to 日記と感想 2013年03月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171030(月)10:00 聖路加 桑本先生
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170824(木)12:10キララホールエントランスコンサート、マリンバ
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170813(日)10:30ナザレン教会浦和教会
    170813(日)14:00比企紀和君
    170812(土)14:00お江戸こらりあーず演奏会、文京シビックホール
    170809     TW誕生日
    170809(水)17:16初音吹奏楽、府中の森芸術劇場ドリームホール
    170808(火)0930池谷医院
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170708(土)14:00在宅医療説明会(キララホール)
    170707(金)10:00池谷医院
    170706      TM誕生日
    170702(日) 集会感話
    170701      TT誕生日
    170630(金)12:20キララホールエントランスコンサート
    170628      IY誕生日
    170627(火)11:00 能城牧師来訪
    170625)日)10:10トミ子集会感話
    170625(日)14:00茅ヶ崎金子邸
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール


有体的復活信仰の困難 ++++++++ 所感

2013/03/31 07:07

130331(日)5時目覚め●朝の黙想「有体的復活の困難」●今日は復活祭。しかし仏教のようなグノーシス的死生観の日本では復活信仰、特に有体的復活の信仰は困難である。高名な聖書学者も復活は「幻視体験」だなどと解している。●しかし有体的復活を信じられない理由を聞いた事例を思いだしてみよう。●①某夫人のご主人は「死んだ人がよみがえるという宗教など信じられない」。これは人類全体共通のこと。②某老婦人。「終末日を待たずに、私が死んだら、先に逝った主人のもとにすぐ行きたい」③不治の病の夫人を抱えた人「もし神がいるなら抗議したい」。●この三例で共通なのは「神の意志」が信じられないことである。●有体的復活が信じられないのは神による霊魂の開眼治療が施されないからである。●しかし苦しい人生の行き詰まりの「ある日あるとき」、神に打ちのめされて悲しんでいるときに神は近づいて姿を現して下さる。神の方からのアクションである。●今日、病気になれば医者、戦争になれば政治運動、貧困になれば経済改良、などの人間的手段で「地上王国」の完成が「永遠の喜び」だという人生観では有体的復活の信仰は不要である●しかし真面目な医者ほど医学の限界を知って悩み、まじめな社会学者ほど人間の運動の限界に悩む●復活のイエスが姿を現したのはほとんどの場合、極度の悲しみに打ちひしがれている時である。●罪に悩み親戚にも「顔出しができない」ほどにめちゃくちゃな人生にならなければ復活のイエスは姿を現して下さらない。●神のその不思議な霊魂開眼治療が施されると見るもの聞くもの総てが有体的復活の証明になる。春の開花などはその代表的なことである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
復活祭の朝の黙想 終わり

2013_03310002.jpg 

集会後に郷里のいわき市に父母の墓参に行く妻の後ろ姿。 
妻は郷里に行くときはいつも心が弾んでいる。
日頃妻は「自分が死んだら骨は東北の山(飯豊山か)に撒いてほしい」と言っている。
永遠に帰ってこない時が来るのだろうか。

●集会は丹野、山本、高橋(イエスの有体的復活は、神による「永遠の命」の証明)

http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/1303312.htm

●某婦人から、「今日の話はスッと心に入りました」と感謝され、苦労が飛んだ。
こういう一言が最大の癒しだ。「有体的復活のイエスは嘆き悲しんでいるときに姿を現して下さる」というところが心に響いたらしい。私は牧師ではないが「牧師は信徒が作る」とは真理だ。
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道に迷う。道を探す ++++++++ 所感

2013/03/30 05:27

130330(土)悪夢で5時目覚め。故郷浦和の母校中学校に行こうとしたが、道に迷って見知らぬ景色ばかり。人に聞いても教えてくれない。そしてトンデモナイ街に行ってしまい苦しんでいるところで目が覚めた。夢でよかった。●その昔、あれは脳内出血の前だったか、あとだったか。神田の駅から勤務先に近道で行こうとして迷ったことがある。見知らぬ景色とビルがあるのだ。後で原因を調べたら、その近道はカーブしていたから変なところに出てしまったのだ。●この事件をブログに書いたところ、これを読まれた某医師が「高橋は危ない」と心配してくださった。感謝 


●過去の日記から「迷」を検索するとかなり多くの聖句が繰り返し出てきた。日々の人生は「迷い」がつきものだからなのかもしれない。その一部を掲げる。聖句検索の手法として最も力があるのは「過去日記」である。その背景には事件があり、生活があるから「手になじんで」いるからである。

口語訳 イザ 53:6
53:6 われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。


塚本訳 マタ 24:11
24:11 また多くの偽預言者があらわれて、多くの人を迷わすにちがいない。


塚本訳 マコ 13:5
13:5 そこでイエスが話し出された。──「人に迷わされないように気をつけよ。


口語訳 エペ 4:22
4:22 すなわち、あなたがたは、以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て、


口語訳 Ⅰテモ6:10
6:10 金銭を愛することは、すべての悪の根である。ある人々は欲ばって金銭を求めたため、信仰から迷い出て、多くの苦痛をもって自分自身を刺しとおした。


口語訳 民  25:1-3
25:1 イスラエルはシッテムにとどまっていたが、民はモアブの娘たちと、みだらな事をし始めた。
25:2 その娘たちが神々に犠牲をささげる時に民を招くと、民は一緒にそれを食べ、娘たちの神々を拝んだ。
25:3 イスラエルはこうしてペオルのバアルにつきしたがったので、主はイスラエルにむかって怒りを発せられた。


塚本訳 ロマ 1:27
1:27 同じく男も女との自然の交わりをすてて互に情熱をもやし、男と男とが恥ずべきことを行い、迷いに対する当然の報いをその身に受けている


塚本訳 Ⅱペテ3:17
3:17 だから愛する者よ、君達は前以てこのことを知って、無法者どもの迷いに引き込まれ自分の堅い決心から落ち(ることの)ないように気をつけ、


塚本訳 テト 3:3-5
3:3 私達とてもかつては無智で、不従順で、(道に)迷い、様々な慾と快楽の奴隷となり、悪意と妬みとに(日を)過ごし、(人に)嫌われ、(また)互いに憎み合っていたのである。
3:4 しかし我らの救い主なる神の慈愛と愛情とが顕れた時、
3:5 私達がした義の行為からでなく、(ただ)その憐憫により、再生と聖霊による革新とを齎す水浴びをもって私達を救い給うた。

塚本訳 マタ 18:12-14
18:12 あなた達はどう思うか。ある人が羊を百匹もっていて、その一匹が道に迷ったとき、その人は九十九匹を山にのこしておいて、迷っている一匹をさがしに行かないだろうか。
18:13 そしてもし見つけようものなら、アーメン、わたしは言う、この一匹を、迷わなかった九十九匹以上に喜ぶにちがいない。
18:14 このように、この小さな者たちが一人でも滅びることは、あなた達の天の父上の御心ではない。


塚本訳 ロマ 3:12
3:12 だれもかれも迷って、みんな堕落してしまった。善をする人がいない、ただの一人もいない。』


塚本訳 Ⅰコリ15:33
15:33 迷わされてはならない。(復活の信仰のない人との交際に注意せよ。)悪い交際は良い習慣をこわす。(と詩人も言っている。)


塚本訳 Ⅰテモ6:10
6:10 あらゆる悪の根は金を欲しがることにあるから。或る人はこれに憧れて信仰から迷い、多くの苦痛で自分を刺し通した。


塚本訳 ヘブ 5:2
5:2 彼は自分自身も(人間で、彼が代って犠牲を捧げる人々と同様、人としての)弱さを身に帯びているので、無知の人々、また(罪に)迷う人々を思いやることが出来るのである。


塚本訳 ヤコ 5:19-20
5:19 わが兄弟達よ、君達の中に真理から迷う者があって、誰かがそれを引き戻すならば、
5:20 罪人を迷いの道から引き戻した者はその人の魂を死から救い、且つ多くの『罪を蔽う』ことを知れ


塚本訳 マタ 24:24
24:24 偽救世主たち、『偽預言者たちが』あらわれて、大がかりな『奇蹟や不思議なことをして、』あわよくば、選ばれた人々までも迷わそうとするのだから

塚本訳 Ⅰテモ4:1
4:1 しかし御霊は、後日(必ず)或る人々が虚言者どもの偽善に欺かれて迷いの霊と鬼(デモン)の教えに心を奪われ、信仰から離れ落ちることを(予め)明らかに言い給う。


●ダンテ「神曲」地獄篇第一歌。人生の道に迷ったダンテは絶望して人影らしき者に向って叫ぶ。「お助け下さい、人であれ影であれ、この私をお救い下さい。」すると彼を導くヴァージルは言う。「いまは人ではないがかっては人だった」。
●我々も人生を絶望した時には力を振り絞って言うべきである。「お助け下さい、人であれ影であれ、この私をお救い下さい。」と。

●次に「道」ということを黙想する。これは「過去日記」ではなく自分の頭に浮かぶ聖句を掲げる。

塚本訳 ヨハ 14:3-6
14:3 (間もなく出かけるが、)行って場所の準備ができたら、もどって来て、あなた達をわたしの所に連れてゆく。わたしのおる所にあなた達もおるためである。
14:4 (今)あなた達はわたしがどこへ行くか、その道がわかったはずだ。」
14:5 トマスが言う、「主よ、どこへ行かれるのか、わたし達にはわかりません。どうすればその道がわかるでしょうか。」
14:6 イエスは言われる、「わたしが道である。また真理であり、命である。(手段であると同時に目的であるから。)わたしを通らずには、だれも父上の所に行くことはできない。

塚本訳 Ⅱペテ2:1-2
2:1 しかし(昔イスラエルの)民の中に(真の預言者の外に)偽預言者がいたが、そのように君達の中にも偽の先生が出て来て、(帰依者を)滅亡(に陷れるか)の(勝手な)教義を持ち込み、(高い値をもって)彼らを買い取り給うた主人(イエス・キリスト)をさえ否定して、忽ち滅亡を身に招くのである。
2:2 そして(迷わされた)多くの人は彼らの放埒の跡を追い、この人達『の故に』真理の道は『罵られるであろう』。

口語訳 マタ 15:14
15:14 彼らをそのままにしておけ。彼らは盲人を手引きする盲人である。もし盲人が盲人を手引きするなら、ふたりとも穴に落ち込むであろう」。


●著名な聖書学者で「有体的復活」を信じていない人はザラにいる。彼らは「地獄」を見ておらず、かつ復活のイエスに会っていないのだ。交際できない。大脳皮質の雑学肥大では駄目だ。

塚本訳 Ⅰコリ15:33
15:33 迷わされてはならない。(復活の信仰のない人との交際に注意せよ。)悪い交際は良い習慣をこわす。(と詩人も言っている。)


● 塚本虎二先生は私にとって「ヴァージル」であった。神学という暗い森を切り開いて出口への道を示してくださった。
●「ダンテは謎の人であった。しかし彼を知る少数の人に対して彼は天国への道を開いた」(クラウス(?)「ダンテ伝」の結語)
●クリスチャンはこの世の人から見て「謎の人」[不思議な人」「変わっている人」でなければならない。「付き合いの悪い人間」でよい。宴会には出ても「二次会には出ない人」でよい。

塚本訳 Ⅰペテ4:4
4:4 (しかしかつては共にこれらのふしだらな生活をしていた)彼ら(異教人達)は、君達が(最早)同じ放蕩(生活)の流れに共に身を投じないので、そのことを(驚き)異しみ、(君達を譏るばかりか、遂に)主と神とを冒涜する
 
●「向上するものは常に迷うものだ」(ゲーテ) 
●今朝の悪夢は私に残りの人生の「道」を指示した。バンヤンの「天路歴程」には道を探している人を案内する親切な「基督者」が出てくる。「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」。宮沢賢治は法華経だが私は「聖書」で。
●そういう人間になるには自分自身が一度「地獄を見る」(No!何度も)経験をしなければならない。(上記、へブル5:2)。

 
●讃美歌239番
 

さまよう人々、たちかえりて
あめなる御国の 父を見よや
罪とがくやめる こころこそは
父より与うる たまものなれ


●讃美歌214番


北のはてなる こおりの山
てる日にやくる まさごの原
叫びもとむる 声ぞひびく
迷いのくさり 解き放てと


上なき知恵に てらされたる
我らはいかで このひかりを
暗きにまよう 世の民らに
てらさで隠し 秘めおくべき

讃美歌2番


まよいを去り やすきをあたえ
つねにめぐみ なぐさめたもう
父なるかみ、 み子、みたまに、
代々みいつと みさかえあれ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想おわり。これから朝食
 
●14:00 市民劇団「あきる野」の劇を妻と鑑賞。(於秋川ふれあいセンター)テーマは「街」。小品が7本。前半で失礼した。
 
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劇を鑑賞してから秋留台公園を通って家に帰る
妻は野草園に興味を持って立ち寄る

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秋留台公園。冷たい雨の桜。散り始めた。花冷え。
妻の思うままの道を歩いた。











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苦しむことをも恵まれた ++++++++ 所感

2013/03/29 09:18

130329(金)5時目覚め●朝の啓示「苦しむことをも恵まれた」

文語訳 ピリ 1:29
1:29 汝等はキリストのために啻に彼を信ずる事のみならず、また彼のために苦しむ事をも賜はりたればなり

塚本訳 ピリ 1:29
1:29 君達はキリストのために──ただ彼を信ずるばかりでなく、また
彼のために苦しむことをも恵まれたからである。

●信者の十字架には希望がある。最後の日の万物の復興である。この希望なくして十字架は重すぎる。
●負わされた十字架は負えない。ナニ、イエスだって負えなかった。だからクレネ人シモンが背負ったではないか。
●ピリ1:29をTSK日本語版で見てみよう。

●ピリ 1:29

1:29 あなたがたはキリストのために、ただ彼を信じることだけではなく、彼のために苦しむことをも賜わっている。

Acts 5:41

41使徒たちは、御名のために恥を加えられるに足る者とされたことを喜びながら、議会から出てきた。

Romans 5:3

3それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、

James 1:2

2わたしの兄弟たちよ。あなたがたが、いろいろな試錬に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。

1 Peter 4:13

13むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど、喜ぶがよい。それは、キリストの栄光が現れる際に、よろこびにあふれるためである。

Matthew 16:17

17すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。

John 1:12-13

12しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。 13それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。

John 6:44-45

44わたしをつかわされた父が引きよせて下さらなければ、だれもわたしに来ることはできない。わたしは、その人々を終りの日によみがえらせるであろう。 45預言者の書に、『彼らはみな神に教えられるであろう』と書いてある。父から聞いて学んだ者は、みなわたしに来るのである。

Acts 13:39

39信じる者はもれなく、イエスによって義とされるのである。

Acts 14:27

27彼らは到着早々、教会の人々を呼び集めて、神が彼らと共にいてして下さった数々のこと、また信仰の門を異邦人に開いて下さったことなどを、報告した。

Ephesians 2:8

8あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。

Colossians 2:12

12あなたがたはバプテスマを受けて彼と共に葬られ、同時に、彼を死人の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、彼と共によみがえらされたのである。

James 1:17-18

17あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、上から、光の父から下って来る。父には、変化とか回転の影とかいうものはない。 18父は、わたしたちを、いわば被造物の初穂とするために、真理の言葉によって御旨のままに、生み出して下さったのである。
 

●明後日は復活祭。集会での感話の表題を次のように変更

  

   イエスの有体的復活は「永遠の命」の神による証明
 
・・・その伝承は信仰による「聖書の読み」で受けつがれる・・・
 


●イエスの有体的復活の現れ方と現象。

   多様性、悲しみの時に声がかけられる、すぐ姿が消える。

   接した人には衝撃と喜びがある。そして告知にすぐ走り出す。 
 
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秋留公園のこぶし

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我が家の木瓜 (ぼけ)

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玄関の馬酔木(あせび)。いい香りがする。
クリスチャンは「キリストの香り」を放たねばならない。
 

口語訳 Ⅱコリ2:15-16
2:15 わたしたちは、救われる者にとっても滅びる者にとっても、神に対するキリストのかおりである。
2:16 後者にとっては、死から死に至らせるかおりであり、前者にとっては、いのちからいのちに至らせるかおりである。いったい、このような任務に、だれが耐え得ようか。


塚本訳 Ⅱコリ2:15-16
2:15 というのは、わたし達は救われる者の間でも、滅びゆく者の間でも、神にささげられるためのキリストのよい薫である。
2:16 ある者には、死から死へみちびくであるが、ある者には、命から命へみちびくである。(ああ、)一体だれにこんなことが勤まろう。

●「一体だれにこんなことが勤まろう」とはどういう意味か。神共にいなければこの重大かつ辛い役目は果たせないというのだ。
●特に「滅びゆく者」を眼前に見させられる悲しさと辛さよ







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イエスの有体的復活の使徒伝承 ++++++++ 所感

2013/03/28 05:12

130328(木)4時起床●朝の啓示「イエスの有体的復活の使徒伝承・・・「聖書の読み」で受けついで継承する」●これを31日のイースターの感話の題にする。●イエスの有体的復活の現れ方は多様だが、共通的な事は呼びかけられて生じた衝撃と喜び●この使徒伝承の上にキリスト教は成立した●問題はその伝承方法。ティルトりアヌスは「教会の外に祝いなし」は異端との戦いのプロパガンダであって正しい。これを「教会組織の外に救いなし」と読むから「教会の外に救(いあり)」(塚本虎二「聖書知識」の表紙標語)というアンチテーゼが出現する●ところが教会の外のどこに救いがあるかというと、これが問題。いつまでも無教会の先生を振り回しているようでは復活の継承はできない。現にできtれないから神が団を下している。●内村鑑三100年記念は人間の記念。エクレシアは福音伝承2000年の記念を毎週行わなければならない。●有体的復活の現れ方は様々であるが、その伝承の方法も多様である。カロリック教会のサクラメントは「見える言葉」とも言われる。その歳極端の無教会の中に「聖餐式」を行う人が現れた。お子様が脳性小児麻痺のため、聖書が読めない、信仰告白もできない。しかしどうにかして神の救いを見せてあげたいという切なる親の願いからである。100%理解できる●ランケの「世界史概観」によれば教会がサクラメントを行うようになったのは福音が北上して文盲の民族に進出するときに有効でさったという。「救いの秘儀」を目に見える形にするとカトリックの典礼、プロテスタント教会の洗礼・聖餐の儀式となる。多様性の一環として無教会の「聖書読み」がある。内容は多様であるが、「聖霊が隣在して心の目が開かれて」いなければ典礼儀式(サクラメントという)をやっても「聖書の文字」を探求していても福音は伝わらない。無教会集会は今や「知的遊び集団」。神の断は下されている。●福音の本質の下位のレベルの「伝達手段」の問題。原始キリスト教団は「口伝」。その研究は「生活の座」の研究でM・ディべりウスに始まり編集史に至ったが、「行っても何もなかった」というのがその結論。ラッキョウの皮をむいても芯が出てこないのと同じ幻想であった。それらの結論は「だろう」「多分」で終わる竜頭蛇尾●次は手紙、次は教会、これが政治的になって堕落、次は「本」。●宗教改革の三大スローガンは「聖書のみ、信仰のみ、万人祭司」●今日ではインターネットで福音は広まる。一例として拙ホームページは「有体的復活」に霊で共鳴する人たちからのアクセス回数が毎日平均150人程度ある。●日本の世界的聖書学者でも復活を「幻視体験」と片づける「盲人」がいる。これでは福音書が伝える「使徒伝承」は継承できない。実態現象をみればわかる。尻すぼみ退化である。 ●有体的復活の使徒伝承なきところエクレシアは堕落退化して思想集団になる。その枯れ葉現象を批判しても樹は生き返らない。無い袖は振れない。「奇跡の一本松」のようにレプリカになるのみ。●パウロは声を大にして有体的復活は「一番大切なこと」であること、それは「((エルサレム集会から)受けついだ」ものという「歴史内の出来事」こと(だから仏教や哲学とは違う)であるとして次のように叫ぶ。

塚本訳 Ⅰコリ15:1-5
15:1 また、わたしが思い出してもらいたいのは、兄弟たちよ、(以前)あなた達に伝え、あなた達が(喜んで)受けいれてくれて、(今日まで)それに立っている、あの(死人の復活についての)福音である。
15:2 どんな言葉でわたしがその福音を伝えたにせよ、あなた達がそれを守っていさえすれば、軽々しく信仰に入ったのではない限りは、あなた達もその福音で救われる。
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。

●「高橋は十年一日のごとくに『イエスの有体的復活』」を語ってっている」と評した人がいる。光栄である。なぜか、「イエスの有体的復活は永遠の命の実在証明」だからだ。これ以上何を言うことがあろうか。●聖書や福音情報でメシを食ってない人間が「正統信仰」を伝承するところに「素人の強み」(信憑性)ある。
●わたしが所属する「東京聖書読者会」とは実によい名称である。
●福音書を読めば、」復活の告知には「走る」という言葉がつきものだ。わたしも復活の告知に「走ろう」。 
●「止めてくれるなおっかさん」の気持ちだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想おわり。

●9:00 世田谷区役所で春風学寮の増築の法的調査。帰途松陰神社を見学。 
 
2013_03280016.jpg 

松陰神社。このたたずまいは素晴らしい。


●13:00 今井館で津上毅一さんの告別式。妻とも。良い式であった。  

2013_03290001.jpg 
 
●15;00 経堂の消防署で春風学寮の増築の件。千葉真理事長、森山寮長とも
●17:00 千葉真理事長(プリンストン大学神学部卒、ICU教授)と会食。懇親

●千葉真理事長が「損失」の道を選択したことに満腔の敬意を表した。二人の間で盛んに
交わした言葉は次の三つ。

①Honesty is the best policy(正直は最良の策である)

②塚本訳 ロマ 13:1-2
13:1 人は皆上に立つ(国家の)官憲に服従せねばならない。神からではない官憲はなく、現存の官憲は(ことごとく)神から任命されたものであるから。
13:2 従って官憲に反抗する者は、神の命令に違反する者である。違反する者は、自分で自分に(神の)裁きを招くであろう。(この世で罰を受けるばかりでなく、最後の日にも。)

③文語訳 Ⅱコリ13:8
13:8 我らは眞理に逆ひて能力なく、眞理のためには能力あり。

●千葉理事長は言う。「これでサッパリした」。それで私は「これで『義』を説けますね」と言った。

2013_03280020.jpg 

復活祭は春分のあとの満月の次の日曜日。
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人の愛を失い神の愛を知る ++++++++ 所感

2013/03/27 05:58

130327(水)朝の啓示「人の愛を失い神の愛を知る」●昨日借りてきたDVD(旧作のため100円)、エリアカザン監督の名作「草原の輝き」(splendor in the grass)という悲恋物語の余韻があるので昨日「のブログの続きを書く。●私は中学と高校前半までは好んで「悲恋物語」の小説を読んだり映画を観たりした。オイオイ泣くことが好きであった。●それは具体的には次であった。ヘミングウェイ「武器よさらば」、テニスン「イノックアーデン」、シュトルム「みずうみ」、ハムスン「ヴィクトリア(愛の悲しみ)」、ジイド「狭き門」、ゲーテ「若きウェルテルの悩み」、ヘッセ「ゲルトルート(春の嵐)」、・・・映画では「陽のあたる場所」「めぐりあい」「黒水仙」「愛情の花咲く樹」・・・●男の失恋は母親が子供を失う時以上の心理的痛手だそうだ●しかし「時は来た」。高校生の時に我が国の無教会主義、塚本虎二、内村鑑三、カールヒルティに出会って人生は変わった。世界が違った。●「人の愛ではなく神の愛」の方が幸福であることを知った。永遠の命の喜びがあることを知った。「愛の種類」が違うのだ。●「人の愛」を求めていた時は、実は「幸福」を追求していたのだが、「神の愛」にこそ本当の幸福があることを知った●若き日の胸の高鳴りは、今となっては「過ぎ去った遠い雷鳴」のようである。遠い雷は大抵雨上がりに聞こえるものだ。●そして晩年の現在は神の愛の徴である「聖書」にどっぷりである。思いつくままに関連聖句を掲げてみよう。

口語訳 創  2:22-23
2:22 主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。
2:23 そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、/わたしの肉の肉。男から取ったものだから、/これを女と名づけよう」。

●イマドキの若い人は偶然の「出会い」を求めるが、それは数学的に考えても範囲は狭い。
●22節のように「連れてこられた」人に素晴らしい人がいるのだ。範囲は広い。
●それでは「恋愛」ではなく「見合い」がよいのかというとそうではない。同じ「種類」の群れ中での「出会い」や「紹介」がよいのだ。
●と言って教会の中に「素敵な女性や男性がいるかも」などという魂胆で来ても失望する。そこは老人ばかりだ。

口語訳 創  6:1-2
6:1 人が地のおもてにふえ始めて、娘たちが彼らに生れた時、
6:2 神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった。

●この「好む者」という動機がいけない。それはお互いの成長で「好み」が違ってくるから。
●それに人間同士の「好み」というのはそこに神の入る隙はないから、神がのけ者にされたと思って妬まれて仲を裂こうと妨害され二人の関係が壊される。

口語訳 箴  19:14
19:14 家と富とは先祖からうけつぐもの、賢い妻は主から賜わるものである


●若き日に、無教会のS先生は自分の若き日に塚本虎二先生に教えられたことだといわれて、私の目をきっとにらんでこの言葉を放った。そのとき私の胸には5寸釘が刺さった。ガンとやられた。人生観は変えられた。違う世界に導かれた。
●ヒルティは「ゲーテに幸福はなかった」と盛んに言う。
●2005年にワイマールを訪れたとき、ゲーテがその町でおつきあいした女性12 名の肖像画があった。これを見た私はゲーテはさぞ「不自由であったろうなー」「幸福ではなかったろうなー」と思った。こんなゲーテのことを「幸福論」の著者ヒルティは「ゲーテを見よ。彼は臨終の床で『もっと光を!』と叫んだではないか。彼に倣う者の運命はかくのごとし。彼を尊敬しても決して幸福にはなれない」と
●無教会には「恋愛ご法度」の雰囲気がある。これは内村、塚本からの伝統。この年齢になってそれがよくわかる。それは神抜きの「恋愛依存症」という病なのだ。有島武郎の人妻心中事件に内村は狂えるごとくに激怒した。
●内村鑑三は 「美と義」(大正12年10月)の中で次のように言う。
「義は美以上である。人間にありては、その外形(かたち)は醜(みにく)くあるとも、」もしその心が美しくあれば、彼はほんとうに美しくあるのである。」
●私は女子大で「イケメンと結婚するな。彼は大抵の場合金も教養も倫理もんないから」と教えている。するとたいがい「エーッ!」と反応が来る。図星である。

