to 日記と感想 2013年04月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170812(土)14:00お江戸こらりあーず演奏会、文京シビックホール
    170821(土)15:00お江戸コラリアーズ定期演奏会、文京公会堂
    170809     TW誕生日
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170708(土)14:00在宅医療説明会(キララホール)
    170707(金)10:00池谷医院
    170706      TM誕生日
    170702(日) 集会感話
    170701      TT誕生日
    170630(金)12:20キララホールエントランスコンサート
    170628      IY誕生日
    170627(火)11:00 能城牧師来訪
    170625)日)10:10トミ子集会感話
    170625(日)14:00茅ヶ崎金子邸
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール
    170610(土)14:00内村鑑三セミナー、立教大学12号館。矢田部、椚」山
    170609(金)   TS命日
    170608(木)12:15ボリショイ「白鳥の湖」、東京文化会館
    170707(水)10:00池谷医院
    170604(日)10:00集会感話、
    170604(日)16:30近藤恵邸起工式、福島市。
    170530(火)14:00田岡氏来訪
    170527(土)14:00今井館ピアノコンサート
    170521(日)14:00新宿フィル、ブラームス1番、レスピーギ「鳥」「ローマの松」。和田睦夫
    170425       TN)誕生日
    150420(木)09:30阿伎留センター泌尿器科)
    170416(日)14:00武蔵野室内合奏団、杉並公会堂(大坪満子)


「永遠の命」はいかにして分かるか ++++++++ 所感

2013/04/30 07:04

130430(火)5時目覚め●朝の啓示「『永遠の命』はいかにしてわかるか●「永遠の命」は人類の究極の願である。そのために生きとし生けるものは「死ぬまい、死ぬまい」と必死の努力を重ねる。また重ねてきた。しかし「全世界を儲けてもそれは得られない。●受験戦争、就活、経済安定、安定収入、安定職場、婚活、恋愛、健康長寿、マイホーム、家庭平和、家庭団らん、世界平和,、然り教会(エクレシア)の繁盛完成の努力はつまるところ「永遠の命」にある「安らぎ」を求めていることだ。それは「永遠の命」の影を追い求めていることだ。しかしそれは不十分だ。目的に達しない。

口語訳 マタ 16:26
16:26 たとい人が全世界をもうけても、自分のを損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。


新共同 マタ 16:26
16:26 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のを失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。

塚本訳 マタ 16:26
16:26 たとい全世界をもうけても、命を損するならば、その人は何を得するのだろう。それとも、人は(一度失った永遠の)命を受けもどす代価として、何か(神に)渡すことができるのだろうか。

●では人間は「永遠の命」を得るために、いかなる方法をとればよいのか。
●聖書にはこの問題に「能動的」な答えと「受動的」な答えがある。一般的に「受動的」な答えを説くからキリスト教がわかりにくいと言われる。つまり「永遠の命は与えられるもの」という言い方になるから急に分かりにくくなるのだ。3次元ではなく急に4次元世界に消えて話が見えなくなるのだ。特にプロテスタントの「説教」がそうだ。「神の恩恵」という概念だ。結果的にそれは真理だが、「永遠の命」を求めている人には非常にわかりにく概念だ。
●そこでまず「永遠の命」や「救い」を得るために「いかにしたらよいか」という問いに対し「能動的」な答えをしている箇所を頭に浮かぶままに掲げてみよう。パソコンの検索能力を駆使して心に響く箇所を選択。

塚本訳 マコ 10:17-21
10:17 旅行に出ようとされると、ひとりの人が駆けてきて、ひざまずいて尋ねた、「善い先生、永遠の命をいただくには、何をすればよいでしょうか。」
10:18 イエスは言われた、「なぜわたしを『善い』と言うのか。神お一人のほかに、だれも善い者はない。
10:19 (するべきことは神の掟を守ることだけで、)掟はあなたが知っている通り。──『殺してはならない、姦淫をしてはならない、盗んではならない、偽りの証言をしてはならない、』奪い取ってはならない、『父と母とを敬え。』(ただこれだけである。)」
10:20 その人が言った、「先生、それならみんな若い時から守っております。」
10:21 イエスは彼をじっと見て、かわいく思って言われた、「(よく守った。だが)一つ足りない。家に帰って、持っているものをみな売って、(その金を)貧乏な人に施しなさい。そうすれば天に宝を積むことができる。それから来て、わたしの弟子になりなさい。」

塚本訳 マコ 10:29-30
10:29 イエスは言われた、「アーメン、あなた達に言う、わたしのため、また福音のために、家や兄弟や姉妹や母や父や子や畑をすてた者で、
10:30 今、この世で──迫害のうちにおいてではあるが──百倍の家と兄弟と姉妹と母と子と畑とを、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。

塚本訳 ルカ 10:25
10:25 するとそこに、ひとりの律法学者があらわれて、イエスを試そうとして言った
、「先生、何をすれば永遠の命がいただけるのでしょうか。」


塚本訳 ルカ 10:37
10:37 学者はこたえた、「その人に親切をした(サマリヤの)人です。」イエスが言われた、「行って、あなたも同じようにしなさい。(そうすれば永遠の命をいただくことが出来る。)

塚本訳 ヨハ 3:36
3:36 (だから従順に)御子を信ずる者は永遠の命を持つが、御子に不従順な者は命にはいることができないばかりか、神の怒りがその人からはなれない。」

塚本訳 ヨハ 4:36
4:36 すでに、刈る人は報酬を受けている。すなわち永遠の命にいたる実を集めている。まく人も刈る人も、同時に喜ぶためである。

塚本訳 ヨハ 5:24
5:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、わたしの言葉を聞き、わたしを遣わされた方を信ずる者は、(今すでに)永遠の命を持っていて、(最後の日に)罰を受けない。その人はもはや死から命に移っているのである。

塚本訳 ヨハ 5:39-40
5:39 あなた達は聖書(旧約)をもっていることが永遠の命を持っていることのように思って、それを研究している。ところがこの聖書は、(永遠の命である)このわたしのことを証明しているのに、
5:40
あなた達はその命を得るためわたしの所に来ようとしない。


塚本訳 ヨハ 6:27
6:27 (食べれば)無くなる食べ物のためでなく、いつまでもなくならずに、永遠の命に至らせる食べ物のために働きなさい。これは人の子(わたし)があなた達に与えるのである。神なる父上が、(これを与える)全権を人の子に授けられたのだから。」


塚本訳 ヨハ 6:40
6:40 子(なるわたし)を見て信ずる者が皆永遠の命を持ち、わたしがその人を最後の日に復活させること、これがわたしの父上の御心であるから。(だから信じない者は、父上がわたしに下さらない人たちである。)」


塚本訳 ヨハ 6:47
6:47 アーメン、アーメン、わたしは言う、(わたしを)信ずる者は永遠の命を持つ


塚本訳 ヨハ 6:54
6:54 わたしの肉を食い、わたしの血を飲む者は、永遠の命を持つ。わたしはその人を最後の日に復活させる。


塚本訳 ヨハ 12:25
12:25 [(この世の)命をかわいがる者は(永遠の)命を失い、この世で命を憎む者は、命を守って永遠の命にはいるであろう。


塚本訳 ヨハ 17:3
17:3 永遠の命とは、ただひとりのまことの神なるあなたと、あなたが遣わされた(子)イエス・キリストとを知ることであります。

塚本訳 使  13:46
13:46 そこでパウロとバルナバとは公然こう宣言した、「神の言葉は(お約束どおり)まず第一に、君たち(ユダヤ人)に語られねばならなかった。(だから、そうしたのだ。)しかし君たちがそれをはねつけ、自分で自分を永遠の命にふさわしからぬ者とするので、それでは、よし、異教人(の伝道)へ方向をかえる。

塚本訳 使  16:29-31
16:29 牢番は明りを持って来させて(牢の中に)駈けこみ、震えながらパウロとシラスとの前にひれ伏した。
16:30 そして二人を外につれだして言った、「先生方、救われるにはどうしなければならないのですか。」
16:31 二人が言った、「主イエスを信じなさい。そうすればあなたも家族も救われる。」

●次に何かをするのではなく、「受動的」な言い方をしている箇所をピックアップしてみよう。
永遠の命は神に与えられるものであるから受動的な言葉が真理である。つまり神の能動を受け入れるか信ずる事なのだが、神を知らない人間にとってはこの原理がすこぶる理解しにくいことなのだ。

塚本訳 ヨハ 1:10-12
1:10 この世に来ておられ、世はこの方によって出来たのに、世はこの方を認めなかった。
1:11 いわば自分の家に来られたのに、家の者が受け入れなかったのである。
1:12 しかし受け入れた人々、すなわち、その名を(神の子であることを)信じた人には一人のこらず、神の子となる資格をお授けになった。


塚本訳 ヨハ 3:15-16
3:15 それは、(蛇にかまれた者がその銅の蛇を仰いで命を救われたように、)信ずる者が皆(天に上った人の子を仰いで、)彼にあって永遠の命を持つためである。
3:16 そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである。


塚本訳 ヨハ 4:14
4:14 わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」

塚本訳 ヨハ 5:24
5:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、わたしの言葉を聞き、わたしを遣わされた方を信ずる者は、(今すでに)永遠の命を持っていて、(最後の日に)罰を受けない。その人はもはや死から命に移っているのである。

塚本訳 ヨハ 6:44
6:44 (わたしを信じないのは、父上が引っ張ってくださらないからだ。)わたしを遣わされた父上が引っ張ってくださらなければ、だれもわたしの所に来ることはできない。(しかし来れば、)わたしはその人をきっと最後の日に復活させる。


塚本訳 ヨハ 6:49
6:49 あなた達の先祖は荒野でマナを食べたけれども、死んだ。(天から降って来たが、永遠の命がないからだ。)


塚本訳 ヨハ 6:54
6:54 わたしの肉を食い、わたしの血を飲む者は、永遠の命を持つ。わたしはその人を最後の日に復活させる。


塚本訳 ヨハ 10:28
10:28 するとわたしが永遠の命を与え、彼らは永遠に滅びない。また彼らをわたしの手から奪い取る者はない。

塚本訳 ヨハ 15:3
15:3 あなた達はわたしが語った言葉(を受け入れること)によって(汚れを除かれ)、すでに奇麗になっている。


塚本訳 ヨハ 17:2
17:2 あなたは、子に下さいました者に一人のこらず永遠の命を与えさせるため、全人類を支配する全権を子に与えられたのですから。 

●これで分かることは、「受動的」な言葉はほとんどが「ヨハネ福音書」である
●ヨハネ福音書はパウロ神学に近い。それは救いの「説明」である。神学である。
●関根正雄先生は「ヨハネ福音書」はパウロから出ていると言われた。至言。
●「信ずる」という受動的な言葉はその背後に神の能動的行為がある。
●だから神なき人間の世界にはこの受動的な言葉は次元が異なるから全く分からない。

●では永遠の命をゲットするためにはどうしたらよいか。神が能動して下さるために人間が祈りという能動をすることだ。永遠の命を神に求める事だ。自分で獲得しようとしてはいけない。

塚本訳 ルカ 10:21-22
10:21 この時イエスは聖霊にみたされ、感激にあふれて言われた、「天地の主なるお父様、(神の国の秘密に関する)これらのことを(この世の)賢い人、知恵者に隠して、幼児(のような人たち)にあらわされたことを、讃美いたします。ほんとうに、お父様、そうなるのがあなたの御心でした。
10:22 (──知恵も力も、その他)一切のものが父上からわたしに任せられた。父上のほかに、子(であるわたし)が何であるかを知る者は一人もなく、また、子と、子が父上をあらわしてやる者とのほかに、父上が何であるかを知る者はない。」


塚本訳 ルカ 11:9-13
11:9 それで、わたしもあなた達に言う、(ほしいものはなんでも神に)求めよ、きっと与えられる。さがせ、きっと見つかる。戸をたたけ、きっとあけていただける
11:10 だれであろうと、求める者は受け、さがす者は見つけ、戸をたたく者はあけていただけるのだから。
11:11 あなた達のうちのどんなお父さんでも、子が魚を求めるのに、魚の代りに蛇をやるだろうか。
11:12 また卵を求めるのに、蝎をやるだろうか。
11:13 してみると、あなた達は悪い人間でありながらも、自分の子に善い物をやることを知っている。まして天の父上が、求める者に聖霊(という善いもの)を下さらないことがあるだろうか。

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朝の黙想おわり。 これですっきりした。永遠の命は神が与えよう与えようとしているので(これ、神の能動)、人はこれを信じて受け入れる(これ、人間の受動)ことで永遠の命をゲットできる。人間の能動的行為では永遠の命はゲットできない。







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「神の国を現される人」 ++++++++ 所感

2013/04/29 05:53

130429(月)5時目覚め。朝の啓示「神の国を現わされる人」●聖書の難しいよころは「点」で読むと見えないが、関連の複数個所を読むと2点で戦になり3点で面になって見えてくる。4点以上でちったい的になる。これは一句を語学的神学的に追及するよりも面白い。力が湧く。●これだから「聖書道楽」はやめられない。赦せこの道。なぜか。この道楽は天国行きの準備になるから一挙両得だ。

塚本訳 ルカ 16:27-30
16:27 金持が言った、『父よ、それではお願いですから、ラザロをわたしの父の家にやってください。
16:28 わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。』
16:29 しかしアブラハムは言う、『(その必要はない。)彼らにはモーセ(律法)と預言書と[聖書]がある。その教えに従えばよろしい。
16:30 彼が言った、『いいえ、父アブラハムよ、もしだれかが死人の中から行ってやれば、きっと悔改めます。』

●つまり「聖書を読む」ことが天国行きの準備だというのである。
●ところがこの聖書は、神からの霊が降らないと全く意味がわからないように出来ているから悩みなのだ。


●今朝のテーマは「神の国を現される人」。「神の国」を聖書事典」や「先生」に聞くと頭はすっきりするが心が燃えない。頭での理解は「人を斬る」。「思想戦」を起こす。だから地味であるが「聖書で聖書を読む」方法をとる。

塚本訳 ヨハ 6:43-44
6:43 イエスが答えられた、「つぶやき合うのをやめよ。
6:44 (わたしを信じないのは、父上が引っ張ってくださらないからだ。)わたしを遣わされた父上が引っ張ってくださらなければ、だれもわたしの所に来ることはできない。(しかし来れば、)わたしはその人をきっと最後の日に復活させる。

●これは絶望だ。神が引っ張ってくださらなければだれも天国に入れない。
●しかし逆に「絶対的安心」でもある。「この人間は引っ張ることをやめよう」という認識も神のうち、どの道神に覚えられているからだ。

塚本訳 マタ 4:18-20
4:18 ガリラヤ湖のほとりを歩いておられるとき、二人の兄弟、ペテロと言われたシモンとその兄弟アンデレとが、湖で網を打っているのを見られた。彼らは漁師であった。
4:19 「さあ、ついて来なさい。人間の(漁をする)漁師にしてあげよう」と言われると、
4:20 彼らはすぐ網をすててイエスに従った。

●神は人間を「釣る」のである。ペテロを使って、内村を使って。
●神は釣ろうと思う時はそこに餌をまいて「釣る」。
 ●ペテロ、ルター、内村、塚本は釣針。しかし世にはこの釣り針の研究に熱心な人間がいる。もったいないj人生。

塚本訳 マタ 16:16-17
16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主、生ける神の子であります!」
16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから。

●なぜ幸いなのか。神が直々に示したからである。
●人間の「思想」に釣られたのでなく神に釣られたからである。
●「悪霊」に続く言葉に「取りつかtれている」が多い。釣られる人間は「神の霊に取りつかれた」のである。不思議な人間である。

塚本訳 ロマ 9:27
9:27 (預言者)イザヤもイスラエル人について叫んでいる。『たとえイスラエル[ヤコブ]の子孫の数は海の砂のように(多数)であろうとも、(信ずる小数の)残りの者(だけ)が救われる。
 
●神に釣られる人間はいる。「残りの者」は確実にいる。時空を超えている。それはホームページを通じて実感する。過日はカナダのトロント、バンクーバーから。国内では大分県、北海道の「「残りの人」と心が通じだ。
●「残りの者」はこの世の人が喜ぶものを喜ばない。「残りの者」が喜ぶものは、この世の人にはつまらない。

塚本訳 Ⅰコリ1:18
1:18 なぜか。この十字架についての言葉は、滅びゆく者には馬鹿なことであるが、わたし達救われる者には、神の力(の現われ)であるから。

●「滅びゆく者」とは誰だろう。

塚本訳 ヨハ 17:12
17:12 わたしが一しょにいた間は、わたしに下さいましたあなたの名で彼らを守り、また保護していました。だから彼らのうちだれ一人滅びた者はありません。ただ聖書が成就するために、あの滅びの子(ユダ)が滅びただけです。

●「滅びの子」という認識も神のうち。
●悪魔もまた救われる。しかし私はユニヴァーサリストではない。
●ユダは全人類救済の経綸のために一時的に利用された。ユダも神に創造されたものだ。

塚本訳 ロマ 11:11-12
11:11 それで、わたしは考える、彼らが躓いたのは、倒れて滅びるためではあるまいかと。もちろん、そうではない。むしろ反対に、(キリストを信じなかった)彼らの過ちによって救いが異教人に来た。(そのことが刺激になって)彼らに『妬みをおこさせ、』(彼らも信仰を求めて、ついに救われ)るためである。
11:12 しかしもし、彼らの過ちが、(福音を外に溢れさせて異教人の)世界を富ませ、また彼らの失敗が異教人を富ませることになったとすれば、まして彼らが(一人のこらず信仰に入って神の御心を)満たす時(の幸福と喜びと)は、どんなであろう。

●一見「救われない者」と見える者も救いの経綸のために存在する。不信仰は一時的なものである。

塚本訳 マコ 16:9
16:9 【さて週の第一日の朝早く復活して、まずマグダラのマリヤに自分を現わされた。以前に七つの悪鬼を追い出していただいた女である。

●神が永遠の命の証明として復活のイエスを現したのはあの罪の女のマリヤ。
●「まず」という言葉に注目したい。ここに新約聖書の全部が含まれている。

塚本訳 マタ 11:25
11:25 その時イエスは声をはげまして言われた、「天地の主なるお父様、(神の国の秘密に関する)これらのことを(この世の)賢い人、知恵者に隠して、幼児(のような人たち)にあらわされたことを、讃美いたします。

●神は「隠す」。嫌いな人に隠す。なぜか。態度が悪いから。

塚本訳 ヨハ 14:22-23
14:22 イスカリオテでない方のユダが言う、「主よ、いったいどういうわけで、わたし達だけに御自分を現わし、この世(の人)にはそうしようとされないのですか。」
14:23 イエスは答えられた、「わたしを愛する者は、わたしの言葉を守る。するとわたしの父上はその人を愛され、わたし達は(父上もわたしも)、その人のところに行って、同居するであろう。

●これ、大脳皮質が満足する答えになっていない。なぜか。イエスの言葉は霊の世界の言葉だからだ。

塚本訳 マコ 4:10-12
4:10 ひとりでおられた時、弟子たちが十二人とともにこれらの譬(の意味)を尋ねると、
4:11 言われた、「あなた達(内輪の者)には、神の国の秘密が授けられたいる(のでありのままに話す)が、あの外の人たちには、すべてが譬をもって示される。
4:12 これは(聖書にあるように)『彼らが見ても見てもわからず、聞いても聞いても悟らないようにする』ためである。『そうでないと、心を入れかえて(わたし[神]に帰り、罪を)赦されるかも知れない。』」

●だから「救いを頂いた人」は驚天動地の絶大なる恩恵を頂いた祝福された人である。

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朝の黙想 終わり。とにかく「この世」と「霊の世界のこと」は違うから相互に理解できない。













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儒教は血縁、キリスト教は霊縁 ++++++++ 所感

2013/04/28 06:58

30428(日)朝方の夢●とある見知らぬ街で、普段便りのない息子と通りすがりに出会った。お互いに「やー」と言って握手してそれ以上言葉を交わさないでで別れた。私は後姿を見て祈った。人生っていうのはこういうことなのかもしれない。親子、兄弟、親戚また同じ。●儒教は血縁、キリスト教は霊縁である。船が沈没するとき、儒教では「血縁(父母)を真っ先に救え」という。しかしキリスト教では「弱いものを先に救え」と教える。ここに精神文化の違いがある。●キリスト教信仰における血縁(親子、兄弟、親類)との別れは辛く涙である。●今朝はそのことを聖書のあちこちを思い浮かべてみよう。 ●信者はいさぎよく血縁とおさらばすべきなのだ。「天国行きの片道切符」なのだ。固く顔を前に向けて涙を振り払って進むべきなのだ。往生際をよく生きよう。

口語訳 創  22:2-3
22:2 神は言われた、「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」。
22:3 アブラハムは朝はやく起きて、ろばにくらを置き、ふたりの若者と、その子イサクとを連れ、また燔祭のたきぎを割り、立って神が示された所に出かけた。

●この故にアブラハムはユダヤ人から信仰の父と言われる。現代のアブラハムは子や孫を病気や悪魔の故に神に取られる。捧げさせられる。失う。神の試練だ。
●この世の常識では「子供殺し」なのでとても容認できない。

口語訳 ヘブ 11:8
11:8 信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、
行く先を知らないで出て行った。

●ビルを計画するときは向こう30年間ぐらいの「事業収支計画書」を作成しないと銀行は資金を融資してくれない。しかしその計画はほとんどが外れる。私の痛く苦い経験。
●私の知る教会の牧師は資金のメドがつかないのに教会堂の建築を始めた。しかし「何とかなった」。神の計画は成る。

塚本訳 ルカ 2:43-50
2:43 (祭の)日が終って帰る時、イエス少年はエルサレムにのこったのに、両親はそれを知らなかった。
2:44 道連れの中にいるとばかり思って、一日路を行ったのち、(はじめてそれに気づき、)親類、知人の中を捜したけれども、
2:45 見つからないので、捜しながらエルサレムに引き返した。
2:46 そして(都を出て)三日の後に、イエスが宮で教師たちの真中に坐って、話を聞いたり尋ねたりしているのを見つけた。
2:47 彼の話を聞いている人々は皆、その賢いうけこたえぶりに舌をまいていた。
2:48 両親はこれを見て驚き、母が言った、「坊や、どうしてこんなことをしましたか。ごらん、お父さまもわたしも(こんなに)心配して、あなたをさがしているではありませんか。」
2:49 彼らに答えられた、「なぜおさがしになったのです。わたしが(天の)お父さまの家に居るのは当り前でしょう。御存知なかったのですか。」
2:50 両親にはこう言われた言葉(の意味)がわからなかった。

●これは神の子イエスの反抗期である。両親は心配した。
●親は子供が「口答え」するようになるとショックである。しかしこれは成長の徴。第三者だから涼しい顔で言えるのだが、当の親はがっくりである。躾が悪いのではないかと思うものだ。
●塚本訳のここの部分は表題は「イエスの成長・過越しまいり」である。

塚本訳 ヨハ 2:1-4
2:1 それから三日目に、ガリラヤのカナに婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
2:2 イエスも弟子たちと婚礼に招かれた。
2:3 すると宴会の最中に酒が足りなくなったので、母がイエスに言う、「お酒がなくなりました。」
2:4 イエスが言われる、「女の方、〃放っておいてください。〃わたしの栄光(を示す)時はまだ来ておりません。」

●4節の「女の方」はグネー。「あんた」ということだ。また〃放っておいてください。〃は「関係ないだろー」という態度である。

塚本訳 マタ 12:46-50
12:46 イエスがまだ群衆に話しておられると、そこにその母と兄弟たちがイエスに話しがあって、外に立っていた。
12:47 〔無し〕
12:48 しかしイエスはそのことを知らせた者に、「わたしの母とはだれのことだ、わたしの兄弟とはだれのことだ」と答えて、
12:49 弟子たちの上に手をのばして言われた、「ここにいるのが、わたしの母、わたしの兄弟だ。
12:50 だれでもわたしの天の父上の御心を行う者、それがわたしの兄弟、姉妹、また母であるから。」

●母、兄弟、の言うことを振り切ったイエス。決定的な親子別れ、親不孝の暴言。

塚本訳 マコ 3:21
3:21 身内の者たちが(イエスの様子を)聞いて(ナザレからカペナウムへ)取りおさえに出てきた。「気が狂っている」と思ったのである

●信者たる者は皆この辛い峠を通る。家族から「気が狂っている」と言われる時が必ず来るのだ。涙なくして読めない。ここはマルコだけ。

塚本訳 マタ 10:34-36
10:34 地上に平和をもたらすためにわたしが来た、などと考えてはならない。平和ではない、剣を、(戦いを)もたらすために来たのである。
10:35 わたしは子を『その父と、娘を母と、嫁を姑と』仲違いさせるために来たのだから。
10:36
『家族が自分の敵となろう。』

●信仰が深くなればなるほどこうなる。

塚本訳 マタ 19:5
19:5 また、『それゆえに人は父と母とをすてて妻に結びつき、二人は一体となる』と言われたことを、あなた達は読んだことがないのか。

●塚本訳の「すてて」が本質。口語、新共同、新改訳の「離れて」では「スープの冷めない距離の離れ」程度で弱い。

塚本訳 マタ 13:54-57
13:54 郷里(ナザレ)に行ってその礼拝堂で教えられた。すると人々が驚いて言った、「この人はどこからこの知恵と、奇蹟とを覚えてきたのだろう。
13:55 これはあの大工の息子ではないか。母はマリヤで、兄弟はヤコブとヨセフとシモンとユダではないか。
13:56 女兄弟たちは、みんなわたし達の所に住んでいるではないか。するとこの人は、こんなことを皆どこから覚えてきたのだろう。」
13:57 こうして人々はイエスにつまずいた。しかしイエスは彼らに言われた
、「預言者が尊敬されないのは、その郷里と家族のところだけである。」

●信者は身内からも同窓生からも尊敬されない。それは血縁(この世)だからだ。
●母は「照男は親の私に向かって説教する」と娘に涙ぐんだことがある。
●塚本先生の弟子の白井きく先生(ギリシャ語、ドイツ語に強い)は伝道一本で行くために数学の教師をやめられた。御茶ノ水の同窓生たちは彼女のことを「聖書に凝っている」と冷たく批判した。

塚本訳 ヨハ 19:25-27
19:25 ところが一方、イエスの十字架のわきには、その母(マリヤ)と母の姉妹、クロパの妻マリヤとマグダラのマリヤが立っていた。
19:26 するとイエスは母上と、そのそばに立っている自分の愛する弟子とを見て、母上に言われる、「女の方、これがあなたの息子さんです。」
19:27 それからその弟子に言われる、「これがあなたのおかあさんだ。」この時以来、
その弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。

●イエスは自分の母を肉の兄弟(血縁)に託さないで「自分の愛する弟子」(使徒ヨハネと考えられる)に託した。これは血縁を断ち霊縁が重要だと考えたからだ。母マリヤはイエスの復活後、自分の子を礼拝するという奇跡的行為をするようになった。オシメを取り替えた親が子供を礼拝するようになることは絶対に不可能。血縁が切れて霊縁になった証拠。


塚本訳 使  1:12-14
1:12 それから彼らは、(このことのあった)いわゆるオリブ山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムに近く、安息日の旅行距離[八百八十メートル]ほど)であった。
1:13 (都に)入ると、彼らはいつも泊まっている二階の部屋に上がった。それはペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党のシモンとヤコブの子ユダ(の十一人)であった。
1:14 この人々は皆、女たち、とりわけイエスの母マリヤや、イエスの兄弟たちと、心を一つにして祈りに余念がなかった。

●マリヤは肉で息子を理解できなかったが霊において息子がわかった。
●「乙女なる母、自分の子の娘」。だから「めでたし(アベ)マリヤ」と歌われるのだ。
●私の不徳で、私は母に理解されなった。母逝きて早9年。悔やまれる。

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朝の黙想終わり。血縁とはサラサラと付き合おう。
 
●妻と集会へ。
●集会は川上(司会)、土肥(詩編46編)、横田(キリスト教の歴史、スラブ)

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神は人間に土地を耕すように命じられた。

新共同 創  2:15
2:15 主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。







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人はいかにして救いを求めるようになるか ++++++++ 所感

2013/04/27 05:45

130427(土)夜半に目覚め。●啓示「人はいかにして救いを求めるようになるか」●この世は罪の世でドロドロめちゃくちゃ、目も当てられない。手の付けようがない。つける薬がない●道徳も、修身も、躾も、訓戒も、常識も、儒教も、何もかも役に立たない。大津波の防波堤にならない。●では救いの道はないか。ある。キリストの血により罪が清められて全く新しく生まれ変わる事である。●問題はその救いを「罪の人間が如何にして求めるようになるか」である」。●この実際的な難問を聖書に聞いてみよう。順不同、頭に思い浮かぶままを掲げよう。

塚本訳 ガラ 1:4
1:4 キリストはわたし達の父なる神の御心にしたがい、わたし達を悪い現在の世から救いだそうとして、わたし達の罪のために自分を与え(て十字架につけ)られたのである。

●ここに「悪い現在の世」とある。これがパウロがこの書簡を書いたときから今も続いているのだ。

塚本訳 ヨハ 3:16
3:16 そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである。

●救いの目的は「真人間」になることではない。それ以上の「永遠の命」を持つことが出来るためである。

塚本訳 ロマ 3:22-26
3:22 この神の義は、イエス・キリストを信ずる信仰(だけ)によって、これを信ずるすべての者にあたえられる。(すべてというのは、そこに人間的の)なんの差別もないからである。
3:23 なぜか。すべての人が罪を犯したため、いまだれ一人、(かつて持っていた)神の栄光をもたない。
3:24 (さりとて失った栄光を回復する力はないので、何一つ)代価を払わず、(ただ)神の恩恵によって、キリスト・イエスによるあがないの力で、(神に)義とされる(道が設けられた)のである。
3:25 すなわち神は御自分の義を示すために、宥めの供え物としてキリストを提供された。これはキリストの血でなされたものであり、(人は)信仰によ(ってこの恩恵にあずか)るのである。このことは──神が(長いあいだ)忍耐をもって過ぎし日に犯した罪を罰せずにおられたので──
3:26 今の世において、御自分の義を示そうとされたのである。すなわち御自分が義であること、またイエスを信ずる者を義とするお方であることを、(この世に)示されたのである。

●24節塚本敷衍の「道が設けられた」は建築士の私にはぴったりくる。渡り廊下が出来たのだ。橋が設けられたのだ。渡れない川に「助け舟」が来たのだ。
●それでは罪で泥だらけの人間はどうしたらその橋を渡る気になるか、助け舟に乗る気になるのか。
●それは「落ちるところまで落ちなければならない」。理屈抜きに船に乗らなければならない。
●「助けてくれー」と叫んで、なりふり構わず「助け舟」に「飛び込まなければならない」 信仰は「飛び込み」である。エイッと飛び込むのだ。
●神は存在するか。キリストは神か人間かなどと「贅沢な研究」をしていてはいけない。
●人生罪の深みに陥って「ギブアップ」しなければならない。手を畳にバタバタと叩くべきだ。


