to 日記と感想 2011年02月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170812(土)14:00お江戸こらりあーず演奏会、文京シビックホール
    170821(土)15:00お江戸コラリアーズ定期演奏会、文京公会堂
    170809     TW誕生日
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170708(土)14:00在宅医療説明会(キララホール)
    170707(金)10:00池谷医院
    170706      TM誕生日
    170702(日) 集会感話
    170701      TT誕生日
    170630(金)12:20キララホールエントランスコンサート
    170628      IY誕生日
    170627(火)11:00 能城牧師来訪
    170625)日)10:10トミ子集会感話
    170625(日)14:00茅ヶ崎金子邸
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール
    170610(土)14:00内村鑑三セミナー、立教大学12号館。矢田部、椚」山
    170609(金)   TS命日
    170608(木)12:15ボリショイ「白鳥の湖」、東京文化会館
    170707(水)10:00池谷医院
    170604(日)10:00集会感話、
    170604(日)16:30近藤恵邸起工式、福島市。
    170530(火)14:00田岡氏来訪
    170527(土)14:00今井館ピアノコンサート
    170521(日)14:00新宿フィル、ブラームス1番、レスピーギ「鳥」「ローマの松」。和田睦夫
    170425       TN)誕生日
    150420(木)09:30阿伎留センター泌尿器科)
    170416(日)14:00武蔵野室内合奏団、杉並公会堂(大坪満子)


不信者は救われるか ++++++++ 所感

2011/02/28 09:18

110228(月)5時半起床●明日からの葬儀の準備●式辞で述べる骨子をまとめた。

故五十嵐永吉前夜式、告別式式辞骨子

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故 五十嵐永吉 前夜式・告別式 式辞

2011.3.1-2 高橋照男

於・川崎市高津区 エヴァホール津田山

 

● マタイ221-14 朗読

  2幕までは歴史的事実。3幕は来世の様相

●宗教学者の調査によれば、日本人の7割以上は死んだら何かがあると思っている。

●「千の風になって」のブーム。

 私のお墓の前で泣かないで下さい。私はそこにはいません。千の風になってあの広い大空を吹きわたっています。

●この歌には仏教界からクレームがついたという。お墓が軽視されてお墓参りする人が少なくなる。ズバリあの詩はキリスト教の死生観だからです。

●キリスト教では死は「眠り」であって、世の終わりに神の一声で復活すると信じています。

●ただキリスト教では仏教と違って、「罪の清算」が必要という。

●それは神が着せて下さる「貸衣装」を着るということである。

●十字架による「罪の赦しと清算」である。

●それを着ない人は「一人」であった。しかし頑固な人がいる

●霊魂の死と言う恐怖の概念からの救い

●母の肺癌での臨終の苦しみの時、「天国では楽になる」「行って見てきたのですか」と言われた。喉に刺さった骨のように私の問題であった。

●「聖書に書いてある」と言うと母は苦笑した。「あなたは見ないことを信じて喜んでいる」。

●母の場合は私の祈り、五十嵐先生の場合は順子夫人の祈りにかかわらず、生きている時はキリスト教の信仰を持ちませんでしたが、まだチャンスはある。世の終わりの日(キリスト教では終末という)に、神の出される貸衣装を素直に受け取って永遠の命の喜びに浸れるように願っています。

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故五十嵐永吉前夜式、告別式式辞骨子



   有体的復活の使徒伝承

   http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/denshou/index.html

 

 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

      http://stonepillow.dee.cc/

 

   TSK日本語版・目次

    http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/denshou/tskmo.htm

 

  ちたた農園日誌(三男が福島県で独立経営する農場)

    http://chitata.blogspot.com/

 


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不信者の告別式 ++++++++ 所感

2011/02/27 20:51

110227(日)5時半起床。次回感話の資料作成●集会に行こうとするときに関根集会(現新宿集会)の五十嵐順子さんから不信者である御主人の葬儀の御依頼を受けた。御主人の五十嵐永吉先生は私にとって学校の恩師。昨日午後3時51分逝去。すぐにお引き受けした。無教会キリスト教式で簡素にというご希望。関根集会代表の浅野摂郎さんと即連絡。前夜式3月1日18:00、告別式3月2日11:00。川崎市高津区エヴァホール津田山 044-844-4444 この間約20分。こういう場合、無教会は決定が速くてよい。●集会は、大山、宮崎、村上●13:00 鈴木忠昭君9周年記念会。荻窪で未亡人の千恵子さん、トミ子の3人で会食。お互いの健康、子供達の家庭も安泰で喜びあった。千恵子さんは再び教会に行こうと考えているというご希望を洩らされた。●五十嵐永吉先生葬儀の打ち合わせで五十嵐家、浅野さん、葬儀社と電話連絡頻繁。●五十嵐順子さんと未信者の救いについて意見交換し、救いは神に全部握られていることで意見が一致した。●救いはこの世でなく来世で決定されるという次回感話の準備が今回の葬儀に役立つ。
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真の救いは来世で決定する ++++++++ 所感

2011/02/26 16:16

110226(土)6時起床●朝の啓示「真の救いは来世で決定する」。これで次回3月6日の感話の骨子が決定した。それは次の通り。

3月6日感話骨子

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真の救いは来世で決定される

マタイ22:1-14「王子の結婚披露宴の譬」

東京聖書読者会 2011.3.6 高橋照男

 

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【第一幕。神の救いをイスラエル人は拒否した】

*神はまずイスラエルを救おうとされた

*イスラエルは神の招きを拒否した

*神の腹いせの怒りと救いの対象の変更

 

【第二幕。救いの対象はこの世で気の毒な人】

*神の心は気の毒な人の方に目をかけるように変わった

*神の国には地上で不幸な人が招かれるようになった

*神の腹いせの怒りは異教人の救いにも心が向くようになった

 

【第三幕。真の救いは来世で決定する】

*地上のエクレシアは混成集団。教会(集会)所属が救いの条件ではない

*神の宴会に招かれても「貸出衣裳」を着ない人はまた神の怒りの対象となる

*黙示録の「第二の死」という霊魂の永遠の死

*神の貸し出す衣裳を着るとはどういうことか

*救われる者は少ないか

*生きているうちに救いの保証は得られるか

*生きて十字架の救いと有体的復活を信じられる時、それは聖霊を賜ったこと

 

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3月6日感話骨子終わり


●妻は市役所主催の「発達障害」に関する講演会に行く。満員で、この病に関心のある人が多いことがわかったという。自分の子供だけでなく孫にもそのような悩みがあるのかもしれない。悩み多きこの世なるかな●妻は合唱の練習。ブラームス。●頭休めに例によってYouTubeで「癒しの音楽」。今日はドビュッシーの「小船にて」。ピアノの「小組曲」一つで、波を連想させる分散和音の上に美しい旋律が流れる。色彩感がある。

まずロベール・カサドシュ(仏、1899ー1972)とギャビー夫人の連弾演奏。これはすばらしい

http://www.youtube.com/watch?v=EBe6FORiD4c   

 
次はフルートとハープの組み合わせでの演奏 。ハープが波を現しているすばらしいもの

http://www.youtube.com/watch?v=ftl5asH71No
 

次はこれをスケーターの浅田真央が2010年日本選手権のエキジビションで踊ったもの。すばらしい。

http://www.youtube.com/watch?v=1EBbB6pA61E


●この曲の思い出。シュトルムの名作「みずうみ」で、主人公のラインハルトが幼馴染のエリーザベトと別れるとき彼女と「小舟」に乗る。私は「愛の別れ」ということが大好きで、この曲を聴くとこの悲恋物語を思い出すのだ。ところで私の妻はボートには怖くて乗ったことがない。一度でいいから妻をボートに乗せて漕いでみたいと思っている。

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塩原温泉の印象 ++++++++ 所感

2011/02/25 10:55

110225(金)塩原温泉ホテルで4時起床。昨夜は温泉効果か実にぐっすり眠れた●同質の藤巻、黒沢氏(お二人は小学校の同級生で89歳9と3人で朝風呂●藤巻さんと布団の上で聖書の話し、信仰の話し●6:30ラジオ体操●出発前に塩原の街並みと箒川を散策。●塩原温泉は北原白秋等文豪たちが好んだことだけあって、あまり俗化していないで落ち着いている。1300年ごろ開かれたというから古い。

resize1747.jpg 

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塩原温泉の箒川。塩原温泉はあまり俗化してない。北原白秋等の文豪たちが好んだ温泉。左遠景は宿泊した
塩原温泉ホテル。

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塩原温泉の街中にある妙雲寺。開山は1300年ごろと言うのだからルターよりお200年も前のこと。日本の仏教の 歴史は古い。「千の風になって」について仏教界から「お墓を軽視するようになる」とクレームが出たようだ。クレームが出てもしょうがない。キリスト教では「死は眠りで、最後の日には有体的に復活する」のだから。



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[千の風になって」を聖書の観点から考える ++++++++ 所感

2011/02/24 10:41

110224(木)5時起床。今日は江戸川区老人旅行会(新生会。格安旅行賃)、藤巻胖会会長の要請で塩原温泉で聖書講話●新宿からバスで4時間は早い。15:00畳の部屋に33人が集まって、私の聖書講話。「『千の風になって』を聖書の観点から考える」。実話中心の話しであったので多くの人から同感だと感謝された。●ほとんどが伴侶に先立たれた80歳程度の方ばかりであった。人生の大先輩達を前に「私は死後の復活を信じている」ということを話すことができて、感謝であった。●私に聖書講話を要請された藤巻胖氏は新生会(数十人)の会長。89才で東京聖書読者会に御出席。毎日3時間は聖書を通読されるという文字通りの「聖書読者」。旧新約聖書を2年と少しで読破されると言う。私の講話の内容は次の通り。

http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/denshou/kaze.htm

●露天風呂で藤巻長老の背中を流させていただいたら、恐れ多くも私の背中を流して下さり、おまけに部屋に戻ってからお得意の指圧もしてくださった。これじゃー罰が当りそうだ。指圧の結果、私の身体は若いから90歳までは生きられるだろうと判定してくださった。82歳で死ぬと思っていたので予定が8才は伸びそうでうれしかった。但しすこし猫背なので椅子に座る時は深く腰かけなさいと言われた。

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塩原温泉ホテル。藤巻胖氏。89歳。毎日3時間は聖書を通読されるという、東京聖書読者会に御出席。実に質素な生活でかつ何でも人に与える方。尊敬に値する。江戸川区老人旅行会新生会(数十人)の会長。周囲の評判では明るくて面倒見がよくて人徳があるという。旅行の企画、会計の他に、旅行者33人各自の性格をよく掌握され、喧嘩しないように部屋割をご自分で決められる。この人に「認知症」は考えられない。
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聖霊が救いの保証 ++++++++ 所感

2011/02/23 07:03

110223(水)5時15分起床、●朝の啓示。「聖霊が救いの保証」●信仰のない母が肺癌の苦痛(肺に水がたまってきて最後はゴーゴーと声を出しながら肩で息をしていた)の時、私は思わず「天国へ行けば楽になる」と叫ぶように言った。すると母はジロッと私の目を見て真剣な顔で「行って見てきたの」と聞いた。私は「聖書に書いてある」と答えたが母は「あなたは見ないものを信じて喜んでいる」と苦笑した。●7年前の3月以来、私にはこれが喉に刺さった骨のようであった。母の真剣な質問には「どう答えたらよいのか」。これが私の生涯の課題である。●しかし今朝の啓示でこれに対する答えが与えられた。万歳!

文語訳 エペ 1:13-14
1:13 汝等もキリストに在りて、眞の言すなはち汝らの救の福音をきき、彼を信じて約束の聖靈にて印せられたり
1:14 これは我らが受くべき嗣業の保證にして、神に屬けるものの贖はれ、かつ神の榮光に譽あらん爲なり。

口語訳 エペ 1:13-14
1:13 あなたがたもまた、キリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなたがたの救の福音を聞き、また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印をおされたのである
1:14 この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである。

塚本訳  エペ 1:13-14
1:13 このキリストにおいて君達(異教人)もまた、真理の言すなわち君達の救いの福音を聴いたので──このキリストにおいて君達もまた、信ずることにより約束の聖霊をもって封印されたのであるが、
1:14 この聖霊こそ(実は)私達が神の王国を相続することの担保であり、私達を贖って神の所有とするのであって、(凡ては)神の栄光が讃美されんためである。

新改訳 エペ 1:13-14
1:13 またあなたがたも、キリストにあって、真理のことば、すなわちあなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことによって、約束の聖霊をもって証印を押されました
1:14 聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。

新共同 エペ 1:13-14
1:13 あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。
1:14 この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。

TEV エペ 1:13-14
1:13 And you also became God's people when you heard the true message, the Good News that brought you salvation. You believed in Christ, and God put his stamp of ownership on you by giving you the Holy Spirit he had promised.
1:14 The Spirit is the guarantee that we shall receive what God has promised his people, and this assures us that God will give complete freedom to those who are his. Let us praise his glory!

●この「聖霊の保証」とは何か。聖霊は頂いてみなければわからないのであるから「文字を通じて大脳皮質への説明]では絶対にわからない」
●その約束の安心効果を「この世の概念]で説明すれば次の通りである。

1・コンサートのチケット。 コンサートのチケットを握りしめて当日の喜びを前もって喜ぶ。
2・手形。手形を換金した時の喜びを思って今から期待する。
3・建築設計図。出来あがらない前から設計図を見て喜ぶ。
4・手付金。建築の着手時に建築主は工事費の1割を前もって支払う。前払いの報酬。
5・担保。銀行は家や土地を担保にして金を貸す。ここに安心感がある。.
6・保証書。電化製品はその保証書を持っていけば無料で直してくれる。この安心感。
7・実印。大切なことは実印を押す。(TEVはスタンプ)


●救いの保証は教会の洗礼ではない。神の絶対的主権による「聖霊の付与」である。しかしこれは不安定であるから。救われたものは最後の日に救われるようにこの世で日々「励まなければならない。これが聖書が説く「救われた者の道徳」である。.    

塚本訳 ルカ 13:23-25
13:23 するとある人が「主よ、救われる者は少ないでしょうか」と尋ねた。人々に言われた、13:24 「全力を尽くして(今すぐ)狭い戸口から入りなさい。あなた達に言う、(あとになって)入ろうとしても、入れない者が多いのだから。13:25 家の主人が立ち上がって戸をしめたあとで、あなた達が外に立って、『ご主人、あけてください』と言って戸をたたきつづけても、主人は、『わたしはあなた達がどこの人だか知らない』と答えるであろう。

 

塚本訳  マタ 7:21-25

7:21 わたしに『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るのではない。わたしの天の父上の御心を行う者(だけ)が入るのである。

7:22 (最後の裁きの)かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、(入れてください。)『わたし達はあなたの名で伝道し、』あなたの名で悪鬼を追い出し、あなたの名で奇蹟を沢山行ったではありませんか』と言うであろう。

7:23 その時わたしは、はっきり彼らに言おう、『かってお前たちを弟子にした覚えはない。『この不届者、わたしを離れよ!』』と。

 

塚本訳  Ⅱコリ13:5

13:5 あなた達は(わたし達の使徒たる証拠を求めるより、)自分に信仰があるかどうか、自分自身を吟味し、自分自身をしらべてみよ。あるいは、もう(自分に信仰があって)イエス・キリスト(の霊)が自分の中におられることが、わかっていないのではないか。それではあなた達(の信仰)は明らかにまがい物なのだ!

