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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170821(土)15:00お江戸コラリアーズ定期演奏会、文京公会堂
    170809     TW誕生日
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170706      TM誕生日
    170701      TT誕生日
    170628       IY誕生日
    170625(日)14:00羽村フィル、ゆとろぎ。モーツァルト40番、チャイコフスキー5番
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール
    170610(土)14:00内村鑑三セミナー、立教大学12号館。矢田部、椚」山
    170609(金)   TS命日
    170608(木)12:15ボリショイ「白鳥の湖」、東京文化会館
    170707(水)10:00池谷医院
    170604(日)10:00集会感話、
    170604(日)16:30近藤恵邸起工式、福島市。
    170530(火)14:00田岡氏来訪
    170527(土)14:00今井館ピアノコンサート
    170521(日)14:00新宿フィル、ブラームス1番、レスピーギ「鳥」「ローマの松」。和田睦夫
    170425       TN)誕生日
    150420(木)09:30阿伎留センター泌尿器科)
    170416(日)14:00武蔵野室内合奏団、杉並公会堂(大坪満子)


「宥めの供え物」としての老後 ++++++++ 所感

2012/06/30 10:50

120630(土)5時目覚め●朝の啓示「宥めの供え物」●残りの人生の使い方としては「宥めの供え物」としての人生に成るべきことを示された。関連する聖句を頭から「紡ぎだして」感話する。
 
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塚本訳 ロマ 3:25
3:25 すなわち神は御自分の義を示すために、宥めの供え物としてキリストを提供された。これはキリストの血でなされたものであり、(人は)信仰によ(ってこの恩恵にあずか)るのである。このことは──神が(長いあいだ)忍耐をもって過ぎし日に犯した罪を罰せずにおられたので──

●イエスの死の意味は何か。神からすれば赦しの心の徴。人間からすれば神をなだめる供え物

塚本訳  Ⅰヨハ4:10
4:10 わたし達が神を愛したことではなく、彼がわたし達を愛し、その子をわたし達の罪のための宥め(の供物)として遣わされたそのことに、愛があるのである。

●すべては神の御計画。神は悪魔を利用してまで救いの道を開枯れた。

塚本訳 ヨハ 8:10-11
8:10 イエスは身を起こして女に言われた、「女の人、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罰しなかったのか。」
8:11 「主よ、だれも」と女がこたえた。イエスが言われた、「わたしも罰しない。おかえり。今からはもう罪を犯さないように。」

●こう言ってからイエスはゴルゴダに向った。神の義を満足させるため。姦淫のr罪は許されるべきものではなかった。石打ちの刑でころあsれなければならなかった。偉大なるかなユダヤ人。

塚本訳 Ⅱコリ2:15
2:15 というのは、わたし達は救われる者の間でも、滅びゆく者の間でも、神にささげられるためのキリストのよい薫である。

●人間はすべて悪魔の誘惑に無力、完全に負ける。道徳修養常識では防ぎきれない。金、女。
●99%が不信者の日本、完全に悪魔の支配下にある。悪魔の虜になるのは当然。
●誰が救われるかは神次第。
●滅びる者にとっても「キリストのよい薫」での一生であべきだ。悲しい、淋しい。

口語訳 コロ 1:24
1:24 今わたしは、あなたがたのための苦難を喜んで受けており、キリストのからだなる教会のために、キリストの苦しみのなお足りないところを、わたしの肉体をもって補っている。

●キリストの救いの業は、復活のイエスと共にエクレシアが継続し終末を待つ。


塚本訳 マタ 16:21
16:21 この時から、イエスは自分が(神の計画どおり)エルサレムに行って、長老、大祭司連、聖書学者たちから多くの苦しみをうけ、殺され、そして三日目に復活せねばならないことを弟子たちに示し始められた


●「ねばならない」がイエスの生涯。我々の人生も「苦難に会わねばならない」それが十字架。

塚本訳 ヨハ 16:8
16:8 そして彼は来ると、罪について、義について、罰について、この世に(その考えの)誤りを認めさせるのであろう。

●救われる人は神の「引き」ですべてを教えられる。救いに導かれる。
●あの人を「目覚めさせよう」「悔い改めさせよう」と考えるのは神の威力を信じない人間。それでは人間の顔は立っても神の顔が立たない。その前に人間は人間を救えない。

塚本訳 ヨハ 13:4
13:4 夕食の席から立って、上着をぬぎ、手拭を取って腰に巻かれた。

●神はキリストを人間の罪の汚れを清めるために遣わし、贖罪の死を遂げさせた。
●しかしイエスの洗足の行為は「救われた人」があとから分かるものである。
●だからそれまでは「余計なことをしてくれるな」というのがこの世に99%の人間の言い分。
●某夫人、御子息から「俺は宗教の類(たぐい)は嫌いなのだ」と言われている。オウム真理教の悪影響だ。


塚本訳 ヨハ 13:8
13:8 ペテロが言う、「わたしの足は、いつまでも絶対に洗わないでください。」イエスは答えられた、「わたしが(足を)洗ってやらないなら、あなたはわたしとなんの関係もない人だ。」

●私が救いの事をうるさく言わないなら、99%の不信者とは縁のないことになる。これから後、何年生きようが、それは馬齢を重ねるだけの事だ。意味のない老後だ。

塚本訳 ヨハ 15:12-13
15:12 わたしがあなた達を愛したように、互に愛せよ。──これがわたしの掟である。
15:13 (わたしはあなた達のために命を捨てる。)友人のために命を捨てる以上の愛はないのだ。

●人間、「どうせ死ぬなら」、罪に悩む人、失敗の人生の人の「宥めの供え物」としての身代わりの死を遂げたい。
●それにはどうしたらよいか。神に十字架を無理に負わされることだ。

塚本訳 ルカ 9:23
9:23 それから今度は皆に話された、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、毎日自分の十字架を負い、それからわたしに従え。

●この世では安心の老後、長寿の老後、看取られる死、に腐心する。マスコミがそれを言う。
●クリスチャンの十字架はだんだん重くなる。軽くはならない。そして嫌われて死ぬ。
●この世から、「アイツがいなくなってアーすっきりした、さっぱりした」と喜ばれる。
●私の知人の故ST氏は教員であったが、宴会の席で校長から「お前がいると酒がまずくなる」と嫌味を言われたという。
●その校長よ、今に見ておれ、神が復讐する。絶対確実に報復する。人生は甘くない。神います。

口語訳 創  18:26
18:26 主は言われた、「もしソドムで町の中に五十人の正しい者があったら、その人々のためにその所をすべてゆるそう」。

●堕落街ソドムは僅かの正しい人の存在で赦された。
●現代のソドムゴモラは、、米国はラスベガス、日本は歌舞伎町などで淫蕩と好色。そこには決して真の喜びと平安はない。クリスチャンはそういうところにはいかない。なぜか。霊が汚れるから。 ●不幸にもそういう世界に陥った人間は苦しみもがいて這い出して来るものだ。なぜか。神が罰して苦しめるから。苦しみ悩み淋しさ心のカサカサは神の罰の証拠。人間は神に向って造られたから、神の懐に行かない限り心の安らぎはない。
●1%のクリスチャンは神の罰が降るその日、その時までじっと忍耐。忍耐。神は我等の味方。勝利は確実。

口語訳 創  18:32-33
18:32 アブラハムは言った、「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。わたしはいま一度申します、もしそこに十人いたら」。主は言われた、「わたしはその十人のために滅ぼさないであろう」。
18:33 主はアブラハムと語り終り、去って行かれた。アブラハムは自分の所に帰った。

●家庭の中では一人だけでも神の前に正しい人がいればその家庭は滅びない。
●なぜか。その人の苦しい人生が「宥めの備え物」であり、常に神を宥めているいからだ。

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●次にロマ書3:25の「宥めの備え物」についてTSK日本語版で調べる。神学者に聞かない。先生に聞かない。聖書辞典に聞かない。「聖書で聖書を読む」。
 

Exodus 25:17-22

17また純金の贖罪所を造らなければならない。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半。  18また二つの金のケルビムを造らなければならない。これを打物造りとし、贖罪所の両端に置かなければならない。  19一つのケルブをこの端に、一つのケルブをかの端に造り、ケルビムを贖罪所の一部としてその両端に造らなければならない。  20ケルビムは翼を高く伸べ、その翼をもって贖罪所をおおい、顔は互にむかい合い、ケルビムの顔は贖罪所にむかわなければならない。  21あなたは贖罪所を箱の上に置き、箱の中にはわたしが授けるあかしの板を納めなければならない。  22その所でわたしはあなたに会い、贖罪所の上から、あかしの箱の上にある二つのケルビムの間から、イスラエルの人々のために、わたしが命じようとするもろもろの事を、あなたに語るであろう。

Leviticus 16:15

 15また民のための罪祭のやぎをほふり、その血を垂幕の内に携え入り、その血をかの雄牛の血のように、贖罪所の上と、贖罪所の前に注ぎ、

Hebrews 9:5

 5箱の上には栄光に輝くケルビムがあって、贖罪所をおおっていた。これらのことについては、今ここで、いちいち述べることができない。

1 John 2:2

2彼は、わたしたちの罪のための、あがないの供え物である。ただ、わたしたちの罪のためばかりではなく、全世界の罪のためである。

1 John 4:10

 10わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。
 
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●12:30 妻は「倉石真とその仲間」のコンサート(於・今井館聖書講堂)へ
●今井館聖書講堂は木造で天井も高いので、音楽家たちに「音響がよい」とよい評判である。
●妻の帰宅は遅いので、夕飯は私が野菜入り焼きそばを作る。妻の分も作る。明日は妻の誕生日だ。


 有体的復活の使徒伝承

   http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/index.html

   

 

 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

      http://stonepillow.dee.cc/

    

     TSK日本語版・目次

    http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/110910.htm

   

   

    ちたた農園日誌(三男が福島県で独立経営する農場)

    http://chitata.blogspot.com/










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どんなに深い罪も赦される ++++++++ 所感

2012/06/29 05:00

120629(金)4時半目覚め起床●朝の啓示「どんなに深い罪も赦される」●TSKの日本語版入力のヤコブ書の作業中に、深く心を打たれたところがある。(ヤコブ5:13-20)●ヤコブ書はルターが「藁の書簡」と称してして過小評価しているらしいのであるが、自分で直接読んでみるとこれがまた実に面白い。聖書は「先生」に読んでもらっていてはいけない。。もし分からないところがあれば「聖書それ自身に聞けば間違いはない」。●深く感動したのは「祈りの力」についてである。罪を犯した者も赦されると言うことである。理論ではなく実際である。●聖書勉強の原動力は我が身に降りかかる実際の「苦しみ、悩み、呻き、涙、慟哭」である。 
 
塚本訳 ヤコ 5:13-20
5:13 君達の中に苦しんでいる者があるのか、その人は祈ったがよかろう。喜んでいる者があるのか、その人は(神に)讃美の歌をうたったがよかろう。
5:14 君達の中に病んでいる者があるのか、その人は教会の長老を呼び、長老たちは主の名により油を塗って、その人のことを祈ったがよかろう。
5:15 信仰(による真)の祈りは病人を癒し、主は彼を立たせ給うであろう。そしてもし罪を犯して居るならば、赦されるであろう。
5:16 だから互いに罪を告白し、医されるため互いのために祈れ。義人の(熱心な)祈りは働くと大きな力がある。
5:17 エリヤは私達と同じ(ただの)人間であるが、雨が降らないように切に祈ると、地上に三年六か月雨が降らなかった。
5:18 そして再び祈ると、天は雨を与え地はその果実を生じた。
5:19 わが兄弟達よ、君達の中に真理から迷う者があって、誰かがそれを引き戻すならば、
5:20 罪人を迷いの道から引き戻した者はその人の魂を死から救い、且つ多くの『罪を蔽う』ことを知れ


●この部分を昨日入力が完了したばかりのTSK日本語版ヤコブ書を利用して「聖書で聖書を読む」行為をしてみよう。そして少しでも「アーソウカ」と心に響くところがあれば、聖書が読めたことになる。これがプロテスタントとしての「聖書読み」の本道だ。●旧約の信仰偉人は祈りで気候を操作したり、病気を治した。●イエスや弟子達も罪を赦し病気を癒した。●イエスはどうしようもない「ライ病」を治した。●どうしようもないと落ち込んでいる放射能汚染で悩む福島県人のことをイエスに訴えれば、答えは簡単、モーセ、エリヤ、エリシヤを思えと言うに違いない●福島県の大地は当時の「らい病」の悩みと同じである。みんな失望である。しかしイエスは「らい病」を治した。●祈りで放射能汚染が消えるなどと言うとデカルト以来の科学万能で頭が固まっている人間は「鼻で笑う」であろうが、世には「奇蹟」ということがあるものだ。●今朝、」このことを以下に掲げるTSKによる引照を大量に読んで、「心に沈殿した」「頭が改造された」。●これを「御言葉の洪水」と言ってはいけない。「先生の本」ではなく、聖書それ自身を大量に読むと「心に沈殿」するものがあり、「自覚」が生れる。自分の足腰が強くなる。●現代のクリスチャンに「信仰のテスト」をするとしたら「あなたは神による奇蹟を信じますか」と言うことになるであろう。●あくまでも人間の努力、人間悪の批判による覚醒で世の中がよくなると思って天下国家が改善されると思って狂奔するクリスチャンは信仰がない信者(?)である。●信仰者が社会批判したり、あるいはこの世の仕事をすれば良い社会になる。迂遠なようだがそれが道だ。というのは結局思いがこの世である。●そういう行為主義者は奇蹟を信じない。それは怠慢と思うのである。それは間違い。神を信じない「悪魔」の考え。●イエスは「荒野の誘惑」で悪魔にこの行為主義のに誘惑された。しかしこれを振り切って神への従順を貫いた。
 
ヤコブ5:13-20 のTSK引照から「アーソウカ」と思った個所をピックアップ
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口語訳 詩  18:5-7
18:5 陰府の綱は、わたしを囲み、死のわなは、わたしに立ちむかいました。
18:6 わたしは悩みのうちに主に呼ばわり、わが神に叫び求めました。主はその宮からわたしの声を聞かれ、主にさけぶわたしの叫びがその耳に達しました。
18:7 そのとき地は揺れ動き、山々の基は震い動きました。主がお怒りになったからです。


口語訳 詩  91:15
91:15 彼がわたしを呼ぶとき、わたしは彼に答える。わたしは彼の悩みのときに、共にいて、彼を救い、彼に光栄を与えよう。


口語訳 詩  116:3-5
116:3 死の綱がわたしを取り巻き、陰府の苦しみがわたしを捕えた。わたしは悩みと悲しみにあった。
116:4 その時わたしは主のみ名を呼んだ。「主よ、どうぞわたしをお救いください」と。
116:5 主は恵みふかく、正しくいらせられ、われらの神はあわれみに富まれる。


口語訳 詩  142:2-4
142:2 わたしはみ前にわが嘆きを注ぎ出し、み前にわが悩みをあらわします。
142:3 わが霊のわがうちに消えうせようとする時も、あなたはわが道を知られます。彼らはわたしを捕えようと/わたしの行く道にわなを隠しました。
142:4 わたしは右の方に目を注いで見回したが、わたしに心をとめる者はひとりもありません。わたしには避け所がなく、わたしをかえりみる人はありません。


口語訳 ヨナ 2:2
2:2 言った、「わたしは悩みのうちから主に呼ばわると、主はわたしに答えられた。わたしが陰府の腹の中から叫ぶと、あなたはわたしの声を聞かれた。


口語訳 ヨナ 2:7
2:7 わが魂がわたしのうちに弱っているとき、わたしは主をおぼえ、わたしの祈はあなたに至り、あなたの聖なる宮に達した。


塚本訳 ルカ 22:44
22:44 イエスはもだえながら、死に物狂いに祈られた。汗が血のしたたるように(ポタポタ)地上に落ちた。


塚本訳 ルカ 23:42
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。


塚本訳 Ⅱコリ12:7-10
12:7 そしてこれらの素晴らしい啓示があるので、わたしが高慢にならないようにと、わたしの肉に一つの刺が与えられた。悪魔の使いであって、これはわたしが高慢にならないようにと、わたしをうつものである。
12:8 この使について、それがわたしから手を引くようにと、三度まで主に願ったが、
12:9 主は(その都度)言われた、「わたしの恩恵はあなたに十分だ。力は弱さの中に完成されるのだから。」、それでわたしはキリストの力がわたしに住みついてくださるように、大喜びで、むしろ(自分の)弱いことを自慢しよう。
12:10 それゆえわたしは弱いことを、虐待、艱難、また迫害と苦悩をうけることを、キリストの故に喜ぶ。わたしは弱い時には、(彼の力によってかえって)強いのであるから。


塚本訳 ヘブ 5:7
5:7 彼はその(地上における)肉の日に、烈しい叫び声と涙とをもって、彼を死から救い得るお方に向かって祈りや嘆願を捧げ、その敬虔のゆえに聞きいれられた(方である)。


口語訳 Ⅰ歴 16:9
16:9 主にむかって歌え、主をほめ歌え。そのもろもろのくすしきみわざを語れ。


口語訳 詩  105:2
105:2 主にむかって歌え、主をほめうたえ、そのすべてのくすしきみわざを語れ。


口語訳 ミカ 4:5
4:5 すべての民はおのおのその神の名によって歩む。しかしわれわれは/われわれの神、主の名によって、とこしえに歩む。


塚本訳 Ⅰコリ14:26
14:26 では、兄弟たち、どうしたらよいだろうか。あなた達が集まる時には、それぞれ聖歌を持ち、教えを持ち、啓示を持ち、霊言を持ち、その解釈を持っている。皆、(集会の信仰を)造りあげるために用いられねばならない。


塚本訳 エペ 5:19
5:19 聖歌と讃美歌と霊の歌をもって互いに語り、心をもって主に歌いまた奏で、


塚本訳 コロ 3:16-17
3:16 キリストの言をして豊かに君達の間に住ませよ。あらゆる知恵をもって互いに教えまた諭せ。感謝の心に溢れて、聖歌と讃美歌と霊の歌を神にうたえ。
3:17 凡て言うこと為ることは、皆主イエスの名において為よ。彼によって父なる神に感謝せよ。


塚本訳 黙  7:10
7:10 そして(讃美して)大声に叫んで言う、救いは玉座に坐し給う我らの神と仔羊とに!


塚本訳 使  14:23
14:23 また(今度の伝道で生まれた)集会にはどこでも長老を選び、断食をして祈って、(主の)弟子たちを彼らの信じている主にお任せした。


口語訳 Ⅰ列 17:21
17:21 そして三度その子供の上に身を伸ばし、主に呼ばわって言った、「わが神、主よ、この子供の魂をもとに帰らせてください」。


口語訳 Ⅱ列 4:33
4:33 彼ははいって戸を閉じ、彼らふたりだけ内にいて主に祈った。


口語訳 Ⅱ列 5:11
5:11 しかしナアマンは怒って去り、そして言った、「わたしは、彼がきっとわたしのもとに出てきて立ち、その神、主の名を呼んで、その箇所の上に手を動かして、らい病をいやすのだろうと思った。


塚本訳 使  9:40
9:40 ペテロはみんなを外に出し、ひざまずいて祈った。そして死体の方を向いて、「タビタ、立ちなさい!」と言った。すると彼女は目をあけ、ペテロを見て起きあがった。


塚本訳 使  28:8
28:8 たまたまポプリオの父が熱病と下痢とに苦しんで寝ていたので、パウロは彼の所に行って祈りをし、手をのせて直した。


塚本訳 マコ 6:12-13
6:12 そこで十二人は出かけていって、(罪を赦されるための)悔改めを説き、
6:13 多くの悪鬼を追い出し、また油を塗って大勢の病人をなおした。


塚本訳 マコ 16:18
16:18 蛇をつかむことができ、たとえ毒を飲んでも決して害をうけず、病人に手をのせれば(かならず)癒えるであろう。」


塚本訳 マタ 17:20-21
17:20 彼らに言われた、「信仰が無いからだ。アーメン、わたしは言う、もしあなた達に芥子粒ほどでも信仰があれば、この山に向かい『ここからあそこに移れ』と言えば移り、あなた達に出来ないことは一つもない。」
17:21 〔無し〕


塚本訳 マタ 21:21-22
21:21 イエスは答えられた、「アーメン、わたしは言う、もしあなた達に信仰があって疑わないならば、この無花果におこった(と同じ)ことをすることができるばかりか、この山にむかい『立ち上がって海に飛び込め』と言っても、その通りになる。
21:22 信じて祈れば、求めるものはなんでも、戴くことができる。」


塚本訳 マコ 11:22-24
11:22 イエスが彼らに答えられる、「神(の力)を信ぜよ。
11:23 アーメン、わたしは言う、だれでもこの山に向かい、『立ち上がって海に飛び込め』と言って心に疑わず、自分の言うことは成ると信ずるならば、そのとおりになる。
11:24 だからわたしは言う、(神に)祈り求めるものはなんでも、すでに戴いたと信ぜよ。そうすればそのとおりになる。


塚本訳 マコ 16:17-18
16:17 そして信じた者(の伝道)には、次のような(不思議な)徴が伴うであろう。──わたしの名を使って悪鬼を追い出し、新しい(霊の)言葉を話し、
16:18 蛇をつかむことができ、たとえ毒を飲んでも決して害をうけず、病人に手をのせれば(かならず)癒えるであろう。」


塚本訳 ヘブ 1:6
1:6 なお、神はその長男[キリスト]を、ふたたびこの世界に導きいれようとする(再臨の)時に(つき、)言われる。『神の使たちはみな、彼[キリスト]をおがめ。』


塚本訳 マタ 9:2-6
9:2 するとそこに、人々が寝床にねている一人の中風の者をつれて来た。イエスはその人たちの信仰を見て(驚き)、中風の者に言われた、「子よ、安心せよ、いまあなたの罪は赦された。」
9:3 すると数人の聖書学者がひそかに思った、「この人は神を冒涜している。」
9:4 イエスは彼らの考えを知って言われた、「なぜ悪いことを心の中で考えているのか。
9:5 あなたの罪は赦された、と言うのと、起きて歩け、と言うのと、いったいどちらがたやすい(と思う)か。
9:6 では、人の子(わたし)は地上で罪を赦す全権を持っていることを知らせてやろう」と言っておいて、中風の者に言われる、「起きて寝床をかついで、家に帰りなさい。」


塚本訳 Ⅰヨハ5:14-16
5:14 そして、もし神の御心に従って何かを求めるならば、神は(かならず願いを)聞いてくださること、それが神に対して持っているわたし達の確信である。
5:15 かくしてわたし達は、神はかならずわたし達の求める願いを聞いてくださることを知っているならば、求めた(すべての)求めを(すでに)得ていることを知っているのである。
5:16 もしだれかが、死に至らない罪を犯す兄弟を見たら、(神に祈り)求むべきである。そうすれば(その人は)彼に命を与える。(ただし、これは)死に至らない罪を犯す者のことである。死に至る罪がある。わたしはそんな(罪を犯す)者のために願えと言うのではない。


塚本訳 マタ 3:6
3:6 自分の罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。


塚本訳 マタ 18:15-17
18:15 それで、もし兄弟が罪を犯し(て悔改めなかっ)たら、行って、あなたと二人だけの間で忠告をしてやりなさい。もし言うことを聞けば、あなたは(天の国のために)兄弟を一人もうけたのである。
18:16 しかし(どうしても)聞かないなら、ほかに一人か二人、一しょに連れてゆくがよい。『すべてのことは、二人もしくは三人の証言によって定められる』(というモーセの掟に従う)ためである。
18:17 しかし彼らの言うことを聞かないなら、集会に申し出よ。集会の言うことも聞かないなら、(その時は已むを得ないから、その人と交際をたって)異教人か税金取りのように思ってよろしい。


塚本訳 ルカ 7:3-4
7:3 百卒長はイエスのことを聞くと、ユダヤ人の長老たちをイエスの所に使にやって、是非僕を直しに来てほしいと頼ませた。
7:4 長老たちはイエスの所に来て、こう言って熱心に願った、「あの人はそうしていただいてもよい人です。


塚本訳 コロ 1:9
1:9 それ故私達もそのことを聞いた日から絶えず(神に)祈って、君達が御霊による凡ての知恵と聡明とを与えられて、神の御意を知る知識に満たされんことを求めている。


塚本訳 Ⅰテサ5:17
5:17 絶え間なく祈れ、


塚本訳 Ⅰテサ5:23
5:23 願わくは、平和の神自ら君達を潔め尽くし、私達の主イエス・キリストの来臨の時咎められることの無いように、君達の霊と心と体を完全に守り給わんことを。


塚本訳 Ⅰテサ5:25
5:25 兄弟達よ、私達のために【も】祈ってくれ。


口語訳 創  20:17
20:17 そこでアブラハムは神に祈った。神はアビメレクとその妻および、はしためたちをいやされたので、彼らは子を産むようになった。


塚本訳 ルカ 9:6
9:6 十二人は出かけていって、村から村へとあるき回りながら、到る所で福音を説き、また病気をなおした。


口語訳 創  19:29
19:29 こうして神が低地の町々をこぼたれた時、すなわちロトの住んでいた町々を滅ぼされた時、神はアブラハムを覚えて、その滅びの中からロトを救い出された。

口語訳 出  9:28-29
9:28 主に祈願してください。この雷と雹はもうじゅうぶんです。わたしはあなたがたを去らせます。もはやとどまらなくてもよろしい」。
9:29 モーセは彼に言った、「わたしは町を出ると、すぐ、主にむかってわたしの手を伸べひろげます。すると雷はやみ、雹はもはや降らなくなり、あなたは、地が主のものであることを知られましょう。


口語訳 出  9:33
9:33 モーセはパロのもとを去り、町を出て、主にむかって手を伸べひろげたので、雷と雹はやみ、雨は地に降らなくなった。


口語訳 出  32:10-14
32:10 それで、わたしをとめるな。わたしの怒りは彼らにむかって燃え、彼らを滅ぼしつくすであろう。しかし、わたしはあなたを大いなる国民とするであろう」。
32:11 モーセはその神、主をなだめて言った、「主よ、大いなる力と強き手をもって、エジプトの国から導き出されたあなたの民にむかって、なぜあなたの怒りが燃えるのでしょうか。
32:12 どうしてエジプトびとに『彼は悪意をもって彼らを導き出し、彼らを山地で殺し、地の面から断ち滅ぼすのだ』と言わせてよいでしょうか。どうかあなたの激しい怒りをやめ、あなたの民に下そうとされるこの災を思い直し、
32:13 あなたのしもべアブラハム、イサク、イスラエルに、あなたが御自身をさして誓い、『わたしは天の星のように、あなたがたの子孫を増し、わたしが約束したこの地を皆あなたがたの子孫に与えて、長くこれを所有させるであろう』と彼らに仰せられたことを覚えてください」。
32:14 それで、主はその民に下すと言われた災について思い直された。

口語訳 民  14:13-20
14:13 モーセは主に言った、「エジプトびとは、あなたが力をもって、この民を彼らのうちから導き出されたことを聞いて、
14:14 この地の住民に告げるでしょう。彼らは、主なるあなたが、この民のうちにおられ、主なるあなたが、まのあたり現れ、あなたの雲が、彼らの上にとどまり、昼は雲の柱のうちに、夜は火の柱のうちにあって、彼らの前に行かれるのを聞いたのです。
14:15 いま、もし、あなたがこの民をひとり残らず殺されるならば、あなたのことを聞いた国民は語って、
14:16 『主は与えると誓った地に、この民を導き入れることができなかったため、彼らを荒野で殺したのだ』と言うでしょう。
14:17 どうぞ、あなたが約束されたように、いま主の大いなる力を現してください。
14:18 あなたはかつて、『主は怒ることおそく、いつくしみに富み、罪ととがをゆるす者、しかし、罰すべき者は、決してゆるさず、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼす者である』と言われました。
14:19 どうぞ、あなたの大いなるいつくしみによって、エジプトからこのかた、今にいたるまで、この民をゆるされたように、この民の罪をおゆるしください」。
14:20 主は言われた、「わたしはあなたの言葉のとおりにゆるそう。


口語訳 民  21:7-9
21:7 民はモーセのもとに行って言った、「わたしたちは主にむかい、またあなたにむかい、つぶやいて罪を犯しました。どうぞへびをわたしたちから取り去られるように主に祈ってください」。モーセは民のために祈った。
21:8 そこで主はモーセに言われた、「火のへびを造って、それをさおの上に掛けなさい。すべてのかまれた者が仰いで、それを見るならば生きるであろう」。
21:9 モーセは青銅で一つのへびを造り、それをさおの上に掛けて置いた。すべてへびにかまれた者はその青銅のへびを仰いで見て生きた。


口語訳 申  9:18-20
9:18 そしてわたしは前のように四十日四十夜、主の前にひれ伏し、パンも食べず、水も飲まなかった。これはあなたがたが主の目の前に悪をおこない、罪を犯して主を怒らせたすべての罪によるのである。
9:19 主は怒りを発し、憤りを起し、あなたがたを怒って滅ぼそうとされたので、わたしは恐れたが、その時もまた主はわたしの願いを聞かれた。
9:20 主はまた、はなはだしくアロンを怒って、彼を滅ぼそうとされたが、わたしはその時もまたアロンのために祈った。


口語訳 ヨシ 10:12
10:12 主がアモリびとをイスラエルの人々にわたされた日に、ヨシュアはイスラエルの人々の前で主にむかって言った、/「日よ、ギベオンの上にとどまれ、/月よ、アヤロンの谷にやすらえ」。


