to 日記と感想 2013年07月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    180422(日)   杉並公会堂・武蔵野室内合奏団「英雄」
    171229    TM誕生日
    180224   14:30 トミ子、モーチァルト{レクイエム) 171220     KK誕生日
    171225(月)10:45 聖路加診察脳神経外科桑本医師
    171218(月)10:30 聖路加MRI
    171203(日)14:00 無教会浦和集会、助川光子講演
    171126(日)  兄光男、弟靖男と三人会。於・日本橋
    171119(日)15:00 秋川キリスト教会、後藤牧人講演会
    171115    TM誕生日
    171107(月) TI手術、聖路加 171105(日) 照男・トミ子集会感話、トミ子午後郡山にSS見舞い
    171103(金)13:00南原繁研究会学士会館
    171030(月)10:00 聖路加 桑本先生


罪が増し強まれば、恩恵は豊かにあふれる。 ++++++++ 所感

2013/07/31 08:57

130731(水)朝起きるときのあの激痛は和らいでいる。漢方薬が効き始めたのか、30分ごとのストレッチの効果か。●朝の啓示「罪が増し強まれば、恩恵は豊かにあふれる。」(ロマ5:20b)●光のありがたさがわかるためには暗黒の悩みなければならない。人生は失敗の嘆きがあって救いの喜びがある。涙があって笑いがある。屈伸があって成長がある。竹は節があって強くなる。子供は反抗期という節があって成長する。●今朝はこれに関連する聖書を黙想してみよう。●まず、ロマ書5:20の翻訳比較

文語訳 ロマ 5:20
5:20 律法の來りしは咎の増さんためなり。されど罪の増すところには恩惠も彌増せり


口語訳 ロマ 5:20
5:20 律法がはいり込んできたのは、罪過の増し加わるためである。しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた


新改訳 ロマ 5:20
5:20 律法がはいって来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、
罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。


新共同 ロマ 5:20
5:20 律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、
罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。


塚本訳 ロマ 5:20
5:20 (それなら律法は人を義として永遠の命を与えるためには役立たないのか。その通り。)律法は、過ちを増し強めるために第二義的に来たのである。しかし(神に感謝する、人の犯す)罪が増し強まれば、恩恵は豊かにあふれる


●これがパウロのトーンである。これがわかれば人生の失敗、結婚の失敗、子育ての失敗も意味があることが分かる。
●しかしパウロの言葉は「説明」に過ぎない。失敗人生の意義は説明では納得できない。実際に「恩恵」「救い」を頂いたときに初めてこの句がかるというものだ。
●頭から出てくる関連聖句を上げてみよう。

塚本訳 ロマ 3:23
3:23 なぜか。すべての人が罪を犯したため、いまだれ一人、(かつて持っていた)神の栄光をもたない。


塚本訳 ロマ 11:32
11:32 つまり神はすべての人を不従順の中に閉じこめられたが、これはすべての人に憐れみを施すためであった。


塚本訳 ガラ 3:22
3:22 しかし(律法は命を与えるものでなく、人を罪に閉じこめる力をもつだけである。)聖書はすべての人を(律法によって)罪の下に閉じこめ、イエス・キリストを信ずる信仰によって、信ずる者に約束が与えられるのである。(律法は約束に矛盾しない。むしろこれに導く家庭教師である。)

●今、悪魔の罠にはまって神がわからず罪の中にうごめいて苦しんでいる人には「絶対恩恵による無条件の罪の赦し」という救いの光が射しこむ。
●どんなに崩壊した家庭でも救いは訪れる。暗ければ暗いほど光は強くなる。

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朝の黙想おわり。●パウロの説明は理論だが、イエスの言葉は「実際」である。次がそれである。

塚本訳 マタ 21:28-32
21:28 いったいあなた達はどう思うか。──ある人に二人の息子があった。長男の所に行って、『坊や、きょう葡萄畑に行って働いてくれ』と言うと、
21:29 長男は『いやです』と答えたが、あとで後悔して出かけた。
21:30 つぎに次男の所に行って同じように言うと、こちらは、『お父さん、承知しました』と答えたが、行かなかった。
21:31 この二人のうち、どちらが父の心を行ったのだろうか。」「もちろん長男」と彼らが答える。イエスが言われる、「アーメン、わたしは言う、税金取りや遊女たちは、あなた達よりも先に神の国に入るであろう。
21:32 そのわけは、(洗礼者)ヨハネが義の道を示しに来たのに、あなた達は彼を信ぜず、税金取りや遊女の方がかえって信じたからだ。しかしあなた達は(あの人たちが悔改めるのを)見たあとでも、後悔して彼を信じようとしなかった。


●世にはこのような長男がいる。税金取りや遊女がいる。神はその人を可愛がる。人間の尺度は神の尺度とは違う。
●しかしなぁー、自分の子供が税金取り(今では悪徳不動産屋か悪徳高利貸しか)や遊女(今では水商売の女か)になったらいやだなー。しかし神の目は違うからありがたい。イエスの血はどんなにひどい罪をも清める。

塚本訳 ルカ 14:12-14
14:12 また自分を招いた人にも言われた、「朝飯や夕飯の会を催す時には、友人も、兄弟も、親族も、近所の金持も呼ぶな。そうでないと、その人たちもあなたを招待してお返しをするかも知れない。
14:13 御馳走をする時には、むしろ貧乏人、片輪、足なえ、盲人を招きなさい。
14:14
この人たちはお返しができないから、あなたは幸いである。(最後の日)義人の復活の時に、あなたは(神から)お返しをうけるのだから。」

●お返しを期待しては行けない。人に挨拶されることを期待してはいけない。会釈されるこおを期待してはいけない。メールや手紙の返事を期待そてはいけない。
●かっての職場で天下りの高慢ちきな男は廊下ですれ違う時、こちらが会釈しても会釈を返さない。みんなの鼻つまみ者であった。普通天下り役人はホップステップジャンプと天下り先を渡り歩いtその都度退職金をがっぽり手に入れるのであるが、その男は元の役所でも評判が悪く、次の天下り先を薬種から紹介されないのか、まだ居座っているようだ。神は見ている。天罰だ。どんな世界でも「清い人格」ということが大切だ。
●我々はこの世からでなく、神からお返しを受けよう。

塚本訳 ルカ 22:24-26
22:24 また弟子たちの間に、自分たちのうちでだれが一番えらいと思われているかについての争いもあった。
22:25 するとイエスが言われた、「世間では王が人民を支配し、また主権者は自分を恩人と呼ばせる
22:26 しかしあなた達はそれではいけない。あなた達の間では、一番えらい者が一番若輩のように、支配する者が給仕をする者のようになれ。


●政治家は「自分を恩人」と呼ばせようとしている。しかし民衆の目は猫の目のように変わる。歓呼してイエスを迎えた民衆は「自分の役に立たない」と思ったのえd急変しt「十字架にうけよ」といった。世論調査を信じてはいけない。
●電話で要件処理、建築関係。難問。
●TSK日本語版列王記上終了。








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無教会主義の外部評価 ++++++++ 所感

2013/07/30 06:15

130730(火)朝の黙想「無教会主義の外部評価」●今年の「塚本虎二先生記念会」でスピーチすることを黙想する。●無教会主義の自己主張、自画自賛などの自己評価は数多く聞いてきたが評価というのは外部評価に価値がある。●私が見聞きした主なるものを年代順に記して見よう.。「敵はよく自分の本質を教えてくれる」

①●岩下壮一(1889年9月18日 - 1940年12月3日は、カトリック司祭哲学者大正から昭和初期の日本カトリック教会の精神的指導者)

無教会主義が真のキリスト教ならば、天父がイエズスを遣わしたまいしことも、またイエズスを愛したまいしごとく信者をも愛したもうことも、世はさとることが出来ない。主の求められた一致は、「世のさとらんがため」のしるしでもあった。見えないしるしはしるしでは」ない。(「愛の要求としての教権」1939年昭和14年3月「カトリック」第19巻第2号。岩下壮一全集第4巻「信仰の遺産」に所収P97)

神の立たまえる教権を蔑視したむくいとして、かれら(ルターに始まるプロテスタント・・・高橋注)はかえって人間的権威のとりことなってしまい、ついには一人一教会主義の先生(暗に塚本虎二を指す・・・高橋注)の弟子などという者まで出現してしまったのである。(「愛の要求としての教権」1939年昭和14年3月「カトリック」第19巻第2号。岩下壮一全集第4巻「信仰の遺産」に所収P118」




②●武藤富男((むとう とみお、1904年明治37年)2月20日 - 1998年平成10年)2月7日)は、日本官僚教育者キリスト教牧師(伝道師)、恵泉女学園理事長、東京神学大学理事長なども歴任)

塚本虎二への個人インタビュー記事

武藤「私はこう思いますね。信仰によって義とせられるというプロテスタンティズムを徹底的に推し進めて行けば、どうしても無教会主義にならざるを得ない

------ここで塚本先生は「わが意を得たり」とばかり、莞爾(かんじ・・・にっこりと笑う様、高橋注)として笑い、パンパンパンと三つ手を拍((う)つ。------ 


武藤「(無教会主義では)個人(先生)の信仰的影響は会員に及ばずにいないでしょう」
塚本「そうです。無教会はどうしても一人の先生に頼りきるから、その人の個人性が強くなる。
   しかし個人といっても、そのなかには信仰を含んでいる。

武藤「教会主義のほうでも牧師の個人性が大きな影響を及ぼしますね。例えば植村正久のご 
   とき」
塚本「そうね。そこにまたよいものがあるのでしょう」

(1960年昭和35年5月28日、キリスト新聞)



③●北森嘉蔵 (1916年2月1日 - 1998年9月29日は、日本の牧師神学者東京神学大学の教授。神の痛みの神学の提唱者)

彼(内村鑑三・・・高橋注)の根本的立場が「無」教会主義であったことは、「有」と「無」との二元的対立の立場を根底に持っていたことを示す。無教会主義がカント的理想主義と簡単に結びつくのも、その間の消息を示すといえよう。(南原繁『国家と宗教』増補版378,379、386)・・・「日本的心性」日本基督教団信仰職制委員会編『福音の土着』1962年昭和37年12月P63)


内村の無教会というが、無教会主義が確立したのは塚本になってからだ。内村と教会の対決ということはなかったと思う。内村が多少扱いがたい相手だったことはあろうが。(「日本的心性」日本基督教団信仰職制委員会編『福音の土着』1962年昭和37年12月P66)  


 ④●桑田秀延(くわた ひでのぶ、(1895年2月28日 - 1975年4月16日)は、日本基督教団神学者牧師。元東京神学大学学長)

無教会の信仰的な特色としては、形成せられた教会には反対しながらも、聖書の権威を認めこれを基礎としているので、健全なる気風を示しています。無教会とはよびながら、聖書の記すエクレシアは認めている人が多いようです。過去において教会と無教会とは互いに反目してきましたが、近時は世界教会協議会でも無教会の声をきこうとしており、日本でも聖書の学会等においては協力的姿勢がつよくなりつつあります。(1982年昭和57年7月東神大パンフレット「教会論入門」P14)


⑤●田川建三((たがわ けんぞう、1935年 - は、日本の新約聖書学者、著述家。宗教批判を通じて現代批判を試みた著作でも知られる。「神を信じないクリスチャン」[1]を名乗る。)

(今や)無教会が日本のキリスト教の最も先進的な部分(聖書研究や翻訳・・・高橋注)を担うという状況ではなくなったのである。その流れの中からファナティック(狂信的・・・高橋注)な信心集団が出て来たり、全体としてひどく保守化したしする、古くさい師弟関係を強調したり(「教会」という権威の代わりに、個人=師匠の権威が生じた。それが日本的に古くさい人間関係と結びついた)、今や無教会に昔日の影はない。そして教会系の信者の中からも、すぐれて批判的な研究をする人物が大勢出てきたので、無教会の学者がその中に埋もれて目立たなくなった、ということもある。それに今となっては、聖書学の世界ではもはやほとんどカトリックの学者とプロテスタントの学者の間区別さえなくなったくらいだから、まして同じプロテスタントの流れの中で誰が無教会系で誰が教会系などと気にすることもなくなったのである。そういった様々な事情で1960年末以降は、もはや日本の聖書学と言えば無教会という時代は終わったのであるが、それまでの間に無教会の人々が聖書の研究と翻訳の分野で果たした貢献は大きく評価されなければならない。彼らが存在しなければ我々(田川も含む・・・高橋注)教会の出身者が聖書学をやろうにも・・・(中略)・・・とても受け付けられなかった。(1997年昭和9年1月「書物としての聖書」P661)

⑥●エミール・ブルンナー(Emil Brunner, 1889年12月23日 - 1966年4月6日)は、スイス出身のプロテスタント改革派神学者であり、カール・バルトと共に弁証法神学運動の草創期を担った新正統主義の代表的神学者である。)


無教会の人々が彼らの中に新約聖書的なエクレシアがその日本的形態を取ったと考えることは理解できる。(中略)この運動(無教会主義のこと。・・・高橋注、無教会主義は運動ではない・・・高橋意見)の存続はどのように守られるかという問いを投げかけるならば、答えはこうである。それについては神が心配してくださるであろう、これまでもそうなさったように。個々のグループがただ完全に自立的であるだけでなく、組織的関連のないままにそうである限り、教会化の危険はわずかであり、即時的に存在する荒廃と分裂の危険も今までのところ現れてきていない。(ブルンナー著作集第4巻教義学Ⅲ(上)近藤勝彦訳・教文館発行1998年P197)


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●朝の黙想終わり。神の植え給う樹は枯れない。権威は教会にも聖書にも師匠にもなく、「生ける神」ご自身にある。神ママに生きることが信者の生き方だ。

●7:40 妻は知人と五日市の城山にハイキング。14:30帰宅
●自転車店にパンク直し。
●TSK日本語版列王記上22章










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財産を失うことによって永遠の命を得る ++++++++ 所感

2013/07/29 07:09

130729(月)朝の啓示「財産を失うことによって永遠の命を得る」●建築を50年もやっていると、手塩にかけて建築した建物が失われていくという悲しみに遭遇する。そういうことがすでに5棟もある。その原因の大半は経済的要因である。●今そこに行ってもそこにはない。「夢か幻か」という感じである。●しかしそこに神の深い恵みの知恵が潜んでいる。「形あるものは無くなる」という慰めは仏教的諦念であるが、聖書的にはその悲しみは「永遠の命を得る」という積極的な契機である。●今朝はそのことについて頭に浮かぶ聖句を思い出そう。

塚本訳 マタ 5:28-30
5:28 しかしわたしはあなた達に言う、情欲をもって人妻を見る者は皆、(見ただけで)すでに心の中でその女を姦淫したのである。
5:29 それで、もし右の目があなたを罪にいざなうなら、くじり出して捨てよ。体の一部が無くなっても、全身が地獄に投げ込まれない方が得であるから。
5:30 もしまた右の手があなたを罪にいざなうなら、切り取って捨てよ。
手足が一本無くなっても、全身が地獄へ行かない方が得であるから。

塚本訳 マコ 9:47-48
9:47 もしまた目があなたを罪にいざなうなら、えぐり出せ。
両目があって地獄に投げ込まれるよりも、片目で神の国に入るほうが仕合わせである。
9:48 地獄では、『蛆は(永遠に)死なず、火は消えない』(で、その人たちを責めさいなむからである。)


●これは厳しい言葉だ。この世で両目があって幸福、真面目に生きて来世でも幸福というわけにはどうも行かないらしい。
●肉の健康はそれだけでは幸福ではない。

塚本訳 マタ 5:4
5:4 ああ幸いだ、『悲しんでいる人たち、』、(かの日に)『慰めていただく』のはその人たちだから。

塚本訳 ルカ 6:21
6:21 ああ幸いだ、今飢えている人たち、(かの日に)満腹させられるのはあなた達だから。ああ幸いだ、今泣いている人たち、(かの日に)笑うのはあなた達だから。


塚本訳 ルカ 6:22-26
6:22 人に憎まれる時、また、人の子(わたし)のゆえに除名されたり、罵られたり、悪様に言われたりする時には、あなた達は幸いである。
6:23 その日には躍りあがって喜びなさい、どっさり褒美が、天であなた達を待っているのだから。あの人達の先祖も、同じことを預言者たちにしたのである。
6:24 だが、ああ禍だ、富んでいるあなた達、もう慰めを受けたのだから。
6:25 ああ禍だ、今食べあきているあなた達、(かの日に)飢えるのだから。ああ禍だ、今笑っている人たち、(かの日に)泣き悲しむのはあなた達だから。

6:26 皆の人に良く言われる時、あなた達は禍である。あの人達の先祖も、同じことを偽預言者たちにしたのである。


●これが新約聖書のトーンである。宗教は負け犬が駆けこむところだと思う人はいつか必ず「泣く」。しかしそれは神の恩恵だ。招きだ。

塚本訳 ルカ 16:22-25
16:22 やがて乞食は死んで、天使たちからアブラハムの懐につれて行かれ、金持も死んで葬られた。
16:23 金持は黄泉で苦しみながら、(ふと)目をあげると、はるか向こうにアブラハムとその懐にいるラザロとが見えたので、
16:24 声をあげて言った、『父アブラハムよ、どうかわたしをあわれと思ってラザロをよこし、指先を水にひたしてわたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの焔の中でもだえ苦しんでおります。』
16:25 しかしアブラハムは言った、『
子よ、考えてごらん、あなたは生きていた時に善いものを貰い、ラザロは反対に悪いものを貰ったではないか。だから今ここで、彼は慰められ、あなたはもだえ苦しむのだ。

●この世とあの世は逆転。この世でもあの世でも幸福という」わけにはいかないらしい。


塚本訳 ルカ 6:25
6:25 ああ禍だ、今食べあきているあなた達、(かの日に)飢えるのだから。
ああ禍だ、今笑っている人たち、(かの日に)泣き悲しむのはあなた達だから。

●原発被害補償で金が潤った人は道徳的に退廃する。多くは金をもらって高価なものを買ったりパチンコで遊んでいるという。「禍なるかな補償金」。こういうことはこの世のマスコミは取り上げない。キリスト者の出番である。
●こんなことになるのであったら、むしろ泣いたままのの方がよかった。
●補償金、故郷が「そんなに大切か!」
●ジョンウェスレーは英国を道徳的退廃から救った。しかしこの世の者どもからは嫌われた。

塚本訳 マタ 6:24
6:24 (わたし達の心は天か地かに引かれる。)だれも(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない


●金と女は強い魔物である。強力な引力だ。それは神を無視させる。神を否定する。彼らにとって神は邪魔な存在だ。

塚本訳 ルカ 12:13-15
12:13 すると群衆の中の一人がイエスに言った、「先生、遺産を分けてくれるように、兄に言ってください。」
12:14 イエスは「君、だれがわたしを、あなた達の裁判官また遺産分配人に任命したのか」とこたえておいて、
12:15 人々に言われた、
「一切の貪欲に注意し、用心せよ。いかに物があり余っていても、財産は命の足しにはならないのだから。」

●親の遺産は人を堕落させる。男は99%それを女に貢ぐ。「子に美田を遺すな」。
●軽井沢の別荘は三代は続かない。三代目で手放す。三代目の堕落が原因。
●「売り家と唐様で書く三代目」。初代は克己奮励努力で成功、二代目はその勢いでなんとか持つが、三代目はボンボンで財産を摩(す)る。しかし習字の手習いだけは身についていて「売り家」と唐様(書体の一つ)で書くという諺。これ真理。
●「売り家」と外国語で書く「無教会」となりそうだ
●あの大金持ちの船舶王オナシスは金に物を言わせてジャクリーンケネディやソプラノ歌手のマリヤ・カラスを「手に入れた」。彼らは地獄行きだ!

口語訳 Ⅱテモ4:18
4:18 主はわたしを、すべての悪のわざから助け出し、天にある御国に救い入れて下さるであろう。栄光が永遠から永遠にわたって主にあるように、アァメン。

口語訳 Ⅱコリ5:1
5:1 わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。

新共同 ヘブ 11:16
11:16 ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです。

塚本訳 ピリ 3:19-20
3:19 あの人達の最後は破滅、その神は自分の腹、その光栄(と考えているもの)は(実は)恥であって、あの人達は(ただ)地のこと(ばかり)に気を取られているのだ!
3:20 しかし(私達はそうであってはならない。)私達の故国は天にある。私達は主イエス・キリストが救い主として其処から来給うのを待っているのである


●東日本大震災で家や故郷を追われた人は幸いだ。天の家や故郷に目が行くようになるからだ。
●しかし補償金をもらってパチンコなどで遊んだり、高級車を購入したりしていたり、子供が「「一万円札」で買い物をしているのが現実。これでは肉は救われても霊魂は堕落。
●終末が来なければ世の中救われない。

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朝の黙想、「主よ来りませ」。

●14:00 立川で宍倉司朗さん他2名(TS,Ik)と会う。建築関係。












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復活信仰は第4次元のこと ++++++++ 所感

2013/07/28 11:55

130728(日)6:00 あきる野の野を歩きながら富永先生を送る。●復活信仰とは第4次元の現象であるから、3次元の世界に生きる人間には納得いくようには説明できないということで意見が一致。●9:30 妻と二人で家庭礼拝(集会は夏休み)。最近公開された黒崎幸吉詩編注解から121と126をプリントして朗読。これは日本のキリスト教界に益することは計り知れないと感じた。

●最近公開された黒崎幸吉詩編注解を見てみよう。
http://stonepillow.dee.cc/psalm_index.html

これは従来の黒崎幸吉新約聖書WEB版のトップページからも入れる。
http://stonepillow.dee.cc/

,●14:00 妻とコンサートに行く。

がりマティアス・ムジクス 第34回定期演奏会 指揮広井隆
武蔵野市民文化会館大ホール。

ワーグナー歌劇「ローエングリン」第一幕への前奏曲
ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番 ハ短調  ピアノ白石光隆
ブラームス 交響曲第4番 ホ短調

楽屋に白石光隆氏を訪ねて素晴らしい演奏に感謝して
固く握手。白石氏は無教会の経堂聖書会所属。
私「私のブラボォー」という声は聞こえましたか」。白石氏「来ると思ってました。良く聞こえました」。

2013_07280002.jpg 

武蔵野市民文化会館大ホール。座った席は2階の最前列。
オーケストラを聴くのには2階席がよい。全楽器が良く見えるから。
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主は生きておられる ++++++++ 所感

2013/07/27 07:12

130727(土)朝の黙想。聖書には「主は生きておられる」「主は生きておられます」という言葉が40か所も出てくる(口語)。この概念、人生観、信仰がその人の生き方を決定する。●人に対する姿勢、悩みに対する姿勢を決定する。●札幌農学校でクラークが生徒に「ビー、ジェントルマン」と一言言ったのと同じく、クリスチャンの生き方の姿勢は「主は生きておられることを信ぜよ」の一言で足りる。●これは不思議な言葉で、信仰と不信仰を切り分けるものである。●どんな悩み事でも「主は生きておられる」ということを固く信じられれば人生の荒海を渡って行かれる。神は裁き、赦して救う。自戒。●クリスチャンを50年以上「ヤッテ」来て、信仰の篤い人は心からこれを信じていることを知った。そういう人が多いエクレシアは健全である。そういう人は神学を語らず、聖書学に興味なく、教会論に関心がない。●女性軍団がしっかりしている教会(エクレシア)は大丈夫ということを聞いたことがある。●今朝は詩篇121:3-4
を学んでみよう。 ●まず翻訳比較

明治・大正訳(文語訳)詩篇121:3-4

121:4 ヱホバはなんぢの足のうごかさるるを容したまはず 汝をまもるものは微睡(まどろみ)たまふことなし
121:5 視よイスラエルを守りたまふものは微睡(まどろむ)こともなく寝ることもなからん 

口語訳 詩  121:3-4
121:3 主はあなたの足の動かされるのをゆるされない。あなたを守る者はまどろむことがない。
121:4 見よ、イスラエルを守る者は/まどろむこともなく、眠ることもない。


新改訳 詩  121:3-4
121:3 主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。
121:4 見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。


新共同 詩  121:3-4
121:3 どうか、主があなたを助けて/足がよろめかないようにし/まどろむことなく見守ってくださるように。
121:4 見よ、イスラエルを見守る方は/まどろむことなく、眠ることもない。

●「主は生きておられる」という信仰は大脳皮質への雑学つめこみ教育では教え込めないものである。天性というか生まれつきというか、宗教性というものである。●彼には「音楽性がある」「彼には建築性がある」というのに似ている。多くはいない。
●次に最近公開された黒崎幸吉詩編注解を見てみよう。http://stonepillow.dee.cc/psalm_index.html

これは従来の黒崎幸吉新約聖書WEB版のトップページから入れる。
http://stonepillow.dee.cc/

●聖書注解は信仰の篤い人が書いたものを読まないと「栄養」にならない。


*121篇3節エホバは常になんぢを助け給うが故になんぢの(あし)のうごかさるゝを(ゆる)したまはず、汝の足を堅く立たしめ、(なんぢ)をまもるものなるエホバ常に汝の上を見守りて微睡(まどろ)みたまふことなし。

文語訳121篇3節 ヱホバはなんぢの(あし)のうこかさるゝを(ゆる)したまはず (なんぢ)をまもるものは微睡(まどろ)みたまふことなし
口語訳121篇3節 主はあなたの足の動かされるのをゆるされない。あなたを守る者はまどろむことがない。
関根訳121篇3節 彼は君の脚のよろめきを許さず君を守る者はまどろまない。
新共同121篇3節 どうか、主があなたを助けて 足がよろめかないようにし まどろむことなく見守ってくださるように。


補註
「容したまはざらん事を・・・・・・微睡みたまはざらん事を」と読むべしとする説あり。


121篇4節()よ、従来の歴史を顧み将来を思う時イスラエルを(まも)りたまふものは、微睡(まどろ)むこともなく、(ねぶ)ることもなからん。彼は常に絶えずその守護をイスラエルの上に垂れたまわん。

文語訳121篇4節 ()よイスラエルを(まも)りたまふものは 微睡(まどろ)むこともなく(ねぶ)ることもなからん
口語訳121篇4節 見よ、イスラエルを守る者はまどろむこともなく、眠ることもない。
関根訳121篇4節 見よ、イスラエルを守る者はまどろむことも眠ることもない。
新共同121篇4節 見よ、イスラエルを見守る方は まどろむことなく、眠ることもない。



