to 日記と感想 2012年03月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171030(月)10:00 聖路加 桑本先生
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170824(木)12:10キララホールエントランスコンサート、マリンバ
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170813(日)10:30ナザレン教会浦和教会
    170813(日)14:00比企紀和君
    170812(土)14:00お江戸こらりあーず演奏会、文京シビックホール
    170809     TW誕生日
    170809(水)17:16初音吹奏楽、府中の森芸術劇場ドリームホール
    170808(火)0930池谷医院
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170708(土)14:00在宅医療説明会(キララホール)
    170707(金)10:00池谷医院
    170706      TM誕生日
    170702(日) 集会感話
    170701      TT誕生日
    170630(金)12:20キララホールエントランスコンサート
    170628      IY誕生日
    170627(火)11:00 能城牧師来訪
    170625)日)10:10トミ子集会感話
    170625(日)14:00茅ヶ崎金子邸
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール


第二の死(永遠の死)から免れるために ++++++++ 所感

2012/03/31 06:51

120331(土)4時目覚め。朝の啓示と黙想。「第二の死(永遠の死)に害われないために」
 
塚本訳  黙  2:11
2:11 耳を有っている者は、御霊が(全)教会に言い給うことの何であるかを聴け。勝利者は決して第二の死、(永遠の死)に害なわれないであろう。

●なぜ、キリスト教信仰か。
●死後、霊魂が永遠の滅却にならない為である。
●人は死んだら霊魂が肉体から離れて神の元に行くというのは大間違いである。死後その霊魂は裁かれて、第二の死である永遠の死か、永遠の命のどちらかになる。
●神の救いを受け入れないものは霊魂の永遠の死に遭う。人格の滅却である。 
●それは実に恐ろしいことなので、そういうことにならないように伝道しているのだ。
●だから伝道は人格の陶冶、家庭の幸福、世界の平和の為ではない。個人が滅びから免れるためである。
●これが私的な「伝道の精神」である。
●神は存在するか、裁きはあるか、これは5分5分である。「死んでみなきゃーわからない」。だから「あり」と賭けて生きていた方が算数的にも得であることは猿でもわかる。
●5分5分ならこの世でせいぜい「遊びぬいて」最後の瞬間に「悔い改めでもいいではないか」と思う向きは、そうして見るがよい。実は遊びぬくと遊びではなく「生き地獄」になり、来世でも地獄だから得じゃーないよね。これも猿でも分かるよね。
 ●こういうキリスト教が嫌な人は「仏教」に宗旨替えすべきである。裁きがなく慈悲で救われる。
●「初代キリスト教の敵はローマ帝国ではなくグノーシス主義であった。」日本の仏教はそのグノーシス主義に類似。それは「主知主義」だから分かりやすいが「裁きと赦し」がない。日本にキリスト教が根付かないのは仏教地盤だからだ。キリスト教はその泥沼に足を取られて進めない。

塚本訳  ヘブ 9:27-28
9:27 そして、ただ一度死ぬことと、そのあとで(神の前に出て)裁きを受けることとが人間にきまっていると同様、
9:28 キリストも、ただ一度『多くの人の罪を負う』ために捧げられ、(それから)二度目に、(しかし今度は)罪と関係なく、救のため、彼を待っている者に自分をあらわされるのである。
 
塚本訳  黙  2:11
2:11 耳を有っている者は、御霊が(全)教会に言い給うことの何であるかを聴け。勝利者は決して第二の死、(永遠の死)に害なわれないであろう。

●最後の救いもこの世での救いも「神の絶対恩恵による無条件の罪の赦し」だが、その裏をかいてこの世で遊びぬくとどうなるのかなー。神としてもいい顔しないんじゃーないかな―。 

塚本訳  コロ 1:13
1:13 父は暗闇の権力から私達を救い出して、その愛の御子の王国に移し給うた。 

塚本訳  テト 3:3
3:3 私達とてもかつては無智で、不従順で、(道に)迷い、様々な慾と快楽の奴隷となり、悪意と妬みとに(日を)過ごし、(人に)嫌われ、(また)互いに憎み合っていたのである。

塚本訳Ⅰペテ4:3-4
4:3 というのは君達は過去を(神の御意ならぬ)異教人の意欲を行いながら放埒、情欲、大酒、酒宴、酒乱と禁断の偶像礼拝とに過ごしたが、(もう)充分だからである。
4:4 (しかしかつては共にこれらのふしだらな生活をしていた)彼ら(異教人達)は、君達が(最早)同じ放蕩(生活)の流れに共に身を投じないので、そのことを(驚き)異しみ、(君達を譏るばかりか、遂に)主と神とを冒涜する。

●クリスチャンにされて今は正しい生活になっている人でも、もとを正せば全員が闇の子であった。その時は恥ずかしい性質であった。罪の人間であった。
●だからクリスチャンは今闇の中にうごめいて不自由している人を裁いてはいけない。否、裁けない。それはかっての自分の姿だ。

 
 

●私は「闇の人間」のときは「怒りっぽい」人間であった。・・・今でもだが・・・・。それが神に打ち砕かれて罪の赦しを頂いて、少しは忍耐出来るようになった。(ウッソーと言う人がいる)
●口語訳の「生まれながらの怒りの子」の意味はr塚本訳のように「生まれながら(神の)怒りの(審判に定められた)子であった。」が正解。
●ある人が救いの喜びの感謝の気持ちから塚本虎二先生に「私は生まれつき「怒りっぽい性質」を持つ人間でしたが、主の十字架の救いを頂いて少しは我慢できる人間になれました」と言った。これを知った某氏が壇上からが「聖書をしっかり学ばないからこういう解釈になる」と嘲笑った。するとその後に講壇に立たれた塚本先生は「激怒」。「怒りっぽい性質が十字架の救いで直った」と解釈しても「絶対に決して聖書の読み間違いではない」と聖書は素人読み、本質読みを強調されたことがある。学者読みを非難された。
●私は塚本先生は「大家だなー」と思った。
●今日聖書学の急先鋒と目されている人は学問的にすごいかもしれないが聖書の本質を読めているかどうかわからない。「論語読みの論語知らず」になってはいないか。そういう学者の「解釈や説」に振りまわされるな。「聖書で聖書を読め」。 
●午前中は明日の感話の準備。配布資料印刷。
●午後はTSK日本語版ガラテヤ5章入力。パウロが怒っている。怒っているから文章も簡単で短い。御霊に満たされているとき、肉の思いは入って来ないという。

塚本訳 ガラ 5:16-17
5:16 わたしの意味はこうである。──霊によって歩け。そうすれば肉の欲を満たすことがないであろう。
5:17 なぜなら肉の欲するところは霊に反し、霊は肉に反する。二つは互にさからうものであって、(肉の体をもつ)あなた達は、したいと思うことを、することができないからである。

塚本訳 ガラ 5:19-21
5:19 肉の行いは明らかである。──それは不品行、汚れ、放蕩、
5:20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、嫉妬、激怒、我利、仲違い、党派心、
5:21 そねみ、酩酊、酒宴等々である。前もって言ったことであるが、(今もう一度)あらかじめ言っておく、こんなことをする者は、神の国を相続することがないであろう。

●妻は夕方から合唱の練習。音楽はいいものだ。悲しい時淋しい時苦しい時は音楽に癒される。「悲しいときは悲しい曲を聴け」とは日野原重明先生の言葉。これ「同質の原理」だという。聖書的には「泣く者と共に泣け」である。(ロマ書12:15)。

 

 有体的復活の使徒伝承

   http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/index.html

   

 

 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

      http://stonepillow.dee.cc/

    

     TSK日本語版・目次

    http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/110910.htm

   

   

    ちたた農園日誌(三男が福島県で独立経営する農場)

    http://chitata.blogspot.com/

 
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終末と再臨への祈り ++++++++ 所感

2012/03/30 08:51

120330(金)5時半目覚め●苦難共同体のメンバーからメール。その応答を次のように認めて複数に送った。個人的なことでさしさわりのあることや不要なところを削除し若干修正追加して公開する。改変には工夫がいるものだ。内容は同じ「苦難の渦中」にある人を少しでも慰めようとする目的からある。共通的なものである●私のやっていることに「何か文句あっか」。つまずく人はつまづいてもらおう。私の残り人生は少ない。人生真剣勝負だ。遊んでいるのではない。被害があったらその内容を具体的に申し出てもらいたい。これが親告罪の基本である。すぐ削除する。もし申し出が不当なら言論の自由の侵害なので罰される。その経過は実名入りで公開すする。●それよりも 自分のことを気をつけよ。一度きりない人生だ。自分一個の幸福や自分の所属組織の保身(それは人間組織の営利の奴隷でみっともない)にのみ腐心して「何事も隠そうとする」低級品質の人間」で終わるな。その組織から離脱した晩年は淋しく空しいはずだ。●かって職業倫理から行動していた人物がその社会的立場を離れたら、朝日新聞の論壇にそれまでの不満をぶちまけた。みっともなかった。●営利組織を離れた人間が「定年帰農」(そういう雑誌あり)と言って「農業でもやるか」などど思って田舎に行っても商売にならない。せいぜい家庭菜園程度●「メメント・モリ」(ラテン語の諺で、「死を思え」)..。人間、いつなんどき突然死しないとも限らない。自分も家族も。だから意識のはっきりしているうちに「来世への準備」をしておく必要がある。「神の前に立たされる準備」をしておく必要がある。(ルカ12:13~21、16:1~13。塚本訳で読め)。人生は短い。 

苦難共同体メンバーへのメール ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
苦難共同体のメンバー 各位

 

各位に負わされた重荷、これが各人をして深く正しい信仰に追いやる「愛の鞭」ではないでしょうか。パウロはこの刺を抜いてくれと三度も祈ったそうですがその後「抜けた」とはありませんから「一生抜けなかった」のだと解します。

塚本先生が「聖書知識」の標準読者と言われたUSさん(故人)は、御家庭の事情で一人身になられましたが運悪く結核になり、一人息子のU君を育てられなくなったので「無理心中」をしようとされました。しかしその決行を察知された塚本先生は急遽壇上から「誰かU君を引き取ってくれないか!!」と訴えたところ、Mさんという方が引き受けるところとなり、小さいU君は母と別れてT県に一人旅に出ました。そのときUSさんは狂えるごとくに「終末」を祈られたそうです。U君は長じて「博士号」(N大)を取得されるまでご立派に成長されました。USさんの告別記念会でU氏が「母は自分はもう母ではないと知りつつも最後まで私に対して母であろうとしていた」と感話されたとき多くの人が泣きました。U氏は最近、所属していた無教会集会の責任者TS氏が召されると思うところあって、勇躍その後を引き継がれ伝道に邁進するようになりました。天で御母堂のUSさんはどんなにか喜ばれていることでしょう。万歳!。私はU氏とは信仰の交わりをしています。

新約聖書の通奏低音は「終末と再臨への祈り」であると解します。しかしその祈りはこの世の不幸(それは多くの場合に不条理かつ不可解)によって「追い込まれ」ないと真剣かつ必死になれないものと思います。

 ○○兄の御夫人の「病との戦いは大変です」に同情します。貴殿の「ライフワークの中断」も御心です。塚本先生の新約聖書も未完成、モーツァルトの「レクイエムもシューベルトの交響曲第8番も未完成、斉藤秀三郎の「英和中辞典」も「k」までで未完成でした。しかしそれらは実に素晴らしい名作です。貴殿に置かれましては、ライフワークを中断して現実の仕事を第一にしねければならなくなったこととの事ですが、それは地味ですが「天に宝を積む」ことです。

 ○○兄の御母堂は「息子のところ」に引き受けられてご安心のことと思われます。御母堂の最後の日々が安らかに過ごせますように祈ります。

「苦痛は瞬時にして喜びは永遠」(シラー「オルレアンの少女」の結語。ヒルテイ幸福論の結語)です。

 各位の苦難はそれ自身が私への慰めと励ましです。「マラナ・サ」・・・主よ早く来て下さい。

各位からのメールに「拍車」がかかり、次回の集会の臨時感話(4月22日)の題名を次のようにしました。

「終末と再臨への祈り・・・その希望と喜び」(ロマ818-27

離れていても「苦難の共同体」感謝です。

 

高橋照男

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
苦難共同体メンバーへのメール 終わり
 
●9:30 妻は中野の愛子の家に手伝いに行く。
 
●バッハのカンタータ147番をバッハCDで観賞。アーノンクール指揮、ウィーンコンツェルトムジクス+テルツ少年合唱団。№2と10に「主よ人の望みの喜びよ」がある。
●上記CDはバッハ没後250周年を記念して日本でバッハの全作品CD153枚を収録されたものの一枚である。火災と脳出血で倒れた前年1999年に23万円で購入した。今じゃとても買えない。
●バッハには最初の結婚で7人、(35歳の時にその妻は急死!!)、二度目の結婚で13人の子供があったが、その半数は生れて間もなく、一人は20代で亡くなった。バッハの音楽を聴くとき、幼くして亡くなった子供達の多くが神を賛美しているように私には聞こえるのだ。
●親の悲しみは子供に死なれることである。それは肉体的にも精神的にも。しかしその死は無駄にならないはずだ。音楽の父バッハの背後には半数の子供の尊い死があった。

 
塚本訳  ロマ 12:19-20
12:19 愛する者たちよ、自分で仕返しをするな、(裁きの日の神の)怒りにまかせよ。こう書いてあるではないか、「主は言われる、『仕返しはわたしのもの、』わたしが『報いをする』と。」
12:20 むしろ、『あなたの敵が飢えているなら、食べさせてやれ。渇いているなら、飲ませてやれ。こうするのはその頭に炭火を積むことであるから、(いつかは恥じて悔改める。)』

●この聖句から多くを学ぶ。
●相手を目ざめさせようと思って一喝しようと思う時は19節を読もう。なぜか。神の仕返しの方が決定的にすごいものだから。それは肉体の死ばかりでなく「第二の死」という霊魂の死、つまり「人格の滅却」という実に恐ろしいことだからである。
●「第二の死」とはその人間の霊魂(人格)が未来永劫この宇宙から滅却するというのだ。永遠の別れだ。恐ろしいことではないか。(新約聖書、黙示録2:11、20:6.20:14、21:8)
●愛する人がこの恐ろしい目に遭わないようにするにはどうしたらよいのだろう。祈り切りない。
●20節。「渇いているなら、飲ませてやれ」とは、現代に当てはめれば酒煙草に渇いているなら飲みたいだけ飲ませよ。健康を害して家族を泣かせ本人が「しまった」と思うまで浴びるほど飲ませよ。
●英国に無神論の共産主義(これは金銭への嫉妬が本質)が入ってきた時は米国のように「赤狩り」はしなかった。やりたいだけやらせ、言いたいだけ言わせておいたら自然にやんだ。英国人は賢かった。信仰が深かったからだろう。「悪は惡自身で滅びる」。
●塚本敷衍の(いつかは恥じて悔改める。)は活人生の体験に基づく血のにじむような敷衍である。
●なぜいつか恥じるのか。それは人間だから。禽獣(犬猫にも等しい畜生)ではないから。
●しかしその「いつか」は長くかかる。しかし人生は短い。信者の人生はその十字架のためにある。
●桃栗3年、柿8年、柚のバカヤロ18年、人の救いは最後の日。

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「ため息」は祈りであり、神に聴かれている。 ++++++++ 所感

2012/03/29 06:23

120329(木)5時目覚め●朝の黙想「ため息をつく時」●最近は「ため息」ばかりが出る●「ため息」はどうしようも「手に負えなくなった時」に出るものだ。そのとき人間は「祈る」ということを知っている。●この科学技術の時代に「お祈りなんて効き目がない」と言っている人の上に「どうしようもない苦難」が襲ってくるのは恩恵である。いつまでもツッパッテいないで神にギブアップした方が「賢い」。それは決して恥ではない。屈辱ではない。モノはためしである。何事も実験である。●神は勉強ではわからない。沈思黙考の末に分かるものではない。人生の「手に負えない」大不幸で「ヘルプミ―」と叫ぶ時に分かる。●それは直りにくい病気、災難、失業、貧困、天変地異、不和、家庭崩壊、非行、・・・・しかこれらは人間の知恵と努力で次第に直って来るものだ。●阪神淡路大震災も時が経てば復興した。●しかし人間の手に余ってどうしようもないことがある。それは「罪と死の恐怖」である。これだけはどうしようもない。「頑張っても解決できない」●「罪と死の恐怖」も人間の努力で解決できると思う人は「一つやってみればよい」。うまくいって満足したら死ぬ前に人に教えてから逝っていただきたい●何をやっても真の安らぎと喜びが得られないとき人間ははじめて「福音・聖書」というものに目が行く。「山の上にある町は隠れていることはできない」(マタ5:14)●福音と聖書はそれに完全に答える。否、人間の頭に思いも浮かばなかった「永遠の命」の喜びを「この世で」頂き始める。●「ため息」は、それ自身が尊い「祈り」である。真の祈りへの鞭である。真の信仰への入り口である。聖書を読ませてくれる鞭である。●神は人間の願いを祈る前からご存知だ。

塚本訳  マタ 6:7-8
6:7 また祈るとき、異教人のようにベラベラしゃべるな。彼らは口数が多ければ、聞いてもらえるものと思っている。
6:8 彼らの真似をしてはならない。神はあなた達の父上である。求める前から、あなた達に必要なものをよく御承知である。

塚本訳 マタ 6:31-32
6:31 だから、『何を食べよう』とか、『何を飲もう』とか、『何を着よう』とか言って、心配するな。
6:32 それは皆異教人のほしがるもの。あなた達の天の父上は、それが皆あなた達に必要なことをよく御承知である。
 

塚本訳  Ⅰコリ2:8-9
2:8 この世の支配者のだれ一人、これのわかっていた者はなかった。もしわかったならば、栄光の主(キリスト)を十字架につけなかったはずであるから。
2:9 しかし(聖書に)書いてあるとおり(に実現したの)である。『目も見ず耳も聞かず』、人の『心に起こらなかった』もの、『これを神は御自分を愛する者たちのために』用意された。
 
●聖書それ自身の「祈り」や「希求」は終末による万物の完成である。人間がこの祈りにたどり着くまで人生はあらゆる災難、苦悩が襲ってくる。時に不条理不可解な事が起こるのは「神の招き」だと思う。山上の説教(マタイ5~7章)冒頭の「幸いなるかな」の七服は「神の招きの言葉」だと解する。


塚本訳 マタ 5:3-11
5:3 ああ幸いだ、神に寄りすがる『貧しい人たち、』天の国はその人たちのものとなるのだから。
5:4 ああ幸いだ、『悲しんでいる人たち、』、(かの日に)『慰めていただく』のはその人たちだから。
5:5 ああ幸いだ、『(踏みつけられて)じっと我慢している人たち、』、『(約束の)地(なる御国)を相続する』のはその人たちだから。
5:6 ああ幸いだ、(神の)義に飢え渇いている人たち、(かの日に)満足させられるのはその人たちだから。
5:7 ああ幸いだ、憐れみ深い人たち、(かの日に)憐れんでいただくのはその人たちだから。
5:8 ああ幸いだ、『心の清い人たち、』(御国に入って)神にまみえるのはその人たちだから。
5:9 ああ幸いだ、平和を作る人たち、神の子にしていただくのはその人たちだから。
5:10 ああ幸いだ、信仰のために迫害される人たち、天の国はその人たちのものとなるのだから。
5:11 わたしゆえに罵られたり、迫害されたり、あらん限りの根も葉もない悪口を言われたりする時、あなた達は幸いである。 

●妻はYさんと一緒に大悲願寺での「能」を観賞に行く。帰りに自然が残されている「横沢入り」と父母の住んでいたところを見てきたという。
●最近は夕食の祈りに二人とも篤いものがある。いつもこうでなければいけないのだ。
 

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人に殴られたときはどうするか ++++++++ 所感

2012/03/28 06:28

120328(水)4時半目覚め●朝の啓示「人に殴られたときはどうするか」●長い人生では人に殴られる事がある。言葉の暴力で打たれることがある。●特に信者はその強さと真面目さの故に不信者から復讐というか妬みというか不条理不可解な暴力を受けることがある。●そんなときは信者同士で励まし合わなければならない。●かく言う私自身が勉強になる●効き目のある聖句を掲げる。

口語訳 哀  3:27-29
3:27 人が若い時にくびきを負うことは、良いことである。
3:28 主がこれを負わせられるとき、ひとりすわって黙しているがよい。
3:29 口をちりにつけよ、あるいはなお望みがあるであろう。

●「主がこれを負わされたのだ」と思えばよい。

塚本訳   ルカ 23:22
23:22 三度目にピラトは彼らに言った、「いったいどんな悪事をこの人がはたらいたというのか。わたしはこの人に何一つ死罪にあたる罪を認められなかった。だから鞭うった上、赦すことにする。」

●イエスに罪はなかったが、鞭うたれた。罪なきイエスが鞭打たれたのなら「罪と落ち度のあるこの自分が打たれるのは当然」と思わなければならない。
●イエス時代の鞭の先には動物の骨があったから、打たれるたびに肉が裂けて血が流れた。いたかっただろうなー

塚本訳  Ⅱコリ11:24-26
11:24 ユダヤ人から「四十マイナス一」の笞の刑を五度受けた。
11:25 (ローマの)笞で打つ刑を三度受けた、一度石打ちされた、三度難船し、一度は一昼夜漂流した。
11:26 度々旅行して、川の危難、強盗の危難、同国人の危難、外国人の危難、都会の危難、荒野の危難、海の危難、偽兄弟の危難に遇った。


●あのパウロも打たれた。しかし耐えた。
●だからイエスもパウロも同じ目に遭ったのだ。鞭でないだけよいと思わなければならない。 

塚本訳  使  5:40-42
5:40 使徒たちを呼びいれて(鞭で)打ち、(今後決して)イエスの名を使って話をしてはならないと命令して、釈放した。
5:41 さて、彼らは御名のために恥を受けるに足る者とされたことを喜びながら、法院から出ていった。
5:42 そして毎日、宮や家々で教えること、すなわち救世主イエスの福音を伝えることを、やめなかった。

●ペテロや使徒たちも鞭で打たれたが、「御名のために恥を受けるに足る者とされたことを」喜んだというのだから偉い。
●そして懲りずに「福音を伝えることをやめなかった」というのだから痛快である。
●だから信者たちよ「ひるむな」「信仰を持ち続けよ」。終末は近い。主の裁きと救いは近い。 


塚本訳  Ⅱテサ1:5
1:5 (実はかく)君達が苦しんでいることが(とりも直さず)神の正しい(最後の)審判の(既に切迫している)兆であり、(またそれにより)君達が神の国に相応しい者とされるためであって、君達は(今)その御国のために苦しんでいるので


●今の苦しみは無駄に終わらない。人のため、自分のためである。

 文語訳  ロマ 8:18
8:18 われ思うに、今の時の苦難は、われらの上に顯れんとする榮光にくらぶるに足らず。

口語訳 ロマ 8:18
8:18 わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。

塚本訳  ロマ 8:18
8:18 (しかもこの苦しみは恐れることはない。)なぜなら、わたしはこう考える。今の世の苦しみは、わたし達に現われようとしている栄光(──キリストと一しょに神の国の相続人になる最後の日の大いなる光栄──)にくらべれば、言うに足りない。

●このロマ書8章18節は20年前に召された父の特愛の句で、何度も聴かされた。この句は私が子孫に伝承すべきものである。伝承してもらいたい。父は今でもこれを語り続ける。 

塚本訳Ⅰコリ10:13
10:13 人間の力に余る試みが、あなた達をおそったことはないのである。神は誠実であられる。あなた達が耐えられない程に試みられることを、お許しにならない。試みに添えて、(かならず)逃げ道をもつくっておいてくださるので、それに耐え得るのである。

この苦しみは神が知っていて下さるという思いが苦しみを耐えさせる。「今にみておれ」と思え
●それに反して「誰にも知られない」と言う思いは耐えることができない。

塚本訳 マタ 5:38-42
5:38 あなた達は(昔の人がモーセから、)『目には目、歯には歯』──(人の目をつぶした者は自分の目で、人の歯を折った者は自分の歯で、つぐなわなければならない)と命じられたことを聞いたであろう。
5:39 しかしわたしはあなた達に言う、悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打ったら、左をも向けよ。
5:40 (裁判所に)訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせてやれ。
5:41 だれかが無理に一ミリオン[一キロ半]行かせようとするなら、一しょに二ミリオン行ってやれ。
5:42 求める者には与えよ、借りようとする者を断るな。

●この山上の説教の言葉は「救われた者の行動基準」。
●殴られたら、殴り返すと思うのは罪のこの世の人間の常識。これが戦争や裁判制度の根本。信者は違う
●しかし「山上の説教」は守れない。信者も人間だから相手を報復で目を覚まさせようと一発殴ってしまうこともある。
●この私も職場で言葉の暴力を受けて「カーッ」となり一発殴ったことがある。そのとき上司から「殴っちゃいけないよ」と説教した上司もいれば「高橋よくやった。仕事中はそれくらいの真剣さが必要だ」と褒めてくれた人もいた。こちらも反省していたので後者の方がずっとありがたかった。説教というのは良くないものだ。
●「山上の説教」(マタイ5~7章)はこれを守っても救われないし、守れなくても失格ではない。 ●人は「絶対恩恵の無条件の罪の赦し」で救われるのだから。  
 
塚本訳  ルカ 9:23
9:23 それから今度は皆に話された、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、毎日自分の十字架を負い、それからわたしに従え。

●十字架は「自分の十字架」だ。天下国家の批判ではない。平和運動ではない。自分の十字架は恥である。親しい人にも言えないことである。しかしそれが本当の十字架である。
●その十字架は「毎日」負えと言う。毎日、毎日は遂に何年にもなる。一生になるかもしれない。
●しかしそれは神に記憶されている。密かに流す涙と祈りが神に聴かれる。これが「天に宝を積む」ことだ。 

塚本訳  マタ 6:12-13
6:12 罪を赦してください、わたしたちも罪を犯した人を赦しましたから。
6:13 わたしたちを試みにあわせないで、悪から守ってください。

