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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    180422(日)   杉並公会堂・武蔵野室内合奏団「英雄」
    171229    TM誕生日
    180224   14:30 トミ子、モーチァルト{レクイエム) 171220     KK誕生日
    171225(月)10:45 聖路加診察脳神経外科桑本医師
    171218(月)10:30 聖路加MRI
    171203(日)14:00 無教会浦和集会、助川光子講演
    171126(日)  兄光男、弟靖男と三人会。於・日本橋
    171119(日)15:00 秋川キリスト教会、後藤牧人講演会
    171115    TM誕生日
    171107(月) TI手術、聖路加 171105(日) 照男・トミ子集会感話、トミ子午後郡山にSS見舞い
    171103(金)13:00南原繁研究会学士会館
    171030(月)10:00 聖路加 桑本先生


十字架は神の義と愛の結晶 ++++++++ 所感

2013/02/28 06:57

130228(木)4時45目覚め●朝の黙想「十字架は神の義と愛の結晶」●クリスチャンは世のみじめさに遭遇するとき、義と愛の両方が満足しなければ心安んじない。●それには十字架の道を歩まなければならない。これは異教国日本にはない道である●関連聖句を探ってみよう。

塚本訳 ルカ 23:33-34
23:33 髑髏という所に着くと、(兵卒らは)そこでイエスを十字架につけた。また罪人も、一人を右に、一人を左に(十字架につけた)。
23:34 するとイエスは言われた、「お父様、あの人たちを赦してやってください、何をしているか知らずにいるのです。」『彼らは籤を引いて、』イエスの『着物を自分たちで分けた。』

●自分を殺す敵を赦したイエス。この世的には負けだが神にあってはこの言葉で勝利。
●この世の人間は十字架の下で「金もうけをしようと遊んでいた」。あー日本の現実よ。

塚本訳 マタ 5:39-44
5:39 しかしわたしはあなた達に言う、悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打ったら、左をも向けよ。
5:40 (裁判所に)訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせてやれ。
5:41 だれかが無理に一ミリオン[一キロ半]行かせようとするなら、一しょに二ミリオン行ってやれ。
5:42 求める者には与えよ、借りようとする者を断るな。
5:43 あなた達は(昔の人がモーセから、)『隣の人を愛し、』敵を憎まねばならない、と命じられたことを聞いたであろう。
5:44 しかしわたしはあなた達に言う、敵を愛せよ。自分を迫害する者のために祈れ。

●イエスは十字架上でこれを実行された。言動一致。

塚本訳 マタ 23:1-4
23:1 それからイエスは群衆と弟子たちにむかって語られた、
23:2 「聖書学者とパリサイ人はいまモーセの(後継ぎとしてその)椅子に坐っている。(彼らにはモーセの権威がある。)
23:3 だからなんでも彼らがあなた達に言うことを行い、また守れ。しかし、そのすることを真似てはならない。あの人たちは言うだけで行わないのだから。
23:4 すなわち思い荷をたばねて人の肩にのせながら、自分では(担ってやるどころか、)指一本でこれを動かしてやろうともしない。

●現代の聖書学者も「魂の看取り」をしない。言動不一致。これでは人は救われない。
●2年前ぐらいだったか。深夜に電話でたたき起こされた。金の無心であった。こういう時は「常識」として、即座に断った。縁戚であった。故人になられた。
●私の行為は誤っていたのだろうかと今でも煩悶している。
 

塚本訳 マコ 15:37-39
15:37 しかしイエスは(それを受けず)大声を放たれるとともに、息が絶えた。
15:38 (その途端に、)宮の(聖所の)幕が上から下まで真っ二つに裂けた。
15:39 イエスと向かい合ってそばに立っていた百卒長は、こんなにして息が絶えたのを見て、「この方は確かに神の子であった」と言った。

塚本訳 マタ 27:54-55
27:54 百卒長および一しょにイエスの見張りをしていた兵卒らは、地震とこれらの出来事とを見てすっかり恐ろしくなり、「この人は、確かに神の子であった」と言った。
27:55 またそこには、遠くの方から眺めていた女たちが沢山いた。これはガリラヤからイエスについて来て、仕えていた人たちである。

●イエスは「神の子」との告白は何と敵であった。これは慰めである。
●悪人はクリスチャンを殺して初めて真理に達する。
●悪人パウロも同じ。信者を迫害して己の罪を悟った。パウロの罪概念の深さの背後には無名の信者達の死があった。
●初代教会において殉教者が出れば出るほど信者が増えて言った事実を「血は種子」であるという言い方がされる。

塚本訳 ヨハ 12:24-25
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)
12:25 [
(この世の)命をかわいがる者は(永遠の)命を失い、この世で命を憎む者は、命を守って永遠の命にはいるであろう。

●ナニ、十字架を避けて生き延びてもたかだかわずかな期間だ。

塚本訳 マタ 16:24-26
16:24 あとでイエスは弟子たちに言われた、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、自分の十字架を負い、それからわたしに従え。
16:25 (十字架を避けてこの世の)命を救おうと思う者は(永遠の)命を失い、わたしのために(この世の)命を失う者は、(永遠の)命を得るのだから。
16:26 たとい全世界をもうけても、命を損するならば、その人は何を得するのだろう。それとも、人は(一度失った永遠の)命を受けもどす代価として、何か(神に)渡すことができるのだろうか。

●十字架は負うのではなく、無理にイヤイヤながら負わされる。それが「自分の十字架」。
●しかしこれを負わせた神はその内容をことごとくご存知。一緒に負ってくださる。

塚本訳 マタ 11:27-29
11:27 ──(知恵も力も、その他)一切のものが父上からわたしに任せられた。父上のほかに、子(であるわたし)を知る者は一人もなく、また、子と、子が(父上を)あらわしてやる者とのほかに、父上を知る者は一人もない。
11:28 さあ、疲れている者、重荷を負っている者はだれでも、わたしの所に来なさい、休ませてあげよう。
11:29 わたしは心がやさしく、高ぶらないから、わたしの軛を負ってわたしの弟子になりなさい、そうすれば『魂の休息が得られよう。』

●「魂の休息」はこの世にあっては「十字架を負わされる」ことにごって得られるとと言うが、しかし重い。辛い。呻く。しかしこれは産みの苦しみだとパウロは慰めてくれる。

塚本訳 ロマ 8:22-24
8:22 わたし達が知っているように、全創造物は(かの日から)今まで、一しょになって呻き、一しょになって産みの苦しみをしている。(父なる神がこの  呻きに耳を傾けられないことがあろうか。)
8:23 しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証拠として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである。
8:24 なぜなら、わたし達は(最後の日に救いが完成されるという)望みをもって、救われているからである。目に見ることのできる望みは望みではない。人はいま現に見ているものを、なんでその上望む必要があろうか。

●22節、23節に「呻き」という言葉がある。人間は生きているうちは呻きの連続だ。
●しかしこの呻きには希望がある。人類は皆清められて復活するのだ。

塚本訳 ロマ 8:25-27
8:25 しかしわたし達が見ていないものを望むとすれば、忍耐をもって待たねばならない。
8:26 しかし(創造物やわたし達神の子が苦しんでいると)同じように、御霊も、弱いわたし達を助けてくださる。すなわち、(神のみ心にかなうには)どう何を祈るべきかわからないので、御霊自身が、無言の呻きをもって(わたし達の祈りを神に)執り成してくださるのである。
8:27 しかし(人の)心を見抜くお方[神]は、御霊が何を求めているか、すなわち、
御霊が神の御心にかなうように聖徒たちのために執り成しておられることを、(もちろん)御存じである。

●忍耐も単なる我慢ではない。人類は全員清められて復活できる希望があるから忍耐できる。
●それに有体的に復活されたキリストは「無言の呻き」をもって神に執り成しの祈りを捧げていてくださる。

塚本訳 ロマ 8:18
8:18 (しかもこの苦しみは恐れることはない。)なぜなら、わたしはこう考える。
今の世の苦しみは、わたし達に現われようとしている栄光(──キリストと一しょに神の国の相続人になる最後の日の大いなる光栄──)にくらべれば、言うに足りない。

●これは21年前に召された父の特愛の句であった。

塚本訳 Ⅰコリ15:54-55
15:54 そしてこの死滅すべきものが不滅を着、この死ぬべきものが不死のものを着たら、その時(聖書に)書いてある言葉が実現する。『死は(神の)勝利に飲みこまれてしまった。』
15:55
『死よ、どこに、お前の勝利は。死よ、どこに、お前の剣は』。

●高橋三郎先生の御長女の恵さんが自死(精神の御病気故)されたとき、残された御兄弟の3名はその遺体に取りすがって「恵ちゃんゴメンネ、恵ちゃんゴメンネ」と泣かれた。
●そして次女の愛子さんは弔辞で 『死よ、どこに、お前の勝利は。死よ、どこに、お前の剣は』。と」叫ばれた。
●高橋先生はこれで筆を折らず、病床では寝たまま口述筆記、なお22年生きられて90歳で召された。まことに壮絶な生き方であった。
●この間、私は高橋先生の晩年のお住まいの改造を手がけて、奥様から「建築とはこういうものですか」と感謝された。
●また昨年はキリスト教愛真高校(創立責任者は高橋三郎)の寮改修も手がけ。上記愛子さんのご令息の信和さん(寮生)から感謝の言葉を頂いた。
●私達ももどうせ死ぬならこの世の敵の矢にあたって悩み苦しみつつ、しかし希望を抱いて殉教の死を遂げよう。「死よ。来い!」。

塚本訳 黙  1:7
1:7 視よ、彼は雲に包まれて来たり給う。そして凡ての(人の)目が、然り、彼を刺した者らが彼を見るであろう。そして地上のあらゆる種族は、彼の(審判の恐ろしさの)故に胸を打つ(て嘆き悲しみ、後悔する)であろう!然り、アーメン

●終末は来る。絶対に来る。そのとき神を呪った人間は後悔する。
●しかし、そういう人間もキリストの血で清められて救われる


塚本訳 Ⅰコリ16:22
16:22 主を愛しない者があるなら、呪われよ!、マラナ、サ(主よ、来てください)!

●終末の速やかな到来を祈る。

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朝の黙想終わり

●NHKTV「NHKアーカイブス」でピアニスト仲道郁代による「ショパンのミステリー」は良かった。ショパンの楽譜は同じ曲でも生前に強弱記号が変わってきている。ある曲はで学者によれば4種類もあるという。聖書の写本研究、本文研究(これに首を突っ込むと面白いので一生を棒に振るらしい)のようだ。●仲道はその違いをショパンの心が伝わればどれでもよいと言い、「たとえば『ありがとう』という言葉の「ト書き」の指示で強弱差があっても作者の心が伝わればよい」と言った。至言である。●塚本虎二先生は「翻訳の違いによって真理が伝わったり伝わらなかったりはしない」「翻訳の言葉のアヤで意味がよく通じたり通じなかったりすることは大したことではない」と言っておられる。●ここから先生の「聖書は母国語で読め」という意味が理解できた。●仲道の演奏会の最後のアンコールはショパンの「別れの曲」。演奏途中で涙を流していたが、わからないように左手でわからないようにそっと涙を拭った。何を思っていたのかなーといろいろ想像してしまった。●仲道は駄洒落の名人であることに親近感を増した。あるチェリストとの対談でチェリストが「10歳」から始めましたと言ったとき仲道は「それは天才(TEN歳)ですねと応じたそうだ。●アンコールと言えば、白血病で若くして逝った名ピアニストの最後のステージ。リパッティは弱った体に鞭打って渾身の力を込めて弾いたのがバッハの「主よ人の望みの喜びよ」であった。●クリスチャンは老年になって体が弱っても渾身の力を振り絞って生活で「主よ、人の心の喜びよ」を演奏をしなければならない。この曲はバッハのカンタータ第147番「心と口と行いをもて」の中の曲。クリスチャンのあるべき人生態度そのものだ。最後まで、最後まで。終末まで、終末まで。マラナ・タ。(主よ、来りたまえ)
 
●3月3日の感話資料の推敲。17回目。3月14日のキリスト教性教育研究会の発題資料の推敲12回目。毎朝修正箇所が示される。
●TSK日本語版申命記25章入力。旧約はすごい。新約の土台だ。面白い。
●32年前に竣工した台東区のビルの若社長(HM氏)から耐震改修のご相談。ビルの形状がよいから耐震改修の必要はないと答えた。この世の家のことで相談をされたことは嬉しかった。次の句を思う。

塚本訳 ルカ 16:9-13
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。
16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。
16:11 だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。
16:12 もし他人のもの[この世のこと]に忠実でなかったならば、だれがあなた達のもの[天のもの]をあなた達に与えようか。
16:13 しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。」

●17:25 妻は「メサイア」の練習に出発。神をほめたたえる歌はとても良いことだ。22時過ぎに帰宅予定。
 ●20:00 ご自宅で病気療養中のYMさんと電話懇談。病気になると信仰は深まる。なぜか。真剣勝負になるからだ。
















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罪の赦しは聖霊 ++++++++ 所感

2013/02/27 07:15

130227(水)4時45分目覚め●「罪の赦しは聖霊」●関連聖句を掲げる。

塚本訳 マタ 6:12-15
6:12 罪を赦してください、わたしたちも罪を犯した人を赦しましたから。
6:13 わたしたちを試みにあわせないで、から守ってください。
6:14 (祈る前に、まず人の罪を許さねばならない。)あなた達が人の過ちを赦してやれば、天の父上もあなた達を赦してくださるが、
6:15 人を赦さないならば、父上もあなた達の過ちを赦してくださらないであろう。

●人を裁き断罪するのは簡単だ。それによって心がすっきいする。
●私は心で何人もの人を殺してしまった。
●13節の「試み」と「悪」はイエスの荒野の誘惑を連想する。

塚本訳 マタ 4:1
4:1 間もなくイエスは悪魔誘惑にあうため、御霊につれられて荒野に上られた。

●人の一生はこの悪魔の誘惑との戦いである。これは人間の努力では防げない。
●神の祝福による平安な心の維持がこれを防ぐ
●だからイエスは「主の祈り」の中でこれを教えるのだ。
●またイエスもパウロも常に「平安あれ」と言うのだ。

塚本訳 マタ 5:27-29
5:27 あなた達は(昔の人がモーセから、)『姦淫をしてはならない』と命じられたことを聞いたであろう。
5:28 しかしわたしはあなた達に言う、情欲をもって人妻を見る者は皆、(見ただけで)すでに心の中でその女を姦淫したのである。
5:29 それで、もし右の目があなたを罪にいざなうなら、くじり出して捨てよ。体の一部が無くなっても、全身が地獄に投げ込まれない方が得であるから。

●悪魔はイケメンや美女を遣わして人間を神に反抗させ、離反させる。キリスト教文学のテーマはこれである。
●ワカイモノはイケメンや美女と「愛が生まれ」結婚するとシアワセになれると思わされている。
●だから「目があなたを罪にいざなうなら、くじり出して捨てよ」
●無教会では伝統的に「恋愛御法度」であった。なぜか。大抵においてそれは目を通しての偶像崇拝だからだ。
●過日、キリスト教愛心高校で「イケメンや美女と結婚するな」と話した。
●結婚の根本思想は次である。

口語訳 箴  19:14
19:14 家と富とは先祖からうけつぐもの、
賢い妻は主から賜わるものである。

●私は若いころに大先輩からこれを言われて「心を決した」
●イケメンや美人に目が眩むと神が見えなくなる。
●女子大では「イケメンと結婚するな」と脱線講義(?)しているが、生徒は毎年「エーッ!なんでー」という顔をする。私は「イケメンは多くの場合金がなく、道徳もない」と理由を言う。するとイマドキの娘は「先生、最近はイケメンでもお金を持っていますよ」とくる。
●マーそう思うなら勝手にしろ、人生の途中で失敗するこおは目に見えている。
●失敗したら神に向って行け。人生おしまいではない。
●マスコミに誘導される日本の風潮が悪い。日本は地震や放射能ではなく誤まった結婚観による家庭崩壊で滅びる。金も偶像である。

塚本訳 マタ 6:24
6:24 (わたし達の心は天か地かに引かれる。)だれも(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。
あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。

●日本の判断機銃は金、金がもうかるかどうか、企業が存続するかどうかのみ。
●現在は就職活動が盛んであるが、有名企業を目指したがる。理由は「潰れそうにないから」。
●しかし日本航空もおかしくなる時代、役人も簡単に天下りができなくなり「役人天国」ではなくなっている。

塚本訳 Ⅱコリ4:4
4:4 彼らの場合、この不信者たちの考えを
この世の神(である悪魔)が盲にして、神の影像である救世主の栄光をつげる福音の光を見ることができないようにしたのである。

●悪いのは人間でなく神を見えなくしている悪魔である。


塚本訳 マタ 16:16-19
16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主、生ける神の子であります!」
16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから。
16:18 それでわたしもあなたに言おう。──あなたはペテロ[岩]、わたしはこの岩の上に、わたしの集会を建てる。黄泉の門[死の力]もこれに勝つことはできない。
16:19 わたしはあなたに天の国の鍵をあずける。(だから)あなたが地上で結ぶことは(そのまま)天でも結ばれ、地上で解くことは(そのまま)天でも解かれるであろう。」

●「天国の鍵」はペテロとその後継者にあるのではなく、ペテロと同じ信仰が握っている。

塚本訳 マタ 18:18
18:18 アーメン、わたしは言う、
あなた達が地上で結ぶことはみな天でも結ばれ、地上で解くことはみな天でも解かれるであろう。

●人の罪を赦す権能はペテロにだけ授けられたのではない。「あなた達」とあるから信者全体である。

塚本訳 ヨハ 20:20-23
20:20 そしてそう言いながら、手と脇腹とをお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。
20:21 すると主はかさねて言われた
、「平安あれ。父上がわたしを遣わされたように、わたしも(全権を授けて)あなた達を遣わす。」
20:22 こう言いながら彼らに息を吹きかけて、言われる、「聖霊を受けよ。
20:23 人の罪は、あなた達が赦してやれば赦されて消え、赦してやらねば赦されずに残る。」

●復活のキリストから流れ出る聖霊が人に宿り、その人間が「キリストの体なる教会」であり、「天国への門」である。
●信者の生涯の意義はここにある。

塚本訳 ヨハ 6:62-63
6:62 それなら、もし人の子(わたし)が(地上に下りてくる)前にいた所に上るのを見たら、どうであろう。そのときあなた達は、肉を食い血を飲むのが、霊の意味であったことに気づくであろう。
6:63
霊が命を与える。肉はなんの役にも立たない。いまわたしがあなた達に話した言葉は、霊である。だから、命である。

●地上のイエスと聖霊との関係がここにある。人の救いは三位一体の神以外にはない。


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朝の黙想 おわり


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父母の墓参 ++++++++ 所感

2013/02/26 18:16

130226(火)5時起床●黙想「信仰の極致」●信仰の極致は次の記事であると解す。

塚本訳 マコ 9:17-26
9:17 群衆のうちの一人が答えた、「先生、唖の霊につかれている伜をあなたの所につれて来ました。
9:18 この子は霊がつくと所かまわず投げ倒され、泡をふき、歯斬りして、体がこわばってしまいます。それで霊を追い出すことをお弟子たちに頼みましたが、おできになりませんでした。」
9:19 彼らに答えられる、「ああ不信仰な時代よ、わたしはいつまであなた達の所におればよいのか。いつまであなた達に我慢しなければならないのか。その子をつれて来なさい。」(こう言って群衆のいない所に行かれた。)
9:20 人々がイエスの所につれて来ると、霊はイエスを見るや否や、その子をひどくひきつけさせたので、子は地に倒れ、泡をふきながらころげまわった。
9:21 イエスが父親に尋ねられた、「こうなってから、どのくらいになるか。」父親がこたえた、「子供の時からです。
9:22 霊はこの子を殺そうとして、幾たびか、火の中、水の中に投げ込みました。それでも、もしなんとかお出来になるなら、わたしども(親子)を不憫と思って、お助けください。」
9:23 イエスは言われた、「もしお出来になるなら(と言うの)か。信ずる者にはなんでも出来る。
9:24 即座にその子供の父親が叫んだ、「信じます。不信仰をお助けください。」
9:25 イエスは群衆が駆けよってくるのを見ると、(急いで)汚れた霊を叱りつけて言われた、「唖と聾の霊、わたしが命令するのだ、この子から出てゆけ、二度と入るな!」
9:26 霊はどなって、はげしくひきつけさせて、出ていった。子は死んだようになったので、多くの人が、「死んだ」と言った。

●家族の病気は辛く苦しい。「もし直せるなら」と思うのが人情。
●この父親(21節)の気持ちに共感する。どうにも手の付けようがない「倅」なのだ。万策尽きたのだ。
●イエスに頼み込むときの「もし」という疑いがいけなかった。できると信じ込めばよかった。そう信じるのが信仰の極致。
●それはそうだが人間にはできないのだ。
●「不信仰をお助けください」という部分。塚本虎二先生の「聖書知識」、第77号(昭和11年5月)の注解では、「不信仰」ではなく「無信仰」である。「不」と「無」では天地の差がある。「1」と「0」の差である。無限の違いである。
●人間にはもともと「信仰」などないのだ。神が与えてくださるものだ。

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黙想終わり

●9:50 今日は妻と秋川霊園に父母の墓参。
●徒歩2時間。昼食と墓掃除1時間。帰りも徒歩。1時間半。かなり疲れた。 

 

2013_02260006.jpg 

父母の墓の前で。この年齢まで妻と二人で墓参に来られて感謝。

2013_02260003.jpg 

父が87歳で逝って21年、母は88歳で逝って9年。早いものだなー。

墓碑銘は「神は愛なり」。詩編90編を思う。

口語訳 詩  90:4-10
90:4 あなたの目の前には千年も/過ぎ去ればきのうのごとく、夜の間のひと時のようです。
90:5 あなたは人を大水のように流れ去らせられます。彼らはひと夜の夢のごとく、あしたにもえでる青草のようです。
90:6 あしたにもえでて、栄えるが、夕べには、しおれて枯れるのです。
90:7 われらはあなたの怒りによって消えうせ、あなたの憤りによって滅び去るのです。
90:8 あなたはわれらの不義をみ前におき、われらの隠れた罪をみ顔の光のなかにおかれました。
90:9 われらのすべての日は、あなたの怒りによって過ぎ去り、われらの年の尽きるのは、ひと息のようです。
90:10 われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。
しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。

●ヒルティはこの詩編90編10節のあとに言う。「それでもキリストを信じて私は幸福でした」と。
●なぜか。来世への復活の希望に生きることができるからだ。永遠の!!








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木はその実によって知らるる ++++++++ 所感

2013/02/25 06:32

130225(月)6時起床●朝の啓示「木はその実によって知らるる」


文語訳 マタ 12:33
12:33 或は樹をも善しとし、果をも善しとせよ。或は樹をも惡しとし、果をも惡しとせよ。樹は果によりて知らるるなり。


口語訳 マタ 12:33
12:33 木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければ、その実も悪いとせよ。木はその実でわかるからである。


新改訳 マタ 12:33
12:33 木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木のよしあしはその実によって知られるからです。


新共同 マタ 12:33
12:33 「木が良ければその実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木の良し悪しは、その結ぶ実で分かる。


塚本訳 マタ 12:33
12:33 木を良いとするなら、その実をも良いとせよ。また、木を悪いとするなら、その実をも悪いとせよ。木(の良し悪し)は実で知られるのである。

●これは恐ろしい現実だ。神に祝福されてない木は悪い実を結ぶ。
 

文語訳 マタ 7:19
7:19 すべて善き果を結ばぬ樹は、伐られて火に投げ入れらる。

口語訳 マタ 7:19
7:19 良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれる。


新改訳 マタ 7:19
7:19 良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。


新共同 マタ 7:19
7:19 良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。

塚本訳 マタ 7:19
7:19 良い実を結ばない木はどんな木でも、切られて火の中に投げ込まれる。

●これも恐ろしい現実だ。神に祝福されてない、人、家、組織、教会エクレシア、雑誌、学校、企業、国、は衰退滅亡する。
●滅亡の様は一気に倒れない。激しい議論をよそに最後はよたよたして自然消滅。
●宗教改革のスローガンは「信仰のみ」「聖書のみ」「万人祭司」
●プロテスタント教会やエクレシアは聖書にのみ権威を認めなければならない。
●「悪い実」とは悪い行動だけではない。悪い思想、不信仰。
●クリスチャンの中に自分の思想を聖書以上と心得ている人がいるが、それは「自分の腹を神」としているのである。

塚本訳 ルカ 13:5-9
13:5 そうではない。わたしは言う、あなた達も悔改めなければ、皆同様に滅びるであろう。」
13:6 そこでこの譬を話された、「ある人が葡萄畑に一本の無花果の木を植えておいた。(ある日)実をさがしに来たが、見つからないので、
13:7 葡萄畑の作男に言った、『もう三年この方、この無花果の木に実をさがしに来ているのに、まだ実がならない。切ってくれ。(ならないばかりか、)なんで土地までくたびれさせることがあろう。
13:8 答えて言う、『ご主人、今年もう一年だけ勘弁してやってください。今度は回りを掘って、肥料をやってみますから。
13:9 それで来年実を結べばよし、それでもだめなら、切ってください。』」


●神はあなどれない。恐ろしいお方だ。問答無用だ。
● 具体的には福音を中心に説いていない教会エクレシア学校雑誌は「悪い木」。
●福音とは処女降誕、有体的復活、終末再臨。
●「枯れ木も山の賑わい」でよいが、神も無駄なことはしない。バッサリ切る。
●福音の変質の姿。思想団体、遊興集団、政治結社、企業的組織、先生懐かしのファンクラブ。
●聖書に権威を認めるのがプロテスタントの生き方。
 

塚本訳 ヨハ 3:5-7
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。
3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。
3:7 『あなた達は新しく生まれなおさねばならない』と言ったからとて、すこしも不思議がることはない。

●新しく生まれなければ「良い木」になれないから「良い実」も結べない。


塚本訳 ピリ 3:19
3:19 あの人達の最後は破滅、その神は自分の腹、その光栄(と考えているもの)は(実は)恥であって、あの人達は(ただ)地のこと(ばかり)に気を取られているのだ

●教会やエクレシアや家庭や学校や組織がいつまでも続きますようにという祈りは「地のこと」。御心であるかどうかわからない。


塚本訳 Ⅰペテ3:8-9
3:8 最後に、皆の者が同じ思いで、同情深く、兄弟仲よく、憐憫深く、謙遜であり、
3:9 悪で悪に、あるいは悪口で悪口に報いず、むしろ反対に、祝福せよ。祝福を相続するために召されたのであるから。

●祝福を相続するためには「悪口」を言ってはならない。自戒。
●敵はタダで教授してれる。

塚本訳 ルカ 9:23
9:23 それから今度は皆に話された、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、毎日自分の十字架を負い、それからわたしに従え。

 塚本訳 コロ 1:24
1:24 今私は君達のために苦しむことを喜びとし、またキリスト・イエスの体なる教会のために私の体でキリストの患難の不足を補っている

塚本訳 ピリ 1:29
1:29 君達はキリストのために──ただ彼を信ずるばかりでなく、また彼のために苦しむことをも恵まれたからである。

塚本訳 ヨハ 16:20-21
16:20 アーメン、アーメン、わたしは言う、(わたしがいなくなると)あなた達は泣いて悲嘆にくれるが、この世は喜ぶであろう。あなた達は悲しむが、その悲しみは(やがて)喜びにかわるであろう。
16:21 女が子を産む時には、女の(宿命の)時が到来したので悲しみがあるけれども、子が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはや(お産の)苦しみを覚えていない。

塚本訳 ロマ 8:18
8:18 (しかもこの苦しみは恐れることはない。)なぜなら、わたしはこう考える。今の世の苦しみは、わたし達に現われようとしている栄光(──キリストと一しょに神の国の相続人になる最後の日の大いなる光栄──)にくらべれば、言うに足りない。

塚本訳 ロマ 8:22-27
8:22 わたし達が知っているように、全創造物は(かの日から)今まで、一しょになって呻き、一しょになって産みの苦しみをしている。(父なる神がこの  呻きに耳を傾けられないことがあろうか。)
8:23 しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証拠として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである。
8:24 なぜなら、わたし達は(最後の日に救いが完成されるという)望みをもって、救われているからである。目に見ることのできる望みは望みではない。人はいま現に見ているものを、なんでその上望む必要があろうか。
8:25 しかしわたし達が見ていないものを望むとすれば、忍耐をもって待たねばならない。
8:26 しかし(創造物やわたし達神の子が苦しんでいると)同じように、御霊も、弱いわたし達を助けてくださる。すなわち、(神のみ心にかなうには)どう何を祈るべきかわからないので、
御霊自身が、無言の呻きをもって(わたし達の祈りを神に)執り成してくださるのである。
8:27 しかし(人の)心を見抜くお方[神]は、御霊が何を求めているか、すなわち、御霊が神の御心にかなうように聖徒たちのために執り成しておられることを、(もちろん)御存じである。

●御霊が執り成してくれるとは。偉大なるかなパウロ。
●我々の毎日の「小十字架」が人を救う道だ。 

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朝の黙想終わり

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寒い夕方。


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風が冷たい「冬の日」の夕方の散歩。讃美歌43番

「御神の賜いしこの日もくれけり。いざや今朝のごとみめぐみをたたえん」

感謝の一日。










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臨床宗教家 ++++++++ 所感

2013/02/24 07:48

130224(日)4時半起床●TSK日本語版申命記21章入力●昨日は録画してあったNHKTV「こころの時代」を見る。宮城県亘理町で活動した医師岡部健(たけし)のこと。氏は2012.9に逝去。きらっと光る言葉が多かった。 それは次の通り

●医者は一分でも一秒でも延命させるのが主目的だが、あるとき「先生私、自然に死なせてください」との言葉に愕然と来て人生を変更。在宅緩和ケアの活動に踏み切った。
●病院は出てくるときは遺体になってでてくる。良くない施設だ。
●東北大震災の復興に金は必要だがそれだけではない。
●医者は心臓停止の先刻きりできない。宗教家の働きが必要。医学に来世の学問はない。
●医者と宗教家の協力が必要。
●これから望まれるのは「臨床宗教家」
●臨終のときに牧師が洗礼を授けたり、僧侶が般若心教を読むと本人も家族も心が安らぐ。医者にはこれができない。

●7:55 妻とキリストのエクレシアに出発。

●10:00 集会。川上(司会)、土肥(ザアカイ)、横田(ヨーロッパ諸国へのキリスト教流入)
●14:00 今井館ウィークデイの集い主催、若ものと語るシンポジウム「東日本被災地のその後・・・ボランティアの視点から・・・」
パネリスト と発題内容

根岸えま(立教大学社会学部3年)・・・・・陸前高田から気仙沼にとどまって
斉藤弘子(NPO法人チャイルド・ファンド・ジャパン)・・・・長期的視点に立った支援のありかたとは
佐藤真史(日本基督教団牧師、東北教区支援センターエマオ専従者)・・・「スローワーク」
 


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パネリスト
左から 根岸えま、佐藤真史、斉藤弘子

●質疑応答の時間で私は「神がこういう若い人を立てることを知って感謝である。」と述べた。
●3人ともノートパソコンを持参して会場にあるプロジェクターにつなぎ、画像をスイスイ放映。これには老人達は感心した。

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時空を超えて今も働く三位一体の救いの神 ++++++++ 所感

2013/02/23 07:14

120223(土)5時15分起床●朝の啓示「時空を超えて今も働く三位一体の救いの救いの神」●この信仰があれば世の怖いものなし。来世への希望にもつながる信仰。イエスが立派な信仰と褒める信仰。●この真理を教える聖書の箇所を掲げてみよう。少し長いが信仰の急所が語られている。

塚本訳 マタ 8:5-13
8:5 カペナウムに帰られると、一人の百卒長がそばに来て願って
8:6 言った、「主よ、うちの下男が中風で家にねていて、ひどく苦しんでおります。……」
8:7 彼に言われる、「(ユダヤ人の)このわたしが、(異教人のあなたの家に)行ってなおすのか。」
8:8 百卒長は答えた、「主よ、わたしはあなたを、うちの屋根の下にお迎えできるような者ではありません。(ここで)ただ一言、言ってください。そうすれば下男は直ります。
8:9 というのは、わたし自身も指揮権の下にある人間であるのに、わたしの下にも兵卒がいて、これに『行け』と言えば行き、ほかのに『来い』と言えば来、また僕に『これをしろ』と言えば(すぐ)するからです。(ましてあなたのお言葉で、病気が直らないわけはありません。)」
8:10 イエスは聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた、「アーメン、わたしは言う、イスラエル人の中でも、こんなりっぱな信仰をもっている者を一人も見たことがない。
8:11 わたしは言う、(最後の日には、このような信仰のあつい)大勢の人が『東から西から』来て、天の国でアブラハムやイサクやヤコブと共に宴会につらなり、
8:12 (かんじんのイスラエル人、すなわち)御国の子供たちは外の真暗闇に放り出され、そこでわめき、歯ぎしりするであろう。」
8:13 それからイエスは百卒長に言われた、お帰り。あなたの信じたとおりに成れ。」するとちょうどその時に、下男は直った。


●この説話のポイントは8節の「(ここで)ただ一言、言ってください。そうすれば下男は直ります」
●同じく8節の「主よ、わたしはあなたを、うちの屋根の下にお迎えできるような者ではありません」とは何か。自分はそんなに偉くはないということか。家族が全員信じていないから恥ずかしいという意味か。
●また8節の「(ここで)ただ一言、言ってください。」というのは遠隔操縦による能力を信じているのである。これがすごい信仰だ。
●私たちの夕食の祈りは巣立って行った子供たちの家庭のこと、孫の成長、集会に来られなくなったご老人、また御病気の方々のことが多い。これ遠隔の祈りである。
●身内で不義を犯し、また犯しつつある人には、義憤からいきり立って直接談判しようと思うことがあるが、この説話を読めばマテマテと思える。
●これエクレシアの中のひとについても言える。エクレシアの中には「遊び人」「思想犯」「政治犯」「行為行動主義」「先生崇拝主義者」など百鬼夜行。レギオン(悪霊軍団、ルカ8:30)である。
●かくいう私もレギオンの一人。神に悪霊を追い出していただか」なければならない。