塚本訳 ルカ 15:12-17
15:12 『お父さん、財産の分け前を下さい』と弟が父に言った。父は身代を二人に分けてやった。
15:13 幾日もたたないうちに、弟は(分け前)全部をまとめて(金にかえ、)遠い国に行き、そこで放蕩に財産をまき散らした
15:14 すべてを使いはたしたとき、その国にひどい飢饉があって、食べるにも困り果てた。
15:15 そこでその国のある人のところに行ってすがりつくと、畑にやって、豚を飼わせた。
15:16 彼はせめて豚の食う蝗豆で腹をふくらしたいと思ったが、(それすら)呉れようとする人はなかった。
15:17 ここで(はじめて)本心に立ち返って言った。──お父さんのところでは、あんなに大勢の雇人に食べ物があり余っているのに、(息子の)このわたしは、ここで飢え死にしようとしている。……


●人は大金が入ると99%が堕落する。男は水商売の汚い女(ルカ15:30)につぎ込む。
●放蕩に身を持ち崩すと仕事がうまくいかない。妻に見放される。これ古典的コースだから身内からこういう放蕩人間が出ても恥じることはない。罪の世の普通のことなのだ。
●ある時、熱心な信者ご夫妻のところにビル建築設計の打ち合わせに行ったときのこと。「高橋さんウチの息子は『普通の人間』です。そのつもりで付き合ってください。高橋さんと付き合ってあるいは信仰に導かれるかもしれません」と言われた。その息子は毎晩酒を飲み回っていたのである。
●ところが、神は不思議なことをされる。その息子の夫人がビル経営に行き詰った悩みを通して深い信仰に導かれた。今頃あの熱心な信者ご夫妻は天で喜んでおられるだろう。そのビルはついに他人の手に渡ったが、救いがその家に入った。永遠の命を得た。万歳。神います。

塚本訳 ルカ 15:30
15:30 ところがあのあなたの息子、きたない女どもと一しょに、あなたの身代をくらいつぶしたあれがかえって来ると、肥えた小牛を御馳走されるのはどういうわけですか。』

●ここに「きたない女」という言葉がある。フェミニスト神学やジェンダー論に熱心な「女史」軍団連中から抗議されるかもしれないが。聖書にはそう書いてあるのだ。(口語訳と新改訳は遊女、新共同訳は娼婦、)

口語訳 Ⅰコリ6:16
6:16 それとも、遊女につく者はそれと一つのからだになることを、知らないのか。「ふたりの者は一体となるべきである」とあるからである。


●昔から男は「悪い女」にひっかったり、溺れたりするものだ。そして財産を失い、家庭を失う。
●しかしイエスは遊女を救った。それならば遊女と一体になった「放蕩息子」も救われるわけだ。 
 
塚本訳 ロマ 5:20
5:20 (それなら律法は人を義として永遠の命を与えるためには役立たないのか。その通り。)律法は、過ちを増し強めるために第二義的に来たのである。しかし(神に感謝する、人の犯す)罪が増し強まれば、恩恵は豊かにあふれる


●身内に「放蕩息子」がでてしまった家庭は恥である。しかしその恥は恩恵に代わる。なぜか。十字架であり、今までその人を祈ることがあまりなかったのに祈りが篤くなるのだ
●人も家庭も「堕ちるところまで堕ちた」方が真の救いは近い。なぜか。救いを求めやすくなり、その結果として神が乗り出すからだ。放蕩は依存症。それは「病気」。
 ●昨日は、録画しておいた「認知症の夫を抱える妻たちの語り合い」という番組を見た。「認知症は脳の病気だと心得てあくまでも付き添うという気持ちになること」。「この病気になる前は離婚ということも考えたが、離婚できずにかえって夫婦の絆が深まった」という話を聞いて、認知症また神の摂理だと思った。それにしても家庭内の病人の看護をする人の十字架は尊い。「天に宝を積む」とはこのことだ。天で褒美が待っている。 介護する人の方が精神的におかしくなる危険がある。もしそれで倒れればそれは殉教だ。
●この番組を見終わって妻に言った。「お互い元気なうちにやれることはやっておこう」
●人はいつ突然に認知症になるかわからない。それは脳の病気なのだ。
 

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朝日。

文語訳 マタ 5:43-47
5:43 「なんぢの隣を愛し、なんぢの仇を憎むべし」と云へることあるを汝等きけり。
5:44 されど我は汝らに告ぐ、汝らの仇を愛し、汝らを責むる者のために祈れ。
5:45 これ天にいます汝らの父の子とならん爲なり。天の父は、その日を惡しき者のうへにも、善き者のうへにも昇らせ、雨を正しき者にも正しからぬ者にも降らせ給ふなり。
5:46 なんぢら己を愛する者を愛すとも何の報をか得べき、取税人も然するにあらずや。
5:47 兄弟にのみ挨拶すとも何の勝ることかある、異邦人も然するにあらずや。

塚本訳 マタ 5:43-47
5:43 あなた達は(昔の人がモーセから、)『隣の人を愛し、』敵を憎まねばならない、と命じられたことを聞いたであろう。
5:44 しかしわたしはあなた達に言う、敵を愛せよ。自分を迫害する者のために祈れ。
5:45 あなた達が天の父上の子であることを示すためである。父上は悪人の上にも善人の上にも日をのぼらせ、正しい人にも正しくない人にも、雨をお降らしになるのだから。
5:46 自分を愛する者を愛したからとて、なんの褒美があろう。(人でなしと言われるあの)税金取りでも同じことをするではないか。
5:47 また兄弟にだけ親しくしたからとて、なんの特別なことをしたのだろう。異教人でも同じことをするではないか。

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朝の黙想 終わり。これから朝食。

●6:55 妻は友人達と飯能方面に小登山に出発。夕方からはコーラスのレッスン。妻は忙しい。
●TSK日本語版士師19章、午後は20章を頑張って終了。
●「午後三時祈りの友会」が本年4月をもって約80年の歴史を閉じることになった。21年前に召された父のあとを継いで入会したので私も20年間入会していたことになる。今日来た最終号のあとがきを書かれた編集主幹稲垣謙次郎氏夫人の久子さんの言葉に胸が詰まった。
「今までいただいた恵みを、少しでも主にお返しできますように、なお祈りつつ、天国までの片道切符を持って進んでまいりましょう。限りない感謝をもって。シャローム」
●「天国までの片道切符」の言葉にに奮い立つ。そうだクリスチャンは帰りの燃料を積まないで突撃する特攻隊の精神で生きるべきだ。
●稲垣夫妻は、孫、息子の死、娘さんのパニック障害と苦難の連続であった。




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証人としての価値 ++++++++ 所感

2013/04/26 05:31

130426(金)4時45分目覚め●朝の啓示「証人」●人の霊魂を救うのは全くもって神である。人の霊魂の手術行為は神の領域である。100%神の業である。神は不思議な治療行為をなさる。時には時間がかかるが確実に癒してくださる。救ってくださる。人間が他人の霊魂に入り込んで執刀することは出来ない。●他人の罪を指摘して悔い改めさせて救おうとするのは人間の行為であって神の行為ではない。それは福音を説く人間を拝ませることでキリスト教ではない。人間教である。無教会の陥りやすい間違いはここにある。どの集会も〇〇先生、△△先生、の合唱、あるいはナツメロ大会である。●救われた者の義務は証人になることである。証言をすることである。「アノ病院に行って治った」ということを言うことである。これがクリスチャンが生きる価値である。それ以上のことをしようとするから神の職業領域を犯すことになり、事実上効果はない。●今朝はこの「証人、証言」について頭に思い浮かぶ聖句を掲げて感話をしてみよう。こうすることは朝の楽しみである。私のブログの意義でもある。「耳のあるものは聞け!」 ●某医師から「21世紀の社会的病理は『依存症と人格崩壊』と言うことを伺ったことがある。●クリスチャンは救いの証人として生きるときに「自分に価値が感じられて真の生きがいが湧く。残りの生涯「遊んでなんかいられない」●立派な人格や学問(神学知識、聖書知識、多くの外国語)がないと伝道できないと思わなくてよい。信仰偉人になれなければ人を救えないと嘆かなくてよい。アウグスチヌス、ルター、内村、植村、塚本、黒崎、関根、前田のような大人物になれなくてよい。●宗教的体験を語るのではない。昔は盲人であったが、「今は見える」ということを「証言」することが義務であり、価値であり、喜びである。

塚本訳 ヨハ 9:24-25
9:24 そこでユダヤ人は、盲であった男をもう一度呼んで言った、「本当のことを言うように!あの人が罪人であることは、われわれにはよくわかっている(のだから。)」
9:25 彼が答えた、「罪人かどうか知りません。ただ、(もと)盲であったわたしが、いまは見えるという、この一つのことだけ知っています。」

●この無名の盲人はこの証言の一言をもって人類に大貢献した。
●この結果彼は両親からもユダヤ人からも見放された。(ヨハネ9:22、34)
●救いは不思議な出来事である。この世の常識では理解できないことである。だから救いの証人になると、この世の人間から陰口を言われるようになる。
●私が耳にした陰口の数々は次の通り。
●「アイツは聖書に凝っている」「アイツは『その道』の人間だ」「アレはアレだ」「アレは了見の狭い人間だ」「アノ連中は意気投合している」・・・・勝手に言え。
●こういう陰口を叩かれないように「この世的にも立派」になって福音の証人になろうとするのは猿知恵であって意外に効果があがらない。
●某キリスト教同人誌は、執筆者に大学教授をズラーッと並べて驚かしていたが、編集者本人の老化怠慢(テレビばっかり見ていたそうだ)でついに消滅。当然である。この世的偉さを証言の土台にしていたからである。神が裁いた。学問的内容も大して深くなかった。
●福音証言は「同人」でなくてよい。「個人」でよい。それも失敗談を語れ。

塚本訳 Ⅰコリ15:3-10
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。
15:6 そのあと、一度に五百人以上の兄弟に御自分を現わされた。そのうちの多数の者はいまでも生きてい(て、わたしが嘘を言っていないことを証明してくれ)る。もっともすでに眠った者もあるにはある。
15:7 そのあと(御兄弟の)ヤコブに、それから使徒一同に、御自分を現わされた。
15:8 しかし一番最後には、さながら月足らずのようなわたしにも御自分を現わされた。
15:9 ほんとうにわたしは、使徒の中で一番小さい者である、いや、わたしは使徒と言われる値打もない、神の集会を迫害したからである。
15:10 しかし神の恩恵によって、いまあるような者であり、わたしに対するその恩恵はむだでなく、わたしは彼ら(使徒)一同よりも余計に働いた。しかしそれはわたしでなく、わたしを助けた神の恩恵である。

●6節の500人が復活の証人。我々はその一人になることが人生の目的であり、価値である。
●しかしそれよりも9節のパウロの「わたしは使徒と言われる値打もない、神の集会を迫害したからである。」の告白は「盲人であった」ということである。失敗談である。
●10節の「 しかし神の恩恵によって、いまあるような者であり、わたしに対するその恩恵はむだでなく、」は恩恵によって目が開き、それは無駄ではなかったという。
●人生で何が空しいかというと、人生の「無駄意識」である。これが「21世紀の社会的病理のうちの一つの『人格崩壊』である。
●依存症で人生を失敗した人間も神の恩恵によって救われると自分に価値が出てくる。その自信が湧く。立派な人格になることではない。「盲人であったのに目が開いた」という証言それ自身に価値があるのだ。

塚本訳 ルカ 7:44-47
7:44 女の方に振り向き、シモンに言われた、「この婦人を見たか。わたしがこの家に来たとき、あなたは足の水もくれないのに、この婦人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でふいてくれた。
7:45 あなたは接吻一つしてくれないのに、この婦人はわたしが(この家に)来たときから、わたしの足に接吻のしつづけである。
7:46 あなたは(普通の)油をすら頭に塗ってくれないのに、この婦人は(高価な)香油を足に塗ってくれた。
7:47 だから、わたしは言う、この婦人の多くの罪は赦されている。(いま)多くわたしを愛したのがその証拠である。赦され方の少ない者は、愛し方も少ない。」

●この部分(ルカ7:36-50)の塚本訳の表題は「罪の女香油を塗る」である。
●高価な香油をイエスに使ったことが「行為としての証言」である。
●キリストを語って天下国家を断罪するのが「証言」ではない。トンデモナイ間違いをしている人間がいる。それは信仰の堕落である。キリスト教はヒューマニズムやマルキシズムではない。そこまで堕ちてはならない。

塚本訳 マタ 21:15-16
21:15 すると大祭司連や聖書学者たちは、イエスがされた不思議な業と、宮(の庭)で子供たちが、「ダビデの子に『ホサナ!』」と言って叫んでいるのを見て憤り、
21:16 イエスに言った、「あの子供たちがなんと言っているのか、聞えているのか。」イエスは言われた、「聞えている。あなた達は『(神よ、)あなたは幼児と乳飲み子との口によって、(御自分のために)賛美をお備えになった』と詩篇にあるのを、まだ読んだことがないのか。(大人が黙っているから、子供が叫ぶのだ。)」

●「幼児と乳飲み子」はその存在自身で「証言者」である。
●今や教会も無教会も「幼児」がいない。老人ばかりである。これは世界的な現象らしい。
●しかし「枯れ木も山の賑わい」である。遊び暮らしていても「一応は信者
である。老木は老木の故に朽ちて倒れて次の新芽の栄養分となるということが「証人」の価値だ。

塚本訳 マコ 9:36-40
9:36 それから、一人の子供(の手)を取って彼らの真中に立たせ、それを抱いて言われた、
9:37 「わたしの名を信ずる一人のこんな子供を迎える者は、わたしを迎えてくれるのである。わたしを迎える者は、わたしを迎えるのでなく、わたしを遣わされた方をお迎えするのである。」
9:38 ヨハネがイエスに言った、「先生、わたし達の仲間でない者が、あなたの名を使って悪鬼を追い出しているのを見たので、止めるように言いました。仲間にならないからです。(しかし言うことを聞きませんでした。)」
9:39 イエスは言われた、「止めさせるに及ばない。わたしの名を使って奇蹟を行ったすぐそのあとで、わたしの悪口の言える者はないのだから。
9:40 反対しない者はわたし達の味方である。

●エクレシアはいつの時代も「玉石混交」。「ごった煮のチャンコナベ」
●エクレシア内の遊び人を批判してもその人に聖霊は降らない。「無い袖(聖霊)は振れない」からである。 言うだけ時間の無駄。
●「マー、そのままにしておけ。『反対しない者は味方』」だ。ダメな者は神が裁く。(マタイ13:19-20)

口語訳 詩  19:1-4
19:1 もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。
19:2 この日は言葉をかの日につたえ、この夜は知識をかの夜につげる。
19:3 話すことなく、語ることなく、その声も聞えないのに、
19:4 その響きは全地にあまねく、その言葉は世界のはてにまで及ぶ。神は日のために幕屋を天に設けられた。

●3節「話すことなく、語ることなく、その声も聞えないのに」
●天国に行ったら牧師の口と信者の耳であったという笑い話がある。
●よそのことは言えない無教会者が天国に行ったら無教会雑誌の山であったと言われそうである。その雑誌の内容は「いがみあいの論争」であって「落ち着けない」。

新共同 マタ 7:20
7:20 このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける。」

●内村鑑三が知られるようになったのはその弟子たちがこの世的に有名になったからである。終戦工作、教育基本法の制定などにも内村の弟子たちがかなり多くいたからである。戦後東大総長に南原、矢内原と2代続いたからである。内村の「実」がなったのである。これはこれで立派な「証人」であるが、内村の証人になるのではいけない。無教会の「証人」になるのではいけない。この世の偉さに膝をかがめる人間はこれに驚くが信者にはならない。あとが続かない。
●塚本虎二の弟子たちから関根、前田、中澤などの著名な聖書学者という「実」がなった。しかし先生を慕うグループが出来てそれでおしまいである。後が続かない。
●人は「罪の赦しの福音」によって救われる。エクレシアはそれが本質であって連鎖する。
●私の若き友人は言った「高橋さん。無教会主義集会はカッコイイ職業に就いてないと肩身が狭い」と。彼はその後精神を病んで自殺した。私に一言も連絡なく逝ったことが悔やまれてならない。

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朝の黙想おわり。
 
●上記黙想により、次回感話の資料を追加修正
●ウィークデー「女の視点で語る」2012年版の送り状を作成。
●TSK日本語版士師記18章の入力とアップ。「パンを水の上に投げよ」だ。
 

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サツキ。
その昔、住宅設計の打ち合わせ中、建築主から「ツツジとサツキ」の違いを聞かれた。
同僚のS君も私も分からずにいたが、S君が苦しまぎれに「ウーン。親戚です!」と名答。
この花を見るたびに還暦を待たずに逝ったS君のことを思い出すのだ。


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雲行きが怪しくなった夕方。奥多摩連山の夕日が淋しい。2階の窓から撮影。
ニュースでは福島県の郡山付近では雹が降ったそうだ。
福島県には知っている人が多くいる。大丈夫か。











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神の知恵。聖書の和音 ++++++++ 所感

2013/04/25 05:31

130425(木)4時50分時目覚め●朝の啓示「神の知恵」●啓示された「神の知恵」という言葉に全聖書から「和音」を発している言葉を掲げる。この作業は面白い。朝の楽しみである。そもそも聖書は信仰が同じものを集めた者であるから和音を発している。●和音を発しないものは長い歴史の中で排除されて行った。●聖書の結集は神の霊の働きである。●イエスもパウロも自分の信仰を語るときに「聖書的根拠」を示した。●過日「ものみの塔」の信者が玄関に来たので、なにか一言言ったら、やおら聖書を開いて「垂訓」を垂れた。これはいわゆるバイブルクリスチャンという類であって、実に失礼な態度であった。●聖書は自分で読まなければならない。識字率の高い日本人にはその能力がある。教会で牧師の説教を聞いたり、無教会集会でほかの人が「勉強」してきたことを聞くのではいけない。●塚本虎二先生は「私の翻訳文を読むな。 私が聖書に向かった姿勢を学べ」と言われたそうだ(側聞)。そうすると塚本訳の真の価値は区分ごとの要約の言葉である。感話である。ここに塚本訳の価値がある。●では私なりに「神の知恵」という概念の和音を聖書に探ろう。これ私流の聖書に向かう姿勢である。 
 
塚本訳 マタ 11:25
11:25 その時イエスは声をはげまして言われた、「天地の主なるお父様、(神の国の秘密に関する)これらのことを(この世の)賢い人、知恵者に隠して、幼児(のような人たち)にあらわされたことを、讃美いたします。


●キリスト教の雰囲気教育は小学生、そして入信は高校生の時ではあるまいか。私の場合がそうであった。

塚本訳 Ⅱテモ3:15-17
3:15 また(既に)子供の時から聖書を習ったことを知っているではないか。この聖書はキリスト・イエスの信仰による救いへの知恵を君に与えることが出来る。
3:16 聖句は悉く霊感されたもので、教訓に、訓戒に、矯正に、義の教育に益があり、
3:17 かくて神の人が完成し、あらゆる善い仕事をする準備が出来る。

●キリスト教幼児教育の重要性は、教師たちの熱心な親切な姿勢を子供が感じるところにある。OT先生は幼いころ「一粒会」(?)通われたが、何を聞いたかわあすれたが、ただ教師たちが学校の先生よりも真剣であったことだけが記憶にあったという。これ成功の教会教育。

塚本訳 Ⅰコリ1:28
1:28 また世の身分の低いもの、軽蔑されているもの、(いや、あっても)無い(ように思われている)ものを神はお選びになった、ある(と思われている)ものを無にするためである。

●某氏は生まれる時にへその緒が首に絡まって出産、脳がやられ障碍者として生涯御苦労された。皆に馬鹿にされた。しかし亡くなられた時、御遺体の顔の白い布を取ってみたら、ニコニコ顔であった。そばの御夫人が「今にも起きて来そうな顔ですね」と言われた。万歳。成功の人生だ。


塚本訳 マコ 4:10-11
4:10 ひとりでおられた時、弟子たちが十二人とともにこれらの譬(の意味)を尋ねると、
4:11 言われた、「あなた達(内輪の者)には、神の国の秘密が授けらている(のでありのままに話す)が、あの外の人たちには、すべてが譬をもって示される。

●神の国の秘密は神に「授けられる」もの。信仰は神の力によって起こされる。勉強ではない。それは人生の荒波で「授けられる。

塚本訳 Ⅱコリ7:10
7:10 なぜなら、神の御心に沿った悲しみは、(人を)救いに入れる悔いのない悔改めをもたらすけれども、この世(的)の悲しみは、(絶望と)死をもたらすからである。

●父親が酒乱、母親が身持ちが悪いという最悪の家庭でも、神は不思議な力でその不幸な子供を救済する。サルベージする。


塚本訳 ルカ 8:16
8:16 (しかし外の人たちに神の国の秘密が隠されるのは、)だれも明りをつけて器でおおい隠したり、寝台の下に置いたりする者はない。(部屋に)入ってくる者にその光が見えるように、かならず燭台の上に置くのである。


●私のブログは「失敗談」。誰かが「自分を捨てなければああいうブログは書けない」と言われたが至言。自分を隠して飾ろうとする人は「外の人」に対して永久に闇。何の影響も与えない。自分を隠すのは罪。罪の語源は「包む」。「恥は私に栄光は神に」。

塚本訳 Ⅰコリ1:18
1:18 なぜか。この十字架についての言葉は、滅びゆく者には馬鹿なことであるが、わたし達救われる者には、神の力(の現われ)であるから。

●一人の人が死んで全人類が救われるという「虫のいい」論理はその人に直接「神の力」が働かなければ永久にわからない。 2000年前のことが今の私に現実になる。これ聖霊の働きである。神学用語では「シンクロネスティ」(同時性)と言うのだそうだ。

塚本訳 Ⅰコリ12:8-9
12:8 すなわち、ある人には御霊をもって知恵の言葉が与えられ、ほかの人には同じ御霊によって知識の言葉が、
12:9 他の人には同じ御霊において信仰が、ほかの人にはその一つの御霊において治療の賜物が、

●信仰は理性の学問的裏付けを要求する。信仰と高度の学問(神学ではない)の一致調和が必要。神は人の子の姿をとって見える形になった。これ理性の安息。教会の礼典は「見える言葉」。無教会の某家庭集会では聖餐式を始めるようになった。お子様が脳性小児麻痺、聖書などとても読めない。いわんや信仰告白なども到底できない。しかし何とか神の救いの真理を見える形にしてその子供に見せたいという親心であるという。この話「二元論」でなく「人間論」(塚本虎二)だ。建築は見えない心を見える形にすること。
●無教会者が教会に通うようになって洗礼や聖餐を受けても、それは毒ではない。しかし薬にもならない。つまり「毒にも薬にもならない」。それを「薬になる」というから福音の認識がおかしくなる。救いはその人に神の知恵と神の知恵が働くときに実現するのであるからそのことを熱心に祈らなければならない。頭から水をかけても毒にはならないが救われない。食パンを切ったものを食べても毒にはならないが救われない。

塚本訳 Ⅱコリ4:6
4:6 というのは、(世界創造の時、)「光、暗闇から輝き出でよ」と言われたその神は、キリストの顔に現れている神の栄光を知る知識が明らかになるため、わたし達の心の中に光を輝かせてくださったからである。

●「神の栄光を知る知識」は神の知恵と力で心の中に光を輝かされる時である。その時は必ず来る。

塚本訳 エペ 1:17-18
1:17 われらの主イエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と黙示との霊を君達に与えて神の知識に至らせ給わんこと、
1:18 また【君達の】心の目を明らかにして、神に召され(ることによって得)た希望の何であるか、『聖徒の受くる』光栄ある(天の)『相続財産』の富の何であるか


●昨日は全国一斉の学力テストが行われた。しかし「知恵と黙示の霊」。これが人生において最重要であるが学校では教えられない。

塚本訳 コロ 2:2-3
2:2 皆の心を励まし、愛によって教え、(かくて)豊富且つ完全なる凡ての聡明、(然り、)神の奥義すなわちキリストを知る知識に達せしめようとしているか、ということである。
2:3 『知恵』と知識と『のは』悉くこのキリストの中に『隠されている』のである。

●キリストの霊の中に万物が込められている。「神の知恵」が込められている。
●クリスチャンをやめられない理由はここにある。狭く窮屈な人生ではない。広く自由な心になれるから。

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朝の黙想 終わり

●上記黙想により、次回感話の資料を修正。
●2007年、チャイコフスキーコンクール、ヴァイオリン部門で優勝した神尾真由子の密着取材のTVを見た。芸術家で有名になった人にありがちな態度の悪さを感じた。この世的に有名になった人や金持ちで心が砕けている人は少ない。そういう人は神の国からは遠い。神以外に頼るものがあるからだ。この世的に自慢することのない人は幸いだとイエスが言うのは真理だ。

塚本訳 マタ 5:3
5:3 ああ幸いだ、神に寄りすがる『貧しい人たち、』天の国はその人たちのものとなるのだから。

●妻は今井館に所要。それから中野の愛子の家に手伝い。
●内村鑑三は理想的な仕事として「平民の伝道者、貧家の良妻」を挙げる(「いかにして我が天職を知らんか」)●つまりこの世的に誇れる、自慢出来る職業、勤務先でばく、学歴もないけれども徒手空拳、捨て身で伝道している人間、また貧困だが神を信じて明るく、収入の少ない夫を励まし、子女を神に導く良妻を理想的人物とということか。
●その「平民の伝道者」である藤尾正人氏が素晴らしいエッセーを書いているのをNETで見つけたので掲げる。私は藤尾氏と2~3度言葉を交わしたことがある。

藤尾正人氏のエッセー
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「大感謝」  藤尾正人

 

 

病を癒された人は幸いである。 その者は感謝するがよい。

 

  しかし、癒されない病の中で主に感謝する者の信仰は更に大きい。

  

 

良き伴侶を得た男女は幸いである。 その者は感謝するがよい。

 

  しかし、良縁を与えられぬまま主に仕える者の信仰は更に大きい。

 

 

子宝に恵まれた親は幸いである。 その者は主に感謝するがよい。 

  しかし、子宝に恵まれないままでも主を恨まず、かえって主を賛美する者の信仰は
  更に大きい


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藤尾正人氏のエッセー 引用終わり

●藤尾正人氏の写真 2006.10.22

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第33回塚本虎二先生記念会 野口英世記念会館 2006.10.22

左から藤尾正人 清水望 高橋照男

●午後、TSk日本語版士師17章入力アップ
●草むしり
●洗濯物取り込み、米とぎ、炊飯
●撮影散歩

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小さな鯉のぼり。この家には男の子がいるんだなー。
私の家は庭が狭かったので鯉のぼりは2階のベランダに付けた。
だから大きさもこれぐらい小さかったなー。
私の4人の子供たちは風に乗って飛んで行った。元気よく泳いでくれ。
みんな神に向かって泳いでほしい。

2013_04250008.jpg 

Sさんがくださった石楠花(シャクナゲ)がきれいに咲いた。花が咲くと送り主の心を
思うものだ。

新共同 雅  2:12
2:12 花は地に咲きいで、小鳥の歌うときが来た。この里にも山鳩の声が聞こえる。

新共同 雅  2:1
2:1 わたしはシャロンのばら、野のゆり。

新共同 イザ 35:1-2
35:1 荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ/砂漠よ、喜び、花を咲かせよ/野ばらの花を一面に咲かせよ。
35:2 花を咲かせ/大いに喜んで、声をあげよ。砂漠はレバノンの栄光を与えられ/カルメルとシャロンの輝きに飾られる。人々は主の栄光と我らの神の輝きを見る。






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いかにして「死の準備」をするか ++++++++ 所感

2013/04/24 05:55

130424(水)3時半一時目覚め、5時半起床。朝の啓示「いかにして『死の準備』をするか。●花の60代もあと3か月を切った。●今鋭意作業中の「TSK日本語版」は私のこの世への置き土産であるが、これは2015年春、あと2年で終了。そのあとは一気に「死の準備」に突入したい。どうせ死ぬなら意義ある死に方をしたい。来世に入る準備のために時間を費やしたい。受験準備ならぬ天国準備である。●このことを聖書に聞いてみよう。「説教調」にならないように注意して感話する。

塚本訳 ルカ 16:19
16:19 (つぎに、利巧な番頭と反対に、神の国の準備をしなかった人の話を聞け。)一人の金持があった。紫(の上着)と細糸の亜麻布(の下着)を着て、毎日華やかに楽しく暮していた。

●塚本訳の敷衍に「神の国の準備をしなかった人」という言葉がある。つまり来世に入るための準備をしなかった人の運命である。この世と来世は正反対で不幸であった人は天国でなぐさめられるというのがイエスの死生観の基調である。(山上の説教など)


塚本訳 ルカ 16:27-31
16:27 金持が言った、『父よ、それではお願いですから、ラザロをわたしの父の家にやってください。
16:28 わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。』
16:29 しかしアブラハムは言う、『(その必要はない。)彼らにはモーセ(律法)と預言書と[聖書]がある。その教えに従えばよろしい。』
16:30 彼が言った、『いいえ、父アブラハムよ、もしだれかが死人の中から行ってやれば、きっと悔改めます。
16:31 しかしアブラハムは答えた
、『モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。』」

●その準備とは生きているうちに「聖書」を読んでいればそれが準備になるというのである。
●プロテスタントの信者は教会(集会)に遊びに行っている。礼拝をしに行ってはいない。リクレーションをやり、歌を歌い、バザー、諸活動、社会批判などをやって「親睦」を深めている。これは来世の準備にならない。やってもいいが「本業を忘れるな」(「マルタとマリヤ」、ルカ10:38-42)
●と言って「聖書」を「読む」「食らう」のではなく頭で勉強していたのでは「準備」にならない。いわんや聖書から逸脱して聖書以外の本、あるいは「聖書の周辺」の本を読んでいては当然「準備にならない」。信仰をもって聖書を読むのが「準備」になる。
●しかし「聖書」といっても難しいから「死人が生き返る」などの奇跡をしてもらわないと「アノ頑固な身内」は信じるようにはならないという。「悔い改めない」という。これは一足先に救われた者がまだ神を信じない身内に対する切なる願いである。
●しかしイエスは冷たいことを言う。「、『モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。』。と。つまりその人に「聖書の教えに従う」姿勢が出来てないと死人が生き返る有体的復活という驚天動地の奇跡が起きても「信じない人は信じない」というのである。お手上げである。
●現にイエスが復活してもこれを信じない人がいた。イエスの側近の中にもいたぐらいである。
●身内の救いは人間には無力である。お手上げである。


塚本訳 ヨハ 20:26-28
20:26 八日ののち、弟子たちはまた家の中に(集まって)いた。今度はトマスも一しょであった。戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスがはいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた。
20:27 それから(すぐ)トマスに言われる、「指をここに持ってきて、わたしの手(の釘の跡)をよく見てごらん。手を持ってきて、わたしの脇腹に差し込んでみなさい。不信仰をやめて、信ずる者らしくしなさい。
20:28 トマスがイエスに答えて言った、「わたしの主よ!わたしの神よ!」

塚本訳 マタ 28:16-20
28:16 さて、十一人の弟子はガリラヤに行き、イエスに命じられた山にのぼり、
28:17 お目にかかっておがんだ。しかし疑う者もあった
28:18 イエスは近寄ってきて十一人に言われた、「(いまや)天上地上一切の権能が、(父上から)わたしに授けられた。
28:19 それゆえに、行ってすべての国の人を(わたしの)弟子にせよ、父と子と聖霊の名で洗礼を授け、
28:20 わたしがあなた達に命じたことを皆守るように教えながら。安心せよ、世の終りまでいつもわたしがあなた達と一しょにいるのだから。」

