to 日記と感想 2012年04月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171030(月)10:00 聖路加 桑本先生
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170824(木)12:10キララホールエントランスコンサート、マリンバ
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170813(日)10:30ナザレン教会浦和教会
    170813(日)14:00比企紀和君
    170812(土)14:00お江戸こらりあーず演奏会、文京シビックホール
    170809     TW誕生日
    170809(水)17:16初音吹奏楽、府中の森芸術劇場ドリームホール
    170808(火)0930池谷医院
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170708(土)14:00在宅医療説明会(キララホール)
    170707(金)10:00池谷医院
    170706      TM誕生日
    170702(日) 集会感話
    170701      TT誕生日
    170630(金)12:20キララホールエントランスコンサート
    170628      IY誕生日
    170627(火)11:00 能城牧師来訪
    170625)日)10:10トミ子集会感話
    170625(日)14:00茅ヶ崎金子邸
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール


きよめられた人たちの仲間に入れ ++++++++ 所感

2012/04/30 06:19

120430(月)昨日の「昭和の日」の振り替え休日。5時15分目覚め。朝の啓示「きよめられた人たちの仲間に入れ」 

塚本訳 使 26:18
26:18 彼らの』目をあけて』彼らが『暗闇から光に、』悪魔の権力から神に帰るため、そうして彼らがわたしに対する信仰によって罪の赦しを得、きよめられた人たちの仲間に入れていただくためである』と。

口語訳 使 26:18b
、彼らが罪のゆるしを得、わたしを信じる信仰によって、聖別された人々に加わるためである』。

新改訳 使 26:18b
わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』

新共同 使 26:18b
こうして彼らがわたしへの信仰によって、罪の赦しを得、聖なる者とされた人々と共に恵みの分け前にあずかるようになるためである。』」

文語訳 使 26:18b
我に對する信仰によりて罪の赦しと潔められたる者のうちの嗣業とを得しめん」と。 
 
●人間、どういう人と仲間になるべきかで一生が決定する。
●過日、横浜で同窓会があったが、帰りの横浜戦で実に空しいものを感じた。
●私はかってNHK交響楽団の定期会員であったが、その交わりもなにか空しいものであった。
●食y場仲間は退職すると交わりはなくなる。「金の切れ目が縁の切れ目」。
●「戦友」という仲間意識も戦争が止むと「縁が切れる」
●この世の「遊びと言う遊び」(知的遊び、趣味、スポーツ、ダンス)は総て空しい。心を満たさない。恋愛も空しい。それは2年で冷めるとは体験者の告白。なぜか。それは相手が有限の「人間」だから。
●「空しい」を広辞苑で引くとその意味の一つに「死んだ」とある。まさにその通りである。
●人間がこれぞと思った遊びはみな「死んだ」者なので真の喜びはない。
●私の周囲にはやたらと卒業校の仲間や血脈人脈を自慢したり誇ったりする「信者!!」がいるがそれは空しい事である。
●その「空しさ」に気がつかないうちは彼は本当の信者にはなれない。
●芳しくない「遊び」に陥っている人間に「やめたまえ」と叱っても、本人がその「空しさ」に気がつかないうちは無理で徒労である。
●人間であればいつの日かその空しさに気がついて。慙愧の念に満たされる。「桃栗3年柿八年。柚の大馬鹿18年」。
●中には自分の信仰の先生(内村鑑三ほか)の偉さを誇り自慢し宣伝し振りまわす「先生信者!!」がいるが、その宣伝にあまり効果がないことを知ったときに初めて間違いに気づく。それは「人間崇拝」「偶像崇拝」。
●本当に心を喜ばせ満たしてくれるものは「きよめられた人たちの仲間に入れていただくこと」(使徒26:18b)である。
●その仲間に入れていただくためには条件がある。その言葉の前に「罪の赦しを得」とある。
●趣味教養学歴血脈人脈業績は仲間入りの条件ではない。否、神の国に入るのにはそれは返って不利である。荷物が大きすぎて「狭い門」から入れない
●心を喜ばすものといって「罪の赦しを得た」仲間との「霊の交わり」ほどのものはない。
●使徒信条はこの事を差して「我は・・・聖徒の交わりを信ず」という。これ人生の真理だからである。
●私の若き日からの友人は「この集会は社会的にカッコイイ地位や仕事についてないと肩身が狭い」と言ってその後いろいろあり、その後自殺した。私は罰される。

●使徒26:18bの「罪の赦しを得、きよめられた人たちの仲間に入れていただくためである」のところをTSK日本語版(工事中)で見て黙想して見よう。次からアプローチする。口語訳対応。
 
http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/110910.htm

*「人々に加わるためである」

Acts 20:32

32今わたしは、主とその恵みの言とに、あなたがたをゆだねる。御言には、あなたがたの徳をたて、聖別されたすべての人々と共に、御国をつがせる力がある。

Romans 8:17

 17もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。

Ephesians 1:11

 11わたしたちは、御旨の欲するままにすべての事をなさるかたの目的の下に、キリストにあってあらかじめ定められ、神の民として選ばれたのである。

Ephesians 1:14

 14この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである。

Colossians 1:12

 12光のうちにある聖徒たちの特権にあずかるに足る者とならせて下さった父なる神に、感謝することである。

Hebrews 9:15

 15それだから、キリストは新しい契約の仲保者なのである。それは、彼が初めの契約のもとで犯した罪過をあがなうために死なれた結果、召された者たちが、約束された永遠の国を受け継ぐためにほかならない。

James 2:5

 5愛する兄弟たちよ。よく聞きなさい。神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富ませ、神を愛する者たちに約束された御国の相続者とされたではないか。

1 Peter 1:4

 4あなたがたのために天にたくわえてある、朽ちず汚れず、しぼむことのない資産を受け継ぐ者として下さったのである。

 

*「聖別された」

John 17:17

17真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言は真理であります。

Acts 20:32

 32今わたしは、主とその恵みの言とに、あなたがたをゆだねる。御言には、あなたがたの徳をたて、聖別されたすべての人々と共に、御国をつがせる力がある。

1 Corinthians 1:2

 2コリントにある神の教会、すなわち、わたしたちの主イエス・キリストの御名を至る所で呼び求めているすべての人々と共に、キリスト・イエスにあってきよめられ、聖徒として召されたかたがたへ。このキリストは、わたしたちの主であり、また彼らの主であられる。

1 Corinthians 1:30

 30あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。

1 Corinthians 6:11

 11あなたがたの中には、以前はそんな人もいた。しかし、あなたがたは、主イエス・キリストの名によって、またわたしたちの神の霊によって、洗われ、きよめられ、義とされたのである。

Titus 3:5-6

 5わたしたちの行った義のわざによってではなく、ただ神のあわれみによって、再生の洗いを受け、聖霊により新たにされて、わたしたちは救われたのである。  6この聖霊は、わたしたちの救主イエス・キリストをとおして、わたしたちの上に豊かに注がれた。

Hebrews 10:10

 10この御旨に基きただ一度イエス・キリストのからだがささげられたことによって、わたしたちはきよめられたのである。

Hebrews 10:14

 14彼は一つのささげ物によって、きよめられた者たちを永遠に全うされたのである。

Jude 1

 1イエス・キリストの僕またヤコブの兄弟であるユダから、父なる神に愛され、イエス・キリストに守られている召された人々へ。

Revelation of John 21:27

27しかし、汚れた者や、忌むべきこと及び偽りを行う者は、その中に決してはいれない。はいれる者は、小羊のいのちの書に名をしるされている者だけである。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●午後、妻は体操。
●TSK日本語版入力、コロサイ2章。パウロの権威のすごさ。
●私は図書館、山川歯科
●私も妻も年をとって体のあちこちが具合悪くなった。しかし次の聖句だ。
 
塚本訳  Ⅱコリ4:16
4:16 このゆえに、わたし達は気を落さない。いや、わたし達の(生れながらの)外の人はどんなにこわれていっても、(キリストによって生れた)内の人は一日一日と新しくされてゆく。


口語訳 Ⅱコリ4:16
4:16 だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。


新改訳 Ⅱコリ4:16
4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。


新共同 Ⅱコリ4:16
4:16 だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。


文語訳  Ⅱコリ4:16
4:16 この故に我らは落膽せず、我らが外なる人は壞るれども、内なる人は日々に新なり。

●壊れるのは肉体ばかりではない。家庭も壊れる。しかし神の力で新しくなる。
●夕食の時、妻に言った。「あの人も犬猫ではく人間ならば、そのうち恥じて悔い改めるであろう。」


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最近は少子化なのか、鯉のぼりをあまり見かけない。この鯉も少子化で子供は
一匹だなー。子育ては労苦だ。子供が好きな人に子供が恵まれないのは別に使命があるのではないかな―。子育ては最高の人生目標ではない。

      
    有体的復活の使徒伝承 

   http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/index.html

   

 

 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

      http://stonepillow.dee.cc/

    

     TSK日本語版・目次

    http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/110910.htm

   

   

    ちたた農園日誌(三男が福島県で独立経営する農場)

    http://chitata.blogspot.com/

 

 











  
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負わされる十字架は重い ++++++++ 所感

2012/04/29 06:30

120430(日)5時目覚め。朝の啓示「負わされる十字架は重い」●思い浮かぶままに聖句を掲げる。


「負わされる十字架は重い」関連聖句と感話
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
塚本訳  マタ 26:38-39
26:38 それから彼らに言われる、「『心がめいって』『死にたいくらいだ。』ここをはなれずに、わたしと一しょに目を覚ましていてくれ。」
26:39 そしてなお少し(奥に)進んでいって、俯けに倒れ、祈って言われた、「お父様、出来ることなら、どうかこの杯がわたしの前を通りすぎますように。しかし、わたしの願いどおりでなく、お心のとおりになればよいのです。」

●神の子イエスにして「死にたいくらいだ」と言わしめた十字架は重い。 

塚本訳 マタ 27:32
27:32 (都を)出ると、シモンと言うクレネ人に出くわしたので、兵卒らはこの人に有無を言わせずイエスの十字架を負わせた。(イエスにはもう負う力がなかったのである。)

●塚本訳敷衍の『イエスにはもう負う力がなかったのである。)は涙の敷衍。
●十字架は自分では負えない。その下に崩れ落ちる。神の子イエスにしてその力がなかった。 

塚本訳 ルカ 9:23
9:23 それから今度は皆に話された、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、毎日自分の十字架を負い、それからわたしに従え。


●信者の道は険しい。厳しい。普通人の幸福は得られない。なぜか。「(まず)己を捨て]なければならないから。結婚の幸福、子育ての幸福、蓄財の幸福、健康の幸福、、高学歴の自慢幸福、社会的地位の幸福・・・・はあきらめた方がよい。なぜか。信者はそれを人生の幸福や目的として追求しないから。これを追求しないのは怠慢と非難するのはこの世的人間。 

塚本訳  マコ 15:29-32
15:29 通りかかった人々が『頭をふりながら、』こう言ってイエスを冒涜した、「へへえ、お宮をこわして三日で建てるという人、
15:30 自分を救ってみろ、十字架から下りてきて!」
15:31 同じように大祭司連も、聖書学者と一しょに、こう言って(イエスを)なぶり合った、「あの男、人は救ったが、自分は救えない。
15:32 救世主、イスラエルの王様が!今すぐ十字架から下りてくるがよい。見たら信じてやるのに!」一しょに十字架につけられた二人(の強盗)も、イエスを罵った。


●信者の道で一番つらいのは身内からこのように嘲られる事である。「信仰しているのに不幸だなー」と。 

塚本訳  Ⅱコリ12:7-9
12:7 そしてこれらの素晴らしい啓示があるので、わたしが高慢にならないようにと、わたしの肉に一つの刺が与えられた。悪魔の使いであって、これはわたしが高慢にならないようにと、わたしをうつものである。
12:8 この使について、それがわたしから手を引くようにと、三度まで主に願ったが、
12:9 主は(その都度)言われた、「わたしの恩恵はあなたに十分だ。力は弱さの中に完成されるのだから。」、それでわたしはキリストの力がわたしに住みついてくださるように、大喜びで、むしろ(自分の)弱いことを自慢しよう。


●パウロに負わされた「肉体の刺」。これは何であったかまだ定説はない。癲癇、眼病、小さい体。・・・・未だ不明のところがこの「句を人類に普遍的なものにした。各自の「自分の十字架」である。
●パウロは「三度祈った」と言うから毎日熱心に祈ったのだ。
●しかしサタンの策略は強くてこの刺は生涯抜けなかった。しかし抜けない事が「十字架を負いきった」ことなのだ。天に宝を積んだのだ。 

塚本訳  使  16:29-31
16:29 牢番は明りを持って来させて(牢の中に)駈けこみ、震えながらパウロとシラスとの前にひれ伏した。
16:30 そして二人を外につれだして言った、「先生方、救われるにはどうしなければならないのですか。」
16:31 二人が言った、「主イエスを信じなさい。そうすればあなたも家族も救われる。」

●詳しいことは書いてないが、この牢番は「家族が十字架」であった。しかしその救いは「主イエス」を信じればよいのだ。「絶対恩恵の無条件の罪の赦し」を賜る神を。心からの祈りは聴かれる。 

塚本訳  マコ 9:20-27
9:20 人々がイエスの所につれて来ると、霊はイエスを見るや否や、その子をひどくひきつけさせたので、子は地に倒れ、泡をふきながらころげまわった。
9:21 イエスが父親に尋ねられた、「こうなってから、どのくらいになるか。」父親がこたえた、「子供の時からです。
9:22 霊はこの子を殺そうとして、幾たびか、火の中、水の中に投げ込みました。それでも、もしなんとかお出来になるなら、わたしども(親子)を不憫と思って、お助けください。」
9:23 イエスは言われた、「もしお出来になるなら(と言うの)か。信ずる者にはなんでも出来る。」
9:24 即座にその子供の父親が叫んだ、「信じます。不信仰をお助けください。」
9:25 イエスは群衆が駆けよってくるのを見ると、(急いで)汚れた霊を叱りつけて言われた、「唖と聾の霊、わたしが命令するのだ、この子から出てゆけ、二度と入るな!」
9:26 霊はどなって、はげしくひきつけさせて、出ていった。子は死んだようになったので、多くの人が、「死んだ」と言った。
9:27 イエスはその子の手をとって起された。すると立ち上がった。


●この父親の十字架は「子供」。万策尽きてイエスのところに来た。重い辛い恥ずかし十字架よ。親しい人にも口外できない「秘密の十字架」。 

塚本訳 マコ 9:28-29
9:28 家にかえられると、弟子たちは人のいない時に尋ねた、「なぜわたし達には霊を追い出せなかったのでしょうか。」
9:29 彼らに言われた、「この種類(の霊)は、祈り以外(の手段)では決して出てゆかせることは出来ない。」

●医者に見放されて「新興宗教に凝る」人は多い。それでも直ればよいが、新興宗教は金がかかる。しかも直るかどうかわからない。
●しかも直ると神を忘れてしまう。真正の宗教は「倫理的道徳的」なものである。キリスト信者は罪から救われた恩を感じて生涯「紙の愛」から離れられないのだ。 

塚本訳  Ⅰコリ7:12-14
7:12 しかしそのほかの人たちに、わたしが言う、主ではない。ある兄弟が不信者の妻を持ち、彼女が彼と一しょに生活することを喜ぶなら、離婚してはならない。
7:13 また、不信者の夫を持ち、その夫が彼女と一しょに生活することを喜ぶ場合の妻は、夫と離婚してはならない。
7:14 (夫婦は結婚生活で一体となるため、)不信者の夫は(信者の)妻によってすでにきよめられており、不信者の妻は兄弟(すなわち信者の夫)によってすでにきよめられているからである。そうでなければ、あなた達の子供は清くないはずであるが、現に彼らはきよい(と認められている)ではないか。


●信者は必ず家庭が十字架。具体的には夫が十字架、妻が十字架。書いてはないが「親が十字架」「子供が十字架」「嫁が十字架」「婿が十字架」。これは宿命的当然。「従業員、雇い人が十字架」も当然。
●しかし、その苦悩の祈りで祈りの対象「夫、妻、親、子供」は清められているとは何という慰めか。
●なぜか。夫婦は「神に(無理に)」合わされて一体」とされた一人格なのだから。その出会いが恋愛であろうと見合いであろうとだ。 

塚本訳  マタ 23:37
23:37 ああエルサレム、エルサレム、預言者を殺し、(神から)遣わされた者を石で打ち殺して(ばかり)いる者よ、雌鳥がその雛を翼の下に集めるように、何度わたしはお前の子供たちを(わたしの所に)集めようとしたことか。だがお前たち(エルサレムの者)はそれを好まなかった。


●イエスにとっては「エルサレム、ユダヤ教の組織、学者パリサイ人、一般ユダヤ人」・・つまり四面楚歌。これが十字架であった。 

塚本訳  黙  8:13
8:13 すると(その時)私は見た、そして一羽の(大)鷲が中空を飛びながら大声で(こう)言うのを聞いた、「禍なる哉、禍なる哉、禍なる哉、地に住む者、三人の御使いが吹こうとしている残るラッパの声の故に!」

●黙示録の著者は淫婦なる大バビロン(全世界)が十字架。これに呻いて、「禍なる哉」を三度叫んでいる。
●この言葉に塚本訳はなんと「ウワイ」というギリシャ語の振り仮名をつけている。
●そうだ。人間は呻くときにはただ「う―、う―」ときり言えないのだ。
●しかしその呻きは神が聞いていて下さる。 

塚本訳  ロマ 8:18
8:18 (しかもこの苦しみは恐れることはない。)なぜなら、わたしはこう考える。今の世の苦しみは、わたし達に現われようとしている栄光(──キリストと一しょに神の国の相続人になる最後の日の大いなる光栄──)にくらべれば、言うに足りない。

塚本訳  ロマ 8:21-22
8:21 創造物自身も、滅亡の奴隷になっている(現在の)状態から自由にされて、神の子供たちがうける栄光と自由とにあずかるのだから。
8:22 わたし達が知っているように、全創造物は(かの日から)今まで、一しょになって呻き、一しょになって産みの苦しみをしている。(父なる神がこの  呻きに耳を傾けられないことがあろうか。) 

塚本訳  ロマ 8:23-24
8:23 しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証拠として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである。
8:24 なぜなら、わたし達は(最後の日に救いが完成されるという)望みをもって、救われているからである。目に見ることのできる望みは望みではない。人はいま現に見ているものを、なんでその上望む必要があろうか。


●クリスチャンは教会や集会で気持よく讃美歌を歌うが、それを神は聴かない。
●ましてや自分を棚に上げて「正義ぶって」天下国家を指導したり、断罪する人間の祈りは神に聞かない。
●神にこの世の十字架を負わされて「ウン、ウン」と呻いているそのうめき声を神は聞く。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「負わされる十字架は重い」関連聖句 終わり 

 

●妻と「東京聖書読者会」。土肥、小寺(英語勉強の思い出)、横田(スペインのキリスト教の歴史)
●一昨日、90歳の藤巻胖さんから「肺炎喘息の為本日からしばらく集会は休む」と言うお電話を頂いた。旧新約聖書を年に4回通読するという文字通りの「聖書読者」がおられないのは、淋しい。胸を借りる相手がなくては感話にも張り合いがなくなる。
●小寺夫妻と私たちで昼食歓談

 

 


次回(5月6日)の集会感話のタイトルを次のようにした。

   わたしは世を罰しない。救うために来た
・・・「霊魂の滅却」という恐怖から救われて永遠の生命への道が設けられた・・・
 


 有体的復活の使徒伝承

   http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/index.html

   

 

 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

      http://stonepillow.dee.cc/

    

     TSK日本語版・目次

    http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/110910.htm

   

   

    ちたた農園日誌(三男が福島県で独立経営する農場)

    http://chitata.blogspot.com/

 

 

 

 

 





東京聖書読者会 2012.5.6 高橋照男

  

          
           イエスの伝道の要約

 
       塚本訳 ヨハネ12:44-50

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福島原発事故は神の栄光が現れるためであった ++++++++ 所感

2012/04/28 06:59

120428(土)5時目覚め●朝の黙想「福島原発事故は神の栄光が現れるためであった」

塚本訳 ヨハ 9:1-3
9:1 イエスは通りがかりに、生まれつきの盲人を見られた。
9:2 弟子たちが尋ねた、「先生、この人が盲で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか、両親ですか。」
9:3 イエスは答えられた、「この人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。ただ神の御業がこの人に現われるためである。

●去る3月11日(東日本大震災から一年目)に三男の恵は東京聖書読者会(彼の母なるエクレシア)において「福島原発で営農を放棄せざるを得なくなった経過」を報告した。その準備中にロマ書8章21-22を読んで号泣したと言う。壇上でも声を詰まらせてしばし言葉が途切れた。
●この事実を知って、今度の福島原発事故は私にとって「神の栄光が現れるためであった」と悟った。栄光神にあれ。

塚本訳  ロマ 8:21-22
8:21 創造物自身も、滅亡の奴隷になっている(現在の)状態から自由にされて、神の子供たちがうける栄光と自由とにあずかるのだから。
8:22 わたし達が知っているように、全創造物は(かの日から)今まで、一しょになって呻き、一しょになって産みの苦しみをしている。(父なる神がこの  呻きに耳を傾けられないことがあろうか。)

