to 日記と感想 2010年02月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170824(木)12:10キララホールエントランスコンサート、マリンバ
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170813(日)10:30ナザレン教会浦和教会
    170813(日)14:00比企紀和君
    170812(土)14:00お江戸こらりあーず演奏会、文京シビックホール
    170809     TW誕生日
    170809(水)17:16初音吹奏楽、府中の森芸術劇場ドリームホール
    170808(火)0930池谷医院
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170708(土)14:00在宅医療説明会(キララホール)
    170707(金)10:00池谷医院
    170706      TM誕生日
    170702(日) 集会感話
    170701      TT誕生日
    170630(金)12:20キララホールエントランスコンサート
    170628      IY誕生日
    170627(火)11:00 能城牧師来訪
    170625)日)10:10トミ子集会感話
    170625(日)14:00茅ヶ崎金子邸
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール


朽ちぬ永遠の命 ++++++++ 所感

2010/02/28 21:10

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100228(日)4時起床。本日の今井館講演の最後の修正。第5項を次のようにした。
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⑤朽ちぬ永遠の命、有体的復活への希望に生きる

 5-1終末、死がなくなる日。万人救済。朽ちぬ永遠の命への希望に生きる
塚本訳Ⅰコリ15:21
15:21 というのは、一人の人によって死が来たので、同じく一人の人によって死人の復活が来るのである。            (=ロマ5:15-21)

口語訳 黙 21:4
21:4 人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。

 5-2「復活への希望」の理性の安息には、使徒伝承を聖霊によって信じる
塚本訳Ⅰコリ6:14(聖書知識66号、昭和10年 P25 試訳)
6:14 そして神は主(キリスト)を甦えらせ給うたのであるから、その御能力をもって、また私達(の体)をも甦らせ給うであろう。

塚本訳 ロマ 8:11
8:11 しかしイエスを死人の中から復活させたお方の御霊があなた達の中に住んでおられるなら、キリスト・イエスを死人の中から復活させたそのお方は、あなた達の中に住んでおられるその御霊によって、あなた達の死ぬべき体をも生かしてくださるであろう。

塚本訳 ヨハ 11:25-26
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」

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●集会は、橋トミ子(司会)、横田淳(教会史)、山本政則(絶対生活)。●14:30 今井館伝道集会で「死ぬとはどういうことなのか」講演。全力投球で話せた。終了後、9名で懇談会。癌、認知症、うつ病などが話題。田村忠幸氏(田村明氏令兄)ご夫妻と初対面。

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今日の今井館玄関の看板

●妻は18:00上野発で帰省。妻の母が胆のう炎でいわき労災病院に入院。その見舞い。4人の子供たちが協力して看護に当たっているのは立派。回復を祈る。 

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聖書が語る死後の復活 ++++++++ 所感

2010/02/27 11:51

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100227(土)6時起床 ●TSK日本語化●明日の今井館伝道聖書集会「死ぬとはどういうことなのか」の資料。「死後の復活について」勉強。難儀した。聖書は輻湊しているが、それでも大略一致する。ポイントは二段階あってそれは裁きと赦し。第一段階では「裁き」、終末の最後の審判では「赦し」。なぜか。終末では「死が滅びる」から。その部分の概要は次の通り。一部分。

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④復活の順序。第一段階キリスト再臨の時、第二段階終末の時
 
 4-1 復活には順序がある
 
●聖書における終末と人間の復活観は輻湊しているが、それでもイエス、パウロ、黙示録で大略一致している。復活には順序がある。初めはキリスト自身、これは段階に数えない。人の復活の第一段階はキリスト再臨、第二段階は「世の終わり」。ここで問題は第二段階の解釈。Ⅰコリ15:24のテロス、(ギリシャ語)は普通「終末」とか「終わりが来る」と訳されるが(口語、新改訳、前田、新共同、文語、田川、KJV、NKJV,TEV)、NTD)塚本訳は「残りの人たちが」で万人救済説である。これは最近の学説の傾向だと言われる。田川はこれは「最後の者たち」かもしれない、と言う。黒崎も万人救済説に立つ。なぜ二段階あるか。第一段階は「裁き」。第二段階は死が滅ぶということでそれは「赦しと救い」だから。
 4-2 復活の第一段階、再臨の時に復活する人々。第一の復活、
 
 4-3 復活の第二段階は終末。最後の審判。第二の死。しかし死は滅ぶ。
 
 4-4 不信者は、周囲の熱心な祈りで死を免れる。レクイエムの意味
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●今日は明日の今井館講演の準備で「死後の復活」について思いを深くできた。キリストの再臨は「裁き」、そのあとに来る「終末」は死が滅ぼされるが故に万人が救済されると認識できて感謝。人間にとって死後は「裁きと救い」が待っている。●妻と我が家の経済計画●世の中は婚カツ(結婚活動)や就カツ(就職活動)で忙しいが我が家は年金生活でカツカツである(笑)●妻の母が胆のう炎で入院のニュース。妻は明日の夕方から郷里に向かう。●図書館にCDを借りに行く、郵便局●17:15妻はコーラスの練習に出発。今度はラインベルガーのレクイエム。
 

 

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心に悲痛のあるとき ++++++++ 所感

2010/02/26 08:12

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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100226(金)朝の啓示「心に悲痛のある時」「神に貸そう」●TSK日本語化マルコ10章●心に悲痛あり。これが癒されるのは同じような経験をした人の言葉が慰めになる。これ同質の原理という。まずイエスの言葉。

塚本訳 マタ 26:38
26:38 それから彼らに言われる、「『心がめいって』『死にたいくらいだ。』ここをはなれずに、わたしと一しょに目を覚ましていてくれ。」


口語訳 マタ 26:38
26:38 そのとき、彼らに言われた、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、わたしと一緒に目をさましていなさい」。


新改訳 マタ 26:38
26:38 そのとき、イエスは彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、わたしといっしょに目をさましていなさい。」


新共同 マタ 26:38
26:38 そして、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」

 

●心が苦しい時は上記イエスの「死にたいくらいだ」を数回念じればよい。神の子イエスにしてこの祈りだ●次にあのパウロの苦痛のことばパウロの極限の苦しみの言葉。

塚本訳  ロマ 8:26
8:26 しかし(創造物やわたし達神の子が苦しんでいると)同じように、御霊も、弱いわたし達を助けてくださる。すなわち、(神のみ心にかなうには)どう何を祈るべきかわからないので、御霊自身が、無言の呻きをもって(わたし達の祈りを神に)執り成してくださるのである。


口語訳 ロマ 8:26
8:26 御霊もまた同じように、弱いわたしを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。


新改訳 ロマ 8:26
8:26 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。


新共同 ロマ 8:26
8:26 同様に、"霊"も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、"霊"自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。


文語訳  ロマ 8:26
8:26 斯くのごとく御靈も我らの弱を助けたまふ。我らは如何に祈るべきかを知らざれども、御靈みづから言ひ難き歎きをもて執成し給ふ。

●18年前に召された父はこの言葉が口癖であった。「御霊が呻いてkるださる」と数回心に唱えればよい。

●「神に貸そう」「損をしよう」

聖書には損得勘定でで慰められる事がある。人間は経済的動物だ。

 塚本訳 マタ 5:38-42
5:38 「目には目を、齒には齒を」と云へることあるを汝ら聞けり。
5:39 されど我は汝らに告ぐ、惡しき者に抵抗ふな。人もし汝の右の頬をうたば、左をも向けよ。
5:40 なんぢを訟へて下衣を取らんとする者には、上衣をも取らせよ。
5:41 人もし汝に一里ゆくことを強ひなば、共に二里ゆけ。
5:42 なんぢに請ふ者にあたへ、借らんとする者を拒むな。

塚本訳  ルカ 6:33-34
6:33 親切にしてくれる者に親切にしたからとて、どんな恵みがいただけよう。不信者でも同じことをするのだから。
6:34 また、取りもどすつもりで貸したからとて、どんな恵みがいただけよう。不信者でも同じだけのものを取り戻そうとして、不信者に貸すのである。

塚本訳 マコ 10:29-30
10:29 イエスは言われた、「アーメン、あなた達に言う、わたしのため、また福音のために、家や兄弟や姉妹や母や父や子や畑をすてた者で、
10:30 今、この世で──迫害のうちにおいてではあるが──百倍の家と兄弟と姉妹と母と子と畑とを、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。

 塚本訳 ルカ 16:9
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。

 塚本訳 ルカ 16:9
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。

 塚本訳 マタ 19:27-28
19:27 その時、ペテロが口を出してイエスに言った、「でも、わたし達は(あの金持とちがいます。)この通り何もかもすてて、あなたの弟子になりました。わたし達にはいったいなんの褒美があるのでしょうか。」
19:28 イエスが彼らに言われた、「アーメン、わたしは言う、新しい世界が生まれて、人の子(わたし)が栄光の座につく時には、わたしの弟子になったあなた達十二人も十二の王座について、イスラエル(の民)の十二族を支配するのである。

塚本訳 ルカ 6:37-38
6:37 (人を)裁くな、そうすれば(神に)裁かれない。(人を)罪に落すな、そうすれば罪に落されない。赦してやれ、きっと(神に)赦される。
6:38 与えよ、きっと与えられる。押しつけ、ゆすり込み、こぼれるほど量りを良くして、懐に入れていただけるであろう。(人を)量る量りで、あなた達も量りかえされるからである。」

 塚本訳 マタ 6:14-15
6:14 (祈る前に、まず人の罪を許さねばならない。)あなた達が人の過ちを赦してやれば、天の父上もあなた達を赦してくださるが、
6:15 人を赦さないならば、父上もあなた達の過ちを赦してくださらないであろう。


 塚本訳 マタ 7:1
7:1 (人を)裁くな、自分が(神に)裁かれないためである。

●聖書の未来観ではっきりしなかったのは、キリストの再臨と世の終わりは違うことを認識していなかったからである。●聖書の未来観は一致している「。黒埼幸吉著「註解新約聖書」第一コリント15:28要義[聖書の未来観]●世の終わり」には被造物全体が復活し、そして「世の終わり」が来る。死も滅びる

塚本訳 Ⅰコリ15:20-26
15:20 しかしながら今、キリストは死人の中から復活しておられる、眠った者の(復活の)最初として。
15:21 というのは、一人の人によって死が来たので、同じく一人の人によって死人の復活が来るのである。
15:22 (一人の人)アダムとのつながりのゆえにすべての人が死ぬのと同じように、(一人の人)キリストを信じてすべての人が命を与えられるのである。
15:23 ただ(それには順序がある。)ひとりびとりが自分の(属する)組の番の時に(復活する。)最初は(すでに)キリストが、その次に、キリストの来臨の時にキリストのものである人たちが、
15:24 それから(最後に)残りの人たちが。この時、キリストはすべての支配(天使)、すべての権威(天使)と権力(天使)とを滅ぼした後、神にして父なるお方にその王国を引き渡される。
15:25 彼はすべての『敵を(征服して)足の下に置く』(まで、地上に)王であらねばならないからである。
15:26 最後の敵として、死が滅ぼされる。