口語訳 詩  45:2
45:2 あなたは人の子らにまさって麗しく、気品がそのくちびるに注がれている。このゆえに神はとこしえにあなたを祝福された。

●これは王の即位式に歌われたものだが、この世には「人の子らにまさって麗しい」ものがある。
●それは神の命の素晴らしさである。この認識があるときに人はどんな大失恋の痛みにも耐えられる。
「ナンダ。アレは鼻から息のする人間じゃーないか」と思えるのだ。

口語訳 詩  84:1-2
84:1 万軍の主よ、あなたのすまいはいかに麗しいことでしょう
84:2 わが魂は絶えいるばかりに主の大庭を慕い、わが心とわが身は生ける神にむかって喜び歌います。

●人は神と共なるとき、「絶えいるばかりに」幸福になれるのだ。人間と共にいる時ではない。


塚本訳 ヨハ 6:68
6:68 シモン・ペテロが答えた
、「主よ、(あなたを離れて)だれの所に行きましょう。永遠の生命の言葉はあなただけがお持ちです(から)。

●人は人間を慕ってはいけない。命の泉、光の光を慕わなければ真に満足はしない。なぜか。人間は所詮「被造物」にすぎないのだ。
●讃美歌353番は次の通りである。

いずみとあふるる いのちのいのちよ
あさ日とかがやく ひかりのひかりよ

この世のあたうる さちよりのがれて
こよなき君へと わが身はあこがる

きみこそとこよに かわらぬよろこび
くめどもつきせぬ めぐみのもとなれ

み顔をあおげば うれいは去りゆき
み腕にたよれば ちからは湧きいず

イェスよたえせず わが身にともない
ひかりのみちをば あゆませたまえや

口語訳 詩  84:10
84:10 あなたの大庭にいる一日は、よそにいる千日にもまさるのです。わたしは悪の天幕にいるよりは、むしろ、わが神の家の門守となることを願います。

●罪と悩みの長寿よりも神と共にあって「花と散る」方が幸福だ。
●桜の命は短いが美しく咲く
●ボケて認知症になっての長寿よりも神と共にあって「自然に生き、自然に死ぬ」方が幸福だ。
●この信仰がないから日本人は一分でも一秒でも長く生きようとする。医学界も延命治療を目的とする。

口語訳 詩  65:4
65:4 あなたに選ばれ、あなたに近づけられて、あなたの大庭に住む人はさいわいである。
われらはあなたの家、あなたの聖なる宮の/恵みによって飽くことができる。

●これだ。これが人間としての真の幸福だ。好きな人と結婚することではない。暖かい家庭団欒ではない。有名になり多くの人に感謝されることではない。経済の豊かさではない。政治的に戦争にない平和ではない。
●恋愛の破局、結婚の失敗、家庭の崩壊、病苦、失業、敗戦、リストラ、左遷、貧困・・・・これは皆神が人を真の認識に至らせる苦肉の手段。無理なむごい方法。神も打った自分の手の痛さに自分で泣かれる。
●以上のことは「負け犬の遠吠え」ではない。そう言う人間の考える「幸福」とやらを教えてもらおう。

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朝の黙想おわり

●7:30 妻はがん検診の打ち合わせに国分寺に向かった。後ろ姿を見送った。
 
●25日に100歳一か月で召された津上毅一さん(元今井館理事長)のお知らせを関係者にお知らせしたところ、広島で津上さんと一緒に聖書の集まりをしておられた杉崎孝様は津上さんより上の100歳2か月。お電話の声は力強く、失礼ながら頭もしっかりしておられた。近くの小聖書集会に御出席とのこと。ただ敬服あるのみ。無言の説教だ。 
●津上さんと杉崎さんが100歳と聞いて、私の余命はあと12年だと思っていることを」反省。
 ●杉崎さんはもう30年も前に奥様に先立たれた。88歳の時に拙宅に一人で来られたとき、「天国に行ったら妻は私の顔を覚えているだろうか」と言われたと私の妻が言う。世の中、そんなに悲しいことってあるのだろうか。残酷だ。
●しかし天国に行けばみんな天使のようになるので「誰の妻」「私はあなたの妻」ということは無いのだろう。同じく「誰の夫」「私はお前の夫」ということはないのだろう。淋しいようであるが淋しくはないのかもしれない。この世の男女間夫婦間のゴタゴタはないらしい。子供も生まれないらしい。

塚本訳 ルカ 20:34-36
20:34 イエスは言われた、「この世の人はめとり嫁ぐけれども、
20:35 あの世にはいる資格を与えられて、死人の中から復活する者は、めとることもなく嫁ぐこともない。
20:36
復活によって生まれる彼らは、天使と同じであり、神の子であるので、もはや死ぬことが出来ない、(従って子を産む必要がない)からである。
 
●12:00 あきる野市「ふれあいセンター」のホールで小コンサート。窓の外は満開の桜。プログラムを変更して「サクラ、サクラ」がマリンバで演奏された。かねてリクエストしてあったシューベルトの」即興曲第3番、変ト長調が演奏された。演奏者から「高い課題を与えてくださってありがとうございました」と感謝された。
●小学校2年生の「まな」ちゃんが踏み台に乗ってお母さんとマリンバの連弾をうまく弾いたので「お母さんよりうまかったと」と褒めた。ピアノ伴奏は祖母の高橋京子さん。親は子供が褒められるとうれしいものだ。神の子イエスを崇めると父なる神がうれしくなるのと同じ真理だ。

塚本訳 ヨハ 3:36
3:36 (だから従順に)御子を信ずる者は永遠の命を持が、御子に不従順な者は命にはいることができないばかりか、神の怒りがその人からはなれない。」


塚本訳 ヨハ 5:23
5:23 これは皆の者をして、父上を敬うように子を敬わせるためである。子を敬わない者は、子を遣わされた父上をも敬わない。

2013_03280006.jpg 

ふれあいセンターで昼のコンサート。窓の外は満開の桜。素晴らしい日本。
小学校2年生の「まなちゃん」(中央)が踏み台に乗って
お母さん(新條路子)とマリンバの連弾。ニコニコしながらの演奏は
素晴らしかった。左はピアノ伴奏の祖母(高橋京子)。 音楽一家。





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復活のイエスの呼び声 ++++++++ 所感

2013/03/26 07:56

130326(火)朝の啓示「ラザロ、出て来い」●復活のイエスが顕現するときは必ず声をかける。空の墓を見に行った帰りの二人の女には「お早う」(マタ28:9)、マグダラのマリヤには「マリヤ!」(ヨハネ20:26)、ユダヤ人を畏れて鍵をかけた部屋にいた弟子たちには「平安あれ」(ヨハネ20:19)、復活を疑うトマスには「指をここに持ってきて私の手(の釘の後)をよく見てごらん」(ヨハネ20:27)、信者を迫害しようとしていたパウロには「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」(使徒22:7)。●これらは皆復活のイエスの方からである。これは生前のイエスが死人を生き返らせるときにも「声をかけた」行動を連想させる。

塚本訳 ヨハ 11:43-44
11:43 こう言ったのち、大声で、「ラザロ、出て来い」と叫ばれた。
11:44 死人が手足を包帯で巻かれたまま、(墓から)出てきた。顔は手拭で包まれていた。イエスは「解いてやって(家に)帰らせなさい」と人々に言われた。

塚本訳 マコ 5:39-42
5:39 (家の)中に入って言われる、「なにを泣いたり騒いだりするのか。子供は死んではいない、眠っているのだ。」
5:40 人々はあざ笑っていた。しかしイエスは皆を外に出し、子供の父と母と、一しょに来た者(三人だけ)を連れて、(死んだ)子供のいる所に入ってゆかれる。
5:41 そして子供の手を取って、「タリタクミ!]と言われる。訳すると「少女よ、あなたに言う。起きなさい!」である。
5:42 ただちに少女は立ち上がって歩きまわった。十二歳になっていたからである。見るなり、人々は気が遠くなるほど驚いた。

●神に声をかけられることが復活の様である。しかもそれは多くの場合、「名前を呼ばれる」。
 ●その声はおそらく自分に権威のある「優しい、親しい声(母の権威と優しさのような)」声であろう。
●これはテニスンの「砂州超えて」の詩を思い出す。

                 陽は沈み夜空には星
                    澄んだ声がわたしを呼ぶ!
                 わたしが海へ踏み出すとき
                    砂州に呻きのないことを。

                 果てのない深みより寄せ来る波が
                    再び元へ戻るとき、
                 潮は満ちて音も泡もなく
                    眠るような動きであってほしい。

                 黄昏と晩鐘の響き
                    その後は暗い闇 !
                 わたしが船出するとき
                    別れの悲しみのないように。

                 時と処の境を超えて
                    流れがわたしを彼方へ運ぼうとも
                 わたしが砂州を越えるとき
                    案内人に顔を合わせたい。
                                     [翻訳:Tad]

●では全員に声がかけられるのか。かけられる。次である。

塚本訳 ヨハ 5:28-29
5:28 あなた達は(子が裁くという)このことを驚くに及ばない。
時が来ると、墓の中にいる者が皆子(たるわたし)の声を聞いて、
5:29 (墓から)出てくるからである。すなわち、善いことをした者は(永遠の)命にはいるために復活し、悪いことをした者は(死の)罰を受けるために復活する。


●では信じなかった人はその時裁かれるのか。
●生きているうちに福音を信じられなかった人もその時に信じるラストチャンスがある。次である。

塚本訳 マタ 22:9-13
22:9 だから町の出口の所に行って、出会った者をだれでもよいから宴会に呼んでこい。』
22:10 家来たちは道に出ていって、出会った者を悪人でも善人でも皆集めてきたので、宴会場は客で一ぱいになった。
22:11 王は客を見ようとして入ってきたが、そこに礼服を着けていない者が一人いるのを見て
22:12 その人に言った、『君、礼服も着ずに、なんでここに入ってきたのか。』その人が黙っていると、
22:13 王は家来たちに言った、『あの者の手足を縛って、外の真暗闇に放り出せ。そこでわめき、歯ぎしりするであろう。』

塚本訳 ヨハ 12:46-47
12:46 わたしが光として世に来たのは、わたしを信ずる者はだれも、暗闇の中に留っていないようにするためである。
12:47 しかしわたしの言葉を聞いて守らぬものがあっても、わたしはその人を罰しない。なぜなら、わたしは世を罰するために来たのでなく、世を救うために来たのだから。

●最後の日は全員が救われえる。万物が復興する。これは信仰である。希望である。
●次のようにパウロは言う。
 
塚本訳 ロマ 8:20-22
8:20 なぜであるか。創造物は自分から(今のような)はかない運命に屈伏したのでなく、それは屈伏させたお方([神]の御心)によるからである。(彼らはアダムの罪の責任を負わされたのである。)しかし(この屈伏には)望みがある。
8:21
創造物自身も、滅亡の奴隷になっている(現在の)状態から自由にされて、神の子供たちがうける栄光と自由とにあずかるのだから。
8:22 わたし達が知っているように、全創造物は(かの日から)今まで、一しょになって呻き、一しょになって産みの苦しみをしている。(父なる神がこの  呻きに耳を傾けられないことがあろうか。)

●塚本訳の「創造物」は「被造物」(新共同)
●サタンも被造物のうちだから。最後はサタンも救われる。サタンの毒矢に殺(や)られて堕落してしまった人間も救われる。そう信ずる。信じ込む。パウロと共に信じ込む。
●彼らは苦しみ呻いている。



塚本訳 ロマ 8:23-25
8:23 しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証拠として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである。
8:24 なぜなら、わたし達は(最後の日に救いが完成されるという)望みをもって、救われているからである。目に見ることのできる望みは望みではない。人はいま現に見ているものを、なんでその上望む必要があろうか。
8:25 しかしわたし達が見ていないものを望むとすれば、忍耐をもって待たねばならない。


●信者は最後の万物の復興を固く信じて、呻きながら十字架を負って歩もう!

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朝の黙想 終わり

●9:00 池谷医院。採血
●妻は中野の愛子の家に手伝い
●TSK日本語版ヨシュア記16章入力アップ
●エリアカザン監督の名作「草原の輝き」をDVDで100円で借りてきて鑑賞。
●ワーズワースの詩が2度朗読される。

     草原の輝き 花の栄光
     再びそれは還(かえ)らずとも
     なげくなかれ
     その奥に秘められたる力を見い出すべし

●主演のナタリーウッドが別れた元恋人の子供を抱き上げて「可愛いわねー」という場面に涙を誘われる。
●私は「悲恋物語り」大好き。オイオイ泣く。
●しかし悲恋失恋はワーズワースの言うように「その奥に秘められたる力」を見出すのだ。
●このワーズワースの詩は次の聖書の言葉と関係している。

   文語訳 Ⅰペテ1:24-25
   1:24 『人はみな草のごとく、その光榮はみな草の花の如し、草は枯れ、花は落つ。
   1:25 されど主の御言は永遠に保つなり』、汝らに宣傅へたる福音の言は即ちこれなり。
 

●今井館元理事長の津上毅一氏が100歳で召されたというお知らせ。私は25年間の理事在任中に建築を初め様々なことでお世話になった。影響を受けた。晩年には特に「藤林益三」の本の作成に精力を注がれた。28日13:00から今井館で告別式。私は都合が悪いので妻が出席。
●春風学寮の増築建築図面作成。設計図作成は時間がかかる。これで無教会関係の建築は29棟目。












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イエスの復活は永遠の命の実在証明 ++++++++ 所感

2013/03/25 06:04

130325(月)4時目覚め●朝の啓示「イエスの復活は永遠の命の実在証明・・・その衝撃と喜びの爆発」●小学生の孫娘が「ワタシ、コクられたことがある」と言ったので「コクられるぃてナニ」と聞くと、「男の子に告白された」ということだという。親に似たのか祖父母に似たのかわからないがマセている。●「告白」というのは心の中のことを見えるか形、聞こえる声で表に表す子rとである。●イエスの十字架と復活は神が人類に「罪の赦しによる「永遠の命」があることをコクったことである。神の見えない心を見える形にさせたことだ。

塚本訳 ピリ 2:6-9
2:6 彼は(先には)神の姿であり給うたが、神と等しくあることを棄て難いことと思わず、
2:7 かえって自分を空しうして人と同じ形になり、奴隷の姿を取り給うたのである。そして人の様で現れた彼は、
2:8 自ら謙り、死に至るまで、(然り、)十字架の死に至るまで(父なる神に)従順であり給うた。
2:9 それ故に神も彼を至高く上げ、凡ての名に優る(「主」なる)名を与え給うた。

●これはパウロの言葉ではない。最も古い初代教会の詠み人知らずの「信仰告白」である。
讃美歌である。パウロはこれをピリピ人への手紙に伝承した。
●幸いなるかなこの「詠み人知らず」の讃美歌の作者。それを生み出した集会。
●幸いなるかなこの手紙を受け取ったピリピ人。
●この僅か4節に全聖書の真理が凝縮されている。大神学書の全部が入っている。いわゆる「教義学」はこの展開である。


塚本訳 ヘブ 11:3
11:3 (まず、)
信仰によって、わたし達はこの世界が神の言葉で造られたことを知る。すなわち、見えるものは、現われぬものからできているのである。

●神の見えない性質は信仰によって「知る」。NHKやマスコミで報道できない。
●ここがキリスト教の難しいところ。キリスト教は「啓示宗教」
●哲学者の故量義治氏は「中村元氏の仏教書はつまらない。なぜならあれは哲学だから。第一に本人が信じていないのだ」と語られたことがある。
●キリスト教は啓示である。生ける命の輝きの光である。

塚本訳 Ⅰコリ15:3-5
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、
御自分を現わされたことである。

●これも最古の伝承である。パウロの信仰はここに土台がある。
●パウロは天からの光という復活のイエスの声によりで覚醒したが、復活は「エルサレム集会から受けついだ」ものだという歴史的伝承に「理性の安息」を根拠にしている。キリスト教は仏教のような「悟り」ではない。哲学や思想では」ない。
●イエスの復活が啓示である理由は復活顕現(神学用語)がイエスの方から「声がかかる」ことである。それは次のように多様である。顕現の順序に掲げてみよう。

塚本訳 マタ 28:9
28:9 するとイエスがぱったり彼らに出合って、「お早う」と言われた。女たちは進み寄り、その足を抱いておがんだ。


塚本訳 ヨハ 20:16
20:16 (こう言って、また墓の方を向いていると、)イエスが「マリヤ!」と言われる。マリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う。(そしてイエスに抱きつこうとした。)


塚本訳 ヨハ 20:19
20:19 その日すなわち週の初めの日の晩であった。ユダヤ人を恐れて、弟子たちのおる部屋の戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスが(どこからともなく)はいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた。


塚本訳 ヨハ 20:27
20:27 それから(すぐ)トマスに言われる、「指をここに持ってきて、わたしの手(の釘の跡)をよく見てごらん。手を持ってきて、わたしの脇腹に差し込んでみなさい。不信仰をやめて、信ずる者らしくしなさい。」

塚本訳 ヨハ 21:5
21:5 イエスが彼らに言われる、「子どもたち、何も肴があるまい。」「ありません」と彼らが答えた。

塚本訳 ルカ 24:17
24:17 二人に言われた、「歩きながら何をそんなに論じ合っているのです。」暗い顔をして二人は立ち止まり、

●これらは皆鼓膜の震動え聞こえたものである。物理現象である。
●復活のイエスの現れ方は多様である。神は「48手」を使う。マリヤ型、トマス型、嘆き人型、
●多くの場合、悲しみに沈んでいるときに現れるのが共通である。これ現代も同じ。
●イエスの有体的復活に接した人たちに共通なのは「衝撃と喜びの爆発」である。次の諸例である。

塚本訳 マタ 28:9
28:9 するとイエスがぱったり彼らに出合って、「お早う」と言われた。女たちは進み寄り、その足を抱いておがんだ

塚本訳 ヨハ 20:16
20:16 (こう言って、また墓の方を向いていると、)イエスが「マリヤ!」と言われる。マリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う
。(そしてイエスに抱きつこうとした。)

塚本訳 ヨハ 20:19
20:19 その日すなわち週の初めの日の晩であった。ユダヤ人を恐れて、弟子たちのおる部屋の戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスが(どこからともなく)はいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた

塚本訳 ヨハ 20:27
20:27 それから(すぐ)トマスに言われる
、「指をここに持ってきて、わたしの手(の釘の跡)をよく見てごらん。手を持ってきて、わたしの脇腹に差し込んでみなさい。不信仰をやめて、信ずる者らしくしなさい。」

塚本訳 ヨハ 21:5
21:5 イエスが彼らに言われる、子どもたち、何も肴があるまい。」「ありません」と彼らが答えた。

塚本訳 ルカ 24:17
24:17 二人に言われた、「歩きながら何をそんなに論じ合っているのです。」暗い顔をして二人は立ち止まり、

塚本訳 マタ 28:9
28:9 するとイエスがぱったり彼らに出合って、「お早う」と言われた。女たちは進み寄り、
その足を抱いておがんだ。

塚本訳 ヨハ 20:20
20:20 そしてそう言いながら、手と脇腹とをお見せになった。弟子たちは
主を見て喜んだ。

塚本訳 ヨハ 20:28
20:28 トマスがイエスに答えて言った
、「わたしの主よ!わたしの神よ!」

塚本訳 ヨハ 21:6-7
21:6 イエスが言われた、「舟の右側に網を打って御覧、獲物があるから。」網を打つと、(はたして捕れた)魚が多く、もはや網を引き上げることが出来なかった。
21:7 するとイエスの愛しておられた弟子が気づいて、
ペテロに「主だ!」と言う。主だと聞くと、シモン・ペトロは裸だったので(急いで)上っ張をひっかけ、湖に飛び込んだ。

●次に鼓膜の震動ではなく「胸の震動」の例を見てみよう。これはパウロ型である。またパウロよりずっと「月足らず」の現代の我々の「型」でもある。次である。

塚本訳 使 22:6-9
22:6 ところが進んでいってダマスコに近づくと、昼ごろ、突然、天から強い光がさしてわたしのまわりに輝いた。
22:7 わたしは地べたに倒れて、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と言う声を聞いた。
22:8 わたしは答えた、『主よ、あなたはどなたですか。』わたしに言われた、『わたしだ、君が迫害しているナザレ人イエスだ。』
22:9
連れの者たちは光は見えたが、わたしにお話になる方の声は聞こえなかった。

●パウロの場合は鼓膜の震動ではなく、胸の中の震動であった。9節に「連れの者」には聞こえなかった」とあるからである。

塚本訳 ルカ 24:32
24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。

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           レンブラント「エマオのキリスト」1628年
       パリ・ジャックマールアンドレ美術館蔵



塚本訳 Ⅰペテ1:8
1:8 君達は彼を(目のあたり)見たことはないが、(これを)愛し、今も見ることは出来ないが、(これを)信じて、(既にかの日の)輝きに満ちた、言語に絶する喜悦を喜んでいる。

●2000年後の我々信者も「心が震える」のである。「胸が熱くなるのである。これは周囲のものにはわからないことなのだ。だから信者はこの世では理解されないのである。
●それが次である。
●現代のわれわれは有体的復活を目の当たりに見ることはないが、心に啓示されて復活が本当であることを知る。
●「輝きに満ちた、言語に絶する喜悦」とは永遠の命の喜びである。この世の恋愛感情を絶する喜びである。恋愛よりも心がワクワクドキドキするものだ。恋愛は人間が相手だからそのワクワクドキドキは悩みと心の不自由になり、またすぐ冷める。

塚本訳 Ⅰコリ15:3
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、

●「(エルサレム集会から)受けついだのである」というのは、復活の信仰の歴史的根拠は伝承という歴史的連鎖による。
●これがエクレシアの本質である。
●このことをブルンナーは次のように言う。
「使徒たちはキリストの啓示の目撃者であり原証人である。教会は、この原始キリスト教的エクレシアと歴史的連続性にあるときにのみ使徒的である」「その連鎖は、イエスから原証人としての使徒たちを通り、この原証言の上に建てられた教会を通って彼にまで下ってくる」(教文館発行ブルンナー著作集第4巻、教義学Ⅲ.P160)
●私の生きがいと使命は、この歴史的連鎖の一環となることである。その連鎖として死ぬことだ。
●このエクレシアの本質的使命を逸脱する堕落した信者とエクレシアの姿は「多様」である。政治結社型、思想闘争型、マルキシズム型、人間崇拝型、ヒューマニズム型、お遊び(歌、バザー、ハイキング)型、カルチャーセンター型、ボランティア活動型。・・・しかしこれらの「型」を諌めたところで永遠の生命が生まれるわけではない。「ない袖は振れない」から批判すること自体が彼らと同一レベルに立っていることになる。無駄な批判。そんなことにかかわりあっているほど暇はない。残り時間がもったいない。
 
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朝の黙想 終わり







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信じ込めば誰でも救われる ++++++++ 所感

2013/03/24 07:01

 130324(日)4時45分起床●TSK日本語版ヨシュア記13章入力アップ●朝の黙想「サタンも救われる」●最後の日は万物が復興する。被造物はすべて復興する。人間は全員が清められる。証拠は?。イエスの有体的復活。神は裁くためにイエスをこの世に誕生させたのではなく信じない人をも救うためである。●サタンも被造物だから救われる。●信ずる者は救われ、信じない人は滅びることは聖書的には5分5分。だからこれは希望であり、信仰である。●しかし全人類が救われるということを神学にすると「死んだ信仰」になる。頭だけの「神学思想」になる●「信じ込めば人は誰でも救われる」予定外の人でも救われる。このことだけは聖書的根拠」を見てみよう。

塚本訳 マコ 9:20-26
9:20 人々がイエスの所につれて来ると、霊はイエスを見るや否や、その子をひどくひきつけさせたので、子は地に倒れ、泡をふきながらころげまわった。
9:21 イエスが父親に尋ねられた、「こうなってから、どのくらいになるか。」父親がこたえた、「子供の時からです。
9:22 霊はこの子を殺そうとして、幾たびか、火の中、水の中に投げ込みました。それでも、もしなんとかお出来になるなら、わたしども(親子)を不憫と思って、お助けください。」
9:23 イエスは言われた、「もしお出来になるなら(と言うの)か。信ずる者にはなんでも出来る。」
9:24 即座にその子供の父親が叫んだ、「信じます。不信仰をお助けください。」
9:25 イエスは群衆が駆けよってくるのを見ると、(急いで)汚れた霊を叱りつけて言われた、「唖と聾の霊、わたしが命令するのだ、この子から出てゆけ、二度と入るな!」
9:26 霊はどなって、はげしくひきつけさせて、出ていった。子は死んだようになったので、多くの人が、「死んだ」と言った。


塚本訳 マタ 15:25-28
15:25 するとその女が来て、しきりに願って言った、「主よ、お助けください。」
15:26 イエスは答えられた、「子供たちのパンを取り上げて、(異教の)小犬どもに投げてやるのはよろしくない。」
15:27 しかし女は言った、「主よ、是非どうぞ!小犬どもも、御主人の食卓から落ちるパン屑をいただくのですから。」
15:28 そこでイエスは答えられた、「ああ、女の人、りっぱな信仰だ。願いどおりに成れ。」すると、ちょうどその時から、娘は直った。