口語訳 マタ 18:15-17
18:15 もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、行って、彼とふたりだけの所で忠告しなさい。もし聞いてくれたら、あなたの兄弟を得たことになる。
18:16 もし聞いてくれないなら、ほかにひとりふたりを、一緒に連れて行きなさい。それは、ふたりまたは三人の証人の口によって、すべてのことがらが確かめられるためである。
18:17 もし彼らの言うことを聞かないなら、教会に申し出なさい。もし教会の言うことも聞かないなら、その人を異邦人または取税人同様に扱いなさい。

●とすると「兄弟が罪を犯すなら」忠告に出かけなければ怠慢である。天下国家を批判しないのは無知で怠慢である。
●これが行為主義者の信仰主義者に対する批判である。マルタがマリヤを」批判する心である。」(ルカ10:38-42)
●しかしこの14-15節はイエスの言葉の匂いがしない。聖書学の素人でもわかる。おそらく後代教会の加筆だろう。17節に「教会」と言う言葉がある。わざと口語訳にした。イエスの活動の時「教会」はなかった。

塚本訳 マタ 17:20
17:20 彼らに言われた、「信仰が無いからだ。アーメン、わたしは言う、もしあなた達に芥子粒ほどでも信仰があれば、この山に向かい『ここからあそこに移れ』と言えば移り、あなた達に出来ないことは一つもない。

塚本訳 ルカ 17:5-6
17:5 使徒たちが主に言った、「もっと信仰を下さい。」
17:6 主が言われた、「もしあなた達に芥子粒ほどでも信仰があれば、──(あなた達にはそれがないが、もしあれば)──この桑の木にむかい『抜けて海に植われ』と言っても、言うことを聞くであろう

●マルコ8:10でイエスが「りっぱな信仰」というのはこれである。
●信仰の大小は人間の努力ではない

塚本訳 ヨハ 4:46-54
4:46 それから、またガリラヤのカナに行かれた。そこは(前に)水を酒にされた所である。するとカペナウムに(ヘロデ・アンデパス)王の役人がいて、その息子が病気であった。
4:47 イエスがユダヤからガリラヤに来ておられると聞くと、イエスの所に行き、(カペナウムに)下ってきて息子を直してほしいと頼んだ。息子が死にそうだったのである。
4:48 イエスは言われた、「あなた達は徴[奇蹟]と不思議なことを見なければ、決して信じない。」
4:49 王の役人が、「主よ、子供が死なないうちに(カペナウムに)下ってきてください」と言いつづけると、
4:50 イエスは言われる、「かえりなさい、息子さんはなおった。」その人はイエスの言われた言葉を信じて、かえっていった。
4:51 しかしすでに途中で、僕たちが出迎えて、子供がなおったことを知らせた。
4:52 そこで僕たちに良くなった時間をたずねると、「きのう午後一時に熱が取れた」とこたえた。
4:53 父は、それが「息子さんはなおった」とイエスが言われた時間であることを知り、彼はもちろん、全家族が信じた。
4:54 イエスはこの第二の徴[奇蹟]を、ユダヤからガリラヤに行かれたときに行われた。

●50節、これも神の遠隔操縦を固く信じた人である。上記 マタ 8:5-13と同じ事件臭い。それを研究するのが聖書学者。素人は同じ事件でも別の事件でもよい。神の遠隔操縦の能力を信ずれば聖書の本質を読むことになる。

塚本訳 ヨハ 16:4
16:4 それにもかかわらずこのことを話したのは、その(迫害の)時が来た時、わたしがこう言ったことをあなた達に思い出させるためである。このことを始めから言わなかったのは、一しょにいた(ので、必要がなかった)からである。

●鼓膜で聞いたイエスの言葉は後で思い出す。ここにキリスト教の幼児教育の意義がある。


塚本訳 ヨハ 16:7-8
16:7 しかし本当のことを言うが、わたしが(父上の所に)行くことは、あなた達のために利益である。
行かねば、弁護者はあなた達の所に来ないが、行けば、わたしが彼を遣わすからである。
16:8 そして彼は来ると、罪について、義について、罰について、この世に(その考えの)誤りを認めさせるのであろう。




●神、キリスト、聖霊の三位一体の秘儀はここで語られている。

塚本訳 ヨハ 8:42
8:42 イエスは言われた、「もしも神があなた達の父であったら、あなた達はわたしを愛するはずである、わたしは神から出て、(ここに)来ているのだから。わたしは自分で勝手に来たのではない、神がわたしを遣わされたのである

●キリストの地上での言葉は「聖書」(教会だけではない)を通して大脳皮質で知る。そしてその意味の解明は聖霊が教えてくれる。キリストは神から遣わされた。
●この三位一体の秘儀を信ずれば人生のいかなるく大苦難も突破できる。なぜか復活のイエスが今も生きておられて、福音書に書かれているような様々な奇跡を行ってくださるからだ。
●実人生の苦難はを要求として三位一体の神を信ずるにように追い込まれる。

塚本訳 ロマ 8:34-39
8:34 『だれが(わたし達を)罰することができるか。』キリスト・イエスが(わたし達の罪のために)死んで、それだけでなく復活して、いま神の右においでになって、わたし達のために執り成していてくださるのに。
8:35 (このゆえに)だれがキリストの(わたし達を愛する)愛から、わたし達を引き離すことができるか。苦しみか、悩みか、迫害か、飢えか、裸か、危険か、剣か。
8:36 こう書いてある。──『あなた[神]のためにわたし達は一日中死の危険にさらされている、わたし達は屠られる羊のように考えられた。』
8:37 (もちろん、引き離すことのできるものはない。)そればかりか、わたし達を愛して(十字架につけられて)くださった方により、これらすべての(苦難の)中にあって、わたし達は悠々と勝つことができる。
8:38 なぜなら、
わたしは確信している、死でも命でも、天使でも支配(天使)でも、現在起こっていることでも将来起こることでも、権力(天使)でも、
8:39 高い所のものでも低い所のものでも、その他どんな創造物でも、わたし達の主キリスト・イエスによる神の愛から、わたし達を引き離すことはできない。


●偉大なるかなパウロ。将来に希望を持っていた。

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朝の黙想 終わり。これから朝食、感謝。

●TSK日本語版申命記20章入力 
●3月3日の集会感話と3月14日のキリスト教性教育研究会での発題の題は「三位一体の神による救い」とした。内容推敲。
●日本のキリスト教が強くないのは三位一体の神への信仰が明快でないからと解す。異教国である日本の仏教や神道、はたまたjヒューマニズムとあまり違わないから「キリスト」でなければならないという強い理由がない。
●その三位一体の神を伝承する人間は自らが苦しまなければならないという宿命を負う。
●午後暖かいうちに散歩一時間。
●15:00 妻は合唱団「もくせい」の練習へ。ヴィヴァルディの「グローリア」。神を称える歌を歌うことは結構なことだ。19時過ぎに帰宅予定。
●昨日は建築家妹島和世の軌跡を追った記録を録画で見た。「建築は人を作るが霊魂は救わない」というのが感想。この世の学問技術皆同じ。
●高齢化社会での老人の楽しみや生きがいは何か。日本中がこの問題を抱えている。2030年には65歳以上の人口は3-40%になるという。「ゴルフがうまくなってもそれだけのこと」「詩吟がうまくなってもそれだけのこと」。空しい、淋しい、満足しない。渇きがとまらない。
 
塚本訳 ヨハ 4:13-18
4:13 イエスは答えられた、「この(井戸の)水を飲む者はだれでもまた渇くが、
4:14 わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。
そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」
4:15 女が言う、「主よ、その水を下さい。(二度と)渇くことがないように、またここに汲みに来なくてもよいように。」
4:16 イエスが言われる、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」
4:17 女が答えた、「わたしには夫はありません。」イエスが言われる、「『わたしには夫はありません』と言うのは、もっともだ。
4:18 五人の夫とは別れ、今のは、あなたの夫ではないのだから。あなたの言ったことは本当だ。」


●これがキリスト教による究極の答えであるが、それには罪の処理をしなければならない。





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泣くな!落ちぶれ人生 ++++++++ 所感

2013/02/22 06:02

130222(金)4時半目覚め●5時起床。乾布摩擦、冷水洗顔、暖房はつけないで厚着。ブログ開始●朝の啓示「泣くな!落ちぶれ人生」●神の子イエスは「落ちぶれた人」の友であった。そしてそれは共感の慰めだけではなく、天国への門が開けているという実際的な慰めを知らせた。●関連聖句を思いつくままに掲げてみよう。

塚本訳 マタ 9:9-12
9:9 イエスはそこから出かけて、(湖のほとりで)マタイという人が税務所に坐っているのを見て、「わたしについて来なさい」と言われると、立って従った。
9:10 イエスが家で食卓についておられるたときのこと、大勢の税金取りや罪人も来て、イエスや弟子たちと同席していた
9:11 パリサイ人はこれを見て、弟子たちに言った、「なぜあなた達の先生は、税金取りや罪人と一しょに食事をするのか。
9:12 聞いて言われた、「丈夫な者に医者はいらない、医者のいるのは病人である

●生きがいのなさそうな顔をしていたマタイ。イエスはその心を察知した。
●イエスに「わたしについて来なさい」と言われて行ってみると、そこには同じ仲間の税金取りや罪人。
●今では「税務署員」と言えば社会的エリートだが、当時は占領者ローマの手先。国民から蛇蝎のごとき嫌われかたをしていた。
●おそらく「俺の人生はこんなはずじゃなかった」という目つきをしていたのであろう。
●M氏(故人)は長らく東大の助手をしていたが、ついに助手のままで定年を迎えた。ある時、
「(私の人生は)こんなはずではなかった」と自嘲された。何をいうかこの男。教授や名誉教授を目指していたのか。
●生きがいのない精神状態の人間は病人だから「医者」が必要だとイエスは言う。
●10節の食卓。おそらく質素な食事。
●銀座の冷暖房の効いた快適な部屋で翻訳作業していてはよい翻訳は出来ない。
●イスラエル旅行でヒエロニムスがヴルガダを訳したという暗い洞窟を見た。ヴルガダ(ラテン語の聖書)は数百年間中世の精神世界に影響を与えたと言わる。人生の苦難なくして名訳なし。 


塚本訳 ルカ 6:20-21
6:20 イエスは目をあげ、(十二人の使徒その他の)弟子たちを見ながら話された。──「ああ幸いだ、『貧しい人たち、』神の国はあなた達のものとなるのだから。
6:21 ああ幸いだ、今飢えている人たち、(かの日に)満腹させられるのはあなた達だから。ああ幸いだ、今泣いている人たち、(かの日に)笑うのはあなた達だから。


塚本訳 ルカ 6:24-25
6:24 だが、ああ禍だ、富んでいるあなた達、もう慰めを受けのだから。
6:25 ああ禍だ、今食べあきているあなた達、(かの日に)飢えるのだから。ああ禍だ、今笑っている人たち、(かの日に)泣き悲しむのはあなた達だから。

●イエスの地上生涯の活動はこの言葉に尽きる。
●イエスの言葉は「共感」だけのものではない。
●教育評論家の尾木直樹氏は教育の本質は同情、同感ではなく共感だと言っている。しかしそれは人間レベルのもの。イエスの言葉は「神の国はあなた達のものとなる」と驚天動地のことを約束する。

塚本訳 ヨハ 14:27
14:27 (今別れにのぞんで)平安をあなた達にのこしておく。わたしの平安をあなた達に与える。わたしが与える平安は、この世の人が『平安あれ』といのるような(言葉だけの)ものではない。(だから)心騒がせるな、気を落すな。


●集会の故Sさんは手紙の最後に「ご平安を祈ります」と書いた場合、投函するときに祈った。
●世には「言葉だけ」の慰めが氾濫している。演歌がそうである。演歌は共感であるが救いはない。

塚本訳 マタ 21:31-32
21:31 この二人のうち、どちらが父の心を行ったのだろうか。」「もちろん長男」と彼らが答える。イエスが言われる、「アーメン、わたしは言う、税金取りや遊女たちは、あなた達よりも先に神の国に入るであろう。
21:32 そのわけは、(洗礼者)ヨハネが義の道を示しに来たのに、あなた達は彼を信ぜず、税金取りや遊女の方がかえって信じたからだ。しかしあなた達は(あの人たちが悔改めるのを)見たあとでも、後悔して彼を信じようとしなかった

●これは後先の問題ではなく、上記ルカ6:24-25によればこの世で満足の人生を送り大往生したした人は天国に入れないというのだ。驚くべき神の言葉。

塚本訳 ルカ 15:17-19
15:17 ここで(はじめて)本心に立ち返って言った。──お父さんのところでは、あんなに大勢の雇人に食べ物があり余っているのに、(息子の)このわたしは、ここで飢え死にしようとしている。……
15:18 よし、お父さんの所にかえろう、そしてこう言おう、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。
15:19
もうあなたの息子と言われる資格はありません。どうか雇人なみにしてください』と。


●神にも人にも兄弟親族にも「顔出しができない」というほど「落ちぶれた人間」こそが福音の正客で天国への一番乗りになる。
●親にも兄弟親族にも迷惑をかけ、恥をかかせ、家系に傷をつけ、泥を塗ったという「砕けた心」を神は喜ばれる。
●ここに十字架の罪の赦しの光が射す。受け入れ準備ができているからだ。

塚本訳 ルカ 7:37-38
7:37 すると、その町に一人の罪の女がいた。イエスがパリサイ人の家で食卓についておられることを知ると、香油のはいった石膏の壷を持ってきて、
7:38 泣きながら後ろからイエスの足下に進み寄り、しばし涙で御足をぬらしていたが、やがて髪の毛でそれをふき、御足に接吻して香油を塗った。


●この「罪の女」も「落ちぶれ人生」
●この女は誰か。複雑であるが、おそらくマグダラのマリヤ。 そう解して誤りではあるまい。
●神はこの女に復活のイエスの姿をあらわした。彼女は最初の復活の証人になった。 


塚本訳 ルカ 23:39-43
23:39 磔にされている罪人の一人がイエスを冒涜した、「お前は救世主じゃないか。自分とおれ達を救ってみろ。」
23:40 するともう一人の者が彼をたしなめて言った、「貴様は(このお方と)同じ(恐ろしい)罰を受けていながら、それでも(まだ)神様がこわくないのか。
23:41 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる。」

●天国への一番乗りはこの「犯罪人」(口語)であった。罪と裁きの概念はこの世の法律とは全然違う。

塚本訳 ルカ 16:19-26
16:19 (つぎに、利巧な番頭と反対に、神の国の準備をしなかった人の話を聞け。)一人の金持があった。紫(の上着)と細糸の亜麻布(の下着)を着て、毎日華やかに楽しく暮していた。
16:20 またその金持の門の前に、ラザロという出来物だらけの乞食がねていた。
16:21 せめて金持の食卓から落ちる物で満腹できたらと思った。それどころか、犬まで来て出来物をねぶっていた。
16:22 やがて乞食は死んで、天使たちからアブラハムの懐につれて行かれ、金持も死んで葬られた。
16:23 金持は黄泉で苦しみながら、(ふと)目をあげると、はるか向こうにアブラハムとその懐にいるラザロとが見えたので、
16:24 声をあげて言った、『父アブラハムよ、どうかわたしをあわれと思ってラザロをよこし、指先を水にひたしてわたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの焔の中でもだえ苦しんでおります。』
16:25 しかしアブラハムは言った、『子よ、考えてごらん、あなたは生きていた時に善いものを貰い、ラザロは反対に悪いものを貰ったではないか。だから今ここで、彼は慰められ、あなたはもだえ苦しむのだ。
16:26 そればかりではない、わたし達とあなた達との間には大きな(深い)裂け目があって、ここからあなた達の所へ渡ろうと思っても出来ず、そこからわたし達の所へ越えてくることもない。』

●25節の「悪いものを貰った」とは「不遇な人」「不運な人」「恵まれなかった人」「不幸な星のもとに生まれ田人」である。別に品行方正で信仰の篤かった人ではなかった。
●この世と天国は正反対である。この世で不運な人は天国で楽になる。
●絶対恩恵による「無条件の罪の赦し」。」である。このことはパウロがロマ書9-11章で語る。

●内村鑑三の名著「基督信徒の慰め」の第5章「貧に迫りし時」に次の下りがある。
「おちぶれて袖に涙のかかる時 人の心の奥ぞ知らるる」
●現代のプロテスタント教会もキリスト教主義学校も学生寮も、信仰をもってこの世的に高い地位を持つ人間を多く生み出せば「世の中よくなる」と考えているから、大間違い。みな退潮。天罰だ。
●イエスの学校は「落ちぶれ人間」を集めた。


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朝の黙想終わり。神よ私の残りの人生を「落ちぶれて」泣いている人のもとに遣わしたまえ。
あなたたちこそ天国への門が開かれているということを告げさせたまえ。



 



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艱難辛苦はしばらくの間だ ++++++++ 所感

2013/02/21 06:21

130221(木)4時45分起床。乾布摩擦、冷水洗顔、厚着、ブログ開始●朝の啓示「艱難辛苦はしばしの間」●この世では様々な悩み悲しみ苦しみがあるが不思議と時が解決してくれる。それは「時」ではなく神が救ってくれるのだ。●関連聖句を思いつくままに書こう。

口語訳 詩 126:5-6
126:5 涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。
126:6 種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。


●福音の伝道は涙と共に蒔かれるものだ。十字架と共に蒔かれるものだ。
●何人も苦難なしには福音の伝道はできない

口語訳 詩 37:25
37:25 わたしは、むかし年若かった時も、年老いた今も、
正しい人が捨てられ、あるいはその子孫が/食物を請いあるくのを見たことがない。


●これは幼い時に父を失くされた故藤林益三先生(元最高裁判所長官。東京聖書読者会の産みの親)の特愛の句であった。
●その藤林先生があるとき私に「高橋君。私は金のことは心配したことはない」と言われた。
●超極貧の伝道者の子弟が金のかかる医学部に入るのは不思議だ。
●無手勝流の伝道者の藤沢武義氏が生涯で一番つらかったことは、「お金にに困ったとき『何とかなる。神が何とかしてくださる』と言い続けた。すると子供を抱えた夫人に『では今ここに食べ物を出して下さい』とせがまれた時である。」と語られた。」
●その藤沢武義氏が東京聖書読者会に来られた時、「伝道者出でよ!。神がついていればなんとかなる」と言って持っておられた聖書を思い切り机にバンと叩きつけられた。それはものすごい音であった。 耳に残っている。
●私はその息子を知っている。体格が良い。

塚本訳 Ⅱコリ4:16-17
4:16 このゆえに、わたし達は気を落さない。いや、わたし達の(生れながらの)外の人はどんなにこわれていっても、(キリストによって生れた)内の人は一日一日と新しくされてゆく。
4:17 なぜなら、現在の軽い苦難は、この上もなく素晴らしい、永遠に豊富な(神の)栄光をわたし達にもたらす(保証だ)からである。

●この世の苦難は軽い。なぜか。人生はたかだか70年80年ではないか。
●永遠の命はこの世の喜び以上のものだ。
●ヒルティ「幸福論」の結語は「苦しみは瞬時にして喜びは永遠」。(シラー「オルレアンの少女」から引用)
●ジャンヌダークは火あぶりの刑になったとき、煙で呼吸が苦しくなり、苦痛で顔をゆがめ首を左右に振った。同名の映画でのイングリッドバーグマンの演技が忘れられない。
●我々の人生も苦痛で顔をゆがめて首を左右に振ったとしてもそれは70年80年のものだ。その苦痛は神がご存知だ。ナンノコレシキと言って忍べ。


口語訳 詩 90:10
90:10
われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。


●これは新約の光で読まねばならない。飛び去るのは来世である。永遠の命である。

塚本訳 ヘブ 12:5-11
12:5 また、(親がその)子に話すようにして話される(神の)励ましを忘れてしまっている。──『わが子よ、主の訓練を軽んずるな、処罰されるときに、ひるむな。
12:6 なぜなら、主は愛する者を訓練し、好きな子をすべて懲らしめられる。』
12:7 (神の)『訓練』を受けるために、(迫害を)耐え忍べ。神はあなた達を(自分の)『子』のように取り扱われるのである。なぜなら、父の『訓練し』ない『子が』どこにかあるのか。
12:8 もし皆が受ける『訓練が』ないとすれば、それこそあなた達は私生児で、(ほんとうの)『子』ではない。
12:9 かつまた、わたし達は訓練をする者として肉の父を尊敬した(とするならば)、まして霊魂の父に服従して、(永遠に)生きないことがあるだろうか。
12:10 というのは、肉の父は(ほんの)少しの日数(だけ)、自分の考えに従って訓練したのに反して、
神はわたし達を益するため、わたし達をその聖さにあずからせるために、訓練されるのであるから。
12:11 あらゆる訓練(というもの)は、その当座は喜びとは見えず、かえって悲しみと見えるが、しかしあとで、それで鍛えた者に(まことの)義の実である平安を与えるのである。



●神は「体罰」を与えたもう。しかしそれは愛のため。永遠の喜びのため。
●私は家を焼かれ、脳出血で意識不明になった。これ神の「体罰」であった。
●この体罰で「天国の家は焼けない」「この世の命は100%神が握っておられる」という大真理を教えられた。 集会の壇上で泣いた。
●「体罰」なくして愛に効き目なし。真の愛は「体罰する」。体罰なき教師は「自己保身」。教育委員会と父兄が怖いだけ。

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朝の黙想 終わり。世が明けた。 

 

2013_02210004.jpg 

妻の友人のMさんがあきる野を去ることになり、記念にブルーべリーを下さった。
Mさんの家にシャベルを持って行って掘って来て家に植えた。
私の家にはいろいろな人が記念樹を下さる。それぞれに思い出がある。神の祝福を祈る。
ミルトス・・・御主人が難しい御病気
オリーブ・・・東日本大震災で大苦難
ブルーベリー・・・御主人の退職。マンション住まいになる。

 

2013_02210006.jpg 

大空に鳥が一匹で舞っていた。淋しくないのかなー。

●隣地の畑の小川さんが自作の「煮大根」を下さった。妻はおでんにした。おいしい。
●妻は夕方から「メサイア」の練習に出かける。神を賛美することはよいことだ。
●TSK日本語版18章入力
●3月3日の集会感話の準備、3月14日の「キリスト教性教育研究会」の発題準備。
●ヒルティは「演説は生活だ」と言っている。つまり「人の発言は生活が現れる」ということだ。勉強して話す話は人の心に響かない。


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神の依怙贔屓の意義 ++++++++ 所感

2013/02/20 06:45

130220(水)4時45分目覚め●朝の啓示「神の依怙贔屓の意義」●起床、乾布摩擦、冷水洗顔、厚着で暖房せず。●神は依怙贔屓する。人類を集団で救わないで誰か一人を依怙贔屓して選び出し、その人間を血祭りの犠牲にして、全体を救う。ここに神の経綸が不条理にみえる点がある。●親は子供のうち誰かを依怙贔屓しているように見えるが、実はそうではない。●関連する聖書を黙想してみよう。

口語訳 創  4:1-5
4:1 人はその妻エバを知った。彼女はみごもり、カインを産んで言った、「わたしは主によって、ひとりの人を得た」。
4:2 彼女はまた、その弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。
4:3 日がたって、カインは地の産物を持ってきて、主に供え物とした。
4:4 アベルもまた、その群れのういごと肥えたものとを持ってきた。主はアベルとその供え物とを顧みられた。
4:5
しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。



●兄カインが怒るのは最もだ。主はなぜカインの捧げものを受け取らなかったのかは謎。
●兄カインが弟アベルを殺したことは人類最初の「殺人事件」
●この親子兄弟の葛藤をテーマにしたのが、映画「エデンの東」。

口語訳 創  25:27-28
25:27 さてその子らは成長し、エサウは巧みな狩猟者となり、野の人となったが、ヤコブは穏やかな人で、天幕に住んでいた。
25:28
イサクは、しかの肉が好きだったので、エサウを愛したが、リベカはヤコブを愛した。



●兄エサウは狩人、弟ヤコブは天幕づくりで穏やかな人。
●父イサクは兄エサウを愛し、母リベカは弟ヤコブを愛した。
●すばらしい女性のリベカにしてこの依怙贔屓。謎。
●親は子供のうち誰かを依怙贔屓するのは持って生まれた宿命か。

塚本訳 マタ 3:16-17
3:16 イエスは洗礼を受けて、すぐ水から上がられた。すると、みるみる天が開けて、神の御霊が鳩のように自分の上に下って来るのを御覧になった。
3:17 するとその時
、「これは(いま)わたしの『最愛の子、』『わたしの心にかなった』」と言う声が天から出た。



●神はイエスを「最愛の子」と言った。

塚本訳 マタ 4:1
4:1 間もなくイエスは悪魔の誘惑にあうため、御霊につれられて荒野に上られた。

●悪魔はこの神の依怙贔屓に妬みを起こしてイエスを誘惑して神との仲を裂こうとする。これがイエスの「荒野の誘惑」
●悪魔の気持ちはわかる。あのカインの気持ちだ。
●神学的には悪魔は天使の一人が堕落した者。

塚本訳 ヨハ 13:27
13:27 ユダがそのパンを受け取(って食べ)ると、その時、悪魔がユダに入った。そこでイエスがユダに言われる、「しようとしていることをさっさとしたがよかろう。」

●ユダの気持ちもわかる。先生であるイエスから冷たくされたのである。

塚本訳 マタ 26:24
26:24 人の子(わたし)は聖書に書いてあるとおりに死んでゆく。だが人の子を売るその人は、ああかわいそうだ!生まれなかった方がよっぽど仕合わせであった。」

●ユダはイエスに自分の心を読まれていたので憎んだ。憎しみは殺人になる。
●しかし悪魔もユダの行為もこれ神の人類救済の大経綸。ここが難しいところ。

塚本訳 マタ 26:31
26:31 その時イエスは弟子たちに言われる、「今夜あなた達は一人のこらずわたしにつまずくであろう。
(聖書に)『わたしは羊飼いを打つ、羊の群はちりぢりになるであろう』と書いてあるからである。(羊飼はわたし、羊はあなた達である。)

●イエスは打たれた。悪魔とユダは利用された。

新共同 ゼカ 13:7
13:7 剣よ、起きよ、わたしの羊飼いに立ち向かえ/わたしの同僚であった男に立ち向かえと/万軍の主は言われる。羊飼いを撃て、羊の群れは散らされるがよい。わたしは、また手を返して小さいものを撃つ。

●羊飼いのイエスが打たれた旧約の預言であった。神に愛されるものの宿命。神の経綸。辛く悲しいのは神。

口語訳 イザ 53:3-8
53:3 彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
53:4 まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
53:5 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。
53:6 われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。
53:7 彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。
53:8 彼は暴虐なさばきによって取り去られた。その代の人のうち、だれが思ったであろうか、彼はわが民のとがのために打たれて、生けるものの地から断たれたのだと。
53:9 彼は暴虐を行わず、その口には偽りがなかったけれども、その墓は悪しき者と共に設けられ、その塚は悪をなす者と共にあった。
53:10 しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、主は彼を悩まされた。彼が自分を、とがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ、その命をながくすることができる。かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。
53:11 彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。 


●羊飼いが打たれたことの神にある意味は誰もわからなかった。謎であった。

塚本訳 マタ 27:39-44
27:39 通りかかった人々が『頭をふりながら、』イエスを冒涜して
27:40 こう言った、「お宮をこわして三日で建てるという人、自分を救ってみろ。神の子なら、十字架から下りてこい。」
27:41 同じように大祭司連も、聖書学者、長老と一しょに、こう言ってなぶった、
27:42 「あの男、人は救ったが、自分は救えない。イスラエルの王様じゃないか。今すぐ十字架から下りてくるがよい。そうしたら信じてやるのに!
27:43 『彼は神にたよっている。神が可愛がっておられるなら、』今すぐ『救ってくださろう』だ。『わたしは神の子だ』と言ったから。」
27:44 一しょに十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスを罵った。

●アーなんということか。人間が神を殺すとは。


口語訳 詩  22:7-8
22:7 すべてわたしを見る者は、わたしをあざ笑い、くちびるを突き出し、かしらを振り動かして言う、
22:8
「彼は主に身をゆだねた、主に彼を助けさせよ。主は彼を喜ばれるゆえ、主に彼を救わせよ」と。



●「クリスチャンがなぜ苦しむのか。神がいるというのは本当か。」と疑われる。
●だからクリスチャン自身が信仰に固く立つことが最大の伝道だ。宣教ではない、説教ではない。

塚本訳 ヨハ 2:19-22
2:19 イエスは答えられた、「このお宮をこわせ、三日で造ってみせるから。」
2:20 ユダヤ人が言った、「このお宮を建てるには四十六年もかかったのに、あなたは三日で造るというのか。」
2:21 しかしイエスは自分の体のことを宮と言われたのであった。
2:22
だから死人の中から復活された時、弟子たちはこう言われたことを思い出して、聖書とイエスの言われた言葉と(が本当であること)を信じた。

●人類にイエスの死の意味が分かったのは復活と聖霊降臨によってであった。 
●この不思議な神の経綸をパウロは次のように理解した。偉大なるかなパウロ

塚本訳 ロマ 9:10-13
9:10 そればかりではない。(一人の女)リベカが、一人の男すなわちわたし達の祖先イサクによって孕んだ場合も、その一例である。
9:11 なぜか。(同じ父母から生まれた二子であるのに、弟ヤコブの方が、兄エサウを差し置いて相続人になったのである。すなわち)二人がまだ生まれず、(従って)なんの善いことも悪いこともしない先に、──これは、神の選びの計画は不動であり、
9:12 (人の)行いによらず、召されるお方(の御心)による(ことを示す)ためであったが──『兄は弟に仕える』と神はリベカに言われた。
9:13 (そして預言どおりにヤコブが選ばれた。)『わたしはヤコブを愛したが、エサウを憎んだ』と書いてあるとおりである。

●神の依怙贔屓の意味は、絶対恩恵による無条件の罪の赦しのためであるとパウロは謎を解明したのだ。

塚本訳 ロマ 9:14-18
9:14 するとどういうことになるのだろうか。神に不公平でもあるのか。もちろん、そんなことはない。
9:15 その証拠には、神は(かつて)モーセにこう言われている、『わたしは憐れみたい者を憐れみ、慈悲をほどこしたい者に慈悲をほどこす』と。
9:16 従って(憐れみも慈悲も、)それは(人間の)願望にも努力にもよらず、ただ神の憐れみによるのである。
9:17 (反対に、憐れみを奪われる場合も同じである。)現に聖書は、パロ[エジプト王]にこう(神が仰せられたと)言っているではないか、』わたしがあなたを(王として)立てたのは、(あなたの心を頑固にして私の命令にそむかせ、)あなたによってわたしの力を示すため、また、わたしの名が全世界に知れわたるため、ただそのためであった』と。
9:18
従って神は思うままに、ある人を憐れみ、ある人を、』頑固にされる』(ことは明らかである。)



●誰かが悪魔に取りつかれて堕落するのも他の人が救われるための神の苦肉の策。御心御心。

塚本訳 ロマ 11:33
11:33 ああ、神の富と知恵と知識との深さよ!なんとその裁きの探りがたく、(なんと)その(お歩きになる)道の不可解なことよ!

●ロマ書9-11章は、何で俺だけがウチだけが苦しまねばならないかと大疑問の渦中にある人が食いついて読むべき部分である。パウロの凱歌はなぐさめである。

口語訳 哀  3:27-29
3:27 人が若い時にくびきを負うことは、良いことである。
3:28 主がこれを負わせられるとき、ひとりすわって黙しているがよい。
3:29
口をちりにつけよ、あるいはなお望みがあるであろう。

●クリスチャンとその家族は悪魔に狙い打ちされる。
●しかしそれは主に十字架を負わされることなのだ。
●だからこれは「主に負わされた十字架だ。神はご存知だ」と思って耐えるべきだ

塚本訳 Ⅱコリ2:14-16
2:14 しかし神に感謝せねばならない。神はいつでもわたし達をキリストによる凱旋行列に(虜として)引き回し、至る所でわたし達を通して御自分を知らせる知識の薫りをお広めになる。
2:15 というのは、わたし達は救われる者の間でも、滅びゆく者の間でも、神にささげられるためのキリストのよい薫である。
2:16 ある者には、死から死へみちびく薫であるが、ある者には、命から命へみちびく薫りである。
(ああ、)一体だれにこんなことが勤まろう。

●悪魔に狙い打ちされて倒れたクリスチャンとその家族は、凱旋行列の奴隷の姿。      ●街の人、沿道の人に笑われる。
●一体誰がこの恥の姿に耐えられるか。
●この文言にはないが、パウロは「この私にはそれが勤まる」というのだ。

口語訳 詩  42:3
42:3 人々がひねもすわたしにむかって/「おまえの神はどこにいるのか」と言いつづける間は/
わたしの涙は昼も夜もわたしの食物であった。

●人生には涙をご飯にまぶして食べる苦しみの日々があるものだ。ただ「呻き」のみ。

塚本訳 ピリ 1:29
1:29 君達はキリストのために──ただ彼を信ずるばかりでなく、また
彼のために苦しむことをも恵まれたからである。



●主にあっては「苦しみ、嘆き、悲しみ」も恩恵。

塚本訳 コロ 1:24
1:24 今私は君達のために苦しむことを喜びとし、またキリスト・イエスの体なる教会のために
私の体でキリストの患難の不足を補っている。

●「キリストの艱難の不足を補う」というところに教会の存在意義がある。
●そこにクリスチャンとその家庭の苦悩の意味がある。

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朝の黙想 終わり。

●TSK日本語版申命記18章入力。モーセ5書の完成までもう少し。
●TSKは全部完成すれば、紙の本にして16万ページ。出版は不可能。インターネットだからできるプロジェクト。あと3年、これが終わらないうちは死ねない。
●妻は午後から愛子の家に手伝い。
●年を重ねても試練試練。御心御心。神はご存知。
●故TTさんの一人息子は生まれつき歩けなかった。そして生涯で3度「歩けなくてつまらない」と泣かれた。その都度母のTTさんは「神様が知っているからいいのよ」と慰めたという。これ以上の慰めの言葉はない。
●人が不可解不条理な苦難に遭遇したときは「神様は知っている」と信じて耐え抜くべきだ。
●朝の暗いうちに東の窓を開けると遠くに漁火のような明かりが見える。あれはどこかかと発見しようと散歩。1.5時間見つけられなかった。
●18:30妻帰宅。愛子が夕飯のおかずを持たせてくれた。
●障碍児を抱える親の苦悩。心の障碍者を抱える人の苦悩。あー早く終末が来ないか。




























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悪魔は神が追い出してくださる ++++++++ 所感

2013/02/19 06:45

130219(火)5時目覚め、朝の啓示「悪魔と戦え」、起床、乾布摩擦、冷水洗顔、急いで厚着、暖房はつけない、ブログ執筆開始、●我々の敵は本能寺では」なく悪魔。ヒルティは「生涯屈することなき敵をもて」と言う。鉄面皮になれという。●我々の敵は領地紛争の争いのようなこの世的な敵ではなく、霊界の敵である。●私のライフワークはこれである。●頭に浮かぶ関連聖句と感話を書こう。

塚本訳 エペ 6:12
6:12 私達の戦いは(この世の)血肉に対するものでなく、「権威」に対するもの、「権力」に対するもの、
この暗の世界の主権者(なる悪魔)に対するもの、天上における悪霊(の軍勢)に対するものであるからである。

●目に見えぬ敵といっても「放射能」ではない。表に出てこない官僚でもない。それは悪魔なのだ。
●イエスの地上の生涯は人間から「悪霊」を追い出すことであった。これは人間にはできないことであった。


塚本訳 エペ 2:2
2:2 かつてはこの世の世界の流れに従い、すなわち空中の権威と、今も不従順の子らの中に働いている(悪)霊との首領に従って、その咎と罪の中を歩いたのであった。

●自分は、また我が家は品行方正だと自惚れしている人でも実は悪魔に毒素を注入されているのだ。クリスチャンはかってはその毒素に犯されてライ病状態だったのだ。神の恩恵の宝血の血清で清くされたのだ。自慢はできない。

文語訳 ヨハ 16:33
16:33 此等のことを汝らに語りたるは、汝ら我に在りて平安を得んが爲なり。なんぢら世にありては患難あり、されど雄々しかれ。我すでに世に勝てり』

●悪魔を追い出し、悪魔に勝利するのはキリスト以外にはありあえない。肉の人間が悪魔に抵抗しても勝てない。なぜか。同じ肉の人間だからだ。
●この世の悪に抵抗しても相手は「新しく生まれ変わる」ことはできない。だから堕落したキリスト信者が盛んに天下国家の悪を断罪しているのは間違い。

塚本訳 ヘブ 12:4
12:4 あなた達はまだ、罪と戦って血を流すまでに抵抗したことがない

口語訳 ヘブ 12:4
12:4 あなたがたは、罪と取り組んで戦う時、まだ血を流すほどの抵抗をしたことがない。


塚本訳 黙  18:20
18:20 天よ(喜べ、)聖徒、使徒、預言者達よ、彼女について喜べ、お前達の(流した血の)ために神が彼女に罰を加え給うたのだ!

