to 日記と感想 2010年04月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171030(月)10:00 聖路加 桑本先生
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170824(木)12:10キララホールエントランスコンサート、マリンバ
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170813(日)10:30ナザレン教会浦和教会
    170813(日)14:00比企紀和君
    170812(土)14:00お江戸こらりあーず演奏会、文京シビックホール
    170809     TW誕生日
    170809(水)17:16初音吹奏楽、府中の森芸術劇場ドリームホール
    170808(火)0930池谷医院
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170708(土)14:00在宅医療説明会(キララホール)
    170707(金)10:00池谷医院
    170706      TM誕生日
    170702(日) 集会感話
    170701      TT誕生日
    170630(金)12:20キララホールエントランスコンサート
    170628      IY誕生日
    170627(火)11:00 能城牧師来訪
    170625)日)10:10トミ子集会感話
    170625(日)14:00茅ヶ崎金子邸
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール


高橋の引照 ++++++++ 所感

2010/04/30 21:25


使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

       http://stonepillow.dee.cc/

100430(金)5時半起床●7:40妻は友人二人と飯能方面に小登山。妻は山登りが好きだ。仲人さんに「照男さんはクリスチャンで山が好きだそうですよ」と騙され、私の顔も見ないではるばる福島から来てくれた。妻は神に騙されたのだ。神は人を騙す。●ナニ、イエスも神に騙されたのだ。●イエスは終末が「すぐ来る」と思い続けていたのだ。神はすぐ助けに来てくれると信じ込んでいたのだ。

塚本訳 マタ 26:52-53
26:52 その時イエスが言われる、「剣を鞘におさめよ。剣による者は皆、剣によって滅びる。
26:53 それとも、父上にお願いして十二軍団以上の天使を今すぐ送っていただくことが、わたしに出来ないと思うのか。

●神は人を騙して「ご自分の道に導く」。人生の苦難の意味はここにある●10:00 今井館古書バザール。かなり購入●今井館で経堂聖書会の吉野隆治氏と信仰懇親。ブルトマン、復活論、終末論●古書バザールに来ておられた拙HPの読者であるというY氏(隠れ覗き見クリスチャン)と昼食懇談。主にある交わりはこの世の立場、仕事抜きで打ち解けられる不思議がある。氏は「高橋さんは何時も何かと闘っているようですね」というようなことを言われた。ナルホドそう見えるのか。「生きた魚は流れに逆らって泳ぐ」(内村鑑三)を思ってうれしかった。●15:00 目黒に98歳になられる黒田隆氏を見舞う。大分弱られた。重要な書類を見せてくださった。氏の家では私のことを「バッハさん」と呼んでいるという。髪の毛がもじゃもじゃだからである。かってウィーン国立歌劇場に行った時は小澤征爾に間違えられたがあれも神の毛のせいだった。●作業中の「TSK日本語版」は中止。新しく「高橋の引照」なるものをライフワークとして作成することに決心。この考えになったのはYT氏のアドヴァイス。感謝。

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YT様

またまた適切な聖句(使徒4:13-14)をありがとうございました。

大胆な話しぶり・・・・聖霊を頂けば「大胆になる」
無学な、ただの人たち・・・神学的大脳皮質の話でなく「無学な」者の引照。
不思議に思った・・・聖書にはこの不思議という言葉が多く出てきます。この不思議性が大切。

そこで私は「聖書霊感説」に立ち、無学な者の立場で「大胆に」引照します。それはいわゆる「逐語霊感説」ではありません。「聖書霊感説」です。そして「高橋の引照」は不思議な力があると言われるようになりたい。
そうすれば、マルコ1:1の神の子(神学的形容詞)が近代聖書学でどうなっていようとも、高橋の信ずるところに立って自由に「高橋の信仰告白」として引照を作成しようと思います。お導きありがとうございます。

口語訳 Ⅰコリ12:3
12:3 そこで、あなたがたに言っておくが、神の霊によって語る者はだれも「イエスはのろわれよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことができない。

この聖句は聖書に対しても同じであると解します。

塚本訳 Ⅱテモ3:13-17
3:13 そして悪人と詐欺師とはいよいよ悪に進み行くであろう──瞞しつ瞞されつつしながら!
3:14 しかし君は(先輩達から)学んだこと、(自ら)確信したことに(しっかり)留まって居れ。誰から(それを)学んだか、
3:15 また(既に)子供の時から聖書を習ったことを知っているではないか。この聖書はキリスト・イエスの信仰による救いへの知恵を君に与えることが出来る。
3:16 聖句は悉く霊感されたもので、教訓に、訓戒に、矯正に、義の教育に益があり、
3:17 かくて神の人が完成し、あらゆる善い仕事をする準備が出来る。


塚本訳 Ⅱペテ1:19-21
1:19 かくして私達に預言の言が一層確かなものとなった。どうか(この言を)真暗な所に輝く燈火として、日が照り出で暁の明星が君達の心の中に出るまで、これに注意してもらいたい。
1:20 ただ聖書の預言はどれも自分勝手な解釈をしてはならぬことを第一に知らねばならない。
1:21 というのは、預言はかつて人間の意志から出たことがなく、人が聖霊に駆り立てられ神(の霊)によって語ったものである。


●塚本先生はプロテスタント教会が弱くなったのは「聖書霊感説」(逐語霊感説ではない)がなくなっているからであると言っておられます。私はその塚本先生の立場でやりたいと思います。YT様のご教示で私は自由になれました。感謝です。


追伸

実に楽しい企画です。聖霊によって導かれるように、そして内村、塚本、黒崎の諸先生に「喜ばれる」ようなものにしたいと思います。
マルコ1:1の「神の子」問題などは神学聖書学などぶっ飛ばして「大胆に」やります。それが塚本、黒崎の立場、無教会読みと信じます。
「高橋の信仰告白」なのだ!。という姿勢にします。「笑うものは笑え」です。

高橋

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信仰は飛び込み ++++++++ 所感

2010/04/29 09:30


使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

       http://stonepillow.dee.cc/


100429(木)昭和の日、国民の休日●5時半起床。TSK日本語版4節●明後日の感話の準備。その一部を掲げる。

感話。「イエスの受難予告は事後預言」。聖書的根拠は省略



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① 受難予告は福音の要約としての事後預言・・・初代教会の熱い信仰告白

1-1 イエス自身が「三日目に復活する」と予告した疑問とその解決 

●将来の「時期」を知らなかったイエスが、「人の子は三日目に復活する」と予告した不自然さに苦しんできた。これは「事後預言」(既に起こった出来事を、過去の人物の語った預言の形で述べたもの。古代に広く流布していた歴史解釈の一手法・・旧約新約聖書大事典)であることが現代の聖書学ではほぼ定説になっていることを知って目から鱗が落ちた。この事により逆に神の心とイエスに事後預言を独白させた初代教会の熱い信仰告白が迫ってきた。学問は信仰の敵ではない(塚本虎二)。無教会は聖書学と信仰の調和。塚本、黒崎。


1-2 イエスの孤独の戦いの記事には目撃者がいなかった。だからその記録は初代教会の信仰告白。しかしそこには初代教会の深い福音理解がある。

 

●この4本柱よりもさらに短いのがイエス自身が独白(モノローグ、ひとりごと)で語る「受難の予告」(マルコ8:31-33、9:30-32、10:32-34)。それは受難物語の短い要約。近代聖書学は「初代教会の信仰が受難の要約をイエスに語らせた」と結論した。これは一見破壊的と見えるがこの結論のおかげでかえって初代教会の信仰告白の息吹が圧倒的に迫ってくる。これはイエスの歴史的発言ではなくとも神の心としては真理。だからイエスの「受難予告」はイエスの真正の言葉だと読んでも聖書の読み間違いではない。これは塚本訳の本文と敷衍の関係である。敷衍は本文の意味をより良く説明するためにある。それはイエスやパウロの発言ではなくとも意味において真理。しかし「受難予告」は歴史的発言としても真実であってほしいと思うのが理性の要求である。ところがこれがイエスの真正の歴史的発言だったとしても人間に神の霊が下らなければその真意を悟ることはできない。それをわかろうとするには跳躍が必要。信仰は神の愛のまなざしを信じての飛び込みである。信仰は跳躍である。●私の知人のKG氏は両親がクリスチャンだが信仰を持てないでいた。ある日GH氏に「君は(ご両親に)いろいろ不満があるだろうが思い切って飛び込んで見るんだな」と言われて開眼。今は信仰に熱心。


② 福音の要約的説教・・・ペテロの福音説教がマルコ福音書に敷衍展開した

2-1 ペテロの説教は福音の要約・・・福音書はその敷衍展開

●[ペテロの説教]ことにその第6(使 10:37-41)は福音の要約。この説教の中にマルコ福音書の4本柱が見られる。マルコはペテロの従者であった。マルコはペテロの伝道説教(受難の意味)の敷衍展開として「長い序文付きの受難物語」としてのマルコ福音書を書いた。「福音書成立の源流はペテロの伝道説教の4本柱にあった」とは英国C・H・ドッドの指摘。

 

ペテロの説教[第6]塚本訳 使  10:37-41                     【 】は高橋補注でペテロの説教の4本柱。これが敷衍されて福音書になった

 

【①洗礼者ヨハネの出現】
【②奇蹟集】
【③受難と十字架】
【復活】
 
2-2 初代教会の信仰告白の息吹が迫る

 

●この4本柱よりもさらに短いのがイエス自身が独白(モノローグ、ひとりごと)で語る「受難の予告」(マルコ8:31-33、9:30-32、10:32-34)。それは受難物語の短い要約。近代聖書学は「初代教会の信仰が受難の要約をイエスに語らせた」と結論した。これは一見破壊的と見えるがこの結論のおかげでかえって初代教会の信仰告白の息吹が圧倒的に迫ってくる。これはイエスの歴史的発言ではなくとも神の心としては真理。だからイエスの「受難予告」はイエスの真正の言葉だと読んでも聖書の読み間違いではない。これは塚本訳の本文と敷衍の関係である。敷衍は本文の意味をより良く説明するためにある。それはイエスやパウロの発言ではなくとも意味において真理。しかし「受難予告」は歴史的発言としても真実であってほしいと思うのが理性の要求である。ところがこれがイエスの真正の歴史的発言だったとしても人間に神の霊が下らなければその真意を悟ることはできない。それをわかろうとするには跳躍が必要。信仰は神の愛のまなざしを信じての飛び込みである。信仰は跳躍である。

2-3 初代教会の信仰告白としての福音書と読み人知らずの讃美歌

 

●マルコ1:1の「神の子」・・・神学的形容詞問題

 ・あるもの・・・B(バチカン写本)、A(アレキサンドリア写本)文語、口語、新改訳、新共同、KJV,RSV.NRSV,JB,NJB,NEB,REB,               

・ないもの・・・אアレフ写本)、ネストレ24、25版、塚本、田川、前田、

  ・(括弧)にしたもの・・・ネストレ26、27版、NTD、岩波佐藤研、

 

●この「神の子」の神学的形容詞が写本や翻訳にあってもなくても我々はイエス・キリストが神の子であることを信じる。この問題は「イエスの尊厳意識」についても同じ。(この問題は内村鑑三研究第28号・・1991 拙稿、「イエスの尊厳意識をめぐって」に結論した。「ご意見にまかせる」マタ27:11)

 

●初代教会の信仰はピリ 2:6-11の賛美歌(読み人知らず)によく現れている。

 


③「神はこうお決めになっている」・・・初代教会がイエスに読んだ神の業

3-1 初代教会が言わんとしたこと。

初代教会が福音書という文学形式で言わんとした事を要約すると次の通り。

「荒野の誘惑」(マタ 4:1)・・・・人は政治、経済、宗教では救われない     「ゲッセマネの苦闘」(マタ 26:36)・・・十字架は神がイエスに負わせた   「最高法院の審問」(マコ 14:54)・・・・真理は上からの啓示でのみわかる       「受難の予告」(マタ2017-19・・・受難は神の定めた業であった

3-2受難予告は神がイエスに負わせた「ねばならない」のストーリー

④「友のために死ぬ」・・・初代教会は「イエスは神の心を理解した」と読んだ 

⑤「君達には受難の覚悟があるのか」・・・初代教会自身の覚悟、自省
 

⑥「此の酒杯を我より取り去り給へ」・・・自分で自分を励ます初代教会


●神の心を察知して「死を覚悟」していたイエスであったが、いざ土壇場になると「(急に)おびえだし、おののいた」(マルコ1432)。そして見苦しくも「アバ、お父様、・・・どうかこの盃をわたしに差さないでください。」(マルコ1436)と嘆願した。これは「父(とう)ちゃん。モー勘弁してくれよ!」という意味である。さっきまでの雄々しい「受難予告」の「覚悟」はどこかに忘れて急に弱い人間イエスに変わった。このイエスの弱さの記事は迫害下にある初代教会自身の慰めと励ましである。「(初代教会の)我々もこれでいいんだ。見苦しい十字架の死でいいのだ。ぶざまな負け犬の姿でいいのだ。信仰などどこかに消えて、みっともなくかっこ悪い死に方でいいんだ。信仰的にも失敗の人生でよいのだ。そのあとは神が復活で引きあげてくださるのだから」と。
 これは現代にも通じる。癌で苦しみ認知症になって、信仰もおかしくなってもよいのだ。それで家族に冷笑されつまずかれたりして去られてもよいのだ。神は覚えていてくださり最後の日にはきっと我々を有体的に復活させて下さる。

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感話。「イエスの受難予告は事後預言」終わり


●現在進行中の「TSK日本語版」には方法論で致命的欠陥があることがわかり、中止することに決定した。●中止の理由はもうい一つある。コンピュタプログラムに強い若きNK氏と知り合いになり、氏が同じくTSKの日本語版に近いことを目指しておられることを知ったからである。氏は英語にもITにも非常に強く、彼なら私の悲願である「TSK日本版」の完成を成し遂げてくれると思うからである。●彼が私の前に現れたのは天啓である。同時に私に派新しい道が与えられそうである。

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聖書の「道」 ++++++++ 所感

2010/04/28 14:12

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

       http://stonepillow.dee.cc/


100428(水)5時半起床。朝の啓示「道」●TSK日本語版4節●TSK日本語版、SWORD,のことで関係者と企画会議、産みの苦しみ●YT氏からパソコン技術のご教示、感謝●今井館HA氏にメール。「WEB黒崎」の経験が生きる。本の時代からITの時代になった

●15:00 妻と共に五日市の星野利男さんを見舞う。全盲で耳も聞こえなくなり、文字通り暗黒の世界に生きておられる。信仰が頼みの綱。最近召された竹内正一氏のことをお話し下さった。16:00に来られたヘルパーさんは妻の事を知っておられ、妻はご主人のことを知っておられた。世間は狭い●五日市から武蔵増戸まで新緑のあきる野を妻と散歩した。途中、亡くなった妻の父が訪れたところを通り、昔を思い出した。母も間もなくだろうと妻が言う。道端の店に売っていたタケノコを200円で購入した。

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新緑のあきる野を妻と散歩。夕方で光量が少なく新緑が写らなかった。

resize1351.jpg 

新緑のあきる野を妻と散歩。春の秋川。子供達と遊んだのは30年も前のことになったなー


●聖書の中の「道」について思う。Jバイブルで「道」をヒットすると669個所ありそれを全部読んだ。こういうことはITでなければ到底できないこと。
それをあえて4っつに集約する
①「道ならぬ道を歩むな。・・・・・・これは宗教以前の普通道徳
②神は人を正しい道に歩ませる。導く・・・・・・これ信者の人生観
③「わたしは道である」・・・・・・イエスの言葉。ほっとする
④救いの道を示すもの・・・・・イエスの弟子たるものの使命

●以下は、ヒットしたもののうち心に響いたもの。旧新約669か所を全部読み、「聖書」を読んだ気になった。「道」とはよくわかる不思議な言葉だ。

民    5: 29 [口語

これは疑いのある時のおきてである。妻たる者が夫のもとにあって、道ならぬ事をして身を汚した時、

申    1: 33 [口語

主は道々あなたがたの先に立って行き、あなたがたが宿営する場所を捜し、夜は火のうちにあり、昼は雲のうちにあって、あなたがたに行くべき道を示された。

申    8: 6 [口語

あなたの神、主の命令を守り、その道に歩んで、彼を恐れなければならない。

申    10: 12 [口語

イスラエルよ、今、あなたの神、主があなたに求められる事はなんであるか。ただこれだけである。すなわちあなたの神、主を恐れ、そのすべての道に歩んで、彼を愛し、心をつくし、精神をつくしてあなたの神、主に仕え、

申    11: 19 [口語

これを子供たちに教え、家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、それについて語り、

申    25: 5 [口語

兄弟が一緒に住んでいて、そのうちのひとりが死んで子のない時は、その死んだ者の妻は出て、他人にとついではならない。その夫の兄弟が彼女の所にはいり、めとって妻とし、夫の兄弟としての道を彼女につくさなければならない。

申    25: 7 [口語

しかしその人が兄弟の妻をめとるのを好まないならば、その兄弟の妻は町の門へ行って、長老たちに言わなければならない、『わたしの夫の兄弟はその兄弟の名をイスラエルのうちに残すのを拒んで、夫の兄弟としての道をつくすことを好みません』。

ヨシ   22: 5 [口語

ただ主のしもべモーセが、あなたがたに命じた戒めと、律法とを慎んで行い、あなたがたの神、主を愛し、そのすべての道に歩み、その命令を守って、主につき従い、心をつくし、精神をつくして、主に仕えなさい」。

士    18: 6 [口語

その祭司は彼らに言った、「安心して行きなさい。あなたがたが行く道は主が見守っておられます」。

Ⅱサム  22: 33 [口語

この神こそわたしの堅固な避け所であり、/わたしの道を安全にされた。

Ⅱ列   22: 2 [口語

ヨシヤは主の目にかなう事を行い、先祖ダビデの道に歩んで右にも左にも曲らなかった。

ネヘ   9: 12 [口語

昼は雲の柱をもって彼らを導き、夜は火の柱をもってその行くべき道を照されました。

ネヘ   9: 19 [口語

あなたは大いなるあわれみをもって彼らを荒野に見捨てられず、昼は雲の柱を彼らの上から離さないで道々彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らの行くべき道を照されました。

ヨブ   8: 13 [口語

すべて神を忘れる者の道はこのとおりだ。神を信じない者の望みは滅びる。

ヨブ   24: 23 [口語

神が彼らに安全を与えられるので、/彼らは安らかである。神の目は彼らの道の上にある。

詩    1: 1 [口語

悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。

詩    1: 6 [口語

主は正しい者の道を知られる。しかし、悪しき者の道は滅びる。

詩    5: 8 [口語

主よ、わたしのあだのゆえに、あなたの義をもってわたしを導き、わたしの前にあなたの道をまっすぐにしてください。

詩    18: 32 [口語

神はわたしに力を帯びさせ、わたしの道を安全にされました。

詩    19: 9 [口語

主を恐れる道は清らかで、とこしえに絶えることがなく、主のさばきは真実であって、ことごとく正しい。

詩    23: 3 [口語

主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。

詩    25: 4 [口語

主よ、あなたの大路をわたしに知らせ、あなたの道をわたしに教えてください。

詩    25: 8 [口語

主は恵みふかく、かつ正しくいらせられる。それゆえ、主は道を罪びとに教え、

詩    25: 9 [口語

へりくだる者を公義に導き、へりくだる者にその道を教えられる。

詩    25: 10 [口語

主のすべての道はその契約とあかしとを守る者には/いつくしみであり、まことである。

詩    32: 8 [口語

わたしはあなたを教え、あなたの行くべき道を示し、わたしの目をあなたにとめて、さとすであろう。

詩    37: 5 [口語

あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、

詩    37: 7 [口語

主の前にもだし、耐え忍びて主を待ち望め。おのが道を歩んで栄える者のゆえに、悪いはかりごとを遂げる人のゆえに、心を悩ますな。

詩    37: 23 [口語

人の歩みは主によって定められる。主はその行く道を喜ばれる。

詩    37: 34 [口語

主を待ち望め、その道を守れ。そうすれば、主はあなたを上げて、国を継がせられる。あなたは悪しき者の/断ち滅ぼされるのを見るであろう。

詩    77: 13 [口語

神よ、あなたの道は聖である。われらの神のように大いなる神はだれか。

詩    86: 11 [口語

主よ、あなたの道をわたしに教えてください。わたしはあなたの真理に歩みます。心をひとつにしてみ名を恐れさせてください。

詩    107: 7 [口語

住むべき町に行き着くまで、まっすぐな道に導かれた。

詩    119: 1 [口語

おのが道を全くして、主のおきてに歩む者はさいわいです。

詩    119: 3 [口語

また悪を行わず、主の道に歩む者はさいわいです。

詩    119: 9 [口語

若い人はどうしておのが道を/清く保つことができるでしょうか。み言葉にしたがって、それを守るよりほかにありません。

詩    119: 27 [口語

あなたのさとしの道を/わたしにわきまえさせてください。わたしはあなたのくすしきみわざを深く思います。

詩    119: 33 [口語

主よ、あなたの定めの道をわたしに教えてください。わたしは終りまでこれを守ります。

詩    119: 37 [口語

わたしの目をほかにむけて、むなしいものを見させず、あなたの道をもって、わたしを生かしてください。

詩    119: 105 [口語

あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。

詩    139: 3 [口語

あなたはわが歩むをも、伏すをも探り出し、わがもろもろの道をことごとく知っておられます。

詩    139: 24 [口語

わたしに悪しき道のあるかないかを見て、わたしをとこしえの道に導いてください。

詩    143: 8 [口語

あしたに、あなたのいつくしみを聞かせてください。わたしはあなたに信頼します。わが歩むべき道を教えてください。わが魂はあなたを仰ぎ望みます。

詩    143: 10 [口語

あなたのみむねを行うことを教えてください。あなたはわが神です。恵みふかい、みたまをもって/わたしを平らかな道に導いてください。

詩    145: 17 [口語

主はそのすべての道に正しく、そのすべてのみわざに恵みふかく、

箴    1: 19 [口語

すべて利をむさぼる者の道はこのようなものである。これはその持ち主の命を取り去るのだ。

箴    2: 13 [口語

彼らは正しい道を離れて、暗い道に歩み、

箴    3: 6 [口語

すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。

箴    3: 17 [口語

その道は楽しい道であり、その道筋はみな平安である。

箴    4: 14 [口語

よこしまな者の道に、はいってはならない、悪しき者の道を歩んではならない。

箴    4: 18 [口語

正しい者の道は、夜明けの光のようだ、いよいよ輝きを増して真昼となる。

箴    4: 19 [口語

悪しき人の道は暗やみのようだ、彼らは何につまずくかを知らない。

箴    4: 26 [口語

あなたの足の道に気をつけよ、そうすれば、あなたのすべての道は安全である。

箴    5: 6 [口語

彼女はいのちの道に心をとめず、その道は人を迷わすが、彼女はそれを知らない。

箴    5: 8 [口語

あなたの道を彼女から遠く離し、その家の門に近づいてはならない。

箴    5: 21 [口語

人の道は主の目の前にあり、主はすべて、その行いを見守られる。

箴    7: 25 [口語

あなたの心を彼女の道に傾けてはならない、またその道に迷ってはならない。

箴    11: 5 [口語

誠実な者は、その正義によって、その道をまっすぐにせられ、悪しき者は、その悪によって倒れる。

箴    11: 20 [口語

心のねじけた者は主に憎まれ、まっすぐに道を歩む者は彼に喜ばれる。

箴    12: 15 [口語

愚かな人の道は、自分の目に正しく見える、しかし知恵ある者は勧めをいれる。

箴    12: 26 [口語

正しい人は悪を離れ去る、しかし悪しき者は自ら道に迷う。

箴    12: 28 [口語

正義の道には命がある、しかし誤りの道は死に至る。

箴    13: 6 [口語

正義は道をまっすぐ歩む者を守り、罪は悪しき者を倒す。

箴    13: 15 [口語

善良な賢い者は恵みを得る、しかし、不信実な者の道は滅びである。

箴    14: 12 [口語

人が見て自ら正しいとする道でも、その終りはついに死に至る道となるものがある。

箴    15: 9 [口語

悪しき者の道は主に憎まれ、正義を求める者は彼に愛せられる。

箴    15: 10 [口語

道を捨てる者には、きびしい懲らしめがあり、戒めを憎む者は死に至る。

箴    15: 19 [口語

なまけ者の道には、いばらがはえしげり、正しい者の道は平らかである。

箴    16: 2 [口語

人の道は自分の目にことごとく潔しと見える、しかし主は人の魂をはかられる。

箴    16: 9 [口語

人は心に自分の道を考え計る、しかし、その歩みを導く者は主である。

箴    16: 25 [口語

人が見て自分で正しいとする道があり、その終りはついに死にいたる道となるものがある。

箴    20: 24 [口語

人の歩みは主によって定められる、人はどうして自らその道を、明らかにすることができようか。

箴    21: 2 [口語

人の道は自分の目には正しく見える、しかし主は人の心をはかられる。

箴    21: 29 [口語

悪しき者はあつかましくし、正しい人はその道をつつしむ。

箴    22: 6 [口語

子をその行くべき道に従って教えよ、そうすれば年老いても、それを離れることがない。

箴    23: 19 [口語

わが子よ、よく聞いて、知恵を得よ、かつ、あなたの心を道に向けよ。

箴    26: 13 [口語

なまけ者は、「道にししがいる、ちまたにししがいる」という。

箴    28: 6 [口語

正しく歩む貧しい者は、曲った道を歩む富める者にまさる。

箴    30: 19 [口語

すなわち空を飛ぶはげたかの道、岩の上を這うへびの道、海をはしる舟の道、男の女にあう道がそれである。

イザ   26: 7 [口語

正しい者の道は平らである。あなたは正しい者の道をなめらかにされる。

イザ   30: 21 [口語

また、あなたが右に行き、あるいは左に行く時、そのうしろで「これは道だ、これに歩め」と言う言葉を耳に聞く。

イザ   35: 8 [口語

そこに大路があり、その道は聖なる道ととなえられる。汚れた者はこれを通り過ぎることはできない、愚かなる者はそこに迷い入ることはない。

イザ   40: 3 [口語

呼ばわる者の声がする、「荒野に主の道を備え、さばくに、われわれの神のために、大路をまっすぐにせよ。

イザ   40: 27 [口語

ヤコブよ、何ゆえあなたは、「わが道は主に隠れている」と言うか。イスラエルよ、何ゆえあなたは、「わが訴えはわが神に顧みられない」と言うか。

イザ   42: 3 [口語

また傷ついた葦を折ることなく、ほのぐらい灯心を消すことなく、真実をもって道をしめす。

イザ   42: 16 [口語

わたしは目しいを/彼らのまだ知らない大路に行かせ、まだ知らない道に導き、暗きをその前に光とし、高低のある所を平らにする。わたしはこれらの事をおこなって彼らを捨てない。