塚本訳 マコ 5:26-34
5:26 大勢の医者からひどい目にあわされて、財産を皆使いはたして、なんの甲斐もなくて、かえってますます悪くなって、
5:27 イエスのことを聞いて、群衆にまじってついて来た女が、後ろからその着物にさわった。
5:28 「お召物にでもさわれば、なおるにちがいない」と思ったのである。
5:29 はたしてすぐ血の源がかれて、病気が直ったのを身に感じた。
5:30 イエスは自分の中から力が出ていったのにすぐ気がついて、群衆の中で振り返ってたずねられた、「わたしの着物にさわったのはだれか。」
5:31 弟子たちが言った、「御覧のとおり群衆が押しまくっているのに、さわったのはだれか、とおしゃるのですか。」
5:32 イエスはこのことをした女を見つけようとして、(黙って)見まわしておられた。
5:33 女は自分(の身)におこったことを知っているので、恐ろしくなって震えながら、進み出てイエスの前にひれ伏し、すべてをありのままに話した。
5:34 イエスは言われた
、「娘よ、あなたの信仰がなおしたのだ。さよなら、『平安あれ。』もう病気をせず、達者でいなさい。」

●これらに共通のことは「なりふり構わずの必死の信仰」である。
●アノ人は、アノ家庭は救われるかどうか。「予定説神学」ではいけない。「からし種の信仰」でもいけない。「なりふり構わず」の頼み込み信仰が必要。
●「母」の祈りは聴かれると言われる。
●他人の信仰でよい。子供の伴侶の救いは周囲の人間の信仰でよい。次である。

塚本訳 マコ 2:1-5
2:1 数日の後、カペナウムにかえられると、家におられることがすぐ知れわたって、
2:2 もはや門口にも場所がないほど、大勢の人が集まってきた。この人たちに御言葉を語っておられると、
2:3 人々が一人の中風の者を、四人にかつがせてつれて来る。
2:4 群衆のためイエスのところにつれて行けないので、おいでになる所の(上の)屋根をはがして穴をあけ、中風の者を担架に寝かせたまま(イエスの前に)吊りおろす。
2:5
イエスはその人たちの信仰を見て(驚き)、中風の者に言われる、「子よ、いまあなたの罪は赦された。」

塚本訳 Ⅰコリ7:14
7:14 (夫婦は結婚生活で一体となるため、)不信者の夫は(信者の)妻によってすでにきよめられており、不信者の妻は兄弟(すなわち信者の夫)によってすでにきよめられているからである。そうでなければ、あなた達の子供は清くないはずであるが、現に彼らはきよい(と認められている)ではないか。

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朝の黙想おわり。
 
●10;00 集会は川上、高橋トミ子(ミナの譬)、横田(諸国へのキリスト教の流入)
●14:00 フォーレ「レクイエム」。(小津準策指揮フォーレを歌う会)。武蔵野市民文化会館。

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三鷹駅から武蔵野市民文化会館への歩道は桜が満開で素晴らしかった。


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武蔵野市民文化会館小ホールのパイプオルガンは素晴らしい。
フォーレの小品とレクイエムを鑑賞
帰途は妻の友人の小島さんがあきる野の家まで送ってくださった。
玉川上水に沿っている五日市街道は古いので風情があった。




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イエスの有体的復活。その衝撃と喜び ++++++++ 所感

2013/03/23 10:21

130323(土)3時目覚め●朝の啓示「イエスの有体的復活。その衝撃と喜び」●3月31日のイースターに話ス内容を固めた。●イントロダクションは次の通り。

東京聖書読者会、3月31日(復活祭)レジュメ冒頭
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イエスの有体的復活は永遠の命の実在証明
―― その史実としての衝撃と喜び ―― 

ヨハネ福音書16章16~22節

2013年3月31日 東京聖書読者会 高橋照男

塚本訳 Ⅰコリ15:3-5
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。
15:6 そのあと、一度に五百人以上の兄弟に御自分を現わされた。そのうちの多数の者はいまでも生きてい(て、わたしが嘘を言っていないことを証明してくれ)る。もっともすでに眠った者もあるにはある。
15:7 そのあと(御兄弟の)ヤコブに、それから使徒一同に、御自分を現わされた。
15:8 しかし一番最後には、さながら月足らずのようなわたしにも御自分を現わされた

塚本訳 使 22:6-8
22:6 ところが進んでいってダマスコに近づくと、昼ごろ、突然、天から強い光がさしてわたしのまわりに輝いた。
22:7 わたしは地べたに倒れて、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と言う声を聞いた。
22:8 わたしは答えた、『主よ、あなたはどなたですか。』わたしに言われた、『わたしだ、君が迫害しているナザレ人イエスだ。』

塚本訳 Ⅰコリ15:19-20
15:19 もしただこの生涯でキリストに望みをかけていただけ(で、来るべき世で満たされることがないの)なら、わたし達ほど同情すべき人間はない。
15:20 しかしながら今、キリストは死人の中から復活しておられる、眠った者の(復活の)最初として。

塚本訳 使 23:6
23:6 そのときパウロは(役人の)一派はサドカイ人、一派はパリサイ人であるのを見て取り、法院で叫んだ、「兄弟の方々、わたしはパリサイ人で、しかもパリサイ人の子です。いま死人の復活の希望のために裁判されているのです。(わたしは復活のキリストを見たと言いますから。)」

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東京聖書読者会、3月31日(復活祭)レジュメ冒頭 おわり

●有体的復活は人類の究極の悲願である「永遠の命」の実在証明である。
●神がそれを人間に証明する方法は各自様々、多様である。しかしそれに共通することはイエスの方から声をかける事と復活に接した人物達の「衝撃と喜び」である。
●時間的順序を追って見てみよう

塚本訳 マタ 28:8-10

28:8 女たちは恐ろしいが、また嬉しくてたまらず、(中には入らずに)急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走っていった

28:9 するとイエスがぱったり彼らに出合って、「お早う」と言われた。女たちは進み寄り、その足を抱いておがんだ。

塚本訳 ヨハ 20:3-9

20:3 そこでペテロはもう一人の弟子と飛び出して、墓へと急いだ。

20:4 二人とも(始めのほどは)一しょに走っていたが、もう一人の弟子の方が(年が若かったので、)ペテロより早く走っていって、先に墓に着いた。

20:5 身をかがめると、(墓の中に)亜麻布があるのが見えたが、それでも中には入らなかった。

20:6 続いてシモン・ペテロも来た。彼は墓に入り、亜麻布が(そのままそこに)あるのを見た。

20:7 また頭をつつんだ手拭は亜麻布と一しょになく、これだけ別の所に、包んだまま(の形)になっていた。

20:8 すると先に墓に着いたもう一人の弟子も入ってきて、見て、信じた。

20:9 イエスは死人の中から復活されねばならないという聖書の言葉が、(この時まで)まだ彼らにわかっていなかったのである。

塚本訳 ヨハ 20:16-18
20:16 (こう言って、また墓の方を向いていると、)イエスが「マリヤ!」と言われる。マリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う。(そしてイエスに抱きつこうとした。)
20:17 イエスが言われる、「わたしにすがりつくな。まだ父上の所に上っていないのだから。わたしの兄弟たち(弟子たち)の所に行って、『わたしは、わたしの父上、すなわちあなた達の父上、わたしの神、すなわちあなた達の神の所に上る』と言いなさい。」
20:18 マグダラのマリヤは行って弟子たちに、「わたしは主にお目にかかった」、また、主がこのことを彼女に言われた、と報告した。 

塚本訳 ヨハ 20:19-20

20:19 その日すなわち週の初めの日の晩であった。ユダヤ人を恐れて、弟子たちのおる部屋の戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスが(どこからともなく)はいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた

20:20 そしてそう言いながら、手と脇腹とをお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ

塚本訳 ヨハ 20:26-28

20:26 八日ののち、弟子たちはまた家の中に(集まって)いた。今度はトマスも一しょであった。戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスがはいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた。

20:27 それから(すぐ)トマスに言われる、「指をここに持ってきて、わたしの手(の釘の跡)をよく見てごらん。手を持ってきて、わたしの脇腹に差し込んでみなさい。不信仰をやめて、信ずる者らしくしなさい。」

20:28 トマスがイエスに答えて言った、「わたしの主よ!わたしの神よ!」


塚本訳 ヨハ 21:3-7

21:3 シモン・ペテロが「わたしは漁にゆく」と言うと、「わたし達も一しょに行く」と彼らが言う。みんなが出ていって舟に乗った。しかしその晩は何も捕れなかった

21:4 もう夜も明けたころに、イエスが(どこからともなく)岸に出てこられた。それでも、弟子たちはイエスだと気づかなかった。

21:5 イエスが彼らに言われる、「子どもたち、何も肴があるまい。」「ありません」と彼らが答えた。

21:6 イエスが言われた、「舟の右側に網を打って御覧、獲物があるから。」網を打つと、(はたして捕れた)魚が多く、もはや網を引き上げることが出来なかった。
21:7 するとイエスの愛しておられた弟子が気づいて、ペテロに「主だ!」と言う。主だと聞くと、シモン・ペトロは裸だったので(急いで)上っ張をひっかけ、湖に飛び込んだ。

 

塚本訳 ルカ 24:30-34

24:30 一しょに食卓について、(いつものように)パンを(手に)取り、(神を)讃美したのち、裂いて渡されると、

24:31 (その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。

24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。24:33 時を移さず二人は立ち上がってエルサレムに引き返して見ると、十一人とその仲間とが集まっていて、24:34 ほんとうに主は復活して、シモン(・ペテロ)に御自分を現わされた」と話してくれた。

塚本訳 ルカ 24:13-17

24:13 するとちょうど同じ日に、二人の弟子がエルサレムから六十スタデオ[十一キロ半]離れたエマオという村へ歩いてゆきながら、

24:14 これらの出来事をあれやこれやと話し合っていた。

24:15 二人が(こうして)話したり議論したりしていると、(いつの間にか)御本人のイエスが近づいてきて、一しょに歩いておられたが、

24:16 二人は目をくらまされていたので、それと気がつかなかった。

24:17 二人に言われた、「歩きながら何をそんなに論じ合っているのです。」暗い顔をして二人は立ち止まり、 
 

 使  26:14-16

26:14 わたし達が皆地上に倒れると、ヘブライ語で、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。刺の棒は蹴っても無駄だ』とわたしに言う声を聞きました。

26:15 わたしは言った、『主よ、あなたはどなたですか。』主が言われた、『わたしだ、君が迫害しているイエスだ。

26:16 さあ、起きて、『自分の足で立て。』わたしが(今)現われたのは、君を選んで、わたしを見たことと、(今からも)君に現われて示すこととの証人として、わたしに仕えさせるためである。

ルカ 24:50-53

24:50 それから、彼らを(オリブ山の頂上の)ベタニヤ道のところまでつれてゆき、手を挙げて祝福された。

24:51 そして祝福しながら、(天へと)はなれてゆかれた。

24:52 彼らは大喜びでエルサレムに帰り、

24:53 いつも宮にいて、神をほめたたえていた。

塚本訳 使  1:14

1:14 この人々は皆、女たち、とりわけイエスの母マリヤや、イエスの兄弟たちと、心を一つにして祈りに余念がなかった。

塚本訳 使  2:46

2:46 また毎日、心を一つにして(熱心に)宮に詣で、家々で(一緒に)パンを裂き、喜びと純な心とで食事をして、



●そして感話の結論として次のことを言う。

塚本訳 Ⅰペテ1:8

1:8 君達は彼を(目のあたり)見たことはないが、(これを)愛し、今も見ることは出来ないが、(これを)信じて、(既にかの日の)輝きに満ちた、言語に絶する喜悦を喜んでいる

塚本訳 ロマ 8:1824-25

8:18 (しかもこの苦しみは恐れることはない。)なぜなら、わたしはこう考える。今の世の苦しみは、わたし達に現われようとしている栄光(──キリストと一しょに神の国の相続人になる最後の日の大いなる光栄──)にくらべれば、言うに足りない。

・・・・

8:24 なぜなら、わたし達は(最後の日に救いが完成されるという)望みをもって、救われているからである。目に見ることのできる望みは望みではない。人はいま現に見ているものを、なんでその上望む必要があろうか。

8:25 しかしわたし達が見ていないものを望むとすれば、忍耐をもって待たねばならない。


●午後は花見の散歩と音楽会

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  都立秋留台公園

純白の花。死ぬ時はキリストの血潮で
生涯の総ての罪を清められるのだ。

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 都立秋留台公園運動場

家族連れの花見客がいる。
桜は年に一回。家族連れも人生のわずかな期間だ。
私も桜を見られるのはあと何回か。
NO! 復活、永遠の命。きっと天国にも桜はあるのだ。

父の形見の旧讃美歌176番 1節

わがたましひの したひまつる
エスきみのうるはしさよ
峯のさくらか 谷のゆりか
なにになぞらへてうたはん
なやめるときの わがなぐさめ
さびしき日のわが友
きみはたにのゆり みねのさくら
現世(うつしよ)にたぐひもなし

●1992年に召された父は生涯病弱で悩んだ。
 母も家庭も悩んだ。
この讃美歌には赤線が何本も引いてある。
復活の体に病なし。

塚本訳 黙  22:2
22:2 都の大通りの真中と河の此方彼方に生命の樹があって、(一年に)十二度実を結ぶ、すなわち月毎に実が生るのである。
そしてその樹の葉は諸国の民(の凡ての病と傷と)を医す

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我が家の「こぶし」も白く美しく咲いた。

私達夫婦と子供達の家庭に神の祝福が豊かにありますように。
私達の親戚の上に神の祝福がありますように。
 すべての人が清められますように。復活できますように。

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キララホールであきる野市立西中学校の吹奏楽定期演奏会。
三男の恵はこの吹奏楽部でトランペットをやっていた。
チャイコフスキーの「アンダンテカンタービレ」が
演奏された時、私は急に故郷浦和の中学の青春の思い出に浸った。
私はクラリネットをやっていたのだ。

はるか青春の輝き。

音楽や信仰などに触れるのは中学や高校時代がよいと思う。

●13:30 妻は合唱団「もくせい」の練習。ヴィヴァルディ「グローリヤ」。






 




 


  
 

 


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信仰は一人一代、しかし永遠の命 ++++++++ 所感

2013/03/22 07:00

130322(金)3時目覚め。床の中で黙想「信仰は一人一代、しかし永遠の命」。●これプロテスタンティズムの究極の真理。●思い浮かんだままに聖句を掲げよう。

塚本訳 ヨハ 1:12-13
1:12 しかし受け入れた人々、すなわち、その名を(神の子であることを)信じた人には一人のこらず、神の子となる資格をお授けになった。
1:13 この人たちは、人間の血や、
肉の欲望や、男の欲望によらず、神(の力)によって生まれたのである。

●「肉の欲の欲望や男の欲望」は「自然の感情」。しかしそこに神の存在がないから「望まない子」が生まれて不幸が生じる。
●イマドキの若いモンが平気で「子供を作る」などと、工作をするような「不遜な思い」があるからイケナイ。子供は神から授かるもの、預かるものなのだ。

塚本訳 ルカ 2:13-14
2:13 するとたちまち、おびただしい天使の群がその天使のところにあらわれて、神を讃美して言った、──
2:14 いと高き所にては神に栄光、地上にては(いまや)平安、
御心にかなう人々にあり!

●「御心にかなう人」というのは少数。しかし時々出会う。「アーこの人は召された人だなー」と思う
●「平安・・・あり!」であって「あれ!」ではない。神の救いは神の絶対主権である。平和は人間の「平和運動によってはこない人間の平和思想の戦いでは到来しない。
●この信仰がないところキリスト教はヒューマニズムに堕落する。
●塚本グループは「何もしてない」などとみる人間は信仰が薄く、聖書の読みが浅い。かつ自分の活動を見せびらかしのために「右手のすることを左手に教える」。しかし献金の額はすくない。塚本グループが陰で拠出する金額は多いことを建築をやっている私は知っている。「右手のすることを左手に知らせてない」から「何もしていない」と見えてしまうのだ。
●清貧を重んじるカトリックの保有する財宝は莫大なものだと言われる。それは生活が質素だからだ。自然にお金が貯まるのだ。

塚本訳 ヨハ 3:4-8
3:4 ニコデモがイエスに言う、「(このように)年を取った者が、どうして生まれなおすことが出来ましょう。まさかもう一度母の胎内に入って、生まれなおすわけにゆかないではありませんか。」
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。
3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。
3:7 『あなた達は新しく生まれなおさねばならない』と言ったからとて、すこしも不思議がることはない。
3:8 風[プニューマ]は心のままに吹く。その音は聞えるが、どこから来てどこに行くか、あなたは知らない。霊[プニューマ]によって生れる者も皆、そのとおりである。」

●人間は二度生まれなければならない、初めは肉の誕生、第二は霊の誕生。第二の誕生無くして人間はただそれだけ。土のまま。

新共同 創  2:7
2:7 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、
その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。

●建築でも「生きた建築」があり音楽でも「生きた音楽」がある。同じく信仰にも「生きた信仰」がある。
●聖書学もイエスの実像に迫ろうとしているときは胸が高鳴る思いであったが、ついに大脳皮質ではイエスの本質に迫れず、Uターンして伝承史、解釈史、本文研究、文献批評になってからはつまらなくなった。なぜかその結論は「おそらく」とか「多分」え終わるからである。
●イエスの実像に迫ろうとするのはいわば「上り線」。そこからUターンした聖書学はいわば「下り線」である。聖書学者の仕事にはなるが、胸は高鳴らない。信仰が伝わらない。
●先生が聖書を読んだ感想を読んで感心している間は「生きた信仰」になならない。応用がきかないからだ。オリジナリティーがない。ローマ法王の言葉を絶対視するカトリックと同質である。

塚本訳 ルカ 20:34-36
20:34 イエスは言われた、「この世の人はめとり嫁ぐけれども、
20:35 あの世にはいる資格を与えられて、
死人の中から復活する者は、めとることもなく嫁ぐこともない。
20:36 復活によって生まれる彼らは、天使と同じであり、神の子であるので、もはや死ぬことが出来ない、(従って子を産む必要がない)からである。


●永遠の命の喜びを頂く時、説明のつかない喜びが与えられるので、子供ができなくても家庭が崩壊しても「短い人生」は感謝である。

塚本訳 ルカ 11:27-28
11:27 こう話しておられる時、群衆の中の一人の女が声を張り上げてイエスに言った、んと仕合わせでしょう、あなたを宿したお腹、あなたがすった乳房は!」
11:28 しかしイエスは言われた、
「いや、仕合わせなのは、神の言葉を聞いてそれを守る人たちである。」

●私の知人の素晴らしい女性が「母になってみたかった」と漏らされた。何とお慰めしてよいかわからない。しかしそれは言語の絶する「永遠の命」を頂いたときにのみ「涙が拭われる」のだ。これは永遠の命を頂いた人にのみわかる「深い喜び」なのだ。

口語訳 Ⅰペテ1:8-9
1:8 あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが、彼を愛している。現在、見てはいけないけれども、信じて、言葉につくせない、輝きにみちた喜にあふれている。
1:9 それは、信仰の結果なるたましいの救を得ているからである。

●人の旅行談、食べてきた食事、出会いの人物の話を聞くことはつまらない。
●永遠の命もこれを頂いた人にきりその喜びの絶大なことはわからない。
●聖地写真家の故善養寺康之氏はよく言ったものだ「行って見なきゃーわからない」と。
●同じく永遠の命の喜びも「頂いてみなきゃーわからない」。

塚本訳 ルカ 23:28-29
23:28 イエスは女たちの方に振り向いて言われた、「エルサレムの娘さんたち、わたしのためには泣いてくれなくともよろしい。それよりは自分のため、自分の子供のために泣きなさい。
23:29 いまに人々が、『石女と、(子を)産んだことのない胎と、飲ませたことのない乳房とが羨ましい』と言う(恐ろしい)日来るのだから。
 

●終末の地獄の様は「わが子を殺す」。実際にそれが行われたのは沖縄。
●ユダヤ戦争におけるマサダの要塞では仲間をお互いに殺した。
●そんな悲惨な目に遭うぐらいなら結婚して子供など産まれない方がよかったというのである。
●南海トラフに」よる大地震は8年以内にくるという。おそらく地獄絵図のようになるだろう。

塚本訳 Ⅰコリ7:25-28
7:25 また、(伝道する者を助けている)処女について(あなた達が書いて来ているが、これに)は、(離婚の場合のような)主の命令がわたしには(まだ)ない。しかし主の憐れみをうけて信頼されている者として、(わたし自身の)意見を述べる。
7:26 それで、わたしの考えでは、患難が目の前に迫っているのだから、これがよろしい、すなわち人は現状維持がよろしい
7:27 あなたはすでに妻に縛られているのか。解くことを求めるな。妻に結ばれていないのか。妻を求めるな。
7:28 しかしたといあなたが結婚したからとて、罪を犯したことにはならない。またたとえ処女が結婚しても、罪を犯したことにはならない。
しかしこんな人たちは、肉体に苦しみがあるにちがいない。わたしはあなた達をそんな目に合わせたくないのである。

●「結婚するな。子を持つな。」。これは終末の接近を感じたパウロの言葉。

塚本訳 ルカ 17:27-30
17:27 『ノアが箱船に入った』日まで、人々が飲んだり食ったり、嫁にやったり取ったりしていると、洪水が来て、一人のこらず滅ぼしてしまった。
17:28 ロトの時にも、ちょうど同じようなことがあった。人々が飲んだり食ったり、売ったり買ったり、植えたり建てたりしていると、
17:29 ロトがソドムから出た日に、『(神は)天から火と硫黄とを降らせて、『一人のこらず滅ぼしてしまわれた。
17:30 人の子があらわれる日にも同じことが起るであろう。

●これ現代の諸相。「婚活」がそれ。「結婚して肉の子を産むことがそんなに大切か!!」

塚本訳 マタ 12:46-49
12:46 イエスがまだ群衆に話しておられると、そこにその母と兄弟たちがイエスに話しがあって、外に立っていた。
12:47 〔無し〕
12:48 しかしイエスはそのことを知らせた者に、「わたしの母とはだれのことだ、わたしの兄弟とはだれのことだ」と答えて、
12:49 弟子たちの上に手をのばして言われた、「ここにいるのが、わたしの母、わたしの兄弟だ。

●これイエスの親不孝の親孝行。
●イエスが死んで復活して初めて母マリヤの「わが子」が神の子であったことがわかった。

塚本訳 テト 1:1
1:1 神の奴隷またイエス・キリストの使徒(なるわれ)パウロ(より、)共通の信仰によって(私の)実子(なる)テトスに手紙を遺る。──私が使徒とされたのは(凡て)神に選ばれた者の信仰(のため、)また敬虔なる真理の知識のためで、

●肉の子供や孫がいくら多く生まれてもそれはそれだけのことだ。
●パウロにとっての実子はテトス。それは信仰の子供。
●ここに伝道者の悲哀がある。塚本虎二先生の一人娘の故園子さんは、あるとき「お父様はわたしより療養所の娘の方が可愛いんだ」といって泣かれたことがあったそうだ。その時塚本先生は「愛の種類が違う」と言って慰められたそうだ。園子さんは関東大震災で実母に先立たれた。園子さんを慰められるのは神ご自身きりない。
●この私は9年前に信仰なくして召された実母から「照男君はわたしより、集会の人の方が大切なのだ」と言ったことがある。ナンノコレシキ「今にわかる。今にわかる。間もなくわかる」。
 
塚本訳 ガラ 4:28-29
4:28 兄弟たちよ、(今のエルサレムに属しない)あなた達は(、ハガルの子ではなくして、サラの子)イサクと同じく、約束の(言葉によって生まれた)子である。
4:29 しかしその時、
肉によって生まれた者(イシマエル)が御霊によって生まれた者(イサク)を迫害したように、今も同じである。(地上のエルサレムの子らが天のエルサレムの子らを迫害する。)

●霊に生まれた者は信仰なきものに迫害される。迫害する者は常に身近な人間だ。家庭内またエクレシア内。●イエスは側近のユダに裏切られた。理解されなかったからである。またペテロに対しても「悪魔!」と叫んだことがある。(マタ16:23)

塚本訳 ヘブ 11:24-25
11:24 信仰によって、『モーセは成長したとき』パロの王女の子と言われることを拒み
11:25 一時的の罪の享楽をするよりは、むしろ神の民と一しょに虐待されることを選んだ。
 
●自分の家系や人脈を鼻にかける愚かな信者がいるが、信仰のなんたるかをわかっちゃいない。
●「私は塚本先生の同労者であった人の息子の嫁です」と自慢する愚か者がいる。
●クリスチャンは肉の関係は意味がないのに、また嫁とか婿の立場もなおさら意味はない。
●信仰は一人一代であるのと同じく、集会エクレシアも一代と考えなければならない。なぜか。それは肉の集団であるから。
●特に正統信仰(処女降誕、有体的復活、再臨・・・これらは大脳皮質では絶対にわからない)を信じない人間が多くいる集団は継続してはならない。
●「集会が長く続きますように」という祈りがもし商売繁盛祈願のような「この世」な思いであったら必ず神に潰される。
●信仰は神により一人一代、一教派一教会、一神学一解釈。それでよい。それがよいのだ。神にのみ栄光あれ。
●昔影絵を見た。出征する兵士が母親に抱かれた子供の頭を撫ぜているものであった。あの家族のその後を私は知らない。
●私は死ぬとき、子供と孫の頭を撫ぜて死にたい。「神の祝福末永くあれ」と祈りつつ。

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朝の黙想おわり

●9:30 妻は中野の愛子の家に手伝いに行く
●TSK日本語版ヨシュア記7~10章をホームページにアップ
●略歴1013年3月までをホームページにアップ
●TSK日本語版ヨシュア記11章入力アップ
●13:00 昼食後、市内の花見に出かける。
 
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●春の音楽

ハイドンオラトリオ「四季」より「来よのどけき春」
ヨハンシュトラウス「春の声」

●来る3月31日の感話はちょうど「復活祭」なので
「イエスの有体的復活・・・その史実の喜び」にすることにした。
●復活のイエスの現れ方は様々。神はその人が信じやすいように48手を使う。
トマス、パウロ、エマオの二人、漁をしていた弟子、マグダラのマリヤ・・・・総てに共通なのは復活のイエスに出会った人に湧き起こる言語に絶する「喜び」。この史実なくしてキリスト教はない。
●死人が復活するなどとは人間の誰にも不思議でわかりにくいこと。聖書には復活が誰にも信じがたいことであったことも史実として書かれている。
●讃美歌155番の3節はアーメン、アーメン、アーメンである。

