to 日記と感想 2011年06月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171030(月)10:00 聖路加 桑本先生
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170824(木)12:10キララホールエントランスコンサート、マリンバ
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170813(日)10:30ナザレン教会浦和教会
    170813(日)14:00比企紀和君
    170812(土)14:00お江戸こらりあーず演奏会、文京シビックホール
    170809     TW誕生日
    170809(水)17:16初音吹奏楽、府中の森芸術劇場ドリームホール
    170808(火)0930池谷医院
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170708(土)14:00在宅医療説明会(キララホール)
    170707(金)10:00池谷医院
    170706      TM誕生日
    170702(日) 集会感話
    170701      TT誕生日
    170630(金)12:20キララホールエントランスコンサート
    170628      IY誕生日
    170627(火)11:00 能城牧師来訪
    170625)日)10:10トミ子集会感話
    170625(日)14:00茅ヶ崎金子邸
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール


地球の終末、自己の終末 ++++++++ 所感

2011/06/30 05:42

110630(木)5時起床●朝の啓示「地球の終末、自己の終末」●苦難艱難は聖書の真理を教えてくれる●大震災で、終末を現実的にとらえることが出来た。●日本は水没するかもしれないが、地球にも宇宙にも終わりの時が必ずくる。これは信仰なき科学者の立場からも真理●人間にも死という終末がある。人類の歴史も無くなる●この淋しい現実に、新約聖書は再臨、有体的復活、永遠の命という希望の喜びを教えてくれる
●人生の嘆き悲しみはそれによって自分の罪を気付かせてくれて真の喜びを与えてくれる神の深い知恵である。●その時人間は失せた望みの為と自己の罪の為にハラハラと涙を流す。それが人生の始まりである。●「良かれ」と思った事業の失敗、理念思想の挫折。これは皆自分の為に泣けという神の御心。イエスは次のように言う。 

文語訳 ルカ 23:28
23:28 イエス振反りて女たちに言ひ給ふ『エルサレムの娘よ、わが爲に泣くな、ただ己がため、己が子のために泣け。

塚本訳 ルカ 23:28
23:28 イエスは女たちの方に振り向いて言われた、「エルサレムの娘さんたち、わたしのためには泣いてくれなくともよろしい。それよりは自分のため、自分の子供のために泣きなさい。

●バッハのコラールに「おお人よ、汝の大いなる罪を嘆け」BWV402がある

●義母草野タキエの一周忌法要の為にいわき市好間に行く。●5時45分家を出発。7時30分東京駅発高速バスで約3時間。

resize1883.jpg 

墨田タワーの傍を通過。さすがに高い。
設計の日建設計と施工の大林組はよくぞやった。

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10時45分。真言宗の寺で義母草野タキイの一周忌法要。

その後、好間の実家で会食。四家和也、シズエ、橋照男、トミ子、草野正一、茂子、斉藤安子。話題は震災のこと。原発のこと。自由な発言があって興味があった。風評は長くは続かない。日本中原発の危険のないところはない。いわき市も屋根の棟瓦の被害が多い。
 
口語訳 詩  133:1
133:1 見よ、兄弟が和合して共におるのは/いかに麗しく楽しいことであろう。

新共同 詩  133:1
133:1 【都に上る歌。ダビデの詩。】見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。

resize1885.jpg 

帰りのバスで、また墨田タワーを見る。
これだけの技術力を持つ日本人に原発を収束できないわけはないと思った。
 

 有体的復活の使徒伝承

   http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/denshou/index.html

 

 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

      http://stonepillow.dee.cc/

 

    TSK日本語版・目次

    http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/denshou/tsk0603.htm

 

  ちたた農園日誌(三男が福島県で独立経営する農場)

    http://chitata.blogspot.com/

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科学技術が神の祝福を失った場合の運命 ++++++++ 所感

2011/06/29 19:56

110629(水)5時起床●TSK日本語版ヨハネ●7月3日の感話資料作成。その結論は次の通り

7月3日感話資料の一部
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

科学技術が神の祝福を失った場合の運命

・・・究極の「復興」は終末による新天新地の出現・・・

 

塚本訳ルカ 12:19-21

12:19 それからわたしの魂に言おう。──おい魂、お前には長年分の財産が沢山しまってある。(もう大丈夫。)さあ休んで、食べて、飲んで、楽しみなさい、と。』

12:20 しかし神はその人に、『愚か者、今夜お前の魂は取り上げられるのだ。するとお前が準備したものは、だれのものになるのか』と言われた。

12:21 自分のために(地上に)宝を積んで、神のところで富んでいない者はみな、このとおりである。

 

塚本訳 マタ 16:4

16:4 この悪い、神を忘れた時代の人は、徴をほしがる。しかしこの人たちには、ヨナの徴以外の徴は与えられない。」イエスは彼らをすてて立ち去られた。

 

新共同 ヨブ 38:33-34

38:33 天の法則を知り/その支配を地上に及ぼす者はお前か。

38:34 お前が雨雲に向かって声をあげれば/洪水がお前を包むだろうか

 

口語訳 ヨブ 42:5-6

42:5 わたしはあなたの事を耳で聞いていましたが、/今はわたしの目であなたを拝見いたします。

42:6 それでわたしはみずから恨み、/ちり灰の中で悔います」

 

文語訳 ロマ 8:18

8:18 われ思うに、今の時の苦難は、われらの上に顯れんとする榮光にくらぶるに足らず。

 

塚本訳ロマ 8:28

8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。

 

塚本訳黙  21:1,4

21:1 また私は新しい天と新しい地とを見た。初めの天と初めの地とは消え去ったのである。最早海も無い。

21:4 彼らの目から悉(ことごく)く涙を拭い取り給うであろう。最早死もなく、悲嘆(かなしみ)も叫喚(さけび)も疼痛(いたみ)も最早無いであろう。初めの(天と地にあった)ものが(すっかり)消え去ったからである。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
7月3日感話資料の一部 終わり

●昼前に室内温度34.5度C。扇風機では熱風が来るだけなので、氷をタオルに入れてビニールで包み、首に巻いて仕事。
●最近の気象は異常である。

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大震災は霊魂の救いへの警鐘 ++++++++ 所感

2011/06/28 10:04

110628(火)5時起床●朝の啓示、Morning Meditation。 Devotion。「大震災は最も大切な霊魂の救いへの警鐘」
次回7月3日の感話のタイトルと、結論を次のようにした。


次回7月3日の感話のタイトルと、結論
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
タイトル 

人の子来臨の前兆

     ・・・大震災は最も大切な「霊魂の救い」への覚醒警鐘・・・

結論

科学技術が神の祝福を失った場合の運命

・・・究極の「復興」は終末による新天新地の出現・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


次回7月3日の感話のタイトルと、結論。終わり
 
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あきる野の夏はトウモロコシ

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五日市線に沿って始まった「ひまわいプロジェクト」
わずかであるが放射能を吸収するらしい


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復活が分かるのは農業者 ++++++++ 所感

2011/06/27 09:57

110627(月)午前3時半目覚め。枕元で大貫隆著「イエスキリストの復活」の「はじめに」全14ページが面白くてその後眠れず5時起床。熟睡すれば睡眠時間は5時間え十分だ。●TSk日本語版ヨハネ●黒崎幸吉詩篇註解WEB版第60編の校正まとめと送信。

黒崎詩篇註解WEB版共働者2名にメール(一部訂正加筆)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

両兄

 

過日、大貫隆著「イエス・キリストの復活」(日本キリスト教団出版局、全390ページ。5400円)を購入したものを読みはじめましたが、

読み応えがあったのは「はじめに」の全14ページのみでした。ここに大貫先生の復活に関する「問題意識」が良く出ています。

残りの全ページは外人(ガイジン)17名と日本人14名の聖書学専門家(これが商売)および文学者5名(これも商売)の復活論で、頭が混乱するばかりでとても全部は読む気がしません。大貫先生は若い者に何とか聖書を分かってもらおうと努力されておられますが、(例・2010年「聖書の読み方」岩波新書)。

こんなに分厚くしかも頭が混乱する本を出版されるとは、逆に若者をますます「迷わす」以外のなにものでもありません。

こんなときにこそ内村、黒崎、塚本のようなゆるぎない直歳な「有体的復活」の信仰が必要です。(日本人のなかに内村、黒崎、塚本が入ってないのは致命的欠陥)

本書は390ページもありますが、黒崎先生に言わせればおそらく百分の一で単純率直に説かれると思います。
ただし外人の文献に関しては「基本命題」として要約があるのはありがたいです。

思うに復活の信仰は文字による解説では人は絶対に到達できないものと解します。

 

塚本訳ヨハ 5:39-40

5:39 あなた達は聖書(旧約)をもっていることが永遠の命を持っていることのように思って、それを研究している。ところがこの聖書は、(永遠の命である)このわたしのことを証明しているのに、

5:40 あなた達はその命を得るためわたしの所に来ようとしない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
黒崎詩篇註解WEB版共働者2名にメール(一部訂正加筆)おわり

●内村鑑三によれば復活がわかるのは聖書学者や神学者ではなく農業者だという。然りアーメン。●聖書研究や説教を「商売」とする人間でなくてよかった。感謝。この自由の信仰の立場はたとえローマ法王の地位とも取りかえられない●ルターは「悪魔が現れて、カタリーナ(夫人)と全ドイツと交換しようとささやいても、ナイン!。妻(カタリーナ)はたとえ全ドイとも交換できないと拒否する」と語った。


 有体的復活の使徒伝承

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同レベルのステージ ++++++++ 所感

2011/06/26 21:11

110626(日)5時起床●TSK日本語版ヨハネ●集会は茂木、土居(詩篇16篇)、横田(教会史)●14:00 妻の所属するコーラスモデラートの演奏会があきる野市役所であった。ステージと聴衆の席が同じレベルだったので心が通うよいコンサートであった。建築的に参考になった。 ●これ何事も同じと思った。教えると言うのは上から下ではなく、同じ位置に立たなければならない。同じ目線に立たなければならない。●聖書的には次の個所だ。

塚本訳ヘブ 5:2
5:2 彼は自分自身も(人間で、彼が代って犠牲を捧げる人々と同様、人としての)弱さを身に帯びているので、無知の人々、また(罪に)迷う人々を思いやることが出来るのである。

●これをTSKで調べて見よう。
 
塚本訳 Ⅰテモ1:13
1:13 かつては(神を)冒涜する者、迫害する者、また暴逆を行う者であったこの私を! しかしそれは信仰の無い時に知らずにしたことであったため、憐れみを蒙り、

塚本訳ルカ 22:32
22:32 しかしわたしはあなたのために、信仰がなくならないように祈っておいた。(だから一度信仰を失っても、またもどってくる。)もどってきたら、あなたが兄弟たちを強めてやってほしい。」

塚本訳Ⅱコリ11:30
11:30 (ああ、なんと弱い人間であろう!なんの誇りがわたしにあろう!)もし(使徒の権威を示すために)自慢せねばならないなら、わたしは自分の弱いことを自慢しよう。

塚本訳Ⅱコリ12:5
12:5 こんな人のことをわたしは自慢しよう。しかしわたし自身のことは、弱いこと以外は自慢するまい。

塚本訳 Ⅱコリ12:9-10
12:9 主は(その都度)言われた、「わたしの恩恵はあなたに十分だ。力は弱さの中に完成されるのだから。」、それでわたしはキリストの力がわたしに住みついてくださるように、大喜びで、むしろ(自分の)弱いことを自慢しよう。
12:10 それゆえわたしは弱いことを、虐待、艱難、また迫害と苦悩をうけることを、キリストの故に喜ぶ。わたしは弱い時には、(彼の力によってかえって)強いのであるから。

塚本訳  ガラ 4:13
4:13 いや、あなた達は知っている、最初わたしがあなた達に福音を伝えたのは、(わたしの)肉体の病気のためであった。

●人間として同じレベル。同じ目線というのは同じ苦難、同じ病気になった時に「どっと、同情の気持ちが湧く」。それまでは「説教」になるママである。●人間として最も苦しく辛いのは罪と死である。●イエスは罪人の一人になった。

新共同 イザ 53:12
53:12 それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし/彼は戦利品としておびただしい人を受ける。彼が自らをなげうち、死んで/罪人のひとりに数えられたからだ。多くの人の過ちを担い/背いた者のために執り成しをしたのは/この人であった。

●また、死の恐怖も味わった。

塚本訳 マタ 26:39-42
26:39 そしてなお少し(奥に)進んでいって、俯けに倒れ、祈って言われた、「お父様、出来ることなら、どうかこの杯がわたしの前を通りすぎますように。しかし、わたしの願いどおりでなく、お心のとおりになればよいのです。」
26:40 やがて弟子たちの所に来て、彼らが眠っているのを見ると、ペテロに言われる、「あなた達、そんなに、たった一時間もわたしと一しょに目を覚ましておられないのか。
26:41 目を覚まして、誘惑に陥らないように祈っていなさい。心ははやっても、体が弱いのだから。」
26:42 また二度目に向こうへ行って、祈られた、「お父様、どうしてもわたしが飲まねば通りすぎない杯ならば、どうかお心のままになさってください。」
 
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コーラス モデラート演奏会 於・あきる野市役所。妻は右から2番目


 有体的復活の使徒伝承

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慈しみはとこしえに ++++++++ 所感

2011/06/25 07:22

110625(土)5時起床●TSK日本語版ヨハネ●昨日の同窓会で50年ぶりに初めて顔を出した者がいた。半分ほどの人が誰だかわからなかった●50年。私も過ぎた日を返り見て思うに、神は総てをよくしてくださったと感謝の気持が湧く。詩篇136篇を思う。

新共同 詩  136:1-26
136:1 恵み深い主に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:2 神の中の神に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:3 主の中の主に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:4 ただひとり/驚くべき大きな御業を行う方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:5 英知をもって天を造った方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:6 大地を水の上に広げた方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:7 大きな光を造った方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:8 昼をつかさどる太陽を造った方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:9 夜をつかさどる月と星を造った方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:10 エジプトの初子を討った方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:11 イスラエルをそこから導き出した方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:12 力強い手と腕を伸ばして導き出した方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:13 葦の海を二つに分けた方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:14 イスラエルにその中を通らせた方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:15 ファラオとその軍勢を/葦の海に投げ込んだ方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:16 イスラエルの民に荒れ野を行かせた方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:17 強大な王たちを討った方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:18 力ある王たちを滅ぼした方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:19 アモリ人の王シホンを滅ぼした方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:20 バシャンの王オグを滅ぼした方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:21 彼らの土地を嗣業として与えた方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:22 僕イスラエルの嗣業とした方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:23 低くされたわたしたちを/御心に留めた方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:24 敵からわたしたちを奪い返した方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:25 すべて肉なるものに糧を与える方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
136:26 天にいます神に感謝せよ。慈しみはとこしえに。

●この詩を私に当てはめてみる。

●10~12節。罪と闇との奴隷状態のエジプトからキリスト教に引き出された。
●13~15節。建築現場、上尾、高崎、鴻巣、川越という肉体労働の紅海を渡り、本社の見積部n配属され、
●16~20節。様々な誘惑から守られ、教会から無教会に導かれ
●21~22節。主にある女性を紹介されて結婚し、よい信仰の先輩との出会いをを与えられ
●23~24節。貧しく低い生活、見る影もない者であった時に目を止めてくださり、子ども孫を与えられ
●25節。子育ての苦労、家屋全焼の苦労、脳出血の苦労の時もこれを御存じでいて下さり、助けられた。
●26節。そうだ、これらすべて「天にいます神」の導きなのだ。祝福だったのだ。感謝、感謝
        慈しみはとこしえに。(ヘブライ語ではただ3文字、キ・レオラム・カスドー)

●今の心境はパウロの次の言葉と一致する。

文語訳  ロマ 8:28
8:28 神を愛する者、すなはち御旨によりて召されたる者の爲には、凡てのこと相働きて益となるを我らは知る。

口語訳 ロマ 8:28
8:28 神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。

新改訳 ロマ 8:28
8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

新共同 ロマ 8:28
8:28 神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。

塚本訳  ロマ 8:28
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。

●ヒルティ「幸福論」第3巻。「わがなんじになさんとするは、驚くべき事なり」(出エジプト34:10)の最後の2行は次の通りである。「ついに君は、深く顧みて言うであろう、神はすべてをなし遂げ給うた、と」。これはヒルティが所属していた同胞教団・・ヘルンフート派、ピエティスムス、敬虔派の讃美歌から引用。私がドイツにいたらこの派に所属するであろう。松田智雄氏は一時ドイツ公使であったが、この派の集まりに出たら日本の無教会主義の集まりによく似ていたという。