口語訳 Ⅰサム12:18
12:18 そしてサムエルが主に呼ばわったので、主はその日、雷と雨を下された。民は皆ひじょうに主とサムエルとを恐れた。


口語訳 Ⅰ列 17:18-24
17:18 彼女はエリヤに言った、「神の人よ、あなたはわたしに、何の恨みがあるのですか。あなたはわたしの罪を思い出させるため、またわたしの子を死なせるためにおいでになったのですか」。
17:19 エリヤは彼女に言った、「子をわたしによこしなさい」。そして彼女のふところから子供を取り、自分のいる屋上のへやへかかえて上り、自分の寝台に寝かせ、
17:20 主に呼ばわって言った、「わが神、主よ、あなたはわたしが宿っている家のやもめにさえ災をくだして、子供を殺されるのですか」。
17:21 そして三度その子供の上に身を伸ばし、主に呼ばわって言った、「わが神、主よ、この子供の魂をもとに帰らせてください」。
17:22 主はエリヤの声を聞きいれられたので、その子供の魂はもとに帰って、彼は生きかえった。
17:23 エリヤはその子供を取って屋上のへやから家の中につれて降り、その母にわたして言った、「ごらんなさい。あなたの子は生きかえりました」。
17:24 女はエリヤに言った、「今わたしはあなたが神の人であることと、あなたの口にある主の言葉が真実であることを知りました」。


口語訳 Ⅱ列 4:33-35
4:33 彼ははいって戸を閉じ、彼らふたりだけ内にいて主に祈った。
4:34 そしてエリシャが上がって子供の上に伏し、自分の口を子供の口の上に、自分の目を子供の目の上に、自分の両手を子供の両手の上にあて、その身を子供の上に伸ばしたとき、子供のからだは暖かになった。
4:35 こうしてエリシャは再び起きあがって、家の中をあちらこちらと歩み、また上がって、その身を子供の上に伸ばすと、子供は七たびくしゃみをして目を開いた。


口語訳 Ⅱ歴 14:11-12
14:11 時にアサはその神、主に向かって呼ばわって言った、「主よ、力のある者を助けることも、力のない者を助けることも、あなたにおいては異なることはありません。われわれの神、主よ、われわれをお助けください。われわれはあなたに寄り頼み、あなたの名によってこの大軍に当ります。主よ、あなたはわれわれの神です。どうぞ人をあなたに勝たせないでください」。
14:12 そこで主はアサの前とユダの前でエチオピヤびとを撃ち敗られたので、エチオピヤびとは逃げ去った。


口語訳 詩  34:16
34:16 主のみ顔は悪を行う者にむかい、その記憶を地から断ち滅ぼされる。


口語訳 詩  145:18-19
145:18 すべて主を呼ぶ者、誠をもって主を呼ぶ者に/主は近いのです。
145:19 主はおのれを恐れる者の願いを満たし、またその叫びを聞いてこれを救われます。


塚本訳 マタ 7:7-11
7:7 (ほしいものはなんでも天の父上に)求めよ、きっと与えられる。さがせ、きっと見つかる。戸をたたけ、きっとあけていただける。
7:8 だれであろうと、求める者は受け、さがす者は見つけ、戸をたたく者はあけていただけるのだから。
7:9 あなた達のうちには、自分の子がパンを求めるのに、石をやる者がだれかあるだろうか。
7:10 また魚を求めるのに、蛇をやる者があるだろうか。
7:11 してみると、あなた達は悪い人間でありながらも、自分の子に善い物をやることを知っている。ましてあなた達の天の父上が、求める者に善い物を下さらないことがあるだろうか。


塚本訳 マタ 21:22
21:22 信じて祈れば、求めるものはなんでも、戴くことができる。」


塚本訳 ルカ 11:11-13
11:11 あなた達のうちのどんなお父さんでも、子が魚を求めるのに、魚の代りに蛇をやるだろうか。
11:12 また卵を求めるのに、蝎をやるだろうか。
11:13 してみると、あなた達は悪い人間でありながらも、自分の子に善い物をやることを知っている。まして天の父上が、求める者に聖霊(という善いもの)を下さらないことがあるだろうか。」


塚本訳 ルカ 18:1-8
18:1 なお、気を落さずに常に祈るべきことについて、一つの譬をひいて弟子たちに話された、
18:2 「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官があった。
18:3 またその町に一人の寡婦がいた。いつもその裁判官の所に来ては、『(早く裁判をして)わたしのため敵に仕返しをしてください』と言っていた。
18:4 裁判官はしばらくの間は取り合おうとしなかったが、あとでひそかに考えた、『わたしは神を恐れず、人を人とも思わないが、
18:5 この寡婦はどうもうるさくて、やりきれないから、(裁判をして、)この女のために仕返しをしてやろう。そうしないと最後にはやって来て、わたしをどんなひどい目にあわせるか知れない。』」
18:6 それから主は言われた、「この不埒な裁判官の言うことを聞け。
18:7 (こんな男でもこのとおり。)まして神が、夜昼叫んでいるその選ばれた人々のために仕返し(の裁判)をせず、気長に放っておかれることがあろうか。
18:8 わたしは言う、間もなく彼らのために仕返しをされるであろう。しかし人の子(わたし)が来るときに、はたして地上に信仰(をもつ人)が見当るだろうか!」


塚本訳 使  12:5-25
12:5 それでペテロは(厳粛に)見張りをさせて牢におり、集会からは彼のため祈りが熱心に神にささげられていた。
12:6 (祭がすんだ夜、すなわち)ヘロデがペテロを引き出そうとしていた日の前夜、ペテロは二人の兵卒の間に二つの鎖につながれて眠っていた。また牢番らは戸の前で牢を見張っていた。
12:7 するとそこに主の使があらわれて、光が部屋の中に輝いた。天使は脇をつついてペテロを起こし、「早く立て」と言った。すると鎖が両手からはずれ落ちた。
12:8 天使が言った、「裾をひきからげ、草鞋をはけ。」そのとおりにした。また言う、「外套を着てついて来い。」
12:9 ペテロは(命じられるままに部屋を)出て、ついて行った。彼は天使のしたことが現実のこととわからずに、ただ幻を見ていると思っていた。
12:10 第一、第二の見張り所を(無事に)通りすぎて、都に通ずる鉄の門のところに来ると、それがひとりでにあいた。そこを出て、なお一つだけ通りを行くと、たちまち天使は彼を離れた。
12:11 ペテロは我にかえって言った、「今はじめて事の真相がわかった。主は天使を送って、ヘロデの手から、またユダヤ人たちが(危害を加えようと)待ち構えていたあらゆることから、救い出してくださったのだ」と。
12:12 こうだと解ったので、ペテロは通り名をマルコというヨハネの母マリヤの家に行った。そこには大勢が集まって、(ペテロのために)祈っていた。
12:13 玄関の戸をたたくと、ロダという女中が取次に出てきたが、
12:14 ペテロの声と気づくや、あまりの嬉しさに玄関もあけずに(奥に)駈けこんで、ペテロが玄関の前に立っていると知らせた。
12:15 人々は「あなたは頭が変だ」と言ったが、そうだと頑張るので、「(では)ペテロの(守り)天使だろう」と言った。
12:16 しかしペテロは戸をたたきつづけた。人々があけてペテロを見、呆気にとられた。
12:17 ペテロは声を出さぬようにと手で合図をして、主が牢からつれだしてくださったことを話してきかせ、また、「このことを(主の兄弟の)ヤコブと(集会の)兄弟たちとに知らせてくれ」と言った。そしてそこを出て、別の所に行った。
12:18 朝になると、ペテロはいったいどうしたのだろうと、(見張りの)兵卒のあいだに一方ならぬ騒ぎがあった。
12:19 ヘロデはペテロを捜したけれども見つからないので、(非常に怒って自分で)牢番らを尋問したのち死刑に処するようにと命じ、ユダヤからカイザリヤに下って滞在していた。
12:20 さて(このころ、)ツロ人とシドン人とはヘロデの烈しい怒りに触れていたので、心を一つにして彼の所に来て、王の侍従ブラストに取り入って和解(のとりなし)を乞うた。彼らの国は王の領地から食糧を得ていた(のに、それが出来なくなった)からである。
12:21 そこでヘロデは定めの日に(銀の)王服をまとって王座に着き、彼らに演説をした。
12:22 民衆が「(今のは)神様のお声だ、人間のではない」とどなった。
12:23 (王はそれを喜んだ。)たちどころに主の使が彼を打った。神に栄光を帰することをしなかった罰である。彼は(生きながら)蛆に食われて(とうとう)息が絶えた。
12:24 こうして主の御言葉は成長し、信者の数はふえていった。
12:25 バルナバとサウロとは援助を終えると、通り名をマルコというヨハネを連れて、エルサレムから(アンテオケに)帰った。


塚本訳 Ⅰヨハ3:22
3:22 そして(なんでも)願うものを、彼から戴く。なぜなら、彼の掟を守り、御前にお気に召すことをするからである。


塚本訳 ロマ 5:19
5:19 すなわち、一人の人の不従順によって多くの人が罪人になったように、一人の人の従順によっても多くの人が義人になるのである。


塚本訳 ヘブ 11:4
11:4 信仰によって、アベルは(兄の)カインよりもすぐれた犠牲を神に捧げ、その信仰のゆえに、義人であることを(神に)証しされた。『神は彼の供え物について、』(これを嘉納されたことを)証しされたのである。そしてその(信仰の)ゆえに、死んでいながら、(今日まで)まだ語っている。


塚本訳 ヘブ 11:7
11:7 信仰によって、ノアはまだ見ないもの[洪水]について(神の)お告げを受け、自分の家族を救うために恐れかしこんで箱船を造った。この信仰(の行い)のゆえに(残りの)世界の罪は決まり、彼は信仰による義の相続人となった。


塚本訳 黙  11:6
11:6 彼らはその預言する日の間雨を降らせぬ(ようにする)ため、天を閉ずる権力を有っている。また彼らは水を変えて血となし、また思うままに(何時でも)幾度でも、あらゆる災厄を以て地を撃つ権力を有っている。


塚本訳 ルカ 4:24-27
4:24 また言われた、「アーメン、わたしは言う、いかなる預言者も、その郷里では歓迎されない。
4:25 本当にわたしは言う、(郷里でえらい働きをした預言者がどこにあるか。預言者)エリヤの時代に、三年六か月、天が閉じて(雨が降らず、)国中に大飢饉があった際、イスラエル人の中に多くの寡婦がいたのに、
4:26 そのだれの所にもエリヤは遣わされず、『(異教国)シドンのサレプタにいた一人の寡婦の所に』だけつかわされた。
4:27 また預言者エリシャの時、イスラエル人の中に多くの癩病人がいたのに、そのだれも清まらず、(異教人である)シリヤ人ナアマンだけがきよまった。(神の恵みはかえって異教人に与えられる。)」


口語訳 Ⅰ列 18:18
18:18 彼は答えた、「わたしがイスラエルを悩ますのではありません。あなたと、あなたの父の家が悩ましたのです。あなたがたが主の命令を捨て、バアルに従ったためです。


口語訳 エレ 14:22
14:22 異邦の偽りの神々のうちに、雨を降らせうる者があるであろうか。天が自分で夕立を降らすことができようか。われわれの神、主よ、あなたこそ、これをなさる方ではありませんか。われわれの待ち望むのはあなたです。あなたがこれらすべてのことをなさるからです。


塚本訳 使  14:17
14:17 それでも、天から雨を振らせて実りの季節を与え、(豊かな)食べ物の楽しみであなた達の心を満たすなど、かずかずの恩恵を施されたのであって、御自分のことを証明せずにおられたわけではない。」


塚本訳 Ⅰテモ6:10
6:10 あらゆる悪の根は金を欲しがることにあるから。或る人はこれに憧れて信仰から迷い、多くの苦痛で自分を刺し通した。


塚本訳 Ⅰテモ6:20-21
6:20 ああ、テモテよ、委ねられたもの(、すなわち健全な教え)を守れ。信仰的でない無駄話と名ばかりの「知識」の反対論を離れよ。
6:21 或る人はこの「知識」にかぶれて信仰から離れ落ちたのである。恩恵君達と共にあらんことを。


塚本訳 Ⅱテモ2:18
2:18 彼らは復活は既にあったと言って(自分たちが)真理から外れ(たばかりでなく、)また幾多の人の信仰を滅茶々々にしている。


塚本訳 Ⅱペテ3:17
3:17 だから愛する者よ、君達は前以てこのことを知って、無法者どもの迷いに引き込まれ自分の堅い決心から落ち(ることの)ないように気をつけ、


塚本訳 マタ 18:15
18:15 それで、もし兄弟が罪を犯し(て悔改めなかっ)たら、行って、あなたと二人だけの間で忠告をしてやりなさい。もし言うことを聞けば、あなたは(天の国のために)兄弟を一人もうけたのである。


塚本訳 ルカ 22:32
22:32 しかしわたしはあなたのために、信仰がなくならないように祈っておいた。(だから一度信仰を失っても、またもどってくる。)もどってきたら、あなたが兄弟たちを強めてやってほしい。」


塚本訳 ガラ 6:1
6:1 兄弟たち、もし何か過ちを犯した人があったら、あなた達霊の人は、柔和な心でこんな人を正しい道に引戻さねばならない。(ただ)あなたも(一緒に)誘惑されないように、自分に注意せよ。


塚本訳 ヘブ 12:12-13
12:12 だから、『力の抜けた手と、しびれた膝をまっすぐに伸ばしなさい。』
12:13 そしてあなた達の『足で、まっすぐな道を歩きなさい』。足なえが脱臼することなく、むしろそれが直るように。


塚本訳 ユダ 1:22-23
1:22 そして疑っている或る人々を説得し、
1:23 或る人々を『火から引き出(すように)して』救い、また或る人々には同情せよ、(しかし)畏れをもって──肉に『穢された下着』すら憎め。


塚本訳 Ⅰコリ9:22
9:22 (信仰の)弱い者たちには弱くなった。弱い者たちを得るためである。わたしはこれらみんなのために、どんなものにでもなった。せめて幾人かだけでも救うためである。


塚本訳 Ⅰテモ4:16
4:16 君自身にもまた(自分の)教えにも注意せよ。(いつまでも)これらのことに止まって居れ。これをすれば君自身をも、君の話を聴く人達をも(悉く)救う(ことが出来る)であろう。


塚本訳 ヨハ 5:24
5:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、わたしの言葉を聞き、わたしを遣わされた方を信ずる者は、(今すでに)永遠の命を持っていて、(最後の日に)罰を受けない。その人はもはや死から命に移っているのである。


口語訳 詩  32:1
32:1 そのとががゆるされ、その罪がおおい消される者はさいわいである。

口語訳 箴  10:12
10:12 憎しみは、争いを起し、愛はすべてのとがをおおう。


塚本訳 Ⅰペテ4:8
4:8 何はさて措き、互いに対し強き愛を持て。『愛は』多くの『罪を蔽う』のだから。

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ヤコブ5:13-20 のTSK引照から「アーソウカ」と思った個所をピックアップ。終わり
 
●16:15 シニア割引で無料で借りてきたDVDで「オーケストラの少女」(1965年米国)を妻と観賞。音楽映画大好き。チャイコフスキー、交響曲5番第4楽章。リスト、ハンガリー狂詩曲第二番。、バッハ、トッカータとフーガニ短調。ワーグナー、ローエングリン第3幕への前奏曲。モーツァルト、アレルヤ。ヴェルディ、乾杯の歌等が演奏される。
●失業中の父(トロンボーン奏者)を助けるために、「失業者音楽集団」を結成し、当時の名指揮者ストコフスキーを呼んでくる少女(ダイアナダービン)が活躍する心温まる物語。「失業中の父を助ける」というところに胸を打たれた。この映画は若い頃に見たものだが、その時々によって感ずるところが違うものだ。母親が出てこないのは既に亡くなっていたのかなーと妻と話し合った。


   有体的復活の使徒伝承

   http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/index.html

   

 

 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

      http://stonepillow.dee.cc/

    

     TSK日本語版・目次

    http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/110910.htm

   

   

    ちたた農園日誌(三男が福島県で独立経営する農場)

    http://chitata.blogspot.com/

 

 

 




 

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内村鑑三「人間の三性」 ++++++++ 所感

2012/06/28 09:56

120628(木)5時起床●次回感話「その時、悪魔がユダに入った(ヨハネ13:27)」の探究の為に内村鑑三の「人間の三性」を読んで頭がすっきりした。(1910年10月「聖書之研究」●内村の言わんとすることは、人間は三つの部分からなっている。その第一は「自我」、その上に「霊」、下に「肉」。そして中心なる「自我」は常に「霊」か「肉」のどちらかに引っ張られて、悩み苦しみ、危機一髪でどっぷりどちらかに完全に引き込まれる。この戦いが「人生そのもの」なのだと言う。●神は自我なる人間から「霊」をとり去る、引き上げることがある。すると人間は淋しくなって肉の喜び、人間の愛に走って堕落する。●人間は堕落しないためには「道徳や修養」では無理で、常に神の霊に満たされていなければならない。これが新約聖書の中心課題である。●これに関する聖書の句を思いつくままに並べる。
 
口語訳 創  2:7
2:7 主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。


塚本訳 ヨハ 4:24
4:24 神は霊である。だから礼拝者も霊と真理とをもって礼拝せねばならない。」

塚本訳 ヨハ 3:5-6
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。
3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。

口語訳 創  6:2-3
6:2 神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった。
6:3 そこで主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう」。

塚本訳 ルカ 23:46
23:46 その時イエスは大声をあげて言われた、「お父様、』わたしの霊をあなたにおあずけします。』」こう言われるとともに、息が絶えた。

塚本訳 ガラ 4:3
4:3 同じようにわたし達も、(信仰の)未成年であった時は、(信仰のいろはである地水火風というような)この世の元素の霊の(支配の)下に奴隷になっていた。

塚本訳 マタ 4:8-11
4:8 悪魔はまたイエスを非常に高い山に連れてゆき、世界中の国々と、栄華とを見せて
4:9 言った、「あれを皆あげよう、もしひれ伏してわたしをおがむなら。」
4:10 そこでイエスは言われる、「引っ込んでいろ、悪魔!(聖書に)『あなたの神なる主をおがめ、』『主に』のみ『奉仕せよ』と書いてあるのだ。」
4:11 そこで悪魔が離れると、たちまち天使たちが来てイエスに仕えた。

塚本訳 Ⅰコリ2:14
2:14 しかし(御霊を持たない)生まれながらの人間は、神の霊から出てくることを受け入れない。彼にはそれが馬鹿なことなのである。またそれを理解することも出来ない。(霊のことは)霊的に判断されねばならないからである。

塚本訳 マタ 16:21-23
16:21 この時から、イエスは自分が(神の計画どおり)エルサレムに行って、長老、大祭司連、聖書学者たちから多くの苦しみをうけ、殺され、そして三日目に復活せねばならないことを弟子たちに示し始められた。
16:22 するとペテロはイエスをわきへ引っ張っていって、「主よ、とんでもない。そんなことは絶対にいけません!」と言って忠告を始めた。(救世主が死ぬなどとは考えられなかったのである。)
16:23 イエスは振り返って、ペテロに言われた、「引っ込んでろ、悪魔、この邪魔者!お前は神様のことを考えずに、人間のことを考えている!」

塚本訳 ヨハ 13:2
13:2 (祭の前日の)夕食のとき、すでに悪魔はシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを売ろうとする考えを吹き込んだ。

塚本訳 ロマ 5:12
5:12 (この救いはキリストとアダムとを比較する時に、はっきりする。)すなわち、一人の人(アダム)によってこの世に罪が入ってき、罪によって死が入ってき、こうして、(この人において)人は一人のこらず罪を犯したので、全人類に死が行き渡ったように──([一八節ニツヅク]一人の人キリストの正しい行いによって、全人類に命を与える義が臨んだのである。)

塚本訳 ロマ 5:18-19
5:18 従って、一人の人の過ちによって全人類に死の宣告が下されたと同じに、一人の人の正しい行いによって、全人類に命を与える義が臨んだのである。
5:19 すなわち、一人の人の不従順によって多くの人が罪人になったように、一人の人の従順によっても多くの人が義人になるのである。

塚本訳 Ⅱコリ4:3-4
4:3 しかしそれでもなおわたし達の説く福音が(ベールで)覆われている(からわからないのだと言う)なら、それは滅びゆく者にとって(だけ)覆われているのである。
4:4 彼らの場合、この不信者たちの考えをこの世の神(である悪魔)が盲にして、神の影像である救世主の栄光をつげる福音の光を見ることができないようにしたのである。


塚本訳 使  26:18
26:18 彼らの』目をあけて』彼らが『暗闇から光に、』悪魔の権力から神に帰るため、そうして彼らがわたしに対する信仰によって罪の赦しを得、きよめられた人たちの仲間に入れていただくためである』と。

塚本訳 Ⅰコリ6:17
6:17 しかし主に結びつく者は(主と一つの体、)一つの霊になるのである。

塚本訳 Ⅰコリ6:19
6:19 それとも、あなた達の体は神からいただいた聖霊の住んでおられるお宮で、自分のものでないことを、あなた達は知らないのか。

塚本訳 ガラ 5:16
5:16 わたしの意味はこうである。──霊によって歩け。そうすれば肉の欲を満たすことがないであろう。

塚本訳 Ⅰコリ15:44
15:44 (神の霊を持たない)魂だけの体がまかれて霊の体が復活する。魂だけの体がある以上は霊の体もあるわけである。

塚本訳 マコ 9:28-29
9:28 家にかえられると、弟子たちは人のいない時に尋ねた、「なぜわたし達には霊を追い出せなかったのでしょうか。」
9:29 彼らに言われた、「この種類(の霊)は、祈り以外(の手段)では決して出てゆかせることは出来ない。」

塚本訳 ルカ 11:24-26
11:24 汚れた霊が(追い出されて)人間から出て行くと、砂漠をあるき回って休み場所をさがすが見つからないので、『出てきた自分の家にもどろう』と言って、
11:25 かえって見ると、(家は)掃除ができて、飾り付けがしてあった。
11:26 そこで行って、自分よりも悪い、ほかの(汚れた)霊を七つも連れてきて入りこみ、そこに住む。するとその人のあとの有様は、(追い出す)前よりも、もっとひどくなるのである。」

 有体的復活の使徒伝承

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霊とは何だろう ++++++++ 所感

2012/06/27 06:52

120627(水)5時15分起床●朝の黙想「霊とはなんだろう」●キリスト教の信仰は大脳皮質の知識ではなく、「霊」に関することである。●ところがその「霊」ということが分かりにくい。放射性物質のように目に見えないものだから「理解」できない。放射能汚染の問題が「理解」出来ないのと似ている実態。原理を掴めないから専門家の意見に従っているので国民は右往左往しているのだ●神学者に「霊とは何か」を聞けば万巻の書を読まなければならない。●聖書やキリスト教の分かりにくいことは聖書に聞かなければならない。だから年来の主張である「聖書で聖書を読む」方法を取る。●こういう場合、引照集に振りまわされるのではなく、まず自分の頭にある「霊とは何か」に関するところを「つむぎだす」ことが大切。少なくてよい。●私が思い浮かべたところは次である。


塚本訳 ヨハ 3:1-10
3:1 ところでパリサイ人の中に名をニコデモという人があった。ユダヤの(最高法院の)役人であった。
3:2 ある夜、イエスの所に来て言った、「先生、わたし達はあなたが神のところから来られた先生であることを知っています。神がご一しょでなければ、あなたのされるあんな徴[奇蹟]はだれもすることは出来ません。」
3:3 イエスが答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、(徴を見て信じたのではいけない。)人は新しく生まれなおさなければ、神の国にはいることは出来ない。」
3:4 ニコデモがイエスに言う、「(このように)年を取った者が、どうして生まれなおすことが出来ましょう。まさかもう一度母の胎内に入って、生まれなおすわけにゆかないではありませんか。」
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。
3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。
3:7 『あなた達は新しく生まれなおさねばならない』と言ったからとて、すこしも不思議がることはない。
3:8 風[プニューマ]は心のままに吹く。その音は聞えるが、どこから来てどこに行くか、あなたは知らない。霊[プニューマ]によって生れる者も皆、そのとおりである。」
3:9 ニコデモが言葉を返した、「(霊によって生まれるなどと、)そんなことがどうして出来ましょうか。」
3:10 イエスが答えて言われた。──「あなたはイスラエルの(名高い)先生でありながら、それくらいなことがわからないのか。

口語訳 創  2:7
2:7 主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。


塚本訳 ガラ 4:3
4:3 同じようにわたし達も、(信仰の)未成年であった時は、(信仰のいろはである地水火風というような)この世の元素の霊の(支配の)下に奴隷になっていた。


塚本訳 ヨハ 13:7
13:7 イエスが答えて言われた、「わたしが何をしているのか、いまはあなたにわからない。(わたしがいなくなった)あとでさとるだろう。」


塚本訳 Ⅰコリ15:24
15:24 それから(最後に)残りの人たちが。この時、キリストはすべての支配(天使)、すべての権威(天使)と権力(天使)とを滅ぼした後、神にして父なるお方にその王国を引き渡される。


塚本訳 ヨハ 12:31
12:31 今こそ、この世の裁きがおこなわれる。今こそ、この世の支配者((悪魔))が(この世から)放り出される。(今わたしが天に挙げられるからである。)


塚本訳 使  10:38
10:38 すなわち、『神が』いかに聖『霊』と(大いなる)力と『をもって』ナザレのイエスに『油を注がれ(て聖別され)た』か、このイエスが(あちらこちらを)巡回しながら、恩愛を施し、悪魔におさえつけられている者を皆直されたかを。神がご一緒におられたからです。


塚本訳 Ⅱコリ3:16-17
3:16 『しかし彼らの心が主に帰るならば、その時ベールは取り除かれる。』
3:17 (ここで)主(と)は御霊(のこと)である。主の御霊のあるところには自由が(あるから、ベールが取り除かれるので)ある。


塚本訳 Ⅰペテ5:8-9
5:8 真面目であれ、目を覚まして居れ。君達の敵なる悪魔が『獅子のように哮えながら』、呑む者を探しつつ歩きまわっている。
5:9 信仰を堅くして彼に立ち向かえ。全世界に在る君達の教友にも同じ苦難が臨むことを君達は知っている。


塚本訳 ロマ 8:9
8:9 しかしあなた達は肉にある者ではなく、霊にある者である、(すでにキリストを信じて)神の御霊があなた達の中に住んでおられる以上は。しかし(神の御霊すなわち)キリストの霊を持たないなら、その人はキリストのものではない。


塚本訳 ヨハ 13:2
13:2 (祭の前日の)夕食のとき、すでに悪魔はシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを売ろうとする考えを吹き込んだ。


塚本訳 Ⅱコリ4:3-4
4:3 しかしそれでもなおわたし達の説く福音が(ベールで)覆われている(からわからないのだと言う)なら、それは滅びゆく者にとって(だけ)覆われているのである。
4:4 彼らの場合、この不信者たちの考えをこの世の神(である悪魔)が盲にして、神の影像である救世主の栄光をつげる福音の光を見ることができないようにしたのである。


塚本訳 ロマ 8:2
8:2 なぜなら、キリスト・イエスによる命の霊の法則が、死と罪との法則からあなたを自由にしたからである。


塚本訳 ヤコ 2:12
2:12 (だから死んだ文字でなく、霊の)自由の律法をもって審かるべき者らしく語りまた行動せよ。


塚本訳 Ⅱコリ3:17
3:17 (ここで)主(と)は御霊(のこと)である。主の御霊のあるところには自由が(あるから、ベールが取り除かれるので)ある。


塚本訳 ロマ 8:9
8:9 しかしあなた達は肉にある者ではなく、霊にある者である、(すでにキリストを信じて)神の御霊があなた達の中に住んでおられる以上は。しかし(神の御霊すなわち)キリストの霊を持たないなら、その人はキリストのものではない。


塚本訳 Ⅰコリ2:14
2:14 しかし(御霊を持たない)生まれながらの人間は、神の霊から出てくることを受け入れない。彼にはそれが馬鹿なことなのである。またそれを理解することも出来ない。(霊のことは)霊的に判断されねばならないからである。


塚本訳 Ⅰコリ15:44
15:44 (神の霊を持たない)魂だけの体がまかれて霊の体が復活する。魂だけの体がある以上は霊の体もあるわけである。


塚本訳 ユダ 1:19
1:19 この人達は(人間を)区別し、(自分達だけが霊の者であると言いながら、実は自分こそ)霊を持たない肉の者である。


塚本訳 ヨハ 3:14
3:14 そして、ちょうどモーセが荒野で(銅の)蛇を(竿の先に)挙げたように、人の子(わたしも十字架に)挙げられ(て天に上ら)ねばならない。


塚本訳 ヨハ 6:63
6:63 霊が命を与える。肉はなんの役にも立たない。いまわたしがあなた達に話した言葉は、霊である。だから、命である。


塚本訳 Ⅰコリ2:4
2:4 そしてわたしの話も説教も、人を感服させる知恵の言葉によらずに、(神の)霊と力との(直接の)立証によった。


塚本訳 Ⅰコリ2:13
2:13 またその(賜物の)ことをわたし達が話すにも、人間的な知恵に教えられた言葉によらず、御霊に教えられた言葉による。霊のことに霊のことを当てはめ(て解しようとす)るのである。


塚本訳 マタ 8:16
8:16 夕方になると、人々は悪鬼につかれた者を大勢イエスのところにつれて来た。イエスは言葉をもって霊どもを追い出し、また一人のこらず病人をなおされた。


塚本訳 マコ 16:17
16:17 そして信じた者(の伝道)には、次のような(不思議な)徴が伴うであろう。──わたしの名を使って悪鬼を追い出し、新しい(霊の)言葉を話し、


塚本訳 ルカ 4:36
4:36 皆がびっくりして、互いにこう語り合った、「この言葉はいったいどうしたのだろう。権威と力があって、この人が命令されると、汚れた霊まで出てゆくのだが。 