わがイェス君は 失(う)せしならで、
ありしさまにて よみがえりぬ
































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キリスト教がもたらしたホーム ++++++++ 所感

2013/03/21 06:00

130321(木)3時目覚め。寝床で内村鑑三の本を読む●「ホームの建設とキリスト教」(教文館版内村鑑三信仰著作全集20-20~26)●今日、日本の離婚率は3割ともいわれ、その陰で幼い子の心が傷ついている●これは日本伝来の儒教道徳では暖かい家庭が建設できないことの証明である。●内村は米国ニューイングランドのピューリタンの雰囲気の家庭を理想として次のように言う。「天よりの風が吹いて、その霊気に家族が触れてそこにホームが清められるのであります。」●これ至言である。家庭の建設は人間同士の関係秩序を重んじる儒教道徳では建設途中で瓦解する。水平の関係ではなく、内村が言う天からの霊気がなければ建設できない。長続きしない。●我が国にキリスト教がもたらした功績の中にこの「ホーム」の雰囲気がある。●かって建築の仕事で米国ポートランドに行ったことがある。一夜宿舎の裏手を散歩した。そこに見たのは家の明かりが表にあふれ出ている暖かそうな「ホーム」の匂いであった。そこには厳格な父とそれにおびえる子供の「秩序の平和」はなさそうであった。●日曜日には教会に行った。そこでは父親が息子の肩に手をまわして座っている光景を見た。ここに「良きアメリカ」の原点をみた。●内村の「ホームの建設とキリスト教」は大正12年YWCA(キリスト教女子青年会)での講和であって、世界的に優れた影響を与えた人物の背景にはキリスト信者の「母」がいたというものである。そして聖書の次を引用している。

塚本訳 Ⅱテモ1:5
1:5 (本当に)私は(君の純な信仰、)最初に君のお祖母さんロイスに、次にお母さんユニケに宿った、そして私の確信するところでは(今)君にも宿っている君の偽らない信仰を思い起こすのだ。


●テモテは一夜にして誕生しない。母の祈りが生んだ。
●こう考えるとイエスの母マリヤは偉かった。神の子イエスを育てた。
●またその父ヨセフは聖書に多くは出てこないが多分偉かったのだろう。神の子イエスをして「天の父よ」と祈らしめた。
神はお父さんのような方だと認識させた。
●集会の故H古田あやさんが初めてキリスト教の話を聞いた時、家に帰って尊敬する父親に言うに「お当様、キリスト教の神様というのはお父様のようなお方ですよ」。その古田さんは満鉄勤務のご主人に従って戦争中に満州に行かれる時、父親の机に聖書を一冊置いて出かけた。父親はその間に娘の置いていった聖書を読んで信仰を与えられて召された。古田さんは戦争が終わって帰国してからそのことを知った。 詳しいことは下記サイト。

故古田あや 告別の時
http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/bunshou/hurutaayakokubetu.htm

●これを聞いた私は思った。「親や子供にキリスト教を伝えようとするとき、『説教』してはいけない」ことを。クリスチャンである前にまず良い父母、良い子供でなければならないことを。これ自戒である。私は9年前の3月の今頃亡くなった母にかなり「説教」してしまった。母は「照男はいつも私に向かって説教する」と私の態度を涙ぐんでいたていたと亡くなったあとから娘に聞いた。最後の日、このダメな私は赦されるだろうか。

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朝の黙想終わり。

●パウロには姉と妹がいたことを知って驚いた。それは次である。

塚本訳 使  23:16
23:16 するとパウロの姉妹の息子がこのたくらみを聞きこみ、兵営に入ってパウロに報告した。

●するとこの人物は「甥」ではないか。
●パウロの姉妹とはいかなる人物であったかは聖書は沈黙。
●しかしここから「血を分けた同胞」の具体的な姿が見えた。次である。

塚本訳 ロマ 9:2-3
9:2 (わたしが急にこんなことを言い出したら信じてくれないかも知れないが、)わたしに大きな悲しみと、心に絶えざる痛みとがあるのである。
9:3 ほんとうに、兄弟すなわち血を分けた同胞の(救われる)ためならば、このわたしは呪われて、救世主(の救い)から離れ落ちてもよいと、幾たび(神に)願ったことであろう。

●パウロの言う「血を分けた同胞」とは全ユダヤ人などという高邁なことではなく、「自分の姉妹と甥のこと」ではないのか。個別に大真理が宿る。現場に神宿る。惨憺たる家庭に神が近づく。
●14:00 経堂の春風学寮に行って建築相談。難しい問題。千葉真理事長、森山浩二寮長と打ち合わせ。ロマ書13章に官憲のいうことは聞けとあるから言われるままにしようという方針を出し、その後三人で消防署へ。

塚本訳 ロマ 13:1-6
13:1 人は皆上に立つ(国家の)官憲に服従せねばならない。神からではない官憲はなく、現存の官憲は(ことごとく)神から任命されたものであるから。
13:2 従って官憲に反抗する者は、神の命令に違反する者である。違反する者は、自分で自分に(神の)裁きを招くであろう。(この世で罰を受けるばかりでなく、最後の日にも。)
13:3 役人が恐ろしいのは、善いことをする者でなく、悪いことをする者である。(だから)あなたは官憲を恐れたくなければ、善いことをせよ。そうすれば官憲から誉められる。
13:4 官憲はあなたの最善のためにつくす神の召使であるから。しかしもし悪事をすれば、恐れねばならない。見えのために剣をささげているのではないのだから。官憲は神の召使で、悪事を行う者に対して(神の)怒りをあらわす復讐者である。
13:5 だからかならず服従せねばならない。ただ怒りの(恐ろしさの)ためだけでなく、(それが信ずる者の義務であることを知っているあなた達は、自分の)良心のためにも。
13:6 それゆえに(同じ理由で、)あなた達は貢をも納めねばならない。官憲は神につかえる者であり、いま言った職務に全力をそそいでいるからである。

●6節の「貢をも納めねばならない」とは具体的にどういうことですか。と尋ねられたので「ごまかしなく」正しく届け出をすることだと言った。●実人生は最大の聖書勉強になる。
●19:00TSK日本語版がホームページにアップできなかったが、ノジマ遠隔サービスの緒方氏が、サービス範囲外で知恵を出してくれて治った。感謝。



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万物復興の希望を抱いて ++++++++ 所感

2013/03/20 06:06

13320(水・春分の日)。5時起床。暑さ寒さも彼岸まで。気分が良いので早朝散歩。●朝の黙想「万物うっこうの希望を抱いて」。●過日、キリスト教性教育研究会で杉のように発題したところ、

http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/130315.htm

これを聞かれたTAさんから次のようなうれしい応答を頂いた。

TAさんの応答
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「万物復興の希望をしっかりと胸に頂きつつ、自分の十字架を負って歩もう」と呼びかけて下さったことが心に残っています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
TAさんの応答引用 終わり

●ガッツポーズである。福音の伝承をする者はその応答から学ぶ。
●そうだ。新約聖書の書簡類はこの言葉に尽きるのだ。
●そして、発題の内容を1200字以内でまとめて欲しいという要望を頂いたので次のように要約した。


キリスト教性教育研究会発題内容の要約
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   楽園喪失から楽園回復への道

 ――「救いの道」を阻もうとするサタン――

 

①天地創造の原初の姿。アダムとエバの幸福

口語訳   2:22-23

2:22 主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。

2:23 そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、/わたしの肉の肉。男から取ったものだから、/これを女と名づけよう」。

 

②サタンの妬みによる楽園喪失。悩みと死の侵入、神の後悔

口語訳   3:22-23

3:22 主なる神は言われた、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」。

3:23 そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕させられた。

 

新共同   6:5-7

6:5 主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、

6:6 地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた

6:7 主は言われた。「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する。

 

③神の子キリストによる贖罪の道。それを阻もうとするサタン

塚本訳 マタ 16:23

16:23 イエスは振り返って、ペテロに言われた、「引っ込んでろ、悪魔、この邪魔者!お前は神様のことを考えずに、人間のことを考えている!

 

塚本訳 ヨハ 13:27

13:27 ユダがそのパンを受け取(って食べ)ると、その時、悪魔がユダに入った。そこでイエスがユダに言われる、「しようとしていることをさっさとしたがよかろう。」

 

④信者の十字架の生涯とサタンの妨害による試練

塚本訳 Ⅱコリ4:4

4:4 彼らの場合、この不信者たちの考えをこの世の神(である悪魔)が盲にして、神の影像である救世主の栄光をつげる福音の光を見ることができないようにしたのである。

 

塚本訳 ピリ 1:29

1:29 君達はキリストのために──ただ彼を信ずるばかりでなく、また彼のために苦しむことをも恵まれたからである

 

⑤終末と再臨待望。サタンの滅亡による万人救済。楽園回復

塚本訳   12:9

12:9 かくて(この)大きな竜は(天から)落とされた──(昔エバを惑わしたあの)旧い蛇、悪魔またサタンと呼ばれ、全世界を惑わす者は、地に(叩き)落とされた。その使い達もまた彼と共に落とされた。

 

口語訳   21:4

21:4 人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。

 

結論

―― 信者は万物復興の希望を抱いて十字架を負って歩もう――

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キリスト教性教育研究会発題内容の要約 終わり


●初代教会において福音はこれをわかった無名の人々が「運んだ」
●「初代教会において福音は福音それ自身の力で広まった」(ダイスマン?)というのは至言である。パウロのような大人物がいたからではない。
●ドイツに旅をしたとき、ルターの宗教改革は「神の義はその福音のうちに現れた」という真理それ自身の発見がドイツ全土に「燎原に火を放ったように」広まったことを実感した。
●そうだ。福音はその真理自身で広まるのだ。第二のルター、カルヴァン、内村鑑三、塚本虎二、黒崎幸吉、大牧師によって広まるのではない。「福音それ自身の真理」で広まるのだ。
●ところがそのエピゴ-ネン(「先人の行為の模倣者」)がいけない。福音それ自身がが次第に劣ってくる
●塚本虎二先生は「私の翻訳を学んでいてはいけない。私が聖書に向かうその姿勢に倣う者になってほしい」と語ったという。
●これ内村鑑三についても言える。内村鑑三の「思想」を振り回しても福音は霞むことがあっても真理の中核は伝わらない。神学を嫌った内村鑑三の「思想」を研究して神学博士になった米国人がいたり、内村の思想を研究して飯の種にする人物が出始めた。内村鑑三が天で泣いている。
●今日、大学生で「内村鑑三」を研究しているという人物は大体が「卒業論文」を書くため。
●過日、その類の人間の一人に「内村を飯の種にする」「就活の材料にするな」と直言した
●福音それ自身の真理とは「神・キリスト・聖霊による霊魂の救い」。これを逸脱して学問的用語にすると「三位一体」となる。これは大脳皮質の領域での営みなので急速に力を失って「喧嘩」(神学論争)になる。
●某神学校で、某教授が某教授を殴ったという。名誉のために名前は伏せる。さもあらん神学や福音を飯の種にしている人間だからこうなる。キリストが天で泣いている。
 





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泣くな。不条理の涙で「心の目」が明けられる ++++++++ 所感

2013/03/19 09:45

130319(火)6時起床●朝の黙想「泣くな。不条理の涙で『心の目』が開かれる。」●関連聖句を思いつくままに掲げる。

塚本訳 ヨハ 9:1-3
9:1 イエスは通りがかりに、生まれつきの盲人を見られた。
9:2 弟子たちが尋ねた、「先生、この人が盲で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか、両親ですか。
9:3 イエスは答えられた、「この人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。ただ神の御業がこの人に現われるためである

●「不条理」の不幸に遭遇すると人は99%その原因を追究する。犯人捜しをする。なぜか。二度とこういうことが起きないようにするためとの常識からである。科学技術の世界ではそれが改善への道である。
●ところが「不条理」はその原因がわかっても(親が悪い、教育が悪い・・・・)安心しない。目の前の破壊が修復しないからである。
●キリストは「原因を追究」しないで、その不条理を利用して「永遠の命」という大幸福に導かれる
●このヨハネ9章の盲人は肉の目が明けられたが、それ以上にキリストは神の子であるということが分かった。「心の目」が明けられたのである(9:38)。不条理が幸いした。肉の目がふさがれていたことが幸いした。

塚本訳 マタ 11:4-5
11:4 イエスは答えられた、「行って、(今ここで)聞いていること見ていることをヨハネに報告しなさい。
11:5 ──『盲人は見えるようになり、』足なえは歩きまわり、癩病人は清まり、聾は聞き、死人は生きかえり、『貧しい人は福音を聞かされている』と。

●イエスの地上での行動は霊の世界の象徴。霊の世界のことを肉眼で見える形にしてくれたこと。

塚本訳 ヨハ 9:4-7
9:4 わたし達はわたしを遣わされた方の御業を昼の間にせねばならない。(すぐ)夜が来る。するとだれも働けなくなる。
9:5 世におる間、わたしは世の光である。」
9:6 こう言って地に唾をはき、唾で泥をつくり、その泥を盲人の目に塗って、
9:7 言われた、「行って、シロアム池で洗いなさい。」(シロアムは訳すると「遣わされた者」。)そこで盲人は行って、洗って、見えるようになって、かえって行った。

●神は「人の子の姿」を取ってこの世に降られた。罪の赦しの十字架は「地上の言葉」「地上の概念」「見える形」で神が人間に語ってくれたもの。霊が降らなければその意味は通じない。

塚本訳 Ⅱコリ4:4
4:4 彼らの場合、この不信者たちの考えをこの世の神(である悪魔)が盲にして、神の影像である救世主の栄光をつげる福音の光を見ることができないようにしたのである

●地上のキリストは「神の影像」。しかし人間は悪魔に目つぶしを食らっていてそれが見えない。生まれつきの盲人である。誰が悪いというのではない。人間は生まれつき「心の目の盲人」なのだ。本当の創り主なる霊の神がわからないで生まれてくる。
●だからクリスチャンの親は子供からその真価を理解されない。子供は信者になって初めてクリスチャンの親の価値が見えてくる。それまでは何をやっても無理である。
●しかし「生きている間」に人生の不条理、不幸、涙を通して霊の目が明けられ、神を信ずるに至らしめられる。

塚本訳 Ⅰコリ2:9
2:9 しかし(聖書に)書いてあるとおり(に実現したの)である。『目も見ず耳も聞かず』、人の『心に起こらなかった』もの、『これを神は御自分を愛する者たちのために』用意された。

●救いは用意されている。「人の『心に起こらなかった』」ような〕絶大なる喜びが与えられる。
●出来上がった建物を見た建築主が「思いも浮かばなかったすばらしいものです」と喜んでくれるときが建築主として最高の喜びである。


塚本訳 エペ 1:18
1:18 また【君達の】心の目を明らかにして、神に召され(ることによって得)た希望の何であるか、『聖徒の受くる』光栄ある(天の)『相続財産』の富の何であるか、

●「心の目」が明けられること。これが人生の究極の目的である。
●これには人間の創りだすいかなる文化文明(医学、教育、経済、科学技術、芸術・・・)のなしえないことである。
●それは神にのみできることだ。このとき上記ヨハネ9:3の「神の御業」が現れるのだ。神の栄光が現れるのだ。
●心の目は眼科では明けられない。それは教会(伝道者)にのみできることなのだ。

塚本訳 ロマ 11:30-32
11:30 すなわち、かつては神に不従順であったあなた達が、今はこの人たちの不従順によって(神に)憐れみを施されたと同じに、
11:31 この人たちも今はあなた達の受ける憐れみに対して不従順になっているが、これは今(すぐにも)憐れみを施されるためである。
11:32 つまり
神はすべての人を不従順の中に閉じこめられたが、これはすべての人に憐れみを施すためであった。

●人間はなぜ神がわからない状態に生まれてきたのか。その謎を解く言葉はここにある。
●「絶対恩恵による無条件の罪の赦し」である。

塚本訳 ロマ 3:22
3:22 この神の義は、イエス・キリストを信ずる信仰(だけ)によって、これを信ずるすべての者にあたえられる。
(すべてというのは、そこに人間的の)なんの差別もないからである。

●信仰に学問教養は必要ではない。親の良し悪しは関係ない。育ちも躾も関係ない。


塚本訳 マタ 3:9
3:9 『われわれの先祖はアブラハムである(から大丈夫だ)』などと考えてはならない。わたしは言う、
神はそこらの石ころからでも、アブラハムの子供を造ることがお出来になるのだ。

●学歴や家柄や親兄弟や人脈を自慢したり鼻にかける人間は「今が落ち目」の人間に限ってそういうことに熱心である。学歴をちらつかせるな、家柄をちらつかせるな。
●神は学歴も家柄も「見られない」人を選んえクリスチャンにする。


塚本訳 ヨハ 3:3-8
3:3 イエスが答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、(徴を見て信じたのではいけない。)人は新しく生まれなおさなければ、神の国にはいることは出来ない。」
3:4 ニコデモがイエスに言う、「(このように)年を取った者が、どうして生まれなおすことが出来ましょう。まさかもう一度母の胎内に入って、生まれなおすわけにゆかないではありませんか。」
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。
3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。
3:7 『あなた達は新しく生まれなおさねばならない』と言ったからとて、すこしも不思議がることはない。
3:8 風[プニューマ]は心のままに吹く。その音は聞えるが、どこから来てどこに行くか、あなたは知らない。霊[プニューマ]によって生れる者も皆、そのとおりである。」

●クリスチャンは神の絶対主権で霊に生まれさせられる人間。
●罪だらけの絶体絶命の過去を持つ人間こそ救われやすい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想 終わり
 
●7:20 妻は友人のYさんKさんと日の出山から五日市駅に小登山とハイキング。









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「滅びゆく身内」の研究 ++++++++ 所感

2013/03/18 05:18

130318(月)4時45分目覚め、起床●朝の黙想「『滅びゆく身内』の研究」●聖書では信ずる者だけが救われ、信じない者は救われないということが5分5分である。どちらとも決しがたい。救いは「御心」次第である。3月12日ブログ参照。●パウロ自身は最後の日には万物は救われると信じている。それが次である。

塚本訳 ロマ 8:20-23
8:20 なぜであるか。創造物は自分から(今のような)はかない運命に屈伏したのでなく、それは屈伏させたお方([神]の御心)によるからである。(彼らはアダムの罪の責任を負わされたのである。)しかし(この屈伏には)望みがある。
8:21 創造物自身も、滅亡の奴隷になっている(現在の)状態から自由にされて、神の子供たちがうける栄光と自由とにあずかるのだから。
8:22 わたし達が知っているように、全創造物は(かの日から)今まで、一しょになって呻き、一しょになって産みの苦しみをしている。(父なる神がこの  呻きに耳を傾けられないことがあろうか。)
8:23 しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証拠として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである。

●ところが、同じパウロには「救われない身内」の考えがあった。それが次である。

塚本訳 ロマ 9:1-3
9:1 私はキリストにある者として本当のことを言う、嘘はつかない。わたしの良心も聖霊によって、(それが本当であることを)保証してくれる。
9:2 (わたしが急にこんなことを言い出したら信じてくれないかも知れないが、)わたしに大きな悲しみと、心に絶えざる痛みとがあるのである。
9:3 ほんとうに、兄弟すなわち血を分けた同胞の(救われる)ためならば、このわたしは呪われて、救世主(の救い)から離れ落ちてもよいと、幾たび(神に)願ったことであろう。

塚本訳 Ⅰコリ7:16
7:16 なぜか。
妻よ、夫を(信仰に導いて)救うことができるかどうか、どうしてわかるのか。また夫よ、妻を救うことができるかどうか、どうしてわかるのか。

●これは「身内を救いうるかどうかわからない」ということにもつながる。

●「全人類は救われる」と言ったパウロは罪の世の現実を見て急に気落ちしている。そのあまりにひどい惨憺たる現実の様を見てのことであろう。それは身内のことであり、エクレシアな部の事でもあろう。
●枯れ木は枯れ枝を切り落としてもよみがえらない。根が悪いからである。悪い行動を矯めてもよくはならない。「無い袖は振れない」。
●だから身内やエクレシアの「堕落」の行動に憤慨して批判注意しても根が悪いから木は生きない。生まれ変わらなければよくならないのだ。エクレシアの堕落とはあろうことか「遊び集団」「思想集団」になっていることであるのは常のことであるが、自分の腹(思想)という異なった神を拝んでいること。


塚本訳 ヨハ 3:3-6
3:3 イエスが答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、(徴を見て信じたのではいけない。)人は新しく生まれなおさなければ、神の国にはいることは出来ない。」
3:4 ニコデモがイエスに言う、「(このように)年を取った者が、どうして生まれなおすことが出来ましょう。まさかもう一度母の胎内に入って、生まれなおすわけにゆかないではありませんか。」
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。
3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。

これは「正統信仰」論争にも言える。迷走した信仰の持ち主、聖書から逸脱した話をする人間に向って「そんな話はやめてくれ」と思ってもその人に、「聖霊はくだらない」。「無い袖は振れない」。次の通りである。

塚本訳 マタ 15:12-14
15:12 あとで弟子たちが来てイエスに言う、「パリサイ人がお話を聞いて腹を立てたことを御存じですか。」
15:13 イエスは答えられた
、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜かれる。
15:14 あの人たちを放っておけ。盲人の手引をする盲人だ。盲人が盲人の手引をすれば、二人とも穴に落ちよう。」

●パウロには「滅びる者」という概念があった。その決定的なところは次である。

塚本訳 Ⅰコリ1:18
1:18 なぜか。この十字架についての言葉は、滅びゆく者には馬鹿なことであるが、わたし達救われる者には、神の力(の現われ)であるから。

塚本訳 Ⅱコリ2:14-15
2:14 しかし神に感謝せねばならない。神はいつでもわたし達をキリストによる凱旋行列に(虜として)引き回し、至る所でわたし達を通して御自分を知らせる知識の薫りをお広めになる。
2:15 というのは、わたし達は救われる者の間でも、滅びゆく者の間でも、神にささげられるためのキリストのよい薫である。

●そうだ、信者は「キリストによる凱旋行列」に引きずり回されるのがその生涯の姿なのだ。笑いものにさせられるのだ。

新共同 黙  18:24
18:24 預言者たちと聖なる者たちの血、/地上で殺されたすべての者の血が、/この都で流されたからである。」

●この苦難の生涯と涙と血に意味があるのだ。死は罪を清めるのだ。身内の罪を清めるのだ。
●「滅びる者」という概念をTSKで見てみる。

*「滅び行く者には」

Acts 13:41

41『見よ、侮る者たちよ。驚け、そして滅び去れ。わたしは、あなたがたの時代に一つの事をする。それは、人がどんなに説明して聞かせても、/あなたがたのとうてい信じないような事なのであ/る』」。

2 Corinthians 2:15-16

15わたしたちは、救われる者にとっても滅びる者にとっても、神に対するキリストのかおりである。 16後者にとっては、死から死に至らせるかおりであり、前者にとっては、いのちからいのちに至らせるかおりである。いったい、このような任務に、だれが耐え得ようか。

2 Corinthians 4:3

3もしわたしたちの福音がおおわれているなら、滅びる者どもにとっておおわれているのである。

2 Thessalonians 2:10

10また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである。彼らが滅びるのは、自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれなかった報いである。

1 Corinthians 1:18

18十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。

2 Corinthians 4:3-4

3もしわたしたちの福音がおおわれているなら、滅びる者どもにとっておおわれているのである。 4彼らの場合、この世の神が不信の者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしているのである。

2 Thessalonians 2:10

10また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである。彼らが滅びるのは、自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれなかった報いである。

●今朝の黙想の最後は「三度の和音」で終わらないと終息しない。その決定的な言葉は次である。

塚本訳 ロマ 10:21
10:21 彼はまたイスラエル人について言っている、』(神は言われる、)「一日中、この不従順な反抗ばかりしている民に、わたしは手を伸べていた」(と。)』(だから彼らが信じないのは、頑なで自分の義を立てようとしたからであって、弁解の言葉はない。)


塚本訳 ロマ 11:30-32
11:30 すなわち、かつては神に不従順であったあなた達が、今はこの人たちの不従順によって(神に)憐れみを施されたと同じに、
11:31 この人たちも今はあなた達の受ける憐れみに対して不従順になっているが、これは今(すぐにも)憐れみを施されるためである。
11:32 つまり神はすべての人を不従順の中に閉じこめられたが、これはすべての人に憐れみを施すためであった。


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朝の黙想おわり

●ホームページへの「使徒伝承」と「TSK日本語版」のアップロードがうまくできなくなった。プロバイダーのアサヒネットに確かめたら、おそらくFC2ブログに問題があるのでは」ないかとのこと。FC2ブログに問い合わせ中。
●アップができないと私のライフワークが完成しない。なんとか修復の道が開かれますように
●妻は朝から中野の愛子の家に手伝い。夕方帰宅。
●夜はフィギュアスケート「エキジビション」を見る。点数が関係ないので気楽に見ることができる。
●子供からの贈り物、感謝。神も人間が礼拝して捧げものをする行為を喜ばれるのはこのことだ。
●しかし神が一番喜ばれるのは次である。

塚本訳 ロマ 12:1
12:1 (このように、神は偉大な計画によって人類を一人のこらず救おうとしておられるのであって、救いは確かである。)だから、兄弟たちよ、わたしは神のこの慈悲を指してあなた達に勧める。あなた達の体を(感謝のしるしとして神に)捧げよ。この生きた聖なる犠牲こそ、神のお気に入るものであり、(霊なる神を拝むにふさわしい、)あなた達の霊的な礼拝である。(あなた達の礼拝は動物を供えるような不合理なものでなく、全心全霊をささげる合理的な礼拝でなければならならない)

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マリヤはよい方を選んだ ++++++++ 所感

2013/03/17 06:28

130317(日)4時45分起床●朝の黙想「マリヤは良い方を選んだ」●信仰か行為か。これ常にキリスト信者の内紛である。しかしイエスは言う。

塚本訳 ルカ 10:42
10:42 無くてならないものはただ一つである。マリヤは善い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」

●「無くてならないもの」とは「主のさとし」を求めることである。自分の腹(思想)を神とする行為主義者にならってはならない。●ただひたすら神のさとしを求めるべきである。つまり行為主義者でなく信仰主義者であるべきなのだ。●これは行動問題でなく、信仰問題、罪の問題である●関連聖句を掲げてみよう。 
 

詩    16: 7 [口語

わたしにさとしをさずけられる主をほめまつる。夜はまた、わたしの心がわたしを教える。

詩    19: 8 [口語

主のさとしは正しくて、心を喜ばせ、主の戒めはまじりなくて、眼を明らかにする。

詩    119: 159 [口語

わたしがいかにあなたのさとしを/愛するかをお察しください。主よ、あなたのいつくしみにしたがって、わたしを生かしてください。

イザ   8: 11 [口語

主は強いみ手をもって、わたしを捕え、わたしに語り、この民の道に歩まないように、さとして言われた、

●「権威」とみればすぐ「悪」と感じて反抗する人間は罪の子、悪魔の子、自分の腹(思想)を神とする愚か丸出しの人間で信仰者ではない。キリスト教はヒューマニズムではない。

塚本訳 ロマ 13:1-7
13:1 人は皆上に立つ(国家の)官憲に服従せねばならない。神からではない官憲はなく、現存の官憲は(ことごとく)神から任命されたものであるから。
13:2 従って官憲に反抗する者は、神の命令に違反する者である。違反する者は、自分で自分に(神の)裁きを招くであろう。(この世で罰を受けるばかりでなく、最後の日にも。)
13:3 役人が恐ろしいのは、善いことをする者でなく、悪いことをする者である。(だから)あなたは官憲を恐れたくなければ、善いことをせよ。そうすれば官憲から誉められる。
13:4 官憲はあなたの最善のためにつくす神の召使であるから。しかしもし悪事をすれば、恐れねばならない。見えのために剣をささげているのではないのだから。官憲は神の召使で、悪事を行う者に対して(神の)怒りをあらわす復讐者である。
13:5 だからかならず服従せねばならない。ただ怒りの(恐ろしさの)ためだけでなく、(それが信ずる者の義務であることを知っているあなた達は、自分の)良心のためにも。
13:6 それゆえに(同じ理由で、)あなた達は貢をも納めねばならない。官憲は神につかえる者であり、いま言った職務に全力をそそいでいるからである。
13:7 (彼らに対して、信ずる者には普通の人以上の、言わば借りがある。)すべての役人にこの借りを返しなさい。貢取りには貢を、官税取りには官税を、恐るべき者には恐れを、尊敬すべき者には尊敬を。

●これを読んで、「長い者には巻かれろはいけない」。「キリスト教は奴隷制度を助長した」などと考える人間は神の裁きを知らない人間。
●そういう人間は自らが神の裁きを招く(2節)
●この世でうまくいかないばかりでなく最後の日にも罰を受ける。(2節)。なぜか。「主のさとし」を求めないで他の神である「自分の腹(思想)」に仕えているからである。

塚本訳 ロマ  16: 18

こんな者はわたし達の主キリストの奴隷ではなくて、自分のお腹[下等な欲求]の奴隷であり、あまい言葉と諂(へつら)いとで無邪気な人たちの心を惑わすからである。

塚本訳 ピリ  3: 19

あの人達の最後は破滅、その神は自分の腹、その光栄(と考えているもの)は(実は)恥であって、あの人達は(ただ)地のこと(ばかり)に気を取られているのだ!

