to 日記と感想 2010年03月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171030(月)10:00 聖路加 桑本先生
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170824(木)12:10キララホールエントランスコンサート、マリンバ
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170813(日)10:30ナザレン教会浦和教会
    170813(日)14:00比企紀和君
    170812(土)14:00お江戸こらりあーず演奏会、文京シビックホール
    170809     TW誕生日
    170809(水)17:16初音吹奏楽、府中の森芸術劇場ドリームホール
    170808(火)0930池谷医院
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170708(土)14:00在宅医療説明会(キララホール)
    170707(金)10:00池谷医院
    170706      TM誕生日
    170702(日) 集会感話
    170701      TT誕生日
    170630(金)12:20キララホールエントランスコンサート
    170628      IY誕生日
    170627(火)11:00 能城牧師来訪
    170625)日)10:10トミ子集会感話
    170625(日)14:00茅ヶ崎金子邸
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール


主を恐れる者 ++++++++ 所感

2010/03/31 08:29

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

       http://stonepillow.dee.cc/

100331(水)3時15分目覚め●朝の啓示

口語訳 箴  1:7
1:7 主を恐れることは知識のはじめである、愚かな者は知恵と教訓を軽んじる。

●これすべてに通じる。主を恐れることは職業生活のはじめ、主を恐れることは結婚と家庭生活のはじめ、主を恐れることは交友関係の初め。主を恐れることは教会、エkゥレシアのはじめ。

●キリスト教独立学園の外壁には大きく「主を畏れるは学問のはじめ」と書いてある。学校を訪れるひとは真っ先にこれが目に入る。

●ではこの「主を恐れる」ということは人間にとってどうしたら会得できるのか。これは人間の教育ではできない。神に痛い目に合わせられて初めて可能である。その罰は結局「神の愛」の同期による。

●この言葉を深く知るには「聖書で聖書を読む」方法が一番良い。

[恐れる]

Job 28:28

28そして人に言われた、/『見よ、主を恐れることは知恵である、/悪を離れることは悟りである』と」。

Psalms 111:10

 10主を恐れることは知恵のはじめである。これを行う者はみな良き悟りを得る。主の誉は、とこしえに、うせることはない。

Psalms 112:1

 1主をほめたたえよ。主をおそれて、そのもろもろの戒めを/大いに喜ぶ人はさいわいである。

Proverbs 9:10

 10主を恐れることは知恵のもとである、聖なる者を知ることは、悟りである。

Ecclesiastes 12:13

 13事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である。

[知識のはじめ]

Proverbs 1:22

22「思慮のない者たちよ、あなたがたは、いつまで/思慮のないことを好むのか。あざける者は、いつまで、あざけり楽しみ、愚かな者は、いつまで、知識を憎むのか。

Proverbs 1:29-30

 29彼らは知識を憎み、主を恐れることを選ばず、  30わたしの勧めに従わず、すべての戒めを軽んじたゆえ、

Proverbs 5:12-13

 12言うであろう、「わたしは教訓をいとい、心に戒めを軽んじ、  13教師の声に聞き従わず、わたしを教える者に耳を傾けず、

Proverbs 15:5

 5愚かな者は父の教訓を軽んじる、戒めを守る者は賢い者である。

Proverbs 18:2

 2愚かな者は悟ることを喜ばず、ただ自分の意見を言い表わすことを喜ぶ。

John 3:18-21

 18彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである。  19そのさばきというのは、光がこの世にきたのに、人々はそのおこないが悪いために、光よりもやみの方を愛したことである。  20悪を行っている者はみな光を憎む。そして、そのおこないが明るみに出されるのを恐れて、光にこようとはしない。  21しかし、真理を行っている者は光に来る。その人のおこないの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである。

Romans 1:28

 28そして、彼らは神を認めることを正しいとしなかったので、神は彼らを正しからぬ思いにわたし、なすべからざる事をなすに任せられた。

●八王子方面の山の上で工事用のタワーが建っているので何の工事かを見るためにサイクリングに出かける。握り飯を一個作る。

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七曲峠から「あきる野市」を眺める。29歳の時にこの地に住みついたので、後半人生の「故郷」だ。子供4人もここで育った。妻は遠い福島の地からよくぞここにまで来てくれた。感謝.。向こうの山に「秋川霊園」がある。私は復活の朝までそこに眠る。

賛美歌310番3節「やまのたかねより ふるさとながめて のぼりゆくひまで」が急に浮かんできた。

賛美歌310番 

1. しずけき いのり の とき は いと たのし.
   なやみ ある よ より われ を よび いだし,
   ちち の おおまえ に すべて の もとめ を
   たずさえ いたりて つぶさ に つげしむ.
 
2. しずけき いのり の とき は いと たのし.
   さまよい いでたる わが たま を すくい,
   あやうき みち より ともない かえりて,
   こころむる もの の わな を のがれしむ.
 
3. しずけき いのり の とき は いと たのし.
   そびゆる ぴすが の やま の たかね より
   ふるさと ながめて のぼりゆく ひ まで,
   なぐさめ を あたえ, よろこび を みたす.
●メロディーは次をクリック
 

 

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七曲峠の上にある「中央霊園」には武者小路実篤の墓がある。彼は「白樺派」を生み出したが

そこに属する文学者たちの多くは内村鑑三を離れた。神の思いはどこにあるのだろう。所詮人間は人間には躓くものだ。しかし人間には躓いても神に躓いてはいけないなー。

 

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武者小路実篤が「天恩」というとき、何を思っていたのだろう。霊園内にキリスト者の墓を探したが見つからなかった。お寺の経営する墓地だからか。聖書では終末の日にすべての人が墓から呼び出されるという。そのことを思った。

 

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しばらく行くと、カトリックの女子修道院があった。なぜか落ち着く。隣に介護付き有料老人ホーム「登芙喜心成苑」があったので見せてもらった。私の死後の妻(家系からして認知症になる恐れが多分にある)の住環境研究のためである。しかしここも「死を待つ館」の感じがした。妻にはこういうところに入ってもらいたくない。それにかなりの費用がかかる。案内者の人の話では、「こういうところに入れるのは経済的に恵まれたほんの一握りの人です。自分などは親を入れられません」と正直なお話をしてくださった。しかし国の方針が「在宅介護」の方向に向かっているという話を聴けて燭光を感じた。

 

resize1323.jpg 

向かい側にSEGASAMMYGROUP の野球場があった。そのクラブハウスのデザインが素晴らしかった。誰の設計だろう。

●ここからしばらく行くと目的の工事現場があった。「トッパンフォーム八王子滝山工場」7階建て、延べ面積42,975㎡安藤建設の設計施工。2010.9.30日竣工。

●16:00 郷里の福島にいる妻から電話。昨日は恵一家と5人で山にドライブに行ったという。恵はこういうことはめったにないからと言って仕事を休んでくれたという。。「よかった」「よかった」。感謝、感謝。妻には長生きしてもらいたいものだ。

 

 

 

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高貴なる思想を生む環境 ++++++++ 所感

2010/03/30 09:01

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100330(火)冬に戻ったような寒さ。5時半起床。朝はよい黙示がある。●TSK日本語版●米国西海岸に滞在中のYT氏のブログにより素晴らしい景色を味わうことができる。

http://blogs.yahoo.co.jp/trntim/folder/584389.html

●その感想を次のようにメールした。

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YT様
 
3.29ブログ、 広大な敷地と住環境を見せて頂けて感謝。日本に居ながらにして思想が改造されます。
「高貴な思想は大自然と接する生活に生まれる」というのが私の持論です。ヂュナン、ペスタロッチ、ヒルティ、バルト、ブルンナーは皆スイス人です。
建築士としては「住環境や自然環境が人に与える影響」ということを考えます。
「都会」は狭すぎます。また病室も狭すぎます。各個の病室それ自身は狭くてもよいのですが、そこから見える景色がよくありません。介護老人ホームも同じです。現在の介護老人ホームは「死を待つ館」です。肉に対する看護や便利さは充実しつつありますが、精神性への配慮はイマイチと思います。これからの我が国の課題と解します。
3.28ブログ、大自然の中の木造の教会、素晴らしいと思いました。
高橋
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●ではその「精神的環境」とは何だろう。介護老人ホームでは各種レクレーションがあるが、あれでは満足しない。●シカゴ在住のY夫人が来日されたとき、塚本虎二先生をお訪ねになられ、「先生、無教会主義では淋しくありませんか」と問うた。すると先生は急に居ずまいを正され「神様がご一緒ならば淋しいことはありません」とおっしゃられたという。そのY夫人、シカゴに戻られたが、もう召されたに違いない。塚本先生は若くして御夫人に先立たれたのだ。話に重みがある。 ●この塚本先生の言葉は私への言葉でもある。●人は一人で生まれて一人で死んで行くのだ。●田川建三著「キリスト教思想への招待」の第4章「追われない終末論」を読む。戦中に青年時代を迎えた人聖書の読み方ヒューマニズム的視点になりがちである。しかし神は人を殺す。だから畏れるべきお方なのだ。●次回4月4日の集会感話の最後を次のようにまとめた。
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●ただし十字架抜きの安易な万人救済論にあぐらをかいているのではいけない。それは人間的な勝手な願望で異教的な考えである。十字架の意味がなくなる。不信者は一度は神の愛のゆえに地獄の業火という罰に苦しまなければならない。
塚本訳マタ 10:28
10:28 体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ
 
 
家族の救いは信者の切なる祈り、悲願。神の判決は周囲の熱い祈りで覆る。 
レクイエム(鎮魂曲)を歌う意味。
塚本訳 ルカ 16:27-28
16:27 金持が言った、『父よ、それではお願いですから、ラザロをわたしの父の家にやってください。
16:28 わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。』
 
塚本訳ルカ 18:1-5
18:1 なお、気を落さずに常に祈るべきことについて、一つの譬をひいて弟子たちに話された、(中略)
18:5 この寡婦(やもめ)はどうもうるさくて、やりきれないから、(裁判をして、)この女のために仕返しをしてやろう。そうしないと最後にはやって来て、わたしをどんなひどい目にあわせるか知れない。』」
 
塚本訳 ヤコ 5:15
5:15 信仰(による真)の祈りは病人を癒し、主は彼を立たせ給うであろう。そしてもし罪を犯して居るならば、赦されるであろう
 
 
神の力を信じ畏れて、わが身も又復活の可能性があるとの希望を持って逝く
 『ゆけ、汝の信ずるごとく汝になれ』
 
塚本訳 ルカ 23:42-43
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる。」
 
塚本訳 テト 2:13
2:13 幸福な希望と、大なる神及びわれらの救い主キリスト・イエスの栄光の顕現(あらわれによってその希望が満たされること)とを待ち望ませるのである。
 
塚本訳 ロマ 8:24
8:24 なぜなら、わたし達は(最後の日に救いが完成されるという)望みをもって、救われているからである。目に見ることのできる望みは望みではない。人はいま現に見ているものを、なんでその上望む必要があろうか。
 
塚本訳 Ⅰペテ1:8
1:8 君達は彼を(目のあたり)見たことはないが、(これを)愛し、今も見ることは出来ないが、(これを)信じて、(既にかの日の)輝きに満ちた、言語に絶する喜悦を喜んでいる。
 
文語訳  マタ 8:13
8:13 イエス百卒長に『ゆけ、汝の信ずるごとく汝になれ』と言ひ給へば、このとき僕いえたり。
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人それぞれという真理 ++++++++ 所感

2010/03/29 08:10

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100329(月)5時半起床。●米国に滞在中のYT氏へのメールの一部。

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信仰も、お国柄というものがあると思いました。
昨日の内村鑑三記念キリスト教講演会の懇談会での私の発言の要旨。
「新井明先生は今は無教会は『連帯の時代』と言われますが、実態は信仰の内容が『分散の時代』です。『無教会史4』(新教出版社)は故中澤先生の言われたように『分散の時代』でよかった。新井先生の主張される『連帯の時代』はそのあとに来るべきものであると思います』。私は今思います。信仰は「人それぞれ」「向き向き」「一人一教会(塚本)」と。
 
新教出版社の無教会史は次の通りです。
第1巻 生成の時代
第2巻 継承の時代
第3巻 結集の時代・・・戦後から矢内原の死まで
第4巻 連帯の時代・・・中澤先生が「分散の時代」と命名したが、先生の死後、主として新井明先生が「連帯の時代」と主張されて改名。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●9:00 妻が福島へ出発。恵宅(29-30日)と母の見舞いでいわき(31-1日)へ。故郷に向かう妻は何時もうれしそうである。しかし母は認知症。行ってもはっきりわからない。これほど淋しく悲しいことはないだろう。人間は長生きしすぎるのかなー。しかし今度は孫に会えるという時代になった。●18:00 妻に、「着いたらすぐ電話をせよ」と言っておいたのに来ないので苦言を呈した。「孫と遊んでいて電話するのを忘れました」という。バスが事故ではないのかと心配していたのだ。
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神にできないことはない ++++++++ 所感

2010/03/28 07:55

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100328(日)6時起床●朝の啓示「迫害する者のために祈れ」「信仰に深くなれば迫害される」「暴力を振るうものであった」「神にはできないことはない」●TSK日本語版、BIBLEDESKTOPを利用●

朝の黙想

文語訳 マタ 5:44
5:44 されど我は汝らに告ぐ、汝らの仇を愛し、汝らを責むる者のために祈れ。

●これができないんだ。あいつ罰が当たって悔い改めれば良いがなーと思う。

新共同 Ⅱテモ3:12
3:12 キリスト・イエスに結ばれて信心深く生きようとする人は皆、迫害を受けます

●集会の長老(故人)が妻に言ったことがある。「信仰が深まれば深まるほど家庭の中に信仰を嫌う人が出てくる」。その長老のご令息の一人は熱心な共産党になった。無教会の伝道者の夫人は御主人に嫌がらせのために食卓に数珠を持ってきたという。アー、こういうことは信者の宿命なのか。つらいなー。●しかし、思うに信仰が原因で迫害されるのではなく、人間的欠陥があるから迫害されるのだ。●人は信者である前に、「良い人」出なければならないのだと自戒する。

新共同 Ⅰテモ1:13
1:13 以前、わたしは神を冒涜する者、迫害する者、暴力を振るう者でした。しかし、信じていないとき知らずに行ったことなので、憐れみを受けました。

●神は見ている。神にはできないことはない。誰でも救われる。

●集会は高木、丹野、横田 ●14:00 内村鑑三記念キリスト教講演会、今井館

司会坂内宗男、内坂晃、新井明 

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内村鑑三記念キリスト教講演会。新井明先生と。於今井館

●帰途は小島拓人さんと都立大学の駅まで。

 


 

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小寺利男さん来訪 ++++++++ 所感

2010/03/27 14:18

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100327(土)、明け方の黙想で、次回感話の内容変更。今回は今までで最高に難航している。聖書学者でも意見が分かれることであるから難しい。現在のところ次のような骨子になったがまた変更があるのは必至

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人生の終わりと復活の希望                

 ―「死ぬ」とはどういうことなのか―
                   東京聖書読者会 2010.4.4 高橋照男


①「死ぬ」とはどういうことなのか                                     ②全被造物の嘆き悲しみは死。その恐怖の本質。思い通りにならない人生                                        ③聖書では死は眠り。そしてキリストの再臨により復活の喜びがあるという 
④復活の三段階。人生の終わりと世の終わり
⑤家族の救いは信者の切なる祈り、悲願である。神の判決は祈りで覆る
⑥わが身も復活できるという「幸福な希望」。信者はこの喜びのみを弁明せよ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・10:30小寺利男さんが来訪。ご自身がおつくりになられた福島の孫たちへの模型飛行機のDVD(恵が撮影)を観に来られた。(孫達が)こんなに喜んでくださって大変うれしいと漏らされた。●小寺さんは、高橋家4代(父、私達、子供達、孫達)の長きに渡り信仰の交わりを頂いている恩人。主にある不思議な御縁。子供達はみんな小寺さんを「先生」と呼んでいる。感謝。