イザ   48: 17 [口語

あなたのあがない主、イスラエルの聖者、主はこう言われる、「わたしはあなたの神、主である。わたしは、あなたの利益のために、あなたを教え、あなたを導いて、その行くべき道に行かせる。

イザ   55: 8 [口語

わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると/主は言われる。

イザ   55: 9 [口語

天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。

イザ   59: 7 [口語

彼らの足は悪に走り、罪のない血を流すことに速い。彼らの思いは不義の思いであり、荒廃と滅亡とがその道にある。

イザ   59: 8 [口語

彼らは平和の道を知らず、その行く道には公平がない。彼らはその道を曲げた。すべてこれを歩む者は平和を知らない。

イザ   63: 17 [口語

主よ、なぜ、われわれをあなたの道から離れ迷わせ、われわれの心をかたくなにして、あなたを恐れないようにされるのですか。どうぞ、あなたのしもべらのために、あなたの嗣業である部族らのために、お帰りください。

イザ   65: 2 [口語

よからぬ道に歩み、自分の思いに従うそむける民に、わたしはひねもす手を伸べて招いた。

エレ   10: 2 [口語

主はこう言われる、「異邦の人の道に習ってはならない。また異邦の人が天に現れるしるしを恐れても、あなたがたはそれを恐れてはならない。

エレ   10: 23 [口語

主よ、わたしは知っています、人の道は自身によるのではなく、歩む人が、その歩みを/自分で決めることのできないことを。

ヨナ   3: 8 [口語

人も獣も荒布をまとい、ひたすら神に呼ばわり、おのおのその悪い道およびその手にある強暴を離れよ。

マタ   3: 3 [口語

預言者イザヤによって、「荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」と言われたのは、この人のことである。

マタ   7: 13 [口語

狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。

マタ   7: 14 [口語

命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。

マタ   10: 5 [口語

イエスはこの十二人をつかわすに当り、彼らに命じて言われた、「異邦人の道に行くな。またサマリヤ人の町にはいるな。

マタ   11: 10 [口語

『見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、あなたの前に、道を整えさせるであろう』と書いてあるのは、この人のことである。

マタ   21: 32 [口語

というのは、ヨハネがあなたがたのところにきて、義の道を説いたのに、あなたがたは彼を信じなかった。ところが、取税人や遊女は彼を信じた。あなたがたはそれを見たのに、あとになっても、心をいれ変えて彼を信じようとしなかった。

マタ   22: 16 [口語

そして、彼らの弟子を、ヘロデ党の者たちと共に、イエスのもとにつかわして言わせた、「先生、わたしたちはあなたが真実なかたであって、真理に基いて神の道を教え、また、人に分け隔てをしないで、だれをもはばかられないことを知っています。

マタ   26: 42 [口語

また二度目に行って、祈って言われた、「わが父よ、この杯を飲むほかに道がないのでしたら、どうか、みこころが行われますように」。

マコ   1: 2 [口語

預言者イザヤの書に、「見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、あなたの道を整えさせるであろう。

マコ   12: 14 [口語

彼らはきてイエスに言った、「先生、わたしたちはあなたが真実なかたで、だれをも、はばかられないことを知っています。あなたは人に分け隔てをなさらないで、真理に基いて神の道を教えてくださいます。ところで、カイザルに税金を納めてよいでしょうか、いけないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めてはならないのでしょうか」。

ルカ   1: 76 [口語

幼な子よ、あなたは、いと高き者の預言者と呼ばれるであろう。主のみまえに先立って行き、その道を備え、

ルカ   1: 79 [口語

暗黒と死の陰とに住む者を照し、わたしたちの足を平和の道へ導くであろう」。

ルカ   3: 5 [口語

すべての谷は埋められ、すべての山と丘とは、平らにされ、曲ったところはまっすぐに、わるい道はならされ、

ルカ   7: 27 [口語

『見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、あなたの前に、道を整えさせるであろう』と書いてあるのは、この人のことである。

ルカ   10: 4 [口語

財布も袋もくつも持って行くな。だれにも道であいさつするな。

ルカ   19: 42 [口語

「もしおまえも、この日に、平和をもたらす道を知ってさえいたら………しかし、それは今おまえの目に隠されている。

ルカ   20: 21 [口語

彼らは尋ねて言った、「先生、わたしたちは、あなたの語り教えられることが正しく、また、あなたは分け隔てをなさらず、真理に基いて神の道を教えておられることを、承知しています。

ヨハ   1: 23 [口語

彼は言った、「わたしは、預言者イザヤが言ったように、『主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の声』である」。

ヨハ   14: 4 [口語

わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたにわかっている」。

ヨハ   14: 6 [口語

イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。

使    2: 28 [口語

あなたは、いのちの道をわたしに示し、/み前にあって、わたしを喜びで満たして下さるであ/ろう』。

使    9: 2 [口語

ダマスコの諸会堂あての添書を求めた。それは、この道の者を見つけ次第、男女の別なく縛りあげて、エルサレムにひっぱって来るためであった。

使    13: 10 [口語

言った、「ああ、あらゆる偽りと邪悪とでかたまっている悪魔の子よ、すべて正しいものの敵よ。主のまっすぐな道を曲げることを止めないのか。

使    14: 16 [口語

神は過ぎ去った時代には、すべての国々の人が、それぞれの道を行くままにしておかれたが、

使    16: 17 [口語

この女が、パウロやわたしたちのあとを追ってきては、「この人たちは、いと高き神の僕たちで、あなたがたに救の道を伝えるかただ」と、叫び出すのであった。

使    18: 25 [口語

この人は主の道に通じており、また、霊に燃えてイエスのことを詳しく語ったり教えたりしていたが、ただヨハネのバプテスマしか知っていなかった。

使    18: 26 [口語

彼は会堂で大胆に語り始めた。それをプリスキラとアクラとが聞いて、彼を招きいれ、さらに詳しく神の道を解き聞かせた。

使    19: 23 [口語

そのころ、この道について容易ならぬ騒動が起った。

使    22: 4 [口語

そして、この道を迫害し、男であれ女であれ、縛りあげて獄に投じ、彼らを死に至らせた。

使    24: 14 [口語

ただ、わたしはこの事は認めます。わたしは、彼らが異端だとしている道にしたがって、わたしたちの先祖の神に仕え、律法の教えるところ、また預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じ、

ロマ   3: 17 [口語

そして、彼らは平和の道を知らない。

ロマ   11: 33 [口語

ああ深いかな、神の知恵と知識との富は。そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい。

Ⅰコリ  10: 13 [口語

あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。

Ⅰコリ  12: 31 [口語

だが、あなたがたは、更に大いなる賜物を得ようと熱心に努めなさい。そこで、わたしは最もすぐれた道をあなたがたに示そう。

ピリ   4: 12 [口語

わたしは貧に処する道を知っており、富におる道も知っている。わたしは、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている。

Ⅰテサ  3: 11 [口語

どうか、わたしたちの父なる神ご自身と、わたしたちの主イエスとが、あなたがたのところへ行く道を、わたしたちに開いて下さるように。

Ⅰテモ  5: 15 [口語

彼女たちのうちには、サタンのあとを追って道を踏みはずした者もある。

ヘブ   3: 10 [口語

しかも、四十年の間わたしのわざを見たのである。だから、わたしはその時代の人々に対して、/いきどおって言った、/彼らの心は、いつも迷っており、/彼らは、わたしの道を認めなかった。

ヘブ   10: 20 [口語

彼の肉体なる幕をとおり、わたしたちのために開いて下さった新しい生きた道をとおって、はいって行くことができるのであり、

ヘブ   12: 13 [口語

また、足のなえている者が踏みはずすことなく、むしろいやされるように、あなたがたの足のために、まっすぐな道をつくりなさい。

ヤコ   5: 19 [口語

わたしの兄弟たちよ。あなたがたのうち、真理の道から踏み迷う者があり、だれかが彼を引きもどすなら、

Ⅱペテ  2: 2 [口語

また、大ぜいの人が彼らの放縦を見習い、そのために、真理の道がそしりを受けるに至るのである。

Ⅱペテ  2: 15 [口語

彼らは正しい道からはずれて迷いに陥り、ベオルの子バラムの道に従った。バラムは不義の実を愛し、

Ⅱペテ  2: 21 [口語

義の道を心得ていながら、自分に授けられた聖なる戒めにそむくよりは、むしろ義の道を知らなかった方がよい。

ユダ   1: 11 [口語

彼らはわざわいである。彼らはカインの道を行き、利のためにバラムの惑わしに迷い入り、コラのような反逆をして滅んでしまうのである。


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久しぶりの都心 ++++++++ 所感

2010/04/27 20:44


使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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100427(火)5時半起床●TSK日本語版●福島で有機農業に苦闘している息子のブログにすばらしい風景写真が載っていた。次をクリック。 
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この写真を見て、内村鑑三の言葉を思った。「読むべきは聖書、学ぶべきは天然、なすべきは労働」。このような環境で労働ができる人は幸せだ。

●10:00 聖路加国際病院で脳のMRI検査 。都心の風景を下記に掲げるが、上記福島の息子の風景のほうが心安らぐ。都心は便利だが、心は安らがない。


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聖路加から見る墨田川。高層住宅は墓石のようだなー。


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聖路加タワー、10年前の退院する夏の日にあのブリッジにから都心を見たなー。
都心は大病院があって便利だが、便利や文化文明は即幸福ではないなー。


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東京駅八重洲口の超高層ビル。息苦しいなー

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癌の9大原因 ++++++++ 所感

2010/04/26 12:25


使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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100426(火)5時半起床●TSK日本語版●6:30公園でラジオ体操●妻から「癌は遺伝ではないと新聞に出ているわよ」と言われて読んだ。常日頃、「私は癌で死ぬ」。と言っているからである。それは母が肺癌で死に、弟も肺癌になった。(弟の場合は手術が成功して回復したが・・・)。この事から聖路加国際病院の主治医から私は癌になることは決定的であると言われているのである。つまり癌になるかならないかは家系でわかるというのである。ところが妻に促されて読んだ新聞(日経2010.4.25朝刊9面)「癌の9大原因」を読むと次のようであった。米国で癌で死亡した700万人のデータ。
  ①たばこ・・・21%  両親が喫煙する家庭で25年以上過ごした子供は将来肺癌になる割合が 2倍
  ②野菜や果物の摂取不足
  ③塩分の取り過ぎ
  ④ウィルス
  ⑤運動不足
  ⑥ 肥満
  ⑦アルコール
  ⑧空気汚染
  ⑨レントゲン検査や薬剤の副作用

結論として次のようにあった。「遺伝することが証明されている癌は全体の5%に満たない。癌になるかどうかはライフスタイルで決まる。早期発見より、予防を真剣に考えるべきだ」。
●清貧で野菜を食べて体を動かしていれば癌になりにくいと言うことか。私を省みると酒たばこをやらず清貧と野菜食は実行している。 運動不足と肥満塩分の取り過ぎに気をつけなければならない。
●次回の集会の準備。マルコ1:1の「神の子」の神学的形容詞付加の勉強で半日費やした。次のようにまとめた。

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●マルコ1:1の「神の子」・・・神学的形容詞問題

  ・あるもの・・・B(バチカン写本)、A(アレキサンドリア写本)文語、口語、新改訳、新共同、KJV,RSV.NRSV,JB,NJB,NEB,REB,                         ・ないもの・・・אアレフ写本)、ネストレ24、25版、塚本、田川、前田、

  ・(括弧)にしたもの・・・ネストレ26、27版、NTD、岩波佐藤研、

 

●この「神の子」の神学的形容詞が写本や翻訳にあってもなくても我々はイエス・キリストが神の子であることを信じる。この問題は「イエスの尊厳意識」についても同じ。このことは内村鑑三研究第28号・・1991 拙稿、「イエスの尊厳意識をめぐって」に結論した。信仰は上からの垂直の啓示による。だからイエスは言う「ご意見にまかせる」(マタ27:11)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●この問題について田川建三は「書物としての聖書」で10ページも解説している(P472以下)。駄目だなーこの人は信仰がない。田川は自分の人生の恨みつらみをイエスの言動に読みこんでいる。この人の聖書の読み方は間違っている。この人は「祈る」ということをしないから聖書の本質が見えない。語学には強いが、語学で聖書はわからに。イエスに言わせればまさに「ご意見にまかせる」ということになる。●図書館●町内会班長の仕事。

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間もなく皐月。この家にはどんな男の子がいるのだろう。

 

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若井君万歳 ++++++++ 所感

2010/04/25 07:54

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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100425(日)5時半起床●TSK日本語版●昨日テープで聞いた若井克子さんの「夫がアルツハイマーになって」の発表が頭から離れない。(昨日のブログ参照)。私は若井ご夫妻のことは存知あげていて、晋氏がアルツハイマーになったこととご夫婦のことはすでに公表されている(「医学と福音」「今井館ウィークデーの集い」)のでここでもう少し詳しく書く。若井晋氏は東大教授で脳外科の名医。JOCS総主事、海外に100回以上も出かけての大活躍、令息は医者であり、令嬢は米国留学、人もうらやむ「人に役立つ人間」であった。ところが「若年性のアルツハイマー」になった。漢字が書けなくなり。ATM操作もできなくなった。初めは「どうしてこの俺が」と言って信じようとせず、受け入れなかった。とうとう自暴自棄になり、当たり散らして克子夫人には「君とはもうやっていけない。君が出ていくか俺が出ていくかだ。俺は野垂れ死にする!!」などと口走り、人生どん底、夫婦の危機。アー神は人生の絶頂期に人を地獄につき落とす。しかし克子さんは頑張り、「あこがれの晋さんと結婚できたのはこの時のためであったのではないか」と忍耐した。晋氏はアルツハイマーを受け入れて穏やかになった今、克子さんは「夫が健常な時よりもアルツハイマーになってからの今のほうが幸せだ」と告白された。若井君万歳。克子さん万歳。私の家が全焼してその後奇蹟的に新築できたとき、克子さんは友人のNHとはるばるあきる野までお祝いに来てくださった。その時に頂いたミルトスがもうすぐ花を咲かせる。若井君。君の花が咲くのももう少しだ。フランクルの言う通りだ。「人に役立つ人間よりも悩む人間の方が上だ」は本当だ。そのほうがより深く、より深く人に影響を与えるのだ。それが真に「人に役立つ人間」になれるのだ。●妻と集会へ。高木、長島、横田●昼食会。内村鑑三生誕150年記念行事に臨む姿勢について高木博義氏からアドバイスを頂き楽になった。●会場の野口英世記念会館の飯島氏から来年、建物を壊すというご挨拶をいただいた●サー、また会場問題だ。ナニ、「無教会は建物を持たないのが強みだ」(塚本虎二)●福島で有機農業に奮闘している息子の農業日誌に「意気消沈」ということがあっった。

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スワ一大事。そこで、次のように激励メールを出した。

(息子へのメール)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

K君

 25日、「意気消沈」、拝見しました。

「農業の厳しさ」という言葉にずっしりきました。

人生、悪いことは重なるものです。

お父さんも、悪いことが重なり「真っ青」になったことがあります。あの時は泣きっ面に蜂でした。

住宅建築の引き渡しの日、建築主に建物のアチコチにケチを付けられ、最後の監理料を支払ってもらえなかった時です。

「真っ青」。60万円の損失。会社に顔が立たない。結局、支払ってもらえましたが、仕事は厳しいもんです。

でも悪いことが重なってもいつの間にか解決していくのも人生です。

今日のブログ、「若井晋君万歳」を御参考にしてください。

K君の作物の不作、苦労、総てを神は知っていてくださいます。神は愛なりです。
祈っています。

 

 

塚本訳 マタ 6:26

6:26 空の鳥を見てごらん。まかず、刈らず、倉にしまいこむこともしないのに、天の父上はそれを養ってくださるのである。あなた達は鳥よりも、はるかに大切ではないのだろうか。

 

 

塚本訳 マタ 6:34

6:34 だから、あしたのことを心配するな。あしたはあしたが自分で心配する。一日の苦労はその日の分で沢山である。

 

 

塚本訳 マタ 10:29-31

10:29 雀は二羽一アサリオン(三十円)で売っているではないか。しかしその一羽でも、あなた達の父上のお許しなしには地に落ちないのである。

10:30 ことにあなた達は、髪の毛までも一本一本数えられている。

10:31 だから恐れることはない。多くの雀よりもあなた達は大切である。

 

 

口語訳 詩  37:25

37:25 わたしは、むかし年若かった時も、年老いた今も、正しい人が捨てられ、あるいはその子孫が/食物を請いあるくのを見たことがない。

 

 

口語訳 詩  126:5

126:5 涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(息子へのメール)おわり

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火災から十年の恩恵 ++++++++ 所感

2010/04/24 07:18


使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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100424(土)5時半起床●今朝の黙示「党派争いは善か」●TSK日本語化●6:30公園でラジオ体操●Ⅰコリ1:12の「キリスト党」とは何だろう。一見よさそうに思えるが・・・・・。


塚本訳 Ⅰコリ1:12-13
1:12 もっとはっきり言うとこうである。──あなた達はめいめい、「わたしはパウロ(先生)に」、「わたしはアポロ(先生)に」、「わたしはケパ(先生)に」、わたしは(主)キリストに」と言っている。
1:13 救世主が分裂しているのか。まさかパウロがあなた達のために十字架につけられたのではあるまい。それとも、(キリストでなく)パウロの名で、あなた達は洗礼を受けたというのか。


●無教会主義というのは「内村党」である。そしてその下部に「塚本党、矢内原党、黒崎党、○○党というのが無数にある。ルター派は「ルター党」である。そのほかカルヴァン党、ウェスレー党などプロテスタントは無数に分裂。●かって前田先生は外国人から日本の新教事情を聴かれて「マルク系、フラン系、ポンド系、(いずれも当時)ドル系」と答えられた●信仰は分裂必ずしも悪くはない。信仰が純粋になるところ、必ず分裂が起こる。信仰の本質を二の次にして妥協して一致合同しようとするのは間違っている。一致という偶像である●「WEB黒崎」によれば「キリスト党」とは自分たちが一番すぐれているという自負心から他を排除する姿勢の「党」らしい。現代の無教会主義者に似ていたのかもしれない。その自負心がいけないとパウロはいうのだろう。●ただし「自負心」はいけないと言って、信仰の真贋の見分けがつかないようではいけない●真の信仰者は友を選ぶ。俗っぽい信者を毛嫌いする。これ自分の信仰がダメにならないための防衛本能である。駄目な信者は「匂いでわかる」●妻が協力している「ウィークデーの集い」の4月21日のものをテープで聴く。若井克子さんの「夫がアルツハイマーになって」。フランクルの次の言葉を引用されたのが心に残った。「『役に立つ人間より、苦悩する人間の方が上だ』とフランクルは言ったが、主人は脳外科医として多くの人の脳の病を癒す『役に立つ人間』であったが、今は自らが脳の病で苦悩する人間になった。主人が健常な時と病になった今とを比べると本人はやさしく謙虚になったので今の方が幸せです」●昨日4月23日は10年前のこの日、家が全焼した。妻と話し合うに、恩恵の十年であった。あの時火災になってさらに三ヵ月後に脳内出血で倒れたことにより、神の恩恵を知った。神の鞭は痛かったが、それ以上のものをあたえられた。●私が23歳ぐらいで若井氏が20歳ぐらいのときのこと。二人は「キリスト教夜間講座」に出席していたが、あるとき、雨が降りだし、傘を持っていなかった私に彼は玄関でさっと傘のなかに入れてくれた。あのことは40年以上たっても忘れない。また私の家が全焼しして新築なった時は克子さんが友人とお祝いに来てくれた。アルツハイマーよいう若井夫妻に負わされた重い十字架は「十字架」には本人たちにはわからない深い意味があるはすだ。●アブラハムに犠牲の捧げものとされたイサクはその死の意味を知らなかった。イエスの死に重なる。イエスは次のように叫んで死んでいった。

塚本訳  マコ 15:34
15:34 三時に、イエスは大声を出して『エロイ エロイ ラマ サバクタニ!』と叫ばれた。訳すると、『わたしの神様、わたしの神様、なぜ、わたしをお見捨てになりましたか!』である。

●自転車の修理●妻は夕方から合唱の練習。ラインベルガー「レクイエム」。ブラームス「ジプシーの歌」

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キリストのかおりがする人 ++++++++ 所感

2010/04/23 09:45

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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100423(金)5時半起床●妻の調子は回復。感謝●TSK日本版●聖書の電子化に奉仕されているNK氏のことを「WEB黒崎」チームの面々に紹介。キリスト教電子派(?)なるものが事実上立ち上がった感じがする。組織なし、金銭トラブルなし、国際的、所属教会集会は自由、祈り合い、奉仕の精神のみ。●信仰がなければ「見えない」「分からない」ものがある。次の言葉がそれを示す。

塚本訳ヘブ 11:3
11:3 (まず、)信仰によって、わたし達はこの世界が神の言葉で造られたことを知る。すなわち、見えるものは、現われぬものからできているのである。