●これも山上の説教の中にある「主の祈り」。
●「主の祈り」は毎日唱えるものである
●祈る前に人を赦さなければならない。 


塚本訳  ルカ 23:33-34
23:33 髑髏という所に着くと、(兵卒らは)そこでイエスを十字架につけた。また罪人も、一人を右に、一人を左に(十字架につけた)。
23:34 するとイエスは言われた、「お父様、あの人たちを赦してやってください、何をしているか知らずにいるのです。」『彼らは籤を引いて、』イエスの『着物を自分たちで分けた。』

●イエスは十字架につけられてもなお人を赦した。神の「絶対恩恵による無条件の罪の赦し」の見える形。
●信者は人を赦すことによって「敗者」になるとき、神の栄光が現われるのである、そして遂に相手が救われるのだ。
●「何をしているか知らずにいるのです」というのだから、殴る人間は。悪魔に魅入られた気の毒な「今のところ悪霊つきの狂人」だと思えばよい。

塚本訳  マコ 5:1-5
5:1 かくて湖の向う岸、ゲラサ人の地に着いた。
5:2 イエスが舟からあがられると、すぐ、汚れた霊につかれたひとりの人が墓場から出てきて、イエスを迎えた。
5:3 この人は墓場を住家としていたが、もはやだれも、鎖ですらつないでおくことが出来なかった。
5:4 幾たびか足桎と鎖でつないだが、鎖を引きちぎり、足桎を打ちこわして、だれの手にもおえなかったのである。
5:5 どなったり、体を石でなぐったりしながら、夜も昼も、いつも墓場や山にいた。

塚本訳 マコ 5:12-15
5:12 霊どもは、「わたしどもをあの豚の中にやって、あれに乗り移らせてください」と願った。
5:13 お許しになると、汚れた霊どもは(その人から)出ていって豚に乗り移った。すると二千匹ばかりの群はけわしい坂をどっと湖へなだれこみ、湖で溺れて死んだ。
5:14 豚飼たちは逃げ出して、町や部落に知らせたので、何事がおこったのかと人々が見に来た。
5:15 彼らはイエスの所に来て、前に一軍団の悪鬼につかれていた者が着物をき、正気にかえってじっと座っているのを見ると、恐ろしくなった。


●神は悪霊を負い出してくださる。
●神に悪霊を追い出された人は「正気」にかえる。
●正気にかえるのはこの世でなくても終末でよい。人生は短い。
●クリスチャンは、総て元はこの「ゲラサの狂人」であった。墓場に住んで鎖を引きちぎる気違いであった。自戒。
●それが神の奇蹟で悪霊を追い出して頂いたのだ。人を裁けない。

新共同 黙  1:7
1:7 見よ、その方が雲に乗って来られる。すべての人の目が彼を仰ぎ見る、/ことに、彼を突き刺した者どもは。地上の諸民族は皆、彼のために嘆き悲しむ。然り、アーメン。

●「桃栗3年柿8年、柚の大馬鹿18年。人の救いは最後の日」
●不信者は生きているうちに信者を「生意気だ」と「思って打ったり売ったり刺したりする。しかし最後の審判でその行為を悔いて自分自身を嘆き悲しむ。それで良いのだ。
●信者は打たれて殺されとき「一粒の麦で死んだ」ことになる。そのことによって実を見るのだ。これ信者の勝利、希望の根拠だ。 


塚本訳  ヨハ 12:23-25
12:23 するとイエスは(非常に感動して)二人に答えられる、「人の子(わたし)が栄光を受ける時がついに来た。
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)
12:25 [(この世の)命をかわいがる者は(永遠の)命を失い、この世で命を憎む者は、命を守って永遠の命にはいるであろう。

●信者は、一粒の麦となって死のう
●人生はこの世の充実が目的ではない。この世は来世への準備である。不利、不足、不完全のほうが準備が熱心になれる
●伴侶のため、子供のため。これ栄光の最高の人生観である。
●出世、健康長寿、財産、成功。こんなものクソクラエ。それはこの世の凡人の求めるもの。
●この世の学問、地位、家庭、子育て、健康、経済。これらを失って流す涙は総て来世への準備となる。

塚本訳  Ⅱコリ12:7-9
12:7 そしてこれらの素晴らしい啓示があるので、わたしが高慢にならないようにと、わたしの肉に一つの刺が与えられた。悪魔の使いであって、これはわたしが高慢にならないようにと、わたしをうつものである。
12:8 この使について、それがわたしから手を引くようにと、三度まで主に願ったが、
12:9 主は(その都度)言われた、「わたしの恩恵はあなたに十分だ。力は弱さの中に完成されるのだから。」、それでわたしはキリストの力がわたしに住みついてくださるように、大喜びで、むしろ(自分の)弱いことを自慢しよう。

●神はサタンをつかって信者の高慢を打つ。自戒、反省、悔い改めをするべきだ。
●神はこれによって信者の落ち度を清められる。信者の凡庸な人生観を捨てさせられる。 
●「打ち給え、御存分に打ち給え、鞭の下より我またすがる」(藤井武)。内村鑑三の弟子の伝道者であった藤井武は日本における男女間の不道徳を嘆き「日本よ、滅びよ!」と叫んだ。42歳の若さで花と散った。しかし彼の叫びは今も心の中に生きる。
●凡庸な遊び人間が馬齢を重ねても意味はない。そういう人生観は後世にまた家族にまた子供に良い影響は与えない。
 
塚本訳  マコ 10:28-31
10:28 ペテロがイエスに、「でも、わたし達は(あの金持とちがいます。)この通り何もかもすてて、あなたの弟子になりました」と言い出した。
10:29 イエスは言われた、「アーメン、あなた達に言う、わたしのため、また福音のために、家や兄弟や姉妹や母や父や子や畑をすてた者で、
10:30 今、この世で──迫害のうちにおいてではあるが──百倍の家と兄弟と姉妹と母と子と畑とを、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。
10:31 しかし(決して油断をしてはならない。)一番の者が最後になり、最後の者が一番になることが多い。」

●30節の「迫害のうちにおいてではあるが」は謎の言葉であったが、信者は信仰に熱心になればなるほど不信者と亀裂が深まって迫害(暴力、悪口)を受ける。これは信者の信仰が深められた証拠であるから、喜ぶべきである。

塚本訳 Ⅰコリ7:28
7:28 しかしたといあなたが結婚したからとて、罪を犯したことにはならない。またたとえ処女が結婚しても、罪を犯したことにはならない。しかしこんな人たちは、肉体に苦しみがあるにちがいない。わたしはあなた達をそんな目に合わせたくないのである。

●パウロは信者の若い女性に積極的に結婚を勧めなかった。結婚してもよいが「肉体に苦しみがある」と言っている。不信者の夫の暴力を予感していたのではないだろうか。
●パウロが積極的に結婚を勧めないのは「世の終わりが近いから」というのがその理由。
●結婚に限らず、パウロの考えはすべて「現状維持」。
●職業も、家庭も、家族も、国家も、社会も現状維持とせよ。間もなく終末再臨で総てが完成し清められるのだというのだ。 

塚本訳  Ⅰコリ16:21-22
16:21 (最後に、)パウロが自筆で挨拶する。
16:22 主を愛しない者があるなら、呪われよ!、マラナ、サ(主よ、来てください)!

●苦難は人を清める。終末と再臨を望ませる深い信仰に導かれる。
 
●妻はおはぎを作って知人のSMさんに差し上げた。
●人生はいかに良い人脈を作るかだ。「朱に交われば赤くなる」。「悪い友達」と交わるな。それは堕落の始まり。
●良い人脈は自ら進んで得るようにすれば得られる。


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神が創られたものを愛する心 ++++++++ 所感

2012/03/27 08:16

120327(火)4時半目覚め●朝の啓示「被造物を愛する心」。被造物という言葉は神学用語なのでタイトルを「神が創られたもの愛する心」にする。これに関する聖句を思いつくままに掲げる●これ毎朝の楽しみ。生涯続けたい。●被造物への愛は神への愛から生れる。これヒューマニズムからは生まれない。


口語訳 詩 24:1
24:1 地と、それに満ちるもの、世界と、そのなかに住む者とは主のものである。
 
 
●被造物は総て「神のもの」。人間に所有権はない。

口語訳 申 10:14
10:14 見よ、天と、もろもろの天の天、および地と、地にあるものとはみな、あなたの神、主のものである。
 
 
●太陽も星も空も宇宙も地球も元素もこれみな神のもの。放射能は神の主権をさしおいて新しい物質をr作り出したv人間の「おごり」。神の祝福がえられなかった。原子力開発の動機はヒットラーをコロすこと目的であった。(マンハッタン計画)
●神は為すがママにしておいたから、人類は核戦争の恐怖におびえている。
●新物質の一つや二つを造り出したことに有頂天になり、殺人兵器を造り出したことがそもそもの誤り。キュリー夫人が泣いている。
●原子力平和利用は結果的に「制御不能物質」になっている。チェルノブイリ、フクシマ。それは杉の句の通り。 
 

塚本訳  ロマ 1:28
1:28 こうして彼らは神を知ることを役に立たぬものと考えたので、神の方でも、彼らの心が役に立たなくなるに任せられた。その結果彼らは(人として)なすべからざることをするようになったのである。
 

●「悪は悪自身で滅びる」。国家も教育行政も、営利第一の企業も、健康長寿経済的安定の大往生を目指す人生も、家庭団欒をめざす家も、神抜きの子供教育も、神抜き(!)の親睦団体の教会(無教会)も、使徒伝承抜き(!)の信者も。然り「地球は滅びる」。「メメントモリ」(死を思え)。

口語訳 創 1:1
1:1 はじめに神は天と地とを創造された。 
 
●人類は「生命操作」を出来るようになったと「おごって」いると、原子力に匹敵するぐらいの禍が来る。人間は生命を無から有として創りだせない。


口語訳 創 1:31
1:31 神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。 
 
●「良かった」rというヘブライ語は「美しかった」という意味があると、月本昭男先生に教えられた。地球が汚れはじめたのは人間の罪。原子力発電所は廃棄物処理のことまで考えないで発信したから今になって捨て場に困っている。
●トイレや下水処理施設を造らないで家や都市を造ったような「もの。
●放射能廃棄物は向こう10万年以上消えないと言う。

口語訳 創 1:27
1:27 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。
 
 
●人間は生命を創れても「人格」までつくれない。生命を生み出せてもそれは肉的物質レベルのもの。ましてや「永遠の生命」は作れない。

口語訳 創 2:15
2:15 主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。

●これ人間労働の本質。神の創られた園を管理する事。人間は従業員。 
 

新共同 創  1:28
1:28 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」

●不信者の知識人はこの「支配」と言う言葉にキリスト教文明の悪を見ているが、当たらない。罪の人間が「支配」するから神の祝福を受けないから地球がダメになっているのだ。
●不信者の知識人は言う。だからキリスト教は駄目で「共生」だの「東洋の心」だと言うが、考えが浅い。


塚本訳  マタ 22:36-40
22:36 「先生、どの掟が律法の中で最大ですか。」
22:37 イエスは言われた、「『心のかぎり、精神のかぎり、』思いの『かぎり、あなたの神なる主を愛せよ。』
22:38 これが最大、第一の掟である。
22:39 第二もこれと同じ(く大切である)。──『隣の人を自分のように愛せよ。』
22:40 律法全体と預言書と(聖書)は、この二つの掟に支えられている。」 
 
●人を愛する心は「神を愛する心」から生れる。それなしの単なるヒューマニズムでは人をあいせない。それは自己宣伝。
●人類皆兄弟の精神えd愛しあえば宗教や信仰はいらないの言う人はあやまり。「兄弟が仲良くしても「オヤジ」を認めないからである。
●兄弟や妻子が結託して堅い「オヤジ」を批判排除するのは間違っている。創造の秩序が破壊されているからである。そういう家庭は神に祝福されないで堕落崩壊し、子子孫孫まで立ち直れない。

塚本訳  マタ 5:21-26
5:21 (だからわたしの戒めは彼らよりもきびしい。)──あなた達は昔の人が(モーセから、『人を)殺してはならない、』殺した者は裁判所で罰せられる、と命じられたことを聞いたであろう。 5:22 しかしわたしはあなた達に言う、兄弟に腹をたてる者は皆、(ただそれだけの理由で、天国の)裁判所で罰せられる。兄弟に馬鹿と言う者は、最高法院で罰せられる。畜生と言う者は、火の地獄で罰せられる。
5:23 だからもし、あなたが祭壇に供え物を捧げるとき、そこで兄弟に恨まれていることを思い出したなら、
5:24 供え物をそこに、祭壇の前に置き、まず行ってその兄弟と仲直りをし、それからかえって来て供え物を捧げよ。
5:25 また告訴人とは、一しょに(裁判所へ)行く途中で、早く示談にするがよい。そうでないと、告訴人は裁判官に、裁判官は下役にあなたを引き渡して、牢に入れられるにちがいない。
5:26 アーメン、わたしは言う、最後の一コドラント[十円]を返すまでは、決してそこから出ることはできない。


●人殺はなぜいけないか。神の所有物の「器物損壊」の罪であるから。
●自殺はなぜいけないか。自分の身体が自分の所有物であるから自分で壊してもよいという間違った考えだからである。
●日本の「心中」ものは世界的にみて、最悪の思想。
●神抜きの人間同士の愛がそんなに大切か!!。恋愛がそんなに楽しいか。それは不自由そのものであることを知れ。
●神を信ずる者の存在は神を信じない者にとって脅威である。なぜか。自分の罪の恐怖から「自分が常に批判され殺されているように」感じるからである。だから信者を攻撃する。悪魔の防衛戦えだる。復讐である。親がが熱心なクリスチャンの家庭の子供に悪魔が入ると親子分裂がおこるのはそのため。クタバレ悪魔。クタバレサタン。出て行け悪霊。
●だから熱心な信者が伴侶や子供や親兄弟から忌み嫌われるのは当然である。それはサタンが狙いをつけて最も愛すべき人に悪霊という毒素を注入しているからである。
●信者よこの悩みに「ひるむな」「信仰を捨てるな」。それは信者特有の涙であって、その苦悩それ自身が「天に宝を積んでいることになるのだ。この世に調子を合わせてはならbない。いつまでも「堅い人間」「強い人間」「コワモテオヤジ」であり続けよ。いつかわかる。終末でわかる。だから踏ん張って生き抜け。この苦しみは「信者としての宿命だ」と思え。神は知っていて悪霊を追い出す。 

塚本訳  マタ 10:28
10:28 体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。

●矢内原忠雄は戦争に反対する同士が国家組織からは買う害されたとき、この言葉を言って仲間を励ました。
●東大を負われたが、戦後になって矢内原を追放した人物は首つり自殺した。彼は二度罪を犯した。人間にも神にも。

塚本訳 2 ルカ 23:34
23:34 するとイエスは言われた、「お父様、あの人たちを赦してやってください、何をしているか知らずにいるのです。」『彼らは籤を引いて、』イエスの『着物を自分たちで分けた。』


●ユダはイエスを売り、また悔いて首をつって自殺をした。二重の罪をおかした。
●しかし神はそのような人物をも赦す。終末の日には「絶対恩恵の無条件の罪の赦し」でユダも赦されると信ずる。
 

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苦しみを忍ぶ方法 ++++++++ 所感

2012/03/26 05:52

120326(月)4時15分目覚め●朝の啓示「苦しみを忍ぶ方法」●不幸や艱難は不思議に続くものである。●私の場合は12年前の家屋の焼失と脳出血●あのとき集会の老婦人STさん(故人)は言ってくださった。「神様は高橋さんを『これでもか、これでもか』と打ちすえておられるのですよ」と。●また娘の愛子は「お父さんには神様がついているから大丈夫」と言った。●言葉は慰めと励ましの手段である。●そこで現在重い苦難に遭遇している人を思って示された聖句を掲げる。  
  

塚本訳  ロマ 8:22-24
8:22 わたし達が知っているように、全創造物は(かの日から)今まで、一しょになって呻き、一しょになって産みの苦しみをしている。(父なる神がこの  呻きに耳を傾けられないことがあろうか。)
8:23 しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証拠として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである。
8:24 なぜなら、わたし達は(最後の日に救いが完成されるという)望みをもって、救われているからである。目に見ることのできる望みは望みではない。人はいま現に見ているものを、なんでその上望む必要があろうか。


●これは去る3月11日、三男の恵が東京聖書読者会の感話で結論として読もうとして絶句したところである。もらい泣きした。
●人間、これがわかれば人生大成功である。
●息子にこれを分からせてくれた東日本大震災と福島原発に感謝する。

塚本訳  マコ 10:29-30
10:29 イエスは言われた、「アーメン、あなた達に言う、わたしのため、また福音のために、家や兄弟や姉妹や母や父や子や畑をすてた者で、
10:30 今、この世で──迫害のうちにおいてではあるが──百倍の家と兄弟と姉妹と母と子と畑とを、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。

●3月25日の集会の感話で妻は「我が家は火災で土地と家を失ったが、百倍以上の恩恵を頂いた」と話した。
●この世のものが奪われても「なんのこれしき」だ。神は回復して下さる。終わりは永遠の命だ。

塚本訳 Ⅱコリ4:4
4:4 彼らの場合、この不信者たちの考えをこの世の神(である悪魔)が盲にして、神の影像である救世主の栄光をつげる福音の光を見ることができないようにしたのである。


●日本では99%が不信者。その理由は悪魔に毒素を注入されているからだ。悪魔に噛みつかれているからだ。人間は悪くない。憎むべきは悪魔、悪鬼、悪霊、サタン、 である。
●だから信者の祈りは愛する人の悪霊からの解放である。それは祈りによってのみ可能

塚本訳 マタ 12:28
12:28 しかし、もし(そうでなく、)わたしが神の霊で悪鬼を追い出しているのであったら、それこそ神の国はもうあなた達のところに来ているのである。

●全能の神は人間から「悪鬼」を追い出せる。追い出してくれる。これ絶対である。信じ込む。

口語訳 黙  21:4
21:4 人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。

●この世で流す涙は「天に宝を積む」ことなのだ。それは決して無駄に終わらない。祈りは聴かれる。なぜか。神は人が流す涙の一粒、一つ粒を、その回数を、その粒の数を知っていて下さる。

塚本訳  マタ 10:28-33
10:28 体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。
10:29 雀は二羽一アサリオン(三十円)で売っているではないか。しかしその一羽でも、あなた達の父上のお許しなしには地に落ちないのである。
10:30 ことにあなた達は、髪の毛までも一本一本数えられている。
10:31 だから恐れることはない。多くの雀よりもあなた達は大切である。
10:32 それだから(恐れずに説け。)だれでも人の前で(公然)わたしを(主と)告白するものを、わたしも(裁きの日に)、わたしの天の父上の前で(弟子として)認める。
10:33 しかしだれでも人の前でわたしを否定する者を、わたしも天の父上の前で否認するであろう。

●神は流す涙の粒数を知っている。なぜか。「髪の毛までも一本一本数えられている」からである。神の毛さえ数えられているyなら涙の数はなおさらだ。
●だから、粘って信仰を捨ててはいけない。「ここが我慢のしどころ」「何のコレシキ」と言えばよい。

口語訳 Ⅰコリ7:29-31
7:29 兄弟たちよ。わたしの言うことを聞いてほしい。時は縮まっている。今からは妻のある者はないもののように、
7:30 泣く者は泣かないもののように、喜ぶ者は喜ばないもののように、買う者は持たないもののように、
7:31 世と交渉のある者は、それに深入りしないようにすべきである。なぜなら、この世の有様は過ぎ去るからである。

●人生は短い。終末は近い。馳せ場を走り抜けるように生きるべきである。苦難は信仰を深める。自分を清めてくれる 

塚本訳 Ⅰコリ16:22
16:22 主を愛しない者があるなら、呪われよ!、マラナ、サ(主よ、来てください)!

●東日本大震災と福島原発事故で私は終末を必死に祈った。新天新地の出現を祈った。

塚本訳 Ⅰテサ4:14
4:14 私達が信ずるようにもしイエスが死んで復活し給うたならば、神はイエスによって眠った者をも同様にイエスと共に連れ来たり給うであろうから。

●イエスの有体的復活は歴史的事実。だから再臨も歴史的に確実。 

●妻は中野の愛子の手伝い。7:30出発17:30 帰宅
●愛聴していたクラシック番組。NHKFM「気ままにクラシック」が今日で終了。イントロクイズの戦績は65勝15敗、勝率81.2%。 

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我が家の上にきれいな三日月と金星。
クリスマスの夜を連想する。
我々の残りの日々に神の祝福があることを切に祈る。
我が家から巣立って行った4人の子供達の家庭の上に
神の豊かな祝福があるように祈る。
 

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若き日に負わされる十字架は益となる ++++++++ 所感

2012/03/25 06:16

120325(日)5時目覚め●朝の啓示「若き日に負わされる十字架は益となる」●今まで信仰の篤い尊敬する人物に出会ったが、そのほとんどが若き日に本人のせいではない不条理で不可解な十字架を負わされた。●故NNさんは私と家族に影響を与えた非常に信仰の篤い御夫人であったが、癌で亡くなられたあとに医師のご令息が遺体解剖したところ、家族の誰にも知られていなかった結核の病巣の古い痕跡があった。私は告別式の司式で「神はNNさんの若き日に胸に一撃を加えて彼女を信仰の人にした。彼女の信仰の深さの秘密はそこにあった」と語った。誰にも知られなかった秘密の傷であった。●その他、「若き日の秘密の傷」の悩みにより信仰が深いくなった人を何人も知っている。●関連聖句をみてみよう。

口語訳 哀  3:27-29
3:27 人が若い時にくびきを負うことは、良いことである。
3:28 主がこれを負わせられるとき、ひとりすわって黙しているがよい。
3:29 口をちりにつけよ、あるいはなお望みがあるであろう。

●これは私が若い日に知って慰められた言葉である。
●若い日の苦しみは実に不条理かつ不可解なものであるが、それによって人生の希望のコースを歩めなかったならそれは大なる「益」である。これで宗教に凝ったわけではない。得ようとしても得られなかった真の幸福の道を与えられたからである。
●29節の「口をちりにつけよ」という言葉から、そのくびきがいかに重いものであったかがわかる。「どうしようもない、手に余る苦しみ悩み悲しみ」ほどその結果得られる喜びは大きい。
●私の所属する「午後三時祈りの友会」は結核患者の「苦難共同体」である。私は若き日に結核で悩み苦しんだ父の衣鉢を継いでこの会に「加祈者」として加わっている。この団体の「絆」は神学的信仰的信条的一致ではなく、「苦難の共同体」の認識である。だから信仰のイキがいい。 

塚本訳  Ⅱコリ12:7-9
12:7 そしてこれらの素晴らしい啓示があるので、わたしが高慢にならないようにと、わたしの肉に一つの刺が与えられた。悪魔の使いであって、これはわたしが高慢にならないようにと、わたしをうつものである。
12:8 この使について、それがわたしから手を引くようにと、三度まで主に願ったが、
12:9 主は(その都度)言われた、「わたしの恩恵はあなたに十分だ。力は弱さの中に完成されるのだから。」、それでわたしはキリストの力がわたしに住みついてくださるように、大喜びで、むしろ(自分の)弱いことを自慢しよう。


●パウロの刺とは眼病ともてんかんとも言われる。「この病気さえなかったらもっと活動できるのになー」と思ったに違いない。。「三度も祈った」とは毎日しきりに祈ったということである。
●そしてこれは「悪魔の仕業」だと思った。
●そうだ。神は悪魔を使って信者の信仰を深くして、総てを益にするのだ。
●「それがわたしから手を引くように」祈ったとは、その気持ちが十分にわかる。「サタンをやっつけて下さい」とは人間として 偽らざる祈りである。イエスも「サタン」の存在を深く認識した。
●ところが意外や意外神の声は」「わたしの恩恵はあなたに十分だ。力は弱さの中に完成されるのだから。」。
●何という厳しい言葉だ。神は愛なら現実のこの苦しみと病気の刺をとり去ってください、と思うのが普通である。こんなとき「感謝、感謝、我慢します」などといったら、神も拍子抜けである。痛い時は大泣きすればよいのだ。イエスだって何度も何度も泣いたではないか。ラザロの死で、エルサレムの滅びを予感して、そしてゲッセマネで。
●ゲッセマネでは「この杯を通り去らせて下さい」と必死に祈ったではないか。これはパウロも同じであった。
●そのパウロは、苦難の意義を次のように言った。
 

塚本訳  ロマ 8:28
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。

塚本訳  ロマ 8:28
8:28 神を愛する者、すなはち御旨によりて召されたる者の爲には、凡てのこと相働きて益となるを我らは知る。

●文語訳は20年前に召された父から「耳にタコができるほど」聴かされた言葉である。ヒルティの愛唱句でもあった。
●この「益」とは何か。塚本訳の通り「救いに役立つ」ことである。
●「若き日の苦労は買ってでもせよ」という日本の格言は「この世的成功」を目指しているから次元が違う。
●しかしこのロマ書の言葉は苦難の渦中にある時は効き目がない。苦難の渦中にはただ呻き泣き悲しみ悲しめばよいのだ。
●なぜか。それによって自分も清められ信仰も深められるからだ。そのことをヘブル書は次のようにいう。

塚本訳 ヘブ 5:7-10
5:7 彼はその(地上における)肉の日に、烈しい叫び声と涙とをもって、彼を死から救い得るお方に向かって祈りや嘆願を捧げ、その敬虔のゆえに聞きいれられた(方である)。
5:8 彼は御子であるにもかかわらず、苦しみをうけて従順を学び、
5:9 完成されたので、(今度は彼が、)彼に従順であるすべての人に対して『永遠の救の』本源となり、
5:10 神から『メルキゼデクと同等の』大祭司と呼ばれたのである。

●神の子イエスでさえ、「烈しい叫び声と涙」であったが、それによって神に対して「従順」を学んだと言う。
●罪と汚れの人間が苦難によって「従順」を学ぶのは当然である。
●不可解で不条理な艱難は自分を清め信仰を深め、周囲の人間を真の救いに導く。
 