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朝の黙想終わり

●10:00妻と集会へ。茂木、丹野、山本(Ⅱコリ9章)

2013_03170002.jpg 

書道の静硯(せいけん)展(於・新宿)に行く。吉田妙子さんの作品が出展されていた。
「音楽を感じます」と感想を述べると「よく見てくれました」と褒められた。
左から吉田妙子、高橋トミ子、吉田さんの作品、高橋照男。









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幸福を失って泣く時に ++++++++ 所感

2013/03/16 06:06

130316(土)4時目覚め。黙想、5時起床。朝の黙想「幸福を失って泣く時に」●人生は苦楽の連続。人生はあざなえる縄のごとし。涙と喜びの連続。人生は涙の谷。

詩 119: 136 [口語

人々があなたのおきてを守らないので、わが目の涙は川のように流れます。/ツァデー

詩 126: 5 [口語

涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。

詩 126: 6 [口語

種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。

新改訳 詩  84:6
84:6 彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。


新共同 詩  84:7
84:7 嘆きの谷を通るときも、そこを泉とするでしょう。雨も降り、祝福で覆ってくれるでしょう。

●これは旧約の「涙」。
●新約に入るとその涙が喜びに代わる。真の幸福への「条件」となる。永遠の命への門となる。
●悲しみは覚醒。
●その真理の決定的な聖句はⅡコリ7:10で、私の若き日からの特愛の句である。
●今朝はこれを黙想しよう。
●まず翻訳比較。次に各国聖書引照から心に響くものをピックアップ。昔ギリシャ語今パソコン。 

拙HP http://www.bbbible.com/

岩波翻訳委員会訳1995

470710なぜならば、神〔の意志〕に沿った悲しみは悔い改めを造り出し、〔それは、〕後悔する必要のない救いへと至り、他方、この世界の悲しみは死をもたらすからである。

新共同訳1987

7:10 神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。

前田訳1978
7:10 神に従っての悲しみは悔い改めをさせて悔いのない救いを得させますが、この世の悲しみは死をもたらします

新改訳1970

7:10 神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。

塚本訳1963

7:10 なぜなら、神の御心に沿った悲しみは、(人を)救いに入れる悔いのない悔改めをもたらすけれども、この世(的)の悲しみは、(絶望と)死をもたらすからである。

口語訳1955

7:10 神のみこころに添うた悲しみは、悔いのない救を得させる悔改めに導き、この世の悲しみは死をきたらせる。

文語訳1917

"470710","それ神にしたがふ憂は、悔なきの救を得るの悔改を生じ、世の憂は死を生ず。"

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各国聖書引照編集

(英・米)THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE 1982 の引照

口語訳コリ2:4

2:4 わたしは大きな患難と心の憂いの中から、多くの涙をもってあなたがたに書きおくった。それは、あなたがたを悲しませるためではなく、あなたがたに対してあふれるばかりにいだいているわたしの愛を、知ってもらうためであった。

口語訳 ロマ 8:27

8:27 そして、人の心を探り知るかたは、御霊の思うところがなんであるかを知っておられる。なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。


(日)新共同訳1987の引照

新共同 Ⅱコリ2:3

2:3 あのようなことを書いたのは、そちらに行って、喜ばせてもらえるはずの人たちから悲しい思いをさせられたくなかったからです。わたしの喜びはあなたがたすべての喜びでもあると、あなたがた一同について確信しているからです。

新共同 Ⅱコリ7:7

7:7 テトスが来てくれたことによってだけではなく、彼があなたがたから受けた慰めによっても、そうしてくださったのです。つまり、あなたがたがわたしを慕い、わたしのために嘆き悲しみ、わたしに対して熱心であることを彼が伝えてくれたので、わたしはいっそう喜んだのです。

新共同 Ⅱコリ2:6

2:6 その人には、多数の者から受けたあの罰で十分です。

新共同 Ⅱコリ7:8

7:8 あの手紙によってあなたがたを悲しませたとしても、わたしは後悔しません。確かに、あの手紙が一時にもせよ、あなたがたを悲しませたことは知っています。たとえ後悔したとしても、

新共同 Ⅰコリ5:1-2

5:1 現に聞くところによると、あなたがたの間にみだらな行いがあり、しかもそれは、異邦人の間にもないほどのみだらな行いで、ある人が父の妻をわがものとしているとのことです。

5:2 それにもかかわらず、あなたがたは高ぶっているのか。むしろ悲しんで、こんなことをする者を自分たちの間から除外すべきではなかったのですか。

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次に200年の歴史のあるTSKから心に響くものをピックアップ。口語訳
 
拙HP http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/110910.htm

●Ⅱコリ7:10

7:10 神のみこころに添うた悲しみは、悔いのない救を得させる悔改めに導き、この世の悲しみは死をきたらせる。

*「神のみこころに添うた悲しみは、悔いのない救を得させる悔改めに導き、」

2 Samuel 12:13

13ダビデはナタンに言った、「わたしは主に罪をおかしました」。ナタンはダビデに言った、「主もまたあなたの罪を除かれました。あなたは死ぬことはないでしょう。

1 Kings 8:47-50

47もし彼らが捕われていった地で、みずから省みて悔い、自分を捕えていった者の地で、あなたに願い、『われわれは罪を犯しました、そむいて悪を行いました』と言い、 48自分を捕えていった敵の地で、心をつくし、精神をつくしてあなたに立ち返り、あなたが彼らの先祖に与えられた地、あなたが選ばれた町、わたしがあなたの名のために建てた宮の方に向かって、あなたに祈るならば、 49あなたのすみかである天で、彼らの祈と願いを聞いて、彼らを助け、 50あなたの民が、あなたに対して犯した罪と、あなたに対して行ったすべてのあやまちをゆるし、彼らを捕えていった者の前で、彼らにあわれみを得させ、その人々が彼らをあわれむようにしてください。

Job 33:27-28

27彼は人々の前に歌って言う、/『わたしは罪を犯し、正しい事を曲げた。しかしわたしに報復がなかった。 28彼はわたしの魂をあがなって、/墓に下らせられなかった。わたしの命は光を見ることができる』と。

Jeremiah 31:9

9彼らは泣き悲しんで帰ってくる。わたしは慰めながら彼らを導き帰る。彼らがつまずかないように、まっすぐな道により、水の流れのそばを通らせる。それは、わたしがイスラエルの父であり、エフライムはわたしの長子だからである。

Ezekiel 7:16

16そのうちの、のがれる者は谷間のはとのように山々に行って、おのおの皆その罪のために悲しむ。

2 Corinthians 12:21

21わたしが再びそちらに行った場合、わたしの神が、あなたがたの前でわたしに恥をかかせ、その上、多くの人が前に罪を犯していながら、その汚れと不品行と好色とを悔い改めていないので、わたしを悲しませることになりはすまいか。

Ezekiel 18:27-30

27しかし悪人がその行った悪を離れて、公道と正義とを行うならば、彼は自分の命を救うことができる。 28彼は省みて、その犯したすべてのとがを離れたのだから必ず生きる。死ぬことはない。 29しかしイスラエルの家は『主のおこないは正しくない』と言う。イスラエルの家よ、わたしのおこないは、はたして正しくないのか。正しくないのは、あなたがたのおこないではないか。 30それゆえ、イスラエルの家よ、わたしはあなたがたを、おのおのそのおこないに従ってさばくと、主なる神は言われる。悔い改めて、あなたがたのすべてのとがを離れよ。さもないと悪はあなたがたを滅ぼす。

Jonah 3:8

8人も獣も荒布をまとい、ひたすら神に呼ばわり、おのおのその悪い道およびその手にある強暴を離れよ。

Jonah 3:10

10神は彼らのなすところ、その悪い道を離れたのを見られ、彼らの上に下そうと言われた災を思いかえして、これをおやめになった。

Matthew 21:28-32

28あなたがたはどう思うか。ある人にふたりの子があったが、兄のところに行って言った、『子よ、きょう、ぶどう園へ行って働いてくれ』。 29すると彼は『おとうさん、参ります』と答えたが、行かなかった。 30また弟のところにきて同じように言った。彼は『いやです』と答えたが、あとから心を変えて、出かけた。 31このふたりのうち、どちらが父の望みどおりにしたのか」。彼らは言った、「あとの者です」。イエスは言われた、「よく聞きなさい。取税人や遊女は、あなたがたより先に神の国にはいる。 32というのは、ヨハネがあなたがたのところにきて、義の道を説いたのに、あなたがたは彼を信じなかった。ところが、取税人や遊女は彼を信じた。あなたがたはそれを見たのに、あとになっても、心をいれ変えて彼を信じようとしなかった。

Matthew 26:75

75ペテロは「鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われたイエスの言葉を思い出し、外に出て激しく泣いた。

Luke 15:10

10よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、神の御使たちの前でよろこびがあるであろう」。

Luke 18:13

13ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人のわたしをおゆるしください』と。

Acts 3:19

19だから、自分の罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて本心に立ちかえりなさい。

Acts 11:18

18人々はこれを聞いて黙ってしまった。それから神をさんびして、「それでは神は、異邦人にも命にいたる悔改めをお与えになったのだ」と言った。

2 Timothy 2:25-26

25反対する者を柔和な心で教え導くべきである。おそらく神は、彼らに悔改めの心を与えて、真理を知らせ、 26一度は悪魔に捕えられてその欲するままになっていても、目ざめて彼のわなからのがれさせて下さるであろう。

*「この世の悲しみは死をきたらせる。」

Genesis 4:13-15

13カインは主に言った、「わたしの罰は重くて負いきれません。 14あなたは、きょう、わたしを地のおもてから追放されました。わたしはあなたを離れて、地上の放浪者とならねばなりません。わたしを見付ける人はだれでもわたしを殺すでしょう」。 15主はカインに言われた、「いや、そうではない。だれでもカインを殺す者は七倍の復讐を受けるでしょう」。そして主はカインを見付ける者が、だれも彼を打ち殺すことのないように、彼に一つのしるしをつけられた。

Genesis 30:1

1ラケルは自分がヤコブに子を産まないのを知った時、姉をねたんでヤコブに言った、「わたしに子どもをください。さもないと、わたしは死にます」。

1 Samuel 30:6

6その時、ダビデはひじょうに悩んだ。それは民がみなおのおのそのむすこ娘のために心を痛めたため、ダビデを石で撃とうと言ったからである。しかしダビデはその神、主によって自分を力づけた。

2 Samuel 13:4

4彼はアムノンに言った、「王子よ、あなたは、どうして朝ごとに、そんなにやせ衰えるのですか。わたしに話さないのですか」。アムノンは彼に言った、「わたしは兄弟アブサロムの妹タマルを恋しているのです」。

2 Samuel 17:23

23アヒトペルは、自分の計りごとが行われないのを見て、ろばにくらを置き、立って自分の町に行き、その家に帰った。そして家の人に遺言してみずからくびれて死に、その父の墓に葬られた。

1 Kings 21:4

4アハブはエズレルびとナボテが言った言葉を聞いて、悲しみ、かつ怒って家にはいった。ナボテが「わたしは先祖の嗣業をあなたに譲りません」と言ったからである。アハブは床に伏し、顔をそむけて食事をしなかった。

Proverbs 15:13

13心に楽しみがあれば顔色も喜ばしい、心に憂いがあれば気はふさぐ。

Proverbs 15:15

15悩んでいる者の日々はことごとくつらく、心の楽しい人は常に宴会をもつ。

Proverbs 17:22

22心の楽しみは良い薬である、たましいの憂いは骨を枯らす。

Proverbs 18:14

14人の心は病苦をも忍ぶ、しかし心の痛むときは、だれがそれに耐えようか。

Jonah 4:9

9しかし神はヨナに言われた、「とうごまのためにあなたの怒るのはよくない」。ヨナは言った、「わたしは怒りのあまり狂い死にそうです」。

Matthew 27:4-5

4言った、「わたしは罪のない人の血を売るようなことをして、罪を犯しました」。しかし彼らは言った、「それは、われわれの知ったことか。自分で始末するがよい」。 5そこで、彼は銀貨を聖所に投げ込んで出て行き、首をつって死んだ。

Hebrews 12:17

17あなたがたの知っているように、彼はその後、祝福を受け継ごうと願ったけれども、捨てられてしまい、涙を流してそれを求めたが、悔改めの機会を得なかったのである。

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●朝の黙想おわり。
●キリスト到来により不幸による悲しみは喜びに変わった。
●悲しいときは泣けばよい。失せた望みのために一晩中泣けばよい。
●すると「永遠の命」の門が見えてくる。
●この世の不幸観は総て「比較」からくる。「不足感」からくる。
若くして亡くなった人は「平均寿命以下だからお気の毒に」と周囲が嘆く。
進学ができなかった人は学歴の不足感に嘆く。
結婚に失敗した人は家庭団らんをの不足を嘆く。
子宝に恵まれない人は子孫繁栄がないことに泣く。
●ナニ、これらは皆この世のこと、「肉」のことだ。本当の幸福は「永遠の命」だ。

塚本訳 ルカ 20:34-38
20:34 イエスは言われた、「この世の人はめとり嫁ぐけれども、
20:35 あの世にはいる資格を与えられて、死人の中から復活する者は、めとることもなく嫁ぐこともない。
20:36 復活によって生まれる彼らは、天使と同じであり、神の子であるので、もはや死ぬことが出来ない、(従って子を産む必要がない)からである。
20:37 死人が復活することは、(聖書にはっきり書いてある。)モーセも茨の薮の(燃える話の)ところで、主を『アブラハムの神、またイサクの神、またヤコブの神(である)と』と言ってこれを示している。
20:38 ところで神は死人の神ではなく、生きている者の神である。神に対しては、すべての者が生きているのだから。(してみるとアブラハム、イサクなども皆復活して、今生きているわけではないか。)」


●肉の健康、肉の財産、肉の子供がいくらあってもそれはそれだけのこと。
●過日、NHKTVで老後の問題をやっていたが、ある老人が「ゴルフがうまくなってもそれだけのこと、詩吟がうまくなってもそれだけのこと」と言っていた。つまりこの世のことは何が充実しても総て「空しい」ものなのだ。

口語訳 マタ 16:25-26
16:25 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。
16:26 たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。


新改訳 マタ 16:25-26
16:25 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。
16:26 人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。


新共同 マタ 16:25-26
16:25 自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。
16:26 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。


塚本訳 マタ 16:25-26
16:25 (十字架を避けてこの世の)命を救おうと思う者は(永遠の)命を失い、わたしのために(この世の)命を失う者は、(永遠の)命を得るのだから。
16:26 たとい全世界をもうけても、命を損するならば、その人は何を得するのだろう。それとも、人は(一度失った永遠の)命を受けもどす代価として、何か(神に)渡すことができるのだろうか。


文語訳 マタ 16:25-26
16:25 己が生命を救はんと思ふ者は、これを失ひ、我がために己が生命をうしなふ者は、之を得べし。
16:26 人、全世界を贏(まう)くとも、己が生命を損せば、何の益あらん、又その生命の代に何を與へんや。

●所要4件
●妻はコーラスの練習へ


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医学では手の及ばないこと ++++++++ 所感

2013/03/15 08:10

130315(金)6時起床●朝の黙想「医学では手の及ばないこと」●昨日の「キリスト教性教育研究会」においてこういう発言があった。「沖縄での経験。精神科の医師がある患者に『あなたの場合はキリスト教会に行ってください』と言った」●この発言は私にとってインスピレーションであった。なんでも人間の文化文明の力で解決できると思う風潮(戦後唯物教育の失敗)のなかで、この世には人知では及ばないことがあることを如実に知ったからである。以前、ある医師が「この患者には何か深い精神的悩みがある」と語った。(側聞)。これなどは肉の病の癒しでは直しきれないものがあることを物語っている。●上記沖縄での話は、それが精神科の医師の発言だからコトがクリヤーになる。●つまり、霊の病は人間の医学では直せないのだ。精神科の医師でも無理。●これに関連する聖書の箇所を思いつくまま掲げてみよう。

塚本訳 マコ 9:28-29
9:28 家にかえられると、弟子たちは人のいない時に尋ねた、「なぜわたし達には霊を追い出せなかったのでしょうか。」
9:29 彼らに言われた
、「この種類(の霊)は、祈り以外(の手段)では決して出てゆかせることは出来ない。」

●かって私に「お祈りなんて効き目がない。行動せよ」と無教養丸出しの暴言を吐いた人間がいた。彼のその後は「お祈り」しなければならない状態になった。これ神の罰ではなく覚醒の愛。
●この世の不幸は神による覚醒のための体罰。人間の体罰は怒りを抑えられないための行為だから人を救わない。覚醒させられない。神の体罰は愛がそのもとにあるから人を真の幸福なる永遠の命に導く。
●それにしても神の体罰はむごい。しかしそれで「永遠の命」に目覚めれば最高。成功の人生。
●某キリスト教学生寮の寮長が「たまには聖書の勉強をしなければならない」とこれまた暴言を吐いたという。世も終わりである。「裁きは神の家から始まる。(Ⅰペテ4:17)
●イエスは祈りが悪霊を追い出す唯一の手段だという。医学では手の及ばないということだ。
●道徳、倫理、教育、修養では人間はよくならない。

塚本訳 マコ 5:25-29
5:25 すると十二年も長血をわずらって、
5:26 大勢の医者からひどい目にあわされて、財産を皆使いはたして、なんの甲斐もなくて、かえってますます悪くなって、
5:27 イエスのことを聞いて、群衆にまじってついて来た女が、後ろからその着物にさわった。
5:28 「お召物にでもさわれば、なおるにちがいない」と思ったのである。
5:29 はたしてすぐ血の源がかれて、病気が直ったのを身に感じた。

●特に霊の病に関しては普通の医者では「なんの甲斐も」ない。

塚本訳 マコ 5:34
5:34 イエスは言われた、「娘よ、あなたの信仰がなおしたのだ。さよなら、『平安あれ。』もう病気をせず、達者でいなさい。」

●「信仰がなおした」というと科学万能の時代ではヘンテコナ話であるが、現実はそういうことがおこるのだ。
●韓国から流入した原理運動以来、大学では「聖書研究会」は認められないという。またオウム真理教以来、公的施設でも「聖書勉強会」という名称では借りられない。宗教ということに警戒心を持たれているのだ。
●しかし現実は、お祈りでなければ直らないことがあるのだ。そして「お祈り」で直るのだ。

塚本訳 ルカ 13:16
13:16 この女はアブラハムの末であるのに、十八年ものあいだ、悪魔が縛っていたのだ。安息の日だからとて、その(悪魔の)縄目から解いてはならなかったのか。」


塚本訳 マタ 12:28
12:28 しかし、もし(そうでなく、)わたしが神の霊で悪鬼を追い出しているのであったら、それこそ神の国はもうあなた達のところに来ているのである。

●新約聖書で「悪霊」は93回、「聖霊」の92回よりも多い。
●そして「悪霊」には「取りつかれている」とか「追い出す」いう言葉がくっついていることが多い。


塚本訳 マコ 16:9
16:9 【さて週の第一日の朝早く復活して、まずマグダラのマリヤに自分を現わされた。以前に七つの悪鬼を追い出していただいた女である。

●七つの悪鬼(悪霊)とは何か。
●神なき現代の病理には「依存症」が多い。すぐ七つあげられる。アルコール、ギャンブル、セックス、金、恋愛、風俗、新興宗教、・・・・これが国を滅ぼす。東日本大震災の禍以上である。
●受験地獄、就活地獄、婚活地獄、人格崩壊、家庭崩壊、子供の非行、・・・・これらもどうも悪霊の働きのように思われる。

塚本訳 ロマ 8:21-25
8:21 創造物自身も、滅亡の奴隷になっている(現在の)状態から自由にされて、神の子供たちがうける栄光と自由とにあずかるのだから。
8:22 わたし達が知っているように、全創造物は(かの日から)今まで、一しょになって呻き、一しょになって産みの苦しみをしている。(父なる神がこの  呻きに耳を傾けられないことがあろうか。)
8:23 しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証拠として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである。
8:24 なぜなら、わたし達は(最後の日に救いが完成されるという)望みをもって、救われているからである。目に見ることのできる望みは望みではない。人はいま現に見ているものを、なんでその上望む必要があろうか。
8:25 しかしわたし達が見ていないものを望むとすれば、
忍耐をもって待たねばならない。

●これパウロの苦汁の信仰。神による救い。終末における完成である。これパウロの望み。
●人間が全員悪魔に征服されているのは、すべての人が「絶対恩恵による無条件の救い」に預かるためである。主よ来りませ。
●24節。「望みによって救われている」。は新約聖書の書簡類の本質。励まし。

塚本訳 黙  5:5
5:5 すると(かの)長老の一人が私に言う、「泣くな。視よ、ユダ族の獅子、ダビデの根(である者)が(既に)勝った(から)、彼がその巻き物と七つの封印とを開く(ことが出来る。)」

塚本訳 黙  19:1
19:1 この後私は多くの群衆の大声のようなものを天に聞いた、曰く、ハレルヤ! 救いと栄光と権能とは我らの神のものである。


塚本訳 黙  21:1-4
21:1 また私は新しい天と新しい地とを見た。初めの天と初めの地とは消え去ったのである。最早海も無い。
21:2 また聖なる都新しいエルサレムが、夫のために飾った新婦のように身支度をして、天から、神(の御許)から降って来るのを私は見た。
21:3 そして私は玉座から大きな声が(出てこう)言うのを聞いた、「視よ、人と共に神の幕屋がある! 神が彼らと共に住み、彼らは神の民となり、神自ら彼らと共にいまして、
21:4 彼らの目から悉く涙を拭い取り給うであろう。最早死もなく、悲嘆も叫喚も疼痛も最早無いであろう。初めの(天と地にあった)ものが(すっかり)消え去ったからである。」

●新天新地の望みに生きる。ハレルヤ。
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朝の黙想 おわり



















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どうせ死ぬなら殉教死 ++++++++ 所感

2013/03/14 08:39

130314(木)5時目覚め起床●朝の啓示「どうせ死ぬなら殉教で」●この一度きりない人生、何に捧げて死ぬかが誰にとっても重要な課題●幸福を追求してこの世的満足のうちに大往生するのもよいが、それではおそらく真の満足はいかないであろう。●人生、この一身を何かに捧げて「花と散る」ことを目指すのがよい。血を流すのがよい。●今朝の黙想は次の箇所である。

口語訳 黙  7:14
7:14 わたしは彼に答えた、「わたしの主よ、それはあなたがご存じです」。すると、彼はわたしに言った、「彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである。

口語訳 黙  12:10-11
12:10 その時わたしは、大きな声が天でこう言うのを聞いた、「今や、われらの神の救と力と国と、神のキリストの権威とは、現れた。われらの兄弟らを訴える者、夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者は、投げ落された。
12:11
兄弟たちは、小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって、彼にうち勝ち、死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった。

口語訳 黙  19:1-2
19:1 この後、わたしは天の大群衆が大声で唱えるような声を聞いた、「ハレルヤ、救と栄光と力とは、われらの神のものであり、
19:2 そのさばきは、真実で正しい。神は、姦淫で地を汚した大淫婦をさばき、神の僕たちの血の報復を/彼女になさったからである」。