●このパウロの言葉に息子は慰められ、聖書に開眼したと見る。
●聖書が深く分かるのは「苦難」である。
●パウロの慰めは「人類苦」「人世苦」は全創造物(全被造物)の宿命的悩みであるというのである。
●これはパウロの「自然観」「人生観」であるが、これほど深いものはない。
●パウロはここを含むロマ書8章17-28節において、①被造物の呻き ②信者の呻き ③復活のキリスト(聖霊)の呻きを言う。それは最後の日に「神からの平和の安らぎが得られる証拠なのである」という。
●このパウロの言葉があって、人生「癒し難き悲痛」はない。

塚本訳 ヨハ 9:1-3
9:1 イエスは通りがかりに、生まれつきの盲人を見られた。
9:2 弟子たちが尋ねた、「先生、この人が盲で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか、両親ですか。」
9:3 イエスは答えられた、「この人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。ただ神の御業がこの人に現われるためである。


●「この世」の論調は、福島原発の原因追究に躍起である。「人災」「天災」「文明災」などなど。・・・・神なき世の騒ぎである。
●それは二度とこういうことが起きないようにとの反省からであるが、それは理性の安息のためである。当然である。
●しかし理性の安息は霊魂の安息に至らない。日本は「汝、なお一つ欠く」である。
●それはこの事故が「神の赦しがあって起こされたもの」「神の深き思いがあって起こされたもの」という視点の欠如である。
●息子は自分の苦悩と呻きをパウロに慰められ、聖書にに開眼したことを知って、私は原発事故の意味が氷解した。
●「生まれつき盲人」という大不幸に遭遇した場合は安易に「神の栄光のためかも」とは言えない。当事者はアタマに来る。
●しかしその苦悩の故に肉眼でなく、霊眼が開いたら、この大不幸も感謝であったと言えるようになる。
●そうなれば、癌で死ぬ率が高くなる。子供が産めなくなる、奇形児が生れるなどの「この世的」な恐怖は軽くなる。
●クリスチャンと自称する人間でも「原因は人災だ」と声高に叫んだり「癌の死亡率が高くなる」ことをギャーギャー言っているのはおかしい。こういう自称クリスチャンは即信者たることをやめた方がよい。こういう思想がキリスト教の土着化を阻んでいる。百害あって一利なし。イエスは次のように言うに違いない。

塚本訳 マタ 10:28
10:28 体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。

塚本訳  ルカ 12:4
12:4 あなた達、わたしの友人に言う、体を殺しても、そのあと、それ以上には何もできない者を恐れるな。

●人生における最大最深の悩み悲しみは肉体の痛みではない。罪の悩みと懊悩、霊魂の暗闇による淋しさ、死の恐怖である。なぜか。それはこの私と言う一個の人格が未来永劫永遠の滅却になるからである。聖書はそれを「第二の死」という。仏教やギリシャ哲学のように「死んだら霊魂が肉体から抜け出て永遠に生きる」と言うのではない。
●聖書は「死人は最後の日に呼び出されて裁かれる」というのである。これを「第二の死」という。永劫の滅却である。これ以上の恐怖はない
●キリストの十字架と復活は人間をこの「第二の死」から救うためである。

塚本訳  黙  2:11
2:11 耳を有っている者は、御霊が(全)教会に言い給うことの何であるかを聴け。勝利者は決して第二の死、(永遠の死)に害なわれないであろう。

塚本訳  黙  20:6
20:6 幸福なる哉、聖なる哉、第一の復活に与(り得)る者! この人達に対しては第二の死も権威が無く、彼らは神とキリストとの祭司となって、千年の間彼と共に王となるであろう。

塚本訳  黙  20:14
20:14 そして死と陰府とは火の池に放り込まれた。これが第二の死、(最後の)火の池の死である。

塚本訳  黙  21:8
21:8 しかし臆病者、不信の者、嫌悪むべき者、(また)殺人者、淫行の者、魔術を行う者、(また)偶像礼拝者、凡ての虚偽者──彼らの運命は、火と硫黄の燃えている池に投げ込まれることである。これは第二の死、(すなわち最後の死)である。」
 
●TSK日本語版コロサイ入力開始
●妻は夕方からコーラスの練習、19:15帰宅

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きみは峯のさくら ++++++++ 所感

2012/04/27 07:10

120427(金)5時目覚め。朝の黙想。「永遠の滅却という死の恐怖」●YT氏のブログには東北の満開の桜の写真が掲載されている。

http://blogs.yahoo.co.jp/trntim/folder/584389.html

そこで次のような感想を送った。

YT氏へ。ブログ感想
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  

YT兄

 

ブログによる満開の桜の写真多数感謝。

今年は東京と東北に二度の花見が出来ます。

 

1992年に召天した父の形見の讃美歌集(昭和5年発行)の176番(現512番)を思いだしました。

リフレインで「さくら」という言葉が出てきます。この言葉は現行讃美歌では「星」です。

 

わがたましひの したひまつる

エスきみのうるはしさよ

峯(みね)のさくらか 谷のゆりか

なにになぞらへてうたはん

なやめるときの わがなぐさめ

さびし日のわが友

きみはたにのゆり みねのさくら

現世(うつしよ)にたぐひもなし

 

身のわづらひも 世のうれひも

われとともにわかちつゝ

いざなふもののふかきたくみ

やぶりたまふうれしさよ

ひとはすつれど きみはすてず

みめぐみはいやまさらん

きみはたにのゆり 峯のさくら

現世(うつしよ)にたぐひもなし

 

まごゝろもて よりすがらば

みづにも火にも おそれあらず

あなわがきみの なつかしさよ

まみゆる日ぞまたるる

きみはたにの百合 みねのさくら

現世(うつしよ)にたぐひもなし

 

 

 

この讃美歌集(歌詞だけで楽譜なし)が発行された昭和5年(1930年)は父が25歳の時で肺結核に倒れて死線をさまよっていた時です。2節の「身のわづらひも 世のうれひも」のところに

太い赤線が引かれてあるのを見て目頭が熱くなります。父は一時危篤になりましたが、その時十字架の救いにあずかり復活の信仰を与えられました。社会復帰はようやく35歳の時でした。

思うに、人生「死線」をさまよう人にして初めて「福音」が分かるのではないでしょうか。

御母堂の「たましひ」の御平安と神の大なる祝福を祈ります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
YT氏へブログ感想  おわり 

 
●8:00 BS歴史館で「会津の名藩主保科正之(ほしなまさゆき)」を観る。彼は将軍の側室の子供だったので、正室にうとまれ父親の顔を知らずに育った。その苦労が彼をして会津の名君にした。彼を産んだ母親と育てた女性が偉かったらしい。日本は明治以来薩長の指導のもとで国づくりをしてきたが、もし会津の主導であったら随分変わっていただろうと思った。
●父の顔を知らずに育つ子供も「名君」に育つ望みが与えられた。「親は無くとも子は育つ」。
 
●人生には肉体の悲しみ、経済の悲しみ、罪(失敗)の悲しみ、家庭の悲しみなど苦労と悲しみの連続である。しかし最も悲しい事は人生は有限であって「死で永遠の滅却」となる恐怖である。その宿命的悲しみ、淋しさである。これだけは人間がいくら努力しても改善できない。「永遠の滅却」の反対は「永遠の命」である。
●その永遠の命の道が設けられたというのだから、この悲しい人生も「まーいいか」という気にもなる。否、不幸こそ真の人生認識、永遠の喜びへのきっかけである。聖書的には次である。
 

塚本訳 ヨハ 20:31
20:31 しかし(ほんの一部分であるが、いま)これらのことを書いたのは、あなた達に、イエスは救世主で、神の子であることを信じさせるため、また、それを信じて、イエスの名によって(永遠の)命を持たせるためである。


塚本訳  Ⅰヨハ5:13
5:13 このことをあなた達に書いたのは、あなた達は(イエスを)神の子として信じているので、すでに永遠の命があることを知らせるためである。


塚本訳  マタ 19:29
19:29 そしてわたしのために家や兄弟や姉妹や父や母や畑をすてた者は一人のこらず、(この世で)その幾倍を受け、また(来るべき世では)永遠の命をいただくのである。
 
塚本訳 Ⅰテモ1:15-16
1:15 (まことに)「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来給うた」という言は信ずべく、また無条件に承認さるべきである。そしてこの私がその罪人の第一人者である。
1:16 しかし(罪人の第一人者たる)この私が(特に)憐れみを蒙ったのは、イエス・キリストが(まず救いの)第一人者として私にあらん限りの寛容を示し、(私をして今後)彼を信じて永遠の生命に入ろうとする者の典型たらしめんために外ならなかった。


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万策尽きた時の祈り ++++++++ 所感

2012/04/26 06:29

120426(木)5時目覚め。朝の黙想「万策尽きた時の祈り」

塚本訳  ヨハ 5:28-29
5:28 あなた達は(子が裁くという)このことを驚くに及ばない。時が来ると、墓の中にいる者が皆子(たるわたし)の声を聞いて、
5:29 (墓から)出てくるからである。すなわち、善いことをした者は(永遠の)命にはいるために復活し、悪いことをした者は(死の)罰を受けるために復活する。


●信仰なくして死んだ母も最後の日には墓から呼び出されて復活する。そこで悔い改めのチャンスがある。


塚本訳 マタ 5:44
5:44 しかしわたしはあなた達に言う、敵を愛せよ。自分を迫害する者のために祈れ。

塚本訳 ロマ 12:14-15
12:14 (あなた達を)迫害する者に(神の)祝福を求め、祝福して呪うな。
12:15 喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣け。

●この私をひどく嫌う人がいる。「信者は堅苦しい。堅物だ、俺をやっていることを批判攻撃する」などと言う。そういう人にはもう何をやっても努力しても「もがけばもがくほど」関係は悪化して、疎遠になる。これ人生「万策尽きる」時である。そういう時は「祈れ」と聖書は言う。

塚本訳 Ⅱペテ3:12-13
3:12 神の日の到来を待ち望みつつ(これを)早め(ることに努力せ)ねばならぬことであろう!その日『天は』焼けて解け去り、日月星辰は燃えて『溶けるであろう』。
3:13 しかし私達は彼の約束によって、義の住む『新しい天』と『新しい地』とを待ち望む。

塚本訳  Ⅰコリ16:22
16:22 主を愛しない者があるなら、呪われよ!、マラナ、サ(主よ、来てください)!

●行為主義者、社会改造運動家、地上王国希求者、ヒューマニスト、教会(集会)組織維持運営主義者は「高橋はすぐ信仰に逃げ込み。飛躍する」と批判するが、彼らは終末の祈りをしてないので実に「怠慢」である。信仰者とは言えない。的外れの信仰である。彼らからついぞ有体的復活、万物の復興(ロマ8:21-22)、再臨、終末、神の裁きというキリスト教使徒伝承の基本の基本を耳にした事はない。彼らに対してはこれまた「万策尽きた」。
●そういう人にはパウロと共に「呪われよ!」と言うのが本当の親切だ。


塚本訳  Ⅰコリ15:35-36
15:35 されど人あるひは言はん、死人いかにして甦へるべきか、如何なる體をもて來るべきかと。
15:36 愚かなる者よ、なんぢの播く所のもの先づ死なずば生きず。


●私が十年一日の如く「有体的復活」を説いているのに、「馬耳東風」の人がいる。中には「今時、処女降誕を信じている人がいる」などと、冷やかな見方をする人がいる。「キリストがどこから生れようが、木の股から生れようがどうでもいいじゃないか」と言った神学校の校長がいたと言う。(塚本虎二)。世も末である。
●処女降誕、有体的復活、万物の復興、再臨、ほど伝承困難なことはない。これも「万策尽きる」事である。
●こういう時はパウロと共に「愚かなる者よ」というのが一番よい。信仰は大脳皮質の納得ではないからである。
 
●9:30 妻は中野の愛子の家に手伝いに行く。私の昼食弁当を作って行ってくれた。「御苦労さんだね」と言って送りだした。妻も私に「あなたも御苦労さま」と言ってでかけた。主にある労苦は決して無駄にならないとパウロはいう。神は総てをご存知だ。

塚本訳 Ⅰコリ15:58
15:58 だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ。骨折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから。

●KK氏邸改修工事ドラフト№6を設計してスキャナで送る。この家庭に神の祝福がありますようにと祈りながら設計した。「いかに幸なる我がつとめや、悩みにも望みあり 主よ 御胸にかなわば 明日もつくさん」。(讃美歌535番)
●小沢一郎「無罪」判決。人の目には無罪でも神の目には「罪人」。人類全員罪人。

塚本訳  ロマ 3:10-12
3:10 (聖書に)こう書いてある。──『正しい人がいない、一人もいない、
3:11 物のわかる人がいない、神をさがし求める人がいない。
3:12 だれもかれも迷って、みんな堕落してしまった。善をする人がいない、ただの一人もいない。』

●なりたくない職能として政治家とマスコミ業。「嘘」や「秘密」を心得なければ仕事が出来ないから。人格崩壊につながるから。
●図書館。
●夕飯は焼きそばを妻の分も作る。


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驚くべき神の愛! ++++++++ 所感

2012/04/25 08:10

120425(水)3時目覚め。また寝ると不思議な夢を見た。著名なパイプオルガン製作者の夫人からの電話。憔悴しきった声で「うちの息子をしばらく預かって一緒に生活していただけませんか。」電話機の具合が悪くなって切れた。またかかってくるかと思ったがそれきりであった。●目が覚めて思った。「この夢は神の愛とはどういうものか」を具体的に教えるために神が夢で教えてくれたのである」と。●愛とは「相手を受け入れて一緒に生活して傍に居続けることなのだ」と。●そういえば昨日は次回(5月6日)の感話の準備として次の個所があった。 

塚本訳  ロマ 5:4-8
5:4 忍耐は鍛錬を、鍛錬は希望を生むことを知っているからである。
5:5 そしてこの『希望は(必ず実現して、わたし達を)失望させることはない。』神はわたし達に聖霊を授け、それによって愛をわたし達の心の中に(いつも豊かに)注いでいてくださるからである。
5:6 なぜなら、わたし達がまだ弱くあったとき、当時まだ不信心者の(わたし達の)ために、キリストは死んでくださったからである。
5:7 (驚くべき神の愛!人間の世界では、)義人のために命をすてる者はほとんどあるまい。善人のためならば、惜しげもなく命をすてる者が、あるいはあるかも知れない。
5:8 しかしわたし達が(義人でも善人でもなく、)まだ罪人(神の敵)であったとき、キリストが私たちのために死んでくださった。このことによって、神はわたし達に対する愛をお示しになったのである。

●この個所の解釈は今朝の不思議な夢が教えてくれた。
●神は私がまだ罪人であった時に一人息子を捨てて、私を愛して下さって、その後一緒にずっと生活を共に生活して下さっている。一人息子の代りに、赤の他人の私を養子縁組して下さった。
●「使徒伝承」は情報伝達だけではならない。教えを垂れる事ではいけない。この体を通して生活を通して、この人生を通して具現化しなければならないのだ。今朝の夢はそれを教えてくれた。
●「一緒に生活する」「傍にいる」ということを実践した数々の人を思った。
●沖縄の城間牧師は両親に捨てられた盲目の子供を家庭に引き取って本当の自分の子供と一緒に育てた。大家族になった。彼は声が良かったのでテノール歌手になった。私は一時彼の後援会に入っていた。彼の音楽会が自由学園であったとき沖縄から城間牧師も来られていたが、彼の成長ぶりに涙を流しておられた。城間牧師家族一同の写真を見たが、御夫人の顔は天使のように美しかった。
●賀川豊彦は若い時に神戸新川の貧民屈に入り込んで一緒に生活した。そのために彼はトラホームにかかり、眼病に苦しんだ。
●独立学園や愛真高校の先生方は不便な山奥で生徒たちと一緒に生活をしている。ここに価値がある。
●横浜の山下公演には「赤い靴」の歌の女の子の銅像がある。これは実話。アメリカの宣教師(?)が孤児だったその「女の子」を米国に引き取って「一緒に生活した」。キリスト教国アメリカの栄光。
●エクレシヤというのは信者が「一体」「一緒」のものになる「苦難共同体」
●夫婦は「一緒に生活する」最高の仕組み。それぞれが相手のために「死ぬこと」である。
●子育ての期間も親が子供と一緒に生活する大切な期間。相手のために「死ぬ」事だ。苦労することだ。 

●妻は大宮のNNさんの家に行く。
●KK氏邸の改修基本設計打ち合わせ。創造は楽しい。
●10:40 山川歯科。歯周病の気配があるらしい。
●12:00「ふれあいセンター」で高橋京子先生などの演奏会。ヴェートーヴェンのピアノソナタ31番、主よ人の望みの喜びよ、グノーのアヴェマチア、など。
●愛真高校の件で島根県のTM氏より電話。御心のままに、御心のままに。 
●TSK日本語版ピリピ3章入力開始。
 

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内村鑑三からの自由 ++++++++ 所感

2012/04/24 07:17

120424(火)5時15分起床●朝の黙想「内村鑑三からの自由●去る22日は集会でロマ書8:18-27(号泣は神が「復活と永遠の命」に導く恩恵の時)を感話した。内容は次にアップした。

http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/120423.htm

●感話の準備の時は「人間の解説」は読まず、「聖書で聖書を読む」方法で聖書の引照ばかりを読んだ。その量は上記配布したものの5倍になった。「聖書で聖書を読む」この方法は古来最も健全で力があり、満足のいく方法である。
●そして自分が「あ―そうか」と感じたものだけを絞り込む作業がたまらなく面白い。そしてさらに集会の席上で朗読したのは上記配布資料の2割であった。「アーソーカ」と自分で納得した時に聖書が日本に定着したことになる。
●内村鑑三の「ロマ書の研究」は内村自身が最高の著作だと言っているようにものすごく磁力のあるものである。これは講演の記録であるが、聴衆は600人になっていたという。この本に学ぶとブラックホールのように出てこられなくなり、内村に振りまわされる。その予感がしたので感話準備ではこれを読まなかった。読むと内村の奴隷になるからである。
●だから感話を終わってからの今朝その内村鑑三著「ロマ書の研究」(大正15年版、父の形見)の該当箇所(8:18-27)を読んだ。恐れ多いことだが、私の感話した内容とほぼと同じであった。それはなぜか。聖書に固着し、パウロ自身に聞いたから、期せずして一致したのである。内村の強烈な思想的磁力に吸い込まれなくてよかった。
●内村はその「聖書之研究」の最終号の「教会問題」で、人間たる者「人間ローマ法王」に聖書を読んでもらってそれを聞くのは低級人間であるというようなことを言っている。このローマ法王のところを「牧師」に置き換えても同じである。
●それと同じことが内村と我々についても言える。人間たる者「人間内村鑑三」に聖書を読んでもらってそれに酔って感心しているのは低級人間である。それは結局、内村の最も嫌った「内村派」「無教会派」を作ることである。その方法論が間違っているので現代の無教会は先細りである。聖書に向う姿勢が間違っている。
●特に今日の「東日本大震災」において内村は関東大震災の時にどう考えたかと調べるのはよいか、その内村の思想を引き合いに出して「振りまわす」人が多いのは目も当てられない。内村に没入して脱出できない人間である。これだから人間から自由になれないで「派閥」が出来る。「教派」の出現はここにある。
●内村軍団の会議の中で「内村鑑三をして今日あらしめれば、という姿勢が内村自身をだめにする」と発言したらその場の「空気」が悪くなった。この悪い空気がある限り無教会の明日はない。第一に「人間崇拝」の雰囲気は若い人に「なにかオカシイ」と感じるられる。
●この弊害から脱出するためには内村以上の「聖書」それ自身に聞かなければならない。それは「聖書で聖書を読む」方法である。実はこれが内村、塚本、黒崎の聖書勉強の方法であった。その方法論に徹して、各種データサービスを発信している拙ホームページは、どうやら神学生や教職者や伝道者に覗き見されているようだ。
●直近10日間の統計では一日115回のアクセスである。国別では圧倒的に日本が多いがその他に世界に散らばっている15の国の日本人からもある。「バアルに膝を屈めない日本人」は確実にいることを実感する。感触であるが、パソコンができる若い人が多い感じで嬉しい。
 
塚本訳 ロマ 11:4
11:4 ところが彼に対する神のお告げはどうであるか
。──「『わたしは(異教の神)バアルに膝をかがめなかった男子七千人を』自分のために『残しておいた。』」


