to 日記と感想 2013年11月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    180422(日)   杉並公会堂・武蔵野室内合奏団「英雄」
    171229    TM誕生日
    180224   14:30 トミ子、モーチァルト{レクイエム) 171220     KK誕生日
    171225(月)10:45 聖路加診察脳神経外科桑本医師
    171218(月)10:30 聖路加MRI
    171203(日)14:00 無教会浦和集会、助川光子講演
    171126(日)  兄光男、弟靖男と三人会。於・日本橋
    171119(日)15:00 秋川キリスト教会、後藤牧人講演会
    171115    TM誕生日
    171107(月) TI手術、聖路加 171105(日) 照男・トミ子集会感話、トミ子午後郡山にSS見舞い
    171103(金)13:00南原繁研究会学士会館
    171030(月)10:00 聖路加 桑本先生


再臨信仰の根拠 ++++++++ 所感

2013/11/30 05:53

131130(土)3時半目覚め。●非常に寒いので朝風呂。●朝の啓示「再臨信仰の根拠」●「再臨信仰の喜び」の根拠は次の3点である。

①内的要求。どうしようもない苦難 と悲しみ。
②外的情報。イエスの言動、死人を甦らせたこと、自分は再臨するという約束
③神の証明。キリストの復活

●これらを一気に説いているのがⅠペテ1:8である。

塚本訳 Ⅰペテ1:8
1:8 君達は彼を(目のあたり)見たことはないが、(これを)愛し、今も見ることは出来ないが、(これを)信じて、(既にかの日の)輝きに満ちた、言語に絶する喜悦を喜んでいる。

口語訳 Ⅰペテ1:8
1:8 あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが、彼を愛している。現在、見てはいけないけれども、信じて、言葉につくせない、輝きにみちた喜びにあふれている。

新改訳 Ⅰペテ1:8
1:8 あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。

新共同 Ⅰペテ1:8
1:8 あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。

文語訳 Ⅰペテ1:8
1:8 汝らイエスを見しことなけれど之を愛し、今見ざれども之を信じて、言ひがたく、かつ光榮ある喜悦をもて喜ぶ。

NKJV Ⅰペテ1:8
1:8 whom having not seen you love. Though now you do not see Him, yet believing, you rejoice with joy inexpressible and full of glory,

TEV Ⅰペテ1:8
1:8 You love him, although you have not seen him, and you believe in him, although you do not now see him. So you rejoice with a great and glorious joy which words cannot express,


●この箇所の引照を見てみよう。BbB、TSK、黒崎注解。心に響くものをピックアップして掲げる。

塚本訳 Ⅱコリ5:7
5:7 ──というのも(いま)わたし達は(主を)見ることによってではなく、信仰によって歩いているからである。──

塚本訳 ヨハ 16:22
16:22 だから、(同じく)あなた達にも今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなた達に会うのだから、(その時)あなた達の心は喜ぶであろう。そしてあなた達からその喜びを奪う者はだれもない。

塚本訳 Ⅰペテ1:13
1:13 だから君達の心の腰に帯をして、真面目で(あれ。そして)イエス・キリストの顕れ給う時君達に齎される恩恵に全き希望を置け。

塚本訳 Ⅱテモ4:8
4:8 今や(ただ)義の冠が私を待っている(だけである)。かの日、義しい審判者である主は、私に、(否、)私だけでなくその顕現を待ち焦れた凡ての人に、これを賜うであろう。

塚本訳 エペ 1:18
1:18 また【君達の】心の目を明らかにして、神に召され(ることによって得)た希望の何であるか、『聖徒の受くる』光栄ある(天の)『相続財産』の富の何であるか、

塚本訳 Ⅰコリ1:7
1:7 それであなた達はどんな恩恵にも事欠くことなく、(安心して)わたし達の主イエス・キリストが(ふたたび)現われるのを待っているのである。

塚本訳 ロマ 8:34
8:34 『だれが(わたし達を)罰することができるか。』キリスト・イエスが(わたし達の罪のために)死んで、それだけでなく復活して、いま神の右においでになって、わたし達のために執り成していてくださるのに。

塚本訳 Ⅰコリ1:8
1:8 キリストはなおも最後まであなた達をしっかり立たせてくださるであろう、わたし達の主イエス・キリストの(来臨の)日に、(すこしも)非難するところのないように。

塚本訳 ロマ 5:2-4
5:2 そうだ、キリストにより、信仰で、わたし達はいまいるこの恩恵の状態に入ることができ、また(最後の日に)神の(子になることを信じて、その)栄光にあずかる希望を誇っているのである。
5:3 そればかりではない。苦難をも誇る。苦難は忍耐を、
5:4 忍耐は鍛錬を、鍛錬は希望を生むことを知っているからである。

塚本訳 Ⅱコリ4:18
4:18 このわたし達は見えるものに目を向けているのではなく、見えないものに目を向けているのである。見えるものは一時的、見えないものが永遠だからである。

塚本訳 Ⅰペテ1:13
1:13 だから君達の心の腰に帯をして、真面目で(あれ。そして)イエス・キリストの顕れ給う時君達に齎される恩恵に全き希望を置け。

塚本訳 Ⅰペテ1:21
1:21 (そして)君達は彼によって、彼を死人の中から甦らせて栄光を給うた神を信ずる者となり、斯くして君達の信仰はまた神に対する希望となった。

塚本訳 ロマ 8:18
8:18 (しかもこの苦しみは恐れることはない。)なぜなら、わたしはこう考える。今の世の苦しみは、わたし達に現われようとしている栄光(──キリストと一しょに神の国の相続人になる最後の日の大いなる光栄──)にくらべれば、言うに足りない。

塚本訳 コロ 3:3-4
3:3 君達は(既にこの世に)死んで、その生命はキリストと共に神の右に隠されているのだから。
3:4 (しかし今でこそ隠されているが、)私達の生命であるキリストが顯れ給う時には、君達もまた彼と共に栄光の裡に顯れるであろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想 おわり。初代教会は再論信仰に燃えていた。この世の悩みはすべて「間もなく世の終わりが来る」と言うことで忍耐した。

●身近な人(夫、妻、子供、親、同僚、上司、部下・・・・)への不満を和らげる方法。

①「あの人にもいいところがある」と思う。
②54点(約8勝7敗)ならば良いとしようと思う。(かって建築の試験問題を作成したとき、合格ラインを60点とした。それを決める議論で相撲も8勝7敗なら良いとしているではないかという意見があった。)
③自分にも悪いところがあるが、神にも人にも赦してもらっているではないかと思う。


●TSK日本語版エステル記4章
●福島の三男から自作の人参が送られてきた。レターが入っていた。感謝。
●昼前の仕事が終わったので、昼の散歩。11時出発。

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武蔵五日市線は単線。あと4駅で行き止まり。遠景は奥多摩連山。
「山のあなたの空遠く、幸い住むと人の言う」(カール・ブッセ)だ。
我々の人生も単線だなー。しかし終末再臨で万物が復活するのだ。
「山のあなたに」幸福があるのだ。

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昼の林。同じ紅葉でも昨日の夕方の色彩とは違う。

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誰にも知られないで朽ち行く柿。ノー。神はご存知だ。神だけはご存知だ。
人生もそれでいいのだ。それがいいのだ。

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中央に雪の富士。妻は昨日の高尾山登山(ケーブルカーを使用せず8時間行程)でこの真っ白な富士が良く見えたと言う。

口語訳 詩  51:7
51:7 ヒソプをもって、わたしを清めてください、わたしは清くなるでしょう。わたしを洗ってください、わたしは雪よりも白くなるでしょう

口語訳 イザ 1:18
1:18 主は言われる、さあ、われわれは互に論じよう。たといあなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ。紅のように赤くても、羊の毛のようになるのだ。

塚本訳 マコ 1:40-42
1:40 すると(ある日)一人の癩病人がイエスの所に来てひざまずき、「清めてください。お心さえあれば、お清めになれるのだから」と言って願った。
1:41 イエスは(そのあわれな姿を見て悪魔に対する)怒りに燃え、手をのばしてその人にさわり、「よろしい、清まれ」と言われると、
1:42 たちまち癩病が消えうせて、その人は清まった


●午後、妻はコーラスのレッスン。帰宅は19:30分。それから夕食。
●年賀状の文面を印刷。



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聖書は神の言葉。聖書の霊解。 ++++++++ 所感

2013/11/29 07:32

131129(金)目覚めの啓示「聖書は神の言葉。聖書の霊解」。●聖書は不思議な本である。力がある。切れ味が鋭い。信仰のある人に同感される●かって「聖書は聖霊でわかる」とブログで書いたら、妻を介して「同感です」と応答してこられた方がある。波長が合うのである。ハーモニーするのだ。●新幹線に乗っていたら携帯電話に「有体的復活万歳です」と言ってこられた方がおられた。少数だがそういうかたがおられるのは「聖徒の交わり」である。●私の信仰の師である塚本虎二先生の聖書の読み方に対する姿勢を下記に掲げる。(聖書知識文庫『聖書の読み方』昭和23年5月30日初版より引用)

「聖書もコーランもマルクスの資本論も、程度こそ相違があれ、みな霊感によるものであるとするならば、私の信仰は崩壊する。私の信仰は聖書全部霊感の上に立つからである。」(P82)

「(新教教会は聖書を唯一の権威としたが、)程度的霊感説を取ったため、聖書の権威を微弱ならしめて、キリスト教をついに気の抜けたビールのような凡宗教と化し去った。(P80)

「(聖書学の潮流にかかわらず)聖書を全部神の言葉と信ずる。しかし)一字一句一点一画の末まで神が使徒たちを使用して書かせたという逐語霊感説を信じない。しかしそれにも拘わらず、私は聖書の一時一句ことごとく神の霊感によったものであって、前掲の第二テモテ(3:13-17)、第二ペテロ(2:19-21)の聖句そのままを真理であることを信ずる者である」(P81)

「私にとっては、マタイ福音書題一章にあるイエスが聖霊によって生まれたということが解ったときに、聖書が聖霊によって書かれたものであることがわかったのである。イエスが神の子であるあることを信じ得たときに、聖書を神の言葉であることを信じ得るようになった。」(P82)

「いうまでもなく、これは私の信仰であるから、これを他人に強いようとは思わない。他人は他人、私は私である。またこれを信じない者を不信者といわない。ただ私としては、頭からそう信じるだけでなく、冷たい公平な聖書研究と。40年の信仰生活の実験が、この信念を裏書きするのである。進歩した今日の科学を尊敬し、また鋭利なドイツ流の聖書批評学に没頭しながら、何の無理もなく牽強付会(=こじつけ)もなく、きわめて平和に、心と頭の美しい諧調同感を以って、これを信じ得るのである。またこれを信じうる幸福を神に感謝する者である。」(P82)

●塚本先生の聖書に対する姿勢、ここに無教会主義の立場がある。「信仰と学問の一致調和」である。 無教会主義は教会生活に嫌気がさして「いたたまれなくなった者の掃き溜め集団」ではない。聖書の権威に忠実である者達、正統信仰の持ち主の集団という積極面がその中心である。
●この立場から、次回感話「再臨」の理解の助けになる聖書の言葉を掲げる。 寝床で頭に浮かんだものをメモしたままに掲げる。

塚本訳 ヘブ 11:3
11:3 (まず、)信仰によって、わたし達はこの世界が神の言葉で造られたことを知る。すなわち、見えるものは、現われぬものからできているのである。

口語訳 詩  19:1-4
19:1 もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。
19:2 この日は言葉をかの日につたえ、この夜は知識をかの夜につげる。
19:3 話すことなく、語ることなく、その声も聞えないのに、
19:4 その響きは全地にあまねく、その言葉は世界のはてにまで及ぶ。神は日のために幕屋を天に設けられた。

塚本訳 マタ 22:42-45
22:42 「あなた達は救世主のことをどう思うか。だれの子だろうか。」「ダビデの子」と答えると、
22:43 彼らに言われる、「ではダビデが御霊に感じて、救世主を主と呼んでいるのはどういう訳だろう。彼はこう言っている。──
22:44 『(神なる)主はわが主(救世主)に仰せられた、『わたしの右に坐りなさい、わたしがあなたの敵を(征服して)あなたの足の下に置くまで』と。』
22:45 だから、ダビデが(このように)救世主を主と呼んでいる以上、どういう訳で(その救世主が)ダビデの子であろうか。」

塚本訳 マタ 1:18-19
1:18 さてイエス・キリストの誕生はこのようであった。──イエスの母マリヤがヨセフと婚約の間柄で、まだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重となっていることが知れた。
1:19 夫ヨセフはあわれみぶかい人であったので、(これを公沙汰にして)女を晒し者にすることを好まず、内緒で離縁しようと決心した。

塚本訳 ヘブ 3:3
3:3 家を造った者が家(そのもの)より大きな尊敬を受けると同様、彼はモーセ以上に大きな栄光に価する者にされたのである。(モーセは神の家、すなわちイスラエル人の一員であったが、イエスはその家を造られた方であるから。)

塚本訳 マタ 13:13-16
13:13 だから、あの人たちには譬をもって話すのである。『見ても見えず、聞いても聞えず、また悟らない』からだ。
13:14 こうしてイザヤの預言はあの人たちに成就した。──『あなた達は聞いても聞いても、決して悟るまい、見ても見ても、決してわかるまい。
13:15 この民の心は鈍くなり、耳は遠くなり、その目は閉じてしまっているのだから。そうでないと、彼らは目で見、耳で聞き、心で悟り、心を入れかえて(わたし[神]に帰り)、わたしに直されるかも知れない。』
13:16 だが、あなた達の目は見、耳は聞くから幸いである。

塚本訳 マタ 16:15-17
16:15 彼らに言われる、「では、あなた達はわたしのことをなんと言うのか。」
16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主、生ける神の子であります!」
16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから。

塚本訳 Ⅰコリ12:3
12:3 だから(霊の見分け方について、)あなた達に次のことを知らせる、神の霊に感じて語る者は、だれも 呪われよ、イエス!とは言わない、また聖霊に感じてでなければ、だれも、イエスは主と言うことは出来ない。