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小寺利男さんが来訪。高橋家4代にわたり主にある交わりを頂き感謝。妻が撮影。

●17:00 妻は合唱団「もくせい」のレッスンに出発。ラインベルガーのレクイエム(これはすばらしい)とブラームスの「ジプシーの歌」。●泉治典著「ヨハネの黙示録を読む」(新教出版社)のあとがきを読む。ゆくゆくは集会で「黙示録」を講読してみたいが、それにはなまじの勉強ではいけないと打撃を受けた。●「黙示録」を講読するなら、イザヤ書、エゼキエル書、ダニエル書、ゼカリヤ書の精読が必要らしい。無教会の素人読みにあぐらをかいて下手な(間違った)聖書講読をすることはいけないことである。●しかし「黙示録」がいかに難解であっても「聖書で聖書を読む」素人の我流でこれに挑戦しなければならない。

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Bible Desktop ++++++++ 所感

2010/03/26 08:18

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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100326(金)5時半起床●TSK日本語版。昨夜福島の息子の遠隔指導で教えられたフリーソフトBible Desktopの導入でスピードがアップ。新約は3年、70歳までに完成しそうである。その後健康が許せば数年かけて、75歳までには全巻完成できそうである。日本初になる見込み。世のため人のため、自分の老化防止のためである。●米国西海岸に旅行中のYT氏のブログ。出発する時にご令息から贈られたという腕時計が掲載されていた。次の聖書を思い出した。

塚本訳 マコ 9:41
9:41 キリストの弟子だからとてあなた達に一杯の水を飲ませる者は、アーメン、わたしは言う、(天にて)その褒美にもれることはない。

●「最後の審判」では一体だれが救われるのかは分からない。直感的に感じることは生きているうちに「主よ主よ」と言っていた者たちは意外に地獄の永遠の火の池に放り込まれることは確実。具体的にはバチカンに鎮座する聖職者、プロテスタント各教派の教師や首脳たち。伝道者たち。その聖書的根拠は次の通り。

塚本訳 マタ 7:21-23
7:21 わたしに『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るのではない。わたしの天の父上の御心を行う者(だけ)が入るのである。
7:22 (最後の裁きの)かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、(入れてください。)『わたし達はあなたの名で伝道し、』あなたの名で悪鬼を追い出し、あなたの名で奇蹟を沢山行ったではありませんか』と言うであろう。
7:23 その時わたしは、はっきり彼らに言おう、『かってお前たちを弟子にした覚えはない。『この不届者、わたしを離れよ!』』と。


塚本訳  マタ 25:40-41
25:40 すると王は答える、『アーメン、わたしは言う、わたしのいと小さいこの兄弟たちの一人にしたのは、わたしにしてくれたのと同じである。』
25:41 それから王は左側の者に言う、『わたしを離れよ、この罰当りども、悪魔とその使いのために用意された永遠の火に入れ。


塚本訳  マタ 21:31
21:31 この二人のうち、どちらが父の心を行ったのだろうか。」「もちろん長男」と彼らが答える。イエスが言われる、「アーメン、わたしは言う、税金取りや遊女たちは、あなた達よりも先に神の国に入るであろう。

●NHKBS8:15「迷宮美術館」は「美とは何か」。人間があるものを美しいと感じるときの脳の働きは、「おいしいものを食べている時」の脳の活動分野と同じ。それは生きる喜びに通じるという示唆に富む結論。●そういえば私も「信仰の喜び」を感じる脳の部位は「食欲脳」や「音楽脳」と同じではないかとウスウス感じていたが、それが裏付けられた●幸福を感じるのは精神的なもの。それが満たされなければ他に満足があっても人間なお「空しい」。「年若き人」に告ぐ。今求めているものをトコトン追求してみよ。それが満足ならば、それでよし。もしなお「空しい」と感じたら、それからやりなおしても遅くはない。造り主なる神の命に目を向けよ。しかしこれはできれば若いうちの方がよい。

口語訳 伝  12:1
12:1 あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、

●だから人生はなるべく若いうちに不幸に遭って、「人生が思いどおりにならない」事を悟った方がよい。聖書には次のようにある。

口語訳 哀  3:27-29
3:27 人が若い時にくびきを負うことは、良いことである。
3:28 主がこれを負わせられるとき、ひとりすわって黙しているがよい。
3:29 口をちりにつけよ、あるいはなお望みがあるであろう。

●ところが現代の教育は親も教師もかわいい我が子を不幸や苦しみに遭わせないようにレールを敷こうとしている。しかしそのレールは真の幸福に至らない方向に向いている。禍なるかな、神なき学校教育と家庭教育。それは目的を達しない。真の幸福を得ることができない。●郵便局、ATM、コンビニ、市役所。お金は社会の血液。多くても禍だが、足りなくても困る。しかし信仰生活で幸いなのは「綱渡り生活」。●市役所の高齢者福祉課田中さんの所で聞く。●TSK日本語版

 

 

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汝の信ずるごとく汝になれ ++++++++ 所感

2010/03/25 09:53

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

       http://stonepillow.dee.cc/

100325(木)5時半起床●TSK日本語化●信仰の原理とは不思議なものであって、生まれつきの悟性では理解できないものである。その代表的なものは次である。

文語訳  マタ 8:13
8:13 イエス百卒長に『ゆけ、汝の信ずるごとく汝になれ』と言ひ給へば、このとき僕いえたり。
●信者という信者は全て「身内が救われるのかどうか」「不信者の運命はどうなるのか」が気になる。これに対しての神学的な答えは大脳皮質に訴えて「救われる」とか「救われない」とか割り切ってしまう。これに対してイエスはどういうか。「汝の信ずるごとく汝になれ」である。この答えでは大脳皮質は納得できない。人間は徴を求めたり知恵を求める。だから「イエスかノーかはっきり言ってくれ」と神に迫る。●ところが信仰の原理はあくまで「汝の信ずるごとく汝になれ」である。しかしこれでは理性が納得しない。しかしこれが信仰の世界の真理である。この真理は「この世の常識」では分からない。ところがこれが他のイエスの言葉を理解するマスターキー(どんなドアーでも開けられる一本のキー)でもある。●このキーさえ握れば人生万般の悩みは切り抜けられる。例えば「不信者の私の家族は救われますか」という難問に対しては、聖書は分からないとは言わない。次の言葉が答えである。
塚本訳  ヤコ 5:15
5:15 信仰(による真)の祈りは病人を癒し、主は彼を立たせ給うであろう。そしてもし罪を犯して居るならば、赦されるであろう。
●「必死のブログ」。私のブログは迫害される。●私のブログは「必死の叫び」である。無駄なことはしていない。遊んではいない。「耳のある人は聞け」●私のブログへのアクセス数は間もなく累計10万回。ブログに功罪はあるが、「功」の方が大きいのでやめるわけにはゆかない。●その「功」については言わない。あの人のために血を流そう。血を流すことなくして「救い」はない。●私は愛のない人間で「ダメ信者である」。だから躓かれるのは当然である。しかし私に躓いても神には躓かないでくれ。神は恐ろしいお方なのだ。痛い目にあわされる。
塚本訳  ヘブ 12:4
12:4 あなた達はまだ、罪と戦って血を流すまでに抵抗したことがない。
●「救われない人」はどんなにひどい「苦しみや不幸」に遭っても救われない。神の特別の恩恵を祝福の奇蹟が起こらなければ救われない。
●信者はその真面目なストイックな生活それ自身が「この世的人間」を裁いている。だからこの世的人間の逆ギレによって迫害される。
塚本訳  Ⅱテモ3:12
3:12 (私だけでなく、)キリスト・イエスにあって敬虔に生きようとする者は皆迫害される。
●迫害されない信者はこの世と妥協している証拠である。どこか信仰がボケている。この世と信仰の世界をうまく調整融合しようとすると「虻蜂取らず」、「二兎追うものは一兎を得ず」となる。上記聖句に関連する聖句は次の通り。


塚本訳  2 使  7:52
7:52 先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもあったというのか。先祖は正しい人(イエス)の来ることを予告した人たちを殺し、今(その正しい人が来ると、)あなた達は彼を裏切り、殺す者となった。

塚本訳 ロマ 12:14
12:14 (あなた達を)迫害する者に(神の)祝福を求め、祝福して呪うな。
●今日、キリスト信者を判定するには「有体的復活」と「健全なる再臨信仰」というリトマス試験紙を舐めさせてみればよい。塚本先生は次のように言われる。
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聖書知識231号 昭和24年(1949)7月 P6-8
イエス伝研究232講 有体的復活 ルカ伝24章36-43節 
 
体的復活を信じ得なければクリスチャンならずということは出来ない。しかし単なる霊的の復活は聖書の説かないところであり、また実際問題としてかかる信仰は極めて力に乏しい。今日一般にキリスト教に力がないのは、初代教会に於けるような体的復活体的再臨の信仰がぼけて来たからである。私達は初代教会の信仰を嘲るまえに、科学の進歩を誇る現代クリスチャンの信仰の何とラオデキヤ的であるかを省る必要があろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●スゴイ信者は家庭や教会から追放されたり裁判所につき出されたりする。しかしそれはその人の信仰が本物である証拠。迫害は想定内のことである。驚いてはいけない。
塚本訳 マコ 13:12
13:12 また兄弟は兄弟を、父は子を、殺すために(裁判所に)引き渡し、『子は親にさからい立って』これを殺すであろう。
塚本訳 マタ 5:10-12
5:10 ああ幸いだ、信仰のために迫害される人たち、天の国はその人たちのものとなるのだから。
5:11 わたしゆえに罵られたり、迫害されたり、あらん限りの根も葉もない悪口を言われたりする時、あなた達は幸いである。
5:12 小躍りして喜びなさい、褒美がどっさり天であなた達を待っているのだから。あなた達より前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。

塚本訳ルカ 21:12
21:12 しかしすべてこれらのことがある前に、人々はあなた達に手をかけて迫害する。すなわち礼拝堂や牢屋に引き渡し、またわたしゆえに、王や総督の前に引き出すであろう
●12:00 妻と公民館に行って「ふれあいコンサート」を観賞。ピアノ(橋京子)とマリンバ(信條路子)の組み合わせでの「春の海」(宮城道雄)が良かった。これ日本人の心だ。音源は次をクリック。
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あきる野公民館の「おおかん桜」(あきる野市保存樹) 妻を写す。
あいにくの雨であったが、見事であった。
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あきる野市公民館のふれあいホールでコンサート。
ピアノ(橋京子)+マリンバ(新絛路子)の「春の海」(宮城道雄)がよかった。
音源は前述。
●19:30-21:00 TSKの日本語化で福島の恵からBible Desktopというフリーソフトを教えてもらいその導入を指導してもらってインストール成功。これで日本語化も急速に早くなる。感謝。新約が8年はかかりそうなのが半分の年月でできそうである。旧約も含めて7-8年で完成できそうである。

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老年信者の生きがい ++++++++ 所感

2010/03/24 09:50

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100324(水) 午前3時45分。電話で起こされたが間違いのいたずら電話。福島に病気入院中の母がいるので驚いた。●おかげでそのまま起床して2時間ほど勉強ができた●TSK日本語化。次回感話の準備。「人生の終わりと世の終わり・・・死ぬとはどういうことなのか」。自分史追加修正●公園でラジオ体操●聖書に「幸い」という言葉があるが、日本人に馴染みのある「幸福」という言葉があるのを知ってびっくりしている。塚本訳新約聖書の「幸福」は次の通り。20個所。幸福と訳される言葉の原語はギリシャ語でマカリオイ。

ロマ   4: 6 [塚本訳

同じようにダビデ(王)も、行いに関係なく、(ただ信仰のゆえに)神が義と見なされる人の幸福を讃美して、こう言っている。

ロマ   4: 9 [塚本訳

それではこの幸福の讃美は、割礼のある者(だけ)についてか、それとも割礼のない者にも及ぶのか。わたし達は(くりかえして)言う、『アブラハムの信仰が義と見なされた』と。

ロマ   11: 12 [塚本訳

しかしもし、彼らの過ちが、(福音を外に溢れさせて異教人の)世界を富ませ、また彼らの失敗が異教人を富ませることになったとすれば、まして彼らが(一人のこらず信仰に入って神の御心を)満たす時(の幸福と喜びと)は、どんなであろう。

 

しかしもし、彼らの過ちが、(福音を外に溢れさせて異教人の)世界を富ませ、また彼らの失敗が異教人を富ませることになったとすれば、まして彼らが(一人のこらず信仰に入って神の御心を)満たす時(の幸福と喜びと)は、どんなであろう。

 

エペ   6: 3 [塚本訳

『さらば汝は幸福にして地上に長命ならん』」(と聖書にある。)

テト   2: 13 [塚本訳

幸福な希望と、大なる神及びわれらの救い主キリスト・イエスの栄光の顕現(によってその希望が満たされること)とを待ち望ませるのである。──

ヘブ   10: 1 [塚本訳

つまり(モーセ)律法には、(ただキリストがもたらす)来るべき幸福の影があるばかりで、その事の(まことの)姿それ自身がないのである。毎年たえず捧げる同じ(雄牛や雄山羊の)犠牲では、(神に)近づく者[祭司と一般の人](の罪)を(永久に清めて)完全にすることは、決して出来ないからである。

ヘブ   11: 40 [塚本訳

神がわたし達のために、(地上の幸福でなく、何か)これにまさる(偉大な)ことを計画されて(いて)、わたし達を抜きにしては、それは完成されないからである。

ヤコ   1: 12 [塚本訳

幸福なるかな』、試練に『耐える』人、(これに)及第すると、主を愛する者に約束された生命の冠が戴けるのだから。

ヤコ   1: 25 [塚本訳

しかし完全な自由の律法に見入って離れない者は、忘れっぽい聴聞者でなく(善き)業の実行者となるのであって、その人は(それを)実行すれば幸福であろう。

ヤコ   5: 11 [塚本訳

見よ、』私達は待ち堪えた者の幸福を讃える』。君達はヨブの(大なる)忍耐(の物語)を聞いた、また主の(来らせ給うたそのめでたい終局を見た、『主は憐れみに富み、また慈悲深くあり給う』ではないか。

Ⅰペテ  4: 14 [塚本訳

もし君達がキリストの名において罵られるならば幸福である、(それは、その時)栄光の霊と『神の霊が』君達の上に『留まっている』(証拠である)から。

黙    1: 3 [塚本訳

幸福なる哉、この預言の言を朗読する人、及び(それを)聞いて、その中に書かれてある(一切の)ことを守る人々!(この言の成就する)時が(はや既に)近いからである。

黙    1: 9 [塚本訳

君達の兄弟であり、(主にある)患難と、(来るべき)王国(における幸福)と、(また)イエス(来臨)の待望とを共にする(この)私ヨハネは、神の言とイエスの証明と(を伝えたこと)のために、パトモスという島に(流されて)いた。

黙    14: 13 [塚本訳

また私は天から声が(こう)言うのを聞いた、「書け、『今から後主にあって死ぬる死人は幸福である。』」御霊も言い給う、「然り、彼らはその労苦を休息む(ことが出来る)であろう。その(為した)業が彼らに随いて行くのであるから!」と。

黙    16: 15 [塚本訳

(主言い給う、)視よ、我は盗人のように来る。幸福なる哉、(絶えず)目を覚まして自分の着物を守っている者!彼は(その時)裸で歩かず、またその恥所を見られない(で済む)からである。──

黙    19: 9 [塚本訳

するとかの天使が私に言う、「書け『幸福なる哉、仔羊の婚宴に招かれた者!』と。」また私に言う、「これらの(異象における凡ての)言は神の真実の言である。」

黙    20: 6 [塚本訳

幸福なる哉、聖なる哉、第一の復活に与(り得)る者! この人達に対しては第二の死も権威が無く、彼らは神とキリストとの祭司となって、千年の間彼と共に王となるであろう。

黙    21: 7 [塚本訳

勝利者はこの幸福を相続し、我は彼の神となり、彼はわが子となるであろう。

黙    22: 7 [塚本訳

(イエスが言い給うた、)「そして視よ、私は直に来る。幸福なる哉、この書の預言の言を守る者!」

黙    22: 14 [塚本訳

幸福なる哉、生命の樹に行き(その実を食い)、また(聖なる)都の門を入る権を得るために、その上衣を洗う者!