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来世に喜びがある証拠 ++++++++ 所感

2012/04/23 08:51

120423(月)5時目覚め●昨日の集会感話の内容は次である。

http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/120423.htm

これをさらに要約すると次のようになる。

来世の喜び、復活と永遠の命が確実にあることの証拠としてパウロは次の三つをあげる。

①被造物の呻き苦しみ ②一足先に救われた者(なまじクリスチャンになったばかりに)に生じる悩み苦しみ、呻き ③聖霊の無言の呻き、執り成し

●昨日は「ロマ書8章と私」についても語った。20年前に召された父からロマ書8章18節「今の時の苦しみは我らの上に現われんとする栄光に比ぶるに足らず」を耳にタコが出来るほど聞かされた。父の臨終の時、私は耳元で「ロマ書8章!、ロマ書8章」と叫んだ。父は聞こえたのであろうか。12年前に私が脳内出血で倒れた時、直ったらロマ書を読んで見たいと思って、病院で読んだ。今回三男の恵は福島原発j事故で職も土地を奪われて大苦難に遭遇したが、ロマ書8章21-22節を読んで「号泣」したという。パウロに慰められたのである。万歳●ロマ書は世界と人類を動かしてきた。ルターの宗教改革の根本は「神の義はその福音のうちに現われ」(ロマ1:17)の意味の発見であった。世界のキリスト教界を震撼させたバルトの「ローマ署」。内村鑑三が自ら自分の最高の著作と言った「ロマ書の研究」 ●今後の我々にもロマ書8章18-27があればこの世のどんな不幸(病気、死別、失敗、貧困)があっても耐えられる。
●8年前に亡くなった母(信仰を頂けなかった)が肺癌のために肩でゴーゴー息をしていた苦しみの時に、私はたまらず「天国に行けば楽になるよ]と言った。すると母はギョロッと私を見て、「行って見てきたの」と言った。母にとっては真剣な質問であった。●この事を某氏に言ったら「見てきたと言えばよかったのだ」と慰めてくれたが、「坊主見てきたような嘘を言い」ではないが、苦しみの渦中の母に嘘はつけなかった。●パウロだったら何と言っただろう。イエスだったら何と言っただろう。●イエスだったら「信仰薄き者よ」と言いながら「肺癌の苦しみ」をやわらげたのもしれない。●ラザロは死んだがイエスによって生き返らされた。しかしまた死んだ(キルケゴール)。肉の命の最後の時、ラザロは固い信仰を抱いて召されたのだろう。周囲の人も同じであったのかもしれない。肉体は死んでも霊の命は生きている実感を持っていたであろうから。頭の信仰でなく霊の実感を持っていたのであろう。

●12:00 東京スカイツリーからの初放送は地元台東区出身のギタリスト村治佳織の生演奏でバッハ「主よ人の望みの喜びよ」。村治佳織の話しでは「ここは天に近いところなので」と解説があったので、目がうるんだ。●私は地上で天に近いところのことをやらなければ。
●TSK日本語版ピリピ入力●恵の3月11日での東京聖書読者会における感話のテープをMDにコピーしてKDさんに送った。コピーしながら私も再度聞いた。ロマ書8章21-22節に強烈に打たれて号泣したというが、それは万物の復興の希望の個所である。、 


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号泣する時 ++++++++ 所感

2012/04/22 22:06

120422(日)3時目覚め。●今日の感話のタイトルの副題を変更。


号泣は神が「復活と永遠の命」に導く恩恵の時

・・・「生きるか死ぬか」瀬戸際の呻きの時に読むロマ書8章・・・

東京聖書読者会 2012.4.22 高橋照男

 

①創造物と②神の子たちと③御霊との呻きが、最後の日の栄光を保証する。

塚本訳 ロマ8:18-27



●集会は川上、山本、高橋(ロマ8:18-27)配布資料は次のサイト
http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/120423.htm

●午後、妻はコーラスのレッスン。私は西武新宿線経由で帰ってみる。私鉄は安い。●某女子大生の就職の件でK教授と打ち合わせ。●HPの使徒伝承がうまくアップしないので悪戦苦闘。
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本当の愛 ++++++++ 所感

2012/04/21 08:41

120421(土)3時半目覚め。朝の啓示「本当の愛」

塚本訳  ヨハ 15:13
15:13 人その友のために己の生命を棄つる、之より大なる愛はなし。

●そうは言われてもこれが出来ないんだなー。
●まず自分、次に家族、次に勤務先、次に日本。これが人間としての本能であり常識である。
●今年、ロンドンオリンピックがあるが、日本は金メダルをいくつ獲得できるかとNHKが煽っているのはよくない。大人げない。
●こんなことを言うから聖書の教えは人間の自然的な本能に逆行するから分かりにくいと言われる。しかし本当のいことだからしょうがない。

塚本訳 マタ 9:13
9:13 『わたしは憐れみを好み、犠牲を好まない』という(神の言葉の)意味を、行って、勉強したがよかろう。わたしは正しい人を招きに来たのではない、罪人を招きに来たのである。」

●この人間社会では罪人を裁き排除する。家庭も学校も企業も罪人を断罪して追放する。これ人間社会の本能。
●それなのにイエスは「罪人を招きに来た」と言う。ところが現代のプロテスタント教会や集会は罪人が仲間に入ることを嫌う。「滅びよ!。教会(集会)、年金受給の暇人信者」。教会(集会)をサロンだと思い違いしている。 

塚本訳  ヨハ 3:16
3:16 そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである。

●この中に「使徒伝承」の本質が込められている。「本当の愛」が示されている。
●人間はキリストの贖罪で罪を清められて復活して永遠の命を頂く事が本当の幸福なのだ。
●ところが現代では信者と自称する人でも「この世的幸福」をキリスト教を利用して求めているから嘆かわしい。 

塚本訳  ヨハ 12:24
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)

●米は一粒の種から2000粒以上の実になる。この不思議な命の現象を見たら、イエスの死も復活もわかるというものだ。聖書学者や神学者には分かりにくい。
●今日、日本にキリスト教が土着しないのは「芽の出ない種」ばかり蒔いているからである。教会(集会)の人数増加を主目的としてそれに意をも用いている日本の教会(集会)に人が集まらないのは当然。天罰だ。第一に「処女降誕、有体的復活、有体的再臨」をそっくりそのまま伝承している牧師や聖書学者は超少ない。
●現代プロテスタント教会(集会)の御遊び集団に足をむけるほど現代の若者は馬鹿ではない。教会(集会)は老人たちのお祭りの精神に満ちている。
●かと思うとキリスト教を「運動」と履き違えていい年して「天下国家を断罪」し続けている人間がいるが、そういう人間はキリスト教は政治結社だと誤解されるので百害あって一利なし。即キリスト信者たることをやめて「ヒューマニスト」か「マルキスト」に看板を書き換てもらいたい。
●過日その一人から電話があったので、人間高いところに住んでいる人ほど教養(民度)が低い。動物でも高いところにいるものほど知能が低い」と言ったら「スミマセン。私高層マンションの15階に住んでいるのです」と言われた。
●人間愚か者ほど高いところに登りたがる。高い地位、高学歴、高収入。イエスは神の国では低い人ほど偉いと言った。(マタイ20:26-28)、

塚本訳  ロマ 5:8-9
5:8 しかしわたし達が(義人でも善人でもなく、)まだ罪人(神の敵)であったとき、キリストが私たちのために死んでくださった。このことによって、神はわたし達に対する愛をお示しになったのである。
5:9 それならばキリストの血で義とされている今、わたし達がキリストによって(最後の日の神の)怒りから救われるのは、もちろんである。

●あくまでも救いは「最後の日」である。
●キリスト教を利用してこの世を改善改良しようという人間の理論的根拠は「御心の天になる如く地にもならせたまえ」であるが、こういうのを「聖書読みの聖書知らず」という。
●こういう人間に限って、海山を歩いて仲間を増やそうとするが、「自腹を切って」まで助けようとしないのがその共通点。私はその事実をよく知って懲りている。「口は出すが金は出さない」。

塚本訳  ロマ 12:14-15
12:14 (あなた達を)迫害する者に(神の)祝福を求め、祝福して呪うな。
12:15 喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣け。

●負わされる十字架とは「一緒に泣く」ことだ。同じ病気になることだ。同じ不幸に遭うことだ。そのときに初めて「一緒に泣ける」
●福島県人は十字架を負ったが、東京人は「一緒に泣けない」。苦労の温度差が違う。
●東北復興プロジェクトの理念は「絆」「忍耐」「頑張り」「歌声運動」・・・みな空しい。
●東北福島の人間は私たちの罪を身代わりで背負ってくれたのだという思いにならなければならないにのだが、99%が不信者の日本でそれを要求するのは無理。
●せめて信者は「一粒の麦」「一人の力」「祈りの力」「終末の祈り」に思いを寄せるべきだ。

塚本訳  ルカ 9:23
9:23 それから今度は皆に話された、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、毎日自分の十字架を負い、それからわたしに従え。

●「まず己をすてて」が出来ないのだ。出来たとしたら仏教的やせ我慢になる。
●十字架は無理やり負わされるのだ。いやいやながら負わざるを得ないのだ。それは不幸、失敗、病気、家庭崩壊、愛の冷却、死別、離別、失業、落第・・・・このような事の体験が苦難の渦中にある人と「一緒に泣く」ことが出来るのだ。
●十字架を負う事の本当の意味は相手の罪を自分に引き受けて身代わりの祈り、執り成しの祈りに苦しむことだ。これこそ、「最高の仕事」「最高の伝道」「後世への最大遺物」なのだ。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●17:30 混声合唱団「かわせみ」演奏会に妻と行く。(於・練馬文化センター大ホール)
指揮は山本義人。



  有体的復活の使徒伝承

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呻きがある事は救いが用意されている証拠 ++++++++ 所感

2012/04/20 06:46

120420(金)5時起床●明後日の感話の準備。タイトルをまた変更した。
 

号泣は神が「復活と永遠の命」に導く恩恵の時

・・・呻きがある事は救いが用意されている証拠・・・

 東京聖書読者会 2012.4.22 高橋照男


●そのうちのロマ書8:23

8:23 しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証拠として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである。

●終末に救いが完成する第二の証拠は御霊を頂いた私達が現在呻いている事

 

塚本訳 ロマ 3:10-12

3:10 (聖書に)こう書いてある。──『正しい人がいない、一人もいない、

3:11 物のわかる人がいない、神をさがし求める人がいない。

3:12 だれもかれも迷って、みんな堕落してしまった。善をする人がいない、ただの一人もいない。

 

塚本訳 ロマ 3:19

3:19 ところでわたし達が知っているように、(右の)律法[聖書]が言うことはみな、律法に生きる者(すなわちユダヤ人)に対して語られるものである。(しかし)こうして(ユダヤ人だけでなく)すべての(人の)口がふさがり、世界中の人が、神に対して罪なしと言うことはできないのである。

 

塚本訳 ヨハ 8:7

8:7 しかし彼らがしつこく尋ねていると、身を起こして言われた、「あなた達の中で罪(をおかしたこと)のない者が、まずこの女に石を投げつけよ。」

 

塚本訳 ヘブ 10:30-31

10:30 わたし達はこう言われた方を知っているからである。『仕返しはわたしのもの、』わたしが、『報いをする』、さらに『主はその民を罰される』と。

10:31 生きた神の御手に落ちることのなんと恐ろしいことであろう

 

塚本訳 ロマ 7:24

7:24 なんとわたしはみじめな人間だろう!だれがこの死の体から、わたしを救い出してくれるのだろうか。

 

塚本訳 エペ 2:3

2:3 (否、)私達も皆かつてはこの人達に伍して自分の肉の欲の中に生活し、肉と欲望の欲するままに振舞って、他の(異教)人達のように生まれながら(神の)怒りの(審判に定められた)子であった。

 

塚本訳 Ⅱコリ4:7

4:7 しかしこの宝が、(貧弱な)土の器の中にある。それはその素晴らしい力が神のものであって、わたし達(土の器)から出るのではないことがわかるためである。

 

塚本訳 Ⅱコリ5:2

5:2 どうしてであろうか。わたし達はこのテントにいて、天の住いを上に着たくてたまらずに呻いているからである。(この憧れと呻きこそ、永遠の住いのある証拠ではないか。)

 

塚本訳 ヨハ 5:24

5:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、わたしの言葉を聞き、わたしを遣わされた方を信ずる者は、(今すでに)永遠の命を持っていて、(最後の日に)罰を受けない。その人はもはや死から命に移っているのである。

 

塚本訳 コロ 3:4

3:4 (しかし今でこそ隠されているが、)私達の生命であるキリストが顯れ給う時には、君達もまた彼と共に栄光の裡に顯れるであろう。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
●女子大生の就職相談。今や一分野だけの能力では無理。建築+α が就職に有利。
建築は「箱」だからその中身をちょっと知っていた方がよい。
●かって某大手建築設計事務所は映画監督の卵のような異業種の人も歓迎と募集した。
●建築+経済、建築+音楽、建築+医療、建築+図書館、建築+宗教、建築+商業、建築+映画、建築+語学、建築+法律、etc.・・・・・
●この両方の分野は企業においては普通別組織か別の部とするが、今やそれを一人格の中で融合してコントロールできる人物がいなければいけない。それは知識や能力を2倍持てというのではない。新分野である。
●それはコ―ディネータ―というもので、スタッフに「こーでねーといけない」(オヤジギャグのつもり。前に言ったか)という新職能である。二つの分野からありがたがれるのである。 
●15:30 昨日目がかすんで小さい文字が見えにくくなったので森眼科に行って診察を受けた。老人性白内障の気配があるが、現段階ではそれを予防できないと言われた。TSK日本語版の完成まであと7年、目が潰れないように祈る。

 

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号泣は神が復活と永遠の生命に導く恩恵の時 ++++++++ 所感

2012/04/19 09:20

120419(木)4時半目覚め●朝の啓示「号泣は神が人を復活と永遠の命に導く恩恵の時」●来る22日の感話のタイトルを次のように変えた。

      号泣は神が「復活と永遠の命」に導く恩恵の時
 ・・・望みが失われ涙がレンズになったときに見えてくる聖書・・・
     東京聖書読者会 2012.4.22 高橋照男

●聖書の中で「号泣」して神に引きつけられた人の数々を考える。「号泣」したとは書いてないが、おそらく極度の悲しみに陥って泣いた人達である。

口語訳 詩 27:10
27:10 たとい父母がわたしを捨てても、主がわたしを迎えられるでしょう。

●テノール歌手の新垣勉は生れた時に看護婦の点眼ミスで即失明、父は米軍兵、アメリカに帰った。母は再婚。結局両親に捨てられ祖母に育てられた。彼は少年の頃、父親を見つけて殺してやると息まいていたが、沖縄の城間牧師に拾われて救われた。今はまだ見ない父を赦して福音歌手の伝道者になった。
●離婚率4割の日本では家庭崩壊により不遇な子供が多い。東日本大震災よりも深刻。自分の親がだれだかわからないとはなんという悲しいい淋しい人生だろうか。
●高校の時の同期の友人が私に言った「高橋君。俺の母は本当の母親ではないんだ。ひとつ教会というところに連れて行って見てくれないか」。彼と教会へ言ったのは一回限りであった。彼は今いずこ。

塚本訳 マタ 2:18
2:18 『声がラマに聞えた、──(ラケルの)』はげしい『わめきと、なげきの声である。ラケルはその子らのために泣くばかりで、慰められようとしない、子らがもういないので。』

●ご結婚されたが流産されて、それ以後お子様に恵まれなかった方。あるとき「高橋さん。お子様の誰かが亡くなられたらワタシ慰めてあげるわ」と言われた。でもそのような機会がなく先に逝かれた。
●子供に先立たれることほど悲しい事はない。
●私の子供が病気になった時、「待ってろ。絶対に直すからな」と言ったものだ。
●私の親友は赤ん坊のころに父を亡くしたので父親の顔を知らないで育った。母親は細腕で彼を育てたが、あ―人生はなぜかくも無常なのか。その一人息子に先立たれた。お悔みに伺ったときに母親に取りすがられて号泣された。私はその友人に声をかけた「○○君。起きな。時間だよ」。彼は起きなかった。

塚本訳  ルカ 15:14-17
15:14 すべてを使いはたしたとき、その国にひどい飢饉があって、食べるにも困り果てた。
15:15 そこでその国のある人のところに行ってすがりつくと、畑にやって、豚を飼わせた。
15:16 彼はせめて豚の食う蝗豆で腹をふくらしたいと思ったが、(それすら)呉れようとする人はなかった。
15:17 ここで(はじめて)本心に立ち返って言った。──お父さんのところでは、あんなに大勢の雇人に食べ物があり余っているのに、(息子の)このわたしは、ここで飢え死にしようとしている。……

●星雲の意思をもって出発した人生。不運で落ちぶれた。泣いたはずだ。
●私の知る人。学生時代に秀才の誉れ高かった人が、父親の病気で家が傾き人生が狂った。女と同棲して酒におぼれ落ちぶれた。
●「落ちぶれて袖に涙のかかる時、人の心の奥ぞ知らるる」(九州地方の遠洋後業に出る人の民謡)

塚本訳 ルカ 16:19-21
16:19 (つぎに、利巧な番頭と反対に、神の国の準備をしなかった人の話を聞け。)一人の金持があった。紫(の上着)と細糸の亜麻布(の下着)を着て、毎日華やかに楽しく暮していた。
16:20 またその金持の門の前に、ラザロという出来物だらけの乞食がねていた。
16:21 せめて金持の食卓から落ちる物で満腹できたらと思った。それどころか、犬まで来て出来物をねぶっていた。

●金持ちの家の建築設計打ち合わせの帰りに、しばしば私は思う。門にラザロのような人がいるのではないか。
●カトリック神父の本田哲郎氏は大阪の罐が先に飛び込んでボランティア活動をしているが、あるひ自分よりも同じホームレスの人が仲間に「俺も同じだよ」という一言の方が相手を慰める力があるかことを知って愕然となる。然り、神父とう鎧を着ていてはどんな説教や慰めも通じない。

塚本訳 ルカ 7:36-38
7:36 (シモンという)ひとりのパリサイ人が一しょにお食事をと願ったので、そのパリサイ人の家に入って食卓に着かれた。
7:37 すると、その町に一人の罪の女がいた。イエスがパリサイ人の家で食卓についておられることを知ると、香油のはいった石膏の壷を持ってきて、
7:38 泣きながら後ろからイエスの足下に進み寄り、しばし涙で御足をぬらしていたが、やがて髪の毛でそれをふき、御足に接吻して香油を塗った。

●この女は娼婦であったらしい。「罪の女」という書き方がそれを示す。夫に捨てられ、あるいは子供とも別れ、ざんざんな人生、不憫な人生。何度も泣いたであろう。
●イエスはそんな女性を愛して救った。清めた。

塚本訳  ヨハ 8:2-5
8:2 次の朝早く、また宮に行かれると、人々が皆あつまってきたので、座って教えておられた。
8:3 すると聖書学者とパリサイ人とが、姦淫の現行犯を押えられた女をつれてきた。みんなの真中に立たせて、
8:4 イエスに言う、「先生、この女は姦淫の現場を押えられたのです。
8:5 モーセは律法で、このような女を石で打ち殺すように命じていますが、あなたはなんと言われますか。」 
 
●今日でも密通や姦淫はバレることになっている。人は知らなくても神は知っている。
●そうなると絶体絶命。逃げ隠れ出来ない
●こういう時は神にも人にも「ごめん」と一言謝ればいいものを、居直るバカがいるのを知っている。愚か者!!
●そういう人間は、人からも社会からも神からも人間の屑として扱われる。
●その前に自分の良心に痛めつけられるから挙動不審になる。匂うのである。顔にでる。
●一生苦しんでもらおう。
●しかし人間は人間を裁けない
●イエスは言う『なんぢらの中(うち)、罪なき者まづ石を擲て』と。自戒

塚本訳  ヨハ 4:15-21
4:15 女が言う、「主よ、その水を下さい。(二度と)渇くことがないように、またここに汲みに来なくてもよいように。」
4:16 イエスが言われる、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」
4:17 女が答えた、「わたしには夫はありません。」イエスが言われる、「『わたしには夫はありません』と言うのは、もっともだ。
4:18 五人の夫とは別れ、今のは、あなたの夫ではないのだから。あなたの言ったことは本当だ。」
4:19 女が(びっくりして)言う、「主よ、わかりました、あなたは預言者です。
4:20 (それでお尋ねしたいのですが、)わたし達の先祖はこの(ゲリジム)山で(神を)礼拝したのに、あなた達(ユダヤの人)は、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。(どういう訳でしょうか。)」
4:21 イエスが言われる、「女の人、わたし(の言葉)を信じなさい。(間もなく)あなた達が、この山でもエルサレムでもなく(どこででも、)父上を礼拝する時が来る。 
 
●この☓(バツ)⒌の女性。人目に出るのを憚って昼ごろに井戸に来た。神は彼女に声をかけた。
●いくら何でも☓(バツ)⒌では親戚筋からも嫌われる。子供も何人かは射たのかもしれない。自分の不運にな何度か泣いたであろう。そして今の男とは「愛人」関係か。もう人生ボロボロである。何度泣いたか。そのたびに今度こそと思って遂に5人の男を渡り歩いた。
●彼女のその後の人生に聖書は沈黙。イエスにつき従った大勢の女性たちの一人になっていたのではあるまいか。
●この世的にカッコイイ地位や収入の人が集まる宗教集団(教会や神殿)には気が引けていけない。だからイエスは言った。「(どこででも)父上を礼拝する時が来る」(塚本訳)と。
●現代のプロテスタント教会は精神病患者と離婚経験者を快く受け入れない。私はそういう事実を知っている。クタバレ!遊び集団を目指すプロテスタント教会。 

塚本訳  マコ 14:72
14:72 するとすぐ、二度目に鶏が鳴いた。ペテロは、「鶏が二度鳴く前に、三度、わたしを知らないと言う」とイエスに言われた言葉を思い出して、わっと泣きだした。(いつまでも涙が止まらなかった。)

●ペテロの号泣。この号泣が彼を使徒の代表にした。

塚本訳  ヨハ 13:30
13:30 ユダはパンを食べると、すぐ出て行った。夜であった。──(そとは丸い月がかがやいていたが、ユダの心は真暗であった。) 
 
●その後、ユダは首をつって自殺。彼も号泣したはずだ。イスラエルを旅した時、ユダが首をつったという木を見た。本当かどうか疑わしかったがそのいきさつを思った。 

塚本訳  ヨハ 20:11
20:11 (二人について来ていた)マリヤは(ひとり)墓の外に立って泣いていた。(二人が去ったあと、)泣きながらかがんで墓の中をのぞくと、 