●同じ本の中に「孫たちに幸あれ」がある。この結論は「孫は聖書へと導け」(白水社版330-332)である。世の親は子や孫を幸福にしようとして何をするかというと、経済安定、健康、高学歴、一流会社、良い結婚、社会的地位、長寿。子や孫に対しこれらすべてにおいて「人並み」か「人並み以上」であることを目指す。しかしそれで人間は真の満足を得られるかというと、そうではない。たとえ運よくこれらのいくつかを手に入れたとしても、肝心の心はカサカサなのだ。見よ金持ちが財産を失うまいとして戦々恐々とする様を。(建築設計をやっていてそれが良くわかった。)また長寿になろうとして必死に努力をする様を。人間はこれらのもので満足するような低級な生き物ではない。人間は本来的には神と交わる霊魂の持ち主である。人間は創り主である神と霊において交わる時に真に幸福である。私に肉の病を癒す医療技術はない。金がないので経済的援助は出来ない。語学が出来ないので聖書を十分に説く事はできない。人格がないので人を導けない。慕われない。

文語訳  使  3:6
3:6 ペテロ言ふ『金銀は我になし、然れど我に有るものを汝に與ふ、ナザレのイエス・キリストの名によりて歩め』

塚本訳  使  3:6
3:6 ペテロが言った、「金銀は持っていない。わたしの持っているもの、それをやろう。──ナザレ人イエス・キリストの名で歩きなさい!」

●「我に有るもの」、それは「有体的復活の使徒伝承。」罪と死の恐怖に悩み苦しむ人は私に聞け。「ナザレのイエス・キリストの名によりて歩め」!!。●孫達から「おジーちゃんて言う人は復活を固く信じて死んでいった人だ」と言われれば本望だ。これが「信仰の遺産」(岩下壮一)である。

●子供に神に祈ることを教えない親は、子供を禽獣に等しいものに育てているのと同じである。親は子供を霊的な者に育てないと動物的に育つ。●学校(ミッションスクールも!!)も教会学校も子どもに真の祈りをする人間に育てない。親の祈りによる神の祝福がその子どもに直接的に降らなければ孫子は祈る人間にはならないし聖書を読む人間にもなれない。 ●テレビドキュメンタリー大賞「密使、若泉敬、沖縄変換の代償」を見る。沖縄が核抜き本土並みで返還された裏には「米国が期限なしで沖縄に基地を置く」という密約(ニクソン、キッシンジャー、佐藤栄作、若泉敬の4名のサインあり)が発見された。若泉はそれを公表したが、外務省筋から無視された。これに失望した若泉は自殺。私の感想。この世の争いは実に空しい。また自殺をしたなどということも実に嘆かわしい。肉体は神からの借り物であるから自ら破棄してはいけない。●なってはならない仕事は政治家と新聞記者である。自己の人格を破壊しない限りその仕事をやっていけない。●15:00 妻は合唱の練習


有体的復活の使徒伝承

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主よ大変です。子供が病気で死にそうです。 ++++++++ 所感

2011/06/24 07:32

110624(金)5時起床●TSK日本語版ヨハネ●イエスは終末の苦しみの時には特に子を持つ母親を気の毒に思うと言った。それほど母親の子に対する心配と恐怖は深いものである。その温度差には大きいものがある。

塚本訳 マタ 24:18-20
24:18 畑におる者は上着を取りに『(家に)もどる』な。
24:19 それらの日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、ああかわいそうだ!
24:20 逃げるのが冬や安息日にならないように祈れ。

●子供を失った母親はだれからも慰められようとしない。私は一人息子を失った母親に取りすがられて号泣された経験をした。しかしその母親もすでに召された。

塚本訳 マタ 2:16-18
2:16 あとでヘロデは、博士たちに出し抜かれたことを知って非常に怒り、ベツレヘムをはじめ、その地方全体にいる男の子のうち、(前に)博士たちに確かめておいた時間で計算して、二歳以下の者を、一人のこらず殺させた。
2:17 その時、預言者エレミヤをもって言われた言葉が成就したのである。──
2:18 『声がラマに聞えた、──(ラケルの)』はげしい『わめきと、なげきの声である。ラケルはその子らのために泣くばかりで、慰められようとしない、子らがもういないので。』

●親としては子供や家人の病気ほど辛く苦しいことはない。そのためには人間は金や財産を使い果たしても救おうと思う。何を犠牲にしても救おうと思う。聖書にはその例がかなりある。 

塚本訳 ヨハ 4:46-49
4:46 それから、またガリラヤのカナに行かれた。そこは(前に)水を酒にされた所である。するとカペナウムに(ヘロデ・アンデパス)王の役人がいて、その息子が病気であった。
4:47 イエスがユダヤからガリラヤに来ておられると聞くと、イエスの所に行き、(カペナウムに)下ってきて息子を直してほしいと頼んだ。息子が死にそうだったのである
4:48 イエスは言われた、「あなた達は徴[奇蹟]と不思議なことを見なければ、決して信じない。」
4:49 王の役人が、「主よ、子供が死なないうちに(カペナウムに)下ってきてください」と言いつづけると、

塚本訳 ヨハ 11:17-21
11:17 さてイエスが(ベタニヤに)行って見られると、ラザロはもう四日も墓の中にあった。
11:18 ベタニヤはエルサレムの近くで、十五スタデオ(三キロ)ばかり離れていた。
11:19 マルタとマリヤの所には、大勢のユダヤ人がラザロの悔やみに来ていた。
11:20 マルタは、イエスが来られると聞くと出迎えにいったが、マリヤは家に坐っていた。
11:21 マルタがイエスに言った、「主よ、あなたがここにいてくださったら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。

塚本訳 マコ 5:22-23
5:22 するとヤイロという一人の礼拝堂監督が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏し、
5:23 しきりに願って言う、「わたしの小さな娘が死にかかっています。助かって命びろいをするように、どうか行って、手をのせてやってください。」 

塚本訳  マタ 8:5-6
8:5 カペナウムに帰られると、一人の百卒長がそばに来て願って
8:6 言った、「主よ、うちの下男が中風で家にねていて、ひどく苦しんでおります。……」

塚本訳 マタ 8:14-15
8:14 イエスはペテロの家に行って、その姑が熱病でねているのを御覧になった
8:15 その手におさわりになると、熱が取れ、彼女は起き上がってイエスをもてなした。

●これらの人間の心配と恐怖と悩みに対しイエスはどうされたか。奇蹟で直した場合と、「恐れるな復活がある」と言われた場合とがある。しかし奇蹟で直された場合は「黙っていろ」ということが多かった。イエスの言いたいことは「復活を信じろ」ということである。

塚本訳  ヨハ 11:25
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。

●「有体的復活の信仰」こそ人類の究極の悩み悲しみである死が癒される道である。そのことをイエスは次のようにいう。肉の治癒の奇蹟よりも復活の奇蹟への信仰である。

塚本訳 マタ 16:4
16:4 この悪い、神を忘れた時代の人は、徴をほしがる。しかしこの人たちには、ヨナの徴以外の徴は与えられない。」イエスは彼らをすてて立ち去られた。

塚本訳 マタ 12:39-40
12:39 彼らに答えられた、「この悪い、神を忘れた時代の人は、(信ずるのに)徴をほしがる。しかしこの人たちには、預言者ヨナの徴以外の徴は与えられない。
12:40 すなわち『ヨナが三日三晩大きな魚の腹の中にいた』ように、人の子(わたし)も三日三晩地の中におるのである。

●クリスチャンの死生観は次のようであるべきである。

塚本訳  マタ 10:28
10:28 体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。

塚本訳  マタ 6:26-27
6:26 空の鳥を見てごらん。まかず、刈らず、倉にしまいこむこともしないのに、天の父上はそれを養ってくださるのである。あなた達は鳥よりも、はるかに大切ではないのだろうか。
6:27 (だいいち、)あなた達のうちのだれかが、心配して寿命を一寸でも延ばすことが出来るのか。

●イエスは死に脅え、怖じまどう、信仰の薄い人間に次のように言う。クリスチャンは有体的復活を信ずる者である。「騒いではいけない。」 
●歴史的には来世の復活を信じる人の方が逆説的だが、この世に対して最もよい働きをする。なぜか。頭が聡明になるからである。この世中心の人は刹那的な助けをするが案外効果的なよい働きをしない。渇く者にこの世的な水を与えてもまたすぐ乾く。

塚本訳 ヨハ 14:1-2
14:1 『なんぢら心を騒がすな、神を信じ、また我を信ぜよ。
14:2 わが父の家には住處おほし、然らずば我かねて汝らに告げしならん。われ汝等のために處を備へに往く。

塚本訳 ヨハ 4:13-14
4:13 イエスは答えられた、「この(井戸の)水を飲む者はだれでもまた渇くが、
4:14 わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」

●12:00 東京工業大学付属工業高等学校建築学科同窓会。於・日本海庄屋東京駅八重洲口店。高校3年間同クラス35名のうち逝去5名。ほとんどが東京近郊の貧困家庭の子弟、●出席者14名は盛会。市原、伊藤、大坪、岡田、斉藤、笹谷、末富、鈴木(征志)、鈴木秀樹(50年ぶり)、橋、  富塚、林、山崎、渡辺。ハイライトは仙台から来た渡辺君の地震津波報告。67才か68才。ほとんどが年金生活。●次回幹事は鈴木秀樹、橋照男。2012年3月五十嵐先生一周忌、五十嵐先生夫人順子様をお迎えして本日と同じ場所に決定。●伊藤君からは震災の歌、富塚君からは日本共産党不破哲三の「科学の目で原発災害を考える」を頂く。帰途車中で読んだが原発事故がイデオロギーや政争の道具にされるのは良くない。
●年金の他に金にならなくても何か仕事をやった方がよいという意見があった。私の場合はそういう健康論ではなく、「使徒伝承」を行わなければならない。それを果たさなければ禍である。パウロは次のように言う。但し同窓会という「学校の縁」は福音伝承の地盤ではない。
 
口語訳 Ⅰコリ9:16
9:16 わたしが福音を宣べ伝えても、それは誇にはならない。なぜなら、わたしは、そうせずにはおれないからである。もし福音を宣べ伝えないなら、わたしはわざわいである。


新改訳 Ⅰコリ9:16
9:16 というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったら、私はわざわいに会います。


新共同 Ⅰコリ9:16
9:16 もっとも、わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません。そうせずにはいられないことだからです。福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです。


塚本訳 Ⅰコリ9:16
9:16 なぜなら、たとい福音を伝えたところで、わたしの誇りにはならない。なぜなら、(神に)強要されているのだから。なぜなら、もし福音を伝えないならわたしは禍だからである。


文語訳 Ⅰコリ9:16
9:16 われ福音を宣傳ふとも誇るべき所なし、巳むを得ざるなり。もし福音を宣傳へずば、我は禍害なるかな。

●15:30 教文館で大貫隆著「イエスキリストの復活」購入。(内外多数の聖書学者の復活論。あまり期待してない)●同じビル7階の聖書協会図書館へ行き、翻訳部の橋裕子さんに挨拶。同じ翻訳部の島先克臣氏と有体的復活論、再臨、万物の復興論を交わす。NTライトとかボーカムは完全に「有体的復活信仰」であると言う。私としてはクリスチャンは有体的復活の信仰が当たり前だと思うのだが・・・。島先氏は「有体的復活論者」。聖書協会の翻訳部の中枢にこのような方がおられるのは神の摂理であると思う。氏の小論考「内村鑑三の終末論」を頂く。感謝。

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11:30 猛暑。東京駅八重洲口、グランサウスタワー 。ドデカイ。これが倒壊するのは
「想定外」のことだが、東京直下型地震があっても揺れには強いが足元が地割れしたら
たまらない。科学技術の発展をするのはいけないが、神の存在は科学技術以上えあることを認識していなければならない。

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18:00 あきる野市に戻るとホッとする。自然は心を癒してくれる。都会に安らぎなし。
ただし、自然それ自身は人を救わない。スイス人のヒルティは世界中から大勢の人がスイスに観光に来るが、神への信仰なくして決して真の安らぎはないと警告を発している。海も自然の一つでるあるが、神により牙をむく凶器となる。 




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クリスチャンは信仰問題でのみ戦え ++++++++ 所感

2011/06/23 21:42

110623(木)5時半起床●TSK日本語版ヨハネ●次回感話の「終末の前兆」の内、マタイ24:12について、次のようにまとめた。福島原発も終末の予兆の一つであるが、これをめぐって争いがある。しかしそれは「この世の命」の心配が原因●その心配からは真の解決は生まれない。第一に祈りがない。●神なき世には祈りの力ということが通じない。●復活と永遠の命を信ずる者はこの世の人と同じようなあわて方をしてはいけない。永遠の生命の観点から冷静に行動すべきである。 

24:12 また(兄弟たちの間に)不法がふえるので、多くの人の愛が冷える。


●愛が冷えるとこの世の秩序をめぐって「あるべき姿論争」が起こる。夫対妻、雇用者対従業員、国家対個人、親対子、兄対弟、嫁対姑、教師対生徒、社会問題。

●不法問題は主人も奴隷も救われて「主にある者」となるときに初めて解決する。

●社会的不法問題や思想論争で争うことは信者の道ではない。しかし上に立つ権威(国家、主人、親)から棄教を迫られた場合には信者は絶対的に抵抗すべきである。

●棄教を迫られたが復活を信じ抜いて凱旋した人。ローマのポリカルプス、ヴィクトリア、仏のジャンヌダーク等々。信仰だけは譲れないという生き方が真の伝道。

 

塚本訳 Ⅰテモ6:2

6:2 また信者の主人をもつ奴隷は、主人が(主にある)兄弟であるからといって(これを)軽んぜず、むしろ却つて(熱心に)奉公しなくてはいけない。主人は信者で、神に愛される者であって、(凡ての人に、然り、奴隷にも)親切を尽くそうとしているのであるから。このことを教え且つ勧めよ。──

 

塚本訳 ロマ 13:1

13:1 人は皆上に立つ(国家の)官憲に服従せねばならない。神からではない官憲はなく、現存の官憲は(ことごとく)神から任命されたものであるから。

 

塚本訳 Ⅰペテ2:17-19

2:17 凡ての者を敬え、すなわち教友を愛し、『神を畏れ、王を』敬え

2:18 奴隷達よ、(神に対する)あらん限りの畏れをもって主人に服従せよ、ただ善い、優しい主人だけでなく、気難しい主人にも(快く服従せよ。)

2:19 もし人が(自分を奴隷としたのは)神(であること)を意識して苦痛を忍び、不当に苦しむならば、これは(神に)喜ばれることであるからである。

 

口語訳 Ⅰペテ2:12

2:12 異邦人の中にあって、りっぱな行いをしなさい。そうすれば、彼らは、あなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのりっぱなわざを見て、かえって、おとずれの日に神をあがめるようになろう。

 

塚本訳 エペ 5:22

5:22 妻達よ、主に対するように自分の夫に服従せよ

 

塚本訳 エペ 5:25

5:25 夫達よ、妻を愛せよ、キリストが教会を愛し、そのために自分を棄て給うたように。──


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死を恐れなかった泉治典氏 ++++++++ 所感

2011/06/22 10:54

110622(水)5時半起床●8:30 池谷医院へ市民検診●8:00妻はウィークデーの集いで今井館へ●昨夜、妻からの情報で無教会の泉治典氏が去る6月1日に召されたと聞く。(癌、82歳)●今朝、ご令息の泉守彦氏(無教会伝道者)にお悔みの電話。●すると「父は復活を固く信じていたので死を恐れなかった。」「神に召される時」が来たと思って淡々としていたので、多くの人に死を知らせなかったのだという。私の理想的な死に方だと思った。●クリスチャンはキリスト教的に華々しいことはできなくても、「死を恐れず」という死に方で死ぬことが最大の伝道である。これが大事業、大伝道である●守彦氏との会話で飛び交った言葉。「復活、聖霊、三位一体、神に召されるということ、外なる人は滅びても内なる人は日々新た。死は眠り、再臨で有体的に復活する・・・」 ●クリスチャンの死は明るい。前向きの希望に満ち満ちている●泉先生、万歳!。間もなく終末がきます。その時に再会です●泉治典氏は哲学者で、無教会独立伝道者、アウグスチヌス研究の第一人者、教会と無教会の対話の時の代表者、●1997年から始まったカイロス会(少人数の勉強会)で刺激を受けた。●「彼は時が来て神に召された」ということだけなのであってことさら人に知らせず、葬儀は内輪での密葬ということを守彦氏に指示したという。これは復活を信ずるクリスチャンにふさわしい葬儀の形式であると思った。●葬儀の時にだけワイワイ集まってお祭り騒ぎをするのは、本人が有体的復活を信じていなかった証明である。●クリスチャンの死はどこか初めて訪れる国にチョット旅に出かける事ぐらいの小さなことだ。「一足お先に」と言って出かけるようなものだ。 ●だから泉先生は。家人に「親しい人にも死を知らせてはいけない」と言ったのだ。これが先生の最大の信仰の証であった。●イエスが十字架を担いで歩く姿にイエスに愛された女性たちが「悲しみ嘆いた」。しかし、イエスは振り向いて言った。「エルサレムの娘よ、我が為に泣くな、ただ己がため、己が子のために泣け。」(文語)

