to 日記と感想 2013年05月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170812(土)14:00お江戸こらりあーず演奏会、文京シビックホール
    170821(土)15:00お江戸コラリアーズ定期演奏会、文京公会堂
    170809     TW誕生日
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170708(土)14:00在宅医療説明会(キララホール)
    170707(金)10:00池谷医院
    170706      TM誕生日
    170702(日) 集会感話
    170701      TT誕生日
    170630(金)12:20キララホールエントランスコンサート
    170628      IY誕生日
    170627(火)11:00 能城牧師来訪
    170625)日)10:10トミ子集会感話
    170625(日)14:00茅ヶ崎金子邸
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール
    170610(土)14:00内村鑑三セミナー、立教大学12号館。矢田部、椚」山
    170609(金)   TS命日
    170608(木)12:15ボリショイ「白鳥の湖」、東京文化会館
    170707(水)10:00池谷医院
    170604(日)10:00集会感話、
    170604(日)16:30近藤恵邸起工式、福島市。
    170530(火)14:00田岡氏来訪
    170527(土)14:00今井館ピアノコンサート
    170521(日)14:00新宿フィル、ブラームス1番、レスピーギ「鳥」「ローマの松」。和田睦夫
    170425       TN)誕生日
    150420(木)09:30阿伎留センター泌尿器科)
    170416(日)14:00武蔵野室内合奏団、杉並公会堂(大坪満子)


現世は来世への準備 ++++++++ 所感

2013/05/31 05:53

130531(金)5時起床●朝の黙想「現世は来世への準備」●NHKTV「こころの時代・道を開く、内村鑑三のことば」鈴木正久第二回は内村の名著「後世への最大遺物」。●その内容は「後世への最大遺物は金でも事業でもなく『勇ましく高尚な生涯』である」というものである。これはキリスト教のみならず広く多くの人に影響を与えた日本の古典である。●私の知り合いにも不幸に陥って自暴自棄になり人生を無駄に過ごした人がいるが、彼がもし若き日にこの本を読んでいればあーはならなかったであろうと思う時、受験競争に奔走する今の学校教育の姿勢は誤りであることを思う。●今や官民一体となって「世界一」を目指そうとしている。スーパーコンピュター、世界大学ランキング、科学技術、経済力、幸福度(!)・・・・間違いである。そこに真の幸福はない。●しかし内村の説く「勇ましく高尚な生涯」は人生訓、処世訓、教訓、で終わる。内村の言う後世とは実は聖書的には来世のことだという認識が背後にある。●次回の感話ではこのことにも触れたいので資料を作成した。●結論は「現世を来世への準備」と考えるとき、どんな不幸にもめげずに生きられる」ということである。

6月2日感話補足資料 
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現世は来世への準備

・・・どんな不幸にもめげない人生観・・・

2013年6月2日 東京聖書読者会 高橋照男

 

塚本訳 ルカ 16:9-13(富の利用について)

16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。

16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。

16:11 だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。

16:12 もし他人のもの[この世のこと]に忠実でなかったならば、だれがあなた達のもの[天のもの]をあなた達に与えようか。

16:13 しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。」

 

塚本訳 Ⅱコリ5:1

5:1 なぜ(こんな希望に生きることができるの)であろうか。もし地上の家であるわたし達のこのテント、(この肉体)がこわれるならば、天に、神の建てられた建物、(人間の)手で造らない永遠の家をいただいていることを、わたし達は知っているからである。

 

塚本訳 マタ 6:19-20

6:19 (このように、何事も天の父上相手でなければならない。たとえば)あなたたちは衣魚や虫が食い、また泥坊が忍び込んで盗むこの地上に宝を積まず、

6:20 衣魚も虫も食わない、また泥坊が忍び込むことも盗むこともない天に、宝を積んでおきなさい。(そうでないと、心が天に向かないであろう。)

 

口語訳   19:17

19:17 貧しい者をあわれむ者は主に貸すのだ、その施しは主が償われる。

 

塚本訳 ルカ 14:13-14

14:13 御馳走をする時には、むしろ貧乏人、片輪、足なえ、盲人を招きなさい。

14:14 この人たちはお返しができないから、あなたは幸いである。(最後の日)義人の復活の時に、あなたは(神から)お返しをうけるのだから。」

 

塚本訳 マコ 10:17-21

10:17 旅行に出ようとされると、ひとりの人が駆けてきて、ひざまずいて尋ねた、「善い先生、永遠の命をいただくには、何をすればよいでしょうか。」

・・・

10:21 イエスは彼をじっと見て、かわいく思って言われた、「(よく守った。だが)一つ足りない。家に帰って、持っているものをみな売って、(その金を)貧乏な人に施しなさい。そうすれば天に宝を積むことができる。それから来て、わたしの弟子になりなさい。」

 

塚本訳 マコ 10:29-30

10:29 イエスは言われた、「アーメン、あなた達に言う、わたしのため、また福音のために、家や兄弟や姉妹や母や父や子や畑をすてた者で、

10:30 今、この世で──迫害のうちにおいてではあるが──百倍の家と兄弟と姉妹と母と子と畑とを、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。

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6月2日感話補足資料 おわり

●妻の宮之浦岳登山の写真が出来上がってきたので、説明してくれた。
●息子の一人から妻に、「三浦雄一郎は80歳でエベレスト登頂、まだまだ大丈夫」と激励メール。
●三浦雄一郎は下山が危険であったという。氏の言葉「老人半分」「老人になったら現役の半分で行動せよ」と。
●集会のHYさんは90歳。午前中は聖書通読(年4回というから驚き)。午後は遊び。
●わたしもこれに倣い、午前中は聖書。午後は自由。
●昨日のNHKTV。今や6人に1人の子供が経済的事情で学校に行けなくなっている。追跡調査をしてみると家庭崩壊が多い。家庭崩壊の原因は夫婦の不和。子供が犠牲になっている。しかしまともに学費があって卒業できたとしてもそこに救いはないと思った。
●人生の救いは罪の赦しを通して神を知ることにある。




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「永遠の命の喜び」とは ++++++++ 所感

2013/05/30 08:50

130530(木)今日の屋久島は晴れ。妻の登山ツァーは今日は屋久島観光●6月2日の感話資料の推敲。表題と副題を次のように変更。『「永遠の命の喜び」とは・・・・神・キリストを霊において知らされ、祈れるようになること・・・・』。●資料の内容骨子は次の通り。引用聖句はブログでは省略


6月2日感話の資料。引用聖句は省略
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「永遠の命の喜び」とは

―神・キリストを霊において知らされ、祈れるようになること―

塚本虎二訳ヨハネ福音書17章より

 

           2013.6.2 東京聖書読者会 高橋照男

 

17:2 あなたは、子に下さいました者に一人のこらず永遠の命を与えさせるため、全人類を支配する全権子に与えられたのですから。

 

・・「永遠の命を持つ」とは神・キリストの霊との交わりの喜び・・

・・「永遠の命」は信じよう(来よう)とする者に神が与えられる・・

 

・・神はキリストに「永遠の命を与える」主権を与えた・・・

 

17:3 永遠の命とは、ただひとりのまことの神なるあなたと、あなたが遣わされた(子)イエス・キリストとを知ることであります。

 

・・「永遠の命」とは神・キリストの霊を知識でなく霊で「知る」こと・・

・・「知る」とは神・キリストの霊を信じられて祈ることができる状態・・・

 

 

17:6 わたしは、あなたがこの世から(選び出して)わたしに下さったこの人たち((弟子たち))に、あなたの名を──(あなたについての一切のことを)──知らせてやりました。彼らはもとあなたのものであったのに、わたしに下さったのです。彼らは(わたしが教えた)あなたの言葉を守りました。

 

・・神は悪いこの世から人を選引き上げて、キリストに委ねる・・・・

・・我々は悪いこの世から救い出され、「永遠の命を知る」者とされた・・

 

17:15 (しかし)わたしの願いは、彼らを(早く)この世から(安全な所に)移していただくことでなく──(彼らには果たすべき務めがあります)──悪い者(悪魔)から守っていただくことです。

 

・・信仰は逃避ではない。神・キリストとの交わりの喜びに生きる・・

 

・・信者は神・キリストの霊と生きるために、悪魔から守られる・・・

 

 

17:18 あなたがわたしをこの世に遣わされたように、わたしも彼らをこの世に遣わしました

 

・・信者は福音の喜びを伝えるのためにこの世に遣わされている。・・

・・この世で自分が今置かれているところが「地の果て」・・・

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6月2日感話の資料。引用聖句は省略   おわり
 
●今回の感話は、バッハの教会カンタータ第147番「心と口と行いと生活で」の中のコラール

Jesus, Joy of Man's Desiring (英訳)
主よ人の望みの喜びよ(邦訳。これは讃美歌第二編228番に収録)。

に精神が一致する。曲名が実に気高く、人生を奮い立たせる。

http://www.youtube.com/watch?v=EKZKm7Pvw5E (youtube 117万回のアクセス)

●このコラールは20世紀になって英国の女流ピアニストマイラ・ヘスがピアノ曲に編曲して世界的に有名になった。なんとバッハ死後200年。バッハの伝道力はすごい。この曲は原曲は合唱だが、ピアノ演奏の方が心に染み入る。
●白血病で33歳の若さで逝った名ピアニスト(ルーマニア)のリパッティは、その最後の演奏会のアンコールでこの曲を力を振り絞って演奏した。感動。涙、涙。
●私の臨終のときはこの曲を聴きながら(できれば家人のだれかに演奏してもらって)顔を固く主に向けて逝きたい。 
●嫁の一人は「心と口と行いと生活で」の言葉は無教会者の生き方のようですねと言ったが、至言である。ロマ12:1-2

塚本訳 ロマ 12:1-2
12:1 (このように、神は偉大な計画によって人類を一人のこらず救おうとしておられるのであって、救いは確かである。)だから、兄弟たちよ、わたしは神のこの慈悲を指してあなた達に勧める。あなた達の体を(感謝のしるしとして神に)捧げよ。この生きた聖なる犠牲こそ、神のお気に入るものであり、(霊なる神を拝むにふさわしい、)あなた達の霊的な礼拝である。(あなた達の礼拝は動物を供えるような不合理なものでなく、全心全霊をささげる合理的な礼拝でなければならならない)
12:2 また、この世に調子を合わせてはならない。むしろ反対に、何が神の御心であるか、何が善であり、お気に入るものであり、また完全であるかを見分け得るために、(御霊によって)心を一新されて自分を造りかえていただけ。(そうすれば来るべき世への準備ができる。)
 
●娘、愛子の結婚式にはこの曲が流された。
●バッハは教会カンタータを毎週一曲作曲。(子供が多かったため、おそらく生活のため)しかし当の聖トーマス教会はバッハが死ぬと彼を忘れた。バッハの復活は100年後にマタイ受難曲をメンデルスゾーンが発見してから。バッハの音楽は今全世界に生きて人に感動を与える。
●過日、東京芸術劇場でヨハネ受難曲を鑑賞した。2000人もの聴衆。教会は振るわないのになぜこんなに集まるのかと不思議に思ったが、プログラムの中に書いてあった合唱団員の一人の感想を読んで納得。それは「私は神を信じないが、バッハの音楽の中には確かに神がいる」というものであった。この人はいつかきっと神に出会うであろう。
●18:30 妻のトミ子が「無事着きました」と羽田から電話。よかった。 

2013_05300005.jpg 

関東地方は例年より10日程早い梅雨入り。

雨というと次の聖句を思い浮かべる。
 

新改訳 詩  84:6
84:6 彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。
初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。


塚本訳 マタ 5:43-45
5:43 あなた達は(昔の人がモーセから、)『隣の人を愛し、』敵を憎まねばならない、と命じられたことを聞いたであろう。
5:44 しかしわたしはあなた達に言う、敵を愛せよ。自分を迫害する者のために祈れ。
5:45 あなた達が天の父上の子であることを示すためである。
父上は悪人の上にも善人の上にも日をのぼらせ、正しい人にも正しくない人にも、雨をお降らしになるのだから。




 

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キリストに見つめられた人 ++++++++ 所感

2013/05/29 05:54

130529(水)5時起床●朝の黙想「キリストに見つめられた人」●「出会い」というのは不思議である。それは「縁」の不思議さでもある。単なる偶然とは思えない●過日、集会に行く途中で老婦人に「キリスト教に入ったきっかけ」「塚本先生を知るに至ったきっかけ」について伺った。それを伺って、その老婦人の側には若き日に神を受け入れる受信機としての性能が備わっていたのだなーと思った。出会いは不思議である。偶然と言えば偶然、摂理と言えば摂理、運命と言えば運命、宿命と言えば宿命●問題は発信人は誰に向かって発信するかである。ここに神の「選び」の不思議がある。次回の感話資料の中に、「神の選び」という概念の箇所がある。次である。その数は多い。カルビンならずとも「予定説」を言いたくなる。

塚本訳 ヨハ 6:44
6:44 (わたしを信じないのは、父上が引っ張ってくださらないからだ。)わたしを遣わされた父上が引っ張ってくださらなければ、だれもわたしの所に来ることはできない。(しかし来れば、)わたしはその人をきっと最後の日に復活させる。


塚本訳 ヨハ 6:37
6:37 (だが、信じないのは父上の御心である。)父上がわたしに下さるものは皆、わたしの所に来、わたしの所に来る者を、わたしは決して放り出さない。


塚本訳 ルカ 10:22
10:22 (──知恵も力も、その他)一切のものが父上からわたしに任せられた。父上のほかに、子(であるわたし)が何であるかを知る者は一人もなく、また、子と、子が父上をあらわしてやる者とのほかに、父上が何であるかを知る者はない。」


塚本訳 ピリ 2:13
2:13 (しかしもちろんこれは君達の力では出来ない。)何故なら、(救いに関わる)御旨を成し遂ぐるため、君達のうちに働いて、(救いの)願望を起こさせ、これを成就せしめ給う者は、神であるからである。


塚本訳 ヨハ 14:23
14:23 イエスは答えられた、「わたしを愛する者は、わたしの言葉を守る。するとわたしの父上はその人を愛され、わたし達は(父上もわたしも)、その人のところに行って、同居するであろう。


塚本訳 ヨハ 15:19
15:19 もしあなた達がこの世のものであったら、この世は自分のもの(であるあなた達を)愛するはずである。しかしあなた達は(もはや)この世のものではなく、わたしがこの世から選び出したのだから、この世はあなた達を憎むのである。


塚本訳 Ⅱテサ2:13-14
2:13 しかし、『主に愛されている』兄弟達よ、私達は常に君達のために神に感謝しなければならない。というのは、神は君達を霊の聖潔と真理の信仰とによって始めから救いに選び、
2:14 私達の主イエス・キリストの栄光を得させようとして、私達の福音によって君達をも召し給うたからである。


塚本訳 Ⅰペテ2:9
2:9 しかし君達は『選ばれた種族、王なる祭司、聖き民族、』神の『所有物なる民』(である。そして君達がかく神の所有物となったのは、)君達を暗から驚くべき光へと召し給うたお方の『功業を宣べるためである』。


塚本訳 使  13:47-48
13:47 主はこのようにわたし達(伝道者)にお命じになっているから。『わたしはあなたを立てて異教人の光にした、あなたが地の果てまで救いを伝えるために。』」
13:48 これを聞いて異教人は喜び、主の言葉を讃美し、永遠の命へあらかじめ定められていた者はみな信者になった。

●今朝はキリストとの出会いで、「キリストに見つめられた人」について黙想してみる。キリストの行動は神の心の見える姿である。これが予定説なのかどうかは別問題。予定説は生まれる前から決まっているのだそうだが、キリストに見つめられた人はどうもそういう冷たい神学理論ではなさそうだ。●「キリストに見つめられた人」を頭に浮かぶままに掲げる。こういうピックアップは「コンコルダンス」では不可能。ひらめきである。啓示である。●神学校の試験で「キリストに見つめられた人の事例を挙げよ」という問題を作れる。


塚本訳 マタ 4:18-20
4:18 ガリラヤ湖のほとりを歩いておられるとき、二人の兄弟、ペテロと言われたシモンとその兄弟アンデレとが、湖で網を打っているのを見られた。彼らは漁師であった。
4:19 「さあ、ついて来なさい。人間の(漁をする)漁師にしてあげよう」と言われると、
4:20 彼らはすぐ網をすててイエスに従った。

塚本訳 マタ 9:9
9:9 イエスはそこから出かけて、(湖のほとりで)マタイという人が税務所に坐っているのを見て、「わたしについて来なさい」と言われると、立って従った。

塚本訳 ヨハ 4:5-9
4:5 そして、サマリヤのスカルという町のそばまで来られた。ヤコブがその子ヨセフに与えた地所の近くで、
4:6 そこには(有名な)ヤコブの井戸があった。旅に疲れたイエスは、いきなり井戸のわきに腰をおろされた。昼の十二時ごろであった。
4:7 一人のサマリヤの女が水を汲みに来る。「飲ませてくれないか」とイエスが女に言われた。
4:8 弟子たちは食べ物を買いに、町に行っていたのである。
4:9 サマリヤの女が言う、「ユダヤ人のあなたが、どうしてサマリヤの女のわたしに、飲み物をお求めになるのです。」(女が不審に思ったのは、)ユダヤ人はサマリヤ人と交際をしないからである。

塚本訳 ルカ 19:2-6
19:2 すると、(町に)名をザアカイという人がいた。この人は税金取りの頭で、金持であった。
19:3 イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低いので、群衆のため見ることが出来なかった。
19:4 それで先の方に駈けていって、桑無花果の木に上った。そこを通られるところを見ようとしたのである。
19:5 イエスはその場所に来られると、ザアカイを見上げて言われた、「ザアカイ、急いで下りておいで。きょうはあなたの家に泊まることになっているから。」
19:6 ザアカイは急いで下りてきて、喜んでお迎えした。

塚本訳 ヨハ 5:5-9
5:5 するとそこに三十八年病気の人がいた。
5:6 イエスはその人が横になっているのを見、すでに長い間わずらっていることを知ると、「直りたいか」とたずねられた。
5:7 病人が答えた、「主よ、水がかきまわされた時に、わたしを池に入れてくれる者がないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に下りてゆきます。」
5:8 イエスが言われる、「起きて担架をかついて、歩きなさい。」
5:9 するとその人はすぐ直って、担架をかついで歩きまわった。あいにくその日は安息日であった。

塚本訳 ヨハ 9:1-3
9:1 イエスは通りがかりに、生まれつきの盲人を見られた
9:2 弟子たちが尋ねた、「先生、この人が盲で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか、両親ですか。」
9:3 イエスは答えられた、「この人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。ただ神の御業がこの人に現われるためである。

塚本訳 ルカ 7:11-14
7:11 そのあとで、ナインという町に行かれた。弟子たちおよび多くの群衆も一しょに行った。
7:12 町の門の近くに来られると、ちょうど、ある独り息子が死んで、(棺が)舁き出されるところであった。母は寡婦であった。町の人が大勢その母に付添っていた。
7:13 主は母を見て不憫に思い、「そんなに泣くでない」と言って、
7:14 近寄って棺に手をかけ──担いでいる者は立ち止まった──「若者よ、あなたに言う、起きよ!」と言われた。

塚本訳 マタ 8:14-15
8:14 イエスはペテロの家に行って、その姑が熱病でねているのを御覧になった
8:15 その手におさわりになると、熱が取れ、彼女は起き上がってイエスをもてなした。

塚本訳 ルカ 22:60-62
22:60 しかしペテロは言った、「君、あなたの言っていることはわからない。」するとたちまち、まだその言葉の終らぬうちに、鶏が鳴いた。
22:61 主が振り向いて、じっとペテロを見つめられた。ペテロは、「きょう(今夜)、鶏が鳴く前に、わたしを三度、知らないと言う」と言われた主の言葉を思い出し、
22:62 外に出ていって、さめざめと泣いた。

塚本訳 使  26:12-16
26:12 こんな次第で、わたしは大祭司連から全権と委任とを受け、(迫害のため)ダマスコに進んでゆくと、
26:13 王よ、昼に、途中で、天から輝く太陽にもまさる光がさして、わたしと、同行の者たちとのまわりを照らすのを見ました。
26:14 わたし達が皆地上に倒れると、ヘブライ語で、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。刺の棒は蹴っても無駄だ』とわたしに言う声を聞きました。
26:15 わたしは言った、『主よ、あなたはどなたですか。』主が言われた、『わたしだ、君が迫害しているイエスだ。
26:16 さあ、起きて、『自分の足で立て。』わたしが(今)現われたのは、君を選んで、わたしを見たことと、(今からも)君に現われて示すこととの証人として、わたしに仕えさせるためである。

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朝の黙想終わり。キリストに見つめられた人は何か心に問題を抱えている人だ。
私が映画を作るなら、キリストがその時じっと見つめるその目を大きく映す。

●TSK日本語版作成、サムエル記上26章。サムエルがサウルを赦すところに感動。
●録画してあった「大日本帝国憲法の制定経過」。NHKTV。面白かった。
●何事も「当事者でなければ分からない」。建築設計また同じ。出来上がったものを批判するのはやさしい。
●15:00 妻のトミ子から今無事下山したと屋久島から電話連絡。ホッ!。




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「永遠の命を持つ」とは ++++++++ 所感

2013/05/28 08:39

130528(火)5時目覚め●朝の啓示「永遠の命を持つ」●次回6月2日の感話の準備。

塚本訳 マタ 19:16
19:16 するとそこに、ひとりの人がイエスの所に来て言った、「先生、永遠の命を得には、どんなよいことをすればよいでしょうか。」

●永遠の命は人類の悲願。金持ちの青年(マタイ19:13-15)も金持ちの役人(ルカ18:18-23)もこの世的には満たされていても何か淋しい。

塚本訳 ヨハ 6:68
6:68 シモン・ペテロが答えた、「主よ、(あなたを離れて)だれの所に行きましょう。永遠の生命の言葉はあなただけがお持ちです(から)。

●求めなければ得られない。聖書の話を聞こうと思って著名人を呼び寄せても神は喜ばない。
●ある皇室の人が矢内原先生から聖書の話を聞こうと思ったとき、矢内原先生は「私の集会に来てください」と言われた(側聞)。これ何も威張っているのではない。聖書を学ぼうと思ったらまず出向くという姿勢が肝心なのだ。

塚本訳 Ⅰヨハ5:12
5:12 (だから、)御子を持つ者は(永遠の)命を持ち、神の御子を持たない者は命を持たない。

●永遠の命は、得る、持つ、知る。言葉は違うが内容は同じ。神・キリストの霊との交わり。

塚本訳 ルカ 13:23-24
13:23 するとある人が「主よ、救われる者は少ないでしょうか」と尋ねた。人々に言われた、
13:24 「全力を尽くして(今すぐ)狭い戸口から入りなさい。あなた達に言う、(あとになって)入ろうとしても、入れない者が多いのだから。

●全員が救われるまで「私は救われたくない」というツッパリの態度では人は救われない。人を押しのけても自分の救いに必死にならなければならない。そうでなければ「永遠の命」を持てない」。

11:1塚本訳 マタ 11:12
11:12 とにかく、洗礼者ヨハネの(現れた)時からいままで、天の国は暴力で攻め立てられ、暴力で攻めた者がそれを奪いとっている

●この世の人は一流校、一流企業などに暴力的に入ろうと熱心だが、天国への「狭き門」はこれを見出す人は少ない。

塚本訳 マタ 7:13-14
7:13 狭い門から入りなさい。滅びに至る道は大きく、かつ広く、ここから入る者が多いのだから。
7:14 命にいたる門はなんと狭く、道は細く、それを見つける者の少ないことであろう

●人間はこの世の健康長寿のために必死になる。ときには暴力的にしがみつく。しかし神の霊の命を求める人は少ない。「見つける者は少ない。この世の「狭き門」は押し合いへし合いだが「神の霊の命の門」は押し合いへし合いではない、ただ見つけにくいというのだ。

塚本訳 ヨハ 6:37
6:37 (だが、信じないのは父上の御心である。)父上がわたしに下さるものは皆、わたしの所に来、わたしの所に来る者を、わたしは決して放り出さない。

●それにしてもクリスチャンになる人は何か神の祝福があるようだ。

塚本訳 ヨハ 6:44
6:44 (わたしを信じないのは、父上が引っ張ってくださらないからだ。)わたしを遣わされた父上が引っ張ってくださらなければ、だれもわたしの所に来ることはできない。(しかし来れば、)わたしはその人をきっと最後の日に復活させる。

●クリスチャンになる人は神とキリストから招待状が来た人だ。招待だから無料だ。
●クリスチャンは誰か人物(内村、塚本、黒崎・・・)という針に引っかかって吊り上げられるのだ。
●釣り糸は見えないが引っ張られる。ところがいつまでもその針を飲み込んだまま針がとれない者がいる。かえってその針を加えたまま針を振り回す者がいる。怪我をする。救いがない。

塚本訳 Ⅰヨハ1:4
1:4 わたし達が(この手紙を)書くのは、(あなた達がわたし達との交わりに入り、)わたし達(が父と子と)の(交わりにおいてもっている)喜が、完全なものとなるためである。

●神・キリストからの招待状は一緒に喜んで貰いたいとのこと

塚本訳 ヨハ 17:3
17:3 永遠の命とは、ただひとりのまことの神なるあなたと、あなたが遣わされた(子)イエス・キリストとを知ることであります。

●「永遠の命を持つ」とは、神・キリストの霊を「知る」こと、そして祈りにおいて交わること。

塚本訳 ヨハ 14:23
14:23 イエスは答えられた、「わたしを愛する者は、わたしの言葉を守る。するとわたしの父上はその人を愛され、わたし達は(父上もわたしも)、その人のところに行って、同居するであろう。

●神・キリストの霊を知るとは同居すること。一体になること。

塚本訳 ヨハ 17:6
17:6 わたしは、あなたがこの世から(選び出して)わたしに下さったこの人たち((弟子たち))に、あなたの名を──(あなたについての一切のことを)──知らせてやりました。彼らはもとあなたのものであったのに、わたしに下さったのです。彼らは(わたしが教えた)あなたの言葉を守りました。

●クリスチャンになれるというのは「選び出されること」。

塚本訳 ピリ 2:13
2:13 (しかしもちろんこれは君達の力では出来ない。)何故なら、(救いに関わる)御旨を成し遂ぐるため、君達のうちに働いて、(救いの)願望を起こさせ、これを成就せしめ給う者は、神であるからである。

●選びの主権は1100%神・キリストにあるが、熱心に単願すれば神は心を動かす。

塚本訳 コロ 3:3-4
3:3 君達は(既にこの世に)死んで、その生命はキリストと共に神の右に隠されているのだから。
3:4 (しかし今でこそ隠されているが、)私達の生命であるキリストが顯れ給う時には、君達もまた彼と共に栄光の裡に顯れるであろう。

●「永遠の命」 は生きている間はその自覚はない。普通人間と変わりはない。ただ少しストイックな生き方をしているだけ。それは終末まで隠されているのだ。これは信仰の秘儀である。

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朝の黙想おわり。

●次回6月2日の感話資料の推敲。表題は『「永遠の命を持つ」とは』に変更。
●音楽評論家の故吉田秀和は文章を書く時よりも推敲する時の方が楽しいと言う。同感。
●吉田秀和は夫人バーバラさん(ドイツ人)に先立たれた時は、何も手がつかなかった。その時、バッハの曲が慰めになったと言う。
●そこで私もバッハの平均律クラヴィーア曲集の第一巻をイエルクデームスのピアノで鑑賞。
●バッハの子供は約半分が夭折。これがバッハの音楽が人を慰める原因ではあるまいか。
●TSK日本語版作成サムエル記上25章
●妻は屋久島の宮之浦岳に登山中。今日は8~10時間の行程。ネットで調べると屋久島はひどい雨ではなさそうだ。





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恐怖からの解放は「信ずる」こと ++++++++ 所感

2013/05/27 07:03

130527(月)4時半起床●朝の黙想「恐怖からの解放は『信ずる』こと」●昨日は女子大生から進路選択の相談が来た●人は生まれ落ちた時から「恐怖や心配」の連続である。これに対して神なき世はそれを回避するためにあらゆる方法を講じる。文化文明の発達の動機はここにあるが決して安んじない。●特に進路や死後の心配悩みは深い。男性は「天職発見」「女性は結婚相手の発見」。学生は勤務先の発見」に思い悩む。これらすべては「心の満足」「安心立命」「喜び」「満足」を求めているのである。●将来に対するこの恐怖や不安からいかにして解放されるかは現代人にとっても最大の課題である。●この恐怖や心配を回避するために人間は何に依存するかというと、「よい学校」「よい仕事」「よい勤務先」「よい結婚」「健康」「家庭」「極楽行き」。ところが〕これらはすべて人に究極的な「幸福」「安心立命」を保証しない。現実を知ることが「論よりは証拠」である。●これに対して信仰の道は、「恐怖と心配」から脱出するためには「神とキリストを『信ずる』ということが脱出の扉であることを言う。この道は人間の作りだす文化文明ではとてもできない不思議なことである。今朝はこのことについて関連聖句を掲げて黙想してみよう。●こういう時はバイブルソフトの「Jバイブル」が有効な武器。
 

塚本訳 マコ 5:36
5:36 イエスはそう言っているのをそばで聞いて、監督に言われた、「こわがることはない。ただ信じておれ。」


塚本訳 マコ 11:22-23
11:22 イエスが彼らに答えられる、「神(の力)を信ぜよ
11:23 アーメン、わたしは言う、だれでもこの山に向かい、『立ち上がって海に飛び込め』と言って心に疑わず、自分の言うことは成ると信ずるならば、そのとおりになる。


塚本訳 マコ 11:24
11:24 だからわたしは言う、(神に)祈り求めるものはなんでも、すでに戴いたと信ぜよ。そうすればそのとおりになる。


塚本訳 ルカ 8:50
8:50 イエスは聞いて監督に言葉をかけられた、「こわがることはない。ただ信ぜよ。そうすれば助かる。」


塚本訳 ヨハ 4:21
4:21 イエスが言われる、「女の人、わたし(の言葉)を信じなさい。(間もなく)あなた達が、この山でもエルサレムでもなく(どこででも、)父上を礼拝する時が来る。

塚本訳 ヨハ 10:38
10:38 しかしもし、しているなら、わたし(の言葉)を信ぜずとも、その業(が父上の業であること)を信ぜよ。そうすれば(父上とわたしとが一つで、)父上がわたしの中に、わたしが父上の中におることを、知りまた知るであろう。」


塚本訳 ヨハ 12:36
12:36 光のある間に光を信じて、光の子になりなさい。」、こう話すと、イエスは(そこを)立ち去って、彼らから姿をお隠しになった。(イエスの伝道はこれで終ったのである。)

塚本訳 ヨハ 14:1-2
14:1 (あなた達の来られない所にわたしが行くからとて、)心を騒がせるな。神を信ぜよ、またわたしを信ぜよ。
14:2 父上のお家には、沢山住居がある。(あなた達は一人のこらず、そこに住むことが出来る。)もしそうでなかったら、『あなた達のために場所の準備に行く』と言うわけがないではないか。


塚本訳 ヨハ 14:11
14:11 (だから)あなた達は、わたしが父上の中に、父上がわたしの中におられることを信ぜよ。しかしもしそれができないなら、(わたしがする)業そのものによって信ぜよ。