●次に拙ホームページからBbBとTSKから心に響いたものをピックアップしてみよう。

口語訳 詩  91:12
91:12 彼らはその手で、あなたをささえ、石に足を打ちつけることのないようにする。


口語訳 詩  27:1
27:1 主はわたしの光、わたしの救だ、わたしはだれを恐れよう。主はわたしの命のとりでだ。わたしはだれをおじ恐れよう。


口語訳 詩  32:7-8
32:7 あなたはわたしの隠れ場であって、わたしを守って悩みを免れさせ、救をもってわたしを囲まれる。〔セラ
32:8 わたしはあなたを教え、あなたの行くべき道を示し、わたしの目をあなたにとめて、さとすであろう。


口語訳 詩  127:1
127:1 主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい。


口語訳 イザ 27:3
27:3 主なるわたしはこれを守り、常に水をそそぎ、夜も昼も守って、そこなう者のないようにする。


口語訳 箴  2:8
2:8 公正の道を保ち、その聖徒たちの道筋を守られる。


口語訳 箴  3:23
3:23 こうして、あなたは安らかに自分の道を行き、あなたの足はつまずくことがない。


口語訳 箴  3:26
3:26 これは、主があなたの信頼する者であり、あなたの足を守って、わなに捕われさせられないからである。


口語訳 Ⅰ列 18:27
18:27 昼になってエリヤは彼らをあざけって言った、「彼は神だから、大声をあげて呼びなさい。彼は考えにふけっているのか、よそへ行ったのか、旅に出たのか、または眠っていて起されなければならないのか」。

口語訳 Ⅰペテ1:5
1:5 あなたがたは、終りの時に啓示さるべき救にあずかるために、信仰により神の御力に守られているのである。


口語訳 黙  7:16
7:16 彼らは、もはや飢えることがなく、かわくこともない。太陽も炎暑も、彼らを侵すことはない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想終わり。

2013_07270001.jpg

富永國比古先生(郡山ロマリンダクリニック院長)ご来訪。
富永先生は明日奥多摩福音の家(古里)でご講演。お願いして途中下車して拙宅にお泊り頂く。 夕食歓談3時間半。復活、信仰、無教会、内村鑑三、塚本虎二、黒崎幸吉、高橋三郎、ダンテ、宮沢賢治、家庭問題、親子関係、病気、原発汚染問題、日本人の霊魂の救いの問題。






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朝まで泣け ++++++++ 所感

2013/07/26 05:37

130725(金)朝の啓示「朝まで泣け」●「泣けば泣くほど強くなる」とは生母と別れて不遇の育ちをした母が聞かせてくれた言葉である。●今朝は「泣く」ということについて黙想しよう。●人は望みを失った時に泣く。後悔する時に泣く。失敗した時に泣く、悔し泣きもある、うれし泣きもある。●聖書の中の「泣く」という場面について頭に浮かぶものを掲げ感想を書く。「泣く」ことだけではなく、「後悔」した事も取り上げる。 ●ヒルティは人生も目的で「バルナバ」のような人になれと言っている。バルナバとは「慰めの子」という意味である。


塚本訳 使  4:36
4:36 ヨセフは使徒たちからバルナバ[訳すれば「慰めの子」]とも言われた、クプロ(島)生まれのレビ人であったが、

新共同 使  4:36
4:36 たとえば、レビ族の人で、使徒たちからバルナバ――「慰めの子」という意味――と呼ばれていた、キプロス島生まれのヨセフも、


●「慰めの子」は、自分が泣いて神に慰められた経験を持った人だけに与えられる天からの「資格」(国家資格ではない)である。。自分が泣いた経験なしに、また神に慰められない限り人を真に慰められない。そてはただ「同情」だけに終わって「希望」が生まれない。 
●しかし、子や孫が泣く時、親はこれを真に慰められないものだ。なかなか同じ立場には立てないものだ。



新共同 詩  126:5-6
126:5 涙と共に種を蒔く人は/喜びの歌と共に刈り入れる。
126:6 種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は/束ねた穂を背負い/喜びの歌をうたいながら帰ってくる。


●これは「うれし泣き」である。詩編の意味は、イスラエルが捕囚という大苦難の後に帰還できたときの喜びである。
●幼くして父に死なれ、母親一人の手で育てられ、後の最高裁判所長官(弁護士出身で初)になられた藤林益三先生(私が属する無教会東京聖書読者会の創始者)は乞われて色紙に揮毫するときには良くこれを書かれた。
●信者仲間が長官になられた先生をお祝いする会の席上、「母の夢を見たい」と言って声を震わせて目をしばたたかせられた。傍にあったお茶を飲んでごまかされていたが・・・・
●私の家屋が消失した事を先生に電話で報告した時、私は電話を切ったあとでうずくまって泣いたものだ。
●しかしその後多くの人の御援助で前よりも大きい敷地と家を与えられたが、「神から頂いたもの、皆様から頂いたもの」という感じがしている。
●火事の翌日、灰塵 の中に私は必死で「クリスティナ・ロウゼッティ信仰詩集」を探し出した。次の下りを読んで慰められたかったからだ。

「泣いたとて、明けが来れば微笑(ほほえみ)、その日には愛のほか 何とて残りません」

●クリスティナ・ロウゼッティは生涯病弱、またこの詩集を訳した大原三八雄氏は被爆者。この二人にして初めて人を「慰め」る資格はある。それは天からの資格。

塚本訳 ヨハ 11:32-36
11:32 マリヤはイエスのおられる所に来ると、イエスを見るなり、足もとにひれ伏して言った、「主よ、あなたがここにいてくださったら、わたしの・・わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。」
11:33 イエスはマリヤが泣き、一しょに来たユダヤ人たちも泣くのを見ると、(その不信仰を)心に憤り、かつ興奮して、
11:34 (マルタとマリヤに)言われた、「どこにラザロを納めたか。」二人が言う、「主よ、来て、御覧ください。」
11:35 イエスが涙を流された。
11:36 するとユダヤ人たちが言った、「まあ、なんとラザロを可愛がっておられることだろう!」


●これは「ラザロの復活」の記事。ここで注目すべきは35節。イエスも泣いたということだ。
●イエスが共に泣いてくださるというところに十字架の秘密がある。                ●ラザロの肉親のマルタとマリヤが泣くのは当然だが、イエスも一緒に泣いた。ここに神が「ラザロをよみがえらせた」根本がある。イエスは「泣く者と共に泣いた」(ロマ12:15。泣く者と共に泣け)
●故神戸照子さんはの夫は南の島で若くして戦死。塚本先生に報告に行くと、先生は「タオルでは足りない。毛布がぐしゃぐしゃになるまで泣きなさい」と言われた。おそらく先生も一緒に泣かれたのであろう。神戸さんはその一言で人生が立直りYWCAの要職として働かれた。
●後年、その南の島を訪れた神戸さんは船が沈没したであろう海に向かい声の限りに夫の名前を呼びながら砂浜を行きつ戻りつしたという。
●過日関係者に神戸さんの消息を伺ったところすでに召されていた。人生は短い。復活の朝は近い。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・      朝の黙想終わり。まとめは次の句だ。

塚本訳 マタ 5:4
5:4
ああ幸いだ、『悲しんでいる人たち、』、(かの日に)『慰めていただく』のはその人たちだから。

塚本訳 ルカ 6:21
6:21 ああ幸いだ、今飢えている人たち、(かの日に)満腹させられるのはあなた達だから。ああ幸いだ、今泣いている人たち、(かの日に)笑うのはあなた達だから


●12:00 妻と市内の「ふれあいコンサート」に出かける。

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「ふれあいコンサート」(あきる野市ふれあいセンター)
小学校3年生のSMさん(母親はマリンバ奏者の新條路子)のマリンバ独奏。
背が低いので足台を使用。 ビゼー、「アルルの女」よりメヌエット、他。
楽しそうに演奏しているところが実に素晴らしかった。
後方のピアノ伴奏者は母方の祖母である高橋京子さん。音楽を愛する家系は素晴らしい。










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神のなされることはすべてその時にかなって美しい ++++++++ 所感

2013/07/25 08:25

130725(木)昨日の最後の仕事は某夫人へのメール。「十字架は重くこそなれ軽くはならない」「有体的復活の身体には霊肉の傷みなし」●今朝の黙想「神のなさることは皆その時にかなって美しい」。これは聖書に聞くよりも、活人生の実体験が教えてくれる。神はちょうど良いときにその人にふさわしい不思議な方法でご自分を現される。

①某氏のお孫さんにそれがそれは重い障碍児が生まれた。しかしその嘆き悲しみよって両親も祖父母も神を知るに至った。私は書いたことがある。「キリストはその障碍児の姿になってその家に来られたのだ」と。

②某氏は米国の教会が戦争の最中に日本の教会のために祈って献金していたことを戦後になって知り、衝撃を受けて入信

③某氏は東日本大震災と福島原発事故を通じて仕事が行き詰まり、それまでどうしてもわからなかった「十字架と復活」がわかるようになった。

④某夫人の夫は思わぬ大金が転がり込んでお決まりのコースで堕落。悪魔の誘惑に屈した。しかししの某夫人は号泣のうちに「永遠の命」がわかったという。 失って得た。

⑤某氏の息子は生まれつき歩けなかった。彼は「歩けなくてつまらない」と生涯に三度泣かれた。その母はその都度「神様がご存知だからいいのよ」と慰められた。今はご両親の骨壺に挟まれて眠っておられる。ナニ、有体的復活の身体には霊肉の悩みなしだ。
 
⑥子供の好きな某夫人、ついに子供に恵まれなかった。あるとき言われた「『母』になってみたかった」と。これベートーヴェンの「運命」の冒頭の音楽のようだ。もし子供が与えられれば彼女に育てられる子供は幸せだったろう。

●これらは皆望まぬ思わぬ大不幸である。その大不幸は「その時」というこの世の「時」(クロノス)の下で起こる。それは神の時である。神の用意周到なる時である。神は愛ではない「残酷」だ。「御心」とは何だろう。しかし神の計画だ。人生は短い、我々は永遠に生きるのではないか。


●伝道の書3:11の翻訳比較

伝道者の書3:11((文語訳)
3:11 神の爲したまふところは皆その時に適ひて美麗しかり 神はまた人の心に永遠をおもふの思念を賦けたまへり 然ば人は神のなしたまふ作爲を始より終まで知明むることを得ざるなり


口語訳 伝  3:11
3:11 神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。


新改訳 伝  3:11
3:11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。

●次にBbBとTSKで心に響くものをピックアップしてみよう。
 

口語訳 創  1:31
1:31 神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。


口語訳 申  32:4
32:4 主は岩であって、そのみわざは全く、/その道はみな正しい。主は真実なる神であって、偽りなく、/義であって、正である。


口語訳 伝  7:29
7:29 見よ、わたしが得た事は、ただこれだけである。すなわち、神は人を正しい者に造られたけれども、人は多くの計略を考え出した事である。


口語訳 伝  8:17
8:17 わたしは神のもろもろのわざを見たが、人は日の下に行われるわざを窮めることはできない。人はこれを尋ねようと労しても、これを窮めることはできない。また、たとい知者があって、これを知ろうと思っても、これを窮めることはできないのである。

塚本訳 ロマ 1:17-18
1:17 信仰から出て信仰に終る、(徹頭徹尾信仰本意の)神の義が、この福音において現わされているからである。『信仰による義人は生きる』と(聖書に)書いてあるとおりである。
1:18 なぜ(この福音が必要であった)か。人々が不道徳をもって真理を押えつけているので、神の怒りが彼らのあらゆる不信と不道徳とに対して、天から現わされているからである。

塚本訳 ロマ 1:19-20
1:19 というのは、神について知り得るほどのことは、彼らに明らかなのである。神が現わしてくださったから。
1:20 すなわち神の性質は、永遠の能力も神性も、人の目には見えないものであるが、世界創造の時から、理性の目をもって造られた物の中に見ることができるのである。従って(全然)言い訳は立たない。

塚本訳 ロマ 1:28
1:28 こうして彼らは神を知ることを役に立たぬものと考えたので、神の方でも、彼らの心が役に立たなくなるに任せられた。その結果彼らは(人として)なすべからざることをするようになったのである。

塚本訳 ロマ 11:33
11:33 ああ、神の富と知恵と知識との深さよ!なんとその裁きの探りがたく、(なんと)その(お歩きになる)道の不可解なことよ!

塚本訳 エペ 2:8
2:8 然り、君達は恩恵の故に、信仰によって救われた者である。これは君達の力によるのでなく、神の賜物である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想終わり。不幸も幸福も神から出る。一見不可解不条理と見える不幸も神の恵みの知恵。








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高きを目指して・・・悩み苦しみは聖業 ++++++++ 所感

2013/07/24 08:39

130724(水)朝の啓示「高きを目指して・・・悩み苦しみは聖業」●ヒルティの幸福論に「高きを目指して」があるが、今はそれを読まない。●自分の頭から世祖の言葉を紡ぎだしてみる。聖書は人に読んでもらわないで、どんなにつたない解釈(語学知らずとも)でも「自分の目で読む」のが尊い。

●人間が高いところに登ろうとするのは「本能」である。そのことを聖書に見よう。

口語訳 創  11:4
11:4 彼らはまた言った、「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」。


●この世の建築は超高層を競う。横浜のランドマークタワー、池袋のサンシャインビル、東京スカイツリー、大阪では今度日本一のビルが出来た。皆「高きを目指して」優越感に浸っている。

塚本訳 マタ 4:5-6
4:5 そこで悪魔はイエスを聖なる都(エルサレム)に連れてゆき、宮の屋根の上に立たせて
4:6 言った、「神の子なら、下へ飛びおりたらどうです。『神は天使たちに命じて、手にてあなたを支えさせ、足を石に打ち当てないようにしてくださる。』と(聖書に)書いてあります。(人々はそれを見て信じ、たちどころにあなたの国が出来ます。)」


●悪魔はイエスを高いところに売れて行って誘惑した。
●超高層マンションの高層階(それは値段も高い)に連れて行く不動産業者の営業マンは「悪魔」ではない。
●ただ超高層マンションの高いところに憧れる人間は一般に教養は低い。

塚本訳 ルカ 9:25
9:25 全世界をもうけても、自分(の命)を失ったり損したりするのでは、その人は何を得するのだろう。


●参議院議員選挙。自民党が全議席を獲得してもそれはこの世のこと。永遠の命は得られない。

塚本訳 ルカ 12:16-20
12:16 そこで一つの譬を人々に話された、「ある金持の畑が(ある年)豊作であった
12:17 『どうしよう、わたしの作物をしまいこむ場所がないのだが…』と金持ちはひそかに考えていたが、
12:18 やがて言った、『よし、こうしよう。倉をみなとりこわして大きいのを建て、そこに穀物と財産をみなしまいこんでおいて、
12:19 それからわたしの魂に言おう。──おい魂、お前には長年分の財産が沢山しまってある。(もう大丈夫。)さあ休んで、食べて、飲んで、楽しみなさい、と。』
12:20 しかし神はその人に、『愚か者、今夜お前の魂は取り上げられるのだ。するとお前が準備したものは、だれのものになるのか』と言われた。


●企業が繁栄して、向こう何年かが安泰であったとしても「永遠の命」は得られない。

●次にクリスチャンの「高きを目指して」の人生観について考えてみよう。それは本能に反して自ら低いところに行くのではなくして神から谷底に突き落とされるのだ。苦難の坩堝に投げ込まれるのだ。それがクリスチャンが「高きに登る」それは神が高きに引き上げることなのだ。

塚本訳 マタ 23:11-12
23:11 あなた達のうちで一番えらい者が召使になれ。
23:12 だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう


●これは十字架の死を暗示する。悩み苦しみの道が暗示されている。

塚本訳 ヨハ 13:3-7
13:3 イエスは、父上が一切のものを自分の手におまかせになっていること、また自分が神のところから出てきて、(今また)神に帰ってゆく(身の上である)ことを知りながら、
13:4 夕食の席から立って、上着をぬぎ、手拭を取って腰に巻かれた。
13:5 それから盥に水を入れて、ひとりびとり弟子たちの足を洗っては、(腰に)巻いた手拭で拭き始められた。
13:6 こうしてシモン・ペテロの所まで来られると、ペテロが(こばんで)言う、「主よ、わたしの足を、あなたが洗われるのですか。」
13:7 イエスが答えて言われた
わたしが何をしているのか、いまはあなたにわからない。(わたしがいなくなった)あとでさとるだろう。」

●カトリックの法王がする洗足の儀式は偽善。法衣を脱いで在野の実学をせよ。
●この世の実学、家庭の悩み、家庭の十字架、貧困の悲しみ、病苦の悩みこそ人を慰める道。真の洗足の道。

塚本訳 マタ 20:20-23
20:20 その時、ゼベダイの子(ヤコブとヨハネと)の母がその(二人の)子をつれてイエスの所に来て、ひざまずき、何かお願いしようとした。
20:21 彼女に言われた、「何の願いか。」彼女が言う、「(来ようとしている)あなたの御国で、この二人の子が一人はあなたの右に、一人は左に坐るよう御命令ください。」
20:22 イエスが答えられた、「あなた達は自分で何を願っているのか、わからずにいる。(ヤコブとヨハネに聞くが、)わたしが飲まねばならない(苦難の)杯を飲むことが出来るのか。」「出来ます」と二人がこたえる。
20:23 イエスは言われる、「いかにも、あなた達はわたしの杯を飲むにちがいない。しかしわたしの右と左の席、それはわたしが与えるのではなく、(あらかじめ)わたしの父上から定められた人々に与えられるのである。」


●有名校に入れたがる「教育ママ」「教育パパ」に対する痛打。自戒。 しかしこの世人間はこれが普通で常識。そういう人生観の家庭は早晩没落する。それは神の愛。恩恵。
●貧困や病気でその道が閉ざされる時それkは神のビンタ。

塚本訳 ピリ 2:5-9
2:5 キリスト・イエスに在る思いで互いを思え。
2:6 彼は(先には)神の姿であり給うたが、神と等しくあることを棄て難いことと思わず、
2:7 かえって自分を空しうして人と同じ形になり、奴隷の姿を取り給うたのである。そして人の様で現れた彼は、
2:8 自ら謙り、死に至るまで、(然り、)十字架の死に至るまで(父なる神に)従順であり給うた。
2:9 それ故に神も彼を至(いと)高く上げ、凡ての名に優る(「主」なる)名を与え給うた。


●神によって苦難の谷底に突き落とされて呻き泣く時に神はその人を高きところに引き上げる。這いあがるのえではない。
●これがクリスチャンが「高き所に上る」道だ。これは「狭き道」である。

塚本訳 マタ 7:13-14
7:13 狭い門から入りなさい。滅びに至る道は大きく、かつ広く、ここから入る者が多いのだから。
7:14 命にいたる門はなんと狭く、道は細く、それを見つける者の少ないことであろう!


●東の東大、西の宝塚、どちらもあこがれの狭き門だが実は「滅びに至る門」。ここを目指すというのはこの世的考え。ここに殺到する。
●命に至る門は狭く、道は細く、見つけにくい。教会の門を叩く人は昔も今も少ない。」また来てもなかなか見いだせない。なぜか。人間が高く昇ろうとする「本能に反する」道だからだ。
●ダンテ、神曲の地獄編第3歌の有名な言葉。地獄の門には次の言葉が書いてある。
  
「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」。
●天国に行くにはまず「地獄を見る」ことをしなけばならない。

塚本訳 ルカ 9:23
9:23 それから今度は皆に話された、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、毎日自分の十字架を負い、それからわたしに従え。


●これがクリスチャンの「高きに上る」道。
●「毎日」だから頂上はないのか。楽にはならないのか。NO!。神がいつかは楽にしてくださる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想終わり。

●8:30 妻は中野の愛子の家に手伝いに出かける。十字架。

●19:00 夕食、食前の祈りは妻の番。家族のこと、集会の面々のこと。









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神による霊魂の治療 ++++++++ 所感

2013/07/23 05:35

130723(火)3時半目覚め。右臀部の痛み取れず、トイレにまで行くのに難儀。これ今までと同じ毎朝の現象。漢方薬はすぐには効かないようだ。●昨日の立川病院鈴木整形外科部長の説明では就寝中に軟骨などが固まっているから動かし始めが痛いのだという。●「説明する」ということは理性が納得するから大切なことだ。●キリスト教の神学も同じことか。しかし」「説明」されても痛みが取れないのと同じで、キリスト教の救いの原理を大脳皮質に「神学的に説明」(パウロはこれをやった)されても霊魂の救いには至らない。心の悩みは去らない。●「霊魂の治療」は神ご自身の不思議なる力で「ある日、ある時」に実行される。その多くは一見不条理、不可解な人生苦を通じて。その時我々は「神はいるのか」と思う。「神は見ているのか」「神はご存知なのか」と思うものだ。●しかしその嘆き悲しみを通して与えられた「永遠の命」「霊魂の開眼」「神を知る」ことは失ったものよりはるかに大きな喜びなのだ。神による霊魂の治療は一瞬痛いのだ。●今朝頭に浮かんだ聖句を黙想してみよう。

塚本訳 ヘブ 12:5-11
12:5 また、(親がその)子に話すようにして話される(神の)励ましを忘れてしまっている。──『わが子よ、主の訓練を軽んずるな、処罰されるときに、ひるむな。
12:6 なぜなら、主は愛する者を訓練し、好きな子をすべて懲らしめられる。』
12:7 (神の)『訓練』を受けるために、(迫害を)耐え忍べ。神はあなた達を(自分の)『子』のように取り扱われるのである。なぜなら、父の『訓練し』ない『子が』どこにかあるのか。
12:8 もし皆が受ける『訓練が』ないとすれば、それこそあなた達は私生児で、(ほんとうの)『子』ではない。
12:9 かつまた、わたし達は訓練をする者として肉の父を尊敬した(とするならば)、まして霊魂の父に服従して、(永遠に)生きないことがあるだろうか。
12:10 というのは、肉の父は(ほんの)少しの日数(だけ)、自分の考えに従って訓練したのに反して、神はわたし達を益するため、わたし達をその聖さにあずからせるために、訓練されるのであるから。
12:11
あらゆる訓練(というもの)は、その当座は喜びとは見えず、かえって悲しみと見えるが、しかしあとで、それで鍛えた者に(まことの)義の実である平安を与えるのである。

●「主の訓練」とは言え、訓練は痛いよなー、神は残酷で酷いよなー、家を奪われ、健康を奪われ、家庭を奪われ、妻を奪われ、子供を奪われ、孫を奪われ、肉親兄弟を奪われ、仕事を奪われ、職場を奪われ、地位学歴を奪われ、、然りエクレシアを奪われ・・・人生なんて苦しみばかりでいい事なんか少しもないよなー。「神は愛ではない。残酷だ。クソ食らえ!」。
●しかし名作は苦難から生まれる、神につねられて生まれる。バッハ(多くの子供の半分ぐらいは夭折)、ベートーベン(音楽家なのに耳が聞こえなくなった。しかし傑作はその後に生まれた)、内村鑑三(結婚に失敗、仕事で失敗、貧困のどん底、正月の餅も家族に食べさせられなかつた。再婚した妻を亡くし、子供を亡くし、国から捨てられた。そういう人生苦があって書いた「キリスト信徒の慰め」は肺腑を突かれ、文字通り「慰め」られる)

塚本訳 ロマ 8:5-9
8:5 なぜ(霊によって歩けばそれができる)か。肉による者[生まれながらの人]は肉のことを追い求めるが、霊による者[キリストを信ずる者]は霊のことを追い求めるからである。
8:6 肉を追い求めることは死をもたらすが、霊を追い求めることは命と平安とをもたらすからである。
8:7 というのは、肉を追い求めることは神への敵対である。肉は神の律法に服従せず、服従することも出来ないからである。
8:8 肉にある者は神をお喜ばせすることは出来ない。
8:9 しかしあなた達は肉にある者ではなく、霊にある者である、(すでにキリストを信じて)神の御霊があなた達の中に住んでおられる以上は。しかし(神の御霊すなわち)キリストの霊を持たないなら、その人はキリストのものではない。


●キリスト信者は霊に生きるから、肉のこの世に生きるているときは「霊肉の戦い」が生じる。これが痛ましい家庭内分裂である。しかし終末で分かる。きっとわかる。絶対に分かる。我々はその「希望」を抱いて十字架を負って歩もう。神います。神はすべっをご存知。

塚本訳 ルカ 1:46-47
1:46 マリヤが(神を讃美して)言った。──『わたしの心は主を』あがめ、
1:47 わたしの霊は、『救い主なる神を喜びたたえる、』


●人間は肉だけではなく「霊」もあるのだ。その霊の喜びが人生の目的。幸福の源泉。
●今度の選挙で共産党は「勝利」と認識しているようでだが、神を信じていない、信じられないでいる人間とは付き合えない。なぜか。彼らは肉だけであり、霊を知らないから人間ではないからだ。彼らの目標は「地上」のことばかり。何を言っても通じない。
●私の知人は高校時代から共産党であったが、70歳になった今も「まだ」やっているから滑稽だ。同じく、若いころから唯物論で神などいないと言っている者が「まだ」無神論でいるからのは滑稽を通り過ぎて気の毒だ。いい加減に不幸は「罪」が原因だということに気が付かないかなー。マテマテ、神を知ることは神からの賜物なのだ。 
●讃美歌95番「わがこころは、あまうかみを」


塚本訳 ヘブ 9:22
9:22 こうして律法にしたがえば、ほとんどすべてのものが血で清められ、
血を流すことなしには(罪の)赦はない。

塚本訳 マタ 26:28
26:28 これは多くの人の罪を赦されるために流す、わたしの『約束の血』であるから。

塚本訳 ロマ 3:25
3:25 すなわち神は御自分の義を示すために、宥めの供え物としてキリストを提供された。これはキリストの血でなされたものであり、(人は)信仰によ(ってこの恩恵にあずか)るのである。このことは──神が(長いあいだ)忍耐をもって過ぎし日に犯した罪を罰せずにおられたので──