●この中で最も鼓舞されるのはテトス2:13の「幸福な希望」という言葉である。これは単なる希望ではなく確実な喜びが伴う希望なのである。

塚本訳 テト 2:13
2:13 幸福な希望と、大なる神及びわれらの救い主キリスト・イエスの栄光の顕現(によってその希望が満たされること)とを待ち望ませるのである。──

塚本訳 Ⅰペテ1:8
1:8 君達は彼を(目のあたり)見たことはないが、(これを)愛し、今も見ることは出来ないが、(これを)信じて、(既にかの日の)輝きに満ちた、言語に絶する喜悦を喜んでいる。

●信者の老年の役割はこの喜びを弁明することである。定年老人の目標は遊びではない。それは空しくて心を満たさない。だから「福音の弁明」のみに身を挺すべきである。これが信者の老年の生きがいである。復活の証人の一人に成るべきである。世々連綿と続いて来た「復活の証人」と同質となるべきことが生き甲斐であり、喜びである。かって「ベルリン歌劇場合唱団」を聴いた時、この団員になれれば人生本望だと思ったこともあったが、今は違う。「世々続いてきた復活の証人」になることの方が喜びが大きい、意義も大きい。聖書的根拠は次である。

塚本訳 Ⅰペテ3:15
3:15 ただ心に『主』キリスト『を(畏れこれを)聖とせよ』。君達にある希望について説明を求むる者には誰にでも、何時でも弁明の用意をして居れ。

 ●「望むことによって」得られる喜びを思う時、バッハ・カンタータ147番を連想する。過去のブログから下記をコピーする。

 [バッハ・カンタータ147番第一部第6曲「心と口と生きざまもて」から「主よ人の望みの喜びよ」]の音源のいいのがあった。全曲聴ける。これはアンサンブルバッハのライブ録音。下記をクリックしてしばらくする(12秒後)と聞こえる。

http://www.ebach.gr.jp/data/BWV147_6.mp3

●カリフォルニアに旅行中のYT氏のブログを拝見。1973年に父と旅行してカリフォルニアの空の色に感動した事を思い出した。●米国に届くかどうかわからないが、感想のメールを送った。おそらく日本語では無理か福島の三男からDVDが送られてきたので観賞。KTさんから送られた手作りの精巧な模型飛行機で遊ぶ孫(見時、風人)の 姿。音声が入っているのが素晴らしい。私が子供達を8ミリやビデオで撮影した時は「無声」であった。格段の技術の進歩。●「高橋照男略歴 2007.年3月7日まで」を「使徒伝承」にアップした。今まで読みにくかったものを読みやすくした。

http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/denshou/ry1003.htm

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「幸福になるには」 ++++++++ 所感

2010/03/23 08:01

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100323(火)5時45分起床●TSK日本語化●公園でラジオ体操●朝の瞑想「幸福になるには」。身にも心にも痛みと苦しみのないこと。満足があること。喜びがあること。●これがすべて満たされるのは神と共なる人生を歩めばよい。しかしその幸福は「この世的」なものではない。●抽象的ではなく具体的なことを言えば、「お金に満ち足りることを得たければ神を信じればよい。神を信じて真面目な生活をすれば赤貧にはならない。世界で一番金持ちは清貧をモットーとするフランシスコ会と言われている。一流企業と目されているトヨタ、JAL、各種銀行などは一夜にして赤字企業になる。金儲けを目標としているからそうなる。国家同じ。国の借金は今後400年たっても返せない。神を第一として発足したアメリカは世界一の金持ちとなった。しかし神を忘れて転落し始めている」「頭がよくなりたければ神を信じればよい。真面目な生活は勉強欲がわく。人助けのために勉強をしたくなる」「美人になりたければ神を信じればよい。気持が優しくなり、目がきれいになる。化粧をしなくても高い着物を着なくてもよい」「シアワセな結婚をしたければ神を信じればよい。東大、大蔵省の人間、イケメンに魅力を感じなくなる」「子供をよく育てたければ家をあげてが神を信じなければならない。子供の非行の原因は夫婦の不仲。子供の心が落ち着かないから外に遊びを求める。若者の婚期が遅れている原因は不仲の両親を見ていて結婚生活に魅力を感じないから」「出世しようと思えば神を信じればよい。部下を思いやる気持が湧くから。企業内では部下に慕われる人が出世する」「健康を保ちたければ神を信じればよい。心がむしゃくしゃしているときでも酒やたばこに手を出さずに済む」「家庭が平和であるようにするには神を信じればよい。そ秘訣は、妻よりも神、夫より神、子供より神を愛すること。つまり家庭よりも神第一が家庭の平和。逆説的だが真理」「教会の人数を増やすこと教勢を伸ばしたければ、神を第一にして一旦教会を捨てなければならない。」「無教会主義集会は、一旦内村鑑三を捨てなければならない。塚本黒崎を忘れなければならない。それが集会が永続する道である。今や無教会主義は人間内村の伝承、人間塚本黒崎の伝承に堕落した。この三名は指差している復活の使徒伝承を見失った」「仕事に成功したければ神を信じて、神を味方につけなければならない。それには健全な職業の神学を身につけなければならない。それを知らない、学校出たての神学生がいくら講壇から演説しても汗を流している労働者には通じない」「幸福な老年を迎えたければ神を信じて来世を望み見ることが必要。希望が幸福の源」「永遠の命を得たければ十字架の罪の赦しを頂いて最後の審判を免れなければならない」

●9:50 あきる野市切欠にあるカタクリの群生を見に行く。

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カタクリの群生

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左から高橋照男、橋トミ子、山本さん

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カタクリはバレーを踊っているような姿だ。

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カタクリの色は日本人好みだ。

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過日の暴風の影響か多くの木が倒れていた。人生も誰にも知られずに倒れて逝くのだろうか。それが生きるものの宿命か

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帰途、普門寺のしだれ桜を見る。日本の景色だ。

●三人で新築なった介護老人ホームを見学(応援家族あきる野)。老後の過ごし方を話しながら帰ってきた。今日の歩数は15000歩。●新築なった「ゆき皮膚科」。背中にできたおできを治療。建物の色彩がピンクなので非常によくないと院長と夫人に進言。●山川歯科。歯ぐきの肉が落ちてきていると指摘された

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人が救われゆくプロセス ++++++++ 所感

2010/03/22 08:00

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100322(月)5時半目覚め。●TSK日本語化●朝の啓示「求めよさらば与えられん」に関するもの数か所。後述●YT氏は本日午後米国西海岸に2週間ほど旅行。旅の無事を祈る。人生は長い旅。旅行中に神の祝福が豊かにあるように祈る。特に神の啓示がありますように。モーセは山に登って啓示を受けた。キリストは荒野に導かれて神と対坐して試練を受けた。真剣勝負であった。コレという大仕事をするような人は一旦世を離れて神と向き合う。●「求めよさらば与えられん」の瞑想。●世には救われる人と救いに無関心な人がいる。では人が救われるにはどうしたらよいのか。これに関する聖句が浮かんできたのでその感想を書く。 

塚本訳 マタ 7:7-11
7:7 (ほしいものはなんでも天の父上に)求めよ、きっと与えられる。さがせ、きっと見つかる。戸をたたけ、きっとあけていただける。
7:8 だれであろうと、求める者は受け、さがす者は見つけ、戸をたたく者はあけていただけるのだから。
7:9 あなた達のうちには、自分の子がパンを求めるのに、石をやる者がだれかあるだろうか。
7:10 また魚を求めるのに、蛇をやる者があるだろうか。
7:11 してみると、あなた達は悪い人間でありながらも、自分の子に善い物をやることを知っている。ましてあなた達の天の父上が、求める者に善い物を下さらないことがあるだろうか。

●親は子が求めてくるもののすべてを与えない。善いものを求めて来た時にだけこれを与える。また求めてこないのに無理に与えない。しかし善いものを求めて来た時にはなんとしてでもこれを与えたくなるものだ。善いものとは「この世的なるもの」ではない。時に与えないことが「愛」である。病気や不遇で与えられないこともある。それでいいのだ。それでいいのだ。「この世的なるもの」を与えてしまうと 堕落して救われないかもしれないのだ。「親の心子知らず」の涙の谷がある。

塚本訳  Ⅱコリ6:2
6:2 『恵みの時にわたしはあなたの願いを聞きとどけ、救いの日にわたしはあなたを助けた。』と神は仰せられるではないか。見よ、今や『大いなる恵みの時』、見よ今や『救いの日』!

●人が「救い」を求めるときは神はこれを確実に恵む。 なぜか。それは「善いもの」だからである。それは何時の時でもよい。「今」なのだ。生きているうちなのだ。否、死んでも、再臨と終末のときにもチャンスがあるのだ。

塚本訳 ピリ 2:13
2:13 (しかしもちろんこれは君達の力では出来ない。)何故なら、(救いに関わる)御旨を成し遂ぐるため、君達のうちに働いて、(救いの)願望を起こさせ、これを成就せしめ給う者は、神であるからである。

口語訳 ピリ 2:13
2:13 あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。

 ●人が救われゆくプロセスの最大公約数的なことは、本人が求め始めることである。求道することである。そうなればしめたもの。その人は放っておいても「救われゆく」。そのとき、親が悪くても、牧師がイマイチでも、それを乗り越えて「救い」をゲットする。●だから自分の周囲の人(親兄弟、妻、夫、子供)が救われない場合は「自分を責めるな」。神が働きかければ「自分の至らなさ」が原因ではないのだ。私に躓いてキリスト教を拒絶しているのは神によって麻酔の霊をかがされているのだと思おう。そのうち麻酔から覚めて救われる時が来る。 ●教会では教会を遠ざかっている教会員のことを「冬眠会員」と呼んでいる。●しかし人間は生まれつき「冬眠動物」である。「その時」神の声で目が覚める。「そのとき時代が動いた」という日が来る。それはこの世か、さもなくば「再臨終末の時」かに。「いつか分かる。いつか分かる。いつか目覚める。神います」

塚本訳  ロマ 11:7-8
11:7 それでは、どうだろうか。(結局)イスラエル人は(全体として)自分のほしがっているものを得ることはできず、(ただ小数の)選ばれた者がこれを得たのである。ほかの者は(みな)頑なにされてしまった。
11:8 『神は彼らに』『麻酔の霊を』『与えて、目を見えなくし、耳を聞こえなくされた、今日に至るまで。』と書いてあるとおりである

口語訳 雅 3:5
3:5 エルサレムの娘たちよ、わたしは、かもしかと野の雌じかをさして、あなたがたに誓い、お願いする、愛のおのずから起るときまでは、ことさらに呼び起すことも、さますこともしないように。

●だから冬眠人間を「人間的思い」で呼び覚ましてはいけないのだ。それは起こそうとする人間のエゴだ。もし無理に起こそうとすると次のようになる。

塚本訳 マタ 7:6
7:6 (とはいえ、正しい判断は出来ねばならない。神に供えた肉など)神聖な物を犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。豚はそれを足で踏みつけ、向き直ってあなた達を噛み裂くかも知れない。

●これは日本の故事である「犬に論語」「馬の耳に念仏」「馬耳東風」「猫に小判」と同じである。●日本語になっている 「豚に真珠」は上記マタイ7:6から出たもの。
塚本訳ロマ 8:26-30
8:26 しかし(創造物やわたし達神の子が苦しんでいると)同じように、御霊も、弱いわたし達を助けてくださる。すなわち、(神のみ心にかなうには)どう何を祈るべきかわからないので、御霊自身が、無言の呻きをもって(わたし達の祈りを神に)執り成してくださるのである。
8:27 しかし(人の)心を見抜くお方[神]は、御霊が何を求めているか、すなわち、御霊が神の御心にかなうように聖徒たちのために執り成しておられることを、(もちろん)御存じである。
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。
8:29 というのは、神は(世の始まる前に)あらかじめお選びになった人たちをば御子(キリスト)と同じ姿にすることを、あらかじめお定めになったからである。──これは(こうして出来た)多くの兄弟たちの中で、彼を長男にするためである。──
8:30 そして(時が来ると)あらかじめお定めになった人たちを召し、お召しになった人たちを義とし、義とした人たちには栄光をお与えになるだろう。

●「自分が救われたい。自分の家族子供が救われたい」と願う心は信者が神に「善いもの」を求めることである。その実現は確実である。この世でかなわなくても「再臨と終末」で実現される。

口語訳 Ⅰペテ3:15
3:15 ただ、心の中でキリストを主とあがめなさい。また、あなたがたのうちにある望みについて説明を求める人には、いつでも弁明のできる用意をしていなさい

新共同 Ⅰペテ3:15
3:15 心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい

●「弁明」ということが伝道の本質。救いを求める人は救われた人のようになりたい、ああいう人になりたいという願いから求道を始めるから。すでに救われて「希望を抱いている人」はその内容がどういうものであるかを「説明、弁明」できなければならない。それが伝道である。伝道は罪を指摘して悔い改めを迫ることではない。恐怖を植え付けることではない。●それには自分自身が救いをしっかり把握していなければならない。有体的復活などなくてもよいとか三位一体など信じにくいことは信じなくてもよいなどと言うことをいう風潮の現代無教会のもとに救いはない。「彼らは弁明すべきもの」を持っていないから有害無益。ただちにクリスチャンをやめたほうがよい。それが世のためである。

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窓を開けると朝日。すごいなー、すごいなー。今日も生きられる。ありがたい。

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ラジオ体操をする公園の花壇。春、花が咲いた。

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ラジオ体操の帰途。富士が見えた。真っ白だ。3776M。日本の象徴。













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希望という幸福 ++++++++ 所感

2010/03/21 07:56

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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100321(日)明け方に暴風で目が覚める。

すごい言葉にぶつかった。「幸福な希望」

塚本訳 テト 2:13
2:13 幸福な希望と、大なる神及びわれらの救い主キリスト・イエスの栄光の顕現(によってその希望が満たされること)とを待ち望ませるのである。──

●福音は伝道ではない、説得ではない、人を自分に屈服させることではない、説得ではない、教化、感化、教育、指導ではない。教会や集会に招く事ではない。自己が持てる幸福の「弁明」である。来世での復活という「幸福な希望」に生きられるようになったという「弁明」である。それが次である。


塚本訳Ⅰペテ3:15
3:15 ただ心に『主』キリスト『を(畏れこれを)聖とせよ』。君達にある希望について説明を求むる者には誰にでも、何時でも弁明の用意をして居れ

●「幸福な希望」とは主の再臨と終末の希望●この意味で今日の「伝道説教」の姿勢は間違っている。それは人間的教化、感化、見せびらかし、注意、忠告、教育である。「儒教的教え」になっている。これでは福音ではない。

●明け方の暴風はすごく3時に目が覚めてしまった。建築士として家のことが気になった。我が家はびくともしなかったが、屋根のソーラーや、窓や、庇の破壊の恐れが気になった。それでも6時ごろにはおさまる。私の建てた多くの建物に被害がなければよいがと思った●電車の遅れで集会は30分遅刻。集会は茂木、高木、村上●小寺夫妻と新宿で寿司。妻はコーラスのレッスン。ラインベルガーのレクイエム、ブラームスのジプシーの歌

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我が家の沈丁花(ちんちょうげ)。いい香りがする。キリストの香りという言葉を思う。

 

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全人類は救われるか ++++++++ 所感

2010/03/20 11:19

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100320(土)5時半起床●TSK日本語化●次回4月4日の感話、演題「『死ぬ』とはどういうことなのか」・・・人生の終わりと世の終わり・・・でキリストの再臨による「裁き」(第二の死)とそれに続く終末について思いを深めた。この問題は「魂を滅ぼすことのできるお方を恐れる」かどうかで聖書の読み方が違ってくる。

