンチの方へ ++++++++ 所感

2010/01/28 11:59

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

       http://stonepillow.dee.cc/

100128(金)未明に鼻がでて困った。鼻が気管に入るから咳が出るので点鼻薬を吹き込んでうつ伏せになって寝て6時半目覚め。●YT氏からの御連絡でWEBエクレシアのおひとりの方が、4重苦(家庭苦、経済苦、精神の病、癌)のピンチに遭遇。祈った。そのH氏にメール。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Hさん。高橋です。
 
4重苦のお苦しみ。YT氏からご連絡いただきました。早速祈らせていただきました。
主にある解決とは「主よ来てください」との終末の祈りです。これは現実逃避でなく、神に助けを求めることが最も現実の難問解決に効果のあることです。しかしこれは信者でない人には「見えない」「わからない」ことなのです。そこが我々信者の悩み。
しかし信者でない人にも「見える」ことは、信者はそういう難問苦難ピンチの時にも神を信じて明るくふるまうその姿であると思います。
あの藤沢武義氏(故人)が「お金がなくなった」ときのこと。・・・・藤沢「なんとかなる。何とかなる」。子供を抱えた華子夫人(故人)「では今すぐここに食べものを出してみて下さい」・・・・・・・これ藤沢氏が生涯で一番こたえた場面だったそうです。藤沢氏は祈りの人でした。ある時お孫さんが交通事故で脳挫傷。藤沢氏は夜を徹して熱祈、そのお孫さんは奇跡的に回復。留学するまでに頭が良い人に育ちました。私は藤沢氏のお子様二人を存知あげています。みなさん御立派に育たれました。金がなくとも神が育てたのだと思います。Hさんがブログ(2000.1.12)で引用された塚本訳マタイ4:1-4「パンがなくとも人は生きられる」は「事実」であることを知ります。Hさんの4重苦のピンチが主にあって「切り抜けられますように」祈ります。
                                                                                            橋
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
塚本訳 マタ 4:1-4
4:1 間もなくイエスは悪魔の誘惑にあうため、御霊につれられて荒野に上られた。
4:2 四十日四十夜断食をされると、ついに空腹を覚えられた。
4:3 すると誘惑する者[悪魔]が進み寄って言った、「神の子なら、(そんなにひもじい思いをせずとも、)そこらの石ころに、パンになれと命令したらどうです。」
4:4 しかし答えられた「『パンがなくとも人は生きられる。(もしなければ、)神はそのお口から出る言葉のひとつびとつで(パンを造って、)人を生かしてくださる』と(聖書に)書いてある。」
●集会のF氏は87歳、年金だけの生活で月5万円。そのF氏は私に向かって「高橋さん。この塚本訳マタイ4:4は文字通り本当だよ」と言われた。●F氏はいつも満面笑みを漏らしておられて、ときどき安いバス旅行にも行かれる。マタイ4:4の塚本訳が良いか悪いかはF氏のような方に聞かなければならない。●そのF氏に最近「癌宣告」。あーナントいうことか。残り2年とも5年とも言われる。しかしF氏の顔はいつも輝いていて「死は来世への門」にすぎないと言っておられる。次の聖書の個所はF氏の笑顔がその最大の註解である。
塚本訳 ヨハ 11:25
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
●これに関連する聖句を掲げる。
ヨハ   6: 58 [塚本訳
これが天から下ってきたパンであって、先祖が食べて死んだ(あのマナの)ようなものではない。このパンを食う者は永遠に生きるであろう。」
ロマ   6: 8 [塚本訳
しかしキリストと一しょに死んだ以上は、一しょに生きることをもわたし達は信じている。
ロマ   8: 13 [塚本訳
その訳は、もしあなた達が肉によって生きれば、かならず死ぬからである。しかしもし(霊によって生き、)霊をもって体の働き[肉の行い]を殺せば、(永遠に)生きる。
ロマ   14: 8 [塚本訳
生きれば、主のために生き、死ねば、主のために死ぬのである。だから、生きるにせよ死ぬにせよ、わたし達は主のものである。
ロマ   14: 8 [塚本訳
生きれば、主のために生き、死ねば、主のために死ぬのである。だから、生きるにせよ死ぬにせよ、わたし達は主のものである。
Ⅱコリ  5: 15 [塚本訳
そして彼がすべての人の身代りに死なれたのは、(彼と一緒に死んで新しい命にいま)生きている者たちが、もはや自分のために生きず、身代りに死んで復活された方のために生きるようにというのである。
Ⅱコリ  13: 4 [塚本訳
ほんとうに、彼は弱さのゆえに十字架をつけられ(て死なれ)たけれども、神の力によって、いま生きておられるからである。同様に、わたし達も彼と結びついているので弱いけれども、彼と共に、神の力により、あなた達に対して(強く)生きるだろうからである。
ピリ   1: 21 [塚本訳
何故なら、私にとって生きることはキリスト(を生きること、彼が私に生き給うことである。否、彼が私の生命)である。そして死ぬることは(完全にキリストと共に生きることであるから、私にはむしろ)利益である。
ピリ   1: 22 [塚本訳
しかしもし肉体で生きることが私の役目であるなら、(それは)私にとっては(福音のために)活動き、(そ)の果実(を結ばせること)である。だから(生と死と)どちらを選ぶべきか、私は知らない。
Ⅱテモ  2: 11 [塚本訳
これは信ずべき言である──そは、もし(キリストと)共に死んだなら私達もまた(彼と)共に生きるであろう。
●塚本先生に薫陶を受けられた御老齢のMKさん(81歳)は現在四国は愛媛県の特別養護老人ホームにおられる。何年振りかでお電話でお話しできた。私「私のこと覚えていますか」。MKさん「覚えていますよ」。●もしこれが「覚えていません」と言われたら淋しいだろうなーと思った。人間とは何だろう。人の間と書く。死の判定は「脳死」になっている。すると「覚えていません」と言われたら、その人と私の関係は死んだことになっているのだろうか●MKさんとはもう地上でお会いすることはない●また過日は集会の老夫人を妻と病院にお見舞いに伺った。すると私のことも妻のことも忘れておられる。あの方は神も信仰も聖書も忘れておられるのかもしれない。認知症というのは悲しいことだ。しかし神は人間の側の記憶、大脳皮質の信仰告白で救ったり救わなかったりするのではない。神の愛による救いは神の側の絶対的アクションであると思う●私は救済観を考え直さなければない。
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本物の信者は迫害される ++++++++ 所感

2010/01/27 08:44

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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011027(水)5時目覚め。次回感話「塚本虎二先生の宿題」推敲●TSK日本語化●黙想「信者はなぜこの世から迫害されるのか。●信者として真面目に生きようとすればするほどこの世から嫌われ迫害され殺されそうになるのはなぜか。この世のつかさどるサタンが「殺されまいまいとして」死力を尽くして攻撃してくる様がその姿なのである。 

文語訳 マコ 1:24
1:24 『ナザレのイエスよ、我らは汝と何の關係あらんや、汝は我らを亡さんとて來給ふ。われは汝の誰なるを知る、神の聖者なり』


口語訳 マコ 1:24
1:24 「ナザレのイエスよ、あなたはわたしたちとなんの係わりがあるのです。わたしたちを滅ぼしにこられたのですか。あなたがどなたであるか、わかっています。神の聖者です」。


塚本訳マコ 1:24
1:24 言った、「ナザレのイエス様、『放っておいてください。』わたしどもを滅ぼしに来られたにちがいない。あなたがだれだか、わたしにはわかっています。神の聖者(救世主)です。」

●イエスを神の子と最初に告白したのはなんと悪霊である。「敵はもっともよく味方の弱点を知る」というが同じく「敵はもっともこちらの本質を見抜く。」そしてサタンは自分が「滅ぼされる。ヤバイ」と思って恐怖を感じて言う「私どもを滅ぼしに来られたにちがいない」。そして「我らは汝と何の関係あらんや」と叫ぶ。これがこの世が信者を攻撃する原因である。「近づくな離れてくれ」というのである。

塚本訳 ルカ 5:8
5:8 シモン・ペテロはこれを見て、イエスの足もとにひれ伏して言った、「主よ、あちらに行ってください。わたしは罪人です。」

●洗礼者ヨハネはヘロデに「兄弟の妻を奪うのはよくない」と言ったので殺された。

●イエスは宗教家聖書学者を批判したので憎まれて殺された。

●いずれも真面目に清く正しく生きようとすると悪魔に支配されているこの世から「邪魔だ」「目障りだ」「不自由だ」「好かない」「生意気だ」などと思われて除外される。

塚本訳 ヤコ 4:4
4:4 姦婦達、世に対する愛情は神への敵対であることを知らないのか。だから誰でも世の友になろうと思う者は自分を神の敵とするのである。

●信者が迫害されるようになったら本物である。この世と妥協している人間はこの世から攻撃されない。迫害されるのは預言者の運命でもある。ひどい場合は家族から殺意を持たれる。

塚本訳 マタ 5:11-12
5:11 わたしゆえに罵られたり、迫害されたり、あらん限りの根も葉もない悪口を言われたりする時、あなた達は幸いである。
5:12 小躍りして喜びなさい、褒美がどっさり天であなた達を待っているのだから。あなた達より前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。

塚本訳マタ 10:34-36
10:34 地上に平和をもたらすためにわたしが来た、などと考えてはならない。平和ではない、剣を、(戦いを)もたらすために来たのである。
10:35 わたしは子を『その父と、娘を母と、嫁を姑と』仲違いさせるために来たのだから。
10:36 『家族が自分の敵となろう。』

●信者が迫害されるようになったら「本物」になった証拠である。だからイエスは「小躍りして喜びなさい、褒美がどっさり天であなた達を待っているのだから。」と言ったのだ。●家族から殺されるようにまでなったら「本物」である。「心の中の殺意は神の目には殺人罪」●SK氏はかって私に「君が批判されるようになったのは木が成長して風当たりが強くなった証拠だ」と慰めてくださった。そのSK氏は現在御病気。全快を祈る●手話女子大の今年度の試験問題を作成する。試験後に行う「橋照男邸見学会」の案内も作成●このたび秋田稔先生は「ヨハネ福音書のイエス・キリスト 上」(新教出版社)を上梓された。90歳の御高齢であられながら驚異的な力である。神の力が働いたとしたとしか思えない。私にも贈呈いただいたので「無言の叱咤激励を受けた感じがします」と礼状を書いた。●人が悪く見えるときは自分の卑しい気持が相手に映っていると思って100%間違いない。次のイエスの言葉は千古不易の真理。

塚本訳  マタ 7:1-2
7:1 (人を)裁くな、自分が(神に)裁かれないためである。
7:2 (人を)裁く裁きで、あなた達も裁かれ、(人を)量る量りで、あなた達も量られるからである。

●今日の国会は非常に低級な攻撃合戦。邪推のし合いである。鳩山、小澤に対する政治献金問題実に不毛な論戦である。もっと高度な論戦ができないものか。

 

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終末で直る ++++++++ 所感

2010/01/26 08:21

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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011026(火)5時間半熟睡。3時目覚め。次第に回復してきている。感謝。今日は学校に行ける●朝の黙想「終末に直る」●不完全なるもの。それは人間、そしてエクレシア●この世のすべての悩みは終末で直る。神が直す。神が完成する●なぜ神抜きで人間の努力で直すのはよくないのか。神が不満だから。●十人のライ病人の話(ルカ17:11-19)は肉の病が治っても心(神との関係)が直らなければダメということ●神抜きのヒューマニズムで兄弟仲良くしても親父(父なる神)を認めなければ神は不満。●細部に神宿る。小事に忠なるものは大事に忠なり(ルカ16:10)●神抜きのヒューマニズムと終末期待での行動とはどちらが強いか。それは歴史の証明するところ。神とともに終末での完成を期待しての小事に忠なる行動の方が成績がよい。●終末に期待するというのは厭世主義ではない。神と共にこの世の小事に粘るのである●神抜きのヒューマニズムキリスト教には「自力」で良くしようという神への反逆の匂いがする。創世記2-3章の神への反抗の匂いがする。神に祝福されない●来る1月31日の集会での感話の骨子を固めた。

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塚本虎二先生の宿題
            東京聖書読者会 2010.1.31 橋照男
 
①礼状。山下次郎著「塚本虎二を偲びて」読後感・・その一
 
②塚本虎二先生の「有体的復活」の信仰
 
③礼状。山下次郎著「塚本虎二を偲びて」読後感・・その二
 
④聖書は終末の観点から読むべし。塚本訳新約聖書の敷衍に濃厚な「終末観」
 
⑤塚本先生の宿題。有体的復活の伝承を継承すること。その信仰は神が起こす。
 
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●昨日のこと。建築職業上の恩師K氏と電話で懇談中に「24日は『永遠の命』について話してまいりました」と言ったとたんに話が通じなくなった。K氏にとっては神・信仰・聖書・永遠の命・霊などのことは全く違う世界のことだったからなのだろう。●このことでひらめいた。イエスの復活というのはこの3次元の物理的世界とは全く違う第4次元のことだが、イエスが3次元の中に瞬間的に姿を現したので、すっと現れたりすっと消えたりしたのだ。●山上の変貌(マタ17:1-8)でも一瞬姿が変わった。こういうことは狐が人間に化けても尻尾が出ているの似ている。この不思議は「神の子だからさもあらん」と思うのがクリスチャン。ここから処女降誕、復活、水上歩行などの奇跡も信じられるようになる。なぜか。あの重い重い固い固い黒い黒い罪が十字架の啓示の奇跡で救われたからである。それ以下のことを信じるのは何でもなくなったからである●「聖書に書いてあることはみんなその通り起こったのだと信じます」という女性は幸いである。これに反してブルトマンなどに関心のある理屈っぽい女性などは「付き合いにくい」。カワユクナイ。●去る24日、今井館伝道聖書集会「永遠の命とは何か」の配布プリントをHPの「使徒伝承」にアップした。
●午後は昭和女子大で建築の講義二コマ。個別に就職進路相談ができるのは楽しい。建築実務人生50年の賜物だ。●気管支喘息がまだ完治してないが何とか務めを果たせた。生徒の二人に「気管支喘息」の経験があって、直るまで長かったと言われて慰められた。
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Oさん倒れるな ++++++++ 所感

2010/01/25 09:49

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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011025(月)ぐっすり寝て楽になった。御病気のOさんにメールした。一部分を改変して掲げる。

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Oさん
Oさんの御病気も私の気管支喘息も神の御計らいと思います。人間は使命のあるうちは死なないと言われます。
「神のなさることは時にかなって美しい」ともあります(コヘレト3:11)。病気には意味があると信じましょう。
 
ワーズワースの詩に次があります。
 
「ミルトンよ今あれかし。
 英国は汝を要す。
 来りてわれらを教えよ」。
 
これを土台に、Oさんに言います。
 
 「Oさん倒るるなかれ。
  日本は今汝を要す
  なお生き延びて 祖国のために尽くされよ」
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●昨日の今井館での伝道聖書集会は自分でも不思議なくらい力が出て咳きこむこと2回程度で無事済ませられたが、遠方でその時間中に三度も祈っていてくれた方があることを知った。その方にお礼のメール。一部改変して掲げる。
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Y様
 