」●14:00バンクーバーオリンピック。女子フィギュアスケートを観る。浅田真央はライバルの韓国キム・ヨナに敗れて銀メダル。記者会見で泣きながら「悔しい」と言った。人間、素直に泣く事が大切。その涙は素晴らしい。あの涙は金メダルものだ。

塚本訳ルカ 7:37-38
7:37 すると、その町に一人の罪の女がいた。イエスがパリサイ人の家で食卓についておられることを知ると、香油のはいった石膏の壷を持ってきて、
7:38 泣きながら後ろからイエスの足下に進み寄り、しばし涙で御足をぬらしていたが、やがて髪の毛でそれをふき、御足に接吻して香油を塗った。


塚本訳 ルカ 7:47-50
7:47 だから、わたしは言う、この婦人の多くの罪は赦されている。(いま)多くわたしを愛したのがその証拠である。赦され方の少ない者は、愛し方も少ない。」
7:48 そしてその女に言われた、「あなたの罪は赦されている。」
7:49 同席の者が(憤慨して)ひそかに考えた、「罪さえ赦す(という)この人はいったい何人だろう。」
7:50 しかしイエスは女に言われた、「あなたの信仰があなたを救った。『さよなら、平安あれ。』」


 

 

 

 

 

 

 

 

 


 


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神への不誠実の結果 ++++++++ 所感

2010/02/25 22:09

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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100225(木)8:10出発目黒の黒田隆氏(建築の仕事上の恩師)を訪問。黒田氏89歳。私の訪問を心待ちにして喜んでくださる。御夫人に先立たれて一年、一時は大変落ち込まれておられたが少し落ち着かれた●黒田氏の建築技術はシベリヤに抑留の強制労働のときに培われたものであることを再確認した。技術は「生きるか死ぬかの極限状態」に追い込まれたときによく発達する●16:00文京区の富坂キリスト教センターで「キリスト教性教育研究会(富永國比古会長)に出席。恐るべき性の実態。日本はこの面が原因で崩壊する。「純潔、清い愛、自由、平安、喜び、光、」などのさわやかな空気が何処にも見当たらなくなった。暗い。悪の喜び。現在の性道徳の荒廃、その失敗者の救済の方法について話し合った●開会前に富永先生と長時間懇談。●行き帰りの車中でⅠコリ15:8-24の勉強。復活の順序ということ●20:30帰宅。妻と懇談 ●罪とは神への不誠実。不従順。その結果として人格崩壊、精神の病気、夫婦関係崩壊、家庭崩壊、信用失墜故の商売衰退、仕事の失敗、退職、借金苦、子供の離反と非行、・・・・などなど悪いことが次から次へ起こる。●終末を期待する。悪い人は「第二の死」、霊魂の永久滅亡になる。神が裁く。長い時間をかけて裁く●救いの道は十字架による罪の赦し。イエスの贖罪の血。

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子や孫に言い伝えておきたいこと ++++++++ 所感

2010/02/24 09:21

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100224(水)4時目覚め。次回(2月28日)今井館講演「死ぬとはどういうことなのか」の推敲修正16回目。次のようにした。一部。

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死ぬとはどういうことなのか                           ―「死因は癌になる」と宣告されて考えさせられること
今井館伝道聖書集会「復活の使徒伝承を継承する」第3回2010.2.28 高橋照男
①死とは何なのか                                                      全被造物の嘆き悲しみは死。その恐怖の本質                                        聖書の語る死。人生は来世があることを考えて生きよ                                  終末における新天新地の出現と永遠の命の喜び
終末を期待する喜び。神の愛を固く信じ、有体的復活を確信する
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
①死とは何なのか
1-1 死の判定・定義出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』)
法医学では、人間の死は、心臓・肺・脳、それら全ての不可逆的(元に戻らないこと・・・橋注)な機能停止によって規定される。
 1-2死の生物学的意味 (山下次郎著「イエスの死と復活」P39)
生物は代が変わることによって変化して行く。変化するということは多様化してゆくということである。多様化することは、その種の生物全体を眺めた時、生存能力が増したことを意味する。例えば、環境が変化した場合などには、多様化は生き残る可能性を高くするのである。
1-3死をめぐる忘れ得ぬ言葉
●Memento mori(メメント・モリ。ラテン語の警句。自分が死ぬということを忘れるな。)●「朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なり」(論語)●人生は死といういう壁に向かって歩く旅である。しかし多くの人が「それは自分にとってはずっと後のことだ」と思っている(ハイデッガー)●澄んだ声がわたしを呼ぶ(テニスン辞世の詩「砂州越えて」) ●「苦しみは瞬時にして喜びは永遠なり」(ヒルティ、幸福論第3巻の結語)●「癌とは闘うな。自然に生き、自然に死ぬことだ」(癌の母を看取った小野寺時夫医師)●「照男さん。あなたは天国では痛みがないと言いますが、行って見てきたのですか」(肺癌で苦しんで信仰なくして逝った母の言葉) ●「これが最後です。 しかし、私にとってはいのちのはじまりです。」(ボンヘッファー)●長々お世話になりました。私はこれから父の御許に参ります(ある死刑囚の死刑執行にあたっての最後の言葉)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●「死の問題」は私が生んだ4人の子供たちに私の解決を言い残しておかなければならない。なぜか。子供達は自らの意思でこの世に生れてきたのではないから、その人生苦、特に死の悩みについての責任の半分はこの私にあるからだ。●今回の「死について」の講演はその解答。「お父さんはこう考えているのだ」という遺言である●私が最初に「死について」考えたのは小学校の4年生ごろのこと。「死ぬ」という事を考えると悲しくなり床から体を起こしてシクシクないたものだ。その後「死」のことを考えると何もヤル気がなくなったものだ。●キリストを信じてその命を頂いてからはそれがなくなったが、人生も晩年になってあきる野市から奥多摩連山の美しい夕暮れを見ると、この美しい光景が見られるのも残り少なくなったなーと思うとさびしくなる。しかしこの人生で「復活の喜びの希望」を頂けた。残る人生はこの希望の喜びを伝えたい。それが孫子へ贈りものだ。●9:00某夫人から明るい声でお電話。「冬来りなば春遠からじ」と言った。●電話を切ってからアイルランド民謡「春の日の花と輝く」を聴く。●人生は一見不可解な不条理なところに神の大なる恵みの知恵が隠されている。(塚本虎二)●その恵みの知恵とは人に「永遠の命」という大なるしかも最高の道の事だ。●オリンピック。フィギュアスケートを観る●市役所、図書館。●坂内宗男さんに電話。岩波版内村鑑三全集全40巻を欲しい人がいると言うので、譲ることにした。私は2セット持っているから。
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仲を裂こうとするのは悪い心 ++++++++ 所感

2010/02/23 09:05

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100223(火)拡大コピーをしようとしたがうまくいかないで困っているときに目が覚めた。なんの意味だろう。5時45分●TSK日本語化●ここ数日心が圧されて苦しんでいたが、光が射した。その感謝のメールを出した。一部改変して掲げる。

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○○様

 

感謝感謝感謝。曇りのち晴れ。雨降って地固まる。

サタンは、人の高貴な心をつけ狙って入り込みます。

イエスはサタンに 経済、政治、宗教の誘惑をされました。これすべてイエスの高貴な優しい心をくすぐりました。(マタ41-11

こういう誘惑にひっからないのは人間ではありません。

 

塚本訳マタ 4:10-11

4:10 そこでイエスは言われる、「引っ込んでいろ、悪魔!(聖書に)『あなたの神なる主をおがめ、』『主に』のみ『奉仕せよ』と書いてあるのだ。」

4:11 そこで悪魔が離れると、たちまち天使たちが来てイエスに仕えた。

 

今朝はこの言葉に目が開きました。

サタンはイエスと神との仲を裂こうとしたのですが、イエスは「主にのみ奉仕せよ」とサタンを一蹴。これはなにを意味するか。

経済、政治、宗教の発達で人を救うな。主にのみ仕える事の方が大切であるということだと解します。

優しく高貴な心を持つイエスにとってその誘惑を捨てることは「自分を捨てること」。まともな人間ならその誘惑に迷わないのは「男であって男ではない」。

かく言う私も、親しき人との仲を裂かれようとした事があります。キリストとの仲、塚本先生への尊敬、藤林先生への尊敬、妻子供への愛。・・・サタンは私が抱くそれらの方々との「親しき仲」を裂こうとして人間の顔(あの人、この人。サタンに利用されている)をして近づきました。ヨブ記一章のサタンの働きと同じです。しかし全く恩恵によって奇蹟的に回避できました。感謝でした。この人生最大の危機は神の祝福なしには回避できません。しかしこの試練を乗り越えて人は「男になる」のです。

 

塚本訳 ロマ 8:38-39

8:38 なぜなら、わたしは確信している、死でも命でも、天使でも支配(天使)でも、現在起こっていることでも将来起こることでも、権力(天使)でも、

8:39 高い所のものでも低い所のものでも、その他どんな創造物でも、わたし達の主キリスト・イエスによる神の愛から、わたし達を引き離すことはできない。

 

橋照男 100223

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●人の「仲の良い姿」を羨んでこれを裂こうとするのは悪い心。聖書的にはサタンに心が占領されている時。心がサタンが乗り移られている証拠●伝説によればサタンというのはもと天使であったが堕落した者。その後神と信者の「親しき仲」裂こうとして人間に入り込んで暗躍する。●私の塚本先生への尊敬の姿勢を裂こうと「理論的」に迫った人がいた●私と藤林先生との仲を羨み妬んで盛んに私を排除しようとした人がいた●最近は妻との仲を裂こうとする者もあらわれた。妻の私に対する不満に付け込み、その心の隙間に入り込んで不満を増長させようとした。●神とイエスの仲を裂こうとしたサタンはまずユダに入った。イエスは最後の晩餐の席で必死になってそのことをユダに気づかせようとした。サタンにかどわかされていることを気付かせようとしたのだ。

塚本訳 ヨハ 13:26-28
13:26 イエスが(彼に)答えられる、「わたしが一きれのパンをひたして渡すその人が、それだ。」それからパンを(汁に)ひたし、イスカリオテのシモンの子ユダに渡される。
13:27 ユダがそのパンを受け取(って食べ)ると、その時、悪魔がユダに入った。そこでイエスがユダに言われる、「しようとしていることをさっさとしたがよかろう。」
13:28 しかしなんのためにこう言われたのか、食卓につく者のだれにもわからなかった。

●結果的にユダはイエスを金で売った。悔いたユダは首つり自殺。その自殺をイエスは知らなかったはずだが、知ったとしたら「バカバカ馬鹿!」と言って泣いたであろう。イエスはユダを愛していたのだ。