塚本訳 マタ 10:28
10:28 体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。

●全人類が復活するかどうかは、「できる」とも「できない」とも言えない。聖書のあちこちを引いて頭で理論的に割り切れない。神を「恐れる」ならば、「何とか全員(我が子も母も親戚も)救ってもらいたい」と祈りの姿勢になるのが正しい道である。講演の結論は次のようにまとめたい。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 
5・人類は誰でも熱心な祈りで復活が成る。

  主イエスよ早く救いにきてください!。


塚本訳ルカ 18:1-8
18:1 なお、気を落さずに常に祈るべきことについて、一つの譬をひいて弟子たちに話された、
(中略)
18:5 この寡婦(やもめ)はどうもうるさくて、やりきれないから、(裁判をして、)この女のために仕返しをしてやろう。そうしないと最後にはやって来て、わたしをどんなひどい目にあわせるか知れない。』」
18:6 それから主は言われた、「この不埒な裁判官の言うことを聞け。
18:7 (こんな男でもこのとおり。)まして神が、夜昼叫んでいるその選ばれた人々のために仕返し(の裁判)をせず、気長に放っておかれることがあろうか。

文語訳 マコ 11:23
11:23 まことに汝らに告ぐ、人もし此の山に「移りて海に入れ」と言ふとも、其の言ふところ必ず成るべしと信じて、心に疑はずば、その如く成るべし。

塚本訳 黙 22:20
22:20 これらのことを証明する者が言い給う、「然り、私は直に来る。」アーメン、主イエスよ、来たり給え!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●NHKTV3CH15:00「指揮者、小林研一郎。オーケストラ生まれる」。障害者約30名を含む150名のオーケストラを立ち上げての本格的な演奏会。障害者(自閉症、視覚障害など)3名にスポットを当てた編集は感動。御両親の御苦労は筆舌に尽くしがたい●人生にはなぜこのような障害があるのか。神はどうお考えなのか。●折から「再臨と終末」を考えていることから「来世では直る。来世では楽になる」と思うと心が明るくなる。この希望があるかないかで、障害に対する考え方が違ってくる●癌に関して言えば、何らかの宗教を信じている人の方が治りが早いことは事実。


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「神が裁く。神が裁く」 ++++++++ 所感

2010/03/19 09:11

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100319(金)5時半起床●TSK日本語化●80日ぶりで公園のラジオ体操。歓迎された●朝の黙想「耳あるものは聞け」「耳の聞こえない人はどうなるのか。夫、妻、両親、子供、兄弟・・・}「耳の聞こえないものをイエスは聞こえるようにした」「終末には裁きだけでなく耳が開けられる奇蹟が起こる」「イエスの奇蹟行為は、終末の徴であった」「イエスが地上で行った行為は終末の始まり」「再びこられてあの業を行う」「足なえは歩き、目しいの目は開き、耳は開き、死人はよみがえり、罪人は赦される」「終末ではイエスは再び同じようなことを行うのではあるまいか」「それから全宇宙が消えて終わりになるのではないのか」「イエスの頭では再臨と終末は一体ではないのか、時間の空きがないのではないのか。その方がすっきりする」●今この身が生理的にどうしても赦せない人がいる。どんなに努力しても赦せない。そういう時はどうすべきか。セコンドが言ってくれる「神が裁く、神が裁く」と。そうだイエスは言っている。「今は負けていても神が裁く」と。

塚本訳  マタ 5:10-11
5:10 ああ幸いだ、信仰のために迫害される人たち、天の国はその人たちのものとなるのだから。
5:11 わたしゆえに罵られたり、迫害されたり、あらん限りの根も葉もない悪口を言われたりする時、あなた達は幸いである。


文語訳  マタ 5:10-11
5:10 幸福なるかな、義のために責められたる者。天國はその人のものなり。
5:11 我がために、人なんぢらを罵り、また責め、詐りて各様の惡しきことを言ふときは、汝ら幸福なり。

●黙示録の精神も実は上記の二節に凝縮されている。黙示録の精神は簡単だ。その心が見えた。 

塚本訳 黙 2:10
2:10 お前はまだ苦しむであろうが、(決して)それを恐れるな。視よ、悪魔はお前達の中から(幾人かを)牢屋に投げ込もうとしている。それはお前達が試練を受けるためである。お前達は十日の間患難を受けるであろう。(しかしただ少しの間の我慢である。)お前は死ぬるまで私に忠実であれ。そうすればお前に生命の冠を与えるであろう。

●キリスト信者が建てる家は、苦難の忍耐とによって建つのである。

口語訳 ヘブ 3:6
3:6 キリストは御子として、神の家を治めるのに忠実であられたのである。もしわたしたちが、望みの確信と誇とを最後までしっかりと持ち続けるなら、わたしたちは神の家なのである。











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地球の寿命と宇宙のの寿命 ++++++++ 所感

2010/03/18 08:59

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100318(木)5時半目覚め●TSK日本語化●「終末」の事を勉強しているので「地球の寿命と宇宙の寿命」について調べた。●地球の誕生は約45億年前。これは炭素14の半減期から分かるそうだ。この45億年をマラソンの距離42キロに置きかえると人生100年としてもその長さは1ミリ以下。瞬きの如き瞬間。線香花火以下、流れ星以下。●では今後地球の余命は50億年と言われる。そのとき太陽は膨張して灼熱となり地球が飲み込まれるという●では宇宙の終末はいつか。宇宙膨張説ならば100兆年後。ブラックホールもなくなり光のみになる。宇宙収縮説ならば1500億年後。しかしその後また膨張して膨張収縮が永遠に繰り返されるかもしれないという。●この科学的推測と聖書とを比べて思い当たる節がある。●地球の最後は灼熱地獄になるということから、次の聖書の個所を連想する。

塚本訳 黙 20:14-15
20:14 そして死と陰府とは火の池に放り込まれた。これが第二の死、(最後の)火の池の死である。
20:15 生命の書に(その名を)書かれていない者は(悉くこの)火の池に放り込まれた。

塚本訳 ルカ 16:24
16:24 声をあげて言った、『父アブラハムよ、どうかわたしをあわれと思ってラザロをよこし、指先を水にひたしてわたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの焔の中でもだえ苦しんでおります。』

塚本訳 マタ 24:14
24:14 すなわち、あらゆる国々の人に(わたしとわたしの業を)証しするために、(まず)この御国の福音が全世界に説かれ、それから最後(の裁きの日)が来るのである。

塚本訳  マタ 24:29
24:29 それらの苦難の日の後に、たちまち『日は暗く、月は光を放たず、』『星は』天から『落ち、もろもろの天体が』震われるであろう。


塚本訳 マタ 24:35
24:35 天地は消え失せる、しかし(いま言った)わたしの言葉は決して消え失せない。


●宇宙の終わりはブラックホールもなくなって「光」のみになるということからは次の句を連想する。

口語訳 創  1:3
1:3 神は「あれ」と言われた。するとがあった。

塚本訳  ヨハ 1:1-3
1:1 (世の)始めに、(すでに)言葉はおられた。言葉は神とともにおられた。言葉は神であった。
1:2 この方は(世の)始めに神とともにおられた
1:3 一切のものはこの方によって出来た。出来たものでこの方によらずに出来たものは、ただの一つもない。

塚本訳 ヨハ 1:9
1:9 この方(言葉)は、この世にうまれて来るすべての人を照らすべきまことの光であった。


塚本訳  ヨハ 8:12
8:12 (同じ大祭の日に、)イエスはまた人々に語られた、「わたしが世の光である。わたしに従う者は、決して暗やみを歩かない。そればかりか、命への光を持つことができる。」


塚本訳  ヨハ 9:5
9:5 世におる間、わたしは世の光である

塚本訳 ヨハ 12:35
12:35 するとイエスは(それには答えず、)彼らに言われた、「もうしばらくの間、光はあなた達のところにある。光のある間に(早く)歩いて、暗闇に追い付かれないようにせよ。暗闇を歩く者は、自分がどこへ行くのか知らない。

●聖書には「千年」という言葉が多く出てくる。一番有名なのは「主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。」(Ⅱペテ3:8

詩    90: 4 [口語

あなたの目の前には千年も/過ぎ去ればきのうのごとく、夜の間のひと時のようです。

伝    6: 6 [口語

たとい彼は千年に倍するほど生きても幸福を見ない。みな一つ所に行くのではないか。

Ⅱペテ  3: 8 [口語

愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。

黙    20: 2 [口語

彼は、悪魔でありサタンである龍、すなわち、かの年を経たへびを捕えて千年の間つなぎおき、

黙    20: 3 [口語

そして、底知れぬ所に投げ込み、入口を閉じてその上に封印し、千年の期間が終るまで、諸国民を惑わすことがないようにしておいた。その後、しばらくの間だけ解放されることになっていた。

黙    20: 4 [口語

また見ていると、かず多くの座があり、その上に人々がすわっていた。そして、彼らにさばきの権が与えられていた。また、イエスのあかしをし神の言を伝えたために首を切られた人々の霊がそこにおり、また、獣をもその像をも拝まず、その刻印を額や手に受けることをしなかった人々がいた。彼らは生きかえって、キリストと共に千年の間、支配した。

黙    20: 5 [口語

(それ以外の死人は、千年の期間が終るまで生きかえらなかった。)これが第一の復活である。

黙    20: 6 [口語

この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する。

黙    20: 7 [口語

千年の期間が終ると、サタンはその獄から解放される。

●この千年をまたマラソン距離に置き換えてみると人生100年とした場合、それは100分の1なので、最初に競技場を一周する程度である。神は気長に人間が悔い改めるのをまだまだ100倍(1000÷100)あると思ってくださる。神は寛容である。気長である。自戒。

塚本訳 Ⅱペテ3:8-9
3:8 愛する者よ、『主の前では』一日が千年の如く、『千年』が一『日の如く』である、この一つの事を忘れるな。
3:9 主は或る人達が遅いと考えているように約束を果たし給うのが遅いのでは(決して)ない。ただ何人の亡びることをも欲せず、凡ての者が悔い改めに到ることを欲して、君達に対し寛大であり給うのである

塚本訳  ロマ 9:22-23
9:22 それで、もし神が、(御自分の)怒りを示し御自分の力(の恐ろしさ)を知らせようとお思いになるので、(今日まで)いとも気長に、『滅びのために』つくられた』怒りの器[滅びる人]を辛抱された』とすれば、
9:23 またそれは、栄光のためにあらかじめ用意された憐れみの器[救われる人]に、御自分の豊かな栄光を知らせるためであったとすれば、どうだ。(かれこれ言うことはないではないか。)

口語訳 出  34:6
34:6 主は彼の前を過ぎて宣べられた。「主、主、あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみと、まこととの豊かなる神、

 

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母の命日、墓参 ++++++++ 所感

2010/03/17 09:59

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100317(水)4時半目覚め。●朝の黙想「仰げば尊し我が師の恩」「顔を固くエルサレムに向けて」「イエスの復活預言の歴史性」●TSK日本語化●気管支喘息のせいもあって、このところ家にばかり閉じこもっていたが、昭和女子大の卒業7式に出席して、かなり刺激を受けた。人と交際することはいいことだ。なぜか。一人の人間はこれ「小宇宙」だからだ。人と接すれば宇宙的な世界が広がるというものだ。

●昨日の卒業式で卒業生総代が学長の前で「答辞」を述べ終わって、降壇するとき、顔をきちっと前方に向けて歩いた。それはこれからの人生の荒波に向かって行くような姿であった。イエスが自分が頃されることを予感しながら、顔を固くエルサレムに向けて歩いた場面である。このときのイエスの決死の覚悟に涙を禁じえない。

塚本訳  ルカ 9:51
9:51 イエスは(いよいよ)昇天の日が迫ったので、決然としてその顔をエルサレムへ向けて進み、

●13:15出発。明日は母の命日(6周年)、花見をかねて徒歩1時間20分、妻と秋川霊園に墓参。秋川霊園の管理事務所は建て替えて新しくなった。

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途中、しだれ梅を見た。無理なく、素直に、自然に、そのまま垂れている。

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春の平井川を渡る。子供達は釣りが好きだったなー。もうみんな巣立っていった。

それぞれの家庭の上に神の祝福が豊かにありますように。

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墓参。「✝ 神は愛なり 高橋家」。復活の日まで眠る。しかしこの場所にではなく、神の懐に。「私はここにはいません」(千の風になって」)

口語訳 コロ 3:3-4
3:3 あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである。
3:4 わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう。

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父橋晋87歳で召されて18年目、母橋ハナ子88歳で召されて6年目。

この墓には母の父である小木秀吉(72歳)と後妻のタカ(71歳)が埋葬されている。タカには子供がなかった。秀吉の先妻の末娘であった私の母(ハナ子)を育てた。秀吉とタカの遺骨は母の希望で1990年に照男が九州の水俣から運んできた。

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彼岸前のこの日は周囲に誰もいなかった。三脚を持ってきたので撮影。

4月4日は集会で「死ぬとはどういうことなのか」と題して話す。その一部は次の通り。キリスト教の「死」は明るい。復活と言う未来がある。

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1-3死をめぐる忘れ得ぬ言葉
emento mori(メメント・モリ。ラテン語の警句。自分が死ぬということを忘れるな。)●「朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なり」(孔子、論語)●「いまだ生を知らず,いずくんぞ死を知らん」(死を経験したことのない者に、死が解るはずがない。孔子、論語...●「板垣死すとも自由は死せず」(板垣退助)●人生は死といういう壁に向かって歩く旅である。しかし多くの人が「その壁は自分にとってはずっと先のことだ」と思っている(ハイデッガー、哲学者)●澄んだ声がわたしを呼ぶ(テニスン辞世の詩Crossing the Bar「砂州越えて」) ●「苦しみは瞬時にして喜びは永遠なり」(ヒルティ、幸福論第3巻の結語)●「癌とは闘うな。自然に生き、自然に死ぬことだ」(肺癌の母を看取った小野寺時夫医師)●「照男さん。あなたは天国では痛みがないと言いますが、行って見てきたのですか」(最後近くの母の言葉) ●「罪と死の恐怖から父母我を助けず、大自然我を助けず」(内村鑑三)●「これが最後です。 しかし、私にとってはいのちのはじまりです。」(ボンヘッファー、ナチスに処刑されたドイツ人牧師。最後の言葉)●「長々お世話になりました。私はこれから天の父の御許に参ります」(ある死刑囚が死刑執行の前に祈りを捧げたあとの言葉)
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近くにこういう墓があった。そうだ、人生の希望は「復活」なのだ。
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墓参の帰り道。妻の後姿。「人生は死という壁に向かって歩く旅だ」(ハイデッガー、哲学者)。しかしキリスト者には希望がある。「復活」だ。「また逢う日まで」。
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いつもとは違う道を通って帰った。神社があった。日本の風景だ。
しっくりする。人間は土に帰るという。それでは淋しい。喜びがない。
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家に近づくと日が暮れた。奥多摩連山の夕方。感謝の一日。
主よ召される日まで平安に導きたまえ。
賛美歌39番
 
1. ひ くれて よも は くらく
   わが たま は いと さびし,
   よるべ なき み の たよる
   しゅ よ, とも に やどり ませ.
 
2. いのち の くれ ちかずき
   よ の いろか うつり ゆく,
   とこしえ に かわらざる
   しゅ よ, とも に やどり ませ.
 
3. よ の やみ おしせまりて
   いざない の こえ しげし,
   とき の ま も さり まさ で
   しゅ よ, とも に やどり ませ.
 
4. し の はり いずこ に ある,
   しゅ の ちかく ましまさば,
   われ かちて あまり あらん,
   しゅ よ, とも に やどり ませ.
 
