to 日記と感想 2012年05月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171030(月)10:00 聖路加 桑本先生
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170824(木)12:10キララホールエントランスコンサート、マリンバ
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170813(日)10:30ナザレン教会浦和教会
    170813(日)14:00比企紀和君
    170812(土)14:00お江戸こらりあーず演奏会、文京シビックホール
    170809     TW誕生日
    170809(水)17:16初音吹奏楽、府中の森芸術劇場ドリームホール
    170808(火)0930池谷医院
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170708(土)14:00在宅医療説明会(キララホール)
    170707(金)10:00池谷医院
    170706      TM誕生日
    170702(日) 集会感話
    170701      TT誕生日
    170630(金)12:20キララホールエントランスコンサート
    170628      IY誕生日
    170627(火)11:00 能城牧師来訪
    170625)日)10:10トミ子集会感話
    170625(日)14:00茅ヶ崎金子邸
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール


あなたの涙は神がご存知だ ++++++++ 所感

2012/05/31 05:20

120531(木)4時半起床●朝の黙想「あなたの涙は神がご存知だ」●人生は涙の谷である。決して幸福の日ばかりではない。●特にクリスチャンには「何でこの私に、何の理由で私の家に、」と思われる不可解不条理な悩み苦しみが襲ってくる。●そんなr時はどういう声をかけたら良いのかわからない●過日某女の病を診られた医師は彼女と共に泣いて下さったという。これが最高の姿勢であると思った。●私の信仰の師であられた塚本虎二先生はご自分の発行される「聖書知識」誌を泣いている人の涙を拭うティッシュペーパーだと言われた●私のホームページの本質もそうでありたい。誰が覗き見しているか分からないが、人生の不条理に泣いている人に「覗き見」してもらいたいものだ。一日平均120人の訪問者の中にはこの世的理由をあげ、私を告発しギャフンと言わせて黙らせようとする輩がいるが、そういう福音宣教の妨害をする人間は神が必ず罰することは必至だ。今に見ておれ。しかし神の罰を通じて本人が救われますように。●という訳で今日もまた「泣いている人」に向ってブログを書く。クリスチャン向けだから聖句で涙を拭う。 

塚本訳  ロマ 12:15
12:15 喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣け。


●どうしたら一緒に泣けるか。それは泣いている人と同じ苦しみの経験者にその資格がある。そういう場合は何も言葉をかけなくてもその同質の人間の存在だけで「慰め」になる。●しかし人はあらゆる苦難に遭遇して「慰めの子」(バルナバ)になることはできないが、苦難にはなにか共通の事がありそうだ。●私の遭遇したり見聞きした「どうしようもない悲しみ」のうちで「どう慰めたらよいか分からなかったことは次のような事である。●生まれつき歩けない方が、「歩けなくてつまらない」とその生涯に三度泣いたと言う。私の知るその御母堂の慰めの言葉はその都度「神様がご存知だからいいのよ」という苦渋の言葉であった。その人の骨壷はは今ご両親に挟まれてセットされた。●とても素晴らしいクリスチャンらしい女性が「母になってみたかった」と言われた。あ―人生は何ということだ。こういう方から子供が生れたらどんなにか素晴らしい人になるだろうと思ったものだ●私の知人は父親の顔を知らないで育った。ある日電車の中で彼から「高橋君。聖書ってそんなに面白いのかい」と言われたが、彼に永遠の命の道を紹介しきれなかった。彼は還暦を待たずに先に逝った。あ―人生は何と言うことだ。こういう時は残された私も悲しいのだ。●思わぬ病気で悩んでおられた方は、あるとき私が持っていた新約聖書をひったくるように取利上げて真剣に読んだ。その人に神の祝福がありますように。神ご自身が導いて下さいますように。●私の目の前で思わず傍にあったティッシュをひったくって涙を拭った人が二人いた・・・。●これらの方々に共通の慰めの言葉は「次の世がある。永遠の命がある。終末はもう少しだ。罪赦されて永遠の喜びに生きる道がある」という使徒伝承だ。●「火の試練」に遭遇している人に私にできる事は聖句である。●昔「戦場のメリークリスマス」と言う映画があった。日本軍に生き埋めの死刑をされつrつある英国兵に、戦友たちが鉄条網の外から、彼が信仰を失わないように大声で「讃美歌」を歌う場面があった。●私も言いたい。「何を失っても信仰だけは失うな」。「あなたの涙は神がご存知だ」。

塚本訳 Ⅰペテ4:12-13
4:12 愛する者よ、試練のため君達に起こった烈火の苦難を(何か)異常なことが臨んだかのように(驚き)異しむな。
4:13 むしろキリストの苦難に与れば与るだけ喜べ。(最後の日)その栄光の顕るる時にも歓びに喜ぶ(ことが出来る)ためである。

塚本訳 ヤコ 1:2
1:2 わが兄弟達よ、種々な試練に遭った時には、(それを)無上の喜びと思え。

塚本訳 ヘブ 11:36-38
11:36 また他の人々は、嘲りや鞭打ちや、そのほか縄目や牢の試みを受けた。
11:37 石で打ち殺され、鋸で引かれ、剣で殺されて死に、羊の皮や山羊の皮を着てうろつき回り、見捨てられ、悩まされ、虐待され、
11:38 ──この世は(純潔な)彼らにふさわしくなかった──彼らは荒野と山と洞穴と地の割れ目とをさまよい歩いたのである。

塚本訳 Ⅰペテ1:6-8
1:6 (もちろん)その時には(大いに)喜ぶ(であろう)が、もし(御意により)必要ならば、今は少し様々な試練に(悩み)悲しまねばならない。
1:7 これは君達の信仰が、火によって本物であると証明された(この世の)はかない金よりも尊い本物であることが判り、イエス・キリストの顕現の時に(君達の)面目また光栄また栄誉とならんためである。
1:8 君達は彼を(目のあたり)見たことはないが、(これを)愛し、今も見ることは出来ないが、(これを)信じて、(既にかの日の)輝きに満ちた、言語に絶する喜悦を喜んでいる。

塚本訳 Ⅰペテ4:12
4:12 愛する者よ、試練のため君達に起こった烈火の苦難を(何か)異常なことが臨んだかのように(驚き)異しむな。

塚本訳 黙  2:10
2:10 お前はまだ苦しむであろうが、(決して)それを恐れるな。視よ、悪魔はお前達の中から(幾人かを)牢屋に投げ込もうとしている。それはお前達が試練を受けるためである。お前達は十日の間患難を受けるであろう。(しかしただ少しの間の我慢である。)お前は死ぬるまで私に忠実であれ。そうすればお前に生命の冠を与えるであろう。

塚本訳 マタ 10:28
10:28 体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。

塚本訳 ロマ 8:18
8:18 (しかもこの苦しみは恐れることはない。)なぜなら、わたしはこう考える。今の世の苦しみは、わたし達に現われようとしている栄光(──キリストと一しょに神の国の相続人になる最後の日の大いなる光栄──)にくらべれば、言うに足りない。

塚本訳 使  14:22
14:22 (道々主の)弟子たちの心を力づけ、いつまでも信仰に留まっているように、「神の国に入るには、わたし達は多くの苦難を通らねばならない」といましめた。
 
塚本訳  Ⅱテモ3:12
3:12 (私だけでなく、)キリスト・イエスにあって敬虔に生きようとする者は皆迫害される。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●TSk日本語版ヘブル書4章入力。ヘブル書はつまらない。頭だけ。
●妻はヤさんと笹尾根登山。8時出発16時帰宅
●恵の恩師である地元の雨宮先生が来訪。去る2月26日にあきる野市で開かれた「福島の声を聞く」会での恵の話がテープ起こしされたのでお届け下さった。玄関でしばし懇談。

 有体的復活の使徒伝承

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 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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人生の道の選択 ++++++++ 所感

2012/05/30 06:44

120530(水)5時目覚め●昨日は若き人から「人生相談」があった。●朝の黙想「人生の道の選択」。昨日言い足りなかったことを思いつくままに書く。

「男にとって職業の選択は人生における最重要の事だが、それはしばしば偶然によって決まる」(パスカル)

●これは建築士の我が身を振り返ってみても至言である。第一に学校のコースが限定されているからその中から選択しなければばらなかった。
●しかし建築コースを選択したものは50年後の今でもでもほとんどが建築で生きているが、化学、機械、法律、語学、音楽などのコースを選択した者はほとんどがそれとは関係のない職業になっている。
●これは社会の変化や複雑性のためであるが、建築を学んだものは他に応用がきかない為でもある。また修業に長い年月かかかkるために、今さら他の職業に変わるのは「もったいない」と思うからである。大工の修業は最低7年である。
●軍国主義の時代は「兵学校」がエリートコースであったが、今はない。「職業軍人」は自衛隊員だけ。
●官公庁の役人の世界では「東大卒」がパスポートであって、いくら優秀でも「私大卒」は外される。これなどは仲間意識の「党派心」の罪の世界だからである。人間を見る目がない。
●国土交通省の建築の役人は「管理」や「監理」には秀でてはいるが「設計」はできない。デザイン感覚がゼロだからである。
●建築芸術論を書いたラスキンのことをその建築役人の前で話題にしたら「”ダ”スキン?」と言われて唖然となった。
●「法律」を学んだ人間は様々な分野に散らばる。あの経済学者のマルクスは「法科」であった。
●音楽大学を卒業した人全員が「音楽」で生活をしているわけではない。その「音楽」は教養の「一つ」である。
●汗を流す量、仕事で苦悩する量と収入は比例する。
●ヒルテイの「幸福論」の本質は「神と共にあって”仕事”をする」こと。そしてその仕事は人の為に汗を流して苦労するものである。仕事という語句の”仕”は(人に)仕えるという意味である。
●ヒルティは「汗は血の薬」だというが至言。ことに精神の病に陥った人間の最上の薬は「肉体労働による汗」である。
●「企業」で「うつ状態」になる人が多いらしいが、それは大体「ネクタイ」をしているホワイトカラー。ネクタイはしているが「肉体労働をしていないから」(オヤジギャク)
●ヒルティは「仕事」は人間の本質の一部であって、それはどんなものでもよいという。「お手伝いさん」がその主人から「ありがとう君がいて助かったよ」と言われる時は「職業の本質」に達成したのであるという。
●いろいろな事情で「お手伝いさん」にきりなれなかった人でも人生の最高の真理に到達えきるおのだ。
●大阪の方の方に「定年になりました」と言ったら「クリスチャンに定年はありません」と叱られた。
●クエリスチャンに失業なし。ペイするかしないかの問題だけだ。
●クリスチャンは神を信じているから信用されて「スカウト」されることが多い。なぜか。金や地位や女等よりも神を第一にするから間違いがなく、主人や企業の為になるから。
●職業の選択の時に最大の障害は「見栄」「エリート意識」「社会的地位」「カッコよさ」「収入」などなどである。そいう俗世間の思想にべったりならば「神の導き」は得られない。                                                    ●ヒルティに「眠られぬ夜のために」があり、塚本虎二に「年若き友に」がある。私も少しはそういう発言ができるようになりたい。それには「同質」の苦労を重ねなければならない。ヒルティには病弱な息子がいたからこそ「眠られぬ夜のために」を執筆出来たのだろう。
●スイスのベルンにあるヒルティの墓を訪れたとき、そこにはカール・ヒルティと夫人のヨハンナ・ ヒルティの下に息子のエドガー・ヒルティの名前があった。彼は恐らく生涯独身であったのだろう。目頭が熱くなった。人生は短い。
●ヒルティに「人生の歩み方」を聞けばおそらく聖書の句を沢山列挙するにちがいない。そこで私も習って「聖書」を引用する。詩篇のみ。こういうとき「Jバイブル」は便利。「主」と「歩」のAND検索してそのなかから同感するものをピックアップする。 
 

詩    37: 23 [口語                                                               人の歩みは主によって定められる。主はその行く道を喜ばれる。

詩    84: 11 [口語                                                               主なる神は日です、盾です。主は恵みと誉とを与え、直く歩む者に良い物を拒まれることはありません。

詩    86: 11 [口語                                                               主よ、あなたの道をわたしに教えてください。わたしはあなたの真理に歩みます。心をひとつにしてみ名を恐れさせてください。

詩    116: 9 [口語                                                               わたしは生ける者の地で、主のみ前に歩みます。

詩    119: 1 [口語                                                                おのが道を全くして、主のおきてに歩む者はさいわいです。

詩    119: 3 [口語                                                                また悪を行わず、主の道に歩む者はさいわいです。

詩    128: 1 [口語                                                                すべて主をおそれ、主の道に歩む者はさいわいである。

●男は職業選択が若き日の最大の問題であるが、女性にとっては結婚相手の選択である。
●特に女性のクリスチャンにとっては「信者でない人と結婚しても良いか」という深刻な問題がある。これには私は、「やめておけ」と言いたい。パウロは「結婚の失望」を次のように言う。 
 
塚本訳  Ⅰコリ7:28
7:28 しかしたといあなたが結婚したからとて、罪を犯したことにはならない。またたとえ処女が結婚しても、罪を犯したことにはならない。しかしこんな人たちは、肉体に苦しみがあるにちがいない。わたしはあなた達をそんな目に合わせたくないのである。

●東大卒、大蔵省、一流企業、イケメン、金持ち、名門に目がくらみ「彼とは結婚してから教会に一緒に行くように勧めます」などと言って不信者と結婚して「失敗した―」と言っても「後の祭」。
●しかししょうがない。十字架の生涯になるだけだ。それも幸いな人生だ。人生は短い。
●大体、イケメンは教養も金も道徳もない。女子大ではそう教えている。
●これ男性にも言える。「美人と結婚するな。それは大体教養も道徳もなくワガママである」。男を伸ばさない。
●「結婚してから信仰に導きます」という猿知恵に対してパウロは次のように言う。 
 
塚本訳  Ⅰコリ7:16
7:16 なぜか。妻よ、夫を(信仰に導いて)救うことができるかどうか、どうしてわかるのか。また夫よ、妻を救うことができるかどうか、どうしてわかるのか。 

●そうこうするうちに家庭問題の相談電話。クリスチャンの夫人から。
次のように言った
 ●絶対に離婚の印鑑を押してはいけない。あなたは神と契約して結婚したのです。
 ●あなたの印鑑を預かりたい。
 ●悪いことは神が見ていて徹底的に罰する。この世でなくとも来世で罰する
 ●教会の門を叩く夫人の7割は夫の浮気。女性関係のだらしなさ。
 ●塚本虎二先生への個人的な相談の7割は結婚問題。しかしこれはおそらく「家庭問題」も
  含まれると思われる。塚本先生が一番嫌いだったのは「結婚問題」。
 ●ご主人のまずさは精神の病だから容易に直らない。最低5年はかかると思いなさい。
 ●淋しい時、悲しい時,苦しいい時は歌を歌いなさい.「ナンノコレシキ」と思いなさい。 
 ●家庭生活の幸福はあきらめなさい。家庭の幸せは幸福の絶対条件ではない。
 ●イマドキのワカイモンはイケメンや美人と結婚するのが幸福だと思っているが大間違い。
 ●鹿児島県では「障害児」が生れたら、それは家のお宝さま」という。なぜか。その 
  子の為に家が清まるからです。
 ●親の罪は子供に重荷がかかる。子供が悩む。子供の罪は親を苦しめる。人生の仕組み。
 ●ご主人がそういうようになったのは恥ではありません。「この世」は総てがそういう人間  
  なのです。社会の風潮で「悪いこと」と思っていないのです。この世は「悪魔が支配している      世の中」なのです。ご主人は悪魔に噛みつかれて毒素が体中に回ってしまっているのです。 
 ●その御主人のためにあなたは世界中の女性から一人選ばれて伴侶になったのです。
 ●ご主人は犬や猫じゃーないんだから人間としてそのうちに目が覚める。
 ●あなた自身にも「悪いところがあった」と感じれば神の目的は達する。それが成功の人生。
 ●仕事に失敗したり、健康を害したり、子供に背かれてズタズタになりどん底になって
  部下からは当然見放され、勤務先からも追放されるのは必至。そこでやっとのことで目が
  覚める。それでいいのだ。それでいいのだ。神はそういう人を救うために独り子のイエ   
  スを十字架で身代わりの死を遂げさせたのだ。目が覚めなくても来世での裁きがあるから、        そこでやっと目が覚めるかもしれない。それでいいのだ。それでもいいのだ。
 ●死んでしまえばすべて終わりだと思ったら大間違い。死後に裁きがある。「恐れ」がその証明
 ●たとえ、ご主人の遊びが止んで品行方正になっとしても救われない。人は十字架の罪の赦し   
  で罪が贖われなければならない。
 ●「神は存在するか」「キリストは神か人か」などと言っているうちは救われない。自分の罪に
  愛想がつきてどうしようも亡くなり「マイッタ」と言えばそれで救われるのだ。
 ●そう言った人の顔を忘れられない。その人の目は済んできれいだった。天国の優等生だ。
 ●人生は「罪が清められ」なければ平安になれない。幸福になれない。 
 ●「この人と結婚して失敗した―」と思うのでよい。それが人生の出発だ。成功人生への船出。
 
電話を切ってから思った。終末は近い。終末で総てが清まり、総ての人が楽になる。「主よ。、来りませ」。

 

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「行け、わが思いよ、金色の翼に乗って」 ++++++++ 所感

2012/05/29 04:50

120529(火)4時起床●朝黙想「行け、わが思いよ、金色の翼に乗って」。これはイタリアの第二の国歌とも称せられているヴェルディのオペラ[ナブッコ」の中で合唱される歌である。この部分が終わると観客は大きな拍手をする。●私の場合は「行け、わが使徒伝承よ、電波の翼に乗って」である。これが早朝起床の原動力である。●人の悲しみは「罪と死の恐怖である」。これに対して新約聖書」「使徒伝承」は救いの道を示している。●これが今日までキリスト教が伝承されてきた理由である。●この救いの道はまず、自分の体験を披歴しなければならない。それは生体解剖されるようで苦しくまた恥エdもあるが、仕方がない。同じ悩み悲しみの人に声をかけるにはこれしか方法がない。●この精神で「使徒伝承」の証をホームページで始めたところ、救いの共感を抱かれた方々からの応答があり、現在では世界15カ国の在日本人から一日平均120回のアクセス(覗き見)がある。顔は知らない。しか主にある霊の交流である●この事実を知って、日本にはパソコンの出来る若い層に確実に「救われるべ気人が存在する」という手ごたえを感じている●「最初三世紀のキリストの伝播」(ダイスマン?)によれば福音はパウロのようなカリスマ人物は教会史お式の成長によって伝わったのでは「なく、「福音それ自身の力」で伝わったと言われる。●そこで今朝は私も「福音それ自身」の力を伝承する。「行け、わが使徒伝承よ、電波の翼に乗って」
●日々の使徒伝承の営みは、
まず日記と感想である。これは遊びではない。暴露記事エdも無い。生体解剖の苦しさと恥である。
 
http://teruonikki.blog55.fc2.com/

次は「使徒伝承」である。主として集会で月に一回話す時に配布した資料をまとめたものである。

http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/index.html


次は「罪の苦しみと懊悩から解放された記録」である。懺悔録であるがしょうがない。私は自分を捨てる。しかしこれで真の「主にある交わり」が生じた。「恥は私に栄光は神に」
 
http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/bunshou/kaishin.html


●次は「死の恐怖を克服された記録」である。これも体験である。使徒伝承の根幹である。これを言わずして「生きている意味はない」。 馬齢は重ねたくない。勉強した事ではない。説教ではない。体験の事実である。嘘じゃーない。

 http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/hukkatu.htm
 

http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/guno-sisukeikou.htm

●以上の私の姿勢は次の聖句が補強してくれる。パウロは慰めであり、励ましである。 
 
塚本訳 ロマ 11:13-14
11:13 しかしわたしはあなた達(ローマ集会の)異教人諸君に言いたいことがある。──わたしは異教人の使徒として、この自分の職務を重く考えて(全力尽して)いる。
11:14 それは、これによって同胞(イスラエル人)に妬みをおこさせ、
そのうちの幾人かでも救うことができはしないかと思うからである。


塚本訳 Ⅰコリ15:3-5
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること

15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。
 

塚本訳 Ⅰコリ15:58
15:58 だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ。骨折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから

塚本訳 Ⅰコリ1:18
1:18 なぜか。この十字架についての言葉は、滅びゆく者には馬鹿なことであるが、わたし達救われる者には、神の力(の現われ)であるから。

塚本訳 マコ 13:10
13:10 (終りの日が来る前に)福音はまずすべての国の人に説かれねばならないのだから。 
 

塚本訳 ロマ 9:3
9:3 ほんとうに、兄弟すなわち血を分けた同胞の(救われる)ためならば、このわたしは呪われて、救世主(の救い)から離れ落ちてもよいと、幾たび(神に)願ったことであろう。

   有体的復活の使徒伝承

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神による罪の赦しは感謝の行為になって現れた ++++++++ 所感

2012/05/28 05:51

120528(月)4時半起床●朝の啓示。「神による罪の赦しは感謝の行為になって現れた」●次回感話は「罪の女香油を塗る」である。これは有名な物語なので微妙に違うが4福音書に揃って書かれている。だから次の言葉が聖書にも成就している。

塚本訳  マタ 26:13
26:13 アーメン、わたしは言う、世界中どこでも(今後)この福音の説かれる所では、この婦人のしたことも、その記念のために一しょに語りつたえられるであろう。」

●「罪の赦し」という目に見えない神の行為は、目に見える形になって現れる。その実例を列挙してみよう。神の国到来の徴である。

塚本訳 ルカ 7:46-47
7:46 あなたは(普通の)油をすら頭に塗ってくれないのに、この婦人は(高価な)香油を足に塗ってくれた。
7:47 だから、わたしは言う、この婦人の多くの罪は赦されている。(いま)多くわたしを愛したのがその証拠である。赦され方の少ない者は、愛し方も少ない。」


塚本訳 ルカ 19:8-9
19:8 しかしザアカイは進み出て主に言った、「主よ、わたしは(誓って)財産の半分を貧乏な人たちに施します。人からゆすり取ったものは四倍にして返します。」
19:9 イエスが(人々に)言われた、「救いは(きょう、)この家に入った。(人でなしのように言われる)この人も、やはり(あなた達と同じ)アブラハムの末だから。
 

塚本訳  マコ 2:5-12
2:5 イエスはその人たちの信仰を見て(驚き)、中風の者に言われる、「子よ、いまあなたの罪は赦された。」
2:6 数人の聖書学者がそこに坐っていたが、心の中で考えた、
2:7 「この人はなぜあんなことを言うのだろう。冒涜だ。神お一人のほか、だれが罪を赦せよう。」
2:8 イエスは彼らがひそかにこう考えているのを、すぐ霊で見抜いて、「なんで、そんなことを心の中で考えているのか。
2:9 この中風の者に、あなたの罪は赦された、と言うのと、起きて担架をかついで歩け、と言うのと、どちらがたやすい(と思う)か。
2:10 では、人の子(わたし)は地上で罪を赦す全権を持っていることを知らせてやろう」と彼らに言いながら、中風の者に言われる、
2:11 「あなたに命令する、起きて担架をかついで、家に帰りなさい。」
2:12 すると彼は起き上がり、すぐ担架をかついで、皆の見ている前を出ていった。皆が呆気にとられ、「こんなことはかって見たことがない」と言って、神を讃美した。

●イエスの地上の生涯は神の国到来の徴である「罪の赦し」の現場に生きたものである。それは地上改良の社会運動などという低級なことでは「なく、・・・その水は飲めばまたすぐ乾く・・・罪の赦しの神による実現である。

塚本訳 マタ 11:3-6
11:3 「来るべき方(救世主)はあなたですか、それともほかの人を待つべきでしょうか」とたずねさせた。
11:4 イエスは答えられた、「行って、(今ここで)聞いていること見ていることをヨハネに報告しなさい。
11:5 ──『盲人は見えるようになり、』足なえは歩きまわり、癩病人は清まり、聾は聞き、死人は生きかえり、『貧しい人は福音を聞かされている』と。
11:6 わたしにつまずかぬ者は幸いである。」


塚本訳 ヘブ 1:3
1:3 彼は神の栄光の放射であり、本質の像である。彼はまたその力ある言葉をもって万物を保たれる。彼は(この世に降り)、罪の潔めを成し(とげて、ふたたび)高き所にのぼり、(神の)御稜威の『右にお坐りになっている』。

塚本訳 ヨハ 7:37-39
7:37 祭の最後の大際の日に、イエスは立って叫ばれた、「渇く者はわたしの所に来て飲みなさい。
7:38 わたしを信ずる者は、聖書が言っているように、『そのお腹から、清水が川となって流れ出るであろう。』」
7:39 これは、彼を信ずる者が受けるべき御霊のことを言われたのである。イエスは(その時)まだ栄光を受けておられなかったため、御霊がまだ下っていなかったからである。(「であろう」と言われたのはそのためである。)