●「無教会主義は教会と信者の仲を裂こうとする悪い姑のようだ」と言う人が出て、中澤樹先生をあわてさせた事がある。●無教会主義の唱導者である内村鑑三は「無教会主義というのは教会に対して狼の面を付けた羊のようなものだ」と言う。然りである。誰がこの私に狼の面をかぶせた!!●尊敬するご高齢のご婦人はかってこう言われた。「高橋さん。塚本虎二先生は教会を深く愛しておられたのですよ」。然りアーメン。しかし誰が私に教会主義に対して激高させるようにした!!。「こんな男に誰がした!!」

口語訳 詩  31:11
31:11 わたしはすべてのあだにそしられる者となり、隣り人には恐れられ、知り人には恐るべき者となり、ちまたでわたしを見る者は避けて逃げます。

新共同 詩  31:12
31:12 わたしの敵は皆、わたしを嘲8あざけ)り/隣人も、激しく嘲(あざけ)ります。親しい人々はわたしを見て恐れを抱き/外で会えば避けて通ります。

 

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混乱のときは原点復帰すべし ++++++++ 所感

2010/02/22 09:39

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100222(月)5時目覚め。●TSK日本語化● 原始福音運動に対する塚本先生の見解。「聖霊の問題は、無教会において究明すべき、残された重要な問題である。関根正雄先生のような方が手島郁郎氏達の動きに一時着目されたこと自体は、単純に『誤り』と言いきれない意味がある。その意味でも関根君には同情するが、手島氏の解釈は聖霊の正しい受容ではない。もしあの運動を放置して無教会がそれに巻き込まれてしまうと、無教会は壊滅する危険さえある。それを防ぐために、私は必死の思いでこれに対決しているのだ」。(塚本先生が津上毅一氏に語ったこと。1951年。「藤林益三」P68)

●教会の分裂に関する問題解決は「原点への復帰」。この件に関しては初期キリスト教において既に方向性が示されている。以下は私が「無教会」第3号(2000年)に掲載した「胸が熱くなるものによって見えたもの・・・・・現代無教会のグノーシス的傾向」の第7項である。

(「無教会」第3号2000、P184)

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7 ヨハネ教団の分裂と新たに選択した道

 ヨハネ教団はグノーシスの出現により内部分裂したが、それにどう対処したかを次に見てみよう。まず分裂の事実は次の個所からわかる。

ヨハネの手紙第一 二章一八―一九節
小さい人たちよ、(いまや)最後の時である。反キリストが現われるとかつてあなた達が聞いたように、今や沢山の反キリストが出ている。このことから、(いまが)最後の時であることをわたし達は知るのである。彼らはわたし達の中から出ていった。

 なぜこのような分離がおこったか。それはヨハネ教団のその高度な教会観のためである。それは、教会制度なく、儀式無く、信者は人間の教師からではなく神に直接導かれるという、無教会に似たもの(ヨハネ一六章一二―一四節)だからである。ヨハネ教団は無教会的であるが故に内部にグノーシスというグループが出現した。これは各自が霊によって導かれると考えることから出てくる当然の結果である。
 信者は神から直接教えられて歩むということ、これは新約の究極の姿であると同時に分裂の前提である。その結果ヨハネ教団は分裂した。このときヨハネ教団はこの分裂問題に対処するために、ヨハネ福音書の増補改定第三版を出したのだという。(アーバン・シー ・フォン・ヴァールド「葛藤の信仰共同体……ヨハネ共同体の歴史と社会的背景」インタープリテーション一九九六年五月号)このヨハネ福音書第三版の編集者は、ヨハネ福音書に第二一章を加え、一五―二三節[ペテロ殉教の予言]でペテロの使徒性を高く評価し、ペテロの影響下にある集団との接近と協調を図った。そしてペテロ亡き後は制度や宗教専門教師ではなく「(無名の)主の愛する弟子」が使徒伝承(復活の告知)の主役であると断言する。(ヨハネ二一章二〇―二四節)
 このようにヨハネ教団はその分裂と混乱を収めるために、父祖たちの伝承に回帰するという道を選択した。このことを第一ヨハネでは次のように言う。

ヨハネの手紙第一 二章七節
愛する者たちよ、わたしは(何も今までになかった)新しい掟をあなた達に書いているのではない。むしろ(イエスが来られた)始めからあなた達が持っていた古い掟である。古い掟というのは、あなた達が(かつて)聞いた御言葉である。

ヨハネの手紙第一 二章二四節
あなた達は始めから聞いたことを(いつまでも)留めておかねばならない。もし始めから聞いたことがあなた達に留まっているならば、あなた達は(永遠に)子と父とに留っているであろう。

 ヨハネ教団はグノーシスによる混乱の解決に「始めから」のものという使徒伝承に回帰した。しかしこれはペテロに土台をもつ初期カトリシズムへ回帰したというわけではない。使徒ペテロや使徒ヨハネに始まる使徒伝承そのものへの回帰である。しかしその担い手は使徒という人間への回帰ではなく、「(無名の)主の愛する弟子」に現れた信仰告白に土台を置くべきであるとしているのである。ヨハネ福音書が「使徒ヨハネ」の名前を出さないのは、人間ヨハネに教会の礎を置かないようにとの配慮であると考えられる。人間ペテロにカトリック教会が礎を築いたのとは異なる。ヨハネ教団では復活の信仰を固く保つ無名の信徒、そこに伝承の主役を見たのである。先生を祭り上げないで真実の信仰をもつ無名の信徒をエクレシアの土台とする洞察は優れていると考えなければならない。ヨハネ教団が取ったこの道を、現代の無教会は指標とすることができるのである。

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(拙稿「無教会」第3号、P175、より引用終わり)

●この論考を認めてから10年。ではその原点復帰とは何かを今思う。それは先生か、有力な指導者か、しかし他界されたらどうなるか。では組織か、これも永続性はない。では使徒信条か、これも思想だけになって形骸化する。では教会神学か、これが教派発生の原因。では聖書か、これも解釈の違いで教派が発生。では不変の聖霊か、愛の行為か、これがまた分裂の元。●無教会の某先生が御病気で講壇を降りられたらこともあろうにその集会からカトリックに走った人間が数名もいたという。同情できる。カトリック教会に安らぎと落ち着きを求めたのである●人は安定していて落ち着ける健全なキリスト教を求める。●ではそれはどこにあるか。神に植えられた樹のもとにある。神に植えられた樹は多様である。「ここにある。そこにある」とは物理的に示せない。人は神の祝福によってその樹に出会って「落ち着ける」。それは人さまざま。向き向きということもある。人によって落ち着ける樹は違う。●終末を期待する。来世では「教派」なし。分裂なし。

塚本訳マタ 15:13
15:13 イエスは答えられた、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜かれる。


塚本訳  ルカ 17:20-21
17:20 パリサイ人から神の国はいつ来るのかと尋ねられたとき、答えられた、「神の国は、(いつ来るのかと計算や)観測のできるようにしては来ない。
17:21 また『そら、ここに(ある)』とか、『かしこに(ある)』とか言うことも出来ない。神の国はあっと言う間に、あなた達の間にあらわれるのだから。」


新共同 黙  21:3-4
21:3 そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、
21:4 彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」

●一昨日から心に重くのしかかっていた難問に対して「明るいニュース」が入って感謝。解決に燭光が見えた●キリスト教は医学との協力なしには成り立たない。具体的には心の病に対して牧師は精神科医と協力して患者に向かわなければならない。人間は多面的な存在だからだと思う。●医療も「小事」であるが、神に用いられる時にそれがそのまま「大事」になる。

塚本訳  ルカ 16:9-13
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。
16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。
16:11 だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。
16:12 もし他人のもの[この世のこと]に忠実でなかったならば、だれがあなた達のもの[天のもの]をあなた達に与えようか。
16:13 しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。」

●15:30 図書館。●心が痛んでいたある問題に解決に向かう燭光が見えてきたようで感謝。


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不思議なる行動 ++++++++ 所感

2010/02/21 21:59

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100221(日)5時目覚め●TSK日本語化●これという人間の「不思議なる行動」。人間世界でこれという人物は周囲が理解することができない不思議な行動を「決行」するものだ。実例3例。

   シュヴァイツァーは30歳のころ、神学、音楽の大家であった地位を捨てて医学
  を学んでアフリカの黒人救済のために邁進した。  
   ジャンヌダークは「フランスを救え」という神のお告げを聞いたと言って、女の身    
  でありながら軍隊を率いて英国軍を撃破。しかし教会から破門され、火刑。 
  (オルレアンの少女)
   北原玲子(アリの町のマリヤ)は深窓の令嬢でありながら貧民窟に飛び込んで救済活動。若くして死ぬ。
 
かくいう不肖この私は若い時にこの三人のような行動に共鳴、しかし16歳のときに無教会の塚本虎二先生に出会い、「普通の職業人」で生きることにこそ神に喜ばれる道があることを教えられ、「普通人としての建築士」として一生を通している。信仰に入りたての若者に限ってよく伝道活動に邁進しようとするが、それは健全なる信仰とはいえない。その前に「普通人」「常識人」でなければならない。●人物の信用度を判定する三つ。①住所 ②生業(地位や勤務先ではない。手の業)③所属教会または集会。この三つがしっかりしていなければならない。②の職業は人生は時に「病人」ですという時もあるが、生業は確定しなければならない。伝道を職業、メシの種にしてはいけない。なぜか真理を語りにくいから。
●集会は藤巻、小寺、村上●午後は今井館理事会。吉野隆治氏が経理担当で手伝って下さる事になった。福島穆氏(常務理事)の次年度計画を伺って心強くなった。帰途は新井明、吉野隆治、浅野摂郎の諸氏と一緒。
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死ぬとはどういうことなのか ++++++++ 所感

2010/02/20 10:04

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010220(土)5時半起床●TSK日本語化●今井館伝道聖書集会第三回「死ぬとはどういうことなのか」の構想を黙想。レジュメとイントロダクションは次の通りにした。

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        死ぬとはどういうことなのか
 ―「死因は癌になる」と宣告されて考えさせられること―
今井館伝道聖書集会「復活の使徒伝承を継承する」第3回2010.2.28 高橋照男
①死とは何か                                  

②死の恐怖の本質 

③聖書の語る死後のこと                        

④終末における新天新地の出現とその希望の根拠

⑤終末を期待する喜び。神の愛を固く信じ、有体的復活を確信する


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①死とは何か


 1-1 死の判定・定義(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』)
法医学では、人間の死は、心臓・肺・脳、それら全ての不可逆的(元に戻らないこと・・・橋注)な機能停止によって規定される。

 
 1-2死の生物学的意味 (山下次郎著「イエスの死と復活」P39)
生物は代が変わることによって変化して行く。変化するということは多様化してゆくということである。多様化することは、その種の生物全体を眺めた時、生存能力が増したことを意味する。例えば、環境が変化した場合などには、多様化は生き残る可能性を高くするのである。