口語訳 ルカ 23:26-28
23:26 彼らがイエスをひいてゆく途中、シモンというクレネ人が郊外から出てきたのを捕えて十字架を負わせ、それをになってイエスのあとから行かせた。
23:27 大ぜいの民衆と、悲しみ嘆いてやまない女たちの群れとが、イエスに従って行った。
23:28 イエスは女たちの方に振りむいて言われた、「エルサレムの娘たちよ、わたしのために泣くな。むしろ、あなたがた自身のため、また自分の子供たちのために泣くがよい。
 
●本日は夏至、しかも猛暑。現在室内気温32度C。扇風機のみ。パンツとシャツで忍耐、忍耐。節電のためにクーラーはつけない。(昨年はたまらず三日間稼動)。震災避難え体育館にいる人の苦労は並みではないだろう。
●以前に購入してあったDVDの「ジャンヌ・ダーク」を見た。1948公開のアカデミー賞受賞作。公開当時、私は小学生であって兄とこの映画を東京で見た。終了時に映画館の前で父が待っていてくれたことを記憶する。●なぜ今ジャンヌダークに注目するかというと、ヒルティの「幸福論」Ⅲに2回も出てくるからである。白水社版ヒルティ著作集P118と383。.ヒルティが注目するのは、彼女が火あぶりの刑を恐れて一旦は信仰を捨てるが、思い直して復活信仰を貫いて信仰の凱旋を遂げたことである。●彼女が神の導きを身に感じてフランスの旗を振りかざして「進め、突撃」と英国軍に立ち向かう姿に涙が流れた。もうひとつ英国側に捕らえられ、教会裁判になった時、火あぶりの刑を恐れる苦悩の姿はイエスのゲッセマネの祈りを思わされる。●火あぶりの刑になるとき、「十字架を下さい」というと、死刑執行の兵隊が木の枝で十字架をつくり、火刑用の薪の山を登って行くシーンと火がつけられて彼女が煙くて暑くて首を左右に振って苦しむシーンは今でも忘れられない。
●ヒルティ幸福論Ⅲの結語は次の言葉である。
「苦痛は瞬時にして、喜びは永遠である」。シラ―「オルレアンの乙女」(ジャンヌダークのこと)から引用。
●信者は「上に立つ権威」(ロマ書13章1節)から棄教を迫られた時には絶対にこれに服従してはならない。それ以下の社会的問題、思想的対決(民主主義など)などのつまらないことで命を落としてはいけない。それは相対化しなければならない。●この絶対的抵抗で死ぬ時に真の伝道が行われる。●18:30 妻から今日のウィークデーの集いの報告を聞く。
 
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今日の今井館ウィークデーの集いの為に家の紫陽花(あじさい)を切る妻。

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いかに美しく死ぬべきか ++++++++ 所感

2011/06/21 11:20

110621(火)5時起床、TSK日本語版ヨハネ●朝の黙想「かっこよく死ね」。人間どうせ死ぬなら「かっこよく」死んだ方がよい。どうすればかっこよく死ねるか。自分の欲望のために死ぬのではなく、他者の為、何かの為にすぬのがかっこいい死に方だ。●その点、現代の風潮は「豊かな老後で病気せず長寿で死ねば最高の幸福」という事になっていて、この人生目標に焦点が合わされる形で総ての人生目標が定まっている。一流校、一流企業、幸せな家庭、健康な身体、余裕の財産。しかしこれで人間満足しない。満足する人間はかなり低級。偉人でも作曲家でも優秀な人はみな早死にだ。●人間、馬齢を重ねてもちっとも幸福ではない。ぼけ老人になって周囲に迷惑をかけるだけだ●聖書の中に「かっこいい死に方」を示しているのは次の個所だ。

塚本訳 ヨハ 12:24
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)


塚本訳 マタ 26:39
26:39 そしてなお少し(奥に)進んでいって、俯けに倒れ、祈って言われた、「お父様、出来ることなら、どうかこの杯がわたしの前を通りすぎますように。しかし、わたしの願いどおりでなく、お心のとおりになればよいのです。」


塚本訳 マタ 27:46
27:46 三時ごろ、イエスは大声を出して『エリ エリ レマ サバクタニ!』と叫ばれた。これは『わたしの神様、わたしの神様、なぜ、わたしをお見捨てになりましたか!』である。


塚本訳 使 20:24
20:24 しかしわたしは、自分の走るべき道を走りおえて、主イエスから託された、神の恩恵をつたえる福音を証しする役目をはたすためなら、自分の命のことなど口にする値打もないと思う。

●この「使徒20:24」のパウロの言葉はすごい。これをTSKでメディテーションしてみよう。

塚本訳 使 21:13
21:13 その時パウロは答えた、「あなた達は泣いて、わたしの心をくじいて、どうしようというのか。わたしは主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることはもちろん、死ぬことさえも覚悟しているのだ。」

塚本訳  ヨハ 3:16
3:16 そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである。

塚本訳  ロマ 8:38-39
8:38 なぜなら、わたしは確信している、死でも命でも、天使でも支配(天使)でも、現在起こっていることでも将来起こることでも、権力(天使)でも、
8:39 高い所のものでも低い所のものでも、その他どんな創造物でも、わたし達の主キリスト・イエスによる神の愛から、わたし達を引き離すことはできない。

塚本訳  エペ 3:13
3:13 だからどうか君達のために私の受ける(種々な)患難に気を落とさぬように。この患難こそ(実は)君達の光栄(のため)である。

塚本訳 ヘブ 12:2
12:2 (かの)信仰の創始者また完成者であるイエスを見上げて!彼は自分の前にある喜びを捨て、恥をもいとわず十字架を耐え忍んで、(いまや)神の御座の『右に坐られているのである』。

塚本訳  Ⅱコリ5:8
5:8 それで、わたし達は心強くはあるけれども、むしろこの体を離れて別居し、主の所に同居したいと望んでいる。

塚本訳  ピリ 2:17
2:17 否、(ただに苦労だけでなく、)たとい私が君達の信仰を供え物として(神に)献ぐる時(潅奠としてそれに)血をも注がねばならぬとしても、私は喜ぶ。君達皆と共に喜ぶ。

塚本訳  Ⅰヨハ3:16
3:16 (神の子である)キリストがわたし達のために命を捨てられた(その)ことで、わたし達は(はじめて)愛を知った。だからわたし達も兄弟のために命をすてねばならない。

塚本訳 黙 12:11
12:11 (然り、今や)彼ら(兄弟達)は仔羊の血により、また彼らの(立てた)証明の言によって、彼に勝ったのである。──彼らは死に至るまで(羊のために戦い、少しも)自分の生命を愛しなかった。

塚本訳  ヨハ 17:4
17:4 わたしは、わたしにさせようとして賜わりました仕事を成しとげて、地上にあなたの栄光をあらわしました。

塚本訳  Ⅱテモ4:6-8
4:6 もう(直に)私は(犠牲の)血を注ぐのであって、別離の時は迫った。──
4:7 ああ、善い戦いを戦った、競争を終わった、忠誠を守った。
4:8 今や(ただ)義の冠が私を待っている(だけである)。かの日、義しい審判者である主は、私に、(否、)私だけでなくその顕現を待ち焦れた凡ての人に、これを賜うであろう。

塚本訳  ロマ 9:3
9:3 ほんとうに、兄弟すなわち血を分けた同胞の(救われる)ためならば、このわたしは呪われて、救世主(の救い)から離れ落ちてもよいと、幾たび(神に)願ったことであろう。

塚本訳 ガラ 3:13
3:13 キリストはわたし達(ユダヤ人)のために(十字架にかけられ、みずから)呪となって、わたし達を律法の呪から贖い出してくださった。『木にかけられる者はみな呪われている』と書いてある。

●人生で最もかっこいい死に方は神の為に(戦時中なら、「お国のために」)犠牲の血を注ぐことなのだ。間違っても金や思想的真理や主義主張の為に死ぬことはできない。国の為にも死ねない。●「いかに生きるべきか」の指導書は掃いて捨てる程ある。しかし真に大切なことは「いかに美しく死ぬべきか」である。●暑いので扇風機をだした。パソコンと顔に当たる位置に置いた。パソコンは長持ちさせるため。●16:00 妻は月本昭男先生の「旧約講義」を受けるために新宿に向かう。帰宅は21:30予定。 

 

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奥さんを大切にしてください ++++++++ 所感

2011/06/20 21:14

110620(月)5時起床●8:00出発●11:00目黒の黒田隆さん(89歳)を訪問。歩行困難。外出は車椅子。一昨年御夫人を亡くされてから急にお弱りになられた。「橋君。くれぐれも奥さんを大切にしてください」との言葉には重みがあった。復活の話し。シベリヤ抑留で目の前で自殺した人が二人いたこと.知性の高い人ほど自殺願望が強いこと。この肉体は神から頂いている言わば借家だから自殺は器物破損の罪であること。などなど話は尽きなかった。●黒田さんから「有体的復活の告知は私(橋)から聞いた最大の事である」と言われたので、私の使命は結局ここにだけあると思った。讃美歌502番「世にある限り君の栄えと愛しみとを語り伝えん」●もう外に出歩けないからと言ってキャノン製の高級カメラと望遠レンズ、広角レンズ、それに三脚を下さった。●15:00昭和女子大教授室で生徒のKMに卒論の指導。経営企画、企画コスト、コストプラン、積算に興味がある。有望株。話し合いの結果「建築プロジェクトにおけるコスト認識の重要性」を卒論のテーマとした。これを研究すれば就職はまず心配ない●参考にするようにと渡した「JBCI」(ジャパン・ビルディング・コスト・インフォメーション・・・私が建設物価にいた時、心血を注いで立ちあげたもの)に対して非常に興味を示した。●このことにピンと来るものがあった。物の本質は専門家ではなく素人が洞察するものだと。聖書の本質は聖書の専門家ではなく、素人によって洞察される。●16:30環境デザイン学科会議。一般の女子大でありながら、これだけ建築学に力を入れているのは非凡である。昭和女子大の就職率順位は第二位。しかし「お嫁さんにしたい学生がたくさんいる女子大順位で三位以内」。この方が栄誉ある事だ。人間を学力で順位付けすることはよくない。頭でっかちの女性は常にナマイキで魅力はない。女性の資質に欠ける●帰宅すると父の日のための「心」が届いていた。感謝。

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無教会主義はエクレシアか ++++++++ 所感

2011/06/19 06:59

110619(日)5時半起床●朝の啓示「無教会主義はエクyレシアか」●TSK日本語版ヨハネ●朝の啓示に関する聖句


Ⅰコリ 6: 18 [塚本訳

不品行から逃げよ。人のおかすどんな罪も、体の外にある。しかし不品行をする者は、自分の体、(キリストの体、神のお宮)に対して罪を犯すのである。

Ⅰコリ 12: 27 [塚本訳

(同じことをあなた達についても言うことが出来る。)あなた達はキリストの体であり、ひとりびとりとしては器官である。

エペ 4: 12 [塚本訳

これは(キリストに対する)奉仕の務めを果たし得るよう聖徒達を準備し、かくしてキリストの体(なる教会)が建て上げられんためである。

エペ 4: 17 [塚本訳

(かく君達はキリストの体を建てねばならないの)だから、(今)私は主にあってこのことを言いまた厳命する──君達は最早、異教人が空っぽの考えで歩いているように歩いてはならない。

塚本訳 Ⅰペテ2:5
2:5 そして君達自身も(主と同じく)活きた石として建てられて、霊の家となれ。これは君達が聖い祭司として、イエス・キリストによって神の御意に適う霊の供物を献げるためである。


塚本訳 コロ 1:24
1:24 今私は君達のために苦しむことを喜びとし、またキリスト・イエスの体なる教会のために私の体でキリストの患難の不足を補っている。


塚本訳 ガラ 4:19
4:19 わたしの子供たちよ、あなた達の中にキリストが形づくられるまで、わたしはもう一度産みの苦しみをしている。 
  
塚本訳 ヘブ 3:6
3:6 キリストは『神の家』の御子として忠実であった。そして(キリストを信ずる)わたし達は、そのキリストの家(の者)である。もしわたし達が(大胆な)信頼と、希望の誇りとを最後まで堅く守っているならば。


塚本訳  エペ 2:19-22
2:19 だから、君達は最早余所の人でも居候でもなく、聖徒と同じ(天上の)市民また神の家族であり、
2:20 使徒と預言者なる土台の上に築き上げられた建物であって、キリスト・イエス御自身がその『首石』である。
2:21 そして建物全体は彼において(しっかり)つなぎ合わされて成長し、主に在る聖なる宮となるのであって、
2:22 君達も彼において一緒に建て合わされ、神の霊の御住居となるのである。


塚本訳 Ⅰコリ3:6
3:6 ──わたしは植えた、アポロは水をやった、しかし神がこれまで成長させてくださった。

塚本訳  ルカ 17:21
17:21 また『そら、ここに(ある)』とか、『かしこに(ある)』とか言うことも出来ない。神の国はあっと言う間に、あなた達の間にあらわれるのだから。」

●以上のことから、霊に生まれた信者はそれだけで天の教会、天の教派に属するので、地上の物理的塊としての教会や教派には固定されない。無教会者は天のエクレシアに所属する者である。

●集会は高木、丹野、村上●14:00 高橋三郎先生召天一周年記念会。於・今井館。多くの方々にお会いした。

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 高橋三郎先生召天一周年記念会。於・今井館。講演者の一人、助川暢先生(独立学園)と

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出会いの不思議 ++++++++ 所感

2011/06/18 19:51

110618(土)5時起床●TSK日本語版ヨハネ●朝の黙想「出会いの不思議」。WEB黒崎新約聖書註解の主要メンバー3人は一度も三者が一度に顔を合わせたことがない。一人はシドニー、一人は福島、一人は東京。それで「無教会史に残る大事業」と言われる程のものが僅か2年間で完成した。奇蹟と言うほかはない。●また3人以外に多数の援助者がいたが、その方々の多くとも会っていない。しかし霊において一致していたからご協力いただけたのだ。●主の霊にある時「決定は早い」。

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●ここで特筆すべきことは神の霊によって導かれる時、議論をしなくてもスムーズに事は運ぶと言うことである●この三名は今後とも永久に会うことがないかもしれない。この不思議な現象は何か。天において一致しているのである。霊において一致しているのである。肉における集会の様はそれぞれ違うが霊によって一致している。これが本当に無教会(無教派)主義である。三名の出会いは不思議であったが、霊において一致していたのである。●作業の交信手段はメールであったが、パウロの場合は手紙であった。パウロも手紙の相手に一度も会わなかったケースが多かったであおう。しかし霊において一致していた。霊において交流で来ていた。●エクレシアとは主にある不思議な出会いで構築されている。

 口語訳 Ⅰペテ2:5
2:5 この主のみもとにきて、あなたがたも、それぞれ生ける石となって、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司となって、イエス・キリストにより、神によろこばれる霊のいけにえを、ささげなさい。

口語訳 ヘブ 3:6
3:6 キリストは御子として、神の家を治めるのに忠実であられたのである。もしわたしたちが、望みの確信と誇とを最後までしっかりと持ち続けるなら、わたしたちは神の家なのである

●15:00。地元あきる野市の単立あきる野集会(教会)で韓国人歌手ビョン・ホギルさんの讃美歌コンサートがあった。歌の合間のトーク。「オペラ歌手であったが、心筋梗塞で死ぬ寸前の時に、もしこの病気を直してくださったら、あなたのこときり歌いませんと必至で祈ったら奇蹟的に直った」。「見舞いに来た劇団四季の主役女性(佐渡寧子)は「うつ病」であったが、自分が大病だったのに直ってあまりにニコニコしているのに感動。何回か見舞いに来ているうちに「うつ病」が直ってしまった。これが縁で彼女と結婚した」「自分は韓国人だが、米国にいても日本にいても自分の本当の国籍は天にあるのだと思うと楽になる」●この最後の言葉に感動したので帰り際に出口でそのことを伝えて固く握手した。●ビョン・ホギルさんは去る6月4日の倉石真君の結婚式後のコンサートでも歌った。


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韓国人歌手、ビョン・ホギルさんの讃美歌コンサート。自分は韓国人であるが、生活は日本。しかし国籍は天にあると思うと
心が楽になる。と話された。これが真の世界平和の基礎である。

●芝浦工業会から依頼されて、本年2月に逝去された五十嵐永吉先生を忍ぶ文文章を書いた。

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愛が冷える時 ++++++++ 所感

2011/06/17 11:30

110617(金)6時起床●TSK日本語版ヨハネ●次回感話(7月3日)は「人の子来臨の前兆」マタイ24:1-14.●今回の大震災は聖書の終末預言の所をよく分からせてくれた。ちょうど良い時に聖書の個所がぶつかった。●終末の前兆は、天災としての自然的大災害(飢饉や地震津波)や人災としての戦争や科学技術の事故のほかに、キリストの弟子達に大苦難が臨むという特異現象が起こる。 ●また人間間に「愛が冷える」。その個所を次のようにまとめた。