塚本訳 マタ 5:14
5:14 あなた達は世の光である。山の上にある町は隠れていることは出来ない。

●神の恩恵により罪を赦されて救われた証拠は、この世から嫌われる事である。それは次である。

塚本訳 Ⅱテモ3:12
3:12 (私だけでなく、)キリスト・イエスにあって敬虔に生きようとする者は皆迫害される。

塚本訳 マタ 5:10-12
5:10 ああ幸いだ、信仰のために迫害される人たち、天の国はその人たちのものとなるのだから。
5:11 わたしゆえに罵られたり、迫害されたり、あらん限りの根も葉もない悪口を言われたりする時、あなた達は幸いである。
5:12 小躍りして喜びなさい、褒美がどっさり天であなた達を待っているのだから。あなた達より前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。


●クリスチャンはこの世からの非難悪口雑言される。「堅物」「ガリガリ」「付き合いにくい」「我々の中まではない」「世間常識を知らない」「一緒に遊べない」・・・・・しかしこれは救われた証拠の目に見見える形。耳に聞こえてくる言葉である。
 ●Ⅱテモ3:12をTSKに見てみよう。先人の多くがこれに関連する聖句を黙想した。その中から「アーソウカ」と思うものを列挙してみよう。TSKはこういう時に励ましになる。
●私のブログは聖句の引用が多すぎると思う人がいると思うが、キリスト教の出版社には悪いが「つまらない本」を何十冊読むよりも聖書そのものの方が有益である。聖書の周辺の本は「水で薄めた牛乳」である。金と時間ばかりかかって栄養価が低い。 

塚本訳 Ⅰテモ6:3-5
6:3 もし(真の福音と)違った教えを説き、我らの主イエス・キリストの健全なる言と、敬虔なる教えに賛成しない者があるなら、
6:4 その人は思い上がっていて、何もわからず、(ただ)議論と口論の病気に罹っているので、それから出て来るものは嫉み、争い、誹謗、邪推であり、
6:5 (また)理性を失い真理を奪われた人達の不断の争闘である。この人達は信心を金儲けと考えている。

塚本訳 マタ 10:22-25
10:22 あなた達はわたしの弟子であるために皆から憎まれる。しかし最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
10:23 この町で迫害された時には、次の町に逃げてゆけ。アーメン、わたしは言う、人の子(わたし)は(すぐに)、あなた達がイスラエル人の町々を回りつくさぬうちに来るのだから。
10:24 弟子は先生以上でなく、僕は主人以上ではない。(だからあなた達が迫害されるのは当り前である。)
10:25 弟子は先生のよう、僕は主人のようであれば、それで満足すべきである。家の主人(たるわたし)が(悪鬼の頭)ベルゼブルと(悪口を)言われたのだから、その家族(たるあなた達)はなおさらのことである。

塚本訳 マタ 16:24
16:24 あとでイエスは弟子たちに言われた、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、自分の十字架を負い、それからわたしに従え。

塚本訳 マタ 23:24
23:24 目の見えない案内人よ、君たちは(律法を守るために、酒の中に落ちた)一匹の蚋をこし出しながら、駱駝を飲みこんでいる。

塚本訳 マコ 10:30
10:30 今、この世で──迫害のうちにおいてではあるが──百倍の家と兄弟と姉妹と母と子と畑とを、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。

塚本訳 ルカ 14:26-27
14:26 わたしの所に来て、その父と母と妻と子と兄弟と姉妹と、なおその上に、自分の命までも憎まない者は、だれもわたしの弟子になることは出来ない。
14:27 自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることは出来ない。

塚本訳 ヨハ 15:19-21
15:19 もしあなた達がこの世のものであったら、この世は自分のもの(であるあなた達を)愛するはずである。しかしあなた達は(もはや)この世のものではなく、わたしがこの世から選び出したのだから、この世はあなた達を憎むのである。
15:20 『僕はその主人よりもえらくはない』と言ったわたしの言葉を忘れないように。人々は(わたしにしたと同じことをあなた達にするであろう。)わたしを迫害したなら、あなた達をも迫害し、わたしの言葉を守ったなら、あなた達の言葉をも守るであろう。
15:21 ところが、彼らはあなた達がわたしの弟子であるために、(憎み、迫害など)すべてこれらのことを、あなた達にするであろう。わたしを遣わされた方を知らないからである。

塚本訳 ヨハ 16:2
16:2 彼らはあなた達を礼拝堂追放にするにちがいない。それどころか、あなた達を殺す者が皆、神に奉仕しているかのように思う時が来るであろう。

塚本訳 ヨハ 16:33
16:33 これらのことを話したのは、あなた達がわたしに(しっかり)結びついていて、平安を保つことができるためである。この世ではあなた達に苦しみがある。しかし安心していなさい。わたしがすでに世に勝っている。」

塚本訳 ヨハ 17:14
17:14 第三には、わたしは彼らにあなたの言葉を伝えました。(彼らはそれを受け入れました。)するとこの世は彼らを憎みました。わたしがこの世のものでないように、彼らも(もはや)この世のものでないからであります。(だから彼らのことをお願いします。)

塚本訳 使  14:22
14:22 (道々主の)弟子たちの心を力づけ、いつまでも信仰に留まっているように、「神の国に入るには、わたし達は多くの苦難を通らねばならない」といましめた。

塚本訳 Ⅰテサ3:3-4
3:3 (斯くして)この(大なる)患難の際に(君達の中の)誰一人も揺すぶられることの無いためである。──私達(キリストを信ずる者)が斯く運命づけられていることは、君達自身が(よく)承知しているはずだ。
3:4 何故なら、私達が患難に遭わねばならぬことは、君達と一緒にいた時分に予め話して置いたことでもあり、それが(果たして)その通りになって、君達が(今自分で経験してそれを)知ったまでであるから。──

塚本訳 Ⅰペテ2:20-21
2:20 何故なら、もし罪を犯して打たれて忍耐したとて、何の名誉になろう。しかし善行によって苦しめられて忍耐するならば、これこそ神の前に喜ばれることである。
2:21 君達はこのために召されたのであるから。というのはキリストも君達のために苦しみ、君達をその足跡に随わせようとして模範を遺し給うたのである。

塚本訳 Ⅰペテ4:12-16
4:12 愛する者よ、試練のため君達に起こった烈火の苦難を(何か)異常なことが臨んだかのように(驚き)異しむな。
4:13 むしろキリストの苦難に与れば与るだけ喜べ。(最後の日)その栄光の顕るる時にも歓びに喜ぶ(ことが出来る)ためである。
4:14 もし君達がキリストの名において罵られるならば幸福である、(それは、その時)栄光の霊と『神の霊が』君達の上に『留まっている』(証拠である)から。
4:15 君達のうち誰も人殺し、あるいは泥坊、あるいは悪者として、あるいはおせっかい屋として受難してはならない。
4:16 しかしもしクリスチャンとして(受難するの)ならば恥じるな、むしろこの(クリスチャンたる)名において神の栄光を顕せ。

塚本訳 Ⅰペテ5:9-10
5:9 信仰を堅くして彼に立ち向かえ。全世界に在る君達の教友にも同じ苦難が臨むことを君達は知っている。
5:10 しかしキリストにおいて君達を永遠の栄光へと召し給うたあらゆる恩恵の神は、暫く受難せねばならぬ君達を自ら武装し、強め、力づけ、堅く立て給うであろう。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●妻は高校)磐城女子高)友人二人と歓談のために上野へ。その後個展。夕方帰宅
●TSK日本語版ヘブル書1章入力。なぜか胸が熱くならない。

 
     有体的復活の使徒伝承

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私に託された使命 ++++++++ 所感

2012/05/27 06:25

120527(日)5時半起床●朝の啓示「私に託された使命」●この世には人生の失敗、思うもかけない不幸、に悩み悲しんでいる人が多い。そういう人たちに「罪赦されて有体的復活の希望に生きる希望の喜び」の道があることを宣教伝承したい。●これが私に託された残りの時間の使い方、使命である。これを体を張って邁進したい。●まず対象者を考える。●病妻を抱えてしまって生涯苦しんでいる人、成績が良くて将来を嘱望されていたが、親の病気で進学できず淋しさの為に「女」と同棲して人生が曲がってしまった人、両親の離婚でまだ歩けないうちから人生の辛酸を舐めた人、若き日に結核を患って生涯その病に苦しんでいる人、思わざる病気にかかってしまった人、思わざる事故により失業してしまった人、リストラされてしまった人、愛尾失ってしまった人、振られてしまった人、天職が見つからない人、生きがいを見いだせまい人、子供が小さいのに収入が途絶えてしまった人、家庭が崩壊し、暖かい家庭生活に恵まれない人、家庭経済の破綻で頭がよいのに進学できなかった人、結婚できなかった人、子宝に恵まれなかった人、不具の子供が生まれてしまった人、不倫がバレてしまった人、不倫の子を産んでしまったしまった人、婚前に妊娠してしまった人、精神の病が直らない人、失恋してしまった人、性の過ちで父の無い子供を抱えてしまった人、出生に秘密のある人、両親の不和に悩む子供、夫の妻の子供の性道徳の破綻に悩む人、自分の血が汚れていると思い悩む人、思わざる罪を犯してしまって悩んでいる人、お金がなくて困っている人、死んだらどうなるのか、裁きが恐ろしいと思っている人、・・・・あー、これはみんな自分の事、周囲の人達のことだ。否、日本人の99%がこれだ。●これらの人に「生きる喜び」の道があることを使徒伝承を継承する事で「喜びの人生」になってもらいたい。「罪赦されて有体的復活の希望」を持つことである。悩み悲しみの解決の方法はこれきりない。●集客ではない、金儲けの宗教ではない。自己宣伝ではない。教会や集会の形成ではない。ただ、真理の発信である。●その手段や方法は神が備えて下さる。●以下にこれに関する聖句を思い浮かぶままにあげてみよう。

塚本訳  マタ 5:1-6
5:1 イエスはこれらの群衆を見て、(近くの)山に上られた。お坐りになると、弟子たちがそばに来たので、
5:2 口を開き、こう言って教えられた。(群衆も集まってきて聞いた。)──
5:3 ああ幸いだ、神に寄りすがる『貧しい人たち、』天の国はその人たちのものとなるのだから。
5:4 ああ幸いだ、『悲しんでいる人たち、』、(かの日に)『慰めていただく』のはその人たちだから。 5:5 ああ幸いだ、『(踏みつけられて)じっと我慢している人たち、』、『(約束の)地(なる御国)を相続する』のはその人たちだから。
5:6 ああ幸いだ、(神の)義に飢え渇いている人たち、(かの日に)満足させられるのはその人たちだから。
 
 
●これは神の福音への招きの言葉である。この世が「幸福だ」と思っていることに恵まれなかった人全般に共通の事だ。イエスの周りにはこういう「問題を抱えて」いる人が群がった。
●問題の解決は地上のことの「復興」ではない。地上の不幸の解決ではない。しかし「信仰への逃げ」ではなく、「不幸を通しての幸福」(ヒルティ)である。人間は地上の不幸が無ければ真の幸福に目が覚めない。r地上の幸福を失って永遠の命の有体的復活の希望に目が覚める。


塚本訳 Ⅰコリ1:22-24
1:22 実際、ユダヤ人は(信ずるための証拠に神からの不思議な)徴を乞い、異教人は(真理を知るために)知恵を求めるが、
1:23 わたし達は十字架につけられたキリストのこと(だけ)を説く。すなわち、ユダヤ人にはつまづき、異教人には馬鹿なことであるけれども、
1:24 (神に)召された者だけには、ユダヤ人、異教人の別なく、(これこそ)神の力、また神の知恵なるキリストを(説くのである)。

●救われるためには難しい事はいらない。「宣教の言葉を信ずる」だけでよい。勉強はいらない。
●それは「愚かな」方法、「馬鹿な」方法である。
●この方法の道には神が協力して下さる。意外な方法で応援して下さる。見えざる神は透明人間だ。思わざる事件、意外なことが起こる。

塚本訳 Ⅰコリ15:58
15:58 だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ。骨折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから。

●ここの口語訳は「いつも全力を注いで主の業に励みなさい」とある。この翻訳はすばらしい。金と時間の使い方を示唆される。
●今時のワカイモンはこれを聞いてすぐ「職業としての」牧師を目指すが誤り。それは人を指導して「恩人になろうとる」魂胆である。

文語訳  使  3:6
3:6 ペテロ言ふ『金銀は我になし、然れど我に有るものを汝に與ふ、ナザレのイエス・キリストの名によりて歩め』

●この世の不幸の「復興」や「癒し」には「金と技術と能力」が必要であるが、「それらは私にはない」。しかし言う。「罪赦されて有体的復活の希望に生きる道を歩め。 

●集会は横山8司会)、高橋トミ子(受難の予告。開沼博著「フクシマ論」、横田「イングランドのキリスト教」)
●「付き合いが悪く」、人間常識に欠けて礼を欠く人間の集まりが「無教会」だと思ったら大間違い。
●キリストの集まりであるエクレシヤはカルチャーセンターではないので「キリストの死」を記念しなければならない。次回の感話ではそれを話す。
●14:00 東日本大震災復興チャリティーコンサート。青梅駅前の共栄ビル。竹森真子、大井哲也8すばらしかった)他。心の通う良い演奏会であった。 

resize2241.jpg 
JR青梅駅舎はレトロ調だ。味がある。他の駅舎を見習って近代化しないように願う。 

●今年の年末で、東京聖書読者会の第一日曜日の感話は満30年になる。聞いて下さった方々が偉かった。大兄、大姉の胸を借りて話してきた。
●次回感話の準備。表題をまた変えた。下記。

神の働きによる罪の赦しが感謝の行為になった

――この事実を記念し伝承せよ――

2012年6月3日 東京聖書読者会 高橋照男

 

     陰謀と香油と反逆 マタイ26:1-16 塚本虎二訳


 

 
  
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神の力が働いたことを知る喜び ++++++++ 所感

2012/05/26 07:02

120526(土)4時半起床●朝の啓示「神の力が働いたのを知る喜び」。●人間の喜びのうちでこれは不思議な喜びである。自分以外の力が「作用」(力学用語)するのを認知するからである。いろいろな事を知る「知の力」も喜びであり、音楽の喜びもまた素晴らしい。肉の喜びも金儲けもまた喜びである。しかし神との交わりと神の力が働くのを実在として認知するのは最高の喜びである。●これを聖書に探ってみよう。

塚本訳  ルカ 7:44-50
7:44 女の方に振り向き、シモンに言われた、「この婦人を見たか。わたしがこの家に来たとき、あなたは足の水もくれないのに、この婦人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でふいてくれた。
7:45 あなたは接吻一つしてくれないのに、この婦人はわたしが(この家に)来たときから、わたしの足に接吻のしつづけである。
7:46 あなたは(普通の)油をすら頭に塗ってくれないのに、この婦人は(高価な)香油を足に塗ってくれた。
7:47 だから、わたしは言う、この婦人の多くの罪は赦されている。(いま)多くわたしを愛したのがその証拠である。赦され方の少ない者は、愛し方も少ない。」
7:48 そしてその女に言われた、「あなたの罪は赦されている。」
7:49 同席の者が(憤慨して)ひそかに考えた、「罪さえ赦す(という)この人はいったい何人だろう。」
7:50 しかしイエスは女に言われた、「あなたの信仰があなたを救った。『さよなら、平安あれ。』」

●48節。「赦されている」と言う言葉がポイント。イエスが「赦す」と言っているのではない。神の力がこの女性に直接働いたのだ。イエスはその現象を目で見たのである。

塚本訳 マタ 11:3-5
11:3 「来るべき方(救世主)はあなたですか、それともほかの人を待つべきでしょうか」とたずねさせた。
11:4 イエスは答えられた、「行って、(今ここで)聞いていること見ていることをヨハネに報告しなさい。
11:5 ──『盲人は見えるようになり、』足なえは歩きまわり、癩病人は清まり、聾は聞き、死人は生きかえり、『貧しい人は福音を聞かされている』と。

●5節がポイント。見えない神の力が見える形になっている。「福音が語られる」と言うのも神のr力の現れ。

塚本訳  マタ 12:28
12:28 しかし、もし(そうでなく、)わたしが神の霊で悪鬼を追い出しているのであったら、それこそ神の国はもうあなた達のところに来ているのである。

塚本訳  ルカ 15:8-10
15:8 また、どんな女でも、ドラクマ銀貨[五百円]を十枚持っていて、もしその銀貨を一枚無くしたとすれば、明りをつけて家(中)を掃き、それを見つけ出すまでは、丹念にさがしつづけるのではないだろうか。
15:9 そして見つけると、友だちや近所の女たちを呼びあつめてこう言うにちがいない、『一しょに喜んでください。無くした銀貨が見つかりましたから』と。
15:10 わたしは言う、このように、一人の罪人が悔改めると、神の使たちに喜びがあるのである。」

●9-10節がポイント。罪人の悔い改めも神の力の現れ。教会や信仰偉人の軍門に屈することではない。神ご自身の働きが降る事である。

塚本訳  ルカ 15:32
15:32 だが、喜び祝わずにはおられないではないか。このお前の弟は死んでいたのに生きかえり、いなくなっていたのに見つかったのだから。』」

●一度はあきらめた息子の救い。夫の救い。それが自分の知らないところで神ご自身の力で救われる不思議な現象を見る喜び。

塚本訳  マコ 9:25-29
9:25 イエスは群衆が駆けよってくるのを見ると、(急いで)汚れた霊を叱りつけて言われた、「唖と聾の霊、わたしが命令するのだ、この子から出てゆけ、二度と入るな!」
9:26 霊はどなって、はげしくひきつけさせて、出ていった。子は死んだようになったので、多くの人が、「死んだ」と言った。
9:27 イエスはその子の手をとって起された。すると立ち上がった。
9:28 家にかえられると、弟子たちは人のいない時に尋ねた、「なぜわたし達には霊を追い出せなかったのでしょうか。」
9:29 彼らに言われた、「この種類(の霊)は、祈り以外(の手段)では決して出てゆかせることは出来ない。」

●人間は「霊と心と肉体」とからなる。肉体の病は普通の医者。心の病は精神科や宗教家。霊の病(罪の苦しみ、悪霊の苦しみ)は神ご自身の不思議なる力でなければ癒せない。だから人間としての手段は「祈り」以外にはないと言うのだ。

塚本訳  マコ 4:26-27
4:26 また言われた、「神の国はこんなものだ。──ある人が地に種を蒔き、
4:27 夜昼、寝起きしていると、種は芽生えて育ってゆくが、本人はその訳を(すら)知らない。

●子供の成長、植物の成長、福音の伝播、などは人の知らないところで起こる。これは神の力。その見えざる神の力を知ることは大なる喜び。

塚本訳 ヨハ 12:20-24
12:20 この祭にお参りするため上ってきた人たちの中に、数人の(改宗した)異教人があった。
12:21 ガリラヤのベッサイダの人ピリポの所に来て、こう言って頼んだ、「君、イエスにお会いしたいのですが。」
12:22 ピリポは行ってアンデレに話し、アンデレはピリポと行ってイエスに話した。
12:23 するとイエスは(非常に感動して)二人に答えられる、「人の子(わたし)が栄光を受ける時がついに来た。
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)

●福音がユダヤ人以外に流れ出たことを知ったイエスの喜び。


●パウロが喜ぶのは「教会の成長」。それを以下に列挙する。
●パウロの喜びは、家庭の繁栄、勤務先の成長、国家の安泰などではない。
●パウロは確かに人間として第一級だ。
●若者よ、社長を目指すな。高位高官を目指すな。蓄財を目指すな、大学教授博士号を目指すな、異性に注目されることを目指すな。イケメンや美女になることを目指すな。子孫繁栄を目指すな。・・・神に導かれることを目指せ。

塚本訳  Ⅰコリ3:5-6
3:5 それなら、いったいアポロはなんだ、パウロはなんだ、(ただ)使用人で、彼らによってあなた達が信仰に入ったまでであり、しかもそれは、それぞれ二人に主がお命じになったように働いたのである。
3:6 ──わたしは植えた、アポロは水をやった、しかし神がこれまで成長させてくださった。

塚本訳 コロ 1:6
1:6 (そして今や)この福音は君達の所まで来て、君達の間でも真に神の恩恵を聴き知った(最初の)日から、全世界におけると同様、(豊かに)果実を結び成長しているのである。


塚本訳 コロ 1:10
1:10 これは君達が主(を信ずる者たる)に相応しく歩いて、凡ての天において彼を喜こばせんこと、(然り、第一には)凡ての善き業において(多くの)果実を結び神を知る知識に成長せんこと、

塚本訳 コロ 2:18
2:18 君達は謙遜と天使礼拝とを嬉しがっている者(など)から決して貶さられることはない。こんな人は自分が(異教の)奥義に入った時(親しく)観た(と思っている掴まえ所もない)ものを、肉の感念から訳もなく(ただ)威張っている(だけ)の(こと)で、

塚本訳  Ⅱテサ1:3
1:3 兄弟達よ、当然のことながら、私達がいつも君達のために神に感謝しなければならないのは、君達の信仰が著しく成長し、また互いにの愛が君達一人一人に皆増し加わっていることであって、

塚本訳  Ⅱペテ3:18
3:18 私達の主また救い主イエス・キリストの恩恵と知識とに成長せよ。(願う、)今も永遠の日までも栄光彼にあらんことを!
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●15:30 妻はコーラスのレッスン。体の許す限り好きな事をやり続けてもらいたい。19:30帰宅予定●私は人参ジュースを作っておく。●TSK日本語版ピレモン入力完了。難しい事のない私信。入力も楽だった。これも聖典か。私信だから中味が濃い。従って印象が深い。●ヒルティは「演説は生活なり」という。つまり人の生きざまが演説や説教になるというのだ。

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「突然に」ということ ++++++++ 所感

2012/05/25 05:53

120525(金)4時半起床●朝方の夢。親戚の人間が熊を引いてしまってTVに出て「困った、困った」と思っているところで目が覚める●そこで今朝の黙想(Morning Medsitation)は人生における「突然に」ということ。●聖書は事件や難問に遭遇した時にピンポイントで「読まされる」●次々に浮かぶ聖句の感想を記す。「説教」ではない自分自身の思想の深化の為である。

塚本訳 ルカ 12:15-20
12:15 人々に言われた、「一切の貪欲に注意し、用心せよ。いかに物があり余っていても、財産は命の足しにはならないのだから。」
12:16 そこで一つの譬を人々に話された、「ある金持の畑が(ある年)豊作であった。
12:17 『どうしよう、わたしの作物をしまいこむ場所がないのだが…』と金持ちはひそかに考えていたが、
12:18 やがて言った、『よし、こうしよう。倉をみなとりこわして大きいのを建て、そこに穀物と財産をみなしまいこんでおいて、
12:19 それからわたしの魂に言おう。──おい魂、お前には長年分の財産が沢山しまってある。(もう大丈夫。)さあ休んで、食べて、飲んで、楽しみなさい、と。』
12:20 しかし神はその人に、『愚か者、今夜お前の魂は取り上げられるのだ。するとお前が準備したものは、だれのものになるのか』と言われた。

●15節の「財産は命の足にはならない」と言う時の財産とは、人間が長生きしようと思って追い求めるものの総て。金、健康、平穏な余生。環境、職場、家庭、伴侶、・・・これらは肉の体の延命には役に立つかもしれないが、総ては「死」で終わり。その後の事にtるいては役に立たない
●20節の「愚か者、今夜お前の魂は取り上げられるのだ。するとお前が準備したものは、だれのものになるのか」について。「突然死」という「想定外」の死に方もあるのだと思う。
●12年前の脳出血の時、主治医からあなたは脳梗塞に気をつけるように。また癌ドッグの必要はない。ご家族の病歴から判断して、肺癌で死にます」と言われている。
●それ以来、脳梗塞にならないように降圧剤剤を服用している上に癌予防の為に私が毎日人参ジュースを作って妻と飲んでいる。しかしこれらは「肉の命の延命」の為である。
●肺癌による「死の時」は生命保険会社の「余命表」から82歳だと常日頃認識している。あと13年間である。これに関しては何人かから、「神のお心」を先取りしてはいけないと戒められている。
●「突然に」あるいは「想定外のこと」あるいは「意外な事」というのは大いに宗教的なことである。
●東日本大震災は「突然に」起こった。福島原発事故は「想定外」の事であった。

塚本訳 マタ 6:25-27
6:25 だから、わたしは言う、何を食べようかと命のことを心配したり、また何を着ようかと体のことを心配したりするな。命は食べ物以上、体は着物以上(の賜物)ではないか。(命と体とを下さった天の父上が、それ以下のものを下さらないわけはない。)
6:26 空の鳥を見てごらん。まかず、刈らず、倉にしまいこむこともしないのに、天の父上はそれを養ってくださるのである。あなた達は鳥よりも、はるかに大切ではないのだろうか。
6:27 (だいいち、)あなた達のうちのだれかが、心配して寿命を一寸でも延ばすことが出来るのか。

●27節がポイント。「心配」しても延命の期間は僅かである。人間はその僅かの延命の為にどれだけ努力をするのだろう。
●人間の「心配」がいろいりな行動のエネルギーになっている。人間に限らず「生き物」は総て「死ぬまい、死ぬまい」「惨めになるまい、なるまい」と思って忙しく動き回っているのだ。
●受験勉強、有名校受験、就職活動、結婚活動、子孫繁栄、マイホーム、経済の安定、健康増進、老後の不安解消、・・・・
●TVコマーシャルの総てはこの「心配」につけ込む。
●野田首相の「税と社会保障の一体改革」も同じ。
この世の平和運動も同質。
●しかし有限の人間は「これでいいのだ、これでいいのだ」「これきり出来ないのだ」