1-3死についての名言(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』)
○「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん」「朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なり」(論語) ○「死は人生の終末ではない 生涯の完成である」(マルティン・ルター) ○「武士道というは、死ぬことと見付けたり」(葉隠) ○「死に至る病とは、絶望のことである」(キエルケゴール) ○「吾死スルトモ自由ハ死セン」(「板垣死すとも自由は死せず」)(板垣退助) ○「人は死ぬ。だが死は敗北ではない。」(ヘミングウェイ) ○「戦士は死ぬ。だが、思想は死なない。」(フィデル・カストロ)

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●某氏のことで頻繁に電話でやりとり。「御心のままに。御心のままに」。

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美しい死に方 ++++++++ 所感

2010/02/19 09:02

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100219(金)4時半目覚め。今井館講演「死ぬとはどういうことなのか」について黙想。その結論は次のようにした。

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終末を期待する喜び。美しい死に方
 
 5-1 小事(有限な富)に忠実に生きて、天国に宝を積む
 塚本訳 ルカ 16:9-10
 
5-2 終末を期待する喜び
塚本訳 黙 21:3-4
 5-3 全被造物復活の望み
 塚本訳 ロマ 8:21-24
  塚本訳 Ⅰコリ15:23-26
 
5-4 旅人としての人生。この人生の旅は80年、一時的なものだ。
 口語訳 ヘブ 11:13
 
 5-5 死の恐怖からの解放される道
 塚本訳 ロマ 8:11
 塚本訳 Ⅰコリ15:54-55
  塚本訳 ヘブ 2:14-15
5-6 死に方の希望。神の愛を固く信じ、有体的復活を確信して逝く
塚本訳ロマ 8:38-39
8:38 なぜなら、わたしは確信している、死でも命でも、天使でも支配(天使)でも、現在起こっていることでも将来起こることでも、権力(天使)でも、
8:39 高い所のものでも低い所のものでも、その他どんな創造物でも、わたし達の主キリスト・イエスによる神の愛から、わたし達を引き離すことはできない
 
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負わされる十字架 ++++++++ 所感

2010/02/18 09:59

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100218(木)4時半目覚め。また「牧師の妻です。教会は復活を信じてません」と言われた御婦人のことを思った。(100214、100215のブロク参照)。彼女は不信の教会の十字架を負わされて苦労しておられるようだ。彼女とその教会の上に神の特別の祝福と恩恵がありますように祈った。●十字架は負うものではではなくて、無理に負わされるものである。意に反していやいやながら負わされるものである。●十字架は重いからと言ってこれをはねのけてはならない。その重みに崩れ落ちてよいのだ。イエスさえ十字架を負いきれなくてクレネ人シモンが負ったではないか。まして我々の十字架も自分では負えない。それでよいのだ、それでよいのだ。●パウロの十字架はユダヤ主義、ルターの十字架はカトリック教会、矢内原忠雄の十字架は軍国主義日本、塚本虎二の十字架は教会主義。そして小なる自分のことを顧みれば、自分の家庭、自分の妻子、自分の親戚、自分の身体、自分の勤務先・・・みんな「自分、自分、自分」である。よいのだ、よいのだ、それでもよいのだ。否、それがよいのだ。小さい十字架でよいのだ。小さい十字架の方がよいのだ。●なぜか。イエスは「自分の十字架を負え」と言われた。その十字架はおそらく一生付きまとう。イエスは十字架は「毎日負え」と言われる。毎日とは毎日毎日つまり「生涯」という意味である。●毎日十字架の重荷で呻き、泣き、涙するのでよいのだ。それが十字架をいやいやながらズルズルと引きずることなのだ。それでよいのだ。それが良いのだ。

塚本訳 ルカ 9:23
9:23 それから今度は皆に話された、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、毎日自分の十字架を負い、それからわたしに従え。

●我々に負わされる十字架はおそらく「一生軽くならない」。それでよいのだ。それでよいのだ。なぜか。イエスが一緒に負ってくださることによってこの自分が一生キリストから離れられないから。塚本訳 マタ 11:28-30
11:28 さあ、疲れている者、重荷を負っている者はだれでも、わたしの所に来なさい、休ませてあげよう。
11:29 わたしは心がやさしく、高ぶらないから、わたしの軛を負ってわたしの弟子になりなさい、そうすれば『魂の休息が得られよう。』
11:30 わたしの軛は甘く、わたしの荷は軽い。」

●女子大のリポートテスト。提出期限が過ぎた者2名の答案が家に送られてきた。立派な詫び状が添えてあったので、赦して採点した。この二名の名前は忘れない。神は悔い改める罪人の方を愛するという気持が少しわかった。

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聖書の語る死後のこと ++++++++ 所感

2010/02/17 07:31

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100217(水)聖書の真理本質は朝の啓示で示される。次回の今井館講演「死ぬとはどういうことなのか」について変更。昨日のレジュメは入門者向きであったが、今朝の啓示は信者向きに変更。聴衆はすべて「キリスト教に決断」している人であるから。

死の恐怖の本質
 1-1 この「私」が滅却し宇宙から永遠に忘れ去られること
 1-2 離別の嘆き悲しみ(愛する人、確執、自然、短い人生、歴史、音楽、)
 1-3 人生の嘆き。失敗、不遇、逆境、罪と罰、最後の審判。 
 1-4 癌死の宣告による予期悲嘆。心が圧される苦しみ。
 
②聖書の語る死後のこと
 2-1 死は神の懐に隠されること
 2-2 死は眠り 
 2-3 終末のときに全員が復活する
 2-4 最後の審判と第二の死がある
 
③終末における新天新地の出現
 3-1 有体的復活が永遠の命
 3-2 不信者にラストチャンスがあるのは、周囲のレクイエム
 3-3 使徒伝承を信じて来世復活の理性の安息を得る
 3-4 神との交わり、エクレシアに属する
 
④この世の生き方。終末を期待する喜び
 4-1 小事に忠実に生きる喜び。短い人生を生き抜く
 4-2 使徒伝承を信じて来世復活の理性の安息を得る
 4-3 安らかな死、美しい死
 4-4 死は滅んだ。永遠の命の喜びはある。
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死ぬとはどういうことなのか ++++++++ 所感

2010/02/16 08:25

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100216(火)5時目覚め。次回の今井館講演「死ぬとはどういうことなのか」を黙想。

死の恐怖の本質
 1-1 この「私」が滅却し宇宙から永遠に忘れ去られること
 1-2 離別の嘆き悲しみ(愛する人、確執、自然、短い人生、歴史、音楽、)
 1-3 人生の嘆き。失敗、不遇、逆境、罪と罰、最後の審判。 
 1-4 癌死の宣告による予期悲嘆。心が圧される苦しみ。
 
人間の努力による模索。・・・しかし真に癒されない
 2-1 号泣する。悲しい音楽を聞く。同じ境遇の人が大勢いることを知る
 2-2 死の宿命をあきらめればよい。霊魂不滅を信ずる
 2-3 死を忘れるために趣味、享楽に没入する。酒びたりになる。
 2-4 癌の予期悲嘆の苦しみには終末期医療がある
 
救いの道・・・真の平安と喜び
 3-1 永遠の命があるという福音に耳を傾ける
 3-2 十字架の救いで罪を赦され生まれ変わる
 3-3 使徒伝承を信じて来世復活の理性の安息を得る
 3-4 神との交わり、エクレシアに属する
 
来世での復活を希望する生涯
 4-1 小事に忠実に生きる喜び。短い人生を生き抜く
 4-2 来世での有体的復活の希望に生きる
 4-3 安らかな死、美しい死
 4-4 死は滅んだ。永遠の命の喜びはある。
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牧師の妻の祈り ++++++++ 所感

2010/02/15 08:17

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100215(月)4時半目覚め。昨日の「イエスの復活とはどういうことだったのか」の今井館講演会の終了後に名乗り出て来られた牧師の妻とその教会のことが忘れられない。昨日のブログを再掲する。
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●講演の中で「現在の牧師の三分の一は有体的復活を信じていないようだ。百害あって一利なしだから直ちに牧師をやめてしまえ」と話したところ、終了後、「私は牧師の妻です。教会は心から復活を信じていません。でも高橋さんのような方が世におられることはうれしいです」と挨拶された。誰が聞いていようと真理をズバリ言えた事は感謝である。責任は神がとって下さる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●牧師の妻でありながらなぜ無教会の集まりに来られたのか、何か難しい重荷を負っておられるのか、教会内の信仰的堕落を嘆いておられるのかなどいろいろ思いめぐらした。おそらく今回一度だけの出会いであろう。彼女と彼女の夫である牧師とその教会の上に神の豊かな祝福があるように祈った。お名前も教会名もわからない。彼女の教会は彼女の祈りのゆえに滅びることはないであろう。●昨日の講演「イエスの復活とはどういうことだったのか」をHPの「使徒伝承」にアップロード

http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/denshou/ie.htm

●16:30雨の中を運動がてら、郵便局、図書館、東急ストアー、徒歩1時間45分。咳きこまなくなったのはありがたい。歩きながら次の今井館講演「死ぬとはどういうことなのか」を構想。●行為主義者は信仰が堕落している。彼らは神ままでなく、自分の腹を拝んでいる。神よりも人権主義。

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問題の所在 ++++++++ 所感

2010/02/14 05:54

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100214(日)4時目覚め、本日午後の「今井館伝道聖書集会」のプリント推敲第27回目。推敲は無限できりがない。今朝はイントロダクションとしての「問題の所在」について黙想。

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●某夫人の御主人がキリスト教に関心を持たないのは「死んだだ人間がよみがえるなどというキリスト教は信じ難い」ということであった。これ人類一般の自然な考えである。

●この疑問は聖書中にもしばしば出てくるが、特に汎神論的、仏教的土壌の日本では特に顕著である。

●現在我が国の牧師ともあろうものがイエスの有体的復活を信じてないのは推定三分の一ともいわれる。彼らにとって復活とは観念世界のことであって、高々「霊魂不滅」の信仰である。これでは我が国に福音が浸透しないのは当然である。「霊魂不滅」としての復活ならば何もキリスト教でなくともよい。

●特に我が国の無教会主義に限って言えば霊肉分離の「グノーシス」の観念に似ている。聖書では「ヨハネ書簡」がグノーシスとの対決である。キリスト教の敵はローマ帝国ではなく「グノーシス主義であった」と言われる。

●無教会の某氏「キリストの遺体が墓の中に腐乱していたとしても復活信仰はありうる」と言った事などはその典型的な例である。

●日本人の死生観は汎神論的である。「千の風になって」の流行曲にそれが現れている。人間死んで風になるのでは希望も喜びもない。

●ではなぜ人間は復活ということが信じにくいのか。それは「神の力」というものが信じられないからである。(マルコ12:24)