5. じゅじか の くしき ひかり
   とずる め に あおがしめ,
   みさかえ に さむる まで
   しゅ よ, とも に やどり ませ.
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●帰宅すると、仕事で約一週間渡米していた長男の新一から「無事成田に着いた」という留守電が入っていた。働き盛りだ。健康を祈る。子は親を捨てて乗り越えて前向きに行く。「4人の子供たちよ行けー!。父の家を忘れよ。これを捨てよ。後ろを振り返るな」
口語訳 詩  45:10
45:10 娘よ、聞け、かえりみて耳を傾けよ。あなたの民と、あなたの父の家とを忘れよ。

 

 

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死の恐怖からの救い ++++++++ 所感

2010/03/16 06:28

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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100316(火)5時起床●朝の啓示。「罪と死の恐怖からの救いは再臨と終末への希望」●人生で一番つらく悲しく苦しいことは「罪と死の恐怖」である。これは人間が助けてくれない。父母は助けてくれない。自然も助けてくれない。ただ、神とキリストのみがこれから救ってくれる。

塚本訳 マタ 10:28
10:28 体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。

●この世のものを失っても恐れることはない。この肉体が病で壊れても恐れることはない。この句は矢内原先生が軍部から睨まれたときに、同志に送った励ましの言葉である。人間、恐れるべきことは魂の滅びである。黙示録で言う「第二の死」(黙20:14)である。


塚本訳 ルカ 19:10
19:10 人の子(わたし)は『滅びうせた者をさがして』救うために来たのである。」

●再臨は「裁き」ではない。救いである。警告である。なぜか。イエスがこの世に来られたのは「救いのため」であった。同じことが再臨の時に起こる。

塚本訳 Ⅰコリ15:24
15:24 それから(最後に)残りの人たちが。この時、キリストはすべての支配(天使)、すべての権威(天使)と権力(天使)とを滅ぼした後、神にして父なるお方にその王国を引き渡される。

●この塚本訳は「残りの人たち」すなわち不信者も最後には救われるという万人救済説に立つ。これ最近の説と言う。
●人生は長くても100年と短い。地球誕生して約45億年。これをマラソンの距離(42キロ)に置き換えて見ると人生の100年は僅かに約1ミリ。瞬き以下。その間、「罪と死の恐怖」に生きなければならないとは「人生は不条理」と言わざるを得ない。まことに旧約の詩人の嘆きと同じである。

口語訳 詩 90:4-10
90:4 あなたの目の前には千年も/過ぎ去ればきのうのごとく、夜の間のひと時のようです。
90:5 あなたは人を大水のように流れ去らせられます。彼らはひと夜の夢のごとく、あしたにもえでる青草のようです。
90:6 あしたにもえでて、栄えるが、夕べには、しおれて枯れるのです。
90:7 われらはあなたの怒りによって消えうせ、あなたの憤りによって滅び去るのです。
90:8 あなたはわれらの不義をみ前におき、われらの隠れた罪をみ顔の光のなかにおかれました。
90:9 われらのすべての日は、あなたの怒りによって過ぎ去り、われらの年の尽きるのは、ひと息のようです。
90:10 われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。

●しかし、しかし、BUT、「生ける者の地」(生きているうちに)、神と救いと永遠の命と再臨と終末を信ずる事が出来れば人生が終わるときに「ありがとう。感謝」と言って死ねる。「この人生は不幸続きであったが、それでもなお楽しいものであった」と言うことができる。 ●これは愛する子孫への祖父としての遺言、「信仰の遺産」(岩下壮一)である。

文語訳 使  3:6
3:6 ペテロ言ふ『金銀は我になし、然れど我に有るものを汝に與ふ、ナザレのイエス・キリストの名によりて歩め』

●これを具体的に言うと「遺産相続らしきものは私にはない。しかし、私の『罪と死の恐怖』からの救いの喜びの経験を遺産として伝える。これによって歩めば人生幸福になれる」●今のこの心境は次の賛美歌502番の通りである。

賛美歌502

                                                
1. いと も かしこし イエス の めぐみ,
  つみ に しにたる み を も いかす.
   しゅ より たまわる あめ の かて に
   うえし こころ も あき たらいぬ.
 
(Refrain)
   よ に ある かぎり
   きみ の さかえ と
   いつくしみ と を
   かたり つたえん.
 
2. すくい の めぐみ つぐる われ は
   たのしみ あふれ うた と ぞ なる.
   ほろび を いでし この よろこび,
   あまねく ひと に えさせ まほし.
 
3. くすしき めぐみ あまねく みち,
   ある に かい なき われ を も めし,
   あまつ よつぎ と なしたまえば,
   たれ か もる べき しゅ の すくい に.
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●次回、4月3日の集会感話の資料をまとめた。その目次骨子。今井館で発表したものが下敷きだが、内容に変化がある。
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             「死ぬ」とはどういうことなのか 
               ー死の恐怖からの救いー
                    東京聖書読者会 2010.4.7 高橋照男
①死とは何なのか 
                                                     ②全被造物の嘆き悲しみは死。その恐怖の本質                                         
③聖書の語る死                                           
④復活の三段階
⑤不信者は周囲の熱心な祈りで救われる可能性がある。レクイエムの意義
⑥死の恐怖からの救いは再臨と終末による有体的復活を固く信じること
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●14:00昭和女子大の卒業式。人見記念講堂。
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トルストイ像(学校はトルストイを尊敬している)の前で卒業生と。
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人見記念講堂の前で、卒業生たちと。若いというのは素晴らしい。
失敗は若さの特権だ。悩みがあるのは若さの象徴だ。「死の恐怖」など感じないのが若さの特権だ。彼女たちの人生に神の祝福が豊かにありますように。
卒業生が来ている黒いガウンは学校側がレンタルで用意したもの。
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坂東眞理子学長と。学長の衣裳はオーストラリアの大学から学位を授与された時に与えられたもの。坂東学長はオーストラリア総領事であった。日本ではチョット派手すぎる感じ。
●卒業生答辞の時の「仰げば尊し」の音楽で今年も目が「ウルウル」になった。私は古い人間だ。
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卒業制作作品展。「鈴木さやか」の「HOSPICE」の建築設計が光っていた。自らの祖母と父親の死を看取った経験を踏まえての設計コンセプトに心を打たれた。感想として「力作です。私も母をホスピスで送りました。建築家の外山義(故人)が設計する老人ホームは『徘徊』がなくなるそうです。それを学んでみるといいです(非常勤講師・橋照男)」と書いた。このほかにもホスピスの設計があった。この方面に関心があるのは、昭和女子大として好ましいことだ。また下町の老人が多い地域の再開発を手掛けたのもあった。下町の老人はその地を離れずに死にたいと思っているからだ。設計は「親切な心」がないとよい作品はできない。建物の寿命は短いがその「親切な心」は建築主の胸に永遠に残る。それでいいんだ。それでいいんだ。
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偶然に「鈴木さやか」のご母堂がそばにおられたので、しばし懇談。
この作品は仙台で催された全日本コンクールに出展したが落選したという。
そこで私は「それは審査員に目がなかった」とお慰めした。それでいいんだ。それでいいんだ。神に褒められることは人の目にはとまらないのだ。
 
 

 













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最強のエクレシアは農業者集団 ++++++++ 所感

2010/03/15 08:21

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100315(月)6時起床●TSK日本語化●農業者集団のエクレシアについて考える。歴史的に一番「強いエクレシア」は農業者集団のエクレシアではないのか。①モラヴィア兄弟団は無教会にかなり影響を与えたヘルンフート派の源流、内村、ヒルティに影響を与えている。②無教会の松本聖書集会は農業者が中心にいる。③無教会の愛農高校やその流れの愛農会は農業が土台④内村鑑三は復活は神学者には信じにくいが、農業者はこれを容易に信じると言う。●農業という「額(ひたい)に汗してする労働」は精神も信仰も健全にする。机に座って沈思黙考するところに神は近付かない。(自戒)●ヒルティは天使は「働いている人」に現れるという。キリスト誕生の夜の羊飼いに天使が、魚をとっていたペテロにキリストが、迫害という仕事中(?)のパウロに復活のキリストが現れた。臼を挽いてた女が天に取られた。●某氏に長文メール。「御心のままに」「御心のままに」賛美歌494番「わが行く道」で結んだ。●頭でっかちの人は汗を流す労働をしていないから「シアワセソー」ではない。肉体労働をしていない人がネクタイ(肉体)を締めているのだ。(オヤジギャグ)。このギャグを過日(3月7日)のシンポジウムの感想(その日のブログ参照)の時に止めの一発で話せばよかった。(笑)。

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ダメ信者の祈り ++++++++ 所感

2010/03/14 07:23

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100314(日)6時半目覚め。●朝の啓示。「レプタ銅貨の生涯」「貧しき祈り」「心の貧しきもの」「敵はどうしても赦せない、愛せない」「恐れるな小さき群れよ。御国を下さるのは父上の御心だ」「いかに祈るべきか知らざりしとき、御霊自ら切なる祈りをもってとりなし給う」

●私の残りの生涯はレプタ銅貨[五円]のごときものである。黒崎、塚本のような信仰と語学と学問に秀でたものにはなれない。それに「敵を赦せず、愛せない」「心の貧しき信徒」である。つまりダメ信者である。しかし神は言う。「恐れるな小さき群れよ」と。来世と復活は神が下さるのだ。なぜか。「「いかに祈るべきか知らざりしとき、御霊自ら切なる祈りをもってとりなし給う」とある。救いは人間の力でなく神自らの「努力」なのだ。

塚本訳 ルカ 21:1-4
21:1 それから目をあげて、金持たちが賽銭箱に賽銭を入れるのを見ておられた。
21:2 またある貧しそうな寡婦がレプタ銅貨[五円]二つをそこに入れるのを見て、
21:3 言われた、「本当にわたしは言う、あの貧乏な寡婦はだれよりも多く入れた。
21:4 この人たちは皆あり余る中から賽銭を入れたのに、あの婦人は乏しい中から、持っていた生活費を皆入れたのだから。」

文語訳 マタ 5:3
5:3 『幸福なるかな、心の貧しき者。天國はその人のものなり。

塚本訳  ルカ 12:31-32
12:31 あなた達はむしろ御国を求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。
12:32 小さな群よ、恐れることはない。あなた達の父上は御国をあなた達に下さるつもりだから。

塚本訳ロマ 8:25-26
8:25 しかしわたし達が見ていないものを望むとすれば、忍耐をもって待たねばならない。
8:26 しかし(創造物やわたし達神の子が苦しんでいると)同じように、御霊も、弱いわたし達を助けてくださる。すなわち、(神のみ心にかなうには)どう何を祈るべきかわからないので、御霊自身が、無言の呻きをもって(わたし達の祈りを神に)執り成してくださるのである。

●「黙示録の勉強仮説」。黙示録はローマ帝国に対する呪いと断罪の書ではない。ローマ帝国は皇帝礼拝を強要したわけではないらしい。基督信徒にとっての本質的な敵は「この世的なるもの」。神への信仰を崩そうとする「この世的なるもの」。そして黙示録は信仰を固く持ち続けるようにとの励ましの書物。その本質はルカ文語訳 ルカ 12:32
12:32 懼るな小き群よ、なんぢらに御國を賜ふことは、汝らの父の御意なり。

●「キリスト教の敵はローマ帝国ではなく、グノーシス主義であった」と言われる。同じく、日本のキリスト教の敵は軍国主義にあらず、そのもっと深いところ、つまり「この世主義、地上王国建設主義、神否定主義、行為主義」である。●「ルカ福音書と使徒のはたらき」はローマ帝国の高官であったテオピロに対する「キリスト教無害論」であることは定説になった。そのテオピロの夫人はクリスチャンであったが島流し、テオピロ自身も左遷か降格。万歳。天で褒美が待っている。

●郷里の母の見舞いと看護に行った妻は朝早く出発して10:00の集会に出席。●集会は藤巻、長島、山本。●集会後小寺夫妻と私達で昼食。小寺さんが食事中に咳きこむ。心配。

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春が来た。梅の花。風邪も治って心地よい。復活の春。


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神の主権を固く信ずる ++++++++ 所感

2010/03/13 09:51

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100313(土)7時起床。(最近の遅いレコード)。●昨夜は23:30までTVを見ていたから遅くなった。NHKTV22:00「日本のこれから。・・考えよう日米同盟」。姜尚中、桜井よし子、田中均などの論客20名ほどが激論。感想。核抑止では真の平和はこない。私の残りは16年、こういう不毛な論争に加わることはできない。憲法9条の成立精神を話した人がいたが、「豚に真珠」。次の言葉が頭に浮かんだ。

塚本訳  マタ 24:6
24:6 戦争(を目のあたりに見たり、)また戦争の噂を聞くであろうが、あわてないように注意せよ。『それはおこらねばならないことである』が、しかしまだ最後ではない。

●平和はだれでも望むことだが、私は方法論が違う。私の方法とは「キリストは我らの平和」。これは「キリストが平和の原点」ということである。

塚本訳エペ 2:14-16
2:14 何故なら、彼(キリスト)が私達の』平和』であって、(今まで離反していたイスラエルと異教人の)両者を一つにし、(その仲を割いていた)仕切りの籬なる敵意を取り除け給うたからである。すなわちその肉で、
2:15 (あらゆる)命令規則から成る律法を廃止し給うたのである。これは(今まで敵であった)この二つの者を己において一つの新しい人に創造りかえて平和を作るため、
2:16 かくてまた十字架によって二つの者を一つの体において神と和睦させ、十字架において(神と人との間の)敵意を殺すためである。

●この真理は3次元人間には到底分らないこと。説明はできない。無理、無駄。時間が惜しい。●いわんや天皇制打倒に血眼になっているクリスチャンの気が知れない。はたしてキリストの罪の赦しということを握っているのだろか。●某氏、わたしに向かって「何もしなくてよいのですか」と言ったことがある。私は言う「平和の追及は同じだが、方法論が違う。何もしていないのではない。神の主権と言うものを信ずるということをしている。」●神の主権を信じるということをイエスの言葉に見てみよう。

塚本訳 マコ 10:40
10:40 しかし、わたしの右と左の席は、わたしが与えるのではなく、(あらかじめ神に)定められた人々に与えられるのである。」

塚本訳 マタ 24:36
24:36 ただし(人の子の来る)その日と時間とは、ただ父上のほかだれも知らない。天の使いたちも知らない。

塚本訳 ヨハ 14:22-23
14:22 イスカリオテでない方のユダが言う、「主よ、いったいどういうわけで、わたし達だけに御自分を現わし、この世(の人)にはそうしようとされないのですか。」
14:23 イエスは答えられた、「わたしを愛する者は、わたしの言葉を守る。するとわたしの父上はその人を愛され、わたし達は(父上もわたしも)、その人のところに行って、同居するであろう。

 塚本訳 マタ 11:25
11:25 その時イエスは声をはげまして言われた、「天地の主なるお父様、(神の国の秘密に関する)これらのことを(この世の)賢い人、知恵者に隠して、幼児(のような人たち)にあらわされたことを、讃美いたします。

塚本訳 マタ 11:27
11:27 ──(知恵も力も、その他)一切のものが父上からわたしに任せられた。父上のほかに、子(であるわたし)を知る者は一人もなく、また、子と、子が(父上を)あらわしてやる者とのほかに、父上を知る者は一人もない。

 塚本訳 ルカ 10:21
10:21 この時イエスは聖霊にみたされ、感激にあふれて言われた、「天地の主なるお父様、(神の国の秘密に関する)これらのことを(この世の)賢い人、知恵者に隠して、幼児(のような人たち)にあらわされたことを、讃美いたします。ほんとうに、お父様、そうなるのがあなたの御心でした。

 塚本訳 ルカ 10:22
10:22 (──知恵も力も、その他)一切のものが父上からわたしに任せられた。父上のほかに、子(であるわたし)が何であるかを知る者は一人もなく、また、子と、子が父上をあらわしてやる者とのほかに、父上が何であるかを知る者はない。」

●妻から母の様子の電話。二人にとって「親」は福島の母のみ。孝養を尽くしてもらいたい。「墓に布団はかけられない」「孝行したいときには親はなし」●4月並みの陽気。図書館に行く。