●このマリヤはあの「罪の女」のマリヤ出会ったか。学問的には難しいが、愛するイエスの死を泣いたことは事実。その女にイエスは声をかける(ヨハネ20:15-16)

●昭和女子大の生徒の「就職相談」。最後に「幸多かれ」と書いて結んだ。 


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「その時」歴史は動く ++++++++ 所感

2012/04/18 06:04

1120418(水)4時45分起床●朝の啓示「神の力が働く時」 「その時歴史は動く」

塚本訳 ルカ 24:45-47
24:45 それから聖書をわからせるために彼らの心を開いて
24:46 言われた、「救世主は苦しみをうけて、三日目に死人の中から復活する。
24:47 また罪を赦されるための悔改め(の福音)が、その名においてすべての国の人に説かれる、エルサレムから始まって、と(聖書に)こう書いてある。

●聖書は神が心を開いて下さらなければわからない書物だ。神の側から、つまり人間の外側から力が臨まないと悟れない宗教だ。ここが他の宗教と違いキリスト教の難しいところだ。8年前に信仰なくして死んだ母は「照男。キリスト教は難しい。仏教の話しの方が解りやすい」と言った。不遇な育ちをした母に救いの喜びに預かってもらいたかった。悲願であった。しかしついに信仰には至らなかった。無念。悲しい。悔しい。

塚本訳  マタ 16:17
16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから。 
 
●机上で沈思黙考、あらゆる宗教哲学思想を渉猟しても神の存在はわからない。神の力がその人に働いてはじめて解る。

塚本訳 使 16:14
16:14 するとテアテラ町の紫毛織物の商人で、敬信家のルデヤという婦人が聞いていたが、主はその心を開いてパウロの話に耳を傾けさせられた。 
 
●「あのヤソ、キリシタンの話しを聞いてみよう」と思い立つことが神の働きがその人に加わり始めた徵である。ザアカイは木の上からイエスを「覗き見」した。(ルカ19:1-10)。拙HPはキリスト教伝道の方法としては不完全だが、「あいつの言い分も聞いてみよう」などという「覗き見読者」歓迎である。「来るものを拒まず。去る者を追わず」である。「パンを水の上に投げよ」(伝11:1)でもある。拙HPをきっかけにしてどこか良いエクレシアに拾ってもらってくれ。この私は救われる者にも滅びる者にもキリストの香りでありたい。(Ⅱコリ2:15-16)。だから恥を隠すことなく私生活も捨て身の公表である。私は脳内出血で一度死んだ身だ。破れかぶれの伝道だ。破れかぶれの余生だ。「笑うものは笑え。軽蔑するものは軽蔑してくれ」しかし永遠の命と復活の喜びは「使徒伝承」を聞いて信ずる他には絶対にないことを知るに到ってほしい。(Ⅰコリ1:23-24)。恥は人間の私に栄光は神にあれ!。 「この道を行くことを,『止めてくれるなおっかさん(家族親族)』」(バンヤン天路歴程題一巻冒頭)。後で解る。きっとわかる。絶対に分かる時がくる。この世でなくとも終末でわかる。来世でわかる。神います。

塚本訳 ルカ 24:47-49
24:47 また罪を赦されるための悔改め(の福音)が、その名においてすべての国の人に説かれる、エルサレムから始まって、と(聖書に)こう書いてある。
24:48 あなた達はこの(苦しみと復活との)証人である。
24:49 待っておいで、わたしが父上のお約束のもの[聖霊]をあなた達におくるから。あなた達は(この)天よりの力を身につけるまで、都に止まっていなさい。」

●NHKの名番組に「その時歴史は動いた」とうのがあったが、キリスト教の「その時」は神が人に臨む「時」。人の救いも同じ。「その時」が来ないと周囲がいくら努力しても信仰には入れない。しかし神が「ここぞ」と考える時にはその人に直接「襲いかかる」。その人はすっかり変わって気が違ったように信仰に熱心になる。私の周囲の多くの人に「その時」が来るを祈る。
●神がある人を召す時は、その人はこの世的に見れば「不幸の遭遇」幸福をもぎ取られる」 時である。幸福を失う時である。

塚本訳  マコ 1:16-18
1:16 ガリラヤ湖のほとりを通られるとき、シモンとシモンの兄弟のアンデレとが、湖で網を打っているのを見られた。彼らは漁師であった。
1:17 「さあ、ついて来なさい。人間の(漁をする)漁師にしてあげよう」とイエスが言われると、
1:18 すぐ網をすてて従った。


●イエスは二人の働きぶりを見てスカウトした。家の中でブラブラしている人間には神は声をかけない。フリーター等にも声をかけない。年金貰って優雅な老後を過ごそうなどと生ぬるい人生観(自戒)の人間にも神は声をかけない。
●死ぬまで働かなければ食べていけない人に神は大命をくだす。そういう人が説く福音でなければ人は耳を傾けない。
●神学や聖書学を面白がっている「暇人」には神からの天命が降るはずはない。イエスは聖書学者が大嫌いであった。

塚本訳  使  9:3-4
9:3 ところが進んでいってダマスコに近づくと、突然、天から光がさして彼のまわりを照らした。
9:4 彼は地上に倒れ、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と言う声を聞いた。

●パウロのキリスト教信者に対する迫害の熱心さ(ユダヤ教への熱心さ)を神は見た。大企業の人事部長の新人採用の時の目は時高いが、神はそれ以上。

塚本訳  ロマ 1:1
1:1 キリスト・イエスの奴隷であり、(また)神に召され、その福音のために選ばれた使徒であるパウロから、──

●パウロはこのダマスコ途上の体験をその後の伝道活動の根拠とした。神に声をかけられた自覚であった。


●妻は今井館へウィークデーの集い

●午後散髪。国会討論会を見ながら店主と世間話。国会議員たちは国難をそっちのけで足の引っ張り合い。情けない。 

●TSK日本語版入力エペソ完了。エペソはシンフォニーのようだった。

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罪なき者まず石を投げ打て ++++++++ 所感

2012/04/17 05:44

120417(火)5時目覚め●朝の啓示「なんぢらの中(うち)、罪なき者まず石を投げ打て」●神なき世の中に生きているいる我々は社会的不義、性道徳の不義、家庭内職場内の不義に日々悩みが絶えない。しかし聖書は裁かずに赦せというがそれがなかなかできないのだ。相手が目覚めるかどうか分からないが一発殴ってしまった方がよっぽどすっきりして精神衛生的にもよいのだ。●そういう状況下で今朝はヨハネ8章の「姦淫の女」の記事が啓示された。「なんぢらの中、罪なき者まず石を投げ打て」。これについて黙想する。●いささかプロテスタント教会の「説教」臭くなるが、自分自身への戒めとして瞑想する。

塚本訳  ヨハ 8:3-11
8:3 すると聖書学者とパリサイ人とが、姦淫の現行犯を押えられた女をつれてきた。みんなの真中に立たせて、
8:4 イエスに言う、「先生、この女は姦淫の現場を押えられたのです。
8:5 モーセは律法で、このような女を石で打ち殺すように命じていますが、あなたはなんと言われますか。」
8:6 こう言ったのは、イエスを試して、訴え出る口実を見つけるためであった。イエスは身をかがめて、黙って指で地の上に何か書いておられた。
8:7 しかし彼らがしつこく尋ねていると、身を起こして言われた、「あなた達の中で罪(をおかしたこと)のない者が、まずこの女に石を投げつけよ。」
8:8 そしてまた身をかがめて、地の上に何か書いておられた。
8:9 これを聞くと、彼らは皆(良心に責められ、)老人を始めとして、ひとりびとり出ていって、(最後に)ただイエスと、真中に立ったままの女とが残った。
8:10 イエスは身を起こして女に言われた、「女の人、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罰しなかったのか。」
8:11 「主よ、だれも」と女がこたえた。イエスが言われた、「わたしも罰しない。おかえり。今からはもう罪を犯さないように。」】

●この記事は有力な写本にはないが、不思議に保存されて我々が読む事が出来るのは、内容がいつの世にも普遍的な事だから口伝で伝承されてきたのであろう。
●パウロ書簡でも「不義、汚れ、情欲、姦淫」など実に現代的なことが問題にされている。いくら文明が発展してもこの方面の人間の姿はちっとも変わらない。
●「性道徳の破綻」に関しては生理的にどうしても「赦せない」。ことにそれが自分の親戚筋に起こると「他人事」ではないから「呻く」。
●家庭崩壊の事実は夫婦当事者の滅びは致し方がない。身から出た錆であり、自業自得である。終末に神が裁く。
●人間の罪の本質は、アダムとイブにさかのぼる。神への反抗心にあるという。創世記神話の不朽の価値がここにある。
●しかし神は親心で、何とかして人間を赦して救おう救おうと努力したのが旧約聖書の本質であったがうまくいかなかった。
●神としても一時は「ブチギレ」してノアの洪水で人類を殲滅しようとしたが、「ノア家族」だけを残したのでDNAが残ってしまった。律法で矯正しようとしたが、その律法を守れる人は誰もいなかった。道徳で人は善くなれなかったのである。これ神の失敗である。
●上記、「姦淫の女」の物語も、人類の普遍的に共通の内容である。
●当時も今も「女性は弱く淋しい」存在であるから男性の優しさに少しでも触れると「身を赦してしまう」。これが姦通文学の本質。家庭崩壊の原因の弁解。しかしいくら人間がその人間性を是認して赦しても神が赦さない。ここが人生の難しいところ。しかしいかんせんこの世はそういうことになっている。ヒルティはこれを「倫理的世界秩序」という。
●こういうこtろをいうのがクリスチャンの固いところ。頑固おやじに見られてしまうところ。コワモテオヤジに見られてしまう悲哀。だからみんなが去る。嫌う。クソッ!。
●姦淫は「当事者同士が合意」ならば悪くはないではないかというのが99%が不信者の日本の現実。
●しかし彼らは「良心の痛み」があるから、その後何かに脅えるし、聖なるものや聖なる集まりに反発する。「罪が暴かれて自分が滅ぼされるからヤバイ」という恐怖を感じるのである。いかに堕落しても神の子の片鱗があるから「良心に痛み」があるのだ。生涯の汚点に苦しみ抜くのだ。この苦しみも文学の主要テーマである。ドストエフスキー「罪と罰」、トルストイ「復活」。 ●我が国には「臭いものには蓋をする」という習慣があるが、崩壊家庭の内部にいる子供は総てを知っている。子供が精神的肉体的にダメージを受ける。子供が犠牲になる。子供が十字架を負っている。子供の苦しみそれ自身が贖罪である。
●気毒なのは家庭崩壊で投げ出された「子供達」である。不憫である。親の罪を負っている。こういうとき各種施設や経済的支援の道があるが、それは「普通の幸福」のコースに入れようとする方法であるが、残念ながら真の解決にはならない。
●今や我が国の離婚率は4割、癌による死亡率とほぼ同じである。家庭が癌に犯されているのだ。実に恐怖の数値である。国家崩壊の真の原因である。
●真の解決は汚れた親の血を入れ変えて、すっかり新しい人間になる事である。新しい創造である。だから私は社会福祉や社会運動をやらないで「使徒伝承」一本にかける。その道がイエスの十字架と復活による救いの道である。
●「聖書学者とパリサイ人に責められて、然り自分も自分を責めてどうしようもなくなっているこの「姦淫の女」に対してイエスは「罰しない」と言った。(8:11)
●しかしこれだけでは「ヒューマニストイエス」である。それはイエスの本質ではなかった。イエスは彼女の罪は厳然として罪だとして赦せなかったので代わりに自分がゴルゴダの十字架に向って歩いていったのだ。ここに新約聖書の本質とキリスト教の本質がある。
●パリサイ人や聖書学者は自分の過去を棚に上げて「姦淫の現場」踏み込んで捕まえた「姦淫の女」をイエスの前に引きずり出した。狙いはイエスを陥れるためであった。イエスが「赦せ」と言おうものなら律法違反で捕まえる。「殺せ」と言おうものなら当時ローマに支配されていたユダヤ人には死刑執行権がなかったからローマに付きだされるy。「もろ刃の剣」であった。
●どうしようもなかったイエスは、女を赦して身代わりとして自分が十字架の死に向った。これでローマにも捕まらず、聖なる律法も満足させた。
●このとき、執拗に裁く「聖書学者とパリサイ人」に言ったのが、「「なんぢらの中(うち)、罪なき者まず石を投げ打て」である。
●これは今日、クリスチャンと自認している人間に向けられている。自戒。
●これに関連聖句を思い浮かべる。 

塚本訳  ロマ 3:10-12
3:10 (聖書に)こう書いてある。──『正しい人がいない、一人もいない、
3:11 物のわかる人がいない、神をさがし求める人がいない。
3:12 だれもかれも迷って、みんな堕落してしまった。善をする人がいない、ただの一人もいない。』

●神は人の心の内を見る。知っている。「みんな堕落」している。自戒

塚本訳  ロマ 3:19
3:19 ところでわたし達が知っているように、(右の)律法[聖書]が言うことはみな、律法に生きる者(すなわちユダヤ人)に対して語られるものである。(しかし)こうして(ユダヤ人だけでなく)すべての(人の)口がふさがり、世界中の人が、神に対して罪なしと言うことはできないのである。


●各国は北朝鮮を「ならず者」として責めているが、米国もならず者であった。英国も。

塚本訳  ヘブ 10:30-31
10:30 わたし達はこう言われた方を知っているからである。『仕返しはわたしのもの、』わたしが、『報いをする』、さらに『主はその民を罰される』と。
10:31 生きた神の御手に落ちることのなんと恐ろしいことであろう。


●しかし正義は貫徹されねばならないのがこの世の仕組み。宿命。しかし裁くのは神。

新共同 コロ 3:13
3:13 互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。

●私は技術者だ。福島原発を知ってすぐ「人災だ」と叫んだ人間の信仰を信用しない。自分を棚に上げている。

塚本訳 エペ 2:3
2:3 (否、)私達も皆かつてはこの人達に伍して自分の肉の欲の中に生活し、肉と欲望の欲するままに振舞って、他の(異教)人達のように生まれながら(神の)怒りの(審判に定められた)子であった。

●クリスチャンというのは全員が過去に恥ずかしい生活をしていた人達だ。

塚本訳  エペ 5:12-14
5:12 何故なら、彼らが隠れて行うことは(これを)口にするさえ恥ずかしいことである。
5:13 しかし明るみに出され(てその正体を暴露され)るものは皆(神の)光によって照らされる。
5:14 (そして神の光に照らされ罪を浄められる時その人自身が光となる。)然り、(光に)照らされるものは皆光である。故に主は言い給う──眠る者、起きよ、死人の中より立ち上がれ、さすればキリストが汝を照らし給うであろう。

●現在流行の「個人j諜報の秘匿」は宗教的ではない。最後の日に総ての恥ずかしいことが白日のもとに示される。心の中の中まで見通される。その時私はヤバイ。絶体絶命だ。

塚本訳  マタ 18:26-30
18:26 家来はひれ伏して、しきりに願った、『しばらく待ってください。全部お返ししますから。』
18:27 そこで主人は気の毒に思って、身柄をゆるした上、借金にまで棒を引いてやった。
18:28 ところがその家来は出ていって、自分に百デナリ[五万円]を借りているひとりの同僚に出合うと、これをつかまえ、喉頚をしめて、『借りているものを返せ』と言った。
18:29 同僚はひれ伏して、『ちょっと待ってくれ。返すから』と頼んだ。
18:30 しかし承知せず、(裁判官につれて)行って、負債を返すまで牢に入れた。

●この男、一万タラント(300億円)を使い込んだが王に情けをかけられて赦されたが、その恩を忘れて自分に百デナリ[五万円]の借りのある男の喉首を締めて、「返せ」と迫った。これが「聖書学者やパリサイ人:の姿。自戒。

塚本訳  マタ 18:31-34
18:31 その人の同僚たちはこの出来事を見て非常に悲しみ、行って、出来事の一部始終を主人に報告した。
18:32 すると主人はその家来を呼び出して言う、『不埒な家来、あなたが頼んだから、わたしはあの負債に全部、棒を引いてやったのだ。
18:33 だからあなたもわたしに情をかけてもらったように、同僚に情をかけてやるべきではなかったのか。』
18:34 そこで主人は怒って、負債を全部返すまでその男を獄吏に引き渡した、(という話。) 
 
●神はもう今度はこの恩知らずを赦さなかった。それがこのたとえ話の結論としてのの18:35だ。 
 
塚本訳 マタ 18:35
18:35 わたしの天の父上も、もしあなた達ひとりびとりが心から兄弟を赦さないならば、同じようにあなた達になさるであろう。」

●もう10年以上も前に電話で気の毒な女生と対話した。

「私はモーだめでしょうか」「贖罪の道がある:
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あの時の女性よ「今いずこ」。今ごろ固い信仰を持って生きていてくれればいいんだがなー

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●妻は知人二人と共に奥多摩の御前山約1405メートルに登山。8時出発16時帰宅。
途中で雨になったので頂上まで行かずに引き返した。予報によると18時頃から強い雨と突風。正解であった。建築でも中止の決断の方が難しい。

  有体的復活の使徒伝承

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 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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「前門の虎、後門の狼」のとき ++++++++ 所感

2012/04/16 06:15

120216(月)6時起床●昨夜来た電話での人生問題相談で思う事。時間足らずであったのでその続き。電話の主は「前門の虎、後門の狼」の状態であった。その意味はネットで調べると一般的には「一難去ってまた一難」「人生の行き詰まり状態」「進退極まった状態」などで諸外国にも似た諺があるらしい。
様々な解説で最高に聖書的であったのはサファリパークでの実践である。次はネットからの引用。


    1. 「前の門」に虎が居て、「後ろの門」に狼が居た場合には、「右の門」か、「左の門」に迂回した方が良いという、ありがたい教え。
    2. ↑ 現在では、主にサファリパークで実践されている。
    • ↑ もし、「右の門」や「左の門」にも猛獣が居た場合には、ヘリコプターを呼んで、空中から脱出する事になる。


●聖書的に言えば次のところであろうか。

●まず紅海の奇蹟


新共同 出  14:9-12
14:9 エジプト軍は彼らの後を追い、ファラオの馬と戦車、騎兵と歩兵は、ピ・ハヒロトの傍らで、バアル・ツェフォンの前の海辺に宿営している彼らに追いついた。
14:10 ファラオは既に間近に迫り、イスラエルの人々が目を上げて見ると、エジプト軍は既に背後に襲いかかろうとしていた。イスラエルの人々は非常に恐れて主に向かって叫び、
14:11 また、モーセに言った。「我々を連れ出したのは、エジプトに墓がないからですか。荒れ野で死なせるためですか。一体、何をするためにエジプトから導き出したのですか。
14:12 我々はエジプトで、『ほうっておいてください。自分たちはエジプト人に仕えます。荒れ野で死ぬよりエジプト人に仕える方がましです』と言ったではありませんか。」

●これ絶体絶命の状態。モーセにとって前は紅海、後ろはエジプトのパロの軍団。
●モーセにとっての最大の悩みは民の不平であった。「親の心子知らず」であった。


新共同 出  14:13
14:13 モーセは民に答えた。「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。あなたたちは今日、エジプト人を見ているが、もう二度と、永久に彼らを見ることはない。

●「恐れてはならない」という言葉は聖書に多く出てくるが、それは総て神の導きの道にある人にだけ告げられる天からの言葉である。(ヒルティ)


新共同 出  14:14
14:14 主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。」

●これは塚本虎二先生の好きな言葉。神が考えて下さるのだ。悪いことは神が直接相手に注意して下さるのだ。意外なことを起こしてくださるのだ。独立学園の故桝本華子先生はあるとき私に言われた。「高橋さん。人生には意外な事が起こるわよ」と。私の人生も「意外なこと」の連続であった。

新共同 出  14:19
14:19 イスラエルの部隊に先立って進んでいた神の御使いは、移動して彼らの後ろを行き、彼らの前にあった雲の柱も移動して後ろに立ち、

●丁度良い時に人が遣わされたり、病気になったりしたり、天候が異変したり、経済の異変があったりする。
●これらは総て「雲の柱」である・
●賀川豊彦の関係の 「雲柱社」はここからきていると解す。

新共同 出  14:21
14:21 モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた。

●映画「十戒」の一場面。こういうことは幼児のころに絵本で教えておく必要がある。そのとき語り手が「奇蹟」というものは本当にありうるものだということを固く信じていなければならない。
●末期がんの人には「絵本」で神、天国、などのことを伝えることが有益と言われる。


新共同 出  14:30-31
14:30 主はこうして、その日、イスラエルをエジプト人の手から救われた。イスラエルはエジプト人が海辺で死んでいるのを見た。
14:31 イスラエルは、主がエジプト人に行われた大いなる御業を見た。民は主を畏れ、主とその僕モーセを信じた。


●「民」は紅海を渡れたのを体験して「モーセ」を信じたのはデカルト的人生観」(実験主義)の最たるもので信仰者の人生観ではない。こういう人は唯物主義の淋しい人生になる。