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●集会は高木、丹野、山本●14:30今井館伝道聖書集会で話す。「復活の使徒伝承を継承する第二回。イエスの復活とはどういうことだったのか・・・脳内出血で意識不明になって信じさせられたこと」。YKさんが来られた。火災と大病の時にお見舞い下さった戦友。彼女は私の度重なる苦難に泣いて下さった方。感謝。●質問の時間に会場から「復活の身体」について質問がでた。「私が有体的復活にこだわるのは建築士であることと関係がありそうだ。建築は見えない心を見える形にすることだ。神の子は人間の形をとってこの世に来られた」と答えた。●講演の中で「現在の牧師の三分の一は有体的復活を信じていないようだ。百害あって一利なしだから直ちに牧師をやめてしまえ」と話したところ、終了後、「私は牧師の妻です。教会は心から復活を信じていません。でも高橋さんのような方が世におられることはうれしいです」と挨拶された。誰が聞いていようと真理をズバリ言えた事は感謝である。責任は神がとって下さる●家に帰ってグタグタになった。

 

 

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来世での復活を信じられるのは ++++++++ 所感

2010/02/13 10:40

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010213(土)4時半目覚め。明日の今井館伝道聖書集会「復活の使徒伝承を継承する」の第二回目「イエスの復活とはどういう故t路だったのか」を黙想。そのタイトルの一節「来世での復活が信じられるのは、使徒伝承を聖霊によって信じられる時」に変更。これキリスト教2000年の千古不易の真理●折しもYT兄から明日の会のために祈ってくださるという激励メール。こにロマ書15章13節が掲げられていた。アーメンである。力が与えられた。

塚本訳 ロマ 15:13
15:13 希望の源である神が、(彼を)信ずることにおいて来る無上の喜びと平安とであなた達を満たし、聖霊の力によって(豊かな)希望に溢れさせられんことを。

●女子大の採点結果を速達で郵送。6時40分の集荷に間に合うように夜明け前の暗い中を自転車を飛ばした。

resize1277.jpg 

14:00卒業して行く昭和女子大生三名が来訪。職業論、結婚論、恋愛論、家庭論など前途洋々の話題に花が咲いて老夫婦は楽しかった。みんなしっかりしている。若いということはいいなー。

resize1278.jpg 

東秋留の駅まで送った。彼女たちの人生の道に神の祝福あれ。

「先生もお元気で」と別れの言葉を言われた。闇の中に走り行く電車。

さようなら。さよなら。雪の降る寒い日なのに遠方をよく来てくれました。

●生徒たちを見送ってから妻は合唱の練習に出かけた。

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母からの宿題が解ける ++++++++ 所感

2010/02/12 09:43

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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010212(金)5時目覚め。14日の今井館伝道集会、「イエスの復活とはどういうことだったのか」を黙想。母からの宿題が解けた。6年前に肺癌の苦しみの内に逝った母は、私の「天国へ行けば楽になる」の言葉に「照男さん(天国へは)行って見て来たのですか」と聞いた。私は答えられなかった。このことが喉に刺さった骨のように私を苦しめ続けてきた。しかし今朝、それが解けた。その部分を掲げる。

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なぜイエスの有体的復活にこだわるのか。来世での復活の希望の根拠だから。
●人生において極度の悲しみの時にキリストは姿を現して下さる。ラザロの死(ヨハネ11:21)、ナインの若者(ルカ7:13)、ヤイロの娘(ルカ8:52)。こういう神の業は肉のよみがえりという現実の喜びだけではなく、来世での復活がありうるという希望を与えてくれる。これは神がイエスを有体的に復活させて人類に啓示してくれたのと同質である。我々はこれで理性の安息を得る。
 
塚本訳ヨハ 11:24-26
11:24 マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。

●来世での復活の希望を抱くには、有体的復活の伝承を「聞く事」と、聖霊が与えられてそれを信じられるようになることが必要。だから聖霊が与えられるようにと祈ることが必要である。多くの人が家人が死にかかっている時に「主よ大変です」と言ってイエスを呼んだのはその事である。

塚本訳Ⅰコリ6:14(聖書知識66号、昭和10年 P25 試訳)
6:14 そして神は主(キリスト)を甦えらせ給うたのであるから、その御能力をもって、また私達(の体)をも甦らせ給うであろう。  
 
新共同 エペ 1:13-14
1:13 あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。
1:14 この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。
塚本訳  ヨハ 11:3
11:3 マリヤとマルタとはイエスに使をやって、「主よ、大変です。あなたの可愛がっておられる人が病気です」と言わせた。

塚本訳 マコ 5:22-23
5:22 するとヤイロという一人の礼拝堂監督が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏し、
5:23 しきりに願って言う、「わたしの小さな娘が死にかかっています。助かって命びろいをするように、どうか行って、手をのせてやってください。」
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母が肺癌での死に際して、来世での復活に希望を抱けなかったのは私の祈りが足りず、聖霊がいただけなかったからである。しかし終末では神御自身が直接母に説いて下さるであろう。終末を期待する。 早いもので来月は母が逝って満6年目、7回忌である。
●昨夜寝るときに、小野寺時夫著「がんと闘わない生き方」(PHP研究所)を読んだ。小野寺時夫先生は母を看取ってくださった方である。その中に「美しい死に方」ということが書かれていて、それは「お礼を言って去ること」であるという。
●がんセンター総長の垣添忠生著「妻を看取る日」(新潮社)によれば夫人は最後に垣添忠生氏の手を固く握って「ありがとう」とひとこと言って逝ったという。実に美しい死に方である。私が死ぬ時もそうありたい。人間はいずれは死ぬのだ。
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聖霊を信ず。聖徒の交わりを信ず。 ++++++++ 所感

2010/02/11 09:44

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010211(木)4時半目覚め。2月14日の今井館伝道聖書集会の「イエスの復活とはづいうことだったのか」の最後の部分を推敲、変更した。

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⑧「胸が熱くなる」および「有体的復活」の言葉に対して応答がある不思議。
●いろいろな集まりで、空の墓を信じて胸が熱くなったという話をすると、少数ではあるが必ずといってよいほど、「お話を伺って私も胸が熱くなりました」とお世辞でなく真剣な態度で言ってくる人が出現する。またある信仰雑誌に「空の墓」のことを書いたら、わざわざその主筆に「胸が熱くなりました」と手紙を寄せた読者がいた。わたしはこの不思議なる応答の現象に驚くと同時に「この体験は私だけのものではない」とその真理性に自信を持った。これは聖霊の働きとしか考えられない不思議な現象である。これが使徒信条の「聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、・・・身体(からだ)のよみがえり・・・を信ず」の真理であり真のエクレシア(マタイ18:20)の姿であると信ずる。これら応答の方々は常に時空を超えた存在であるからまた不思議である。
・ 
●これが無教会主義の本質であるが、現状の無教会集団が老齢化で人物、集会、組織、建物などが消え失せてもその中心的真理は存続するものと信ずる。
塚本訳 Ⅱコリ4:8-9
4:8 わたし達はあらゆることで悩まされる、しかし行き詰まらない。当惑するしかし絶望しない。
4:9 迫害される、しかし(神に)見捨てられない。打ち倒される、しかし死にはしない。
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●TSK日本語化●今日は女子大の論文テストの採点。みんななかなかしっかりした考えを持っているのに感心した。しかし就職氷河期で進路に困っている人が多いのが気の毒だ。」 ●16:00妻はコーラスモデラートの仲間とパルテノン多摩で行われる指揮者峯崎りみが出演するコンサートに行く。●今井館のことで手紙

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復活体は4次元世界の存在 ++++++++ 所感

2010/02/10 08:28

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010210(水)4時半目覚め。●今井館伝道聖書集会「イエスの復活とはどういうことだったのか」の黙想。その⑥

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イエスの復活体とはどういうものだったのか。4次元世界の存在への変化。
●パウロの見解・・・「霊の体」というものがある。
 
塚本訳Ⅰコリ15:42-44
15:42 死人の復活もこのようである。(一つの体が死んで別の体が生まれる。)死滅の姿でまかれて不滅の姿に復活する。
15:43 恥辱の姿でまかれて栄光の姿に復活する。弱さの姿でまかれて力の姿に復活する。
15:44 (神の霊を持たない)魂だけの体がまかれて霊の体が復活する。魂だけの体がある以上は霊の体もあるわけである。
 
●塚本虎二の見解・・・「復活の体」は生前と同じような有体的な姿であった。
 
聖書知識231号 昭和24年(1949)7月 P6-8 有体的復活
 
〇3次元の世界に住む者が第四次元からわたし達の所に現れれば、それはわたし達に考え及ばない不思議である。復活のイエスはこの4次元から現れられたので、何の不思議もない、・・(中略)・・今日の進歩した科学からすれば、こんな説明を借りずとも、極めて簡単な常識的な現象として説明できそうである。
〇問題はそれよりも、そんな存在がどうして肉や骨をもち、また食事などが出来るかということである。この点については、パウロが極めて合理的なまた詳細な説明を試みている(第一コリント1535以下)。彼は復活体なるもののあることを主張して、同じ肉でも人の肉、獣の肉、魚鳥の肉があるように、天的存在物には天的の「霊の体」があるという。ただそれがどんなものであるかは誰にも説明出来ない。聖書に記す復活のイエスによってこれを知る外はない。すなわち彼には肉と骨があり、これに触ることが出来、また人の見ている前で食事さえすることができる。大体生前と同じような顔付や、丈の高さ、体の格好であり、手足の疵(きず)まで依然としてもとのようであるらしい。しかも生前と異なり、彼は肉的の存在がうける時間空間等のすべての制約を受けず自由に行動し、またその形体の変更が出来るらしい。彼はただ認めさせようと思うときだけ認められ、去来を悟られることなく、あるいは消え、あるいは現れる。これはツァーンの註解に言う所であるが、大体当たっているように思われる。・・・・・
 
●つまり、イエスは墓の中で3次元人間から4次元世界の人間(霊の復活体)に変化(栄化)させられた。この時空を超えた不思議な存在が難解な三位一体の信仰の根拠。復活のイエスは何時でも何処でも誰にでも不思議に姿を現せる。

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●TSK日本語化●午後は図書館に佐竹明著「ヨハネの黙示録(中)」を読みに行く。寒いので早めに切り上げた。体調は次第に回復してきた。感謝

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復活体は写真に写ったか ++++++++ 所感

2010/02/09 09:22

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100209(火)5時目覚め。来る14日の今井館伝道聖書集会「イエスの復活とはどういうことだったのか」について黙想。その一部
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⑦復活が信じにくいのは特定の人に対する霊の感覚世界における啓示だから。
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●私の場合は、胸の熱さが故に心の目が開かれイエスの「墓が空であった」ことは歴史的事実であると信じざるをえなくなったのである。これは一度体験したら忘れられないものである。このように主観的なことで「空の墓」を史実とみなすのは科学的方法とは程遠いものであるが、「胸が熱くなる」ことによってイエスの復活を信じざるをえなくなったことはエマオ途上の二人の事件がこれを補強する。
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塚本訳 ルカ 24:32
24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。
●レンブランの「エマオの食卓」(パリ ジャックマール・アンドレ美術館蔵1628年)
この画は、二人のエマオの旅人のうちの一人にだけ復活のキリストが霊の感覚世界においてわかったという場面。もう一人の分からなかった人の姿は真っ黒に描いている。次のイエスの言葉を連想する。
 /
塚本訳 マタ 24:40-41
24:40 その時、二人の男が畑にいると、一人は(天に)連れてゆかれ、一人は(地上に)のこされる
24:41 二人の女が臼をひいていると、一人は連れてゆかれ、一人はのこされる。
●復活のイエスはなぜエマオ途上の二人に現れたのか。二人が望みをかけていたイエスが殺されたので悲しみに沈んで「暗い顔」をしていたからである。
塚本訳 ルカ 24:17
24:17 二人に言われた、「歩きながら何をそんなに論じ合っているのです。」暗い顔をして二人は立ち止まり、
 