塚本訳 Ⅰヨハ5:1
5:1 どんな人でも、イエスが救世主であると信ずる者は、神(の力)によって生まれたのであり、またどんな人でも、自分を生んでくださったお方を愛する者は、彼(の力)によって生まれた者(、すなわち同じ父から生まれた者)を愛する。

塚本訳 ヨハ 1:13
1:13 この人たちは、人間の血や、肉の欲望や、男の欲望によらず、神(の力)によって生まれたのである。

塚本訳 ヨハ 3:2-3
3:2 ある夜、イエスの所に来て言った、「先生、わたし達はあなたが神のところから来られた先生であることを知っています。神がご一しょでなければ、あなたのされるあんな徴[奇蹟]はだれもすることは出来ません。」
3:3 イエスが答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、(徴を見て信じたのではいけない。)人は新しく生まれなおさなければ、神の国にはいることは出来ない。」

塚本訳 Ⅱテモ3:13-17
3:13 そして悪人と詐欺師とはいよいよ悪に進み行くであろう──瞞しつ瞞されつつしながら!
3:14 しかし君は(先輩達から)学んだこと、(自ら)確信したことに(しっかり)留まって居れ。誰から(それを)学んだか、
3:15 また(既に)子供の時から聖書を習ったことを知っているではないか。この聖書はキリスト・イエスの信仰による救いへの知恵を君に与えることが出来る。
3:16 聖句は悉く霊感されたもので、教訓に、訓戒に、矯正に、義の教育に益があり、
3:17 かくて神の人が完成し、あらゆる善い仕事をする準備が出来る。

口語訳 Ⅰペテ1:8-13
1:8 あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが、彼を愛している。現在、見てはいけないけれども、信じて、言葉につくせない、輝きにみちた喜びにあふれている。
1:9 それは、信仰の結果なるたましいの救を得ているからである。
1:10 この救については、あなたがたに対する恵みのことを預言した預言者たちも、たずね求め、かつ、つぶさに調べた。
1:11 彼らは、自分たちのうちにいますキリストの霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光とを、あらかじめあかしした時、それは、いつの時、どんな場合をさしたのかを、調べたのである。
1:12 そして、それらについて調べたのは、自分たちのためではなくて、あなたがたのための奉仕であることを示された。それらの事は、天からつかわされた聖霊に感じて福音をあなたがたに宣べ伝えた人々によって、今や、あなたがたに告げ知らされたのであるが、これは、御使たちも、うかがい見たいと願っている事である。
1:13 それだから、心の腰に帯を締め、身を慎み、イエス・キリストの現れる時に与えられる恵みを、いささかも疑わずに待ち望んでいなさい。

塚本訳 エペ 4:11-12
4:11 彼はまた或る者を使徒、或る者を予言者、或る者を伝道者、或る者を牧師また教師として(教会に)『与え給うた』。
4:12 これは(キリストに対する)奉仕の務めを果たし得るよう聖徒達を準備し、かくしてキリストの体(なる教会)が建て上げられんためである。

塚本訳 マタ 14:25-27
14:25 第四夜回りのころ(すなわち夜明けの三時ごろ、)イエスは湖の上を歩いて彼らの所に来られた。
14:26 弟子たちはイエスが湖の上を歩いておられるのを見ると、幽霊だと思って肝をつぶし、恐ろしさのあまり叫んだ。
14:27 しかしイエスはすぐ彼らに話しかけて言われた、「安心せよ、わたしだ。こわがることはない。」

塚本訳 ルカ 24:32
24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想終わり。聖書は聖霊によってわかる。頭ではわからない。3次元人間んはわからない。聖霊による第4次元の光が胸に射して「胸が熱くなる」ときに霊解する。

●TSK日本語版エステル記3章。
●妻は友人と高尾山登山。紅葉が見頃だという。夜は他団体のコーラス鑑賞。
●夕方散歩。16時出発。

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我が家の垣根のドウダンツツジは今が紅葉の盛り

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紅葉の林。右下は私の影。燃え上がっている。

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この色彩は人間の手では出せない。落ち着く色彩。

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とっぷり暮れた。富士がシルエット。淋しいが復活の喜びを望みみて喜ぼう。

●夕食は得意の野菜炒めで自炊。
●昨日到着した「インタープリテーション日本版」は「アドベントと典礼」という特集。
ウィリアム・ダイアネスの「希望に見えるものは希望ではない・・・アドベントにおける視覚要素の探求」を読む。東方教会、カトリック、プロテスタント改革派、の3教派における視覚的要素を解説している。そして結論として、「視覚的表現には差があるがそれは信仰の差ではない」としているのはアーメン」である。









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死は眠り。主の再臨で全人類が呼び覚まされる ++++++++ 所感

2013/11/28 06:46

131128(木)朝の黙想「死は眠り。主の再臨で全人類が呼び覚まされる」●次回12月1日の集会感話のため、新約聖書の死生観いついて学ぶ。

塚本訳 ルカ 8:52

8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。

●死は単なる眠りであることの「見える化」。最深による復活の様。

 

塚本訳 ヨハ 11:11

11:11 こう話して、またそのあとで言われる、「わたし達の友人ラザロが眠った。目をさましに行ってやろう。

●死から「呼び起こされる」のだ。「お迎え」がくるのだ。再臨の「見える化」

 

塚本訳 ルカ 20:37-39

20:37 死人が復活することは、(聖書にはっきり書いてある。)モーセも茨の薮の(燃える話の)ところで、主を『アブラハムの神、またイサクの神、またヤコブの神(である)と』と言ってこれを示している。

20:38 ところで神は死人の神ではなく、生きている者の神である。神に対しては、すべての者が生きているのだから。(してみるとアブラハム、イサクなども皆復活して、今生きているわけではないか。)」

●前記 ルカ 8:52、「死んだのではない。眠っているだけだ」の註解。

 

塚本訳 ヨハ 5:28-29

5:28 あなた達は(子が裁くという)このことを驚くに及ばない。時が来ると、墓の中にいる者が皆子(たるわたし)の声を聞いて、

5:29 (墓から)出てくるからである。すなわち、善いことをした者は(永遠の)命にはいるために復活し悪いことをした者は(死の)罰を受けるために復活する。

●悪人も復活するが、罰を受けるため。その罰は救いのための罰。

 

塚本訳 マタ 22:10-13

22:10 家来たちは道に出ていって、出会った者を悪人でも善人でも皆集めてきたので、宴会場は客で一ぱいになった。

22:11 王は客を見ようとして入ってきたが、そこに礼服を着けていない者が一人いるのを見て

22:12 その人に言った、『君、礼服も着ずに、なんでここに入ってきたのか。』その人が黙っていると、

22:13 王は家来たちに言った、『あの者の手足を縛って、外の真暗闇に放り出せ。そこでわめき、歯ぎしりするであろう。』

●悪人不信者は死の罰を受けるが、そこでキリストの贖罪という「礼服」が提供される。人は皆ここの礼服を着なければ裁きに耐えられない。素直に借りるべきだ。
●「天国に行く」というのは「呼ばれなければ行けない」。結婚式と同じ。「お迎えが来る」というのは真理。

 

塚本訳 Ⅰコリ15:54-55

15:54 そしてこの死滅すべきものが不滅を着、この死ぬべきものが不死のものを着たら、その時(聖書に)書いてある言葉が実現する。『死は(神の)勝利に飲みこまれてしまった。』

15:55 『死よ、どこに、お前の勝利は。死よ、どこに、お前の剣(けん)は』。
 
●キリストの降世で人類には死の罰という恐怖は無くなった。

塚本訳 使  23:6

23:6 そのときパウロは(役人の)一派はサドカイ人、一派はパリサイ人であるのを見て取り、法院で叫んだ、「兄弟の方々、わたしはパリサイ人で、しかもパリサイ人の子です。いま死人の復活の希望のために裁判されているのです。(わたしは復活のキリストを見たと言いますから。)」


●「死人の復活の希望」は「霊魂不滅説」ではない。パウロは「復活のキリスト」に出会った。ここが凡百の宗教との違い。

 

塚本訳 ヨハ 12:47

12:47 しかしわたしの言葉を聞いて守らぬものがあっても、わたしはその人を罰しない。なぜなら、わたしは世を罰するために来たのでなく、世を救うために来たのだから。

●世が救われる救うために再臨はある。不幸にも親父がキリスト教にガリガリで信仰に反発した子供も、復活のキリストが直接救ってくださる。
●「泣くな、子供に躓かれた親よ。」終末再臨の時には神が直接その子供を救ってくださる。肉の親にできなかったことを神と復活のキリストがうまく導いて救ってくださる。

 

塚本訳 Ⅰテモ1:15-17

1:15 (まことに)「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来給うた」という言は信ずべく、また無条件に承認さるべきである。そしてこの私がその罪人の第一人者である。

●キリストの考えのパウロへの反響、否初代教会への反響、否キリスト教2千年への反響

 

塚本訳 ルカ 15:4

15:4 「あなた達のうちのだれかが羊を百匹持っていて、その一匹がいなくなったとき、その人は九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を、見つけ出すまではさがし歩くのではないだろうか。

●神は罪人や悪人や迷い出た人を探し出すまで労苦する。再臨のときそれが行われる。あの人(複数)も神に探し出される。
●だから主よ早く来てください。マラナ・サ。

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朝の黙想 おわり

●TSK日本語版エステル記2章。
●図書館に本を2冊返却後、女子大へ
●14:50 昭和女子大で建築の講義。
●いつものように講義を早く終えて少数の人と懇談。今日は4名。その一人と次のような対話があった。

私「あなたの名前は素敵だねー。アンドレジイドの『狭き門』の主人公の名前だ」
生徒「どういう内容の本ですか」
私「悲恋物語だ。相思相愛の男女が牧師に『二人並んでは門を通れないのですか』と尋ねると、牧師が『神の前には一人ずつ立たなければならないので並んでは通れない』と答える」
生徒『どうして門をくぐらなければならないのですか」
私「天国に行くのには門を通らなければならない。聖書に次のようにある。

文語訳 マタ 7:13
7:13 狹き門より入れ、滅にいたる門は大きく、その路は廣く、之より入る者おほし。」

生徒「恋愛小説なら読めるかもしれません」
私「有名な小説だから、学校の図書館に文庫本であるはずです。」

●神の言葉を伝えた。彼女の上に神の祝福あれ。
●私はルカの方が好きだ。「力を盡して」という言葉が好きなのだ。

文語訳 ルカ 13:24
13:24 イエス人々に言ひたまふ『力を盡して狭き門より入れ。我なんぢらに告ぐ、入らん事を求めて入り能はぬ者おほからん。


●思う。結婚は二人が一体になるものだと聖書にあるが(マタ19:5)、神の前にはあくまでも一人ではあるまいか。だから
●泣くな。結婚に失敗した人。結婚の機会を逸した人。伴侶に先立たれた人。不幸にも別れた人。
●結婚しなくても偉大な人生を送った人がいる。キリスト、パウロ(?)、ベートーヴェン、カント、・・・・







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人は主の再臨によって「永遠の命」に生きる ++++++++ 所感

2013/11/27 08:29

131127(水)4時15分目覚め●目覚めの啓示「人は主の再臨によって『永遠の命』に生きる」●最近の教会や無教会は有体的復活も有体的再臨の信仰告白を伝承してない。その結果は思想団体、親睦団体、社会批判集団に堕落してトンデモナイ姿になっている。●12月1日の感話標題を変更

12月1日集会感話標題 と⑤
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  人は主の再臨によって「永遠の命」に生きる 

 ・・その望みの喜び(Jesus, Joy of Man's Desiring)・・

 

東京聖書読者会 2013.12.1 高橋照男

 

①再臨は難解

②再臨の前兆

③再臨の光

④再臨の雲

⑤再臨の喜び



●上記のうち⑤を次のように変更。

⑤再臨の喜び 

塚本訳 Ⅰテサ4:14-18

4:14 私達が信ずるようにもしイエスが死んで復活し給うたならば、神はイエスによって眠った者をも同様にイエスと共に連れ来たり給うであろうから。

4:15 然り、私達の主の御言をもってこのことを(はっきり)君達に言う(ことが出来る)──私達主の来臨(の時)まで生き残っている者は、(既に)眠った者に先立つ(て光栄に与る)ことは絶対に無い。

4:16 何故なら、(その時)主自ら号令と御使いの頭の声と神のラッパ(の響き)と共に天から下り給うて、キリストにおいて死んだ死人がまず復活し、

4:17 それから私達(その時まで)生き残っている者が主に会うため彼らと一緒に雲に乗って空中に奪い去られる。かくして私達はいつも主と共に居るのである。

4:18 だから、これらの言をもって互いに慰め合え

塚本訳 ルカ 8:52

8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。

 

塚本訳 ヨハ 11:11

11:11 こう話して、またそのあとで言われる、「わたし達の友人ラザロが眠った。目をさましに行ってやろう。

 

塚本訳 ヨハ 5:28-29

5:28 あなた達は(子が裁くという)このことを驚くに及ばない。時が来ると、墓の中にいる者が皆子(たるわたし)の声を聞いて、

5:29 (墓から)出てくるからである。すなわち、善いことをした者は(永遠の)命にはいるために復活し悪いことをした者は(死の)罰を受けるために復活する。

 

塚本訳 マタ 22:10-13

22:10 家来たちは道に出ていって、出会った者を悪人でも善人でも皆集めてきたので、宴会場は客で一ぱいになった。

22:11 王は客を見ようとして入ってきたが、そこに礼服を着けていない者が一人いるのを見て

22:12 その人に言った、『君、礼服も着ずに、なんでここに入ってきたのか。』その人が黙っていると、

22:13 王は家来たちに言った、『あの者の手足を縛って、外の真暗闇に放り出せ。そこでわめき、歯ぎしりするであろう。』

 

塚本訳 Ⅰコリ15:54-55

15:54 そしてこの死滅すべきものが不滅を着、この死ぬべきものが不死のものを着たら、その時(聖書に)書いてある言葉が実現する。『死は(神の)勝利に飲みこまれてしまった。』