●具体的に言う。地の総てが神によってできたことは信仰で分かる。バッハの音楽は信仰がなければその心髄はわからない。レンブラントの絵も分からない。●女性の美しさも信仰の目でみるとき、輝いて見える美しい人がいる。電車の中で目の周りに墨を塗っている女性は美しいとは思えない。世の人が褒める女優のような美人は心安らぐ本当の美をもっていない●信仰で分かる真の美は建築についても同じ。丹下建三や黒川記章の建築は「おどかし建築」であるから信仰の美はない。教会堂も同じ。深い信仰から生み出されたものは見る人がみればわかる。フランスのシトー派の石造の教会堂は20世紀建築界の巨匠フランスのル・コルビジェに影響を与えた。一度見てみたかったがもう無理だ●クリスチャンでも勉強ばかりしている頭でっかちの女性にハッとするような美しい人は少ない。
(いないとは言わない)●聖書そのものではなく、聖書の周辺のことにばかり興味を持つ人間には不美人が多い。●神学女性とは付き合えない。すぐにつっかかってくるから楽しくない。 美しい人は皆無。


塚本訳ヨハ 1:14
1:14 この言葉は肉体となって、(しばらく)わたし達の間に住んでおられた。(これが主イエス・キリストである。)わたし達はその栄光を見た。いかにも父上の独り子らしい栄光で、恩恵と真理とに満ちておられた。


塚本訳 使  6:15
6:15 法院に坐っていた者が皆ステパノに目をとめた。彼の顔がちょうど天使の顔のように(輝いて)見えた

塚本訳Ⅱコリ4:6
4:6 というのは、(世界創造の時、)「光、暗闇から輝き出でよ」と言われたその神は、キリストの顔に現れている神の栄光を知る知識が明らかになるため、わたし達の心の中に光を輝かせてくださったからである。

●生まれつき足が悪くて生涯歩けなかったTK氏は、御母堂が召された時、棺に取りすがって「お母さんきれいだね。お母さんきれいだね」と泣かれた。ご母堂は最後までそのTK氏のことが気になり、「うわごと」のように口にされていた。TK氏にとって御母堂の美しさは信仰の目で見た美しさであった。これが本当の美人だ。●美人は「視覚」で分かるが、そのほかクリスチャンには「かおり」というものがある。聖書以外の本を喜んで読む人間は「キリストのかおり」がしない。俗臭がする。 あれではいけない。●「九条の会」と言って憲法九柔を守ろうとする運動があるが、その9割以上は共産党の人間。クリスチャンがその尻馬に乗って活動すると赤くなるばかりで「キリストのかおり」を発しなくなる。

口語訳 Ⅱコリ2:14-16
2:14 しかるに、神は感謝すべきかな。神はいつもわたしたちをキリストの凱旋に伴い行き、わたしたちをとおしてキリストを知る知識のかおりを、至る所に放って下さるのである。
2:15 わたしたちは、救われる者にとっても滅びる者にとっても、神に対するキリストのかおりである。
2:16 後者にとっては、死から死に至らせるかおりであり、前者にとっては、いのちからいのちに至らせるかおりである。いったい、このような任務に、だれが耐え得ようか。


口語訳 エペ 5:2
5:2 また愛のうちを歩きなさい。キリストもあなたがたを愛して下さって、わたしたちのために、ご自身を、神へのかんばしいかおりのささげ物、また、いけにえとしてささげられたのである。

口語訳 ピリ 4:18
4:18 わたしは、すべての物を受けてあり余るほどである。エパフロデトから、あなたがたの贈り物をいただいて、飽き足りている。それは、かんばしいかおりであり、神の喜んで受けて下さる供え物である。

●17:30「内村鑑三生誕150周年記念行事準備委員会」於今井館。9名。●議論から良いものは生まれない。私を「知的レベル」において小馬鹿にする人間に出会って気分が悪かった。私を裁くその人間の知的レベルは神の目から見れば低くて狭い。●人間を批判する時、あの人にはあれが足りない、これが足りない。あの点が私に合わないという「裁き」は自分の料簡の狭さを露呈している。次のイエスの言葉は恐ろしいほどの真理である。

塚本訳 マタ 7:1-2
7:1 (人を)裁くな、自分が(神に)裁かれないためである。
7:2 (人を)裁く裁きで、あなた達も裁かれ、(人を)量る量りで、あなた達も量られるからである。

●パウロの「人は信仰によって救われる」という単純でやさしい真理に対してユダヤ教やギリシャ哲学を学んだ頭でっかちの人間はこれを「小馬鹿」にして潰しにかかった。それに対してパウロは次のように言った。

塚本訳Ⅰコリ1:18-19
1:18 なぜか。この十字架についての言葉は、滅びゆく者には馬鹿なことであるが、わたし達救われる者には、神の力(の現われ)であるから。
1:19 (聖書に)こう書いてあるではないか、『知恵者の知恵をわたしは滅ぼし、賢い者の賢さをわたしは無にする』と。


塚本訳 Ⅰコリ1:23-25
1:23 わたし達は十字架につけられたキリストのこと(だけ)を説く。すなわち、ユダヤ人にはつまづき、異教人には馬鹿なことであるけれども、
1:24 (神に)召された者だけには、ユダヤ人、異教人の別なく、(これこそ)神の力、また神の知恵なるキリストを(説くのである)。
1:25 というのは、神の(業はどんなに)馬鹿なこと(に見えても、それ)は人よりも知恵があり、神の(業はどんなに)無力(に見えても、それ)は人よりも力があるからである。

口語訳 イザ 29:14
29:14 それゆえ、見よ、わたしはこの民に、再び驚くべきわざを行う、それは不思議な驚くべきわざである。彼らのうちの賢い人の知恵は滅び、さとい人の知識は隠される」。

●「研究」という言葉の意味は小さい穴の中を出たり入ったりすること。その狭く小さい穴から世界を見て「裁く」ことが神の目から見れば「穴が小さい」と言うことである。人はすぐ自分の専門分野という穴に逃げ込んで世界を断罪して裁く。自戒。次の文語訳は高校生の時に暗記したものだった。

文語訳 マタ 7:1-2
7:1 なんぢら人を審くな、審かれざらん爲なり。
7:2 己がさばく審判にて己もさばかれ、己がはかる量にて己も量らるべし。





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弱くなった妻 ++++++++ 所感

2010/04/22 08:48


使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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100422(木)5時半目覚め。弱くなった妻が寝ている。私「大丈夫か」。妻「大丈夫よ」。●TSK日本版●昨日、妻は午前中は告別式、午後は今井館のウィークデーの集い。家に帰ると「疲労困憊」していた。結婚生活40年、今までこんなことはなかったので急に心配になった。今まで妻の健康に恵まれ過ぎていたのかもしれない。本人は「一日に二か所行くと疲れる」と言っている。妻は弱くなった。心配。悲しい●私は妻に見送られて逝くことが当然と思っていたが、そうではないこともありうることを考え始めた。夫人に先立たれた先輩はたくさんいる。私は恵まれ過ぎてていたのだ。昨日葬儀を行った望月明氏は昨年の5月に夫人に先立たれ一年も立たないうちに召された。●ナニ、ヒルティだって夫人に先立たれたのだ。ヒルティは「妻に先立たれて私は完全ではなくなった」と嘆いた。塚本先生は結婚後僅かで夫人を失った。親しい人に「私の家は片端だー、片端だー」と漏らして嘆かれたそうだ。

口語訳 創 2:18
2:18 また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。

●妻が何時までも傍にいてくれると思うのは間違いであることを考えると残りの人生の過ごし方に「気が引き締まる」。「洗脳される」「目から鱗が落ちる」。「一番大切なこと」をしなければならない。人生は有限ではない。残りの人生は短い。次のことをやって死ねば本望だ。

塚本訳  Ⅰコリ15:3-4
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること
 
●福島県で有機農業に奮闘している三男の恵の農園日誌に「カビ」のことが書いてあったので、
http://chitata.blogspot.com/

感想を下記のように送った。

(息子の農園日誌に対する感想)
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K君

 

農園日誌の21日、「新緑」 拝見しました。

農業現場の苦労を知らない門外漢のタワゴトだと思って聞いてください。

「カビ」には何か意味があるのではないのかなー

過日18日、日本旧約学会会長の月本昭男先生ご夫妻と喫茶線で懇親しました(ブログ参考)。私が「息子の有機農業の田んぼには鳥が寄って来る」と言うと、インスピレーションを得たらしく、「神が祝福するときは被造物の総てが応援する」と言われました。「カビ」も何か応援してくれているのではないかなー。(タワゴト)

アメリカで鹿(?)を襲う狼を全滅したら、今度は鹿が増えすぎて困り、別のところから狼を連れてきて放しました。生体系はバランス良く保たれています。鳥は有機農業故にいる田んぼの虫を食いに来てくれるのでしょうか。

「カビ」を嫌ってこれを排除すると、カビが天敵であった別の菌が増えるのでは?・・・・・。

人間の浅はかな知恵で「よかれ」と思うことは失敗する例が多い。これ子育ても同じ、盆栽を作るような気持ちで子供を育てると失敗します。盆栽では枝の伸び方を針金で縛って「かくあれかし」と思って形を矯正します。子育てや教育はこれがいけない。子供が窮屈になって伸びない。これ子育て失敗のもと。自戒。子供の良いところを伸ばしましょう。・・・と言ってみんながまだ小さかったころのこと。私が家に帰るとそれまで見ていた野球をさっと消しましたね。あれ良かったのか―と思ってしまいます。子育ては親が全力投球なので強く太い針金でぐるぐる巻きにしたくなることも真理。子育ては難しい。神に祈り、肉の父ではなく天の父なる神の導きを願う方法が一番です。

 

父・照男


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(息子の農園日誌に対する感想) おわり

◍ネットを媒介にして初対面。古戸匡(中学の恩師古戸泰先生のご令息)、中丸国生(聖書の電子化奉仕者)●郵便局◍16:00TV「名曲探偵アマデウス」。モーツァルトのアイネクライネナハトムジークが有名になったのは1930年ごろ。原因はSPのレコードの普及だという。各楽章がSPrコード片面にうまく入り、全4楽章がSP二枚できれいに収まったからだという。◍妻から「(女の)直感だけれどもアノ人とはあまり付き合わない方がいいわよ」と言われた。◍人間の信用を計る方法は住所、家庭、職業、宗教、経済である。それに比べて家柄、学歴、出身校、容姿、出身地、は判定材料にならない。特に出身校を鼻に掛ける人間は要注意。昔は良かったが今は落ち目であることの証明。妻は外国作品の探偵ものが大好きである。◍男は「誰と付き合うべきか」は妻の助言を尊重すべきである。オンナの直感は天性。

塚本訳 マタ 27:19
27:19 ピラトが裁判席に着いているとき、その妻が彼の所に人をやって、「その正しい人に関係しないでください。その人のおかげで、昨夜夢で散々な目にあいましたから」と言わせた。

◍このピラトの妻の「オンナの直感」はただしかった。どこかの国ではピラトの妻は「聖人」になっているそうだ。




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愛の心と聖書 ++++++++ 所感

2010/04/21 07:32

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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100421(水)5時半起床●TSK日本語版●昨日の望月明氏の前夜式での孫息子の涙ながらの「別れの言葉」が頭に残って忘れられない。こういう人の応援団になりたい。昨日のブログから再掲する。

(昨日のブログから再掲)
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●孫息子の別れの言葉「高校受験に失敗して落ち込んでいた時、ジーちゃんは聖書を買って黙って渡してくれたね。それは難しくて分からなかったけれども、あのときジーちゃんがそれで俺を励ましてくれた心が伝わってきたよ。俺その後就職して大きくなったよ」(高橋言う。これが最高、最大の伝道だ。この青年は将来きっと素晴らしいクリスチャンになりそうだ。)

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(昨日のブログから再掲)おわり



●福音伝道の動機は「説教」ではなく、「愛の心」「慰めの心」「励ましの心」でなくてはならない。●残る生涯はこういう青年の友になりたい。東大一流企業大学教授ばかりが人生ではない。


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望月明告別式。妻と。愛子も参列。

高木博義氏の感話が光った。「望月明氏は職業牧師の地位をなげうって無教会になったその信仰の姿勢が見上げたものだ」。同感である。●今日も孫二人の「別れの言葉」に胸を打たれた●遺族挨拶は喪主で長男の望月眞氏。その挨拶「父は家族に決してキリスト教を押しつけなかったので子供達は信仰には無関心であったが、父の遺志は孫に通じたようだ」●孫6人、その多くが祖父の仕事と同じような福祉の仕事である。●妻と愛子はその後があるので、献花をしないで退席●棺の蓋を閉じる時は多くの人が泣いた。●小寺ご夫妻と昼食●妻は今井館。

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集会の帰途、白い花が美しい樹木。何と言う名前だろう。

●妻は今井館から「疲労困憊」で帰ってきた。先日もこのようなことがあり、本人は「一日に二か所行くのは疲れる」という。弱くなってしまった妻。結婚生活40年でこんなことは今までになかった。心配。回復を祈る。●私は妻より先に逝くものとばかり思っていたが、あるいはそうでもないかも知れないとフトよぎった。
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無教会は瞬時の出会い ++++++++ 所感

2010/04/20 09:25

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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100420(火)5時半起床●TSK日本語版◍6:30公園でラジオ体操◍WEB黒崎の協働者内で「無教会」について論議が出たので、私の考えをまとめた。以下にそれを掲げる。

(無教会の運命に関する高橋の見解)

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無教会の運命

 

   無教会人口の激減。

・内村鑑三記念講演会は最盛期は数百人。現在は100人程度

・各地にある無教会集会は北の方から消滅しつつある。次は東京か

・今井館教友会の維持会員は老齢化のため激減。最盛期の6割。今井館の借地料が支払えなく なることは時間の問題。

・東京聖書読者会も激減。今や老人クラブ。会場費の支払いも困難

 

   無教会の将来の神学論

・人の顔ほど意見、神学、希望があるが、類型化すると次の通り。一々お名前を上げません

・悲観論(天罰論、遊び集団への堕落論、人物崇拝、政治平和運動への退化論、宿   
     命論、神学集団への変質論、運命論、諦念論、壊滅論、破壊論、  
     絶望論 使命終了論、老齢化衰退論、教会へ脱出論、正統信仰喪失論、集  
     会維持への堕落)    

・神任せ論(思考停止論、神ママ論、楽観論、ホスピス論、延命処置中止論)

・人為的延命論(存続希望論、人為的連帯運動、イベント運動、集会存続運動、教会  
        との和解論、若者期待論、偉人輩出待望論)  

・終末待望論(聖書的、信仰的)

 

   高橋は最後の終末待望論ですので、その聖書的根拠を述べます。

 

塚本訳ルカ 18:6-8

18:6 それから主は言われた、「この不埒な裁判官の言うことを聞け。

18:7 (こんな男でもこのとおり。)まして神が、夜昼叫んでいるその選ばれた人々のために仕返し(の裁判)をせず、気長に放っておかれることがあろうか。

18:8 わたしは言う、間もなく彼らのために仕返しをされるであろう。しかし人の子(わたし)が来るときに、はたして地上に信仰(をもつ人)が見当るだろうか!

 

◍イエスは悲観論とともに終末待望論であります。

 

塚本訳ヘブ 10:23-25

10:23 また、わたし達は(洗礼のとき)告白した(主の再臨の)希望を、動かさずに守っていようではないか。──(これを)約束された方は忠実であるから。──

10:24 また、わたし達は愛と善い業とを励まし合うように互に心掛けようではないか。(堅い信仰と動かぬ希望と愛の励み、この三つこそ最も尊い神の賜物である。)

10:25 (また、)ある人々がするように、集会を怠けず、むしろ互に勧め(合って出席す)るようにしなくてはいけない。その日が近づいていることをあなた達は知っているから、いよいよそうしなくては!

 

◍これは終末を待望しながら自分自身に気をつけていなさいということ。イエスの「終末は突然来るから目を覚ましていなさい」という警告につながる。これは次の創世記を連想する。

 

口語訳 創  18:32

18:32 アブラハムは言った、「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。わたしはいま一度申します、もしそこに十人いたら」。主は言われた、「わたしはその十人のために滅ぼさないであろう」

 

◍これは教会無教会を問わず、共通の慰め。グループとしての無教会は消えてもよい。キリスト教が消滅しなければよい。そのためには、この自分が「最後の10人」になればよい。否「最後の一人になればよい」。否、認知症になって信仰が分からなくなったら「神ご自身が残る。栄光神にあれ」

 

塚本訳ロマ 9:27

9:27 (預言者)イザヤもイスラエル人について叫んでいる。『たとえイスラエル[ヤコブ]の子孫の数は海の砂のように(多数)であろうとも、(信ずる小数の)残りの者(だけ)が救われる。

 

塚本訳ロマ 11:5

11:5 だから、同じように今の世にも、恩恵の選びによる残りの者がある。

 

WEB黒崎の公開によりすぐさまかなりの反応(アクセス。現在は1万5千3百)が見られた時。私が感じたことは「日本には残りの者がいる!!」ということでした。喜びでした。神は恐ろしい方で、滅ぼす時は肉体も魂も滅ぼされます(第二の死、マタ1028)。言わんや「無教会」なんぞを消すのは一瞬です。そんな中で両兄と一瞬の交わりでしたが、「WEB黒崎」に時間と熱意を投入できたのは良い思い出です。考えてみればこれも「無教会」があっての交わりだったわけです。無教会とは瞬時の出会いです。神の恩恵でした。感謝です。「グループとしての無教会」の運命は恐ろしい神の裁きの前に服したいと思います。

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(無教会の運命に関する高橋の見解)おわり

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チューリップ。神の時は人間の「議論」「願い」に関わらず粛々と進む。

◍本日の前夜式と明日の告別式の開会の祈りを次のようにまとめた。

(故望月明 葬儀の開会の祈り 原稿)

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            望月明 葬儀の祈り

 

開式の祈りを捧げます。

 

天地万有を永遠より永遠に御手のうちに支配される全能の父なる御神様。

私たち有限なる者にとって、死は嘆き悲しみであり、淋しいものです。

先ごろ散った桜の花の命も短いものですが、人生も同じように短いものです。

医学が発達しても私達は命を思うようには延命できません。実に悲しい存在です。

人生はなぜこのように淋しく悲しい存在なのでしょうか。嘆きの河があふれるのみです。

しかし幸いなことに喜ばしい知らせがありました。それは「死は眠りであり、地球も宇宙も滅びる世の終わりに人は復活して永遠の命をいただける」という喜びの知らせでした。

故人は若き日にその知らせに接し、そのことを終生信じ続けました。

誰も死後の世界のことはわかりませんが、故人はそのうれしい知らせを固く信じ、遂に去る17日にいよいよそこに出立されました。安らかであったとお伺いしました。

キリスト教にとって、死は一時の眠りであり、神の懐に隠されることであります。そして世の終わりの復活の日には霊の体で元と同じ姿で甦ることを信じています。これは私達の希望であり信仰であります。故人は眠るように召されたと伺いました。

最後に歌う賛美歌405番には「また会う日まで」という素晴らしい言葉があります。この希望があって私達の悲しい別れも慰められます。

本日と明日の葬儀は、故人と共にこの喜びの希望を再確認する日であります。

しかしあなたの御国に迎えられるためには罪が洗い清められなくてはならないことも聖書に書いてあります。故人が生前に知ると知らざるとにかかわらず犯した罪をイエスキリストの贖罪の死の故にことごとくお赦し下さいますように、残る私達の祈りをここにお献げいたします。

今からのしばしの時間、あなたがこの場に御臨み下さいまして、私達の希望と信仰を固くしてくださいますようにお祈り申し上げます。

開式にあたりこの願いを私達の救いの希望であるキリストの御名によりまして御前にお献げいたします。

アーメン。

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故望月明 葬儀の開会の祈り 原稿)おわり

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望月明前夜式。享年81歳、脳幹血栓。眠るように召された。凱旋。万歳。
お孫さん二人の涙ながらの「別れのことば」に心打たれた。(於・豊玉ホール)
 
●望月明氏は、アッセンブリ―ズオブゴッド教団郡山教会の初代牧師であったが、塚本虎二の説く無教会主義に触れ、その職業牧師の地位を捨てて「無教会主義者」になったという決死的筋金入りの無教会者。その後この世の職業は何度か変わるという御苦労をされた。この世的には失敗したが、神の国では大成功。

●孫娘の別れの言葉「ジーちゃん。就職決まったよ。報告できなかったのが残念だよ」
●孫息子の別れの言葉「高校受験に失敗して落ち込んでいた時、ジーちゃんは聖書を買って黙って渡してくれたね。それは難しくて分からなかったけれども、あのときジーちゃんがそれで俺を励ましてくれた心が伝わってきたよ。俺その後就職して大きくなったよ」(高橋言う。これが最高、最大の伝道だ。この青年は将来きっと素晴らしいクリスチャンになりそうだ。)


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故望月明前夜式。御遺体、御霊前の前で。左・藤巻胖(東京聖書読者会)、中・小寺利男(司式者)右・高橋照男(司会者)

●昨日送られてきた葬儀社のタイムスケジュールに「斎主入場」とあった。これは仏教の僧侶の入場のことらしい。そして今日式場に到着すると「司祭様ですか」と言われた。こっちは無教会主義で「万人祭司主義」の無冠人間だ。●宗教的無冠人間の地位はありがたい。真の喜びである。しかし無冠人間が無責任人間になっているところが今日の無教会主義の弱み●有体的復活も処女降誕も信じていない人間が葬儀をやっては「浮かばれない」●ずっと以前に今日の司式者の小寺利男さんとある方の葬儀を司ったときのこと。御家族から「小寺と高橋のような素人ではなくお金を出してもよいから本格的な宗教家に頼んだ方がよくはないか」と意見がでたそうだ。素人の祈りでは「行くところに行けない」と思ったらしい。」あー万人祭司主義は「この世」には受け入れられないものだなー●式の終了後のこと。参列された東京聖書読者会の先輩TH氏からアドバイス。「故人の罪の赦しを願う『代祈』の色合いをもっと強く出した方がよい」●無教会主義の葬儀が故人の徳や業績を称えたり、個人的関係の思い出を語るものであってはならない。故人の罪の赦しを願うレクイエム(鎮魂曲)の精神を持つ宗教的なものでなければならない。明日の告別式は少し変えよう。




 




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技術的進歩即幸福ではない ++++++++ 所感

2010/04/19 10:38

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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100419(月)5時半起床。次回感話の資料を推敲、骨子を次のようにした。

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イエスの受難予告は事後預言                

・・・初代教会における信仰告白の息吹に触れる・・・

2010年5月2日 東京聖書読者会 高橋照男

① 受難予告は福音の要約としての事後預言・・・初代教会の熱い信仰告白   ② 福音の要約・・・初代教会の信仰告白の息吹。福音書はその敷衍展開    ③「神はこうお決めになっている」・・・初代教会がイエスに見た神の心               ④「友のために死ぬ」・・・初代教会は「イエスは神の心を理解した」と読んだ  ⑤「君達には受難の覚悟があるのか」・・・初代教会自身の覚悟、自省      ⑥此の酒杯を我より取り去り給へ」・・・自分で自分を慰める初代教会

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◍徒歩10分の公園でラジオ体操。●福島で有機農業に奮闘している息子の18日のブログ日誌
http://chitata.blogspot.com/ に対して次のようにメールを書いた。 一部改変


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K君

18日 先人の経験 拝見しました。

 