今井館での講義中に3度もお祈り下さっていたとは、・・・・感謝のほかございません。
 自分でも驚くほどの不思議な力を得て、大きな声で力を込めて話せました。聴衆の中に何度も大きくうなずく人がいました。(中略) あの賀川豊彦はある伝道説教のあと、体がぐったりで村田四郎氏が肩を貸して歩いたほどだったそうです。でも食べたのは倹約して「狐ウドン」だったそうです。そのことを思い出しました。
 

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●昨日の講義でのこと。創世記3章で蛇がエバに声をかけてエデンの園の中央にある木の実を食べてみなさいと誘惑する場面。「このとき蛇が使った言葉な何語か?。それは蛇(ヘビ)ライ語だ」と言ったらほぼ全員が笑ってくれた。オヤジギャクにすぐ反応してくれる人は頭が柔らかいので将来伸びる。

●夕方、図書館に行くとまた咳きこんだ。夕暮れの奥多摩連山を見て、「この病気(気管支喘息)はもう20日間も治らない。弱くなっなー」と思うと泣けてきた。明日は大学に講義に行かなければならない。

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人生体験と告白 ++++++++ 所感

2010/01/24 07:08

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

       http://stonepillow.dee.cc/

011024(日)4時45分目覚め。力が出て感謝。今日は出かけられる。●今日は午後2時半からの今井館伝道聖書集会(良い名称だ)は初心者も来るらしい。指がポキポキなる。祈ってくださるセコンドがいる。●今井館伝道聖書集会、「永遠の命とは何か」の最後の推敲。これで15回目。急遽プリント差し替え。●今年の今井館伝道集会全4回もそうしなければならない。

① 家屋の全焼 ・・・・「永遠の命とは何か」2010.1.14

③ 脳内出血・・・・・・・「イエスの復活とは。福音の歴史性」 2010.2.14

③ 死因の癌宣告・・・・・・・「死ぬとはどういうことか」 2010.2.18

④ 不信者実在の悩み・・・・「神の愛としての終末」 2010.12.12

●朝はよいひらめきがある。人に話すことは自ら体験して認識したことを話すべきだ。ヒルティは「演説は生活なり」という。つまり演説はその人の生活体験が背景になるべきだというのである。頭で勉強して自分が初めて知ったことに驚いて人に「教えてヤル」という態度で披歴することはいけない。それは聴く人を愚弄することだ。「そんなこと知っている」「経験して知っている」という人が多いのだ●最近の小澤一郎に関する政治資金疑惑問題の騒ぎは無駄で不毛なことだ。政権争いの醜い様相に過ぎない。真面目には聞けない。なってはならない職業として、政治家とマスコミ人。共に真理を言えない。本当のことを言えない不自由人間。企業人また同じ。●集会は長島、大山、山本(ガラテヤ書)●昼食会●14:30今井館伝道聖書集会で「永遠の命とは」と題して話す。多くの人の支えであまり咳きこまずに話しきれた。全力投球であった。質問二人●終了後の懇親会で中川進氏と初対面。元愛真高校事務長。さらにそれ以前には東京消防庁消防官で秋川(現あきる野市)消防署勤務であったことにびっくり。

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今井館伝道聖書集会、終了後懇親会。

後列左から 岡野行雄(主宰者)、橋勉 中川進 小島 橋照男

前列左から 島田昭子(てるこ)、橋トミ子 

撮影は原田京子。

●無実務めを果たせて感謝。非常に疲れて帰りの電車では睡眠●次は一週間後の1月31日、集会で感話。

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人はなぜ永遠に生きられなくなったのか ++++++++ 所感

2010/01/23 14:12

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100123(土)まだ咳は出るが、明日は行ける。力が出てきた。感謝9:30妻は中野の愛子のところから喜明氏の見舞い、愛子の通う教会、夜はコーラスの練習●私は明日の準備。創世記2-3章の「楽園喪失」の物語で半日つぶれた。人間はなぜ永遠に生きられない者になったのかの研究。

新共同 創  3:22-23
3:22 主なる神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」
3:23 主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。

●資料問題(JEDP)は今や(JEDP)1~n、になり歯が立たない。与えられた現行テキストを正面から素人読みするのが幸福だ。

●ここの鍵は、エデンの園の中央には、知恵の木と命の木の2本があった。知恵の木の実を食べても死ななかったアダムはその次に「命の木」をも食べようとした。ここに神に恐れが生じたので「楽園を追放した」。

●なぜ、「知恵の木」の実はよくて、(死ななかった!)「命の木」の実を食べてはいけなかったのか。これ難問。

●この理由はなまじの参考書や翻訳ではわからない。黒埼と塚本を読んでの総合。

●人間は「知恵の木」の実を食べることによって神の戒めを破った。「神の顔に泥を塗った」「主権を侵害した」「生意気な態度をとった」。神はカツンときた。グッときた。それで神と人間との間に亀裂が生じた。この険悪な関係のままさらに人間が「命の木」の実をたべて「永遠にに生きるもの」(創世記3:22)となると、人間としては決して幸福ではない。神としても不穏な関係のままでいるのは苦しい。だから、永遠の命は与えないほうがよいと思って楽園を追放した。これ、実は神の愛なのだ。「かわいいものには旅をさせよ!」。神の愛の苦渋の決断よ。楽園追放は神の「親心」の愛だ。いつか気がつく、反省すると思っての追放。「子をもって知る親の恩」に気がつくことを願っての追放。偉大なるかな「父なる神」よ。

●そしてエデンの園から追放された人間は苦労が始まった。労働の苦、出産の苦。しかし人間はどんなに苦労しても故郷エデンには帰れない。何をしても神との亀裂は修復できない。傲慢不遜の罪は修復できない(ダンテ神曲、天国編第7歌98-101行)。神としても「親の顔に泥を塗った息子」にオメオメとエデンの園の「敷居をまたがす」わけにはいかない。

●そこで神は第二のアダムたるキリストをこの世に遣わして「殺し」。その贖いの業によって人間が故郷に帰り行ける「道」を開いた。「敷居を低くした」。否、「敷居をなくした」

●創世記2-3章(人間の堕罪、楽園追放)、ロマ書5章(第二のアダムたるキリスト論)、黙示録21-22章(新天新地、楽園の回復)は一貫した筋書きである。創世記2-3章の「人間の堕罪物語」を理解せずして聖書は見えない。しかしこの一貫思想さえわかれば聖書は読めたことになる。聖書は学者読みしなくてもよい。してはいけない。聖書は学者読みしないで「素人読み」をしなければ本質は見えない。

●15:45 以上のブログを見られたYT氏から「アーメン」との激励の電話。神からの「然り」という感じがした。しばし懇談。明日の準備はなった。

●故OK氏の話。「T女子大でキリスト教講演会の看板に東京大学教授と書いただけで学生が集まる」と嘆いた。これはどういう心理なのか。健全常識の人の話だと思うのか。東京大学教授ほどの人がキリスト教信仰の話をするのかという驚きか。それ以前には矢内原忠雄先生が東大の総長であるという「信用度」で話を聞いた人がいた。こういうこの世的な栄光に目がくらんでキリスト教に接近した人は、その「目が眩む」存在が消え去ると信仰もおかしくなる。イエスは次のように言う。「この世的な徴を見てそれを信用する信仰はいけない」というのである。

塚本訳 ヨハ 3:1-3
3:1 ところでパリサイ人の中に名をニコデモという人があった。ユダヤの(最高法院の)役人であった。
3:2 ある夜、イエスの所に来て言った、「先生、わたし達はあなたが神のところから来られた先生であることを知っています。神がご一しょでなければ、あなたのされるあんな徴[奇蹟]はだれもすることは出来ません。」
3:3 イエスが答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、(徴を見て信じたのではいけない。)人は新しく生まれなおさなければ、神の国にはいることは出来ない。」

●この世的な徴とは、社会的に高い地位、学問、奇跡。そして教会と言えば2000年伝統の教会、教会の藝術。●しかしこういう人に怒りを感じてもしょうがない。そもそも「新しく生まれてない」人なので何を言っても無理。「馬の耳に念仏」。そういう人はそのうちキリスト教がつまらなくなって捨てる。

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妻の祈り ++++++++ 所感

2010/01/22 09:26

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100122(金)5時半目覚め、気管支喘息は少し楽になったが今度は風邪気味。しかし24日の今井館講義「永遠の命とは何か」には這ってでも行かなければならない。講義中に具合が悪くなってもよい●黙想、妻の祈りほど美しくありがたく感謝なものはない。そのことに関連することを書く。

●妻は夕食の祈りの時に「風邪になってしまいました」と主語のない祈りをした。普通は「主人が風邪になってしまいました」と主語があるものだ。ところが妻の祈りには主語がない。これは私の病気のことを妻が自分自身のこととして祈ってくれているのだと感じた。こういう祈りをしてくれている人がそばにいてくれるのは感謝である。次の句を連想する。

塚本訳 マタ 19:19
19:19 父と母とを敬え、』また『隣の人を自分のように愛せよ。』」

●妻の存在は夫を祈りによって助けるときに最大の力を発揮する。なぜか。天地万有を統べ治める全能の神に「ヘルプ!」と言って神を呼んでくれるからだ。若き妻たちに告ぐ。「妻たるものよ、夫を助けるときは祈りをもってせよ」。

口語訳 創  2:18
2:18 また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。

●その昔、あきる野市内にある尾崎観音という寺で見た「絵馬」に「主人の病気を直してください」というものがあった。ジーンときた。愛の神はこういう呻きの祈りを聴かないわけはない。次の塚本訳の( )内の敷衍は伝道者塚本虎二のやむにやまれぬ付加である。

塚本訳ロマ 8:22
8:22 わたし達が知っているように、全創造物は(かの日から)今まで、一しょになって呻き、一しょになって産みの苦しみをしている。(父なる神がこの  呻きに耳を傾けられないことがあろうか。)

●子育ての悩みも妻の祈りが効き目がある。アウグスチヌスの放蕩に泣いた母のモニカはその悩みを司教に訴えると、その司教は言った「涙の子は滅びません」。その後アウグスチヌスは回心してカトリック教会の祖になった。ハレルヤ。母の祈りは聴かれる。夫も子供もアンチクリストである苦難の若き母親に告ぐ。 「あなたの涙の祈り、呻きはことごとく神に聴かれている。」神の目と耳は大きいのだ!。

塚本訳 Ⅰコリ7:13-14
7:13 また、不信者の夫を持ち、その夫が彼女と一しょに生活することを喜ぶ場合の妻は、夫と離婚してはならない。
7:14 (夫婦は結婚生活で一体となるため、)不信者の夫は(信者の)妻によってすでにきよめられており、不信者の妻は兄弟(すなわち信者の夫)によってすでにきよめられているからである。そうでなければ、あなた達の子供は清くないはずであるが、現に彼らはきよい(と認められている)ではないか。

 ●8:15 BSで音楽探偵「アマデウス」を見る。今日はブラームス交響曲第一番。非常に面白かった。第4楽章のホルンのメロディーはブラームスがかってクララに捧げた歌曲のメロディー。だからこれを聴いたクララは「これは私だけにわかるメロディー」と思ったに違いない。ブラームスはクララより4歳年下。ブラームスの創作意欲はクララがあってのこと。クララが1896年に77歳で死ぬとブラームスは後を追うように翌年に死ぬ。クララとブラームスの愛は聖なるものであって巷の男女関係の愛ではなかったと言われる。俗人どもがあらぬ噂を流したらしい●CDでブラームス交響曲第一番の歴史的名演奏を観賞する。シャルルミュンシュ指揮パリ管弦楽団1968年。解説に「第4楽章の演奏はアシュラのごときもの」とあった。●体調が万全でなかったが、祈って頑張って1月31日の東京聖書読者会えの感話の準備をした。その骨子は次の通り。

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神の愛の決断としての終末
――― 終末を待つ喜び ―――
 2010.1.31 東京聖書読者会 高橋照男
 
地上の悩みは終末の新天新地の到来ですべて解決する。これが終末の喜び
イエスの誕生は終末の始まり。イエスの言動を終末から見直す
③パウロの思想は終末の到来が前提。パウロ思想理解の鍵は終末観
キリスト信者がこの世で受ける艱難辛苦は宿命。その忍耐と励まし
最後の審判による第二の死ということ。霊魂の永久滅亡の恐ろしさ
⑥エクレシアは終末に完成する。エクレシア俗化の悩みもそのときに解決
永遠の命は生きているうちに霊として与えられ、来世での復活の希望が湧く
⑦死は一時の眠り。永遠の命とは終末の有体的復活の霊の体。再会の喜び
⑧終末の時には呪われるものは一つもない。すべての人が神に仕える。
⑨終末に期待せよとのイエスの言葉
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神の愛の決断としての終末 ++++++++ 所感

2010/01/21 10:52

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
       http://stonepillow.dee.cc/

100121(木)4時半目覚め、気管支喘息と風邪は少しずつ良くなってきた。起き上がって床の上に起き上がって気合を入れる。正座して私自身の病の癒し、3名の難病の方の癒し、ニつの家庭の救いについて祈りをささげた●朝の黙示「聖書は人間の永遠の命の木の喪失に始まって回復に終わる大河ドラマ」「終末は神の愛の決断」●この黙示で聖書を一貫する思想が読めた。それは次の通り。

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①創世記の堕罪物語(2-3章)は命の木の実をも食べようとして神の主権を奪おうとした人間の不遜な態度に対する神の怒り。 しかしその背後に「親心」がある。アダムとエバに皮の衣を与えたことである。ここに十字架の源流がある。また、カインの額への印をつけたことと、洪水の後に「二度とむごいことはすまい」と思ったことにも 十字架の源流たる神の愛がある。この愛が新約で噴出する。
②人間はどうやっても神に戻りえない。永遠の命を得られない。律法による行いの道では不可能。これが旧約の歴史。 パウロがいう律法遵守では救われないということ。
③神は仕方なく終わりの時にイエスを遣わして贖罪による救済の道を開くことにした(ヘブ1:2、Ⅰペテ1:20)
④イエスは命の水なる自分を飲めば救われるという。(ヨハ4:21,26)自分は命だという(ヨハ11:25)
⑤その水(永遠の命)を下さいと頭を下げて求める(行いではない)人(この人のことをイエスは私の羊という)を神は救う。
 金持ちの青年(マルコ10:17)ニコデモ(ヨハネ3:2)、サマリアの女(4:15)
⑥しかし神に一度反抗した心(神殺し)の亀裂は容易に回復できない。神もそう簡単には許せない。どんなに謝っても神の心の傷は癒えない。だから人間の側からの贖罪は不可能(ダンテ神曲天国編第7歌98-101行)
⑦救いの道は神ご自身が開かれた。それが罪なき神の子イエスの贖罪の十字架。(ロマ5章12-21)。パウロの慧眼。すごい説明。真理。これに勝る解説なし。
⑧終末は神の愛の決断。来世にはあの失った「命の木」がある。(黙示22:2)人間はそれを価なし、ただでいただける(黙21:6)。それというのも神の子イエスの十字架の功徳による。
⑨したがって「終末は神の愛の決断」だ。終末は恐怖の滅亡でなく、全人類が救われる日である。