●イエスの側近が「疑った」。だから我々も疑うのは当然である。身内が信仰をもたないのは当然である。
●このイエスの言葉にパウロ書簡の全部が入っている。つまり救いは神による「絶対恩恵による無条件の救い」なのであって、「救われない人」は何をやっても何が起きても「救われない」。然り、「信仰という努力」でも救われない。

●以下は「説教」

塚本訳 ヤコ 4:13-15
4:13 さあ来い、「今日か明日どこそこの町に行き、一年其処に居り商売をして儲けてやろう」と言う者達!
4:14 (だが)君達は明日のことを知らないのだ。君達の生命は何か。君達は一寸見えて、(直)またあとで見えなく成る湯気ではないか。
4:15 その代わりに君達はこう言わねばならぬ、「主の御心ならば、私達はいきていてこのことあのことを為よう!」

塚本訳 ルカ 12:17-20
12:17 『どうしよう、わたしの作物をしまいこむ場所がないのだが…』と金持ちはひそかに考えていたが、
12:18 やがて言った、『よし、こうしよう。倉をみなとりこわして大きいのを建て、そこに穀物と財産をみなしまいこんでおいて、
12:19 それからわたしの魂に言おう。──おい魂、お前には長年分の財産が沢山しまってある。(もう大丈夫。)さあ休んで、食べて、飲んで、楽しみなさい、と。』
12:20 しかし神はその人に、『愚か者、今夜お前の魂は取り上げられるのだ。するとお前が準備したものは、だれのものになるのか』と言われた。

塚本訳 マタ 16:25-26
16:25 (十字架を避けてこの世の)命を救おうと思う者は(永遠の)命を失い、わたしのために(この世の)命を失う者は、(永遠の)命を得るのだから。
16:26 たとい全世界をもうけても、命を損するならば、その人は何を得するのだろう。それとも、人は(一度失った永遠の)命を受けもどす代価として、何か(神に)渡すことができるのだろうか。

●金は絶対安心の根拠ではない。金で命は買えない。
●こういう聖書箇所を教会の講壇から「説教」するからクリスチャンの評判が悪くなる。「この世」を一生懸命生きている人に「水を差す」ようなことは言えない。ケチをつけてはいけない。
●人間ではなく神が強引に信者にする。漁をしていたペテロ、信者を迫害しに行こうとしていたパウロ、その勢いがある人を神は捉えた。
●どういう生き方が来世への「準備」になるかは、神の子キリストが上記ルカ16章で言いきっているが、次のことも参考になる。
●ヒルティ「幸福論Ⅲ、『二つの幸福』。ラテン語の諺「メメントモリ。(死を思え)。
●ハイデッガーの言葉「人間は皆死の壁に向かって歩みゆくものだが、大抵の人は『それは自分にとってはずっと後のことだ』と思っている」。至言。死は突然来る。イエスの言う終末の備えが必要。

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朝の黙想 終わり。

●今朝の黙想で次回感話の内容を一部変更。

●「恋愛は不自由」。●5年前のブログに次のようなことが書いてあった。我ながら良いことを言っている。

2008.1.10 のブログより引用
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●恋愛は不自由であり苦である。なぜか。作家の伊藤整は言う。「日本にはもともと人間に対する『愛』という概念はなく、それは「惚れる、慕う、恋する』であり、それは性の執着に根ざすものであった」。そして日本では「愛(め)でる」という言葉は自然現象(花鳥風月)に対してであって人間が対象ではなかった。人間に対する「愛」は明治以降キリスト教とともに日本に入ってきたのだという。

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2008.1.10 のブログより引用 おわり

●恋愛は2年で冷める。なぜか。それは「肉の思い」「肉的感情」で永遠なるものでないから。霊ではないからである。恋愛は冷めると めちゃくちゃになる。ドロドロになる。目も当てられない。手がつけられなくなる。そのとき人間は泣きながら「永遠なるもの」に目が覚める。結構なことだ。不幸こそ神の摂理だ。

塚本訳 ロマ 8:28-29
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである
8:29 というのは、神は(世の始まる前に)あらかじめお選びになった人たちをば御子(キリスト)と同じ姿にすることを、あらかじめお定めになったからである。──これは(こうして出来た)多くの兄弟たちの中で、彼を長男にするためである。──

●イマドキのワカイモンは熱烈恋愛の中にこそ幸福があると思い、この世の風潮もそうなっている。しかし現実はそうではない。離婚率3~4割とは亡国の徴。何も責任のない幼い子供たちは気の毒である。しかし人生は失敗して目が覚める。不幸は悲しいことだが、それによって「永遠の命」に目覚めれば、不運、不幸もまた益である。不思議に子供も救いに導かれる。

●妻は西国分寺の癌健診センターへ向かう。後姿を見送りながら祈った。
●TSK日本語版士師記16章入力アップ。
●庭の草むしり約15分。長くは出来ない。
●士師記16章はサムソンとデリラの物語であるので、昔500円(?)で購入してあったDVD、セシル・B・デミル監督の「サムソンとデリラ」を鑑賞。サムソンのひたすら神に従う姿勢と「女(デリラ)に溺れる」失敗が映画の主題になっている。デミル監督の信仰が現れている。
●いつの時代でも男は「神か女か」の間で苦悶するのだなー。
●16:00 妻が「何でもなかったわよ」と言って帰ってきたので安堵した。
●「何でもなかったわよ」という言葉で思い出すこと。 
●故中沢冾樹先生の御夫人生子さんは52歳の時「くも膜下出血」で倒れ、以後12年間も寝たきりの植物状態であった。先生は御苦労された。ある夜、ご夫人の生子さんが病院から「何でもなかったわよ」と笑顔で帰ってこられた夢を見られたという。生子夫人は64歳で召天 。早かった。お元気なころ、ご夫妻は聖地旅行のご報告に塚本虎二先生を訪問された。塚本先生はお二人の後ろ姿を見えなくなるまでじっと見送られていたという。
●中澤先生は、私が「塚本虎二先生10周年記念講演会」(1983年10月9日於YWCA講堂)で講演者の一人として講壇に立った時、御来聴くださった。私の講演の最後はヒルティ幸福論の結語から引用し「苦しみは瞬時にして喜びは永遠」と結んだ。先生はこれに感激されてお手紙を下さった。それは生子夫人が召される3年前のことであった。先生ご夫妻にはお子様はおられなかった。先生は今、故郷の高知に眠っておられる。先生とは御生前に「復活」について何度も手紙をやり取りしたものだ。万物復興の復活の朝、先生と語り会うことを楽しみにしている。ヒルティは「演説は生活なり」と言っている。先生の苦難の御生涯は人に最大のメッセージを発している。
●それにしても夫婦というのはお互いに健康で長生きしたいものだ。私達の願いと祈りは、子や孫が私達より先に逝かないことだ。しかし御心のままに、御心のままに。















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イエスの言葉は霊のことだから分かりにくい ++++++++ 所感

2013/04/23 05:42

130423(火)5時半目覚め●朝の啓示「イエスの言葉は霊のことだから分かりにくい」●音楽で親しい方が、私のブログを読んで、「難しい」と言われたことがある。●なぜだろうと考えるに天のこと、霊のこと、あの世のことが多いからではあるまいか。つまり大脳皮質ではわからない次元のことだからではあるまいか。●イエスの言葉が直弟子たちにも誤解され、この世の為政者からも理解されなかったのでイエスは殺されたのである。●しかし(・・・ここからが私のいうことが分からなくなるのだと思われるのであろうが、・・・・・)神から聖霊を頂くとその意味が見えてくる。●今朝はその摩擦の数々を掲げてみよう。 ●これを知れば、この世からクリスチャンが理解されずに「変わり者」と言われる理由が分かろうというものである。

塚本訳 ヨハ 6:63
6:63 霊が命を与える。肉はなんの役にも立たない。いまわたしがあなた達に話した言葉は、霊である。だから、命である。

塚本訳 ヨハ 4:13-14
4:13 イエスは答えられた、「この(井戸の)水を飲む者はだれでもまた渇くが、
4:14 わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」

塚本訳 ヨハ 6:31-35
6:31 わたし達の先祖は、(モーセが天から降らせた)マナを荒野で食べました。(聖書に)〃神は天からのパンを彼らに食べさせられた〃と書いてあるとおりです。(あなたもモーセのような徴を見せてください。」
6:32 そこでイエスは言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、モーセが天からのパンをあなた達に与えたのではない。わたしの父上が、天からの本当のパンを与えられたのである。
6:33 神の(与えられる)パンは天から下ってきて、世に命を与えられるものであるから。」
6:34 彼らが言った、「主よ、(もしそうなら、)いつもそのパンを戴かせてください。」
6:35 イエスが言われた、「
わたしが命のパンである。わたしの所に来る者は決して飢えない。わたしを信ずる者は決して二度と渇かない。

塚本訳 ヨハ 16:25
16:25 以上わたしは
(天のことを地上の事柄になぞらえて)謎のように話したが、(間もなく)もはや謎のように話さず、そのものずばりに父上のことを知らせる時が来る。

塚本訳 ヨハ 18:36
18:36 イエスが答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであったら、わたしの手下の者たちが、わたしをユダヤ人に渡すまいとして戦ったはずである。しかし実際のところ、わたしの国はこの世のものではない。」

塚本訳 ヨハ 8:20-24
8:20 これらの言葉を、イエスは宮で教えられるとき、宝物部屋のわきで話された。しかし捕える者はなかった。彼の時がまだ来ていなかったからである。
8:21 するとまた(くりかえして)彼らに言われた、「わたしはわたしを遣わされた方の所に行く。(その時)あなた達はわたしをさがすが、(もはや会うことができず、)自分の罪のうちに死ぬであろう。わたしの行く所に、あなた達は来ることが出来ない(からだ)。」
8:22 ユダヤ人たちが言った、「『わたしの行く所に、あなた達は来ることはできない』と言うが、まさか自殺するつもりではあるまい。」
8:23 彼らに言われた、「あなた達は下から出た者であるが、わたしは上から出た者である。あなた達は(罪の)この世から出た者であるが、わたしはこの世から出た者ではない。
8:24 だから『あなた達は自分の罪のうちに死ぬであろう』と言ったのだ。あなた達は、わたしがそれ(救世主)であることを信じなければ、自分の罪のうちに死ぬからである。」

塚本訳 マタ 26:62-65
26:62 そこで大祭司は立ち上がってイエスに言った、「何も答えないのか。この人たちは(あんなに)お前に不利益な証言をしているが、あれはどうだ。」
26:63 しかしイエスは黙っておられた。大祭司が言った、「生ける神に誓ってわれわれにこたえよ。お前が、神の子救世主か。」
26:64 イエスは(はじめて口を開いて)彼に言われる、「(そう言われるなら)御意見にまかせる。だが、わたしは言う、あなた方は今後『人の子(わたし)が』『大能の(神の)右に坐り、』『天の雲に乗って来るのを』見るであろう。」
26:65 そこで大祭司は自分の上着を引き裂いて言った、「冒涜だ!これ以上、なんで証人の必要があろう。諸君は今ここに(おのれを神の子とする許しがたい)冒涜を聞かれた。

塚本訳 マタ 27:11-14
27:11 さて、イエスが総督の前に立たれると、総督はイエスに問うた、「お前が、ユダヤ人の王か。(お前はその廉で訴えられているが。)」イエスは言われた、「(そう言われるなら)御意見にまかせる。」
27:12 大祭司連、長老たちから(いろいろと)訴えられたが、何もお答えにならなかった。
27:13 するとピラトが言った、「あんなにお前に不利益な証言をしているのが聞えないのか。」
27:14
イエスはただの一言もお答えにならなかったので、総督は不思議でならなかった。

塚本訳 マタ 22:28-30
22:28 すると(もし復活があるなら、)復活の折には、この女は七人のうちのだれの妻になるのでしょうか。皆その女を妻にしましたから。」
22:29 イエスは答えられた、「あなた達は聖書も神の力も知らないので、間違いをしている。
22:30 復活の折には、めとることもなく嫁ぐこともなく、ちょうど天の使いのようである。


塚本訳 Ⅰコリ15:50
15:50 兄弟たち、わたしの言うのはこのことである。
血肉の人間は神の国を相続することは出来ず、死滅が不滅を相続することはない。

塚本訳 ヤコ 3:13-15
3:13 君達の中で知恵があり、分別があるのは誰か。その人は立派な生活により、(真の)知恵から生まれる柔和を以てその行為を示(し、真の知恵を有っていることを証明)せ(よ。)
3:14 しかし、もし君達の心に苦い嫉妬や争いがあるならば、(知恵があるなどと)誇って(はならぬ。それは虚言である。)真理に反して虚言をいってはならぬ。
3:15 そんな知恵は上から降ったものではない。地上のもの、血肉のもの、(然り、)悪鬼のものである。(真の知恵は謙遜であり、柔和である。)

●クリスチャンはこの世では「謎の人」でなけれならない。この世の人と「ウマーク」やって謎の人」ではなく生きようとすると「塩気を失った塩」にある。

塚本訳 ルカ 14:33-35
14:33 だから同じように、(家族や財産など)一切合切、自分のものと別れなければ、あなた達のだれ一人、わたしの弟子になることは出来ない。
14:34 だから、(それは塩に似ている。)塩はよいもの。しかし塩でももし馬鹿になったら、何で(もう一度)塩気がつけられるか。
14:35 畑にも肥料にも役立たず、外に捨てられるばかりである。(わたしの弟子もそのとおり。)耳のきこえる者は聞け。」

塚本訳 コロ 3:22-24
3:22 奴隷達よ、何事によらずこの世の主人の言うことを聴け。御機嫌取りのように(主人の)眼の前だけでなく、主を畏れて真心で為よ。
3:23 何をするにも心から(これを)行え、人間でなく主を相手にして。
3:24 その報いとして主から「相続分」を戴くことを知っているではないか。
君達は主キリストに仕えているのである。

塚本訳 コロ 4:2-4
4:2 撓まず祈れ、感謝をもって祈りつつ目を覚まし居れ。
4:3 同時に私達のためにも祈って、神が御言の門を私達に開いてキリストの奥義を語らせ給うよう──(実に)そのために私も(今)縄目についているのであるが──
4:4 また私が命ぜられるままにその奥義を顕し得るようにしてもらいたい。


塚本訳 コロ 4:5-6
4:5 (信者ならぬ)外部の人に対しては知恵をもって接し、(福音のためにあらゆる)機会を利用せよ。(時は迫っている。)
4:6 (また彼らに対する)
君達の言は何時も気持よく、且つ塩で味をつけよ。そうすれば一人一人に如何に答うべきかを知るであろう。

●「ダンテは謎の人であった。しかし彼を理解した少数の人に対して彼は天国の門を開いた」(クラウス「ダンテ伝」の最後?)
●福音が分かるのは昔も今も少数である。この世的な思いでまた方法で大量に信者を「生産」しようとする魂胆は神に祝福されない。人間の力であって神の力ではないからである。しかし神の力によって起こされる人は確実にいる。残された者は確実にいる。

塚本訳 ロマ 9:25-27
9:25 (異教人の中から憐れみの器が選ばれることは、不思議ではない。)神がホセア書でも言っておられるとおりである。『わたしはわたしの民でない者をわたしの民と呼び、愛されぬ者を愛される者と呼ぶであろう。』
9:26 『「あなた達は私の民でない」と言われたその場所で、彼らは生ける神の子と呼ばれるであろう。』
9:27 (預言者)イザヤもイスラエル人について叫んでいる。『たとえイスラエル[ヤコブ]の子孫の数は海の砂のように(多数)であろうとも、(信ずる小数の)残りの者(だけ)が救われる。


塚本訳 ロマ 11:1-5
11:1 それで、わたしは考える、』神は御自分の民をお捨てになった』のではあるまいかと。もちろん、そうではない。その証拠には、こう言うわたしもイスラエル人であり、アブラハムの子孫の出、ベニヤミン族の者であるの(に、キリストを信じているの)だから。
11:2 『神は』あらかじめ選んだ』御自分の民をお捨てにならなかった』(と書いてある。)それともあなた達は、聖書がエリヤの(ことを記した)所で何と言っているか、知らないのか。エリヤはイスラエル人をこのように神に訴えているではないか。──
11:3 「主よ、『彼らはあなたの預言者たちを殺しました。あなたの祭壇を破壊しました。そしてわたしだけが残っているのに、そのわたしの命をねらっています。』」
11:4 ところが彼に対する神のお告げはどうであるか。──「『わたしは(異教の神)バアルに膝をかがめなかった男子七千人を』自分のために『残しておいた。』」
11:5 だから、同じように今の世にも、恩恵の選びによる残りの者がある

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朝の黙想終わり。神の力に期待する。神の力、神の力!。

●上記黙想により、次回感話の資料修正。
●TSK日本語版士師記15章入力アップ
●庭の草むしり。某氏から教えられた俳句
 
   わがものと思えば楽し庭の草

●図書館に行きながらあきる野の新緑を撮影

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新緑の林。若さ、勢い、これから、希望、未来、青年、青春。

口語訳 詩  1:1-3
1:1 悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。
1:2 このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。
1:3 このような人は流れのほとりに植えられた木の/時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。 



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秋留台公園の原っぱ。犬の遊び場、子供の遊び場。

口語訳 詩  23:1-3
23:1 主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。
23:2 主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。
23:3 主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。



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緑は生命、正しさ。清さ、力、 元気。

口語訳 詩  52:7-8
52:7 「神をおのが避け所とせず、その富の豊かなるを頼み、その宝に寄り頼む人を見よ」と。
52:8 しかし、わたしは神の家にある/緑のオリブの木のようだ。わたしは世々かぎりなく神のいつくしみを頼む。






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信仰者のあるべき姿勢 ++++++++ 所感

2013/04/22 06:41

130422(月)4時半目覚め●朝風呂で黙想「信仰者のあるべき姿勢」●頭に浮かぶ聖書の箇所を掲げて感話する。

口語訳 Ⅰサム3:9-10
3:9 そしてエリはサムエルに言った、「行って寝なさい。もしあなたを呼ばれたら、『しもべは聞きます。主よ、お話しください』と言いなさい」。サムエルは行って自分の所で寝た。
3:10 主はきて立ち、前のように、「サムエルよ、サムエルよ」と呼ばれたので、サムエルは言った、「しもべは聞きます。お話しください

●いつの時代でも偉人は神に聞く。人間に聞かない。その時にかなった適切な「生ける言葉」を聞く。それに比べ内村に聞くというのは内村という過去人間の「思想」に聞くのであって、「死せる言葉」である。思想は霊ではない。その点昨日始まったNHKTV「こころの時代」の「内村鑑三のことば」は内村の思想の宣伝である。これだけでは霊によって新しく生まれる(ヨハネ3:5)ことはできない。だから内村の思想を巡って「思想戦」が起こる。これ神学論争。

塚本訳 ルカ 10:39-42
10:39 マルタにマリヤという姉妹があった。。マリヤは主の足もとに坐ってお話を聞いていた。
10:40 するといろいろな御馳走の準備で天手古舞をしていたマルタは、すすみ寄って言った、「主よ、姉妹がわたしだけに御馳走のことをさせているのを、黙って御覧になっているのですか。手伝うように言いつけてください。」
10:41 主が答えられた、「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことに気を配り、心をつかっているが、
10:42 無くてならないものはただ一つである。マリヤは善い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」

●信仰なき人間は主に聞こうとしないから「行動しない」ことは無為怠慢に見え、「あいつは、アノ集会は何もしてない」と公然と批判する。
●そういう人間の行動はというと「右手のすることを左手に知らせる」ことだ。それはすべて「見せびらかし」の為であり。事実上神の国のためになっていない。真の働きは世にから隠れる。

塚本訳 マタ 6:2-3
6:2 だからあなたが施しをする時には、偽善者のように、自分の前にラッパを吹きならして(吹聴して)はならない。彼らは人に褒められようとして、礼拝堂や町の中でそうするのである。アーメン、わたしは言う、彼らは(褒められたとき、)すでに褒美をもらっている。
6:3 あなたは施しをするときに、右の手のすることを左に悟られてはならない


塚本訳 マタ 6:5-7
6:5 また祈る時には、偽善者のようにしてはならない。彼らは人に見せようとして、礼拝堂や大通りの角に立って祈ることを好むのである。アーメン、わたしは言う、彼らは(褒められた時、)すでに褒美をもらっている。
6:6 あなたが祈る時には、『奥座敷に入り、部屋をしめきった上で、』隠れた所においでになるあなたの父上に『祈れ。』そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。
6:7 また祈るとき、異教人のようにベラベラしゃべるな。彼らは口数が多ければ、聞いてもらえるものと思っている。

●「信仰第一主義」の集団の集団の方が、「行為第一主義」の集団よりも献金の額が多い事実を私は知っている。
●歴史的にも信仰主義のプロテスタントは「行為主義」(だけとはいいきれないが)のカトリック教徒よりも社会的に貢献してきた。マックスウェーバーの「プロテスタンティズムと資本主義の精神」「アメリカ建国の精神」「赤十字」「監獄改良」「ヒットラーへの抵抗」・・・・・
●これはなぜか。真の信仰者の背後に神が介入して神が働いたからである。逆説である。


塚本訳 マタ 8:5-13
8:5 カペナウムに帰られると、一人の百卒長がそばに来て願って
8:6 言った、「主よ、うちの下男が中風で家にねていて、ひどく苦しんでおります。……」
8:7 彼に言われる、「(ユダヤ人の)このわたしが、(異教人のあなたの家に)行ってなおすのか。」
8:8 百卒長は答えた、「主よ、わたしはあなたを、うちの屋根の下にお迎えできるような者ではありません。(ここで)ただ一言、言ってください。そうすれば下男は直ります。
8:9 というのは、わたし自身も指揮権の下にある人間であるのに、わたしの下にも兵卒がいて、これに『行け』と言えば行き、ほかのに『来い』と言えば来、また僕に『これをしろ』と言えば(すぐ)するからです。(ましてあなたのお言葉で、病気が直らないわけはありません。)」
8:10 イエスは聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた、「アーメン、わたしは言う、イスラエル人の中でも、こんなりっぱな信仰をもっている者を一人も見たことがない。
8:11 わたしは言う、(最後の日には、このような信仰のあつい)大勢の人が『東から西から』来て、天の国でアブラハムやイサクやヤコブと共に宴会につらなり、
8:12 (かんじんのイスラエル人、すなわち)御国の子供たちは外の真暗闇に放り出され、そこでわめき、歯ぎしりするであろう。」
8:13 それからイエスは百卒長に言われた
、「お帰り。あなたの信じたとおりに成れ。」するとちょうどその時に、下男は直った。

●これがイエスが褒めた「信仰者のあるべき姿」。「りっぱな信仰」
●この百卒長はイエスのもとを去って家に帰るときはおそらく心ウキウキ、口笛えも吹いたに違いない。

塚本訳 ルカ 2:25-26
2:25 さて(そのころ)エルサレムに名をシメオンという人がいた。この人は正しい、信心深い人で、イスラエルの慰め(である救世主)を待ち望み、聖霊が彼をはなれなかった。
2:26 かつ
主の救世主を見ないうちは決して死なないと、かねて聖霊からお告げを受けていた。

●「これを完成しければ死ぬわけにはいかない」ということを心に抱く老人は幸せである。
●私は現在TSK日本語版の完成を目指しているが。本にすれば16万ページにもなるから、NETで無料送信している(http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/110910.htm)。現在工事中で2015年の春に完成予定であるが、完成したところで牧師や神学生たちの黙想、説教準備に重宝がられることはあってもそれで「霊が降る」わけではない。手段であるから限界がある。
● 関根正雄先生は個人訳として旧約聖書を完成される偉業をされた。そして教文館から4巻本(重い!)で発行されたが、先生ご自身は「反響が少なかった」と告白された。
●内村鑑三は死の二日前に「宇宙の完成を祈る」と祈った。壮大な祈りである。プロテスタントの人間がウチの教会(集会)の継続発展を祈るのとは質が違う。

塚本訳 Ⅰコリ16:22
16:22 主を愛しない者があるなら、呪われよ!、マラナ、サ(主よ、来てください)!

●宇宙の完成は主の来臨で実現する。これ老人のあるべき祈り。

塚本訳 ロマ 10:15
10:15 (神に)遣わされなければ、どうして説くことができようか。(しかし説く者はある。それはわたし達である『善いこと[福音]を伝える人たちの足の、なんと美しいことよ!』と書いてあるとおりである。

●そのために「地の果てまで福音を宣べ伝える義務がある」
●「地の果て」とは各自が置かれているその場である。「ウチの教会(集会)」、「我が家庭」「我が血肉」、「我が親族」「我が職場」である。それは悩みの種である。無理矢理に負わされる「自分の十字架」である。「恥の十字架」である。その重荷が尊いのだ。
●未開地への宣教ではない。

塚本訳 マタ 24:13-14
24:13 しかし最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
24:14 すなわち、あらゆる国々の人に(わたしとわたしの業を)証しするために、(まず)この御国の福音が全世界に説かれ、それから最後(の裁きの日)が来るのである。

塚本訳 Ⅱペテ3:8-9
3:8 愛する者よ、『主の前では』一日が千年の如く、『千年』が一『日の如く』である、この一つの事を忘れるな。
3:9 主は或る人達が遅いと考えているように約束を果たし給うのが遅いのでは(決して)ない。ただ何人の亡びることをも欲せず、凡ての者が悔い改めに到ることを欲して、君達に対し寛大であり給うのである

●福音が全世界に説かれなければ終末はこない。
●終末の完成を信じて苦難を忍ぶことが信仰者のあるべき姿だ。

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朝の黙想 終わり 

 
●Ⅰコリ 15:8の探求。「月足らず」「最後に」

塚本訳 Ⅰコリ15:3-10
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。
15:6 そのあと、一度に五百人以上の兄弟に御自分を現わされた。そのうちの多数の者はいまでも生きてい(て、わたしが嘘を言っていないことを証明してくれ)る。もっともすでに眠った者もあるにはある。
15:7 そのあと(御兄弟の)ヤコブに、それから使徒一同に、御自分を現わされた。
15:8 しかし一番最後には、さながら月足らずのようなわたしにも御自分を現わされた。
15:9 ほんとうにわたしは、使徒の中で一番小さい者である、いや、わたしは使徒と言われる値打もない、神の集会を迫害したからである。
15:10 しかし神の恩恵によって、いまあるような者であり、わたしに対するその恩恵はむだでなく、わたしは彼ら(使徒)一同よりも余計に働いた。しかしそれはわたしでなく、わたしを助けた神の恩恵である。


●問題の所在。パウロがイエスの復活を信じられたのは、直弟子たちとは違った形で復活のイエスに接したので「月足らず」という自覚があったのか。

●まず翻訳比較。
 

岩波翻訳委員会訳1995

461508しかし彼は、すべての者の最後に、ちょうど「未熟児」のごとき私にも現れられたのである。

新共同訳1987

15:8 そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。

前田訳1978

15:8 最後に、月足らずのようなわたしにも現われたまいました。

新改訳1970

15:8 そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現われてくださいました。

塚本訳1963

15:8 しかし一番最後には、さながら月足らずのようなわたしにも御自分を現わされた。

口語訳1955

15:8 そして最後に、いわば、月足らずに生れたようなわたしにも、現れたのである。

文語訳1917

"461508","最終には月足らぬ者のごとき我にも現れ給へり。


●岩波翻訳委員会だけが「未熟児」であって、他ははすべて「月足らず」。
●「月足らず」の認識で一番納得させられた注解は「神から鉗子分娩」させられた異常児(塚本)である。
●「鉗子分娩」とはNETによれば「 明らかな胎児機能不全などにより、急速遂娩が必要となった場合に適応となる。」とある。パウロは急遽やむを得ず神に暴力的に誕生させられたのだ。
●黒崎によればこれは「ダマスコ体験」を言う。つまりつまり無理矢理誕生させられたのである。
●我々も神に無理矢理クリスチャンにさせられるのである。不幸艱難の意義はここにある。
 ●「月足らず」の言葉は、エルサレム集会からのパウロに対する誹謗中傷であるとも言われる。

●次に「最後に」の探求。

●復活の顕現はパウロをもって最後とするという説があるが、そうか。
●それではあまりに淋しいことではないか。そうではない。復活の霊、聖霊が世の終わりまで私達と共にいてくださるのである。ここに三位一体の信仰の真理がある。
●我々もまたパウロの「月足らず」の生まれ方である。 イエスを直接見たわけではない。


塚本訳 使  10:40-41
10:40 (しかし)神はこの方を三日目に復活させ、(人の目にも)見えるようにされた。
10:41
(ただし)国民全体でなく、神からあらかじめ選ばれていた証人であるわたし達、すなわちイエスが死人の中から復活されたあとで、一緒に飲み食いした者(だけ)に見えたのです。

塚本訳 ヨハ 14:22-25
14:22 イスカリオテでない方のユダが言う、「主よ、いったいどういうわけで、わたし達だけに御自分を現わし、この世(の人)にはそうしようとされないのですか。」
14:23 イエスは答えられた、「わたしを愛する者は、わたしの言葉を守る。するとわたしの父上はその人を愛され、わたし達は(父上もわたしも)、その人のところに行って、同居するであろう。
14:24 (しかし)わたしを愛しない者は、わたしの言葉を守らない。(だからわたしを見ることができない。)あなた達が(わたしから)聞く言葉はわたしの言葉ではない、わたしを遣わされた父上の言葉である。
14:25 わたしはこれだけのことを、(まだ)あなた達と一しょにおるあいだに話した。(これ以上のことは話してもわからないからだ。)

●学者によればイエスの復活顕現はパウロをもって「最後」かもしれないが、私たちは復活のイエスが聖霊で毎日一緒にいてくださる。その聖書的根拠は次である。これが三位一体の真理である。

塚本訳 ヨハ 16:12-13
16:12 まだ沢山言うことがあるが、(今は言わない。)あなた達にはいまそれを理解する力がない。
16:13 真理の霊が来る時、彼があなた達を導いていっさいの真理を悟らせるであろう。(いっさいの真理というのは、わたしと同じく、)彼は自分勝手に話すのではなく、(父上から)聞いたことを話すからである。また将来起るべき(世の終りの)ことをあなた達に知らせるであろう。

塚本訳 ヨハ 14:15-18
14:15 あなた達は(皆別れを悲しんでいるが、本当に)わたしを愛するなら、わたしの掟を守り(互に愛し)なさい。
14:16 そうすればわたしも父上に願って、(わたしに代わる)ほかの弁護者をおくっていただき、いつまでもあなた達と一しょにおるようにしてあげる。
14:17 これは真理の霊である。この世(の人)には見えもせず、わかりもしないから、これを受けいれることが出来ない。(しかし)あなた達にはこの霊がわかる。いつもあなた達のところをはなれず、また、あなた達の中におるのだから。
14:18
わたしは父上の所に行くけれども、あなた達を孤児にはしておかない。(すぐ)かえって来る。

塚本訳 ヨハ 14:12-13
14:12 アーメン、アーメン、わたしは言う、
わたしを信ずる者は、わたしがするのと同じ業をすることができる。いや、それよりももっと大きな業をすることができる。わたしが父上の所に行って、
14:13 あなた達がわたしの名で願えば、なんでもかなえてあげるからだ。これは父上が子によって栄光をお受けになるためである。

●妻は合唱団モデラートの練習
●TSK日本語版士師記14章入力
●午後はATM図書館などを兼ねて撮影散歩。帰宅してから得意のジュース作り(ミキサー)

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今日は天気が良いが風が強くて寒い
♪♪・・・屋根より高ーい鯉のぼりー・・・♪♪

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道端の芝桜。神は一つ一つをご存知だ。

塚本訳 マタ 6:27-30
6:27 (だいいち、)あなた達のうちのだれかが、心配して寿命を一寸でも延ばすことが出来るのか。
6:28 また、なぜ着物のことを心配するのか、野の花の育つのを、よく見てごらん、苦労をせず、紡ぐこともしない。
6:29 しかし、わたしは言う、栄華を極めたソロモン(王)でさえも、この花の一つほどに着飾ってはいなかった。
6:30 きょうは花咲き、あすは炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこんなに装ってくださるからには、ましてあなた達はなおさらのことではないか。信仰の小さい人たちよ!