●集会は川上、高橋トミ子、(畑を失った者の幸福に言及)。小寺利男。
●高橋トミ子(妻)は三男の恵が福島原発事故で畑と農業を失ったが、かって我が家は火災で家と土地を失わされることにより百倍以上の恩恵を頂いたと感話をした。

塚本訳  マコ 10:29-30
10:29 イエスは言われた、「アーメン、あなた達に言う、わたしのため、また福音のために、家や兄弟や姉妹や母や父や子や畑をすてた者で、
10:30 今、この世で──迫害のうちにおいてではあるが──百倍の家と兄弟と姉妹と母と子と畑とを、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。


 ●14:00 内村鑑三記念キリスト教講演会。・今井館聖書講堂。
司会新井明。田口宗一「弱者小人の信仰。白井徳光「希望の源泉」。
白井氏の話しは終末再臨復活に希望を置くという素晴らしい講演であった。終了後の懇談会で感謝の気持ちを述べた。
●千葉眞氏と懇談しながら帰った。信仰的に有益な話であった。
 
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今井館聖書講堂で、「内村鑑三記念キリスト教講演会」

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今井館資料館。本年6月に23年務めた理事職を辞任する。
思い出の建物。今井館に神の祝福あれ。


 有体的復活の使徒伝承

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嘆き悲しみの涙の日に ++++++++ 所感

2012/03/24 05:59

120324(土)4時目覚め●朝の黙想「嘆き悲しみの涙の日に」●人生、泣く事は良いことである。号泣することは良い事である。慟哭することは良いことである。呻くことは良いことである。なぜか。神が近づいてくださるからだ。「涙、号泣、慟哭、呻き」なしに人間に神はわからない。 
 

塚本訳  マタ 5:4
5:4 ああ幸いだ、『悲しんでいる人たち、』、(かの日に)『慰めていただく』のはその人たちだから。 
 
●塚本訳敷衍の(かの日に)は、終末を念頭に置いている。真の慰めは地上の完全ではない。終末の日の万物の救いと完成である。


口語訳 黙  21:3-4
21:3 また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、
21:4 人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」

●総ての完成は終末の日である。そのとき涙は拭われる。万人が清められ救われるからである

新改訳 詩  84:5-6
84:5 なんと幸いなことでしょう。その力が、あなたにあり、その心の中にシオンへの大路のある人は。
84:6 彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。

●涙の谷は暗い、淋しい、先が見えない。

口語訳 詩  126:5-6
126:5 涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。
126:6 種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。

●涙の日は短い。苦しい日は瞬時だ。もう少し、もう少し。し少しずつ良くなっているではないか。神います。

●神により追いやられて涙を流す運命に追いやられる時、神が責任をとって下さる。

塚本訳  ロマ 12:15
12:15 喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣け。

●泣いている時に説教をせず、一緒に泣いてくれる人が真の友。
●私の家が全焼した時(2000.4.23)これを聞きつけたSYさんは「神様はむごいね―」と電話の先で泣いておられた。SYさんは故人になられた。
●あの火災の時、私は焼け後から必死になって「クリスティナ・ロウゼッティ 信仰詩集」(18歳の時に購入)を探し出した。それは次の詩を読みたかったからである。今にして思えばこの詩は終末の喜びを期待しているものだ。彼女は若い頃に胸を病み生涯独身。涙の子であった。

 日はちかづけり(The day is at hand)
 
 待つも暫く
 泣いたとて 明けが来れば微笑(ほほえみ)
 その日には
 愛のほか なにとて残りません。

 (中略)
 
 涙で種を蒔くろても その時には収穫(とりいれ)
 真実の愛に生きる羊の群れのように お偲び
 
 天上にあってわれらを治め しかも お仕え下さる基督の 
 愛をもってお忍び

●ヒルティ幸福論全3巻の結語は、「苦しみは瞬時にして喜びは永遠なり」。
●これはシラー作「オルレアンの少女」(ジャンヌダーク1412-1431)の結語でもある
●ジャンヌダークは若干19歳で異端の罪で火刑台に散った。
●その5百年後,彼女を裁いたカトリック教会は彼女を聖人に祭り上げた。人間組織としての教会は間違える。
●この言葉を「塚本虎二先生10周年記念講演会」(1983.10.9東京YWCA講堂)の結語に語ったとき、聴いておられた中澤樹先生から「胸を打たれた」とお褒めの言葉を頂いた。
●その頃中澤先生は直物状態のご夫人(生子さん)を抱えて難儀しておられたのである。
●組織はそれ自身の保身延命が目的となると人間を殺す。
●現代においても国家、教育、企業、皆同じ。その保身のためにそこに所属する人間の人格を変える。いわゆる組織人間に変質させる。人格と思想が汚れる。それは大体において営利的保身の思想。
●組織から離れると思想がコロッと変わった人間を知っている。なーんだと思ったものである。
●第二次世界大戦の時、日本基督教団の総理であった富田満は戦勝祈願で伊勢神宮に参拝した。富田は「あ―これで日本のキリスト信者は迫害からまぬがれる」と語ったという。こういうのが組織人間の弱さ、不自由さ。富田は肉の保身のためにキリストを売った。 
 

塚本訳  ルカ 19:41-42
19:41 いよいよ(エルサレムが)近くなって(はじめて)都が見えると、イエスは都(に臨もうとしている裁き)を思い、声をあげて泣きだされた。
19:42 そして言われた、「(ああエルサレム、)お前ももし(「平安を見る」という自分の名のように、)きょうでも平安への道が見えたなら(まだ遅くはないのに!)しかし今それはお前の目に隠されている。

●イエスは祖国〈親族)の滅びを感じて号泣された。

塚本訳  ヨハ 11:33-36
11:33 イエスはマリヤが泣き、一しょに来たユダヤ人たちも泣くのを見ると、(その不信仰を)心に憤り、かつ興奮して、
11:34 (マルタとマリヤに)言われた、「どこにラザロを納めたか。」二人が言う、「主よ、来て、御覧ください。」
11:35 イエスが涙を流された。
11:36 するとユダヤ人たちが言った、「まあ、なんとラザロを可愛がっておられることだろう!」
 
●愛する人失うと人は泣くものだ。神の子イエスにしてこれだ。
●国立癌センターの垣添総長は、多くの人を看取って人を慰めたが、いざ夫人が亡くなると三日三晩泣き続け酒びたりの日々になり、しばらく立ち直れなかった。それでいいのだそれでいいのだ。泣き明かさないと立ち直れないのだ。
●神戸照子さんはご主人がフィリッピンの海で戦死。塚本先生のところに報告を兼ねて泣きに伺うと、先生は「タオルでは足りない。毛布がぐしょぐしょになるまで泣きなさい」と言われた。(聖句を引かれないところが私とは違う)照子さんはその一言で人生立ち直り、YWCAで重要な働きをなさった。数年前に神戸さんのその後の消息を尋ねたが、既に召されていた。
●照子さんは後年フィリッピンに行った時、沈没したであろう海に向って砂浜をさまよいながら夫の名前を呼び続けて うずくまって泣いたと言う。こんな事も人生の一こまだ。終末は近い。もうすぐだ。

塚本訳 ロマ 9:2-3
9:2 (わたしが急にこんなことを言い出したら信じてくれないかも知れないが、)わたしに大きな悲しみと、心に絶えざる痛みとがあるのである。
9:3 ほんとうに、兄弟すなわち血を分けた同胞の(救われる)ためならば、このわたしは呪われて、救世主(の救い)から離れ落ちてもよいと、幾たび(神に)願ったことであろう。

●パウロも同胞の滅びを感じて泣いた。この涙があの偉大なるロマ書8章を産んだのだ。
●パウロの涙は同胞の滅びの嘆き。自分の家庭の救いの為だけではないところが偉大。

塚本訳  黙  18:16-17
18:16 言うであろう、『禍なる哉(ウワイ)、禍なる哉(ウワイ)、大なる都、細布と紫と緋の衣を着、金と宝石と真珠とにて(身を)飾っている者、
18:17 こんな(大きな)富が一時の間に荒れ果て(てしまっ)たではないか!』また凡ての船長、沿海を航海する凡ての人達、水夫達、海で働く人達も(悉く)遠くに立ち、

●塚本訳は「禍なる哉」のルビに(ウワイ)を振った。それも2回続けて振った。塚本先生の「うめき声」である。

塚本訳  Ⅰコリ15:58
15:58 だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ。骨折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから。

●信者の涙、呻き、慟哭、は決して決して(2回言う)無駄にならない。

塚本訳  黙  2:9
2:9 私はお前(が私の名のために受けた、また受けつつある数々)の患難と、(またお前の)貧しさとを知っている──しかし(貧しいのはただ外見だけであって、神の前では)お前は(一番)富んでいる(のである。)──また、(自分で)自分をユダヤ人であると称え(て誇り)ながら、(その実、決して真の)ユダヤ人でなく、むしろサタンの会堂に属する者達からの罵詈を(お前が受けていることを、)私は知っている。(お前が今日までよくこれに耐えて来たことを私は褒める。)

●信者の嘆きは外見だけ。実はそのときに神の前では富んでいるのだ。

塚本訳  ヘブ 5:7
5:7 彼はその(地上における)肉の日に、烈しい叫び声と涙とをもって、彼を死から救い得るお方に向かって祈りや嘆願を捧げ、その敬虔のゆえに聞きいれられた(方である)。

●神の子イエスにして「烈しい叫びと声と涙」。弟子は師に勝らず。我々の涙がそれ以下だ。

塚本訳  マタ 5:13-16
5:13 (預言者と同じく)あなた達は地の塩である。(世の腐敗を防ぐのが役目である。)しかしもし塩が馬鹿になったら、何で(もう一度)塩気をもどすか。外に捨てられて人に踏まれるほか、もはや何の役にも立たない。
5:14 あなた達は世の光である。山の上にある町は隠れていることは出来ない。
5:15 また、(せっかく)明りをともして枡をかぶせる者はない。かならず燭台の上に置く。すると、家の中におる人を皆照らすのである。
5:16 そのようにあなた達も、その光を世の人の前に輝かし、人があなた達の良い行ないを見て、あなた達の天の父上をあがめるようにせよ。

●ヨアキム・エレミアスの解説では、「山の上にある町は隠れていることができない」というのは終末の暗い日に、信者やそのエクレシアは「山の上にある町」の灯のように遠くからも見える輝きになるという。

口語訳 詩  34:18
34:18 主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる。

●いつかその日が来る。必ず来る。なぜか。人間だから。この世では無理でも来世で必ず。

塚本訳  ロマ 12:20
12:20 むしろ、『あなたの敵が飢えているなら、食べさせてやれ。渇いているなら、飲ませてやれ。こうするのはその頭に炭火を積むことであるから、(いつかは恥じて悔改める。)』

●塚本訳敷衍の(いつかは恥じて悔い改める)は重い。それは終末で必ず成就する。

文語訳 詩篇42:3
かれらが終日(ひねもす)われにむかひて なんぢの神はいづくにありやとのゝしる間はたゞわが涙のみ晝夜(よるひる)そゝぎてわが糧(かて)なりき

●詩篇は嘆きと涙の詩である。イエスの愛読書であった。20年前に召された父は私にことある如く「涙ぞわが糧(かて)なりき」と逝っていた。この言葉は私が子孫に伝承すべき家訓だ。

●TSK日本語版入力。Ⅱコリ終了。パウロはなぜあれほどに苦労して福音を伝えたのか。その栄光の喜びが絶大であったからであろう。パウロの最後は杳(よう)として分からない。いいのさ、いいのさ。パウロの霊は既に神のところにあったので、肉体には執着がなかったのだ。あるいは拷問の末に車裂きだったのかもしれない。パウロ万歳!。「苦しみは瞬時にして喜びは永遠」。
 
塚本訳 ヘブ 11:35
11:35 婦人たちはその死んだ者を復活させてもらった。しかしほかの(男の)人々は、それにまさる復活に達するため、釈放を願わずに、車裂きにされた。


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神の暴力による「万物の復活」への信仰 ++++++++ 所感

2012/03/23 06:57

120323(金)6時起床●YT兄から携帯電話番号変更のお知らせがあったので次のように返信メールした。

返信メール
----------------------------------------------------------------------------------------------------------------

YT兄

携帯電話番号の変更了解しました。語呂合わせの言葉に啓示を受けました。

集会(東京聖書読者会)の月報に担当者が次のように書きました。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

3月11日(第2日曜日)に福島県二本松市で農業をやっておられた近藤恵さんが感話をなさいました。

恵さんは今回の震災による原発事故によりまして有機農業を続けていけない状況に追い込まれました。

その苦悩の中からロマ書8章にある「万物の復活」を信じさせられるようになったことを話されました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

●私は思います。神は人に「復活の信仰」を教えるために「肉への暴力」を振るうのだと。

これが不可解かつ不条理な不幸(病気、失業、失敗、家族離散、大地の汚れ、地震、飢饉、罪、死・・・・)の目的であると思われ感謝です。

 

高橋

----------------------------------------------------------------------------------------------------------------

返信メールおわり



●上記返信メールに関連する論考は次の「苦難と神の愛」である。

  http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/bunshou/kunann.htm


●過日3月20,21日のブログを書き直した。
 
●福島原発事故の宗教的原因

 ①、原子炉設計の未熟さ。実は米国の設計であった。
   事故直後、米国から「即刻海水を注入しろ。技術者を派遣する」との申し出を
   断った東電と日本政府の愚かさ。自力で直そうとした心が罪。
 ② 東電の事故隠し。企業エゴ。失敗を恥として糊塗しようとした企業保身術の罪
 ③ 政府役人の自分の地位に汲々としていた保身術の罪。真実が明らかにされてな
   かった。罪と恥を隠していたから、初動調査が遅れた。事故情報は米国の方が
   日本の10倍も把握していた。事故調査レポートのページ数で10倍。
 ④ 「復興」「ガンバレ」「絆」を叫んでも人間の罪の本質に気付かなければ事故
   の真の意義を認識できない。
 ⑤ キリスト教界の怠慢。それは「終末信仰」復活信仰」「使徒伝承」の欠如への
   神によるパッシング。裁きは神の家から始まる。信仰が揺さぶられたのだ。
 
   新共同 Ⅰペテ4:17
   4:17 今こそ、神の家から裁きが始まる時です。わたしたちがまず裁きを
   受けるのだとすれば、神の福音に従わない者たちの行く末は、いったい、
   どんなものになるだろうか。

 ⑥ 日本人全体の死生観が正された。物質文明の増大高度化が「幸福」であると 
   思っていた人生観への警告。ラテン語の諺「メメント・モリ」(死を思
   え)。健康、長寿、出世、マイホーム、子供の成長、良い学校、良縁、経済
   的安定 ・・・これらが幸福だと思っていたことへの打撃。国民の97%が幸
   福だと思っているブータンを見習え。ブータンには比較による「嫉妬心」が
   ないという。当然ながら「サラ金業」はないという。 
 
 
   塚本訳 ルカ 12:15
   12:15 人々に言われた、「一切の貪欲に注意し、用心せよ。いかに物が
   あり余っていても、財産は命の足しにはならないのだから。」
 
●これらの、日本人全体の宗教的罪悪により、200万福島県人が塗炭の苦しみを舐めている。福島県人は日本人全員の罪の十字架を負った。申し訳ない。神の慰めと祝福がありますように。来世で祝福が待っている。日本人の悔い改めが真の供養だ。

●TSK日本語入力。Ⅱコリ12章。コリント教会に対するパウロの絶大なる権威。

●11:00 妻は中野の愛子の家に手伝い。19:30帰宅

 
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神の愛は追いかけてくる ++++++++ 所感

2012/03/22 06:32

120322(木)6時目覚め●朝の啓示「神の愛は追いかけてくる」●昨日は某女と私達とで電話懇談した。その某女が「聖書のどこかに「神の愛は追いかけてくる」という個所がありましたね。」と言われたが、その個所がとっさに思い浮かばなかった。●しかし今朝の啓示で彼女の記憶の中にあったのは詩篇23篇6節ではなかったのかと示された。
 
●まず、翻訳比較を見る。関根訳の「追いかけてくる」が彼女の気持ちにピタリである。 

文語訳23篇6節 わがにあらんかぎりはかならず恩惠めぐみ憐憫あはれみとわれにそひきたらん われはとこしへにヱホバのみやにすまん
口語訳23篇6節 わたしの生きているかぎりは必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。
関根訳23篇6節 わたしの生きている限り必ず恵みといつくしみがわたしを追いかけてくる。わたしはいつまでもヤハヴェの家に住むであろう。
新共同23篇6節 命のある限り 恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り 生涯、そこにとどまるであろう。


新改訳 詩  23:6
23:6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。


NKJV 詩  23:6
23:6 Surely goodness and mercy shall follow meAll the days of my life;And I will dwell in the house of the LordForever.


TEV 詩  23:6
23:6 I know that your goodness and love will be with me all my life; /and your house will be my home as long as I live. 


●神の愛は呼ばないのに「向こうから」来て下さる
●この「追いかける愛」に関する聖句を思い出すままに掲げる。

 
塚本訳 使  8:28-31
8:28 今はその帰り道であった。車の上に坐り、(声を出して)イザヤ預言書を読んでいた。
8:29 御霊がピリポに、「行って、あの車にぴったりついて歩け」と言った。
8:30 ピリポが駈けよってゆくと、その人がイザヤ預言書を読んでいるのが聞こえたので、たずねた、「どうです、読んでおられるところが読めていますか。」
8:31 彼がこたえた、「だれかに手引をしてもらわねば、とてもわたしには読めません。」そして(車に)乗って一緒に坐ってもらいたいとピリポに頼んだ。

●聖書を読みたいと思うようになった人にはピリポのように「追いかけて」行って証をすべきか。否、真理は宣伝しなくても伝わるから、そっとしておくべきだ。しかし何らかの形で「告白」をし続けなければならない。
●私のHPやブログによる「使徒伝承」はその意味であると自ら思う。語らされるのである。「遊んではいない」。語らなければ神の前に禍である。「使徒伝承」という罪と死の悩み苦しみから解放される薬を隠しておいてはいけない。神の愛の宝を隠しておくと私が滅びる。


塚本訳  ルカ 15:1-7
15:1 さて、イエスの話を聞こうとして、(いつものとおり)税金取りや罪人が皆近寄ってきた。
15:2 パリサイ人と聖書学者たちがぶつぶつ呟いて言った、「この人は罪人を歓迎するし、また(招かれていって)食事までも一しょにする。」
15:3 そこで彼らにつぎの譬を話された。
15:4 「あなた達のうちのだれかが羊を百匹持っていて、その一匹がいなくなったとき、その人は九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を、見つけ出すまではさがし歩くのではないだろうか。
15:5 そして見つけると、喜んで肩にのせて、
15:6 家にかえり、友人や近所の人たちを呼びあつめてこう言うにちがいない、『一しょに喜んでください。いなくなっていたわたしの羊が見つかったから』と。
15:7 わたしは言う、このように、一人の罪人が悔改めると、悔改める必要のない九十九人の正しい人以上の喜びが、天にあるのである。

●これはヒューマニズムではない。この羊飼いは恐らく険しいところを身の危険も顧みずに「見つけ出すまで」必死に探すのである。
●ローマのカタコンベを訪れた時、肩に羊を乗せた羊飼いの少年の姿の壁画があった。神の愛、福音の本質である。おそらくその壁画を描いた人は殉教したのかもしれない。

塚本訳 ルカ 2:41-52
2:41 さてイエスの両親は、過越の祭には毎年エルサレムに行った。
2:42 イエスが十二歳になった時、両親は(その)祭の習わしに従って、(彼を連れて都へ)上った。
2:43 (祭の)日が終って帰る時、イエス少年はエルサレムにのこったのに、両親はそれを知らなかった。
2:44 道連れの中にいるとばかり思って、一日路を行ったのち、(はじめてそれに気づき、)親類、知人の中を捜したけれども、
2:45 見つからないので、捜しながらエルサレムに引き返した。
2:46 そして(都を出て)三日の後に、イエスが宮で教師たちの真中に坐って、話を聞いたり尋ねたりしているのを見つけた。
2:47 彼の話を聞いている人々は皆、その賢いうけこたえぶりに舌をまいていた。
2:48 両親はこれを見て驚き、母が言った、「坊や、どうしてこんなことをしましたか。ごらん、お父さまもわたしも(こんなに)心配して、あなたをさがしているではありませんか。」 2:49 彼らに答えられた、「なぜおさがしになったのです。わたしが(天の)お父さまの家に居るのは当り前でしょう。御存知なかったのですか。」
2:50 両親にはこう言われた言葉(の意味)がわからなかった。
2:51 それからイエスは一しょに(エルサレムから)下ってナザレに帰り、両親につかえられた。母(マリヤ)はこのことを皆胸に秘めていた。
2:52 イエスは知恵も身の丈も、』また神と人との寵愛も、いやましに増していった。』

●子供が三日も見つからないと、母親は半狂乱になる。
●「親の心、子知らず」。「父なる神の心、人知らず」
●結婚は親を捨てるものだと(下記の塚本訳参照)書いてあるが、親不孝をしてはいけない。
●この言葉をテコにして、親を悲しませてもかまわないと思う人間はもう少し聖書を真面目に深く勉強しなければ、自らの身を滅ぼす。自分の子供に復讐される。子供は親の背中を見て育つからである。そうなるのはしょうがない。人間は聖書や信仰の前に普通一般常識や道徳が必要。
●内村鑑三は「信仰は普通一般道徳の持ち主のところに芽が出る」という。あまりに不道徳な人間は本人がよほど痛い目に遭って悔い改めない限り信仰には至らない。しかし神はその道を開く。

塚本訳 マタ 19:5
19:5 また、『それゆえに人は父と母とをすてて妻に結びつき、二人は一体となる』と言われたことを、あなた達は読んだことがないのか。
 

塚本訳  ロマ 3:22-26
3:22 この神の義は、イエス・キリストを信ずる信仰(だけ)によって、これを信ずるすべての者にあたえられる。(すべてというのは、そこに人間的の)なんの差別もないからである。
3:23 なぜか。すべての人が罪を犯したため、いまだれ一人、(かつて持っていた)神の栄光をもたない。
3:24 (さりとて失った栄光を回復する力はないので、何一つ)代価を払わず、(ただ)神の恩恵によって、キリスト・イエスによるあがないの力で、(神に)義とされる(道が設けられた)のである。
3:25 すなわち神は御自分の義を示すために、宥めの供え物としてキリストを提供された。これはキリストの血でなされたものであり、(人は)信仰によ(ってこの恩恵にあずか)るのである。このことは──神が(長いあいだ)忍耐をもって過ぎし日に犯した罪を罰せずにおられたので──
3:26 今の世において、御自分の義を示そうとされたのである。すなわち御自分が義であること、またイエスを信ずる者を義とするお方であることを、(この世に)示されたのである。

●3:24の神によって道が設けられた、というところが福音の本質である。向こうから来る、追っかけてくる救いの愛である。
●人は神からたらされたロープにすがりつけば神は引き揚げて下さる。

●「誕生日・命日一覧表(高橋照男、トミ子関係)」を5年ぶりに改定して子供とその伴侶に送った。人数を数えると20人にもなった。各人の上に神の祝福が豊かにあるように深く祈った。
 ●メールを見直すとミスタッチ2個所。送信前に落ち着いて見直さなければならない。
 
●次回感話のタイトルを次のようにした。



一粒の麦は、地に落ちて死なねば

・・真の救い主は地上の王ではなく、自らの命を落として復活した霊界の王・・


●20:00 NHKTV 「地球イチバン。世界一幸せな国ブータン」を観賞。ストレスという言葉がなく、97%が「いつも幸せ」。その驚くべき事実に文化ショックを受けた。
●ヒルティの幸福論も歯が立たない。
●国民総生産ではなく国民総幸福度を目指していると、国のトップは言う。世界はブータンを見習わなければならない。
●物質文明は幸福ではないという思想。総てにおいて日本とは逆。
●ブータンのトップは言う。「物質が幸福であるという人生観は、例えば車を持っている人はさらに速いものが欲しくなるという気持になるので際限がない」
●1989年に各国の真の豊かさを比較調査するOECDの国際会議(於・パリ)に出席(建築専門家として)したが、それは単に建築コストの比較であった。もちろんブータンはOECDには加盟してない。今日のTVを見てブータン国民は97%が「自分は豊かである」と思っているのを知り、そんな会議に出席したことを恥と思った。


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終末(神の国)は近づいた。 ++++++++ 所感

2012/03/21 08:55

120321(水)6時起床。昨日は疲れたので熟睡8時間熟睡ですっきり。●朝の啓示「終末(神の国)は近づいた」●某女に私と妻からメール。「複数の人の集中的な祈りは神に聴かれます。その気配を感じます」と書いた。●これに関連する事だが、「終末(神の国)は近づいた」に関する関連聖句を挙げる。 

塚本訳 マタ 12:28
12:28 しかし、もし(そうでなく、)わたしが神の霊で悪鬼を追い出しているのであったら、それこそ神の国はもうあなた達のところに来ているのである。

塚本訳 ルカ 7:21-23
7:21 その時、イエスは多くの人の病気と苦しみと悪霊につかれているのとをなおし、多くの盲人を見えるようにしてやっておられたが、
7:22 答えられた、「行って、(今ここで)見たこと聞いたことをヨハネに報告しなさい。──『盲人は見えるようになり、』足なえは歩きまわり、癩病人は清まり、聾は聞き、死人は生きかえり、『貧しい人は福音を聞かされている』と。
7:23 わたしにつまずかぬ者は幸いである。」

塚本訳  マコ 7:25-30
7:25 汚れた霊につかれた小さい娘を持つ一人の女が、すぐイエスのことを聞きつけ、来て足下にひれ伏した。
7:26 この女は異教人で、スロフェニキア生まれであったが、娘から悪鬼を追い出してほしいとイエスに願った。
7:27 女に言われた、「まず子供たち(イスラエル人)を満腹させなくてはいけない。子供たちのパンを取り上げて、(異教の)小犬どもに投げてやるのはよろしくない。」
7:28 しかし女は答えた、「主よ、是非どうぞ!食卓の下の小犬どもも、子供さんたちのパン屑をいただきます。」
7:29 イエスは言われた、「それほど言うなら、よろしい、帰りなさい。悪鬼はもう娘から出ていった。」
7:30 女が家にかえって見ると、子供は寝床にねており、悪鬼はもう出ていた。

●人生には人の手に余る「どうしようもない、不可解、不条理なこと」が襲ってくる。そういう時は祈りの出来る複数の人の集中的な熱心な祈りで救いが来る。改善の兆候が現れる。神が聴いて下さるからだ。この意味でエクレシアはありがたい。それは「苦難の共同体」である。
●こういう時猿知恵で「神頼み」は愚かだと思って「祈りをしない近代人」は愚かである。「近代人」という言葉が泣く。優秀な人物であればあるほど人知では及ばないことがあることを自覚している。
●ひたすら自力に頼ったり、隠し続けていると事は悪化する。実例としては東京電力福島原発事故。東電は自力で直そうとして事故内容をひたすら隠し続けた。そして原子炉設計者の米国の「即刻海水を注入せよ。技術者を派遣する」というアドバイスを断ったと言う。馬鹿!!。
●「断る」ということに人間の罪の本質がある。暗い匂いがする。ダークである。自分を立てて神の顔を立てない、宗教的人生観、育ちの差である。「それなら勝手にしろ」とアメリカは思ったに違いない。米国は日本への渡航を控えた。
●現に最近の報告では福島原発事故の原因調査書は米国は日本の10倍のページ数であったという。日本人の人生観、宗教観の低級さが現われた。恥である。東電はこの世的には一流企業だが人物的には三流組織、トップが三流人間。信仰がない。そして日本は三等国だ。
●東電トップの無信仰で罪の自覚なき三流人間が200万福島県人に塗炭の苦しみを与えた。その罪は大きい。金では購えない。罪は金で解決できると思うことがそもそも誤り。
●福島原発事故が拡大悪化した原因は、日本人の宗教観、人生観の水準の低さにあった。ひたすら隠すという企業エゴ、保身術、つまりそこに罪の本質がモロに現われた。自分の顔を立てようとして恥を隠す「愚か者」だ。初動捜査、初動行動が遅かった。真面目な現場技術者が気の毒だ。
●何でも自力に頼ろうとする人間に対して神は「それなら勝手にしろ。お手並み拝見だ」と思うに違いない。聖書的には次である。


文語訳  ロマ 1:28
1:28 また神を心に存むるを善しとせざれば、神もその邪曲なる心の隨に爲まじき事をするに任せ給へり。

口語訳 ロマ 1:28
1:28 そして、彼らは神を認めることを正しいとしなかったので、神は彼らを正しからぬ思いにわたし、なすべからざる事をなすに任せられた。

新改訳 ロマ 1:28
1:28 また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。

新共同 ロマ 1:28
1:28 彼らは神を認めようとしなかったので、神は彼らを無価値な思いに渡され、そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました。

塚本訳  ロマ 1:28
1:28 こうして彼らは神を知ることを役に立たぬものと考えたので、神の方でも、彼らの心が役に立たなくなるに任せられた。その結果彼らは(人として)なすべからざることをするようになったのである。

NKJV ロマ 1:28
1:28 And even as they did not like to retain God in their knowledge, God gave them over to a debased mind, to do those things which are not fitting;

TEV ロマ 1:28
1:28 Because those people refuse to keep in mind the true knowledge about God, he has given them over to corrupted minds, so that they do the things that they should not do.