15:55 『死よ、どこに、お前の勝利は。死よ、どこに、お前の剣は』。

 

塚本訳 ヨハ 12:47

12:47 しかしわたしの言葉を聞いて守らぬものがあっても、わたしはその人を罰しない。なぜなら、わたしは世を罰するために来たのでなく、世を救うために来たのだから。

 

塚本訳 Ⅰテモ1:15-17

1:15 (まことに)「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来給うた」という言は信ずべく、また無条件に承認さるべきである。そしてこの私がその罪人の第一人者である。

 

塚本訳 ルカ 15:4

15:4 「あなた達のうちのだれかが羊を百匹持っていて、その一匹がいなくなったとき、その人は九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を、見つけ出すまではさがし歩くのではないだろうか。

 

塚本訳 マタ 24:39-41

24:39 洪水が来て一人のこらずさらってゆくまで、それに気づかなかった。人の子の来臨もこのようである

24:40 その時、二人の男が畑にいると、一人は(天に)連れてゆかれ、一人は(地上に)のこされる。

 

塚本訳 使  8:39

8:39 しかし二人が水から上がると、主の御霊がピリポをさらっていったので、宦官はもう二度とピリポを見ることはなかった。彼は(救われたことを)喜びながら、旅行をつづけたからである。

 

塚本訳 ルカ 23:42-43

23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。

23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽(パラダイス)にはいることができる。」

 

塚本訳 Ⅱコリ12:2-4

12:2 キリストにある一人の人が、十四年前──肉体をもってであったか、わたしは知らない、肉体を離れてであったか、わたしは知らない、神が御存じである、──この人が第三の天にまでさらってゆかれたことを、わたしは知っている。

12:3 すなわちその人が──肉体をもってであったか、肉体なしであったか、わたしは知らない、神が御存じである、──

12:4 彼が極楽(パラダイス)にさらってゆかれて、口にしてはいけない、人が語ってはならない(聖なる)言葉を聞いたことをわたしは知っている。

 

塚本訳 Ⅱペテ3:12

3:12 神の日の到来を待ち望みつつ(これを)早め(ることに努力せ)ねばならぬことであろう!その日『天は』焼けて解け去り、日月星辰は燃えて『溶けるであろう』

 

塚本訳 Ⅰコリ16:22

16:22 主を愛しない者があるなら、呪われよ!、マラナ、サ(主よ、来てください)!


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12月1日集会感話標題と⑤ おわり


●聖書は頭での理解ではわからず、霊で納得できる。

塚本訳 Ⅰコリ2:14
2:14 しかし(御霊を持たない)生まれながらの人間は、神の霊から出てくることを受け入れない。彼にはそれが馬鹿なことなのである。またそれを理解することも出来ない。(霊のことは)霊的に判断されねばならないからである


塚本訳 ヨハ 3:5-6
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。
3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。

●倉石真、「詩人の恋」を歌う、コンサートに行く。(代々木上原のけやきホール)。大山綱夫ご夫妻、新井明ご夫妻、倉石ご夫妻、鷲見八重子。

2013_11270001.jpg 

右、倉石真、日本のテノール界の星。
左、伊坪淑子、ピアノ伴奏。倉石夫人。いつもながらこの人には「音楽性」があった。

●建築設計者にも「建築性」のある人の設計はよい。信仰も「信仰性」を持っている人の信仰はよい。キリスト教関係の蔵書が多い人は大抵信仰が薄い。信者の家の建築設計を多くやってそれを実感する。蔵書量や雑学や人脈を自慢する人間は信仰が浅い。



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襲ってきたライオンの夢 ++++++++ 所感

2013/11/26 08:16

131126(火)3時目覚め。もう一度寝たら「襲ってきたライオンを殺した夢」を見た。●見知らぬ街。ライオンの夫婦が私に近づいてきてその雌の方が私に襲ってきたので近くの家に入ってバールを借りて頭を殴って殺したが、「かわいそうなことをした」と反省したところで夢が覚めた。これは何を意味するのだろう。聖書のアモス書が思い浮かんだ。今朝はこれを黙想しよう。「TSK」を利用する。 ●起きるのがいつもより遅くなった。ライオンと戦ったので疲れたのだ(?)。隣に寝ている妻に「熱があるのかどうか」額を触ってもらったら「冷たい」というので起きた。

口語訳 アモ 3:8
3:8 ししがほえる、だれが恐れないでいられよう。主なる神が語られる、だれが預言しないでいられよう」。


●これをTSKで見てみよう。 「TSK日本語版」はリンク機能が不調のため旧約は歴代志下10章以下がアップできないでいるが、これは是が非でも修復して完成したい。ラフワーク。

口語訳 アモ 1:2
1:2 彼は言った、「主はシオンからほえ、エルサレムから声を出される。牧者の牧場は嘆き、カルメルの頂は枯れる」。


口語訳 アモ 3:4
3:4 ししがもし獲物がなかったなら、林の中でほえるだろうか。若いししがもし物をつかまなかったなら、その穴から声を出すだろうか。


口語訳 黙  5:5
5:5 すると、長老のひとりがわたしに言った、「泣くな。見よ、ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる」。


口語訳 ヨブ 32:18-19
32:18 わたしには言葉が満ち、/わたしのうちの霊がわたしに迫るからだ
32:19 見よ、わたしの心は口を開かないぶどう酒のように、/新しいぶどう酒の皮袋のように、/今にも張りさけようとしている


口語訳 エレ 20:9
20:9 もしわたしが、「主のことは、重ねて言わない、このうえその名によって語る事はしない」と言えば、主の言葉がわたしの心にあって、燃える火の/わが骨のうちに閉じこめられているようで、それを押えるのに疲れはてて、耐えることができません


口語訳 アモ 2:12
2:12 「ところがあなたがたはナジルびとに酒を飲ませ、預言者に命じて『預言するな』と言う。


口語訳 アモ 7:12-17
7:12 それからアマジヤはアモスに言った、「先見者よ、行ってユダの地にのがれ、かの地でパンを食べ、かの地で預言せよ。
7:13 しかしベテルでは二度と預言してはならない。ここは王の聖所、国の宮だから」。
7:14 アモスはアマジヤに答えた、「わたしは預言者でもなく、また預言者の子でもない。わたしは牧者である。わたしはいちじく桑の木を作る者である。
7:15 ところが主は群れに従っている所からわたしを取り、『行って、わが民イスラエルに預言せよ』と、主はわたしに言われた。
7:16 それゆえ今、主の言葉を聞け。あなたは言う、『イスラエルに向かって預言するな、イサクの家に向かって語るな』と。
7:17 それゆえ、主はこう言われる、『あなたの妻は町で遊女となり、あなたのむすこ、娘たちはつるぎに倒れ、あなたの地は測りなわで分かたれる。そしてあなたは汚れた地で死に、イスラエルは必ず捕えられて行って、その国を離れる』」。


口語訳 使  4:20
4:20 わたしたちとしては、自分の見たこと聞いたことを、語らないわけにはいかない」。


口語訳 使  5:20
5:20 「さあ行きなさい。そして、宮の庭に立ち、この命の言葉を漏れなく、人々に語りなさい」。


口語訳 使  5:29
5:29 これに対して、ペテロをはじめ使徒たちは言った、「
人間に従うよりは、神に従うべきである。


口語訳 Ⅰコリ9:16
9:16 わたしが福音を宣べ伝えても、それは誇にはならない。なぜなら、わたしは、そうせずにはおれないからである。
もし福音を宣べ伝えないなら、わたしはわざわいである。


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朝の黙想。アーソウカ。神に迫られたら語らざるをえないのだ。神の霊が迫るのだ。語らないのは災いなのだ。 私が語らなければ一族郎党が亡びるのだ。有体的復活と有体的再臨。

●塚本先生は次のように言う

「イエス伝研究第232講『有体的復活』ルカ伝2436-43節」

今日一般に基督教に力がないのは、初代教会におけるような体的復活と体的再臨の信仰がぼけてきたからである。私達は初代教会の信仰を嘲るまえに、科学の進歩を誇る現代クリスチャンの信仰の何とラオデキヤ的あるかを省みる必要があろう。(昭和247月「聖書知識」231号P8


●次回12月1日感話の標題と結論
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主の約束である再臨 1126-1

・・・罪人は主の再臨によって救われる。「その希望の喜び」・・・

東京聖書読者会 2013.12.1 高橋照男

 

①再臨は難解

②再臨の前兆

③再臨の光

④再臨の雲

⑤再臨の喜び

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結論

塚本訳 ルカ 23:42-43

23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。

23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽(パラダイス)にはいることができる。」

 

塚本訳 Ⅱペテ3:12

3:12 神の日の到来を待ち望みつつ(これを)早め(ることに努力せ)ねばならぬことであろう!その日『天は』焼けて解け去り、日月星辰は燃えて『溶けるであろう』

 

塚本訳 Ⅰコリ16:22

16:22 主を愛しない者があるなら、呪われよ!、マラナ、サ(主よ、来てください)!

 

塚本訳 ヘブ 10:36-37

10:36 あなた達が神の御心を行って約束のものを受けるには、忍耐の必要があるからである。

10:37 なぜなら、もう『ほんのしばらくすると』、『来るべき方が来られる、おそくなることはない


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●次回12月1日感話の標題と結論 おわり

●神と取引をする。残る生涯、有体的復活と、有体的再臨を語るので、その代りアノ人(複数)を救ってください。
●パウロも神と取引をした。自分は死んでもよいとまで言った。偉大なるかなパウロ。人類の第一人者。パウロのこの犠牲の祈りで福音は伝わった。

塚本訳 ロマ 9:1-3
9:1 私はキリストにある者として本当のことを言う、嘘はつかない。わたしの良心も聖霊によって、(それが本当であることを)保証してくれる。
9:2 (わたしが急にこんなことを言い出したら信じてくれないかも知れないが、)わたしに大きな悲しみと、心に絶えざる痛みとがあるのである。
9:3
ほんとうに、兄弟すなわち血を分けた同胞の(救われる)ためならば、このわたしは呪われて、救世主(の救い)から離れ落ちてもよいと、幾たび(神に)願ったことであろう。

●TSK日本語版ネヘミヤ記13章。ネヘミヤ記終了、CDにコピーして庭の物置にストック。
●16:10 夕方散歩出発。

2013_11260013.jpg 

夕方散歩。16:15 いつもとは違った方向から写す、奥多摩連山
私達の人生も秋だが、復活の希望がある。

2013_11260015.jpg 

歩いたことのない、平沢の方面を散歩。見知らぬ街を歩くのは楽しいものだ。
庭に彫像のある家庭。住人の気持ちが伝わってくる。ギリシャの彫刻は白いが
原初は色彩があったたらしい。パルテノン神殿にも色彩があったらしい。

2013_11260018.jpg 

17時50分、帰宅。1時間40分歩いた。宵の明星、金星を写せた。
テニスン(1809-1892 英国)の詩を思った。 「砂州こえて」の詩は人が「死の波路」に出るときの歌で、復活を固く信じている人のものだ。私はテニスンのような詩人になりたかった。

砂州をこえて

                       アルフレッド・テニソン

夕陽が沈み、空には宵の明星が輝き、
私を呼ぶ澄みきった声が聞こえる!
私が船出をする時、この砂州からは、
悲しみの声が漂ってこないことを、私は切に願う。

あたかも眠っているかのように、静かに動き、音もなく、
飛翔もあげずに満ちてゆく潮路にのって、
私は船出をしたいものだ。――果てしなき海原の彼方から
流れてきたものが、今再び古里へ戻ろうとしているのだ。

黄昏の色濃く、夕べの鐘が鳴り響いている、
まもなく、漆黒の夜がやってこよう!
私が遠い船路の旅に出る時、
誰もその別れを悲しまないでほしいのだ。

なぜなら、――たとえ、人間の時間と空間の境界から
さらに遠い所へ、この潮路が私を運んでゆくにしても、
私がこの砂州を無事に渡り終えた時、
神と相見えることを、私は望んでいるからだ。
 

●高校生の時、英語の勉強のためにテニスンの「イノックアーデン」を関谷忍牧師が個人的に読んで下さった。現在その関谷牧師はお具合が悪いらしい。ご回復を祈る。

●18:30 妻の暖かい夕食。感謝。






         



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真の救いは終末再臨の時にある ++++++++ 所感

2013/11/25 06:48

131125(月)4時半目覚めの啓示「真の救いは終末再論の時にある」●その最後の日のためにこの80年の人生がある。それは準備期間、学習期間、失敗期間,である。人生は悔悟を経験する期間である。失敗人生又よし。失敗で神を知る期間である。●信仰告白、牧師司祭による水の洗礼、教会員たること、集会員たることが救いの条件、救いの証明ではない。救いは終末再臨で決定する。それは人間でなく神ご自身が決定する。●その時は聖職者は危ない、生きている期間での「主よ、主よ信者」も危ない。●救いとは「主と共にいる」ということである。今朝はこれを巡って黙想しよう。頭に浮かんだ聖句を順不同メモ用紙に寝床で書きつけたものを掲げる。これには便利なパソコンソフトの「Jバイブル」(市販いのちのことば社、一万円強)を利用して巻章節を検索

塚本訳 ルカ 23:42-43
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽(パラダイス)にはいることができる。」

塚本訳 ルカ 1:28-29
1:28 天使は乙女の所に来て言った、「おめでとう、恵まれた人よ、主があなたとご一しょだ!」
1:29 マリヤはこの言葉にびっくりして、いったいこの挨拶は何事であろうと考えまどうた。

塚本訳 ルカ 1:35
1:35 天使が答えた、「聖霊があなたの上に臨み、いと高きお方の力があなたを掩いかくすであろう。それゆえ(あなたから)生まれるものは、『聖』であり、神の子『と呼ばれる。』

塚本訳 ルカ 2:25
2:25 さて(そのころ)エルサレムに名をシメオンという人がいた。この人は正しい、信心深い人で、イスラエルの慰め(である救世主)を待ち望み、聖霊が彼をはなれなかった