塚本訳  マタ 24:36-44
24:36 ただし(人の子の来る)その日と時間とは、ただ父上のほかだれも知らない。天の使いたちも知らない。
24:37 人の子の来臨は、ちょうどノアの(洪水の)時のようであるから。
24:38 すなわち洪水の前のあのころ、『ノアが箱船に入った』日まで、人々は飲んだり食ったり、嫁にやったり取ったりしていて、
24:39 洪水が来て一人のこらずさらってゆくまで、それに気づかなかった。人の子の来臨もこのようである。
24:40 その時、二人の男が畑にいると、一人は(天に)連れてゆかれ、一人は(地上に)のこされる。
24:41 二人の女が臼をひいていると、一人は連れてゆかれ、一人はのこされる。
24:42 だから(たえず)目を覚ましておれ。あなた達は主がいつの日来られるか、知らないのだから。
24:43 あなた達はこのことを知っているはずだ。──夜の何時に泥坊が来るとわかっておれば、家の主人は目を覚ましていて、みすみす家に忍び込ませはしないであろう。
24:44 だから、あなた達も用意していなさい。人の子(わたし)は思いがけない時に来るのだから。

●人生、良いことも悪いことも「突然に」やって来るものだ。「それは「想定外」の事だ。「人知に及ばない」事なのだ。
●そういうことがおこったら宗教的、信仰的にとらえなくてはならない。大いなる畏れを抱かなければならない。
●東京r直下大地震が来たらあの「東京スカイツリー」も倒れるかも知れない。これは科学技術も及ばない範囲のことなのだ。あそこが地割れしたらひとたまりもないのだ。


塚本訳  ルカ 16:25-31
16:25 しかしアブラハムは言った、『子よ、考えてごらん、あなたは生きていた時に善いものを貰い、ラザロは反対に悪いものを貰ったではないか。だから今ここで、彼は慰められ、あなたはもだえ苦しむのだ。
16:26 そればかりではない、わたし達とあなた達との間には大きな(深い)裂け目があって、ここからあなた達の所へ渡ろうと思っても出来ず、そこからわたし達の所へ越えてくることもない。』
16:27 金持が言った、『父よ、それではお願いですから、ラザロをわたしの父の家にやってください。
16:28 わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。』
16:29 しかしアブラハムは言う、『(その必要はない。)彼らにはモーセ(律法)と預言書と[聖書]がある。その教えに従えばよろしい。』
16:30 彼が言った、『いいえ、父アブラハムよ、もしだれかが死人の中から行ってやれば、きっと悔改めます。』
16:31 しかしアブラハムは答えた、『モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。』」

●来世に生きる事、有体的復活の希望に生きるには、29節似あるように、聖書に従う人生を送っていればよいとイエスは言う。それが「来世への準備」になるのだ。
●しかし31節。聖書に従う生き方をしないならば、死人の復活と言う「驚天動地」の奇蹟が起こっても神を信じようとしないであろうとイエスは言う。
●社会的地位の高い人(高位高官、大学教授、経営者など)が福音を説いても信じない人は信じない。
●現にイエスが死んだラザロを生き返らせたとき、信じる者と信じない者とに別れ、信じない者たちがイエスを殺そうと計画したのだ。こういう人間達には何を言っても無理なのだ。ラザロの復活の記事の次は次のようである。

塚本訳  ヨハ 11:45-48
11:45 すると、マリヤの所に来てイエスのされたことを見たユダヤ人のうち、多くの者は彼を信じた。
11:46 しかし中には(彼を信ぜず、)パリサイ人の所に行って、イエスのされたことをあれこれと報告した者もすこしあった。
11:47 そこで大祭司連とパリサイ人は最高法院を召集して言った、「どうすればよいだろう、あの男はたくさん徴[奇蹟]をしているのだが。
11:48 もしこのまま放っておけば、皆があれを信じ(て王に祭り上げ)るであろう。すると騒動が起り、ローマ人が来て、われわれから(エルサレムの)都も国民も、取ってしまうにちがいない。」

塚本訳  ヨハ 11:53-54
11:53 そこで彼らはその日以来、イエスを殺す決意をしていた。
11:54 それでイエスは、もはや公然とユダヤ人の中を歩きまわることをせず、そこを去って荒野に近い地方のエフライムという町に行き、弟子たちと一しょにそこにおられた。

●人間、本当のことを言うと迫害される。殺される。しかし「隠れているものえ現れないものはない」「神は人の心を見ておられる」
●悪いことは人間には隠せても神には隠せない。否、人間社会でさえ、いつか悪事をあぶり出される。これは人間としてj常識と思わなければならない。
●「罪と罰」は人生の常識。人生あなどれない。神は見ていて罰する。神を畏れ無ければならない。その罰は「突然に」来る。
●今朝のブログは自戒のつもりであったがいささか説教調になってしまった。本意ではない。
●「耳ある者は聞け!」「耳の無いものは無理だから永久に聞くな。残念だが私がいけなかった。力及ばなかった。私から離れてくれ。別れよう。達者で暮らしてくれ。神の祝福があるように。いつかどこかで神と出会って救われてくれ」
●福音の宣教は「来る者を拒まず、去る者を追わず」。
●福音宣教の心得は「桃栗3年柿8年、柚の大馬鹿18年。人の救いは最後の日」。
● 6:30 今朝の黙想瞑想(Morning Medsitation)はこれで終わり。


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今の世の苦しみ ++++++++ 所感

2012/05/24 07:00

120524(木)4時目覚め、4時半起床●朝の啓示「今の世の苦しみ」●具合が悪かった妻が回復。私への話し方に勢いが出てきたのか回復の徴。感謝●去る5月15日に何人かに紹介した久保田浩立大教授の「聖典解釈と思想生成」(下記サイト)に関して「難解であった」というご返事を頂いた。

http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/26150/1/rel00903.pdf



●これに関して返礼をメールした。内容はかなり公的な事であるので、差し障りのある部分を改変省略し、氏名を伏せて公開する。

礼状
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

❍❍様

 

御返事ありがとうございました。

 

・・・・・・。

さて、ご紹介した論考は、かねてより関心のあった敬虔主義(無教会に類似と睨む)の聖書に対する姿勢が書かれているので、敬虔主義に関する他の論考に比べて抜きん出ていたので御紹介したわけです。確かに難解と言えば難解ですが、この論考により敬虔主義の「祖」たちの聖書読みの方法論は無教会主義の聖書勉強の方法の基礎となっていると解します。特に黒崎先生の「新約聖書註解」などはまさにベンゲルの「グノーモン」に似ています。殻(歴史的、文献批評)の研究の後に核としての信仰の本質に触れる方法です。また塚本先生のイエス伝も同じです。お二人とも「聖書をして聖書を語らしむ」という方法です。故泉治典先生は晩年にベンゲルの「グノーモン」に関心があられたをお伺いしてます。私は今その「グノーモン」を図書館から借りて読んでいます。

ご紹介の論考は、何人かの方にお送りしましたが、80歳の方が2時間半で読まれたという応答があり、また99歳の方はさすがに読む事が出来ずに同時に送った私のブログの拙「私的読後感」(2005年5月15日ブログ)に対するご感想だけを下さいました。無教会で敬虔主義に注目しているのはKG君とNY君の二人の若手です。二人は欧州旅行の途次に敬虔主義の源流たるモラヴイアを訪れました。そこの建物の内装は今井館聖書講堂に似ていたという事です。いつか機会があったらこの二人とじっくり話し合おうと思っています。

イマドキの無教会は聖書それ自身に聞かないので「足腰が弱くなって」信仰がヨロヨロとしているのではないでしょうか。聖書を勉強してないのでカルシューム不足です。中にはイデオロギーが先走り、「無教会は聖書の勉強ばかりしているからいけないのだ。しかしたまには聖書の勉強“も”しなければならない」と言う人まで現れる始末です。「世も末」とはこういう時に言います。マタイ610の「御心の天になる如く地にもならせ給え」を内的スローガンにしてこの世の「政治結社」や「神抜きのヒューマニズム」となんら変わることがない活動をしている信者がいますが、これなどはこの聖句の勉強不足で聖書の半可通です。「復活と終末」を信じないキリスト教は弱体です。彼らは信仰は「逃げ」だなどと無神論の家永三郎と同じような見解を抱いています。そういう批判に動かされるほど無教会はヤワではありません。こういう信者の思想は長続きしないので一代で終わります。だから「自然崩壊」を待つばかりです。

 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
礼状終わり



●今朝の啓示「今の世の苦しみ』に関する聖書


文語訳  ロマ 8:18
8:18 われ思うに、今の時の苦難は、われらの上に顯れんとする榮光にくらぶるに足らず。

●これ、20年前に召された父の特愛の句。耳にタコが出来るほど聞かされた。我が家の家訓                                                 ●「今の世」と言うからにはパウロには「次の世」の思いが濃厚であった。        ●現代人にはこれがないから、地上王国を作るのが人生の目的だと考えて戦争をする。
●キリスト信者にとって死は隣の部屋に行くか、外国へ行くようななもの。葬式はやってくれるな。葬式は「死んだ者の祭りごと」だ。ナニ、またすぐ会えるのだ。         ●私と妻は延命処置はし希望しないことを申し合わせている。               ●復活を信じない人間は肉体の延命に必死になる。間違い。それは美徳ではない。なぜか。人間は延命してもすぐ死ぬ。だからその先があることを信じて生きるべきだ   ●母が召されたホスピスの先生から伺ったこと。「来世を信じている人の方が比較的長く生きる」。これ逆説。


塚本訳 ヘブ 11:35
11:35 婦人たちはその死んだ者を復活させてもらった。しかしほかの(男の)人々は、それにまさる復活に達するため、釈放を願わずに、車裂きにされた。


●ローマのカタコンベを訪問した時、殉教者の像があったが、首に筋がついていた。首を切られたのだそうだ。                                      ●しかし有体的復活を固く信じていたので、肉体の壊滅は問題ではなかった。車裂きにも屈しなかった。恐れなかった。私もそうできるかなー。


塚本訳  マタ 6:10
6:10 お国が来ますように。お心が行われますように、天と同じに、地の上でも。

●これ神なきヒューマニスト信者のプロパガンダ。平和は終末に神がもたらす。


塚本訳  テト 2:1
2:1 しかし君は健全な教えに相応しいことを語れ──


●テモテ前後書テトス書は牧会書簡と言われ「不健全」な教えに注意せよというもの。
●復活と終末を説かないキリスト教は不健全な教え 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●TSK日本語版テトス入力。不健全な信仰との戦い。
●17:00 あきる野図書館で、盲人の為の自動音声発声機を見せてもらった。監事もスイスイ読めるのにびっくりした。
 

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罪の赦しが実証される喜び ++++++++ 所感

2012/05/23 05:34

120523(水)4時半起床●朝の啓示「罪の赦しが実証される喜び」●この与えられた啓示に関連する聖書の個所を思い浮かべる喜び。こういう作業は喜悦である。●これだから「聖書道楽」はやめられない。遅くは起きられない。●聖書の引照は「自分で探す」のが喜びであり、力である。

塚本訳  ルカ 7:47-48
7:47 だから、わたしは言う、この婦人の多くの罪は赦されている。(いま)多くわたしを愛したのがその証拠である。赦され方の少ない者は、愛し方も少ない。」
7:48 そしてその女に言われた、「あなたの罪は赦されている。」 

●「罪の女」(娼婦)がイエスに高価な香油を注いだ行為は、罪が赦されたことの実証
●罪の赦しは内面の霊的な事なので外部に目に見える形で実証される時に喜びがある。

塚本訳  ヨハ 12:20-25
12:20 この祭にお参りするため上ってきた人たちの中に、数人の(改宗した)異教人があった。
12:21 ガリラヤのベッサイダの人ピリポの所に来て、こう言って頼んだ、「君、イエスにお会いしたいのですが。」
12:22 ピリポは行ってアンデレに話し、アンデレはピリポと行ってイエスに話した。
12:23 するとイエスは(非常に感動して)二人に答えられる、「人の子(わたし)が栄光を受ける時がついに来た。
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)
12:25 [(この世の)命をかわいがる者は(永遠の)命を失い、この世で命を憎む者は、命を守って永遠の命にはいるであろう。

●異教人に救いが流れ出る喜び。それを目の当たり見たイエスの感動と喜び 

塚本訳 ルカ 5:21-25
5:21 聖書学者とパリサイ人は考え始めた、「冒涜を言うこの人はいったい何者だろう。ただ神のほか、だれが罪を赦せよう。」
5:22 イエスは彼らの考えを見抜いて、「何を心の中で考えているのか。
5:23 あなたの罪は赦されている、と言うのと、起きて歩け、と言うのと、どちらがたやすい(と思う)か。
5:24 では、人の子(わたし)は地上で罪を赦す全権を持っていることを知らせてやろう」と彼らに言いながら、中風の者に言われた、「あなたに命令する、起きて、寝床をかついで家にかえりなさい。」
5:25 すると彼は即座に人々の目の前で立ち上がり、床をかついで、神を讃美しながら家にかえって行った。 
 
●病気が癒されることは罪が赦されたことの目に見える証拠、実証。

塚本訳  ルカ 19:8-9
19:8 しかしザアカイは進み出て主に言った、「主よ、わたしは(誓って)財産の半分を貧乏な人たちに施します。人からゆすり取ったものは四倍にして返します。」
19:9 イエスが(人々に)言われた、「救いは(きょう、)この家に入った。(人でなしのように言われる)この人も、やはり(あなた達と同じ)アブラハムの末だから。 
 
●生活と行動、金の使い方の変化もその人やその家庭に。 救いが入った証拠。
●酒煙草ダンス放蕩の悪習慣から結果的に遠ざかってしまう。
 

塚本訳 マタ 11:3-6
11:3 「来るべき方(救世主)はあなたですか、それともほかの人を待つべきでしょうか」とたずねさせた。
11:4 イエスは答えられた、「行って、(今ここで)聞いていること見ていることをヨハネに報告しなさい。
11:5 ──『盲人は見えるようになり、』足なえは歩きまわり、癩病人は清まり、聾は聞き、死人は生きかえり、『貧しい人は福音を聞かされている』と。
11:6 わたしにつまずかぬ者は幸いである。」

●神の国到来の五感での認知は病気回復の奇蹟だけでなく、罪の赦しの福音が聴かされること。
塚本訳  Ⅰペテ4:3-4
4:3 というのは君達は過去を(神の御意ならぬ)異教人の意欲を行いながら放埒、情欲、大酒、酒宴、酒乱と禁断の偶像礼拝とに過ごしたが、(もう)充分だからである。
4:4 (しかしかつては共にこれらのふしだらな生活をしていた)彼ら(異教人達)は、君達が(最早)同じ放蕩(生活)の流れに共に身を投じないので、そのことを(驚き)異しみ、(君達を譏るばかりか、遂に)主と神とを冒涜する。

●「アイツはキリスト教に帰依してから付き合いが悪くなった」とこの世の俗人どもから言われるようになったら救われた証拠、実証 
 
塚本訳  マタ 5:14-16
5:14 あなた達は世の光である。山の上にある町は隠れていることは出来ない。
5:15 また、(せっかく)明りをともして枡をかぶせる者はない。かならず燭台の上に置く。すると、家の中におる人を皆照らすのである。
5:16 そのようにあなた達も、その光を世の人の前に輝かし、人があなた達の良い行ないを見て、あなた達の天の父上をあがめるようにせよ。

●放蕩人間が救われて生活が変わると悩み抜いていた家族が救われる。(はずだ!)。これ最も強い救いの証拠になる。信者はその日まで忍耐。
●無教会には目に見える証拠はない。建物、サクラメント、カテキズムなし。清く正しい明るい生活が救いの証拠
●無教会が見直され、信じられるようになったのは、内村の弟子達の戦時中の行動、塚本の弟子達の聖書学に対する貢献。
●知人のO君は両親がキリストを信じていて「幸せそうだ」と思ったのでキリスト教に帰依したという。
●この両親は無教会。無教会は外部の物理的形こそないが、内面の救いがこのようにして外部に現れている。これ最高の伝道。
●戦前、カトリックの岩下壮一神父は「無教会が真理ならば、キリストが肉体をとってこの世に来なくても良かった」と批判したが、その神学論争は上記のような「事実」が決着した。

塚本訳 ロマ 10:9-10
10:9 つまり、あなたは『口で』イエスを主と告白して、『心で』神がイエスを死人の中から復活させられたことを信ずれば、救われる。
10:10 『心で信じて義とされ、口で告白して救われるからである。──(こうわたし達は説いているのである。)

●「口で告白」するという行為で救われるのではない。救われた人間は口で言い表す時に救いが最終的に確定する。最後の封印がされる。
●周囲を恐れて「信仰告白しない」ならば、まだ及び腰の信仰で完全には救われてない証拠
●内村鑑三は、弟子たちが有声的祈祷をすることをもって信仰を確認した。
●私の場合も、孫が有声的に「お祈り」をすることを鼓膜で聞いて喜んだ。 

 塚本訳 マタ 12:26-28
12:26 (同じように)悪魔が悪魔を追い出しているとすれば、それは(悪魔の国が)内輪で割れたのであるから、どうしてその国が立ってゆこう。(だからわたしが悪鬼どもの頭を使うわけはないではないか。)
12:27 それから、(あなた達の言うように)わたしがベルゼブルを使って悪鬼を追い出すとすれば、(同じことをしている)あなた達の弟子は、いったい何を使って(悪鬼を)追い出しているのか。(まさかベルゼブルではあるまい。)だから(このことについては、)あなた達の弟子に裁判官になってもらったがよかろう。
12:28 しかし、もし(そうでなく、)わたしが神の霊で悪鬼を追い出しているのであったら、それこそ神の国はもうあなた達のところに来ているのである。 

●肉体の病は医者(内科、外科、歯科、眼科)。精神の病、心の病は(精神科、カウンセラー、宗教家)、しかし霊魂の病は神ご自身にきり直せない。

塚本訳  Ⅰテサ5:22-23
5:22 『あらゆる』種類の『悪に遠ざかれ』。
5:23 願わくは、平和の神自ら君達を潔め尽くし、私達の主イエス・キリストの来臨の時咎められることの無いように、君達の霊と心と体を完全に守り給わんことを。

●人間の本質は「霊」それを包むのが「心」、それを包むのが「体」。
●罪とか救いとか神認識は霊の部分。喜怒哀楽は心の部分、痛みうあ快適さは体の部分が司る。
●生まれつきの人間は体と心が中心。霊の事は別世界。別次元。
●霊か暗いと心が暗く肉体も病になる。これ日常の実感。
●霊が癒されて心と体が癒される。その逆ではない。 
●霊と心のきれいな人は目が綺麗である。

塚本訳  マタ 6:21-23
6:21 宝のある所に、あなたの心もあるのだから。
6:22 目は体の明りである。だからあなたの目が澄んでおれば、体全体が明るいが、
6:23 目が悪いと、体全体が暗い。だから(天に宝を積まないため、)もしあなたの内の光(である目、すなわち心)が暗かったら、その暗さはどんなであろう。

●信仰の篤い人は目を見れば分かる。いつも目が神に向いているのだ。
●それに比べて地上の事ばかり考えている人の目は暗くて汚い。
●ヒューマニスト、社会改良論者、先生偶像崇拝者、平和運動家、金の亡者、遊び人は押し並べて人相が良くない。目が汚い

  塚本訳  マコ 9:25-29
9:25 イエスは群衆が駆けよってくるのを見ると、(急いで)汚れた霊を叱りつけて言われた、「唖と聾の霊、わたしが命令するのだ、この子から出てゆけ、二度と入るな!」
9:26 霊はどなって、はげしくひきつけさせて、出ていった。子は死んだようになったので、多くの人が、「死んだ」と言った。
9:27 イエスはその子の手をとって起された。すると立ち上がった。
9:28 家にかえられると、弟子たちは人のいない時に尋ねた、「なぜわたし達には霊を追い出せなかったのでしょうか。」
9:29 彼らに言われた、「この種類(の霊)は、祈り以外(の手段)では決して出てゆかせることは出来ない。」

●人間の医者に直せる病気は肉体と心まで、霊魂の癒し、悪霊からの解放は神にきりできないから人間としては祈る他に手段がない。
●人間が人間を導くと人間への奴隷状態になるからキリスト教ではなく儒教的になる。

塚本訳 Ⅰコリ15:3-6
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。
15:6 そのあと、一度に五百人以上の兄弟に御自分を現わされた。そのうちの多数の者はいまでも生きてい(て、わたしが嘘を言っていないことを証明してくれ)る。もっともすでに眠った者もあるにはある。 
 
●人類の罪が赦された最大最高の実証は「イエスの墓が空になって有体的に復活したこと」。見える形で有体的に復活した事。
●手でさわれたこと。
●これなくして我々の救いは不確かである。不安である。心配である。頭だけの観念である。 

塚本訳 Ⅰヨハ1:1-2
1:1 (世の)始めから(すでに)おられたもの、(それは)わたし達が(この耳で)聞いたもの、自分の目で見たもの、直観しまた自分の手でさわったもの、(すなわち)命の言葉について、──
1:2 この命が自分を現わし、(それを)わたし達は見て、証明し、またこの永遠の命をあなた達に告げる。これは(始めには)父と共におられたが、(今)わたし達に自分を現わしたのである──

●「神の子は肉体をとって人の子の姿でこの世に救い来られた」。
●これがキリスト教の本質。グノーシスや仏教とちがうところ。
●同時に難しいところ。躓きの原因 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●妻は昼から中野の愛子の家に手伝いに行く。
●某信者に激励電話。「あなたの家に神の手が降り始めた気配を感じますよ。多くの人が祈ってくれています。あなたは一人ではないのですよ。しっかりね。忍耐忍耐」 

 
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「私にも悪いところがあった」 ++++++++ 所感

2012/05/22 08:30

120522(火)6時起床●朝の啓示「服役の期は終わった」「わが民を慰めよ」●一昨日のこと、ある人が妻を介して「私にも悪いところがあった」と告白があった。●これを聞いて、その人に降りかかった「劇烈なる苦難は終わった」と同時にその人の人生は早目的を遂げたと感じた●そこで今朝は次々と聖句が浮かんだ。●同時に次回感話の「ナルドの香油」の物語の本質も教えられた。感謝

新共同 イザ 40:1-2
40:1 慰めよ、わたしの民を慰めよと/あなたたちの神は言われる。
40:2 エルサレムの心に語りかけ/彼女に呼びかけよ/苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを/主の御手から受けた、と。

●総ての苦難には神の目的がある。その苦難は不可解で一見不条理である。しかしそれはその苦難に関わる関係者の罪が赦される為である。そしてその目的が達せられるとその劇烈なる苦難はウソのように終わる。そして振り返って分かる。「あの苦難は神の愛であった」と。
●このイザヤ書40章の起句はヘンデルのオラトリオ「メサイヤ」の冒頭でテノールで歌われる。ヘンデルの「メサイア」作曲の目的が見えた
●中澤樹先生はこのイザヤ書40章冒頭のこの起句は「メサイア」のハレルヤコーラスを聴くよりも感動すると言われた。同感。
●旧約の泰斗関根正雄先生は一時「異言運動」に参加されたが、そのグループ内にいわゆる「もみ殺し事件」が起こった事の謝罪で個人雑誌の「預言と福音」を廃刊した。すると師の塚本虎二先生は間髪を入れずにご自身の雑誌「聖書知識」の巻頭言で「服役の期は終わった」と書かれて関根先生を慰められた。クリスチャンハート躍如である。それで関根先生は立ち直った。

塚本訳 マタ 26:10
26:10 それと知ってイエスは言われた、「なぜこの婦人をいじめるのか。わたしに良いことをしてくれたではないか。

●これは次回(6月3日)の感話の中心主題である。この婦人は自分の罪を悔いて泣きながらイエスの足に高価な香油を塗った。
●イエスはこの婦人のこの態度は「わたしに良いこと」をしてくれたという。これは「神に良いことをしたのであった。貧しい人に「良いこと」をしたのではない。
●周囲の人物(この人物はヨハネではユダに特定されている)は「金がもったいない」と思ったがそれはヒューマニズムの精神。神が見えてない。ユダの躓きはここにあった。
●「わたしに良いことをしたのであって、その行為に現われた心は貧乏人に施すというヒューマニズムの心よりも大切な「良いこと」なのだった。
●この婦人はマルコとマタイでは「一人の女」、ルカでは「罪の女」で娼婦(ルカ7:36-38)、ヨハネではマリヤ(ヨハネ12:1-11)
●不明人物に次第に名前がついて行くのは新約聖書の特徴。香油を塗った女を咎めたのはマタイでは弟子達、マルコでは数人の者、ルカではパリサイ人、ヨハネではユダ。 
●有名なエピソードなので伝承の過程で人物が特定されていったらしい。それほど有名な事件であった。
●ここからマタイ26:13の「この福音の説かれる所ではこの婦人のしたこも、その記念のために一しょに語り伝えられるでありおう」という言葉の意味が見えてくる。
●この婦人のしたことは「罪の赦しの実証」だったのである。●写本の数は3万とも言われる。その比較研究による本文校訂の目的は源流の探究。敬虔主義の祖、フランケ、ベンゲル達は今から270年ほど前からこれをやった。シナイ写本の発見は同じ敬虔派のチンチェンドルフ。しかし写本の研究、異読、本文校訂をやると生涯を失うとも言われる。 
●塚本虎二先生は「福音書異同一覧」でこれをやったが、助手の皆川とし子さんはそのために「脳」をやられて命を落とされた。しかし幸いな人生であった。
●人間何に命を落とすべきか。まさか「自分一個の幸福」であってはならない」。金儲けや、遊びや、教会・集会の物理的繁栄継続維持であってはならない。そのために馬齢を重ねてはいけないのだ。  
 