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冷たい風の吹く午後、散歩。近くで建築。家庭の土台は神。


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この家に神の祝福がありますように。


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寒い日。秋留台公園の運動場で陸上の選手が練習していた。
陸上競技は面白い。

●20:00 某女と信仰の話し。妻と私が応対。彼女とその家庭の上に神の祝福が豊かにありますように。
●TVで「2時間で見る大英博物館」を観賞。あの島国の英国に世界の文明品(しかし小物)が集まっている。建築士としてはまさかピラミッドは持ってこられないだろうなーと思った。文明は現地保存主義が良いと思った。

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キリストの香り ++++++++ 所感

2012/03/20 06:03

120320(火)春分の日。●4時15分起床、冷水で洗顔。●朝の祈り。子供達、孫達、苦しみの中にある人達のため。父ヨブの気持になって祈る。

口語訳 ヨブ 1:5
1:5 そのふるまいの日がひとめぐり終るごとに、ヨブは彼らを呼び寄せて聖別し、朝早く起きて、彼らすべての数にしたがって燔祭をささげた。これはヨブが「わたしのむすこたちは、ことによったら罪を犯し、その心に神をのろったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつも、このように行った。

●朝の啓示と黙想。 

塚本訳  Ⅱコリ2:14-17
2:14 しかし神に感謝せねばならない。神はいつでもわたし達をキリストによる凱旋行列に(虜として)引き回し、至る所でわたし達を通して御自分を知らせる知識の薫りをお広めになる。
2:15 というのは、わたし達は救われる者の間でも、滅びゆく者の間でも、神にささげられるためのキリストのよい薫である。
2:16 ある者には、死から死へみちびく薫であるが、ある者には、命から命へみちびく薫りである。(ああ、)一体だれにこんなことが勤まろう。
2:17 ──わたし達はあの多くの人たちのように、神の言葉を売り物にするようなことをしない。いやそればかりか、純心な心からする者として、いや、神につかわされた者として、神の前に(責任をもち、)キリストにあって、語っているのである。


●信者はキリストの奴隷としてこの世の人たちに「見せしめ」として勝ち将軍キリストの凱旋行列に捕虜として引きずりまわされるのだ。 首に枷(かせ)をかけられて・・・その枷(かせ)は「自分の十字架」である。不信者はこの姿をみて「あざ笑うであろう」。「あいつの神はどこにいるのか」と言って。 クソッ!今に見ておれ。終末は近い。笑うものは灼熱地獄行きだ。
●ローマの将軍の凱旋行列には沿道で香が焚かれた。
●それと同じく信者が生きているうちに発する臭いは死せる不信者には「死臭」が漂い、救われるものには「芳しい香り」が漂う。
●世に高額で売られている「香水」は悪臭の一種である。
●塚本訳の敷衍(ああ)には実感がこもっている。自分には首に枷(かせ)がかけられているからどうにもならない。我々の奴隷の姿をみて「死臭」が漂うと感じる人の運命を思うと、悲しい。気の毒。「ああ誰が目の前の愛する身内の滅び行く姿を見ていられるだろうか」と言うのである。
●ノ―!。我々は首に枷(かせ)がかけられていて無力かつ不自由ではあるが、心では祈れる。口もふさがれてない。「奴隷の叫び」をこの世の滅びゆく人々に「発信」するのだ。「あの夫婦はキリストに凝っている」と言う者は言え。間もなく訪れる灼熱地獄の恐ろしさを知れ。否、そういう人はこの世で既に「地獄」が始まっている。すでに「生き地獄」である。神います。 


塚本訳  Ⅰコリ7:16
7:16 なぜか。妻よ、夫を(信仰に導いて)救うことができるかどうか、どうしてわかるのか。また夫よ、妻を救うことができるかどうか、どうしてわかるのか。

●このパウロの言葉は深い。この妻や夫のところを「子供、孫、父、母、兄弟、教会(集会)の信者」などに置き換えることが出来る。
●救いの主権は神にあるのであって、人間にはない。しかし「あなたに出来ない事はありません」という芥粒ほどの僅かなものでも純な信仰ならば、神は聴いて下さる。
●過日、キリスト教愛真高校の朝食のとき、傍の一女生徒に尋ねられた。つまり「信者でない人と結婚して幸せになれますか」と。パウロの答えはⅠコリ7章にある。要熟読。
●仕事が終わって学校を去る時に「イケメンや美女と結婚するな。神を信ずる人と結婚せよ」と挨拶した。すると一人の男生徒が「うーん」とうなった。彼の上に神の祝福あれ。
●「賢き妻は主より賜る」だ。

   口語訳 箴  19:14
    19:14 家と富とは先祖からうけつぐもの、賢い妻は主から賜わるものである。

●女性は東大卒、高級官僚、一流企業勤務、良い家柄,,イケメンの男性に目を眩まされてはいけない。神以外のこの世的魅力に魅かれる結婚はほとんど大失敗する。
●まずそういうこの世的基準でよいと思う人と結婚してから「主人の救いを祈り続けます」というのは間違っている。なぜか。救いの主権は人間の力にはなく、神の主権にあるから。 
●しかしそういう低級な動機で結婚したとしても、人生「やり直し」「出直し」は可能だ。
 

新共同 Ⅱコリ12:10
12:10 それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。

文語訳 Ⅱコリ13:6
13:6 我は我らの棄てらるる者ならぬを汝らの知らんことを望む。

●人格なく、学力なく、学歴なく、金銭なく、財産なく、家柄なく、愛なく、然り信仰なく、総てがみすぼらしい「弱い」人間にこそ神が襲いかかる。そして神にあって真に幸福になれる。
 
●母の満8年目の命日。妻と徒歩で秋川霊園に墓参。徒歩で往復三時間半は疲れた。  
●墓の表面は。「十字架マーク。神は愛なり。高橋家」誰かが線香をあげてあった。


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墓石の背面は墓誌。祖父・小木秀吉、祖母・小木タカ、父・高橋晋、母・高橋ハナ子、
次は順序から考えると私たちだ。  

●妻が庭の花を切って備えた。亡くなった母は花屋で買う花よりもそれを望んでいた。 

●近くに、教会が建てた墓があり「復活」と書かれてあった。そうだ。人生の悩みは「十字架と復活」で解決するのだ。

resize2173.jpg 

秋川霊園。終末には墓に眠っている人が善人も悪人も全員が呼び出されるという。
最近、この事を信じられるようになった。妻の後ろ姿。

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平井橋から、夕日が映える水面を見る。

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平井川。子供たちが皆よく遊びに来たものだ。子供達の故郷だ。
4人ともみな巣立っていった。各人の家庭の上に神の祝福が豊かにありますように。

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元都立秋川高校(今は廃校)に残ったメタセコイアの並木道。植物は強い。生命は強い。



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悩みの日に我を呼べ ++++++++ 所感

2012/03/19 08:35

120319(月)5時半目覚め。●朝の啓示。

口語訳 詩  50:15
50:15 悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう」。

●長いようで短い人生には「悩みの日」がある。その日には「神を呼」ぶべきである。「自分を信じて自分の頭で行動するな」。「苦しき時には神頼み」「なりふり構わず神を呼べ」。これ恥ではない。人類の歴史からみて最も賢い方法である。
●ただ、どんな宗教の神に行くべきか。間違っても新興宗教に走ってはならない。新興宗教は「悩みの人」を狙って勧誘する。大勢の人が信じている宗教。父母が信じてきた宗教。世界の文明文化をリードした宗教。
●間違っても唯物教育で習った「科学的思考」で人生の道を選んではならない。悩みの日こは一つ「神の顔を立てる」ことをしなければならない。神は喜ぶ。
●私の知人で「お祈りなんて役に建たない。行為だ、行為だ」と私を軽蔑した人がいた。その人生観によるその人の人生は幸福だったのかなー。
●矢内原忠雄先生は「人生は神ありと賭けて生きるか、神なしと賭けて生きるかのどちらかだ。私は神ありと賭けて生きてきて幸せであった」と言ったと言う。至言。教育者や教師は多くの人に良い影響を与える。
●戦後の教育が軍国主義思想の悪幣に懲りて「宗教」を教えずデカルト思考に基礎を置く科学思想、唯物思想だけで教育したので三流国に転落しつつある。

口語訳 詩  22:2
22:2 わが神よ、わたしが昼よばわっても、あなたは答えられず、夜よばわっても平安を得ません。

●人生にはこう叫ばざるを得ない「ピンチ」の時がある。
●神・キリストを信じていてもこういう苦しい日がある。
●こういう時の慰めは「この苦しみは神がご存知」と信じ抜くことである。

口語訳 詩  119:105
119:105 あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。

●悩みの日には「聖書」が救いである。人間常識に頼るな。
●テニスンの「イノック・アーデン」。船員の夫が乗っていた舟が難破したらしいという噂を聴いた夫人が無作為に聖書を開いて指をあててその字句で「占い」をするところがある。これでよいのだ。これでよいのだ。聖書は神の言葉だ。
●残された夫人は祈りのうちに何年も夫のイノックを待っていたが、帰らなかった。そうするうちによい人の懇請で再婚。ところがずっと後でそのイノックが奇蹟的に帰ってきた。イノックはそっとその夫人が再婚した家庭を窓からのぞいたところ、暖炉の前のロッキングチェアーに座る夫人が子供達と共に幸せな生活ぶりが見えた。イノックはそっと立ち去った。そして飲み屋で、「私が死んだら、イノックは元気で帰ってきていたと伝えてくれ」と言い残して死んだ。中学の時にこれを読んで胸が熱くなった。

塚本訳 ヨハ 8:11
8:11 「主よ、だれも」と女がこたえた。イエスが言われた、「わたしも罰しない。おかえり。今からはもう罪を犯さないように。」】

●罪を犯した人は自責の念で苦しむのが人間に備わっている自然の姿。その時、この世の常識や法律はこれを裁くのがこれまた自然の姿。ところがキリストの父なる神は裁かないで赦す。これキリスト教の本質
●では「義は?」。赦すことが最大の裁きである。 

●聖書協会翻訳部のSK氏と電話懇談。信仰の深いところはなかなか一致しないものだ。
●WM氏と電話で音楽談義。
●NHKFM「気ままにクラシック」は来週で終了。残念無念。


 

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多くの人の熱心な祈りは必ず聴かれる ++++++++ 所感

2012/03/18 20:39

120318(日)6時起床●8:00妻と集会に出発。この50年間、教会(集会)を休んだのは病気の一回だけ。●信者はエクレシアを休んではいけない。エクレシヤを大切にしなければならない。●無教会の塚本虎二先生はキリスト教が2000年間続いてきたのは日曜日を清く保って木お宝だと言う。至言。アーメン●無教会だからこの世のことで集会を休んでもいいという人がいあたら、信仰そのものがおかしいと思って間違いない。 
 
塚本訳  ヘブ 10:24-25
10:24 また、わたし達は愛と善い業とを励まし合うように互に心掛けようではないか。(堅い信仰と動かぬ希望と愛の励み、この三つこそ最も尊い神の賜物である。)
10:25 (また、)ある人々がするように、集会を怠けず、むしろ互に勧め(合って出席す)るようにしなくてはいけない。その日が近づいていることをあなた達は知っているから、いよいよそうしなくては!

●大きな困難は、多くの人が心を合わせて熱心に祈れば神に絶対に聴かれる。神います。信じ込む。神には出来ない事はない。 

塚本訳  ヤコ 5:16
5:16 だから互いに罪を告白し、医されるため互いのために祈れ。義人の(熱心な)祈りは働くと大きな力がある。

塚本訳  マコ 14:36
14:36 言われた、「アバ、お父様、あなたはなんでもお出来になります。どうかこの杯をわたしに差さないでください。しかし、わたしの願いでなく、お心がなればよいのです。」

塚本訳  マタ 19:26
19:26 イエスは彼らをじっと見て言われた、「これは人間には出来ないが、『神にはなんでも出来る。』」

塚本訳 マタ 17:20
17:20 彼らに言われた、「信仰が無いからだ。アーメン、わたしは言う、もしあなた達に芥子粒ほどでも信仰があれば、この山に向かい『ここからあそこに移れ』と言えば移り、あなた達に出来ないことは一つもない。」

●集会は宮崎、丹野、村上。●帰途村上さんと、聖書における旧約の意義について懇談しながら歩いた。
●小寺夫妻と私達で昼食
●家に帰ってから妻と音楽番組(録画してあたもの。アマデウス)を観賞。モーツァルトの交響曲41番のすごさ。中学生の時にこの第4楽章のホルンを聴いて夜空にこだまする音楽だと感じたが、今日の解説で「この音楽は宇宙的なもの」と言っていたが同感。
●21:00「N響アワー」は来週で終了。思い出の場面を放送。第一回の放送出演したのは懐かしい後藤美代子アナウンサー

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神をしてその力を十分に発揮せしめよ ++++++++ 所感

2012/03/17 09:36

120317(土)5時15分目覚め●朝の啓示「神をしてその力を十分に発揮せしめよ」。これに関連する聖句を掲げる。●「苦しき時の神頼み」は恥ではない。●信仰は難しくはない、自分の罪に泣いて「ギブアップ」する心である。 ●啓示された内容は心に圧力がかかるから、ガス抜きせざるを得ない。「行け、我が啓示された事よ、金色の電波に乗って」(ヴェルディの歌劇ナブッコ、の中に出てくる歌をもじって)

塚本訳  マタ 21:21
21:21 イエスは答えられた、「アーメン、わたしは言う、もしあなた達に信仰があって疑わないならば、この無花果におこった(と同じ)ことをすることができるばかりか、この山にむかい『立ち上がって海に飛び込め』と言っても、その通りになる。

塚本訳  ヨハ 4:49-53
4:49 王の役人が、「主よ、子供が死なないうちに(カペナウムに)下ってきてください」と言いつづけると、
4:50 イエスは言われる、「かえりなさい、息子さんはなおった。」その人はイエスの言われた言葉を信じて、かえっていった。
4:51 しかしすでに途中で、僕たちが出迎えて、子供がなおったことを知らせた。
4:52 そこで僕たちに良くなった時間をたずねると、「きのう午後一時に熱が取れた」とこたえた。
4:53 父は、それが「息子さんはなおった」とイエスが言われた時間であることを知り、彼はもちろん、全家族が信じた。

塚本訳  マタ 8:2-3
8:2 すると一人の癩病人が近寄ってきて、しきりに願って言った、「主よ、(清めてください。)お心さえあれば、お清めになれるのだから。」
8:3 イエスは手をのばしてその人にさわり、「よろしい、清まれ」と言われると、たちまち癩病が清まった。

塚本訳  マタ 8:5-13
8:5 カペナウムに帰られると、一人の百卒長がそばに来て願って
8:6 言った、「主よ、うちの下男が中風で家にねていて、ひどく苦しんでおります。……」
8:7 彼に言われる、「(ユダヤ人の)このわたしが、(異教人のあなたの家に)行ってなおすのか。」
8:8 百卒長は答えた、「主よ、わたしはあなたを、うちの屋根の下にお迎えできるような者ではありません。(ここで)ただ一言、言ってください。そうすれば下男は直ります。
8:9 というのは、わたし自身も指揮権の下にある人間であるのに、わたしの下にも兵卒がいて、これに『行け』と言えば行き、ほかのに『来い』と言えば来、また僕に『これをしろ』と言えば(すぐ)するからです。(ましてあなたのお言葉で、病気が直らないわけはありません。)」
8:10 イエスは聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた、「アーメン、わたしは言う、イスラエル人の中でも、こんなりっぱな信仰をもっている者を一人も見たことがない。
8:11 わたしは言う、(最後の日には、このような信仰のあつい)大勢の人が『東から西から』来て、天の国でアブラハムやイサクやヤコブと共に宴会につらなり、
8:12 (かんじんのイスラエル人、すなわち)御国の子供たちは外の真暗闇に放り出され、そこでわめき、歯ぎしりするであろう。」
8:13 それからイエスは百卒長に言われた、「お帰り。あなたの信じたとおりに成れ。」するとちょうどその時に、下男は直った。

新共同 ルカ 1:36-37
1:36 あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。
1:37 神にできないことは何一つない。」

塚本訳 ルカ 1:45
1:45 主の仰せられたことはきっと成就すると信じたこの人は、なんと仕合わせでしょう。」

口語訳 詩 3:4-5
3:4 わたしが声をあげて主を呼ばわると、主は聖なる山からわたしに答えられる。〔セラ
3:5 わたしはふして眠り、また目をさます。主がわたしをささえられるからだ。

塚本訳  ヨハ 11:3
11:3 マリヤとマルタとはイエスに使をやって、「主よ、大変です。あなたの可愛がっておられる人が病気です」と言わせた。

塚本訳 ルカ 8:4
8:4 (ある時)大勢の群衆が集まり、また町々からも人々が押しよせてきたので、イエスは譬を用いて話された、

塚本訳  ヨハ 4:46-49
4:46 それから、またガリラヤのカナに行かれた。そこは(前に)水を酒にされた所である。するとカペナウムに(ヘロデ・アンデパス)王の役人がいて、その息子が病気であった。
4:47 イエスがユダヤからガリラヤに来ておられると聞くと、イエスの所に行き、(カペナウムに)下ってきて息子を直してほしいと頼んだ。息子が死にそうだったのである。
4:48 イエスは言われた、「あなた達は徴[奇蹟]と不思議なことを見なければ、決して信じない。」
4:49 王の役人が、「主よ、子供が死なないうちに(カペナウムに)下ってきてください」と言いつづけると、

塚本訳  ヨハ 1:49-50
1:49 ナタナエルが答えた、「先生、あなたは神の子であります。あなたはイスラエルの王であります。」
1:50 イエスが答えて言われた、「あなたを無花果の木の下で見たと言ったので、信ずるのか。信ずれば、あなたはもっと驚くべきことを見るであろう。」

塚本訳 ヨハ 11:39-40
11:39 「石をのけなさい」とイエスが言われる。死んだ人の姉妹のマルタが言う、「主よ、もう臭くなっています。四日目ですから。」
11:40 イエスがマルタに言われる、「信ずれば神の栄光が見られると、(さきほども)あなたに言ったではないか。」


●「聖書を読む会」から要求した資料が到着。4~8人で聖書を読み合うらしい。おそらくプロテスタンティズムの理想的な形ではないだろうか。これから勉強。
●TSK日本語版、Ⅱコリ7章入力。この章はしんどかった。翻訳者の労苦に脱帽である。
●15:30 妻はコーラスの練習(ブラームス、日本歌曲他)に出発。窓から妻の後姿を見送りながら、私たちは年をとってもまだ試練が続く事を思って胸が詰まった。十字架は重くなっても軽くならない。否。十字架はだんだん軽くなるのではなく、だんだん重くなるようだ。
●イエスも十字架を負いきれずに崩れ落ちたではないか。クレネ人シモンに背負ってもらったではないか。
●私達の十字架は重くてその重みで崩れ落ちてもよいのだ。それでよいのだ。その先に神による「有体的復活」の希望があるのだ。
●人間、最後は血を流して死ぬ。どうせ流す血なら、愛する人の救いのために流そう。無駄な血とはしたくない。私の残りも少ない。
 
文語訳 ヨハ 15:12-13
15:12 わが誡命は是なり、わが汝らを愛せしごとく互に相愛せよ。
15:13 人その友のために己の生命を棄つる、之より大なる愛はなし。

塚本訳 Ⅱコリ12:7-9
12:7 そしてこれらの素晴らしい啓示があるので、わたしが高慢にならないようにと、わたしの肉に一つの刺が与えられた。悪魔の使いであって、これはわたしが高慢にならないようにと、わたしをうつものである。
12:8 この使について、それがわたしから手を引くようにと、三度まで主に願ったが、
12:9 主は(その都度)言われた、「わたしの恩恵はあなたに十分だ。力は弱さの中に完成されるのだから。」、それでわたしはキリストの力がわたしに住みついてくださるように、大喜びで、むしろ(自分の)弱いことを自慢しよう。


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どうしても赦せないとき ++++++++ 所感

2012/03/16 20:59

120316(金)6時起床●TSK日本語版Ⅱコリ6章入力●風呂場の電気取り替え●次回感話準備●「人は赦せるか」を黙想。
●生れつきの人間は全員罪人である。それは肉である。キリストに救われて初めて霊の人になれる。●だから人は人を裁けない。●もし人を赦せないとしたら、自分が「絶対恩恵の無条件の罪の赦し」で救われたことを知らない●どんなに努力してもどうしても人を赦せないならば、まず自分の過去の罪を思い出して、そこから十字架の血潮で赦されたことをしれば、不思議に赦せるようになる。●矢内原先生の集会に韓国の人がこられた時、先生はこう言われた。「まず自分の罪を神に赦してもらいなさい。そして日本を赦しなさい」と。これ至言である。●午後三時祈りの友」のKMさんから相談事、30分悩み事を聴いた。「最後にありがとう、ありがとう」と言われた。悩みごとは人に話せば重荷が下りるものだ。●吉本隆明が死んだ。その批判精神は神なき主体性欠如人間には新鮮であったが、信仰を持つ人間にはいただけない。田川建三が彼のことを評論する本を書いているが、田川にとっては時間の無駄であった。●ただ、吉本の「詩人」としての面に魅かれる。どんな誌を書いていたのであろう●最大の評価は次女で作家の「よいもとばなな」の「最高の御父さんでした」という言葉。 ●人の発言は「飯の種」の所属基盤に順応している。公務員、学校人、企業人、聖職者、教会員、家庭人、皆同じ。そう考えると吉本隆明は自由なる「著述業」であったから大衆が彼の「神」で「束縛」。本が売れなくなったら彼は食えなくなるから「転向」したはずだ。●だから人間は何を自分の「主人」「神」とするかだ。金儲けの営利企業に縛られるな。人間の尊厳を失う。定年で放り出されるともぬけの殻になる●私の知人で高校生の時からマルクスの奴隷になっていて、この年になるもまだ奴隷。気の毒。マルクスは人間だ●大企業に所属する人間はその会社の規則に従うべきであるが、真の従順は人間でもなく、所属団体の規則でもない●神に従順になることが人間の真の価値であり、逆説的だがその所属団体の規則に真に忠実になれる。なぜか。真の自由という「足場」がその人の心にあるからである●営利企業もそういう人間を求めているのだ。それの無い単なる「イエスマン」は真に企業のためにならない。定年退職で「御苦労さまでした」で終わり。そのとき空しさを感じても遅い。「汝の若き日に汝の造り主を憶えよ」●人間は「自由」がその喜び。その自由は実は神への従順から来る。この宗教的秘儀が吉本隆明には分からなかった。 ●神への従順が真の自由、キリストの救いにより真の自由が得られる。●「Jバイブル」で「自由」を検索して「霊に響くもの」を次に掲げる。

