to 日記と感想 2013年10月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171030(月)10:00 聖路加 桑本先生
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170824(木)12:10キララホールエントランスコンサート、マリンバ
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170813(日)10:30ナザレン教会浦和教会
    170813(日)14:00比企紀和君
    170812(土)14:00お江戸こらりあーず演奏会、文京シビックホール
    170809     TW誕生日
    170809(水)17:16初音吹奏楽、府中の森芸術劇場ドリームホール
    170808(火)0930池谷医院
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170708(土)14:00在宅医療説明会(キララホール)
    170707(金)10:00池谷医院
    170706      TM誕生日
    170702(日) 集会感話
    170701      TT誕生日
    170630(金)12:20キララホールエントランスコンサート
    170628      IY誕生日
    170627(火)11:00 能城牧師来訪
    170625)日)10:10トミ子集会感話
    170625(日)14:00茅ヶ崎金子邸
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール


イエスの沈黙 ++++++++ 所感

2013/10/31 07:44

131031(木)朝の黙想「イエスの沈黙」●次回感話の一部を黙想

11月3日集会感話の一部黙想
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②裁判官に対するイエスの態度は沈黙。信仰は世の裁判官に不明

 

1)塚本訳 ルカ 22:66-71

22:66 朝になると、国の元老院、すなわち大祭司連や、聖書学者たちが集まって、イエスを彼らの法院の議場に引いていって

22:67 言った、「お前が救世主なら、そうだとわれわれに言ってもらいたい。」彼らに答えられた、「言っても、とても信じまいし、

22:68 尋ねても、なかなか返事ができまい

 

2)塚本訳 マタ 26:62-63

26:62 そこで大祭司は立ち上がってイエスに言った、「何も答えないのか。この人たちは(あんなに)お前に不利益な証言をしているが、あれはどうだ。」

26:63 しかしイエスは黙っておられた。大祭司が言った、「生ける神に誓ってわれわれにこたえよ。お前が、神の子救世主か。」

26:64 イエスは(はじめて口を開いて)彼に言われる、「(そう言われるなら)御意見にまかせる。だが、わたしは言う、あなた方は今後『人の子(わたし)が』『大能の(神の)右に坐り、』『天の雲に乗って来るのを』見るであろう。」

 

3)塚本訳 ルカ 23:8-9

23:8 ヘロデはイエスを見ると非常に喜んだ。というのは、イエスの噂を聞いて、だいぶ前から会ってみたいと思っており、また何か奇跡をするのを見たいと望んでいたからである。

23:9 それで言葉をつくして問いかけたが、イエスは何もお答えにならなかった。

 

4)塚本訳 ヨハ 19:11

19:11 イエスは答えられた、「あなたは上[神]から授けられないかぎり、わたしに対してなんの権力もない。だから(あなたの罪はまだ軽いが、)わたしをあなたに売った者[ユダ]の罪は、あなたよりも重い。(あなたは官憲として神の命令を行なうだけだが、彼は自分の発意でやったのだから。」

 

5)口語訳 イザ 53:7

53:7 彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった

 

6)塚本訳 使  8:30-35

8:30 ピリポが駈けよってゆくと、その人がイザヤ預言書を読んでいるのが聞こえたので、たずねた、「どうです、読んでおられるところが読めていますか。」

8:31 彼がこたえた、「だれかに手引をしてもらわねば、とてもわたしには読めません。」そして(車に)乗って一緒に坐ってもらいたいとピリポに頼んだ。

8:32 読んでいた聖書の文句はこれであった。『屠り場に引いてゆかれる羊のように、毛を切る者の前に黙っている小羊のように、彼は口を開かない。

8:33 (しかし)謙遜によって裁きをまぬかれ(て死に勝っ)たのである。だれが(地上にあふれるであろう)彼の子孫[信者]のことを語り得ようか。彼は(神の右に坐るために)その命を地上から取り去られるのだから。』

8:34 宦官がピリポに答えた、「お願いです、この預言者はだれのことを言っているのでしょうか。自分のことですか、それともだれかほかの人のことですか。(教えてください。)」

8:35 そこでピリポは口を開いて、この聖書の句から始めて、イエスの福音を伝えた。

 

7)塚本訳 Ⅰペテ2:23

2:23 彼は悪口されても悪口し返さず、苦しめられても脅かさずして、正しく審き給う者に裁量を任せ給うた。

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11月3日集会感話の一部黙想 終わり

●福音(処女降誕、十字架、復活、再臨)はこれを信じている人に「手引き」(上記使徒8:31)してもらわないと伝わらない。福音は真の信者から友人へと伝わる。
●無教会は「日本的キリスト教」と言うが、日本的過ぎてキリストの影が薄くなっている。「信仰のみ」が禅宗の「不立文字」に似てきている。また社民党の主張と似たりよったりの政治結社に似てきたり、中には「南無キリスト」と唱える人も現れる始末。無教会がこんな姿になったのはなぜか。神の祝福が去ったのか。
●11:15 飯田橋駅前に新築なった日本基督教団富士見町教会を見学させていただいた。

2013_10310003.jpg 

旧会堂の隣に権利交換で新築なった日本基督教団富士見町教会新会堂。模型
一粒社ヴォーリズ建築事務所設計、竹中工務店施工

2013_10310001.jpg 

素晴らしい会堂である。「光と影」が主題のシトー派の会堂を思わされる。
旧会堂よりもよい。

2013_10310002.jpg 

礼拝堂背面。旧会堂から移したドイツ製パイプオルガン。
この会堂の音響は良いそうだ。

●書架に内村鑑三全集があった。
●赤レンガの旧霊南坂教会堂(辰野金吾+ヴォーリズの設計で名建築)が完成したとき、内村鑑三が礼拝堂に入って「ホーッ」と言った。内村には建築を見る眼があった。
●ウィリアム・メレル・ヴォーリズは旧霊南坂教会堂を設計し、新しい富士見町教会堂はその後継者が設計し、鈴木弼美に内村鑑三を紹介した人でもある。鈴木弼美は無教会になり、後に独立学園を創設。このようにヴォーリズは日本のキリスト教界に多大の貢献をした建築家である。ヴォーリズは建築が好きであっただけで、学校で正式に建築を学んだことはない。聖書も素人であった。私の尊敬する人物である。

●11:40 古巣の連合設計設計社市谷建築事務所に行って、吉田桂二の個展を鑑賞。フィレンツェの絵。吉田桂二とダンテのことを懇談。戎居連太、佐々木、亀田等の諸氏と会う。 
●12:30 飯田橋駅前にある同期の桜田建築設計事務所を訪問。同期の桜田所長と旧交を温めた。
●14:50 昭和女子大で建築講義。いつものように講義終了後3名と進路相談。
●19:00 帰宅



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権威ある者 ++++++++ 所感

2013/10/30 10:08

131030(水)朝の黙示「権威ある者」。次回感話に関する黙想。

塚本訳 ヨハ 19:10-11
19:10 するとピラトが言う、「このわたしに口をきかないのか。わたしはお前を赦す権力があり、お前を十字架につける権力があることを、知らないのか。」
19:11 イエスは答えられた、「あなたは上[神]から授けられないかぎり、わたしに対してなんの権力もない。だから(あなたの罪はまだ軽いが、)わたしをあなたに売った者[ユダ]の罪は、あなたよりも重い。(あなたは官憲として神の命令を行なうだけだが、彼は自分の発意でやったのだから。」


●イエスはピラトの地上的権威を神からの権威とは思ってなかった。
●イエスにとって権威とは「神からの権威」であった。
●そこで今朝は「権威ある者」について黙想してみよう。

塚本訳 マタ 7:28-29
7:28 イエスがこれらの話を終えられた時、一しょに聞いていた群衆はその教えに感心してしまった。
7:29 自分たちの聖書学者のようでなく、権威を持つ者のように教えられたからである。


●教会学校で子供が慕うのは神学校で幼児教育や神学を学んだ女性でなく、天性として子供が好きな女性であることを知っている。愛が権威を生む。家庭内でも同じ。
●「自分たちの聖書学者」とは皮肉である。神学知識で大脳皮質の肥大人間に権威はない。
●「権威」はどこにあるか。その判定は群衆が「感心」するかどうかである。
●イエスの言動の史実性はどこまでかが問われるが、群衆が「感心」した事だけは「疑い得ない」ことであるとされている。

塚本訳 ルカ 19:37-40
19:37 すでにオリブ山の降り口近くに来られたとき、弟子の群は皆喜んで、彼らが見た(イエスの)あらゆる奇跡の(すばらしさの)ゆえに、こう言って大声に神を讃美し始めた。──
19:38 『主の御名にて来られる』王に、『祝福あれ。』天には平安、いと高き所には栄光あれ!
19:39 群衆の中にいた数人のパリサイ人がイエスに言った、「先生、お弟子たちを叱ってください。」
19:40 答えて言われた、「わたしは言う、この人たちが黙ったら、石が叫ぶであろう。


●「石が叫ぶ」「群衆が叫ぶ」。しかしその群衆が最後は「イエスを十字架に付けよ」と叫んだのだ。群衆はイエスにこの世の王を期待していたのに「期待外れになったからだ」。
●あー神の御胸と人間の思いの違いよ。イエスの犠牲死の悲しさよ。イエスは四面楚歌であった。八方塞であった。

塚本訳 マタ 8:23-27
8:23 舟に乗られると、弟子たちも従った。
8:24 するとにわかに湖に激しい嵐がおこって、ついに舟は波をかぶった。しかしイエスは眠っておられた。
8:25 弟子たちがそばに来て、「主よ、お助けください、溺れます」と言って起した。
8:26 彼らに言われる、「なんでそんなに臆病なのか、信仰の小さい人たちよ!」それから起き上がって風と湖とを叱りつけられると、(たちどころに)大凪になった。
8:27 人々は驚いて、「この方はどうした人だろう、風も湖も、その言うことを聞くのだが」と言った。


●「この方はどうした人だろう」という恐れが権威への反応。今日の牧師伝道者にはこの宗教的権威がない。
●ある時教会から無教会に転向した御婦人に聞いた「なぜ無教会になったのですか」。すると普段から口数の少ないその人が、一言「なんとなく違うのです」。このなんとなくという感情は貴重である。
●一方、無教会からカトリックに転向した人にその理由を伺ったところ、一言「伝統です」と答えられた。この言葉は強い。福音には使徒伝承という伝統の伝承がなければならない。

塚本訳 ルカ 5:5-9
5:5 シモンが答えた、「先生、わたし達は(昨夜)一晩中働きましたが、何もとれませんでした。しかし先生のお言葉ですから、網をおろしてみます。」
5:6 そしてその通りにすると、沢山の魚の群が入って網が裂けかかった。
5:7 そこでもう一艘の舟にいる仲間に合図をして、加勢に来てもらった。彼らが来て、二艘の舟いっぱい(魚を)つんだので、沈みそうになった。
5:8 シモン・ペテロはこれを見て、イエスの足もとにひれ伏して言った、「主よ、あちらに行ってください。わたしは罪人です。」
5:9 彼も一しょにいた者も皆、とれた魚(の多いの)に、びっくりしたのである。


●この「恐れ」が権威への反応。罪人の自覚。

塚本訳 マタ 27:53-54
27:53 墓から出てきて、イエスの復活の後、聖なる都(エルサレム)に入って多くの人に現われた。
27:54 百卒長および一しょにイエスの見張りをしていた兵卒らは、地震とこれらの出来事とを見てすっかり恐ろしくなり、「この人は、確かに神の子であった」と言った。


●イエスのことを「神の子であった」と告白したのは何と異教のローマの軍人であった。イエスには不思議な権威があったのだ。

塚本訳 マタ 5:38-42
5:38 あなた達は(昔の人がモーセから、)『目には目、歯には歯』──(人の目をつぶした者は自分の目で、人の歯を折った者は自分の歯で、つぐなわなければならない)と命じられたことを聞いたであろう。
5:39 しかしわたしはあなた達に言う、悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打ったら、左をも向けよ。
5:40 (裁判所に)訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせてやれ。
5:41 だれかが無理に一ミリオン[一キロ半]行かせようとするなら、一しょに二ミリオン行ってやれ。
5:42 求める者には与えよ、借りようとする者を断るな。


●山上の説教には「しかしわたしはあなた達に言う」という言葉がしばしば出てきて、自分はモーセよりも権威があるのだと自覚していた。

塚本訳 マタ 12:42
12:42 また、南の国(シバ)の女王がこの時代の人と一しょに(最後の)裁きの(法廷に)あらわれて、この人たちの罪が決まるであろう。というのは、彼女は地の果てからソロモン(王)の知恵を聞きに(エルサレムに)来たが、(この人たちは、)いまここにソロモンよりも大きい者がいる(のに、それに耳を傾けない)からである。


●イエスは自分をソロモンより大きい者との自覚があった。ここに権威を権威の自覚があった。

塚本訳 マタ 22:43-45
22:43 彼らに言われる、「ではダビデが御霊に感じて、救世主を主と呼んでいるのはどういう訳だろう。彼はこう言っている。──
22:44 『(神なる)主はわが主(救世主)に仰せられた、『わたしの右に坐りなさい、わたしがあなたの敵を(征服して)あなたの足の下に置くまで』と。』
22:45 だから、ダビデが(このように)救世主を主と呼んでいる以上、どういう訳で(その救世主が)ダビデの子であろうか。」


●イエスは自分をダビデよりも大きな者であると自覚していた。
●イエスは自分をモーセ、ソロモン、ダビデよりも大いなる者と自覚していたので権威があったのだ。人間のだれにこんな権威が持てようか。
●復活して今も生き給うイエスのみに真の権威がある。その霊が人に臨む時が真の礼拝だ。権威は教会(集会)になく、聖書になく、先生にない。

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朝の黙想おわり

●TSK日本語版歴代志下35章。あと一章。
●カールリヒター指揮バッハマタイ受難曲(ミュンヘンバッハ合唱団&管弦楽団1958)を聴きながら「犠牲死」という事を思い、次回集会感話の題を次のように変更。

11月3日感話の標題
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イエスの裁判に学ぶ 

人類は総掛りで神の子を殺した。その犠牲死で神の義は満足した          2013113日 東京聖書読者会 高橋照男

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11月3日感話の標題 終わり。
●この副題は絶対に間違っていない。新約聖書の中心的使信だ。

●新約聖書はユダヤ教の代償的贖罪の概念によって初めてわかる。
●イエスの死はその「犠牲死」であったのだ。
●「我もまた行かん」その道を。残りの生涯を。

2013_10300001.jpg 

夕方の散歩。空は何かを語っている。

●薄暗くなりかけた公園で一人の女の子が泣きながら携帯で電話している。「ママー早く帰ってきてよー」。
いろいろ思いめぐらした。母子家庭か。不景気で夫の収入が少ないので妻が働きに出ているのか。
●ルオーだったか。暗い夜道で少年が神父に駆け寄る絵があった。あの絵は忘れtられない。少年の家庭は暗く淋しいのだ。きっと。
●公園の少女とその家庭の上に神の大いなる祝福あれ。
●「祈る」ということがそもそも犠牲の行為なのだ。










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徴を見て信ずるのはいけない」とは何か ++++++++ 所感

2013/10/29 08:35

131029(火)朝の啓示。「徴を見て信ずるのはいけない」とは何か。

●まず翻訳比較 (Jバイブル利用)

文語訳 ヨハ 3:1-3
3:1 ここにパリサイ人にて名をニコデモといふ人あり、ユダヤ人の宰なり。
3:2 夜イエスの許に来りて言ふ『ラビ、我らは汝の神より來る師なるを知る。神もし偕に在さずば、汝が行ふこれらの徴は誰もなし能はぬなり』
3:3 イエス答へて言ひ給ふ『まことに誠に汝に告ぐ、人あらたに生れずば、神の國を見ること能はず』


塚本訳 ヨハ 3:1-3
3:1 ところでパリサイ人の中に名をニコデモという人があった。ユダヤの(最高法院の)役人であった。
3:2 ある夜、イエスの所に来て言った、「先生、わたし達はあなたが神のところから来られた先生であることを知っています。神がご一しょでなければ、あなたのされるあんな徴[奇蹟]はだれもすることは出来ません。」
3:3 イエスが答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、(徴を見て信じたのではいけない。)人は新しく生まれなおさなければ、神の国にはいることは出来ない。」



口語訳 ヨハ 3:1-3
3:1 パリサイ人のひとりで、その名をニコデモというユダヤ人の指導者があった。
3:2 この人が夜イエスのもとにきて言った、「先生、わたしたちはあなたが神からこられた教師であることを知っています。神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにもできはしません」。
3:3 イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。



新改訳 ヨハ 3:1-3
3:1 さて、パリサイ人の中にニコデモという人がいた。ユダヤ人の指導者であった。
3:2 この人が、夜、イエスのもとに来て言った。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行なうことができません。」
3:3 イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」



新共同 ヨハ 3:1-3
3:1 さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。
3:2 ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」
3:3 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」


NKJV ヨハ 3:1-3
3:1 There was a man of the Pharisees named Nicodemus, a ruler of the Jews.
3:2 This man came to Jesus by night and said to Him, "Rabbi, we know that You are a teacher come from God; for no one can do these signs that You do unless God is with him."
3:3 Jesus answered and said to him, "Most assuredly, I say to you, unless one is born again, he cannot see the kingdom of God."


TEV ヨハ 3:1-3
3:1 There was a Jewish leader named Nicodemus, who belonged to the party of the Pharisees.
3:2 One night he went to Jesus and said to him, "Rabbi, we know that you are a teacher sent by God. No one could perform the miracles you are doing unless God were with him."
3:3 Jesus answered, "I am telling you the truth: no one can see the Kingdom of God without being born again."


●頭にうかぶ関連聖句。枕元のメモ用紙に書きつけたもの

塚本訳 マタ 15:12-14
15:12 あとで弟子たちが来てイエスに言う、「パリサイ人がお話を聞いて腹を立てたことを御存じですか。」
15:13 イエスは答えられた、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜かれる。
15:14 あの人たちを放っておけ。盲人の手引をする盲人だ。盲人が盲人の手引をすれば、二人とも穴に落ちよう。」


●この世的なもの(地位学歴財産家系教勢)に目がくらんで人を信じる人間の信仰は信用できない。
●そういう人間には腹を立てるな。放っておけば自然に枯れる。もうすぐ寿命だ。持久戦だ。神が枯らす。

塚本訳 マタ 21:18-21
21:18 (次の)朝早く都に帰られるとき、イエスは空腹であった。
21:19 それで道ばたに一本の無花果の木があるのを見て、そこに行かれた。が見ると、ただ葉ばかりで何もなかった。イエスはその木に言われる、「もはやいつまでも、お前には実がなってはならない!」無花果の木は見る間に枯れてしまった。
21:20 これを見て弟子たちは驚いて言った、「なぜ無花果は見る間に枯れてしまったのですか。」
21:21 イエスは答えられた、「アーメン、わたしは言う、もしあなた達に信仰があって疑わないならば、この無花果におこった(と同じ)ことをすることができるばかりか、この山にむかい『立ち上がって海に飛び込め』と言っても、その通りになる。

●イエスは無花果の木を枯らせた。
●「実がなってない」ことを怒ったのではない。「実は信仰によって」結ぶ」。
●イエスは人間の「信仰の薄さ」を怒ったのである。

塚本訳 マタ 13:8-9
13:8 しかしあるものは良い地に落ちた。そしてあるいは百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍の実がなった。
13:9 耳のある者は聞け。」


塚本訳 マタ 13:23
13:23 しかし良い地にまかれたもの、これは御言葉を聞いて悟る人で、きっと実を結び、あるいは百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍になるのである。」


●篤い信仰はいかにして生まれるか。「良い地」に撒かれる」ことだ。
●これは運命なのか。神の子イエスにもどうにもならないことなのだ。
●しかし「岩地」や「茨のなか」に撒かれたものとて、神はご存知。

塚本訳 ロマ 9:19-24
9:19 するとあなたはわたしに(抗議して)言うにちがいない、それでは、なぜ神はなおも人を咎められるのか。(御自身が人の心を頑固にされるのなら、)だれも神の意志に逆らうことはできない訳ではないかと。
9:20 ああ人よ、いったい君は何者なれば、神に口答えをするのか。『作られたものが作った者に向かって、「なぜ『わたしをこんなものに造ったか」と言えるだろうか。』
9:21 それとも、『陶器師には、』同じ『粘土』の塊で、一つは尊い用途の、一つは卑しい用途の器を造る権利がないのだろうか。
9:22 それで、もし神が、(御自分の)怒りを示し御自分の力(の恐ろしさ)を知らせようとお思いになるので、(今日まで)いとも気長に、『滅びのために』つくられた』怒りの器[滅びる人]を辛抱された』とすれば、
9:23 またそれは、栄光のためにあらかじめ用意された憐れみの器[救われる人]に、御自分の豊かな栄光を知らせるためであったとすれば、どうだ。(かれこれ言うことはないではないか
。)
9:24 神はこの憐れみの器としてわたし達をも召されたのである。ただユダヤ人の中からだけでなく、異教人の中からも。


●悪い家庭環境に生まれた不幸な子供のことも神はご存知。
●否、それが「良い地」に撒かれた種になるのかもしれない。
●見よ、大伝道者やクリスチャンホームから信者の子供は出にくい。
●オートバイ屋の息子はオートバイに乗りたがらないと言われる。

塚本訳 ロマ 11:28-32
11:28 (思えば不思議な神の計画である。)彼らは、福音の点から言えば、あなた達(の救い)のために(福音をしりぞけて神の)敵になっており、(神の)選びの点から言えば、先祖たち(に対する契約)のお蔭で(今もなお神に)愛される者である。
11:29 神の賜物も招待も、(一旦与えられた以上は永遠に)取り消されないからである。
11:30 すなわち、かつては神に不従順であったあなた達が、今はこの人たちの不従順によって(神に)憐れみを施されたと同じに、
11:31 この人たちも今はあなた達の受ける憐れみに対して不従順になっているが、これは今(すぐにも)憐れみを施されるためである。
11:32
つまり神はすべての人を不従順の中に閉じこめられたが、これはすべての人に憐れみを施すためであった。

●パウロの悩みはこれで休心した。
●「岩地」「茨のなか」「良い地」に撒かれたものも最後の日には救われる。

塚本訳 マコ 7:31-37
7:31 それからイエスはツロ地方を出て、シドンを通り、またガリラヤ湖の近く、デカポリス地方の真中に来られた。
7:32 人々が聾で舌のまわらぬ人をつれて来て、手をのせて(直して)ほしいと願う。
7:33 イエスはその人をただ一人、群衆の中から連れ出して、指をその両耳にさしこみ、次に(指に)唾をしてその舌にさわり、
7:34 天を仰いで溜息をつき、その人に「エパタ!」[すなわち「開け!」]と言われる。
7:35 すると耳があき、すぐ舌のもつれが解けて、普通に物が言えるようになった。
7:36 イエスはだれにも言ってはならぬと人々に命じられたが、命ずれば命ずるだけ、ますます言いふらした。
7:37 そして驚きはてて言った、「あの方のされたことは、何もかも良いことばかりだ。聾や唖に、聞かせたり、物を言わせたりされるのだから。」


●これが「徴」である。ニコデモは次のように言ったのである。

塚本訳 ヨハ 3:2
3:2 ある夜、イエスの所に来て言った、「先生、わたし達はあなたが神のところから来られた先生であることを知っています。神がご一しょでなければ、あなたのされるあんな徴[奇蹟]はだれもすることは出来ません。」


●しかしこれは肉の病の治癒である。「実」である。それがいけないと言うのではない。その実ににびっくりしたままで木を見ていない。地上の木を見るだけで根を見ていない。
●イエスはその態度がいけないと言うのである。
●岩波書店刊行赤江達也著「『紙上の教会』と日本近代・・・無教会キリスト教の歴史社会学」はよくぞここまで独力で調べ上げたものだと敬服するが、残念ながら実を見て驚いたままで木を見ていない。ただ後ろを振り返って社会学者として見ているだけだ。彼はこれで博士論文(社会学)であるが、無教会の現象を叙述して博士になるとは無教会も衰退の兆しか。

塚本訳 マタ 12:33
12:33 木を良いとするなら、その実をも良いとせよ。また、木を悪いとするなら、その実をも悪いとせよ。木(の良し悪し)は実で知られるのである


●無教会の先達により無教会はこの世的に「良い実」を実らせたが、その実を研究したり驚いているばかりで「木」を知らなければ何もならない。その実の研究調査で「博士」になっても神は喜ばない。それはニコデモどまり。
●カナダに内村を研究して神学博士になった人がいる。
●かって私は内村の思想を研究している若い学生に言った。「内村を飯のたねのしてはいけない」と。天で内村が泣いている。
●最近の内村研究は「卒業論文」の種である。

塚本訳 マタ 5:14
5:14 あなた達は世の光である。山の上にある町は隠れていることは出来ない


●夜、遠くの山にポツンと光る明かりは不思議に鮮やかである。終末の日の目標のようである。皆がその光を目指す。


塚本訳 ピリ 2:15
2:15 これは君達が非難すべき所でなく、純真であって、『曲ったねじくれた(この)時代』の真中にあって『瑕なき神の子』とならんためである。(まことに)君達はこの時代にあって、生命の言を堅く守りながら、この(暗い)世に星のように輝いているのである


●クリスチャンは世が暗ければ暗いほど輝きだす。

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朝の黙想 終わり

●9:00 池谷医院に採血等検査
●10:00 散髪
●13:00 「セレモニーホールあきる野」で故雨宮一好先生(三男恵の小学校5-6年の担任)の告別式。キリスト教。約一時間の簡素で心温まる式であった。司式は単立稲城聖書教会牧師の金俊起(キムジュンギ)。御自身が3年前にご令息を水の事故で亡くされて泣きあかし、「人は涙を流すときに自己の限界を知るものだ。クリスチャンは永遠の命と復活の希望を持って生きるのであって、死による別れの悲しみや葬儀は通過点である」という心に染み入る式辞であった。参列者は会場に溢れ70名ぐらいだったか。故人がいかに多くの人に慕われていたかが分かった。敬子夫人もクリスチャン。多くの人が死後「雨宮先生はクリスチャンだったのか。だからだなー」と思ったらしい。評判のよい先生であった。

●クリスチャンは棺桶の蓋を閉じてから「アーそうだったのか。やっぱりなー」とみんなに回顧されるのが最上。
●雨宮先生は、恵が山形県のキリスト教独立学園高等学校に入学したことにいつも関心を持ち気にかけていてくださった。

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故雨宮一好先生(恵の小学校5-6年の担任)告別式。於・セレモニーホールあきる野。

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多くの人に慕われた。恵も恵の子供二人もお世話になった。献花のとき、
二人のお孫さんはしきりに泣いていた。

故雨宮一好略歴(式プログラムより)

1944年 山梨県に生まれる
1959年 受洗(雨宮栄一牧師により。同姓だが御親戚ではないという)
1962年 甲府一高卒業
1966年 山梨大学教育学部卒業
1970年 藤井敬子と結婚
1972年 長男玄誕生

東京日野市日野第四小学校に赴任。南檜原小、数馬小 立川十小、西秋留小、 国分寺四小で定年を迎える。定年後は漆器作りに励み旅行や障害ののある子供 たちとのサッカークラブラブ、住民運動など充実した日々を送る。