塚本訳 使  16:31
16:31 二人が言った、「主イエスを信じなさい。そうすればあなたも家族も救われる。」

●人間の恐怖や心配の中で最も深刻なことは死後のことである。生前の罪を裁かれるのではないかとの大不安がある。統計によれば死んだら何もなくなると思っている人は3割で、残りの7割は死後何かがあると思っている。●ここで問題なのは「罪と罰」である。何かしら不安がある。死後裁かれるような気がする。●この不安解消のためにキリスト教会では臨終のときに洗礼を授けて本人と家族を安心させる。あの論客の評論家であった加藤周一は最後にカトリックの洗礼を受けた●ところが無教会では洗礼も聖餐も行わない。では無教会では救われないか。安心立命が得られないか。●特に現代無教会では後ろ向きで過去の信仰偉人の「思想」の研究ばかりである。某氏曰く「内村の思想は儒教と同じですね」と。内村の思想を現代の諸問題に適用しようとして、キリスト教的思想でこの世を「統治」しようとしている。大間違い。それは信仰の堕落である。「思想戦」になるだけである。●洗礼聖餐でも救われない。思想でも救われない。救われる道はただ一つ。神とキリストを「信ずる」ことである。この摩訶不思議な道は現代人には迷信のように思える。しかし救いの道はここにきりない。

塚本訳 ヨハ 14:6
14:6 イエスは言われる、「わたしが道である。また真理であり、命である。(手段であると同時に目的であるから。)わたしを通らずには、だれも父上の所に行くことはできない。

塚本訳 マタ 7:13-14
7:13 狭い門から入りなさい。滅びに至る道は大きく、かつ広く、ここから入る者が多いのだから。
7:14 命にいたる門はなんと狭く、道は細く、それを見つける者の少ないことであろう

塚本訳 使  4:12
4:12 この方のほかのだれによっても救いはない。天下ひろしといえども、わたし達が救われるべき名はこれ以外、人間に与えられていないからです。」

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朝の黙想おわり。
キリスト教は「思想」でなく。実際に神とキリストにより導かれることだ。これが将来の恐怖と心配から逃れる道だ。

2013_05270001.jpg 
6:20  妻は屋久島の宮之浦岳(1936M、九州最高峰)登山に出発。4日間。
人生最後の登山になるかもと言う。妻は私が登山が好きな者だと仲人さんに騙され、
私がクリスチャンだという事だけで顔を見ることもなく嫁いできてくれた。ぞして今までずっと重い荷を背負い続けてくれた。

塚本訳 ロマ 8:18
8:18 (しかもこの苦しみは恐れることはない。)なぜなら、わたしはこう考える。
今の世の苦しみは、わたし達に現われようとしている栄光(──キリストと一しょに神の国の相続人になる最後の日の大いなる光栄──)にくらべれば、言うに足りない。

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ケア方法の発展段階 ++++++++ 所感

2013/05/26 07:31

130526(日)5時半起床●NHKTV「心の時代」。日本におけるホスピス医療の泰斗である柏木哲夫氏の話。何事も泰斗の話は違う。人間が死に直面した時に接する態度には発展があった。それは4段階で「差し出す」「支える」「寄り添う」「背後に背負う神がいることを教える」。

①「差し出す」・・・・大災害現場の修羅場や末期癌で時間がないときは、とにかく「技術、技術」が最も必要。これは上から差し出すこと。高橋の記憶でこういうことがあった。同じ番組で社会科学者と神父を交えた座談会があった。社会科学者は貧困を科学的に解明しようという「技術」に一生懸命研究の発言をした。すると神父は世界には富める国と貧困の国があるとヒューマニズム思想の発言。するとその社会科学者は、「私達が貧困を科学的に解決しようと一生懸命にやっているのに信者さんたちのお祈りの声にかき消されてしまう」と発言。座談会に加わっていたカルヴァン研究の泰斗渡辺信夫牧師が笑った。その笑顔が忘れられない。平和問題、憲法9条問題は社会科学者と宗教者とは常にかみ合わない。某神学者曰く「教会堂建築は技術のないクリスチャン大工よりもクリスチャンでなくても技術力のある大工に頼む方がよい」と。

②「支える」・・・次の段階には医療には技術だけでなく「人間力」が必要であるとされた。あの医者は「いい医者だ」と言われる時はその医者は技術だけでなく「人間性」が備わっている。それは患者を下から支える姿勢である。つまり「下支え」である。高橋は思う。イエスがペテロの足を洗った姿勢である。技術だけでは足りないということである。


③「寄り添う」・・・次の段階は患者の横に立って「同感」する態度が重要とされた。高橋の記憶では聖路加の日野原先生の「音楽力」という本には「悲しいときは悲しい音楽を聞け」ということが書いてあった。これはである。上からでもなく下からでもなく「横から」である。精神を病んだ人には絶対に励ましてはいけないと言われる。「俺はダメだ」という気持ちになって悪化するのだそうだ。

④「背後者(神)の存在を教える」・・・次の段階は上でも下でも横からでもなく、背後に「あなたを背負ってくださる神がおられる」ということを教えるという段階になった。つまり後ろからである。これには高橋はアーメンである。私事になるが、三男の恵は東日本大震災と原発事故で有機農業を廃業しなければならなくなったという大なる艱難に陥った。しかしその苦難の渦中で聖書の「呻き」(ロマ8:22-23)に号泣。信仰と聖書に目が開かれた。背後にいます神が背後から迫って背負ってくださった。クリスチャンはこの背後者が働かれるように本人には知られないように後ろから祈ることが大切だ。

●以上の4段階は牧師や伝道者の心得でもある。後ろから祈るのだ。イエスはそのような態度であった。


塚本訳 ルカ 22:32
22:32 しかしわたしはあなたのために、信仰がなくならないように祈っておいた。(だから一度信仰を失っても、またもどってくる。)もどってきたら、あなたが兄弟たちを強めてやってほしい。」

●「祈っておいた」というのは本人に知られないように祈っていたのである。


塚本訳 マコ 10:22-23
10:22 彼はこの言葉に顔をくもらせ、悲しそうにして立ち去った。大資産家であったのである。
10:23 イエスは(うしろ姿を見送っておられたが、)やがて見まわして、弟子たちに言われる、「物持ちが神の国に入るのは、なんとむずかしいことだろう。」

●塚本訳の(うしろ姿を見送っておられたが、)の敷衍は万感胸に迫る。祈ったのだ。
 
口語訳 イザ 30:20-21
30:20 たとい主はあなたがたに悩みのパンと苦しみの水を与えられても、あなたの師は再び隠れることはなく、あなたの目はあなたの師を見る。
30:21 また、あなたが右に行き、あるいは左に行く時、そのうしろで「これは道だ、これに歩め」と言う言葉を耳に聞く。

●神は人を背後から背負う。この聖句はヒルティに出会ったときに教えられた言葉。人生観で最高最良のものと信ずる。「あなたの師」とは主なる神のこと。

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朝の黙想おわり。わたしも隠れた祈りをしよう。するとアノ人に神が背後から負って救う。
面と向かって上から 説教する癖は聖職者
下支えも寄り添いも人の霊魂を救わない
神がその人を救ってくださるように本人に気づかれないように後ろから祈る。これが本道だ。 

●神様、あの人に背後から襲いかかって罪を悔い改めさせ、そして救いの道を開いてください。わたしではとうていダメです。
 
2013_05260001.jpg 
集会に出かけるとき。我が家の月見草も見送ってくれる。
万物は神を賛美する。

●集会。妻は町内会の清掃を済ませてから来た。遅刻しなかった。
●川上(司会)、丹野(塚本講演朗読)、横田(諸国へのキリスト教の導入、ヨーロッパ)
●妻と昼食。
●妻に庭木の小さな毛虫を教えられる。

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「永遠の命を知る」ということ ++++++++ 所感

2013/05/25 06:34

130525(土)朝の黙想。6月2日の感話●「永遠の命を知る」ということ●その骨子は次の通り。引照聖句は省略。

6月2日感話骨子、引照聖句省略
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          「永遠の命を知る」ということ

    ―それは父なる神と子なるキリストの約束。聖霊がその証拠―
               ヨハネ福音書17章より 
 

17:2 あなたは、子に下さいました者に一人のこらず永遠の命を与えさせるため、全人類を支配する全権子に与えられたのですから。



●「永遠の命を知る」ことは神とキリストが祝福として賜る
●「永遠の命を知る」ことは信じようとする者に与えられる
●神はキリストに「永遠の命を知る」絶対の主権を与えた

17:3 永遠の命とは、ただひとりのまことの神なるあなたと、あなたが遣わされた(子)イエス・キリストとを知ることであります。


●「永遠の命を知る」こと知識でない。頭で勉強しては解らない
●「知る」とは神と復活のキリストの霊に人格的に触れ、交流状態になること

17:6 わたしは、あなたがこの世から(選び出して)わたしに下さったこの人たち((弟子たち))に、あなたの名を──(あなたについての一切のことを)──知らせてやりました。彼らはもとあなたのものであったのに、わたしに下さったのです。彼らは(わたしが教えた)あなたの言葉を守りました。



●神は悪いこの世から人を選び出してキリストに渡す。
永遠の命は神の祝福により聖霊を降されて知る者とされる
●我々は悪いこの世から救い出され、「永遠の命を知る」者とされた

17:15 (しかし)わたしの願いは、彼らを(早く)この世から(安全な所に)移していただくことでなく──(彼らには果たすべき務めがあります)──悪い者(悪魔)から守っていただくことです。


●信者は厭世主義ではない。福音のために世に生きる義務がある。それは喜び。
●信者は福音に生きる義務を果たすために、悪魔から守られる

17:18 あなたがわたしをこの世に遣わされたように、わたしも彼らをこの世に遣わしました



●信者は神からこの世に遣わされている。ここに「生きる喜び」がある
●この世で自分が今置かれているところが「地の果て」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
6月2日感話骨子、引照聖句省略  おわり

●発疹でかゆいので評判のよい皮膚科に行ったところ42番目。しかし御夫人の問診があってから、院長が一目見られて、草むしりのときについた毛虫。2週間分の薬を処方されて直れば来なくてよいとのこと。院長の診察はわずか数秒。名医のプロのすごさに接した。ご夫妻のチームプレーも見事であった。
●キリスト教の牧師や伝道者もこうでなければならないと思いながら帰ってきた。心の病の原因を「一目で」判断できなければならない。

2013_05250011.jpg 

評判のよい名医のいる皮膚科クリニック。最近建築した。院長は若いのでデザインも「若い」。人間は自分の職業に絶対のプロ意識を持たねばならない。
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福音は失敗人生によって伝わる ++++++++ 所感

2013/05/24 08:31

130524(金)3時半目覚め、●6月第5日曜の感話、推敲●表題は「さめざめと泣く時・・・福音は失敗人生によって伝わる・・・」

①ペテロの場合。主を否んだが、イエスに赦されて「さめざめと」泣いた。 
しかしそのためにキリスト教会の礎になった。(ルカ22:60-62)
               
②ユダの場合。主を売ったが、「悪いことをした」と思って首を吊った。しかしこれは聖書の預言の成就。 ユダの反逆失くして福音は成立しなかった。(ルカ27;3-5)

③放蕩息子の場合。「遊ぶ金欲しさ」に大金を手に入れたが堕落。「可愛い者には旅」をさせた父の赦しの祈りが 通じて 回心(ルカ15:11-24)。救われた者の生き方が世に示された。「富の利用について(ルカ16;9-12)」

④ザアカイの場合。金に不自由はなかったが心は淋しかったことをイエスに見られた(ルカ19:5-10)。神の知恵の正しさが証明さ れた(ルカ7:34-35)

⑤イエスに香油を注いだ「罪の女」の場合。絶体絶命の過去。神に赦されて、「福音が説かれる所では彼女のことを記念として語られる」ことになった。 ルカ7:35-48)

上記5人から教えられる共通鵜の聖句は次である。

塚本訳 Ⅱコリ7:10
7:10 なぜなら、神の御心に沿った悲しみは、(人を)救いに入れる悔いのない悔改めをもたらすけれども、この世(的)の悲しみは、(絶望と)死をもたらすからである。

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朝の黙想終わり。一生懸命生きようとそたが故の「失敗」は、神に知られれば救いのために益となる。神になければ絶望と自暴自棄と自死。

塚本訳 ロマ 8:28
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである

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我が家の庭の朝の木漏れ日。
毎日10分程度草むしりをやり続けているのできれいになりつつある。
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滅びゆく者はいかにして救われるか ++++++++ 所感

2013/05/23 05:38

130523(木)5時起床●朝の啓示「滅びゆく者はいかにして救われるか」●結論は、「悔い改めて福音を信ぜよ」●そしてその悔い改めは神が導き救いは神が実行する」。つまり救いの経綸はすべて神によって行われる●「滅びゆく者」は現実的に周囲に存在する。この現実はいかんともしがたい。●滅びゆく者が「俺の人生これじゃーいかん」と思って救いを求めるようになる時が来ることは、去る5月6日のブログ「さめざめと泣く時」に書いた。●人間、悔い改めの涙だけではいけない。過去の一切を清算し、清められる福音を信じなければ救われない。今朝はその関連箇所を順不同、頭に思い浮かぶままに掲げて感想を書こう。

塚本訳 マコ 1:14-15
1:14 (洗礼者)ヨハネが牢に入れられた後、イエスはガリラヤにかえり、神の福音を説いて
1:15 言われた、「時は満ちた、神の国は近づいた。悔改めて福音を信ぜよ」と。

●残り時間を意識すると仕事がはかどる。人生も限りがある。「今のうち」だ。

塚本訳 ピリ 2:13
2:13 (しかしもちろんこれは君達の力では出来ない。)何故なら、(救いに関わる)御旨を成し遂ぐるため、君達のうちに働いて
、(救いの)願望を起こさせ、これを成就せしめ給う者は、神であるからである。

●悔い改めも救いもすべては神の働き。人間の力ではできない。

塚本訳 ルカ 15:4-7
15:4 「あなた達のうちのだれかが羊を百匹持っていて、その一匹がいなくなったとき、その人は九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を、見つけ出すまではさがし歩くのではないだろうか。
15:5 そして見つけると、喜んで肩にのせて、
15:6 家にかえり、友人や近所の人たちを呼びあつめてこう言うにちがいない、『一しょに喜んでください。いなくなっていたわたしの羊が見つかったから』と。
15:7 わたしは言う、このように、一人の罪人が悔改めると、悔改める必要のない九十九人の正しい人以上の喜びが、天にあるのである

●神はいなくなった羊をみつけだすまで探す。夜なべして探す。危険なところにも行く。

塚本訳 ルカ 15:8-10
15:8 また、どんな女でも、ドラクマ銀貨[五百円]を十枚持っていて、もしその銀貨を一枚無くしたとすれば、明りをつけて家(中)を掃き、それを見つけ出すまでは、丹念にさがしつづけるのではないだろうか。
15:9 そして見つけると、友だちや近所の女たちを呼びあつめてこう言うにちがいない、『一しょに喜んでください。無くした銀貨が見つかりましたから』と。
15:10 わたしは言う、このように、一人の罪人が悔改めると、神の使たちに喜びがあるのである。」

●人生で「探し物」に費やす時間は多い。「見失ったものはあきらめる」という方法は生活を楽にする。深負いしない。追究しない。パソコン内情報、不良債権、文房具、人の名前、・・・・
●8節、この女はやはり「見つけ出すまで」探したが、意外なところから出てきたので喜びが大きかったのであろう。
●このうち人の名前はいったん完全に追及することをやめればしばらくすると「パッ」と出てくる。

塚本訳 ルカ 15:31-32
15:31 父が言った、『まあまあ、坊や、お前はいつもわたしと一しょにいるではないか。わたしの物はみんなお前のものだ。
15:32 だが、喜び祝わずにはおられないではないか。このお前の弟は死んでいたのに生きかえり、いなくなっていたのに見つかったのだから。』」

●「死んでいた息子」とは言い得て妙。親子、夫婦、兄弟、師弟、・・・・精神的交流が亡くなったら死んだも同然。特に親子、夫婦に精神的交流が亡くなった場合は「同居」しているだけ。
●建築設計事務所では所員が所長を批判するようになったらそこにいてもしょうがない。教会員が牧師を批判するようになったら、その教会にいてもしょうがない。心が通じないから進歩が望めない。
●私の集会感話を心で批判している人がいる。精神的に死んでいる関係だから人間的修復は無理。別れあるのみ。

塚本訳 マタ 10:13-16
10:13 もしその家が(その祈りをうけるのに)ふさわしければ、あなた達の(祈った)平安はかならずその家に臨み、もしふさわしくなければ、その平安はあなた達にもどってくる。(そしてあなた達のものとなるのである。)
10:14 しかし人があなた達を歓迎せず、あなた達の言葉に耳をかたむけないなら、(すぐ)その家なり町なりを(出てゆけ。そして)出てゆくとき、(縁を切った証拠に)足の埃を払いおとせ。
10:15 アーメン、わたしは言う、(最後の)裁きの日には、あの(堕落町)ソドムやゴモラの地の方が、まだその町よりも罰が軽いであろう。
10:16 いまわたしがあなた達を送り出すのは、羊を狼の中に入れるようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように純真であれ。

●「縁なき衆生は度し難し」。キリストの救いを受け入れおうとしない人間は「縁がなかった」と思って、「足の埃を払いおとす」決断が必要。
●しかしそれが肉親だと人間として未練があるのだ。これが「自分の十字架」。

塚本訳 ヨハ 3:16
3:16 そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである。


●ここに「滅びる」という概念がある。世の中に「滅びる人」がいるのだ。全人類はキリスト抜きで救われるというのはキリスト教ではないから、クリスチャンであることをやめた方がよい。

塚本訳 Ⅰコリ1:18
1:18 なぜか。この十字架についての言葉は、滅びゆく者には馬鹿なことであるが、わたし達救われる者には、神の力(の現われ)であるから。

●パウロの頭には「滅びゆく者」という概念があった。これ現実論。

塚本訳 Ⅱコリ2:15-16
2:15 というのは、わたし達は救われる者の間でも、滅びゆく者の間でも、神にささげられるためのキリストのよい薫である。
2:16 ある者には、死から死へみちびく薫であるが、ある者には、命から命へみちびく薫りである。(ああ、)一体だれにこんなことが勤まろう。

●パウロはここでも「滅びゆく者」と言う。
●「(ああ、)一体だれにこんなことが勤まろう。」というパウロの嘆きは、身内の滅びを見るに耐えないのだ、という意味に通じる。
●クリスチャンは天国の宴会でおいしいものを食べても、身内が地獄で苦しんでいれば御馳走もおいしくない。

塚本訳 マコ 1:23-26
1:23 そのとき、その礼拝堂に汚れた霊につかれた一人の人がいたが、たちまち声をあげて叫んで
1:24 言った、「ナザレのイエス様、『放っておいてください。』わたしどもを滅ぼしに来られたにちがいない。あなたがだれだか、わたしにはわかっています。神の聖者(救世主)です。」
1:25 イエスは「黙れ、その人から出てゆけ」と言って叱りつけられた。
1:26 すると汚れた霊はその人をひきつけさせ、大声をあげて出ていった。

●24節、「わたしどもを滅ぼしに来られたにちがいない。」は滅びの自覚。罪人の恐怖。
●23節、「汚れた霊につかれた一人の人」とある。罪や穢れは悪魔に取りつかれているのである。人間本来の姿ではない。
●しかし神なき人間はすべて何かへの依存症である。金、女、思想、地位、カリスマ人間、アルコール、ギャンブル、風俗、新興宗教、パソコン(!)

塚本訳 マタ 21:31-32
21:31 この二人のうち、どちらが父の心を行ったのだろうか。」「もちろん長男」と彼らが答える。イエスが言われる、「アーメン、わたしは言う、税金取りや遊女たちは、あなた達よりも先に神の国に入るであろう
21:32 そのわけは、(洗礼者)ヨハネが義の道を示しに来たのに、あなた達は彼を信ぜず、税金取りや遊女の方がかえって信じたからだ。しかしあなた達は(あの人たちが悔改めるのを)見たあとでも、後悔して彼を信じようとしなかった。

●めちゃくちゃ人生のどうしようもない過去の持ち主は、絶体絶命。神にすがるより道がない。だから救われやすい。あざ笑うものは笑え。

塚本訳 マタ 12:31-32
12:31 (あなた達はわたしをもって働く神の霊の働きをベルゼブルの働きと罵った。)だからわたしは言う、人の(犯す)いかなる罪も冒涜も赦していただけるが、御霊の冒涜は赦されない。
12:32 人の子(わたし)を冒涜する者ですら赦していただけるが、聖霊を冒涜する者は、この世でも来るべき世でも(決して)赦されない。

●牧師も伝道者も人間、いろいろ欠点がある。しかし神もキリストも聖霊も批判すると自分が亡びる。

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朝の黙想終わり。人の救いは100%神の力。
 
●TSK日本語版作成。サムエル記上20章。サウルがサムエルを殺そうとする。妬みが原因。
●BK、図書館、郵便局
●図書館から借りたDVD、ボリショイバレエ「白鳥の湖」を鑑賞。3回目か。この振り付けの最後はいつも感動する。悪魔ロッドバルトが王子ジーグフリードに襲い掛かろうとしたとき、オデットが危険を顧みず身をひるがえして中に割って入り王子をかばって助ける。聖書の次の句を思う。犠牲死の愛。


文語訳 ヨハ 15:13
15:13
人その友のために己の生命を棄つる、之より大なる愛はなし。


塚本訳 ロマ 5:5-8
5:5 そしてこの『希望は(必ず実現して、わたし達を)失望させることはない。』神はわたし達に聖霊を授け、それによって愛をわたし達の心の中に(いつも豊かに)注いでいてくださるからである。
5:6 なぜなら、わたし達がまだ弱くあったとき、当時まだ不信心者の(わたし達の)ために、キリストは死んでくださったからである
5:7 (驚くべき神の愛!人間の世界では、)義人のために命をすてる者はほとんどあるまい。善人のためならば、惜しげもなく命をすてる者が、あるいはあるかも知れない。
5:8 しかしわたし達が(義人でも善人でもなく、)まだ罪人(神の敵)であったとき、キリストが私たちのために死んでくださった。このことによって、神はわたし達に対する愛をお示しになったのである。

●草むしり(運動)。







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救われる人は少ないか ++++++++ 所感

2013/05/22 09:13

130522(水)5時目覚め●朝の啓示「救われる人は少ないか」●過日、信仰上の質問の手紙を頂いたが、その冒頭で「ほんとうば手土産を持ってお伺いすべきところ・・・」という文面で4あった。●この姿勢にインスパイアーされた。つまりこの姿勢が「救われる人」の姿だなー」と思ったのだ。●「救われる人は少ないか」「救われる人は生まれる前から決まっているのか」「予定説は聖書的に真理か」「万人が救われるか」などの大問題は沈思黙考、机に座って考えていてはわからない。そういう姿勢の人にはイエスも「わからない」と言った。「人を見て法を説け」である。●この大問題は有限の人間」の質問と永遠なる神の答えは「かみ合わない」。有限な脳の持ち主の人間は常に「YES」か「NO」を期待する。これが「神学」になる。●人間パウロに聞くとどうも「予定説」や「万人救済説」が発生する温床が見られる。次の箇所である。

口語訳 Ⅰコリ1:18
1:18 十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたには、神の力である。

塚本訳 使  13:48
13:48 これを聞いて異教人は喜び、主の言葉を讃美し、永遠の命へあらかじめ定められていた者はみな信者になった。

塚本訳 ガラ 1:15
1:15 しかし『わたしが母の胎内にいる時から』(すでに)わたしを聖別し、また恩恵によって『召された』お方[神]が、

塚本訳 Ⅱテサ2:13-14
2:13 しかし、『主に愛されている』兄弟達よ、私達は常に君達のために神に感謝しなければならない。というのは、神は君達を霊の聖潔と真理の信仰とによって始めから救いに選び、
2:14 私達の主イエス・キリストの栄光を得させようとして、私達の福音によって君達をも召し給うたからである。

塚本訳 Ⅱコリ2:16
2:16 ある者には、死から死へみちびく薫であるが、ある者には、命から命へみちびく薫である。(ああ、)一体だれにこんなことが勤まろう。

塚本訳 Ⅰコリ15:23-24
15:23 ただ(それには順序がある。)ひとりびとりが自分の(属する)組の番の時に(復活する。)最初は(すでに)キリストが、その次に、キリストの来臨の時にキリストのものである人たちが、
15:24
それから(最後に)残りの人たちが。この時、キリストはすべての支配(天使)、すべての権威(天使)と権力(天使)とを滅ぼした後、神にして父なるお方にその王国を引き渡される。

●これらを土台にするから「予定説」か「万人救済説」になってしまう。カルヴァンか、ユニヴァーサリズムか、その神学論争は決着がつかない。わめき合いといがみ合いで終わる。教派神学が生まれる。
●では人間ではなく、神の子キリストに聞いてみよう。

塚本訳 ルカ 13:23-24
13:23 するとある人が「主よ、救われる者は少ないでしょうか」と尋ねた。人々に言われた、
13:24 「全力を尽くして(今すぐ)狭い戸口から入りなさい。あなた達に言う、(あとになって)入ろうとしても、入れない者が多いのだから。

塚本訳 ヨハ 14:22-23
14:22 イスカリオテでない方のユダが言う、「主よ、いったいどういうわけで、わたし達だけに御自分を現わし、この世(の人)にはそうしようとされないのですか。」
14:23 イエスは答えられた、「わたしを愛する者は、わたしの言葉を守る。するとわたしの父上はその人を愛され、わたし達は(父上もわたしも)、
その人のところに行って、同居するであろう。

塚本訳 ヨハ 21:21-22
21:21 ペテロはその人を見て、イエスに言う、「主よ、あの人はどうなるのでしょうか。」
21:22 イエスが言われる、「たといわたしが今度来るまで、あの人を生かしておきたいと思っても、それはあなたの知ったことではない。あなたは(ただ)わたしについて来ればよろしい。」

●これはまるで禅問答のようである。パウロのようなクリヤカットに言っていない。またそういう答えをしなかった。なぜか。それは個別の救いは神の主権に属することで一般論では言えないからだ。
●イエスは神に良しとされるのは人間の態度だということをしきりに言う。
●つまり上記3か所のイエスの答えは神に対する姿勢次第だということである。

塚本訳 ルカ 18:18-23
18:18 ひとりの(最高法院の)役人が尋ねた、「善い先生、何をすれば永遠の命がいただけるでしょうか。」
18:19 イエスは言われた、「なぜわたしを『善い』と言うのか。神お一人のほかに、だれも善い者はない。
18:20 (するべきことは神の掟を守ることだけで、)掟はあなたが知っている通り。──『姦淫をしてはならない、殺してはならない、盗んではならない、偽りの証言をしてはならない、父と母とを敬え。』(ただこれだけである。)」
18:21 その人が言った、「それならみんな若い時から守っております。」
18:22 イエスは聞いて言われた、「もう一つ欠けている。持っているものをことごとく売って、(その金を)貧乏な人に分けてやりなさい。そうすれば天に宝を積むことができる。それから来て、わたしの弟子になりなさい。」
18:23 彼はこれを聞き、しょげてしまった。非常な金持であったのである。

●つまり「もっているいるものを」すべて手放すほどの全身全霊の態度が神に覚えられる。
●「神お一人のほかに、だれも善い者はない。」というのは神にその主権が握られているということだ。だから自分にはわからないよいうことなのだ。
●慈善活動が救いの条件ではない。行為が救いの条件ではない。
●とすると、救いは求める姿勢があれば神がある日あるとき「恩恵として賜る」ものである。
●だから本人がそういう姿勢になるように「祈る」ことが必要だ。

塚本訳 ピリ 2:13
2:13 (しかしもちろんこれは君達の力では出来ない。)何故なら、(救いに関わる)御旨を成し遂ぐるため、君達のうちに働いて、(救いの)願望を起こさせ、これを成就せしめ給う者は、神であるからである

塚本訳 エペ 1:17-18
1:17 われらの主イエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と黙示との霊を君達に与えて神の知識に至らせ給わんこと、
1:18 また【君達の】心の目を明らかにして、神に召され(ることによって得)た希望の何であるか、『聖徒の受くる』光栄ある(天の)『相続財産』の富の何であるか、

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朝の黙想おわり。神よどうかアノ人が救いを求める気を起こしますように。あなたがその気持ちをアノ人に起こさせてくださいますように。

●矢内原忠雄の内村鑑三への質問は「信仰なくして逝った両親の救い」についてであった。そのとき内村は「僕にもわからん」と言ったという。
●私の中学時代の恩師古戸泰先生には信仰上の質問を塚本虎二先生にお手紙された。すると塚本先生は「私にもわかりません」と抵当なご返事をされた。古戸先生はその手紙を大切に持っておられて、後年私に見せてくださった。
●塚本先生は、こういうとき菓子折りをつけてご返事されたことがあった。(先生の日記で知る)
●職業的キリスト教の教師はこういう時、自分に分からないことでも教派の神学に基づいて答えてしまう。これが現在キリスト教が振るわない原因である。命がない。力がない。
●わからないことはわからないという態度を取ったキリストに学ぶ。















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全き献身 ++++++++ 所感

2013/05/21 09:46

130521(火)5時目覚め●朝の啓示「全き献身」●頭に浮かぶ聖書の箇所を掲げる。これ毎朝の楽しみ。

塚本訳 Ⅱコリ2:15-16
2:15 というのは、わたし達は救われる者の間でも、滅びゆく者の間でも神にささげられるためのキリストのよい薫である。
2:16 ある者には、死から死へみちびく薫であるが、ある者には、命から命へみちびく薫りである。(ああ、)一体だれにこんなことが勤まろう


●これパウロの心境。福音は説きっぱなし。その結果人が来ようが、反発して離れ去ろうが、それは自分(パウロ)の責任ではないということ。
●そうでもなければ「やっちゃーいられない」。なぜか。福音を説く者に躓いて「死から死に行く者」が出るからだ。

塚本訳 マタ 26:42
26:42 また二度目に向こうへ行って、祈られた、「お父様、どうしてもわたしが飲まねば通りすぎない杯ならば、どうかお心のままになさってください。」

●「御心のままに、御心のままに」とうのが信者の真の人生観。

塚本訳 ロマ 9:3
9:3 ほんとうに、兄弟すなわち血を分けた同胞の(救われる)ためならば、このわたしは呪われて、救世主(の救い)から離れ落ちてもよいと、
幾たび(神に)願ったことであろう。
 
●わたしも「アノ人に十字架をわからせてくだされば、私の命はお取りくださっても結構です。私はもう長く生きましたから」と真剣に祈ったことがある。
●「幾たび」も願ったとは、パウロは偉い。

塚本訳 ロマ 12:1
12:1 (このように、神は偉大な計画によって人類を一人のこらず救おうとしておられるのであって、救いは確かである。)だから、兄弟たちよ、わたしは神のこの慈悲を指してあなた達に勧める。あなた達の体を(感謝のしるしとして神に)捧げよ。この生きた聖なる犠牲こそ、神のお気に入るものであり、(霊なる神を拝むにふさわしい、)あなた達の霊的な礼拝である。(あなた達の礼拝は動物を供えるような不合理なものでなく、全心全霊をささげる合理的な礼拝でなければならならない)
 