●ミルトンの「楽園の回復」第一巻(1-7行)はロマ書3:22-24 5:12 5:17-21のことである。ミルトンの大叙事詩「楽園の喪失」と「楽園の回復」は聖書を貫く思想の大河ドラマ●もし私に筆が立つなら「永遠の命の木」と題する叙事詩を書きたい。その骨子は上記の①~⑨である。●13:30 伊勢喜明氏が胆石で緊急手術。妻は中野の愛子のところに子守のために急いで出発。子供や孫が多いとそれだけ病気も多い。この世は涙の谷だ。手術の成功を祈った。喜明氏の妻の愛子(私の娘)はよく祈ることができるので大丈夫だ。彼女には神が付いている●創世記2:9は何の樹であるのか興味をもったので、手元の文献をあたる。「林檎が通説。その理由はラテン語にて林檎をmalumと言い、悪malumと同語であるからである」とあった(旧約知識第13号・昭和11年、「ヤーウィストの創造記」塚本虎二)・・・この文献で初めて分かった。昭和11年の著述とは驚く●またなぜアダムとエバは楽園を追放されたのかの疑問も研究。資料が込み入っていて難しいが、人間の神に対する「傲慢不遜」が神の怒りを買ったことが原因であることは動かない。つまりエデンの園の中央にある「命の木」の実を食べられなくなったので人間は「死ぬ運命」になった。

新共同 創  6:3
6:3 主は言われた。「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから。」こうして、人の一生は百二十年となった。

●それが終末の新天新地における都の中央にはなんと「命の木」があるのだ!!。

新共同 黙  22:2
22:2 川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実をみのらせる。そして、その木の葉は諸国の民の病を治す。

●楽園を追放された人間は価なくして水を飲める。もちろん「命の木」の実を食べることができるようになる。なぜか。誰のおかげか。「私は命」(ヨハ11:25)であると言った、罪なき神の子キリスト・イエスの十字架の贖罪死の功徳による。このことを説明したのが使徒パウロ(ロマ5章)。説明と言っても事実。十字架の救いは私の体験的事実。●18:00、妻から喜明氏の手術成功との電話。●21:15帰宅した妻から報告を受ける。

 

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理想的な夫婦愛 ++++++++ 所感

2010/01/20 09:42

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100120(水)気管支喘息は少しづつ癒されてきたが、今度は風邪気味。あー弱い体よ。脆い体よ。

口語訳 Ⅰコリ15:43
15:43 卑しいものでまかれ、栄光あるものによみがえり、弱いものでまかれ、強いものによみがえり、


口語訳 Ⅱコリ5:1-2
5:1 わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。
5:2 そして、天から賜わるそのすみかを、上に着ようと切に望みながら、この幕屋の中で苦しみもだえている。


塚本訳 Ⅱコリ12:7-9
12:7 そしてこれらの素晴らしい啓示があるので、わたしが高慢にならないようにと、わたしの肉に一つの刺が与えられた。悪魔の使いであって、これはわたしが高慢にならないようにと、わたしをうつものである。
12:8 この使について、それがわたしから手を引くようにと、三度まで主に願ったが、
12:9 主は(その都度)言われた、「わたしの恩恵はあなたに十分だ。力は弱さの中に完成されるのだから。」、それでわたしはキリストの力がわたしに住みついてくださるように、大喜びで、むしろ(自分の)弱いことを自慢しよう。

●垣添忠生著「妻を看取る日」・・国立がんセンター名誉総長の喪失と再生の記録(新潮社)・・●昨日の感想の続き。この本は理想的な夫婦愛を書いたものとしておそらくベストセラーになるだろう。だれもかく愛し、かく愛されたいと思うに違いない。ゲーテの「若きウェルテルの悩み」が出版されたときはだれもが「かく愛し愛されたい」と思った。しかし主人公ウェルテルは最後がいけない。ピストル自殺。●しかしゲーテはこれで自分に死に新しい人生に再生した。宗教的である。●垣添忠生氏の場合は最後がいけない夫人の死後、その悲嘆から立ち直ろうとしてやったことは、登山、居合、運動、絵画。これでは竜頭蛇尾。全く宗教的ではない。ゲーテの国との文化レベルの差である●昭子夫人との出会いは医者と患者の関係。夫人は離婚歴のある12歳も年上。一目惚で親の反対を押し切って駆け落ち同然で結婚。夫人は膠原病をはじめとする弱い体の持ち主。子供はなかった。夫人は家庭で献身的に尽くしたので垣添氏は癌の研究一筋に打ち込むことができ、天皇の膀胱がん手術の執刀をするまでになる。2002年国立がんセンター総長、しかし2007年名誉総長を退任した年に夫人は肺の小細胞がんで入院、三か月で逝去。夫人との出会いから最後の看取りまでの迫真のドキュメント。●執筆の目的は「愛する者」を失った悲嘆からいかに立ち直っていきつつあるかを示そうというものであるが、私に言わせれば「汝、なお一つ欠く」である。永遠の命を求める気がない。「愛する者」を失った人の悲嘆の癒しは一つきりない。有体的復活による再会である。それを示してないのでがっくり。●著者に永遠の命の道を教えられなかった日本のキリスト教界の実力のなさを思う。
文語訳 ルカ 18:22
18:22 イエス之をききて言ひたまふ『なんぢなほ足らぬこと一つあり、汝の有てる物をことごとく賣りて、貧しき者に分ち與へよ、然らば財寳を天に得ん。かつ來りて我に從へ』
●イエスは言う。永遠の命を得たければ最も大切なものを捨てなければならない。垣添氏にとって最も大切なものは「夫人」であった。しかし氏にとって夫人を捨て、夫人を忘れることは「死」同然である。けれどもイエスの言う「なんぢなほ足らぬこと一つあり」とは夫人の思い出を捨てることである。ここが仏教国、儒教国、人情国の日本の限界。キリスト教の道は厳しい。永遠の命を得る道は狭いのだ。
塚本訳 ルカ 14:26
14:26 わたしの所に来て、その父と母とと子と兄弟と姉妹と、なおその上に、自分の命までも憎まない者は、だれもわたしの弟子になることは出来ない。
●と、かっこいいことを言う私だが、イザ妻に先立たれたらどうなるかわからない。どんなに悲嘆にくれるかわからない。SJ先輩は先ごろ夫人に先立たれて悲嘆にあられる。もし私が妻に先立たれて悲嘆にくれているとしたら声をかけてくださるであろう。「それでいいんだ。それでいいんだ」と。
●妻は今井館へ、「ウィークデーの集い」の打ち合わせとチラシ(3月7日シンポジウム)の発送作業。●19:00夕食時にその報告を受ける。●1月31日集会感話の骨子を作る。「WEB黒埼」が役に立つ。
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終末を期待する喜び
――― 黙示録を学ぶ動機 ―――
 2010.1.31 東京聖書読者会 高橋照男
 
地上の悩みは終末の新天新地の到来ですべて解決する。これが終末の喜び
イエスの誕生は終末の始まり。イエスの言動を終末から見直す
③パウロの思想は終末の到来が前提。パウロ思想理解の鍵は終末観
すべての悪は終末で滅ぼされる。正義の満足。忍耐する根拠
最後の審判による第二の死ということ。霊魂の永久滅亡の恐ろしさ
⑥エクレシアは終末に完成する。エクレシア俗化の悩みもそのときに解決
永遠の命は生きているうちに霊として与えられ、来世での復活の希望が湧く
⑦死は一時の眠り。永遠の命とは終末の有体的復活の霊の体。再会の喜び
⑧終末の時にすべての人が神の存在を知る。全人類は救われる
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創世記に現れた親の苦脳と親心 ++++++++ 所感

2010/01/19 14:07

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100119(火)気管支喘息は薄紙を剥ぐように良くなってきた。もう少しだ●大事をとって本日の大学講義は休講●先日来の思索。人間はなぜ「永遠の命」を失ったのか。エデンの園の「命の木」を奪おうとしたその不孫な態度が神の怒りを買ったからである。人間に「死」が訪れたのはこれが原因である。

新共同 創 3:22-24
3:22 主なる神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」
3:23 主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。
3:24 こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。

●神はこのアダムとエバの神を無視した不遜の態度を怒り、「追放」を決断。勘当を決心。親子別れを決心。義の貫徹である。アダムとエバは生意気であった。親から独立の成長のあかしであるとは言えない「神殺し」という「殺人」の匂いがする。これは「死に相当する」心の中での犯罪であった。これに対する神の怒りなくして聖書なし、十字架の救いなし。キリスト教なし。このことを怒らない親は親ではない。ただ見過ごして赦すような親のもとでは子供がよく育たない。こういうとき親は激怒しなければならない。しかし神は親であった。アダムとエバを追放勘当sするに当たって、これからの「一人旅」の寒空を案じ、「イチジクの葉」ではなく「皮の衣」を与えた。

新共同 創 3:20-21
3:20 アダムは女をエバ(命)と名付けた。彼女がすべて命あるものの母となったからである。
3:21 主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた。

●この親心は新約聖書のルカ15章の「放蕩息子」の帰還に際しての気持に通じるものがある。

塚本訳 ルカ 15:22
15:22 しかし父は(皆まで聞かず)召使たちに言った、『急いで、一番上等の着物をもって来て着せなさい。手に指輪を、足にお靴をはかせなさい。

●兄のカインは弟アベルを殺した。神が弟の方を愛したので憎んだのである。神はカインを追放するにあたって、カインが異国でいじめられないように額に印をつけてやった。これも親心であった。 映画「エデンの東」はこの兄弟がテーマ。再び観たくなった。

新共同 創 4:15
4:15 主はカインに言われた。「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう。」主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられた。

●地に悪がはびこったのを嘆いた神は人類絶滅を計画して、洪水を起こした。洪水を起こしたあと神は「二度とこういうことはすまい」と反省。これ親心であったが、これがいけなかった。またまた人類に悪がはびこった。

新共同 創 9:11-13
9:11 わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。」
9:12 更に神は言われた。「あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、代々とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである。
9:13 すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。

●このように創世記には神の怒りとともに神の親心が書かれている。この親心は母の心であるともいえる。創世記に潜む「救済の心」が新約のイエスの十字架になって表れた。それは単なる赦しではなく「贖罪」である。その第二のアダムたるキリストになって表れたとパウロは言う。(ロマ5:17-18)

●来る3月7日に今井館で行われる「若者と語るシンポジウム」は、農業、養豚、林業の第一線で苦労されている若者(すべて独立学園卒業生)である。農業は三男の恵が受け持つ。●そのチラシのことで恵と打ち合わせ●午後、妻は中野の愛子の所に行く●18:30妻は月本昭男先生の「旧約講義」(新宿)に行く。妻が健康なのは感謝。 ●1月24日「今井館伝道聖書集会」第一回の資料を作成。レジュメは次の通り。それまでに何が何でも病気を直さなければならない。

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永遠の命とは何か
――― 家が全焼して分からされたこと ―――
 2010.1.24 今井館伝道聖書集会第一回 高橋照男
 
聖書は人の「永遠の命」の喪失(創世記)に始まり回復(黙示録)で終わる
人はなぜ「永遠の命」を失ったのか。命の木の実を取ろうとした神への不孫
③人類の究極の願いは永遠の命。しかし人間に神との関係回復の贖罪能力なし
永遠の命は神自身が回復する。第二のアダムとしてのキリストの従順による
⑤永遠の命は神の主権で人間に与えられる。だから求めよ。さらば与えられん
⑥肉体の死は一時の眠り。永遠の命とは終末に頂ける復活の霊の体である
永遠の命は生きているうちに霊として与えられ、終末の時に霊の体で現れる
⑧理性の安息としてのイエス復活の使徒伝承。無教会の立場は伝承者の実在
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●垣添忠生著「妻を看取る日」・・国立がんセンター名誉総長の喪失と再生の記録(新潮社)・・を読了。●癌の専門家でありながら、妻に先立たれた男の落ち込みのものすごさがその内容。●酒浸りの日々、鬱状態、妻を思うとすぐ涙。「もう生きていても仕方がない」と何度も思う。●愛する者との死別から3ヶ月間は「地獄」だという。誰でもが病的になるという●これだけの知性と教養の持ち主にして愛する者との死別による落ち込みように驚く●夫人は12歳上。ものすごい愛妻家●私の読後感は一言。絶対に妻に先だってはもらいたくない。この著者のようにはなりたくない●著者は登山、運動、趣味などに打ち込むことによって次第に立ち直っていきつつあるというがそれらによって真に心が満たされているのかどうか疑問。●本の最後の方でようやくグリーフケア(GRIEF CARE 悲嘆介護)の必要に言及されている。しかし本人は無信仰。●無宗教の日本人の脆さが露呈している●人間は来世での再会の信仰なくしてこの悲嘆から救われない●イエスはグリーフケアを行った。●夫人に先立たれた方の悲嘆というものに触れることができて有益であった。●作曲家のエルガーも超愛妻家(妻が8歳年上)。妻が死ぬと一時創作意欲を失う。作曲家で妻から創作意欲を湧かせられたのはシューマン。(妻はクララ)
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終末を期待する喜び ++++++++ 所感

2010/01/18 12:38

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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100118(月)9時間寝て、6時半起床。風邪が少し良くなる。皆様のお祈りのおかげです。床に正座して感謝の祈りを捧げる。そして心の中でシャドウボクシング。ジャブ。●朝の啓示「終末を期待する喜び」。来る1月31日は第5日曜日なので感話を依頼される。(普通は第一日曜であるが、第5があるときは依頼されることが多くなった)。そのテーマを示された。感謝。●今まで、イエス伝は学問的に新しい367分類(ヨハネも含む4福音書共観)に従ってやってきたが来る4月4日の第260回で一旦中断し、その後約2年間かけて黙示録に挑戦する。その概要を話すことにする。●この2年間で終末が来るか、私自身の終末になるか。

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    終末を期待する喜び    2010年1月31日 東京聖書読者会
ーーー黙示録を学ぶ意欲ーーー