2013年 10月25日朝、闘病の末、主のみもとへ 69歳。

●以下は敬子夫人の病状経過をメモした。

2013年4月腰の痛みがあるので調べたら肝臓がん。7月25日手術2.1㎏もある大きな腫瘍。8月23日退院、一時元気になったが10月11日再入院。そして生まれ故郷山梨のホスピスに入った。山梨の山々を見て目を輝かせたと言う。ご母堂は96歳でご健在。アー息子に先立たれる嘆きはいかばかりか。

●下の写真は2013年12月26日のブログ。在りし日の雨宮先生。今思えば癌の告知4か月前のことだった。

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今日は雨宮先生(恵が小5-6年の時に担任してくださった)が見時と風人を
上野の国立科学博物館に連れて行ってくださった。(感謝)
左からコー君(雨宮先生のお孫さん)、見時、雨宮先生、風人。
●雨宮先生はキリスト教の親派。原発反対運動をされている。
●東秋留の駅で二人を引き渡される時、「何もありませんでした」と言われた。命を預かる教師は大変な仕事だなーと思った。聖職だ。



   
       



























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主が起こす人 ++++++++ 所感

2013/10/28 06:16

131028(月)5時半目覚め、早朝散歩。朝の啓示「主が起こす人」

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早朝散歩で日の出に会う。ハイドンに弦楽4四重奏曲「日の出」がある。
陽は「主が起こす」。自然現象は偶然だと思う人生観は淋しい。

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軒樋に詰まった土に落ちた種は根が伸びないので枯れた。                    私も妻も孫に言っている「神様を信じている人と結婚しなさい」。最近妻が孫娘にそれを言ったところ「またそれー!?」と反応があったそうだ。アーどうすりゃーいんだ。

塚本訳 マタ 13:5-6
13:5 あるものは土の多くない岩地に落ちた。土が深くないため、すぐ芽を出したが、
13:6 日が出ると焼けて、しっかりした根がないので枯れてしまった

塚本訳 マタ 13:20-21
13:20 岩地にまかれたもの、これは御言葉を聞いてすぐ喜んで受けいれるが、
13:21
自分の中に(しっかりした信仰)の根がなく、ただその当座だけであるから、御言葉のために苦難や迫害がおこると、すぐ信仰から離れおちる人である。

●「主が起こす人」

口語訳 出  3:9-10
3:9 いまイスラエルの人々の叫びがわたしに届いた。わたしはまたエジプトびとが彼らをしえたげる、そのしえたげを見た。
3:10
さあ、わたしは、あなたをパロにつかわして、わたしの民、イスラエルの人々をエジプトから導き出させよう」。

●モーセは手に呼び出されたが、初めはしり込みした。

口語訳 イザ 6:3-5
6:3 互に呼びかわして言った。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主、その栄光は全地に満つ」。
6:4 その呼ばわっている者の声によって敷居の基が震い動き、神殿の中に煙が満ちた。
6:5 その時わたしは言った
、「わざわいなるかな、わたしは滅びるばかりだ。わたしは汚れたくちびるの者で、汚れたくちびるの民の中に住む者であるのに、わたしの目が万軍の主なる王を見たのだから」。

●イザヤは「主に起こされる」とき、まず聖なる者に触れる。そして自分は汚れたものであることを示さ「滅びる」と感じた。


口語訳 イザ 6:9-10
6:9 主は言われた、「あなたは行って、この民にこう言いなさい、『あなたがたはくりかえし聞くがよい、しかし悟ってはならない。あなたがたはくりかえし見るがよい、しかしわかってはならない』と。
6:10 あなたはこの民の心を鈍くし、その耳を聞えにくくし、その目を閉ざしなさい。これは彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟り、悔い改めていやされることのないためである」。


●主に起される者には世から受け入れられない運命が待っている。これ宿命。

塚本訳 ルカ 4:18-19
4:18 『主の御霊がわたしの上にある、油を注いで(聖別して)くださったからである。主は貧しい人に福音を伝えるためにわたしを遣わされた。囚人に赦免を、盲人に視力の回復を告げ、』『押えつけられている者に自由をあたえ、』
4:19 『主の恵みの年(の来たこと)を告げさせるために。』


●イエスの召命。伝道の第一声。
●神学校の入学条件は「召命観があるかどうか」だそうだ。

塚本訳 マタ 4:18-20
4:18 ガリラヤ湖のほとりを歩いておられるとき、二人の兄弟、ペテロと言われたシモンとその兄弟アンデレとが、湖で網を打っているのを見られた。彼らは漁師であった。
4:19 「さあ、ついて来なさい。人間の(漁をする)漁師にしてあげよう」と言われると、
4:20 彼らはすぐ網をすててイエスに従った。


●ペテロの召命。「すぐ網をすてて」ということは、チョット家内に断ってくるとは言わなかった。
●「人間の漁師」とは人間を魚に見立てているのでチト失礼な感じがするが、漁師が魚を釣るときの真剣さを言っているのではないか。

塚本訳 使  26:16-18
26:16 さあ、起きて、『自分の足で立て。』わたしが(今)現われたのは、君を選んで、わたしを見たことと、(今からも)君に現われて示すこととの証人として、わたしに仕えさせるためである。
26:17 (かずかずの迫害や危険がのぞむが心配するな。)わたしは君をこの(イスラエルの)民(の手)から、また』異教人(の手)から』『(かならず)救い出してやる。』『彼らの中にわたしが君を遣わすのは、』
26:18 彼らの』目をあけて』彼らが『暗闇から光に、』悪魔の権力から神に帰るため、そうして彼らがわたしに対する信仰によって罪の赦しを得、きよめられた人たちの仲間に入れていただくためである』と。


●パウロの召命。パウロはこの世的幸福を捨てさせられた。召命された物はこの世の人が目指す幸福を断念しなければならない。

塚本訳 ヨハ 6:44
6:44 (わたしを信じないのは、父上が引っ張ってくださらないからだ。)わたしを遣わされた父上が引っ張ってくださらなければ、だれもわたしの所に来ることはできない。(しかし来れば、)わたしはその人をきっと最後の日に復活させる。


●クリスチャンというのは必ず「主に起こされた人」である。すべて実に意外な、不思議な方法で。それは大抵の場合不条理な不可解な事件を通して。
●だから「違和感がある」「いけ好かない」「気にくわない」「感じが悪い」「むかむかする」などと思うと主に嫌われる。なぜか。クリスチャンは全員「神に引っ張られた人」だからだ。
●教会(集会)また同じ。教会(集会)は百人百様。すべて形や雰囲気が違う。教会に「いたたまれなくなる」人が無教会になることが多いが、その無教会主義集会も百人百様。
●処女降誕、復活、再臨を信じなくても「一応クリスチャン」。見どころがあるから「一応」クリスチャンの仲間に連なっているのだ。

塚本訳 マタ 18:19-20
18:19 なお、アーメン、わたしは言う、何事によらず、もしあなた達のうちの二人が心を一つにして地上で祈るならば、わたしの天の父上は(きっとその願いを)かなえてくださるだろう。
18:20 二人、三人、わたしの名によって集まっている所には、わたしがいつもその真中にいのだから。」


●無教会の生命線は「教会の外に救いあり」であって「教会の外にも救いあり」(そういう考えの無教会集会もある)ではない。教会の成長や存続を神以外の偶像にしてはいけないからである。ところが「では教会の外のどこに救いはあるのか」という疑問が湧く。
●答えは簡単。「主の在ますところに教会あり」。
●特に政治がかった現在の無教会主義集会に救いなし。
●「主がなさる」というのは、3次元の物理的思考では全くわからない。人間の外部からの働きだからである。4次元の世界のことだからである。だから信仰の篤いクリスチャンの言うことは世の人にはわからないのだ。

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朝の黙想 おわり















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第40回塚本虎二先生記念会 ++++++++ 所感

2013/10/27 06:41

121027(日)5時半起床。日記整理●第40回塚本虎二先生記念会
司会 聖書朗読 ・・・高橋

塚本訳 Ⅱコリ5:15-16(1976年試訳)
5:15そしてキリストが凡ての人に代わって死に給うたのは、(斯(か)く死んで再び新しい生命(いのち)に)生きている(者が)、最早自分自身のために生きず、自分の代わりに死んで甦(よみがえ)り給うたお方のために生きんがためである。(だから私達は彼のために、然り、彼の故に君達のために、全力を尽くさねばならぬと考えている。―――)
5:16従って(また既にキリストにおいて肉に死んだ)この私達は、今後誰をも肉によって知ら(うと思わ)ない。(肉の眼で見ようと思わない。)たとい(かっては)私達もまた(キリストを)肉によって知っていたにせよ、(そして肉のキリストを見たというようなことが何か一廉(ひとかど)の特権であるかのように考えたこともあったけれども(ああ、馬鹿な私達よ、パウロよ!)しかしもう今(から)は(決して)そんな恥ずべき態度で彼を知ら(うと思わ)ない(思ってはならない―――)

開会の祈祷・・・高橋

本日塚本虎二先生第40回の記念会を開くに当たり、一言開会の祈りをさせていただきます。
一人の人間の記念会が毎年、しかも40回も継続することはまれであります。その理由を考えますと、ただいま朗読しました聖書にありますように塚本先生は「キリストにおいて肉に死んだ」方でありました。でありますから、その生涯の働きはすでに霊に生きておられたのであります。でありますから塚本先生を記念することは、先生を語りつつも実は復活のキリストを指差して継承していることなのであります。福音を伝承しているのであります。ですから40回も継続するのであると信じます。
 
感話会スピーチ・・・高橋 配布資料
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塚本虎二から何を継承すべきか 

        ――― 第40回 塚本虎二先生記念会 感話 ―――

              2013.10.27 高橋照男

 

◎本物の福音・・・塚本先生の言葉

 

僕はなっていないが、僕の伝える福音だけは正しい」(友に語るP81

 

ある牧師さんかが、「塚本も、会ってみれば案外いい人間だ」と言ったそうだが、どうかこれを逆にして、「塚本という奴はろくでなしだが、あれの福音だけは本物だ」と言ってもらいたいものである。(友に語るP125

 

僕が言った事、した事はみんな間違っているかも知れないが、僕の説いたキリストの福音、これだけは、たとえ世界がひっくりかえっても間違っていない。(年若き友にP33

 

◎有体的復活の「使徒伝承」・・・塚本先生の言葉

 

「教会不振の原因」

数年前ある基督教主義大学学長である某神学博士は――この人はキリストが処女から生まれようが木の股から生まれようが構わないではないかと冒涜を言った人であるが――(中略)いま時、十字架の代償的贖罪などと時代はずれの説教をしているからであると言ったことがある。某派の一教師も「古来贖いという教理に心の底から同感し得た人が一人でもあったのだろうか」と暴言を吐いた。(昭和213月「聖書知識」191号P8

 

「イエス伝研究第232講『有体的復活』ルカ伝2436-43節」

今日一般に基督教に力がないのは、初代教会におけるような体的復活と体的再臨の信仰がぼけてきたからである。私達は初代教会の信仰を嘲るまえに、科学の進歩を誇る現代クリスチャンの信仰の何とラオデキヤ的あるかを省みる必要があろう。(昭和247月「聖書知識」231号P8

 

「雑感雑録」(昭和301113日)

丸の内では偶然出席された好本督(ただす)氏に乞うて簡単な話をしてもらった。(中略)

何か英国へのお土産をとのことで、東京の真中に30年来処女懐胎から復活再臨までの正統信仰を文字通りに説き続けているコチコチの日曜集会があること、その会員の半数近くがギリシャ語を知っていることを、伝えてもらいたいと話した。(昭和3012月「聖書知識」308号P20

 

◎聖書に権威を認めること

(・・・無教会に対する評価は定着した。教会側からの良い評判2例)

 

「桑田秀延の言葉」(くわた ひでのぶ、(1895- 1975)は、日本基督教団の神学者、牧師。元東京神学大学学長)

無教会の信仰的な特色としては、形成せられた教会には反対しながらも、聖書の権威を認めこれを基礎としているので、健全なる気風を示しています。(昭和577月東神大パンフレット「教会論入門」P14

 

「エミール・ブルンナーの言葉」(1889-1966.、スイスの神学者。1953年に来日、2年間国際基督教大学で教え、無教会の存在を世界に紹介した)

(日本における無教会は)生き生きと解釈された聖書の言葉だけがエクレシアの根拠として承認される。・・その将来は神が心配してくださるであろう(ブルンナー著作集第4巻教義学Ⅲ(上)教文館発行1998P157

 

◎隠れた祈りができる信仰の篤い人を多く生んだこと

 

「キリスト教の話を聞きに来るようになるのは,大抵友達からだね。」(塚本先生の言葉。「落穂拾い」白井きく編P7

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感話会スピーチ・・・高橋 配布資料  終わり

●10:00集会は、川上(司会)、高橋トミ子(癲癇をなおす)、横田(キリスト教史)
●14:00 塚本虎二先生記念会。21名。いつものことながら心温まる会であった。この雰囲気は塚本先生の空気なのだろう。
●私は司会者として聖書朗読と感話を担当した。内容は上記







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減量作戦順調 ++++++++ 所感

2013/10/26 06:58

131026(土)朝の体重計量。ついに80㎏を切って79.4㎏。毎朝ジュース(人参+リンゴ)1.5杯のみ。一か月で2kg減量。目標は腹筋が割れるまで!!。●良い情報は隠さない。「個人情報の秘密」の悪い風潮を盾に何でもかんでも隠す人はダークな人生になる。人のためにならない。自分を捨てて語る失敗談が人を慰め励ますのだ。恥は自分に、栄光は神に●「個人情報の秘密」を振り回す人間は国家や企業の奴隷人間。大切な一生がその組織の奴隷になってで潰されている。もちろん医者、弁護士、聖職者は個人情報を軽々に人に漏らしてはいけないが、営利組織(国家も!)は秘密漏洩を禁じているが、、それは経済的保身術のため。●第二次世界大戦で我が国は負けているのに「勝っている」と偽った。それは国民を励ますためであったが真理に忠実でなかったこれ真の神を拝んでなかったことが原因。敗戦は宗教観
へのパッシングであった。●この減量作戦をこのまま生涯続けよう。人参は癌予防にもなる。妻も一緒に実行している。●朝食をジュースだけにしても昼までお腹は空かない。何か食べるから昼前に空腹になるのだと行きつけの医者の医学的指導。その医者曰く「聖路加の日野原重明先生は朝食に飲み物のほかにクッキーを食べているが、あれは余計だ」と。●教文館の人から、「高橋さん、あまり重いと『有体的復活』は出来ませんよ」と言われた(笑)。太っていては「狭き門」は通れない(笑)。●今朝の黙想。「滅びゆく者」。目覚めに寝床でメモした聖句。その順序のままに掲げる。


塚本訳 Ⅱコリ2:15-16
2:15 というのは、わたし達は救われる者の間でも、滅びゆく者の間でも、神にささげられるためのキリストのよい薫である。
2:16 ある者には、死から死へみちびく薫であるが、ある者には、命から命へみちびく薫りである。(ああ、)一体だれにこんなことが勤まろう。


●万物の復興を信じていたパウロが「滅びゆく者」と言っている。これはどういうことなのだろうか。

塚本訳 マタ 12:31-32
12:31 (あなた達はわたしをもって働く神の霊の働きをベルゼブルの働きと罵った。)だからわたしは言う、人の(犯す)いかなる罪も冒涜も赦していただけるが、御霊の冒涜は赦されない。
12:32
人の子(わたし)を冒涜する者ですら赦していただけるが、聖霊を冒涜する者は、この世でも来るべき世でも(決して)赦されない。

●世の中や身内親族もキリスト教を信じない者が多い。だから当然ながら「聖霊」の存在を信じない。これで救われるのだろうか。
冒涜するまでに至ってないから赦されるのか

塚本訳 ロマ 10:19
10:19 しかし、わたしは(なお)考える、イスラエル人は(聞くには聞いたが、むずかしくて)わからなかったのではあるまいかと。(そんなことはない。)第一にモーセは言っている。(『神は言われる、)「わたしはわたしの民でない者(を救うこと)によって』あなた達に『妬みをおこさせ、愚かな民によって』あなた達を『怒らせる」(と。)』(愚かな異教の民さえ信じたのである。)


●今日、キリスト教が不振なのは優秀な伝道者や牧師がいないからではあるまいか、説き方が悪いのではあるまいかと思われるが、救いの欲求がないほどこの世的に結構幸福だからであると思う。

塚本訳 マタ 21:31-32
21:31 この二人のうち、どちらが父の心を行ったのだろうか。」「もちろん長男」と彼らが答える。イエスが言われる、「アーメン、わたしは言う、税金取りや遊女たちは、あなた達よりも先に神の国に入るであろう
21:32 そのわけは、(洗礼者)ヨハネが義の道を示しに来たのに、あなた達は彼を信ぜず、税金取りや遊女の方がかえって信じたからだ。しかしあなた達は(あの人たちが悔改めるのを)見たあとでも、後悔して彼を信じようとしなかった。


●税金取りや遊女は自分の失敗人生を悔やんでいる。せめて来世ではまともになりた。そこでイエスの説く福音に必死で耳を傾けた。なりふり構わず信じるのだ。信仰に入るにはこういう姿勢が必要だ。

塚本訳 ロマ 9:2-5
9:2 (わたしが急にこんなことを言い出したら信じてくれないかも知れないが、)わたしに大きな悲しみと、心に絶えざる痛みとがあるのである。
9:3 ほんとうに、兄弟すなわち血を分けた同胞の(救われる)ためならば、このわたしは呪われて、救世主(の救い)から離れ落ちてもよいと、幾たび(神に)願ったことであろう。
9:4 (言うまでもなく、)それはイスラエル人のことである。(彼らは神の)子たる身分(を与えられ、神の)栄光(はその中に住み、)かずかずの契約(は神との間に結ばれ、比類のない)律法、(荘厳な)礼拝、多くの(恩恵の)約束は、(ことごとく)彼らのものである。
9:5 (また、アブラハム、イサク、ヤコブなどの偉大な)祖先たちは彼らのものであり、救世主も人間としては彼らから出られたのである。一切のものの上におられる神なる彼は、永遠に賛美すべきである、アーメン。


●身内同胞が救われれば、自分自身は救いから漏れ落ちてもよいとまで思ったパウロ。偉大なるパウロ。キリストの身代わりの死に通じている。
●ユダヤ人は過去の栄光、伝統それを自慢しているから救われない。
●ある老人ホームの施設長(故人)の話。「インテリ老人の長話を聞くのは困難。すぐ過去の栄光(東大卒、社会的地位)を鼻にかけるからだ」と。
●イマドキのプロテスタント教会(集会)も同じ。死を待つ老人ホームにおけるおしゃべり集団。
●人生、栄光から転落して挫折して泣かなければ天国には行けない。

塚本訳 ルカ 19:10
19:10 人の子(わたし)は『滅びうせた者をさがして』救うために来たのである。」


●ここにキリスト降誕の目的がはっきり書いてある。地上の平和ではない。霊魂の安息のためである。
●今井館におけるある集会で「高橋は社会運動をやるものは信仰の堕落だと思っている」と公然と言われたことがある。
●私がいやなのは社会的活動をヤッテいる人間の動機は「見せびらかし」「右の手のすることを左手に教えている」「自分が「恩人』と呼ばれたい」「人に恩を売っている」「人間の運動や抵抗で世の中良くなると思っている」「神の力を信じないから『神観』が違う」「再臨の信仰がない」「聖書勉強や祈りは逃避であると思っている」「少しばかり人間の栄光が上がっても神に栄光を帰する精神が皆無」。

塚本訳 ルカ 15:4-7
15:4 「あなた達のうちのだれかが羊を百匹持っていて、その一匹がいなくなったとき、その人は九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を、見つけ出すまではさがし歩くのではないだろうか
15:5 そして見つけると、喜んで肩にのせて、
15:6 家にかえり、友人や近所の人たちを呼びあつめてこう言うにちがいない、『一しょに喜んでください。いなくなっていたわたしの羊が見つかったから』と。
15:7 わたしは言う、このように、一人の罪人が悔改めると、悔改める必要のない九十九人の正しい人以上の喜びが、天にあるのである。


●神の主目的は「霊魂の救済」「霊魂の安息」。それは神ご自身が動いて救いに乗り出す。

塚本訳 ルカ 5:30-31
5:30 パリサイ人とパリサイ派の聖書学者が弟子たちに向かってつぶやいた、「なぜあなた達は税金取りや罪人と一しょに飲み食いするのか。」
5:31 イエスはその人たちに答えられた、「
健康な者に医者はいらない、医者のいるのは病人である。

●霊魂の安息が主目的。肉の病が直っても永遠の命(霊の安息)が得られなければ何にもならない。

塚本訳 ロマ 11:31-33
11:31 この人たちも今はあなた達の受ける憐れみに対して不従順になっているが、これは今(すぐにも)憐れみを施されるためである。
11:32 つまり神はすべての人を不従順の中に閉じこめられたが、これはすべての人に憐れみを施すためであった
11:33 ああ、神の富と知恵と知識との深さよ!なんとその裁きの探りがたく、(なんと)その(お歩きになる)道の不可解なことよ!


●これ、パウロの休心。その根拠は神の力に対する深い信仰

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朝の黙想終わり 目覚めに頭に浮かんだ聖句。順不同。

●次に以前から探求しようと思っていたⅡコリ2:15-16 を「聖書で聖書を読む方法」で研究する。普通の聖書勉強はここで言語的アプローチ、多くの聖書注解を読むアプローチをする。しかし心に響かない。語学を振り回す。先生の説に隷属して先生を振り回す。先生は「人間」だ。

●まず翻訳比較。(Jバイブルと拙ホームページ利用)

文語訳 Ⅱコリ2:15-16
2:15 救はるる者にも亡ぶる者にも、我らは神に對してキリストの香ばしき馨なり。
2:16 この人には死よりいづる馨となりて死に至らしめ、かの人には生命より出づる馨となりて生命に至らしむ。誰か此の任に耐へんや。


塚本訳 Ⅱコリ2:15-16
2:15 というのは、わたし達は救われる者の間でも、滅びゆく者の間でも、神にささげられるためのキリストのよい薫である。
2:16 ある者には、死から死へみちびく薫であるが、ある者には、命から命へみちびく薫りである。(ああ、)一体だれにこんなことが勤まろう。


口語訳 Ⅱコリ2:15-16
2:15 わたしたちは、救われる者にとっても滅びる者にとっても、神に対するキリストのかおりである。
2:16 後者にとっては、死から死に至らせるかおりであり、前者にとっては、いのちからいのちに至らせるかおりである。いったい、このような任務に、だれが耐え得ようか。


新改訳 Ⅱコリ2:15-16
2:15 私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。
2:16 ある人たちにとっては、死から出て死に至らせるかおりであり、ある人たちにとっては、いのちから出ていのちに至らせるかおりです。このような務めにふさわしい者は、いったいだれでしょう。


新共同 Ⅱコリ2:15-16
2:15 救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです。
2:16 滅びる者には死から死に至らせる香りであり、救われる者には命から命に至らせる香りです。このような務めにだれがふさわしいでしょうか。


NKJV Ⅱコリ2:15-16
2:15 For we are to God the fragrance of Christ among those who are being saved and among those who are perishing.
2:16 To the one we are the aroma of death leading to death, and to the other the aroma of life leading to life. And who is sufficient for these things?


TEV Ⅱコリ2:15-16
2:15 For we are like a sweet-smelling incense offered by Christ to God, which spreads among those who are being saved and those who are being lost.
2:16 For those who are being lost, it is a deadly stench that kills; but for those who are being saved, it is a fragrance that brings life. Who, then, is capable for such a task?