●次にヒルティに教えられた人生の岐路の時の心得。 
 

新共同 イザ 30:21
30:21 あなたの耳は、背後から語られる言葉を聞く。「これが行くべき道だ、ここを歩け/右に行け、左に行け」と。

●私の人生観は高校生の時に読んだヒルティ「眠られぬ夜のために第一巻」の最後にある「なおりたいのか」で決まった。
●このとき神の啓導によって歩む人生観は素晴らしいなーと思った。ヒルテイはそれの具体的な例として「アリアドネの糸」をたどって歩くと間違いなく洞窟の外に出られるというギリシャ神話を掲げている。「眠られぬ夜のために第一巻3月3日」
●私の場合はイザヤ書にあるように具体的に「ここを歩け、右にいけ、左に行け」という声が聞こえたたのではなかったが、家屋全焼、脳内出血、子供の病気、人との出会い、などなどは皆「神の指示」であった。
●こういうとき神を信じる伴侶はありがたい。ある日、玄関を出るとき妻が後ろから「御心のままに、御心のままに」と励ましてくれた。
●孫息子に告ぐ。「結婚するなら美人ではなくても神を信じる人にしろ」。孫娘に告ぐ。「結婚するならイケメンではなくても神を信じる人にしろ」。人生ピンチの時「神を呼んで」くれるからだ。神から伴侶を頂くことが人生成功の道だ。
●これは実話。刑務所の運動場にいた夫をヘリコプターを飛ばして救出した妻がいた。その新聞記事はこれぞ「外女の功」と書いてあった。 
 

塚本訳  ロマ 8:28
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。

●パウロの人生体験から出た言葉。
●「前門の虎、後門の狼」に遭遇している人に告ぐ。「神がヘリコプターを飛ばして救出」して下さる。意外なことが起こる。雲の柱が立つ。神います。今が恩恵の時。

●妻は愛子の家に手伝いに行く。
●愛子から妻への電話の最後に代わって次のように言った。「あなたは今一番大切な仕事をしているのですよ。最高の伝道ですよ」と。 

●ロマ書7章24節」の「わたし」は救われる以前か以後か。

塚本訳 ロマ 7:24

7:24 なんとわたしはみじめな人間だろう!だれがこの死の体から、わたしを救い出してくれるのだろうか。

●これは古来多くの学者達のいわゆる「神学論争」の的であった。私も誰がどちらにくみしているかを読むには読んだが今ではすっかり忘れた。そういう人間の説よりも「聖書で聖書を読む」(拙HPの「BbB」を読んだらすっきりした。これは救われた以前か以後かなどという問題ではなく、生きとし生ける全被造物(クリスチャンも)共通の生きている時の呻きの苦しみ嘆きであることがわかる。
●聖書の超難解なところはBbBを読んで「自分で納得する」「自分流の解釈をする」ことが最高の「聖書の読み方」である。聖書で聖書を読むのだから多少の的外れがあっても大筋では間違いがない。

塚本訳 エペ 2:3

2:3 (否、)私達も皆かつてはこの人達に伍して自分の肉の欲の中に生活し、肉と欲望の欲するままに振舞って、他の(異教)人達のように生まれながら(神の)怒りの(審判に定められた)子であった。

●前記ロマ7:24の「わたし」は誰(回心前の人間または回心後の人間)かの解釈はエペソ2:3で一発でわかる。それは救われて喜びのうちにあるクリスチャンパウロがかっての「惨めな自分」を回顧したものだ。しかしクリスチャンになったとはいえ依然と肉の体と肉の身内がいるので呻いているのだ。「聖書で聖書を読む」で自分で「アーソウカ」と納得するのが聖書読みの王道だ。 

http://www.bbbible.com/

●「聖書で聖書を読む」方法の一つに「TSK日本語版」(作業中)がある。それは次である。ロマ7:24の「わたし問題」はこれで納得した。人間の呻きに「回心前か回心後」かという区分はない。救われたクリスチャンも依然として被造物である。

http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/110910.htm 

●ちなみにこの個所をある人が「わたしは生まれつき怒りっぽい人間でしたが十字架で救われて幾分優しい人間に変えられました。感謝」という話しをしたところ、ギリシャ語に多少強い人間(信仰的に半可通)が「嘲笑った」。(本当の意味は上記の塚本訳の敷衍のようである。)これを耳にされた塚本虎二先生は激怒。ここを「怒りっぽい性格が神よって直された」と読んでも聖書は決して読み間違いではない」と言われた。こういうのが「聖書の素人読み」の正しさである。

 

 

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最後の日には罪が清められて有体的に復活させられる ++++++++ 所感

2012/04/15 06:10

120415(日)3時13「分目覚め●朝の啓示「人間は土の器」「人間が罪を犯すのは自然の姿」「それは道徳では抑えきれない」「煩悩は罪ではない。自然に備わった性質である」「その煩悩の人間の中に永遠の命を頂くから信者は苦しみ続ける」「煩悩実行人間に注意するのは左利き人間に右手を使えと言うのと同じで、歯向かわれるだけ。徒労」「求めよさらば与えられん。聖霊は求めれば与えられる」●終末に救いが完成が実現する証拠は救われた私達自身が生涯呻き続ける事●次回感話の一部は次の通り。 


 

8:23 しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証拠として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである。


●終末に救いが完成する第二の証拠は霊を頂いた私達自身がさらに呻き続ける事

 

 

塚本訳 Ⅱコリ5:2

5:2 どうしてであろうか。わたし達はこのテントにいて、天の住いを上に着たくてたまらずに呻いているからである。(この憧れと呻きこそ、永遠の住いのある証拠ではないか。)

 

塚本訳 ヨハ 5:24

5:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、わたしの言葉を聞き、わたしを遣わされた方を信ずる者は、(今すでに)永遠の命を持っていて、(最後の日に)罰を受けない。その人はもはや死から命に移っているのである。

 

塚本訳 コロ 3:4

3:4 (しかし今でこそ隠されているが、)私達の生命であるキリストが顯れ給う時には、君達もまた彼と共に栄光の裡に顯れるであろう。

 

●無教会主義について問い合わせてこられた方に次のように返メールした。一部改変。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 

○○様

 

●あなたはとてもよいサイト(下記)をご覧になられたと思います。
 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%9A%E6%9C%AC%E8%99%8E%E4%BA%8C

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E6%95%99%E4%BC%9A%E4%B8%BB%E7%BE%A9


私は二番目のサイトにドイツの敬虔主義(ピエティスムス)を加えるべきものと思っています。無教会との関係は理論でなく実質的なつながりがあることを私は指摘しました。(例・白水社「ヒルテイ著作集」第10巻昭和54年・月報「無教会主義の系譜におけるヒルティ」)。 この件はなお研究中です。

○○様の「信者や集会はピンキリ」論に賛成です。私は今朝目覚めて「土の器」ということを啓示されました。

  

口語訳 Ⅰコリ15:49

15:49 すなわち、わたしたちは、土に属している形をとっているのと同様に、また天に属している形をとるであろう。

 

塚本訳 Ⅱコリ4:7

4:7 しかしこの宝が、(貧弱な)土の器の中にある。それはその素晴らしい力が神のものであって、わたし達(土の器)から出るのではないことがわかるためである。

 

●この世に肉として生きている私たちは罪を犯す人間として内外を見ながら呻き苦しんでいます。しかし最後の日にはすっかり清められて有体的に復活させられることを堅く信じます。日本ではクリスチャンは1%です。苦しみ呻くのは当然です。しかし希望があります。次です。

 

塚本訳 ヨハ 5:24

5:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、わたしの言葉を聞き、わたしを遣わされた方を信ずる者は、(今すでに)永遠の命を持っていて、(最後の日に)罰を受けない。その人はもはや死から命に移っているのである。

 

塚本訳 コロ 3:4

3:4 (しかし今でこそ隠されているが、)私達の生命であるキリストが顯(あらわ)れ給う時には、君達もまた彼と共に栄光の裡に顯(あらわ)れるであろう。

 

●ネットでの主にある出会いに感謝です。BbBを高く御評価頂いて大喜悦です。

 

主にありて

高橋照男

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
返メール。一部改変。おわり 


●集会は渋谷ヒラゼンビル高木、丹野、山本。●帰途渋谷道玄坂で小寺七重さん、トミ子と」私の三人で昼食●夜、難問も電話。「まず一カ月歩いてみましょう」と言うことにした。●人生は一歩一歩である。●主の祈りに「今日の糧をお与えください」とある。 


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「流れ者」人生 ++++++++ 所感

2012/04/14 06:19

120414(土)5時起床●朝の啓示「行き先を知らないで出てゆく」●自分の人生を振り返ってみるとそれは若い頃にはとても考えられない道を歩まされてきた。●人生の節目や曲がり角では必ずと言っていいほどヒルテイ幸福論第3巻「わがなんじになさんとするは、驚くべき事なり」(出エジプト34:10)白水社版を読んだ。これは岩波文庫版では「驚くべき導き。●論考の最後にメモした読んだ日付を見ると、19歳(4回目)、31歳、34歳、44歳、54歳(2回)、59歳(2回)、61歳。計12回、その時々の人生の問題も記してある。●この僅か36ページは赤線でびっしりである●この論考の最後は次のようであるが同感である。

「ついに君は深くj顧みて言うであろう、神はすべてをなし給う遂げ給うた、と」

●ところで信仰人生の歩き方は「大脳皮質で考え抜いて計画して」歩む歩みとは全然異なる。悪く言えば「行きあたりばったり」「追い出されたり」「そこきり行き場がなかったり「無理やり決められたり」である。しかいそこに神の深い導きがあったことは「振り返ってみてわかる」●ヒルティは「神の導き」による人生を望むならまず「この世的な考え」を捨てなければならないという。この世的な欲に縛られていると凡庸な人生となる。●次に関連聖句を見てみよう。 


口語訳 箴  16:9
16:9 人は心に自分の道を考え計る、しかし、その歩みを導く者は主である。

口語訳 箴  20:24
20:24 人の歩みは主によって定められる、人はどうして自らその道を、明らかにすることができようか。 

口語訳 エレ 10:23
10:23 主よ、わたしは知っています、人の道は自身によるのではなく、歩む人が、その歩みを/自分で決めることのできないことを。 

塚本訳  ヘブ 11:8
11:8 信仰によって、アブラハムは財産として戴くべき(カナンの)場所に『出てゆけ』とのお召しを受け、(素直に)言うことを聞いた。そしてどこへ行くともわからず、『出ていった』。 

塚本訳  ヘブ 11:13-16
11:13 信仰に従い、これらの人たちは皆、(地上では)約束のものを受けずに死んだのである。彼らはただ遠くからそれを眺めて歓迎し、自分たちは、『この地上では外国人であり、旅の者』であると認めた。
11:14 このように(自分を外国人、旅の者と)言う人々は、(ほかにある)自分の国を追及していることを現わしているからである。
11:15 もしも彼らが出てきた所、(すなわちカルデヤのウル)のことを思ったのであったら、(いくらも)引き返す機会があったはずである。
11:16 しかし今や彼らは(地上のものに)まさる天の国を熱望しているのである。だから神も、彼らの神と言われることを恥とされない。彼は彼らのために(天に)都を用意されたのであるから。
 
塚本訳  ロマ 8:28
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。


●失敗も喧嘩別れも天災でその場所に住めなくなることも、これら総て霊魂の救いの「益」となる。(上記ロマ8:28はヒルティ特愛)の句。
●私の知人でしばしば「住処」を変えた人(故人)がいた。こういう人は言わば「住所不定」的人物で信用できる人物とは言えない。
●地上には決定的に満足のいくエクレシアはない。なぜか。それは100%罪の人間集団だからである。完全なる先生、完全なる牧師はいない。内村、塚本につまずいた人は多い。先生の一言半句が気に入らなくて離れる。内村はある弟子に言ったことがある。「それでは別れよう」と。
●クリスチャンは信仰以外の金や義理や組織で団子状になっていてはいけない。信仰のみの風通しのよい関係でなければならない。
●しかしヒルティはいう、不幸や失敗も喧嘩別れも神にあっては総てが「失敗は成功のもと」になる。心配しない方がよい。自分のまずい性格も神に利用されて救いに「益」となるようにされる。
●結婚と職業選択と職場決定と住処決定などの人生の分かれ道には絶対に神の導きがないとその後がうまくいかない。しかし多くの場合それは偶然によって決まる。
●パスカルは言う「男にとって職業の選択は最大の難題だが、それはほとんどの場合偶然によって決まる。」これ至言。またこれは女性にとっての結婚にも言えることだ。出会いは偶然。 ●アブラハムもモーセもイエスもパウロも「流れ者」であった。逃げ回った。我らも「流れ者」人生でよい。なぜか。流れ行く先は決まっているからである。聖書は次のように言う。

塚本訳 エペ 2:19-20
2:19 だから、君達は最早余所の人でも居候でもなく、聖徒と同じ(天上の)市民また神の家族であり、
2:20 使徒と預言者なる土台の上に築き上げられた建物であって、キリスト・イエス御自身がその『首石』である。

塚本訳 ピリ 3:20
3:20 しかし(私達はそうであってはならない。)私達の故国は天にある。私達は主イエス・キリストが救い主として其処から来給うのを待っているのである。


●福島原発で各地に避難している人間は皆「流れ者」である。しかしいつかは故郷に帰れる。●しかし中には生きているうちに故郷に戻れない人もいるかもしれない。そういう人は人間の真の故郷は神の懐、天にあることを知るよい機会である。 
●ユダヤ民族はバビロン捕囚から76年ぶりに故郷に帰ってきた。その喜びの歌が詩篇に多くある。 
 
口語訳 詩  84:1-5
84:1 万軍の主よ、あなたのすまいはいかに麗しいことでしょう。
84:2 わが魂は絶えいるばかりに主の大庭を慕い、わが心とわが身は生ける神にむかって喜び歌います。
84:3 すずめがすみかを得、つばめがそのひなをいれる巣を得るように、万軍の主、わが王、わが神よ、あなたの祭壇のかたわらに/わがすまいを得させてください。
84:4 あなたの家に住み、常にあなたをほめたたえる人はさいわいです。〔セラ
84:5 その力があなたにあり、その心がシオンの大路にある人はさいわいです。 

●3・11の直後信仰の先輩は言った。「即刻逃げろ。しかしあとで戻って来い。エレミヤ書を読め」と。ユダヤ人のバビロン捕囚は76年間。しかし戻ってきた。「あとで」が短い人も長い人もいる。 76年は長いと言えば長い。短いと言えば短い。人生は短い。我々は「永遠の命」を頂いているのだ。 
●妻は夕方からコーラスの練習。19時30分帰宅予定。音楽は人生の癒しだ。
●某神学校の教師から拙HPのBbB(下記サイト)を生徒に示して使っているとのメール。「貴勉強会に出てみたい」と申し出があったが、ネットでの交わりでまいりましょうとお断りした。

 http://www.bbbible.com/


 有体的復活の使徒伝承

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ナンノコレシキ。信者のガンバリ方 ++++++++ 所感

2012/04/13 06:00

120413(金)4時20分起床●朝の黙想「ナンノコレシキ、信者の頑張り方」「キリストの苦難」「悪しき管理人」

塚本訳  ロマ 8:18
8:18 (しかもこの苦しみは恐れることはない。)なぜなら、わたしはこう考える。今の世の苦しみは、わたし達に現われようとしている栄光(──キリストと一しょに神の国の相続人になる最後の日の大いなる光栄──)にくらべれば、言うに足りない。

●東日本大震災の復興で日本中が「ガンバレ、頑張れ」であるが、実に的外れである。無駄である。徒労である。なぜか。地上の完成は真の幸福平安平和ではないからである。 
●信者の頑張りはこれとは質が異なる。
●信者の頑張りは「終末が早く来てほしいという祈りの頑張りである。それが御心である。聖書的には次である。

塚本訳 Ⅱペテ3:12-13
3:12 神の日の到来を待ち望みつつ(これを)早め(ることに努力せ)ねばならぬことであろう!その日『天は』焼けて解け去り、日月星辰は燃えて『溶けるであろう』。
3:13 しかし私達は彼の約束によって、義の住む『新しい天』と『新しい地』とを待ち望む。

●これはこの世をはかなんで宗教に逃げ込む卑怯な弱い厭世主義ではない。真の認識の道である。
●そうして心は天国人となってから残る生涯を「この世の改造」に尽くすのだ。その方が良い知恵と目標が生れる。
●ところが信者の中にはこの世の評論家の尻馬に乗って、大震災と原発事故を断罪する人間がいる。これは信仰が未熟の証拠である。クリスチャンらしくない。

塚本訳 マタ 5:29
5:29 それで、もし右の目があなたを罪にいざなうなら、くじり出して捨てよ。体の一部が無くなっても、全身が地獄に投げ込まれない方が得であるから。

塚本訳  マタ 10:28
10:28 体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。

塚本訳  ルカ 12:19-20
12:19 それからわたしの魂に言おう。──おい魂、お前には長年分の財産が沢山しまってある。(もう大丈夫。)さあ休んで、食べて、飲んで、楽しみなさい、と。』
12:20 しかし神はその人に、『愚か者、今夜お前の魂は取り上げられるのだ。するとお前が準備したものは、だれのものになるのか』と言われた。

塚本訳  ルカ 12:13-15
12:13 すると群衆の中の一人がイエスに言った、「先生、遺産を分けてくれるように、兄に言ってください。」
12:14 イエスは「君、だれがわたしを、あなた達の裁判官また遺産分配人に任命したのか」とこたえておいて、
12:15 人々に言われた、「一切の貪欲に注意し、用心せよ。いかに物があり余っていても、財産は命の足しにはならないのだから。」

塚本訳  マコ 10:29-30
10:29 イエスは言われた、「アーメン、あなた達に言う、わたしのため、また福音のために、家や兄弟や姉妹や母や父や子や畑をすてた者で、
10:30 今、この世で──迫害のうちにおいてではあるが──百倍の家と兄弟と姉妹と母と子と畑とを、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。

●これらの聖句は、人間は決して健康、財産、家庭などが人を救わないものであることを言っている。

塚本訳  ロマ 8:19-20
8:19 (そしてこの栄光は必ず与えられる。)その証拠(の第一)は、創造物が神の子たちの現われるのを、首を長くして待ちこがれていることである。
8:20 なぜであるか。創造物は自分から(今のような)はかない運命に屈伏したのでなく、それは屈伏させたお方([神]の御心)によるからである。(彼らはアダムの罪の責任を負わされたのである。)しかし(この屈伏には)望みがある。

●ここは難解であるが。最初の人間は地球上の動植物や環境を「善い管理人であった」(創世記1:27、2:15)
●ところが人間は神のいいつけを守らなかったので、神に捨てられ、神は人間が罪を犯して堕落するままにさせた(ロマ1:21)。殺人兵器の「核」まで発明するようになった。これが現世の惨状である。
●ここに全被造物は最初のような「善い管理人」としての「神の子」の出現を首を長くして待っているのである。
●キリストの十字架で救われた者は「悪しき管理人」から「善い管理人」、つまり神の子にされるのである。これをパウロは第二のアダムと次のように言う。

塚本訳  ロマ 5:17-19
5:17 一人の人によって、すなわち一人の人(アダム)の過ちによってすら死が支配するようになったくらいであるから、ましてあふれるばかりの恩恵と義とされる賜物とを戴いた者が、一人の人イエス・キリストにより(永遠の)命をもって支配するのは、もちろんであるからである。──
5:18 従って、一人の人の過ちによって全人類に死の宣告が下されたと同じに、一人の人の正しい行いによって、全人類に命を与える義が臨んだのである。
5:19 すなわち、一人の人の不従順によって多くの人が罪人になったように、一人の人の従順によっても多くの人が義人になるのである。

●来世の栄光が確実であることの証拠をパウロは二つ挙げる。その第一は上記のように全被造物(大地、動植物)の苦しみ。第二は信者の苦難である。この第二の証拠は聖書に次のように書いてある。

塚本訳 Ⅰペテ4:13
4:13 むしろキリストの苦難に与れば与るだけ喜べ。(最後の日)その栄光の顕るる時にも歓びに喜ぶ(ことが出来る)ためである。

●ここに置いて「キリストの苦難」という言葉が難解である。これは信者たるの苦難、伝道の苦難、牧会の苦難だけではない。自分の病気の苦難、自分の家庭の苦難。自分の失敗人生による苦難。実はこれらの苦難の方が々苦難に遭遇して射る人の慰めになるので「真の苦難」である。
●星野利男さん(午後三時祈りの友会)を時々見舞うが、晩年になって全盲になられ最近は耳も悪くなられた。しかし星野さんは「ナンノコレシキ」と言って笑っておられる。見舞いに行った方が逆に慰められる。

●8:30 難問の相談電話。「悩み多きこの世なるかな」。しかしゴタゴタの背後に神の手がある。
 
●7:40 北朝鮮のミサイル打ち上げ失敗のニュース。
●意外なことが起こるものだ。失敗してからいうのはやさしいが、「神の罰」を感じた。
●これで失敗は3回目。北朝鮮の技術者はナニヤッテイルンダ。みっともない。
●米国の発表では、今度のミサイル発射にかけた費用は北朝鮮国民の食糧費一年分(トウモロコシ換算)。北朝鮮はむなしいことに費用をかけたものだ。国民の困窮を度外視した政策にたいする天罰。失敗は当然だ!!。
●北朝鮮のミサイル発射失敗は、日本が原発の制御技術に未熟であるのと似ている。
●北朝鮮はまず「つましく」自国が食べられるように国家戦略を定めるべきだ。国民の97%が幸福だと感じている貧困農業国ブータンを見習え。
●聖書的には次を思い出した。