塚本訳  マタ 12:28
12:28 しかし、もし(そうでなく、)わたしが神の霊で悪鬼を追い出しているのであったら、それこそ神の国はもうあなた達のところに来ているのである。
 

●妻は父(高橋晋6月9日命日)の墓参に一人で行ってくれた●11:00 聖路加国際病院に先週のMRIの結果を聞きに行く。村形先生。順調だが、脳に老人性の兆候がみられるとのこと。血圧の下の方を90→80に下げる事。毎日腹筋か腕立て伏せを30回やって減量することを言われた。●AH君と電話懇談。銀座のTAビルを視察。●そのビルの前で偶然に中津元次氏と出会い、近くにある氏のオフィスに行って「コストスクール」の始まりの頃の話しを歓談。

resize2276.jpg 

銀座にもこのような古風な建物がある。ホッとする。周りの「新しい人」に挟まれている
「老人」のようだなー。いとおしく思う。老人頑張れ。
 

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人生の不可解と不条理。苦難の坩堝(るつぼ) ++++++++ 所感

2012/06/26 06:19

120626(火)5時目覚め●朝の啓示「人生の不可解と不条理。苦難の坩堝(るつぼ)」●私の机の前には次の張り紙がある。

机の前の張り紙
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一見不条理な不可解なところに神の大なる恵みの知恵が隠されていると私は信じる。神はこれを以て私達に 神の愛の何であるかを教えられるのである。・・・・・塚本虎二
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●この出典は見失ったが、同じ思想は「苦難と神の愛」という短文に現われている。

http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/bunshou/kunann.htm

●「幸福論」の著者カールヒルティは人生の苦難は神がその人の背中に畝を掘ることだと言った。
68歳の今日、その意味はこうだと思うようになった。つまり神は良い実が成る木を植えるためにまず背中に畝を掘るのだと。神に畝を掘られる時は痛い。
●「苦難の坩堝(るつぼ)に投げ込まれる時は熱くて苦しい。私もそういう時が何度かあった。その都度親しい人から「高橋君の家庭がね―」とか「高橋君の家がね―」と言われた。不可解なことだと思って下さったのである。しかし今にして思えばそれは神の深い愛の知恵であった。
●苦難の渦中のr時は人の声も聖書の言葉も慰めにならないものだ。なぜか苦難は本能に反するものだからだ。そのときは「神は愛ではない」と嘆きの声を発さざるをえない。しかし神の思いは人の思いよりも高く深く根本治療である。
●そこで、また聖書の関連個所を黙想する。 
 
口語訳 ヨブ 1:12
1:12 主はサタンに言われた、「見よ、彼のすべての所有物をあなたの手にまかせる。ただ彼の身に手をつけてはならない」。サタンは主の前から出て行った。

●ヨブの苦難は神とサタンの共謀による。神はサタンに命だけは取るなと命ずる。我々も同じ。苦難により、総てが奪われても、命は取られない。なぜか。苦難は神の愛からだから。

口語訳
塚本訳 マタ 26:24
26:24 人の子(わたし)は聖書に書いてあるとおりに死んでゆく。だが人の子を売るその人は、ああかわいそうだ!生まれなかった方がよっぽど仕合わせであった。」

●イエスはユダの役回りを気の毒に思った。神はユダを利用してイエスを殺す事にした。かくして人類救済の救いの徴を世に示された。

塚本訳 ヘブ 12:11
12:11 あらゆる訓練(というもの)は、その当座は喜びとは見えず、かえって悲しみと見えるが、しかしあとで、それで鍛えた者に(まことの)義の実である平安を与えるのである。

●「当座」とはどれくらいの期間か。私の経験では5年。その間は「もう少し、もう少し」と忍耐すればよい。必ず、必ず、必ず平安が訪れる。訪れなかったら、終末の方が先に来る。
●ヒルティの「幸福論」の結語(第三巻末尾)は「苦しみは瞬時にして喜びは永遠」(シラ―「オルレアンの少女」からの引用)

塚本訳 ヤコ 1:12
1:12 『幸福なるかな』、試練に『耐える』人、(これに)及第すると、主を愛する者に約束された生命の冠が戴けるのだから。

●試練は人間的努力では耐えられない。耐えてはいけない。神としてもカワユクない。神戸照子さんが婚約者の戦死を塚本先生に報告に言った時の事。塚本先生は聖書の言葉を使わずに「タオルでは足りない。毛布がぐしょぐしょになるまで泣きなさい。」と言われた。神戸さんはその一言で人生が立ち直り、YWCAの幹部として定年まで重要な働きをした。過日その神戸さんの消息を調べたが、既に召されていた。人生は短い。


口語訳 Ⅱペテ2:6-8
2:6 また、ソドムとゴモラの町々を灰に帰せしめて破滅に処し、不信仰に走ろうとする人々の見せしめとし、
2:7 ただ、非道の者どもの放縦な行いによってなやまされていた義人ロトだけを救い出された。
2:8 (この義人は、彼らの間に住み、彼らの不法の行いを日々見聞きして、その正しい心を痛めていたのである。


●日本においてはクリスチャン1%。一歩外に出れば「ソドムとゴモラ」。悩まされ、心痛む。孫をこういう悪の世界からどう守るかが親の課題。

口語訳 Ⅱペテ2:9-10
2:9 こういうわけで、主は、信心深い者を試錬の中から救い出し、また、不義な者ども、
2:10 特に、汚れた情欲におぼれ肉にしたがって歩み、また、権威ある者を軽んじる人々を罰して、さばきの日まで閉じ込めておくべきことを、よくご存じなのである。こういう人々は、大胆不敵なわがまま者であって、栄光ある者たちをそしってはばかるところがない。 
 
●クリスチャンの中で好色に興味を持ち、不倫文学に「詳しい」男はまず信仰が正統ではない。

塚本訳 ヘブ 12:7-8
12:7 (神の)『訓練』を受けるために、(迫害を)耐え忍べ。神はあなた達を(自分の)『子』のように取り扱われるのである。なぜなら、父の『訓練し』ない『子が』どこにかあるのか
12:8 もし皆が受ける『訓練が』ないとすれば、それこそあなた達は私生児で、(ほんとうの)『子』ではない。

●苦難は神の訓練。真の愛は「叱る」。攻撃する。打つ。批判する。手加減をしない。

塚本訳 ロマ 8:38-39
8:38 なぜなら、わたしは確信している、死でも命でも、天使でも支配(天使)でも、現在起こっていることでも将来起こることでも、権力(天使)でも、
8:39 高い所のものでも低い所のものでも、その他どんな創造物でも、わたし達の主キリスト・イエスによる神の愛から、わたし達を引き離すことはできない。


●苦難の神による目的は、「この世の幸福」という偶像から我々を引き離し、神にある真の幸福を与えるため。

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「希望」を与える仕事に全力を尽くせ ++++++++ 所感

2012/06/25 08:29

120625(月)6時目覚め●今井館理事を退任した翌日の今朝の啓示「希望を与える仕事に全力を尽くせ」●その希望とは「使徒信条の最後」(讃美歌566)である「罪の許し、身体(からだ)の読みがえり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず」、この事である。●これを固く信じ抜き、伝承しつつ死ねればこの人生は満足である。誰も聞いてくれなくて良い。誰も読まなくてもよい。神に向って一人独唱する。集客しない発信あるのみ。御心にかなう人(少数)が聞いて同感してくれればよい。●男一匹何かに全力を捧げる時は家庭を持たない。子供を持たない。なぜか。身内の悩みに時間を取られないためである。●しかし悩みというものも「個人的であればあるほど普遍的である」。●Ⅰコリ7章の「結婚問題」はパウロの個人的関係が背景にあるように思える●指揮者のカールリヒターはバッハに全時間を捧げるために結婚しなかった。パウロも結婚しなかった。カントもベートーヴェンも結婚しなかった。もちろんキリストも結婚しなかった●関連聖句を思いつくままに上げる。 

塚本訳 Ⅰコリ15:58
15:58 だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ。骨折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから。
 
●これは次の口語訳の方がしっくりくる。「全力を注いで」のところがよい。

口語訳 Ⅰコリ15:58
15:58 だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。

塚本訳 Ⅰコリ15:3-5
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。

●「一番大切なこと」は経済の安定ではない。地上の平和ではない。神との平和である。個人の霊魂の救いである。

塚本訳 ヨハ 3:16
3:16 そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである。

●「永遠の命」という言葉は人の耳をそばだてるDNAが備わっている。

塚本訳 ルカ 22:31-32
22:31 (そしてペテロに向かって言われた、)「シモン、シモン、見なさい、悪魔はあなた達を麦のように篩にかけることを(神に)願って聞き届けられた。
22:32 しかしわたしはあなたのために、信仰がなくならないように祈っておいた。(だから一度信仰を失っても、またもどってくる。)もどってきたら、あなたが兄弟たちを強めてやってほしい。」

●罪人が悔い改めたら「励まし、強め」なければならないのに現代の俗的エクレシアは仲間内のグループの結束を目指すから異分子を排除する。クタバレ「仲良しクラブ」のエクレシア! 

塚本訳 Ⅰコリ9:25-26
9:25 しかし競技する者は皆、何事にも自制する。ただ、あの人たちは朽ちはてる冠をもらうためであるが、わたし達は朽ちぬ冠のためである。
9:26 わたしはそれゆえに、目標があいまいでないように走る。
空を打たないように拳闘をする。

●ボクシング大好き。強い人は空振りをしない。無駄なエネルギーを使わない。


塚本訳 ピリ 3:13-14
3:13 兄弟達よ、私はまだ自分で(それを)捉えたなどとは考えていない。しかし(ただ)一つの事──後ろのものを忘れ、前のものを追い求めながら、
3:14 (或る)目標に向かって、すなわち神がキリスト・イエスにおいて天上に招き給う褒美に向かって(ひた走りに)走っているのである

●マラソン大好き。ひたすら走るから。


塚本訳 ヘブ 12:1
12:1 それゆえ、わたし達も、こんなに雲のような(大勢の)証人に囲まれているのであるから、(信仰の障害となる)すべての煩わしさと、すぐにからみつく罪とをぬぎすてて、わたし達の前に置かれている競走を、忍耐をもって走ろうではないか。

●これは次の文語訳がぴったりする。


文語訳  ヘブ 12:1
12:1 この故に我らは斯く多くの證人に雲のごとく圍まれたれば、凡ての重荷と纏へる罪とを除け、忍耐をもて我らの前に置かれたる馳場をはしり

●人生は「馳せ場」。どんなに辛く苦しくても一瞬だ。地球の歴史45億年をマラソンの42キロに置き換えた場合、人生100年の長さは親指の爪の長さ。短い。あの人もあの人も先に逝った。

塚本訳 ピリ 2:15-16
2:15 これは君達が非難すべき所でなく、純真であって、『曲ったねじくれた(この)時代』の真中にあって『瑕なき神の子』とならんためである。(まことに)君達はこの時代にあって、生命の言を堅く守りながら、この(暗い)世に星のように輝いているのである。
2:16 かくて私の走ったことが無駄にならず、』苦労したことが無駄に』ならずに、キリストの日に名誉が私に帰するであろう。
 
●生きて主と共にある時、この人生は「無駄」におわらない。
 

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悪魔が存在する理由 ++++++++ 所感

2012/06/24 07:52

120624(日)6時起床●朝の啓示「悪魔が存在する理由」●7月1日の感話のタイトルと主要聖句は次の通り。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

悪魔が存在する理由

・・神はユダを利用してイエスを死に追いやり、救いの道を開かれた

2012年7月1日 東京聖書読書会 高橋照男

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●堕落した天使の一人の悪魔は神と人間の仲を羨んでそれを裂こうとする。

 

新共同 ヨブ 1:12

1:12 主はサタンに言われた。「それでは、彼のものを一切、お前のいいようにしてみるがよい。ただし彼には、手を出すな。」サタンは主のもとから出て行った。

 

塚本訳 ルカ 22:31

22:31 (そしてペテロに向かって言われた、)「シモン、シモン、見なさい、悪魔はあなた達を麦のように篩(ふるい)にかけることを(神に)願って聞き届けられた。

 

塚本訳Ⅰコリ15:24

15:24 それから(最後に)残りの人たちが。この時、キリストはすべての支配(天使)、すべての権威(天使)と権力(天使)とを滅ぼした後、神にして父なるお方にその王国を引き渡される。

●悪魔は弟子のペテロに入った。イエスぐらつく。ヒューマニズムは信仰の敵

塚本訳  マタ 16:22-23
16:22 するとペテロはイエスをわきへ引っ張っていって、「主よ、とんでもない。そんなことは絶対にいけません!」と言って忠告を始めた。(救世主が死ぬなどとは考えられなかったのである。)
16:23 イエスは振り返って、ペテロに言われた、「引っ込んでろ、悪魔、この邪魔者!お前は神様のことを考えずに、人間のことを考えている!」

神はユダを利用してイエスを死に追いやり、救いの道を開かれた

塚本訳 ヨハ 13:27
13:27 ユダがそのパンを受け取(って食べ)ると、その時、悪魔がユダに入った。そこでイエスがユダに言われる、「しようとしていることをさっさとしたがよかろう。」

塚本訳 ヨハ 13:2

13:2 (祭の前日の)夕食のとき、すでに悪魔はシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを売ろうとする考えを吹き込んだ。

 

塚本訳 ヨハ 6:70-71

6:70 イエスが彼らに答えられた、「あなた達十二人を選んだのは、このわたしではなかったのか。ところが、そのうち一人は悪魔!」

6:71 イエスはイスカリオテのシモンの子ユダのことを思っておられたのである。この人は(あとで)イエスを売るべき人であったから。──十二人のうちの一人でありながら。

●イエスの死は神による贖罪の徴。イエスはユダの役回りを気の毒に思った

塚本訳 マタ 26:24
26:24 人の子(わたし)は聖書に書いてあるとおりに死んでゆく。だが人の子を売るその人は、ああかわいそうだ!生まれなかった方がよっぽど仕合わせであった。」

 ●イエスは最後にまた誘惑され、神への従順を試された。イエスは迷い悩む

 

塚本訳 マタ 16:25

16:25 (十字架を避けてこの世の)命を救おうと思う者は(永遠の)命を失い、わたしのために(この世の)命を失う者は、(永遠の)命を得るのだから。

 

塚本訳  ヨハ 18:11

18:10 するとシモン・ペテロは、持っていた剣を抜いて大祭司の下男に切りつけ、右の耳を切り落としてしまった。下男の名はマルコスといった。

18:11 イエスはペテロに言われた、「剣を鞘におさめよ。父上が下さった杯、それを飲みほさないでよかろうか!

 

塚本訳 マタ 26:53-54

26:53 それとも、父上にお願いして十二軍団以上の天使を今すぐ送っていただくことが、わたしに出来ないと思うのか。

26:54 しかしそれでは、かならずこうなる、とある聖書の言葉は、どうして成就するのか。

 

新共同 ヘブ 5:7

5:7 キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。

●悪魔はパウロの弱さを指摘して福音宣教の意思をくじき、神との仲を裂く。

塚本訳 Ⅱコリ12:7-10
12:7 そしてこれらの素晴らしい啓示があるので、わたしが高慢にならないようにと、わたしの肉に一つの刺が与えられた。悪魔の使いであって、これはわたしが高慢にならないようにと、わたしをうつものである。
12:8 この使について、それがわたしから手を引くようにと、三度まで主に願ったが、
12:9 主は(その都度)言われた、「わたしの恩恵はあなたに十分だ。力は弱さの中に完成されるのだから。」、それでわたしはキリストの力がわたしに住みついてくださるように、大喜びで、むしろ(自分の)弱いことを自慢しよう。
12:10 それゆえわたしは弱いことを、虐待、艱難、また迫害と苦悩をうけることを、キリストの故に喜ぶ。わたしは弱い時には、(彼の力によってかえって)強いのであるから。

悪魔はイエスをヒューマニズムの善行で誘惑し、神との仲を裂く

塚本訳  マタ 4:8-10
4:8 悪魔はまたイエスを非常に高い山に連れてゆき、世界中の国々と、栄華とを見せて
4:9 言った、「あれを皆あげよう、もしひれ伏してわたしをおがむなら。」
4:10 そこでイエスは言われる、「引っ込んでいろ、悪魔!(聖書に)『あなたの神なる主をおがめ、』『主に』のみ『奉仕せよ』と書いてあるのだ。」

●集会は川上、宮崎(マタイ) 横田(教会史)●14:30 今井館総会。本日をもって25年間勤めた理事を終了。●退任のあいさつで、25年間、良い御交誼を頂いたことを感謝した。●福島事務局長から書籍の電子化の計画が発表され、明るい将来を感じた。●特に無教会の各種雑誌が今井館のHPで公開されるというのだから夢のようである●これで40年前の結婚当初に作成した「聖書知識・新約知識・旧約知識 聖書索引」の本体が世に生きる事になる。それは拙ホームページの下記。 


http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/bunshou/seishochishikisakuin.pdf

 
●思い出の今井館

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今井館資料館

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今井館聖書講堂

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今井館資料センター

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中庭

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聖書講堂内部。内村鑑三が聖書講義していた机と椅子

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資料館の玄関から2階の蔵書階を見る

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資料館2階、無教会関係の蔵書約一万冊。

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試行錯誤の結果、蔵書は著者別に整理されている。
 
●2012年7月1日。NHKEテレ、22:00 23:30放映。 「日本人は何を考えてきたか」
内村鑑三と新渡戸稲造。NHKは内村関係の取材を主として今井館において行った。


 有体的復活の使徒伝承

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復讐したい気持ち。黄金律は誤訳か ++++++++ 所感

2012/06/23 17:59

120623(土)5時起床●某氏から、いわゆる「黄金律」の翻訳は誤訳ではないか、という記事があることを教えられた。●いわゆる黄金律とは次のとおりである。

塚本訳  マタ 7:12
7:12 だから、何事によらず自分にしてもらいたいと思うことを、あなた達もそのように人にしなさい。これが律法と預言書(と[聖書]の精神)である。

塚本訳 ルカ 6:31
6:31 あなた達は自分にしてもらいたいと思うとおり、人にしなさい。

●つまり「自分がほかの人からこうして欲しいなー」と思う(良い)ことをほかの人にも同じように良くしてやりなさい、というのである。どんなに急進的な翻訳者もこのオーソドックスな釈義に立っている。
●ところがこれは誤訳で
本当は「ほかの人があなたに(悪い)ことをした通りあなたも同じように(報復)しなさい」というのがここの真意だというのである。その根拠はネットで「黄金律 誤訳」の検索で見られるというので見てみると出るわ出るわ、ギリシャ語に強い人間の論考が沢山でる。
●私のように素人はその土俵では歯が立たない。
●そこで素人の強みである「直感」で「匂いを嗅ぐ」と「おかしいなー」という思いの方が先立つ。
●なぜか。聖書を大観してイエスの言動を肌で感じると「復讐してもよい」「復讐すべきである」とはとても読めない。
●ただ、復讐や正当防衛は人間の生まれつきに備わっているものだから、「復讐」することはすっきりするし「正当防衛」は法律的にも認められている。
●だからイエスの「復讐してはならない」という次の言葉は生まれつきの人間には完全に不可能である。守れない。実行できない。

塚本訳 マタ 5:38-48
5:38 あなた達は(昔の人がモーセから、)『目には目、歯には歯』──(人の目をつぶした者は自分の目で、人の歯を折った者は自分の歯で、つぐなわなければならない)と命じられたことを聞いたであろう。
5:39 しかしわたしはあなた達に言う、悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打ったら、左をも向けよ。
5:40 (裁判所に)訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせてやれ。
5:41 だれかが無理に一ミリオン[一キロ半]行かせようとするなら、一しょに二ミリオン行ってやれ。
5:42 求める者には与えよ、借りようとする者を断るな。
5:43 あなた達は(昔の人がモーセから、)『隣の人を愛し、』敵を憎まねばならない、と命じられたことを聞いたであろう。
5:44 しかしわたしはあなた達に言う、敵を愛せよ。自分を迫害する者のために祈れ。
5:45 あなた達が天の父上の子であることを示すためである。父上は悪人の上にも善人の上にも日をのぼらせ、正しい人にも正しくない人にも、雨をお降らしになるのだから。
5:46 自分を愛する者を愛したからとて、なんの褒美があろう。(人でなしと言われるあの)税金取りでも同じことをするではないか。
5:47 また兄弟にだけ親しくしたからとて、なんの特別なことをしたのだろう。異教人でも同じことをするではないか。
5:48 だからあなた達は、天の父上が完全であられるように『完全になれ。』

●イエスは人間の本能に不可能なことを言われた。本当に不可能である。絶対的に不可能である。
●旧約の「目には目を」「歯には歯を」(出エジプト21:22-27)の意味は目をやられたら目をやり返しても良い。ただしそれは目まで。歯を折られたら相手の歯を折っても良い。しかしそれは歯までというのである。これを同害報復法という。
●もしこの同害報復法がなければ収集がつかなくなり、人類は滅亡する。
●人間は「報復しなければ義が満足しない」。泣き寝入りはできない。これが正直な気持である。
●昔オードリーヘップバーン主演の「尼僧物語」という映画を観た。主人公の尼僧は医者の父のもとで、「良い育ち」で成長した。しかしその父親がナチスに殺される。ヒットラーを何とか赦そうと苦悩する彼女に修道院長は「どんなに憎くても赦しなさい」と説得するが、正直な彼女はどうしても赦せなくて修道院を去る。見送りはない。彼女が去っていく後姿。突き当りを右(左だったか)に曲がって姿が消えて「THE・END」。
●今、思う。カトリックの教義ならば「人を赦すという行為」が無ければならないから少なくとも私としては救いは絶望。
●プロテスタントの私としては「赦せない自分を神は赦して下さる」ことを信ずる。だから私はカトリックにはなれない。赦せないダメ男の私を神は救って下さる。
●これまた映画の話だが、「ベンハ―」は副題が「キリストの物語」。ベンハ―の宿敵メッセラはベンハ―の母と妹を「ライ病」の洞窟に放り込む。二人は当然ライ病になる。ベンハ―はこのひどいやり方をどうしても赦せない。しかしキリストの十字架上の次の声を聞いてあれほど赦せなかったメッセラへの憎しみが消える。努力なしに自然に消える。すると母と娘のライ病も不思議に直る。これプロテスタントの映画だ。

塚本訳 ルカ 23:34a
23:341a するとイエスは言われた、「お父様、あの人たちを赦してやってください、何をしているか知らずにいるのです。」

●私たちは自分を苦しめている悪い人間を絶対に赦せない。何とか復讐したい。同害報復したい。そこまで思わなくても「天罰当たれ」と心で思ったりする。
●しかし苦む。赦せない自分を神は赦して下さらないから、私自身の心が暗く生き地獄。悩み苦しむ。
●その苦しみの時に神はこの罪人(ライ病末期)の私を一方的に赦して下さる。「絶対恩恵の無条件の罪の赦し」である。
●すると何と不思議。「あれほど憎かった人が赦せる」ようになる。奇蹟が起きたではないか。
●自分の努力による赦しの行為ではない。神の側の赦しの奇蹟が一方的にこの身に起こっだ。
●マタイ5-7章の「山上の説教」は、神の方からの一方的な救いで罪赦された者が努力なしに「行える」という「救われた者の道徳」である。これを律法ととらえるところに苦しみがある。「赦せない」という苦しみもがきである。
●あのどうしても赦せなかった「尼僧」(オードリーヘップバーン)はその後どうしたのだろうか。彼女が去っていた道の先には何があったのだろうか。
●神は正直に悩み苦しんだ彼女を救ったに違いない。

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「さよならをもう一度」 ++++++++ 所感

2012/06/22 17:18

120622(金)5時起床●3日分の旅行記をブログに書いた。●ブラームスの交響曲第3番第3楽章が流れてくるのがフランソワーズサガンの「ブラームスはお好き?」を映画化した「さよならをもう一度」であると聞いていていた。いつか観てみたいと思っていたが本日NHKBSで放映(1961年米国)。主演のイングリッドバーグマンは名演。しかし内容はサガンの自堕落な私生活を反映していると思われるもので失望。期待はずれでがっくり。●原作者サガンは大金が入り、浪費癖、ギャンブル癖、麻薬癖、レズ。コカイン保持や脱税で逮捕、晩年は生活困窮。●神は罪を見逃さずに徹底的に罰する。.あー生き地獄だ。神の怒りは厳しい。●しかし人間の生き方としてはこういうのがあるのかという意味で勉強になった。こういう「滅びゆく者」に対して「キリストの香り」でなければならない。パウロと共に言う。あ―誰がこの辛い任務に耐え得よううか。

塚本訳 Ⅱコリ2:15-16
2:15 というのは、わたし達は救われる者の間でも、滅びゆく者の間でも、神にささげられるためのキリストのよい薫である。
2:16 ある者には、死から死へみちびく薫であるが、ある者には、命から命へみちびく薫りである。(ああ、)一体だれにこんなことが勤まろう。

●「幸福論」の著者ヒルティはゲーテのように男女関係が奔放な生き方は決して幸福ではないとケチョンケチョン。また矢内原忠雄は谷崎潤一郎の不倫小説が英語に翻訳されたことを聴いて、頭に原爆が落ちたようであったと言った。同じくフランソワーズサガンのような人生は決して「幸福」ではない。●しかし考えてみると日本のクリスチャンは1%。99%はゲーテや谷崎やサガンのような男女関係の不純を何とも思わない人生観の持ちお主。●キリスト教人生観で育っている人間はこの世での生き方には暗いこの世の人間から迫害がある。戦いがある。●しかい神は観てい罰する。それが神の愛だ。神は罪を罰して赦す。救う。●私は幸福なる家庭に恵まれず、暗くドロドロ家庭に悩む人の霊魂の救済に身を投じたい。残された僅かの時間を捧げたい。●かって出席した結婚式で牧師が新郎新婦によい誓いをさせた。 「❍❍さん。あなたは△△さんが世間から捨てられた時でも、あなただけは△△さんを生涯愛し続けますか?」と双方に聞いて答えを求めて誓わせた●私は今度いつかまた結婚式を頼まれたら、それに次を加えたい。「❍❍さん。あなたは△△さんがあなたを愛さなくなっても、あなただけは△△さんを神のもとにおいて生涯愛し続けますか?」と。●しかしこれはできることだろうか。パウロは次のように言う。

塚本訳 Ⅰコリ7:15-16
7:15 しかし不信者の夫(なり妻なり)が別れるなら、別れさせよ。こんな場合に、兄弟なり姉妹なり(つまり信者)は(結婚に奴隷として)束縛されてはいない。神は平和な生活へあなた達をお召しになったのである。(無理があるのは、御心ではない。)
7:16 なぜか。妻よ、夫を(信仰に導いて)救うことができるかどうか、どうしてわかるのか。また夫よ、妻を救うことができるかどうか、どうしてわかるのか。

●この2節をTSKから心に響く個所をあげてみよう。

●Ⅰコリ7:15のTSKから心に響くもの

塚本訳 マタ 12:50
12:50 だれでもわたしの天の父上の御心を行う者、それがわたしの兄弟、姉妹、また母であるから。」

塚本訳 ロマ 12:16
12:16 互に思いを同じくせよ。高くなろうと思わず、低い方に従え。』自分で賢いなどとうぬぼれてはならない。』

塚本訳 Ⅰコリ14:33
14:33 (その霊をお与えになった)神は無秩序の神でなく、平和の神だからである。聖徒の集会全体での(習わしの)ように、

塚本訳 Ⅰコリ13:11
13:11 わたしが幼児であった時は、幼児のように語り、幼児のように思い、幼児のように考えていたが、おとなになると、幼児の時のことを捨ててしまった(のと同じである)。

塚本訳 ガラ 5:22
5:22 しかし霊の実は愛、喜び、平和、寛容、親切、善良、忠実、

塚本訳 ヘブ 12:14
12:14 すべての人との『平和を追い求めよ』、また聖潔を。聖潔がなければ、だれも主にまみえることはできない。

●Ⅰコリ7:16のTSKから心に響くもの

塚本訳 ルカ 15:10
15:10 わたしは言う、このように、一人の罪人が悔改めると、神の使たちに喜びがあるのである。」

塚本訳 Ⅰコリ9:22
9:22 (信仰の)弱い者たちには弱くなった。弱い者たちを得るためである。わたしはこれらみんなのために、どんなものにでもなった。せめて幾人かだけでも救うためである。

塚本訳 Ⅰテモ4:16
4:16 君自身にもまた(自分の)教えにも注意せよ。(いつまでも)これらのことに止まって居れ。これをすれば君自身をも、君の話を聴く人達をも(悉く)救う(ことが出来る)であろう。

塚本訳 ヤコ 5:19-20
5:19 わが兄弟達よ、君達の中に真理から迷う者があって、誰かがそれを引き戻すならば、
5:20 罪人を迷いの道から引き戻した者はその人の魂を死から救い、且つ多くの『罪を蔽う』ことを知れ

塚本訳 Ⅰペテ3:1-2
3:1 同じく妻達よ、自分の夫に従え、或る夫が(伝道者の宣べる)御言には従わずとも、言葉でなく妻の行いによって、
3:2 (すなわち)お前達の神を畏れる潔い行いを見て捕えられんためである。

●湯浅鉄郎氏のブログでカールリヒター指揮ミュンヘンバッハ合唱団の「マタイ受難曲全曲が何とYOUTUBEで無料で観賞できることを知って最初の部分を聞いた。感動。偉大なるかなバッハ、偉大なるかな福音。


バッハ「マタイ受難曲」(英語字幕入り)Part1⇒http://www.youtube.com/watch?v=-ASKIWXz5aM&feature=fvwrel