ヨハ   8: 32 [塚本訳

真理を知り、その真理があなた達を自由にするであろう。」

ヨハ   8: 33 [塚本訳

しかし彼らは(その意味がわからずに)答えた、「わたし達はアブラハムの子孫で(自由人で)ある。いまだかつてだれの奴隷にもなったことはない。どうして『あなた達は自由になる』と言われるのか。」

ヨハ   8: 36 [塚本訳

だから、もし子(たるわたし)が(罪から)自由にしてやれば、あなた達は本当に自由になるのである。(そしていつまでも父上のところにおることができる。)

ロマ   6: 18 [塚本訳

罪(の奴隷たる身分)から自由にされて、義の奴隷にしていただいたのである。

ロマ   6: 22 [塚本訳

しかし今は、罪から自由にされて神の奴隷にしていただき、一つの実を得ている。この実はあなた達を聖め、最後は永遠の命に至らせるのである。

ロマ   7: 3 [塚本訳

従って、夫が生きているうちにほかの男のものになれば、姦婦と言われるけれども、夫が死ねば、たとえほかの男のものになっても、(夫の)法律から自由(の身)であるから、姦婦ではない。

ロマ   8: 2 [塚本訳

なぜなら、キリスト・イエスによる命の霊の法則が、死と罪との法則からあなたを自由にしたからである。

ロマ   8: 21 [塚本訳

創造物自身も、滅亡の奴隷になっている(現在の)状態から自由にされて、神の子供たちがうける栄光と自由とにあずかるのだから。

ロマ   14: 16 [塚本訳

だから、あなた達がもっている善いもの[福音の自由]を人にあざけられてはならない。

Ⅰコリ  9: 19 [塚本訳

それで、わたしはすべての人から(全く)自由であるが、(同時に、)自分をすべての人の奴隷にした。(キリストのために出来るだけ)多数の人を得るためである。

Ⅰコリ  10: 23 [塚本訳

(前にも言ったが、)「万事は自由である」、しかし万事が有益ではない。「万事は自由である」、しかし万事が(人を)高めるのではない。

Ⅰコリ  10: 29 [塚本訳

良心と言うのは、あなた自身のでなく、(信仰の弱い)他の人の良心のことである。いったいなんでわたしの自由が、ほかの人の良心のことで裁かれることがあろう、

Ⅱコリ  3: 17 [塚本訳

(ここで)主(と)は御霊(のこと)である。主の御霊のあるところには自由が(あるから、ベールが取り除かれるので)ある。

ガラ   5: 1 [塚本訳

自由を与えるためにキリストはわたし達を自由にされた。だからしっかり立って、二度と奴隷の軛につながれるな。

ガラ   5: 13 [塚本訳

兄弟たちよ、あなた達は自由のために(神から)召されたのである。ただこの自由を(濫用して)肉を満足させる機会としてはならない。むしろ愛によって互に奴隷として仕えるべきである。



 

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神ご自身が導き教育して下さる ++++++++ 所感

2012/03/15 07:06

120315(木)4時半目覚め。●朝の啓示「神ご自身が導き教育して下さる」●これに関する聖句を思い付くままに掲げる。 

塚本訳  ヨハ 15:26
15:26 (また)わたしが父上のところからあなた達に遣わす弁護者、すなわち父上のところから出てくる真理の霊が来る時、それがわたしのことを(すべて)証明するであろう。

塚本訳  ヨハ 16:13
16:13 真理の霊が来る時、彼があなた達を導いていっさいの真理を悟らせるであろう。(いっさいの真理というのは、わたしと同じく、)彼は自分勝手に話すのではなく、(父上から)聞いたことを話すからである。また将来起るべき(世の終りの)ことをあなた達に知らせるであろう。

塚本訳 マコ 4:26-27
4:26 また言われた、「神の国はこんなものだ。──ある人が地に種を蒔き、
4:27 夜昼、寝起きしていると、種は芽生えて育ってゆくが、本人はその訳を(すら)知らない。

口語訳 詩  23:2-4
23:2 主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。
23:3 主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
23:4 たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。

塚本訳 ルカ 15:4-7
15:4 「あなた達のうちのだれかが羊を百匹持っていて、その一匹がいなくなったとき、その人は九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を、見つけ出すまではさがし歩くのではないだろうか。
15:5 そして見つけると、喜んで肩にのせて、
15:6 家にかえり、友人や近所の人たちを呼びあつめてこう言うにちがいない、『一しょに喜んでください。いなくなっていたわたしの羊が見つかったから』と。
15:7 わたしは言う、このように、一人の罪人が悔改めると、悔改める必要のない九十九人の正しい人以上の喜びが、天にあるのである。

塚本訳  ヨハ 15:16
15:16 (しかも)あなた達がわたしを選んだのではなく、わたしがあなた達を(使徒に)選んで、あなた達が出かけていって(善い)実を結び、その実がいつまでものこるように、また(その必要のために)あなた達がわたしの名で父上にお願いすれば、なんでもかなえてくださるようにしてやったのである。

●上記総ての感話のまとめ
●こと信仰のことは、人間の教育では絶対に無理。なぜか。信仰は霊の世界のことだから、大脳皮質で大脳皮質に説いても「おかど違い」だから。
●信仰に熱心な両親の家の子供は「息苦しい」。なぜか、霊の世界に生きている両親の行動が理解出来ないからである。
●こういうときその子供は「家出」する。家出は文字をひっくり返すと「出家」。これ宗教的な事である。
●人の子の親になった以上、子供の一人や二人に「家出される覚悟をしなければならない。ナンノコレシキだ。それは家出ではなく子供が神に出会うための第一歩である。
●人生は神に出会う事によって始まりまた終わる。「家出」1はその第一歩。それは「出家」なのだ。宗教的行為なのだ。
●「桃栗3年柿8年、柚のバカヤロ18年。(臨済宗)。ノー!。人の救いは最後の日だ。これが福音だ。否、イエスの到来においてすでに最後の日が始まったのである。
●最後の日に、信仰なくして死んだものも神が分かる。救いが分かる。
●次の言葉は戦国武将の言葉。 

鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」徳川家康 信長 「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」織田信長 秀吉 「鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス」豊臣秀吉 

●しかしこの言葉は暗い。人間的である。聖書は次のように言う。 キリスト教は「希望」 だ。明るい

塚本訳  ガラ 5:5
5:5 (キリストを信ずる)わたし達は、御霊によって、信仰により、(最後の日に)義とされる希望をもって待っているからである。

塚本訳 Ⅰペテ1:13
1:13 だから君達の心の腰に帯をして、真面目で(あれ。そして)イエス・キリストの顕れ給う時君達に齎される恩恵に全き希望を置け。

塚本訳  Ⅱテサ1:4-5
1:4 そのため私達は自分(の口)で、君達があらゆる迫害と患難に耐えているその忍耐と忠実とを神の諸教会の中で自慢しているのであるが、
1:5 (実はかく)君達が苦しんでいることが(とりも直さず)神の正しい(最後の)審判の(既に切迫している)兆であり、(またそれにより)君達が神の国に相応しい者とされるためであって、君達は(今)その御国のために苦しんでいるので、
 
●午後から久しぶりに都心に出た。
 
resize2165.jpg 

銀座4丁目交差点近くの教文館。本を一冊購入。
「原発とキリスト教」(新教出版社)も買おうとしたが金と時間がなくて読めないと思いやめた。
日本聖書協会翻訳部、および図書館のTYさんと懇談。
この建物はウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計。東京大空襲で戦火を免れた。

resize2166.jpg 

キムラヤで妻に土産物を購入。ホワイトデー(昨日だったが)
山野楽器店。クラシック売り場の阿部さんに挨拶と御礼。
その向こうが教文館。

resize2168.jpg 

銀座の象徴「和光」服部時計店。
高層ビルにしようと思えば出来るが、古いものを残そうとする気持は偉い。
経済的合理性で高層ビルを建てる時代は終わった。
そのあまり高級でない思想が福島の原発事故を産んだ。

resize2167.jpg 

文京区。戦没者墓苑。向こうに東京ドームと東京ドームホテル(設計は丹下建三)
第二次世界大戦で命を落とした人の数が地図上に書かれてあって、暗然となった。 

塚本訳 マタ 16:26
16:26 たとい全世界をもうけても、命を損するならば、その人は何を得するのだろう。それとも、人は(一度失った永遠の)命を受けもどす代価として、何か(神に)渡すことができるのだろうか。

●17:00 富阪キリスト教センターで「キリスト教性教育研究会」10人。「性同一性障害」を持つ人の悩みについて。医学面、精神的面からの考察。こういう超難しい問題に対してキリスト教が先駆的に取り組んでいるのは尊いことだ。頼もしく思った。
●思うに、キリスト教は先の戦争の時や今回の福島原発事故でも先駆的に解決に突っ込んでいる。小事に忠なるものは大事に忠なりだ。(ルカ16:9-13)
●始まる前に富永國比古先生からお話を頂いた。
●21:15帰宅。あきる野の寒空に星がきれいであった。

 

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「有体的復活信仰」の絆 ++++++++ 所感

2012/03/14 06:51

120314(水)6時起床●朝の黙想「有体的復活信仰」の絆。8:00妻は知人と尾根歩きに出発。窓から後姿を見送った●東日本大震災復興の合言葉は「絆」である。これは精神的経済的物理的復興のための絆である●しかし本当の絆は霊的な絆である。神との絆、信者間ではは信仰の励ましの絆である。●この世の禍は実はこの「神との絆」の回復のためにある。●もしこれなくして単なる「人間的絆」の合唱ならあまり意味はない。神の目的でもない。それらが復興したところで真の安らぎは得られないからだ。●最も大切な事、一番大切な事は「有体的復活信仰」の絆である。●昨日来たメール次のように返信した。●何とかして人の霊魂の救いのために役立つことを祈って一部改変加筆して公開する。

某氏への返メール
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
  ○○君
 

メール拝見しました。

無教会について若い人から考えをいただくのは感謝です。頼もしく思います。

私の意見は無教会は歴史的役割を終わったら消えると思うのです。

というのはプロテスタントの一派としての「無教会派」が拡大存続するというのは自殺行為になるからです。

「消える」というのは、無教会の真理が消えるのではなく、教会が健全で強くなったときに消えるのです。形は無くなっても精神は生きるのです。

無教会派はなくなっても「無教会の真理」は終末が来るまで無くなりません。そもそもイエスが無教会主義でした。だから祭司階級から殺されたのです。

しかし君の「無教会は内部崩壊する」という予感は鋭いです。

無教会でも教会でも「福音派対社会派」の対立があってこれは終末が来るまで無くならないと解します。ルカ1038-42にその原型があります。
逆説的ですが私の見るところ福音派の人間の方が社会の底辺で真に有益な貢献をしてます。

 

塚本訳 ルカ 10:38-42

10:38 さてみなが旅行をつづけるうち、イエスがある村に入られると、マルタという女が家にお迎えした。

10:39 マルタにマリヤという姉妹があった。。マリヤは主の足もとに坐ってお話を聞いていた。

10:40 するといろいろな御馳走の準備で天手古舞をしていたマルタは、すすみ寄って言った、「主よ、姉妹がわたしだけに御馳走のことをさせているのを、黙って御覧になっているのですか。手伝うように言いつけてください。」

10:41 主が答えられた、「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことに気を配り、心をつかっているが、

10:42 無くてならないものはただ一つである。マリヤは善い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」

 

●この42節の「無くてならないものはただ一つ」ということが大切だと思います。

●パウロに言わせれば次の個所です。罪の赦しと有体的復活のことが「無くてならぬもの」だと言っているのです。イエスとは若干言い回しが違いますが・・・・

 

塚本訳 Ⅰコリ15:3-5

15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、

15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、

15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。

 

●「高橋は十年一日の如く『有体的復活』を説いている」とよく言われますが、こう言われるのは私にとって光栄なことです。

●君の信仰が震災で向上した事は感謝です。この世のものは失っても「永遠の命」を頂ければ人生大成功です。
●「復興」は大切ですが、経済、都市、故郷(これはこの世の小事)が復興しても「神との絆」が復興しない限り人間の心はぽっかり穴が開いたままです。真の幸福ではありません。
●経済、都市、故郷の復興の真の原動力はまず個人が神との絆を回復してからでないと清純で有効なな発想が湧き出ない上に、粘りもないのです。それに神の祝福が無いとツキがないから何となくうまくいかないのです。信者はこの世は終末で完成するという希望があるので来世への準備として位置づけられますからこの世の小事に邁進する意欲が湧くのです。
〈以下略)

高橋照男

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
メール終わり。
 


塚本訳  使  4:36
4:36 ヨセフは使徒たちからバルナバ[訳すれば「慰めの子」]とも言われた、クプロ(島)生まれのレビ人であったが、

●「幸福論」の著者カールヒルティは人生の目標は「慰めの子」と呼ばれるようになることだと言っている。人生残りの日々それを目指す。さーこれからだ。健康長寿安逸を目指さない。 
●私のブログは「バルナバのハンカチ」である。泣いている人の涙を拭うのが目的である。。こっちとら人生を真剣勝負で生きているのだ 。泣いている人悲しんでいる人に語る。 
●塚本虎二先生の「聖書知識」はその学問的水準の高さと信仰の深さにおいて群を抜いていた。発行部数は4000部であった。神田の古書店友愛書房に行くとこれの旧号合本の値段は他の群を抜いていた。
●私は高校生の時に、少しずつ買い集めたものであったが、それは砂金を探すにも似た思いであった。
●その「聖書知識」のことを塚本先生自身は「落とし紙」(つまり便所にある紙)だと言われた。一回限りの目的のものであると言うのである。
●その言葉通り「聖書知識」は清瀬の明日にも死ぬという病人たちにが「奪い合う」ように競って真剣に読まれた。
●私のブログ、HPもかくありたい。一回限りの「バルナバのハンカチ」でありたい。そのハンカチの名前は「有体的復活の希望」。

 塚本訳 ロマ 8:23-25
8:23 しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証拠として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである。
8:24 なぜなら、わたし達は(最後の日に救いが完成されるという)望みをもって、救われているからである。目に見ることのできる望みは望みではない。人はいま現に見ているものを、なんでその上望む必要があろうか。
8:25 しかしわたし達が見ていないものを望むとすれば、忍耐をもって待たねばならない。


塚本訳 Ⅱテサ1:5-9
1:5 (実はかく)君達が苦しんでいることが(とりも直さず)神の正しい(最後の)審判の(既に切迫している)兆であり、(またそれにより)君達が神の国に相応しい者とされるためであって、君達は(今)その御国のために苦しんでいるので、
1:6 神は(きっと)──これは神において正しいことであるから──(今)君達を苦しめている者達には患難をもって、
1:7 また(これに反し今)苦しめられている君達には私達と一緒に安息をもって報い給うのであって、そのことは主イエスが天からその能力なる天使(の群)と共に『火焔の中に』現れ給う時に実現し、
1:8 (その時)主は『神を知ろうとせぬ(異教の)者』と、私達の主イエスの福音に『従順でない者に仕返しをし給う』ので、
1:9 これらの人達は罰を受けて『主の御顔とその御力の栄光とから』永遠に滅び失せる── 

●聖書は「人の救いは最後の日である」という。このことは過日集会で話した。
  
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 http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/darega.htm


●18:15 妻が尾根歩きから疲れて帰宅。早寝。足元は雪であったという。
●20:00 サッカー、日本対バーレーンを観戦。2-0.これでオリンピック出場決定。日本も強くなったものだ。バーレーン人の顔つきを見ることが出来た。


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赦す愛が人を悔い改めに導く ++++++++ 所感

2012/03/13 05:36

120313(火)5時起床●朝の黙想「赦す愛が人を悔い改めに導く」●困った人間を悔い改めに導くのは本人に「罪責感」が生れなくてはならない。●これは精神医学的真理、キリスト教の本質でもあると学んだ●そのためには神の実力を信じて祈り、忍耐しているとが大切。●神なしにじっと我慢しているのは良くない。自分がまいってしまう●聖書の中にその事例を掲げる。

塚本訳  ルカ 22:60-62
22:60 しかしペテロは言った、「君、あなたの言っていることはわからない。」するとたちまち、まだその言葉の終らぬうちに、鶏が鳴いた。
22:61 主が振り向いて、じっとペテロを見つめられた。ペテロは、「きょう(今夜)、鶏が鳴く前に、わたしを三度、知らないと言う」と言われた主の言葉を思い出し、
22:62 外に出ていって、さめざめと泣いた。


●61節の「じっと 見つめられた」。この目つきは赦しの愛であった。
●誰かが、この「眼」は人類史上最高の「眼」であると言った。
●ペテロはこの「赦しの眼」を見て「さめざめと泣いた」のである。 

塚本訳  ヨハ 13:30
13:30 ユダはパンを食べると、すぐ出て行った。夜であった。──(そとは丸い月がかがやいていたが、ユダの心は真暗であった。) 

塚本訳  マタ 27:4-5
27:4 「罪もない(人の)血を売って、悪いことをした」と言った。彼らが答えた、「われわれの知ったことではない。お前が自分で始末しろ!」
27:5 ユダは銀貨を宮に投げ込んで去り、行って首をくくった。

●最後の晩餐でイエスがユダに裏切りを思い留まらせようと必死であった。
●裏切るのはユダである事をイエスは知っていた。
●感ずかれたと思ったユダは「心が真っ暗になった」
●なぜ真っ暗になったか。イエスの赦しの愛の心に比べて自分の心の暗さに気がついたのだ。
●ユダは自責の念にかられて首つり自殺。
●イスラエル旅行に行った時、「あれがユダが首をつった木です」と説明されたが、本当か?

塚本訳  ルカ 15:17-22
15:17 ここで(はじめて)本心に立ち返って言った。──お父さんのところでは、あんなに大勢の雇人に食べ物があり余っているのに、(息子の)このわたしは、ここで飢え死にしようとしている。……
15:18 よし、お父さんの所にかえろう、そしてこう言おう、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。
15:19 もうあなたの息子と言われる資格はありません。どうか雇人なみにしてください』と。
15:20 そして立ってその父の所へ出かけた。ところが、まだ遠く離れているのに、父は見つけて不憫に思い、駈けよって首に抱きついて接吻した。
15:21 息子は父に言った、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。もうあなたの息子と言われる資格はありません。……』
15:22 しかし父は(皆まで聞かず)召使たちに言った、『急いで、一番上等の着物をもって来て着せなさい。手に指輪を、足にお靴をはかせなさい。 
 
●放蕩息子の父は「駆け寄って首に抱きついた」。
●こういう父だから放蕩息子はおそらく「多分、オヤジは赦してくれるだろう」と思ったに違いない。
●放蕩息子の放蕩の年月はどれくらいであったのか。
●この父は放蕩息子が悔い改めるのを見ないで死んだとしてもよい。天国で輝く。天に宝を積んだからである。


塚本訳  使 22:4-8
22:4 わたしはこの(キリストの)道を迫害し、男女の別なく(信者を)しばって牢に入れ、殺すことをも辞さなかったのであります。
22:5 このことは大祭司をはじめ元老院全体も、わたしのために証人になられるにちがいない。わたしはその方々からダマスコに居る(ユダヤ教の)兄弟たちあての添書までもらって、出かけて行ったのです。そこにいる(この道の)者をも縛ってエルサレムに引いてきて、罰するためでありました。
22:6 ところが進んでいってダマスコに近づくと、昼ごろ、突然、天から強い光がさしてわたしのまわりに輝いた。
22:7 わたしは地べたに倒れて、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と言う声を聞いた。
22:8 わたしは答えた、『主よ、あなたはどなたですか。』わたしに言われた、『わたしだ、君が迫害しているナザレ人イエスだ。』

●パウロの大回心は復活のイエスの赦しの愛であった。
●神はパウロを許したからこそ復活のイエスをパウロにしめしたのだ。キリスト教はここに始まった。


塚本訳  ロマ 12:20
12:20 むしろ、『あなたの敵が飢えているなら、食べさせてやれ。渇いているなら、飲ませてやれ。こうするのはその頭に炭火を積むことであるから、(いつかは恥じて悔改める。)』

●塚本敷衍の(いつかは恥じて悔改める)は深い。実例に基づくのだろう。
●しかし「主よいつまで」と悩むのがクリスチャンの十字架の生涯
●桃栗三年、柿八年、柚のバカヤロ18年。人の救いは最後の日。
 

塚本訳  ロマ 12:17-18
12:17 だれにも悪をもあって悪に報いず、どんな』人の前でも善をするように心がけよ。』
12:18 出来るなら、(少なくとも)あなた達の方では、どんな人とも仲良くせよ。

●塚本敷衍の(少なくとも)がすごい。
●しかしこれが出来ないんだなー
●向こうが先に謝ってきたら赦してヤルんだがなーと思うのが人情。
●この心が戦争の原点。


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呻きと苦悩は神の御業が現われるため ++++++++ 所感

2012/03/12 08:11

120312(月)6時起床●朝の啓示「呻きと苦悩は神の御業が現われるため」●昨日一日を通して、今朝は次の聖句が示された。 

塚本訳 ヨハ 9:1-3
9:1 イエスは通りがかりに、生まれつきの盲人を見られた。
9:2 弟子たちが尋ねた、「先生、この人が盲で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか、両親ですか。」
9:3 イエスは答えられた、「この人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。ただ神の御業がこの人に現われるためである。

●人は不条理な事件事故や不可解な病に陥ると、原因を探ろうとするのが筋であり、普通であり常識でもある。なぜなら「二度とこういうことは起こすまい」と思うからであるのと、原因を掴めば修復の方法も分かるからである。
●東日本大震災と福島原発事故、それに不可解不条理な病気の時には必死で原因を探ろうとする。それは人間として当然である。何とかして回復しようとするからである。
●特に工学上の失敗は原因追究が第一の仕事である。修復のため、また再発防止の為だからである。
●ところが不条理不可解な事故や病気は原因を突き止めて納得し、溜飲を下げても、直らないこともある。
●イエスに言わせれば、そういうことは「神の御業が現れるためである」と言った。
●しかしこの言葉は事故や病気の渦中にいて苦しんでいる人には通じないものだ。
●この言葉は「回復」させられた後になって振り返って分かることである。あの苦しみは恩恵であり、信仰を深めさせれれるためであったのだと。
●だから苦難渦中の人にこの言葉を言うのはおぼれそうおになっている人に向って岸から「その苦しみは神の栄光の現われる為である。」と叫んでもしょうがないのと同じである。
●テノール歌手の新垣勉氏は生れた時看護婦の点眼ミスで失明。長じてある人から、「それは神の御業が現われるためです」と言われた時に「むっときた」と言います。それはそうだ。一緒に泣いてくれた城間牧師の涙で彼は救いの道を歩むようになり、盲目なのに音楽大学に進学し、今は音楽伝道をしている。結果的に「神の御業が現われた」
●城間牧師は偉かった。自分の子供がいるにもかかわらわらず、新垣氏を自分の家一員に迎えた。奥さんも偉かった。
●だから信仰の分からない人にやたらと「聖書の言葉」を言っても、通じない、無益であり、「むっと」されるだけ。「俺に向って説教するのか」と思われるからである。
●今回の東日本大震災も同じである。一緒に泣くことが真の救いへの道である。
●昨日、難しい問題を富永医師にお伺いしたとき、最後に先生が「神の御業が現われるためですよ」と慰めて下さった。
●そうだ。だからクリスチャンに必要なのはその回復の日まで神の実力を信じて「忍耐が必要なのだ。パウロの手紙はこの「忍耐」という言葉が多いのだ。
●これと内的に一致する聖書の個所は次である。
 

塚本訳  ヨハ 11:1-4
11:1 さて、ラザロというひとりの病人があった。。マリヤとその姉妹マルタとの村、ベタニヤの人である。
11:2 このマリヤは主に香油を塗り、髪の毛で御足をふいた女であるが、病気であったラザロはその兄弟であった。
11:3 マリヤとマルタとはイエスに使をやって、「主よ、大変です。あなたの可愛がっておられる人が病気です」と言わせた。
11:4 イエスは聞いて言われた、「これは死ぬための病気ではない。神の栄光のためである。すなわち(神の栄光をあらわすために、)神の子(わたし)がこれによって栄光を受けるためである。」
 
●21:30 床に入ったときに某氏から電話。この世的な経営がうまくいかなくなったのは「神の国と神の義を求めないから当然だ」と激怒した。この世の心配事の長話で就寝が遅くなった。この種の話しで煩わせないでくれ。時間が惜しい。終末は近い。


文語訳 マタ 6:33
6:33 まづ神の國と神の義とを求めよ、さらば凡てこれらの物は汝らに加へらるべし。


文語訳 Ⅱペテ3:10
3:10 されど主の日は盜人のごとく來らん、その日には天とどろきて去り、もろもろの天體は焼け崩れ、地とその中にある工とは焼け盡きん。


塚本訳  Ⅰコリ7:29-31
7:29 兄弟たちよ、わたしが言うのはこのことである。──時は迫った。(だから)今から後は、妻を持つ者は持っていない者のように、
7:30 泣いている者は泣いていない者のように、喜んでいる者は喜んでいない者のように、(物を)買う者は(何も)持っていない者のように、
7:31 (つまり、)この世と交渉のある者は交渉がない者のように、しなくてはいけない。この世の姿は(じきに)消え去るのだから。 
 
口語訳 詩  127:1-2
127:1 主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい。
127:2 あなたがたが早く起き、おそく休み、辛苦のかてを食べることは、むなしいことである。主はその愛する者に、眠っている時にも、なくてならぬものを与えられるからである。