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秋留台公園展望台のつつじ。

♪♪・・・この世は花園 こどもは花・・・♪♪ 讃美歌466番

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大根の花。あきる野市庁舎。佐藤総合計画(市庁舎設計のナンバーワン)の設計。

讃美歌90番


ここも神の みくになれば
鳥の音(ね)花の香(か) 主をばたたえ
あさ日ゆう日 栄(は)えにはえて
そよ吹く風さえ 神をかたる

塚本訳 ロマ 13:1
13:1 人は皆上に立つ(国家の)官憲に服従せねばならない。神からではない官憲はなく、現存の官憲は(ことごとく)神から任命されたものであるから

役人は常に攻撃にさらされるが、言うに言えない労苦がある。


 























 














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NHKYV[こころの時代」で内村鑑三 ++++++++ 所感

2013/04/21 06:53

130421(日)●5:00 NHKTV、Eテレ「心の時代」で「道をひらく・・・内村鑑三のことば」。鈴木範久。((全6回、毎月第3日曜日)●内村の生涯の最初期が一時間でよくまとめられていた。さすがNHK。●内村の最初の結婚の破局原因の一つに妻タケ(旧姓浅田)と内村の母(つまり姑)との確執にあったと鈴木範久は言う。これは初耳であった。●とにかく内村は傑物であった。どこにも収まらない人間であり、あちこちでぶつかって「若き日」に苦労したことを改めて知った。●今でも大きい人間はそういう傾向にある●目黒の今井館聖書講堂が放映されたが、これは移築(昭和10年に新宿区柏木から・・・高橋)したものであると正確に報道されたことはよかった。●内村は人生問題に関して質問に来た人間と同じ目線に立って答えたことが特徴であることが指摘された。志賀直哉と矢内原忠雄の証言。●これに比べて「神学校」で職を身につけた牧師は紋切型の「上から目線」で説教する癖があると高橋は思う。●内村は巨人で多面的であったが、神から内村に託された最大の使命は「教会組織抜きで正統信仰を生き抜く」生き方を日本に示したことにあると高橋は思う。これは神が日本に下された特別の祝福恩恵であると感じた。●最も大切なことは「正統信仰」であって、その保持伝承のために教会組織が必要ならばあった方が良いが、無い方が良ければ「教会組織抜きの信仰生活」が良い。しかしそれで正統信仰を失ったり、信仰を保持伝承できなければ「無教会」と言う方法は失敗である。●現に無教会は教会にかなり世話になっている●しかし歴史的現実を見ると、「正統信仰」は内村を最初にして無教会が継承してきた。有体的復活、処女降誕を固く信じているのは無教会。●それに比べて組織そのものを維持しようとする教会はこの世の諸団体となんら変わらない。過日NETで日本基督教団総会の内容を知ったが、怒号と野次。これでは国会議員以下。●翻って現代無教会をみると天皇制打倒、社会悪の断罪などの政治結社、集会は聖書から逸脱したカルチャーセンターの親睦会。これでは人を罪から救えない。

塚本訳 Ⅰコリ15:3-5
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。

●10:00 妻と集会へ。横田(司会)、丹野(塚本虎二講話「命のパン」朗読。内村どまり、塚本どまりの信仰ではダメであるということ)、山本(第二コリント10章)
●14:00 武蔵村山市民会館で武蔵村山混声合唱団のモーツァルト「レクイエム」を鑑賞。素人性が良かった。日本では素人合唱団が、モツレク、ヴェルレク、ロ短調ミサ等をスイスイ演奏できるのは驚きであり喜びである。

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武蔵村山市民会館、さくらホール。座席数が多くてなかなか良いコンサートホール。

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コンサート終了後。
左、高橋照男。鑑賞者。
中央、安藤恭子。アルトで出演。2005年。ライプチッヒへ演奏旅行へ行った。
右、斉藤加南子。鑑賞者。2005年。ライプチッヒへ演奏旅行へ行った。帰りに家まで送っていただく。




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万策尽きた時は神に祈る ++++++++ 所感

2013/04/20 06:29

130420(土)5時目覚め●朝の黙示「万策尽きた時は神に祈る」●一昨日(4月18日)のブログ「子育ては失敗すると主が乗り出す」を読まれた某氏からメールが来た。内容が非常に有益なので全文を掲げる。有益な真理はこうして自然に伝わっていくものだ。 初代教会の福音伝播はある偉大な人物の働きではなく「福音それ自身の力」で広まったと言われる。

4月18日の拙ブログへの応答。
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高橋兄、

いつもブログ記事ありがとうございます。

本日の「子育ては失敗すると主が乗り出す」を拝読して下記の個所を思い起しました。

 

心のうちで死を覚悟し、自分自身を頼みとしないで、死人をよみがえらせて下さる神を頼みとするに至った。(IIコリ1:9 口語訳)

神が乗り出してくださる(出動してくださる)のは、人間(人と自分自身)を頼みとしない(頼みとできない)ときでしょう。人間の側で何とかできる問題に対して「神を持ち出す」ことが「迷信・妄信(盲信)」であると思っています。すなわち、神に出動していただかなければならない(解決しない)問題こそが、真の問題(なくてはならないこと)であると信じます。また、神に出動していただかなければ絶対に解決しない問題があることを知っているのが真の信仰者であろうかと思います。

 

ご平安を祈り上げます。

○○(□□にて)

 

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これに対して返礼メールを次のように書いた。主の交わりは昔は手紙、今はメール。手段は違うが「主にある霊の交わり」は同じで感謝。

返メール
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〇〇兄

 

適切な聖句をありがとうございました.主にある交わり感謝です。

日本の言葉で言えば次のようであると思いました。

 

「匙を投げるとき」

「万策尽きた時」

「手に負えないとき」

「なりふり構わず」

「神頼み」

「願かけする」

「医者に見放された」

「八方手を尽くす」

「人事を尽くして天命を待つ」

「神風を待つ」

「雨乞いをする」

 

などなど。

人生、神に乗り出していただかなければならないほどに窮地に陥った人の方が幸いだと信じます。

 

アドバイス感謝です。

 

高橋照男


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返メール 終わり

●適切なる良い励ましは信仰の徳を高めるものだ。書簡類がそれだ。

塚本訳 Ⅰテサ3:2-3
3:2 私達兄弟で、キリストの福音における神の共働者であるテモテを(君達の所に)遺った。これは(彼によって)君達をその信仰において強め、また励まし
3:3 (斯くして)この(大なる)患難の際に(君達の中の)誰一人も揺すぶられることの無いためである。──私達(キリストを信ずる者)が斯く運命づけられていることは、君達自身が(よく)承知しているはずだ。


塚本訳 Ⅰテサ5:8-11
5:8 しかし私達は昼の者だから、信仰と愛の『鎧と、救いの』希望の『兜とに身を固め』て、白面でいようではないか。
5:9 何故なら神が私達に定め給うた運命は御怒りによる滅亡でなく、私達の主イエス・キリストによって救いを得ることであるから。
5:10 主は、私達が(その日)目を覚ましていても(あるいは既に墓に)眠っていても、(皆等しく)彼と共に生きることが出来るように、私達のために死に給うたのである。
5:11 だから、今既にそうしているように、互いに慰め合い、また互いに励まし合え。

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朝の黙想おわり

●親が子や孫に対してなすべきことは「遠隔の祈り」。
●祈りは遠隔であるべきだ。特に身内の場合がそうだ。遠隔の方が聞かれる。
●祈りが「遠隔」で聞かれることの例が福音書にある。

塚本訳 マタ 8:8-10
8:8 百卒長は答えた、「主よ、わたしはあなたを、うちの屋根の下にお迎えできるような者ではありません。(ここで)ただ一言、言ってください。そうすれば下男は直ります。
8:9 というのは、わたし自身も指揮権の下にある人間であるのに、わたしの下にも兵卒がいて、これに『行け』と言えば行き、ほかのに『来い』と言えば来、また僕に『これをしろ』と言えば(すぐ)するからです。(ましてあなたのお言葉で、病気が直らないわけはありません。)」
8:10
イエスは聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた、「アーメン、わたしは言う、イスラエル人の中でも、こんなりっぱな信仰をもっている者を一人も見たことがない。

●神は遠隔で力を発揮する。だから親が直接面と向かって「説教する」ことは間違い。それは人間の栄光が上がっても神の栄光があがらない。真の解決にはならない。親は神に祈れば神が「乗り出す」。

塚本訳 マコ 2:3-5
2:3 人々が一人の中風の者を、四人にかつがせてつれて来る。
2:4 群衆のためイエスのところにつれて行けないので、おいでになる所の(上の)屋根をはがして穴をあけ、中風の者を担架に寝かせたまま(イエスの前に)吊りおろす。
2:5 イエスはその人たちの信仰を見て(驚き)、中風の者に言われる、「子よ、いまあなたの罪は赦された。」

●これ中風のの本人の祈りではない。周囲の(身内か?)4人の人の熱心な(屋根をはがすほど)態度(祈り)がイエスの心を動かした。乗り出させた。

塚本訳 ルカ 15:18-22
15:18 よし、お父さんの所にかえろう、そしてこう言おう、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。
15:19 もうあなたの息子と言われる資格はありません。どうか雇人なみにしてください』と。
15:20 そして立ってその父の所へ出かけた。ところが、まだ遠く離れているのに、父は見つけて不憫に思い、駈けよって首に抱きついて接吻した。
15:21 息子は父に言った、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。もうあなたの息子と言われる資格はありません。……』
15:22 しかし父は(皆まで聞かず)召使たちに言った、『急いで、一番上等の着物をもって来て着せなさい。手に指輪を、足にお靴をはかせなさい。

●ルカ15:11-32は「放蕩息子の譬話」。22節の塚本敷衍(皆まで聞かず)は重い。父は風の噂に息子の放蕩ぶりを知っていた。
しかし、父はおそらくうなだれてよたよたと家に帰ってきたその息子の姿を見ただけで総てを了解した。そして「もういい、もういい」と背中を抱いたに違いない。
●ということは父は毎日毎日息子のことを遠隔で祈っていたに違いない。異国に出かけていって直接説教しなかった。だから神が乗り出して神が息子を回心に導いた。
●だから身内で「どうしようもない」「万策尽きた」「手のつけようにない」人がいたら「遠隔の祈り」を熱心にしよう。神はついに必ず「乗り出して」くださる。神のなさることは時間がかかるが確実だ。

●来信メールと今朝の黙想で次回感話の内容を追加変更。
●TSK日本語版士師記12章入力アップ。
●今日は非常に寒い。冬に戻ったような感じ。室内気温13度なので厚着。

●写真撮影散歩。近くの久野木さんがご自分の庭を見せてくださった。

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この世の喜びと神の国の喜び ++++++++ 所感

2013/04/19 06:05

130419(金)今朝の夢。宝塚劇場の一枚200万円(!!)のチケットを頂き、鑑賞後これから華やかな「宴会」(御馳走)が始まるといういいところで目が覚めた。●過日は豪華な中華料理が目の前に出てきたところで目が覚めてしまった。この私どうも卑しくていけない。普段十分に食べていないからか。そんなわけではない。毎回の食事はおいしい。●しかし神はなぜこの私にこんな変な夢を見させたのだろう。●それは聖書の中にこの世の喜びと神の国の喜びがかなりくっきり対比されて書かれていて、「救われた者」はこの世の喜びに「見向きもせずに生きよ」ということがしきりに言われているのである。●「救われてない」人間に「この世の喜びを捨てよ」というのはストア主義の克己心の喜びであって、本物ではない。真の喜びは、神の国の喜び、神と共にある喜びである。●今朝はこの喜びについて頭に浮かぶ箇所を散見してみよう。 なぜか。食事にかかわらず人間は「この世の喜び」を追究することに一生懸命であり、それを失うと泣いたり悲しんだりするがそれは真の悲しみではないことが聖書に書かれているからだ。

口語訳 出  16:3
16:3 イスラエルの人々は彼らに言った、「われわれはエジプトの地で、肉のなべのかたわらに座し、飽きるほどパンを食べていた時に、主の手にかかって死んでいたら良かった。あなたがたは、われわれをこの荒野に導き出して、全会衆を餓死させようとしている」。


口語訳 民  11:18-20
11:18 あなたはまた民に言いなさい、『あなたがたは身を清めて、あすを待ちなさい。あなたがたは肉を食べることができるであろう。あなたがたが泣いて主の耳に、わたしたちは肉が食べたい。エジプトにいた時は良かったと言ったからである。それゆえ、主はあなたがたに肉を与えて食べさせられるであろう。
11:19 あなたがたがそれを食べるのは、一日や二日や五日や十日や二十日ではなく、
11:20 一か月に及び、ついにあなたがたの鼻から出るようになり、あなたがたは、それに飽き果てるであろう。それはあなたがたのうちにおられる主を軽んじて、その前に泣き、なぜ、わたしたちはエジプトから出てきたのだろうと言ったからである』」。



●荒野を歩かせられるイスラエルは「エジプトの肉鍋」を恋しがった。
●民数記では「肉が欲しければ」神は与えるが、それは真の喜びではない。一時的なものだ。
●信仰の道はストア主義ではない。
●民数記11:19-20、肉の食べすぎで「ついに鼻から出るようになり」とは、現代も同じ。美食は病を招く。
●私は肉は食べない。完全ではないが「菜食主義」である。
●宮沢賢治の「雨にも負けず」の中に次の下りがある。

一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ

塚本訳 マタ 3:4
3:4 このヨハネは駱駝の毛の外套を着、腰のまわりに皮の腰衣をつけ、蝗と野蜜とがその食べ物であった

●洗礼者ヨハネの食べ物は「自然食」(いなごは自然食かどうかはわからないが)でその着物は質素でいかにも長持ちのするものであったようだ。

塚本訳 ルカ 7:24-25
7:24 ヨハネの使が立ち去ると、群衆にヨハネのことを話し出された。──「(さきごろ)あなた達は何を眺めようとして、荒野(のヨハネの所)に出かけたのか。風にそよぐ葦だったのか。(まさかそうではあるまい。)
7:25 それでは、何を見ようとして出かけたのか。柔らかい着物を着ている人か。見よ、りっぱな着物をきて贅沢をしている人ならば、宮殿にいる

●「りっぱな着物をきて贅沢をしている人」。これはこの世の人があこがれる生活。

塚本訳 ヨハ 4:32-34
4:32 言われた、「わたしにはあなた達の知らない食べ物がある。」
4:33 すると弟子たちが互に言った、「だれも食べる物を持ってくるはずはないのに。」
4:34 イエスが言われる、「わたしの食べ物は、わたしを遣わされた方の御心を行い、(任せられた)お仕事を成しとげることだ


●聖路加の日野原重明先生の少食は有名。仕事に集中していればお腹はすかないという。夢で食事が出てくるような私の場合は日野原先生の真似は出来ない。
●ある日、お世話になる方にレストランで昼食を差し上げたら、「高橋さん。私はこのような豪華な食事は土曜日の夜だけです」と言われて恥じた。それ以来外食するときは原則として500円以下。

塚本訳 ルカ 16:19-22
16:19 (つぎに、利巧な番頭と反対に、神の国の準備をしなかった人の話を聞け。)一人の金持があった。紫(の上着)と細糸の亜麻布(の下着)を着て、毎日華やかに楽しく暮していた。
16:20 またその金持の門の前に、ラザロという出来物だらけの乞食がねていた。
16:21 せめて金持の食卓から落ちる物で満腹できたらと思った。それどころか、犬まで来て出来物をねぶっていた。
16:22 やがて乞食は死んで、天使たちからアブラハムの懐につれて行かれ、金持も死んで葬られた。

●建築設計の打ち合わせ(それは大体金持ち)をして帰るときいつも思うことがある。門の外に乞食がいるのではないか。彼は一生マイホームなど持てない。
●建築士の私はそういう人を相手にして生きなければならないのではないか。
 ●宮沢賢治の「雨にも負けず」の一節
 

野原ノ松ノ林ノ※(「「蔭」の「陰のつくり」に代えて「人がしら/髟のへん」、第4水準2-86-78)
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ

●建築士の私は言う。「これはいけない」。人間はしっかりした家を建てなければならない。
●大阪釜ヶ崎で「路上生活者」を救済している人の証言。「彼らを立ち直させるには金でも食事でも衣服でもない。住む場所 である。」と。これを聞いた建築士の私はうれしかった。住まいは人間に自立の尊厳を与える。住まいは人を作る。安アパートでよい。安心して眠れる場所を設けるべきだ。これはおそらく精神医学面からも言えるのではないか。「自分の居場所」を確立すべきだ。それは「自分の専門分野」「社会や家庭内での居場所」。●職業の定義は勤務先の名前を挙げるのは間違い。そこで経理をやっているとか、営業をやっているかまで言わないといけない。

塚本訳 ルカ 6:20-26
6:20 イエスは目をあげ、(十二人の使徒その他の)弟子たちを見ながら話された。──「ああ幸いだ、『貧しい人たち、』神の国はあなた達のものとなるのだから。
6:21 ああ幸いだ、今飢えている人たち、(かの日に)満腹させられるのはあなた達だから。ああ幸いだ、今泣いている人たち、(かの日に)笑うのはあなた達だから。
6:22 人に憎まれる時、また、人の子(わたし)のゆえに除名されたり、罵られたり、悪様に言われたりする時には、あなた達は幸いである。
6:23 その日には躍りあがって喜びなさい、どっさり褒美が、天であなた達を待っているのだから。あの人達の先祖も、同じことを預言者たちにしたのである。
6:24 だが、ああ禍だ、富んでいるあなた達、もう慰めを受けたのだから
6:25 ああ禍だ、今食べあきているあなた達、(かの日に)飢えるのだから。ああ禍だ、今笑っている人たち、(かの日に)泣き悲しむのはあなた達だから。
6:26 皆の人に良く言われる時、あなた達は禍である。あの人達の先祖も、同じことを偽預言者たちにしたのである。


塚本訳 ピリ 3:1
3:1 最後に、(愛する)わが兄弟達よ、主に在って喜べ──(こう喜べ喜べと言ってはうるさいかも知れないが、)このことを書くのは私には(少しも)うるさいことではなく、また君達には(苦難を喜ぶことが信仰を保つに最も)安全(な道)である(と思う。)


塚本訳 Ⅰテサ1:6
1:6 且つ君達は大なる患難の中にあっても、聖霊の賜う喜びをもって(私達の伝える)御言を受け容れて、私達と主(キリスト)との模倣者となり、


●主にある「喜び」が真の喜び。

塚本訳 ピリ 4:6-7
4:6 何事についても心配せず、君達の求めは感謝を添えた祈りと願いとにより、大小となく神に知らせよ。
4:7 そうすれば全く思いもよらぬ神の平安が君達の心と考えをキリスト・イエスにおいて守るであろう。

●主にある「喜び」は「全く思いもよらぬ神の平安」
●それはこの世で「幸福」と信じられているものとは質が違う喜び。
●この世で「幸福」と考えられるのは、マスコミで騒がれるもの、新聞の下段にある広告。健康、学歴、職場、家庭団らん、長寿、社会的地位出世。これらは究極的に真に満足と喜びは得られない。
●私は29歳の時に初めてマイホームを建てたが。その時「何だこんなものか」と思ったことだ。その家は住宅ローンが払い終わって「これが老後の住まいだ」と考えていたが全焼した。

塚本訳 ヘブ 11:13
11:13 信仰に従い、これらの人たちは皆、(地上では)約束のものを受けずに死んだのである。彼らはただ遠くからそれを眺めて歓迎し、自分たちは、『この地上では外国人であり、旅の者』であると認めた。


口語訳 ヘブ 11:13
11:13 これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。

●「人生は旅」。イエスの人生は旅であった。神のところから来て地に降り、また神のもとに帰った。

塚本訳 ピリ 2:6-9
2:6 彼は(先には)神の姿であり給うたが、神と等しくあることを棄て難いことと思わず、
2:7 かえって自分を空しうして人と同じ形になり、奴隷の姿を取り給うたのである。そして人の様で現れた彼は、
2:8 自ら謙り、死に至るまで、(然り、)十字架の死に至るまで(父なる神に)従順であり給うた。
2:9 それ故に神も彼を至高く上げ、凡ての名に優る(「主」なる)名を与え給うた。

●これは初代教会の「読み人知らず」の讃美歌。信仰告白。 栄光の作詞家。


塚本訳 ヘブ 12:2
12:2 (かの)信仰の創始者また完成者であるイエスを見上げて!彼は自分の前にある喜びを捨て、恥をもいとわず十字架を耐え忍んで、(いまや)神の御座の『右に坐られているのである』。

●イエスにはこの世の喜びはなかった。家庭なく、学歴なく、地位なく、若くして殺された。
●あのチンチェンドルフは十字架像の前で「あなたは私に何かしてくれるか」という声が聞こえたような気がしてその場で泣き崩れたということだ。
●私達は「信仰のみ」で救われることをいいことに、イエス以上に幸福であろうとしている。

口語訳 ピリ 3:20
3:20 しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。

●私達の喜びは「再臨の希望」「復活の希望」。

口語訳 Ⅰペテ1:8
1:8 あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが、彼を愛している。現在、見てはいけないけれども、信じて、言葉につくせない、輝きにみちた喜びにあふれている

塚本訳 Ⅰペテ1:8
1:8 君達は彼を(目のあたり)見たことはないが、(これを)愛し、今も見ることは出来ないが、(これを)信じて、(既にかの日の)輝きに満ちた、
言語に絶する喜悦を喜んでいる。

●「言語に絶する喜悦」とはこの世の何物にも勝る喜びだ。

塚本訳 ルカ 16:25-26
16:25 しかしアブラハムは言った、『子よ、考えてごらん、あなたは生きていた時に善いものを貰い、ラザロは反対に悪いものを貰ったではないか。だから今ここで、彼は慰められ、あなたはもだえ苦しむのだ。
16:26 そればかりではない、わたし達とあなた達との間には大きな(深い)裂け目があって、ここからあなた達の所へ渡ろうと思っても出来ず、そこからわたし達の所へ越えてくることもない。』

●この「喜び」はこの世の幸福を得た者には与えられない。神は公平だ。
●「泣くな!」この世で不幸な者よ。「足りない」と思っている者よ。この世の幸福者を「うらやましく思う者よ」。この世は短い。人生は短い。
●私達が時々お見舞いする全盲かつ難聴のHTさんは奥様に先立たれた。手探りの毎日。
お大変でしょうとお慰めすると「ナンノコレシキ」と言われ、見えない目を上げて笑われた。HTさん「もうすぐだ。もうすぐだ」。復活の日には目がパッチリ開くのだ。永遠に開くのだ。HTさんの祈りは深い。万巻の注解書よりも価値がある。お見舞いに行っても逆に教えられて帰ってくる。

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朝の啓示と黙想 終わり





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子育ては失敗すると主が乗り出す ++++++++ 所感

2013/04/18 09:15

130417(木)3時目覚め。●朝の啓示と黙想「子育ては失敗すると主が乗り出す」●子育てというのは大抵の親が失敗する。「聴かれざる祈祷」(内村鑑三)である。なぜか。一生懸命のあまり人間的に「力む」からである。そこに神が介入する余地がないからである。脱力出来ないからである。●芸事は脱力が成功のもと。これは音楽演奏でも書道でも同じらしい。建築も脱力で設計したものが評判がよい。子育ても芸術。●しかし失敗は成功のもと。失敗してどうにもならなくなったときに主が乗り出してくださり成功する。しかし時間がかかる。今朝はこれに関する聖句を心に浮かぶままに掲げ、感じたことを話そう。

口語訳 箴  29:17
29:17 あなたの子を懲らしめよ、そうすれば彼はあなたを安らかにし、またあなたの心に喜びを与える。

口語訳 箴  13:24
13:24 むちを加えない者はその子を憎むのである、
子を愛する者は、つとめてこれを懲らしめる。

口語訳 箴  13:1
13:1 知恵ある子は父の教訓をきく、あざける者は、懲らしめをきかない。

●親父の小言をあざけり、小馬鹿にする子供は、ついに主を畏れる畏れを知るに至らないので永遠の命を失う。
●今や学校の教師は生徒の「友達」のような雰囲気。教師は怒らない、叱らない。教師の人気取りが原因。これでは生徒は神を知るには至らない。神は人を殺す恐るべきお方なのだ。
●叱る教師を小馬鹿にする生徒は自分に味方する都合の良い教育理論を読んで批判してかかるから始末が悪い。

塚本訳 ヘブ 12:5-8
12:5 また、(親がその)子に話すようにして話される(神の)励ましを忘れてしまっている。──『わが子よ、主の訓練を軽んずるな、処罰されるときに、ひるむな。
12:6 なぜなら、主は愛する者を訓練し、好きな子をすべて懲らしめられる。』
12:7 (神の)『訓練』を受けるために、(迫害を)耐え忍べ。神はあなた達を(自分の)『子』のように取り扱われるのである。なぜなら、
父の『訓練し』ない『子が』どこにかあるのか。
12:8 もし皆が受ける『訓練が』ないとすれば、それこそあなた達は私生児で、(ほんとうの)『子』ではない。

●真の愛は叱る。叱らないのは自己保身術。教師の間で、「あの生徒も来年になれば卒業だ」などと言って叱らないのは教育放棄。
●親も「そのうちわかる」などと言って叱らないのは育児放棄。わがままな子供に育つ。その時は手遅れ。鉄は熱いうちに叩け。
●ある立派な素直な御嬢さん曰く「厳しい母であったので、成人するまで継母ではないかと思い続けていました」と。この母にしてこの子あり。(側聞)
●家の中で父性が欠けていると子供はよく育たない。
●塚本先生は訪ねてこられたある御嬢さんに言われた。「あなたにはお父さんがいないから言うが、こういう時は手土産を持ってくるものだよ」と。(側聞)。これ主にある訓練。真の愛の現れ。
●こういう場合「ウルセー」と思ったら、その人の将来はない。

塚本訳 エペ 6:1-4
6:1 子達よ、【主に在って】両親に従順なれ。これは当然のことであるから。
6:2 「『汝の父と母を敬え』──これは(次のような褒美の)約束のある第一の戒律である──
6:3 『さらば汝は幸福にして地上に長命ならん』」(と聖書にある。)
6:4 父達よ、君達も子を憤らせるな。むしろ『主の躾』と』訓戒』とによって育てよ

●親を敬わない人間は職場で出世できない。上司としてもこういう不遜な人間にはいつ自分が反抗されるかわからないから危険人物とみなす。だからこういう不遜な人間はどこに行ってもうまくいかない。婚活がうまくいかない。生育が悪いと思われるから。第一に「親に反抗する言葉」は傍で聞いていて不愉快だ。
●「主の躾と訓戒」とによって育てることがクリスチャンの父親の姿勢。しかしこれが難しい。神よりも自分が前にでてしまう。それで大失敗する。

塚本訳 ロマ 8:28
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、
すべてのことが救いに役立つのである。

●「すべてのこと」というのは「失敗、不運、挫折」などを含んでいる。ポイントは「救いに役立つ」ことである。単に治ることではない。世間並みになることではない。この世的に順調に生きるようになるということではない。
●親心が過ぎて「子育てに失敗した」嘆きの親に神は乗り出す。子供は神が引き取ってくださる。神の教育は 肉の親の教育より正しく高度である。それは次である。

塚本訳 ヘブ 12:10-11
12:10 というのは、肉の父は(ほんの)少しの日数(だけ)、自分の考えに従って訓練したのに反して、神はわたし達を益するため、わたし達をその聖さにあずからせるために、訓練されるのであるから。
12:11 あらゆる訓練(というもの)は、その当座は喜びとは見えず、かえって悲しみと見えるが、しかしあとで、それで鍛えた者に(まことの)義の実である平安を与えるのである。

●かって某裁判官が私に言われた。「私が裁判官をやっていられるのは ,人間としてのジャッジが誤ったとしても、その後(うしろ)に神がおられるからだ」。
●これは子育てにも言える。一生懸命のあまり躾が厳しすぎて子供がいじけて育ってしまっても神が乗り出して正しい道に導いてくださる。 救ってくださる。神の教育は肉の親以上。
●「善い家庭に悩み多し」「真面目な親に悩みの子多し」
●息子アウグスチヌスの放蕩に泣いた母モニカにミラノの大司教アンブロウシウスは「涙の子は滅びません」と慰めた。その後アウグスチヌスは回心してカトリック教会の礎になった。
●米国カルフォルニア州の「サンタモニカ」はこの聖人モニカにもとづいて命名された。世の悩める母(妻)の鏡、励まし。
●鹿児島県では心身障碍者の子供が生まれた場合、その子供を「お宝様」と言うらしい。
●米国では心身身障碍者の子供を「神がキッスしている」と言うらしい。こういう場合日本では親が悪い、先祖が悪い、教師が悪いなどと「犯人捜し」をして溜飲を下げるが真の解決にはならない。
●心身障碍者はその家にキリストが姿を変えて入って来られたのだ。その悩みの故に一家中が救われた例を知っている。神います。

塚本訳 ヨハ 16:33
16:33 これらのことを話したのは、あなた達がわたしに(しっかり)結びついていて、平安を保つことができるためである。この世ではあなた達に苦しみがある。しかし安心していなさい。わたしがすでに世に勝っている。」

塚本訳 ロマ 8:23-24
8:23 しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証拠として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである。
8:24 なぜなら、わたし達は(最後の日に救いが完成されるという)望みをもって、救われているからである。目に見ることのできる望みは望みではない。人はいま現に見ているものを、なんでその上望む必要があろうか。

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朝の啓示黙想終わり

午後の撮影散歩

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家の前のつつじ 。音を立てて咲き出した感じがする。


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白いハナミズキ 。清楚な女性のようだなー


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菜の花 。どうしてこのきれいな黄色が出るのだろう。

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花ニラ(妻に教えられる)。皆同じ方向を向いている。エクレシアの面々が
神に顔を向けているようだなー


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農家の人達の憩い。何が話題なのだろう。




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復活は理解するものでなく伝承を信ずるもの ++++++++ 所感