塚本訳 ルカ 3:22
3:22 聖霊が鳩のような形で彼の上に下ってきた。そして「あなたは(いま)わたしの『最愛の子、』わたしの心にかなった』」という声が天からきこえてきた。

塚本訳 Ⅰテサ4:17
4:17 それから私達(その時まで)生き残っている者が主に会うため彼らと一緒に雲に乗って空中に奪い去られる。かくして私達はいつも主と共に居るのである。

塚本訳 Ⅰテサ4:16-18
4:16 何故なら、(その時)主自ら号令と御使いの頭の声と神のラッパ(の響き)と共に天から下り給うて、キリストにおいて死んだ死人がまず復活し、
4:17 それから私達(その時まで)生き残っている者が主に会うため彼らと一緒に雲に乗って空中に奪い去られる。かくして私達はいつも主と共に居るのである。
4:18 だから、これらの言をもって互いに慰め合え。


塚本訳 マタ 16:16-17
16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主、生ける神の子であります!」
16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから

塚本訳 ヨハ 3:5-6
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、
人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。
3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。

塚本訳 使  9:18
9:18 するとすぐ鱗のようなものがサウロの目から落ちて、見えるようになり、立って洗礼を受けた。

塚本訳 ヨハ 9:5-7
9:5 世におる間、わたしは世の光である。」
9:6 こう言って地に唾をはき、唾で泥をつくり、その泥を盲人の目に塗って
9:7 言われた
、「行って、シロアム池で洗いなさい。」(シロアムは訳すると「遣わされた者」。)そこで盲人は行って、洗って、見えるようになって、かえって行った。

塚本訳 Ⅰコリ13:12
13:12
わたし達はいまは(何事も)鏡でおぼろに見ているが、(完全なものが来る)その時には、顔と顔と相対してみるのである。いまはわたしは部分的に知っているが、その時には、(今神に)知りつくされているからそのようにわたしも知りつくすであろう。

塚本訳 使  2:17-18
2:17 神が仰せられる、──最後の日に、『わたしはすべての人にわたしの霊を注ごう。するとあなた達の息子と娘とは預言し、青年は幻を見、老人は夢をゆめみる。
2:18 またその日には、わたしの僕と婢とにわたしの霊を注ごう、』すると彼らは預言する。

塚本訳 マタ 24:14
24:14 すなわち、あらゆる国々の人に(わたしとわたしの業を)証しするために
、(まず)この御国の福音が全世界に説かれ、それから最後(の裁きの日)が来るのである。

塚本訳 ルカ 12:36-37
12:36 あなた達は、主人が宴会からかえって来て戸をたたいたときすぐあけられるように、帰りいつかと待ちかまえている人のようであれ。
12:37 主人がかえって来たとき、目を覚ましているところを見られる僕たちは幸いである。アーメン、わたしは言う、主人の方で裾をひきからげて、僕たちを食卓につかせ、そばに来て給仕をしてくれるであろう

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朝の黙想終わり。主と共にいることが至上の幸福、それが人生目的、それは終末再臨のときにおこるが、生きて主を信じれば「おぼろげながら」生きながらその幸福を味わえる。

●一人前のプロの音楽家になるには6万時間の練習が必要だといわれる。これは一日8時間で20年間だ。私はクリスチャンをやって55年。6万時間をこの日数で割ると一日3時間の聖書勉強が必要であった。しかし聖書がわかるというのは長さではないかもしれない。

塚本訳 ルカ 17:5-6
17:5 使徒たちが主に言った、「もっと信仰を下さい。」
17:6 主が言われた、「
もしあなた達に芥子粒ほどでも信仰があれば、──(あなた達にはそれがないが、もしあれば)──この桑の木にむかい『抜けて海に植われ』と言っても、言うことを聞くであろう。




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「永遠の命のために働け」とは ++++++++ 所感

2013/11/24 06:28

131124(日)4時目覚め。●目覚めの啓示「永遠の命のために働け」●これはどういうことか、「聖書で聖書を」解読する。頭に浮かぶ聖句を枕元のメモ用紙に列挙する。●起きてからの検索とブログへの表示は「Jバイブル」を利用。超便利。私もこういう装置を造りたいものだ。

塚本訳 マタ 16:26-27
16:26 たとい全世界をもうけても、命を損するならば、その人は何を得するのだろう。それとも、人は(一度失った永遠の)命を受けもどす代価として、何か(神に)渡すことができるのだろうか。
16:27 (永遠の命のために働け。)人の子(わたし)は父上の栄光に包まれ、自分の使いたちを引き連れて(ふたたび地上に)来るが、その時、『ひとりびとりの行いに応じて褒美を与えるのである』から。

塚本訳 ヨハ 12:24
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)

塚本訳 ルカ 9:23-24
9:23 それから今度は皆に話された、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、毎日自分の十字架を負い、それからわたしに従え。
9:24 (十字架を避けてこの世の)命を救おうと思う者は(永遠の)命を失い、わたしのために(この世の)命を失う者が、(永遠の)命を救うのだから。


塚本訳 マタ 5:39-41
5:39 しかしわたしはあなた達に言う、悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打ったら、左をも向けよ。
5:40 (裁判所に)訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせてやれ
5:41 だれかが無理に一ミリオン[一キロ半]行かせようとするなら、一しょに二ミリオン行ってやれ。

塚本訳 マタ 5:44-46
5:44 しかしわたしはあなた達に言う、敵を愛せよ。自分を迫害する者のために祈れ。
5:45 あなた達が天の父上の子であることを示すためである。父上は悪人の上にも善人の上にも日をのぼらせ、正しい人にも正しくない人にも、雨をお降らしになるのだから。
5:46 自分を愛する者を愛したからとて、なんの褒美があろう。(人でなしと言われるあの)税金取りでも同じことをするではないか。


塚本訳 マタ 19:16-21
19:16 するとそこに、ひとりの人がイエスの所に来て言った、「先生、永遠の命を得るには、どんなよいことをすればよいでしょうか。」
19:17 イエスは言われた、「なぜ善いことについってわたしに尋ねるのか。善いお方はただ一人(神)である。(永遠の)命に入りたければ、(神の)掟を守りなさい。」
19:18 「どの掟を」と彼が言う。イエスはこたえられた、「『殺してはならない、姦淫をしてはならない、盗んではならない、偽りの証言をしてはならない、
19:19 父と母とを敬え、』また『隣の人を自分のように愛せよ。』」
19:20 青年が言う、「それならみんな守っております。まだ何か足りないでしょうか。」
19:21 イエスは言われた、「完全になりたければ、家に帰って持ち物を売って、(その金を)貧乏な人に施しなさい。そうすれば天に宝を積むことができる。それから来て、わたしの弟子になりなさい。」

塚本訳 ルカ 12:32-33
12:32 小さな群よ、恐れることはない。あなた達の父上は御国をあなた達に下さるつもりだから。
12:33 (ただ御国のために働けばよろしい。)持ち物を売って施しをしなさい。(すなわちそれによって)自分のために古び(て破れ)ることのない財布をつくり、泥坊が近づくことも、衣魚が食うこともない天に、使いつくすことのない宝をつんでおきなさい

塚本訳 マタ 6:3-6
6:3 あなたは施しをするときに、右の手のすることを左に悟られてはならない。
6:4 これは施しを隠しておくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。
6:5 また祈る時には、偽善者のようにしてはならない。彼らは人に見せようとして、礼拝堂や大通りの角に立って祈ることを好むのである。アーメン、わたしは言う、彼らは(褒められた時、)すでに褒美をもらっている。
6:6 あなたが祈る時には、『奥座敷に入り、部屋をしめきった上で、』隠れた所においでになるあなたの父上に『祈れ。』そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。

塚本訳 マタ 20:27-28
20:27 一番上になりたい者は奴隷になれ
20:28 人の子(わたし)が来たのも仕えさせるためではない。仕えるため、多くの人のあがない金としてその命を与えるためである。」

塚本訳 ヨハ 13:12-14
13:12 さて、みんなの足を洗い終ると、上着を着てふたたび席について、言われた、「いまわたしは何をあなた達にしたか、(そのわけ)がわかるか。
13:13 あなた達はわたしを『先生』とか『主』とか呼んでいるが、そう言うのは正しい。その通りだから。
13:14 してみると、主であり先生であるこのわたしが足を洗ってやったのだから、あなた達も互に足を洗う義務がある。

塚本訳 ルカ 22:24-26
22:24 また弟子たちの間に、自分たちのうちでだれが一番えらいと思われているかについての争いもあった。
22:25 するとイエスが言われた、「世間では王が人民を支配し、また主権者は自分を恩人と呼ばせる。
22:26 しかしあなた達はそれではいけない。あなた達の間では、一番えらい者が一番若輩のように、支配する者が給仕をする者のようになれ。


塚本訳 Ⅱテサ3:7-8
3:7 どう私達を真似ねばならぬかを、君達は自分で(よく)知っているはずだから。私達は君達の所で(決して)ふしだらな生活をせず、
3:8 また無代で他人のパンを食ったこともないではないか。否、誰にも厄介をかけまいとして、苦労し骨折りながら夜も昼も(手ずから)働いた。

塚本訳 マタ 10:7-8
10:7 行って、『天の国は近づいた』と説け。
10:8 病人をなおし、死人を生きかえらせ、癩病人を清め、悪鬼を追い出せ。(福音も病気もなおす力も、みな神から)ただで戴いたのだ、ただで与えよ

塚本訳 ルカ 12:35-38
12:35 裾ひきからげ、明りをともしておれ
12:36 あなた達は、主人が宴会からかえって来て戸をたたいたときすぐあけられるように、帰りいつかと待ちかまえている人のようであれ。
12:37 主人がかえって来たとき、目を覚ましているところを見られる僕たちは幸いである。アーメン、わたしは言う、主人の方で裾をひきからげて、僕たちを食卓につかせ、そばに来て給仕をしてくれるであろう。
12:38 第二夜回りのころにせよ、第三夜回りのころにせよ、主人がかえって来たとき、こうして(目を覚まして)いるところを見られたら、その人たちは幸いである。


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朝の黙想終わり。「永遠の命のために働け」とは負わされる自分の十字架を負えと言うことだなー。

●「敵を愛せよ」と言うが敵とはだれか。非常に身近な人のことだ。

夫の敵は妻、妻の敵は夫、子供の敵は親、親の敵は子供。兄弟の敵は兄弟、嫁の敵は姑、姑の敵は嫁、牧師の敵は長老、教会員の敵は牧師、生徒の敵は同級生、学生の敵は教師。上司の敵は部下、部下の敵は上司、海軍の敵は陸軍。戦争は隣国同士。その聖書的根拠は次である。

塚本訳 マタ 10:34-36
10:34 地上に平和をもたらすためにわたしが来た、などと考えてはならない。平和ではない、剣を、(戦いを)もたらすために来たのである。
10:35 わたしは子を『その父と、娘を母と、嫁を姑と』仲違いさせるために来たのだから。
10:36 『家族が自分の敵となろう。』

塚本訳 マタ 10:19-22
10:19 人々があなた達を(裁判所や役人に)引き渡した時には、いかに、何を言おうかと心配するな。何を言うべきかは、その時に(神から)授かるのだから。
10:20 言うのはあなた達でなく、父上の霊があなた達によって言われるのである。
10:21 また兄弟は兄弟を、父は子を、殺すために(裁判所に)引き渡し、『子は親にさからい立って』これを殺すであろう。
10:22 あなた達はわたしの弟子であるために皆から憎まれる。しかし最後まで耐え忍ぶ者は救われる。


●「世界平和」は空論である。その証明。世界平和を声高に叫ぶ人間の家庭内戦争は見ちゃーいられない。そこに平和はない。世界平和はまず人間が神との平和を 得る事。

●妻と集会へ
●集会は川上(司会)、土肥(塚本訳の比較。試訳と新教出版社版)、横田(教会史。歴史上の各種修道会は100年もたつと衰退する。プロテスタントの各教派同じ)
●午後、妻はコーラスのレッスン
●私はコンサート。羽村ゆとろぎ大ホールで羽村フィル。ベートーヴェン「運命」ほか。2階最前列。ヴェートーヴェンは見ていても面白い。この曲が耳が悪くなってからの作品だと思うと胸が詰まった。「ブラボー」が私も含めて3人出た。 私のブラボーはベートーベンに叫んだつもり。
●帰途、プラハ演奏旅行(私は妻の応援)に一緒に行ったカトリックの重松氏に会ったので拝島まで懇親懇談。合唱団「鯨」に所属していると言う。その常任指揮者黒岩英臣はカトリックの修道僧から転身して指揮者に。氏が宗教音楽に強いのは修道期間10年と鍛え方が違うから。







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再臨は不信者の救いのためにある。 ++++++++ 所感

2013/11/23 06:37

131123(土)朝の啓示「再臨は不信者の救いのためにある」●イマドキ、キリストの有体的復活と有体的再臨を信じない長いクリスチャンがいる。キリスト教を弱体するだけであるから、さっさと「キリスト信者の看板」を下ろした方が良い。神の立てたもうた福音に百害あって一利なし。牛乳にハエが一匹でも入ると全体を腐らせる。神の福音が堕落してヒューマニズム、社会改造、社会批判、親睦団体、カルチャーセンター、政治団体、思想団体に退化している。●今朝の啓示で次回感話の内容を変更。その⑤だけを掲げる。

12月1日の集会感話の一部
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  主の約束である再臨、その希望 

・・・その「望みの喜び」は苦難と神の霊によって起こされる・・・

東京聖書読者会 2013.12.1 高橋照男

 

①再臨の前兆

②再臨は難解

③再臨の光

④再臨の雲

⑤再臨の喜び

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⑤再臨の喜び 

塚本訳 Ⅰテサ4:14-18

4:14 私達が信ずるようにもしイエスが死んで復活し給うたならば、神はイエスによって眠った者をも同様にイエスと共に連れ来たり給うであろうから。

4:15 然り、私達の主の御言をもってこのことを(はっきり)君達に言う(ことが出来る)──私達主の来臨(の時)まで生き残っている者は、(既に)眠った者に先立つ(て光栄に与る)ことは絶対に無い。