同 Part2⇒http://www.youtube.com/watch?v=tK_PiXQKm4U


●リヒターはバッハに身を捧げるのだと言って結婚せず、家庭を持たず、むろん子孫を残さなかった。男一匹、何かをするのならこれぐらいの意気込みでなければならないなー。パウロのようだなー。


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組織や体制は即悪ではない ++++++++ 所感

2012/06/21 11:01

120621(木)●6:20 江津市の宿泊ホテル出発。帰途にに就く。

 
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帰途。出雲空港(愛唱名は縁結び空港)で出雲大社に収めるという「絵馬」の受付場所があった。「絵馬」には人生の様々な願い事が書かれている。さすが「良縁」の願いが多いが、中には「イケメンと出会えますように」というのがあって、これはイカンと思った。こういう願いを神は聴かない。
かっこ悪くても真面目で嘘をつかず働き者が良いのだ。●人間の屑のようなトンデモナイ男と結婚する運命になったら、それは十字架の生涯。これまた祝福される。
 
●13:;00教文館で「ドイツ敬虔主義」を購入。「悪魔」についての本はあるかと聞いたら数冊出してくれたが、来月の感話には読めない。読んでも益にはなりそうにない。聖書それ自身に学んだ方がよっぽど力があって為になる●14:00聖路加国際病院で脳のMRI検査。この巨大な病院組織。各自がその持ち場で粛々と自分の仕事にいそしんでいる姿を見て、組織というのはすごいなーと感じた。この組織は12年前に私の脳内出血の病気の命を救ってくれた。●この病院に電気が来なくなったらまずい。電気の全部が悪いのではない。●組織や体制は即悪、即金儲けだと教え込む人間や学校は大間違い。そういう「幼児的」な短絡思想は神に鉄槌を下されて矯正されなければならない。●ただし教会組織は良い時は強力であるが、信仰を失うと組織それ自身の維持の為に悪となる。●無教会は神に本部がある大組織。この世の組織にはなじまない方が正解。
●18:00 あきる野市に到着。ほっとする。

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群言堂を案内される ++++++++ 所感

2012/06/20 21:19

120620(水)3:30ホテルで起床して業者の見積書の検討。●13:30多田建設+宮田建設工業と価格交渉及び工程打ち合わせ。学校側も施工者も感謝のうちにスムーズに終了。この改修工事は成功間違いなし。建築の成否は人間関係の良否による●その後再び大森町に行き、建築設計事務所の杉本忠義所長のご紹介により、「群言堂」(服飾品の企画デザイン)の松場大吉会長を御紹介いただいた。そして会長の御案内で諸施設を見学させていただいた。
●「群言堂」については下記。

http://www.gungendo.co.jp/muzyaku/index.html


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「群言堂」(夏場会長がら言葉の由来を伺うと中国の概念)の喫茶店。自然素材をふんだんに使った建築。中庭とのマッチングが素晴らしい。飲み物のメニューも自然食品。心安らぐ。 

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今どき建物の内部にツバメが巣を造っている群言堂の店舗。ツバメも喜んで来るのは神の祝福がある証拠。詩篇84:1-4を思う。右は群言堂の松場大吉会長。左は杉本忠義氏。
松場会長と「自然主義」で意気投合。群言堂が創作する各種作品の理念は「復古創新」であるという。これは「懐古趣味」ではなく。人間のDNAに備わっている「古きものに安らぎを感じる」ことに注目しているのだという。おそらく総ての分野にも通ずることで正解。私は自分の家を「木と漆喰と紙と竹」で設計したと言った。
●「復古創新は各自の妻にも言えますね」と言ったら三人とも大笑い。

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群言堂が経営する食堂の厨房。昔ながらのかまど。スイッチポンの電子調理器なし。
ここの食事を食した人の感想。何とも言えない味で、おいしかったという。

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松葉大吉会長夫人の登美さんがリーダーで服飾工芸品を創作企画デザインに励む建物。この中で40名の若い女性芸術家が企画設計している。「企画設計勝負の場。環境」。
●よい作品はそれなりの環境から生まれる。ここで設計されたものが全国各地で造られ販売されているという。松葉会長とは人生観が合った。米国のアーミッシュの話し。ドイツの故カールリヒターが育てた「ミュンヘンバッハ合唱団」の話などに話が及んだ。
●現在日本聖書協会が2016年を目指して「新共同訳」に代わる「標準訳」を目指して鋭意翻訳中らしいが、もしその翻訳者51人が冷暖房完備の近代的な建物の中で、夫人にお茶を出させながらの翻訳ならば大したものは期待できない。それは涙の人生苦難なしの楽な生活の翻訳。
●イスラエル旅行で、ヒエロニムスが聖書の「ブルガダ」(ラテン語)を訳した洞窟を見学した。そういう苦難の環境で訳された聖書だjから、これがその後西欧社会を1500年間も支配影響した。
●近くにヒエロニムスの銅像があったが、その足元に髑髏(どくろ)があった。これはヒエロニムスの翻訳を支援した女性のもの。ヒエロニムスは彼女の死後、その髑髏(どくろ)を傍に置いて治部自分に鞭うち、翻訳に邁進したという。洞窟は暗かった。もちろん電機などなかった。       ●聖書翻訳も聖書講義も聖書感話も宣教や伝道も、涙の人世苦なしには「聖書は分からない」。「嘆きの川」を経験しなければ聖書の深いところは読めない。聖書は涙のレンズで見えてくる。
 

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日本海に見た「風力発電」。景観を壊している。現在日本は「風力や海水力などの再生可能エネルギー」の割合を増やそうとしているが、それで産みだされる電気で「贅沢で便利な暮し」をしつづけているのなら意味はない。
●トイレの暖房便座をやめれば原発一基なくせるという。電気エネルギーを熱エネルギーに転換させるのはエネルギーロス。

●18:00 愛真高校に戻って生徒たちと夕食。私の周囲に座った生徒から様々な質問が出た。
「大学にいかなければいけませんか」「人間はなぜ家を建てるのですか」「組織内では働きたくないのですが」「結婚相手がクリスチャンでない場合はどうしたらよいですか」などなど・・・・
こういう人生の根源的な疑問にぶつかれるのは高校生の特権だ。彼らの上に神の祝福あれ。

●安校長と懇談、直言した。「独立学園で学んだ者は一人前の仕事もできないのに、すぐ天下国家や組織や上司の批判をして生意気だとの評判がある。これは聖書の精神に反する。愛真高校も創立25年。生徒が思うように集まらないのは世間の評判がそのような悪い評判が定着してきているのではあるまいか。」 

●夕方礼拝の「別れの挨拶」で箴言19:14の聖句を語った。さすが愛真生、いっせいにサッと聖書を開いた。 そして次のように語った。
「イケメンや美人を追いかけてはいけない。(神を信じないでわがままだから)。人生絶対に失敗する。伴侶も職場も総て「神から頂くもの」「与えられるもの」「負わされる」ものだ。日本は99%が不信者。もし信者と結婚できなければ「桃栗3年、柿8年、柚の大馬鹿28年、人の救いは最後の日」。苦労するが一生伴侶の為に祈り続けよ」

●すると感じる事があったのか、礼拝なのに盛大な拍手。

●礼拝が終わると一人の女子教員(IMさん)が近づいてこられて「本当にそうです」と言って下さった。彼女の家庭の上に神の祝福が豊かにあれ。

新共同 箴  19:14
19:14 家と財産は先祖からの嗣業。賢い妻は主からいただくもの。

●19:30 昨日のブログに記したカンサス州から来られた「カワセ」一家の歌と踊りの伝道会。聖書の句を題材にしたテンポの早い強烈な踊りであった。信仰の形は色々ある。これに比べるとキリスト教でも無教会集会は「お通夜」。しかし向き向きがあってよいのだ。途中から生徒や職員の一部も加わった。私も加われと促されたが腰痛になりそうなので断った。いけなかったか。 

 

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世界遺産「石見銀山」の大森町に行く ++++++++ 所感

2012/06/19 20:55

120619(火)4時半起床●朝の啓示「人生の禍は神を無視するところから始まる」

月本昭男訳(岩波版) 創 3:1-7
3:1神ヤハウェが造った野のあらゆる獣(けもの)のなかで、蛇が最も賢かった。蛇は妻に言った、「園のどの木からも〔実を〕取って食べてはならない、などと神がおっしゃったとは」。
3:2妻は蛇に言った、「わたしたちは園のどの木の実でも食べて良いのです。
3:3ただ、園の中央にある木の実からは食べてはならない、これに触れてもならない、死ぬといけないから、と主は言われました」。
                  3:4 蛇は妻に言った。「けっして死ぬことはないよ                 3:5 実はね。あなたがたがそれを食べる日、あなたがたの目が開いて、あなたがたが神のように善悪を知るようになる、と神は知っておいでなのですよ」。             



●悪魔は神と人間の仲を羨んでそれを裂こうとする。堕落した天使との説あり

●イブはリンゴを食べたくてしょうがなかったが、「神の戒め」が邪魔だった。そこにサタンの化身なる蛇が漬け込んで、「死無子たはないよ。ただ善悪を知るようになるから論語を食べる事がそんなに悪いことかどうかが自分で判断できる。神の存在など無視せよ。自由だ、人間の尊厳だ、自主判断だ、信仰なんか無視せよ、と言葉巧みに誘う。

●蛇はまず女をさそう。すると夫のアダムがそれに従う。このアダムは奥さんイブの尻に敷かれていたのだ。悪魔的女よ。その言うことを聞く「ダメ男よ」。これ現代にもいる。「信仰は奥さんの言うことを聞け」と心得ている男は奥さんが曲がると自分も曲がる。

●男が教会に行こうとすると妻が足を引っ張る。「せっかくの日曜日じゃないですか。たまには子供と遊んで下さい」と。これ悪魔の女。いくら美人でもこういう女とは結婚してはいけない。逆もまた同じ。いくらイケメンで金持ちで学歴があっても、悪魔的男とは結婚してはいけない。身を滅ぼすl。家庭が祝福されない。

●これに反して「日曜日は聖日厳守、着るものも洗濯したものにしてください」という女は天使の女。家庭が神に祝福される。

●子供達はそんな夫婦の姿を見て「神様っているんだなー」と何となく感じる。どちらかが教会に行くことに足を引っ張ると、夫婦仲は亀裂。子供は家庭が暗いので「信仰なんて役に立たないなー」と言って、本人も神を無視する。

●その結果はどうか。心が空しく淋しくなって金儲けや女遊びに走って人生堕落。お決まりのコースだ。

●過日、愛真高校で「神を信じる人と結婚せよ。イケメンや美女と結婚するな。」と言ったところ「ズバリ言われた」という男がいた。彼の上に天使の女が訪れますように。


●かって私が日曜日にエクレシヤに行こうとすると「お祈りなんて役に立たない。家の事をしなさい」などと命令口調で言った親戚の男がいたが、その男の家は神の祝福が宿らず暗い家庭になった。

●家にも、職場にも、エクレシヤにも神の祝福が必要。それがないと衰退して滅びる。「悔い改めよ」。  
 

塚本訳 ロマ 1:28-31
1:28 こうして彼らは神を知ることを役に立たぬものと考えたので、神の方でも、彼らの心が役に立たなくなるに任せられた。その結果彼らは(人として)なすべからざることをするようになったのである。
1:29 彼らはあらゆる不道徳・悪意・欲張り・悪念に満ちた者、妬み・人殺し・喧嘩・悪巧み・よこしまで一ぱいな者、陰口をきく者、
1:30 悪口を言う者、神の敵、無法者、高ぶる者、法螺吹き、悪事の発明家、親不孝者、
1:31 無知・不誠実・無情・無慈悲の者である。


●神を無視した人間や世界の末路はこのパウロの指摘に尽きる。
●神を無視することが罪の本質。
●リンゴが悪いのではない。煩悩が罪なのではない。神を無視したことが禍の元凶
●煩悩が罪だと教えるのは一般の宗教。その煩悩を断ちきる努力を目指すが、成功しない。人間は煩悩に負ける。
●「クリスチャンになると酒タバコやギャッブルや(汚い)女遊びをやめなければならないぞ」と囁くのは悪魔の声。
●「神抜きで自力で煩悩を断て」というのは悪魔の誘い。
●神に心を満たされれば結果として「酒煙草、ギャンブル、女」からは遠ざかる。つまらないもの、色あせて見えてくる。
●聖書の本質を説かずに、エクレシヤを遊びの一種、聖書を教養の書、信仰を趣味と感がえているまずい牧師は禍だ。そういう牧師に限って「教勢」と称して、信者獲得、教会の維持に熱心である。そういう教会に行くほど日本人は馬鹿ではない。暇ではない。
●かって国立博物館の平成館で、「天台宗」の展覧会があった。これを観て、これだけの宗教を持っている日本人には「なまじのキリスト教ではだめだ」と思った。そして「天台宗」に勝るキリスト教は「聖書そのものだと感じた。現在のエクレシヤは「遊び」。第一に「有体的復活」を説いてない。伝承してない。福音は集客でなく発信である。
●福音が堕落すると神学や儀式や組織や政治結社や牧師という職業に変質する。
●ルターは神学は歌であるという。無教会は神学を嫌い組織を嫌ってきたが、聖書研究を生業とする人間が出現して堕落
●ルターは聖書の解釈権をローマ法王から奪還して新教が誕生したが、現代は聖書学者の手から奪還しなければならない。
●過日の「聖書セミナー」は「委員会訳と個人訳」がテーマ。土戸清氏の講演会え私はフロアーから「現在は学会の趨勢ということが聖書の解釈権を握っているがこんなに多くの翻訳が出現すると、学会の趨勢による解釈が台頭してくるが、それが最高権威ではない」と発言した。
●聖書の解釈は各個人が苦難の指導で聖霊によって解釈させられるところにある。

●しかし人類に救いの道が神の側の一方的な努力で開かれた。それがロマ書に次のように書かれた。偉大なるかなパウロ。人類の第一人者。偉大なるかなロマ書。
 

塚本訳  ロマ 3:23-24
3:23 なぜか。すべての人が罪を犯したため、いまだれ一人、(かつて持っていた)神の栄光をもたない。
3:24 (さりとて失った栄光を回復する力はないので、何一つ)代価を払わず、(ただ)神の恩恵によって、キリスト・イエスによるあがないの力で、(神に)義とされる(道が設けられた)のである。

塚本訳  ロマ 5:12
5:12 (この救いはキリストとアダムとを比較する時に、はっきりする。)すなわち、一人の人(アダム)によってこの世に罪が入ってき、罪によって死が入ってき、こうして、(この人において)人は一人のこらず罪を犯したので、全人類に死が行き渡ったように──([一八節ニツヅク]一人の人キリストの正しい行いによって、全人類に命を与える義が臨んだのである。)

塚本訳  ロマ 5:18-21
5:18 従って、一人の人の過ちによって全人類に死の宣告が下されたと同じに、一人の人の正しい行いによって、全人類に命を与える義が臨んだのである。
5:19 すなわち、一人の人の不従順によって多くの人が罪人になったように、一人の人の従順によっても多くの人が義人になるのである。
5:20 (それなら律法は人を義として永遠の命を与えるためには役立たないのか。その通り。)律法は、過ちを増し強めるために第二義的に来たのである。しかし(神に感謝する、人の犯す)罪が増し強まれば、恩恵は豊かにあふれる。
5:21 これは罪が死を持って支配したように、恩恵も義をもって支配し、わたし達の主イエス・キリストによって、(わたし達を)永遠の命に入れるためである。



●7時15分家を出発。キリスト教愛真高校に建築会衆の打ち合わせに3日間●途中、大田市で下車して、世界遺産の「石見銀山とその文化的警官」を訪れる。

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銀山の坑内で事故死した人を供養するために岩に掘られた仏像。500体の中には「自分に似ているものがあるという。江戸時代。

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重要伝統的建造物保存地区。大森町の街並み。江戸時代にタイムスリップ。なぜか心が安らぐ。

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キリスト教愛真高校。夕方礼拝。米国カンサス州からカワセユタカ一家が「歌とダンスによる伝道」にこられた。 信仰には様々な表現形式があるのだなー。
 

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人生は辛いなー ++++++++ 所感

2012/06/18 06:47

120618(月)5時起床●朝の黙想「人生は辛いなー」●人生には悲しく不条理で不可解な悩みがある。●こういう時、悟った様な励ましはできない。それはかえって苦難の渦中にある人を落ち込ませる。なぜか。「自分は信仰は薄い」と思わせてしまうからである。●そういう時は遠隔でその人が試練に耐えられるように「本人ではなく、神に祈ることが大切だ。その実例を聖書に見てみよう。

塚本訳  ルカ 22:31-32
22:31 (そしてペテロに向かって言われた、)「シモン、シモン、見なさい、悪魔はあなた達を麦のように篩にかけることを(神に)願って聞き届けられた。
22:32 しかしわたしはあなたのために、信仰がなくならないように祈っておいた。(だから一度信仰を失っても、またもどってくる。)もどってきたら、あなたが兄弟たちを強めてやってほしい。」

●「祈っておいた」とある。イエスはペテロの為に隠れて祈っていた。その人の目の前で聞こえるように祈るのはあてつけがましいい。神はそういう祈りを聞かない。
●信者が信者に対する本当の親切は直接ではなく、間接、かつ遠隔の祈り。
●「信仰が無くならないように」という励ましは最高。
●映画「戦場のメリークリスマス」の一場面。日本軍に生き埋めにされていく英国兵。その死刑場の外で仲間の兵士が讃美歌を歌って、本人を励ます。「信仰が無くならないように」である。神を知らない日本軍は愚かな事をしたものだ。敗戦は当然だった。こういう国を勝たせてはいけなかった。●人類はこういうことがまかり通ることを証明させてはいけなかった。原爆の責め苦は当然。その被害に会った人は贖罪の死。

口語訳 マタ 6:6
6:6 あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。

●祈りは隠れてしなければ神に聞かれない。遠隔で本人に会えない方が祈りの効果がある。
●「愚かもので、いつまでも目覚めない人間」には直接起こらないで、隠れて最大の裁き主に祈った方が効果がある。神の降す鉄槌は重く徹底的だから畏れおののかなければならない。
●そして神は究極的にはどんな人をも「救う」。意外な方法で鮮やかに救う。そう信ずる。きっと救って下さる。希望する。 

塚本訳 マコ 14:33-36
14:33 そしてペテロとヤコブとヨハネ(だけ)を連れて(奥の方へ)ゆかれると、(急に)おびえ出し、おののきながら
14:34 彼らに言われる、「『心がめいって、』『死にたいぐらいだ。』ここをはなれずに、目を覚ましていてくれ。」
14:35 そしてなお少し(奥に)進んでいって、地にひれ伏し、出来ることなら、この時が自分の前を通りすぎるようにと祈って
14:36 言われた、「アバ、お父様、あなたはなんでもお出来になります。どうかこの杯をわたしに差さないでください。しかし、わたしの願いでなく、お心がなればよいのです。」

●神の子イエスが「おびえ出した」とは
●神の子が「目を覚ましていて「くれ」と言ったとは
●「ここをはなれずに」というから離れた隠れた祈りである。その効き目をイエスはしっていた。
●イエスがここで、逃げ出したら、神の救いの徴がこの世に成就なかった。イエスの決戦。

●TSK日本語版ヤコブ2章入力
●TSK日本語版出エジプト入力準備


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秋留台公園。犬の遊び場。

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グレートプリニーズ。牧羊犬。オス。10歳。食費3万円/月

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フリスビーをランニングキャッチする犬。

 

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放蕩人間の裁きと救い ++++++++ 所感

2012/06/17 07:49

120617(日)5時目覚め●朝の黙想「放蕩人間の裁きと救い」●キリスト教ラジオ放送で「熊沢義宣」先生の終末論を聞く。●人間は全員放蕩人間、放蕩息子である。神は心を痛めている。●この世の思想ではこれを断罪し裁き、追放する。しかし人間はそれで安んじない●神は義と愛の板挟みで苦肉の策として「神の子イエスを十字架につけて殺し」、その両方を満足させる救いの道を開いた。●「赦しが最大の裁jきである。」「十字架は義として見るより愛として見る方がよくわかる」●神の側では放蕩人間を一方的に赦している。放蕩人間は一生涯その「恩恵の赦し」に気がつかないかもしれない。●しかし最後の日に地獄の裁きがある。そうでなければ神としても「義」が満足しない。●神は兎の毛ほどの罪でも赦し給わない●人が見ていないから「これぐらい位言じゃーないか。みんなやっている」などと涼しい顔をしている者よ」。人生は甘くない。神います。神を畏れよ。まずこの世で「生き地獄」が始まる。病気、失業、家庭崩壊。●今に見ておれ、神は確実に鉄槌を下す。罪の価は死である。天罰はある。●しかし悔い改めれば救われる。救いの道は開かれている。早めに「ギブアップ」すべきである。
 ●妻と聖日集会へ。橋トミ子(司会)、丹野、村上(申命記)●12:30 無教会新宿集会の鈴木孝司さんと懇親。無教会論、塚本虎二論。85歳にして意気軒昂。お子様の一人を無くされておられる。鈴木さんの基督教との出会いは関根正雄先生の「聖日厳守」の講義に心が打たれたからであるという●それにしても平気で集会を休む人の信仰は全く信用できない。信仰が堕落している遊び人である。無教会の誤解である。エクレシアが腐り悪臭が漂う。塚本先生が天で泣いておられる●信仰のバロメーターは聖日集会の出席率で決まる。なぜか。その人にとって何が一番大切かが測られるからである。その人にとっては俗世界の遊びの方が「面白い」事が目に見える形になっている。
●妻は王子ホールへコンサート。
●TSK日本語版、出エジプト準備


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どんな人を友達とすべきか ++++++++ 所感

2012/06/16 07:11

120616(土)5時目覚め「聖徒の仲間」●人生は出会いで決まる。どういう人間と交際するかで決まる●「聖徒」と友達になれれば最高である。●それは自分から積極的に求めれば得られる。それは大胆な希望である。しかしそれは最高の人生目標である。●2000年の「使徒信条」のなかに「聖徒の交わり」と言う信条があるから、信仰生活保持の上で最も大切な事である●高校生の時に読んで以来50年間常に頭を去来するヒルティの言葉があるので少々長いが掲げよう。

ヒルティ幸福論第三巻「わがなんじになさんとするは、驚くべき事なり」
(白水社版ヒルティ著作集P95-96)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これ(19世紀末期・・・高橋註・・ヒルティの生きた時代)は、歴史上のいわゆる古典古代の時期の終わり、すなわちローマの皇帝時代の最初の2世紀について知られているところと、ある点でよく似通っている。(高橋註。ヒルティはここの註で創世記の6章の一部を引用する)


口語訳 創  6:1-7
6:1 人が地のおもてにふえ始めて、娘たちが彼らに生れた時、
6:2 神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった。
6:3 そこで主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう」。
6:4 そのころ、またその後にも、地にネピリムがいた。これは神の子たちが人の娘たちのところにはいって、娘たちに産ませたものである。彼らは昔の勇士であり、有名な人々であった。
6:5 主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。
6:6 主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め、
6:7 「わたしが創造した人を地のおもてからぬぐい去ろう。人も獣も、這うものも、空の鳥までも。わたしは、これらを造ったことを悔いる」と言われた。


そしてその時代に、生まれてまもないキリスト教は、一見絶望的に老衰し、死滅にひんしたこの世界に、新しい生命力を吹き込み、感応的な美と人間的な知恵による喜びよりもすぐれた人生の目的を与える使命をゆだねられた。それは困難な課題であったにもかかわらず解決された。世界はもういちど甦って、夢にも考えられない精神力と生命力を獲得した。初代の信徒たちの小さな群れを目のあたり見た当時の人には、およそ想像もつかないことであった。いまや同一の課題が再び解決を迫っている、しかも生命力と勇気を高度に喪失したいわゆるキリスト教世界のまんなかで。現代に生きるすべての人に向っての次の問い――極めて多方面から来るが、しかし内容的には同一の問い――が発せられる。世界を確信する仕事に参与する意思があるか、それとも傍観者として、病的ともいうべき享楽欲と表裏する「世紀末」の悲観思想に身をゆだねる人々の一人となるか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ヒルティ幸福論第三巻「わがなんじになさんとするは、驚くべき事なり」
(白水社版ヒルティ著作集P95-96)
引用終わり

●関連聖句を思い浮かべよう

塚本訳  使  26:17-18
26:17 (かずかずの迫害や危険がのぞむが心配するな。)わたしは君をこの(イスラエルの)民(の手)から、また』異教人(の手)から』『(かならず)救い出してやる。』『彼らの中にわたしが君を遣わすのは、』
26:18 彼らの』目をあけて』彼らが『暗闇から光に、』悪魔の権力から神に帰るため、そうして彼らがわたしに対する信仰によって罪の赦しを得、きよめられた人たちの仲間に入れていただくためである』と。

●仲間になるのなら、「きよめられた人たち」の仲間になれ。それは人生成功の道である。
●その仲間は職場にはいない。なぜか。職場は「金儲け」の共通概念で一致する仲間。
●学校の仲間も真の友人にはなりえない。それは大脳皮質の肥大を目的とする仲間。
●血族も真の仲間ではない。なぜか。それは肉の関係であって、霊の関係ではないから。イエスはこの血のつながりを断てと厳しく言う。
●教会の人は仲間か。全員ではない。教会を遊びの場と考えている暇な人間、教養主義、知的遊び仲間と心得ている人間は仲間になりえない。有体的復活を信じない人間は特に避けなければならない。信仰が曲がるばかりか、失う。
●そういう人間がいる教会やエクレシヤは自然衰退する。覚醒しようと思っても無理。神が裁く。
●そういう教会やエクレシやに耳を傾けるほど一般信者は愚かではない。義理では集まらない。

塚本訳  エペ 6:18
6:18 (最後に祈りで武装せよ。すなわち)あらゆる祈りと願いをもって常に御霊において祈れ。そしてそのため(いつも)目を覚まし、あらん限りの根気をもって聖徒達一同のために祈って居れ。

●「聖徒」という言葉がパウロに多い。パウロはそういう仲間に支えられていたのだ。
●私が30年前に集会で感話を始めた時は、前から二つ目までの列に塚本先生に薫陶を受けられた髪の白い御夫人方、がデーンと座っておられた。私はその「空気」に育てられた。聖徒たちであった。
●欲得のない信仰の仲間は「現代の聖徒」である。私が会員の「午後三時祈りの友」の会は病気の「苦難共同体」で相互に祈り合っている。信仰のみでつながっているので、信仰が生きている。
●それに比べて「信仰の先生」が同じだという集まりは、先生が召されると腐ってくる。ルター派がそうであったのでそこから敬虔主義が台頭した。
●内村鑑三の集団は内村の「思想」で結びついているから、現代の問題に総て通じない。通じるかのように教えているのは方法論として時代錯誤。
●内村に限らず、偉大な先生の思い出に生きる集団は、大晦日の紅白歌合戦ではなく、お盆のころに行われる「懐かしのメロディー」である。
●過日女子大で「橋幸夫」の名前をだしたら、知っている人はいなかった。私もおいぼれだ。、

塚本訳  マタ 5:13-14
5:13 (預言者と同じく)あなた達は地の塩である。(世の腐敗を防ぐのが役目である。)しかしもし塩が馬鹿になったら、何で(もう一度)塩気をもどすか。外に捨てられて人に踏まれるほか、もはや何の役にも立たない。
5:14 あなた達は世の光である。山の上にある町は隠れていることは出来ない

●夕暮れに奥多摩連山にある御岳山の明りは不思議に遠くからでも見える。
●そのとき、いつも「山の上にある町は隠れていることはできない」の言葉を思い浮かべるものだ。
●現代のエクレシヤも同じである。汚濁混濁の暗い世に嫌気をさして、救われたい、清めれたいと思う人がいたら、その人は暗闇から這い出してでも明りのある山をめざす。
●そういう人はいつの世にも少数えだがいる。パウロはそれを「バアルに膝を屈めない7千人」という。(ロマ11:4)
●暗闇から這い出す人は、昔も今も多い。家庭の暗さに悩む若者よ。エクレシヤの光を目指せ。
●バンヤンの「天路歴程」の冒頭。主人公は家人の引きとめる言葉を聞くまいと両方の耳に指を突っ込んで「永遠の命!。永遠の命!」と叫んで家から飛び出す。
●過日、菊池寛の「父帰る」を読んだ。20分で読める。しかしこの小説、どこの家にもある暗さには同情するが救いがない。明るさがない。文学の限界。
●ヒルティの友達は、聖書の中の人、アッシジのフランシスコ、ジェノヴァの聖カテリーナ、敬虔主義の人物、トルストイ、など過去かまたは遠隔の人であった。
●現代の我々も真の友達は物理的近さにはいない。過去か遠隔地である。
●同じヒルティの幸福論の第3巻には「現代の聖徒」がある。これは19歳の時に読んだ。
●その中で「「怒りっぽい聖徒」というのはあり得ない」という下りがあって、これには耳が痛い。自戒。
●私もヒルティ(過去で遠隔の人)の隠れた弟子。「聖徒」になりたいがなれるかなー。(とてもダメよ・・・影の声)
 
●信仰の先輩、TT氏からその雑誌と添えられた手紙で、御長男の奥様が34歳の若さで召されたとの訃報。早速お悔みのメールを送った。

TT氏へのお悔みのメール
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Tさん

 

御長男の奥様が病苦の末に34歳の若さで、3才および10カ月の子供二人を遺されて召されるとは!!