口語訳 詩  2:1
2:1 なにゆえ、もろもろの国びとは騒ぎたち、もろもろの民はむなしい事をたくらむのか。
 
●妻は中野の愛子の家に手伝い。10時出発18時30分帰宅。「天に宝を積む仕事だ」と言って送りだした。
●「汚れたるイエスの系図」。イエスの血は汚れていた。遊女、不倫、異教の民、救い主神の子はそういう血統環境から生れた。喜べ、出生に秘密がある子たちよ。人間の本質は「肉」ではない。霊の命だ。
●出生に秘密があって引け目を感じている可哀そうな子供の友になりたい。絶望人生の子供に真の救いの道がること。真の愛は肉の親の愛ではなく、神の愛であることを教えたい。
●妾の子で淋しく育った賀川豊彦を救った米国宣教師マヤスとローガンのような人物になりたい。賀川のような人物が誕生したのは奇蹟である。
●賀川豊彦は日本よりも外国で高く評価されている。米国には「カガワストリート」がある。
●我らの救い主は処女から生れたのだ。これは要求である。人間の血から生れたのではない。

塚本訳  ヨハ 1:12-13
1:12 しかし受け入れた人々、すなわち、その名を(神の子であることを)信じた人には一人のこらず、神の子となる資格をお授けになった。
1:13 この人たちは、人間の血や、肉の欲望や、男の欲望によらず、神(の力)によって生まれたのである。

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明日は我らの時代 ++++++++ 所感

2012/04/12 07:06

120412(木)6時起床●朝の啓示。ドイツの諺「明日は我らの時代」●世代は否応なしに変わって行く。そのとき新人が何をするかにその人間の家庭の企業の都市の国家の命運がかかっている●この時の理念がただ「経済効果の最大」をのみ目標とすると神に嫌われるので不思議にうまくいかない。「経済効果で立つ者は経済で倒れる」からである。●人生は今持っている財産(能力、資源)を如何に「自分」が天国にいけるようにうまく利用することに目標をあわせると、「意外な事が起こって」(桝本華子)、不思議にすべてがうまくいく。なぜか。「神がついている」からである。●土地や資産を有効利用してうまく行った例を示そう。総て「何をすれば一番儲かるか」などという低級な発想ではなかった。

①福岡市の「キァナルシティ」。ここはもとさびれた大駐車場であったが、良い理念で複合施設を再開発したら若者が集まり賑わうよいところとなった。私が所属していた建築学会の部会で若い人がその成功の理由を調査したところ、地主、設計事務所、銀行、建設会社などなどの総てが「あれはウチが計画したのだ」ど言った。この言葉はプロジェクト成功の証の言葉である。

②仙台「メディアテーク」。建築家伊東豊雄の設計、市街地の中心部にあるこの土地は「単純思考」なら経済効率が最大になるという方向でビル企画をするところだが、仙台市と伊東はビルの公園化をめざして、自由に出入りできる建物として、図書館や公共施設など普通の公園ではできないことをビルの内部に取り込んだ。一般市民が自由に出入りできる理念が成功。多くの入場者がある。建築学会賞受賞。悪しき市場経済から離脱の好例。

③銀座教会「福音センター」。銀座にある教会堂(岩井要の設計)の一階は元は銀行に貸してあったが、期限がきたのか、今度は「福音関係」の本やギャラリーにした。おそらくこれは儲からないテナントなのであるが、この教会の役員会の見識は高い。よくやった。おそらく教会の経済もうまくいくであろう。

④パリの「ポンピドーセンター」。前衛的な複合施設。コンペ。審査員グループの見識が高かった。

●以上4カ所、総てを見学したが、その成功の原点は発注者の教養文化の高さであった。市場経済の悪から脱出するには各個人の「教養見識の高さ」に帰する。「天に宝を積め」 
 
塚本訳 ヘブ 3:3-4
3:3 家を造った者が家(そのもの)より大きな尊敬を受けると同様、彼はモーセ以上に大きな栄光に価する者にされたのである。(モーセは神の家、すなわちイスラエル人の一員であったが、イエスはその家を造られた方であるから。)
3:4 [(一体)家はみな人によって造られる。(従って神の家にもこれを造った人があり、それはイエスである。)しかし万物を造られた方は(もちろん)神である。]


●もう一つの事実は「文化文明の接点」にいいものが生み出されるということである。その接点をフロントという。異分野の接点に思いもかけない新分野が誕生する。天体物理は物理学と天文学の接点。生化学は生物学と化学の接点から誕生した。私の専門である建築経済学は建築と経済の接点。こういう新分野の誕生は人間の小さい頭で考えていては思いつかないものである。その異分野の接触は人間には偶然に思えるが、背後に神の導きがある。
●これからは何か一本の商売ではうまくいかない。衰退する。これをモノトーン的発想という。
エクレシアの構成員も雑多がよい。それぞれ異なる人間の接触による接点に目を見張るものが誕生する。これ家庭内のイザコザにも言える。異分野の異人(偉人?)同士の接触激突において新物質(?)が誕生する。この家庭、社会にその勢いがなくなったらおしまいである。
●エクレシア、芸術、農業、食文化、公共施設、商業施設、学習施設、宿泊施設などなど社会が細分化すればするほどフロントの数は多くなる。何をすればよいかは神が企画すれば成功する。人間のちっぽけな頭では発想に限界がある。

●あきる野の桜4題。
 
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「さくら通り」。桜のトンネル。

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秋留台公園の桜。毎年の定点撮影


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秋留台公園の桜。花見客がいる。

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公民館公園の桜。スゴイナー。これを見たら日本人であることをやめられない。

 

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理想の妻はオイコノミヤ(家政術)の達人 ++++++++ 所感

2012/04/11 09:41

120411(水)朝の黙想●「ユダヤ人の理想の妻」「結婚は親からの経済的独立」「パウロの経済」「質素なる生活」「建てるに時あり」

新共同 箴  31:15-25
31:15 夜の明ける前に起き出して/一族には食べ物を供し/召し使いの女たちには指図を与える。
31:16 熟慮して畑を買い/手ずから実らせた儲けでぶどう畑をひらく。
31:17 力強く腰に帯し、腕を強くする。
31:18 商売が好調かどうか味わい/灯は夜も消えることがない。
31:19 手を糸車に伸べ、手のひらに錘をあやつる。
31:20 貧しい人には手を開き、乏しい人に手を伸べる。
31:21 雪が降っても一族に憂いはない。一族は皆、衣を重ねているから。
31:22 敷物を自分のために織り、麻と紫の衣を着ている。
31:23 夫は名を知られた人で/その地の長老らと城門で座に着いている。
31:24 彼女は亜麻布を織って売り、帯を商人に渡す。
31:25 力と気品をまとい、未来にほほえみかける。

●これはラスキンの「芸術経済論」の中で引用されている旧約聖書の箴言の一部である。女子大の建築講義で「ユダヤ人の理想の妻」として話すものである。
●ラスキンの言わんとすることは、現在広い意味でつかわれている「経済」(エコノミー)はギリシャ語のオイコノミヤ(家政術)に由来する。
●その家政術の理想的な姿が上記「箴言」にあり、それは経済と芸術の調和だというのである。
●わたしはこの31:25が一番好きである。この部分の口語訳は「後の日を笑っている」。新改訳は「ほほえみながら後の日を待つ」である。彼女は未来を恐れない。希望を持っている。
●彼女は貧困でも心が豊かで家の中を飾る。この世の人が欲しがる高級品を見栄で買わない。

塚本訳  マタ 19:4-6
19:4 答えて言われた、「造物者が始めから『彼らを男と女とに造られた』こと、
19:5 また、『それゆえに人は父と母とをすてて妻に結びつき、二人は一体となる』と言われたことを、あなた達は読んだことがないのか。
19:6 従って、もはや二人ではない、一体である。だから夫婦は(皆)神が一つの軛におつなぎになったものである。(どんな理由があっても)人間がこれを引き離してはならない。」

●結婚は二つの人格の融合であるから、親からは精神的にも経済的に独立しなければならない。それがないと「一体」になれず「一家」を構築できない。
●塚本訳は「父と母をすてて」という激しい訳になっている。伴侶よりも親や家の伝統を愛していると結婚は成立しない。
●これを読み違えて「親不孝をしてもよい」「親孝行をしなくてもよい」と思う「イマドキのワカイモン」は聖書の読みが浅い。

塚本訳  Ⅰテサ2:9
2:9 兄弟達よ、私達の労苦と骨折りを(まだ)憶えているであろう。私達は君達の誰にも厄介をかけまいとして夜も昼も働きながら、君達に神の福音を伝えたのであった。

●パウロは自分の手で稼いで伝道したからその話は強かった。教会員から「食わせて」貰っている牧師は「耳触りのよい説教」きり出来ないから弱い。
●日本の牧師は欧米が2000年で構築してきた聖職者の「職業的地位」の形だけにあこがれて、職業として「牧師」をめざすから「悪しき教会主義」がはびこる。
●福音は集客でなく発信である。それも十字架と有体的復活と終末再臨の発信である。

塚本訳  マタ 6:30-34
6:30 きょうは花咲き、あすは炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこんなに装ってくださるからには、ましてあなた達はなおさらのことではないか。信仰の小さい人たちよ!
6:31 だから、『何を食べよう』とか、『何を飲もう』とか、『何を着よう』とか言って、心配するな。
6:32 それは皆異教人のほしがるもの。あなた達の天の父上は、それが皆あなた達に必要なことをよく御承知である。
6:33 あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。
6:34 だから、あしたのことを心配するな。あしたはあしたが自分で心配する。一日の苦労はその日の分で沢山である。

●32節の「異教人のほしがるもの」が好きである。この句だけで論文ができるかもしれない。
●クリスチャンと称する人でもこの悪い考えに染まっている。やれ学歴、やれ成績向上、やれブランド品、やれ遊び、やれ教養、やれ旅行。グッと落ちて「低級な娯楽」に夢中になる。
●子供がダメになる原因は親にある。学校に責任はない。また学校は人をつくらない。
●この思想で子供を育てるから今の子供は塾や習い事で忙しくてしょうがない。
●人生、質素なる生活の中で心豊かな生活を目指すべきである。
●ある時、某氏に昼食をふるまったが、「高橋さん。私はウィークデーにはこういう御馳走は頂かないことにしているのです。こういうのは土曜日の夕方だけです」と言われた。この時のわたしは「異教人のほしがるもの」を求めていた。教養のない人間であった。恥入った
●高層マンションの上層部に住む人間ほど教養が低いのと同じだ。動物でも高いところに登るのは頭が悪い。
●亀は自分の甲羅に会わせて穴を掘る。家の広さも収入の程度に合わせた大きさにすべきである。バカデカイ家を望む人間は人間が小さい。
●世の中、金もないのに広告に釣られてバカな旅行をする人間がいる。スイス人のヒルティは言う「世界中からスイスの景色を見に来るが彼らは決して心が癒されない」と。
●子供が不登校になる家の間取りには類似点があると研究したのはお茶の水女子大の某教授。
●夫婦仲が悪いと家を整えても子供が不登校になりやすい。なぜか。自分の部屋が出来ても家庭内にイザコザがあると「心が落ち着かない」から家庭も学校もつまらない。生きることがつまらないから結婚にも魅力を感じない。今日若い人が結婚をしたがらない原因はこの辺にある。結婚と家庭生活に「シアワセ」を感じないないのだ。親の姿をみてそう感じるのだ。
●「来月の生活費どうしよう」と言って夫婦が頭を抱えて「金策」を練っている家庭の方が良い子供が育つ。
●ヒルティは言う「『寄らば大樹の陰』という精神が人間を小さくし堕落させる」と。有名校、一流企業、高位高官、東大卒財務省勤務、大金持ちの息子、良い家柄、などはこれみな「異教人の欲しがるもの」である。これらは決して人を真底から満足させない。また人間を高めない。
●神に祝福される人生となれ。 
●「貧困は幸福」「空服亦快楽」「不利亦利用」「借金は人間の奴隷となる」
●ヒルティがその思想を尊敬していたローマ時代の奴隷エピクテトスの財産は小さな椅子一つであった。「幸福論第一巻」参照。  

 
口語訳 伝  3:1-3
3:1 天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
3:2 生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
3:3 殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり、

●私は職業柄、3節の「建てるに時があり」の言葉に敏感である。
●わたしは建築主の発する二言目で「この人は金を持っているかいないか」「金に余裕があるかないか」などがすぐわかる。
●お金に余裕がなさそうな人の設計には力が入らない。下手をすると設計が終わった段階で「そんなに費用がかかるものならやめておきます」と言われて設計料も支払ってもらえないからである。これはよくあるケースだ。そういう建築主は犯罪を犯したのである。人間としてもよくない。
●私の建築人生の結論「建つものは経つ、建たないものは建たない」
●経験上建物が建つ三条件は「内部意見の一致、資金がある、建築基準法に適合する」
●家は神の祝福があって初めて建つ。神に祝福されればお金がなくても家は建つ。神が資金を産みだしてくれるからだ。

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人の歩む道は神が定める ++++++++ 所感

2012/04/10 06:27

120410(火)4時45分起床●三男の恵の「ちたた農園日誌」HPが約一年ぶりに更新された。

http://chitata.blogspot.jp/

このなかで去る4月4日に襲来した「竜巻」によって全壊した作業小屋の写真とコメントが公開された。
 
http://chitata.com/tornado/index.html

●これに対する私の考えをメールした。

公開された「竜巻被害写真とコメント」に対するメール。一部改変追加
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

K君

Hさん

 

「ちたた農園日誌」HPの「竜巻惨状写真解説」を拝見しました。コメントがあって

K君の気持が伝わってきました。

神の「ピンポイント攻撃」の「言葉(思い)」をそこに見ました。神が何か語っているように思えました。

神の愛は常に禍としてピンポイントで降ります。そのとき人間は「なぜ自分だけなんだよ―」と嘆いて泣きます。私は家屋全焼の3ヶ月後に脳内出血で倒れましたが、救急車の中では「まだ子供がいるんだよー」と口走りました。ベッドの上では「なんで俺ばかりなんだよー」と神に向って泣いたものです。
人の歩むべき道は神が決めておられます。それは徐々にわかって来るのだと思います。

以下は御参考。

仕事は複数を同時進行できます。

地球物理学者の故竹内均は本を4冊平行に著作してました。テープレコーダーを4台持っていて。それぞれに文章を口で吹きこみます。句読点もマルとかテンと言って吹き込みました。それを秘書が清書するとそのまま本ができあがります。

ですから竹内均の文章は短くて明快です。「否定の否定」のような分かりにくい言い方はしません。哲学のような異分野の著作もあります。ヒルティもよく読んでいました。驚くべき「怪物」でした。

次に、現在活躍中の建築家は大体20程度の設計をこれまた同時並行に作業してます。人間の脳の中にはポケットが一杯あるのです。すぐ切り替えられるのです。

K君の場合も、異分野の仕事を同時平行的にやれる道もあるのではないでしょうか。

私は考え方がころころ変わると言われますが、人の歩む道は神様が決められるので、(実は神の側では決まっている)人間の決定は変わりやすいのです。弁解ですが。・・・人の歩む道は神が決めるので多くの場合人間には分からないものです。ですから「目前の仕事」を一生懸命やっていればよいのです。内村鑑三の「いかにして我が天職を知らんか」は参考になります。

 

口語訳 詩  37:23

37:23 人の歩みは主によって定められる。主はその行く道を喜ばれる。

 

新共同 エレ 6:16

6:16 主はこう言われる。「さまざまな道に立って、眺めよ。昔からの道に問いかけてみよ/どれが、幸いに至る道か、と。その道を歩み、魂に安らぎを得よ。」しかし、彼らは言った。「そこを歩むことをしない」と。

 

新共同 エレ 10:23

10:23 主よ、わたしは知っています。人はその道を定めえず/歩みながら、足取りを確かめることもできません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
公開された「竜巻被害写真とコメント」に対するメール。一部改変追加 終わり 

●TSK日本語版入力。エペソ書。
●エペソ書1:19-23を入力しながら、マーラー交響曲第二番「復活」を小沢+ボストン交響楽団で観賞。エンディングの大合唱でゾクゾクッと来た。


新共同 エペ 1:19-23
1:19 また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。
1:20 神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、
1:21 すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。
1:22 神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。
1:23 教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。


塚本訳  エペ 1:19-23
1:19 また私達信者に対する神の能力の如何に絶大であるかを知らせ給わんことを願っている──この力強く働く神の威力こそ、
1:20 彼がこれをキリストの中に働かせ、彼を死人の中から蘇らせ、天上において、『己が右』、
1:21 凡ての「権威」「権力」「能力」「支配者」の上、またこの代ばかりでなく来世においてもありとあらゆる名という名の上に『坐らせ給うた』力である。
1:22 然り、神は『万物を彼』(キリスト)『の足の下に屈伏せしめ』、彼を万物の上にある頭として教会に与え給うた。
1:23 そしてこの教会こそ彼の体であり、万物を万物に満たし給う者の満ち給う所である。

●教会(エクレシヤ)は世にも不思議な団体である。それは神の霊の塊だからである。
●オタマジャクシの卵は透明なゼリー状のものに包まれているのと似ている。そのゼリー状のものがキリストの霊、神の霊である。
●無教会主義の権化たる塚本虎二の翻訳も「教会」である(上記昭和16年試訳)。名称は何でもよい。実態現象としてのキリストの霊の塊がエクレシヤである。
●実態現象として見れば、信者がこのキリストの霊の塊から離脱すると、信仰が独りよがりになって、信者仲間からは信者として「信用されない」。
●信者としてはどの教会(集会)に連なっているのか、帰属しているのかが、その人の信仰の信用の根拠である。一人ポツネンと「先生の御本」を読んでいるのが無教会主義ではない。それは実態現象として人付き合いの悪い人間の態度に過ぎない。内村塚本黒崎が天で泣いている。「キリストの体なる教会」は真理である。
●エクレシヤは神が産むものだから人間の維持継続の活動や行為や熱心では続かない。それは死滅する。それは「エクレシヤの死」である。神の霊と祝福が去った「死に体」である。
●またエクレシヤをこの世の趣味教養の遊びや学習の団体と同列に置いて、そのこの世的団体運営の手法をエクレシヤに適用しようとする人間がいるが、トンデモナイ間違いである。そういう人間の話を聴くほど真の信者はヤワではない。エクレシヤは「お祭り」や「遊び」や「先生懐かしのナツメロ合唱団ではない」。
●この世の営利団体(たとえば銀行など)に勤めていた人間が教会の長老になって金を握ると牧師は「首根っこ」を捕まえられたようで「力強い説教」はできない。牧師はそういう長老を追放しなければならない。教会は経済問題で衰退する。 

  有体的復活の使徒伝承

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 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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     TSK日本語版・目次

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    ちたた農園日誌(三男が福島県で独立経営する農場)

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祈りの効き目を覚えた孫達 ++++++++ 所感

2012/04/09 06:49

120409(月)5時目覚め●朝の黙想「祈りの効き目を覚えた孫達:●9歳の孫は3.11のとき、机の下で「地震が止みますように」とお祈りしたら、やんだ。しかし友達がやせ我慢して「また来い!」と言ったらまた地震が来たという。●6歳の孫は釣りをやって大漁だったので「オジーチャンの夕べのお祈り効き目があったね」と言った●これを聞いた私は次の聖句を思い出した。●神は父である。子供の祈りはなんとしてでもかなえてあげたいものだ。

塚本訳  マタ 17:20
17:20 彼らに言われた、「信仰が無いからだ。アーメン、わたしは言う、もしあなた達に芥子粒ほどでも信仰があれば、この山に向かい『ここからあそこに移れ』と言えば移り、あなた達に出来ないことは一つもない。」


塚本訳 ルカ 17:6
17:6 主が言われた、「もしあなた達に芥子粒ほどでも信仰があれば、──(あなた達にはそれがないが、もしあれば)──この桑の木にむかい『抜けて海に植われ』と言っても、言うことを聞くであろう。


塚本訳 Ⅰヨハ5:14
5:14 そして、もし神の御心に従って何かを求めるならば、神は(かならず願いを)聞いてくださること、それが神に対して持っているわたし達の確信である。

●東日本大震災と福島原発事故のその後の我が国の動きは総て「まら来い!」という愚かな姿勢である。津波以上の高さの防波堤を作ったり、原子炉の安全チェック対策を練ったりすることは良いことだが、その前にやることがある。罪の悔い改めである。それなしに人間のあらゆる努力は神に祝福されない。神のツキがない。●神無き対策の数々はその内容が低級である。●堤防を造るより高台に移住、原子炉の安全より原子力発電なしでも生活できる方策を探るなどの発想の方がいいのだがなー●聖書的には次である。神は良い発想を与えてくれる。 
 

口語訳 詩  127:1-2
127:1 主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい。
127:2 あなたがたが早く起き、おそく休み、辛苦のかてを食べることは、むなしいことである。主はその愛する者に、眠っている時にも、なくてならぬものを与えられるからである。 

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自分で釣った「ニジマス」をおいしそうに食べる風人(6歳)

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5泊した孫息子を送って行く妻。夜遅くに戻ってくる。御苦労様である。


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宮城県の父母の家に帰りゆく孫息子を見送る。二人は「帰る」ことがうれしいと言った。
3.11の地震のときにお祈りしたら地震が止んだことと、お祈りしたら大漁になったことを通し
て「お祈りの効き目」を覚えた二人の上に神の祝福が一生涯ありますように。
この二人が「主から賢き妻を賜る」 時には私たちはこの世にはいない。そうなると力が及ばない。しかし「祈ることを憶えた」人間は「打出の小槌」(打てば」何でも自分の好きなものが出るという不思議な工具)を持つことになる。
うしろ姿が見えなくなるまで何度か祈った。
 