●罪の赦しは神を知る唯一の道。ここにキリスト教の本質がある。
●ところがこれが難しいのだ。神の恩恵によって罪を示され十字架の救いを頂いた時に初めて霊の目が開けらえて神がわかるのだ。この道を通らずして救いはない。キリスト教の神を知ることは出来ない。
●これはその人の霊魂に神の不思議なる治療が施されねば「霊の目」「心の目」が明かない。
●「血が罪を清める」というのはユダヤ思想であるかというとそうえはない。「犠牲の死」とか「生贄になった」「身代わりになった」というのは日本人の概念でもある。プロ野球でも「犠打」という概念がある。犠牲フライのことだ。
●イエスの流した血は人類の罪の贖罪の死であるとは頭で聴いてもそれがこの私のためでもあったということがわかるためには不思議なる時間のさかのぼりがある。十字架が今になるという不思議なことがその人に生起するのは神の恩恵である。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

朝の黙想終わり。罪は血によって清められる。わが身、我が家庭、我が親戚の家庭崩壊、ただれて腐敗し腐乱し、悪習紛々の腐った状態で絶望でもイエスの血ですっかり清められる。

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東の窓を開けると朝日。今日もまた陽が上る。自然治癒、自然治癒。人間が匙を投げた病でも神が直してくださる。神が直してくださる。
この身体は内部に自然治癒力が備わっていると信ずる。 NO!、自然治癒ではない。神の力だ。神癒力だ。










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我は衰え彼は栄える ++++++++ 所感

2013/07/22 07:22

130722(月)今朝はなぜか右臀部の痛みが比較的和らいでいる。昨日集会に行き、歩いたからか。●朝の啓示「我は衰え彼は栄える」●人間は衰えて死んで行かねばならない。宿命だ。しかしそのことによって「栄える」ものがあるのはうれしいことだ。●今朝はそのことに関連して頭に思いつく箇所を掲げて黙想しよう。

●まずヨハネ3:30の翻訳比較。


口語訳 ヨハ 3:30
3:30 彼は必ず栄え、わたしは衰える。

新改訳 ヨハ 3:30
3:30 あの方は盛んになり私は衰えなければなりません。」

新共同 ヨハ 3:30
3:30 あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。」

塚本訳 ヨハ 3:30
3:30 あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。(それが神の御心である。)

文語訳 ヨハ 3:30
3:30 彼は必ず盛になり、我は衰ふべし』


●次に自分の頭から紡ぎだす聖句。自分の頭から出すのが一番良い。


口語訳 詩  90:3-7
90:3 あなたは人をちりに帰らせて言われます、「人の子よ、帰れ」と。
90:4 あなたの目の前には千年も/過ぎ去ればきのうのごとく、夜の間のひと時のようです。
90:5 あなたは人を大水のように流れ去らせられます。彼らはひと夜の夢のごとく、あしたにもえでる青草のようです。
90:6
あしたにもえでて、栄えるが、夕べには、しおれて枯れるのです。
90:7 われらはあなたの怒りによって消えうせ、あなたの憤りによって滅び去るのです。


●去る13日は満70歳。この年齢になると、あーあの人はもういない、この人もいないということがしばしばだ。6節、「あしたにもえでて、栄えるが、夕べには、しおれて枯れるのです。」は実感である。
●3節。人間にはなぜ死があるが。それは神の怒りによるのだ。7節。単に土に帰るるのでは」ない。

口語訳 詩  90:10
90:10 われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。


●日本は長寿国であって、常に1-2位である。しかし長寿そのものは必ずしも幸福ではない。大抵は体に不具合が生じる。認知症にもなる。大抵は身内に迷惑をかける。医療費がかかる。経済的に老人施設には入れない。安いところは大抵100人待ち。これ決まり文句の断りの言葉。
●メメント・モリ(死を思え。ラテン語の諺)
●人は必ず死ぬ。しかし大抵の人は「それは自分にとってはそれは遠い将来のことだと思っている」(哲学者のハイデッガー)
●人は肉親の死を通して、生きるとは何か、死ぬとはどういうことか、神入るか、裁きはあるのかということを真面目に考えることになる。だから人間には時に残酷とも見える不幸が訪れるのだ。
●「神の愛は残酷」。「この真面目な私に、私の子供に、なぜこの残酷なことが襲い掛かってくるのか。なぜだー」
●誰でもが神の胸ぐらを掴んでそう言いたいものだ。教会の「説教」では慰められない。聖書の言葉も胸に響かないものだ。私の復活の希望の証も通じない。ただ「泣き、呻く」のみだ。

塚本訳 Ⅰペテ1:24
1:24 何故なら『人はみな草』のよう『また』その『栄華はみな草の花のようである』。』草は枯れた花は落ちた』

          
                                              
●この肉の身体は早晩枯れるのだ。筋肉は衰え、骨は骨粗しょう症になるのだ。
●私は今日は立川病院の整形外科に行くが、右臀部の痛みの原因は整形外科ではわからないこともあるらしい。
●とにかくこの肉体は弱く、脆く、衰弱し、衰え行くもものなのだ。人には寿命というものがあるのだ。悲しい、淋しい。
●中学校の同窓会に行って、昔の面影を失った女性に出会ったことがある。容姿が衰え、昔日の栄華が去っていた。


塚本訳 Ⅱコリ4:16
4:16 このゆえに、わたし達は気を落さない。いや、わたし達の(生れながらの)外の人はどんなにこわれていっても、
(キリストによって生れた)内の人は一日一日と新しくされてゆく。


●「外の人」は壊れていく。あー困った肉体だ。しかしマテマテ、建築材料にも永久と言う物はないのだ。
●この句は父が最後近くの病床え思っていた箇所だ。ある人が「自分もそうなりたい」と言った。

口語訳 イザ 53:10-11
53:10 しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、主は彼を悩まされた。彼が自分を、とがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ、その命をながくすることができる。かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。
53:11 彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。


●自分の苦しみ死によって新しい芽が出る喜び。

塚本訳 ルカ 2:28-32
2:28 シメオンは幼児を両腕に抱き、こう言って神を讃美した。──
2:29 今こそ、主よ、あなたはこの僕をしてお言葉のとおり安らかに(この世に)暇乞いをさせてくださいます、
2:30 わたしの目が『もうあなたの救いを拝見しました』からです。
2:31 この救いこそ、あなたが『全人類の(ため、その)目の前で』用意されたもの、
2:32 『異教人には啓示を、』あなたの民『イスラエルには栄光をあたえる』『光』であります。


●老シメオンの晩年の喜び、彼は救いの光を見た。

文語訳 ヨハ 12:24
12:24 誠にまことに汝らに告ぐ、一粒の麥、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし。


●死が次の芽を生む。自然界はそういうことになっている。しかし輪廻転生の暗い思想では諦念はあっても明るさがない。

塚本訳 ヨハ 21:18
21:18 アーメン、アーメン、わたしは言う、あなたは若い時分には、自分で帯をしめて、行きたい所へ行ったが、年を取ると、両手をのばして、ほかの人に帯をしめられ、行きたくない所へ連れてゆかれるであろう。」


●老年は肉体の不調で生きたいところへ行けない。若い人がうらやましい。
●今日は立川病院の整形外科に行くが、それというのも新一と愛子の薦めというか要請。

塚本訳 Ⅰコリ10:13
10:13 人間の力に余る試みが、あなた達をおそったことはないのである。神は誠実であられる。あなた達が耐えられない程に試みられることを、お許しにならない。試みに添えて、(かならず)逃げ道をもつくっておいてくださるので、それに耐え得るのである。


●直らない病気はない。たとえこの世で直らなくても。復活の身体は霊肉の痛みなし。

塚本訳 マタ 10:28
10:28 体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。


●体は滅びる。しかし復活がある。

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朝の黙想終わり。行け!。復活を目指して。

●8:20 子供二人(新一と愛子)のアドヴァイスで立川病院の整形外科に行く。
帰宅してすぐ二人にお礼のメール。

子供二人へお礼のメール(記録)
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高橋新一様

伊勢愛子様

 

お二人のアドヴァイスで本日立川病院(立川共済)の整形外科に行ってきました。8時20分出発16時帰宅。

レントゲン数枚撮影、鈴木整形外科部長の診断を受けました。(地元あきる野市の)池谷先生の紹介状を持っていきました。紹介状は効き目があるようです。

結論は、加齢による脊柱間の軟骨摩耗。外科手術はできない。一生治らないので痛みを和らげる対症療法にするとしてある飲み薬を決められましたが、

その薬は腎臓や肝臓に副作用があるかもしれないと言われました。しかし私が過去に腎臓結石をやったので不安だと言ったら、漢方薬にしてくれました。

「ツムラ疎経活エキス顆粒(医療用)」というもので血行を良くして痛みをやわらげる効果があると書いてあります。

一生飲み続けるようになると思います。鈴木整形外科部長から池谷先生宛てに手紙を書いてくれます。そして、何よりも減量が重要、ラジオ体操はよいということでした。

以後は基本的には池谷先生の普段の処方薬(毎月一回で各種あり)に立川病院指定の漢方薬を追加してもらいます。

このたびは貴重なアドヴァイスありがとうございました。これですっきりしました。二人のアドヴァイスがなかったら今日の行動は起こさなかったでしょう。

「病院」という組織は人間の作り出した中でも素晴らしいものです。新一君はよい仕事をしてます。愛子さんの仕事も人助けで良い仕事です。

まだまだ暑い日が続きそうです。二人とも健康に気を付けてください。減量のためにお母さんには食事作りにも苦労をかけます。お母さんが健康なのは感謝です。

 

神の祝福がお二人の家庭に末永く豊かにありますように お母さんと夕食時にいつも祈っています。

父・高橋照男

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
子供二人へお礼のメール(記録) おわり


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病院に行くとき、足の悪い青年に出会った。エレベーター内で言葉を交わしたが、
去りゆく彼の後姿を見たが遠くの方を見ていた。私は彼よりもチャンと歩ける。

2013_07230005.jpg 

病院の帰り、あきる野市でアブラゼミを間近に見た。最近は蝶もセミも
めっきり減っている。セミをこんなに間近に見るのは何年振りだろう。
セミの地上の命は7日。それに比べて私は70年も生きてこられたんだなー。































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「私の軛は軽く甘い」とは ++++++++ 所感

2013/07/21 06:12

130721(日)3時半目覚め。腰が痛くてビッコでトイレ●朝の啓示「私の荷は軽く甘い」。これはどういう意味だろう。●翻訳比較と各国引照を見てみよう 。拙HP http://www.bbbible.com/

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マタイ11:28-30

「疲れている者は来なさい」

 

翻訳比較

 

岩波翻訳委員会訳1995

401128私のもとに来なさい。あなたたち、労し、重荷を負ったすべての者たち。そうすればこの私が、あなたたちに安らぎを与えよう。

401129私の軛(くびき)をとって自分に負い、私から学びなさい。なぜなら私は柔和で心が低く、あなたたちは自分の心に安らぎを見いだすであろうから。

401130私の軛は担いやすく、私の荷は軽いからである」。

新共同訳1987

11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。

11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

前田訳1978

11:28 すべて疲れたもの、重荷を負うものは、わたしのところに来たれ。休ませてあげよう。

11:29 わたしは柔和で高ぶらないから、わが軛を取ってわたしに学びなさい。そうすれば心にいこいを得よう。

11:30 わが軛はやさしく、わが荷は軽いから」と。

新改訳1970

11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。

11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

塚本訳1963

11:28 さあ、疲れている者、重荷を負っている者はだれでも、わたしの所に来なさい、休ませてあげよう。

11:29 わたしは心がやさしく、高ぶらないから、わたしの軛を負ってわたしの弟子になりなさい、そうすれば『魂の休息が得られよう。』

11:30 わたしの軛は甘く、わたしの荷は軽い。」

口語訳1955

11:28 すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。

11:29 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。

11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。

文語訳1917

"401128","凡て勞する者・重荷を負ふ者、われに來れ、われ汝らを休ません。"

"401129","我は柔和にして心卑ければ、我が軛を負ひて我に學べ、さらば靈魂に休息を得ん。"

"401130",11:30 わが軛は易く、わが荷は輕ければなり』"

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各国聖書引照

(日)並行個所・・・・・・塚本虎二訳

・・・・

(独)NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 27版1993 の引照

・・・・

(英・米)THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE 1982 の引照

 

口語訳 ロマ 7:22-25

7:22 すなわち、わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、

7:23 わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。

7:24 わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。

7:25 わたしたちの主イエス・キリストによって、神は感謝すべきかな。このようにして、わたし自身は、心では神の律法に仕えているが、肉では罪の律法に仕えているのである。

口語訳 ガラ 5:1

5:1 自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。

口語訳 Ⅱコリ10:5

10:5 神の知恵に逆らって立てられたあらゆる障害物を打ちこわし、すべての思いをとりこにしてキリストに服従させ、

口語訳 ロマ 7:23-25

7:23 わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。

7:24 わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。

7:25 わたしたちの主イエス・キリストによって、神は感謝すべきかな。このようにして、わたし自身は、心では神の律法に仕えているが、肉では罪の律法に仕えているのである。

口語訳 Ⅱコリ1:4-5

1:4 神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。

1:5 それは、キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれているように、わたしたちの受ける慰めもまた、キリストによって満ちあふれているからである。

口語訳 Ⅱコリ12:9-10

12:9 ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。

12:10 だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。

(日)新共同訳1987 の引照

新共同 Ⅰコリ4:21

4:21 あなたがたが望むのはどちらですか。わたしがあなたがたのところへ鞭を持って行くことですか、それとも、愛と柔和な心で行くことですか。

新共同 ガラ 5:23

5:23 柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。

新共同 ガラ 6:1

6:1 兄弟たち、万一だれかが不注意にも何かの罪に陥ったなら、“霊”に導かれて生きているあなたがたは、そういう人を柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい。あなた自身も誘惑されないように、自分に気をつけなさい。

新共同 使  15:10

15:10 それなのに、なぜ今あなたがたは、先祖もわたしたちも負いきれなかった軛を、あの弟子たちの首に懸けて、神を試みようとするのですか。

新共同 エペ 4:20

4:20 しかし、あなたがたは、キリストをこのように学んだのではありません。

新共同 Ⅰペテ2:21

2:21 あなたがたが召されたのはこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。

新共同 Ⅰヨハ2:6

2:6 神の内にいつもいると言う人は、イエスが歩まれたように自らも歩まなければなりません。

(仏)THE NEW JERUSALEM BIBLE 1985 の引照

 

・・・・

  

************************************

●NO!十字架は重い。軽くない。苦い、甘くない
●では30節の「軽い」という意味の探求のためにTSKを見てみよう。拙HP
 
http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/110910.htm

 

 ●マタ 11:30

11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。

 

*「わたしのくびきは負いやすく」

Proverbs 3:17

17その道は楽しい道であり、その道筋はみな平安である。

Micah 6:8

 8人よ、彼はさきによい事のなんであるかを/あなたに告げられた。主のあなたに求められることは、ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか。

Acts 15:10

 10しかるに、諸君はなぜ、今われわれの先祖もわれわれ自身も、負いきれなかったくびきをあの弟子たちの首にかけて、神を試みるのか。

Acts 15:28

 28すなわち、聖霊とわたしたちとは、次の必要事項のほかは、どんな負担をも、あなたがたに負わせないことに決めた。

Galatians 5:1

 1自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。

Galatians 5:18

 18もしあなたがたが御霊に導かれるなら、律法の下にはいない。

1 John 5:3

 3神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない。

 

*「わたしの荷は軽いからである」

John 16:33

33これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。

2 Corinthians 1:4-5

 4神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。  5それは、キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれているように、わたしたちの受ける慰めもまた、キリストによって満ちあふれているからである。

2 Corinthians 4:17

 17なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。

2 Corinthians 12:9-10

 9ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。  10だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。

Philippians 4:13

 13わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●アーソウカ。十字架は神が背負ってくださるのだ。軛の片方が復活のキリストで、そのキリストに荷重がかかるように人間は「手抜き」でいいのだ。神輿を担ぐが実際は他の人(神)が背負ってくださるので、私たちには荷がかからないのだ。否、片抜きでいいのだ。そうだ。肩抜きでなければならないのだ。なぜか。十字架はいかなるものでも人間には重くて負いきれないものなのだ。

●朝の黙想終わり。

●5:00 NHKTV 「こころの時代」道を開く・・内村鑑三のことば・・・

塚本虎二が出てきた。

●妻と集会へ、足が悪いので一足先に出発。
●10:00 集会は川上、丹野、村上(申命記)最後は讃美歌「神共にいまして」
次回は9月8日。
●13:00 前期の感謝会15名。老年の病気の話、屋久島登山の話、スペインへ行った話などなど。最長老は89歳。私は次のように語った。「先日70歳になったばかりでまだくちばしが黄色く、尻は青いが振り返ってみると、感話31年目、今井館に協力25年できたのは恩恵の賜物。子供たちの信仰はエクレシア存在のおかげ。今度教文館が『日本キリスト教歴史大事典』を出版するに当たり、私は塚本門下5名について執筆するが、藤林益三先生を除いてみなこの世的には有名ではない人ばかりなのは編集委員長鈴木範久先生の卓見である。」
●妻が私の目まいと嘔吐の経過を話してくれた。
●周囲の人から朝何時に起きるのか、と尋ねられたので「夜9時就寝、朝4時起床する」と言ったら驚かれた。朝の作業は昼間の倍の効果あり。                      ●隣席の村上医師に右臀部の痛みについてご意見を伺う。痛みは結果であって、原因を追究しなければならないと言われた。明日は立川病院の整形外科に行く。
●過日は私と妻が参議院議員選挙の期日前投票に行ったが、二人とも期せずして同じ人と同じ党に投票した。結果はどうか。

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きれいな夕空なので、急いで2階に上がって撮影

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人の思いと神の思いの違い ++++++++ 所感

2013/07/20 06:40

130720(土)」未明にトイレに立つとき右臀部がまだ激痛。困った困った。なぜだろう。未明の啓示「人の思いと神の思いの違い」●聖書には人間の思いが神の思いに沿わないドラマが数多くある。そこに人間の願う幸福と神に従順になるという幸福との違いが書かれている。●頭に浮かぶままに掲げて感想を書こう。

口語訳 創 6:1-3
6:1 人が地のおもてにふえ始めて、娘たちが彼らに生れた時、
6:2 神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった
6:3 そこで主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう」。


●無教会のよき伝統で「恋愛結婚ご法度」の精神がある。それは厳しい位ものであった。これは人間性の否定ではなく、神の顔を立てるなければならないいうことだ。
●私が若いとき、今は亡き諏訪信先生が私の方をチラッと見て「賢き妻は主より賜る」と言われた。あの時はグサッと来た。しばらくして妻を紹介してくださった故大熊好子さんは私がなかな決めかねていると「照男さん。どうするの。この人と結婚しなければ他にはいないわよ」と膝詰めで迫った。
●私達はお互いに顔を見ることもなく「神の導き」と信じて結婚。あと5年で金婚式を迎える。「信仰と妻は向こうから来る」(山下次郎)
●2節の「自分の好む者」というところにうっかりすると神を忘れるという危険がある。
●では恋愛結婚ではなく見合い結婚が良いのか。「好きでもないのに」親や先生の決めた人と結婚すべきなのか。それは自然的感情への反逆ではないのか。
●勤務先の女子大で脱線授業。私「イケメンと結婚するな」。生徒「エーッ!なぜですかァー」という顔つき。私「イケメンは金と教養と道徳がない。美人また同じ」。生徒「先生、イマドキのイケメンはお金を持ってますよ」。私「そういう人がいたら連れていらっしゃい。私が見てあげます」。
●イケメンが悪いのではない。神を忘れて人間に熱心になるからいけないのだ。
●女性が東大卒を追いかけるのは「お金」に不自由がないと思っているから。しかしそれで真に幸福が得られるかというと間違い。お金に不自由はなくても心は満たされない。
●3節。霊が人間から去るのが「死」。 
 

口語訳 箴  31:10-11
31:10 だれが賢い妻を見つけることができるか、彼女は宝石よりもすぐれて尊い。
31:11 その夫の心は彼女を信頼して、収益に欠けることはない。

口語訳 箴  19:13-14
19:13 愚かな子はその父の災である、妻の争うのは、雨漏りの絶えないのとひとしい。
19:14 家と富とは先祖からうけつぐもの、賢い妻は主から賜わるものである。


●妻は賢い方がよい。少しぐらい強い方が良い。しっかりしすぎている方がよい。
●男は可愛い娘((コ)や美人と結婚すると大成しない。なぜか。妻に気に入られようとばかりするからだ。ここから「自分の好みの女性」(上記創世記6:2)と結婚するのは神の目にも良くないのかもしれない。 それは本能のおもむくままなので神に逆らうことなのだ。                                                    ●しかしあんまり強すぎたり、きつすぎる女性だと馬鹿、愚かなだらしない男は外に「女」を作る。              
●賢い姉さん女房をもらって成功した男性は多い。音楽家のエルガー、プロ野球のコレと言った選手(原、落合、野村、イチロー)。なぜか。男を仕事第一に追いやってくれるから。クリスチャンの場合は神にのみ顔を向けるように仕向けられるから。男を神に目をむけさせるから。
●姉さん女房が良いことの理由ををネットで調べると 納得のいく説明があった。
「「亭主を差し置いて前に出ない。家庭をキッチリ守る。後援者やファンへの気配りを怠らない。できる年上妻はこの3つの条件を満たしている。それが、選手を野球に集中させるわけです」
 ●ウチの家内にはカナイませんというぐらの方が男のために良い。(笑)

口語訳 創 11:4-9
11:4 彼らはまた言った、「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」。
11:5 時に主は下って、人の子たちの建てる町と塔とを見て、
11:6 言われた、「民は一つで、みな同じ言葉である。彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。
11:7 さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互に言葉が通じないようにしよう」。
11:8 こうして主が彼らをそこから全地のおもてに散らされたので、彼らは町を建てるのをやめた。
11:9 これによってその町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を乱されたからである。主はそこから彼らを全地のおもてに散らされた。


●「超高層」が悪いのではない。私も建築士だ。4節の「名をあげよう」つまり有名になろうというその低級な人間的動機がいけないのだ。神の怒りはそこに降った。
●一流品を目指すのは良い。それは人のためだ。技術者の目的だ。しかしそれで神を忘れて金儲けをするからいけないのだ。剣で立つ者は剣で倒れる。後から来たものに追い越される。技術で立つ者は技術d倒れる。
●スイスの時計が一流品になったのは、フランスで信仰の迫害を受けたユグノー教徒がスイスの山中に逃げた。その中に時計職人がいたから。彼らの技術は神に祝福された。
●私は小中学生の時に成績が一番であることを目指したが、それは優越感と有名になる喜びであった。しかしその思いに神の祝福がなかった。                                                   ●高等動物ほど地上に近いところに棲む。
●超高層マンションの高層階を選ぶ人はその動機が低級なのだ。
●オフィスビルの場合、高層階で商談すると成約率が高いらしいが、それもこの世的なこと。
●神は低きに降る。
●神が建物を完成させない手段は、風や地震なの災害ではなく、人間同士の言葉を通じないようにさせた。つまり心が通じないようにした。現代的には金銭の不満を生じさせた。経済の不満足が建築の中止になった。今でも支払いが滞ると工事がストップする。

口語訳 詩 127:1-2
127:1 主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい
127:2 あなたがたが早く起き、おそく休み、辛苦のかてを食べることは、むなしいことである。主はその愛する者に、眠っている時にも、なくてならぬものを与えられるからである。


●想定される津波以上の防波堤を作ろうとするその「むなしさよ」。島ごと海底に沈んだ例もあるやに聴く。
●神抜きの建設はすべて「むなしい」努力におわるのだ。
●神なき人間はこれをあざ笑うが、事実は強い。 人間の技術は神に勝てない。
●国家の防衛また同じ。
●家庭の建設また同じ。神に土台を置かない夫婦関係は早晩崩壊する。神の祝福がないからだ。
●2節、いくら人助けだと言って「朝早く起き、夜遅く休んでも」そこに神の祝福がなく単にヒューマニズム的な考えだけであったら、その労苦はむなしい。だから結果もむなしい。
●内村、塚本の人間的偉さを宣伝しても福音は伝わらない。人間を宣伝して存在するのは活字で伝わる「宗教的思想」。それはむなしい。そこに復活の使徒伝承がない。


新共同 申  32:11-12
32:11 鷲が巣を揺り動かし/雛の上を飛びかけり/羽を広げて捕らえ/翼に乗せて運ぶように
32:12 ただ主のみ、その民を導き/外国の神は彼と共にいなかった。


●これは「苦難」がなぜあるのかの深い意味。神は人間の信仰を強くするためにわざと苦難を降す。
●鷲が雛をその巣から突き落とすのだ。獅子はその子供を谷に突き落とすのと同じ。
●この真面目な私と私の家になぜこんな悩み苦しみがあるのかと思うものである。       ●これに関しては塚本先生の解説が素晴らしい。「苦難と神の愛」

http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/bunshou/kunann.htm

●「義人の苦難」に神の深いご計画がある。列王記上14章の幼子アビヤ、ヨブ、イエス、ステパノ、パウロ


塚本訳 マタ 26:39-42
26:39 そしてなお少し(奥に)進んでいって、俯けに倒れ、祈って言われた、「お父様、出来ることなら、どうかこの杯がわたしの前を通りすぎますように。しかし、わたしの願いどおりでなく、お心のとおりになればよいのです。
26:40 やがて弟子たちの所に来て、彼らが眠っているのを見ると、ペテロに言われる、「あなた達、そんなに、たった一時間もわたしと一しょに目を覚ましておられないのか。
26:41 目を覚まして、誘惑に陥らないように祈っていなさい。心ははやっても、体が弱いのだから。」
26:42 また二度目に向こうへ行って、祈られた、「お父様、どうしてもわたしが飲まねば通りすぎない杯ならば、どうかお心のままになさってください。」

●39節の「しかし」は重い。誰でも苦難は避けたい。「しかし、しかし、しかし」である。
●無理に負わされる十字架は重い。「なぜだー」と思う。
●しかしこの謎は人間では解けない。それは「義人の苦難」だからだ。神も泣いている。

塚本訳 Ⅰコリ1:25
1:25 というのは、神の(業はどんなに)馬鹿なこと(に見えても、それ)は人よりも知恵があり、神の(業はどんなに)無力(に見えても、それ)は人よりも力があるからである。