口語訳 ヘブ 9:22-23
9:22 こうして、ほとんどすべての物が、律法に従い、血によってきよめられのである。血を流すことなしには、罪のゆるしはあり得ない
9:23 このように、天にあるもののひな型は、これらのものできよめられる必要があるが、天にあるものは、
これらより更にすぐれたいけにえで、きよめられねばならない。

口語訳 ヘブ 12:4
12:4 あなたがたは、罪と取り組んで戦う時、まだ血を流すほどの抵抗をしたことがない。


口語訳 黙  6:9-11
6:9 小羊が第五の封印を解いた時、神の言のゆえに、また、そのあかしを立てたために、殺された人々の霊魂が、祭壇の下にいるのを、わたしは見た。
6:10 彼らは大声で叫んで言った、「聖なる、まことなる主よ。いつまであなたは、さばくことをなさらず、また地に住む者に対して、わたしたちの血の報復をなさらないのですか」。
6:11 すると、彼らのひとりびとりに白い衣が与えられ、それから、「彼らと同じく殺されようとする僕仲間や兄弟たちの数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいるように」と言い渡された


口語訳 黙  2:13
2:13 わたしはあなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの座がある。あなたは、わたしの名を堅く持ちつづけ、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住んでいるあなたがたの所で殺された時でさえ、わたしに対する信仰を捨てなかった。


塚本訳 黙  18:24
18:24 また預言者、聖徒達の血と、地上で屠られた凡ての(殉教)者の血が彼女の中にて見られたからである。」



●殉教者が出なければ世は清められない。
●初代キリスト教がローマ帝国に勝利したのは無名の殉教者たちの続出である。
●歴史家はそれを「血は種子である」と言った。つまり信者を殺せば殺すほどその血から」新しい芽が出てきたのだ。
●カトリックに比べてプロテスタントは殉教者が少ないのではないだろうか。信者に人生の的が絞られてはないのはないだろうか。信者の物理的増加によって神の国が到来するなどという馬鹿なことを夢想しているのではないだろうか」。

塚本訳 ロマ 11:32
11:32 つまり神はべての人を不従順の中に閉じこめられたが、これはすべての人に憐れみを施すためであった。


●人はなぜサタンに負けてみじめな惨憺たる見られない人生になるのかの理由である。
●それは「神の絶対恩恵による無条件の罪の赦し」が実現されるためである。

文語訳 ヨハ 16:33
16:33 此等のことを汝らに語りたるは、汝ら我に在りて平安を得んが爲なり。なんぢら世にありては患難あり、されど雄々しかれ。我すでに世に勝てり

●信者はこの世では苦しむ。それは宿命
●しかしサタンに勝ったキリストが復活して今も共にいてくださる。
●「すでに」を強調して読むべきである


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朝の黙想 終わり

●18:00 富阪キリスト教センターで「キリスト教性教育研究会」(富永国比古会長)の総会と定例研究会。
私は「楽園喪失から楽園回復への道・・・「救いの道」を阻もうとするサタン・・・信者は万物復興の希望で忍耐する・・・」と題して発題50分。

http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/130315.htm

●そのあと懇談40分。教師、医師、牧師、カトリック信者など多方面からの討論は貴重であった。
●「イマドキのワカイもんは名著ミルトンの『失楽園』を知らず、後楽園の隣にあるものだと思っている」。ということから切り出した。
●万物の復興の時は被造物なるサタンもまた救われる。と語った。
●名簿を作成したTAさんが一名脱落のミス。しきりに謝っていたので、「弘法も木から落ちるですね」と慰めると、そのTAさん「私は猿年なんです。」と来た。しかしミスではなかった。
●最近は「聖書」の話をするとグタグタに疲れる。全霊を注ぎ出すからか。年をとっからか。 
●帰宅は23時。あきる野は遠い。しかしもっと遠くからの人もいる。





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望みを持って救われている ++++++++ 所感

2013/03/13 05:49

130313(水)5時目覚め起床。朝の啓示「不可解な不条理は神の覚醒手段」●楽しかるべき人生になぜかくも不可解不条理な悩み苦しみがあるのか。何が原因か。誰が悪いのか。これすべての宗教哲学の課題である。●他の宗教、また哲学は知らない。少し聖書を読んでいる結果として聖書にその解答があることを知る。そして69年間の人生の痛い苦しい経験でそれは少し納得である。●その聖書的根拠を頭に浮かぶまま書いてみよう。

●まず詩編から「涙」。

詩    6: 6 [口語

わたしは嘆きによって疲れ、夜ごとにをもって、わたしのふしどをただよわせ、わたしのしとねをぬらした。

詩    39: 12 [口語

主よ、わたしの祈を聞き、わたしの叫びに耳を傾け、わたしのを見て、もださないでください。わたしはあなたに身を寄せる旅びと、わがすべての先祖たちのように寄留者です。

詩   42:  3 [口語

人々がひねもすわたしにむかって/「おまえの神はどこにいるのか」と言いつづける間は/わたしのは昼も夜もわたしの食物であった。

詩    56: 8 [口語

あなたはわたしのさすらいを数えられました。わたしのをあなたの皮袋にたくわえてください。これは皆あなたの書に/しるされているではありませんか。

詩    102: 9 [口語

わたしは灰をパンのように食べ、わたしの飲み物にを交えました。

詩    126: 6 [口語

種を携え、を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。

●人生は不可解不条理故の「涙」なくして真の喜びには到達できないようになっているらしい。
●頭で「これこそが幸福」と思うものをもぎ取られるところに神の愛の心があるらしい。神とてもそうすることは苦しいのかもしれない。健康、長寿、結婚、家庭団らん、子孫繁栄、マイホーム、経済、地位、学歴、教会エクレシア(!!)・・・・・
●不治の病の夫人を抱えた人が私に言った。「神がいるなら抗議したい」と。
●また若い知人が「私の親族は浦上天主堂でお祈りしているときに爆撃で死んだ。これでも神はいるのか」と。
●どうも神と人間では「幸福」の概念が違うらしい。これがこの世の真面目な人から「宗教はこの世からの逃げだ」と批判され笑われる原因だ。
●しかしその概念規定が否応なしに壊される時が来る。それが不条理不可解なる大苦難である。そのとき人間は「なりふり構わず神を呼ぶ」のだ。だから「不条理な不可解」は恩恵なのだ。なぜか。それによって「罪」ということを知るのだ。罪の発見が神を知る唯一の道なのだ。●その時真の幸福の門が開かれる。山上の説教の冒頭は「招きの言葉」である。

塚本訳 マタ 5:1-12
5:1 イエスはこれらの群衆を見て、(近くの)山に上られた。お坐りになると、弟子たちがそばに来たので、
5:2 口を開き、こう言って教えられた。(群衆も集まってきて聞いた。)──
5:3 ああ幸いだ、神に寄りすがる『貧しい人たち、』天の国はその人たちのものとなるのだから。
5:4 ああ幸いだ、『悲しんでいる人たち、』、かの日に)『慰めていただく』のはその人たちだから。
5:5 ああ幸いだ、『(踏みつけられて)じっと我慢している人たち、』、『(約束の)地(なる御国)を相続する』のはその人たちだから。
5:6 ああ幸いだ、(神の)義に飢え渇いている人たち、(かの日に)満足させられるのはその人たちだから。
5:7 ああ幸いだ、憐れみ深い人たち、(かの日に)憐れんでいただくのはその人たちだから。
5:8 ああ幸いだ、『心の清い人たち、』(御国に入って)神にまみえるのはその人たちだから。
5:9 ああ幸いだ、平和を作る人たち、神の子にしていただくのはその人たちだから。
5:10 ああ幸いだ、信仰のために迫害される人たち、天の国はその人たちのものとなるのだから。
5:11 わたしゆえに罵られたり、迫害されたり、あらん限りの根も葉もない悪口を言われたりする時、あなた達は幸いである。
5:12 小躍りして喜びなさい、褒美がどっさり天であなた達を待っているのだから。あなた達より前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。


●これを笑って、地上天国また地上の「復興」を幸福だと考える人間は「やってみたらいい」。
●地上天国の完成で真の幸福はあるか。あるなら教えていただきたい。
●人生は短い、時間とエネルギーを「神に戻る」ことに費やさずして無駄な人生だ。
●馬鹿言え。この肉体も家屋も所詮「仮設住宅」なのだ。「故郷にもどりたい」と言ってもそれが見られるのは人生の80年だけだ。
●聖書は永遠の家、永遠の故郷を目指せと言っているのだ。

塚本訳 ヨハ 9:1-7
9:1 イエスは通りがかりに、生まれつきの盲人を見られた。
9:2 弟子たちが尋ねた、「先生、この人が盲で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか、両親ですか。」
9:3 イエスは答えられた、「この人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。ただ神の御業がこの人に現われるためである
9:4 わたし達はわたしを遣わされた方の御業を昼の間にせねばならない。(すぐ)夜が来る。するとだれも働けなくなる。
9:5 世におる間、わたしは世の光である。」
9:6 こう言って地に唾をはき、唾で泥をつくり、その泥を盲人の目に塗って、
9:7 言われた、「行って、シロアム池で洗いなさい。」(シロアムは訳すると「遣わされた者」。)そこで盲人は行って、洗って、見えるようになって、かえって行った。

●かって私が支援団体の一人であった盲目のテノール歌手「新垣勉」氏に、ある人がこう言った。「あなたが失明したのは『神の栄光が現されるため』です」と。これを聞いた新垣氏は「ムッ」と来たという。
●こいうことは人間が言ってはいけない。不幸を降した創り主なる神が本人に言わなければ本人も納得しない。
●人間が「悟ったように」人を説教するときそれは効き目がない。神学論争になるだけだ。
●神がその人に語るときにのみ本人の「心の目」が開くのだ。時間がかかるが確実だ。
●私の所属する東京聖書読者会を起こされた故藤林益三先生は「悪いことは神が注意してくださる」と言われた。至言である。

塚本訳 ロマ 8:28
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。


●「複雑系」という学問は主に生物学の分野であるが、生物学だけではない。建築の分野でも言える。一つの建物では5万部品が複雑に組み合わされている。
●だから「出来上がった建物」に「不平」を言う人間はモノを作る苦労を知らない人間。
●人生は長いからさらに「複雑」。一面を見て「判断」できない。当事者でなければわからない複雑な事情があるものだ。

文語訳 ロマ 8:28
8:28 神を愛する者、すなはち御旨によりて召されたる者の爲には、凡てのこと相働きて益となるを我らは知る。

●人生は「複雑」だがその複雑性を組み合わせて、つまり「凡てのこと相働きて」(文語訳)、「救いに役立つ」(塚本訳)
●「桃栗3年、柿8年、柚子の大馬鹿18年」。永遠の命への救いなら18年は短い。瞬時だ。
●福音による救いを知るのは18年でなく、一生でよい。臨終でよい。死後でもよい。
●だから「桃栗3年、柿8年、柚子の大馬鹿18年、人の救いは最後の日」。一生は短い。

塚本訳 ロマ 8:24-25
8:24 なぜなら、わたし達は(最後の日に救いが完成されるという)望みをもって、救われているからである。目に見ることのできる望みは望みではない。人はいま現に見ているものを、なんでその上望む必要があろうか。
8:25 しかしわたし達が見ていないものを望むとすれば、忍耐をもって待たねばならない。

●終末の完成は見てきたわけではない。「望みをもって、救われている」のだ。

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朝の黙想おわり

●難問の建築相談。
●TSK日本語版ヨシュア記2章入力。聖書はなぜ面白いのだろう。
●孫娘にホワイトデーの贈り物を送る

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秋留公園の河津桜。スゴイナー。




























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なんぢの信仰なんぢを救へり ++++++++ 所感

2013/03/12 05:25

130312(火)4時目覚め起床●朝の啓示「なんぢの信仰なんぢを救へり」●「人類は全員が救われるか」この問題は神学的課題であるとともに、各自の喫緊の深刻な課題であり、その安心のために人はあらゆる手段を講ずる。●そこにつけ込むのが「宗教」。「坊主見てきたような嘘を言い」である。●人のことは言えない。キリスト教でも中世のカトリック教会は「免罪符」を販売して金を集めた●他人のことは言えない。プロテスタント教会でも洗礼聖餐が救いの保証だと今でも思っている。冗談じゃーない。洗礼の水はH2O,聖餐のパンも、小麦粉。それを授けるのは人間。「肉は何の役にも立たないのだ」

塚本訳 ヨハ 6:63
6:63 霊が命を与える。肉はなんの役にも立たない。いまわたしがあなた達に話した言葉は、霊である。だから、命である。

●しかし、マ-いいか。「溺れる者は藁をもつかむ」だ。「下手な鉄砲数打てば当たる」だ。安心のためには少しの役には立つだろう。自分への励みや歯止めにはなるだろう。「俺も一応洗礼は受けた身なのだ」という自信(?)が悪の世で役にたつことも」あるかもしれない。
●では、洗礼聖餐が役に立たないとすると何が安心の保証か。一般的に多いのは自分の信じている先生の「ご見解」を信ずる方法である。しかしこれは現実問題として安心しない。先生といえども「肉」である。
●では先生を超越して「聖書」そのものはどうか。これがまた難しい。信ずる者だけが救われるとも、人類は全員救われるともどちらにもとれる。この深刻な問題は神を信じていない又信じないで死んだ、自分子供、両親、兄弟、伴侶などのことなので「問題解決」の深刻さ、要求は深い。
●この問題は肉の人間パウロではなく、神の子イエスに的を絞って聞いてみよう。
●まず、人類はみな救われるのではないかと思われる言葉。4か所に絞る。

塚本訳 ヨハ 12:47
12:47 しかしわたしの言葉を聞いて守らぬものがあっても、わたしはその人を罰しない。なぜなら、わたしは世を罰するために来たのでなく、世を救うために来たのだから

塚本訳 マタ 5:45
5:45 あなた達が天の父上の子であることを示すためである。父上は悪人の上にも善人の上にも日をのぼらせ、正しい人にも正しくない人にも、雨をお降らしになるのだから。

塚本訳 マタ 22:10
22:10 家来たちは道に出ていって、出会った者を悪人でも善人でも皆集めてきたので、宴会場は客で一ぱいになった。

塚本訳 マタ 21:31-32
21:31 この二人のうち、どちらが父の心を行ったのだろうか。」「もちろん長男」と彼らが答える。イエスが言われる、「アーメン、わたしは言う、税金取りや遊女たちは、あなた達よりも先に神の国に入るであろう。
21:32 そのわけは、(洗礼者)ヨハネが義の道を示しに来たのに、あなた達は彼を信ぜず、税金取りや遊女の方がかえって信じたからだ。しかしあなた達は(あの人たちが悔改めるのを)見たあとでも、後悔して彼を信じようとしなかった。




●次に信仰なき者は結局救われないと思わされる言葉。これは意外に多い。

塚本訳 マタ 7:26-27
7:26 また、わたしの話を聞くだけでそれを行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。
7:27 雨が降って、大水が出て、風が吹いて、その家にうちつけると、倒れてしまった。ひどい倒れ方であった。」

塚本訳 マタ 13:41-42
13:41 (すなわち)人の子(わたし)は自分の使たちをやり、『(人を)誘惑する者と不法を働く者とを』皆御国から抜き取って、
13:42 火の燃える炉に投げ込み、彼らはそこでわめき、歯ぎしりするであろう


塚本訳 マタ 13:49-50
13:49 世の終りもそれと同じであろう。すなわち天使たちがあらわれ、義人の中から悪人どもを引き出して、
13:50 火の燃える炉に投げ込み、彼らはそこでわめき、歯ぎしりするであろう


塚本訳 マタ 24:50-51
24:50 予期せぬ日、思いもよらぬ時間に、その僕の主人がかえってきて、
24:51 僕を八つ裂きにし、偽善者と同じ目にあわせるにちがいない。そのとき彼はわめき、歯ぎしりするであろう。


塚本訳 マタ 25:29-30
25:29 だれでも持っている人は(さらに)与えられてあり余るが、持たぬ人は、持っているものまでも取り上げられるのである。
25:30 さあ、この役に立たない僕を外の真暗闇に放り出せ。そこでわめき、歯ぎしりするであろう。

●道徳的に堕落したものが罰せられるというのは宗教や信仰を待たずしてこの世の一般常識であり、理性の安息でもある。
●ところが、神の子イエスの「罰の基準」はこの世の基準とは異なる。自分(イエス)を信じないことが「重い罪」だというのである。それは次である。堕落人間が罰せられるのは「当然」であることは15節からわかる。しかし福音を受け入れないことの方が罰が重いのである。

塚本訳 マタ 10:14-15
10:14 しかし人があなた達を歓迎せず、あなた達の言葉に耳をかたむけないなら、(すぐ)その家なり町なりを(出てゆけ。そして)出てゆくとき、(縁を切った証拠に)足の埃を払いおとせ。
10:15 アーメン、わたしは言う、(最後の)裁きの日には、あの(堕落町)ソドムやゴモラの地の方が、まだその町よりも罰が軽いであろう

●神の子イエスのこの考えはまた次にもあらわれている。


塚本訳 マタ 22:12-13
22:12 その人に言った、『君、礼服も着ずに、なんでここに入ってきたのか。』その人が黙っていると、
22:13 王は家来たちに言った、
『あの者の手足を縛って、外の真暗闇に放り出せ。そこでわめき、歯ぎしりするであろう。』

●人間は信仰のあるなし、福音を聞いたか聞かなかったの差にかかわらず、万物は終末には必ず全員が救われるという「思想」はユニヴァーサリズム」という一派であり、自らはキリスト教徒とは言っていない。そして他の宗教者やヒューマニスト達とも連携する。
●他人のことは言えない。正統信仰を認ずる無教会の中からも「南無阿弥陀仏とキリスト」を合わせて「南無キリスト」と唱える人間が出たり、福音を説かないで政治結社と似たりよったりの言動に一生懸命な人間もいる。こういう連中は旗幟鮮明ではないから、本尊(?)から嫌われる。
●では何が自分と家族の救いの安心立命のよりどころかというと「神の子キリスト」めがけての一途の賭けの心である。それを表す言葉が次である。これがかなり多く、結論である。

マタ  9: 22

イエスふりかへり、女を見て言ひたまふ『娘よ、心安かれ、汝の信仰なんぢを救へり』女この時より救はれたり。

マコ  5: 34

イエス言ひ給ふ『娘よ、なんぢの信仰なんぢを救へり、安らかに往け、病いえて健かになれ』

マコ  10: 52

イエス彼に『ゆけ、汝の信仰なんぢを救へり』と言ひ給へば、直ちに見ることを得、イエスに從ひて途を往けり。

ルカ  7: 50

ここにイエス女に言ひ給ふ『なんぢの信仰なんぢを救へり、安らかに往け

ルカ  8: 48

イエス言ひ給ふ『むすめよ、汝の信仰なんぢを救へり、安らかに往け

ルカ  17: 19

かくて之に言ひたまふ『起ちて往け、なんぢの信仰なんぢを救へり

●これらが新約聖書の中心的使信である。特にマルコ5:34を詳しく見てみよう。

文語訳 マコ 5:25-34
5:25 ここに十二年血漏を患ひたる女あり。
5:26 多くの醫者に多く苦しめられ、有てる物をことごとく費したれど、何の效なく、反つて増々惡しくなりたり。
5:27 イエスの事をききて、群衆にまじり、後に來りて、御衣にさはる、
5:28 『その衣にだに觸らば救はれん』と自ら謂へり。
5:29 かくて血の泉ただちに乾き、病のいえたるを身に覺えたり。
5:30 イエス直ちに能力の己より出でたるを自ら知り、群衆の中にて、振反り言ひたまふ『誰が我の衣に觸りしぞ』
5:31 弟子たち言ふ『群衆の押迫るを見て、誰が我に觸りしぞと言ひ給ふか』
5:32 イエスこの事を爲しし者を見んとて見囘し給ふ。
5:33 女おそれ戰き、己が身になりし事を知り、來りて御前に平伏し、ありしままを告ぐ
5:34 イエス言ひ給ふ『娘よ、なんぢの信仰なんぢを救へり、安らかに往け、病いえて健かになれ』

●人生の旅で「病」、ことに「精神の病」は辛い。つける薬がない。即効薬がない。多くは「聴かれざる祈祷」(内村鑑三)である。
●「溺れる者は藁をも掴む」。それでよいのだ。それでよいのだ。「なりふり構わず」でよいのだ。 「知性も教養も」かなぐり捨てて飛び込むのだ。
●27節「イエスの事をききて」。・・・イエスは病を癒していた。特に「悪霊」を追い出す能力があった。
●28節「その衣にだに觸らば救はれん」・・・賭けである。イチかバチかである。「ダメモト」(駄目で元々)である。それでよいのだ。それでよいのだ。
●私が腎臓結石の手術の時のこと。
枕元に聖書を置いてあったのを見た掃除のおばさん(カトリック)が「旦那さん。明日は手術の日ですね。マリヤ様にお祈りしておきます」と言ってくれた。手術には危険が伴うと聞かされていた私は不安の中にあったので、無教会の身ではありながら、「マリヤ様によろしく」と言った。
●女子大でのこと。
病気で出席日数がすれすれのためペーパーテストで挽回しないと卒業できない生徒がいた。
するとなんとその生徒はテスト用紙(記述テスト)の終わりに「先生の授業は良かったです。❤❤❤❤」と来た。私はその一途の必死の態度をカワユク思ってよい点数にした。(甘い!)あとで別の人に聞いたらその生徒は多くの先生にその手を使ったのだそうだ。それでよいのだ、それでよいのだ。
●しかし信仰の場合は「単願」しないといけない。「イエス様、仏様、観音様」ではいけない。
●日本橋三越本店の一階ホールの中央には巨大な像がある。しかしそれはマリヤ様とも仏様とも、観音様ともつかない混合偶像。日本の精神構造の象徴。これではいずれの神からもそっぽを向かれる。信仰は受験の時の「単願」の精神でなければならない。
●33節「ありしままを告ぐ」・・・信仰は隠し事があってはならない。過去の罪はすべて告白しなければ神としても直しようがない。イエスは総てを知っていたのxだろうが、女のその信仰の姿勢を見たのだ。そしてそれを喜んだのだ。
●34節「信仰なんぢを救へり、安らかに往け」は21年前に召された生涯病弱であった父の座右の銘。壁に貼ってあった。「安らかに往け」は、本日の問題「私の身内は救われますか」との深刻な問いに対する神学者の大脳皮質への理性の安息の言葉でなく、神からの直接の言葉である。
 
塚本訳 マコ 9:22-25
9:22 霊はこの子を殺そうとして、幾たびか、火の中、水の中に投げ込みました。それでも、もしなんとかお出来になるなら、わたしども(親子)を不憫と思って、お助けください。」
9:23 イエスは言われた、「もしお出来になるなら(と言うの)か。信ずる者にはなんでも出来る。」
9:24 即座にその子供の父親が叫んだ、「信じます。不信仰をお助けください。」
9:25 イエスは群衆が駆けよってくるのを見ると、(急いで)汚れた霊を叱りつけて言われた、「唖と聾の霊、わたしが命令するのだ、この子から出てゆけ、二度と入るな!」

●信仰の最初は「もし」か「もしかしたら」でよいのだ。
●しかし信ずるときは「飛び込み」だ。騙されてもよいとの覚悟で信じ込まなければならない。
●その土壇場の」状態にさせられる「人生苦」は恩恵である。
●そういう気持ちにさせられる人生の不可解、不条理は神の恵みの知恵なのだ。

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朝の黙想おわり。

●昨日は3・11から2年目。「復興、復興」と叫ぶがそれは「肉の復興」。その先の希望がない。
●命が短くて「お気の毒」というが、平均的に生きても80年。人間、実はそもそもその80年限りの人生が「お気の毒」なのだ。その先を説かないキリスト教は「盲人の手を引く盲人」、二人とも穴に落ちる。

塚本訳 マタ 15:13-14
15:13 イエスは答えられた、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜かれる。
15:14 あの人たちを放っておけ。盲人の手引をする盲人だ。盲人が盲人の手引をすれば、二人とも穴に落ちよう。」

●肉の復興はクリスチャンが一生懸命にやる仕事ではない。それはこの世の人間に任せておけばよい。それ(宗教)は「逃げ」で怠慢だという人間は「神の力」が信じられない人間。具体的な現象として「聖書」を熱心に読んでいない。彼らの本棚を見れば信仰の浅さがわかる。

塚本訳 マタ 8:21-22
8:21 またほかの一人の弟子が言った、「主よ、(お共をする)その前に、父の葬式をしに行かせてください。」
8:22 イエスはその人に言われる、「(今すぐ)わたしについて来なさい。死んだ者の葬式は、死んだ者にまかせよ。

●肉の命は「復興」してもたかだか80年。クリスチャンの全精力はその先の「命」、「永遠の生命」のために生きなければならない。

塚本訳 マタ 16:26-27
16:26 たとい全世界をもうけても、命を損するならば、その人は何を得するのだろう。それとも、人は(一度失った永遠の)命を受けもどす代価として、何か(神に)渡すことができるのだろうか。
16:27 (永遠の命のために働け。)人の子(わたし)は父上の栄光に包まれ、自分の使いたちを引き連れて(ふたたび地上に)来るが、その時、『ひとりびとりの行いに応じて褒美を与えるのである』から。

●我ら何をなすべきか。

塚本訳 ヨハ 6:26-27
6:26 イエスが答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、あなた達がわたしをさがすのは、(パンの奇蹟でわたしが救世主である)徴を見たからでなく、パンを食べて満腹したからである。
6:27 (食べれば)無くなる食べ物のためでなく、いつまでもなくならずに、永遠の命に至らせる食べ物のために働きなさい。これは人の子(わたし)があなた達に与えるのである。神なる父上が、(これを与える)全権を人の子に授けられたのだから。」

●高校時代は進路に悩むが、これを読んですぐ修道院に入ろうとしたり、神学校に行って「聖書でメシを食う」ことを考えてはいけない。キリストを冠につける企業や職場に飛び込むのも短絡的である。●普通の道を行け。普通の家庭をもて。そこで十字架を負って悩み嘆くのが真の神の道だ。内村鑑三は「いかにして我が天職を知らんか」の中で「平民の伝道者、貧家の良妻」へと神に追い込まれる道を理想の道としている。
●一般的にキリストの冠を付けけた「職業」「職場」「活動」の人間で信仰の深い優れた人を知らない。外部環境に依存してしまうからである。学歴また同じ。過去の栄光に依存してしまう。
●TSK日本語版ヨシュア記1章入力 

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春の散歩。春に花が咲くのは復活の証明。

讃美歌496番を思う


春に会う花百合 夢路よりめさめて
かぎりなき生命(いのち)に 咲きいずる姿よ


冬枯れのさまより 百合しろき花野に
いとし子を御神は 覚(さま)したもう今なお

●そうだ罪に腐り枯れ果てた草木も神の声がかかると
きれいな花が咲き始めるのだ。奇跡が起きるのだ。
 






 
































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慰めよ、わが民を慰めよ ++++++++ 所感

2013/03/11 06:48

130311(月)東日本大震災から2年。●目が覚めて、昨日コンサートで鑑賞したヘンデルの「メサイア」に関して、改めて歌詞を通して読んで感動。心でアーメンの連発をした●ヘンデルのオラトリオ「メサイア」は作曲者ヘンデルが偉いのはもちろんであるが、この聖書の言葉だけが書き連ねてある歌詞を構成した人(友人チャールズ・ジェネンズ(Charles Jennens)がすごいと思った。●その本質は「福音の告知」であり、それは最初のテノール独唱「慰めよ、わが民を慰めよ」に尽きる。(第2曲)●今日はちょうど東日本大震災から2年、それに真にふさわしい演奏会であった。つまり「慰めよ、わが民を慰めよ」である。●日本は、特に東北はすでに2倍の罰を神から受けたのである。●そのテノール独唱の歌詞は次の通りである。この冒頭の曲が3時間にもおよぶ大曲の本質である。
 
Comfort ye, comfort ye my people, saith your God.