24:12 また(兄弟たちの間に)不法がふえるので、多くの人の愛が冷える。


●主従関係に愛が冷えると争いが起こる。夫対妻、雇用者対従業員、国家対個人、親対子、兄対弟、嫁対姑、嫁対舅、嫁対小姑、親戚同士、教師対生徒、信者対信者。

●上に立つ権威(国家、企業、主人、親)と個の関係は常に「上に立つ人間が悪い時にはどうすべきか」という問題に悩む。ここに特に信者の悩みと十字架がある。

●この問題は主人も仕える者も同じ主であるキリストに従う時に初めて解決する。

 

塚本訳 Ⅰテモ6:2

6:2 また信者の主人をもつ奴隷は、主人が(主にある)兄弟であるからといって(これを)軽んぜず、むしろ却つて(熱心に)奉公しなくてはいけない。主人は信者で、神に愛される者であって、(凡ての人に、然り、奴隷にも)親切を尽くそうとしているのであるから。このことを教え且つ勧めよ。──

 

塚本訳 ロマ 13:1

13:1 人は皆上に立つ(国家の)官憲に服従せねばならない。神からではない官憲はなく、現存の官憲は(ことごとく)神から任命されたものであるから。

 

塚本訳 Ⅰペテ2:17-19

2:17 凡ての者を敬え、すなわち教友を愛し、『神を畏れ、王を』敬え

2:18 奴隷達よ、(神に対する)あらん限りの畏れをもって主人に服従せよ、ただ善い、優しい主人だけでなく、気難しい主人にも(快く服従せよ。)

2:19 もし人が(自分を奴隷としたのは)神(であること)を意識して苦痛を忍び、不当に苦しむならば、これは(神に)喜ばれることであるからである。

 

口語訳 Ⅰペテ2:12

2:12 異邦人の中にあって、りっぱな行いをしなさい。そうすれば、彼らは、あなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのりっぱなわざを見て、かえって、おとずれの日に神をあがめるようになろう。

 

塚本訳 エペ 5:22

5:22 妻達よ、主に対するように自分の夫に服従せよ

 

塚本訳 エペ 5:25

5:25 夫達よ、妻を愛せよ、キリストが教会を愛し、そのために自分を棄て給うたように。──

 

塚本訳ピレ 1:16

1:16 もはや奴隷としてでなく、奴隷以上、愛する兄弟として。彼はわたしにとって、とくに愛する兄弟である。またあなたにとっては、肉においても、主においても、なおさらのことである。

 

塚本訳Ⅰヨハ3:16

3:16 (神の子である)キリストがわたし達のために命を捨てられた(その)ことで、わたし達は(はじめて)愛を知った。だからわたし達も兄弟のために命をすてねばならない。


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「去る」という美学 ++++++++ 所感

2011/06/16 08:42

110616(木)6時起床●朝の黙想「『去る』という美学」●イエスは、この地、この人がダメだと思ったら頑張ったり無理をしないでさっさと「去った」、「逃げた」。その例を見てみよう。
 
●先ずJバイブルで「去」をヒットする。実にイエスの人生は「去る」人生であった。頑張って逆襲したり攻撃をしなかった。普通道徳は「ガンバれ、ねばれ、がまん、忍耐」であるが、神の道は「逃げる」「去る」方法が王道である、敗北ではない。美学である。賢い道、美しい道である。名誉ある撤退である。イエスは未練なく後ろを振り返らなかった。

マタ 4: 13 [塚本訳

それから(間もなく)ナザレを去って、(昔)ゼブルン(族)とナフタリ(族)との(領地であった)地方にある、(ガリラヤ)湖畔の(町)カペナウムに行って住まれた。

マタ 11: 1 [塚本訳

イエスは十二人の弟子に指図を終えられると、町々で教えまた(福音を)説くために、そこを去られた。

マタ 12: 9 [塚本訳

そこを去って、(ある安息日に)礼拝堂に入られた。

マタ 13: 53 [塚本訳

イエスはこれらの譬を終えると、そこを去り、

マタ 15: 29 [塚本訳

それからイエスはそこを去って、ガリラヤ湖のほとりにかえり、山に上ってそこに坐られた。

マタ 16: 4 [塚本訳

この悪い、神を忘れた時代の人は、徴をほしがる。しかしこの人たちには、ヨナの徴以外の徴は与えられない。」イエスは彼らをすてて立ち去られた。

マタ 19: 1 [塚本訳

イエスはこれらの話を終えると、ガリラヤを去り、ヨルダン川の向こうのユダヤ(人の住むペレヤ)地方に行かれた。

マタ 19: 15 [塚本訳

それから子供たち(の頭)に手をのせて祝福したのち、そこを去られた。

マコ 6: 1 [塚本訳

そこを去って郷里(ナザレ)に行かれた。弟子たちもついて行った。

マコ 8: 13 [塚本訳

イエスは彼らを(そこに)のこし、また(舟に)乗って向う岸へ立ち去られた。

マコ 9: 30 [塚本訳

一行は(エルサレムに上るため)そこを去って、ガリラヤを通った。しかしイエスは(この旅行が)人に知られることを好まれなかった。

ヨハ 3: 22 [塚本訳

そののち、イエスは弟子たちと(エルサレムを去って)ユダヤの地方に行き、一しょにそこに滞在して、洗礼を授けておられた。

ヨハ 4: 3 [塚本訳

(パリサイ人との衝突をさけるため)ユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。

ヨハ 4: 43 [塚本訳

二日ののち、そこを去ってガリラヤへ向かわれた。

ヨハ 5: 13 [塚本訳

しかしいやされた人は、それがだれか知らなかった。大勢の人がその場所にいたので、イエスは(そっと)立ち去られたのであった。

ヨハ 11: 54 [塚本訳

それでイエスは、もはや公然とユダヤ人の中を歩きまわることをせず、そこを去って荒野に近い地方のエフライムという町に行き、弟子たちと一しょにそこにおられた。

ヨハ 12: 36 [塚本訳

光のある間に光を信じて、光の子になりなさい。」、こう話すと、イエスは(そこを)立ち去って、彼らから姿をお隠しになった。(イエスの伝道はこれで終ったのである。)

ヨハ 14: 26 [塚本訳

(わたしが去ったあとで、)父上がわたしの名で遣わされる弁護者、すなわち聖霊が、あなた達にすべてのことを教え、またわたしが言ったことをすべて思い出させるであろう。

ヨハ 16: 28 [塚本訳

(くりかえして言う、)わたしは父上のところから出てこの世に来たが、またこの世を去って父上の所にかえるのである。」


●次に同じく「Jバイブル」で「逃げる」というものを調べてみよう。実にイエスは母の胸にあるときからあちこちに逃げ続ける人生であった。放浪の人生であった。G・タイセンはイエスを「放浪のラディカリスト」と言った。今様に言えばホームレスであった。「狐にはねぐらがあるが人の子には枕するところがない」と言った。そして最後は「エリエリ」と叫んでこの世を去って行かれた。この世から追われたのである。

マタ   2: 13 [塚本訳

博士たちが帰ってゆくと、見よ、主の使いが(また)夢でヨセフに現われて言った、「起きて幼児とその母とを連れてエジプトに逃げ、わたしが言うまでそこにおれ。ヘロデがその幼児をさがして殺そうともくろんでいるから。」

マタ   8: 20 [塚本訳

イエスはその人に言われる、「狐には穴がある、空の鳥には巣がある。しかし人の子(わたし)には枕する所がない。(その覚悟があるか。)」

●この人には今は福音を説いても無理だ、とても手に負えない人物だと直感したら「深追い」はしないでその人に神が働かれる日の来ることを祈りつつ、祝福しつつ、ジェントリーに去るべきだ。これ神に名誉を帰する「名誉ある撤退」である。負け戦(いくさ)ではない。神が徹底的に逆襲して相手を救って下さる。この世で駄目なら来世で確実に。  

マタ   10: 14 [塚本訳

しかし人があなた達を歓迎せず、あなた達の言葉に耳をかたむけないなら、(すぐ)その家なり町なりを(出てゆけ。そして)出てゆくとき、(縁を切った証拠に)足の埃を払いおとせ。

マコ   6: 11 [塚本訳

しかしある所で、あなた達を歓迎せず、言うことに耳をかたむけないなら、(すぐその土地を出てゆけ。そして)そこを出てゆくとき、(縁を切ったことを)そこの人々に証明するため、足の裏の埃を払いおとせ。」

塚本訳 マタ 13:10-13
13:10 弟子たちが進み寄って、「あの人たちにはなぜ譬をもって話をされますか」とたずねると、
13:11 答えられた、「あなた達(内輪の者)には、天の国の秘密をさとる力が授けられている(のでありのままに話す)が、あの(外の)人たちには授けられていないのだ。
13:12 だれでも持っている人は(さらに)与えられてあり余るが、持たぬ人は、持っているものまでも取り上げられるのである。
13:13 だから、あの人たちには譬をもって話すのである。『見ても見えず、聞いても聞えず、また悟らない』からだ。

塚本訳 マタ 16:3-4
16:3 また朝早く、『きょうは荒れだ、空が雲って焼けているから』と言う。あなた達は空の模様を見分けることを知っていながら、時の(せまった)徴を見分けることが出来ないのか。
16:4 この悪い、神を忘れた時代の人は、徴をほしがる。しかしこの人たちには、ヨナの徴以外の徴は与えられない。」イエスは彼らをすてて立ち去られた。
 

塚本訳  使  18:6
18:6 しかしユダヤ人にはこれに反対して(イエスを)冒涜するので、パウロは(絶縁のしるしに)上着の塵を払いおとして彼らに言った、「(最後の裁きの日に流す)あなた達の血の責任は、あなた達自身に負わされる!わたしは良心の咎めなく(あなた達をすてて、)今からのち異教人へ(伝道に)行く。」


●イエスを捨てて、立ち去った人は弟子を始め多くあった。しかり最後は神にも捨てられたのだ。

マタ   26: 56 [塚本訳

しかしこれはみな、(救世主は罪人のようにあつかわれるという)預言者たちの聖書の言葉が成就するためにおこったのである。」その時弟子たちは皆イエスをすてて逃げた。

マコ   14: 50 [塚本訳

一人のこらずイエスをすてて逃げた。

マコ   14: 52 [塚本訳

亜麻布を(人々の手に)残して裸で逃げていった。

マコ   16: 8 [塚本訳

女たちは墓から逃げ出した。びっくりして震えあがったのである。そしてだれにも何も言わなかった、恐ろしかったので。……

マタ   19: 22 [塚本訳

青年はこの言葉を聞き、悲しそうにして立ち去った。大資産家であったのである。

マタ   22: 22 [塚本訳

彼らは聞いて驚き、イエスをそのままにして立ち去った。

マタ   26: 26 [塚本訳

(ユダが立ち去ったあと、)彼らが食事をしているとき、イエスは(いつものように)パンを(手に)取り、(神を)賛美して裂き、弟子たちに渡して言われた、「取って食べなさい、これはわたしの体である。」

マタ   27: 60 [塚本訳

岩に掘らせた自分の新しい墓にそれを納め、墓の入口に大きな石をころがしておいて、立ち去った。

マコ   10: 22 [塚本訳

彼はこの言葉に顔をくもらせ、悲しそうにして立ち去った。大資産家であったのである。

マコ   12: 12 [塚本訳

彼らはイエスが自分たちに当て付けてこの譬を言われたことを知ったので、(怒って)イエスを捕えようと思ったが、民衆(が騒ぎ出すの)を恐れた。それで、イエスをそのままにして立ち去った。

マコ   14: 22 [塚本訳

(ユダが立ち去ったあと、)彼らが食事をしているとき、イエスは(いつものように)パンを(手に)取り、(神を)讃美して裂き、弟子たちに渡して言われた、「取りなさい、これはわたしの体である。」(皆がそれを受け取って食べた。)

塚本訳マタ 27:46
27:46 三時ごろ、イエスは大声を出して『エリ エリ レマ サバクタニ!』と叫ばれた。これは『わたしの神様、わたしの神様、なぜ、わたしをお見捨てになりましたか!』である。

●I SHALL RETURN
第二次世界大戦で、米軍総司令官マッカーサーがフィリッピンを撤退する時に言った言葉は「I SHALL RETURN」(絶対に戻ってくる)であった。人生ではやむなく一時的にく撤退しなければならない時が来る。イエスは死が近づいたとき嘆き悲しむ弟子に向かって言った。「わたしはもう一度あなた達に会う」と。これは復活のことを言ったのだ。事実その通りイエスは有体的に復活して戻ってきた。ハレルヤ。

塚本訳  ヨハ 16:20-22
16:20 アーメン、アーメン、わたしは言う、(わたしがいなくなると)あなた達は泣いて悲嘆にくれるが、この世は喜ぶであろう。あなた達は悲しむが、その悲しみは(やがて)喜びにかわるであろう。
16:21 女が子を産む時には、女の(宿命の)時が到来したので悲しみがあるけれども、子が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはや(お産の)苦しみを覚えていない。
16:22 だから、(同じく)あなた達にも今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなた達に会うのだから、(その時)あなた達の心は喜ぶであろう。そしてあなた達からその喜びを奪う者はだれもない。
 
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ピアノの調律に田岡雄民氏(無教会渋谷集会。子供会校長)が茨城県から3時間かけて来訪。ピアノの中にネズミの糞があるのを発見してくれて、妻も私もびっくり。
夕食を共に震災に関する懇談。死後の復活を信じている我々は幸福だと言うことで一致。



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有体的復活と建物との関係 ++++++++ 所感

2011/06/15 16:06

110615(水)6時起床●朝の黙想「有体的復活と建物」●かって某医師から「有体的復活と職業である建物との関係をライフワークとして論文を書いて下さい」と言われたことがある。これは実に光栄なライフワークである。●そこでそれに関連する聖書の感想を書く。

塚本訳 ピリ 2:6-8
2:6 彼は(先には)神の姿であり給うたが、神と等しくあることを棄て難いことと思わず、
2:7 かえって自分を空しうして人と同じ形になり、奴隷の姿を取り給うたのである。そして人の様で現れた彼は、
2:8 自ら謙り、死に至るまで、(然り、)十字架の死に至るまで(父なる神に)従順であり給うた。

●これは読み人知らずの初代教会の讃美歌である。この中にキリスト教の凡てが含まれている。見えない神の性質が見える形になった。建築も頭の中の思想が見える形になるのである。グノーシスは異端である。キリスト教の敵はローマ帝国ではなく、グノーシスであった。4福音書は対グノーシス対策であったとも言われる。イエスはガリラヤ湖のほとりに足跡を残されたのである。

塚本訳  Ⅰペテ2:4-5
2:4 彼は人からは(役に立たぬと)棄てられたが、神の前では、『選ばれた尊い』活きた『石』(である。)
2:5 そして君達自身も(主と同じく)活きた石として建てられて、霊の家となれ。これは君達が聖い祭司として、イエス・キリストによって神の御意に適う霊の供物を献げるためである。

●「霊の家となれ」。この言葉に教会論の本質が含まれている


塚本訳  エペ 2:19-22
2:19 だから、君達は最早余所の人でも居候でもなく、聖徒と同じ(天上の)市民また神の家族であり、
2:20 使徒と預言者なる土台の上に築き上げられた建物であって、キリスト・イエス御自身がその『首石』である
2:21 そして建物全体は彼において(しっかり)つなぎ合わされて成長し、主に在る聖なる宮となるのであって、
2:22 君達も彼において一緒に建て合わされ、神の霊の御住居となるのである


●ここでも「神の霊の住居」と言う言葉がある。物理的建物としての教会はあっても中味である霊の人間が居なければ教会ではない。


塚本訳  Ⅱコリ6:16
6:16 神の宮が偶像となんの一致があろう。わたし達はたしかに生ける神の宮である。神がこう仰せられた。──『わたしは彼らの間に住みまた歩むであろう、わたしは彼らの神になり、彼らはわたしの民になる』

●「私達は神の宮」とは重大である。変な事はできない。

塚本訳 Ⅰコリ6:15-16
6:15 あなた達は知らないのか、あなた達の体は(すでに)キリストの器官であることを。(もちろん、知っているはずだ。)では、わたしはキリストの器官(であるこのわたしの体)を取って、遊女の器官にしてよいだろうか。もっての外だ。
6:16 それとも、遊女に結びつく者はそれと一つの体であることを、あなた達は知らないのか。『二人は一体となる』と(聖書は)言うではないか。

●神の宮としての自分にはプライドがあって、遊女とは一体になれない。これは遊女の誘惑に打ち勝つ「人間的頑張り」の言葉である。


塚本訳 Ⅰコリ3:16
3:16 (とにかく、)あなたは達は神のお宮であり、神の霊があなた達の中に住んでいてくださることを、あなた達は知らないのか。

エクレシア論はこの一句でよい。エクレシアが物理的衣としての教会堂を保有するのはよいが、中味がなくなると教会では無くなる。無教会はその中味だけで生きてきたはずだが、その中味が無くなると、惨めである。外がわがないことは中味があるということにはならない。無教会は建物もなく中味もないと自然消滅する。●現に伝道者が高齢になって伝道や集会を「ヤ―メタ」というのが九州の某地にある。これでは「神の教会が泣く。●内村鑑三が現役であったときは霊があったが、死ぬと内村の「思想」だけが、残骸のように残る。内村研究とは大脳皮質による内村の思想研究になっている。だから新生命生み出せない。 