●早稲田の教授でこの「一句」に愕然と来た人がいる。今クリスチャン。聖書の言葉は人をとらえる。思わぬ一句が人を刺し貫く。

口語訳 イザ 55:9
55:9 天が地よりも高いように、
わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。

●これは素晴らしい言葉だ。人生苦の不可解を解く鍵だ。
●そこで最後に、これをBbBとTSKで黙想しよう。 心に響くものをピックアップする。

塚本訳 ヨハ 4:14
4:14 わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」


塚本訳 ヨハ 6:35
6:35 イエスが言われた、「わたしが命のパンである。わたしの所に来る者は決して飢えない。わたしを信ずる者は決して二度と渇かない。

口語訳 詩  89:2
89:2 あなたのいつくしみはとこしえに堅く立ち、
あなたのまことは天のように/ゆるぐことはありません。

口語訳 詩  103:11
103:11 天が地よりも高いように、主がおのれを恐れる者に賜わるいつくしみは大きい、


塚本訳 マタ 11:25
11:25 その時イエスは声をはげまして言われた、「天地の主なるお父様、(神の国の秘密に関する)これらのことを(この世の)賢い人、知恵者に隠して、幼児(のような人たち)にあらわされたことを、讃美いたします。


塚本訳 ロマ 11:31-36
11:31 この人たちも今はあなた達の受ける憐れみに対して不従順になっているが、これは今(すぐにも)憐れみを施されるためである。
11:32 つまり神はすべての人を不従順の中に閉じこめられたが、これはすべての人に憐れみを施すためであった。
11:33 ああ、神の富と知恵と知識との深さよ!なんとその裁きの探りがたく、(なんと)その(お歩きになる)道の不可解なことよ!
11:34 『だれが主の御心を知ったか。だれがその顧問になったのであるか。
11:35 だれがまず主に差し上げてそのお返しをいただくことができるか。』
11:36 すべては、彼から出て、彼によって保たれ、彼に帰する。栄光は永遠に彼のものである、アーメン。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想終わり。人はただ神の知恵と力にひれ伏すのみだ。神はなさってくださる。神がやってくれる。 人生は不可解、不条理。そこに神の愛の難であるかを教える恵みの知恵が潜んでいる。永遠の命の喜びを頂く狭き門がある。

●TSK日本語版列王記上15章。
●新一から妻に私の腰痛のことでアドヴァイスの携帯メール。感謝。


















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「死ぬるもまた益なり」とは ++++++++ 所感

2013/07/19 07:01

130719(金)未明の啓示ピリピ1:21●この言葉は長い間謎であった。今朝はこの言葉の意味を探求してみよう●こういう場合従来は人間の書いた注解書や先生の信仰的感想に飛びつくのが通例だが、注解書の結論は学者の多数的意見のまとめで「おそらく」とか「多分」でおわる。また「先生の信仰的感想」を読むことは先生が食した食べ物の味わいの感想を聞いているので、本人の栄養にはなりにくい。従来の無教会の聖書読みはこのような「型」であった。●これからの聖書の読み方は、その父祖たちが聖書を読んだその読み方に倣って各自が直接聖書それ自身に向わなくてはならない。それには語学の探求で読むのではなく、先生の感想を読むのではなく、「聖書で聖書を読む」ことをしなければならない。●そうでなければ無教会は単立教会的特殊部落で消滅する。無教会と言えば「聖書を良く勉強するグループ」という評価が定着しているのでこのまま消滅するのは「惜しい」。●田川建三によれば、「無教会に昔日の栄光なし」である。結果的にどんな姿になっているかというと、政治結社、ヒューマニズム的思想団体、先生懐かしの友愛親睦団体、社会批判団体、これらはすべて信仰の堕落である。そこに使徒伝承を継承する団体としての神の祝福が去っているからこのようなみじめな姿に堕ちた。●では批判ばかりしてないでピリピ1:21を学んでみよう。●まず翻訳比較。これには拙HPの「聖書で聖書を読む」(BbB)を利用する。聖書を何冊も重ねてみるよりも早い。 http://www.bbbible.com/

岩波翻訳委員会訳1995

500121実際、私にとって生きることはキリストであり、死ぬことは〔むしろ〕益である。

新共同訳1987

1:21 わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。

前田訳1978

1:21 わたしにとって生きることはキリストであり、死ぬことも益です。

新改訳1970

1:21 私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。

塚本訳1963

1:21 何故なら、私にとって生きることはキリスト(を生きること、彼が私に生き給うことである。否、彼が私の生命)である。そして死ぬることは(完全にキリストと共に生きることであるから、私にはむしろ)利益である。

口語訳1955

1:21 わたしにとっては、生きることはキリストであり、死ぬことは益である。

文語訳1917

"500121","我にとりて、生くるはキリストなり、死ぬるもまた益なり。"

●特に後半の「死ぬるもまた益なり」がわからない。これは生きることの否定ではないか。自殺ではないか。
●次にこの言葉から自分の頭から紡ぎだす。これがその人の「聖書知識」の水準であり、実力である。

塚本訳 ヨハ 12:24
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)

●死ねば「多くの実を結ぶ」だろうから、「死ぬことは益」なのか。パウロはそう考えていたのか。
●次にプロテスタントの主要各国の代表的聖書の引照から心に響くものを見てみよう。これも次のサイトを利用する。http://www.bbbible.com/ 。「心に響くものかなければ」それはそれで限界だ。
●「心に響くもの」は人によって異なる。以下は私が響いたものである。


(独)NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 27版1993 の引照

新共同 ロマ 8:10

8:10 キリストがあなたがたの内におられるならば、体は罪によって死んでいても、"霊"は義によって命となっています。

新共同 ヨハ 15:16

15:16 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。

新共同 Ⅰテサ4:17

4:17 それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。

(英・米)THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE 1982 の引照

口語訳 ロマ 8:28

8:28 神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。

口語訳 Ⅱコリ4:17

4:17 なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。

口語訳 ロマ 8:9

8:9 しかし、神の御霊があなたがたの内に宿っているなら、あなたがたは肉におるのではなく、霊におるのである。もし、キリストの霊を持たない人がいるなら、その人はキリストのものではない。

口語訳 Ⅰコリ6:20

6:20 あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。

口語訳 Ⅱコリ5:15

5:15 そして、彼がすべての人のために死んだのは、生きている者がもはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえったかたのために、生きるためである。

口語訳 Ⅰテサ5:23

5:23 どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように。また、あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。

口語訳 ロマ 14:7-9

14:7 すなわち、わたしたちのうち、だれひとり自分のために生きる者はなく、だれひとり自分のために死ぬ者はない。
14:8 わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。
14:9 なぜなら、キリストは、死者と生者との主となるために、死んで生き返られたからである。

口語訳 ガラ 2:20

2:20 生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。

口語訳 ガラ 6:14

6:14 しかし、わたし自身には、わたしたちの主イエス・キリストの十字架以外に、誇とするものは、断じてあってはならない。この十字架につけられて、この世はわたしに対して死に、わたしもこの世に対して死んでしまったのである。

口語訳 ロマ 8:35-39

8:35 だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。

8:36 「わたしたちはあなたのために終日、/死に定められており、/ほふられる羊のように見られている」/と書いてあるとおりである。

8:37 しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。

8:38 わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、

8:39 高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。

口語訳 Ⅰコリ15:54-57

15:54 この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、聖書に書いてある言葉が成就するのである。

15:55 「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。

15:56 死のとげは罪である。罪の力は律法である。

15:57 しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。

口語訳 Ⅱコリ5:1

5:1 わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。

口語訳 Ⅰテサ4:13-15

4:13 兄弟たちよ。眠っている人々については、無知でいてもらいたくない。望みを持たない外の人々のように、あなたがたが悲しむことのないためである。
4:14 わたしたちが信じているように、イエスが死んで復活されたからには、同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう。
4:15 わたしたちは主の言葉によって言うが、生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたちが、眠った人々より先になることは、決してないであろう。

口語訳 Ⅱコリ5:8

5:8 それで、わたしたちは心強い。そして、むしろ肉体から離れて主と共に住むことが、願わしいと思っている。

口語訳 Ⅰテサ4:17

4:17 それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。

口語訳 ロマ 15:18

15:18 わたしは、異邦人を従順にするために、キリストがわたしを用いて、言葉とわざ、

(日)新共同訳1987の引照

新共同 Ⅱコリ1:12

1:12 わたしたちは世の中で、とりわけあなたがたに対して、人間の知恵によってではなく、神から受けた純真と誠実によって、神の恵みの下に行動してきました。このことは、良心も証しするところで、わたしたちの誇りです。

新共同 Ⅰペテ4:16

4:16 しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、決して恥じてはなりません。むしろ、キリスト者の名で呼ばれることで、神をあがめなさい。

新共同 Ⅰコリ6:20

6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。

新共同 Ⅰペテ3:15

3:15 心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。

新共同 ロマ 5:5

5:5 希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。

新共同 ロマ 14:8

14:8 わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。

新共同 ガラ 2:20

2:20 生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。

新共同 Ⅱコリ5:8

5:8 わたしたちは、心強い。そして、体を離れて、主のもとに住むことをむしろ望んでいます。

新共同 Ⅱテモ4:6

4:6 わたし自身は、既にいけにえとして献げられています。世を去る時が近づきました。

新共同 Ⅱコリ7:4

7:4 わたしはあなたがたに厚い信頼を寄せており、あなたがたについて大いに誇っています。わたしは慰めに満たされており、どんな苦難のうちにあっても喜びに満ちあふれています。

新共同 ピリ 2:16

2:16 命の言葉をしっかり保つでしょう。こうしてわたしは、自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄ではなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう。

(仏)THE NEW JERUSALEM BIBLE 1985 の引照

口語訳 エペ 3:1

3:1 こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっているこのパウロ――

口語訳 Ⅰコリ6:20

6:20 あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。


口語訳 ガラ 2:20

2:20 生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。

口語訳 コロ 3:3

3:3 あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである。

口語訳 Ⅱコリ5:6-9

5:6 だから、わたしたちはいつも心強い。そして、肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っている。
5:7 わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである。
5:8 それで、わたしたちは心強い。そして、むしろ肉体から離れて主と共に住むことが、願わしいと思っている。
5:9 そういうわけだから、肉体を宿としているにしても、それから離れているにしても、ただ主に喜ばれる者となるのが、心からの願いである。

口語訳 ピリ 2:16

2:16 このようにして、キリストの日に、わたしは自分の走ったことがむだでなく、労したこともむだではなかったと誇ることができる。

口語訳 Ⅰコリ15:31

15:31 兄弟たちよ。わたしたちの主キリスト・イエスにあって、わたしがあなたがたにつき持っている誇にかけて言うが、わたしは日々死んでいるのである。



●次にTSK日本語版を見てみよう

1 Corinthians 1:30

30あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。

Galatians 6:14

 14しかし、わたし自身には、わたしたちの主イエス・キリストの十字架 以外に、誇とするものは、断じてあってはならない。この十字架につけられて、この世はわたしに対して死に、わたしもこの世に対して死んでしまったのである。

Philippians 1:20

 20そこで、わたしが切実な思いで待ち望むことは、わたしが、どんなことがあっても恥じることなく、かえって、いつものように今も、大胆に語ることによって、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストがあがめられることである。

Philippians 2:21

 21人はみな、自分のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことは求めていない。

Colossians 3:4

 4わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう。

Isaiah 57:1-2

1正しい者が滅びても、心にとめる人がなく、神を敬う人々が取り去られても、悟る者はない。正しい者は災の前に取り去られて、  2平安に入るからである。すべて正直に歩む者は、その床に休むことができる。

Romans 8:35-39

 35だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。  36「わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、ほふられる羊のように見られている」と書いてあるとおりである。  37しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。  38わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、  39高いものも深いものも、その他どんな被 造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。

1 Corinthians 3:22

 22パウロも、アポロも、ケパも、世界も、生も、死も、現在のものも、将来のものも、ことごとく、あなたがたのものである。

2 Corinthians 5:1

 1わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。

2 Corinthians 5:6

 6だから、わたしたちはいつも心 強い。そして、肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っている。

2 Corinthians 5:8

 8それで、わたしたちは心 強い。そして、むしろ肉体から離れて主と共に住むことが、願わしいと思っている。

Philippians 1:23

 23わたしは、これら二つのものの間に板ばさみになっている。わたしの願いを言えば、この世を去ってキリストと共にいることであり、実は、その方がはるかに望ましい。

1 Thessalonians 4:13-15

 13兄弟たちよ。眠っている人々については、無知でいてもらいたくない。望みを持たない外の人々のように、あなたがたが悲しむことのないためである。  14わたしたちが信じているように、イエスが死んで復活されたからには、同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう。  15わたしたちは主の言葉によって言うが、生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたちが、眠った人々より先になることは、決してないであろう。
 

Revelation of John 14:13

13またわたしは、天からの声がこう言うのを聞いた、「書きしるせ、『今から後、主にあって死ぬ死人はさいわいである』」。御霊も言う、「しかり、彼らはその労苦を解かれて休み、そのわざは彼らについていく」。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想終わり。アーソウカ。この私の身体の死は神のなさることなのだ。その時期と死因と場所の総てを神が握ってくださっているのだ。決定してくださるのだ。神の御胸の内のことだ。だからそれを思って安心なのだ。

●愛子と新一二人の意見で私の腰痛は整形外科で診てもらった方が良いとのこと。「老いては子に従え」だ。そこで行きつけの池谷医院に行って立川病院の整形外科宛に紹介状を書いてもらう。立川病院は新一の推薦。

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こういう夏雲を見ると江間章子作詞「夏の思い出」を思う。作詞家を尊敬する。
妻と尾瀬に行ったのは2009年6月4日。あれは退職記念でもあった。あれから4年か。

   夏の思い出

作詞:江間章子
作曲:中田喜直

夏が来れば 思い出す
はるかな尾瀬(おぜ) とおい空
霧のなかに うかびくる
やさしい影 野の小路(こみち)
水芭蕉(みずばしょう)の花が 咲いている
夢見て咲いている水のほとり
石楠花(しゃくなげ)色に たそがれる
はるかな尾瀬 遠い空

夏が来れば 思い出す
はるかな尾瀬 野の旅よ
花のなかに そよそよと
ゆれゆれる 浮き島よ
水芭蕉の花が 匂っている
夢見て匂っている水のほとり
まなこつぶれば なつかしい
はるかな尾瀬 遠い空


resize0917.jpg 

尾瀬ケ原の広大な湿原。後方は至仏(しぶつ)山(2228m)。残雪の右端は「暴れ馬」だそうだ。

4年前の2009.6.4ブログより転写。今、腰の痛みが癒されることを祈る。

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「どうしたらよいのだろう」 ++++++++ 所感

2013/07/18 06:52

130718(木)未明の啓示「どうしたらよいのだろう」●ちょうど一週間前の11日、私が激しく嘔吐を繰り返していた時、妻は私の背中をさすりながら「どうしたらよいのだろう」とつぶやき、「救急車を呼びましょうか」と言った。●また、孫からも「どうしよう」という不安の言葉を聞いたことがある。小さい子供のハートも悩むものだ。●この「どうしたらよいのだろう」という言葉について聖書を探りたい。こういう時は「コンコルダンス」(聖書語句索引)だけでは役に立たず、まず自分の頭にあるものを紡ぎださなければならない。●今朝、私が頭に浮かんだ箇所を列挙する。聖書の箇所を探すのには「Jバイブル」が武器。

塚本訳 ルカ 3:9-16
3:9 斧はいますでに木の根に置いてある。だから、良い実を結ばない木はどんな木でも、切られて火の中に投げ込まれる。」
3:10 群衆が尋ねた、「では、わたし達はどうすればよいのですか。」
3:11 ヨハネが答えた、「下着を二枚持っている者は、持たない者に分けてやれ。食べる物を持っている者も、同じようにせよ。」
3:12 税金取りも洗礼を受けに来たが、ヨハネに言った、「先生、わたし達はどうすればよいのですか。」
3:13 彼らに言った、「きまったもの以上、何も取り立てるな。」
3:14 兵卒も「このわたし達は、どうすればよいのですか」と尋ねると、言った、「だれをもゆすらず、しぼり取らず、給料で満足せよ。」
3:15 民衆は(救世主を)待ち望んでいたので皆心の中で、もしかしたらこのヨハネが救世主ではあるまいかと考えていると、
3:16 ヨハネがみんなに言った、「わたしは水で洗礼を授けているが、わたしよりも力のある方が(あとから)来られる。わたしはその方の靴の紐をとく値打もない者である。その方は聖霊と(裁きの)火とで洗礼をお授けになる。


●「どうすれば罰をまぬかれるか」。その置かれた場所、職業領域内、家庭内で清く正しく生きよ。
●しかしそれだけでは足りない。16節のようにキリストの「聖霊」で清められなければならない。
●だから、急に職業を変えたり、社会運動に飛び込んだり、神学校に行ったり、修道院に飛び込んだり、教会の遊び活動に入り浸ったり、マザーテレサのように奉仕団に身を投じたり、伝道団に飛び込んで「世界の果て」まで宣教しようと思ったり、してはならない。今その置かれた場所が「世界の果て」なのだ。
●これは学生の「進路の悩み」「職業選択の悩み」にも言える。どこでもどの道にでも「生きがいの喜び」はある。
●ヒルティは言っている。家政婦さん(女中、お手伝いさん)がその主人から「君がいるので助かるよ」「君がいないと困るよ」と言われた時、彼女は天命を全うしているのだと。
●だから運命的に出会った主人、勤務先に不平不満を漏らすな。14節の 「給料で満足せよ」は至言。組合運動は給料アップ、労働時間の短縮要求のみ。低級な活動である。
●職業的に善行を行っている宗教家をイエスは蛇蝎のごとく嫌った。宗教で飯を食うな。宗教が堕落する。

文語訳 マコ 10:17-21
10:17 イエス途に出で給ひしに、一人はしり來り、跪づきて問ふ『善き師よ、永遠の生命を嗣ぐためには、我なにを爲すべきか
10:18 イエス言ひ給ふ『なにゆゑ我を善しと言ふか、神ひとりの他に善き者なし。
10:19 誡命は汝が知るところなり「殺すなかれ」「姦淫するなかれ」「盜むなかれ」「僞證を立つるなかれ」「欺き取るなかれ」「汝の父と母とを敬へ」』
10:20 彼いふ『師よ、われ幼き時より皆これを守れり』
10:21 イエス彼に目をとめ、愛しみて言ひ給ふ『なんぢ尚ほ一つを缺く、往きて汝の有てる物をことごとく賣りて、貧しき者に施せ、さらば財寳を天に得ん。且きたりて我に從へ』


●「永遠の命を得るにはどうしたらよいのか」という質問は人が発しうる最高、最善の質問である。この質問だけで彼は99%救われている。
●イマドキのワカイモンの関心は「どうしたら志望校に入れるか、どうしたら大企業に入れるか、どうしたら金持ちになれるか、どうしたらイケメンや美人と結婚できるか・・・・」など、目先のこの世のことだけである。しかしそれでよい。それでよいのだ。なぜか、その深層心理は「シアワセ」を求めているのだから。
●イエスは21節で「目をとめ、愛しみて」その質問者の求道の勢いに感じて言った。『なんぢ尚ほ一つを缺く、』
●このイエスの答えは名言である。いろいろやっているが肝心のことをやっていないということだ。
●『往きて汝の有てる物をことごとく賣りて、貧しき者に施せ、さらば財寳を天に得ん。且きたりて我に從へ』。これを読んですぐ社会的行動に出る人間は聖書の読みが浅い。半可通。
●人間にとって最も肝心なことは「神に聴く」ことである。ここに真の「シアワセ」があるのだ。


塚本訳 ルカ 10:38-42
10:38 さてみなが旅行をつづけるうち、イエスがある村に入られると、マルタという女が家にお迎えした。
10:39 マルタにマリヤという姉妹があった。。マリヤは主の足もとに坐ってお話を聞いていた。
10:40 するといろいろな御馳走の準備で天手古舞をしていたマルタは、すすみ寄って言った、「主よ、姉妹がわたしだけに御馳走のことをさせているのを、黙って御覧になっているのですか。手伝うように言いつけてください。」
10:41 主が答えられた、「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことに気を配り、心をつかっているが、
10:42 無くてならないものはただ一つである。マリヤは善い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」


●国家体制を批判して少し抵抗したことを鼻にかけて自慢している人間たちは、「高橋は『社会批判は信仰の堕落』だと思っている」ということになっているらしい。その自慢が信仰の堕落だ。
●彼らはマルタである。40節「わたしだけに御馳走のことをさせている」と思ってイエスに聞こうとしているマリヤに不満を持っている。その「私だけがやっている」などという行為主義の自負はヒューマニズムであり信仰者ではないから、信者失格である。
●彼らには「有体的復活」「有体的再臨」の信仰がないから「人間の行為」に走るのであって、良く観察していると熱心に活動しているようだが見るべき成果は上がっていない。
●真の抵抗運動は真に深い信仰から生まれる。
●神に聴いて「十字架を負わされて死ぬ」ことが真の行為主義なのだ。
●マルタは健康であったが、マリヤは病弱であったのでテキパキと動けなかったという説を読んだことがある。そうかもしれない。病気は十字架だ。

塚本訳 使  16:26-31
16:26 すると突然大地震がおこり、牢屋の土台が揺れた。あっと言う間に戸が皆あいて、すべての囚人の繋ぎが解けてしまった。
16:27 牢番は目を覚まし、牢の戸があいているのを見ると、囚人どもが逃げたものと思い、剣を抜いて自決しようとした。
16:28 するとパウロが大声を出して言った、「早まったことをしなさるな。みんなここにいるのだから。」
16:29 牢番は明りを持って来させて(牢の中に)駈けこみ、震えながらパウロとシラスとの前にひれ伏した。
16:30 そして二人を外につれだして言った、「先生方、救われるにはどうしなければならないのですか。
16:31 二人が言った、「主イエスを信じなさい。そうすればあなたも家族も救われる。」
 

●この牢番は自分の職務に忠実であった。だから地震で囚人が逃げた時自分の失策だと思って「自決しようとした」。
●この真面目さが救いの土台。内村鑑三は「信仰は普通道徳の上に根付く」という。「小事に忠実でないものは大事を任せられない」(ルカ16:9-13 塚本訳で明快)
●30節の「どうしなければならないのですか」の質問は、99%救いの準備完成。このような質問は実は天変地異の地震。それは神の恩恵。
●31節。職務を解かれても彼の家族は路頭に迷わないばかりか、永遠の命を得る。万歳、天変地異の災害よ。

塚本訳 マタ 6:31-34
6:31 だから、『何を食べよう』とか、『何を飲もう』とか、『何を着よう』とか言って、心配するな。
6:32 それは皆異教人のほしがるもの。あなた達の天の父上は、それが皆あなた達に必要なことをよく御承知である。
6:33 あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。
6:34 だから、あしたのことを心配するな。あしたはあしたが自分で心配する。一日の苦労はその日の分で沢山である。


●我々は誰でも常に「お金はどうしよう」という心配で一杯である。人生の段階ごとに教育ローン、住宅ローン、老後は生活ローン、医者にかかる費用、そして老人施設への費用、・・・・。
●なぜ心配があるのか。32節「異教人のほしがるもの」を求めているからである。ならばその欲望を断てばよいのか。そうではないキリスト教は禁欲教ではない。
●神は真に必要なものは「最低限」与えてくださる。主の祈り「日毎の糧を与えたまえ」。 
●キリスト教が「禁欲教」であるかのように認識されているのは「律法主義的教義」が原因。真のキリスト教は、自由、喜び、光、歓喜、のびのび、である。

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朝の黙想終わり。アーソウカ。「どうしたらよいのだろう」という悩みは神がそばにいる証拠だ。

●ホフマンの有名な絵に戸口の外にランプを持つキリストの姿がある。家の中では「どうしたらよいのだろう」とみんなで悩んでいるときは内側からドアを一気に開ければよいのだ。(これ説教調でイカン)。 
●TSK日本語版列王記上13章
●妻は午前中から愛子の家に手伝い
●17:30 十字式健康法
●18:45 東秋留駅についてあと15分で家に着くと妻に携帯電話をかけると、妻が目の前に歩いていて電話を受信していた。妻と同じ電車であったのだ。こういう偶然もあるものだなー。 

2013_07180004.jpg 

家路。夕暮れ。トウモロコシは夜伸びるのかなー。子供が育つのも親が知らないうちに知らないところで伸びるのかもしれない。神の国は神ご自身が伝えるのだ。

塚本訳 マコ 4:26-29
4:26 また言われた、「神の国はこんなものだ。──ある人が地に種を蒔き、
4:27 夜昼、寝起きしていると、種は芽生えて育ってゆくが、本人はその訳を(すら)知らない。
4:28 (すなわち)地はひとりでに実を結ぶ
ので、初めに茎、次に穂、次に穂の中に熟しきった粒ができる。
4:29 実が熟すると、すぐに『鎌を入れる。刈入れ時が来たのである。』」


 







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「痛み」はなぜあるのだろう ++++++++ 所感

2013/07/17 06:19

130717(水)明け方4時目覚めてトイレに行くも右臀部が激痛。ビッコでトイレに行き、しばし黙想「人間に痛みというのはなぜあるのだろう」●そこで啓示されたのが次の聖句。そうか。「痛み」は人間の絆を強めるためにあるのか。●今回の身体の痛みで多くの人が心配してくださっている。それは純粋である。●無教会は交わりがないというのは間違いで、集会ごとの枠を超えて純粋な交わりがある。●私の肉体の痛みを共に悩んでくださるのは私に「キリストの体なる教会」を教えてくれている。

塚本訳 Ⅰコリ12:25-29
12:25 これは体の間に仲間割れがなく、(多くの)器官が一致して互に心を配り合うためである。
12:26 もし一つの器官が苦しみをうければ、(ほかの)すべての器官が一しょに苦しみ、もし一つの器官がとうとばれれば、(ほかの)すべての器官が一しょに喜ぶのである。
12:27 (同じことをあなた達についても言うことが出来る。)あなた達はキリストの体であり、ひとりびとりとしては器官である。
12:28 神はある人々を集会に置かれた、第一に使徒として、第二に預言者として、第三に教師として、次に奇蹟を、次に治療の賜物、援助、(集会の)管理、各種の霊言(など)を。
12:29 皆が使徒であろうか。皆が預言者であろうか。皆が教師であろうか。皆が奇蹟をするのであろうか。