●真の礼拝とは時間的物理的に極限的なものではない。全生活が礼拝である。献身である。
●ところがこれをはき違えて聖日に遊んでいる人間がいるのは誤り。

塚本訳 マタ 19:27-28
19:27 その時、ペテロが口を出してイエスに言った、「でも、わたし達は(あの金持とちがいます。)この通り何もかもすてて、あなたの弟子になりました。わたし達にはいったいなんの褒美があるのでしょうか。」
19:28 イエスが彼らに言われた、「アーメン、わたしは言う、新しい世界が生まれて、人の子(わたし)が栄光の座につく時には、わたしの弟子になったあなた達十二人も十二の王座について、イスラエル(の民)の十二族を支配するのである。

●男一匹、「何もかも捨てる」ということが人生には必要だ。

塚本訳 使  26:24-25
26:24 彼がこのように弁明したとき、フェストが大声で(それをさえぎって)言う、「パウロ、お前は気が狂っている。博学がお前を狂わせたのだ。」
26:25 パウロが言う、「フェスト閣下、気は狂っておりません。わたしは正気で真理の言葉を話しています。

●一回限りの人生で「何かに狂う」ということが必要だ。しかし金や女や地上の平和建設、エクレシアの人間的建設に狂ってはいけない。なぜか。それは失望に終わるから。
●「神の子キリスト」に狂ったパウロは、男一匹狂いがいがあった。
●今の人間は平凡な安全な遊びの老後という人生設計を目指すから「つまらない」

塚本訳 ルカ 5:4-6
5:4 話がすむと、シモンに言われた、「沖に漕ぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい。」
5:5 シモンが答えた、「先生、わたし達は(昨夜)一晩中働きましたが、何もとれませんでした。しかし先生のお言葉ですから、網をおろしてみます。」
5:6 そしてその通りにすると、沢山の魚の群が入って網が裂けかかった。
 
●伝道は「沖に」漕ぎださなければならない。

塚本訳 使  13:46
13:46 そこでパウロとバルナバとは公然こう宣言した、「神の言葉は(お約束どおり)まず第一に、君たち(ユダヤ人)に語られねばならなかった。(だから、そうしたのだ。)しかし君たちがそれをはねつけ、自分で自分を永遠の命にふさわしからぬ者とするので、それでは、よし、異教人(の伝道)へ方向をかえる

●「ウチの教会(集会)の繁栄」を目指す教会主義はこの世の営利会社の精神と同じ。パウロのように「こりゃーダメだ」と思ったら顔を外に向けるべきだ。パウロには苦難が待っていた。

塚本訳 ヨハ 4:21
4:21 イエスが言われる、「女の人、わたし(の言葉)を信じなさい。(間もなく)あなた達が、この山でもエルサレムでもなく(どこででも、)父上を礼拝する時が来る
 
●今や無教会の若い者の間では「無教会難民」が続出。「なじめる」集会がない。漂着する島がないから、海をただよっている。そのうち悪魔なる鮫がきて餌食になる心配がある。

塚本訳 ヨハ 6:44
6:44 (わたしを信じないのは、父上が引っ張ってくださらないからだ。)わたしを遣わされた父上が引っ張ってくださらなければ、だれもわたしの所に来ることはできない。(しかし来れば、)わたしはその人をきっと最後の日に復活させる。

●しかし永久になじめる満足のいくエクレシアはある。霊の礼拝所である。天の礼拝所、それは絶対的なエクレシアである。
●無教会になった人の中にプロテスタント教会になじめなかった人が多い。しかし無教会が歴史的に続いてきた現在、その無教会になじめない人が出始めた。
●「なじめた」と思うのは一人の先生になじんでいたのであって、その肉なる先生も、その弟子達も、そのグループも肉であるから「終わり」がくる。
●神は内村鑑三という針を使って人を釣る。そしてひっかると糸を「引っ張って」神のもとにひきあげる。しかし言うまでも内村という針が抜けない人間がいる。塚本という針を加えたままの人間がいる。内村も塚本も天で泣いている。

塚本訳 ヨハ 6:65-68
6:65 そして言われた、「だから『父上に許された者でなければ、だれもわたしの所に来ることは出来ない』と言ったのだ。」
6:66 (このはげしい言葉の)ために、多くの弟子がはなれていって、もはやイエスと一しょに歩かなくなった。
6:67 するとイエスが十二人(の弟子)に言われた、「まさか、あなた達まで離れようと思っているのではあるまいね。」
6:68 シモン・ペテロが答えた、「主よ、(あなたを離れて)だれの所に行きましょう。永遠の生命の言葉はあなただけがお持ちです(から)。

●内村鑑三から文学者が去り、塚本虎二からは社会活動家が去った。去らないのは罪人。

塚本訳 マタ 26:11-13
26:11 貧乏な人はいつもあなた達と一しょにいるが、わたしはいつも(一しょに)いるわけではない。
26:12 この婦人がわたしの体に香油をかけてくれたのは、わたしを葬るためである。
26:13 アーメン、わたしは言う、世界中どこでも(今後)この福音の説かれる所では、この婦人のしたことも、その記念のために一しょに語りつたえられるであろう。」

●社会改良は暇人に任せておけばよい。イエスの死の意味を伝えよ。

塚本訳 ヨハ 5:39-40
5:39 あなた達は聖書(旧約)をもっていることが永遠の命を持っていることのように思って、それを研究している。ところがこの聖書は、(永遠の命である)このわたしのことを証明しているのに、
5:40 あなた達はその命を得るためわたしの所に来ようとしない

●聖書中心の礼拝は、聖書を読む人の信仰の命の水準が低ければ、それはテープレコーダーをまわしているのと同じ。福音は伝わらない。
●福音は人格を通して伝わる。「人格者」ではない。人格者でなくてよい。人格者でないほうがよい。めちゃくちゃ人生から救われたことを証明すればよい。
●「わたしの所」とはどこか。それは神が教える。備える。導く。

塚本訳 マタ 16:24
16:24 あとでイエスは弟子たちに言われた、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、自分の十字架を負い、それからわたしに従え。

●これが具体的な献身のすがた。誰にも「自分の十字架」はある。なければそのうち無理矢理負わせられる。

塚本訳 マタ 16:26
16:26 たとい全世界をもうけても、命を損するならば、その人は何を得するのだろう。それとも、人は(一度失った永遠の)命を受けもどす代価として、何か(神に)渡すことができるのだろうか。
 
●政治的経済的の全世界制覇は人間の本能。しかしそうしたところで永遠の命は獲得できない。「政治的永久平和」また同じ。それで神との平和は得られない。

塚本訳 ルカ 21:1-6
21:1 それから目をあげて、金持たちが賽銭箱に賽銭を入れるのを見ておられた。
21:2 またある貧しそうな寡婦がレプタ銅貨[五円]二つをそこに入れるのを見て、
21:3 言われた、「本当にわたしは言う、あの貧乏な寡婦はだれよりも多く入れた。
21:4 この人たちは皆あり余る中から賽銭を入れたのに、あの婦人は乏しい中から、持っていた生活費を皆入れたのだから。」
21:5 ある人たちが(イエスに)宮がりっぱな石と献納品とで飾られていることを話すと、言われた、
21:6 「あなた達が(今)見ているこれらの物は、このまま重なっている石が一つもなくなるほど、くずれてしまう日が来るであろう。」

●神が見るのは「心」

口語訳 Ⅰサム16:7
16:7 しかし主はサムエルに言われた、「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」。

●人を学歴で見るな。家系で見るな。勤務先で見るな。社会的地位で見るな。容姿で見るな。職業で見るな。
●人は「心」を見よ。約束を守るか、時間を守るか。金銭にきれいか。どんな目立たない下積みの仕事でも熱心にやるか。女遊びをしないか。くだらない本を読んでないか。・・・・学校の教師は受験競争に汲々としてがこういうことをしっかり教えないから、イマドキのワカイモンは「人を見る目」が養われない。

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朝の黙想終わり。

●TSK日本語版作成、サムエル記上18章 。草むしり(運動)。
●妻は歯科、中野の愛子の所、夜は月本昭男先生旧約講義(新宿)
●夕食は得意の野菜炒めを妻の分も作る。
●某夫人から信仰生活上の質問の手紙が来た。「本当は手土産を持ってお伺いしたいところですが」と言う。この姿勢だけですでに神に祝福されている。そこで少し時間をかけて返事を書いた。
●ヒルティの小論文にも質問に対する返事のものがある。パウロの手紙もほとんどが問題に対する答え。活人生の生きた対話。
顔を思い浮かべながらの論考。個別の手紙だからこそ普遍的になった。
 ●NHKTV。2030年には孤独生活人口の率は37%にもなるという。老人ホームという物理的施設は孤独の淋しさを解決しない。
●神なき人生はそもそも孤独なのだ。淋しいのだ。家族に囲まれていても孤独なのだ。これからの日本の現実的な重要課題だ。








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「御心のままに」の信仰 ++++++++ 所感

2013/05/20 07:45

130520(月)5時起床●朝の啓示「御心のままに」●エクレシアに所属していて何が有益かというと、自分より信仰の篤い人に接することができることである。教会論エクレシア論は実際論の前に弱い。●信仰の篤い人がたまたま投げかけてくれる「一言」が自分の信仰に方向を与えてくれる。励ましてくれる。それは個人的なので万巻の書よりも有益である●私の経験した具体的な言葉は次のようなことである。総て寸鉄人を刺す短い言葉である。「すべてのこと相働きて益となる」(ロマ8:28)、「御霊みづから言ひ難き嘆きをもて執成功し給う」(ロマ8:26)「今の時の苦難(くるしみ)は、われらの上に顕(あらわ)れんとする栄光(えいこう)にくらぶるに足らず」(ロマ8:18)「御心のままに、御心のままに」(マタ26:42)「神が裁く、神が裁く」(マタ15:13)、「神はご存知、神はご存知」(マタイ6:8,32)●これらの短い言葉は人生のゲッセマネにおける励ましの言葉である。(ルカ22:42-43)。●イエスも死にたくなるほどの苦しみをされた(マタ26:36-37)●この苦しみを去らせたまえという祈りはイエスもパウロも三度も(しつこく祈った。(マタ26:44、Ⅱコリ12:8)●7月の感話は「ゲッセマネ」。これで準備が出来た。

文語訳 ロマ 8:28
8:28 神を愛する者、すなはち御旨によりて召されたる者の爲には、凡てのこと相働きて益となるを我らは知る。

文語訳 ロマ 8:26
8:26 斯くのごとく御靈も我らの弱を助けたまふ。我らは如何に祈るべきかを知らざれども、御靈みづから言ひ難き歎きをもて執成し給ふ。

文語訳 ロマ 8:18
8:18 われ思うに、今の時の苦難は、われらの上に顯れんとする榮光にくらぶるに足らず。

文語訳 マタ 26:42
26:42 また二度ゆき祈りて言ひ給ふ『わが父よ、この酒杯もし我飲までは過ぎ去りがたくば、御意のままに成し給へ』

塚本訳 マタ 15:13
15:13 イエスは答えられた、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜かれる。

塚本訳 マタ 6:8
6:8 彼らの真似をしてはならない。神はあなた達の父上である。求める前から、あなた達に必要なものをよく御承知である。

塚本訳 マタ 6:32
6:32 それは皆異教人のほしがるもの。あなた達の天の父上は、それが皆あなた達に必要なことをよく御承知である。

塚本訳 マタ 26:44
26:44 イエスは彼らをのこして、もう一度向こうに行き、また同じ言葉で、三度目に祈られた。

塚本訳 Ⅱコリ12:8
12:8 この使について、それがわたしから手を引くようにと、三度まで主に願ったが、


●「神は人の子の姿をとってこの世に来られた」ということに痛く感じるほどの人は信仰の篤い人である。次の句は初代教会の詠み人知らずの「讃美歌」。はじめての「受難曲」と解す。名曲、名歌に作者不明のものがかなりある。

文語訳 ピリ 2:6-11
2:6 即ち彼は神の貌にて居給ひしが、神と等しくある事を固く保たんとは思はず、
2:7 反つて己を空しうし、僕の貌をとりて人の如くなれり。
2:8 既に人の状にて現れ、己を卑うして死に至るまで、十字架の死に至るまで順ひ給へり。
2:9 この故に神は彼を高く上げて、之に諸般の名にまさる名を賜ひたり。
2:10 これ天に在るもの、地に在るもの、地の下にあるもの、悉とくイエスの名によりて膝を屈め、
2:11 且もろもろの舌の『イエス・キリストは主なり』と言ひあらはして、榮光を父なる神に歸せん爲なり。



口語訳 ピリ 2:6-11
2:6 キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、
2:7 かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、
2:8 おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。
2:9 それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった。
2:10 それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、
2:11 また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。

塚本訳 ピリ 2:6-11
2:6 彼は(先には)神の姿であり給うたが、神と等しくあることを棄て難いことと思わず、
2:7 かえって自分を空しうして人と同じ形になり、奴隷の姿を取り給うたのである。そして人の様で現れた彼は、
2:8 自ら謙り、死に至るまで、(然り、)十字架の死に至るまで(父なる神に)従順であり給うた。
2:9 それ故に神も彼を至高く上げ、凡ての名に優る(「主」なる)名を与え給うた。
2:10 これはイエスの(この尊い)名の前に、天の上、地の上、地の下にある『万物が膝を屈め、
2:11 凡ての舌が』「イエス・キリストは主なり」と『告白して』父なる『神に』、栄光を帰せんためである。

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朝の黙想 終わり。エクレシアの良しあしは信仰の篤い人が多くいるかどうかである。そては全く神の恩恵、祝福、賜物である。牧師の学識ではない。

●TSK日本語版作成。サムエル記上17章。ダビデとゴリアテの戦いの話。次のところに感動した。「ペリシテびと」とはゴリアテのこと。

口語訳 Ⅰサム17:45
17:45 ダビデはペリシテびとに言った、「おまえはつるぎと、やりと、投げやりを持って、わたしに向かってくるが、わたしは万軍の主の名、すなわち、おまえがいどんだ、イスラエルの軍の神の名によって、おまえに立ち向かう


口語訳 詩  20:7
20:7 ある者は戦車を誇り、ある者はを誇る。しかしわれらは、われらの神、主のみ名を誇る。

●国も企業も家庭も資金量、物理量を頼りにするが、それは永久ではない。はかない。

新共同 詩  46:2
46:2 神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる

新共同 詩  46:12
46:12 万軍の主はわたしたちと共にいます。ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。〔セラ

新共同 詩  56:10
56:10 神を呼べば、敵は必ず退き/神はわたしの味方だとわたしは悟でしょう。

●信仰者は、相手が学歴、家系、博識で挑んできても「自分には神がついている」と思うべきだ。

18:00 女子大の生徒と就職相談。進路の悩みはいつの世でも深い。神の導きなくしてこの世は安らかに辿れない。










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内村鑑三「後世への最大遺物」の影響 ++++++++ 所感

2013/05/19 07:25

130519(火)4時起床●次回感話の準備。タイトルは「永遠の命は確実である。・・・父なる神、子なるキリストの約束。聖霊がその証拠」●5:00 NHKTV「心の時代」は内村鑑三のことば第2回目「現世と後世」で内容は「後世への最大遺物」(内村の代表的な名講演で多くの青年に影響を与えたもの)。内村自身の失敗談が背景にあるから強い。●初耳だったこと。ブリティッシュコロンビア大学(カナダ)のジョンハウズ氏(内村研究家)から鈴木範久氏に届いた約30通の手紙のこと。ハウズ氏(私は若いころその講義を日本で聞いた)の生徒に内村の「後世への最大遺物」を話したら、不登校の生徒たち(彼らはほとんど無用者意識があった)の目の色が変わって立ち直った。その生徒たちの感想文であったという。●この番組のテキストによればこの本に触発された人が多く書かれているが、その一人に藤林益三(私の属する東京聖書読者会の生みの親、私達の結婚式の司式者)が挙げられている。その部分を下記に転用する

NHKテキスト。鈴木範久著「道をひらく・・・内村鑑三のことば」59ページ
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京都府の山村に生まれた藤林益三は、最高裁判所長官になった人ですが、もっとも人生で愛読し、ほとんど暗記しているという書物が『後世への最大遺物』でした。そのために、司法研修所でも、NHKラジオの「人生読本」でも、機会あるごとに本書について語り、「どんな職場におっても、社会的地位はなんでもいい、縁の下の力持ちをやる人がいなければ、世の中は動いていかない」との言葉を遺しました。

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NHKテキスト。鈴木範久著「道をひらく・・・内村鑑三のことば」59ページ。引用おわり

●21年前に逝った私の父の形見として内村の「ロマ書の研究」(大正13年発行版)がある。私自身は10代の時に、内村の「基督信徒の慰め」の「貧に迫りし時」に慰められ、長男は内村の{一日一生」(文庫本になったもの)をポケットに入れて常に読み、三男は東日本大震災で苦しんでいた時、内村のロマ書8章講義の「呻き」の言葉に号泣して十字架と復活を示された。これが本当の洗礼聖餐だと私は思う。私の家系において内村鑑三はキリストへの導き手であった。感謝。
●なぜ内村は多くの人に影響を与えるか。それは鈴木範久氏が指摘するように、自分に人生の失敗があり、それを背景にして、語っているからだという。至言。
 ●10:00 集会は高木(ローズンゲンより朗読箇所選定、詩編106:19-23)、高橋トミ子(ルカ19:28-40、都入り。バッハ のロ短調ミサ、モーツアルトのレクイエム、讃美歌130番の「ホサナ」についての所感)
●午後、妻はコーラスの練習。ヴィバルディのグローリア他
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「隠れた祈り」に効き目あり ++++++++ 所感

2013/05/18 06:13

130518(土)5時15分起床●朝の黙示「隠れた祈に効き目あり」●困った人、悩みの人がいる場合は、直接会って忠告したり、和解しに言ったり、国家の場合は交渉しに行ったりするが、それはあまり効き目がない。●なぜか。神の存在を抜きにしていているから人間の栄光は上がっても神の顔が立たないからである。すぐ元の木阿弥になる。●人の救いも同じ、「説教よりも伝道よりも隠れた祈り」●聖書には相手に分からないように「ひそかに」祈れとある。こういう不思議な原理は科学技術万能の今の世には通じない。行為主義者にも通じない。しかし現実は違う。●祈りは聴かれるのだ。時間はかかるかもしれないが、神は忘れないのだ。●無神論者はそれは「偶然の出来事」だと思うかもしれないが、神を信ずる者には偶然とは思えないのだ。●世の中の出来事はすべて「偶然」だと思う人生観の持ち主は暗くて淋しい。●隠れた祈りの効き目についての聖書的根拠を掲げてみよう。

●まずマタイ6:6 の翻訳比較(Jバイブルが便利)

文語訳 マタ 6:6
6:6 なんぢは祈るとき、己が部屋にいり、戸を閉ぢて、隱れたるに在す汝の父に祈れ。さらば隱れたるに見給ふなんぢの父は報い給はん。

口語訳 マタ 6:6
6:6 あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。

新改訳 マタ 6:6
6:6 あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。


新共同 マタ 6:6
6:6 だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。


塚本訳 マタ 6:6
6:6 あなたが祈る時には、『奥座敷に入り、部屋をしめきった上で、』隠れた所においでになるあなたの父上に『祈れ。』そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。


NKJV マタ 6:6
6:6 "But you, when you pray, go into your room, and when you have shut your door, pray to your Father who is in the secret place; and your Father who sees in secret will reward you openly.

TEV マタ 6:6
6:6 But when you pray, go to your room, close the door, and pray to your Father, who is unseen. And your Father, who sees what you do in private, will reward you.

●次にこれに関連する箇所(これは頭のひらめき+TSKから心に響くものをピックアップ)

塚本訳 マタ 6:3
6:3 あなたは施しをするときに、右の手のすることを左に悟られてはならない

塚本訳 マタ 25:40
25:40 すると王は答える、『アーメン、わたしは言う、わたしのいと小さいこの兄弟たちの一人にしたのは、わたしにしてくれたのと同じである。』

塚本訳 ルカ 14:13-14
14:13 御馳走をする時には、むしろ貧乏人、片輪、足なえ、盲人を招きなさい。
14:14 この人たちはお返しができないから、あなたは幸いである。(最後の日)義人の復活の時に、あなたは(神から)お返しをうけるのだから。」

塚本訳 ロマ 12:20
12:20 むしろ、『あなたの敵が飢えているなら、食べさせてやれ。渇いているなら、飲ませてやれ。こうするのはその頭に炭火を積むことであるから、(いつかは恥じて悔改める。)


塚本訳 マタ 14:23
14:23 そして群衆を解散させると、
祈りのため自分だけ山に上られた。暗くなってもひとりそこにおられた。

塚本訳 ヨハ 1:48
1:48 ナタナエルが言う、「まあ、どうしてわたしを御存じですか。」イエスが答えて言われた、
「ピリポが呼ぶ前に、あなたが無花果の木の下にいるのを見た。」

塚本訳 マタ 6:8
6:8 彼らの真似をしてはならない。神はあなた達の父上である。求める前から、あなた達に必要なものをよく御承知である。

塚本訳 マタ 9:30
9:30 二人の目があいた。するとイエスは(急に)いきり立ち、二人にむかって、「気をつけて、だれにも知られないようにせよ」と言われた。


●次に祈りは「遠隔」でも効き目があることの事例。(こういうことを引き出すのはコンコルダンスでは無理。)

塚本訳 マタ 8:8
8:8 百卒長は答えた、「主よ、わたしはあなたを、うちの屋根の下にお迎えできるような者ではありません。(ここで)ただ一言、言ってください。そうすれば下男は直ります

塚本訳 ヨハ 11:15
11:15 わたしがそこにいなかったことを、あなた達のために喜ぶ。あなた達の信仰を強めることができるからだ。さあ、ラザロの所に行こう。」

塚本訳 マタ 15:12-14
15:12 あとで弟子たちが来てイエスに言う、「パリサイ人がお話を聞いて腹を立てたことを御存じですか。」
15:13 イエスは答えられた、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜かれる。
15:14 あの人たちを放っておけ。
盲人の手引をする盲人だ。盲人が盲人の手引をすれば、二人とも穴に落ちよう。」

口語訳 伝  11:1
11:1 あなたのパンを水の上に投げよ、多くの日の後、あなたはそれを得るからである。


口語訳 詩  126:5-6
126:5 涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る
126:6 種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。

口語訳 箴  19:17
19:17 貧しい者をあわれむ者は主に貸すのだ、その施しは主が償われる。

塚本訳 マタ 10:13
10:13 もしその家が(その祈りをうけるのに)ふさわしければ、あなた達の(祈った)平安はかならずその家に臨み、もしふさわしくなければ、
その平安はあなた達にもどってくる。(そしてあなた達のものとなるのである。)

塚本訳 ガラ 6:8-10
6:8 というのは、肉に蒔く者は肉から滅亡を刈取り、霊に蒔く者は(最後の日に神の)霊から永遠の命を刈取るであろう。
6:9 わたし達は気を落さず善いことをしようではないか。怠けずにおれば、時が来ると(かならず)刈取るのだから。
6:10 従って、わたし達は時のある間に、すべての人に対し、とくに信仰仲間に対して、善を行なおうではないか。


塚本訳 ヘブ 6:10
6:10 というのは、神は不公平ではないから、あなた達のした(善い)ことや、御名のために聖徒たちの世話をし、今もなお世話をしつつ、示したその愛を、お忘れになることはないからである。

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朝の黙想終わり。神よあの人の霊魂を救いたまえ。あなたにできないことはありません。

●TSK日本語版作成 サムエル記上14章
●14:00「さよなら原発・・・にしたま・・・」集会。映画上映会。あきるのルピアホール。
「報道されない事実。『福島 六ヶ所村 未来への伝言」。(監督・島田恵)
●日本中から忘れさられる不安が福島県民にある。そのような時に、東京でこのような集会が開かれることは意義深い。雨宮先生に御挨拶した。
●六ヶ所村では、せっかく採れた魚を汚染されているのでみんな海に捨てる漁民の無念さを見て、ただただウンウン唸るだけ。若い漁師が「丘に上がったら何も仕事が出来ないよ」と言った。
●福島の除染はなかなか進まない。完全に無くなるのは10~100万年とも。
●らい病は治らないというあきらめの境地に似ている。イエスはそのらい病を治したが「黙っていろ」と厳命。霊魂のらい病の治療にイエスの目的があった。
●ラストシーン。震災の時に身ごもった母親、生まれてきた子に「福島」の福をつけて「福ちゃん、福ちゃん」と呼んでいた。人生、短くてよい。人生は長さではない。質だ。福ちゃんの上に神の祝福あれ。
●映画を見ながらイエスの言葉が浮かんだ。

塚本訳 ヨハ 3:5-6
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。
3:6
肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。

●福ちゃん。規定通り(?)80年ぐらい健康に生きても「霊によって生まれなければ」本当の幸せは得られない。

塚本訳 マタ 6:27
6:27 (だいいち、)あなた達のうちのだれかが、心配して寿命を一寸でも延ばすことが出来るのか

●被爆した人の寿命は2~30年は短いかもしれない。しかしその悲しみでで神に出会えれば成功の人生だ。2~30年の差は永遠の命からすれば「無」。

塚本訳 マタ 6:25
6:25 だから、わたしは言う、何を食べようかと命のことを心配したり、また何を着ようかと体のことを心配したりするな。命は食べ物以上、体は着物以上(の賜物)ではないか。(命と体とを下さった天の父上が、それ以下のものを下さらないわけはない。)

●汚染物質のない食べ物はどうしたら入手できるか。それは「何を食べようかと命のことを心配する」ことなのだ。
●信仰者はすぐ信仰に逃げ込むので、この世の改善には全く役に立たないと思うのは無神論者は、ユダ、マルタ、否、民衆。キリストは民衆に殺されたも同然。民衆は神殺し。それは今も同じ。




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人の不幸を「当然」と思うな ++++++++ 所感

2013/05/17 07:58

130517(金)5時目覚め●朝の黙示「人の不幸を当然と思うな」●人の世で「不幸」は正義の貫徹の故に当然と思うのが自然の感情である。因果応報である。理性の安息である。納得である。●ところがこの「当然」と思う心には三種類ある。●①他人のこと、②自分のこと、③イエスのこと。この三種類を聖書的に考えてみよう。すべて体験談。

塚本訳 ヨハ 9:1-3
9:1 イエスは通りがかりに、生まれつきの盲人を見られた。
9:2 弟子たちが尋ねた、「先生、この人が盲で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか、両親ですか。」
9:3 イエスは答えられた、「この人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。ただ神の御業がこの人に現われるためである。
 
●医学の世界でも技術の世界でも原因を追究するのは当然である。医学では治療のため、技術では修復のため絶対に必要である。ボーイング787機のトラブルはバッテリー(日本製!)が原因であった。この場合、原因の発見が修復の道であった。
●「生まれつきの盲人」を見て、「誰の罪か。かわいそうに」と思うのは自然である。
●この場合「こうなったのは罪」が原因と考えたユダヤ人はさすがである。
●家庭親族に不幸があった場合、本人が悪かったのか生育環境が悪かったのかと考えるのは当然である。一般に「家庭が悪かったからああなった」と思うものである。
●これに対してイエスは「もういい、もういい。その罪は私が解決するという姿勢」であったのだ。私は遺産はいらないという心である。ゴタゴタの時「じゃーその金は私が払おう」という心である。
●親の遺産相続で兄弟間にトラブルが生じた問題に建築関連で関わったことがある。その道の権威者に相談すると、「兄弟のうちの誰か一人が『私はいらないよ』と言いだせば解決し始める」と言われた。「私はいらない」という精神はキリストが自分の命を捨てた心に通じる。

塚本訳 ルカ 23:41-43
23:41 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる。」

●41節の「 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前」という心に注目。
●こういう場面に遭遇したことがある。真面目に生きている人が病気になったとき、その兄弟が、「自分が君のような病気になったとしたら当然だ」と言った。
●私はその人がいわゆる信仰を持っていないが、神に嘉せられていると思った。
●神は砕けた魂の人を愛するのだ(詩編34:18)。神は彼を救う。神に覚えられた。

塚本訳 ヨハ 19:6-7
19:6 すると大祭司連や下役らはイエスを見て、「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫んだ。(イエスのみじめな滑稽な姿を見ては、さすがのユダヤ人も心をやわらげるであろうという、ピラトの当てははずれた。)ピラトが言う、「(もし、そうしたければ、)お前たちがこの人を引き取って、十字架につけたらよかろう。この人には罪を認められない。」
19:7 ユダヤ人が答えた、「われわれには律法があって、その律法によると、当然死刑です。神の子気取りでいるのだから。」

●キリストが殺されたのは宗教家や民衆の妬みが原因であった。(マタイ27:18他)
●裁判官のピラトは何とかイエスを赦そうとするが民衆の「十字架につけよ」という「世論」に押されて仕方なくイエスをユダヤ人に渡す。これ昔も今も為政者の弱さ。保身術。民意が怖い。NHK世論調査が怖い。世界は今ツィッターで動く。
●7節。民衆はイエスの死刑を「当然」と思った。
●過日、東京芸術劇場の前から二番目の席でバッハの「ヨハネ受難曲」を鑑賞した、その第44曲は右奥に位置していた男声合唱が「葬れ、彼を葬れ、十字架につけよ!」と怒鳴るように歌った。この立体的な音響に感じることがあった。イエスを殺した真犯人は「民衆」だったのだと。
●キリスト殺しは神殺し。民衆は神殺し。
●日本国憲法第9条を民意の多数決で改正しようという動きがある。しかしその民意というのはすぐ変わるのだ。日清、日露、太平洋戦争の主犯は「民意」。国民は提灯行列をした。「それは私です!」(マタイ受難曲第16曲コラール)

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朝の説教おわり。自戒、自戒。
●人の不幸を当然と思ってはいけない。罪の故に不幸な者になった人のところに行け。その罪の赦しの道が開かれたと告げに行け。これ私の残りの時間のライフワーク。素手で行け。無資格で行け。無手勝流で行け。物理的に近づかず祈りで接近せよ。貧困は貧困に感じない。同士よ出でよ。

口語訳 イザ 40:1-2
40:1 あなたがたの神は言われる、「慰めよ、わが民を慰めよ、
40:2 ねんごろにエルサレムに語り、これに呼ばわれ、その服役の期は終り、そのとがはすでにゆるされ、そのもろもろの罪のために二倍の刑罰を/主の手から受けた」。

塚本訳 マタ 11:4-5
11:4 イエスは答えられた、「行って、(今ここで)聞いていること見ていることをヨハネに報告しなさい。
11:5 ──『盲人は見えるようになり、』足なえは歩きまわり、癩病人は清まり、聾は聞き、死人は生きかえり、『貧しい人は福音を聞かされている』と。


塚本訳 マタ 10:6-8
10:6 ただ、イスラエルの家のいなくなった羊(だけ)に行け。
10:7 行って、『天の国は近づいた』と説け。
10:8 病人をなおし、死人を生きかえらせ、癩病人を清め、悪鬼を追い出せ。(福音も病気もなおす力も、みな神から)ただで戴いたのだ、ただで与えよ

塚本訳 使  13:46
13:46 そこでパウロとバルナバとは公然こう宣言した、「神の言葉は(お約束どおり)まず第一に、君たち(ユダヤ人)に語られねばならなかった。(だから、そうしたのだ。)しかし君たちがそれをはねつけ、自分で自分を永遠の命にふさわしからぬ者とするので、それでは、よし、異教人(の伝道)へ方向をかえる

TEV 使  13:46
13:46 But Paul and Barnabas spoke out even more boldly: "It was necessary that the word of God should be spoken first to you. But since you reject it and do not consider yourselves worthy of eternal life,
we will leave you and go to the Gentiles.