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梅が素晴らしい。サクラよりしっくりする。日本的だ。

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大きな犬。聞いてみると種類はグレートピレニーズ。フランス産。雪山で遭難した時に活躍するという。体重50キログラム。食費は人間よりかかるという。8歳。あきる台公園にて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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うつ病は治る ++++++++ 所感

2010/03/12 10:16

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100312(金)5時45分起床●TSK日本語化、マルコ10章●7:35 妻が母親の見舞いと看護のために郷里いわき市に出発。留守の間に私が食べるものを二日分用意して行ってくれた。感謝●昨日のNHKTV「ドラマ特選・・・ツレがうつになりまして」(アンコール番組)は深いテーマだ。食い入るようにみた。●そしてブログに次のように書いた「精神の病は医療、家族、宗教、社会が総がかりでないと直せない。この直りにくい病気こそ神の警告、笞。本人が家庭が悪い、職場が悪い、社会が悪いと思っているうちは治らない。」●今朝、これに関連すると思い、ヒルテイの「病める魂」という論考を読んだ。(白水社ヒルティ著作集第8巻所収)。これを読むのはもう何度めだろう。齢66にしてヒルテイの言わんとすることに同感。

①精神の病の最も根本的な原因は「魂」が病んでいること。

②回復の方法は、医者に見せること。医学との協働作戦。

③額(ひたい)に汗をかく労働をすること。しかも収益が得られる労働をすること。それによって人に養ってもらっているという卑屈な思いから逃れる。

④健全な真のキリスト教を知ること。

●以上のことをさらに要約すると「額(ひたい)に汗をかく労働と健全なキリスト教」に生きることである。これがヒルテイの幸福論の根本である。これらの全ては私の66年間の経験からして同感である●現代の「うつ病」はかってヨーロッパに蔓延した「ペスト」に比べられるという。人間が真の神に立ち返らない限りこの「心のペスト」は直りそうにない。●神が御存知ない病気はない。だから神に直せない病はない。この事を固く信じる必要がある。●労働は「人間の本分」として必要だが、それには「職業の神学」が必要。それは健全なるキリスト教から得られる。それには聖書それ自身の真面目な勉強が必要。●聖書に「関する」本や、聖書の周辺の本ではいけない。●私の死後、妻が単独で快適に暮らせるような「生活設計」を始めた。●死んだあと「快適に暮らせるように」するにはどうしたらよいのかが「準備の生活」である。

塚本訳  ルカ 16:9-13
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。
16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。
16:11 だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。
16:12 もし他人のもの[この世のこと]に忠実でなかったならば、だれがあなた達のもの[天のもの]をあなた達に与えようか。
16:13 しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。」


●これが「救われた者」の人生観、職業観である。●今置かれたたこの場所が「人生道場」「修道院」「アフリカ」「ビアドロローサ(十字架の道)」然り「ゴルゴダ」である。

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夕べになっても光がある ++++++++ 所感

2010/03/11 06:51

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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100311(木)5時半目覚め●朝の啓示の言葉「復活の朝(あした)を望む喜び」「人生の終わり、世の終わり」「夕べになっても光がある」「イエスとパウロで読む黙示録」●TSK日本語化●仲田達男氏(81歳)の雑誌「ミルトス」に「終末とは」という論考があり、その冒頭に「齢をとってきたので、『終末』ということが何かと気になるようになった。自然現象である」とあって共感した。●私の平均余命は16年であっておおよそ仲田氏の頃に癌で死ぬことになっている。●そこで私も「人生の終わり、世の終わり」について思いを巡らすことが多くなった。去る2月28日の今井館伝道聖書集会の講演「死ぬとはどういうことなのか」もその一つである。その内容は次のサイトである。

http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/denshou/sinu.htm

●私がたびたび「あと16年で死ぬ」などと言っているので集会のTH先輩から「橋、死に急ぐな」と言われている。また嫁の一人からは「お父様、大丈夫ですよ。心配しないでください。『ナントカは世にはばかる』というではありませんか」と慰められた(?)。●しかし仲田氏の言うとおり、老年の淋しさ悲しさは「自然現象」である。老年に特有の苦難である。●私は人生の段階で種々の悩み悲しみに 遭遇してきたが、間もなく67』歳になる今日の段階で「老年の夕暮れの淋しさ悲しさ」という苦難に出会っている。●今まで遭遇したどんな苦難にも神は救ってくださった。神は捨てなかった。そこで今遭遇する「老年の淋しさや悲しさ」からも救ってくださるであろう。●それは何か、「終末を望む喜び」「復活の朝(あした)を信じる喜び」だ。これが老年という夕暮れの頃に明るくなるべし」ということである。●実はこの信仰こそ老年にのみ与えられた特権である。

新共同 ゼカ 14:6-8
14:6 その日には、光がなく/冷えて、凍てつくばかりである。
14:7 しかし、ただひとつの日が来る。その日は、主にのみ知られている。そのときは昼もなければ、夜もなく/
夕べになっても光がある。
14:8 その日、エルサレムから命の水が湧き出で/半分は東の海へ、半分は西の海へ向かい/夏も冬も流れ続ける。

●聖書学は信仰の敵ではない。友人である。しかし主人ではない。信仰は聖霊の示しによるものであり、学的研究の結果ではない。聖書学は友人であるから自己の信仰の励ましや刺激にはなるがその成果に左右されない。●信仰は聖霊の示しのみであると「鰯の頭も信心から」となり、狂信的になる。●今年から「黙示録」の勉強をしようとする。その姿勢は聖霊の示しによる「素人読み」に徹するが聖書学と言う友人にも耳を傾ける。しかしその奴隷にはならない。●聖霊による開眼は聖書学以上である。教会教派の方針に縛られない。聖書学の趨勢に支配されまい。これがカトリックの教権によらず、プロテスタント教会の教派神学によらず、聖霊の教示によって鋭利な破壊的なる聖書学を友人として自己の信仰を固めるのが「無教会の聖書の読み方」である。●我が家の表示登記は区画整理のあとに新規の番地を登記していなかったで司法書士の亀田二郎事務所に電話相談●図書館の帰りに不動産の相談で廣喜商事●20:00NHKTV「ドラマ特選・・・ツレがうつになりまして」。深いテーマだ。くいいるようになってみた。精神の病は医療、家族、宗教、社会が総がかりでないと直せない。この直りにくい病気こそ神の警告、笞。本人は家庭が悪い、職場が悪い、社会が悪いと思っているうちは治らない。 ●人に向かって「罪を悔い改めさせる」ような伝道(?)は完全に誤っている。反発され嫌われるだけ。「もうキリスト教のことは話さないでくれ」と言われるのがオチ。信仰に浅い人がそういう暴挙にでるから困りものである。信仰は神の「引き」であることを知らない。人に罪を指摘して追い詰めて信仰に至らせようとするのは最低の人間。キリスト教の評判を落としている。まず自分自身が悔い改めなければならない。

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心が安らぐところ ++++++++ 所感

2010/03/10 17:48

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100310(水)6時起床●TSK日本語化●9:00池谷医院。気管支喘息はよくなったが、大事をとって今までとほぼ同じ薬を処方してくれたのでかなり費用がかかった。しかし「風邪は万病のもと」なので完全に治しておかなければならない。●杉山信太郎氏から病気見舞いのお電話をいただく。同時に今井館伝道聖書集会の「復活の使徒伝承を継承する」の講演に対する激励。ミミズを使った無農薬の稲作りについてお話があったので、息子の近藤恵に話して頂けるよう7に依頼した。●黙示録の勉強。学者読みはすまいと思いつつ、最新の学問に興味が湧く。今日は田川健三と泉治典を読む。難しい。最新の学問を踏まえつつ何とか優し読めないものであろうか●「イエスの来世観」のデッサン。イエスが黙示録を読むとしたらどう解説してくれるだろう●過日の「若者と語るシンポジウム」の感想の手紙が来る。

来信の一部

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

(シンポジスト)御三人から直接信仰の話が出なかったことに感銘しました。私のような異教の出のキリスト信者はなんと言っても粗野で、すぐに信仰信仰と言ってさわぐのですが、(シンポジストの)彼らは二代目、三代目で、父母、祖父母の受けた福音の恵みと力が余慶として霊的に滲み通り溢れでているの感があります。クリスチャン・ジェントルマンに成るのですね。このことは一代目の方々にとっては本当の意味での誇り、福音の誇りであると信じます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(来信の一部。終わり)

●足れりである。無教会が衰退気味であるのは頭でっかちの伝道者が少なくなったという観点でのみの判断である。実際は地中深く浸透している。

●キリスト新聞のトップニュース。新共同訳に代わる新しい訳は2016年に発行予定。聖書は約30年ごとに訳しなおされるが、本質は変わらない。翻訳の差によって「はっきり」することはあまり大したことはない。●難しいことは抜きにして人間が「心安らぐところ」はまず「住い」。大阪の釜が崎でホームレスを救済している入佐さんの経験では、路上生活者を立ち直らすのは、食料でも金でもなく、まず安眠できる住いであるという。この話、建築士の私としてはうれしい。イエスが「人の子は枕するところなし」と言った意味がわかる。

塚本訳 ルカ 9:58
9:58 イエスはその人に言われた、「狐には穴がある、空の鳥には巣がある。しかし人の子(わたし)には枕する所がない。(その覚悟があるか。)」

●次に心安らぐところは伴侶の所である。神が「人は一人でいるのはよくない」(創世記2:18)という意味がわかる。

口語訳 創  2:18
2:18 また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。

●次に病気からの解放である。イエスが多くの病を癒した意味がわかる。

口語訳 マタ 4:24
4:24 そこで、その評判はシリヤ全地にひろまり、人々があらゆる病にかかっている者、すなわち、いろいろの病気と苦しみとに悩んでいる者、悪霊につかれている者、てんかん、中風の者などをイエスのところに連れてきたので、これらの人々をおいやしになった。

●最後に(最初にと言ってもよいが)心の平安は神の所にある。これなくして家も伴侶も健康もみんな揃っていても安らぎがない。

具体的には祈りの場、神の懐である。もしこれさえあれば人生が好転してきて家も伴侶も健康も自然に与えられる。これ私の体験的実感だ。

塚本訳 マタ 6:25-34
6:25 だから、わたしは言う、何を食べようかと命のことを心配したり、また何を着ようかと体のことを心配したりするな。命は食べ物以上、体は着物以上(の賜物)ではないか。(命と体とを下さった天の父上が、それ以下のものを下さらないわけはない。)
6:26 空の鳥を見てごらん。まかず、刈らず、倉にしまいこむこともしないのに、天の父上はそれを養ってくださるのである。あなた達は鳥よりも、はるかに大切ではないのだろうか。
6:27 (だいいち、)あなた達のうちのだれかが、心配して寿命を一寸でも延ばすことが出来るのか。
6:28 また、なぜ着物のことを心配するのか、野の花の育つのを、よく見てごらん、苦労をせず、紡ぐこともしない。
6:29 しかし、わたしは言う、栄華を極めたソロモン(王)でさえも、この花の一つほどに着飾ってはいなかった。
6:30 きょうは花咲き、あすは炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこんなに装ってくださるからには、ましてあなた達はなおさらのことではないか。信仰の小さい人たちよ!
6:31 だから、『何を食べよう』とか、『何を飲もう』とか、『何を着よう』とか言って、心配するな。
6:32 それは皆異教人のほしがるもの。あなた達の天の父上は、それが皆あなた達に必要なことをよく御承知である。
6:33 あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。
6:34 だから、あしたのことを心配するな。あしたはあしたが自分で心配する。一日の苦労はその日の分で沢山である。

●もし心が神の懐にない場合、人生は何となくうまくいかなくなって、家も伴侶も健康も次第に失ってくる運命になる。●人生の失敗は本当の安らぎの場所を教えられる神の愛の笞だ。●「私がこんな不幸に遭うなんて。・・・・神などいない」と言っているうちは、人生マダマダだ。●神は人に本当の幸福である「永遠の命」を与えるために、人生を残酷にめちゃくちゃにする。人間が「これこそが幸福だ」と思っているものを壊す。取り上げる。●それだから「あの人の不幸」は神の手だと思おう。霊魂が救われるように遠くから祈ろう。隠れて祈ろう。心の目が開かれるように祈ろう。

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秋留台地に雪。雪にめげずに野菜が生きる。

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雪の我が家。外は寒くても暖かい家があるのはありがたい。感謝。

人は家がないと心が安らがない。


 

 

 

 

 

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体験による確信でなく、信じるか信じないかだ。 ++++++++ 所感

2010/03/09 10:32

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100309(火)6時15分起床●TSK日本語化●昨日頂いた某夫人からの来信の次の部分に考えさせられた。この方は、今井館伝道聖書集会の第三回目のテープ(http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/denshou/sinu.htm)をお聴きくださった方である。

(来信の一部)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・私は高橋様のように信仰の確信がなく、不勉強。迷いの多い者ですが、ご講演をお聞きして、心に深く残ったことは、人間の罪のために死なれたイエスの歴史的事実。一人の人の死によって全ての人が救われるという言葉でした。・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(来信の一部おわり)

●年来の私の主張である「私は胸が熱くなることによって復活の確信を得た」ということは、胸が熱くなる体験をしなければ復活は信じられないのかという不安を抱かせて来たのではないのか。●現に子供の一人はあるとき「お父さんの話を聞いてもさっぱり胸が熱くならない」と言った。その時私は「今に分かる、今に分かる。神が人生のある日に現れて下さり胸をあつくしてくださり、復活を信じさせて下さる」と言ってきた。●しかし最近、信仰とは体験による確信ではなく、言われたことを素直に単純に信ずることではないかと思うようになった。それはイエスの次の言葉に教えられたからである。

塚本訳 ヨハ 11:25-26
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」

●この最後の「このことが信じられるか」という言葉である。兄弟ラザロの死に悲嘆にくれていたマルタを慰めるためにイエスは大脳皮質に向かって「分かるか」とか「知っているか」とか「理解せよ」とは言わず「信じられるか」と言った。つまり「信じなさい」と言った。いわんや「体験しなさい。経験しなさい」とも言わなかった。●この事から信仰は「信ずること」であって「体験や経験による確信ではない」ことがわかる。●しかし信ずることだけならば「鰯の頭も信心から」である。なにも難しいキリスト教でなくてもよい。●しかし、このお手紙を下さった御婦人は「心に深く残ったことは、人間の罪のために死なれたイエスの歴史的事実。一人の人の死によって全ての人が救われるという言葉でした。」と述べておられる。これは「罪の赦しの体験」に基づく言葉である。クリスチャンはこの「体験による確信」が土台でキリスト教に帰依している。しかし来世のことはただ「信じるか信じないか」でよい。自分だけの異常体験による狂信的な信仰(異言や聖霊体験)による確信は間違いであることはパウロもⅠコリ12章で述べている。ここらがいわゆる「聖霊派」の行き過ぎている点である。体験を自慢してはいけないことは、パウロが次のように言う。

塚本訳 Ⅱコリ12:5-6
12:5 こんな人のことをわたしは自慢しよう。しかしわたし自身のことは、弱いこと以外は自慢するまい。
12:6 もっともわたしが(こんな啓示を)自慢したところで、「馬鹿者」(と言われるほどのこと)ではなかろう。本当のことを言うのだから。しかし差し控える。わたしを見、あるいはわたしから聞く以上に、(何か特別のものでもあるように)だれかがわたしを買いかぶらないためである

●自分の体験と経験を誇ることをしないで、キリストの罪の赦しという共通の土台を見るべきことを暗に教えて下さったお手紙に感謝する。やはり信仰は女性だ。この方は癌で腎臓を摘出し、今は心臓の御病気で弱られている。回復を祈る。