「子供のあどけない笑顔を見るたびに、心が不憫でなりません」とのこと。ただ涙、涙です。

ああ、人生とは何と言うことだ。神の鞭は痛い。

塚本虎二先生を師と仰がれておられるTさんは奇しくも先生と同じ苦難を負わされました。

塚本先生の奥様が関東大震災で召された時は一歳7カ月および4カ月の子供の二人が遺されたのです。

これからは老夫婦二人でお孫さんを育てられるとの事。

謹んで心よりお祈り申し上げます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
TT氏へのお悔みのメール おわり

●OM氏からバッハの「ヨハネ受難曲」についてのメールに刺激されて朝から3種類の演奏を観賞。カールリヒター指揮ミュンヘンバッハ合唱団及び管弦楽団のものに大感動。リヒターには深い信仰がある。終局のコラール2曲では声をあげて泣いた。●神は独り子キリストを苦しめ殺す事によって悪魔もアダムも、イブも、然り、人類の罪をことごとく赦したと思ったからである。●人間はそのことに目覚めなくても、神の側では赦した。そのことを思って泣けてしょうがなかった。


●妻は愛子のところに手伝い。窓からその後姿を見て「負わされた十字架」を思った。負わされる十字架は重い。

●明日は「父の日」。この私ももうしばらくは肉の父でいられる。感謝。しかし子供達の本当の父は霊の父、造り主なる神である。子供達が本当の父にまみえることが出来るように祈る。

●食料品などの買い物。

●TSK日本語版ヤコブ書開始。

口語訳 ヤコ 1:19
1:19 愛する兄弟たちよ。このことを知っておきなさい。人はすべて、聞くに早く、語るにおそく、怒るにおそくあるべきである。

●これ耳が痛い。聴いても忘れ、(ギャグを)語るに早く、怒るに早く。である。反省。

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祈りは遠隔の方が聴かれる ++++++++ 所感

2012/06/15 06:48

120615(金)4時目覚め●朝の黙示「祈りは遠隔の方が聴かれる」●関連聖句


塚本訳 マタ 6:2-4
6:2 だからあなたが施しをする時には、偽善者のように、自分の前にラッパを吹きならして(吹聴して)はならない。彼らは人に褒められようとして、礼拝堂や町の中でそうするのである。アーメン、わたしは言う、彼らは(褒められたとき、)すでに褒美をもらっている。
6:3 あなたは施しをするときに、右の手のすることを左に悟られてはならない。
6:4 これは施しを隠しておくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。


●これがヒューマニズムと信仰との明確な違い
●ヒューマニストは自分の思想や行動を世に知らしめて啓蒙しようとしている。
●これは神の最も嫌うこと。なぜか。ヒューマニズムは神を無視して殺すからである。
●長らく今井館の建築に携わってきたが、ヒューマニストグループの献金よりも「信仰のみ」グル―プ空の方がはるかに多かった。口は出さずに金を出した。


塚本訳 マタ 6:5-8
6:5 また祈る時には、偽善者のようにしてはならない。彼らは人に見せようとして、礼拝堂や大通りの角に立って祈ることを好むのである。アーメン、わたしは言う、彼らは(褒められた時、)すでに褒美をもらっている。
6:6 あなたが祈る時には、『奥座敷に入り、部屋をしめきった上で、』隠れた所においでになるあなたの父上に『祈れ。』そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。
6:7 また祈るとき、異教人のようにベラベラしゃべるな。彼らは口数が多ければ、聞いてもらえるものと思っている。
6:8 彼らの真似をしてはならない。神はあなた達の父上である。求める前から、あなた達に必要なものをよく御承知である。


●悪い人間がいたら直接本人に会って忠告したりぶん殴ってやりたい気持にもなる。
●また注意して悔い改めに導こうともする。しかしそれは効果がない。
●特に直接本人に会って信仰を説き「信仰告白」をさせようとするのは間違い。なぜか。「人の顔が上がっても神の顔があがらない」から。
●祈る時は「部屋を締めきれ」とは。遠隔の祈りをせよということだ。
●本人にわからないように、聞こえないように祈れということだ。
●すると隠れたことを見ていて下さる神は祈りを聞いて下さる。これもヒューマニズムとは全然違うことだ。
●特に人の為に人知れず流す涙は聴かれる。
●某夫人。赤ん坊に授乳するとき、自らが祈ってからにしたという。幸いなる母子よ。
●母の祈りは聴かれることになっている。
●「求める前から」ということは、信仰の道を歩けば、神はその人が最も気にかけている人の為に良いことをして下さるということだ。


塚本訳 Ⅰコリ7:5
7:5 互に(夫婦の務めを)拒んではならない。ただ、祈りに身を捧げるため、申し合せの上でしばらく間をおき、あとでまた一しょになるような場合は別として。自制力が足りないのに乗じて、悪魔があなた達を誘惑することのないためである。

●別居の利益。「祈りに身を献げる」ためである。しかし離婚ではない。それはこの世の人間のエゴ。
●定年退職して家にいる夫は妻にとって重荷。
●そういう時は家の中ではなるべく「離れて行動」した方がよいと言われる。
●某精神科医の助言。「家の中では10メートル以上離れて行動せよ」
●この方面の本に、夫は出かける妻に「飯は?。何時に帰るのか?」などということは聞くなとあった。自戒。
●「妻の顔は夫の成績表」

塚本訳 マコ 9:28-29
9:28 家にかえられると、弟子たちは人のいない時に尋ねた、「なぜわたし達には霊を追い出せなかったのでしょうか。」
9:29 彼らに言われた、「この種類(の霊)は、祈り以外(の手段)では決して出てゆかせることは出来ない。」

●世には「依存症(麻薬、アルコール、風俗、ギャンブル・・・)」という非常に困難な病気がある。家庭が崩壊する。これは悪霊の仕業である。●悪霊を追い出すのには「祈り」以外にないとイエスは言う。これも遠隔操作である。
●しばらく会っていない子供、親戚、孫、集会の御病気の方々。離れていても祈りは聴かれる。
●太平洋戦争の時、米国の教会は日本の教会の為に献金して祈りを捧げていたという。戦後この事を聞かされたKT氏は愕然となり、「日本は精神的に負けていた」と悟って熱心なキリスト教信者になられた。 

●TSK日本語版、ヘブル書完了。新約完了までもう少しだ。

http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/110910.htm 

●もしこれを印刷物にしたとすれば、新約だけでも約4万ページ。旧新約で16万ページ。もはや書籍の時代ではなくなった。
●19日からの愛真高校行きの航空切符をコンビニで購入。便利になった。JALの発券システムは簡単で素晴らしい。



 有体的復活の使徒伝承

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悪魔はなぜ存在するのか ++++++++ 所感

2012/06/14 10:30

120614(木)5時目覚め起床●朝の黙想「悪魔はなぜ存在するのか●以前、某夫人(ヤさん)から「ユダがいなければ救いの道はひらかれなかった。ユダ(悪魔)をどう考えたら良いのでしょうか」と難問を出された。私としても現実に苦難に直面して、深く考えざるをえない。●次回の感話はまた「ナルドの香油」である。これは過去に3回勉強した。第一回目は19年前。その時はイエスの言葉「この女がしていることは私の葬りの儀式なのだからそのままにさせておきなさい」というもの。イエスの測り知れない淋しさに接した。第二回目は2年前。「香油を注いだ女を記念しなさい」ということで「香油を注いだ女」の研究。第三回目は本年6月3日で「ヒューマニストユダ」のこと。それでもうこのエピソードはやるまいと思ったが、TH氏から、あと2回はやれと檄を飛ばされたので、次回7月1日には、影の主役である「悪魔」の研究をする。●その勉強の結果ヤさんの質問にも答えられるようになった。●結論は信者と神との絆がますます強くなるように神に供えられたものだ。と言う事である。●題名を次のように変更した。 

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その時、悪魔がユダに入った(ヨハネ1327

・・・悪魔は神と人間との絆を強めるために存在する・・・

 

2012年7月1日 東京聖書読書会 高橋照男



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●悪魔は天使の一人が堕落したという神学がある。
●その悪魔は神と人間との仲を羨んで、何とか仲違いさせようと働く。
●アダムとイブはその策略に乗って、神に反抗した。その子孫のカインはアベルを殺した。
●人類が殺人鬼になったのはこの時からである。
●イエスは荒野の誘惑であやうくひっかりそうになった。悪魔はヒューマニストの顔であった。
●イエスの弟子ペテロが引っかかった。イエスに自力で地上王国を建設させようとした。
●弟子のユダもひっかかった。ヒューマニズムでイエスをぐらつかせた。
●パウロも「刺」で宣教の思いをぐらつかされた。
●イエスはゲッセマネの苦闘であやうく延命を願ったが「御心のままに」と言って勝利した。
●ペテロは、回心して教会の礎となった。
●パウロはロマ書8章で信仰の凱歌をあげた。
●ユダは首をくくったが、イエスに「生まれてこない方がよかった」と言われたほど愛されていたので、来世で赦されるであろう。
●結局。悪魔は信者の信仰を強めるために存在する。


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我等の敵 ++++++++ 所感

2012/06/13 07:10

120613(水)5時目覚め●朝の黙想「悪魔との戦いをどうすべきか」●信者はその存在だけでこの世の人に嫌われ煙たがれる。常に裁かれ攻撃されているように感じられるからである。ちくちくするのである。●これがキリスト信者の家庭の親子関係がうまくいかない原因である。不信者の子供にとって信者の親の存在そのものが無言ではあるが「攻撃されている」ように感じられるのである。●たから「その親は早く死なないかな―などと思ってしまう。●無理もない。子供に悪魔が入っているからだ。子供は悪くない。悪いのは悪魔なのだ。敵は悪魔だ。●マタイ10:36の「家の者がその人の敵となる」は悲しい現実である。●牧師の敵は自分の教会の長老や信者である。これは「陸軍の敵は海軍」という真理と同じ●イエスはユダを愛していた。悪魔が憎かった。●この悪魔との戦いをどうすべきか。「聖書に」学んでみよう。

塚本訳 マコ 1:41
1:41 イエスは(そのあわれな姿を見て悪魔に対する)怒りに燃え、手をのばしてその人にさわり、「よろしい、清まれ」と言われると、

●「怒るな」と言ったイエスが怒った。永遠の宿敵、悪魔に対して。
●人間はつまらないものを敵にして一生懸命になっている。国家間の戦い、経済戦争、ライバル会社、政党、天皇制(いまどきまだ叫んでいる)、イデオロギー、病原菌、然り放射能汚染。しかしこれらを撲滅したところで真の平和は来ない。なぜか。根本の治療をしてないからである。●これらのこの世的な敵の戦いはやってもいいがそれは信仰の結果であって、信者は本業を忘れてはいけない●我等の敵は人間を縛っている悪魔に対するものである。●人間は悪魔の毒素が体中に回って霊魂がらい病になっている。イエスはらい病を直した。復活のイエスは今でも霊魂のらい棒を直して下さる。


塚本訳 ヨハ 13:27
13:27 ユダがそのパンを受け取(って食べ)ると、その時、悪魔がユダに入った。そこでイエスがユダに言われる、「しようとしていることをさっさとしたがよかろう。」

●この言葉はユダの背後にいる悪魔に対するもの。


塚本訳 マタ 16:23
16:23 イエスは振り返って、ペテロに言われた、「引っ込んでろ、悪魔、この邪魔者!お前は神様のことを考えずに、人間のことを考えている!」

●この言葉もペテロの背後にいる悪魔に対するもの。


塚本訳 Ⅰコリ15:35-36
15:35 しかし、ある人は言うかも知れない、(かりに復活があるとしても、)どんな風にして死人が復活するのか、どんな体で来るのかと。
15:36 訳のわからない人!あなたがまくものは、死ななければ生かされないのだ。

●36節の意味は「愚か者!」である。
●復活を信じない信者に対してはこの一喝が必要


口語訳 ヘブ 12:3-4
12:3 あなたがたは、弱り果てて意気そそうしないために、罪人らのこのような反抗を耐え忍んだかたのことを、思いみるべきである。
12:4 あなたがたは、罪と取り組んで戦う時、まだ血を流すほどの抵抗をしたことがない。

●悪人の裁きは神に任せるのが、王道だが、ともすると「無視する」と言う姿勢になってしまう。
●もしその人を愛していれば積極的に祈る。その結果「抵抗」の形になって流血するかもしれない

口語訳 エペ 6:10-20
6:10 最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。
6:11 悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。
6:12 わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。
6:13 それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。
6:14 すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、
6:15 平和の福音の備えを足にはき、
6:16 その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。
6:17 また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。
6:18 絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。
6:19 また、わたしが口を開くときに語るべき言葉を賜わり、大胆に福音の奥義を明らかに示しうるように、わたしのためにも祈ってほしい。
6:20 わたしはこの福音のための使節であり、そして鎖につながれているのであるが、つながれていても、語るべき時には大胆に語れるように祈ってほしい。

●悪魔に対する戦いの方法はこれに尽きる。
●「神の武具」とは「御霊の剱」(讃美歌380)と「神の言」(聖書)
●戦いの方法はこの世の戦いとは違う。それは
18節「 絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈」ることだ。
●神は必ず、絶対に、確実に動いて下さる。実験的に確信する。

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依存症患者の救出・・・主の霊のあるところに自由あり ++++++++ 所感

2012/06/12 07:41

120612(火)5時半目覚め●朝の啓示「主の霊のあるところに自由あり」●依存症(麻薬、アルコール、ギャンブル、風俗、異性・・・学歴、家系、地位、名誉、イケメン、美女、彼氏、彼女、恋愛、)患者は悪魔の霊にとらわれているので、自らも泣く不自由人間で、金を依存対象につぎ込むから家庭は崩壊する。●患者を悪魔から救出する医学は進んでいるが、宗教の面からのサポートもある。●この方面の買うんセrた―で牧師や信者は患者家族にとって「なんとなく違う」という印象で評判がよい。●キリスト教のレゾンデートル(存在理由)はこの辺にある。救世軍、救出隊、悪魔からの奪還行為である●聖書的にその方法は簡単だ。「主の霊のあるところに自由あり」である。主の霊は依存症患者の対象物よりも面白く心を見たして落ち着かせ、狂った異常なる生活から吸収できるのだ。●依存症患者の得体の知れない各種行動は、枝葉の現象である。しかしこれは根が腐っているからである。根を清めない限り枝葉は健全にならない。根が腐っているから落ち着かないのである。社会生活がまともに出来ない●中には先生依存症がある。何かと言うとすぐ内村鑑三の言葉を引用するのは内村依存症。そのほか何々先生依存症があって、福音宣教の障害になっている。●またキリスト教史を振りまわす人間は過去依存症である。目が後ろについている。クリスチャンはまず未来依存症(終末、再臨、復活、万物復興)でなければならない。人間の目は前に付いているのだ。

文語訳 Ⅱコリ3:17
3:17 主は即ち御靈なり、主の御靈のある所には自由あり。

口語訳 Ⅱコリ3:17
3:17 主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由がある。

新改訳 Ⅱコリ3:17
3:17 主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。

新共同 Ⅱコリ3:17
3:17 ここでいう主とは、"霊"のことですが、主の霊のおられるところに自由があります。

塚本訳 Ⅱコリ3:17
3:17 (ここで)主(と)は御霊(のこと)である。主の御霊のあるところには自由が(あるから、ベールが取り除かれるので)ある。

NKJV Ⅱコリ3:17
3:17 Now the Lord is the Spirit; and where the Spirit of the Lord is, there is liberty.

TEV Ⅱコリ3:17
3:17 Now, "the Lord" in this passage is the Spirit; and where the Spirit of the Lord is present, there is freedom.


●この部分のTSKを見てみよう。

*「主は霊である。」

John 6:63

63人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。

1 Corinthians 15:45

 45聖書に「最初の人アダムは生きたものとなった」と書いてあるとおりである。しかし最後のアダムは命を与える霊となった。

2 Corinthians 3:6

 6神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされたのである。それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者である。文字は人を殺し、霊は人を生かす。

 

*「主の霊のあるところには、自由がある。」

Psalms 51:13

13あなたの救の喜びをわたしに返し、自由の霊をもって、わたしをささえてください。

Isaiah 61:1

 1主なる神の霊がわたしに臨んだ。これは主がわたしに油を注いで、貧しい者に福音を宣べ伝えることをゆだね、わたしをつかわして心のいためる者をいやし、捕われ人に放免を告げ、縛られている者に解放を告げ、

Romans 8:2

 2なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。

Romans 8:15-16

 15あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。  16御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。

Galatians 4:6

 6このように、あなたがたは子であるのだから、神はわたしたちの心の中に、「アバ、父よ」と呼ぶ御子の霊を送って下さったのである。

2 Timothy 1:7

 7というのは、神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである。



●ではどうしたらその「主の霊」を頂く事が出来るか。それは次である。今は復活のイエスが生きておられる。 
 

塚本訳  マコ 9:21-29
9:21 イエスが父親に尋ねられた、「こうなってから、どのくらいになるか。」父親がこたえた、「子供の時からです。
9:22 霊はこの子を殺そうとして、幾たびか、火の中、水の中に投げ込みました。それでも、もしなんとかお出来になるなら、わたしども(親子)を不憫と思って、お助けください。」
9:23 イエスは言われた、「もしお出来になるなら(と言うの)か。信ずる者にはなんでも出来る。」
9:24 即座にその子供の父親が叫んだ、「信じます。不信仰をお助けください。」
9:25 イエスは群衆が駆けよってくるのを見ると、(急いで)汚れた霊を叱りつけて言われた、「唖と聾の霊、わたしが命令するのだ、この子から出てゆけ、二度と入るな!」
9:26 霊はどなって、はげしくひきつけさせて、出ていった。子は死んだようになったので、多くの人が、「死んだ」と言った。
9:27 イエスはその子の手をとって起された。すると立ち上がった。
9:28 家にかえられると、弟子たちは人のいない時に尋ねた、「なぜわたし達には霊を追い出せなかったのでしょうか。」
9:29 彼らに言われた、「この種類(の霊)は、祈り以外(の手段)では決して出てゆかせることは出来ない。」


●神の子イエスが十字架の死という徴を示して復活されたのが新約聖書、キリスト教の本質だ。 
 
塚本訳 ヨハ 16:7
16:7 しかし本当のことを言うが、わたしが(父上の所に)行くことは、あなた達のために利益である。行かねば、弁護者はあなた達の所に来ないが、行けば、わたしが彼を遣わすからである。 

●8:30 池谷医院で特定検診。
 
●14:30 愛子から電話。意外な展開。また主の御手が働いた。愛子が楽になった。神います。

●次回感話の題は次の通り。

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その時、悪魔がユダに入った(ヨハネ1327

・・・悪魔の研究。神の霊は悪魔から人間を救いだす・・・

 

       2012年7月1日 東京聖書読書会 高橋照男

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●上記の内容の勉強中に悪魔の働きの新しい発見をした。感謝

塚本訳  Ⅱコリ12:7-9
12:7 そしてこれらの素晴らしい啓示があるので、わたしが高慢にならないようにと、わたしの肉に一つの刺が与えられた。悪魔の使いであって、これはわたしが高慢にならないようにと、わたしをうつものである。
12:8 この使について、それがわたしから手を引くようにと、三度まで主に願ったが、
12:9 主は(その都度)言われた、「わたしの恩恵はあなたに十分だ。力は弱さの中に完成されるのだから。」、それでわたしはキリストの力がわたしに住みついてくださるように、大喜びで、むしろ(自分の)弱いことを自慢しよう。


●この病気は癲癇説が有力だが不明。
●問題はこの病気が悪魔の使いだというのである。普通ここは病気は神が降し給うものだ。と解釈して「信仰が増すために病気もまた恩恵」と解するが。「悪魔が遣わしたもの」と言うところが研究のポイント。
●これはパウロの病気をあげつらってパウロの「伝道をくじこう」とする悪魔の使いだと言うのだ。
●こういうことだ。伝道伝道と叫ぶ時「お前は病気じゃーないか」「お前は罪の塊じゃーないか」「お前は様々な欲の塊じゃーないか」「お前は人格円満じゃーない」「お前は家の者に躓かれているじゃーないか」「お前は自分が清められてないじゃーないか」〔お前の子供達、お前の親戚はなってないじゃーないか。汚れているじゃーないか」などと私のの欠点や弱点(これが刺)」を指摘して(刺して)伝道意欲をくじく。これが「悪魔の使い」なのだ。
●悪魔の原語は「訴える者」と言う意味である。
●その時パウロは、その欠点たる弱さを逆に利用して、「だから信仰のみで救われる道を説くのだ」というのだ。
●私が集会で聖書の感話を始めた30年前のこと。ある故人が「高橋君は外国語の註解書を読めるのか」と聞いてきた。私は「読めません」と答えたところ「じゃーだめだ」と即座に返事があった。それ以来、事あるごとにこの「じゃーだめだ」が頭をよぎってきた。語学に不得手な私はそれが「刺」であり悩みであった。資格がないと思った。はなばなしい伝道が出来ないでいた。引け目であった。
●しかしパウロは、「刺(弱さ)があってよい。そのままでよい。私の恩恵はあなたに十分だ」と言ってくれる。感謝。
●私はパウロと共に言う。私の刺(弱点)こそ自慢だ。こんな私でも信仰があれば救われるのだ。
 


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神のなす業への驚き ++++++++ 所感

2012/06/11 06:30

塚本訳 マタ 7:28-29
7:28 イエスがこれらの話を終えられた時、一しょに聞いていた群衆はその教えに感心してしまった
7:29 自分たちの聖書学者のようでなく、権威を持つ者のように教えられたからである。

●「山上の説教」(マタイ5-7章)のイエスの教えは大半が旧約の思想。
●だからイエスの言葉の史実性が疑われるが、これを聞いた民衆はそこに何とはなしに権威があって驚いたことは歴史的に疑えない事実であると言われている。
●「自分たちの聖書学者」ということを現代に当てはめると、新約聖書学会、旧約聖書学会、東京神学大学教授、東京大学西洋古典学科、プリントン、エルランゲン、ハーバード、ハイデルベルグ、チュービンゲン、などの諸神学部、学会の趨勢、などの概念である。大脳皮質に刺激は受けるが心は満たされない。権威がない。

塚本訳 マタ 8:23-27
8:23 舟に乗られると、弟子たちも従った。
8:24 するとにわかに湖に激しい嵐がおこって、ついに舟は波をかぶった。しかしイエスは眠っておられた。
8:25 弟子たちがそばに来て、「主よ、お助けください、溺れます」と言って起した。
8:26 彼らに言われる、「なんでそんなに臆病なのか、信仰の小さい人たちよ!」それから起き上がって風と湖とを叱りつけられると、(たちどころに)大凪になった。
8:27
人々は驚いて、「この方はどうした人だろう、風も湖も、その言うことを聞くのだが」と言った。


●人生では「これは何者ぞ」と思うことがある。
●そのとき、学歴や出自を尋ねない。
●世には学歴を振り回したり、血統血筋を誇る人間がいるが、大体は現在が「落ち目」の人間。信者の場合は信仰が薄い証拠。過去や外部の事に頼らざるをえない。
●こういう人間を「虎の威を借る狐」という。こういう人間と付き合ってはいけない。 
 
塚本訳 マタ 14:26-33
14:26 弟子たちはイエスが湖の上を歩いておられるのを見ると、幽霊だと思って肝をつぶし、恐ろしさのあまり叫んだ。
14:27 しかしイエスはすぐ彼らに話しかけて言われた、「安心せよ、わたしだ。こわがることはない。」
14:28 ペテロが答えた、「主よ、あなたでしたら、どうかわたしに命令して、水の上を歩いてあなたの所へ行かせてください。」
14:29 「こちらに来なさい」とイエスが言われた。ペテロは舟から下り、水の上を歩いてイエスの所へ行った。
14:30 しかし(いま一足という所で)強い風を見たため、おじけがつき、沈みかけたので、「主よ、お助けください」と叫んだ。
14:31 イエスはすぐ手をのばし、ペテロをつかまえて言われる、「信仰の小さい人よ!なぜ疑うのか。」
14:32 そして二人が舟に乗ると、風はやんだ。
14:33
舟にいた人たちは、「あなたは確かに神の子です」と言ってイエスをおがんだ。

●我々は、現実的だから、苦難や病気が癒されて初めて神の実在を信じることができる。それでいいのだ、それでいいのだ。信仰は形而上学の空理空論ではない。
●罪が赦されて初めてカモの存在をしるのだ。

塚本訳 ルカ 5:5-11
5:5 シモンが答えた、「先生、わたし達は(昨夜)一晩中働きましたが、何もとれませんでした。しかし先生のお言葉ですから、網をおろしてみます。」
5:6 そしてその通りにすると、沢山の魚の群が入って網が裂けかかった。
5:7 そこでもう一艘の舟にいる仲間に合図をして、加勢に来てもらった。彼らが来て、二艘の舟いっぱい(魚を)つんだので、沈みそうになった。
5:8 シモン・ペテロはこれを見て、イエスの足もとにひれ伏して言った、「主よ、あちらに行ってください。わたしは罪人です。」
5:9 彼も一しょにいた者も皆、とれた魚(の多いの)に、びっくりしたのである

5:10 シモンの仲間であったゼベダイの子ヤコブとヨハネも同様であった。イエスがシモンに言われた、「恐れることはない。今から後、あなたは人間を生け捕る(漁師になる)のだ。(きょうの漁は、あなたの大伝道の前ぶれである。)」
5:11 彼らは舟を陸に引き上げ、何もかもすててイエスに従った。

●キリスト教は「御利益宗教」だ.それでいいのだ、それでいいのだ。商売が繁盛しなければ神の力は信じられない。

塚本訳  ヨハ 4:46-53
4:46 それから、またガリラヤのカナに行かれた。そこは(前に)水を酒にされた所である。するとカペナウムに(ヘロデ・アンデパス)王の役人がいて、その息子が病気であった。
4:47 イエスがユダヤからガリラヤに来ておられると聞くと、イエスの所に行き、(カペナウムに)下ってきて息子を直してほしいと頼んだ。息子が死にそうだったのである。
4:48 イエスは言われた、「あなた達は徴[奇蹟]と不思議なことを見なければ、決して信じない。」
4:49 王の役人が、「主よ、子供が死なないうちに(カペナウムに)下ってきてください」と言いつづけると、
4:50 イエスは言われる、「かえりなさい、息子さんはなおった。」その人はイエスの言われた言葉を信じて、かえっていった。
4:51 しかしすでに途中で、僕たちが出迎えて、子供がなおったことを知らせた。
4:52
そこで僕たちに良くなった時間をたずねると、「きのう午後一時に熱が取れた」とこたえた。
4:53 父は、それが「息子さんはなおった」とイエスが言われた時間であることを知り、彼はもちろん、全家族が信じた。

●私はパソコンの難しいところは、ノジマとNTTの「遠隔指導システム」と有料契約をしていて、非常に助かっている。
●イエスの奇蹟は「遠隔行為」でもある。ここが不思議なことなのだ。 

塚本訳  マタ 8:5-13
8:5 カペナウムに帰られると、一人の百卒長がそばに来て願って
8:6 言った、「主よ、うちの下男が中風で家にねていて、ひどく苦しんでおります。……」
8:7 彼に言われる、「(ユダヤ人の)このわたしが、(異教人のあなたの家に)行ってなおすのか。」 8:8 百卒長は答えた、「主よ、わたしはあなたを、うちの屋根の下にお迎えできるような者ではありません。(ここで)ただ一言、言ってください。そうすれば下男は直ります。
8:9 というのは、わたし自身も指揮権の下にある人間であるのに、わたしの下にも兵卒がいて、これに『行け』と言えば行き、ほかのに『来い』と言えば来、また僕に『これをしろ』と言えば(すぐ)するからです。(ましてあなたのお言葉で、病気が直らないわけはありません。)」
8:10 イエスは聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた、「アーメン、わたしは言う、イスラエル人の中でも、こんなりっぱな信仰をもっている者を一人も見たことがない。
8:11 わたしは言う、(最後の日には、このような信仰のあつい)大勢の人が『東から西から』来て、天の国でアブラハムやイサクやヤコブと共に宴会につらなり、
8:12 (かんじんのイスラエル人、すなわち)御国の子供たちは外の真暗闇に放り出され、そこでわめき、歯ぎしりするであろう。」
8:13 それからイエスは百卒長に言われた、「お帰り。あなたの信じたとおりに成れ。」するとちょうどその時に、下男は直った

●これは遠隔操作への深い信仰。これは神の力への深い信仰。これだ、これだ。         ●遠隔とは空間的遠隔の事もあるが、時間的遠隔もある。神にはそれが可能と信じる。
●「桃栗3年、柿8年、柚のバカヤロ18年。人の救いは最後の日」。は時間的遠隔操作。 

塚本訳  ヨハ 20:27-28
20:27 それから(すぐ)トマスに言われる、「指をここに持ってきて、わたしの手(の釘の跡)をよく見てごらん。手を持ってきて、わたしの脇腹に差し込んでみなさい。不信仰をやめて、信ずる者らしくしなさい。」
20:28 トマスがイエスに答えて言った、「わたしの主よ!わたしの神よ!」

●これはヨハネ伝の最後、(21章は付録)。即ち福音書の最後。人生の目的もこの告白をするためにある。それは長旅、涙の旅であるが、神はご自分の名著の為にもそうされる。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●以上の聖句は総て頭の中にあったものを、「Jバイブル」で検索して出したもの。聖句は自分の頭の中にあるものを引っ張り出す作業が一番面白い。探究の動機は自分の現実的苦難。聖書道楽はやめられない。

●しかし先人の努力をも学んでみよう。マタイ14:33の「あなたは確かに神の子です」という信仰告白についてTSK(http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/110910.htm)で調べてみよう。 
 

塚本訳 マタ 16:16-17
16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主、生ける神の子であります!」
16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから。

塚本訳 マコ 15:39
15:39 イエスと向かい合ってそばに立っていた百卒長は、こんなにして息が絶えたのを見て、「この方は確かに神の子であった」と言った。

塚本訳ルカ 8:28
8:28 イエスを見ると、叫びながらその前にひれ伏し、大声で言った、「いと高き神の子のイエス様、『放っておいてください。』お願いです、わたしを苦しめないでください。」