塚本訳 マタ 7:24-27
7:24 だから、以上のわたしの話を聞いてそれを行う者は皆、岩の上に家を建てた賢い人に似ている。
7:25 雨が降って、大水が出て、風が吹いて、その家に襲いかかったが、倒れなかった。岩の上に土台があったからである。
7:26 また、わたしの話を聞くだけでそれを行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。
7:27 雨が降って、大水が出て、風が吹いて、その家にうちつけると、倒れてしまった。ひどい倒れ方であった。」
 


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震災一周年。真の復興とは何か ++++++++ 所感

2012/03/11 06:08

120311(日)4時45分起床●苦難共同体のエクレシヤメンバーの方から励ましのメールが入っていた。その応答を次のように書いた。


苦難共同体のエクレシヤメンバーに返メール(一部省略改変)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

○○兄

 

メール感謝。

今日は震災一年、神なきこの世は「復興、復興」の大合唱。

信者の「復興」概念は「マラナ・タ」(主よ、来りませ)

パウロの復興概念は次だと解します。。

 

文語訳ロマ 8:18

8:18 われ思うに、今の時の苦難は、われらの上に顯れんとする榮光にくらぶるに足らず。

 

塚本訳ロマ 8:21-23

8:21 創造物自身も、滅亡の奴隷になっている(現在の)状態から自由にされて、神の子供たちがうける栄光と自由とにあずかるのだから。

8:22 わたし達が知っているように、全創造物は(かの日から)今まで、一しょになって呻き、一しょになって産みの苦しみをしている。(父なる神がこの  呻きに耳を傾けられないことがあろうか。)

8:23 しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証拠として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである。

 

●23節、「自分(のみじめな姿)をかえりみて。呻きながら」は「自分(と家庭親族と日本のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら」に読み変えられます。

●今日は三男の恵が午前は東京聖書読者会で感話をし、午後は今井館のシンポジウムに出ます。富永國比古先生もシンポジストの一人です。

●震災後、世は宗教に関心が起こり、宗教書ブームだそうです。これが神の目指した所だと思います。「死ぬ」ということに思いを馳せたのだと思います。「メメントモリ」(死を思え)であります。

●内村鑑三の臨終の言葉は次でした。

「人類の幸福と日本国の隆盛と宇宙の完成を祈る」。

 

○○兄のメールで、私達の労苦は神がことごとく御存じ。神が何とかして下さるということを思い出して励まされました。これエクレシヤの存在意義です。

 

高橋

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
苦難共同体のエクレシヤメンバーに返メール(一部省略改変)
 
●10:00 集会は高木、近藤恵、山本政則。●恵は「平和の朝は来るか」と題して福島原発被害の報告と「自分の立場」について語った。最後にロマ書8章22~23節を読もうとして絶句、しばらく言葉が出なかった。もらい泣き。この個所はちょうど今朝私が「
苦難共同体のエクレシヤメンバー」に返メールした内容と一致した。

t塚本訳 ロマ 8:22-23
8:22 わたし達が知っているように、全創造物は(かの日から)今まで、一しょになって呻き、一しょになって産みの苦しみをしている。(父なる神がこの  呻きに耳を傾けられないことがあろうか。)
8:23 しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証拠として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである。

また恵はロマ書1章28節を読んでその次が読めない程に愕然としたと語った。


塚本訳  ロマ 1:28
1:28 こうして彼らは神を知ることを役に立たぬものと考えたので、神の方でも、彼らの心が役に立たなくなるに任せられた。その結果彼らは(人として)なすべからざることをするようになったのである。



●12:30 高木、小寺、高橋、近藤恵の4人で昼食。恵の感話と原発について懇談。
●14:00 今井館聖書講堂で「若者と語るシンポジウム」・・・福島原発について考える・・・

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第一席。富永國比古(福島県郡山ロマリンダクリニック院長)「二つの健康観~福島原発事故後をどう生きるか~」 

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第二席。木村園子ドロテア(東京農工大学大学院農学研究院 国際環境農学専攻 準教授)「Cs汚染土壌と向き合って」

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第三席。近藤恵(福島県二本松市 有機農業経営者)「失敗を他人のせいにするな~事故責任を誰に問えばよいのか~」

15:30からフロアーと活発な話し合い。クリスチャンの立場について鋭い批判があった。
18:00 都立大駅前で夕食をとりながら、富永國比古先生に私とトミ子が質問。少し安心した。プロフェッショナルとしての医者を感じた。 
 



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悩みの日に・・・万物が清められ復興する終末は近い ++++++++ 所感

2012/03/10 07:14

120310(土)5時半目覚め●朝の啓示と黙想 ●「悩みの日に。聖書は精神安定剤である。神の子イエスも「どう祈ろうかわからない「悩みの日」があった。イエスはそういう時は聖書で力づけられた。十字架の上で「エリエリ」と叫んだのは詩篇22篇の冒頭であった。●今日の我々もどうしようもない「悩みの日」、祈りすら出来ない日には人間の書ではなく「神の言葉」である聖書で励まされるべきである。事実それが効果がある。●まず神の子イエスの苦悶。


塚本訳  マタ 26:36-39
26:36 ほどなくイエスは弟子たちと一しょに(オリブ山の麓の)ゲッセマネという地所に着くと、弟子たちに言われる、「わたしがあちらへ行って祈っている間、ここに坐って(待って)おれ。」
26:37 そしてペテロとゼベダイの子二人(だけ)を連れて(奥の方へ)ゆかれると、(急に)悲しみおののき始められた。
26:38 それから彼らに言われる、「『心がめいって』『死にたいくらいだ。』ここをはなれずに、わたしと一しょに目を覚ましていてくれ。」
26:39 そしてなお少し(奥に)進んでいって、俯けに倒れ、祈って言われた、「お父様、出来ることなら、どうかこの杯がわたしの前を通りすぎますように。しかし、わたしの願いどおりでなく、お心のとおりになればよいのです。」

●この個所の並行記事のルカには次のようにある。汗が血のようにしたたったという。これ熱祈である。我々もここまで祈らねばならない。

ルカ 22:42-44
22:42 言われた、「お父様、お心ならば、どうかこの杯をわたしに差さないでください。しかし、わたしの願いでなく、お心が成りますように!」
22:43 そのとき天から一人の天使がイエスに現われて、力づけた。
22:44 イエスはもだえながら、死に物狂いに祈られた。汗が血のしたたるように(ポタポタ)地上に落ちた。
 
●次はパウロ。パウロは「苦と呻き」の人であった。福音は伝承者の「苦と呻き」が伴わなければ伝わらない。パウロの「苦と呻き」の代表的な言葉は次である。

塚本訳  ロマ 8:26-28
8:26 しかし(創造物やわたし達神の子が苦しんでいると)同じように、御霊も、弱いわたし達を助けてくださる。すなわち、(神のみ心にかなうには)どう何を祈るべきかわからないので、御霊自身が、無言の呻きをもって(わたし達の祈りを神に)執り成してくださるのである。
8:27 しかし(人の)心を見抜くお方[神]は、御霊が何を求めているか、すなわち、御霊が神の御心にかなうように聖徒たちのために執り成しておられることを、(もちろん)御存じである。
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。

●この部分はロマ書の絶頂、人間の苦悶、被造物の苦悶と同時に救いの道も示されている。これを直接読めば「苦悩、苦悶」の渦中にある人にはストレートに分かるが、なお「聖書で聖書を読む」方法の一つとしてTSKの助けを借りることにする。
●TSKは聖書で飯を食っている聖書学者にはあまり役立たないが、聖書の言葉の意味を探ったり、黙想(ディボーション)するには有効である。我々は神学者や聖書学者になるのが目的ではない。実人生に役立つ●これが本当の聖書の読み方である●この26-28節のTSKによる引照は全部で 96個所もあるが。その中から「霊に響く」ところを掲げる。●すると幾分心が安らぐ。悩みの日に読む聖書は精神安定剤だ。 

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●上記サイトからロマ書8章26-28節にアプローチする。このサイトは拙HPの「使徒伝承」のトップに於いてある。

●では以下にロマ書8章26~28節のTSKから「心に響いた」個所を掲げる。かなりある。

TSK引照
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●26節。詩篇は嘆きの書でもあることが分かる。 

塚本訳  ロマ 15:1
15:1 しかしわたし達強い(信仰をもつ)者は、強くない(信仰をもつ)者の弱さを負い、決して(勝手なことをして)自分を喜ばせてはならない。

塚本訳 Ⅱコリ12:5-10
12:5 こんな人のことをわたしは自慢しよう。しかしわたし自身のことは、弱いこと以外は自慢するまい。
12:6 もっともわたしが(こんな啓示を)自慢したところで、「馬鹿者」(と言われるほどのこと)ではなかろう。本当のことを言うのだから。しかし差し控える。わたしを見、あるいはわたしから聞く以上に、(何か特別のものでもあるように)だれかがわたしを買いかぶらないためである。 12:7 そしてこれらの素晴らしい啓示があるので、わたしが高慢にならないようにと、わたしの肉に一つの刺が与えられた。悪魔の使いであって、これはわたしが高慢にならないようにと、わたしをうつものである。
12:8 この使について、それがわたしから手を引くようにと、三度まで主に願ったが、
12:9 主は(その都度)言われた、「わたしの恩恵はあなたに十分だ。力は弱さの中に完成されるのだから。」、それでわたしはキリストの力がわたしに住みついてくださるように、大喜びで、むしろ(自分の)弱いことを自慢しよう。
12:10 それゆえわたしは弱いことを、虐待、艱難、また迫害と苦悩をうけることを、キリストの故に喜ぶ。わたしは弱い時には、(彼の力によってかえって)強いのであるから。

塚本訳 ヘブ 4:15
4:15 なぜなら、わたし達の大祭司は、わたし達の弱さに同感することの出来ない(ような)方でないからである。むしろどの点からしてもわたし達と(全く)同様に誘惑された。ただし罪は犯されなかった。

 塚本訳 ヘブ 5:2
5:2 彼は自分自身も(人間で、彼が代って犠牲を捧げる人々と同様、人としての)弱さを身に帯びているので、無知の人々、また(罪に)迷う人々を思いやることが出来るのである。

塚本訳 ルカ 11:1
11:1 ある所で祈っておられた時のこと、それがすむと、ひとりの弟子が言った、「主よ、(洗礼者)ヨハネが弟子たちに教えたように、わたし達にも祈りを教えてください。」

 塚本訳 ヤコ 4:3
4:3 求めてしかも受けないのは、悪い心で、自分達の快楽のために費やそうとして求めるからでる。

塚本訳  マタ 10:20
10:20 言うのはあなた達でなく、父上の霊があなた達によって言われるのである。

塚本訳 ユダ 1:20-21
1:20 しかし愛する者よ、君達は君達の最も聖なる信仰の上に自分を築き上げ、聖霊において祈り、
1:21 (賜わった)神の愛において自分を守り、永遠の生命に入れ給う私達の主イエス・キリストの憐憫を待ち望め。

 塚本訳 ロマ 7:24
7:24 なんとわたしはみじめな人間だろう!だれがこの死の体から、わたしを救い出してくれるのだろうか。

 塚本訳 ルカ 22:44
22:44 イエスはもだえながら、死に物狂いに祈られた。汗が血のしたたるように(ポタポタ)地上に落ちた。

塚本訳  Ⅱコリ5:2
5:2 どうしてであろうか。わたし達はこのテントにいて、天の住いを上に着たくてたまらずに呻いているからである。(この憧れと呻きこそ、永遠の住いのある証拠ではないか。)

塚本訳 Ⅱコリ5:4
5:4 それで、わたし達のこのテントにいる者は、重荷に呻いている。これを脱ぎたい(つまり死にたい)のではなく、(天の住いを)上に着たいからである。これは死ぬべきものが命に飲み込まれるためである。

塚本訳 Ⅱコリ12:7-9
12:7 そしてこれらの素晴らしい啓示があるので、わたしが高慢にならないようにと、わたしの肉に一つの刺が与えられた。悪魔の使いであって、これはわたしが高慢にならないようにと、わたしをうつものである。
12:8 この使について、それがわたしから手を引くようにと、三度まで主に願ったが、
12:9 主は(その都度)言われた、「わたしの恩恵はあなたに十分だ。力は弱さの中に完成されるのだから。」、それでわたしはキリストの力がわたしに住みついてくださるように、大喜びで、むしろ(自分の)弱いことを自慢しよう。

口語訳 詩  6:2-3
6:2 主よ、わたしをあわれんでください。わたしは弱り衰えています。主よ、わたしをいやしてください。わたしの骨は悩み苦しんでいます。
6:3 わたしの魂もまたいたく悩み苦しんでいます。主よ、あなたはいつまでお怒りになるのですか。

口語訳 詩  6:6-7
6:6 わたしは嘆きによって疲れ、夜ごとに涙をもって、わたしのふしどをただよわせ、わたしのしとねをぬらした。
6:7 わたしの目は憂いによって衰え、もろもろのあだのゆえに弱くなった。

口語訳 詩  6:8-10
6:8 すべて悪を行う者よ、わたしを離れ去れ。主はわたしの泣く声を聞かれた。
6:9 主はわたしの願いを聞かれた。主はわたしの祈をうけられる。
6:10 わたしの敵は恥じて、いたく悩み苦しみ、彼らは退いて、たちどころに恥をうけるであろう。

口語訳 詩  55:2-3
55:2 わたしにみこころをとめ、わたしに答えてください。わたしは悩みによって弱りはて、
55:3 敵の声と、悪しき者のしえたげとによって/気が狂いそうです。彼らはわたしに悩みを臨ませ、怒ってわたしを苦しめるからです。

口語訳 詩  65:2-3
65:2 祈を聞かれる方よ、すべての肉なる者は罪のゆえにあなたに来る。われらのとががわれらに打ち勝つとき、あなたはこれをゆるされる。
65:3 (2節に合節)

口語訳 詩  77:2-4
77:2 わたしは悩みの日に主をたずね求め、夜はわが手を伸べてたゆむことなく、わが魂は慰められるのを拒む。
77:3 わたしは神を思うとき、嘆き悲しみ、深く思うとき、わが魂は衰える。〔セラ
77:4 あなたはわたしのまぶたをささえて閉じさせず、わたしは物言うこともできないほどに悩む。

口語訳 詩  88:2-4
88:2 わたしの祈をみ前にいたらせ、わたしの叫びに耳を傾けてください。
88:3 わたしの魂は悩みに満ち、わたしのいのちは陰府に近づきます。
88:4 わたしは穴に下る者のうちに数えられ、力のない人のようになりました。


口語訳 詩  143:4-7
143:4 それゆえ、わが霊はわがうちに消えうせようとし、わが心はわがうちに荒れさびれています。
143:5 わたしはいにしえの日を思い出し、あなたが行われたすべての事を考え、あなたのみ手のわざを思います。
143:6 わたしはあなたにむかって手を伸べ、わが魂は、かわききった地のように/あなたを慕います。〔セラ
143:7 主よ、すみやかにわたしにお答えください。わが霊は衰えます。わたしにみ顔を隠さないでください。さもないと、わたしは穴にくだる者のように/なるでしょう。

●次は27節。神は見ていて下さる。知っていて下さる。だから我々をいつまでも苦しませてはおかない。

口語訳 詩  7:10
7:10 わたしを守る盾は神である。神は心の直き者を救われる。

口語訳 詩  44:22
44:22 ところがわれらはあなたのためにひねもす殺されて、ほふられる羊のようにみなされました。

口語訳 エレ 17:10
17:10 「主であるわたしは心を探り、思いを試みる。おのおのに、その道にしたがい、その行いの実によって報いをするためである」。

口語訳 エレ 20:10
20:10 多くの人のささやくのを聞くからです。恐れが四方にあります。「告発せよ。さあ、彼を告発しよう」と/言って、わが親しい友は皆/わたしのつまずくのを、うかがっています。また、「彼は欺かれるだろう。そのとき、われわれは彼に勝って、あだを返すことができる」と言います。

塚本訳  マタ 6:8
6:8 彼らの真似をしてはならない。神はあなた達の父上である。求める前から、あなた達に必要なものをよく御承知である。

口語訳 詩  38:10
38:10 わたしの胸は激しく打ち、わたしの力は衰え、わたしの目の光もまた、わたしを離れ去りました。

口語訳 詩  66:18-19
66:18 もしわたしが心に不義をいだいていたならば、主はお聞きにならないであろう。
66:19 しかし、まことに神はお聞きになり、わが祈の声にみこころをとめられた。

 塚本訳 ヤコ 5:10
5:10 兄弟達よ、主の名において語った預言者達を、辛抱と忍耐の手本にせよ。

塚本訳  ロマ 8:34
8:34 『だれが(わたし達を)罰することができるか。』キリスト・イエスが(わたし達の罪のために)死んで、それだけでなく復活して、いま神の右においでになって、わたし達のために執り成していてくださるのに。

口語訳 エレ 29:12-13
29:12 その時、あなたがたはわたしに呼ばわり、来て、わたしに祈る。わたしはあなたがたの祈を聞く。
29:13 あなたがたはわたしを尋ね求めて、わたしに会う。もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば、

塚本訳 ヨハ 14:13
14:13 あなた達がわたしの名で願えば、なんでもかなえてあげるからだ。これは父上が子によって栄光をお受けになるためである。

塚本訳 Ⅰヨハ3:21-22
3:21 愛する者たちよ、もし心が自分を責めないなら、わたし達は神に対して確信を持つ。
3:22 そして(なんでも)願うものを、彼から戴く。なぜなら、彼の掟を守り、御前にお気に召すことをするからである。

塚本訳 Ⅰヨハ5:14-15
5:14 そして、もし神の御心に従って何かを求めるならば、神は(かならず願いを)聞いてくださること、それが神に対して持っているわたし達の確信である。
5:15 かくしてわたし達は、神はかならずわたし達の求める願いを聞いてくださることを知っているならば、求めた(すべての)求めを(すでに)得ていることを知っているのである。

●次は28節・・・終末は近い。艱難はもうしばらくだということ。

口語訳 創  50:20
50:20 あなたがたはわたしに対して悪をたくらんだが、神はそれを良きに変らせて、今日のように多くの民の命を救おうと計らわれました。

口語訳 申  8:16
8:16 先祖たちも知らなかったマナを荒野であなたに食べさせられた。それはあなたを苦しめ、あなたを試みて、ついにはあなたをさいわいにするためであった。

口語訳 詩  48:1-2
48:1 主は大いなる神であって、われらの神の都、その聖なる山で、大いにほめたたえらるべき方である。
48:2 シオンの山は北の端が高くて、うるわしく、全地の喜びであり、大いなる王の都である。

口語訳 エレ 24:5-7
24:5 「イスラエルの神、主はこう仰せられる、この所からカルデヤびとの地に追いやったユダの捕われ人を、わたしはこの良いいちじくのように顧みて恵もう。
24:6 わたしは彼らに目をかけてこれを恵み、彼らをこの地に返し、彼らを建てて倒さず、植えて抜かない。
24:7 わたしは彼らにわたしが主であることを知る心を与えよう。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らは一心にわたしのもとに帰ってくる。

塚本訳 ロマ 5:3-4
5:3 そればかりではない。苦難をも誇る。苦難は忍耐を、
5:4 忍耐は鍛錬を、鍛錬は希望を生むことを知っているからである。

塚本訳 ロマ 8:35-39
8:35 (このゆえに)だれがキリストの(わたし達を愛する)愛から、わたし達を引き離すことができるか。苦しみか、悩みか、迫害か、飢えか、裸か、危険か、剣か。
8:36 こう書いてある。──『あなた[神]のためにわたし達は一日中死の危険にさらされている、わたし達は屠られる羊のように考えられた。』
8:37 (もちろん、引き離すことのできるものはない。)そればかりか、わたし達を愛して(十字架につけられて)くださった方により、これらすべての(苦難の)中にあって、わたし達は悠々と勝つことができる。
8:38 なぜなら、わたしは確信している、死んでも命でも、天使でも支配(天使)でも、現在起こっていることでも将来起こることでも、権力(天使)でも、
8:39 高い所のものでも低い所のものでも、その他どんな創造物でも、わたし達の主キリスト・イエスによる神の愛から、わたし達を引き離すことはできない。

塚本訳  Ⅱコリ4:15-17
4:15 何もかもあなた達のためにするのである。これは恩恵が増すにつれていよいよ多くの(信ずる)人たちが感謝にあふれ、神の栄光が揚がるためである。
4:16 このゆえに、わたし達は気を落さない。いや、わたし達の(生れながらの)外の人はどんなにこわれていっても、(キリストによって生れた)内の人は一日一日と新しくされてゆく。
4:17 なぜなら、現在の軽い苦難は、この上もなく素晴らしい、永遠に豊富な(神の)栄光をわたし達にもたらす(保証だ)からである。

塚本訳 Ⅱコリ5:1
5:1 なぜ(こんな希望に生きることができるの)であろうか。もし地上の家であるわたし達のこのテント、(この肉体)がこわれるならば、天に、神の建てられた建物、(人間の)手で造らない永遠の家をいただいていることを、わたし達は知っているからである。

 塚本訳 Ⅱテサ1:5-7 ・・・(これが最高に慰められた。終末は近い。もうしばらくだ。その時万物は清めらる。復興する。平和になる)

1:5 (実はかく)君達が苦しんでいることが(とりも直さず)神の正しい(最後の)審判の(既に切迫している)兆であり、(またそれにより)君達が神の国に相応しい者とされるためであって、君達は(今)その御国のために苦しんでいるので、
1:6 神は(きっと)──これは神において正しいことであるから──(今)君達を苦しめている者達には患難をもって、
1:7 また(これに反し今)苦しめられている君達には私達と一緒に安息をもって報い給うのであって、そのことは主イエスが天からその能力なる天使(の群)と共に『火焔の中に』現れ給う時に実現し、

塚本訳 ヘブ 12:6-12
12:6 なぜなら、主は愛する者を訓練し、好きな子をすべて懲らしめられる。』
12:7 (神の)『訓練』を受けるために、(迫害を)耐え忍べ。神はあなた達を(自分の)『子』のように取り扱われるのである。なぜなら、父の『訓練し』ない『子が』どこにかあるのか。
12:8 もし皆が受ける『訓練が』ないとすれば、それこそあなた達は私生児で、(ほんとうの)『子』ではない。
12:9 かつまた、わたし達は訓練をする者として肉の父を尊敬した(とするならば)、まして霊魂の父に服従して、(永遠に)生きないことがあるだろうか。
12:10 というのは、肉の父は(ほんの)少しの日数(だけ)、自分の考えに従って訓練したのに反して、神はわたし達を益するため、わたし達をその聖さにあずからせるために、訓練されるのであるから。
12:11 あらゆる訓練(というもの)は、その当座は喜びとは見えず、かえって悲しみと見えるが、しかしあとで、それで鍛えた者に(まことの)義の実である平安を与えるのである。
12:12 だから、『力の抜けた手と、しびれた膝をまっすぐに伸ばしなさい。』

塚本訳 ヤコ 1:3-4
1:3 信仰の試験に及第することが忍耐を生み出すことを、君達は知っているのだから。
1:4 そして忍耐に完全な働きをさせて、如何なる点にも欠くることの無い、完全無欠な者となれ。

塚本訳 Ⅰペテ1:7-8
1:7 これは君達の信仰が、火によって本物であると証明された(この世の)はかない金よりも尊い本物であることが判り、イエス・キリストの顕現の時に(君達の)面目また光栄また栄誉とならんためである。
1:8 君達は彼を(目のあたり)見たことはないが、(これを)愛し、今も見ることは出来ないが、(これを)信じて、(既にかの日の)輝きに満ちた、言語に絶する喜悦を喜んでいる。


塚本訳  黙  3:19
3:19 (何も私のこの烈しい言に驚くことはない。)私は愛する者を罰し、また躾る。だから熱心になって、(早く)悔い改めよ。


塚本訳  ヤコ 1:12
1:12 『幸福なるかな』、試練に『耐える』人、(これに)及第すると、主を愛する者に約束された生命の冠が戴けるのだから。


 塚本訳 Ⅰテサ5:9
5:9 何故なら神が私達に定め給うた運命は御怒りによる滅亡でなく、私達の主イエス・キリストによって救いを得ることであるから。

 塚本訳 Ⅰペテ5:10
5:10 しかしキリストにおいて君達を永遠の栄光へと召し給うたあらゆる恩恵の神は、暫く受難せねばならぬ君達を自ら武装し、強め、力づけ、堅く立て給うであろう。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
TSK引照終わり


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堕落人間の滅びとその救い ++++++++ 所感

2012/03/09 05:39

120309(金)4時半起床●朝の啓示と黙想「堕落人間の滅びとその救い」


口語訳 創  3:23
3:23 そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕させられた。

●創世記は神話だが、神と人間の関係を「物語」で表現した。それなのでよく分かる。
●罪は神への反抗のことである。
●アダムとイヴを神にそむかせたのはサタンである。蛇に姿を変えたサタンの囁きである。
●今日のサタンは、悪い友人と上司である。悪いところへ平気で連れていく。囁く。平気で罪を犯せるように、そっとさやく。「こんな事みんな普通にやっているよ」と。クタバレ!!サタン。
●設計事務所に勤務している者は所長を心で批判したら最後、辞任あるのみ。在職の意味がない。職場から追放されるのみ。アダムとイヴは楽園を追放された。神としても気持悪い人間を置いておくわけにはいかないのだ。
●この罪が人類に入ったために男は労働(勤務)が苦痛になり、女は結婚(男に支配されて子を産むこと)が苦痛になった。

口語訳 創  6:1-3
6:1 人が地のおもてにふえ始めて、娘たちが彼らに生れた時、
6:2 神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった。
6:3 そこで主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう」。

●罪の結果、人間は神との交わりに安らぎを得なくなったので、イケメンや美女と結婚することが幸福と思うようになって性道徳が乱れるようになった。風俗産業が栄えるようになった。
●そこで、人間の寿命は120年になった。つまり「罪は死」である。肉の死である。「罪の価は死」である。罪という主人仕えるとその給料は死なのだ。
●病もまた罪の結果である。医学は「そんなバカな」というが、死の宗教的本質はそこにある。 ●イエスは「病」は悪霊に取りつかれた結果、罪の結果だと認識していた。しかし本当は神の栄光が現われるため。(ヨハネ9:1-3、マタイ15:22,17:19、ルカ13:16)