岩波翻訳委員会訳1995

470215 なぜならば私たちは、救われる者たちの中にあっても滅びる者たちの中にあっても、神にとってはキリストの芳しい香りだからである。

470216 〔すなわち〕一方にとっては死から死へと〔至る〕香りであり、他方にとっては生命から生命へと〔至る〕香りなのである。いったいこれらのことがらに、十分〔ふさわしい〕者が誰かいるであろうか。

前田訳1978

2:15 われらは、救われるものに対しても、滅びるものに対しても、神のためキリストのよい香りです。

2:16 あるものには死から死への香り、あるものにはいのちからいのちへの香りです。このようなことにだれがふさわしいでしょうか。


●次に引照を読む。。「滅びゆく者」の注目して、拙ホームページのBbBとTSKから「心に響く」もの、ハーモニーする箇所をピックアップする。この方法で信仰を補強することが古来「聖書読み」の王道、最善、最強の方法。イエスやパウロの方法でもある。

塚本訳 Ⅰコリ1:18
1:18 なぜか。この十字架についての言葉は、滅びゆく者には馬鹿なことであるが、わたし達救われる者には、神の力(の現われ)であるから。


塚本訳 ロマ 11:22
11:22 神の慈愛と厳しさとを見よ。不信仰のゆえに)倒れた者には厳しさ、あなたには神の慈愛!(もちろん、)もしあなたがその慈愛を信じ続けているならば、である。そうでなければ、あなたも切り落される


塚本訳 Ⅱコリ3:5-6
3:5 これは自分でことを考え出すような能力が自分にあるというのではない。わたし達の能力はみな神から来る。
3:6 神はわたし達に、新しい契約のための世話役、(すなわち古い契約にある律法の)文字のためではなく、(神の)霊のための世話役たる能力をお与えになったのである。文字は殺すが、霊は命を与えるからである。


塚本訳 ロマ 6:17
6:17 しかし神に感謝する、あなた達は(かつて)罪の奴隷であったが、(神から信仰の)教えの型に入れられて心からそれに服従し、


塚本訳 Ⅱコリ4:3-4
4:3 しかしそれでもなおわたし達の説く福音が(ベールで)覆われている(からわからないのだと言う)なら、それは滅びゆく者にとって(だけ)覆われているのである。
4:4 彼らの場合、この不信者たちの考えをこの世の神(である悪魔)が盲にして、神の影像である救世主の栄光をつげる福音の光を見ることができないようにしたのである。


塚本訳 Ⅱテサ2:10
2:10 あらん限りの不義の眩惑とをもって、亡び行く人達に向かうのである。というのは、この人達は彼らを救う(福音の)真理に対する愛を(少しも有たず、福音を示されながら遂にこれを)受けなかったからである。


塚本訳 Ⅰペテ2:7-8
2:7 だから信ずる君達は光栄に与る(ことが出来る)が、信ぜぬ人達には』建築師が(役に立たぬと)棄てた石で、これが隅の首石、』
2:8 また』蹉跌の石、躓きの岩となった』。彼らは御言(を聴きながらこれ)に従わないので、(遂に)蹉跌するのであって、それはまた(神によって)彼らに定められたことである。


●10:45 キララホールでカンツォーネうぃ聴く。朝の散歩で出会う御夫人の御主人が出演するというのでご案内された。
●あきる野中央図書館で、五日市憲法の資料展示会。中心人物の上野卓三郎はクリスチャンであることを初めて知ったので、関係の本を借りてきた。
●妻は中野の愛子の家に手伝い。8:30出発、17:30帰宅
●TSK日本語版歴代志下32章。もう少し。
●入浴前に10分間ジョギング(医者の指示)













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人の歩みは主が定める ++++++++ 所感

2013/10/25 09:27

131025(金)朝の啓示「人の歩みは手が定める」●昭和女子大の建築講義の最後に、毎回3人ずつ進路相談に乗っている。3年生なのでどの方面に就職するかと悩みを抱えている。●私は70年も生きていると、顔を見ただけでその人はどの方面に行けば伸びるかが分かる。それで生徒は「私の顔占いして私をしてください」と言ってくる生徒もいる。●昨日はあなたは「女流建築家になれる」と占った。●そこで今朝は進路の選択について聖書の言っていることを黙想してみよう。(Jバイブル、TSK利用)

口語訳 箴  16:9
16:9 人は心に自分の道を考え計る、しかし、その歩みを導く者は主である。

口語訳 エレ 10:23
10:23 主よ、わたしは知っています、人の道は自身によるのではなく、歩む人が、その歩みを/自分で決めることのできないことを。

口語訳 詩 37:23
37:23 人の歩みは主によって定められる。主はその行く道を喜ばれる。

口語訳 箴 20:24
20:24 人の歩みは主によって定められる、人はどうして自らその道を、明らかにすることができようか。

口語訳 詩  25:4
25:4 主よ、あなたの大路をわたしに知らせ、あなたの道をわたしに教えてください。


口語訳 詩  25:12
25:12 主を恐れる人はだれか。主はその選ぶべき道をその人に教えられる。


口語訳 詩  121:3
121:3 主はあなたの足の動かされるのをゆるされない。あなたを守る者はまどろむことがない。


口語訳 詩  121:8
121:8 主は今からとこしえに至るまで、あなたの出ると入るとを守られるであろう。

口語訳 イザ 55:9
55:9 天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。


口語訳 詩  103:11
103:11 天が地よりも高いように、主がおのれを恐れる者に賜わるいつくしみは大きい、

口語訳 イザ 30:21
30:21 また、あなたが右に行き、あるいは左に行く時、そのうしろで「これは道だ、これに歩め」と言う言葉を耳に聞く。


●その人の歩みは神ご自身が個人的に賢く正しく啓導してくださるという人生観は人の考え出すいかなる人生観にも勝るものである。私は10代の半ばでこのことを幸福論の著者、カールヒルティに学んだ。今年70歳になって後ろを振り返るとこの人生観は間違ってなかった。神はすべてを良くしてくださった。感謝。

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朝の黙想 終わり

●福音は友人から友人に伝わる。
●ICUで教鞭をとったことのあるスイスの神学者エミール・ブルンナーは次のように言っている。「あらゆる福音伝道の根本原理として、まず良き友であれ」と。 (教文館、ブルンナー著作集第4巻P158)
●良き友の最上の姿は「母」である。有名な讃美歌312番「いつくしみふかき友なるイェスは」の旧版は「母君に勝る友や世になし」である。母の祈りは聴かれると言われる。
●ある母親、その夫に「子供を殴るんなら私を殴ってください」と言った。
●しかし殴る夫も手が痛いのだ。子育ては夫婦両性でできるものだ。 

●何事もどうせ目指すなら聖書勉強でも建築でも「本物」でなければならない。今日は久しぶりに「本物」に出会った。メゾソプラノのエリーナ・ガランチャ(ラトビア)。そのマスカーニの「アベマリヤ」は絶品。おすすめ。 下記サイトをクリック、右下のSKIPをクリックして広告を消すとすぐ音楽が始まる。歌手はこうでなければならない。

http://www.youtube.com/watch?v=Yoo5uM-pDT4 

●カールリヒターのバッハ「マタイ受難曲」も「本物」。彼はベストの合唱団を作るためにプロではなく素人を集めた。その方が声が「素直」だからだ。それで出来上がったのが「ミュンヘンバッハ合唱団。
●聖書の「読み」も素人の方が「本物の信仰」に肉迫できる。ただしそれには大苦難、大悲劇の涙が必要だ。 
●信者は聖書の知識、神学の知識でなく、信仰の質を目指せ。本物の信仰とは「質」である。
 










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病める葦を折るな ++++++++ 所感

2013/10/24 05:35

131024(木)4時目覚め。朝の啓示「病める葦を折るな」●この言葉にハーモニーする聖書の箇所が次々に思い浮かぶ。ハモる。

●まず翻訳比較(Jバイブル使用)

口語訳 イザ 42:2-3
42:2 彼は叫ぶことなく、声をあげることなく、その声をちまたに聞えさせず、
42:3 また傷ついた葦を折ることなく、ほのぐらい灯心を消すことなく、真実をもって道をしめす。


新改訳 イザ 42:2-3
42:2 彼は叫ばず、声をあげず、ちまたにその声を聞かせない。
42:3 彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす。


新共同 イザ 42:2-3
42:2 彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。
42:3 傷ついた葦を折ることなく/暗くなってゆく灯心を消すことなく/裁きを導き出して、確かなものとする。


NKJV イザ 42:2-3
42:2 He will not cry out, nor raise His voice,Nor cause His voice to be heard in the street.
42:3 A bruised reed He will not break,And smoking flax He will not quench;He will bring forth justice for truth.


TEV イザ 42:2-3
42:2 He will not shout or raise his voice /or make loud speeches in the streets.
42:3 He will not break off a bent reed /nor put out a flickering lamp. /He will bring lasting justice to all.

●頭に浮かぶ聖句を並べて黙想する。聖書のハーモニー。ディボーション。これ生涯続けたい。
●ディボーション(devotion,神の前に心と魂を静める営み)
●ウィキペディアには次のように出ている。

このような信仰的な営みが「ディヴォーション」という名のもとにキリスト教徒には推賞されている。中世の修道院においては、詩篇119篇164節に「私は日に七度、あなたをほめたたえます」とあることから、早朝、朝9時、正午、午後3時、夕方、夜、就寝前に「ディヴォーション」または祈りの時を定めていた。特に、朝は一日の始まりであるので、朝のディヴォーションは、神第一の姿勢の表れとして、大切なものとされている。(ウィキペディアから引用おわり)

●ディボーションの手引きはルター、スポルジョンなど数多くある。
●しかし一番身について有益なのは少なくてもよいから自分の頭に浮かぶ聖句を紡ぎ出すことである。
●なぜそれが良いか。「思い浮かべる」ということは自分の頭の中でハーモニーしているものを引きだすことで理解して消化されているものを反芻する行為のため、それが信仰を補強するからである。イエスもパウロもこの営みをした。
●この営みを助けるツールは、パソコンソフトの「Jバイブル」が一番。市販(いのちのことば社。一万円強)。検索に「AND検索」の機能があるから強力。次に拙ホームページの「TSK」、(未完、あと2年)。次に「BbB」。すべて「聖書で聖書を読む」ためのツール。人間の言葉はない。

塚本訳 ルカ 4:16-19
4:16 それからお育ちになったナザレに行って、安息の日にいつものとおり礼拝堂に入り、(聖書を)朗読しようとして立たれた。
4:17 (係の者から)イザヤの預言書が手渡され、その巻物をお開けになると、こう書いた所が出てきた。──
4:18 『主の御霊がわたしの上にある、油を注いで(聖別して)くださったからである。主は貧しい人に福音を伝えるためにわたしを遣わされた。囚人に赦免を、盲人に視力の回復を告げ、』『押えつけられている者に自由をあたえ、』
4:19 『主の恵みの年(の来たこと)を告げさせるために。』

●イエスの宣教の第一声。イエスの生涯の本質はこの一句にある。福音には「時」がある。

塚本訳 使  18:6
18:6 しかしユダヤ人にはこれに反対して(イエスを)冒涜するので、パウロは(絶縁のしるしに)上着の塵を払いおとして彼らに言った、「(最後の裁きの日に流す)あなた達の血の責任は、あなた達自身に負わされる!わたしは良心の咎めなく(あなた達をすてて、)今からのち異教人へ(伝道に)行く。」


●東京の遊び人、馬齢を重ねている暇老人、頭でっかちの聖書学者を捨てて「気の毒な人」に向かう。「赦せおっかさん」である。


塚本訳 使  20:24
20:24 しかしわたしは、自分の走るべき道を走りおえて、主イエスから託された、神の恩恵をつたえる福音を証しする役目をはたすためなら、自分の命のことなど口にする値打もないと思う


●今から後、自分の命の心配などするな。もう70年も生きてきたので十分だ。子や孫のことも心配するな。神がなんとかしてくださる。

塚本訳 ルカ 5:4-10
5:4 話がすむと、シモンに言われた、「沖に漕ぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい。」
5:5 シモンが答えた、「先生、わたし達は(昨夜)一晩中働きましたが、何もとれませんでした。しかし先生のお言葉ですから、網をおろしてみます。」
5:6 そしてその通りにすると、沢山の魚の群が入って網が裂けかかった。
5:7 そこでもう一艘の舟にいる仲間に合図をして、加勢に来てもらった。彼らが来て、二艘の舟いっぱい(魚を)つんだので、沈みそうになった。
5:8 シモン・ペテロはこれを見て、イエスの足もとにひれ伏して言った、「主よ、あちらに行ってください。わたしは罪人です。」
5:9 彼も一しょにいた者も皆、とれた魚(の多いの)に、びっくりしたのである。
5:10 シモンの仲間であったゼベダイの子ヤコブとヨハネも同様であった。イエスがシモンに言われた、
「恐れることはない。今から後、あなたは人間を生け捕る(漁師になる)のだ。(きょうの漁は、あなたの大伝道の前ぶれである。)」

●「沖に出よ」。気の毒な人が一杯いる。この世的に満たされている人に用はない。

塚本訳 マタ 9:11-13
9:11 パリサイ人はこれを見て、弟子たちに言った、「なぜあなた達の先生は、税金取りや罪人と一しょに食事をするのか。」
9:12 聞いて言われた、「丈夫な者に医者はいらない、医者のいるのは病人である
9:13 『わたしは憐れみを好み、犠牲を好まない』という(神の言葉の)意味を、行って、勉強したがよかろう。わたしは正しい人を招きに来たのではない、罪人を招きに来たのである。」


●「健康な人」とは世の人が目指すこと。「高学歴、一流企業、肉体の健康、長寿、老後の経済安定」。そういう人に福音は縁はない。                               ●正しい人を世に大量に造れば世の中良くなると思っているのは信仰の堕落。信者が増えれば世の中良くなると思うのは人間の努力であって、神不在。神の出番を阻止している。信仰の堕落。

文語訳 マタ 5:3
5:3 『幸福なるかな、心の貧しき者。天國はその人のものなり


●「お金の貧しさ」ではなく「心の貧しさ」が最大問題。
●福島在住の人に聞いた。今福島は原発の補償金でお金がじゃぶじゃぶ。仮設住宅の人は高級車を乗り回し、子供は一万円札をちらつかせて買い物をしているという。これらは「お金は満たされても心は貧しい」人である。彼らは「心の貧しさ」に気が付いていない。

塚本訳 ヨハ 12:46-47
12:46 わたしが光として世に来たのは、わたしを信ずる者はだれも、暗闇の中に留っていないようにするためである。
12:47 しかしわたしの言葉を聞いて守らぬものがあっても、わたしはその人を罰しない。なぜなら、わたしは世を罰するために来たのでなく、世を救うために来たのだから


●クリスチャンのなかには天下国家を断罪することをもって「信仰の営み」と心得、ただむやみやたらに「行動」している連中がいる。愚か者である。もちっと聖書を勉強せよ。神のお心を学べ。彼らは実は「十字架を負う」という愛に欠けている。行為の見せびらかしは神に嫌われている証拠だ。
●断罪批判に愛なし。

塚本訳 マタ 21:29-32
21:29 長男は『いやです』と答えたが、あとで後悔して出かけた。
21:30 つぎに次男の所に行って同じように言うと、こちらは、『お父さん、承知しました』と答えたが、行かなかった。
21:31 この二人のうち、どちらが父の心を行ったのだろうか。」「もちろん長男」と彼らが答える。イエスが言われる、「アーメン、わたしは言う、税金取りや遊女たちは、あなた達よりも先に神の国に入るであろう。
21:32 そのわけは、(洗礼者)ヨハネが義の道を示しに来たのに、あなた達は彼を信ぜず、税金取りや遊女の方がかえって信じたからだ。しかしあなた達は(あの人たちが悔改めるのを)見たあとでも、後悔して彼を信じようとしなかった。


●天国は聖人ではなく、気の毒な人が正客。世に「気の毒な人」「救いを求めている人」「霊魂の安息を求めている人」が沢山いる。

口語訳 イザ 40:1-2
40:1 あなたがたの神は言われる、「慰めよ、わが民を慰めよ
40:2 ねんごろにエルサレムに語り、これに呼ばわれ、その服役の期は終り、そのとがはすでにゆるされ、そのもろもろの罪のために二倍の刑罰を/主の手から受けた」。


●この世の人生の失敗で悔やんでいる人。いいんだいいんだ。その「悔い」で、服役の期は終わったのだ。天国の正客だ。

塚本訳 使  26:16-18
26:16 さあ、起きて、『自分の足で立て。』わたしが(今)現われたのは、君を選んで、わたしを見たことと、(今からも)君に現われて示すこととの証人として、わたしに仕えさせるためである。
26:17 (かずかずの迫害や危険がのぞむが心配するな。)わたしは君をこの(イスラエルの)民(の手)から、また』異教人(の手)から』『(かならず)救い出してやる。』『彼らの中にわたしが君を遣わすのは、』
26:18
彼らの』目をあけて』彼らが『暗闇から光に、』悪魔の権力から神に帰るため、そうして彼らがわたしに対する信仰によって罪の赦しを得、きよめられた人たちの仲間に入れていただくためである』と。

●「気の毒な人」は病人、貧しい人、家庭内ゴタゴタ、失敗人生、・・・・。彼ら泣いている人に天国の門は開かれている。彼らの心は福音を受け入れやすい。

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朝の黙想 終わり

2013_10240001.jpg 

中野の孫息子(5歳)が、オジーチャンとオバーチャンにと言って
プレゼントされた中野の講演のどんぐり。非常に大きい。否、大きく見える。
私にとっては「レプタ」だ。嬉しかった。 次の聖句を思う。

塚本訳 ルカ 21:1-3
21:1 それから目をあげて、金持たちが賽銭箱に賽銭を入れるのを見ておられた。
21:2 またある貧しそうな寡婦がレプタ銅貨[五円]二つをそこに入れるのを見て、
21:3 言われた、「本当にわたしは言う、あの貧乏な寡婦はだれよりも多く入れた


文語訳 ルカ 6:20-21
6:20 イエス目をあげ弟子たちを見て言ひたまふ『幸福なるかな、貧しき者よ、神の國は汝らの有なり
6:21 幸福なる哉、いま飢うる者よ、汝ら飽くことを得ん。幸福なる哉、いま泣く者よ、汝ら笑ふことを得ん。


塚本訳 ルカ 6:20-21
6:20 イエスは目をあげ、(十二人の使徒その他の)弟子たちを見ながら話された。──「ああ幸いだ、『貧しい人たち、』神の国はあなた達のものとなるのだから
6:21 ああ幸いだ、今飢えている人たち、(かの日に)満腹させられるのはあなた達だから。ああ幸いだ、今泣いている人たち、(かの日に)笑うのはあなた達だから。


●TSK日本語版歴代志下29章
●14:50 昭和女子大建築講義。車中で読書。講義終了後3名と進路相談
●18:45 帰宅














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我らの国籍は天にあり ++++++++ 所感

2013/10/23 06:29

131023(水)朝の啓示「我らの国籍は天にあり」(ピリピ3:20)●一昨日、韓国における小生ブログの一読者からメールで「主にありて 国籍は 同じですよね。今からも よろしくお願い申し上げます。李より。」と書いてあった。これが真の国際協調だと思った。●「主にありて」という言葉がポイントである。単なるヒューマニズムでは国際協調は無理。なぜか。戦争という戦争はすべて「正義のために」という信念からだからである。

●まず翻訳比較

文語訳 ピリ 3:20
3:20 されど我らの國籍は天に在り、我らは主イエス・キリストの救主として其の處より來りたまふを待つ。


口語訳 ピリ 3:20
3:20 しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。


新改訳 ピリ 3:20
3:20 けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。


新共同 ピリ 3:20
3:20 しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。


塚本訳 ピリ 3:20
3:20 しかし(私達はそうであってはならない。)私達の故国は天にある。私達は主イエス・キリストが救い主として其処から来給うのを待っているのである。


NKJV ピリ 3:20
3:20 For our citizenship is in heaven, from which we also eagerly wait for the Savior, the Lord Jesus Christ,


TEV ピリ 3:20
3:20 We, however, are citizens of heaven, and we eagerly wait for our Savior, the Lord Jesus Christ, to come from heaven.


●次に関連聖句

塚本訳 ロマ 1:16
1:16 わたしは(決して)福音を恥じない。福音は神の力で、これを信ずる者を一人のこらず、すなわち、まずユダヤ人、次に異教人を、救いに入れるからである。


塚本訳 ロマ 3:9
3:9 それでは、どうなるのだろうか。(ユダヤ人である)わたし達には、(異教人より)優れたところがあるのか。全然ない。わたし達が前から強く主張してきたように、ユダヤ人も異教人もことごとく、罪の(支配の)下にいるからである。


塚本訳 ロマ 9:24
9:24 神はこの憐れみの器としてわたし達をも召されたのである。ただユダヤ人の中からだけでなく、異教人の中からも


塚本訳 ロマ 10:12
10:12 (「すべて」と言う以上、)ユダヤ人も異教人も、その間になんの差別もないのである。なぜなら、同じ一人の方がすべての人の主であって、御自分を呼ぶすべての人に、あり余る恩恵をお与えになるからである。


塚本訳 Ⅰコリ1:24
1:24 (神に)召された者だけには、ユダヤ人、異教人の別なく、(これこそ)神の力、また神の知恵なるキリストを(説くのである)。


塚本訳 Ⅰコリ12:13
12:13 また、わたし達は皆、ユダヤ人にせよ異教人にせよ、奴隷にせよ自由人にせよ、一つの体になるために、一つの御霊で洗礼を受けたからである。そしてわたし達は皆一つの御霊を飲まされた。


塚本訳 ガラ 3:28
3:28
(神の子には、)もはやユダヤ人もなければ異教人もなく、奴隷もなければ自由人もなく、男もなければ女もない。あなた達はみなキリスト・イエスによって一つであるからである。

塚本訳 エペ 2:19-20
2:19 だから、君達は最早余所の人でも居候でもなく、聖徒と同じ(天上の)市民また神の家族であり
2:20 使徒と預言者なる土台の上に築き上げられた建物であって、キリスト・イエス御自身がその『首石』である。


塚本訳 マタ 12:46-49
12:46 イエスがまだ群衆に話しておられると、そこにその母と兄弟たちがイエスに話しがあって、外に立っていた。
12:47 〔無し〕
12:48 しかしイエスはそのことを知らせた者に、「わたしの母とはだれのことだ、わたしの兄弟とはだれのことだ」と答えて、
12:49 弟子たちの上に手をのばして言われた、「ここにいるのが、わたしの母、わたしの兄弟だ


塚本訳 マタ 19:5-6
19:5 また、『それゆえに人は父と母とをすてて妻に結びつき、二人は一体となる』と言われたことを、あなた達は読んだことがないのか。
19:6 従って、もはや二人ではない、一体である。だから夫婦は(皆)神が一つの軛におつなぎになったものである。(どんな理由があっても)人間がこれを引き離してはならない。」

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朝の黙想終わり。  クリスチャンになることは血縁を断つことだ。日本人であること、高橋家の一族であることを断つことだ。ここに人間としての涙がある。しかしこの涙は終末復活再臨の時に拭われれるのだ。今少し、もう少し。万物復興の時に全員に分かるのだ。

●来る10月27日の「第40回塚本虎二先生記念会」の感話の最後は次のように締めくくることにした。

「第40回塚本虎二先生記念会」感話資料の最後

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◎聖書に権威を認めること・・・無教会に対する外部評価の定着

 

「桑田秀延の言葉」(くわた ひでのぶ、(1895- 1975)は、日本基督教団の神学者、牧師。元東京神学大学学長)

 

無教会の信仰的な特色としては、形成せられた教会には反対しながらも、聖書の権威を認めこれを基礎としているので、健全なる気風を示しています。(昭和577月東神大パンフレット「教会論入門」P14

 

「ブルンナーの言葉」(1889-1966.、スイスの神学者。1953年に来日して2年間国際基督教大学で教え、無教会の存在を世界に紹介した)

 

無教会は組織化制度化された教会主義に負ける点が多いが、聖書に対する熱心さにおいては勝っている。(典拠失念。「雑感雑録」?。)

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「第40回塚本虎二先生記念会」感話資料の最後 おわり



●無教会の特徴は一般信徒の「聖書に対する熱心さ」にあることが世の評判として定着している。聖書的には次である。

口語訳 詩  1:1-3
1:1 悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。
1:2 このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。
1:3 このような人は流れのほとりに植えられた木の/時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。


口語訳 詩  119:97
119:97 いかにわたしはあなたのおきてを/愛することでしょう。
わたしはひねもすこれを深く思います。

口語訳 申  6:6-9
6:6 きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、
6:7 努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない。
6:8 またあなたはこれをあなたの手につけてしるしとし、あなたの目の間に置いて覚えとし、
6:9 またあなたの家の入口の柱と、あなたの門とに書きしるさなければならない。


口語訳 申  17:19
17:19 世に生きながらえる日の間、常にそれを自分のもとに置いて読み、こうしてその神、主を恐れることを学び、この律法のすべての言葉と、これらの定めとを守って行わなければならない。


口語訳 ヨシ 1:8
1:8 この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、そのうちにしるされていることを、ことごとく守って行わなければならない。そうするならば、あなたの道は栄え、あなたは勝利を得るであろう。



口語訳 詩  78:4-6
78:4 われらはこれを子孫に隠さず、主の光栄あるみわざと、その力と、主のなされたくすしきみわざとを/きたるべき代に告げるであろう
78:5 主はあかしをヤコブのうちにたて、おきてをイスラエルのうちに定めて、その子孫に教うべきことを/われらの先祖たちに命じられた。
78:6 これは次の代に生れる子孫がこれを知り、みずから起って、そのまた
子孫にこれを伝え、


口語訳 申  4:9-10
4:9 ただあなたはみずから慎み、またあなた自身をよく守りなさい。そして目に見たことを忘れず、生きながらえている間、それらの事をあなたの心から離してはならない。またそれらのことを、あなたの子孫に知らせなければならない
4:10 あなたがホレブにおいて、あなたの神、主の前に立った日に、主はわたしに言われた、『民をわたしのもとに集めよ。わたしは彼らにわたしの言葉を聞かせ、地上に生きながらえる間、彼らにわたしを恐れることを学ばせ、またその子供を教えることのできるようにさせよう』。


口語訳 申  6:1-2
6:1 これはあなたがたの神、主があなたがたに教えよと命じられた命令と、定めと、おきてであって、あなたがたは渡って行って獲る地で、これを行わなければならない。
6:2 これはあなたが子や孫と共に、あなたの生きながらえる日の間、つねにあなたの神、主を恐れて、わたしが命じるもろもろの定めと、命令とを守らせるため、またあなたが長く命を保つことのできるためである


口語訳 申  11:17-20
11:17 おそらく主はあなたがたにむかい怒りを発して、天を閉ざされるであろう。そのため雨は降らず、地は産物を出さず、あなたがたは主が賜わる良い地から、すみやかに滅びうせるであろう。
11:18 それゆえ、これらのわたしの言葉を心と魂におさめ、またそれを手につけて、しるしとし、目の間に置いて覚えとし、
11:19 これを子供たちに教え、家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、それについて語り、
11:20 また家の入口の柱と、門にそれを書きしるさなければならない。

口語訳 箴  6:20-23
6:20 わが子よ、あなたの父の戒めを守り、あなたの母の教を捨てるな。
6:21 つねに、これをあなたの心に結び、あなたの首のまわりにつけよ。
6:22
これは、あなたが歩くとき、あなたを導き、あなたが寝るとき、あなたを守り、あなたが目ざめるとき、あなたと語る。
6:23 戒めはともしびである、教は光である、教訓の懲らしめは命の道である。

●この熱心さは精神なの物理的形で残すことは出来ない。思想や本でも運動でも残せない。だから無教会は形では残せない。書籍でも残せない。







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神のなさることは不思議 ++++++++ 所感

2013/10/22 07:50

131022(火)朝の啓示「神のなさることは不思議」●集会の故FAさんは会話中に「神様は、神様が」を何度も連発される信仰の篤い方だった。クリスチャンはこのような人に多く囲まれていると信仰が曲がらずに幸福である。私は幸福であった。●音楽家はなぜウィーンに集まったかというと、それは素晴らしい音楽家が大勢いたからである。「朱に交われば赤くなる」である。●教会や集会も信仰の篤い人が揃っていれば健全である。そういう人は大体において蔵書寮が少ない。大体は女性である。●無教会の男性は蔵書が多いが、蔵書量と信仰の篤さは反比例する。建築設計をやってきてそれが良くわかる。そういう人間に鍵って「議論好き」で攻撃的である。知識が「剣」である。クリスチャンの「剣」は御霊であるべきだ。●浄土真宗が熱心な地域(石川県など)は「仏間」といって仏壇を置く部屋が完全に一間ある。それと同じく無教会の人間は「書庫」というのがあってミニ図書館を抱えているような人もいる。自戒●「狭き門より入れ」。天国に蔵書は抱えていけない。残された遺族は蔵書の始末に困っている。●では今朝の本論。心に浮かぶ聖句を掲げてみよう。

塚本訳 ヨハ 3:5-10
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。
3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。
3:7 『あなた達は新しく生まれなおさねばならない』と言ったからとて、すこしも不思議がることはない。
3:8 風[プニューマ]は心のままに吹く。その音は聞えるが、どこから来てどこに行くか、あなたは知らない。霊[プニューマ]によって生れる者も皆、そのとおりである。」
3:9 ニコデモが言葉を返した、「(霊によって生まれるなどと、)そんなことがどうして出来ましょうか。」
3:10 イエスが答えて言われた。──「あなたはイスラエルの(名高い)先生でありながら、それくらいなことがわからないのか。

●細胞分裂を見れば人の生命の誕生は不思議である。人の業ではとうてい行えない。
●クリスチャンも「不思議」な「意外な」事件で然りゴタゴタで誕生する。これ神の恵みの知恵。
●多くの場合、職業宗教家からは信仰的感化は与えられず、無名の一信徒から影響を受けるものだ。

塚本訳 マコ 4:26-29
4:26 また言われた、「神の国はこんなものだ。──ある人が地に種を蒔き、
4:27 夜昼、寝起きしていると、種は芽生えて育ってゆくが、本人はその訳を(すら)知らない
4:28 (すなわち)地はひとりでに実を結ぶので、初めに茎、次に穂、次に穂の中に熟しきった粒ができる。
4:29 実が熟すると、すぐに『鎌を入れる。刈入れ時が来たのである。』」

口語訳 マコ 4:27
4:27 夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行くが、
どうしてそうなるのか、その人は知らない。

●「生命の誕生」は神秘的であり、人間はその現象を不思議に思う。
●口語訳の「どうしてそうなるのか、その人は知らない」とは言いえて妙。
●これを神の業と信じられない人は神は「無から有を生み出す」お方であるからキリストの復活も再臨も信じられない。
 
塚本訳 マタ 13:31-32
13:31 またほかの譬を彼らに示して言われた、「天の国は芥子粒に似ている。ある人がそれを畑にまいた。
13:32 これはあらゆる種の中で一番小さいが、育つと、野菜の中で一番大きくなり、(大きな)木になって、『空の鳥が』来て『その枝に巣を作る』ようになるのである
。」