新共同 黙  18:23-24
18:23 ともし火の明かりも、/もはや決してお前のうちには輝かない。花婿や花嫁の声も、/もはや決してお前のうちには聞かれない。なぜなら、お前の商人たちが/地上の権力者となったからであり、/また、お前の魔術によって/すべての国の民が惑わされ、
18:24 預言者たちと聖なる者たちの血、/地上で殺されたすべての者の血が、/この都で流されたからである。」

●私は13年前に脳出血で倒れて意識不明になった。「どうせ死ぬなら」今度は悪魔との戦いで血を流そう。
●といっても私の汚れた血では世は清まらない。「ヘルプ!」と叫んでキリストを呼び続け、キリストに祈り続けて血を流すことで死のう。ステパノがそうであった。

新共同 使  7:54-60
7:54 人々はこれを聞いて激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりした。
7:55 ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、
7:56 「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。
7:57 人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、
7:58 都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。
7:59 人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言った。
7:60 それから、ひざまずいて
、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。


●これが罪と闘って血を流した実例である。ステパノは「聖徒」である。
●どうせ死ぬなら悪魔を敵として血を流して死にたい。そうすれば黙示録にある「血を流した者になれるのだ。つまらないことでは死ねない。                             ●プロテスタントはカトリックの「聖人」には推挙されなくても「置かれた場所で聖徒としていきるべきだ。
●復活のキリストは我らの味方であることは次である。


塚本訳 ヘブ 2:14
2:14 だから、『子らは』血と肉とを共有しているので、(イエス)彼自身も、(全く)同じようにこれを保たれた。(これはその)死によって、死の権力をもっている者、すなわち悪魔をほろぼし、


塚本訳 Ⅰヨハ3:8
3:8 しかし罪を犯す者は悪魔の子である。というのは、悪魔は始めから罪を犯したからである。神の子が自分を現わされたのはそのため、(すなわち)悪魔の業をこわすためであったのである。


塚本訳 ロマ 16:20
16:20 平和の神が間もなく悪魔をあなた達の足の下に踏み砕かれるであろう。わたし達の主イエスの恩恵、あなた達と共にあらんことを。

●肉の人間には悪魔を滅ぼす能力はない。キリストにのみそれができる

塚本訳 マコ 1:40-42
1:40 すると(ある日)一人の癩病人がイエスの所に来てひざまずき、「清めてください。お心さえあれば、お清めになれるのだから」と言って願った。
1:41 イエスは(そのあわれな姿を見て悪魔に対する)怒りに燃え、手をのばしてその人にさわり、「よろしい、清まれ」と言われると、
1:42 たちまち癩病が消えうせて、その人は清まった。


●イエスは怒った。悪魔に対して怒った。人間に対して怒ったのではない。

塚本訳 ルカ 8:1-3
8:1 その後、イエスは町から町、村から村へと回りながら、神の国を説き、その福音を伝えられた。十二人(の弟子)がお供をした。
8:2 また悪霊や病気をなおしていただいた数名の女たち、すなわち、七つの悪鬼を追い出されたマグダラの女と呼ばれたマリヤと、
8:3 ヘロデ(・アンデパス王)の家令クーザの妻ヨハンナと、スザンナと、そのほか大勢の女たちも一しょであった。女たちは自分の財産を持ち出して、みなを賄った。

塚本訳 ルカ 13:11-16
13:11 その時、そこに十八年も病気の霊につかれている女がいた。体が曲っていて、真直ぐに伸ばすことが出来なかった。
13:12 イエスは女を見て呼びよせ、「女の人、病気は直っている」と言って
13:13 手をのせられると、女はたちどころに体がまっすぐに伸びて、神を讃美した。
13:14 すると礼拝堂監督は、イエスが安息日に病気をなおされたことを憤慨して、群衆に言った、「働くべき日は六日ある。その間に来てなおしてもらったがよかろう。安息日の日にはいけない。」
13:15 主が答えられた、「この偽善者たち、あなた達はだれも、安息日には牛や驢馬を小屋から解いて、水を飲ませにつれてゆかないのか。
13:16 この女はアブラハムの末であるのに、十八年ものあいだ、悪魔が縛っていたのだ。安息の日だからとて、その(悪魔の)縄目から解いてはならなかったのか。」


●これによると「病気の霊」(11節)は「悪魔が縛って」(16節)いるということだ。医学者からみれば〕お笑いだが、真相はそうだ。医学は宗教と組まなければ人を治せない。救えない。

塚本訳 ルカ 14:2-5
14:2 すると、水気をわずらった人がイエスの前にあらわれた。
14:3 イエスは自分の方から律法学者やパリサイ人たちに向かって口を切られた。「安息日に病気をなおすことは正しいか、正しくないか。」
14:4 彼らが黙っていると、その人(の手)をつかんで、病気を直してお帰しになった。
14:5 そして彼らに言われた、「あなた達のうちには、息子か牛かが井戸に落ちたとき、安息の日だからとてじきに引き上げてやらない者がだれかあるだろうか。」

●子供が困っている時、「よーし父さんが何とかしてやる」と思うものだ。
●「息子か牛かが井戸に落ちたとき」(5節)とは言いえて妙である。子供のいなかったイエスにどうしてその気持ちがわかるのだろうか。

新共同 マタ 12:22
12:22 そのとき、悪霊に取りつかれて目が見えず口の利けない人が、イエスのところに連れられて来て、イエスがいやされると、ものが言え、目が見えるようになった。

●悪魔は人間に取りついてくる。寄生している。住処としている。
●新約聖書には「悪霊にとりつかれ」とか「悪霊につかれ」という言葉が多い。
 口語訳 25回、新改訳25回、新共同訳24回、塚本訳(悪鬼)22回
 

塚本訳 マタ 8:16
8:16 夕方になると、人々は悪鬼につかれた者を大勢イエスのところにつれて来た。イエスは言葉をもって霊どもを追い出し、また一人のこらず病人をなおされた。


●イエスは悪霊を追い出した。復活のイエスは今でも悪霊を追い出せる。
●新約聖書で「追い出す」と言う言葉は多い。塚本訳50回、口語訳55回、新改訳55回、新共同51回。 


口語訳 マコ 9:28-29
9:28 家にはいられたとき、弟子たちはひそかにお尋ねした、「わたしたちは、どうして霊を追い出せなかったのですか」。
9:29 すると、イエスは言われた
、「このたぐいは、祈によらなければ、どうしても追い出すことはできない」。


塚本訳 マコ 9:28-29
9:28 家にかえられると、弟子たちは人のいない時に尋ねた、「なぜわたし達には霊を追い出せなかったのでしょうか。」
9:29 彼らに言われた、「この種類(の霊)は、祈り以外(の手段)では決して出てゆかせることは出来ない。

●我々が親しい人、身内から悪霊を追い出すにはどうしたらよいのか。それは祈りで神に働いていただく以外にはどうしても追い出せない。


塚本訳 ルカ 2:34-35
2:34 シメオンは両親を祝福し、母マリヤに言った、「驚きなさるなよ、この幼児はイスラエルの多くの人を、(この方に対する態度によって)倒されたり立たせたりする、また、一つの目印となって(この世の烈しい)反対をうける、使命を負わされているのです。──
2:35
(母人よ、)あなたも劔で胸を刺しつらぬかれ(る苦しみをせ)ねばなりますまい。──これは多くの人の心の(隠れた)考えを外に出させるためなのです。」


●かわいいわが子に剣を刺されるとは。
●霊肉の戦いの宿命
●クリスチャンになったが故の悲しい宿命

塚本訳 ヨハ 2:1-4
2:1 それから三日目に、ガリラヤのカナに婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
2:2 イエスも弟子たちと婚礼に招かれた。
2:3 すると宴会の最中に酒が足りなくなったので、母がイエスに言う、「お酒がなくなりました。」
2:4 イエスが言われる、「女の方、〃放っておいてください。〃わたしの栄光(を示す)時はまだ来ておりません。」

●母に向かって「ウルセー、ほっといてくれ」というのと同じ。
●このとき一番悲しかったのは母ではなくイエスだ。

塚本訳 マコ 3:20-21
3:20 家にかえられると、また群衆が集まってきて、みんなは食事すら出来なかった。
3:21
身内の者たちが(イエスの様子を)聞いて(ナザレからカペナウムへ)取りおさえに出てきた。「気が狂っている」と思ったのである。


塚本訳 マタ 12:46-50
12:46 イエスがまだ群衆に話しておられると、そこにその母と兄弟たちがイエスに話しがあって、外に立っていた。
12:47 〔無し〕
12:48 しかしイエスはそのことを知らせた者に、「わたしの母とはだれのことだ、わたしの兄弟とはだれのことだ」と答えて、
12:49 弟子たちの上に手をのばして言われた、「ここにいるのが、わたしの母、わたしの兄弟だ。
12:50 だれでもわたしの天の父上の御心を行う者、それがわたしの兄弟、姉妹、また母であるから。」

塚本訳 マタ 10:34-36
10:34 地上に平和をもたらすためにわたしが来た、などと考えてはならない。平和ではない、剣を、(戦いを)もたらすために来たのである。
10:35 わたしは子を『その父と、娘を母と、嫁を姑と』仲違いさせるために来たのだから。
10:36
『家族が自分の敵となろう。』


塚本訳 ルカ 12:51-53
12:51 あなた達は、地上に平和をもたらすためにわたしが来たと思うのか。そうではない、わたしは言う、平和どころか、内輪割れ以外の何ものでもない。
12:52 今からのち、
一軒の家で五人が割れて、三人対二人、二人対三人に
12:53 割れるからである。父対息子』息子対父、』母対娘』娘対母、』姑対嫁』嫁対姑』!」


塚本訳 マタ 10:21-25
10:21 また兄弟は兄弟を、父は子を、殺すために(裁判所に)引き渡し、『子は親にさからい立って』これを殺すであろう。
10:22 あなた達はわたしの弟子であるために皆から憎まれる。しかし最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
10:23 この町で迫害された時には、次の町に逃げてゆけ。アーメン、わたしは言う、人の子(わたし)は(すぐに)、あなた達がイスラエル人の町々を回りつくさぬうちに来るのだから。
10:24 弟子は先生以上でなく、僕は主人以上ではない。(だからあなた達が迫害されるのは当り前である。)
10:25 弟子は先生のよう、僕は主人のようであれば、それで満足すべきである。家の主人(たるわたし)が(悪鬼の頭)ベルゼブルと(悪口を)言われたのだから、その家族(たるあなた達)はなおさらのことである。

●一番世話になった人、親しい人に「ノー!」と言って剣を振りかざさなければならない悲しさ、辛さ。
●クリスチャンは身内が最大の敵になる。涙をふるって「ノー!」と言わなければ自分も死に、相手も死んでしまうのだ。
 
讃美歌380番



たてよいざ立て 主のつわもの 見ずやみ旗のひるがえるを

すべてのあだをほろぼすまで 君はさきだち行かせたまわん



たてよきかずや主のつのぶえ いざたたかいの門出いそがん

君が隊(て)につく この身なれば 雲なすあだも 何かおそれん



たてよわが主のちからにより 神のよろいをかたくまとい

みたまのつるぎうちかざして おのが持場にいsみすすめ



たてよいくさはやがておわり とわのかちうたたかくうたい

尽きぬ生命のかむりをうけ さかえの君とともに治めん

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朝の黙想終わり。

●クリスチャンは生きている間は孤独の戦いをしなければならない。暖かい家庭は望めない。いいんだ。いいんだ。それでいいのだ。それがいいのだ。しかしすべては終末でわかる。
●TSK日本語版申命記16章入力。
●妻は友人Mさんの送別会。「会うは別れの始まり」だ。
●夕方17:00から一時間散歩。家の灯を見て感謝の気持ちが湧く
























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もしお出来になるなら(と言うの)か。 ++++++++ 所感

2013/02/18 07:12

130218(月)3時目覚め。朝の啓示「もしお出来になるならと言うのか」●5時半起床、乾布摩擦、冷水洗顔、急いで厚着。


塚本訳 マコ 9:22-24
9:22 霊はこの子を殺そうとして、幾たびか、火の中、水の中に投げ込みました。それでも、もしなんとかお出来になるなら、わたしども(親子)を不憫と思って、お助けください。」
9:23 イエスは言われた、「もしお出来になるなら(と言うの)か。信ずる者にはなんでも出来る。」
9:24 即座にその子供の父親が叫んだ、「信じます。不信仰をお助けください。」

●信仰の道は難しい。この悩みはまさか神でも解決できないであろうと思うことの連続である。
●この不信仰を神は嫌う。関連聖句を掲げてみよう。

塚本訳 マタ 17:15-18
17:15 言った、「主よ、どうぞ伜にお慈悲を。癲癇で、ひどく苦しんでおります。幾たびも幾たびも火の中、水の中に倒れるのです。
17:16 それでお弟子たちのところにつれて来ましたが、なおおしになれませんでした。」
17:17 イエスは答えられた、「ああ不信仰な、腐り果てた時代よ、わたしはいつまであなた達と一しょにおればよいのか。いつま塚本訳 マタ 17:15-20
17:15 言った、「主よ、どうぞ伜にお慈悲を。癲癇で、ひどく苦しんでおります。幾たびも幾たびも火の中、水の中に倒れるのです。
17:16 それでお弟子たちのところにつれて来ましたが、なおおしになれませんでした。」
17:17 イエスは答えられた、「ああ不信仰な、腐り果てた時代よ、わたしはいつまであなた達と一しょにおればよいのか。いつまであなた達に我慢しなければならないのか。その子をここにつれて来なさい。」
17:18 そしてイエスが悪鬼を叱りつけられると、悪鬼が出ていって、その時から子はなおった。
17:19 あとで弟子たちは人のいない時にイエスの所に来て言った、「なぜわたし達には悪鬼を追い出せなかったのでしょうか。」
17:20 彼らに言われた、「信仰が無いからだ。アーメン、わたしは言う、もしあなた達に芥子粒ほどでも信仰があれば、この山に向かい『ここからあそこに移れ』と言えば移り、あなた達に出来ないことは一つもない。」

塚本訳 ヨハ 11:37-40
11:37 しかし中には、「盲人の目をあけたこの人にも、このラザロが死なないように出来なかったのか」と言う者もあった。
11:38 そこでイエスはまたも心に憤りながら、(ラザロの)墓に来られる。墓は洞穴で、入口に石を置いて(ふさいで)あった。
11:39 「石をのけなさい」とイエスが言われる。死んだ人の姉妹のマルタが言う、「主よ、もう臭くなっています。四日目ですから。」
11:40 イエスがマルタに言われる、「信ずれば神の栄光が見られると、(さきほども)あなたに言ったではないか。」

●信仰生活が長くても「まさか、直ることはないだろう」と思う時がある。イエスはそういう不信仰を嫌った。」

塚本訳 ルカ 17:5-6
17:5 使徒たちが主に言った、「もっと信仰を下さい。」
17:6 主が言われた、「もしあなた達に芥子粒ほどでも信仰があれば、──(あなた達にはそれがないが、もしあれば)──この桑の木にむかい『抜けて海に植われ』と言っても、言うことを聞くであろう。


塚本訳 マコ 5:27-34
5:27 イエスのことを聞いて、群衆にまじってついて来た女が、後ろからその着物にさわった。
5:28 「お召物にでもさわれば、なおるにちがいない」と思ったのである。
5:29 はたしてすぐ血の源がかれて、病気が直ったのを身に感じた。
5:30 イエスは自分の中から力が出ていったのにすぐ気がついて、群衆の中で振り返ってたずねられた、「わたしの着物にさわったのはだれか。」
5:31 弟子たちが言った、「御覧のとおり群衆が押しまくっているのに、さわったのはだれか、とおしゃるのですか。」
5:32 イエスはこのことをした女を見つけようとして、(黙って)見まわしておられた。
5:33 女は自分(の身)におこったことを知っているので、恐ろしくなって震えながら、進み出てイエスの前にひれ伏し、すべてをありのままに話した。
5:34 イエスは言われた、「娘よ、あなたの信仰がなおしたのだ。さよなら、『平安あれ。』もう病気をせず、達者でいなさい。」


●信仰はわずかでよい。小さくてよい。「もしかして」でもよい。「ダメでもともと」でもよい。あるいは」でもよい。

●深い信仰や聴かれる信仰は人間の側の能力や努力ではない。神に一方的に直してもらって初めて「信じます。不信仰をお助けください」と言うようになる。(前記マルコ9:24)

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朝の黙想 終わり

●TSK日本語版申命記15章入力
●私の死後私のサイトにある聖書研究データをどのように保存するか、プロバイダーのアサヒネットと相談。
●TSK、エズラ記準備。
●ロシアに」落下した隕石がなぜものすごい爆風をもたらしたか、NHKクローズアップ現代で解説。衝撃波であることがわかった。
●聖書には終末の現象として「星が落ちる」とある。

口語訳 マタ 24:29
24:29 しかし、その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。


新改訳 マタ 24:29
24:29 だが、これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。


新共同 マタ 24:29
24:29 「その苦難の日々の後、たちまち/太陽は暗くなり、/月は光を放たず、/星は空から落ち、/天体は揺り動かされる。


塚本訳 マタ 24:29
24:29 それらの苦難の日の後に、たちまち『日は暗く、月は光を放たず、』『星は』天から『落ち、もろもろの天体が』震われるであろう。


文語訳 マタ 24:29
24:29 これらの日の患難ののち直ちに日は暗く、月は光を發たず、星は空より隕ち、天の萬象ふるひ動かん。


●この共通の訳語である「星は天から落ち」は旧約の引用

口語訳 イザ 13:10
13:10 天のとその星座とはその光を放たず、太陽は出ても暗く、月はその光を輝かさない。

口語訳 イザ 34:4
34:4 天の万象は衰え、もろもろの天は巻物のように巻かれ、その万象はぶどうの木から葉の落ちるように、いちじくの木から葉の落ちるように落ちる

●ここをTSK日本語版では次のようになっている。 とにかく終末の減少は「不思議」なことばかりらしい。

*「日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、」

Isaiah 13:10

10天の星とその星座とはその光を放たず、太陽は出ても暗く、月はその光を輝かさない。

Isaiah 24:23

23こうして万軍の主がシオンの山/およびエルサレムで統べ治め、かつその長老たちの前に/その栄光をあらわされるので、月はあわて、日は恥じる。

Jeremiah 4:23-28

23わたしは地を見たが、それは形がなく、またむなしかった。天をあおいだが、そこには光がなかった。 24わたしは山を見たが、みな震え、もろもろの丘は動いていた。 25わたしは見たが、人はひとりもおらず、空の鳥はみな飛び去っていた。 26わたしは見たが、豊かな地は荒れ地となり、そのすべての町は、主の前に、その激しい怒りの前に、破壊されていた。 27それは主がこう言われたからだ、「全地は荒れ地となる。しかしわたしはことごとくはこれを滅ぼさない。 28このために地は悲しみ、上なる天は暗くなる。わたしがすでにこれを言い、これを定めたからだ。わたしは悔いない、またそれをする事をやめない」。

Ezekiel 32:7-8

7わたしはあなたを滅ぼす時、空をおおい、星を暗くし、雲で日をおおい、月に光を放たせない。 8わたしは空の輝く光を、ことごとくあなたの上に暗くし、あなたの国をやみとすると/主なる神は言う。

Joel 2:10

10地は彼らの前におののき、天はふるい、日も月も暗くなり、星はその光を失う。

Joel 2:30-31

30わたしはまた、天と地とにしるしを示す。すなわち血と、火と、煙の柱とがあるであろう。 31主の大いなる恐るべき日が来る前に、日は暗く、月は血に変る。

Joel 3:15

15日も月も暗くなり、星もその光を失う。

Amos 5:20

20主の日は暗くて、光がなく、薄暗くて輝きがないではないか。

Amos 8:9

9主なる神は言われる、「その日には、わたしは真昼に太陽を沈ませ、白昼に地を暗くし、

Zephaniah 1:14-15

14主の大いなる日は近い、近づいて、すみやかに来る。主の日の声は耳にいたい。そこに、勇士もいたく叫ぶ。 15その日は怒りの日、なやみと苦しみの日、荒れ、また滅びる日、暗く、薄暗い日、雲と黒雲の日、

Luke 21:25-26

25また日と月と星とに、しるしが現れるであろう。そして、地上では、諸国民が悩み、海と大波とのとどろきにおじ惑い、 26人々は世界に起ろうとする事を思い、恐怖と不安で気絶するであろう。もろもろの天体が揺り動かされるからである。

Acts 2:19-20

19また、上では、天に奇跡を見せ、/下では、地にしるしを、/すなわち、血と火と立ちこめる煙とを、/見せるであろう。 20主の大いなる輝かしい日が来る前に、/日はやみに/月は血に変るであろう。

Revelation of John 6:12-17

12小羊が第六の封印を解いた時、わたしが見ていると、大地震が起って、太陽は毛織の荒布のように黒くなり、月は全面、血のようになり、 13天の星は、いちじくのまだ青い実が大風に揺られて振り落されるように、地に落ちた。 14天は巻物が巻かれるように消えていき、すべての山と島とはその場所から移されてしまった。 15地の王たち、高官、千卒長、富める者、勇者、奴隷、自由人らはみな、ほら穴や山の岩かげに、身をかくした。 16そして、山と岩とにむかって言った、「さあ、われわれをおおって、御座にいますかたの御顔と小羊の怒りとから、かくまってくれ。 17御怒りの大いなる日が、すでにきたのだ。だれが、その前に立つことができようか」。

*「天体は揺り動かされるであろう」

2 Peter 3:10

10しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。




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「くれない族」になるな ++++++++ 所感

2013/02/17 07:43

130217(日)午前2時半目覚め。間近にせまった集会での発表資料の推敲。終わってまた寝たら、当日その資料を持参するのを忘れてしまって大わらわのところで夢が覚めた。夢でよかった。これも「ぬかりなくヤレ」との神の警告と解す。

●過日はNHKTVで昨日は新聞(日経)でカトリックの渡辺和子(86歳,ノートルダム清心女子大学理事長)のこと。彼女の最近の著書「置かれた場所で花を咲かせなさい」は100万部のベストセラーだという。その中で「くれない族」になってはいけませんと言われる。
●夫がこうしてくれない。妻がこうしてこれない。子供がこうしてくれない。親が、教師が、国が、牧師が、・・・・「だれだれが私を大切にをしてくれない」と不満を漏らすの人のことを「くれない族」と彼女はいう。
●これは聖書にある。

口語訳 使  20:35
20:35 わたしは、あなたがたもこのように働いて、弱い者を助けなければならないこと、また『受けるよりは与える方が、さいわいである』と言われた主イエスの言葉を記憶しているべきことを、万事について教え示したのである」。


新改訳 使  20:35
20:35 このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである。』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」


新共同 使  20:35
20:35 あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。」


塚本訳 使  20:35
20:35 わたしはあらゆる機会にあなた達に例を示したのだから、あなた達も同じように一生懸命に働いて、経済的に恵まれない者たちを助けなさい。主イエス御自身が言われた、『与えるのは貰うより幸いである』という御言葉を忘れずに!」


文語訳 使  20:35
20:35 我すべての事に於て例を示せり、即ち汝らも斯く働きて、弱き者を助け、また主イエスの自ら言ひ給ひし「與ふるは受くよりも幸福なり」との御言を記憶すべきなり』

●現実問題
 年賀状を出したのに返事をくれない。物を送ったのに返事をもらえない。近況の連絡をくれない。・・・・・・これはいけないのだ。

口語訳 ルカ 6:34-35
6:34 また返してもらうつもりで貸したとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でも、同じだけのものを返してもらおうとして、仲間に貸すのである。
6:35 しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう。いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。


新改訳 ルカ 6:34-35
6:34 返してもらうつもりで人に貸してやったからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。貸した分を取り返すつもりなら、罪人たちでさえ、罪人たちに貸しています。
6:35 ただ、自分の敵を愛しなさい。彼らによくしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いはすばらしく、あなたがたは、いと高き方の子どもになれます。なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからです。


新共同 ルカ 6:34-35
6:34 返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。
6:35 しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。


塚本訳 ルカ 6:34-35
6:34 また、取りもどすつもりで貸したからとて、どんな恵みがいただけよう。不信者でも同じだけのものを取り戻そうとして、不信者に貸すのである。
6:35 しかし、あなた達は敵を愛せよ、親切をせよ、何も当てにせずに貸しなさい。そうすれば褒美をどっさりいただき、かつ、いと高きお方の子となるであろう。いと高きお方は恩知らずや悪人にも、憐れみ深くあられるのだから。


文語訳 ルカ 6:34-35
6:34 なんぢら得る事あらんと思ひて人に貸すとも、何の嘉すべき事あらん、罪人にても均しきものを受けんとて罪人に貸すなり。
6:35 汝らは仇を愛し、善をなし、何をも求めずして貸せ、さらば、その報は大ならん。かつ至高者の子たるべし。至高者は、恩を知らぬもの惡しき者にも、仁慈あるなり。

●贈り物をしたときお礼の言葉を期待しない方がよい、と言うのだが、現実問題として「ついたとも」「つかない」とも連絡がないのはムカツク。
●ヒルティはどんなに忙しくても「ありがとう」という手紙を書くぐらいの時間は誰にでもあるという。
●私の人生経験では立派な人ほど「礼状」をすぐ書かれる。

口語訳 ロマ 12:20
12:20 むしろ、「もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃えさかる炭火を積むことになるのである」。


新改訳 ロマ 12:20
12:20 もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。


新共同 ロマ 12:20
12:20 「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」


塚本訳 ロマ 12:20
12:20 むしろ、『あなたの敵が飢えているなら、食べさせてやれ。渇いているなら、飲ませてやれ。こうするのはその頭に炭火を積むことであるから、(いつかは恥じて悔改める。)』


文語訳 ロマ 12:20
12:20 『もし汝の仇飢ゑなば之に食はせ、渇かば之に飲ませよ、なんぢ斯するは熱き火を彼の頭に積むなり』

●これワタシ的に言えば私に非礼なことをしている人はその人に「貸す」のである。発電エネルギーを起こしているのである。塚本訳のように「いつか恥じて悔い改める。


口語訳 箴  19:17
19:17 貧しい者をあわれむ者は主に貸すのだ、その施しは主が償われる。


新改訳 箴  19:17
19:17 寄るべのない者に施しをするのは、主に貸すことだ。主がその善行に報いてくださる。


新共同 箴  19:17
19:17 弱者を憐れむ人は主に貸す人。その行いは必ず報いられる。

●返事の来ない人には主に貸しているのだ。

口語訳 マタ 6:2-3
6:2 だから、施しをする時には、偽善者たちが人にほめられるため会堂や町の中でするように、自分の前でラッパを吹きならすな。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。
6:3 あなたは施しをする場合、右の手のしていることを左の手に知らせるな。


新改訳 マタ 6:2-3
6:2 だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
6:3 あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。


新共同 マタ 6:2-3
6:2 だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。
6:3 施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。


塚本訳 マタ 6:2-3
6:2 だからあなたが施しをする時には、偽善者のように、自分の前にラッパを吹きならして(吹聴して)はならない。彼らは人に褒められようとして、礼拝堂や町の中でそうするのである。アーメン、わたしは言う、彼らは(褒められたとき、)すでに褒美をもらっている。
6:3 あなたは施しをするときに、右の手のすることを左に悟られてはならない。


文語訳 マタ 6:2-3
6:2 さらば施濟をなすとき、僞善者が人に崇められんとて會堂や街にて爲すごとく、己が前にラッパを鳴すな。誠に汝らに告ぐ、彼らは既にその報を得たり。
6:3 汝は施濟をなすとき、右の手のなすことを左の手に知らすな。


●返事の来ない人を我慢できるか。できない。
●人間からでなく神から報酬を頂けると思えば我慢できる。

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朝の黙想 おわり

●集会は高木、丹野(私は命のパンである。ヨハネ6:14-31、塚本講演)、村上(申命記8章)
●妻は合唱団「もくせい」。ヴィヴァルディ「グローリア」。
●TSK日本語版申命記14章入力
●NHKTV「八重の桜」は幕府方か朝廷方か面倒なので、新島襄が出る段階から見ると妻に言う。

●今日の集会での村上さんの申命記の感話の感想を村上さんと語り合いながら帰った。

塚本訳 マタ 4:4
4:4 しかし答えられた「『パンがなくとも人は生きられる。(もしなければ、)神はそのお口から出る言葉のひとつびとつで(パンを造って、)人を生かしてくださる』と(聖書に)書いてある。」

●この独特の翻訳の根拠は申命記の8:3で、人が思いもつかないような方法で養われるという意味。
●この「マナ」は一日きりもたないものだから、毎日毎日「神頼み」しなければならない。その綱渡りの信仰心を養うために神はイスラエルを40年間荒野を引き回した。


新共同 申  8:3-4
8:3 主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。
8:4 この四十年の間、あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった。

●長年分の食料は備蓄できない。だから次の「主の祈り」がひつようなのだ。


塚本訳 マタ 6:11
6:11 その日の食べ物をきょうも、わたしたちに戴かせてください。



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悪には抵抗するな。祈りながら逃げよ ++++++++ 所感

2013/02/16 07:19

130216(土)5時半起床。乾布摩擦、冷水洗顔●朝の啓示「悪には抵抗するな。祈りながら逃げよ」●これは新約聖書を一貫する思想である。頭に思い浮かぶまま関連個所を掲げてみよう。

塚本訳 ヨハ 3:3-5
3:3 イエスが答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、(徴を見て信じたのではいけない。)人は新しく生まれなおさなければ、神の国にはいることは出来ない。
3:4 ニコデモがイエスに言う、「(このように)年を取った者が、どうして生まれなおすことが出来ましょう。まさかもう一度母の胎内に入って、生まれなおすわけにゆかないではありませんか。」
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。

●神の国はこの世のものではない。霊の世界である。
●この世は霊の世界の「影」。建築でそれがわかる。心が形になって建築になる。
●クリスチャンが地上王国の建設を目指すのは間違い。聖書を深く学んでない証拠。
●それは人道主義者、共産主義者。 


塚本訳 ヨハ 3:7-10
3:7 『あなた達は新しく生まれなおさねばならない』と言ったからとて、すこしも不思議がることはない。
3:8 風[プニューマ]は心のままに吹く。その音は聞えるが、どこから来てどこに行くか、あなたは知らない。霊[プニューマ]によって生れる者も皆、そのとおりである。」
3:9 ニコデモが言葉を返した、「(霊によって生まれるなどと、)そんなことがどうして出来ましょうか。」
3:10 イエスが答えて言われた。──「
あなたはイスラエルの(名高い)先生でありながら、それくらいなことがわからないのか。


●この世的に名高い先生ほど「霊によって生まれる」ことがわからない。
●あの家永三郎は「内村鑑三は再臨を強調するようになってから社会的抵抗運動はしなくなった」と批判したが、当然だ。信仰なき家永にわかるはずはなかった。
●クリスチャンでも「果敢にこの世の悪に抵抗した名高い先生」を尊敬する傾向がある。これは信仰がない人間ども。

塚本訳 ヨハ  18: 36

イエスが答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであったら、わたしの手下の者たちが、わたしをユダヤ人に渡すまいとして戦ったはずである。しかし実際のところ、わたしの国はこの世のものではない。」