2013/04/17 05:51

130417(水)5時目覚め●朝の啓示「復活は理解するものでなく、伝承を信じるもの」●復活を頭で理解しようとすると、「復活は幻視体験」であるという結論になる。これがかなりの聖書学者の立場である。主としてパウロの復活論(Ⅰコリ 15章)を土台に頭で考えるとそうなって大脳皮質がすっきりするからである。実はわたしも以前はそういう傾向であった。●しかし福音書の伝える復活の数々は理論でなく、実際の有体的復活との出会いであった。イエスから「声が発せられた」ということが有体的復活の証拠である。声は鼓膜の震動でキャッチされたのである。この史実伝承は、初めは女たちに、次に弟子たちに、そして月足らずの異常分娩で誕生したパウロに引き継がれた。パウロはこの伝承を「エルサレム教会から聞いたのだという。つまり伝承を信じたのである(Ⅰコリ 15:3)。●この史実の数々にについては去る3月31日の復活節の感話で話した。http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/1303312.htm ●この伝承を信ずる連鎖が2000年後の今日まで連綿と続く。この連鎖反応がエクレシア(教会)の本質である。これはカトリック教会、プロテスタント教会、無教会を問わず、キリスト教の本質中の本質である。●だからこのイエスの有体的復活の伝承を信ずることがなかったら、そこで連鎖は途切れ、エクレシア(教会)は水分を失った樹木のように枯渇する。あとは切り倒されて焼かれるのみ(ヨハネ15:6)。このことはカトリックにもプロテスタントにも無教会にも「支持」される不朽の真理である。●今朝はこれに関連する聖句を黙想してみよう。●伝承を信ずるということは「聖書」を信じることである。またイエスの言葉を信ずることである。伝承を信じている「人間」を先生として信ずることである。連鎖反応を続けているエクレシア(教会)を信ずることである。●「聖書」を書物としてとらえたり(田川)、イエスの言葉を「宗教思想の一種」(八木)、エクレシアを遊興団体ととらえたり(プロテスタン教会の一部)、信仰の先生を先生とするのは良いが、その思想を崇めて「人間崇拝」となっている(無教会の一部)ようではエクレシアの本質である有体的復活の「使徒伝承」の連鎖が途切れているから木が枯れて実を結ばないのは当然。

塚本訳 Ⅰコリ15:3-5
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである


●これが「一番大切なこと」である。
●特筆すべきは塚本訳の敷衍(エルサレム集会から)である。無教会の塚本先生がこう言われるのである。
●信仰は水平情報(人間の情報)と天からの啓示という垂直情報(聖霊)の両方があって初めて理性の安息が得られる。片方を欠くと信仰は迷走する。
●福音は「人格」を通じて伝わる。聖書だけでは伝わらない。それを信じている人がいるところに福音伝承が起こる。そこにエクレシアが起こる。
●これはカトリック、プロテスタント、無教会の別なく不朽の真理である。
●私はダメな父親、ダメな祖父であっても、このことは天地がひっくり返っても「正しい」
●破れて、みじめな私を信じなくてもよい。このことだけは信じて伝承してくれ。

塚本訳 ヨハ 4:21
4:21 イエスが言われる、「女の人、わたし(の言葉)を信じなさい。(間もなく)あなた達が、この山でもエルサレムでもなく(どこででも、)父上を礼拝する時が来る。


塚本訳 使  16:31
16:31 二人が言った、「主イエスを信じなさい。そうすればあなたも家族も救われる。」

●有体的復活の信仰は体験や経験が土台ではない。有体的復活の伝承を信ずることにある。
●生育が悪くて「人を信ずる」ことが出来ない人も「神の力」の手術で信じる身とさせられる。
●先生をセンコーと言ったり、親を敵と思ったり、牧師に不満を持っていたり(プロテスタント教会の信者のほとんど!!)しても神の福音は広まる。なぜか。神は障害を打ち砕くから。
●罪とは煩悩ではない。神の顔を潰すことである。アダムとエバにとって「リンゴそのものは輪rくなかった」。神の顔を潰したのがよくなかった。これが罪の本質。神がカツンときたのである。
●親の顔を潰す人間は神の顔を潰しやすい。顔を潰すことを「平気」でヤルからである。

塚本訳 マタ 10:11-14
10:11 町なり村なりに入ったら、そこで然るべき人を捜して、(その土地を)立ってゆくまではその家に泊まっておれ。
10:12 家に入ったらば、まず平安を祈れ。
10:13 もしその家が(その祈りをうけるのに)ふさわしければ、あなた達の(祈った)平安はかならずその家に臨み、もしふさわしくなければ、その平安はあなた達にもどってくる。(そしてあなた達のものとなるのである。)
10:14 しかし
人があなた達を歓迎せず、あなた達の言葉に耳をかたむけないなら、(すぐ)その家なり町なりを(出てゆけ。そして)出てゆくとき、(縁を切った証拠に)足の埃を払いおとせ。

●如何にして家庭に福音が入るか。家中が伝道者を迎える態度があるかないかである。
●The Book たる聖書を大切にして、これに聞く姿勢があるかどうかだ。

塚本訳 ヨハ 8:16-17
8:16 しかしたとえ裁いても、わたしの裁きは真実である。わたしはひとりではなく、わたしと、わたしを遣わされた方と(二人)であるから。
8:17 あなた達の律法にも、『二人の証言は信用すべきである』と書いてあるではないか。

●集会の故MMさん(不遇なお子様を抱えておられた)は「両親が揃ってキリストを信じていれば子供は必ず信仰に導かれます」と私に言われた。
●残念ながらは片方の親が信仰者でなくても子供は清い。福音は伝わる。(Ⅰコリ 7:14)
●SSさん(ご家庭に悩みあり)に塚本先生は言われたという。「母の祈りは聴かれます」と。至言。

塚本訳 Ⅰペテ1:8-9
1:8 君達は彼を(目のあたり)見たことはないが、(これを)愛し、今も見ることは出来ないが、(これを)信じて、(既にかの日の)輝きに満ちた、言語に絶する喜悦を喜んでいる。
1:9 信仰の目標なる霊魂の救いを獲るからである。

塚本訳 Ⅰペテ1:25
1:25 『しかし』主の『言は永遠に消え失せない』。これが君達に』宣べ伝えられた福音の言』である。

●「永遠に消え失せない」ものに命をかけるべきである。
●ミスタープロ野球の長嶋茂雄は「巨人軍は永遠です」と言って現役を去ったが、この世のものに「永遠」はない。国も企業も栄誉も。
●あのDDTは第一回ノーベル賞の対象であったが、今は公害の元凶。この世のものに「永遠に消え失せない」ものはない。JALもおかしくなる時代、役人天国の時代も去った。

塚本訳 ロマ 10:14-15
10:14 ところで、(呼ぶだけで救われると言うが、)信じたことのない者を、どうして呼ぶことができようか。聞いたことのない者を、どうして信ずることができようか。説く者がなくて、どうして聞くことができようか。
10:15 (神に)遣わされなければ、どうして説くことができようか。(しかし説く者はある。それはわたし達である。)『善いこと[福音]を伝える人たちの足の、なんと美しいことよ!』と書いてあるとおりである。

●これがエクレシアの本質である。ここにカトリックもプロテスタントも無教会もない。
●しかしその中に有体的復活を伝承するものが存在しなければならない。美しくない。
●バッハは自分の音楽を通じて福音を伝えた。バッハには20人を超える子供がいたがその約半数は夭折した。バッハの音楽はその悲しみと苦悩が背景にある。
●何人も苦難なしには天国に入れない。善き福音を伝える者にはなれない。
●信者は「教会生活」だけではなく全人生の実存で「善い福音」を伝えるべきだ。
●それは大体において涙の苦難の人生で無理にそれを行わさせられる。追い込まれる。

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朝の黙想

●次回感話(5月5日)の資料を変更。
●8:00 妻は今井館ウィークデーの集い。
●福音を伝えるのには「血を流す必要」がある。

口語訳 ヘブ 12:4
12:4 あなたがたは、罪と取り組んで戦う時、まだ血を流すほどの抵抗をしたことがない。

新改訳 ヘブ 12:4
12:4 あなたがたはまだ、罪と戦って、血を流すまで抵抗したことがありません。

新共同 ヘブ 12:4
12:4 あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません。

文語訳 ヘブ 12:4
12:4 汝らは罪と闘ひて未だ血を流すまで抵抗しことなし。

塚本訳 ヘブ 12:4
12:4 あなた達はまだ、罪と戦って血を流すまでに抵抗したことがない。

NKJV ヘブ 12:4
12:4 You have not yet resisted to bloodshed, striving against sin.

TEV ヘブ 12:4
12:4 For in your struggle against sin you have not yet had to resist to the point of being killed.

●しかし自ら進んで「血を流す」人間はいない。それは行為主義者だ。そうではない。いやいやながら無理に「自分の十字架」を負わされるのだ。それは「恥の十字架」だ。しかしそこに意味がある。神の業が行われる。

塚本訳 マタ 16:24
16:24 あとでイエスは弟子たちに言われた、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、自分の十字架を負い、それからわたしに従え。

●「己をすてて」というのは「顔を潰されて」ということだ。「コケにされて」という意味だ。
●いいんだ、いいんだ。負けていいんだ。無視されていいんだ。小ばかにされていいんだ。
●某氏は私の前で「フン」と言ったことがある。その声も聞こえた。イマニミテオレ。その言葉は神に聞かれた。
●戦時中のこと。矢内原先生が官憲に呼び出されたので自ら発行の「嘉信」を見せたら、担当者は「フン」と言ってそれを机の上に放り投げた。敗戦後矢内原先生は「汝の『フン』が我が国を滅ぼしたのだ」と書いた。
●我々も「フン」と言われる身となろう。身内から同僚から信者仲間(!)から。 
 
塚本訳 使  5:40-41
5:40 使徒たちを呼びいれて(鞭で)打ち、(今後決して)イエスの名を使って話をしてはならないと命令して、釈放した。
5:41 さて、彼らは御名のために恥を受けるに足る者とされたことを喜びながら、法院から出ていった。

●鞭というのは痛いのだろうなー。鞭の先端に動物の小骨がつかられていたらしい。打たれると肉が裂けて血が流れる。主イエスはこれに耐えた。神に負わされた受難と忍耐したのだろう。
●我々も「ナンノコレシキ」と心に念じて忍耐しよう。

塚本訳 ルカ 23:26
23:26 (兵卒らが)イエスを(刑場へ)引いてゆく時、シモンというクレネ人が野良から来(て通りかかっ)たので、つかまえて(イエスの)十字架を背負わせ、イエスの後から担いでゆかせた。
(イエスにはもう負う力がなかったのである。)

●十字架は負えない、負いきれない。負おうとしてはいけない。 イエスでさえ力尽きたではないか。ウンウン唸る。呻く。
●塚本訳敷衍の(イエスにはもう負う力がなかったのである。)は涙なくして読めない。


塚本訳 マタ 11:28-30
11:28 さあ、疲れている者、重荷を負っている者はだれでも、わたしの所に来なさい、休ませてあげよう。
11:29 わたしは心がやさしく、高ぶらないから、わたしの軛を負ってわたしの弟子になりなさい、そうすれば『魂の休息が得られよう。』
11:30 わたしの軛は甘く、わたしの荷は軽い。」

●重い十字架は復活のイエスが共に負ってくださる。我々は脱力の手抜きで行こう。
●お神輿(みこし)ならば負っているフリをして肩を抜こう。

塚本訳 Ⅰコリ15:58
15:58 だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ。骨折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから。

●人生の恐怖は「この人生は結局無駄ではないのか」と疑わざるを得なくなる時である。
●「主の仕事」とはカッコイイ職業に就くことではない。見栄えのしない職業や家庭において、そこでまたみじめな「恥の十字架」を負わされる時の骨折りの苦しみと涙である。
●TSK日本語版士師記9章入力アップ 
●夕食時に妻から本日のウィークデーの集いの報告を聞く。今日は「斉藤みち」で内村鑑三全集DVD版の話。
●本屋でNHKTV「心の時代」4月~9月テキスト「道をひらく・・・内村鑑三のことば」鈴木範久著を購入。なかなかよい編集切り口である。これから楽しみであるが、どうも「思想」の探求に傾いている。内村の最大の功績は聖書に対する姿勢であると思うのだが。・・・・・

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♪ 菜の花畑に入日薄れ・・・♪


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大塚公園の古墳に咲く八重桜
















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恐れるな!。主があなたとご一緒だ ++++++++ 所感

2013/04/16 06:58

130416(火)5時半目覚め●朝の啓示「恐れるな!。主があなたとご一緒だ」●信仰による生き方は、人間的策を弄さないで生きる。そういう人間には「わたしだ。恐れるな!」という神からの細い声がかかる。●宗教を嫌ったり、神を信じない人間はこの恐れを取り除くために、あらゆる予防処置を考える。策を練る。しかし真に不安は取り除けられない。●この「不安を鎮める」ために人間の営みがある。人間世界の文化文明はこの「不安と恐れ」が根本動機である」●その結果、受験地獄、就活地獄、婚活地獄、入院地獄、はたまた最後は老人施設入寮地獄、人生は「不安と恐れ」の連続である。しかし決して「安らぎ」は得られない。●カール・ヒルティの全著作は、この信仰の道にある人への「恐れるな!」という励ましである。ヒルティは「恐れるな」という神からのささやきは信仰の道にある人にのみ聞こえるという。●そこで私は、独自に頭に浮かぶ聖句を掲げる。精神はヒルティの著作と同じである。●こういう場合、聖句はコンコルダンス、BbB、TSKなどの手段よりも、納得して自分の胸に蓄えてあるものを紡ぎだすことが一番良い。

塚本訳 ルカ 2:8-11
2:8 (その晩、)数人の羊飼がそのあたりで、野宿をしながら群の夜番をしていた。
2:9 すると(突然)一人の主の使が(現われて)彼らに近づき、主の栄光が彼らのまわりを照らしたので、羊飼たちはすっかりおびえてしまった。
2:10 天使が言った、「こわがることはない。いまわたしは、(イスラエルの)民全体への大きな喜びのおとずれを、あなた達に伝えるのだから。
2:11 実は今夜ダビデの町に、あなた達のために一人の救い主がお生まれになった。このお方が(かねて預言されていた)救世主なる主である。

塚本訳 マタ 1:18-20
1:18 さてイエス・キリストの誕生はこのようであった。──イエスの母マリヤがヨセフと婚約の間柄で、まだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重となっていることが知れた。
1:19 夫ヨセフはあわれみぶかい人であったので、(これを公沙汰にして)女を晒し者にすることを好まず、内緒で離縁しようと決心した。
1:20 しかし(なおも)そのことを思案していると、主の使いが夢でヨセフに現われて言った、「ダビデの末なるヨセフよ、
心配せずにあなたの妻マリヤを(家に)迎えよ。胎内にやどっている者は、聖霊によるのである。

●まじめなヨセフの罪の恐れ。婚前交渉で生まれてしまう子供。親兄弟親戚中の恥になる。

塚本訳 ルカ 1:28-31
1:28 天使は乙女の所に来て言った、「おめでとう、恵まれた人よ、主があなたとご一しょだ!」
1:29 マリヤはこの言葉にびっくりして、いったいこの挨拶は何事であろうと考えまどうた。
1:30 天使が言った、「マリヤよ、恐れることはない。神からお恵みをいただいたのだから。
1:31 見よ、あなたは子をさずかり、男の子が生まれる。その名をイエスとつけよ。

●マリヤは未婚の母になる恥、不安に襲われた。そこに「恐れるな」の声。


塚本訳 マタ 6:31-34
6:31 だから、『何を食べよう』とか、『何を飲もう』とか、『何を着よう』とか言って、心配するな。
6:32 それは皆異教人のほしがるもの。あなた達の天の父上は、それが皆あなた達に必要なことをよく御承知である。
6:33 あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。
6:34 だから、あしたのことを心配するな。あしたはあしたが自分で心配する。一日の苦労はその日の分で沢山である。


塚本訳 ルカ 2:14
2:14 いと高き所にては神に栄光、地上にては(いまや)平安、御心にかなう人々にあり!

●神の出来事に人間は「畏れ」というものがある。オットーの「聖なるもの」はそれを言う(岩波文庫)
●現代はこの畏れを失い、先生をセンコーと言っているようでは真理は伝わらない。
●福音は「人格」を通して伝わる。信仰の道を歩もうとしたら「信仰の先生」を信じ込まなければならない。
●過日、某老人から「最近は内村、塚本、・・・」などに「先生」を付けずに第三人称で「内村は、塚本は、・・・は、」などと呼び捨てに論じていると言ってお叱りの電話を頂いた。
●ナルホド、福音はこれを伝える人を「尊敬」してないと伝わらないなーと思った。 
 
塚本訳 マタ 6:31-34
6:31 だから、『何を食べよう』とか、『何を飲もう』とか、『何を着よう』とか言って、心配するな。
6:32 それは皆異教人のほしがるもの。あなた達の天の父上は、それが皆あなた達に必要なことをよく御承知である。
6:33 あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。
6:34 だから、あしたのことを心配するなあしたはあしたが自分で心配する。一日の苦労はその日の分で沢山である。


●ここを含むマタ6:25-34には「心配するな」という言葉が6回もでてくる。
●高名な弁護士がかった私に「高橋君。必要な生活費は自然に入ってくる。私は心配したことがない」と言われた。氏は集会にベンツで乗り付けて来ている人(故人)に、「あんな車に乗って」と批判していた。
●私の同期の一人はバブルで景気の良いときに「ジャガー」を乗り回していたがバブル崩壊で経営破たん。行方不明
●集会の某氏の生活費は月5万円(国民年金のみ)。そのうち3万円は同居している息子に支払い。自分は2万。毎日午前中は聖書の通読で旧新約を年に4回読む。顔は輝いている。
●「平民の伝道者」であった藤沢武義氏は、「何とかなる。何とかなる」が口癖であったが生涯で一番こたえたのは御婦人から「ではいまここに食べ物をを出してみて下さい」と言われたときであったという。これを東京聖書読者会で話されたとき、氏は持っておられた聖書を思い切りバンと机に叩きつけられて「伝道者出よ!。神が何とかしてくださる!」と言われた。
●この話を氏のご令息の前で話した時、彼はニコニコ笑っておられた。氏の体格は良かった。
神は「何とかして」くださった。
●内村鑑三が高貴なる職業と考えるのは「平民の伝道者」「貧家の良妻」である。(「如何にして我が天職を知らんか」)

塚本訳 マタ 10:28
10:28 体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。

●軍部に抵抗した矢内原先生ははがき通信で同士にこの聖句を送って「檄」を飛ばした。
●東大から矢内原先生を追放した人物、いま何処!

塚本訳 ヨハ 20:19
20:19 その日すなわち週の初めの日の晩であった。ユダヤ人を恐れて、弟子たちのおる部屋の戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスが(どこからともなく)はいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた。

●弟子たちはユダヤ人の迫害を恐れて部屋に閉じこもっていた。そこに有体的イエスがドアをすり抜けて入ってこられた。そして「平安あれ」と言われた。これは鼓膜の震動。
●有体的復活と言ってもドアーをすり抜け、鼓膜を振動させる有声音を発する。
●イエスの復活はイマドキの新進気鋭の聖書学者(どこかの大学の教授でさるから生活に泣いたことがない)がの言うように「幻視体験」ではない。一コリント15章のパウロの復活論を机上で研究するとこうなる。

塚本訳 ヨハ 16:33
16:33 これらのことを話したのは、あなた達がわたしに(しっかり)結びついていて、平安を保つことができるためである。この世ではあなた達に苦しみがある。しかし安心していなさい。わたしがすでに世に勝っている。」

●クリスチャンには、またその家庭には不可解不条理な不幸が次から次に「これでもksこれでもか」と襲ってくる。
●しかしそれは結局神の愛の知恵。神も泣きながら打っている。

塚本訳 Ⅰペテ4:12-14
4:12 愛する者よ、試練のため君達に起こった烈火の苦難を(何か)異常なことが臨んだかのように(驚き)異しむな
4:13 むしろキリストの苦難に与れば与るだけ喜べ。(最後の日)その栄光の顕るる時にも歓びに喜ぶ(ことが出来る)ためである。
4:14 もし君達がキリストの名において罵られるならば幸福である、(それは、その時)栄光の霊と『神の霊が』君達の上に『留まっている』(証拠である)から。

塚本訳 ヘブ 12:5-11
12:5 また、(親がその)子に話すようにして話される(神の)励ましを忘れてしまっている。──『わが子よ、主の訓練を軽んずるな、処罰されるときに、ひるむな。
12:6 なぜなら、主は愛する者を訓練し、好きな子をすべて懲らしめられる。』
12:7 (神の)『訓練』を受けるために、(迫害を)耐え忍べ。神はあなた達を(自分の)『子』のように取り扱われるのである。なぜなら、父の『訓練し』ない『子が』どこにかあるのか。
12:8 もし皆が受ける『訓練が』ないとすれば、それこそあなた達は私生児で、(ほんとうの)『子』ではない。
12:9 かつまた、わたし達は訓練をする者として肉の父を尊敬した(とするならば)、まして霊魂の父に服従して、(永遠に)生きないことがあるだろうか。
12:10 というのは、肉の父は(ほんの)少しの日数(だけ)、自分の考えに従って訓練したのに反して、神はわたし達を益するため、わたし達をその聖さにあずからせるために、訓練されるのであるから。
12:11 あらゆる訓練(というもの)は、その当座は喜びとは見えず、かえって悲しみと見えるが、しかしあとで、それで鍛えた者に(まことの)義の実である平安を与えるのである。

●主の訓練は痛い、不可解、不条理。神は夢と希望を打ち砕かれる。神はひどいことをなさる。しかし「なんでだよー」と極度の悲しみのときに復活のイエスは姿を現して下さる。
●福音書には復活のイエスが声をかけて現れてくださるのは、「悲しみ嘆く人に」対してである。 今年の復活節の感話、そのヨハネ16:16の引照参照

http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/1303312.htm

塚本訳 ルカ 23:42-43
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる。」

●イエスと一緒に十字架にかけられた強盗は臨終のときにイエスに声をかけられた。
●「カイロス会」という少人数の聖書勉強会を主宰されていた故泉治典先生は、ご令息に「葬儀はしてくれるな。またすぐ会えるではないか」と言われた。至言。先生は私の家が全焼したときに仮住まいの私のアパートに来られ膝詰で「聖書一本で行け!」と迫られた。お帰りになられる後姿を見て、「神の使い」のような感じがした。

塚本訳 マタ 10:26
10:26 だから彼らを恐れるな、(すべてはじきに明らかになるであろう。)覆われているものであらわされないものはなく、隠れているもので(人に)知られないものはないからである。

塚本訳 ルカ 12:31-32
12:31 あなた達はむしろ御国を求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。
12:32 小さな群よ、恐れることはない。あなた達の父上は御国をあなた達に下さるつもりだから。

●神の国は人間の伝道努力で到来するものではない。企業戦略の方法で広まるのではない。それは御心の時に突然来る。それは「すぐだ」。「間もなくだ」。忍耐で待とう。

塚本訳 ロマ 8:18
8:18 (しかもこの苦しみは恐れることはない。)なぜなら、わたしはこう考える。今の世の苦しみは、わたし達に現われようとしている栄光(──キリストと一しょに神の国の相続人になる最後の日の大いなる光栄──)にくらべれば、言うに足りない。

●我々は最後の日に楽になる。


塚本訳 ロマ 8:28
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである


●子供の将来は神に任せよ。病気も失敗も不幸もこれすべて神の御心。すべて神がご存知。救いへ導かれる。

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朝の黙想終わり

●次回感話(5月5日)の準備。今朝の啓示と黙想で変更。
●TSK日本語版士師記8章入力アップ
●妻は部屋の申し込みのため千駄ヶ谷。次に中野の愛子の家に手伝い。次に月本昭男先生「エレミヤ書」講義(無教会研修所)。帰宅は21時予定。
●私はBK、郵便局。春の花を鑑賞しながら徒歩一時間半。祈りながら歩く。また一人祈りの対象が増えた。
 

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チューリップ


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八重の桜


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ハナミズキ

















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神の力を信じつつ自分を捨てよう ++++++++ 所感

2013/04/15 06:55

130415(月)朝の啓示「神の力を信じつつ自分を捨てよう」●今朝はまた「説教調」になるが赦せ。啓示されたことを「取り次ぐ」のだ。私のの気持ちは次である。旧約聖書の「箴言」は「人生の不朽の格言である。この中にそれ以降の全道徳、全教訓、全文学が入っている。●本書の成立年代は確定できないらしいが、紀元前にユダヤ民族によって編集されたことは確実。脅威である。●まもなく70歳になる私は「わが子よ」という書き出しが多い本書を「取り次ぐ」ことも赦されるであろう。否、自戒でもある。●日ごろ「有体的復活」とか「永遠の命」だとか大脳皮質ではわからないことを言っている私だが、人間ならばこの「箴言」は万人にわかるものであろう。受け入れるかどうかは別として。●しかしその内容を真に納得するには人生の痛い失敗経験を多く経なければならない。しかし「失敗は成功のもと」だ。イエスは人生を失敗した人を愛して接近した。●「親の言うことを聞け」と言うが、世の中には「神が自分の父のようであったら信じられない」という事を言った人がいた。現実の悲劇である。だから新約のキリスト教が必要なのである。神は肉の両親を介さずに直接各自に教える時代が到来したのだ。(ヨハネ16:12-14)


口語訳 箴 1:7-8
1:7 主を恐れることは知識のはじめである、愚かな者は知恵と教訓を軽んじる。
1:8 わが子よ、あなたは父の教訓を聞き、母の教を捨ててはならない。

口語訳 箴 2:1-5
2:1 わが子よ、もしあなたが/わたしの言葉を受け、わたしの戒めを、あなたの心におさめ、
2:2 あなたの耳を知恵に傾け、あなたの心を悟りに向け、
2:3 しかも、もし知識を呼び求め、悟りを得ようと、あなたの声をあげ、
2:4 銀を求めるように、これを求め、かくれた宝を尋ねるように、これを尋ねるならば、
2:5 あなたは、主を恐れることを悟り、神を知ることができるようになる。

口語訳 箴 2:1-2
2:1 わが子よ、もしあなたが/わたしの言葉を受け、わたしの戒めを、あなたの心におさめ、
2:2 あなたの耳を知恵に傾け、あなたの心を悟りに向け、

口語訳 箴 4:1-2
4:1 子供らよ、父の教を聞き、悟りを得るために耳を傾けよ。
4:2 わたしは、良い教訓を、あなたがたにさずける。わたしの教を捨ててはならない。

口語訳 箴 4:3-5
4:3 わたしもわが父には子であり、わが母の目には、ひとりのいとし子であった。
4:4 父はわたしを教えて言った、「わたしの言葉を、心に留め、わたしの戒めを守って、命を得よ。
4:5 それを忘れることなく、またわが口の言葉にそむいてはならない、知恵を得よ、悟りを得よ。

口語訳 箴 4:10-12
4:10 わが子よ、聞け、わたしの言葉をうけいれよ、そうすれば、あなたの命の年は多くなる。
4:11 わたしは知恵の道をあなたに教え、正しい道筋にあなたを導いた。
4:12 あなたが歩くとき、その歩みは妨げられず、走る時にも、つまずくことはない。

口語訳 箴 4:20-22
4:20 わが子よ、わたしの言葉に心をとめ、わたしの語ることに耳を傾けよ。
4:21 それを、あなたの目から離さず、あなたの心のうちに守れ。
4:22 それは、これを得る者の命であり、またその全身を健やかにするからである。

口語訳 箴 5:1-6
5:1 わが子よ、わたしの知恵に心をとめ、わたしの悟りに耳をかたむけよ。
5:2 これは、あなたが慎みを守り、あなたのくちびるに知識を保つためである。
5:3 遊女のくちびるは蜜をしたたらせ、その言葉は油よりもなめらかである。
5:4 しかしついには、彼女はにがよもぎのように苦く、もろ刃のつるぎのように鋭くなる。
5:5 その足は死に下り、その歩みは陰府の道におもむく。
5:6 彼女はいのちの道に心をとめず、その道は人を迷わすが、彼女はそれを知らない。

口語訳 箴 5:7-8
5:7 子供らよ、今わたしの言うことを聞け、わたしの口の言葉から、離れ去ってはならない。
5:8 あなたの道を彼女から遠く離し、その家の門に近づいてはならない。

口語訳 箴 5:20-23
5:20 わが子よ、どうして遊女に迷い、みだらな女の胸をいだくのか。
5:21 人の道は主の目の前にあり、主はすべて、その行いを見守られる。
5:22 悪しき者は自分のとがに捕えられ、自分の罪のなわにつながれる。
5:23 彼は、教訓がないために死に、その愚かさの大きいことによって滅びる。

口語訳 箴 6:20-24
6:20 わが子よ、あなたの父の戒めを守り、あなたの母の教を捨てるな。
6:21 つねに、これをあなたの心に結び、あなたの首のまわりにつけよ。
6:22 これは、あなたが歩くとき、あなたを導き、あなたが寝るとき、あなたを守り、あなたが目ざめるとき、あなたと語る。
6:23 戒めはともしびである、教は光である、教訓の懲らしめは命の道である。
6:24 これは、あなたを守って、悪い女に近づかせず、みだらな女の、巧みな舌に惑わされぬようにする。

口語訳 箴 7:1-2
7:1 わが子よ、わたしの言葉を守り、わたしの戒めをあなたの心にたくわえよ。
7:2 わたしの戒めを守って命を得よ、わたしの教を守ること、ひとみを守るようにせよ。

口語訳 箴 10:1-3
10:1 ソロモンの箴言。知恵ある子は父を喜ばせ、愚かな子は母の悲しみとなる。
10:2 不義の宝は益なく、正義は人を救い出して、死を免れさせる。
10:3 主は正しい人を飢えさせず、悪しき者の欲望をくじかれる。

口語訳 箴 12:1-2
12:1 戒めを愛する人は知識を愛する、懲らしめを憎む者は愚かである。
12:2 善人は主の恵みをうけ、悪い計りごとを設ける人は主に罰せられる。

口語訳 箴 17:1-2
17:1 平穏であって、ひとかたまりのかわいたパンのあるのは、争いがあって、食物の豊かな家にまさる。
17:2 賢いしもべは身持の悪いむすこを治め、かつ、その兄弟たちの中にあって、資産の分け前を獲る。

新共同 箴 18:1-2
18:1 離反する者は自分の欲望のみ追求する者。その事は、どんなに巧みにやってもすぐ知れる。
18:2 愚か者は英知を喜ばず/自分の心をさらけ出すことを喜ぶ。

口語訳 箴 19:1
19:1 正しく歩む貧しい者は、曲ったことを言う愚かな者にまさる。

口語訳 箴 21:9
21:9 争いを好む女と一緒に家におるよりは/屋根のすみにおるほうがよい。

口語訳 箴 27:1-2
27:1 あすのことを誇ってはならない、一日のうちに何がおこるかを/知ることができないからだ。
27:2 自分の口をもって自らをほめることなく、他人にほめさせよ。自分のくちびるをもってせず、ほかの人にあなたをほめさせよ。

口語訳 箴 28:1
28:1 悪しき者は追う人もないのに逃げる、正しい人はししのように勇ましい。

口語訳 箴 29:1-3
29:1 しばしばしかられても、なおかたくなな者は、たちまち打ち敗られて助かることはない。
29:2 正しい者が権力を得れば民は喜び、悪しき者が治めるとき、民はうめき苦しむ。
29:3 知恵を愛する人はその父を喜ばせ、遊女に交わる者はその資産を浪費する。

口語訳 箴 31:10-12
31:10 だれが賢い妻を見つけることができるか、彼女は宝石よりもすぐれて尊い。
31:11 その夫の心は彼女を信頼して、収益に欠けることはない。
31:12 彼女は生きながらえている間、その夫のために良いことをして、悪いことをしない。

●さて前置きが長くなったが、今朝の本論は「神を信じつつ自分を捨てよう」である。 

塚本訳 マタ 16:24
16:24 あとでイエスは弟子たちに言われた、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、自分の十字架を負い、それからわたしに従え。

●人間は「己を捨てる」ことは出来ない。生きとし生けるものは全部「死ぬまい、死ぬまい」と思って懸命に生き延びようとしている。人間の文化文明はつまるところこの営みである。
●ヒューマニズムは神なき人間の延命行為である。そこに救いはない。自己満足にすぎない。
●この言葉は「神の力」を信じないと理解不可能である。迷走する。信仰の人生観を批判される。行為主義者のクリスチャンが「信仰のみ」の信者を批判する原因はここにある。 

塚本訳 マコ 12:24-25
12:24 イエスは言われた、「あなた達は聖書も神の力も知らないから、そんな間違いをしているのではないか。
12:25 死人の中から復活する時には、めとることもなく嫁ぐこともなく、ちょうど天の使のようである。


塚本訳 ルカ 20:35-36
20:35 あの世にはいる資格を与えられて、死人の中から復活する者は、めとることもなく嫁ぐこともない。
20:36
復活によって生まれる彼らは、天使と同じであり、神の子であるので、もはや死ぬことが出来ない、(従って子を産む必要がない)からである。

●「神の力」というと何がなんだがわからないが、実はこれが聖書理解の根本。

塚本訳 ルカ 6:27-30
6:27 しかし(今わたしの話を)聞いているあなた達に言う、敵を愛せよ。自分を憎む者に親切をつくし、
6:28 呪う者に(神の)祝福を求め、いじめる者のために祈れ
6:29 あなたの頬を打つ者には、ほかの頬をも差し出し、上着を奪おうとする者には、下着をこばむな。
6:30 求める者にはだれにでも与えよ、あなたの物を奪った者から取り返すな。

●これは(聖書学の)編集史の立場から言えば、救われている人に向けられて語られたものとして編纂されたもの。だから神の力で救われて別の世界に移された人間に向けられた言葉。救われた者の「道徳」。「神の力」を知らない人間にこれを守れというと、「バカ言え」ということになる」。
●「山上の説教(マタイ5-7章)」「平野の説教(ルカ6:20-49)はこの文言を守ったから救われるのでもなく「守れなかった」としても救われないわけではない。
●中国が尖閣列島を欲しければ「やったらいい」。そういうと大部分が神の力を信じていない日本人には受け入れられない。選挙で負ける。
●これは信者の中でも特に「行為主義者」に受け入れられないもの。彼らは「神の力」というものを信じられない。

塚本訳 ロマ 12:19
12:19 愛する者たちよ、自分で仕返しをするな、(裁きの日の神の)怒りにまかせよ。こう書いてあるではないか、「主は言われる、『仕返しはわたしのもの、』わたしが『報いをする』と。」


塚本訳 ヘブ 10:30
10:30 わたし達はこう言われた方を知っているからである。『仕返しはわたしのもの、』わたしが、『報いをする』、さらに『主はその民を罰される』と。


塚本訳 黙  6:10
6:10 彼らは大声で叫んで言うた、「聖なる、真実なる主よ、何時まで審かず(に待ち給うのであるか。何時まで)地上に住む(不信)者どもに、(罪無くして流した)私達の血を復讐し給わないのであるか。(主よ、何時まで?)