口語訳 創  6:5-8
6:5 主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。
6:6 主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め、
6:7 「わたしが創造した人を地のおもてからぬぐい去ろう。人も獣も、這うものも、空の鳥までも。わたしは、これらを造ったことを悔いる」と言われた。
6:8 しかし、ノアは主の前に恵みを得た。

●これ東日本大震災の本質。そこに気付かない人間は人生観が浅い。
●神の失敗はノアの家族だけを残したのが失敗。罪のDNAが残ってしまった。神の人類改造計画は失敗。
●この修復には第二のアダムたるキリストの贖罪を待たねばならなかった。

口語訳 創  19:24-26
19:24 主は硫黄と火とを主の所すなわち天からソドムとゴモラの上に降らせて、
19:25 これらの町と、すべての低地と、その町々のすべての住民と、その地にはえている物を、ことごとく滅ぼされた。
19:26 しかしロトの妻はうしろを顧みたので塩の柱になった。

●そのとき神は堕落人間(家族、都市)を滅ぼすのに洪水ではなく、硫黄と火を降らせた。
●地層を調べると、硫黄の痕跡が出てくると言うから、ソドムとゴモラの滅亡は歴史的事実らしい
●日本に貞観地震という今回に匹敵する地震があったことは地層の痕跡でわかるという。
●歴史的事実の背後に「神の手」を見るか見ないかで人生の歩みは決まる。
●「人生は神ありと賭けて生きるか、神なしと賭けて生きるかのどちらかだ。私は神ありと賭けて生きてきて幸福であった」 (矢内原忠雄)
●戦後の日教組は「唯物主義」。今日の日本の衰退を招いた原因の一端は唯物思想の日教組にある。
●ロトが後ろを振り返ったのはなぜか。子供を残してきたからではあるまいか。この心は「子を惜しむ気持」であり、神の救いの心に通じる。しかしイエスは「子供とも別れさせられる」というのだが・・・・
●妻とこの事について話し合った。妻は「母親は子供を絶対に捨てない。ロトは神の言いつけをまもらなかったから塩の柱に<なったのだと思います」という。(創世記19:17)


口語訳 創  19:15-17
19:15 夜が明けて、み使たちはロトを促して言った  「立って、ここにいるあなたの妻とふたりの娘とを連れ出しなさい。そうしなければ、あなたもこの町の不義のために滅ぼされるでしょう」。
19:16 彼はためらっていたが、主は彼にあわれみを施されたので、かのふたりは彼の手と、その妻の手と、ふたりの娘の手を取って連れ出し、町の外に置いた。
19:17 彼らを外に連れ出した時そのひとりは言った、「のがれて、自分の命を救いなさい。うしろをふりかえって見てはならない。低地にはどこにも立ち止まってはならない。山にのがれなさい。そうしなければ、あなたは滅びます」。

●私は11年前に家を焼かれた。
●福島には硫黄ではないが放射能が降った。
●ソドムでは「はえている物」も滅ぼされたとある。福島産が売れないのも同じ現象。
●福島は日本中の罪の十字架を負った。身代わりになってくれた。申し訳ない。勘弁してくれ、赦してくれ。
●人間は全員が悪魔につかまって不自由な身になっているのだ。
●内村鑑三の弟子で著名なS氏は人生の途中で某企業の社長に迎えられた。その企業の創立者が内村の弟子であったからでその引きであった。すると大金を手にしたS氏は堕落して2号をかこった。今井館教友会はS氏所有の内村資料を頂きに行った時、その2号が「S氏の思い出があるので手放せません」といって拒否された。内村が天で泣いている。内村文献なにものぞ。クソクラエ。

口語訳 申  29:23
29:23 ――全地は硫黄となり、塩となり、焼け土となって、種もまかれず、実も結ばず、なんの草も生じなくなって、むかし主が怒りと憤りをもって滅ぼされたソドム、ゴモラ、アデマ、ゼボイムの破滅のようである。―― 

●ソドム・ゴモラは堕落町の代名詞。東京がそれ、渋谷円山町、新宿歌舞伎町、ラスベガス、コリント、東京吉原、札幌ススキ野がそれ。淫蕩の街。滅びよ。東京は大淫婦バビロン。滅びの予感。東京は間もなく東海大地震で壊滅する。
●東京大学「都市工学科」(丹下建三の発案)は悪の巣、罪の巣を造っているのではないのか。都市は便利ではあるが霊魂の安らぎはない。 便利さ快適さそのものは幸福ではない。そう思っている人間は小人で低級。人生観が浅い。人間、まず霊魂の安らぎである。
●諺に「悪魔は都市を造り、神は田舎を造った」という。
●不便なところに神の霊が降る。内村鑑三が「日本で一番不便なところに行って伝道せよ」と言ったのは真理。独立学園はそれで創立した。

塚本訳  マタ 10:14-15
10:14 しかし人があなた達を歓迎せず、あなた達の言葉に耳をかたむけないなら、(すぐ)その家なり町なりを(出てゆけ。そして)出てゆくとき、(縁を切った証拠に)足の埃を払いおとせ。
10:15 アーメン、わたしは言う、(最後の)裁きの日には、あの(堕落町)ソドムやゴモラの地の方が、まだその町よりも罰が軽いであろう。

●裁きの日にはソドムやゴモラよりも恐ろしい惨状になるとイエスは言う。既にそれは始まっている。自殺3万、孤独死3万、鬱病は5~6人に一人。原因をよく調べると「罪」。裁きは始まっている。

塚本訳  マタ 23:36-37
23:36 アーメン、わたしは言う、これら(に対する罰)は、ことごとくこの時代(の君たち)に臨むであろう。
23:37 ああエルサレム、エルサレム、預言者を殺し、(神から)遣わされた者を石で打ち殺して(ばかり)いる者よ、雌鳥がその雛を翼の下に集めるように、何度わたしはお前の子供たちを(わたしの所に)集めようとしたことか。だがお前たち(エルサレムの者)はそれを好まなかった。

●宗教都市エルサレムにしてこれである。ましてや堕落町東京の滅びは必至。
●エルサレムは紀元70年、ローマによって滅ぼされた。イエスは天で泣いたであろう。
●宗教界また同じ。イエスは職業宗教家たちに殺された。妬みと商売妨害の恐れ。

塚本訳  ロマ 3:9
3:9 それでは、どうなるのだろうか。(ユダヤ人である)わたし達には、(異教人より)優れたところがあるのか。全然ない。わたし達が前から強く主張してきたように、ユダヤ人も異教人もことごとく、罪の(支配の)下にいるからである。

塚本訳  ロマ 3:21-26
3:21 しかしながら今、律法に関係なく、神の義は現わされた。しかし律法と預言書と[聖書]によって(すでに)証しされているものである。
3:22 この神の義は、イエス・キリストを信ずる信仰(だけ)によって、これを信ずるすべての者にあたえられる。(すべてというのは、そこに人間的の)なんの差別もないからである。
3:23 なぜか。すべての人が罪を犯したため、いまだれ一人、(かつて持っていた)神の栄光をもたない。
3:24 (さりとて失った栄光を回復する力はないので、何一つ)代価を払わず、(ただ)神の恩恵によって、キリスト・イエスによるあがないの力で、(神に)義とされる(道が設けられた)のである。
3:25 すなわち神は御自分の義を示すために、宥めの供え物としてキリストを提供された。これはキリストの血でなされたものであり、(人は)信仰によ(ってこの恩恵にあずか)るのである。このことは──神が(長いあいだ)忍耐をもって過ぎし日に犯した罪を罰せずにおられたので──
3:26 今の世において、御自分の義を示そうとされたのである。すなわち御自分が義であること、またイエスを信ずる者を義とするお方であることを、(この世に)示されたのである。

●しかし遂に人類悲願の救いの道が開かれた。神の愛による罪なき神の子イエスの贖罪の死による。
●永遠の命は人類の悲願であった。復活、肉体の復興。永遠の平和と喜び。 


塚本訳 ヨハ 12:24
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)

塚本訳  ヨハ 15:13
15:13 (わたしはあなた達のために命を捨てる。)友人のために命を捨てる以上の愛はないのだ。

●人の救いは、律法を守ることではない、つまり道徳を守ることではない。「人の道」を外す子rトではない。
●キリストの十字架の贖罪愛で行為なくして救われる道が神によって設けられtた。
●犠牲の愛が人を救う。

口語訳 創  8:21
8:21 主はその香ばしいかおりをかいで、心に言われた、「わたしはもはや二度と人のゆえに地をのろわない。人が心に思い図ることは、幼い時から悪いからである。わたしは、このたびしたように、もう二度と、すべての生きたものを滅ぼさない。

口語訳 ヨナ 4:10-11
4:10 主は言われた、「あなたは労せず、育てず、一夜に生じて、一夜に滅びたこのとうごまをさえ、惜しんでいる。
4:11 ましてわたしは十二万あまりの、右左をわきまえない人々と、あまたの家畜とのいるこの大きな町ニネベを、惜しまないでいられようか」。

塚本訳 2 ルカ 13:7-8
13:7 葡萄畑の作男に言った、『もう三年この方、この無花果の木に実をさがしに来ているのに、まだ実がならない。切ってくれ。(ならないばかりか、)なんで土地までくたびれさせることがあろう。』
13:8 答えて言う、『ご主人、今年もう一年だけ勘弁してやってください。今度は回りを掘って、肥料をやってみますから。

口語訳 Ⅱペテ3:8-9
3:8 愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。
3:9 ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。

●人の救いは「愛」による。犠牲的愛。赦す愛。それは旧約からはじまって、イエスの十字架で見える形になった。
●キリストに救われた者は、まだ罪の中にもがいて苦しんでいる人の重荷を負わなければならない。
●「キリストの苦しみの欠けたるを補う」のがエクレシアに任務である。
●救いは成る。万物は終末で清められて復興する。聖書に書いてある。私はそれを信じ抜く。笑うものは笑え。サタンよ今にみておれ。勝負は最後の日だ。
 ●11年前に「脳内出血」で倒れたが、愛する人のためには今後もう一度脳内出血になって倒れてもよい。馬齢を重ねるのは幸福ではない。 


塚本訳 マタ 18:21-22
18:21 その時ペテロが進み寄ってたずねた、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したとき、何度赦してやらねばなりませんか。七度まででしょうか。」
18:22 イエスがこたえられた、「いや、あなたに言う、七度までどころか、七十七度まで!


塚本訳  マタ 6:12-15
6:12 罪を赦してください、わたしたちも罪を犯した人を赦しましたから。
6:13 わたしたちを試みにあわせないで、悪から守ってください。
6:14 (祈る前に、まず人の罪を許さねばならない。)あなた達が人の過ちを赦してやれば、天の父上もあなた達を赦してくださるが、
6:15 人を赦さないならば、父上もあなた達の過ちを赦してくださらないであろう。

塚本訳 ルカ 17:1-4
17:1 それから弟子たちに言われた、「罪のいざないが来るのは致し方がない。だが、それを来させる人は禍だ。
17:2 この小さな者を一人でも罪にいざなうよりは、挽臼を頚にかけられて海に放り込まれる方が、その人の為である。
17:3 (人を罪にいざなわぬように注意せよ。(また)もし兄弟が(あなたに対して)罪を犯したら、これを咎め、悔改めたら、赦してやりなさい。
17:4 あなたに対して一日に七度罪を犯しても、七度『すまなかった』と言って、あなたの所へもどってきたら、七度赦してやらねばならない。

●キリスト教の本質は「罪の赦し」
●人の罪を赦せなければクリスチャンではない。
●神様あの人の罪は、私の罪です。同罪です。赦して下さい。代わりに私を打って下さい。
 
●妻は午後から愛子のところに手伝い。神に負わされる労苦は覚えられる。天に宝を積む事になる。
 
●TSK日本語版第一コリント終了、WEBにアップ 

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●今日から第二コリント。「苦」という概念が多く出てくる。福音の伝わり方ははこれを説く人の「苦」の量に比例する。「キリストの苦しみの欠けたるを補う」のがクリスチャンの使命。エクレシヤの使命。
●パウロが結婚しなかったのは「苦」の量が大きかったので、満足な家庭生活を営めないからと思ったからであろう。
●18:00 中野の愛子家からトミ子の電話。遅くなるという。遅くなってもいい。夕飯は自分で何とかする。


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大震災以上の悲惨な現実 ++++++++ 所感

2012/03/08 07:03

120308(木)4時15分起床●朝の啓示と黙想。

塚本訳 ロマ 13:11-14
13:11 しかも、あなた達は今の時代を、すなわちもはや眠りからさめるべき時であることを、よく知っている(のだから、なおさらのことである。)今は、信仰に入った時よりも、わたし達の救いが近づいているのである。
13:12 夜がふけて、(最後の)日が近づいた。だから闇の業をぬぎすて、光りの武具をつけようではないか。
13:13 昼間にふさわしく、きちんとして生活しようではないか、酒宴と酩酊でなく、淫楽と放蕩でなく、喧嘩と嫉妬でなく。
13:14 主イエス・キリストを着なさい。肉をいたわるのはよいが、情欲に陥らないように。

●この13-14節はあの大放蕩人間であったアウグスチヌスが打たれた聖書の言葉。彼はこの部分を読んで人生目が覚めた。彼は放蕩人生はおちるところまでおちていても決して「安らぎ」を得ていなかった。
●しかしにんげんというものはいつか目が覚めるものだ。なぜか。「人間だから」。
●母のモニカは毎日嘆き、泣き、呻き、ため息のつきどおしであった。
●この悩みをミラノの大主教アンブロジウスに告げると「涙の子は滅びません」と慰められた。
●彼は大回心して後にカトリック教会の礎になった。
●神はその力で人を新しく創り変える。神にはその力がある。
●クリスチャンは12節の「光の武具」と言う言葉が重要。
●行政の発想は津波対策として10メートル以上の堤防を数多く建設しようとしている。
●それはそれで少しは意味があるが、クリスチャンは他の人が出来ない「光の武具」で防衛しなければならない
●しかしこの宗教は逃避ではない
●光の武具で身を固めて「足場」を作ってからこの世の小事に立ち向かうのだ。
●そうすると「清廉な良い発想」が出るのだ。それなしにこのちょと同じ発想えd猪突猛進するのは賢くない。
●なぜか。それは神に祝福されないから神の「助け」が得られないのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
黙想終わり

●3月11日のキリスト新聞「論壇」にカトリック司教の森一弘が「大震災以上の悲惨な現実」。として次のように書いている。その一部分を掲げる。


キリスト新聞202.3.10「論壇」から一部引用 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

大震災による死者の数は行方不明者合わせて1万8千人前後といわれているが、それ以上の人々が今日の日本社会では悲しいj状態に追いやられてしまっている。誰からも看取られず孤独のうちに人生を終えてしまう人の数は年間3万を、自死する人の数も同じように年間3万を、超えてしまっている。こうした人々の予備軍とも位置づけられる「うつ病に覆われ」てしまう人も、5人あるいは6人に1人とも言われる。こうした数字の背景を分析していくと、日本社会の惨憺たる状態が見えてくる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
キリスト新聞202.3.10「論壇」から一部引用 終わり

●さすが、カトリック司教、この世の最も深い暗黒を背負っている。
●私は無教会者として、この森一弘司教のようになりたい。
●カトリックも無教会も真理だから終末まで存続する。
●内村鑑三の「青書之研究」の最終号に「教会問題」があり、「組織的教会に行きたければカトリックに行けばよい。そうでなければ無教会的生き方がよい」と言っている
●そうだ、東日本大震災はそれ以上の悲惨が日本にあることを気づかせてくれたのだ。
●物理的防波堤も悪くはないがサタンの襲撃を防ぐ防波堤なる「光の武具」を構築しなければならないのだ。 


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神は悪霊を追い出せる ++++++++ 所感

2012/03/07 10:48

120307(水)6時起床●難しい病気を背負ってしまった人へ。「神には直せない病気はない」「神は悪霊を追い出せる」●BK、郵便局●妻は婦人の読書会。「塚本虎二著作集」千駄ヶ谷。午後は愛子のところ●家族に精神的疾患の人間を抱えてしまった人に。聖書の思いつくままを黙想する。●終末には総てが完成して死も罪も滅ぼされる。この世ではその希望を持って生きるのだが、その予兆として病気が治るのだ。それがイエスの到来による病の癒しであった。●イエスは自分が病を癒しているのは神の国が来始めた徵であると言う。●主よ再び来て下さい。あなたは悪霊を追い出されました。マラナ・サ 


塚本訳  ルカ 7:20-23
7:20 その人たちはイエスの所に来て言った、「洗礼者ヨハネから来ました。『来るべき方はあなたですか、それともほかの人を待つべきでしょうか』とおたずねするよう申しつけられました。」
7:21 その時、イエスは多くの人の病気と苦しみと悪霊につかれているのとをなおし、多くの盲人を見えるようにしてやっておられたが、
7:22 答えられた、「行って、(今ここで)見たこと聞いたことをヨハネに報告しなさい。──『盲人は見えるようになり、』足なえは歩きまわり、癩病人は清まり、聾は聞き、死人は生きかえり、『貧しい人は福音を聞かされている』と。
7:23 わたしにつまずかぬ者は幸いである。」 

塚本訳 マコ 1:40-42
1:40 すると(ある日)一人の癩病人がイエスの所に来てひざまずき、「清めてください。お心さえあれば、お清めになれるのだから」と言って願った。
1:41 イエスは(そのあわれな姿を見て悪魔に対する)怒りに燃え、手をのばしてその人にさわり、「よろしい、清まれ」と言われると、
1:42 たちまち癩病が消えうせて、その人は清まった。
 

塚本訳  マタ 19:25-26
19:25 これを聞いて、弟子たちは非常に驚いて言った、「ではいったい、だれが救われることが出来るのだろう。」
19:26 イエスは彼らをじっと見て言われた、「これは人間には出来ないが、『神にはなんでも出来る。』」

塚本訳  ルカ 17:6
17:6 主が言われた、「もしあなた達に芥子粒ほどでも信仰があれば、──(あなた達にはそれがないが、もしあれば)──この桑の木にむかい『抜けて海に植われ』と言っても、言うことを聞くであろう。

塚本訳  ヨハ 12:24
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)

塚本訳  ヨハ 15:13-15
15:13 (わたしはあなた達のために命を捨てる。)友人のために命を捨てる以上の愛はないのだ。
15:14 あなた達はわたしの命ずることを行ってさえおれば、わたしの友人である。
15:15 わたしはもはやあなた達を僕と言わない。僕は(命じられたことをするだけで、)主人が何をしようとしているか知らないのだから。わたしはあなた達を友人と言ったが、これは父上から聞いたことを何もかも知らせたからだ。

塚本訳  マタ 26:39
26:39 そしてなお少し(奥に)進んでいって、俯けに倒れ、祈って言われた、「お父様、出来ることなら、どうかこの杯がわたしの前を通りすぎますように。しかし、わたしの願いどおりでなく、お心のとおりになればよいのです。」

塚本訳  ロマ 8:18
8:18 (しかもこの苦しみは恐れることはない。)なぜなら、わたしはこう考える。今の世の苦しみは、わたし達に現われようとしている栄光(──キリストと一しょに神の国の相続人になる最後の日の大いなる光栄──)にくらべれば、言うに足りない。

塚本訳  ロマ 8:26
8:26 しかし(創造物やわたし達神の子が苦しんでいると)同じように、御霊も、弱いわたし達を助けてくださる。すなわち、(神のみ心にかなうには)どう何を祈るべきかわからないので、御霊自身が、無言の呻きをもって(わたし達の祈りを神に)執り成してくださるのである。

塚本訳  Ⅱコリ7:10
7:10 なぜなら、神の御心に沿った悲しみは、(人を)救いに入れる悔いのない悔改めをもたらすけれども、この世(的)の悲しみは、(絶望と)死をもたらすからである。


塚本訳  ヤコ 1:2
1:2 わが兄弟達よ、種々な試練に遭った時には、(それを)無上の喜びと思え。

塚本訳  Ⅰペテ4:12-13
4:12 愛する者よ、試練のため君達に起こった烈火の苦難を(何か)異常なことが臨んだかのように(驚き)異しむな。
4:13 むしろキリストの苦難に与れば与るだけ喜べ。(最後の日)その栄光の顕るる時にも歓びに喜ぶ(ことが出来る)ためである。

口語訳 Ⅰコリ10:13
10:13 あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。

 
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病は贖罪 ++++++++ 所感

2012/03/06 21:53

120306(火)5時半起床●9:00 池谷医院●次回感話の一節は次である。


文語訳  ヨハ 12:24
12:24 誠にまことに汝らに告ぐ、一粒の麥、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし。


塚本訳  ヨハ 12:24
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)


口語訳 ヨハ 12:24
12:24 よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。

●この解読には次の句に勝るものはない。

文語訳  ヨハ 15:13
15:13 人その友のために己の生命を棄つる、之より大なる愛はなし。

塚本訳 ヨハ 15:13
15:13 (わたしはあなた達のために命を捨てる。)友人のために命を捨てる以上の愛はないのだ。

口語訳 ヨハ 15:13
15:13 人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。

●病気というのは何故起こるか。病気はむやみやたらにはこない。特に精神の病は深いところで「罪」が原因である。
●家庭の中で精神の病の人がでた場合は、それによって家庭の罪が清められるのだ考えられる。
●病人の苦しみは贖罪の苦である。
●病人は人のために十字架を負っているのだ。
●それに気がつかない人間は神から鉄槌が降るのは必至だ。
●罪は死の罰が要求される。人生は甘くない。
●地獄の責め苦は真の悔い改めと救いのためにはどうしても必要。
●三男の恵からの要求で「矢内原忠雄の戦争に対する考え方」「塚本虎二と矢内原忠雄の関係」に関する資料をスキャナで送った。
●私は「救霊、救霊、救霊」だ。
●文明と宗教の考えかたは次の譬話に尽きる。福島原発事故問題もこの譬が回答である。


塚本訳  ルカ 12:13-21
12:13 すると群衆の中の一人がイエスに言った、「先生、遺産を分けてくれるように、兄に言ってください。」
12:14 イエスは「君、だれがわたしを、あなた達の裁判官また遺産分配人に任命したのか」とこたえておいて、
12:15 人々に言われた、「一切の貪欲に注意し、用心せよ。いかに物があり余っていても、財産は命の足しにはならないのだから。」
12:16 そこで一つの譬を人々に話された、「ある金持の畑が(ある年)豊作であった。
12:17 『どうしよう、わたしの作物をしまいこむ場所がないのだが…』と金持ちはひそかに考えていたが、
12:18 やがて言った、『よし、こうしよう。倉をみなとりこわして大きいのを建て、そこに穀物と財産をみなしまいこんでおいて、
12:19 それからわたしの魂に言おう。──おい魂、お前には長年分の財産が沢山しまってある。(もう大丈夫。)さあ休んで、食べて、飲んで、楽しみなさい、と。』
12:20 しかし神はその人に、『愚か者、今夜お前の魂は取り上げられるのだ。するとお前が準備したものは、だれのものになるのか』と言われた。
12:21 自分のために(地上に)宝を積んで、神のところで富んでいない者はみな、このとおりである。」

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雨上がりの畑に陽があたって大地から白い湯気が上がっている。そうだ母なる大地は
暖かいのだ。「十字架は義として見るより愛として見る方が良く分かる」と塚本先生は言われた。


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この世の幸福を取り上げられて与えられる永遠の命 ++++++++ 所感

2012/03/05 08:09

120305(月)4時半起床●朝の啓示「この世の幸福を取り上げられた与えられる永遠の命」●WEB黒崎詩篇のことでシドニーのOM兄に長文メール。●WEB黒崎が立ち上がったのは神の祝福であった●今朝の啓示を黙想。信仰はこの世の幸福に浸ってそれにしがみついているうちは得られない。この世の幸福を取り上げられると真の幸福である永遠の命を与えられる。このことは聖書に無数にある。思い浮かぶまま引用と感話をしてみる。

口語訳 ヨブ 1:21
1:21 そして言った、/「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」。

●人間は何も持たずに裸で一人で出てくる。そして裸にされて死んでゆく。妻も子供も孫も、家も財産も名誉も地位もなく帰って行く。
●塚本先生が関東大震災で御夫人を奪われた時、浅間山に登って男泣きにひた泣きに泣かれた。そして自分に「なぜ泣くか。お前は母の胎から二人で出てきたのか」と自分を慰めた。

塚本訳  マタ 16:26
16:26 たとい全世界をもうけても、命を損するならば、その人は何を得するのだろう。それとも、人は(一度失った永遠の)命を受けもどす代価として、何か(神に)渡すことができるのだろうか。

文語訳  マタ 16:26
16:26 人、全世界を贏くとも、己が生命を損せば、何の益あらん、又その生命の代に何を與へんや。

●人も企業も国家も、全世界を手に入れようとする。ナンバーワンになろうとする。けれどもそれは真の「得」(塚本訳)ではないという。文語訳では「益」ではないという。つまり「幸福ではない」というのだ。
●若山牧水の歌「幾山河超え去りゆかば淋しさの果てなん国ぞ今日も旅ゆく」。は現実的に真理である。


塚本訳  ルカ 12:19-20
12:19 それからわたしの魂に言おう。──おい魂、お前には長年分の財産が沢山しまってある。(もう大丈夫。)さあ休んで、食べて、飲んで、楽しみなさい、と。』
12:20 しかし神はその人に、『愚か者、今夜お前の魂は取り上げられるのだ。するとお前が準備したものは、だれのものになるのか』と言われた。

●人はこの世的に成功して金が入ると、それを地上に積んでおこうとする。銀行に積んでおこうとする。でも来世には持っていけない。いくら金を積んでも延命できない。永遠の命を得られない。
●ラテン語のことわざに「メメントモリ」(死を思え)というのがある。


塚本訳 ルカ 18:29-30
18:29 彼らに言われた、「アーメン、わたしは言う、神の国のために家や妻や兄弟や親や子を捨てた者で、
18:30 この世でその幾倍を、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。」