 

塚本訳  ピリ 2:12

2:12 だから、愛する者達よ、(今まで)何時も従順であったように、(従順であってもらいたい。)私が(一緒に)居る時ばかりでなく、居ない今こそ却つてなお一層、畏れと戦きをもって、自分の救いを得よ。

 有体的復活の使徒伝承

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別れの嘆き悲しみ ++++++++ 所感

2011/02/22 12:05

110222(火)5時半起床●朝の黙想「別れの嘆き悲しみ」。●WEB黒崎詩篇校正29篇●24日に御老人たち833名)の前で「『千の風になって』を聖書の観点から考える」と題して聖書の死生観を話す。大略は次の通り

(信者でない方々の前で語るキリスト教の死生観。イントロダクション)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●人間にとって「死別」は耐えがたい悲しみである。●癌センタ元総長の垣添忠生氏でさえ夫人を癌で亡くされたとき、三日三晩泣き明かされ、その後鬱病に近くなって、しばらくは立ち直れなかった●日本人の7割は死後に「何かがある。何かが起こる」と思っている。その「何か」は人によって様々だが必ずある思想や死生観を持っている。しかしその共通点の多くは先に逝った人に会える、会いたいという願望が根底にある。あるいはまた「永遠に生きたい」という願望もある。また星になるとか土に帰るという思想もある。仏教では「仏」になると言う。世界宗教の多くは自分の命は大きな生命の中に帰るということが共通点でもある。しかし今だかって死後の世界に行って見てきたものはいない。●肺癌の痛みで肩で息をして苦しんでいた母の最後近くに、私は思わず「天国に行けば楽になる」と言った。するとキリスト信者ではなかった母は「行って見てきたのですか」と言って私をじろっと見た。これに如何に答えるかが私の残りの生涯の課題である。●ここにキリスト教信者は「復活」という希望を持って生きている。人間が死後に復活するという証拠は2000年前に生きてまた死んだイエスが弟子達の前に復活して現れた事実を信仰の根拠にしている。その弟子達の復活伝承を信じて自分の「胸が熱くなることによって」復活がありうることは本当だと信じられるようになる。このとき理性の安息をもって復活を固く信じることができる。そして「死は眠り」であって終末には復活でき、永遠の命に生きられると信じている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(イントロダクション)おわり



●日野原重明著「音楽力」の中で、「悲しい時は悲しい曲を聴け」という言葉がある。それを同質の原理なのだと言う。私にとって「悲しい曲」は何曲かあるがその一つがショパンの「別れの曲(エチュードOP10-3)。これは死が近づいて記憶の薄れたショパン自身が「この美しい曲はだれが作ったのだろう」と言った程の名曲である。例によってYouTubeで名演奏を探した。


アルトゥール・モレイラ=リマの演奏。ショパンコンクール始め計7回の国際コンクールの覇者
http://www.youtube.com/watch?v=0gM4dWVc0fM


次はフジ子ヘミング 苦難の人生の重みが演奏に現れている。演奏は人生だ。

http://www.youtube.com/watch?v=fKuv_Xp7BOc


次はアレクサンダー・ガブリリュク。ウクライナ1984年生まれ。実にしみじみとした演奏で「しっくり」する。ホロヴィッツ記念国際コンクールの覇者。ピアニストの中村紘子は「20世紀後半最高の16歳」と言った。

http://www.youtube.com/watch?v=E0Gjrfed9bc


●この曲の思い出。ウラジミール・ホロヴィッツの演奏(はじめFM、後にCD購入)でこれを聴いたときにはうなった。和音をずらせて弾き、歌うように演奏しているのだ。残念ながらYouTubeには収録されてない。今回の検索では上記2番目のフジ子ヘミングがよかったが、上記3番目のアレクサンダー・ガブリリュクの「しみじみ」とした演奏を発見し、好きになった。●別れの悲しみに遭遇したら彼の演奏でこの曲を聴けばよい。●それにしてもショパンはジョル・ジュサンドという社交会に出入りするような「女」と結婚したのが気に食わない。サンドは病身のショパンに尽くしたらしいが、サンドのような「女」に出会わなければもっと違った作風の曲になったのではないか。とにかくショパンの曲には「喜び」や「復活の歓喜」がないのだ。暗いのだ。

●去る1月23日、妻の音楽会のスナップ写真を写真展で81枚プリント。さすがプロ。20分ほどでしかも仕上がりがきれいに出来た。

resize1754.jpg 

ハッとした家。最近はハッとする建物に出会わないが、これは久しぶりにハッとした家である。 まずf第一に心地よい屋根勾配が重なっているところがよい。次に手前の下屋のデザインがよい。門構えもよい。こういうすばらしい家はここに住む人の人格が現れているのだ。それに答えた建築家もまた素晴らしい。こういう家の設計料は10%は降らないであろう。「藝術は永遠なり」である。


  有体的復活の使徒伝承

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心に隙間風が吹く時 ++++++++ 所感

2011/02/21 06:28

0110221(月)5時半目覚め。頭すっきり。起床には絶対時間というものがあるようだ。同じ程度の睡眠時間でも昨日のように3時半に起きるのと、5時半に起きるのとでは身体の疲れ具合が違う。●血圧122-81 良好●朝の啓示「「心に隙間風が吹く時」●かって某氏は「心に隙間風が吹く時」という歌詞が含まれる流行歌を歌ったことがある。氏の苦難の人生を思うとその歌を歌う気持が分かり、同情する。氏の心には「隙間風」が冷たく吹き込んでいるのだ。心がザラザラなのだ。●しかし氏はその苦労で「服役の期」は終わったのだ。「心の隙間風」は神の招きなのだ●人生に失敗し、何をやっても心が満たされないとき、それが「心に隙間風が吹く時」である。然り。人間の争いがあるキリスト教のエクレシアに行っても心が満たされない。その時は「「内なる宮」である神のところが「駆け込み寺」である。ここは完全無欠で心が満たされる教会である。神の愛があるところだ。これい関連する讃美歌は次だ。

聖歌472番

人生の海のあらしに もまれきしこの身も
不思議なる神の手により 命拾いしぬ
いとしずけき港に着き われはいま安ろう
救い主イェスの手にある 身はいともやすし
 


讃美歌313番

1. この よ の つとめ いと せわしく,

   ひと の こえ のみ しげき とき に,

   うち なる みや に のがれ ゆきて,

   われ は きく なり しゅ の みこえ を.




讃美歌239
 


1. さまよう ひとびと, たち かえりて,

   あめ なる みくに の ちち を みよ や.

   つみ とが くやめる こころ こそ は,

   ちち より あたうる たまもの なれ.

 

2. さまよう ひとびと, たち かえりて,

   ちち なる みかみ の みまえ に ゆき,

   まこと の くい を ば いい あらわせ,

   よびと は しらねど しり たまえり.

 

3. さまよう ひとびと, たち かえりて,

   しゅ いえす の みもと に とく ひれふせ.

   わが しゅ は あわれみ みて を のべて,

   こぼるる なみだ を ぬぐい たまわん.

 

4. さまよう ひとびと, たち かえりて,

   じゅじか の うえ なる いえす を みよ や.

   ちしお の したたる みて を ひろげ,

   "いのち を うけ よ," と まねき たもう.

●某氏が歌った「心に隙間風が吹く時」という歌謡曲の歌詞全文をを知りたくてヤフーで検索したところ、8万6千回以上の出てきて、調べきれない。現代人は文化文明に浴しているが「心に隙間風が吹く」人が非常に多いことが分かる。
 
●WEB黒崎詩篇28篇校正。頭が疲れたので、例によって音楽。今日はハイドンのオラトリオ「四季」から「こよのどけき春」。寒い日々、春が待ち遠しい。

歌詞

来たれ、なごやかな春よ、
天の恵みなるものよ、来たれ。
われらの野原に降りたまえ、
おお、来たれ、なごやかな春、おお、来たれ、
少しもぐずぐずせずに。 おお、来たれ。



演奏は次をクリック。3分後程度に「こよのどけき春」の合唱が出る。

http://blog.goo.ne.jp/sakata_pc/e/db4b0afb972fc55146afecf4dea202c0

●この曲の思い出。この曲を初めて聴いた時、何と素晴らしい曲だろうと思った。春は復活の象徴。18年前に召された父は「冬来りなば、春遠からじ」と良く言っていた。このハイドンの曲の歌詞の心に良く似たものがある。それは 496番である。


 讃美歌 496

1. うるわし の しらゆり ささやきぬ むかし を,

   いえす きみ の はか より いで まし し むかし を.

 

(Refrain)

   うるわし の しらゆり ささやきぬ むかし を,

   ゆり の はな, ゆり の はな, ささやきぬ むかし を.

 

2. はる に あう はな ゆり ゆめじ より めさめて,

   かぎり なき いのち に さき いずる すがた よ.

 

3. ふゆがれ の さま より ゆり しろき はなの に,

   いとしご を みかみ は さまし たもう いま なお.


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神の最後の招きと審き ++++++++ 所感

2011/02/20 21:02

110220(日)3時半に目覚めて寝つけず、そのまま起床。それでも5時間熟睡したからよいkが身体の疲れがある感じ●睡眠は長さでなく深さであれうと言う。また「睡眠が少ないのではないのか」という焦りが有害であるという。(「頭のいい人の短く深く眠る法」藤本憲幸著」●10:00集会は茂木、丹野、横田●14:30今井館理事会。●帰途は武蔵小杉まで、本間勝、佐藤洋子さんと●あきる野についてから夜道を歩きながら次回感話の黙想。最後の招きと審判は肉体のしのあとに来る。これが聖書の示すところだ。聖書的根拠は次の4か所。

塚本訳 ルカ 16:25-26
16:25 しかしアブラハムは言った、『子よ、考えてごらん、あなたは生きていた時に善いものを貰い、ラザロは反対に悪いものを貰ったではないか。だから今ここで、彼は慰められ、あなたはもだえ苦しむのだ。
16:26 そればかりではない、わたし達とあなた達との間には大きな(深い)裂け目があって、ここからあなた達の所へ渡ろうと思っても出来ず、そこからわたし達の所へ越えてくることもない。』

塚本訳 マタ 22:11-14
22:11 王は客を見ようとして入ってきたが、そこに礼服を着けていない者が一人いるのを見て
22:12 その人に言った、『君、礼服も着ずに、なんでここに入ってきたのか。』その人が黙っていると、
22:13 王は家来たちに言った、『あの者の手足を縛って、外の真暗闇に放り出せ。そこでわめき、歯ぎしりするであろう。』
22:14 ──招かれる者は多いが、選ばれる者は少ないのだから。」

塚本訳 黙 21:8
21:8 しかし臆病者、不信の者、嫌悪むべき者、(また)殺人者、淫行の者、魔術を行う者、(また)偶像礼拝者、凡ての虚偽者──彼らの運命は、火と硫黄の燃えている池に投げ込まれることである。これは第二の死、(すなわち最後の死)である。」

塚本訳 ヘブ 9:27-28
9:27 そして、ただ一度死ぬことと、そのあとで(神の前に出て)裁きを受けることとが人間にきまっていると同様、
9:28 キリストも、ただ一度『多くの人の罪を負う』ために捧げられ、(それから)二度目に、(しかし今度は)罪と関係なく、救のため、彼を待っている者に自分をあらわされるのである。
 
●肉で生きているうちは何らかの気の毒な事情で救いに預かれなかった人は最後の日に哀れまれて神に招かれるが、そこで神の差し出す貸衣装、義の衣を着ないと今度は永久闇に突き落とされる。それは「第二の死」つまり霊魂の永久の死である。







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妻が悪妻に見える時 ++++++++ 所感

2011/02/19 17:40

110219(土)朝からWEB黒崎詩篇校正26篇、TSK日本語版ルカ12章。パソコンのやり過ぎで右手が痛くなった●10:10.サテイで映画鑑賞。「執着駅。トルストイ最後の旅」。勤務先の昭和女子大は創立者の人見一族がトルストイを尊敬して建学の精神としているので興味があったからである。●内容は世界三大悪妻(哲学者ソクラテスの妻クサンチッペ、音楽家モーツァルトの妻コンスタンツェ、そしてトルストイの妻ソフィア)の一人に挙げられているソフィア・トルストイの実像に迫る「ソフィア擁護論」。●トルストイは自分の著作は公のものにしようとして、その著作権を放棄した。この辺から晩年に夫婦仲が冷えて、トルストイは家出、名もなき田舎の駅で客死する●しかし、ソフィアは本当はトルストイを愛していたのだというストーリー。ソフィアを演じたヘレン・ミレンの名演技でこの映画は本年度アカデミー賞候補に。●トルストイが1著作権印税など私有財産を放棄しようとする気持とこれに反して家族を守ろうとするソフィアの気持が激突。ソフィアの「あなたはキリストのようにでもなろうとするのですか」という非難の言葉が印象的だった●トルストイは妻、家、私有財産を捨てて放浪の旅に出る。ソフィアは追いかけて行くが会えたのは臨終の床。●人間は金、物、地位に執着すると必ず争いが起こる。「貧しき者は幸いなり。(マタイ5:3)」はこの観点からも真理だ。●トルストイが自分の文学作品は公のものだと言って著作権を放棄する精神は、あろうことか聖書を「売り物」にする某聖書関係の会社に「爪の垢を煎じて飲ませたい」。

塚本訳 Ⅱコリ2:17
2:17 ──わたし達はあの多くの人たちのように、神の言葉を売り物にするようなことをしない。いやそればかりか、純心な心からする者として、いや、神につかわされた者として、神の前に(責任をもち、)キリストにあって、語っているのである。

●どうやら世界三大悪妻は「虚像」のようだ。●この映画でソフィア・トルストイの見方を変えられた。ネットで調べるとその他にも「悪妻」がかなりいるがいずれも夫が後年有名になった人。その影で苦労した妻が「悪妻」に祭りあげられている例が多いように思われる。しかし「実像」は不明。●「妻が悪妻に見える時」はまずそういう妻を賜った神を思わなければならない。これは悪妻に限らず、病妻も同じだ。●トルストイはソフィアあって文豪になれたのではないのか。ソフィアは神から賜ったのではなかったのか。●映画を見終って自転車で家に帰ると午後に出かける音楽会に着て行く服について妻からそれではない、あれでもないと「口やかましく」言われた。トルストイの忍耐を思った。「がまん、がまん」。●妻についての旧約聖書の言葉は次だ。