塚本訳 マタ 26:52-53
26:52 その時イエスが言われる、「剣を鞘におさめよ。剣による者は皆、剣によって滅びる。
26:53
それとも、父上にお願いして十二軍団以上の天使を今すぐ送っていただくことが、わたしに出来ないと思うのか。

●神なきこの世でも神は鉄槌をもって「報復する」。かくて我々は「自ら手を下さなくても」いい。神の報復はこの世でもあの世でも必ず忘れずに徹底的に行われる。
●ヒルティはこの生きにくい世を渡るには悪は必ず罰せられるという「倫理的世界秩序が厳然と実在する」という信念を固く持つべきだ」と言っている。これは神を信じる信じないにかかわらず支配されている「世界秩序」だ。そんなものはないと思う人はその信念で生きてみるべきだ。ヒルティはいう「ゲーテの最後の言葉を聞け。彼は『もっと光を!』と言ったではないか。ゲーテのような生き方では幸福にはなれない」。
●イエスは「神の力」を信じていたから神に報復していただける「自信」はあった。それにもかかわらず「赦した」、ステパノも「赦した」。初代教会の無名の殉教者たちも「赦した」。こうして流された「宝血」が世を救った。「血は種子」である。「血を流さずに罪の赦しはありえない」(ヘブル9:22)


塚本訳 ルカ 23:33-34
23:33 髑髏という所に着くと、(兵卒らは)そこでイエスを十字架につけた。また罪人も、一人を右に、一人を左に(十字架につけた)。
23:34 するとイエスは言われた、「お父様、あの人たちを赦してやってください、何をしているか知らずにいるのです。『彼らは籤を引いて、』イエスの『着物を自分たちで分けた。』

塚本訳 使  7:59-60
7:59 ステパノは打ち殺されながら、イエスの名を呼んで、「主イエス様、わたしの霊をお受けください」と祈り、
7:60 それからひざまずいて、大声で叫んだ、「主よ、どうぞこの罪をこの人たちに負わせないでください!」こう言って、彼は眠りについた。

●「傾聴する」というのは話し手自身に自己作業をさせるのだということを知ったことがある。
●それと同じく「赦す」ということは罪を犯している人間自身に「反省の仕事」えをさせているのだと信ずる。
●私の信仰の先生の塚本虎二は「赦すことが最大の裁きだ」と言ったのはこのことである。至言。

塚本訳 ロマ 12:20
12:20 むしろ、『あなたの敵が飢えているなら、食べさせてやれ。渇いているなら、飲ませてやれ。こうするのはその頭に炭火を積むことであるから、(いつかは恥じて悔改める。)

●「炭火を積む」とは何か。素人的に考えれば「発電」させることなのではないか。
●塚本訳の敷衍(いつかは恥じて悔改める。)は実際問題として「いつか」。この世でならば万歳であるが、この世で無理なら来世でだ。神はいつかは救う。

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朝の啓示と黙想終わり













 













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光の子 ++++++++ 所感

2013/04/14 06:30

130414(日)3時半目覚め●朝の啓示「光の子」●死海文書に「光の子と闇の子」という言葉がある。

以下NETから引用  http://mujaki666.seesaa.net/article/124563720.html
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『死海文書』は、クムラン宗団の教義のエッセンスだが、その中に「光の子と闇の子の戦いの書」という予言書がある。
その内容は、聖書と同様の「終末思想」と「メシア登場」の予言となっている。
『死海文書』に示されている「大難の時代」は、まさに現代を指し、人類が直面する破局について書かれている。
しかし、「闇の子の時代」は、来たるべき「神の子」が生まれる為の試練の期間だとしている。
また、それらは天界で起きた「光と闇の戦い」が、地上に反映されたものだという。
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NETから引用  おわり

●ここから「光」について黙想する。聖書それ自身から「光」を連想する箇所を頭に浮かぶままに掲げる。

口語訳 創  1:3
1:3 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。

口語訳 詩  19:6
19:6 それは天のはてからのぼって、天のはてにまで、めぐって行く。その暖まりをこうむらないものはない。

口語訳 詩  119:105
119:105 あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。

塚本訳 マタ 6:22-24
6:22 目は体の明りである。だからあなたの目が澄んでおれば、体全体が明るいが、
6:23 目が悪いと、体全体が暗い。だから(天に宝を積まないため、)もしあなたの内の光(である目、すなわち心)が暗かったら、その暗さはどんなであろう。
6:24 (わたし達の心は天か地かに引かれる。)だれも(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。


塚本訳 マコ 9:2-3
9:2 (それから)六日の後、イエスはただペテロとヤコブとヨハネだけを連れて、高い山にのぼられた。すると彼らの見ている前でイエスの姿が変った。
9:3 着物(まで)が真っ白に輝きだし、この世のどんな晒し屋でも、これほど白くは出来ないくらいであった。

塚本訳 マタ 5:14-15
5:14 あなた達は世の光である。山の上にある町は隠れていることは出来ない。
5:15 また、(せっかく)明りをともして枡をかぶせる者はない。かならず燭台の上に置く。すると、家の中におる人を皆照らすのである。

塚本訳 マタ 5:44-45
5:44 しかしわたしはあなた達に言う、敵を愛せよ。自分を迫害する者のために祈れ。
5:45 あなた達が天の父上の子であることを示すためである。父上は悪人の上にも善人の上にも日をのぼらせ、正しい人にも正しくない人にも、雨をお降らしになるのだから。

塚本訳 使  26:12-16
26:12 こんな次第で、わたしは大祭司連から全権と委任とを受け、(迫害のため)ダマスコに進んでゆくと、
26:13 王よ、昼に、途中で、天から輝く太陽にもまさる光がさして、わたしと、同行の者たちとのまわりを照らすのを見ました。
26:14 わたし達が皆地上に倒れると、ヘブライ語で、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。刺の棒は蹴っても無駄だ』とわたしに言う声を聞きました。
26:15 わたしは言った、『主よ、あなたはどなたですか。』主が言われた、『わたしだ、君が迫害しているイエスだ。
26:16 さあ、起きて、『自分の足で立て。』わたしが(今)現われたのは、君を選んで、わたしを見たことと、(今からも)君に現われて示すこととの証人として、わたしに仕えさせるためである。

口語訳 黙  22:5
22:5 夜は、もはやない。あかりも太陽の光も、いらない。主なる神が彼らを照し、そして、彼らは世々限りなく支配する。

塚本訳 ヨハ 8:12
8:12 (同じ大祭の日に、)イエスはまた人々に語られた、「わたしが世の光である。わたしに従う者は、決して暗やみを歩かない。そればかりか、命への光を持つことができる。」


塚本訳 ヨハ 12:35
12:35 するとイエスは(それには答えず、)彼らに言われた、「もうしばらくの間、はあなた達のところにある。光のある間に(早く)歩いて、暗闇に追い付かれないようにせよ。暗闇を歩く者は、自分がどこへ行くのか知らない。


塚本訳 エペ 5:8
5:8 君達はかつては暗であったが、今は主に在って光である。光の子らしく歩け──


塚本訳 Ⅰヨハ1:7
1:7 しかしもし神が光の中にあるように、わたし達も光の中を歩いているならば、(神と交わりを持ち、従って)互に(まことの)交わりを持つ(ことができる)のである。そして(たとい罪を犯すことがあっても)、その子イエスの血があらゆる罪から清めてくださる。(かくてわたし達は光の子となるのである。)


塚本訳 黙  21:24
21:24 諸国の民はそのの中を歩むであろう。また地の王達は彼らの(有つ凡ての)光栄をここに持って来る

口語訳 詩  128:3
128:3 あなたの妻は家の奥にいて/多くの実を結ぶぶどうの木のようであり、あなたの子供たちは食卓を囲んで/オリブの若木のようである。


口語訳 箴  31:10-18
31:10 だれが賢い妻を見つけることができるか、彼女は宝石よりもすぐれて尊い。
31:11 その夫の心は彼女を信頼して、収益に欠けることはない。
31:12 彼女は生きながらえている間、その夫のために良いことをして、悪いことをしない。
31:13 彼女は羊の毛や亜麻を求めて、手ずから望みのように、それを仕上げる。
31:14 また商人の舟のように、遠い国から食糧を運んでくる。
31:15 彼女はまだ夜のあけぬうちに起きて、その家の者の食べ物を備え、その女たちに日用の分を与える。
31:16 彼女は畑をよく考えてそれを買い、その手の働きの実をもって、ぶどう畑をつくり、
31:17 力をもって腰に帯し、その腕を強くする。
31:18 彼女はその商品のもうけのあるのを知っている、そのともしびは終夜消えることがない。

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朝の黙想終わり。光は神からくる。人間の思想信条からは出ない。

●これから妻と集会に行く。聖日厳守。クリスチャンになってから50年間で礼拝を休んだのは一回だけ。
●「自分は無教会主義だからゴルフ中にも遊び中でも旅行中でもどこでも礼拝できる」などと弁解する人間ほど信仰がおかしい。深くない。こういう遊び人とはつきあわない方がよい。
●妻と集会へ
●集計は、茂木、高木(福音書における詩編の引用)、村上(申命記)
●小寺ご夫妻と私達とで昼食。
●帰宅してからTSK日本語版士師記6章入力


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神が和解させてくれる ++++++++ 所感

2013/04/13 05:58

130413(土)5時目覚め●朝の啓示「神が和解させてくれる」●生きていくうえで人との確執は苦しくつらいものである。「どうしても赦せない」「どうしても赦してくれない」。それが身近な人であればあるほど煩悶する。親子、兄弟、夫婦、同僚、近隣、子弟、教師と生徒、経営者と雇用者・・・多くは金銭、妬み、恨みが原因●そのために人はすぐお互いに出かけて行って酒を飲んだり、贈り物をしたりして人間的和合の道を模索するがうまくいかない。●これが社会的なことになると、東電を赦せるか、軍部の暴挙を赦せるか、北朝鮮を赦せるか、中国や韓国は日本を赦せるか、パレスチナはイスラエルを赦せるか、カトリックはルターを赦せるか、プロテスタント教会は無教会を赦せるか、黒人は白人を赦せるか、労働者は経営者を赦せるか、奴隷は主人を赦せるか、人間は悪魔を赦せるか・・・などとなり、その解決の専門家も出現するが、人間の知恵(政治的、思想的)では到底無理。なぜか。これらはヒューマニズムになるからである。また我が国の儒教道徳(社会的秩順守の教え)では解決しない。やってもいいが無駄なことはしない方がよい。時間と金の無駄。●真の解決は「神が和解させてくれる」ということである。神抜きの人間同士の和解は不完全。兄弟同士仲良くしても親父(神)を認めないなら神がへそを曲げる。ヒューマニズムや儒教道徳はそこに神が存在しないから真の和解にならず長続きしない。不完全である。●この難問に対して聖書はどのように言っているか聞いてみよう。 説教調になるが赦せ。自戒のつもりで頭に浮かぶ聖句を紡ぎだそう。

口語訳 エレ 13:23
13:23 エチオピヤびとは/その皮膚を変えることができようか。ひょうはその斑点を変えることができようか。もしそれができるならば、悪に慣れたあなたがたも、善を行うことができる。

●人の世界に確執があることはひょうに斑点があるのと同じで消せない。しか始祖のままでは苦しいのだ。
●アンデルセンの童話「みにくいアヒルの子」は水面に映った灰色の毛の自分に嘆き悲しむ。

塚本訳 ロマ 7:21-24
7:21 だから、わたしが良いことをしたいと思えば、かならず悪いことがわたしに生まれるという法則があることを、発見する。
7:22 すなわち、(わたしの中に二つのわたしがあって、)内の人としてのわたしは神の律法を喜ぶが、
7:23 わたしの肢体にもう一つの(わたし、罪の)法則(を喜ぶ外の人としてのわたし)があり、(その神の律法を行おうとする)わたしの理性の法則と戦って、肢体にあるこの罪の法則の捕虜にすることを、経験するのである。
7:24 なんとわたしはみじめな人間だろう!だれがこの死の体から、わたしを救い出してくれるのだろうか。

●この自己嫌悪の気持ちが救いへの門。この悩みの無い人には信仰の道は「猫に小判」「豚に真珠」

塚本訳 マタ 7:6
7:6 (とはいえ、正しい判断は出来ねばならない。神に供えた肉など)
神聖な物を犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。豚はそれを足で踏みつけ、向き直ってあなた達を噛み裂くかも知れない。

●ヒューマニストの前で神の国の話や、終末万物復興を話せない。有体的復活を話せない。
●私が有体的復活による救いの道を説くとヒューマニスト達に共通な顔つきは決まっている。「商売争い」の敵意の目なのだ。ヒューマニストたちにとっては自分たちの商売が上がったりになるからだ。
●あの目つきはプロテスタント教会同士の「ウチの教会」意識の商売争いの目つき。

口語訳 イザ 1:18
1:18 主は言われる、さあ、われわれは互に論じよう。
たといあなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ。紅のように赤くても、羊の毛のようになるのだ。

●神を知る道は「自分の罪」に悩むことが始まりである。
●自分の緋のように汚い心が雪のように白くなりたい、羊のように白くなりたい。

塚本訳 ヨハ 8:31-32
8:31 すると信じたユダヤ人に言われた、「もしわたしの言葉に留まっておれば、あなた達は本当にわたしの弟子である。
8:32 真理を知り、その真理があなた達を自由にするであろう。


文語訳 ヨハ 8:32
8:32 また眞理を知らん、而して眞理は汝らに自由を得さすべし

●国立国会図書館の入り口ロビーの打ち放しコンクリートの「梁」にはこの言葉が刻まれている。
●しかし国会図書館の本を全部読んでも人間は罪から自由になれない。それは大脳皮質の雑学肥大に終わる。そこに救いはない。

塚本訳 ヨハ 5:39-40
5:39 あなた達は聖書(旧約)をもっていることが永遠の命を持っていることのように思って、それを研究している。ところがこの聖書は、(永遠の命である)このわたしのことを証明しているのに、
5:40 あなた達はその命を得るためわたしの所に来ようとしない。

●では国会図書館を出てどこに行けば救いの道を見出せるか。
●カトリック教会に行けばいつでも礼拝堂の扉は開かれているが、見えるのは祭壇のみ。(論客の評論家、故加藤周一は病床でカトリックの洗礼を受けた。氏はあれで安心したのだろうか)。プロテスタント教会に行けばその扉が閉まっている(亡くなった友人S君の夫人は悲しみのあまりある大教会の扉を叩いたら入るのを断られた)。無教会はその扉がどこにあるか見えない。 個人の家には敷居が高くて入れない。

塚本訳 ルカ 11:9-13
11:9 それで、わたしもあなた達に言う、(ほしいものはなんでも神に)求めよ、きっと与えられる。さがせ、きっと見つかる。戸をたたけ、きっとあけていただける
11:10 だれであろうと、求める者は受け、さがす者は見つけ、戸をたたく者はあけていただけるのだから。
11:11 あなた達のうちのどんなお父さんでも、子が魚を求めるのに、魚の代りに蛇をやるだろうか。
11:12 また卵を求めるのに、蝎をやるだろうか。
11:13 してみると、あなた達は悪い人間でありながらも、自分の子に善い物をやることを知っている。まして天の父上が、求める者に聖霊(という善いもの)を下さらないことがあるだろうか。

●「なりふり構わず」求道すれば、必ず救われる。事例は無数にある。救いは座って研究していてはわからない。「神は存在するか」「キリストは神か人か」「天国はあるか」「宗教は必要か」「キリスト教は社会的によいことをしてきたか」「戦争に抵抗してきたか」、救いに教会は必要か、洗礼聖餐は必要か」・・・・曰く何、曰く何。こんな態度では神は救いの道を示さない。
●求道の期間も方法も人それぞれであるが、神はその人にふさわしい方法で導く。ある人には病気で、ある人には家庭崩壊で、ある人には大地震で、ある人には貧困で、ある人には身内の死で、子供の死で・・・・神は人を殺さないと思ったら間違い。神は肉の死をもってして永遠の命を教える。

塚本訳 ピリ 2:13
2:13 (しかしもちろんこれは君達の力では出来ない。)何故なら、(救いに関わる)御旨を成し遂ぐるため、君達のうちに働いて、(救いの)願望を起こさせ、これを成就せしめ給う者は、神であるからである。

●「汚いこの心から救われたい」という尊い願いを起こさせるのは神である。だから「何とか救われたい」と思うようにでもなれば救いの門に立ったのである。あとは時間の問題。
●そしていつかその人に「しっくりいく」教会、エクレシアに巡り合うものだ。

塚本訳 マタ 6:14-15
6:14 (祈る前に、まず人の罪を許さねばならない。)あなた達が人の過ちを赦してやれば、天の父上もあなた達を赦してくださるが、
6:15 人を赦さないならば、父上もあなた達の過ちを赦してくださらないであろう

●これが難しい。「人を赦せば神に赦される」となると初めに人間的努力が必要か。それならば救いは絶望。
●「人を赦せないこの自分をお救い下さい」という祈り、その求道の心があれば神はいつか「人を赦せる」心を与えて下さる。(上記ルカ9:11-13)
●編集史的に言えばこのイエスの言葉はすでに神に打ち砕かれて救われた人に対して語られたもの。8
●山上の説教は救われた人に対しての言葉だと言ったのは、J・エレミヤス(「新約聖書の中心的使信」新教出版社、P75)
●矢内原先生の集会に韓国の方々が来られた時に先生は「あなた達はまず自分の罪を神に赦していただきなさい。それから日本国を赦しなさい」と言われた。至言。

塚本訳 Ⅰコリ6:10-11
6:10 泥坊も、貪欲な者も、大酒飲み、罵る者、掠奪者も、神の国を相続することはない。
6:11 そして(かっては)あなた達も幾人かは、こうした者であった。しかしもはや(洗礼を受けて汚れを)洗っていただいたのであり、聖別されたのであり、義とされたのである、主キリストの名によって、またわたし達の神の霊によって。

●人は裁けない。

塚本訳 ヨハ 8:4-7
8:4 イエスに言う、「先生、この女は姦淫の現場を押えられたのです。
8:5 モーセは律法で、このような女を石で打ち殺すように命じていますが、あなたはなんと言われますか。」
8:6 こう言ったのは、イエスを試して、訴え出る口実を見つけるためであった。イエスは身をかがめて、黙って指で地の上に何か書いておられた。
8:7 しかし彼らがしつこく尋ねていると、身を起こして言われた
、「あなた達の中で罪(をおかしたこと)のない者が、まずこの女に石を投げつけよ。」

●世の中に人を裁ける人はいない。心の中で殺人、姦淫、妬みを犯している。

塚本訳 ルカ 23:34
23:34 するとイエスは言われた、「お父様、あの人たちを赦してやってください、何をしているか知らずにいるのです。『彼らは籤を引いて、』イエスの『着物を自分たちで分けた。』

●イエスは敵に殺されながら赦した。神に復讐を願う祈りはしなかった。
●十字架の下の兵士はギャンブルをしていた。今に言う「ギャンブル依存症。

塚本訳 使  7:57-60
7:57 すると彼らは大声で叫び、(冒涜の言葉を聞くまいとして)耳をふさぎ、一せいに襲いかかって、
7:58 彼を町の外に突き出し、石で打ち殺した。証人たちはぬいだ上着をサウロという青年の足下に置い(て、番をさせ)た。
7:59 ステパノは打ち殺されながら、イエスの名を呼んで、「主イエス様、わたしの霊をお受けください」と祈り、
7:60 それからひざまずいて、大声で叫んだ、「主よ、どうぞこの罪をこの人たちに負わせないでください!」こう言って、彼は眠りについた。

●このステパノの流した血がパウロを産んだ。「血は種子」である。

塚本訳 使  8:1
8:1 サウロは(石は投げなかったが、)ステパノを殺すことに賛成であった。その日エルサレムの集会に対して大迫害がおこり、使徒たち以外(の信者)は皆、ユダヤとサマリヤとの田舎に散らばった。

●初代教会の福音の伝播は偉い「人」ではなく、「福音それ自身の力」で広まった。(ダイスマン?)。
●具体的には無名の信者の流した殉教の血が福音の伝播の力であった。
●パウロは自らの手は汚さずに心でステパノを殺した。
●人間との確執はこの赦し、流血の赦し、とりなしの祈りがあって和解に導かれる。否、和解でなく、救いが成就する。
●確執ある人間同士が神に罪赦される時に初めて真の和解ができる。しかしそれはこの世では無理かもしれない。成就しないかもしれない。終末、万物の復興の時かもしれない。しかし神がそれを実行してくれるなら、この世でも来世でもどちらでもよい。なぜか。「御心にかなう祈り」はいつかは聴かれるのだから。

塚本訳 マコ 11:24
11:24 だからわたしは言う
、(神に)祈り求めるものはなんでも、すでに戴いたと信ぜよ。そうすればそのとおりになる。

塚本訳 ロマ 5:1
5:1 だから、わたし達は信仰のゆえに義とされたのであるから、わたし達の主イエス・キリストによって、いま神と平和ができた


塚本訳 Ⅰテサ3:7
3:7 (愛する)兄弟達よ、それ故、私達は君達の故に、
あらゆる苦難と患難において君達の信仰によって慰められた。

●祈り、赦し、希望、神の力を信ずること。これクリスチャンの忍耐の道。

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朝の黙想 おわり。アーすっきりした。
 
2013_04130009.jpg 
窓を開けると朝日。

文語訳 マタ 5:44-45
5:44 されど我は汝らに告ぐ、汝らの仇を愛し、汝らを責むる者のために祈れ。
5:45 これ天にいます汝らの父の子とならん爲なり。
天の父は、その日を惡しき者のうへにも、善き者のうへにも昇らせ、雨を正しき者にも正しからぬ者にも降らせ給ふなり。

塚本訳 マタ 5:44-45
5:44 しかしわたしはあなた達に言う、敵を愛せよ。自分を迫害する者のために祈れ。
5:45 あなた達が天の父上の子であることを示すためである。
父上は悪人の上にも善人の上にも日をのぼらせ、正しい人にも正しくない人にも、雨をお降らしになるのだから。

●これを家の日曜学校で話したら、「父さんは話すことと行いが違っている」と批判された。アー子供には伝道できない。「なるまじきは親。持つまじきは子供」。しかしこれも修行だ。

●TSK日本語版士師記5章入力
●妻は歯医者からコーラスのレッスンへ。帰宅は19時過ぎ。
●愛子の子供たちが教会学校から「皆勤賞」を頂いたという。一緒に行っている母親の功績大。 これで彼らの人生は成功だ。万歳。万歳。なぜか。次の通り。

文語訳 マタ 6:33
6:33 まづ神の國と神の義とを求めよ、さらば凡てこれらの物は汝らに加へらるべし。


塚本訳 マタ 6:33
6:33 あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。

●教会学校から皆勤賞を頂けたことは私にとって、東大、御茶ノ水女子大に合格するよりも、またノーベル賞を受賞するよりもうれしい。なぜか。それは「永遠の命」への門の入り口に立てたからだ。















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救いは「人」を通して伝わる ++++++++ 所感

2013/04/12 07:55

130412(金)5時目覚め●朝の啓示「救いは『人』を通して伝わる」●頭に浮かぶ関連聖句を掲げて黙想する。

口語訳 出 8:20
8:20 主はモーセに言われた、「あなたは朝早く起きてパロの前に立ちなさい。ちょうど彼は水のところに出ているから彼に言いなさい、『主はこう仰せられる
、「わたしの民を去らせて、わたしに仕えさせなさい。

●聖書は「モーセ」、その名前の出現数は旧約で802回、新約で87回。モーセなくしてユダヤ教もキリスト教もない
●神はモーセと言う「人」を通してイスラエルをエジプトの苦役から救い出した。

口語訳 ヨシ 1:1-2
1:1 主のしもべモーセが死んだ後、主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに言われた、
1:2 「わたしのしもべモーセは死んだ。それゆえ、今あなたと、このすべての民とは、共に立って、このヨルダンを渡り、わたしがイスラエルの人々に与える地に行きなさい。

●モーセの後継者はヨシュア。しかし一代目のモーセよりは大きくはなかった。
●戦争に次ぐ位戦争、「皆殺しの旅」

口語訳 士 1:1-2
1:1 ヨシュアが死んだ後、イスラエルの人々は主に問うて言った、「わたしたちのうち、だれが先に攻め上って、カナンびとと戦いましょうか」。
1:2 主は言われた、「ユダが上るべきである。わたしはこの国を彼の手にわたした」。

●ヨシュアが死んだあとは多くの「さばきずかさ」、つまり「士師」と呼ばれる「人」が起こされる。これ三代目。
●「人」は人でもみな小粒。
●「『売家』と唐様で書く三代目」。企業の運命は大体のおいてこれ。私が勤務していた会社がそれであった。
一代目の創業者は大工上がりのたたき上げで勢いがあって発展したが、二代目の息子は学者で経営に下手。しかし創業者の「七光り」でしばらくは続いたが衰退。三代目は血縁を断ったが、うまくいかずに他社吸収合併されその名が消えた。
●無教会の運命また同じ、内村鑑三は一代目。二代目は「親の七光り」で何とか持ちこたえたが、学者傾向。三代目は「血を断つ」として「神学」や「聖書学」に傾いたが、これを商売にしたので命がなくなった。 そして今は指導者を失って無教会難民の続出。
●軽井沢の星野温泉の創業者の星野嘉助氏は言う。「軽井沢に別荘を持っている人は心の淋しいい人。そしてその別荘は三代は続かない」と。至言。

●旧約は神の教育の失敗の歴史。律法(言葉による躾道徳)で人間はよくならなかった。
●そこで神は「神の子」を立てた。この「人の子」は人にして人にあらず。
●驚異の人格がこの世に見える形で現れた。トンデモナイ「人」が現れた。

塚本訳 マタ 12:6
12:6
わたしは言う、(ダビデ王よりも、祭司よりも、)宮よりも大きい者が(今)ここにいる。

塚本訳 ルカ 10:22-24
10:22 (──知恵も力も、その他)一切のものが父上からわたしに任せられた。父上のほかに、子(であるわたし)が何であるかを知る者は一人もなく、また、子と、子が父上をあらわしてやる者とのほかに、父上が何であるかを知る者はない。」
10:23 それから特に弟子の方へ振り向いて言われた、「あなた達が(いま)見ているものを見る目は幸いである。
10:24 わたしは言う、多くの預言者と王とは、あなた達が(いま)見ているものを見たいと思ったが見られず、あなた達が(いま)聞いているものを聞きたいと思ったが、聞かれなかったのである。」

塚本訳 マタ 12:41
12:41 しかし人々は信じない。(だから)ニネベの人がこの時代の人と一しょに(最後の)裁き(の法廷)にあらわれて、この人たちの罪が決まるであろう。というのは、ニネベの人はヨナの説く言葉に従って悔改めたが、(この人たちは、)いまここにヨナよりも大きい者がいる(のに、その言葉に従わない)からである。

塚本訳 ヨハ 14:6
14:6 イエスは言われる、「
わたしが道である。また真理であり、命である。(手段であると同時に目的であるから。)わたしを通らずには、だれも父上の所に行くことはできない。

●この驚異の「人」、神の子は有体的に復活し、天に上り、聖霊の形でこの世に普遍的に降るという摩訶不思議なことになった。これがキリスト教である。
●かくして人類は肉の人間の指導者によらず、霊のキリストの指導に生きる時代になった。

塚本訳 ヨハ 4:21
4:21 イエスが言われる、「女の人、わたし(の言葉)を信じなさい。
(間もなく)あなた達が、この山でもエルサレムでもなく(どこででも、)父上を礼拝する時が来る。

塚本訳 ヨハ 16:13
16:13 真理の霊が来る時、彼があなた達を導いていっさいの真理を悟らせるであろう。(いっさいの真理というのは、わたしと同じく、)彼は自分勝手に話すのではなく、(父上から)聞いたことを話すからである。また将来起るべき(世の終りの)ことをあなた達に知らせるであろう。

●真理の霊、復活のイエスの霊が普遍的に個別的に降るということは理性ではわかりにくいことだが、現代においてクリスチャンになった人の経過を知るとそれが事実であることがわかる。
●この霊がその後「人」を起こす。まずパウロが起こされた。

塚本訳 使  26:14-16
26:14 わたし達が皆地上に倒れると、ヘブライ語で、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。刺の棒は蹴っても無駄だ』とわたしに言う声を聞きました。
26:15 わたしは言った、『主よ、あなたはどなたですか。』主が言われた、『わたしだ、君が迫害しているイエスだ。
26:16
さあ、起きて、『自分の足で立て。』わたしが(今)現われたのは、君を選んで、わたしを見たことと、(今からも)君に現われて示すこととの証人として、わたしに仕えさせるためである。