●人間は家庭が幸福の条件だと思う。好きな人と結婚できるのは幸福だと思う。これ真理である。しかしそれが取られるのだ。病気で先立たれるのだ。心変わりされて愛を失うのだ。それが現実だ。そのときは大泣きするのだ。手放しで泣くのだ。それでいいのだ、それでいいのだ。その涙のプリズムで神の国が見えてくるのだ。
●私が火災で家を失い、その報告を集会の壇上で話した時は泣いてしまった。藤林益三先生に電話をして切ったあとにはしゃがみこんで泣いてしまった。
●私が設計したOビルはバブル崩壊で銀行への返済ができなくなり、オーナー夫人のSさんはうつ病になった。そしてそのビルは10億円で売却。しかしその時からSさんは信仰を頂き、今は非常に幸福になり、時々週報(無教会)を送って来られる。
●私の場合は不思議に、百倍とは言えないが、土地は1.5倍、家は以前より大きいのが与えられた。不思議である。
●自ら捨てるのは「異教」である。不幸を通じて無理に捨てさせられるのである。それは神が「これでもか、これでもか」と言わんばかりにこの世の幸福をもぎ取り、真の幸福永遠の命を与えて下さるのだ。気付かせてくださるのだ。これ神も苦しい苦肉の策なのであろう。
●今度の東北大震災で大切なものを失った方が、その「大泣き」の故に神からもっと素晴らしいものを頂けるものと思う。それは信仰という杖と、永遠の命だ。これ絶対に与えられる。 

口語訳 Ⅱコリ7:10
7:10 神のみこころに添うた悲しみは、悔いのない救を得させる悔改めに導き、この世の悲しみは死をきたらせる。

●これは私の若い日の特愛の言葉。悲しいことがあった。しかし喜びに変わった。
●「若い日の苦労は買ってでもせよ」という。
●「若い日の悲しみは買ってでもせよ」と言いたい。
●神は人が不条理な不可解な悲しみで流す涙を知っている。実はその涙こそ神の目的だったのだ。 

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今井館理事を辞任 ++++++++ 所感

2012/03/04 20:45

120304(日)5時半起床●今日の感話の資料整備●妻と東京聖書読者に出席●集会は藤巻、小寺、高橋(誰が天国に行けるのか・・・人の救いは最後の日・・・)内容は次をクリック。

http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/darega.htm

●小寺ご夫妻と昼食●14:30今井館理事会。23年間理事で会ったが、本園6月の総会を期に理事を退任することにした。新井明理事長から「本人の辞意の意思は固い」と報告があり、了承された。理事23年、その前からすると25年間奉仕した。その間火災の時の援助、今回の息子に対する支援に感謝した●思えば多数の良い人に出会えて感謝であった。●岩島清先生、浅野摂郎先生と原発問題を話しながら帰った。 


resize2160.jpg 

今井館の理事会に出席する途中で矢内原先生の家の前を通る。
6月で今井館の理事を辞任する。矢内原先生「さようなら」。 

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「放蕩息子の譬話」 ++++++++ 所感

2012/03/03 08:40

1120303(土)3時半目覚め、5時起床●朝の啓示と黙想。「放蕩息子の譬話」(ルカ15:11~32) 
 

「放蕩息子の譬話」感話。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
塚本訳  ルカ 15:12-13
15:12 『お父さん、財産の分け前を下さい』と弟が父に言った。父は身代を二人に分けてやった。
15:13 幾日もたたないうちに、弟は(分け前)全部をまとめて(金にかえ、)遠い国に行き、そこで放蕩に財産をまき散らした。

●「子に美田は残さず」は牢固たる真理。「金は魔物」。人間は大金を握ると99%堕落する。酒と女とギャンブルにつぎ込む。判でついたように決まっている。人間はその観点から見て「弱い」。
●遺産があっても親は使い道をはっきりあかさない場合は渡してはいけない。なぜか。堕落するから。
●この「放蕩息子は親の財産を善用しないで悪用した。大なる親不孝者である。親が悪かったとは言えない。人類99%は大金を握ると悪魔が近寄ってきて遊びに使わせる。
●この駄目息子は父親と争って生前贈与を受けたのだろう。この「反抗心」が罪なのだ。
●「罪とは煩悩ではない」。神への「傲慢」「生意気さ」「不遜さ」である。

塚本訳  ルカ 15:14-15
15:14 すべてを使いはたしたとき、その国にひどい飢饉があって、食べるにも困り果てた。
15:15 そこでその国のある人のところに行ってすがりつくと、畑にやって、豚を飼わせた。

●真面目な生活をしていないから収入がないし、持ってきた財産は盛り場で汚い女と豪遊するためにみるみる減って行く。
●そこに「飢饉」。天変地異は神の警告。ついに食えなくなる。普通は家庭崩壊でホームレス。人生ドロドロ。神は罪を見逃さないで裁く。きっと裁く。人間には隠せても神には隠せない。
●平気で嘘をつく人間。金を隠す人間は神に祝福されてない。成育が悪い。 
●放蕩息子は金に困って少しはましな働きをしようと「何でもいいから働かせてくれ」と地元の会社の社長に三拝九拝すると正社員などにはさせられないで日給の豚飼いをさせられた。あー辛い労働よ。感謝されない仕事よ。冷たい雇い主よ。過去の栄光は失せた。生き地獄である。
●軽井沢の星野温泉の創始者は内村鑑三の弟子。氏は言う。「軽井沢に別荘を持っている人の心はどこか淋しい。そしてその別荘は三代は続かない」と。二代目か三代目が駄目人間、放蕩堕落人間だからであろう。
●「唐様で『売家』と書く三代目」という。一代目は克己奮励精励して財をなす。二代目はその勢いでなんとかかろうじて持つが三代目で家がつぶれる。しかし金があったので習字の習い事をさせられたので広告は「唐様」(文字の書体)で書くには書くがその内容は「売り家」、つまり倒産、破産宣告である。
●このイエスの譬は全く現代のことでもある。私の経験では三代ももたない。二代目でも潰れる例を知っている。
 ●無教会は「『売り家』とギリシャ語かヘブライ語で書く4代目だ。
●人間、困って生き地獄の悲惨な目に会わないと「目が覚めない」。

塚本訳 ルカ 15:16-17
15:16 彼はせめて豚の食う蝗豆で腹をふくらしたいと思ったが、(それすら)呉れようとする人はなかった。
15:17 ここで(はじめて)本心に立ち返って言った。──お父さんのところでは、あんなに大勢の雇人に食べ物があり余っているのに、(息子の)このわたしは、ここで飢え死にしようとしている。……

●豚の餌を食ってでも腹を満たそうとしたとは惨め。それももらえなかったとは、人生どん底。生き地獄。地獄はこの世で始まる。
●人間、ここまで落ちないと「目が覚めない」
●だから人間には「生き地獄の経験」が必要。
●宗教の時間でこういう場面があった。谷川徹三(哲学者)「鈴木先生。東洋の仏教は慈悲ですが西洋のキリスト教は罰ですね」。鈴木大拙(仏教学の泰斗)「君。罰が無ければ愛の効き目がないんだよ。」
●真の愛は叱る。罰を与える。鈴木大拙の方が二枚も三枚も上であった。
●義と罰の無いヒューマニズムは人を救わない。

塚本訳 ルカ 15:18-19
15:18 よし、お父さんの所にかえろう、そしてこう言おう、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。
15:19 もうあなたの息子と言われる資格はありません。どうか雇人なみにしてください』と。

●これ宗教的発覚でもなんでもない。物理的に腹が減ってどうしようもなかったのだ。
●病気も同じ。苦し紛れに宗教にすがるのだ。それでいいのだ、それでいいのだ。
●「息子の地位」でなくてもいい。雇い人並みでいいから「食わせてくれ」というのだ。
●息子にこの気持を起こさせたのは父親の温顔ではなかったか。
●父親は息子がこうなることは薄々感じていたが、「やっと目が覚めたか。高い授業料だった」と思ったにちがいない。
●手土産もなし。異国での成功談もなし。父親は「どの面(ツラ)下げて」と思ったに違いないが、そこは親としても「身から出た錆」、面倒を見ざるを得ない。

塚本訳 ルカ 15:20-21
15:20 そして立ってその父の所へ出かけた。ところが、まだ遠く離れているのに、父は見つけて不憫に思い、駈けよって首に抱きついて接吻した。
15:21 息子は父に言った、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。もうあなたの息子と言われる資格はありません。……』

●この父親は偉かった。「息子が玄関で手をついて謝ったら赦そう」と初めは思ったに違いないが、自分から出かけて迎えた。親だなー。
●普通の親だったら、一発殴るか、説教の一つや小言の一つでも言ったところであろうがそれをしなかった。
●「渡した財産の分だけ無給で働け」とも言わなかった。
●なぜそれをしなかったか。ここに神の「絶対恩恵による無条件の罪の赦し」の心がある。
●しかしこの父親は、家の奥で毎日息子のことを祈っていたにちがいない。額にしわが多くなった。頭も白くなったに違いない。
●しかし息子は帰ろうという心をおこしたのだ。父親の祈りは聴かれた。
●これ父の祈りによって神の力が働いたのだ。これ奇蹟である。信仰の世界にはこういう嬉しいことがある。私は奇蹟を信じる。特に霊の世界での奇蹟を堅く信ずる。祈りは遠隔操縦。
●だから残る生涯は、「救霊」に邁進したい。祈りは目を見張るような実効性があると信ずるから。

塚本訳 ルカ 15:22-24
15:22 しかし父は(皆まで聞かず)召使たちに言った、『急いで、一番上等の着物をもって来て着せなさい。手に指輪を、足にお靴をはかせなさい。
15:23 それから肥えた小牛を引いてきて料理しなさい。みんなで食べてお祝いをしようではないか。
15:24 このわたしの息子は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。』そこで祝賀会が始まった。

●塚本訳敷衍の(皆まで聞かず)が素晴らしい。息子の目を見て総てを知ったのだ。
●普通の親だったら「はっきり謝罪の言葉を聞いたら赦そう」と思うに違いない。
●これ教会にも言える。「はっきり信仰告白をしたら洗礼を授けよう」と思う。これへっぽこ牧師である。
●優れた牧師は教会の門を叩いてきた人の目を見て「悩み」が分かるようでなければならない。
●否、人は人間組織の教会に拒否されても天の神は迎えてくれる。人は洗礼で救われない。
●「肥えた小牛を引いてきて料理」したところに贖罪の意味があるという学者もいるそうだが、さもあらん。この歓待の費用は大変なものだったのであろう。父親の喜びようは手放しであった。親だなー。罪には代償が必要。賠償金が必要。これ宇宙大の真理。神はその代償金を自ら支払った。これが十字架による罪の赦し。その本質は「愛」。
●十字架は贖罪の「徵」。赦しの見える徴。心は形となる。徵となる。
●罪には代償が必要。罪を犯すと血が流されないと赦されない。
●この「放蕩息子の譬話」には母親が出てこないのが不思議だが、息子の放蕩に悩んだ母親は気持が落ち込んで毎日が「溜息」続きで意外に早死にしたのではないかな―と思う
●「溜息」は祈りであり、その苦悩自身が贖罪の行為である。神は聴いている。聴いてないはずはない。

以下は文学的想像。 
●母親は息子のことで「赦さない」という夫と喧嘩をし続けたであろう。心労の毎日であったはずだ。
●家庭における「父親」の役割はこの「頑固さ」。これなくして母親の愛の効き目のありがたさが浮かび上がらない。
●頑固親父の役割は孤独で割があわないが、家族の救いのためには必要。 神に応援される。「赦し」一辺倒のヒューマニズムは人を救わない。人をして人間の尊厳に目覚めさせない。
●父親はその息子が帰ってきたとき、家の奥に向って「オ―イ母さん。息子が帰ってきたぞー」と叫んだにちがいない。しかし母親は既にいない。そこには遺影があるばかりだ。その笑顔は「いいですか。あの子が帰ってきたら怒らないで下さいよ」と言っているようであった。
●父親が暖かく迎えたのはこの妻の言葉が心にあったからではないのか。

塚本訳  ルカ 15:25-29
15:25 兄は畑にいたが、家の近くに来ると鳴り物や踊りの音が聞えるので、
15:26 ひとりの下男を呼んで、あれはいったい何ごとかとたずねた。
15:27 下男が言った、『弟さんがかえってこられました。無事に取り戻したというので、お父様が肥えた小牛を御馳走されたのです。
15:28 兄はおこって、家に入ろうとしなかった。父が出てきていろいろ宥めると、
15:29 父に答えた、『わたしは何年も何年もあなたに仕え、一度としてお言い付けにそむいたことはないのに、わたしには友人と楽しむために、(小牛どころか)山羊一匹下さったことがただの一度もないではありませんか。

●これもよくある話。
●現代のプロテスタント教会はお遊びのサロンだから、教会に精神の病のある人や離婚経験者が入って来るのを好まない。それは自分達のサロンが不純になると思っているからだ。私はそいう教会を知っている。クタバレ。
●この放蕩息子の譬話はこの兄の態度が主眼。ルカ15:1-3.からタイトルは「放蕩息子の兄への話し」の方がよいのかもしれない。
●兄の立場にも同情しなければならない。父の態度に「むっときたのだ」。当然である。
●ボロボロ人間を心から迎えるのは牧師であっても、教会はよく「役員会」という存在が赦さない。クタバレ役員、クタバレ長老、役員。

塚本訳 ルカ 15:30-31
15:30 ところがあのあなたの息子、きたない女どもと一しょに、あなたの身代をくらいつぶしたあれがかえって来ると、肥えた小牛を御馳走されるのはどういうわけですか。』
15:31 父が言った、『まあまあ、坊や、お前はいつもわたしと一しょにいるではないか。わたしの物はみんなお前のものだ。

●兄は弟が「汚い女」に金をつぎ込んだことを知っていた。これ兄の悩みでもあったのだろう。とにかく血を分けた兄弟の堕落は兄をも苦しめた。兄の悩みでもあった。
 ●兄としては自分の弟のことは恥ずかしくてきっと親しい真面目人間の友人にも話せなかったのだ。口に出すこともできなかったのかもしれない。この放蕩堕落息子は兄にも苦労をかた。 ●一家の内で誰か一人が放蕩堕落すると家族中が悩みで重苦しくなる。
●この家族の苦しみそれ自身が贖罪である。
●家庭の意義、家族の意義はこの苦しみを負うところにある。
●この兄にとって、放蕩堕落者が自分の家から出たのは問題だった。これが他の家の人の事だったら、「あの家の雰囲気ではやっぱりなー」と思うだけで悩まなかいであろう。
●「汚い女」。堕落人間から金を巻き上げるのは「悪い女」。ヒルティは女性には二種あるという。一方は崇高な女性で、男を神に向かわせる。一方は男を堕落させてその魂を悪魔に売る。
●私の孫6人のうち、3人は女。願わくは男をして神に向わしめる崇高な女性になってほしい。それにはまず親の生活態度、家庭教育の雰囲気が重要。
●夫婦不和で雰囲気の悪い家庭からは非行児童、閉じこもり、引きこもり、精神の病の人間が出ることは必至。子供が十字架を負っているのだ。

塚本訳  ルカ 15:32
15:32 だが、喜び祝わずにはおられないではないか。このお前の弟は死んでいたのに生きかえり、いなくなっていたのに見つかったのだから。』」

●この父親の心が神の心だというのだ。
●この放蕩堕落息子が悔い改めたのを非常に喜んだ父親のようになれと言うのである。 
●現代教会もこれに学べというのだ。
●父親が祈りつつ、神の息子への直接介入を待ったその姿勢に学べというのだ。
●臭いものは蓋をして「そっとしておけ」と言う態度では直らない。それは祈りがない。
●ただむやみに暴露するのはよくないが、保身術というエゴのためにむやみに隠して愚策。直らない。
●第二次世界大戦の処理で、日本は国際裁判を受けたが、ドイツは自国民の恥を隠しておかずにまず自らが反省して自国を裁いた。日本は三流。今日の日本の落ち目の原因はこの精神性の低さにある。
●これ、「自分、家庭、学校、企業、国家」など総てに通じる牢固たる真理。「正直は最良の政策なり」。
●骨折したら「そのままほっておく」のは愚か者。ずれたまま固まってしまう。心の骨折また同じ。高度な医学的治療と、特に精神の病には祈りが必要。 
●クリスチャンの家庭や一族から放蕩堕落人間が出たら、それは悲しいことで恥でもあるが、それで信仰を鍛錬されているのだ。信仰が深くなるように導かれているのだ。
●この父親はその後何年生きたのだろう。
●放蕩息子は何年ぶりで戻ったのだろう。
●人生は神に帰る事をもって始まり、そして終わる。
●桃栗三年柿八年。柚のバカヤロ十八年。人の救いは最後の日。
●この放蕩息子の生涯には傷があるから、この世では「過去ある人間」として受け入れられない。一流会社には入れない。まともな結婚はできない。しかし神は第一番に迎え入れる。
●この放蕩堕落息子は悔い改めたので神の目に「成功の人生」であった。神の国で光り輝く人間だ。
●人の悔い改めはこの世では無理でも、最後の日、神の最後の審判で決められる。
●「幸いなるかな放蕩堕落人間、放蕩人間を出した家庭。その家は神に祝福されて神の栄光が絶対に現われる。神御自身の名誉のためにそれが実現する。
●アーメン。かくあれかし。マラナ・サ「主よ来りたまえ」。早く終末になってほしい。その日には全人類が清められて救われる。
●この放蕩息子の譬話を聴いて心当たりがある人間はまだ「脈」がある。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「放蕩息子の譬話」感話 終わり

●昨日と今日、妻はバッハの「マタイ受難曲」を聴いている。
●バッハには子供が多かった。しかしその半分ぐらいが夭折した。バッハの音楽の深さは夭折した子供の故だ。
●不条理かつ不可解な苦しみは無駄に終わらない。だからそれは真の恩恵、特別の恩恵だ。

 

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愛する者を悪霊から祈りで奪還せよ ++++++++ 所感

2012/03/02 06:16

120302(金)4時半目覚め●朝の黙想。「聴かれる祈り」●私の親族に襲いかかった未曾有の大苦難について、信仰の友から励ましのメールを複数頂いた。国の内外から遠隔で祈って下さっている。そのことを知るだけで心が安らぐ。●そこで「祈りの力」「聴かれる祈りの方法」について示された聖句を瞑想する。 

 
塚本訳  マタ 17:14-21
17:14 (山を下りて)群衆の所にかえると、ひとりの人がイエスに近寄り、ひざまずいて
17:15 言った、「主よ、どうぞ伜にお慈悲を。癲癇で、ひどく苦しんでおります。幾たびも幾たびも火の中、水の中に倒れるのです。
17:16 それでお弟子たちのところにつれて来ましたが、なおおしになれませんでした。」
17:17 イエスは答えられた、「ああ不信仰な、腐り果てた時代よ、わたしはいつまであなた達と一しょにおればよいのか。いつまであなた達に我慢しなければならないのか。その子をここにつれて来なさい。」
17:18 そしてイエスが悪鬼を叱りつけられると、悪鬼が出ていって、その時から子はなおった。
17:19 あとで弟子たちは人のいない時にイエスの所に来て言った、「なぜわたし達には悪鬼を追い出せなかったのでしょうか。」
17:20 彼らに言われた、「信仰が無いからだ。アーメン、わたしは言う、もしあなた達に芥子粒ほどでも信仰があれば、この山に向かい『ここからあそこに移れ』と言えば移り、あなた達に出来ないことは一つもない。」
17:21 〔無し〕

●この記事は家族の中にどうしようもない病人がいて最後にイエスに頼みにきたように考えられる。「悩みの子」「涙の子」である。
●当時病気は「悪鬼」に取りつかれているという認識があった。現代も精神病などは多分にその傾向がある。
●現代は人間が「悪鬼」に取りつかれると、酒、女、カレ、カノジョ、ギャンブル、ダンス、遊び、麻薬、煙草、不倫、夫婦不和、親子喧嘩、兄弟喧嘩、金を隠す事、嘘、暗さ、殺人、・・・・などなどの暗黒人生になる。しかしこれらの遊びは決して心を満たさない。心はボッカリ空洞があいたままである。 そして家庭崩壊からホームレスになり、また職を失って詐欺窃盗などの犯罪を犯すようになる。
●これらの諸悪は「実」であって、根は人間の「罪」にある。その罪は人類の始祖アダムの責任である。
み、代わりに「悪霊」という主人に雇われて支配されるようになった。創世記神話がものの見事にこれを描いた。(創世記1~3章)
●人間の煩悩や生理的欲望は罪ではない。神に向っての反抗的態度が「罪」の本質である。こう言う人間を神は頭にきて見離して「別の主人のところへ行け!」と追放したので、人間は「悪霊」を主人としてしまったのである。「悪霊会社」に就職したのである。
●しかし人間、その悪霊を主人としても決して「幸福」「平安」になれない。その悪霊のもとで生活していた方が楽しいという人がいたら、その道を教えて欲しい。
●この悪霊という主人に支配されている人間は神という主人に仕えると、「酒、女、ギャンブル、麻薬、煙草、」ができなくなってつまらない」と思うようになる。
●そういう人間的欲望そのものは「罪」ではない。神jなき人間の「楽しみ」である。それらを断ち切っても人間の罪は消えない。神に与えられる聖霊の喜びと平安が来ないかぎり悪の楽しみ」は手放せない。
●基督教もいいけど「酒、煙草、女、ギャンブル」ができなくなると思うのは間違い。それらの遊びをしないのがキリスト教ではない。キリスト教は道徳教では「ない。新しい人間への「生まれ変わり」教である。
●愛する家族をこの悪霊という雇い主から奪い返すには「祈り」が必要。
●「お祈りなんて効き目がない。行動だ、実行だ、医者だ、」と狂い叫ぶ人間には「やって見させておけばよい。直ったらその方法を教えてもらいたい。
●祈りは何故力があるか。天地宇宙を造られた全能のお方を最強の味方にrつけるからだ。「神」という会社に最就職するのだ。(ルカ15章、放蕩息子の帰還)
●「愛する者を悪霊という雇い主から祈りで奪還せよ。しかも親しい信仰の友人複数で祈れ。「祈りと断食」をせよ。家庭内の 悩みは親しい信仰の友人に告白して祈ってもらえ。隠して置くな。隠しておくと直らない。
●聴かれる祈りは「密かなる祈り」である。悪いことを直接本人に向って行っても効き目がない。 
●神への隠れた祈りは「溜息」である。「嘆きの息」である。それでいいんだ。それがいいんだ。

塚本訳 マタ 6:6
6:6 あなたが祈る時には、『奥座敷に入り、部屋をしめきった上で、』隠れた所においでになるあなたの父上に『祈れ。』そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。


●悩みはただ公表するのでなく、信仰の深い人に打ち開けよ。「義人の祈りは働くと大きな力がある」とある。「奇蹟は起こる」。

塚本訳  ヤコ 5:15-16
5:15 信仰(による真)の祈りは病人を癒し、主は彼を立たせ給うであろう。そしてもし罪を犯して居るならば、赦されるであろう。
5:16 だから互いに罪を告白し、医されるため互いのために祈れ。義人の(熱心な)祈りは働くと大きな力がある。

塚本訳  使  13:2-3
13:2 (ある日)彼らが主に祈りをし、断食をしていると、聖霊が言われた、「さあ、わたしがバルナバとサウロとを呼び出してさせようとしている仕事(異教人の伝道)に、二人を聖別せよ。」
13:3 そこで人々は断食をし、祈りをしたのち、彼らに手をのせて旅立たせた。

 
塚本訳  マタ 18:16
18:16 しかし(どうしても)聞かないなら、ほかに一人か二人、一しょに連れてゆくがよい。『すべてのことは、二人もしくは三人の証言によって定められる』(というモーセの掟に従う)ためである。


●マタイ17:21は聖書の正文批評で、「なし」という翻訳が多い。それは後の時代に挿入された可能性が大だからである。しかしその内容に魅かれる。挿入した人間の苦しい体験が滲み出ていると感じられるからである。その並行記事であるマルコ9:29には次のようにある。黒崎新約聖書註解を次に掲げる。


マルコ9:29 黒崎新約聖書註解。

9章29節 こたたまふ『このたぐひいのりらざれば、如何いかにすともでざるなり』[引照]

口語訳すると、イエスは言われた、「このたぐいは、祈によらなければ、どうしても追い出すことはできない」。
塚本訳彼らに言われた、「この種類(の霊)は、祈り以外(の手段)では決して出てゆかせることは出来ない。」
前田訳彼はいわれた、「この類(たぐい)のものは祈りによるほか決して追い出せない」と。
新共同イエスは、「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ」と言われた。
NIVHe replied, "This kind can come out only by prayer. "

註解: この全体の出来事に関するイエスの教訓である。祈りは神との霊の交通である。人は祈りによりて神の力を受け、この力によりて悪の霊に打勝つことができる。悪霊の力は人よりも強い、故に祈ることなしに人はサタンの前に無力である。▲▲この際イエスはこの場で特に祈り給わなかった。変貌の山におけるイエスの祈りがこの力の源であった。
 

●三男の恵から妻に「塚本虎二先生の戦争に対する態度が書かれているものがあったら教えて欲しい」と要求があった。そこで二人で関連文献をコピーして「レターパック」で送った。●人は大切なものを失ってそれ以上のものに目が開く。

文語訳  マタ 16:26
16:26 人、全世界を贏くとも、己が生命を損せば、何の益あらん、又その生命の代に何を與へんや。


塚本訳 マタ 16:26
16:26 たとい全世界をもうけても、命を損するならば、その人は何を得するのだろう。それとも、人は(一度失った永遠の)命を受けもどす代価として、何か(神に)渡すことができるのだろうか。

●次回感話の資料にミケランジェロの「最後の審判」のカラー写真をコピーした、
●遠隔地から複数の方が私の悩みや心配事を祈っていて下さることは感謝、なにか不思議な力と安心感が湧くから不思議だ。祈りは聴かれる予感がする。



 


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