口語訳 箴  19:14
19:14 家と富とは先祖からうけつぐもの、賢い妻は主から賜わるものである。

 
●家に入ると、「嵐のあとの静けさ」 (ロッシーニ。ウィリアムテル序曲)
 

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普門禅寺のしだれ桜

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不信者の夫(妻)は信者の(夫)によってすでに清められている ++++++++ 所感

2012/04/08 06:51

120408(日)4時目覚め●朝の啓示「人の救いのために隠れて流す涙は神に覚えられる」●聖書の中で次の句は難解である。難解であればある程その解明が面白い。

●まず翻訳比較

文語訳  Ⅰコリ7:13-14
7:13 また女に不信者なる夫ありて偕に居ることを可しとせば、夫を去るな。
7:14 そは不信者なる夫は妻によりて潔くなり、不信者なる妻は夫によりて潔くなりたればなり。然なくば汝らの子供は潔からず、されど今は潔き者なり。

口語訳 Ⅰコリ7:13-14
7:13 また、ある婦人の夫が不信者であり、そして共にいることを喜んでいる場合には、離婚してはいけない。
7:14 なぜなら、不信者の夫は妻によってきよめられており、また、不信者の妻も夫によってきよめられているからである。もしそうでなければ、あなたがたの子は汚れていることになるが、実際はきよいではないか。

新改訳 Ⅰコリ7:13-14
7:13 また、信者でない夫を持つ女は、夫がいっしょにいることを承知しているばあいは、離婚してはいけません。
7:14 なぜなら、信者でない夫は妻によって聖められており、また、信者でない妻も信者の夫によって聖められているからです。そうでなかったら、あなたがたの子どもは汚れているわけです。ところが、現に聖いのです。

新共同 Ⅰコリ7:13-14
7:13 また、ある女に信者でない夫がいて、その夫が一緒に生活を続けたいと思っている場合、彼を離縁してはいけない。
7:14 なぜなら、信者でない夫は、信者である妻のゆえに聖なる者とされ、信者でない妻は、信者である夫のゆえに聖なる者とされているからです。そうでなければ、あなたがたの子供たちは汚れていることになりますが、実際には聖なる者です。

塚本訳  Ⅰコリ7:13-14
7:13 また、不信者の夫を持ち、その夫が彼女と一しょに生活することを喜ぶ場合の妻は、夫と離婚してはならない。
7:14 (夫婦は結婚生活で一体となるため、)不信者の夫は(信者の)妻によってすでにきよめられており、不信者の妻は兄弟(すなわち信者の夫)によってすでにきよめられているからである。そうでなければ、あなた達の子供は清くないはずであるが、現に彼らはきよい(と認められている)ではないか。



●新共同訳の引照


新共同訳引照Web版 V2.0

コリントの信徒への手紙一7章13節

また、ある女に信者でない夫がいて、その夫が一緒に生活を続けたいと思っている場合、彼を離縁してはいけない。

新共同訳のコリントの信徒への手紙一7章13節には引照がありません。
 

コリントの信徒への手紙一7章14節

なぜなら、信者でない夫は、信者である妻のゆえに聖なる者とされ、信者でない妻は、信者である夫のゆえに聖なる者とされているからです。そうでなければ、あなたがたの子供たちは汚れていることになりますが、実際には聖なる者です。

  1. [節全体]

      エズラ記 9章2節
      9章2節 彼らは、自分のためにも息子たちのためにもこの地の住民の娘を嫁にし、聖なる種族はこの地の住民と混じり合うようになりました。しかも、長たる者、官職にある者がこの悪事にまず手を染めたのです。」

      マラキ書 2章15 節
      2章15節 主は、霊と肉を持つひとつのものを造られたではないか。そのひとつのものが求めるのは、神の民の子孫ではないか。あなたたちは、自分の霊に気をつけるがよい。あなたの若いときの妻を裏切ってはならない。

●次にネストレの引照 

 

ネストレ引照Web版 V2.0

(NESTLE-ALAND27版による引照個所を新共同訳にて表示)

コリントの信徒への手紙一7章13節

また、ある女に信者でない夫がいて、その夫が一緒に生活を続けたいと思っている場合、彼を離縁してはいけない。

7:13 また、ある婦人の夫が不信者であり、そして共にいることを喜んでいる場合には、離婚してはいけない。

 

*「節全体」

1 Corinthians 7:13

13また、ある婦人の夫が不信者であり、そして共にいることを喜んでいる場合には、離婚してはいけない。

  

●Ⅰコリ7:14

7:14 なぜなら、不信者の夫は妻によってきよめられており、また、不信者の妻も夫によってきよめられているからである。もしそうでなければ、あなたがたの子は汚れていることになるが、実際はきよいではないか。

 *「なぜなら、不信者の夫は妻によってきよめられており、また、不信者の妻も夫によってきよめられているからである。」

Ezra 9:1-2

1これらの事がなされた後、つかさたちは、わたしのもとに来て言った、「イスラエルの民、祭司およびレビびとは諸国の民と離れないで、カナンびと、ヘテびと、ペリジびと、エブスびと、アンモンびと、モアブびと、エジプトびと、アモリびとなどの憎むべき事を行いました。  2すなわち、彼らの娘たちをみずからめとり、またそのむすこたちにめとったので、聖なる種が諸国の民とまじりました。そしてつかさたる者、長たる者が先だって、このとがを犯しました」。

1 Corinthians 6:15-17

 15あなたがたは自分のからだがキリストの肢体であることを、知らないのか。それだのに、キリストの肢体を取って遊女の肢体としてよいのか。断じていけない。  16それとも、遊女につく者はそれと一つのからだになることを、知らないのか。「ふたりの者は一体となるべきである」とあるからである。  17しかし主につく者は、主と一つの霊になるのである。

1 Timothy 4:5

 5それらは、神の言と祈とによって、きよめられるからである。

Titus 1:15

 15きよい人には、すべてのものがきよい。しかし、汚れている不信仰な人には、きよいものは一つもなく、その知性も良心も汚れてしまっている。

 *「もしそうでなければ、あなたがたの子は汚れていることになるが、実際はきよいではないか。」

Ezra 9:2

2すなわち、彼らの娘たちをみずからめとり、またそのむすこたちにめとったので、聖なる種が諸国の民とまじりました。そしてつかさたる者、長たる者が先だって、このとがを犯しました」。

Isaiah 52:1

 1シオンよ、さめよ、さめよ、力を着よ。聖なる都エルサレムよ、美しい衣を着よ。割礼を受けない者および汚れた者は、もはやあなたのところに、はいることがないからだ。

Malachi 2:15-16

 15一つ神は、われわれのために命の霊を造り、これをささえられたではないか。彼は何を望まれるか。神を敬う子孫であるゆえ、あなたがたはみずから慎んで、その若い時の妻を裏切ってはならない。  16イスラエルの神、主は言われる、「わたしは離縁する者を憎み、また、しえたげをもってその衣をおおう人を憎むと、万軍の主は言われる。ゆえにみずから慎んで、裏切ることをしてはならない」。

Acts 10:23

 23そこで、ペテロは、彼らを迎えて泊まらせた。翌日、ペテロは立って、彼らと連れだって出発した。ヨッパの兄弟たち数人も一緒に行った。

Romans 11:16

 16もし、麦粉の初穂がきよければ、そのかたまりもきよい。もし根がきよければ、その枝もきよい。


●以上の結論。人の救いは神の心で決定せられることだから、
不信者の夫(妻)の救いは信者の妻(夫)の祈りで神に覚えられているということである。そのこの世での見える証拠は子供達が清いことである。

●今日は妻は家で孫息子とともに家庭礼拝。
●私は一人で集会へ。藤巻、小寺(マタイ)、村上(申命記)。
プロテスタントの集会は「聖書が先生」である。聖書の素人読みの感話がよい。プロテスタント集会が聖書を離れてその周辺のものを読むようになったら、信仰の堕落である。カルチャーセンターより悪いから即刻やめた方が良い。その内容は程度が低いうえに信仰がない。遊びの集団にはなっても救いは得られない。 

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午後は近くの秋留野公園で孫息子とサッカーをやるが、ついていけないので私はベンチでずっと見学。ベンチで町内会の佐藤氏と懇談。電子顕微鏡が御専門でドイツに6年滞在して帰国。それぞれの分野で御苦労があるものだ。電子顕微鏡で原子は見えるが電子は見みえないという。原子と電子の大きさの比は地球と家一軒の差ぐらいだという。一台の値段は高いもので10億円。異分野の専門家との交流は面白い。
 


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極度の悲しみの時の祈り ++++++++ 所感

2012/04/07 08:47

120407(土)5時30分起床●次回4月22日の臨時感話の資料作成。表題を次のように変更した。

 

最後の日の復活の希望

・・・極度の悲しみの時の祈り。マラナ、サ(主よ早く来て下さい)。・・・

東京聖書読者会 2012.4.22 高橋照男

 
●人生は出会いで決まる。悪い人物と交際するな。悪い信者とも交際するな。避けよ。
●悪い友人と付き合うと思想が汚れる。悪い信者と交際すると「正統信仰」を失う。●よい友人を持つのは人生の宝である。それはこの世ばかりでなく来世まで続く。
●悪い友人の最大は結婚相手である。人生めちゃめちゃである。
●悪い友人は勤務先の同僚である。なぜか。「営利」という目的一つで繋がっているからだ。公務員は「保身術」の精神で「何事も隠す」という精神(エ―トス)で団結するからである。東日本大震災における東電と政府の情報隠し(これ罪の本質)の醜態を見よ。福島原発事故のベ尾国の「事故調査書は二本の10倍。原因は臭いものには蓋をする罪の罪の本質が露呈した。なにごとも「個人情報」の美名で「罪を隠す」日本人よ恥を知れ。神の裁きを受けよ。
●戦後、米国のルイス。ベネディクトは、その著「菊と刀」で、日本の文化は「恥」の文化、米国は「罪」の文化だと研究発表した。日本が滅んだ文化的原因はこの違いにある。精神文化の差。これ諸団体企業や各人の人生観にも通じる。恥を隠して罪を言いあらわさない劣悪な人間は社会的にも伸びないし、経済的にも疲弊する。 
●最高の友人はキリスト。私を救おうと命を捧げて罪を清め永遠の生命を与えてくれた。
●あのカール・ヒルティの友人は同時代人ではなく、多くは過去の人であった。聖書の人物のほかにダンテ、トマス・アケンピス、トルストイ、奴隷エピクテトス、囚人バンヤン。
●教会や集会には「良い人」がいるが、それでも「復活を信じない」悪い信者(遊び人)がいるから要注意。
●私が人生で師事した人物は、内村鑑三。ツ・ト、フ・エ、ツ・キ、タ・ト。これらの人は皆私を神とキリストに堅く顔を向けさせてくれた。人生の恩人。
●こういうよい人物に出会わないとしたら、私の人生は曲がり、金儲けやこの世的名声の追求に熱心になったか、あるいはずっと堕落して神を信じない「きたないい女」(ルカ15:30)に溺れていたかもしれない。おそらく凡庸な人生になっていたであろう。
●しかし人生は「意外な事がおこる」。その悪い友人や「きたない女」も神の力が降るとすっかり清められる。これ人生の希望であり、喜びである。
●妾の子で淋しく育った賀川豊彦には神がマヤスとローガンという米国宣教師を通して襲いかかった(村田四郎牧師の言葉)。そして人間がすっかり変えられ、清められ、ノーベル平和賞の候補にまでになった。米国には「カガワストリート」がある。 
●神は絶望的な人間をもその全能の力で清め創りかえる。周囲の祈りによって。
 

塚本訳 Ⅰヨハ1:8
1:8 もしわたし達が自分に罪はない、と言うならば、自分をごまかしているのであって、真理はわたし達の中にない。


塚本訳 Ⅰコリ15:33
15:33 迷わされてはならない。(復活の信仰のない人との交際に注意せよ。)悪い交際は良い習慣をこわす。(と詩人も言っている。)

塚本訳  ヘブ 10:25
10:25 (また、)ある人々がするように、集会を怠けず、むしろ互に勧め(合って出席す)るようにしなくてはいけない。その日が近づいていることをあなた達は知っているから、いよいよそうしなくては!

塚本訳 ヘブ 10:25
10:25 (また、)ある人々がするように、集会を怠けず、むしろ互に勧め(合って出席す)るようにしなくてはいけない。その日が近づいていることをあなた達は知っているから、いよいよそうしなくては! 


●10:00 歯科。JTBで切符。ムラウチホビーで買い物。

●過日(4月4日)の婦人の「塚本虎二著作集読書会」に応援配布資料として妻に渡したものをホームページにアップ。

http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/gaku.htm 

●孫息子との今日の遊び

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割りばしで輪ゴム鉄砲遊び。「人に向けちゃいけないよ」。 

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家の前でサッカー。見時はサッカーをやっていただけあってうまい。

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小寺利男さんが作ってくれた模型飛行機で遊ぶ。秋留台公園・

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孫息子とフィッシングで遊ぶ ++++++++ 所感

2012/04/06 14:05

120406(金)5時半目覚め。●朝の啓示「自己の失敗談が伝道そのもの」「泣く者と共に泣け」「最高の愛は人のために苦しむ事。苦しむ事そのことが愛」「赦す愛」「速く世が終わって欲しい」「涙と痛みなき国に行きたい」「人生は愛を学ぶ学校・・・ヒルティ」「聖書勉強と共に苦しみがなければ消化不良になって、聖書の言葉が栄養にならない」。 ●妻は中野の愛子の家にサポートに行く。
 
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虫眼鏡で太陽光の焦点を合わせて紙などを焦がす実験。黒紙、白紙、透明板、枯葉、卵の殻の比較。透明板は駄目であった。


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孫息子二人を「養沢フィッシングランド」に連れて行く。ここはこの子たちの父親(恵)を25年前に連れてきたところだ。

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ニジマスを釣って喜ぶ見時(9歳)。この子の父親をここに釣れて来たのは1987.11.3、8歳のときのことだった。

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風人(6歳)も大物を釣った。右は釣り方を教えてくれた釣り堀の主人。
今日はニジマス10匹、ヤマメ4匹の大漁であった。
風人に「オジーチャン。夕べ『明日は魚が釣れますように』とお祈りしたことは効き目があったね」と言われて嬉しかった。
そうだ、お祈りは効き目があるのだ。今日は実物教育ができた。
「お祈りしなくても釣れるときは釣れる」という人の人生は淋しい。暗い。そのうち「どうしてもお祈りしなければならなくなる神の特別の愛のとき」が来ますように。 
「神に祈ることをしない人」は人間としての質が劣る。それに社会的にも信用度が低い。なぜか。神以外のもの(金や地位や女や恋や名声や健康やこの世の命)を{神」として拝んでいるから。
 
●今日の夕食はニジマスとイワナを一人一匹づつ。妻の調理。実にうまかった。



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つむじ風の意味 ++++++++ 所感

2012/04/05 08:08

120405(木)3時半目覚め●それから眠れず。聖句の黙示がある。●三男の恵は福島県二本松市に残してきた家屋に付属していた農業用の納屋が 昨夜の突風で全壊した。それは竜巻の後のようであったという。●示されたのは次の聖句である。


新共同 ヨブ 1:18-22
1:18 彼が話し終らないうちに、更にもう一人来て言った。「御報告いたします。御長男のお宅で、御子息、御息女の皆様が宴会を開いておられました。
1:19 すると、荒れ野の方から大風が来て四方から吹きつけ、家は倒れ、若い方々は死んでしまわれました。わたしひとりだけ逃げのびて参りました。」
1:20 ヨブは立ち上がり、衣を裂き、髪をそり落とし、地にひれ伏して言った。
1:21 「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」
1:22 このような時にも、ヨブは神を非難することなく、罪を犯さなかった。

●ヨブに次々と襲いかかってくる不幸、家が倒れて長男一家が全員死亡。人生は不条理不可解なる事の連続だ。しかしヨブは不平を言わなかったが、しかしここには何か「ガンバル」のようなトーンがあって明るくない。

新共同 ヨブ 38:1-2
38:1 主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。
38:2 これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて/神の経綸を暗くするとは。

●ヨブ記の最後で、神が直接ヨブに語りかける。それは「つむじ風」のなかからであった。それで今まで自分の不幸にモンモンとしていたヨブは次のように悔い改める。

新共同 ヨブ 42:5-6
42:5 あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。
42:6 それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し/自分を退け、悔い改めます。

●不幸は神に出会う「門」である。この世の幸福を失うことはそれによって神に目覚めれば「益」である。
●隣の母屋の被害はガラスが割れたぐらいの程度。しかし、農業用納屋だけが全壊したことはなぜか。神は事を為そうとするときは「ピンポイント」である。それはその時も人も。
●今回息子の農業用納屋にピンポイント的に「つむじ風」が降ったことを知った私は、「うしろをふり変えるな。」という声を聞いた。ヒルテイの好きな次の言葉を思い出した。

口語訳 イザ 30:21
30:21 また、あなたが右に行き、あるいは左に行く時、そのうしろで「これは道だ、これに歩め」と言う言葉を耳に聞く。


●人生は「旅」だ「逃げ回る旅」だ。地上では「流れ者」でいいのだ。なぜか。目指すところは決まっているからだ。「我らの故郷は天にある」のだ。

塚本訳  ヘブ 11:13
11:13 信仰に従い、これらの人たちは皆、(地上では)約束のものを受けずに死んだのである。彼らはただ遠くからそれを眺めて歓迎し、自分たちは、『この地上では外国人であり、旅の者』であると認めた。
 
●納屋という事で次の句を思い浮かべた。

塚本訳 ルカ 12:16-21
12:16 そこで一つの譬を人々に話された、「ある金持の畑が(ある年)豊作であった。
12:17 『どうしよう、わたしの作物をしまいこむ場所がないのだが…』と金持ちはひそかに考えていたが、
12:18 やがて言った、『よし、こうしよう。倉をみなとりこわして大きいのを建て、そこに穀物と財産をみなしまいこんでおいて、
12:19 それからわたしの魂に言おう。──おい魂、お前には長年分の財産が沢山しまってある。(もう大丈夫。)さあ休んで、食べて、飲んで、楽しみなさい、と。』
12:20 しかし神はその人に、『愚か者、今夜お前の魂は取り上げられるのだ。するとお前が準備したものは、だれのものになるのか』と言われた。
12:21 自分のために(地上に)宝を積んで、神のところで富んでいない者はみな、このとおりである。」

●この「譬話を聴いていた人はおそらく「農業者」。金持ちではなかった。しかしそういう人にも「金や財産を溜めこむ事に夢中になるな」ということをイエスは言うわんとしたのだ。
●残して来た財産に未練を残すとあのロトの妻のように「塩の柱」になる。

新共同 創  19:26
19:26 ロトの妻は後ろを振り向いたので、塩の柱になった。
 
●息子の恵から「つむじ風」による納屋全壊の写真が沢山電送されてきた。あまりの無残さに子供が恐怖心をおこすというので写真は非公開。
●とにかく不思議な現象である。隣接の母屋はガラス一枚だけで無傷。しかし隣のW家には材木が多く飛んでかなりの被害。
●こういう場合は「建築現場ではよくあるケースだ。」と言いながら問題解決のステップをアドバイスした。
 

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孫の足に刺さった「とげ」を抜く妻。妻は子供4人の手足16本、指80本を管理してきたベテラン。


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男の子の遊びは女の子とは違う。座布団でキックボクシング用のサンドバッグを作った。

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妻が孫息子二人にパン作りを指導。自分で作ったパンはおいしく食べる。   

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子供(少年)達には私達大人が全く知らない世界がある。玩具もカードもテレビも。
東急ストアの帰り。秋留台公園にて。

●次回4月22日の感話は次の通りとする。とにかく速く終末になって悪霊を滅ぼして欲しい。復讐して欲しい。目覚めさせて欲しい。

終末再臨と復活への祈り・・・マラナ、サ(主よ速く来て下さい)・・・

●結論は次の句である。 

塚本訳 Ⅰコリ16:21-22
16:21 (最後に、)パウロが自筆で挨拶する。
16:22 主を愛しない者があるなら、呪われよ!、マラナ、サ(主よ、来てください)!

●世の中は、人間の道徳、運動、科学技術、文化文明の発展などによって漸次的に良くなるのではない。便利にはなるが内容的にはかえってますます悪くなりつつある。個人も、家庭も、企業も、社会も、子供の成育も、教育も、地球環境も、国も、世界も。絶望、絶望、滅亡、滅亡。
●だから信者の祈りは、毎日、必死に次の祈りである。その日に悪は滅びて全員が救われる。そして涙も痛みもない永遠の命の喜びの世界の出現である。
●パウロにはヨブには見えなかった喜びの世界への希望があった。


主を愛しない者があるなら、呪われよ!、マラナ、サ(主よ、来てください)!