●人生において極度の悲しみの時にキリストは姿を現して下さる。ラザロの死(ヨハネ11:21)、ナインの若者(ルカ7:13)、ヤイロの娘(ルカ8:52)。こういう神の業は肉のよみがえりという現実の喜びだけではなく、終末が本当にありうることの確信と希望の喜びを与えてくれる。これは神がイエスを有体的に復活させて人類に示してくれたのと同質である。これで理性の安息を得る。
 
塚本訳ヨハ 11:24-26
11:24 マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。
 
●復活体は写真には写らない。見える人には霊の感覚において見える。このことをレンブラントはこの画に表現した。しかしこういう個人的なことでも最近の歴史学では「歴史」の範疇であり、真理だとされるようになってきている。パウロに対する復活のキリストの顕現も同じである。(使徒9:3-9、22:6-16)。パウロの体験なくしてキリス教はない。個人的な信仰的体験も歴史の内である。
●イエスは復活の体で特定の人に霊の感覚世界において有体的な形で復活した。このことは塚本訳聖書では次に示すようにその敷衍の故に明快である。霊眼で見えたことは絵画的には肉眼で見えたように表現する。言葉の表現も同じであり、「見た」と表現する。(使徒2:30 10:40)
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塚本訳 使徒2章30節
神は(救世主である)このイエスを(預言どおりに)復活させられました。わたし達は皆このことの証人です。(イエスの復活を目の当り見たのだから。)
●復活が信じにくい理由は特定の人に対する霊の感覚世界における啓示だから。
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塚本訳 使 10:40-41
10:40 (しかし)神はこの方を三日目に復活させ、(人の目にも)見えるようにされた。
10:41 (ただし)国民全体でなく、神からあらかじめ選ばれていた証人であるわたし達、すなわちイエスが死人の中から復活されたあとで、一緒に飲み食いした者(だけ)に見えたのです。
 
塚本訳 ヨハ 14:22-24
14:22 イスカリオテでない方のユダが言う、「主よ、いったいどういうわけで、わたし達だけに御自分を現わし、この世(の人)にはそうしようとされないのですか。」
14:23 イエスは答えられた、「わたしを愛する者は、わたしの言葉を守る。するとわたしの父上はその人を愛され、わたし達は(父上もわたしも)、その人のところに行って、同居するであろう。
14:24 (しかし)わたしを愛しない者は、わたしの言葉を守らない。(だからわたしを見ることができない。)あなた達が(わたしから)聞く言葉はわたしの言葉ではない、わたしを遣わされた父上の言葉である。
 
復活は神が起こしたもうこと。われわれの復活の信仰もまた神の力によって起こされる。resurrect(復活させる)→the Resurrection(キリストの復活)。
「胸が熱くなる」及び「有体的復活」の言葉に応答がある不思議。真の教会。
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●いろいろな集まりで、空の墓を信じて胸が熱くなったと言う話をすると、少数ではあるが必ずといってよいほど、「お話を伺って私も胸が熱くなりました」とお世辞でなく真剣な態度で言ってくる人が出現するのである。無教会にはお世辞というものが無いのがよい。またあるとき信仰雑誌に「空の墓」のことを書いたら、わざわざその主筆に「胸が熱くなりました」と手紙を寄せた読者がいたという。わたしはこの不思議な応答がある現象に驚くと同時に「この体験は私だけのものではない」とその真理性に自信を持った。これが「二三人わが名によりて集る所には、我もその中に在るなり」(マタイ18:20)であり、、全世界に共通の「聖なる公同の教会」「聖徒の交わり」(使徒信条)つまり真のエクレシアの姿であると思う。
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●午後は図書館。国会図書館から借りた本は家に持っていけない。佐竹明「ヨハネの黙示録(中)」を館内で読む。片道20分の徒歩は運動のため。●この世の諸々の悩みはすべて終末で解消する。最後最大の悩みは「死」。それさえも終末で解決。それは永遠の命。
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図書館の帰途。あきる野の夕暮れ。夕食が待っている。感謝だ。
最後まで復活の証人として生き抜こう。

 

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人生の目的 ++++++++ 所感

2010/02/08 07:10

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100208(月)4時、目覚め。黙想「人生の目的」●TSK日本語化●「人生の目的は、来世での復活の希望に生き、また死ぬこと」

●イエスは極度の悲しみに陥っている人に現れた。ラザロの兄弟のマルタ。死にかけた娘の父親ヤイロ、ナインの一人息子を失った母親、エマオ途上の二人(暗い顔をしていた)。●イエスはこれらの悲しめる人に奇蹟を起こして、来世の復活があることを教えた。ラザロも、ヤイロの娘も、ナインの若者も死んだ。しかしそのために悲しんでいた人はイエスの奇跡で来世での復活のありうることに確信が与えっられた。人生の目的は「満足」である。それはこの世で満足するのではなく、来世での復活の喜び、それを生きているうちぃにその「希望の喜び」に生きることである。

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自殺したM君が夢に現れる ++++++++ 所感

2010/02/07 07:09

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100207(日)4時半起床。自殺したM君が夢に現れた。●それには訳がある。昨日「WEBエクレシア」(WEB黒崎を通じてできた祈りの友、祈りの輪。)の面々と「自殺」に関してメール懇談した。以下は私からの一部分。差し障りのあるところは改変。

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●若き時からの友M君(私より5-6歳下。O先生ご存知)は大学生の時にご母堂に先立たれたことがきっかけで「精神の病」になり、今から10年以上前に入水自殺しました。何度かお金をせびられましたが、最後はお断りしました。気が咎めましたのでF先生(集会責任者)に訳を言いましたが、貸さなくてよかったと言って下さいました。もちろんそれ以前のお金は戻ってきませんでした。初めはT病院に入院、見舞いに行きました。その後H方面の病院に入院、入院中にお見舞いしようと思いましたが、精神の病の人を励ましに行ってはならないと言われていたので、そのままにしていましたが、悲劇でした。最後は金に困っていたようです。彼が自殺したことはずっと後になってO先生から伺いました。若いころ、彼のおばさんという方(故人)から、「Mをよろしく。」と自家製の便箋に書かれた長いお手紙をいただきました。しかしこの結末で私はその「おばさん」に合わせる顔がありません。しかし「精神の病」には私としてもどうしようにもありませんでした。しかし私の無力に心残りです。

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●このように書いたからか、夢にM君が現れた。「精神の病の人に」お見舞いはいけないと言われていたが、やっぱり顔を出せばよかった。祈りが足りなかった。来世での復活の希望を伝えられなくて悔む。眠りから目覚めて私は泣いた。●肺癌で逝った母が「(照男さんは天国では楽になると言いますが)、行って見てきたのですか」と言って、来世復活の希望を持たないで逝った●M君と母の最後のことは魚の骨が喉に刺さったように今まで苦しんできた。今後も生涯私を苦しめることであろう。●私は来世に行って見てきたわけではない。しかし恩恵でその希望の喜びを与えられたのだ。 ●残る生涯、この二人のような人のために「来世での有体的復活」の希望があることを伝えたい。これが二人への供養だ。残る人生、ただ馬齢を重ねるわけにはいかない。パウロも「希望」について次のように言う。

塚本訳 Ⅱコリ5:1-2
5:1 なぜ(こんな希望に生きることができるの)であろうか。もし地上の家であるわたし達のこのテント、(この肉体)がこわれるならば、天に、神の建てられた建物、(人間の)手で造らない永遠の家をいただいていることを、わたし達は知っているからである。
5:2 どうしてであろうか。わたし達はこのテントにいて、天の住いを上に着たくてたまらずに呻いているからである。(この憧れと呻きこそ、永遠の住いのある証拠ではないか。)
 
塚本訳 Ⅰコリ13:12-13
13:12 わたし達はいまは(何事も)鏡でおぼろに見ているが、(完全なものが来る)その時には、顔と顔と相対してみるのである。いまはわたしは部分的に知っているが、その時には、(今神に)知りつくされているからそのようにわたしも知りつくすであろう。
13:13a それゆえに、いつまでものこるものは信仰と希望と愛、この三つ。
●ドイツのM・ニーメラーは潜水艦Uボートの艦長であった。戦後になって、あのヒットラーが夢に現れて「なぜ私にキリストの救いの道を教えてくれなかったのか」と言ったという。ニーメラーは目が覚めて俄然すべてを投げ打って伝道者になった。貧乏でも幸いな生涯だ。●妻と集会に出かける。宮崎、土肥(聖書の香料)、高橋(「命の木」・・・その喪失と回復・・・)。体調不完全ながらも全力投球で話せた。感謝●午後妻は合唱の練習●今日、集会で話した「命の木・・・その喪失と回復・・・」をHP「使徒伝承」にアップロードした。


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悲惨な人生、神はいるのか ++++++++ 所感

2010/02/06 13:25

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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100206(土)6時起床。大分楽になったが、もう少しだ●TSK日本語化、マルコ8章●ハイチの地震災害を見ると、建物という文明の利器が人を殺す事がわかる。建物の倒壊で犠牲者がでる。●それではどんなに大きな地震が来ても倒壊しない建物を造ればよいではないかと考えがちだが、地割れや地面のずれなどが起きたら、どんな建物でも壊れる。●これは現在において癌が防げないのに似ている。神の力の大きさを認識すべきである。と言って改善努力工夫をあきらめるのではない。神を信じた方が改善工夫に「粘れる」のだ●悲惨な人生に遭遇された方のことで、祈っていたが、どうしようもないことになりそうだ。「御心をなしたまえ」と祈るほかはない。しかし苦難はすべてご存知、意外なことが起こることを期待し、また希望する。


文語訳 ロマ 8:18
8:18 われ思うに、今の時の苦難は、われらの上に顯れんとする榮光にくらぶるに足らず。

文語訳  ロマ 8:26
8:26 斯くのごとく御靈も我らの弱を助けたまふ。我らは如何に祈るべきかを知らざれども、御靈みづから言ひ難き歎きをもて執成し給ふ。

文語訳 ロマ 8:28
8:28 神を愛する者、すなはち御旨によりて召されたる者の爲には、凡てのこと相働きて益となるを我らは知る。

塚本訳 ロマ 8:18
8:18 (しかもこの苦しみは恐れることはない。)なぜなら、わたしはこう考える。今の世の苦しみは、わたし達に現われようとしている栄光(──キリストと一しょに神の国の相続人になる最後の日の大いなる光栄──)にくらべれば、言うに足りない。