①地上の悩みは終末の新天新地の到来ですべて解決する。これが終末の喜び
②イエスの誕生は終末の始まり。福音書を終末から見直す
③パウロの期待は終末の到来。パウロ思想の理解。
④すべての悪は終末で滅ぼされる。正義の満足。それまで忍耐                       
⑤エクレシアは終末に完成する。エクレシア俗化の悩みもそのときに解決
⑥最後の審判はある。第二の死ということ 。霊魂の永久滅亡の恐ろしさ
⑦有体的復活が永遠の命。永遠の命を頂ける喜び
⑧終末を期待して生きる人生観。地上への愛が湧くのは終末の完成があるから
⑨終末の時にすべての人が神の存在を知る。全人類救済の秘密
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●あまりに咳が止まらないのと、薬が切れたので妻が池谷医院に診察予約をしに行ってくれた。私が外に出ると激しく咳こむからである。●9:30 池谷医院に行く。正式病名は「気管支喘息」。しかし少しずつ良くなってきている。薬を少し弱くしたものが処方される●年を取ると直りが遅い●大事をとって明日の昭和女子大の講義は休講。助手のTAさんに連絡する。●帰途、図書館で垣添忠生著「妻を看取る日」を借りる。著者は国立がんセンターの総長であったが、夫人にがんで先立たれて自殺したくなったという手記。私より2歳年上の68歳。興味がある。●図書館で借りているもう一冊は岸昌著「神の国とサタンの国」。著者は元大阪府知事。第一章は「終末から考える」。普通「終末」を現世主義者が取り上げると暗く心を圧されるものになるが、今朝の啓示で「終末は喜び」を教えられたのでその観点から読みたい。●NHKTV昼の番組で幸田浩子へのインタヴュー。明るさやさわやかさは普段の「清い生活」から醸し出されるものだ。●「妻を看取る」の半分を読む。ドキュメンタリーは訴える。●風邪で行けなかった三男の恵の所に送った孫のトレーナーシャツ。それを着た孫の写真が送られてきた。行った気分になった。感謝。

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家庭の理想を捨てよ、 ++++++++ 所感

2010/01/17 07:52

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100117(日)今日は聖日、主の日、何が何でも出席する。過去の経験で風邪ぐらいなら集会の2時間中にスーと熱が下がったことがある。●朝の啓示「家庭の理想を捨てよ。理想の妻子を断念せよ」●キリスト教は理想の地上王国の建設ではない。それは「異教人の欲しがるもの」。自己の救いのためにそれらを捨てよ。めちゃくちゃの家庭、めちゃくちゃの妻子で構わない。永遠の命の方が大切だ。

塚本訳ルカ 18:28-30
18:28 ペテロが(イエスに)言った、「でも、わたし達はこの通り、自分の持ち物をすててあなたの弟子になりました。」
18:29 彼らに言われた、「アーメン、わたしは言う、神の国のために家やや兄弟や親や子を捨てた者で、
18:30 この世でその幾倍を、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。」

塚本訳マタ 6:31-33
6:31 だから、『何を食べよう』とか、『何を飲もう』とか、『何を着よう』とか言って、心配するな。
6:32 それは皆異教人のほしがるもの。あなた達の天の父上は、それが皆あなた達に必要なことをよく御承知である。
6:33 あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。

●某氏(故人)、あるとき私にこぼした「日曜日に集会に行きたいが妻が足を引っ張るのでねー」。その夫人ももういない。

●某氏、集会の檀上で「女房の(この世的なことの)手伝いのためいついつの集会は休みます」とシャーシャーと言ったのには仰天。その妻の顔が見たい。これは「悪妻」、出頭せよ。サタンの誘惑だ。

●こういうとき、イエスの「妻を捨てよ」の言葉、ルカ18:29が分かる。ところがこの並行記事のマルコとマタイには「妻」がない。写本生は妻を恐れたのか。気が弱かったか。妻に頭の上がらない夫は信仰を失う。

●バンヤン「天路歴程」の冒頭は主人公が妻子が引きとめるのを振り切り、両耳に指を突っ込んで「永遠の命!、永遠の命!」と叫んで「家」を飛び出す。

●ローマの殉教女ヴィクトリアは実兄の「ローマ皇帝が主だと一言言えば助かる。生き伸びて老いた父母の孝養をしなさい」という説得を振り切り、「イエスこそ主」と言いきって殉教した。万歳。こういう人がいてキリスト教は広まった。

●8:00 厚着、完全武装、ホッカイロを二枚胸に貼って妻と集会に出発。駅に行く途中、咳こみ、あまりにぜーぜーするのを見た妻が「今日は集会を休んだ方がいいのでは」と言う。私が「それでも行く」と言ったが、ついに断念。休むことにした。トボトボと一人家に戻るとき、こんなことは50年のクリスチャン人生で初めてだと思うと無念で泣けてきた。●無教会者は集会を休まないことになっているのだ!●無教会者は聖書の専門家(職業宗教家)ではない。素人だからこそ専門家より勉強しなければならないのだ●妻は小中学校9年間「無遅刻無欠席」。その妻は日ごろ「病気には気力で負けてはならない」と言っている。その妻からストップがかかったので忠告を聞かざるを得ない。●帰宅して、本日の集会のため、全世界の主にある集会のために祈った●体が弱くて、また病気でイエスのもとにいけなかった人がいた。そういう人の家にイエスは出かけた。また周囲の人が運んできた例もある。●神の子イエスは病人の家を訪ねた。●無教会の木村護郎氏は昨年モラヴィア兄弟団発祥の地を訪れてそこに今も続くヘルンフート派の様子が日本の無教会とよく似ていると言われる。氏に同行した那須容平氏も手記を書かれている。(徳島聖書キリスト集会発行「野の花」23号P73)●休養安静。早く良くなりたい●妻は午後合唱の練習。妻が健康でありがたい●夕食時、妻から今日の集会の報告を受ける。●集会は高木、小寺、望月。多くの人からお見舞いの言葉があったという

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永遠の命とは何か ++++++++ 所感

2010/01/16 19:52

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100116(土)咳が止まらず、困った。●頑張って「今井館伝道聖書集会」の準備。レジュメ作成。内村鑑三の「人類の堕落と最初の福音」(創世記3:1-24)を読んで圧倒された。

永遠の命とは何か
――― 家が全焼して分からされたこと ―――
 2010.1.24 今井館伝道聖書集会第一回 高橋照男
 
聖書は人の「永遠の命」の喪失(創世記)に始まり回復(黙示録)で終わる
人はなぜ「永遠の命」を失ったのか。神に嘘をついたという不従順が原因
③永遠の命を欲する人間。人類の究極の願い。自己努力では不可能。
永遠の命は神が回復する。第二のアダムとしてのキリストの従順
⑤永遠の命は神の主権で人間に与えられる。だから求めよ、さらば与えられん
⑥救われる人は「永遠の命」を自ら求めるものだ
⑦永遠の命とは何か。それは復活の霊の体である
⑧永遠の命は生きているうちに霊として与えられ、終末の時に霊の体で現れる
⑨理性の安息としてのイエス復活の「史実使徒伝承」

 

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肉体の弱さ、脆さ ++++++++ 所感

2010/01/15 18:17

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100115(金)咳が止まらない。「悪い病気でなければ良いが」とふと頭をかすめる●この肉の体は弱く脆いものだ。次の句を思う。

塚本訳 Ⅱコリ5:2-4
5:2 どうしてであろうか。わたし達はこのテントにいて、天の住いを上に着たくてたまらずに呻いているからである。(この憧れと呻きこそ、永遠の住いのある証拠ではないか。)
5:3 ほんとうにもしこれを着たならば、裸(の恥しい姿)であることはないであろう!
5:4 それで、わたし達のこのテントにいる者は、重荷に呻いている。これを脱ぎたい(つまり死にたい)のではなく、(天の住いを)上に着たいからである。これは死ぬべきものが命に飲み込まれるためである。

●寝床で「今井館伝道聖書集会、1月24日『永遠の命とは何か』」の原稿。●今年度の一連の講義4回を果たすまでは倒れることは出来ない。神よ、この病を速やかに癒し給え●永遠の命は病気がないのだろうかと思った。●妻の看護に感謝。一人身の方々のお辛さを思う。一人身でかつ全盲のHTさんはどんなにお辛いだろう。

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黙示録を学びたい ++++++++ 所感

2010/01/14 08:39

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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100114(木)朝の黙示「黙示録の慰め」●病気になって思うこと。人間、いつまで生きているわけではない。残された貴重な時間でやるべきことをやっておかなければならない。●私にとってそれは「使徒伝承」。使徒伝承をやり抜いて死ねば本望。●具体的に何をするか。{WEB黒崎」をやって「黙示録」に衝撃を受けたので、黙示録の観点から聖書を読み直してみたい。旧約新約はすべて黙示録を目指して進行している。終末の観点なくしてイエスとパウロの言動は理解できない。●黙示録を学ぶ意味は次の通り

①人生の不条理は黙示録で解決する。地上の不条理の涙はことごとく拭われるという。本当か!!。なぜか。

②黙示録では悪人が「第二の死」で永久滅亡する。正義が満足する。しかしその悪人を見て私は言うだろう。「馬鹿馬鹿馬鹿」と。本当に永久滅亡か。

③「使徒信条」に「かしこより来たりて生けるものと死ねる者とを裁きたまわん」がある。終末、最後審判はキリスト教の基本である。今日のキリスト教にはこれがない。

④肺癌で苦しんでいた母に「天国では楽になれるよ」と言ったところ、「照男さん。行って見てきたの」と真剣な目つきで言われた。この大きな母の宿題に答えるため。重い課題だ。私は嘘を言ってしまったのか。

⑤塚本虎二先生の改訳原稿は黙示録には手がついてないという。これはなぜか。塚本先生から「黙示録は君たち自身で読め」と言われている様な気がする。「黙示録は学者読みするな。素人の読み、つまり本質読みをせよ」と宿題を残されたのではあるまいか。

⑥2007年4月に召された藤林益三先生の愛唱讃美歌は355番であるが、これは黙示録の新天新地を歌ったものである。先生を供養するためにも黙示録を学びたい。

讃美歌 355  

1. しゅ を あおぎ みれ ば ふるき われ は,
   うつし よ と とも に とく さり ゆき,
   われ ならぬ われ の あらわれ きて,
   みずや あめ つち ぞ あらた まれ る.
 
2. うつくし の みやこ, えるされむ は
   いま こそ くだり て われ に きつれ
 しゅともにいませば つきぬさちは
   きよき かわ の ごと わきて ながる.
 
3. うるわし したわし とこよ の くに,
   うらら に めぐみ の ひかげ てれ ば,
   いのち の こ の み は みのり しげく,
   とわ に し の かげ も なやみ も なし.
 
4. つゆ だ に いさお の あらぬ み を も
   きよめて みくに の よつぎ と なし,
   こがね の みとの に すませ たもう
   わが しゅ の あい こそ かぎり なけれ.
●福音の証し、使徒伝承を発するというのは聞く人がいなくてもよい、神に痛めつけられて「言うべきことは言う」のだ。「耳のあるものは聞け」。多くの場合、身近な者や身内はこれを受け入れない。かえって発信者を邪魔な奴だと感じて攻撃する。殺す。これ信者に負わされる悲しく淋しい宿命。しかし「血は種子だ」
●福島で有機農業を営んでいる三男の恵は今度有機栽培による人参でジュースを作った。送ってきたので早速飲んでみたら、これが実に自然の甘さでおいしい。作者の恵自身が「小躍りして喜んだ」というものだけに素晴らしい。彼の主力製品になるのではないかと喜びの感想文をメールした。身内の製品といえども、手放しで文句なく「オススメ」である。神の作品という感じ。人参ジュースは、星野仁彦氏(福島県立医大・医学博士・星野仁彦氏55歳)によれば「癌予防」になるという御自身の実績がある。
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三男の恵が作った有機栽培の人参によるジュース。添加物なしの天然の甘さが素晴らしい。
●星野仁彦氏については「検索エンジン」でひける。その中の一つは次の通り。
「5年後生存率はゼロといわれた医師・星野仁彦氏(福島県立医大・医学博士・星野仁彦氏55歳)が人参ジュースを中心としたゲルソン療法で治癒。 12年後の今日、その体験からガンの芽細胞の消し方を「おもいっきりテレビ」で解説していた。 」
●気管支炎の病で安静療法。この時間を利用して090526に購入したまま読めないでいた本を読んだ。
「復活と歴史的理性・・・神学の方法の研究」リチャード・R・ニーバー、西谷幸介訳。新教出版社2009.2.28.全277ページ。1957年に出版された神学界の名著。
はじめは精読していたが途中から飛ばし読み。3時間で読了。信仰的に得るところ無し。無教会の先達から「神学をやるより聖書の言葉そのものに固着せよ」と教えられたことはありがたいことであった。人間の頭でひねくりまわした「神学」より、神の言葉なる聖書の「言葉」そのもののほうが数十倍面白い。「WEB黒崎」の方がはるかに有益だ。
●安静静養のため、2階の部屋で床に就いているときに白い雲の浮かぶきれいな空を見た。主にあって先に逝かれた方々を次々と思い浮かべた。
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旅の中止 ++++++++ 所感

2010/01/13 07:58

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100113(水)咳が止まらない。●14-16日に予定していた旅。山形(独立学園新校舎竣工式)福島(恵のところの子供とのプロレス)は中止にすることに決心。独立学園、TY、YT、KKの諸先生諸氏にお詫びの電話。●池谷医院で診察。レントゲンの結果気管支炎になってしまった。その薬を処方していただいたが、それでも直らなければ入院点滴だという●夕食の時妻に言う。「私は今まで何かと体が弱かった。大病もした。あなたにはずっと世話になった。」●妻がずっと健康でいてれたのも神の賜物。感謝。世の中にはそうでない人がいる。生涯病妻を抱えている人、妻に先立たれた人●聖書は「肉」「肉」と言って軽蔑するが、「生きているうちは「肉」の健康が大切だ。神は「肉」を創造し、肉を通して神の栄光が現れる。●子供たちもそれぞれ、ほどほどにしあわせの道を歩いている。思い残すことはない。あとは私自身に与えられた使命(使徒伝承)に突っ走るのみだ●YT氏からお見舞いのメール。義人の祈りは百人力●すぐ横になって静養。●賀川豊彦は病弱であったがあれだけの働きをした。彼は言う「病弱な人は信仰が深い」と。そう言えば私の好きな英国の女流詩人クリスティナ・ロゼッティも生涯病弱であった。次の句を思う。

新共同 マコ 14:38
14:38 誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」

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激しく咳こみながら病院に向かう。奥多摩連山に雪。

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命の木 ++++++++ 所感

2010/01/12 08:16

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100112(火)6時半目覚め、10時間の睡眠で咳は残るものの体中に力が湧く。誰か知られざる人の祈りのような気がする。これが霊の力と言うものなのか。感謝。今日の午後の大学講義はできる●霊の充満は肉の体の病を癒す。イエスの治癒(特に精神の病)はおそらく霊の充満によるものだったのだろう。人間の業では直せない難しい精神の病のような病気も神には直せる。●命の力の充満で讃美歌353番を思う。

 讃美歌353 番

 1. いずみ と あふるる いのち の いのち よ,
   あさひ と かがやく ひかり の ひかりよ.
 
2. この よ の あたうる さち より のがれて,
   こよなき きみ へ と わが み は あこがる.
 
3. きみ こそ とこよ に かわらぬ よろこび,
   くめども つきせぬ めぐみ の もと なれ.
 