●神は現代でも「人を起こす」。クリスチャンというクリスチャンは総て神に起こされた「人」。


塚本訳 Ⅰペテ2:5
2:5 そして君達自身も(主と同じく)活きた石として建てられて、霊の家となれ。これは君達が聖い祭司として、イエス・キリストによって神の御意に適う霊の供物を献げるためである。


塚本訳 Ⅰペテ2:9
2:9 しかし君達は『選ばれた種族、王なる祭司、聖き民族、』神の『所有物なる民』(である。そして君達がかく神の所有物となったのは、)君達を暗から驚くべき光へと召し給うたお方の『功業を宣べるためである』。

塚本訳 ロマ 12:1
12:1 (このように、神は偉大な計画によって人類を一人のこらず救おうとしておられるのであって、救いは確かである。)だから、兄弟たちよ、わたしは神のこの慈悲を指してあなた達に勧める。あなた達の体を(感謝のしるしとして神に)捧げよ。この生きた聖なる犠牲こそ、神のお気に入るものであり、(霊なる神を拝むにふさわしい、)あなた達の霊的な礼拝である。(あなた達の礼拝は動物を供えるような不合理なものでなく、全心全霊をささげる合理的な礼拝でなければならならない)

塚本訳 マタ 28:18-20
28:18 イエスは近寄ってきて十一人に言われた、「(いまや)天上地上一切の権能が、(父上から)わたしに授けられた。
28:19 それゆえに、行ってすべての国の人を(わたしの)弟子にせよ、父と子と聖霊の名で洗礼を授け、
28:20 わたしがあなた達に命じたことを皆守るように
教えながら。安心せよ、世の終りまでいつもわたしがあなた達と一しょにいるのだから。

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朝の啓示と黙想おわり

●TSK日本語版士師記4章入力
●15:00 散歩。花の写真を撮影。風が冷たい。
●歩きながら考えた。わたしを「父」と呼んでくれる子供がいることは感謝だ。今までとうていそう呼ばれる価値はないのに・・・・。わたしを「おじいちゃん」と呼んでくれる孫がいることは官舎だ。とうていそに価値はないのに・・・・。わたしを「お父様」と呼んでくれる嫁がいることは官舎だ、とうていその価値はないのに・・・。
●唯一心残りは、母の死以来、兄と弟と断絶状態になっていることである。この世でかあの世でか神に関係を修復してもらいたい。


文語訳 ルカ 9:51
9:51 イエス天に擧げらるる時滿ちんとしたれば、御顔を堅くエルサレムに向けて進まんとし、
 
塚本訳 ルカ 9:51
9:51 イエスは(いよいよ)昇天の日が迫ったので、決然としてその顔をエルサレムへ向けて進み、


●私が無教会集会の先輩から教えられた信仰の姿勢は「固く顔を神に向けて生きること」である。
●イエスは死が近くなると顔を固くエルサレムに向けられた。これクリスチャンのあるべき姿だ。
●妻も私も相手の姿形を見ないで結婚を決めた。神のお呼びだと信じて「決然と」その顔を前に向けた。その結果「幸福」であった。なぜか。次の言葉がなったのだ。

文語訳 マタ 6:33-34
6:33 まづ神の國と神の義とを求めよ、さらば凡てこれらの物は汝らに加へらるべし。
6:34 この故に明日のことを思ひ煩ふな、明日は明日みづから思ひ煩はん。一日の苦勞は一日にて足れり。


塚本訳 マタ 6:33-34
6:33 あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。
6:34 だから、あしたのことを心配するな。あしたはあしたが自分で心配する。一日の苦労はその日の分で沢山である。


●私達の結婚の司式をしてくださった故藤林益三先生は私に言ったものだ。「君は特攻隊(決死隊)のようだねー」と。
●そうだ、残る生涯、有体的復活と万物復興を固く心に信じて「死に向って」特攻隊(決死隊)の精神で生きよう。 

我が心の藤林益三先生

http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/hujibayasi.htm


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素晴らしいガーデニングの家。
住人の人柄が現れている。
道行く人を楽しませてくれる

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この家も素晴らしいガーデニング。
幸福そうな家だ。
自転車を使わずに散歩しているとこういう景色が見られる。










 

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恥の十字架を負って歩もう ++++++++ 所感

2013/04/11 06:06

130411(木)4時半目覚め。床の中で「塚本虎二先生10周年記念講演会」の故泉治典氏の「罪の赦しの福音」を読む。●去る4月7日の感話「楽園喪失から楽園回復への道」( http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/1304074.htm   )の副題の一部は
ーー信者は万物復興の希望を抱いて十字架を負って歩もうーー 
であったが、 今朝はこれに「恥の」を加えて

ーー信者は万物復興の希望を抱いて恥の十字架を負って歩もうーー
 
ととらえなおした。
●負わされる十字架は「恥」である。しかし「恥」であるところに十字架の意義がある。
●思いつくままに関連聖句を掲げてみよう。

塚本訳 マタ 27:39-42
27:39 通りかかった人々が『頭をふりながら、』イエスを冒涜して
27:40 こう言った、「お宮をこわして三日で建てるという人、自分を救ってみろ。神の子なら、十字架から下りてこい
27:41 同じように大祭司連も、聖書学者、長老と一しょに、こう言ってなぶった、
27:42
「あの男、人は救ったが、自分は救えない。イスラエルの王様じゃないか。今すぐ十字架から下りてくるがよい。そうしたら信じてやるのに!

●この世の人から「自分を救え!」と笑われるのが信者の生涯。これ「恥の十字架」。
●こういう時は「クソッ!」「ナンノコレシキ」「イマニミテオレ」とつぶやいて忍耐すべきだ。

塚本訳 マタ 10:23-24
10:23 この町で迫害された時には、次の町に逃げてゆけ。アーメン、わたしは言う、人の子(わたし)は(すぐに)、あなた達がイスラエル人の町々を回りつくさぬうちに来るのだから。
10:24 弟子は先生以上でなく、僕は主人以上ではない。(だからあなた達が迫害されるのは当り前である。)

●恥の十字架と言ってもキリストのそれ以上の「恥の苦と痛み」ではない。
●だからこの点において「弟子はその師にまさらず」であって、この言葉はキリストの慰めの言葉だ。

文語訳 マタ 10:24
10:24 弟子はその師にまさらず、僕はその主にまさらず、

塚本訳 Ⅱコリ2:14
2:14 しかし神に感謝せねばならない。神はいつでもわたし達をキリストによる凱旋行列に(虜として)引き回し、至る所でわたし達を通して御自分を知らせる知識の薫りをお広めになる。

●クリスチャンはキリストの捕虜としてその生涯を見世物に引き回されるのだ。
●これは「みっともない」「恥っかき」の人生になる。それでいいのだ。それがいいのだ。

塚本訳 ヘブ 10:34-36
10:34 しかり、あなた達は(信仰のための)囚人たちと苦しみをわかち、また自分がもっとまさった、いつまでもなくならない持物を持っていることを知っているので、自分の財産の奪われるのを喜んで忍んだではないか。
10:35 だからあなた達は(この堅い)信頼をすててはならない、それは大きな報いを持っている。
10:36 あなた達が神の御心を行って約束のものを受けるには、忍耐の必要があるからである。

●クリスチャンはこの世では貧困、底辺、しかし来世を待たずして「心は錦」。忍耐忍耐。

塚本訳 マタ 10:38-39
10:38 また自分の十字架を取ってわたしのあとに従わない者は、わたし(の弟子たる)に適しない。
10:39 (十字架を避けてこの世の)命を得る者は(永遠の)命を失い、わたしのために(この世の)命を失う者は、(永遠の)命を得るであろう。

●恥の十字架は負うものでなく無理矢理負わされるもの。この世から「ご利益ありませんねー」とあざ笑われるもの。「クソッ!。ナンノコレシキ」。
●人は誰しも十字架を避けたい。しかしそれは「人の思い」。

塚本訳 マタ 16:24
16:24 あとでイエスは弟子たちに言われた、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、自分の十字架を負い、それからわたしに従え。

●「己をすてる」ということが屈辱で恥。しかし反撃するな。復讐するな。神は見ている。知っている。神が裁く、復讐するな。
●尖閣列島は捨てよ。日本はあの島がなくても生きていける。「弱虫」と言われてもよい。
●塚本先生の言葉。「聖書勉強と共に苦しみがないと消化不良になる」

塚本訳 ヘブ 12:2-4
12:2 (かの)信仰の創始者また完成者であるイエスを見上げて!彼は自分の前にある喜びを捨て、恥をもいとわず十字架を耐え忍んで、(いまや)神の御座の『右に坐られているのである』。
12:3 あなた達も倦怠し、無気力になることがないように、彼が(御子でありながら、)『罪人どもの自分に対する』あんな敵対を耐え忍ばれたことを考えなくては。
12:4 あなた達はまだ、罪と戦って血を流すまでに抵抗したことがない。

●「耐え忍ぶ」ことそのことに意義があるというのはヒューマニズム。クリスチャンの忍耐は「万物復興の希望」による忍耐。

塚本訳 ヘブ 13:12-14
13:12 だからイエスも(これと同様に、しかし獣の血でなく)自分の血をもって、民をきよめるために、(エルサレムの)門の外で(十字架の)苦しみをうけられたのである。(すなわち贖罪と同じように、血は天の聖所の中に持って入られたけれども、その肉体は門の外のゴルゴダで滅び失せたのである。だから新約の祭壇では、食べる肉は無い。聖晩餐のパンがキリストの肉である訳はないではないか。)
13:13 それならばわたし達も彼(と同様)の罵りを忍んで、(肉のこの)『宿営の外』に出て彼のところにゆこう。
13:14 わたし達にはここにいつまでもなくならない都はなく、ただ来るべき(天の)都をさがし求めているからである。

●これが現代に生きる「戦闘の教会」(エクレシアミリタンス)の兵士の「戦陣訓」だ。
●戦時中の戦陣訓は「「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」であったが、
信者の戦陣訓は「「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けよ」でよいのだ。
●(肉のこの)『宿営の外』に出よう。


塚本訳 ヨハ 16:33
16:33 これらのことを話したのは、あなた達がわたしに(しっかり)結びついていて、平安を保つことができるためである。この世ではあなた達に苦しみがある。しかし安心していなさい。わたしがすでに世に勝っている

●次回(5月5日)の感話の一部はこの句であるが、今朝の黙想でその準備が出来た。

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朝の黙想 終わり











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ピラトの手の血は水では落ちない ++++++++ 所感

2013/04/10 07:07

130410(水)5時半、下半身の下着とズボンを便で汚してしまい、洗っても洗ってもきれいにならなくて苦しんでいるところで目が覚めた。夢で良かった。●この夢で、私が「遣わされて」行くべき人の照準が定まった。人生で何が最も苦しいかというと罪の悔やみである。過ぎ去った過去は取り戻せない。その汚点である。しみである。このもがき苦しみの人のために「福音」がある。その福音の「運び屋」になりたい。●イエスの血のみがこの汚点を清めてくれる。苦悩と悔やみから救ってくれる。イエスがライ病を癒したのはその「見える形」である。●関連聖書を掲げてみよう。

塚本訳 マタ 27:23-24
27:23 ピラトは言った、「いったいどんな悪事をはたらいたというのか。」しかし人々はいよいよ激しく、「十字架につけるのだ」と叫びつづけた。
27:24 ピラトは(自分のすることが)なんの甲斐もないばかりか、かえって騒動が起りそうなのを見て、水を取り寄せ、群衆の前で手を洗って言った、「わたしはこの人の血(を流すこと)に責任をもたない。お前たちが自分で始末しろ

●罪なきイエスを殺した最終決断の「統治者」「権威者」はピラトであった。
●彼は「良心」が痛んで水で手を洗った。しかしその汚れは落ちない。
●現代においては洗礼の水(H2O)でも罪の穢れは落ちない。
●そこで現代の役人の本能でもある「責任逃れ」をする。しかしその良心の痛みは消えない。
●ピラトは無辜の人間の血を流した。

塚本訳 Ⅰコリ15:8-9
15:8 しかし一番最後には、さながら月足らずのようなわたしにも御自分を現わされた。
15:9 ほんとうにわたしは、使徒の中で一番小さい者である、いや、わたしは使徒と言われる値打もない、神の集会を迫害したからである

●パウロの汚点、良心の痛み、悔やみ。パウロは無辜のキリスト信者を殺した。
●無名の信者達の流した血があのパウロを生んだ。「血は種子である」

塚本訳 使  7:58-60
7:58 彼を町の外に突き出し、石で打ち殺した。証人たちはぬいだ上着をサウロという青年の足下に置い(て、番をさせ)た。
7:59 ステパノは打ち殺されながら、イエスの名を呼んで、「主イエス様、わたしの霊をお受けください」と祈り、
7:60 それからひざまずいて、大声で叫んだ、「主よ、どうぞこの罪をこの人たちに負わせないでください!」こう言って、彼は眠りについた。

●ステパノは迫害されながら「赦した」。この赦しが人を救った。


塚本訳 使  8:1
8:1 サウロは(石は投げなかったが、)ステパノを殺すことに賛成であった。その日エルサレムの集会に対して大迫害がおこり、使徒たち以外(の信者)は皆、ユダヤとサマリヤとの田舎に散らばった。


●上記使徒7:58ではパウロは上着の番をしていた下っ端の役人のように思えるが違った。
●真犯人はいつの時代も表に出ない。汚いパウロ。

塚本訳 使  22:6-8
22:6 ところが進んでいってダマスコに近づくと、昼ごろ、突然、天から強い光がさしてわたしのまわりに輝いた。
22:7 わたしは地べたに倒れて、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と言う声を聞いた。
22:8 わたしは答えた、『主よ、あなたはどなたですか。』わたしに言われた
、『わたしだ、君が迫害しているナザレ人イエスだ。』

●しかし神は知っていた。パウロは神にあぶり出された。
●神がパウロに復活のイエスの姿を現したのは裁きと同時に赦しであった。

塚本訳 ロマ 7:24-25
7:24 なんとわたしはみじめな人間だろう!だれがこの死の体から、わたしを救い出してくれるのだろうか。
7:25 ──神様、感謝します、わたし達の主イエス・キリストによって!──従って、このわたしは理性では神の律法に仕えるが、肉では罪の法則に仕えるのである。

●パウロの悔やみ、罪の自覚。「みじめな人間」の悔やみ。「死の体」の自覚。
●このパウロの悩みはピラトが行ったような「水」での禊(みそぎ)では消えない。
●神の霊によって「新しく生まれなければ」ならない。 贖われなければならない。

塚本訳 ヨハ 3:4-8
3:4 ニコデモがイエスに言う、「(このように)年を取った者が、どうして生まれなおすことが出来ましょう。まさかもう一度母の胎内に入って、生まれなおすわけにゆかないではありませんか。」
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。
3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。
3:7 『あなた達は新しく生まれなおさねばならない』と言ったからとて、すこしも不思議がることはない。
3:8 風[プニューマ]は心のままに吹く。その音は聞えるが、どこから来てどこに行くか、あなたは知らない。霊[プニューマ]によって生れる者も皆、そのとおりである。」


●現代の我々もニコデモのように「霊によって生まれる」ということがわからない。
●クリスチャンの親は子供を霊に産むことはできない。それが出来るのは神の力のみである。
●クリスチャンの親は自己努力で子供をクリスチャンにできない。それは神の自由なる絶対主権による。

塚本訳 ヨハ 3:16-17
3:16 そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである。
3:17 神は世を罰するためにその子を世に遣わされたのではなく、子によって世を救うためである。

●十字架は歴史内のこと。しかしその意味は各自に個人的に霊で啓示される。
●これが霊によって生まれることであるが、肉の親は祈りによってきり参加できない。
●その参加とは十字架を負うことである。これ神の我々に課せられた「条件」。罪は血によって清められる。苦悩によって贖われる。
●祈りは聴かれる。
●信仰なくして死んだ人も最後の日に墓から呼び出されてラストチャンスで救われる。 

新共同 マタ 5:21-22
5:21 「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。
5:22 しかし、わたしは言っておく。
兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。

●私は人を物理的に殺したことはないが、心の中で何人も殺してしまった。私の手は血で真っ赤だ。地獄行き決定である。
●心の中で殺した人とはその後プッツンである。二度と修復できない。これ神の罰である。
●建築の世界で下請けを金でいじめると二度とついてこない。金でいじめるのは「殺人」である。

口語訳 黙  7:14
7:14 わたしは彼に答えた、「わたしの主よ、それはあなたがご存じです」。すると、彼はわたしに言った、「彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって、
その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである。

●ピラトの手の血はキリストの血で初めて清められる。我々もまた同じ。
●讃美歌271


いさおなき我を 血をもて贖い
イェス招き給う み許にわれゆく

つみとがの穢れ 洗うによしなし
イェス潔め給う み許にわれゆく

うたがいの波も 恐れのあらしも
イェス鎮め給う み許にわれゆく

こころの痛手に 悩めるこの身を
イェス医し給う み許にわれゆく

たよりゆく者に 救いといのちを
イェス誓い給う み許にわれゆく

いさおなき我を かくまで憐み
イェス愛し給う み許にわれゆく

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朝の啓示黙想おわり

●次回5月5日の感話の準備。「時代は変わった。ユダヤ教からキリスト教へ。パラクレートスの降下」
●TSK日本語版、士師記2章。やはり聖書は面白い。
●夕方、妻は歯科に。我々の肉の体が「御用」のために今しばらく生かされますように。














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頭が痛い ++++++++ 所感

2013/04/09 06:40

130409(火)4時半目覚め。7時間寝ても頭痛がおさまらない。断続的に痛みが襲ってくる。
妻「お医者さんに行って来たら」
私「聖路加は救急患者きり飛び込みは無理。祈りで直す」(「祈りで直す」というのはそもそも妻に教えられたこと)
妻「近くの行きつけの医者よ」
私「そうするか」
●そして布団に正座して、「直していただければ、なお福音のためにまい進します」と祈った。
すると、なんだか聴かれたような気がした。
●昨夜は風呂に入ったとき少し楽になったので、朝風呂に20分入る。それでもおさまらない
●血圧測定119-80

文語訳 マコ 11:22-25
11:22 イエス答へて言ひ給ふ『神を信ぜよ。
11:23 まことに汝らに告ぐ、人もし此の山に「移りて海に入れ」と言ふとも、其の言ふところ必ず成るべしと信じて、心に疑はずば、その如く成るべし。
11:24 この故に汝らに告ぐ、凡て祈りて願ふ事は、すでに得たりと信ぜよ、さらば得べし。
11:25 また立ちて祈るとき、人を怨む事あらば免せ、これは天に在す汝らの父の、汝らの過失を免し給はん爲なり』


塚本訳 マコ 11:22-25
11:22 イエスが彼らに答えられる、「神(の力)を信ぜよ。
11:23 アーメン、わたしは言う、だれでもこの山に向かい、『立ち上がって海に飛び込め』と言って心に疑わず、自分の言うことは成ると信ずるならば、そのとおりになる。
11:24 だからわたしは言う、(神に)祈り求めるものはなんでも、すでに戴いたと信ぜよ。そうすればそのとおりになる。
11:25 なお立って祈っている時に、だれかに恨みがあったら赦してやれ。これは天の父上からも、あなた達の過ちを赦していただくためである。」


塚本訳 マコ 9:22-23
9:22 霊はこの子を殺そうとして、幾たびか、火の中、水の中に投げ込みました。それでも、もしなんとかお出来になるなら、わたしども(親子)を不憫と思って、お助けください。
9:23 イエスは言われた、「もしお出来になるなら(と言うの)か。信ずる者にはなんでも出来る。

塚本訳 Ⅱコリ12:7
12:7 そしてこれらの素晴らしい啓示があるので、わたしが高慢にならないようにと、わたしの肉に一つの刺が与えられた。悪魔の使いであって、これはわたしが高慢にならないようにと、わたしをうつものである。



●聖書の字句は活人生の真剣勝負でなければわからない。神がわからせてくれない。
●結核のメッカ東京都清瀬市の病院に寝ていた人たちの信仰は「いき」がよかった。明日もわからぬ人生だからだった。招かれて回復者の結婚式に出た「あの人も」「この人も」すでに逝った。短い人生を花と散った。ある結核回復者の結婚式の披露宴の食事は牛乳と三角サンドイッチであった。しかしどんなに豪華な食事よりもよく覚えている。
●人生の幸福は健康長寿経済家庭団らんではない。短くても神を信じて「花と散る」のだ。

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朝の黙想 終わり

妻「具合はどお?」
私「直る。大丈夫だ!」


●13年前、職場で脳出血で倒れて意識不明になったとき、近くの聖路加国際病院に救急車で搬送された(この病院は救急車でもなければすぐには入れない)。
●ベッドに正座して「もし直していただければ。残りの人生は『復活』のこときり話しません」と祈った。最近某氏が「高橋は10年一日のように『有体的復活』のことだけを話している」と言われたが、思えばこの脳出血で倒れた時からのことだ。あの時私は神に約束したのだ。あのとき地平線は消えた。地上のゴタゴタを相手にしていてはいけないのだ。
●12:15 池谷医院で頭痛の原因はなんと肩凝りと診断され、凝りを和らげる薬が処方された。また同時に、パソコン作業中にお腹を引っ込め両手を挙げて体を左右に倒す体操を指導された。プロの所見はすごい。この世は何事も素人判断はいけない。時間とコストの無駄だ。
●15:15 妻はYさんと以前から約束していた浅間嶺にハイキング。途中から私に様子伺いの電話。私「なんでもなかったよ」。



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有体的復活の科学的考察 ++++++++ 所感

2013/04/08 06:23

130408(月)朝の啓示黙想「有体的復活の科学的考察」●福音書の伝えるところによれば復活のイエスが「現れる」(これ神学用語では顕現)ときには共通点がある。「極度の悲しみに陥っている人に『声をかける』のである。鼓膜の振動である。近代の聖書学者の多くが「復活は幻視体験」というのとは違う。そしてその復活のイエスに出会った人に共通のことは「衝撃と喜び」である。この史実は否定できない。その実例を見てみよう。

① 塚本訳 ルカ 24:1-3・・・日曜日

24:1 (翌日、すなわち)週の始めの日[日曜日]、夜の引明けに、用意しておいた香料(をまぜた香油)を持って墓場に行った。

24:2 墓(の入口)から石がころがしてあるのを見て

24:3 中に入ったが、主イエスの体は見えなかった

 

② 塚本訳 マタ 28:8-9・・・日曜日

28:8 女たちは恐ろしいが、また嬉しくてたまらず、(中には入らずに)急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走っていった

28:9 するとイエスがぱったり彼らに出合って、「お早う」と言われた。女たちは進み寄り、その足を抱いておがんだ。

 

③ 塚本訳 ヨハ 20:1-3・・・日曜日

20:1 (翌々日、すなわち)週の初めの日(日曜日)の朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に来てみると、墓(の入口)から石がのけてあった。

20:2 そこでシモン・ペテロと、イエスが可愛がっておられたもう一人の弟子との所に走って行って言う、「主を墓から取っていった者があります。どこに置いたのかわかりません。

 

④ 塚本訳 ヨハ 20:3-9・・・日曜日

20:3 そこでペテロはもう一人の弟子と飛び出して、墓へと急いだ。

20:4 二人とも(始めのほどは)一しょに走っていたが、もう一人の弟子の方が(年が若かったので、)ペテロより早く走っていって、先に墓に着いた。

20:5 身をかがめると、(墓の中に)亜麻布があるのが見えたが、それでも中には入らなかった。

20:6 続いてシモン・ペテロも来た。彼は墓に入り、亜麻布が(そのままそこに)あるのを見た。

20:7 また頭をつつんだ手拭は亜麻布と一しょになく、これだけ別の所に、包んだまま(の形)になっていた。

20:8 すると先に墓に着いたもう一人の弟子も入ってきて、見て、信じた。

20:9 イエスは死人の中から復活されねばならないという聖書の言葉が、(この時まで)まだ彼らにわかっていなかったのである。

 

⑤ 塚本訳 ヨハ 20:16-18・・・日曜日

20:16 (こう言って、また墓の方を向いていると、)イエスが「マリヤ!」と言われる。マリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う。(そしてイエスに抱きつこうとした。)

20:17 イエスが言われる、「わたしにすがりつくな。まだ父上の所に上っていないのだから。わたしの兄弟たち(弟子たち)の所に行って、『わたしは、わたしの父上、すなわちあなた達の父上、わたしの神、すなわちあなた達の神の所に上る』と言いなさい。」

20:18 マグダラのマリヤは行って弟子たちに、「わたしは主にお目にかかった」、また、主がこのことを彼女に言われた、と報告した。

 

⑥ 塚本訳 ルカ 24:13-17・・・日曜日

24:13 するとちょうど同じ日に、二人の弟子がエルサレムから六十スタデオ[十一キロ半]離れたエマオという村へ歩いてゆきながら、

24:14 これらの出来事をあれやこれやと話し合っていた。

24:15 二人が(こうして)話したり議論したりしていると、(いつの間にか)御本人のイエスが近づいてきて、一しょに歩いておられたが、

24:16 二人は目をくらまされていたので、それと気がつかなかった。

24:17 二人に言われた、「歩きながら何をそんなに論じ合っているのです。」暗い顔をして二人は立ち止まり、

 

⑦ 塚本訳 ルカ 24:31-34・・・日曜日

24:31 (その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。

24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。

24:33 時を移さず二人は立ち上がってエルサレムに引き返して見ると、十一人とその仲間とが集まっていて、

24:34 ほんとうに主は復活して、シモン(・ペテロ)に御自分を現わされた」と話してくれた。

 


http://homepage3.nifty.com/teruterubouzu-travel/france1.html

レンブラント エマオの食卓 1628年 パリ ジャックマール・アンドレ美術館蔵

 

⑧ 塚本訳 ヨハ 20:19-20・・・日曜日の晩

20:19 その日すなわち週の初めの日の晩であった。ユダヤ人を恐れて、弟子たちのおる部屋の戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスが(どこからともなく)はいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた

20:20 そしてそう言いながら、手と脇腹とをお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ

 

⑨ 塚本訳 ヨハ 20:26-28・・・翌週の月曜日

20:26 八日ののち、弟子たちはまた家の中に(集まって)いた。今度はトマスも一しょであった。戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスがはいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた。

20:27 それから(すぐ)トマスに言われる、「指をここに持ってきて、わたしの手(の釘の跡)をよく見てごらん。手を持ってきて、わたしの脇腹に差し込んでみなさい。不信仰をやめて、信ずる者らしくしなさい。」

20:28 トマスがイエスに答えて言った、「わたしの主よ!わたしの神よ!」

 

⑩ 塚本訳 ヨハ 21:3-7・・・日時不明(そのあとで、ヨハネ211

21:3 シモン・ペテロが「わたしは漁にゆく」と言うと、「わたし達も一しょに行く」と彼らが言う。みんなが出ていって舟に乗った。しかしその晩は何も捕れなかった。

21:4 もう夜も明けたころに、イエスが(どこからともなく)岸に出てこられた。それでも、弟子たちはイエスだと気づかなかった。

21:5 イエスが彼らに言われる、「子どもたち、何も肴があるまい。」「ありません」と彼らが答えた。

21:6 イエスが言われた、「舟の右側に網を打って御覧、獲物があるから。」網を打つと、(はたして捕れた)魚が多く、もはや網を引き上げることが出来なかった。

21:7 するとイエスの愛しておられた弟子が気づいて、ペテロに「主だ!」と言う。主だと聞くと、シモン・ペテロは裸だったので(急いで)上っ張をひっかけ、湖に飛び込んだ。

 

⑪ 塚本訳 使  22:6-9・・・日時不明

22:6 ところが進んでいってダマスコに近づくと、昼ごろ、突然、天から強い光がさしてわたしのまわりに輝いた。

22:7 わたしは地べたに倒れて、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と言う声を聞いた。

22:8 わたしは答えた、『主よ、あなたはどなたですか。』わたしに言われた、『わたしだ、君が迫害しているナザレ人イエスだ。』

22:9 連れの者たちは光は見えたが、わたしにお話になる方の声は聞こえなかった。

●以上11例のうち、①から⑩までは正常分娩、⑪のパウロは異常分娩、パウロに言わせれば「月足らず」の生まれ方である。

塚本訳 Ⅰコリ15:8-9
15:8 しかし一番最後には、さながら月足らずのようなわたしにも御自分を現わされた。
15:9 ほんとうにわたしは、使徒の中で一番小さい者である、いや、わたしは使徒と言われる値打もない、神の集会を迫害したからである。

●2000年後の私達の復活体験はパウロのように異常分娩である。次の通り。

塚本訳 Ⅰペテ1:8
1:8 君達は彼を(目のあたり)見たことはないが、(これを)愛し、今も見ることは出来ないが、(これを)信じて、(既にかの日の)輝きに満ちた、言語に絶する喜悦を喜んでいる。

●パウロには無辜の信者の血を流した「良心の痛み」があったはずだ。現代の我々も「極度の悲しみの時」に神は「接近して」くださる。
●また、どうしても強情な人間で信者を迫害する厄介な者には神は暴力をもって臨む。パウロは復活のイエスに圧倒されたのである。打倒されたのである。
●以上、復活のイエスの「現れ方」は多様である。神は「四十八手」を使う。
●「有体的復活」という「言葉」は塚本虎二先生のイエス伝によって聞いたのが初めてである。パウロの復活観は第一コリント一五章によって「復活の霊体」ということである。これを突き詰めると現代の聖書学者のように復活は幻視体験論になってしまう。私もかってはそうであったが、今は違う。神は「この人には物理的体、この人には霊の体、この人には「声のみ」、この人には「胸が熱くなる」ことによって、・・・など「現れ方は様々」である。このことを去る3月31日の「復活節」に集会で感話したところ、一御婦人から「高橋さんの復活論は今日は非常によくわかりました」とお礼を言われた。復活は女性によくわかるものらしい。イエスも最初は女性に復活の姿を「現された」。
●塚本虎二先生の復活観で私が「納得」した文章があるのでそれを次に掲げる。 「有体的復活の科学的考察」である。
 

塚本虎二著作集第8巻。イエス伝、第234講「有体的復活」。P67
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問題はそれよりも、そんな存在がどうして肉や骨をもち、また食事などが出来るかということである。この点については、パウロが極めて合理的なまた詳細な説明を試みている(第一コリント15;15以下)。彼は復活体なるもののあることを主張して、同じ肉でも人の肉、獣の肉、魚鳥の肉があるように、天的存在物には天的の「霊の体」があるという。ただそれがどんなものであるかは誰にも説明出来ない。聖書に記す復活のイエスによってこれを知るほかはない。すなわち彼には肉と骨があり、これに触ることが出来、また人の見ている前で食事さえすることが出来る。大体生前と同じような顔付や、丈の高さ、体の恰好であり、手足の疵(きず)まで依然としてもとのようであるらしい。しかも生前と異なり、彼は肉的の存在が受ける時間空間等のすべての制約受けず、自由に行動し、またその形態の変更が出来るらしい。彼はただ認めさせようと思う時だけ認められ、去来を悟られることなく、あるいは消えあるいは現れる。これはツァーン(1838-1933 ドイツの新約学者・・高橋注)の注解に言う所であるが、大体当っているように思われる。