NKJV 使  13:46-47
13:46 Then Paul and Barnabas grew bold and said, "It was necessary that the word of God should be spoken to you first; but since you reject it, and judge yourselves unworthy of everlasting life, behold, we turn to the Gentiles.
13:47 "For so the Lord has commanded us:'I have set you as a light to the Gentiles,That you should be for salvation to the ends of the earth.' "

●7:50 妻は知人と奥多摩に小登山。月末の屋久島宮之浦岳(九州最高峰1936M)登山の為のトレーニング。全行程6時間。私はとてもついていけない。
●TSK日本語版作成。サムエル記上13章。14章半分。これ私の登山。毎日一章。「急がず休まず」(ゲーテ)
●庭の草むしり10分
●16:50 妻が帰宅。「疲れた」と言う。





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一流の信仰を目指せ ++++++++ 所感

2013/05/16 08:42

130516(木)4時15分目覚め●朝の啓示「一流の信仰を目指せ」●人はみな一流を目指す。一流校、一流企業、一流品●しかしクリスチャンは「一流の信仰」を求めなければならない●聖書の中で「一流の信仰」の持ち主に共通のことは背後に悩み苦しみがある。それが「一流の信仰」に追いやるのである。人は「途方に暮れた時」「万策尽きた時」に一流の信仰になる。●今朝はそのことに注目して聖書のアチコチを並べてみよう。 不思議にその共通点は「悩み苦しみ、途方に暮れた時」である。「神仏にすがらねばならなくなった時」である。それでいいのだ、それがいいのだ●「神仏にすがるなどとはみっともない」と思う人は科学的人生観で生き抜いていけばよい。しかし死の悩みは消えないハズだ。罪の悩みは消えないハズだ。

塚本訳 マタ 8:5-6
8:5 カペナウムに帰られると、一人の百卒長がそばに来て願って
8:6 言った、「主よ、うちの下男が中風で家にねていて、ひどく苦しんでおります。……」
・・・・・・・
8:10 イエスは聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた、「アーメン、わたしは言う、イスラエル人の中でも、こんなりっぱな信仰をもっている者を一人も見たことがない

●イエスが「りっぱな信仰」と褒めたこの百卒長とは占領者ローマの軍人。それが占領国イスラエルの一宗教的変人(イエス)にすがった。このなりふり構わずの態度。彼は追い詰められた時に一流の信仰になった。

塚本訳 マコ 5:25-34
5:25 すると十二年も長血をわずらって
5:26 大勢の医者からひどい目にあわされて、財産を皆使いはたして、なんの甲斐もなくて、かえってますます悪くなって
5:27 イエスのことを聞いて、群衆にまじってついて来た女が、後ろからその着物にさわった。
5:28 「お召物にでもさわれば、なおるにちがいない」と思ったのである
5:29 はたしてすぐ血の源がかれて、病気が直ったのを身に感じた。
5:30 イエスは自分の中から力が出ていったのにすぐ気がついて、群衆の中で振り返ってたずねられた、「わたしの着物にさわったのはだれか。」
5:31 弟子たちが言った、「御覧のとおり群衆が押しまくっているのに、さわったのはだれか、とおしゃるのですか。」
5:32 イエスはこのことをした女を見つけようとして、(黙って)見まわしておられた。
5:33 女は自分(の身)におこったことを知っているので、恐ろしくなって震えながら、進み出てイエスの前にひれ伏し、すべてをありのままに話した。
5:34 イエスは言われた、「娘よ、あなたの信仰がなおしたのだ。さよなら、『平安あれ。』もう病気をせず、達者でいなさい。」

●「「お召物にでもさわれば、なおるにちがいない」と思った」信仰。これが芥子粒ほどの信仰である。これでいいのだこれがいいのだ。
●この女、12年間も患っていた。医者に財産を使い果たしても治らなかった。悩みは深かった。

塚本訳 マタ 14:35-36
14:35 所の人はイエスと知って、その付近に隅なく人をやっ(て知らせ)たので、人々は病人を皆イエスのところにつれて来て、
14:36 せめて着物の裾にさわらせてほしいとイエスに願った。さわった者はみな直った。


●病人は皆連れてこられた。病気は昔も今も悩みの種だ。難病は人生を、家庭をめちゃくちゃにする。一家の主人が倒れると経済が困って子供が学校にいけない。
●「せめて」との気持ちでいいのだ。それが一流の信仰だ。
●私は不思議に籤運が強い。ある時職場の人が、「籤を引く時には高橋さんの体に触らせてください」と言われたことがあった。低級だがこれが信仰心。しかし信仰は低級な願いでよいのだ。
●信仰は人生の低級な「親しい人にも放せない恥ずかしい」家庭内のゴタゴタから入る。それでよいのだ。それが良いのだ。天下国家の罪悪の悩みから信仰に入る人はイエスを裏切る。

塚本訳 マタ 21:21
21:21 イエスは答えられた、「アーメン、わたしは言う、もしあなた達に信仰があって疑わないならば、この無花果におこった(と同じ)ことをすることができるばかりか、この山にむかい『立ち上がって海に飛び込め』と言っても、その通りになる

●山のような悩み。とうてい手に負えなくなった。
●その時はなりふり構わずイチカバチかで「疑わず」に祈るのだ。それが一流の信仰だ。

塚本訳 ルカ 17:3-6
17:3 (人を罪にいざなわぬように注意せよ。(また)もし兄弟が(あなたに対して)罪を犯したら、これを咎め、悔改めたら、赦してやりなさい。
17:4 あなたに対して一日に七度罪を犯しても、七度『すまなかった』と言って、あなたの所へもどってきたら、七度赦してやらねばならない。」
17:5 使徒たちが主に言った、「もっと信仰を下さい。」
17:6 主が言われた、「もしあなた達に芥子粒ほどでも信仰があれば、──(あなた達にはそれがないが、もしあれば)──この桑の木にむかい『抜けて海に植われ』と言っても、言うことを聞くであろう。

●人をどうしても赦せない悩みは深い。だから使徒たちは「もっと信仰を下さい」と言ったのか、ルカの編集か。
●いずれにしても「もっと信仰を下さい」と言った背後には何か悩みがある。
●罪を赦せない悩みと私は思う。
●イエスは大きな信仰でなくてよい。芥子粒ほどの信仰でよいという。
●桑の根はしぶといのでなかなか抜けないそうだ。人間の悪癖に似ている。悪習が直らない悩み。どうしようも手に負えなくなった悩み。途方に暮れる悩み。それが祈りで、しかも芥子粒ほどのかすかな祈りでよいというのだ。ただし「疑ってはいけない」。(上記マタイ21:21)

塚本訳 Ⅰコリ13:2
13:2 またたといわたしが預言の賜物を持ち、あらゆる秘密とあらゆる知識とに通じていても、たといわたしがあらゆる信仰を持っていて山を動かすことができても、愛がないなら、わたしは無価値である。

●ここに「山を動かすことが出来る信仰」とは何か。イエスに解説を求めれば上記マタイ21:21だ。信仰なしの行為主義の「愛の業」ではない。神への「かすかな愛」。

塚本訳 Ⅱコリ11:27-28
11:27 苦労し辛苦した、度々徹夜し、飢えまた渇いた、度々絶食し寒く着る物がなかった。
11:28 (その上、)ここで言えないことは別として、毎日わたしに押し寄せる
(山のような)事件、すべての集会のための心配。

●パウロの苦難。その中に(山のような)事件があった。
●パウロの信仰が一流であった理由の背景は苦難。

塚本訳 Ⅱコリ12:6-9
12:6 もっともわたしが(こんな啓示を)自慢したところで、「馬鹿者」(と言われるほどのこと)ではなかろう。本当のことを言うのだから。しかし差し控える。わたしを見、あるいはわたしから聞く以上に、(何か特別のものでもあるように)だれかがわたしを買いかぶらないためである。
12:7 そしてこれらの素晴らしい啓示があるので、わたしが高慢にならないようにと、わたしの肉に一つの刺が与えられた。悪魔の使いであって、これはわたしが高慢にならないようにと、わたしをうつものである。
12:8 この使について、それがわたしから手を引くようにと、三度まで主に願ったが、
12:9 主は(その都度)言われた、「わたしの恩恵はあなたに十分だ。力は弱さの中に完成されるのだから
。」、それでわたしはキリストの力がわたしに住みついてくださるように、大喜びで、むしろ(自分の)弱いことを自慢しよう。

●パウロの病気は眼病とも癲癇(てんかん)ともいわれる。
●パウロほどの人に病気がなければもっと大きな働きが出来たのにと思うのは人間の思い。
神はパウロの病気を治さなかった「聞かれざる祈祷」(内村鑑三の短文)であった。
●これ、パウロの信仰が一流になった原因だと私は思う。

塚本訳 マコ 9:20-25
9:20 人々がイエスの所につれて来ると、霊はイエスを見るや否や、その子をひどくひきつけさせたので、子は地に倒れ、泡をふきながらころげまわった。
9:21 イエスが父親に尋ねられた、「こうなってから、どのくらいになるか。」父親がこたえた、「子供の時からです。
9:22 霊はこの子を殺そうとして、幾たびか、火の中、水の中に投げ込みました。それでも、もしなんとかお出来になるなら、わたしども(親子)を不憫と思って、お助けください。」
9:23 イエスは言われた、「もしお出来になるなら(と言うの)か。信ずる者にはなんでも出来る。」
9:24 即座にその子供の父親が叫んだ、「信じます。不信仰をお助けください。」

9:25 イエスは群衆が駆けよってくるのを見ると、(急いで)汚れた霊を叱りつけて言われた、「唖と聾の霊、わたしが命令するのだ、この子から出てゆけ、二度と入るな!」


●子供の病気に対する親の悩みは深い。
●「信じます。不信仰をお助けください。」は追い詰められた父親の叫び。これが一流の信仰。
●「信じられないのに信じます」と言うのが一流の信仰の姿だ。神は人がそういう境地になるように人間を苦難のるつぼに追いやる。

塚本訳 ルカ 23:40-43
23:40 するともう一人の者が彼をたしなめて言った、「貴様は(このお方と)同じ(恐ろしい)罰を受けていながら、それでも(まだ)神様がこわくないのか。
23:41 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる
。」

●十字架上の強盗。絶体絶命のイエスへの呼びかけ。
●イエスは喜んだ。かくして人生を失敗したこの強盗は一番で天国に行けた。一流の信仰であった。

塚本訳 マタ 21:29-32
21:29 長男は『いやです』と答えたが、あとで後悔して出かけた。
21:30 つぎに次男の所に行って同じように言うと、こちらは、『お父さん、承知しました』と答えたが、行かなかった。
21:31 この二人のうち、どちらが父の心を行ったのだろうか。」「もちろん長男」と彼らが答える。イエスが言われる、「アーメン、わたしは言う、税金取りや遊女たちは、あなた達よりも先に神の国に入るであろう。
21:32 そのわけは、(洗礼者)ヨハネが義の道を示しに来たのに、あなた達は彼を信ぜず、税金取りや遊女の方がかえって信じたからだ。しかしあなた達は(あの人たちが悔改めるのを)見たあとでも、後悔して彼を信じようとしなかった。

●「税金取りや遊女たち」は人生の敗残者、負け犬。悔やむ人生。まずい過去。だからイエスに必死にすがった。
●31節の「あなた達」とは宗教家やこの世の名士(マタ2123)。現代では一流の教会の牧師。品行方正な人格者
●それよりも負け犬の失敗者の方が先に天国に入るとは一流の成績で入れるというのだ。泣くな。人生の失敗者。負け犬。

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朝の黙想終わり。●聖書に希望あり。キリスト教に救いあり。

●TSK日本語版作成サムエル記上12章
●図書館にCDを借りに行く。ノジマ電気にCDを買いに行く、日本製がなく、中国製。
●家の花を撮影。妻が世話をしている。かって集会のKSさんが「花に水をやるとき、『きれいねー』と声をかけた方がかけないよりもきれいに咲きます」と目を丸くして言われた。私は「ホントカナー」と思ったものだが、今では本当に思う。なぜか。神が聞いているからだ。声かけは「祈り」なのだ。無神論者にはこの話は通じない。

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玄関のなでしこ

文語訳 マタ 6:29
6:29 されど我なんぢらに告ぐ、榮華を極めたるソロモンだに、その服装この花の一つにも及かざりき。


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東の通路にある月見草
一番左のものは通路にあるので昨日の草むしりの時に切ろうかと思ったが今日見ると
咲いていた。切らなくてよかった。 もし今日も明日も咲いてなかったら切ったところだ。

塚本訳 ルカ 13:5-9
13:5 そうではない。わたしは言う、あなた達も悔改めなければ、皆同様に滅びるであろう。」
13:6 そこでこの譬を話された、「ある人が葡萄畑に一本の無花果の木を植えておいた。(ある日)実をさがしに来たが、見つからないので、
13:7 葡萄畑の作男に言った、『もう三年この方、この無花果の木に実をさがしに来ているのに、まだ実がならない。切ってくれ。(ならないばかりか、)なんで土地までくたびれさせることがあろう。』
13:8
答えて言う、『ご主人、今年もう一年だけ勘弁してやってください。今度は回りを掘って、肥料をやってみますから。
13:9 それで来年実を結べばよし、それでもだめなら、切ってください。』」

●この無花果(イチジク)は翌年に実を結んだのだろうか。結ばなかったらやっぱり切られるのだろうか。本当に切られるのかもしれない。神はあなどれない。神は恐ろしいお方だ。
●しかしキリストは何年も何年も「来年こそ」『来年こそ』と思って悔い改めの時を待ってくださる。「七度までどころか七十七度まで」赦せと言われたキリストはいつも「来年こそ」「来年こそ」と思ってくださるのだ。しかし忍耐にも限度というものがあるなー。神が負ってくださらなければ耐えられない。

塚本訳 マタ 18:21-22
18:21 その時ペテロが進み寄ってたずねた、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したとき、何度赦してやらねばなりませんか。七度まででしょうか。」
18:22 イエスがこたえられた、「いや、あなたに言う、
七度までどころか、七十七度まで!

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ベランダの赤いゼラニウム
花は人を楽しませてくれる。しかしその命は短いものだ。

文語訳 Ⅰペテ1:24
1:24 『人はみな草のごとく、その光榮はみな草の花の如し、草は枯れ、花は落つ





















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神の祝福が土台 ++++++++ 所感

2013/05/15 05:51

130515(水)3時半目覚め●朝の啓示「神の祝福が土台」●混迷を極める人生、家庭、教会(エクレシア)、企業、教育、医療、国家、世界。暗黒の世。●原因は「神の祝福」の喪失である。混迷の世がお互いに「ダメダー、ダメだー」とわめき合う思想戦では解決出来ない。「神の祝福」という袖がないのだから「無い袖は振れない」●すべての解決と安らぎは「神の祝福」という土台」にあることを聖書に見てみよう。

口語訳 創  11:5-8
11:5 時に主は下って、人の子たちの建てる町と塔とを見て、
11:6 言われた、「民は一つで、みな同じ言葉である。彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。
11:7 さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互に言葉が通じないようにしよう」。
11:8 こうして
主が彼らをそこから全地のおもてに散らされたので、彼らは町を建てるのをやめた。

●仕事柄、建築は「神の祝福」がないと「企画が立ち上がらない」というとはイヤと言うほど経験してきた。動機が悪いと神に祝福されないのである。
●ある企業から建築設計依頼があった。その社長は開口一番「違反建築で面積を大きくしてください」との注文。一応ビルは建ったが、その企業は潰れた。今いずこ。

口語訳 詩  127:1
127:1 主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。
主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい。

●かってある住宅雑誌に書いたマイホームが建つ三条件。①家庭内の意見の一致②資金があること③違反建築しないでできること。
●実はこの背後には「神の祝福」がなければならないということなのだが、それはキリスト教の宣伝になるから書かなかった。
●家庭は「主が家を建てる」こと。家庭の土台は「神の祝福」なくして崩壊する。恋愛という土台はより強力な恋愛で倒れる。
●では信者の家庭でなくても家庭が崩壊しないのはなぜか。よく観察するとその家には「倫理」というものがある。
●地球物理学者の故竹内均は「結婚するなら何代も続いている家」から嫁を貰えと言っていた。その理由は「何代も続く家には『倫理』があるから」と言った。これ真理。
●かって大切な建築主から「嫁さがし」を依頼された。会社の役員たちに相談したところ、「東京にはいない。城下町から探せ」と言われた。そして九州の某城下町から候補が上がったが不成立。しかし後に御自分の関係筋で結婚されそのお子様たちは皆教会学校に通っている。
●城下町の女性必ずしもよくない。「神はそこらの石ころからでもアブラハムの子供を起こす」(マタイ3;9)
●不信者の家でも崩壊しないのは「神の忍耐」が原因。
●国の守りは神ご自身による。ロシアはナポレオンにもヒットラーにも「後退につぐ後退」で冬将軍によって勝利。チャイコフスキーの大序曲「1812年」の最後は教会の鐘がガンガン鳴り響く。

塚本訳 マタ 7:24-27
7:24 だから、以上のわたしの話を聞いてそれを行う者は皆、岩の上に家を建てた賢い人に似ている。
7:25 雨が降って、大水が出て、風が吹いて、その家に襲いかかったが、倒れなかった。岩の上に土台があったからである。
7:26 また、わたしの話を聞くだけでそれを行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。
7:27 雨が降って、大水が出て、風が吹いて、その家にうちつけると、倒れてしまった。ひどい倒れ方であった。」

●これは行為主義の薦めではない。「山上の説教」(マタイ5-7章)は救われた者の道徳である。だから神の祝福がない人は砂の上に家を建てたようなものだから。いつの日か崩壊するというのだ。
●27節の「大水」とは我々にとっては東北大震災による津波。
●それによって霊の目が開けば神の目的が成就。
●家庭の崩壊また同じ。肉の家庭が崩壊して「永遠の命」の目が開けば人生成功。

塚本訳 ヨハ 2:19-22
2:19 イエスは答えられた、「このお宮をこわせ、三日で造ってみせるから。」
2:20 ユダヤ人が言った、「このお宮を建てるには四十六年もかかったのに、あなたは三日で造るというのか。」
2:21 しかしイエスは自分の体のことを宮と言われたのであった。
2:22 だから死人の中から復活された時、弟子たちはこう言われたことを思い出して、聖書とイエスの言われた言葉と(が本当であること)を信じた。

●教会、エクレシアの土台は復活のキリストの霊。この土台がないとき教会、エクレシア(無教会)は幽霊。思想、死んだ先生の懐かし親睦会。土台がないから自然崩壊する。
●人の生涯また同じ。人生の土台は神にあるときに幸福。

塚本訳 Ⅰコリ3:10-13
3:10 わたしは戴いた神の(特別の)恩恵によって、熟練した棟梁として土台をすえた。他の人がその上に建ててゆく。だが建て方は、その人その人が気をつけるべきである。
3:11 なぜなら、(すでに)置かれている(ただ一つの)もののほか、他の土台をだれもすえることは出来ないのだから。──この土台はイエス・キリストである。──
3:12 ある人がこの土台の上に金、銀、宝石、(あるいは)木、草、藁で建てれば、
3:13 それぞれの仕事(が金か藁か)は、かならず明らかになる。(最後の裁きの)かの日がそれを明らかにするのである、その日は火で現われるから。そしてそれぞれの仕事がどんなであるかを、その火が試験して証明する

●内村鑑三はイエス・キリストに土台を据えた。
●内村の日本のキリスト教界に残した最大の貢献は「正統信仰」である。彼はブレなかった。
●内村は正統信仰の権化。だから教会側から尊敬されている。
●ところが12-13節にあるように、その上に建てられた建物は「草」ないし「藁」。キリストと仏教の混血の奇形がかなり現れる始末。「西田哲学」「禅」とキリスト教の混血。
●キリスト教と仏教の混血児の研究は個人としてはよいが、公的な学校で教えるのは問題。
●八木誠一はキリスト教から出発したが、禅の悟りを開いて仏教に傾倒。しかしNET情報では最近は再びキリスト教に回帰したと言われる。「、その後超越者の存在を強く打ち出しユダヤ=キリスト教路線へもどってきている。」(Wikipedia)
●無教会の地盤(八木誠一の父親は塚本門下)からこういう学者が排出するのは教派の神学に縛られない「無教会の自由」の象徴でよいが、果たして人は罪から救われるのか。手放しで喜べるのか。塚本の流れと言えば「神の幕屋」の手島郁郎もいる。現在「無教会」よ言えばイコール「幕屋」と認識される傾向がある。困った、困った。
●内村ー塚本ー黒崎などの父祖の信仰は「正統信仰」。我々はこれを継承する義務がある。それは2000年続く「使徒信条」である。 

塚本訳 ヨハ 5:39-40
5:39 あなた達は聖書(旧約)をもっていることが永遠の命を持っていることのように思って、それを研究している。ところがこの聖書は、(永遠の命である)このわたしのことを証明しているのに、
5:40 あなた達はその命を得るためわたしの所に来ようとしない。

●プロテスタント(無教会)は「聖書、聖書」と言うが、そこに命が無いとすればどこに行けばよいのか。
●「わたしの所」とはどこか。現在無教会では若者たちがどの集会に逝くべきか迷っている。「無教会難民」と言われている。


塚本訳 Ⅱコリ3:6
3:6 神はわたし達に、新しい契約のための世話役、(すなわち古い契約にある律法の)文字のためではなく、(神の)霊のための世話役たる能力をお与えになったのである。文字は殺すが、霊は命を与えるからである。

●神の霊が命を与える。神の祝福が人にゆるぎなき土台を与える。人間の側の「選び」でなく、神の「選び」である。

塚本訳 マタ 21:42
21:42 イエスは彼らに言われた、「あなた達は聖書で(この句を)まだ読んだことがないのか。──『大工たちが(役に立たぬと)捨てた石、それが隅の土台石になった。これは主のなされたことで、われわれの目には不思議である。』

●これは「人間はキリストを捨てたが・・・」という所ではなく、「神が土台石を据えた」というように読むべきである。
●「隅の土台石」(塚本訳)「親石」(新共同訳)「コーナーストーン」(NKJV)は普通地面の下の見えない部分の石と解されている。一方石造の門のアーチの中央の楔形の石は「キーストーン」といい。高いところにあるので皆が仰ぐ。注解の中にはキーストーンは復活のキリストなのだというのもある。全新約聖書の観点からすればこの方がしっくりする。「われわれの目には不思議である」という言葉にも合致するからである。また前記ヨハネ2:21-22とも合致。しかしどちらでも「大切なもの」には変わりない。TEVでは「the most important of all.」である。
●復活はイエスが高く引き上げたもの」である。

塚本訳 ピリ 2:8-9
2:8 自ら謙り、死に至るまで、(然り、)十字架の死に至るまで(父なる神に)従順であり給うた。
2:9 それ故に神も彼を至高く上げ、凡ての名に優る(「主」なる)名を与え給うた。


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朝の黙想終わり。神の霊に教えられなければ何事も始まらない。
 
●今日の妻は忙しい。千駄ヶ谷社会教育会館に部屋の借用申込み、中野駅で愛子に手作りの柏餅を渡す。今井館ウィークデーの集い。今井館の戸棚整理。
●TSK日本語版作成、サムエル記上11章。
●図書館で借りたDVDでNHK名曲アルバムを2本鑑賞。音楽家は苦労する。
●シューベルトの交響曲第8番「未完成」は死後40年してから楽譜が発見されて有名になった。バッハのマタイ受難曲は死後100年。
●バッハが活躍したライプチッヒの聖トーマス教会はバッハを忘れた時があったそうだ。
●真にすぐれたものは本人の死後、神によって人類に見いだされるものだ。キリストの死の意味も同じ。信者の生涯また同じ。
●図書館にCDを借りに行く。

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秋留台公園運動場。私達の人生も第4コーナーを回った。 前へ、前へ、永遠の命を目指せ。

塚本訳 ヘブ 12:1
12:1 それゆえ、わたし達も、こんなに雲のような(大勢の)証人に囲まれているのであるから、(信仰の障害となる)すべての煩わしさと、すぐにからみつく罪とをぬぎすてて、
わたし達の前に置かれている競走を、忍耐をもって走ろうではないか。

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我が家のべランダに白い葵(ゼラニウム)が咲いた。

文語訳 マタ 6:28-30
6:28 又なにゆゑ衣のことを思ひ煩ふや。野の百合は如何にして育つかを思へ、勞せず、紡がざるなり。
6:29 されど我なんぢらに告ぐ、榮華を極めたるソロモンだに、その服装この花の一つにも及かざりき。
6:30 今日ありて明日、爐に投げ入れらるる野の草をも、神はかく装ひ給へば、まして汝らをや、ああ信仰うすき者よ。

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家の玄関わきに石楠花(しゃくなげ)が咲いた。
その昔、KYさんが西沢渓谷の石楠花は素晴らしいと教えてくださったので妻と出かけたが、時期が外れたせいか多くは見られなかった。KYさんは今頃どうしておられるだろうか。

口語訳 詩  103:15-16
103:15 人は、そのよわいは草のごとく、その栄えは野の花にひとしい。
103:16 風がその上を過ぎると、うせて跡なく、その場所にきいても、もはやそれを知らない。



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人生の旅と出会い ++++++++ 所感

2013/05/14 05:44

130514(火)夜半に一度目覚めてまた寝て5時起床。●その間になぜか長男と次男がまだ小さいころに一緒に遊んだ夢を見た。二人ともそして残りの二人もそれぞれ親元を離れて「旅に出た」。●私の知人のKNさんは趣味の欄に「旅」と一文字書いた。これは印象的であった。●人間の趣味は人それぞれであるが、総ての人に共通のことは「人生の旅」をする宿命を負っていることだ。●ヘルマンヘッセの小説の全世界の出版部数の三分の一は日本。これはヘッセの小説の根底には「旅(人生の)」という思想があるからだと指摘したのは作家の古井由吉(芥川賞受賞。ドイツ文学者)。●人生を旅として見ることは人生を「時間軸」でみることで人生を相対化することでもあり、宮沢賢治の「雨にも負けず」の次の一節にも通じる「有益」な人生観である。

「北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろと言い」

● そこで今朝は聖書から「人生の旅」について黙想してみよう。

口語訳 ヨブ 1:21
1:21 そして言った、/「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」

●人間は必ず一人の「母」から生まれる。人は母を選べない。母の胎から出るk時、人生の始まりである。
●塚本先生が結婚2年目で御夫人に先立たれたとき、涙が枯れ果てたという。そのとき先生は「自分は一人でが母の胎から出たのではないか」と悲しみをこらえた。

口語訳 エレ 1:5
1:5 「わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、あなたを知り、あなたがまだ生れないさきに、あなたを聖別し、あなたを立てて万国の預言者とした」。


●「子供を作る」「子供を作らない」「人の卵子や精子をもらって子供を産む」などの概念は神なき世の不遜な考え。人間の誕生を「技術」下のこととしている。神なき世の暗さ。
●人の誕生は先ず神の思いのうちにある。建築設計は初めに「発想」がある。あとはその実現のための「技術」である。だから子供が授からないことも神のご計画のうち。神は先刻ご存知。

塚本訳 ヨハ 13:2-5
13:2 (祭の前日の)夕食のとき、すでに悪魔はシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを売ろうとする考えを吹き込んだ。
13:3 イエスは、父上が一切のものを自分の手におまかせになっていること、また自分が神のところから出てきて、(今また)神に帰ってゆく(身の上である)ことを知りながら、
13:4 夕食の席から立って、上着をぬぎ、手拭を取って腰に巻かれた。
13:5 それから盥に水を入れて、ひとりびとり弟子たちの足を洗っては、(腰に)巻いた手拭で拭き始められた。

●イエスは人の罪の身代わりで死ぬために生まれて父なる神の「発想」を成し遂げて帰られた。これイエスの人生の旅であった。


塚本訳 ガラ 1:15
1:15 しかし『わたしが母の胎内にいる時から』(すでに)わたしを聖別し、また恩恵によって『召された』お方[神]が、


●パウロは母の胎内にいるときから聖別されていた。うらやましく思ったり「予定説」などの考えも生まれるが、パウロが自分でこういう時には「多くの苦難も乗り越えて行こうとする気迫を感じる。自分で自分を励ましているのだ。 神学は歌。


塚本訳 使  13:46-47
13:46 そこでパウロとバルナバとは公然こう宣言した、「神の言葉は(お約束どおり)まず第一に、君たち(ユダヤ人)に語られねばならなかった。(だから、そうしたのだ。)しかし君たちがそれをはねつけ、自分で自分を永遠の命にふさわしからぬ者とするので、それでは、よし、異教人(の伝道)へ方向をかえる
13:47 主はこのようにわたし達(伝道者)にお命じになっているから。『わたしはあなたを立てて異教人の光にした、あなたが地の果てまで救いを伝えるために。』」

●パウロはエルサレム本山を捨てて旅に出ることにした。人生の方向転換をした、否させられた。俗悪で悪臭紛々、頑迷固陋で先の見込みのないエクレシアを捨てた。
●神は人にここぞと思う時に「人生の方向転換」を迫る。イエス、パウロ、パスカル、シュヴァイツァー、皆若いときだ。人生の栄達をかなぐり捨てた。貧乏した。天で褒美が待っている。


塚本訳 Ⅱコリ11:23-30
11:23 キリストに仕える者だというのか、気違いになって言う、わたしはもっとそうだ。(伝道の)苦労において(彼らより)なお一層、牢屋に入れられることにおいてなお一層、打たれることにおいて(彼らより)もっともっと、死の危険において度々だ。
11:24 ユダヤ人から「四十マイナス一」の笞の刑を五度受けた。
11:25 (ローマの)笞で打つ刑を三度受けた、一度石打ちされた、三度難船し、一度は一昼夜漂流した。
11:26 度々旅行して、川の危難、強盗の危難、同国人の危難、外国人の危難、都会の危難、荒野の危難、海の危難、偽兄弟の危難に遇った。
11:27 苦労し辛苦した、度々徹夜し、飢えまた渇いた、度々絶食し寒く着る物がなかった。
11:28 (その上、)ここで言えないことは別として、毎日わたしに押し寄せる(山のような)事件、すべての集会のための心配。
11:29 ああ、だれかが弱って、わたしが弱らないことがあるか、だれかが罪にいざなわれて、このわたしが(悲しみに)燃えないことがあるか。
11:30 (ああ、なんと弱い人間であろう!なんの誇りがわたしにあろう!)もし(使徒の権威を示すために)自慢せねばならないなら、わたしは自分の弱いことを自慢しよう。


●パウロは3回伝道旅行をした。その旅は苦難の連続。何故に?。罪の暗闇から救い出して下さった、主イエスキリストへの愛のため。
●28節の「すべての集会のための心配」という苦難もあった。これは牧師伝道者にとっての悩みに対する慰めである。現代的には家庭の難、夫の難、妻の難、子供の難、親の難、エクレシアの面々の不信仰の難。・・・・パウロは鞭を打たれたり、石打ちをされたが我々はそれまでの苦難がないではないか。
●いやな人がいれば「あの人にはいいところ『も』ある」と思えばよいと私に教えてくださった信仰の先輩が3人いる。 人生の悩みは良いアドバイザーとの「出会い」が重要。それは求めていれば与えられる。
●恋愛は2年で冷める。恋愛で結婚して2年もして冷めると、「ドロドロ」になる。そういう時は「夫(妻)は70点でよい、70点でよい」と心に念じればよい。いやなことがあったら「70点!、70点!」。しかし現実には「0点の夫(妻)子供、信者」の難に遭う。しかし「0点」でも死んだよりは良いとしなければならない。なぜか。祈りの対象が与えられているからだ。
●牧師伝道者で一番がっくりするのは「伝道の言葉」が人に聞いて貰えない時である。