塚本訳ヨハ 1:49
1:49 ナタナエルが答えた、「先生、あなたは神の子であります。あなたはイスラエルの王であります。」

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「お父さん!。神様って本当にいるんだね―!!」 ++++++++ 所感

2012/06/10 07:45

120610(日)5時半起床●朝の黙想「人生の開眼手術は痛い」●「どうしてこういうことになってしまったのだろう」という嘆きと溜め息を聞いた。私が「きっとヨハネ9章1-3にあるように神の栄光が現れるためかも」と話したが、これは結果を知っている人の回顧談。

塚本訳 ヨハ 9:1-3
9:1 イエスは通りがかりに、生まれつきの盲人を見られた。
9:2 弟子たちが尋ねた、「先生、この人が盲で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか、両親ですか。」
9:3 イエスは答えられた、「この人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。ただ神の御業がこの人に現われるためである。

●苦難の渦中にある人には慰めにならない。ただただ、呻きと涙のみだ。イエスの叫びは我等の慰めだ。

塚本訳 マタ 27:45-46
27:45 昼の十二時から地の上が全部暗闇になってきて、三時までつづいた。
27:46 三時ごろ、イエスは大声を出して『エリ エリ レマ サバクタニ!』と叫ばれた。これは『わたしの神様、わたしの神様、なぜ、わたしをお見捨てになりましたか!』である。

新共同 ヘブ 5:7
5:7 キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。

塚本訳 ロマ 12:14-15
12:14 (あなた達を)迫害する者に(神の)祝福を求め、祝福して呪うな。
12:15 喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣け。

●苦難は悪魔が神と人の仲を羨んで裂こうとする手段。人間は危うく神を疑い、神に反抗しようとする。アダムとイブはそれにひっかかった。しかし、イエスは「荒野の誘惑」でその難を逃れて「従順」を貫いた。悪魔はヒューマニストの顔をして神への不満を焚きつけ反抗させようとする。

塚本訳 マタ 27:45-46
27:45 昼の十二時から地の上が全部暗闇になってきて、三時までつづいた。
27:46 三時ごろ、イエスは大声を出して『エリ エリ レマ サバクタニ!』と叫ばれた。これは『わたしの神様、わたしの神様、なぜ、わたしをお見捨てになりましたか!』である。

塚本訳 マタ 26:36-39
26:36 ほどなくイエスは弟子たちと一しょに(オリブ山の麓の)ゲッセマネという地所に着くと、弟子たちに言われる、「わたしがあちらへ行って祈っている間、ここに坐って(待って)おれ。」
26:37 そしてペテロとゼベダイの子二人(だけ)を連れて(奥の方へ)ゆかれると、(急に)悲しみおののき始められた。
26:38 それから彼らに言われる、「『心がめいって』『死にたいくらいだ。』ここをはなれずに、わたしと一しょに目を覚ましていてくれ。」
26:39 そしてなお少し(奥に)進んでいって、俯けに倒れ、祈って言われた、「お父様、出来ることなら、どうかこの杯がわたしの前を通りすぎますように。しかし、わたしの願いどおりでなく、お心のとおりになればよいのです。」

新共同 ヘブ 5:7
5:7 キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。


塚本訳 ロマ 12:14-15
12:14 (あなた達を)迫害する者に(神の)祝福を求め、祝福して呪うな。
12:15 喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣け。

新共同 創  3:4-6
3:4 蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。
3:5 それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」
3:6 女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。

塚本訳 マタ 4:1-11
4:1 間もなくイエスは悪魔の誘惑にあうため、御霊につれられて荒野に上られた。
4:2 四十日四十夜断食をされると、ついに空腹を覚えられた。
4:3 すると誘惑する者[悪魔]が進み寄って言った、「神の子なら、(そんなにひもじい思いをせずとも、)そこらの石ころに、パンになれと命令したらどうです。」
4:4 しかし答えられた「『パンがなくとも人は生きられる。(もしなければ、)神はそのお口から出る言葉のひとつびとつで(パンを造って、)人を生かしてくださる』と(聖書に)書いてある。」
4:5 そこで悪魔はイエスを聖なる都(エルサレム)に連れてゆき、宮の屋根の上に立たせて
4:6 言った、「神の子なら、下へ飛びおりたらどうです。『神は天使たちに命じて、手にてあなたを支えさせ、足を石に打ち当てないようにしてくださる。』と(聖書に)書いてあります。(人々はそれを見て信じ、たちどころにあなたの国が出来ます。)」
4:7 イエスは言われた、「ところが、『あなたの神なる主を試みてはならない』とも書いてある。」
4:8 悪魔はまたイエスを非常に高い山に連れてゆき、世界中の国々と、栄華とを見せて
4:9 言った、「あれを皆あげよう、もしひれ伏してわたしをおがむなら。」
4:10 そこでイエスは言われる、「引っ込んでいろ、悪魔!(聖書に)『あなたの神なる主をおがめ、』『主に』のみ『奉仕せよ』と書いてあるのだ。」
4:11 そこで悪魔が離れると、たちまち天使たちが来てイエスに仕えた。

塚本訳 ヨハ 13:27
13:27 ユダがそのパンを受け取(って食べ)ると、その時、悪魔がユダに入った。そこでイエスがユダに言われる、「しようとしていることをさっさとしたがよかろう。」

●イエスはユダを憎んでいなかった。悪魔が悪いと思っていた。
●ユダが首をくくった時、神はユダを許したのだと思う。


塚本訳 ヘブ 12:8-11
12:8 もし皆が受ける『訓練が』ないとすれば、それこそあなた達は私生児で、(ほんとうの)『子』ではない。
12:9 かつまた、わたし達は訓練をする者として肉の父を尊敬した(とするならば)、まして霊魂の父に服従して、(永遠に)生きないことがあるだろうか。
12:10 というのは、肉の父は(ほんの)少しの日数(だけ)、自分の考えに従って訓練したのに反して、神はわたし達を益するため、わたし達をその聖さにあずからせるために、訓練されるのであるから。
12:11 あらゆる訓練(というもの)は、その当座は喜びとは見えず、かえって悲しみと見えるが、しかしあとで、それで鍛えた者に(まことの)義の実である平安を与えるのである。

●私たちが苦難に遭遇するのは私生児でない証拠。その鍛錬が終わると平安が訪れる。
●三男の恵は涙の大苦難を通して聖書に開眼した。                              ●私にとっては東日本大震災、福島原発様々である。
●私に岩波の「世界」の反原発特集を読めと言った親戚の不信者がいた。その囁きは神に反抗しろという「悪魔」の囁きだ。何を言うかこの馬鹿。その手には乗らない。サタンよひっこめ。
●また娘は「私にも悪いところがあった」と言った。これで神による訓練の目的は達せられた。
 
●10:00集会は 高木(司会。選定句ローズンゲン)、土肥(詩篇118編、山本第二コリント2章)
●帰途、代々木まで高木博義氏と懇談。息子のことを私以上に知っていて下さる。エクレシアの主にある愛、感謝。
●13:50 娘の愛子から電話。「お父さん!。神様って本当にいるんだね―!!」。と嬉し泣き。
●娘は畳の目が見えなくなるまで泣いて苦しんでいた。
●私は「信仰だけは失わないように」と励まし続けてきた。
●これを聞いて私は心の中でガッツポーズ。神はやってくれた。神います。
●娘愛子の信仰告白で、これで愛子は「完成した」という感じがした。
●クリスチャンの親の使命は子供を神に出会わすことである。長い道のりであったが、これで「仕上がった」と思った。
 
塚本訳  Ⅰペテ4:12-14
4:12 愛する者よ、試練のため君達に起こった烈火の苦難を(何か)異常なことが臨んだかのように(驚き)異しむな。
4:13 むしろキリストの苦難に与れば与るだけ喜べ。(最後の日)その栄光の顕るる時にも歓びに喜ぶ(ことが出来る)ためである。
4:14 もし君達がキリストの名において罵られるならば幸福である、(それは、その時)栄光の霊と『神の霊が』君達の上に『留まっている』(証拠である)から。

●14:00 黒崎幸吉記念 キリスト教講演会 (今井館聖書講堂)
挨拶 理事長 大島智夫
第一席「存続する世界に対する責任」 
   武田武長(元フェリス女学院大学教授 キリスト教神学 登戸学寮OB)
第二席「命が繋がる水の側面と応用」
   高崎みつる(石巻専修大学教授 水質生態工学 独立学園OB)  

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登戸学寮理事長 大島智夫先生。
黒崎幸吉の臨終の様子を話された。黒明幸吉は晩年「目は見えんが先は見えとる」と言われた。これは暗に「延命処置はしてくれるな」という意味と取ったと話された。

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講演者 武田武長氏。
ドイツは倫理委員会が、「放射能核廃棄物は100万年先まで消滅することはないとうことに今の人間として倫理的に責任を持てない」と決定した」。これを受けてメルケル首相は「原発中止」を決定した。 と話された。

   



  有体的復活の使徒伝承

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 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

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     TSK日本語版・目次

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    ちたた農園日誌(三男が福島県で独立経営する農場)

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依存症患者を救出する立派な信仰 ++++++++ 所感

2012/06/09 06:48

120609(土)5時15分起床●朝の啓示「依存症患者を救出する立派な信仰」●神から見放されたこの悪の世は心が飢え渇いてあらぬものを神として拝んでもなお満たされないでいる。それが依存症の原因、麻薬、ギャンブル、アルコール、風俗、汚い女、・・・これらの病気から患者を救出するには並大抵の人間業では不可能。神の奇蹟の力でなければ無理だ。●依存症患者は金を依存の対象につぎ込む気違いになるから家庭が崩壊する●関連聖句を黙想する。●まず神なき世の惨憺たるドロドロの様子を見てみよう。誰がこの泥沼の暗闇から救出できるのか。人間をこういう状態に落とした悪魔の高笑いが聞こえる。クソッ!。●私は悪魔に縛られてその不自由さに泣いている彼らを悪魔から奪還するまでは死ねない。


塚本訳  ロマ 1:28-32
1:28 こうして彼らは神を知ることを役に立たぬものと考えたので、神の方でも、彼らの心が役に立たなくなるに任せられた。その結果彼らは(人として)なすべからざることをするようになったのである。
1:29 彼らはあらゆる不道徳・悪意・欲張り・悪念に満ちた者、妬み・人殺し・喧嘩・悪巧み・よこしまで一ぱいな者、陰口をきく者、
1:30 悪口を言う者、神の敵、無法者、高ぶる者、法螺吹き、悪事の発明家、親不孝者、
1:31 無知・不誠実・無情・無慈悲の者である。
1:32 この人たちは、こんなことをする者が死なねばならぬ神の定めをよく知っていながら、自分でそれをするばかりでなく、人がするのをも喜ぶのである。

●28節。こういう悪の世界になったのは、「神を知ることを役にたたぬもの考えた」からである。
その結果、神も「勝手にしろ、そのうち目が覚めるだろう」と思って放っておかれたからである。
●それをいいことに人間は「神を知る」ことをつまらない、不自由になることと思い、「(人として)なすべからざることをするようになった」。
●それでもこの悪の世は目が覚めない。

塚本訳  ガラ 5:19-21
5:19 肉の行いは明らかである。──それは不品行、汚れ、放蕩、
5:20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、嫉妬、激怒、我利、仲違い、党派心、
5:21 そねみ、酩酊、酒宴等々である。前もって言ったことであるが、(今もう一度)あらかじめ言っておく、こんなことをする者は、神の国を相続することがないであろう。

●これは罪のカタログである。新聞テレビの話題である。三流週刊誌の目次である。
●「仲違い」「党派心」などは政治の闇の世界の事である。

塚本訳  マコ 9:25-29
9:25 イエスは群衆が駆けよってくるのを見ると、(急いで)汚れた霊を叱りつけて言われた、「唖と聾の霊、わたしが命令するのだ、この子から出てゆけ、二度と入るな!」
9:26 霊はどなって、はげしくひきつけさせて、出ていった。子は死んだようになったので、多くの人が、「死んだ」と言った。
9:27 イエスはその子の手をとって起された。すると立ち上がった。
9:28 家にかえられると、弟子たちは人のいない時に尋ねた、「なぜわたし達には霊を追い出せなかったのでしょうか。」
9:29 彼らに言われた、「この種類(の霊)は、祈り以外(の手段)では決して出てゆかせることは出来ない。」

●悪魔に噛みつかれて体中に毒素が回り、目もつぶれ耳も聞こえなくなっている惨憺たる人間。不倫、不道徳の限りを尽くし、しかもそれを「普通だ」と思っている人間の社会は滅びないといけない。早く終末が来て正義が貫徹されなければならない。
●しかしそこがキリスト教。何とかこの世を救おうと努力する。
●各種依存症からの救出には「専門的知識の段階」があるという。
●昔から「救世軍」はこの救出行為を行っている。ヒルティも「救世軍」に賛意を示している。    ●私も関心がある。医学的知識はないが。「ただ信ぜよ」という。
●医学的r知識がなくても家族親族でこのような依存症の病人が出たら「祈り」で悪魔と戦争だ。

ロマ   6: 19 [塚本訳              

(奴隷の例でこんな)人間的の言い方をするのは、あなた達の理解力が(まだ)弱いからである。(わたしはこう言いたい。──かつて)あなた達が奴隷になって肢体を汚れと不法とにまかせて不法を行ったように、今度は(神の)奴隷になって肢体を義にまかせて聖くなれと。

ロマ   8: 26 [塚本訳

しかし(創造物やわたし達神の子が苦しんでいると)同じように、御霊も、弱いわたし達を助けてくださる。すなわち、(神のみ心にかなうには)どう何を祈るべきかわからないので、御霊自身が、無言の呻きをもって(わたし達の祈りを神に)執り成してくださるのである。

ロマ   14: 1 [塚本訳

信仰の弱い人をも(あなた達の)仲間に入れてやりなさい。(その人の)考えの違いをかれこれ言わずに。

ロマ   14: 2 [塚本訳

(信仰は人それぞれで、たとえば、)ある人は(信仰が強くて肉でも)なんでも食べてよいと信じており、(信仰の)弱い人は野菜(だけ)を食べる。

ロマ   15: 2 [塚本訳

わたし達各自は、(弱い)隣の人を喜ばせるように生きようではないか。彼の最善をはかり、(信仰を)造りあげるために。

ロマ   14: 1 [塚本訳

信仰の弱い人をも(あなた達の)仲間に入れてやりなさい。(その人の)考えの違いをかれこれ言わずに。

ロマ   15: 2 [塚本訳

わたし達各自は、(弱い)隣の人を喜ばせるように生きようではないか。彼の最善をはかり、(信仰を)造りあげるために。

Ⅰコリ  8: 9 [塚本訳

しかし気をつけよ、(強い)あなた達のその自由が、弱い人たちにつまずきにでもなることがないように。

Ⅰコリ  8: 12 [塚本訳

このようにあなた達が兄弟に対して罪を犯し、彼らの弱い良心を傷つけるのは、(取りも直さず)キリストに対して罪を犯すのである。

Ⅰコリ  9: 22 [塚本訳

(信仰の)弱い者たちには弱くなった。弱い者たちを得るためである。わたしはこれらみんなのために、どんなものにでもなった。せめて幾人かだけでも救うためである。

Ⅰコリ  12: 22 [塚本訳

いや反対に、体の中でわりあいに弱いと見える器官こそかえって必要であり、

Ⅰテサ  5: 14 [塚本訳

兄弟達よ、なお勧める、ふしだらな者を戒め、気の小さい者を励まし、(心の)弱い者の面倒を見てやり、誰に対しても寛大であれ。

ヘブ   11: 34 [塚本訳

(あるいは)火の力を消して(害を受けず、あるいは)剣の刃を免れ、(あるいは霊肉の)弱い状態から強くされ、(あるいは)戦に強くなり、(あるいは)敵軍を打ち負かした。


塚本訳 ヨハ 4:13-19
4:13 イエスは答えられた、「この(井戸の)水を飲む者はだれでもまた渇くが、
4:14 わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」
4:15 女が言う、「主よ、その水を下さい。(二度と)渇くことがないように、またここに汲みに来なくてもよいように。」
4:16 イエスが言われる、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」
4:17 女が答えた、「わたしには夫はありません。」イエスが言われる、「『わたしには夫はありません』と言うのは、もっともだ。
4:18 五人の夫とは別れ、今のは、あなたの夫ではないのだから。あなたの言ったことは本当だ。」
4:19 女が(びっくりして)言う、「主よ、わかりました、あなたは預言者です。

●この女は結婚生活に失敗。バツ5である。本人は気がつかないかも知れないが人格的に欠陥がありそうだ。どんな男にも満足せず、常に飢え渇いている。
●私は「キリスト教性教育研究会」の会員だが、その目的は若き女性の「彼氏欲しい症候群」からの救出である。彼女達(若き男性も)は常に異性に渇きを癒そうとしている。しかし癒す事が出来ないで6人の夫を渡り歩いた。
●神なき人間は家庭を破棄する。
●この女は子供がいたのかなー、いたら気の毒だなー。子供に罪はないなーと思う。
●普通こういう女は世間から白い目で見られる。今やエクレシアにもそういう風潮がある。クラバレこの世のエクレシア。
●13-15節。イエスは違った。イエスの方からこの女に声をかけた。そして「二度と渇くことがない水」を与えようとされた。
●今日のエクレシアは「渇く水」(知識、教養、遊び、遊び)を与え続けている。


塚本訳 マコ 9:25-29
9:25 イエスは群衆が駆けよってくるのを見ると、(急いで)汚れた霊を叱りつけて言われた、「唖と聾の霊、わたしが命令するのだ、この子から出てゆけ、二度と入るな!」
9:26 霊はどなって、はげしくひきつけさせて、出ていった。子は死んだようになったので、多くの人が、「死んだ」と言った。
9:27 イエスはその子の手をとって起された。すると立ち上がった。
9:28 家にかえられると、弟子たちは人のいない時に尋ねた、「なぜわたし達には霊を追い出せなかったのでしょうか。」
9:29 彼らに言われた、「この種類(の霊)は、祈り以外(の手段)では決して出てゆかせることは出来ない。」

●依存症の病人の救出には「祈り」が唯一の手段だとイエスの言葉から学ぶ。
●祈りと医学的方法。これが救出の方法だ。
 ●「非科学的なお祈りなんて効き目がない」と思う人間は「勝手にしろ!」

塚本訳 マタ 8:6-10
8:6 言った、「主よ、うちの下男が中風で家にねていて、ひどく苦しんでおります。……」
8:7 彼に言われる、「(ユダヤ人の)このわたしが、(異教人のあなたの家に)行ってなおすのか。」
8:8 百卒長は答えた、「主よ、わたしはあなたを、うちの屋根の下にお迎えできるような者ではありません。(ここで)ただ一言、言ってください。そうすれば下男は直ります。
8:9 というのは、わたし自身も指揮権の下にある人間であるのに、わたしの下にも兵卒がいて、これに『行け』と言えば行き、ほかのに『来い』と言えば来、また僕に『これをしろ』と言えば(すぐ)するからです。(ましてあなたのお言葉で、病気が直らないわけはありません。)」
8:10 イエスは聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた、「アーメン、わたしは言う、イスラエル人の中でも、こんなりっぱな信仰をもっている者を一人も見たことがない。

●9節。「祈りの本質」は塚本訳の敷衍「あなたのお言葉で病気が直らないわけはありません」である。この気持が「芥種一粒でもあれば」神は振りむいて遠隔操縦で「家にいる病人」「病院に行こうとしない病人」「自分は病人なんかじゃーない」と言っている患者を直して下さる。

塚本訳  ルカ 8:32-36
8:32 折から、そこの山で多くの豚の群が草を食っていた。悪鬼どもは、それに乗り移ることを許されたいと願った。お許しになると、
8:33 悪鬼どもはその人から出ていって豚に乗り移った。すると群は(気がちがったように)けわしい坂をどっと湖へなだれこみ、溺れて死んだ。
8:34 豚飼たちはこの出来事を見て逃げ出し、町や部落に知らせた。
8:35 人々はこの出来事を見に出て来たが、イエスの所に来て、悪鬼を追い出された人が着物をき、正気にかえって、イエスの足もとにじっと坐っているのを見ると、恐ろしくなった。 8:36 また(現場を)見ていた人たちは、悪鬼につかれていた者がどんな風にして救われたかを、その人々に知らせた。 
 
●人間は神を知る前は全員「狂人」である。
●35節。悪霊を追い出された人間は初めて「正気」になる。
●不幸にも生きているうちに「正気」慣れないかもしれない。しかし終末で神はその人間を必ず「正気」にさせる。それまで忍耐の信仰だ。全能の神います。


●各種依存症患者の弱さに対するキリスト信者の態度は次の通りである。
●キリスト信者は神にあって「強い」がその強さを依存症患者の前に見せつけてはいけない。
 
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14:00 内村鑑三研究セミナー(於・立教大学。左から千葉眞、椚山義次、高橋照男
黒川知文氏の「内村鑑三と再臨運動」の研究発表が優れていた。
その結論。再臨運動の結果生まれたこと。
①正統的再臨論の確立
②超教派運動の可能性
③聖書に聞くと言う姿勢
④キリスト者同士の紛争の無益さの自覚

さらに
信仰的寛容さのゆえに個人的ネットワークの広まりと家族の支えが得られたことが生れたという指摘に感銘した。


●妻は中野の愛子の家に手伝い。21:30帰宅、主にある労苦は無駄に終わらない。
 
塚本訳  Ⅰコリ15:58
15:58 だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ。骨折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから。



  有体的復活の使徒伝承

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     TSK日本語版・目次

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悪魔の目的は人を神に反抗させて仲を裂く ++++++++ 所感

2012/06/08 06:32

120608(金)5時15分目覚め●朝の黙想「悪魔の目的は人を神に反抗させて仲を裂く」●次回感話(ヨハネ13:21-30)のb\中に「その時、悪魔がユダに入った」8ヨハネ13:7)と言う部分があり、」それを中心とする。●悪魔の目的は神と人との麗しい愛の関係を妬み羨んでその仲を裂こうとするものである。●そのために悪魔は人に神への反抗心を吹き込む。●その手段は人間を神以外のものに依存させて「依存症」(アルコール、ギャンブル、金、女、風俗、延命執着。社会的権威、)などの暗い病気に陥らせる。これらの依存症にかかった人間は「神が邪魔」であるから「神へ反抗する」事の理論武装する、●それは大抵「悪い友人」に誘われる。囁かれる。「神などいない。罪を犯しても大丈夫だよ」と。●キリスト教2000年の働きはこの悪魔から人間を奪還することであった。これはまた99%が不信者の日本における信者の戦いの目的でもある。それは苦しく辛い涙の戦いである。●キリストが「延命への執着」という「依存症」への誘惑からゲッセマネの祈りで」神に命乞いをした。しかし「御心のままに」という祈りでついに神への従順を全うして悪魔に勝利した。●今日はその悪魔の働きということに注目して黙想する。
 

月本昭男訳(岩波版) 創 2:15-17
2:15神ヤハウェは人を連れて行き、〔彼を〕エデンの園に据えた。これ(大地のこと)に仕え、これを守るためである。
2:16神ヤハウェは人に銘じて、言った、「あなたは園のどの木からも〔実を〕取って食べて良いが、
2:17善悪を知る木、これから〔実〕を取って食べてはならない。これから取って食べる日、あなたは必ずや死ぬであろう」。
 

●神は人を愛しこれを信頼してエデンの園を任せた。悪魔はその仲を羨んだ。 
●全部を任せたが、「善悪を知る木」からは食べてはならないというのは、「通帳と実印」は決して渡さないという心と同じ。そうすると神としても主権が奪われるからである。


月本昭男訳(岩波版) 創 3:1-7
3:1神ヤハウェが造った野のあらゆる獣(けもの)のなかで、蛇が最も賢かった。蛇は妻に言った、「園のどの木からも〔実を〕取って食べてはならない、などと神がおっしゃったとは」。
3:2妻は蛇に言った、「わたしたちは園のどの木の実でも食べて良いのです。
3:3ただ、園の中央にある木の実からは食べてはならない、これに触れてもならない、死ぬといけないから、と主は言われました」。

3:4 蛇は妻に言った。「けっして死ぬことはないよ

3:5 実はね。あなたがたがそれを食べる日、あなたがたの目が開いて、あなたがたが神のように善悪を知るようになる、と神は知っておいでなのですよ」。

3:6 妻が見ると、その木[の実]はいかにもおいしそうで、目の欲を誘っていた。その木はまた[人を]聡明にしてくれそうであった。そこで彼女はその実を取って食べ、彼女と友にいた夫にも与えた。彼も食べた。                                              3:7すると二人の目が開かれ、彼らは自分たちが裸(エロム=アロム[賢い]の語呂合わせ)であることを知った。彼らはいちじくの葉をつなぎ合わせて自分たちで腰帯(正装に用いる衣装)を造った。

●リンゴが悪いのではない。神を無視したことがいけなかったのだ。
●煩悩は悪ではない。神の手から頂かないことが「罪」。結婚問題同じ。
●罪の本質は「神への反抗」
●ヒューマニズムの思想に立ち、兄弟の仲が良ければいいじゃーないかと言っても、「オヤジの存在」を認めないといけない。
●神抜きのヒューマニズムは神に嫌われる。
●6節。リンゴはおいしそうであった。
●6節。「聡明にしてくれそうであった」とは今日的言葉。「頭の良い子に育てる方法」 ●イブは「食べたいが神がいるから良心が咎める」と悶々としていた時に悪魔が近づいた。心の隙に悪魔が囁いた。これ今日的に言えば「悪い友人の囁き」「みんながやっていることじゃーないか」。「世間の風潮じゃーないか。何を悩むのだ」。これは良心に対する麻酔。
●99%の人間は弱い。否、100%の人間がこの麻酔にコロリとやられ、「そうか、そうだったのか。神の戒めなんか理不尽だ。人の自由を奪うものだ。人を縛る神が悪い。ヒューマニズムの思想に反する。神は存在しない」と思わせて神に反抗させる。「反抗がなせ悪いのか」と思わせる。「自分の意見をはっきりいうのがなで悪いのか」と思わせる。しかしその考えたるや実に拙劣なのだ。聞いちゃ―いられないのだ。
●神抜きのヒューマニズムは危険。自分の考えを至高善とするから神が邪魔。
●自分の考えを至高善とするヒューマニズムはすぐ「体制即悪」と考える。これ悪魔のたぶらかし。不信者の評論家にその思想が多い。家永三郎がその一人。内村は社会批判をしなくなった時に堕落したと。馬鹿!。家永は最初から堕落している悪魔の徒だからそう言って世の信徒を欺く。悪魔はヒューマニストの顔をしている。「神への従順〕という言葉を嫌う。「
●彼らにとって「神への従順」と言うのは「社会的に何もしない人間」と写る。社会悪が見えない、気がつかない低級な人間だと思う。馬鹿言え。そういう人間は神が見えないのだ。
●これでイブは良心の痛みから解放されてリンゴを食べた。悪魔の勝利。
●コンピュータのアップル社のロゴマークはリンゴをかじったもの。コンピュータで「聡明になれる」という意味なのだろうか。
●イブはリンゴを夫のアダムにも渡した。悪事は共犯にしたくなる。 
●アダムとイブはこの行為で神から心が離れたから「労働が苦痛になり」「出産も喜びでなくなった。今日の労働問題、結構しない症候群の本質はここにある。
●心の通わない人の家の設計労働は苦痛。心の通う人の家の設計労働は喜び。残業も残業でなくなる。そういう時は体に気をつけなければならない。

口語訳 創  6:1-3
6:1 人が地のおもてにふえ始めて、娘たちが彼らに生れた時、
6:2 神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった。
6:3 そこで主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう」。

●ここに罪の匂いがする。
●女性の美しさが悪いのではない。「自分の好む者」をめとったというところが、親爺無視の罪なのだ。親の承認なしに結婚したのだ。親の顔を潰したのだ。
●神への従順は「父と母とを敬え」に繋がる。もしこれを破るとこの地(「この世」)の歩みが何となくうまくいかずに落ち着かない。勤務先の上司は良く見ている。親を大切にしない人間はこの男は人格円満でないから会社を任せられないと思って出世させない。部下がつかないから大した仕事が出来ないのだ。
●別に親や先生が決める人と結婚せよというのではない。結婚は「出会い」だから恋愛結婚でも良いが神を第一せよというのだ。