4. みかお を あおげば, うれい は さりゆき,
   みうで に たよれば, ちから は わき いず.
 
5. しゅ いえす よ, たえせず わが み に ともない,
   ひかり の みち を ば あゆませ たまえ や.
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●先日から聖書の最初と最後にある「命の木」の言葉に魅せられた。これについて黙想する。

新共同 黙  22:2
22:2 川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実をみのらせる。そして、その木の葉は諸国の民の病を治す。

新共同 創  2:9
2:9 主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。
●人間が堕落する前にあった「命の木」、そして終末によって現れる新天新地にある「命の木」。地球の歴史、人類の歴史はこの「命の木」の出現に挟まれている。●人間は始祖の堕罪でこの「命の木」から離れ落ちたことにより、以後「命の木」を求めて必死の努力をしてきた。喘ぎ求めてきた。これが人類の文化文明の歴史である。しかしそれを得ることはできなかった。その嘆きの代表的な言葉を旧約にみてみよう。●人生はただ涙と空しさ、淋しさのみである。●伴侶が精神の病の某氏は私に言ったことがある。「もし神がいるなら抗議したい」と。私は何も言えなかった。ただ一緒に呻き、泣くだけであった。
新共同 伝  1:2-3
1:2 コヘレトは言う。なんという空しさ/なんという空しさ、すべては空しい。
1:3 太陽の下、人は労苦するが/すべての労苦も何になろう。
新共同 詩  90:9-10
90:9 わたしたちの生涯は御怒りに消え去り/人生はため息のように消えうせます。
90:10 人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十年を数えても/得るところは労苦と災いにすぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。
●人生はただ苦しく、呻くだけである。どこに幸福なんかあるものか。だれも好き好んで生まれてきたのではない。ことに生まれてみたら両親が離婚していて片親であった子供等には何と声をかければよいのか。「俺の人生ちゃんとして生まれたかった」。アー人生は涙と呻きの谷だ。生き地獄だ。あのパウロも言うではないか。生きるのは呻きだと。
新共同 ロマ 8:22
8:22 被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。
●ところが、ところがである。この空しく暗く淋しい世界にキリストが出現。終末が始まった。
塚本訳 ロマ 8:20-21
8:20 なぜであるか。創造物は自分から(今のような)はかない運命に屈伏したのでなく、それは屈伏させたお方([神]の御心)によるからである。(彼らはアダムの罪の責任を負わされたのである。)しかし(この屈伏には)望みがある。
8:21 創造物自身も、滅亡の奴隷になっている(現在の)状態から自由にされて、神の子供たちがうける栄光と自由とにあずかるのだから。
塚本訳 ヨハ 14:5-7
14:5 トマスが言う、「主よ、どこへ行かれるのか、わたし達にはわかりません。どうすればその道がわかるでしょうか。」
14:6 イエスは言われる、「わたしが道である。また真理であり、命である。(手段であると同時に目的であるから。)わたしを通らずには、だれも父上の所に行くことはできない。
14:7 しかしあなた達はわたしがわかったのだから、わたしの父上もわかるにちがいない。いや、いますでに父上がわかっており、また父上を見たのである。」
塚本訳 ヘブ 1:1-2
1:1 神は昔、(多くの)預言者たちをもって、(一つの御旨を)多くに分け、多くの方法で先祖たちに語られたが、
1:2 (いよいよ)この最後の日には、御子[キリスト]をもってわたし達に語られたのである。神はこの御子を万物の相続人と定め、彼によって(この)世界をお造りになった。
●あのイエスがキリストなのか。世の終わりの徴なのか。「まことか。証拠は?」
塚本訳 マタ 11:2-6
11:2 さて(洗礼者)ヨハネは牢屋で、(イエスの)救世主としての働きを聞くと(心が動揺し、)弟子たちをやって、
11:3 「来るべき方(救世主)はあなたですか、それともほかの人を待つべきでしょうか」とたずねさせた。
11:4 イエスは答えられた、「行って、(今ここで)聞いていること見ていることをヨハネに報告しなさい。
11:5 ──『盲人は見えるようになり、』足なえは歩きまわり、癩病人は清まり、聾は聞き、死人は生きかえり、『貧しい人は福音を聞かされている』と。
11:6 わたしにつまずかぬ者は幸いである。」

塚本訳ヨハ 11:24-27
11:24 マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」
11:27 イエスに言う、「はい、主よ、(信じます。)あなたが救世主で、神の子で、世に来るべき方であると、私は信じています。」
●人類がイエスは来るべき救い主であること、永遠の持ち主であることを知るのにはどうしたらよいのであろうか。その疑問、質問の数々は聖書に書いてある。
塚本訳 マタ 19:16
19:16 するとそこに、ひとりの人がイエスの所に来て言った、「先生、永遠の命を得るには、どんなよいことをすればよいでしょうか。」
塚本訳 ヨハ 14:5
14:5 トマスが言う、「主よ、どこへ行かれるのか、わたし達にはわかりません。どうすればその道がわかるでしょうか。」
塚本訳 ヨハ 3:3-5
3:3 イエスが答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、(徴を見て信じたのではいけない。)人は新しく生まれなおさなければ、神の国にはいることは出来ない。」
3:4 ニコデモがイエスに言う、「(このように)年を取った者が、どうして生まれなおすことが出来ましょう。まさかもう一度母の胎内に入って、生まれなおすわけにゆかないではありませんか。」
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。
●「霊によって生まれる」という真の幸福にあずかったときは人生の不条理はことごとく氷解する。私はこのことを叫ぶために残りの人生はある。これが不条理な不遇な人生を歩みながら信仰を頂いて死ななかった「母」への供養である。母は肺癌の苦しみのとききに私が「天国に行けば楽になれるよ」と言うと「照男さん。行って見て来たのですか」と真剣な目つきで言った。これ私の宿題だ。「行って見てきたわけではないが、信じて喜んでいるのだ」。
塚本訳  ロマ 8:18-20
8:18 (しかもこの苦しみは恐れることはない。)なぜなら、わたしはこう考える。今の世の苦しみは、わたし達に現われようとしている栄光(──キリストと一しょに神の国の相続人になる最後の日の大いなる光栄──)にくらべれば、言うに足りない。
8:19 (そしてこの栄光は必ず与えられる。)その証拠(の第一)は、創造物が神の子たちの現われるのを、首を長くして待ちこがれていることである。
8:20 なぜであるか。創造物は自分から(今のような)はかない運命に屈伏したのでなく、それは屈伏させたお方([神]の御心)によるからである。(彼らはアダムの罪の責任を負わされたのである。)しかし(この屈伏には)望みがある。

塚本訳  ロマ 8:22-26
8:22 わたし達が知っているように、全創造物は(かの日から)今まで、一しょになって呻き、一しょになって産みの苦しみをしている。(父なる神がこの  呻きに耳を傾けられないことがあろうか。)
8:23 しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証拠として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである。
8:24 なぜなら、わたし達は(最後の日に救いが完成されるという)望みをもって、救われているからである。目に見ることのできる望みは望みではない。人はいま現に見ているものを、なんでその上望む必要があろうか。
8:25 しかしわたし達が見ていないものを望むとすれば、忍耐をもって待たねばならない。
8:26 しかし(創造物やわたし達神の子が苦しんでいると)同じように、御霊も、弱いわたし達を助けてくださる。すなわち、(神のみ心にかなうには)どう何を祈るべきかわからないので、御霊自身が、無言の呻きをもって(わたし達の祈りを神に)執り成してくださるのである。

塚本訳 黙  21:1-6
21:1 また私は新しい天と新しい地とを見た。初めの天と初めの地とは消え去ったのである。最早海も無い。
21:2 また聖なる都新しいエルサレムが、夫のために飾った新婦のように身支度をして、天から、神(の御許)から降って来るのを私は見た。
21:3 そして私は玉座から大きな声が(出てこう)言うのを聞いた、「視よ、人と共に神の幕屋がある! 神が彼らと共に住み、彼らは神の民となり、神自ら彼らと共にいまして、
21:4 彼らの目から悉く涙を拭い取り給うであろう。最早死もなく、悲嘆も叫喚も疼痛も最早無いであろう。初めの(天と地にあった)ものが(すっかり)消え去ったからである。」
21:5 すると玉座に坐し給う者が言い給うた、「視よ、われ凡てを新しくする」と。また言い給う、「書け、この言は信ずべくまた真実であるから。」
21:6 そして私に言い給うた、「(事は)成った。我はアルパまたオメガ、初また終である。渇く者には無代で生命の水の泉から我は飲ませるであろう。
●この21:6の「渇く者には無代(ただ)で生命の水の泉から我は飲ませるであろう。」が聖書の結論。私が不条理な人生を歩む者に向かって語れる唯一の言葉。嘘か真(まこと)かは五分五分である。ダメでもともと、生きている内に一度は信じてみる必要がある。
●昭和女子大、2コマの授業だったが、風邪で体調悪く30分早く終了して早退。


 

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風邪で苦しむ ++++++++ 所感

2010/01/11 19:42

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100111(月)数日前からの風邪で咳が止まらず苦しい毎日。年を取ると風邪の直りも遅い。●若さの良さは自然治癒の力があることだ。若者よ、若さは力だ。●終日咳込んで体が疲れた●「命の木」。聖書の最初「創世記2章」と最後「黙示録22章」には「命の木」といういちじるしい言葉がある。聖書は人間が「命の木」を失い、それを回復するまでのストーリーだ。その道はキリストによってもたらされたのである。イエスはいう。

塚本訳ヨハ 14:6
14:6 イエスは言われる、「わたしが道である。また真理であり、命である。(手段であると同時に目的であるから。)わたしを通らずには、だれも父上の所に行くことはできない。

●人間は誰でも「命の木」を求める。それが生涯の目標だ。若さ、健康、永遠の命、やすらぎ、落ち付くところ、愛、安心。



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ものは変わり世は移れど ++++++++ 所感

2010/01/10 08:07

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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100110(日)大崎ニューシティのホテルニューオータニインで目覚め。ホテルのバスでは頭が洗いにくいし。肩からざっと湯をかけるあの日本風呂のよさが味わえないので不満足。四谷のニューオータニはシティホテル、大崎はビジネスホテル。ビジネスホテルの中でも「上」のクラス。●今日はここから妻は伊勢昭男の告別式へ。私はキリスト教の礼拝に東京聖書読者会へ●朝、ここ大崎に建設した二つの建物を見に行った。

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ディアハイム北品川。1985年。建築主・雲野武夫 設計・連合設計者市谷建築事務所。施工・鹿島建設

企画・近隣交渉で難航した。雲野さん(東京聖書読者会メンバー)と二人三脚であった。その雲野さんは1985年に召天。もう25年も過ぎたのか。建物を見ると当時のことが走馬灯のように思い出された。周囲の植栽は随分落ちついた。大崎駅前はその後第二期の開発がなされ、すっかり変わった。

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これも大崎駅近くにある「日本税理士会館」。これは税理士の本丸である会館。建築主側のコンサルタントになった。1998年頃。

設計・日建設計 施工・鹿島建設 税理士会理事の渡辺要一さん(若き日に親友のKT氏に誘われて塚本虎二先生の丸の内集会に出席された)。と土地選びから係わった。渡辺さんは「塚本先生の集まりは『私の青春でした』と言われたが、2003年に逝去。

●二つの建物を回想、お二人の方はすでにおられない。建物の周囲の景観もすっかり変わった。讃美歌486番を心で歌い万感胸に迫った。

讃美歌486 番

1. もの は かわり, よ は うつれど,
   うごかぬ は みくに,
   いざ や うたわん, われら とも に
   とこしなえ の うた を,
   とこしなえ の うた を.
   いざ や うたわん, われら とも に
   とこしなえ の うた を.
 
2. さめて おもい いねて ゆめみ,
   わすれぬ は みくに,
   いよよ はゆる おもかげ みゆ,
   かすみ は ひ に きえて,
   かすみ は ひ に きえて.
   いよよ はゆる おもかげ みゆ,
   かすみ は ひ に きえて.
  
3. よ に かちし いくさびと に
   さずくる は これ と,
   たま の かむり かかげ もちて
   いえす きみ は まち たもう,
   いえす きみ わ まち たもう.
   たま の かむり かかげ もちて
   いえす きみ は まち たもう.
 
4. て に は おごと, くち に は うた,
   たのしき は みくに,
   すぎし とき の うき なやみ も,
   きよき しらべ と ならん,
   きよき しらべ と ならん,
   すぎし とき の うき なやみ も,
   きよき しらべ と ならん.
メロディーは次をクリック
●集会に行く途中、代々木から乗車した外国の旅行者と話。オーストラリアのメルボルンから家族で日本旅行。今日は「スモーレスリング(大相撲)」に行くのだという。私はクリスチャンだというと「これからチャーチCHURCH)に行くのか」と聴かれた。CHURCHというと世界的に通じる概念であることを感じて嬉しかった。
●集会は藤巻、丹野、横田●15日に行く福島の孫への土産を物色。数店舗廻った。
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あきる野に戻るとすっかり日が暮れた。家の明かりが灯っているので不思議に思ったが、妻が先に戻っていた。
家の明かりが灯っているというのはありがたい。夫人に先立たれた方はこういうことがなくてお淋しい。でもそういう期間は一瞬だ。次がある。永遠の命がある。「また会う日まで」だ。


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伊勢昭男通夜 ++++++++ 所感

2010/01/09 18:01

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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010109(土)FEさんから「塚本訳改訳の整理の件」。遅かったが歴史的遺産として貴重なので保存しておく必要があると言った。●14:00「キララホール」であきる野市若き音楽家フェスタ」。最初の一人だけを聴いて退席。●18:00「伊勢昭男告別式」。於・品川区西五反田桐ヶ谷斎場。僧侶の「法話」(約10分)が良かった。

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伊勢昭男、享年78歳。通夜。浄土宗。喪主は伊勢喜明(次男。愛子の主人)、伊勢サヨ(故人妻)。

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通夜振舞いの席で。

左 僧侶 生野善應 右 喪主伊勢喜明

生野善應氏は東大の岸本英夫教授(1903-1964)のもとで学び、スカラシップを取得して米国クレアモント神学校に学ばれた。

なるほど法話の内容が聖書的だった原因が読めた。私たちと子供達の多くがクリスチャンであることを紹介した。内村鑑三のことは当然御存知であった。

〒108-0074 港区高輪3-14-30 光福寺 03-3441-4933

●その夜は伊勢家が用意してくださった大崎ニューシティのホテルニューオータニインに泊まった。



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正統信仰はいかにして継承されるか ++++++++ 所感

2010/01/08 09:25

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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010108(金)4時半起床●昨夜も咳こんだが一昨日よりは少し楽。人間の自然治癒力に感謝●TSK日本語化●朝の黙想「正統信仰はいかにして継承されるか」●過日、著者山下次郎先生から頂いた「塚本虎二を偲びて」を読んでの第二回目の感想。公的な内容なので公開する。