塚本訳 マタ 10:12-14
10:12 家に入ったらば、まず平安を祈れ。
10:13 もしその家が(その祈りをうけるのに)ふさわしければ、あなた達の(祈った)平安はかならずその家に臨み、もしふさわしくなければ、その平安はあなた達にもどってくる。(そしてあなた達のものとなるのである。)
10:14
しかし人があなた達を歓迎せず、あなた達の言葉に耳をかたむけないなら、(すぐ)その家なり町なりを(出てゆけ。そして)出てゆくとき、(縁を切った証拠に)足の埃を払いおとせ。

●これは弟子たちの伝道旅行の心得。
●「こりゃーダメだ」と思ったら深追いせず「足の塵を払いおとせ。」とは塚本敷衍によれば縁切りのしぐさ。塩をまいて去れ。救われる人は神が下さる。(ヨハネ6:37,39)
●「クソーッ、今に見てオレ.期待したオレが馬鹿だった」などと思わないで、拒否した人や家庭の救いを祈りながら逃げるのだ。ジェントリーに引くのだ。自戒。
●伝道は「パンを水の上に投げる」ようなものだ。すぐの応答を期待してはならない。
●応答がないのは伝道の宿命、悲哀、嘆き。
●関根正雄訳の旧約全巻が教文館から出版されたが反応は少なかった
●信教出版社版の塚本虎二訳。無教会は聖書を読まなくなった!!。
●この二冊、いずれも重くて持ち運びに不便。出版企画設計の失敗。周知を集めてチームプレーをしない無教会の大欠点。
●その昔、高橋三郎先生にお手紙を差し上げたら「応答、ありがとう」という言葉を頂いた。伝道者の悲しみと喜びを感じた。

口語訳 伝  11:1
11:1 あなたのパンを水の上に投げよ、多くの日の後、あなたはそれを得るからである。

●「多くの日の後」は真理。なぜか。人間が諦めて放棄しても真の造り主の神は捨てないから。

塚本訳 Ⅱコリ2:14-17
2:14 しかし神に感謝せねばならない。神はいつでもわたし達をキリストによる凱旋行列に(虜として)引き回し、至る所でわたし達を通して御自分を知らせる知識の薫りをお広めになる。
2:15 というのは、わたし達は救われる者の間でも、滅びゆく者の間でも、神にささげられるためのキリストのよい薫である。
2:16 ある者には、死から死へみちびく薫であるが、ある者には、命から命へみちびく薫りである。(ああ、)一体だれにこんなことが勤まろう。
2:17 ──わたし達はあの多くの人たちのように、神の言葉を売り物にするようなことをしない。いやそればかりか、純心な心からする者として、いや、神につかわされた者として、神の前に(責任をもち、)キリストにあって、語っているのである。

●私のブログは神に血祭りにされた男の「見世物」である。凱旋行列に引き回されているのだ。
●覗き見する多くの人は「救われる者か滅びゆく者」か知らない。パウロの悲壮感が分かる。
●応答なくて結構。笑われて結構。批判されて結構。つばをかけられて結構。ケチをつけられて結構。訴えられて結構。言うべきことは一方的に語る。「今にわかる。今に分かる。最後の審判で分かる」「神の恩恵がわかる」

塚本訳 ヘブ 11:13-16
11:13 信仰に従い、これらの人たちは皆、(地上では)約束のものを受けずに死んだのである。彼らはただ遠くからそれを眺めて歓迎し、自分たちは、『この地上では外国人であり、旅の者』であると認めた。
11:14 このように(自分を外国人、旅の者と)言う人々は、(ほかにある)自分の国を追及していることを現わしているからである。
11:15 もしも彼らが出てきた所、(すなわちカルデヤのウル)のことを思ったのであったら、(いくらも)引き返す機会があったはずである。
11:16 しかし今や彼らは(地上のものに)まさる天の国を熱望しているのである。だから神も、彼らの神と言われることを恥とされない。彼は彼らのために(天に)都を用意されたのであるから。

●我々のゴールは天の都。マラソンランナーは身軽。我々も多くの荷物をかなぐり捨てて走ろう。後ろ(思い出、比較)を振り返らずに前を向いて走ろう。イエスは死の場所エルサレムが近

塚本訳 ルカ 9:51
9:51 イエスは(いよいよ)昇天の日が迫ったので、決然としてその顔をエルサレムへ向けて進み、

●イエスは決然として顔を固く死に場所エルサレムに向けた。決死隊、特攻隊、片道燃料。男一匹、このような生き方をすべきだ。会社を振り切り、妻子を振り切り、世の栄達を振り切り、然り、自分の人生を振り切るべきだ。

塚本訳 ロマ 8:24-25
8:24 なぜなら、わたし達は(最後の日に救いが完成されるという)望みをもって、救われているからである。目に見ることのできる望みは望みではない。人はいま現に見ているものを、なんでその上望む必要があろうか。
8:25 しかしわたし達が
見ていないものを望むとすれば、忍耐をもって待たねばならない。

塚本訳 ロマ 8:18
8:18 (しかもこの苦しみは恐れることはない。)なぜなら、わたしはこう考える。
今の世の苦しみは、わたし達に現われようとしている栄光(──キリストと一しょに神の国の相続人になる最後の日の大いなる光栄──)にくらべれば、言うに足りない。


●我々はパウロの最後の様子を知らない。伝説では「殉教」したのだという。パウロにとって肉の苦しみは瞬時。パウロに旅は栄光のゴールであった。
●「人生は神を知ることによって始まり、知って終わる」。(塚本虎二)。この言葉は私の人生観を決定した。よい出会いであった。

塚本訳 ガラ 1:4
1:4 キリストはわたし達の父なる神の御心にしたがい、わたし達を悪い現在の世から救いだそうとして、わたし達の罪のために自分を与え(て十字架につけ)られたのである。

●「悪い現在の世」にぽてこのことを知ることが人生の目的であり、ゴールである。

塚本訳 ロマ 8:28
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである

●人生の長旅のゴタゴタはこれすべて「救いに役立つ」ようにできている。一見、神は「むごいことをするなー」と思われることでも。これことごとく我々の魂の救い、永遠の命を与えられるためである。

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朝の黙想終わり。このブログを「覗き見」する人総ての上に神の恩恵の祝福が豊かにありますように。

●次回感話「永遠の命は確実である」の原稿。
●TSK日本語版作成。サムエル記上10章。
●図書館にCDを借りに行く途中、秋留台公園のバラを見る。

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秋留台公園のバラ園全景


口語訳 創  2:8
2:8 主なる神は東のかた、エデンに一つの園を設けて、その造った人をそこに置かれた。


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写真撮影の上手そうな人(高級なカメラを持っている)に撮影してもらった。
そういう人は構図を作るのに時間をかける。左側の写真機は撮影者のもの。
人物を中心に置かないないところがさすがだ。

口語訳 創  2:15
2:15 主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。


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シャルルドゴールという名前のフランスのバラ。色がすばらしい。しかしこういう「あでやか」な女性を妻にする男は振り回されて不幸になる。バラの美しさは「つかのま」。

口語訳 箴  31:30
31:30 あでやかさは偽りであり、美しさはつかのまである、しかし主を恐れる女はほめたたえられる。






 













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悩みの日に ++++++++ 所感

2013/05/13 07:54

130513(月)午前2時半に一時目覚め。その時の啓示「悩みの日に我を呼べ」

口語訳 詩  50:15
50:15 悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう」。

●私は妻子に財産は残せないが残せるとしたらこの言葉である。これが遺言である。なぜか。神こそ最大最高の財産なのだ。永遠の命なのだ。関連聖句を掲げる。

塚本訳 使  3:6
3:6 ペテロが言った、
「金銀は持っていない。わたしの持っているもの、それをやろう。──ナザレ人イエス・キリストの名で歩きなさい!」

●私の財産は77坪の土地のみ。遺言でこれは全部妻に相続する。「子に美田は残さず」。子に美田を残すと子は堕落する。ルカ15章の「放蕩息子」の父は財産を次男に生前贈与して堕落させた。私に預貯金なし。本とCDは金にならない。遺産は「信仰」。岩下壮一に「信仰の遺産」という本があるがよい言葉だ。


塚本訳 Ⅰコリ3:22-23
3:22 パウロでもアポロでもケパでも、世界でも命でも死でも、現在起こっていることでも将来起こることでも、万物はあなた達のものである
3:23 しかしあなた達はキリストのもの、キリストは神のものである。

●集会の故OYさんは、年金生活で豊かではなかったが友人から「あなたは大金持ちのような顔をしている」といわれたという。
●日本の伝道者T氏がナイアガラの滝を見学したとき、傍にいた外国人が「この滝は誰の所有なのだろう」と言うとT氏は「これは親父(神のこと)のものです」と言ってその外国人を驚かせたという。


塚本訳 マタ 16:26
16:26 たとい全世界をもうけても、命を損すならば、その人は何を得するのだろう。それとも、人は(一度失った永遠の)命を受けもどす代価として、何か(神に)渡すことができるのだろうか。
 

●尖閣列島の領有権で中国との仲が冷えている。過日ブログで「アノ島は中国にあげたらいい。あの島なくても日本は生きていける」と書いたら、某氏(名前からして中国人か。あるいは韓国人か)かれメールで「あれはもともと中国のもの『あげる』というものではない」と言ってきた。だから政治問題は嫌いなのだ。「もともとは神のもの」だ。

塚本訳 マタ 6:31-33
6:31 だから、『何を食べよう』とか、『何を飲もう』とか、『何を着よう』とか言って、心配するな。
6:32 それは皆異教人のほしがるもの。あなた達の天の父上は、それが皆あなた達に必要なことをよく御承知である。
6:33 あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう

●私の知る範囲での独立伝道者は餓死しなかった。その子弟は父親の真剣なる生き方に感じて「よく育った」。
●独立学園が火災になったとき、全国から援助物資が集まって来たので分けるくらいであったという。
●私の家が全焼したときも間髪を入れずに物資が送られてきた。ふかふかの布団が届けられた。隣地の地主から「土地を売ってほしい」と申し出があった。キリスト信者ではないそのN氏は故人になられた。その墓はあきる野市内の仏教の寺にある。神は困っている人には総動員して援助して下さる。

塚本訳 マタ 11:27-29
11:27 ──(知恵も力も、その他)一切のものが父上からわたしに任せられた。父上のほかに、子(であるわたし)を知る者は一人もなく、また、子と、子が(父上を)あらわしてやる者とのほかに、父上を知る者は一人もない。
11:28 さあ、疲れている者、重荷を負っている者はだれでも、わたしの所に来なさい、休ませてあげよう。
11:29 わたしは心がやさしく、高ぶらないから、わたしの軛を負ってわたしの弟子になりなさい、そうすれば『魂の休息が得られよう。』

●永遠の命は神の絶対主権で「あらわして」下さる。勉強ではわからない。神学ではわからない。
●人間が求めるのは常に「魂の休息」である。それは金では買えない。

口語訳 詩  56:13
56:13 あなたはわたしの魂を死から救い、わたしの足を守って倒れることなく、いのちの光のうちで神の前に/わたしを歩ませられたからです。

●黙示録には「第二の死」という霊魂の死がある。(黙示2:11、20:6、20:14,21:8)
●キリストの十字架はその魂を死から救う。

口語訳 詩  94:18
94:18 しかし「わたしの足がすべる」と思ったとき、主よ、あなたのいつくしみは/わたしをささえられました。

●受験に失敗することを「滑った」という。人生滑らないことはいいことだが、滑って泣くほうがより深くなる。人に対して無言で「慰め」の存在になれる。
●「受験に成功した人には『おめでとう』と言う。しかし失敗した人にも『おめでとう』と言いたい」。これは塚本虎二先生の言葉であるが、これは「受験」を「人生」に読みかえるべきだ。

口語訳 詩  119:105
119:105 あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道のです。

●原子力の活用で物理的な明かりはあっても日本人の「心は闇」だ。
●妻とお見舞いするHTさんは「全盲」かつ「難聴」。それでも「ナンノコレシキ」と言って顔は輝いている。心に神の光を浴びておられるのだ。

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朝の説教(?)終わり



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クリスチャンの人生の目的 ++++++++ 所感

2013/05/12 06:24

130512(日)4時15分目覚め●朝の啓示「クリスチャンの人生の目的」

塚本訳 マタ 21:16
21:16 イエスに言った、「あの子供たちがなんと言っているのか、聞えているのか。」イエスは言われた、「聞えている。あなた達は『(神よ、)あなたは幼児と乳飲み子との口によって、(御自分のために)賛美をお備えになった』と詩篇にあるのを、まだ読んだことがないのか。(大人が黙っているから、子供が叫ぶのだ。)」

●「幼児と乳飲み子との口によって、(御自分のために)賛美をお備えになった」とは深い真理だ。
●バッハのマタイ受難曲の一部に少年合唱があるのは意義深い

口語訳 詩  8:2
8:2 みどりごと、ちのみごとの口によって、ほめたたえられています。あなたは敵と恨みを晴らす者とを静めるため、あだに備えて、とりでを設けられました。

●子供の結婚に反対していた親も孫の顔を見ると「神は認めた」と思うものだ。神の思いは人間より上だ。


塚本訳 マタ 11:25
11:25 その時イエスは声をはげまして言われた、「天地の主なるお父様、(神の国の秘密に関する)これらのことを(この世の)賢い人、知恵者に隠して、
幼児(のような人たち)にあらわされたことを、讃美いたします。
 
●無教会に教会学校がないのは、大欠点。先がない。


口語訳 詩 19:1-4
19:1 もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。
19:2 この日は言葉をかの日につたえ、この夜は知識をかの夜につげる。
19:3 話すことなく、語ることなく、その声も聞えないのに、
19:4 その響きは全地にあまねく、その言葉は世界のはてにまで及ぶ。
神は日のために幕屋を天に設けられた。

●子供は存在だけで「語らず言わず」神を賛美している。


塚本訳 ヨハ 1:14
1:14 この言葉は肉体となって、(しばらく)わたし達の間に住んでおられた。(これが主イエス・キリストである。)わたし達はその栄光を見た。いかにも父上の独り子らしい栄光で、恩恵と真理とに満ちておられた。

●昨日聴いたバッハの「ヨハネ受難曲」の指揮者黒岩英臣はカトリックの修道生活10年の経歴があるという理由で、その音楽性に信頼がおける。私はファンである。前から二番目の少し横の席はよかった。氏の顔が良く見えた。顔に神の栄光が現れていた。


口語訳 エゼ 20:9
20:9 しかしわたしはわたしの名のために行動した。それはエジプトの地から彼らを導き出して、周囲に住んでいた異邦人たちに、
わたしのことを知らせ、わたしの名が彼らの目の前に、はずかしめられないためである。
 
●クリスチャンは文化の内部に生きる。その存在だけで神を賛美しているこおtになる。

口語訳 創 18:32
18:32 アブラハムは言った、「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。わたしはいま一度申します、もしそこに十人いたら」。主は言われた
、「わたしはその十人のために滅ぼさないであろう」。

●家でも職場でも国でも一人でもクリスチャンがいれば家、職場、国は清まる。
●鴎友学園が経堂聖書会の集会を自分の学校を使ってください。そうすればこの学校は清まりますと言われたという。

塚本訳 Ⅰコリ7:12-14
7:12 しかしそのほかの人たちに、わたしが言う、主ではない。ある兄弟が不信者の妻を持ち、彼女が彼と一しょに生活することを喜ぶなら、離婚してはならない。
7:13 また、不信者の夫を持ち、その夫が彼女と一しょに生活することを喜ぶ場合の妻は、夫と離婚してはならない。
7:14 (夫婦は結婚生活で一体となるため、)不信者の夫は(信者の)妻によってすでにきよめられており、不信者の妻は兄弟(すなわち信者の夫)によってすでにきよめられているからである。そうでなければ、あなた達の子供は清くないはずであるが、現に彼らはきよい(と認められている)ではないか。

●家の中に一人でもクリスチャンがいれば他はどんなに「まずい」人間たちでも一家は清められる。

塚本訳 ヨハ 4:20-21
4:20 (それでお尋ねしたいのですが、)わたし達の先祖はこの(ゲリジム)山で(神を)礼拝したのに、あなた達(ユダヤの人)は、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。(どういう訳でしょうか。)」
4:21 イエスが言われる、「女の人、わたし(の言葉)を信じなさい。(間もなく)あなた達が、この山でもエルサレムでもなく(どこででも、)父上を礼拝する時が来る。

●エクレシアの存在はどこでも可能だが、問題はその信仰の中身。正統信仰を逸脱してこの世の遊びにどっぷり人間ならば百害あって一利なし。
●現代プロテスタント教会、無教会に「礼拝」の雰囲気なし。宗教性なし。おしゃべりばかりで安らぎはない。 エクrウェシア(集会)は老人の親睦団体、仲良しクラブではない。


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午前4時半。東の窓を開ける

讃美歌66番を心で歌う


聖なる聖なる、聖なるかな
三つにまして 一つなる
神の御名をば あさまだき
おきいでてこそ ほめまつれ

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朝の一人礼拝(黙想)終わり

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今日は「母の日」。


●7:55 妻と 礼拝に出発。
●10:00 集会は茂木(司会)、小寺(エペソ書の紹介・・塚本虎二講演)、山本(第二コリント11章)
●14:00 明星フィルハーモニー管弦楽団第35回定期演奏会(於・キララホール)
ヴェートーヴェン、コリオラン序曲
ヘンデル、水上の音楽
ヴェートーヴェン、交響曲第7番

●学生オーケストラなのに素晴らしい演奏であった。聴衆が少ないのはもったいない。
●交響曲7番の最後は盛り上がって終わるので、思わず「ブラボー」と叫んだ。演奏者はこの応答の声を聞くと練習の労が癒されるということを聞いている。
●それにしてもわが町のキララホールの音響は素晴らしい。佐藤総合計画の設計、音響設計は世界的な永田穂。

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明星フィルハーモニー管弦楽団第35回定期演奏会。
素晴らしい音響のキララホール。特に後ろから5列目ぐらいが最高。
 




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「祈りが出来る人」に育てよ ++++++++ 所感

2013/05/11 07:53

130511(土)5時目覚め●朝の黙示「祈りが出来る人」●子供には「祈ること」を教えるべきだ。現代人は自分の子供に健康で頭がよく良い学校また良縁を求めて努力奔走するが、人間として一番大切な「神に祈る」ということを教えるこrとに欠けている。だから純粋な子供は獣のように育ち、人間の愛を求めてイケメンや美人を結婚相手に選んで人生失敗する。●ある聖書関係の本(失念)の扉に「祈ることを教えて売れた両親に」と献呈の言葉が書かれていた。こういう人の書いた本は内容が安心である。●「祈り」を熱心にしないクリスチャンは決まって目つきが悪い。常に天下国家の罪を断罪する。思想戦をする。それが信仰の行為だとトンチンカンな考えをしている。ジェンダー論やフェミニズム論を振りまわして男を斬りまくる。しかし空を斬っている。むなしい。●私としては孫が声を出して祈るようになったことがうれしい。●福音の伝承とは夫婦そろっての宗教的生活の感化である。それなくして子供はも獣的に育ち、真の安らぎはない。野の獣は何か食べるものはないかと四六時中餌を見つけている。目が地面に向いている。ニワトリの歩き方である。それは地上のことばかりに目を向けているクリスチャンの態度にそっくりだ。そういう人間のもとに子弟を送り込むことは出来ない。●祈りというのは人間の力の及ばないことがあるという認識である。この認識のない人はかなり教養がない。民度が低い●私は35歳の時に建設会社から建築設計事務所に招かれたが、その理由の一つに「高橋は祈ることが出来る人物」ということがあった。母船からキャッチャーボートに飛び移るようで経済的不安があったが、「神の招き」と信じて飛び込んだ。しかし招いてくださった人は故人になられた●信仰は飛び込みである。●人間は祈ることを熱心に行うべきであることに関連する聖句を掲げてみよう。

塚本訳 ルカ 11:1
11:1 ある所で祈っておられた時のこと、それがすむと、ひとりの弟子が言った、「主よ、(洗礼者)ヨハネが弟子たちに教えたように、わたし達にも祈りを教えてください。」

●これは人間として最高の質問である。

塚本訳 ヨハ 4:20-24
4:20 (それでお尋ねしたいのですが、)わたし達の先祖はこの(ゲリジム)山で(神を)礼拝したのに、あなた達(ユダヤの人)は、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。(どういう訳でしょうか。)」
4:21 イエスが言われる、「女の人、わたし(の言葉)を信じなさい。(間もなく)あなた達が、この山でもエルサレムでもなく(どこででも、)父上を礼拝する時が来る。
4:22 ただ(同じ神を、)あなた達は知らずに礼拝し、わたし達は知って礼拝している。救いはユダヤ人から出る(のでわたし達だけに神が示された)からである。
4:23 しかし(ユダヤ人もサマリヤ人もなく、)本当の礼拝者が霊と真理とをもって父上を礼拝する時が来る。いや、今もうきている。父上もこんな礼拝者を求めておられるのである。
4:24 神は霊である。だから礼拝者も霊と真理とをもって礼拝せねばならない。」

●ここに5回も「礼拝」という言葉が連続で出てくる。
●人間として最高の「文化」は礼拝である。それは高度なことである。
●この世は物質と金だと教えられている子供は不幸。獣に育つ。
●アノ田川建三の勉強会(牧師が集まるというから驚き)は「祈り」をしないそうだ。つまり大脳皮質の雑学肥大が目的、これではいくら高度な学問話をしても栄養価がない。
●現代無教会の集会も礼拝性が欠如。やたらに知識の増大、天下国家の批判、思想的断罪。プロテスタント教会また同じ何かというと「遊び」。


塚本訳 ルカ 18:1-8
18:1 なお、気を落さずに常に祈るべきことについて、一つの譬をひいて弟子たちに話された、

・・・・

18:6 それから主は言われた、「この不埒な裁判官の言うことを聞け。
18:7 (こんな男でもこのとおり。)まして神が、夜昼叫んでいるその選ばれた人々のために仕返し(の裁判)をせず、気長に放っておかれることがあろうか
18:8 わたしは言う、間もなく彼らのために仕返しをされるであろう。しかし人の子(わたし)が来るときに、はたして地上に信仰(をもつ人)が見当るだろうか!」

●神を信じていないと「気を落とす」ことになる。

塚本訳 マタ 6:31-33
6:31 だから、『何を食べよう』とか、『何を飲もう』とか、『何を着よう』とか言って、心配するな。
6:32 それは皆異教人のほしがるもの。あなた達の天の父上は、それが皆あなた達に必要なことをよく御承知である。
6:33 あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。


●医者、弁護士、牧師、建築家は「何か仕事ありませんか」と求め歩くことは出来ない。してもよいが効果は上がらない。
●人間、正しい職業観を持ってまじめに生きていれば生活に困らない。
●32節の「それは皆異教人のほしがるもの」は痛烈である。

塚本訳 ルカ 18:18-23
18:18 ひとりの(最高法院の)役人が尋ねた、「善い先生、何をすれば永遠の命がいただけるでしょうか。」
18:19 イエスは言われた、「なぜわたしを『善い』と言うのか。神お一人のほかに、だれも善い者はない。
18:20 (するべきことは神の掟を守ることだけで、)掟はあなたが知っている通り。──『姦淫をしてはならない、殺してはならない、盗んではならない、偽りの証言をしてはならない、父と母とを敬え。』(ただこれだけである。)」
18:21 その人が言った、「それならみんな若い時から守っております。」
18:22 イエスは聞いて言われた、「もう一つ欠けている。持っているものをことごとく売って、(その金を)貧乏な人に分けてやりなさい。そうすれば天に宝を積むことができる。それから来て、わたしの弟子になりなさい。」
18:23 彼はこれを聞き、しょげてしまった。非常な金持であったのである。

●22節。持っているもの(自我、知識、処世術、学歴、家系)を捨てるというのは「祈り」の姿勢に成れと言うことだ。
●大金が入ると男は女につぎ込む。これ幼いうちから宗教的雰囲気になかった証拠。情けないを通り過ぎて愚かな獣だ。
●「子供がよく育つのは「夫婦仲が良いことと貧乏であること」(塚本虎二)
●それに加えて親孝行をすることだ。なぜか。子は親の背中を見て育つから。親孝行しない性質はDNAとして子に遺伝する。その後どんな教育をしても無理、徒労。良い学校、良い就職をしても無理。良い結婚は出来ないのは目に見えている。自分の家庭が崩壊する。親を見ているから「平気で」義父義母に反抗する。

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朝の説教(?)終わり。自戒。

●8:45 今日は都心に出る
●教文館で本二冊。日本聖書協会のGLOというビジュアル聖書ソフト(2万1千円)を実演してもらった。聖書読者のニーズをつかんでないからおそらく売れない。
●日本基督講壇銀座教会で正午礼拝。帰り際に入り口で伊藤副牧師に挨拶。「私は塚本虎二先生に信仰を学んだ高橋と申します。21年前に召された父はこの教会で初めてキリストの神と出会いました」。伊藤副牧師は喜んでくださった。  

●14:00 池袋の東京芸術劇場でバッハ作曲「ヨハネ受難曲」を鑑賞

指揮 黒岩英臣 (桐朋卒、カトリックの修道士10年。宗教音楽家としての鍛え方が違う)
合唱 鯨 (約250名、創立47年の老舗。現在までほとんどが宗教曲)
オーケストラ  クライネ・コンツェルトハウス管弦楽団

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東京芸術劇場 芦原義信設計 池袋駅前

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入り口のアトリウム。空中の大エスカレーターは改造して壁際になってよくなった。

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1999席がほぼ満席。
教会は下火なのになぜこんなに集まるのか不思議であったが、プログラムに書いてあった団員の感想に納得。「神は信じないがバッハの曲には確かに神がいる」。つまりバッハの音楽に感動しているのだ。次の聖書の言葉を思う。

塚本訳 マコ 15:37-39
15:37 しかしイエスは(それを受けず)大声を放たれるとともに、息が絶えた。
15:38 (その途端に、)宮の(聖所の)幕が上から下まで真っ二つに裂けた。
15:39 イエスと向かい合ってそばに立っていた百卒長は、こんなにして息が絶えたのを見て、「この方は確かに神の子であった」と言った。

●この異教の百卒長は信仰が無かったが、何か得体のしれない宗教的感動を受けて「この方は確かに神の子であった」と言ったのだと解する。今日ヨハネ受難曲を感動して聞いた約2000名はバッハの音楽に不思議な宗教的感動をしたのであろうが、いつの日か聖霊を受けて本物の信仰に目覚めるであろうと思った。
●ステージの両袖に歌詞が表示されたのはよかった。何度も感動して胸が震え顔がゆがんだ。

第52曲コラール

わたしが苦しみ悩む時、そのお姿を現し、
わたしを慰めたまえ。
主キリストよ、おだやかに御みずから
血を流して亡くなられたそのお姿を。

第68曲コラール(終曲)

ああ主よ、あなたの御使いに命じ
わたしの最期のときには、わが魂を
先祖アブラハムの懐へ運ばせたまえ。
わたしの身体をその小さな寝床にそっと運び
最後の審判の日まで、苦しみも痛みもなく
安らかに休ませたまえ!
その日には、わたしを死の眠りから目覚めさせ
私が喜びに満ちた目で。貴方の御姿を仰ぎ
見ることができますように! おお神の子よ
私の救い主、恵みの王座よ!
主イエス・キリストよ、私の願をお聴き入れください!
私は永久にあなたを称えます!