塚本訳  ルカ 23:39-43
23:39 磔にされている罪人の一人がイエスを冒涜した、「お前は救世主じゃないか。自分とおれ達を救ってみろ。」
23:40 するともう一人の者が彼をたしなめて言った、「貴様は(このお方と)同じ(恐ろしい)罰を受けていながら、それでも(まだ)神様がこわくないのか。
23:41 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる。」

●この強盗は人生を振り返って「俺は悪かった」と思った。神はこういう人間を第一番に天国に迎えた。この強盗は最後の悔い改めによって成功の人生であった。
●この強盗の心は「香油を塗った女」の心と同質。

塚本訳 ルカ 21:1-4
21:1 それから目をあげて、金持たちが賽銭箱に賽銭を入れるのを見ておられた。
21:2 またある貧しそうな寡婦がレプタ銅貨[五円]二つをそこに入れるのを見て、
21:3 言われた、「本当にわたしは言う、あの貧乏な寡婦はだれよりも多く入れた。
21:4 この人たちは皆あり余る中から賽銭を入れたのに、あの婦人は乏しい中から、持っていた生活費を皆入れたのだから。」


●この貧しい寡婦はどういう人か分からないが「生活費全部」を入れたというその心は高価な香油を惜しげもなく注いだ婦人の心と似ている。 

塚本訳  マタ 22:36-38
22:36 「先生、どの掟が律法の中で最大ですか。」
22:37 イエスは言われた、「『心のかぎり、精神のかぎり、』思いの『かぎり、あなたの神なる主を愛せよ。』
22:38 これが最大、第一の掟である。


●香油を注いだ婦人、十字架の上の強盗、貧しい寡婦に共通の事は「心も、精神も、思いも」神に対して全力であった。これが人生で最高に大切な事。この三人は人の眼には失敗に見えても神の眼には大成功の人生。
●この三人は人生の目的を失敗を通して掴んだ。天国ではこの三人が最も輝いているであろう。
●人生は神に帰る事に始まって終わる。
●それに比べて自分のイデオロギーを神としているヒューマニストは神に嫌われる。それこそ「神観の違い」である。
●ヒューマニストは神なきこの世の人には称賛されるが神の眼には全く無価値。無価値ばかりでなく深い罪の毒素を持っている。 

●次回感話(6月3日)の標題と結論。

この婦人のしたことは罪の赦しの実証

 

・・・神抜きのヒューマニズではなく「イエスの死」を記念し伝承せよ・・・・

 

2012年6月3日 東京聖書読者会 高橋照男

 

陰謀と香油と反逆 マタイ26:1-16 塚本虎二訳

  

結論

塚本訳 マタ 26:13

26:13 アーメン、わたしは言う、世界中どこでも(今後)この福音の説かれる所では、この婦人のしたことも、その記念のために一しょに語りつたえられるであろう。」

●福音の説かれる所とはイエスの死と復活の宣教。婦人の行為は罪の許しの実証

 

塚本訳 ルカ 19:10

19:10 人の子(わたし)は『滅びうせた者をさがして』救うために来たのである。」

 

塚本訳 ヨハ 12:47

12:47 しかしわたしの言葉を聞いて守らぬものがあっても、わたしはその人を罰しない。なぜなら、わたしは世を罰するために来たのでなく、世を救うために来たのだから。

●この世には悪魔という存在があって人間を闇に引きずり込む。それは神と同じく目に見えないが、人間に住み込んでいる。悪い友人がそれである。しかし神の恩恵でその悪から逃れなければならに。だから「主の祈り」には

「私たちを試みに会わせないで、悪から守ってください」とある。クリスチャンはこれを毎日いのらなければならない。なぜか。人間は弱いから、悪魔の誘惑にはいつも必ず完全に負けるからである。神の守りがなければ「金や女」の誘惑からのが人間の性(さが)だ。生身の人間はこれに勝てない。しかしこの危うく世は信仰で突破できる。

新共同 黙  2:10
2:10 あなたは、受けようとしている苦難を決して恐れてはいけない。見よ、悪魔が試みるために、あなたがたの何人かを牢に投げ込もうとしている。あなたがたは、十日の間苦しめられるであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう。

●TSK日本語版Ⅱテモ入力完了。パウロのテモテを思う心。頼りにしている心。
●妻が少し具合が悪くなって寝ていた。心配。

 


 
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人に馬鹿にされた時に ++++++++ 所感

2012/05/21 06:05

120521(月)4時半起床●朝の黙想「人に馬鹿にされたとき」●人に馬鹿にされて受け入れられなかった時の苦しみは大きい。イエスやパウロにはそれがあった。

●信仰が無くてこの世の尺度できりものを考えられない人間は人を「学歴」または「卒業学校」または「留学経験」「社会的地位」「勤務先」「職業」「家柄」「経歴」できり判断できない。

●悲しいかなそういう人には神の霊をもたないから次のような驚きがない。見る目がない。神に祝福されていない証拠。

塚本訳 マタ 7:28-29
7:28 イエスがこれらの話を終えられた時、一しょに聞いていた群衆はその教えに感心してしまった。
7:29 自分たちの聖書学者のようでなく、権威を持つ者のように教えられたからである。

塚本訳  ヨハ 7:14-15
7:14 祭がすでに半ばになったとき、(すなわち祭の四日目に、)イエスが宮に上って教えておられると、
7:15 ユダヤ人は驚いて言った、「この人は学校に行ったこともないのに、どうして聖書を知っているのだろうか。」

塚本訳  マタ 13:54-57
13:54 郷里(ナザレ)に行ってその礼拝堂で教えられた。すると人々が驚いて言った、「この人はどこからこの知恵と、奇蹟とを覚えてきたのだろう。
13:55 これはあの大工の息子ではないか。母はマリヤで、兄弟はヤコブとヨセフとシモンとユダではないか。
13:56 女兄弟たちは、みんなわたし達の所に住んでいるではないか。するとこの人は、こんなことを皆どこから覚えてきたのだろう。」
13:57 こうして人々はイエスにつまずいた。しかしイエスは彼らに言われた、「預言者が尊敬されないのは、その郷里と家族のところだけである。」

●なぜこのような俗悪な判断きり出来ないのか。それは悪魔に真理を見る目をくらませられているからである。神から見放されているからである。先がない。神に祝福されてない。

塚本訳  Ⅱコリ4:4
4:4 彼らの場合、この不信者たちの考えをこの世の神(である悪魔)が盲にして、神の影像である救世主の栄光をつげる福音の光を見ることができないようにしたのである。
塚本訳  マタ 27:42
27:42 「あの男、人は救ったが、自分は救えない。イスラエルの王様じゃないか。今すぐ十字架から下りてくるがよい。そうしたら信じてやるのに!塚本訳  ヨハ 8:44
8:44 (そのはずである。)あなた達は悪魔なる父の子で、父と同じ欲望を遂げようと思っているのだ。(人殺しをし、嘘をつくのは、そのためである。)悪魔は始めから人殺しである。(また嘘つきで、)真理に立ってない。彼の中には真理がないからである。だから彼は嘘をつく度ごとに、その本性を表しているのである。嘘つきで、嘘の父だからだ。

●こういう人にはどう対峙したら良いのか。その人の救いを祈って「命からがら」逃げるのが「道」である。なぜか。人は人を救えない。教えられない。それは人の顔の形を変えようとしたり肌の色を変えよとするほど愚かなことだ。ジェントリーに別れた方が賢い。永久に別れた方がよい。無理をするな。

口語訳 エレ 13:23
13:23 エチオピヤびとは/その皮膚を変えることができようか。ひょうはその斑点を変えることができようか。もしそれができるならば、悪に慣れたあなたがたも、善を行うことができる。

塚本訳  マタ 13:14
13:14 こうしてイザヤの預言はあの人たちに成就した。──『あなた達は聞いても聞いても、決して悟るまい、見ても見ても、決してわかるまい。

塚本訳  マタ 10:14
10:14 しかし人があなた達を歓迎せず、あなた達の言葉に耳をかたむけないなら、(すぐ)その家なり町なりを(出てゆけ。そして)出てゆくとき、(縁を切った証拠に)足の埃を払いおとせ。

塚本訳  マタ 15:12-14
15:12 あとで弟子たちが来てイエスに言う、「パリサイ人がお話を聞いて腹を立てたことを御存じですか。」
15:13 イエスは答えられた、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜かれる。
15:14 あの人たちを放っておけ。盲人の手引をする盲人だ。盲人が盲人の手引をすれば、二人とも穴に落ちよう。」

口語訳 出  14:14
14:14 主があなたがたのために戦われるから、あなたがたは黙していなさい」。


口語訳 詩  27:10
27:10 たとい父母がわたしを捨てても、主がわたしを迎えられるでしょう。
 
塚本訳  ヘブ 13:13
13:13 それならばわたし達も彼(と同様)の罵りを忍んで、(肉のこの)『宿営の外』に出て彼のところにゆこう。

塚本訳  使  18:6
18:6 しかしユダヤ人にはこれに反対して(イエスを)冒涜するので、パウロは(絶縁のしるしに)上着の塵を払いおとして彼らに言った、「(最後の裁きの日に流す)あなた達の血の責任は、あなた達自身に負わされる!わたしは良心の咎めなく(あなた達をすてて、)今からのち異教人へ(伝道に)行く。」

●日本聖書協会はこのたび「聖書 委員会訳と個人訳」というテーマでのセミナーを4日間開く。これは良い企画である。私は6月2日の土戸清(全新約学会会長)を聞きに行く。
●真理は人間の会議では決まらない。委員会訳は平均的なこの世的になじむ無難な訳になる。当時キリスト新聞社社長の武藤富男氏は正式に神学校に行ったことも無いのに独力ギリシャ語を学ん新約聖書の翻訳に挑んだ(賀川豊彦の命)。深夜ギリシャ語を学んでいる時、背後にはっきり復活の基督の臨在を感じたという。神が励ましたのであろう。不肖私も似たような経験がある。殻の墓の勉強で「胸が熱くなった」こrとと、机の向い側で復活のイエスが確かに座っておられることが「私にきりわからなかった事で「復活のキリストは特定の人にきり見えなかった」のだということを知った体験である。これは秘儀であるから自慢はできない。
 
塚本訳  Ⅱコリ12:7-9
12:7 そしてこれらの素晴らしい啓示があるので、わたしが高慢にならないようにと、わたしの肉に一つの刺が与えられた。悪魔の使いであって、これはわたしが高慢にならないようにと、わたしをうつものである。
12:8 この使について、それがわたしから手を引くようにと、三度まで主に願ったが、
12:9 主は(その都度)言われた、「わたしの恩恵はあなたに十分だ。力は弱さの中に完成されるのだから。」、それでわたしはキリストの力がわたしに住みついてくださるように、大喜びで、むしろ(自分の)弱いことを自慢しよう。

●武藤氏が塚本虎二先生を訪問されたとき、先生は「個人訳は大切です。学者に見せてから永久保存しなさい」と助言された。そこでできたのが、武藤富男、渡瀬主一郎強共訳「新約聖書」である。
●聖書は自分流読みが大切だ。個人訳が大切な意味もここにある。なぜか。最高法院の会議の決定でイエスは殺された。イエスは聖書を個人読みした。会議は良い道を選べない。よい意見が通らない。
●2016年に上梓される日本聖書協会の「標準訳」の翻訳者51名の氏名が発表されたが、無教会者がいないのは淋しかった。1995年頃に出版された岩波版の聖書の方に流れていたからであろう。 


resize2236.jpg 

金環日食の欠け初め。日食眼鏡(紙製296円)をカメラのレンズに宛てて撮影


resize2238.jpg 

金環日食の瞬間だが、カメラの精度が低いのでうまく金環ぶりが写らなかった。
しかし妻も私も日食眼鏡ではっきり見えたのえで、満足。2012年5月21日7時33分
932年ぶり。


resize2239.jpg  

金環日食の欠け終わり

●聖書と日食 

新共同 ルカ 23:44-45
23:44 既に昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、それが三時まで続いた。
23:45 太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。

塚本訳 ルカ 23:44-45
23:44 すでに昼の十二時ごろであったが、地の上が全部暗闇になってきて、三時までつづいた。
23:45 日蝕だったのである。すると宮の(聖所の)幕が真中から(二つに)裂けた。

●塚本訳の「日蝕だったのである。」は意訳。原語は「太陽は光を失い」である。こういうことが委員会訳と個人訳の違い。 


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人はいかにしてキリスrト信者となるか ++++++++ 所感

2012/05/20 07:49

120520(日)昨夜は遅かったので6時起床●朝の黙想「人はいかにしてキリスト信者になったか」●内村鑑三の「余はいかにして基督信徒となりしか」は異教人がいかにして信者になったかという興味から当時のキリスト教国でベストセラーになった●同じく、今日では「あの人はどうしてクリスチャンになったのjか、その理由を知りたい」という人がいる。●人が基督信徒になる理由とプロセスは百人百様である。それは住宅の形が一つとして同じえではないのと同じである。顔の形も同じに百人百様であるのと同じ。●ところが良く観察すると共通点がある。それを黙想して見よう。自分の過去を振り返って「生体解剖」されるようで苦しいが恥を忍んで黙想して見よう。引用聖句は省略。

共通点の1.・・・救いを求めていたこと。人生とは何か、生きるとは何か、死とは何か、生きがい とは何か。だから求道は高校生が多い。チャンス。

共通点その2・・・福音は人を介して伝わる。夫婦仲が良いこと、兄弟仲がよいと福音が伝わる。牧師、、先生、伝道者を「心の中で批判していれば」福音は伝わらない。

共通点その3・・・聖書の言葉が関係する。結局は聖書に行きつく。エクレシアは聖書中心でなければならない。大人物の本ばかり読んでいてはいけない。その大人物に躓いて福音が伝わらない。

共通点その4・・・人知では考えられない「意外なこと」が起きて導かれる。病気、失敗、天災、事件、事故、貧困失業、不和・・・・

共通点その5・・・エクレシヤに「光」を見る。「教会にでも行ってみようか」という気持ちになる時。空しい時、淋しい時がチャンス

●妻と集会に行く。茂木、丹野、村上●小寺夫妻と私達とで昼食。●14:30 私としては最後の今井館理事会。●理事在任23年間。良い人との出会いがあって感謝。●福島常務理事から新井理事長の容態報告●今井館資料、特に無教会雑誌類の電子データ化についても相談●帰途は浅野摂郎理事、岩島清監事と懇談。自由が丘駅構内で信仰的に有益な立ち話は感謝。
●岩島監事も御高齢の為本年御退任



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今井館聖書講堂 1935年 柏木より移築 私が生れる前の事だ。


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今井館資料センター1986年 竣工 もう26年も前の事だ。資金集めに苦労。
 
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今井館資料館 2000年竣工 12年前の事だ。あの時は家屋焼失、脳内出血の時だった。


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今井館中庭  2000年竣工 小鳥も来るたろうと思って設計したが・・・・


●サヨウナラ今井館、約28年間(うち23年間は理事)、良い出会いをいただき感謝でした。

   
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自殺してはいけない理由 ++++++++ 所感

2012/05/19 21:33

120519(土)5時起床●朝の黙想「自殺」●クリスチャンを「やっている」と難問が降りかかってくる。●御夫人に先立たれ、生きがいを失って「自殺したい」という人に、「復活」「また会う日まで」の言葉を言ったら、「ありがたい、ありがたい」と言って下さった●その人にさらに言った。「自殺は器物損壊の罪だからいけないのだ。自分の体は自分のものではなく、神から預かっているものだ」と言ったらこれも良く分かってくれた。●しかし心配だ。自殺は精神の病から突然に実行される。●「人間」、淋しい時は大声で歌を歌えばよいのだ。クリスチャンだったら讃美歌を歌えばよいのだ●TSK日本語版Ⅱテモ2章を急いで入力●14:00混声合唱団もくせい第8回演奏会に昭島公会堂に行く。妻が出演。プログラミングが良かったので楽しかった。いろいろな方々に出会った。森田、小寺、山本、安藤、石川、宮城、原、軽部。 

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前半は、ブラームスの歌曲と「蔵王」。指揮は小津凖策。心の通う演奏であった。


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後半のホームソングメドレー、とアンコール「落葉松(からまつ)」、野上彰作詞小林秀雄作曲がよかった。

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ソプラノ独唱は竹森真子。J・シュトラウスの「春の声」はよかった。真子さんは芸大で声楽を学んだが、プロの道を 行かなかったところを気に入っている。カールリヒターがミュンヘンバッハ合唱団を作る時の団員募集条件は プロではないことであった。声の質が素直である事がその理由と思われる。何事もプロではなく素人の方が純粋だ。彼女、クリスチャンなので「賢き夫は主より賜る」だよと言った。
 
口語訳 箴  19:14
19:14 家と富とは先祖からうけつぐもの、賢い妻は主から賜わるものである。

●明後日の金環日食を見る紫外線防止メガネはどこでも売り切れ。7軒目でようやくゲット。

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「死んで詫びたい」と思う時 ++++++++ 所感

2012/05/18 06:00

120518(金)5時目覚め。●朝の啓示「金と女以上のもの」●過日某氏から「ルカ15章の『放蕩息子』は父の元に戻ってからどういう生き方をしたのでしょうか」という質問があった。●今朝はそれについて黙想する。対話は人をアウフヘーベン(止揚・・・高める)する。
●あの放蕩息子は生前贈与で大金を握った。人は大金を握ると人が変わる。そしてお決まりのコースで「汚い女」(ルカ15:30)に溺れた。いわゆる水商売の女。●人間は金の使い方で人間性が現れる。それまでの教育が現れる。●大金が転がり込んでも遊びに使わないでよいことに使った人を何人も知っている。こういう人を「天に宝を積む」(マタイ6:19-20)というのだ。しかしこれはよっぽどの人でなければできない。
●さて、金と女に見放されて「食えなくなって」尾羽打ち枯らして( 鷹の尾羽が傷ついてみすぼらしくなる意からそれまで 羽振りの良かった者が、落ちぶれて以前の威勢のいいおもかげを失うたとえ) しかたなく父の元に逃げ帰った。これで心が砕けた。これ神の目的。長くかかった。しかし長さは問題ではない。
●今回の対話の主題はその後の事である。救われた人間はその後どのように生きたか、生きるべきかの問題である。それには次のルカ16章が答える。
●不埒な番頭の譬(ルカ16;1-8)富の利用について(ルカ16:9-13)律法と神の國(ルカ16:14-18)金持ちとラザロの譬(ルカ16:19-21)つまり金の使い方である。あの息子を狂わした魔性の金は今度は自分の為でなく天国に行くための準備としてこれを賢く使えと言うのである。うまく利用せよというのである。これらは塚本敷訳で読むと意味が通る。水準の低い翻訳や註解だと意味不明であるし時間の無駄である。
●「金」という言葉に代表される言葉は、人が持っている頭脳や健康などの全財産である。それまでは自分の欲望の実現に仕えていたが、今度は神に仕えるようになる。「人の為によかれ」と思う行動は一見神の為と思いがちだが、そこが落し穴。
●いわゆる人道主義、ヒューマニズムは神抜きで人間の腹が神になっている。神観の違いである。神の顔が立たないから、神としても面白くない、だから協力したくない。したがって神の祝福が得られない。
●今度は結婚問題。父親としても「彼も真面目になったからそろそろ身を固めて家庭をもったらどうか」と思うし、本人も人生やり直して「清く明るい家庭」を持とうと思う。
●それでは相手の女性は?。
●以下は映画監督になったつもりで創作する。その女性はあの元娼婦である。「イエスの足に香油を塗る」(ルカ7:36-50)に出てくる回心した「罪の女」は娼婦であったらしい。男から大金を巻きあげたから金は持っていた。だから高価な香油を注げた。その金はあの放蕩息子から巻き上げた金であった。並行記事のヨハネ12:5によれば香油の金額は300デナリ。当時一日の労働r賃金は一デナリだったから、実に300日分。これを見ていたユダは「もったいない」と思ったのは当然である。(マタイ26:9,14)。300日分の金をつぎ込んだ男も男だ。
●イエスの周りにはそういう転落して回心した女性がいた。清くなった女性がいた。
●ある日その息子は元遊んでいたが今はすっかり清められた「女」と偶然に出会って、結婚することになった。そして夫婦揃って生涯「清く、正しく、明るい」家庭を築き、子供達も神を信ずる「良い子」になり幸福なる一生を終えたという「ストーリー。これ「私の創作」
●放蕩息子の兄のような謹厳実直な固い冷たい面白くない人間よっぽど「話しのわかる」人間だ。神が喜ばれるのばこういう人である。 
●しかし罪は代償が必要。ただでは赦されない。オメオメと赦すわけにはいかない。それだけ多くの人を悩ませ、苦しめたからだ。罪の価は「死」である。死が罪を贖う。罪人は「死」を覚悟しなければならない。人生は厳粛だ。イエスはその身代わりの死を遂げて下さったのだ。
●人生一度は「死んで詫びたい」という気持ちのペシャンコになる惨めな事件に遭遇しなければ聖書や十字架の有り難さは分からないのだ。その時は来る。それは神の恩恵の時。
●救われた人間にとって神の霊はこの世の魔性の金以上のもの。それは真の富を抱く喜び。 ●救われた人間にとって神の霊と共に一緒にいるのは魔性の女の美しさ以上のもの。喜び平安
●過日、私は建築の仕事でキリスト教愛真高校に行き生徒に語った。「皆さん、イケメンや美女と結婚してはいけない。神を信ずる人と結婚せよ」と言った。グッと来た人間がいたようだ。目の反応で分かった。第一にイケメンは金と教養がない。さらに言う。道徳がない。
●私の話しに反発する人間は悪魔に魅入られているのだ。今分からなくても気が付くのは遅くてもよい。それが人生だ。事業の失敗、結婚の失敗、子育ての失敗。みな益となる。
●人間は必ず「死んで詫びたい」と思う時は来る。それは神の恩恵の時。それはこの世で駄目なら来世でその時はくる。なぜか。人間だから。神は罪を赦す。キリストの血で贖って救う。
●「桃栗3年、柿8年、柚の大馬鹿18年、人の救いは最後の日」だ。
●人類、男は皆「放蕩息子」、女は皆「罪の女(娼婦)」。そういう過去を持っているのだ。人は人を裁けない。
●神は「絶対恩恵による無条件の罪の赦し」で人を救う。なぜか。神は本当の「父」だから。父なる神はどんな人でもその全能の力で救う。罪をすっかり清めて楽にし手下さる。 

●TSK日本語版Ⅱテモ一章入力。
 

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罪の重荷は代償で楽になる ++++++++ 所感

2012/05/17 09:07

120517(木)4時45分起床●朝の啓示「罪の重荷は代償で楽になる」●人生で最大の苦は罪の苦しみである。貧困、病も苦であるがそれ以上の苦しみである。なぜか。罪により、神からも社会からも、然り自分自身からも人格が滅却されるからである●まず自分自身が「窒息」の苦悶になる。●一人の人の罪で、自分も家族もエクレシアも「痛む」。●この苦悶から救われるには「死」が最終的な解決である。パウロは「罪の価は死」であるという。

塚本訳  ロマ 6:23
6:23 なぜなら、罪が(奴隷に)払ってくれる給料は死であり、(従う者に与えられる)神の賜物は、わたし達の主イエス・キリストにおいての永遠の命だからである。

●償いきれない罪を犯した時の解決は「自殺」である。死は罪を清める。ユダはそうした。●監獄では囚人が自殺しないように様々な工夫がある。ドアー丁番は首つりの紐がかからないように斜めに切り落としてある。これを「病院丁番」という。病院でも必要だからである。●罪の結果は自分の死、夫婦間の争いによる離婚、家族の悩みと崩壊、企業の不信用による倒産、国家の敗戦、これらはこの世での「罰」である。罪の罰である。しょうがない。●ヒルティは「この世には倫理的世界秩序が厳然と存在するから、これを固く信ぜよ」という。安心せよというのだ。つまり神を信じない者の世界にも、この倫理的世界秩序というものは厳然とあると言うのだ。「悪は悪自身で滅びる」rというのだ。この世はそういう原理で出来ているのだ。●罪は必ず神によって清算を迫られる。●神による前に、まず自分の苦悶が罰、次に伴侶や子供の離反、これが罰。勤務先からの追放、それによる貧困。●ここで目が覚めない人間はまず見込みがない。自分も家庭も子供も会社も滅ぼされる前に早く「悔い改める」必要がある。●人生を深刻に考えよ。自殺するくらいに自分の罪に思い悩め。●過日電車への飛び込み自殺があったが、その遺体処理に時間がかかって多くの人に迷惑をかけた。自殺するなら人に迷惑をかける方法はやめよ●このドロドロの苦しみから「楽になる」のはキリストの十字架による代償の死をありがたく受け入れることだ。人間どうせ自殺するなら、イチかバチかで「神に飛び込んで」みる必要がある。すると神はその砕けた心をきっと救う。●なぜか。神はそういう砕けた、罪の自覚のある人間を救うためにイエスを代償で殺したのだ。