箴    12: 4 [口語

賢い妻はその夫の冠である、恥をこうむらせる妻は/夫の骨に生じた腐れのようなものである。

箴    19: 14 [口語

家と富とは先祖からうけつぐもの、賢い妻は主から賜わるものである。

箴    31: 10 [口語

だれが賢い妻を見つけることができるか、彼女は宝石よりもすぐれて尊い。
 
●(オヤジギャグ)。トルストイが来日した時、「うちの家内は『おっカナイ』んですよ」とこぼし、また「うちの家内にはカナイません」と言ったと言われている。


●14:00 妻と音楽会。「ピアノディオ・クトロヴァッツ来日公演」(於・あきる野市キララホール)。リスト、プーランク、ガーシュイン。ものすごいテクニック。アンコールではリストのハンガリー狂詩曲第2番、ブラームスのワルツ。家に戻って例によってYouTubeで今日はブラームスのワルツを検索。

演奏はロシアの星、若きエフゲニ―キーシン
http://www.youtube.com/watch?v=oy6uV-eMOEs

●この曲の思い出。中学生の時に私は吹奏楽部でクラリネットを吹いていた。ある時の学芸会で、HN君とクラリネット二重奏でこの曲を演奏した。バックは故川崎哲也先生の指揮する浦和市立原山中学の吹奏楽部であった。この曲を聴くたびにその時のことを思い出すのだ。HN君は定年後にJAICAからインドネシアに派遣されてかの地のために尽くしている。川崎先生(クリスチャン)は召されたが、私は先生から「音楽演奏」の厳しさを教えられた。●音楽が好きになるのは若いうちだ。●ブラームスは自分を認めてくれて世に出してくれたシューマンが精神の病で若くして死んだ後、子供を抱えて苦労していたシューマンの未亡人クララに思いを寄せるようになったが結ばれず生涯独身であった。いいんだ、いいんだ。思いを寄せているだけでこの短い人世を終わるのでよいのだ。来世で復活する時は天使のようになれるから、結婚はないのだ。誰とでも自由に会えるのだ。

塚本訳  ルカ 20:34-36
20:34 イエスは言われた、「この世の人はめとり嫁ぐけれども、
20:35 あの世にはいる資格を与えられて、死人の中から復活する者は、めとることもなく嫁ぐこともない。
20:36 復活によって生まれる彼らは、天使と同じであり、神の子であるので、もはや死ぬことが出来ない
、(従って子を産む必要がない)からである。

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キリスト信者になれた理由 ++++++++ 所感

2011/02/18 08:36

110218(金)6時起床●朝の黙想。「我々がキリスト信者になれた理由」●次回感話(3月6日)のための準備で、「選ばれる」ということをテーマにしようと思ったが、トンデモナイ事になった。我々の側に信仰と言う「義」があって救われたのではなく、神が「気の毒な人」だと思って救って下さったのだ。
●神の「本命はユダヤ人」それも真面目な宗教家。しかし、彼らがキリストを拒否したので、仕方なく「罪人、遊女、税金取り、病人、足なえ」等を相手に向かわざるを得なかった。彼らなら素直に受け入れてくれると思ったのだ。しかしそれでもまだ空席があったので、田舎の方に行ってでも無理に呼んで来たというのだ。我々極東の日本は「田舎」である。田舎者である。

塚本訳 ルカ 14:21-24
14:21 僕がかえって来てそのことを主人に報告すると、主人は怒って僕に言った、『大急ぎで町の大通りや路地へ行って、貧乏人や片輪や盲人や足なえをここにつれて来なさい。』
14:22 やがて僕が(かえって来て)言った、『御主人、仰せのとおりにしましたが、まだ席があります。』
14:23 主人が僕に言った、『田舎道や垣根のところに行き、(そこにいるひとたちに)無理にも来てもらって、家をいっぱいにしなさい。』
14:24 ──あなた達に言う、(神の国もこのとおり。最初に)招いた人たちで、わたしの宴会に連なる者は一人もあるまい。」

●我々が神の国の宴会に呼び出されたのはまだ空席があって、田舎者でも呼ばなければ埋まらなかったからだ。何か立派なひとかどの者であったからではない。この神の心は申命記7:7-8に良く現れている。神の絶対恩恵による無条件の罪の赦しで救われたのだ。我々が「貧弱」であって「気の毒」に思われたから神は救ってくださったのだ。我々の救いは我々の真面目さではない、熱心さでも無い、信仰でもない、血統でもない、家柄でもない、勉強でもない、雑学知識でもない、学歴でもない、良い人や良い先生との出会いがあったからでもない、頭のよさでもない、宗教的性格の故でもない。それはただただ我々が「貧弱」で「気の毒」に思われたからである。それが100%である。

新共同 申  7:7-8
7:7 主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。
7:8 ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王、ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである。

●WEB黒崎詩篇25篇校正。妻の赤ペンチェックをまとめて協働者2名に送信。頭が疲れたので、例によってYouTubeで音楽観賞。今日は土居裕子の歌で「美しき天然」。

http://www.youtube.com/watch?v=FQ-moleGtLc


唱歌 「美しき天然」 作詞・武島羽衣 作曲・田中穂積
1902年(明治35年)

(1) 空にさえずる 鳥の声
  峯(ミネ)より落つる 滝の音
  大波小波 とうとうと
  響き絶やせぬ 海の音
  聞けや人々 面白き
  この天然の 音楽を
  調べ自在に 弾きたもう
  神の御手(オンテ)の 尊しや

(2) 春は桜の あや衣(ゴロモ)
  秋はもみじの 唐錦(カラニシキ)
  夏は涼しき 月の絹
  冬は真白き 雪の布
  見よや人々 美しき
  この天然の 織物(オリモノ)を
  手際(テギワ)見事に 織りたもう
  神のたくみの 尊しや

(3) うす墨ひける 四方(ヨモ)の山
  くれない匂う 横がすみ
  海辺はるかに うち続く
  青松白砂(セイショウハクサ)の 美しさ
  見よや人々 たぐいなき
  この天然の うつし絵を
  筆も及ばず かきたもう
  神の力の 尊しや

(4) 朝(アシタ)に起こる 雲の殿(トノ)
  夕べにかかる 虹の橋
  晴れたる空を 見渡せば
  青天井に 似たるかな
  仰(アオ)げ人々 珍(メズ)らしき
  この天然の 建築を
  かく広大に 建てたもう
  神のみ業(ワザ)の 尊しや

●この曲の思い出。人間の美しい声というものはまさしく神からの賜物だなーと思ったのはテレビで土居裕子の歌う「美しき天然」を聴いたときであった。以来彼女の声と歌唱力に惚れ込み、CDを集めたり、ファンクラブに入ったり、ライブを聴きに行ったりまでした。彼女の定番はこの「美しき天然」。この歌詞には天然の美しさは「神の御業」という概念がでてきて詩篇19篇や讃美歌に近いので好む。 下記にライブに行って彼女と言葉を交わした時の記録を掲載する。 

●2007.8.23 ブログより 

  ●美声で感心していたソプラノ土居裕子のコンサートに行く。南青山マンダラ。前列至近距離の席。耳をつんざくほどの声量に驚く。ドボルザーク交響曲第9番「新世界」から第2楽章、コールアングレ(家路)などを熱唱。この人の声の質は森山良子よりもよっぽどさわやか。額の青筋と首の血管がよく見えた。この人の美声は以前から天の賜だと感心し、うらやましくさえ思っていた。 
 
s2007_0823_165114AA.jpg  

 演奏会終了後入り口で、土居裕子さん(ソプラノ)と。私「あなたの美声は天からの賜です。私はキリスト教徒ですが、今度は讃美歌を歌ってください」。




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夫殺し死刑囚の救い ++++++++ 所感

2011/02/17 11:08

110217(木)5時半起床●朝の黙想「死刑囚の望みの綱」●TSK日本語版ルカ11章終了●頭休めにまたYouTubeで音楽。今日はドビュッシーのアラベスク第一番。3種類掲げる。

http://www.youtube.com/watch?v=vmDfLZSWlKI

●これは私の大好きな演奏。ワルター・ギーゼキング。モノラル盤だが名演奏だ。 


http://www.youtube.com/watch?v=GWpV7L4YHuU

●これはアルド・チッコリーニ(1949年ロンティボー国際音楽コンクールの覇者。イタリア生まれだがフランスに帰化)の演奏。さすがに素晴らしい。


http://www.youtube.com/watch?v=Qc3zHVcCMcQ&playnext=1&list=PLAEEDE7971CC510E5

●この演奏者はフィリップ・アントルモンらしい。このように超速いのもまたよい。 


この曲の思い出。10年前に脳出血で聖路加国際病院に約一カ月入院していたときのこと。フト誰もいないトイスラー礼拝堂に一人で入ると、そこに備えてあるピアノでうら若い女性がこの曲を練習していた。私がパチパチと拍手すると、彼女は私に向かって急に話し始めた。「自分も入院中だが退院したくない(社会復帰したくない)」というのだ。彼女が再びピアノに向かったとき、グランドピアノの向こう側に松葉杖が立てかけてあるのに気がついた。足が御不自由らしい。私は静かに立ち去った。彼女よいまいずこ!。幸せになれたのか!。この曲を聴くたびに彼女のことを思い浮かべるのだ。神の恩恵彼女の上にあれ。

●昨日は妻がコーラスの先生の勧めでアルトのメンバー数人と韓国の映画を観賞してきた。その内容の一部。「夫が愛人といるところを見て逆上、二人を殺してしまい死刑囚となる。」妻の観察によれば収監中の女性(上品だったという)の机には聖書らしきものがあったという。これを聞いて、人間殺人犯程にもなれば必死に聖書を読むようになるのだな―と思った。殺人犯は人間の世界では受け入れられない。自分の子供達からも受け入れられない。頼みの綱は十字架の救い一本だ。しかしこういう人が神の国の正客なのだ。●祈り。神よ願わくはわたしをしてこのような気の毒な人のところに遣わして「十字架による罪の赦しと復活」を伝えさせてください。いかなる形、いかなる方法でもよいから彼女のように必死に救いを求めている人のところに遣わして下さい。そのために残りの人生を使って下さい●人間はどんなに立派で上品な人でもひどい目に遭うと「逆上」して人を殺すまでになってしまうものだ。でも神は罪を犯した事情をことごとく知っていて、神の子の十字架の血潮でその罪をきれいに赦してくれる。ありがたい、ありがたい●しかしイエスの戒めは厳しい。具体的な殺人でなくても「心の中での殺人」も赦されない。
 
塚本訳 マタ 5:21-22
5:21 (だからわたしの戒めは彼らよりもきびしい。)──あなた達は昔の人が(モーセから、『人を)殺してはならない、』殺した者は裁判所で罰せられる、と命じられたことを聞いたであろう。
5:22 しかしわたしはあなた達に言う、兄弟に腹をたてる者は皆、(ただそれだけの理由で、天国の)裁判所で罰せられる。兄弟に馬鹿と言う者は、最高法院で罰せられる。畜生と言う者は、火の地獄で罰せられる。

●このイエスの厳しい戒めに照らすとこの私の身はいくつあっても足りない。何回死刑にあっても足りない。十字架はありがたい、ありがたい。
 
●次回3月6日感話の勉強。マタイ22:1-14「王子の結婚披露宴の譬」である。その結論は次のようである。 

塚本訳 マタ 22:14
22:14 ──招かれる者は多いが、選ばれる者は少ないのだから。」

●これを理解する聖書の個所は次である。

口語訳 ルカ 10:22
10:22 すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子がだれであるかは、父のほか知っている者はありません。また父がだれであるかは、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほか、だれも知っている者はいません

塚本訳 Ⅰコリ1:26-29
1:26 論より証拠、あなた達のお召しのことを考えてみるがよい。兄弟たちよ、この世的には、(あなた達の中に)多くの知恵者がなく、多くの有力者がなく、多くの高貴の人がないではないか。
1:27 それどころか、世の馬鹿なものを神はお選びになった、知恵者に恥をかかせるためである。また世の無力なものを神はお選びになった、力のあるものに恥をかかせるためである。
1:28 また世の身分の低いもの、軽蔑されているもの、(いや、あっても)無い(ように思われている)ものを神はお選びになった、ある(と思われている)ものを無にするためである。
1:29 こうして、だれ一人神の前で誇ることのないようにされたのである。
 

新共同 申  7:7
7:7 主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった


塚本訳 マタ 7:14
7:14 命にいたる門はなんと狭く、道は細く、それを見つける者の少ないことであろう!


塚本訳 ルカ 12:32
12:32 小さな群よ、恐れることはない。あなた達の父上は御国をあなた達に下さるつもりだから。


塚本訳 ロマ 9:27-29
9:27 (預言者)イザヤもイスラエル人について叫んでいる。『たとえイスラエル[ヤコブ]の子孫の数は海の砂のように(多数)であろうとも、(信ずる小数の)残りの者(だけ)が救われる。
9:28 なぜなら主は(間もなく約束の)御言葉を完了し打ち切って、(裁きと救いとを)地上に実現されるからである。』
9:29 さらにイザヤは前もってこう言われている。『もし万軍の主がわたし達に(まことのイスラエルの)子孫を残されなかったなら、わたし達はソドムのようになりゴモラと同じになっ(て滅び)たにちがいない。』


●これにより感話の標題を「我々はなぜ信者なのか」とする。
 

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天国では見知らぬ人 ++++++++ 所感

2011/02/16 08:35

110216(水)朝の黙想「天国では見知らぬ人」●昨日から「天国では家族なし」ということが頭から離れないが、どうやらやはりこれが聖書的真理だと思う。昨日に引き続いてその聖書的根拠を挙げてみる。


口語訳 詩  45:10
45:10 娘よ、聞け、かえりみて耳を傾けよ。あなたの民と、あなたの父の家とを忘れよ

塚本訳  ヨハ 1:12-13
1:12 しかし受け入れた人々、すなわち、その名を(神の子であることを)信じた人には一人のこらず、神の子となる資格をお授けになった。
1:13 この人たちは、人間の血や、肉の欲望や、男の欲望によらず、神(の力)によって生まれたのである

塚本訳 マタ 19:5
19:5 また、『それゆえに人は父と母とをすてて妻に結びつき、二人は一体となる』と言われたことを、あなた達は読んだことがないのか。

塚本訳  マタ 8:21-22
8:21 またほかの一人の弟子が言った、「主よ、(お共をする)その前に、父の葬式をしに行かせてください。」
8:22 イエスはその人に言われる、「(今すぐ)わたしについて来なさい。死んだ者の葬式は、死んだ者にまかせよ。」

塚本訳 マタ 10:37
10:37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたし(の弟子たる)に適しない。わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたし(の弟子たる)に適しない。

塚本訳 ルカ 18:29-30
18:29 彼らに言われた、「アーメン、わたしは言う、神の国のために家や妻や兄弟や親や子を捨てた者で
18:30 この世でその幾倍を、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。」

塚本訳 Ⅰコリ7:1-2
7:1 また、あなた達が(わたしに)書いている(結婚の)ことについては、(こう答える。)──(出来れば)男は女に触れないがよい。
7:2 ただ不品行をさけるために、それぞれ自分の妻を持て、またそれぞれ自分の夫を持て。