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塚本虎二著作集第8巻。イエス伝、第234講「有体的復活」。P67引用終わり。
 
●左後頭部に痛み。いつもはすぐおさまるのに今日はおさまらない。薬屋に行って頭痛薬「タイレノール」を購入して服用してもおさまらない。血圧は141-78。午後仮眠。妻から今日は「パソコン」中止の指令。疲れか。最近は集会の感話終了後「疲れ」を感じるようになった。
●TSK日本語版が完成しないうちは死ねない。2015年2月末。72歳。
●私達夫婦の願いは子や孫が神を知る者となること。そして私達より先に逝かないこと。しかし「御心のままに、御心のままに」。人の救いも寿命も神が100%握っておられる。
●ナニ、塚本先生の新約聖書翻訳も「未完成」であった。TSK日本語版も「未完成」ならそれはそれでよいとしよう。誰かが引き継いで完成してくれるだろう。人生「脱力」で行こう。
●その点、パウロは偉い。人生は長さではない。質だ。
 
塚本訳 ロマ 9:1-3
9:1 私はキリストにある者として本当のことを言う、嘘はつかない。わたしの良心も聖霊によって、(それが本当であることを)保証してくれる。
9:2 (わたしが急にこんなことを言い出したら信じてくれないかも知れないが、)わたしに大きな悲しみと、心に絶えざる痛みとがあるのである。
9:3 ほんとうに、兄弟すなわち血を分けた同胞の(救われる)ためならば、このわたしは呪われて、救世主(の救い)から離れ落ちてもよいと、幾たび(神に)願ったことであろう。




 




 


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聖書の結論 ++++++++ 所感

2013/04/07 07:53

130407(日)本日の感話のプリントを急遽変更。黙示録22:13-17を挿入。

塚本訳 黙 22:13-17
22:13 私はアルパまたオメガ、最初また最後、初また終である。
22:14 幸福なる哉、生命の樹に行き(その実を食い)、また(聖なる)都の門を入る権を得るために、その上衣を洗う者!
22:15 (しかし都の)外には(この権を有たぬ穢れた)犬、魔術を行う者、淫行の者、殺人者、偶像礼拝者、すべて虚偽を愛しまた行う者がいるであろう。
22:16 私イエスが(諸)教会についてこれらのことをお前達に証明するために、私の使いを遣わしたのである。私はダビデの根また裔、輝く暁の明星である。」
22:17 すると御霊と新婦とが(答えて)言う
、「来たり給え」と。聞く者も(また)「来たり給え」と言え。渇く者は来い。望む者は無代で生命の水を受けよ。

●聖書は最後の黙示録22章が結論。壮大なエンディング。
●新天新地、万物復興、永遠の命。

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朝の啓示黙想おわり

●妻と集会へ。高木、小寺、高橋(楽園喪失から楽園回復への道)

http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/1304074.htm

●14:00 「福島の声を聞く」(あきる野ルピア)。報告者、福島県飯館村酪農家、長谷川健一。 餓死した牛を食べる牛たちの影像にショックであった。昨年は三男の恵が報告した。
とにかく子供たちの将来を気の毒に思う。福島は日本の十字架を負った。きっといいことがある。絶対にいいことがある。福島の子供たちは神に祝福される。この世的に泣く人は神に慰められる。私は貧しさ故に神を知った。 

塚本訳 マタ 5:3
5:3 ああ幸いだ、神に寄りすがる『貧しい人たち、』天の国はその人たちのものとなるのだから。

塚本訳 マタ 5:4
5:4 ああ幸いだ、『悲しんでいる人たち、』、(かの日に)『慰めていただく』のはその人たちだから。

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低気圧が去って素晴らしい空

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秋留台公園のチューリップ

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雨のち晴れの天気はうれしい


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成長としての別れ ++++++++ 所感

2013/04/06 07:14

130406(土)5時起床
宮沢賢治の宗教観についてNETで正木晃氏の講演を聴いて勉強になった。
 
「銀河鉄道の夜」→「ウィキペディア」→「宮沢賢治はなぜ浄土真宗から法華経に改宗したのか」
http://www.youtube.com/watch?v=OQnEDI-QYhA&list=PL29809B3CE9F5C44B

●浄土真宗、法華経、キリスト教の影響。 内村鑑三の名前も出てくる。
●賢治の全作品は法華経の布教が狙いであったということに目からうろこであった。

●朝食時に私達と孫たちの4日間の反省。
孫二人からわたしへの批判は強かった。妻と同じことを言われたのは痛かった。

塚本訳 ヨハ 8:16-17
8:16 しかしたとえ裁いても、わたしの裁きは真実である。わたしはひとりではなく、わたしと、わたしを遣わされた方と(二人)であるから。
8:17 あなた達の律法にも、『二人の証言は信用すべきである』と書いてあるではないか。

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窓を開けると濃霧の朝。孫が帰る朝。
出会った人は、少しの間一緒にいるが、すぐ霧の向こうに消えていく。
否、独立していくのだ。

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7:50 孫の二人を福島まで送る朝


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7:50 私達を孫(小2)が撮影する


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11:30 大宮駅で新幹線を待つ孫二人
あと一時間で父親(郡山まで出迎え)に会える。
郡山に到着すると、手を振って出迎えた父親(恵)に
二人は駆けだした。やはり肉親が一番だ。

●14:00 郡山ロマリンダクリニック(富永國比古院長)の建築問題調査。その後懇親懇談。
宮沢賢治とキリスト教、有体的復活論、万人救済論。・・・17:00まで。帰宅20;00
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釣りに行く ++++++++ 所感

2013/04/05 06:57

130405(金)5時起床●朝の啓示「楽園を失った人間の淋しさ」●創世記の創造物語は3000年後の今日でも人生の真理を語る●楽園を失った人間はその淋しさのために堕落に堕落を重ねる。神は「律法」(道徳、躾)によって元に戻そうとするが失敗。これが旧約。●そして時至って神は「罪を赦して贖罪の道」を開かれた。これが新約。これをパウロは次のように「説明」する。「道が設けられた」のである。

塚本訳 ロマ 3:21-24
3:21 しかしながら今、律法に関係なく、神の義は現わされた。しかし律法と預言書と[聖書]によって(すでに)証しされているものである。
3:22 この神の義は、イエス・キリストを信ずる信仰(だけ)によって、これを信ずるすべての者にあたえられる。(すべてというのは、そこに人間的の)なんの差別もないからである。
3:23 なぜか。すべての人が罪を犯したため、いまだれ一人、(かつて持っていた)神の栄光をもたない。
3:24 (さりとて失った栄光を回復する力はないので、何一つ)代価を払わず、(ただ)神の恩恵によって、キリスト・イエスによるあがないの力で、(神に)義とされる
(道が設けられた)のである。

●この「説明」を頭で信じても救われない。神が不思議な方法でこれをわからせてくださる。
●神は人のどんな難しい、精神の病などの病気をも直してくださる。イエスはらい病を清めた。

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朝の黙想おわり
 
●今日は釣に行く日。下の孫の風人のみを連れて出発。
●子育ては母親。父親は母親の背後からサポートすべし。夫に信頼された妻のみが子供を落ち着いて育てることができる。この観点から次の句が解せる。

口語訳 創  2:18
2:18 また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。


●しかしパウロは言う。

塚本訳 Ⅰコリ7:32-34
7:32 ただわたしはあなた達が、(この世のことに)気をつかわないでほしいのである。独身の男は、どうしたら主に喜ばれるかと、主のこと(ばかり)に気をつかうが、
7:33 結婚している男は、どうしたら妻に喜ばれるかと、この世のことに気をつかって、
7:34 心が割れるのである。
また独身の女と処女とは、身も霊もきよくあろうとして、主のこと(ばかり)に気をつかうが、結婚している女は、どうしたら夫に喜ばれるかと、この世のことに気をつかうのである。

●これは「家庭生活の煩わしさから逃れる」独身賛美のように思える。しかしカトリックの独身主義はプロテスタントの妻帯主義より一枚上と考えるyのは誤り。結婚して「なるまじきは親」、「子を持たない方が良かった」の苦悩懊悩嘆き悲しみに遭遇することが信仰が練られる道だ。 それは「自分の十字架」という聖業。
●「自分の十字架」とは伴侶、子供、孫、親、嫁、婿、義父、義母、親戚、遠戚。十字架は重い。苦しい。しかし神は100%ご存知と信じ抜こう。


塚本訳 ルカ 9:23
9:23 それから今度は皆に話された、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、毎日自分の十字架を負い、それからわたしに従え。

●無理に負わされる十字架は「宿命」。「運命」「節理」。

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春の養沢川
行きつけの「養沢フィッシングランド」は「本日休業」の札。近所の人に聞くと経営者の母親が病気で突然の休業らしい。人生には「思わぬこと」がある。また「意外なことが起こりますよ」というのは独立学園の故桝本華子先生が話してくださった言葉で「良い方向に行く」という意
味。
 
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急遽近くの「養沢国際マス釣り場」に場所を移動。渓流を何段にも堰き止めた釣り場は
セミプロでも難しい。一匹も釣れないのを見た管理人の若い人がすぐ釣れる釣堀に案内してくくれたが、バスの時間があるので時間切れ。それでもニジマス6匹で孫(小2)は満足。

●15:00帰宅。見時はテレビアニメを見てケラケラ笑っているのでホッ!。子供の興味は大人のそれと違うらしい。大人が「よかれ」と押しつけたり、与えたりすることは必ずしも子供は喜ばないらしい。子育てを支えるものは「与える愛から赦す愛へ」と言われる。
●と言って何でも放任していてもいけない。指導性がない。子育ては難しい、難しい。

 
●21:00就寝の祈り、一人ずつ声を出して祈った。4人とも「明日は家に帰ります」という言葉があった。
●見時と二人で話。成長して趣味も興味も関心も、ずいぶん違ってきたので「これなら喜ぶだろう」という大人の考えは通じなくなっている。釣りもプールも興味がないらしい。彼は本年7月で満11歳になるのだ。

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老年の仕事 ++++++++ 所感

2013/04/04 06:08

130404(木)5時目覚め。●朝の啓示、数か所。

塚本訳 ロマ 9:1-3
9:1 私はキリストにある者として本当のことを言う、嘘はつかない。わたしの良心も聖霊によって、(それが本当であることを)保証してくれる。
9:2 (わたしが急にこんなことを言い出したら信じてくれないかも知れないが、)わたしに大きな悲しみと、心に絶えざる痛みとがあるのである。
9:3 ほんとうに、
兄弟すなわち血を分けた同胞の(救われる)ためならば、このわたしは呪われて、救世主(の救い)から離れ落ちてもよいと、幾たび(神に)願ったことであろう。

●パウロは偉い男だ。血を分けた同胞(身内)が救われるならば、自分は地獄に落ちてもよいと言う。

塚本訳 使  23:16
23:16 するとパウロの姉妹の息子がこのたくらみを聞きこみ、兵営に入ってパウロに報告した。
 
塚本訳 使 22:3
22:3 「わたしはキリキヤのタルソで生まれたユダヤ人ですが、この(エルサレムの)都で育てられ、ガマリエル(先生)の膝下で先祖の律法によって厳格な教育をうけ、今日の皆さんと同様、神に対して熱心家でありました。


●パウロには姉妹がいた。田川によればこれは「姉」。その息子だから甥。彼がクリスチャンであったかどうかは不明。                                         ●パウロはタルソ生まれでエルサレム育ちあったらしい。とにかくパウロには血を分けた同胞が現実にいた。パウロの念頭にはこの身内がいたのだ。「全人類の救い」「万物の救い」などということではない。「自分の家族」「身内の救い」の心配なのだ。個別問題は普遍問題。


塚本訳 ロマ 5:7-8
5:7 (驚くべき神の愛!人間の世界では、)義人のために命をすてる者はほとんどあるまい。善人のためならば、惜しげもなく命をすてる者が、あるいはあるかも知れない。
5:8
しかしわたし達が(義人でも善人でもなく、)まだ罪人(神の敵)であったとき、キリストが私たちのために死んでくださった。このことによって、神はわたし達に対する愛をお示しになったのである。


●人は何のために死ぬか。誰のために命を捧げるか。●間違っても「営利団体のために捧げられない。金の切れ目が縁の切れ目。間違っても人間のために捧げられない。真理のためには命を捧げられる。真理とはキリスト。

●イエスは神に命を捧げたので結果的に罪人のために命を捧げた。罪人そのもののは命を捧げられない。神の御心を実行したから罪人のために命を捧げた。

塚本訳 ルカ 2:25
2:25 さて(そのころ)エルサレムに名をシメオンという人がいた。
この人は正しい、信心深い人で、イスラエルの慰め(である救世主)を待ち望み、聖霊が彼をはなれなかった。

塚本訳 ルカ 2:36-38
2:36 また、アセル族のパヌエルの娘に、アンナという女預言者があった。非常に年を取っていて、娘時代の後、七年の結婚生活をおくり、
2:37 (その後)八十四歳(の今日)まで寡婦ぐらしをしていた。(片時も)宮を離れず、夜も昼も断食と祈りとをもって(神に)奉仕していたが、
2:38 (シメオンが預言している)ちょうどその時、近寄ってきて(幼児について)神に感謝をささげ、またエルサレムの人々のあがないを待ち望むみんなの人に、この幼児のことを話した。

●これが「老年の仕事」。同胞の救いを祈り続ける「仕事」

●過日、キリスト教性教育研究会で発題した内容は某夫人は次のように受け止められた。

「万物の復興をしっかり信じて、十字架を負って歩もう、という内容でした」と。至言である。

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朝の啓示と黙想終わり

●孫に条件。「春休みの宿題」を終わらせたらパソコンゲームをやってもよい。するとスイスイ終わらせた。やはり「律法」は必要。
●昼食は「ラ王」のラーメン。子供が喜ぶ。
●工作。

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5年生の孫はダンポールでフォークリフト
発想を尊重した

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2年生の孫は戦闘機。これも発想を尊重。
難しいところを少し手伝った。

●15:00 散歩を兼ねて、スーパー、郵便局、プリンターインク。
●TSK日本語版ヨシュア記終了。24章、24日間かかった。
●次は士師記、聖書はなぜか面白い。老年の仕事として最上だ。






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むなしくおわらない人生 ++++++++ 所感

2013/04/03 06:56

130403(水)3時半目覚め●朝の啓示黙想「むなしくおわらない人生」●啓示された聖句。

塚本訳 ロマ 2:8-9
2:8 自分本意で、真理に従わず偽りに従う者には、怒りと憤りとが待っている
2:9 (つまり、)苦しみと悩みとは悪を働くすべての人、まずユダヤ人、
次に異教人に、

●この世には「倫理的世界秩序」(ヒルティ)が厳然として存在する。悪には苦しみと悩みが襲うのだ。人間が注意しなくても神が注意する。神の注意は恐ろしいのだ。

塚本訳 ヨハ 16:33
16:33 これらのことを話したのは、あなた達がわたしに(しっかり)結びついていて、平安を保つことができるためである。この世ではあなた達に苦しみがある。しかし安心していなさい。わたしがすでに世に勝っている。」

●同じ苦しみでも、他人の罪の代罰としての苦しみがある。しかしそういう苦しみは復活のキリストが共に背負ってくださる。

塚本訳 ロマ 8:23-24
8:23 しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証拠として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである。
8:24 なぜなら、わたし達は(最後の日に救いが完成されるという)望みをもって、救われているからである。目に見ることのできる望みは望みではない。人はいま現に見ているものを、なんでその上望む必要があろうか。

●クリスチャン自身も自分の罪の汚れの身を呻く。しかしその呻きこそ救いがある証拠。

塚本訳 Ⅰコリ15:56-58
15:56 ──死の剣は罪である、罪の力(の源)は律法である。──
15:57 しかし神に感謝あれ、勝利をわたし達の主イエス・キリストによってわたし達にお与えになる神に!
15:58 だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ。骨折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから。

●悪魔の毒矢に刺され、魔が差して失敗と恥の人生になってしまった人も、神の絶対恩恵による無条件の罪の赦しで救われる。
●その恩恵によって救われた人はこの世では十字架を負って悩む。天国の味を知ったからこの世の罪の様に「いたたまれない」のである。しかしその苦しみは先刻神がご承知だから神ご自身の発意で救いの手が差し伸べられる。この世で間に合わなくても終末で、来世の入り口で。
 ●信者の悩み苦しみ、骨折りの一生は決してむなしくおわらない。意外な形て意外な時に芽がでる。

塚本訳 マタ 22:10-13
22:10 家来たちは道に出ていって、出会った者を悪人でも善人でも皆集めてきたので、宴会場は客で一ぱいになった。
22:11 王は客を見ようとして入ってきたが、そこに礼服を着けていない者が一人いるのを見て
22:12 その人に言った、『君、礼服も着ずに、なんでここに入ってきたのか。』その人が黙っていると、
22:13 王は家来たちに言った、『あの者の手足を縛って、外の真暗闇に放り出せ。そこでわめき、歯ぎしりするであろう。』

●天国へは「悪人」も呼ばれる。(顔出しできないと尻込みするな。あつかましく招きに応じよ)。ただし入り口で貸衣装の礼服を借りるべきだ。それは自分のボロボロの悪臭紛々なる汚い衣装(過去の恥の人生)を脱ぎ捨てて「真っ白な義の衣」(無料の貸衣装の礼服)を着るべきだ。

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朝の啓示黙想 終わり

●9:00 池谷医院、尿酸値を下げる薬を処方された。要減量。
●11:30 妻は中野の愛子の家に手伝い。風雨が強いので福島の孫が共に行くのは中止。
●13:00 パソコンゲームの限度。あとは春休みの宿題など。
●14:30 雨がやんだので「オジーチャン」が孫を連れて東急に買い物。子供が興味を持つ世界はわからない。経済観念をつけさせるためには「それ以上はダメ」ときつく言わないといけない。神が我々を貧困にする意味が少しわかった。人間の欲望はきりがない。
●主にあるとき貧困は貧困ではなく恩恵。
●子供が良く育つ条件。「夫婦仲が良いことと貧乏であること」(塚本虎二)
●ある人が「塚本先生貧乏人はなぜ幸いなのでしょうか」とた尋ねると、先生は「一生懸命に働かなければならないからじゃーないかなー」と答えられた。至言。
●ヒルティの幸福論の結論は「神と共にあって労働すること」。これも至言。
●「汗は血の薬」これもヒルティ。経験的に精神の病は汗を流すことで改善に向かう。

塚本訳 マタ 5:3
5:3 ああ幸いだ、
神に寄りすがる『貧しい人たち、』天の国はその人たちのものとなるのだから。

塚本訳 ルカ 6:20
6:20 イエスは目をあげ、(十二人の使徒その他の)弟子たちを見ながら話された。──「ああ幸いだ、『貧しい人たち、』神の国はあなた達のものとなるのだから。

塚本訳 ヘブ 13:5
13:5 金銭を愛せぬ生活をせよ。(現在)もっているもので満足せよ。神がこう言われたからである、『わたしは決してあなたを見殺しにしない、また決してあなたを見捨てない』と。


塚本訳 Ⅰテモ6:10
6:10 あらゆる悪の根は金を欲しがることにあるから。或る人はこれに憧れて信仰から迷い、多くの苦痛で自分を刺し通した。


2013_04030002.jpg 

東急の玩具売り場に買い物に行く。途中の秋留台公園で。
左は今年5年生右は今年2年生の孫。
5年生にもなると自立の経済観念ができてくる。

●神が人を貧困にするのは「我慢」を強いるというストア的な訓練ではなく。神が真の幸福を教えんがための恵みの導きである。私たちはこれを持って神の愛、真の幸福のなんであるかを学ぶのだ。
●私が育った家は貧困でよかった。そのおかげで私は神の国を知った。

塚本訳 マタ 4:2-4
4:2 四十日四十夜断食をされると、ついに空腹を覚えられた。
4:3 すると誘惑する者[悪魔]が進み寄って言った、「神の子なら、(そんなにひもじい思いをせずとも、)そこらの石ころに、パンになれと命令したらどうです。」
4:4 しかし答えられた
「『パンがなくとも人は生きられる。(もしなければ、)神はそのお口から出る言葉のひとつびとつで(パンを造って、)人を生かしてくださる』と(聖書に)書いてある。」

●福島から来た孫。出かけるとき、その父親が「お腹がすいたらこれを食べなさい」と握り飯を持たせたという。神の愛を感じた。
●神は人間を餓死させない。困らせない。

塚本訳 ルカ 22:35
22:35 それから彼らに言われた、「(前に)財布も旅行袋も靴も持たせずに、あなた達を(伝道に)やった時、何か足りない物があったか。」彼らが答えた、「いえ、何も。」

●特に伝道の仕事をしている人は「食うに困らない」。神はご自分の名誉にかけて生きさせる。
●色恋によって堕落するものは食うに困る。


口語訳 申  31:6-8
31:6 あなたがたは強く、かつ勇ましくなければならない。彼らを恐れ、おののいてはならない。あなたの神、主があなたと共に行かれるからである。主は決してあなたを見放さず、またあなたを見捨てられないであろう」。
31:7 モーセはヨシュアを呼び、イスラエルのすべての人の目の前で彼に言った、「あなたはこの民と共に行き、主が彼らの先祖たちに与えると誓われた地に入るのであるから、あなたは強く、かつ勇ましくなければならない。あなたは彼らにそれを獲させるであろう。
31:8 主はみずからあなたに先立って行き、またあなたと共におり、あなたを見放さず、見捨てられないであろう。恐れてはならない、おののいてはならない」。

口語訳 ヨシ 1:5
1:5 あなたが生きながらえる日の間、あなたに当ることのできる者は、ひとりもないであろう。わたしは、モーセと共にいたように、あなたと共におるであろう。
わたしはあなたを見放すことも、見捨てることもしない。

●18:30 孫がインターネットゲームをしていた妻のパソコンがダウン。原因究明悪戦苦闘の結果、ランケーブルがしっかり接続されてなかったという単純なことであった。
 
20:45 福島の孫二人と私達二人が布団の上に正座して一人ずつ就寝の祈り。祈りの習慣は幼児の時から覚えさせるべし。大人になってこの世の悪に染まってから祈るのは難しくなる。
●お祈りして寝たはずの二人に喧嘩がはじまった。喧嘩は近い人との間に起こるものだ。

塚本訳 マタ 13:18-22
13:18 だからあなた達には種まく人の譬を説明してあげよう。──
13:19 だれでも御国の言葉を聞いて悟らないと、悪者[悪魔]が来て、心の中にまかれたものを奪ってゆく。これは道ばたにまかれた人である。
13:20 岩地にまかれたもの、これは御言葉を聞いてすぐ喜んで受けいれるが、
13:21 自分の中に(しっかりした信仰)の根がなく、ただその当座だけであるから、御言葉のために苦難や迫害がおこると、すぐ信仰から離れおちる人である。
13:22 茨の中にまかれたもの、これは御言葉を聞くが、(しばらく信じているうちに、)この世の心配や富の惑わしが御言葉を押えつけて、みのらない人である。

●お祈りして寝たはずの二人に喧嘩がはじまった。喧嘩は近い人との間に起こるものだ。尖閣諸島、竹島問題。「陸軍の敵は海軍」。だから離れていれば喧嘩は起こらない。しかしこれもまた淋しい。パウロは大胆に言う。

塚本訳 Ⅰコリ7:15-16
7:15 しかし不信者の夫(なり妻なり)が別れるなら、別れさせよ。こんな場合に、兄弟なり姉妹なり(つまり信者)は(結婚に奴隷として)束縛されてはいない。神は平和な生活へあなた達をお召しになったのである。(無理があるのは、御心ではない。)
7:16 なぜか。妻よ、夫を(信仰に導いて)救うことができるかどうか、どうしてわかるのか。また夫よ、妻を救うことができるかどうか、どうしてわかるのか。

●これは「離婚またやむを得ず」という意味に律法的にとってはならない。男は大金が入ると弱い人間は「女をつくる。」。これで結婚生活は完全崩壊。しかしクリスチャンの伴侶は思うべきである。「結婚は神との契約である」と。人生は短い。「万物の復興、万物の清め」を固く信じて残る生涯を十字架を負って生きよう。
●これが全クリスチャンに向けられた聖書の使信だ。




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原発の福島から孫が静養にくる ++++++++ 所感

2013/04/02 16:25

130402(火)4月7日の集会感話の資料作り。目次は次の通り。


4月7日集会感話目次
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
       楽園喪失から楽園回復への道
――イエスの有体的復活は、神による「全人類救済」の証明――
―― 信者は万物復興の希望を抱いて十字架を負って歩もう――

     東京聖書読者会 2013.4.7  高橋照男

  ①天地創造の原初の姿。アダムとエバの幸福
  ②悪魔の妬みによる楽園喪失。悩みと死の侵入、神の後悔
  ③神は贖罪の道を開くために悪魔を利用してイエスを死に追いやる
  ④信者も悪魔による試練に遭い、祈りと十字架の生涯にさせられる
  ⑤終末待望による忍耐。再臨の希望に生きる。
  ⑥悪魔の滅亡、万物の復興、楽園回復
  ⑦イエスの有体的復活は、「万物復興」の神による証明
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
4月7日集会感話目次  おわり

●TSK日本語版ヨシュア記22章入力
●11:40 妻が福島の二本松の三男の家から孫二人を連れてくる。新幹線は速い。
少しでも放射能から遠ざけるためである。

2013_04020010.jpg 
到着するなりいきなり「テレビゲーム。トイレにも行かずに連続5時間。
家ではやらせてもらえないらしい。祖父母の家は甘いか。自分の子供だったらこうは甘くしない。つまり祖父母は無責任なのかも。
子供は成長と共に興味の内容が変わってくるから大人は口出しできない。
子育ては「盆栽」を育てるようであってはいけない。つまり針金で縛って矯正してはいけないのだ。自戒。

●遠くから二人を見て思った。放射能の影響で平均より寿命が短くなってもそれはそれ、その短い生涯のうちに神に出会って「永遠の命」を頂けますように」と。
●放射線の影響を受けずに馬齢を重ねてボケの長寿になっても幸福ではない。
●過日100歳で召された方がいたが、その人を100点とすれば、放射能を浴びた人はあるいは半分の50点になるかも知れない。しかしその不足の50点は永遠の命の観点からすればゼロになる。なぜか。永遠の命は「無限」だから不足の50歳の差はなくなるのだ。

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胸が熱くなる ++++++++ 所感

2013/04/01 06:32

69歳9か月。平均余命12年(生命保険会社統計)、4500日、10万8000時間。この時間をすべてキリスト教使徒伝承の連鎖に捧げる。罪と死の恐怖から救われる「十字架の贖罪の福音と有体的復活の希望の喜び」を犠牲的に生きて証人となる。自分のため、親類縁者のため、気の毒な人のため。

130401(月)某氏から「胸が熱くなる」ということについて課題を与えられた。●これは信仰は頭でなく「心」であることの重要なキーワードである。●エクレシアというのは復活の主の故に「胸が熱くなった」人の集まりであって、それは時空を超えるものである。音楽的に言えば共鳴であり、和音である。●この言葉は不思議で、同じく「胸が熱くなった」人から何らかのご連絡がある。サインがある。●私自身はヨハネ20:8の「空の墓」のところで急に「胸が熱くなる」という体験をしてイエスの有体的復活を信じることができた。そしてその「胸が熱くなる」という体験は聖書にあることを知った。それがルカ24:32である。
 
塚本訳 ヨハ 20:7-9
20:7 また頭をつつんだ手拭は亜麻布と一しょになく、これだけ別の所に、包んだまま(の形)になっていた。
20:8 すると先に墓に着いたもう一人の弟子も入ってきて、見て、信じた。
20:9 イエスは死人の中から復活されねばならないという聖書の言葉が、(この時まで)まだ彼らにわかっていなかったのである。


塚本訳 ルカ 24:32
24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。

●ある人は「高橋の墓碑銘は『胸が熱くなった』と書いたらよい」と言ってくれた。至言である。

●塚本訳は「胸の中が熱くなった」であるが他の訳では「燃える」である。

●今朝の聖書勉強を次のようにまとめた。


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「胸が熱くなる」ということ

ルカ福音書2章32節

 

関連聖句を探る

 

 

翻訳比較

岩波翻訳委員会訳1995

422432そこで彼らはお互いに言った、「あの方が道すがら俺たちに話しておられた時、俺たちに聖書を詳しく説いておられた時、[俺たちの中で]この心が燃えていたではないか」。

 

新共同訳1987

24:32 二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。

 

前田訳1978

24:32 彼らは語りあった、「彼が道でわれらに語って、聖書を説かれたとき、心が燃えたではないか」と。

 

新改訳1970

24:32 そこでふたりは話し合った。「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」

 

塚本訳1963

24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。

 

口語訳1955

24:32 彼らは互に言った、「道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか」。

 

文語訳1917

"422432","かれら互に言ふ『途にて我らと語り、我らに聖書を説明し給へるとき、我らの心、内に燃えしならずや』"

 

 

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各国聖書引照

 

(独)NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 271993 の引照

新共同 マタ 12:23

12:23 群衆は皆驚いて、「この人はダビデの子ではないだろうか」と言った。

 

(英・米)THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE 1982 の引照

口語訳 Ⅰコリ10:16

10:16 わたしたちが祝福する祝福の杯、それはキリストの血にあずかることではないか。わたしたちがさくパン、それはキリストのからだにあずかることではないか。

 

(日)新共同訳1987 の引照

新共同 使  1:14

1:14 彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。

 

(仏)THE NEW JERUSALEM BIBLE 1985 の引照

口語訳 Ⅰペテ1:11

1:11 彼らは、自分たちのうちにいますキリストの霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光とを、あらかじめあかしした時、それは、いつの時、どんな場合をさしたのかを、調べたのである。

 

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関連類似聖句

 

口語訳   39:3

39:3 わたしの心はわたしのうちに熱し、思いつづけるほどに火が燃えたので、わたしは舌をもって語った。

 

口語訳   27:9

27:9 油と香とは人の心を喜ばせる、しかし魂は悩みによって裂かれる。

 

口語訳 エレ 20:9

20:9 もしわたしが、「主のことは、重ねて言わない、このうえその名によって語る事はしない」と言えば、主の言葉がわたしの心にあって、燃える火の/わが骨のうちに閉じこめられているようで、それを押えるのに疲れはてて、耐えることができません。

 

新共同 マタ 26:41

26:41 誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」

 

塚本訳 Ⅱコリ11:29

11:29 ああ、だれかが弱って、わたしが弱らないことがあるか、だれかが罪にいざなわれて、このわたしが(悲しみに)燃えないことがあるか。

***********************************

●上記のほかに次の聖句も関連する。こういう勉強は「コンコルダンス」だけでは無理。意味の同じものを探らなければならないからである。


塚本訳 マタ 18:19-20
18:19 なお、アーメン、わたしは言う、何事によらず、もしあなた達のうちの二人が心を一つにして地上で祈るならば、わたしの天の父上は(きっとその願いを)かなえてくださるだろう。
18:20 二人、三人、わたしの名によって集まっている所には、わたしがいつもその真中にいるのだから。」
 
●自転車で道を走っているとかなり大きな鳴き声で「ホウホケキョ」と聞こえたので思わず自転車を止めた。梅の木に「ウグイス」だ。小さな鳥だなー。

2013_04020005.jpg 

童謡「うぎいす」 作詞・林柳波 作曲・井上武士

梅のこえだで うぐいすが
春がきたよと うたいます
ホウホウ ホケキョ
ホウ ホケキョ








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