●人間は犬猫ではないのだから、いつか自分の罪を恥じる。恥じないで死んでも「最後の審判」がある。そこで悔い改めない場合は未来永劫の滅却である。新約聖書の黙示録はそれを「第二の死」という。恐ろしいことではないか。そうなったら溜めたお金も地位も役に立たないのだ。●こういうキリスト教が嫌なら、死ねば霊魂は肉体から離れて神や仏のになるというグノーシス(ギリシャ哲学のような主知主義)か仏教にでも行け。その宗教の方がよっぽど分かりやすい。 

 塚本訳  ガラ 1:4
1:4 キリストはわたし達の父なる神の御心にしたがい、わたし達を悪い現在の世から救いだそうとして、わたし達の罪のために自分を与え(て十字架につけ)られたのである。

●去る15日に何人かの方に久保田浩論文を紹介したが、今日はそれにに「目を通された99歳の大長老からご感想のお電話頂いたので、びっくり恐縮した、(5月15日のブログ参照)。そこで建築士的 としての私的感想を書いたが、その結論に同感していただき、「我が意を得たり」と思った。その私的感想とは次である。ご感想を頂いてまたアウフヘーベン(止揚、・・高める)された。人は対話で進歩向上させられる。

久保田浩論文に対する私的感想の結論  (5月15日ブログより)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●貧しくなければ「貧しき者は幸いなり」はわからない。泣かなければ「ああ幸いだ今泣いている人たち」はわからない。十字架で罪を赦される新生の経験なくして新約聖書は永久にわからない。。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
久保田浩論文に対する私的感想の結論  (5月15日ブログより)


●某氏曰く「自分とは今まで出会って影響を受けてきた人の総体である」。これ至言。●だから人生は出会いで決まる。優れた良い人との出会いは、職場では得られない。学校でも得られない。肉のつながりの家庭でも得られない。遊びのサークルでも得られない。それらは集まりの目的が違うからである。ノーブルではない。●愛とノーブルの集まりは神のエクレシアである。その中でも信仰の篤い人(それは少ない)知り合いになれ。クリスチャンでも選び分けよ。知的遊び人信者とは付き合うな。どんな人と「仲間」になるべきか。次の復活のイエスがパウロに語った言葉である。 

塚本訳  使  26:18
26:18 彼らの』目をあけて』彼らが『暗闇から光に、』悪魔の権力から神に帰るため、そうして彼らがわたしに対する信仰によって罪の赦しを得、きよめられた人たちの仲間に入れていただくためである』と。 

●聖書セミナー、土戸清 6月2日および国際聖書フォーラム 田川建三他 7月5-6日を申し込む。聖書解読のプロの話し。恐らく「神学論争」。
●聖書は素人読みでプロに対抗しなければならない。その方が真の聖書理解になるはず。素人の強み。聖書学の鎧を着ているゴリアテに対して素人はダビデのように聖霊の小石で打倒せ。 
●地元のあきる野市図書館に都立図書館からベンゲルの「グノーモン新約聖書註解(1)」が届いた。散見すると「聖書が聖書を解説してくれる」 (訳者序文)とある。私の「聖書を聖書で読む。BbB」は方法論として間違ってないことを知ってうれしくなった。何せ270年前もの本であるが、近代聖書学に道を開いた画期的な本と言われている。●グノーモンとは「日時計の針」という意味で、神学論文でなくコンパクトなところが魅力である。

resize2227.jpg 
妻の友人のSさんが下さったシャクナゲが咲いた。花は人の心を伝える。

●NHKTV19:30 延命処置としての「異ろう」(管で胃にチューブを差し込んで栄養剤をいrうぇる)の実態。それで12年も生きている老人の実態。チューブを抜くと殺すことになるから医師も家族は抜くに抜けない。●妻と私は以前から延命処置はしてくれないように言ってあるが、それが通じなくて延命亜処置を施してしまうと、今度はそれを中止するわけにはいかない悩みがあることを知った。●なにか死生観の欠陥のような気がする。

 

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金と女の魔力に沈没した男の救い ++++++++ 所感

2012/05/16 05:36

120516(水)4時起床。早朝散歩は気持がよい。写真を撮るが、小鳥の声は入れられない。●祈りの散歩。カトリックの修道士は3時起床だというから負けちゃーいられない。

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五日市線を渡る。一番電車まであと一時間

resize2223.jpg 
「夜明け前」(島崎藤村)、「友よこの調べではない」(ベートーベン第九第4楽章冒頭)
この暗さは人間がまだ神を知らない時の悪魔に支配されている心。チャイコフスキー「白鳥の湖」における悪魔ロットバルトの娘、オディールの衣装は黒。「我は暗闇に泣く赤子」(内村鑑三「求安録」の結語)


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奥多摩連山もまだ眠っている。安らかな眠りは神の賜物。
あきる野市庁舎が見える。役人は基本的には神の遣わした者。この世の秩序を大切に。
体制即悪とは考えてはいけない。反抗しないで彼らの為に祈ることが必要。それが十字架を負う道。


resize2225.jpg 
富士山(中央)。日本が誇るあの富士山も、何千年もすると形が崩れるという。
この世のものはいつかは無くなる。消える。過ぎ去る。しかし神の言葉は「永遠」。

resize2226.jpg 
夜明け!!。神は光、キリストは光、救いの光、贖罪の愛の光、
「ミルトンよ、今あれかし。英国は汝を要す。来りて我らを教えよ」(ワーズワース)


●家に戻ってメールを開くと昨日関係者に紹介した下記久保田浩(立教大学)論考には何人かの方から御返事を頂いた。いずれも有益な御感想であった。


久保田浩著「聖典解釈と思想生成――ドイツ敬虔主義の聖書解釈学における――」

http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/26150/1/rel00903.pdf

●本論考を読むのにはかなり時間がかかるので、その感想を昨日(15日)のブログに書いたので参照されたい。

http://teruonikki.blog55.fc2.com/blog-entry-2432.html

●今朝開いた御返事のメールは、日本の宣教に重要な課題を含んでいるので、私だけにとどめておくことが出来ず公開する。真理は対話でアウフヘーベン(止揚・・高める)される。

久保田浩論考に対する感想来信。(省略なし )
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
高橋兄

久保田教授の論考を御紹介くださりありがとうございます。リンクを開いて目を通しましたがその程度では内容を把握できません。今週は少々多忙につき後日ゆっくり読ませていただきます。

ただ、最近時々思い巡らしていることは、聖書中心主義=すなわちキリスト中心主義が聖書偏重主義=すなわち人間中心主義(聖書を人間の手中に収めようとする主義)になってしまっているのではないかということです。使徒行伝に記されている時代は未だ新約聖書は成立していない。主の復活の証人となった人々が確信をもって大胆に復活を、そして十字架の福音を宣べ伝え、聖霊の働くところ次々と人々は信じていったという事実です。新約聖書が与えられたこと、そこに記された記事を文字として読めることは大なる恩恵でありますが、全世界に目を転ずるとき、現在でも文字を読めない人々がまだ大勢いること(識字率が低い地域が多いこと)、文字を読める人がいても読むべき聖書(翻訳)がないことな どを思い巡らすと、必要なのは救いに与った者たちが主の十字架と復活の証人として文字以外の「ことば」をもって直接(あるいはあらゆるメディアを用いて)福音を宣べ伝える必要がありそうです。印刷された聖書をもち、それを読むことのできる教育を受けた私たちは幸いである一方で、それができない世界の多くの人々のことを忘れがちです。ミッション・スクールの本源は文字となった聖書を読めることができるような教育であるのかもしれません。パウロやペテロをはじめ初代教会には現在あるような「書物としての聖書」はありませんでした。みな生命と全生涯と生活を賭して、十字架と復活と再臨を「宣べ伝え」て廻りました。新約聖書を通してそのような生き様と緊張感(特に苦難や迫害の中で主を 待望する緊張感)を読み取りたいものです。「神のように」(創3:4)ならんとする人間の罪は、神のことばである「聖(なる)書」をも手玉に取らんとする誘惑に常に曝されていることを肝に命ずるべきでしょう。

本論考については後日改めて。

主に在る交わり感謝して取り急ぎ応答まで。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
久保田浩論考に対する来信感想。(省略なし)  終わり。

●この感想に対する私からの礼状を次に掲げる。

久保田論考に対する来信感想への高橋からの礼状。(かなり省略改変)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

❍❍兄

 

まことにアーメンです。

兄の疑問は私が年来抱いていた課題です。今後引き続き御教示下さい。

悪魔は人を聖書すら開かせんようとしません。「ヤバイ、滅ぼされる」と恐怖を感じさせるのです。

某先生が米国で「無教会主義」のことをキリスト教指導者に説明したところ、それは「強者のみに通じる事だ」と言われたそうです。これまさに日本の教会と無教会にズバリです。

特に無教会の講師は決まって大学教授です。人間は大学教授という「権威」に弱いのです。

山上の説教の最後に民衆はイエスの言葉に「学者にはない権威」を感じたとありますが、あの権威が今は見当たらないのです。大脳皮質の知識偏重です。

また日本のプロテスタントは中産階級に入ったとは歴史家の指摘です。

そうすると「金と女の魔力に沈没した男」の救いなどは具体的にどうしたらよいのか。それは私のこれ今朝の私の啓示による課題です。日本の教会、無教会は「敷居が高い」のです。罪におびえる失敗者は近づけません。「ヤバイ、罪があらわにされる」と恐怖に感じるのです。

もうずっと昔の事になりますが、若い日にM君と聖書合宿会で親しくなりました。、後にM君のおばさん(無教会)から「Mをよろしく」と長文の手紙を頂きました。

しかしM君はあるとき「高橋さん。あの集会はカッコイイ仕事や地位でないと行きにくい」と漏らしました。彼はその後不幸にも精神の病になり自殺。アー、人生は何と言うことだ。彼が私に何も告げずに逝ったことが悔やまれました。彼に何もしてやれませんでした。来世で私はあのおばさんに会わす顔がありません。こんな私でも最後の日に救われるのだろかと思います。

 

高橋照男


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
久保田論考に対する来信感想への高橋からの礼状。(かなり省略改変)  終わり


●この難問についてはイエスの次の言葉が響く。これ今朝の啓示、慰め。

塚本訳  マコ 10:25-27
10:25 金持が神の国に入るよりは、駱駝が針の孔を通る方がたやすい。」
10:26 弟子たちはいよいよ驚いて互に言った、「それでは、だれが救われることが出来るのだろう。」
10:27 イエスは彼らをじっと見て言われる、「人間には出来ないが、神には出来る。『神にはなんでも出来る。』」

●妻は今井館ウィークデーの集いに出かける。
●帰宅してから内容の報告を受ける。今日はバット記念ホームのこと。日本は米国に世話になった。
●私の信仰の先輩は戦後になって、「戦時中米国の教会は日本の教会のために献金して祈っていたことを知って、愕然」。それで日本の敗戦の真の理由を知ってキリスト教に入信したと言う。  

 

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人生苦が聖書を理解させてくれる ++++++++ 所感

2012/05/15 06:25

120515(火)4時半目覚め●久保田浩著「聖典解釈と思想生成――ドイツ敬虔主義の聖書解釈学における――」を読み切る

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●プロテスタント、特に無教会主義の聖書研究の「方法論」の源流が敬虔主義のフランケやベンゲルにあることを知って目が洗われた思いである●著者(立教大学教授)はそれを「殻と核」という分かりやすい説明で説いている。殻とは聖書の文字の文献学的歴史的批評的研究、核とは意味の探究。これ車の両輪であるが、そこからフランケとベンゲルは少し見解が異なるようだ。再読して研究する。●無教会の塚本や黒崎の営みはこの両輪であった。まず文字の研究と文献批評と歴史的地理的研究、そして最後に本文の意味の探究、解釈。●神の言葉としての「聖書」は何を言わんとしているのか、「聖書で聖書を語らしむ」営みであることを知り、私の年来の「聖書で聖書を読む」という方法論は間違いでなかったことを知った。しかしそれは久保田教授のいう「核」の霊的解釈、意味の探究のみであって、殻(それは知的学問)の研究ではない。●語学(日本語もおぼつかない)に不得手な私は逆立ちしても殻の研究はできない。しかし建築士として私的に考えれば殻は建築の足場である。建物が出来上がれば足場は外される。足場を外して初めて建物本体の姿が見えてくる。意味を味わえる。そのとき足場は不要になる●しかし補修の時はまた足場が必要。だから点検用の足場を残しておく設計もある。●敬虔主義のフランケ、ベンゲル、チンチェンドルフ等がなぜ聖書の本文批評や本文校訂、また写本に熱心であったのかの意味も分かった。●目的は聖書の核の霊的味わいであるが、それは読者一人一人が直接に味わうべきことなので、他人の味わった話を聞く事によって味わうことは筋ではない。それは他人が食べた食べ物の話を聞くようなものでつまらない。旅行談がつまらないのと同じである。内村の聖書の味わいを読んで聖書を味わっているのは力がない。聖書を真に味わえない。●しかし「殻」の研究作業も「核」を味わうために必要。塚本も黒崎も信仰と学問が調和していた。●不肖私はその殻の構築作業に拙HPで貢献したい。翻訳比較や引照データの収集である。これによってHP読者が本来の「核」に触れてその意味の霊的解釈に触れることができるようになるためである●しかしフランケもベンゲルもその意味解釈には各自の「新生体験」が必要であると言う。●これ私的に言えば「人生苦難の体験である。苦難が聖書を理解させるのである。●貧しくなければ「貧しき者は幸いなり」はわからない。泣かなければ「ああ幸いだ今泣いている人たち」はわからない。十字架で罪を赦される新生の経験なくして新約聖書は永久にわからない。。

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社会改良よりも大切な「イエスの死」を記念せよ ++++++++ 所感

2012/05/14 06:19

120514(月)4時半目覚め。朝の啓示「社会改良よりも良いことをせよ:●次回感話の個所は罪の女がイエスの頭に高価な油を注いだらユダが「もったいない。貧乏な人に施せばよいのに」と非難したら、イエスをそれを咎めて「わたしに良いことをしてくれた」と言ったたという話し。(マタイ26:1-16)。このテーマは信者間におけるいわゆる社会派対福音派の争いの原点である。

●実例をもってこの現代的問題を考察しよう。
●某社会派信者が「(高橋達は)聖書簿勉強ばかりやっているからダメなんだ」と言いながらバタバタ走り回っている。これ「最も大切な」(Ⅰコリ15:3)神への耳順をしていない大怠慢の人間的行為である。存分にやってみるがよい。人生は短いぞ。社会改良で人は救われない。
●こういう行為主義者達は私が注意すると決まって「歯向ってくる」。その時の口調が似ているから不思議である。遊び人に遊びの内容を非難すると猛然と反撃してくるあの顔と似ている。●本人に何かやましいことがあるのだ。自分でも罪の自覚があるのだ。自分のイデオロギーという腹を拝んでいるから罪の匂いがする。マルキシズムの香りはするが「キリストの香り」がしない。
●そういう人間はキリスト信者をやめて政治運動家になれ。人権主義者になれ。しかし立候補しても落選する。なぜか。この世の人間より改革に不熱心だからである。中途半端である。
●彼らは自分が何か神の為に一角の善いことをしているという自負があって、何もしていない(と見える)信仰深い信者を覚醒しようと大所高所から天下国家の悪を裁く。余計なお世話だ。人を非難する前に自分の罪を知れ。「汝、自身を知れ」
●彼らはユダが金の(時間の)使い方が「もったいない」と非難する気持と根が同じである。イエスが嫌った態度である。不信仰の典型である。信仰の的が外れている。 神を畏れる畏れというものがない。その片鱗もない。 
●ルカの「マルタとマリヤ」のところで、忙しく働いているマルタがじっとイエスの話を聞いているマリヤを見て「何もしないで怠慢だ」と非難したところ、イエスは「マリヤは善い方を選んだ」と褒めたと言う話し(ルカ10:38-42)がある。
●私は建築をやっていて、社会派のグループは口は出すが金をあまり出さず、信仰のみ派(福音派と言えば福音派)の人達は口は出さないが金と労働力を出すことを如実に経験している。私としてもひどい迷惑をした。故人だが本人の名誉の為に名前は言わない。
●そんなに社会改良したければ自分の懐から金をだせ。家屋敷を売れ。
● この世の改良を目指している社会主義国の上層部の汚職腐敗ぶりは甚だしい。自分の改良をせよ。まず人間を清めよ。              
●神を信じていなかった評論家の家永三郎は、内村鑑三は「聖書の研究」を出し「再臨運動」に熱心になって社会問題から遠ざかった頃から「堕落した」といった。神を信じない堕落している人間からみればそう見えるであろう。家永三郎は「自分は善いこと」をしていると思っていたのか。
●教科書問題等体制への抵抗など神の国のことからすれば「この世のつまらない」ことだ。国家や体制を批判することが「善い」事だとでも思っているのだろうか。
●体制批判、革新勢力の一翼を担っていることに快感を覚える人間は神を畏れる畏れという信者の基本姿勢からは程遠いこの世的人間。悪いことは神が裁く。
●新約聖書は王とその臣下の為に祈れと言う。(Ⅰテモ2:1-3、ロマ13:1)
●社会改良を本職にするな。それは自分のイデオロギーに仕えていることで、偶像礼拝である。社会改良主義者は右の手のすることを左の手に見せている。だから神に喜ばれない。
●今日ではクリスチャンと自称する人でも無神論者たち(大江健三郎など)の尻馬に乗って社会批判している。即刻信者たることををやめよ。
●こういう「運動」は長続きしないことで神の裁きにあうのであるから「放っておく」に限る(毒麦の譬マタイ13:24-30。15:14も類似)。イデオロギーは後継者が出ない。伝承できない。
●東日本大震災は人間が「よかれと思ったイデオロギー運動」を挫折させたのだ。 
●では何をすべきか。行きあたりばったりの場所で十字架を負うことだ。毎日十字架を負えと言うのは人生は行きあたりばったりでよいということを暗示している。 
 
塚本訳  ルカ 9:23
9:23 それから今度は皆に話された、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、毎日自分の十字架を負い、それからわたしに従え。

●自分のイデオロギーを「職業」にしようとするのは間違いである。人間のイデオロギーはいつか挫折する。神の顔がたたないで人間(自分の思想)を立てようとするからである。
● こういう人種は遊び人と同じく神に祝福されないからなにもかもうまくいかないのは当然だ。
●十字架は負おうとするな。いやいやながらでも負わされよ。

●次回の感話の標題が決まった。

社会改造よりも大切なイエスの死を記念せよ
・・イエスがユダを咎めた理由・・・

●これの聖書的根拠は次である。「最も大切なこと」である。こういうことは聖書を真面目に読まないと分からない。

塚本訳  Ⅰコリ15:3-5
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。塚本訳 Ⅱペテ3:12
3:12 神の日の到来を待ち望みつつ(これを)早め(ることに努力せ)ねばならぬことであろう!その日『天は』焼けて解け去り、日月星辰は燃えて『溶けるであろう』。

塚本訳  使  23:6
23:6 そのときパウロは(役人の)一派はサドカイ人、一派はパリサイ人であるのを見て取り、法院で叫んだ、「兄弟の方々、わたしはパリサイ人で、しかもパリサイ人の子です。いま死人の復活の希望のために裁判されているのです。(わたしは復活のキリストを見たと言いますから。)」

口語訳 Ⅰペテ1:21
1:21 あなたがたは、このキリストによって、彼を死人の中からよみがえらせて、栄光をお与えになった神を信じる者となったのであり、したがって、あなたがたの信仰と望みとは、神にかかっているのである。

口語訳 Ⅰペテ1:3
1:3 ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ、

塚本訳  ヨハ 6:27
6:27 (食べれば)無くなる食べ物のためでなく、いつまでもなくならずに、永遠の命に至らせる食べ物のために働きなさい。これは人の子(わたし)があなた達に与えるのである。神なる父上が、(これを与える)全権を人の子に授けられたのだから。」

塚本訳  ヨハ 6:50
6:50 それを食べれば死なないもの、これが(本当に)天から下ってくるパンである。

●TSK日本語版Ⅰテモ3章入力
●午後はBKと歯医者
●図書館にベンゲルのグノーモンを注文、幸い都立図書館にあったので取り寄せてくれる。
この本はウェスレ^-や黒崎幸吉に影響をあたえたrという。
●ベンゲルは敬虔主義派(日本の無教会に似ている)の中心人物。
●私も徒手空拳の「聖書で聖書を読む」方法でグノーモンのようなものをパソコンで世に提供したい。

  
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生きる望みを失いかけた時 ++++++++ 所感

2012/05/13 06:04

120513(日)5時目目覚め●朝の黙想「死人を蘇らせた神の力を信ずる」●パウロはその苦難の伝道の時に「生きる望みを失いかけた」と思うような窮地に陥ったことがある。そのとき彼は「死人をも生き返らせる神」に望みをかけた。●コレダ!。信仰とはこの事だ。ただ神を信ずるというのではなく、その限りない力を信じることなのだ。●証拠は?。イエスの有体的復活とその「使徒伝承2千年間の連鎖反応の事実●この信仰さえあればどんなに重い病でも、不幸でも、家庭内の深刻な悩み(家人が死んでいる)でも突破できる。なぜか。神は「死人をも生き返らせる力」を持っておられるのだから。●エクレシアの本質は「愛の交わり」「知的遊び、教養主義の集まり」ではなく、「死人を生き返らせた神」を記念する使徒伝承の連鎖であるべきだ。それを忘れずに毎週毎週集まるのだ。

塚本訳 Ⅱコリ1:8-10
1:8 だから、兄弟たちよ、アジア(州)でわたし達が遇った苦難については、知らずにいてもらいたくない。わたし達は力に余るほどひどく圧迫されたので、生きることさえ望みがなくなった。
1:9 ほんとうに、自分ではもはや自分に死の宣告を下していたのだ。これはわたし達が自分にたよるのではなく、死人を(も)生きかえらせる神にたよるためであった。
1:10 神はこんな恐ろしい死の淵から救いだしてくださった、今後も救ってくださる。今後もなお救われることと、わたし達は神に望みをかけてきた。


●「Jバイブル」で「死人」をヒットすると、何とそこにはパウロおよび新約聖書が説いていることはただひとつ、「死人を生き返らせることが出来る神」のことであることが分かる。少し多いが列挙してみよう。福音書の復活記事は除く。

使 3: 15 [塚本訳

(とうとう)命の先達(であるイエス)を殺してしまった。しかし神はその方を、死人の中から復活させられました。わたし達はそのことの証人です。

使 4: 2 [塚本訳

二人が人々に教え、イエスを例に引いて死人の中から復活を宣言しているので、腹を立てたのである。

使 4: 10 [塚本訳

あなた方御一同はもとより、イスラエル国民全体も、このことを知ってほしい。ナザレ人イエス・キリスト──あなた方が十字架につけ、神が死人の中から復活させられた方──その名で、この人がよくなって、あなた方の前に立っているのです。

使 13: 30 [塚本訳

しかし神は彼を死人の中から復活させられ、

使 13: 34 [塚本訳

なお、神がイエスをもう二度と朽ち果ててしまうことのない者として、死人の中から復活させられたことについては、『わたしは『ダビデに約束した永遠不動の聖なる賜物[永遠の命]をあなた達に』与えよう』とこう言われた。

使 17: 3 [塚本訳

すなわち救世主は苦しみを受けて(十字架の上に死に、)死人の中から復活せねばならなかったこと、また、「わたしがあなた達に宣べ伝えているイエス、この人こそ救世主である」と説き明かし、論証した。

使 17: 31 [塚本訳

神は一つの日を決め、その日に御自分の定めた一人の人(イエス)を使って『正しく(全)世界を裁こうと』計画しておられるからです。そして彼を死人の中から復活させて、すべての人に(彼が世界を裁くべき人であるという)その保証をお与えになったのであります。」

使 17: 32 [塚本訳

死人の復活と聞くと、嘲る者もあり、「そのことはまたいつかあなたに聞こう」と言う者もあった。

使 23: 6 [塚本訳

そのときパウロは(役人の)一派はサドカイ人、一派はパリサイ人であるのを見て取り、法院で叫んだ、「兄弟の方々、わたしはパリサイ人で、しかもパリサイ人の子です。いま死人の復活の希望のために裁判されているのです。(わたしは復活のキリストを見たと言いますから。)」

使 24: 21 [塚本訳

『わたしは死人の復活のためにきょうあなた達の前で裁判されているのです』と、みんなの中に立って叫んだその一言のほかに!」

使 26: 8 [塚本訳

(あなた方はイエスの復活を信ぜず、従って彼が約束の救世主であることを信じようとされませんけれども、)神が死人を生きかえらせるということが、あなた方にはなぜそんなに信じ難いことと思われるのでしょうか。