塚本訳 Ⅰコリ9:5
9:5 わたし達には他の使徒たちや、主の御兄弟たちやケパのように、姉妹を妻として連れてまわる権利がないというのか

塚本訳 Ⅰコリ9:12-13
9:12 (なんの関係もない)ほかの人たちがあなた達を支配する権利にあずかっている以上、(生みの親である)わたし達はなおさらではないのか。しかしわたし達はこの権利を用いず、救世主の福音に少しの妨げも与えることのないようにと、すべてのことを我慢している。
9:13 お宮で聖なる務めを行なう者はお宮のものを食べ、祭壇に奉仕する者は祭壇のものの分け前をいただくことを、あなた達は知らないのか。

塚本訳ヨハ 20:15-17
20:15 イエスが言われる、「女の人、なぜ泣くのか。だれをさがしているのか。」マリヤはそれを園丁だと思って言う、「あなた、もしあなたがあの方を持っていったのだったら、どこに置いたか教えてください。わたしが引き取りますから。」
20:16 (こう言って、また墓の方を向いていると、)イエスが「マリヤ!」と言われる。マリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う。(そしてイエスに抱きつこうとした。)
20:17 イエスが言われる、「わたしにすがりつくな。まだ父上の所に上っていないのだから。わたしの兄弟たち(弟子たち)の所に行って、『わたしは、わたしの父上、すなわちあなた達の父上、わたしの神、すなわちあなた達の神の所に上る』と言いなさい。」

塚本訳 Ⅰコリ15:38-41
15:38 しかし神は御心のままにそれに体をお与えになる、しかもそれぞれの種に独得の体を。
15:39 すべての肉が同じ肉ではない。人間の(肉)がちがい、家畜の肉がちがい、鳥の肉がちがい、魚の(肉)がまたちがう。
15:40 天の体があり、地の体がある。しかし天のものの輝きは別であり、地のもののはまた別である
15:41 (天のものの輝きにしても、)太陽の輝きがちがい、月の輝きがちがい、星の輝きがまたちがう。その上、星はひとつびとつ輝きが相違している。

●こういうところを見ると、どうやら天国では肉にまつわるべたべたな関係はなさそうだ。結婚もないという。家庭も子供も無いという。その方が天国的だ。霊の関係なのだ●死んだらあとからすぐ妻が来てくれるとか、先に逝った妻や子に会えるとかいうのは間違いらしい。●天国では妻や夫や子の面影のある人に出会うかもしれないが、それはもはや妻ではない、夫ではない、子ではない。だから「声をかけられない」!!。皆天使なのだから。「おーい。お昼は何を食べてればいいんだ」などということで妻を束縛することはいけないのかもしれない。(逆にだから今の内に十分に面倒をみてもらっておこうという考えもいけないのかもしれない。笑)●では天国の喜びとは何か、天使の喜びとは何か、それを伺わせるところは次のところである。

塚本訳  ルカ 15:8-10
15:8 また、どんな女でも、ドラクマ銀貨[五百円]を十枚持っていて、もしその銀貨を一枚無くしたとすれば、明りをつけて家(中)を掃き、それを見つけ出すまでは、丹念にさがしつづけるのではないだろうか。
15:9 そして見つけると、友だちや近所の女たちを呼びあつめてこう言うにちがいない、『一しょに喜んでください。無くした銀貨が見つかりましたから』と。
15:10 わたしは言う、このように、一人の罪人が悔改めると、神の使たちに喜びがあるのである。」

●天国では地上の家族はバラバラ。「見知らぬ人」になる。天国では各自が天使になる。有体的復活は人は人でなくなるのだ。天の身体(パウロ)になるのだ。●こういう来世観を持つと地上で家庭的に恵まれなかった人、離婚した人、片親の人、親の顔を知らない人、子供に恵まれなかった人達を慰める力が湧いてくる●塚本先生が言われた「僕は再婚を罪とは思わない。それは地上のことだから」という難解であった言葉も理解できる。藤井武は再婚は罪悪という考えだったらしい。黒崎幸吉も矢内原忠雄も再婚したが藤井武は夫人の死後9年してあとを追うように逝った。塚本虎二は結婚したが2年足らずで夫人を震災で亡くし、以後50年間独身の生涯であった。二人の子供を育てて人生の辛酸を舐めた。

●超難解なヨハネ20:17の勉強 をする。

口語訳 ヨハ 20:17
20:17 イエスは彼女に言われた、「わたしにさわってはいけない。わたしは、まだ父のみもとに上っていないのだから。ただ、わたしの兄弟たちの所に行って、『わたしは、わたしの父またあなたがたの父であって、わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く』と、彼らに伝えなさい」。

●この「わたしにさわってはいけない」とは何か。なぜか。学説は種々あるらしいが、古来王道とされる「聖書で聖書を読む」方法ならば、間違いなく一発で分かる。●ここの意味はイエスの次の4個所と同じ精神である。


塚本訳マタ 16:21-23
16:21 この時から、イエスは自分が(神の計画どおり)エルサレムに行って、長老、大祭司連、聖書学者たちから多くの苦しみをうけ、殺され、そして三日目に復活せねばならないことを弟子たちに示し始められた。
16:22 するとペテロはイエスをわきへ引っ張っていって、「主よ、とんでもない。そんなことは絶対にいけません!」と言って忠告を始めた。(救世主が死ぬなどとは考えられなかったのである。)
16:23 イエスは振り返って、ペテロに言われた、「引っ込んでろ、悪魔、この邪魔者!お前は神様のことを考えずに、人間のことを考えている!」


塚本訳  マコ 3:31-35
3:31 そこにイエスの母と兄弟たちが来て、外に立っていてイエスを呼ばせた。
3:32 大勢の人がイエスのまわりに坐っていたが、彼に言う、「それ、母上と兄弟姉妹方が、外であなたをたずねておられます。」
3:33 イエスは「わたしの母、兄弟とはだれのことだ」と答えて、
3:34 自分のまわりを取りまいて坐っている人々を見まわしながら、言われる、「ここにいるのが、わたしの母、わたしの兄弟だ。
3:35 神の御心を行う者、それがわたしの兄弟、姉妹、また母である。」


塚本訳  ヨハ 2:1-4
2:1 それから三日目に、ガリラヤのカナに婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
2:2 イエスも弟子たちと婚礼に招かれた。
2:3 すると宴会の最中に酒が足りなくなったので、母がイエスに言う、「お酒がなくなりました。」
2:4 イエスが言われる、「女の方、〃放っておいてください。〃わたしの栄光(を示す)時はまだ来ておりません。」


塚本訳 ヨハ 13:4-8
13:4 夕食の席から立って、上着をぬぎ、手拭を取って腰に巻かれた。
13:5 それから盥に水を入れて、ひとりびとり弟子たちの足を洗っては、(腰に)巻いた手拭で拭き始められた。
13:6 こうしてシモン・ペテロの所まで来られると、ペテロが(こばんで)言う、「主よ、わたしの足を、あなたが洗われるのですか。」
13:7 イエスが答えて言われた、「わたしが何をしているのか、いまはあなたにわからない。(わたしがいなくなった)あとでさとるだろう。」
13:8 ペテロが言う、「わたしの足は、いつまでも絶対に洗わないでください。」イエスは答えられた、「わたしが(足を)洗ってやらないなら、あなたはわたしとなんの関係もない人だ。」

●以上の4か所をもっと簡単に言うと「俺を引き止めないでくれ」というのである。神からの使命を受けた者は肉の関係を振り切る涙の谷を通らねばならない。そして大抵は「アイツは少しおかしくなった」と言われる。この解釈に立てば口語訳の「さわってはいけない」ではなく、新共同、塚本、NIV、NKJV,TEVの方が意味がよく通る。


新共同 ヨハ 20:17
20:17 イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」


塚本訳  ヨハ 20:17
20:17 イエスが言われる、「わたしにすがりつくな。まだ父上の所に上っていないのだから。わたしの兄弟たち(弟子たち)の所に行って、『わたしは、わたしの父上、すなわちあなた達の父上、わたしの神、すなわちあなた達の神の所に上る』と言いなさい。」


  有体的復活の使徒伝承

   http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/denshou/index.html

 

 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

      http://stonepillow.dee.cc/

 

   TSK日本語版・目次

    http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/denshou/tskmo.htm

 

  ちたた農園日誌(三男が福島県で独立経営する農場)

    http://chitata.blogspot.com/

 



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昭和女子大生来訪 ++++++++ 所感

2011/02/15 20:38

110215(火)朝の啓示「天国に家族なし」●昨日某氏からYouTubeの「ストレンジャーインパラダイス」の曲が贈られてきた。この原曲はボロディンの歌劇イーゴリ公から「ダッタン人の踊りと合唱」で、中学校の時から大好きな曲であった。その後、この曲だけが有名になり独立して演奏されることが多い。

http://www.youtube.com/watch?v=V4WtsCjdupI

ところでこれが歌となったのが「ストレンジャー・イン・パラダイス」である。歌詞の内容は「天国での見知らぬ人」である。そのことを昨夜からずっと考えていて、朝の啓示になった。天国ではおそらくというか多分と言うか確実に家庭はない。したがって家庭の悩みというものはない。聖書的根拠はと言えば次の3個所である。

塚本訳 マタ 12:46-50
12:46 イエスがまだ群衆に話しておられると、そこにその母と兄弟たちがイエスに話しがあって、外に立っていた。
12:47 〔無し〕
12:48 しかしイエスはそのことを知らせた者に、「わたしの母とはだれのことだ、わたしの兄弟とはだれのことだ」と答えて、
12:49 弟子たちの上に手をのばして言われた、「ここにいるのが、わたしの母、わたしの兄弟だ。
12:50 だれでもわたしの天の父上の御心を行う者、それがわたしの兄弟、姉妹、また母であるから。」

塚本訳 ルカ 20:34-36
20:34 イエスは言われた、「この世の人はめとり嫁ぐけれども、
20:35 あの世にはいる資格を与えられて、死人の中から復活する者は、めとることもなく嫁ぐこともない。
20:36 復活によって生まれる彼らは、天使と同じであり、神の子であるので、もはや死ぬことが出来ない、(従って子を産む必要がない)からである。
 
塚本訳 Ⅰコリ15:42-49
15:42 死人の復活もこのようである。(一つの体が死んで別の体が生まれる。)死滅の姿でまかれて不滅の姿に復活する。
15:43 恥辱の姿でまかれて栄光の姿に復活する。弱さの姿でまかれて力の姿に復活する。
15:44 (神の霊を持たない)魂だけの体がまかれて霊の体が復活する。魂だけの体がある以上は霊の体もあるわけである。
15:45 (聖書にも)このように書いてある、「最初の『人』アダム『は魂だけの生きものになり』、最後のアダム[キリスト]は命を与える霊になった」と。
15:46 しかし霊のものが最初でなく、魂だけのものであり、その次に霊のものである。
15:47 最初の『人は地から出て土で出来たものであり』、第二の人は天の出である。
15:48 土の人たちはこの土の人(アダム)のようであり、天の人たちはこの天の人(キリスト)のようである。
15:49 こうしてわたし達は土の人の姿を帯びたように、(復活の時は)天の人の姿を帯びるであろう。

●このようであるから、地上で契りを結んだ夫婦、また親子も天国では「見知らぬ人」となるのかもしれない。すると天国では家族関係の悩みがない代わりに家庭の喜びも無いのかもしれない●そこには天使である事の喜びのみがあるのだ。血縁、肉の関係が原因の悩み苦しみがないのかもしれない。親子の情は無いのかもしれない。●家族の再会の喜びは多分ないであろう。地上の家庭親族の悩みが天国にまで持ち越されることはあるまい●しかしイエスは神を父と呼び、自分を子と認識した。その上新約聖書は「神の独り子の死」という地上概念を用いて福音を説明するが、それは地上の人間に対する説明手段であって、天国では家庭の存在はないと思う。地上の家庭の延長は無いと思われる。全員天使で「見知らぬ人」なのだ。


●13:30 昭和女子大の生徒9名が来訪。 岡本はんな、山崎恵美、長倉由佳、小林美喜子、田村奈菜子、 山崎亜美、勝俣真樹、田中伶奈、石川美貴。遠くは三島、沼津から。 

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昭和女子大生9名来訪。拙宅の紹介(木と漆喰と和紙と竹の家).その後各自の希望進路の話しで懇談、 音楽の話しなど非常に楽しかった。進路は多士済々で女流建築家、映画製作、インテリア、設備設計士、消防検査官、・・・・・・・
妻の感想。「みんな育ちのよい感じの良いお嬢さんばかりですね―」。
 彼女達はスマートフォン、ユーチューブ、ユーストリーム、などお手のもので私達夫婦はもー全くついていけないという感じであった。
●東秋留の駅まで見送って暗闇を走り去る電車を見送りながら、彼女達の上に神の祝福が末長くあるように祈った。














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インスブルックよさようなら ++++++++ 所感

2011/02/14 11:25

110214(月)朝の啓示「第二の死」●黙示録には「第二の死」という恐ろしい言葉がある。どうやら最後の日には信者と言えども肉体の死の次に「第二の死」という霊魂の永遠の死とう事があるらしい。
 

塚本訳  黙  21:8
21:8 しかし臆病者、不信の者、嫌悪むべき者、(また)殺人者、淫行の者、魔術を行う者、(また)偶像礼拝者、凡ての虚偽者──彼らの運命は、火と硫黄の燃えている池に投げ込まれることである。これは第二の死、(すなわち最後の死)である。」

●これは生きている内に信者だと自認していても「第二の死」は免れないらしいので安閑としてはいられない。それを伺うことが出来るイエス自身の言葉がある。

塚本訳 ルカ 12:43-48
12:43 それは主人がかえって来たとき、言いつけられたとおりにしているところを見られる僕で、その僕こそ幸いである。
12:44 本当にあなた達に言う、主人は彼に全財産を管理させるに違いない。
12:45 しかしその僕が、主人のかえりはおそい、と心の中で考えて、下男や下女をなぐったり、飲んだり食ったり酔っぱらったりし始めていると、予期せぬ日、思いもよらぬ時間に、その僕の主人がかえってきて、僕を八つ裂きにし、不信者と同じ目にあわせるにちがいない。
12:46 予期せぬ日、思いもよらぬ時間に、その僕の主人がかえってきて、僕を八つ裂きにし、不信者と同じ目にあわせるにちがいない
12:47 主人の心を知っていながら用意せず、あるいは主人の心に従って行動しなかった僕は、(鞭で)打たれることが多い。
12:48 しかし(主人の心を)知らない者は、打たれるようなことをしても、打たれ方が少ない。(神に)多く渡された者は皆多く請求され、(信頼して)多く任された者は一そう多く要求される。

●「第二の死」などあり得ないと「へらへら」と笑いながら馬鹿にしている信者は神の義、神の罰の恐ろしさを認めないのであるからさっさとキリスト教をやめて先祖伝来の大慈悲の仏教に転向すべきである。●またここからは、「どうせ父なる神は愛だから結局は赦して下さると安閑としていてはいけない」と読みとれる。●信者が「第二の死」から免れるには来世でも「子羊の血」が必要なのだ。ありがたい子羊の血潮。