●今朝はこの部分の黙想をしよう。まず25-26節の翻訳比較。拙HPのBbB利用。

http://www.bbbible.com/bbb/bbb1c12.html

岩波翻訳委員会訳1995

461225それは、からだのうちに分裂がなく、むしろ肢体が一つになって、互いのために配慮するためである。

461226そして、一個の肢体が苦しむ時には、すべての肢体が共に苦しむし、一個の肢体が栄光を受ける時には、すべての肢体が共に喜ぶのである。

新共同訳1987

12:25 それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。

12:26 一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。

前田訳

12:25 それは体に分裂がなく、諸部分がひとつになって互いに心を配るためです。

12:26 もしひとつの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、ひとつの部分が尊ばれれば、すべての部分が共によろこびます。

新改訳1970

12:25 それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。

12:26 もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。

塚本訳1963

12:25 これは体の間に仲間割れがなく、(多くの)器官が一致して互に心を配り合うためである。

12:26 もし一つの器官が苦しみをうければ、(ほかの)すべての器官が一しょに苦しみ、もし一つの器官がとうとばれれば、(ほかの)すべての器官が一しょに喜ぶのである。

口語訳1955

12:25 それは、からだの中に分裂がなく、それぞれの肢体が互にいたわり合うためなのである。

12:26 もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。

文語訳1917

"461225","これ體のうちに分爭なく、肢々一致して互に相顧みんためなり。"

"461226","もし一つの肢苦しまば、もろもろの肢ともに苦しみ、一つの肢尊ばれなば、もろもろの肢ともに喜ぶなり。"


●次に拙HPのTSKを見てみよう 。http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/110910.htm

●Ⅰコリ12:25

12:25 それは、からだの中に分裂がなく、それぞれの肢体が互にいたわり合うためなのである。

 

*「それは、からだの中に分裂がなく、」

John 17:21-26

21父よ、それは、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、みんなの者が一つとなるためであります。すなわち、彼らをもわたしたちのうちにおらせるためであり、それによって、あなたがわたしをおつかわしになったことを、世が信じるようになるためであります。  22わたしは、あなたからいただいた栄光を彼らにも与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。  23わたしが彼らにおり、あなたがわたしにいますのは、彼らが完全に一つとなるためであり、また、あなたがわたしをつかわし、わたしを愛されたように、彼らをお愛しになったことを、世が知るためであります。  24父よ、あなたがわたしに賜わった人々が、わたしのいる所に一緒にいるようにして下さい。天地が造られる前からわたしを愛して下さって、わたしに賜わった栄光を、彼らに見させて下さい。  25正しい父よ、この世はあなたを知っていません。しかし、わたしはあなたを知り、また彼らも、あなたがわたしをおつかわしになったことを知っています。  26そしてわたしは彼らに御名を知らせました。またこれからも知らせましょう。それは、あなたがわたしを愛して下さったその愛が彼らのうちにあり、またわたしも彼らのうちにおるためであります」。

1 Corinthians 1:10-12

 10さて兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの名によって、あなたがたに勧める。みな語ることを一つにして、お互の間に分争がないようにし、同じ心、同じ思いになって、堅く結び合っていてほしい。  11わたしの兄弟たちよ。実は、クロエの家の者たちから、あなたがたの間に争いがあると聞かされている。  12はっきり言うと、あなたがたがそれぞれ、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケパに」「わたしはキリストに」と言い合っていることである。

1 Corinthians 3:3

 3あなたがたはまだ、肉の人だからである。あなたがたの間に、ねたみや争いがあるのは、あなたがたが肉の人であって、普通の人間のように歩いているためではないか。

2 Corinthians 13:11

 11最後に、兄弟たちよ。いつも喜びなさい。全き者となりなさい。互に励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和に過ごしなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいて下さるであろう。

 

*「それぞれの肢体が互にいたわり合うためなのである。」

2 Corinthians 7:12

12だから、わたしがあなたがたに書きおくったのは、不義をした人のためでも、不義を受けた人のためでもなく、わたしたちに対するあなたがたの熱情が、神の前にあなたがたの間で明らかになるためである。

2 Corinthians 8:16

 16わたしがあなたがたに対して持っている同じ熱情を、テトスの心にも与えて下さった神に感謝する。

 

●Ⅰコリ12:26

12:26 もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。

 

*「節全体」

Romans 12:15

15喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。

2 Corinthians 11:28-29

 28なおいろいろの事があった外に、日々わたしに迫って来る諸教会の心配ごとがある。  29だれかが弱っているのに、わたしも弱らないでおれようか。だれかが罪を犯しているのに、わたしの心が燃えないでおれようか。

Galatians 6:2

 2互に重荷を負い合いなさい。そうすれば、あなたがたはキリストの律法を全うするであろう。

Hebrews 13:3

 3獄につながれている人たちを、自分も一緒につながれている心持で思いやりなさい。また、自分も同じ肉体にある者だから、苦しめられている人たちのことを、心にとめなさい。

1 Peter 3:8

 8最後に言う。あなたがたは皆、心をひとつにし、同情し合い、兄弟愛をもち、あわれみ深くあり、謙虚でありなさい。

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朝の黙想おわり。そうかそうだったのか。アノ人の信仰の姿勢にケチをつけていてはいけないのだ。信者でないアノ堕落人間を断罪していてはいけないのだ。私も同罪なのだ。私の肉体の痛みはその警告だ。


●私の身体が不調の時は我が半身なる妻が常に心配し、世話をしてくれる。感謝。 妻は私の福音伝道のために必要な存在だ。先に逝かれては困る。認知症になられたら困る。
それで次に創世記2:18を学ぼう。まず翻訳比較。  Jバイブル(市販)利用

口語訳 創  2:18
2:18 また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。

新改訳 創  2:18
2:18 その後、神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」

新共同 創  2:18
2:18 主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」

NKJV 創  2:18
2:18 And the Lord God said, "It is not good that man should be alone; I will make him a helper comparable to him."

TEV 創  2:18
2:18 Then the Lord God said, "It is not good for the man to live alone. I will make a suitable companion to help him."

●NKJVのhelper comparable は言いえて妙だ。
●妻は夫に「ふさわしい」存在でなければ創造の目的に沿わない。だから男女同権、女の自立を狂い叫び大所高所から天下国家を断罪する一部社会派キリスト教女史たちは考えものだ。
●同じく夫は妻に「ふさわしい」存在でなければならない。外に女を作って家庭を捨てる夫は人間の屑。神に正義を貫徹してもらわなければならない。神が裁く。
●次にこの創世記2:18を再び拙HPのTSKで見てみよう。
 

●創  2:18

2:18 また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。

 *「また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。

Genesis 1:31

31神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。

Genesis 3:12

 12人は答えた、「わたしと一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれたので、わたしは食べたのです」。

Ruth 3:1

 1時にしゅうとめナオミは彼女に言った、「娘よ、わたしはあなたの落ち着き所を求めて、あなたをしあわせにすべきではないでしょうか。

Proverbs 18:22

 22妻を得る者は、良き物を得る、かつ主から恵みを与えられる。

Ecclesiastes 4:9-12

 9ふたりはひとりにまさる。彼らはその労苦によって良い報いを得るからである。  10すなわち彼らが倒れる時には、そのひとりがその友を助け起す。しかしひとりであって、その倒れる時、これを助け起す者のない者はわざわいである。  11またふたりが一緒に寝れば暖かである。ひとりだけで、どうして暖かになり得ようか。  12人がもし、そのひとりを攻め撃ったなら、ふたりで、それに当るであろう。三つよりの綱はたやすくは切れない。

1 Corinthians 7:36

 36もしある人が、相手のおとめに対して、情熱をいだくようになった場合、それは適当でないと思いつつも、やむを得なければ、望みどおりにしてもよい。それは罪を犯すことではない。ふたりは結婚するがよい。

 

*「彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」

Genesis 3:12

12人は答えた、「わたしと一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれたので、わたしは食べたのです」。

1 Corinthians 11:7-12

 7男は、神のかたちであり栄光であるから、かしらに物をかぶるべきではない。女は、また男の光栄である。  8なぜなら、男が女から出たのではなく、女が男から出たのだからである。  9また、男は女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのである。  10それだから、女は、かしらに権威のしるしをかぶるべきである。それは天使たちのためでもある。  11ただ、主にあっては、男なしには女はないし、女なしには男はない。  12それは、女が男から出たように、男もまた女から生れたからである。そして、すべてのものは神から出たのである。

1 Timothy 2:11-13

 11女は静かにしていて、万事につけ従順に教を学ぶがよい。  12女が教えたり、男の上に立ったりすることを、わたしは許さない。むしろ、静かにしているべきである。  13なぜなら、アダムがさきに造られ、それからエバが造られたからである。

1 Peter 3:7

 7夫たる者よ。あなたがたも同じように、女は自分よりも弱い器であることを認めて、知識に従って妻と共に住み、いのちの恵みを共どもに受け継ぐ者として、尊びなさい。それは、あなたがたの祈が妨げられないためである。
 

●アーソウカ。ここに真の男女平等の根拠がある。聖書は男尊女卑ではない。







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正義は貫徹されねばならない ++++++++ 所感

2013/07/16 08:10

130716(火)昨日から痛み止めを飲み始めたらか、今朝はいくらか右臀部の痛みが和らいでいる。立ってトイレに行けた。「薬」の力はありがたい。「薬学」は人を助けるためにある。●軽井沢の星野温泉旅館には、内村鑑三が英文で揮毫した「Dentistry is a Work of Love Kanzo Uchmura」という畳一畳ほどの額がある。これは「歯科の仕事は愛の業(わざ)である」という意味である。内村鑑三の日記によると、大正14年の夏、軽井沢の地にあって歯痛に悩み、小諸の親切な医師の治療を受けて喜びの気持ちからこれを贈ったものだという。●人間はおのおの何らかの「業(わざ)」をもって人に仕えるものであると解する。●10歳になる孫娘は将来「看護婦」になりたいと言っているので、私はその志を「褒めた」。看護婦は人を助ける佳い仕事だ。●かって腎臓結石摘出手術の時、一人の看護婦が「弱って入院してきた人が元気になり笑顔で退院していくのを見送るのが私の生きがいで喜びです」と言った。偉いなーと思ったものだ。この人は「仕事」の本質をつかんでいる。●それに比べてイマドキのワカイモンの多くは、カッコイイ会社、カッコイイ仕事、お給料の高い会社、潰れない有名企業を志望しているが、労働観がなっちゃない。●昨日のニュース。茨城県で10歳の女児が見知らぬ野口という30歳の容疑者に殴られて意識不明だという。これを聞いた私はこれが私の孫娘だったらどういう態度を取るべきかと思った。●キリスト教信仰に生きる私の結論は「神が裁く、神が正しく裁く。と信じてじっとしているべきだと思った。人間的努力で赦すのではない。神が正義を貫徹して神が報復してくださることを信じ貫くことだ。その聖書的部分を黙想してみよう。

口語訳 出  14:14
14:14
主があなたがたのために戦われるから、あなたがたは黙していなさい」。


口語訳 Ⅱ歴 20:17
20:17 この戦いには、あなたがたは戦うに及ばない。ユダおよびエルサレムよ、あなたがたは進み出て立ち、あなたがたと共におられる主の勝利を見なさい。恐れてはならない。おののいてはならない。あす、彼らの所に攻めて行きなさい。主はあなたがたと共におられるからである』」。

塚本訳 ロマ 12:19
12:19 愛する者たちよ、自分で仕返しをするな、(裁きの日の神の)怒りにまかせよ。こう書いてあるではないか、「主は言われる、『仕返しはわたしのもの、』わたしが『報いをする』と。

口語訳 箴  24:29
24:29 「彼がわたしにしたように、わたしも彼にしよう、わたしは人がしたところにしたがって、その人に報いよう」と言ってはならない

口語訳 申  32:35
32:35 彼らの足がすべるとき、/わたしはあだを返し、報いをするであろう。彼らの災の日は近く、/彼らの破滅は、/すみやかに来るであろう。


口語訳 詩  94:1-3
94:1 あだを報いられる神、主よ、あだを報いられる神よ、光を放ってください。
94:2 地をさばかれる者よ、立って/高ぶる者にその受くべき罰をお与えください。
94:3 主よ、悪しき者はいつまで、悪しき者はいつまで勝ち誇るでしょうか。


塚本訳 ヘブ 10:30-31
10:30 わたし達はこう言われた方を知っているからである。『仕返しはわたしのもの、』わたしが、『報いをする』、さらに『主はその民を罰される』と。
10:31 生きた神の御手に落ちることのなんと恐ろしいことであろう。

口語訳 ナホ 1:2
1:2 主はねたみ、かつあだを報いる神、主はあだを報いる者、また憤る者、主はおのがあだに報復し、おのが敵に対して憤りをいだく。


口語訳 ナホ 1:2
1:2 主はねたみ、かつあだを報いる神、主はあだを報いる者、また憤る者、
主はおのがあだに報復し、おのが敵に対して憤りをいだく。


塚本訳 ロマ 13:4
13:4 官憲はあなたの最善のためにつくす神の召使であるから。しかしもし悪事をすれば、恐れねばならない。見えのために剣をささげているのではないのだから。
官憲は神の召使で、悪事を行う者に対して(神の)怒りをあらわす復讐者である。


口語訳 詩  96:13
96:13 主は来られる、地をさばくために来られる。
主は義をもって世界をさばき、まことをもってもろもろの民をさばかれる。


口語訳 詩  98:9
98:9 主は地をさばくために来られるからである
。主は義をもって世界をさばき、公平をもってもろもろの民をさばかれる。

塚本訳 ルカ 21:11
21:11 また大地震や、ここかしこに疫病や飢饉があり、いろいろな恐ろしいこと、また天に驚くべき前兆があらわれるであろう。

塚本訳 ヘブ 10:27
10:27 ただ、恐れて刑罰を待っていることと、『(神に)反抗する者を食いつくそ』うとしている『(裁きの)火の熱心(だけ)が』残っている。

口語訳 詩  76:8
76:8 あなたは天からさばきを仰せられた。神が地のしえたげられた者を救うために、さばきに立たれたとき、地は恐れて、沈黙した。〔セラ

口語訳 マタ 10:28
10:28 また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい

口語訳 ルカ 12:5
12:5 恐るべき者がだれであるか、教えてあげよう。殺したあとで、更に地獄に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい。そうだ、あなたがたに言っておくが、そのかたを恐れなさい。

口語訳 ヘブ 12:29
12:29 わたしたちの神は、実に、焼きつくす火である。


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●朝の黙想おわり。悪は赦せない。断罪されねばならない。正義が貫徹されねば心が安んじない。神は裁く。神は赦さない。社会組織、警察はそのためにある。法治国家はそのために存在する。パウロは言う。

塚本訳 ロマ 13:4
13:4 官憲はあなたの最善のためにつくす神の召使であるから。しかしもし悪事をすれば、恐れねばならない。見えのために剣をささげているのではないのだから。
官憲は神の召使で、悪事を行う者に対して(神の)怒りをあらわす復讐者である。

●しかしキリスト者の態度は悪人の救いを祈ることだ。この世でその悪人の救いを見ることが出来なくても来世での彼の悔い改めを信じて祈り続けることだこれがキリスト者の報復である。
●赦すことが正しく裁く。だからキリストは次のように祈れと教える。

塚本訳 マタ 6:12
6:12 罪を赦してください、わたしたちも罪を犯した人を赦しましたから


●これが書かれている「山上の説教」は「救われた人」に向けられている。


塚本訳 マタ 6:14-15
6:14 (祈る前に、まず人の罪を許さねばならない。)あなた達が人の過ちを赦してやれば、天の父上もあなた達を赦してくださるが、
6:15 人を赦さないならば、父上もあなた達の過ちを赦してくださらないであろう。


●これは難しい。人間の正義の心が納得できない。これを実行すのは「神が絶対に正しく裁く」と固く信じればよいのだ。
●悪人が裁かれたとき「ザマーミロ」と思うべきか。ノー。彼の回心を見ることが出来なかったと思って嘆くべきではないか。でも「悪人の救いを祈り続けた」そのことで「天に宝を積」んだことになるのだ。

●TSK日本語版列王記上11章。
●14:30 妻は郵便や荷物など発送、中野に立ち寄り、夜は月本昭男先生の旧約講義。
●娘から「整形外科」に行くようにとアドヴァイス。
●今日は涼しい。エアコンなしで済んだ。
●参議院東京選挙区。投票する魅力の党も人物もいない。
●右臀部が痛くて気力減退。

●某氏が私を「先生」と呼ぶのでやめてほしいと次のようにメールした。

某氏へのメールの一部
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最後に、私を「先生」呼ばわりするのはやめてください。「高橋さん」にしてください。なぜか。聖書に「先生」と呼ばれていけない、「先生になるな」とあるからです。私が滅びるからです。

 

塚本訳 マコ 10:17-18

10:17 旅行に出ようとされると、ひとりの人が駆けてきて、ひざまずいて尋ねた、「善い先生、永遠の命をいただくには、何をすればよいでしょうか。」

10:18 イエスは言われた、「なぜわたしを『善い』と言うのか。神お一人のほかに、だれも善い者はない。

 

3:1 兄弟達、あまりに多く教師になるな。君達が知っているように、私達教師は(人一倍)厳しい審判を(神から)受けるのに、

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某氏へのメールの一部 終わり





塚本訳 ヤコ 3:1



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神は死人に命を与える・・・復活の希望・・ ++++++++ 所感

2013/07/15 06:51

130715(月、海の日)朝の啓示「神は死人に命を与える・・復活の希望・・」●9月1日の感話の準備。●人間の希望には過去の記憶という根拠が必要。また人間には「達成感」という財産が重要だ。●ボクシングで気力が衰えた選手にセコンドは「昔あの時、こういうことがあってもばん回したじゃーないか」とささやいて気力を奮い立たせるものだ。●復活の希望も同じだ。聖書にはこういうことがあったと書いてあるではないかと思い出させてくれるのだ。聖書はこれを信じる人にだけ力がある。

新共同 創 2:7
2:7
主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。

●昔、HSさんの御遺体を棺の中に入れるために何人かで持ち上げたが実に重かった。それは粘土のかたまりのようであった。
●「人間は土に返る」とは万人に受け入れられる事実だ。墓のカロート(骨を安置する箱)の底は関東地方ではコンクリートであり、そこに骨壺が置かれるが、東北地方では土のままで、そこにある先祖の骨の上に死人の骨を撒く。妻の両親(福島県いわき市)はそうした。土に返すという思想なのだ。
●過日召されたMYさんの御遺体の鼻の穴はは実に大きかった。神はあの鼻の穴から命を「引きとった」のかなー。人間が死ぬのは「息をひきとる」というが神が命を引き抜いたのだろう

口語訳 ヨブ 1:21
1:21 そして言った、/
「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」。

●塚本先生が御夫人に先立たれて嘆いてた時「何を嘆くか俺は母の胎から一人で出て来たのじゃーないか」と言って自分で自分を慰められた。
●そういう先生も後年、ある御夫人に「私の家はカタワだー、カタワだー」と嘆かれたそうだ。伝道者の悲哀。

口語訳 創  17:15-19
17:15 神はまたアブラハムに言われた、「あなたの妻サライは、もはや名をサライといわず、名をサラと言いなさい。
17:16 わたしは彼女を祝福し、また彼女によって、あなたにひとりの男の子を授けよう。わたしは彼女を祝福し、彼女を国々の民の母としよう。彼女から、もろもろの民の王たちが出るであろう」。
17:17 アブラハムはひれ伏して笑い、心の中で言った、「百歳の者にどうして子が生れよう。サラはまた九十歳にもなって、どうして産むことができようか」。
17:18 そしてアブラハムは神に言った、「どうかイシマエルがあなたの前に生きながらえますように」。
17:19 神は言われた、「いや、あなたの妻サラはあなたに男の子を産むでしょう。名をイサクと名づけなさい。わたしは彼と契約を立てて、後の子孫のために永遠の契約としよう。

●不妊の悩み悲しみは大きい。それは「聴かれざる祈祷」である。その祈りで神に引きつけられ、ついに肉の子供を必要としない天使のようにさせられつつあるのだ。永遠の命の喜びが与えられるのだ。

塚本訳 ルカ 20:35-38
20:35 あの世にはいる資格を与えられて、死人の中から復活する者は、めとることもなく嫁ぐこともない。
20:36 復活によって生まれる彼らは、天使と同じであり、神の子であるので、もはや死ぬことが出来ない、(従って子を産む必要がない)からである。
20:37 死人が復活することは、(聖書にはっきり書いてある。)モーセも茨の薮の(燃える話の)ところで、主を『アブラハムの神、またイサクの神、またヤコブの神(である)と』と言ってこれを示している。
20:38 ところで神は死人の神ではなく、生きている者の神である。神に対しては、すべての者が生きているのだから。(してみるとアブラハム、イサクなども皆復活して、今生きているわけではないか。)」


●肉の子が与えられるのは喜びである。力である。しかしそれ以上の喜びはある。神と共なる永遠の命の喜びだ。
●「持つべきは子、なるまじきは親」という悩みがある。
●神が命を与えるのは年齢の限界がない。
●「アブラハム、イサクがまだ生きている」というのは霊魂不滅論ではなく、神の懐で眠っているということである。眠りは死ではない。朝が来れば目覚めるのだ。 次のようである。

塚本訳 コロ 3:3-4
 3:3 君達は(既にこの世に)死んで、その生命はキリストと共に神の右に隠されていのだから。
3:4
(しかし今でこそ隠されているが、)私達の生命であるキリストが顯れ給う時には、君達もまた彼と共に栄光の裡に顯れるであろう。


塚本訳 Ⅰコリ4:15-17
4:15 たとえキリストにある家庭教師は無数にあなた達にあっても、お父さんは沢山はないのだから。キリスト・イエスにあって、福音により、わたしがあなた達を生んだのではないか。
4:16 だからあなた達に勧める、わたしのまねをする者になってもらいたい。
4:17 それゆえにこそ、わたしはテモテをやった。彼は主にあってわたしの愛する忠実な子供であり、わたしが到る所で、すべての集会において教えているとおりに、キリスト・イエスにあるわたしの道を、あなた達に思い出させてくれるであろう。


●「信仰によって」生まれた子供が真の子供。
●しかしこれにも悩みがある。塚本先生の御嬢さん(乳飲み子の時に母親と死別)はある時「お父様は私より療養所の娘(コ)の方が可愛いんだ」と言って泣かれたことがあるという。
●伝道者の子供は淋しい。そのお嬢さんとは一度会ったが、ももうこの世にはいない。


新改訳 Ⅰ列 17:17-24
17:17 これらのことがあって後、この家の主婦の息子が病気になった。その子の病気は非常に重くなり、ついに息を引き取った。
17:18 彼女はエリヤに言った。「神の人よ。あなたはいったい私にどうしようとなさるのですか。あなたは私の罪を思い知らせ、私の息子を死なせるために来られたのですか。」
17:19 彼は彼女に、「あなたの息子を私によこしなさい。」と言って、その子を彼女のふところから受け取り、彼が泊まっていた屋上の部屋にかかえて上がり、その子を自分の寝台の上に横たえた。
17:20 彼は主に祈って言った。「私の神、主よ。私を世話してくれたこのやもめにさえもわざわいを下して、彼女の息子を死なせるのですか。」
17:21 そして、彼は三度、その子の上に身を伏せて、主に祈って言った。「私の神、主よ。どうか、この子のいのちをこの子のうちに返してください。」
17:22 主はエリヤの願いを聞かれたので、子どものいのちはその子のうちに返り、その子は生き返った。
17:23 そこで、エリヤはその子を抱いて、屋上の部屋から家の中に降りて来て、その子の母親に渡した。そして、エリヤは言った。「ご覧、あなたの息子は生きている。」
17:24 その女はエリヤに言った。「今、私はあなたが神の人であり、あなたの口にある主のことばが真実であることを知りました。」


●この記事も我々の復活の希望の根拠である。22節、神が人の願いを聞かれるといのちが死人に返って生き返ったというのだ。
●子が病気になると親は「代われるものなら代わってやりたい」と思い、死ねば嘆きは大きい。こういうとき祭司や牧師は「天国を見てきたような嘘はつけない」

口語訳 エゼ 37:2-10
37:2 彼はわたしに谷の周囲を行きめぐらせた。見よ、谷の面には、はなはだ多くの骨があり、皆いたく枯れていた。
37:3 彼はわたしに言われた、「人の子よ、これらの骨は、生き返ることができるのか」。わたしは答えた、「主なる神よ、あなたはご存じです」。
37:4 彼はまたわたしに言われた、「これらの骨に預言して、言え。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。
37:5 主なる神はこれらの骨にこう言われる、見よ、わたしはあなたがたのうちに息を入れて、あなたがたを生かす。
37:6 わたしはあなたがたの上に筋を与え、肉を生じさせ、皮でおおい、あなたがたのうちに息を与えて生かす。そこであなたがたはわたしが主であることを悟る」。
37:7 わたしは命じられたように預言したが、わたしが預言した時、声があった。見よ、動く音があり、骨と骨が集まって相つらなった。
37:8 わたしが見ていると、その上に筋ができ、肉が生じ、皮がこれをおおったが、息はその中になかった。
37:9 時に彼はわたしに言われた
、「人の子よ、息に預言せよ、息に預言して言え。主なる神はこう言われる、息よ、四方から吹いて来て、この殺された者たちの上に吹き、彼らを生かせ」。
37:10 そこでわたしが命じられたように預言すると、息はこれにはいった。すると彼らは生き、その足で立ち、はなはだ大いなる群衆となった。


●これも我々の復活の希望の根拠である。ポイントは神がなさるということである。


塚本訳 マタ 28:1-9
28:1 安息日の(すんだ)後、週の初めの日[日曜日]の明け方に、マグダラのマリヤともう一人のマリヤとが墓を見に行った。
28:2 すると突然大地震がおこった。それは主の使が天からおりて来て(墓に)近寄り、(入口の)石をわきにころがし、その上に坐ったのである。
28:3 その顔は稲妻のようにかがやき、着物は雪のように白かった。
28:4 見張りをしていた者たちは恐ろしさのあまり震え上がって、死人のようになった。
28:5 天使は女たちに言った、「恐れることはない。あなた達は十字架につけられたイエスをさがしているようだが、
28:6 ここにはおられない。かねがね言われたとおり、もう復活されたのだから。来て、お体が置いてあった場所を見なさい。
28:7 それから急いで行って弟子たちに、『イエスは死人の中から復活された。あなた達より先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる』と言いなさい。これを言いにわたしは来たのだ。」
28:8 女たちは恐ろしいが、また嬉しくてたまらず、(中には入らずに)急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走っていった。
28:9 するとイエスがぱったり彼らに出合って、「お早う」と言われた。女たちは進み寄り、その足を抱いておがんだ。