●休憩時間に元東京聖書読者会のSN氏(以前鯨合唱団員)と御夫人に出会ったので「感動で泣きっぱなしですよ」と感想を述べた。
●極東の日本でしかも素人合唱団がよくぞこれまでと思う。 
●指揮者のカールリヒター(故人)は手兵のミュンヘンバッハ合唱団を創立するときにあえて「素人」を集めた。素人の方が声の質がよいという理由であった。合唱団「鯨」も全員素人だが、その水準は高い。
●讃美歌は喉でなく心で歌う時に感動する。






















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十字架は負うな。神が負ってくださる。 ++++++++ 所感

2013/05/10 09:14

130510(金)4時半目覚め●朝の黙想「十字架は負うな。神が負ってくださる。」●イエスは「自分の十字架を負って我に従え」という。

塚本訳 マタ 16:24
16:24 あとでイエスは弟子たちに言われた、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、自分の十字架を負い、それからわたしに従え。

●しかし実際のところ、負わされる十字架は重くて負いきれない。人にはそれだけの力がない。特に老年になると勢いがなくなる。若いうちはフットワークがあってすぐ動けたものだが、年をとるとそれもできない。
●そうなると十字架の重みに潰されるのみである。しかしそれでいいのかもしれない。
●聖書には重い十字架は神が負ってくださるとも書いてある。だからそれでいいのだ。それでいいのだ。それがいいのだ。

塚本訳 マタ 11:28-29
11:28 さあ、疲れている者、重荷を負っている者はだれでも、わたしの所に来なさい、休ませてあげよう。
11:29 わたしは心がやさしく、高ぶらないから、わたしの軛を負ってわたしの弟子になりなさい、そうすれば『魂の休息が得られよう。』

塚本訳 ロマ 8:26-27
8:26 しかし(創造物やわたし達神の子が苦しんでいると)同じように、御霊も、弱いわたし達を助けてくださる。すなわち、(神のみ心にかなうには)どう何を祈るべきかわからないので、御霊自身が、無言の呻きをもって(わたし達の祈りを神に)執り成してくださるのである。
8:27 しかし(人の)心を見抜くお方[神]は、御霊が何を求めているか、すなわち、御霊が神の御心にかなうように聖徒たちのために執り成しておられることを、(もちろん)御存じである。
 
塚本訳 ロマ 12:19-21
12:19 愛する者たちよ、自分で仕返しをするな、(裁きの日の神の)怒りにまかせよ。こう書いてあるではないか、「主は言われる、『仕返しはわたしのもの、』わたしが『報いをする』と。」
12:20 むしろ、『あなたの敵が飢えているなら、食べさせてやれ。渇いているなら、飲ませてやれ。こうするのはその頭に炭火を積むことであるから、(いつかは恥じて悔改める。)』
12:21 悪に勝たれるな、善によって悪に勝て。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●上記の聖句3か所に対するTSKを見て、心に慰めのあった箇所を掲げる。TSKはこういう時に役に立つ。
●「人は傷によって結びつく」と言われる。「悲しいときは悲しい音楽を聴け」とは日野原重明先生の言葉。これは同質の原理と言うのだそうだ。
●私の家が全焼したとき。私のことを高校生の時から知っていていてくださった故SYさんは電話の先で「神様はむごいねー」と泣いておられた。これ一番の癒しなぐさめである。「泣く者と共に泣け」であった。(ロマ12:15)
●精神の病の人に向かって励ましてはいけないと言われる。


口語訳 ヨブ 14:1
14:1 女から生れる人は/日が短く、悩みに満ちている。


塚本訳 マタ 12:19-20
12:19 彼は争わず、叫ばず、大通りにその声を聞く者もあるまい。
12:20 傷ついた葦を彼は折らず、くすぶる燈心を消さない、(わたしの)正義に勝利を得させるまでは。


塚本訳 ピリ 2:7-8
2:7 かえって自分を空しうして人と同じ形になり、奴隷の姿を取り給うたのである。そして人の様で現れた彼は、
2:8 自ら謙り、死に至るまで、(然り、)十字架の死に至るまで(父なる神に)従順であり給うた。


塚本訳 Ⅰペテ2:21-23
2:21 君達はこのために召されたのであるから。というのはキリストも君達のために苦しみ、君達をその足跡に随わせようとして模範を遺し給うたのである。
2:22 彼は(聖書にあるように)罪を』犯さず、その口には欺瞞が無かった』。
2:23 彼は悪口されても悪口し返さず、苦しめられても脅かさずして、正しく審き給う者に裁量を任せ給うた。


塚本訳 Ⅱコリ12:9-10
12:9 主は(その都度)言われた、「わたしの恩恵はあなたに十分だ。力は弱さの中に完成されるのだから。」、それでわたしはキリストの力がわたしに住みついてくださるように、大喜びで、むしろ(自分の)弱いことを自慢しよう。
12:10 それゆえわたしは弱いことを、虐待、艱難、また迫害と苦悩をうけることを、キリストの故に喜ぶ。わたしは弱い時には、(彼の力によってかえって)強いのであるから。


塚本訳 ヘブ 5:2
5:2 彼は自分自身も(人間で、彼が代って犠牲を捧げる人々と同様、人としての)弱さを身に帯びているので、無知の人々、また(罪に)迷う人々を思いやることが出来るのである。


口語訳 詩  6:4
6:4 主よ、かえりみて、わたしの命をお救いください。あなたのいつくしみにより、わたしをお助けください。

口語訳 詩  69:3
69:3 わたしは叫びによって疲れ、わたしののどはかわき、わたしの目は神を待ちわびて衰えました。

口語訳 詩  65:2
65:2 祈を聞かれる方よ、すべての肉なる者は罪のゆえにあなたに来る。われらのとががわれらに打ち勝つとき、あなたはこれをゆるされる。

口語訳 詩  77:2-4
77:2 わたしは悩みの日に主をたずね求め、夜はわが手を伸べてたゆむことなく、わが魂は慰められるのを拒む。
77:3 わたしは神を思うとき、嘆き悲しみ、深く思うとき、わが魂は衰える。〔セラ
77:4 あなたはわたしのまぶたをささえて閉じさせず、わたしは物言うこともできないほどに悩む。

口語訳 詩  88:2-4
88:2 わたしの祈をみ前にいたらせ、わたしの叫びに耳を傾けてください。
88:3 わたしの魂は悩みに満ち、わたしのいのちは陰府に近づきます。
88:4 わたしは穴に下る者のうちに数えられ、力のない人のようになりました。

口語訳 詩  102:5
102:5 わが嘆きの声によって/わたしの骨はわたしの肉に着きます。

塚本訳 Ⅱコリ5:4
5:4 それで、わたし達のこのテントにいる者は、重荷に呻いている。これを脱ぎたい(つまり死にたい)のではなく、(天の住いを)上に着たいからである。これは死ぬべきものが命に飲み込まれるためである。

塚本訳 Ⅱコリ12:7-9
12:7 そしてこれらの素晴らしい啓示があるので、わたしが高慢にならないようにと、わたしの肉に一つの刺が与えられた。悪魔の使いであって、これはわたしが高慢にならないようにと、わたしをうつものである。
12:8 この使について、それがわたしから手を引くようにと、三度まで主に願ったが、
12:9 主は(その都度)言われた、「わたしの恩恵はあなたに十分だ。力は弱さの中に完成されるのだから。」、それでわたしはキリストの力がわたしに住みついてくださるように、大喜びで、むしろ(自分の)弱いことを自慢しよう。

塚本訳 ルカ 22:44
22:44 イエスはもだえながら、死に物狂いに祈られた。汗が血のしたたるように(ポタポタ)地上に落ちた。

塚本訳 Ⅰヨハ5:14-15
5:14 そして、もし神の御心に従って何かを求めるならば、神は(かならず願いを)聞いてくださること、それが神に対して持っているわたし達の確信である。
5:15 かくしてわたし達は、神はかならずわたし達の求める願いを聞いてくださることを知っているならば、求めた(すべての)求めを(すでに)得ていることを知っているのである。

塚本訳 ヘブ 10:30
10:30 わたし達はこう言われた方を知っているからである。『仕返しはわたしのもの、』わたしが、『報いをする』、さらに『主はその民を罰される』と。

塚本訳 ロマ 12:14
12:14 (あなた達を)迫害する者に(神の)祝福を求め、祝福して呪うな。

塚本訳 ロマ 12:17
12:17 だれにも悪をもあって悪に報いず、どんな』人の前でも善をするように心がけよ。』

口語訳 詩  94:1-3
94:1 あだを報いられる神、主よ、あだを報いられる神よ、光を放ってください。
94:2 地をさばかれる者よ、立って/高ぶる者にその受くべき罰をお与えください。
94:3 主よ、悪しき者はいつまで、悪しき者はいつまで勝ち誇るでしょうか。

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朝の黙想終わり。聖書は心の鎮静剤。

●シューマンの「君に捧ぐ」をtoutube で鑑賞。この曲を聞くと精神の病で逝ったシューマンを思う。そして8人もの子供と共に残された妻のクララシューマンを思う。夫シューマンの「心残り」の気持ちやいかに。「演説は生活なり」(ヒルティ)。 説教や曲はその作者の生活がにじみ出るものだ。

塚本訳 エペ 5:25
5:25 夫達よ、妻を愛せよ、キリストが教会を愛し、そのために自分を棄て給うたように。──

●7:00 妻は友人と高尾山。
●次回感話の準備。「『永遠の命』は確実である。・・・神とキリストが与えて下さる」
●TSK日本語版作成。サムエル記上、6章、7章。
●昼休みに田原総一郎と大学生数人との討論。太平洋戦争。戦争のない状態が平和ではないことを再認識した。
●夕方、妻が無事帰宅「山に登ったら元気になった」という。人によって元気になるものは違う。
●「子供たちが小さい頃はドリフターズの『8時だよ全員集合』をみると元気になったもんだなー」と語り合った。






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理想的老年 ++++++++ 所感

2013/05/09 08:20

130509(木)4時10分目覚め●朝の啓示「理想的老年」●今朝は自戒を込めて聖書の中に現れた理想的老年について黙想してみよう。●私が職場を退職したのは2009年3月(今から4年前65歳)。そのとき未知の大阪の方との電話懇談で「クリスチャンには定年はありません」と言われた。●時々考えるのは2000年(56歳)に家屋が全焼その3か月後には脳出血で意識不明になった。あれは人生の第4コーナーで神に鞭を入れられたようなものだ。痛い鞭であったが、そのおかげで信仰的に多くの益があった。有体的復活の希望にまっすぐにさせられた。後ろを振り返るな、悔やむな。ということを教えられた。

口語訳 申 34:1
34:1 モーセはモアブの平野からネボ山に登り、エリコの向かいのピスガの頂へ行った。そこで主は彼にギレアデの全地をダンまで示し、


●聖書地図を見ると死海東のモアブにピスガ山(700M)があり、ここからはヨルダン流域とパレスチナ全域が遠望できるという。モーセはこれ以上前へ進めなかった。
●モーセにとって約束であり希望であった「乳と蜜の流れる地」には行きたかったに違いない。しかし神はそれを赦さなかった。

口語訳 申 34:5-8
34:5 こうして主のしもべモーセは主の言葉のとおりにモアブの地で死んだ。
34:6 主は彼をベテペオルに対するモアブの地の谷に葬られたが、今日までその墓を知る人はない。
34:7 モーセは死んだ時、百二十歳であったが、目はかすまず、気力は衰えていなかった。
34:8 イスラエルの人々はモアブの平野で三十日の間モーセのために泣いた。そしてモーセのために泣き悲しむ日はついに終った。

●120歳は創世記6:3の「こうして、人の一生は120年になった」と符合する。
●生きようと思えば120歳までは生きられるかもしれない。男性の平均寿命は80竿らしいが、「平均」ということはよくない。人の思想を害する。
●聖路加の日野原重明先生は100歳を超えてなお現役。しかも10年先までスケジュールが詰まっている。あるいは120歳まで生きられるのかもしれない。
●7節「目はかすまず」について。目がかすんで気の毒になった人はイサクとエリ。

口語訳 創 27:1
27:1 イサクは年老い、目がかすんで見えなくなった時、長子エサウを呼んで言った、「子よ」。彼は答えて言った、「ここにおります」。

口語訳 Ⅰサム4:14-15
4:14 エリはその叫び声を聞いて言った、「この騒ぎ声は何か」。その人は急いでエリの所へきてエリに告げた。
4:15 その時エリは九十八歳で、その目は固まって見ることができなかった


●目が見えなくなったらどうしよう。聖書も読めないし、パソコンもできない。

●6節「今日までその墓を知る人はない。・・・クリスチャンにとって墓は重用ではない。流行の歌「私のお墓の前でなかないでください」である。いつまでも先祖供養をしてもらいたいと願う気持ちは異教思想だ。妻は自分が死んだら灰は故郷の福島の山に撒いてほしいと常日頃言っている。その精神でいいのかもしれない。墓を維持するのは孫子に経済的負担がある。

口語訳 創  26:34-35
26:34 エサウは四十歳の時、ヘテびとベエリの娘ユデテとヘテびとエロンの娘バスマテとを妻にめとった。
26:35 彼女たちはイサクとリベカにとって心の痛みとなった。

●子供が多いと伴侶(嫁や婿)が不満になることがある。
●あのイサクとリベカはデキていたからではないか。
●この場合、嫁は姑のリベカと仲が悪かった。この戦いは創世記の時代からの真理。慰め。

新共同 ルカ 2:25-30
2:25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた
2:26 そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。
2:27 シメオンが"霊"に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。
2:28 シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。
2:29 「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。
2:30 わたしはこの目であなたの救いを見たからです。

●これは理想の老人の姿。前向きの人生。希望を持ち続ける人生。

塚本訳 ルカ 2:36-38
2:36 また、アセル族のパヌエルの娘に、アンナという女預言者があった。非常に年を取っていて、娘時代の後、七年の結婚生活をおくり、
2:37 (その後)八十四歳(の今日)まで寡婦ぐらしをしていた。(片時も)宮を離れず、夜も昼も断食と祈りとをもって(神に)奉仕していたが、
2:38 (シメオンが預言している)ちょうどその時、近寄ってきて(幼児について)神に感謝をささげ、またエルサレムの人々のあがないを待ち望むみんなの人に、この幼児のことを話した。


●この84歳の寡婦も有意義な老年を送っている。前向きの希望の人生だ。

塚本訳 使  6:1
6:1 そのころ、(主の)弟子たち(の数)が次第にふえてきたため、ギリシヤ語を話す(外国そだちの)ユダヤ人からヘブライ語を話す(はえぬきの)ユダヤ人に対して、自分の方の寡婦たちは、毎日の援助においてないがしろにされているという苦情が出た。

●エクレシアにはその環境に不満を持ってボソボソと話し合う(寡婦)女がいるのはつきものだ。牧師への不満、伝道者への不満、長老への不満。そしてその不満の大半は経済のこと。こういう(寡婦)女からはキリストの香りが発せられない。

塚本訳 マコ 12:42-43
12:42 ひとりの貧乏な寡婦が来て、レプタ銅貨[五円]二つ、すなわち(ローマの金で)一コドラントを入れた。
12:43 イエスは弟子たちを呼びよせて言われた、「アーメン、わたしは言う、あの貧乏な寡婦は、賽銭箱に入れただれよりも多く入れた

●同じ寡婦でも、イエスに褒められた寡婦もいた。彼女からはキリストの香りが発せられる。

塚本訳 ヨハ 21:17-19
21:17 三度目に言われる、「ヨハネの子シモン、あなたはわたしを愛しているのか。」ペテロは、イエスが三度も「あなたはわたしを愛しているのか」と言われたので悲しくなって、言った、「主よ、あなたはなんでも御存じです。わたしがあなたを愛していることはあなたが御存じです。」イエスが言われる、「わたしの羊を飼いなさい。
21:18 アーメン、アーメン、わたしは言う、あなたは若い時分には、自分で帯をしめて、行きたい所へ行ったが、年を取ると、両手をのばして、ほかの人に帯をしめられ、行きたくない所へ連れてゆかれるであろう。
21:19 このように言われたのは、ペテロがどんな死に方をして[十字架について]、神の栄光をあらわさねばならぬかを暗示されたのである。こう言ったあと、ペテロに、「わたしについて来なさい」と言われる。

●「老いては子に従え」は、現代では「老いては孫に従え」だ。孫たちの関心ごとに老人は全くついていけない。話の内容もびっくりだ。
●某孫娘「ねー、おじいちゃんって『恋』したことある」と聞かれたことがある。こういう質問にびっくりしていては付き合いにくいオジーチャン」となってしまうなー。

塚本訳 ピリ 3:13-14
3:13 兄弟達よ、私はまだ自分で(それを)捉えたなどとは考えていない。しかし(ただ)一つの事──後ろのものを忘れ、前のものを追い求めながら、
3:14 (或る)目標に向かって、すなわち神がキリスト・イエスにおいて天上に招き給う褒美に向かって(ひた走りに)走っているのである。

●パウロの殉教は60歳ぐらいと言われている。まだ老年ではないが、もしパウロが老人になったとしても、この「前向き」の気持ちは変わらないであろう。
●それに比べてやたら後ろを振り返り、先生の思い出や学歴や家系や人脈を自慢する人間は「前向きの信仰」ではない。ただ遊びまくっている。そういう人間に限って正統信仰、特に有体的復活の信仰がない。
●かって内村鑑三記念講演会で野村実先生が「前向きの信仰」という講演をされた。先達に、その「題名が良い」と褒められたという。
●そうだ私もパウロに倣って「ひた走りに走る」べきなのだ。

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朝の黙想、終わり。理想の老年は前向きで「祈り」の生活だ。

●妻は起きて朝食の用意をしてくれた。感謝。妻が寝込むと普段なんでもなく、当たり前のように思っていることが全部妻の仕事であったことを身に染みて感じるものだ。
●妻に先立たれた「男の平均!生存率」は5年間なのだそうだ。しかし奥様に先立たれてすでに25年以上のSさんを思おう。 Sさんは100歳、毎日聖書の日々。私にとって理想的老年だ。
 ●私が最も影響を受けたカール・ヒルティ(塚本虎二先生の紹介)は77歳で心臓麻痺で書斎で一人で召されていた。机には「永遠の平和」の論考の執筆中の原稿があった。ヒルティは「仕事中に死ぬ」ことを理想としていたがその通りに逝った。64歳の時に夫人のヨハンナに先立たれたとき。「私は半分なくなったので、もう完全ではない」と嘆いた。しかしなお13年も生きてよい論考を出版した。ヒルティの子息、エドガー・ヒルティは生涯病弱であった。37歳のとき、仕事の合間を縫ってスイスのベルンにヒルティの墓参をした。墓碑にはカーウヒルティと妻ヨハンナ・ヒルティに挟まれて息子のエドガーの名前が刻まれていた。息子の病気はヒルティの「悩みの種」であったのかと思うと胸が詰まった。
●ブルンナーが来日したとき、ご夫妻が塚本虎二先生宅をご訪問、そのときブルンナー夫人は「ヒルティに会ったことがある」と言われたという。この話は私に不思議な思いを起こさせた。歴史的証人の話は胸をドキドキさせるmのだ。キリストの復活も同じではないか。
●ヒルティは敬虔派であった。これは日本の無教会主義に影響を与えた。
●神と共に歩む人は大体一人で逝く。あのカール・バルトは朝冷たくなっていた。塚本虎二先生も夜中に一人で逝った。人間は母の胎から一人で出てきてまた一人で帰るのだ。


口語訳 ヨブ 1:21
1:21 そして言った、/「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」。





















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失敗人生の嘆きに神の恵みの知恵が潜む ++++++++ 所感

2013/05/08 07:23

130508(水)4時半目覚め。朝の啓示「失敗人生の嘆きに神の恵みの知恵が潜む」●昨日に続いて今朝もペテロの弁護論。
●まず次の難解な箇所の解読を試みる。

塚本訳 ヨハ 13:9-10
13:9 シモン・ペテロがうろたえて言う、「主よ、(それでは、)足だけでなく、手も、頭も、。」
13:10 イエスが言われる、「(一度)湯浴みした者は、(あとでよごれた)足のほかは洗う必要はない、全身が清いのだから。(もう)あなた達は清い。だが、(あなた達)みんながそうではない。」

●何にも頼らないで素人の直観。救われた人間は神の目ですでに霊魂は清められているから、その後に人生のゴタゴタで足が汚れても足だけ洗うだけでよい。否その後の人生の失敗は救いに関係ない。救いは神の力。神の思い。
●キリスト教は儒教道徳とは違い神の側の一方的な選びによる救いである。外側の形は問われない。
●これを裏付ける聖書の関連句を想起してみよう。

口語訳 エペ 2:3-5
2:3 また、わたしたちもみな、かつては彼らの中にいて、肉の欲に従って日を過ごし、肉とその思いとの欲するままを行い、ほかの人々と同じく、生れながらの怒りの子であった。
2:4 しかるに、あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、
2:5 罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし――あなたがたの救われたのは、恵みによるのである――


●かってこの部分を次のように感話した人がいた。「私は生来「怒りっぽい』人間でしたが恩恵による救いでその性質が変えられました」と。次に立たれた感話者は「ギリシャ語を知らないからこういう読み方をする」と暗に勉強不足を批判した。すると次に立たれた塚本先生がその批判を激怒、「神の恩恵で怒りっぽい性質がいくらか和らぎました」と読んでも聖書は決して読み違いではない」と言われた。(以上側聞)。ここに聖書の素人読みは本質読みにつながる真理がある。
●この箇所の塚本訳は次のように敷衍を補って
「(神の)怒りの(審判に定められた)子であった。」となっている。

塚本訳 エペ 2:3-5
2:3 (否、)私達も皆かつてはこの人達に伍して自分の肉の欲の中に生活し、肉と欲望の欲するままに振舞って、他の(異教)人達のように生まれながら(神の)怒りの(審判に定められた)子であった。
2:4 しかし憐憫に富み給う神は、その大なる愛によって私達を愛し、
2:5 咎によって死んでいたこの私達をもキリストと共に活かし──君達が救われたのは恩恵によるのだ──

●このことは我々に大なる教訓を示してくれる。
●人は救われたからと言って、持って生まれた性格や性質まで変わらない。私の場合はすぐ「カッ」となる性質は救われたあとでも変わらない。そのために家人(両親、兄弟、子供、孫)にはなはだ悪いことをした。職場や某理事会でもこれをやったからはなはだ顰蹙(ひんしゅく)をかったことがある。十字架の故に赦していただかなければならない。
●十字架で救われると福徳円満な人になるというのは私自身のことからして真理ではない。クリスチャンは全員お釈迦様に洗礼を授けることができるような画一的な温和な性質にはならない。なれない。皆各自それぞれに足が汚れている。

塚本訳 ロマ 14:1-4
14:1 信仰の弱い人をも(あなた達の)仲間に入れてやりなさい。(その人の)考えの違いをかれこれ言わずに
14:2 (信仰は人それぞれで、たとえば、)ある人は(信仰が強くて肉でも)なんでも食べてよいと信じており、(信仰の)弱い人は野菜(だけ)を食べる。
14:3 (肉)を食べる人は食べない人を軽蔑してはならないし、(肉を)食べない人は食べる人を裁いてはならない。神はその人をも(聖徒の)仲間にお入れになったのだから。
14:4 いったい何者なれば、あなたは他人[主キリスト]の僕(であるその人)を裁くのか、(あなた自身も僕でありながら。)彼が立っているのも倒れるのも、その主人(の考え)によるのである。しかし彼はしっかり立っていることができるであろう。主人は彼を立てる力をもっているのだから。

●これは私自身への自戒であるとともに、プロテスタントの各教派(特に無教会)への戒めである。
●信者の悪弊として信仰が少しでも違うと「かれこれ」言う。
●私は某氏から「君の信仰には違和感がある」と言われたことがある。裁きは神に任せよう。
●かって若き某女から、私のブログはコワモテだが、会ってみるとそうでもない」と言われた言われたこともある。
●違和感もコワモテもすべて「足の汚れ」だ。最後の救いには関係ない。総て十字架の血で赦してもらう。

塚本訳 ヨハ 18:10-11
18:10 するとシモン・ペテロは、持っていた剣を抜いて大祭司の下男に切りつけ、右の耳を切り落としてしまった。下男の名はマルコスといった。
18:11 イエスはペテロに言われた、「剣を鞘におさめよ。父上が下さった杯、それを飲みほさないでよかろうか!」


●これ直情径行型のペテロの性質が現れている。これはペテロの足の汚れである。こんなことをしたペテロの罪も赦される。

塚本訳 ロマ 5:20-21
5:20 (それなら律法は人を義として永遠の命を与えるためには役立たないのか。その通り。)律法は、過ちを増し強めるために第二義的に来たのである。しかし(神に感謝する、人の犯す)罪が増し強まれば、恩恵は豊かにあふれる
5:21 これは罪が死を持って支配したように、恩恵も義をもって支配し、わたし達の主イエス・キリストによって、(わたし達を)永遠の命に入れるためである。

●儒教道徳では人は救われない。それは旧約の律法である。儒教は日本の旧約である。常に人間のあるべき姿、秩序を重んじる。
●しかしキリスト教は違う。失敗によって恩恵が降る。人生の失敗、結婚の失敗、家庭建設の失敗、子育ての失敗、仕事の失敗、不可解、不条理・・・・・・・その嘆きと涙の奥に神の大なる恵みの知恵が潜んでいる。 
 
塚本訳 Ⅰヨハ1:7
1:7 しかしもし神が光の中にあるように、わたし達も光の中を歩いているならば、(神と交わりを持ち、従って)互に(まことの)交わりを持つ(ことができる)のである。そして(たとい罪を犯すことがあっても)、その子イエスの血があらゆる罪から清めてくださる。(かくてわたし達は光の子となるのである。)

●「全身が清い者は足を洗うだけでよい」の解明の聖書的根拠。クリスチャンは人生を失敗しても復元力がある。

塚本訳 Ⅱコリ7:10
7:10 なぜなら、神の御心に沿った悲しみは、(人を)救いに入れる悔いのない悔改めをもたらすけれども、この世(的)の悲しみは、(絶望と)死をもたらすからである。

●神なき人間の悲しみは絶望あるのみ。自殺あるのみ。人間的な慰めは効き目がない。
 
塚本訳 ロマ 8:18
8:18 (しかもこの苦しみは恐れることはない。)なぜなら、わたしはこう考える。
今の世の苦しみは、わたし達に現われようとしている栄光(──キリストと一しょに神の国の相続人になる最後の日の大いなる光栄──)にくらべれば、言うに足りない。


塚本訳 ロマ 8:28
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。


●人、神にあれば、望まぬ失敗、不幸、不可解、不条理など万事が永遠の生命のために役立つ。信仰が強められる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想、自分のための朝礼(?)終わり。

●TSK日本語版作成、サムエル記上4章。

●妻が寝込む。
思いもかけず、妻が寝込んでしまった。原因不明。胃が悪くならない頭痛薬を渡したら「飲まない」という。妻はこういう時は「祈りで直す」という信念の持ち主だ。
●私のこれからの艱難試練は子供たちの家庭のこと、自分の晩年の病気,,妻の認知症、そして自分の死のことだと思っているが、意外なことにその前に「妻の死」ということもありうるのかなーと思った。
●妻が寝ている間に、録画してあったNHK「こころの時代」(4月28日)の「老年の淋しさを超えて」を見る。90歳の町田風雪氏(仏法を聞く会講師、名古屋)は人に仏の道を説いてきたが5年前に夫人を失って落ち込み、道を説けなくなった。しかしそこから立ち直った話。淋しさの極みまでに落とされでそこで仏の光に出会ったという内容。
俳句を詠まれた。

 諦めても諦めても 淋しさつのる 冬の夜
 妻の死を語れば涙 冬の夜
 散る花に たたずみ 独りを耐えている

しかし仏の光に接してからの句は

 
 春です 花満開です 生きて行きます

●私はキリスト教徒でイエスの有体的復活の事実と自らの復活の希望がが心の支えだが、いざ妻に先立たれるとどうなるのだろうと考えさせられた。
●キリスト者は極度の悲しみ淋しさのときに復活のイエスは現れて下さるのだ。

塚本訳 マコ 9:21-27
9:21 イエスが父親に尋ねられた、「こうなってから、どのくらいになるか。」父親がこたえた、「子供の時からです。
9:22 霊はこの子を殺そうとして、幾たびか、火の中、水の中に投げ込みました。それでも、もしなんとかお出来になるなら、わたしども(親子)を不憫と思って、お助けください。
9:23 イエスは言われた、「もしお出来になるなら(と言うの)か。信ずる者にはなんでも出来る。」
9:24 即座にその子供の父親が叫んだ、「信じます。不信仰をお助けください。」
9:25 イエスは群衆が駆けよってくるのを見ると、(急いで)汚れた霊を叱りつけて言われた、「唖と聾の霊、わたしが命令するのだ、この子から出てゆけ、二度と入るな!」
9:26 霊はどなって、はげしくひきつけさせて、出ていった。子は死んだようになったので、多くの人が、「死んだ」と言った。
9:27
イエスはその子の手をとって起された。すると立ち上がった。

●聖書は励ましと慰めだ。復活の主は生きている。病気を癒してくれる。 

 2013_05080001.jpg

図書館に行く途中、家のそばで。
半身御不自由の方がおられると、同病(私は13年前に脳出血の病歴あり)
相憐れむで思わず近寄って話しかける。この方は10年前にくも膜下出血で
左半身御不自由。昨年癌で奥様に先立たれたという。今は娘さんと一緒。
孫もいるという。一日3回歩行訓練。通り過ぎてから後姿を撮影させていただいた。
あの人の上に神の平安がありますように。
 

  



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人の救いは全く神の力による ++++++++ 所感

2013/05/07 06:57

130507(火)4時半目覚め。朝の啓示「人の救いは全く神の力による」●次回感話はヨハネ17章、いわゆる「大祭司の祈り」(塚本訳表題)であってイエスの最後の祈りである。その中でも難解な次のところを探求する。聖書は難解なところに真理の宝が隠されているのでそれがわかれば大なる喜悦である。

塚本訳 ヨハ 17:2-3
17:2 あなたは、子に下さいました者に一人のこらず永遠の命を与えさせるため、全人類を支配する全権を子に与えられたのですから。
17:3 永遠の命とは、ただひとりのまことの神なるあなたと、あなたが遣わされた(子)イエス・キリストとを知ることであります。


塚本訳 ヨハ 17:6
17:6 わたしは、あなたがこの世から(選び出して)わたしに下さったこの人たち((弟子たち))に、あなたの名を──(あなたについての一切のことを)──知らせてやりました。彼らはもとあなたのものであったのに、わたしに下さったのです。彼らは(わたしが教えた)あなたの言葉を守りました。

塚本訳 ヨハ 17:15-16
17:15 (しかし)わたしの願いは、彼らを(早く)この世から(安全な所に)移していただくことでなく──(彼らには果たすべき務めがあります)──悪い者(悪魔)から守っていただくことです。
17:16 わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。


塚本訳 ヨハ 17:26
17:26 わたしはこの人たちにあなたの名を知らせました。また(これから先も)知らせます。これは、わたしを愛してくださったと同じ愛が彼らにおり、わたしも彼らにおるためであります。(こうしてあなたと、わたしと、彼らとが、愛によって一つとなりたいのであります。)」

●この難解な部分に共通の思想(ヨハネ神学)を一言で言えば「神の力が発動される」ということでである。つまり「人に神がわかるのは全く神の力による」ということである。
●これら、難解なところを解読するのは、人間の書いたものを読んではわからない。そういうことをするから、教派神学(プロテスタント教会)が生まれ、先生中心主義(無教会)の悪い姿になる。いがみ合いになる。この悪弊から脱出するには「聖書で聖書を読む」ことをしなければならない。
●しかし聖霊(復活のキリストの霊)の示しがなければ「聖書は聖書を教えてくれない」
●今朝示された聖書の箇所を掲げ、諸先生の思想でなく、「自分の感話」をする。こうすることによって「アーソーカ」と思った時に聖書が日本に土着したことになり、これが「聖書理解」の本質である。その理解は各人がそ分かっただけがその水準である。水準に上下はない。
●聖書は一句から全部がわかるようになっている。それは血液の一滴から体の状態がわかるのに似ている。一句がわかれば聖書66巻の全部がわかる。

塚本訳 ヨハ 6:44
6:44 (わたしを信じないのは、父上が引っ張ってくださらないからだ。)わたしを遣わされた父上が引っ張ってくださらなければ、だれもわたしの所に来ることはできない。(しかし来れば、)わたしはその人をきっと最後の日に復活させる。 


●「父上が」という言葉を強調して読むべきである。

塚本訳 ヨハ 14:21-23
14:21 わたしの掟をたもち、これを守る者、それがわたしを愛する者である。わたしを愛する者はわたしの父上に愛され、わたしもその人を愛して、その人に自分を現わすであろう。(だからわたしを愛する者だけが、わたしを見ることができるのだ。)」
14:22 イスカリオテでない方のユダが言う、「主よ、いったいどういうわけで、わたし達だけに御自分を現わし、この世(の人)にはそうしようとされないのですか。」
14:23 イエスは答えられた、「わたしを愛する者は、わたしの言葉を守る。するとわたしの父上はその人を愛され、
わたし達は(父上もわたしも)、その人のところに行って、同居するであろう。

●神の引きが先か、人間の求道が先か。卵が先か、ニワトリが先か。
●イエスの答えは人間の求道心が先のように見えるが、そういう気持ちを起こさせるのは神。

塚本訳 ピリ 2:12-13
2:12 だから、愛する者達よ、(今まで)何時も従順であったように、(従順であってもらいたい。)私が(一緒に)居る時ばかりでなく、居ない今こそ却つてなお一層、畏れと戦きをもって、自分の救いを得よ。
2:13 (しかしもちろんこれは君達の力では出来ない。)何故なら、(救いに関わる)御旨を成し遂ぐるため、
君達のうちに働いて、(救いの)願望を起こさせ、これを成就せしめ給う者は、神であるからである。

●13節塚本敷衍の(しかしもちろんこれは君達の力では出来ない。)は決定的である。

塚本訳 マタ 3:8-9
3:8 (ほんとうに悔改めたのか。)それなら(洗礼を受けるだけでなく)、悔改めにふさわしい実を結べ。
3:9 『われわれの先祖はアブラハムである(から大丈夫だ)』などと考えてはならない。わたしは言う、
神はそこらの石ころからでも、アブラハムの子供を造ることがお出来になるのだ。

●8節の塚本敷衍(洗礼を受けるだけでなく)は無教会訳。本文ンでなく敷衍。ダメ押し。

塚本訳 ルカ 15:32
15:32 だが、喜び祝わずにはおられないではないか。このお前の弟は死んでいたのに生きかえり、いなくなっていたのに見つかったのだから。』」