●NHKFM7:20「気ままにクラシック」はクラシックファンにはお勧め。その非常に多くの時間を割いて「気ままにDON」という出だしの1-2秒だけ聴かせて曲名を当てさせるイントロクイズコーナーがある。今日の答えはシューベルトの野バラ。歌っているのはおそらくバリトンのフィッシャーディスカウだ。これで24勝6敗。また今日の番組ではイザークの「インスブルックよさようなら」が流された。この曲は私の大好きな曲なので例によってYouTubeで探すと、秋山和慶指揮東京混声合唱団の素晴らしいものがあった。歌詞も付いていて味わい深い。ただし2番(あるのかどうかわからいが)も歌ってもらいたかった。お勧め。

http://www.youtube.com/watch?v=JGAGtYHcMTg

●この曲の思い出。10年以上も前の事、拙宅にカトリックの元神父が来られた。氏が翻訳された聖書関係の本を私が非常に熱心に読んだのが機縁であった。氏は神父になるために長らく(多分7年間)オーストリアのインスブルックで修業と勉強に励んだが、ある事情で神父を辞された。それは聞くも涙の物語でその内容はブログでは書けない。この曲を聴くくたびに氏のことが思い出されるのだ。そして今回歌詞を見てさらに氏の人生に同情し涙が流れた。しかし神は氏のような人を正客として御国に迎えるであろう。 

 
           有体的復活の使徒伝承

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 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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   TSK日本語版・目次

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エクレシアの重荷の問題 ++++++++ 所感

2011/02/13 20:48

110213(日)6時45分起床●妻と集会に出発。夫婦でエクレシアにいけるのは幸福だ。

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集会に行く途中。奥多摩連山の雪化粧は美しい。妻が撮影 。あきる野は私にとって「懐かしい土地」である。私を癒してくれるメロディーにチャイコフスキーの「懐かしい土地の思い出」がある。YouTubeで探すとあった。実にいい曲だ。お勧め
 

http://www.youtube.com/watch?v=TCHsWQowdZk&feature=related



●10:00 集会は高木、小寺(マタイ)、山本(第一コリント)●いま借りているビルが改築されるので4月から集会会場が変わる。野口英世記念会自体がなくなる。そこで集会の所持品の処分の相談。足踏みオルガンは私の家に引き取ることにした。書籍戸棚は検討を続行。無教会は宿なしだが気楽でもある●小寺さんと昼食

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集会の帰途、「懐かしい土地」のあきる野に戻る。空気がおいしい。

しかしなぜか気が重い。
。●エクレシアの重荷について考察。エクレシアはこの世にあっては様々な重荷を負う。世の悩みごとの重荷。社会の悪の重荷。エクレシア内部の俗化の重荷。しかしこの重荷は総て神が負って下さる。 

文語訳  マタ 11:28
11:28 凡て勞する者・重荷を負ふ者、われに來れ、われ汝らを休ません。


塚本訳  マタ 11:28
11:28 さあ、疲れている者、重荷を負っている者はだれでも、わたしの所に来なさい、休ませてあげよう。


 ●妻は集会の婦人の集まりの読書会。この集まりは常に聖書勉強が中心だからよい。これが趣味教養娯楽の会になったら堕落。●妻はその後世田谷の故伊東彊自先生の奥様のお見舞いに行く。100歳で遂に認知症になられ、お子様方が面倒を見られているという。幸せな老後のケースだ。●TSK日本語版ルカ


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大澤君、悪いねー ++++++++ 所感

2011/02/12 09:38

010212(土)5時半起床●窓を開けると雪。と言っても福島と比べると僅か。

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窓を開けると雪。と言っても雪国と比べると僅か。 雪国の人は大変だなー

●長時間椅子に座るので、椅子を布団で改良。NASAが開発したという膝で体重をささえる物にした。背筋が真っ直ぐになるというがどうか。
●TSK日本語版今日からルカ11章。この調子で進めばパソコンが出来る内には新約聖書を完成できると思えるようになった。
●骨休めに好きな音楽をYouTubeで探す。これ最近の趣味。それも名演奏のものを探すのが楽しみ。今日はレハールのメリーウィドーからワルツ。探すとあのプラシド・ドミンゴが歌うものがあった。これはメリーウィドーのハッピーエンドで男女二人が踊りながら歌うもの。この映像はコンサート形式であるが、二人の踊りに聴衆から思わず拍手が出ている。YouTubeはありがたい、すごい。

http://www.youtube.com/watch?v=On7eLfErZZ0&feature=fvwrel

●この曲の思い出●これは中学生の時になじんだメロディー。中学生の時の音楽の親友であった大澤胖君は還暦を待たずして逝った。彼は共助会のクリスチャン、彼の結婚式には妻と出席、彼の浦和の家は私が設計、葬儀は私が行った。彼はオペラが大好きであった。遺族から贈られた大量の音楽ビデオテープの遺品のなかにメリーウィドーもあった。その後私は2008年11月8日にミラノスカラ座でこのメリーウィドーを観賞した。舞台を見ながら「大澤君、悪いね―、悪いね―」と何度も心で思ったものだ。。(ボックスシートだったので財布の中はスッカラカンになった・・・オヤジギャグ。)
●WEB黒崎詩篇23篇の校正を協働者二人(シドニーと福島)に送る。その送信状。
 
(送信状)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

両兄

 

感想です。

 

6節8黒崎訳)

わが世にあらん限りは必ず《幸福と恩恵》と我《を追ひ》きたらん。

 

ここの註解で黒崎先生は次のように述べられています。

「われ幸福と恩恵とを求めずともそれらが我を追い求めてくるであろう。」

 

●不可思議な不条理な人生だ、「こんなはずではなかった」と自分が思ったとしてもそれは神の愛が追いかけて下さっている証拠。それを思うと涙がこぼれました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(送信状おわり) 

●頭休めにまたYouTubeで音楽。今度はラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」
なんとスケーターの浅田真央が踊っているものがあった。


http://www.youtube.com/watch?v=9dDqxPN-DYc


●この曲の思い出。小中学で同期だったISさんは高校の時「照男さん。わたしはまだ神様が信じられないのです」と言った。それで人生の道は別れた。約20年後のある日、ISさんの友人から私に電話。「照男さん。ISさんが亡くなりました。なんでもクリスチャンになって亡くなったそうですよ」。私は彼女を看取ったという聖路加のIYチャプレン(故人)に急いで電話してその最後を伺った。「彼女はとても頭が良く(東大卒)、入院中にキリスト教の本を良く読まれて固い信仰を持たれた。しかし最後は癌が脳に転移して分からなくなって召された」ということであった。30代の若さだった。私は神は人を御自分のところに引き寄せるためには実に残酷なことをするものだなーと思って泣いた。その晩、私はアシュケナージのピアノでこの曲を繰り返し聴いて自分を慰めた。すると夢枕に彼女が立って言った。「照男さん。私の人生は短かったけれども私の分まで頑張ってね」と。浦和に行った時にご母堂を御慰めしたら最後の日記を見せて下さった。実に立派な信仰であった。それからまた20年後、56歳の私は脳出血で意識不明のまま聖路加に担ぎ込まれた。その病院のIYチャプレンは彼女のことを覚えておられて話してくれた。私はこの入院で、人の命は99%ではなく100%神が握っておられることを認識した。そして有体的復活は神が起こされることだということを固く信じさせられた。この病気のおかげで私の為すべきことは定まった。「有体的復活の使徒伝承を継承する」ことだ。ISさんは今頃、YouTube画像の浅田真央のように天国で美しく舞っていることだろう。Sさん、万歳!。あなたの地上の人生は短かったけれども、神を信じられるようになって成功です。大成功です。癌はそのための神の恩恵でした。


●この曲の演奏はアシュケナージが最高であるが残念ながらYouTubeにはない。そこであるものを探すと、フジ子ヘミング、辻井伸行、マルセル・メイエル、などがあったが、なかでも次のアンジェラ・ヒューイットのものがアシュケナージの演奏に近くて気に入った。タイトルの次に出てくる夕焼けの写真も素晴らしい。お勧めである。 

http://www.youtube.com/watch?v=dcm9X5kuehc



●夕方から妻はコーラスの練習。●建築訴訟の双方の書面を大量に読む。聖書を思う。 

塚本訳  ルカ 18:2-7
18:2 「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官があった。
18:3 またその町に一人の寡婦がいた。いつもその裁判官の所に来ては、『(早く裁判をして)わたしのため敵に仕返しをしてください』と言っていた。
18:4 裁判官はしばらくの間は取り合おうとしなかったが、あとでひそかに考えた、『わたしは神を恐れず、人を人とも思わないが、
18:5 この寡婦はどうもうるさくて、やりきれないから、(裁判をして、)この女のために仕返しをしてやろう。そうしないと最後にはやって来て、わたしをどんなひどい目にあわせるか知れない。』」
18:6 それから主は言われた、「この不埒な裁判官の言うことを聞け。
18:7 (こんな男でもこのとおり。)まして神が、夜昼叫んでいるその選ばれた人々のために仕返し(の裁判)をせず、気長に放っておかれることがあろうか。

●この聖書の記事から、告訴でも、弁論でもこれ熱心な方が強いと思う。判決に有利に働く。
 

塚本訳 ルカ 12:13-15
12:13 すると群衆の中の一人がイエスに言った、「先生、遺産を分けてくれるように、兄に言ってください。」
12:14 イエスは「君、だれがわたしを、あなた達の裁判官また遺産分配人に任命したのか」とこたえておいて、
12:15 人々に言われた、「一切の貪欲に注意し、用心せよ。いかに物があり余っていても、財産は命の足しにはならないのだから。」

●この記事からは「争い」という争いは「財産への貪欲」からであることが分かる。この欲がなければ争いはなくなる。●遺産相続の争いは誰かが「俺はいらないよ」と言い出せば解決するとF先生から伺った。




  有体的復活の使徒伝承

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罪と死の恐怖からに解放 ++++++++ 所感

2011/02/11 08:34

110211(金)5時半起床●朝の黙想「罪と死の恐怖からの救い」●WEB黒崎詩篇22篇の校正●建築訴訟で、被告になって困っている人にメール。●生きていく上で「困ったこと」というのは「時の流れ」でなんとなく解決していくが「罪の恐怖」というものは消えないものだ、常に過去が追いかけてきて悩まされる。この解決は医者弁護士、文化文明、父母、自然でも助けてくれない。この解決と救いには神の子の「贖罪死」による救いが必要である。●多言を要しない。「溺れる者は藁をもつかむ」である。その救いを求める必死の力学があれば救われる。「宗教、信仰」は必要か、キリスト教だけが宗教か、キリストは神の子か、神は存在するか、罪なるものはあるのか、・・・・・」など迷っているうちは救われない、罪の恐怖に打ち震える時が来て崖から飛びこむ気持にならなければ救いは得られない。そして救いはある。十字架の血潮で過去がなくなり、すっかり生まれ変わることが出来る。●死の恐怖もこれと同じ。小学校5年の時以来「死が恐怖になった」。この私というものは死ぬと未来永劫出現しない。誰からも忘れ去られる。この恐怖。しかしキリストに救われてこの恐怖は消えた。なぜか有体的復活を信じられるようになったから。これを図に書けば次のようになる。


 

             

罪の悩み苦しみ、暗黒、恐怖 贖罪、救い、解放、喜び




 

 


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ささやかな喜び ++++++++ 所感

2011/02/10 08:44

110210(木)6時20分起床●朝の黙想「ささやかな喜び」●苦しく悲しい事の多い人生にも「ささやかな喜び」ということがある。私の体験。
➀私は大病をすることが多い。その度に妻子に派は迷惑をかけ、また世話になった。感謝。腎臓結石の手術で入院した時にラジオから流れてきたルイアームストロングの歌う「このすばらしき世界」の曲の「人生って結構いいもんじゃーないか」というくだりに涙がこぼれたる。私がささやかな喜びに遭遇したことの一つである。
②子供の病気が直り始めた時。歌舞伎の勧進帳で弁慶が花道で喜び踊り狂う場面があるがあれと同じ心境であった。
③妻が検査のために病院に行き「何でもなかったわよ」と帰ってきた時はうれしかった。
●旧約聖書学者の中澤樹先生の御夫人(生子様)の最後は実に長い間いわゆる「植物状態」であられた。ある日先生は夢を見られた。御夫人が「何でもなかったわよ」と病院から笑顔で戻って来られた夢である。目が覚めると現実は違った。先生は私の「塚本虎二先生10周年記念講演会」(1983.10.9YWCA講堂)での講演の最後に言った「苦しみは瞬時にして喜びは永遠なり」(ヒルティ)に対して御礼のお手紙を下さった。あのとき先生はさぞお苦しかったのであろう。察して余りある。その後先生とは「復活論」で何度も手紙を交わしたが今は神の懐で眠っておられる。復活の朝に御目にかかれる。先生の告別式では三笠宮殿下が弔辞を述べられた。現在宮内庁侍従の三分の一は無教会的クリスチャンと言われている。(「天皇とロザリオ」・・戦後カトリックが天皇をカトリックに改宗させようとした記録)と)。無教会者は、深く、静かに、目立たず、低く、下から忍びこむ。 侍従として、僕として、奴隷として。
④。罪の咎め、罪の重荷、罪の悔い、罪の苦悩の時に「十字架の啓示」を頂き赦されて楽になった時。「牧師先生!。塚本先生!。飛べます。飛べます。私は飛べます」と喜んだものだ。
●アンデルセンの「醜い白鳥」の話しはこうだ。自分の毛が灰色で他の鳥たちと違うのでいじめられ、また自分も悲しんでした。しかし大きくなったある日水面に写った自分の毛が真白になっていることを知った。白鳥は子供のころは毛が灰色なのだ。罪の赦しによる新生の喜びもこれと同じ。これは「ささやかな喜び」ではない。爆発的な喜び。永遠の喜び。永遠の生命の喜び。有体的復活の希望の喜び。
 
●TSK日本語版ルカ

●頭休めにチャイコフスキーのくるみ割り人形から「パ・ド・ドゥ」をYouTubeから舞踏付きを探す。これはこんぺい糖の精と王子のデュエット。この曲は非常にすばらしい。チャイコフスキー屈指のメロディーと思う。、しかしなぜか「くるみ割り人形」の組曲には入れられてない、だから全曲版を買わないと聴けないが、YouTubeならその部分だけを舞踏付きでみられるから驚き。ありがたい。良いものや真理は押さえつけても漏れ出る(マタイ5:14-15)。しかもロシアの誇るマリインスキー歌劇場のものなので最高水準。お勧め。音楽は視覚と共にあるとすばらしい。人間には5感が備わっているのだ。藝術は五感で受け取るべきだ。
   
  http://www.youtube.com/watch?v=fp6Eat_e3Ec&NR=1


ファイル:Mariinsky Theatre.jpg


ロシアの誇るマリインスキー歌劇場(サンクトペテルブルグ) 