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小寺利男様来訪。小寺利男篇「塚本虎二 エペソ書講演」の編集相談。妻が撮影。
聖霊が降れば先生亡くとも真理は生きて働く。
 


 有体的復活の使徒伝承

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神を忘れた時代の科学技術 ++++++++ 所感

2011/06/14 08:53

110614(火96時起床●朝の啓示「神を知らない科学技術の運命」●8:00妻は知人と高水三山に小登山●原発はなぜいけないのかをしきりに考えていたが、今朝その明快な答えが与えられた。それは簡単な事である。「神に背いた人間の科学技術の運命」だからこうなるのは当然である。●本日、イタリアの国民投票で原発反対が94%と圧倒的。イタリアは今後原発をやめて自然エネルギーにするという●問題はこの反対の理由がただ危険だからという理由ならば、弱い。その論理で行くと飛行機にも乗れず高層ビルも建築できない。科学技術の全否定になってしまう。●そうではない。神に祝福された科学技術でなければならないのだ。祈りのうちに発明発見する科学技術でなければならない。単なるヒューマニズムであってもいけない。それは人間中心の思想だからである。●この聖書的根拠と感想を述べる。 

天からの徴
塚本訳  マタ 16:1-4
16:1 するとパリサイ人とサドカイ人とが来て、イエスを試そうとして、(神の子である証拠に)天からの(不思議な)徴を示すようにと頼んだ。
16:2 彼らに答えられた、「あなた達は夕方には『(明日は)天気だ、空が焼けているから』と言い、
16:3 また朝早く、『きょうは荒れだ、空が雲って焼けているから』と言う。あなた達は空の模様を見分けることを知っていながら、時の(せまった)徴を見分けることが出来ないのか。
16:4 この悪い、神を忘れた時代の人は、徴をほしがる。しかしこの人たちには、ヨナの徴以外の徴は与えられない。」イエスは彼らをすてて立ち去られた。


●人間はどうして「徴」を欲しがるのか。大脳皮質で行為する判断材料が欲しいのである。神抜きで判断したがるからである・

●このマタイ16:4は新共同訳では 「よこしまで神に背いた時代の者たち」となっている。
 
新共同 マタ 16:4
16:4 よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。」そして、イエスは彼らを後に残して立ち去られた。


●原発の発想は原子爆弾製造(マンハッタン計画)の過程の副産物であった。そういう悪の科学技術が神の祝福をえられるはずはない。原子力発電は、その建設根拠が、これを人類が獲得すれば未来永劫、神に祈らなくても「エネルギー」を手に入れることが出来る。神のごとき力をえるというところが神の逆鱗に触れたのだ。これはバベルの塔(創11:1-9)の建設方針と似ている。アダムとエバは蛇に誘惑されて堕落したがその時の蛇の言葉(これは(ヘビライ語であった。笑)は次のようであった。この魂胆がよくなかった。神の顔を潰した。無視した。人間の分際エ神のごとくなろうとしたのである。これが神の逆鱗に触れたのである。

口語訳 創  3:4-6
3:4 へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。
3:5 それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。
3:6 女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。

●時は流れて終末。イエスはもう終わりは近いから「早く悔い改めよ」と言うのである。

時を知れ
塚本訳 ルカ 12:54-59
12:54 また群衆にも言われた、「あなた達は雲が西に出るのを見ると、即座に『俄雨が来そうだ』と言うが、はたしてそのとおり。
12:55 また南風が吹きだすと、『暑くなりそうだ』と言うが、はたしてしかり。
12:56 この偽善者たち、天地の模様を見ることを心得ていながら、どうしてこの時(のせまった様子)がわからないのか。
12:57 あなた達は(こんな時に)どうすればよいかを、なぜ自分で判断しないのか。
12:58 あなたは(いま、裁判所に訴えられているようなものである。)
告訴人と一しょに役人の所に行く間に、途中でその人と話をつけるよう努力すべきである。そうでないと、告訴人はあなたを裁判官の前に引きずってゆき、裁判官は執行人に引き渡し、執行人は牢に入れるにちがいない。
12:59 わたしは言う、最後の一レプタ[五円]を返すまでは、決してそこから出ることはできない。(早く悔改めよ。)」

●それでも神を知らない人間は自らの科学技術で、天候の予測、地震の予測、津波の予録、飢饉の予測、経済不況の予測予測予測予測、そして昼夜を問わずの「アクセク労働」。予測しても破滅が来る時は来る。津波の高さは何百メートルもありうると言われる。
そうなると高台に避難しても助からない。汗水たらしての労働もむなしい。
また神抜きのヒューマニズム活動で「平和、人権、平等」をがなりたてる。意味ない。
 ●神に根差さない労働や科学技術は空しいと言うことは旧約の詩人も言っている。ここで「空しい」というのは実現しない、目的を達しない、と言うことである。家が建たない、戦争に負けると言うの絵ある。我々はこれをよく知っている。

新共同 詩  127:1-2
127:1 【都に上る歌。ソロモンの詩。】主御自身が建ててくださるのでなければ/家を建てる人の労苦はむなしい。主御自身が守ってくださるのでなければ/町を守る人が目覚めているのもむなしい。
127:2 朝早く起き、夜おそく休み/焦慮してパンを食べる人よ/それは、むなしいことではないか/主は愛する者に眠りをお与えになるのだから。

●上記「時を知れ。ルカ12:54-59」と似ているのは次のマタイ16:1-4 である。 

天からの徴
塚本訳 マタ 16:1-4
16:1 するとパリサイ人とサドカイ人とが来て、イエスを試そうとして、(神の子である証拠に)天からの(不思議な)徴を示すようにと頼んだ。
16:2 彼らに答えられた、「あなた達は夕方には『(明日は)天気だ、空が焼けているから』と言い、
16:3 また朝早く、『きょうは荒れだ、空が雲って焼けているから』と言う。あなた達は空の模様を見分けることを知っていながら、時の(せまった)徴を見分けることが出来ないのか。
16:4 この悪い、神を忘れた時代の人は、徴をほしがる。しかしこの人たちには、ヨナの徴以外の徴は与えられない。」イエスは彼らをすてて立ち去られた。


●10:30 某ヒューマニストクリスチャンから電話。大声で「私はヒューマニズムは大嫌いだ。人間愛はあっても祈りがない。神が不在だ。平和は祈りと終末で実現する。クリスチャンともあろうものがこの世のヒューマニストの尻馬に乗ってがなり散らすのはおかしい。それは見せびらかしである。イエスは隠れて祈れと言った」と劇烈批判した。

塚本訳  マタ 6:5-6
6:5 また祈る時には、偽善者のようにしてはならない。彼らは人に見せようとして、礼拝堂や大通りの角に立って祈ることを好むのである。アーメン、わたしは言う、彼らは(褒められた時、)すでに褒美をもらっている。
6:6 あなたが祈る時には、『奥座敷に入り、部屋をしめきった上で、』隠れた所においでになるあなたの父上に『祈れ。』そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。
 
●義援金の送金●義援金の礼状●キリスト教図書出版のオカノユキオ氏から電話●16:00妻買える。懇談

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アー、このことか ++++++++ 所感

2011/06/13 07:07

110613(月)6時起床●朝の黙想「聖徒の交わりを信ず」●福島第一原発事故による、福島在住の三男の窮地に際して普段あまり付き合いのない方々からも「主にある愛」から物心両面において援助応援を頂いている。●この不思議な現象を肌で実感して使徒信条の「聖徒の交わり」とはアーこのことなのかと思わされた。●おそらく初代キリスト教徒たちも激しい迫害によってこの言葉が生まれたのであると思う。●思うに聖書の真理は苦難に遭わないと理解できないと言う原理になっている。●それにしても普段お付き合いをしていない人からも「主にある」ということだけで純粋な愛の交わりをいただけるということは実に不思議な事である●エクレシアというのは「世にも不思議な集団」である。主にある霊のに包まれているのである。●この不思議な「主にある愛」と言うことで思い起こす聖書の個所を掲上する。 


塚本訳  ロマ 12:11-13
12:11 熱心で倦まず、(神の)霊に燃え、主に仕えよ。
12:12 希望をもって喜び、苦難に耐え、たゆまず祈れ。
12:13 力を合わせて聖徒の欠乏をおぎない、旅人の接待に努めよ。

塚本訳  ロマ 12:14-16 
12:14 (あなた達を)迫害する者に(神の)祝福を求め、祝福して呪うな。
12:15 喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣け
12:16 互に思いを同じくせよ。高くなろうと思わず、低い方に従え。』自分で賢いなどとうぬぼれてはならない。』 

ロマ   12: 10 [塚本訳

親身の兄弟のように互に愛し合い、尊敬し合って互に(人を自分より)えらく思え。 

塚本訳 Ⅰコリ15:58
15:58 だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ。骨折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから。

ガラ   5: 13 [塚本訳

兄弟たちよ、あなた達は自由のために(神から)召されたのである。ただこの自由を(濫用して)肉を満足させる機会としてはならない。むしろ愛によって互に奴隷として仕えるべきである

塚本訳  コロ 3:13
3:13 互いに我慢して、たとい誰かに対して不平があっても、互いに赦し合え。主が君達を赦し給うたように、君達も赦せ。

Ⅰテモ  6: 2 [塚本訳

また信者の主人をもつ奴隷は、主人が(主にある)兄弟であるからといって(これを)軽んぜず、むしろ却つて(熱心に)奉公しなくてはいけない。主人は信者で、神に愛される者であって、(凡ての人に、然り、奴隷にも)親切を尽くそうとしているのであるから。このことを教え且つ勧めよ。──

ピレ   1: 1 [塚本訳

キリスト・イエスの囚人パウロと、兄弟テモテから、愛する共働者ピレモン

ピレ   1: 7 [塚本訳

然り、あなたの愛のゆえにわたしが受けた喜びと慰めとは大きい。あなたのお蔭で聖徒たちの心はやすめられたからである、兄弟よ。

ピレ   1: 16 [塚本訳

もはや奴隷としてでなく、奴隷以上、愛する兄弟として。彼はわたしにとって、とくに愛する兄弟である。またあなたにとっては、肉においても、主においても、なおさらのことである

Ⅰヨハ  3: 10 [塚本訳

神の子と悪魔の子と(の区別)は、この点において明らかである。──(義を行う者、すなわち兄弟を愛する者は神から出た者であり、)すべて義を行わない者、また兄弟を愛しない者は、神から(出た者)ではない。

Ⅰヨハ  3: 14 [塚本訳

わたし達は(神の子を信ずると同時に、もといた悪魔の支配する)死(と憎みとの世界)から、命(と愛との世界)に移っていることを知っている。なぜなら、わたし達は兄弟を愛するからである。愛しない者は(今もなお)死に留っている。

Ⅰヨハ  3: 16 [塚本訳

(神の子である)キリストがわたし達のために命を捨てられた(その)ことで、わたし達は(はじめて)愛を知った。だからわたし達も兄弟のために命をすてねばならない

Ⅰヨハ  3: 17 [塚本訳

(手近な例であるが、)この世の財産を持っていて、その兄弟の必要を見ながら、しかも彼に対して憐れみの心を閉じる者があれば、どうして神の愛がその人に留っていることができよう。

Ⅰヨハ  4: 20 [塚本訳

もし「神を愛する」と言いながら、兄弟を憎む者があったら、(その人は)嘘つきである。見た兄弟を愛さない者は、見たことのない神を愛することは出来ないから。

Ⅰヨハ  4: 21 [塚本訳

神を愛する者は兄弟をも愛すべきであるというこの掟を、わたし達は神から受けたのである。

Ⅰヨハ  5: 2 [塚本訳

神を愛し、その掟を行う時、そのことによって、わたし達は神の子(なる兄弟)たちを愛していることがわかるのである。

Ⅲヨハ  1: 5 [塚本訳

愛する者よ、あなたがこれを兄弟たちに、しかも旅人に対してすることは、忠実に義務を果しているのである

塚本訳  マタ 12:48-49
12:48 しかしイエスはそのことを知らせた者に、「わたしの母とはだれのことだ、わたしの兄弟とはだれのことだ」と答えて、
12:49 弟子たちの上に手をのばして言われた、「ここにいるのが、わたしの母、わたしの兄弟だ。



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言葉は神とともにあった ++++++++ 所感

2011/06/12 07:02

110612(日)6時起床●朝の黙想。ヨハネ1:1b

文語訳  ヨハ 1:1b、
言は神と偕にあり、

塚本訳  ヨハ 1:1b
言葉は神とともにおられた。

口語訳 ヨハ 1:1b
言は神と共にあった。

新改訳 ヨハ 1:1b
ことばは神とともにあった。

新共同 ヨハ 1:1b
言は神と共にあった。

●イエスにしても、内村鑑三にしても、本人がその時代に生きている時にだけ力がある。死後にその言葉を研究してもそれは抜け殻の研究すぎない。聖書は聖霊が働く時に力があるのであって、もし聖霊という三位一体の一位である聖霊という人格がない時はその抜け殻の言葉は大脳皮質でする研究の対象になるから「神学」となって命がないので人を生かさず、救わない。●教会や集会に力と命がないのはそこから聖霊が去ってるからである。だから聖書の知的遊びによる社交クラブに退潮する。、
 
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*「言は神と共にあった」

Proverbs 8:22-30

22主が昔そのわざをなし始められるとき、そのわざの初めとして、わたしを造られた。  23いにしえ、地のなかった時、初めに、わたしは立てられた。  24まだ海もなく、また大いなる水の泉もなかった時、わたしはすでに生れ、  25山もまだ定められず、丘もまだなかった時、わたしはすでに生れた。  26すなわち神がまだ地をも野をも、地のちりのもとをも造られなかった時である。  27彼が天を造り、海のおもてに、大空を張られたとき、わたしはそこにあった。  28彼が上に空を堅く立たせ、淵の泉をつよく定め、  29海にその限界をたて、水にその岸を越えないようにし、また地の基を定められたとき、  30わたしは、そのかたわらにあって、名匠となり、日々に喜び、常にその前に楽しみ、

John 1:18

 18神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである。

John 16:28

 28わたしは父から出てこの世にきたが、またこの世を去って、父のみもとに行くのである」。

John 17:5

 5父よ、世が造られる前に、わたしがみそばで持っていた栄光で、今み前にわたしを輝かせて下さい。

1 John 1:2

 2このいのちが現れたので、この永遠のいのちをわたしたちは見て、そのあかしをし、かつ、あなたがたに告げ知らせるのである。この永遠のいのちは、父と共にいましたが、今やわたしたちに現れたものである――

●集会は、宮崎、高木、山本・●14:30 今井館総会。●総会後、新井理事長、大山副理事長、福島常務理事から話。●帰途は自由が丘まで、岩島清さん、浅野摂郎さんに原発問題のことを教えられつつ歩いた。優秀な人に親身になって教えられて感謝。

 

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苦難なしには何人も天国に入れない ++++++++ 所感

2011/06/11 06:52

 110611(土)時起床●朝の啓示「東日本大震災は神による終末の予行演習」●TSK日本語版ヨハネ●東日本大親愛は神が日本を愛して特別に「終末」の予行演習したものだ。マタイ24:1-14の来臨の前兆を東日本大震災に重ね合わせてみる

塚本訳 マタイ

24:1 イエスが宮を出て(オリブ山の方へ)歩いておられると、弟子たちが近寄ってきて、イエスに宮の(堂々たる)建築を指差した。(この宮が荒れ果てるなどとは考えられなかったのである。)

 

塚本訳マタ 23:38

23:38 そら、『お前たちの町は(宮もろとも神に)見捨てられ(て荒れ果て)るのだ。』

 

●この事を聞いていた弟子たちは「まさか」自分たちの歴史的大神殿が崩壊するとは思えなったので、この言葉を発した。想定外のことであった。

●3重とも5重とも言われる安全設計の原子炉が「まさか」破壊するとはだれも思わなかった。

 

塚本訳 ルカ 21:25-26

21:25 すると日と月と星とに(世の終りの不思議な)前兆があらわれ、地上では『海がどよめき荒れ狂うため、国々の民は』周章てふためき怖じまどい、

21:26 全世界に臨もうとしていることを思って、恐ろしさのあまり悶え死にする者があろう。『もろもろの天体が』震われるからである。

 

新共同 Ⅱ歴 9:3-4

9:3 シェバの女王は、ソロモンの知恵と彼の建てた宮殿を目の当たりにし、

9:4 また食卓の料理、居並ぶ彼の家臣、丁重にもてなす給仕たちとその装い、献酌官とその装い、それに王が主の神殿でささげる焼き尽くす献げ物を見て、息も止まるような思いであった