使 26: 23 [塚本訳

すなわち、救世主は死なねばならないこと、彼は死人の中から最初に復活して、(イスラエルの)民にも異教人にも光を伝えねばならないことを…」

ロマ 1: 4 [塚本訳

聖なる霊としては死人の中から復活して力ある神の子と定められた方、わたし達の主イエス・キリストに関するものである。

ロマ 4: 17 [塚本訳

『わたしはあなたを多くの国の人の父に決めた』と書いてあるとおりに。(ただし)それは、彼が信じた神、すなわち、死人を生かし、また無から有を呼び出される神の前においてである。

ロマ 4: 24 [塚本訳

わたし達のためでもある。主イエスを死人の中から復活させられたお方[神]を信ずるわたし達も、(信仰によって義と)みなされねばならないからである。

ロマ 6: 4 [塚本訳

だからこの死への洗礼によって、彼とい一しょに(死んで一しょに)葬られたのである。これはキリストが父上の栄光によって死人の中から復活されたように、わたし達も(復活して)新しい命をもって歩くためである。

ロマ 8: 11 [塚本訳

しかしイエスを死人の中から復活させたお方の御霊があなた達の中に住んでおられるなら、キリスト・イエスを死人の中から復活させたそのお方は、あなた達の中に住んでおられるその御霊によって、あなた達の死ぬべき体をも生かしてくださるであろう。

ロマ 10: 9 [塚本訳

つまり、あなたは『口で』イエスを主と告白して、『心で』神がイエスを死人の中から復活させられたことを信ずれば、救われる。

ロマ 11: 15 [塚本訳

なぜなら(前に言ったように、)もしイスラエル人の捨てられたことが(異教人へ福音の来る結果になり、)世界(と神と)の和睦(をもたらす機縁)になったとすれば、彼らが(悔改めて神に)受け入れられることは、それこそ死人の中からの命(への復活、すなわち神の国来臨の徴)でなくてなんであろう。

Ⅰコリ 15: 12 [塚本訳

ところで、キリストが死人の中から復活しておられることが(こんなに)説かれ、(また信じられ)ているのに、死人の復活はないと主張する者があなた達の中にあるのは、いったいどうしてか。

Ⅰコリ 15: 16 [塚本訳

死人は復活しないのなら、キリストも復活しておられないのだから。

Ⅰコリ 15: 20 [塚本訳

しかしながら今、キリストは死人の中から復活しておられる、眠った者の(復活の)最初として。

Ⅱコリ 1: 9 [塚本訳

ほんとうに、自分ではもはや自分に死の宣告を下していたのだ。これはわたし達が自分にたよるのではなく、死人を(も)生きかえらせる神にたよるためであった。

Ⅱテモ 2: 8 [塚本訳

ダビデの子孫から出、死人の中から甦りい給うイエス・キリストを忘れるな──これが私の福音である。

ヘブ 11: 19 [塚本訳

神は死人の中からでも生きかえらせる力があると考えたからであった。そのため(この信仰に対する報いとして、)彼はその子を(キリストの死と復活との)比喩として返してもらったのである。

ヘブ 13: 20 [塚本訳

『羊の』大『牧者』であるわたし達の主イエスを、『永遠の約束の血によって』死人の中から『つれ上られた』平和の神が、

Ⅰペテ 1: 3 [塚本訳

讃美すべきかな、我らの主イエス・キリストの父なる神!彼は大なる憐憫により、イエス・キリストが死人の中から復活し給うたことをもって、私たちを活ける希望に新しく生み、

Ⅰペテ 1: 21 [塚本訳

(そして)君達は彼によって、彼を死人の中から甦らせて栄光を給うた神を信ずる者となり、斯くして君達の信仰はまた神に対する希望となった。

黙 1: 5 [塚本訳

及び(第三に、死に至るまで)忠実な証人(であり、甦りによって、)死(から生命に生まれる)人(達)の長子(となり給うた者、そしてその故に)また地上の諸王の君侯であり給うイエス・キリスト(──この三方)からの恩恵と平安とが、君達に在らんことを! 願わくは、私達を愛し、その血によって私達を罪から釈き放ち、 

●集会は宮崎、小寺(王子の結婚披露宴)、山本(今日から第二コリント)
●妻は午後はコーラスのレッスン
●私はTSK日本語版Ⅱテモ2章入力
●TVでローザンヌ国際バレーコンクールを見たが、この方面はさっぱり良し悪しがわからない。
●今日は母の日。今年も妻に祝福の言葉がきている。
●山室軍平に「母の愛」という有名な説教がある。この母にしてこの子ありだ。
●聖書はなんで「父なる神」というのだろう。
●教会・エクレシアは女性群がしっかりしていると「持つ」のだそうだ。
●信仰は女性だ。

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あきる野に戻るとホッとする。ぐんぐん伸びる野菜。神の力に感謝。

 

 有体的復活の使徒伝承

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失敗の人生に泣く時 ++++++++ 所感

2012/05/12 09:00

120512(土)5時起床●朝の黙想「失敗の人生に泣く時」●TSK日本語版 コロサイ、テサロニケ前後書をCDに落として庭の物置に保管。自分史120505までの分約11000ページ(68年分)をCDに焼き付けて庭の物置に保管。バックアップ●次回感話の中心主題は次の不思議な個所である。


塚本訳 マタ 26:6-16
26:6 イエスがベタニヤで癩病人シモンの家におられるとき、
26:7 一人の女が非常に価の高い香油のはいった石膏の壷を持って近寄り、食卓についておられるイエスの頭に(香油をすっかり)注ぎかけた。
26:8 弟子たちはこれを見て、憤慨して言った、「なぜこんなもったいないことをするのだろう。
26:9 これは高く売れて、貧乏な人に施しが出来たのに。」
26:10 それと知ってイエスは言われた、「なぜこの婦人をいじめるのか。わたしに良いことをしてくれたではないか。
26:11 貧乏な人はいつもあなた達と一しょにいるが、わたしはいつも(一しょに)いるわけではない。
26:12 この婦人がわたしの体に香油をかけてくれたのは、わたしを葬るためである。
26:13 アーメン、わたしは言う、世界中どこでも(今後)この福音の説かれる所では、この婦人のしたことも、その記念のために一しょに語りつたえられるであろう。」
26:14 そのあと、イスカリオテのユダという十二人の(弟子の)一人が大祭司連の所に行って、
26:15 「いくらくれますか、あの男をあなた達に売ってもいいが」と言った。『彼らは(シケル)銀貨三十枚[六万円]を払い渡した。
26:16 この時からユダは、イエスを引き渡すよい機会をねらっていた。
塚本訳  マタ 26:13
26:13 アーメン、わたしは言う、世界中どこでも(今後)この福音の説かれる所では、この婦人のしたことも、その記念のために一しょに語りつたえられるであろう。」

●この物語のポイントは13節である。ここを集中的に勉強する。

塚本訳 マタ 26:13
26:13 アーメン、わたしは言う、世界中どこでも(今後)この福音の説かれる所では、この婦人のしたことも、その記念のために一しょに語りつたえられるであろう。」

●つまり福音の正客とはどういう人かの問題である。これこそ新約聖書の中心的主題である。
●「ナルドの香油」については約20年前に感話した。その時は香料店(今井樟太郎の末裔が経営している中央区の店)に行って「ナルドの香油」を買いに行ったが、現代はそれがないのでそれに近いものを購入したところ、息子の一人が「なんだこの匂いは」と言うほど家中に匂いが広まったものだ。集会の方々にも嗅いで頂いた。実に香りが良く、しかも強いものであった。そのときは次の言葉を如実に知ったものだ。

塚本訳  ヨハ 12:3
12:3 そのときマリヤは混ぜ物のない、非常に高価なナルドの香油一リトラ(三百二十八グラム)をイエスの足に塗り、髪の毛でそれをふいた。香油の薫が家に満ちた。

●今回は別の角度から考察してみたい。
●福音と言うもののの本質がこの婦人の行為に現われているから、「福音を説く」時の事例とせよというのである。
●それは福音はこういう「失敗の人生で泣いている人」が対象だというのである。
●この婦人は泣きながらイエスの足に香油を塗った。この「泣きながら」がポイントである。どういう気の毒な過去だったのだろう。「罪の女」とは転落した娼婦のことである。
●後半でユダが高価な香油をもったいないことをしたと思ったが、イエスはそれを咎めたと言う話し。これ福音の正反対。つまり、お金の正し苦使って、貧しい人に施せばいいのにという。これは福音はヒューマニズムとは違うことを言っている。
●この物語は「イエスの死」をこそ記念せよ。ヒューマニストが熱心に活動する現世の改善よりも「イエスの死」を記念することを熱心に行えと言うのである。

塚本訳  ルカ 7:37-38
7:37 すると、その町に一人の罪の女がいた。イエスがパリサイ人の家で食卓についておられることを知ると、香油のはいった石膏の壷を持ってきて、
7:38 泣きながら後ろからイエスの足下に進み寄り、しばし涙で御足をぬらしていたが、やがて髪の毛でそれをふき、御足に接吻して香油を塗った。

●y福音の正客は「人生の失敗で泣いている人」である。その人は心が砕けているのだ。


口語訳 詩  34:18
34:18 主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる。

口語訳 詩  51:17
51:17 神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心を/かろしめられません。
口語訳 イザ 57:15
57:15 いと高く、いと上なる者、とこしえに住む者、その名を聖ととなえられる者がこう言われる、「わたしは高く、聖なる所に住み、また心砕けて、へりくだる者と共に住み、へりくだる者の霊をいかし、砕ける者の心をいかす。

●代表的な事例を4つだけあげてみよう。全部に共通なのは「心が砕けて泣いている人間」。これぞ福音の正客。
●この20年間に私もこれが「福音の正客だ」と思う人に出会った。
●「意味の同じ」のコンコルダンスを作ってみたい。それは苦難の人生体験が土台になる。これが素人の聖書読みである。

塚本訳  ルカ 15:13-16
15:13 幾日もたたないうちに、弟は(分け前)全部をまとめて(金にかえ、)遠い国に行き、そこで放蕩に財産をまき散らした。
15:14 すべてを使いはたしたとき、その国にひどい飢饉があって、食べるにも困り果てた。
15:15 そこでその国のある人のところに行ってすがりつくと、畑にやって、豚を飼わせた。
15:16 彼はせめて豚の食う蝗豆で腹をふくらしたいと思ったが、(それすら)呉れようとする人はなかった。

●この息子は金のあるうちは羽振りが良かったが(レンブラントに絵がある)、勝つ「汚い女」に迷って財産を播き散らした。そこに飢饉、「食うにも困った」。挫折失敗転落。どこにでもある話。不運に泣いたに違いない。


塚本訳  ヨハ 4:4-7
4:4 しかし(ガリラヤへ行くのに)サマリヤを通らねばならなかった。
4:5 そして、サマリヤのスカルという町のそばまで来られた。ヤコブがその子ヨセフに与えた地所の近くで、
4:6 そこには(有名な)ヤコブの井戸があった。旅に疲れたイエスは、いきなり井戸のわきに腰をおろされた。昼の十二時ごろであった。
4:7 一人のサマリヤの女が水を汲みに来る。「飲ませてくれないか」とイエスが女に言われた。

塚本訳 2 ヨハ 4:13-19
4:13 イエスは答えられた、「この(井戸の)水を飲む者はだれでもまた渇くが、
4:14 わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」
4:15 女が言う、「主よ、その水を下さい。(二度と)渇くことがないように、またここに汲みに来なくてもよいように。」
4:16 イエスが言われる、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」
4:17 女が答えた、「わたしには夫はありません。」イエスが言われる、「『わたしには夫はありません』と言うのは、もっともだ。 4:18 五人の夫とは別れ、今のは、あなたの夫ではないのだから。あなたの言ったことは本当だ。」
4:19 女が(びっくりして)言う、「主よ、わかりました、あなたは預言者です。


●この「女」はバツ5.どうしようもない過去。身から出た錆とはいえ取り返しのない過去。暗い過去。争いの過去。幸福を求めて次から次へと男を変えたが、一向に渇きが癒されない。昼に井戸に来たと言うのは人目を忍んできたという意味。彼女はもう心が砕けていたのだ。そこですぐ「二度と渇く事がないとかいう水を下さい」と言ったが、これは救いを求めている証拠である。イエスは敏感にとのことを知った。これこそ福音の正客。

塚本訳  ルカ 16:1-3
16:1 また弟子たちにも話された、「ある金持に一人の番頭があった。主人の財産を使い込んでいると告げ口した者があったので、
16:2 主人は番頭を呼んで言った、『なんということをあなたについて聞くのだ!事務の報告を出してもらおう、もう番頭にしておくわけにはいかないから。』
16:3 番頭は心ひそかに考えた、『どうしたものだろう、主人がわたしの仕事を取り上げるのだが。(土を)掘るには力がないし、乞食をするには恥ずかしいし……

●この男、主人の(会社の)金を使い込んだ。悔病んで「土方」でもしようと持ったが悲しいかな体力がない。そこで泣いていればいいものを、この男ずる賢く立ちまわったという話し。惜しかった。人生失敗したら居直ってはいけない。転ぶ時は素直に転べ。

塚本訳  ルカ 23:39-43
23:39 磔にされている罪人の一人がイエスを冒涜した、「お前は救世主じゃないか。自分とおれ達を救ってみろ。」
23:40 するともう一人の者が彼をたしなめて言った、「貴様は(このお方と)同じ(恐ろしい)罰を受けていながら、それでも(まだ)神様がこわくないのか。
23:41 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる。」

●この十字架上の強盗は失敗の人生を省みて「俺がこういう報いを受けるのは当然だ」と思った。心が砕けていた。これぞ福音の正客である。天国に一番先に迎えられた男である。
●13節の「福音の説かれる所」とはどこか。教会ではない、集会えdもない。「失敗人生」に泣いている人に向って「一緒に泣く」「失敗人生」の人である。その人を通してこそ真に「福音を説ける」人である。
 
塚本訳  ロマ 12:15
12:15 喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣け。

●大阪の釜が崎に入り込んでホームレスを支援しているカトリックの本田哲郎神父の体験談。ホームレス(それは転落人生、失敗人生)に対しては本田神父自身の言葉よりも同じホームレスの人間の「俺もお前と同じなんだよなー」と言った一言の方が慰めになったのをマジかに見たという。
●福音は同じ目線でなければ説けない。その意味で今日のプロテスタント教会(集会)は「福音を説く所」にはなっていない。それは遊び場である。
 
●人生はこの世の改造が目的ではない。この世は「自分が」来世に入るための準備の場である。それは失敗の人生が準備になる。
●何人も苦難と失敗と涙なくして天国には入れない。 
 
●AA先生が脳梗塞で倒れられたというお知らせを頂いてびっくりした。早速次のようなお見舞いの手紙を出した。

AA先生への御見舞状(一部省略)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
AA先生
脳梗塞で救急車で病院に運ばれたことを伺い、びっくりしました。

(中略)

私は12年前に職場で脳出血で倒れた時のことを思い出しました。救急車の中では意識不明でした。すると先生から、間髪をいれずに次の御葉書を頂きました。


「現代のヨブよ(AA先生は私のことをそう呼ばれました)。倒るるなかれ。日本は今汝を要す。来りて我らを教えよ」

これは詩人でもあられる先生がワーズワースがミルトンに捧げた詩を改変されたものであることを後になって知りました。おもはゆく思いました。聖路加国際病院に入院中に日野原重明先生から「病気は病院では直らない。リハビリは家に帰っておやりなさい」と言われ、妻の看護で一カ月ほどリハビリしました。その後、私は12年、今日まで生きられました。しかし後遺症があります。それは病気以前よりも「口がなめらかになった」のです。リハビリのやり過ぎでしょうか(笑)。

先生におかれましては、「発声のリハビリ」をなさっておられるとのこと、私も同じ言葉を先生に捧げます。

「AAよ、倒るるなかれ。日本は今なお汝を要す。来りて我らを教えよ」

 ご回復を心よりお祈り申し上げます。

御奥様の御介護も大変でございます。よろしくお伝えください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
AA先生への御見舞状(一部省略) 終わり

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秘密の森。その昔、子供の一人がまだ小学生の時、この栗林で紙袋一杯に栗を
取ったものだなー。

●今日は妻の具合が悪いので、買い物をし、夕食は得意の野菜炒めを料理した。
●二人とも弱くなったなーと言いあった。
●ヒルティは夫人に先立たれたとき、結婚は二人が一体になることなので「私はもう完全ではない」と言った。
●夕食の祈りの中に「妻が回復して明日の集会には行けますように」とも祈った。




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ヒューマニズムは信仰の堕落である ++++++++ 所感

2012/05/11 05:45

120511(金)5時目覚め。朝の啓示「ヒューマニズムは信仰の堕落である」●某氏から「去る6日の高橋の集会での話しの内容をまとめよ」と要請された。●これは来る6月3日の感話の本質にもつながることなのでちょうどよい要請であった。●結論は「人は神抜きの人間中心の思想やヒューマニズムでは救われない」と言うことである。


ヒューマニズムは信仰の堕落である
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●「キリスト教の最大の敵はローマ帝国にあらずして、グノーシス主義であった」と言われているが、これは真理。ギリシャ哲学の主知主義に対してパウロは戦った。

新共同 Ⅰコリ1:21-23
1:21 世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。
1:22 ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、
1:23 わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、

●グノーシス主義は日本の「神即我、我即神」との仏教的世界観に酷似。それは人間中心。キリスト教はアジアに進出して最大の敵であるグノーシス的なる仏教に遭遇した。そこで泥沼に足を取られ、前へ進めない。刀折れ、矢尽きて未だクリスチャン人口は1%。●日本人には「神即我、我即我」の思想が実に分かりやすいのである。創造主と被造物を画然と分ける聖書の信仰は分かりにくい。受け入れがたい●ここを突破するのは神による罪の赦しと有体的復活の福音の本質を把握すること。その使徒伝承。それは人間中心でなく神中心。それを説かない大貫隆氏の「方法」はいくら若者伝道に熱心(たとえば岩波新書「聖書の読み方」など)でも的外れである。徒労である。人はグノーシス主義では救われない。キリスト教の歴史はグノーシス主義を捨てた。大貫隆先生もその師である荒井献先生も日本の救いの為を思って仏教に酷似しているグノーシス主義の御研究に没頭されておられるが、ミイラ取りがミイラになった感がある。両先生にはお世話になっているからあえて言う●主知主義やヒューマニズムは一見よさそうに見えるが信仰と全く相入れない。一方は人間中心。一方は神中心。ヒューマニストは地上王国の建設に人間的頑張りに熱心である。彼らは信仰者の態度が気にくわない。この世の改造改善に不熱心かつ努力不足という。●逆に私は言う。彼らは神の顔を立てる事において不熱心かつ努力不足だ。「使徒伝承」に不熱心である。怠慢である。●イエスの頭に高価な香油を注いだ女の態度はヒューマニスト(おそらくユダ)が気にくわない。けれどもこれが人間として真に大切なことだとイエスは言う。●歴史の結果はそれが証明した。ヒューマニズムは戦争を起こす。そしてヒューマニストは常に信仰者の態度を批判する。ヒューマニストは人間を立てるが神を立てない。ヒューマニズムは一見美しくよさそうに見えるが神の顔を立てないという「猛毒思想」である。●ヒューマニズムは信仰の堕落である。新約聖書はそれを言う。次の二カ所である。信仰なき人間にはこれが分からない。

塚本訳  マタ 26:6-13
26:6 イエスがベタニヤで癩病人シモンの家におられるとき、
26:7 一人の女が非常に価の高い香油のはいった石膏の壷を持って近寄り、食卓についておられるイエスの頭に(香油をすっかり)注ぎかけた。
26:8 弟子たちはこれを見て、憤慨して言った、「なぜこんなもったいないことをするのだろう。
26:9 これは高く売れて、貧乏な人に施しが出来たのに。」
26:10 それと知ってイエスは言われた、「なぜこの婦人をいじめるのか。わたしに良いことをしてくれたではないか。
26:11 貧乏な人はいつもあなた達と一しょにいるが、わたしはいつも(一しょに)いるわけではない。
26:12 この婦人がわたしの体に香油をかけてくれたのは、わたしを葬るためである。
26:13 アーメン、わたしは言う、世界中どこでも(今後)この福音の説かれる所では、この婦人のしたことも、その記念のために一しょに語りつたえられるであろう。」

塚本訳  ルカ 10:38-42
10:38 さてみなが旅行をつづけるうち、イエスがある村に入られると、マルタという女が家にお迎えした。
10:39 マルタにマリヤという姉妹があった。。マリヤは主の足もとに坐ってお話を聞いていた。
10:40 するといろいろな御馳走の準備で天手古舞をしていたマルタは、すすみ寄って言った、「主よ、姉妹がわたしだけに御馳走のことをさせているのを、黙って御覧になっているのですか。手伝うように言いつけてください。」
10:41 主が答えられた、「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことに気を配り、心をつかっているが、
10:42 無くてならないものはただ一つである。マリヤは善い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」

●クリスチャンと自称する人間さえもこの猛毒にかかってしまって、地上王国の建設に人間的努力によって熱心になっている。それが功を奏するならやってみるのが良いのだ。間違っていたと気がついたら方向転換すればよいのだ。ゲーテも「向上する者は迷うものだ」と言っている。 ●チャイコフスキーの「白鳥の湖」で、悪魔はオディール(それは清純なオデットそっくりに仕立てられている)という娘を王子ロットバルトに近づけて堕落させた。ヒューマニズムはオディールである。美しいから一見見間違う。クリスチャンはオデットとオディールをしっかり見分けられなくてはいけない。今の世はオディールやオディール思想ばかりだ。

塚本訳  ピリ 3:18-19
3:18 何故なら、度々君達に言ったように、今また涙を流して言うように、キリストの十字架の敵として歩いている者が多いのだから!──
3:19 あの人達の最後は破滅、その神は自分の腹、その光栄(と考えているもの)は(実は)恥であって、あの人達は(ただ)地のこと(ばかり)に気を取られているのだ! 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ヒューマニズムは信仰の堕落である  終わり 

●TSK日本語版第二テサロニケ入力完了。 

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●TSK日本語版旧約作業開始。妻の協力感謝。6年はかかる。
●YT兄の勧めで熊澤義宣牧師の講演を聞く。 

http://simple.febcjp.com/index.html#5/7

●然り。クリスチャンの本業は「終末待望」である。

●内村鑑三生誕150年記念「神こそ我等の砦」(今井館教友会編・教文館刊)付録のCD、
矢内阿原忠雄講演「日本の思想史上における内村鑑三の地位」(机を叩いての名講演)を聞く。矢内原は傑出した人物であるために「儒者」のような感じがしてしまう。儒教とキリスト教は違う。
●矢内原がこれほど「無教会」を強調しているとは思わなかった。

 

 有体的復活の使徒伝承

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 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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     TSK日本語版・目次

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悪魔は人間を悪い異性で堕落させる ++++++++ 所感

2012/05/10 05:38

120510(木)5時目覚め。朝の啓示「悪魔は人間を悪い異性で堕落させる」●今や日本の離婚率は3割以上という目を覆うばかりの率。国家崩壊の兆し●その原因は人間が悪魔の誘惑で神の像がみえなくなり、真の安らぎと喜びを異性に求めるようになったからである。●悪魔はそうするために悪い女、悪い男を利用して人間を釣る●チャイコフスキーの白鳥の湖の主題がそれである。●王子ジークフリートはオデットという清純な女性と恋に落ちたが、悪魔は自分の娘オディールをオデットそっくりに仕立てて王子を誘惑する。●王子はまんまとそれにひっかかる●若い者に告ぐ。オデットとオディールを見分ける眼力を養え●それは普段からオデットのような女生とばかり付き合え。たとえそれが老人でもである。笑●一流の師匠は弟子入りしてきた者に、初めの一年間は「ホンモノ」ばかりを見させる。そうするとホンモノとニセモノの見分けが体験的に身につくというものだ。建築設計また同じ。本物の設計ばかりをよく見ることだ。●人の完成と悟性に媚びたあやしい美しさの建物は人間を真に気高く向上させない。黒川記章設計の新国立美術館などがそれである(5月6日のブログの写真)●悪魔は人間を異性(神を信じない悪い女、悪い男)で誘惑して釣って神から引き離そうとする。これが人類の歴史の真相。深層。神と悪魔の永久の戦いである。聖書的には次の個所である。

口語訳 Ⅱコリ4:4
4:4 彼らの場合、この世の神が不信の者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしているのである。

塚本訳 Ⅱコリ4:4
4:4 彼らの場合、この不信者たちの考えをこの世の神(である悪魔)が盲にして、神の影像である救世主の栄光をつげる福音の光を見ることができないようにしたのである。

新共同 Ⅱコリ4:4
4:4 この世の神が、信じようとはしないこの人々の心の目をくらまし、神の似姿であるキリストの栄光に関する福音の光が見えないようにしたのです。

新改訳 Ⅱコリ4:4
4:4 そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。

●この一句を黙想するために、各種引照を利用して次に掲げる。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

塚本訳 エペ 6:12
6:12 私達の戦いは(この世の)血肉に対するものでなく、「権威」に対するもの、「権力」に対するもの、この暗の世界の主権者(なる悪魔)に対するもの、天上における悪霊(の軍勢)に対するものであるからである。