●これを厭世主義と考えてはならない。霊の国が本当の国であるという積極的な思想である。

塚本訳 マタ 26:51-56
26:51 すると、見よ、イエスと一しょにいた一人の人が手をのばして剣を抜き、大祭司の下男に切りかかって片耳をそぎ落してしまった。
26:52 その時イエスが言われる、「剣を鞘におさめよ。剣による者は皆、剣によって滅びる。
26:53 それとも、父上にお願いして十二軍団以上の天使を今すぐ送っていただくことが、わたしに出来ないと思うのか。
26:54 しかしそれでは、かならずこうなる、とある聖書の言葉は、どうして成就するのか。」
26:55 その時イエスは群の人々に言われた、「強盗にでも向かうように、剣や棍棒を持ってつかまえに来たのか。わたしは毎日宮で坐って教えていたのに、捕えずにおいて、(どうして今、こんな真夜中に来たのか。)
26:56 しかしこれはみな、(救世主は罪人のようにあつかわれるという)預言者たちの聖書の言葉が成就するためにおこったのである。」その時弟子たちは皆イエスをすてて逃げた。

●56節。「弟子たちは皆イエスをすてて逃げた」。は自分の思い(行為による地上王国の完成)がイエスには無いと見たから捨てたのだ。
●これは家永三郎が内村をすてた思想と同じ。
●社会派の行為主義者が塚本虎二を嫌うのと同じ。彼らは神の力ということを知らない。
●かって私に対して「お祈りなんて効き目はない。行動だ、行動だ」と私に指示した人がいた。
●そういう人はみじめな生涯になる。神の祝福がないからである。信仰がお粗末。
●悪に抵抗しても「この世」は新しく生まれる(上記ヨハネ3:3)ことはできない。「無い袖は振れない」

塚本訳 ルカ 10:39-42
10:39 マルタにマリヤという姉妹があった。。マリヤは主の足もとに坐ってお話を聞いていた。
10:40 するといろいろな御馳走の準備で天手古舞をしていたマルタは、すすみ寄って言った、「主よ、姉妹がわたしだけに御馳走のことをさせているのを、黙って御覧になっているのですか。手伝うように言いつけてください。」
10:41 主が答えられた、「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことに気を配り、心をつかっているが、
10:42 無くてならないものはただ一つである。マリヤは善い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」

●関根正雄先生の集まりに「一つ会」というご婦人の集会がある。42節の「無くてならないものはただ一つ」から来ている。行為主義ではなく信仰主義という意味だ。
 ●信仰というのは外から見てはわからないものだ。その「一つ」があるかどうかは他人にはわからないのだ。
●しかし「臭いでわかる」。言葉の端々でわかるものだ。
 ●マルタ的な人間は決まって「自分の行為」を自慢する。右手のすることを左手に教える。


塚本訳 マタ 10:12-15
10:12 家に入ったらば、まず平安を祈れ。
10:13 もしその家が(その祈りをうけるのに)ふさわしければ、あなた達の(祈った)平安はかならずその家に臨み、もしふさわしくなければ、その平安はあなた達にもどってくる。(そしてあなた達のものとなるのである。)
10:14 しかし人があなた達を歓迎せず、あなた達の言葉に耳をかたむけないなら、(すぐ)その家なり町なりを(出てゆけ。そして)出てゆくとき、(縁を切った証拠に)足の埃を払いおとせ。
10:15 アーメン、わたしは言う、(最後の)裁きの日には、あの(堕落町)ソドムやゴモラの地の方が、まだその町よりも罰が軽いであろう。

●「この人こそ救われてほしい」などと思って接近するのは大抵目的を遂げない。人間の栄光ではなく神の栄光が仇るためである。
●「祈りながら逃げる」ことが大切。

塚本訳 Ⅰコリ7:15-16
7:15 しかし不信者の夫(なり妻なり)が別れるなら、別れさせよ。こんな場合に、兄弟なり姉妹なり(つまり信者)は(結婚に奴隷として)束縛されてはいない。神は平和な生活へあなた達をお召しになったのである。(無理があるのは、御心ではない。)
7:16 なぜか。
妻よ、夫を(信仰に導いて)救うことができるかどうか、どうしてわかるのか。また夫よ、妻を救うことができるかどうか、どうしてわかるのか。


●東大卒大蔵省勤務に目がくらんで結婚した女性が、後年「私は結婚に失敗したー」と嘆いた。
●一般に「結婚したらそのうち教会(集会)に連れて行って信仰に導けばよい」などと神を無視する態度がいけないのだ。神の罰だ。

塚本訳 マコ 9:28-29
9:28 家にかえられると、弟子たちは人のいない時に尋ねた、「なぜわたし達には霊を追い出せなかったのでしょうか。」
9:29 彼らに言われた、
「この種類(の霊)は、祈り以外(の手段)では決して出てゆかせることは出来ない。」

●福音書には「悪霊に取りつかれた者」という一言で言われているが、これが現在では各種の精神病、依存症、投薬ではなおらない難しい病気と思われる。当時も難しい病があったらしい。
●イエスは「祈り以外の手段では「決して」直せない」と認識していた。
●医学と宗教は別だという医者はマダマダ。
●母を看取ったホスピスの医者は、癌末期の人で、信仰のある人は「粘れる」と言われた。その奥様はクリスチャンであったが、先に逝かれた。
●人間、どうせ死ぬなら「来世」への希望、復活の希望」を抱いて死にたいものだ。その方が得だ。

塚本訳 マタ 24:8-16
24:8 しかしこれは皆(まだ、新しい世界が生まれるための)陣痛の始めである。
24:9 その時あなた達は苦しめられ、殺される。またわたしの弟子であるために、すべての国の人から憎まれる。
24:10 するとその時、『多くの人が信仰から離れて、』互に裏切り、互に憎むであろう。
24:11 また多くの偽預言者があらわれて、多くの人を迷わすにちがいない。
24:12 また(兄弟たちの間に)不法がふえるので、多くの人の愛が冷える。
24:13 しかし最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
24:14 すなわち、あらゆる国々の人に(わたしとわたしの業を)証しするために、(まず)この御国の福音が全世界に説かれ、それから最後(の裁きの日)が来るのである。
24:15 それで、預言者ダニエルをもって言われた『(聖なる所を)荒らす忌わしいものが聖なる所に』立つのを見たら[読者はここに隠された意味をよく考えるがよい]、
24:16 その時ユダヤ(の平地)におる者は(急いで)山に逃げよ。

●ここでイエスは「苦しめられ、殺される。またわたしの弟子であるために、すべての国の人から憎まれる。」(9節)ことがあっても。対抗せよ抵抗せよとは言わない。
●「山に逃げよ」という。
●初代キリスト教徒はその言葉通り迫害されてエルサレムの北東60マイルにあるペラに逃げた。
●その結果「歴史」はどうなったか。初代教会史の泰斗秀村欣二先生の「新約時代史」には次のように書かれている。

秀村欣二選集第一巻「新約時代史」89ページより引用
-----------------------------------

有名な現代のユダヤ人学者クラウスナーはその名著『ナザレのイエス』の中で、(中略)ユダヤ人キリスト者は愛国者でなく、個人の霊魂の救済のみに終始したと批判している。しかし正にこの対比こそエッセネ派(反ローマ武力闘争に参加した・・・高橋注)をも含めたユダヤ教(ローマに武力で抵抗・・・高橋注)とキリスト教の差異が看取されいずれが真に愛国的であり、神の国の到来を求める者であったかは歴史が立証した。「剣を取る者は皆、剣で滅びる」(マタイ26:52)。民族の運命の刻々と縮まる中に恐らく卑怯者よ、裏切り者よとの非難と罵声(ローマに抵抗しないから・・・高橋注)を後にして断腸の思いをもってエルサレムを去ったキリスト者によって福音の本質は守りぬかれたのであった。

--------------------------------------秀村欣二選集第一巻「新約時代史」89ページ より引用終わり

●(紀元66年頃・・・高橋注)キリスト者はローマに抵抗せずに「逃げた」。 恐らく祈りながらであったろう。結果的にその行為が福音の本質を守った。
●祈りながら逃げたキリスト教徒の態度が教会を生んだ。エクレシアを生んだ。
●しかしユダヤ教に合流して武力闘争に参加したエッセネ派は歴史から消えた。誰が真の愛国者であったかは歴史が立証した。

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●朝の黙想終わり ●「我、この道を行く」。勝負の判定は来世でだ。
 
●TSK日本語版申命記13章入力
●12:00 妻から電話。自転車が風で倒れ、鍵が故障して帰れなくなったというので工具を持って直しに行く。ついでにYさんの店を見せて頂いた。冷たい強風が吹いていた。
●午後は某氏の原稿を読んだが、オウム返しで全く新しいことがなくがっがりを通り越して「恥さらし」であることがわかった。

口語訳 伝  1:9-10
1:9 先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。
1:10 「見よ、これは新しいものだ」と/言われるものがあるか、それはわれわれの前にあった世々に、すでにあったものである。


新改訳 伝  1:9-10
1:9 昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない。
1:10 「これを見よ。これは新しい。」と言われるものがあっても、それは、私たちよりはるか先の時代に、すでにあったものだ。


新共同 伝  1:9-10
1:9 かつてあったことは、これからもあり/かつて起こったことは、これからも起こる。太陽の下、新しいものは何ひとつない。
1:10 見よ、これこそ新しい、と言ってみても/それもまた、永遠の昔からあり/この時代の前にもあった。

●私が高校生の時に塚本虎二先生に出会って驚いたのは、次の発言であるy。(’おぼろ記憶)

塚本虎二の言葉(記憶)
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イマドキの教会はレコードのようだ。誰も同じことばかり言っている。『神は愛ではない』とか『十字架は必要ではない』と言えるぐらいでなくてはいけない。」
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塚本虎二の言葉(記憶)おわり


●教会の牧師が「神は愛ではない」と説教したら教会は繁盛するだろうになー。
●イエスの言葉が新鮮であったのは「モーセはこう言っているが、私はこういう」と全く違ったことを言ったからである(マタイ5章)













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生きた聖なる犠牲になれ ++++++++ 所感

2013/02/15 05:26

130215(金)4時半目覚め●朝の啓示「生きた聖なる犠牲となれ」●5時起床。乾布摩擦、冷水洗顔。下半身4枚、上半身4枚、靴下4枚で、暖房つけない。●カトリックの修道士は3時起床、塚本先生は全身に冷水をかけた。●ロマ書12:1は信者のあるべき人生観である。いたずらに世の罪や不義を嘆いていないで信者自らが「神を宥める身代わりの苦しみをせよ」ということである。今朝はこのことを黙想しよう。●まず翻訳比較(Jバイブル、BbBを利用)

口語訳 ロマ 12:1
12:1 兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。


新改訳 ロマ 12:1
12:1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

前田訳ロマ 12:1
12:1 それゆえ、兄弟たちよ、神の慈悲にたよってあなた方に勧めます。あなた方の体を、生き生きとした、聖らかな、そして神のお気に召すいけにえとしておささげなさい。それがあなた方の霊的な礼拝です。



新共同 ロマ 12:1
12:1 こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。


塚本訳 ロマ 12:1
12:1 (このように、神は偉大な計画によって人類を一人のこらず救おうとしておられるのであって、救いは確かである。)だから、兄弟たちよ、わたしは神のこの慈悲を指してあなた達に勧める。あなた達の体を(感謝のしるしとして神に)捧げよ。この生きた聖なる犠牲こそ、神のお気に入るものであり、(霊なる神を拝むにふさわしい、)あなた達の霊的な礼拝である。(あなた達の礼拝は動物を供えるような不合理なものでなく、全心全霊をささげる合理的な礼拝でなければならならない)


文語訳 ロマ 12:1
12:1 されば兄弟よ、われ神のもろもろの慈悲によりて汝らに勸む、己が身を神の悦びたまふ潔き活ける供物として獻げよ、これ靈の祭なり。

岩波委員会訳
451201そこで、兄弟たちよ。私はあなたがたに、神の慈悲によって勧めるが、あなたがたのからだを、生ける、聖なる、神に喜ばれる供え物として献げなさい。〔すなわち〕あなたがたの霊的な礼拝を〔なすようにしなさい〕。


●次に各国主要聖書の引照から心に響く箇所(BbB利用) 

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(独)NESTLE-ALAND NOVUM TESTAMENTUM GRAECE 27版1993 の引照

新共同 ピリ 3:21

3:21 キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。

(英・米)THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE 1982 の引照

口語訳テサ4:1

4:1 最後に、兄弟たちよ。わたしたちは主イエスにあってあなたがたに願いかつ勧める。あなたがたが、どのように歩いて神を喜ばすべきかをわたしたちから学んだように、また、いま歩いているとおりに、ますます歩き続けなさい。

口語訳 ロマ 5:8

5:8 しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。

口語訳 Ⅱコリ5:14-15

5:14 なぜなら、キリストの愛がわたしたちに強く迫っているからである。わたしたちはこう考えている。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである。

5:15 そして、彼がすべての人のために死んだのは、生きている者がもはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえったかたのために、生きるためである。

口語訳 ロマ 6:13

6:13 また、あなたがたの肢体を不義の武器として罪にささげてはならない。むしろ、死人の中から生かされた者として、自分自身を神にささげ、自分の肢体を義の武器として神にささげるがよい。

口語訳 Ⅰコリ6:13-20

6:13 食物は腹のため、腹は食物のためである。しかし神は、それもこれも滅ぼすであろう。からだは不品行のためではなく、主のためであり、主はからだのためである。

6:14 そして、神は主をよみがえらせたが、その力で、わたしたちをもよみがえらせて下さるであろう。

6:15 あなたがたは自分のからだがキリストの肢体であることを、知らないのか。それだのに、キリストの肢体を取って遊女の肢体としてよいのか。断じていけない。

6:16 それとも、遊女につく者はそれと一つのからだになることを、知らないのか。「ふたりの者は一体となるべきである」とあるからである。

6:17 しかし主につく者は、主と一つの霊になるのである。

6:18 不品行を避けなさい。人の犯すすべての罪は、からだの外にある。しかし不品行をする者は、自分のからだに対して罪を犯すのである。

6:19 あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。

6:20 あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。

口語訳 Ⅱコリ4:4

4:4 彼らの場合、この世の神が不信の者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしているのである。

口語訳 Ⅱコリ6:14-17

6:14 不信者と、つり合わないくびきを共にするな。義と不義となんの係わりがあるか。光とやみとなんの交わりがあるか。

6:15 キリストとベリアルとなんの調和があるか。信仰と不信仰となんの関係があるか。

6:16 神の宮と偶像となんの一致があるか。わたしたちは、生ける神の宮である。神がこう仰せになっている、/「わたしは彼らの間に住み、/かつ出入りをするであろう。そして、わたしは彼らの神となり、/彼らはわたしの民となるであろう」。

6:17 だから、「彼らの間から出て行き、/彼らと分離せよ、と主は言われる。そして、汚れたものに触れてはならない。触れなければ、わたしはあなたがたを受けいれよう。

口語訳 ガラ 1:4

1:4 キリストは、わたしたちの父なる神の御旨に従い、わたしたちを今の悪の世から救い出そうとして、ご自身をわたしたちの罪のためにささげられたのである。

口語訳 ロマ 8:29

8:29 神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。それは、御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであった。

口語訳 ロマ 13:14

13:14 あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない。

口語訳 Ⅱコリ5:17

5:17 だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。

口語訳 ロマ 7:12

7:12 このようなわけで、律法そのものは聖なるものであり、戒めも聖であって、正しく、かつ善なるものである。

口語訳 ガラ 5:22-23

5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、

5:23 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。

(日)新共同訳1987の引照

新共同 Ⅰコリ6:20

6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。

新共同 ロマ 6:13

6:13 また、あなたがたの五体を不義のための道具として罪に任せてはなりません。かえって、自分自身を死者の中から生き返った者として神に献げ、また、五体を義のための道具として神に献げなさい。

新共同 ロマ 6:19

6:19 あなたがたの肉の弱さを考慮して、分かりやすく説明しているのです。かつて自分の五体を汚れと不法の奴隷として、不法の中に生きていたように、今これを義の奴隷として献げて、聖なる生活を送りなさい。

新共同 ガラ 1:4

1:4 キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです。

新共同 Ⅰヨハ2:15

2:15 世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。

新共同 エペ 4:23

4:23 心の底から新たにされて、

新共同 テト 3:5-6

3:5 神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。
3:6 神は、わたしたちの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました。

新共同 エペ 5:10

5:10 何が主に喜ばれるかを吟味しなさい。

(仏)THE NEW JERUSALEM BIBLE 1985 の引照

口語訳 ロマ 6:13

6:13 また、あなたがたの肢体を不義の武器として罪にささげてはならない。むしろ、死人の中から生かされた者として、自分自身を神にささげ、自分の肢体を義の武器として神にささげるがよい。

口語訳 ロマ 6:16

6:16 あなたがたは知らないのか。あなたがた自身が、だれかの僕になって服従するなら、あなたがたは自分の服従するその者の僕であって、死に至る罪の僕ともなり、あるいは、義にいたる従順の僕ともなるのである。

口語訳 ロマ 6:19

6:19 わたしは人間的な言い方をするが、それは、あなたがたの肉の弱さのゆえである。あなたがたは、かつて自分の肢体を汚れと不法との僕としてささげて不法に陥ったように、今や自分の肢体を義の僕としてささげて、きよくならねばならない。

口語訳 Ⅰペテ2:5

2:5 この主のみもとにきて、あなたがたも、それぞれ生ける石となって、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司となって、イエス・キリストにより、神によろこばれる霊のいけにえを、ささげなさい。

口語訳 ロマ 8:5

8:5 なぜなら、肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思うからである。

口語訳 ロマ 8:14

8:14 すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。

口語訳 ロマ 8:26-27

8:26 御霊もまた同じように、弱いわたしを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。
8:27 そして、人の心を探り知るかたは、御霊の思うところがなんであるかを知っておられる。なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。

口語訳 エペ 4:23-24

4:23 心の深みまで新たにされて、

4:24 真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである。

口語訳 ロマ 2:18

2:18 御旨を知り、律法に教えられて、なすべきことをわきまえており、

口語訳 エペ 5:10

5:10 主に喜ばれるものがなんであるかを、わきまえ知りなさい。

口語訳 エペ 5:17

5:17 だから、愚かな者にならないで、主の御旨がなんであるかを悟りなさい。

口語訳 ピリ 1:10

1:10 それによって、あなたがたが、何が重要であるかを判別することができ、キリストの日に備えて、純真で責められるところのないものとなり、

口語訳 ヘブ 5:14

5:14 しかし、堅い食物は、善悪を見わける感覚を実際に働かせて訓練された成人のとるべきものである。

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●次にTSK日本語版でロマ12:1をピンポイント(拙HP利用)で読んでみよう 
 
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●ロマ 12:1

12:1 兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。

*「兄弟たちよ。そういうわけで、・・・あなたがたに勧める。」

Romans 15:30

30兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストにより、かつ御霊の愛によって、あなたがたにお願いする。どうか、共に力をつくして、わたしのために神に祈ってほしい。

1 Corinthians 1:10

10さて兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの名によって、あなたがたに勧める。みな語ることを一つにして、お互の間に分争がないようにし、同じ心、同じ思いになって、堅く結び合っていてほしい。

2 Corinthians 5:20

20神がわたしたちをとおして勧めをなさるのであるから、わたしたちはキリストの使者なのである。そこで、キリストに代って願う、神の和解を受けなさい。

2 Corinthians 6:1

1わたしたちはまた、神と共に働く者として、あなたがたに勧める。神の恵みをいたずらに受けてはならない。

2 Corinthians 10:1

1さて、「あなたがたの間にいて面と向かってはおとなしいが、離れていると、気が強くなる」このパウロが、キリストの優しさ、寛大さをもって、あなたがたに勧める。

Ephesians 4:1

1さて、主にある囚人であるわたしは、あなたがたに勧める。あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き、

1 Thessalonians 4:1

1最後に、兄弟たちよ。わたしたちは主イエスにあってあなたがたに願いかつ勧める。あなたがたが、どのように歩いて神を喜ばすべきかをわたしたちから学んだように、また、いま歩いているとおりに、ますます歩き続けなさい。

1 Thessalonians 4:10

10また、事実マケドニヤ全土にいるすべての兄弟に対して、それを実行しているのだから。しかし、兄弟たちよ。あなたがたに勧める。ますます、そうしてほしい。

1 Thessalonians 5:12

12兄弟たちよ。わたしたちはお願いする。どうか、あなたがたの間で労し、主にあってあなたがたを指導し、かつ訓戒している人々を重んじ、

Hebrews 13:22

22兄弟たちよ。どうかわたしの勧めの言葉を受けいれてほしい。わたしは、ただ手みじかに書いたのだから。

*「神のあわれみによって」

Psalms 116:12

12わたしに賜わったもろもろの恵みについて、どうして主に報いることができようか。

Luke 7:47

47それであなたに言うが、この女は多く愛したから、その多くの罪はゆるされているのである。少しだけゆるされた者は、少しだけしか愛さない」。

Romans 2:4

4それとも、神の慈愛があなたを悔改めに導くことも知らないで、その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか。

Romans 9:23

23かつ、栄光にあずからせるために、あらかじめ用意されたあわれみの器にご自身の栄光の富を知らせようとされたとすれば、どうであろうか。

Romans 11:30-31

30あなたがたが、かつては神に不従順であったが、今は彼らの不従順によってあわれみを受けたように、 31彼らも今は不従順になっているが、それは、あなたがたの受けたあわれみによって、彼ら自身も今あわれみを受けるためなのである。

2 Corinthians 4:1

1このようにわたしたちは、あわれみを受けてこの務についているのだから、落胆せずに、

2 Corinthians 5:14-15

14なぜなら、キリストの愛がわたしたちに強く迫っているからである。わたしたちはこう考えている。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである。 15そして、彼がすべての人のために死んだのは、生きている者がもはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえったかたのために、生きるためである。

Ephesians 2:4-10

4しかるに、あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、 5罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし――あなたがたの救われたのは、恵みによるのである―― 6キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである。 7それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、きたるべき世々に示すためであった。 8あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。 9決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。 10わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである。

Philippians 2:1-5

1そこで、あなたがたに、キリストによる勧め、愛の励まし、御霊の交わり、熱愛とあわれみとが、いくらかでもあるなら、 2どうか同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、一つ思いになって、わたしの喜びを満たしてほしい。 3何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい。 4おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。 5キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい。

Titus 3:4-8

4ところが、わたしたちの救主なる神の慈悲と博愛とが現れたとき、 5わたしたちの行った義のわざによってではなく、ただ神のあわれみによって、再生の洗いを受け、聖霊により新たにされて、わたしたちは救われたのである。 6この聖霊は、わたしたちの救主イエス・キリストをとおして、わたしたちの上に豊かに注がれた。 7これは、わたしたちが、キリストの恵みによって義とされ、永遠のいのちを望むことによって、御国をつぐ者となるためである。 8この言葉は確実である。わたしは、あなたがそれらのことを主張するのを願っている。それは、神を信じている者たちが、努めて良いわざを励むことを心がけるようになるためである。これは良いことであって、人々の益となる。

1 Peter 2:10-12

10あなたがたは、以前は神の民でなかったが、いまは神の民であり、以前は、あわれみを受けたことのない者であったが、いまは、あわれみを受けた者となっている。 11愛する者たちよ。あなたがたに勧める。あなたがたは、この世の旅人であり寄留者であるから、たましいに戦いをいどむ肉の欲を避けなさい。 12異邦人の中にあって、りっぱな行いをしなさい。そうすれば、彼らは、あなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのりっぱなわざを見て、かえって、おとずれの日に神をあがめるようになろう。

*「あなたがたのからだを、・・・供え物としてささげなさい。」

Psalms 50:13-14

13たといわたしは飢えても、あなたに告げない、世界とその中に満ちるものとは/わたしのものだからである。 14わたしは雄牛の肉を食べ、雄やぎの血を飲むだろうか。

Romans 6:13

13また、あなたがたの肢体を不義の武器として罪にささげてはならない。むしろ、死人の中から生かされた者として、自分自身を神にささげ、自分の肢体を義の武器として神にささげるがよい。

Romans 6:16

16あなたがたは知らないのか。あなたがた自身が、だれかの僕になって服従するなら、あなたがたは自分の服従するその者の僕であって、死に至る罪の僕ともなり、あるいは、義にいたる従順の僕ともなるのである。

Romans 6:19

19わたしは人間的な言い方をするが、それは、あなたがたの肉の弱さのゆえである。あなたがたは、かつて自分の肢体を汚れと不法との僕としてささげて不法に陥ったように、今や自分の肢体を義の僕としてささげて、きよくならねばならない。

1 Corinthians 6:13-20

13食物は腹のため、腹は食物のためである。しかし神は、それもこれも滅ぼすであろう。からだは不品行のためではなく、主のためであり、主はからだのためである。 14そして、神は主をよみがえらせたが、その力で、わたしたちをもよみがえらせて下さるであろう。 15あなたがたは自分のからだがキリストの肢体であることを、知らないのか。それだのに、キリストの肢体を取って遊女の肢体としてよいのか。断じていけない。 16それとも、遊女につく者はそれと一つのからだになることを、知らないのか。「ふたりの者は一体となるべきである」とあるからである。 17しかし主につく者は、主と一つの霊になるのである。 18不品行を避けなさい。人の犯すすべての罪は、からだの外にある。しかし不品行をする者は、自分のからだに対して罪を犯すのである。 19あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。 20あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。

Philippians 1:20

20そこで、わたしが切実な思いで待ち望むことは、わたしが、どんなことがあっても恥じることなく、かえって、いつものように今も、大胆に語ることによって、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストがあがめられることである。

Hebrews 10:22

22心はすすがれて良心のとがめを去り、からだは清い水で洗われ、まごころをもって信仰の確信に満たされつつ、みまえに近づこうではないか。

*「生きた、聖なる」

Psalms 69:31-32

31わたしは歌をもって神の名をほめたたえ、感謝をもって神をあがめます。 32これは雄牛または角とひずめのある雄牛にまさって/主を喜ばせるでしょう。

Hosea 14:2

2あなたがたは言葉を携えて、主に帰って言え、「不義はことごとくゆるして、よきものを受けいれてください。わたしたちは自分のくちびるの実をささげます。

1 Corinthians 5:7-8

7新しい粉のかたまりになるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたは、事実パン種のない者なのだから。わたしたちの過越の小羊であるキリストは、すでにほふられたのだ。 8ゆえに、わたしたちは、古いパン種や、また悪意と邪悪とのパン種を用いずに、パン種のはいっていない純粋で真実なパンをもって、祭をしようではないか。

2 Corinthians 4:16

16だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。

Philippians 2:17

17そして、たとい、あなたがたの信仰の供え物をささげる祭壇に、わたしの血をそそぐことがあっても、わたしは喜ぼう。あなたがた一同と共に喜ぼう。

Hebrews 10:20-22

20彼の肉体なる幕をとおり、わたしたちのために開いて下さった新しい生きた道をとおって、はいって行くことができるのであり、 21さらに、神の家を治める大いなる祭司があるのだから、 22心はすすがれて良心のとがめを去り、からだは清い水で洗われ、まごころをもって信仰の確信に満たされつつ、みまえに近づこうではないか。

Hebrews 13:15-16

15だから、わたしたちはイエスによって、さんびのいけにえ、すなわち、彼の御名をたたえるくちびるの実を、たえず神にささげようではないか。 16そして、善を行うことと施しをすることとを、忘れてはいけない。神は、このようないけにえを喜ばれる。

1 Peter 2:5

5この主のみもとにきて、あなたがたも、それぞれ生ける石となって、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司となって、イエス・キリストにより、神によろこばれる霊のいけにえを、ささげなさい。

*「神に喜ばれる、」

Psalms 19:14

14また、あなたのしもべを引きとめて、故意の罪を犯させず、これに支配されることのないようにしてください。そうすれば、わたしはあやまちのない者となって、大いなるとがを免れることができるでしょう。 [19:15] わが岩、わがあがないぬしなる主よ、どうか、わたしの口の言葉と、心の思いが/あなたの前に喜ばれますように。

Isaiah 56:7

7わたしはこれをわが聖なる山にこさせ、わが祈の家のうちで楽しませる、彼らの燔祭と犠牲とは、わが祭壇の上に受けいれられる。わが家はすべての民の/祈の家ととなえられるからである」。

Jeremiah 6:20

20シバから、わたしの所に乳香が来、遠い国から、菖蒲が来るのはなんのためか。あなたがたの燔祭はわたしには喜ばしくなく、あなたがたの犠牲もうれしくはない。

Romans 12:2

2あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。

Romans 15:16

16このように恵みを受けたのは、わたしが異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の役を勤め、こうして異邦人を、聖霊によってきよめられた、御旨にかなうささげ物とするためである。

Ephesians 5:10

10主に喜ばれるものがなんであるかを、わきまえ知りなさい。

Philippians 4:18

18わたしは、すべての物を受けてあり余るほどである。エパフロデトから、あなたがたの贈り物をいただいて、飽き足りている。それは、かんばしいかおりであり、神の喜んで受けて下さる供え物である。

1 Timothy 2:3

3これは、わたしたちの救主である神のみまえに良いことであり、また、みこころにかなうことである。

1 Timothy 5:4

4やもめに子か孫かがある場合には、これらの者に、まず自分の家で孝養をつくし、親の恩に報いることを学ばせるべきである。それが、神のみこころにかなうことなのである。

1 Peter 2:5

5この主のみもとにきて、あなたがたも、それぞれ生ける石となって、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司となって、イエス・キリストにより、神によろこばれる霊のいけにえを、ささげなさい。

1 Peter 2:20

20悪いことをして打ちたたかれ、それを忍んだとしても、なんの手柄になるのか。しかし善を行って苦しみを受け、しかもそれを耐え忍んでいるとすれば、これこそ神によみせられることである。

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●次にWEB黒崎幸吉新約聖書注解を読んでみよう
http://stonepillow.dee.cc/45contentsf.htm

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12章1節 されば兄弟(きゃうだい)よ、われ(かみ)のもろもろの慈悲(じひ)によりて(なんぢ)らに(すす)む、[引照]

辞解
[されば] oun は1-11章に於ける救済即ち義とせらるる事潔めらるる事、栄化せらるる事及この救が神の憐によりて全人類に及ぶを叙べ終りたる故、汝らはかかる大なる救に預りたる以上はとの意。理論より実行に移る回転軸をなす語。エペ4:1。ガラ5:1、2。コロ3:1。Ⅰテサ4:1。Ⅱテサ3:6參照。パウロはこれより言わんとする処を彼らに命ぜずして勤めて居るのは実行に於て自己を彼らと同じ地位に置くからである。
[もろもろの慈悲によりて] 神の憐みによりてこの大なる救に与り、その感謝に溢れての意。

(おの)()(かみ)(よろこ)びたまふ(きよ)()ける供物(そなへもの)として(ささ)げよ、これ(れい)(まつり)なり。

註解: 我らの霊は既に信仰によりて新生し神のものとなりたれば(されば)その新生の宿る処たるこの身体をも神のものとして、神に対する供物として捧ぐべきである。而してこの供物即犠牲(いけにえ)は旧約の犠牲の如き死ねる物たるべからず生きて働くものたる事を要し、又潔くして聖別せられ従ってあらゆる汚穢より遠ざかれるものたるを要し、又神の御意に叶うものでなければならない、これ救われし霊に課せられし任務であり為すべき当然の神への奉仕(礼拝)である。
辞解
[身] sōma 「身体」を意昧する、霊は既に神に捧げられて居る故(6:16)体をささぐる事が必要となって来る。
[これ霊の祭なり] 誤訳ではないが、寧ろ「これ道理に叶える礼拝なり」と訳すべきで(M0、G1、I0、B1、C1)旧約時代はそれに相当せる礼拝の方法が有ったけれども、新約時代に至ってはかくして已が身をさゝぐる事がその救の性質に相応せる礼拝である。形式的礼拝、動物の犠牲等は旧約の必要物ではない。
[潔] からざるものは異教のささげものであり、「生命なき」ものは旧約の犠牲である、これらは何れも「神の悦び給う」処ではない。

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次にこのWEB黒崎注解からネストレの引照を見てみよう

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  1. ダニエル書 2章18節
    2章18節 そして、他のバビロンの賢者と共に殺されることのないよう、天の神に憐れみを願い、その夢の秘密を求めて祈った。
  2. コリントへの信徒への手紙二 1章3節
    ◆苦難と感謝
    1章3節 わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように。
  3. ローマの信徒への手紙 6章13節
    6章13節 また、あなたがたの五体を不義のための道具として罪に任せてはなりません。かえって、自分自身を死者の中から生き返った者として神に献げ、また、五体を義のための道具として神に献げなさい。
  4. ローマの信徒への手紙 6章19節
    6章19節 あなたがたの肉の弱さを考慮して、分かりやすく説明しているのです。かつて自分の五体を汚れと不法の奴隷として、不法の中に生きていたように、今これを義の奴隷として献げて、聖なる生活を送りなさい。
  5. ルカによる福音書 2章22節
    ◆神殿で献げられる
    2章22節 さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。
  6. エフェソの信徒への手紙 5章2節
    5章2節 キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい。
  7. ペテロの手紙一 2章2節
    2章2節 生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。
  8. ペテロの手紙一 2章5節
    2章5節 あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通して献げなさい。
  9. ペテロの手紙一 2章9節
    2章9節 しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。

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朝の黙想終わり。
●救われた者はこの世とは足並みをそろえられない。一緒に歩けない。世界が違うからだ。だから迫害される。憎まれる。
●しかしその労苦が人を救いに導く。
●午前中はtSK日本語版申命記12章入力。
●カナダのバンクーバーから拙HPの「聖書研究の部」に感謝のメール。カナダが主にあって近くなった。
●BK、郵便局に散歩。一時間半。
●歩きながらマタイ11章28節を繰り返し念じた。

口語訳 マタ 11:28
11:28 すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。


新改訳 マタ 11:28
11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。


新共同 マタ 11:28
11:28 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。


塚本訳 マタ 11:28
11:28 さあ、疲れている者、重荷を負っている者はだれでも、わたしの所に来なさい、休ませてあげよう。


文語訳 マタ 11:28
11:28 凡て勞する者・重荷を負ふ者、われに來れ、われ汝らを休ません。

岩波委員会訳
401128私のもとに来なさい。あなたたち、労し、重荷を負ったすべての者たち。そうすればこの私が、あなたたちに安らぎを与えよう。

前田訳
11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。


●悪魔は「病魔」と関係する。直りにくい病気。つける薬がない病気。個人の人格を崩壊し、家庭を崩壊する病魔。神にきり追い出せない。●病魔に悩む人のことを思うと早く終末が来てほしいと願う。早く世が終わってほしいと思う。●東日本大震災と福島原発事故の時は「終末」を必死に祈った。●クリスチャンはすべて「終末」を真剣に祈るべきだ。人はすべて終末に清められて復活する。