 

塚本訳  マコ 13:1

13:1 イエスが宮を出てゆかれるとき、一人の弟子が言う、「先生、御覧なさい、なんと大きな石、なんと堂々たる建築でしょう!」

 

塚本訳 ルカ 21:5

21:5 ある人たちが(イエスに)宮がりっぱな石と献納品とで飾られていることを話すと、言われた、

●大震災は神による終末の予行演習である聖書的根拠は申命記三十二章十一節である。

●苦難の意義に関する説明で「苦難と神の愛」と題する塚本先生の短い説明ほど私を慰めかつ納得させてくれたものはない。私はこれを忘れまいとしてこの三〇年間日記帳の表紙に必ずこの短文が載せられている聖書知識の号数を記した。六十七才の今日、再びこの文章を読み、深く慰められたのと同時に、その内容をまた少し分からせていただけたような気がする。それを次に掲げる。

塚本虎二「苦難と神の愛」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

苦難と神の愛 塚本虎二

(聖書知識九二号 昭和十二年一九三七年八月)

 

 ヨブは神から財産を奪われ、その子女をことごとくもぎ取られ、全身恐ろしい腫れ物で苦しめられながらも、なお神を(のろ)わず

 エホバ与えエホバ取りたもうなり、エホバの御名は()むべきかな

と言って、ついに罪を犯すことをしなかったという(ヨブ記一~二章)。

まことに義人ヨブなればこそである。もし私達に彼だけの信仰と謙遜と覚悟とがあるならば、私達の生涯は如何(いか)ばかり明るくなることであろう。

 しかしながら、ヨブのこの言の調子は高くない。神から多くの幸福を戴いているから、どんな不幸でも苦難でも甘受(かんじゅ)せねばならぬという消極的の(あきら)めであって、まだこの(むち)の中にこもっている神の深い愛の意味を把握することが出来ずにいるからである。彼は多分最後にその財産を倍加され幸福なる家庭を恵まれた時に、始めてその無知に気付き、神に懺悔(ざんげ)し、限り無き神の愛に対して感謝の祈りを捧げたに違いない。

 まことに神の愛は限りなく高く、深く、かつ広い。何人もこれを言葉にし筆にすることは出来ない。ただ神の啓示たる聖書の中には、この広大無辺なる神の愛をいみじくも書き記した個所が少なくない.否、聖書全体が神の愛の大讃美歌である。しかしその中においても最も美しくこれを描いたものの一つが、有名なるモーセの歌の中にある親(わし)比喩(ひゆ)である。多分モーセ自身かかる神の愛を度々(たびたび)経験したのであろう。彼は神エホバがイスラエル民族を愛撫し(たま)うのを譬えて言う ――――

 鷲が巣を揺り動かし、雛の上を飛びかけり、羽を広げて捕らえ翼に乗

せて運ぶように(申命記三十二章十一節)

 親鷲がその雛に飛び方を教えようとする時は、まずその巣を騒がせて雛どもを巣の外に追出す。しかし危険を慮っ(おもんばか)て巣の上を舞いながらこれを監視し、もし雛が飛び得ないか、あるいは疲れて飛べなくなった時には、これを自分の翼の上に載せるという。エホバがイスラエルの民を守り導き、これを訓練し(たま)うことが、あたかもこの親鷲のようであるというのである。(註)

  註 これを敵が襲来した場合にその雛を呼び起こすことであるとする見方があるが(ケーニッヒ)通説が正しい(ベルトレット、ストイエルナーゲル、ドライバー 等)。

獅子は子を産んで三日を経る時、これを数千丈の谷底に落としてその勢いを見、自ら断崖を登ってくるものだけを育てると言われるが、しかしこれと彼とは違う。これは戦国武士の訓練であり、かれは慈母の愛を持つ父の教育法である。眼球のようにその民をいたわり守り給う神の愛である。

 神は愛にてあり給う。私達には愛以外の何ものも臨まない。不幸と見え、神の呪詛(じゅそ)と見ゆることも、究極する所は愛である。否、最も愛ならずと見ゆる所に、かえって大なる愛が秘められている。真の愛は隠れるからである。神は掻き裂き、また癒し給うという(ホセア六章一節、ヨブ記五章一八節参照)

ホセア書六章一節「さあ、わたしたちは主に帰ろう。主はわたしたちをかき裂かれたが、またいやし、わたしたちを打たれたが、また包んでくださるからだ。

ヨブ記五章一八節「彼は傷つけ、また包み、撃ち、またその手をもっていやされる。」

矛盾である。しかし掻き裂き給うは愛し給うからである。然り、神は愛するが故に掻き裂き、愛するが故にまた包み給う。否、癒さんとして掻き裂き、包まんとして傷つけ給う。私達罪の人間はこの神の愛の矛盾の坩堝(るつぼ)において精錬さるることなしには神の国に入ることが出来ない。

 ロマ書八章一八節「われ思うに、今の時の苦難(くるしみ)は、われらの上に(あらわ)れんとする榮光にくらぶるに足らず。」(文語訳)

        とパウロはいった。キリストの光に照らされたクリスチャン・パウロの目には、ヨブに見えないものが見えたのである。彼はこの世の苦難と不幸とがすべて神の深き愛に出づるものであり、それが、ただそれだけが、人を神の国に相応(ふさわ)しい者にすることを知ったのである。

         艱難(かんなん)なしには何人も神の国に入ることをゆるされない。神は殺しまた生かし給うという(サムエル記上二章六節、申命記三二章三九節)。

         サムエル記上二章六節「主は殺し、また生かし、陰府にくだし、また上げられる。」

         申命記三二章三九節「今見よ、わたしこそは彼である。わたしのほかに神はない。わたしは殺し、また生かし、傷つけ、またいやす。わたしの手から救い出しうるものはない。」

        然り、彼は私達を生かさんとして殺し、殺して生かし給う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
塚本虎二「苦難と神の愛」 おわり

●「泣きながら食べる食事」。生涯病弱で苦しんだ父は、自分だけならともかく、子供達に希望の道に進ませられなかったことを最後まで悔んでいた。●その時私は行ったものだ。「もういいお。ウチが貧困だったから「貧しき者は幸いなり」がわかったのだから。●しかし貧困必ずしも人を天国に導かない。中には女に狂い堕落して自らの家庭も崩壊する人もいれば、「こんな不幸があるのは神などいないからだ」と言ってますます無神論になって暗く淋しい人生を歩む者もいる。人生は実に深刻だ。●父はよく次の聖句を聞かせてくれた。


詩    80: 5 [口語

あなたは涙のパンを彼らに食わせ、多くの涙を彼らに飲ませられました。

詩    102: 9 [口語

わたしは灰をパンのように食べ、わたしの飲み物に涙を交えました。

●ゲーテもウィルヘルムマイスターの終業時代か遍歴時代(筑摩書房の世界文学全集。高校の時に持っていたが、金に困ってこの二冊を読みきらないうちに古本屋に売った)の中で「涙を流してパンを食べたことのない者には人生はわからない」と言っていたと思う。●けれども神は今日まで肉の命を生かしてくれた。神います。

●11:00 教文館で本二冊 ●14:00 内村鑑三研究セミナー 於・立教大学
椚山義次氏の「内村鑑三と宮澤賢治」。・・・・・・・「銀河鉄道の夜」には「十字架」という言葉が多く隠されているという結論。わたしはフロアーから賢治はそれだけ内村の説くキリスト教の影響を受けながら最後まで法華経であったのかと質問した。内容の濃い研究会であった。

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立教大学。英国風のデザインはいつ見てもすばらしい。勉強欲が湧く

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立教大学のキャンパス。これもなかなか上品な雰囲気がある。

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内村鑑三研究セミナーにて。

高橋照男 ゾンターク・ミラ、高木謙次、千葉眞。



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算数が出来ない子 ++++++++ 所感

2011/06/10 09:24

110610(金)5時起床●TSK日本語版ヨハネ。ヨハネは神学である。ルターは神学は「歌」であると言ったようだ。神学は頭のことなので争いが起こる●無教会はいわゆる「神学」を嫌った。正解である。神学よりも霊、信仰のみ信仰の方が尊い。第一に神学には命がない。頭はすっきりするが喜びがない。●岩島清氏の推薦で、高木仁三郎の本を読み始めた。「市民科学者として生きる」(岩波新書631)の中に次のような下りがあった。算数が出来ない子を持つ世の母親に聞かせたいので引用する。

高木仁三郎著「市民科学者として生きる」(岩波新書631)P47
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
兄の指導で今でも感謝していることは、徹底的に自分で考えることを教えてくれたことだ。数学の勉強は、岩切晴二の「解析精義Ⅰ」から始めろ、というのが兄の指導で、それも一つの問題を解くのに、何時間かけてもよいから考えて、自分で答えに到達しろ、というのだった。ちょっと考えてわからないからというので解答を見てはいけない、という教えを忠実に守って、時には一日中、一題の問題を考えていた。私の記憶が正しければ、「解析精義Ⅰ」の最初の例題は、「半径aの円に内接する正方形の辺の長さを求めよ」というものだった。こんな問題は、今だったら気のきいた中学生はたちどころに答えを出すだろうけど、当時(高校生)の私は、午後の二時頃から考え始めて五時くらいになって、ようやく答えにたどりついた。ワラ半紙を四つ切りにして問題を解くのに使っていたが、その紙に何度も図を書いてみて、ようやく「内接」という言葉の幾何学的意味がわかったのである。この最初の問題が病みつきになって、毎日何時間も数学の問題ばかり解いていた。・・・・・
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高木仁三郎著「市民科学者として生きる」(岩波新書631)P47・・・引用終わり

●著者の 高木仁三郎氏はその後東大理科一類に入って化学を専攻、原発研究に進んだが、途中から「反原発」の闘士になった。どうして転向したのかは残りを読まねばわからない。
●これに関連して思いだすこと。
集会の故NTさんは有名な進学校の数学の教師であったが、ある親から数学の出来ない子の家庭教師を頼まれた。NTさんは「世の中にこんなに頭の悪い子がいるのだろうか」と思って手こずっていた。ところがある日、一つの問題が解けた時、その生徒の顔がぱっと輝いた。それからというものぐんぐん伸びていった。という話。これを夏季聖書勉強会で伺った。
●もうひとつのこと。東京工業大学の遠山啓(ひらく)先生は「水道方式」という算数の教育方法を提唱した。その内容はよくわからないが、遠山先生の次の言葉が忘れられない。「世の中に算数の嫌いな子どもはいない。ただ時間差だけである。出来ない子にはゆっくり解かせればよい」という方針である。急がせてはいけないと言うのである。急がせるから算数が嫌いになるのだという。受験用算数だから子どもは算数が嫌いになるのである。
●だから算数のできない子に向かって母親は「早く、早く」と言ってはいけない。「ゆっくり考えなさい」と言えばだんだん算数が分かってきて面白くなる。
●以上のことから聖書や信仰についても同じであると考える。神とか十字架の救いとか復活は大脳皮質への知識の詰め込みでは全然わからない。それは返って害悪である。キリスト教が嫌いになる原因である。しかし時間がかかるが人生の旅のある時それがパットわかる日が来る。その時は顔が輝く。胸が熱くなる。それは聖霊が降る時である。●その「幸いの時、尊い日、感謝の日」は晩年でもよい。臨終の時でもよい。否、来世でもよい。それがわかれば人生は大成功というものだ。●才能ということもあるが、大抵の学科は時間を掛けたり繰り返すと分かって来るものだ。わたしがクラシック音楽が好きになったのは中学生の時に兄が家の中で盛んにクラシックを聞いていたので、それを繰り返し聞いていたので、耳がほじくられたのであると思っている。●子どもが信仰に入るかどうかは「環境」である。●信仰に入った大人もその後の信仰の成長は集会という環境次第である。私が40才になったとき集会の感話をするように命じられた。あのころは前二列に塚本先生に長いこと薫陶を受けられた髪の白い御夫人達がズラッと陣取っておられて、わたしが少しでも正統信仰からずれると急に空気が悪くなった。信仰は集会の空気が生み出す。育てる。しかし時間がかかる。いいんだ。いいんだ。あの人もいつか神が神によってとらえられるのだ。神は御存知だ。それには私自身が有体的復活の使徒伝承を固く握ってさえいれば、あとは神が何とかして下さる。 


文語訳  ロマ 1:17
1:17 神の義はその福音のうちに顯れ、信仰より出でて信仰に進ましむ。録して『義人は信仰によりて生くべし』とある如し。 

塚本訳 Ⅰコリ13:12
13:12 わたし達はいまは(何事も)鏡でおぼろに見ているが、(完全なものが来る)その時には、顔と顔と相対してみるのである。いまはわたしは部分的に知っているが、その時には、(今神に)知りつくされているからそのようにわたしも知りつくすであろう。


 有体的復活の使徒伝承

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山の上にある町 ++++++++ 所感

2011/06/09 08:47

110609(木)5時起床●TSK日本語版ヨハネ●朝の黙想。マタイ5:14 ●夜、家路を歩くと、闇夜に奥多摩の御岳山山頂の光がポツン輝いている。それを見ると必ず次の聖句を思う。

文語訳 マタ 5:14
5:14 汝らは世の光なり。山の上にある町は隠るることなし。

口語訳 マタ 5:14
5:14 あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。

塚本訳 マタ 5:14
5:14 あなた達は世の光である。山の上にある町は隠れていることは出来ない。

●これは30年も前に読んだJ・エレミヤスの本(「新約聖書の中心的使信」P109、「イエスの宣教」P20)でこれは「終末論的な言葉」であるとあった。その謎の言葉が今回の東日本大震災でわかるようになった。
●終末の前兆とともいうべき今回の大苦難で、多くの人が救いを求めているのに政治も科学も技術もこれを救わない。
●そこに「山の上に小さな光がある」。それはキリスに救われた人々である。彼らは有体的復活を信じて喜んでいる。
●多くの人がその光を求めて山を登るのだ。暗闇からはいのぼる。これが終末の光景である。
●その町にいる人は自分で努力しなくても「自然に光る」。

塚本訳  ピリ 2:15
2:15 これは君達が非難すべき所でなく、純真であって、『曲ったねじくれた(この)時代』の真中にあって『瑕なき神の子』とならんためである。(まことに)君達はこの時代にあって、生命の言を堅く守りながら、この(暗い)世に星のように輝いているのである。

●そして彼らは将来を笑っている。ユダヤ人の理想の妻は箴言31:10-31に書かれているが、その25節には次のように書かれている。

口語訳 箴 31:25
31:25 力と気品とは彼女の着物である、そして後の日を笑っている
 
●原発を恐れるな。原発何物ぞ。放射性物質は神が作った。神は総てを御存じだ。神を信じない者たちが右往左往するとき、神の民は恐れてはならない。神は悪いようにはなさらない。

文語訳 マタ 10:28
10:28 身を殺して靈魂をころし得ぬ者どもを懼るな、身と靈魂とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ。

塚本訳マタ 10:28
10:28 体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。

●ローマ皇帝ネロはライオンの餌食で死んでいったクリスチャンの顔が安らかであったのを見て。「なんだこの顔は」と驚いた。ローマ帝国がキリスト教を公認したのはそれから約250年後のAD312年であった。その理由は下層階級に信者が増えたからである。250年は長かったと言えば長い、短かったと言えば短い。

文語訳  ロマ 8:28
8:28 神を愛する者、すなはち御旨によりて召されたる者の爲には、
凡てのこと相働きて益となるを我らは知る。

塚本訳  ロマ 8:28
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。



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苦難の日を短くしてください。 ++++++++ 所感

2011/06/08 09:45

110608(水)5時半起床●TSK日本語版ヨハネ●聖書翻訳権をめぐる「醜い争い」に関してメール一本。その中で「キリストが再臨する時は聖書を使わない!」と書いた。教会や集会も利用しないであろう。●地震と飢饉に関して聖書を黙想。

塚本訳  マタ 24:7
24:7 (世の終りが来る前に)『民族は民族に、国は国に向かって(敵となって)立ち上がり、』またここかしこに飢饉や地震があるのだから。
 
●飢饉や地震を自然災害とだけ思ってはならない。それを通して神と終末を思わなければならない。また人災とだけ思ってもいけない。神にビンタされたときムッと居直ってはいけない。神を恐れなければならない。「ひどいことをする神だ」と思うのもよくない。そもそも人間は死ぬのだから死とその後の裁きを恐れなければならない。

塚本訳 ルカ 15:13-14
15:13 幾日もたたないうちに、弟は(分け前)全部をまとめて(金にかえ、)遠い国に行き、そこで放蕩に財産をまき散らした。
15:14 すべてを使いはたしたとき、その国にひどい飢饉があって、食べるにも困り果てた。 

●飢饉は天災だが、これを通して神に祈るということをしなければならない。そもそも原発はクリーンエネルギーと称して人間がエネルギーに永久に困らないようにしようという神抜きの発想だったからいけなかったのではないか。原発はナチスヒットラーを打つために開発された原子爆弾生産のマンハッタン計画の副産物である。発想の根が良くなかった。祈りがなかった。

塚本訳  マタ 24:12-14
24:12 また(兄弟たちの間に)不法がふえるので、多くの人の愛が冷える。
24:13 しかし最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
24:14 すなわち、あらゆる国々の人に(わたしとわたしの業を)証しするために、(まず)この御国の福音が全世界に説かれ、それから最後(の裁きの日)が来るのである
 
●伝道や、福音宣教の目的は「地上王国」建設の為ではない。最後の裁きの終末を早めるためである。社会派クリスチャンはスローガンとして「御国を来らせたまえ」(マタイ6:10)を掲げるが、その聖書の意味全然わかっちゃいない。再臨終末神の支配による平和は人間の運動活動では来ないことぐらい知らなければならない。

塚本訳マタ 24:15-22
24:15 それで、預言者ダニエルをもって言われた『(聖なる所を)荒らす忌わしいものが聖なる所に』立つのを見たら[読者はここに隠された意味をよく考えるがよい]、
24:16 その時ユダヤ(の平地)におる者は(急いで)山に逃げよ。
24:17 屋根の上におる者は、下におりて家にある物を取りだそうとするな。
24:18 畑におる者は上着を取りに『(家に)もどる』な。
24:19 それらの日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、ああかわいそうだ!