●内村鑑三は「復活は聖書学者にはわからず、農業者にはわかる」という。至言。毎日植物の復活に接しているからだ。
●復活のことだったら聖書学者ではなく農業者に学べ。ただし罪の苦悶からの救済を通じてでなければ神への信仰はもてない。
●自然現象に対する驚きだけでは「偶然」かもしれないというだけで信仰には至らない。

塚本訳 ロマ 1:20-23
1:20 すなわち神の性質は、永遠の能力も神性も、人の目には見えないものであるが、世界創造の時から、理性の目をもって造られた物の中に見ることができるのである。従って(全然)言い訳は立たない。
1:21 彼らは神を知っていながら、神として賛美せず、感謝をささげず、かえってその考えは空虚になり、その愚かな心は(ますます)暗くなったからである。
1:22 自分では賢いと言っているが、馬鹿になっている。
1:23 その証拠には、朽ちぬ『栄光』の神『の代りに、』朽ちはてる人間や鳥や四足や長虫の『像を』おがんでいる。

●パウロがこうは言うものの自然界の不思議に驚くことによっては信仰を持つには至らない。神がいそうだというだけの考えは理神論である。
●人が神の存在を知るのは自分の罪が十字架の啓示で赦されるときである。これが「霊の眼が開く」ということである。


塚本訳 ルカ 16:29-31
16:29 しかしアブラハムは言う、『(その必要はない。)彼らにはモーセ(律法)と預言書と[聖書]がある。その教えに従えばよろしい。』
16:30 彼が言った、『いいえ、父アブラハムよ、もしだれかが死人の中から行ってやれば、きっと悔改めます。』
16:31 しかしアブラハムは答えた、『モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。』」

●信仰のタチがない人間には人がいくら「伝道」しても無理。徒労。

塚本訳 ヨハ 5:46-47
5:46 もしもあなた達がモーセ(の言うこと)を信じたら、わたしを信じたはずである。モーセはわたしのことを書いているのだから。
5:47 しかし彼の書いたものを信じないなら、どうしてこのわたしの言葉を信ずることができようか。」

塚本訳 ヨハ 7:19
7:19 (いったい)あなた達に律法を与えたのはモーセではないか。しかしあなた達のうちにだれ一人、その律法を守る者がない。(モーセ、モーセと言いながら、)なぜわたしを殺そうとするのか。(モーセは『殺してはならない』と言っているではないか。)」

●ユダヤ人はモーセを信じていたがその内実はモーセの言うことを守ってなかった。聖書を読み、一応教会や集会に出席していても処女降誕や復活を信じない人とはなぜか心が通じない。無い袖は振れない。批判しても始まらない。自戒。

口語訳 詩  127:1
127:1 主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい。

●建築の企画が立ち上がる背後には神がいます。これ体験的事実。
●神が良しとしない建築は企画の時からなんとなくうまくいかない。スムーズにことが進まない。

塚本訳 マタ 19:3-6
19:3 そこにパリサイ人たちが近寄ってきて、イエスを試そうとして言った、「何か理由があれば、妻を離縁してもよろしいか。」
19:4 答えて言われた、「造物者が始めから『彼らを男と女とに造られた』こと、
19:5 また、『それゆえに人は父と母とをすてて妻に結びつき、二人は一体となる』と言われたことを、あなた達は読んだことがないのか。
19:6 従って、もはや二人ではない、一体である。だから夫婦は(皆)神が一つの軛におつなぎになったものである。(どんな理由があっても)人間がこれを引き離してはならない。」

●結婚また同じ。神が良しとしなければ結婚に至らない。
●ある人が「あの時は浮かれて結婚したのだから、神が合わせたものでなかった」と言って離婚したという。塚本先生は怒られ、神が「浮かした」のだと言って、結婚は見合いでも恋愛でもみんな神が合わせたものだというお考えであった。
●しかし現実には一時的に惚れ込んで(これ肉の感情)結ばれても2年は持たない。その愛嬢なるものはすぐ冷める。すると夫婦不和で家庭崩壊。
●しかしここで立ち直れば強い。真の愛に目覚める。人生仕切り直しである。
●日本にキリスト教が入ってくるまでは「愛」という概念はなかった。あったのは「惚れる」「惹かれる」「好き」という肉の感情のみであった。
●内村鑑三は、「源氏物語ほど、日本人を女々しくしたものはない」という。至言。文学者が内村鑑三から離れたのは当然だ。不倫を美化する文学者は信仰とは縁がない。

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朝の黙想終わり。神います。神が働いてくださる。すべての悩みは神がご存知でいてくださる。

●シドニーの大規模な山火事(琵琶湖の2倍)でOM氏にメールで見舞ったところ、カンガルーは逃げたが、コアラは全滅だという。シドニー市街も煙で太陽が赤いという。
●TSK日本語版歴代志下26-27章。まだHPにアップできない。困った。

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NHKFMのクラシック番組「きらクラ」(日曜午後2時、再放送は月曜日午前7時25分)の
「イントロクイズ」はお気に入り。
現在、40勝26敗。10月13日放送の曲名を当てた人の中から抽選で一人当選。
賞品のクリヤーファイルと葉書が送られてきた。また新コーナーとして
「クラシック親父ギャグオーナー」を提案したら、取り上げられそうである。















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イエス殺害の責任者論 ++++++++ 所感

2013/10/21 06:47

131021(月)朝の黙想。「イエス殺害の責任者論」を整理した。

次回感話資料の一部。引照表示は省略
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キリストはなぜ殺されたのか 

 イエスの裁判に学ぶ。世は総がかりになってイエスを殺した。 

          2013113日 東京聖書読者会 高橋照男

 

①主犯はユダヤ人一般民衆と宗教家。処刑の実行はローマ帝国

 

<ユダヤ責任論A。地上の王を待望した一般民衆の期待外れ。>

塚本訳 マタ 27:39-42

塚本訳 マタ 26:7-9

塚本訳 マタ 26:14-16

 

<ユダヤ責任論B。イエスの人気に対する宗教家達の妬みと恐怖>

塚本訳 ヨハ 11:45-48

塚本訳 マコ 11:15-18

 

<ユダヤ責任論C。律法に対する熱心さがイエスを涜神罪だと断罪した。 >

塚本訳 マタ 12:13-14

塚本訳 ヨハ 5:18

塚本訳 ヨハ 8:37

塚本訳 ヨハ 19:6-7

塚本訳 マタ 26:65-66

塚本訳 マタ 27:20-21

 <ローマ責任論。ピラトの役人根性である「地位保身術」。民意を恐れた>

塚本訳 ルカ 23:1-3

塚本訳 マタ 27:17-18

塚本訳 マタ 27:22-25

塚本訳 ヨハ 19:12

<ユダヤ・ローマ共同責任論。イエスを涜神罪から政治犯に故意に変更した>

塚本訳 マタ 27:1-2

塚本訳 ヨハ 18:31

塚本訳 マコ 15:25-26

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次回感話資料の一部。引照表示は省略 おわり

●次週10月27日の妻の集会感話の資料としてラファエロの「キリストの変容」の画をプリントした。
●午後の塚本虎二先生第40回記念会のスピーチ原稿を作成。


第40回塚本虎二先生記念会 スピーチ原稿 
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         塚本虎二から何を継承すべきか 

――― 第40回 塚本虎二先生記念会 スピーチ ―――

              2013.10.27 高橋照男

 

 

●本物の福音

 

僕はなっていないが、僕の伝える福音だけは正しい」(友に語るP81

 

ある牧師さんかが、「塚本も、会ってみれば案外いい人間だ」と言ったそうだが、どうかこれを逆にして、「塚本という奴はろくでなしだが、あれの福音だけは本物だ」と言ってもらいたいものである。(友に語るP125

 

僕が言った事、した事はみんな間違っているかも知れないが、僕の説いたキリストの福音、これだけは、たとえ世界がひっくりかえっても間違っていない。(年若き友にP33

 

●有体的復活の「使徒伝承」

 

「教会不振の原因」

数年前ある基督教主義大学学長である某神学博士は―――この人はキリストが処女から生まれようが木の股から生まれようが構わないではないかと冒涜を言った人であるが―――

教会不振の原因は宗教教師に人を感化するだけの宗教的信念なく、いま時、十字架の代償てき贖罪などと時代はずれの説教をしているからであると言ったことがある。某派の一教師も「古来贖いという教理に心の底から同感し得たひとが一人でもあったのだろうか」と暴言を吐いた。(昭和21年3月「聖書知識」191号P8

 

 

「イエス伝研究第232講『有体的復活』ルカ伝2436-43節」

今日一般に基督教に力がないのは、初代教会におけるような体的復活と体的再臨の信仰がぼけてきたからである。私達は初代教会の信仰を嘲るまえに、科学の進歩を誇る現代クリスチャンの信仰の何とラオデキヤ的dあるかを省みる必要があろう。(昭和247月「聖書知識」231号P8

 

「雑感雑録」(昭和30年11月13日)

丸の内では偶然出席された好本督(ただす)氏に乞うて簡単な話をしてもらった。(中略)

何か英国へのお土産をとのことで、東京の真中に30年来処女懐胎から復活再臨までの正統信仰を文字通りに説き続けているコチコチの日曜集会があること、その会員の半数近くがギリシャ語を知っていることを、伝えてもらいたいと話した。(昭和30年12月「聖書知識」308号P20

 

●聖書に権威を認めること

 

「桑田秀延の見解」

(くわた ひでのぶ、(1895228 - 1975416日)は、日本基督教団の神学者、牧師。元東京神学大学学長)

 

無教会の信仰的な特色としては、形成せられた教会には反対しながらも、聖書の権威を認めこれを基礎としているので、健全なる気風を示しています。無教会とはよびながら、聖書の記すエクレシアは認めている人が多いようです。過去において教会と無教会とは互いに反目してきましたが、近時は世界教会協議会でも無教会の声を聞こうとしており、日本でも聖書の学会等においては協力的姿勢が強くなりつつあります。(昭和57年7月東神大パンフレット「教会論入門」P14

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第40回塚本虎二先生記念会 スピーチ原稿 おわり

●TSK日本語版歴代志下25章
●妻はコーラスのレッスン
●キタムラにプリンターのインクを買いに行く

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早朝散歩。讃美歌「あぁ麗しきシオンの朝」を心で歌う。

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姫シャラの花弁が土になって軒樋に詰まった。そこに落ちた種が芽をだした。

塚本訳 ルカ 8:5-8
8:5 「種まく人がその種をまきに出かけた。まく時に、あるものは道ばたに落ちた。踏みつけられたり、空の鳥が食ったりした。
8:6 またほかのものは岩の上に落ちた。(生えるには)生えたが、湿り気がないので枯れてしまった。
8:7 またほかのものは茨の(根が張っている)中に落ちた。茨が一しょに生えて押えつけてしまった。
8:8 またほかのものは善い地に落ちた。生えて(育って)百倍の実を結んだ。」こう言ったあとで、「耳の聞える者は聞け」と叫ばれた。


●誰も自分がどういう地に撒かれるかはわからないものだ。

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我が家の柿は13年ぶりに実を付けた。
「桃栗3年、柿八年、柚子のバカヤロ18年」。
何年でもよい。実を結べばよい。来世でもよいのだ。万物の復興だ。
 
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13年ぶりに実を結んだ我が家の柿。甘かった。
そうだ「待つのだ、待つのだ」神が実を結ばせるまで待つのだ。

塚本訳 マコ 4:26-27
4:26 また言われた、「神の国はこんなものだ。──ある人が地に種を蒔き、
4:27 夜昼、寝起きしていると、種は芽生えて育ってゆくが、本人はその訳を(すら)知らない。

塚本訳 ルカ 13:6-9
13:6 そこでこの譬を話された、「ある人が葡萄畑に一本の無花果の木を植えておいた。(ある日)実をさがしに来たが、見つからないので、
13:7 葡萄畑の作男に言った、『もう三年この方、この無花果の木に実をさがしに来ているのに、まだ実がならない。切ってくれ。(ならないばかりか、)なんで土地までくたびれさせることがあろう。』
13:8 答えて言う、『ご主人、今年もう一年だけ勘弁してやってください。今度は回りを掘って、肥料をやってみますから。
13:9 それで来年実を結べばよし、それでもだめなら、切ってください。』」





 

 

 



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主の霊のいますところに真の礼拝がある ++++++++ 所感

2013/10/20 07:29

131020(日)朝の黙示「主の霊のいますところに真の礼拝がある」●「真の礼拝とは何か」の議論は頭では空転する。主の霊が実在するところに真の礼拝がある。●聖書的根拠は次の通り。

塚本訳 ヨハ 4:21
4:21 イエスが言われる、「女の人、わたし(の言葉)を信じなさい。(間もなく)あなた達が、この山でもエルサレムでもなく(どこででも、)父上を礼拝する時が来る。

塚本訳 ルカ 17:21
17:21 また『そら、ここに(ある)』とか、『かしこに(ある)』とか言うことも出来ない。神の国はあっと言う間に、あなた達の間にあらわれるのだから。」


塚本訳 Ⅱコリ3:17
3:17 (ここで)主(と)は御霊(のこと)である。主の御霊のあるところには自由が(あるから、ベールが取り除かれるので)ある。


塚本訳 ヨハ 4:24
4:24 神は霊である。だから礼拝者も霊と真理とをもって礼拝せねばならない。」

塚本訳 マタ 18:19-20
18:19 なお、アーメン、わたしは言う、何事によらず、もしあなた達のうちの二人が心を一つにして地上で祈るならば、わたしの天の父上は(きっとその願いを)かなえてくださるだろう。
18:20 二人、三人、わたしの名によって集まっている所には、わたしがいつもその真中にいるのだから。」


塚本訳 ロマ 1:9-10
1:9 わたしはこの神を霊をもって、すなわち、その御子の福音を伝えることをもって、礼拝しているのであるが、神がわたしの証人として、
1:10 わたしが祈りのたびごとに絶えずあなた達を思い、いつか一度は、神の御心によって都合よくあなた達の所に行けるようにとお願いしていることを、証明してくださるであろう。


塚本訳 ロマ 12:1
12:1 (このように、神は偉大な計画によって人類を一人のこらず救おうとしておられるのであって、救いは確かである。)だから、兄弟たちよ、わたしは神のこの慈悲を指してあなた達に勧める。あなた達の体を(感謝のしるしとして神に)捧げよ。この生きた聖なる犠牲こそ、神のお気に入るものであり、(霊なる神を拝むにふさわしい、)あなた達の霊的な礼拝である。(あなた達の礼拝は動物を供えるような不合理なものでなく、全心全霊をささげる合理的な礼拝でなければならならない)


塚本訳 ピリ 3:3
3:3 (割礼は無いが、)私達こそ本当の割礼者である。(その証拠には、)私達は神の霊によって神に仕え、(ただ)キリスト・イエスを誇りとし、(決して)肉に、(人間の特権に)頼らないからだ──


塚本訳 Ⅱテモ1:3
1:3 祈りの中で夜も昼も絶えず君のことを思う時、私は(わが)先祖代々潔い良心を以て事えている神に(いつも)感謝する。


塚本訳 Ⅰペテ2:5
2:5 そして君達自身も(主と同じく)活きた石として建てられて、霊の家となれ。これは君達が聖い祭司として、イエス・キリストによって神の御意に適う霊の供物を献げるためである。


塚本訳 エペ 6:18
6:18 (最後に祈りで武装せよ。すなわち)あらゆる祈りと願いをもって常に祈御霊において祈れれ。そしてそのため(いつも)目を覚まし、あらん限りの根気をもって聖徒達一同のために祈って居れ。


塚本訳 マコ 14:58
14:58 「わたし達はこの人が、『自分は(人間の)手で造ったこのお宮をこわして、手で造らない別のお宮を三日のうちに建てる』と言うのを聞いた。」


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朝の黙想おわり。今日は聖日、主の日、神に召された人たちの集まりに妻と出かけて礼拝する。クリスチャンはどこか集会(教会)に属してないとその信仰が信用されない。

●ティルトリアヌスの命題「教会の外に救いなし」の内実は「主の霊のあるところにのみ救いあり」である。単に「教会の外に救いあり」(聖書知識の標題)では内実が語られて
 ない。現にこの標題で誕生した無教会主義の内実は今や政治結社に似てきたので「無教会主義内には救いなし」である。
●集会は、小寺、丹野、村上(申命記20章)
●妻は午後コーラスの練習に行く。
●古典的名著「イエスの裁判」(カトリックのプリンツラー著。原著は1951年。)の大貫隆(訳者)の「解題」を読んだ。本文は歯が立たない。
●本書の邦訳はカトリックとプロテスタントの協力があった。善野碩之助氏との9年がかりの労作。
●訳者大貫隆の「解題」によればイエスの殺害原因の研究は歴史的に二つの立場があった。第一は「ユダヤ責任論。(司法殺害論、プリンツラーはこれ)」。第二は「ローマ責任論(リーツマンなど)」。
このほかに「ユダヤ・ローマ共同責任論」があるという。
●ユダヤ人迫害の根拠となるこの深刻な問題は、「ユダヤ教側、あるいはローマ側資料は存在しないから、福音書の報告がほとんど唯一の資料となる」と大貫隆は解題で言う。(P458)
●つまり「聖書」が唯一信ずるに足る資料だという。安心した。聖書を読んでいればよい。







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栄光から挫折の人生に ++++++++ 所感

2013/10/19 06:57

131019(土)早朝散歩で朝の黙想「栄光から挫折の人生に」●過日、某氏からご友人のことを伺った。そのご友人は超エリートコースを歩まれたが精神の病で人生挫折、何もかも失われた気の毒な人。某氏はただ終末と再臨を祈ると言われる。●私はこれを読み、ホッとした。私の親族にもそういう人がいるからだ。その意味で「挫折人生」は多くの人を慰めるように神に仕組まれたものではないのか。気の毒だが・・・。●それはこういうことだ。私の知人である「某さん」は中学生の時には常に成績が一番で家族からも学校の先生たちからも「おそろしく良くできる子供」として将来を嘱望されていた。しかしあー人生は「魔が差す。父親が病気になり、家庭は貧困。「某さん」は大学進学を断念、働き始めたが「心が淋しく」家を出て女と同棲。両親はがっくり。すると「某さん」自身が病になる。結婚はしたものの家庭は「性道徳にだらしなく」、二人の子供も離婚人生。「某さん」本人も一時精神の病になった。親族とは絶縁疎遠。アー某さんの過去の栄光は「何処(いずこ)」。●こういう人に「福音は伝わるのか」。聖書はなんと言っているか思いつくままに掲げてみよう。

塚本訳 ルカ 6:20-26
6:20 イエスは目をあげ、(十二人の使徒その他の)弟子たちを見ながら話された。──「ああ幸いだ、『貧しい人たち、』神の国はあなた達のものとなるのだから。
6:21 ああ幸いだ、今飢えている人たち、(かの日に)満腹させられるのはあなた達だから。ああ幸いだ、今泣いている人たち、(かの日に)笑うのはあなた達だから。
6:22 人に憎まれる時、また、人の子(わたし)のゆえに除名されたり、罵られたり、悪様に言われたりする時には、あなた達は幸いである。
6:23 その日には躍りあがって喜びなさい、どっさり褒美が、天であなた達を待っているのだから。あの人達の先祖も、同じことを預言者たちにしたのである。
6:24 だが、ああ禍だ、富んでいるあなた達、もう慰めを受けたのだから。
6:25 ああ禍だ、今食べあきているあなた達、(かの日に)飢えるのだから。ああ禍だ、今笑っている人たち、(かの日に)泣き悲しむのはあなた達だから。
6:26 皆の人に良く言われる時、あなた達は禍である。あの人達の先祖も、同じことを偽預言者たちにしたのである


●これが神の心、イエスの言動はこの見える形。

塚本訳 ルカ 16:25-26
16:25 しかしアブラハムは言った、『子よ、考えてごらん、あなたは生きていた時に善いものを貰い、ラザロは反対に悪いものを貰ったではないか。だから今ここで、彼は慰められ、あなたはもだえ苦しむのだ。
16:26 そればかりではない、わたし達とあなた達との間には大きな(深い)裂け目があって、ここからあなた達の所へ渡ろうと思っても出来ず、そこからわたし達の所へ越えてくることもない。』


●この世と来世は正反対。これ親心。親は不運な子供に同情が溢れる。

塚本訳 マタ 21:28-31
21:28 いったいあなた達はどう思うか。──ある人に二人の息子があった。長男の所に行って、『坊や、きょう葡萄畑に行って働いてくれ』と言うと、
21:29 長男は『いやです』と答えたが、あとで後悔して出かけた。
21:30 つぎに次男の所に行って同じように言うと、こちらは、『お父さん、承知しました』と答えたが、行かなかった。
21:31 この二人のうち、どちらが父の心を行ったのだろうか。」「もちろん長男」と彼らが答える。イエスが言われる、「
アーメン、わたしは言う、税金取りや遊女たちは、あなた達よりも先に神の国に入るであろう。

●救いは後からでもよい。臨終でもよい。勝てば官軍だ。
●税金取りや遊女たちは人生の落伍者失敗者、淋しく悔やむj人生、「こんなはずではなかったのに」と自他ともに認める。

塚本訳 ヨハ 4:13-18
4:13 イエスは答えられた、「この(井戸の)水を飲む者はだれでもまた渇くが、
4:14 わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」
4:15 女が言う、「主よ、その水を下さい。(二度と)渇くことがないように、またここに汲みに来なくてもよいように。」
4:16 イエスが言われる、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」
4:17 女が答えた、「わたしには夫はありません。」イエスが言われる、「『わたしには夫はありません』と言うのは、もっともだ。
4:18 五人の夫とは別れ、今のは、あなたの夫ではないのだから。あなたの言ったことは本当だ。」


●イエスは離婚歴5回の転落女に声をかけた。人間の世界ではこう女は避けられる。教会がそうだ。!!。自戒。

塚本訳 ルカ 15:1-7
15:1 さて、イエスの話を聞こうとして、(いつものとおり)税金取りや罪人が皆近寄ってきた。
15:2 パリサイ人と聖書学者たちがぶつぶつ呟いて言った、「この人は罪人を歓迎するし、また(招かれていって)食事までも一しょにする。」
15:3 そこで彼らにつぎの譬を話された。
15:4 「
あなた達のうちのだれかが羊を百匹持っていて、その一匹がいなくなったとき、その人は九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を、見つけ出すまではさがし歩くのではないだろうか
15:5 そして見つけると、喜んで肩にのせて、
15:6 家にかえり、友人や近所の人たちを呼びあつめてこう言うにちがいない、『一しょに喜んでください。いなくなっていたわたしの羊が見つかったから』と。
15:7 わたしは言う、このように、一人の罪人が悔改めると、悔改める必要のない九十九人の正しい人以上の喜びが、天にあるのである。


●イエスの話に耳を傾けたのは「衛金取りや罪人」。これ福音に「耳が開く」。福音を受け入れる準備が出来ている。

塚本訳 ルカ 5:29-31
5:29 レビがイエスのために家で大宴会を催すと、税金取り、その他の人々が大勢、(イエスや弟子たちと)共に食卓についていた。
5:30 パリサイ人とパリサイ派の聖書学者が弟子たちに向かってつぶやいた、「なぜあなた達は税金取りや罪人と一しょに飲み食いするのか。」
5:31 イエスはその人たちに答えられた、「健康な者に医者はいらない、医者のいるのは病人である。

●イエスは健康な人、この世的に順調に生きている人には関心がなかった。
●年金もらって趣味習い事をしている裕福老人にイエスは関心を持たないであろう。
●そういう老人が集まる教会や集会は「死を待つ老人の待合室」。おしゃべりが多い。

塚本訳 ルカ 7:21-22
7:21 その時、イエスは多くの人の病気と苦しみと悪霊につかれているのとをなおし、多くの盲人を見えるようにしてやっておられたが、
7:22 答えられた、「行って、(今ここで)見たこと聞いたことをヨハネに報告しなさい。──『盲人は見えるようになり、』足なえは歩きまわり、癩病人は清まり、聾は聞き、死人は生きかえり、『貧しい人は福音を聞かされている』と。


●イエスの使命は病気を治すことではない、貧困の救済ではない。福音、」すなわち「霊魂の安息」である。
●罪の赦しの福音により、「霊魂の安息」を与えられると、不思議に結果的に健康が回復する。心の安らぎが肉の病の回復に向かうことは信仰なき医者も認める。人生が立ち直り経済が満たされる。なぜか真面目に汗を流して労働するようになるからだ。各種依存症から脱出できて家庭も国家も平和になる。しかしそれは目的でなく結果である。目的にすると得られない。本末転倒だから。
●だから「一見不条理な不可解なところに神の大なる恵みの知恵が隠されている。神はこれを以って私たちに神の愛の難であるかを教えられるのである」(塚本虎二)。至言。

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朝の黙想終わり。信者は「気の毒な人」に目を向けよ。終末の幸福を目指せ。これ信仰に逃げ込むのではない。来世に希望を持つのでは花井。今の世で神のもとにある真の幸福に参入するのだ。永遠の命、有体的復活、有体的再臨の希望により。

●TSK日本語版歴代志下22章
●午後は庭木の手直し
●妻は愛子の所に手伝い。
●夕食は自炊。
 






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キリストはなぜ殺されたか ++++++++ 所感

2013/10/18 08:34

131018(金)朝の黙示「キリストはなぜ殺されたか」。次回感話の大体の構想が固まった。秀村欣二先生の「イエスの裁判」(「秀村欣二選集題5巻所収)が有益であった。多くの学説が紹介されていて、確かな信仰の立場から解説されている。●手元にあるプリンツラー、カーマイケルの本を時間をかけて読まなくてよかった。●こういう深い問題を学問的に公平に研究するには非常に多くの説を読みこなさなければならない。これが聖書学者の「仕事」。しかし時に目を洗われるれることがあっても信仰は深まらない。●結論は思っていた通り。●すなわち「一般民衆と宗教家」が主犯で処刑の実行は「ローマ政府」。これは史実として動かないところらしい。まず定説と言ってよいであろう。●げに恐ろしきは一般民衆。世論。NHK世論調査。●イエス殺しは神殺し。ここにアダムとイブの神への反抗の罪は極まった。●信仰的に見れば神は呪われた地の組織を総がかりにして「イエスを殺した」。「神を殺した」。●人間の世論や組織がイエスを殺すことを「義」と思ってイエスを殺したところに神の愛が溢れた。●秀村欣二先生の結論。「こうして世界史上の最大の悲劇が実現することになった。しかしこの悲劇によって神は全人類に救済の道を開かれたのである」。●「すべてのこと相働きて益となる」とはこのことだ。あー神の知恵のなんと深きことか。

11月3日集会感話の一部
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キリストはなぜ殺されたのか 131018-2

 イエスの裁判に学ぶ 

          2013113日 東京聖書読者会 高橋照男

 

①主犯はユダヤ人一般民衆と宗教家。処刑の実行はローマ政府

 

<ユダヤ人はイエスにこの世の王を期待したが外れた。期待外れで殺意。>

 

塚本訳 マタ 27:39-42

27:39 通りかかった人々が『頭をふりながら、』イエスを冒涜して

27:40 こう言った、「お宮をこわして三日で建てるという人、自分を救ってみろ。神の子なら、十字架から下りてこい。」

27:41 同じように大祭司連も、聖書学者、長老と一しょに、こう言ってなぶった、

27:42 「あの男、人は救ったが、自分は救えない。イスラエルの王様じゃないか。今すぐ十字架から下りてくるがよい。そうしたら信じてやるのに

 