●「死んでいた息子が生き返った」とはまー父親の喜びようは大変であった。しかし現実の世は、死んだ夫、妻、子供、親、孫、兄弟だらけ。これを生き返らせるのは祈りによって神がその力を発揮してくださらなければ不可能。なぜか。霊魂の救いは肉の病を癒すこの世の医者には出来ないから。

塚本訳 ヨハ 11:3-4、14-15
11:3 マリヤとマルタとはイエスに使をやって、「主よ、大変です。あなたの可愛がっておられる人が病気です」と言わせた。
11:4 イエスは聞いて言われた、「これは死ぬための病気ではない。神の栄光のためである。すなわち(神の栄光をあらわすために、)神の子(わたし)がこれによって栄光を受けるためである。」

11:14 そこでイエスが今度ははっきり言われた、「ラザロは死んだのだ。
11:15 わたしがそこにいなかったことを、あなた達のために喜ぶ。あなた達の信仰を強めることができるからだ。さあ、ラザロの所に行こう。」

●急患の時でも医者は慌てない。すぐ行かない。イエスも同じであった。
●その理由は15節「あなた達のために喜ぶ。あなた達の信仰を強めることができるからだ」と不思議なことを言う。その解読は次である。

塚本訳 マタ 8:5-10
8:5 カペナウムに帰られると、一人の百卒長がそばに来て願って
8:6 言った、「主よ、うちの下男が中風で家にねていて、ひどく苦しんでおります。……」
8:7 彼に言われる、「(ユダヤ人の)このわたしが、(異教人のあなたの家に)行ってなおすのか。」
8:8 百卒長は答えた、「主よ、わたしはあなたを、うちの屋根の下にお迎えできるような者ではありません。(ここで)ただ一言、言ってください。そうすれば下男は直ります。
8:9 というのは、わたし自身も指揮権の下にある人間であるのに、わたしの下にも兵卒がいて、これに『行け』と言えば行き、ほかのに『来い』と言えば来、また僕に『これをしろ』と言えば(すぐ)するからです。(ましてあなたのお言葉で、病気が直らないわけはありません。)」
8:10
イエスは聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた、「アーメン、わたしは言う、イスラエル人の中でも、こんなりっぱな信仰をもっている者を一人も見たことがない。

●神には遠隔の力がある。祈りも遠隔の力がある。祈りは聴かれる。
●「この世は物質と金」だと教えられている現代人にはこれは迷信であって信じられない。

塚本訳 ルカ 7:11-15
7:11 そのあとで、ナインという町に行かれた。弟子たちおよび多くの群衆も一しょに行った。
7:12 町の門の近くに来られると、ちょうど、ある独り息子が死んで、(棺が)舁き出されるところであった。母は寡婦であった。町の人が大勢その母に付添っていた。
7:13 主は母を見て不憫に思い、「そんなに泣くでない」と言って、
7:14 近寄って棺に手をかけ──担いでいる者は立ち止まった──「若者よ、あなたに言う、起きよ!」と言われた。
7:15 すると死人が起き上がって物を言い出した。イエスは『彼を母に渡された。』

塚本訳 ヨハ 11:39
11:39 「石をのけなさい」とイエスが言われる。死んだ人の姉妹のマルタが言う
、「主よ、もう臭くなっています。四日目ですから。」

塚本訳 ヨハ 11:42-44
11:42 (願わずとも)あなたはいつもわたしの願いを聞いてくださることを、わたしはよく知っております。しかしまわりに立っている人たちのために、(今わざと声を出して感謝を)申したのであります。(わたしの願いはなんでもきかれることを彼らに示して、)あなたがわたしを遣わされたことを信じさせるためであります。」
11:43 こう言ったのち、大声で、「ラザロ、出て来い」と叫ばれた
11:44 死人が手足を包帯で巻かれたまま、(墓から)出てきた。顔は手拭で包まれていた。イエスは「解いてやって(家に)帰らせなさい」と人々に言われた。

●日本では医者が死亡を宣告してから24時間経たないと火葬できない。しかしこの場合は4日もたっていて臭くもなっている。生き返りは絶対に不可能。
●我々も身内も死人で死臭がひどい。4日どころか何年も悪臭を放っている。しかし神が働くとその死人は生き返るのだ!。神の力は全能だ。
●神は一声で「死人」をよみがえらすことが出来る。霊魂の救い又同じ。
●そのことを教えるためにイエスの見える姿の地上の生涯があった。
●11:42の(今わざと声を出して)の意味も同じである。

塚本訳 マタ 22:28-30
22:28 すると(もし復活があるなら、)復活の折には、この女は七人のうちのだれの妻になるのでしょうか。皆その女を妻にしましたから。」
22:29 イエスは答えられた、「あなた達は聖書も神の力も知らないので、間違いをしている。
22:30 復活の折には、めとることもなく嫁ぐこともなく、ちょうど天の使いのようである。

●神の力を知らないと復活も処女降誕も再臨も全くわからない。


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朝の黙想終わり。神の力、神の力、

●今朝の啓示で6月の感話の準備が出来た。
●TSK日本語版作成、サムエル記上3章。エリという祭司の息子たちは堕落していた。こういう事実を読むと慰められる。校長息子に意外に「悩みの子」が出ることを知る。

口語訳 Ⅰサム2:12
2:12 さて、エリの子らは、よこしまな人々で、主を恐れなかった


口語訳 Ⅰサム2:22-25
2:22 エリはひじょうに年をとった。そしてその子らがイスラエルの人々にしたいろいろのことを聞き、また会見の幕屋の入口で勤めていた女たちと寝たことを聞いて、
2:23 彼らに言った、「なにゆえ、そのようなことをするのか。わたしはこのすべての民から、あなたがたの悪いおこないのことを聞く。
2:24 わが子らよ、それはいけない。わたしの聞く、主の民の言いふらしている風説は良くない。
2:25 もし人が人に対して罪を犯すならば、神が仲裁されるであろう。しかし人が主に対して罪を犯すならば、だれが、そのとりなしをすることができようか」。しかし彼らは父の言うことに耳を傾けようともしなかった。主が彼らを殺そうとされたからである。

●強い風の日の散歩。

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家の「ヒメシャラ」が強風でゆれる。昨年庭師のH氏が幹を束ねてくれたので家にぶつからない。

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菜の花が強風でたわむ。かよわい花。ナンノコレシキと言っているようだ。信仰で耐える。
柳に雪折れなし。柔構造のビルは強風にも揺れて持つ。

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林の木々が激しく揺れている。ざわめいている。何か言葉を発しているようだなー。

●強風の中を歩いて次の句が浮かんだ。

塚本訳 ヨハ 3:5-8
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。
3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。
3:7 『あなた達は新しく生まれなおさねばならない』と言ったからとて、すこしも不思議がることはない。
3:8 風[プニューマ]は心のままに吹く。その音は聞えるが、どこから来てどこに行くか、あなたは知らない。霊[プニューマ]によって生れる者も皆、そのとおりである。」

●両親から依頼されたので孫の一人に「風人」という名前を付けた。歩きながら彼のことを思った。彼の上に神の風なる霊が吹き、新しく霊に生まれる日が来ますように。





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さめざめと泣く時 ++++++++ 所感

2013/05/06 06:50

130506(月)子供の日振替休日●4時半目覚め。朝の啓示「さめざめと泣く時」●昨日は感話でペテロの大告白(マタイ16:16「あなたは救世主、生ける神の子であります!」)はその後の言動を見ると全く信用ならない「自分の側の信仰」である。プロテスタント教会はこのペテロの信仰に立つというのは誤りであると話した。そして真のエクレシアは「人間の信仰に立つのではなく、キリストの復活の霊に土台を置くべきだから、復活を説かないエクレシアはただちにやめてしまえ!」と語った。●すると会の終了後、某夫人が「私はペテロがさめざめと泣いた(マタイ26:75 塚本訳)ところが大好きです。そんなにペテロを悪く言わないでください」と苦言を呈された。●これに刺激されて今朝は聖書中で「さめざめと」(塚本訳)「激しく」(口語、新改訳、新共同訳)「はなはだしく」(文語)泣いた人物の列伝を書いてみよう。これで分かったことは、聖書中の人物はそのほとんどが人生を悔いて「泣いた」人ばかりである。と同時にその背後には決まって「神の愛」が働いていることを発見する。●「聖書で聖書を読む」ことの益はここにある。聖書をあちこち引っ張って並べるとその背後にあるものが見えてくるのだ。 ●人生、「さめざめと」泣く時が来るときに「十字架」がわかるのだ。

塚本訳 ルカ 22:60-62
22:60 しかしペテロは言った、「君、あなたの言っていることはわからない。」するとたちまち、まだその言葉の終らぬうちに、鶏が鳴いた。
22:61 主が振り向いて、じっとペテロを見つめられた。ペテロは、「きょう(今夜)、鶏が鳴く前に、わたしを三度、知らないと言う」と言われた主の言葉を思い出し、
22:62 外に出ていって、さめざめと泣いた


●「主が振り向いて、じっと見つめた」目の奥に、神の愛のまなざしがあったのだ。それを感じたペテロは悔いたのだ。赦されていると感じたのだ。暖かいものを感じたのだ。
●悔いた時の泣き方はいろいろあるものだ「号泣」もある。
●このペテロの悔いはバッハのマタイ受難曲では第47曲にアルトの独唱で歌われる。

塚本訳 マタ 27:3-5
27:3 その時イエスを売ったユダは、イエスの判決が決まったのを見て後悔し、(受け取ったシケル)銀貨三十枚を大祭司連、長老たちに返して、
27:4 「罪もない(人の)血を売って、悪いことをした」と言った。彼らが答えた、「われわれの知ったことではない。お前が自分で始末しろ!」
27:5 ユダは銀貨を宮に投げ込んで去り、行って首をくくった

●ユダは後悔(口語、新改訳、新共同、塚本は一致、文語は悔い)したときおそらく泣いたに違いない。
●ユダが首をくくったときはすでにイエスはピラトの裁判が始まっていたのでそのことを知らなかったはずだ。もし知っていたら「バカ、馬鹿、馬鹿」と心で思ったに違いない。
●最後の晩餐の席でイエスはユダのたくらみを知っていて必死にやめさせようとしていたことがうかがえる。皆に気づかれないように行動した。

塚本訳 ヨハ 13:25-26
13:25 それでその弟子は(うしろの)イエスの胸にもたれかかって、たずねる、「主よ、だれですか。」
13:26 イエスが(彼に)答えられる、「わたしが一きれのパンをひたして渡すその人が、それだ。」それからパンを(汁に)ひたし、イスカリオテのシモンの子ユダに渡される

●皆に知られないように本人だけに諭すのは牧師や医者や弁護士の仕事だ。それは愛の心だ。

塚本訳 ルカ 15:13
15:13 幾日もたたないうちに、弟は(分け前)全部をまとめて(金にかえ、)
遠い国に行き、そこで放蕩に財産をまき散らした。

塚本訳 ルカ 15:17-24
15:17 ここで(はじめて)本心に立ち返って言った。──お父さんのところでは、あんなに大勢の雇人に食べ物があり余っているのに、(息子の)このわたしは、ここで飢え死にしようとしている。……
15:18 よし、お父さんの所にかえろう、そしてこう言おう、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。
15:19 もうあなたの息子と言われる資格はありません。どうか雇人なみにしてください』と。
15:20 そして立ってその父の所へ出かけた。ところが、まだ遠く離れているのに、父は見つけて不憫に思い、駈けよって首に抱きついて接吻した。
15:21 息子は父に言った、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。もうあなたの息子と言われる資格はありません。……』
15:22 しかし父は(皆まで聞かず)召使たちに言った、『急いで、一番上等の着物をもって来て着せなさい。手に指輪を、足にお靴をはかせなさい。
15:23 それから肥えた小牛を引いてきて料理しなさい。みんなで食べてお祝いをしようではないか。
15:24 このわたしの息子は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。』そこで祝賀会が始まった。
 
●父の赦しが先。その祈りが遠いところ(ルカ15:13)にいる、遠隔地にいる、手の届かないところにいる放蕩息子に通じた。神が腰を上げた。神が動いた。
●放蕩息子は父に迎えられてその赦しに悔いて泣いたはずだ。
●父の赦しは備えられていた。しかしそこには父の忍耐があった。


塚本訳 ルカ 19:5-10
19:5 イエスはその場所に来られると、ザアカイを見上げて言われた、「ザアカイ、急いで下りておいで。きょうはあなたの家に泊まることになっているから。」
19:6 ザアカイは急いで下りてきて、喜んでお迎えした。
19:7 皆がこれを見て、イエスは(税金取りのような)罪人の所に入りこんで宿を取った、と言ってぶつぶつ呟いた。
19:8 しかしザアカイは進み出て主に言った、「主よ、わたしは(誓って)財産の半分を貧乏な人たちに施します。人からゆすり取ったものは四倍にして返します。」
19:9 イエスが(人々に)言われた、「救いは(きょう、)この家に入った。(人でなしのように言われる)この人も、やはり(あなた達と同じ)アブラハムの末だから。
19:10 人の子(わたし)は『滅びうせた者をさがして』救うために来たのである。」


●イエスの訪問の心が先、ザアカイの悔い改めはその後。

塚本訳 ルカ 7:36-38
7:36 (シモンという)ひとりのパリサイ人が一しょにお食事をと願ったので、そのパリサイ人の家に入って食卓に着かれた。
7:37 すると、その町に一人の罪の女がいた。イエスがパリサイ人の家で食卓についておられることを知ると、香油のはいった石膏の壷を持ってきて、
7:38 泣きながら後ろからイエスの足下に進み寄り、しばし涙で御足をぬらしていたが、やがて髪の毛でそれをふき、御足に接吻して香油を塗った。

塚本訳 ルカ 7:47-48
7:47 だから、わたしは言う、この婦人の多くの罪は赦されている。(いま)多くわたしを愛したのがその証拠である。赦され方の少ない者は、愛し方も少ない。」
7:48 そしてその女に言われた、
「あなたの罪は赦されている。」

●これも赦しが先で悔い改めは後。

塚本訳 使  26:12-16
26:12 こんな次第で、わたしは大祭司連から全権と委任とを受け、(迫害のため)ダマスコに進んでゆくと、
26:13 王よ、昼に、途中で、天から輝く太陽にもまさる光がさして、わたしと、同行の者たちとのまわりを照らすのを見ました。
26:14 わたし達が皆地上に倒れると、ヘブライ語で、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。刺の棒は蹴っても無駄だ』とわたしに言う声を聞きました。
26:15 わたしは言った、『主よ、あなたはどなたですか。』主が言われた、『わたしだ、君が迫害しているイエスだ。
26:16 さあ、起きて、『自分の足で立て。』わたしが(今)現われたのは、君を選んで、わたしを見たことと、(今からも)君に現われて示すこととの証人として、わたしに仕えさせるためである。

●神のパウロに対する赦しの愛が先。神がパウロに会ってくださった。その後にパウロの回心。

●以上、人間の悔い改めの背後には必ず神の愛と赦しが先行している。どんな極悪人、堕落人間でも赦しの愛の心に触れるときに悔いる。その時悔い改めなければもう人間ではないから、永遠の罰になるかもしれない。それは神の判断による。人間は判定できない。

以上の人物の姿を説明するには次の6つの聖句が適切である。
 
 口語訳 詩  34:18
34:18 主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる。
 
塚本訳 ロマ 5:20-21
5:20 (それなら律法は人を義として永遠の命を与えるためには役立たないのか。その通り。)律法は、過ちを増し強めるために第二義的に来たのである。しかし(神に感謝する、人の犯す)罪が増し強まれば、恩恵は豊かにあふれる
5:21 これは罪が死を持って支配したように、恩恵も義をもって支配し、わたし達の主イエス・キリストによって、(わたし達を)永遠の命に入れるためである。


塚本訳 Ⅰヨハ1:7
1:7 しかしもし神が光の中にあるように、わたし達も光の中を歩いているならば、(神と交わりを持ち、従って)互に(まことの)交わりを持つ(ことができる)のである。そして(たとい罪を犯すことがあっても)、その子イエスの血があらゆる罪から清めてくださる。(かくてわたし達は光の子となるのである。)

塚本訳 マタ 5:43-47
5:43 あなた達は(昔の人がモーセから、)『隣の人を愛し、』敵を憎まねばならない、と命じられたことを聞いたであろう。
5:44 しかしわたしはあなた達に言う、敵を愛せよ。自分を迫害する者のために祈れ。
5:45 あなた達が天の父上の子であることを示すためである。父上は悪人の上にも善人の上にも日をのぼらせ、正しい人にも正しくない人にも、雨をお降らしになるのだから。
5:46 自分を愛する者を愛したからとて、なんの褒美があろう。(人でなしと言われるあの)税金取りでも同じことをするではないか。
5:47 また兄弟にだけ親しくしたからとて、なんの特別なことをしたのだろう。異教人でも同じことをするではないか。



塚本訳 ロマ 12:19-20
12:19 愛する者たちよ、自分で仕返しをするな、(裁きの日の神の)怒りにまかせよ。こう書いてあるではないか、「主は言われる、『仕返しはわたしのもの、』わたしが『報いをする』と。」
12:20 むしろ、『あなたの敵が飢えているなら、食べさせてやれ。渇いているなら、飲ませてやれ。こうするのはその頭に炭火を積むことであるから、(いつかは恥じて悔改める。)』

塚本訳 Ⅱコリ7:8-10
7:8 というのは、あの(烈しい)手紙であなた達を悲しませたにしても、(もはや)わたしは悔いないからである。(前には)悔いたにしても、──わたしは認める、あの手紙が一時はあなた達を悲しませたにしても、……
7:9 (とにかく)今は喜んでいる。(もちろん)あなた達が悲しんだからではなく、悲しんで悔改めたからである。あなた達は神の御心に沿って悲しんだ、だから何事においてもわたし達から害を受けなかったのである。
7:10 なぜなら、神の御心に沿った悲しみは、(人を)救いに入れる悔いのない悔改めをもたらすけれども、この世(的)の悲しみは、(絶望と)死をもたらすからである。

●この部分の黒崎注解は次のようである。

註解: 憂苦に二種ある、一は神に従うの憂いであって、神に対して相済まない、申訳が無いと思う心がそれである。他は世の憂いであって罪の結果叱責を受け、または困難を生ずる場合等において困った事になったと思う心持である。而して前者は悔なきの救いを得るがための悔改を生じ、救われて永生に至るの原因となり、後者は唯徒に憂うるのみであって何等の果を結ばず霊的の死を招く、真の悔改めと然らざるものとの差別はここにある。イスカリヲテのユダの場合は後者であった(マタ27:3)。而してパウロがコリント人を叱責せる場合、彼らは世の憂を持たず、却って神に従いて憂いし結果、パウロ等の叱責が少しの悪結果をも残さなかった、これコリント人の態度が立派であった結果である

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今朝の黙想、朝礼(?)終わり。自戒、自戒、


●TSK日本語版作成。サムエル記上2章。子供が出来なかったハンナが熱心に祈ったら与えられた話。子供は「作る」ものではなく与えられるものだ。しかし与えられなかったり、与えられても結婚しなかったり、トンデモナイ子供に育ったり、親不孝者者だったり、悩みは尽きない。
●その悩みは99%他人と比較するからだ。人間は一人で生まれてきたのだ。

口語訳 ヨブ 1:21
1:21 そして言った、/
「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」。

口語訳 伝  5:15
5:15 彼は母の胎から出てきたように、すなわち裸で出てきたように帰って行く。彼はその労苦によって得た何物をもその手に携え行くことができない

口語訳 エレ 1:5
1:5 「わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、あなたを知り、あなたがまだ生れないさきに、あなたを聖別し、あなたを立てて万国の預言者とした」。

塚本訳 ガラ 1:15-16
1:15 しかし『わたしが母の胎内にいる時から』(すでに)わたしを聖別し、また恩恵によって『召された』お方[神]が、
1:16 異教人に福音を伝えさせるため御子をわたしに啓示する決心をされたその時、わたしはじきに血肉[人間]と相談をせず


●私の知っている素晴らしいクリスチャンの女性にお子様が与えられない。その一人は「『母』というものになってみたかった」と漏らされた。この嘆きにだれが神を恨まずにいられよう。もしその人にお子様が与えられたら、それはそれはすばらしい子供に育っただろう。
●しかし、不妊の悩み、子供が与えられない悩みは親よりも神の方がご存知だ。その悩みは神に知られているからそれでいいのだ。人生は短い。人間は子育てが目的ではない。目的は永遠の命に生きることだ。

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夕方の散歩。春の宵。
讃美歌を43番を歌う。


みかみのたまいし この日も暮れけり、
いざやけさのごと みめぐみをたたえん。

ひかりにむかいて めぐる地とともに、
地にあるみたみは みわざにいそしむ。

くにぐにしまじま しずかに明けゆき、
いのりはもださず、 ほめうたはつきず。

われらにわかれて かくれし日かげは、
西に住む友を みわざにぞさます。

おこりてほろぶる 世のくににかわり、
ときわにさかゆる みくにとうとき。


●そうだ。人生の目的は「永遠の命」に生き。神と共なることを喜ぶことだ。

●夕方の曲ではモーツァルトのヴェスペレ(晩祈)がすばらしい。カトリックの落ち着きというものを感じる。プロテスタント、特に無教会は「わめきあい、いがみあい」ばかりで安息がない。嫌気がさす。宗教性が欠如。


















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必死の祈りは聴かれる ++++++++ 所感

2013/05/05 06:15

130505(日)4時半目覚め●朝の啓示「必死の祈りは聴かれる」●人生で非常困難なことが起こり、八方ふさがりでどうしようもなくなったときにはなりふりかまわず、はしたなく必死に祈ろう。必ず聞かれる。聞かれなくてもダメモト。(ダメでモトモト)、」。しかしそう思わないで全身全霊で祈れば意外なことが起こる。●聖書はその実例を示して我々を励ましてくれる。また実名は良い話なので隠さずに公表する。●そもそも「個人情報の秘密」などは「悪い世」の議論。根本に罪があるからどうしようもない。私おブログは「必死」である。

塚本訳 ルカ 22:42-44
22:42 言われた、「お父様、お心ならば、どうかこの杯をわたしに差さないでください。しかし、わたしの願いでなく、お心が成りますように!」
22:43 そのとき天から一人の天使がイエスに現われて、力づけた。
22:44 イエスはもだえながら、死に物狂いに祈られた。汗が血のしたたるように(ポタポタ)地上に落ちた。

●平民の伝道者、(故)藤沢武義氏のお孫さん(私はその人も母上も知っている)が交通事故で脳挫傷になった。そのニュースを聞いた藤沢武義氏はシャツがずぶ濡れになるまで徹夜の熱祈。すると不思議に快方に向かい、頭も正常になって米国に留学。今はご結婚されている。


塚本訳 マコ 9:20-27
9:20 人々がイエスの所につれて来ると、霊はイエスを見るや否や、その子をひどくひきつけさせたので、子は地に倒れ、泡をふきながらころげまわった。
9:21 イエスが父親に尋ねられた、「こうなってから、どのくらいになるか。」父親がこたえた、「子供の時からです。
9:22 霊はこの子を殺そうとして、幾たびか、火の中、水の中に投げ込みました。それでも、もしなんとかお出来になるなら、わたしども(親子)を不憫と思って、お助けください。」
9:23 イエスは言われた、「もしお出来になるなら(と言うの)か。信ずる者にはなんでも出来る。」
9:24 即座にその子供の父親が叫んだ、「信じます。不信仰をお助けください。」
9:25 イエスは群衆が駆けよってくるのを見ると、(急いで)汚れた霊を叱りつけて言われた、「唖と聾の霊、わたしが命令するのだ、この子から出てゆけ、二度と入るな!」
9:26 霊はどなって、はげしくひきつけさせて、出ていった。子は死んだようになったので、多くの人が、「死んだ」と言った。
9:27 イエスはその子の手をとって起された。すると立ち上がった。

●四国の吉村孝雄氏(平民の伝道者)の集会の貝出久美子さん(私の知人)は父上が病気になられたとき、見まいに行くたびに病室の片隅でボソボソと必死に祈られた。すると父上はあるとき「死んだらお前の信じている神のところに行きたい」と言いだし、葬儀はキリスト教で行ったと久美子さんから聞いた。彼女は今精神病棟の看護婦、天職だ。

塚本訳 マタ 9:18-25
9:18 こう話しておられると、そこに一人の(礼拝堂の)役人が進み出て、しきりに願って言った、「わたしの娘がたったいま死にました。それでも、どうか行って、手をのせてやってください。そうすれば生き返りますから。」
9:19 イエスは立ち上がって彼について行かれた、弟子たちも一しょに。
9:20 するとそこに、十二年も長血にかかっていた女が近寄ってきて、後ろからイエスの上着の裾にさわった。
9:21 「お召物にさわるだけでも、なおるにちがいない」と、ひそかに思ったのである。
9:22 イエスは振り向いて、女を見ながら言われた、「娘よ、安心しなさい、あなたの信仰がなおした。」するとちょうどその時から、女はなおった。
9:23 やがてイエスは役人の家に着いて、笛吹き男と騒いでいる群衆とを見ると、
9:24 言われた、「あちらに行っておれ。少女は死んだのではない、眠っているのだから。」人々はあざ笑っていた。
9:25 群衆が外に出されると、イエスは(部屋に)入っていって少女の手をお取りになった。すると少女は起き上がった。 

塚塚本訳 マコ 7:25-30
7:25 汚れた霊につかれた小さい娘を持つ一人の女が、すぐイエスのことを聞きつけ、来て足下にひれ伏した
7:26 この女は異教人で、スロフェニキア生まれであったが、娘から悪鬼を追い出してほしいとイエスに願った。
7:27 女に言われた、「まず子供たち(イスラエル人)を満腹させなくてはいけない。子供たちのパンを取り上げて、(異教の)小犬どもに投げてやるのはよろしくない。」
7:28 しかし女は答えた、「主よ、是非どうぞ!食卓の下の小犬どもも、子供さんたちのパン屑をいただきます。」
7:29 イエスは言われた、「それほど言うなら、よろしい、帰りなさい。悪鬼はもう娘から出ていった。」
7:30 女が家にかえって見ると、子供は寝床にねており、悪鬼はもう出ていた。


●某所での集まりで、ラザロのよみがえり(ヨハネ11:43)の話をした。「神は死後名前を呼んで私達を復活させて下さる」と話したところ一人の御夫人が必死の目つきで「では洗礼を受けてクリスチャンネームを授けていただかなければなりませんか」と聞いてきた。彼女はご家庭に問題がある上にご自身が癌で余命が短かった。しかしその後彼女の家庭問題は収まり、癌も消えた。すると集会を離れたそうだ。彼女のためには家庭問題が解決せず癌も癒えなかった方がよかったのになーと思う。なぜか。その方が「永遠の命」を頂けたであろうから。家庭のゴタゴタも癌も神の特別(オーダー)の導きの恩恵であったのになー。アー!。
●求道は、はしたなく、見苦しくてよいのだ。「必死なる姿勢」が条件だ。 
 

塚本訳 マコ 10:17-22
10:17 旅行に出ようとされると、ひとりの人が駆けてきて、ひざまずいて尋ねた、「善い先生、永遠の命をいただくには、何をすればよいでしょうか。」
10:18 イエスは言われた、「なぜわたしを『善い』と言うのか。神お一人のほかに、だれも善い者はない。
10:19 (するべきことは神の掟を守ることだけで、)掟はあなたが知っている通り。──『殺してはならない、姦淫をしてはならない、盗んではならない、偽りの証言をしてはならない、』奪い取ってはならない、『父と母とを敬え。』(ただこれだけである。)」
10:20 その人が言った、「先生、それならみんな若い時から守っております。」
10:21 イエスは彼をじっと見て、かわいく思って言われた、「(よく守った。だが)一つ足りない。家に帰って、持っているものをみな売って、(その金を)貧乏な人に施しなさい。そうすれば天に宝を積むことができる。それから来て、わたしの弟子になりなさい。」
10:22 彼はこの言葉に顔をくもらせ、悲しそうにして立ち去った。大資産家であったのである。


●この真面目な青年をイエスはかわいく思った(21節)。しかし「必死なる態度」に欠けていた。全財産を投げ出すほどの「必死なる姿勢」の例は次である。

塚本訳 マコ 12:41-44
12:41 それから賽銭箱の真向いに坐って、群衆が賽銭箱に金を入れるのを見ておられた。大勢の金持が沢山入れているとき、
12:42 ひとりの貧乏な寡婦が来て、レプタ銅貨[五円]二つ、すなわち(ローマの金で)一コドラントを入れた。
12:43 イエスは弟子たちを呼びよせて言われた、「アーメン、わたしは言う、あの貧乏な寡婦は、賽銭箱に入れただれよりも多く入れた。
12:44 皆はあり余る中から入れたのに、あの婦人は乏しい中から、持っていたものを皆、生活費全部を入れたのだから。

●慈善活動の奨励ではない。献金が義とされる条件ではない。神への「必死の思い」を良しとしているのだ。
●神なき慈善活動は人間の名が挙がるのみ。 
●賀川豊彦はベストセラー「死線を越えて」の印税で莫大な収入があったが、それをみんな貧乏な人にくれてやった。
●上智大学の学長であったヘルマンホイヴェrウェス神父の弟はドイツの自動車会社の社長。
「兄さんも高齢だから自動車を買いなさい」と何度もお金を送ったが、ホイヴェrウェス神父はそのたびに貧しい人に捧げた。彼は青年の時に日本に来て一度も故国に帰らなかった。賀川もホイヴェrウェスも「必死なる」生き方だ。
●それに比べて凡人小人は金が入ると遊びやこの世の事業に浪費する。

塚本訳 マタ 6:12-15
6:12 罪を赦してください、わたしたちも罪を犯した人を赦しましたから。
6:13 わたしたちを試みにあわせないで、悪から守ってください。
6:14
(祈る前に、まず人の罪を許さねばならない。)あなた達が人の過ちを赦してやれば、天の父上もあなた達を赦してくださるが、
6:15 人を赦さないならば、父上もあなた達の過ちを赦してくださらないであろう。

●人の罪は赦せない。ことに自分を傷つけた人間はどんなに努力しても許せない。報復したい。正義の貫徹が必要だと思う。これが戦争の根本精神。
●「まず人の罪を赦す」ことがなかなかできない。その実行は不可能だから「主の祈り」で必死に毎日祈るのだ。毎日に「必死の姿勢」がある。
●カトリック高円寺教会は建物が戦時中軍部の施設として接収されていた。戦争が終わったのでその神父が教会堂を返してほしいと言うと、憲兵が「生意気な」と言って射殺した。教会の役員たちはもう神父は帰ってこない。イエスは「七度を七〇倍するまで赦せ」と」あるから憲兵を赦してその救いを祈ろうと決定。祈った。これ人間の本能に逆らう「必死の姿勢」。すると何十年後に佐々木某という男がその教会に「あの時神父を射殺したのはこの私です。どうしたらよいでしょうか」と言ってきた。「祈りは聴かれた」万歳。次の言葉を思う。

塚本訳 ヨハ 12:24
12:24
アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)

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朝の黙想終わり。これから妻と集会へ出かける。これも必死の姿勢だ。エクレシアは全員が必死の人間の集まりでなければならない。知的遊びのレジャー集団であってはならない。



●毎日曜日に教会(集会)に行くということは皆何かしら家庭内で戦いがある。この戦いは「必死」である。
●この世の無神論者は「お祈りなんて役に立たない。行動だ、行動だ」と狂い叫ぶ。こういう態度の信者が無教会の中にいるから困るのだ。彼らは神を信じているのだろうか。自分の腹(思想)を神としているのだ。