4:16 何故なら、(その時)主自ら号令と御使いの頭の声と神のラッパ(の響き)と共に天から下り給うて、キリストにおいて死んだ死人がまず復活し、

4:17 それから私達(その時まで)生き残っている者が主に会うため彼らと一緒に雲に乗って空中に奪い去られる。かくして私達はいつも主と共に居るのである。

4:18 だから、これらの言をもって互いに慰め合え

 

塚本訳 ルカ 8:52-53

8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。

8:53 人々は死んだことを知っているので、あざ笑っていた。

 

塚本訳 ヨハ 11:11

11:11 こう話して、またそのあとで言われる、「わたし達の友人ラザロが眠った。目をさましに行ってやろう。

 

塚本訳 ヨハ 5:28-29

5:28 あなた達は(子が裁くという)このことを驚くに及ばない。時が来ると、墓の中にいる者が皆子(たるわたし)の声を聞いて、

5:29 (墓から)出てくるからである。すなわち、善いことをした者は(永遠の)命にはいるために復活し悪いことをした者は(死の)罰を受けるために復活する。

 

塚本訳 マタ 22:10-13

22:10 家来たちは道に出ていって、出会った者を悪人でも善人でも皆集めてきたので、宴会場は客で一ぱいになった。

22:11 王は客を見ようとして入ってきたが、そこに礼服を着けていない者が一人いるのを見て

22:12 その人に言った、『君、礼服も着ずに、なんでここに入ってきたのか。』その人が黙っていると、

22:13 王は家来たちに言った、『あの者の手足を縛って、外の真暗闇に放り出せ。そこでわめき、歯ぎしりするであろう。』

 

塚本訳 Ⅰコリ15:54-55

15:54 そしてこの死滅すべきものが不滅を着、この死ぬべきものが不死のものを着たら、その時(聖書に)書いてある言葉が実現する。『死は(神の)勝利に飲みこまれてしまった。』

15:55 『死よ、どこに、お前の勝利は。死よ、どこに、お前の剣は』。

 

塚本訳 マタ 9:13

9:13 『わたしは憐れみを好み、犠牲を好まない』という(神の言葉の)意味を、行って、勉強したがよかろう。わたしは正しい人を招きに来たのではない、罪人を招きに来たのである。

 

塚本訳 ルカ 19:10

19:10 人の子(わたし)は『滅びうせた者をさがして』救うために来たのである。

 

塚本訳 ルカ 15:4

15:4 「あなた達のうちのだれかが羊を百匹持っていて、その一匹がいなくなったとき、その人は九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を、見つけ出すまではさがし歩くのではないだろうか

 

塚本訳 ヨハ 12:47

12:47 しかしわたしの言葉を聞いて守らぬものがあっても、わたしはその人を罰しない。なぜなら、わたしは世を罰するために来たのでなく、世を救うために来たのだから。

 

塚本訳 Ⅰテモ1:15-17

1:15 (まことに)「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来給うた」という言は信ずべく、また無条件に承認さるべきである。そしてこの私がその罪人の第一人者である。

 

塚本訳 マタ 24:39-41

24:39 洪水が来て一人のこらずさらってゆくまで、それに気づかなかった。人の子の来臨もこのようである

24:40 その時、二人の男が畑にいると、一人は(天に)連れてゆかれ、一人は(地上に)のこされる。

24:41 二人の女が臼をひいていると、一人は連れてゆかれ、一人はのこされる

 

塚本訳 ルカ 23:42-43

23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。

23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽(パラダイス)にはいることができる。」

 

塚本訳 Ⅱペテ3:12

3:12 神の日の到来を待ち望みつつ(これを)早め(ることに努力せ)ねばならぬことであろう!その日『天は』焼けて解け去り、日月星辰は燃えて『溶けるであろう』

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12月1日集会感話の一部 終わり

●感話の標題に

・・・その「望みの喜び」は苦難と神の霊によって起こされる・・・・

としたのは、バッハのカンタータ第147番「心と口と生活をもて」、の一部を19世紀になってピアニストのマイラヘスが注目して「主よ、人の望みの喜びよ」
「Jesus Joy of man's desiring」を編曲して世界的なものにしたのを連想したからである。 

●妻は従姉妹のタカちゃんが拝島まで法事に来られたので会いに行く。
●14:00 今井館、無教会研修所助言者会議。8名。
 

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不信者も死後に救われる ++++++++ 所感

2013/11/22 08:28

131121(金)目覚めの啓示「不信者も死後に救われる」●この世に生きている間に神もキリストも信じなかったものは、肉体の死と共にその霊魂も永遠の滅却となるのだろうか。聖書はそのようには言っていないのが公平な思想であるようだ。そう考えた方が、聖書のあちこちが整合する。つまり神は不信者の霊魂も死後においてその救いに腐心して「探し出す」「追いかける」。ギリシャ哲学の「霊魂不滅説ではない。それには神もなく救いもない。それはただ霊肉の分離である。聖書は神による霊魂の救いを説く。今朝はその聖書的根拠を掲げて素人感想を述べる。●神は全能だから、自ら創造した霊の命を最後まで追いかけて救い出す。

塚本訳 ヨハ 5:29
5:29 (墓から)出てくるからである。すなわち、善いことをした者は(永遠の)命にはいるために復活し、悪いことをした者は(死の)罰を受けるために復活する

●神は死んで眠っている者を呼び起こしてまで救う。

塚本訳 ヨハ 11:44
11:44 死人が手足を包帯で巻かれたまま、(墓から)出てきた。顔は手拭で包まれていた。イエスは「解いてやって(家に)帰らせなさい」と人々に言われた。


●死んだ者が墓から呼び出される「肉眼で見える」証明。

塚本訳 ヨハ 20:1-8
20:1 (翌々日、すなわち)週の初めの日(日曜日)の朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に来てみると、墓(の入口)から石がのけてあった。
20:2 そこでシモン・ペテロと、イエスが可愛がっておられたもう一人の弟子との所に走って行って言う、「主を墓から取っていった者があります。どこに置いたのかわかりません。」
20:3 そこでペテロはもう一人の弟子と飛び出して、墓へと急いだ。
20:4 二人とも(始めのほどは)一しょに走っていたが、もう一人の弟子の方が(年が若かったので、)ペテロより早く走っていって、先に墓に着いた。
20:5 身をかがめると、(墓の中に)亜麻布があるのが見えたが、それでも中には入らなかった。
20:6 続いてシモン・ペテロも来た。彼は墓に入り、亜麻布が(そのままそこに)あるのを見た。
20:7 また頭をつつんだ手拭は亜麻布と一しょになく、これだけ別の所に、包んだまま(の形)になっていた。
20:8 すると先に墓に着いたもう一人の弟子も入ってきて、見て、信じた


●イエスの有体的復活。目に見える形での人類への証明。

塚本訳 ルカ 20:37-38
20:37 死人が復活することは、(聖書にはっきり書いてある。)モーセも茨の薮の(燃える話の)ところで、主を『アブラハムの神、またイサクの神、またヤコブの神(である)と』と言ってこれを示している。
20:38 ところで神は死人の神ではなく、生きている者の神である。神に対しては、すべての者が生きているのだから。(してみるとアブラハム、イサクなども皆復活して、今生きているわけではないか。)」


●38節。「神に対してはすべての者が生きている」がポイント。
●死ねばすべてがオシマイ、一巻の終わりで救いは不可能と思うのは間違い。それは異教思想。

塚本訳 ロマ 7:2-4
7:2 たとえば、結婚した婦人は夫が生きているうちは法律によって(夫に)結びつけられているが、夫が死ねば、(彼女を夫に結びつける)夫の法律から解かれる。
7:3 従って、夫が生きているうちにほかの男のものになれば、姦婦と言われるけれども、夫が死ねば、たとえほかの男のものになっても、(夫の)法律から自由(の身)であるから、姦婦ではない。
7:4 だから、わたしの兄弟たちよ、(あなた達と律法との関係も同じである。)キリストの体(が十字架の上で死んだこと)によって、あなた達も律法との関係では(一しょに)殺されたのである。これはあなた達が(古い夫である律法の束縛をはなれ、)ほかの者、すなわち死人の中から復活された方、(新しい夫キリスト)のものになって、わたし達が神のために(善い)実を結ぶためである。


●結婚問題は難しい。しかし結婚は「この世だけのこと」だと思う。次がそれを示す。

塚本訳 ルカ 20:34-36
20:34 イエスは言われた、「この世の人はめとり嫁ぐけれども
20:35 あの世にはいる資格を与えられて、死人の中から復活する者は、めとることもなく嫁ぐこともない。
20:36 復活によって生まれる彼らは、天使と同じであり、神の子であるので、もはや死ぬことが出来ない、(従って子を産む必要がない)からである。


●クリスチャンの夫婦は生きているうちから霊魂の交わりがその本質。肉的にベタベタしていてはいけない。イチャイチャしていてはいけない。
●今日は11月22日で「いいふーふ(いい夫婦」の日。その秘訣は良く会話をするというのがNHKニュース。
●もう一度生まれたら、今の相手と結婚したいと思うのは男性は40%、女性は26%。これもNHKニュース。つまり女性は「私は結婚に失敗したー」と思っているのは74%(4人に3人!)
●再婚は罪ではない。それはこの世だけのことだ。
●しかし死後も妻は妻、夫は夫。人間の本質は肉ではなく、霊魂だから。しかし来世ではもうこの世的な形での夫婦ではない。

塚本訳 ルカ 15:4-7
15:4 「あなた達のうちのだれかが羊を百匹持っていて、その一匹がいなくなったとき、その人は九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を、見つけ出すまではさがし歩くのではないだろうか。
15:5 そして見つけると、喜んで肩にのせて、
15:6 家にかえり、友人や近所の人たちを呼びあつめてこう言うにちがいない、『一しょに喜んでください。いなくなっていたわたしの羊が見つかったから』と。
15:7 わたしは言う、このように、一人の罪人が悔改めると、悔改める必要のない九十九人の正しい人以上の喜びが、天にあるのである。


●神は失われた霊魂を探し出す。死後も探し出す。人間は死んでも神から逃げ出せない。
●99匹の羊はこの世で洗礼を受けて信者になったつもりの人。自称キリスト信者の人。神はその人を置いておいて失われた霊魂を探し出す。

塚本訳 黙  20:5-6
20:5 しかし残りの死人達は千年が終わるまで生き返らなかった。これが第一の復活である。
20:6 幸福なる哉、聖なる哉、第一の復活に与(り得)る者! この人達に対しては第二の死も権威が無く、彼らは神とキリストとの祭司となって、千年の間彼と共に王となるであろう。


●霊魂の死が「第二の死」。永遠の滅却。しかしそこにキリストの死の功があって数われる。
●キリストは人類の霊魂を救おうと自ら「永遠の滅却」なる「第二の死」つまり霊魂の死に預かったのだ。単なる肉体の死ではない。だからイエスはゲッセマネの苦しみ」の祈りがあったのだ。十字架上で「なぜ私をおみ捨てになったのですか」と叫んだのだ。

塚本訳 マタ 22:10-13
22:10 家来たちは道に出ていって、出会った者を悪人でも善人でも皆集めてきたので、宴会場は客で一ぱいになった。
22:11 王は客を見ようとして入ってきたが、そこに礼服を着けていない者が一人いるのを見て
22:12 その人に言った、『君、礼服も着ずに、なんでここに入ってきたのか。』その人が黙っていると、
22:13 王は家来たちに言った、『あの者の手足を縛って、外の真暗闇に放り出せ。そこでわめき、歯ぎしりするであろう。』


●10節。神は「悪人」も呼ぶ。一応呼ぶ。招待する。
●そこで礼服を着せて清める。れ服とはキリストの贖罪の宝血潮。
●ただで貸すのにツッパッテそれを着ないものはどうしようもない「頑固者」は永遠の滅却だ。
●人間なら善人でも悪人でも誰でも救われると言うのはヒューマニズム。これはキリスト教ではない。キリスト教は罪汚れを清められなければならない。

塚本訳 ヘブ 11:3
11:3 (まず、)信仰によって、わたし達はこの世界が神の言葉で造られたことを知る。すなわち、見えるものは、現われぬものからできているのである


●人生は見えるもの、つまり「この世」だけで終わるのではない。その次がある。恐るべき神。
●この世で神もその独り子キリストの救いも信じなかった人、信者(特に親兄弟伴侶)に躓いて信ずるに至らなかった人でも、死後神ご自身が直接その人を救う。

塚本訳 ルカ 23:41-43
23:41 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽(パラダイス)にはいることができる。」


●生きているうちに救いに預かる幸いを得た人は「この世天国」の気分で生きる幸福人生になれるが、この十字架の強盗は、臨終のときに救われた。そrうぇでいいのだ。救いに遅い早いはない。

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朝の黙想終わり。 信仰を持たないで死んだ母も「神に探し出されて」救われる。生きている現在において神もキリストも信じないで罪の世界にいる人はこの世でダメなら来世でも救われるチャンスがある。神は全能だ。

●以上、いくら聖書的根拠によると言えども自説に都合の良いところだけを引っ張っていては間違う。真の解釈は聖霊が教えてくれる。●キリスト教の教派は信仰の内容を教派の神学でs信者を縛る。信仰が曲がらないようにという親切心からだが、それが足枷となって聖書解釈に自由がない。真理は神ご自身が教えてくださる。
●聖書は人間に教えられるな。自分で読め。先生に読んでもらうな。自分の先生の説のみを信ずるな。聖書は次のように言う。

塚本訳 Ⅰヨハ2:27
2:27 しかしあなた達は、キリストから戴いた油(すなわち聖霊)が留っているのだから、だれからも教えてもらう必要はない。彼の油が万事についてあなた達に教えるように、またそれはまことであって、嘘ではない。そしてその油があなた達に教えたとおり、(つねに)キリストに留っておれ。

●塚本先生はしきりに「自分(塚本)の書いたもの、翻訳したものを信ずるな。私(塚本)が聖書に向かったその姿勢を学べ」と言ったそうだ。(翻訳参謀のイ・ヤさんへの言葉)。至言。
これが無教会主義の本質。