塚本訳 マタ 26:14-16

26:14 そのあと、イスカリオテのユダという十二人の(弟子の)一人が大祭司連の所に行って

26:15 「いくらくれますか、あの男をあなた達に売ってもいいが」と言った。『彼らは(シケル)銀貨三十枚[六万円]を払い渡した。

26:16 この時からユダは、イエスを引き渡すよい機会をねらっていた

 

<宗教家と国の長老(全最高法院)は自分の地位が失われるのを恐れた>

 

塚本訳 ヨハ 11:45-48

11:45 すると、マリヤの所に来てイエスのされたことを見たユダヤ人のうち、多くの者は彼を信じた。

11:46 しかし中には(彼を信ぜず、)パリサイ人の所に行って、イエスのされたことをあれこれと報告した者もすこしあった。

11:47 そこで大祭司連とパリサイ人は最高法院を召集して言った、「どうすればよいだろう、あの男はたくさん徴[奇蹟]をしているのだが。

11:48 もしこのまま放っておけば、皆があれを信じ(て王に祭り上げ)るであろう。すると騒動が起り、ローマ人が来て、われわれから(エルサレムの)都も国民も、取ってしまうにちがいない。

 

塚本訳 マタ 27:1-2

27:1 夜が明けると、大祭司連、国の長老たち(全最高法院)は満場一致でイエスを死刑にする決議をした

27:2 それから彼を縛り、引いていって総督ピラトに渡した。

 

塚本訳 マコ 11:15-18

11:15 エルサレムに来た。イエスは宮に入り、宮(の庭)で物を売る者や買う者を追い出し始め、両替屋の台や、鳩を売る者の腰掛を倒された。

11:16 (また近道をするために)器物を持って宮(の庭)を通り抜けることを許されなかった。

11:17 それからこう言って教えられた、「『わたしの家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである』と(聖書に)書いてあるではないか。ところがあなた達はそれを『強盗の巣』にしてしまっている。」

11:18 大祭司連と聖書学者たちはこれを聞いて、どうしてイエスを殺そうかと(その手段を)考えていた。民衆が皆その教えに感心しきっていたので、イエス(の勢力)を恐れたのである。

 

<頑迷な聖書学者やパリサイ人はイエスの言動を涜神罪だと見た。>

 

塚本訳 マタ 12:13-14

12:13 それからその人に言われる、「手をのばせ。」のばすと直って、片方の手のようによくなった。

12:14 パリサイ人たちは出ていって、イエスを殺すことを決議した

 

塚本訳 ヨハ 5:18

5:18 このためユダヤ人は、いよいよイエスを殺そうと思った。安息日を破るばかりでなく、神を自分の父と言って、自分を神と等しくされたからである。

 

塚本訳 ヨハ 8:37

8:37 あなた達がアブラハムの子孫であることをわたしは知っている。ところがあなた達は(わたしを信ずるには信じたが、)わたしを殺そうとしている。(それは当然だ。)わたしの言葉が、あなた達の(心の)中で根を張らないのだから。

 

塚本訳 ヨハ 10:30-33

10:30 しかもわたしと父上とは一つである(からだ)。」

10:31 これを聞くと、またもやユダヤ人は、イエスを石で打ち殺そうとして(外から)石を持ってきた。

10:32 するとイエスは言われた、「わたしは父上の(命令による)善い業を沢山あなた達にして見せたが、そのうちのどの業のために、わたしを石で打ち殺すのか。」

10:33 ユダヤ人が答えた、「善い業のために石で打ち殺すのではない、冒涜のためだ。君が人間の分際で、神様気取りでいるからだ。」

 

塚本訳 マタ 26:64-66

26:64 イエスは(はじめて口を開いて)彼に言われる、「(そう言われるなら)御意見にまかせる。だが、わたしは言う、あなた方は今後『人の子(わたし)が』『大能の(神の)右に坐り、』『天の雲に乗って来るのを』見るであろう。」

26:65 そこで大祭司は自分の上着を引き裂いて言った、「冒涜だ!これ以上、なんで証人の必要があろう。諸君は今ここに(おのれを神の子とする許しがたい)冒涜を聞かれた。

26:66 (この者の処分について)お考えを承りたい。」「死罪を相当とする」と彼らが答えた。

 

<最高法院はイエスを涜神罪から政治犯にすり替え何とか殺そうとした。>

 

塚本訳 ルカ 23:1-3

23:1 そこで法院全体が立ち上がって、イエスを(総督)ピラトの前に引いていって、

23:2 「われわれはこの男が国民を惑わし、皇帝に貢を納めることを禁じ、かつ、自分が救世主、すなわち王だと言っていることを確かめた」と言って訴え始めた。

23:3 ピラトがイエスに問うた、「お前が、ユダヤ人の王か。」答えて言われた、「(そう言われるなら)御意見にまかせる。

 

塚本訳 マタ 27:17-18

27:17 ピラトは人々が集まってきたとき言った、「どちらを赦してもらいたいか、バラバ(・イエス)か、救世主と言われるイエスか。」

27:18 ピラトは人々が妬みからイエスを引き渡したことを知っていたのである。

 

塚本訳 マタ 27:20-24

27:20 しかし大祭司連、長老たちは、バラバの命乞いをして、イエスを殺してもらえと群衆を説きつけた

27:21 総督は彼らに言った、「二人のうち、どちらを赦してもらいたいのか。」「バラバを!」と彼らが言った。

27:22 ピラトが言う、「では、救世主と言われるイエスをどうしようか。」みんなが、「十字架につけるのだ」と言う

27:23 ピラトは言った、「いったいどんな悪事をはたらいたというのか。」しかし人々はいよいよ激しく、「十字架につけるのだ」と叫びつづけた。

27:24 ピラトは(自分のすることが)なんの甲斐もないばかりか、かえって騒動が起りそうなのを見て、水を取り寄せ、群衆の前で手を洗って言った、「わたしはこの人の血(を流すこと)に責任をもたない。お前たちが自分で始末しろ。」

 

塚本訳 ヨハ 18:31

18:31 ピラトが言った、「(はっきりした罪名のないところを見ると、わたしが手を下すほどの事件ではなさそうだ。)お前たちがあれを引き取って、自分の法律で裁判するがよい。」ユダヤ人が(とうとう本音を吐いて)言った、「われわれには人を死刑に処する権限がありません。

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11月3日 集会感話の一部おわり

●TSK日本語版歴代志22章
●午後は台風の備え。雨もり対策工事。
●まだTSKがアップできない。

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恩恵によって選ばれた「残りの者」 ++++++++ 所感

2013/10/17 06:51

131017(木)朝の啓示「恩恵によって選ばれた『残りの者」」●私のホームページ、主として聖書データに対する応答は北から南から全国から来る。これは実に不思議な現象に感じられる。福音の真理は飛び火するのだ。神が選ぶ人は全国にいる。●そこで今朝は次の二か所をを学んでみよう。

塚本訳 ロマ 9:27
9:27 (預言者)イザヤもイスラエル人について叫んでいる。『たとえイスラエル[ヤコブ]の子孫の数は海の砂のように(多数)であろうとも、(信ずる小数の)残りの者(だけ)が救われる。


塚本訳 ロマ 11:4-6
11:4 ところが彼に対する神のお告げはどうであるか。──「『わたしは(異教の神)バアルに膝をかがめなかった男子七千人を』自分のために『残しておいた。』」
11:5 だから、同じように今の世にも、恩恵の選びによる残りの者がある。
11:6 しかし恩恵による以上は、もはや行いのゆえではない。そうでなければ、恩恵がもはや恩恵でなく
なるからである。

●まず頭に浮かぶ箇所を掲げる。聖書の読み方は「自分で読む」のが一番よい。法王や学者や教派の神学に読まれてはいけない。

塚本訳 ルカ 13:23-24
13:23 するとある人が「主よ、救われる者は少ないでしょうか」と尋ねた。人々に言われた、
13:24 「全力を尽くして(今すぐ)狭い戸口から入りなさい。あなた達に言う、(あとになって)入ろうとしても、入れない者が多いのだから。


●救われる人は生まれる前から決まっているという「予定説」は「救いは神の主権による」ということからすれば一面の真理だが、「予定説」が神学になると教派が出来て「神学論争」になる。
●これは救いは神がお決めになることだから一生懸命求道せよ。今からでも遅くない。ととるべきだ。
●万人救済説にあぐらをかいてはいけない。

塚本訳 使  26:15-16
26:15 わたしは言った、『主よ、あなたはどなたですか。』主が言われた、『わたしだ、君が迫害しているイエスだ。
26:16 さあ、起きて、『自分の足で立て。』わたしが(今)現われたのは、君を選んで、わたしを見たことと、(今からも)君に現われて示すこととの証人として、わたしに仕えさせるためである。


●クリスチャンというのは神に選ばれてなれるものだ。だからどんなに「遊び人型、この世的型、自称信者型、一応信者型」クリスチャンでも神の選びの御胸を尊重するがゆえにその人を尊重しなければならない。「あの人がクリスチャンかねー」と思う人でも一目置かなければならない。
●選ばれる人はパウロだけでない、法王だけでない、牧師だけではない。そこに信者の階級はない。

塚本訳 ルカ 9:49-50
9:49 ヨハネが言った、「先生、あなたの名を使って悪鬼を追い出している者を見たので、止めるように言いました。わたし達と一しょに(あなたに)従わないからです。(しかし言うことを聞きませんでした。)」
9:50 イエスはヨハネに言われた、「止めさせるには及ばない。反対しない者はあなた達の味方である。」


●教派争い、信者争いは自分たちの信仰とは「違和感」があると感じるところに起こる。この感情に対してイエスは「マー一応味方だと思え」と言うのだ。人の顔が違うように信仰も百人百様だ。少しは違うところがあるのだ。

塚本訳 マタ 15:12-14
15:12 あとで弟子たちが来てイエスに言う、「パリサイ人がお話を聞いて腹を立てたことを御存じですか。」
15:13 イエスは答えられた、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜かれる。
15:14 あの人たちを放っておけ。盲人の手引をする盲人だ。盲人が盲人の手引をすれば、二人とも穴に落ちよう。」


●信仰の真贋判断は、「枯れるものは枯れる」ということだ。御心でないものは時間がたてば剥げるのだ。いなくなる。あとが続かない。


口語訳 Ⅰ列 19:18
19:18 また、わたしはイスラエルのうちに七千人を残すであろう。皆バアルにひざをかがめず、それに口づけしない者である」。


●イマドキのクリスチャンが「ひざをかがめ、口づけする」ものは法王、牧師、学者、教勢(信者人数)、教会(集会)存続、東大、勲一等、ノーベル賞、金メダル、地上の平和、金、女、家庭団らん、健康長寿、・・・・・・・・」。しかし生まれつきの人間はこれが自然だ。
●「残りの者」は恩恵で生まれるのだから、これらの欲望を断ち切ってもよいものは出てこない。「無い袖は振れない」
●「七千男(なちお)」という名前の人がいる。「嗣業(しぎょう)」という名前の人がいる。クリスチャンの親の祈りが感じられる

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朝の黙想おわり


●TSK日本語版歴代志21章
●12:15出発 昭和女子大講義。終了後3人と進路相談。
●18:00 キリスト教性教育研究会(富阪キリスト教センター).
開会前に富永國比古先生に挨拶。
今日の発表は西岡まりこ牧師。イスラム教世界の性倫理、日本の性倫理について有益な討論を行った。山の上にある町は隠れていることが出来ない。キリスト教がその山の上にある町でなければならない。人間は誰でも「聖なるもの」を求めて清くなりたいと思っている。光を目指している。
ところが今やプロテスタント教会は「聖なるもの」ではなくyなっている。

口語訳 創  3:17
3:17 更に人に言われた、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、/地はあなたのためにのろわれ、/あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。

●「性行為」は創造の一環であるから、本来「喜びの性行為」であるのに、人間が神に背いているのでそれが「呪い」となった。毎日の性の悲劇のニュースがそれである。
●原発問題も同じ。原発は本来神に祝福されたものであるべきものなのに呪われた。神が地を呪う手段になった。


口語訳 レビ 11:45
11:45 わたしはあなたがたの神となるため、あなたがたをエジプトの国から導き上った主である。わたしは聖なる者であるから、あなたがたは聖なる者とならなければならない』」。


●これ旧約の精神。キリスト教の性倫理の根本はこの「神は聖であるから人間も聖でなければならない」との一語に尽きる。神を念頭に置かなければならない。
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神の国は人間的手段ではこの世に理解されない ++++++++ 所感

2013/10/16 08:51

131016(水)朝の黙示「神の国は人間的手段ではこの世に理解されない」。●次回感話は「イエスとパウロの裁判に学ぶ」である。イエスもパウロも裁判の席での裁判官への説明は通じなかった。●両者の態度からキリスト信者が今に生きる信者のこの世に対する生き方の姿勢を学ぶ。●頭に思い浮かぶ聖書の箇所を掲げて感想を黙想する。

塚本訳 マタ 26:62-64
26:62 そこで大祭司は立ち上がってイエスに言った、「何も答えないのか。この人たちは(あんなに)お前に不利益な証言をしているが、あれはどうだ。」
26:63 しかしイエスは黙っておられた。大祭司が言った、「生ける神に誓ってわれわれにこたえよ。お前が、神の子救世主か。」
26:64 イエスは(はじめて口を開いて)彼に言われる、「(そう言われるなら)御意見にまかせる。だが、わたしは言う、あなた方は今後『人の子(わたし)が』『大能の(神の)右に坐り、』『天の雲に乗って来るのを』見るであろう。」


●雄弁は銀、沈黙は金。
●「ご意見にまかせる」(スー、エイパス)の塚本訳は名訳。「それは人間的思いでお前が勝手に考えていることだ」という意味
●「天の雲に乗ってくる」ということは信者でも頭では理解できない。神の側の奇跡的方法でということだ。

塚本訳 ルカ 22:66-68
22:66 朝になると、国の元老院、すなわち大祭司連や、聖書学者たちが集まって、イエスを彼らの法院の議場に引いていって
22:67 言った、「お前が救世主なら、そうだとわれわれに言ってもらいたい。」彼らに答えられた、「言っても、とても信じまいし、
22:68 尋ねても、なかなか返事ができまい


●とかく「国側」「体制側」は「地上天国」を作ろうとしているので神によって到来する「神の国」のことは理解出来ないものだ。父祖たちの戦いの苦労を思う。浅見仙作、鈴木弼美、矢内原忠雄、・・・ただし抵抗で神の国が来ると思って天下国家を批判するのは聖書的ではない。

塚本訳 マタ 13:13-14
13:13 だから、あの人たちには譬をもって話すのである。『見ても見えず、聞いても聞えず、また悟らない』からだ。
13:14 こうしてイザヤの預言はあの人たちに成就した
。──『あなた達は聞いても聞いても、決して悟るまい、見ても見ても、決してわかるまい。

●「人の顔を見て法を説け」。こいつはダメだと思えば福音は説くな。
●建築士の私は最初の打ち合わせで顔を見れば「どれぐらい金を持っているか」わかる。金のない人に高価な家を勧めない。
●聖書協会の翻訳部の人と「スコポス理論」(聖書翻訳の一方法)に」ついて話している時、旧約の泰斗である池田裕先生が入ってこられ、スコポス理論による翻訳は「人の顔を見て法を説く」精神だということで意見が一致したことがある。

塚本訳 マタ 7:6
7:6 (とはいえ、正しい判断は出来ねばならない。神に供えた肉など)
神聖な物を犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。豚はそれを足で踏みつけ、向き直ってあなた達を噛み裂くかも知れない。

●信者になりそうな人は顔を見ればわかるようにならなければならない。
●故藤林益三先生(第7代最高裁長官)は自分の弁護士事務所に来た人間で、「司法試験」に受かりそうな人は顔を見て分かったそうだ。
●集会のMK]さんは大企業の社長秘書を長くやっておられたが侵入社員を見て、「将来重役になふかどうかがすぐ分かったそうだ」。
●70歳にもなった私としても昭和女子大の生徒も顔をみればこの人はどの方面に行けば才能が伸びるかがわかるようになっている。

塚本訳 マタ 21:25-27
21:25 ──ヨハネの洗礼はどこから来たのか。天(の神)から(授かったの)か、それとも人間からか。」彼らはひそかに考えた、「もし『天から』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったか』と言うであろうし、
21:26 もし『人間から』と言えば、民衆(の反対)がこわい。みんながヨハネを預言者と思っているのだから。」
21:27 そこで「知らない」とイエスに答えた。イエスも言われた
、「ではなんの権威であんなことをするのか、わたしも言わない。

●人の顔を見て法を説け。金の亡者に信仰を説くな。彼は破産して目が覚める。死に直面して神を呼ぶ。それでいいのだ、それでいいのだ。

塚本訳 ルカ 17:20-21
17:20 パリサイ人から神の国はいつ来るのかと尋ねられたとき、答えられた、「神の国は、(いつ来るのかと計算や)観測のできるようにしては来ない。
17:21 また『そら、ここに(ある)』とか、『かしこに(ある)』とか言うことも出来ない。神の国はあっと言う間に、あなた達の間にあらわれるのだから。」


●神の国は人間の運動で漸次的に実現するのではない。教会(集会)の漸次的増大、維持が神の国到来の方法だと思うのは聖書の勉強不足。
●社会派信者に告ぐ。自分の行動を自慢せず、もちっと聖書を真面目に勉強せよ。祈りを施よ。神の力を信ぜよ。

塚本訳 マコ 4:26-28
4:26 また言われた、「神の国はこんなものだ。──ある人が地に種を蒔き、
4:27 夜昼、寝起きしていると、種は芽生えて育ってゆくが、本人はその訳を(すら)知らない。
4:28 (すなわち)地はひとりでに実を結ので、初めに茎、次に穂、次に穂の中に熟しきった粒ができる。


●人間以外の力が働いていることを知ることが人生の始まり。

塚本訳 マタ 11:2-5
11:2 さて(洗礼者)ヨハネは牢屋で、(イエスの)救世主としての働きを聞くと(心が動揺し、)弟子たちをやって、
11:3 「来るべき方(救世主)はあなたですか、それともほかの人を待つべきでしょうか」とたずねさせた。
11:4 イエスは答えられた、「行って、(今ここで)聞いていること見ていることをヨハネに報告しなさい。
11:5 ──『盲人は見えるようになり、』足なえは歩きまわり、癩病人は清まり、聾は聞き、死人は生きかえり、『貧しい人は福音を聞かされている』と。

●神の国の姿はこの世に全く隠されているわけではない。しかしそれは信仰によらないとわからない。

塚本訳 ヘブ 11:3
11:3 (まず、)信仰によって、わたし達はこの世界が神の言葉で造られたことを知る。すなわち、見えるものは、現われぬものからできているのである


●信仰問題は別にして「この世界」が偶然にできていると思っている科学者は二流である。

塚本訳 ロマ 1:20
1:20 すなわち神の性質は、永遠の能力も神性も、人の目には見えないものであが、世界創造の時から、理性の目をもって造られた物の中に見ることができるのである。従って(全然)言い訳は立たない。


●ヒストリーはHis Story 彼のストーリー、彼とは神のこと。インビジブルハンド。これがわからなければ歴史を学ぶ意味はない。信仰なき歴史学はつまらない。唾棄すべきもの。
●建築士は目に見えないものを見える形にする。2次元の図面に描いたものが3次元に建ち上がる棟上げを見る時が最高にドキドキする。建築士の喜びはここにある。


塚本訳 ヨハ 3:3-5
3:3 イエスが答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、(徴を見て信じたのではいけない。)人は新しく生まれなおさなければ、神の国にはいることは出来ない。」
3:4 ニコデモがイエスに言う、「(このように)年を取った者が、どうして生まれなおすことが出来ましょう。まさかもう一度母の胎内に入って、生まれなおすわけにゆかないではありませんか。」
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない


●人間は2度生まれるべきだ。始めは肉で、二度目は霊で。

塚本訳 ヨハ 3:8
3:8 風[プニューマ]は心のままに吹く。その音は聞えるが、どこから来てどこに行くか、あなたは知らない。霊[プニューマ]によって生れる者も皆、そのとおりである。」


●両親に依頼されて孫の一人に「風人(ふうと)」と命名した。彼に神風が吹いて二度目の誕生をすることを願っている。それは100%神の力だ。祈るのみ。

塚本訳 Ⅰコリ7:16
7:16 なぜか。妻よ、夫を(信仰に導いて)救うことができるかどうか、どうしてわかるのか。また夫よ、妻を救うことができるかどうか、どうしてわかるのか


●若きカトリックの信者(ソプラノ)に、信者と結婚しなさいよ。というと「結婚してかtら教会に連れて行きます」と答えた。この態度が人生を失敗する。100%信仰が堕落する。人間の力で人を救いに導けるというのは大間違い。救いは100%神ご自身の「「胸の内」である。
●某キリスト教主義大学の女子学生に「信者と結婚しなさい」と言うと「ウチの男子学生は草食系が多いのです」との答え。つまり弱弱しい人間ばかりで魅力がないというのだ。気の毒なのはイマドキの若き女性。立派な男性が少ない。婚期が遅れるのもやむをえない。

塚本訳 ルカ 16:26
16:26 そればかりではない、わたし達とあなた達との間には大きな(深い)裂け目があって、ここからあなた達の所へ渡ろうと思っても出来ず、そこからわたし達の所へ越えてくることもない。』


●神の国とこの世の国には「大きな(深い)裂け目があって」、どうしても向こう側に行けない。渡れない。渡る船もない。
●三浦雄一郎はクレバスを渡るときアルミの梯子を渡したが、天国へはそのようにはできない。

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朝の黙想 終わり。人の救いは「絶対恩恵による無条件の罪の赦し」にすがるのみ。
 
●TSK日本語版歴代志下20章
●午後は今後の台風のために雨漏り対策の工事

●大型台風(26号)一過のあきる野の風景5枚。草木が強風でくたびれた。 

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人生のゴタゴタは神の「見えざる手」の介入 ++++++++ 所感

2013/10/15 06:49

131015(火)4時目覚め●朝の啓示「人生のゴタゴタは、神の『見えざる手』の介入」●昨日、身内親族にゴタゴタが降りかかった。「もめごと」は当事者でなければわからないから第三者が入って解決することは難しい。●しかし聖書的には人生の不可解不条理なところに神の大なるめぐみの導きがあると信ずる。●その点一般宗教の解決方法である「欲を断て」という人間的行為の「教え」とは異なる。●人生のゴタゴタとは、「遺産相続における兄弟間の争い、絶縁、疎遠」「不倫、浮気」「夫婦の不和」「人間間の争い、職場、親子、嫁姑」」「国家間の戦争」「「子供の非行、家出、とじこもり、不登校」「依存症(酒、ギャンブル、風俗」「死別」「失恋」「結婚問題」「自殺未遂、自殺願望」「殺人未遂」「窃盗犯罪強盗」「事業や仕事の失敗」「借金苦」「業務上過失」「リストラ、貧困」「直りにくい精神の病」「末期癌」「老親の面倒」「老人施設の不足」・・・・・これ、人生の深い悩みで医者や弁護士には解決できそうにない問題が多い。だから宗教団体の勧誘の言葉にもなる。「アー、悩み多きこの世なるかな」70年も生きていると色々な深い悩みに遭遇するものだなー●しかし聖書ではこれら無数のゴタゴタの悩みは真の幸福へ導かれる「神の見えざる手の働き」と積極的にとらえる。●今朝はそれを示す聖書の言葉を頭に浮かぶものから順番に掲げてみよう。

塚本訳 ロマ 8:28
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。


●ゴタゴタ」や「もめごと」は「救いに役立つ」のである。積極的なのであう。と言って「この世を捨てよ」というのではない。「コタゴタ」や「もめごと」は神の杖であって、「その道を行くな」という愛の警告である。争いが平和になることが目的ではない。神に目が開くことが目的である。

文語訳 マタ 5:2-6
5:2 イエス口を開き、教へて言ひたまふ、
5:3 『幸福なるかな、心の貧しき者。天國はその人のものなり。
5:4 幸福なるかな、悲しむ者。その人は慰められん。
5:5 幸福なるかな、柔和なる者。その人は地を嗣がん。
5:6 幸福なるかな、義に飢ゑ渇く者。その人は飽くことを得ん。


●これは神の「招き」の言葉である。天国への門である。
●人はキリスト教の研究から信仰に入るのではなく、人生のゴタゴタから入る。それでよいのだ。それがよいのだ。決して恥ではない。研究で立つ者は研究で倒れる。

口語訳 詩 119:71
119:71 苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを/学ぶことができました。


●そうなんだ。人生の苦しみは竹の節。節がある竹は強くなる。

口語訳 哀 3:27-29
3:27 人が若い時にくびきを負うことは、良いことである。
3:28 主がこれを負わせられるとき、ひとりすわって黙しているがよい。
3:29 口をちりにつけよ、あるいはなお望みがあるであろう。


●鉄は熱いうちに打て。苦難は若い日であればあるほど効果がある。
●「打ちたまえ、打ちたまえ。御存分に打ちたまえ。鞭の下から我またすがる」(藤井武)

口語訳 ヨブ 1:21
1:21 そして言った、/「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」。


●愛すべき人との死別の嘆き。ナニ。俺は一人で生まれてきたのだと思おう。

口語訳 詩 23:1-6
23:1 主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。
23:2 主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。
23:3 主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
23:4 たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
23:5 あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。
23:6 わたしの生きているかぎりは/必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。


●そうだ。苦しみは神の杖なのだ。

口語訳 詩  102:9
102:9 わたしは灰をパンのように食べ、わたしの飲み物に涙を交えました。


●これは若き日に胸を病んだ父の特愛の言葉。何度も聞かされた。               ●ゲーテ「ウィルヘルムマイスター」の修業時代だったか遍歴時代だったか失念したが、「涙を流してパンを食べたことのない人は人生がわからない」とあった。至言。

口語訳 詩  126:5-6
126:5 涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。
126:6 種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。


●私が所属する「東京聖書読者会」を立ち上げた藤林益三先生は幼いころに父に死に別れ、一家離散。貧困の中に育ったが、神の恩恵で成長し、弁護士では初の最高裁判所長官になられた。しかし最晩年に夫人の重い病に苦しまれた。神は人を決して楽にはしない。人は楽して天国には行けない。
●ヒルティは人生の苦難は溶鉱炉で不純物を吹分けるのに似ているという。また重い苦難は神により背中に畝を掘られるのに似ているという。ヒルティの息子は病弱であった。スイスのベルンにヒルティの墓を訪れたことがあるが、そこにはヒルティ夫妻と共に息子(エドガー・ヒルティ)の名前が刻まれてあった。おそらく結婚しなかったかできなかったのではあるまいか。私はこれを見てヒルティが「眠られぬ夜のために」を執筆した意味が少し見えたような気がした。

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朝の黙想終わり。

●TSK日本語版19章
●10年に一度という大型台風26号接近。

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今夜から明日午前中の台風接近のためにベランダに風除けルーバーを設定
家の中は雨漏り対策。無事であればよいが。
強風に対して軒が吹き上がらないか心配なので設計図を出してチェック