「技術の進歩」と言うことを考えました。

私が最初に建築積算の仕事をしたときの道具はパスカルの発明した手回しの計算機とソロバン。次はコード付きの電卓、次に小型コンピューターと次第に技術的に発展してきました。その中でも電卓の進歩は目覚ましく、今のソーラー電卓は同じ体積の高価なビフテキと同価格程度と言われます。技術の驚異的進歩です。また先人の努力だけでなく、K君が昨年よりも自分自身が進歩したというのと同じように、自分の技術的発展も見逃せません。超高層ビルをやるとき、最下層部分の労働のスピードは最上階では半分になります。これを「習熟度」と言います。昔は住宅建築は半年はかかっものです。それが機械化などで今は2カ月です。ところがこのように技術的進歩で「便利」になり時間が短縮してもそれに代わる「苦難」が襲ってくるのが仕事の悩み。昔は建築のことを「普請」と言いました。「普請」の「普」は「あまねく」であって、多くの人にという意味。「普請」の「請」は「こう」でお願いするという意味。頼む、ということです。つまり建物というのは人間関係でできるという意味で、これには時間がかかるという含みもあります。人間関係金銭関係で工期は長引きます。また「よかれ」と思って速く作っても建築主にはそんなには喜ばれません。「ゆっくりでもいいからしっかりしたものを作ってください」というのが建築主の心理です。ゆっくりやれば「味のある」ものができます。農業の分野でも技術的進歩でうっかり忘れされれることがあると思います。それは「味のないもの」を作ってしまうことでしょうか。最も「少しぐらい味が悪くても安い方がいい」というのも一利ありますが、建築的経験ではそういう思想のハウスメーカーの建物は次々と消えていきます。私の街にも南極の基地みたいな超ローコストの家(セキスイハイム)を建てた(と言うよりもクレーンで持ってきただけ)人がいましたが、満足できず、遂に建て替えました。結局「安物買いの銭失い」になりました。「味のない」家だったのです。個性というものを持つ人間の尊厳無視の貧しい家だったのです。技術的進歩は労働の苦しみを和らげるありがたいものですが、それが即幸福ではありません。「生活は低く思いは高く」(ワーズワース)の姿勢で細々とでも味のあるものを作り続けるところに「幸福」というものがあると信じます。神の祝福のもとに御健闘を祈ります。
 


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◍明日と明後日の故望月明氏の前夜式・告別式の司会者としての言葉を次のようにまとめた。

(故望月明、前夜式・告別式 司会者の言葉 原稿)

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故望月明 前夜式、告別式 司会者の言葉

 

ただ今より故望月明の前夜式を執り行います。

私は司会の高橋照男と申します。

はじめに一言お断りいたします。本日の式はキリスト教でも無教会主義のキリスト教でございます。無教会主義のキリスト教というのは内村鑑三の流れを汲むキリスト教の一つの形で、専門の宗教家がいない、素人の信仰集団です。故人はこれに属しておりました。専門の宗教家がおりませんので、先輩の葬儀は後輩が、若い人の結婚式は先輩が執り行います。本日もプログラムに名前が書いてある者全員が宗教の専門家ではございません。このことを初めにお断り申し上げます。

 さて「死」は誰にでも訪れる「悲しい」ものですが、キリスト教では神のもとに召されると申しまして「喜びの時」でもあります。したがいまして本日も故人を神の御許にお見送りする喜びの時を皆様と共にしばしここに共有いたしたいと思います。

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(故望月明、前夜式・告別式 司会者の言葉 原稿) おわり



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前田護郎30周年 ++++++++ 所感

2010/04/18 22:01

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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100418(日)6時起床●次回感話推敲◍集会は高橋トミ子(司会)、丹野、山本(第一コリント)●14:00 「前田護郎30周年記念講演会」。於今井館。司会月本昭男、講演福島穆、新井明。司会者に乞われて今井館建物3棟の説明をした◍新井明先生が、前田護郎なきあと30年、集会(経堂聖書会)内部的争いや喧嘩がなかったという。それはなぜかと考えた。小泉、山下、新井という「人物」がいたからでである以上に前田先生の「人は恩恵によって救われる」が強く継承されているからであると感じた。。●帰途、月本昭男、友子ご夫妻、中尾美都子さんと喫茶店で懇親。◍月本夫人は先生の蔵書の多さに辟易とされておられた。私は言った「月本先生は別であるが、蔵書量の多い人は大抵信仰が薄い。無教会者27名のお住まいを設計しての実感である。」。奥さまは手を叩いて喜ばれた。そして続けて私は言った「学者の蔵書は商売道具で飯の種だからしょうがありません」●月本先生と「無教会」の存在意義について意見交換。先生は「今や無教会の存在意義はなくなった」という。 ◍妻の方は同時刻に政池仁25周年記念講演会の方に出席。帰宅してからその報告を聞いた。無教会主義集会にはそれぞれの指導者のカラーがある。今や無教会は教派的な雰囲気になった。これでいいのだろうか。教派争いを嫌って出発した無教会が先生ごとの教派争いになっている。特に内村塚本が「一人一教会」を無教会の究極の姿と理論的帰結としたが、その一人一人が「教派争い」になった。◍前田グループのの「恩恵」政池グループの「平和」などはそれ自身で聖書的真理であるが、いずれも人間の大脳皮質レベルでのキャッチ。広い意味での神学だから争いが起こる。パウロの福音の説明方法が争いを産んできた。それはあくまで福音の「説明」。◍神の霊のはたらきとその「説明」とは違う。人は「説明」では救われない。他人が食したものの味を「説明」されても腹は一杯にならない。旅行談を聞くのがつまらないのと同じ。コンサートに行った話を聞くのもつまらない●理想的な教会、エクレシアは終末が来ないと出現しそうにない。某女曰く「無教会主義では落ち着かない」。なぜか、無教会主義の中に入ったら「無」であるから。 これでは救われる人はいない。

塚本訳 Ⅰコリ1:11-13
1:11 わたしの兄弟たちよ、あなた達の間に喧嘩があることを、クロエの家の者たちから知らせてきた。
1:12 もっとはっきり言うとこうである。──あなた達はめいめい、「わたしはパウロ(先生)に」、「わたしはアポロ(先生)に」、「わたしはケパ(先生)に」、わたしは(主)キリストに」と言っている。
1:13 救世主が分裂しているのか。まさかパウロがあなた達のために十字架につけられたのではあるまい。それとも、(キリストでなく)パウロの名で、あなた達は洗礼を受けたというのか。

塚本訳 黙  21:3-4
21:3 そして私は玉座から大きな声が(出てこう)言うのを聞いた、「視よ、人と共に神の幕屋がある! 神が彼らと共に住み、彼らは神の民となり、神自ら彼らと共にいまして、
21:4 彼らの目から悉く涙を拭い取り給うであろう。最早死もなく、悲嘆も叫喚も疼痛も最早無いであろう。初めの(天と地にあった)ものが(すっかり)消え去ったからである。」

塚本訳黙  21:9
21:9 すると最後の七つの災厄が盛られた七つの鉢を持つ七人の天使の一人が来て、私に語って言うた、「さあ(此処に来い。)仔羊の妻たる新婦をお前に示そう。」

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前田護郎30周年記念講演会にて。月本昭男先生(日本旧約学会会長)と。後方は小山洋氏。


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前田護郎30周年記念にて、左・相澤忠一(今井館教友会理事長)。右・月本昭男
(日本旧約学会会長)

◍この無教会混乱の時期。どうすればよいのか。それは「(福音の)一番大切な事」というパウロの次の言葉である。これは混乱の「中央突破」の指令である、上記Ⅰコリ1:11-13 と同じ第一コリントにあるのが意義深い。 

塚本訳 Ⅰコリ15:1-8
15:1 また、わたしが思い出してもらいたいのは、兄弟たちよ、(以前)あなた達に伝え、あなた達が(喜んで)受けいれてくれて、(今日まで)それに立っている、あの(死人の復活についての)福音である。
15:2 どんな言葉でわたしがその福音を伝えたにせよ、あなた達がそれを守っていさえすれば、軽々しく信仰に入ったのではない限りは、あなた達もその福音で救われる。
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。
15:6 そのあと、一度に五百人以上の兄弟に御自分を現わされた。そのうちの多数の者はいまでも生きてい(て、わたしが嘘を言っていないことを証明してくれ)る。もっともすでに眠った者もあるにはある。
15:7 そのあと(御兄弟の)ヤコブに、それから使徒一同に、御自分を現わされた。
15:8 しかし一番最後には、さながら月足らずのようなわたしにも御自分を現わされた

◍そしてあのパウロが8節で「わたしにも御自分を現された」というところに福音の継承の仕方の秘密がある。受動的である。人間の行為ではない。

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赦すことが最もよく人を裁く ++++++++ 所感

2010/04/17 08:34


使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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100417(土)4時目覚め。朝の啓示「神は悪を滅ぼす」。その聖書個所が次々と浮かぶ●TSK日本語版●弓削達著「ローマ皇帝とキリスト教徒迫害」(日本キリスト教団出版局)の一部を読む。タキトゥスが「年代記」に書いてるキリスト教徒が憎まれたのは彼らの「人類憎悪」の姿勢であったという。彼らの反社会的、反共同体的な態度が常識人からも反感をかったらしい。これキリスト教徒の欠点●無教会主義者はこうであってはならない。信者であるまえに「よき市民」「よき家庭人」「よき人間」「よき社会人」、然り「人間」でなければならない。●しかしクリスチャンの本質は「悪への憎悪」を持つ人間であることにはかわらない。これがつまるところこの世の人間の反感を買うのである。だからクリスチャンが迫害を受けるのは宿命である●この世の人とうまーく調和して生きていこうとする猿知恵信者、日和見信者には見るべき信仰はない。神に目を向けるとき、人間はこの世の悪人から嫌われるのである。。●内村鑑三の「イエスは何故に人に憎まれしか」(1909年4月「聖書之研究)・・教文館版内村全集信仰著作全集10巻P187)で内村は言う

「彼(イエス)はその道徳が他にすぐれてあまりに高潔なりしがゆえに、人に憎まれたのではない。彼が彼の父なる神に忠実ならんとして、人には何びとにもくみせざりしがゆえに、それがために、すべての人に憎まれたのである。すなわち彼は無党派、無教会、無国家なりしがゆえに、すべての党派、すべての教会、すべての国人に憎まれたのである。世に孤独なる者とて、神と共にある者のごときはない。・・・・彼ら(家族)はしばしば相互に言うたであろう、骨肉をうとんじ他人と親しむ者は、家にそむき道にもとる者であると。かく言いて、彼らはイエスの行為についてしばしば不快を感じたであろう。彼の家人に対してそうでありしイエスは、彼の居村に対して、また彼の家郷に対して、そうであったのである。」


●クリスチャンのこの種の苦しみは「神は悪を必ず滅ぼす」ということを心に念じていれば慰められる。今朝浮かんだ関連聖句を上げて感想を書いてみよう。

口語訳 詩  1:4-6
1:4 悪しき者はそうでない、風の吹き去るもみがらのようだ。
1:5 それゆえ、悪しき者はさばきに耐えない。罪びとは正しい者のつどいに立つことができない。
1:6 主は正しい者の道を知られる。しかし、悪しき者の道は滅びる

●ヒルティは「困難な世を渡っていくには、この世には倫理的社会秩序というものが厳然として存在することを固く信じればよい」と言っている●悪い人や悪いものは一時的には栄えてもいつの間にかいなくなったり消えたり忘れ去られるものだ。讃美歌90番3節(よこしま暫しはときを得とも、主のみむねのややになりて、あめつち遂には一つとならん)

塚本訳マタ 15:12-14
15:12 あとで弟子たちが来てイエスに言う、「パリサイ人がお話を聞いて腹を立てたことを御存じですか。」
15:13 イエスは答えられた、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜かれる
15:14 あの人たちを放っておけ。盲人の手引をする盲人だ。盲人が盲人の手引をすれば、二人とも穴に落ちよう。」

●人物にしても集団にしても組織にしても教派にしても家庭にしても学校にしても企業にしても国にしても親にしても子供にしても、「御心でない」ものは放っておけば自然消滅する。だから脳漿を絞り出してそれが善か悪か、良いか悪いか、賛同すべきか反対すべきかの判断は必要ない。しばらく泳がせてみて様子をみていればよい。神が判断して正邪を教えてくれる。駄目なものは駄目だと神が決めてくださる。しかし腐った食べ物は匂いをかいだだけで分かる真贋を見分ける能力を持っていなけfればならない。●建築人生45年、「この人は本当に建物が建てられるのかどうか」はその人の二言目には判断できる。

塚本訳 マタ 13:24-30
13:24 またほかの譬を群衆に示して言われた、「天の国は畑に良い種をまく人にたとえられる。
13:25 人々が(夜)眠っている間に敵が来て、麦の中に毒麦をまいて行った。
13:26 苗が芽生えて実を結ぶと、その時毒麦も現われた。
13:27 使用人たちが来て家の主人に言った、『ご主人、畑には良い種をまかれたのではないですか。すると毒麦はどこから来たのでしょうか。』
13:28 主人がこたえた、『敵のしわざだ。』使用人たちが言う、『では、行って抜き取りましょうか。』
13:29 主人が言う、『いや、毒麦を抜き取ろうとして、麦まで一しょに引き抜くかも知れない。
13:30 両方とも刈入れまで育つままにしておけ。刈入れの時、わたしが刈入れ人たちに言いつける、まず毒麦を抜き取り、束にしばって焼きすてよ、麦の方は集めて倉に入れよ、と。』」

●家でもエクレシアでも学校でも企業でも「よかれ」と思ってまいたものが毒麦も現れる。直ちに抜くべきか、滅ぼすべきか。NO-とイエスは言う。裁きは最後の神の審判にまかせよという。なぜか。人間の判断ではそれが毒麦なのかどうかはわかりにくい。毒麦と思っていても突然回心して良い麦になるかもそれない。逆に良い麦と思っていて喜んでいても途中で腐ってしまうかもわからない。ここでも「しばらく放っておいて様子を見て神に任せうという態度が必要だ。人間が早まって手を下して撲滅しようとしてはいけない。

口語訳 出  14:13-14
14:13 モーセは民に言った、「あなたがたは恐れてはならない。かたく立って、主がきょう、あなたがたのためになされる救を見なさい。きょう、あなたがたはエジプトびとを見るが、もはや永久に、二度と彼らを見ないであろう。
14:14 主があなたがたのために戦われるから、あなたがたは黙していなさい」。

●ヒルティは「聖書には『恐れるな』という言葉が多くあるが、それは必ず神の導きのもとにある人間だけに告げられている。」と言っている。なぜか。クリスチャンには反撃の手段を持ち合わせていないので防衛は神に頼むほかに手段がないからであfる。神は「あいつのことは自分に任せよ」と言ってくださる。(14:14)●国の防衛論争は不信者とは話が合わない。それをやろうとする信者には真の信仰が希薄である。 

塚本訳 マタ 10:34-38
10:34 地上に平和をもたらすためにわたしが来た、などと考えてはならない。平和ではない、剣を、(戦いを)もたらすために来たのである。
10:35 わたしは子を『その父と、娘を母と、嫁を姑と』仲違いさせるために来たのだから。
10:36 『家族が自分の敵となろう。』
10:37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたし(の弟子たる)に適しない。わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたし(の弟子たる)に適しない。
10:38 また
自分の十字架を取ってわたしのあとに従わない者は、わたし(の弟子たる)に適しない。

●誰にでも「親しき人にも」打ち明けられない重い十字架がある。それを人に言うのは恥である。その恥は敷居の外に出せない。しかしその十字架を負わされたことは神の要請、神に特別に負わされたのだと信ずれば荷は軽くなる。相手を愛するために伝道のために神に仕組まれた十字架である。これが「自分の」十字架である。●私の信仰の先生である塚本虎二先生は「赦すことが最もよく人を裁く」と言われた。この言葉こそクリスチャンが悪の世を生き抜く知恵だ。 ●次回感話の骨子を変更。
(東京聖書読者会、5月2日感話の骨子)
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イエスの受難予告は事後預言                

・・・初代教会における信仰告白の息吹に触れる・・・

  2010年5月2日 東京聖書読者会 高橋照男

① 受難予告は福音の要約としての事後預言・・・初代教会の熱い信仰告白   ② イエスが語る受難予告は福音の要約 ・・・初代教会の信仰告白の息吹   ③「神はこうお決めになっている」・・・神の要請を覚悟したイエス      ④「友のために死ぬ以上の愛はない」・・・神の心を理解したイエス        ⑤「君達に受難の覚悟があるか」・・・弟子達への覚悟の要請は教会への要請   ⑥此の酒杯を我より取り去り給へ」・・・弱くなった人間イエスを知る慰め

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◍この最後の結論の⑥を掲げる。

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⑥「此の酒杯を我より取り去り給へ」・・・弱くなった人間イエスを知る慰め

 

塚本訳 マコ 14:32-37

14:32 やがて(オリブ山の麓の)ゲッセマネと呼ばれる地所に着いた。イエスは弟子たちに言われる、「わたしの祈りがすむまで、ここに坐って(待って)おれ。」

14:33 そしてペテロとヤコブとヨハネ(だけ)を連れて(奥の方へ)ゆかれると、(急に)おびえ出し、おののきながら

14:34 彼らに言われる、「『心がめいって、』『死にたいぐらいだ。』ここをはなれずに、目を覚ましていてくれ。」

14:35 そしてなお少し(奥に)進んでいって、地にひれ伏し、出来ることなら、この時が自分の前を通りすぎるようにと祈って

14:36 言われた、「アバ、お父様、あなたはなんでもお出来になります。どうかこの杯をわたしに差さないでください。しかし、わたしの願いでなく、お心がなればよいのです。」

14:37 やがて来て、彼らが眠っているのを見ると、ペテロに言われる、「シモン、眠っているのか。たった一時間も目を覚ましておられないのか。

 

●神の御心を察知して「死を覚悟」していたイエスであったが、いざ土壇場になると「(急に)おびえだし、おののいた」(マルコ1432)。そして見苦しくも「アバ、お父様、・・・どうかこお盃をわたしに差さないでください。」(マルコ1436)と嘆願した。これは「父ちゃん。勘弁してくれよ」という意味である。さっきまでの雄々しい「覚悟」はどこかに飛んで行き急に弱い人間イエスに変わった。このイエスの弱さの記事は迫害下にある初代教会自身の慰め励ましである。「我々もこれでいいんだ。これでいいんだ。ぶざまに見苦しく死ぬのでいいんだ。信仰などどこかにすっ飛び、みっともなくかっこ悪く死ぬ死に方でいいんだ。失敗の人生でよいのだ。そのあとは神が復活で引きあげてくださるのだから」と。

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◍集会のMAさんが召されたと御長男からお電話。それからあわただしく各種打ち合わせ。式の内容はかねてより司式者と相談し、御長男と決められるものは決めてあったので、楽であった。こういう時は各自が忙しいので決められることは決めておく方がよい。私としても忙しい。急にどたばたできない。また感話や奏楽など役割を担ってくださる方に突然お願いするのは失礼である。故人略歴、愛唱賛美歌、司式者、感話者、奏楽者などはあらかじめ決めておいたほうがよい。先走ってやるのはまだ亡くなってもいないご本人に悪いと言うのは死を縁起でもない不浄なものであると考える異教的な考え。日本のクリスチャンの復活観が成ってないからこういう暗い思想になる。またこういう人間の言うことを聞いて従う人間の信仰も「復活観」が希薄。クリスチャンにとって死は喜びである。◍暗い死生観がキリスト信者にも蔓延しているからキリスト教は伸びない。◍こんなに準備が進められているのはありがたいとMAさんの御長男に感謝された。準備(それは御国への凱旋。復活への門)が十分であると「死神も寄り付かない」と話し合った。◍町内会の集まりがあるが、今晩は葬儀の準備のために妻が代わって出てくれることになった。




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人に期待するな ++++++++ 所感

2010/04/16 08:40

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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100416(金)4時目覚め。黙想「イエスの受難予告は事後預言」●TSK日本語版●いわき市の母は一旦いわき労災病院から退院したが、おもわしくなく、今度は療養型病院に入ることになった。90歳。心身の平安を祈る●イエス自身の受難予告は事後預言で、初代キリスト教徒の信仰告白の産物。この立場に立つと、福音書成立の謎がするすると解けてくると同時に、初代教会の面々の信仰告白の息吹が圧倒的に迫ってくる。次回感話の骨子を次のようにした。
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  イエスの受難予告は事後預言                
・・・初代教会の信仰告白の息吹に触れる・・・
  2010年5月2日 東京聖書読者会 高橋照男
① 3回もある受難予告・・・初代教会の信仰告白。その息吹が迫ってくる                       ② 受難予告は「事後預言」・・・福音書は初代教会の信仰告白の産物               ③ 「神はこうお決めになっている」・・・イエスの覚悟。「ねばならない」                 ④ 「友のために死ぬ以上の愛はない」・・・神の要請を理解したイエス               ⑤ 「君達にその覚悟があるか」・・・弟子達の甘い認識、無理解                   ⑥ 「此の酒杯を我より過ぎ去らせ給へ」・・・土壇場で弱くなったイエス

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●人間関係の争いは人に何かを期待していてそれが期待外れの時に生じる。具体的にはアノ人は「こうあるべきだ」というのと、当の本人との生き方にずれが生じるときである。「嫁は、夫は、妻は、親は、子供は、教師は、上司は、部下は、兄弟親戚は・・・・・」こうあるべきだという「あるべき姿」を描いているからそれがズレてすぐ喧嘩になる。相手に期待しない生き方こそ平和の道である。人間関係は「あるべき姿」を期待しなければ楽になる。聖書的には次の言葉だ。

塚本訳  マタ 7:12
7:12 だから、何事によらず自分にしてもらいたいと思うことを、あなた達もそのように人にしなさい。これが律法と預言書(と[聖書]の精神)である。

●とはいえ、現実的にはそれが難しい。妻には今日の昼食は予定通りに作ってもらいたい。風呂に入っているときに布団を敷いておいてもらいたい。帰宅するときは家の電気をつけておいもらいたい。・・・・・・私は期待することが多いものだなー。●しかし「あるべき姿」を期待しないのは愛情がないのかもしれない。●無教会主義は教会の「あるべき姿」を期待するから教会を「激烈批判」するのだ。 ●結論。私に夫としての、親としての、親類縁者の一員としての、聖書講義者としての、建築士としての、大学講師としての「あるべき姿」を期待してくれるな。聖書的には次である。 


塚本訳 ガラ 6:17-18
6:17 今後、だれもわたしに迷惑をかけてくれるな。このわたしの体にはイエスの焼印があるのだから!
6:18 わたし達の主、イエス・キリストの恩恵、あなた達の霊と共にあらんことを、兄弟たちよ、アーメン。 

塚本訳 Ⅱコリ4:10
4:10 わたし達はいつもイエスの死の苦しみを体に受けて持ち回っている。それはわたし達の体にイエスの命も現れるためである。


塚本訳  コロ 1:24
1:24 今私は君達のために苦しむことを喜びとし、またキリスト・イエスの体なる教会のために私の体でキリストの患難の不足を補っている。 

塚本訳  ピリ 1:29
1:29 君達はキリストのために──ただ彼を信ずるばかりでなく、また彼のために苦しむことをも恵まれたからである。

・郵便局へ所用●いわき市の母のことで妻は各所に電話。今度入院したら戻ってはこられないだろう。親を送るというのはこどは大変なことだ●終日次回の感話準備「イエスの受難予告は事後預言・・・初代教会における熱い信仰告白に触れる」●冬に戻ったような寒さであった。●独学でラテン語を学びヴルガダの全訳を目指しておられるMY氏から私のHPの「聖書で聖書を読む」のミスを指摘して下さった。見る人は見てくださっている。感謝。●FMでバッハのモテット「主に向かって新しい歌を歌え」(BWV225)を鑑賞。素晴らしい。モーツァルトが大感激しただけある。福音の喜びが躍動している。信仰が深くないとこういう曲は作曲できない。また演奏もえきない。日本はとてもまだまだ。

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金を追求する者になるな ++++++++ 所感

2010/04/15 08:38

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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100415(木)6時15分起床●昨夜からメールが故障。本日修復を試みますがその間は関係者の皆様にご迷惑をおかけします。急な御連絡は電話などでお願いいたします。●電子メールなき生活というものを考えざるを得なかった。昔は電子メールはなったが、手紙というものはあった。パウロの手紙は聖書になった●心が通っていない時はいかに文明が発達していても通信はない。これ「この世地獄」。神との交流がないことは「精神的な死」「この世地獄」「闇の生活」「個人も家庭も子供も暗い」●心の交わりに関する関連聖句は次の通り

塚本訳 Ⅰヨハ1:4
1:4 わたし達が(この手紙を)書くのは、(あなた達がわたし達との交わりに入り、)わたし達(が父と子と)の(交わりにおいてもっている)喜びが、完全なものとなるためである。