●13:10出発。妻と秋の国営昭和記念公園に紅葉狩(もみじがり)。結婚45年目。

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銀杏並木。写真は高級なカメラをぶら下げている人に頼むとうまく写してくれる。

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日本庭園の楓。この色彩は素晴らしい。

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日本庭園の池に写る紅葉が素晴らしい。The Japan。

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日本庭園の休憩所は和風建築。和風建築は素晴らしい。

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みんなの原っぱの大ケヤキ。今度は孫たちを連れて来ようと話しながら帰途に就いた。



















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残り人生の使命 ++++++++ 所感

2013/11/21 09:45

131121(木)昨日はどうも脳がおかしかった。爆睡して6時半起床。ラジオ体操。朝食のジュース(人参+リンゴ+レモン汁+オリーブオイル少々)をミキサーで作る。●昨夜、妻からその日の出来事を聞いた。「悩み多きこの世なるかな」と思ったが逆に私の残りの人生の使命も示された。聖書の言葉と感話を掲げる。

塚本訳 マタ 9:13
9:13 『わたしは憐れみを好み、犠牲を好まない』という(神の言葉の)意味を、行って、勉強したがよかろう。わたしは正しい人を招きに来たのではない、罪人を招きに来たのである。


塚本訳 マタ 11:19
11:19 人の子(わたし)が来て飲み食いすると、『そら、大飯食いだ、飲兵衛だ、税金取りと罪人の仲間だ』と言うのだから。しかし(神の)知恵の正しいことは、(ヨハネと人の子とによる)その業が証明した。」

塚本訳 マコ 2:17
2:17 イエスは聞いてその人たちに言われる
、「丈夫な者に医者はいらない、医者のいるのは病人である。わたしは正しい人を招きに来たのではない、罪人を招きに来たのである。」


塚本訳 ヨハ 3:16
3:16 そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである。



塚本訳 ルカ 19:10
19:10 人の子(わたし)は『滅びうせた者をさがして』救うために来たのである。」

塚本訳 ヨハ 16:28
16:28 (くりかえして言う、)わたしは父上のところから出てこの世に来たが、またこの世を去って父上の所にかえるのである。」


塚本訳 Ⅰテモ1:15-17
1:15 (まことに)「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来給うた」という言は信ずべく、また無条件に承認さるべきである。そしてこの私がその罪人の第一人者である。
1:16 しかし(罪人の第一人者たる)この私が(特に)憐れみを蒙ったのは、イエス・キリストが(まず救いの)第一人者として私にあらん限りの寛容を示し、(私をして今後)彼を信じて永遠の生命に入ろうとする者の典型たらしめんために外ならなかった。
1:17 万代の王、朽ちぬ見得ざる唯一の神に、栄誉と栄光代々限りなくあらんことを! アーメン。

●私の残りの人生はこのことのために捧げ尽くそう。この世の改善のためでなく、無教会の発展のためではない。

塚本訳 Ⅱコリ12:9-10
12:9 主は(その都度)言われた、「わたしの恩恵はあなたに十分だ。力は弱さの中に完成されるのだから。」、それでわたしはキリストの力がわたしに住みついてくださるように、大喜びで、むしろ(自分の)弱いことを自慢しよう。
12:10 それゆえわたしは弱いことを、虐待、艱難、また迫害と苦悩をうけることを、キリストの故に喜ぶ。わたしは弱い時には、(彼の力によってかえって)強いのであるから。


●どの家庭親族にも、恥ずべきこと、隠しておきたいこと、親しき人にも話せないこと、つまり「棘」「悩み」「重荷」があるものだ。人は必死になってその棘を抜こうとするが、うまくいかない。十字架に潰される。けれどもこれが恩恵だというのだ。我が家にアイツさえいなければなーと思わされる時が実は人生の「花」なのだ。なぜか十字架を負わされる祝福の時なのだから。それは神の特別の使命なのだ。その悩みの人に遣わされたのが各「クリスチャン」の神からの使命だ。

塚本訳 マタ 10:38
10:38 また自分の十字架を取ってわたしのあとに従わない者は、わたし(の弟子たる)に適しない。


●ある御夫人(故人)が信者でない人と結婚することになったことを塚本先生にご報告に行くと「良かったねー。あたなたは祈りの対象が与えられたねー」と祝福されたという。その御夫人の葬儀は私が行ったが、今はご主人の墓がある石川県(浄土真宗の国!)に眠っておられる。
●またある人がこれまた結婚の報告に塚本先生に伺ったとき、「どんな結婚式なんだね」と先生がお尋ねになると、その女性は「三々九度(つまり神道)です」と言うなり、その場で泣き崩れたという。すると先生は「ジャー私がここで結婚式をしてあげよう」と言われて、先生と二人だけの結婚式をしたという。神に祝福された最高の結婚式!。今はすでにその方は亡くなられたであろう。しかし神は覚えている。知っている。
●この二人の例で思う。彼女たちの夫は彼女の祈りで最後の日に神に聴かれるて救われると信ずる。そうでなければ「悩み多きこの人生は渡って行けない」「クリスチャンはやっていけない」

塚本訳 ヨハ 5:28-29
5:28 あなた達は(子が裁くという)このことを驚くに及ばない。時が来ると、墓の中にいる者が皆子(たるわたし)の声を聞いて、
5:29 (墓から)出てくるからである。すなわち、善いことをした者は(永遠の)命にはいるために復活し、
悪いことをした者は(死の)罰を受けるために復活する。

●信じなかったものも復活する。神は眠ったものをわざわざ起こす。
●それは「罰を受けるため」である。しかしこの罰は救われるための罰だと信ずる。
●塚本敷衍は(死の)とあるが、その意味はその時キリストがそこで身代わりの死を遂げてくださったことを教えられるのだと信ずる。それほど神の義は厳しいものなのだ。
●死ねば皆平等だということではない。
●この世で犯罪を犯した人も復活する。それはキリストの十字架の身代わりの死を教えられるためだ。

塚本訳 ルカ 23:41-43
23:41 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる。」

塚本訳 ルカ 15:29-32
15:29 父に答えた、『わたしは何年も何年もあなたに仕え、一度としてお言い付けにそむいたことはないのに、わたしには友人と楽しむために、(小牛どころか)山羊一匹下さったことがただの一度もないではありませんか。
15:30 ところがあのあなたの息子、きたない女どもと一しょに、あなたの身代をくらいつぶしたあがかえって来ると、肥えた小牛を御馳走されるのはどういうわけですか。』
15:31 父が言った、『まあまあ、坊や、お前はいつもわたしと一しょにいるではないか。わたしの物はみんなお前のものだ。
15:32 だが、喜び祝わずにはおられないではないか。このお前の弟は死んでいたのに生きかえり、いなくなっていたのに見つかったのだから。』」


●キリスト教は、ダメなヤツが救われるためにある。
●私の若き日の友人は不幸にも母と死別したころから精神を病んだ。彼は言った。「東京聖書読者会」はこの世的にカッコイイ人でなければ出席しにくい」と。そして彼は何年後かに入水自殺した。私には何も告げずに!。神からの身体を自分で壊してはいけない。しかし彼も最後の日に墓から呼び覚まされてキリストの十字架の贖罪の死を教えられるであろう。
●人生はこの世でおしまいではない。次がある。サーカーの試合に後半があるように。まだ救いのチャンスがある。この世で失敗、不幸、不条理の人の方が神に目をかけられやすい。

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朝の黙想終わり。私の今の気持ちは次である。

塚本訳 Ⅰテモ1:12-15
1:12 私は(この尊いつとめを果たすに足る者とするため)私を強くし給うたわれらの主キリスト・イエスに感謝する。彼は私(如き者)を忠実なりとしてこの職に任じ給うたのである──
1:13 かつては(神を)冒涜する者、迫害する者、また暴逆を行う者であったこの私を! しかしそれは信仰の無い時に知らずにしたことであったため、憐れみを蒙り、
1:14 われらの主の恩恵が、信仰とキリスト・イエスにある愛と共に(私に)溢れ漲ったのである。
1:15 (まことに)「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来給うた」という言は信ずべく、また無条件に承認さるべきである。そしてこの私がその罪人の第一人者である


●昨日からどうも「脳の回転」が遅い。おかしくなったのは、TSK日本語版がパソコンのホームページの表示にリンクできないので、悪戦苦闘しているかららしい。歴代志下10章以下。良くわかる者(3男)が家に来るまで手を付けずにおこう。
●13年前に脳出血で倒れた時も前夜遅くまでパソコンの不具合に苦戦していた時であった。
●TSKは完成しなくてもよい。データさえ作成しておけば後継者が完成してくれるであろう。アップしてくれるであろう。
●世に、未完成のものでも「良い」ものがある。シューベルト未完成交響楽、斉藤秀三郎の英和辞典、ガウディの建築サグラダファミリア、塚本虎二の改訳新約聖書。そうだ。神の創造も未完成なのだ。「キリストの苦しみの欠けたるを補う」教会も未完成なのだ。「終末」で完成するのだ。
●TSK日本語版ネヘミヤ記、9章と10章。データ作成のみ。アップの努力はしない。
●頭休めのために郵便局まで散歩がてら秋の景色を撮影。


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柚子。

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 さざんか

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ピラカンサス

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秋留公園。桜の紅葉。孫の一人がこの地蔵に、手を組んで祈っていた。
「汝の若き日に汝の造り主を覚えよ」(伝道の書12:1)
この孫の行く末の上に神の祝福がありますように。
この地蔵を見るたびにそう思うのだ。

















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再臨の前兆としての苦難 ++++++++ 所感

2013/11/20 08:10

131120(水)5時目覚め。目覚めの啓示「再臨の前兆としての苦難」●再臨の前兆には苦難が伴うと言う。それは民族にも個人にも共である。しかしそれは陣痛の苦しみだ。●今朝はこれを巡って関連聖句を瞑想しよう。●再臨の信仰は難解だが苦難と光(神の霊)でイエスの予言の謎の言葉が一瞬にわかるものだ。

塚本訳 ルカ 21:7-19
21:7 彼らがイエスに尋ねた、「先生、では、そのことはいつ起りましょうか。また、(世の終りが来て)このことがおころうとする時には、どんな前兆がありましょうか。」
21:8 そこでこう話された。──「迷わされないように気をつけよ。いまに多くの人があらわれて、『(救世主は)わたしだ』とか、『(最後の)時は近づいた』とか言って、わたしの名を騙るにちがいないから。そんな人たちのあとを追うな。
21:9 戦争や暴動と聞いた時に、びっくりするな。それらのことはまず』おこらねばならないことである』が、しかし(まだ)すぐ最後ではないのだから。」
21:10 それから言われた、「(世の終りが来る前に、)『民族は民族に、国は国に向かって(敵となって)立ち上がり、』
21:11 また大地震や、ここかしこに疫病や飢饉があり、いろいろな恐ろしいこと、また天に驚くべき前兆があらわれるであろう。
21:12 しかしすべてこれらのことがある前に、人々はあなた達に手をかけて迫害する。すなわち礼拝堂や牢屋に引き渡し、またわたしゆえに、王や総督の前に引き出すであろう。
21:13 これは結局あなた達が(福音を)証しする結果となるのである。
21:14 だから(前もって)弁明の準備をしておかないことに、心を決めなさい。
21:15 いかなる反対者も、反抗し弁駁することの出来ない言葉の知恵を、わたしが授けるから。
21:16 あなた達はまた親、兄弟、親族、友人からまで(裁判所に)引き渡される。殺される者もあろう。
21:17 またわたしの弟子であるために皆から憎まれる
21:18 しかしあなた達の髪の毛一本も決して無くならない。
21:19 あなた達は忍耐によって、自分の(まことの)命をかち取ることができる。

塚本訳 マコ 13:7-10
13:7 戦争(を目のあたりに見たり、)また戦争の噂を聞いた時に、あわてるな。『それはおこらねばならないことである』が、しかしまだ最後ではない。
13:8 (世の終りが来る前に、)『民族は民族に、国は国に向かって(敵となって)立ち上がる』のだから。またここかしこに地震があり、飢饉がある。(だが)これは(まだ、新しい世界が生まれるための)陣痛の始めである
13:9 しかしあなた達は(こんな外の出来事よりも)自分のことに気をつけておれ。あなた達は裁判所に引き渡され、礼拝堂で打たれる。また、わたし(の弟子であるが)ゆえに、総督や王の前に立たされるであろう。これは、その人たちに(福音を)証しする(機会を与えられる)ためである。
13:10 (終りの日が来る前に)福音はまずすべての国の人に説かれねばならないのだから。

塚本訳 マタ 24:7-8
24:7 (世の終りが来る前に)『民族は民族に、国は国に向かって(敵となって)立ち上がり、』またここかしこに飢饉や地震があるのだから。
24:8 しかしこれは皆(まだ、新しい世界が生まれるための)陣痛の始めである。


塚本訳 マタ 24:12-14
24:12 また(兄弟たちの間に)不法がふえるので、多くの人の愛が冷える
24:13 しかし最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
24:14 すなわち、あらゆる国々の人に(わたしとわたしの業を)証しするために、(まず)この御国の福音が全世界に説かれ、それから最後(の裁きの日)が来るのである。

塚本訳 ヨハ 16:19-22
16:19 イエスは自分に尋ねたがっているのを知って言われた、「『しばらくするとあなた達はわたしを見ることができない。またしばらくするとわたしに会うことができる』と言ったことを話し合っているのか。
16:20 アーメン、アーメン、わたしは言う、(わたしがいなくなると)あなた達は泣いて悲嘆にくれるが、この世は喜ぶであろう。あなた達は悲しむが、その悲しみは(やがて)喜びにかわるであろう。
16:21 女が子を産む時には、女の(宿命の)時が到来したので悲しみがあるけれども、子が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはや(お産の)苦しみを覚えていない。
16:22 だから、(同じく)あなた達にも今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなた達に会うのだから、(その時)あなた達の心は喜ぶであろう。そしてあなた達からその喜びを奪う者はだれもない。