塚本訳Ⅰヨハ5:19
5:19 (また)わたし達は知っている、わたし達は神から(出た者)であって、全世界は悪者の支配の下にあることを。

塚本訳  黙  20:2-3
20:2 彼は竜、すなわち悪魔またサタンである(かの)古い蛇を掴まえて、千年の間それを縛り、
20:3 奈落(の底)に放り込み、錠をかけてその上に(固く)封印した。千年が終わるまで(このサタンが)なお諸国の民を惑わすことのないためである。(しかし)その後彼は(また)暫くの間釈放されねばならなぬ。

塚本訳 イザ 6:10
6:10 あなたはこの民の心を鈍くし、その耳を聞えにくくし、その目を閉ざしなさい。これは彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟り、悔い改めていやされることのないためである」。

塚本訳  Ⅱコリ3:14
3:14 しかし(そのために、)彼らの考えは頑なにされてしまった。なぜなら、今日までも古い契約の朗読の時、同じベールが残っているからである。ベールは取り除かれないままである。古い契約は(ただ)キリストにおいて無くなるものだからである。

塚本訳  ヨハ 8:12
8:12 (同じ大祭の日に、)イエスはまた人々に語られた、「わたしが世の光である。わたしに従う者は、決して暗やみを歩かない。そればかりか、命への光を持つことができる。」

塚本訳  ヨハ 12:35
12:35 するとイエスは(それには答えず、)彼らに言われた、「もうしばらくの間、光はあなた達のところにある。光のある間に(早く)歩いて、暗闇に追い付かれないようにせよ。暗闇を歩く者は、自分がどこへ行くのか知らない。

塚本訳  使  26:18
26:18 彼らの』目をあけて』彼らが『暗闇から光に、』悪魔の権力から神に帰るため、そうして彼らがわたしに対する信仰によって罪の赦しを得、きよめられた人たちの仲間に入れていただくためである』と。

塚本訳  Ⅱコリ4:6
4:6 というのは、(世界創造の時、)「光、暗闇から輝き出でよ」と言われたその神は、キリストの顔に現れている神の栄光を知る知識が明らかになるため、わたし達の心の中に光を輝かせてくださったからである。

塚本訳  コロ 1:27
1:27 神はこの奥義が異教人にとって如何ばかり大なる栄光の富であるかを知らせようと欲し給うたのである。そして奥義とは(取りも直さず)君達の中にい給うキリストのことであって、(これがまた)栄光の希望である。

塚本訳 Ⅰテモ1:11
1:11 そしてこのことは私(パウロ)が託された至幸なる神の栄光の福音によれば正に然りである。

塚本訳  ヨハ 1:14
1:14 この言葉は肉体となって、(しばらく)わたし達の間に住んでおられた。(これが主イエス・キリストである。)わたし達はその栄光を見た。いかにも父上の独り子らしい栄光で、恩恵と真理とに満ちておられた。

塚本訳 ヨハ 12:45
12:45 また、わたしを見る者は、わたしを遣わされた方を見るのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

塚本訳  ヨハ 12:31
12:31 今こそ、この世の裁きがおこなわれる。今こそ、この世の支配者((悪魔))が(この世から)放り出される。(今わたしが天に挙げられるからである。)

塚本訳 ヘブ 1:3
1:3 彼は神の栄光の放射であり、本質の像である。彼はまたその力ある言葉をもって万物を保たれる。彼は(この世に降り)、罪の潔めを成し(とげて、ふたたび)高き所にのぼり、(神の)御稜威の『右にお坐りになっている』。

塚本訳  マタ 4:8-9
4:8 悪魔はまたイエスを非常に高い山に連れてゆき、世界中の国々と、栄華とを見せて
4:9 言った、「あれを皆あげよう、もしひれ伏してわたしをおがむなら。」

塚本訳  マタ 13:22
13:22 茨の中にまかれたもの、これは御言葉を聞くが、(しばらく信じているうちに、)この世の心配や富の惑わしが御言葉を押えつけて、みのらない人である。

塚本訳 マタ 3:17
3:17 するとその時、「これは(いま)わたしの『最愛の子、』『わたしの心にかなった』」と言う声が天から出た。

塚本訳  Ⅰヨハ2:11
2:11 これに反して、その兄弟を憎む者は暗闇におり、かつ暗闇を歩く。そしてどこへ行くのかわからない。暗闇がその目を見えなくしたからである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

塚本訳  マタ 17:2
17:2 すると彼らの見ている前でイエスの姿が変った。顔は太陽のように照りかがやき、着物(まで)が光のように白くなった。

塚本訳 コロ 1:15
1:15 (まことに)彼は見えざる神の御像、凡て創造られた物の(前に生まれた)長子であり給う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上で引照終わり。

●神を信じない悪い男、悪い女にひっかかって堕落し、身も心も家庭も滅びる運命になった人物は来世の裁きを待つまでもなくこの世で罰をうける。それは家庭崩壊、信用を失っての仕事の失敗、会社の倒産、病気(病は気から)、そして金の切れ目が縁のきれ目で、その悪い人間からも捨てられる。
●教会に救いを求めてくる女性の7割は夫の浮気の悩みだという。これは過程における老人介護のほとんどが女性であるのと似ている。日本の女性は尊い十字架を追っている。神の恩恵を祈る。
●ではこのドロドロの家庭から人間が救われる道はあるのか。ある。それは次である。 
 
塚本訳  ガラ 1:4
1:4 キリストはわたし達の父なる神の御心にしたがい、わたし達を悪い現在の世から救いだそうとして、わたし達の罪のために自分を与え(て十字架につけ)られたのである。

塚本訳  ロマ 5:7-9
5:7 (驚くべき神の愛!人間の世界では、)義人のために命をすてる者はほとんどあるまい。善人のためならば、惜しげもなく命をすてる者が、あるいはあるかも知れない。
5:8 しかしわたし達が(義人でも善人でもなく、)まだ罪人(神の敵)であったとき、キリストが私たちのために死んでくださった。このことによって、神はわたし達に対する愛をお示しになったのである。
5:9 それならばキリストの血で義とされている今、わたし達がキリストによって(最後の日の神の)怒りから救われるのは、もちろんである。
 

resize2219.jpg 

低気圧が接近して暴風雨。人生も暴風雨の連続。通り過ぎるまでじっと待とう。

●妻は中野の愛子の家に手伝いに行く。後姿を見ながら祈った。神知り給う。
●夕食で妻からの報告。


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我らの希望 ++++++++ 所感

2012/05/09 08:39

120509(水)5時目覚め●朝の啓示「我らの希望」。信者の希望は神の力の発動への期待である。それが希望である。そしてその希望は必ず実現する。なぜか。人間の力や運動に期待しないからである。

塚本訳  ロマ 8:18
8:18 (しかもこの苦しみは恐れることはない。)なぜなら、わたしはこう考える。今の世の苦しみは、わたし達に現われようとしている栄光(──キリストと一しょに神の国の相続人になる最後の日の大いなる光栄──)にくらべれば、言うに足りない。

●ここに「恐れ」と言う言葉がある。神なき人には常に「恐れ」がある。「罪人の恐れ」である。何かを失うことへの「恐れ」である。
●人間社会はその「恐れ」の回避の為に文化文明発展の営みがあるが、効果はない。なぜか。神に従順という人間のあるべき真の姿を保持してないからである。神に祝福されない。
●人間の力でその「恐れ」が消えるもんなら「まーやってみろ」。駄目だと思って引き返すところ真の人生が始まる。中年でもいい。晩年でもいい。失敗人生でズタズタになってからでもいい。

塚本訳 ヘブ 11:8-10
11:8 信仰によって、アブラハムは財産として戴くべき(カナンの)場所に『出てゆけ』とのお召しを受け、(素直に)言うことを聞いた。そしてどこへ行くともわからず、『出ていった』。
11:9 信仰によって、彼は約束の地に他国人として『宿った』。彼は同じ約束の(ものの)共同相続人(である子)イサクおよび(孫)ヤコブと一しょに、天幕に住んだのである。
11:10 (どうしてこんな生活に甘んじたか。)彼は(堅固な)土台を持つ(天の)都を待ちのぞんでいたからである。その建設者また創造者は神である。

●昔、母の友人の御主人は国鉄の職員(幹部?)であった。その為か国鉄はタダ。あるとき私と弟を「どこでも好きなところに連れて行ってやる」と言って、「行き先を決めないで」出かけたことがある。あのとき「不思議だなー」と思ったものである。
●私たちの人生も神に引きづりまわされる。それは「流れ者」である。定住しない。希望通りいかない。

塚本訳  ヘブ 11:11-12
11:11 信仰によって、アブラハムはまた(その妻)サラと共に、子孫をつくる力を受けた、(すでに年齢が)盛りを過ぎていながら。彼は約束された方を誠実であると考えたのである。
11:12 だからまた、(たった)一人から、しかも(老いぼれて)死んだような者から、『天の星のように数多く、また数えきれぬ海岸の砂のように子孫ができたのである。』

●人間の医学では「無理」と思われることを神は実現してくださる。そこに人間常識を超えた神の力が発揮される。
●人間的慰めに安住するのは信者の道ではない。我らは信仰を試されている。

塚本訳 ヘブ 11:13-14
11:13 信仰に従い、これらの人たちは皆、(地上では)約束のものを受けずに死んだのである。彼らはただ遠くからそれを眺めて歓迎し、自分たちは、『この地上では外国人であり、旅の者』であると認めた。
11:14 このように(自分を外国人、旅の者と)言う人々は、(ほかにある)自分の国を追及していることを現わしているからである。

●来世での復活を固く信じている人の方が、自分の努力で「地上王国」を築こうとする人よりも大きな仕事をする。
●なぜか。神はその独り子を給うほどに『この世』を愛された」とあるからである。我らの足場は天国にあり、復活の希望があるからである。
●社会批判に熱心なグループは金を出さない。信仰のみのグループの人の献金量は多い。
彼らは「右の手のすることを左に知らせない」
●神なき人間は失敗すると挫折して人生が堕落する。

塚本訳 ヘブ 11:16
11:16 しかし今や彼らは(地上のものに)まさる天の国を熱望しているのである。だから神も、彼らの神と言われることを恥とされない。彼は彼らのために(天に)都を用意されたのであるから。

●反物や焼き物の名人は入門してきた弟子には最初の一年間に本物ばかりを見せる。
●地上のものは総て天の国のものの「影」。天の国は地上のものよりも勝っているからそいう本物が頭にないとおかしなものを目指すじんせいになる。
●クリスチャンにも「本物信者」と「この世的信者」がいる。信仰の交わりは「本物信者」だけにすべきである。
●「この世的信者」と交わると、論争ばかりで不毛である。自分の信仰が向上しない、天国に行けない。

塚本訳  エペ 2:18-20
2:18 というのは、(今)私達二つの者が、(イスラエル人も異教人も、)一つの霊で父(なる神)に近づくことが出来るのは彼によるのであるからである。
2:19 だから、君達は最早余所の人でも居候でもなく、聖徒と同じ(天上の)市民また神の家族であり、
2:20 使徒と預言者なる土台の上に築き上げられた建物であって、キリスト・イエス御自身がその『首石』である。

●我らは「流れ者」「居候」でも構わない。目指すところがしっかりしていればよいのだ。
●信仰の大敵は「寄らば大樹の影」だとヒルティはいう。
●現代における「大樹」は学歴、一流企業、良い夫、良い妻、健康、金、・・・これこの世人間が必死に求めるもの。しかし万全でない。すぐ無くなる。崩れる。崩壊する。
●企業は人をボロ雑巾のように捨てる。そして金の切れ目が縁の切れ目。あとは交流がない。夫は妻を捨てる。妻は夫を捨てる。親は子を捨てる。子は親を毛嫌いして捨てる。これ離れて行く、独立するというのとは違う。

塚本訳  ピリ 3:17-20
3:17 兄弟達よ、皆で私を真似る者になれ。また君達と同様私達を手本にして歩いている人達に目を留め(、その人達をも手本にせ)よ。
3:18 何故なら、度々君達に言ったように、今また涙を流して言うように、キリストの十字架の敵として歩いている者が多いのだから!──
3:19 あの人達の最後は破滅、その神は自分の腹、その光栄(と考えているもの)は(実は)恥であって、あの人達は(ただ)地のこと(ばかり)に気を取られているのだ!
3:20 しかし(私達はそうであってはならない。)私達の故国は天にある。私達は主イエス・キリストが救い主として其処から来給うのを待っているのである。

●クリスチャンの故国、故郷、つまり「ふるさと」は天にある。

塚本訳 Ⅰコリ13:13
13:13 それゆえに、いつまでものこるものは信仰と希望と愛、この三つ。しかし、この中で一番大きいのは愛!

●一番大切なものは「愛」。神は愛。しかしその次に大切なのは「希望」。神の力への希望。

塚本訳  マコ 7:24-26
7:24 そこを立って、ツロ地方に行かれた。ある家に入って、だれにも知られたくないと思っておられた。しかし隠れていることが出来ず、
7:25 汚れた霊につかれた小さい娘を持つ一人の女が、すぐイエスのことを聞きつけ、来て足下にひれ伏した。
7:26 この女は異教人で、スロフェニキア生まれであったが、娘から悪鬼を追い出してほしいとイエスに願った。

●どんな家庭や親戚にも「汚れた霊につかれた」人がいて「悩みの種」である。しかし神はその「悪霊」を追い出す。滅ぼす。
●その方法は「祈り」「隠れた祈り」。そのことによって神が腰を上げて全能の力を発揮して下さる。

塚本訳  マコ 5:25-28
5:25 すると十二年も長血をわずらって、
5:26 大勢の医者からひどい目にあわされて、財産を皆使いはたして、なんの甲斐もなくて、かえってますます悪くなって、
5:27 イエスのことを聞いて、群衆にまじってついて来た女が、後ろからその着物にさわった。
5:28 「お召物にでもさわれば、なおるにちがいない」と思ったのである。

●自分に愛想がつき、妻にも夫にも子供にも愛想を尽かされ、学校の先生にも医者にも「どうしようもない」と判定された人は一縷の望みを神にかける。それでよいのだ、それがよいのだ。神はその時を待っていたのだ。
●問題はどの宗教に「走る」のか。
●判定基準は、歴史があって、一流国、一流人物が信じているものがよい。間違っても新興宗教に走ってはいけない。それは金がかかる。何事も「一流」にはあまり金がかからない。キリスト教は聖書一巻でよい。

塚本訳  マコ 1:40-42
1:40 すると(ある日)一人の癩病人がイエスの所に来てひざまずき、「清めてください。お心さえあれば、お清めになれるのだから」と言って願った。
1:41 イエスは(そのあわれな姿を見て悪魔に対する)怒りに燃え、手をのばしてその人にさわり、「よろしい、清まれ」と言われると、
1:42 たちまち癩病が消えうせて、その人は清まった。

●らい病が直ったというこの記事は、心のらい病も直るという希望を持たせてくれる。

塚本訳 マコ 2:3-5
2:3 人々が一人の中風の者を、四人にかつがせてつれて来る。
2:4 群衆のためイエスのところにつれて行けないので、おいでになる所の(上の)屋根をはがして穴をあけ、中風の者を担架に寝かせたまま(イエスの前に)吊りおろす。
2:5 イエスはその人たちの信仰を見て(驚き)、中風の者に言われる、「子よ、いまあなたの罪は赦された。」

●本人の信仰でなくても周囲の(家族の)信仰でも救われるということがわかる。

塚本訳  Ⅰコリ16:20-22
16:20 兄弟一同からあなた達によろしく。聖なる接吻で互に挨拶せよ。
16:21 (最後に、)パウロが自筆で挨拶する。
16:22 主を愛しない者があるなら、呪われよ!、マラナ、サ(主よ、来てください)!

●我らの希望は終末。その時に涙が拭われる。万物が復興する。
●「罪が赦されて復活する」道。これはある。この道こそ真の幸福。
●残りの人生、この道を伝承し続けたい。
●この道意外に幸福の道があれば教えていただきたい。
●かって某氏が私にこの世の趣味の団体に「君ももうそろそろだ」といって誘い込もうとしたが断った。
●止まっている球を打つ遊びのゴルフほど金と時間の無駄なものはない。かって会社の上司が私をゴルフの「打ち放し」に連れて行ってくれたが、生あくびの連続。世の中にこれほどバカらしいものがあるかと思った。
●地球物理学者の故竹内均はゴルフやるなら「縄跳び」だと言ったが、至言。 

●TSK日本語版第二テサロニケ1章入力。次のところに感動。艱難なくして我々は天国に入れない。

口語訳 Ⅱテサ1:5
1:5 これは、あなたがたを、神の国にふさわしい者にしようとする神のさばきが正しいことを、証拠だてるものである。その神の国のために、あなたがたも苦しんでいるのである。

新共同 Ⅱテサ1:4-5
1:4 それで、わたしたち自身、あなたがたが今、受けているありとあらゆる迫害と苦難の中で、忍耐と信仰を示していることを、神の諸教会の間で誇りに思っています。
1:5 これは、あなたがたを神の国にふさわしい者とする、神の判定が正しいという証拠です。あなたがたも、神の国のために苦しみを受けているのです。

塚本訳 Ⅱテサ1:5
1:5 (実はかく)君達が苦しんでいることが(とりも直さず)神の正しい(最後の)審判の(既に切迫している)兆であり、(またそれにより)君達が神の国に相応しい者とされるためであって、君達は(今)その御国のために苦しんでいるので、

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愛の犠牲死 ++++++++ 所感

2012/05/08 07:01

120508(火)5時半起床●今朝の黙想「悪魔の業は愛の犠牲死によって滅びる」●昨日DVD(図書館から借りたもの)で見たチャイコフスキーの「白鳥の湖」が頭から離れない。

●ボリショイ劇場の演技はこれまさに芸術の極致。
●悪魔ロットバルトの演技は素晴らしい。悪魔が王子ジークフリートを見えない糸で引っ張ると王子がそれになびく。動かされる。両者の見事な演技。現代の世相を示している。
●しかし、最後はオデットの犠牲的な勇敢な毅然とした愛の行動で悪魔は退散する。滅びる。
●このエンディングはいろいろの振付があるから面白い。
●原作は悪魔の魔法が解けず、オデットが白鳥から人間に戻れないことを悲しんだ二人が湖に身を投げるものだった。しかし後代の人がそれではあまりに「かわいそうだ」と思ったところから様々な改変が行われてきた。
●湖に飛び込んだ二人が亡霊になって復活して天に昇って行く振付も見たことがある。
●人類の歴史は悪魔との戦い。悪魔にとらわれた人間の罪の苦しみの歴史。聖書はそれを神の独り子の犠牲死、贖罪死の愛で救われるというストーリー
●イエスの復活は神の人類に対する「復讐」であったと解釈した学者がいた。
●イエスの死は犠牲死、贖罪死。それを啓示された人が書いたもの、まとめたものが「新約聖書」。

文語訳 ヨハ 15:13
15:13 人その友のために己の生命を棄つる、之より大なる愛はなし。

口語訳 ヨハ 15:13
15:13 人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。

新改訳 ヨハ 15:13
15:13 人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。

新共同 ヨハ 15:13
15:13 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。

塚本訳 ヨハ 15:13
15:13 (わたしはあなた達のために命を捨てる。)友人のために命を捨てる以上の愛はないのだ。

NKJV ヨハ 15:13
15:13 "Greater love has no one than this, than to lay down one's life for his friends.
 
●TSK日本語版テサロニケ第一5章入力。これでこの巻は終了。パウロの熱意に打たれる。この書簡も周囲の世界は「淫蕩の世」。そこに信者のまたエクレシアの苦悩がある。


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どういう人と友達になるべきか ++++++++ 所感

2012/05/07 06:31

120507(月)5時起床●朝の黙想は昨日感話で話した使徒26:18の続き。「どういう人と友達になるべきか」。

塚本訳  使  26:18
26:18 彼らの』目をあけて』彼らが『暗闇から光に、』悪魔の権力から神に帰るため、そうして彼らがわたしに対する信仰によって罪の赦しを得、きよめられた人たちの仲間に入れていただくためである』と。

(昨日の壇上での話。)
●私はかってNHK交響楽団の定期会員であった。また建築士会、同窓会に出席してもなにか「空しい」。空しくない仲間は「罪の赦しを得、きよめられた人たち」。
●中にはゴルフ仲間、スポーツ仲間などあるが空しいはずだ。

(以下は今朝の黙想)
●昨日の集会の帰途電車の中で、某夫人から「高橋さんの髪の毛は塚本虎二先生のように真っ白になりましたね」と言われた。そこで「中味が違いますよ」と答えた。しかし信仰の深い人に言われると中味も真似なければと思うようになる。主にある人の励ましは人を向上させる。鼓舞させられるものだ。
●私の白髪は、父親譲りのもの、10年前の家屋全焼と脳内出血以来特に白髪が増えた。
●白髪には得な事がある。電車で若い人が席を譲ってくれる。(レビ19:32)
●「Jバイブル」で「白髪」を打って感じたものを次に掲げる


創    44: 29 [新共同

それなのに、お前たちはこの子までも、わたしから取り上げようとする。もしも、何か不幸なことがこの子の身に起こりでもしたら、お前たちはこの白髪の父を、苦しめて陰府に下らせることになるのだ』と申しました。

創    44: 31 [新共同

この子がいないことを知って、父は死んでしまうでしょう。そして、僕どもは白髪の父を、悲嘆のうちに陰府に下らせることになるのです。

レビ   19: 32 [新共同

白髪の人の前では起立し、長老を尊び、あなたの神を畏れなさい。わたしは主である。

詩    71: 18 [新共同

わたしが老いて白髪になっても/神よ、どうか捨て去らないでください。御腕の業を、力強い御業を/来るべき世代に語り伝えさせてください。

詩    92: 15 [新共同

白髪になってもなお実を結び/命に溢れ、いきいきとし

箴    16: 31 [新共同

白髪は輝く冠、神に従う道に見いだされる。

箴    20: 29 [新共同

力は若者の栄光。白髪は老人の尊厳。

イザ   46: 4 [新共同

同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。

●最高の友人は、キリストだ。彼は裏切らない。私を捨てない。
●殉教者「ポリカルプス」は死刑執行人が「、ローマ皇帝が主だとちょっと言えば赦される。あなたも老人だから(白髪だったか)一言つぶやくなさい」と囁いた。するとポリカルプスは「この老人になるまで、私の主であるイエスは一度も私を裏切ったことはなかった。どうして今この段に及んで主イエスを裏切ることが出来ようか」と言って堂々と殉教した。


塚本訳 ヨハ 12:24
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)

塚本訳 ヨハ 15:13
15:13 (わたしはあなた達のために命を捨てる。)友人のために命を捨てる以上の愛はないのだ。


●若者に告ぐ。

遊び人とは付き合うな。
下ネタを平気で語る人とは付き合うな
東大出を鼻にかける人とは付き合うな
三高(背が高く、高収入、高学歴)、かつイケメンとは結婚するな。
平気で約束をすっぽかす人とは付き合うな
有名校、一流企業を目指すことだけが目的の人とは付き合うな


●信者に告ぐ

聖書よりも先生を振りまわす人と付き合うな
平気で聖日を休む人とは付き合うな
文学に興味を持つ人間とは付き合うな。理由をつけて平気で堕落する。
ゴルフの話をうれしそうに話す人とは付き合うな
信仰のことで夫人のいいいなりになる人とは付き合うな
聖書よりも教会(集会)の方を大切にする人とは付き合うな
みせびらかすために社会批判をする人とは付き合うな
教会(集会)をこの世の遊びのサークルと同列に考えている人とは付き合うな
神よりもこの世の権威(東大、岩波、NHK、霞が関)を喜ぶ人間とは付き合うな。これに関しては次の聖句が適切である。イエスは最高裁判所の権威を無視した。(ヨハネ19:8-11)

  塚本訳  ヨハ 19:8-11
19:8 ピラトはこの(神の子という)言葉を聞くと、いよいよ薄気味悪くなり、
19:9 また総督官舎に入ってイエスにたずねる、「お前はいったいどこから来たのか。(本当に天から来たのか。)」イエスは返事をされなかった。
19:10 するとピラトが言う、「このわたしに口をきかないのか。わたしはお前を赦す権力があり、お前を十字架につける権力があることを、知らないのか。」
19:11 イエスは答えられた、「あなたは上[神]から授けられないかぎり、わたしに対してなんの権力もない。だから(あなたの罪はまだ軽いが、)わたしをあなたに売った者[ユダ]の罪は、あなたよりも重い。(あなたは官憲として神の命令を行なうだけだが、彼は自分の発意でやったのだから。」

●午後は図書館で借りたDVDでボリショイ劇場のチャイコフスキー「白鳥の湖」を観賞。
●このバレエは振付によって最後の場面がいろいろ違う。
●今日のは悪魔が王子のジークフリートを殺そうとするとき、オデットが犠牲を覚悟で悪魔の前に両手を広げて立ちはだかり王子を救う。するとその愛に感動したのか悪魔は滅びる。オデットの姿は毅然としていた。名演技であった。
●「悪魔の業」は犠牲の愛によって滅びることを思って涙が流れた。
●罪と悪魔から人を救うには「愛の死」が必要。これは神の心。独り子の死につながる。
●エクレシアの物理的拡大によって神の国が来るわけではない。
●キリスト教信者の増加によって神の国が来るのではない。神の国は終末に完成する。神と信者の犠牲の愛の死によって来る。
 