山下次郎先生への御礼感想文

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先日に引き続き「塚本虎二を偲びて」の感想を書かせていただきます。今回は15-235ページです。ここでは「上から下へ」という言葉が繰り返し出てきて、信仰は人間の側の努力ではなく全く上からの神の力によるということが言われています。これは私の見るところ、プロテスタンティズムの究極の立場です。ここで問題は信仰が各自バラバラであるといわゆる「正統信仰」から逸脱するのではないかという心配です。塚本先生もそれを御心配された時期がありましたが、意外に大丈夫であると観察され、安心されたということを読んだことがあります。無教会の唱導者である塚本先生の御心配のほどが痛いほど分かります。事実はどうかと考えますと日本の土壌に生まれた無教会主義は「教会観を除いては正統信仰中の正統信仰を保存保持」してきたと思います。それは教会側の有識者も認めるところであります。内村、塚本、黒崎、前田、関根、中澤などの著作は教会の人が安心して読んでいます。なぜかと言いますと、無教会は「教派」としての主張や色彩がなく、経典としての聖書に全く密着していて「聖書はどう語っているのか」の研究に余念がなかったからであると思います。また一人の指導者が無教会という集団をリードするのではなく、各自がバラバラであるところにかえって神が自由に働く余地があるので、無教会全体として間違った信仰の方向には行かないという結果になっています。少しぐらい「おかしな者」が出現しても相互批判や自浄作用でその「おかしな者」は自然消滅してきました。ここに神の力が働いてきたものと解します。ところが、ところが、最近はその正統信仰の使徒伝承が継承されていないのも事実と言わざるを得ません。残念ながらです。今日、無教会が特に低調で下火なのは、肝心の復活の使徒伝承が継承されてないので、神の祝福というものが去ったからではあるまいか。「餅は餅屋」なのに餅屋に行っても餅が売ってない。パウロがⅠコリ15:3で「最も大切なこと」と言った有体的復活の信仰が失せた。この意味で山下先生の次の部分には考えさせられてしまいます。「その塚本がこと贖罪論に及ぶや全くスタティックな考えの中に沈んでしまうのは、私には理解できないのである。」(P118上段)。私としてはここが塚本先生の正統信仰の真骨頂があると思います。もし上からの啓示のみが信仰の根拠ならば「真宗可なり、大本教可なり、鰯の頭可なり」(岩下壮一神父の無教会批判・・・・塚本虎二著作集続第一巻P189)となります。しかしながら塚本先生は歴史の事実に土台を置いた信仰を強調されています。塚本先生の信仰は山下先生のおっしゃられる「上から下へ」ではありますが、あくまでも歴史的事実を根拠にしています。このことで私が一番拍手したいのは次の箇所です。(岩永整理版)

塚本訳Ⅰコリ15:3-4
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、

塚本先生はなぜここでわざわざ(エルサレム集会から)と敷衍を入れたのか。これは無教会が歴史から遊離しないための必死の敷衍挿入だと解します。

さらに一つ申し上げますが、山下先生は信仰は全く「上から下へ」と申されますが、私が塚本先生の「キリスト教十講」に出会った時、衝撃を受けたのは次のところです。

「要するに完全に自己に絶望した人のみが神発見の喜びを持つ。『影が真の人間か』と言って研究している間は神は見えない。神ありや否や、罪ありや否や、キリストははたして神の子なりや否や、なぜ彼を信ずれば救われるか、いわく何、いわく何、こんな贅沢を言っているかぎり、神に帰り得ない。『影にもあれ、真の人にもあれ』と言って自分をほうり出すまでに自分に愛想をつかし、棄鉢(すてばち)になるまでは、神に帰り得ない。」(P101下段)

「キリストを信じその十字架を見上げるとき、私たちの罪がことごとく洗い清められて、いま生まれた赤ん坊のように清浄になるのである。理由はわからない、合理的の説明はつかない。しかしたとえ自分の存在を否定しても、否定しえない経験である。」(P111下段)

これらは塚本先生の全く高いところからの話ではなく、下にいる人間に寄り添って「下から上へ」視線を向けた説得である。どうして塚本先生がこのような姿勢になれるかと言うと、それは山下先生の次の解説が至言と思います。

「塚本はキリスト教の伝道者という立場がある。」(P30上段)これです。普通牧師や信者は崖の上やあるいは川の向こう岸から「こっちに来い」と招くのです。そして必ず言います。神の招きがなければ人は救われないと。これでは求道者は道が見えません。しかし塚本先生は崖の下、あるいは川のこちら岸に一緒に寄り添っていてくれます。その意味で塚本先生の視線は「下から上へ」です。

まだ書きたいことはたくさんありますが、御礼の文面としてはここまでとさせていただきます。このたびは私の信仰を考え直すよい機会を与えて下さり、衷心より御礼申し上げます。

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山下次郎先生への御礼感想文。終わり。

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今井館伝道聖書集会第3回「死ぬとはどういうことなのか」構想

●死の悲しみ

 詩篇90:10 

 ラケル

 ナインの若者

 ラザロの兄弟

●体の構造

 Ⅰコリ2:14

 体

 魂

 霊

●死は眠り

 ルカ8:53 ヤイロの娘

 ヨハ11:11ラザロの復活

●神の懐に隠されている命

 コロ3:3-4

 ロマ8:11

●最後の日の復活

 ヨハ5:29

●最後の審判はある。第二の死ということ。霊の永久滅亡

 黙示2:11 20:6 20:14 21:6

●生きてキリストを信ずる者は第二の死を免れる

 ヨハ10:28

●セカンドチャンスはある。十字架のありがたさ

 葡萄畑の労働者の譬

 十字架の上の強盗

 取税人と遊女らは先に神の国に入る

●永遠の命は有体的復活の霊の体

 Ⅰコリ15:35-49

 黙21:3-4

 ロマ8:21-25

 

 

 

 

 

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認知症患者が生きる意味 ++++++++ 所感

2010/01/07 07:54

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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100107(木)昨夜も咳込んで苦しかった。●朝の黙想「認知症患者の生きる意味」●6時15分起床●TSK日本語化●「認知症患者の生きる意味」。過日集会のKHさんを病院にお見舞いしたところ、私と妻の顔が全く分からなくなっておられた。暗然とした。あれでは神も信仰も聖書も分かりそうにない。それ以来、認知症という脳の病気になった人の「生きる意味」について考えることが多くなった。●これは妻が「自分は母も祖母も認知症だから必ず認知症になる。覚悟してちょうだい」と淋しいことを常日頃言っている。●妻が私のことがわからなく日がきたらどうしよう。考えられない●このこともあって、「認知症患者の生きる意味」ということを考えざるをえない。●このときひらめいたのが次の言葉である。

塚本訳 ヨハ 9:1-3
9:1 イエスは通りがかりに、生まれつきの盲人を見られた。
9:2 弟子たちが尋ねた、「先生、この人が盲で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか、両親ですか。」
9:3 イエスは答えられた、「この人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。ただ神の御業がこの人に現われるためである

●認知症患者は視力があっても相手の顔を認識できない。つまり見えない。従って「盲人」である。「この人はなぜこうなったのだ!!」と天地の神に向かって文句の一つも言いたくなる。●神が全能なら、いまここですぐ直してもらいたい。次の言葉は至言である。直してくれたら信じてやるという気持ちは100%分かる。

塚本訳 マコ 15:29-32
15:29 通りかかった人々が『頭をふりながら、』こう言ってイエスを冒涜した、「へへえ、お宮をこわして三日で建てるという人、
15:30 自分を救ってみろ、十字架から下りてきて!」
15:31 同じように大祭司連も、聖書学者と一しょに、こう言って(イエスを)なぶり合った、「あの男、人は救ったが、自分は救えない。
15:32 救世主、イスラエルの王様が!今すぐ十字架から下りてくるがよい。見たら信じてやるのに!」一しょに十字架につけられた二人(の強盗)も、イエスを罵った。

●シロアム池の盲人は具体的に肉の目を開けていただけたが、よく聖書を読むと、肉の目が見えないという不条理を通して霊の目が明いたのである。ヨハ9:35-39.

●ではイエスが肉の体でおられない今はどうなのか。「終末に解決する」。最後の日に「目が開く。霊の眼があく」。●シロアム池の盲人は最後は死んだ。肉の人間は死ぬと何も見えなくなる。しかし彼の霊眼は明いていた。生きてキリストを信じた者は有体的に復活して五体満足になる。●現代の医学では認知症は直らない。予防はあっても治療は難しい。癌と同じである。●とすると「癌」も「認知症」も神が人間に「永遠の命」を求めるように備えたやむを得ない病気ではあるまいか●認知症の期間は短い。おそらく10年以内ではあるまいか。永遠の時から比べればそれは「瞬時」である。●ヒルティの幸福論第三巻の最後は次のようになっている。「苦しみは瞬時にして喜びは永遠なり」●本人が神もキリストも聖書も救いも来世も信仰も何もかもわからなくなっても救いはあるのか。これカトリックとプロテスタントの分水嶺。プロテスタントは「本人の信仰」が基礎。典型的なのは再洗礼派(アナバプテスト)。彼らは「(無自覚の時に受けた)幼時洗礼」は無効だと言って、大人になってから自覚的に信仰告白をして、再度洗礼を受ける。ここから「再洗礼」という言葉がでた。●無教会主義は洗礼そのものを全面的に行わない。神の意志そのものが救いの根拠。これが不安な人は結局のところカトリックにならざるをえない。「あそこ」では神父さんが頭に手を載せれば「救いが保証」される。

●11;10 妻が郷里福島県いわき市に母の見舞いに出発。母は加齢による物忘れか病気の認知症かわからない。妻が行ってもわからない。淋しい、悲しい、残酷。しかし出かけて行く妻の足取りは軽い。認知症であっても「母は母なのだ」

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●今井館伝道聖書集会第二回「イエスの復活とはどういうことだったのか」

・・・・脳内出血で意識不明になって信じさせられたこと・・・・・

●イエスの復活とは人間に来世の実在を信じさせるために「理性の安息」を与えるためにあった。その神の側の動機を探る。よみがえりの奇跡はイエスの「怒り」が動機。「では信ずるために。よみがえらせてみようか」という思い。

塚本訳 マコ 2:5-12
2:5 イエスはその人たちの信仰を見て(驚き)、中風の者に言われる、「子よ、いまあなたの罪は赦された。」
2:6 数人の聖書学者がそこに坐っていたが、心の中で考えた、
2:7 「この人はなぜあんなことを言うのだろう。冒涜だ。神お一人のほか、だれが罪を赦せよう。」
2:8 イエスは彼らがひそかにこう考えているのを、すぐ霊で見抜いて、「なんで、そんなことを心の中で考えているのか。
2:9 この中風の者に、あなたの罪は赦された、と言うのと、起きて担架をかついで歩け、と言うのと、どちらがたやすい(と思う)か。
2:10 では、人の子(わたし)は地上で罪を赦す全権を持っていることを知らせてやろう」と彼らに言いながら、中風の者に言われる、
2:11 「あなたに命令する、起きて担架をかついで、家に帰りなさい。」
2:12 すると彼は起き上がり、すぐ担架をかついで、皆の見ている前を出ていった。皆が呆気にとられ、「こんなことはかって見たことがない」と言って、神を讃美した。

●「罪を赦すなどという心の中のことはなんとで言える。信用できない」という人に向かって「ではそれが本当のことであることを見える形で証明しよう」と言って中風をなおした。この奇跡はイエスの怒りが動機。しかたなく実行した。


塚本訳  ヨハ 11:32-34
11:32 マリヤはイエスのおられる所に来ると、イエスを見るなり、足もとにひれ伏して言った、「主よ、あなたがここにいてくださったら、わたしの・・わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。」
11:33 イエスはマリヤが泣き、一しょに来たユダヤ人たちも泣くのを見ると、(その不信仰を)心に憤り、かつ興奮して、
11:34 (マルタとマリヤに)言われた、「どこにラザロを納めたか。」二人が言う、「主よ、来て、御覧ください。」

●ラザロの復活はこのイエスの「憤り」が動機。

塚本訳  ヨハ 20:27-29
20:27 それから(すぐ)トマスに言われる、「指をここに持ってきて、わたしの手(の釘の跡)をよく見てごらん。手を持ってきて、わたしの脇腹に差し込んでみなさい。不信仰をやめて、信ずる者らしくしなさい。」
20:28 トマスがイエスに答えて言った、「わたしの主よ!わたしの神よ!」
20:29 イエスは言われる、「わたしを見たので、信じたのか。幸いなのは、見ないで信ずる人たちである。」

●ここにもイエスの怒りがある。しかしこのトマスは偉い。イエスが「脇腹に手を差し込んで見よ」と言われたのに差し込んでみなかった。それなのに信じた。

塚本訳 ルカ 7:11-15
7:11 そのあとで、ナインという町に行かれた。弟子たちおよび多くの群衆も一しょに行った。
7:12 町の門の近くに来られると、ちょうど、ある独り息子が死んで、(棺が)舁き出されるところであった。母は寡婦であった。町の人が大勢その母に付添っていた。
7:13 主は母を見て不憫に思い、「そんなに泣くでない」と言って、
7:14 近寄って棺に手をかけ──担いでいる者は立ち止まった──「若者よ、あなたに言う、起きよ!」と言われた。
7:15 すると死人が起き上がって物を言い出した。イエスは『彼を母に渡された。』

●「そんなに泣くでない」(塚本の名訳)の言葉にイエスの「怒気」を感じる

●以上、イエスの奇跡、特に死人のよみがえりの奇跡の動機にはイエスの「憤り」とうものがある。「見なければ信じられない」「見たら信じられる」という肉の人間の限界に対するイエスの嘆きを感じる。●しかし肉の人間にはそれが必要。だからイエスは「理性の安息」も満足させるために目に見える形でよみがえりの奇跡をおこなった。●「見ずして信ぜよ」というような理性を犠牲にするようなことはなさらなかった。トマスにも脇腹の傷跡を見せられた。●イエスの「有体的復活」の意味はここにある。イエスは歴史的に復活された。ヨハ20:7-9、Ⅰコリ15:3-6。●ところが復活はこれを歴史的に証明しても信じない人には信じられない。それが次である。だから復活の歴史的証明は効果があない。

塚本訳 ルカ 16:27-31
16:27 金持が言った、『父よ、それではお願いですから、ラザロをわたしの父の家にやってください。
16:28 わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。』
16:29 しかしアブラハムは言う、『(その必要はない。)彼らにはモーセ(律法)と預言書と[聖書]がある。その教えに従えばよろしい。』
16:30 彼が言った、『いいえ、父アブラハムよ、もしだれかが死人の中から行ってやれば、きっと悔改めます。』
16:31 しかしアブラハムは答えた、『モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。』」

●さすが神の子イエスの言葉。信じないものは信じないと言いきっている。なぜか。彼らは「霊」の世界のことがわからないからである。次がその根拠。

塚本訳  Ⅰコリ2:14
2:14 しかし(御霊を持たない)生まれながらの人間は、神の霊から出てくることを受け入れない。彼にはそれが馬鹿なことなのである。またそれを理解することも出来ない。(霊のことは)霊的に判断されねばならないからである。