塚本訳 マコ 13:19-20
13:19 それらの日には、神が(天地を)創造された『その創造の始めから今日までになかった、』また(これからも)決してない『ような苦難が』臨むのだから。
13:20 もし主がこれらの(苦難の)日を短くされなかったら、だれ一人助かる者はあるまい。しかし選びをうけた、選ばれた人々のために、これらの日を短くしてくださっているのである。

塚本訳 ルカ 23:27-30
23:27 民衆と、イエスのために悲しみ嘆く女たちとの大勢の群が、あとにつづいた。
23:28 イエスは女たちの方に振り向いて言われた、「エルサレムの娘さんたち、わたしのためには泣いてくれなくともよろしい。それよりは自分のため、自分の子供のために泣きなさい。
23:29 いまに人々が、『石女と、(子を)産んだことのない胎と、飲ませたことのない乳房とが羨ましい』と言う(恐ろしい)日が来るのだから
23:30 その時人々は『山にむかっては、『われわれの上に倒れかかって(殺して)くれ』、丘にむかっては、『われわれを埋めてくれ』と言い』続けるであろう。

塚本訳 ルカ 23:41-43
23:41 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽(パラダイス)にはいることができる。」


塚本訳 ヨハ 11:21-27
11:21 マルタがイエスに言った、「主よ、あなたがここにいてくださったら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。
11:22 しかしあなたがお願いになることなら、神様は何でもかなえてくださることを、わたしは今でも知っています。」
11:23 イエスは言われる、「あなたの兄弟は生き返る。」
11:24 マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」
11:27 イエスに言う、「はい、主よ、(信じます。)あなたが救世主で、神の子で、世に来るべき方であると、私は信じています。」

塚本訳 ヨハ 12:33-35
12:33 このように(「挙げられる」と)言われたのは、自分がどんな死に方で死なねばならぬかを、(すなわち十字架による死を)暗示されたのである。
12:34 すると群衆が答えた、「われわれは律法[聖書]で、救世主は〃永遠に〃(地上に)生きながらえると聞いていたのに、あなたはどういう訳で、人の子は(死んで天に)挙げられねばならぬと言われるのですか。その人のことはいったいだれのことです。」
12:35 するとイエスは(それには答えず、)彼らに言われた、「もうしばらくの間、光はあなた達のところにある。光のある間に(早く)歩いて、暗闇に追い付かれないようにせよ。暗闇を歩く者は、自分がどこへ行くのか知らない。

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朝の黙想終わり。再臨の喜びの前には大苦難がある。それは陣痛の苦しみ。

●8:00 妻は今井館ウィークデーの集い。中野の愛子の家の手伝い。
●12月1日、集会感話資料の修正推敲。

12月1日感話 目次
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  主の約束である再臨の待望 

--- その喜びは苦難と神の霊によって起こされる ---

東京聖書読者会 2013.12.1 高橋照男

 

①再臨の前兆

②再臨は難解

③再臨の光

④再臨の雲

⑤再臨の喜び

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12月1日感話 目次 終わり

●私の「再臨待望」の信仰は間違いがない。なぜか。すべて聖書的根拠があるからだ。


●「人は信ぜよ」。

塚本訳 マタ 14:28-31
14:28 ペテロが答えた、「主よ、あなたでしたら、どうかわたしに命令して、水の上を歩いてあなたの所へ行かせてください。」
14:29 「こちらに来なさい」とイエスが言われた。ペテロは舟から下り、水の上を歩いてイエスの所へ行った。
14:30 しかし(いま一足という所で)強い風を見たため、おじけがつき、沈みかけたので、「主よ、お助けください」と叫んだ。
14:31 イエスはすぐ手をのばし、ペテロをつかまえて言われる、「信仰の小さい人よ!なぜ疑うのか。」


●ある時、某夫人に「あなただったら水の上を歩いて行きますか」と聞くと、
誰が命じたかによって「歩いて行きます」と言った。この夫人は神の祝福がある。信仰は女性だ。

●イエスがペテロに「こちらに来なさい」と言ったのは信仰の訓練のため。

●生育の環境が悪くて「人を信じない」ように育った人間でも、人を通して神の愛が注がれると人を信じ神を信じるようになる。イエスが世に降った意味はここにある。またエクレシアのこの世での存在意義もここにある。

塚本訳 ヨハ 11:14-15
11:14 そこでイエスが今度ははっきり言われた、「ラザロは死んだのだ。
11:15 わたしがそこにいなかったことを、あなた達のために喜ぶ。あなた達の信仰を強めることができるからだ。さあ、ラザロの所に行こう。」

●人生の不条理な不可解な苦難は、これすべて信仰の訓練のためであると思う。

●19:00 横浜みなとみらいホールの小ホールでの「大島富士子独唱会」に行く。癌の手術を繰り返しつつの身ながらの演奏。立派な声であった。大島智夫先生ご夫妻、そのほか顔見知りに出会った。

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黒崎幸吉新約聖書注解のWEB化は1998年に在シドニーの大島守夫氏が始めたもので、高橋と福島県の湯浅鉄郎先生が協力したものである。
 

http://stonepillow.dee.cc/

http://stonepillow.dee.cc/coment.html


しかし私は大島氏とは一度も対面したことがなかったのだが、本日の演奏会場でプロジェクト5年目にして初めて出会った。背が高い方であった。 
 


●休憩時間にさんフエさんが、「大島守夫さんが来ているわよ」と教えてくださったが、私は「会ったことがない」と言うと「本当?、本当なの?」と念を押された。上記の写真はそのフエさんがシャッターを押して下さったもの。次の聖句を思う。

口語訳 ヨブ 42:5
42:5 わたしはあなたの事を耳で聞いていましたが、/今はわたしの目であなたを拝見いたします。
 


塚本訳 Ⅰコリ13:12
13:12 わたし達はいまは(何事も)鏡でおぼろに見ているが、(完全なものが来る)その時には、顔と顔と相対してみるのである。いまはわたしは部分的に知っているが、その時には、(今神に)知りつくされているからそのようにわたしも知りつくすであろう。


●人生、本当に大切な人とは「この世」で会わないで死ぬこともあるのだなーと思う。それでいいのだ、それがいいのだ。親との別れ、兄弟との別れ、肉親との別れ、また同じ。直接物理的に会うことが真の交わりではない。物理的に会っても心が通うわけではない。否、物理的に会うとかえって分裂するようになるかもしれない。この世の「教会」(特にプロテスタント教会と無教会に多い)の分裂がそれだ。無教会は全世界の信者が「一つの教会」(黒崎幸吉に同名の小冊子がある)である。

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演奏会場から桜木町駅まで歩いた。横浜のイルミネーションはきれいであった。


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この寒い夜に大道芸をやっていた。見る人は少なかった。 収入があるのかなーと思った。
後方は横浜の大観覧車。


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横浜のシンボル、ランドマークタワーの夜景。

●桜木町→川崎→立川→東秋留。そこから自転車。帰宅は22時40分。

●帰宅すると妻から今日の話。「悩み多きこの世なるかな」。23時55分から6時間半爆睡。






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神の国の美しさは「いのちの輝き」 ++++++++ 所感

2013/11/19 08:08

131119(火)午前3時目覚め。朝の啓示「神の国の美しさは、いのちの輝き」●この世の美と神の国の美は質が違う。神の国の美は「いのちの輝き」である。今朝はこのことを巡って、日ごろ「これは神の国の美しさだなー」と感じていることを、掲げてみよう。頭に浮かんだものを順不同にメモした。●私のコメント(感話)はなしにする。私(人間)の言葉を入れると薄めた牛乳になるからだ。

口語訳 創 1:31
1:31 神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。

口語訳 創  2:22-23
2:22 主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。
2:23 そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、/わたしの肉の肉。男から取ったものだから、/これを女と名づけよう」。

口語訳 創  3:6
3:6 女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。

口語訳 詩  133:1
133:1 見よ、兄弟が和合して共におるのは/いかに麗しく楽しいことであろう

塚本訳 マタ 18:20
18:20 二人、三人、わたしの名によって集まっている所には、わたしがいつもその真中にいるのだから。」

塚本訳 マタ 6:22-23
6:22 目は体の明りである。だからあなたの目が澄んでおれば、体全体が明るいが、
6:23 目が悪いと、体全体が暗い。だから(天に宝を積まないため、)もしあなたの内の光(である目、すなわち心)が暗かったら、その暗さはどんなであろう。

口語訳 箴  31:10-12
31:10 だれが賢い妻を見つけることができるか、彼女は宝石よりもすぐれて尊い。
31:11 その夫の心は彼女を信頼して、収益に欠けることはない。
31:12 彼女は生きながらえている間、その夫のために良いことをして、悪いことをしない。


口語訳 箴  31:25-26
31:25 力と気品とは彼女の着物である、そして後の日を笑っている。
31:26 彼女は口を開いて知恵を語る、その舌にはいつくしみの教がある。


口語訳 箴  31:30
31:30 あでやかさは偽りであり、美しさはつかのまである、しかし主を恐れる女はほめたたえられる。

口語訳 Ⅰテモ2:9-10
2:9 また、女はつつましい身なりをし、適度に慎み深く身を飾るべきであって、髪を編んだり、金や真珠をつけたり、高価な着物を着たりしてはいけない。
2:10 むしろ、
良いわざをもって飾りとすることが、信仰を言いあらわしている女に似つかわしい。

塚本訳 マタ 6:28-29
6:28 また、なぜ着物のことを心配するのか、野の花の育つのを、よく見てごらん、苦労をせず、紡ぐこともしない。
6:29 しかし、わたしは言う、
栄華を極めたソロモン(王)でさえも、この花の一つほどに着飾ってはいなかった。

塚本訳 ヨハ 1:14
1:14 この言葉は肉体となって、(しばらく)わたし達の間に住んでおられた。(これが主イエス・キリストである。)わたし達はその栄光を見た。
いかにも父上の独り子らしい栄光で、恩恵と真理とに満ちておられた。

口語訳 詩  45:2
45:2 あなたは人の子らにまさって麗しく、気品がそのくちびるに注がれている。このゆえに神はとこしえにあなたを祝福された。


塚本訳 マタ 17:1-2
17:1 (それから)六日の後、イエスはペテロとヤコブとその兄弟のヨハネだけを連れて、高い山にのぼられた。
17:2 すると彼らの見ている前でイエスの姿が変った。顔は太陽のように照りかがやき、着物(まで)が光のように白くなった。

口語訳 詩  1:2-3
1:2 このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。
1:3 このような人は流れのほとりに植えられた木の/時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える

口語訳 詩  23:2-4
23:2 主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる
23:3 主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
23:4 たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。

口語訳 詩  19:1-2
19:1 もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす
19:2 この日は言葉をかの日につたえ、この夜は知識をかの夜につげる。


口語訳 詩  19:5-6
19:5 日は花婿がその祝のへやから出てくるように、また勇士が競い走るように、その道を喜び走る。
19:6 それは天のはてからのぼって、天のはてにまで、めぐって行く。その暖まりをこうむらないものはない。

口語訳 詩  84:2-3
84:2 わが魂は絶えいるばかりに主の大庭を慕い、わが心とわが身は生ける神にむかって喜び歌います。
84:3 すずめがすみかを得、つばめがそのひなをいれる巣を得るように、万軍の主、わが王、わが神よ、あなたの祭壇のかたわらに/わがすまいを得させてください。

塚本訳 Ⅰヨハ4:10
4:10 わたし達が神を愛したことではなく、彼がわたし達を愛し、その子をわたし達の罪のための宥め(の供物)として遣わされたそのことに、愛があるのである

塚本訳 マタ 13:23
13:23 しかし良い地にまかれたもの、これは御言葉を聞いて悟る人で、きっと実を結び、あるいは百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍になるのである。」

塚本訳 マタ 19:13-15
19:13 それから、イエスに手をのせて祈っていただこうとして、人々が子供たちをつれて来ると、弟子たちが咎めた。
19:14 イエスは言われた、「子供たちを放っておけ、わたしの所に来るのを邪魔するな。天の国はこんな(小さな)人たちのものである。」
19:15 それから子供たち(の頭)に手をのせて祝福したのち、そこを去られた

塚本訳 マタ 21:15-16
21:15 すると大祭司連や聖書学者たちは、イエスがされた不思議な業と、宮(の庭)で子供たちが、「ダビデの子に『ホサナ!』」と言って叫んでいるのを見て憤り、
21:16 イエスに言った、「あの子供たちがなんと言っているのか、聞えているのか。」イエスは言われた、「聞えている。あなた達は
『(神よ、)あなたは幼児と乳飲み子との口によって、(御自分のために)賛美をお備えになった』と詩篇にあるのを、まだ読んだことがないのか。(大人が黙っているから、子供が叫ぶのだ。)」


口語訳 詩  8:1-2
8:1 主、われらの主よ、あなたの名は地にあまねく、いかに尊いことでしょう。あなたの栄光は天の上にあり、
8:2 みどりごと、ちのみごとの口によって、ほめたたえられています
。あなたは敵と恨みを晴らす者とを静めるため、あだに備えて、とりでを設けられました。

塚本訳 Ⅱコリ2:15-16
2:15 というのは、わたし達は救われる者の間でも、滅びゆく者の間でも、神にささげられるためのキリストのよい薫である。
2:16 ある者には、死から死へみちびく薫であるが、ある者には、命から命へみちびく薫りである。(ああ、)一体だれにこんなことが勤まろう。

塚本訳 ロマ 10:14-15
10:14 ところで、(呼ぶだけで救われると言うが、)信じたことのない者を、どうして呼ぶことができようか。聞いたことのない者を、どうして信ずることができようか。説く者がなくて、どうして聞くことができようか。
10:15 (神に)遣わされなければ、どうして説くことができようか。(しかし説く者はある。それはわたし達である。)『善いこと[福音]を伝える人たちの足の、なんと美しいことよ!』と書いてあるとおりである。

口語訳 イザ 52:7
52:7 よきおとずれを伝え、平和を告げ、よきおとずれを伝え、
救を告げ、シオンにむかって「あなたの神は王となられた」と/言う者の足は山の上にあって、なんと麗しいことだろう。