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神はとっくに知っている ++++++++ 所感

2013/02/14 07:03

130214(木)4時目覚め。黙想その一「理性の安息としてのエクレシアの実在」。その二「神はとっくに知っている」。その三「何をやっても満たされない老後」●5時起床。乾布摩擦。体重測定。冷水洗顔。●5時半作業開始。

黙想その一「理性の安息としてのエクレシアの実在」●それがどんな形であろうと、程度であろうと、エクレシア(神に呼び集められた集団)は大切にしなければならない。関連聖句を掲げてみよう。

口語訳 ヨブ 42:5
42:5
わたしはあなたの事を耳で聞いていましたが、/今はわたしの目であなたを拝見いたします。


●日曜学校や教会学校で「耳で聞いていた」ことが人生の苦難や荒波にもまれて聖霊のささやきでその言葉に開眼する。キリスト教教育の意味はそこにある。ミッションスクールンの意義もそこにある。在学中に聖書の真理に開眼するわけではない。神が直接その人に語りかける「その時」は来る。

塚本訳 ヨハ 16:1
16:1 このことを話したのは、(わたしがいなくなったあとで、)あなた達が(信仰に)つまずかないためである。


●イエスは生前弟子たちに鼓膜の振動をもって耳にねじ込んでおいた。迫害が起こったとき「君たちはこの世から憎まれ迫害される」というイエスの言葉を思い出すためである。
●ここに物理的存在としてのエクレシアの存在意義がある。今すぐのためではなく。将来の「その時」のためである。

塚本訳 ヨハ 16:4
16:4 それにもかかわらずこのことを話したのは、その(迫害の)時が来た時、わたしがこう言ったことをあなた達に思い出させるためである。このことを始めから言わなかったのは、一しょにいた(ので、必要がなかった)からである。

●信仰から離れ落ちる人は。「信仰してても御利益はなく、かえって苦難や薬害ばかりだ」と思う人もいるだろう。そういう人のためにこの聖書の言葉はある。
●キリスト教を損じてもこの世的な御利益はない。ただし心の平安と来世の復活、永遠の命の希望は確実に保証する。これが「売り」である。

塚本訳 ヨハ 16:7-8
16:7 しかし本当のことを言うが、わたしが(父上の所に)行くことは、あなた達のために利益である。行かねば、弁護者はあなた達の所に来ないが、行けば、わたしが彼を遣わすからである。
16:8 そして彼は来ると、罪について、義について、罰について、この世に(その考えの)誤りを認めさせるのであろう。

●信仰の本質、キリスト教の本質(碩学ハルナックに」の同名の本は若いころに読んだが内容は忘れた)は人間の言葉ではなく聖霊降臨で初めてわかる。
●ある牧師の息子は牧師の父の説ではサッパリ信仰がわからなかったが、神学者バルトの本を読んでわかったという。しかしわかったというのは聖霊が教えたのであって、その聖霊は父たる牧師の祈りが神に通じたのだ。
●人は人間の言葉(内村、塚本、黒崎、関根、前田、高橋、鈴木、・・・・・)え、信仰に導かれはするが、霊は開眼しない。

塚本訳 マタ 16:15-18
16:15 彼らに言われる、「では、あなた達はわたしのことをなんと言うのか。」
16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主、生ける神の子であります!」
16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから。
16:18 それでわたしもあなたに言おう。──あなたはペテロ[岩]、わたしはこの岩の上に、わたしの集会を建てる。黄泉の門[死の力]もこれに勝つことはできない。

●これがプロテスタントの「教会の定義」認識。
●ペテロがこの告白をするまでにイエスはこの世の現象を通じての「実地教育」があった。
●それは「愛」の業であった。ペテロはそれを肉眼で見たり、耳で聞いていた。
●エクレシアの働きの意義もここにある。この世の人にもわかる方法で「前もって伝えておく」必要がある。
●私は小学校に上がる前に「教会学校」に行っていてそこに親切な優しい先生がいた。その印象がよかったので、その時種がまかれた。高校生になってそれを思い出し、「教会というところは暖かいなー」と思い出した。しかしその優しい先生の消息は分からない。

塚本訳 マタ 5:14-16
5:14 あなた達は世の光である。山の上にある町は隠れていることは出来ない。
5:15 また、(せっかく)明りをともして枡をかぶせる者はない。かならず燭台の上に置く。すると、家の中におる人を皆照らすのである。
5:16 そのようにあなた達も、その光を世の人の前に輝かし、人があなた達の良い行ないを見て、あなた達の天の父上をあがめるようにせよ。


●遅くなって駅から家に向かう時、遠くにある御岳山の明かりが見える。おそらく電燈一個だろう。しかし不思議にその光は遠くまで届く。「山の上にある町の灯」は誰にも見えるのだ。
●エクレシアの存在意義はここにある。
●人生が行き詰ったときに人は「山の上にある町の灯」を目指して求道する。

朝の黙想その二「神はとっくに知っている」

●人生の悩み、嘆きは神の方で察知してくださり、どうしても必要な時に救いの手を伸ばしてくださる。関連聖句を掲げてみよう。

塚本訳 マタ 6:8
6:8 彼らの真似をしてはならない。神はあなた達の父上である。
求める前から、あなた達に必要なものをよく御承知である。

塚本訳 マタ 6:30-33
6:30 きょうは花咲き、あすは炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこんなに装ってくださるからには、ましてあなた達はなおさらのことではないか。信仰の小さい人たちよ!
6:31 だから、『何を食べよう』とか、『何を飲もう』とか、『何を着よう』とか言って、心配するな。
6:32 それは皆異教人のほしがるもの。あなた達の天の父上は、それが皆あなた達に必要なことをよく御承知である。
6:33 あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。


●33節は「義を求めよ」ではない。「義とされることを求めよ」である。
●人は真面目に生きていれば真に必要なこの世のものは「付け足して」与えられる。
●私は4人の子供の学齢期が重なり、ある年には2000万円が必要であった。しかし不思議に何とか乗り切れた。今となってはあの時の心配(31節)は「遠い雷」である。
●そのために、お金のかかる習いごとはできなかった。(運転、ピアノ、語学・・・・)しかしそれは「必要なこと」(32節)ではなかった。無くてならぬことを求めさせられた。
●高校生の時に内村鑑三の「貧にせまりし時」(「基督信徒の慰め」)を読んだ。「「働けよ、働けよ。伝説によれば主イエスは父を早く失くし、大工の仕事で母や弟妹を養ったではないか」(記憶)というくだりに泣いた。

塚本訳 マコ 9:33-34
9:33 カペナウムに来た。家につかれるとイエスは、弟子たちにお尋ねになった、「道々何を評議していたのか。」
9:34 彼らは黙っていた。(自分たちのうちで)だれが一番えらいかと、道々論じ合っていたからである。


●人間は「偉くなろう、出世しよう、有名になろう、かしづかれる人になろう、高い地位に就こう、金に困らない人になろう、恩人と呼ばれる人になろう」とばかり思っている。受験競争の元凶はここにある。イエスはその心を洞察してこれと正反対の生き方を教える。
 
塚本訳 ロマ 8:26-27
8:26 しかし(創造物やわたし達神の子が苦しんでいると)同じように、御霊も、弱いわたし達を助けてくださる。すなわち、(神のみ心にかなうには)どう何を祈るべきかわからないので、御霊自身が、無言の呻きをもって(わたし達の祈りを神に)執り成してくださるのである。
8:27 しかし(人の)心を見抜くお方[神]は、御霊が何を求めているか、すなわち、御霊が神の御心にかなうように聖徒たちのために執り成しておられることを、(もちろん)御存じである。

●家族親族の不義の悩みは重い。それは「自分の十字架」。耐えがたく重く肩に食い込む。
●しかし復活のイエスが共に呻いて下さり、神に執り成して下さる。言わなくてもわかっていて下さる。
●教育評論家の尾木直樹氏は教育で最重要なことは同情でも同感でもなく、「共感」だという。
●「不登校の子供を立ち直らせた」言葉。
先生「君は学校にいかないでどこにいたのだ。」
不登校の子供「大きな土管の中に隠れていました」
先生「それは辛かったなー」
この言葉に子供はボリポロと涙を流して次第に心を開いていったそうだ。
この場合「辛かっただろうなー」と言うのは「上から目線」の同情と同感。それは人を立ち直らせない。「共感」がない。
●イエスの十字架は「共感」。「罪人の一人に数えられた」同じ目線に立ったからである。(イザヤ53:12)
 
新共同 イザ 53:12
53:12 それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし/彼は戦利品としておびただしい人を受ける。彼が自らをなげうち、死んで/罪人のひとりに数えられたからだ。多くの人の過ちを担い/背いた者のために執り成しをしたのは/この人であった。


塚本訳 ヨハ 16:19
16:19 イエスは自分に尋ねたがっているのを知って言われた、「『しばらくするとあなた達はわたしを見ることができない。またしばらくするとわたしに会うことができる』と言ったことを話し合っているのか。

●以下の引照は黒崎幸吉新約聖書注解このヨハネ16:1:9の注解に示されたもの。

塚本訳 マタ 9:4
9:4 イエスは彼らの考えを知って言われた、「なぜ悪いことを心の中で考えているのか。


塚本訳 マタ 12:25
12:25 イエスは彼らの考えを知って言われた、「内輪割れをするいかなる国も荒れ果て、内輪割れをするいかなる町も家も立ってゆかない。


塚本訳 ルカ 6:8
6:8 イエスは彼らの考えを知って、手のなえた男に「立って真中に出てこい」と言われると、立ち上がって出てきた。


塚本訳 ルカ 9:47
9:47 イエスは彼らの心の考えを知って、一人の子供の手を取り、自分のわきに立たせて、


塚本訳 ヨハ 2:24-25
2:24 しかしイエスの方では、彼ら(の信仰)を信頼されなかった。彼にはだれでもわかり、
2:25 また人のことをだれからも教えてもらう必要がなかったのである。自分で人の心の中がわかったからである。


塚本訳 ヨハ 4:16
4:16 イエスが言われる、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」


塚本訳 ヨハ 6:64
6:64 しかしあなた達のうちには、信じていない者がすこしある。」イエスには、だれだれは信じない、だれは自分を敵に売ると、始めからわかっていたのである。

黙想その三「何をやっても満たされない老後」
●昨日のNHKTVは「老人の再婚 」について報道。妻に先立たれ、子供も巣立って行き、その淋しい生活の老人が言った「ゴルフがうまくなってもそれだけ、詩吟がうまくなってもそれだけ」と言う言葉が印象に残った。
●「人はあなた(神)に向けられて創られたものですから、あなたの胸に憩うまでは安きをえません」(アウグスチヌス)は真理。
●老人は何をやっても満たされないから新しいパートナー(言葉はスマートだが、要は「女」だ)を求めて結婚に向かう。
●しかしそれでも満たされないであろう。

塚本訳 ヨハ 4:13-18
4:13 イエスは答えられた、「この(井戸の)水を飲む者はだれでもまた渇くが、
4:14 わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」
4:15 女が言う
、「主よ、その水を下さい。(二度と)渇くことがないように、またここに汲みに来なくてもよいように。」
4:16 イエスが言われる、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」
4:17 女が答えた、「わたしには夫はありません。」イエスが言われる、「『わたしには夫はありません』と言うのは、もっともだ。
4:18 五人の夫とは別れ、今のは、あなたの夫ではないのだから。あなたの言ったことは本当だ。」


塚本訳 Ⅰコリ7:8-11
7:8 しかし独身の者および寡婦に言う、もしわたしのようにして通すならば、それが(一番)よい。
7:9 しかし自制ができないのなら、結婚せよ。情欲に燃えるより、結婚する方が善いからである。
7:10 しかし結婚した者に命ずる、命ずるのはわたしではなく主である。妻は夫と別れてはならない。
7:11 ──しかし別れたのなら、独身でいるか、夫と仲直りをせよ。──夫も妻と離婚してはならない。

塚本訳 Ⅰコリ7:25-28
7:25 また、(伝道する者を助けている)処女について(あなた達が書いて来ているが、これに)は、(離婚の場合のような)主の命令がわたしには(まだ)ない。しかし主の憐れみをうけて信頼されている者として、(わたし自身の)意見を述べる。
7:26 それで、わたしの考えでは、患難が目の前に迫っているのだから、これがよろしい、すなわち人は現状維持がよろしい
7:27 あなたはすでに妻に縛られているのか。解くことを求めるな。妻に結ばれていないのか。妻を求めるな。
7:28 しかしたといあなたが結婚したからとて、罪を犯したことにはならない。またたとえ処女が結婚しても、罪を犯したことにはならない。しかしこんな人たちは、肉体に苦しみがあるにちがいない。わたしはあなた達をそんな目に合わせたくないのである。

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朝の黙想終わり これから妻の用意してくれた朝食。感謝。
 
●午前中はTSK日本語版申命記11章入力
●午後は散歩
●3月14日の「キリスト教性教育研究会」の発題を執筆。発題の表題は次の通り。

    悪魔(悪霊、サタン)の実在とその働き
・・・悪魔に囚われた人間はいかにして救出されるか・・・

●妻は夕方から「メサイア」の練習。追込み。帰宅は22時過ぎ。















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信者に十字架が負わされる意味 ++++++++ 所感

2013/02/13 05:58

130213(水)5時起床。乾布摩擦、冷水洗顔●朝の啓示「信者に十字架が負わされる意味」●信者の生涯は神を信ずることによる心の平安と復活の希望による喜びだけでなく、不可解な不条理な重い十字架を負わさせる苦悩をも与えられる。●今朝はこれに関連する聖句を黙想してみよう。自分の頭から紡ぎだす。

文語訳 ピリ 1:29
1:29 汝等はキリストのために啻に彼を信ずる事のみならず、また
彼のために苦しむ事をも賜はりたればなり。


●集会の故松島省三先生((稲の博士)が出征するときのこと。今にも列車が走り去ろうとするとき、夫人の松子様(故人)が、先生のポケットに一枚の紙をねじこんだ。列車が動き出してからそれを読むとこのピリピ1:29が走り書きされていた。先生は号泣し「この時ほどクリスチャンの女房をもらってよかったと思ったことは無かった」と後年になって言われた。戦争が終わって帰還してみるとお子様が亡くなられていた。私は先生の晩年のお住まいを設計した。残されたお子様の一人(先生の生涯の十字架であった)は先生の死を通して信仰に導かれた。万歳。神います。

塚本訳 マタ 27:46
27:46 三時ごろ、イエスは大声を出して『エリ エリ レマ サバクタニ!』と叫ばれた。これは『わたしの神様、わたしの神様、なぜ、わたしをお見捨てになりましたか!』である。

●信者にとって十字架の意味は生きているうちはわからない。不可解、不条理の苦しみに圧されるのみ。その意味は神のみぞ知る。だからイエスも「なぜ」だと神に迫ったのだ。しかし一番苦しいのは神の方なのだ。なぜか。独り子を見殺しにしなければならなかったからだ。しかし死んでのちその意味が分かる。人類はその意味をイエスの有体的復活でわかった。万歳。 
 
塚本訳 マタ 26:39-42
26:39 そしてなお少し(奥に)進んでいって、俯けに倒れ、祈って言われた、「お父様、出来ることなら、どうかこの杯がわたしの前を通りすぎますように。しかし、わたしの願いどおりでなく、お心のとおりになればよいのです。」
26:40 やがて弟子たちの所に来て、彼らが眠っているのを見ると、ペテロに言われる、「あなた達、そんなに、たった一時間もわたしと一しょに目を覚ましておられないのか。
26:41 目を覚まして、誘惑に陥らないように祈っていなさい。心ははやっても、体が弱いのだから。」
26:42 また二度目に向こうへ行って、祈られた、「お父様、どうしてもわたしが飲まねば通りすぎない杯ならば、どうかお心のままになさってください。」

●信者とて、十字架は避けたい。平穏な喜びの生涯を送りたいものだ。しかし信者は晩年になっても試練が続く。自分に悪いところがあるからだと思って信仰の篤い人も苦しむものだ。あるとき信仰の深い御婦人が「私は晩年になっても試練続きです」と嘆かれた。
●某夫人が塚本先生にご自分の悩みを訴えに行かれた。すると先生は「私に悩みがないとでも思っているのかい」と言われたと言う。先生は若くして御夫人を亡くされ、二人のお子様を男手で育てた。そしてあるときまた別の御夫人に「私の家はカタワだー、カタワだー」と漏らされたそうだ。伝道者の悲哀。「弟子はその師に勝らず」。この意味は弟子の苦労はその先生以上のものではないという意味だ。

文語訳 マタ 10:23-24
10:23 この町にて、責めらるる時は、かの町に逃れよ。誠に汝らに告ぐ、なんぢらイスラエルの町々を巡り盡さぬうちに人の子は來るべし。
10:24
弟子はその師にまさらず、僕はその主にまさらず

塚本訳 マタ 10:23-24
10:23 この町で迫害された時には、次の町に逃げてゆけ。アーメン、わたしは言う、人の子(わたし)は(すぐに)、あなた達がイスラエル人の町々を回りつくさぬうちに来るのだから。
10:24
弟子は先生以上でなく、僕は主人以上ではない。(だからあなた達が迫害されるのは当り前である。)


●信者はキリスト以上に幸福であろうとしてはいけないのだ。先生以上に楽をしてはいけないのだ。

塚本訳 マコ 8:35
8:35 (十字架を避けてこの世の)命を救おうと思う者は(永遠の)命を失い、わたしと福音とのために(この世の)命を失う者は、(永遠の)命を救うのだから。


●信者は誰でも十字架を避けよう避けようとする。十字架をはねのけようとする。それはいけないのだ。なぜか。負わされた十字架を避けることは永遠の命を失うことになるからだ。損なことだからだ。

文語訳 コロ 1:24
1:24 われ今なんぢらの爲に受くる苦難を喜び、又キリストの體なる教會のために、
我が身をもてキリストの患難の缺けたるを補ふ。


塚本訳 コロ 1:24
1:24 今私は君達のために苦しむことを喜びとし、またキリスト・イエスの体なる教会のために私の体でキリストの患難の不足を補っている。


●負わされる十字架に意味あり。今はわからなくても神はご存知。救いの大経綸の一部に参加させられている光栄だ。

新共同 エペ 5:25-27
5:25 夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。
5:26 キリストがそうなさったのは、言葉を伴う水の洗いによって、教会を清めて聖なるものとし、
5:27 しみやしわやそのたぐいのものは何一つない、聖なる、汚れのない、栄光に輝く教会を御自分の前に立たせるためでした。


●キリストは教会(エクレシア)のために死なれた。エクレシアは清いところではない。汚れの集団だ。その兆候は「遊び」「雑学の肥大」「人間崇拝」「政治結社」「思想集団」に堕落。心ある信者はエクレシアが十字架。

塚本訳 マタ 16:24
16:24 あとでイエスは弟子たちに言われた、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、自分の十字架を負い、それからわたしに従え。

●負わされる十字架は各自違うが、違うところに意味がある。それが「自分の十字架」の意味。ある人にとっては自分の病気、家族の病気、家族の不義、親族の非行、勤務先の、国の堕落。それを通して神は救いの経綸を進める。

塚本訳 ヘブ 2:14-15
2:14 だから、『子らは』血と肉とを共有しているので、(イエス)彼自身も、(全く)同じようにこれを保たれた。(これはその)死によって、死の権力をもっている者、すなわち悪魔をほろぼし、
2:15 死を恐れ、全生涯(その)奴隷になっている彼ら(人類)を(のこらず)釈放するためであった。

塚本訳 Ⅰヨハ3:8
3:8 しかし罪を犯す者は悪魔の子である。というのは、悪魔は始めから罪を犯したからである。神の子が自分を現わされたのはそのため、(すなわち)悪魔の業をこわすためであったのである。


●エクレシアの、家族の、親戚の堕落はキリストの死、それに続かせられる信者の十字架で。
神は救いの業を継続する。
●悪魔はキリストと信者の十字架の死でこの世から滅ぼされる。

塚本訳 マコ 9:28-29
9:28 家にかえられると、弟子たちは人のいない時に尋ねた、「なぜわたし達には霊を追い出せなかったのでしょうか。」
9:29 彼らに言われた、
「この種類(の霊)は、祈り以外(の手段)では決して出てゆかせることは出来ない。」


●悩みは悪魔の暗躍。人生を破壊、夫婦関係を破壊、家庭を破壊する。
●その悪魔を撃退する方法は「祈りのみ」。
●「信仰のみ」「聖書のみ」は宗教改革のスローガン。それには「祈りのみ」が伴う。


塚本訳 ヨハ 16:33
16:33 これらのことを話したのは、あなた達がわたしに(しっかり)結びついていて、平安を保つことができるためである。この世ではあなた達に苦しみがある。しかし安心していなさい。わたしがすでに世に勝っている。」

●「すでに」ということと「勝っている」と言う二つの句に慰められ励まされる。なぜか。復活のキリストは今も生きておられるから、キリストが働いていて下さり、十字架を共に追ってくださるからだ。

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朝の黙想終わり。これから朝食。  

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東の窓を開けると雪。 

新改訳 イザ 1:18
1:18 「さあ、来たれ。論じ合おう。」と主は仰せられる。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。

●7:40 妻は胃カメラによる検査のため朝食抜きで国分寺に出かける。後姿を見送る。 
●8:30 家の前の道の雪かき。一時間。郵便配達、新聞配達人のため。 
●TSK日本語版申命記10章入力
●4月の感話、ヨハネ16:16-28の準備。BbB、TSK、WEB黒崎。題は「三位一体の神という大真理」。副題は「有体的復活と聖霊降臨の喜び」。
●黒崎幸吉は三位一体の神をがっちり信じているのは偉観である。
●三位一体はいつの時代もどこの国でも人が究極的にぶつかる大真理である。この真理がわかって人生は成功である。
●ヨハネ16:24に深く感じた。願い事はことごとく聞かれることを知って喜んだ。

塚本訳ヨハネ
"431623","その時には、(もはや)何事もわたしに尋ねる必要はない。アーメン、アーメン、
わたしは言う、(その時)あなた達が父上に何かお願いすれば、わたしの名でそれをかな
えてくださるであろう。"
"431624","
いままであなた達は何一つわたしの名で(父上に)お願いしなかった。(わたし
がまだ父上の所に行かなかったからである。しかし今は)お願いせよ、そうすれば戴ける。
あなた達の喜びが完全なものとなるためである。"

●ヨハネ16:16~23は有体的復活の喜び、24~28は聖霊降臨に伴う神との直接的交わりの喜び。かくしてここに三位一体の大真理が示されている。これ不動に真理。力が湧く。

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夕方の散歩。讃美歌を歌いながら歩く。

讃美歌43番


みかみのたまいし この日も暮れけり、
いざやけさのごと みめぐみをたたえん

ひかりにむかいて めぐる地とともに、
地にあるみたみは みわざにいそしむ

くにぐにしまじま しずかに明けゆき
いのりはもださず、ほめうたはつきず

われらにわかれて かくれし日かげは、
西に住む友を みわざにぞさます

おこりてほろぶる 世のくににかわり、
ときわにさかゆる みくにぞとうとき


 
 














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誰でも人生を悔いる日は必ずくる ++++++++ 所感

2013/02/12 07:19

130212(火)5時目覚め●朝の啓示「誰でも、人生を悔いる日は必ず来る」●聖書はその日のため、その人のためにあると言ってもよい●頭に浮かぶ聖書の箇所を掲げてみよう。

詩    34: 18 [口語

主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる。

詩    51: 17 [口語

神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心を/かろしめられません。

塚本訳 ヨハ 4:15-18
4:15 女が言う、「主よ、その水を下さい。(二度と)渇くことがないように、またここに汲みに来なくてもよいように。」
4:16 イエスが言われる、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」
4:17 女が答えた、「わたしには夫はありません。」イエスが言われる、「『わたしには夫はありません』と言うのは、もっともだ。
4:18 五人の夫とは別れ、今のは、あなたの夫ではないのだから。あなたの言ったことは本当だ。」

●このサマリヤの女は人生が飢え乾いていて、次から次へと男を渡り歩き、それでもまだ満ち足りず、6番目の現在の男とは同棲中。
●それでも飢えは癒されてなかったので「。(二度と)渇くことがないように、」と救いを求めている。人生を悔いているのだ。

塚本訳 ルカ 7:37-38
7:37 すると、その町に一人の罪の女がいた。イエスがパリサイ人の家で食卓についておられることを知ると、香油のはいった石膏の壷を持ってきて、
7:38 泣きながら後ろからイエスの足下に進み寄り、しばし涙で御足をぬらしていたが、やがて髪の毛でそれをふき、御足に接吻して香油を塗った。


塚本訳 ルカ 7:44-50
7:44 女の方に振り向き、シモンに言われた、「この婦人を見たか。わたしがこの家に来たとき、あなたは足の水もくれないのに、この婦人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でふいてくれた。
7:45 あなたは接吻一つしてくれないのに、この婦人はわたしが(この家に)来たときから、わたしの足に接吻のしつづけである。
7:46 あなたは(普通の)油をすら頭に塗ってくれないのに、この婦人は(高価な)香油を足に塗ってくれた。
7:47 だから、わたしは言う、この婦人の多くの罪は赦されている。(いま)多くわたしを愛したのがその証拠である。赦され方の少ない者は、愛し方も少ない。」
7:48 そしてその女に言われた、「あなたの罪は赦されている。」
7:49 同席の者が(憤慨して)ひそかに考えた、「罪さえ赦す(という)この人はいったい何人だろう。」
7:50 しかしイエスは女に言われた、「あなたの信仰があなたを救った。『さよなら、平安あれ。』」

●この罪の女(娼婦と言われる)は人生を悔いて「罪を赦す」という評判のイエスに泣き崩れた。皆から軽蔑されていた人生をイエスは赦して救った。
●50節では「信仰があなたを救った」とある。「善行が救った」とは書いてない。
●この罪の女は誰か。学説は様々だがイエスが復活の姿を初めて現したマグダラのマリヤと感じる。彼女は復活の最初の使徒になった。

塚本訳 ルカ 15:13-19
15:13 幾日もたたないうちに、弟は(分け前)全部をまとめて(金にかえ、)遠い国に行き、そこで放蕩に財産をまき散らした。
15:14 すべてを使いはたしたとき、その国にひどい飢饉があって、食べるにも困り果てた。
15:15 そこでその国のある人のところに行ってすがりつくと、畑にやって、豚を飼わせた。
15:16 彼はせめて豚の食う蝗豆で腹をふくらしたいと思ったが、(それすら)呉れようとする人はなかった。
15:17 ここで(はじめて)本心に立ち返って言った。──お父さんのところでは、あんなに大勢の雇人に食べ物があり余っているのに、(息子の)このわたしは、ここで飢え死にしようとしている。……
15:18 よし、お父さんの所にかえろう、そしてこう言おう、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。
15:19 もうあなたの息子と言われる資格はありません。どうか雇人なみにしてください』と。

●富が増すと人生は狂う。失敗する。しかし神はその失敗を利用して人を救う。
●17節の「本心に立ち返って」は「目が覚めて」と言うことだ。人生を悔いた。心が砕けた。
●この日が来るまで「父は待った」。遠い国に」出かけて行って「説教」「注意」「激怒」「訓戒」などをしなかった。「かわいい者には旅を」させた。神が働いてくださり、そのうち目が覚めるだろうと気長に思っていた。桃栗3年柿8年柚子の大馬鹿18年。

塚本訳 ルカ 19:1-10
19:1 エリコに入って、(そこを)通っておられた。
19:2 すると、(町に)名をザアカイという人がいた。この人は税金取りの頭で、金持であった。
19:3 イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低いので、群衆のため見ることが出来なかった。
19:4 それで先の方に駈けていって、桑無花果の木に上った。そこを通られるところを見ようとしたのである。
19:5 イエスはその場所に来られると、ザアカイを見上げて言われた、「ザアカイ、急いで下りておいで。きょうはあなたの家に泊まることになっているから。」
19:6 ザアカイは急いで下りてきて、喜んでお迎えした。
19:7 皆がこれを見て、イエスは(税金取りのような)罪人の所に入りこんで宿を取った、と言ってぶつぶつ呟いた。
19:8 しかしザアカイは進み出て主に言った、「主よ、わたしは(誓って)財産の半分を貧乏な人たちに施します。人からゆすり取ったものは四倍にして返します。」
19:9 イエスが(人々に)言われた、「救いは(きょう、)この家に入った。(人でなしのように言われる)この人も、やはり(あなた達と同じ)アブラハムの末だから。
19:10 人の子(わたし)は『滅びうせた者をさがして』救うために来たのである。」

●このザアカイは「人からゆすり取る」という良心に咎めのある行為をしていた。(8節)。
●金持ちではあったが(2節)自分のみじめな人生に満たされないものがあった。
●イエスに声をかけられたザアカイはその愛に悔いて財産の半分を貧乏な人に施すまでに心が変えられた。
●10節が結論

塚本訳 マタ 21:28-32
21:28 いったいあなた達はどう思うか。──ある人に二人の息子があった。長男の所に行って、『坊や、きょう葡萄畑に行って働いてくれ』と言うと、
21:29 長男は『いやです』と答えたが、あとで後悔して出かけた。
21:30 つぎに次男の所に行って同じように言うと、こちらは、『お父さん、承知しました』と答えたが、行かなかった。
21:31 この二人のうち、どちらが父の心を行ったのだろうか。」「もちろん長男」と彼らが答える。イエスが言われる
、「アーメン、わたしは言う、税金取りや遊女たちは、あなた達よりも先に神の国に入るであろう。
21:32 そのわけは、(洗礼者)ヨハネが義の道を示しに来たのに、あなた達は彼を信ぜず、税金取りや遊女の方がかえって信じたからだ。しかしあなた達は(あの人たちが悔改めるのを)見たあとでも、後悔して彼を信じようとしなかった。



●写本によって兄と弟の態度(父への返事とその後の行動)が違うらしいが、話の本質は変わらない。
●29節に「後悔して」という言葉がある。
●この譬の結論は31-32節。
●特に「税金取りや遊女たちは、あなた達よりも先に神の国に入るであろう。」は人生の希望である。

塚本訳 ルカ 17:3-4
17:3 (人を罪にいざなわぬように注意せよ。(また)もし兄弟が(あなたに対して)罪を犯したら、これを咎め、悔改めたら、赦してやりなさい。
17:4 あなたに対して一日に七度罪を犯しても、七度『すまなかった』と言って、あなたの所へもどってきたら、七度赦してやらねばならない。」

●人間は「俺は親不孝者だ」「すまなかった」と言う言葉を発すれば神はその人を赦す。無限に赦す。

塚本訳 マタ 5:14-15
5:14 あなた達は世の光である。山の上にある町は隠れていることは出来ない。
5:15 また、(せっかく)明りをともして枡をかぶせる者はない。かならず燭台の上に置く。すると、家の中におる人を皆照らすのである。

●これは何か「善行をせよ」と言うのではない。私は罪人であったが神の恩恵によって赦されたということを言うべきなのだ。

塚本訳 エペ 2:3
2:3 (否、)私達も皆かつてはこの人達に伍して自分の肉の欲の中に生活し、肉と欲望の欲するままに振舞って、他の(異教)人達のように生まれながら(神の)怒りの(審判に定められた)子であった。

●生まれたままの人間は全員が罪人。

塚本訳 ルカ 23:40-43
23:40 するともう一人の者が彼をたしなめて言った、「貴様は(このお方と)同じ(恐ろしい)罰を受けていながら、それでも(まだ)神様がこわくないのか。
23:41 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる。」

●この「罪人」は強盗(口語、新改訳、新共同)
●しかしその犯罪の詳細はどうでもよい。とにかく人生の土壇場で悔い改めたのだ。
●イエスはそれを喜んだ。この罪人の人生はこの悔い改めで成功。

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朝の黙想終わり。●人生は「神を知るために生まれ、知ることによって終わる。」
 
●TSK日本語版申命記9章入力。
●妻は午後中野の愛子の家に手伝い
●負いきれぬ重き十字架は夫婦で負う、夫婦の意味、結婚の意義はここにあり。
●否、キリストが共に負ってくださる。
●神は我々に重き十字架を負わせて「悪魔」を追い出そうとしている。

文語訳 マタ 11:28
11:28 凡て勞する者・重荷を負ふ者、われに來れ、われ汝らを休ません。

口語訳 マタ 11:28
11:28 すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。


新改訳 マタ 11:28
11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。


新共同 マタ 11:28
11:28 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。


塚本訳 マタ 11:28
11:28 さあ、疲れている者、重荷を負っている者はだれでも、わたしの所に来なさい、休ませてあげよう。


NKJV マタ 11:28
11:28 "Come to Me, all you who labor and are heavy laden, and I will give you rest.


TEV マタ 11:28
11:28 "Come to me, all of you who are tired from carrying heavy loads, and I will give you rest.