●妻は中野の愛子の家、千駄ヶ谷に部屋の手続き、夜は月本昭男先生のエレミヤ書講義(無教会研修所)。
無事に帰ることが出来ればよいが。

●聖書データがホームページにアップできないのはFC2の問題らしい。
16日(明日)午前3時から6時頃にメンテナンスが実施されるという情報が出た。
私のトラブルと関係があるかどうかの問い合わせをFC2にメールした。(NTTサーポーターの指導による)。

●ホームページの一読者からまた次のようなうれしいメールが来た。

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高橋照男 様

 

初めまして。

1ヵ月ほど前に高橋さんのホームページを見つけました。

それ以来毎日読ませていただいています。

私は地方都市の〇〇〇〇教団の教会の一信徒ですが、初めてホームページを見つ

け、その内容を読み進んだとき、大げさな言い方をすれば宝の山を見つけたとい

う思いになりました。

特にTSKは文字通り宝の山ですね。

BbBもありがたいです。

「日記と感想」も率直・真実な内容で、聖書の言葉と共に毎日考えさせられるこ

と多く読ませていただいています。

 

感謝の思いを伝えたくてこのようにメールをいたしましたが、(BbBの内容で)ひとつ気づいた点があります。(中略)
 
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これを読んで、次の聖句を思い出した。

塚本訳 ロマ 11:4-5
11:4 ところが彼に対する神のお告げはどうであるか。──「『わたしは(異教の神)バアルに膝をかがめなかった男子七千人を』自分のために『残しておいた。』」
11:5 だから、同じように今の世にも、恩恵の選びによる残りの者がある。


このような見も知らぬ「残りの」人が全国にいる。複数の神学校でも利用されている。牧師から「労作」と言われた。こういう応答は大なる励ましである。TSKが終わるまであと2年。それまで死ぬわけにはいかない。


塚本訳 ルカ 13:29
13:29 また人々が『東から西から北から南から』来て、神の国で宴会につらなるであろう。

●神の国の宴会に連なる人は東西南北(全国、全世界)から来る。知らない人である。

口語訳 創  18:32
18:32 アブラハムは言った、「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。わたしはいま一度申します、もしそこに十人いたら」。主は言われた、「わたしはその十人のために滅ぼさないであろう」。

●世界の悪は私の悪。世を批判断罪しないで、十人のなかに、否、一人でもよい。そのような人になれるように生きよう。そうすれば我が家も日本も滅ぼされない。









高橋さんご一家のうえに主の祝福をお祈りします。

感謝しつつ。

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土の器は神が完成する ++++++++ 所感

2013/10/14 07:46

131014(月)体育の日・終日●4時半目覚め。朝の啓示「土の器は神が完成する」●キリスト者作家坂田寛夫の小説「土の器」(肩の骨を折りながらも礼拝のオルガンを弾き通した八十歳の母を支えていたのは何か。 その魂のありかをたどる1975年芥川賞受賞作)は読んでいない。ちなみに氏は詩人でもあり「さっチャンはね」「猫ふんじゃった」の作詞でも有名。
●坂田は「土の器」だけにとどめているところが文学者らしい。余韻がある。それと比べると私は説明的でいけない。今朝は「土の器」に関して頭に浮かぶ聖句を掲げ感想を述べる。

塚本訳 Ⅱコリ4:6-7
4:6 というのは、(世界創造の時、)「光、暗闇から輝き出でよ」と言われたその神は、キリストの顔に現れている神の栄光を知る知識が明らかになるため、わたし達の心の中に光を輝かせてくださったからである。
4:7 しかしこの宝が、(貧弱な)土の器の中にある。それはその素晴らしい力が神のものであって、わたし達(土の器)から出るのではないことがわかるためである。


●塚本訳の「(貧弱な)土の器」の敷衍はまさにそのとおりである。私は家人(妻や子供や孫)から叱られ嫌われている。キリストを信じて50年以上、少しもよくならない。信者はだんだん清くなると思うのは大間違いだ。最期の日の完成を願うのみである。
●人間は生まれつき「土の器」(神学用語では原罪)である。道徳躾修養教育叱咤激励では良くならない。

口語訳 詩  31:11
31:11 わたしはすべてのあだにそしられる者となり、隣り人には恐れられ、知り人には恐るべき者となり、ちまたでわたしを見る者は避けて逃げます。


●クリスチャンは世の人から恐れられる。付き合いにくい人間だと思われる。また信仰に熱心であればあるほどあろうことか「遊び人クリスチャン」「生ぬるい信者から」敬遠される。そういう信者とは付き合うな。自分が汚れるから相手にするな。信仰というものが無い袖は振れない。

塚本訳 Ⅱコリ5:3-4
5:3 ほんとうにもしこれを着たならば、裸(の恥しい姿)であることはないであろう!
5:4 それで、わたし達のこのテントにいる者は、重荷に呻いている。これを脱ぎたい(つまり死にたい)のではなく、(天の住いを)上に着たいからである。これは死ぬべきものが命に飲み込まれるためである。


●人は全員、まず自分を含めて身内(妻、夫、子供とその伴侶、孫、親類縁者)が「重荷」である。生涯呻き続けるのだ。決して軽くはならない。ますます重くなるのだ。
●家族が増えれば喜びも大きいが重荷も増えるのだ。

塚本訳 ルカ 9:23-24
9:23 それから今度は皆に話された、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、毎日自分の十字架を負い、それからわたしに従え。
9:24 (十字架を避けてこの世の)命を救おうと思う者は(永遠の)命を失い、わたしのために(この世の)命を失う者が、(永遠の)命を救うのだから。


●信者は「毎日自分の十字架」を負えとは酷な話ではないか。十字架は軽くはならないのだ。毎日とは一生涯ということだ。辛いことではないか。

塚本訳 ロマ 5:20
5:20 (それなら律法は人を義として永遠の命を与えるためには役立たないのか。その通り。)律法は、過ちを増し強めるために第二義的に来たのである。しかし(神に感謝する、人の犯す)罪が増し強まれば、恩恵は豊かにあふれる


●しかし、努力なしに悔い改めの行為なしに救われるとはありがたいことではないか。「絶対恩恵による無条件の罪の赦し」で私もあの人も清められて有体的に復活させられるのだ。

塚本訳 マタ 7:1-6
7:1 (人を)裁くな、自分が(神に)裁かれないためである。
7:2 (人を)裁く裁きで、あなた達も裁かれ、(人を)量る量りで、あなた達も量られるからである。
7:3 なぜあなたは、兄弟の目にある塵が見えながら、自分の目に梁があるのに気付かないのか。
7:4 また、どうして兄弟にむかって、『あなたの目の塵を取らせてくれ』と言うのか。そら、自分の目に梁があるではないか
7:5 偽善者!まず自分の目の梁を取ってのけよ。その上で、兄弟の目の塵を(取ってやれるなら、)取ってやったらよかろう。
7:6 (とはいえ、正しい判断は出来ねばならない。神に供えた肉など)神聖な物を犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。豚はそれを足で踏みつけ、向き直ってあなた達を噛み裂くかも知れない。


●人間は生まれつき「土の器」なのだからこれに向って矯正しようと思うのは間違いだ。自戒。
●天下国家の悪を断罪批判する行為は人間の罪のなんたるかをしらない愚。そういう人間は信者の看板を下ろして共産党になれ。現在の無教会は聖書を勉強していないで政治がかり社民党に似て来ているのは信仰が堕落しているからである。断罪行為が信仰だと思っている。人間はもともと「土の器」であることを知らず、また神の力によってのみ救われるという新約聖書の使信を全く理解してない。「良くやっている」とは到底言えたものではない。信者として「神認識」が間違っている。真の信者はそういう行動には出ない。
●戦時中に国家批判した人間は「過去自慢」しながら跋扈している。福音の真理をつかんでないから「後が続かない」。「過去自慢」を」する人間を崇拝するのは人間伝承であって福音伝承ではないから、的外れ(罪の原意)の大罪である。勇敢な立派な行為だ、「信仰の結果だなー」などと褒めてはいられない。国家や体制を批判し抵抗しても世の中良くはならない。

塚本訳 マタ 6:12-15
6:12 罪を赦してください、わたしたちも罪を犯した人を赦しましたから。
6:13 わたしたちを試みにあわせないで、悪から守ってください。
6:14 (祈る前に、まず人の罪を許さねばならない。)あなた達が人の過ちを赦してやれば、天の父上もあなた達を赦してくださるが、
6:15 人を赦さないならば、父上もあなた達の過ちを赦してくださらないであろう


●世の悪は私の悪。まず自分の罪が赦されなければならない。

口語訳 詩  51:3-5
51:3 わたしは自分のとがを知っています。わたしの罪はいつもわたしの前にあります。
51:4 わたしはあなたにむかい、ただあなたに罪を犯し、あなたの前に悪い事を行いました。それゆえ、あなたが宣告をお与えになるときは正しく、あなたが人をさばかれるときは誤りがありません。
51:5 見よ、わたしは不義のなかに生れました。わたしの母は罪のうちにわたしをみごもりました。


●父母は信者でなかったから私は罪で生まれたという告白は今日深刻である。


口語訳 詩  51:7-8
51:7 ヒソプをもって、わたしを清めてください、わたしは清くなるでしょう。わたしを洗ってください、わたしは雪よりも白くなるでしょう。
51:8 わたしに喜びと楽しみとを満たし、あなたが砕いた骨を喜ばせてください。


●ヒソプではなくキリストの流された血で「今」赦されるのだ。聖霊で「今」清められるのだ。

塚本訳 ルカ 1:46-50
1:46 マリヤが(神を讃美して)言った。──『わたしの心は主を』あがめ、
1:47 わたしの霊は、『救い主なる神を喜びたたえる、』
1:48 この『卑しい召使にまで目をかけてくださった』からです。きっと今からのち代々の人々は、『わたしを仕合わせ者と言いましょう。』
1:49 力の強いお方がわたしに大きなことをしてくださったのです。『そのお方の名は聖で、』
1:50 『その憐れみは千代よろず代とかぎりなく、そのお方を恐れる者にのぞみましょう。』


●これ真のクリスチャンの歌。男はこういう女性と結婚しなければならない。

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朝の黙想終わり。土の器は神による「絶対恩恵」で完全なる「有体的復活」にさせられる。
 
●九州の一読者(未知)から次のようなメールが入った

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前略
神の御言葉に対する素晴らしい御奉仕に対して、心より敬意を表し、また、感謝いたします。
私は九州に住む一人のクリスチャンですが、今ヨブ記を読んでいて、新改訳の31章の部分が新共同訳になっているのに、気がつきましたので御連絡させていただきます。
今後とも宜しくお願い致します。
敬具

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●私は思う。日本にはわずかだがこういう「残された者」がいる。HPへの応答でそのことを実感する。神はこういう人の存在の故に日本を滅ぼさないであろう。

口語訳 創  18:26
18:26 主は言われた、「もしソドムで町の中に五十人の正しい者があったら、その人々のためにその所をすべてゆるそう」。


口語訳 創  18:32
18:32 アブラハムは言った、「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。わたしはいま一度申します、もしそこに十人いたら」。主は言われた、「わたしはその十人のために滅ぼさないであろう」。

塚本訳 ロマ 11:4-5
11:4 ところが彼に対する神のお告げはどうであるか。──「『わたしは(異教の神)バアルに膝をかがめなかった男子七千人を』自分のために『残しておいた。』」
11:5 だから、同じように今の世にも、恩恵の選びによる残りの者がある。

●TSK日本語版歴代誌18章
●11月3日感話「イエスとパウロの裁判に学ぶ」。参考書は読まず、聖書のみ
●アサヒネットにFC2データがHPにうまくアップしないことを技術サポートに調べてもらった。どうやらFC2側の問題らしい。明日FC2に問い合わせメールを出す。

●17:00 図書館まで夕方散歩。60分 














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あの殺人犯を救え ++++++++ 所感

2013/10/13 07:29

131013(日)朝の啓示「あの殺人犯を救え」●ここ連日、三鷹市女子高校生殺人事件でもちきりである。犯人は池永と言い、交際の復縁を断られたことに恨みをもっての計画的犯行であった。「恋のもつれ」である。●彼が獄中で悔い改めてキリストの福音に接して、肉体は極刑になっても罪を赦してくださる父なる神の御許に迎えられるようになることを祈る。●「恋のもつれ」による殺人を知って歌劇「カルメン」を思った。思うに恋」とか「惚れる」とかいうものは肉の欲である。文学の世界ではこれを美化するが聖書はこれを至上のものとはしない。●内村鑑三は「源氏物語」ほど日本人を女々しくしたものはないという。●無教会主義の父祖たちは「恋愛ご法度」を教えた。これはクリスチャンになると酒タバコをやめなければならないと言って「教会」に来ない人がいるが、「無教会に来れば恋愛ご法度」である。それなら無教会はイヤダという人がいれば見込みはない。「狭き門より入れ。滅びに至る門は広く、そこに入る人は多い」である。(マタイ7:13-14)●妻が「オペラ」が嫌いなのはほとんどが「色恋」の話だからという。信仰が健全な徴である。●殺人犯「池永」にとっては「罪とは何か」「神はいるか」「救いとは何か」「キリストは神か人か」「教会か無教会か」「聖書は信じられるか」などの暇な研究は必要ない。必死で救いを求めるのみである。●彼にとって犯行は不幸なことであり、被害者のご両親の嘆きは大きい。しかしこのことにより神の栄光が上がればこの不幸も神の摂理である。●人間の「欲」が罪を生む。殺人になる。

口語訳 ヤコ 1:15
1:15 欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す。


新改訳 ヤコ 1:15
1:15 欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。


新共同 ヤコ 1:15
1:15 そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。


塚本訳 ヤコ 1:15
1:15 かくて慾が孕むと罪を産み、罪が熟すると死を生む。

●罪はまず心の中で生じる。これは米国映画「陽のあたる場所」(1951年アカデミー賞、モンゴメリークリフト、エリザベステーラー)のテーマである。さすがキリスト教の米国で、「腐っても鯛」である。わたしはこの映画が好きでビデオを持っている。

塚本訳 マタ 5:27-28
5:27 あなた達は(昔の人がモーセから、)『姦淫をしてはならない』と命じられたことを聞いたであろう。
5:28 しかしわたしはあなた達に言う、情欲をもって人妻を見る者は皆、(見ただけで)すでに心の中でその女を姦淫したのである


塚本訳 マタ 5:21-22
5:21 (だからわたしの戒めは彼らよりもきびしい。)──あなた達は昔の人が(モーセから、『人を)殺してはならない、』殺した者は裁判所で罰せられる、と命じられたことを聞いたであろう。
5:22 しかしわたしはあなた達に言う、兄弟に腹をたてる者は皆、(ただそれだけの理由で、天国の)裁判所で罰せられる。兄弟に馬鹿と言う者は、最高法院で罰せられる。畜生と言う者は、火の地獄で罰せられる。

●今朝のニュースでは三鷹女子高生殺人事件」に関して警察に不備はなかったのかどうかを検証中だと報じているが。「的外れ」である。日本は宗教的な問題にまで深まらない。
●塚本先生が伝道に人生を切り替えたのは同僚が日本で初めてのバラバラ事件(鈴弁殺し)を犯したとき、彼が極刑なら私は逆さ磔だと認識し、「いくら法律を作っても人間の欲が清められなかったら犯罪はなくならない」と思ったからである。それまで塚本先生は職場の農商務省において「米問題」の法律を作っておられた。
●しかしこの世の事件という事件、罪という罪、殺人という殺人、これらは不幸なことではあるが、それによって救いに簿かれれば万歳である。

塚本訳 ロマ 5:20
5:20 (それなら律法は人を義として永遠の命を与えるためには役立たないのか。その通り。)律法は、過ちを増し強めるために第二義的に来たのである。しかし(神に感謝する、
人の犯す)罪が増し強まれば、恩恵は豊かにあふれる。

●私が一度会ったことのある某氏は現在獄中の人に対しての「聴罪師」になっている。ひかれる。
●誰か獄中の「池永」に福音を運ばないか。そういう人が出ないか。彼のためにキリストは身代わりの死を遂げたのだ。

●かって孫娘と会話をした。

孫娘(突然に)「おじいちゃん。『恋』ってしたことある?」
私「うーん」。(心で)「あったけどみんな振られてしまった」。
今思う。振られて良かった。あの人と結ばれていたら不幸になっただろうなー

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朝の黙想終わり。わたしを、人生を悔いている人に遣わしたまえ。いたるところにいるはずだ。

●集会。妻は二本松から2時間で東京につき、集会にいつもの時間に来た。茂木(司会)、高木(詩編と福音書の関係。畏敬ということ)、山本(第一テサロニケ2章)
●小寺ご夫妻と私達で昼食
●妻から郷里のこと、二本松の三男の家に泊まったこと、12日は安達太良に登ったが途中から雨が降ってきたので引き返したことを聞いた。
●TSK日本語版17章
●図書館に行く。

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図書館に行く途中。奥多摩連山の夕暮れ。美しいシルエットだ。

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「置かれた場所で咲く」(渡辺和子)という」役目を終えて夜を迎えるコスモス。
遠景は奥多摩連山。

●夕食後、土産物を味わう。







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別れの涙。「後ろを振り返るな」 ++++++++ 所感

2013/10/12 06:43

131012(土)3時半目覚め。朝の啓示「別れの涙。『後ろを振り返るな』」●信者の悩みと嘆き悲しみは「この世」との別れである。これをめぐって多くのドラマがあった。初代教会の殉教者ヴィクトリアは処刑台に立たされた時、肉親の兄が近づいて「ローマ皇帝が『主』だと呟けばよい。生き延びて年老いた両親の面倒を見よ」と言った。しかし彼女はそれを振り切って殉教した。●ジャンヌダークは処刑されると決まってから一度信仰がぐらついた。しかし勇躍気を取り直して火あぶりの刑に服した。「苦しみは瞬時にして喜びは永遠」とシラーは結んだ。(シラー「オルレアンの少女」)●クリスチャンは信仰に熱心になればなるほど肉親兄弟親族との「別離の涙」が流れる。これクリスチャンの宿命である。今朝はこのことについて黙想してみよう。Ⅰコリ 7:15-16の意味の探求である。
 
●まず翻訳比較。良い翻訳を少なく比較する。

文語訳 Ⅰコリ7:15-16
7:15 不信者みづから離れ去らば、その離るるに任せよ。斯くのごとき事あらば、兄弟または姉妹、もはや繋がるる所なし。神の汝らを召し給へるは平和を得させん爲なり。
7:16 妻よ、汝いかで夫を救ひ得るや否やを知らん。夫よ、汝いかで妻を救ひ得るや否やを知らん。


口語訳 Ⅰコリ7:15-16
7:15 しかし、もし不信者の方が離れて行くのなら、離れるままにしておくがよい。兄弟も姉妹も、こうした場合には、束縛されてはいない。神は、あなたがたを平和に暮させるために、召されたのである。
7:16 なぜなら、妻よ、あなたが夫を救いうるかどうか、どうしてわかるか。また、夫よ、あなたも妻を救いうるかどうか、どうしてわかるか。


塚本訳 Ⅰコリ7:15-16
7:15 しかし不信者の夫(なり妻なり)が別れるなら、別れさせよ。こんな場合に、兄弟なり姉妹なり(つまり信者)は(結婚に奴隷として)束縛されてはいない。神は平和な生活へあなた達をお召しになったのである。(無理があるのは、御心ではない。)
7:16 なぜか。
妻よ、夫を(信仰に導いて)救うことができるかどうか、どうしてわかるのか。また夫よ、妻を救うことができるかどうか、どうしてわかるのか。


新共同 Ⅰコリ7:15-16
7:15 しかし、信者でない相手が離れていくなら、去るにまかせなさい。こうした場合に信者は、夫であろうと妻であろうと、結婚に縛られてはいません。平和な生活を送るようにと、神はあなたがたを召されたのです。
7:16 妻よ、あなたは夫を救えるかどうか、どうして分かるのか。夫よ、あなたは妻を救えるかどうか、どうして分かるのか。


●次に自分の頭から聖書のハーモニーを紡ぎだす。たとえ一か所でもよい。「自分の引照」が尊い。

口語訳 創  19:14-18
19:14 そこでロトは出て行って、その娘たちをめとるむこたちに告げて言った、「立ってこの所から出なさい。主がこの町を滅ぼされます」。しかしそれはむこたちには戯むれごとに思えた
19:15 夜が明けて、み使たちはロトを促して言った  「立って、ここにいるあなたの妻とふたりの娘とを連れ出しなさい。そうしなければ、あなたもこの町の不義のために滅ぼされるでしょう」。
19:16 彼はためらっていたが、主は彼にあわれみを施されたので、かのふたりは彼の手と、その妻の手と、ふたりの娘の手を取って連れ出し、町の外に置いた。
19:17 彼らを外に連れ出した時そのひとりは言った、「のがれて、自分の命を救いなさい。うしろをふりかえって見てはならない。低地にはどこにも立ち止まってはならない。山にのがれなさい。そうしなければ、あなたは滅びます」。
19:18 ロトは彼らに言った、「わが主よ、どうか、そうさせないでください。


口語訳 創  19:24-26
19:24 主は硫黄と火とを主の所すなわち天からソドムとゴモラの上に降らせて、
19:25 これらの町と、すべての低地と、その町々のすべての住民と、その地にはえている物を、ことごとく滅ぼされた。
19:26 しかしロトの妻はうしろを顧みたので塩の柱になった


●ロトの妻はなぜ後ろを振り返ったのだろうか。説得しても応じなかった「むこ」たちのことが気になったのだ。当然である。我々も終末の裁きの日には神を信じない身内のことが気になって「後ろを振り返る」のは人間として100%自然の感情だ。
●そんな時「後ろを振り返るな」というのは非情である。特に肉親を大切にする儒教のわが国では考えられないこと、「不道徳」でもある。

塚本訳 ヨハ 21:18-22
21:18 アーメン、アーメン、わたしは言う、あなたは若い時分には、自分で帯をしめて、行きたい所へ行ったが、年を取ると、両手をのばして、ほかの人に帯をしめられ、行きたくない所へ連れてゆかれるであろう。」
21:19 このように言われたのは、ペテロがどんな死に方をして[十字架について]、神の栄光をあらわさねばならぬかを暗示されたのである。こう言ったあと、ペテロに、「わたしについて来なさい」と言われる。
21:20 ペテロが(ついて行きながら)振り返ると、イエスの愛しておられた弟子が(あとから)ついて来るのが見えた。この弟子は(最後の)夕食の時に、イエスの胸にもたれかかって、「主よ、あなたを売る者はだれですか」と言った者である。
21:21 ペテロはその人を見て、イエスに言う、「主よ、あの人はどうなるのでしょうか。」
21:22 イエスが言われる、「たといわたしが今度来るまで、あの人を生かしておきたいと思っても、それはあなたの知ったことではない。あなたは(ただ)わたしについて来ればよろしい。」


●ペテロも「後ろを振り返った」
●我々も思う。「主よあの人はどうなるのでしょうか」と。
●これでいいのだ。それが自然だ。「神を信じない両親、兄弟、子や孫、親類縁者はどうなるのだろうか」という心配は当然のことだ。
●ここで慰めの言葉は「それはあなたの知ったことではない」という言葉である。一般に「それは「あなたには係りががない」と訳されている(口語、新改訳、新共同、文語)。しかしそれは「神が心配しておられる」と読みたい。
●人は捨てる。匙を投げる。係りを断つ。しかし神は捨てない。

塚本訳 ルカ 14:33
14:33 だから同じように、(家族や財産など)一切合切、自分のものと別れなければ、あなた達のだれ一人、わたしの弟子になることは出来ない。


●ここは普通は「捨てなければ」と訳される(口語、新改訳、新共同)が、塚本訳の「別れなければ」は人間味溢れる翻訳だ。涙を感じられるのだ。自らの意志で捨てるのではなく、無理矢理そうさせられるのだ。不可解な不条理な事なのだ。死別や財産喪失である。


塚本訳 ピリ 3:8
3:8 否、ただにそれ(らの特権)ばかりでなく、わが主キリスト・イエス(を知る)の知識が(余りにも尊く)優れているために、本当は(今は)一切合切のものを損だと思っている。(実際)彼のために何もかも損してしまったのだが、(そんなものは皆)塵芥と思っている。これはキリスト・イエスを自分の有(もの)とし、


●パウロは栄達の道と別れた。この世は「パウロは何もかも損してしまった」と思った。しかしパウロにとって「損したもの」それは塵芥と思うようになっていた。ここのところ口語訳では「ふん土」となっている。つまり臭くて汚いものなのだ

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朝の黙想終わり。クリスチャンはこの世と別れる。涙を流して別れる。涙を振って別れる。しかし』終末で主にあって「再会」できる。それが肉ではなく霊にある真の交わりの喜びだ。 早く終末が来てほしい。
 
●TSK日本語版歴代誌下16章。HP使徒伝承に論考もアップしない。いよいよおかしい。ギブアップ。万策尽きた。
●昼は得意の野菜炒めで自炊。
●13:30、9年前に母が逝った日の出が丘病院で講演会を聞く。
 「地域ホスピスを目指して」・・・幸せな最期・後悔しない最期の迎え方・・・
 立川在宅ケアクリニック院長 井尾和雄 

●発表された次のデータに驚いた。
 末期がんを宣告された人の思い。
 病院で死にたい。 米国41%、日本80%、
 自宅で死にたい。 米国31% 日本13%、
●帰途、講師と懇談。この差は死生観の違いにあって、宗教観が原因ということで一致。
●日本人は「何とか生き延びようと、病院に駆け込む」。しかし人間は確実に「死ぬ」
●目的は「穏やかに死ぬ」ことが万人の願い。


 
 
 
 
 
 
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日の出が病院のホスピス階。母は9年前にあの突き当りの部屋から逝った。 

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奥多摩連山に夕陽。人は誰でも「終わり」があるのだ。

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帰途、あきる野市中央図書館に寄る。岩波「世界」11月号を読みに行く。
浅見仙作のことが出ている。鈴木弼美も「不敬罪」で捕まったのではなく、
再臨信仰のためであった。いつの時代、どのような国でも法律では再臨信仰は取り締まれない。キリスト教が国家に対決する時、その信仰は堕落している。来世を目指して生きる人間が徹底的にこの世の改造に尽くす。戦争に徹底的に抵抗する人間は再臨信仰が土台でる。これ逆説の現象。








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過去の汚点は「今の時」にキリストによって清められる ++++++++ 所感

2013/10/11 07:39

131011(金)朝の啓示「過去の汚点はキリストによって『今の時』に清められる」●人生の汚点は苦しいものである。悔やむことである。しかし過ぎ去った過去は取り戻せない。●人に汚点があることは他人に言われなくても自分で分かっているものである。自分にきりわからないものであるが、神はお見通しである。父母兄弟は知らなくても「お天道様」は見ている。知っている。

塚本訳 ヨハ 8:7
8:7 しかし彼らがしつこく尋ねていると、身を起こして言われた、「あなた達の中で罪(をおかしたこと)のない者が、まずこの女に石を投げつけよ。」


塚本訳 Ⅰヨハ1:10
1:10 もし自分は罪を犯したことはない、と言うならば、(それは)神を嘘つきとするのであって、(約束の)御言葉はわたし達の中にないのである。(聖書は、わたし達が一人のこらず罪人であるとするからである。)


塚本訳 ロマ 3:10
3:10 (聖書に)こう書いてある。──『正しい人がいない、一人もいない


●この人生の汚点の苦しみ、懊悩、悔やみから救ってくれるのは誰か。キリストのみ。

塚本訳 ロマ 7:24-25
7:24 なんとわたしはみじめな人間だろう!だれがこの死の体から、わたしを救い出してくれるのだろうか。
7:25 ──神様、感謝します、わたし達の主イエス・キリストによって!──
従って、このわたしは理性では神の律法に仕えるが、肉では罪の法則に仕えるのである。

塚本訳 使  4:12
4:12 この方のほかのだれによっても救いはない。天下ひろしといえども、わたし達が救われるべき名はこれ以外、人間に与えられていないからです。」

塚本訳 ヨハ 14:6
14:6 イエスは言われる、「わたしが道である。また真理であり、命である。(手段であると同時に目的であるから。)わたしを通らずには、だれも父上の所に行くことはできない

塚本訳 Ⅰテモ1:15
1:15 (まことに)「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来給うた」という言は信ずべく、また無条件に承認さるべきである。そしてこの私がその罪人の第一人者である。


●キリストの血により「今の時に」清められる体験をしたものは「新しく創造された」ものであり、永遠の命に参入させられたのだ。

塚本訳 ヨハ 3:3-5
3:3 イエスが答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、(徴を見て信じたのではいけない。)人は新しく生まれなおさなければ、神の国にはいることは出来ない。」
3:4 ニコデモがイエスに言う、「(このように)年を取った者が、どうして生まれなおすことが出来ましょう。まさかもう一度母の胎内に入って、生まれなおすわけにゆかないではありませんか。」
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。

塚本訳 Ⅱコリ5:17
5:17 だから、キリストと結びついている者は、新しい創造物である。古いものは消え失せて、いまここに、新しくなってしまっている!