●2000年後の我々も「馬鹿なことを信じている」と思われる運命を負っている。馬鹿と思われないように生きようとする信者は「この世半分あの世半分」のラオデキヤ的人間だ●かって私は身内から「馬鹿は死ななきゃ直らない」と言われたことがある。あーかわいそうだ。彼らが待っているのは地獄の業火。


塚本訳 ヨハ 11:45-48
11:45 すると、マリヤの所に来てイエスのされたことを見たユダヤ人のうち、多くの者は彼を信じた。
11:46 しかし中には(彼を信ぜず、)パリサイ人の所に行って、イエスのされたことをあれこれと報告した者もすこしあった。
11:47 そこで大祭司連とパリサイ人は最高法院を召集して言った、「どうすればよいだろう、あの男はたくさん徴[奇蹟]をしているのだが
11:48 もしこのまま放っておけば、皆があれを信じ(て王に祭り上げ)るであろう。すると騒動が起り、ローマ人が来て、われわれから(エルサレムの)都も国民も、取ってしまうにちがいない。」

●ラザロの復活というイエスの奇蹟は人間を二分する。「大祭司連とパリサイ人は最高法院」などというこの世的に「常識」「良識」の持ち主はこれを信じない。これ今も同じ。

塚本訳 ヨハ 11:53-54
11:53 そこで彼らはその日以来、イエスを殺す決意をしていた
11:54 それでイエスは、もはや公然とユダヤ人の中を歩きまわることをせず、そこを去って荒野に近い地方のエフライムという町に行き、弟子たちと一しょにそこにおられた。

●この記事はラザロの復活の直後のことである。●イエス殺害の動機は様々に考えられている(例えばマル11:15-19の神殿粛清)が、最終的な理由は「死人であったラザロの復活」という驚天動地の奇蹟であった。●こういう連中に対してイエスは荒野に逃げた。現代のわれわれも復活を信じない者に向かって福音を説こうなどという愚かなことをしてはならない。ただ逃げるしか方法がない。●パウロが裁判され迫害されたのも「おかしな教え」と思われたためであった。決してローマ帝国転覆の危険思想のためではなかった。次の箇所。

塚本訳 使  23:6
23:6 そのときパウロは(役人の)一派はサドカイ人、一派はパリサイ人であるのを見て取り、法院で叫んだ、「兄弟の方々、わたしはパリサイ人で、しかもパリサイ人の子です。いま死人の復活の希望のために裁判されているのです。(わたしは復活のキリストを見たと言いますから。)」


塚本訳 使  24:21
24:21 『わたしは死人の復活のためにきょうあなた達の前で裁判されているのです』と、みんなの中に立って叫んだその一言のほかに!」


塚本訳  使  24:25
24:25 ところがパウロの話は、義と、節制と、来るべき(最後の)裁きとについてだったので、ペリクスは恐ろしくなって、「本日はこれで帰ってよろしい。よい折があったら、また呼びにやるから」と言った。

●2000年後の今日でも「死人が復活する」と言うことは信じがたいことである。過日のこと某夫人曰く「主人は死人が復活するなどという宗教は信じられないと言うのです」。●反対者は一番よくこちらの本質を見抜く。この御主人はキリスト教は「復活の信仰」だとその本質を見抜いた。御立派である。●キリスト教と言えば平和運動、道徳教、社会改造教などと見誤っている信者や牧師よりよっぽど見上げたものだ。●ラザロの復活は信者が死の眠りから永遠の命に呼び覚まされるときの「最後の日」の「姿」である。●今日、日本の牧師の3分の1は「有体的復活を信じていない」という。だからキリストと教が現世教、地上王国建設教にコケている。

塚本訳  マコ 12:24-27
12:24 イエスは言われた、「あなた達は聖書も神の力も知らないから、そんな間違いをしているのではないか。
12:25 死人の中から復活する時には、めとることもなく嫁ぐこともなく、ちょうど天の使のようである。
12:26 死人が復活することについては、(聖書にはっきり書いてある。)モーセの書の茨の薮の(燃える話の)ところで、神がモーセにこう言われたのを読んだことがないのか、──『わたしはアブラハムの神、またイサクの神、またヤコブの神(である)』と。
12:27 (ところで)神は死人の神ではなく、生きている者の神である。(だからアブラハム、イサクなども皆復活して、今生きているわけではないか。)あなた達は大間違いをしている。」

●昔も今も「死人の復活」が信じられないのは「神の力」というものが信じられないからである。●しかしこれは生まれながらの肉の人間には信じがたいことである●私は脳内出血で意識不明にさせられ、生き返らせられた時に強くはっきり認識させられた。「この肉の命は99%でなく100%神に握られている」ということを。

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今井館伝道聖書集会第二回「イエスの復活とはどういうことだったのか」(終わり)

●15:00、私が先に死んで、妻が一人になった場合の年金の調査。なかなか複雑。しかし良いいこともある。結婚生活25年以上の者の遺族年金は月額23183円が加算される事を初めて知った。人生離婚しないとよいことがある。国の方針がそうなっている。人間は真面目に年金を支払っていれば報いはある。次の句を思いだした。むやみやたらび体制を批判してはいけない。

塚本訳 ロマ 13:1-7
13:1 人は皆上に立つ(国家の)官憲に服従せねばならない。神からではない官憲はなく、現存の官憲は(ことごとく)神から任命されたものであるから。
13:2 従って官憲に反抗する者は、神の命令に違反する者である。違反する者は、自分で自分に(神の)裁きを招くであろう。(この世で罰を受けるばかりでなく、最後の日にも。)
13:3 役人が恐ろしいのは、善いことをする者でなく、悪いことをする者である。(だから)あなたは官憲を恐れたくなければ、善いことをせよ。そうすれば官憲から誉められる。
13:4 官憲はあなたの最善のためにつくす神の召使であるから。しかしもし悪事をすれば、恐れねばならない。見えのために剣をささげているのではないのだから。官憲は神の召使で、悪事を行う者に対して(神の)怒りをあらわす復讐者である。
13:5 だからかならず服従せねばならない。ただ怒りの(恐ろしさの)ためだけでなく、(それが信ずる者の義務であることを知っているあなた達は、自分の)良心のためにも。
13:6 それゆえに(同じ理由で、)あなた達は貢をも納めねばならない。官憲は神につかえる者であり、いま言った職務に全力をそそいでいるからである。
13:7 (彼らに対して、信ずる者には普通の人以上の、言わば借りがある。)すべての役人にこの借りを返しなさい。貢取りには貢を、官税取りには官税を、恐るべき者には恐れを、尊敬すべき者には尊敬を。

 

 

 

 

 

 

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偶然か定めか ++++++++ 所感

2010/01/06 08:51

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100106(水)昨夜は寝しなに咳こむこと一時間。あまり咳をしたので喉が痛くなった。今日は医者の日で助かった。●朝の黙想「偶然か定めか」●TSK日本語化●今年の年賀状に「偶然か定めか良い人に出会えて感謝」という意味の言葉があった。「偶然か定めか」、これは実に深長な言葉である。宗教的、信仰的である。

(偶然か定めか)の感想

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●パスカルは言う「男にとって職業選択は最重要の課題だが、それは大抵の場合、偶然によって決まる。」
・・・・これは我が身を考えてもそのとおり
●女子大生の質問「先生の奥さんは先生にとって『運命の人』だったのですか」
・・・・ん!。こういうときに「運命」という言葉を使うのか。ジャジャジャジャーン。
●韓国人は生まれたきたときに38度線のどちらかになる。これ運命か偶然。
・・・・政治形態がどうあろうと神の支配は変わらない
●人間は親を選ぶことは出来ない。これは宿命。定め。
・・・・娘はあるとき「お母さん。どうしてあんなお父さんのような人と結婚したの」と妻に泣き崩れたことがある。 結婚問題の時。
●ハイデッガーは言う「人間は死の壁に向かって歩く旅である。しかし大抵の人は『それは自分にとってずっと先のことだ』と思って生きている」
・・・人間にとって「死の時」は偶然のように思えるが、それは神の「定めの時」。神にとって偶然はない。ロマ8:28

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(偶然か定めか)の感想おわり

●池谷医院で定期健診のほかに風邪の診断。どうやら鼻が悪いらしい●妻は夫人の聖書勉強会から愛子のところ●あきる野市役所、高齢者福祉課で「認知症の高齢者のための介護ガイド」という本を貰ってきて読む。結論。①認知症は加齢による各種症状(物忘れや体力低下)とは違う「脳の病気」である。②介護する人は赤子の世話をするのと同じ態度が必要。●感想。日本のこれからは癌と認知症の「重荷」が大きく加わってくる。癌に対する精神的ケアはキリスト教が先端を走ってきているが、認知症に対するケアもキリスト教が先端を走るべきだ。なぜか。「死の意味」「生きる意味」「永遠の命」「復活」「来世」の希望なくして「認知症患者」への対応は「やりれない」。「復活と永遠の命」への希望があればこの肉の体の「第一の死」は通過点であることがわかる。●それに「復活」は霊魂不滅の観念ではなく有体的復活の信仰が大切である。「癌」と「認知症」という太い刺。これが恩恵に変わるのは「有体的復活」を信じるかどうかにかかってくる。●いまこそ「本物のキリスト教」が試されるときである。「有体的復活」というのは「高橋の造語である」「橋はイエスの墓が空になったということばかり話している」という者は誰か。そういう人間は神の用意された救いの道を無にする者なので地獄の業火に激しく焼かれるべきだ。(黙21:8、ルカ16:25、マタ22:13)●有体的復活の信仰なくして「癌」と「認知症」というこの世の「小事」に正しく対応する熱意が湧かない。(ルカ16:9-13)●来世の有体的復活を信じるときにはじめて「癌」や「認知症」の患者に粘り強く対応できる。

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永遠の命とは何か ++++++++ 所感

2010/01/05 07:06

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100105(火)5時起床●TSK日本語化●朝の黙想「永遠の命」とは何か」

(「永遠の命とは何か」・・・1月24日今井館伝道聖書集会 骨子)

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①生けるものすべての要求としての「永遠の命」

 創2:2 黙22:19・・・聖書の最初と最後は「命の木」の言葉。 

 詩篇90:9-10・・・・永遠の命を失った人間の悲しみ

 マル15:17・・・どうすれば永遠の命を得られるかとの問い

②「永遠の命」に関心のない人

 マル12:18・・・現世に満足していたサドカイ派

 コヘ2:15-23・・・厭世観、(関根訳)

 詩篇90:9-10・・・旧約の無常観

 Ⅰコリ15:12・・・霊魂不滅観のギリシャ哲学

③何をやっても満足しない人間

 コヘ3:19-21 ・・・・・・・空の空なる人生

 コヘ6:5・・・・・長寿そのものは幸福ではない。

 ヨハ4:13・・・地上の何物も人間の渇きを癒さない

④「永遠の命」という「人の思いに浮かばなかったこと

 ヨハ4:14-15・・・二度と乾かない永遠の命の水

 ヨハ11:25-26・・・イエスこそ命。今は聖霊の命として

 Ⅰコリ2:7-9・・・「人の思い浮かびもしなかったこと」が起きた

 マタ7:28・・・・イエスの言葉には不思議な権威があった

⑤求めれば神が与えてくださる「永遠の命」

 マタ11:28・・・・重荷を負う者、渇く者、空しく思う者、悲しむ者は神に招かれる

 ルカ11:13・・・求めるものには聖霊という良いものを下さる

 ヨハ10:28・・・永遠の命は神の主権で与えられる

 ヨハ6:63・・・霊の命が満足を与える

⑥霊の命は最後の日に有体的に復活させられる。それが永遠の命

 マル5:31・・・・死は眠り

   コロ3:3-4・・・・最後の日まで神の懐に隠されている霊の命

 Ⅰコリ15:43-44・・・最後の日に変えられる復活の体が永遠の命

 ヨハ2:19-22・・・・イエスの復活体が神殿であり永遠の命

⑦理性に安息をもたらすイエス復活の目撃証言と使徒伝承

 ヨハ20:6-9・・・・空虚な墓の目撃伝承

 Ⅰコリ15:3-6・・・目撃者証言の最古の記録

 ルカ24:31-32・・・胸が熱くなった人の連鎖反応としてのエクレシア

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(「永遠の命とは何か」・・・1月24日今井館伝道聖書集会 骨子)おわり

●読書。「民族主義とキリスト教」青山学院大学総合研究所編(新教出版社)第3章ヨハネ黙示録の民族主義・・・・佐竹明。黙示録の歴史的背景を学んで興味深かった。興味深かった点は二つ

①対決構図の変化

ローマ帝国の支配という普遍主義対ユダヤ教という民族主義

              ⇓(変化)

神の支配という普遍主義(教会)対ローマ帝国(黙示録ではこれを獣の支配という)という普遍主義・・・・これが黙示録

②ユダヤの民族主義は自分たちだけの特殊なものであって他国の人に共観を呼ぶような民族主義ではなかった。(だからユダヤ民族のローマ帝国に対する対決姿勢を普遍化するのは間違い。)

●佐竹明は黙示録の世界的権威者。権威者の話は分かりやすい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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貧しき者は福音を聞かされる ++++++++ 所感

2010/01/04 11:30

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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100104(月)5時半起床●TSK日本語化●朝の黙想。「貧しき者は福音を聞かされる」。●洗礼者ヨハネがイエスに「来るべきメシアはあなたなのか」と弟子を通じて訪ねた時のイエスの答えは次であるy。

塚本訳 マタ 11:5
11:5 ──『盲人は見えるようになり、』足なえは歩きまわり、癩病人は清まり、聾は聞き、死人は生きかえり、『貧しい人は福音を聞かされている』と。

●つまり神の国の到来は私の業をみればわかる。そうだ、私の存在そのものが「徴」なのだと言った。この徴は盲人、足なえ、らい病、聾、死人のよみがえり、とだんだん難しい順序になってきて、最後に『貧しい人は福音を聞かされている』と形而上学的なことになる。これが世の人にはわからなかった。つまり罪を赦せるなどという内面のことが信用益なかった。しかし、神の国到来の最大の徴はこれであった。●この意味が解読できれば「貧しい人」とは誰を指すのかが分かる。●この解読は普通原語的、旧約の歴史からアプローチするのが普通である。なぜか。イエスの出現は旧約の成就だからである。●しかしもう一つのアプローチ。しかも決定的なアプローチの方法がある。それはイエスの言動からこの言葉を解明する方法である。それを試みる。つまり「貧しい人」とはどういう人なのかをイエスの行動で探究する。