24:20 逃げるのが冬や安息日にならないように祈れ。
24:21 その時、『世の始めから今日までになかった、』また(これからも)決してない『ような、』大きな『苦難が』臨むのだから。
24:22 もしそれらの(苦難の)日が短くされなかったら、だれ一人助かる者はあるまい。しかし選ばれた人々のために、それらの日が短くされるであろう

 
●TVでハッブル宇宙望遠鏡による星の最後の姿を見たが、地球は必ず爆発して消滅する。そのあとはただ暗い宇宙がシーンと残るだけである。人類の歴史も思い出も何もなくなる。その終末の日は東日本大震災どころの騒ぎではない。●そのとき一番嘆き悲しむのは「身重の女と乳飲み子を持つ女」だという。聖書は同情している。この度の福島原発で一番心を痛めているのは「子を持つ福島の母」である。●苦難の日は短い。なぜか。天地が壊滅して全人類が滅亡する前に選ばれた人たちが神に向かって逃げる時間が少しでもあるようにである。その少しの時間の合間を縫ってキリスト信者は「逃げる」のだ。神の御許に逃げるのだ。まだ神を信じていない人は地球が滅亡する前に悔い改めるのだ。人類絶滅の前に神の救いを知って救われよ。●神は終末の前に大苦難をもたらす。そうして終末がくる。その大苦難には人類全体が耐えられない。しかし神は苦難の時を短くして地球滅亡前の間に僅かの時間を作る。選ばれた人はその僅かの合間を縫っての神に逃れる。子どもを抱えて逃げる。目録には次のようにある。ここで「女」とは神を信ずる者である。

新改訳 黙  12:13-15
12:13 自分が地上に投げ落とされたのを知った竜は、男の子を産んだ女を追いかけた。
12:14 しかし、女は大わしの翼を二つ与えられた。自分の場所である荒野に飛んで行って、そこで一時と二時と半時の間、蛇の前をのがれて養われるためであった


●応用問題を考える。人生は苦難の日々である。しかし生きている今のうちに来世に逃げ出す準備をしておけ。人生は元気な若いうちに神に向って脱出する羅針盤を向ける方がよい。

塚本訳ルカ 16:9
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、
今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。


●病気や災難により神を信ずるようになれば人生は短くてもよいのだ。伝道の書に次のようにある。長寿は幸福の条件ではない。人生の目的でもない。

口語訳 伝  12:1
12:1 あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、

新共同 伝  12:1
12:1 青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。「年を重ねることに喜びはない」と/言う年齢にならないうちに。
 
●苦難の日は短い。パウロは言う。

文語訳  ロマ 8:18
8:18 われ思うに、今の時の苦難は、われらの上に顯れんとする榮光にくらぶるに足らず。

塚本訳 ロマ 8:18
8:18 (しかもこの苦しみは恐れることはない。)なぜなら、わたしはこう考える。今の世の苦しみは、わたし達に現われようとしている栄光(──キリストと一しょに神の国の相続人になる最後の日の大いなる光栄──)にくらべれば、言うに足りない。

●終末を祈る。再臨を祈る。選民の苦しみが無くなるように早く苦難の日が終わって欲しい。
 


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東日本大震災を聖書的観点から考える ++++++++ 所感

2011/06/07 20:05

110607(火)5時起床●TSK日本版ヨハネ。ヨハネは歌という感じ●8:30妻は郷里いわき市の友人二人と懇親の為に上野に行く●ホームページのプロバイダーであるアサヒネットの技術サポート(押川さん優秀)と打ち合わせ。HPのデータ容量が多くなったので対策を検討。さすがプロ、良い案を教えてくれた。無料のホームページを見つけてアサヒネットからリンクさせる方針。●またHPの容量を減量する方法を教えられた。●TSKヨハネを作成中にFC2ブログと検討予定。TSK日本語版の新約125MB、旧新約で380MB。大した量ではないがこれを無料のHPに永続的に掲載しなければならない。●東日本大震災を聖書的観点からみると「神のビンタ」である。人が目覚めて永遠の生命に生きるようにとの「鉄槌」である。聖書的根拠は沢山ある。●これは単なる自然災害とは思えない。

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逃げるべきか留まるべきか ++++++++ 所感

2011/06/06 10:00

110606(月)苦しい夢。合唱の指揮をしていたら、メロディーを忘れて振り間違え、始めからやり直したが再び同じところでまたつっかえて困っているところで目が覚めた。●「夢でよかった」ということがしばしばある。今朝の夢の意味は何だろう。●TSK日本語版。今日からヨハネ。3か月はかかりそうだ●福島第一原発の事故で三男の住む二本松市はかなり汚染度が高い。有機農業による農作物を作っても今後「風評被害」で売れない可能性が大。●親の私達も一緒に悩んでいる●人生には、岐路に立たされて、逃げるべきか留まるべきか、右に行くべきか左に行くべきか、脳漿をしぼり出してもわからない苦しい時ある。男は職業や職場の選択。女は結婚相手の決定●しかし私の経験では神は道を備えて下さっていた。人間にはそれがわからないから、信仰で歩むしか方法がない。●神を信じない人は「神頼み」は迷信だと思って「自力で道を選ぶ」。これがまたあまり良い結果になっていない。なぜか。神が味方してくれないからである。●行き先のことは全く神に任せる必要がある。神は悪いようにはなさらない。常に最善の道を備えて下さる。そのことを固く信じて「今日一日を生きる」そうすれば神は一歩一歩ご自分の計画の道に導いてくださる。●もし「逃げる」べき時は、一切の財産に未練を持たないで一目散に逃げるべきである。財産や人間関係のしがらみで「留まる」ときは「命を失う」。次の聖書の個所はそ「逃げて」助かる場合と、逃げないで命を失う場合とが書かれている。

塚本訳 ルカ 17:26-33
17:26 ちょうどノアの(洪水の)時にあったようなことが、人の子の(来る)日にも起るであろう。
17:27 『ノアが箱船に入った』日まで、人々が飲んだり食ったり、嫁にやったり取ったりしていると、洪水が来て、一人のこらず滅ぼしてしまった。
17:28 ロトの時にも、ちょうど同じようなことがあった。人々が飲んだり食ったり、売ったり買ったり、植えたり建てたりしていると、
17:29 ロトがソドムから出た日に、『(神は)天から火と硫黄とを降らせて、『一人のこらず滅ぼしてしまわれた。
17:30 人の子があらわれる日にも同じことが起るであろう。
17:31 その日には、屋根の上におる者は、(何か大切な)家財道具が家の中にあっても下におりて取り出そうとするな。畑におる者も同じく『(家に)もどる』な。
17:32 ロトの妻のことを思え。
17:33 (この世の)命を保とうとする者は(永遠の)命を失い、(この世の命を)失う者は、(永遠に)生きながらえるであろう。

●では、人間としてどうしたらよいのか。それに答えるのが次の言葉である。神の命令が降るまで「動くな」というのである。
 
塚本訳ルカ 24:47-49
24:47 また罪を赦されるための悔改め(の福音)が、その名においてすべての国の人に説かれる、エルサレムから始まって、と(聖書に)こう書いてある。
24:48 あなた達はこの(苦しみと復活との)証人である。
24:49 待っておいで、わたしが父上のお約束のもの[聖霊]をあなた達におくるから。あなた達は(この)天よりの力を身につけるまで、都に止まっていなさい。」

●神の命令がないまま、自力で考えて次の行動を起こすとよいことはない。物事には「時」がある。それ以上早くても、遅くてもいけない。●ではその「時」というものは分かるのか。これがわかるのだ。逃げるにも留まるにもどうしてもそうせざるをえない考えにさせられるのである。●逃げる時は「開かれた門を通って行く。(ヒルティ).留まる時は「道をふさがれる」(これもヒルティ。かくして主の正しき道に導かれるのだ。詩篇23篇はそれを言う。

口語訳 詩  23:1-6
23:1 主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。
23:2 主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。
23:3 主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
23:4 たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
23:5 あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。
23:6 わたしの生きているかぎりは/必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。

●人間が人生の岐路に立つ苦しみの時、ヒルティも内村鑑三もおそらく以上のようにアドヴァイスするであろう。

●昨日の感話資料をHPにアップロード。なかなかうまくいかないので朝日ネットに聞いて出来た。何事も専門家に聞くべし。
「イエスを主と告白する者は神殿宗教に戻るな。・・・マタ23章の「聖書学者、パリサイ人攻撃」をどう読むか・・・

http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/denshou/06065.htm


●福島県二本松市で有機農業を営む三男の恵が現在の心境を綴った「呻きの日々」(横浜YWCA第473号2011.6.1)を読んだ。気の毒に思った。その感想として激励メールを送った。

(激励メール)一部
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

君のことは無教会の多くの人の祈りがあります。

「呻き」と言えば、次の聖句を思い出しました。

 

塚本訳ロマ 8:22

8:22 わたし達が知っているように、全創造物は(かの日から)今まで、一しょになって呻き、一しょになって産みの苦しみをしている。(父なる神がこの  呻きに耳を傾けられないことがあろうか。)

 

私は私で感じることを本日(6日)のブログに書きました。読んでみてください。

 

神は君の「呻き」を御存知です。これだけの人に祈られているのですからきっと神は良い道を開いて下さると信じています。私達も毎日祈っています。

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(激励メール)一部 終わり



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一流の信仰を目指せ ++++++++ 所感

2011/06/05 07:54

110606(日)朝の啓示「一流の信仰を目指せ」●人生目指すべきは一流の信仰である。新約聖書の中にその一流の信仰者と言うべき人の4例を黙想。

塚本訳マコ 5:25-28
5:25 すると十二年も長血をわずらって、
5:26 大勢の医者からひどい目にあわされて、財産を皆使いはたして、なんの甲斐もなくて、かえってますます悪くなって、
5:27 イエスのことを聞いて、群衆にまじってついて来た女が、後ろからその着物にさわった。
5:28 「お召物にでもさわれば、なおるにちがいない」と思ったのである。

●最後の望みで「もしや」とすがるこの心が尊い。


塚本訳 ヨハ 4:46-51
4:46 それから、またガリラヤのカナに行かれた。そこは(前に)水を酒にされた所である。するとカペナウムに(ヘロデ・アンデパス)王の役人がいて、その息子が病気であった。
4:47 イエスがユダヤからガリラヤに来ておられると聞くと、イエスの所に行き、(カペナウムに)下ってきて息子を直してほしいと頼んだ。息子が死にそうだったのである。
4:48 イエスは言われた、「あなた達は徴[奇蹟]と不思議なことを見なければ、決して信じない。」
4:49 王の役人が、「主よ、子供が死なないうちに(カペナウムに)下ってきてください」と言いつづけると、
4:50 イエスは言われる、「かえりなさい、息子さんはなおった。」その人はイエスの言われた言葉を信じて、かえっていった。
4:51 しかしすでに途中で、僕たちが出迎えて、子供がなおったことを知らせた。

●イエスに言われただけでそれを信じた心が一流の信仰。見ないで信ずるのはバカか遠いもう人間は一生信仰をもてない。

塚本訳マコ 12:41-44
12:41 それから賽銭箱の真向いに坐って、群衆が賽銭箱に金を入れるのを見ておられた。大勢の金持が沢山入れているとき、
12:42 ひとりの貧乏な寡婦が来て、レプタ銅貨[五円]二つ、すなわち(ローマの金で)一コドラントを入れた。
12:43 イエスは弟子たちを呼びよせて言われた、「アーメン、わたしは言う、あの貧乏な寡婦は、賽銭箱に入れただれよりも多く入れた。
12:44 皆はあり余る中から入れたのに、あの婦人は乏しい中から、持っていたものを皆、生活費全部を入れたのだから。」

●生活費全部を入れたと言う。この全身全霊の姿勢が一流。

塚本訳  マタ 14:26-31
14:26 弟子たちはイエスが湖の上を歩いておられるのを見ると、幽霊だと思って肝をつぶし、恐ろしさのあまり叫んだ。
14:27 しかしイエスはすぐ彼らに話しかけて言われた、「安心せよ、わたしだ。こわがることはない。」
14:28 ペテロが答えた、「主よ、あなたでしたら、どうかわたしに命令して、水の上を歩いてあなたの所へ行かせてください。」
14:29 「こちらに来なさい」とイエスが言われた。ペテロは舟から下り、水の上を歩いてイエスの所へ行った。
14:30 しかし(いま一足という所で)強い風を見たため、おじけがつき、沈みかけたので、「主よ、お助けください」と叫んだ。
14:31 イエスはすぐ手をのばし、ペテロをつかまえて言われる、「信仰の小さい人よ!なぜ疑うのか。」

●イエスの言葉からだと言ってムズの上を歩いたペテロの信仰は一流。

●信仰者としても晩年になるまで苦難が絶えない。それは人間が最後まで「高きを目指して」一流の信仰を目指すための神の計らいである。
●ヒルティの幸福論第3巻の最後の論文は「高きをめざして」である。その最後の言葉は
「苦痛は瞬時にして、喜びは永遠であfる」。
●集会。今日は感話の日。いざ行かん。妻は町内会清掃。集会へは遅れて出席。感謝。
●集会会場は津田ホール。無教会は会堂を持たないので、あっちこっち借りる悲しさがある。
今日は讃美歌は隣室に迷惑がかかると言うので不許可。讃美歌なし。これも悲しい。藤巻、小寺(マタイ)、高橋(イエスを主と告白する者は神殿宗教になるな。・・・マタイ23章のイエスの「聖書学者、パリサイ人攻撃」をどう読むか・・・・)。マタイ23章はマタイの教会にいるユダヤ人クリスチャンに対する内部批判であると話した。君達は救われたのだからこの世に逆戻りするなということ。
●話のポイントは次の通り。
イエスを神の子と見ず、復活を信じないと、そこには神の祝福が去るから結果として人も集会も制度主義(神殿主義、形式主義、宗教細則遵守など)か思想主義(自分の先生の思想への固執かその先生の懐古趣味の密教集団、社交クラブ)に転落退化する。肉の内村鑑三を知らないと無教会主義集会には入り難いのもその悪例。無教会の退潮の本質はここにある。それは思想趣味遊興集団であってキリスト集団ではない。
●小寺夫妻と昼食●妻は合唱の練習●二人とも疲労。


 有体的復活の使徒伝承

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「神も仏もあるものか」。喝!、戯(たわ)け! ++++++++ 所感

2011/06/04 06:09

110604(土)夜半に右足がつって劇痛。今朝はびっこで歩く●過日、高校の同窓生TS君が東北の地震津波の惨状を見て「神も仏も信心もあるものか」とメールを送ってきた。これに対し次のように返メールした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
神はノアの洪水をおこして人類を抹殺しようとされました。(旧約聖書 創世記6-8章)
小生は今度の災害は、単なる自然現象とは思っていません。    高橋
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これに対しタ君から「逆鱗に触れたか」と題してメール
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
君(高橋)のブログも少し読んだ。
人間の小ざかしい判断は控えるべき。
ここKは親鸞が浄土真宗を開いた地で、
他力本願(自力でなく大いなる力)に私も共鳴している。
ただし宇宙137億年の歴史を知るとノアの箱舟は受容れられない。
自然現象は物理法則によって生じるので、その対策が必要。
そして地球環境を守る具体的行動も大切。   TS      
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●これに対し、深く考えさせられた。
●[(高橋の)逆鱗に触れたか」ということ。・・・これは私がキリスト教の神を信じる宗教者であることを前提にしている言葉であって、まずい傾向。人が災難に遭うと信仰者はすぐ「説教じみた」事を言う癖がある。私にその「匂い」があったのだ。反省。次の聖句を思い出した。
 