●「空になった墓」は歴史と信仰の接点。歴史内と歴史外の接点。私が有体的復活を信じられるようになった根拠。復活を正面から説かない荒井献先生に迫ったこと。先生は「(そういう風に問い詰められれば、墓が空になったことは)歴史内のことだと佐藤研君と共に信じる」とご返事を頂いた。私はガッツポーズであった。
●復活は歴史的事実。歴史内のこと。

塚本訳 使  20:7-12
20:7 週の始めの日[日曜日]に、わたし達はパンを裂くために集まった。パウロは人々に話をしたが、翌日出発するつもりであったので、夜中まで話が続いた。
20:8 集まっていた階上の部屋にはランプが沢山ともしてあった。
20:9 ユテコという一人の青年が窓に腰をかけていたところ、パウロがながながと話をするので、深い眠りに落ち、(とうとう)眠りに負けて三階から下に落ちた。だき起こすと、もう事切れていた。
20:10 パウロが下りてきて青年の上にのしかかり、抱きしめて(人々に)言った、「騒ぐことはない。命はあるのだから。」
20:11 そして(階上に)上がっていって、(一同と)パンを裂いて食べ、ゆっくり明け方まで話して、それから出かけた。
20:12 人々は生きかえった少年を(家に)つれて行った。
みんなが一方ならず喜んだ。

●パウロが特別な人だからではない。信ずる者は何でもできる。神生きたもう。

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朝の黙想終わり。生きていくうえでの悩み悲しみは復活で涙が拭われる。その日を望み待とう。

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都立秋留台陸上競技場で中学生の100メートル競争を見る。

塚本訳 ピリ 3:13-14
3:13 兄弟達よ、私はまだ自分で(それを)捉えたなどとは考えていない。しかし(ただ)一つの事──後ろのものを忘れ、前のものを追い求めながら、
3:14 (或る)目標に向かって、すなわち神がキリスト・イエスにおいて
天上に招き給う褒美に向かって(ひた走りに)走っているのである。

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14:00 妻と音楽会に行く。ヴィオリストの和田睦夫氏の招待
保谷こもれびホール。側面のデザインは他に見られないものだ。

和田一樹指揮 西東京フィルハーモニー

グリンカ 「ルスランとルドミラ」序曲
シベリウス 交響曲第5番
ヴェートーヴェン 交響曲第6番「田園」

ヴェートーヴェンの音楽の構築力に今更ながら感心、感動。がっしりした建築のようだ。
ヴェートーヴェンの曲は見ていても面白い。彼はこれを1808年、38歳の時に作曲したが
すでに耳は聞こえなかった。第二楽章「小川のほとりの情景」では、この楽章の構想が練られたというウィーンの「ヴェートーヴェンの散歩道」を妻と歩いたことを思い出した。フルートとクラリネットが素晴らしい名演であった。第5楽章「牧歌、嵐のあとの感謝の気持ち」ではヴェートーヴェンの「自分の耳はもう直らない」という悟りの境地のようなものをそこに感じて胸が詰まった。名演に思わず「ブラボー」。 ヴェートーヴェンに向って叫んだ気持ち。

●終演後ロビーで和田ご夫妻に挨拶と感想。妻はお礼に午前中にパンとケーキを焼いた。

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保谷こもれびホールのロビーにあった素晴らしいデザインの椅子。
思わず座りたくなったが、座ると腰が痛くなりそうなのでやめた。

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家路。あきる野に戻ると奥多摩連山の夕暮れ。讃美歌43番を思う

讃美歌43番


みかみのたまいし この日も暮れけり
いざやけさのごと みめぐみをたたえん


ひかりにむかいて めぐる地とともに
地にあるみたみは みわざにいそしむ


くにぐにしまじま しずかに明けゆき
いのりはもださず ほめうたはつきず


われらにわかれて かくれし日かげは
西に住む友を  みわざにぞさます


おこりてほろぶる 地のくににかわり
ときわにさかゆる みくにぞとうとき
 










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聖書の謎を解くマスターキー ++++++++ 所感

2013/07/14 06:01

130714(日)未明の啓示「神の力が働いて」。●聖書の謎を解くマスターキーは「神の力が人間外から働く」という一言に尽きる。●これは神を信じない現代人には全く不可解なことである。3次元に生きる人間に4次元の光が射す現象なので理解不可能なことは当然である。わからないのが普通で自然である。●マスターキーというのは建築用語。その鍵一本あればそのビル全体のドアーがすべて開けられるという大切なもの。ホテルなどは、もしそのマスターキーが紛失したら、即刻すべての部屋のキーを取り換えることになっている。●また人間にとって神の力とは「外力」である。これまた建築用語である。建物はこの外力(風力、地震)に耐えられるように設計する。しかしあの津波力は「想定外」であった。人間の想定は低い。●聖書はわかりにくい書であるが、このマスターキーがあればすべての謎は解ける。そして外力なる神の力が信じられる。●今朝はこのことに関して重要と思われる箇所を黙想してみよう。●人生の不可解な、不条理な苦難ということもこの観点から解けるかもしれない。

塚本訳 Ⅰコリ2:14
2:14 しかし(御霊を持たない)生まれながらの人間は、神の霊から出てくることを受け入れない。彼にはそれが馬鹿なことなのである。またそれを理解することも出来ない。(霊のことは)霊的に判断されねばならないからである。


●ここで断然光る言葉は「神の霊から出てくること」である。神は霊であってそれは「力」なのだ。現代人はこの「外力」を認めず信じないから馬鹿なことと思って受け入れない。


塚本訳 Ⅰコリ1:18
1:18 なぜか。この十字架についての言葉は、滅びゆく者には馬鹿なことであるが、わたし達救われる者には、神の力(の現われ)であるから。


●ここでも光る言葉は「神の力」である。
●「一人の人が死ん全人類が救われる」などという摩訶不思議で不可解ななキリスト教の本質はその人に「神の力」が働く時に初めてわかる。それには人生の苦難という長い道のりが必要なのだ。「幸いなるかな悲しむ者。彼らはは慰められん」(マタイ5:4)
●聖書の真理は「涙と呻き」なしにはわからないようになっている

塚本訳 マタ 12:28
12:28 しかし、もし(そうでなく、)わたしが神の霊で悪鬼を追い出しているのであったら、それこそ神の国はもうあなた達のところに来ているのである。


●ここのポイントは「神の霊で悪鬼を追い出している」という言葉である。これが人間の外部の「外力」である。
●堕落人間は自分も家族も初めからそうなろうとは思っていなかったのに「悪魔」(これも外力)に噛みつかれて毒素を入れられ不自由人間になってしまっているのだ。
●この堕落人間が救われるためには神の霊がその人に「外力」として働いて悪鬼(悪霊)を追い出していただかなければならない。悪鬼を追い出された人間は次のように正気になる。

塚本訳 マコ 5:1-16
5:1 かくて湖の向う岸、ゲラサ人の地に着いた。
5:2 イエスが舟からあがられると、すぐ、汚れた霊につかれたひとりの人が墓場から出てきて、イエスを迎えた。
5:3 この人は墓場を住家としていたが、もはやだれも、鎖ですらつないでおくことが出来なかった。
5:4 幾たびか足桎と鎖でつないだが、鎖を引きちぎり、足桎を打ちこわして、だれの手にもおえなかったのである。
5:5 どなったり、体を石でなぐったりしながら、夜も昼も、いつも墓場や山にいた。
5:6 遠くの方でイエスを見ると、駆けてきてひざまずき、
5:7 大声で叫んだ、「いと高き神の子のイエス様、『放っておいてください。』後生だから、どうぞわたしを苦しめないでください。」
5:8 これはイエスが「汚れた霊、その人から出てゆけ」と言われたからである。
5:9 「あなたの名はなんというか」とお尋ねになると、「名は軍団です、大勢だからです」とこたえる。
5:10 また、この土地から追い出さないようにとしきりに願った。
5:11 折から、そこの山の中腹で豚の大きな群が草を食っていた。
5:12 霊どもは、「わたしどもをあの豚の中にやって、あれに乗り移らせてください」と願った。
5:13 お許しになると、汚れた霊どもは(その人から)出ていって豚に乗り移った。すると二千匹ばかりの群はけわしい坂をどっと湖へなだれこみ、湖で溺れて死んだ。
5:14 豚飼たちは逃げ出して、町や部落に知らせたので、何事がおこったのかと人々が見に来た。
5:15 彼らはイエスの所に来て、前に一軍団の悪鬼につかれていた者が着物をき、正気にかえってじっと座っていのを見ると、恐ろしくなった。
5:16 また(現場を)見ていた人たちは、悪鬼につかれていた者におこったことや豚のことを、その人々に話してきかせた。


●人は誰でも生まれつき「ゲラサの狂人」である。悪霊に憑かれた「罪人」である。神が見えない盲人で生まれる。その原因は悪霊に噛みつかれて毒素が体中に回ってしまっているのである。
●人間がそのようなみじめな狂人である奴隷状態から救済されるためには神の霊に働いていただいて8節のように「汚れた霊、その人から出てゆけ」という外力に作用(建築力学用語)していただかなければばならない。
●悪霊を追い出されて人間は誰でも初めて「正気にかえる」(15節)。真人間になる。
●新約聖書にこの記事があって、絶望的な我が身、我が家庭、我が親戚の堕落腐敗腐乱状態に希望がある。

塚本訳 ヨハ 8:34-36
8:34 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、罪を犯す者は皆罪の奴隷である。
8:35 奴隷はいつまでも家におるわけにゆかない。(いつでも追い出される。しかし)子はいつまでも家におる。
8:36 だから、もし子(たるわたし)が(罪から)自由にしてやれば、あなた達は本当に自由になるのである。(そしていつまでも父上のところにおることができる。)


塚本訳 ヨハ 8:44
8:44 (そのはずである。)あなた達は悪魔なる父の子で、父と同じ欲望を遂げようと思っているのだ。(人殺しをし、嘘をつくのは、そのためである。)悪魔は始めから人殺しである。(また嘘つきで、)真理に立ってない。彼の中には真理がないからである。だから彼は嘘をつく度ごとに、その本性を表しているのである。嘘つきで、嘘の父だからだ。

●人間の解放は「罪の奴隷」「悪魔なる父の子」からであることが急務である。
●日本はアメリカの言いなりの奴隷状態から解放されなければならないという参議院議員の選挙運動は不毛である。自主憲法をつくっても日本は真に自由にはなれない。
●人生は短い。社会派キリスト信者に告ぐ。祖国の解放は「罪の奴隷」「悪魔なる父の子」からである。

塚本訳 ルカ 19:1-6
19:1 エリコに入って、(そこを)通っておられた。
19:2 すると、(町に)名をザアカイという人がいた。この人は税金取りの頭で、金持であった。
19:3 イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低いので、群衆のため見ることが出来なかった。
19:4 それで先の方に駈けていって、桑無花果の木に上った。そこを通られるところを見ようとしたのである。
19:5 イエスはその場所に来られると、ザアカイを見上げて言われた、「ザアカイ、急いで下りておいで。きょうはあなたの家に泊まることになっているから。」
19:6 ザアカイは急いで下りてきて、喜んでお迎えした。


●人の救いは神の方から声をかける。これ外力である。


塚本訳 マコ 2:1-11
2:1 数日の後、カペナウムにかえられると、家におられることがすぐ知れわたって、
2:2 もはや門口にも場所がないほど、大勢の人が集まってきた。この人たちに御言葉を語っておられると、
2:3 人々が一人の中風の者を、四人にかつがせてつれて来る。
2:4 群衆のためイエスのところにつれて行けないので、おいでになる所の(上の)屋根をはがして穴をあけ、中風の者を担架に寝かせたまま(イエスの前に)吊りおろす。
2:5 イエスはその人たちの信仰を見て(驚き)、中風の者に言われる、「子よ、いまあなたの罪は赦された。」
2:6 数人の聖書学者がそこに坐っていたが、心の中で考えた、
2:7 「この人はなぜあんなことを言うのだろう。冒涜だ。神お一人のほか、だれが罪を赦せよう。
2:8 イエスは彼らがひそかにこう考えているのを、すぐ霊で見抜いて、「なんで、そんなことを心の中で考えているのか。
2:9 この中風の者に、あなたの罪は赦された、と言うのと、起きて担架をかついで歩け、と言うのと、どちらがたやすい(と思う)か。
2:10 では、人の子(わたし)は地上で罪を赦す全権を持っていることを知らせてやろう」と彼らに言いながら、中風の者に言われる、
2:11 「あなたに命令する、起きて担架をかついで、家に帰りなさい。」


●救われていない人がいる場合、先に救われた人は神に祈ってその人に「神の力」「外力」が働くように必死に祈ればよい。
●これが教会、エクレシアの存在意義。神を知らぬ者に対する「執り成しの祈り」がその最大の使命

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朝の黙想終わり。それにしてもわが右臀部の痛みから解放されたい。イエスなら直してくれるだろうが、その後にこう言われるに違いない。「直ったことは黙っていろ」と。
 
●妻と集会へ。私は駅まで自転車。
●集会は 茂木(司会)、高木(詩編と福音書、雑感雑論)、山本(Ⅱコリ13章)
●小寺ご夫妻と私達で昼食。










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満70歳 ++++++++ 所感

2013/07/13 08:08

130713(土)今日は満70歳の誕生日。所感を書く。

塚本訳 Ⅱコリ4:7
4:7 しかしこの宝が、(貧弱な)土の器の中にある。それはその素晴らしい力が神のものであって、わたし達(土の器)から出るのではないことがわかるためである。


●70歳は「古希」、古来、希(まれ)という意味だ。21年前に召された父は良く言っていた「人生50年」と。しかしその父は生涯病弱であったが、87歳。父を看護し続けた母は88歳であった。両親の年齢までは生きたいものだ。
●最近は特に体にガタがきている。この「土の器」の状況は上部の方からいくと脳は脳梗塞の恐れから年一回MRI検査、昨日はひどい目まい。記憶力は少し衰えた。耳は少し遠くなってテレビの音を大きくしなければならなくなった。目は若いときは視力検査で最下段まで見えたが、今は眼鏡をつけて1.0~1.2。口は達者(!!)、歯は年に4回掃除、肩こりは十字式健康法(気功)で直す。腹部は肥大、胃腸は昨日の診断でウィルスでの胃炎、食欲はあるが、尿酸値が高い、そして腰痛、朝起きる場合、また同じ姿勢を長時間していた後は痛くてビッコで歩く。だから30分ごとにストレッチしている。横になれない。起きる時が痛いから。

塚本訳 Ⅱコリ4:16
4:16 このゆえに、わたし達は気を落さない。いや、
わたし達の(生れながらの)外の人はどんなにこわれていっても、(キリストによって生れた)内の人は一日一日と新しくされてゆく。

●土なる外の人はこれからますます「壊れて」行くであろうが、なんの不思議が恩恵によって与えられた「内の人」は一日一日と新しくされてゆく。
●これは「ガンバロー」と言う励ましではない。神の力で「新しくされてゆく」のであって人間の努力精進克己ではない。
●この句は父の最後近くの心境であった。父は最後近くに見舞うと「御国は近い、御国は近いと」つぶやいていた。

塚本訳 Ⅰコリ15:49
15:49 こうしてわたし達は土の人の姿を帯びたように、(復活の時は)天の人の姿を帯びるであろう。


●一昨日の目まいと嘔吐の時にメモ帳に「復活の身体に霊肉の傷みなし」と走り書きした。
●内村鑑三は70歳で召された。私の年齢だ。死因は心臓肥大。
●内村の珠玉の短文「聴かれざる祈祷」は彼が53歳のときの心境。「祈りが聴かれないのは神は人の祈るこの世に希望を退けることによってご自分を与えるのである」ということが結論。しかし内村53歳の年齢を超える事70歳の今の私の心境は「聴かれざる祈祷」で実は「聖業」に参加させられているのだと言うことを思う。イエスのゲッセマネの祈りは聴かれなかったが実はそれが聖業だったのだ。

塚本訳 マコ 14:36
14:36 言われた、「アバ、お父様、あなたはなんでもお出来になります。どうかこの杯をわたしに差さないでください。しかし、わたしの願いでなく、お心がなればよいのです。」


●イエスは弟子たちに「祈ることは何でも聴かれる」と教えておきながら、自分の祈りは断然神に拒絶された。何というむごいことをされたのか。しかしこれは「聖業」のためだった。
●「アバ」とはアラム語で幼児が父親に呼びかける言葉、「父ちゃんと」言うようなもの。(エレミヤス)。そうするとここは「父ちゃんかんべんしてくれよ。この世の罪を贖う生贄はこの私でなくてもよいだろう」という祈りなのだ。慟哭。

塚本訳 マタ 26:41
26:41 目を覚まして、誘惑に陥らないように祈っていなさい。心ははやっても、体が弱いのだから。」


●「体が弱い」とは至言。
●伝道に熱心であったIHさんに塚本先生は「身体に気をつけなさい」と忠告された。
●80歳でエベレスト登頂を果たした三浦雄一郎は75歳の時の一回ごとの登山距離の半分としたことが成功であったといい、「老人半分」と言っていた。
●私もそうしよう。TSK日本語版はあと2年と目していたがスローダウンして3年にしよう。聖書作業は一日の半分の午前中だけにしよう。

口語訳 詩  90:9-11
90:9 われらのすべての日は、あなたの怒りによって過ぎ去り、われらの年の尽きるのは、ひと息のようです。
90:10 われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。
90:11 だれがあなたの怒りの力を知るでしょうか。だれがあなたをおそれる恐れにしたがって/あなた。の憤りを知るでしょうか。

●「ひと息」。新共同訳は「ため息」。私が「ため息」をつくと妻が、その「ため息」はやめてほしいと言う。
●「われらのよわいは七十年にすぎません」。とは今日の私のことだ。内村鑑三70歳。
●人に寿命があるのはその罪の故に「神の怒り、神の憤り」のためなのだ(創世記6:1-3) 
●モーセが艱難辛苦の荒れ野の40年を旅したのは「乳と蜜の流れる」カナンの地に行きつける望みのためであった。しかし神はそれを拒絶して、ピスガの山で命を終わらせた。なぜか。この40年の旅でイスラエルの民が神に「不平不満」を抱いたその責任を取らされたのだ。犠牲の死だったのだ。キリストの十字架の源流はここにある。
●「われらは飛び去るのです」。そうだ。キリスト者は復活の望みを抱いてこの世から「飛び去るのだ」。バッハ、カンタータ147番から「主よ、人の望みの喜びよ」


塚本訳 Ⅰテサ4:13-14
4:13 兄弟達よ、(主に在って)眠った者のことを知っていて、希望の無い他の人々のように(徒らに)歎かないようにしてもらいたい。
4:14 私達が信ずるようにもしイエスが死んで復活し給うたならば、神はイエスによって眠った者をも同様にイエスと共に連れ来たり給うであろうから。


●9月1日の婦人会での感話の主題。私達には「希望」がある。その希望とはこの世的な「願望、欲望」ではない。復活の希望だ。
●私達の復活の希望の根拠はイエスの復活の史実だ。イエスの歴史的復活、有体的復活は理性の安息だ。
●英国が道徳的危機に陥った時にワーズワースがミルトンを思って捧げた言葉。
「ミルトンよ、いまあれかし、英国は今汝を要す。来りて我らを教えよ」
●今から13年前、脳出血で倒れた時、AA先生は即刻葉書でこの言葉を下さった。
●最近、そのAA先生が倒れたとき、私はこの言葉を先生に即刻送った。今は回復された。 
 
塚本訳 ルカ 8:52-55
8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。」
8:53 人々は死んだことを知っているので、あざ笑っていた。
8:54 しかしイエスは女の子の手を取り、声をあげて「子よ、起きなさい!」と呼ばれると、
8:55 霊がもどって、即座に女の子は立ち上がった。イエスは(何か)食べさせるように言いつけられた。


●高名な無教会伝道者のお嬢様が不慮の死を遂げられた時、私はこの「泣くな死んだのではない。眠っているのだ」とお慰めのお手紙を差し上げたところ、俄然、気を取り直されて丁重な感謝の御返礼を頂いた。
●過日の宮本佳彦氏の葬儀の時、いよいよ棺の蓋を閉める「見納め」の段になったとき、宮本さんに可愛がってもらっていたのであろうご長男が背中を震わせて泣いておられたので思わず背中をさすった。「泣くな死んだのではない。復活がある」。
●私の家が全焼したとき、無教会の伝道者で神学者の泉治典先生がご令息の守彦氏を伴って仮住まいの拙宅に来られて。「これを機会に『建築の仕事』をやめよと膝詰めで迫られた。
その治典先生が亡くなられたとき、ご令息の守彦氏に「葬儀はしてくれるな。またすぐ会えるじゃーないか」と言ったという。泉先生万歳。基督者の手本です。
●55節。「霊が戻って」。ユダヤ思想では霊と肉は一体のもの。生きるというのは霊が入ることだ。死とは霊が神に取られること。ただしギリシャ哲学や我が国の霊魂不滅思想ではない。
 

塚本訳 コロ 3:2-4
3:2 (常にただ天)上のものを思え。地上のものに気を取られるな。
3:3 君達は(既にこの世に)死んで、その生命はキリストと共に神の右に隠されていのだから。
3:4
(しかし今でこそ隠されているが、)私達の生命であるキリストが顯れ給う時には、君達もまた彼と共に栄光の裡に顯れるであろう。

●キリスト者の霊の生命は死ぬと神の懐に隠される。そして終末の時に現れる。それまで神の懐で眠っている。これが信者の死生観。しかしこれは信者でなくても同じこと。「死は眠り」である。

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朝の黙想 終わり。元気になった。これで9月1日の婦人会感話の準備が出来た。神につねられたから話すのだ。
 
●福音の宣教と言うのは神につねられて「痛い痛い」という叫びなのだ。

●それをはき違えて「「教えてヤロウ」「世の中改造してヤロウ」「平和にしてヤロウ」「善政を敷いてヤロウ」「罪を指摘して悔い改めサセヨウ」「間違った考えを注意してヤロウ」「わたしは苦しみなんか平気だ」などという動機での伝道は間違っている。神に嫌われる。
●昼食は妻が私の古希の誕生祝に握り寿司とプリンを買ってきてくれた。感謝、感謝、ありがたい、ありがたい。おいしい、おいしい。妻の分からイカをもらい、私の方から妻の好きなものを上げた。
●12:30 妻は「エコレディーズ」の演奏会鑑賞に出かける。
●書斎は我慢しないでエアコンをつける
●TSK日本語版作成、列王記上10章。ソロモンの財宝のこと。なかなか面白い。次のイエスの言葉を思う。

塚本訳 マタ 6:29
6:29 しかし、わたしは言う、栄華を極めたソロモン(王)でさえも、この花の一つほどに着飾ってはいなかった。


塚本訳 マタ 12:42
12:42 また、南の国(シバ)の女王がこの時代の人と一しょに(最後の)裁きの(法廷に)あらわれて、この人たちの罪が決まるであろう。というのは、彼女は地の果てからソロモン(王)の知恵を聞きに(エルサレムに)来たが、(この人たちは、)いまここにソロモンよりも大きい者がいる(のに、それに耳を傾けない)からである。











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ウィルス ++++++++ 所感

2013/07/12 19:27

130712(金)9:15 体重が減る。●タクシーでかかりつけの池谷医院へ行く。妻が付き添ってくれた。胃腸を犯すウィルスが原因。脳ではないとのことで妻が安心した。「熱中症」でもなかった。胃腸の粉薬とめまいを止める錠剤が処方された。●横になっていると今度は右前部が痛む。あー不自由なこの肉体よ。肉体の痛みは「気力」が落ちる。●寝床のメモ帳に書きつけた。「復活の体に霊肉の傷みなし」。
●妻は猛暑の中、愛子の家に手伝いに行く。我が半身(妻のこと)が倒れないように祈る。妻に先立たれると私は困るのだ。●高温(39度程度)で有名になった埼玉県熊谷市は高温を災害と規定した。賛成。東日本は大震災の災害であったが、関東以西は高温という災害だ。熱中症が続出。過日のブログで「心頭滅却すれば火もまた涼し」と言ったのは撤回●しかし世界には50度近いところもある。
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めまい ++++++++ 所感

2013/07/11 18:54

130711(木)朝起きるとめまい。目の前がグルグル回る。嘔吐。13年前の脳出血のようで恐ろしくなる。食欲なし。朝食も昼食も食べられない。断食祈祷。●おかげで9月1日の話の構想が出来た。●「熱中症か?」今日は行きつけの医者が休診。2度目の嘔吐の時、妻が「救急車を呼びましょうか」と言ったがしばらく様子を見る。終日エアコンをつけて横になって静養。妻の介護に感謝。●私の身体は弱くて妻には苦労をかけて来た。●「寝床に聖書と讃美歌を持ってきてくれ」と妻に言うと「活字は読まないように」と言われてしまった。イイサイイサ大切なところは暗記してラー」

塚本訳 マタ 8:14-15
8:14 イエスはペテロの家に行って、その姑が熱病でねているのを御覧になった
8:15 その手におさわりになると、熱が取れ
、彼女は起き上がってイエスをもてなした。
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新生命誕生には陣痛の苦しみが必要 ++++++++ 所感

2013/07/10 08:33

130710(水)右臀部と足の激痛なく、這わずに立って歩いてトイレに行けた。就寝前の上半身回転運動100回が効いているのか。日中の30分ごとの一分体操が効いてきたのか。●朝の啓示「新生命誕生には陣痛の苦しみが必要」。世には「無痛分娩」があるが、新生命の誕生に「陣痛の苦しみ」が伴うことは何か宗教的意味があるような気がする。今朝そのことを黙想してみよう。