●13日から始まるバンクーバーパラリンピックでメダルが期待されるアルペンチェアスキーの森井大輝は地元あきる野市の出身。高校生の時にバイク事故で下半身が不自由。しかし苦難にめげずに得意のスキーで出場。最近は森井への期待がテレビで大きく取り上げられる。過日(2010.2.22)たまたま通りかかったあきる野市役所のロビーで壮行会が行われていた。

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バンクーバーパラリンピック。アルペンチェアスキー出場の森井大輝。

あきる野市出身。壮行会(2010.2.22)にて撮影。金メダルを取れなくてもよい。障害を克服してここまで活躍するようになったこと自体がすでに金メダルなのだ。彼は終始笑顔であった。

●雪、寒い一日であった●浦和市立原山中学校の時に吹奏楽部で「音楽」をお教えいただいた川崎哲也先生の「サクラ図譜」(川崎哲也・画。大場秀章・編)の非常に立派な本が届き、しばし見とれた。●早速、川崎先生の御令妹である新島依子さんに感想の電話。つい長話になってしまった。先生召されて8年、「虎は死して皮を残す」ですねと申し上げた。とにかく影響力の大きい先生であった。●先生は36歳の時にキリスト教に入信。そのことからも心が通じる。先生は病中(腎臓病)、聖書を2回通読されたという。享年73歳であられた。●終日、「イエスの復活預言は史実か」について勉強。結論は簡単。霊に満たされると「預言したように」見える。これ無教会の「素人の聖書読み」。もし聖書学の作法に従って読むと「イエスは復活を預言しない」ということになるだろう。それは事後預言だということになるだろう。禍なのは「聖書の学者読み」。●聖書は「素人読み」でなければならない。

塚本訳 ヨハ 5:39-40
5:39 あなた達は聖書(旧約)をもっていることが永遠の命を持っていることのように思って、それを研究している。ところがこの聖書は、(永遠の命である)このわたしのことを証明しているのに、
5:40 あなた達はその命を得るためわたしの所に来ようとしない。

●「人間イエスが神の子に見える日」は次に書いた。

http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/denshou/ningeniesu.htm

●なおこれに関連することは次にも書いた。

http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/denshou/rei

 

 

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かわいい者には旅をさせよう ++++++++ 所感

2010/03/08 09:28

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100308(月)6時起床●TSK日本語化●昨日の「若者と語る」ソンポジウムの私の発言を記憶をたどりながらほぼ全文を記す。若干加筆。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は近藤恵の父親です。恵が筑波(大学)を出て、千葉の有機農業を営むK氏に弟子入りすると言いだしたとき私は非常に心配しました。特にK氏は成田闘争に関係した人物であることを聞き及んで、恵の信仰が失われるのではないかということが一番心配でした。そこで成田闘争の調整役団長であった住谷三喜男先生の事務所ををおたずねしてご意見を伺った。すると先生はその場ですぐ千葉の現地に電話して関係者を通してK氏のことを調べてくださった。そして電話を置くなり、「高橋さん。K氏は大丈夫だ。アンチクリストではない。『かわいいものには旅をさせましょう』」とご助言下さった。爾来10年、途中挫折もあったようだが、今日このように「有機農業7年目を迎えて」として発表できるまでになったとは感慨一入で感謝である。それでも恵に会うたびに収入状況を心配して聞いていたが、あるとき恵は「父さん。俺、貧乏とは思ってないよ」と言われてしまった。今日のシンポジストの石原正人氏(林業)の話の中にも自分はシアワセだという言葉が2回もあった。人には「シアワセ度」という尺度が必要だと思う。人の「シアワセ度」を年収で計ろうとするNHKや新聞は間違っている。みなさん今日の(シンポジスト)3名に共通の事は何かお分かりですか。それは3名ともネクタイを締めていないことです。(今日)ネクタイを締めている人は大体においてシアワセそうな顔をしていない。(爆笑。私自身がネクタイを締めてきていた)。私は建築士なのでいろいろな職種の人と付き合うが、その中で一番「生き生き」としているのは造園業者である。生きた命を扱っているからだと思う。建築士以外でなりたい職業は「造園業」でもよいと思った事がある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●住谷三喜男先生が召されたのはこの御助言をいただいてから3年後のことであった。今日、頂いたご助言のお礼を言うことが出来ないのが残念である。来世で言えるか。●昨日の集会で話した「イエスの復活を信じられるようになった理由」をHPの使徒伝承にアップロードした。

http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/denshou/riyu.htm

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「若本と語る」シンポジウム ++++++++ 所感

2010/03/07 21:58

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100307(日)●10:00 東京聖書読者会、土肥裕子、小寺利男、高橋照男、ラザロの復活。イエスの復活を信じられるようになった理由(下記URL)

http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/denshou/riyu.htm

●TH氏から「高橋さんの今日の話は最近のハイライトであった」と評価を受けた。ガッツポーズ。●14:00今井館、「若者と語る」シンポジウム。●シンポジストの三名は全て独立学園の卒業生。会衆は36名で盛会。多くの人が力と元気を頂いたとの感想があった。武藤陽一氏の感想「今日の三名から信仰の話が一つも出なったのは、信仰が地に着いたものである証拠。独立学園の教育も去ることながら、家庭教育の功績でもある。」。高橋照男の感想「息子の近藤恵は『父さん。俺は貧乏と思わないよ』と言ったことがある。石原牧人君の話の中で「シアワセ」という言葉が2回も出た。この三人に共通なのはネクタイを締めていないことだ。今日出席の人でネクタイを締めている人の顔はみな幸せそうではない」(爆笑)。●休憩時間には恵の持ってきた人参ジュース、妻の造ったケーキを頂いた●伊勢嘉明一家5名が来た。●

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今井館、「若者と語る」シンポジウム。

左より 鷲見八重子(司会)

シンポジスト

石原弦「豚飼雑感」(養豚業:岐阜県恵那市)

近藤恵「有機農業7年目を迎えて」(農業:福島県二本松市)

石原牧人「命のリレーを次世代に」(林業:山形県小国町

 

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吉田克子告別式 ++++++++ 所感

2010/03/06 08:06

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100306(土)6時起床●明日の資料の推敲、変更多数。●「神の国は一緒に生活している人にはわからない」

塚本訳 マタ 24:40-41
24:40 その時、二人の男が畑にいると、一人は(天に)連れてゆかれ、一人は(地上に)のこされる。
24:41 二人の女が臼をひいていると、一人は連れてゆかれ、一人はのこされる。

●クリスチャンの家庭の悲劇はここにある。信仰は神からのものであるから、一人づつである。人間的感化教育はできない。偉い伝道者の子弟必ずしも神を信じることはない。しかしそれでよいのだ。それでよいのだ。それが「絶対恩恵による罪の赦し」の真の現象なのだ。救いの主権は神にのみある。だから「あの人が」と思う人が救われる。神の思いは人間の思いより高い。パウロは次のように言う。

塚本訳 Ⅰコリ1:18-25
1:18 なぜか。この十字架についての言葉は、滅びゆく者には馬鹿なことであるが、わたし達救われる者には、神の力(の現われ)であるから。
1:19 (聖書に)こう書いてあるではないか、『知恵者の知恵をわたしは滅ぼし、賢い者の賢さをわたしは無にする』と。
1:20 『どこに知恵者が』、『どこに聖書学者が、どこに』この世の議論家がいるのか。神は(この)世の『知恵を馬鹿なものにされた』ではないか。
1:21 なぜなら、(この)世(の人)が自分の知恵により(判断し)、神の知恵(の現われである御業)において神を認めることをしないので、神は馬鹿な(ことと見える十字架の)説教によって信ずる者(だけ)を救おうと、お決めになったからである。
1:22 実際、ユダヤ人は(信ずるための証拠に神からの不思議な)徴を乞い、異教人は(真理を知るために)知恵を求めるが、
1:23 わたし達は十字架につけられたキリストのこと(だけ)を説く。すなわち、ユダヤ人にはつまづき、異教人には馬鹿なことであるけれども、
1:24 (神に)召された者だけには、ユダヤ人、異教人の別なく、(これこそ)神の力、また神の知恵なるキリストを(説くのである)。
1:25 というのは、神の(業はどんなに)馬鹿なこと(に見えても、それ)は人よりも知恵があり、神の(業はどんなに)無力(に見えても、それ)は人よりも力があるからである。

●11:00 荒川区の町屋斎場で故吉田克子さんの告別式。享年83歳。肺炎。晩年になってご主人の吉田秀雄さんをキリストに導くという最大最高の尊いことをされた。棺桶の蓋を閉じるとき、寡黙な吉田秀雄さんが克子さんに向かって涙ながらに大きな声で「ありがとう。世話になったね」と呼びかけた時は多くの人が泣いた。最高の夫婦愛を見た。私達はどちらが先に逝くかわからないがかくありたいと思った。●吉田家にキリスト教を運んだ久遠教会の井上ナツ子さんと初対面、しばし懇談。私にとっては耳で聞いていた幻の人であった。井上ナツ子さんの「お別れのことば」に感動した。「あるとき克子さんは聖書の言葉がすとんと胸に落ちた」という。聖書の話は頭にではなく心にすとんと落ちるものでなくてはならない。明日の話にヒントを与えられた●それよりも克子さんの4重苦のお孫さんのミドリさんが車椅子で参列。私にとってはミドリさんも幻の人であった。初対面。何も分からないようであったが実にきれいな肌をされていた。18歳。キリストはミドリさんの姿になって吉田家に忍び込んで、ご両親、祖父母をキリストに導いた。神は人を永遠の命に導くためにはどんなひどいことをなさるかわからない。神は人の目に残酷と見えることを通してご自分の愛の何であるかを教え給う。●吉田秀雄さんは連合設計社市谷建築事務所の所長で私が35歳から55歳まで所員として大変お世話になった。職場の人がキリスト教に入られたのは感謝。

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故吉田克子告別式。左から遺影吉田克子、喪主吉田秀雄、高橋照男、工藤正太牧師。

●終了後、無教会東京聖書集会の面々と昼食。増田敬、和田明代、(以上初対面)、中尾夫妻、吉村薫。●帰宅後、妻に今日の素晴らしい告別式の様子を報告●夜、吉田秀雄さんから電話。「立派な告別式でした」と感想を述べた。吉田さんは人生の晩年に「ほっとする世界」としてのキリスト教のエクレシアというものに出会ったことを話して下さった。万歳!、万歳!。

 

 

 

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かゞやき渡る天地(あめつち)の色 ++++++++ 所感

2010/03/05 09:08

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100305(金)6時起床●TSK日本語化、●明後日の集会感話の資料作成

目次

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イエスの復活を信じられるようになった理由
東京聖書読者会 2010.3.7 高橋照男
「死人が復活するなどという宗教はとても信じられない」ということが普通
復活を信じられるようになったのは「空の墓」の伝承で胸が熱くなったから。
一体何が起こったというのか。イエスの遺体の物理的消失。佐藤研論考。
イエスの「空の墓」の史実性。荒井献先生との往復書簡による確認合意。
脳内出血で意識不明になったときの最後の希望は「空の墓」の史実伝承。
イエスの復活体とはどういうものだったのか。遺体の4次元世界への変化。
来世での復活の希望を抱くには、史実の使徒伝承を聖霊で信ずることが必要。
復活は神の力によって「心の目」が開かれるときに信じられるようになる。
「胸が熱くなる」および「有体的復活」の言葉に対して応答がある不思議。
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第7-8項
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来世での復活の希望を抱くには、史実の使徒伝承を聖霊で信ずることが必要。
●来世での復活の希望を抱くには、有体的復活の伝承を「聞く事」と、聖霊を与えられてそれを信じられるようになることである。だから聖霊が与えられるようにと祈ることが必要。多くの人が死にかけた家人のためにイエスを呼んだ。
塚本訳Ⅰコリ6:14(聖書知識66号、昭和10年 P25 試訳)
6:14 そして神は主(キリスト)を甦えらせ給うたのであるから、その御能力をもって、また私達(の体)をも甦らせ給うであろう。
 
●人生において極度の悲しみの時にキリストは姿を現して下さる。ラザロの死(ヨハネ11:32)、ナインの若者(ルカ7:13)、ヤイロの娘(ルカ8:52)。こういう神の業は肉のよみがえりという現実の喜びだけではなく、来世で復活がありうるという希望を与えてくれる。これは神がイエスを史実として有体的に復活させて示してくれたのと同質である。我々はこれで理性の安息を得る。
⑧復活は神の力によって「心の目」が開かれるときに信じられるようになる。
●神は人それぞれに特殊特定の方法でイエスの復活を信じやすくしてくださる。私の場合は、胸の熱さが故に心の目が開かれイエスの「墓が空であった」ことは歴史的事実であると信じざるをえなくなった。「胸が熱くなった」というその忘れ得ぬ体験はエマオ途上の二人にも起こった。私の体験は異常ではない。
塚本訳ルカ 24:31-32
24:31 (その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。
24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。
 
●人に復活が分かるというのは神によって「心が開」かれる時である。
 
塚本訳 ルカ 24:45-46
24:45 それから聖書をわからせるために彼らの心を開いて
24:46 言われた、「救世主は苦しみをうけて、三日目に死人の中から復活する。
 
●パウロへの復活顕現も同行者にはわからなかった(使徒9:7、22:9)。こういう個人的主観的体験でも最近の歴史学では「歴史」の範疇であり、真理だとされるようになってきている。復活のイエスのパウロへの個人的顕現なくしてキリス教はない。個人的な信仰体験も歴史の内である。
 
塚本訳 使 9:7
9:7 一緒に来た者たちは唖然としてそこに立っていた。声は聞いたが、だれも見えなかったのである。
 
●復活体は写真には写らない。心を開かれた人にのみ「心の目」で見える。このことをレンブラントは「エマオの晩餐」(1628年)の絵で表現した。絵は、二人のエマオの旅人のうちの一人だけに心の目が開かれてわかったという場面である。イエスの存在が分からなかった人の姿は真っ黒に描いている。
 
●復活のイエスはなぜエマオ途上の二人に現れたのか。二人が望みをかけていたイエスが殺されたので悲しみに沈んで「暗い顔」をしていたからである。
塚本訳 ルカ 24:17
二人に言われた、「歩きながら何をそんなに論じ合っているのです。」暗い顔をして二人は立ち止まり、
レンブラント エマオの食卓 1628年 パリ ジャックマール・アンドレ美術館蔵
 
●神はイエスの復活を人の「心の目」を開いて有体的に現して下さる。このことは塚本訳ではその敷衍の故に明快である。(使徒2:30 10:40)。心の目で見えたことは絵画的には肉眼で見えたように表現するが、言葉での表現も同じで肉眼で「見た」かのように表現する。見たは「理解した」の意味に通じる。
塚本訳 使徒2章30節
神は(救世主である)このイエスを(預言どおりに)復活させられました。わたし達は皆このことの証人です。(イエスの復活を目の当り見たのだから。)
塚本訳 使 10:40-41
10:40 (しかし)神はこの方を三日目に復活させ、(人の目にも)見えるようにされた。
10:41 (ただし)国民全体でなく、神からあらかじめ選ばれていた証人であるわたし達、すなわちイエスが死人の中から復活されたあとで、一緒に飲み食いした者(だけ)に見えたのです。
 
塚本訳 ヨハ 14:22-23
14:22 イスカリオテでない方のユダが言う、「主よ、いったいどういうわけで、わたし達だけに御自分を現わし、この世(の人)にはそうしようとされないのですか。」
14:23 イエスは答えられた、「わたしを愛する者は、わたしの言葉を守る。するとわたしの父上はその人を愛され、わたし達は(父上もわたしも)、その人のところに行って、同居するであろう。
●神の愛は人間が理性ではとうてい信じ難い復活を信じやすくしてくださる。復活が信じられないのは神の力によらず努力して信じようとするからである。
塚本訳 マコ 12:24
12:24 イエスは言われた、「あなた達は聖書も神の力も知らないから、そんな間違いをしているのではないか。
 
●あるものの 奥に宿りし その日より かゞやき渡る 天地の色(室賀文武)
室賀文武は内村鑑三の柏木教友名簿(大正6年1917年)にその名がある。
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 ●西村裕氏、中川進氏 電話懇談●明後日の資料プリント
 