●神は我々に重き十字架を負わせて「悪魔」を追い出そうとしている。

塚本訳 ヘブ 2:14-15
2:14 だから、『子らは』血と肉とを共有しているので、(イエス)彼自身も、(全く)同じようにこれを保たれた。(これはその)死によって、死の権力をもっている者、すなわち悪魔をほろぼし、
2:15 死を恐れ、全生涯(その)奴隷になっている彼ら(人類)を(のこらず)釈放するためであった。

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毎日規則正しく2万歩歩く88歳の老人。立派。

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中野の孫娘が手作りのバレンタインチョコレートをくれた。妻持参。
ありがとう。二人の上にまた一家の上に神の祝福が末永くありますように。
















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隠れた祈りに効き目あり ++++++++ 所感

2013/02/11 05:40

130211(月)建国記念の日●5時起床●朝の啓示「隠れた祈りに効き目あり」●祈りは自分の心を鎮めるためのまじないのようであるなら、それは自己満足に過ぎない。神の存在を信じない人間にとっては「お祈りなんて意味はない。行動だ。すぐ行動だ。直接本人に注意せよ」などと思う。●ところがイエスは「隠れた祈り」の方効き目があるとしきりに言われる。なぜか。それは神が直接動いてくださるからだというのだ。●その聖書的根拠を見てみよう。

塚本訳 マタ 6:1-4
6:1 (しかし戒めだけでなく、行ないにおいても聖書学者、パリサイ人以上でなければならない。すなわち)見せびらかすために、人の見ている前で善行をしないように気をつけよ。そうでないと、あなた達の天の父上の所で褒美をいただくことはできない。
6:2 だからあなたが施しをする時には、偽善者のように、自分の前にラッパを吹きならして(吹聴して)はならない。彼らは人に褒められようとして、礼拝堂や町の中でそうするのである。アーメン、わたしは言う、彼らは(褒められたとき、)すでに褒美をもらっている。
6:3 あなたは施しをするときに、右の手のすることを左に悟られてはならない。
6:4 これは施しを隠しておくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。

塚本訳 マタ 6:6-8
6:6 あなたが祈る時には、『奥座敷に入り、部屋をしめきった上で、』隠れた所においでになるあなたの父上に『祈れ。』そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。
6:7 また祈るとき、異教人のようにベラベラしゃべるな。彼らは口数が多ければ、聞いてもらえるものと思っている。
6:8 彼らの真似をしてはならない。神はあなた達の父上である。求める前から、あなた達に必要なものをよく御承知である。

塚本訳 マコ   1: 35
朝早く、まだ真夜中にイエスは起きて、人のいない所に出て行き、そこで祈っておられた


塚本訳 マコ 6:46
6:46 そして群衆に別れると、祈りのため山に行かれた

塚本訳 マタ  14: 23
そして群衆を解散させると、祈りのため自分だけ山に上られた。暗くなってもひとりそこにおられた

ルカ  6: 12
このころのこと、イエスは祈りのため山に行って、神に祈りながら夜をあかされた。

塚本訳 ルカ  21: 37
イエスは(毎日)昼のあいだは宮で教え、夜は(都を)出ていって、いわゆるオリブ山で夜を過ごされた。

塚本訳 ヨハ   6: 15
イエスは人々が来て、自分を(エルサレムに)攫って王にしようと計画しているのを知り、自分ひとり、またも山に引っ込まれた。

塚本訳 ルカ  21: 21

その時ユダヤの平地におる者は(急いで)山に逃げよ。都の中におる者は立ち退け。田舎におる者は都に入るな。

塚本訳マタ   6: 16
また断食をしている時には、偽善者のように陰気な顔つきをしてはならない。彼らは断食をしていることを人に見せようとして、(顔を洗わず、髭をそらず、わざと)顔を見苦しくするのである。アーメン、わたしは言う、彼らは(褒められた時、)すでに褒美をもらっている。

塚本訳マタ   6: 18
これは断食をしていることを人に見せず、隠れた所においでになるあなたの父上に、見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。

塚本訳 マコ 5:25-29
5:25 すると十二年も長血をわずらって、
5:26 大勢の医者からひどい目にあわされて、財産を皆使いはたして、なんの甲斐もなくて、かえってますます悪くなって、
5:27 イエスのことを聞いて、群衆にまじってついて来た女が、後ろからその着物にさわった。
5:28 「お召物にでもさわれば、なおるにちがいない」と思ったのである

5:29 はたしてすぐ血の源がかれて、病気が直ったのを身に感じた。


塚本訳 マコ 9:28-29
9:28 家にかえられると、弟子たちは人のいない時に尋ねた、「なぜわたし達には霊を追い出せなかったのでしょうか。」
9:29 彼らに言われた、この種類(の霊)は、祈り以外(の手段)では決して出てゆかせることは出来ない。」

塚本訳 マタ 25:37-40
25:37 その時、正しい人たちは答える。『主よ、いつわたし達はあなたの空腹を見て食事を差し上げ、渇かれているのを見てお飲ませしましたか。
25:38 また、いつお宿がないのを見てお宿をし、裸でおられるのを見てお着せしましたか。
25:39 また、いつ御病気であり、牢に入っておられるのを見て、おたずねしましたか。』
25:40 すると王は答える、『アーメン、わたしは言う、わたしのいと小さいこの兄弟たちの一人にしたのは、わたしにしてくれたのと同じである。』

塚本訳ヨハ   4: 21
イエスが言われる、「女の人、わたし(の言葉)を信じなさい。(間もなく)あなた達が、この山でもエルサレムでもなく(どこででも、)父上を礼拝する時が来る。

塚本訳マタ  23: 37
ああエルサレム、エルサレム、預言者を殺し、(神から)遣わされた者を石で打ち殺して(ばかり)いる者よ、雌鳥がその雛を翼の下に集めるように、何度わたしはお前の子供たちを(わたしの所に)集めようとしたことか。だがお前たち(エルサレムの者)はそれを好まなかった。

塚本訳 マコ 13:1-5
13:1 イエスが宮を出てゆかれるとき、一人の弟子が言う、「先生、御覧なさい、なんと大きな石、なんと堂々たる建築でしょう!」
13:2 イエスは言われた、「この大きな建築を見ているのか。このまま重なっている石が一つもなくなるほど、くずれてしまうであろう。」
13:3 オリブ山で宮の方を向いて坐っておられると、ペテロとヤコブとヨハネとアンデレとだけでイエスに尋ねた、
13:4 「(宮がくずれると言われますが、)そのことはいつ起るか、また、(世の終りが来て)すべてのことが実現しようとする時には、どんな前兆があるか、話してください。」
13:5 そこでイエスが話し出された。──「人に迷わされないように気をつけよ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想終わり。

● 困った人や悩みの人がいたら直接面と向かって注意しないで隠れて祈れ。その方が効き目がある。なぜか。人間より神の方が正しく上手に指導されるから。それは人間の注意、訓戒よりも効き目がある。イエスのように朝早く起きて(マルコ1:35)起きて祈るべきだ。
●その悩みの人、困った人も人間からの注意訓戒は聞かなくても神からならば聞く。彼としてもメンツがあるのだ。
●TSK日本語版申命記8章入力
●見知らぬ人から拙HPの「聖書で聖書を読む。BbB」への感謝の言葉を頂いた。「便利なサイトです」と。時々こういうメールがあると労が報われた感じがする。
●午後、妻は錦糸町のホールに、バッハのロ短調ミサを鑑賞に出かけた。妻は自分でも何度か歌っているこの曲が好きで、葬儀(家族葬希望)の時に流してくれと言っている。 
●私は家で、カールリヒター+ミュンヘンバッハ合唱団&管弦楽団のものをCDで鑑賞。リヒター入魂の名演奏。リヒターはバッハに打ち込んだために生涯独身だった。
●16:30 1月20日NNHKTVの「老人漂流社会」の録画を観た。妻に先立たれ子供もない高齢者は短期入所の老人施設を転々としている。
●私の妻や子供や孫がこのような老後にならないとも限らないと思い暗然となった。
●認知症の御夫人もおられた。
●私にできることは何かを考えた。それは霊魂の安住の住処があることを伝えることではあるまいか。復活と永遠の命。その希望に生きること。
●私の知っている集会のFさんは今年90歳を超えられた。収入は国民年金の5万円だけで息子さんの家におられるが、息子の家には3万円(食費+家賃など)を渡して月2万で信仰によって明るく喜んで生きている。奥様には先立たれた。しかし年に何回か団体バス旅行をしているから驚き。毎日午前中は聖書読み。旧新約聖書を年に4回通読するという。その明るい生き様に多くの人が慕ってくる。これが本当の伝道だ。私の理想とする老人だ。
●老後の豊かさは物理的住環境の完備でも経済の豊かさでもない。信仰による霊魂の平安と喜びだ。NHKもわからない世界。




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聖書の中に命なし ++++++++ 所感

2013/02/10 07:09

130210(日)6時起床●朝の黙想。「聖書の中に命なし」●聖書聖書と言っているが聖書は無機質の単なる文字。これを振り回すと原理主義になる。思想戦になる。律法主義になる。●これを警告する聖書の箇所を黙想する。

塚本訳 ヨハ 5:39-40
5:39 あなた達は聖書(旧約)をもっていることが永遠の命を持っていることのように思って、それを研究している。
ところがこの聖書は、(永遠の命である)このわたしのことを証明しているのに、
5:40 あなた達はその命を得るためわたしの所に来ようとしない


塚本訳 マタ 23:1-4
23:1 それからイエスは群衆と弟子たちにむかって語られた、
23:2 「聖書学者とパリサイ人はいまモーセの(後継ぎとしてその)椅子に坐っている。(彼らにはモーセの権威がある。)
23:3 だからなんでも彼らがあなた達に言うことを行い、また守れ。しかし、そのすることを真似てはならない。あの人たちは言うだけで行わないのだから。
23:4 すなわち思い荷をたばねて人の肩にのせながら、自分では(担ってやるどころか、)指一本でこれを動かしてやろうともしない。

塚本訳 マタ 21:23-24
21:23 宮に来て教えておられると、大祭司連と国の長老たちが寄ってきて、言った、「なんの権威で(きのうのような)あんなことを(宮で)するのか。だれがあの権威を授けたのか。」
21:24 イエスは答えて言われた、「ではわたしも一つ尋ねる。それにこたえられたら、わたしも何の権威でそれをするかを言おう。

塚本訳 ヨハ 19:11
19:11 イエスは答えられた、「あなたは上[神]から授けられないかぎり、わたしに対してなんの権力もない。だから(あなたの罪はまだ軽いが、)わたしをあなたに売った者[ユダ]の罪は、あなたよりも重い。(あなたは官憲として神の命令を行なうだけだが、彼は自分の発意でやったのだから。」

●真の権威は卒業学校ではない。社会的地位ではない。国家、役人、岩波、NHK、東大ではない。聖霊による天的なものである。

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朝の黙想終わり
●集会は茂木、高木、山本(第二コリント8章)
●小寺利男さんと」昼食
●午後はTSK日本語版申命記7章入力。

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キリストは罪の清めを成し遂げた ++++++++ 所感

2013/02/09 06:27

130209(土)4時目覚め●朝の啓示「キリストは罪の清めを成し遂げた」(へブル1:3)●今朝はこの部分を黙想しよう。


●まず翻訳比較。(拙HP利用 http://www.bbbible.com/ )


岩波翻訳委員会訳1995

580103彼は神の栄光の放射、〔神の〕実体の刻印であり、

その力ある言葉によって万物を担っており、

〔もろもろの〕罪の清めを行なった後、

高きところで偉大な方の右に座った方である。

新共同訳1987

1:3 御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。 

新改訳1970

1:3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。

塚本訳1963

1:3 彼は神の栄光の放射であり、本質の像である。彼はまたその力ある言葉をもって万物を保たれる。彼は(この世に降り)、罪の潔めを成し(とげて、ふたたび)高き所にのぼり、(神の)御稜威の『右にお坐りになっている』。

口語訳1955

1:3 御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の真の姿であって、その力ある言葉をもって万物を保っておられる。そして罪のきよめのわざをなし終えてから、いと高き所にいます大能者の右に、座につかれたのである。

語訳1917

"580103","御子は神の榮光のかがやき、神の本質の像にして、己が權能の言葉をもて萬の物をを保ちたまふ。また罪の潔をなして、高き處にある稜威の右に坐し給へり。"


●上記の6種類の翻訳で「罪の清めを成し遂げた」という部分に意味の違いはない。
●聖書の中心的真理は翻訳において意味の違いはない。
●翻訳の違いによって聖書の中心的真理が伝わったり伝わらなかったりはしない。
 

●次にこの部分をTSK日本語版で見てみよう。 「 罪の清め」の部分。
(拙HP http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/110910.htm )
 

*「そして罪のきよめのわざをなし終えてから、」

John 1:29

29その翌日、ヨハネはイエスが自分の方にこられるのを見て言った、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。

Hebrews 7:27

27彼は、ほかの大祭司のように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために、日々、いけにえをささげる必要はない。なぜなら、自分をささげて、一度だけ、それをされたからである。

Hebrews 9:12-14

12かつ、やぎと子牛との血によらず、ご自身の血によって、一度だけ聖所にはいられ、それによって永遠のあがないを全うされたのである。 13もし、やぎや雄牛の血や雌牛の灰が、汚れた人たちの上にまきかけられて、肉体をきよめ聖別するとすれば、 14永遠の聖霊によって、ご自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は、なおさら、わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、生ける神に仕える者としないであろうか。

Hebrews 9:16

16いったい、遺言には、遺言者の死の証明が必要である。

Hebrews 9:26

26もしそうだとすれば、世の初めから、たびたび苦難を受けねばならなかったであろう。しかし事実、ご自身をいけにえとしてささげて罪を取り除くために、世の終りに、一度だけ現れたのである。

1 John 1:7

7しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。

1 John 3:5

5あなたがたが知っているとおり、彼は罪をとり除くために現れたのであって、彼にはなんらの罪がない。

 ●次に黒崎幸吉の新約聖書注解を見てみよう。これは塚本虎二訳新約聖書と共にわが日本の誇るべき遺産で、国宝だと信ずる。 
http://stonepillow.dee.cc/

 

また(つみ)(きよめ)をなして、

註解: キリストの働きの最大なるもの、またその中心は肉体を取りてこの世に降り十字架の死を遂げ人類の罪の潔めを成就し給うことであった。これによって我らは信仰により罪なきものとして神に近付くことができるのである。


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朝の黙想終わり。罪は人間のどんな努力でも取り除くことはできない。これが深い悩みである。しかし神の子キリストが罪を清める道を開いてくださった。
 

●13:10   昭和女子大の生徒2名が拙宅の見学に来られた。拙宅の」材料は木、竹、紙、漆喰である。設計コンセプトは自然との共生。風、光、緑、景観。
●私より48歳も若い二人(TS、SA)との懇親懇談は楽しかった。話題は進路、卒論、卒業設計。また建築+アルファの勉強をしなさいと発破をかけた。一人は三粘性なのにすでに単位はすべて習得してしまったtごいう優れもの。そこで次のように話した。
●二つの学問が衝突融合するところにいいものが生まれる。天文学+物理学=天体物理、生物学+化学=生化学。建築学+経済学=建築経済。だから〕あなた達は建築のほかに何か他の分野をも自分の中に取り入れなさいと話した。
●昔が協業(これが会社組織)。しかしこれはうまくいなない。現在は一人格の中に複数の分野を取り込む融 業の時代だ。
●帰りの時間が迫っていたので写真を撮影するのを忘れた。イイヤイイヤ頭に残そう。
●東秋留の駅まで見送る。去りゆく電車を見ながら二人の行く末の幸福無事を祈った。サヨウナラ、また会う日まで。
●駅では急いでいたのでロクロク御挨拶出来なかったからと言って二人から今日の御礼の電話が来た。折り目正しい人たちだ。彼女たちの」将来は大丈夫だ。
●それに比べて「出席する」と言っていおながら無断欠席した生徒がいたが、困った、困った。
●妻は夕方から合唱の練習。ヴィヴァルディ「グローリア」
●学生二人見送って、机に座って物思いにふけった。「あのうら若い女性に向かって、罪、悔い改め、十字架などを正面から説けないなー、と。
●ではどうすればよいのか。人生において信仰とか救いには「出番」ということがあるのかなー。
●しかし、クリスチャンになった多くの人は高校か大学生の時にキリストk教と出会っている。
●逆に内村鑑三は学生の信仰は信用ならないとも言っているが・・・・・。
●人の救いの時は神が決める。不思議なる、意外な導きで人はキリストの救いと出会うものだ。神ままだ。






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犠牲死の愛 ++++++++ 所感

2013/02/08 05:58

130208(金)4時50分目覚め●朝の啓示「犠牲死の愛」●日本人は「犠牲死」に対しては感動したり涙するが、罪なきキリストの十字架の犠牲死には涙しないのはなぜだろう。今朝はそのことを黙想しよう。●日本人はクリスチャンでなくとも「犠牲死に感動する。その実例。親戚の一人が三浦綾子の「塩狩峠」に感動したと目を丸くして話してくれた。NHKFMクラシック番組「気らクラ」の司会者は浜田広介の「泣いた赤鬼」を朗読中に胸を詰まらせた。(「泣いた赤鬼」のあらすじは20013年1月20日のブログに書いた)また救世軍の山室軍平の「母の愛」の説教には皆感動する。●それなのに日本人は十字架の犠牲死がわからない。なぜだろう。十字架の死は神による人間への体罰をキリストが犠牲になって一身に引き受けてくれたのだが、罪の価は死であるというその「むごさ」を日本人の人道主義精神が受け入れないのか。贖罪はユダヤ思想なのだからか。そうではあるまい。「犠牲愛」は世界の共通語である。現にユダヤ思想ながない異教のに日本でも先に示した「犠牲愛」は通じる。●ではなぜ神の子キリストの十字架の死が「犠牲愛」であることがわからないのか。●それはこの自分が犠牲死で贖罪されるべき大罪人であることが自覚できていないからではあるまいか。その自覚は神の霊が照射される時に生じる。現在中国が日本の艦船にレーダー照射したことで政府マスコミや世論は蜂の巣をつついたようになっているが、つまらない「騒ぎ」だ。●日本人は、神のレーダー照射で罪を明らかにされることが大切なのだ。否、それは日本人全員が毎日照射されているのに気がつかないだけのことだ。不幸、失敗、病気、治りにくい精神の病、生まれつきの障害、天災、勤務先の倒産、左遷、リストラ、経済破綻、家庭崩壊・・・・などを通じて神は人間を揺さぶり起こそうとしている。そして神のレーダー照射で罪を示し、痛い思いを通して新しく生まれ変わらせようとしているのだ。
●今朝はどうも説教臭くなってイケナイ。では本来に立ち返って関連聖句を取り上げて黙想しよう。

塚本訳 ヨハ 14:26
14:26 (わたしが去ったあとで、)父上がわたしの名で遣わされる弁護者、すなわち聖霊が、あなた達にすべてのことを教え、またわたしが言ったことをすべて思い出させるであろう。

●聖霊というレーダー照射がないと人間は罪の自覚がない。それが死に価するものであることを知らない

塚本訳 ヨハ 16:7-8
16:7 しかし本当のことを言うが、わたしが(父上の所に)行くことは、あなた達のために利益である。行かねば、弁護者はあなた達の所に来ないが、行けば、わたしが彼を遣わすからである。
16:8 そして彼は来ると、罪について、義について、罰について、この世に(その考えの)誤りを認めさせるのであろう。

●この世の弁護士はあくまで自分の味方ではあるが、こちら側の非も指摘する。
●「罪について、義について、罰について、」とは人生の究極の悩みと救いの本質。
●それは第三者的一般論でなく「この私」がその対象であることを自覚するには聖霊が必要。
●息子の一人が「父さん。俺は一人の人の死で人類全体が救われるということがどうしてもわからない」と言っていた。しかしついにわかる「その時」が来た。「桃栗三年、柿八年、柚子のバカヤロ十八年」である。十八年でもバカヤロではない。「神の時」が来たのだ。永遠の命は頂いてしまえば十八年は短い。一生も短い。
●一生費やしても神の愛がわからない人でも終末には全員がわかる。わかれば一生は短い。勝てば官軍だ。
●2000年前のキリストの死が今のこの私のためであったという自覚、時間がくっつくその不思議、それを神学用語では「シンクロネスティ」と言うらしい。これはまさに聖霊が下るときに教えられる。
●だからイエスは肉の体である今のこの自分が死にゆくのはあなた達のために利益であるというのだ(16:7)

塚本訳 ヘブ 2:14-15
2:14 だから、『子らは』血と肉とを共有しているので、(イエス)彼自身も、(全く)同じようにこれを保たれた
。(これはその)死によって、死の権力をもっている者、すなわち悪魔をほろぼし、
2:15 死を恐れ、全生涯(その)奴隷になっている彼ら(人類)を(のこらず)釈放するためであった。


●どうしたら悪魔を滅ぼすことができるか。それは罪なき神の子キリストの犠牲死である。
●その死が罪の奴隷状態の人間を救い出す。今現在、この世で。それは聖霊というレーダー照射で。
●その宝血の血潮は流された。その意味を各自に示すのは各自に降る聖霊に教えられる「時」である。その時は長い人もいれば短い人もいる、肉の生涯のうちではわからない庇護もいる。しかし最後は全員にわかる。これが聖書の本質である。

塚本訳 コロ 1:24
1:24 今私は君達のために苦しむことを喜びとし、また
キリスト・イエスの体なる教会のために私の体でキリストの患難の不足を補っている。


塚本訳 マタ 16:24
16:24 あとでイエスは弟子たちに言われた、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、自分の十字架を負い、それからわたしに従え。

●肉のイエスは僅かであったが、そのために降った聖霊は永遠。一足先に恵まれて救われたキリスト信者の生涯は十字架の生涯であるべきだ。
●といって血を流しても人は救われない。なぜか。人間の血は汚れているから人を救えない。
●人の罪を救えるのは傷なき神の子羊の血だけである。
●だからクリスチャンがどんなに犠牲的な死を遂げても、人を感動はさせても罪からは救えない。ここが行為主義者やヒューマニストn間違い。

塚本訳 ロマ 3:25-26
3:25 すなわち神は御自分の義を示すために、宥めの供え物としてキリストを提供された。これはキリストの血でなされたものであり、(人は)信仰によ(ってこの恩恵にあずか)るのである。このことは──神が(長いあいだ)忍耐をもって過ぎし日に犯した罪を罰せずにおられたので──
3:26 今の世において、御自分の義を示そうとされたのである。すなわち御自分が義であること、またイエスを信ずる者を義とするお方であることを、(この世に)示されたのである。

塚本訳 ロマ 12:1
12:1 (このように、神は偉大な計画によって人類を一人のこらず救おうとしておられるのであって、救いは確かである。)だから、兄弟たちよ、わたしは神のこの慈悲を指してあなた達に勧める。あなた達の体を(感謝のしるしとして神に)捧げよ。この生きた聖なる犠牲こそ、神のお気に入るものであり、(霊なる神を拝むにふさわしい、)あなた達の霊的な礼拝である。(あなた達の礼拝は動物を供えるような不合理なものでなく、全心全霊をささげる合理的な礼拝でなければならならない)

●クリスチャンの生涯は「宥めの供え物」であるが、それがどんなに犠牲的な愛であっても人を罪から救わない。
●人が救われるのはただキリストの血のみ。人間の血は汚れているから効果はない。
●だから時局批判して追放された人(矢内原忠雄、ホーリネス教団など)がいてもその犠牲では人は救われない。罪は清められない。人間的な生き方として感心はするがそこに罪からの救いはない。国も人も救えない

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朝の黙想終わり

●妻の依頼で、ガーディナー指揮ののメサイア(現段階で最高峰の演奏と評判)を二人分ダビング。モンテヴェルディ合唱団+イギリスバロック管弦楽団。
●ノジマに買い物。CDとプリンターインク。パソコンもいいが周辺材料(アクセサリーという)の費用がバカにならない。

2013_02080001.jpg 

冬の奥多摩連山と「白い雲」。父が逝って早21年。父の詩集は「白い雲」という題であった。
今日の風は冷たい。








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キリストの外に救いなし ++++++++ 所感

2013/02/07 05:59

130207(木)4時目覚め、起床●朝の啓示「キリストの外に救いなし」

塚本訳マタイ
"401026","だから彼らを恐れるな、(すべてはじきに明らかになるであろう。)覆われてい
るものであらわされないものはなく、隠れているもので(人に)知られないものはないか
らである。"
"401027","
わたしが暗闇で(こっそり)話すことを、(大胆に)明るみで言え。耳うちされ
たことを屋根の上で宣伝せよ。
"
"401028","
体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体
も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。"

●目覚めの時に「暗闇でこっそり」啓示されることは、私への「個人情報」である。これは(大胆に)明るみで言い、屋根の上で宣伝しなくてはならない。インターネットで「個人情報」をバラさなければならない。この世を恐れるな。

塚本訳ヨハネ
"431607","しかし本当のことを言うが、わたしが(父上の所に)行くことは、あなた達の
ために利益である。行かねば、弁護者はあなた達の所に来ないが、行けば、わたしが彼を
遣わすからである。"
"431608","
そして彼は来ると、罪について、義について、罰について、この世に(その考
えの)誤りを認めさせるのであろう。"
"431609","すなわち、罪についてとは、人々がわたしを信じないこと(が罪であること。)
"
"431610","
義についてとは、わたしが父上の所に行って、あなた達がもはやわたしを見る
ことができなくなること(が、わたしの父上に義とされた証拠であること。)"
"431611","
また罰についてとは、この世の支配者[悪魔]が(わたしを殺したのは、わた
しが罰されたのでなく、自分が)罰されたのであること。──(この三つのことを認めさ
せるのである。)"

●これは次回の集会感話の主題である。塚本訳は敷衍で必死に意味を通そうとしている。しかし肝心の聖霊を頂かないとその本当のことはわからない。
●聖書は聖書学や神学では永久にわからない。わかるのは周辺の雑学である。

塚本訳ヨハネ
"431401","(あなた達の来られない所にわたしが行くからとて、)心を騒がせるな。神を信
ぜよ、またわたしを信ぜよ。"
"431402","
父上のお家には、沢山住居がある。(あなた達は一人のこらず、そこに住むこと
が出来る。)もしそうでなかったら、『あなた達のために場所の準備に行く』と言うわけが
ないではないか。"
"431403","
(間もなく出かけるが、)行って場所の準備ができたら、もどって来て、あなた
達をわたしの所に連れてゆく。わたしのおる所にあなた達もおるためである。"
"431404","
(今)あなた達はわたしがどこへ行くか、その道がわかったはずだ。」"
"431405","
トマスが言う、「主よ、どこへ行かれるのか、わたし達にはわかりません。どう
すればその道がわかるでしょうか。」"
"431406","
イエスは言われる、「わたしが道である。また真理であり、命である。(手段で
あると同時に目的であるから。)わたしを通らずには、だれも父上の所に行くことはでき
ない。"
"431407","しかしあなた達はわたしがわかったのだから、わたしの父上もわかるにちがい
ない。いや、いますでに父上がわかっており、また父上を見たのである。」"
"431408","
ピリポが言う、「主よ、どうかわたし達に父上を見せてください。それでたくさ
んです。」"
"431409","
イエスは言われる、「ピリポ、こんなに長い間一しょにいるのに、あなたはまだ
わたしがわからなかったのか。(父上とわたしとは一つである。)わたしを見た者は父上を
見たのだ。どうして『父上を見せてください』と言うのか。"

●これがキリスト教がユダヤ教と違う理由である。また次回感話の答えでもある。

塚本訳マタイ
"400713","狭い門から入りなさい。滅びに至る道は大きく、かつ広く、ここから入る者が
多いのだから。"
"400714","
命にいたる門はなんと狭く、道は細く、それを見つける者の少ないことであろう!"


●キリストの救いは狭い。「狭き門」というのは狭いから押し合って頑張って入れというのではなく。「見つけにくい」というのである。
●私のことを「アイツは信仰(聖書)一本だから狭い」と言う人がいるが、そう批判する人間は雑学が多いから「浅い」。浅い池にはボウフラが湧いて悪臭が漂う。不潔である。
●先が短い人間はくだらない本を読まないで天国に行く道が書いてある聖書のみを読むべきだ。

塚本訳マタイ
401512","あとで弟子たちが来てイエスに言う、「パリサイ人がお話を聞いて腹を立てたこ
とを御存じですか。」"
"401513","
イエスは答えられた、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜
かれる。"
"401514","
あの人たちを放っておけ。盲人の手引をする盲人だ。盲人が盲人の手引をすれ
ば、二人とも穴に落ちよう。」"


●不潔な池に誘う盲人人間とその不潔さを喜ぶ盲人人間は「二人とも穴に落ちる」

塚本訳使徒
"440410","使徒 4:10","あなた方御一同はもとより、イスラエル国民全体も、このことを知
ってほしい。ナザレ人イエス・キリスト──あなた方が十字架につけ、神が死人の中から
復活させられた方──その名で、この人がよくなって、あなた方の前に立っているのです。
"
"440411","
使徒 4:11","この方は、(聖書にある)“大工の”あなた方から”投げ捨てられ、
隅の土台石になった石”です。"
"440412","
使徒 4:12","この方のほかのだれによっても救いはない。天下ひろしといえども、
わたし達が救われるべき名はこれ以外、人間に与えられていないからです。」
"

●天下ひろしと言えども救いの門は一つ。それはキリストの門。
●本屋には沢山の本があるが救いは「聖書」のみ。
●某キリスト教学生寮の読書会で「キリスト教の名著」を読みはじめたところサッパリ学生が来なかったが、「聖書」そのものを読むことにしたら学生は眠い目をこすりながら起きてきて参加するようになったという。

塚本訳ルカ
"421936","イエスが進んでゆかれると、人々はその着物を道に敷いた。"
"421937","
すでにオリブ山の降り口近くに来られたとき、弟子の群は皆喜んで、彼らが見
た(イエスの)あらゆる奇跡の(すばらしさの)ゆえに、こう言って大声に神を讃美し始
めた。──"
"421938","
“主の御名にて来られる”王に、“祝福あれ。”天には平安、いと高き所には栄
光あれ!"
"421939","
群衆の中にいた数人のパリサイ人がイエスに言った、「先生、お弟子たちを叱っ
てください。」"
"421940","
答えて言われた、「わたしは言う、この人たちが黙ったら、石が叫ぶであろう。」


塚本訳マタイ
"402115","すると大祭司連や聖書学者たちは、イエスがされた不思議な業と、宮(の庭)
で子供たちが、「ダビデの子に“ホサナ!”」と言って叫んでいるのを見て憤り、"
"402116","
イエスに言った、「あの子供たちがなんと言っているのか、聞えているのか。」
イエスは言われた、「聞えている。あなた達は“(神よ、)あなたは幼児と乳飲み子との口
によって、(御自分のために)賛美をお備えになった”と詩篇にあるのを、まだ読んだこ
とがないのか。(大人が黙っているから、子供が叫ぶのだ。)」"

●真理は宣伝しなくても広まる。「聖書」は人を起こす。眠い学生をも起こす。
●遠慮しない子供たちが「石が叫ぶように」彼ら自身が宣伝する
●キリストの外に救いなし。
●無教会主義の塚本虎二先生の個人雑誌「聖書知識」の副題は「教会の外に救い」である。この意味はティルトリアヌスの「教会の外に救いなし」に真っ向から対決するものである。意味は「教会の外にも救いあり」である。
●しかし、ティルトリアヌスの言葉は「異教」との戦いにおいては重用である。つまり「キリストの外に救いなし」と言うことである。
●ところがそういって出発した無教会主義には今やキリストがいない。それは遊興集団、仲良しクラブ、先生懐かしナツメロ集団。聖書以外の雑学勉強集団、神学や聖書学に熱心な集まり、政治結社などに堕落している。これでは「無教会主義に救いなし」。人を救わない。盲人が盲人を導く有様で、二人とも地獄に落ちる。 痴呆人間の末期がん状態である。
●恐れるな、真理を宣伝せよ。石は叫ぶ。
●あるとき今井館で復活の話をしたら、終了後に一人の婦人が来られて、「私は牧師の妻です。今の教会は有体的復活を信じていません。高橋さんのような方がおられることはうれしいです」と言って名前を告げずにすっと去って行かれた。石は叫ぶ。彼女は今いずこ。彼女の教会に神の祝福あれ。

●讃美歌280番

わが身ののぞみは ただ主にかかれり
主イェスの外(ほか)には よるべきかたなし
(おりかえし)
わがきみイェスこそ すくいの岩なれ   
すくいの岩なれ

風いとはげしく なみ立つ闇夜も
みもとにいかりを おろして安らわん

この世ののぞみの 消えゆくときにも
こころは動かじ みちかいたのべば

見ぬ世にうつりて まみゆるそのとき
主の義をまといて みまえに立たまし


●罪の概念は、不道徳な行為ではないそれは枝葉である。キリストの救いを受け入れないことが罪の本質である。この聖書的根拠は次である。

塚本訳マタイ
"401014","しかし人があなた達を歓迎せず、あなた達の言葉に耳をかたむけないなら、(すぐ)その家なり町なりを(出てゆけ。そして)出てゆくとき、(縁を切った証拠に)足の埃を払いおとせ。"
"401015","アーメン、わたしは言う、(最後の)裁きの日には、あの(堕落町)ソドムやゴ
モラの地の方が、まだその町よりも罰が軽いであろう。
"

●ソドムやゴモラの性の紊乱状態よりもキリストの救いを受け入れない方が罪が重いというのである。ここにキリスト教の独一性がある。異教の日本では枝葉である「性の不道徳」に憤慨しているがその憤慨がキリストの救いにつながっていないから真の解決にはならばい。
●人がクリスチャンの道を好まないときはその人の救いを祈りつつ縁切りせよ。
●それが親でも子でも兄弟でも妻でも夫でもである。然りエクレシア内部の人間でもである。!これが辛い。涙である。苦悩である。
●弟子たちにもその嘆きがあった。それが次である。

塚本訳マタイ
"401927","その時、ペテロが口を出してイエスに言った、「でも、わたし達は(あの金持と
ちがいます。)この通り何もかもすてて、あなたの弟子になりました。わたし達にはいっ
たいなんの褒美があるのでしょうか。」
"
"401928","
イエスが彼らに言われた、「アーメン、わたしは言う、新しい世界が生まれて、
人の子(わたし)が栄光の座につく時には、わたしの弟子になったあなた達十二人も十二
の王座について、イスラエル(の民)の十二族を支配するのである。"
"401929","
そしてわたしのために家や兄弟や姉妹や父や母や畑をすてた者は一人のこらず(この世で)その幾倍を受け、また(来るべき世では)永遠の命をいただくのである。、
""401930","しかし(決して油断をしてはならない。)一番の者が最後になり、最後の者が一番になることが多い。"

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朝の黙想終わり

●終日TSK日本語版申命記4章入力。49節はヘビーであった。
●妻は夕方から「メサイア」の練習。3月の本番に向けて追い込み。22時過ぎに帰宅予定
●「メサイア」は当初不評であったが「捨て子養育院」で慈善演奏をしたら急に真価が見いだされ今日では「音楽中の音楽」とまで言われるようになった。このことを妻に言って励ました。
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悪いことは神が正してくださる ++++++++ 所感