塚本訳 ヨハ 16:20-21
16:20 アーメン、アーメン、わたしは言う、(わたしがいなくなると)あなた達は泣いて悲嘆にくれるが、この世は喜ぶであろう。あなた達は悲しむが、その悲しみは(やがて)喜びにかわるであろう。
16:21 女が子を産む時には、女の(宿命の)時が到来したので悲しみがあるけれども、子が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはや(お産の)苦しみを覚えていない。


●お産の苦は女の宿命。これがあるから子育ての愛情は母親にはかなわないのか。
●陣痛の苦しみなくして愛情はないのかも
●学校の教師は「問題児」のことをよく覚えていると言われる。
●イエスの受難は人類救済のための陣痛の苦しみ。
●人類救済とは霊魂の救済であって、政治経済でも、疾病でもない。霊魂のらい病だ。

塚本訳 Ⅰコリ15:58
15:58 だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ。折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから。


●クリスチャンはなまじ神の義を知ったから「骨を折る」ハメになった。霊魂の重荷を負わされる苦を負わされた。しかしこの骨折りが決して無駄にならないとは何という慰めだろうか。神がこの「骨折り」をことごとくご存知で、一緒に背負ってくださるのだ。

塚本訳 ロマ 8:22-24
8:22 わたし達が知っているように、全創造物は(かの日から)今まで、一しょになって呻き、一しょになって産みの苦しみをしている。(父なる神がこの  呻きに耳を傾けられないことがあろうか。)
8:23 しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証拠として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである。
8:24 なぜなら、わたし達は(最後の日に救いが完成されるという)望みをもって、救われているからである。目に見ることのできる望みは望みではない。人はいま現に見ているものを、なんでその上望む必要があろうか。


●22節に「産みの苦しみ」という言葉が出て来る。
●クリスチャンはこの世では「呻く」。それが宿命。辛い、悲しい、恥。
●癌の苦は緩和医療でモルヒネが使われるが
●霊魂の呻きの苦を緩和するのは「復活の希望」である。

塚本訳 コロ 1:24
1:24 今私は君達のために苦しむことを喜びとし、またキリスト・イエスの体なる教会のために私の体でキリストの患難の不足を補っている


●この言葉で自分で自分を慰めている牧師さんを三人知っている。牧師伝道者の仕事ほどワリの合わないものはない。大抵はお礼も言わずに(当たり前だが)離れていく。イイサイイサ神が覚えていて不足を精算して下さる。

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朝の黙想 終わり。伝道の苦は「主に貸す」のだ。 「天に宝を積むのだ」。人間相手ではなく、神相手だ。


●今日も猛暑。クーラーつけないで扇風機。
●TSK日本語版作成。列王記上9章。ソロモンの大きさ。


2013_07100001.jpg 

雨が上がった西の空。

基督者、八木重吉の詩、「雨」に 多田武彦が作曲した合唱曲は名曲だ。この詩は重吉の死後に世に知られるようになった。彼は29歳で召天。29さいというのは私の場合は次男が誕生した時だ。彼の詩はどれもその生涯のように短い。子供は二人いてとても可愛がっていたが、二人とも夭折。あー悲しい、あー悲しい。しかし復活がある。


                             八木重吉 雨
雨のおとがきこえる 雨がふっていたのだ
雨のおとがきこえる 雨がふっていたのだ

       あのおとのようにそっと 世のためにはたらいていよう
       あのおとのようにそっと 世のためにはたらいていよう

雨があがるように しずかに死んでゆこう
雨があがるように しずかに死んでゆこう










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天国に入れない人 ++++++++ 所感

2013/07/09 07:57

130709(火)朝の啓示「天国に入れない人」●今日、妻は集会の小寺七重さんと奥多摩の川苔(かわのり)山登山1382M。●記録を見ると12年も前の2001年8月15日に妻は長男の新一と二人で登っている。その日の日記をみると次のようである。


2001年8月15日の日記
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010815日(水)妻と新一が朝早く出発。川苔山登山。妻に「若くはないのだから無理をするな」と言って送り出す。心配。・・・(中略)・・・。夕方案の定8時間行程でグタグタに疲れて二人が帰宅。出前で夕食。新一がいたから良いものの妻一人ではもう登山はできそうにない。させられない。奥多摩の地図を広げ、そこに書き込んだかって歩いた場所の記録を見てしばし思い出と感慨にふける。この25年間に4人の子供達と随分いろいろなところに行った。子供達はそれぞれに大きくなった。わたしは疲れるので前のようには動けないと思うと急に淋しくなった。・・・後略・・・。
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2001年8月15日の日記 終わり

●聖書が告げる「天国に入れない人」を黙想。 
 
塚本訳 マタ 21:31-32
21:31 この二人のうち、どちらが父の心を行ったのだろうか。」「もちろん長男」と彼らが答える。イエスが言われる、「アーメン、わたしは言う、税金取りや遊女たちは、あなた達よりも先に神の国に入るであろう。
21:32 そのわけは、(洗礼者)ヨハネが義の道を示しに来たのに、あなた達は彼を信ぜず、税金取りや遊女の方がかえって信じたからだ。しかしあなた達は(あの人たちが悔改めるのを)見たあとでも、後悔して彼を信じようとしなかった。



●ここにある「あなた達」とは23節によれば、大祭司連と国の長老である。つまり宗教家とこの世の名士である。彼らはイエスの権威を認めない。(マタイ21:23-27)
●聖書学者のJ・エレミヤスによればこれは後先の問題ではなく、天国は悔い改めた人で満員になり、それで扉が閉められてしまうというように解している。

塚本訳 マタ 22:8-13
22:8 それから家来たちに言う、『宴会の用意はできているが、招いた人は(客たる)資格のない者(ばかり)だ。
22:9 だから町の出口の所に行って、出会った者をだれでもよいから宴会に呼んでこい。』
22:10 家来たちは道に出ていって、出会った者を悪人でも善人でも皆集めてきたので、宴会場は客で一ぱいになった。
22:11 王は客を見ようとして入ってきたが、そこに礼服を着けていない者が一人いるのを見て
22:12 その人に言った、
『君、礼服も着ずに、なんでここに入ってきたのか。』その人が黙っていると、
22:13 王は家来たちに言った、『あの者の手足を縛って、外の真暗闇に放り出せ。そこでわめき、歯ぎしりするであろう。』


●上記マタイマタイ21:31)の「税金取りや遊女たち」必ずしも天国に入れない。「悔い改めて福音を受け入れ」なければならない。
●それは与えられた礼服」を着ればよいのだ。最後の日、人は人生をやり直すことが出来ない。仕方がないからボロの上に貸衣装を着てごまかすのだ。
●集会のTTさんはニューヨークでパーティに招かれた時、入り口でこの貸衣装の礼服を着せられたという経験を話して下さった。
●人の一生は誰でもボロである。垢で汚れている。それを貸衣装で隠すのだ。義の神の前で何食わぬ顔で貸衣装で出るのだ。
●これを嫌って「自分の衣装(自分の善行)」で出ようとする宗教家やこの世の名士たちは神は怒るのだ。天国に入れない人はこういう人だ。
●メチャクチャの人生を顧みて「ギブアップ」して救いを神に救いを求める(貸衣装を借りるしかない)人が救われる。

塚本訳 ロマ 3:21-26
3:21 しかしながら今、律法に関係なく、神の義は現わされた。しかし律法と預言書と[聖書]によって(すでに)証しされているものである。
3:22 この神の義は、イエス・キリストを信ずる信仰(だけ)によって、これを信ずるすべての者にあたえられる。(すべてというのは、そこに人間的の)なんの差別もないからである。
3:23 なぜか。すべての人が罪を犯したため、いまだれ一人、(かつて持っていた)神の栄光をもたない。
3:24 (さりとて失った栄光を回復する力はないので、何一つ)代価を払わず、(ただ)神の恩恵によって、キリスト・イエスによるあがないの力で、(神に)義とされる(道が設けられた)のである。
3:25 すなわち神は御自分の義を示すために、宥めの供え物としてキリストを提供された。これはキリストの血でなされたものであり、(人は)信仰によ(ってこの恩恵にあずか)るのである。このことは──神が(長いあいだ)忍耐をもって過ぎし日に犯した罪を罰せずにおられたので──
3:26 今の世において、御自分の義を示そうとされたのである。すなわち御自分が義であること、またイエスを信ずる者を義とするお方であることを、(この世に)示されたのである。


●これがパウロが説く福音の本質であるが、あくまでも大脳皮質に向けての「説明」に過ぎない。楽譜である。料理のレシピである。音楽そのもの、料理そのものではない。それを我が身のものにするためには人生いったん「泣かなければならない。悔やまなければならない。

塚本訳 ロマ 11:32-33
11:32 つまり神はすべての人を不従順の中に閉じこめられたが、これはすべての人に憐れみを施すためであった
11:33 ああ、神の富と知恵と知識との深さよ!なんとその裁きの探りがたく、(なんと)その(お歩きになる)道の不可解なことよ!


●人生を失敗し、家庭が崩壊し、大病をして、その原因は自分の罪であるとわかって悔やむ人は天国の門に立った人である。もう一息、その最後の絶体絶命の時、貸し出される衣装を借りればよい。それは十字架の福音を信ずることだ。
●私は「Jバイブル」の開発者の一人(HH氏)を知っている。氏は牧師で今は受刑者の教誨師、聴罪師になっている。
●ある死刑囚。処刑される時、「一言祈らせてください」と言って長い祈りを捧げてから「皆様、長々ありがとうございました。私はこれから父の御許にまいります」と言ったという。見送ったのは牧師一人であった。万歳!。彼こそ天国の正客だ。成功の人生だ。
●私はこのような気の毒な罪人を天国に見送る一人になりたい。ライフワークにしたい。神の手伝いだ。「キリストの苦しみの欠けたるところを補うのだ。」
● お子様を亡くされたりして御苦難の方が、私の目の前でいきなりそばにあったティッシュで鼻水と涙をぬぐった。貧困でハンカチなどもってなかったのだ。

●この世の人は「家族だけでなく、多くの人に泣かれ惜しまれて死にたい」と思うが間違い。そういう人はこの世で満たされるから天国には入れない。

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朝の黙想 終わり。アーメン。私の今後の人生かくあれかし
 

●猛暑。室内気温午後4時でも34度。クーラーつけず。扇風機のみ。
●しかし「心頭滅却すれば火もまた涼し」。何事も一心ふらんにやっていれば暑さも感じないと言う意味。
●TSK日本語版列王記上8章、66節はヘビー。あと2年。本にすれば16万ページになるのでNETにする。できたところからすでに公開中。
 
http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/110910.htm


●日本聖書協会の口語訳の翻訳委員は箱根の温泉につかって会議を開いた。またその翻訳部は銀座の教文館ビルの冷房が効いた部屋。
●ヒエロニムスが聖書を独力でラテン語に翻訳したのは暗い洞窟であった。私は聖地旅行の折にそこを見た。この苦闘があったからこそ、その翻訳(ウルガダ)はその後数百年間中世ヨーロッパを支配したのだ。
●建築士として言う。快適環境必ずしも良い仕事を生まない。名翻訳を生まない。
●エネルギー問題は各自の「快適環境とは何か」の概念規定の破壊から始めなければならない。

●18:00 妻が無事帰宅。平地では猛暑であったが、山道は快適であったらしい。昼食時間を入れて8時間行程であったという。私はとても無理だ。 





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立って歩ける喜び ++++++++ 所感

2013/07/08 08:47

130708(月)約一か月ぶりに朝起きた時に這わずに立ってトイレに行けた。立って歩ける喜び!。皆様「お祈り感謝です。神のおかげです。」まだ完全ではないが、あの朝の激痛は今朝はなかった。●私は妻に言った「歩けるよ!」●聖書にはイエスが歩けない人を歩かせた奇蹟、目の見えない人が開けた奇蹟、死んだ人を生き返らせた奇蹟などがあるが、あれは罪に縛られその重圧に苦しみぬいている人を神は自由にできるという「目に見える徴」である。人間は罪の痛み苦しみで歩けず悩んでいる。神はその不自由なる悩み苦しみから「立たせ」、否「解放して自由に」してくださる目に見える証拠なのだ。その罪からの自由の喜びが「福音」なのだ。●生きてこの喜びにあずかれる者が神を信じられる。十字架の秘儀を信じられ、復活と来世を信じられるのだ。●今朝はその目に見える奇跡を通じて、人間が罪に絡まれて歩けず不自由な状態から解放される喜びを思い返して見よう。 いささか説教調になるが赦していただきたい。

塚本訳 ヨハ 5:1-9
5:1 そののちユダヤ人の祭があって、イエスはエルサレムに上られた。
5:2 エルサレムの羊門のわきに、ヘブライ語でベテスダという池があり、(これを取り巻いて)五つの回り廊下があった。
5:3 廊下には大勢の病人──盲人、足なえ、やせ衰えた者などが寝ころがっていた。【水の動くのを待っていたのである。
5:4 それは、主の使がときどき池に下りてきて水をかきまわすので、水がかきまわされたとき真先に(池に)はいった者は、どんな病気にかかっていても、(きっと)直るからであった。】
5:5 するとそこに三十八年病気の人がいた。
5:6 イエスはその人が横になっているのを見、すでに長い間わずらっていることを知ると、「直りたいか」とたずねられた。
5:7 病人が答えた、「主よ、水がかきまわされた時に、わたしを池に入れてくれる者がないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に下りてゆきます。」
5:8 イエスが言われる、「起きて担架をかついて、歩きなさい。」
5:9 するとその人はすぐ直って、担架をかついで歩きまわった。あいにくその日は安息日であった。


●3節、「盲人、足なえ、」に引かれる。人は病気になって初めて同病者に目が行く。同病相哀れむ。
●4節、病人は直りたい一心であらゆる手段をとる。医者のはしご、宗教のはしご、教会のはしご。いいんだ、いいんだ、それでどうしようもなくなるのでよいのだ。なりふり構わずの態度でよいのだ。家庭内のゴタゴタ、子供の非行、夫、夫ならずとも、妻、妻ならずとも。子供、子供ならずとも。孫、孫、孫ならずrとも。・・・・・しかし我慢はいけない。なりふり構わず「救い」を求めなければならない。「自分を信じてはいけない」しかしこれもやってみるべきだ。ダメなことを知るために。
5節、イエスは病歴を見通した。
6節、「直りたいか」の質問は、医者の言葉。画才があればこの時のイエスの目を画きたいものだ。。本人に直りたいと言う気持ちがないと病気は直らない。
7節、病人の嘆き。人に後れをとり、馬鹿にされ、出世とは縁がなく、家族のやっかいものになり、子供を希望する学校に行かせず、家は暗くなり、モー、人生絶望である。
8節、「歩きなさい」。神の命令。奇跡。
9節、「すぐ直って」という所がすごい。私が通う「十字式健康法」は脊髄を瞬間にまっすぐにする。「担架をかついで歩き回った」というのは喜びの現れ。
●この奇跡行為を読んで、肉の癒しだけではなく、霊魂の目が開いたことまで読み込まなければならない。

塚本訳 マコ 10:46-52
10:46 彼らはエリコ(の町)に来る。イエスが弟子たちや多くの群衆と一しょにエリコを出られると、テマイの子のバルテマイという盲の乞食が道ばたに坐っていた。
10:47 ナザレのイエス(のお通り)だと聞くと、「ダビデの子イエス様、どうぞお慈悲を」と言って叫び出した。
10:48 多くの人が叱りつけて黙らせようとしたが、かえってますます「ダビデのお子様、どうぞお慈悲を」と叫びつづけた
10:49 イエスは立ち止まって、「あれを呼べ」と言われた。人々が盲人を呼んで言う、「安心せよ。起きよ。お呼びだ。」
10:50 盲人は上着をぬぎ捨て、躍り上がってイエスの所に来た
10:51 イエスが彼に言われた、「何をしてもらいたいのか。」盲人がこたえた、「先生、見えるようになりたい。
10:52 そこでイエスが、「お帰り。あなたの信仰がなおした」と言われると、すぐ見えるようになって、イエスの旅行について行った。


●46節、「盲の乞食」とは・・・・。盲人は職業が限定される。盲人の親は自分が死んだあとにこの盲の子供は「まともに食べていけるのかどうか」が心配である。不憫でしょうがない。
●48節、「叫びつづける」姿勢。信仰にはこのなりふり構わずの一途の態度が必要.「永遠の命を得るにはどうしたらよいか」との質問にイエスは「全財産を捨てよ」と答えられた。この全財産を捨てるという一生懸命さが必要なのだ。(マタ13:46、マルコ10:21、ルカ18:22)
●50節、この盲人はまだ目が開かないうちに、「上着をぬぎ捨て、躍り上がってイエスの所に来た。」。彼の財産は上着だけ!!。この信仰だけで 彼は神に良しとされたのだ。
●51節、「何をしてもらいたいのか」。これも医者の言葉。肉の癒しは精神的意欲が前提。イエスはそれを呼び起こした。「先生、見えるようになりたい」。私は神社にある「絵馬」を見るのが好きである。そこにはいきる悩みや願いが正直に書かかれている。ただし99%、自分のこと。それでいいのだ。それでいいのだ。
●52節、「あなたの信仰がなおした」。実は50節の段階で直っていたのだ。しかしこの盲人は「お帰り」と言われたのに、イエスの旅行について行った。これは良い事か。人は救われると感激してその職業を捨てて、すぐキリスト教関係の仕事に就きたがるが大間違い。救いは人間の職業的行為でもたらされるのではない。

塚本訳 ヨハ 11:39-44
11:39 「石をのけなさい」とイエスが言われる。死んだ人の姉妹のマルタが言う、「主よ、もう臭くなっています。四日目ですから。」
11:40 イエスがマルタに言われる、「信ずれば神の栄光が見られると、(さきほども)あなたに言ったではないか。」
11:41 人々が石をのけた。するとイエスは目を天に向けて言われた、「お父様、(まだお願いしないのに、もう)わたしの願いを聞いてくださったことを感謝します。
11:42 (願わずとも)あなたはいつもわたしの願いを聞いてくださることを、わたしはよく知っております。しかしまわりに立っている人たちのために、(今わざと声を出して感謝を)申したのであります。(わたしの願いはなんでもきかれることを彼らに示して、)あなたがわたしを遣わされたことを信じさせるためであります。」
11:43 こう言ったのち、大声で、「ラザロ、出て来い」と叫ばれた。
11:44 死人が手足を包帯で巻かれたまま、(墓から)出てきた。顔は手拭で包まれていた。イエスは「解いてやって(家に)帰らせなさい」と人々に言われた。


●このラザロがよみがえるの奇跡は我々の死後の復活の根拠である。奇跡のうちでこれが最も人を驚かせた。この大奇蹟を行ったがために時の宗教家たちは「商売あがったり」の不安から、イエスを殺す決意をした。(ヨハネ11:53)
●イエスが殺されるようになった理由は普通は「神殿粛清」(マタイ21:12-17)と言われているが、どうもこの「ラザロのよみがえり」の奇跡の方がリアリティがある。
●39節、、「主よ、もう臭くなっています。四日目ですから。」・・・死体はすぐ腐乱し始める。四日目ならば顔もすごく崩れるから目も当てられない。死体はなるべく人に見せない方が良い。生き返ることなぞ絶望。それを生き返らせた奇蹟は神の業。土からアダムを創り、あばら骨からイヴを創り、枯骨の復活(エゼキエル37章)、処女降誕、を実現した神にして腐乱した肉体を新しくすることは造作ない。
●罪や過ちによって腐乱した自分の過去、腐乱した家庭、腐乱した親族。これが新しくなることの目に見える形の徴が「ラザロのよみがえり」の奇跡だ。
●44節、ここでイエスは「家に帰れ」と言う。イエスは奇跡を起こすと「家に帰れ」と言う。このたびたびの命令を荒井献先生は「イエスの社会への帰還命令」と注目するが、私的に言えばキリスト教や聖書を職業にするな、「聖書を飯の種」にするな。キリスト教思想を自分の思想学問分野にするな。特に、哲学、政治、福祉。・・・・普通一般のそれも下積みの仕事に就け。公務員は公務員、建築士は建築士、医者は医者、企業人は企業人、教師は教師、主婦は主婦、「らしく」生きよ」
●キリスト信者の主婦が「社会悪に目が覚めた」などと言って、主婦や母親の仕事を放り出して天下国家を断罪批判するために髪振り乱して飛び回り、揚句の果ては街頭で「一席ブツ」姿を見ればどんな親も自分の娘がキリスト教の洗礼を受けることを喜ばない。男にも女にもつかない「変化の女」になることを恐れるからだ。「あーいう女」を生み出した社会派キリスト教の指導者の罪は重い。


塚本訳 ヨハ 8:31-34
8:31 すると信じたユダヤ人に言われた、「もしわたしの言葉に留まっておれば、あなた達は本当にわたしの弟子である。
8:32 真理を知り、その真理があなた達を自由にするであろう。」
8:33 しかし彼らは(その意味がわからずに)答えた、「わたし達はアブラハムの子孫で(自由人で)ある。いまだかつてだれの奴隷にもなったことはない。どうして『あなた達は自由になる』と言われるのか。」
8:34 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、罪を犯す者は皆罪の奴隷である。


●人間は奴隷状態から「自由」になりたいと願う。アメリカから、雇用主から、教会から、親から、夫から、・・・しかし罪から自由にならなければ真の自由人にはなれない。
●神への奴隷が真の自由であることは、これを経験した人でなければわからない。「神への従順が真の自由」
●これが分からなかったアダムとイブは自分の肉の欲望を貫徹するために「神の顔をつぶし、神に不従順になって」人類に罪結果としての悩みがもたらされた。人生の腐乱、家庭の腐乱はこれが原因だ。
●私の臀部と足のしびれは対症療法えは良くならなかった。背骨の曲りを治す「原因療法」が必要であった。社会悪の直すのには「対症療法」ではなく、「原因療法」が必要。それにはにんえっが悪魔の奴隷状態から救出されなければならない。

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朝の黙想終わり。

●TSK日本語版作成列王記上7章。あと2年。それまで健康(頭脳も)であり得ますように。
●去る6月2日に千葉の石浜俊子さん(75歳)が召されたことがご主人の義信さん(79歳)からご報告の電話があった。俊子さんとは千葉の建築で知り合った同信会系のクリスチャン。クリスチャンの死は明るくてよい。死も一足お先に行ったという感じ。葬儀では約300人に「永遠の命」の伝道ができたという。クリスチャンの死は死して語る。

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夕方、図書館に行く。夕立がくる気配。急いで帰って来た。
今日は猛暑であった。しかしクーラーは使わない。家中の窓を開けて風通しを良くし、
扇風機のみ。

















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なぜキリスト教でなければならないか。罪が清められるため ++++++++ 所感

2013/07/07 05:15

130707(日)朝の啓示「なぜキリスト教でなければならないか。罪の清めのため」。●罪の清めは人間の深い欲求である。神の前に出たくないのは罪が暴かれて滅ぼされる恐怖からである。ヤバイのである。●これは宗教の前に実人生でもいえることである。●まずいことをした場合は「顔出しが出来ない」のである。●キリスト教でなくとも「払いたまえ清めたまえ」というのが神道である。「邪気を追い払う」というのが新興宗教である。罪を清められたいというのは人間の深い欲求、本能である。●だから人間、罪が清められなければ神に顔出しが出来ない。このためにキリストの死はユダヤ教の贖罪概念をバックにユダヤ人に分かる思想で「形」となったのである。●ユダヤ人には贖罪の血、清き子羊、という概念がキリストの死を理解するための下地であるが日本人には「人身御供」や「生贄」や「代償」という概念がキリストの死を理解する下地である。●ユダヤ人パウロは同胞に分かるように次のように説いた。

塚本訳 ロマ 3:23-26
3:23 なぜか。すべての人が罪を犯したため、いまだれ一人、(かつて持っていた)神の栄光をもたない。
3:24 (さりとて失った栄光を回復する力はないので、何一つ)代価を払わず、(ただ)神の恩恵によって、キリスト・イエスによるあがないの力で、(神に)義とされる(道が設けられた)のである。
3:25 すなわち神は御自分の義を示すために、宥めの供え物としてキリストを提供された。これはキリストの血でなされたものであり、(人は)信仰によ(ってこの恩恵にあずか)るのである。このことは──神が(長いあいだ)忍耐をもって過ぎし日に犯した罪を罰せずにおられたので──
3:26 今の世において、御自分の義を示そうとされたのである。すなわち御自分が義であること、またイエスを信ずる者を義とするお方であることを、(この世に)示されたのである。

●これがキリスト教の本質であるが、大脳皮質に向けての「説明」である。頭では理解出来ても実際に「罪が赦される」自己体験をしなければ本当だとは信じがたい。
●それを「本当だ」と信じさせるものは人生のゴタゴタで腐乱状態になった現実の「我が身」「我が家庭」を嘆き、やむを得ず「助けてくれー」と叫ばざるを得なくなるところに追い込まれたときに不思議と「十字架」が啓示されてその死はこの我が身の贖罪の意味だということが無理矢理わからされる。これが霊によって新しく生まれるということである。聖霊の働きであるお聖書はいう。
●だから人間は人生を失敗して腐乱状態になり、みじめな罪の自覚をしなければ十字架の贖罪は分からず、義なる神の前に出られない。
●これを神学的に「説明」したのが次である。いかなる翻訳でもこの究極の真理は漏れる。

口語訳 ヘブ 1:3
1:3 御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の真の姿であって、その力ある言葉をもって万物を保っておられる。そして罪のきよめのわざをなし終えてから、いと高き所にいます大能者の右に、座につかれたのである。


新改訳 ヘブ 1:3
1:3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。


新共同 ヘブ 1:3
1:3 御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。


塚本訳 ヘブ 1:3
1:3 彼は神の栄光の放射であり、本質の像である。彼はまたその力ある言葉をもって万物を保たれる。彼は(この世に降り)、罪の潔めを成し(とげて、ふたたび)高き所にのぼり、(神の)御稜威の『右にお坐りになっている』。


文語訳 ヘブ 1:3
1:3 御子は神の榮光のかがやき、神の本質の像にして、己が權能の言葉をもて萬の物をを保ちたまふ。また罪の潔をなして、高き處にある稜威の右に坐し給へり。