塚本訳 ロマ 8:26
8:26 しかし(創造物やわたし達神の子が苦しんでいると)同じように、御霊も、弱いわたし達を助けてくださる。すなわち、(神のみ心にかなうには)どう何を祈るべきかわからないので、御霊自身が、無言の呻きをもって(わたし達の祈りを神に)執り成してくださるのである。

塚本訳 ロマ 8:28
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。

●「WEB黒埼」を通じて「WEBエクレシア」なる「祈りの友」「祈りの輪」ができた。直接会ってはいないが、主にある「心の交わり」である。今日は「自殺」を巡って意見交換。具体的な問題に直面しての真剣勝負の話し合いである。

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あきる野の夕暮れ。あの太陽は地球の反対側の人を覚ますのだ。

賛美歌43番

 

 

 

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信者と不信者の溝は越えられない ++++++++ 所感

2010/02/05 10:17

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100205(金)気管支喘息の特徴である就寝時と朝の咳きこみがなくなった。感謝●明後日の集会感話「命の木」は体調が支えられるであろう●朝の黙示「信者と不信者の溝は超えられない」。普段の生活で聖書や信仰の話になると全く急に通じなくなるばかりか、極端にこれを嫌ったり、嫌がったりする人がいる。これはなぜだろう。聖書のあちおこちからこれを考えてみよう。

塚本訳 ルカ 16:26
16:26 そればかりではない、わたし達とあなた達との間には大きな(深い)裂け目があって、ここからあなた達の所へ渡ろうと思っても出来ず、そこからわたし達の所へ越えてくることもない。』

●これ来世の姿。一度決定してしまった運命は変えられない。神の側から救おうと思っても出来ず、人間が黄泉の苦しみから助かろうと思っても出来ないということ。恐ろしいことだ。●信じない人には何を言っても信じない。つまりこちらから渡れない。神がそうなのだからましてや人間の努力工夫では絶対に無理。 追いかけるという無理はできない。

塚本訳ルカ 16:28-31
16:28 わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。』
16:29 しかしアブラハムは言う、『(その必要はない。)彼らにはモーセ(律法)と預言書と[聖書]がある。その教えに従えばよろしい。』
16:30 彼が言った、『いいえ、父アブラハムよ、もしだれかが死人の中から行ってやれば、きっと悔改めます。』
16:31 しかしアブラハムは答えた、『モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。』」

●自分が恩恵で天国に行けたとしても肉親が地獄に落ちて苦しむのなら天国も天国でなくなる。だから肉親がそうならないように「来世に行って見て来た」人がこの世に戻って信じるように注意しに行ってくれ」という気持はは分かる。、しかし信じない人は信じない。信ずるのに理性の証明を求める人はたとえ「死人が復活しても」疑って信じない。●母が肺癌で苦しがっているとき「天国に行けば楽になるよ」と言ったが母は「行って見てきたのですか」と言って信じなかった。もし「行って見て来た」と言っても果たして母は信じただろうか。某氏が「『行って見てきたのだ』と言えばよかったのに」と慰めてくださった。しかしわたしは「坊主、見てきたような嘘を言い」はできなかった。●これどうすればよいか。残る人生の課題だ。

塚本訳ヨハ 11:45-46
11:45 すると、マリヤの所に来てイエスのされたことを見たユダヤ人のうち、多くの者は彼を信じた。
11:46 しかし中には(彼を信ぜず、)パリサイ人の所に行って、イエスのされたことをあれこれと報告した者もすこしあった。


塚本訳 マタ 28:16-17
28:16 さて、十一人の弟子はガリラヤに行き、イエスに命じられた山にのぼり、
28:17 お目にかかっておがんだ。しかし疑う者もあった。


塚本訳ルカ 16:30-31
16:30 彼が言った、『いいえ、父アブラハムよ、もしだれかが死人の中から行ってやれば、きっと悔改めます。』
16:31 しかしアブラハムは答えた、『モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。』」

●ある人が「信者になる」かどうかの試金石は「聖書」に対する姿勢。「聖書」「神」「信仰」などの言葉を嫌う、しかもこれを病的に嫌うような人は難しい。また英国救世軍ブース大将の夫人は「金に執着している人の救いは難しい」と言っている(ヒルティ。クリスチャンを50年もやっているとこの人は救われるか、あるいは難しいかが相手の二言目ぐらいでwかるものだ。では人間の目で救われそうにないと思う人は絶対に室だろうか。イエスは次のように言う。

塚本訳 ルカ 18:24-27
18:24 彼を見ると、イエスは言われた、「物持が神の国に入るのは、なんとむずかしいことだろう。
18:25 金持が神の国に入るよりは、駱駝が縫針のめどを通る方がたやすい。」
18:26 聞いている人たちが言った、「それでは、だれが救われることが出来るのだろう。」
18:27 イエスは言われた、「人間に出来ないことが、神には出来る。」


塚本訳ヨハ 3:7-8
3:7 『あなた達は新しく生まれなおさねばならない』と言ったからとて、すこしも不思議がることはない。
3:8 風[プニューマ]は心のままに吹く。その音は聞えるが、どこから来てどこに行くか、あなたは知らない。霊[プニューマ]によって生れる者も皆、そのとおりである。」

●人間の目に不可能なことも神は可能。それには周囲の熱心な祈りが必要。その実例は多い。●「レクイエム」は死者のためのミサ曲。死んだ者が来世で救われるようにまだ生きている者が代祈する音楽。●私たちの周囲には神との関係がないという意味での霊魂の「死者」が多い。我々は神が奇蹟を起こして「死人を甦らせたように(ラザロ、ナインの若者、ヤイロの娘)、彼らの霊魂を救って下さるように代祈の日々であるべきだ。

●男が病気のために貧困になり、仕事、職場、妻子を失うときは悲惨である。私の父は結核で生涯苦しんだ。子供達に希望の道を行かせられなかった。父はそのことを晩年まで悔み続けた。晩年のある日、いつものように悔んでいた父に私は「おジーちゃんモーいいよ。おジーちゃんの病気のおかげで、僕は『貧しきものは幸い』ということがわかったのだから」と慰めた。父から耳にタコができるほど聞いた言葉は次である。

塚本訳 ロマ 8:28
8:28 神を愛する者、すなはち御旨によりて召されたる者の爲には、凡てのこと相働きて益となるを我らは知る。

●父の臨終の床で私は耳元で大声で叫んだ「ロマ書8章!、ロマ書8章!」。父は目を開いたままであったが聞こえたのであろうか。●人間、病気の故になにもかも失っても信仰さえ失わなければ、成功の人生である。否、その方が成功である。なぜか。その人の財産は「神と信仰」だけになるから。天国では特等席だ。●父が好きであった賛美歌は512番。父の遺品の古い賛美歌の2節、「身のわずらいも、世のうれいも、われとともにわかちつつ」に太い赤線が引いてある。

賛美歌512番

1. わが たましい の したい まつる
   いえす きみ の うるわしさ よ,
   あした の ほし か, たに の ゆり か,
   なに に なぞらえて うたわん.
   なやめる とき の わが なぐさめ,
   さびしき ひ の わが とも,
   きみ は たに の ゆり, あした の ほし,
   うつしよ に たぐい も なし.
 
2. み の わずらい も よ の うれい も,
   われ と とも に わかち つつ,
   いざなう もの の ふかき たくみ
   やぶり たもう うれしさ よ.
   ひと は すつれど きみ は すてず,
   みめぐみ は いや まさらん,
   きみ は たに の ゆり, あした の ほし,
   うつしよ に たぐい も なし.
●この賛美歌のメロディーは次をクリック。
●17:00 無教会の最長老格のTKさん98歳と電話懇談。「認知症で、人のことはもちろん神も信仰も聖書も全く忘れても、神はその人のことを忘れない。これがプロテスタントの信仰だ」と話した。●明後日の感話「命の木」について黙想。アダムとエバは「善悪を知る木の実」を食べるなと言われたことを無視してそれを食べて神との関係が断絶した。しかしこれでは死ななかった。神との交わりを断たれたアダムとエバは今度は神抜きの「不死」の身になろうとして「命の木」に手を出そうとした。これがいけなかった。神の逆鱗に触れた。「善悪の木の実」を食べただだけでは死ななかったアダムとエバは、神の尊厳を傷つける「神抜きの不死」の道を取ろうとして神の主権をないがしろにした。これが人類に罪と死と不幸がもたらされた原因である。この禍から人間が救われるのには第二のアダムであるキリストの贖罪の出現を待たねばならなかった。そしてその救いにあずかった者は「命の木」から「命の水」をただで飲むことができる。これは聖書の最後の黙示録に書かれている。
新共同 創  3:22-24
3:22 主なる神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」
3:23 主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。
3:24 こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。

塚本訳 ロマ 5:12
5:12 (この救いはキリストとアダムとを比較する時に、はっきりする。)すなわち、一人の人(アダム)によってこの世に罪が入ってき、罪によって死が入ってき、こうして、(この人において)人は一人のこらず罪を犯したので、全人類に死が行き渡ったように──([一八節ニツヅク]一人の人キリストの正しい行いによって、全人類に命を与える義が臨んだのである。)

新共同 黙  2:7
2:7 耳ある者は、"霊"が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者には、神の楽園にある命の木の実を食べさせよう。」』

新共同 黙  21:6
21:6 また、わたしに言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう。

新共同 黙  22:13-14
22:13 わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである。
22:14 命の木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れるように、自分の衣を洗い清める者は幸いである。
 

 

 

 

 

 

 

 




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良心の咎めという苦しみ ++++++++ 所感

2010/02/04 08:29

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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100204(木)6時起床。咳はほとんどやんだ。今度は喉が痛い。肉体の故障は仕方がない。建築の部品種類は5万、人体はそれよりはるかに多いから当然だ●TSK日本語化●朝の啓示「良心の咎め」●人間であれば「良心の咎め」というものがある。これは神の備え給うたもの。神が高度な知恵でちょうど良い時にその人に働きかけると本人は良心の咎めから痛悔(カトリック用語)に導かれる。しかしただ悔い改めただけでは楽になれない。「悔い改めて福音を信ぜよ」とはこれを言う。罪はキリストの十字架で清められなければ良心の平安はこない。●このことはヘブル10:22に書かれている。その解説を「WEB黒埼」に見てみよう。

「WEB黒埼」ヘブル10:22

10章22節 こころすすがれて良心りゃうしんとがをさり、きよみづにてあらはれ、まことこころまった信仰しんかうとをもて[かみに]ちかづくべし。[引照]