塚本訳 マタ 6:23-24
6:23 目が悪いと、体全体が暗い。だから(天に宝を積まないため、)もしあなたの内の光(である目、すなわち心)が暗かったら、その暗さはどんなであろう。
6:24 (わたし達の心は天か地かに引かれる。)だれも(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。

口語訳 ピリ 2:15
2:15 それは、あなたがたが責められるところのない純真な者となり、曲った邪悪な時代のただ中にあって、傷のない神の子となるためである。あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。

●NHKTV8:15 遺産相続問題。遺言書が逆に骨肉の争いになることを知った。不動産は分割できないことが原因。親に尽くした度合いと、遺産相続の割合は誰にとっても絶対に満足いかない。●妻と話し合って、「子に美田は残さず」だから不動産としての家屋敷は私達一代で終わりとしようということにした。子に資産は残さず、子も又親の資産をあてにしてもらっては困る。なぜか。親の死後の兄弟間の争いを避けるためである●番組に遺産相続のカウンセラーが出演。遺言の内容は普段から関係者に言って聞かせておくことが大切だと言う。●遺産相続の問題になると普段疎遠だった人が突然現れる。金の匂いで群がる人間の業(さが)。お金は争いのもと。聖書には次のように書いてある。

塚本訳 Ⅰテモ3:3-4
3:3 酒好き喧嘩好きでなく、むしろ優しく、喧嘩嫌いで、金銭を欲しがらず
3:4 自分の家をよくおさめ、きわめて謹厳で、その子女達が従順な者でなければならぬ。


塚本訳Ⅰテモ6:10
6:10 あらゆる悪の根は金を欲しがることにあるから。或る人はこれに憧れて信仰から迷い、多くの苦痛で自分を刺し通した。


塚本訳 ヘブ 13:5
13:5 金銭を愛せぬ生活をせよ。(現在)もっているもので満足せよ。神がこう言われたからである、『わたしは決してあなたを見殺しにしない、また決してあなたを見捨てない』と。


塚本訳Ⅱテモ3:2
3:2 (その時)人は(皆)利己主義、金好き、法螺吹き、横柄、冒涜者、親不孝、恩知らず、無道者、

●某資産家の家の相続問題に建築士として関わった時のこと。元最高裁判所長官の藤林益三先生の永年のご経験からのアドヴァイス。「相続の争いは、相続権利者の内のだれか一人が『自分はいらないよ』と言いだせば解決する」●たとえ少額でも財産があるから子供たちが争いになる●そもそも国家間の争いもこの世の富の争奪戦。●私の家と土地を登記した司法書士のこれまた永年のご経験からのアドヴァイス。一家の主人の遺産は全て夫人に渡すということを書いたり、言ったりしておくことが子供同志の争いを避ける道だという。私はこれに従い、私の財産は全部を妻に渡すという遺言書を書いて妻に渡してある。●私の心境は常に次の通り。

塚本訳  使  3:6
3:6 ペテロ言ふ『金銀は我になし、然れど我に有るものを汝に與ふ、ナザレのイエス・キリストの名によりて歩め』

●昨夜から故障していたメールがノジマのサポートサービスで80分かかって回復できた。とても素人では回復できないものであった。●福島で有機農業に奮闘している息子の14日付のブログ

http://chitata.blogspot.com/

に対する感想を次のように書いた。

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K君

 

メール故障しましたが、ノジマのサポートサービスで80分かかって回復しました。

14日ブログ「土をつめる」拝見しました。農作業は随分と多くの作業種類があるのですね。覚えるのが大変でしょう。何事も一人前になるのには7~10年はかかります。御健闘を祈ります。大工は7年目を「年季明け」と言います。

米という字を分解すると八十八になり、88種類もの手間がかかるということを聞いたことがあります。

しかし種類は多くてもその一つ一つは辛い単純作業ですね。200枚の袋づめは大変です。

しかし仕事というのは、どんな仕事も単純作業が多いのです。その労苦が労賃になるのです。だから仕方がありません。「メシの種」です。

ところで、この単純作業を少しでも楽にする一つが機械化ですが、機械化できない作業が殆どです。

その時は手作業になりますが、その労苦を和らげる「心得」というものがあります。

 

   まず第一歩・・・仕事の大海を見ると息阻喪するがそれでも第一歩を着手する。これはヒルティの教訓

   初め半分。・・・・やるかやらないか迷っていることだけで無駄な時間がすぎてしまう。それよりも始めてしまえば、気分的には半分は終わったようなもの。

   千里の道も一歩から・・・・長い道のりでも一歩一歩歩めば「いつかは」完了する。讃美歌288番の3節(ひとあしまたひとあし)です。WEB黒崎も少しずつやったので、「気の遠くなる」ような分量も2年間で終了しました。奇蹟的でした。

   分割してしまう・・・著作の方法は、章ごとに細切れにしてしまって、各章ごとに攻撃していけばやっつけられる。これは松島省三先生が稲の研究で英文の著作をされたときにヒルティに教えられた方法だといっていました。私もその心得でやりました。ヒルティの幸福論の第一巻には「仕事をする術」というのがあります。

   二人でやる・・・・二人でやれば重荷は二分の一ではなく三分の一になる不思議があります。神は「人は一人でいるのは良くない」(創世記218)と言われました。真理です。またイエスが弟子達を使わすときに、二人一組にしました。(マルコ67)。結婚生活の二人はそれぞれが違う能力の組み合わせであると思います。両性の力があってはじめて子供が育ちます。私も子育てでは特に精神的な面でお母さんに助けられています。WEB黒崎は三人で励まし合いながらやったので早くできました。

 

口語訳 創  2:18

2:18 また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。

 

塚本訳マコ 6:7

6:7 また(前に選んだ)十二人(の弟子)を呼びよせ、二人ずつ(を一組にして伝道に)派遣することを始められた。そして汚れた霊を支配する全権を授け、

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感想メール終わり

●終日、イエスの三回もある受難予告(マルコ8:31-33,9:30-32、10:32-34、)は「事後預言ではないのか」の疑問の勉強。結論を得てすっきりした。現代の学者はこれを「事後預言」とみなしている。これはよほど護教的な学者でない限り、ほぼ定説。ではこの受難予告は何か、これは初代教会が持っていた「福音の要約」。この結論に至って、初代教会の信仰の圧倒的な息吹に触れることができて感謝である。聖書学と信仰の緊張関係の読み方こそ無教会の聖書の読み方。それは護教的ドグマでなくまた逐語霊感説でもない。学問と信仰の調和である。

塚本訳 マコ 8:31-33
8:31 (この時から、)イエスは、「人の子(わたし)は多くの苦しみをうけ、長老、大祭司連、聖書学者たちから排斥され、殺され、そして三日の後に復活せねばならない。(神はこうお決めになっている)」と弟子たちに教え始められた。
8:32 しかもおおぴっらにこのことを話された。するとペテロはイエスをわきへ引っ張っていって、忠告を始めた。(救世主が死ぬなどとは考えられなかったのである。)
8:33 イエスは振り返って、弟子たちの見ている前でペテロを叱りつけられた、「引っ込んでろ、悪魔!お前は神様のことを考えずに、人間のことを考えている!」

●初代教会が持っていた福音要約は次によくあらわれている。これは初代教会の讃美歌。読み人知らずである。

塚本訳  ピリ 2:6-11
2:6 彼は(先には)神の姿であり給うたが、神と等しくあることを棄て難いことと思わず、
2:7 かえって自分を空しうして人と同じ形になり、奴隷の姿を取り給うたのである。そして人の様で現れた彼は、
2:8 自ら謙り、死に至るまで、(然り、)十字架の死に至るまで(父なる神に)従順であり給うた。
2:9 それ故に神も彼を至高く上げ、凡ての名に優る(「主」なる)名を与え給うた。
2:10 これはイエスの(この尊い)名の前に、天の上、地の上、地の下にある『万物が膝を屈め、
2:11 凡ての舌が』「イエス・キリストは主なり」と『告白して』父なる『神に』、栄光を帰せんためである。

●そもそも福音書それ自体がペテロの伝道説教の敷衍である。
ペテロの第6番目の説教は4つの柱からなっている。①洗礼者ヨハネ②イエス奇蹟③十字架④復活。この4本柱の敷衍展開がマルコ福音書になっている。これを指摘したのが英国のCHドッド。見事な指摘である。

●ペテロの説教第6にマルコ福音書の要約が見られる。
(CHドッドの指摘)マルコはペテロの従者

塚本訳 使  10:37-41 【 】は高橋の補注

【①洗礼者ヨハネ】

10:37 あなた達は(洗礼者)ヨハネが洗礼を説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ中にゆきわたった出来事を知っておられる。

10:38 すなわち、『神が』いかに聖『霊』と(大いなる)力と『をもって』ナザレのイエスに『油を注がれ(て聖別され)た』か、

【②奇蹟集】

このイエスが(あちらこちらを)巡回しながら、恩愛を施し、悪魔におさえつけられている者を皆直されたかを。神がご一緒におられたからです。

10:39 ──(使徒たる)わたし達は、イエスがユダヤ人の地、ことにエルサレムでされた一切のことの証人です。──

【③十字架】

このイエスを人々は『(十字架の)木にかけて』処刑した。

【④復活】

10:40 (しかし)神はこの方を三日目に復活させ、(人の目にも)見えるようにされた。

10:41 (ただし)国民全体でなく、神からあらかじめ選ばれていた証人であるわたし達、すなわちイエスが死人の中から復活されたあとで、一緒に飲み食いした者(だけ)に見えたのです。

●銀行、郵便局、図書館で新潮社季刊「考える人」春号「はじめて読む聖書」。各界の人が「私の好きな聖書の言葉」書いてあって面白い。牧師の話は説教調でつまらない。勢いがない。

 

 






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難局を知ってくれる人 ++++++++ 所感

2010/04/14 08:36

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

       http://stonepillow.dee.cc/



100414(水)5時起床●TSK日本語版●福島で有機農業に苦闘している息子のブログ
http://chitata.blogspot.com/ の13日に次のように書かれていた。

「マコモダケの水田を荒代かき。途中県の職員が訪問。しばしお話。農業の厳しい時代、知恵を出し合ってこの難局を乗り越えたい」。

これにないして次のように激励メールを出した。

息子へのメール。一部改変

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
K君


ブログのタイトルに「難局」とありましたのでドキッとしました。しかし(と言ってはなんですが)仕事上の難局だということでホットしました。妻子を抱える男には金を稼ぐ仕事上の難局は日常茶飯事。 仕事上の難局のときに思い浮かべる聖書の個所が3か所あります。

① ・・塚本訳ルカ 5:4-6
5:4 話がすむと、シモンに言われた、「沖に漕ぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい。」
5:5 シモンが答えた、「先生、わたし達は(昨夜)一晩中働きましたが、何もとれませんでした。しかし先生のお言葉ですから、網をおろしてみます。」
5:6 そしてその通りにすると、沢山の魚の群が入って網が裂けかかった。

●この5節の「何もとれませんでした」という言葉に私も深く感じることがありました。建築設計では仕事が取れない、仕事がない。ということです。一番辛かったのは建物が完成したのにケチを付けられて最後の代金(設計の監理料)60万円を支払ってもらえなかったことです。あの時は真っ青になりました。その原因は建築主と心が通っていなかったことです。アノ建築主は元税務署長でした。お金持ちほど人に辛く当たることを体験しました。その頃は別の苦難もあって、人生は悪いことが重なるものだなーと思いました。その代金は結局は回収できましたが、その建築主とは心がプッツンです。農業の場合は天候不順などで「作物が取れない」「正常なコストで売れない」という悩みだと思います。

② ・・・塚本訳 マコ 6:48-51
6:48 そして向い風のために弟子たちが漕ぎなやんでいるのを見ると、第四夜回りのころ(すなわち夜明けの三時ごろ)、湖の上を歩いて彼らの所に来て、(舟のわきを)通りすぎようとされた。
6:49 弟子たちはイエスが湖の上を歩いておられるのを見ると、幽霊だと思って声をあげて叫んだ。
6:50 イエスを見て、皆肝をつぶしたのである。しかしイエスはすぐ彼らに話しかけ、「安心せよ、わたしだ。こわがることはない」と言われる。
6:51 そして彼らの舟に乗られると、風はやんだ。弟子たちはすっかり呆気にとられてしまった。

●この48節の「漕ぎなやんでいる」という言葉にも深く感じます。どんな仕事も「漕ぎ悩み」の連続です。男には「額に汗をかく」(創世記3:19)という宿命がありますが、その汗とは現実的にはこの「漕ぎ悩み」だと思います。

③ ・・・塚本訳 マタ 10:29-31
10:29 雀は二羽一アサリオン(三十円)で売っているではないか。しかしその一羽でも、あなた達の父上のお許しなしには地に落ちないのである。
10:30 ことにあなた達は、髪の毛までも一本一本数えられている
10:31 だから恐れることはない。多くの雀よりもあなた達は大切である。

●苦難の時は、これを「私の今の苦難を知ってくれている人」がいるということを知ることだけで半分救われます。苦難を知ってくれる人の一番は「伴侶」です。次に「同僚」です。恵君の場合の「県の職員」はこれです。しかし人生においては時に伴侶も同僚も同情してくれないことがあります。その時は「造り主」の父なる神だけになります。神は何時でも悩みを知っていてくれています。なぜか。「髪の毛」の一本一本を知っていて下さるからには、悩みの一つ一つを知っていて下さっているのはのはもちろんだからです。

●最後に「若い日の苦労は買ってでもせよ」と言われます。「蟹は自分の甲羅に合わせて穴を掘る」と言われます。お父さんの難局の一つは子供達の学費が一気に重なって多額が必要になったことです。しかし不思議にその難局(漕ぎ悩み)は通過できました。お母さんの励ましがありました。感謝。
その結果運転免許取れず、ゴルフできず、英会話できず、楽器できず、酒煙草(ただしこれは信仰のため)できずです。つまり私の穴の大きさは大きくなりませんでした。私の父は子供達が進学盛りの時に若い時の結核が再発し、ずいぶん「漕ぎ悩んだ」ようでした。父の人生の難局でした。しかし難局は神が見ていて下さるので「地には落ちません」(マタイ10:29)。人生が深まり良いことが到来します。K君の上に神の祝福が豊かにありますようにお祈りします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

息子へのメール終わり

●「子供を失う悲しみ」

人生の悲しみのうち子供を失うこと以上の悲しみはない。それは精神的な死も同じである。否、返って悲しみが深い。

口語訳 エレ 31:15
31:15 主はこう仰せられる、「嘆き悲しみ、いたく泣く声がラマで聞える。ラケルがその子らのために嘆くのである。子らがもはやいないので、彼女はその子らのことで慰められるのを願わない」。

口語訳 マタ 2:18
2:18 「叫び泣く大いなる悲しみの声が/ラマで聞えた。ラケルはその子らのためになげいた。子らがもはやいないので、慰められることさえ願わなかった」。

●こういう場面に一度遭遇した。独り息子(私の親友)を失った母親は私に取りすがって号泣された。私はただ背中をさするだけであった。その後その母親にお悔みの電話がかかってきても首を横に振って出ようとしなかった。

口語訳 ヨブ 1:18-21
1:18 彼がなお語っているうちに、またひとりが来て言った、「あなたのむすこ、娘たちが第一の兄の家で食事をし、酒を飲んでいると、
1:19 荒野の方から大風が吹いてきて、家の四すみを撃ったので、あの若い人たちの上につぶれ落ちて、皆死にました。わたしはただひとりのがれて、あなたに告げるために来ました」。
1:20 このときヨブは起き上がり、上着を裂き、頭をそり、地に伏して拝し、
1:21 そして言った、/「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」。

●ヨブは真面目な人であったが、サタンに試されて財産をすっかり失わされた上に愛するむすこ娘まで失った。

口語訳 ヨブ 1:18-22
1:18 彼がなお語っているうちに、またひとりが来て言った、「あなたのむすこ、娘たちが第一の兄の家で食事をし、酒を飲んでいると、
1:19 荒野の方から大風が吹いてきて、家の四すみを撃ったので、あの若い人たちの上につぶれ落ちて、皆死にました。わたしはただひとりのがれて、あなたに告げるために来ました」。
1:20 このときヨブは起き上がり、上着を裂き、頭をそり、地に伏して拝し、
1:21 そして言った、/「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」。
1:22 すべてこの事においてヨブは罪を犯さず、また神に向かって愚かなことを言わなかった。

●私が家を全焼し、その後脳内出血で倒れた時、今は亡き津田幾代子さん(午後三時祈りの友東京支部長)が高橋さんは「現代のヨブ見たいですね」と言われた。また新井明先生は「現代のヨブよ倒るるなかれ。」と激励してくださった。ヨブは裸になった。生まれたときのままになった。このヨブのような人生を究極的をに慰めてくれるのは「復活」きりない。復活ではすべてが回復し、息子娘も帰ってくる。それには人類は新約を待たねばならなかった。それが次である。

塚本訳ルカ 15:24
15:24 このわたしの息子は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。』そこで祝賀会が始まった。


塚本訳 ルカ 15:32
15:32 だが、喜び祝わずにはおられないではないか。このお前の弟は死んでいたのに生きかえり、いなくなっていたのに見つかったのだから。』」

●死んだ息子むすめとは終末で再会できる。人類は全員救われる。その時会える。その希望なくして人生は辛い。

塚本訳  ヨハ 12:47
12:47 しかしわたしの言葉を聞いて守らぬものがあっても、わたしはその人を罰しない。なぜなら、わたしは世を罰するために来たのでなく、世を救うために来たのだから。


塚本訳 Ⅰテサ5:10
5:10 主は、私達が(その日)目を覚ましていても(あるいは既に墓に)眠っていても、(皆等しく)彼と共に生きることが出来るように、私達のために死に給うたのである。


塚本訳 Ⅰコリ15:21
15:21 というのは、一人の人によって死が来たので、同じく一人の人によって死人の復活が来るのである。

●あのラケルの最後の消息を見よう。眞に人生は喜びと涙の連続である。

口語訳 創  35:16-20
35:16 こうして彼らはベテルを立ったが、エフラタに行き着くまでに、なお隔たりのある所でラケルは産気づき、その産は重かった。
35:17 その難産に当って、産婆は彼女に言った、「心配することはありません。今度も男の子です」。
35:18 彼女は死にのぞみ、魂の去ろうとする時、子の名をベノニと呼んだ。しかし、父はこれをベニヤミンと名づけた。
35:19 ラケルは死んでエフラタ、すなわちベツレヘムの道に葬られた。
35:20 ヤコブはその墓に柱を立てた。これはラケルの墓の柱であって、今日に至っている。

●MA氏の葬儀にはお孫さんの二人が「別れの言葉」を述べてくださることになった。素晴らしいことである。命は連鎖していくのだ。いつか芽が出るのだ。隔世遺伝だ。否、人間の栄光でなく、人間の熱心でなく、神の熱心、神の永劫が上がるのだ。●ファーマーズセンターで竹の子を一本。小さい300円のものを購入。それから図書館。新潮社「考える人」春号を読む。佐藤優の本を借りる。これは何者か。●20:00 集会の山本政則さんにお送りした資料に対し、お礼の電話を頂く。そして塚本訳第一コリントの底本について意見交換。私の意見として「塚本訳を絶対視するのが一番いけない。塚本先生もそれを望んではおられなかった」と話した。無教会が先生崇拝主義に堕落するであろうとブルンナーは預言したが、各集会がその偶像崇拝の雰囲気になっているが、塚本崇拝にそれが顕著に表れている。それは最も重い罪悪であり、神の祝福が得られず、後が続かないで滅びは近い●内村鑑三記念講演会は集う聴衆の超高齢化で10年後には消滅するであろう。●無教会集会は先生の「御本」から離れて聖書そのものに向かわなければ死滅する。また聖書以外の人間の書いた本(バルト、ルター、ボンヘッファーも)を熱心に取りあげているようでは集会の血流がとまり、呼吸がとまり、ついに命がなくなる。根底に見るべき信仰がない大脳皮質だけのしかも三流知識の寄せ熱めの切り売りではよほどの暇人でない限り誰も聞かない。ヒヤヒヤで心が安らがない。つまらない。●信仰は後ろ向きではなく、前向きでなければならない。●「無教会主義集会は心が安らがない、落ち着かない」とは某女の話。これプロテスタント教会また同じ。「お遊び」「イベント」「歌」「バー」・・・・・何かやることが神のためだと思っている。聖書の勉強、使徒伝承そっちのけである。●無教会は信仰の自由だと誤解して信仰ならなんでもよいという「無宗教」に転落。信仰の真偽の見分けがつかないからこうなる。裁きは「神の家から始まる」

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三角 水平 堆肥 ++++++++ 所感

2010/04/13 06:23



使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

       http://stonepillow.dee.cc/



100413(火)3時半目覚め、5時15分起床●TSK日本語版●福島で有機農業を奮闘している息子のブログが来た。

http://chitata.blogspot.com/

これに対して次のような返メールをした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

K君

「三角 水平 堆肥」拝見しました。
 
三角・・・これはおそらく二等辺三角形の原理で作ったのだと思います。
     このような時、建築現場では3:4:5のピタゴラスの定理で大きな三角定規を作ります。メジャー使用です。
     二等辺三角形での作り方より何かと便利です。
水平・・・透明のビニールホースでの水平確定。建築の基礎工事でもついこの間までこの方法でした。「水盛り」という言葉です。
     今はレーザー光線の機械がありますが、機械が故障するとダメになります。何かと不安です。
     ピラミッド基礎は周囲に溝を掘って水を入れて水平を決めました。自然の原理サマサマですね。安心です。
堆肥・・・子供たちがこのような自然環境で育つことは最高の教育です。機械の下敷きにならないように気をつけてください。
     堆肥も大自然の恵みサマサマですね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●6:30 公園でラジオ体操
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公園の桜が散る。地面は花びらのジュータン。花の命は人生より短いが、神に覚えられているから同じ価値だ。
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フレンチブルドッグ。耳が垂れていない。何事も恐れず、ほえないという。自戒。
犬を見てから飼い主を見ると、ブルドッグの顔に見えた。教訓。悪い人ばかりと付き合っていると誰もかも悪い人に見える。私を悪く言うアノ人はきっと悪い人とばかり交際しているのだ。可哀そう。
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今日は奥多摩連山が美しく見える。右はあきる野市庁舎。役人は神の使い。民に良いことをしてくれる(ロマ13:1-5)。役人や天皇と見るとすぐ吠える人間は気が小さく信仰の薄い人間だ。
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山の上にある町 ++++++++ 所感

2010/04/12 06:22

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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100412(月)4時半目覚め●朝の啓示「山の上にある町」●TSK日本語版●キリスト教プロテスタントの混乱、無教会主義の混乱。分散。争い。この悩みから救われるためにはパウロが言う「一番大切なこと」(のみ)に帰依する必要がある。

塚本訳  Ⅰコリ15:3-4
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、

●我が国で無教会主義が唱導されたとき、「教会主義の律法化、世俗化、(合わない)聖職者の存在」に悩んでいた人たちはこぞって無教会に走った。それは不思議な現象であった。この事を塚本先生は「川魚を海水の入った桶に入れると死に物狂いで暴れて飛び出すように、無教会主義の真理に触れた信者は死に物狂いで教会を飛び出す」と言われた●無教会は一時「山の上にある町」であった。多くの人が「教会主義の悩み苦しみ」から逃れんとして「山の上にある町の光」えお目指した●ところが無教会100年、いまその無教会から逃げ出す人が多くなった。ある集会ではあろうことか数人がこぞってカトリックに走った。同情できる。無教会は先生同士信者同士の頭でのいがみ合いや斬り合いに終始しているので安息安らぎがないからである。これは何か、無教会は「一番大切なこと」を見失っているからである。その結果のみじめな目も当てられない惨状については言わない。言っても無駄。根が腐っているから枝葉が枯れ始めているからであり、その枯れ具合を批判しても始まらないが一言だけ言えば、「神の教会」が政治結社やヒューマニズムや思想団体や、神学や、遊びの団体や先生崇拝に転落している。●パウロが「一番大切なこと」と言った時、その背景にはコリントの教会に「ある種の混乱」があったものと想像できる。その混乱とは同じ第一コリントにある次の言葉からわかる。これはキリスト教会2000年の慢性的な混乱である。

塚本訳 Ⅰコリ1:10-13
1:10 兄弟たちよ、わたし達の主イエス・キリストの名を指してあなた達に勧める。皆が一致してもらいたい。またあなた達の間に仲間割れがなく、同じ考え、同じ意見で団結してもらいたい。
1:11 わたしの兄弟たちよ、あなた達の間に喧嘩があることを、クロエの家の者たちから知らせてきた。
1:12 もっとはっきり言うとこうである。──あなた達はめいめい、「わたしはパウロ(先生)に」、「わたしはアポロ(先生)に」、「わたしはケパ(先生)に」、わたしは(主)キリストに」と言っている。
1:13 救世主が分裂しているのか。まさかパウロがあなた達のために十字架につけられたのではあるまい。それとも、(キリストでなく)パウロの名で、あなた達は洗礼を受けたというのか。

●この混乱を収めようとするために人間的な様々な試みが行われてきたが、効果がなかった。その多くは「人間の思い」でまとまろうとしているからである。(WCC、エキュメニカル、第二ヴァチカン公会議、無教会の連帯運動)。●「目に見える一致がそんなに大切か!」●第一次世界大戦ではキリスト教国同志が殺し合った。それを嘆いて内村鑑三は再臨を唱導した。また教会としては「世界教会協議会」ができた。これには無教会の前田護郎も一時委員として加わったが、早くも「教会の定義」でさえ一致できなかった●教派争いを嫌って出発した無教会では「一人一教会」(この言葉は内村鑑三の『聖書の研究』最終号の『教会問題』に出ている)が最終的解決の道であるとしてきたが、現実は一人一教派となって互いに「いがみ合って」いて、中にはこの人がと思う人が「親しい人を悪魔呼ばわり」して醜い別れ方をしている。無教会の「一人一教会」は理論的には素晴らしいが、現実は一人一教派一神学同志の「斬り合い」である。●しかしこれキリスト教徒の宿命。その分離がピューリタンを生み、米国を生んだ。●では一体何が「道」か。「一番大切なもの」、つまり「有体的復活」の喜びに帰依することである。そして「有体的再臨」に熱心になることである。これらを頭でなく心からの喜びでまとまることである。これ以外に道はない。

塚本訳 Ⅰペテ1:8
1:8 君達は彼を(目のあたり)見たことはないが、(これを)愛し、今も見ることは出来ないが、(これを)信じて、(既にかの日の)輝きに満ちた、言語に絶する喜悦を喜んでいる。

●この一句に有体的復活と有体的再臨と喜びという重要なことが含まれている。この「喜び」が山の上にある町の灯」である。これは終末の光である。

塚本訳 マタ 5:14
5:14 あなた達は世の光である。山の上にある町は隠れていることは出来ない。

●讃美歌191番は「教派争い」に嘆いて作曲されたものとされている。(特に3節)そしてその解決は「再臨」であることも示されている(4節)。この曲はあるとき無教会全国集会で歌われた。

讃美歌191                                            

 1. いとも とうとき しゅ は くだりて,
   ち の あたい もて たみ を すくい,
   きよき すまい を つくり たてて,
   そ の いしずえ と なり たまえり.
 