●昭和女子大小論テスト採点。本格的に女流建築家を目指す人がいてたのもしい。

●採点の頭休めに、疲れた時によく聴く、ラフマニノフ作曲パガニーニの主題による狂詩曲第18変奏をYouTubeで探す。「癒し ゆれるコスモス秋桜」という素晴らしい映像のものがあった。コスモス大好き。神ママにしなやかに揺れるから。この映像、癒しのためにお勧め。このメロディーは昔NHKラジオの名番組「希望音楽会」のテーマ音楽。中学生の時に耳になじんだものだ。

http://www.youtube.com/watch?v=XOB396quM8w


resize1742.jpg 

パソコンの脇に妻の手鏡をぶら下げて居間のテレビを横目で見られるように工夫。

 

  有体的復活の使徒伝承

   http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/denshou/index.html

 

 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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   TSK日本語版・目次

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  ちたた農園日誌(三男が福島県で独立経営する農場)

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アンダンテカンタービレ ++++++++ 所感

2011/02/09 15:00

110209(水)6時50分起床●昨日の夕食で人に頂いたワインを二人で飲んだらフラフラ●今朝になっても二人とも調子が悪い。やはり私は酒は苦手だ●TSK日本語版ルカ●建築上の訴訟問題でそれぞれの訴状を読んで頭が疲れたので癒しのためにYouTubeで大好きなアンダンテカンタービレ(チャイコフスキー)を観賞。なんと、この曲であのスケーターの浅田真央が躍っている。御勧めである。


http://www.youtube.com/watch?v=sNCKVQ7clm4&feature=related


●この曲は疲れている人に聴かせるとよい。そのときはやさしく「アンタッテクタービレてるのね―」と言いながらCDをかけると効果的である(オヤジギャグ)
●昭和女子大の小論文テストの採点。半年間教えた成果を見るのは「収穫の喜び」でもある。みんなしっかりした考えを持っている。社会に出てもこれなら大丈夫だ。15日の拙宅見学希望者は8名。多くが木造住宅に興味を持っているのはうれしい。
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残りの人生、走れ ++++++++ 所感

2011/02/08 09:18

110208(火)5時半起床●TSK日本語版ルカ10章。これをやりながら次の句から関連聖句を黙想 

塚本訳 ルカ 10:3-4
10:3 行け、いまわたしがあなた達を送り出すのは、羊を狼の中に入れるようなものだ。
10:4 (だからただ信仰で武装せよ。)財布も旅行袋も持ってゆかず、靴もはくな。だれにも道で挨拶をするな。
 
●福音伝道に徹する者はこの世の原理で生活するなということ。この世からは「アイツはおかしくなった」と言われる。「馬鹿は死ななきゃ直らない」と言われる。「あの人は聖書に凝っている」と言われる。言いたければ言わせておけ。今に分かる。その時に泣くな。
 

●思い浮かぶ聖句と感想 
 
塚本訳マコ 9:30-32
9:30 一行は(エルサレムに上るため)そこを去って、ガリラヤを通った。しかしイエスは(この旅行が)人に知られることを好まれなかった。
9:31 「人の子(わたし)は人々の手に引き渡され、彼らはこれを殺す。殺されるが、三日の後に復活する」と言って、弟子たちに教えて(その覚悟を求めて)おられたからである。
9:32 彼らはこの言葉(の意味)がわからなかった。でもこわいので尋ねなかった。

●イエスの覚悟は周囲の人に分からなかったが、なにかピリピリしていた。話しかけられなかった。「こわいので尋ねなかった」とある。

塚本訳 ルカ 9:51
9:51 イエスは(いよいよ)昇天の日が迫ったので、決然としてその顔をエルサレムへ向けて進み、

●顔を決然として「死に場所エルサレム」に向けた。特攻隊の精神。特攻隊は「行ってきます」とは言わなかった「行きます」と言った。

塚本訳 マタ 10:14
10:14 しかし人があなた達を歓迎せず、あなた達の言葉に耳をかたむけないなら、(すぐ)その家なり町なりを(出てゆけ。そして)出てゆくとき、(縁を切った証拠に)足の埃を払いおとせ。

●人にはなぜ信仰が必要か、なぜ宗教が必要か、信仰を持てば幸福人生になれる。などという暇人の議論はできない。救いを求めている人は議論しない。また「イエスの血で罪が清められる」という一言で十分。その言葉に食らいついてくる。

塚本訳 マタ 8:21-22

8:21 またほかの一人の弟子が言った、「主よ、(お共をする)その前に、父の葬式をしに行かせてください。」
8:22 イエスはその人に言われる、「(今すぐ)わたしについて来なさい。死んだ者の葬式は、死んだ者にまかせよ。」

●クリスチャンは葬式を一生懸命にするな。金をかけるな。泣いているな。

塚本訳 マタ 6:33
6:33 あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。

●神の義を求めよを履き違えて、この世を改良せよと読む聖書の半可通がいるから困る。「神に義とされる」事を求めよと言うのである。

塚本訳 ルカ 10:7
10:7 (どんな家でも一度入ったら、その土地を立ってゆくまでは)同じ家に泊まっていて、家の人が出すものを(遠慮なく)飲み食いせよ。働く者が報酬をいただくのは当然だから。家から家へと移ってはならない。

●この言葉をテコに、牧師も伝道者も「人に食わせて貰うのは当然」と思うからキリスト教は伸びないのだ。この世の勤労者に尊敬されないのだ。」牧師や伝道者は職業観を確立できないでいるから青年を指導できない。パウロのように人に迷惑をかけないように自分の手で働かなければならない。 

塚本訳 Ⅰテサ4:11-12
4:11 また静かに生活し、自分の仕事を励み、(曩に)命じたように手ずから働くことをもって名誉とせよ。
4:12 これは(主を信じない)外部の人に対して(信者らしい)見苦しからぬ生活をし、また誰の厄介にもならずにすむためである。

●人に食わせてもらって強い伝道は出来ない。聖書でメシを食っている聖書学者の話しはなぜか心に響かない。信者に食わせてもらっている牧師は信者の批判は出来ない。長老を批判できない。この世の仕事をしていると聖書の勉強や説教の準備が出来ないと言うのは間違い。信者が汗水流して働いている時に聖書の勉強や説教の準備もあるまい。

塚本訳ガラ 6:15-17
6:15 なぜなら、割礼があるのも、割礼がないのも、なんの意味もない。ただ意味があるのは、(キリストによる)新しい創造。
6:16 この規範に従うすべての人々の上に、『平安』と憐れみとあらんことを。また神の『イスラエルの上に』も。
6:17 今後、だれもわたしに迷惑をかけてくれるな。このわたしの体にはイエスの焼印があるのだから!

●残りの人生の時間は短いのだ。つまらbない醜いこの世の法律問題で私を責めるな。私は家屋を焼かれ、脳出血させられ、イエスの「焼印」を押されたのだ。残りは少ない。癌で死ぬことになっている。この世的の事で時間はとれない。迷惑をかけてくれるな。

塚本訳 ピリ 1:15-17
1:15 なるほど嫉妬と争いの心からキリスト(の福音)を伝える者もあるが、また善意からする者もある。
1:16 (すなわち)後の人達は、私が福音を弁護するため(神に)立てられて(今こうして)いることを知り、(私に対する)愛からキリストを宣べ、
1:17 また前の人達は縄目の私を苦しめようと思って、純な心でなく利己心からキリストを宣べ伝えるのである。

●キリストのため、福音のためと言いながら「利己心」が動機で企てをする人がいるが、神は見ている。その企ては潰れるか伸びない。判定は神に任せるべきである。

塚本訳  Ⅱコリ2:17
2:17 ──わたし達はあの多くの人たちのように、神の言葉を売り物にするようなことをしない。いやそればかりか、純心な心からする者として、いや、神につかわされた者として、神の前に(責任をもち、)キリストにあって、語っているのである。

●伝道説教や聖書を売り物にするのは罪悪である。2年かかったWEB黒崎は多くのスタッフが「純心な心」から行ってWEBで無料公開。一年と少しで世界中からすでに延べ3万回のアクセス。
●グーテンベルグが最初に印刷したラテン語ヴルガダ聖書は180部印刷。その動機は写本ではなく安価で多くの人に聖書を読んでもらおうとする「純心な心」からである。その意味でいまや使徒伝承や聖書はWEBなどで無料で発信しなければならない時代である。

塚本訳 マタ 28:8
28:8 女たちは恐ろしいが、また嬉しくてたまらず、(中には入らずに)急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走っていった。

●有体的復活の告知は「走る」。教会や集会の形成、拡大、維持などの精神はこの世の精神。暇仕事。

塚本訳 ヨハ 20:1-2
20:1 (翌々日、すなわち)週の初めの日(日曜日)の朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に来てみると、墓(の入口)から石がのけてあった。
20:2 そこでシモン・ペテロと、イエスが可愛がっておられたもう一人の弟子との所に走って行って言う、「主を墓から取っていった者があります。どこに置いたのかわかりません。」

●有体的復活の告知はとるものもとりあえずに「走って行く」ものだ。暇人とはつき合っていられない。

新共同 使  20:24
20:24 しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。

●短い人生、有体的復活の使徒伝承を継承出来さえすれば、本望。この命は惜しいとは思わない。天寿を全うできなくてもよい。

文語訳  Ⅰコリ9:24
9:24 なんぢら知らぬか、馳場を走る者はみな走れども、褒美を得る者の、ただ一人なるを。汝らも得んために斯く走れ。

●「馳場を走る」とは良い言葉だ。しかしこの言葉で人間の分としての職業労働を放棄してはいけない。パウロはそのことをじっくり説かなかった欠点がある。(ヒルティ)

塚本訳Ⅰコリ9:26
9:26 わたしはそれゆえに、目標があいまいでないように走る。空を打たないように拳闘をする。

●強いボクサーはむやみやたらと腕力を振り回さない。一発必中のパンチを打つ

口語訳 ピリ 2:15-16
2:15 それは、あなたがたが責められるところのない純真な者となり、曲った邪悪な時代のただ中にあって、傷のない神の子となるためである。あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。
2:16 このようにして、キリストの日に、わたしは自分の走ったことがむだでなく、労したこともむだではなかったと誇ることができる。

●自分の人生は無駄ではなかったと言える言えるまでになりたいものだ。これすごい人生目標だ。

塚本訳 ピリ 3:10-14
3:10 かくて(ますます深く)キリストを知り、その復活の力を受け、その苦難に与り、彼と同じような死様をして、
3:11 あわよくば私も(最後に)死人の復活に達したいためである。
3:12 しかしこれは(何も)既に(それを)捉えたとか、既に完成されているとか言うのでは(もちろん)ない。ただもしや私も(それを)捉えることが出来はしないかと、走っているまでである。私もキリスト・イエスに捉えられたのだから。
3:13 兄弟達よ、私はまだ自分で(それを)捉えたなどとは考えていない。しかし(ただ)一つの事──後ろのものを忘れ、前のものを追い求めながら、
3:14 (或る)目標に向かって、すなわち神がキリスト・イエスにおいて天上に招き給う褒美に向かって(ひた走りに)走っているのである。

●14節の(ひた走りに)走っている、というパウロの人生観はさぞピリピリしていたのであろう。なぜか10節のように「復活」の告知なのだ。

塚本訳  ヘブ 12:1
12:1 それゆえ、わたし達も、こんなに雲のような(大勢の)証人に囲まれているのであるから、(信仰の障害となる)すべての煩わしさと、すぐにからみつく罪とをぬぎすてて、わたし達の前に置かれている競走を、忍耐をもって走ろうではないか。

●ここでも人生を「走ろう」という言葉がある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●息抜きにTouTubeでカラヤン、ベルリンフィル、ヴェートーヴェン「田園」第一楽章を観賞。
これだけのものを無料で楽しめるとはどういうことなのだろう。映像権はどうクリヤーしているのだろう。発信者に感謝。

http://www.youtube.com/watch?v=OSr-NQHvhUM

●同じくカラヤン+ベルリンフィルでベートーヴェンの第九。アクセス回数は49万回。もうこうなっては映像権の何のと言っている方が時代遅れである。良いものは無料で発信の時代だ。

http://www.youtube.com/watch?v=SuZryzpIhiw&NR=1

●カラヤン+ウィーンフィルでドヴォルザーク交響曲8番第3楽章。カラヤンは終始目をつぶって指揮をしているが、あれは楽員が気持よく演奏するためで、自分の思いを押し付けない痰為だからだそうだ。偉い。しかしオケがぐらつくとカッと目を見開く(大町陽一郎)そうである。

http://www.youtube.com/watch?v=16NX_Fy0wKY

●カラヤンの指揮ぶりは非常に藝術的で、その映像は貴重であり各種映像が商品になっている。しかしYouTubeではそれが無料で観賞できる。企画者に感謝。世の中こうでなければならない。真理や良いものは無料で流れ出るべきだ。
●来る24日に講演の依頼。新生会主催。演題は「『千の風になって』を聖書的観点から考える」。信者でない人が相手なので勉強になる。どれだけ通じるか。
●I氏から電話とメール。よい解決になるように祈る。


resize1741.jpg 

しばしば行く「あきる野市中央図書館」(岡田新一設計)。夜景の設計がうまい。左はキララホール。


  有体的復活の使徒伝承

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救われる者は少ないか ++++++++ 所感

2011/02/07 09:44

110207(月)朝の啓示「救われる者は少ないか」●関連聖句が浮かぶ。

塚本訳マタ 22:11-14
22:11 王は客を見ようとして入ってきたが、そこに礼服を着けていない者が一人いるのを見て
22:12 その人に言った、『君、礼服も着ずに、なんでここに入ってきたのか。』その人が黙っていると、
22:13 王は家来たちに言った、『あの者の手足を縛って、外の真暗闇に放り出せ。そこでわめき、歯ぎしりするであろう。』
22:14 ──招かれる者は多いが、選ばれる者は少ないのだから。」

 ●招かれても神がただで貸し出すきれいな衣服を着ようとしない者(ツッパリ、傲慢、素直でない人、生意気な人間)は救われない。これ次回の感話のテーマ

塚本訳 ルカ 13:23-24
13:23 するとある人が「主よ、救われる者は少ないでしょうか」と尋ねた。人々に言われた、
13:24 「全力を尽くして(今すぐ)狭い戸口から入りなさい。あなた達に言う、(あとになって)入ろうとしても、入れない者が多いのだから。
 
 ●家族親族の「あの人、この人」はどうなってしまうのだろう。イエスの答えはこういうことだろう。「それは一元的には決められない。神の主権で決まることは確かだが、神の心は変更する。だから少なくともあなたは自分だけでも救われるように熱心になれ」

塚本訳 使  16:30-31
16:30 そして二人を外につれだして言った、「先生方、救われるにはどうしなければならないのですか。」
16:31 二人が言った、「主イエスを信じなさい。そうすればあなたも家族も救われる。」