口語訳心はすすがれて良心のとがめを去り、からだは清い水で洗われ、まごころをもって信仰の確信に満たされつつ、みまえに近づこうではないか。
塚本訳だからわたし達は誠実な心と、堅い信仰をもって、(神に)近づこうではないか、心は(イエスの血で)洗い浄められて良心の呵責なく、体は(洗礼の)清い水で洗われて。
新改訳そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。
前田訳われらは真実の心をもって、信仰にあふれてみ前に進みましょう。われらの心は悪い心がけからすすがれ、体は清い水で洗われています。
新共同心は清められて、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われています。信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。
註解: 19-21節は神に近づく外的条件で、本節はその内的条件である。すなわちイエスの十字架の血によりて罪の赦しを得ることにより良心は罪の苦悩より解放せられ、またその結果心の不潔は除かれ、肉もまた聖霊(C1)の水によりて潔められ(エゼ36:25)肉と霊の凡ての穢(けがれ)を去ってしまったのが(Ⅱコリ7:1)キリスト者である。かかる者となった上に少しも虚偽なき誠実なる心と不安を挿まざる充分なる信仰とをもって我らは神に近づかなければならぬ。
辞解
[濯(すす)ぐ] rantizō 祭壇等に血を振りかけることの意。
[清き水] 多くバプテスマの意味に解するけれども(M0)、むしろ旧約の潔めの式を指すと見るべきである(C1、エゼ36:25)。
[良心の咎(とがめ)] 直訳「悪しき良心」。
「身は清き水にて洗わはれ」を次節の「堅く守り」に関係せしむる説あれど(M0)予は取らない(Z0)。
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死ぬとはどういうことなのか ++++++++ 所感

2010/02/03 14:19

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100203(水)全身が痙攣するような咳が少なくなったので非常に楽になった。感謝●妻は婦人の読書会に千駄ヶ谷に行く。「塚本虎二著作集」。これをテキストにしていればまず間違いはない。●今井館伝道聖書集会第二回2月14日「イエスの復活とはどういうことだったのか」の資料を作成、また第三回2月28日「死ぬとはどういうことなのか」は骨子を作成。
この二回の概要は次の通り。このところ毎週講義が続くがやりがいがある。バッハはカンタータを毎週一曲ずつ作曲したというがわかるような気がする。やりがいがあって面白かったのであろう。内からあふれ出るものがあったのだろう。

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イエスの復活とはどういうことだったのか
 ―脳内出血で意識不明になって信じさせられたこと―
        2010.2.17 今井館伝道聖書集会第二回 高橋照男

①なぜイエスの有体的復活にこだわるのか。それは自分の復活の希望だから
②復活が信じられるようになったのは「空の墓」の伝承で胸が熱くなったから
③イエスの復活体とはどういうものだったのか。パウロ、塚本虎二の見解
④レンブラント「エマオのキリスト」。復活体は写真に写ったか。
⑤復活が信じにくい理由。特定の人にのみ現れたから
⑥脳内出血で意識不明になったときの最期の希望は「空の墓」の使徒伝承
⑦「空の墓」の史実をめぐる荒井献氏および佐藤研氏との確認と合意
⑧イエス復活の最古の伝承は第一コリント15章3~4節。史実が土台の福音
⑨「胸が熱くなる」と「有体的復活」の言葉の不思議な影響力。真の教会の核
➉神はなぜ日本に無教会主義を起こしたのか。使徒伝承なくして無教会なし
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死ぬとはどういうことなのか
―「死因は癌になる」と宣告されて考えさせられたこと―
        2010.2.28 今井館伝道聖書集会第三回 高橋照男

①母を肺癌で送って。予期悲嘆の悩み。抵抗できない癌と認知症の悲しみ
②「死因は癌になる」と宣告されて「死」と「余命」を身近に考える         ③「WEB黒崎」の作業で「黙示録」に目が開く。聖書理解の鍵は終末観。                 ④
肉体の死と霊魂の死。黙示録の「第二の死」の衝撃。霊魂の永久滅亡
⑤最後の審判。イエスの言動はすべて終末意識が背後にある
⑥パウロの思想は終末観が前提
⑦塚本訳聖書の敷衍に濃厚な終末観
⑧「レクイエム」(鎮魂曲)の意味。不信者にセカンドチャンスはある。代祈の効力  ⑨終末を期待する喜び
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いつも行くあきる野中央図書館の夜景。岡田新一設計

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イエスの復活とはどういうことだったのか ++++++++ 所感

2010/02/02 10:54

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100202(火)6時起床。薄紙を剥ぐように良くなってきた。咳も少なくなった。感謝●TSK日本語化●東京は昨夜から雪。東北ほどではない。

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東の窓を開ける

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南のテラス戸を開ける。蝋梅に雪

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南の庭

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2階の北の窓から。手前は五日市線。

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北東面からの雪の我が家

●来る2月14日、今井館伝道聖書集会第二回「イエスの復活とはどういうことだったのか」の原稿。その骨子は次の通り。

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イエスの復活とはどういうことだったのか
― 脳内出血で意識不明になって信じさせられたこと ―
        2010.2.17 今井館伝道聖書集会第二回 高橋照男
①なぜイエスの有体的復活にこだわるのか。来世での復活の理性の安息だから
②復活が信じられるようになったのは「空の墓」の伝承で胸が熱くなったから
③イエスの復活体とはどういうものだったのか。パウロ、塚本虎二の見解
④レンブラント「エマオのキリスト」。霊の体の不思議
⑤復活が信じにくい理由。特定の人に現れたから。神の力を信じないから
⑥脳内出血で意識不明になったときの頼みの綱は「空の墓」の歴史的事実
⑥「空の墓」の史実をめぐる荒井献氏および佐藤研氏との確認と合意
⑦最古の伝承。第一コリント15章3-4節。使徒伝承の重要性
⑧有体的復活の事実が体的の再臨信仰を生む
⑨使徒伝承と無教会。神はなぜ日本に無教会を植えたのか

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●午後は昭和女子大。今年最期のわたしの講義。お別れなので大略次のようなことを話した。

●真面目に生活していれば不幸も好転する。

●就職氷河期であるが、これはよいことである。大企業、有名企業につられて行くな。小さい会社に行け。わたしの知る限り、大企業を定年退職した人の老後はみじめである。

●仕事という言葉の「仕」は仕えることである。これが職業の本質である。

●つらいこと絶望的な事があって崖から飛び降りてしまおうなどと思う時、最期の最期に私に電話せよ。金はないのでやれないが、何か力になれることはする。

●もし今付き合っている男性が学生だとしたら「別れよ」。学生時代から交際にうつつを抜かしているような男にロクな奴はいない。将来性はない。真面目に勉強や仕事にうち込んでいる男に注目せよ。イケメンとは結婚するな。それは大抵教養と金がない。

●どんな方面に行こうとも私が話した「生き方」を忘れるな。人間というものを見よ。

●人生は「出会い」である。就職、結婚、子供。これみんな出会いである。皆さんの上に「よい出会い」があり、幸福がありますように。

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昭和女子大のキャンパス内にある「人見記念ホール」。私の好きなコンサートホールの一つである。

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終末を期待する喜び ++++++++ 所感

2010/02/01 11:51

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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66歳7か月。平均余命16年(生命保険会社統計)、5800日、14万時間。この時間をすべてキリスト教使徒伝承の連鎖に捧げる。罪と死の悲しみを克服する「十字架の贖罪の福音と有体的復活の希望の喜び」の伝承。自分のため、親類縁者のため、気の毒な人のため。

100201(月)6時目覚め。咳は少なくなったが風邪気味。あー弱い体よ●昨日集会で話した「塚本先生からの宿題」を拙ホームページの「使徒伝承」にアップロード。一回一回が「これで最後でもよい」つもりで話す。

http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/denshou/tuka.htm

●「WEB黒埼」の協力をしていての最大の益は終末に目が開いたことである。私が「終末を期待する喜び」は次の通り。一般論ではない、個人的なことである。

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①難病を抱えている人はその時癒される。・・・・あの人は精神の病でこの世ではどうしても直らないでいるが直る。来世に精神病なし。

②過去の罪の重荷が下りる。罪が赦される。。・・・・あの人は過去があってこの世では冷たくされたが来世ではそうではない。イエスの血で過去が清算される。

③自分も、子供の家庭も破壊してしまって、人生めちゃくちゃになってしまったあの人。・・・・・来世では個別の家庭なし。神を父とする兄弟姉妹の家庭だ。

④すべての人に神がわかる・・・・この世では事情により「福音を信じられなかった」が来世では神がわからせて下さる。私につまずいてキリスト教が嫌いになったあの人、私がいたらなくて救いに至らなかったあの人。みんな神の存在がわかる。そして私の「いたらなさ」が赦される。、    

⑤私をいじめた人が神に打たれる・・・あらぬ疑いをかけて私を非難したあの人、サタンのそそのかしで私を殺そうと思っているあの人、私を邪魔者と思って除名追放しようと思っているあの人、しきりに「有体的復活」「空の墓」を言った私を茶化したあの正統信仰の敵、これらの人は神の判定を受けてにパッシングされ、報復される。その時神に向かって悔いたら、私はその人と握手する。もちろん私が神に裁かれるかもわからない。神の法廷で裁かれるとき、私はそれに服する。

⑥完全な教会エクレシアが出現する・・・・この世では教会無教会問題、エクレシアの俗化で悩み続けるが終末の新天新地ではそれがない。

⑦地上では疎遠になってしまった人、親戚、親子、兄弟たちと神にあって和解できる。

⑧還暦を待たずして先に逝った親友であったあの二人に会える

⑨「照男さん。天国では痛みがなくなると言いますが行って見てきたのですか」と言って信仰なくして逝った母に会える。そのとき母に「テルチャン、やっぱりありましたね」と言われたい。

➉認知症でなにもわからなくなってしまったあの人、この人も、来世ではわかるようになる。

11)現在病気の私。来世では病気なし。

12)お子様に恵まれなかった素晴らしいクリスチャンの女性。「母」になってみ  たかったと嘆かれた。来世ではその嘆きはない。みんな天使のごとくになるという。(ルカ20:35-36 塚本訳)天使に子供なし。

塚本訳  ルカ 20:35-36
20:35 あの世にはいる資格を与えられて、死人の中から復活する者は、めとることもなく嫁ぐこともない。
20:36 復活によって生まれる彼らは、天使と同じであり、神の子であるので、もはや死ぬことが出来ない、(従って子を産む必要がない)からである。

13)来世に経済的悩みなし・・・この世では生活の悩みの連続。生活費、教育費、住宅ローン。来世ではお金の苦しみはない

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●上記の事柄。「行ってみてきたわけではないのだろう」。だから「嘘だ!!」「証明してみてくれ」「神がいるならなぜこんな苦しみに遭うのか。神に抗議したい」と言われても仕方がない。しかし嘘でもよい。馬鹿と言われてもよい。信じ抜くのだ。聖書やキリストに騙されても信じ込むのだ。来世なんて「なくてモトモト」。「ダメ元」かもしれない。でもなんと言われても信じ込むのだ。冷笑されてもよい。笑うものは笑え。私としては信じて喜んで生きぬくのだ。余命16年。短い。

●2月14日、今井館伝道聖書集会第二回「イエスの復活とはどういうことだったのか」の構想。信仰上の大切なことは皆西暦2000年の火災と脳内出血で受けた「啓示」によることがわかった。苦難は恩恵だ。

                   

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