2. よも の くに より えらば るれど,
   のぞみ も ひとつ わざ も ひとつ,
   ひとつ の みかて とも に うけて,
   ひとり の かみ を おがみ たのむ.
 
3. さわ の あらそい みたみ を さき
   よびと そしりて なやむれども,
   かみ は たえざる いのり を きき,
   なみだ に かえて うた を たまわん.
 
4. よ に のこる たみ さりし たみ と
   とも に まじわり, かみ を あおぎ,
   とわ の やすき を まちのぞみ て,
   きみ の きます を せつ に いのる.
●このメロディーは次をクリック。
●今は体のお具合の悪いTK老婦人が次のように言ってくださったことが忘れられない。「高橋さん。神が人の子の姿をとってこの世に下られたことが尊いのですよ」。またこうも言われた「高橋さん。塚本先生は教会というものを心から愛しておられたのですよ」。この二つの言葉は私にとって深い。TKさんが長生きしてくださることを祈る。
●塚本訳「第一コリント人へ」の底本整理で終日かかった。それぞれの段階でそれなりの苦労があった。●17:30 町内会の班長としての仕事。本年度町内会費1800円/年を徴収してもらうためのお願いに組長8人の家を回る。雨で書類が濡れて難儀した。それでも私の家を「ステキナ家ですね」と評価してくれた人が二人いて気をよくした。またインターホンで「町内会の班長です」というと受けがいいので安心した。必ず「御苦労さまです」と言ってくれる。ものみの塔や押し売りではないからこうなのか。18:20帰宅。
 

 


 

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イエスの死にがい ++++++++ 所感

2010/04/11 07:03

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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100411(日)5時目覚め。朝の啓示「死にがいとしての覚悟」●TSK日本語版。習熟度が増して一節を4分でできるようになった●次回の集会感話は「受難予告」。これを学者読み、牧師の説教読みではなく「聖書で聖書を読む」素人読みをする。タイトルは「イエスの死にがい・・・受難予告の本質」。その素案を検討。

感話原稿

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

イエスの死にがい

・・・受難予告の本質・・・

  2010年5月2日 東京聖書読者会 高橋照男

受難の予告第一

塚本訳 マコ 8:31-33
8:31 (この時から、)イエスは、「人の子(わたし)は多くの苦しみをうけ、長老、大祭司連、聖書学者たちから排斥され、殺され、そして三日の後に復活せねばならない。(神はこうお決めになっている)」と弟子たちに教え始められた。
8:32 しかもおおぴっらにこのことを話された。するとペテロはイエスをわきへ引っ張っていって、忠告を始めた。(救世主が死ぬなどとは考えられなかったのである。)
8:33 イエスは振り返って、弟子たちの見ている前でペテロを叱りつけられた、「引っ込んでろ、悪魔!お前は神様のことを考えずに、人間のことを考えている!」

受難の予告第二

 塚本訳マコ 9:30-32
9:30 一行は(エルサレムに上るため)そこを去って、ガリラヤを通った。しかしイエスは(この旅行が)人に知られることを好まれなかった。
9:31 「人の子(わたし)は人々の手に引き渡され、彼らはこれを殺す。殺されるが、三日の後に復活する」と言って、弟子たちに教えて(その覚悟を求めて)おられたからである。
9:32 彼らはこの言葉(の意味)がわからなかった。でもこわいので尋ねなかった。

受難の予告第三

 塚本訳マコ 10:32-34
10:32 一行はエルサレムへ(の道を)上る途中であった。イエスが(十二人の)弟子たちの先頭に立って(どしどし)歩かれるので、彼らは薄気味わるく思い、ついて行く(ほかの)人たちは恐ろしがっていた。イエスはまた十二人(だけ)をそばに呼んで、自分の身に起ろうとしていることを話し出された、
10:33 「さあ、いよいよわたし達はエルサレムへ上るのだ。そして人の子(わたし)は(そこで)大祭司連と聖書学者たちとに引き渡される。彼らは死刑を宣告して異教人に引き渡し、
10:34 異教人はなぶり、唾をかけ、鞭で打って、ついに殺すのである。しかし三日の後に復活する。」

●関連聖句・感話

「受難予告は事後預言か」・・・その解決はイエスをどうとらえるかにかかっている。

マタ   27: 11 [塚本訳

さて、イエスが総督の前に立たれると、総督はイエスに問うた、「お前が、ユダヤ人の王か。(お前はその廉で訴えられているが。)」イエスは言われた、「(そう言われるなら)御意見にまかせる。」

マコ   15: 2 [塚本訳

ピラトはイエスに問うた、「お前が、ユダヤ人の王か。(お前はその廉で訴えられているが。)」答えて言われる、「(そう言われるならば)御意見にまかせる。」

ルカ   22: 70 [塚本訳

皆が言った、「ではお前が、神の子か。」彼らに言われた、「そうだと言われるなら、御意見にまかせる。」

ヨハ   18: 37 [塚本訳

そこでピラトが言った、「では、やっぱりお前は王ではないか。」イエスが答えられた、「王だと言われるなら、御意見にまかせる。わたしは真理について証明するために生まれ、またそのためにこの世に来たのである。真理から出た者はだれでも、わたしの声に耳をかたむける。」

塚本訳マタ 21:25-27
21:25 ──ヨハネの洗礼はどこから来たのか。天(の神)から(授かったの)か、それとも人間からか。」彼らはひそかに考えた、「もし『天から』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったか』と言うであろうし、
21:26 もし『人間から』と言えば、民衆(の反対)がこわい。みんながヨハネを預言者と思っているのだから。」
21:27 そこで「知らない」とイエスに答えた。イエスも言われた、「ではなんの権威であんなことをするのか、わたしも言わない。

塚本訳 マタ 7:28-29
7:28 イエスがこれらの話を終えられた時、一しょに聞いていた群衆はその教えに感心してしまった。
7:29 自分たちの聖書学者のようでなく、権威を持つ者のように教えられたからである。

「神はこうお決めになっている」・・・受難予告の本質

マコ   8: 31 [塚本訳

(この時から、)イエスは、「人の子(わたし)は多くの苦しみをうけ、長老、大祭司連、聖書学者たちから排斥され、殺され、そして三日の後に復活せねばならない。神はこうお決めになっている)」と弟子たちに教え始められた。

ルカ   9: 22 [塚本訳

そして、「人の子(わたし)は多くの苦しみをうけ、長老、大祭司連、聖書学者たちから排斥され、殺され、そして三日目に復活せねばならない。(神はこうお決めになっている」と言われた。

新共同 Ⅰテサ3:3
3:3 このような苦難に遭っていても、だれ一人動揺することのないようにするためでした。わたしたちが苦難を受けるように定められていることは、あなたがた自身がよく知っています。

 塚本訳マタ 26:42-43
26:42 また二度目に向こうへ行って、祈られた、「お父様、どうしてもわたしが飲まねば通りすぎない杯ならば、どうかお心のままになさってください。」
26:43 また来て見られると、彼らはまたもや眠っていた。(悲しみのために疲れて、)瞼が重かったのである。

塚本訳 ピリ 1:29
1:29 君達はキリストのために──ただ彼を信ずるばかりでなく、また彼のために苦しむことをも恵まれたからである。

「友のために死ぬ以上の愛はない」・・・イエスの覚悟

 塚本訳ヨハ 15:13-14
15:13 (わたしはあなた達のために命を捨てる。)友人のために命を捨てる以上の愛はないのだ。
15:14 あなた達はわたしの命ずることを行ってさえおれば、わたしの友人である。

「君達にその覚悟があるか」・・・弟子達の甘い認識

マタ   8: 20 [塚本訳

イエスはその人に言われる、「狐には穴がある、空の鳥には巣がある。しかし人の子(わたし)には枕する所がない。(その覚悟があるか。

マコ   9: 31 [塚本訳

「人の子(わたし)は人々の手に引き渡され、彼らはこれを殺す。殺されるが、三日の後に復活する」と言って、弟子たちに教えて(その覚悟を求めて)おられたからである。

ルカ   14: 28 [塚本訳

(このように、わたしの弟子になるには最初の覚悟が必要である。)なぜか。(次の譬を聞きなさい。)あなた達のうちには櫓を建てようと思うとき、まず坐って、はたして造りあげるだけの金があるかと、その入費を計算しない者がだれかあるだろうか。

ルカ   22: 33 [塚本訳

するとペテロは言った、「主よ、ご一しょに、牢に入っても、死んでもよい覚悟ができております。」

「神に負わされる十字架」・・・十字架は負いきれない。負うものではない。

マタ   10: 38 [塚本訳

また自分の十字架を取ってわたしのあとに従わない者は、わたし(の弟子たる)に適しない。

マタ   16: 24 [塚本訳

あとでイエスは弟子たちに言われた、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、自分の十字架を負い、それからわたしに従え。

マコ   8: 34 [塚本訳

それから、群衆を弟子と一しょに呼びよせて言われた、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、自分の十字架を負い、それからわたしに従え。

ルカ   9: 23 [塚本訳

それから今度は皆に話された、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、毎日自分の十字架を負い、それからわたしに従え。

ルカ   14: 27 [塚本訳

自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることは出来ない。

「イエス自身の覚悟」

ルカ   9: 51 [塚本訳

イエスは(いよいよ)昇天の日が迫ったので、決然としてその顔をエルサレムへ向けて進み、

ルカ   9: 53 [塚本訳

村人たちはイエスが顔をエルサレムへ向けて進んでおられるので、承知しなかった。

塚本訳 ヨハ 14:31
14:31 だが、わたしが父上を愛し、父上の命令のとおり行うことをこの世に知らせるために(わたしはあれに身をまかせる。)──立て。さあ出かけよう!

塚本訳マタ 26:39
26:39 そしてなお少し(奥に)進んでいって、俯けに倒れ、祈って言われた、「お父様、出来ることなら、どうかこの杯がわたしの前を通りすぎますように。しかし、わたしの願いどおりでなく、お心のとおりになればよいのです。」

新共同 黙  2:10
2:10 あなたは、受けようとしている苦難を決して恐れてはいけない。見よ、悪魔が試みるために、あなたがたの何人かを牢に投げ込もうとしている。あなたがたは、十日の間苦しめられるであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

感話原稿おわり

●10:00妻と東京聖書読者会。宮崎。土肥(聖書にでてくる乳香など各種香料の実物を嗅ぎながらの解説。)山本(塚本訳で第一コリント)●集会後山本、小寺、高橋で塚本訳の試訳、改訳、それに今回発表された別冊について意見交換。●私の意見は次の通り。・・・・・・塚本改訳はもう30年も前のものになったので、もし塚本先生がおられたら公表は止められるであろう。塚本訳は戦前、昭和19年に完訳した「試訳」を歴史的遺産として永久保存して、有料で広く販売すべきである。2016年には新共同訳の次の「新標準訳」がでるし、新改訳も新しい翻訳が開始された。このような環境の中で、戦前に訳された塚本試訳を絶対視するのは時代錯誤も甚だしい。・・・・というのが私の意見。これは過日山下次郎先生に書いた手紙の内容●塚本先生も御自分の翻訳を絶対視されるのを好まなかったらしい。(藤本悦子さんとの懇談)●昼食は小寺利男さんと。MA氏の葬儀打ち合わせ●妻は集会の婦人会「すずめの会」。●無教会集会に来る人にもいろいろある。「人づきあいの悪い人」「人づきあいを好まない人」「日曜集会をよく休む社交動物の遊び人」「キリストや聖書よりも人間たる先生を第一にしている先生信者」「無教会だからといって集会を悪びれもせず平気で休む人間」●神の裁きはエクレシアから始まる。

塚本訳 Ⅰペテ4:17
4:17 審判が神の家『から始まる』時(は既に近づいているの)だから。しかしもし(審判が)まず(神の家すなわちキリストを信ずる)私達から(始まる)とすれば、神の福音に従わぬ者の最後はどうであろう!

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集会の帰途、東秋留駅にある桜の大木。大正4年に安兵衛という人が植えたので「安兵衛桜」と言われ、市の保存樹になっている。風が吹いて桜吹雪になっていた。花の命は短いおナー。

●19:30 から町内会の班長会議。これkら2年間、私は町内会72世帯の班長になった。「この世のこと」であるが、この小事に忠実でなければならない。しかし町内会への加入率は6割と聞いて、その低さに驚いた。町内会に加入しなくても回覧などは市役所に行けば分かることだし、市民生活に支障をきたすことはないからである。特にマンション住民などは加入しない人間が多いらしい。町内会費は月150円。年間1800円。この徴収が難儀だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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期待はずれの嘆き ++++++++ 所感

2010/04/10 06:11

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
       http://stonepillow.dee.cc/

100410(土)4時半起床●TSK日本語版マルコ●福島県で有機農業に苦闘している息子のブロク    http://chitata.blogspot.com/  の4月9日の「ジャガイモ」 に感想メールを送った。

ブログへの感想メール

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K君
「挑戦」という言葉をたのもしく思いました。「新しいことに挑戦」できる仕事環境はすばらしいことです。それが「生命」とはまた祝福された仕事です。
人生は神からいろいろな目に遭わされますが、その一つ一つを「神の助けを信じて忍耐する」ことが「挑戦」なのではないかと思います。
身に余るほどのことを目指しての挑戦は人間の「欲望実現」への挑戦であって、信仰的ではありません。むしろ、与えられた困難を「神の助けを信じて忍耐する」ことがクリスチャンの挑戦ではないかと思います。「神の助け」を信じないでの忍耐はつらくまたそれは儒教的であり、人間の栄光は上がっても神の栄光は上がりません。ちなみにJバイブルで調べたところ聖書に「挑戦」という言葉はありませんでした。
「新品種への挑戦」もそのことをやってみるようにとの神に負わされた仕事です。うまくいかないかもしれませんがそれは「忍耐」です。否、神の促しの困難は成功します。良い結果になります。
これは仕事、結婚、子育て、などすべてに共通で「負わされた十字架」です。「負わされた十字架」には意味が込められています。
成果が待っています。
●ところで、写真を見ると畝が曲がっています。左側の道に合わせたから畑全体が曲がってしまったのでしょう。これは効率が悪いです。このような場合、建築的には畑全体を真っ直ぐにして端にできる三角地帯は「捨てます」。手作業にします。ですから端にできる小さな三角地帯は機械を使わないで、手で耕したらどうか。その方が、見た目(景観、デザイン)にもすっきりし、機械効率もいいのではないでしょうか。私は建築士なのでこういうことがすぐ気になります。あるいはその三角地帯には花を植えるなどのことをしたらどうか。私の家の周りの畑にも一部分花を植えている人がいますが、人柄が表れていて、神に祝福されている感じがします。御参考までに。
●新品種のジャガイモの収穫を期待しています。今から楽しみです。
●期待していたのに実がならなかった時の失望については次の個所を思いだしました。イエスは農業労働者の悲しみを知っていました。しかし少しの信仰があれば失望に終わらないこともここから学びます。
 
塚本訳 マタ 21:18-22
21:18 (次の)朝早く都に帰られるとき、イエスは空腹であった。
21:19 それで道ばたに一本の無花果の木があるのを見て、そこに行かれた。が見ると、ただ葉ばかりで何もなかった。イエスはその木に言われる、「もはやいつまでも、お前には実がなってはならない!」無花果の木は見る間に枯れてしまった。
21:20 これを見て弟子たちは驚いて言った、「なぜ無花果は見る間に枯れてしまったのですか。」
21:21 イエスは答えられた、「アーメン、わたしは言う、もしあなた達に信仰があって疑わないならば、この無花果におこった(と同じ)ことをすることができるばかりか、この山にむかい『立ち上がって海に飛び込め』と言っても、その通りになる。
21:22 信じて祈れば、求めるものはなんでも、戴くことができる。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ブログへの感想メール 終わり
●かって旧約学者の中澤樹先生から「今日の葬儀はなっていなかった。」と強いお叱りを受けたことがある。「故人の霊が神の懐にあるというのに(コロサイ3:3-4)、故人の徳を称えたり思い出を語ったりしている」と。そして中澤先生ご本人は遺言によって無教会ではなくお勤めになられていた立教大学の礼拝堂で聖公会の司祭によって葬儀をされた。私も参列した。三笠宮が弔辞を述べられた。オリエント学会の関係であろうか。皇室では常陸宮はクリスチャン。私の睨むところ三笠宮もクリスチャン。●中澤先生が聖公会で葬儀をなさったのは、無教会に対する警告である。無教会は教派争いをしないということを強調しすぎて正統信仰から逸脱し、有体的復活、三位一体、再臨など、2000年の伝統の基本中の基本を見失っている●そういう人が葬儀を行うと故人の徳を称えたり思い出を語ったり」するだけで葬儀にならない。故人の霊を救い給えと祈るレクイエムにならない。したがって故人は浮かばれない。故人の徳を称えるだけだとしたら、イエスに言わせれば「この世的に褒美をもらっているので、神に目をかけられなくてもよい。」ということになる。●これの関連聖句は次のとおりである。
塚本訳 マタ 6:16
6:16 また断食をしている時には、偽善者のように陰気な顔つきをしてはならない。彼らは断食をしていることを人に見せようとして、(顔を洗わず、髭をそらず、わざと)顔を見苦しくするのである。アーメン、わたしは言う、彼らは(褒められた時、)すでに褒美をもらっている。

塚本訳マタ 6:2-4
6:2 だからあなたが施しをする時には、偽善者のように、自分の前にラッパを吹きならして(吹聴して)はならない。彼らは人に褒められようとして、礼拝堂や町の中でそうするのである。アーメン、わたしは言う、彼らは(褒められたとき、)すでに褒美をもらっている。
6:3 あなたは施しをするときに、右の手のすることを左に悟られてはならない。
6:4 これは施しを隠しておくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。

塚本訳 ヨハ 5:41
5:41 (こう言うのは、自分を認めてもらいたいからではない。)わたしは人間の名誉などほしくない。

塚本訳ルカ 22:25-26
22:25 するとイエスが言われた、「世間では王が人民を支配し、また主権者は自分を恩人と呼ばせる。
22:26 しかしあなた達はそれではいけない。あなた達の間では、一番えらい者が一番若輩のように、支配する者が給仕をする者のようになれ。
●初代教会の信徒が熾烈な迫害に遭ったのは「神を信じない者は裁かれる」という「人類憎悪」の審判思想が信者にあったためである(タキトゥス「年代記」)。これは現代においても非常にあたっている。現代において家庭や社会からキリスト信者が嫌われる理由は、異教徒あるいは不信者の目には自分達が信者から「憎悪」「批判」「攻撃」されていると感じているからである。それが信者に対する反撃や抵抗の姿勢に出て、信者を嫌う心理状態なのである。●信者は心の中で不信者を「殺してはいけない」。「攻撃してはいけない」「責めてはいけない」
塚本訳  マタ 5:21-22
5:21 (だからわたしの戒めは彼らよりもきびしい。)──あなた達は昔の人が(モーセから、『人を)殺してはならない、』殺した者は裁判所で罰せられる、と命じられたことを聞いたであろう。
5:22 しかしわたしはあなた達に言う、兄弟に腹をたてる者は皆、(ただそれだけの理由で、天国の)裁判所で罰せられる。兄弟に馬鹿と言う者は、最高法院で罰せられる。畜生と言う者は、火の地獄で罰せられる。
●私の懺悔。t5アキトゥスが言う信者が持つ悪い癖の「人類憎悪」「この世を断罪する思想」が私にあった。具体的には亡くなった母が「照男は私に向かって何時も説教する」と娘に涙ぐんで言ったことがあるという。息子の一人が「父さんは俺をいつも攻撃する」と言ったことがある。これなどは信者の不信者に対する「断罪思想」の現れである。ユダヤ教の黙示的終末思想ならばその断罪は正しいが、イエスはその黙示的断罪思想から罪人を救った。アー私こそ地獄の火に放り込まれるべき人間だ。主イエスよ十字架のゆえにこの罪の身を救い給え。
●MA氏葬儀のプリントを印刷。告別式プログラムの出来栄えで信仰の程度が計られる。センスが現れる●福島の妻の母が退院。完治を祈る●17:15妻はコーラスの練習に出かける。ラインベルガーの「レクイエム」とブラームスの「ジプシーの歌」


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人生の目的とは何か ++++++++ 所感

2010/04/09 06:22

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
       http://stonepillow.dee.cc/

100409(金)3時半目覚め●朝の啓示「人生の目的とは何か」ウェストミンスター小教理問答書第一問●TSK日本語版。一日4節にスピードアップ●YT氏が米国から無事帰国されて日本の風景がブログにアップされた。キリスト教国の米国もいいが日本人はやはり日本の風物のほうがしっくりする。 http://blogs.yahoo.co.jp/trntim/folder/584389.html●人類が生み出した最高傑作の一つは1647年に作られた「ウェストミンスター小教理問答書」の第一問であると思う。それは次である。