●このⅡコリ5:17をTSK日本語版で見て心にハーモニーする(ハモる)ものを掲げてみよう。

http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/110910.htm



塚本訳 ロマ 8:9
8:9 しかしあなた達は肉にある者ではなく、霊にある者である、(すでにキリストを信じて)神の御霊があなた達の中に住んでおられる以上は。しかし(神の御霊すなわち)キリストの霊を持たないなら、その人はキリストのものではない。


塚本訳 ガラ 6:15
6:15 なぜなら、割礼があるのも、割礼がないのも、なんの意味もない。ただ意味があるのは、
(キリストによる)新しい創造。


口語訳 イザ 43:18-19
43:18 「あなたがたは、さきの事を思い出してはならない、また、いにしえのことを考えてはならない。
43:19 見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起る、あなたがたはそれを知らないのか。わたしは荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる。


口語訳 イザ 65:17-18
65:17 見よ、わたしは新しい天と、新しい地とを創造する。さきの事はおぼえられることなく、心に思い起すことはない。
65:18 しかし、あなたがたはわたしの創造するものにより、とこしえに楽しみ、喜びを得よ。見よ、わたしはエルサレムを造って喜びとし、その民を楽しみとする。


塚本訳 ロマ 6:4-6
6:4 だからこの死への洗礼によって、彼とい一しょに(死んで一しょに)葬られたのである。これはキリストが父上の栄光によって死人の中から復活されたように、わたし達も(復活して)新しい命をもって歩くためである。
6:5 なぜなら、わたし達が(洗礼によって)彼と合体してその死にあやかる者になった以上、復活にもあやかるのは当然だからである。
6:6 わたし達はこのことを知っている。──(洗礼は十字架をあらわす。)
古いわたし達は(キリストと)一しょに十字架につけられたが、これは罪の体がほろび失せて、わたし達がもう二度と罪の奴隷にならないためであると。


塚本訳 ロマ 7:6
7:6 しかし今は縛られていた律法に対して死に、律法から解かれたので、(律法の)古い文字によらず、(福音の)新しい霊において(神に)仕えるのである


塚本訳 Ⅱコリ5:16
5:16 だからこのわたし達は、
今からのちだれをも人間的に知ろうとはしない。たとい(以前は)キリストをも人間的に知っていたにせよ、今はもはや(そのように)知りはしない。


塚本訳 ロマ 8:10
8:10 しかしキリスト(の霊)があなた達におられるなら
、(あなた達の)体は(アダムの)罪によって死んでいるが、霊は(キリストの)義によって生きている。


塚本訳 エペ 4:22-24
4:22 然り、君達は情欲に欺かれて破滅すべき、以前の生活に属する旧い人間を脱ぎ棄て、
4:23 君達の霊も心も(すっかり)新しくされ、
4:24 真理の義と聖とにより神に肖(あやか)って創造られた新しい人間を着るべき(ことを教えられたの)である。

塚本訳 コロ 3:3-10
3:3 君達は(既にこの世に)死んで、その生命はキリストと共に神の右に隠されているのだから
3:4 (しかし今でこそ隠されているが、)私達の生命であるキリストが顯れ給う時には、君達もまた彼と共に栄光の裡に顯れるであろう。
3:5 だから、地上のものである(体の)肢の様々の慾、すなわち淫行、汚穢、情慾、邪慾、また偶像礼拝なる貪慾を(悉く)殺せ。
3:6 神の怒りはこれらのことのために臨むのである。
3:7 君達もかつて(他の異教人と同様)これらの(罪の)中に生きていた時には、その中を歩いたのであった。
3:8 しかし今や君達もまた(キリストと共に死にまた甦ったのであるから、)凡てのものを棄てよ──(いま言った様々の慾はもちろん、なお)怒り、憤怒、悪意を、また君達の口から誹謗と悪口を!
3:9 互いに嘘をつくな。行為もろとも旧い人間を脱ぎ棄て、
3:10 新しい人間を着よ
。この新しい人間はいよいよ新しくされて、彼を創造り給うた御方の『像に肖って』(遂に完全なる)知識に達するのである。

塚本訳 黙  21:1-5
21:1 また私は新しい天と新しい地とを見た。初めの天と初めの地とは消え去ったのである。最早海も無い。
21:2 また聖なる都新しいエルサレムが、夫のために飾った新婦のように身支度をして、天から、神(の御許)から降って来るのを私は見た。
21:3 そして私は玉座から大きな声が(出てこう)言うのを聞いた、「視よ、人と共に神の幕屋がある! 神が彼らと共に住み、彼らは神の民となり、神自ら彼らと共にいまして、
21:4 彼らの目から悉く涙を拭い取り給うであろう。最早死もなく、悲嘆も叫喚も疼痛も最早無いであろう。初めの(天と地にあった)ものが(すっかり)消え去ったからである。」
21:5 すると玉座に坐し給う者が言い給うた、「視よ、われ凡てを新しくする」と。また言い給う、「書け、この言は信ずべくまた真実であるから。」


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朝の黙想終わり。人間、過去の汚点の悔やみから救われる。新しき人になる。それが「本当の人間」だ。

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5:40  早朝。妻は郷里のいわき市に両親の墓参に行く。いそいそと行く姿は急に娘になったようだ。もっとたびたび行くように取りはからなければいけないなーと思う。
帰りに二本松に寄って孫の顔を見てから、日曜日は朝早く出て東京の集会に出席する。









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老年の喜び ++++++++ 所感

2013/10/10 07:55

131010(木)5時目覚め。朝の啓示「老年の喜び」。

口語訳 伝 12:1
12:1 あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に


新改訳 伝 12:1
12:1 あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に


新共同 伝 12:1
12:1 青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。「年を重ねることに喜びはない」と/言う年齢にならないうちに


●老年の喜びとは何だろう。若き日から親しんできた聖書から頭に思いつくものを黙想しよう。

口語訳 詩 84:1-2
84:1 万軍の主よ、あなたのすまいはいかに麗しいことでしょう。
84:2
わが魂は絶えいるばかりに主の大庭を慕い、わが心とわが身は生ける神にむかって喜び歌います。

●塚本先生の特愛の句。
●この人生は「主の大庭」だ。その麗しさを見るのは楽しみだ。

口語訳 詩 23:6
23:6 わたしの生きているかぎは/必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。


●人生80年、あと10年残り少ない人生、しかし生きているうちに「主の宮」に住むというのは喜びだ。まだ10年ある。
●人、どこに住むのが幸福かというと、「主のそば」にいることだ。

塚本訳 ヨハ 6:68
6:68 シモン・ペテロが答えた、「
主よ、(あなたを離れて)だれの所に行きましょう。永遠の生命の言葉はあなただけがお持ちです(から)。

●誰の所に行くべきか。人間ではいけない。人間を崇拝してはいけない。洗礼者ヨハネのようにイエスを指差さなければならばい。
●人間の神学思想に土台を置く教派は長続きしない。
 
塚本訳 ロマ 8:38-39
8:38 なぜなら、わたしは確信している、死でも命でも、天使でも支配(天使)でも、現在起こっていることでも将来起こることでも、権力(天使)でも、
8:39 高い所のものでも低い所のものでも、その他どんな創造物でも、わたし達の主キリスト・イエスによる神の愛から、わたし達を引き離すことはできない


●キリストに狂ってすべてを失ったパウロの喜びはここにある。家庭も子や孫に幸福なし。
●朝に夕に大自然を見るのは楽しみであるが、それよりも死を突破する命との交わりが本当の喜びだ。

塚本訳 ルカ 2:25-26
2:25 さて(そのころ)エルサレムに名をシメオンという人がいた。この人は正しい、信心深い人で、イスラエルの慰め(である救世主)を待ち望み、聖霊が彼をはなれなかった
2:26 かつ主の救世主を見ないうちは決して死なないと、かねて聖霊からお告げを受けていた。


●老シメオンの希望の喜びは救世主の出現を待ち望むことであった。
●「この世の世界平和の実現」を待ち望む者は失望に終わる。的外れの希望だからだ。

塚本訳 ルカ 1:46-48
1:46 マリヤが(神を讃美して)言った。──『わたしの心は主を』あがめ、
1:47 わたしの霊は、『救い主なる神を喜びたたえる、』
1:48 この『卑しい召使にまで目をかけてくださった』からです。きっと今からのち代々の人々は、『わたしを仕合わせ者と言いましょう。』


●「救い主なる神を喜ぶ」ということが人間の究極の喜び。
●カルヴァン派が生み出したのウェストミンスター小教理問答書。
聖書の次に最高の書と思う。
 第一問 ・人生の主たる目的は何か
   答え・人生の主たる目的は神に栄光を帰し、永遠に神を喜ぶにある。 

塚本訳 Ⅰペテ1:8-9
1:8 君達は彼を(目のあたり)見たことはないが、(これを)愛し、今も見ることは出来ないが、(これを)信じて、(既にかの日の)輝きに満ちた、言語に絶する喜悦を喜んでいる
1:9 信仰の目標なる霊魂の救いを獲るからである。


●これが老年の喜びだ。
●「永遠の命」を生きているうちから味わうのだ。

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朝の黙想終わり。行け。主に向かって行け。有体的復活を信じそれを目指して喜んで進め。

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早朝散歩で出会った73歳の老人が話してくれた。
「妻に先立たれたがそれは早いか遅いかだけのことだ。
 おいしいものを大量に食べるのは良くない。コレステロールが溜まるだけだ。
年金生活だが、年に2~3回旅行をする。今度は鬼怒川へ行く。
孫は来てくれるが小遣いをせびられるだけ。一回5千円から1万円。それもおもちゃだ」

●これを聞いて思った。老人への年金は孫に流れていくので経済の循環にもなっているのかなー。ただし妻は孫に多額の小遣いを渡さないことにしている。
●元厚生労働大臣の枡添要一氏は「大事な税金を、働く能力のあるに怠けている連中に払うつもりはない」という趣旨の発言をしたそうだが一面の真理だ。

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朝のコスモス。風になびく。聖書では風をプニューマと言い、神の聖霊のことだ。神の息だ。
遠景に富士。

●14:50 昭和女子大建築講義。少し早めに終わらせて4人に進路相談。
●19:30 TSKデータがHPにリンクしないので福島の三男に聞くと「難しいことはやめておけ」と注意された。いつか家に来て調べてくれるという。妻も同感。
 





























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滅びゆく者をこそ神は知っている ++++++++ 所感

2013/10/09 06:25

131009(水)4時半目覚め。朝の啓示「滅びゆく者をこそ神は知っている」●キリスト信者にとって神を信じないで死んだ両親、神を信じない兄弟、子供、の運命はどうなるのかは深刻な問題である。今朝はそのことを巡って頭に浮かぶ聖句を巡って黙想してみよう。

塚本訳 Ⅱコリ2:14-16
2:14 しかし神に感謝せねばならない。神はいつでもわたし達をキリストによる凱旋行列に(虜として)引き回し、至る所でわたし達を通して御自分を知らせる知識の薫りをお広めになる。
2:15 というのは、わたし達は救われる者の間でも、滅びゆく者の間でも、神にささげられるためのキリストのよい薫である。
2:16 ある者には、死から死へみちびく薫であるが、ある者には、命から命へみちびく薫りである。(ああ、)一体だれにこんなことが勤まろう。

●ここでパウロが言う「滅びゆく者」とは誰のことだろう。パウロが置かれた迫害の状況を見なければその真の意味は分からない。そこで人間パウロではなく、神の子イエスに「滅びゆく者」の概念があるのかどうかを見てみよう。


塚本訳 マタ 23:24
23:24 目の見えない案内人よ、君たちは(律法を守るために、酒の中に落ちた)一匹の蚋をこし出しながら、駱駝を飲みこんでいる。


塚本訳 マタ 19:23-25
19:23 イエスは弟子たちに言われた、「アーメン、わたしは言う、金持が天の国に入ることはむずかしい。
19:24 かさねて言う、金持が天の国に入るよりは、駱駝が針のめどを通る方がたやすい。」
19:25 これを聞いて、弟子たちは非常に驚いて言った、「ではいったい、だれが救われることが出来るのだろう。」

塚本訳 ルカ 16:25
16:25 しかしアブラハムは言った、『子よ、考えてごらん、あなたは生きていた時に善いものを貰い、ラザロは反対に悪いものを貰ったではないか。だから今ここで、彼は慰められ、あなたはもだえ苦しむのだ。

塚本訳 ルカ 6:24-25
6:24 だが、ああ禍だ、富んでいるあなた達、もう慰めを受けたのだから。
6:25 ああ禍だ、今食べあきているあなた達、(かの日に)飢えるのだから。ああ禍だ、今笑っている人たち、(かの日に)泣き悲しむのはあなた達だから。

塚本訳 マタ 15:12-14
15:12 あとで弟子たちが来てイエスに言う、「パリサイ人がお話を聞いて腹を立てたことを御存じですか。」
15:13 イエスは答えられた、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜かれる。
15:14 あの人たちを放っておけ。盲人の手引をする盲人だ。盲人が盲人の手引をすれば、二人とも穴に落ちよう。」

塚本訳 ルカ 10:10-12
10:10 しかしある町に入ったとき、人が歓迎しないなら、大通りに出て言え、
10:11 『わたし達は足についたこの町の埃まで、あなた達に拭いてかえす。(縁を切った証拠だ。)しかし(あなた達には、恐ろしい裁きである)神の国が近づいたことを知れ』と。
10:12 わたしは言う、かの日には、(あの堕落町)ソドムの方が、まだその町よりも罰が軽いであろう。

塚本訳 マタ 23:34-36
23:34 だから、わたしが預言者や知者や聖書学者を派遣すると、君たちはそのある者を殺し、また十字架につけ、ある者を礼拝堂で鞭打ち、また町から町へと(追いまわして)迫害するであろう。
23:35 これは、(こうして君たちが迫害する預言者の血だけでなく、最初の殺人であった)義人アベルの血から、聖所と祭壇との間で君たち(の先祖)が殺したバラキヤの子ザカリアの血に至るまで、(今までに)地上で流されたすべての正義の血(に対する罰)が、君たちに負わされるためである。
23:36 アーメン、わたしは言う、これら(に対する罰)は、ことごとくこの時代(の君たち)に臨むであろう。

塚本訳 ルカ 19:41-44
19:41 いよいよ(エルサレムが)近くなって(はじめて)都が見えると、イエスは都(に臨もうとしている裁き)を思い、声をあげて泣きだされた。
19:42 そして言われた、「(ああエルサレム、)お前ももし(「平安を見る」という自分の名のように、)きょうでも平安への道が見えたなら(まだ遅くはないのに!)しかし今それはお前の目に隠されている。
19:43 やがて時が来て、敵はお前のまわりに塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め立て、
19:44 お前と、そこにいる『お前の子供たちを地べたに叩きつけ、』お前の中に、そのまま重なっている石が一つもないようにするであろう。恩恵の時を知らなかった罰である。」

塚本訳 マコ 11:15-17
11:15 エルサレムに来た。イエスは宮に入り、宮(の庭)で物を売る者や買う者を追い出し始め、両替屋の台や、鳩を売る者の腰掛を倒された。
11:16 (また近道をするために)器物を持って宮(の庭)を通り抜けることを許されなかった。
11:17 それからこう言って教えられた、「『わたしの家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである』と(聖書に)書いてあるではないか。ところがあなた達はそれを『強盗の巣』にしてしまっている。」

塚本訳 マタ 11:23-24
11:23 それから、お前カペナウム、(わたしに特別に可愛がられたからとて、)まさか『天にまで挙げられる』などとは思っていないだろうね。(天に挙げられるどころか、)『お前は黄泉にまでたたき落されるであろう。』お前の所で行っただけの奇蹟をソドムで行ったなら、(あの堕落町でも、)きょうまで滅びずにいたにちがいないのだから。
11:24 ところでお前たちに言うが、裁きの日には、ソドムの地の方が、まだお前よりも罰が軽いであろう。」

塚本訳 マタ 24:1-2
24:1 イエスが宮を出て(オリブ山の方へ)歩いておられると、弟子たちが近寄ってきて、イエスに宮の(堂々たる)建築を指差した。(この宮が荒れ果てるなどとは考えられなかったのである。)
24:2 彼らに答えられた、「あれをすべてよく見ておけ。アーメン、わたしは言う、ここでそのまま重なっている石が一つもなくなるほど、くずれてしまうであろう。」

塚本訳 マタ 22:11-13
22:11 王は客を見ようとして入ってきたが、そこに礼服を着けていない者が一人いるのを見て
22:12 その人に言った、『君、礼服も着ずに、なんでここに入ってきたのか。』その人が黙っていると、
22:13 王は家来たちに言った、『あの者の手足を縛って、外の真暗闇に放り出せ。そこでわめき、歯ぎしりするであろう。』


塚本訳 ヨハ 15:2
15:2 わたしについている蔓で実を結ばないものは、父上が皆それを切り取ってしまわれる。また実を結ぶものは、より多く実を結ぶように、皆それを奇麗に刈り込まれる。

塚本訳 ルカ 13:7
13:7 葡萄畑の作男に言った、『もう三年この方、この無花果の木に実をさがしに来ているのに、まだ実がならない。切ってくれ。(ならないばかりか、)なんで土地までくたびれさせることがあろう。』

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以上を見ると神は「滅びゆく者」に対する熱烈なる愛を感じる。そうでなければこんなことを言うために「時間を取らない」。神は「滅びゆく者」を知っている。人間以上に知っている。そのことを示すものが次の句である。

塚本訳 ルカ 15:1-7
15:1 さて、イエスの話を聞こうとして、(いつものとおり)税金取りや罪人が皆近寄ってきた。
15:2 パリサイ人と聖書学者たちがぶつぶつ呟いて言った、「この人は罪人を歓迎するし、また(招かれていって)食事までも一しょにする。」
15:3 そこで彼らにつぎの譬を話された。
15:4 「あなた達のうちのだれかが羊を百匹持っていて、その一匹がいなくなったとき、その人は九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を、見つけ出すまではさがし歩くのではないだろうか。
15:5 そして見つけると、喜んで肩にのせて、
15:6 家にかえり、友人や近所の人たちを呼びあつめてこう言うにちがいない、『一しょに喜んでください。いなくなっていたわたしの羊が見つかったから』と。
15:7 わたしは言う、このように、一人の罪人が悔改めると、悔改める必要のない九十九人の正しい人以上の喜びが、天にあるのである。

塚本訳 ルカ 19:10
19:10 人の子(わたし)は『滅びうせた者をさがして』救うために来たのである。」

塚本訳 ルカ 15:32
15:32 だが、喜び祝わずにはおられないではないか。このお前の弟は死んでいたのに生きかえり、いなくなっていたのに見つかったのだから。』」

塚本訳 ヨハ 8:15
8:15 あなた達は人間的に(目に見えるもので)裁くが、わたしはだれも裁かない

塚本訳 ヨハ 12:47
12:47 しかしわたしの言葉を聞いて守らぬものがあっても、わたしはその人を罰しない。なぜなら、わたしは世を罰するために来たのでなく、世を救うために来たのだから

塚本訳 Ⅰテモ1:15
1:15 (まことに)「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来給うた」という言は信ずべく、また無条件に承認さるべきである。そしてこの私がその罪人の第一人者である。

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朝の黙想終わり。アーすっきりした。落ち着いた。「神を信じない者」に対する神の心配と熱心は人間以上だ。それは「母の心」だ。「母の祈りは聴かれる」と言われる。

●終日、TSK日本語版歴代誌13章。どうしてもアップできない。NTTリモートサービスの人に遠隔で見てもらったが不明。TSKは挫折か。データ作成は続行しよう。あと2年。

●18:00 あきる野キララホールへホール主催の無料クラシックコンサート。さすが「音楽とスポーツの街」だけある。わが街の誇りだ。
●このホールは「プロの音楽家たちが絶賛する最高の音響」。今日の司会者(バリトン)も都内屈指の音響と誉めた。佐藤総合計画の設計。その事務所のコンサートホールの専門家は浜田氏だ。
●コンサートの最後に会場全員で東北大震災復興ソング「花は咲く」を合唱した。

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17:15家を出発。徒歩25分のキララホールへ妻と行く。前を歩くのは妻。
我々は西に向かって歩む。終末に向かって歩む。復活を信じて歩む。

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空が焼けている。

塚本訳 マタ 16:1-3
16:1 するとパリサイ人とサドカイ人とが来て、イエスを試そうとして、(神の子である証拠に)天からの(不思議な)徴を示すようにと頼んだ。
16:2 彼らに答えられた、「あなた達は夕方には『(明日は)天気だ、空が焼けているから』と言い、
16:3 また朝早く、『きょうは荒れだ、空が雲って焼けているから』と言う。あなた達は空の模様を見分けることを知っていながら、時の(せまった)徴を見分けることが出来ないのか。


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不思議な夕暮れだ。神が何かを語っているようだなー

塚本訳 マタ 26:64
26:64 イエスは(はじめて口を開いて)彼に言われる、「(そう言われるなら)御意見にまかせる。だが、わたしは言う、
あなた方は今後『人の子(わたし)が』『大能の(神の)右に坐り、』『天の雲に乗って来るのを』見るであろう。」


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コンサートの帰り道。妻は街灯が灯ってない道は怖いという。
三日月がきれいだった。










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団欒を失った時 ++++++++ 所感

2013/10/08 06:44

 1310088火)4時目覚め、朝の啓示「団欒を失った時」●人間にとって団欒はこの上もない喜びである。家庭団欒、夫婦団欒、兄弟団欒、親子団欒、孫との団欒、嫁婿との団欒、友人との団欒、然りキリスト信者との団欒・・・・・これらを否定する人はいない。●しかし不運不幸(家庭崩壊、不和、死別)にもそれが得られなかったり、失われることがある。●過日、その一つを失った人から「畳の目が見えなくなるまで泣いたら、高橋さんがしきりに言っておられた『永遠の命』ということが分かった」と言って来られた。万歳!。得体の知れない苦難の遭遇はそのことのためだったのか、アーそうだったのかと思った。不運や不幸はむやみやたらに襲ってはこない。●キリストの福音を伝えようとするものは団欒という団欒が得られなかったり、失うことを覚悟しなければならない。人間世界の団欒に幸福なし。真の団欒は神との団欒で、それは永遠の命の喜びだ。●団欒を失ったら素直に泣こう。私達がお見舞いする全盲のHさんのように「ナンノコレシキ」と言って笑おう。すると神との団欒が得られる。●内村、塚本、黒崎、矢内原、三谷、南原、・・・・信仰の父祖達は揃いも揃って夫人に先立たれ、「家庭団欒」を失ったのは「偉観」である。 そのことにより一人前の「男」になったのだ。我々は楽しては天国に行けない。この世の幸福も来世の幸福もとは欲張れない。

●デジカメ持って早朝散歩。讃美歌「アー麗しきシオンの朝」「朝風静かに吹きて」を心で歌いながら歩く。

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早朝散歩に出発。「光あるうち光中を歩め」

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五日市線に朝日。鉄腕アトムの最後は太陽に飛び込んだ。

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朝日に赤く映える奥多摩連山。

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コスモス大好き。無抵抗主義、風ママ神ママの人生。遠景に富士が見える。

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秋の空。「もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はその御手の業を示す」

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終末の日にはラッパが鳴ると黙示録に書かれている。 有体的復活の日だ。

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名もなき草も神を称える。神は隠れたることを見ておられる。

●TSK日本語版歴代誌12章。入力したがどうしてもHPにアップできない。リンクできない。
●「ノジマPCサポート」に聞くと、ソフトのメーカー側で仕様を変えることもあるのだという。
●福音の保存、伝承は本でもホームページでもない。命の連鎖、エクレシアの連鎖であって、それは神が起こすものつなげるものであることを思わされた。
●世の終わりは本もパソコンもなくなる。神のみがいます。来世に聖書なし。電気なし、パソコンなし。

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庭からの風で金木犀の良い香りがする。妻の話では次男が府中で生まれた時に
府中市からお祝いに贈られたものだという。木も人間も成長したものだなー。
聖書に「キリストの香り」という言葉がある。(Ⅱコリ2:15)


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16:00 図書館に本を沢山返しに行く。人生は短い。つまらない本は読んでは
いられない。コスモスが「咲く」という一日の勤め終える。「置かれたところで咲きなさい」(渡辺和子)。遠景は夕陽が沈む奥多摩連山。





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子と孫に告ぐ。素直に泣こう。 ++++++++ 所感

2013/10/07 05:38

131007(月)4時半起床●朝の瞑想「子と孫に告ぐ。素直に泣こう」。●人生、不幸や悲しみに遭ったら素直に泣こう。なぜが。それは神が良いものを下さる「門」なのだから。人間、手放しで号泣する時が人生の頂点で最も神が近づく時なのだ。それは「神の時」なのだ。●最もいけないのは「自分を信じて頑張る」と言ってて少しばかり不幸を乗り越えた時にそれを自分の手柄、人間の力だと信じることである。それでは人間の栄光は上がっても神の栄光は上がらない。そういう人に対して神はさらに人間の力ではどうしようもない大不幸を降す。●東日本大震災と福島原発事故は人間の手には負えない大不幸である。あれは神が人間の「罪」というものを知らしめる大恩恵だったのだ。そのことに気づかずに今や日本は「復興、復興」の大合唱で、高さ10メートル以上の大防波堤を造ろうと愚かなることも計画している。神笑い給う。神は津波でダメなら地球規模の大洪水を起こす。これは現に起こりつつある。天変地異が起こる。

塚本訳 ルカ 21:25-26
21:25 すると日と月と星とに(世の終りの不思議な)前兆があらわれ、地上では『海がどよめき荒れ狂うため、国々の民は』周章てふためき怖じまどい、
21:26 全世界に臨もうとしていることを思って、恐ろしさのあまり悶え死にする者があろう。『もろもろの天体が』震われるからである。