塚本訳 ピリ 3:19
3:19 あの人達の最後は破滅、その神は自分の腹、その光栄(と考えているもの)は(実は)恥であって、あの人達は(ただ)地のこと(ばかり)に気を取られているのだ

●8:00 妻と集会へ。中央線車中で精神科医の中村陸郎先生(渋谷集会)に」会い、吉祥寺まで懇談。今年81歳になられ、今でも週3日半は御出勤。昨年は白馬登山されたtろいう。この話に妻は大喜びであった。
●10:00 集会は宮崎(司会)、高木(福音書における詩編の引用)、高橋(イエスの言葉がわかる時)。ペテロの信仰告白(マタイ16:17)はニコデモの告白(ヨハネ3:2)と同じで奇蹟を見ての信仰であって、復活の霊に触れての信仰ではないから「信用ならなかった」。現にそのペテロの大告白(マタイ16:16)のその直後にイエスに「悪魔!」と叱責されている。(マタイ16:23)。感話の内容は下記

http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/130504.htm

期せずして3人の心が一致した。琴線に触れあった。


●終了後、某夫人から「イエスを否んだペテロは最後は悔い改めました。あまりペテロの悪口を言わないでください」と叱られた。「すみません」と謝った。
●昼食は小寺ご夫妻と。話題は筆記用具の一流品について。
●あきる野についてからの足取りが重くなり、妻に指摘された。集会の感話の日は疲れるようになった。今年で31年目。御心ならば体力の続く限り聖書の感話をしよう。御心のままに。御心のままに。
●福音のための少しぐらいの疲労は次のようなパウロの苦労を思えば「ナンノコレシキ」だ。

塚本訳 Ⅱコリ11:27-28
11:27 苦労し辛苦した、度々徹夜し、飢えまた渇いた、度々絶食し寒く着る物がなかった。
11:28
(その上、)ここで言えないことは別として、毎日わたしに押し寄せる(山のような)事件、すべての集会のための心配。









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イエスの言葉がわかる日 ++++++++ 所感

2013/05/04 07:00

130504(土)朝の黙想「イエスの言葉がわかる日」●NHKの名番組に「その時歴史は動いた」があったが残念ながら終了。●良い事には「時」が必要だ。それは「神が動かれ、腰を上げる」時だ。●「わかる日」と言っても我が国の諺である「子をもって知る親の恩」「かわいい子には旅をさせよ」という教訓ではない。神が働かれる日だ。

口語訳 伝  3:1-8
3:1 天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある
3:2 生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
3:3 殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり、
3:4 泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり、
3:5 石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
3:6 捜すに時があり、失うに時があり、保つに時があり、捨てるに時があり、
3:7 裂くに時があり、縫うに時があり、黙るに時があり、語るに時があり、
3:8 愛するに時があり、憎むに時があり、戦うに時があり、和らぐに時がある。


●聖書の世界では、O・クルマン「キリストと時」(前田護郎訳)、コンツェルマン「時の中心」(田川建三訳)がある。聖書では「時」の概念が重要である。仏教やギリシャ哲学とは異なる。
●人間はイエスの言葉、聖書、福音が分かるのは「ある日、ある時」である。それはその人に神が動かれる時である。それまでは周囲がいくら「やきもき」したり怒っても効果はない。それは時が来なければいつまでも「聞かれざる祈祷」(内村鑑三)である。そしてそれは必ず来ると信じる。信じ貫く。今朝はこの真理の聖書的根拠を探ってみよう。不思議にヨハネ福音書が多い。

塚本訳 ヨハ 4:23
4:23 しかし(ユダヤ人もサマリヤ人もなく、)本当の礼拝者が霊と真理とをもって父上を礼拝する時が来る。いや、今もうきている。父上もこんな礼拝者を求めておられるのである。

塚本訳 ヨハ 14:25
14:25 わたしはこれだけのことを、
(まだ)あなた達と一しょにおるあいだに話した。(これ以上のことは話してもわからないからだ。)

塚本訳 ヨハ 15:26
15:26 (また)わたしが父上のところからあなた達に遣わす弁護者、すなわち父上のところから出てくる真理の霊が来る時、それがわたしのことを(すべて)証明するであろう。

塚本訳 ヨハ 16:12-13
16:12 まだ沢山言うことがあるが、(今は言わない。)あなた達にはいまそれを理解する力がない。
16:13 真理の霊が来る時、彼があなた達を導いていっさいの真理を悟らせるであろう。(いっさいの真理というのは、わたしと同じく、)彼は自分勝手に話すのではなく、(父上から)聞いたことを話すからである。また将来起るべき(世の終りの)ことをあなた達に知らせるであろう。

塚本訳 ヨハ 16:26
16:26 その時あなた達は、(前に言ったように)わたしの名で(父上に)お願いするのである。しかし(わたしの名で、と言っても、)それはわたしがあなた達のために父上に願ってあげると言うのではない。(その必要はない。)

塚本訳 ヨハ 8:21
8:21 するとまた(くりかえして)彼らに言われた、「わたしはわたしを遣わされた方の所に行く。(その時)あなた達はわたしをさがすが、(もはや会うことができず、)自分の罪のうちに死ぬであろう。わたしの行く所に、あなた達は来ることが出来ない(からだ)。」

塚本訳 ヨハ 12:32
12:32 (しかし)わたしは地から挙げられた時、みんなをわたしの所に引き寄せるであろう。」

塚本訳 ヨハ 13:7
13:7 イエスが答えて言われた、「わたしが何をしているのか、いまはあなたにわからない。(わたしがいなくなった)あとでさとるだろう。」

塚本訳 ヨハ 20:17
20:17 イエスが言われる、「わたしにすがりつくな。まだ父上の所に上っていないのだから。わたしの兄弟たち(弟子たち)の所に行って、『わたしは、わたしの父上、すなわちあなた達の父上、わたしの神、すなわちあなた達の神の所に上る』と言いなさい。」

塚本訳 ヨハ 2:22
2:22 だから死人の中から復活された時、弟子たちはこう言われたことを思い出して、聖書とイエスの言われた言葉と(が本当であること)を信じた。

塚本訳 ヨハ 13:7
13:7 イエスが答えて言われた、「わたしが何をしているのか、いまはあなたにわからない。(わたしがいなくなった)あとでさとるだろう。」

塚本訳 ヨハ 16:1-2
16:1 このことを話したのは、(わたしがいなくなったあとで、)あなた達が(信仰に)つまずかないためである。
16:2 彼らはあなた達を礼拝堂追放にするにちがいない。それどころか、あなた達を殺す者が皆、神に奉仕しているかのように思う時が来るであろう。

塚本訳 ヨハ 16:32
16:32 見ていなさい、みなちりぢりになって自分の家にかえり、わたしを独りぼっちにする時が来るから、いや、もう来ている。しかしわたしは独りぼっちではない、父上がいつも一しょにいてくださるのだから。

塚本訳 ヨハ 2:4
2:4 イエスが言われる、「女の方、〃放っておいてください。〃わたしの栄光(を示す)時はまだ来ておりません。」

塚本訳 ヨハ 2:21-22
2:21 しかしイエスは自分の体のことを宮と言われたのであった。
2:22 だから死人の中から復活された時、弟子たちはこう言われたことを思い出して、聖書とイエスの言われた言葉と(が本当であること)を信じた。

塚本訳 ヨハ 16:32
16:32 見ていなさい、みなちりぢりになって自分の家にかえり、わたしを独りぼっちにする時が来るから、いや、もう来ている。しかしわたしは独りぼっちではない、父上がいつも一しょにいてくださるのだから。

●「時」の概念はヨハネ神学の基調ではあるまいか。
●復活は「歴史内」「時の一部」である。終末も「その時」である。
●東日本大震災も福島原発事故も「時」であった。「その時」は神が支配する。
●人が死ぬのも「時」である。しかしそれも神の支配のうち。
●「桃栗3年、柿8年、柚子のバカヤロ18年、人の救いは最後の日」

塚本訳 ロマ 8:28
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。

●「すべてのこと」というのは「時の中」のことだ。
 
口語訳 伝  11:1
11:1 あなたのパンを水の上に投げよ、多くの日の後、あなたはそれを得るからである。

●神によって投げさせられたパンはむなしく終わらない。

口語訳 箴  31:25
31:25 力と気品とは彼女の着物である、そして後の日を笑っている。

●これはユダヤ人の理想の妻である。神様がついているから大丈夫と将来を悲観しない。


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朝の黙想 終わり。神は時を支配する。「その時」は神の胸の内。しかし必ず来る。 
  
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  図書館と東急の帰途、雨がぽつぽつ降ってきた。速く家に帰ろう。

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家の軒下に鳥が死んでいた。妻を呼ぶと「ウグイスだわ。かわいそうに」と言う。
寿命なのかなー、それとも鳴く時期が終わったので使命を終えたのかなー。
人間は使命のあるうちは死なないと言われる。
人間の使命。それは「子育て」ではない。神を信じて生き抜くことだ。神を喜ぶことだ。

穴を掘って手厚く葬った。生き物の命は短い。

「願はくは 花の下にて 春死なむ その如月の望月のころ」(西行)

この名歌は、母が逝ったときにブログに書いたもの。あれから早9年が経つ。
 
●TSK日本語版作成は、サムエル記上。全31章。完成は6月4日。










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苦痛を和らげる聖書 ++++++++ 所感

2013/05/03 06:05

130503(金)3時半目覚め。床の中で黙想「苦痛を和らげる聖書」。●人生の長旅では「神様、どうしたらいいのでしょう」と呻く魂の激痛の時がある。その呻きは神に必ず聞かれる。必ず平和平安の道に導かれる。●そんな時は魂の痛みを和らげるモルヒネとしての聖書がある。●今朝はそんな時、啓示された聖句を掲げてみよう。●十字架に架けられたイエスにその激痛を和らげようと)『苦艾』(にがよもぎ)を混ぜた葡萄酒を含ませようとした。ヨハネ伝では棒の先端にそれを浸した海綿で(ヨハネ19:28-29)

塚本訳 マタ 27:34
27:34 人々は(苦痛をやわらげるために)『苦艾(にがよもぎ)』を混ぜた葡萄酒を『飲ませようとした』が、なめただけで、飲もうとされなかった。

●これはモルヒネ。しかしイエスは肉体の苦痛より精神的苦痛の方が耐えられなかったのである。それで暗記していた聖書を朗誦した。モルヒネは魂の苦痛を和らげるために効き目はないと思われたのだ。

塚本訳 マタ 27:45-46
27:45 昼の十二時から地の上が全部暗闇になってきて、三時までつづいた。
27:46 三時ごろ、イエスは大声を出して『エリ エリ レマ サバクタニ!』と叫ばれた。これは『わたしの神様、わたしの神様、なぜ、わたしをお見捨てになりましたか!』である。

●我々も、肉体の苦しみは何とか忍び通せても、魂の苦痛懊悩はこれいかんともしがたい。その時はイエスがそうであったように聖書で苦痛を和らげなければならない。聖書の言葉が魂の激痛を和らげてくれる。
●現在癌で亡くなる人は4-5割。そして最後の肉体の激痛はひどいものだ。肺癌で逝った母を見てそれを感じる。しかし肉体の苦痛を緩和する新薬はどんどん開発されているらしいが、残されるのはメンタル(精神面)の緩和だという。
●肉体の苦痛は一瞬のはずだ。しかし魂の苦痛はこれ癒すことはむずかしい。
●我々にとって魂のモルヒネは聖書と聖霊だ。
●神から今朝投与されたモルヒネなる「御言葉」を掲げてみよう。


塚本訳 ロマ 8:26-27
8:26 しかし(創造物やわたし達神の子が苦しんでいると)同じように、御霊も、弱いわたし達を助けてくださる。すなわち、(神のみ心にかなうには)どう何を祈るべきかわからないので、御霊自身が、無言の呻きをもって(わたし達の祈りを神に)執り成してくださるのである。
8:27 しかし(人の)心を見抜くお方[神]は、御霊が何を求めているか、すなわち、御霊が神の御心にかなうように聖徒たちのために執り成しておられることを、(もちろん)御存じである。 

●「無言の呻き」。これが尊い呻き。神が聞いていてくださる。復活のキリストは我らの悩みを全部知って下さり、一緒に「呻いて」くださる。あーありがたいありがたい。神に知られたのだ。


塚本訳 黙    8:13
8:13 すると(その時)私は見た、そして一羽の(大)鷲が中空を飛びながら大声で(こう)言うのを聞いた、「禍なる哉、禍なる哉、禍なる哉、地に住む者、三人の御使いが吹こうとしている残るラッパの声の故に!」

●「禍なる哉」は3回繰り返されるが塚本訳の振り仮名(ルビ)はギリシャ語の「ウワイ」となっている。「ウワイ、ウワイ、ウワイ」。このひびきは我々の魂の心底の呻きの声のようである。塚本訳がここでギリシャ語を振り仮名(ルビ)にしたやむにやまれずの気持ちを思う。

塚本訳 Ⅰコリ16:22
16:22 主を愛しない者があるなら、呪われよ!、マラナ、サ(主よ、来てください)!

●これ、初代教会信者の叫び。終末の希求。
●東北大震災と福島原発事故で多くの人が行き詰まり苦しんだとき、私は必死に終末を祈った。「早く世の中終わってほしい」と。
●その時「正義」は貫徹するのだ。悪は必ず罰せられる。人が罰さなくても神が罰する。

塚本訳 マタ 20:28
20:28 人の子(わたし)が来たのも仕えさせるためではない。仕えるため、多くの人のあがない金としてその命を与えるためである。」

●悪人は救われる。罪人は救われる。真っ先に救われる。我々は赦せなくても神は赦して清めて救う。

塚本訳 Ⅰコリ15:58
15:58 だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ。骨折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから。

●人生で一番空しい思いがするのは「無駄意識」である。しかし主にあって苦しみ」「骨折り」することはそのこと自身が決して「無駄」にならない。それが「天に宝を積む」ことなのだ。

塚本訳 Ⅰコリ10:13
10:13 人間の力に余る試みが、あなた達をおそったことはないのである。神は誠実であられる。あなた達が耐えられない程に試みられることを、お許しにならない。試みに添えて、(かならず)逃げ道をもつくっておいてくださるので、それに耐え得るのである。


●「逃げ道」は意外な方法で開かれる。
●神は我々に「耐えられない程に試みられることを、お許しにならない」は慰めである。
●なぜ我々に「苦難」が襲いかかってくるかというと、精錬されるため、「金くそ」つまり「不純物」が吹き払われるためであるとヒルティはしきりに言う。清められるためである。

新共同 ヘブ 12:5-6
12:5 また、子供たちに対するようにあなたがたに話されている次の勧告を忘れています。「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、/力を落としてはいけない。
12:6 なぜなら、主は愛する者を鍛え、/子として受け入れる者を皆、/鞭打たれるからである。」

●主は「愛する者を鞭打ち給う」。
●なぜか。「子として受け入れる」ため。だから喜び、喜べ。天での報いは大きい。

新共同 ヘブ 12:7-12
12:7 あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。
12:8 もしだれもが受ける鍛錬を受けていないとすれば、それこそ、あなたがたは庶子であって、実の子ではありません。
12:9 更にまた、わたしたちには、鍛えてくれる肉の父があり、その父を尊敬していました。それなら、なおさら、霊の父に服従して生きるのが当然ではないでしょうか。
12:10 肉の父はしばらくの間、自分の思うままに鍛えてくれましたが、霊の父はわたしたちの益となるように、御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです。
12:11 およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。
12:12 だから、萎えた手と弱くなったひざをまっすぐにしなさい。

●試練があるのは「実の子」である証拠。叱るのは真剣だから。一時預かりの孫は叱らない。

塚本訳 ロマ 5:1-5
5:1 だから、わたし達は信仰のゆえに義とされたのであるから、わたし達の主イエス・キリストによって、いま神と平和ができた。
5:2 そうだ、キリストにより、信仰で、わたし達はいまいるこの恩恵の状態に入ることができ、また(最後の日に)神の(子になることを信じて、その)栄光にあずかる希望を誇っているのである。
5:3 そればかりではない。苦難をも誇る。苦難は忍耐を、
5:4 忍耐は鍛錬を、鍛錬は希望を生むことを知っているからである。
5:5 そしてこの『希望は(必ず実現して、わたし達を)失望させることはない。』神はわたし達に聖霊を授け、それによって愛をわたし達の心の中に(いつも豊かに)注いでいてくださるからである。


●我々は「希望」に生きる
●万物の「復興」を固く信じつつ、「十字架を負って」歩もう。 

塚本訳 マタ 11:28
11:28 さあ、疲れている者、重荷を負っている者はだれでも、わたしの所に来なさい、
休ませてあげよう。

●真の休息、安らぎは人間になく主キリストにある。
 
塚本訳 ピリ 1:29
1:29 君達はキリストのために──ただ彼を信ずるばかりでなく、また彼のために苦しむことをも恵まれからである。

●集会の故松島省三先生(稲の博士。ノーベル章級の業績を残された)が出征するとき、夫人の故信子さんは紙切れにこの句(文語)を走り書きしてホームで先生のポケットにねじ込んだ。走り出した列車の中で、これを見た先生は滂沱の涙。「この時ほどクリスチャンの女房をもらってよかった」と思われたことはなかったそうだ。帰還してみるとお子様が亡くなっていることを知った。私は先生の晩年に新座市のお住まいを設計した。しかしそこに住まわれた期間は短かった。その死に顔は実にノーブルであった。先生の死後、ご次男は大回心された。

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朝の黙想終わり。聖書は苦しいときの「癒し」。 

●妻と野鳥の森・こども自然公園に散策
家から徒歩。10時出発14時15分帰宅。

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あきる野に住んで30年。思い出に詰まった道を歩く。
平井川 

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通りすがりの道端のバラ。花の名前は妻に教えてもらう。  


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ツツジで有名な西多摩霊園。
知っている3人が眠る。近所であったM君(子ともたちと同世代)は中学一年、その父親(私と同世代)は 60代、集会のNさんは80代だったか。「また会う日まで。」 
Nさんは仏教の戒名。御身内にクリスチャンがおられなかった。いいさ、いいさ。これでいいんだ。墓はこの世のことだ。

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作曲家の山田耕筰もこの霊園に眠る。「夕焼け小焼け」の詩と楽譜の石碑。 

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峠で弁当。人生の歩みきし道を振り返って神に感謝。もう少しだ。
御長男を戦争で失くされた篤信の老婦人(故人)が「一郎、もう少しですよ」と祈っておられたのを 思い出した。

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「藤の花よ」と指差す妻。見ると高いところに見事な藤が咲いていた。
 

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野生のつつじ。妻はこういう花が好きだという。
神にのみ見られる存在だからか。 

文語訳 マタ 6:6
6:6 なんぢは祈るとき、己が部屋にいり、戸を閉ぢて、隱れたるに在す汝の父に祈れ。さらば隱れたるに見給ふなんぢの父は報い給はん


塚本訳 マタ 6:6
6:6 あなたが祈る時には、『奥座敷に入り、部屋をしめきった上で、』隠れた所においでになるあなたの父上に『祈れ。』そうすれば、
隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。














 

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子供や孫に泣かれて親は反省する ++++++++ 所感

2013/05/02 05:55

 130502(木)朝の啓示「子供が叫ぶのだ」●昨日、子供に泣かれて親が反省した話を聞いた。これは人生の真理だ。「負うた子に教えられ」である。●自分の悪いところは誰に注意されると「効くか」。●強い者(為政者、宗教界、牧師、説教者、伝道者、人格者、道徳家、教師、親、妻(!)から注意されてもあまり効き目がないが、無抵抗の弱い者(特に子や孫)から不満を漏らされたり泣かれると「応(こた)える」・・・身にしみて感じること。広辞苑。●この大真理を聖書に探ってみよう。

塚本訳 マタ 21:15-16
21:15 すると大祭司連や聖書学者たちは、イエスがされた不思議な業と、宮(の庭)で子供たちが、「ダビデの子に『ホサナ!』」と言って叫んでいるのを見て憤り、
21:16 イエスに言った、「あの子供たちがなんと言っているのか、聞えているのか。」イエスは言われた、「聞えている。あなた達は『(神よ、)あなたは幼児と乳飲み子との口によって、(御自分のために)賛美をお備えになった』と詩篇にあるのを、まだ読んだことがないのか。(大人が黙っているから、子供が叫ぶのだ。

●塚本敷衍の(大人が黙っているから、子供が叫ぶのだ。)は意味が深い。大人が大人に注意しても効き目がないが純粋無垢の子供が叫べば効果がある。だからこれは神の摂理。

塚本訳 マタ 11:25
11:25 その時イエスは声をはげまして言われた、「
天地の主なるお父様、(神の国の秘密に関する)これらのことを(この世の)賢い人、知恵者に隠して、幼児(のような人たち)にあらわされたことを、讃美いたします。

●神の国の真理は頭の強い人、品行方正の人にのみ分かるのではない。
●かえって頭の悪い弱い人、人生失敗した人にわかるようにできている。

塚本訳 マタ 5:38-41
5:38 あなた達は(昔の人がモーセから、)『目には目、歯には歯』──(人の目をつぶした者は自分の目で、人の歯を折った者は自分の歯で、つぐなわなければならない)と命じられたことを聞いたであろう。
5:39
しかしわたしはあなた達に言う、悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打ったら、左をも向けよ。
5:40 (裁判所に)訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせてやれ。
5:41 だれかが無理に一ミリオン[一キロ半]行かせようとするなら、一しょに二ミリオン行ってやれ。 
 
●これは無抵抗主義の真理。神は弱者の味方。無抵抗者の味方。
●弱者や無抵抗者をいじめる人間や国は「良心に恥じる」ようにできている。もし恥じなければ、「良心をもたない人間」「恥を知らない鬼畜」。神が滅ぼす。 
●スイスが他国から攻撃されないのは中立国スイスを攻撃する国は世界中から叩かれるから。
●クリスチャンであったマッカーサーは日本を「東洋のスイスたれ」と思って占領政策を行ったが、日本人はその高度な精神を理解できなかった。今も出来ていない。「押し付け憲法だ」などと言ってせっかくの憲法第9条を変えようとしている。 
●無抵抗主義の精神は神なき日本には全く通じない。憲法9条の廃止に向かいつつある。憲法第9条はヒューマニズムでは維持できない。日本が 福音に打ち砕かれなければ無理。
●尖閣列島、北方領土問題また同じ。 神抜きのこの世の知恵では解決しない。 論争あるのみ。

 口語訳 詩  2:1-4
2:1 なにゆえ、もろもろの国びとは騒ぎたち、もろもろの民はむなしい事をたくらむのか。
2:2 地のもろもろの王は立ち構え、もろもろのつかさはともに、はかり、主とその油そそがれた者とに逆らって言う、
2:3 「われらは彼らのかせをこわし、彼らのきずなを解き捨てるであろう」と。
2:4 天に座する者は笑い、主は彼らをあざけられるであろう。

●領土問題に関しては神なき世に無抵抗主義を語っても徒労。
●親の財産問題を巡っての子供達の争いは、子供のうちの誰か一人が「私はいらないよ」と言い出せば解決するという。そういう人は神から褒美を頂ける。

塚本訳 マタ 10:13-15
10:13 もしその家が(その祈りをうけるのに)ふさわしければ、あなた達の(祈った)平安はかならずその家に臨み、もしふさわしくなければ、その平安はあなた達にもどってくる。(そしてあなた達のものとなるのである。)
10:14 しかし人があなた達を歓迎せず、あなた達の言葉に耳をかたむけないなら、(すぐ)その家なり町なりを(出てゆけ。そして)出てゆくとき、(縁を切った証拠に)足の埃を払いおとせ。
10:15 アーメン、わたしは言う、(最後の)裁きの日には、あの(堕落町)ソドムやゴモラの地の方が、まだその町よりも罰が軽いであろう。

●13節の「その家」は「その人」に読み変えることができる。
●手のつけられない万策尽きたダメ人間は神が罰する。子供が叫ぶ。神が乗り出す。

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朝の黙想 終わり。この世の難問は終末が来て解決する。その時万物が清められて復興する。

●朝のニュースで「プライバシー権を憲法に入れるかどうかの議論が湧きあがった」という報道。 これを聖書的に考える。
●ヒルティは人間にはその根底に「恐怖」があり、神を信じて歩む人間はその恐怖から解放されて「安らか」に歩めるという。
●プライバシーが侵害されるという「恐怖心」があるから権利を保護しようというのだ。しかしこれは浅はかなことだ。法律で罰しても「プライバシーの侵害」は止められないし、その法律ができたから「安心だ」ということもない。
●第一に人間は自分の罪を神に隠してはならない。神はプライバシーを全部知っている。鵜の毛のような罪も赦さない。心の中の罪も神には隠せない。
●プライバシー侵害に伴う「災い」は神がこれを守ってくださる。
●神の守りなくして人間は「恐怖心」から真に解放されない。聖書は次のように言う。神なきこの世にはこのことは通じないのだが、・・・・

口語訳 詩  121:5-8
121:5 主はあなたを守る者、主はあなたの右の手をおおう陰である。
121:6 昼は太陽があなたを撃つことなく、夜は月があなたを撃つことはない
121:7 主はあなたを守って、すべての災を免れさせ、またあなたの命を守られる
121:8 主は今からとこしえに至るまで、あなたの出ると入るとを守られるであろう。

●一般に「プライバシーの侵害だ」と狂い叫ぶ人間はその根底に「恐怖心」がある。自分の財産を失い、名誉を傷つけられ、地位が危うくなるというのである。間違い。そういう人間は別の角度から財産、名誉、地位を失う。
●塚本虎二先生の聖書雑誌「聖書知識」には「雑感雑録」という毎日の日記があり、そこには人物名が本名ないしイニシャルで出ていたりする。ある人があのイニシャルの人物は誰ですか尋ねると、先生は「それは詮索しなくてもよい。悪いことが書いてあったら君のことと思え。良いことが書いてあったら君以外のことだと思いたまえ」と答えられた。内村鑑三の聖書雑誌「聖書之研究」の「日々の生涯」という日記も活人生が生き生きと出ていて面白い。ヒルティは「演説は生活なり」と言っている。
●Oさんは塚本先生のお住まいの近くにアパートを借りようとして先生にご相談したことがある。すると先生は日記で「私は不動産屋の仕事もしなければならない」と嘆きを書かれ。ところがOさんが伺った月日と違う。この日記を読まれたOさんは「アーよかった私と同じような人がいた」と安心された。しかしおそらく先生はOさんを傷つけまいとわざと月日を変えたことは明らか。「日々の日記は最大の説教」。先生は日記を利用して教育された。それは人を陥れる「プライバシーの侵害」とは次元が違う。
●何もかにも隠している人間はかっこいい事きり公表しないから、結局その人の人生は世のためにならない。影響を与えない。

塚本訳 Ⅰヨハ1:7-9
1:7 しかしもし神が光の中にあるように、わたし達も光の中を歩いているならば、(神と交わりを持ち、従って)互に(まことの)交わりを持つ(ことができる)のである。そして(たとい罪を犯すことがあっても)、その子イエスの血があらゆる罪から清めてくださる。(かくてわたし達は光の子となるのである。)
1:8 もしわたし達が自分に罪はない、と言うならば、自分をごまかしているのであって、真理はわたし達の中にない。
1:9 もし罪を正直に言うならば、神は真実で、正しいお方であるから、わたし達の罪を赦し、あらゆる不義から清めてくださるのである。

●人生を「安らかに」歩むためには罪を隠すのではなく、罪を神に告白して赦され清められて光の中に導かれることだ。「御心のままに、御心のままに」という人生観だ。これが幸福なる人生。ヒルティの幸福論はじめ全著作はそれを言う。
●神の啓導による「安らかな道」。これ以外に幸福はあるか。あるなら教えていただきたい。
●幸福は経済、健康、地位、職場、家庭、家族、趣味でないことは一度試してみることだ。内村は「実験が大切」だという。人生は一度きりない。真の幸福は失敗して泣いてわかるものだ
●TSK日本語版作成。ルツ記3章。なぜ神の名が出てこない本書が聖書に取り入れられたかを考えるに、この素晴らしい女性ルツはイスラエル建国のダビデのルーツであるということを言いたいのだろう。
●某氏、恋愛で知り合った女性とと結婚するために塚本先生の弟子の某先生に結婚式をお願いに上がった。その弟子は塚本先生の著作の「結婚と信仰」を彼女に渡したが、彼女はその本を床に叩きつけたという。ご立派。某氏との結婚はそれで不成立。当たり前だ。某氏は彼女と結婚しなくてよかった。某先生は「煮え湯を飲まされた」と言われた。
●この女性、信仰以前に一般教養として「ルツ記」でも読んでおくべきだった。聖書は人間として教養の内だ。
●庭の草むしり。草むしりのたびに思うこと、昭和天皇は「雑草という名の草はない」。人間も同じだなー。
●父は、私が昆虫採集してきた虫をすぐ「逃がしてやれ」と言ったものだ。また草刈りをしていると「刈らなくてよい。冬になれば自然に刈れる」とも言ったものだ。父逝きて来月で早21年だ。私は自然に生き、自然に死にたいものだ。
●図書館に行きがてら撮影散歩。下記の聖書の句は 総て父(生涯病弱で苦しんだ)が愛唱していたものだ。

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口語訳 詩  19:1-2
19:1 もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。
19:2 この日は言葉をかの日につたえ、この夜は知識をかの夜につげる。

新改訳 詩  19:1-2
19:1 天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。
19:2 昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。

新共同 詩  19:1-2
19:1 【指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。】
19:2 天は神の栄光を物語り/大空は御手の業を示す。

NKJV 詩  19:1-2
19:1 The heavens declare the glory of God;And the firmament shows His handiwork.
19:2 Day unto day utters speech,And night unto night reveals knowledge.

TEV 詩  19:1-2
19:1 How clearly the sky reveals God's glory! /How plainly it shows what he has done!
19:2 Each day announces it to the following day; /each night repeats it to the next.

●そうだなー。神の実在は不思議な意外な方法で伝わっていくものだなー。

「語らずいはずその声きこえざるに、そのひびきは全地にあまねくそのことばは地のはてにまでおよぶ」(文語訳 詩編3-4節)

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塚本訳 マタ 6:28-30
6:28 また、なぜ着物のことを心配するのか、野の花の育つのを、よく見てごらん、苦労をせず、紡ぐこともしない。
6:29 しかし、わたしは言う、栄華を極めたソロモン(王)でさえも、この花の一つほどに着飾ってはいなかった。
6:30 きょうは花咲き、あすは炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこんなに装ってくださるからには、ましてあなた達はなおさらのことではないか。信仰の小さい人たちよ!



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塚本訳 マタ 6:25-27
6:25 だから、わたしは言う、何を食べようかと命のことを心配したり、また何を着ようかと体のことを心配したりするな。命は食べ物以上、体は着物以上(の賜物)ではないか。(命と体とを下さった天の父上が、それ以下のものを下さらないわけはない。)
6:26 空の鳥を見てごらん。まかず、刈らず、倉にしまいこむこともしないのに、天の父上はそれを養ってくださるのである。あなた達は鳥よりも、はるかに大切ではないのだろうか。
6:27 (だいいち、)あなた達のうちのだれかが、心配して寿命を一寸でも延ばすことが出来るのか。




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