問「人間の第一の目的は、何ですか」。

答「人間の第一の目的は、神に栄光を帰し、永遠に神を喜びとすることである。」

(松谷好明訳・一麦出版社)。

●1648年の初版には聖句が付いているという。しかし引用聖句とか引照というのは自分でひらめくところに価値がある。他人が作った引照を読むのは、人がおいしいものを食べたことの感想を聞くようなもので、自分の栄養にはならない。●そこで、この有名な問答書の第一問について自前の聖句を挙げてみる。同じく、私が味わうものなので、人がこれを読んでもさっぱり何も感じないことがあってもよい。

「 人間の目的」・・・・・これは別の訳では「人生の目的」というものがあった。今日の学校教育ではこれに自信を持って答えられない。せいぜい、「身を立て名を上げなお励めよ」(仰げば尊し)、学問でも生活でも他人を上回って優越感の喜びに浸ること、地上の平和の完成とか、人格の完成とか、この世を改造するとか、人生を大往生するとか、悠々自適の老後を目指すとか、子供を成長させるとか、経済の安定発展とか、・・・・こんな程度のものである。●人間には「目的」がある。目的がなくなった時「自殺」の願望が湧く。人生とは何か。旧約聖書は次のように言う。

新共同 詩  90:10
90:10 人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十年を数えても/得るところは労苦と災いにすぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。

●この嘆きの言葉に同意しない人はいない。人生は溜息の連続である。

新共同 詩  90:9
90:9 わたしたちの生涯は御怒りに消え去り/人生はため息のように消えうせます。

●であるから「人生の目的とは何か」「生きるとはどういうことか」「生きる価値があるのか」という疑問質問が出るのは当然であり、健全常識である。

●「神に栄光を帰し」・・・なすことのすべてが自分の栄光を求めるのではなく、神に栄光を帰すこと。「神のおかげだ」「私がいまあるのは神のおかげだ」「神に花を持たす」。●神の栄光ということを感じるのは美しい天を見るときである。私の好きな土肥裕子の歌を聴くとこの人は知らず知らずに神の栄光をあらわしているのだなーと思う。

口語訳 詩  19:1-5
19:1 もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。
19:2 この日は言葉をかの日につたえ、この夜は知識をかの夜につげる。
19:3 話すことなく、語ることなく、その声も聞えないのに、
19:4 aその響きは全地にあまねく、その言葉は世界のはてにまで及ぶ。

●この聖句は18年前に召された父の特愛のものであった。親が子に伝える最大のことは神の存在を教えることである。「祈る」ことを教えることである。しかし、「話すことなく、語ることなく、声も出さずに」とあるから、親は子供に何も言わなくても、その祈りは必ず「いつか」子供が受け継ぐ。

●「神を喜びとする」・・・・人間は全員喜びを求めている。経済的安定も「喜び」の一種である。老後の安定も「喜び」の一種である。平和(夫婦、親子、兄弟、国家)も「喜び」の一種である。一流学校、一流会社に入ることもこれ「喜び」の一種である。、しかし実験、体験してみて分かることだが、これらは心底から人間に「喜び」をもたらさない。魂を揺さぶり心が震えるような喜びは「復活のイエスを感じる」ときである。これが「神を喜びとする」ことである。これは誰でも求めれば与えられる。生まれつきの人間はこの世の喜びを失う時に始めて心が神に向く。●側聞したこと。某夫人が初めて無教会の家庭の婦人小集会に出た時、そこで歌われた讃美歌509番に号泣してその場で泣き崩れたという。その婦人はおそらくすでに召されたであろう。この讃美歌のどの部分に感じ入ったのかはわからない。その無教会家庭婦人小集会は「受け皿」としてのよい働きをしたものだ。人数は少なくても本物の信仰を持っている人がいる集会にのみこういう現象が起きる。この集会の面々は一人の婦人を神のもとに導いて神の栄光を現した。彼女達は大伝道者、大教会、内村、塚本、黒崎に勝る。理想的な伝道、理想的なエクレシアだ。

讃美歌509番 

1. よ の たのしみ うせ され,
   ひと の ほまれ きえ ゆけ,
   み を おく さと よ に なしとも,
   わが さち こそ いえす きみ.
 
2. たから も な も ながるる
   みず の うえ の つきかげ,
   ありて なき を などか は おわん,
   わが とみ こそ いえす きみ.
 
3. さらば ゆけ よ, よ の ゆめ,
   あさひ の かげ さし きぬ,
   わが まよい を さや に しめす
   みひかり こそ いえす きみ.
 
4. いざ や わかれん うきよ に,
   いざ や むかえん とこよ お,
   いざ や むかえん しゅ の みむね に
   よりて いこう その ひ を.
●メロディーは次をクリック
●子供の成績が悪いのを嘆く母親の話を聞いて思ったこと。この世の点数は悪くても「神の国の点数」は負けてはいけない。新約聖書にはこの世の点数が悪い人が神の国の点数がよくなるという逆転劇が多く書かれている。しかしその点数は人間的な努力では得られない。祈りだけである。さらば人生を失敗した人は喜べ、この世の学校の点数が悪い子供の親よ喜べ、子供の生きる方針を神に向かうようにせよ。この世の成績は点数できり判定できないから不完全だ。神の国の成績はおそらく点数ではないだろう。それは「心」だ。●この世の受験競争の暗さの元凶は親である。東大大蔵省の人間を喜ぶ「割礼なき女」が子供の尻を叩く。その道に幸福はない。子供は悪魔的に育つ。高級官僚、一流企業の人間がそのポストを去ったあとは「もぬけの殻」となる現実を見る。そうならないように子供が小さいうちから人世観の羅針盤を神に向けなければならない。
口語訳 伝  12:1
12:1 あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に

新改訳 伝  12:1
12:1 あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に。

新共同 伝  12:1
12:1 青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。「年を重ねることに喜びはない」と/言う年齢にならないうちに。
●MA氏の葬儀のことでKT氏、TH氏と電話打ち合わせ。●MA氏は昨日人工呼吸器を外したとご令息の話。いよいよか。神がMA氏を安らかに召して下さるように祈る。死とは復活の朝まで神の懐に隠されることだ。
口語訳 コロ 3:3-4
3:3 あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである。
3:4 わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう。

 

 

 

 

 

 

 

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時という恩恵 ++++++++ 所感

2010/04/08 09:28

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
       http://stonepillow.dee.cc/

100408(木)3時目覚め。●TSK日本語版●久しぶりの朝日。表に出て撮影●公園でラジオ体操

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久しぶりの朝日。大自然は思想を清め、高めてくれる。

●福島で有機農業に苦闘している息子の7日のブログ http://chitata.blogspot.com/  に「時という恩恵」ということを思ったので、次のような感想をメールした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

K君
昨日6日のブログでは「季節は待ってくれない」。今日7日のブログは「植え時だ」。この言葉に、「時という恩恵」について考えました。


聖書の中で農業と時に関するものを思い浮かべて感想を述べます。


口語訳 詩 1:1-3
1:1 悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。
1:2 このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。
1:3 このような人は流れのほとりに植えられた木の/時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。

●神と共なる人生は「時が来ると実を結び」ます。そして栄えます。


口語訳 伝 3:1-2
3:1 天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
3:2 生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、

●これがまさに「農業と時」です。建築でも、人には家を建てる「時」というものがあります。時が来なければどんなに努力しても建ちません。設計者としてはこの人にとっては「その時」であるかどうかを見分ける能力が必要です。私はその人がお金を持っているかどうかが二言目にはわかります。


塚本訳 ヨハ 16:21
16:21 女が子を産む時には、女の(宿命の)時が到来したので悲しみがあるけれども、子が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはや(お産の)苦しみを覚えていない。

●女の宿命の時は出産、男の宿命の時は経済的苦境、いずれも「苦しみ」。しかしこれ「人間」に負わされる宿命。それが過ぎれば喜び。


新改訳 伝 11:1
11:1 あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。

●無駄と思ってもやっておくことも必要。それには「祈り」が必要です。いつか、いつか、いつか、きっと芽が出ると思って信じ込むのです。ロングフェローの「矢と歌」の詩を思います。


雅 2: 12 [口語
もろもろの花は地にあらわれ、鳥のさえずる時がきた。山ばとの声がわれわれの地に聞える。

●有機農業の畑には虫や鳥が寄ってくるそうですが、すばらしいことではありませんか。神や鳥も祝福してくれていると思います。


口語訳 詩 126:5-6
126:5 涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。
126:6 種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。

●涙の時、収穫の時は建築設計の苦しみの時、竣工の喜びの時と同じと思います。。


口語訳 マコ 4:27
4:27 夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行くが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。

●食物の成長は神が夜のうちにやっていて下さるとは、・・・・神には残業手当なし、文句なし。感謝。


塚本訳マタ 13:1-9
13:1 その日イエスは家を出て、湖のほとりに坐って(教えて)おられたが、
13:2 大勢の群衆が集まってきたので、舟に乗って坐られた。群衆は皆岸に立っていた。
13:3 譬をもって多くのことを語られた。──「種まく人が種まきに出かけた。
13:4 まく時に、あるものは道ばたに落ちた。鳥が来て食ってしまった。
13:5 あるものは土の多くない岩地に落ちた。土が深くないため、すぐ芽を出したが、
13:6 日が出ると焼けて、しっかりした根がないので枯れてしまった。
13:7 あるものは茨の(根が張っている)間に落ちた。茨が伸びてきて押えつけてしまった。
13:8 しかしあるものは良い地に落ちた。そしてあるいは百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍の実がなった。
13:9 耳のある者は聞け。」

●そこが悪い土地かどうかは、あとから分かるいう悲しさ。しかしこれも宿命。福音を蒔いてもうまく育つ人と枯れてしまう人がいる。あとから分かる。泣きの涙。しかし神はその涙を御存知。

塚本訳マタ 13:24-30
13:24 またほかの譬を群衆に示して言われた、「天の国は畑に良い種をまく人にたとえられる。
13:25 人々が(夜)眠っている間に敵が来て、麦の中に毒麦をまいて行った。
13:26 苗が芽生えて実を結ぶと、その時毒麦も現われた。
13:27 使用人たちが来て家の主人に言った、『ご主人、畑には良い種をまかれたのではないですか。すると毒麦はどこから来たのでしょうか。』
13:28 主人がこたえた、『敵のしわざだ。』使用人たちが言う、『では、行って抜き取りましょうか。』
13:29 主人が言う、『いや、毒麦を抜き取ろうとして、麦まで一しょに引き抜くかも知れない。
13:30 両方とも刈入れまで育つままにしておけ。刈入れの時、わたしが刈入れ人たちに言いつける、まず毒麦を抜き取り、束にしばって焼きすてよ、麦の方は集めて倉に入れよ、と。』」

●素人判断ですが、雑草も何かの役割をしているのでは・・・・・・抜かずに育てて、ある時に抜き取る方法はないのか。・・・・素人の愚問です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
息子へのメール終わり。

●上記メールに追伸した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

K君

先のメールに言及したロングフェローの「矢と歌」の詩を添付します。
隠れた祈り、母の祈り、義人の祈りは聴かれます。


ロングフェロー 「矢と歌」 高橋照男自由訳 
ロングフェロー(Henry Wadsworth Longfellow 米国詩人1807-1882)

The Arrow and the Song

I shot an arrow into the air,
It fell to earth, I knew not where;
For, so swiftly it flew, the sight
Could not follow it in its flight.

I breathed a song into the air;
It fell to earth, where, I knew not where;
For who has sight so keen and strong,
That it can follow the flight of song?

Long, long afterward, in an oak
I found the arrow, still unbroke;
And the song, from beginning to end,
I found again in the heart of a friend.



上記英詩の信仰的自由訳 高橋照男

 矢と歌(ロングフェロー)

私は大空に向かって「自分の矢」を放った。
それはどこかに飛んでいってしまった。
それは一瞬のことであったので見えなくなってしまったのだ。
私は大空に向かって一人で「自分の歌」を歌った
それもどこかに消えていってしまった。
だれもその矢の行方をしっかり見届けることはできなかった。
だれもその歌が人の耳に届いたのかどうかを知ることはできなかった。
しかし、多くの多くの日の後に
あの「自分の矢」が堅い樫の木に折れずに突き刺さっているのを見つけた。
あの「自分の歌」が愛する人の胸の内にそっくりそのまま覚えられているのを知った。

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息子への追伸メール終わり

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春!。菜の花。後方はあきる野市役所。あきる野市は近郊農業地域だ。

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都立秋留台公園の桜。すごいなー、すごいなー。大勢の人が花見に来ていた。

●「塚本虎二敷衍訳新約聖書(一部分)」の礼状、2通●これが出ても私のHP私家版は変えない。

 






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品質第一は神第一から生まれる ++++++++ 所感

2010/04/07 08:45

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100407(水)5時半起床●TSK日本語版、一節を6-7分でできるようになった●有機農業で苦闘している福島の息子の5日と6日のブログ  http://chitata.blogspot.com/    に対する感想を次のように送った。

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K君。6日ブログの感想です
●親切な機械屋さん。・・・「地獄に仏」とは真理。私が若いころ、仕事で風になってノルマが果たせそうもなく困っている時「俺が手伝ってやるよ」と言ってくれた野口さん(隣席の人)と言う人がいました。こういう親切は一生忘れません。困っている時「俺が代わってやるよ」と言って神の罰を受けて死んでくれたのがイエスキリストなんだなーと思いました。
●商談、発送、配達、仕入・・・・これは企業ではそれぞれ別のセクションです。仕事を単一化すると習熟度が増してスピードアップしますが、反面に会議や打ち合わせが多くなり、摩擦が多くなります。一方、「幸福度」という観点からすると、人間の仕事を単純化すると「企業利益」の目的のためには有利ですが人間が道具となり、各個労働者が「生きがい」を失います。これがマルクスの指摘したところです。人間や労働の商品化です。単独経営は能率が悪く、コストもアップしますが、個人としての「やりがい」「喜び」は大きいのです。K君は野菜ジュースが激安で売られているのを見て「どうして安くできるんだろう」と思ったことがあったようですが、不思議ではありません。それなりのからくりがあるのです。人間が犠牲になっています。K君はそれとは別に「少量良品」を目指すのがよいと思います。
●季節は待ってくれない・・・聖書は「終末観」で色濃く塗られています。私の今後の研究課題です。「人生は待ってくれない」「終末は待ってくれない」ということです。4月4日の集会での感話資料「人生の終わりと復活の希望」はHPの「使徒伝承」にアップしました。時間のある時に散見してみてください。http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/denshou/owa.htm

 

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●追伸としてさらに次のように送った

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K君
先のメールで「少量良品」を目指すべきだと言いましたが、いろいろ考えさせられました。
「良品大量」をこそ目指すべきではないのか。そうすれば価格も安くなる。
この「良品大量」の商品企画はどの企業も目指すことです。ところが、これが墓穴を掘るのです。「大量」(収入増大)ということに心が奪われ、「良品」(品質)ということが第二になるのです。
私は建築の世界に生きてきましたが、ハウスメーカーの家(いわゆるプレハブ住宅業界)は今から50年ぐらい前に「良品大量」を目指して出発しましたが、シェアが10%どまりで伸びませんでした。その理由は「この家はオンリーワンの家」という「建築主の人間尊厳の満足」を大切にする姿勢に欠けていたのです。建築主の要求を第一にしないという観点で「良品」ではなかったのです。そこで最近の「ハウスメーカー」は「自由設計」「注文住宅」を前提にするように戦略を変えましたが、まだまだ建築主の満足を得るまでの十分な対応に欠けています。企業利益に足を取られているのです。一方何時までも「良いものは高いのです」という姿勢を維持している会社も伸びません。またつぶれます。これらの現象はどの分野でも同じです。私の結論は、常に良品(品質)を先行して大量(安価)は第二にすることが「生き延びる」(また幸福観のある)道です。そうすると注文も多くなって次第に大量生産に(せざるをえなく)なり、結果的に価格も安くなっていきます。秘訣は品質第一、利益第二です。安さを売り物にする姿勢もよくありません。安さを売り物にする商品企画は消えていきます。それは利益第一主義と同じ思想レベルなのです。あくまでも品質が第一です。
この事の実現にはこの思想に賛同する「同志」を得ることです。建築も独りではできません。20もの職種(同志)が必要です。
以上のことは聖書の次の言葉の応用問題です。品質第一は神を第一にする姿勢から生まれます
塚本訳 マタ 6:24
6:24 (わたし達の心は天か地かに引かれる。)だれも(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない
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●塚本虎二訳新約聖書の改訳(1944年昭和19年に完成したものは試訳と称している)の未完のもののうち、整理された原稿が藤本悦子さんの御努力で発見され、出版された。内容は8書簡。私の一家6人分と塚本訳研究者用に4冊の計10冊が聖書知識社の山下次郎氏から寄贈された。残念なのはヤコブ、ペテロ第一、第二、ユダ、黙示録の5巻の原稿がなかったことである。●これで塚本虎二訳の改訳はついに未完に終わった。しかしこの未完の部分は試訳が完成しているので、それを合わせて、将来塚本虎二訳新約聖書として完成してほしい。そうでないと塚本先生畢生のご努力の新約聖書訳は未完成」として扱われ、聖書和訳の歴史に載せられないことになる。つまり塚本虎二訳新約聖書として物理的に一巻本が欲しいものだ。●無教会の組織力のなさが災いしていると思う..●妻は塚本虎二著作集の読書会(婦人数名)から中野の愛子の所に行って夕方戻る。愛子の所に寄ると言われていたのは何日か前であったので、私「遅いじゃーないか」と怒った。妻「行ってあったではないですか」。私「それでも行く前には帰りは遅くなりますというべきだ」と喧嘩。●私が忘れたのがいけなかったのか。妻が出かける時に念を押して言わなかったのがいけなかったのか。●神は二人一組で生活するように創造されたのでこういうトラブルが起こる。(創世記2:18)。困った、困った。

 

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流れ星との出会い ++++++++ 所感

2010/04/06 06:41

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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100406(火)5時半起床●TSK日本語版作成、マルコ14章に突入●米国に滞在中のYT氏が間もなく帰国されるとのこと。次のようにメールした。一部変更。

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YT様

アーメン。人生における「復活の喜び」との出会いこそ、至福。少数ではありますがこの喜びを感じる人がこの世に存在することこそ、信仰の裏付け、来世実在の証拠。使徒信条の「我は教会を信ず、聖徒の交わり、永遠の命を信ず」です。感謝。
YT様にとって米国でのの信仰の交わりは「幸いな時」でした。
私の米国の想い出。ニューヨークでタクシーに乗った時、運転席に伝道トラクトがあったので心が通じて拙い会話をした。タクシーを降りる時その運転手は私の手を固く握って「See you again in heaven」(天国でまた会いましょう)。走り去るタクシーの後ろ姿をみて米国の底力と言うものを感じました。今から37年も前のこと。今でもあの運転手の輝く目が忘れられません。あの時の出会いは流星を見たようなものだ。流星はすぐ消える。人との出会いはこれすべて流星との出会いのようなものだと思いました。
 
高橋照男
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●この短い人生(地球誕生から今までをマラソン距離に置き換えると、人生の100年は一ミリ)において人との出会いは「流れ星との出会い」のようなもの。親族とても同じ。両親、妻、子供。これは現実問題としてあっという間に「別れ」が来る。それは一ミリのまたその半分以下。その流れ星は宇宙の闇に消え去って二度と会うことはない。NO!。永遠の命を頂けば「See you again in heaven」(天国でまた会いましょう)との希望が湧くのだ。人は言うであろう「嘘だ!。行って見てきたのか!」。いいんだ、いいんだ。神とイエスと聖書に騙されても信じ込むのだ。嘘でも信じ込んで死ぬのだ。笑うものは笑え。信じて喜んで生きた方が得なのだ。●一昨日の集会感話の最後は次のようである。
⑦復活の希望には喜びが伴う。この「永遠の命」の喜びこそ来世実在の証拠。
塚本訳 Ⅰペテ1:8
1:8 君達は彼を(目のあたり)見たことはないが、(これを)愛し、今も見ることは出来ないが、(これを)信じて、(既にかの日の)輝きに満ちた、言語に絶する喜悦を喜んでいる。
 
塚本訳 ロマ 8:24
8:24 なぜなら、わたし達は(最後の日に救いが完成されるという)望みをもって、救われているからである。目に見ることのできる望みは望みではない。人はいま現に見ているものを、なんでその上望む必要があろうか。
 
塚本訳 テト 2:13
2:13 幸福な希望と、大なる神及びわれらの救い主キリスト・イエスの栄光の顕現(あらわれ)(によってその希望が満たされること)とを待ち望ませるのである。
●9:00 福島の華子さんから電話。信仰の話は感謝。●10:00 池谷医院。加齢とともに医療費がかさむ。しかし日本は医療保険の制度が充実しているのでありがたい。●散髪。眠ってしまった●エプソンスキャナの研究●東急で告別式プログラムの用紙購入●自転車修理。体と同じにこれもガタが来た。
 

 

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完全なる教会 ++++++++ 所感

2010/04/05 07:48

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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100405(月)5時半起床●TSK日本語版作成、一日3節、牛歩の如く●朝の啓示「完全なる教会」●昨夜のNHKTV3CH21:00「N響アワー」。定期公演会に来た若い人たちに司会者がインタビュー。クラシックを愛する若い人たちはみんなすばらしい顔をしている。あの若い人たちに「完全なる教会」のありかを教えたい。●しかし残念ながら「完全なる教会」はこの世にはない。それは常に腐朽する。建物も組織も人間も。●「完全なる教会」は神の所に直接的にある。その聖書的根拠は次の通り。

塚本訳  ヨハ 2:19-22
2:19 イエスは答えられた、「このお宮をこわせ、三日で造ってみせるから。」
2:20 ユダヤ人が言った、「このお宮を建てるには四十六年もかかったのに、あなたは三日で造るというのか。」
2:21 しかしイエスは自分の体のことを宮と言われたのであった。
2:22 だから死人の中から復活された時、弟子たちはこう言われたことを思い出して、聖書とイエスの言われた言葉と(が本当であること)を信じた。

●この21節をTSKで調べると次の通り。

Colossians 1:19

19神は、御旨によって、御子のうちにすべての満ちみちた徳を宿らせ、

Colossians 2:9

 9キリストにこそ、満ちみちているいっさいの神の徳が、かたちをとって宿っており、

Hebrews 8:2

 2人間によらず主によって設けられた真の幕屋なる聖所で仕えておられる、ということである。

1 Corinthians 3:16

16あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか。

1 Corinthians 6:19

 19あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。

2 Corinthians 6:16

 16神の宮と偶像となんの一致があるか。わたしたちは、生ける神の宮である。神がこう仰せになっている、/「わたしは彼らの間に住み、/かつ出入りをするであろう。そして、わたしは彼らの神となり、/彼らはわたしの民となるであろう」。

Ephesians 2:20-22

 20またあなたがたは、使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられたものであって、キリスト・イエスご自身が隅のかしら石である。  21このキリストにあって、建物全体が組み合わされ、主にある聖なる宮に成長し、  22そしてあなたがたも、主にあって共に建てられて、霊なる神のすまいとなるのである。

1 Peter 2:4-5

 4主は、人には捨てられたが、神にとっては選ばれた尊い生ける石である。  5この主のみもとにきて、あなたがたも、それぞれ生ける石となって、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司となって、イエス・キリストにより、神によろこばれる霊のいけにえを、ささげなさい。