2013/02/06 06:19

130206(水)5時目覚め、起床●朝の啓示「悪いことは神が正してくださる」●昨夜は雪が降るという予報であったが、外れ。●世の中、」「外れ」ということがある。イエスの終末預言は外れた。今にもすぐ終末が来るとしきりに言っていたのに見事に外れた。2000年たってもなお終末は来てない。●するとあの終末予言はきっとイエスが自分自信を励まし慰めるためであったのだ。●予告は外れる。妻から「その仕事あとどれぐらいで終わるの?」と聞かれて「あと何分」と答えるとき。妻はその時間が大幅に遅れることを心得ている。●その場合、私が予告する時間は希望値なのだ。自分で自分を励ます目標値なのだ。●仕事というのはその途中で「思わざる事態」が起こって遅くなるのものだ。●人の歩みもまた同じ。「こんなはずじゃーなかったのに」と思い、また世間から「あの人がねー」と思われることがある。●しかしそこに神の恵みの深い知恵が込められている。●次回感話はヨハネ福音書16:1-11である。●取り上げるテキストは「4福音書対観表」(日本基督教団出版局。底本はドイツ聖書協会発行のギリシャ版)の順序に従っているからテキストの選定には苦労しない。●この部分は超難解である。しかし聖書学者のようにではなく素人の人生体験にもとづく、直観、霊感で勝負。学者は内外の注解書にあたり、多数意見で解読するが、それは「人間の解釈」なので弱い。推測が入るので最後は「おそらく」とか「多分」とかの言葉で腰砕けの結論になる●それに比べて素人の直観霊感読みは具体的には「聖書で聖書を読む」ので「間違いようがない」。●聖書は素人の直観霊感で決して読み間違いがない。聖書学者や牧師からみれば危なっかしいが間違えない。不思議な力を与えられる●この世の悪や不義や不幸に遭遇すると「早く世の中終わってほしい」と願うものである。イエスのように「終末希求」の願が強くなる。ヨハネ黙示録の本質はここにある。●今回の難解なところは次である。

塚本訳ヨハネ
431607","しかし本当のことを言うが、わたしが(父上の所に)行くことは、あなた達の
ために利益である。行かねば、弁護者はあなた達の所に来ないが、行けば、わたしが彼を
遣わすからである。"
"431608","
そして彼は来ると、罪について、義について、罰について、この世に(その考
えの)誤りを認めさせるのであろう。"

"431609","
すなわち、罪についてとは、人々がわたしを信じないこと(が罪であること。)
"
"431610","
義についてとは、わたしが父上の所に行って、あなた達がもはやわたしを見る
ことができなくなること(が、わたしの父上に義とされた証拠であること。)"
"431611","
また罰についてとは、この世の支配者[悪魔]が(わたしを殺したのは、わた
しが罰されたのでなく、自分が)罰されたのであること。──(この三つのことを認めさ
せるのである。)"

●翻訳比較で他の聖書をいろいろ読んでもわかりにくい。塚本訳は意味を通すために敷衍をつけているが、」それでもイマイチである。
●この難問に対して素人の直観霊感には次のところが示された。
 
塚本訳マルコ
"410925","マルコ 9:25","イエスは群衆が駆けよってくるのを見ると、(急いで)汚れた霊
を叱りつけて言われた、「唖と聾の霊、わたしが命令するのだ、この子から出てゆけ、二
度と入るな!」"
"410926","
マルコ 9:26","霊はどなって、はげしくひきつけさせて、出ていった。子は死ん
だようになったので、多くの人が、「死んだ」と言った。"
"410927","
マルコ 9:27","イエスはその子の手をとって起された。すると立ち上がった。"
"410928","
マルコ 9:28","家にかえられると、弟子たちは人のいない時に尋ねた、「なぜわ
たし達には霊を追い出せなかったのでしょうか。」"
"410929","
マルコ 9:29","彼らに言われた、「この種類(の霊)は、祈り以外(の手段)で
は決して出てゆかせることは出来ない。」"


●悪いことは神ご自身が教え注意して正してくださる。これが正しい解読であることは「霊」が証してくださる。力が与えられる。
●聖書は先生に読んでもらってはいけない。それはその先生がいなくなると「次の先生」を探し回ることになる。かくして無数の教派が出現する。
●とはいえ、我流はいけない。翻訳比較、多くの引照、黒崎注解などをパソコンで読んで、自分の頭を破壊されなけれならない。すると「聖書は何を言っているのか」が迫ってくる。

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朝の黙想 終わり

●午前中はTSK日本語版申命記3章入力
●妻は婦人の読書会「塚本虎二著作集」「マタイ、天からの徴」。その後上野の東京都美術館に「エル・グレコ展」。帰宅後に感想を聞いた。「マリヤ崇拝」であったという。
●午後は女子大のリポートテストの採点。収穫の喜びのようだで毎年の楽しみ。なかなかすぐれた見識の者があった。
●次回感話の準備。頭が改造された。

2013_02060001.jpg 

東京は雪。雪の我が家。

讃美歌521番


イェスよこころに宿りて
われを宮となしたまえ
汚れにそみしこの身を
雪よりしろくしたまえ

(おりかえし)
わがつみをあらいて
雪より白くしたまえ


イェスよ、きみのいさおにて
きよめらるるぞうれしき
われをあらたにつくりて
きみのものとなしたまえ



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天国に家庭生活なし ++++++++ 所感

2013/02/05 06:39

130205(火)4時半目覚め起床●朝の啓示「天国に家庭生活なし」●冷水洗顔、超厚着して作業開始。永平寺の修行僧、カトリックの修道僧には負けられない。●カトリックはプロテスタントを批判して「プロテスタントの豚ども」と軽蔑している●天国には地上の家庭生活に伴う喜び、悲しみ、悩みはなさそうだ。行ってみてきたわけではないが、亜聖書的にはどうもそのようだ。●思いつくままに聖書のあちこちを見てみよう。

塚本訳ルカ
"422029","ところで(ここに)七人の兄弟があって、長男が妻をめとったが、子がなくて
死に、"
"422030","(この律法に従って、)次男、"
"422031","三男と、(つぎつぎに)その女をめとり、ついに七人とも同様に子を残さず死ん
で、"
"422032","しまいにはその女も死んでしまいました。"
"422033","すると(もし復活があるなら、)復活の折には、この女はその(七人の)うちの
だれの妻になるのでしょうか。七人とも女を妻にしましたから。」"
"422034","イエスは言われた、「この世の人はめとり嫁ぐけれども、"
"422035","あの世にはいる資格を与えられて、死人の中から復活する者は、めとることも
なく嫁ぐこともない。"
"422036","復活によって生まれる彼らは、天使と同じであり、神の子であるので、もはや
死ぬことが出来ない、(従って子を産む必要がない)からである。"


●天国では霊の交わりだから、肉の喜びはない。それ以上の喜びがある。
●結婚しないから子供はない。子供の非行による悩みはない
●フェミニスト女子軍団が嫌う「主人」という言葉はない
●上記のように七人と結婚した人が同時に七人の主人と出会ってもバツが悪くない。
●内村鑑三の妻は三人だった。天国で同時に出会ってもバツが悪くない。

塚本訳Ⅰコリ
"461549","・コリント 15:49","こうしてわたし達は土の人の姿を帯びたように、(復活の時
は)天の人の姿を帯びるであろう。"
"461550","・コリント 15:50","兄弟たち、わたしの言うのはこのことである。血肉の人間
は神の国を相続することは出来ず、死滅が不滅を相続することはない。"


●地上の文化的営みは「血肉の人間」の悩みの解決のためにある。医学、建築学、然り教会も!!
天国に教会なし。

塚本訳ヨハネ
"430303","イエスが答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、(徴を見て信
じたのではいけない。)人は新しく生まれなおさなければ、神の国にはいることは出来な
い。」"
"430304","ニコデモがイエスに言う、「(このように)年を取った者が、どうして生まれな
おすことが出来ましょう。まさかもう一度母の胎内に入って、生まれなおすわけにゆかな
いではありませんか。」"
"430305","イエスは答えられた
、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生
まれなければ、神の国に入ることは出来ない。"
"430306","肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である
(から)。"


●天国に入るのには罪の肉の穢れをすっかり清められなければならない。それは万人に可能。

塚本訳ヨハネ
"430112","しかし受け入れた人々、すなわち、その名を(神の子であることを)信じた人
には一人のこらず、神の子となる資格をお授けになった。"
"430113","この人たちは、人間の血や、肉の欲望や、男の欲望によらず、神(の力)によ
って生まれたのである。"


●天国では性の悩みなし。男の欲望なし。
●「神の力」で生まれた霊の人間ばかりがいる。
●だから結婚問題なし。

塚本訳Ⅰコリ
"460706","・コリント 7:6","(今わたしは妻を持った方がよいと言ったが、)しかしこれは
(あなた達の弱さを思いやって)譲歩して言うのであって、命令するのではない。"
"460707","・コリント 7:7","(欲を言えば、)人が皆、わたしのよう(に独身)であっても
らいたい。しかしそれぞれ神からいただいた独自の賜物があって、この人はこう、あの人
はこうである。(独身も恩恵、結婚も恩恵である。)"
"460708","・コリント 7:8","しかし独身の者および寡婦に言う、もしわたしのようにして
通すならば、それが(一番)よい。"

"460709","・コリント 7:9","しかし自制ができないのなら、結婚せよ。情欲に燃えるより、
結婚する方が善いからである。"
"460710","・コリント 7:10","しかし結婚した者に命ずる、命ずるのはわたしではなく主で
ある。妻は夫と別れてはならない。"
"460711","・コリント 7:11","──しかし別れたのなら、独身でいるか、夫と仲直りをせよ。
──夫も妻と離婚してはならない。"
"460712","・コリント 7:12","しかしそのほかの人たちに、わたしが言う、主ではない。あ
る兄弟が不信者の妻を持ち、彼女が彼と一しょに生活することを喜ぶなら、離婚してはな
らない。"
"460713","・コリント 7:13","また、
不信者の夫を持ち、その夫が彼女と一しょに生活する
ことを喜ぶ場合の妻は、夫と離婚してはならない。"


●これパウロの現実的「常識論」。
●しかしどちらかと言うと結婚しない方が4分6で幸福だという考え

塚本訳Ⅰコリ
"460726","・コリント 7:26","それで、わたしの考えでは、患難が目の前に迫っているのだ
から、これがよろしい、すなわち人は現状維持がよろしい。"
"460727","・コリント 7:27","あなたはすでに妻に縛られているのか。解くことを求めるな。
妻に結ばれていないのか。妻を求めるな。"
"460728","・コリント 7:28","しかしたといあなたが結婚したからとて、罪を犯したことに
はならない。またたとえ処女が結婚しても、罪を犯したことにはならない。しかしこんな
人たちは、肉体に苦しみがあるにちがいない。わたしはあなた達をそんな目に合わせたく
ないのである。"

●パウロはうら若いクリスチャンの女性に「結婚すると苦労するぞー」と言っている。悩みが多くなるぞーということだ。肉体に苦しみがあるぞーと言っている。
●塚本先生が一番嫌われたのは「結婚問題」。塚本先生の周囲には結婚しない女性がかなりいた。

口語訳 詩 45:2
45:2 あなたは人の子らにまさって麗しく、気品がそのくちびるに注がれている。このゆえに神はとこしえにあなたを祝福された。


●これは王の即位式の賛歌。キリストの予言。神の子キリストは人間よりも美しい。
●若き人よ、美しい人に振られても嘆くな。キリストは人間の誰よりも美人でイケメンだ。
●天国に美人不美人の差はない。ブスもイケメンもない。全員が神にあって美しくカッコイイ。
●地上のクリスチャンはみな美しい。それが見えない人はクリスチャンとして目が節穴。

塚本訳黙
"662101","黙示録 21:1","また私は新しい天と新しい地とを見た。初めの天と初めの地とは
消え去ったのである。最早海も無い。"
"662102","黙示録 21:2","また聖なる都新しいエルサレムが、夫のために飾った新婦のよう
に身支度をして、天から、神(の御許)から降って来るのを私は見た。"
"662103","黙示録 21:3","そして私は玉座から大きな声が(出てこう)言うのを聞いた、「
よ、人と共に神の幕屋がある!
 神が彼らと共に住み、彼らは神の民となり、神自ら彼ら
と共にいまして、"
"662104","黙示録 21:4","
彼らの目から悉く涙を拭い取り給うであろう。最早死もなく、悲
嘆も叫喚も疼痛も最早無いであろう。初めの(天と地にあった)ものが(すっかり)消え
去ったからである。」"
 

塚本訳黙示
"662122","黙示録 21:22","都の中には宮を見なかった。全能者たる主なる神と仔羊とがそ
の宮であるからである。"
"662123","黙示録 21:23","また都はそれを照らすのに太陽をも月をも必要としない。神の
栄光がそれを照らし、仔羊がその燈火であるからである。"
"662124","黙示録 21:24","諸国の民はその光の中を歩むであろう。また地の王達は彼らの
(有つ凡ての)光栄をここに持って来る。"

●来世では教会なし。教会やエクレシア内のゴタゴタなし。
●いつも明るいからエネルギー問題なし。

塚本訳マタイ
"401034","地上に平和をもたらすためにわたしが来た、などと考えてはならない。平和で
はない、剣を、(戦いを)もたらすために来たのである。"
"401035","わたしは子を“その父と、娘を母と、嫁を姑と”仲違いさせるために来たのだ
から。"
"401036","“家族が自分の敵となろう。”"

●天国では家庭がないから家庭崩壊の悩みなし


塚本訳マタイ
"401246","イエスがまだ群衆に話しておられると、そこにその母と兄弟たちがイエスに話
しがあって、外に立っていた。"
"401247","〔無し〕"
"401248","しかしイエスはそのことを知らせた者に
、「わたしの母とはだれのことだ、わた
しの兄弟とはだれのことだ」と答えて、"
"401249","弟子たちの上に手をのばして言われた、「ここにいるのが、わたしの母、わたし
の兄弟だ。"
"401250","だれでもわたしの天の父上の御心を行う者、それがわたしの兄弟、姉妹、また
母であるから。」"


●クリスチャンにとって肉の母は「母であって母でない」。肉の子供は「子供であって子供ではない」ここが涙の谷。
●塚本先生は関東大震災で御夫人が即死。幼い子供は母の愛を知らずに育った。塚本先生は「私の家はカタワだかたわだと言って嘆かれた。これは妻のいない家庭の不完全さを嘆かれたのだ。
●先生の娘である園子さん(故人)は「お父さんは私よりも病院の娘の方が可愛いんだ」と言って泣かれたことがあったという。可愛そうなのは伝道者の子供。

塚本訳エペソ
"490522","エペソ 5:22","妻達よ、主に対するように自分の夫に服従せよ。"
"490523","エペソ 5:23","キリストが教会の頭であり給うように、夫は妻の頭であるから─
─しかも彼は(同時に)その体(なる教会)の救い主であり給う。(この点においてキリ
ストと夫とはもちろん異なる。)──"
"490524","エペソ 5:24","しかし教会がキリストに服従するように、妻もまた何事によらず
夫に服従せよ。"
"490525","エペソ 5:25","
夫達よ、妻を愛せよ、キリストが教会を愛し、そのために自分を
棄て給うたように。──"


●クリスチャンの妻は夫をこの世の「主人」として考えてはいけない。キリストに仕えるように「主人」に仕えよとパウロ先生はキリスト第一とせよと言っている。
●最近流行のフェミニスト神学の女子軍団はここのところを深く勉強せよ

塚本訳エペソ
"490532","エペソ 5:32","この奥義は大きい。私はキリストを指し、また教会【を指して】
言っている。"
"490533","エペソ 5:33","何れにせよ、君達も一人一人自分の妻を自分自身のように愛せよ。
そして妻は夫を畏れよ。"
"490601","エペソ 6:1","子達よ、【主に在って】両親に従順なれ。これは当然のことである
から。"
"490602","エペソ 6:2","「“汝の父と母を敬え”──これは(次のような褒美の)約束のあ
る第一の戒律である──"
"490603","エペソ 6:3",“さらば汝は幸福にして地上に長命ならん”」(と聖書にある。)"
"490604","エペソ 6:4","父達よ、君達も子を憤らせるな。むしろ“主の躾”と”訓戒”と
によって育てよ。"
"490605","エペソ 6:5","奴隷達よ、キリストに対するように、畏れと戦きをもって真情か
らこの世の主人に従順なれ。"
"490606","エペソ 6:6","ご機嫌取りのように、(主人の)目の前だけでなく、キリストの奴
隷らしく心から神の御意を行え。"
"490607","エペソ 6:7","人でなく主に対するように喜びをもって事えよ。"

●ここでパウロは地上の人間関係の総ての原則を言う。常識人パウロ!。
●この世の人間関係のゴタゴタは神の国の喜びを学ぶために神が降したもう深い愛の知恵。
●この地上には究極的な幸福はない。 
 
塚本訳ルカ
"421608","すると主人はこの不埒な番頭の利巧な遣り口を褒めた(という話)。この世の人
は自分たちの仲間のことにかけては、光の子(が神の国のことに利口である)よりも利巧
である。"
"421609","
それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちに
この世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がな
くなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう
"
"421610","
ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに
不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。"

"421611","
だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)
まことの富をあなた達にまかせようか。"
"421612","
もし他人のもの[この世のこと]に忠実でなかったならば、だれがあなた達の
もの[天のもの]をあなた達に与えようか。"
"421613","
しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはな
らない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んで
あちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は
神と富とに仕えることは出来ない。」"


●地上の家庭は「小事」。「不正な富」
●だから地上の家庭に忠実に生きなければならない。カトリックの人たちはここをな学ばなければならない。


塚本訳ルカ
"421127","こう話しておられる時、群衆の中の一人の女が声を張り上げてイエスに言った、
「なんと仕合わせでしょう、あなたを宿したお腹、あなたがすった乳房は!」"
"421128","しかしイエスは言われた
、「いや、仕合わせなのは、神の言葉を聞いてそれを守
る人たちである。」"


●「母」になる喜び以上の喜びが「神と共」なる生活
●と言って女性は全員修道院に入れと言うのではない。地上の家庭生活のゴタゴタによる苦悩が修行の場である。
●ヒルティは家庭生活は「神の愛を学ぶ学校」だtご行っている。
●さらば、喜べ、非行少女、非行少年、非行主人、非行妻、非行嫁、非行婿、非行の親、非行親族が出た家庭よ。神の愛を知るチャンスだ。自分が寝られるチャンスだ。その非行者のために祈る課題を与えられたチャンス。その人が救われるに至る門が開かれた。ナンノコレシキと思おう。
●思い出。JR中央線の向かい側に座っていた若い女性。こういう女性に育てられる子供はどんなに幸せだろうと思ってチラチラと見ていた。その女性は武蔵小金井付近で下車した。ドアがしまったので彼女の後ろ姿を窓越しに見て驚愕。足が悪いのだ。体を左右に振って歩いていた。彼女よ今いずこ!!。結婚して「母」になりたいであろう。ナニ。天国には身体障害はない。彼女の上に真の幸福あれ。

塚本訳ヨハネ
"432015","イエスが言われる、「女の人、なぜ泣くのか。だれをさがしているのか。」マリ
ヤはそれを園丁だと思って言う、「あなた、もしあなたがあの方を持っていったのだった
ら、どこに置いたか教えてください。わたしが引き取りますから。」"
"432016","
(こう言って、また墓の方を向いていると、)イエスが「マリヤ!」と言われる。
マリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う。(そし
てイエスに抱きつこうとした。)"
"432017","イエスが言われる、「わたしにすがりつくな。まだ父上の所に上っていないのだ
から。
わたしの兄弟たち(弟子たち)の所に行って、『わたしは、わたしの父上、すなわ
ちあなた達の父上、わたしの神、すなわちあなた達の神の所に上る』と言いなさい。」"

●七つの悪鬼を追い出されたマグダラのマリヤはイエスが恩人。
●イエスの復活の姿を見て「抱きつこう」とした。
●するとイエスは「すがりつくな」と言った。この意味は何か。いくら愛していても地上の人間がするゆなしかたで
ベタベタするな。と言うことだ。
●霊の交わりに入れということだ。

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朝の黙想終わり

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東の窓を開けると素晴らしい朝焼け。急いで表に出て撮影

塚本訳マタイ
"401601","するとパリサイ人とサドカイ人とが来て、イエスを試そうとして、(神の子であ
る証拠に)天からの(不思議な)徴を示すようにと頼んだ。"
"401602","
彼らに答えられた、「あなた達は夕方には『(明日は)天気だ、空が焼けている
から』と言い、"
"401603","
また朝早く、『きょうは荒れだ、空が雲って焼けているから』と言う。あなた達
は空の模様を見分けることを知っていながら、時の(せまった)徴を見分けることが出来
ないのか。"
"401604","
この悪い、神を忘れた時代の人は、徴をほしがる。しかしこの人たちには、ヨ
ナの徴以外の徴は与えられない。」イエスは彼らをすてて立ち去られた。"

讃美歌353番

いずみとあふるる いのちのいのちよ、
あさ日とかがやく ひかりのひかりよ。


この世のあたうる さちよりのがれて、
こよなき君へと  わが身はあこがる。


きみこそとこよに かわらぬよろこび、
くめどもつきせぬ めぐみのもとなれ。

●9:00 池谷医院。臀部が痛むのは腰の神経が原因。時々姿勢を正す運動をせよと言われた
●9;45 散髪。ビーナスサロン。店主の中野氏はズバリ世の中の評論をする。女子柔道の体罰事件によってこれから女子柔道は強くなるという。 体罰は人を成長させないという。
●私は、「イエスが十字架で殺されたのは神の「体罰」。全人類の罪の身代わりとして殺されたのだ」と言った。

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主の功業(いさおし)を宣べるため ++++++++ 所感

2013/02/04 05:57

130204(月)4時目覚め●朝の啓示「主の功業(いさおし)を宣べるため」(Ⅰペテ2:9-10)●今朝はこれを黙想してみよう●冷水で洗顔し、節約のため暖房は付けず超厚着して作業開始。靴下4枚、下半身4枚、上半身4枚。●まず翻訳比較。
●散歩で虹を見る。近くにいた老人が「明日は雨だ」と言った。
 

http://www.bbbible.com/bbb/bbb1p02.html

岩波翻訳委員会訳1995

600209それに対してあなたがたは選ばれた種族、王の〔家系の〕祭司団、聖なる

民族、〔神の〕所有となるべき民であって、自分たちを闇からご自分の驚くべき光へと召された方の卓越した力を告げ知らせるはずのものなのである。

600210かって民でなかったものが、今は神の民であり、憐れみを受けていないものだったのが、今は憐れみを受けたものなのである。

新共同訳1987

2:9 しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。

2:10 あなたがたは、/「かつては神の民ではなかったが、/今は神の民であり、/憐れみを受けなかったが、/今は憐れみを受けている」のです。

前田訳1978

2:9 しかしあなた方は選ばれた部族、王なる祭司、聖なる国民、神直属の民です。それはあなた方を闇の中からそのすばらしい光へとお招きの方のみわざをのべ伝えるためです。

2:10 「かつては神の民でなかったあなた方は今は神の民であり、かつてはあわれみのないものでしたが、今はあわれみをお受けです」。

新改訳1970

2:9 しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。

2:10 あなたがたは、以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、以前はあわれみを受けない者であったのに、今はあわれみを受けた者です。

塚本訳1963

2:9 しかし君達は『選ばれた種族、王なる祭司、聖き民族、』神の『所有物なる民』(である。そして君達がかく神の所有物となったのは、)君達を暗から驚くべき光へと召し給うたお方の『功業(いさおし)を宣べるためである』。

2:10 (誠に)君達はかつては、「『非民』」(であったが)今や神の民、(前には神に)『憐れまれぬ者』(であったが)今や憐れまれる者(となった)。

口語訳1955

2:9 しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。

2:10 あなたがたは、以前は神の民でなかったが、いまは神の民であり、以前は、あわれみを受けたことのない者であったが、いまは、あわれみを受けた者となっている。

文語訳1917

"600209","されど汝らは選ばれたる族、王なる祭司・潔き國人・神に屬ける民なり、これ汝らを暗黒より召して、己の妙なる光に入れ給ひし者の譽を顯させん爲なり。"

"600210","なんぢら前には民にあらざりしが、今は神の民なり。前には憐憫を蒙らざりしが、今は憐憫を蒙れり。"



●以上の中では塚本訳の「功業(いさおし)」が心にピンとくる。「功徳」という概念に通じるからである。十字架の血潮は神の恩恵でその見える形にイエスの生涯があった。イエスの苦しみは「功徳」だ。

●次に主要各国聖書の引照から心にピーンと響くものを引き出してみよう。



http://www.bbbible.com/bbb/bbb1p02.html

各国聖書引照編集

(独)NESTLE-ALAND NOVUM TESTAMENTUM GRAECE 27版1993 の引照

新共同 ロマ 12:1

12:1 こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。

新共同 エペ 4:12

4:12 こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、

新共同 エペ 2:4

2:4 しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、

(英・米)THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE 1982 の引照

口語訳 ロマ 6:4

6:4 すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。

口語訳 Ⅰテサ2:13

2:13 これらのことを考えて、わたしたちがまた絶えず神に感謝しているのは、あなたがたがわたしたちの説いた神の言を聞いた時に、それを人間の言葉としてではなく、神の言として――事実そのとおりであるが――受けいれてくれたことである。そして、この神の言は、信じるあなたがたのうちに働いているのである。

口語訳 Ⅰコリ3:11

3:11 なぜなら、すでにすえられている土台以外のものをすえることは、だれにもできない。そして、この土台はイエス・キリストである。

口語訳 Ⅰコリ3:16

3:16 あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか。

口語訳 Ⅰコリ6:19

6:19 あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。

口語訳 Ⅱコリ6:16

6:16 神の宮と偶像となんの一致があるか。わたしたちは、生ける神の宮である。神がこう仰せになっている、/「わたしは彼らの間に住み、/かつ出入りをするであろう。そして、わたしは彼らの神となり、/彼らはわたしの民となるであろう」。

口語訳 ロマ 12:1-2

12:1 兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。

12:2 あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。

口語訳 ピリ 3:7-10

3:7 しかし、わたしにとって益であったこれらのものを、キリストのゆえに損と思うようになった。

3:8 わたしは、更に進んで、わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに、いっさいのものを損と思っている。キリストのゆえに、わたしはすべてを失ったが、それらのものを、ふん土のように思っている。それは、わたしがキリストを得るためであり、

3:9 律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基く神からの義を受けて、キリストのうちに自分を見いだすようになるためである。

3:10 すなわち、キリストとその復活の力とを知り、その苦難にあずかって、その死のさまとひとしくなり、

口語訳 ロマ 9:25-26

9:25 それは、ホセアの書でも言われているとおりである、/「わたしは、わたしの民でない者を、/わたしの民と呼び、/愛されなかった者を、愛される者と呼ぶであろう。

9:26 あなたがたはわたしの民ではないと、/彼らに言ったその場所で、/彼らは生ける神の子らであると、/呼ばれるであろう」。

(日)新共同訳1987の引照

新共同 ヤコ 4:11

4:11 兄弟たち、悪口を言い合ってはなりません。兄弟の悪口を言ったり、自分の兄弟を裁いたりする者は、律法の悪口を言い、律法を裁くことになります。もし律法を裁くなら、律法の実践者ではなくて、裁き手です。

新共同 エペ 4:22

4:22 だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、

新共同 エペ 4:15-16

4:15 むしろ、愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって成長していきます。

4:16 キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです。

新共同 Ⅰコリ3:9

3:9 わたしたちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです。

新共同 Ⅰテモ3:15

3:15 行くのが遅れる場合、神の家でどのように生活すべきかを知ってもらいたいのです。神の家とは、真理の柱であり土台である生ける神の教会です。

新共同 黙 1:6

1:6 わたしたちを王とし、御自身の父である神に仕える祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン。

新共同 ロマ 15:16

15:16 異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の役を務めているからです。そしてそれは、異邦人が、聖霊によって聖なるものとされた、神に喜ばれる供え物となるためにほかなりません。

新共同 ヘブ 13:15

13:15 だから、イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう。

新共同 ロマ 9:32

9:32 なぜですか。イスラエルは、信仰によってではなく、行いによって達せられるかのように、考えたからです。彼らはつまずきの石につまずいたのです。

新共同 ロマ 10:11

10:11 聖書にも、「主を信じる者は、だれも失望することがない」と書いてあります。

新共同 エペ 2:20

2:20 使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、

新共同 Ⅰコリ1:23

1:23 わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、

新共同 ガラ 5:11

5:11 兄弟たち、このわたしが、今なお割礼を宣べ伝えているとするならば、今なお迫害を受けているのは、なぜですか。そのようなことを宣べ伝えれば、十字架のつまずきもなくなっていたことでしょう。

新共同 ロマ 9:22

9:22 神はその怒りを示し、その力を知らせようとしておられたが、怒りの器として滅びることになっていた者たちを寛大な心で耐え忍ばれたとすれば、

新共同 Ⅰペテ2:5

2:5 あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通して献げなさい。

新共同 テト 2:14

2:14 キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。

新共同 Ⅱコリ4:6

4:6 「闇から光が輝き出よ」と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。

新共同 ロマ 9:25

9:25 ホセアの書にも、次のように述べられています。「わたしは、自分の民でない者をわたしの民と呼び、/愛されなかった者を愛された者と呼ぶ。

(仏)THE NEW JERUSALEM BIBLE 1985 の引照

口語訳 ヤコ 1:21

1:21 だから、すべての汚れや、はなはだしい悪を捨て去って、心に植えつけられている御言を、すなおに受け入れなさい。御言には、あなたがたのたましいを救う力がある。

口語訳 エペ 2:20-22

2:20 またあなたがたは、使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられたものであって、キリスト・イエスご自身が隅のかしら石である。

2:21 このキリストにあって、建物全体が組み合わされ、主にある聖なる宮に成長し、

2:22 そしてあなたがたも、主にあって共に建てられて、霊なる神のすまいとなるのである。

口語訳 ロマ 1:9

1:9 わたしは、祈のたびごとに、絶えずあなたがたを覚え、いつかは御旨にかなって道が開かれ、どうにかして、あなたがたの所に行けるようにと願っている。このことについて、わたしのためにあかしをして下さるのは、わたしが霊により、御子の福音を宣べ伝えて仕えている神である。

口語訳 ロマ 9:33

9:33 「見よ、わたしはシオンに、/つまずきの石、さまたげの岩を置く。それにより頼む者は、失望に終ることがない」/と書いてあるとおりである。

口語訳 ロマ 10:11

10:11 聖書は、「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」と言っている。

口語訳 ロマ 3:24

3:24 彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。

口語訳 エペ 1:14

1:14 この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである。

口語訳 コロ 1:12-13

1:12 光のうちにある聖徒たちの特権にあずかるに足る者とならせて下さった父なる神に、感謝することである。

1:13 神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった。
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●次にTSK日本語版でこの箇所を見てみよう。
 
http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/110910.htm

●Ⅰペテ2:9

2:9 しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。

*「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、」

Deuteronomy 10:15

15そうであるのに、主はただあなたの先祖たちを喜び愛し、その後の子孫であるあなたがたを万民のうちから選ばれた。今日見るとおりである。

Psalms 22:31

31子々孫々、主に仕え、人々は主のことをきたるべき代まで語り伝え、 [22:32] 主がなされたその救を/後に生れる民にのべ伝えるでしょう。

Psalms 33:12

12主をおのが神とする国はさいわいである。主がその嗣業として選ばれた民はさいわいである。

Psalms 73:16

16もしわたしが「このような事を語ろう」と言ったなら、わたしはあなたの子らの代を誤らせたであろう。

Isaiah 41:8

8しかし、わがしもべイスラエルよ、わたしの選んだヤコブ、わが友アブラハムの子孫よ、

Isaiah 44:1

1しかし、わがしもべヤコブよ、わたしが選んだイスラエルよ、いま聞け。

1 Peter 1:2

2すなわち、イエス・キリストに従い、かつ、その血のそそぎを受けるために、父なる神の予知されたところによって選ばれ、御霊のきよめにあずかっている人たちへ。恵みと平安とが、あなたがたに豊かに加わるように。

*「祭司の国、」

Exodus 19:5-6

5それで、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となるであろう。全地はわたしの所有だからである。 6あなたがたはわたしに対して祭司の国となり、また聖なる民となるであろう』。これがあなたのイスラエルの人々に語るべき言葉である」。

Isaiah 61:6

6しかし、あなたがたは主の祭司ととなえられ、われわれの神の役者と呼ばれ、もろもろの国の富を食べ、彼らの宝を得て喜ぶ。

Isaiah 66:21

21「わたしはまた彼らの中から人を選んで祭司とし、レビびととする」と主は言われる。

Revelation of John 1:6

6わたしたちを、その父なる神のために、御国の民とし、祭司として下さったかたに、世々限りなく栄光と権力とがあるように、アァメン。

Revelation of John 5:10

10わたしたちの神のために、彼らを御国の民とし、祭司となさいました。彼らは地上を支配するに至るでしょう」。

Revelation of John 20:6

6この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する。

*「聖なる国民、」

Psalms 106:5

5そうすれば、わたしはあなたの選ばれた者の繁栄を見、あなたの国民の喜びをよろこび、あなたの嗣業と共に誇ることができるでしょう。

Isaiah 26:2

2門を開いて、信仰を守る正しい国民を入れよ。

John 17:19

19また彼らが真理によって聖別されるように、彼らのためわたし自身を聖別いたします。

1 Corinthians 3:17

17もし人が、神の宮を破壊するなら、神はその人を滅ぼすであろう。なぜなら、神の宮は聖なるものであり、そして、あなたがたはその宮なのだからである。

2 Timothy 1:9

9神はわたしたちを救い、聖なる招きをもって召して下さったのであるが、それは、わたしたちのわざによるのではなく、神ご自身の計画に基き、また、永遠の昔にキリスト・イエスにあってわたしたちに賜わっていた恵み、

*「神につける民である。」

Deuteronomy 4:20

20しかし、主はあなたがたを取って、鉄の炉すなわちエジプトから導き出し、自分の所有の民とされた。きょう、見るとおりである。

Deuteronomy 7:6

6あなたはあなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地のおもてのすべての民のうちからあなたを選んで、自分の宝の民とされた。