塚本訳マコ 2:5
2:5 イエスはその人たちの信仰を見て(驚き)、中風の者に言われる、「子よ、いまあなたの罪は赦された。」

●これは中風の人、4人に担がれてきたほどの人だから自力の生活はできない人。病気の故に当然経済的に貧しい人。病気で失敗の人生。不条理な人生。

塚本訳 マコ 2:5
2:5 イエスはその人たちの信仰を見て(驚き)、中風の者に言われる、「子よ、いまあなたの罪は赦された。」

●「いま」という言葉が重要。イエスの時に赦しが到来した。神は罪を赦すことになっているというのではない。

 塚本訳 マコ 2:10-11
2:10 では、人の子(わたし)は地上で罪を赦す全権を持っていることを知らせてやろう」と彼らに言いながら、中風の者に言われる、
2:11 「あなたに命令する、起きて担架をかついで、家に帰りなさい。」

●「地上で罪を赦す全権を持っている」がポイント。イエスは人間ではなかった。神の子であった。罪の赦しの全権を持っていた。

塚本訳 ルカ 7:48-49
7:48 そしてその女に言われた、「あなたの罪は赦されている。」
7:49 同席の者が(憤慨して)ひそかに考えた、「罪さえ赦す(という)この人はいったい何人だろう。」

●これは娼婦。身も心も貧しかった。汚い女。ぼろぼろ人生、ズタズタの過去。親戚からもつまはじきされたのだろう。

塚本訳 ヨハ 4:25-26
4:25 女が言う、「キリストと言われる救世主が来ることは知っています。救世主が来れば、わたし達に何もかも知らせてくださるでしょう。」
4:26 イエスは言われる、「あなたと話しているわたしが、それだ。」

●結婚に5回も失敗した女。きっと性格が貧しかったのだろう。男に次々と棄てられた。人目を避けて昼ごろ井戸の水を汲みにきた。そんな女にイエスは声をかけた。サロンを目指す教会や集会の人間にはこういうことはできない。

塚本訳 ヨハ 5:14
5:14 そののちイエスは宮で彼に出合って言われた、「ほら、直ったではないか。もう罪を犯すなよ。もっとひどい目にあうかもしれないから。」

●イエスの治癒奇跡には「罪の赦し」が伴っている。この足なえの男も萎えた足だけではなく、まず罪の赦しがあった。


塚本訳  ルカ 23:42-43
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる。」

●これは「犯罪者」。貧しい過去、失敗の人生。

●以上が「貧しい人」のイメージ。転落人生の人々。こういう人に神は語りかけた。「貧しい人は福音を聞かされている」とはこういうことなのだ。

●そして「神の国到来」がはじまったことの決定的な説明は次である。この世で「永遠の命」が与えられる。(28節)。神の国は始まった。

塚本訳 ヨハ 10:22-30
10:22 そのあと・・(仮庵の祭の二か月後)・・エルサレムに宮清めの祭があった。時は冬であった。
10:23 イエスが宮でソロモンの回廊を歩いておられると、
10:24 ユダヤ人が彼を取り囲んで言った、「いつまで気をもませるのです。救世主なら(救世主だと、)はっきり言ってください。」
10:25 イエスは答えられた、「言ったが、信じないではないか。父上の言いつけでわたしがしているその業が、わたしのことを証明している。
10:26 だが、あなた達は信じない。わたしの羊でないからだ。
10:27 わたしの羊はわたしの声を聞きわける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。
10:28 するとわたしが永遠の命を与え、彼らは永遠に滅びない。また彼らをわたしの手から奪い取る者はない。
10:29 (というのは、彼らを)わたしに下さった父上はすべての者より強いので、(彼らを)父上の手から奪い取ることの出来る者はだれもなく、
10:30 しかもわたしと父上とは一つである(からだ)。」

●暮れから一人で泊まりに来ている孫の初音(娘愛子の長女小一)の今日の詩。

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おじいちゃんは パソコンをするのがすきで

おばあちゃんはうたうことがすき

みんなみんな「なにをするのがすき」といわれると

みんなちがうことをいう

だからべんきょうをするのがすきなひともいる

わたしは おえかきをするのがすき

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●「みんなちがうことをいう」というところが気に入った。子供は真理を言う。

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初音が帰る。妻が送っていく。「初音さん。さようなら。また会う日まで。こんどまた詩をたくさんかいてください」。

●一昨日逝去された初音の祖父である伊勢昭男氏は78歳であった。私がもしその年齢まで生きられるとするとあと12年。その時初音は19歳。人生は早い。

 

 

 

 

 

 


 

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孫の詩と詩篇19編 ++++++++ 所感

2010/01/03 08:33

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100103(日)4時半目覚め。明け方に咳込んで寝られず●TSK日本語化●NHKTV3CH「こころの時代」関西学院大学準教授の藤井美和。自らが死に直面した経験から、日本では医学はあるが死に対するケアの学問がないことを感じ、フルブライトで米国留学。帰国して、「死の疑似体験」の授業をする。生徒一人ひとりに今大切に思っていることをカード12枚に書かせる。その次に実際に同年齢の人が癌で死んだ時の日記を読みあげていき、そのカードを一枚一枚破かせていくという授業をする。最後に残ったものが本当に大切なこと。それを自覚させる。●日本には「death educatuon」(死の教育)は欠けているという。同感。●「死の教育とはどう生きるかの教育」。それは来世観がしっかりしていないと不可能だと思った。

●家に泊まりに来ている孫の初音(娘Aの長女で小一)は詩が大好きで、不要な紙の裏にさっと詩を書く。昨日から今朝にかけてのもの。

ずっと ずっと むかしから できている かみさまのことが かいてある

せいしょ

むかしのことなど わすれるたび ずっとずっと むかしのおもいで こわれていく

みんな みんな つながっている わすれたことも ぜんぶ こころのなかで つながっている

おじいちゃんとおばあちゃんの かみのけはしろいけど こどものときからではない

かみさまをしんじているからであります

わたしは まいにちかみさまにあうために 日ようれいはいをしているけれど

あたらしくはいった(中野に引っ越したので、新しい日曜学校にかわったという意味・・・註)

でも かみさまはよろこんでくれているだろう

 

●今日は集会が休みなので孫を相手に家庭礼拝をする。上記①③⑤の詩に触発されたので詩篇19編を子供向けに話そうと思う。30分以内。この詩は18年前に召された父(詩が大好きであった)の特愛の詩である。●子供に聖書を説くのはむずかしい。かって家で日曜学校をやったとき子供が近所の友達を連れて来た。創世記一章一節の「はじめに神は天と地を創造された」ということを説明したところ、その友達はすかさず「ジャー神様は誰がつくったの」と質問が来た。「ムムッ」。これはいかなる大神学者も答えられない。「エゴーエイミ(私はありてあるもの)」と言うのは体験した者には真理だが人に言うのはむずかしい。●聖書を説く者は自分が信じられたこと、体験したものだけを説くべきだ。

詩篇19編

新改訳 詩  19:1-15
19:1 天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。
19:2 昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。
19:3 話もなく、ことばもなく、その声も聞かれない。
19:4 しかし、その呼び声は全地に響き渡り、そのことばは、地の果てまで届いた。神はそこに、太陽のために、幕屋を設けられた。
19:5 太陽は、部屋から出て来る花婿のようだ。勇士のように、その走路を喜び走る。
19:6 その上るのは、天の果てから、行き巡るのは、天の果て果てまで。その熱を、免れるものは何もない。
19:7 主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。
19:8 主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。
19:9 主への恐れはきよく、とこしえまでも変わらない。主のさばきはまことであり、ことごとく正しい。
19:10 それらは、金よりも、多くの純金よりも好ましい。蜜よりも、蜜蜂の巣のしたたりよりも甘い。
19:11 また、それによって、あなたのしもべは戒めを受ける。それを守れば、報いは大きい。
19:12 だれが自分の数々のあやまちを悟ることができましょう。どうか、隠れている私の罪をお赦しください。
19:13 あなたのしもべを、傲慢の罪から守ってください。それらが私を支配しませんように。そうすれば、私は全き者となり、大きな罪を、免れて、きよくなるでしょう。
19:14 私の口のことばと、私の心の思いとが御前に、受け入れられますように。わが岩、わが贖い主、主よ。

 

●詩篇19編の子ども向けの我流意訳

19:1 はてしのないうちゅうからはかみさまのいだいさがかんじられ しろいくもがただよい、あめがふってくるちきゅうのうえのそらはかみさまのしんせつなおこころがかんじられます。

19:2 ひるはひるのうつくしさがあり、よりはよるのすばらしさがあります。

19:3 かみさまはおとうさんやおかあさんのようにはなしをしたりこえをださないのに

19:4 どこにでもいらっしゃいます。おひさまがとうるみちをおつくりになりました。

19:5 おひさまがあさひとしてのぼってくるのは、けっこんしきのひによろこんでんでいえをでてくるつよいおとこのひとのようです。そしてかみさまのおつくりになったみちをはしりだします。

19:6 おひさまはてんたかくのぼっていきます。そしてそのひかりはすべてのものをてらします。ひがでるとみんなあたたかくなります。

19:7 せいしょはかみさまのことがかいてあるただしいほんです。かなしいときによむとげんきになれます。まちがったひとをただしくします。

19:8 かみさまのおっしゃることはぜんぶただしく それをすなおにきくひとはうれしくなります。ですからかみさまにしたがうひとはきよくなれます。

19:9 かみさまがおおこりになられるときはただしくておそろしいのです。

19:10 かみおさまのおおしええはとてもたのしくて、ほうせきよりもすばらしくうれしいものです。

19:11 かみさまのいいつけをまもればしあわせなせいかつができます。よいことがたくさんあります。

19:12 かみさまそむいたたせいかつをすると、じぶんのわるいことがわからなくなります

19:13 かみさまなんていないというひとにならないようにしてください。わたしがきよくただしいひとになれますように。

19:14 わたしのことばと おこないがいつもかみさまによろこばれるようなものにしてください。

●9:30-10:00 孫向けの日曜学校。讃美歌461番「主われをあいす」。わたしのおいのり。詩篇19編「子供向け」のおはなし。上記。讃美歌「主われをあいす」。おばあちゃんのお祈り。全部で30分。●初音が通っている中野の日本キリスト教団の教会に感謝●わたし「初音さん。おじいちゃんのおはなしわかった?」。初音「わかんなかった」。私「ガクッ」●教訓。聖書はどんなに分かりやすく話しても内容が問題。内容がわかる人には分かり、わからない人にはわからない●かってのこと。某信者(女性)「塚本先生の翻訳された聖書は分かりやすいです」。(これ半ばお世辞ではなかったのか)塚本先生「聖書はそんなに簡単に分かるものではありません」●塚本語録「翻訳の違いで聖書の真理が伝わったり伝わらなかったりはしない」「翻訳の違いで分かるようなことは大したことではない。それは瑣末なこと」「聖書の読みは、原語や外国語ではなく日本語訳に限る」「貧しき者は幸いなり、とか神は愛なりということは一生かかってわかる」「聖書はかならず一人で読む。(先生に読んでもらってはいけない)」「聖書の読みと勉強とは全く別にする」「引照をアチコチひいてアーソーカと思った時に聖書が読めたことになる」

 

 

 

 

 

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すべては終末に解決する。 ++++++++ 所感

2010/01/02 09:26

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
       http://stonepillow.dee.cc/

090102(土)6時起床●朝の啓示「すべては終末に解決する」●TSK日本語化●年賀の返事をポストまで●親戚の一人が午前2時に逝去の知らせ。お祈りを頂いた方に感謝。妻が昨年11月に会った時は元気であったのに早かった。78歳。人生はあっという間だ。●「すべては終末に解決する」について黙想。人生の不条理、それは人間の努力ではいかにしても解決不可能なこと、それは生、老、病、死。争い。愛憎。別れ。失うこと。・・・・これは終末(それは「かの日」「最後の日」と言われる)にすべて完全に解決する。●最後の日に解決するというと自力解決の°努力を放棄する卑怯なことのように思う人がいるが違う。●彼ら自力人間は言う「天は自ら助ける者を助ける」と。これは神仏に頼らず最後まで自己努力をせよ、と言うようにとられているが、間違い。この言葉には「天」の認識がある。●神の助けを頂いて自己努力せよということがこの諺の意味だと信者としての私は理解する●最後の日に解決するというのは「神の力により解決する」ということと同質である。人間の努力で何でもできると思ってる人間は世界も人生もその現実の困難さを知らない。たとえ人間の努力で解決したとしてもいけない。神への感謝がないからである。●人生は不条理である。悩みの連続、重荷が絶えない、悲しみの継続、涙の谷である。聖書には次のようにある。

口語訳 詩  90:10
90:10 われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。


新共同 詩  84:7
84:7 嘆きの谷を通るときも、そこを泉とするでしょう。雨も降り、祝福で覆ってくれるでしょう。


新改訳 詩  84:6
84:6 彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。

塚本訳マタ 11:28
11:28 さあ、疲れている者、重荷を負っている者はだれでも、わたしの所に来なさい、休ませてあげよう。


口語訳 Ⅱコリ5:4
5:4 この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえている。それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためである。


塚本訳Ⅱコリ5:4
5:4 それで、わたし達のこのテントにいる者は、重荷に呻いている。これを脱ぎたい(つまり死にたい)のではなく、(天の住いを)上に着たいからである。これは死ぬべきものが命に飲み込まれるためである。

●そして、これらの悩み悲しみはすべてすべて終末の時に解決する。

塚本訳 マタ 5:4
5:4 ああ幸いだ、『悲しんでいる人たち、』、(かの日に)『慰めていただく』のはその人たちだから。

文語訳 黙  21:4
21:4 彼らの目の涙をことごとく拭ひ去り給はん。今よりのち死もなく、悲歎も號叫も苦痛もなかるべし。前のもの既に過ぎ去りたればなり』


新共同 黙  21:4
21:4 彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」


口語訳 黙  21:4
21:4 人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。

●12:00 長らく続いた1月2日の高橋家新年会は昨年を持って終了。今年から自由に来ていただくことにした。昨日は福島の三男K一家全員から電話での挨拶を受けた。本日は昼に長男のTS一家と次男のTM一家が挨拶に来てくれた。感謝。娘のI家はやむをえない事情で来られなかった。●独立した子供たちにはそれぞれの家庭の事情があるので、高橋家の新年会を中止したのは正解であった。●本日午前2時伊勢昭男氏逝去(娘愛子の義父)享年78歳。早かった。癌。発病して二か月足らず。人生は風のごとく飛び去る。9日通夜、10日告別式。桐ヶ谷斎場。つい先日孫たちが会ったときは元気だったという●故人令夫人伊勢さよさんにお悔やみの電話をした。

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正月の富士はいいもんだ。一緒に登った鈴木忠昭君を思う。彼は還暦を待たずに58歳で逝った。早かったなー。彼とは何となくウマが合って随分多くの建築設計を一緒にやったなー。TK氏から「きっと来世で会えますよ」と慰められたものだ。

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パラシュートにプロペラをつけて飛んでいる。真ん中の白い点。鳥の気分なのだろう。エンジンが止まったらどうするのだろう。パラシュートだから墜落はしないが。

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元秋川高校のメタセコイアの並木。淋しい夕暮れ。寒い夕方。この高校は廃校になった。早い閉鎖だなー


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