●この質問者の背後には「家族の救い」の問題があったのだろう


塚本訳  ロマ 9:25-27
9:25 (異教人の中から憐れみの器が選ばれることは、不思議ではない。)神がホセア書でも言っておられるとおりである。『わたしはわたしの民でない者をわたしの民と呼び、愛されぬ者を愛される者と呼ぶであろう。』
9:26 『「あなた達は私の民でない」と言われたその場所で、彼らは生ける神の子と呼ばれるであろう。』
9:27 (預言者)イザヤもイスラエル人について叫んでいる。『たとえイスラエル[ヤコブ]の子孫の数は海の砂のように(多数)であろうとも、(信ずる小数の)残りの者(だけ)が救われる

●いくら肉の子孫が多くても「霊の子供」が生まれなければ意味がない。しかしそれは「選びの子」である。選ばれない子も神の頭の中にある。選ばれた者はキリストの苦を身に負う。

口語訳 ヨハ 21:20-22
21:20 ペテロはふり返ると、イエスの愛しておられた弟子がついて来るのを見た。この弟子は、あの夕食のときイエスの胸近くに寄りかかって、「主よ、あなたを裏切る者は、だれなのですか」と尋ねた人である。
21:21 ペテロはこの弟子を見て、イエスに言った、「主よ、この人はどうなのですか」。
21:22 イエスは彼に言われた、「たとい、わたしの来る時まで彼が生き残っていることを、わたしが望んだとしても、あなたにはなんの係わりがあるか。あなたは、わたしに従ってきなさい」。

●これ素直な質問であるが、救いは神の手に握られていることの現れ。前記ルカ13:23の「救われる人は少ないか」の質問と答えに類似。

塚本訳 ヨハ 14:22-23
14:22 イスカリオテでない方のユダが言う、「主よ、いったいどういうわけで、わたし達だけに御自分を現わし、この世(の人)にはそうしようとされないのですか。」
14:23 イエスは答えられた、「わたしを愛する者は、わたしの言葉を守る。するとわたしの父上はその人を愛され、わたし達は(父上もわたしも)、その人のところに行って、同居するであろう。

●これもイエスはまともに答えない。つまりイエスは神学的に一元的には決められないという意味である。

塚本訳 マコ 4:26-28
4:26 また言われた、「神の国はこんなものだ。──ある人が地に種を蒔き、
4:27 夜昼、寝起きしていると、種は芽生えて育ってゆくが、本人はその訳を(すら)知らない
4:28 (すなわち)地はひとりでに実を結ぶので、初めに茎、次に穂、次に穂の中に熟しきった粒ができる。

●救いは人間が寝ている間に決められる。全く神の主権による。

塚本訳 ロマ 9:14-16
9:14 するとどういうことになるのだろうか。神に不公平でもあるのか。もちろん、そんなことはない。
9:15 その証拠には、神は(かつて)モーセにこう言われている、『わたしは憐れみたい者を憐れみ、慈悲をほどこしたい者に慈悲をほどこす』と。
9:16 従って(憐れみも慈悲も、)それは(人間の)願望にも努力にもよらず、ただ神の憐れみによるのである。

●救いは全く、99%でなく100%神の手中にある。人間は口出しでいない。と同時に救われない人も神に知られていて人間が心配する以上に神が愛して「何とかしよう」とされている。彼らの不幸や苦難がその表れだ。
 
●昨日の感話の配布プリント「実のならない木から命の木の実にさせられる」をHPにアップロード(使徒伝承)

http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/denshou/min.htm

●You Tube なるものが自由にみられることを教えられ、「音楽映像」を見た。驚くべきIT時代。

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心の通わない人 ++++++++ 所感

2011/02/06 06:59

110206(日)5時起床。●10:00集会、藤巻、大山(Goldのはなし)、高橋(実のなる木から命の木の実にさせられる)●14:00 府中の森芸術劇場、アンサンブル・アイン・ライム演奏会(和田睦夫氏出演)、オールヴェートーヴェンプログラム。耳が聞こえなくなってから8年後に作曲した「運命」はやはりすごい曲だ。思わず「ブラボー」と叫んだ。しかし私一人であった。隣の御夫人が「いい声でしたね―」

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府中の森芸術劇場。素晴らしいホールだ。規模もちょうどよい。


●集会で話しをしても心がコンクリートのようで入って行かない人がいるのが明快に分かる。イエスはそういう時はすぐさまその人から「去った」。無理をしなかった。また「去れ」という。

塚本訳 マコ 12:12
12:12 彼らはイエスが自分たちに当て付けてこの譬を言われたことを知ったので、(怒って)イエスを捕えようと思ったが、民衆(が騒ぎ出すの)を恐れた。それで、イエスをそのままにして立ち去った。


塚本訳 マタ 10:14
10:14 しかし人があなた達を歓迎せず、あなた達の言葉に耳をかたむけないなら、(すぐ)その家なり町なりを(出てゆけ。そして)出てゆくとき、(縁を切った証拠に)足の埃を払いおとせ。

●なぜ心が通わないのか。話しの内容よりも、男の場合は氏や育ちや学歴を見てしまう。また女は「好き嫌い」の感情で人を判断する。もう一つ決定的なことは私がその人を何となく好きでないからである。私の方に原因の大半があるのだ。

塚本訳  マタ 13:54-57
13:54 郷里(ナザレ)に行ってその礼拝堂で教えられた。すると人々が驚いて言った、「この人はどこからこの知恵と、奇蹟とを覚えてきたのだろう。
13:55 これはあの大工の息子ではないか。母はマリヤで、兄弟はヤコブとヨセフとシモンとユダではないか。
13:56 女兄弟たちは、みんなわたし達の所に住んでいるではないか。するとこの人は、こんなことを皆どこから覚えてきたのだろう。」
13:57 こうして人々はイエスにつまずいた。しかしイエスは彼らに言われた、「預言者が尊敬されないのは、その郷里と家族のところだけである。」

●こういう場合はどうすべきか。その人の名前を挙げて「○○の馬鹿ヤロー」と10回心で叫べばよい。すると5回目ぐらいに、その人が私に少しでも親切にしてくれたことが思いだされ不思議にも心が和らぐ。
●次のガマリエルの言葉は人間関係の苦しい時に有効である。


塚本訳 使  5:38-39
5:38 だから今のところ、わたしは諸君に言う。あの人たちから手を引いて、(そっと)放っておきなさい。それは、もしあの企てやすることが人間(の考え)から出たものならば、(手を下すまでもなくひとりでに)ほろびるであろうし、
5:39 神から出たものなら、(どんなにしても)彼らをほろぼすことは出来ないのだから。そうでないと、諸君は神に手向かう者にならぬとはかぎらない。」そこで彼らはその勧告に従って、

●この38節の塚本訳の(そっと)の敷衍には千鈞の重みがある。ただ放っておけと言うのではなく相手のために祈っていろという気持ちが込められている。愛敵の祈りをしろという意味が感じられる。


 有体的復活の使徒伝承

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朋(とも)あり 遠方より来る ++++++++ 所感

2011/02/05 09:56

110205(土)5時半起床●遠方より友が来るので家の中を掃除。
●「朋(とも)あり 遠方より来たる また楽しからずや」 「論語」

●明日の感話の結論を次のように変更。 発想は朝食前だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【神の独り子の犠牲によって命の木の実にさせられる】

*パウロの悩み―――同胞イスラエル人の不信仰

塚本訳 ロマ 9:3
9:3
ほんとうに、兄弟すなわち血を分けた同胞の(救われる)ためならば、このわたしは呪われて、救世主(の救い)から離れ落ちてもよいと、幾たび(神に)願ったことであろう。

 

*失敗と涙の人生は無駄には終わらない。信者の犠牲の苦は神に知られている

塚本訳Ⅰコリ15:58

15:58 だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ。骨折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから。

 

*神の独り子の犠牲によって命の木にさせられる

塚本訳ヨハ 12:24

12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)

 

塚本訳 黙  22:2

22:2 都の大通りの真中と河の此方彼方に生命の樹があって、(一年に)十二度実を結ぶ、すなわち月毎に実が生るのである。そしてその樹の葉は諸国の民(の凡ての病と傷と)を医す。

 

塚本訳 黙  2:7

2:7 耳を有っている者は、御霊が(全)教会に言い給うことの何であるかを聴け。勝利者には、神の楽園にある生命の樹からその実を食うことを許すであろう。

 

塚本訳 黙  22:17

22:17 すると御霊と新婦とが(答えて)言う、「来たり給え」と。聞く者も(また)「来たり給え」と言え。渇く者は来い。望む者は無代で生命の水を受けよ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●そして感話の標題も次のように変更


実のならない木から命の木の実にさせられる 

 

朋あり 遠方より来る また 楽しからずや (論語)



文語訳 ルカ 23:34
23:34 かくてイエス言ひたまふ『父よ、彼らを赦し給へ、その爲す所を知らざればなり』

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肉なるものを恐れるな ++++++++ 所感

2011/02/04 08:20

110204(金)6時●朝の黙想「悪は惡自身で自滅する」。これはヒルティの言葉だと聞いている●最近、また嫌なことが起きた。どうも気持が静まらないので、聖書に救いを求めるべく、思い浮かぶ聖句を連想する。 


口語訳 詩  56:4-6
56:4 わたしは神によって、そのみ言葉をほめたたえます。わたしは神に信頼するゆえ、恐れることはありません。肉なる者はわたしに何をなし得ましょうか。
56:5 彼らはひねもすわたしの事を妨害し、その思いはことごとくわたしにわざわいします。
56:6 彼らは共に集まって身をひそめ、わたしの歩みに目をとめ、わたしのいのちをうかがい求めます。

●肉なる者を恐れるな 。その攻撃の矢は私に効果はない。・・・・これは信者が生涯心に思うべき言葉である
●聖書の「恐れるな」という言葉は神の導きのもとにある人にのみ語られるものだというのはヒルティの言葉
●なせ恐れなくてよいのか。それは相手が肉のものであり、肉の組織だからである。災いは
神の導きにあから身に及ばない。神の敵は信者に対して効を奏さない。


口語訳 出  14:14
14:14 主があなたがたのために戦われるから、あなたがたは黙していなさい」。

●争いごとに巻き込まれそうになったら「じっと我慢して」いればよい。神が相手の良心に語ってくれるからである。下手に反撃すると、「弁解は7分の弱み」となるから得策ではない。
●悪に対しては神が打つ。悪は神が滅ぼすから黙って見ていればよいのだ。


塚本訳 Ⅰコリ6:1-2
6:1 あなた達のひとりが(信仰の兄弟である)他の人に対して訴訟があるとき、聖徒でなく、(主を信じない)不正な人たちに訴える(ような不見識な)ことを、恥としないのか。
6:2 それとも、(最後の日には)聖徒がこの世を裁くことを、あなた達は知らないのか。そしてあなた達(が着く裁判席)の前でこの世が裁かれるというのに、ごくつまらない事件をさばく資格が、あなた達にはないのか。 

●某教会が内紛をこの世の裁判にかけたり、某キリスト教系大学が学生運動の鎮圧に警察に訴えた等と言うのはキリストの顔に泥を塗ったことである。

塚本訳 マタ 12:26
12:26 (同じように)悪魔が悪魔を追い出しているとすれば、それは(悪魔の国が)内輪で割れたのであるから、どうしてその国が立ってゆこう。(だからわたしが悪鬼どもの頭を使うわけはないではないか。)

●何が正しいかを判断するのは難しいが、「内紛で自滅」する場合は、議論の余地がない。
●ヒルティが言っているという「悪は悪自身で滅びる」というのがこれである。
●悪人同志の一致というのは力がない。なぜかというと「党派心」による一致だからである。

塚本訳 使  5:38-40
5:38 だから今のところ、わたしは諸君に言う。あの人たちから手を引いて、(そっと)放っておきなさい。それは、もしあの企てやすることが人間(の考え)から出たものならば、(手を下すまでもなくひとりでに)ほろびるであろうし、
5:39 神から出たものなら、(どんなにしても)彼らをほろぼすことは出来ないのだから。そうでないと、諸君は神に手向かう者にならぬとはかぎらない。」そこで彼らはその勧告に従って、
5:40 使徒たちを呼びいれて(鞭で)打ち、(今後決して)イエスの名を使って話をしてはならないと命令して、釈放した。

●これはイエスの敵であった律法医学者のガマリエル(パウロの師)の名説教である。不信者の中にもこういう高い見識の者がいた。
●この後、使徒達は懲りずにふたたび福音を伝えたから愉快である(使徒5:41-42)
●神の言葉は各種妨害に屈しないで神ご自身の力で伸びていく


口語訳 詩  1:1
1:1 悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。

口語訳 詩  23:4
23:4 たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。

口語訳 詩  37:1
37:1 悪をなす者のゆえに、心を悩ますな。不義を行う者のゆえに、ねたみを起すな。

口語訳 詩  57:6
57:6 彼らはわたしの足を捕えようと網を設けました。わたしの魂はうなだれました。彼らはわたしの前に穴を掘りました。しかし彼らはみずからその中に陥ったのです。〔セラ

口語訳 詩  66:9
66:9 神はわれらを生きながらえさせ、われらの足のすべるのをゆるされない。

口語訳 詩  94:18
94:18 しかし「わたしの足がすべる」と思ったとき、主よ、あなたのいつくしみは/わたしをささえられました。

●これらの詩篇の言葉はみな神に祝福された者の言葉である。

塚本訳マタ 27:18
27:18 ピラトは人々が妬みからイエスを引き渡したことを知っていたのである。

●イエスは職業宗教家達から妬まれて殺された。
●イエスの人気が高まり、自分達の商売が妨害されたと思っていろいろケチをつけられた。
●職場でも、エクレシア内でも、人気が出てくるとこれを妬ましく思う人間から、何かと細かいところでケチをつけられる。 そして潰しにかかる。「出る杭は打たれる」である
●かって私の職場でそういうことがあった時、重役の一人にそれをこぼすと「打たれて引っ込むような杭では駄目だ」と励まされた。

塚本訳 Ⅱコリ13:8
13:8 というのはわたし達は神の真理に逆らっては何も出来ないが、真理のためには何でも出来るからである。

●これはA・シュヴァイツァーの特愛の句である。私達もまた人世が神の真理に従っていれば「力」がある。

塚本訳 ガラ 5:19-20
5:19 肉の行いは明らかである。──それは不品行、汚れ、放蕩、
5:20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、嫉妬、激怒、我利、仲違い、党派心、

塚本訳 Ⅰコリ3:3
3:3 まだ肉の人だから。あなた達の間に妬みや争いがあるかぎり、肉の人であって、人間的な思いで歩いているのではないか。

●これ自戒。この世の争いは、自分の心が天に向いていないからであって、肉の人間と同じ位置にいることだ。
●この世のあらそいという争いは「敵意、争い、嫉妬、党派心、」。それはその人物が「放蕩、偶像礼拝」を行っているからであって、当然の実である。
●「功名心」からの争いもある。それは「汚れ」である。

塚本訳 Ⅱコリ2:17
2:17 ──わたし達はあの多くの人たちのように、神の言葉を売り物にするようなことをしない。いやそればかりか、純心な心からする者として、いや、神につかわされた者として、神の前に(責任をもち、)キリストにあって、語っているのである。