塚本訳  マタ 23:2-4
23:2 「聖書学者とパリサイ人はいまモーセの(後継ぎとしてその)椅子に坐っている。(彼らにはモーセの権威がある。)
23:3 だからなんでも彼らがあなた達に言うことを行い、また守れ。しかし、そのすることを真似てはならない。あの人たちは言うだけで行わないのだから。
23:4 すなわち思い荷をたばねて人の肩にのせながら、自分では(担ってやるどころか、)指一本でこれを動かしてやろうともしない。

●では、人が災難に遭った時に宗教者はどうすればよいのか。その役目は何か。先ず基本的には「泣く者と共に泣く」(ロマ12:15)ことであるが、人間社会は分業である。宗教者は宗教者の役割というものがある。それは人間の力ではどうしようもなくなった時。医者も政治も思想も社活動も解決できないことの救いに手を出すこと。それは罪と死の恐怖からの救いである。その救いは完成しているからそれを「伝える」ことである。
●この時、「信仰なんて気休めで何の役も立たない」という人には話をしない方が良い。両者とも傷つくだけである。その人が「神様!仏様!」と言って「溺れる者は藁をもつかむ」ようになるまで待たねばならない。冷たいようだが、そうなる以前に手を貸すと、キリスト教はこの世の救いの一種かと誤解される。イエスは病気を治した時に「黙っていろ」と言った。
●人間の最も苦しいことは罪と死の恐怖。その救いは十字架と復活。その苦しみ以外のこの世の苦しみは人間の「ガンバリ、復興の努力」で次第に直って行くものだ。そして復興が完成すると「どうだ」と言ってまたまた「神も仏もあるものか」と言って人間は「おごるのだ」。
●今回の東日本大震災で人間は「死ぬものだ」という思いに到らなければ今回の災害の神の意図は意味がなくなる。

喝!。戯(たわ)け!。人間はいつかは死ぬものなのだ。今から神の前に出る準備をせよ。

●ラテン語の諺に「メメントモリ」がある。これは「死を思え」という意味である。
 
●11:00 今井館で倉石真と伊坪淑子の結婚式に妻と出席。司式新井明。式辞が10分程度でピシッと決まっていてよかった。司式者が新郎の結婚決意書を読みあげたとき、「君、これ本当ですね」と聞いたときには会場が大爆笑であった。命のある良い式であった。私の時は司式の藤林益三先生が私の目を見られて「間違ったことをしてはいけない。いいな」と言われた。それはすごく怖い顔であった。結婚式はこのように真剣勝負でなければならない。「結婚式はお互いに自分の人格の死である。そして二人は一人格になるのである。
 
●司式者新婦の入場です。皆様ご起立下さい」の言葉に全員起立。ここが感動。そしてバッハBWV508番「我が傍らにいたまいて」のオルガン演奏の中を新婦が兄に導かれて(父上は最近逝去)後方から入場。この音楽がまた感動。You trube それを聞いてみよう。

http://www.youtube.com/watch?v=nq_XejhIKBU


resize1856.jpg 

倉石真と伊坪淑子の結婚式。司式は新井明。於・今井館聖書講堂
誓約が終わって初めて妻の顔を見るという儀式

resize1857.jpg 

大勢の人に祝福されて退場。倉石真君はうれしそうであった。
過日の英国のロイヤルウェディングに勝る心のこもった式であった。

resize1858.jpg 
式終了後の音楽会。新郎(声楽)新婦(ピアニスト)共に音楽家であるので参列者の大半は二期会所属の声楽家、元N響の主席クラリネッター、ピアノの森嶋 英子などのプロの演奏家の演奏。さながらオペラのガラコンサート。会場は満席。
初めにバッハ「主よ、人の望みの喜びよ」の合唱。プロの歌声はすごかった。(写真)

resize1860.jpg 
最後はプロ達でヴェルディ「乾杯の歌」。中央が新郎の倉石真君。
これがまたすごかった。このような式に 改修した今井館が使われたとは建築を担当した者として嬉しかった。 音楽芸術も建築芸術も神に奉仕するものだ。

resize1859.jpg 

新婦の淑子さん(ピアニスト)と。
私は葬儀ばかりが多いので、このような明るい式はうれしかった。新家庭の上に神の祝福が
末長くありますように。


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地球は淋しい、人生も淋しい ++++++++ 所感

2011/06/03 20:41

110603(金)TDK日本語版ルカ終了6ケ月半かかった。これで共観福音書が完成。HPNO使徒伝承にアップした。
 

http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/denshou/tskl.htm

●これで新約の36%が終了、新約が終わるまでは「死ぬわけにはいかない」●居間の蛍光灯を取り換え。吹き抜けなので高いところにあって取り替えに苦労した。和紙の照明器具を壊してしまった。●去る5月31日、NHKBSでハッブル宇宙望遠鏡でみる宇宙を見た。何十万光年という途方もない遠いところも見えるとはすごい技術に驚くと共に、地球は塵のような存在で、宇宙の孤児のような存在に急に淋しくなった。●そこで翌日同じキリスト信者の知人に次のようにメールを書いた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
YT兄  OM兄
昨夜はNHKTVで「ハッブル望遠鏡で観る宇宙」を見ましたが、地球は宇宙から見れば塵というような
小さな存在であることを知って、急に淋しくなりました。
また星の大爆発の姿を見て、地球が滅びるときは東日本大震災の騒ぎではないと思いました。
この淋しさから救われるのはただ「有体的復活による永遠の生命」と思います。
両兄との主にある「出会い」は星や星雲の接近のようなものです。出会いに感謝です。
 
高橋照男

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●明日は倉石真氏の結婚式なので、明後日の感話の資料をプリントした。

題名はまた変更して次のようにした。
 

イエスを主と告白する者は神殿宗教になるな

・・・君達は救われたのだから、この世的なものに戻るな・・・
 



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救われた君達は古巣と同じような生活習慣にはならない ++++++++ 所感

2011/06/02 07:13

110602(木)6時目覚め。●朝の啓示「マタイ23章の聖書学者パリサイ人攻撃は内輪に漏らしたイエスの憤激」「救われた君達は古巣と同じような生活習慣にはならない」

●マタイ23章1~36節ではイエスが学者パりサイ人を攻撃している。「裁くな」(マタ7:1-6)と言ったイエスはここでは学者、パリサイ人を「目の見えない案内人」「偽善者」「蛇」「蝮(まむし)の末」と聞くに堪えないような暴言を吐いていてなにか違和感を感じる。これはなぜか。
●この問題を解く鍵は同じ並行記事のマルコ17:37bにある。これは5月2日の感話で述べたのでそれを再掲する。

5月22日感話再掲
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

*並行記事マルコ12:37bは次の「聖書学者、パリサイ人攻撃」への理解に道を開く。
ネストレ、文語、塚本、口語などは段落を設けて次の部分への冒頭であることを示す。マタイ22:45-46を並行記事のマルコ12:37bと比較して見るとそこにはイエスの話しを喜んで聞いた「霊の目のあいている人」の存在があったことが分かる。これに次に続くマタイ23章はイエスが「学者、パリサイ人」を「目の見えない案内人」と攻撃するところである。マタイ23章のイエスの批判攻撃は宗教家の堕落生活そのものに対するものではなく、22章の「キリストはだれの子か」に続くものでイエスを神の子と信じない人間の生活(特に宗教生活)はこうなるのだと言うのである。

塚本訳  マコ 12:37
12:37 (このように)ダビデ自身が救世主を主と言っているのに、どうして(その救世主が)ダビデの子であろうか。」 
  大勢の群衆は喜んでイエスの話を聞いていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 5月22日感話再掲 おわり

●イエスを神の子と見えない人は学者パリサイ人に多くいたが、マルコ12:37bに「大勢の群衆は喜んでイエスの話を聞いていた」とあるように「目の開いている人」は存在した。
●「聖書学者、パリサイ人攻撃」はマタイマルコルカ共に「救世主(キリスト)はだれの子か」という項目に続くものである。
● マルコ、マタイ、ルカはそのように編集した。つまり「学者、パリサイ人」達は目の見えない人と決めつけているのである。
●そしてこの攻撃は「学者・パリサイ人」に対して直接ではなく「目の開いている」内輪の人に漏らしたイエスの愚痴憤激であると読める。
●人は、内輪の人に漏らす愚痴憤慨憤激の中に真実が込められている。
●ニクソン大統領が自分の部屋で内輪漏らした「政敵」に対しての憤慨が、盗聴暴露されて辞任に追いやられた。これがウォーターゲート事件である。人は内輪で漏らす愚痴憤激に真実がある。 

塚本訳 2 ルカ 8:10
8:10 言われた、「あなた達(内輪の者)には、神の国の秘密をさとる力が授けられている(のでありのままに話す)が、ほかの人たちには譬をもって話すのである。これは(聖書にあるように、)『彼らが見ても見えず、聞いても悟らない』ようにするためである。

●マルコ12:37-37-40とマタイ23:1-36、ルカ11:37-54、20:45-47は内輪に漏らしたイエスの憤激である。
●ルカ11:37-54の長い説話はもその前段に「目をただしくせよ」という説話があって、これまた「目の開いてない人」が念頭にある。
●ここで、マタイにある批判攻撃の説話はマルコとルカに比べて非常に長い。これは何が原因か。
●これを考察するにはマタイがこの福音書を書いた歴史的背景に目を向けなければならない。
●マタイの教会にはユダヤ人クリスチャンが多かった。旧約の引用が多いことからそれがわかる。
●するとこのマタイ23章1-36節は、ユダヤ教の神殿宗教から脱しきっていない内輪にいるユダヤ教出身のクリスチャンに対する言わば内部批判でもある。マタイ23章は一見学者パリサイ人という外敵に対する批判のように書いているが、実は内部批判でもある。マタイの編集意図はそこにあった。聖書読者はそのように読まなければならないと言うのである
●マタイ23章の劇烈批判を「目の見えない」学者・パリサイ人に語っても彼らは聞き入れないことをイエスには分かっていた。そういうイエスが「目が開いていない人間」にはまともに言うはずはない。イエスは裁判の席でも言っても分かりそうもない人には沈黙した。(マタイ26:63、27:14、ルカ22:68)。つまり黙秘権を行使した。 


塚本訳  ルカ 22:66-68
22:66 朝になると、国の元老院、すなわち大祭司連や、聖書学者たちが集まって、イエスを彼らの法院の議場に引いていって
22:67 言った、「お前が救世主なら、そうだとわれわれに言ってもらいたい。」彼らに答えられた、「言っても、とても信じまいし、
22:68 尋ねても、なかなか返事ができまい。

●これは我々の不信者に対するあるべき姿勢でもある。大脳皮質に説得しても心の目が開かないうちはキリスト教の信仰は伝わらない。「この世的に立派な先生も信じているよ」という無教会者の伝道姿勢は最悪、最低、無教会退潮の原因は人間崇拝、偶像崇拝にある。天罰だ
● イエスは外敵である学者パリサイ人、つまり目の見えない人には語らなかった。しかし内輪の人には愚痴とも言うべき憤激をしゃべった。
●これは同時にユダヤ教の悪習慣から脱しきれていない内輪のユダヤ人クリスチャンにも向けられていた。だから外部攻撃ではなく「まさか我々目の開いているの集会目の開いている人の中にも、元の古巣ユダヤ教の神殿宗教のような行動をとる人は居ないだろうね」というのがこのマタイ23章を読む時に納得のいく読み方である。
●違和感を感じ身につまされるようなイエスの言葉なのかな―と思わされるようなマタイ23章もマタイの編集意図に触れればその真相が見えてくる。
●ではこれらの批判攻撃の言葉はイエスの言葉ではなく全くマタイの創作かというと、そうではない。個々の批判攻撃の言葉は時に応じてイエスの口に上ったものである。マタイはそれを一挙にここにまとめたのである。それは「山上の説教」)マタイ5-7章」の編集と似ている。いろいろな時に語ったイエスの言葉が一気にそこにまとめて編集された。
こういう考察を聖書の編修史的考察という。20世紀最後の聖書学の主流はこれであった。 ●今日の我々聖書読者は、編集史という学問操作を知らなくても、マタイ23章のイエスの批判攻撃はこの私に向けられたのだと言う姿勢で読めばこれを編集したマタイの意図に添える。
●つまりユダヤ人クリスチャンに向けられた攻撃は「救われた君達は古巣である神殿宗教(この世習慣)と同じような事をしていてはいけない」と読むべきなのである。

●12:00から菅内閣不信任案の議決をTVで見た。菅総理は震災復興のメドがついたら辞任するという。不信任案は大差で否決された。菅総理は自分には四国八十八霊場巡りの仕事が残っていると急に宗教的になった。これは良いことだ。人間宗教に無関心なとき、それは金か女か名誉の亡者になることになっている。


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私は何者になりたいのか ++++++++ 所感

2011/06/01 08:39

67歳11か月。平均余命15年(生命保険会社統計)、5475日、13万1400時間。この時間をすべてキリスト教使徒伝承の連鎖に捧げる。罪と死の悲しみを克服する「十字架の贖罪の福音と有体的復活の希望の喜び」を犠牲的に生きて証人となる。自分のため、親類縁者のため、気の毒な人のため。

110601(水5時目覚め●TSK日本語版ルカ最終章●昨日同窓生のタ君からメールを頂いたがその中に次のような部分があった。「イ先生の葬儀の導師、良かった。神の服を着て列席する話は良くわかった。」少し説明すると共通の恩師イ先生の死去に伴い、無教会クリスチャンの御夫人から依頼され、無教会キリスト教式葬儀の司式を行った(3月1-2日)。タ君はその式に参列して私の式辞を聞いたのだ。そして私を「導師」と見た。次の「神の服を着て列席する話」というのはその式辞の内容は「たとえ信仰がなくて死んでも(イ先生がそうであった)、来世において神の前でキリストの十字架の贖いという「服」を着せてもらえばその時無条件に救われる」というものであった。
●問題は私に対して「導師」と呼んだことである。「導師」とは仏教の僧侶のことであって、キリスト教の用語ではない。そこで「導師」が苦笑した。今朝はこの事について黙想。
●かって玄関に見知らぬ男が来て「あなたは牧師さんですか。」と尋ねられて金をせびられた。いわゆる教会詐欺であった。足元を見たら立派な靴を履いているので「アヤシイ」と睨んで追い返した。
●またある葬儀では会場係から「神父さんですか」と呼ばれたことがある。
●無教会集会ではもう27年間聖書の証をしているが、私は牧師でも、神父でもいわんや「導師」でもない。かといって「伝道者」でもない。無教会の「先生」でもない。そう呼ばれていない。特に無教会の先生となると何カ国語にも通じ、かつ信者の信仰の指導をしなければならない。(教会ではこれを牧会という)。私はこの両面で失格である。●では私は何者になろうとしているのだろう。それを考えさせられた。●これをやれれば死んでも本望だと思うのは「使徒」になることである。かっこよく言えば「使徒教父」になることである。しかし使徒イコール牧師、神父、聖書学者、伝道者ではない。●キリストの使徒はただ十字架と有体的復活の証人である。使徒伝承の担い手である。その証人としての使命さえ果たせればこの人生大満足、大喜悦、大歓喜である●しかし「先生になってはいけない」(マタ23:8-10)。なぜであるか。先生という看板に福音が隠れるからだ●見よ、無教会には「この世的に立派な先生」が多くて福音が隠れているではないか●自己弁護になるが「使徒伝承」を担う者、必ずしも「人格者」「学者」「温厚な人物」でなくてもよい。「この自分は罪から救われ、有体的復活を信じられるようになって楽になった、幸福になれた」という証をすればよいのだ。「あなたも私のように楽になってほしい」と言い続ければよいのだ。聞く人がなくてもよい。特に身内親族にはなぜか福音が伝わらない事になっている。泣くな、それが信者の宿命なのだ。あれもこれもというわけにはいかない。
●というわけで今日もまた明日もそして死ぬまでもHPを通じて「十字架と有体的復活の使徒伝承」をおこなう。宮澤賢治の「雨ニモマケズ」のように「デクノボートヨバレ」ることを人生の目標としたい。●そらみろ。原発事故で文化文明人があわてふためいているとき、デクノボー宮澤賢治の生き方が、日本人の指標になっているではないか。●パウロの次の言葉がひしひしと迫る。「自分の行程」とはあと15年だ。

 口語訳 使  20:24
20:24 しかし、わたしは自分の行程を走り終え、主イエスから賜わった、神のめぐみの福音をあかしする任務を果し得さえしたら、このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思わない。

新共同 使  20:24
20:24 しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。
 
●妻は「塚本虎二著作集」を読む婦人の読書会に千駄ヶ谷へ。午後はMTさんの個展。
●次回感話マタイ(23:13-28)のタイトルを次のように変更


     ユダヤ教からキリスト教が誕生する時の産みの苦しみ

・・・キリストを主と信じる者はまさか古巣と同じようなことはするまい・・・


  有体的復活の使徒伝承

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