Deuteronomy 14:2

2あなたはあなたの神、主の聖なる民だからである。主は地のおもてのすべての民のうちからあなたを選んで、自分の宝の民とされた。

Deuteronomy 26:18-19

18そして、主は先に約束されたように、きょう、あなたを自分の宝の民とされること、また、あなたがそのすべての命令を守るべきことを明言された。 19主は誉と良き名と栄えとをあなたに与えて、主の造られたすべての国民にまさるものとされるであろう。あなたは主が言われたように、あなたの神、主の聖なる民となるであろう」。

Acts 20:28

28どうか、あなたがた自身に気をつけ、また、すべての群れに気をくばっていただきたい。聖霊は、神が御子の血であがない取られた神の教会を牧させるために、あなたがたをその群れの監督者にお立てになったのである。

Ephesians 1:14

14この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである。

Titus 2:14

14このキリストが、わたしたちのためにご自身をささげられたのは、わたしたちをすべての不法からあがない出して、良いわざに熱心な選びの民を、ご自身のものとして聖別するためにほかならない。

*「それによって、・・・あなたがたが語り伝えるためである。」

Isaiah 43:21

21この民は、わが誉を述べさせるために/わたしが自分のために造ったものである。

Isaiah 60:1-3

1起きよ、光を放て。あなたの光が臨み、主の栄光があなたの上にのぼったから。 2見よ、暗きは地をおおい、やみはもろもろの民をおおう。しかし、あなたの上には主が朝日のごとくのぼられ、主の栄光があなたの上にあらわれる。 3もろもろの国は、あなたの光に来、もろもろの王は、のぼるあなたの輝きに来る。

Matthew 5:16

16そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

Ephesians 1:6

6これは、その愛する御子によって賜わった栄光ある恵みを、わたしたちがほめたたえるためである。

Ephesians 3:21

21教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくあるように、アァメン。

Philippians 2:15-16

15それは、あなたがたが責められるところのない純真な者となり、曲った邪悪な時代のただ中にあって、傷のない神の子となるためである。あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。 16このようにして、キリストの日に、わたしは自分の走ったことがむだでなく、労したこともむだではなかったと誇ることができる。

1 Peter 4:11

11語る者は、神の御言を語る者にふさわしく語り、奉仕する者は、神から賜わる力による者にふさわしく奉仕すべきである。それは、すべてのことにおいてイエス・キリストによって、神があがめられるためである。栄光と力とが世々限りなく、彼にあるように、アァメン。

*「暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、」

Isaiah 9:2

2暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た。暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った。

Isaiah 60:1-2

1起きよ、光を放て。あなたの光が臨み、主の栄光があなたの上にのぼったから。 2見よ、暗きは地をおおい、やみはもろもろの民をおおう。しかし、あなたの上には主が朝日のごとくのぼられ、主の栄光があなたの上にあらわれる。

Matthew 4:16

16暗黒の中に住んでいる民は大いなる光を見、死の地、死の陰に住んでいる人々に、光がのぼった」。

Luke 1:79

79暗黒と死の陰とに住む者を照し、わたしたちの足を平和の道へ導くであろう」。

Acts 26:28

28アグリッパがパウロに言った、「おまえは少し説いただけで、わたしをクリスチャンにしようとしている」。

Romans 9:24

24神は、このあわれみの器として、またわたしたちをも、ユダヤ人の中からだけではなく、異邦人の中からも召されたのである。

Ephesians 5:8-11

8あなたがたは、以前はやみであったが、今は主にあって光となっている。光の子らしく歩きなさい―― 9光はあらゆる善意と正義と真実との実を結ばせるものである―― 10主に喜ばれるものがなんであるかを、わきまえ知りなさい。 11実を結ばないやみのわざに加わらないで、むしろ、それを指摘してやりなさい。

Philippians 3:14

14目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである。

Colossians 1:13

13神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった。

1 Thessalonians 5:4-8

4しかし兄弟たちよ。あなたがたは暗やみの中にいないのだから、その日が、盗人のようにあなたがたを不意に襲うことはないであろう。 5あなたがたはみな光の子であり、昼の子なのである。わたしたちは、夜の者でもやみの者でもない。 6だから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして慎んでいよう。 7眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うのである。 8しかし、わたしたちは昼の者なのだから、信仰と愛との胸当を身につけ、救の望みのかぶとをかぶって、慎んでいよう。

●Ⅰペテ2:10

2:10 あなたがたは、以前は神の民でなかったが、いまは神の民であり、以前は、あわれみを受けたことのない者であったが、いまは、あわれみを受けた者となっている。

*「あなたがたは、以前は神の民でなかったが、いまは神の民であり、」

Hosea 1:9-10

9主は言われた、「その子の名をロアンミと名づけよ。あなたがたは、わたしの民ではなく、わたしは、あなたがたの神ではないからである」。 10しかしイスラエルの人々の数は海の砂のように量ることも、数えることもできないほどになって、さきに彼らが「あなたがたは、わたしの民ではない」と言われたその所で、「あなたがたは生ける神の子である」と言われるようになる。

Romans 9:25-26

25それは、ホセアの書でも言われているとおりである、/「わたしは、わたしの民でない者を、/わたしの民と呼び、/愛されなかった者を、愛される者と呼ぶであろう。 26あなたがたはわたしの民ではないと、/彼らに言ったその場所で、/彼らは生ける神の子らであると、/呼ばれるであろう」。

*「以前は、あわれみを受けたことのない者であったが、いまは、あわれみを受けた者となっている。」

Hosea 2:23

23わたしはわたしのために彼を地にまき、あわれまれぬ者をあわれみ、わたしの民でない者に向かって、『あなたはわたしの民である』と言い、彼は『あなたはわたしの神である』と言う」。

Romans 11:6-7

6しかし、恵みによるのであれば、もはや行いによるのではない。そうでないと、恵みはもはや恵みでなくなるからである。 7では、どうなるのか。イスラエルはその追い求めているものを得ないで、ただ選ばれた者が、それを得た。そして、他の者たちはかたくなになった。

Romans 11:30

30あなたがたが、かつては神に不従順であったが、今は彼らの不従順によってあわれみを受けたように、

1 Corinthians 7:25

25おとめのことについては、わたしは主の命令を受けてはいないが、主のあわれみにより信任を受けている者として、意見を述べよう。

1 Timothy 1:13

13わたしは以前には、神をそしる者、迫害する者、不遜な者であった。しかしわたしは、これらの事を、信仰がなかったとき、無知なためにしたのだから、あわれみをこうむったのである。

Hebrews 4:16

16だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。

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●朝の黙想 終わり
●この方法が聖書集会感話30年間の行き着いた方法である。

2013_02040001.jpg 

●散歩で虹を見る。近くにいた老人が「明日は雨だ」と言った。

塚本訳マタイ
"401602","彼らに答えられた、「あなた達は夕方には『(明日は)天気だ、空が焼けている
から』と言い、"
"401603","
また朝早く、『きょうは荒れだ、空が雲って焼けているから』と言う。あなた達
は空の模様を見分けることを知っていながら、時の(せまった)徴を見分けることが出来
ないのか。"

2013_02040003.jpg 

八雲神社まで散歩。境内のベンチに座っで数家族のことを祈った。
「別れの悲しさと復活の希望の喜び」ということを思った。人生は短い
罪が清められなければ天国に行けない。汚れていては入れない。
しかし「絶対恩恵による無条件の罪の赦し」、十字架の罪の赦しで 
どんなに汚れた過去を持つ人間も罪を清められて救われる。


2013_02040005.jpg 
八雲神社境内の池は「東京の名湧水57選」のひとつ。すごくきれいだ。
ここの鯉は近くの秋川から採ってきたものだそうだ。

●一時間半の散歩はいささか疲れた。その後自転車で郵便局へ行って、手紙3通を出す。


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神の怒りの恐ろしさと十字架のありがたさ ++++++++ 所感

2013/02/03 06:03

130203(日)4時目覚め。●朝の啓示「神の怒りの恐ろしさと十字架のありがたさ」●本日の感話の一部を黙想する。

口語訳 民  25:1-5
25:1 イスラエルはシッテムにとどまっていたが、民はモアブの娘たちと、みだらな事をし始めた。
25:2 その娘たちが神々に犠牲をささげる時に民を招くと、民は一緒にそれを食べ、娘たちの神々を拝んだ。
25:3 イスラエルはこうしてペオルのバアルにつきしたがったので、主はイスラエルにむかって怒りを発せられた。
25:4 そして主はモーセに言われた、「民の首領をことごとく捕え、日のあるうちにその人々を主の前で処刑しなさい。そうすれば主の怒りはイスラエルを離れるであろう」。
25:5 モーセはイスラエルのさばきびとたちにむかって言った、「あなたがたはおのおの、配下の者どもでペオルのバアルにつきしたがったものを殺しなさい」。

●神はイスラエルが異教のみだらな神を拝む女とイチャイチャしていたので激怒した。
●日本は異教国、みだらな神をはじめ、神ならぬものを神として拝んでいるから「神の怒り」は必至。東日本大震災は「神の罰だ」というとヒューマニストがこぞって反論。これじゃー日本に福音は土着しない。
●今日「体罰」が問題になっているが、神は体罰どころか「処刑」である。(25:4)
●内村鑑三は米国宣教師が愛だとか赦しを強調してばかりいるので、神の義と恐ろしさを強調した。
●神の怒りを知らずして十字架の贖罪死はわからない。


口語訳 民  31:16-17
31:16 彼らはバラムのはかりごとによって、イスラエルの人々に、ペオルのことで主に罪を犯させ、ついに主の会衆のうちに疫病を起すに至った
31:17 それで今、この子供たちのうちの
男の子をみな殺し、また男と寝て、男を知った女をみな殺しなさい。


●性道徳の退廃の原因は「神の怒り」を畏れないことが原因
●神の怒りは「みな殺し」にせずにはおかない。男女ともである。
●姦淫の罪の場合、女だけ罰されて男が罰されない(ヨハネ8:1-11)のは不公平だとフェミシスと神学者の山口里子は「新しい聖書の学び方」で言ううが、とんでもない。神学ではなく聖書そのものを学べ。この本はミッションスクールでよく読まれているらしいが。彼らを救いに導かないえ地獄に導く。
●神は「疫病」をもたらす。過去にはペスト、今日ではエイズだ。こういう場合、神を畏れる畏れの念がないところ、医学の力で防ごうとしても徒労。神は別の病気を降す。
●「体罰はいけない」と大騒ぎする日本人の姿勢は真の神を畏れる惧れがないから「十字架の贖罪のありがたさ」がわからない。日本に福音が浸透しない主たる原因はここにある。
●学校の教師を「センコー」と呼んで対等にものを言えるという姿勢では神を畏れる惧れはない。
●フェミニストの女子軍団は夫を「主人」と呼ぶのを嫌う雰囲気があるが、パウロを読めばそれは間違い。
●マルキストならそういうことを言っても構わないが、クリスチャンがそれを言うのは筋違い。
●「自分の意見や主張を言ってはいけない」というのではない。神の秩序を認めてそれを畏れる畏れのないところ、真の神認識は定着しない。

塚本訳ロマ
"451301","ローマ 13:1","人は皆上に立つ(国家の)官憲に服従せねばならない。神からで
はない官憲はなく、現存の官憲は(ことごとく)神から任命されたものであるから。"
"451302","ローマ 13:2","従って官憲に反抗する者は、神の命令に違反する者である。違反
する者は、自分で自分に(神の)裁きを招くであろう。(この世で罰を受けるばかりでな
く、最後の日にも。)"
"451303","
ローマ 13:3","役人が恐ろしいのは、善いことをする者でなく、悪いことをする
者である。(だから)あなたは官憲を恐れたくなければ、善いことをせよ。そうすれば官
憲から誉められる。"
"451304","
ローマ 13:4","官憲はあなたの最善のためにつくす神の召使であるから。しかし
もし悪事をすれば、恐れねばならない。見えのために剣をささげているのではないのだか
ら。官憲は神の召使で、悪事を行う者に対して(神の)怒りをあらわす復讐者である。"
"451305","
ローマ 13:5","だからかならず服従せねばならない。ただ怒りの(恐ろしさの)
ためだけでなく、(それが信ずる者の義務であることを知っているあなた達は、自分の)
良心のためにも。"
"451306","
ローマ 13:6","それゆえに(同じ理由で、)あなた達は貢をも納めねばならない。
官憲は神につかえる者であり、いま言った職務に全力をそそいでいるからである。"
"451307","
ローマ 13:7","(彼らに対して、信ずる者には普通の人以上の、言わば借りがあ
る。)すべての役人にこの借りを返しなさい。貢取りには貢を、官税取りには官税を、恐
るべき者には恐れを、尊敬すべき者には尊敬を。"

●これは「長いものには巻かれろ」というのではない。
●「集団の決定は悪に傾く」とか「権力は悪に陥りやすい」とか言って、神の秩序を認めず畏れないクリスチャンはこの聖書の箇所が理解できない。理解しようとしない。
●そういう人間はマルキシズムに「転向」せよ。彼らは見えない神を信じないで対等、平等、地上の平和ばかりを叫んでいる。
●そういう人間の口から「十字架復活再臨」をあまり聞いたことがない。

塚本訳エペソ
"490522","エペソ 5:22","妻達よ、主に対するように自分の夫に服従せよ"
"490523","
エペソ 5:23","キリストが教会の頭であり給うように、夫は妻の頭であるから─
─しかも彼は(同時に)その体(なる教会)の救い主であり給う。(この点においてキリ
ストと夫とはもちろん異なる。)──"

●これ、フェミニスト神学を振りまわす女子軍団に聞かせたい。マルキスト的ではなくクリスチャンとして読まねばならない。
●これを破壊すると家庭内秩序が乱れて、子供の心が不安定になりよく育たない。


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朝の黙想終わり。

●折しも、小田原の中学校で遅刻して入ってきた16人の生徒を教師が注意したところ「ウルセー」「ハゲ」「バカ」と暴言を吐いたり笑ったので教師は「今言った人間はだれか」と言ったところ名乗り出なかったので16人全員を廊下に正座させ全員を平手打ちしたという。
●この教師は生徒や校長や保護者に謝って、しばらくは教壇に立たないという。
●これに対して賛否両論があると思うが、聖書的観点からすれば、生徒の暴言も教師が謝ったという腰抜けぶりも日本はキリスト教が土着しない土壌だと思った。
●神は「人を殺す」のだ。
●しかし罰だけではなく救いの道も開かれた。

塚本訳ロマ
"450320","ローマ 3:20","というのは、律法が命ずる行いによっては“だれ一人神の前に義
とされる者はない。”律法によって(は)罪を知る(ことができるだけで、人を罪から救
うことはできない)からである。"
"450321","
ローマ 3:21","しかしながら今、律法に関係なく、神の義は現わされた。しかし
律法と預言書と[聖書]によって(すでに)証しされているものである。"
"450322","
ローマ 3:22","この神の義は、イエス・キリストを信ずる信仰(だけ)によって、
これを信ずるすべての者にあたえられる。(すべてというのは、そこに人間的の)なんの
差別もないからである。"
"450323","
ローマ 3:23","なぜか。すべての人が罪を犯したため、いまだれ一人、(かつて
持っていた)神の栄光をもたない。"
"450324","
ローマ 3:24","(さりとて失った栄光を回復する力はないので、何一つ)代価を
払わず、(ただ)神の恩恵によって、キリスト・イエスによるあがないの力で、(神に)義
とされる(道が設けられた)のである。"
"450325","
ローマ 3:25","すなわち神は御自分の義を示すために、宥めの供え物としてキリ
ストを提供された。これはキリストの血でなされたものであり、(人は)信仰によ(って
この恩恵にあずか)るのである。このことは──神が(長いあいだ)忍耐をもって過ぎし
日に犯した罪を罰せずにおられたので──"
"450326","
ローマ 3:26","今の世において、御自分の義を示そうとされたのである。すなわ
ち御自分が義であること、またイエスを信ずる者を義とするお方であることを、(この世
に)示されたのである。"

●東大の総長であった南原繁先生は、学生運動で学内の秩序を乱した学生の何人かを退学処分したが、彼らのその後の人生の面倒を見たという。クリスチャンらしい態度であった。
●3年ぐらい前の南原繁記念会ではその退学処分された一人が来られて感謝のスピーチをした。彼は人生で「東大卒」の肩書は得られず苦労したあろうが、それ以上の宝を得た。
●キリスト教の基本はまず神の義、そして救い。

●10:00妻と集会(東京聖書読者会)へ。
●集会は横田(司会)、小寺(マタイ)、高橋(ヨハネ15:18-27、「キリスト信者が憎まれる理由)
 
キリスト信者が憎まれる理由
http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/130203.htm


●小寺夫妻と昼食
●13:30 妻と合奏団ZERO第10回定期演奏会。第一生命ホール(晴海トリエントスクエア)
 友人でヴィオリストの和田睦夫君が出演。指揮は松岡究(はかる)。シューマン交響曲第4番。ブラームス交響曲第4番。
●生演奏が素晴らしいのは音の圧力(音響学ではこれを音圧という)を耳だけでなく、体全体で感じるからだと思った。


2013_02030003.jpg 

第一生命ホール(晴海トリエントスクエア)」「の音響は素晴らしかった。
大好きなブラームス交響曲第4番の第2楽章の弦楽合奏部分に酔った。
「ブラボー」と大声で叫んで喉が痛くなる。

2013_02030004.jpg 

晴海トリエントスクエア(勝どき駅下車)の入り口大ホールは素晴らしい。
池袋の芸術劇場の入り口大ホールよりもよい。
古巣、建設物価調査会の同僚3名に出会った。(関口、佐竹、鈴木)

●帰途、拝島で妻のコーラスの友人、福田さんに会う。福田さんはクリスチャン。ご主人を死の五日目に病床洗礼、信仰告白に導かれた。私は「信仰告白は死ぬ間際でよい。福田さんはご主人に最大のよいことをなさいました」と言った。







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信ずる神の違いが摩擦を生む ++++++++ 所感

2013/02/02 06:06

130202(土)5時30分目覚め●朝の啓示「信ずる神の違いが摩擦を生む」●明日の感話の題は「キリスト信者が憎まれる理由」であるが、その副題として「信ずる神の違いが摩擦を生む」とすることにした。●これは全聖書を一貫して通じる解読の鍵である。●関連聖句を掲げてみよう。

口語訳 出  20:2-3
20:2 「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。
20:3
あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。



●これは八百万の神がいる日本においては無茶な話だ。ここに無理の始まりがある。
●一神教の強さと多神教の弱さもここにある。
●これが受け入れられなければキリスト信者にはなれない
●神を信じない人にはそれなりに理由がある。紙とは言わないが何か別の論理があるのだ。

口語訳 民  33:50-53
33:50 エリコに近いヨルダンのほとりのモアブの平野で、主はモーセに言われた、
33:51 「イスラエルの人々に言いなさい。あなたがたがヨルダンを渡ってカナンの地にはいるときは、
33:52 その地の住民をことごとくあなたがたの前から追い払い、すべての石像をこぼち、すべての鋳像をこぼち、すべての高き所を破壊しなければならない。
33:53 またあなたがたはその地の民を追い払って、そこに住まなければならない。
わたしがその地をあなたがたの所有として与えたからである。

●一神教のすさまじさよ。神はこれをあのモーセを通して言わせたのだから、その末裔であるイスラム教はテロ集団を生み出すのは当然である。
●彼らは自分たちの戦いを「聖戦(ジハード)」と言っている。
●今度のアルジェリア事件で人道主義国の日本の阿部首相がアルジェリアの首相に「人命を第一にしてくれ」と言っても耳を貸さなかったのは人生観、宗教観、すなわち「信ずる神の違い」が原因である。

塚本訳マタイ
400624","(わたし達の心は天か地かに引かれる。)だれも(同時に)二人の主人に仕える
ことは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじる
か、どちらかである。あなた達は神と富(金)とに仕えることは出来ない。
"

●日本は多神教だが実は「拝金教」である。それは一神教の強さにも匹敵する。
●ずっと昔、は欧米諸国から「日本人はエコノミックアニマル」と揶揄された。物事の判断基準が「儲かるか儲からないか」になっている。それは今も変わらない。
●ところがこの富という神が聖書の神と衝突し摩擦をおこすのだ。

口語訳 民  25:1-2
25:1 イスラエルはシッテムにとどまっていたが、民はモアブの娘たちと、みだらな事をし始めた。
25:2 その娘たちが神々に犠牲をささげる時に民を招くと、民は一緒にそれを食べ、
娘たちの神々を拝んだ。



●富(金)ばかりでなく性道徳の問題にも「神の違い」が顕著に表れる。
●現代日本はこれが緊急の課題である。今や離婚率は3割とも4割とも。これが将来日本を滅ぼす最大の問題。経済の低迷どころではない。
●結婚は神との契約であるという信念に立たないから「愛が冷えれば別れた方がサッパリする」という脆弱な宗教観が原因。
●性道徳の堕落は神抜きの「一般常識」や「道徳」では防げない。
●日本は「富(金)の神」ばかりでなく「みだらな神」をも拝んでいる。


塚本訳ピリピ
"500318","ピリピ 3:18","何故なら、度々君達に言ったように、今また涙を流して言うよう
に、キリストの十字架の敵として歩いている者が多いのだから!──"
"500319","
ピリピ 3:19","あの人達の最後は破滅、その神は自分の腹、その光栄(と考えて
いるもの)は(実は)恥であって、あの人達は(ただ)地のこと(ばかり)に気を取られ
ているのだ!"
"500320","
ピリピ 3:20","しかし(私達はそうであってはならない。)私達の故国は天にあ
る。私達は主イエス・キリストが救い主として其処から来給うのを待っているのである。"

●「自分の腹が神」の具体例。「この世の完成が神」「文学が神」(文学者が内村から別れた原因)「政治が神」(選挙の票)民意が神」(朝日新聞の天声人語はどうか)「この世の栄誉(ノーベル賞、文化勲章)が神」)「教会は教勢が神」

塚本訳ヨハネ
"431632","見ていなさい、みなちりぢりになって自分の家にかえり、わたしを独りぼっち
にする時が来るから、いや、もう来ている。しかしわたしは独りぼっちではない、父上が
いつも一しょにいてくださるのだから。"
"431633","
これらのことを話したのは、あなた達がわたしに(しっかり)結びついていて、
平安を保つことができるためである。この世ではあなた達に苦しみがある。しかし安心し
ていなさい。わたしがすでに世に勝っている。
"

●キリスト信者が「この世では苦しみがある」のは宿命。
●異教の日本では「独りぼっち」すなわち孤独になるからだ。
●しかし「神共にいます」
●この世と摩擦なく生きている人間は信仰が「死んでいる」「眠っている」。


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朝の黙想終わり

●明日の感話の資料を修正、最後の最後まで直したいのは建築設計と同じだ。
●妻は孫(初音とかなほ)の日本舞踊の発表会に渋谷に行く。
喜明さんと母堂としの妹さんも来られたという。
●終了後愛子と喜明さんは子供を連れて七五三の写真撮影に写真館に向かったという。
●TSK日本語版民数記完成。面白かった。CDにバックアップして、物置にしまった。
●明日から申命記。
●夕方少し散歩。新築工事の現場ではライトをつけて残業していた。建築職人の苦労は尊い。






















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立派な信仰とは何か ++++++++ 所感

2013/02/01 06:47

 69歳7か月。平均余命13年(生命保険会社統計)、4745日、11万3800時間。この時間をすべてキリスト教使徒伝承の連鎖に捧げる。罪と死の恐怖から救われる「十字架の贖罪の福音と有体的復活の希望の喜び」を犠牲的に生きて証人となる。自分のため、親類縁者のため、気の毒な人のため。


130201(金)5時半目覚め●朝の啓示「立派な信仰」●昨日は、旧約学者の月本昭男先生の旧約講義(妻が新宿で受講)をテープで車中で聞いた。●月本先生(当時、旧約学会会長)
に引率されてイスラエル旅行をしたことがあるので親しみがある。●しかし精緻なる聖書翻訳の細部の話になると、逆立ちしても追いつけないと思った。なにせ先生は日本における楔形文字の権威者、それにセム語、英語、ドイツ語、ヘブライ語、ギリシャ語に堪能で、ワタシなど英語もおろか漢字もおぼつかない者にとってはあと何年生ききても追いつけない●過日拙宅に来訪された能城牧師から、聖書学者の荒井献先生は、ギリシャ語は一週間、ヘブライ語は一か月でマスターしたそうだ。語学に才能のある人はこうだ。●しかし、しかし、そういう大脳皮質の学問と信仰とはどうも別のようだ。そういう学問は分子の構造式、建築設計図の構造図、テレビの配線図、音楽の楽譜に似ている。素人はそれを知らなくても薬は飲めて病気は治り、建物に安心して住め、テレビを見られ、音楽を楽しめる。●モーツァルトの曲を楽しく聞いていてもイザその楽譜を見るとオタマジャクシの行列大群。現に私の知人で弦楽器のセミプロのWM君ですらあのモーツァルオの「フィガロの結婚序曲」はしばらくは演奏できなかったという。●私の信仰の先生である塚本虎二先生は、聖書を読むときは学問とは別にせよ、しかも母国語で読めと言っておられる。●同じく信仰の結果だ、信仰の展開だと称して天下国家を断罪することも信仰とは別に考えなければならない。そういう人間は大抵「人相が悪い」ことは私だけの見方ではない。彼らが批判するこの世の権威の地位に自分がつくと今より倍も悪くすることは目に見えている●共産党の人間は「金と権力に対する嫉妬」から行動している。彼らに金と権力を握らせてみよ。ソ連のように国家が崩壊する●ところが世の中では語学に強い「聖書学者」を尊敬し、天下国家を勇気をもって批判する人間を信仰が深いと思って追いかけまわしているが、あれは信仰の深さとは違う。●では「立派な信仰」とは何かを黙想してみよう。 ●イエスが褒めた「立派な信仰」の持ち主は次の通り。私の理想とする人物

塚本訳ルカ
"420706","イエスは彼らと連れ立って行かれた。しかし、すでにその家から程遠からずな
ったとき、百卒長は友人たちをやって言わせた、「主よ、ご足労くださらぬように。わた
しはあなたを、うちの屋根の下にお迎えできるような者ではありません。"
"420707","
だから自分でお願いに出る資格もないと考えたのです。(ここでただ)一言、言
ってください。そうすれば下男は直ります。"
"420708","
というのは、わたし自身も指揮権に服する人間であるのに、わたしの下にも兵
卒がいて、これに『行け』と言えば行き、ほかのに『来い』と言えば来、また僕に『これ
をしろ』と言えば(すぐ)するからです。(ましてあなたのお言葉で、病気が直らないわ
けはありません。)」"
"420709","
イエスはこれを聞いて驚き、ついて来た群衆の方に振り向いて言われた、「わた
しは言う、イスラエルの人の中でも、こんな(りっぱな)信仰を見たことがない。」"

口語訳 マコ 14:35-36
14:35 そして少し進んで行き、地にひれ伏し、もしできることなら、この時を過ぎ去らせてくださるようにと祈りつづけ、そして言われた、
14:36 「アバ、父よ、あなたには、できないことはありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころのままになさってください」。

塚本訳マルコ
"410920","マルコ 9:20","人々がイエスの所につれて来ると、霊はイエスを見るや否や、そ
の子をひどくひきつけさせたので、子は地に倒れ、泡をふきながらころげまわった。"
"410921","
マルコ 9:21","イエスが父親に尋ねられた、「こうなってから、どのくらいにな
るか。」父親がこたえた、「子供の時からです。"
"410922","
マルコ 9:22","霊はこの子を殺そうとして、幾たびか、火の中、水の中に投げ込
みました。それでも、もしなんとかお出来になるなら、わたしども(親子)を不憫と思っ
て、お助けください。」"
"410923","
マルコ 9:23","イエスは言われた、「もしお出来になるなら(と言うの)か。信
ずる者にはなんでも出来る。」"
"410924","
マルコ 9:24","即座にその子供の父親が叫んだ、「信じます。不信仰をお助けく
ださい。」"


塚本訳マタイ
"401522","すると、その地方生まれの一人のカナンの女が出てきて叫んだ、「主よ、ダビデ
のお子様よ、どうぞお慈悲を。娘がひどく悪鬼に苦しめられています。」"
"401523","
しかしイエスは一言も答えられなかった。弟子たちが来て、願って言った、「願
いをかなえてやって、(早く)この女を追い払ってください。どなりながらついて来ます
から。」"
"401524","
イエスは答えられた、「わたしはイスラエルの家のいなくなった羊だけにしか、
遣わされていない。」"
"401525","
するとその女が来て、しきりに願って言った、「主よ、お助けください。」"
"401526","
イエスは答えられた、「子供たちのパンを取り上げて、(異教の)小犬どもに投
げてやるのはよろしくない。」"
"401527","
しかし女は言った、「主よ、是非どうぞ!小犬どもも、御主人の食卓から落ちる
パン屑をいただくのですから。」"
"401528","
そこでイエスは答えられた、「ああ、女の人、りっぱな信仰だ。願いどおりに成
れ。」すると、ちょうどその時から、娘は直った。"

●これらの人は、おそらく外国語は出来ない、イザヤ書の著者が何人であるか知らない。詩編の各編の真の著者を知らない。イスラエルの荒野遍歴のルートを知らない。
●しかし神は父だから願えば何でもしてくださることを知っている。病気を治して下さることを知っている。奇跡を起こしてくださることを知っている。

塚本訳マタイ
402302","「聖書学者とパリサイ人はいまモーセの(後継ぎとしてその)椅子に坐ってい
る。(彼らにはモーセの権威がある。)"
"402303","
だからなんでも彼らがあなた達に言うことを行い、また守れ。しかし、そのす
ることを真似てはならない。あの人たちは言うだけで行わないのだから。"
"402304","
すなわち思い荷をたばねて人の肩にのせながら、自分では(担ってやるどころ
か、)指一本でこれを動かしてやろうともしない。"
"402305","
そのすること為すことがことごとく、人に見せびらかすためである。たとえば、
(人の目につくように)経箱の幅を広くしたり、上着の総を大きくしたりする。"
"402306","
また宴会の上座や礼拝堂の上席、"
"402307","
市場で挨拶されることや人から先生と呼ばれることを喜ぶ。"
"402308","
しかしあなた達は『先生』と呼ばれてはならない。あなた達の先生はただ一人
(救世主だけで)、あとは皆兄弟であるから
"
"402309","
また地上の者を『父』と呼んではならない。あなた達の父はただ一人、天の父
上(だけ)であるから。"
"402310","
『師』と呼ばれてもいけない。あなた達の師はただ一人、救世主である。"


塚本訳マタイ
"402327","ああ禍だ、君たち聖書学者とパリサイ人、この偽善者!君たちは白く塗った墓
に似ているからだ。外側はりっぱに見えるが、内側は死人の骨とあらゆる汚れとでいっぱ
いである。"
"402328","
そのように君たちも、外側はいかにも信心深そうに人に見えるが、内側は偽善
と不法とで一ぱいである。"

●ことキリスト教においては「先生になること」「聖書学者になること」は不利である。神からも人からも攻撃される。胃が悪くなる。うつ病になりやすい。
●「駅から降りてくる人の中でうなだれて胃腸を患っているかのような人は牧師が多い」という笑うに笑えない話がある。
●ナニ、彼らは十字架を負っているのだろう。申し訳ない。牧師、伝道者たちよ、ひるむな。

口語訳 イザ 53:3-7
53:3 彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
53:4 まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
53:5 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。
53:6 われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。
53:7 彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。


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朝の黙想 終わり

●TSK日本語版民数記34章入力。もう少しだ。
●HPの「イエスの復活を信じられるようになった理由」を読まれた大分県の方から真面目な質問が来た。

http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/riyu.htm

非常にまじめで真剣勝負のような気がしたので次のように返事を書いた。職業聖職者ではないので事実を自由に語れることは感謝である。一部変更してほぼ全文を掲載する。

復活に関する質問への返事
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HI様







 

拙HPの「イエスの復活を信じるようになった理由」を御査読いただいた

正面からのご質問と対話を衷心より御礼申し上げます。

「胸が熱くなり」「HI」様との間に見えざる復活のイエスが立たれている

感じがいたしました。

荒井献先生は、「歴史」と「信仰」を峻別される方で、信仰的事実を容易に歴史の中に持ち込まない方です。

それで私は「では歴史と信仰の接点はどこにあったのか」つまりどこまでが歴史でどこまでが信仰的事実か、具体的には『墓が空になったのは歴史内か歴史外か』」と

迫ったわけです。すると先生は「そう言われれば(迫られれば)それは歴史内だ」と言われました。このお答えに私は「ガッツポーズ」でした。

それは「ゲシヒテ」(事実)です。その後の伝承は「ヒストリエ」(ストーリー、]脚色)と解します。

あるとき、清永昭次先生(元今井館教友会理事長、学習院大学)から歴史の概念規定は万人がそれが起こったと認めるもの(たとえば内村鑑三は実在したなど)

であるが、最近の歴史学ではそうでなくても、例えば個人の内的事実なども歴史的事実として認めようじゃないかというように概念が変わってきたと教えられました。

そして私が「私は目に見えないものを見える形にすることを仕事にしている建築士です」というと先生は「目をキラッ」と輝かせました。

事実目に見えないことと手で触れること(トマス事件)との間にどれほどの差があるのでしょうか。建築は出来上がる前に私の脳の中には実在しているのです。

私はイエスの遺体はパウロの言うように「復活体」に変化したのであると信じています。それは有体的にであって、神がこの人には見せようと思う人には有体的に見せたのだと信じています。

ですから私は空になった墓のその後のヒストリエ(ストーリー、脚色)を納得できるかできないかで復活を信じたり信じなかったりすることはしません。

ただ、ただ、「胸が熱くなることによって」復活をゲシヒテ(事実)と信じているのです。

「胸が熱くなって」「有体的復活」を信じられるようになったことを「宣言」「宣教」「伝承」「公表」「伝道」「告白」すると、ときどきではありますが不思議に全国あちこちから「同感」との応答があります。しかしそういう応答の事実を文章にするとヒストリエ(脚色)になってしまいます。妻から「あなたの話は大げさな脚色が多い」と文句を言われることがありますが、ゲシヒテ(事実)はヒストリエ(ヒストリー、脚色)なくしてよく伝えられません。

このたびは真面目な応答をありがとうございました。

間もなく復活節がまいります。

 

 

高橋照男

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
復活に関する質問への返事 おわり


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