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朝の黙想終わり。今日の感話資料の一部を変更しよう。

●妻と集会へ。足が悪いので一足先に出る。
 
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集会に行くときに見た雲。梅雨が明けて夏の空だ。


●集会は宮崎(司会)、小寺(塚本虎二エペソ書講義朗読)、高橋(「御心のままに」とは・・・「聞かれざる祈祷」の意義・・・)、何度か胸が詰まった。内容は次をクリック

http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/130707.htm

●妻は午後コーラスの練習。
●私はTSK日本語版列王記上6章。

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午後の夏の陽に映える積乱雲。入道雲大好き。
しかし小さいころ高熱でうなされると入道雲の形の大男に連れ去られる夢を見たものだ。

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暑い夏の日の我が家の庭。グリーンカーテン。木々を通り過ぎる風は涼しい。
クーラーなしで過ごした。





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執り成しの祈りは「聴かれざる祈祷」 ++++++++ 所感

2013/07/06 07:00

130706(土)また朝の激痛。立てない。這ってトイレに行く。ナンノコレシキ。●朝の啓示「執り成しの祈りは『聴かれざる祈祷』」●明日の感話のための黙想。●内村鑑三の珠玉の短文「聴かれざる祈祷」は人間が祈ることはすべてこの世の幸福であるが、神は断然それを退けることによってご自身を現して与えるということを書かれている。これは至言であり、多くの人の涙をぬぐって来た。●しかし、内村鑑三がこれを書いた53歳を超えること17年、その死70歳と同じ年齢になったこの私は、今この「聞かれざる祈祷」に積極的な意義があることを感じる。今朝はそのことを黙想しよう。

塚本訳 ルカ 23:34
23:34 するとイエスは言われた、「お父様、あの人たちを赦してやってください、何をしているか知らずにいるのです。」『彼らは籤を引いて、』イエスの『着物を自分たちで分けた。』

●これ「執り成しの祈り」。米国映画ウィリアムワイラー監督の「ベンハー」の副題は「イエス・キリストの物語」。
●ベンハーは十字架上のキリストのこの言葉を聞いて心が砕け、憎いメッセラを赦せた。これがこの映画の結末であり、本質である。日本人戦車競走だけに興味があって(自戒)はそこが見えない。
●イエスがこの「執り成しの祈り」をしている時、軍人たちはあろうことか「ゲーム」をしていた。遊んでいた。これ今の時代も同じ。
●最高裁長官であった故藤林益三先生は若き日に讃美歌の331番を聴かれて胸を打たれたという。
これはおそらくご夫(藤林先生の父親)を早く亡くされた御母堂の御苦労を重ねあわせたに違いない。
●十字架の意味は具体的に自分のために労苦してくれる人がいるときに分かるものだ。

讃美歌331番1節

主にのみ十字架を 負わせまつり
われ知らずがおに あるべきかは

塚本訳 使  7:58-60
7:58 彼を町の外に突き出し、石で打ち殺した。証人たちはぬいだ上着をサウロという青年の足下に置い(て、番をさせ)た。
7:59 ステパノは打ち殺されながら、イエスの名を呼んで、「主イエス様、わたしの霊をお受けください」と祈り、
7:60 それからひざまずいて、大声で叫んだ、「主よ、どうぞこの罪をこの人たちに負わせないでください!」こう言って、彼は眠りについた。

●ステパノも石で殺されながら敵を赦した。これ執り成しの祈り。
●しかしあろうことかあのパウロ(サウロ)はこの時、殺す側の一味であった。
●後の大使徒パウロはステパノの「執り成しの祈り」が神に通じて誕生した。
●「血は種子である」。キリスト教は殉教なしには伝わらない。

塚本訳 ロマ 3:25-26
3:25 すなわち神は御自分の義を示すために、宥めの供え物としてキリストを提供された。これはキリストの血でなされたものであり、(人は)信仰によ(ってこの恩恵にあずか)るのである。このことは──神が(長いあいだ)忍耐をもって過ぎし日に犯した罪を罰せずにおられたので──
3:26 今の世において、御自分の義を示そうとされたのである。すなわち御自分が義であること、またイエスを信ずる者を義とするお方であることを、(この世に)示されたのである。

●25節の「宥めの供え物」はパウロのキリスト観であるが、パウロをしてこの大思想に至らしめたのはステパノの殉教があった。
●ステパノの流した血がキリストの救いを無言で説明している。最高の伝道である。

塚本訳 ロマ 8:34
8:34 『だれが(わたし達を)罰することができるか。』キリスト・イエスが(わたし達の罪のために)死んで、それだけでなく復活して、いま神の右においでになって、わたし達のために執り成していてくださるのに。

●私は至らない者であってもキリスト・イエスが「執り成していてくださる」とはなんとありがたい事か。
●これがあってのキリスト教である。福音である。聖書である。キリスト教は思想ではない、ヒューマニズムではない。
●社会批判は信仰の堕落である。エクレシアの遊びは信仰の堕落である。人間崇拝も信仰の堕落である。ローマ法王がキリストの代理と思うのも信仰の堕落。

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朝の黙想終わり。

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窓を開けると朝日。神は光のようだ。罪を赦して清めて下さる。

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東京は今日梅雨明け。
あきる野名物のトウモロコシがぐんぐん伸びる。
子供や孫達もぐんぐん天に向かって伸びてほしい。

●15:00 明日の感話の推敲。プリント変更。人が「聴かれざる祈祷」だと思うr時は,実はそれは神に引き寄せられている証拠であって、今に大命が下されるのだ。パウロ然り、イエス然り。

塚本訳 ヨハ 6:44
6:44 (わたしを信じないのは、父上が引っ張ってくださらないからだ。)わたしを遣わされた父上が引っ張ってくださらなければ、だれもわたしの所に来ることはできない。(しかし来れば、)わたしはその人をきっと最後の日に復活させる。




●17:00 妻は友人のコンサートに武蔵小金井に向かう。












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眠りとしての死と復活の希望 ++++++++ 所感

2013/07/05 07:11

130705(金)9月1日の婦人の会(すずめの会)に講話を依頼されたので、表題を「眠りとしての死と復活の希望」(Ⅰテサ4:13-14)とした。●過日40年以上親交のあった宮本佳彦氏の御遺体に接し、改めて死とは何か復活とは何かを考えた考えたからである。●今朝は関連する聖句を黙想してみよう。まずⅠテサ4:13-14の翻訳比較

岩波翻訳委員会訳1995

520413兄弟たちよ、私は、眠っている人たちについてあなたがたが無知でいてほしくない。それはあなたがたが、希望をもたない他の人たちのように悲しむことがないためである。520414もしも私たちが、イエスは死んで甦られたと信じているのなら、そのようにまさに神はイエスをとおして、眠った者たちを彼と共に導き出して下さるであろうからである。

新共同訳1987

4:13 兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。

4:14 イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。

前田訳1978

4:13 兄弟や、眠る人々についてお知らせしたく思います。希望のない他の人々のようにお悲しみにならないためです。

4:14 イエスが亡くなって復活なさったとわれらが信じるならば、神はイエスにあって眠った人々を彼とともにお導きでしょう。

新改訳1970

4:13 眠った人々のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。

4:14 私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。

塚本訳1963

4:13 兄弟達よ、(主に在って)眠った者のことを知っていて、希望の無い他の人々のように(徒らに)歎かないようにしてもらいたい。

4:14 私達が信ずるようにもしイエスが死んで復活し給うたならば、神はイエスによって眠った者をも同様にイエスと共に連れ来たり給うであろうから。

口語訳1955

4:13 兄弟たちよ。眠っている人々については、無知でいてもらいたくない。望みを持たない外の人々のように、あなたがたが悲しむことのないためである。

4:14 わたしたちが信じているように、イエスが死んで復活されたからには、同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう。

文語訳1917

"520413","兄弟よ、既に眠れる者のことに就きては、汝らの知らざるを好まず、希望なき他の人のごとく歎かざらん爲なり。"

"520414","我らの信ずる如く、イエスもし死にて甦へり給ひしならば、神はイエスによりて眠に就きたる者を、イエスと共に連れきたり給ふべきなり。"

●問題は14節の「主にあって眠った人」という言葉。「主になかった」人は復活できないのか。

●これについてはパウロではなく、イエスに聞くべきである。


塚本訳 ヨハ 11:39-40
11:39 「石をのけなさい」とイエスが言われる。死んだ人の姉妹のマルタが言う、「主よ、もう臭くなっています。四日目ですから。」
11:40 イエスがマルタに言われる、「信ずれば神の栄光が見られると、(さきほども)あなたに言ったではないか。」

塚本訳 ヨハ 11:43-44
11:43 こう言ったのち、大声で、「ラザロ、出て来い」と叫ばれた。
11:44 死人が手足を包帯で巻かれたまま、(墓から)出てきた。顔は手拭で包まれていた。イエスは「解いてやって(家に)帰らせなさい」と人々に言われた。


●死んだ人間は生き返らないというのが人間の常識である。その法則を破ったのがキリストの奇跡である。ことに4日もたてば肉体は腐乱し始めて目も当てられない。

●しかしこのラザロの復活の奇跡があって、我々は絶望しない。たとえその人生が目も当てられない腐乱した人生であっても神は清めて復活させてくださる。

塚本訳 ヘブ 1:3
1:3 彼は神の栄光の放射であり、本質の像である。彼はまたその力ある言葉をもって万物を保たれる。彼は(この世に降り)、罪の潔めを成し(とげて、ふたたび)高き所にのぼり、(神の)御稜威の『右にお坐りになっている』。

塚本訳 ヘブ 11:3                                             11:3 (まず、)信仰によって、わたし達はこの世界が神の言葉で造られたことを知る。すなわち、見えるものは、現われぬものからできているのである。

●神によって心の目が開かれると、復活、罪の赦し、処女降誕、復活、再臨が信じられる容易なる。
●大脳皮質では「再臨」は信じ難い」ことであるが、上記Ⅱテサ4:14によれば、復活が史実ならば再臨も当然であるという。つまり再臨信仰の理性的根拠はイエスの有体的復活の史実だ。

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朝の黙想終わり。

●今日の仕事、TSK日本語版列王記上、7日の感話資料推敲、CDコピー、TSK詩編準備、この間30分ごとに運動。
●今日は非常に蒸し暑かった






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「聞かれざる祈祷」の悩みは神の福音実現の一環 ++++++++ 所感

2013/07/04 09:04

130703(水)今朝も四つん這いでトイレに行く●朝の黙想、次回感話の資料推敲。骨子が固まった。

7月7日感話の骨子、引照聖句は省略
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       「御心がなりますように」とは
・・・「聴かれざる祈祷」の悩みは神が世を救う業の一環・・・

   2013.7.7 東京聖書読者会 高橋照男

塚本訳 ルカ 22:41-44
22:41 そして自分は石を投げれば届くほどの所に離れてゆき、ひざまずいて祈って
22:42 言われた、「お父様、お心ならば、どうかこの杯をわたしに差さないでください。しかし、わたしの願いでなく、お心が成りますように!
22:43 そのとき天から一人の天使がイエスに現われて、力づけた。
22:44 イエスはもだえながら、死に物狂いに祈られた。汗が血のしたたるように(ポタポタ)地上に落ちた。

塚本訳 マコ 14:33-37
14:33 そしてペテロとヤコブとヨハネ(だけ)を連れて(奥の方へ)ゆかれると、(急に)おびえ出し、おののきながら
14:34 彼らに言われる、「『心がめいって、』『死にたいぐらいだ。』ここをはなれずに、目を覚ましていてくれ。」
14:35 そしてなお少し(奥に)進んでいって、地にひれ伏し、出来ることなら、この時が自分の前を通りすぎるようにと祈って
14:36 言われた、「アバ、お父様、あなたはなんでもお出来になります。どうかこの杯をわたしに差さないでください。しかし、わたしの願いでなく、お心がなればよいのです。」


A ・・・「御心がなりますように」の翻訳比較・・・

B・・・・イエスは自分の使命をどのように自覚していたのか・・・

C・・・イエスの死の意味についての初代教会の開眼・・・・

D・・極度の悲しみの時に神が現れてくださる幸福・・

E・・「聴かれざる祈祷」の悩みは神が世を救う業の一環・・

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7月7日感話の骨子、引照聖句は省略 .朝の黙想 終わり

●モーセは「乳と蜜の流れる地カナン」に入れることを夢見て40年の荒野の旅を忍び耐え抜いた。しかし非情なる神はそれを赦さずにその寸前で120歳でモーセの命を奪った。その理由はイスラエルの民が神に向かって府営不満を漏らした責任を取らされたのである。ここにキリストの贖罪の死の源流を見る。

 口語訳申  3:23-27

3:23 その時わたしは主に願って言った

3:24 『主なる神よ、あなたの大いなる事と、あなたの強い手とを、たった今、しもべに示し始められました。天にも地にも、あなたのようなわざをなし、あなたのような力あるわざのできる神が、ほかにありましょうか。

3:25 どうぞ、わたしにヨルダンを渡って行かせ、その向こう側の良い地、あの良い山地、およびレバノンを見ることのできるようにしてください』。

3:26 しかし主はあなたがたのゆえにわたしを怒り、わたしに聞かれなかった。そして主はわたしに言われた、『おまえはもはや足りている。この事については、重ねてわたしに言ってはならない。

3:27 おまえはピスガの頂に登り、目をあげて西、北、南、東を望み見よ。おまえはこのヨルダンを渡ることができないからである。

●しかしここに神の大計画があった。もしモーセがめでたくカナンにはいれたら人間モーセは神のように崇められ、ヤーウェ宗教もユダヤ教もひいてはキリスト教も生まれなかったであろう。それは次の箇所からもわかる。

口語訳 申  31:1-3
31:1 そこでモーセは続いてこの言葉をイスラエルのすべての人に告げて、
31:2 彼らに言った、「わたしは、きょう、すでに百二十歳になり、もはや出入りすることはできない。また主はわたしに『おまえはこのヨルダンを渡ることはできない』と言われた。
31:3 あなたの神、主はみずからあなたに先立って渡り、あなたの前から、これらの国々の民を滅ぼし去って、あなたにこれを獲させられるであろう。また主がかつて言われたように、ヨシュアはあなたを率いて渡るであろう。


●17:30右臀部と右足の痛みが治まらず、「十字式健康法」(気功)に行く。
●TSK日本語版作成。列王記上3章。「聖書で聖書を読む」方法は迫力があり、信用に足るものである。


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全世界をもうけても ++++++++ 所感

2013/07/03 07:41

130703(水)熟睡は出来るが明け方にトイレに行くときは四つん這い。右臀部から下が激痛で歩けない。上半身の体操で少和らぎまた寝る。●朝の啓示「祈りが全部聴かれると」●今日は妻が婦人の読書会(塚本虎二著作集のイエス伝)でマタイ16:26 を学ぶと言うので、私もこのことを黙想する。これは次回7月7日の感話「御心を成したまえ」に通じることである。


塚本訳 ルカ 9:24-26
9:24 (十字架を避けてこの世の)命を救おうと思う者は(永遠の)命を失い、わたしのために(この世の)命を失う者が、(永遠の)命を救うのだから。
9:25 全世界をもうけても、自分(の命)を失ったり損したりするのでは、その人は何を得するのだろう。
9:26 (わたしを信ずると言いながら、)わたしとわたしの福音(を告白すること)とを恥じる者があれば、人の子(わたし)も、自分と父上と聖なる天使たちとの栄光に包まれて(ふたたび地上に)来る時、そんな(臆病)者を(弟子と認めることを)恥じるであろう。


塚本訳 マコ 8:35-36
8:35 (十字架を避けてこの世の)命を救おうと思う者は(永遠の)命を失い、わたしと福音とのために(この世の)命を失う者は、(永遠の)命を救うのだから。
8:36 全世界をもうけても、命を損するのでは、その人になんの得があろう。


塚本訳 ルカ 9:24-25
9:24 (十字架を避けてこの世の)命を救おうと思う者は(永遠の)命を失い、わたしのために(この世の)命を失う者が、(永遠の)命を救うのだから。
9:25
全世界をもうけても、自分(の命)を失ったり損したりするのでは、その人は何を得するのだろう。

●この部分について思い出す部分を自分の頭から紡ぎだして黙想する。聖書の引照は自分の頭から紡ぎだすのが一番良い。それは自分で消化しているものだからである。人が引照した聖句を読んでもそれは消化不良になる。

塚本訳 マタ 4:8-11
4:8 悪魔はまたイエスを非常に高い山に連れてゆき世界中の国々と、栄華とを見せて
4:9 言った、「あれを皆あげよう、もしひれ伏してわたしをおがむなら。」

4:10 そこでイエスは言われる、「引っ込んでいろ、悪魔!(聖書に)『あなたの神なる主をおがめ、』『主に』のみ『奉仕せよ』と書いてあるのだ。」
4:11 そこで悪魔が離れると、たちまち天使たちが来てイエスに仕えた。

●この世は悪魔に支配されているから全世界をもうけようとするには「悪魔」にひれ伏さなければならない。

塚本訳 ヨハ 12:31-32
12:31 今こそ、この世の裁きがおこなわれる。今こそ、この世の支配者((悪魔))が(この世から)放り出される。(今わたしが天に挙げられるからである。)
12:32 (しかし)わたしは地から挙げられた時、みんなをわたしの所に引き寄せるであろう。」

●塚本訳のこの世の支配者は悪魔だというのは言い過ぎか。否、人間は天か地のどちらかに引かれるものだ。

塚本訳 ルカ 22:24-26
22:24 また弟子たちの間に、自分たちのうちでだれが一番えらいと思われているかについての争いもあった。
22:25 するとイエスが言われた、「世間では王が人民を支配し、また主権者は自分を恩人と呼ばせる。
22:26 しかしあなた達はそれではいけない。あなた達の間では、一番えらい者が一番若輩のように、支配する者が給仕をする者のようになれ。

●政治家は自分が「恩人」であるように振る舞う。それは主権者になるため。間もなく参議院選挙。

塚本訳 マタ 6:19-20
6:19 (このように、何事も天の父上相手でなければならない。たとえば)あなたたちは衣魚や虫が食い、また泥坊が忍び込んで盗むこの地上に宝を積まず、
6:20 衣魚も虫も食わない、また泥坊が忍び込むことも盗むこともない天に、宝を積んでおきなさい。(そうでないと、心が天に向かないであろう。)

●人は「地上に宝を積」むことが目的なっている。人も企業も国家も。国家の本質は「エゴ」だと言ったのは神学者のニーバー。

塚本訳 ルカ 12:19-20
12:19 それからわたしの魂に言おう。──おい魂、お前には長年分の財産が沢山しまってある。(もう大丈夫。)さあ休んで、食べて、飲んで、楽しみなさい、と。』
12:20 しかし神はその人に、『愚か者、今夜お前の魂は取り上げられるのだ。するとお前が準備したものは、だれのものになるのか』と言われた。

●大企業や公務員になりたい心。これが信仰を衰弱させる。ヒルティは「寄らば大樹の陰」は信仰のためにならないといっている。それにしても女性は東大卒や金持ちの男と結婚したがるなー。そういう女性は概して信仰が薄いから尊敬できない。付き合ってはいけない。
●学歴や人脈を自慢する(ちらつかせる)人間は概して今が落ち目の人間に共通のことだ。信仰ある女性たちよ、そういう人間達にひれ伏すな。


塚本訳 マタ 6:24
6:24 (わたし達の心は天か地かに引かれる。)だれも(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。
あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。

●クリスチャンには「武士道」の精神が必要。

塚本訳 マタ 23:9
23:9 また地上の者を『父』と呼んではならない。
あなた達の父はただ一人、天の父上(だけ)であるから。

●子供から「父さん」と呼ばれることはうれしいが、「天の父」、本当の創り主を知ることを望む。またそれを教えるのが肉の父の役目。しかしそれは100%無理。神ご自身がやってくださる。思わぬ方法で導いてくださる。

塚本訳 マコ 10:17-18
10:17 旅行に出ようとされると、ひとりの人が駆けてきて、ひざまずいて尋ねた、「善い先生、永遠の命をいただくには、何をすればよいでしょうか。」
10:18 イエスは言われた、「なぜわたしを『善い』と言うのか。神お一人のほかに、だれも善い者はない。

●福音は「善い先生」からのみ伝承される。ダメ牧師、ダメ信者からは伝わらない。しかしいくら善い先生でもそれは「人間」。永遠の命は神にのみ与えることが出来る。

塚本訳 マタ 23:6-8
23:6 また宴会の上座や礼拝堂の上席、
23:7 市場で挨拶されることや人から先生と呼ばれることを喜ぶ
23:8 しかしあなた達は『先生』と呼ばれてはならない
。あなた達の先生はただ一人(救世主だけで)、あとは皆兄弟であるから。

●「先生」と呼ぶのは都合のよい時だけ。私が設計事務所に所属していた時には「先生」と呼ばれていたが、公益法人に転職してからは「先生」ではなくなった。 良いことだ。

塚本訳 ヤコ 3:1
3:1 兄弟達、あまりに多く教師になるな。君達が知っているように、私達教師は(人一倍)厳しい審判を(神から)受けるのに、

●「教師は聖職」。埼玉県の教師は退職金が少なくなるのを嫌って学期末を待たないで退職。こういう教師には聖職意識なし。こういう教師に教えられるからイマドキのワカイモンは金に目がくらむようになる。


塚本訳 Ⅰコリ4:15
4:15 たとえキリストにある家庭教師は無数にあなた達にあっても、お父さんは沢山はないのだから。キリスト・イエスにあって、福音により、わたしがあなた達を生んだのではないか。

●パウロは「霊の父」の自覚があった。肉の子供を沢山産んでもそれは「父」ではない。物理的存在。肉的存在。真の喜びはない。その前に子供に背かれる。


塚本訳 マタ 26:51-53
26:51 すると、見よ、イエスと一しょにいた一人の人が手をのばして剣を抜き、大祭司の下男に切りかかって片耳をそぎ落してしまった。
26:52 その時イエスが言われる、「剣を鞘におさめよ。剣による者は皆、剣によって滅びる。
26:53 それとも、父上にお願いして十二軍団以上の天使を今すぐ送っていただくことが、わたしに出来ないと思うのか。

●神の軍隊は天使。

塚本訳 ヨハ 18:10-11
18:10 するとシモン・ペテロは、持っていた剣を抜いて大祭司の下男に切りつけ、右の耳を切り落としてしまった。下男の名はマルコスといった。
18:11 イエスはペテロに言われた、「剣を鞘におさめよ。
父上が下さった杯、それを飲みほさないでよかろうか!

●神に差される苦い杯。人はそれを飲まねばならない。しかし苦いが「神はご存知」

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朝の黙想終わり

●7:40 妻は婦人の読書会(塚本虎二著作集)のために千駄ヶ谷に行く。

●次回(7月7日)の感話の資料を推敲。タイトルを次のようにした。

      「御心がなりますように」とは

・・・「聴かれざる祈祷」に神の恵みの知恵が潜む・・・
 


























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復活という希望 ++++++++ 所感

2013/07/02 07:13

130702(火)起床時はまだ激痛。四つんばいでトイレ。その後上半身の運動。これで歩けるようになる。やはり背骨と骨盤が原因のようだ。●朝の啓示「復活という希望」●新約聖書の「希望」の概念は「復活」。●心に響く聖句を掲げる。やはり新約聖書の本質は「復活」だ。

塚本訳 使 23:6
23:6 そのときパウロは(役人の)一派はサドカイ人、一派はパリサイ人であるのを見て取り、法院で叫んだ、「兄弟の方々、わたしはパリサイ人で、しかもパリサイ人の子です。いま死人の復活の希望のために裁判されているのです。(わたしは復活のキリストを見たと言いますから。)」


塚本訳 使 26:6
26:6 それで、今わたしが(こうして)ここに立って裁判を受けているのは、神がわたし達の先祖に与えられた(救世主の)約束に対して希望を持っているからです。

塚本訳 使  26:7
26:7 わたし達十二族(全ユダヤ民族)は(今なお)この約束を実現していただきたいと望んで、夜昼熱心に(神に)奉仕しております。(ところが不思議なことに、)王よ、この約束の希望について、わたしは(同族の)ユダヤ人に訴えられたのです


塚本訳 使 28:20
28:20 こんな訳で、わたしはあなた達に会って話したいと願ったのです。わたしは(神のお約束による)イスラエル人の希望のために、この鎖につながれているのですから。」


塚本訳 Ⅰコリ13:13
13:13 それゆえに、いつまでものこるものは信仰と希望と愛、この三つ。しかし、この中で一番大きいのは愛!


塚本訳 ヘブ 10:24
10:24 また、わたし達は愛と善い業とを励まし合うように互に心掛けようではないか。(堅い信仰と動かぬ希望と愛の励み、この三つこそ最も尊い神の賜物である。)


塚本訳 ガラ 5:5
5:5 (キリストを信ずる)わたし達は、御霊によって、信仰により、(最後の日に)義とされる希望をもって待っているからである。


塚本訳 Ⅰテサ4:13
4:13 兄弟達よ、(主に在って)眠った者のことを知っていて、希望の無い他の人々のように(徒らに)歎かないようにしてもらいたい。


塚本訳 Ⅰテサ5:8
5:8 しかし私達は昼の者だから、信仰と愛の『鎧と、救いの』希望の『兜とに身を固め』て、白面でいようではないか。


塚本訳 Ⅰテモ1:1
1:1 われらの救い主なる神とわれらの希望なるキリスト・イエスの命によってキリスト・イエスの使徒たる(われ)パウロより、


塚本訳 Ⅰペテ3:15
3:15 ただ心に『主』キリスト『を(畏れこれを)聖とせよ』。君達にある希望について説明を求むる者には誰にでも、何時でも弁明の用意をして居れ。
 
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朝の黙想終わり

●このⅠペテ3;15によれば「復活の希望」は、弁明することが必要である。押し売りではいけない。「説明を求める」人に話すべきである。
●老人ホームの人達は「希望のない目」をしている。こういう施設をいくら大量に建設しても本質的なことは提供できない。

●9:30 池谷医院定期健診。レントゲン撮影、癌も結核もなし。しかし背骨が湾曲しているという。これが右臀部の痛みの原因と了解。血圧102-70 低くなりすぎたので降圧剤は中止。ダイエット勧告をされた。

●図書館、キタムラ、全部徒歩全3時間は疲れた。

●妻の誕生日へのメッセージ。感謝。

●TSK日本語版、今日から列王記上。






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