口語訳 イザ 40:1-3
40:1 あなたがたの神は言われる、「慰めよ、わが民を慰めよ、
40:2 ねんごろにエルサレムに語り、これに呼ばわれ、その服役の期は終り、そのとがはすでにゆるされ、そのもろもろの罪のために二倍の刑罰を/主の手から受けた」。
40:3 呼ばわる者の声がする、「荒野に主の道を備え、さばくに、われわれの神のために、大路をまっすぐにせよ。

●では何をもって慰めるのか。「罪の赦しの福音」である。物理的復興も大切ではあるが少なくともクリスチャンたちはそれ以上のことをしなければならない。
●しかしこのことがわかる人は昨日全51曲3時間も静粛に真面目に鑑賞していた数百名のうちのどれくらいいるだろうか。
●妻たちはこの曲を昨年の7月から猛練習していたが、合唱団のうち果たして何人がその本質を分かっていたか。日本人はこの曲を好んで演奏するのは驚きであるが、神はなぜその本質を日本人に啓示しないのだろうか。不思議である。日本の信者の割合はいまだ1%である。
●日本には神の祝福がないのはないだろうか。聖霊が降らないのだろうか。刑罰の量がすくなく、「呻き」が少ないのではないだろうか。
●否、「服役の期は終わった」。
●日本人に福音側からない理由の一つに「血を流す殉教的伝道者」が出ないことがあるのではあるまいか。
●第31曲(又は34曲または36曲)、アリアの独唱は次である。

How beautiful are the feet of them that preach the gospel of peace, and bring glad tidings of good things!

口語訳 イザ 52:7
52:7 よきおとずれを伝え、平和を告げ、よきおとずれを伝え、救を告げ、シオンにむかって「あなたの神は王となられた」と/言う者の足は山の上にあって、なんと麗しいことだろう。

口語訳 ロマ 10:15
10:15 つかわされなくては、どうして宣べ伝えることがあろうか。「ああ、麗しいかな、良きおとずれを告げる者の足は」と書いてあるとおりである。

●最後の第51曲(又は53曲、)は「アーメンコーラス」。

5:12 Saying with a loud voice, Worthy is the Lamb that was slain to receive power, and riches, and wisdom, and strength, and honour, and glory, and blessing.
5:13 And every creature which is in heaven, and on the earth, and under the earth, and such as are in the sea, and all that are in them, heard I saying, Blessing, and honour, and glory, and power, be unto him that sitteth upon the throne, and unto the Lamb for ever and ever.
5:14 And the four beasts said, Amen. And the four and twenty elders fell down and worshipped him that liveth for ever and ever

Amen

口語訳 黙  5:12-14
5:12 大声で叫んでいた、「ほふられた小羊こそは、力と、富と、知恵と、勢いと、ほまれと、栄光と、さんびとを受けるにふさわしい」。
5:13 またわたしは、天と地、地の下と海の中にあるすべての造られたもの、そして、それらの中にあるすべてのものの言う声を聞いた、「御座にいますかたと小羊とに、さんびと、ほまれと、栄光と、権力とが、世々限りなくあるように」。
5:14 四つの生き物はアァメンと唱え、長老たちはひれ伏して礼拝した。

口語訳 黙  5:9
5:9 彼らは新しい歌を歌って言った、「あなたこそは、その巻物を受けとり、封印を解くにふさわしいかたであります。あなたはほふられ、その血によって、神のために、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から人々をあがない、

●万物の復興を期待せよ。祈れ。
●血を流す殉教的伝道者、出よ!!。同胞の罪に呻く伝道者、出よ!!
●私の残りの方針がきまった。置かれた場所での負わされる十字架でよい。

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朝の黙想終わり

●メサイアの歌詞と内容についてネットで調べてうなずけたところを転載する。





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メサイア作曲

1741年、ヘンデルは彼の活動の本拠地であるロンドンではなく、アイルランドの総督ウィリアム・カヴェンディッシュ(William Cavendish)から、慈善演奏会用のオラトリオの作曲を依頼された。ヘンデルはこの申し出を受け、以前「サウル」など過去何度か彼のためにオラトリオのテキストを書いた友人チャールズ・ジェネンズ(Charles Jennens)に新しいテキストを依頼した。深い聖書への理解なくしては書けない素晴らしい「救世主」の物語、「メサイア」の台本は当時窮地に陥っていたヘンデルの意欲をかきたてた。ヘンデルは部屋に閉じこもり、食事にも手をつけない日々が続き、時として祈りと共に涙を流しながら作曲したという伝説も残っている。かくしてオラトリオ「メサイア」は僅か24日間にして書き上げられ、アイルランド・ダブリンの初演では大評判となった。

その後「メサイア」は後にロンドンでも上演され、低落傾向にあったヘンデルの人気を呼び戻すと共に、オラトリオ作家としてのヘンデルの地位を不動のものにした。彼は遂に決断を下し、オペラの作曲を止め、「メサイア」以降も優れたオラトリオを書き続けた。「メサイア」は、彼にとっても彼の音楽家としての人生を救う「救い主」であったのかもしれない。

 

rombul1a.gif (164 バイト)メサイアのテキスト歌詞対訳

「Messiah」とは、ユダヤの人々が自分達を解放し、楽土を実現するもの、すなわち「救世主」の意で用いていた。

「メサイア」のテキストは「イザヤ書」第40章の「慰めよ、我が民よ」という聴き手に語りかけるような預言の部分で始まる。ここで来るべき救世主の到来を預言しているが、しかし神はすぐに人々を救いはしない。「光」と「闇」の対比が描き出された後、救世主が誕生する。

そして「ピファ(田園交響曲)」、オーケストラのみの平和な音楽が挿入される。これはヘンデルがかつて訪れたイタリアで知って以来愛好していたシチリアーナという田園舞曲を基にするものである。

その後の布教活動や奇跡の行いによって、信じる者の安心感のうちに第一部は幕を閉じる。

続く第二部では、キリストの受難が取り上げられ、キリストの到来に気づきながらも、期待していたものとの落差に受け入れられずに反発し、死に追いやる人々の様子や、キリストが復活した後、その知らせとその教えを全世界に広めようとする動きを描く。

しかし人々の動きはそれでは終わらず、民は騒ぎ発ち、またしても神に対して反発をはじめる。それに対する神の嘲りと怒り、そして改心した人々が神の国の到来を賛美するハレルヤコーラスへと続く。

第三部ではキリストを信じる者への復活の約束が記され、最後の審判を次げるラッパが鳴り響く。そして最後に信仰告白、長大なアーメン・コーラスによってこの「メサイア」は全ての幕を閉じるのである。

  

rombul1a.gif (164 バイト)メサイアの性格

「メサイア」は、やや特殊なオラトリオといえる。例えば、テキストが全て聖書からの抜粋であり、新しく作られている言葉が一つも無いこと、具体的な登場人物がいないこと、歌手には具体的な配役がなく、合唱ともども「救世主」の物語を演じるのではなく語らせていること、などが挙げられる。

もはや教養ある上流階級のエリートやイギリスの聴衆だけでなく、世界中の人々に理解できるような普遍性を「メサイア」に持たせたかったヘンデルとジェネンズには、おそらく物語が客観的に観衆に伝わるようにという意向があったのだと思われる。

原文の新約聖書ではキリストが一人称で語っているセリフを、"He"を主語にした間接話法にしたり、またこの作品のテーマでもある「救世主」に対し、イエス・キリストを意識してはいるものの、具体的な人物名はあげていない。

このようにして、「メサイア」ははっきりと誰かは分からない「救世主」の物語を、救世主役の歌手に演じさせるのではなく、合唱や独唱によって客観的に語らせている。「メサイア」は聴衆一人一人が心に思う「救世主」の性格を持つようにテキストが組み立てられており、言い換えればテキストに足りない主観的なものは、聴衆一人一人のそれぞれの主観が埋めていく、という形を取っている。

ヘンデルはそのテキストに、フランス風序曲、イギリスの教会音楽風の曲、ドイツの受難曲の形を受け継いでいる曲、イタリア・オペラの影響が見られる曲、など多種多様の曲をつけることによってイギリス以外の人々にも共感を与え、作詞者や作曲者の宗教観の主観的な部分を排し、「救世主」をキリストに限定しない事でキリスト教以外の人々にも訴えかける。これが「メサイア」がどんな宗教観を持つ人々も受け入れられる普遍性を持ち、もはやオラトリオというジャンルだけでは限定できないスケールの大きな作品となった理由であろう。

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http://www.geocities.co.jp/Hollywood/9240/Composer/GFHandel.htm

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人の寿命は120年 ++++++++ 所感

2013/03/10 07:01

130310(日)4時起床●TSK日本語版申命記34章入力。申命記完成。これでモーセ五書終了。半年かかった。感謝。

●今日のところでモーセの寿命は120歳であったことを知り、「人の寿命」について考えた。

口語訳 創  6:1-3
6:1 人が地のおもてにふえ始めて、娘たちが彼らに生れた時、
6:2 神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった。
6:3 そこで主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう」。

●死の悲しみがあるのは神の怒りによるのであるという創造神話は深い。
●寿命は120年とある。
●今日でも長寿記録は110竿程度。
●聖路加の日野原重明先生は100歳でも診療の現役。2年先まで講演の予約がはいっているという。

口語訳 申  34:5-8
34:5 こうして主のしもべモーセは主の言葉のとおりにモアブの地で死んだ。
34:6 主は彼をベテペオルに対するモアブの地の谷に葬られたが、今日までその墓を知る人はない。
34:7 モーセは死んだ時、百二十歳であったが、目はかすまず、気力は衰えていなかった。
34:8 イスラエルの人々はモアブの平野で三十日の間モーセのために泣いた。そしてモーセのために泣き悲しむ日はついに終った。

●モーセの寿命は上記創世記6:3で決定された120歳と同じであった。
●しかし最後まで「目はかすまず、気力は衰えていなかった」とあるからボケなかった。理想的。

口語訳 詩  90:9-10
90:9 われらのすべての日は、あなたの怒りによって過ぎ去り、われらの年の尽きるのは、ひと息のようです。
90:10
われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。

●なぜ、ここで70年か80年になるのだろうか。
●9節の「われらのすべての日は、あなたの怒りによって過ぎ去り、」は上記創世記6:3からくるのだと認識した。
●人は寿命が平均以下だと「お気の毒に」と思うものだが、生きたとしても120年だ。
●だから上記詩編90:10のように「その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。
●しかも「しかしその一生はただ、ほねおりと悩み」である。一体人生ってなんだろう。
●たまたま出会ったキリスト教では「永遠の命」という。それは人間に寿命があることの原因である「罪」が神の子キリストの死え打ち破られたのだという。
●そうだ、天国は行って見なければわからない。けれども「あり」に賭けて生きて行こう。なくて「ダメモト」(なくてもともと)だ。
●私の知人のMT氏は学生時代に矢内原先生の講演を聞いて感動したという。それは「人生は神ありと賭けて生きるか、神なしと賭けていきるかのどちらかだ。私の場合は神ありに賭けて生きてきて幸福であった」というものであった。私は氏の「この世の家」を設計した。長き信仰の交わり感謝。


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朝の黙想終わり


●集会は宮崎、高木(詩編と福音書)、村上(申命記)
●14:30 東大和ハミングホールで「メサイア」(トミ子がアルトで出演

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東大和ハミングホールでヘンデル「メサイア」
合唱団3団体116名の合同演奏。福島章恭指揮、日本ニューフィルハーモニック
独唱のソプラノ(文屋小百合)、テノール(望月哲也)と合唱のアルトが良かった。

口語訳 黙  19:6
19:6 わたしはまた、大群衆の声、多くの水の音、また激しい雷鳴のようなものを聞いた。それはこう言った、「ハレルヤ、全能者にして主なるわれらの神は、王なる支配者であられる。


口語訳 黙  19:11
19:11 またわたしが見ていると、天が開かれ、見よ、そこに白い馬がいた。それに乗っているかたは、「忠実で真実な者」と呼ばれ、義によってさばき、また、戦うかたである。


口語訳 黙  19:15
19:15 その口からは、諸国民を打つために、鋭いつるぎが出ていた。彼は、鉄のつえをもって諸国民を治め、また、全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む。


口語訳 黙  19:19
19:19 なお見ていると、獣と地の王たちと彼らの軍勢とが集まり、馬に乗っているかたとその軍勢とに対して、戦いをいどんだ。


口語訳 黙  19:16
19:16 その着物にも、そのももにも、「王の王、主の主」という名がしるされていた。



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終了後。仲間たち。













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終末と再臨待望、万人救済 ++++++++ 所感

2013/03/09 10:07

130309(土)4時目覚め●塚本虎二著作集十巻」で「ロマ書11章」と「人類は悉く救わるるか」を精読。
●聖書は信者のみが救われるとも万人が救われるともどちらかに決することができない。●神は絶対愛であると同時に絶対義である。神はその両面があってはじめて「神は愛なり」である。どちらか一方ではない。義なればこその愛、愛あればこその義である。●クリスチャンは自分たちだけが天国の宴会に連なって、信者でない身内親族が地獄の永劫の火に悶え苦しんでいるのでは天国といえども「安らぎ」はない。●といって信仰も何もなく全人類は無条件に救われるという「ユニヴァーサリズム」の信仰は聖書的ではない。●この両極端の圧搾機に挟まって苦しみぬいたのがパウロである。そしてパウロは次のように信じて落ち着いた。ロマ書である。

塚本訳 ロマ 5:15-16
5:15 しかし(神の)賜物は(アダムの)過ちと同じではない。なぜなら、一人の人(アダム)の過ちによってすら多くの人が死んだくらいであるから、まして神の恩恵と一人の人イエス・キリストによる恩恵の賜物とが、多くの人に満ちあふれるのはもちろんである。
5:16 なお、(キリストの)賜物と一人の罪を犯した人の場合とは、同じではない。なぜなら、一人の人(の罪)に対する(神の)裁きは、(多くの人に)死の宣告を下したのであるが、(神の)賜物は、多くの(人をその)過ちから(救い出して)義とすからである。


塚本訳 ロマ 8:20-22
8:20 なぜであるか。創造物は自分から(今のような)はかない運命に屈伏したのでなく、それは屈伏させたお方([神]の御心)によるからである。(彼らはアダムの罪の責任を負わされたのである。)しかし(この屈伏には)望みがある。
8:21 創造物自身も、滅亡の奴隷になっている(現在の)状態から自由にされて、神の子供たちがうける栄光と自由とにあずかるのだから。
8:22 わたし達が知っているように、全創造物は(かの日から)今まで、一しょになって呻き、一しょになって産みの苦しみをしている
。(父なる神がこの 呻きに耳を傾けられないことがあろうか。)

●内村鑑三は「真理は楕円形である」という。神の性質は義と愛の楕円形である。両面を兼ね備えている。

口語訳 詩  25:10
25:10 主のすべての道はその契約とあかしとを守る者には/いつくしみであり、まことである。

●神の性質の2面性、楕円形。それはいつくしみとまこと。
●「まこと」は「義」につながる。なぜか。「まこと」の反対は「虚偽」だから。


口語訳 ヨブ 13:15
13:15 見よ、彼はわたしを殺すであろう。わたしは絶望だ。
しかしなおわたしはわたしの道を/彼の前に守り抜こう。

●たとえ神が私を殺しても神を信ずる。神は神であるから。
●かって私の友人が前田護郎先生に質問した。「私の親戚は長崎の浦上天主堂でお祈りをしていたが爆撃で死んだ。これでも神は損愛するのえすか。」。私は前田先生がどうお答えになるかかたずを飲んで待っていた。すると先生は「君の質問は、神は人を殺さないという前提にたっている」と言われた。
●これは東日本大震災に対する日本人の「罪認識の甘さ」にも通じる。

塚本訳 マタ 26:37-42
26:37 そしてペテロとゼベダイの子二人(だけ)を連れて(奥の方へ)ゆかれると、(急に)悲しみおののき始められた。
26:38 それから彼らに言われる、「『心がめいって』『死にたいくらいだ。』ここをはなれずに、わたしと一しょに目を覚ましていてくれ。」
26:39 そしてなお少し(奥に)進んでいって、俯けに倒れ、祈って言われた、「お父様、出来ることなら、どうかこの杯がわたしの前を通りすぎますように。しかし、わたしの願いどおりでなく、お心のとおりになればよいのです。」
26:40 やがて弟子たちの所に来て、彼らが眠っているのを見ると、ペテロに言われる、「あなた達、そんなに、たった一時間もわたしと一しょに目を覚ましておられないのか。
26:41 目を覚まして、誘惑に陥らないように祈っていなさい。心ははやっても、体が弱いのだから。」
26:42 また二度目に向こうへ行って、祈られた
、「お父様、どうしてもわたしが飲まねば通りすぎない杯ならば、どうかお心のままになさってください。」

●人間、誰でも十字架は避けたい。しかし「御心のままに」。これがクリスチャンの十字架の生涯だ。悩みと骨折り(詩編90:10)の道だ。
●悩みのうちに死んでも神を信じ貫く。

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黙想終わり

●TSK日本語版申命記33章入力
●来る3月14日、「キリスト教性教育研究会」での発題レジュメ最終稿を送信
●題は「楽園喪失から楽園回復への道・・・救いの道を阻もうとするサタン・・・」
●失楽園と復楽園を書いたミルトンの気持ちが少しわかった。
●CDでメサイアを聴いてヘンデルの気持ちが少しわかった。
●妻は明日のメサイア本番に向けての最後の練習。今日はソリストとの合わせ。
●帰宅して、ソリストの実力は大したものだったとの感想を話してくれた。


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嘆きの涙が天国への門 ++++++++ 所感

2013/03/08 07:04

130308(金)4時45分起床●14日の「キリスト教性教育研究会」での発題レジュメの変更。

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     楽園喪失から楽園回復への道
 ━━━「救いの道」を阻もうとするサタン━━━

キリスト教性教育研究会 2013.3.14 発題 高橋照男

①アダムとエバの幸福
②サタンの妬みによる楽園喪失と死の侵入、神の後悔
③神の子キリストによる贖罪の道。阻もうとするサタン
④信者の十字架の生涯とサタンの妨害による試練
⑤サタンの滅亡と永遠の命の回復。その時涙は拭われる
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●朝の黙想「嘆きの涙が天国への門」
●この世の生涯における「悩み苦しみ」「嘆きの涙」が最高の聖書注解。
●何人も苦難なしには天国に入れない。
●思いつくままに聖句を掲げる。

口語訳 哀  3:27-29
3:27 人が若い時にくびきを負うことは、良いことである
3:28 主がこれを負わせられるとき、ひとりすわって黙しているがよい。
3:29 口をちりにつけよ、あるいはなお望みがあるであろう。


●鉄は熱いうちに打て
●「打ちたまえ、打ちたまえ、御存分に打ちたまえ。鞭の下より我またすがる」(藤井武)
●かわいい者には旅をさせよ。

塚本訳 ヘブ 12:6-8
12:6 なぜなら、主は愛する者を訓練し、好きな子をすべて懲らしめられる。』
12:7 (神の)『訓練』を受けるために、(迫害を)耐え忍べ。神はあなた達を(自分の)『子』のように取り扱われるのである。なぜなら、父の『訓練し』ない『子が』どこにかあるのか。
12:8 もし皆が受ける『訓練が』ないとすれば、
それこそあなた達は私生児で、(ほんとうの)『子』ではない。

●よその家の子供は打てない。
●体罰の本質は訓練。真の愛は叱る。「愛は罰がなければ効き目がない」(鈴木大拙)
●これが理解されないからクリスチャンの親は子供から嫌われる。しかし「あとで分かる」「わかってくれる」


口語訳 詩  42:2-3
42:2 わが魂はかわいているように神を慕い、いける神を慕う。いつ、わたしは行って神のみ顔を/見ることができるだろうか。
42:3 人々がひねもすわたしにむかって/「おまえの神はどこにいるのか」と言いつづける間は/わたしの涙は昼も夜もわたしの食物であった。

●涙が食物になる時がなければ人生はわからない。これは確かゲーテも言っていたのではないか。私はこの言葉を21年前に召された父から聞いた。
●もう13年も前になる。一家中が集会にいっているときに我が家は全焼。「集会に行っているからだ」「御地益がありませんでしたね」などと言われた。クソッ!。


塚本訳 黙  2:9
2:9 私はお前(が私の名のために受けた、また受けつつある数々)の患難と、(またお前の)貧しさとを知っている──しかし(貧しいのはただ外見だけであって、神の前では)お前は(一番)富んでいる(のである。)──また、(自分で)自分をユダヤ人であると称え(て誇り)ながら、(その実、決して真の)ユダヤ人でなく、むしろサタンの会堂に属する者達からの罵詈を(お前が受けていることを、)私は知っている。(お前が今日までよくこれに耐えて来たことを私は褒める。)

●キリスト信者はこの世の人が悩まなくてもよいことを悩み苦しんでいるから笑われるのだ。
●しかしそれはサタンの会堂に属する者たちの笑いである。
●キリスト信者は貧乏する。なぜか。金もうけに一生懸命にならないからだ。

塚本訳 マタ 6:31-34
6:31 だから、『何を食べよう』とか、『何を飲もう』とか、『何を着よう』とか言って、心配するな。
6:32 それは皆異教人のほしがるもの。あなた達の天の父上は、それが皆あなた達に必要なことをよく御承知である。
6:33 あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。
6:34 だから、あしたのことを心配するな。あしたはあしたが自分で心配する。一日の苦労はその日の分で沢山である。

●しかし不思議になんとなく「生き延びられる」。神が養ってくださる。
●それに比べて「金もうけ第一の人生、」「金こそ幸福だ」という人生観の人間は心が淋しいだけでなく、自分の人生を失うだけなく、家庭も失う。
●エコノミックアニマルの日本人には真の幸福はわからない。

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朝の黙想終わり

●終日TSK日本語版申命記32章入力。モーセの偉さ。
 
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庭の梅が咲いた

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庭の蝋梅.