●20:20 ノジマPC電話相談室の伊藤氏にHPトップページのことを聞く。遠隔操縦はありがたい。


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神が教えて下さる ++++++++ 所感

2012/05/06 06:50

120506(日)5時起床●朝の啓示「神が教えて下さる。」

口語訳 イザ 28:23-26
28:23 あなたがたは耳を傾けて、わが声を聞くがよい。心してわが言葉を聞くがよい。
28:24 種をまくために耕す者は絶えず耕すだろうか。彼は絶えずその地をひらき、まぐわをもって土をならすだろうか。
28:25 地のおもてを平らにしたならば、いのんどをまき、クミンをまき、小麦をうねに植え、大麦を定めた所に植え、スペルト麦をその境に植えないだろうか。
28:26 これは彼の神が正しく、彼を導き教えられるからである

新改訳 イザ 28:23-26
28:23 あなたがたは、私の声に耳を傾けて聞け。私の言うことを、注意して聞け。
28:24 農夫は、種を蒔くために、いつも耕して、その土地を起こし、まぐわでならしてばかりいるだろうか。
28:25 その地面をならしたら、ういきょうを蒔き、クミンの種を蒔き、小麦をうねに、大麦を定まった場所に、裸麦をその境に植えるではないか。
28:26 農夫を指図する神は、彼に正しく教えておられる。

新共同 イザ 28:23-26
28:23 聞け、わたしの声に耳を向けよ。聞け、わたしの言うことに耳を傾けよ。
28:24 種を蒔くために/耕す者は一日中耕すだけだろうか。土を起こして、畝を造るだけだろうか。
28:25 畑の面を平らにしたなら/いのんどとクミンの種は、広く蒔き散らし/小麦は畝に、大麦は印をしたところに/裸麦は畑の端にと、種を蒔くではないか。
28:26 神はふさわしい仕方を彼に示し、教えられる。

●塚本先生の「聖書知識」のサブタイトルは「教会の外に救い」(あり)である。塚本虎二先生と斉藤茂先生の「キリスト教常識」のサブタイトルはギリシャ語で「神ご自身が教えられる」である。
●これはいみじくも無教会の精神である。
●肉の人間は霊の席のことである「神の福音」を教えられない。伝えたり証することはできるが「教えられない。治療はできない。
●人は神ご自身が聖書や贖罪や復活や再臨を直接教えて下さる。
●パウロはこのことを次のように言う。
 
塚本訳 ロマ 8:28
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。

●人は大不幸に遭った時、「なぜだ、どうしてだ」と泣く。神はその答えを次のように言う。

塚本訳  ヨハ 9:1-3
9:1 イエスは通りがかりに、生まれつきの盲人を見られた。
9:2 弟子たちが尋ねた、「先生、この人が盲で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか、両親ですか。」
9:3 イエスは答えられた、「この人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。ただ神の御業がこの人に現われるためである。 

●妻と集会へ行く。●集会は横田、高木(詩篇、大貫隆の復活論)、高橋([神様、どうしてなんですか」と泣く時に.。配布資料は次をクリック)
 
http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/120506.htm


●午後、妻はコーラスの練習、●私は六本木の新国立美術館にセザンヌ展。

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新国立美術館(六本木)。黒川紀章の設計。コケオドシ。こういうのを品格のない
設計という。またこういうデザインを喜ぶ人間は民度が低い。

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アトリウムの内部もコケオドシ。とにかくいたるところ「驚かしてやろう」という気持が溢れていてすこしも落ち着かない。


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アトリウムの内部から見る青山公園。こういうところから眺める公園は美しくない。
落ち着かない。これじゃーセザンヌも泣く。
 
●セザンヌ展ではやはり「静物画」が圧巻であった。人にはそれぞれ得意分野(タラント)というものがあるものだ。なにもかもよくできるというのは眉唾だ。人には不得意分野があってよい。
否、不得意分野だらけの人間でよい。何か一つ得意分野があればよい。●学校の採点方法で、最高得点の科目はカットし、最低分野の科目を2乗するという方法を提唱している人がいる。 これ人を励ます天国的方法ではないか。●某死刑囚。幼い頃、学校の先生に「君は絵がうまいね―」と一言褒められたことを獄中で思い出し、回心した。

 

セザンヌの静物画。「りんごとオレンジ」(1898-1900頃)オルセー美術館所蔵
この画像の出典。IPA情報処理推進機構  http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/


●同時に開催されていた「国展」の絵画と工芸の部を観賞。「工芸」の部の織物の技術に感心。「よくここまでできるなー」
●3階のアート図書館で見た「桂離宮」の写真集でホッとした。真に教養と品格のある建物だ。この黒川紀章設計のコケオドシの新国立美術館とは格が違う。
●17時30分帰宅。非常にくたびれた。妻が「長く歩いたからでしょうと」言ってくれたので心安まった。人は「励まし」の言葉ではなく「同情」の言葉で癒される。「悲しい時は悲しい音楽を聴け。これ同質の原理だ」(日野原重明)
●精神の病の人に向って「叱咤激励」してはいけないことは常識。人間の力づくで直そうとしてはいけない。神に出ていただかなければならない。神の栄光があがらなければならない。それには祈りあるのみ。神の力を信じて忍耐し待つのみ。神は祈りを聴き給う。 

文語訳  ロマ 12:13-15
12:13 聖徒の缺乏(とぼしき)を賑(にぎわ)し、旅人を懇(ねんご)ろに待(もてな)せ、
12:14 汝らを責むる者を祝し、これを祝して詛(のろ)ふな。
12:15 喜ぶ者と共によろこび、泣く者と共になけ。

塚本訳  ロマ 12:13-15
12:13 力を合わせて聖徒の欠乏をおぎない、旅人の接待に努めよ。
12:14 (あなた達を)迫害する者に(神の)祝福を求め、祝福して呪うな。
12:15 喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣け。

 

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権威のありか ++++++++ 所感

2012/05/05 06:51

120505(土)子供の日。●私にはもう子供はいない。神にお返しした。●朝の啓示「権威のありか」


塚本訳 マタ 7:28-29
7:28 イエスがこれらの話を終えられた時、一しょに聞いていた群衆はその教えに感心してしまった。
7:29 自分たちの聖書学者のようでなく、権威を持つ者のように教えられたからである。


●イエスの言葉のどこまでが史実かは不明だが、その話を聞いた人が^「感心した」と言う事だけは史実を疑うことはできないと「学会の趨勢」も認めるらしい。
●福音は教会組織では伝わらない。団子状の「仲良しクラブ」的なエクレシアでも伝わらない。福音に照らされて罪が赦された人格のその「権威」の人格で伝わる。それはこの世的な人格者ではない。神から与えられる不思議な神的人格で伝わる。    
●この世の人間は「権威」を求めて理性の安息を得ようとする。東大、NHK、岩波、大学教授。これらに「権威を認める人間」は大抵神への信仰が薄い信者。

●だから喜んでこの世的人格はないことを喜ぼう。怒りっぽい、だらしない、赦さない、攻撃的、口が悪い。学歴がない、教養がない、常識がない、愛がない、善行がない、業績がない、学問がない、語学が出来ない、社会的地位がない、血統がない、堅物で柔軟性がない、財産がない、・・・・ナイナイづくしである。しかしパウロに慰められる。

塚本訳 Ⅱコリ4:7
4:7 しかしこの宝が、(貧弱な)土の器の中にある。それはその素晴らしい力が神のものであって、わたし達(土の器)から出るのではないことがわかるためである。 

●権威の差を感じるもの。①旧約聖書と新約聖書 ②イエスの言葉とパウロの言葉 ③福音書記者の編集句(いわゆる額縁)と本文 ④共観福音書とヨハネ福音書(これは福音の「説明。パウロの手紙に似ている」)


●黙想のために上記マタイ7:29の「権威あるもの」に注目して各種引照をみてみよう。
 
●TSK日本語版
 
口語訳 申  18:18-19
18:18 わたしは彼らの同胞のうちから、おまえのようなひとりの預言者を彼らのために起して、わたしの言葉をその口に授けよう。彼はわたしが命じることを、ことごとく彼らに告げるであろう。
18:19 彼がわたしの名によって、わたしの言葉を語るのに、もしこれに聞き従わない者があるならば、わたしはそれを罰するであろう。


口語訳 伝  8:4
8:4 王の言葉は決定的である。だれが彼に「あなたは何をするのか」と言うことができようか。

口語訳 イザ 50:4
50:4 主なる神は教をうけた者の舌をわたしに与えて、疲れた者を言葉をもって助けることを知らせ、また朝ごとにさまし、わたしの耳をさまして、教をうけた者のように聞かせられる。

口語訳 マタ 5:20
5:20 わたしは言っておく。あなたがたの義が律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、決して天国に、はいることはできない。

口語訳 マタ 5:28
5:28 しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。

口語訳 マタ 5:32
5:32 しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、不品行以外の理由で自分の妻を出す者は、姦淫を行わせるのである。また出された女をめとる者も、姦淫を行うのである。

口語訳 マタ 5:44
5:44 しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。

口語訳 マタ 21:23-27
21:23 イエスが宮にはいられたとき、祭司長たちや民の長老たちが、その教えておられる所にきて言った、「何の権威によって、これらの事をするのですか。だれが、そうする権威を授けたのですか」。
21:24 そこでイエスは彼らに言われた、「わたしも一つだけ尋ねよう。あなたがたがそれに答えてくれたなら、わたしも、何の権威によってこれらの事をするのか、あなたがたに言おう。
21:25 ヨハネのバプテスマはどこからきたのであったか。天からであったか、人からであったか」。すると、彼らは互に論じて言った、「もし天からだと言えば、では、なぜ彼を信じなかったのか、とイエスは言うだろう。
21:26 しかし、もし人からだと言えば、群衆が恐ろしい。人々がみなヨハネを預言者と思っているのだから」。
21:27 そこで彼らは、「わたしたちにはわかりません」と答えた。すると、イエスが言われた、「わたしも何の権威によってこれらの事をするのか、あなたがたに言うまい。

口語訳 マタ 28:18
28:18 イエスは彼らに近づいてきて言われた、「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。

口語訳 エレ 23:28-29
23:28 夢をみた預言者は夢を語るがよい。しかし、わたしの言葉を受けた者は誠実にわたしの言葉を語らなければならない。わらと麦とをくらべることができようかと、主は言われる。
23:29 主は仰せられる、わたしの言葉は火のようではないか。また岩を打ち砕く鎚のようではないか。

口語訳 ミカ 3:8
3:8 しかしわたしは主のみたまによって力に満ち、公義と勇気とに満たされ、ヤコブにそのとがを示し、イスラエルにその罪を示すことができる。

口語訳 ルカ 21:15
21:15 あなたの反対者のだれもが抗弁も否定もできないような言葉と知恵とを、わたしが授けるから。

口語訳 使  3:22-23
3:22 モーセは言った、『主なる神は、わたしをお立てになったように、あなたがたの兄弟の中から、ひとりの預言者をお立てになるであろう。その預言者があなたがたに語ることには、ことごとく聞きしたがいなさい。
3:23 彼に聞きしたがわない者は、みな民の中から滅ぼし去られるであろう』。

口語訳 使  6:10
6:10 彼は知恵と御霊とで語っていたので、それに対抗できなかった。

口語訳 ヘブ 4:12-13
4:12 というのは、神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。
4:13 そして、神のみまえには、あらわでない被造物はひとつもなく、すべてのものは、神の目には裸であり、あらわにされているのである。この神に対して、わたしたちは言い開きをしなくてはならない。

●新共同訳の引照

新共同 ルカ 4:32
4:32 人々はその教えに非常に驚いた。その言葉には権威があったからである。

新共同 ヨハ 7:46
7:46 下役たちは、「今まで、あの人のように話した人はいません」と答えた。


●ネストレ27版の引照

新共同 マコ 1:22
1:22 人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。

新共同 マコ 1:27
1:27 人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」

新共同 ヨハ 7:46
7:46 下役たちは、「今まで、あの人のように話した人はいません」と答えた。
 

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妻は体の具合が少しよくなった。今日は端午の節句とて「柏餅」を作ってくれた。しかし二人だけ。子供は親から独立して離れていくものだなー。 私たちの手の届かないところを歩いているが、神の祝福が末長くあるように。


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玄関に飾ったリーガベゴニア

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あきる台公園。子供の日なので家族連れが多い。家庭の平和。


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キジの鳴き声。中央の土盛りの上にいた。これ以上近づくと逃げる。

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ハナミズキの白さ。空の青さよ

●今日は初夏の篤さ。アイスクリームを妻に(私の分も)買って帰る。
●夜は菖蒲湯に入る。 
 


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「神様、どうしてなんですか」と泣く時に ++++++++ 所感

2012/05/04 09:45

120504(金)4時目覚め●明後日の感話の内容を大幅に変更。タイトルを次のようにした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「神様、どうしてなんですか」と泣く特に

・・・わたしは世を罰しない。救うために来た・・・

 

東京聖書読者会 2012.5.6 高橋照男

 

イエスの伝道の失敗 ヨハネ12:37-43 

(人類は徴[奇蹟]でも知恵や知識でも神は分からなかった)

 

イエスの伝道の要約 ヨハネ12:44-50

(わたしは世を罰しない。救うために来た)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

感話の骨子


①2008年,秋葉原通り魔事件で親しい友人を失った若い女性が「神様、どうしてなんですか」と言って泣いた。
②これに対して大貫隆氏はイエスの絶叫「エロイ エロイ ラマ サバクタニ」を重ね合わせて、人生の不条理を論じた。(岩波「図書」2010.10)
③大貫隆氏は「聖書の分かりにくさ」を自らの体験を通じて若者の側に立って同情的に論じている。それが「聖書の読み方」(2010年2月岩波新書)である。
④その結論は「若者よ、躓くのならもっと本質的な事に躓け!」(P129.204)
⑤「グノーシス主義とは人間即神也の思想なのである。牧会書簡、公同書簡、使徒教父文書が彼らをくりかえし論駁の対象とした理由はそこにあった。彼らから見れば、グノーシス主義者はたしかに聖書の創造信仰に躓いた者たちである。ただし、忘れてならないことは、彼らが聖書の周縁ではなく、中心に躓いたことである。」
⑥大貫隆氏もその師である荒井献先生も日本におけるグノーシス研究の第一人者であるが、それはグノーシスの思想が日本の宗教てき風土に似ているからであると高橋は思う。つまり日本の仏教的神道的地盤にいかに福音を植えようかと言う苦労であると思う。
⑦しかし上記「聖書の読み方」を読んでの感想は、大貫氏の熱意に関わらず、残念ながらそのアピールは失敗していると思う。
⑧なぜか。大貫氏の論法は「知恵と知識」を司る「大脳皮質」に向って訴えているものだからである。
⑨最もキリスト教神学や人物の思想(内村ほか)に目を向けさせないで、「聖書それ自身」を指していることは昔に比べて長足の向上である。
➉イエスの伝道は失敗した(ヨハネ12:37-43)。塚本訳のここの標題は「イエスの伝道の失敗」である。
⑪なぜ、失敗したか。ユダヤ人への徵[奇蹟]、聖書学者たちへ知識でもイエスが神の子であることを表すことはできなかったからである。
⑫そこで、イエスは、伝道方法を改めて決然と顔をエルサレムに向けた。「十字架に向った」 

塚本訳  ルカ 9:51
9:51 イエスは(いよいよ)昇天の日が迫ったので、決然としてその顔をエルサレムへ向けて進み、

⑫その十字架と復活に神の救いの意味があることを、人類はパウロの出現を待たねばならなかった。
⑬それは神が心を開いて下さらなければ分からないのだが、それは知恵や知識ではなく神ご自身の力によるのである
⑭聖書の理解は人間の知恵や知識や「教養主義」によるのであってはならない。 
⑮だから大貫隆氏はいつまでもグノーシスの研究をしていては宣教にならない。「キリスト教の敵はローマ帝国にあらずしてグノーシス主義であった」とは真理。グノーシス主義では人は救われない!。
 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
感話骨子 おわり
 
●妻の具合がイマイチなので、今日の昼食は私がカレーライスを作ることにした。妻に傍でいろいろ指導されてようやく出来た。これでまたレパートリーが一つ増えた。
●TSK日本語版コロサイ2章入力。


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私の遺言・・ユーアンゲリオン(よきおとずれ) ++++++++ 所感

2012/05/03 06:52

120503(木)4時目覚め●6日の感話は前半の感話者が高木博義氏で「大貫隆氏について話すので、後半の高橋はそれにコメントして欲しい」と言われたので、古い論考の「胸が熱くなって見えたもの・・・現代無教会のグノーシス的傾向」の一部を話すことにした。
●その資料の修正校正をしたところ、論考の内容は15年前の体験にもとずくものだが、それ以降言っていることは変わらない。高木博義氏からは「高橋は十年一日の如く有体的復活を説いている」と言われる所以である。
●その後、私は地上の建物は焼かれ、肉体も脳出血で一時意識不明。あのとき私から「地平線は消えた」
●それでこの論考は私の「遺言」である。それはユーアンゲリオン(よきおとずれ)である。 

●今朝修正校正したその遺言の論考は次である。
 
http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/1205031.htm

●私に金銭はない。けれども金銭以上のもの、「永遠の命の道」を示すことを遺産として残す。これが 「信仰の遺産」(岩下壮一)である。 
  

文語訳  使  3:6
3:6 ペテロ言ふ『金銀は我になし、然れど我に有るものを汝に與ふ、ナザレのイエス・キリストの名によりて歩め』
 
●妻が風邪気味で具合が悪いので昼食は私が焼きそばを作る。
●TSK日本語版Ⅰテサ1章。パウロの手紙は「淫蕩の世界」に向けて書かれている。今も同じだ。

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隠れた祈りこそ聴かれる ++++++++ 所感

2012/05/02 06:08

120502(水)4時半目覚め●朝の黙想「隠れたる祈りこそ聴かれる」

●まず翻訳比較。これは母国語でかつ「良い翻訳」(今のところ次の7種類か)を少なく見るのがよい。

文語訳 マタ 6:6
6:6 なんぢは祈るとき、己が部屋にいり、戸を閉ぢて、隱れたるに在す汝の父に祈れ。さらば隱れたるに見給ふなんぢの父は報い給はん。

口語訳 マタ 6:6
6:6 あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。

新改訳 マタ 6:6
6:6 あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。

新共同 マタ 6:6
6:6 だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。

塚本訳 マタ 6:6
6:6 あなたが祈る時には、『奥座敷に入り、部屋をしめきった上で、』隠れた所においでになるあなたの父上に『祈れ。』そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。

岩波翻訳委員会訳1995
0606むしろ、あなたが祈る時は、あなたの奥の部屋に入り、あなたの戸に鍵をし、隠れたところにおられるあなたの父に祈れ。すると、隠れたところを見ておられるあなたの父が、あなたに報いて下さるであろう。

前田訳1978
6:6 あなたが祈るときは部屋に入って戸を閉じ、隠れたところにいますあなたの父に祈れ。さらば隠れたところに見たもうあなたの父は報いたまおう。


●「信仰なくして死んだ身内やどうしても福音を受け入れない身内でも救われるのか」の心配は信者の永遠の課題であり悩みである。
●これに対してカトリック教会は「諸聖人の祈り」と言って神キリストと自分の間に「諸聖人」を立てて祈ってもらう。
●カトリックの「死者のためのミサ曲」は信仰なくして死んだ」人の代祈として効き目があるという。
●プロテスタント教会の各派は救いはあくまでも本人の悔い改めと福音の受容だとする「神学」から、臨終の人にも必死で信仰を説いたり、生きているうちに何とか「教会に引っ張って」行こうとする。
●かくいう無教会はどうか。「聖書自身に聞く」というう立場が無教会に要求される
●しかし無教会でも、「この件に関しては誰誰先生はこういうお考えです」というのだから信者は右往左往したあげく、「先生の弟子」同士がお互いに喧嘩しているのだから目も当てられない。「一人一教会主義の先生の弟子というものまで現われた」(岩下壮一)と批判された。先生にお伺いを立ててはいけない。「聖書で聖書を読む」ことをしなければならない。
●最近の「キリスト新聞」に「良縁を求めます」という記事がいつになく大きく出ていた。それによると相手の女性はプロテスタントでもカトリックでも無教会派でもよいとあった。
●これを読んだ私は心の中で「万歳」と叫んだ。思わぬところで無教会は「市民権」を得て「公認された」と思ったからである。
●しかし教職者や教会員の間では無教会者は洗礼聖餐をやらないから「不完全」だとして「白い目」で見られているがこの「良縁」募集者にとっては「無教会派」の人は注目されている。先輩の実績の評判のおかげである。
●かっては教会から「無教会者は信者にあらず」と言われたが、今は違う。事実が勝利した。
●ブルンナーが来日していたとき「教会と無教会」を握手させようとしたが、塚本先生は「プロテスタント教会と無教会の溝はプロテスタント教会とカトリック教会との溝よりも深い」と言ってブルンナーを慌てさせた。
●ともかく今度の「良縁募集」の記事から、募集者は無教会はプロテスタントの一派ではないことを認識しているようで嬉しくなった。天にいる内村、塚本、黒崎、また諸先輩は喜んでおられるだろう。
●では「今朝の問題」。「隠れた祈り」について「聖書で聖書を読む」方法で思い浮かぶところをあちこちを黙想して見よう。聖書は自分で納得する時に力があって、この方法が真にキリスト教の土着化につながる。

塚本訳  ヨハ 4:50-53
4:50 イエスは言われる、「かえりなさい、息子さんはなおった。」その人はイエスの言われた言葉を信じて、かえっていった。
4:51 しかしすでに途中で、僕たちが出迎えて、子供がなおったことを知らせた。
4:52 そこで僕たちに良くなった時間をたずねると、「きのう午後一時に熱が取れた」とこたえた。
4:53 父は、それが「息子さんはなおった」とイエスが言われた時間であることを知り、彼はもちろん、全家族が信じた。

塚本訳  ルカ 7:6-10
7:6 イエスは彼らと連れ立って行かれた。しかし、すでにその家から程遠からずなったとき、百卒長は友人たちをやって言わせた、「主よ、ご足労くださらぬように。わたしはあなたを、うちの屋根の下にお迎えできるような者ではありません。
7:7 だから自分でお願いに出る資格もないと考えたのです。(ここでただ)一言、言ってください。そうすれば下男は直ります。
7:8 というのは、わたし自身も指揮権に服する人間であるのに、わたしの下にも兵卒がいて、これに『行け』と言えば行き、ほかのに『来い』と言えば来、また僕に『これをしろ』と言えば(すぐ)するからです。(ましてあなたのお言葉で、病気が直らないわけはありません。)」
7:9 イエスはこれを聞いて驚き、ついて来た群衆の方に振り向いて言われた、「わたしは言う、イスラエルの人の中でも、こんな(りっぱな)信仰を見たことがない。」
7:10 使の者が家に帰って見ると、僕は元気になっていた。

塚本訳 ヨハ 11:14-15
11:14 そこでイエスが今度ははっきり言われた、「ラザロは死んだのだ。
11:15 わたしがそこにいなかったことを、あなた達のために喜ぶ。あなた達の信仰を強めることができるからだ。さあ、ラザロの所に行こう。」

塚本訳  マコ 9:29
9:29 彼らに言われた、「この種類(の霊)は、祈り以外(の手段)では決して出てゆかせることは出来ない。」

塚本訳 マコ 2:1-5
2:1 数日の後、カペナウムにかえられると、家におられることがすぐ知れわたって、
2:2 もはや門口にも場所がないほど、大勢の人が集まってきた。この人たちに御言葉を語っておられると、
2:3 人々が一人の中風の者を、四人にかつがせてつれて来る。
2:4 群衆のためイエスのところにつれて行けないので、おいでになる所の(上の)屋根をはがして穴をあけ、中風の者を担架に寝かせたまま(イエスの前に)吊りおろす。
2:5 イエスはその人たちの信仰を見て(驚き)、中風の者に言われる、「子よ、いまあなたの罪は赦された。」

●これらの各種事例は総て「本人の悔い改めと信仰」ではなく周囲の人の祈りである。イエスは「遠隔操縦」で奇蹟を起こされた。
●だから本人に向って「説教して非を認めさせ悔い改めを迫る」などの事をしなくてよい。
●祈りの相手が死後のかなたにいる人でも、日本にいなくても、何らかの事情で疎遠になって手が届かないところにいる人でも「遠隔の祈り」で効き目がある。否、遠隔における「隠れた祈り」の方が神に聴かれる。
 
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●妻は婦人の読書会(塚本虎二著作集)。午後は新国立美術館にセザンヌ展。

有体的復活の使徒伝承

   http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/index.html

   

 

 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

      http://stonepillow.dee.cc/

    

     TSK日本語版・目次

    http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/110910.htm

   

   

    ちたた農園日誌(三男が福島県で独立経営する農場)

    http://chitata.blogspot.com/

 

 







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