●では、その「完全なる教会」に人が入るにはどうすればよいのか。それは一にも二にも「神の招き」による。人間がその「完全なる教会」に入れたとするとこの世ではどのような教会に入るべきか。それは人様々、向き向きでよい。それをカトリック教会に属さなければいけないというと「教会主義」になる。その正反対が無教会主義である。凡百あるプロテスタント教会は中途半端である。●内村鑑三「聖書の研究」最終号の「教会問題」は僅か2一ページ半である8が、人がどの教会に所属アすべきかを言い得て余りある。人もし教会に所属したければカトリックになるべし。もとより人間は「社交的動物である。カトリック教会に属したくなければ独立人として「一人一教会」の無教会になれ。中途半端なのはプロテスタント教会である。教会に成りきれない。そして内村はいう。「独立人が結合したときに 最も強固なる団体が実現する。もちろん結合するための独立でない。独り立つも可なりと決心する独立である。そして人生の逆説がここにもまた現れて、団結を要求せざるところに最も強固なる団体が成るのである」と。●あのN響定期公演に来たクラシック好きの素晴らしい若者たちの上に神の祝福の教導あれ。●世の中には「人相の悪い」人間と言うものがいる。66年も生きていると顔を見てすぐわかるようになったからありがたい。建築設計をやっていると相手の二言目に要求している建物の程度と資金を持っているかどうかがわかる。同じように信者でも「この人に信仰があるかどうか」がわかる。最近は「社交動物」としての信者がいるから困る。顔をみればすぐわかる。同じく「金の亡者」もすぐわかる。人相が悪いのだ。こういう人に福音を説くのは残念ではあるが不可能的に無理。この事は救世軍ブース大将の夫人も言っているとはヒルテイの指摘。●だからそういう難しい「手に負えない」」人のことは自らの力を放棄して神に全面的にまかせなければならない。降参した方がよい。「負けるが平和」である。聖書的には次である。

塚本訳マタ 7:6
7:6 (とはいえ、正しい判断は出来ねばならない。神に供えた肉など)神聖な物を犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。豚はそれを足で踏みつけ、向き直ってあなた達を噛み裂くかも知れない。

●この部分のTSKは次の通り。

Proverbs 9:7-8

7あざける者を戒める者は、自ら恥を得、悪しき者を責める者は自ら傷を受ける。  8あざける者を責めるな、おそらく彼はあなたを憎むであろう。知恵ある者を責めよ、彼はあなたを愛する。

Proverbs 23:9

 9愚かな者の耳に語ってはならない、彼はあなたの言葉が示す知恵をいやしめるからだ。

Proverbs 26:11

 11犬が帰って来てその吐いた物を食べるように、愚かな者はその愚かさをくり返す。

Matthew 10:14-15

 14もしあなたがたを迎えもせず、またあなたがたの言葉を聞きもしない人があれば、その家や町を立ち去る時に、足のちりを払い落しなさい。  15あなたがたによく言っておく。さばきの日には、ソドム、ゴモラの地の方が、その町よりは耐えやすいであろう。

Matthew 15:26

 26イエスは答えて言われた、「子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない」。

Acts 13:45-47

 45するとユダヤ人たちは、その群衆を見てねたましく思い、パウロの語ることに口ぎたなく反対した。  46パウロとバルナバとは大胆に語った、「神の言は、まず、あなたがたに語り伝えられなければならなかった。しかし、あなたがたはそれを退け、自分自身を永遠の命にふさわしからぬ者にしてしまったから、さあ、わたしたちはこれから方向をかえて、異邦人たちの方に行くのだ。  47主はわたしたちに、こう命じておられる、/『わたしは、あなたを立てて異邦人の光とした。あなたが地の果までも救をもたらすためである』」。

Philippians 3:2

 2あの犬どもを警戒しなさい。悪い働き人たちを警戒しなさい。肉に割礼の傷をつけている人たちを警戒しなさい。

Hebrews 6:6

6そののち堕落した場合には、またもや神の御子を、自ら十字架につけて、さらしものにするわけであるから、ふたたび悔改めにたち帰ることは不可能である。

Hebrews 10:29

 29神の子を踏みつけ、自分がきよめられた契約の血を汚れたものとし、さらに恵みの御霊を侮る者は、どんなにか重い刑罰に価することであろう。

2 Peter 2:22

 22ことわざに、「犬は自分の吐いた物に帰り、豚は洗われても、また、どろの中にころがって行く」とあるが、彼らの身に起ったことは、そのとおりである。

Proverbs 11:22

22美しい女の慎みがないのは、金の輪の、ぶたの鼻にあるようだ。

Matthew 22:5-6

5しかし、彼らは知らぬ顔をして、ひとりは自分の畑に、ひとりは自分の商売に出て行き、  6またほかの人々は、この僕たちをつかまえて侮辱を加えた上、殺してしまった。

Matthew 24:10

 10そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。

2 Corinthians 11:26

 26幾たびも旅をし、川の難、盗賊の難、同国民の難、異邦人の難、都会の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、

2 Timothy 4:14-15

 14銅細工人のアレキサンデルが、わたしを大いに苦しめた。主はそのしわざに対して、彼に報いなさるだろう。  15あなたも、彼を警戒しなさい。彼は、わたしたちの言うことに強く反対したのだから。

● 昨日集会の感話「人生の終わりと復活の希望」をHP「使徒伝承」にアップロードした。

http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/denshou/owa.htm

●14:30 小寺さんが来訪。某氏の告別式の打ち合わせ。前夜式、告別式のプログラム作成。

 


 

 

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有体的再臨 ++++++++ 所感

2010/04/04 06:47

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

       http://stonepillow.dee.cc/

100404(日)3時15分目覚め。今日の感話「人生の終わりと復活の希望」の資料推敲第32回目。最後の最後まで難儀。差し替えページの印刷●啓示は目覚めの時にある。●TSK日本語版●「有体的再臨」とはキリスト教の世界でも聞き慣れない言葉であるが、初代教会の信者から始まって使徒信条の「再臨」への期待はこれすべて「有体的再臨」のことである。ただしこの事は大脳皮質には入らない。有体的復活はイエスの弟子すら疑ったのであるから、ましてや有体的再臨などということは健全理性の人間は誰も信じることはできない。ところが神の子イエスもパウロも黙示録の著者も「有体的再臨」を固く信じていてそれが言動の背景であった。●内村鑑三が「再臨」を高唱したとき、これを「嘲笑った」のは教会、それも有力な教派であった。内村はこれに失望した。●塚本虎二は「今日一般にキリスト教に力がないのは、初代教会に於けるような体的復活と体的再臨の信仰がぼけてきたからである」と言っている。(聖書知識231号P8)●現代の教会と無教会をみるとき、次の言葉を思う。

塚本訳 ルカ 18:8
18:8 わたしは言う、間もなく彼らのために仕返しをされるであろう。しかし人の子(わたし)が来るときに、はたして地上に信仰(をもつ人)が見当るだろうか!

●私が「有体的復活」をしきりに言った時、これを茶化した人間がいた。かわいそうだが彼らは地獄行き必至。●今度は「有体的再臨」。高橋もいよいよ頭がぼけて来たかという人もいるだろう。気が狂ったという人もいるだろう。次の言葉を思う。

塚本訳  使  26:24-25
26:24 彼がこのように弁明したとき、フェストが大声で(それをさえぎって)言う、「パウロ、お前は気が狂っている。博学がお前を狂わせたのだ。」
26:25 パウロが言う、「フェスト閣下、気は狂っておりません。わたしは正気で真理の言葉を話しています。

●脳内出血になった時、子供の一人が「お父さんはやっぱり話すことがおかしくなった」と言った。●「有体的再臨」のことで気がおかしくなったならば、イエス、パウロ、初代教会の信者達はどうなのだ。私がボケたのではない。世の中、特にキリスト教界がボケているのだ。●有体的復活と有体的再臨を信じない自称クリスチャン、自称キリスト教会、自称無教会集会は直ちに看板を下ろすべきだ。有害無益である。キリスト教の顔に泥を塗っている。イエスもパウロも天で泣いている。●集会は藤巻、小寺、高橋(人生の終わりと復活の希望)

http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/denshou/owa.htm

●某氏から今日の話は自分にとってとてもよかったとお礼を言われた。同病相哀れむの真理である。●今日の集会で力説したところは次の通りである。

今日の集会のプリントから抜粋。若干追加改変

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●見解が分かれるのは第③段階の終末における不信者の復活。Ⅰコリ15:24aのテロス(ギリシャ語)は普通「終末」とか「終わりが来る」と訳される。(口語、新改訳、前田、新共同、文語、田川、KJV、NKJV、TEV、NTD)しかし塚本訳は「残りの人たちが」とし、不信者が復活するという万人救済説を取る。これは最近の学説の傾向だと言われる(聖知284号-P4)。ここに塚本先生の「祈り」を読む。黒崎も万人救済説に立つ。神はキリストの功によって死を滅ぼされたからである。それよりも「私が救われたからには世に救われない人はない」と思えば平安。今日キリスト教に力がないのは体的復活と体的再臨の信仰がボケてきたからであると塚本先生は言われる。(聖知231号-P8)
塚本訳 ヨハ 12:47
12:47 しかしわたしの言葉を聞いて守らぬものがあっても、わたしはその人を罰しない。なぜなら、わたしは世を罰するために来たのでなく、世を救うために来たのだから。
 
塚本訳 Ⅰテサ5:10
5:10 主は、私達が(その日)目を覚ましていても(あるいは既に墓に)眠っていても(皆等しく)彼と共に生きることが出来るように、私達のために死に給うたのである。
 
塚本訳Ⅰコリ15:21
15:21 というのは、一人の人によって死が来たので、同じく一人の人によって死人の復活が来るのである。            (= ロマ5:15-21)
 
●ただし神の恐ろしさを侮る万人救済論ではいけない。それは異教的な考えで十字架を無意味にする。不信者は一度は「第二の死」である霊魂の死という罰に苦しまなければならない。しかしここに十字架による救いの有り難さがある。
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今日の集会のプリントから抜粋、終わり
●また次のようにも話した
「聖書には最高法院という言葉がある(マタ5:22)、これは最高裁判所にあたるが人間の裁判である。昨今のニュースでもわかるように人間の裁判は時に間違える。第一にイエスは人間の裁判で殺された。私達信者は天国の裁判所を相手に生きなければならない」。
塚本訳  マタ 5:22
5:22 しかしわたしはあなた達に言う、兄弟に腹をたてる者は皆、(ただそれだけの理由で、天国の)裁判所で罰せられる。兄弟に馬鹿と言う者は、最高法院で罰せられる。畜生と言う者は、火の地獄で罰せられる。
●人間は加齢とともに肉体が衰えたり、頭がぼけてくる。しかし信者としては信仰がボケたくないものである。信仰までボケた信者の姿や言動は次の通り。①キリストの十字架を信じなくても救われる。キリスト以前の人はどうなるのか。(こういう人はキリスト教に出直しの必要がある)。②信仰はどのようでもよい。ただ仲好く集まっていればよい。(腐った弁当を食べている人とは同席できない。信仰の真偽の判断ができない人とは仲良くできるわけがない。それは時間と金の無駄)③信仰には無教会も教会もない。(無教会は無境界だと言う人は要注意。そういう人はたいてい「信仰よりヒューマニズム」になっている。神は魂も体も地獄で滅ぼすお方である。マタ10:28)。

●昼食、小寺利男さんと某氏告別式の準備打ち合わせ。準備万端にしておけば「死神」もよりつかないだろう●妻は合唱の練習、ラインベルガーのレクイエムとブラームスの「ジプシーの歌」●20:46、某氏の告別式プログラム案を作成して小寺さんに送信。無教会は決定が速くてよい。かって某葬儀社から教会はいちいち役員会にかけなければならないので決定が遅くて困る、その点無教会はありがたいと言われたことがある。

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あきる野市に戻って抜け道にこのきれいな垣根がある。あまり知られない。

人生もそれでいいんだ、それでいいんだ。人に知られなくても神に知っていてもらえばそれでいいんだ。

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サクラ サクラ ++++++++ 所感

2010/04/03 19:43

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100403(土)3時半目覚め。明日の感話「人生の終わりと復活の希望」の資料推敲31回目。朝にはよいひらめきがある。しかし今回は非常に難儀した。●秋田稔先生と「終末論」でお伺いした。話はヨハネ伝にまでおよび長話になった。先生は本年90歳、現在ヨハネ伝註解を執筆中とのこと。しかしお体は方々が具合悪く、奇蹟的に持ちこたえているという。あと3章、完成を祈る。●13:00都立秋留台公園で琴の演奏会」。

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秋留台公園で「琴の演奏会」。宮城道雄の「春の海」がよかった。みんなで日本古謡の「さくら」を歌った。

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秋留台公園の桜は見頃であった。妻と。しかし桜の命は短い。人生のようだ。

●図書館で「考える人」新潮社刊、春号「はじめて読む聖書」。ロングインタビューは田川建三。インタビュー記事のタイトルは「神を信じないクリスチャン」氏の思想や学問は自分の歩んできた人生の恨みつらみをイエスに重ね合わせている。面白いが信仰の栄養にはならない。新約聖書学を商売にすると信仰が素直になれない不自由人間になる。聖書を商売にしない普通の職業人でよかった。

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全人類救済の根拠 ++++++++ 所感

2010/04/02 11:58

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」
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100402(金)3時半目覚め、朝の啓示で明後日の集会の内容を大幅に変更。後半を次のようにした。聖句省略で掲載する。今回は難儀した。

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人生の終わりと復活の希望。復活には三段階がある 
 
 4-1 復活には三段階の順序がある。パウロの基本的概念。第①段階はキリスト、第②段階はキリストの再臨の時に信者、第③段階は第②段階にすぐ続く最後の審判と終末による「残りの人たち」、つまり不信者の復活。
 
4-2 第①段階はキリストの復活。神が史実としてキリストの有体的復活をこの世において示して下さったことにより人類は来世での復活ということが確実にありうることに理性の安息としても希望を持てるようになった。
 
4-3 第②段階はキリストの再臨の時の信者の復活。しかしそれにはさらに順序がある。はじめに主にあって眠った人々の「復活」、次にその時に生きている信者が天に挙げられる。これらが信者の「第一の復活」(黙20:5、6)
 
 4-4 この第②段階のキリストの再臨の時、不信者は生き返らないばかりか暗闇に放り出されて「歯ぎしり」する(マタ8:12、13:39-42、47-50、22:12-14、25:30)。そうならないようにしなさいと言うのがイエスの多くの譬話。
 
4-5 この第②段階では不信者は墓から呼び出されて裁かれる。これが「第二の死」(火の池の永遠の死、黙2:11 20:6,14)と呼ばれる霊魂の死である。第一の死は肉体の死。霊魂の死とは異教の我々には衝撃の言葉。しかしこれが黙示録の精神(悪に対する執拗なる断罪)で義が満足する。
 
4-6 第③段階、終末での復活。第②段階の再臨と裁きにすぐ続くもの。いわゆる千年王国の千年は神にあっては一日(詩篇90:4)。世の終わりでは万人が復活する。それは我々の悲願。主は不信者の救いのために再び来られる。
 
●見解が分かれるのは第③段階の終末における不信者の運命。Ⅰコリ15:24aのte,lojテロス(ギリシャ語)は普通「終末」とか「終わりが来る」と訳される。(口語、新改訳、前田、新共同、文語、田川、KJV、NKJV、TEV、NTD)しかし塚本訳は「残りの人たちが」とし、残りの不信者が復活するという万人救済説を取る。これは最近の学説の傾向だと言われる(聖知284-P4)。黒崎も万人救済説に立つ。神はキリストの功によって死を滅ぼされたからである。それよりも「私が救われたからには世に救われない人はない」と思えば平安。今日キリスト教に力がないのは体的復活と体的再臨の信仰がボケてきたから(聖知231-P8)。
 
●ただし神の恐ろしさを侮る万人救済論ではいけない。それは異教的な考えで十字架を無意味にする。不信者は一度は「第二の死」である霊魂の死という罰に苦しまなければならない。しかしここに十字架による救いの有り難さがある。
 
 
家族の救いは信者の切なる祈り、悲願。家族の救いなくして平安はない。神の判決は周囲の熱い祈りで覆る。これがレクイエム(鎮魂曲)を歌う意味。
 
 
神の力を恐れて信じ、わが身も復活の可能性があるとの希望を持つ
 
 
⑦復活の希望には喜びが伴う。この「永遠の命」の喜びこそ来世実在の証拠。
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●10:00 石坂保険がきて火災保険の契約更改。
●19:30 集会のMA氏のご令息MM氏からお電話。お父上(81歳)が脳幹血栓で救急入院、すでに意識はなく、時間の問題。家族会議の結果延命処置はしないことにしたという。よい御判断だとご決断を励ました。それから葬儀の打ち合わせ。昨年5月13日に御夫人を送られたばかり。MA氏はそれから急に弱られた感じになっておられた。KT氏と打ち合わせ。
●某夫人から「明後日のイースターに幼い息子の二人が教会で洗礼を受けさせて頂く事になりました」とうれしいニュース。次のように喜びの返メールを送った。一部変更。無教会主義者は教会員になることや洗礼を素直に喜べる自由さがあってうれしい。無教会は教派ではないから教派のいがみ合いはない。
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○○様
 
○○さんデカした。ご令息が受洗とは、万歳三唱です。世継ぎができてうれしいでしょう。御主人との協働の家庭教育とお祈りの賜物です。感謝です。神の祝福です。
無教会では「洗礼」の風習がありませんが、「洗礼」は神にとらえられる「徴」、神との「契約」、神への「門」と理解します。
もちろん、二人が大きくなって自覚的に神を信ずるようになったときに幼き日に「洗礼を受けていて良かった」と思うそのような日が来ることを祈ります。
思い返せば私は1960年、16歳のイースターに受洗しました。50年前になります。
いみじくも明後日の同じ日に、私は集会で「人生の終わりと復活の希望」と題して話をします。ご令息の洗礼式とおそらく同じ時間帯でしょう。これほどの喜びはありません。当日の話に「力が湧きます」賛美歌353番4節です。
 
4. みかお を あおげば, うれい は さりゆき,
   みうで に たよれば, ちから は わき いず.
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犠牲の老後人生 ++++++++ 所感

2010/04/01 05:58

使徒伝承 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

       http://stonepillow.dee.cc/

66歳9か月。平均余命16年(生命保険会社統計)、5800日、14万時間。この時間をすべてキリスト教使徒伝承の連鎖に捧げる。罪と死の悲しみを克服する「十字架の贖罪の福音と有体的復活の希望の喜び」を犠牲的に生きて証人となる。自分のため、親類縁者のため、気の毒な人のため。

100401(木)3時半目覚め●朝の啓示「犠牲」●TSK日本語版、毎朝3節。楽しみ●朝の啓示「犠牲の老後人生」。老年の目的は「犠牲死」である。ここの塚本訳に「犠牲」という言葉が出てくる。これにひかれた。老年を「楽に遊んで暮らそう」という人世観は空しい。真の喜びというものがないから「楽」な老年になならない。

塚本訳 ロマ 12:1
12:1 (このように、神は偉大な計画によって人類を一人のこらず救おうとしておられるのであって、救いは確かである。)だから、兄弟たちよ、わたしは神のこの慈悲を指してあなた達に勧める。あなた達の体を(感謝のしるしとして神に)捧げよ。この生きた聖なる犠牲こそ、神のお気に入るものであり、(霊なる神を拝むにふさわしい、)あなた達の霊的な礼拝である。(あなた達の礼拝は動物を供えるような不合理なものでなく、全心全霊をささげる合理的な礼拝でなければならならない)

●「犠牲死」ということで思い浮かぶ聖書の個所

塚本訳ヨハ 12:24
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)


塚本訳 マタ 26:39
26:39 そしてなお少し(奥に)進んでいって、俯けに倒れ、祈って言われた、「お父様、出来ることなら、どうかこの杯がわたしの前を通りすぎますように。しかし、わたしの願いどおりでなく、お心のとおりになればよいのです。」


塚本訳マタ 27:46
27:46 三時ごろ、イエスは大声を出して『エリ エリ レマ サバクタニ!』と叫ばれた。これは『わたしの神様、わたしの神様、なぜ、わたしをお見捨てになりましたか!』である。


塚本訳 使  7:59-60
7:59 ステパノは打ち殺されながら、イエスの名を呼んで、「主イエス様、わたしの霊をお受けください」と祈り、
7:60 それからひざまずいて、大声で叫んだ、「主よ、どうぞこの罪をこの人たちに負わせないでください!」こう言って、彼は眠りについた。


塚本訳 マタ 5:39
5:39 しかしわたしはあなた達に言う、悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打ったら、左をも向けよ。

●8:40 小作にある「青梅年金事務所」に行く。私が死んだあとの妻の収入の調査。国の制度はよくできている。ロマ書13:1を思う。感謝。人間、贅沢しなければ何とか生きていけるものだ。

塚本訳 ロマ 13:1
13:1 人は皆上に立つ(国家の)官憲に服従せねばならない。神からではない官憲はなく、現存の官憲は(ことごとく)神から任命されたものであるから。

●関連の聖句

塚本訳 Ⅰペテ2:13-17
2:13 主の(立て給うたものであるが)故に、人間の凡ての制度に服従せよ。あるいは主権者として王に、
2:14 あるいは悪人を罰し善人を褒めるため王から遣わされた者としての総督達に(服従せよ)。 2:15 (君達の)善行によって、(君達を危険人物のように考えている)無理解な人達の無知(な非難)を沈黙させることは、神の御旨であるからである。
2:16 (しかし君達は自由の人であるから、)自由の人としてこれをせよ。ただその自由を悪の覆いとせず、かえって神の奴隷としてこれをせよ。
2:17 凡ての者を敬え、すなわち教友を愛し、『神を畏れ、王を』敬え。

塚本訳 テト 3:1
3:1 当局(と)官憲に服し従うべきこと、善い業は(何でも喜んでする)心用意をしていること、

●あきる野に戻って銀行と郵便局。各所へ支払い。人間関係は経済。経済は道徳。支払いは請求書がきたり催促されなくても支払うことが礼儀、道徳である。特に汗を流して働いた労働賃料は即刻支払わなければならない。ネクタイを締めた営業マンが何重にもいる会社は後回しでもよい。肉体労働者への支払いを先にすべきである。関連聖句は次の通り。

口語訳 申  24:14-15
24:14 貧しく乏しい雇人は、同胞であれ、またはあなたの国で、町のうちに寄留している他国人であれ、それを虐待してはならない。
24:15 賃銀はその日のうちに払い、それを日の入るまで延ばしてはならない彼は貧しい者で、その心をこれにかけているからである。そうしなければ彼はあなたを主に訴えて、あなたは罪を得るであろう。


新共同 申  24:14-15
24:14 同胞であれ、あなたの国であなたの町に寄留している者であれ、貧しく乏しい雇い人を搾取してはならない。
24:15 賃金はその日のうちに、日没前に支払わねばならない。彼は貧しく、その賃金を当てにしているからである。彼があなたを主に訴えて、罪を負うことがないようにしなさい。

 口語訳 エレ 22:13
22:13 「不義をもってその家を建て、不法をもってその高殿を造り、隣り人を雇って何をも与えず、その賃金を払わない者はわざわいである。

●15:40 あきる野市役所高齢者福祉課、相談支援係の田中さんのところに行って相談。高橋「私も妻も介護老人ホームに入所せず在宅で最後まで暮らしたいが、介護保険の利用で可能か?」。田中「できます。そういう人が大勢います。ただし、どうしても一人でも生活が無理な段階になったら、病院か、認知症を対象とするグループホームに入所せざるを得ない」●日本人は急に長生きになったので国や社会のバックアップが行き届いていない●特に認知症の老人は気の毒である。認知症はなりたくてなるのではないのだ。●16:00 NHKBSで音楽探偵「アマデウス」を観る。今日はボロディン「ダッタン人の踊り」の解説。非常によかった。ボロディンの本業は化学者と医者。化学式で「ボロディンの公式」というのがあるという。人間は二足の草鞋を履く方が楽しく、またコレということができそうだ。音楽評論家の堀内敬三氏の専門は機械工学であった。また日銀理事の吉野俊彦氏は経済が専門だが、森鴎外の研究家としても知られ、自宅の庭にプレハブを建てて鴎外文献はそこに納め、そこに閉じこもって研究をしたという。うらやましい人生。人間は自分の専門分野の本業のこときり語れないのは淋しい限りである。本業以外の研究をすれば、本業のためにもなるというものだ。●あのアルベルトシュヴァイツァーはオルガニストとしても世界的だったが、あの人は別格である。真似はできない。●妻が郷里いわき市の母の見舞いから戻る。御苦労さまでした。


 

 

 

 

 


 

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