●TSK日本語版の入力が終わったので夕方散歩。春の風が吹いていた。
●この風に当たると青春の時に読んだヘルマンヘッセの小説「春の嵐」(原題はゲルトルード)を思うのだ。内容は忘れたが清い恋愛小説であったように思う。
●その後私は無教会主義の基督教になったが、ヘッセはドイツの無教会主義ともいうべき「敬虔主義」(ピエティスムス)に属し、また愛読したヒルティも「敬虔主義」に属していた。
●何か共通するものは自由な「幸福の追求」である。
●内村鑑三を慕ってドイツから来たグンデルトはヘッセの縁戚で、自分の家の信仰に内村と無教会主義は似ているというのが来日の理由であった。
●私が無教会主義に帰依したのは「聖書を自由に読んでよい」という自由の精神であった。
●作家の古井由吉によれば、「ヘッセの全世界での出版部数の三分の一は日本である。その理由はヘッセ文学の本質は「旅」であって、それが日本人の魂に合うのである」と。














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神に利用されるサタン ++++++++ 所感

2013/03/07 08:26

130307(木)4時半目覚め●朝の啓示「神に利用されるサタン」●来週のキリスト教性教育研究会」での発題内容を練り直した。

キリスト教性教育研究会2013.3.14 発題レジュメ
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楽園喪失から楽園回復への道

━━━神に利用されるサタン━━━

 

キリスト教性教育研究会 2013.3.14 発題 高橋照男

 

①アダムとエバの幸福

②サタンの妬みによる楽園喪失。罪と死の侵入

③神の創造後悔と律法による回復の試みの失敗

④神の子キリストによる贖罪の道。キリストの復活

⑤信者の十字架の生涯

⑥サタンの滅亡と永遠の命の回復。その時涙は拭われる

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●上記発題レジュメに聖書的根拠を33か所インプット
●神はサタンを利用して人を永遠の命の幸福に導く。
●人生の不条理、不可解による嘆きと涙はこれ総て神の恵みの知恵。神はこれによって神の愛の
何であるかを私たちに教える。サタンによる禍はそのためにあると信ずる。
●泣くな。この世で信じられないような大不幸に陥っている人よ。「俺の人生、こんなはずではなかった」と嘆く人よ」。キリストは有体的に復活して永遠の命を約束してくれたのだ。

●図書資料を電子化しただけでは意味がない。これをオープンにしてインターネットで無料公開しなければ人の役に立たない。
●ワシントン図書館は図書のCD化はとうの昔に中止した。CDに」しても将来そのデータを開くマシンがなくなるからである。
●現在、日本の国会図書館は古い文献の電子化に50人体制で取り組んでいる。将来インターネットで自宅に居ながらどんな本でも見られる。
●かって、あきるの図書館で、国会図書館にある塚本虎二の絶版の本(*)をディスプレーで見てコピーした。こういうことが自宅でできる日は近い。
 (*)「日本人の基督教」(昭和8年 独立堂書房)
   「一の福音」(昭和26年 三一書房)  
   「来世と復活・・・復活祭講演・・・」(昭和18年 旧約知識社)、
●「紙による」文献データ保存の時代は終わった。情報はすべて電子データで無料公開しなければならない。「世のため、人のため」
●現在入力しているTSK日本語版(すでに新約は完成)はあと2年で完成するが、これを紙にすると16万ページになるから書籍化は無理。こういうものこそ電子情報でインターネットで無料公開すべきものである。
 
http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/110910.htm

●福音情報を商売の種にしてはならない。
●福音情報をメシの種にする職業や出版社はバタバタと潰れていく。

●妻が出演するメサイアは本番があと三日。今日はオケ合わせのため、15~21時まで練習。帰宅は22時の予定
●TSK日本語版申命記31章入力。聖書は面白い。
 
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「春の声」 ヨハンシュトラウス。

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この世の乱れに嘆き悲しむとき ++++++++ 所感

2013/03/06 06:39

 130306(水)5時半起床●朝の黙想「この世の乱れに嘆き悲しむ時の慰め」●内村鑑三の膨大な著作(岩波新版で約2万ページ)のうち、一番心が打たれるものは「基督信徒の慰め」という小著である。なぜか。その一言一句が内村の体験経験にもとづくものでいわば彼の血液に涙を混ぜたインクで書かれたものだからだ。●私も十代の時にその中の「貧に迫りし時」の章を読んで泣いたことがある。●内村自身が「貧乏に泣いた」のである。ある暮れに親戚の一人が内村の家庭の困窮を見るに見かねて訪ねてきた来た内村に帰りに餅を持たせた。」すると内村は「男子が家族に正月の餅を食わせられないようでは情けない」と思ってその餅を川に捨てた。彼の「独立魂」躍如。●それに比べてイマドキの貧弱脆弱なな男子は妻に食わせてもらっている。妻も妻で「共働きの時代だ」などと言って金をバックに夫に生意気な態度をとる。これでは子供が安定して育たない。●日本の教会はアメリカに食わせてもらっていた。日本の聖書学はドイツに食わせてもらっていた。これでは日本に福音は安定的に土着しない。●福音は外国語で伝わるわけではない。昨年の国際聖書フォーラムであの田川建三が聖書の難解なところは数十冊も外国文献に当たることが分かったが、語学に弱い信徒はこういう学者のコロッと参ってしまっているが間違い。聖書の中心的真理は日本語で伝わる。●集会のFさんは午前中は聖書。年に聖書を4回通読する。氏はQ資料もイザヤ書の著者が三人であるこおを知らない。しかし信仰は深い。●カトリックの岩下壮一が塚本虎二に「無教会は教会の権威を拒否しながら海外の聖書学者に頭を下げているのは論理の矛盾ではないか」と攻撃したが、塚本は「聖書理解は聖霊が唯一の権威。聖書学者もそういっているではないかという姿勢だ」と応戦。●塚本先生の心配は今日の無教会にズバリ。諸外国の文献を多く読める学者に感心して頭を下げて集まる。しかしその先生が亡くなると右往左往して、今や無教会難民の続出。神に呼び集められた集団ではなかったからだ。●「聖書は聖書で読む」のが正道。イエスもパウロもそうした。
●今朝の黙想に関して頭に浮かぶ聖句を順不同で掲げてみよう。

口語訳 詩  90:10
90:10 われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。

●本当に一生は「ほねおりと悩み」の連続だ。

詩    6: 6 [口語

わたしは嘆きによって疲れ、夜ごとに涙をもって、わたしのふしどをただよわせ、わたしのしとねをぬらした。

●畳の目が見えなくなるまで泣いた人を知っている。その涙は神に知られた。

詩    116: 8 [口語

あなたはわたしの魂を死から、わたしの目を涙から、わたしの足をつまずきから助け出されました。


●流す涙は神が思える。

詩    119: 136 [口語

人々があなたのおきてを守らないので、わが目の涙は川のように流れます

●悲しいときは涙が川のように流れる。

詩    42: 3 [口語

人々がひねもすわたしにむかって/「おまえの神はどこにいるのか」と言いつづける間は/わたしの涙は昼も夜もわたしの食物であった


●お子様が重度の心身障碍者であることを知られやS氏は背中の子供が重かったという。氏はご飯に涙をまぶして食べられたという。

塚本訳 コロ 1:24
1:24 今私は君達のために苦しむことを喜びとし、またキリスト・イエスの体なる教会のために私の体でキリストの患難の不足を補っている


●これは牧師伝道者の慰めだけでなく、日本の1%にすぎないキリスト者に対する言葉。

口語訳 創  18:24-28
18:24 たとい、あの町に五十人の正しい者があっても、あなたはなお、その所を滅ぼし、その中にいる五十人の正しい者のためにこれをゆるされないのですか。
18:25 正しい者と悪い者とを一緒に殺すようなことを、あなたは決してなさらないでしょう。正しい者と悪い者とを同じようにすることも、あなたは決してなさらないでしょう。全地をさばく者は公義を行うべきではありませんか」。
18:26 主は言われた、「もしソドムで町の中に五十人の正しい者があったら、その人々のためにその所をすべてゆるそう」。
18:27 アブラハムは答えて言った、「わたしはちり灰に過ぎませんが、あえてわが主に申します。
18:28 もし五十人の正しい者のうち五人欠けたなら、その五人欠けたために町を全く滅ぼされますか」。主は言われた、
「もしそこに四十五人いたら、滅ぼさないであろう」。

●然り、一人でも正しい人が、国に家庭にいれば神はその国も家庭も滅ぼさない。

塚本訳 Ⅰコリ7:13-14
7:13 また、不信者の夫を持ち、その夫が彼女と一しょに生活することを喜ぶ場合の妻は、夫と離婚してはならない。
7:14 (夫婦は結婚生活で一体となるため、)不信者の夫は(信者の)妻によってすでにきよめられており、不信者の妻は兄弟(すなわち信者の夫)によってすでにきよめられているからである。そうでなければ、あなた達の子供は清くないはずであるが、現に彼らはきよい(と認められている)ではないか。


●不信者との結婚は十字架。しかしその涙は尊い。祈りの対象が与えられたから。子供は祈りによって清められている。
●「すでに」という言葉を強調して読むべきである。すでに清いのだ。!!。 



塚本訳 マタ 6:13
6:13 わたしたちを試みにあわせないで、悪から守ってください

●これは「主の祈り」。毎日祈るべきこと。悪とは「悪霊」。人間は悪霊には負けるから祈りが必要。祈りで防戦。試練は試みだが人間は弱い。すぐくじける。信仰のみが支える。

塚本訳 ロマ 9:3
9:3 ほんとうに、兄弟すなわち血を分けた同胞の(救われる)ためならば、このわたしは呪われて、
救世主(の救い)から離れ落ちてもよいと、幾たび(神に)願ったことであろう。

●同胞(身内兄弟)が救われるためならばこの私自身は救いから漏れても良い何度も願ったパウロは偉大である。 人類の第一人者。

塚本訳 ロマ 5:7-8
5:7 (驚くべき神の愛!人間の世界では、)義人のために命をすてる者はほとんどあるまい。善人のためならば、惜しげもなく命をすてる者が、あるいはあるかも知れない。
5:8 しかしわたし達が(義人でも善人でもなく、)まだ罪人(神の敵)であったとき、キリストが私たちのために死んでくださった。このことによって、神はわたし達に対する愛をお示しになったのである。


●これがクリスチャンの使命。ライフワーク。できるか。否。無理やり操作せられっるのが神の目的なのだ。

塚本訳 Ⅰコリ15:55-58
15:55 『死よ、どこに、お前の勝利は。死よ、どこに、お前の剣は』。
15:56 ──死の剣は罪である、罪の力(の源)は律法である。──
15:57 しかし神に感謝あれ、勝利をわたし達の主イエス・キリストによってわたし達にお与えになる神に!
15:58 だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ。骨折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから。

●十字架の悩み嘆き悲しみその涙。これは絶対に「無駄に」ならない。なぜか。神が涙をご存知だから。


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朝の黙想おわり

●妻は婦人の読書会。塚本虎二著作集。
●池谷医院へ定期健康診断。順調
●TSK日本語版申命記30章入力。一神教のものすごさ、すさまじさ。
●録画してあった「美の巨人」を観る。サモトラケのニケ。面白かった。


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夕方の散歩。奥多摩連山。
「今日をも送りぬ主に仕えて」。感謝。

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夕方の散歩。秋留台公園展望台にある方位盤。浦和方面もある。
生まれ故郷浦和。その出身教会を思って祈った。
ベンチに座って数家族のために祈った。



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楽園喪失から楽園回復へ ++++++++ 所感

2013/03/05 05:56

130305(水)5時半起床●朝の啓示「楽園喪失から楽園回復への道」●3月14日のキリスト教性教育研究会」の発題をガラッと変えて次のようにした。目次のみ掲げる。

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       楽園喪失から楽園回復への道
     ━━━影の主役としてのサタン━━━

①アダムの征服者サタン。人間に死の宿命が来た(創世記2、3、6章)
②人類の堕落による神の怒りと回復の努力(創世記6章、民数記25、31章)
③サタンの征服者キリスト(マルコ1章、ルカ13章)
④神の贖罪計画。ユダの心に入ったサタン、(ヨハネ13章)
⑤サタンの攻撃と信者の忍耐と戦い(ロマ5章、エペソ6章、コロサイ1章)
⑥サタンの滅亡と楽園の回復、その時涙は拭われる(黙示録19章、21章、)

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●TSK日本語版申命記29章入力
●感話原稿
●何事も後半が重要

①ミルトンの失楽園は後に書かれた「復楽園」があってのもの。
 「復楽園は」ミルトンが失楽園を書き上げた時、友人に「君はこの続きをどうするのかね」と
 
 
 言われたので書いた。持つべきは良い友人である。
②旧約聖書は新約聖書があってのもの
③バッハのマタイ受難曲はその後に作られた「ロ短調ミサ曲」があってのこと
④ルカ15章の「放蕩息子のたとえ話」は後半の「放蕩息子の兄」の態度が主眼
⑤バンヤンの『天路歴程は続編があっての正編、続編では「永遠の命、永遠の命!と叫んで
 家を出た、主人公の妻と子供が後を追って行く物語。

●夕方散歩。
 





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神を無視すると人間関係は淋しくなる ++++++++ 所感

2013/03/04 05:58

130304(月)4時半目覚め●朝の啓示「神を無視すると人間は淋しくなる」●3月14日の「キリスト教性教育研究会」での発題は「神を無視すると人間は淋しくなる・・・二度と渇くことのない生命の水の泉」と考える。
●関連聖句を掲げてみよう。

口語訳 創  2:9
2:9 また主なる神は、見て美しく、食べるに良いすべての木を土からはえさせ、更に園の中央に命の木と、善悪を知る木とをはえさせられた。

●命の木と善悪を知る木は違うことに注目したい。
●「見て美しく、食べるに良い」ということ自体が悪いのではない。

口語訳 創  2:15-17
2:15 主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。
2:16 主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。
2:17 しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。

●この段階では人類が労働が苦痛ではなかった。神に愛されてのろうどうだから。
●建築設計も建築主に愛されているときは深夜作業でも苦痛ではない。
●今日の労働争議は「時間短縮、賃金増額」。これは労働が苦痛だから。
●「善悪を知る木からは取って食べてはならない」というのは、信頼する番頭に仕事の全権を任せるが金庫の鍵は渡さない店主の心と同じ。神の主権の座は渡さないということ。

口語訳 創  2:22-25
2:22 主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。
2:23 そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、/わたしの肉の肉。男から取ったものだから、/これを女と名づけよう」。
2:24 それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。
2:25 人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。

●この段階では男女関係は良好。


口語訳 創  3:1-7
3:1 さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった。へびは女に言った、「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか」。
3:2 女はへびに言った、「わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、
3:3 ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました」。
3:4 へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。
3:5 それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。
3:6 女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。
3:7 すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。

●「善悪の判断はこの自分がする」、というところが神を無視している。これが神の逆鱗に触れた。これが罪の本質。
●「食べるに良く、目には美しい」こと自体は悪くない。なぜか。神がそのように創造したからである(創世記2:9)
●神を無視することがいけなかったのである。
●イケメン、美人必ずしも悪くはない。ただ大体においてイケメンは道徳倫理がない。美人は常に高慢である。いずれも「自分を神にしている」

口語訳 創  3:22-23
3:22 主なる神は言われた、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」。
3:23 そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕させられた。

●神としても人間が「善悪の木の実」を食べたまではよかったが、次に「命の木の実」にまで手を出そうとしたことに驚異を感じた。なぜか、「永久に生きる」ということになり、自分(神)の座が奪われるかもしれないと思ったのだ。
●この神の恐怖がアダムtごエバを「楽園追放」にした。人類の不幸はここにはじまった。男は仕事を苦痛に感じ、女は出産を苦痛に感じるようになった。神の祝福がないことが原因。

口語訳 創  3:12-13
3:12 人は答えた、「わたしと一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれたので、わたしは食べたのです」。
3:13 そこで主なる神は女に言われた、「あなたは、なんということをしたのです」。女は答えた、「へびがわたしをだましたのです。それでわたしは食べました」。

●罪のなすりあい。男女関係の破綻の最初、夫婦関係の破綻の最初、「アノ人が悪いのです」という思いになる。被害者は何も知らない赤子。堕胎されるか、生まれてみたら夫婦仲の悪い冷たい家庭
●アダムがエバを「あの女」と言ったことは愛が冷えている証拠。妻が夫を「アノ人」と言ったら家庭の破綻の徴。
●今日の晩婚化の原因は、両親を見ていて結婚生活というものに「喜び」や「幸福」を感じないからである。結婚生活は楽しくないと思うのである。
●こういう破綻の影の主役は「悪魔」。神と人間の仲、アダムとエバの仲を妬んだ。その関係を破綻させようとして成功。「高笑いをしている」。」これは現代xも同じ。
●息子と嫁の仲を妬む姑の心は悪魔に取りつかれている。

口語訳 創  6:1-3
6:1 人が地のおもてにふえ始めて、娘たちが彼らに生れた時、
6:2 神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった
6:3 そこで主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう」。

●神に見放された人類の成れの果て。善悪の判断は自分にあるという思想から「自分の好む者」を妻にめとった。
●「好きな人と結婚するのがなぜいけないのか。」。根底に神を無視している思想があるから神の祝福を得られていない。
●人間に寿命というものがある原因はここにある。永久に生きようとしたしたことに対する「罰」なのだ。

塚本訳 ロマ 1:21-28
1:21 彼らは神を知っていながら、神として賛美せず、感謝をささげず、かえってその考えは空虚になり、その愚かな心は(ますます)暗くなったからである。
1:22 自分では賢いと言っているが、馬鹿になっている。
1:23 その証拠には、朽ちぬ『栄光』の神『の代りに、』朽ちはてる人間や鳥や四足や長虫の『像を』おがんでいる。
1:24 だから神は、彼らが情欲にかられて不品行を行うに任せられた。自分で自分の体を辱しめさせるためである。
1:25 彼らは真の神を偽りの神(偶像)にかえて、造物者の代りに創造物を崇めもしおがみもしたからである。造物者こそ永遠に賛美すべきである、アーメン。
1:26 このゆえに神は彼らが恥ずべき肉欲におぼれるに任せられた。すなわち、女はその自然の交わりを不自然な交わりにかえ、
1:27 同じく男も女との自然の交わりをすてて互に情熱をもやし、男と男とが恥ずべきことを行い、迷いに対する当然の報いをその身に受けている。
1:28
こうして彼らは神を知ることを役に立たぬものと考えたので、神の方でも、彼らの心が役に立たなくなるに任せられた。その結果彼らは(人として)なすべからざることをするようになったのである。

●人類堕罪の原因は神の無視にあることと、それは性の堕落みじめさになって現れることをパウロはこう言ったのである。

塚本訳 黙  22:1-2
22:1 天使はまた神と仔羊の玉座から(流れ)出ている水晶のように輝いた生命の水の河を私に示した。
22:2 都の大通りの真中と河の此方彼方に生命の樹があって、(一年に)十二度実を結ぶ、すなわち月毎に実が生るのである。そしてその樹の葉は諸国の民(の凡ての病と傷と)を医す

●創世記は聖書の始まりで人類の堕罪と「楽園追放」のヒストリエ(物語)、最後の黙示録では「二度と渇かない」(ヨハネ4:15)生命の水があり、生命の樹が回復される。凡ての病と傷が医される。「楽園回復」である。
●万歳。新天新地の実現だ。

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朝の黙想終わり


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最上の幸福 ++++++++ 所感

2013/03/03 07:09

130303(日)4時半起床。本日の感話資料の最後の修正。プリント。間に合った。●「聖書知識」でキリスト告白の勉強。●最上の幸福。キリスト告白する人はなぜ幸福か。それは現在は悩みの子嘆きの子であるが、神の力で清められ復活の希望をも与えらえるからである。その聖書的根拠。

塚本訳 マタ 16:16-17
16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主、生ける神の子であります!」
16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。
これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから。

塚本訳 ロマ 9:16
9:16 従って(憐れみも慈悲も、)それは
(人間の)願望にも努力にもよらず、ただ神の憐れみによるのである。

塚本訳 Ⅰコリ12:3
12:3 だから(霊の見分け方について、)あなた達に次のことを知らせる、神の霊に感じて語る者は、だれも 呪われよ、イエス!とは言わない、また
聖霊に感じてでなければ、だれも、イエスは主と言うことは出来ない。

塚本訳 Ⅰコリ2:14-16
2:14 しかし(御霊を持たない)生まれながらの人間は、神の霊から出てくることを受け入れない。彼にはそれが馬鹿なことなのである。またそれを理解することも出来ない。(霊のことは)霊的に判断されねばならないからである。
2:15 反対に、霊の人はすべてのことを判断することができるが、しかし彼自身はだれからも判断されることがない。
2:16 なぜなら(聖書に)、『だれが主の御心を知って、主を教えることができるか』とあるからである。
ただわたし達(主キリストを信ずる者)は、キリストの(霊を持ち、その)心を持っているのである。

塚本訳 ヨハ 1:12-13
1:12 しかし受け入れた人々、すなわち、その名を(神の子であることを)信じた人には一人のこらず、神の子となる資格をお授けになった。
1:13
この人たちは、人間の血や、肉の欲望や、男の欲望によらず、神(の力)によって生まれたのである。

塚本訳 Ⅰヨハ5:1
5:1 どんな人でも、イエスが救世主であると信ずる者は、神(の力)によって生まれたのであり、またどんな人でも、自分を生んでくださったお方を愛する者は、彼(の力)によって生まれた者(、すなわち同じ父から生まれた者)を愛する。

塚本訳 Ⅱコリ5:17
5:17 だから、キリストと結びついている者は、新しい創造物である。古いものは消え失せて、いまここに、新しくなってしまっている!

塚本訳 マタ 1:20
1:20 しかし(なおも)そのことを思案していると、主の使いが夢でヨセフに現われて言った、「ダビデの末なるヨセフよ、心配せずにあなたの妻マリヤを(家に)迎えよ。
胎内にやどっている者は、聖霊によるのである。

塚本訳 ルカ 1:35
1:35 天使が答えた、「聖霊があなたの上に臨み、いと高きお方の力があなたを掩いかくすであろう。それゆえ(あなたから)生まれるものは、『聖』であり、神の子『と呼ばれる。』

塚本訳 ピリ 1:6
1:6 私は君達の間に善い仕事を始め給うたお方が、キリスト・イエスの(来臨の)日までに(必ずそれを)成し遂げ給うことを確信している。

塚本訳 Ⅰヨハ3:1-2
3:1 見よ、父はなんとすばらしい愛を賜わったことか、わたし達は神の子(たるべき特権を与えられたの)であり、否、事実上すでに神の子である!この世は神を知らないために、わたし達(が神の子であること)を(も)知らないのである。
3:2 愛する者たちよ、わたし達は今神の子であるが、(最後の日に)どうなるか、それはまだ現われていない。(キリストが)自分を現わされるときには、わたし達は彼に似ているであろうことを知っている。その時わたし達は彼をありのまま(の姿)で見るからである。(それはわたし達が彼に似ている証拠、また見ることによって、いよいよ似た者になるであろう。)

塚本訳 Ⅰヨハ5:5
5:5 では、だれがこの世に勝つのであるか、イエスは神の子であると信ずる者でなくして。


●人生がめちゃくちゃドロドロ無残になりみじめになって失敗の人生になってもイエスを神の子キリストと告白するならば成功の人生。これ以上の幸福はない。

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朝の黙想 終わり。

●妻と集会。高木、小寺(マタイ)、高橋(神・キリスト・聖霊の働きが人を救う)

http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/130303.htm


●午後、妻は合唱団へ


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親の小言と冷酒はあとで効いてくる ++++++++ 所感

2013/03/02 05:50

130302(土)5時起床●朝の啓示「復活伝承のき連鎖反応」●1997年に「胸が熱くなって」キリストの有体的復活を信じられるようになって以来、それを告知すると不思議に共鳴の反応がある。この外部からの共鳴反応が有体的復活が真理であることの証拠であると信じられるようになった。
 ●胸が熱くなってキリストの有体的復活が信じられるようになったいきさつはHPの次に記した。
「復活の喜び」である。

http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/hukkatu.htm

●この体験が不思議に連鎖反応を呼んできた。この連鎖現象がエクレシアの本質であることをスイスの神学者エミール・ブルンナーは次のように言う。

ブルンナー著作集第一巻教義学ⅢP160より引用
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●使徒達はキリストの啓示の目撃者であり原証人である。教会は、この原始キリスト教的エクrウェシアと歴史的連続性にあるときにのみ使徒的である。

●信仰についてのわれわれのあらゆる規定には常に、この初めの信条が共鳴していなければならない。それは使徒たちがこの歴史的イエスの中に信仰のキリストを認識しているということである。イエスを信じる者がキリスト者である。そしてこの信仰に従ってキリスト者であることに彼が到達するのhが、ただあの歴史的連鎖を媒介としてである。その連鎖は、イエスから原証人としての使徒達を通り、この原証言の上に建てられた教会を通って彼にまで下ってくる。

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ブルンナー著作集第一巻教義学ⅢP160より引用 おわり

●これは「神学」である。頭がすっきりする。けれども大脳皮質の営みである「神学」は常に「神学論争」といういがみ合いが生じる。現に上記ブルンナーの言説はカトリック教会の教義だとしても疑問はない
●しかしここで言っていることは聖書にある。明日の集会感話の一部を掲げよう

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16:7 しかし本当のことを言うが、わたしが(父上の所に)行くことは、あなた達のために利益である。行かねば、弁護者はあなた達の所に来ないが、行けば、わたしが彼を遣わすからである。

塚本訳 ヨハ 6:62-63

6:62 それなら、もし人の子(わたし)が(地上に下りてくる)前にいた所に上るのを見たら、どうであろう。そのときあなた達は、肉を食い血を飲むのが、霊の意味であったことに気づくであろう。

6:63 霊が命を与える。肉はなんの役にも立たない。いまわたしがあなた達に話した言葉は、霊である。だから、命である。

 

塚本訳 ヨハ 15:26

15:26 (また)わたしが父上のところからあなた達に遣わす弁護者、すなわち父上のところから出てくる真理の霊が来る時、それがわたしのことを(すべて)証明するであろう。

 

塚本訳 ヨハ 16:13

16:13 真理の霊が来る時、彼があなた達を導いていっさいの真理を悟らせるであろう。(いっさいの真理というのは、わたしと同じく、)彼は自分勝手に話すのではなく、(父上から)聞いたことを話すからである。また将来起るべき(世の終りの)ことをあなた達に知らせるであろう。

 

塚本訳 ヨハ 20:20-23

20:20 そしてそう言いながら、手と脇腹とをお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。

20:21 すると主はかさねて言われた、「平安あれ。父上がわたしを遣わされたように、わたしも(全権を授けて)あなた達を遣わす。」

20:22 こう言いながら彼らに息を吹きかけて、言われる、「聖霊を受けよ。

20:23 人の罪は、あなた達が赦してやれば赦されて消え、赦してやらねば赦されずに残る。」

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感話資料より。終わり

●この真理の聖書的根拠は次である。

塚本訳 ヨハ 20:6-9
20:6 続いてシモン・ペテロも来た。彼は墓に入り、亜麻布が(そのままそこに)あるのを見た。
20:7 また頭をつつんだ手拭は亜麻布と一しょになく、これだけ別の所に、包んだまま(の形)になっていた。
20:8 すると先に墓に着いたもう一人の弟子も入ってきて、見て、信じた
20:9 イエスは死人の中から復活されねばならないという聖書の言葉が、(この時まで)まだ彼らにわかっていなかったのである。


●8節の「見て、信じた」ということが目撃証人の初めである。

塚本訳 ルカ 24:31-32
24:31 (その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。
24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。


●「胸の中が熱くなった」というのは連亜反応のエンジンである。

新共同 エペ 1:13-14
1:13 あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。
1:14 この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。

●胸の中を熱くするものは「聖霊」である。

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朝の黙想終わり

●歴史上のイエスの言動は目撃者の肉眼と鼓膜の振動によって大脳皮質に蓄えられ伝承されたが、それを聞いた人は聖霊が降ると心の目(ルカ24:31、エペ1:18)その意味が分かる。「あとでわかる」。
●この「あとでわかる」という原理をこの世の言葉で言えば「親の小言と冷酒はあとで効く」ということか。
●「あとでわかった」人の連鎖反応集団がエクレシアの本質。2000年連鎖してきた。
●YT氏からのメールで「新島八重」の信仰のことなどを知った。私は内村、塚本、黒崎などの流れの中に育ったことをありがたく思った。
●ただしこのことは一つ条件がある。聖書に密着すること。学問と信仰を調和すること。
●TSK日本語版申命記27章入力
●12:30 妻は若井晋氏の講演に中野に出かける。

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