●某出版社の聖書の使用許可に対する「心のかたくなさ」は有名。汚いの一言である。なぜか。「神の言葉を売り物」にしているからである。案の定その出版社の聖書が読まれている率は2割t程度。自然消滅がその運命だ。

新共同 マタ 10:40
10:40 「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。

●この世での一致はいろいろある。理念、思想、仕事、先生、金儲け、。しかしこれらは皆この世のこと。本当の一致は神の霊による一致。
 
●TSK日本語版ルカ●ノジマで血圧計購入。脳出血の履歴があるので常に血圧を注意しなければならない。次のパソコン購入の相談検討。

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祝福されない思い ++++++++ 所感

2011/02/03 06:19

110203(木)5時半目覚め。朝の啓示「祝福されない思い」●何事かを為す時、企画する時、維持する時、それが神に祝福されないものである時は、その企画は「立ち上がらない」、「伸びない」「潰れる」●その判断は事前になかなか判定できないが、少し放っておいてしばらく様子を見ているのも「手」である。はじめから駄目だと思うものは「駄目」と言わなければ相手に不親切である。預言者の精神は「それは駄目だ」と忠告する事である。●しかし忠告者の判断に誤りがあると「伸びる芽も摘んでしまう失敗」にもなる。この辺が人生航路のむずかしいところ。これに関する関連聖句を黙想してみよう。 
  

口語訳 詩  127:1
127:1 主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい。

●これ建築人生での深い実感である。ある会社の社長(建築主)は開口一番「違反建築で設計して下さい」と来た。ここまでズバリ言われたのは初めて。御立派と言わざるを得ないが、その会社は間もなく潰れた。あとかたもない。
●不動産売買の世界ではよく「千三」(せんみつ)という。売買の相談は千あっても成立するのは三つであるという意味である。売買が成立するのは各種条件がそろっている場合が基本だが、そのほかに神の祝福が無ければならない。
●この詩篇の句はよく結婚式で読み上げられる。結婚の形は様々であるが、神と人に祝福されないと成立しない。不倫、不義、などでスタートする結婚は根が腐っているから成長しない。まもなく家庭崩壊になる。子供も親の真似を平気でする。親がまずいから真理的に歯止めがかからない。 
●結婚の成立も建築と同じ。双方にこの世的条件がそろっていて人の目に申し分がなくても、なぜか結婚に到らないのは「神の祝福」がないからである。双方の人間的合意があっても神の栄光が上がらないからいけないのである。若い女性が「恋愛成就」の祈願を神社に祈るのは正しい。結婚には神が介入しなければならない。神の顔を立てなければならない。
●無教会では「恋愛御法度」の気風があったが、これは一理ある。しかし恋愛結婚は駄目で、「紹介見合い結婚」がよいとも限らない。苦しい恋愛期間で神に祈らざるを得なくなると、神に祈って、神の前に正しい位置に立つ
●結婚式なしに妊娠してしまった場合、妊娠中に女性はお腹の子供の生命の神秘性に恐れおののいて人生を反省し真面目に生きようとするという。 男も真面目になればいいのだが。


塚本訳 Ⅰペテ1:23-25
1:23 (君達は)朽つる種でなく、朽ちぬ種から、(すなわち)神の活ける、また(永遠に)消え失せぬ言によって新しく生まれたのである。
1:24 何故なら『人はみな草』のよう『また』その『栄華はみな草の花のようである』。』草は枯れた花は落ちた』
1:25 『しかし』主の『言は永遠に消え失せない』。これが君達に』宣べ伝えられた福音の言』である。

●これは私達の仲人の大熊一雄、好子夫妻(子供なし)の墓碑銘である。お二人が師事された塚本虎二先生の筆跡を墓石に刻印してある。好子さんの御郷里の福島県いわき市にお二人は眠っておられる。 
●この世の栄華というのはみな草の花のようだというのは真理。人間は忘れられる。内村鑑三記念会は最盛期は女子学院講堂に満員、しかも二日間にわたった。しかし今は少なくなって今井館で100人程度。内村、植村、矢内原、塚本、黒崎、関根、前田・・・・みな人間故にいつかは忘れられる。人間の栄華は消える。
●私は曾祖父の名前を知らない。私の名前も三代先の子孫には覚えられないであろう。人が人に覚えられるのは長くても4代程度ではないだろうか。
●しかし永遠に語り継がれていくのは「神の言」。
●聖書の和訳は大小合わせて約52種類ある(日本聖書協会作成の日本語訳聖書の系図)。しかしコレという決定版というものは存在しない。特に個人訳への隷属はいけない。聖書はよい訳だけを少なく複数並べて相対化しながら読まなければならない。無教会は集会の先生の翻訳を絶対視する傾向があるがそれは訳者への個人的隷属からである。風通しが悪いから福音が表面に出てこないため福音の真理が伝わりにくい。文字は神の霊そのものではなく、その反射板である。死せる文字から光の本源には到れない。
●聖書は最初は教会の占有物であって、一般庶民は読めなかった。だから聖職者が壁画などを利用して間接的に教えた。ルターが聖書をドイツ語に訳し、グーテンベルグの印刷術の発明も相まって、聖書が教会から庶民に奪還された。ところが、聖書でメシを食う学者たちが現れて、聖書の解釈権を奪った。無教会はそれに対決して、聖書の素人読みの道を開いた。ところが最近は聖書が商業ベースに汚染され、売れるものでなければ出版できないというまでに堕落した。しかし「神の言」は教会でも学者でも商業ベースでもなく、神の霊それ自身の力で広まる。その手段は様々。本であったりWEBであったりする。
●一番いけないのはキリスト教とは無縁のこの世の出版社から聖書を出版することである。市場原理の判断で「神の言」たる聖書の出版の是非を決められる。だから聖書の出版に関してはキリスト教とは全く関係のないこの世の出版社と手を組んではならない。彼らとは生存の原理が違うのである。信者たるものそういうこの世の企業を畏れてはならない。彼らの生存の原理に抵触すると噛みついてくる。当然である。金儲けの原理が彼らの生存原理だからである。
 
新共同 マタ 7:6
7:6 神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。」

●福音や使徒伝承は本が売れなくてもまた聞く人がいなくても発信し続けなければならない。売れれば出版する等と言うこの世の考えに汚染された姿勢は聖書的ではない。それは福音を「売り物」にする態度である。パウロは次のように言う。

塚本訳Ⅱコリ2:17
2:17 ──わたし達はあの多くの人たちのように、神の言葉を売り物にするようなことをしない。いやそればかりか、純心な心からする者として、いや、神につかわされた者として、神の前に(責任をもち、)キリストにあって、語っているのである


●ドイツの牧師ボンヘッファーがヒットラー暗殺計画に加わった容疑で捕まった時に引用したのは次の言葉である。

塚本訳  Ⅱテモ2:9
2:9 私はこの(福音の)ため罪人として縛られるまでに苦しみを受けているが、神の言は縛られてはいない。

●然り。聖書は商業原理で縛られてはいけない。神の言は売り物ではないからである。神の言葉は商業ベースに縛られない。ところがそれを商業的判断に委ねる人間が昔も今もいる。全くの誤り。ただで頂いたものはただで伝えよ。イエスは次のように言う。

塚本訳 マタ 10:7-8
10:7 行って、『天の国は近づいた』と説け。
10:8 病人をなおし、死人を生きかえらせ、癩病人を清め、悪鬼を追い出せ。(福音も病気もなおす力も、みな神から)ただで戴いたのだ、ただで与えよ。

●使徒伝承や神の言はただで頂いたのからただで伝えなければならない。ここがこの世的組織の教会主義で福音を伝えようとする姿勢に無理がある。 職業としての聖職者の存在で福音を伝えようとするところに無理がある。これキリスト教の組織また同じ。商業ベースに乗せようとするところに無理がある。
●福音の伝承は自腹を切って命を捧げて発信するものだ。そういう人が複数集まるのが真のエクレシアである。 

●15:00 歯科。歯石掃除●東急でコピー用紙●TSK日本語版ルカ9章
 

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ネズミを殺して大覚醒 ++++++++ 所感

2011/02/02 08:41

110202(水)5時起床●10日間、私達を悩まし続けた憎きネズミを昨日殺したことで大覚醒。「万物は復活する。もちろん不信者も復活する」。この聖書の大真理を悟った。●粘着版にかかったネズミを妻が「もがいたのでしょうね―」と言った一言が御子イエスの十字架のもがき苦しみを連想させた●同時に最後の日には被造物全体が復活するという聖書的宇宙的大真理に目を開けられた●次回2月6日の感話のコンセプトを大変更。

●題名を「実のならない木」から「実のなtらない木から実のなる木へ」に変更。

内容の一部を変更。


*全被造物は呻いている。神は最後の日には全被造物を復活させる

塚本訳ロマ 8:20-22

8:20 なぜであるか。創造物は自分から(今のような)はかない運命に屈伏したのでなく、それは屈伏させたお方([神]の御心)によるからである。(彼らはアダムの罪の責任を負わされたのである。)しかし(この屈伏には)望みがある。

8:21 創造物自身も、滅亡の奴隷になっている(現在の)状態から自由にされて、神の子供たちがうける栄光と自由とにあずかるのだから。

8:22 わたし達が知っているように、全創造物は(かの日から)今まで、一しょになって呻き、一しょになって産みの苦しみをしている。(父なる神がこの  呻きに耳を傾けられないことがあろうか。)

 

口語訳 イザ 65:17,25

65:17 見よ、わたしは新しい天と、新しい地とを創造する。さきの事はおぼえられることなく、心に思い起すことはない。

 

65:25 おおかみと小羊とは共に食らい、ししは牛のようにわらを食らい、へびはちりを食物とする。彼らはわが聖なる山のどこでもそこなうことなく、やぶることはない」と主は言われる。



●結論は次のように変更

*神の一人子の犠牲によって来世では全員に実がなる

 

塚本訳ヨハ 12:24

12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)

 

塚本訳 黙  22:2

22:2 都の大通りの真中と河の此方彼方に生命の樹があって、(一年に)十二度実を結ぶ、すなわち月毎に実が生るのである。そしてその樹の葉は諸国の民(の凡ての病と傷と)を医す。

 

塚本訳 黙  22:17

22:17 すると御霊と新婦とが(答えて)言う、「来たり給え」と。聞く者も(また)「来たり給え」と言え。渇く者は来い。望む者は無代で生命の水を受けよ。


●8:00 妻は婦人の読書会(塚本虎二著作集)、午後はウィークデーの集い準備●池谷医院、キララホール、キタムラ

 
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ネズミ捕獲。よかった、よかった。 ++++++++ 所感

2011/02/01 07:00


67歳7か月。平均余命15年(生命保険会社統計)、5475日、13万1400時間。この時間をすべてキリスト教使徒伝承の連鎖に捧げる。罪と死の悲しみを克服する「十字架の贖罪の福音と有体的復活の希望の喜び」を犠牲的に生きて証人となる。自分のため、親類縁者のため、気の毒な人のため。 


1100201(火)布団が重くて身動きが出来ないという苦しい夢●5時45分起床、10日間私と妻を悩まし続けたネズミが遂に粘着板にかかっていた。身動きが出来ないでもがいたらしい.
明け方に見た苦しい夢と同じ苦しみだったのだろう。●昨日は妻が冷蔵庫の脇にネズミが食べ残した跡があるアジトを発見。そこに粘着板の捕獲器を仕掛けておいたら今朝かかっていた。●まだ暗いうちに庭に穴を掘って手厚く埋葬。今回はなぜかこのネズミがいとおしくなった。私に聖書の深いところを教えてくれたからである。それはロマ書8章19-22節の被造物全体の呻きと最後の日の万物の復活。●もしこのネズミに悩まされなかったらこの聖書の個所は一生分からなかったにちがいない。このネズミは自分の命を捧げてこの意味を私に分からせてくれた。ネズミに感謝、安らかに眠ってくれ。最後の日の復活の日に被造物は全部復活するのだ。「また会う日まで」。その日はもう私達を悩ませないであろう。平和、平和。●妻と「良かった、良かった」●しかし妻は言った「もがいたのでしょうね―」。わたしはホロッとなった。


resize1736.jpg 

自分の命を捧げて私に聖書の深いところを分からせてくれたネズミ。感謝。
最後の日には被造物は全部復活する。 


●思うに、聖書の深いところは人生の苦悩で体験的にのみ分かるものである。これが聖書理解の王道だ。●今回のネズミ騒動が無ければロマ書の8章20-22は生涯分からないかったに違いない。然り、不信者も復活する!。これ動かし難い信仰になった。聖書学的には正しいかどうか分からないが実感だ。パウロにはアーメンといわれるに違いない。
●全被造物は復活する。もちろん不信者も復活する。この聖書的根拠。我流解釈。


塚本訳 ロマ 8:20-22
8:20 なぜであるか。創造物は自分から(今のような)はかない運命に屈伏したのでなく、それは屈伏させたお方([神]の御心)によるからである。(彼らはアダムの罪の責任を負わされたのである。)しかし(この屈伏には)望みがある
8:21 創造物自身も、滅亡の奴隷になっている(現在の)状態から自由にされて、神の子供たちがうける栄光と自由とにあずかるのだから。
8:22 わたし達が知っているように、全創造物は(かの日から)今まで、一しょになって呻き、一しょになって産みの苦しみをしている。(父なる神がこの  呻きに耳を傾けられないことがあろうか。) 

塚本訳 マコ 9:38-40
9:38 ヨハネがイエスに言った、「先生、わたし達の仲間でない者が、あなたの名を使って悪鬼を追い出しているのを見たので、止めるように言いました。仲間にならないからです。(しかし言うことを聞きませんでした。)」
9:39 イエスは言われた、「止めさせるに及ばない。わたしの名を使って奇蹟を行ったすぐそのあとで、わたしの悪口の言える者はないのだから。
9:40 反対しない者はわたし達の味方である

塚本訳マタ 10:41-42
10:41 預言者を預言者として迎える者は、預言者と同じ褒美を戴き、義人を義人として迎える者は、義人と同じ褒美を戴くであろう。
10:42 また(わたしの)弟子としてこの一人の小さな者に一杯の冷たい水でも飲ませる者は、アーメン、わたしは言う、(天にて)その褒美にもれることはない。」

resize1737.jpg 

連合設計社市ヶ谷建築事務所時代の同僚、中野裕氏が郷里の熊本に家を建てて
移住されるというので、お別れ会食会。武蔵溝の口でしゃぶしゃぶ。
中野氏は私の水泳の先生。高橋さんとは良い思い出ばかりでしたと言ってくれた。
中野氏の御一家の上に神の祝福が末長くある事を祈る。


●14:50 昭和女子大、試験問題説明。みなさんとは今日でお別れです。皆さん「お幸せに」と言って締めくくった●あきる野に戻ると冬の空に宵の明星(金星)が輝いていたが、今朝葬ったネズミに見えた。安らかに。ありがとう。君は私に万物の復活を教えてくれた。

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