口語訳 箴  19:14
19:14 家と富とは先祖からうけつぐもの、賢い妻は主から賜わるものである。


●私は若い頃に無教会の先輩からキッと睨まれ「賢い妻は主から賜る」と言われた。
●妻との話が持ちあがったのはその後しばらくしてからのことであった。
●では恋愛結婚は罪で、親や先生が決めた人が「主から賜る」人なのか。
●某氏曰く、「親や先生だって所詮罪人だ」。
●某精神科の医者曰く「見合いと恋愛の結婚のうち、破綻率は恋愛結婚の方が多い」
●なぜか。そのスタートの動機がずれているのだ。恋愛は神を忘れさせる。
●過日キリスト教愛真高校で「イケメンや美人と結婚するな。神を信じている人と結婚せよ」と言ったところ、目に悪魔が走った男子生徒がいた。彼の心に釘を刺した。彼の結婚に祝福あれ。
●女子大では「イケメンと結婚するな」と言っている。生徒たち「エーッ!。なぜですか」。私「イケメンは金と教養がない」。
●最近はそれに道徳と倫理がないと言いたい。信用失墜で仕事がうまくいかず経済が破綻、真面目な生活をしてないから読む本が低級。
●だからイケメンや美女は悪魔から送り込まれた人間。気をつけよ。自業自得で不幸にもこれにひっかかったら、一生の失敗。自業自得。目がなかった。しかし救われる道はある。目が覚めて悔い改め、キリストの贖罪の血を振りかけられれば清められるのだ。「絶対恩恵による無条件の罪の赦しの道」、キリストの贖罪の犠牲死による救いだ。その時は悪魔のイケメンや美女も清められる。
●チャイコフスキーの「白鳥の湖」は王子ジークフリートとオデットの仲を羨んだ悪魔のロットバルトが娘オディールをオデットそっくりの姿にさせ(オデットとオディールは一人二役)で王子の前に表す。すると王子は目が眩んで「愛の告白」をしてしまう。絶望したオデットは湖に身を投げる。
●それではあまりに悲し過ぎるというので、様々な別ヴァージョンがある。
●過日図書館で借りたDVD観たヴォリショイ劇場のものは最後の場面で悪魔がジークフリートに刀を振り上げて殺そうとするが、そこにオデットが犠牲を覚悟で悪魔の前に立ちはだかって王子を守る。するとその純粋な愛に悪魔は退散する。というヴァージョン。
●この「白鳥の湖」の最後は様々なヴァージョンがあって面白い。
●以前、東京国際フォーラムで観賞したレニングラードバレーは王子もオデットも湖に身を投げる原作に忠実なものであったが、二人が亡霊になって天に昇っていく姿が背後のスクリーンに映し出されたものだった。 

塚本訳  Ⅱコリ12:7-9
12:7 そしてこれらの素晴らしい啓示があるので、わたしが高慢にならないようにと、わたしの肉に一つの刺が与えられた。悪魔の使いであって、これはわたしが高慢にならないようにと、わたしをうつものである。
12:8 この使について、それがわたしから手を引くようにと、三度まで主に願ったが、
12:9 主は(その都度)言われた、「わたしの恩恵はあなたに十分だ。力は弱さの中に完成されるのだから。」、それでわたしはキリストの力がわたしに住みついてくださるように、大喜びで、むしろ(自分の)弱いことを自慢しよう。

●パウロは自分の病気の刺は悪魔が遣わしたものだと言った。
●なぜか。病気が直らないことで、神を疑わせ、信仰をすてさせ、神とパウロとの仲を裂こうとしたのだ。
●悪魔は人間を重い病気にかからせて神を疑わせる。得体の知れない不幸も同じだ。
●苦難にある友よ。悪魔のその手に乗るな。
●パウロは神への信頼を失わなかった。勝利した。
●そのr次が素晴らしい。9節。「むしろ(自分の)弱いことを自慢しよう」
●人間は弱い。必ず何かの依存症になる。けれども救われたら、その弱さゆえに救われたのだから「弱かった」ことを自慢しようというのだ。
●謹厳実直、品行方正人間は救いに遠い。悪魔に負けたどうしようもない罪人が悔い改めて泣く時に神に喜ばれる。

 塚本訳  マタ 4:5-11
4:5 そこで悪魔はイエスを聖なる都(エルサレム)に連れてゆき、宮の屋根の上に立たせて 4:6 言った、「神の子なら、下へ飛びおりたらどうです。『神は天使たちに命じて、手にてあなたを支えさせ、足を石に打ち当てないようにしてくださる。』と(聖書に)書いてあります。(人々はそれを見て信じ、たちどころにあなたの国が出来ます。)」
4:7 イエスは言われた、「ところが、『あなたの神なる主を試みてはならない』とも書いてある。」
4:8 悪魔はまたイエスを非常に高い山に連れてゆき、世界中の国々と、栄華とを見せて
4:9 言った、「あれを皆あげよう、もしひれ伏してわたしをおがむなら。」
4:10 そこでイエスは言われる、「引っ込んでいろ、悪魔!(聖書に)『あなたの神なる主をおがめ、』『主に』のみ『奉仕せよ』と書いてあるのだ。」
4:11 そこで悪魔が離れると、たちまち天使たちが来てイエスに仕えた。

●世の終わりに再び悪魔が登場。今度は神の子イエスをヒューマニズムで誘惑した。
●もしイエスがこの策略に引っかかると、善政を敷いて社会改良をしてこの世天国を完成する。そして神を忘れさせる。
●イエスはこのヒューマニストなる悪魔の手に引っかからなかった。
●そこで悪魔は一旦イエスから離れた(11節)
●再び登場するのはイエスの苦しい時、最後の時。」何と12弟子の一人のユダに入った。それが次である。

塚本訳 ヨハ 13:27
13:27 ユダがそのパンを受け取(って食べ)ると、その時、悪魔がユダに入った。そこでイエスがユダに言われる、「しようとしていることをさっさとしたがよかろう。」

●世の初めに悪魔は人類の祖であるイブとアダムを誘惑して神に反抗させ「勝利した」。人類の罪と悲しみと不幸はここに源流があった。
●世の終わりに再び悪魔はヒューマニストとして登場して神の子イエスを誘惑した。

塚本訳  マコ 14:20-21
14:20 イエスは言われた、「十二人の一人、わたしと一しょにひとつ鉢から食べる者だ。
14:21 人の子(わたし)は(聖書に)書いてあるとおりに死んでゆくのだから。だが人の子を売るその人は、ああかわいそうだ!生まれなかった方がよっぽど仕合わせであった。」

●ユダに罪はない。悪魔に入り込まれているのだ。悪魔が悪い。
●だからイエスは「ユダの役回りは気の毒だ」と思ったのだ。「生まれなかった方がよっぽど幸せであった」とは何と厳しい言葉ではないのか。

塚本訳  ルカ 22:39-46
22:39 それから(都を)出て、例のとおり、オリブ山へ行かれた。弟子たち(十一人)もついて行った。(もう真夜中すぎであった。)
22:40 いつもの場所につくと、彼らに言われた、「誘惑に陥らないように祈っていなさい。」
22:41 そして自分は石を投げれば届くほどの所に離れてゆき、ひざまずいて祈って
22:42 言われた、「お父様、お心ならば、どうかこの杯をわたしに差さないでください。しかし、わたしの願いでなく、お心が成りますように!」
22:43 そのとき天から一人の天使がイエスに現われて、力づけた。
22:44 イエスはもだえながら、死に物狂いに祈られた。汗が血のしたたるように(ポタポタ)地上に落ちた。
22:45 やがて祈りから立ち上がって弟子たちの所に来て、彼らが悲しさのあまり寝入っているのを見ると、
22:46 言われた、「なぜ眠るのか。誘惑に陥らないように、立ち上がって祈っていなさい。」

●このゲッセマネの苦闘の祈りはイエスの肉の命の延命。命乞い。イエスは苦しかった。
●人間は誰でも「ゲッセマネの祈り」がある。その時は涙で畳の目も見えなくなる。
●しかしイエスは「わたしの願いでなく、お心がなりますように」と言って悪魔に勝利した。
●43節。天使が力づけたからである。
●夫が困難の時、「御心のままに、御心のままに」と言って力づけてくれる妻は「天使」である。
●この一言で悪魔は退散し、新約の時代になった。人類史の転換点であった。
 
塚本訳 ロマ 5:12
5:12 (この救いはキリストとアダムとを比較する時に、はっきりする。)すなわち、一人の人(アダム)によってこの世に罪が入ってき、罪によって死が入ってき、こうして、(この人において)人は一人のこらず罪を犯したので、全人類に死が行き渡ったように──([一八節ニツヅク]一人の人キリストの正しい行いによって、全人類に命を与える義が臨んだのである。)

塚本訳  ロマ 5:18-21
5:18 従って、一人の人の過ちによって全人類に死の宣告が下されたと同じに、一人の人の正しい行いによって、全人類に命を与える義が臨んだのである。
5:19 すなわち、一人の人の不従順によって多くの人が罪人になったように、一人の人の従順によっても多くの人が義人になるのである。
5:20 (それなら律法は人を義として永遠の命を与えるためには役立たないのか。その通り。)律法は、過ちを増し強めるために第二義的に来たのである。しかし(神に感謝する、人の犯す)罪が増し強まれば、恩恵は豊かにあふれる。
5:21 これは罪が死を持って支配したように、恩恵も義をもって支配し、わたし達の主イエス・キリストによって、(わたし達を)永遠の命に入れるためである。

●アダムの神への反抗と悪魔の策略とイエスの従順。これが人類史の根幹。
●この三者の関係は人生の諸問題、諸難問を解く鍵。
●パウロはこれを見た。偉大なるかなパウロ。人類の不幸の原因を創世記に読んだ。
●イエスの従順が人類に救いをもたらした。
 
塚本訳  ヘブ 5:7-11
5:7 彼はその(地上における)肉の日に、烈しい叫び声と涙とをもって、彼を死から救い得るお方に向かって祈りや嘆願を捧げ、その敬虔のゆえに聞きいれられた(方である)。
5:8 彼は御子であるにもかかわらず、苦しみをうけて従順を学び、
5:9 完成されたので、(今度は彼が、)彼に従順であるすべての人に対して『永遠の救の』本源となり、
5:10 神から『メルキゼデクと同等の』大祭司と呼ばれたのである。
5:11 (イエスがメルキゼデクと同等の大祭司であるという)このことについては、言うべきことが沢山あるけれども、説明が(非常に)困難である、あなた達の耳が遠くなったので。

●アダムの反抗とイエスの従順。このことをヘブル書は見事にとらえた。
●イエスの従順による十字架の死による救いが「『永遠の救の』本源となった」のである。
●11節。この秘儀は「耳が遠く」なっている人にはとうてい分かりっこないのだ。


 有体的復活の使徒伝承

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キリストの血は一切の罪を清める ++++++++ 所感

2012/06/07 05:49

120607(木)5時20分起床●朝の啓示「キリストの血は一切の罪を清める」。関連聖句を瞑想する。


塚本訳  ヘブ 9:19-21
9:19 というのは、律法による掟がことごとくモーセから民全体に語られたのち、彼は小牛と雄山羊との血を、水と緋色の羊毛とヒソプと一しょに取り、(これを)律法の書自体と民全体とにそそいで、
9:20 こう言ったからである、『これは神があなた達に命じられた契約の血』と。
9:21 そして幕屋にも礼拝用の器具全体にも、同じく血をそそいだ。

●旧約の時代には大祭司が動物の血を降り注いで民に振りかけて清めた。
●しかしこの物理的方法では人類は罪が清められなかった。これ現代も同じ。洗礼聖餐は単なる象徴だからその行為で罪が清められるわけではない。

塚本訳  ヘブ 9:22
9:22 こうして律法にしたがえば、ほとんどすべてのものが血で清められ、血を流すことなしには(罪の)赦はない。

●「なぜ血」か。これは命の犠牲の象徴だから。犠牲死無くして罪は赦されない。

塚本訳  ヘブ 9:26
9:26 そうでなければ、世の始から(罪人はあったのだから)、彼は幾度も苦しみをうけねばならなかったのである。しかし今や世の終に、キリストは(人々の)罪を除くため、自分の犠牲によって、ただ一度自分を現わされたのである。(彼の犠牲は空前絶後である。)

●新約は、この血がキリストの血なのだ。これが贖罪の血であり、この血潮が振りかける。神に振りかけられない 限り人は罪が清まらない。人間により洗礼の水を振りかけられても救われない
●しかし神の力で一度振りかけられが一切の罪が清められる
●家庭でも教会でも集会でも罪人の存在が悩みの種である。この深い悩みは去られないものであると、半ばあきらめがちなのが人間の気持である。
●ところがキリストの血で象徴される聖霊が降り注げば一切の罪が清められる。本人の罪の悔い改めではない。「絶対恩恵による無条件の罪の赦し」という言葉に象徴される聖霊の降り注ぎである。この犠牲愛で悪魔は退散する。これは各種文学芸術ののテーマ。


塚本訳  Ⅰコリ11:25
11:25 食事の後、杯を同じように(感謝)して(分けて、)言われた、「この杯はわたしの『血』の犠牲を払った『新しい約束』である。(今から後、)飲むたびごとに、わたしを記念するためにこのことを行ないなさい」。


●これ新約の本質。エクレシアが記念継承すべき巨大なる真理。内村鑑三を記念継承しても救われない。先細りになるのみ。エクレシアは本業を忘れてはならない。
●20年前に召された父の病床に、何が飲みたいかと言ったら、目を輝かせて人差し指を立てて「リヤルゴールド」(清涼飲料水)と言った。それ以来、駅などでこの「リヤルゴールド」を飲むたびに父を思い出すのだ。
●エクレシアは聖餐式を2000年間継続してイエスの血の意味を記念継承してきた。情報の伝承としてこれが古びない方法だ。本、電子情報、人間の思い出、思想、記念会、などは永続性がない。

塚本訳  Ⅰコリ12:26
12:26 もし一つの器官が苦しみをうければ、(ほかの)すべての器官が一しょに苦しみ、もし一つの器官がとうとばれれば、(ほかの)すべての器官が一しょに喜ぶのである。

●家族、親族、エクレシアの誰かが人間的弱さのゆえに「思わざる罪」を犯してしまうと、家族、親族、エクレシアの全体が苦しむ。これは社会の尊い仕組みである。周囲が十字架を負わせられるのである。
●12年前に脳出血になった時の事。出血で脳の一部の機能がダメになったが、周囲の脳がこれを補ってくれている。今でも小脳の一部にキャラメル大の空洞がある。しかし周囲がこの部分の機能を補っているから歩ける。話せる。いささか口が滑らかになったことが後遺症である。(笑)
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●宮城県の華子から電話。長話。信仰の話し。御心のままに、御心のままに。脱力、脱力。
●中野の愛子から電話。長話。信仰の話。御心のままに、御心のままに。脱力、脱力。
●TSK日本語版、ヘブル書10章入力。9章から本質が始まる。この辺がこの書が聖典に入れられた原因かもしれない。
●夕食前に図書館まで散歩。

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家庭に平和は来るか。絶望と希望。 ++++++++ 所感

2012/06/06 09:16

120606(6時起床●朝の黙想「家庭に平和は来るか。絶望と希望}●楽しいものであるべき家庭はしばしば苦痛苦悩の種になる。●平和であるべき家庭生活は往往にしていがみあいの巷になる。どうしたらよいのか。この問題はまず人間の力では解決不可能。絶望である。末期癌と同じである。●「苦しき時の神頼み」。これを聖書に救いを求めてみよう。●聖書の勉強は苦難が導く。


新共同 創  2:18
2:18 主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」

●「独りでいるのは良くない」のはなぜか。現実問題として仕事は二人一組の方がはかどる。建築の世界ではそれは如実。家庭生活では父性と母性が揃って子供が健全に成長する。
●片親の生徒の就職は不利。この現実に泣いた同期の人間がいた。成績は良かったのだが。・・・・そうこうするうち彼も定年だ。人生は短い。
●「彼に合う」。・・・若い人は相性の良い人を探すのが人生の最大関心事。しかしこれは考えていては出会いがない。「よい人脈」で「嫁は向こうから来る」。結婚相手をパソコンで検索するのは99%失敗する。なぜか。自分の判断力を神とするから。至高善とするから。その道は神の出番がないから祝福が得られない。神としても面白くないから「勝手にしろ」と思う。
●「助ける者」・・・女性は男性を「助ける者」として創造されている。「ジェンダー論」に熱心なオバサン達にはボコボコに殴られるかもしれないが、聖書にはそう書いてある。
●家庭も国家も女性が君臨しているのは良くない。
●中国の故事に女性は国家を統治してはいけないと言うものがある。                 ●女性にはその性質上限界があるのだ。これは男性にも言えることだが。・・・では英国女王はどうか、女性天皇はどうか、女子修道院長はどうか、メルケル独首相はどうか、建築家の長谷川逸子はどうか。実は取り巻きに男性がいないとその役目が果たせないでいる。            ●「大」作曲家、「大」建築家に女性がいないのはなぜか。それは女性は無から有を生み出す能力に欠けるからである。建築の基本設計を女性にやらせるとまとまらない。各種条件を総て抱え込もうとするから面積も予算もオーバーする。基本設計をまとめるには各種条件を切り落とす必要がある。それをしないと「普請倍」といって簡単に予算の倍にもなる。

新共同 創  2:23-24
2:23 人は言った。「ついに、これこそ/わたしの骨の骨/わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう/まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」
2:24 こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。


塚本訳  マタ 19:3-6
19:3 そこにパリサイ人たちが近寄ってきて、イエスを試そうとして言った、「何か理由があれば、妻を離縁してもよろしいか。」
19:4 答えて言われた、「造物者が始めから『彼らを男と女とに造られた』こと、
19:5 また、『それゆえに人は父と母とをすてて妻に結びつき、二人は一体となる』と言われたことを、あなた達は読んだことがないのか。
19:6 従って、もはや二人ではない、一体である。だから夫婦は(皆)神が一つの軛におつなぎになったものである。(どんな理由があっても)人間がこれを引き離してはならない。」

●聖書は離婚禁止。なぜか。それは一体人格の破壊だから。器物損壊の罪だから。         ●離婚は人生の汚点。その後の人生は何もかも不利になる。
●しかしその家庭喪失と痛みの故に「専心」神にまっしぐらになれば離婚も幸い。人生は短い。終末は近い。
 ●今日の人間組織は教会も無教会集会も含めて離婚経験者を快く思わない。そういう人はこの世に安らぎの場所はない。だからいよいよ神にのみ一人直結する無教会主義が必要だ
●今日のプロテスタント教会は無教会主義集会も含めて遊びのサロン、老人クラブだから精神病者と離婚経験者を快く思わない。私はその現実を知っている。体質的に変革は無理。クタバレ俗的エクレシア。禍あれ。
●結婚は不自由の始まり。なぜか。「神が一つの軛におつなぎになったもの」だから。その不自由を嫌う人間は結婚できない。
●今日の「晩婚化」の元凶は人が神への従順に平安を見いだせないでいるからだ。「両親のいさかい」を見ていると結婚生活に希望を見いだせない。

塚本訳  Ⅰコリ7:12-16
7:12 しかしそのほかの人たちに、わたしが言う、主ではない。ある兄弟が不信者の妻を持ち、彼女が彼と一しょに生活することを喜ぶなら、離婚してはならない。
7:13 また、不信者の夫を持ち、その夫が彼女と一しょに生活することを喜ぶ場合の妻は、夫と離婚してはならない。
7:14 (夫婦は結婚生活で一体となるため、)不信者の夫は(信者の)妻によってすでにきよめられており、不信者の妻は兄弟(すなわち信者の夫)によってすでにきよめられているからである。そうでなければ、あなた達の子供は清くないはずであるが、現に彼らはきよい(と認められている)ではないか。
7:15 しかし不信者の夫(なり妻なり)が別れるなら、別れさせよ。こんな場合に、兄弟なり姉妹なり(つまり信者)は(結婚に奴隷として)束縛されてはいない。神は平和な生活へあなた達をお召しになったのである。(無理があるのは、御心ではない。)
7:16 なぜか。妻よ、夫を(信仰に導いて)救うことができるかどうか、どうしてわかるのか。また夫よ、妻を救うことができるかどうか、どうしてわかるのか。

●夫の欠点、妻の欠点に嫌気がさして「別れよう」と人間同士で決めるのは神が不在。別れてスッキリしても禍が来るのみ。結婚はそれが見合いでも恋愛でも神がつないだもの。それは不自由なのは当然。
●15節。「不信者の夫(なり妻なり)が別れるなら、別れさせよ」。なぜか。相手を信仰に導いて平和になれるかどうかはわからないからだとパウロは言う。ではパウロは離婚肯定か。イエスは次のように言う。

塚本訳  マタ 19:24-26
19:24 かさねて言う、金持が天の国に入るよりは、駱駝が針のめどを通る方がたやすい。」
19:25 これを聞いて、弟子たちは非常に驚いて言った、「ではいったい、だれが救われることが出来るのだろう。」
19:26 イエスは彼らをじっと見て言われた、「これは人間には出来ないが、『神にはなんでも出来る。』」

●夫婦間の愛情の冷却は修復不可能か。NO!。全能の神は修復できる。それがクリスチャンの「粘り」である。神の力への信頼と希望である。
●人間には「希望」ということが大切だが、それは人間的希望ではなく神の力への希望である。

塚本訳  Ⅰコリ13:13
13:13 それゆえに、いつまでものこるものは信仰と希望と愛、この三つ。しかし、この中で一番大きいのは愛!

●パウロは言う。信仰の次に大切なのは「希望」だと。なぜか。信仰による希望は絶望の反対だからである。

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三男の恵が来訪。身も心も大きくなった。神の祝福を祈る。

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7:45 東北の地に帰る恵の後ろ姿。彼の行く末に神の恩恵の導きが豊かにありますように。


●8:15 妻は婦人の読書会(塚本虎二著作集)のため千駄ヶ谷へ。これも後姿を見送る。信仰は神の力で持ち続ける事が出来る。不思議な働きだ。
●TSK日本語版。9章入力。罪はキリストの血潮で清められる。これは人類にとって真に朗報だ。作業中に感動した聖句

塚本訳  ヘブ 9:22
9:22 こうして律法にしたがえば、ほとんどすべてのものが血で清められ、血を流すことなしには(罪の)赦はない。

●夕食の祈り。苦難の渦中にいる方々の名前をあげて祈る。
●何を失っても「信仰だけは失わないように」というのが願いだ。
●あんな奴がいるようでは家庭も集会も清くならない。しかしキリストの血が降り注げば一切の罪が清められる。家庭や集会の悩みの元凶がとり去られる。
 

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悪魔はヒューマニストの顔をしている ++++++++ 所感

2012/06/05 05:37

120605(火)5時起床●朝の啓示「悪魔はヒューマニストの顔をしている」●次回7月1日の集会感話の題は「悪魔はヒューマニズムで人を釣って神の導きの道を見えなくする」としようか。●「ナルドの香油」は過去に3回話した。第一回は19年前、これはイエスの心、第二回目は2年前で「マリヤとは誰か」でマリヤの心、第三回目は本年(2012年6月)にユダの心。その時私はもうこの話をしないと言ったら、TH大兄から「生きているうちにあと2回話せ」と言われたので次回の7月1日に話すそれは影の主役の悪魔の心、●その関連の聖書個所を掲げて瞑想する。

塚本訳 ルカ 22:25-26
22:25 するとイエスが言われた、「世間では王が人民を支配し、また主権者は自分を恩人と呼ばせる。
22:26 しかしあなた達はそれではいけない。あなた達の間では、一番えらい者が一番若輩のように、支配する者が給仕をする者のようになれ。 
 
●卒業式に歌う「仰げば尊し」の一節「身を立て、名を上げやよ励めよ」は神の導きを見えなくする「悪魔の歌」である。
●神の導きによる道は世の人にはわからない。然り、自分にも見えない。つまらない道だ。掃除人夫だ。くみ取り清掃の人間だ。見栄えのしない道だ。
●人間は初めから掃除人夫になろうとは思わない。カッコイイ仕事に就こうと思う。それが学校の先生にも家族にも喜ばれる道だ。
●ヒューマニズムの心で「よかれ」と思って自分で選び取る道は99%神に祝福されない。それは自分の腹(それはヒューマニズムが多い)を神として拝む道。神にしてみれば「じゃー勝手にしろ」と思う。
●人生は行きあたりばったりだ。十字架を負わせられる道は 掃除人夫の仕事だ。いやいやながら負わせられるのだ。つまらない道だ。世間体がいい道ではない。
●私の信仰の師の塚本虎二先生は、自分の仕事は「どぶ掃除だ」と言われた。

塚本訳 ルカ 14:27
14:27 自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることは出来ない。 
 
●十字架は個人的なものだ。天下国家の十字架を負っているように見られる人は実は家族の十字架を負ってない。牧師や無教会の指導者がそれだ。神に嫌われている。十字架は「自分の十字架だ」。


塚本訳  ヨハ 13:5-11
13:5 それから盥に水を入れて、ひとりびとり弟子たちの足を洗っては、(腰に)巻いた手拭で拭き始められた。
13:6 こうしてシモン・ペテロの所まで来られると、ペテロが(こばんで)言う、「主よ、わたしの足を、あなたが洗われるのですか。」
13:7 イエスが答えて言われた、「わたしが何をしているのか、いまはあなたにわからない。(わたしがいなくなった)あとでさとるだろう。」
13:8 ペテロが言う、「わたしの足は、いつまでも絶対に洗わないでください。」イエスは答えられた、「わたしが(足を)洗ってやらないなら、あなたはわたしとなんの関係もない人だ。」
13:9 シモン・ペテロがうろたえて言う、「主よ、(それでは、)足だけでなく、手も、頭も、。」
13:10 イエスが言われる、「(一度)湯浴みした者は、(あとでよごれた)足のほかは洗う必要はない、全身が清いのだから。(もう)あなた達は清い。だが、(あなた達)みんながそうではない。」
13:11 イエスは自分を売る者(がだれであるか)を知っておられた。それで、「みんなが清いのではない」と言われたのである。

●7節。人の価値は棺桶の蓋を閉めたあとで分かる。イエスの十字架の意味も人類はあとで悟った。
●親の墓に布団はかけられない。
●マタイ受難曲の真価はメンデルスゾーンによって100後に人類にわかった。
●シューベルトの未完成交響曲は死後50年経って人類のその真価がわかった。
●黒崎幸吉の「新約聖書註解」と塚本虎二の敷衍訳新約聖書の真価はおそらく50年後にその真価が分かるであろう。この二つとも拙ホームページに掲載してある。

塚本訳 ヨハ 12:1-5
12:1 イエスは過越の祭の六日前に(また)ベタニヤに行かれた。ここにはイエスが死人の中から生きかえらせたラザロがいた。
12:2 するとそこでイエスのために宴会が催され、マルタは給仕をし、ラザロは相伴客の一人であった。
12:3 そのときマリヤは混ぜ物のない、非常に高価なナルドの香油一リトラ(三百二十八グラム)をイエスの足に塗り、髪の毛でそれをふいた。香油の薫が家に満ちた。
12:4 弟子の一人で、イエスを売るイスカリオテのユダが言う、
12:5 「なぜこの香油を三百デナリ(十五万円)に売って、貧乏な人に施さないのだろうか。」

●5節。これヒューマニズムの理論。神不在。自分の考えを至高善と考えるユダ。このときユダはイエスの考えと正面衝突した。今日の社会派クリスチャンがこれ。一見よさそうに見えるが神に嫌われる。

塚本訳  ルカ 16:13-15
16:13 しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。」
16:14 金の好きなパリサイ人の人々は一部始終を聞いて、イエスを鼻で笑った。(富は信仰の褒美と考えていたのである。)
16:15 そこで彼らに言われた、「あなた達は人の前では信心深そうな顔をしているが、神はあなた達の心を見抜いておられる。人の中で尊ばれるものは、神の前では嫌われるものである。


●悪魔はヒューマニストの顔をしている。
●ヒューマニズムは「この世の人間」に理解できるから「もてはやされる」。マスコミの話題になる。
●15節。この世の人間にもてはやされたら、神からの褒美はいただけないと、イエスは次のように言う。、


塚本訳  マタ 6:1-4
6:1 (しかし戒めだけでなく、行ないにおいても聖書学者、パリサイ人以上でなければならない。すなわち)見せびらかすために、人の見ている前で善行をしないように気をつけよ。そうでないと、あなた達の天の父上の所で褒美をいただくことはできない。
6:2 だからあなたが施しをする時には、偽善者のように、自分の前にラッパを吹きならして(吹聴して)はならない。彼らは人に褒められようとして、礼拝堂や町の中でそうするのである。アーメン、わたしは言う、彼らは(褒められたとき、)すでに褒美をもらっている。
6:3 あなたは施しをするときに、右の手のすることを左に悟られてはならない。
6:4 これは施しを隠しておくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。

●2節。社会派信者たちの自己宣伝雑誌は。善行の見せびらかしである。ラッパである。
●しかし私は知っている。彼らは口は出すが、金は出さない。

塚本訳 ヨハ 13:26-27
13:26 イエスが(彼に)答えられる、「わたしが一きれのパンをひたして渡すその人が、それだ。」それからパンを(汁に)ひたし、イスカリオテのシモンの子ユダに渡される。
13:27 ユダがそのパンを受け取(って食べ)ると、その時、悪魔がユダに入った。そこでイエスがユダに言われる、「しようとしていることをさっさとしたがよかろう。」 
 
●27節。ユダは悪くない。悪魔がユダのヒューマニズムの心をくすぐった。
●イエスの怒りはユダではなく悪魔に向けられたのだ。憎き悪魔。
●最後の晩餐でイエスは必死にユダに「悪い考えを撤回するように:努力した。


塚本訳 ルカ 6:27-30
6:27 しかし(今わたしの話を)聞いているあなた達に言う、敵を愛せよ。自分を憎む者に親切をつくし、
6:28 呪う者に(神の)祝福を求め、いじめる者のために祈れ。
6:29 あなたの頬を打つ者には、ほかの頬をも差し出し、上着を奪おうとする者には、下着をこばむな。
6:30 求める者にはだれにでも与えよ、あなたの物を奪った者から取り返すな。 
 
●ユダに対するイエスの心はこれである。「敵を愛せ」。
●なぜか。ユダは悪魔に噛みつかれていたからイエスを敵と思ったのである。
●イエスの敵は「悪魔」である。 
 
月本昭男訳(岩波版) 創  3:4-7                                  3:4 蛇は妻に言った。「けっして死ぬことはないよ                                               3:5 実はね。あなたがたがそれを食べる日、あなたがたの目が開いて、あなたがたが神のように善悪を知るようになる、と神は知っておいでなのですよ」。              3:6 妻が見ると、その木[の実]はいかにもおいしそうで、目の欲を誘っていた。その木はまた[人を]聡明にしてくれそうであった。そこで彼女はその実を取って食べ、彼女と友にいた夫にも与えた。彼も食べた。                                  3:7すると二人の目が開かれ、彼らは自分たちが裸(エロム=アロム[賢い]の語呂合わせ)であることを知った。彼らはいちじくの葉をつなぎ合わせて自分たちで腰帯(正装に用いる衣装)を造った。