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復活は「心の目」が開くときに分かる ++++++++ 所感

2010/03/04 09:03

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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100304(木)6時起床●TSK日本語化●今日の勉強、イエスの復活予告は「事後預言か」。この疑問は大脳皮質では分からない。聖霊によって心の目が開くときに分かる●イエスが自分の復活を予告したのは三回。いずれも受難予告とセットで語られた。

受難と復活の予告


第一回 ピリポ・カイザリヤにて

塚本訳 マタ 16:21
16:21 この時から、イエスは自分が(神の計画どおり)エルサレムに行って、長老、大祭司連、聖書学者たちから多くの苦しみをうけ、殺され、そして三日目に復活せねばならないことを弟子たちに示し始められた。

平行記事

塚本訳 マコ 8:31-32
8:31 (この時から、)イエスは、「人の子(わたし)は多くの苦しみをうけ、長老、大祭司連、聖書学者たちから排斥され、殺され、そして三日の後に復活せねばならない。(神はこうお決めになっている)」と弟子たちに教え始められた。
8:32 しかもおおぴっらにこのことを話された。するとペテロはイエスをわきへ引っ張っていって、忠告を始めた。(救世主が死ぬなどとは考えられなかったのである。)

塚本訳 ルカ 9:22
9:22 そして、「人の子(わたし)は多くの苦しみをうけ、長老、大祭司連、聖書学者たちから排斥され、殺され、そして三日目に復活せねばならない。(神はこうお決めになっている)」と言われた。

第二回 ガリラヤにて

塚本訳  マタ 17:22-23
17:22 一行がガリラヤを旅行しているとき、イエスは(また)弟子たちに言われた、「人の子(わたし)は人々の手に引き渡されねばならない。
17:23 彼らに殺されるが、三日目に復活する。」弟子たちは非常に悲しんだ。

平行記事

塚本訳  マコ 9:30-32
9:30 一行は(エルサレムに上るため)そこを去って、ガリラヤを通った。しかしイエスは(この旅行が)人に知られることを好まれなかった。
9:31 「人の子(わたし)は人々の手に引き渡され、彼らはこれを殺す。殺されるが、三日の後に復活する」と言って、弟子たちに教えて(その覚悟を求めて)おられたからである。
9:32 彼らはこの言葉(の意味)がわからなかった。でもこわいので尋ねなかった。

塚本訳 ルカ 9:43-45
9:43 皆が神の御威光に驚いてしまった。イエスのされたすべてのことに皆が驚いていると、(また)弟子たちに言われた、
9:44 「あなた達はこの言葉をよく耳にしまって置きなさい。──人の子(わたし)は人々の手に引き渡されねばならない。」
9:45 しかし彼らはこの言葉がわからなかった。彼らに(意味が)隠されていたので、会得できなかったのである。でもこわいので、この言葉について尋ねなかった。

第三回 エルサレムへの道中

塚本訳マタ 20:17-19
20:17 いよいよエルサレムへ(の道を)上り出されるとき、イエスはまた十二人(の弟子)だけをそばに呼んで、道々こう話された、
20:18 「さあ、いよいよわたし達はエルサレムへ上るのだ。そして人の子(わたし)は(そこで)大祭司連と聖書学者たちとに引き渡される。彼らは死刑を宣告して
20:19 異教人に引き渡し、異教人はなぶり、鞭で打ち、ついに十字架につけるのである。しかし三日目に復活する。」

平行記事

塚本訳  マコ 10:32-34
10:32 一行はエルサレムへ(の道を)上る途中であった。イエスが(十二人の)弟子たちの先頭に立って(どしどし)歩かれるので、彼らは薄気味わるく思い、ついて行く(ほかの)人たちは恐ろしがっていた。イエスはまた十二人(だけ)をそばに呼んで、自分の身に起ろうとしていることを話し出された、
10:33 「さあ、いよいよわたし達はエルサレムへ上るのだ。そして人の子(わたし)は(そこで)大祭司連と聖書学者たちとに引き渡される。彼らは死刑を宣告して異教人に引き渡し、
10:34 異教人はなぶり、唾をかけ、鞭で打って、ついに殺すのである。しかし三日の後に復活する。」

塚本訳 ルカ 18:31-34
18:31 イエスは(また)十二人(の弟子だけ)をそばに呼んで、こう話された、「さあ、いよいよわたし達はエルサレムへ上るのだ。人の子(わたし)について預言者たちが(聖書に)書いてあることは、ことごとく成就する。
18:32 ──異教人に引き渡されて、なぶられ、いじめられ、唾をかけられ、
18:33 ついに鞭で打たれて殺されるのである。しかし三日目に復活する。」
18:34 弟子たちはこのことが全くわからなかった。この言葉(の意味)が彼らに隠されていて、(イエスの)言われたことが呑み込めなかったのである。

●なおこの事をイエスはたびたび言っておられたので一般周知のことであったらしい。

塚本訳マタ 27:62-64
27:62 あくる日、すなわち支度日[金曜日]の次の日[安息日]に、大祭司連とパリサイ人とはピラトの所に集まって
27:63 言った、「閣下、あの嘘つきがまだ生きている時、『自分は(死んで)三日の後に復活する』と言ったことを思い出しました。
27:64 だから三日目まで墓を警備するように命令してください。そうでないと、弟子たちが来て盗んでいって、人々に『イエスは死人の中から復活した』と言いふらさないとはかぎりません。そうなると、このあとの方の嘘は、(自分は救世主だと言った)前の(嘘)よりも始末が悪いでしょう。」

●イエスの復活が心から信じられるというのは神に心の目を開かれなければならない。そのことは次の事から明快である。

塚本訳 ルカ 24:14-16
24:14 これらの出来事をあれやこれやと話し合っていた。
24:15 二人が(こうして)話したり議論したりしていると、(いつの間にか)御本人のイエスが近づいてきて、一しょに歩いておられたが、
24:16 二人は目をくらまされていたので、それと気がつかなかった

塚本訳  ルカ 24:24-27
24:24 そこで仲間の男が二三人墓に行って見ると、はたして女たちの言うとおり(墓は空っぽ)だったが、(生きておられるという)その方は見えなかったのです。」
24:25 彼らに言われた、「ああ、預言者たちの言ったことを何一つ信じない、悟りの悪い、心の鈍い人たちよ!
24:26 救世主は栄光に入るために、そのような苦しみを受けねばならなかったのではないのですか。」
24:27 そして(預言者)モーセから始めて、すべての預言者が御自分につき聖書全体において言っていることを説明された。

塚本訳 ルカ 24:44-47
24:44 それから彼らに言われた、「(あなた達が見聞きした)これらのことは、わたしがまだあなた達と一しょにいたとき、わたしについてモーセの律法と預言書と詩篇と[聖書]に書いてあることは一つのこらずきっと成就する、と話したその言葉(が実現したの)である。」
24:45 それから聖書をわからせるために彼らの心を開いて
24:46 言われた、「救世主は苦しみをうけて、三日目に死人の中から復活する。
24:47 また罪を赦されるための悔改め(の福音)が、その名においてすべての国の人に説かれる、エルサレムから始まって、と(聖書に)こう書いてある。

塚本訳 ルカ 24:31
24:31 (その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。

●「事後預言」とは起こった出来事を過去の預言者がすでに預言したかのように、後代の編集者によって預言書に挿入されたもの。旧約にも新約にもある。イエスの復活予告が「事後預言」ではないのかと疑問を挟むのは心に聖霊を頂いていない時である。聖霊で心の目が開かれれば、心一杯、胸一杯になりその疑問は「つまらない」「色あせた」「頭の遊び」のものであることがわかる。不信仰人間の書いたものは全く読みたくなくなるから不思議●これは「イエスの尊厳意識」の問題にも通じる。聖霊で心の目が開けられば「イエスに神の子の自覚があったかどうか(これをイエスの尊厳意識という)」は聖書にその言葉があるかないかにかかわらず、「尊厳意識あり」と見える。この辺が聖書の素人読みの極意である。聖書を「神学者読み」「聖書学者読み」ならばイエスに尊厳意識なしという結論が導き出される。●聖書の「教権読み」ならばイエスに尊厳意識ありと言うことが死んだ信仰箇条で頭に信じ気まされる。無教会の「聖書の素人読み」は聖霊を頂いて何物にも支配束縛されずに、「イエスに尊厳意識あり」「イエスの復活予告は事後預言ではない」と信じられる。

塚本訳  ヨハ 5:39-40
5:39 あなた達は聖書(旧約)をもっていることが永遠の命を持っていることのように思って、それを研究している。ところがこの聖書は、(永遠の命である)このわたしのことを証明しているのに、
5:40 あなた達はその命を得るためわたしの所に来ようとしない。

●「人間イエスが神の子に見える日」は次に書いた。

http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/denshou/ningeniesu.htm

●なおこれに関連することは次にも書いた。

http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/denshou/rei

●35歳の時から職業上の世界でお世話になったYH氏の夫人YKさんが召されたとの報告。ご生前に一度お会いしたかったが、果たせなくて残念であった。YH氏を永遠の命に導かれたことはYKさんにとって最大最高の功績であった。結婚の最大の目的を果たされた。●18:40YH氏にお悔やみの電話をした。職業上の交わりから主にある交わりに連続する事は喜びである。神の祝福なしにこの連続はない。

 




 

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真のグリーフケア ++++++++ 所感

2010/03/03 12:08

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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100303(水)6時起床●TSK日本語化●癌の手術をされたOMさんに過日(2月28日)の今井館講演「死ぬとはdそういうことか」のテープと城湯を送る。●癌で家族を失って悲嘆に陥っている人の心の支えにグリーフケア(Grief care)という働き(運動)が進んできている。●それが必要であることは癌センター名誉総長の垣添忠生氏が夫人を癌で失ったときに書いた「妻を看取る日」(新潮社)に述べられている。ただしその悲嘆からの立ち直りに「趣味や遊び」に没頭するという結論には失望。真の宗教への帰依なき人の姿はこのように竜頭蛇尾である。日本の程度の低さよ●私に言わせれば、そのケアは同病相哀れむで、同じ経験をした人でなければ心が通じない。グリーフケアーを頭で勉強した人はケアーはできない。ここまではよい。●しかし同病相哀れむの事だけでは救いの喜びがない。それは演歌の世界である。失恋の悲しみを慰め合う心と似ている●真のグリーフケアは「永遠の命」と「復活の希望」の道を告知することだ。告知する人は「死の悲しみ」ということで同病相哀れむに立場に立っている。●私のグリーフケアは、今年になって今井館伝道聖書集会での3回の講演がそれにあたる。

第一回 「命の木」・・・その喪失と回復・・・  

      http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/denshou/ki.htm

第二回 イエスの復活とはどういうことだったのか・・・脳内出血で意識不明になって信じさせられたこと・・・

      http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/denshou/ie.htm

第三回 死ぬとはどういうことなのか・・・「死因は癌になる」と宣告されて考えさせられること・・・

      http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/denshou/sinu.htm

●真のグリーフケアは人間的慰めからはこない。趣味教養などの遊びに没入すること教会組織に入ることでは安らぎを得ない。特に復活や三位一体を信じていない集まりに行っても癒されない。それは「有体的復活の使徒伝承を聖霊によって信ずる」ところにある。

●妻は婦人の聖書勉強会のために千駄ヶ谷へ。妻がレポーター。「百卒長の下男」。「ペテロの姑」(マタイ8:5-15)。塚本虎二著作集をベースにしている。●妻はその後中野の愛子の所へ寄る。愛子がかなほの幼稚園説明会に行くので留守番。


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不完全なる者のために泣け ++++++++ 所感

2010/03/02 09:38

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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100302(火)5時目覚め、朝の黙想「不完全なることの恩恵」●TSK日本語化●高校生の時に「人生を決定した聖書の言葉」は次である。

塚本訳  ルカ 16:9-11
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。
16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。
16:11 だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。

●男にとって「職業の選択」は最重要事であるがこのルカの解読を塚本先生の著書から学び、キリスト教を飯の種にしなくて済んだ。イマドキの若い信者は、信仰に入るとなぜかすぐ、キリスト教を飯の種、職業にしようとして、修道院に入ろうとしたり、聖職者になろうとしたり、伝道活動をしようとしたりする。大間違いである。聖書を深く学んでない証拠である。●人がキリスト教や信仰を飯の種にしないで一見平凡なる普通の職業に神の道を見出すためにはそれなりの「神学」が必要である。●ルカ16:9-13は「救われた者の生涯」が説かれている。つまりこの世の不正な富を利用して(他人でなく)自分が来世に入れるように生きよというのである。これが「職業の神学」である。●ここで不正な富とは有限なるこの世の富、不完全なるこの世の富のことである。この世のものはこれすべて有限かつ不完全である●このことで私は有限にして不完全なるこの世の建築を生涯の飯の種として貫く事が出来た。●しかしその建物もそろそろ壊されたり、経済的理由で売却されたりし始めた。つまり建築は有限でしかも不完全なものである。しかし私にとって建築の仕事は来世へ入るためにの準備であったからこれでよいのだと思っている。●私が心血を注いで設計した台東区のOビルは2代目の時になり経済的理由から売却された。しかし先代の夫人から言われた事がある。「この建物は永遠の時の流れからすれば一瞬のうちに消え去るでしょう。しかし高橋さんに一生懸命になって造っていただいたという思い出は私の胸に永遠に残ります」と。その先代夫人は晩年に失明され、故人になられた。私としては「不正な富」を利用して先代御夫妻にに尽く事が出来た。そのことにより天国に友人[神]を持てたのであると自認しているのだが・・・・・●うれしいのは二代目であるご令息の奥さんがビル売却の時の悩みを通して信仰に導かれた事である。ビルは失われたが二代目に永遠の建物が与えられた。先代夫人の天での喜びはいかばかりか。

●女性にとっては「結婚問題」が最重要である。女子大で建築を教えていると生徒たちの関心は「シアワセな結婚」「シアワセな家庭生活」であることがわかる。その答えもこのルカ16:9-11にある。●集会のNNさんが信仰なき方と結婚することになったとき塚本虎二先生にご報告に行くと「あなたは生涯ご主人の救いという、祈りの対象が与えられてシアワセです」と祝福の言葉を与えられたという。●つまり「有限で不完全な夫」を利用して自分が来世に入れるようにせよという意味になる。●これは子供についてもあてはまる。「どうしてこんなひどい息子、娘になってしまったのだろう」と嘆く時、「この不完全なるひどい息子、娘」の救いを祈り続けることによってこの自分が来世に入れるようにすればよいのだ。つまり有限で不完全なる夫や子供に泣く時、その涙が神に覚えられるのだ。●放蕩息子のアウグスチヌスに泣いた母モニカがその悩みを司教のアンブロウシウスに訴えると「涙の子は滅びません」と慰められた。その後アウグスチヌスは回心してカトリック教会の礎となった●先に述べたNNさんは御主人の救いはこの世ではならなかった。NNさんご自身も数年前に召され、私が式を行った。そして今は遠い石川県の御主人の墓に一緒に眠っておられる。しかしNNさんの生涯の祈りは天に高く積まれていると確信する。それでいいんだ。それでいいんだ。NNさんの御生涯は来世で復活できる準備の生涯だったのだ●人間はこの世の有限で不完全なものに泣きながら仕えるところに「生きる道」がある。この事をパウロは次のように言う。パウロの肉体は病であった。不完全であった。有限であった。不正な富であった。

新共同 Ⅱコリ12:7-10
12:7 また、あの啓示された事があまりにもすばらしいからです。それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。
12:8 この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。
12:9 すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
12:10 それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。

●17:00図書館にCDを借りに行く。イオンで買い物●18:15 妻が郷里の入院見舞から戻ってきた。認知症の母は妻のことがはっきりわからない。いかに年齢だからしょうがないといっても親が認知症になるのは子供としてつらいことだ。

 

 

 

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