●こういう、人のていは負えないどうしようもないときは、人間は罪を自覚して、神に対して「畏れを抱かなくてはいけない。それを神を信じないと何とか「人間の力や努力」で回避したり防ごうとしていては肝心の「罪の悔い改め」という神の恩恵の目的が遂行されない。

●だから人は大不幸になったら素直に泣こう。

●今朝は聖書の中に「神は素直な者を喜ぶ」ということを探してみよう。

●まず。市販ソフトの「Jバイブル」で「直」をヒットしてその中の詩編を見てみよう。

詩    7: 10 [口語

わたしを守る盾は神である。神は心の直き者を救われる。

詩    11: 2 [口語

見よ、悪しき者は、暗やみで、心の直き者を射ようと弓を張り、弦に矢をつがえている。

詩    11: 7 [口語

主は正しくいまして、正しい事を愛されるからである。直き者は主のみ顔を仰ぎ見るであろう。

詩    15: 2 [口語

直く歩み、義を行い、心から真実を語る者、

詩    32: 11 [口語

正しき者よ、主によって喜び楽しめ、すべて心の直き者よ、喜びの声を高くあげよ。

詩    33: 1 [口語

正しき者よ、主によって喜べ、さんびは直き者にふさわしい。

詩    33: 4 [口語

主のみことばは直く、そのすべてのみわざは真実だからである。

詩    36: 10 [口語

どうか、あなたを知る者に絶えずいつくしみを施し、心の直き者に絶えず救を施してください。

詩    37: 14 [口語

悪しき者はつるぎを抜き、弓を張って、貧しい者と乏しい者とを倒し、直く歩む者を殺そうとする。

詩    37: 37 [口語

全き人に目をそそぎ、直き人を見よ。おだやかな人には子孫がある。

詩    64: 10 [口語

正しい人は主にあって喜び、かつ主に寄り頼む。すべて心の直き者は誇ることができる。

詩    69: 35 [口語

神はシオンを救い、ユダの町々を建て直されるからである。そのしもべらはそこに住んでこれを所有し、

詩    78: 72 [口語

こうして彼は直き心をもって彼らを牧し、巧みな手をもって彼らを導いた。

詩    84: 11 [口語

主なる神は日です、盾です。主は恵みと誉とを与え、直く歩む者に良い物を拒まれることはありません。

詩    101: 2 [口語

わたしは全き道に心をとめます。あなたはいつ、わたしに来られるでしょうか。わたしは直き心をもって、わが家のうちを歩みます。

詩    140: 13 [口語

正しい人は必ずみ名に感謝し、直き人はみ前に住むでしょう。

●この中で詩編7:11 を黙想するためにTSKを利用して黙想してみよう。 すると詩編84:11が死に中にあってこれに心が響く。

●そこで次は詩編84:11をTSKで見てみよう。

口語訳 ヨハ 8:12
8:12 イエスは、また人々に語ってこう言われた、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」。


口語訳 詩  119:14
119:14 わたしは、もろもろのたからを喜ぶように、あなたのあかしの道を喜びます。


口語訳 箴  2:7-8
2:7 彼は正しい人のために、確かな知恵をたくわえ、誠実に歩む者の盾となって、
2:8 公正の道を保ち、その聖徒たちの道筋を守られる。


口語訳 Ⅱコリ4:17
4:17 なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。

口語訳 ピリ 1:6
1:6 そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している。


口語訳 詩  34:9-10
34:9 主の聖徒よ、主を恐れよ、主を恐れる者には乏しいことがないからである。
34:10 若きししは乏しくなって飢えることがある。しかし主を求める者は良き物に欠けることはない。


口語訳 詩  84:12
84:12 万軍の主よ、あなたに信頼する人はさいわいです。

口語訳 詩  85:12-13
85:12 主が良い物を与えられるので、われらの国はその産物を出し、
85:13 義は主のみ前に行き、その足跡を道とするでしょう。


口語訳 マタ 6:33
6:33 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。


口語訳 ピリ 4:19
4:19 わたしの神は、ご自身の栄光の富の中から、あなたがたのいっさいの必要を、キリスト・イエスにあって満たして下さるであろう。

口語訳 詩  15:1-2
15:1 主よ、あなたの幕屋にやどるべき者はだれですか、あなたの聖なる山に住むべき者はだれですか。
15:2 直く歩み、義を行い、心から真実を語る者、


口語訳 箴  10:9
10:9 まっすぐに歩む者の歩みは安全である、しかし、その道を曲げる者は災にあう。

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これで心と胸が満たされた。「子や孫たちよ。金銀我になし。この聖書読みの方法で人生を生き抜け」。 
 
文語訳 使  3:6
3:6 ペテロ言ふ『金銀は我になし、然れど我に有るものを汝に與ふ、ナザレのイエス・キリストの名によりて歩め』


口語訳 使  3:6
3:6 ペテロが言った、「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。


新改訳 使  3:6
3:6 すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」と言って、


新共同 使  3:6
3:6 ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」


塚本訳 使  3:6
3:6 ペテロが言った、「金銀は持っていない。わたしの持っているもの、それをやろう。──ナザレ人イエス・キリストの名で歩きなさい!」

●TSK日本語版10章。
●しかしどうしたわけかホームページにアップできなくなった。終日いじっていたがギブアップ。これ以上やるとまた脳がおかしくなるので中止。また明日やってみる。













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汝はキリスト、神の子なるか ++++++++ 所感

2013/10/06 19:20

131006(日)朝の黙示「イエスを主と告白する者の生涯」●4時半起床、今日の感話資料の変更とプリント。間に合った。
●集会は、土肥(司会)、小寺(エペソ書の塚本先生講義)、高橋(「汝はキリスト、神の子なるか」マタイ26:57-68)内容は下記を参照

http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/10062.htm

●感話の中で次のことを話した
●伝承によれば、ルカ福音書の冒頭にあるローマの高官テオピロの夫人ドミティラはひそかにクリスチャンになっていた。ルカはそのテオピロに対し福音は決してローマ政府を転覆させる邪教ではないということを弁明するためにルカ福音書を書いた。テオピロはその後クリスチャンになったらしい。第一巻のルカ福音書は「テオピロ閣下」(1章3節)なのに対し、第二の著作である「使徒のはたらき)の冒頭1章1節は「テオピロよ」(塚本訳)のように呼び捨てになっている。のつまり主にある兄弟になっているいことがわかる。●このテオピロはキリストに帰依したのでローマから睨まれ、死刑になり夫人のドミティラは流刑。誰かテオピロの生涯を描かないものか。福音が流布するには多くの血が流されたのだ。「血は種子」である。
●岩波の「世界」2012年9~12月号は鈴木弼美のこと。特高の加藤光男が「キリストが再臨したら天皇とどっちが偉いか」との紋切型の質問をしたのに対し、「再臨」という宗教上のことなので、特高の加藤は手を焼いた。そこで特高のエース岡原昌男が送り込まれたが、岡原は非常に紳士的に取り調べた結果、すぐ釈放。後に岡原昌男は最高裁入り。

●集会後藤林先生の女婿のYT氏に伺ったところその岡原昌男は第7代最高裁判所長官藤林益三の次の長官。藤林先生が指名された人。非常に紳士な人であったという。藤林先生は弁護士出身で初の最高裁長官、岡原氏は検事出身で初の最高裁長官。

●再臨信仰は3次元世界の法曹界、政治世界には通じない4次元のことなのだ。しかし終末再臨が起こればすべての支配者は神の子・主イエスに頭を下げる。

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集会からあきる野に戻って、ほっとする。

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家路。葉げいとう、が咲く道。


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人は如何にしてイエスを「主・神の子」と告白するに至るか ++++++++ 所感

2013/10/05 08:14

131005(土)朝の啓示「人は如何にしてイエスを『主・神の子』と告白するに至るか」。明日の感話の大修整。聖書の勉強は早朝に限る。●聖書がわかりにくいのは4次元のことが3次元の大脳皮質内で語られる殻である。無理もない話だ。●それを突破するのが罪の自覚とその赦しを通して神の霊に触れることである。この時人間は霊の眼が開けられる。これえが永遠の命を頂くということで、摩訶不思議なヘンテコリンなことなのだ。体験しない者にはサッパリわからないことなのだ。明日の感話の内容は次の通り。

10月6日感話骨子
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       汝はキリスト、神の子なるか 

 人は如何にしてイエスを「主・神の子」と告白するに至るか 

          2013年10月6日 東京聖書読者会 高橋照男



①マタイ26:63-64の翻訳比較


②イエスはなぜまともに答えなかったのか。不親切ではないか。

その理由は罪が赦されて霊の眼が開けられなければ分からないから



③イエスに神の子の自覚(いわゆる「尊厳意識」)はあったのか



④イエスを「主・神の子」と告白するようになった人




1)塚本訳 ヨハ 4:23-24

4:23 しかし(ユダヤ人もサマリヤ人もなく、)本当の礼拝者が霊と真理とをもって父上を礼拝する時が来る。いや、今もうきている。父上もこんな礼拝者を求めておられるのである。

4:24 神は霊である。だから礼拝者も霊と真理とをもって礼拝せねばならない。」



2)塚本訳 ヨハ 5:24

5:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、わたしの言葉を聞き、わたしを遣わされた方を信ずる者は、(今すでに)永遠の命を持っていて、(最後の日に)罰を受けない。その人はもはや死から命に移っているのである。



3)塚本訳 コロ 3:3-4

3:3 君達は(既にこの世に)死んで、その生命はキリストと共に神の右に隠されているのだから。

3:4 (しかし今でこそ隠されているが、)私達の生命であるキリストが顯れ給う時には、君達もまた彼と共に栄光の裡に顯れるであろう。



4))塚本訳 マタ 16:16-17

16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世(キ リ ス)主(ト)、生ける神の子であります

16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから。



5)塚本訳 ガラ 4:5-6

4:5 これは律法の下に(奴隷になって)いる者を贖い出して、わたし達に子たる身分を受けさせるためである。

4:6 しかしあなた達が(いまや神の)子であることは、神がわたし達の心に、「アバ[お父様]、お父様」と呼ぶ御子の霊をお遣わしになったことによって(、知り得るの)である。



6)塚本訳 Ⅰコリ12:3

12:3 だから(霊の見分け方について、)あなた達に次のことを知らせる、神の霊に感じて語る者は、だれも 呪われよ、イエス!とは言わない、また聖霊に感じてでなければ、だれも、イエスは主と言うことは出来ない。



7)塚本訳 Ⅱコリ3:17

3:17 (ここで)主(と)は御霊(のこと)である。主の御霊のあるところには自由が(あるから、ベールが取り除かれるので)ある。



8)塚本訳 Ⅱコリ5:5

5:5 このことがわたし達に出来るようにされたお方は神であり、このお方がその手付けとして御霊を下さったのである。



9)塚本訳 ガラ 4:8-9

4:8 けれども、(まことの)神を知らなかった当時は、あなた達は実際神でない神々に(奴隷として)仕えた。

4:9 しかし今あなた達は神を知っている、いや、むしろ神に知られているのに、どうしてもう一度無力な、貧弱なあの元素の霊(の崇拝)に戻るのか。(どうして)もう一度あらためて(その奴隷として)仕えようと思うのか。



⑤罪の自覚と赦しの体験でイエスを「主・神の子」と告白するようになる。信者とエクレシアの本質は有体的再臨と復活の待望


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10月6日感話骨子終わり。

●6:40 朝のジュース作り。朝食はジュースとヨーグルトのみ。確実に体重が減ってきた。
 
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14:00 キララホール
東京フィルハーモニーコンサート
指揮 チョン・ミン (チョン・ミュンフンの息子)
ピアノ 石田啓明(いしだひろあき)

ヴェルディ「運命の力」
チャイコフスキー ピアノ協奏曲第一番
チャイコフスキー 交響曲第5番

●わが町に本格的なオーケストラがきて大好きなチャイコフスキーを演奏してくれて感謝。
●チョン・ミンの指揮は父親に似ているところがある。
●東フィルはさすが「プロ」。まず音量の大きさにびっくり。特にに管(木管、金管)楽器群が素晴らしかった。トチらないのはプロ。
●東フィルは女性が多い。日本においては弦は女性だ。
●チャイコフスキーの交響曲5番は中学生の時(浦和)に出会った曲。当時のことがしきりに思い出された。
●「ブラボー」を2回発して喉が痛くなった。友人のヴィオリストから聞いた話だが、「ブラボー」と言われると、それまでの練習の苦労が吹き飛ぶらしい。


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チャイコフスキーのピアノコンチェルトが弾かれた、スタインウェイのピアノ。
休憩中に舞台に近寄って撮影。

●コンサートを聴いて、明日の感話資料の大変更。プリントした。
→ more・・ ・
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有体的再臨と有体的復活を待望する根拠 ++++++++ 所感

2013/10/04 06:51

131004(金)朝の啓示「有体的再臨と有体的復活」●再臨と復活を待望する聖書的根拠は次の二つ。

塚本訳 ルカ 23:39-43
23:39 磔にされている罪人の一人がイエスを冒涜した、「お前は救世主じゃないか。自分とおれ達を救ってみろ。」
23:40 するともう一人の者が彼をたしなめて言った、「貴様は(このお方と)同じ(恐ろしい)罰を受けていながら、それでも(まだ)神様がこわくないのか。
23:41 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽(パラダイス)にはいることができる。」


●この男は強盗を働いて十字架に磔になった。いまここに「失敗の人生」で終わる。
●唯一の望みは隣に同じく磔にされているイエスの言動。「罪の赦しと再臨と有体的復活」
●人生は「追い詰められなければ」、有体的再臨も有体的復活も信じることは出来ない。
「藁をも掴む思い」で信じ込んだ。なりふり構わず信じた。これでいいのだ。これがいいのだ。
●その意味で「幸いなるかな悲しむ者」「幸いなるかな泣く者」である。神に直接慰められるのだ。
●43節。「(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽(パラダイス)にはいることができる」という意味は、救いは来世のことではなく、生きているうちに「この世天国」「この世極楽」を味わえるということだ。望みだけの喜びではなく、「わたしと一しょ」という人格の臨在の喜びを言うのだ。ここに「キリストの体なるエクレシア」の意味がある。
●この男は罪を犯して人生を失敗した。それがために誰よりも深く「罪の赦しと再臨と有体的復活」を信じた。


口語訳 Ⅰテサ4:14
4:14 わたしたちが信じているように、イエスが死んで復活されたからには、同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう


●信仰には歴史的根拠が必要。上記の強盗は今臨終。しかし脳裏にイエスの言動があった。「神は罪を赦してくださる」ということと「終末には人の子(わたし)が再臨する」ということである。
●初代教会はイエスの有体的復活を歴史的に知っていたので再臨も信じた。このに「使徒伝承」の重要性がある。
●我々の子や孫や親戚も、最後の審判の時に「父さん母さんはキリストの救いをやかましく言っていたなー」ということが脳裏をかすめ、「はしたなく」「なりふり構わず」信じていなかった間に「命乞い」をすればよいのだ。
●塚本虎二は言う「今日一般にキリスト教に力がないのは、初代教会におけるような体的復活と体的再臨の信仰がぼけて来たからである。」(塚本虎二著作集第8巻p68)
●今日の多くのプロテスタント教会、無教会集会は死を待つ老人病院の待合室。そこでのおしゃべりを楽しみに来る老人で溢れている。使徒伝承が語られていない。これは世界的な傾向らしい。

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朝の黙想終わり。

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最後の授業開始 ++++++++ 所感

2013/10/03 07:52

131003(木)4時半起床。●10月6日の感話の推敲。


10月6日 感話の一部
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         汝はキリスト、神の子なるか 
 人は罪の赦しの体験でイエスを「主・神の子」と告白するようになる
 
                       2013年10月6日 東京聖書読者会 高橋照男



④人は罪の赦しの体験でイエスを「主・神の子」と告白するようになる。それは生きている時また終末再臨の時にでも起こり得る。有体的復活と再臨の待望

 

1)塚本訳 ルカ 5:6-9
5:6
そしてその通りにすると、沢山の魚の群が入って網が裂けかかった。
5:7
そこでもう一艘の舟にいる仲間に合図をして、加勢に来てもらった。彼らが来て、二艘の舟いっぱい(魚を)つんだので、沈みそうになった。
5:8
シモン・ペテロはこれを見て、イエスの足もとにひれ伏して言った、「主よ、あちらに行ってください。わたしは罪人です。」
5:9 彼も一しょにいた者も皆、とれた魚(の多いの)に、びっくりしたのである。

2)塚本訳 マタ 16:15-17

16:15 彼らに言われる、「では、あなた達はわたしのことをなんと言うのか。」

16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世(キ リ ス)()、生ける神の子であります!

16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから。

 

3)塚本訳 ルカ 23:41-43

23:41 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」

23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。

23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽(パラダイス)にはいることができる。」


4)塚本訳 使 26:14-15
26:14
わたし達が皆地上に倒れると、ヘブライ語で、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。刺の棒は蹴っても無駄だ』とわたしに言う声を聞きました。
26:15
わたしは言った、『主よ、あなたはどなたですか。』主が言われた、『わたしだ、君が迫害しているイエスだ

 

5)塚本訳ルカ 23:28-30

23:28 イエスは女たちの方に振り向いて言われた、「エルサレムの娘さんたち、わたしのためには泣いてくれなくともよろしい。それよりは自分のため、自分の子供のために泣きなさい。

23:29 いまに人々が、『石女と、(子を)産んだことのない胎と、飲ませたことのない乳房とが羨ましい』と言う(恐ろしい)日が来るのだから。

23:30 その時人々は『山にむかっては、『われわれの上に倒れかかって(殺して)くれ』、丘にむかっては、『われわれを埋めてくれ』と言い』続けるであろう。

 

6)口語訳   1:7-8

1:7 見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろうまた地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン。

1:8 今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者、全能者にして主なる神が仰せになる、「わたしはアルパであり、オメガである」。

 

7)塚本訳   16:7

16:7 すると私は祭壇が(これに応えて)言うのを聞いた、「然り、主なる神よ、全能者よ、汝の審判は真実にして義しい!

 

7)塚本訳   6:15-17

6:15 そして(これを見て)地(上)の王、貴人、将軍、富豪、権力者、また凡ての奴隷、自由人は(みな恐れて)洞穴や山の岩の間に身を隠した。

6:16 そして山や岩に(叫んで)言う、「我々の上に倒れ(かかっ)て、玉座に坐し給う者の御顔から、(烈しい)仔羊の御怒りから我々を隠してくれ。

6:17 その御怒りの大なる日が来たのだ。誰が立つ(てこの審判に堪える)ことが出来よう!

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10月6日 集会感話の一部 終わり

●午前中はTSK日本語版歴代誌下7章。アップロード失敗。学校への出勤に時間切れ
●14:50 昭和女子大(三軒茶屋)環境デザイン学科講義(後期のみ)。70歳が定年なので今期が最後。時々の脱線講義にクスクスと声を上げて笑ってくれるところがうれしい。私は非常「勤」講師ではなく非常「識」講師。「若さ」というのは良い。今年私の科目を選択してくれた生徒は26名。顔と名前を覚えるために最初に列ごとに写真撮影した。これが最後かと思うと名残惜しい。

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早朝散歩開始。左の花は隣のSさんの家の芙蓉

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早朝散歩。万物は光の出現を待っている。救いを待望している。

塚本訳 ロマ 8:18-22
8:18 (しかもこの苦しみは恐れることはない。)なぜなら、わたしはこう考える。今の世の苦しみは、わたし達に現われようとしている栄光(──キリストと一しょに神の国の相続人になる最後の日の大いなる光栄──)にくらべれば、言うに足りない。
8:19 (そしてこの栄光は必ず与えられる。)その証拠(の第一)は、創造物が神の子たちの現われるのを、首を長くして待ちこがれていることである。
8:20 なぜであるか。創造物は自分から(今のような)はかない運命に屈伏したのでなく、それは屈伏させたお方([神]の御心)によるからである。(彼らはアダムの罪の責任を負わされたのである。)しかし(この屈伏には)望みがある。
8:21 創造物自身も、滅亡の奴隷になっている(現在の)状態から自由にされて、神の子供たちがうける栄光と自由とにあずかるのだから。
8:22 わたし達が知っているように、全創造物は(かの日から)今まで、一しょになって呻き、一しょになって産みの苦しみをしている。(父なる神がこの  呻きに耳を傾けられないことがあろうか。)


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早朝散歩。祈りの道に光が射す。

口語訳 詩  119:105
119:105 あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。


塚本訳 マタ 4:16
4:16 暗闇に住まう(これらの地方の)民は大いなる光を見、死の陰の地に住まうこの人々に光がのぼった、』


文語訳 ヨハ 12:35
12:35 イエス言ひ給ふ『なほ暫し光は汝らの中にあり、光のある間に歩みて、暗黒に追及かれぬやうにせよ、暗き中を歩む者は往方を知らず。


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勤務先、昭和女子大に併設されている「ブリティッシュスクール」のスクールバス。
英語会話に強くなりたいなー。



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放つておけ。枯れるものは枯れる ++++++++ 所感

2013/10/02 06:51

131002(水)朝の黙示「放つておけ。枯れるものは枯れる」。●世の中の不正不義に対するキリスト信者の態度は聖書に多く出ている。それは「神の裁きに任せよ」ということである。●人間の判断は時に間違えるが神の裁きは正しい。●神の裁きの背後には「救いの心」がある。●「神の義はその福音のうちに現れ」(ロマ1:17)の認識が悩めるルターを救い(塔の体験)、この真理認識が全世界に対し「枯れ野に火」がついたように広まり、世界を変えた。●世が改まるのはまず一個人の悩み嘆き悲しみからの救い。その解放が普遍的なものなので「反対運動」などしなくても広まるのだ。だから一人の人生の悩み悲しみ嘆きは世を救おうとする「神の手」がそこにあるのだ。●関連聖句を思いつくままに掲げる。

塚本訳 マタ 15:12-14
15:12 あとで弟子たちが来てイエスに言う、「パリサイ人がお話を聞いて腹を立てたことを御存じですか。」
15:13 イエスは答えられた、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜かれる。
15:14 あの人たちを放っておけ。盲人の手引をする盲人だ。盲人が盲人の手引をすれば、二人とも穴に落ちよう。」


●御心でない人生、家庭、教会教派、集会、信者、運動、人物崇拝、思想、企業、国家、然り世界は枯れる、引き抜かれる。
●誰に引き抜かれるのか。人間ではなく神である。そのうち枯れる。皆がその名を忘れる。

塚本訳 ヨハ 15:6
15:6 人はわたしに留っていなければ、蔓のように投げ出されて枯れる。すると集められ、火の中に投げ込まれて焼かれる


●神は愛だけではない。ダメなモノは切り取られる。
●神は無駄なことはしない。キリスト教はヒューマニズムではない。
●植木職人は無駄な枝をバサバサ切り落とす。


塚本訳 ルカ 13:6-7
13:6 そこでこの譬を話された、「ある人が葡萄畑に一本の無花果の木を植えておいた。(ある日)実をさがしに来たが、見つからないので、
13:7 葡萄畑の作男に言った、『もう三年この方、この無花果の木に実をさがしに来ているのに、まだ実がならない。切ってくれ。(ならないばかりか、)なんで土地までくたびれさせることがあろう。』


●過日、家の柿の木に実がなった。12年ぶりだ。甘かった

塚本訳 マタ 13:28-30
13:28 主人がこたえた、『敵のしわざだ。』使用人たちが言う、『では、行って抜き取りましょうか。』
13:29 主人が言う、『いや、毒麦を抜き取ろうとして、麦まで一しょに引き抜くかも知れない。
13:30 両方とも刈入れまで育つままにしておけ。刈入れの時、わたしが刈入れ人たちに言いつける、まず毒麦を抜き取り、束にしばって焼きすてよ、麦の方は集めて倉に入れよ、と。』」


●悩みの人は「放っておけ」。神が処理する。終末で処理する。
●神は処理する人間のことも知って処理する。だからいいのだ。神に知られて処理されるのだ。

口語訳 詩  1:1-3
1:1 悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。
1:2 このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。
1:3 このような人は流れのほとりに植えられた木の/時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。


●これを一般普通道徳のように考えてはならない。それは聖書の儒教化である。
●神の命の「流れのほとり」に植えられなければならない。

口語訳 詩  52:8
52:8 しかし、わたしは神の家にある/緑のオリブの木のようだ。わたしは世々かぎりなく神のいつくしみを頼む。


●オリブの木は聖書の木だ。神の命の象徴だ。
●しかし男は嫁に取られ、娘には虫がつく。いいのだいいのだ。それでいいのだ。それが良いのだ。そうでなければいけないのだ。


口語訳 詩  128:3
128:3 あなたの妻は家の奥にいて/多くの実を結ぶぶどうの木のようであり、あなたの子供たちは食卓を囲んで/オリブの若木のようである。


●私の妻はよく出かける。これは精神衛生上良いことだ。
●定年男が妻に言っていけない言葉。禁句。自戒。
「どこに行くんだ」「何時に帰ってくるのだ」「飯はどうしたら良いのだ」

口語訳 黙  21:2-4
21:2 また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。
21:3 また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、
21:4 人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。



新共同 黙  22:1-2
22:1 天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた。
22:2 川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実をみのらせる。そして、その木の葉は諸国の民の病を治す


口語訳 黙  22:12-14
22:12 「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。
22:13 わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである。
22:14 いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。


●万歳!来世では枯れる木はない。永遠の命の樹がある。病気はない。悩み悲しみ嘆きはない。これが聖書の最後の黙示録。その最後の22章に書いてある。
●我々の始祖は「命の木」を奪おうとしてこの世に罪が入って、人生に「不幸」が訪れた。
●神の独り子(キリスト)の贖罪死で「絶対恩恵の無条件の罪の赦し」で枯れた樹もよみがえる。

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●朝の黙想終わり。人生は神によってはじめられ神を知ることによって終わる。すべて神の手の中にある。植えるも抜くもすべて神がご存知。 

●8:05 妻出かける。婦人の読書会(塚本虎二著作集。千駄ヶ谷)もう30年以上継続している。それから中野の愛子の家に手伝い。その後有楽町で集会のMTさんの絵画を鑑賞。 夜帰宅。
●私の昼と夜の食事を 用意して出かけてくれた。

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早朝散歩。感じのよい門。花がWELCOMEと言っている。住人の人柄が感じられる

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早朝散歩。武蔵五日市線、下り2番電車(6:00)が過ぎ去った。
人と人の出会いも一瞬で過ぎ去る。親子、夫婦、兄弟、親戚。
「信仰は一代」。しかし神とキリストとの交わりは一瞬ではない。来世まで永遠だ。

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7:00 今朝の朝食はミキサーで私がこしらえたこの二杯の特製ジュースのみ。一人分。
妻の分も一緒に作る。

レシピ(一人分)
人参一本、リンゴ1/2 レモン汁少々、オリーブオイル小匙1/2

●これを自ら実行しいるかかりつけの医者はこれで午後2時までお腹が空かないという。逆に朝食を普通に食べると昼ごろお腹が空いてしまうという。減量と肌がきれいになる効果があるそうだ。どれだけ継続できるか挑戦。今日は初日、妻はこれにヨーグルトを追加した。
●何よりも引力なのは午前中の頭が冴えること。私の聖書作業は主として午前中だから。
●聖路加の日野原先生も朝食は軽い。クッキーと飲み物のみ。仕事に集中していればお腹は空かないと言われる。

















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