●この月本訳は名訳である。特に簡潔な註が素晴らしい。特に5節の「実はね」の訳。
●5節。「神のように」なれるとは何と「おいしそうなリンゴ」であることか。
●悪魔はイブに対して「神に反抗して」神と対等に口を聞きなさいと勧める。
●あーヒューマニズムは「神への従順」を嫌う思想だ。自分の考えを至高善とするからだ。
●神はこれを脅威に感じて「楽園追放」したのだ。
●悪魔はユダに入ってヒューマニストの顔をさせた。「貧者を救うことのどこが悪いのか」と思わせた。
●7節。いちじくの葉で自分を隠すことは「理論武装」である。 

●YT先生から5月20日の安達太良聖書集会の内容をCDで送って下さった。妻と二人で拝聴。

YT先生への御礼のメールで次のうように感謝の言葉を述べた。
「二本松を去るにあたって」という恵の挨拶の中で「原発事故により聖書を分からせていただき、事故を上回る恵みを頂いた喜びがあります」と語ったのを聞いて「足れり」と思いました。

●人生は「涙の谷」。耐えきれぬ艱難はない。神が総てをご存知。
●19:30 所用(松戸、中野)で上京した三男の恵と懇親懇談23:30まで。あー悩み多きこの世なるかな。しかし悩みの中に神の恩恵があると語った。神の導きは思いがけない「招き」。 

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人を悪魔から解放する方法は愛の犠牲死 ++++++++ 所感

2012/06/04 05:46

120604(月)5時起床●朝の黙想「人を悪魔から解放する方法は愛の犠牲死」●関連聖句の瞑想 

塚本訳  ヨハ 13:21
13:21 こう言ったあと、イエスはひどく興奮して、(弟子たちに)はっきりこう言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、あなた達のうちの一人が、わたしを(敵に)売ろうとしている!」

●神の子イエスが「興奮」するとはよっぽど敵が強くてマケソーだと思ったのだろう。          ●その敵とは悪魔なのだ。


塚本訳 ヨハ 13:27
13:27 ユダがそのパンを受け取(って食べ)ると、その時、悪魔がユダに入った。そこでイエスがユダに言われる、「しようとしていることをさっさとしたがよかろう。」


●ユダは悪くない。悪魔が悪いのだ。

塚本訳  マタ 26:23-24
26:23 イエスは答えられた、「わたしと一しょに同じ鉢から食べている者、それがわたしを売る。
26:24 人の子(わたし)は聖書に書いてあるとおりに死んでゆく。だが人の子を売るその人は、ああかわいそうだ!生まれなかった方がよっぽど仕合わせであった。」

●「(お前は)生まれなかったほうがよっぽど仕合わせであった。」とは残酷な言葉。         ●こう言われればユダでなくても人間みなイエスに恨みを持つ」                     ●クリスチャンの不信者に対する姿勢に時々これがあるから、クリスチャンは躓かれるのだ。自戒。
●しかしイエスはユダが憎かったのではない。ユダに入り込んだ悪魔が憎かったのだ。●「お前なんいなくなってしまえ」と言う心は悪魔に対するものだ。


塚本訳  マコ 1:40-41
1:40 すると(ある日)一人の癩病人がイエスの所に来てひざまずき、「清めてください。お心さえあれば、お清めになれるのだから」と言って願った。
1:41 イエスは(そのあわれな姿を見て悪魔に対する)怒りに燃え、手をのばしてその人にさわり、「よろしい、清まれ」と言われると、

●病気は人間の罪の結果ではない。悪魔の存在が問題なのだ。元凶は悪魔なのだ。       ●悪魔が人間に罪を犯させたり、病気にさせたりして人を苦しめ不自由にするのだ。
●「人が堕落」したら、本人ではなく、そうさせた悪魔を憎まねばならない               ●悪魔の存在は神と同じく肉眼では見えないが、確実にいる。人生問題はこれで解ける。     ●悪魔はイケメンや美人に入りやすい。なぜか。肉の人間は馬鹿だからそれに魅かれるからである。ひっかかるからである。                                         ●ところがイケメンや美人は金も教養も無く、しかも道徳や倫理もないのが普通だ。        ●ではどういう人が良いか。ジャガイモのような顔をして手がごつごつの働き者がよい。      ●「信仰イケメン」や「信仰美人」という人がいる。私はそういう人と知り合いが多い。        ●人生、そういう人を友達にするには「目を養わなければ」ならない。それには普段から「ホンモノ」と付き合っていなければならない。そうすれば見分けがつくようになる。

塚本訳 ガラ 1:4
1:4 キリストはわたし達の父なる神の御心にしたがい、わたし達を悪い現在の世から救いだそうとして、わたし達の罪のために自分を与え(て十字架につけ)られたのである。

●悪魔に捕まった人をその獄屋から奪還するためには犠牲的決死隊が必要                    ●人に悪魔の毒素が回ってしまって苦しんでいる時は罪なき神の子イエスの血潮という血清が必要                                                         ●神の子イエスの血潮の血清は「無料」だ。信じて受け入れればよい。教会の専売ではない。恥ずかしくて教会などに行けない人こそ正客だ。 


塚本訳  ヨハ 15:13
15:13 (わたしはあなた達のために命を捨てる。)友人のために命を捨てる以上の愛はないのだ。

●人間はどっちみち一回死ぬ。どうせ死ぬなら、悪魔の獄屋に閉じ込められている人を解放すための決死隊に入隊するか、イエスの血潮に倣って自分が「血を流す」犠牲死を遂げるかだ。後者が正解。●年金貰って遊び暮らす「暇な老後」は最も悪い人生だ。それは幸福ではない。
 

塚本訳  Ⅰコリ15:58
15:58 だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ。骨折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから。

口語訳 Ⅰコリ15:58
15:58 だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。

●人の為に流す涙、労苦、骨折りは決して無駄にならないということが我々のレーゾンデートル(存在理由)だ。これ天に宝を積む生涯だ。

月本昭男訳(岩波版) 創 2:15-17
2:15神ヤハウェは人を連れて行き、〔彼を〕エデンの園に据えた。これ(大地のこと)に仕え、これを守るためである。
2:16神ヤハウェは人に銘じて、言った、「あなたは園のどの木からも〔実を〕取って食べて良いが、
2:17善悪を知る木、これから〔実〕を取って食べてはならない。これから取って食べる日、あなたは必ずや死ぬであろう」。


●この月本訳は「名訳」●親は子供を自由に育てるのが理想だが、貯金通帳とは渡してはならない。親の主権を放棄するからである●人間はだれでも、大金が入ると悪い遊びをするからである。


月本昭男訳(岩波版) 創 3:1-7
3:1神ヤハウェが造った野のあらゆる獣(けもの)のなかで、蛇が最も賢かった。蛇は妻に言った、「園のどの木からも〔実を〕取って食べてはならない、などと神がおっしゃったとは」。
3:2妻は蛇に言った、「わたしたちは園のどの木の実でも食べて良いのです。
3:3ただ、園の中央にある木の実からは食べてはならない、これに触れてもならない、死ぬといけないから、と主は言われました」。

3:4 蛇は妻に言った。「けっして死ぬことはないよ

3:5 実はね。あなたがたがそれを食べる日、あなたがたの目が開いて、あなたがたが神のように善悪を知るようになる、と神は知っておいでなのですよ」。

3:6 妻が見ると、その木[の実]はいかにもおいしそうで、目の欲を誘っていた。その木はまた[人を]聡明にしてくれそうであった。そこで彼女はその実を取って食べ、彼女と友にいた夫にも与えた。彼も食べた。                                              3:7すると二人の目が開かれ、彼らは自分たちが裸(エロム=アロム[賢い]の語呂合わせ)であることを知った。彼らはいちじくの葉をつなぎ合わせて自分たちで腰帯(正装に用いる衣装)を造った。

●5節の「実はね」は原語はどうなのか悲しいかな分からないが、悪魔の気持は良く分かる                                       ●蛇がイブに囁いた原語は「ヘビライ語」だということを集会のMさんが教えて下さった。(親爺ギャグ)。これを受け売りで集会で話したところ笑ってくれなかった。絶望。●5節。良心の痛みがなく「食べてもいいか」と悶々としているところに蛇が「善悪を知るようになる」と囁かれてはひとたまりもない。すぐひっかかった。         ●現実的に言えばこれぐらいみんなやっている。いう惡知恵を吹き込むのだ。「上司や親もやっているじゃーないか」などとひっかける。だから心に歯止めがかからない。   ●上司も親も清い生活を示していなければならない。                ●堕落した親の子供が「どうして僕だけいい子でいなきゃーないんだ」といって自らも放蕩堕落。これ親としては「身から出た錆」である。非行の子供は大体家庭が崩れている。●親を反面教師として生きようという人はよっぽどでなければいない。賀川豊彦は妾の子供であったが、神の聖霊で人間を造り変えられ、諸外国からは「聖者」のように見られている。                                     ●善悪を知れば、神と対等、いっぱしの意見も言える立場になれる。         ●イブは違反を一人で実行するのは不安なのでアダムにも渡して、共謀した。人間はヤバイことは共謀する。役人の保身術も同じ。労働組合の「賃金値上げ」の要求も個人名を出さずに「組合の意見です」という。労働組合の党派心はこれ。党派心は罪。
●7節の「裸」は月本の註では「エロム=アロム[賢い]の語呂合わせ)」。この註は明快。人間は賢くなることを人生の至上目的とする。「いちじくの葉」は月本の註では「正装の衣装」。これつまり、理論武装。防衛。屁理屈。
 
resize2243.jpg 

13:00 年一回のピアノ調律にきてくださった、田岡親子。左から高橋照男、田岡雄民(無教会渋谷集会、今井館子供聖書学校校長、昨年交通事故でまだ松葉杖)、田岡啓之(キリスト教愛真高校第3期生、愛子と同期。同盟基督教団守谷聖書教会会員。)高橋トミ子。調律が終了すると讃美歌を弾かれる。夕食をともにしながら信仰の交わりは楽し。啓之氏の教会は元気だ。信仰の形、救いの結果の表現は実に様々だ。

 

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「老年について」 ++++++++ 所感

2012/06/03 06:49

120603(日)3時に目覚めて以後眠れず。睡眠5時間。マーいいか。●本日の感話の準備。●朝の黙想「老年について」。ヒルティにこの論考がある。ヒルティは「老年は人生で最も輝かしい時である」という。それは神の祝福を受ける時だからというのだ。しかし現実はどうか。十字架がどんどん重くなってくるではないか。次の言葉は私には当てはまらない。「聖書なんて嘘っぱちだ!!」
口語訳 ゼカ 14:6-7
14:6 その日には、寒さも霜もない。
14:7 そこには長い連続した日がある(主はこれを知られる)。これには昼もなく、夜もない。夕暮になっても、光があるからである

●しかしこれが神の祝福ではないのか。パウロだって次のように言ったじゃーないか。

塚本訳  Ⅱコリ12:7-9
12:7 そしてこれらの素晴らしい啓示があるので、わたしが高慢にならないようにと、わたしの肉に一つの刺が与えられた。悪魔の使いであって、これはわたしが高慢にならないようにと、わたしをうつものである。
12:8 この使について、それがわたしから手を引くようにと、三度まで主に願ったが、
12:9 主は(その都度)言われた、「わたしの恩恵はあなたに十分だ。力は弱さの中に完成されるのだから。」、それでわたしはキリストの力がわたしに住みついてくださるように、大喜びで、むしろ(自分の)弱いことを自慢しよう。

●あー、パウロは慰めだ。「力は弱さの中に完成されるのだから」「大喜びで、むしろ(自分の)弱いことを自慢しよう」とは。

●今日の集会感話の配布資料をホームページの「使徒伝承」にアップした。集会での発表の前にアップするのは初めてである。なぜか。集会に集う人よりもホームページを「覗き見」する人の方がはるかに多いからである。 

http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/1206033.htm
 
●今日の感話の一部に次がある。

塚本訳  マタ 26:13
26:13 アーメン、わたしは言う、世界中どこでも(今後)この福音の説かれる所では、この婦人のしたことも、その記念のために一しょに語りつたえられるであろう。」


●福音は今やネットで瞬時に世界中に発信されるが、これを説く人に苦しみが伴わないと伝わらないものだ。聖書の勉強も消化不良になると言うものだ。 

●10:00 妻と集会へ。今日の会場は渋谷のヒラゼンビル。大山(司会)、小寺(納税問答)、高橋
(罪が赦されたことは目に見える形となった――ヒューマニズムは自分を至高善とするから神を殺す――。マタイ26:1-16)

●14:00 明星フィルハーモニー管弦楽団 第34回定期演奏会。於・あきる野市キララホール
ヴェートーヴェン 交響曲第5番「運命」・・・OB、OGが多い為か思っていたより素晴らしい演奏。この曲は「見ていても」面白い。
後半はあきる野混声合唱団約90名が加わってモーツァルトのレクイエム。
アンコールはモーツァルト「アヴェヴェルム・コルプス」 今日は妻は聴衆。クラリネットの大竹優子さん(4年生)があまりに素晴らしかったので、終了後楽屋に訪ねて御礼を言って握手。
●地元あきる野市でこれだけの水準音楽が演奏されることはうれしかった。
●、「レクイエム」「アヴェヴェルム・コルプス」の曲であったが、これだけの演奏者(オーケストラ+合唱団=150人程度)のうちどれだけの人が神を信じられるようになるだろうかと沈み込んだ。 

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明星フィルハーモニー管弦楽団第34恵定期演奏会。あきる野市キララホール
ヴェートーヴェン交響曲第5番「運命」
モーツァルト「レクイエム」 合唱「あきる野混声合唱団」。アンコール「アヴェヴェルム・コルプス」
妻は今日は聴衆。クラリネットの大竹優子さん(4年生)の演奏が素晴らしかったので、終了後楽屋に訪ねて「御礼」を言って握手。このホールは音響が良いが、さらに後ろから4列目か5列目が最高。今日はそこに座ったから格別に良く聴こえた。
 

 
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人の悪い思いは神が先刻ご承知 ++++++++ 所感

2012/06/02 06:18

1120602(土)5時起床●朝の啓示「人の悪いを神は先刻後承知」●イエスはユダが自分を嘘うとしている悪い思いがあることを先刻ご承知であった。そしてそれを赦して、「最後の晩餐」で必死にその思いを何とか悔い改めさせようと忍耐されている●人間はこの巨大な真理に人生のいつかに出会う。出会わなくても神の側での思いは変わらない。だからこの世で救われ無くても最後の日に悔い改めて救われる。

塚本訳 マタ 26:21-24
26:21 彼らが食事をしているとき、言われた、「アーメン、わたしは言う、あなた達のうちの一人が、わたしを(敵に)売ろうとしている!」
26:22 (これを聞くと)弟子たちはすっかり悲しくなって、「主よ、わたしではないでしょう!」(「わたしではないでしょう!」)と、ひとりびとりイエスに言い始めた。
26:23 イエスは答えられた、「わたしと一しょに同じ鉢から食べている者、それがわたしを売る。
26:24 人の子(わたし)は聖書に書いてあるとおりに死んでゆく。だが人の子を売るその人は、あ
あかわいそうだ!生まれなかった方がよっぽど仕合わせであった。」

●ドイツの教会では、バッハのマタイ受難曲の「この中に私を売る者が一人いる」と独唱すえると、合唱隊が「それは私ではないでしょう?」と歌う。すると全会衆が「それは私です」と唱和するのだと言う。涙なくして聞けない場面だ。
●ダビンチの「最後の晩餐」はイエスがこの言葉を言い放った瞬間の様子である。私はこの巨大な壁画の前に立って心の中で「それは私です」と言ったものだ。


塚本訳 ガラ 1:4
1:4 キリストはわたし達の父なる神の御心にしたがい、わたし達を悪い現在の世から救いだそうとして、わたし達の罪のために自分を与え(て十字架につけ)られたのである。

●これは故HS氏の葬儀の時に故人が指定した聖句であった。故人の生涯の信仰の要約であった。短いだけインパクトがあった。


塚本訳 ロマ 1:28
1:28 こうして彼らは神を知ることを役に立たぬものと考えたので、神の方でも、彼らの心が役に立たなくなるに任せられた。その結果彼らは(人として)なすべからざることをするようになったのである。

●これはKK氏が、今度の福島原発事故で苦悩している時に示された言葉である。氏は聖書に目が開かれた。大地震万歳!。福島原発事故万歳!。人は片手方足が亡くなってもその霊が救われる方が幸いだ。「肉体を滅ぼしても魂を滅ぼせない者を畏れるな」

塚本訳 ロマ 5:7-8
5:7 (驚くべき神の愛!人間の世界では、)義人のために命をすてる者はほとんどあるまい。善人のためならば、惜しげもなく命をすてる者が、あるいはあるかも知れない。
5:8 しかしわたし達が(義人でも善人でもなく、)まだ罪人(神の敵)であったとき、キリストが私たちのために死んでくださった。このことによって、神はわたし達に対する愛をお示しになったのである。

●イエスはユダの裏切りを知りつつもこれを赦し「人の子私は死んでゆく」と言われた。イエスはユダの罪(それは神殺し)を背負って死なれた。
●姦淫の女の物語は「私も罰しない。お帰り」と言って女を見送った後に、イエスは一人ゴルゴダに向った。神の義は貫徹されなければならなかったのだ。

塚本訳 Ⅱペテ3:9
3:9 主は或る人達が遅いと考えているように約束を果たし給うのが遅いのでは(決して)ない。ただ何人の亡びることをも欲せず、凡ての者が悔い改めに到ることを欲して、君達に対し寛大であり給うのである。

●イエスもパウロも「終末はすぐ来る」と言っていたが両者の生きているうちは来ないばかりか、2000年後の今も来ない。イエスの預言は外れた。真っ赤な嘘であった。しかしイエスは「今か、今かと人の悔い改めるのを待っておられる。

塚本訳  ルカ 13:6-8
13:6 そこでこの譬を話された、「ある人が葡萄畑に一本の無花果の木を植えておいた。(ある日)実をさがしに来たが、見つからないので、
13:7 葡萄畑の作男に言った、『もう三年この方、この無花果の木に実をさがしに来ているのに、まだ実がならない。切ってくれ。(ならないばかりか、)なんで土地までくたびれさせることがあろう。』
13:8 答えて言う、『ご主人、今年もう一年だけ勘弁してやってください。今度は回りを掘って、肥料をやってみますから。

●イエスの「今年もう一年」という願いが続きに続いて2000年経ったのだ。
●桃栗3年、柿8年、柚の大馬鹿18年、人の救いは最後の日」
●祈り空しく肉親の救いを見ることなく、本人も自分も死んで言っても、NO!。最後がある。最後の日には善人も悪人も墓から呼び出されて「神の前に立たされるのだ。」チャンスはまだある。9回裏、ツーアウトでもまだ望みはある。

塚本訳  ヨハ 5:28-29
5:28 あなた達は(子が裁くという)このことを驚くに及ばない。時が来ると、墓の中にいる者が皆子(たるわたし)の声を聞いて、
5:29 (墓から)出てくるからである。すなわち、善いことをした者は(永遠の)命にはいるために復活し、悪いことをした者は(死の)罰を受けるために復活する。

●人はこの時がラストチャンスだ。裁きの座で悔い改めればそれでいいのだ。
●それを暗示するのが次だ。

塚本訳 ルカ 23:41-43
23:41 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる。」

●今朝の伝道説教(!)はこれでおしまい。「行け我が思いよ。電波の翼に乗って」(ヴェルディ歌劇ナブッコ)
●一日平均120人の「覗き見読者」のうちから一人でもよい。この巨大な真理に目覚めてくれる人がありますよう。

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●TSK日本語版ヘブル書6章入力。やはり頭だけの書の感じがする。これは書いている時に奥さんがお茶を出してくれる身分の人ではないかなー。自戒。
●12:15 銀座教会で正午礼拝。すごいパイプオルガンだ。誰でも自由に礼拝できる教会というのは素晴らしい組織だ。
●13:00 教文館。
●13:30 教文館ビル8階。日本聖書協会主催、春の聖書セミナー、「聖書 委員会訳と個人訳」第一回、大森めぐみ教会牧師土戸清先生。終了後個人的な報告。固く握手された。
●聖書の学問も翻訳も日進月歩。いつまでも内村鑑三を振りまわしていてはいけないと感じた。
●帰途は浦和キリスト集会の栗原庸夫氏と東京駅まで。氏の夫人は聖書協会総主事の渡部信、教文館社長の渡部満、兄弟の姉君であることを初めて存知あげた。栗原氏の前で明日の感話のリハーサル。ナルドの香油の「罪の女」はあのヨハネ8章の「姦淫の女」ではあるまいかとの私の創作的仮説に感動して下さった。聖書の素人読みの強み。


 有体的復活の使徒伝承

   http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/index.html

   

 

 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

      http://stonepillow.dee.cc/

    

     TSK日本語版・目次

    http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/110910.htm

   

   

    ちたた農園日誌(三男が福島県で独立経営する農場)

    http://chitata.blogspot.com/

 

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ヒューマニズムは神を殺す ++++++++ 所感

2012/06/01 05:56


68歳11か月。平均余命14年(生命保険会社統計)、5110日、12万2640時間。この時間をすべてキリスト教使徒伝承の連鎖に捧げる。罪と死の恐怖から救われる「十字架の贖罪の福音と有体的復活の希望の喜び」を犠牲的に生きて証人となる。自分のため、親類縁者のため、気の毒な人のため。


120601(金)3時半目覚め。以降眠れず。熟睡5時間だからまーいいとするか。カトリックの修道院は19時就寝3時起床。しかし今日は体が疲れそうだ。●次回感話の推敲。「ヒューマニズムは神を殺す」●次回感話のタイトルと中心主題を掲げる。
 
6月3日感話 骨子 
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罪赦されたことが感謝の行為となって現れた

――ヒューマニズムは自分を至高善とするから神を殺す――

 

2012年6月3日 東京聖書読者会 高橋照男

 

陰謀と香油と反逆 マタイ26:1-16 塚本虎二訳

 

塚本訳 マタ 26:14

26:14 そのあと、イスカリオテのユダという十二人の(弟子の)一人が大祭司連の所に行って、

●ヒューマニズムは自分を至高善とするため、神への従順を嫌う。しかも共謀する。

 

*14-1 月本昭男訳(岩波版) 創  3:4-7

3:4 蛇は妻に言った。「けっして死ぬことはないよ

3:5 実はね。あなたがたがあなた方がそれを食べる日、あなたがたの目が開いて、あなたがたが神のように善悪を知るようになる、と神は知っておいでなのですよ」。

3:6 妻が見ると、その木[の実]はいかにもおいしそうで、目の欲を誘っていた。その木はまた[人を]聡明にしてくれそうであった。そこで彼女はその実を取って食べ、彼女と友にいた夫にも与えた。彼も食べた。   

3:7すると二人の目が開かれ、彼らは自分たちが裸(エロム=アロム[賢い]の語呂合わせ)であることを知った。彼らはいちじくの葉をつなぎ合わせて自分たちで腰帯(正装に用いる衣装)を造った。    

 

*14-2 塚本訳 ヨハ 13:2

13:2 (祭の前日の)夕食のとき、すでに悪魔はシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを売ろうとする考えを吹き込んだ。

 

塚本訳マタ 26:15

26:15 「いくらくれますか、あの男をあなた達に売ってもいいが」と言った。『彼らは(シケル)銀貨三十枚[六万円]を払い渡した。

●ヒューマニストユダの慢心はイエスを売る事を善と考えた。イエスは先刻承知

 

*15-1 塚本訳 マタ 26:21-23

26:21 彼らが食事をしているとき、言われた、「アーメン、わたしは言う、あなた達のうちの一人が、わたしを(敵に)売ろうとしている!

26:22 (これを聞くと)弟子たちはすっかり悲しくなって、「主よ、わたしではないでしょう!」(「わたしではないでしょう!」)と、ひとりびとりイエスに言い始めた。

26:23 イエスは答えられた、「わたしと一しょに同じ鉢から食べている者、それがわたしを売る。

 

*15-2 塚本訳 ヨハ 13:30

13:30 ユダはパンを食べると、すぐ出て行った。夜であった。──(そとは丸い月がかがやいていたが、ユダの心は真暗であった。)

 

塚本訳 マタ 26:16

26:16 この時からユダは、イエスを引き渡すよい機会をねらっていた。

●神への不従順は神を殺す。これ罪の本質。貧困は最高の悲痛ではない。

 

*16-1 塚本訳 Ⅰコリ15:3-5

15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、

15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、

15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。

 

*16-2 塚本訳 マタ 5:3

5:3 ああ幸いだ、神に寄りすがる『貧しい人たち、』天の国はその人たちのものとなるのだから。

 

*16-3 塚本訳 マタ 11:3-6

11:3 「来るべき方(救世主)はあなたですか、それともほかの人を待つべきでしょうか」とたずねさせた。

11:4 イエスは答えられた、「行って、(今ここで)聞いていること見ていることをヨハネに報告しなさい。

11:5 ──『盲人は見えるようになり、』足なえは歩きまわり、癩病人は清まり、聾は聞き、死人は生きかえり、『貧しい人は福音を聞かされている』と。

11:6 わたしにつまずかぬ者は幸いである。」

 

*16-4 文語訳  使  3:6

3:6 ペテロ言ふ『金銀は我になし、然れど我に有るものを汝に與ふ、ナザレのイエス・キリストの名によりて歩め

 

*11-5 塚本訳 ヨハ 6:27

6:27 (食べれば)無くなる食べ物のためでなく、いつまでもなくならずに、永遠の命に至らせる食べ物のために働きなさい。これは人の子(わたし)があなた達に与えるのである。神なる父上が、(これを与える)全権を人の子に授けられたのだから。」

 

*11-6 塚本訳 ヨハ 4:13-14

4:13 イエスは答えられた、「この(井戸の)水を飲む者はだれでもまた渇くが、

4:14 わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」

 

*16-7 塚本訳 マタ 27:3-5

27:3 その時イエスを売ったユダは、イエスの判決が決まったのを見て後悔し、(受け取ったシケル)銀貨三十枚を大祭司連、長老たちに返して、

27:4 「罪もない(人の)血を売って、悪いことをした」と言った。彼らが答えた、「われわれの知ったことではない。お前が自分で始末しろ!」

27:5 ユダは銀貨を宮に投げ込んで去り、行って首をくくった。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・    6月3日感話 骨子 おわり

●睡眠時間が短いと、これでいいのかと言う悩みが起こる。そこで書棚から藤本憲幸著「頭のいい人の、短く眠る法」を取りだしたが、読む気にならなかった。●遊びで睡眠時間が短いのえではないから、体は神が守ってくれるであろう。
●人生の道の選択は神の導きや聖霊の囁きなどでは危険だ。行きあたりばったりで自分一個の都合による選択が一番良い。なぜか、自分自身の利益だけを中心に考えていると神はそのエゴ(今に言う民活)をうまく利用して社会の歯車をかみ合わせる。
●これがアダムスミスの言う「神の見えざる御手 In visible hand)である。これでは不十分であって政府が一部介入することが必要だというのがガルブレイスなどの思想であって、日本はその線に沿っているが、今度の原発事故でそれも完全ではないことが証明された。政府と東電の結託による情報秘匿は社会をゆがめた。しかしどう転ぼうとももともこの世は罪の世だから良くはならない。終末が来なければこの世は完成しない。平和はこない
●ヒューマニストはこれを「信仰は逃げで怠慢だ」と言う。神の存在と働きを信じられない愚か者の考えである。神抜きの人間の力でこの世が良くなると思ったら「やってみるが良い」。マーいつか失敗して目が覚めるだろう。「桃栗3年、柿8年、柚の大馬鹿18年。人の救いは最後の日」だ。
●アダムとイブは食べてはいけないと神に言われていた命の木の実を食べたとたんに目が開けて自分は神と同等に賢くなったと思った。神の逆鱗この人間の慢心に降った。
●ヒューマニストは自分を至高善とするから神への従順を嫌う。これが罪の本質。聖書の本質。人類の悲惨な歴史。
●その後アダムとイブはいちじくの葉で体を隠す。これは神への理論武装。だから今日でも人間は罪を神の前に「隠したがる」。
●「個人情報の秘匿」を振りまわして、何かを質問しても答えない人がいるが、それはアダムとイブの「隠しの術」の姿勢に似ているので「罪の匂い」が濃厚である。
●プロフェッション(医者、弁護士、牧師、建築家など)は職業上知り得た個人情報は口外しないことになっているが、それは本人の救いの為。イマドキの人間が何でもかんでも「隠したがる」とはわけが違う。それは罪人の匂い。心の交流ができないからダークである。
●池谷医院へ定期検診、血管年齢67歳、血圧122-88。順調。散髪。ATM、郵便局
●TSK日本語版ヘブル書5章入力。なぜか胸が燃えない。
●8;00 妻は愛子の家に手伝い。19:00帰宅。十字架は重い。
●人は人を赦せない。赦せなくていいんだ。赦せるのは神だけだ。
●赦しの言葉。「私も君の立場だったら君のようなことをしただろうなー」「辛いだろうなー」。「不自由だなー」。


   
有体的復活の使徒伝承

   http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/index.html

   

 

 「黒崎幸吉著 註解新約聖書Web版」

      http://stonepillow.dee.cc/

    

     TSK日本語版・目次

    http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/110910.htm

   

   

    ちたた農園日誌(三男が福島県で独立経営する農場)

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