●孫息子と風呂に入る。見時は3.11のとき学校の机の下に隠れて「神様、地震を止めて下さい」と祈ったら地震がやんだ。しかしある人が『地震よかかってこい』と言ったらまたすぐ来た」と話してくれた。お祈りは効くものだというよい体験をしたようだ。 

●就寝前に4人が布団の上で一人づつ祈りを捧げた。


     
有体的復活の使徒伝承

   http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/index.html

   

 

 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

      http://stonepillow.dee.cc/

    

     TSK日本語版・目次

    http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/110910.htm

   

   

    ちたた農園日誌(三男が福島県で独立経営する農場)

    http://chitata.blogspot.com/

 

 

 

     
 


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天の国のことに通じた学者 ++++++++ 所感

2012/04/04 09:06

120404(水)5時半目覚め●朝の啓示「天の国のことに通じた学者」●次の聖句は謎である。

塚本訳  マタ 13:52
13:52 イエスは言われた、「(これがわかれば、すべてがわかるのである。)だから天の国のことに通じた学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものとを(心のままに)取り出す家の主人に似ている。(古い教えと新しい教えとを自由に使いこなすことが出来る。)」

●この意味を知るためには、普通聖書学者の研究を読むのが普通だが、それは辞解やバイアスのかかった説ばかりなので素人は振りまわされる●本当の聖書読みは「ある特定の学者の説」に振りまわされない。それは聖書を霊解する道である。●聖書の解釈権を聖書学者の手から奪還しなければならない。●無教会の場合は内村鑑三の呪縛から解放されなければならない。それにはどうしたらよいか。●パソコンに堪能な若い人、特に若い牧師に告ぐ。

①翻訳比較。岩波版聖書。口語訳、新改訳、塚本訳、前田訳、新共同訳、文語訳。
 これらは拙HPのBbB「聖書で聖書を読むからアプローチできる。「Jバイブル」ではギリシャ 語が出る。信頼のおける翻訳を少なく比較する。これで一人の先生のバイアス(偏向)から解放される。

②出来るだけ多くの引照を読む。その行為をするとなまじの人間の註解書の何倍もの効果がある。 その引照は拙HPのTSK日本語版。黒崎幸吉新約聖書註解WEB版から新共同訳の引照。そこからネストレ・ア ラント27版の引照。これは少なくて急所を突いている。
③上記BbBでは世界各国の引照を読める


●このようにして難解なマタイ13:52を調べたところ、次の一句で霊解。これで心一杯胸一杯になり他の人間の書いたものは全く読む気にならなくなった。聖書の分からない所は聖書が教えてくれる。そしてそれが最も力がある。そして間違えようがない。

塚本訳  マタ 11:25
11:25 その時イエスは声をはげまして言われた、「天地の主なるお父様、(神の国の秘密に関する)これらのことを(この世の)賢い人、知恵者に隠して、幼児(のような人たち)にあらわされたことを、讃美いたします。
 

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今日は孫達が中野のパパとママの家に帰る。妻が連れて行く。

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帰りゆく孫を見送る。初音(9歳)が「ワタシ結婚してもうまくやっていけるかどうか心配なの」と言うから、「神様がついているから大丈夫だよ」と言った。曲がり角で見えなくなるまで祈りながら後ろ姿を見送った。彼女達の上に神の祝福が豊かにありますように。彼女達が「母」になる頃にはおそらく私達はこの世にはいない。
 
●入れ替わりに宮城県に移住した三男の恵から電話。福島県二本松市に残してきた家屋の付属納屋が突風で倒壊。その片付けと隣家に被害を与えたので謝罪などで忙しく、孫息子の二人を4日ばかり預かることにした。妻が大宮まで迎えに行く。ヨブ記を思い出した。

新共同 ヨブ 1:18-19
1:18 彼が話し終らないうちに、更にもう一人来て言った。「御報告いたします。御長男のお宅で、御子息、御息女の皆様が宴会を開いておられました。
1:19 すると、荒れ野の方から大風が来て四方から吹きつけ、家は倒れ、若い方々は死んでしまわれました。わたしひとりだけ逃げのびて参りました。」

●19:20 宮城県から見時(9歳)、風人(6歳)が来訪。男の子は違う。早速プロレス。この子達の父親にしたような肩車をしようとしたが体が無理。「我老いたり」。


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赦すことが裁くこと ++++++++ 所感

2012/04/03 07:33

120403(火)5時半目覚め●「赦すことが裁くこと」 ●人間の本能で自分に危害を加えたものを赦すことは出来ない。親を、子を、夫を、妻を、職場の人間を、国を、行政を、敵国を、東電を。・・・・・だから戦争が正統化され、裁判による「復讐」が是認される。●ところが聖書は「無限に赦せ」という。●しかしこれは人間が人間である限り実行不可能である。●これを「クリスチャンならば赦せ」と悟性に向って説教するとすれば、それは儒教になってキリスト教の堕落である。●ではどうしたら人を赦せるのか。それは自分自身が神にとぇってい的に砕かれる時である。その時に初めて人を赦せる。それは実に不思議な事である。●では「正義」はどこにあるか。●「赦すことが裁く事である」相手を恥させ悔い改めに導く事になるからである。●その消息を示すのが次の聖書の2個所である。●かくいう私のブログが「説教になってはいけない。だからイエスとパウロの直接語ってもらおう。

r塚本訳 マタ 18:21-35
18:21 その時ペテロが進み寄ってたずねた、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したとき、何度赦してやらねばなりませんか。七度まででしょうか。」
18:22 イエスがこたえられた、「いや、あなたに言う、七度までどころか、七十七度まで!
18:23 だから天の国は、王が家来たちとの貸し借りを清算しようとするのに似ている。
18:24 清算を始めると、(王に対し)一万タラント[三百億円]の借りのある家来がつれて来られた。
18:25 返すことができないので、主人は(その家来に、)自分も妻も子も持ち物も全部売って返すように命じた。
18:26 家来はひれ伏して、しきりに願った、『しばらく待ってください。全部お返ししますから。』
18:27 そこで主人は気の毒に思って、身柄をゆるした上、借金にまで棒を引いてやった。
18:28 ところがその家来は出ていって、自分に百デナリ[五万円]を借りているひとりの同僚に出合うと、これをつかまえ、喉頚をしめて、『借りているものを返せ』と言った。
18:29 同僚はひれ伏して、『ちょっと待ってくれ。返すから』と頼んだ。
18:30 しかし承知せず、(裁判官につれて)行って、負債を返すまで牢に入れた。
18:31 その人の同僚たちはこの出来事を見て非常に悲しみ、行って、出来事の一部始終を主人に報告した。
18:32 すると主人はその家来を呼び出して言う、『不埒な家来、あなたが頼んだから、わたしはあの負債に全部、棒を引いてやったのだ。
18:33 だからあなたもわたしに情をかけてもらったように、同僚に情をかけてやるべきではなかったのか。』
18:34 そこで主人は怒って、負債を全部返すまでその男を獄吏に引き渡した、(いう話。)
18:35 わたしの天の父上も、もしあなた達ひとりびとりが心から兄弟を赦さないならば、同じようにあなた達になさるであろう。」 

塚本訳  ロマ 12:19-20
12:19 愛する者たちよ、自分で仕返しをするな、(裁きの日の神の)怒りにまかせよ。こう書いてあるではないか、「主は言われる、『仕返しはわたしのもの、』わたしが『報いをする』と。」
12:20 むしろ、『あなたの敵が飢えているなら、食べさせてやれ。渇いているなら、飲ませてやれ。こうするのはその頭に炭火を積むことであるから、(いつかは恥じて悔改める。)』

 
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朝食後に4人で讃美歌217番「あまつましみず」を歌う。
この讃美歌は、この孫達の母親(愛子)を私が自転車の前にのせて父母の家に行く時、
歌った讃美歌である。この「かなほ」(5歳)の頃だったと思う。
どうか信仰がこの孫にも伝わりますように。

讃美歌217番

あまつましみず 流れ来て
あまねく世をぞ うるおせる
ながくかわきし わがたましいも
くみて命に   かえりけり


あまつましみず 飲むままに
かわきを知らぬ 身となりぬ
つきぬめぐみは こころのうちに
いずみとなりて 湧きあふる


あまつましみず うけずして
つみに枯れたる ひとくさの
さかえの花は いかで咲くべき
そそげいのちの ましみずを


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病院から戻ると妻が孫達とパンを作っていた。自分の好きな形を作っている。
「創作パン」は面白いらしい。このパンで昼食。

●孫とおやつの時に「しりとり」夕食のときにはナゾナゾ。
●「午後三時祈りの友」誌2012.4 №243号が来る。
●召天記に加藤喜美子さん。・・・一生涯ベッドの人。塚本虎二先生が「標準読者」と言われた方。88歳。父の思い出を書いて下さったことがある。20年ほど前に小寺利男さんとご一緒にお見舞いに伺ったことがある。
●同じく召天記に野崎忠雄さん・・・父の葬儀のときに「別れの言葉」を述べて下さった。そのお礼に蕨の御自宅に伺ったことがある。戦争従軍で御苦労された。国鉄マン。レールを5ミリぐらいに切ったものを記念にいただいた。92歳。
●お二人とも復活を堅く信じて凱旋された。
●夕方に猛烈な風雨。ベランダにルーバー設置。庭木が強風で家にぶつからないように対策。夜のニュースでは八王子で風速39メートル。「かなほ」が雷を怖がる。かなりの交通機関がマヒ。
●ヘルマンヘッセの「春の嵐」を思い出した。


  
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人生の何事も救いのために無駄にならない。 ++++++++ 所感

2012/04/02 08:52

120402(月)5時半起床●朝の啓示「総てのことが救いに役立つ」。●孫娘達と朝食。●朝食後、初音が教会で習っている「ゴスペル」を振付とともに歌ってくれた。このような小さいころからこういうものを通して福音に接するのは良いことだ。●教会主義の底力を見た。このように種を播いている教会には将来がある。

塚本訳 ロマ 8:28
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。

●昨日、集会の帰途高木博義さんとの懇談がこの句を考えさせてくれた。
●大震災、原発事故の苦難で神がわかれば、大震災も原発事故も「救いに役だった」ことになる。その方がよかった。しかしこの事は「地上の完成」「地上王国」「地上平和」を追い求めている「この世的人間」には絶対にわからない。「馬の耳に念仏」。
●この句はただ「救いに役立つ」ばかりでなく、生業(なりわい)の上でも人生の真理。大震災と原発事故で、職場も職業も奪われた人にとっては今までの職業上の知識や習得技術が無駄になったように思えるが、そうではない。
●私ははじめはゼネコンの建築現場で汗を流した。これ4年間、体で仕事を覚えた。次にゼネコンの「積算部」、これ13年間。それ以前の4年間で体で覚えたことが役に立った。次にこれはそれ以前の17年の経験を買われて設計事務所にスカウトされた。その設計事務所で20年間。次にそれまでの37年の経験を買われて財団法人の「建築コスト調査会社」で10年。ここで定年を迎えた。この間、職業上の知識は次のステップに必ず役に立った。
●この間、結婚もし、子供が4人も与えられたが、経済的には綱渡りであったが不思議に守られた。
●その代わりいつもぎりぎりの生活でで妻には苦労をかけた。
●私は車の運転、学問、ゴルフ、ピアノ、酒煙草ができない。しかし振り返ってみれば「貧しき者は幸い」であった。悪い遊びはしようにも出来なかった。
●「この世的な職業上」のことですら、これであるから「救いへのステップ」は神の計画により「総てが無駄にはならない」のだと思う。
●ヒルティはこの句の解説で、神は「失敗」さえも「救いに役立つ」ことに変えると言う。至言。喜べ「人生の失敗者、失格者」。こういう人が神に一番愛されて「釣られ」る人だ。
●人生の一歩一歩はこれ全部次のステップへの準備。無駄になることは一つもない。然り、次のステップとは「来世」である。人生は来世に入るための準備。失敗も成功も総て無駄にならない。パウロは次のように言う。

塚本訳 Ⅰコリ15:58
15:58 だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ。骨折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから。 
 
●黒崎幸吉先生の肉声が聞こえるようになった。
大島智夫先生がご自宅から黒崎先生の肉声CDが発見された、内村鑑三生誕100年記念大阪講演である。それを御子息の大島守夫氏(在シドニー)がWEB上に公開された。次の「黒崎幸吉註解新約聖書WEB版」のTOPページを開いてそこからアクセスできる。

「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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付録:講演「聖書の研究と無教会信仰」 昭和36年4月9日録音
(1時間モノラル)
 
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春休みで家に泊りに来ている孫。初音(9歳。今度小4)かなほ(教会付属の幼稚園、今年年長組5歳) 
この孫達の母親の愛子は「自分の人生の使命は子供達を神に会わせること」だと人生の方針を決めたようだ。これ母としての最高の人生観だ。感謝。母の祈りは聴かれることになっている。
 
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春、春。万物が復活する春。神に向って讃美している花。
 

●夕食は初音の好きなカラ揚げとポテトフライ。
●TSK日本語版ガラテヤ書終了。WEBにアップ。ガラテヤ書は「聖霊」ということを感じないと理論倒れになる。


  有体的復活の使徒伝承

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人間は皆渇いているものだ ++++++++ 所感

2012/04/01 07:01


68歳9か月。平均余命14年(生命保険会社統計)、5110日、12万2640時間。この時間をすべてキリスト教使徒伝承の連鎖に捧げる。罪と死の恐怖から救われる「十字架の贖罪の福音と有体的復活の希望の喜び」を犠牲的に生きて証人となる。自分のため、親類縁者のため、気の毒な人のため。


120401(日)5時目覚め●朝の啓示「人間は皆飢え渇いている」●「渇く」ということについて黙想する。 
 
口語訳 詩  42:1
42:1 神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、わが魂もあなたを慕いあえぐ。

●動物も人間も「水」を求める。しかしH2Oの水だけでは満たされない。なぜか。人間は高等動物だから。霊の世界が満たされなければ満足しない。
●人間、心が渇くと「あらぬもの」に癒しを求める。健康長寿、高学歴、ダンス、金、女、酒、各種遊び、世界旅行、名声、マイホーム、化粧による美、見栄、子育て・・・・・・
●しかしこれらは「絶対に」満足しない。たとい得てもどこか空しい。その前にことごとく裏切られるのが普通。その方が良いのだ。目が覚めるから。
●スイス人のヒルテイは「多くのの人がスイス観光にくるが、彼らの心はそれで決して真底癒されない」と水をかけている。
●これはまた酒、女、恋愛、不倫、浮気、煙草、麻薬、賭けごと、ダンス、文学、詩歌、都市居住、高層住宅居住みな同じ。
●内村鑑三は「源氏物語」を日本人を女々しくした日本で最悪の文学と言う。矢内原忠雄は谷崎潤一郎の不倫文学が米国に紹介されるようになったと聞いた時、原子爆弾が頭に落ちたという思いがしたと言う。
●米国で人形浄瑠璃公演が行われたr時のこと。母親が「日本の人形劇」だと思って子供を連れていったら、中味は不倫の心中もの。その母親はあわてて子供の手を引っ張って劇場をでたという。ピューリタンが建国した米国は「腐っても鯛」である。 
●MAさんはこうい事を言う私のことを「コワモテオヤジ」というが、本当にこれらで満たされたら「ひとつ私にも教えていただきたい」。教えを乞いに行く。しかし未だかって「その道に行って喜んで戻って来て教えてやるから来てみろ」と言う人がいない。彼らは本当に満足なのかな―。 
●放蕩人生えdったアウグスチヌスの言葉。「人間は神に向けられて創られものだから、神のもとに憩うまでは安らぎを得ない」。
 ●建築士としての観察では高層住宅の高層階に住みたがる人は、大抵「馬鹿」。動機が高いところにいたいとう「低級」な思いだからである。動物は地上に生息する生き物ほど高度である。猿は高いところをうれしがる。
●高層階の居住者には「流産」が多いことを某紙がすっぱ抜いたことがある。、私なども現役ならばこういうことを大っぴらに言えなかった。自由に真理を発表出来ないのは市場経済の構造悪である。自己の職業分野に不利な事は自由にモノが言えない。私も市場経済の金の奴隷であった。
●営利企業が高層ビルの上の方を希望する動機は「商談」が成立しやすい(本当か?)からと言う。これも愚か。間もなく来る東海大震災では高層階にいるほど不利。

塚本訳  ヨハ 4:13-15
4:13 イエスは答えられた、「この(井戸の)水を飲む者はだれでもまた渇くが、
4:14 わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」
4:15 女が言う、「主よ、その水を下さい。(二度と)渇くことがないように、またここに汲みに来なくてもよいように。」

●この女性は「シアワセ」な生活を求めて人生遍歴、離婚5回。しかし満たされなかった。なぜか。「人間」にその「幸せ」をもとめたのが的外れであった。しかしイイサイイサ。それが駄目だと分かったことで人生成功だ。神の国で一番輝く人だ。        
●人生は失敗して神に目が向く。それでいいのだ、それがいいのだ。神に喜ばれるのはそういう人なのだ。


塚本訳  ヨハ 19:28
19:28 こうしたあと、イエスは(自分のなすべきことが)何もかもすんだことを知って、(最後に)聖書の言葉を成就させるために、「〃渇く〃」と言われた。 
 
●神の子イエスは「罪の代償、清算」のために死んで下さった。罪を清算しないと神の国にはいれない。ただは赦されない。「こんなことはみんながあyっていることだ」と思って悪い友人の誘いに乗ると身を滅ぼす。そういう悪友からは「いのちからがら」逃げ出すべきである。
 
●10:00 妻と集会へ。●集会は藤巻、高木(詩篇145-147を福島原発を下敷きに読む。福島訪問の件)、高橋(一粒の麦は、落ちて死なねば)
●私はこの有名な言葉が発せられた背景と意味について語った。
 http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/mugi.htm

●高木さんの、「原発は人間の業だが原発事故は神の業」の意見にアーメンだと話した。
●帰途は高木博義さんと吉祥寺まで懇談。
●午後の婦人会では午前中の私の話しに対する意見や感想が多く出たと言う。(妻の報告)
●聖書の話しは神に向って話をするのであるから、人の評判なんぞは気にシチャーいられない。聴講料を貰っていないから自由発言だ。

口語訳 ガラ 1:10
1:10 今わたしは、人に喜ばれようとしているのか、それとも、神に喜ばれようとしているのか。あるいは、人の歓心を買おうと努めているのか。もし、今もなお人の歓心を買おうとしているとすれば、わたしはキリストの僕ではあるまい。

塚本訳  ガラ 1:10
1:10 そもそもわたしは今、人の気に入ろうとしているか、それとも神か。それとも人を喜ばせようとしているか。もし今もなお人を喜ばせているのだったら、わたしは(人の奴隷で、)キリストの奴隷ではない。

●今日の話しは良かったですねーと言われたら失敗。「私のことを言われているようでカツンときました」と(言ってくる人はいないが)受け取られたら成功。
●聖書の話しは放送局が視聴率を気にしたり、新聞社が購読者数を気にするような姿勢では話せない。神の国の真理を説いてこの世的人間に評判が悪くならないようでは本物ではない。
●今日は「集会は苦難共同体だから年金貰って遊んでばかりいる悪いクリスチャン」とは付き合うな」と言った。迫害されるか。
●嫌われてもよい。別に報酬を貰って話をしているのではない。言いっぱなし、説きっぱなしだ。
●私のホームページに文句やケチを言ってくる人間は不思議にパターン決まっている。この現象をTS氏にいうと、「それはそれはイエスが嫌った人間累計ですね」と言われた。ナルホド。
●宗教者の妬みほどダークで始末の悪いものはない。そういう場合はイエスやパウロのように「逃げる」しか方法がない。反論するほど残りの時間はない。「悪は悪自身で滅びる」のを待つべきだからだ。
●「聖書」を「この世の本」を出しているところに依頼した場合、「売れ行きが悪くなると」絶版にされる。聖書が!!。岩波は塚本虎二先生の「使徒のはたらき」、関根正雄先生の旧約のほとんど」が絶版。当たり前だ。日本でクリスチャンは1%。岩波は「この世の営利企業」、その会社を自慢したり恐れているのはこの世的人間。聖書を翻訳比較などをしないで読んでいる。悪い信者。相手にするには価値がない。
●TH氏の御心配は岩波は新しい翻訳が出ると古い翻訳は「絶版にされる」ので岩波文庫から塚本虎二訳「福音書」が消えることも考えておかねばならないという。岩波も潰れないとも限らない。
●キリスト教の出版社も潰れるから、紙としての塚本虎二訳「福音書」が消えうせることもありうる。
●黒崎幸吉の国宝的名著である「新約聖書註解」は発行元の立花書房が再販しないことを決定。寸前にWEB化したので救われた。
●名著のCD化もよくない。ワシントン図書館が本のCD化をやめたのは10年以上前。その理由はそのCDデータを開くマシーンがいつまでもあるわけではないからだ。
●今ではWEB化が最上の方法。現在、国立国会図書館は古書のWEB化に50人体制で取り組んでいる。かって今井館ではその担当者から内容を伺った。
●今の若い人間は聖書をWEBで勉強する。安くて速くて大量に情報が得られるからである。
●だから紙情報で聖書の権利を争っている人種は超前時代的人間。置いて行かれるばかりでなく神に鉄槌を下される。真面目に聖書を学ぼうとしている若い層の大敵だ。
●終末には聖書も焼ける。来世には聖書なし。聖書はこの世限りのもの。「総てのことが実現するとき」(マタイ5:18b)まで。 
●18:00 中野の孫娘二人を妻が連れてきた。初音9歳、かなほ5歳。
●就寝前、4人が布団の上に丸くなって座り一人づつ祈った。「天の神様・・・・・・」と祈る孫達が生涯神に祝福されますように。私は「(孫の)二人が本当の父である創り主なる多神様を知り、清く正しく美しく生きることができますように」と祈った。

   
  有体的復活の使徒伝承

   http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/index.html

   

 

 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

      http://stonepillow.dee.cc/

    

     TSK日本語版・目次

    http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/110910.htm

   

   

    ちたた農園日誌(三男が福島県で独立経営する農場)

    http://chitata.blogspot.com/

 

 



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