塚本訳 黙  21:1-2
21:1 また私は新しい天と新しい地とを見た。初めの天と初めの地とは消え去ったのである。最早海も無い。
21:2 また聖なる都新しいエルサレムが、夫のために飾った新婦のように身支度をして、天から、神(の御許)から降って来るのを私は見た。

塚本訳 黙  21:9-10
21:9 すると最後の七つの災厄が盛られた七つの鉢を持つ七人の天使の一人が来て、私に語って言うた、「さあ(此処に来い。)仔羊の妻たる新婦をお前に示そう。」
21:10 そして霊にて私を大きな高い山の上に連れて行き、聖なる都エルサレムが神の栄光をもって天から、神(の御許)から降って来るのを私に示した

塚本訳 黙  22:1-5
22:1 天使はまた神と仔羊の玉座から(流れ)出ている水晶のように輝いた生命の水の河を私に示した。
22:2 都の大通りの真中と河の此方彼方に生命の樹があって、(一年に)十二度実を結ぶ、すなわち月毎に実が生るのである。そしてその樹の葉は諸国の民(の凡ての病と傷と)を医す。
22:3 最早凡ての呪詛(じゅそ)が無いであろう
。そして神と仔羊の玉座が都の中にあって、その僕達は(其処で)彼に仕え、
22:4 (おおけなくも目のあたり)御顔を拝し、その御名が彼らの額に(書いて)あるであろう。
22:5 また(昼夜の別が消え失せ)最早夜が無いであろう。(其処では)燈火の光も太陽の光も必要がない。主なる神が彼らを照らし給うから。そして彼らは永遠より永遠に王となるであろう。

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朝の黙想終わり。神の国の美しさは「いのちの輝き」
.。いのち。永遠の命の輝き。

●TSK日本語版ネヘミヤ記8章
●午後の散歩。
●妻は月本昭男先生のエレミヤ書講義聴講に新宿に行く。

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秋の色。銀杏は日本の木だと認識している。秋留台公園


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秋留台公園で消防訓練が行われる。倒壊した建物を造ってあった。
壊れた家をわざと造るのも難しいだろうなー

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秋留台公園の陸上競技場。桜の木のあきの姿。人生も四季がある。

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秋留台公園の展望台には方位図がある。 北東に「浦和方面」とある。
私の生まれ故郷だ。もう縁はなくなったが、霊肉の出発地だ。思い出が多い。
人生は出会いと別れの連続だなー。

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何という名前の植物だろう、陽に映えて美しい。植物の命は一瞬だ。
しかい一瞬でも神の光に照らされれば美しいのだ。神は見ている。









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死の不安と嘆きは再臨の希望で安らぐ ++++++++ 所感

2013/11/18 07:51

131118(月)4時半目覚め。●目覚めの啓示「死の不安と嘆きは再臨の希望で安らぐ」●示された聖句を順不同で掲げる。●あえていちいちコメント(感話)しないが、そこには共通の「再臨復活」の希望がある。●聖書は人間の言葉で分かるのではなくて「聖霊」でわかる

塚本訳 ルカ 23:42-43
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる。」

塚本訳 マタ 9:23-26
9:23 やがてイエスは役人の家に着いて、笛吹き男と騒いでいる群衆とを見ると、
9:24 言われた、「あちらに行っておれ。少女は死んだのではない、眠っているのだから。」人々はあざ笑っていた。
9:25 群衆が外に出されると、イエスは(部屋に)入っていって少女の手をお取りになった。すると少女は起き上がった。
9:26 この評判がその土地全体に広まった。

塚本訳 ヨハ 11:21-27
11:21 マルタがイエスに言った、「主よ、あなたがここにいてくださったら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。
11:22 しかしあなたがお願いになることなら、神様は何でもかなえてくださることを、わたしは今でも知っています。」
11:23 イエスは言われる、「あなたの兄弟は生き返る。」
11:24 マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」
11:27 イエスに言う、「はい、主よ、(信じます。)あなたが救世主で、神の子で、世に来るべき方であると、私は信じています。」

塚本訳 ヨハ 11:43-44
11:43 こう言ったのち、大声で、「ラザロ、出て来い」と叫ばれた。
11:44 死人が手足を包帯で巻かれたまま、(墓から)出てきた。顔は手拭で包まれていた。イエスは「解いてやって(家に)帰らせなさい」と人々に言われた。

塚本訳 ルカ 7:12-16
7:12 町の門の近くに来られると、ちょうど、ある独り息子が死んで、(棺が)舁き出されるところであった。母は寡婦であった。町の人が大勢その母に付添っていた。
7:13 主は母を見て不憫に思い、「そんなに泣くでない」と言って、
7:14 近寄って棺に手をかけ──担いでいる者は立ち止まった──「若者よ、あなたに言う、起きよ!」と言われた。
7:15 すると死人が起き上がって物を言い出した。イエスは『彼を母に渡された。』
7:16 皆が恐れをいだいて、「大預言者がわたし達の間にあらわれた」とか、「神はその民を心にかけてくださった」とか言って、神を讃美した。

塚本訳 Ⅰコリ15:54-57
15:54 そしてこの死滅すべきものが不滅を着、この死ぬべきものが不死のものを着たら、その時(聖書に)書いてある言葉が実現する。『死は(神の)勝利に飲みこまれてしまった。』
15:55 『死よ、どこに、お前の勝利は。死よ、どこに、お前の剣は』。
15:56 ──死の剣は罪である、罪の力(の源)は律法である。──
15:57 しかし神に感謝あれ、勝利をわたし達の主イエス・キリストによってわたし達にお与えになる神に!

塚本訳 ロマ 8:34-36
8:34 『だれが(わたし達を)罰することができるか。』キリスト・イエスが(わたし達の罪のために)死んで、それだけでなく復活して、いま神の右においでになって、わたし達のために執り成していてくださるのに。
8:35 (このゆえに)だれがキリストの(わたし達を愛する)愛から、わたし達を引き離すことができるか。苦しみか、悩みか、迫害か、飢えか、裸か、危険か、剣か。
8:36 こう書いてある。──『あなた[神]のためにわたし達は一日中死の危険にさらされている、わたし達は屠られる羊のように考えられた。』

塚本訳 Ⅰテサ4:13-18
4:13 兄弟達よ、(主に在って)眠った者のことを知っていて、希望の無い他の人々のように(徒らに)歎かないようにしてもらいたい。
4:14 私達が信ずるようにもしイエスが死んで復活し給うたならば、神はイエスによって眠った者をも同様にイエスと共に連れ来たり給うであろうから。
4:15 然り、私達の主の御言をもってこのことを(はっきり)君達に言う(ことが出来る)──私達主の来臨(の時)まで生き残っている者は、(既に)眠った者に先立つ(て光栄に与る)ことは絶対に無い。
4:16 何故なら、(その時)主自ら号令と御使いの頭の声と神のラッパ(の響き)と共に天から下り給うて、キリストにおいて死んだ死人がまず復活し、
4:17 それから私達(その時まで)生き残っている者が主に会うため彼らと一緒に雲に乗って空中に奪い去られる。かくして私達はいつも主と共に居るのである。
4:18 だから、これらの言をもって互いに慰め合え。

塚本訳 ルカ 23:26-29
23:26 (兵卒らが)イエスを(刑場へ)引いてゆく時、シモンというクレネ人が野良から来(て通りかかっ)たので、つかまえて(イエスの)十字架を背負わせ、イエスの後から担いでゆかせた。(イエスにはもう負う力がなかったのである。)
23:27 民衆と、イエスのために悲しみ嘆く女たちとの大勢の群が、あとにつづいた。
23:28 イエスは女たちの方に振り向いて言われた、「エルサレムの娘さんたち、わたしのためには泣いてくれなくともよろしい。それよりは自分のため、自分の子供のために泣きなさい。
23:29 いまに人々が、『石女と、(子を)産んだことのない胎と、飲ませたことのない乳房とが羨ましい』と言う(恐ろしい)日が来るのだから。

塚本訳 Ⅱペテ3:14-17
3:14 だから愛する者よ、これを待ち望むならば、(その日)神に汚点のない、疵のない、平安にある者として見られるよう努力せよ。
3:15 また私達の主の寛容をもって(君達の)救い(の保証)と考えよ。私達の愛する兄弟パウロも授けられた知恵に従って君達に書いた通りである。
3:16 これについて述べているその凡ての手紙においても同様であるが、その中には難解なものも少なくないので、教養のない者や心の定まらない者は他の(聖)書と同様これをも曲解して自分の亡滅を招いている。
3:17 だから愛する者よ、君達は前以てこのことを知って、無法者どもの迷いに引き込まれ自分の堅い決心から落ち(ることの)ないように気をつけ、
3:18 私達の主また救い主イエス・キリストの恩恵と知識とに成長せよ。(願う、)今も永遠の日までも栄光彼にあらんことを!

塚本訳 Ⅰコリ13:9-13
13:9 なぜなら、わたし達がいま知っているのは部分的であり、預言しているのも部分的であって、
13:10 完全なものが来る(最後の)時には、部分的なものは(みな)無くなるからである。
13:11 わたしが幼児であった時は、幼児のように語り、幼児のように思い、幼児のように考えていたが、おとなになると、幼児の時のことを捨ててしまった(のと同じである)。
13:12 わたし達はいまは(何事も)鏡でおぼろに見ているが、(完全なものが来る)その時には、顔と顔と相対してみるのである。いまはわたしは部分的に知っているが、その時には、(今神に)知りつくされているからそのようにわたしも知りつくすであろう。
13:13 それゆえに、いつまでものこるものは信仰と希望と愛、この三つ。しかし、この中で一番大きいのは愛!

塚本訳 ルカ 16:28-31
16:28 わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。』
16:29 しかしアブラハムは言う、『(その必要はない。)彼らにはモーセ(律法)と預言書と[聖書]がある。その教えに従えばよろしい。』
16:30 彼が言った、『いいえ、父アブラハムよ、もしだれかが死人の中から行ってやれば、きっと悔改めます。』
16:31 しかしアブラハムは答えた、『モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。』」

塚本訳 ヨハ 3:1-3
3:1 ところでパリサイ人の中に名をニコデモという人があった。ユダヤの(最高法院の)役人であった。
3:2 ある夜、イエスの所に来て言った、「先生、わたし達はあなたが神のところから来られた先生であることを知っています。神がご一しょでなければ、あなたのされるあんな徴[奇蹟]はだれもすることは出来ません。」
3:3 イエスが答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、(徴を見て信じたのではいけない。)人は新しく生まれなおさなければ、神の国にはいることは出来ない。」

塚本訳 Ⅰヨハ2:20
2:20 そしてあなた達は聖者(キリスト)から油を注がれ(て聖者となっ)たのであるから、皆、(何が真理で、何が嘘であるかを)知っている。


塚本訳 Ⅰヨハ2:27
2:27 しかしあなた達は、キリストから戴いた油(すなわち聖霊)が留っているのだから、だれからも教えてもらう必要はない。彼の油が万事についてあなた達に教えるように、またそれはまことであって、嘘ではない。そしてその油があなた達に教えたとおり、(つねに)キリストに留っておれ。

塚本訳 Ⅱテモ3:15-17
3:15 また(既に)子供の時から聖書を習ったことを知っているではないか。この聖書はキリスト・イエスの信仰による救いへの知恵を君に与えることが出来る。
3:16 聖句は悉く霊感されたもので、教訓に、訓戒に、矯正に、義の教育に益があり、
3:17 かくて神の人が完成し、あらゆる善い仕事をする準備が出来る。

塚本訳 Ⅰコリ14:26
14:26 では、兄弟たち、どうしたらよいだろうか。あなた達が集まる時には、それぞれ聖歌を持ち、教えを持ち、啓示を持ち、霊言を持ち、その解釈を持っている。皆、(集会の信仰を)造りあげるために用いられねばならない。

塚本訳 Ⅰコリ2:14
2:14 しかし(御霊を持たない)生まれながらの人間は、神の霊から出てくることを受け入れない。彼にはそれが馬鹿なことなのである。またそれを理解することも出来ない。(霊のことは)霊的に判断されねばならないからである。


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朝の黙想終わり。聖書の解読は「聖霊」による。人間の説明に従うから「教派」が生まれる。争いが生じる。神学論争の斬り合いが始まる。信者のいがみ合いが始まる。

●次回12月1日の感話資料作成。これは建築設計と同じで時間を忘れる。

12月1日感話の配布資料
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    死の不安と嘆きは再臨の希望で安らぐ

 
・・・再臨の希望は神の霊によって与えられる・・・

 
 

東京聖書読者会 2013.12.1 高橋照男

 

①死の不安と嘆き

②再臨は難解

③再臨の光

④再臨の雲

⑤再臨の希望

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①死の不安と嘆き

塚本訳 ルカ 8:51-53

8:51 家に着かれると、ペテロとヨハネとヤコブと、女の子の父と母とのほかには、だれも一しょに中に入ることを許されなかった。

8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。

8:53 人々は死んだことを知っているので、あざ笑っていた。

 

塚本訳 マタ 2:18

塚本訳 ルカ 7:12-14

塚本訳 ルカ 23:26-28

②再臨は難解

塚本訳 マタ 26:62-64

26:62 そこで大祭司は立ち上がってイエスに言った、「何も答えないのか。この人たちは(あんなに)お前に不利益な証言をしているが、あれはどうだ。」

26:63 しかしイエスは黙っておられた。大祭司が言った、「生ける神に誓ってわれわれにこたえよ。お前が、神の子救世主か。」

26:64 イエスは(はじめて口を開いて)彼に言われる、「(そう言われるなら)御意見にまかせる。だが、わたしは言う、あなた方は今後『人の子(わたし)が』『大能の(神の)右に坐り、』『天の雲に乗って来るのを』見るであろう。

 

塚本訳 Ⅱペテ3:3-4

塚本訳 Ⅱペテ3:8-12

塚本訳 マタ 24:3

塚本訳 マタ 24:35-39

塚本訳 マタ 16:2-3

塚本訳 Ⅰコリ2:14

③再臨の光

塚本訳 マタ 24:23-28

24:23 その時『そら、ここに救世主が』とか、『ここに』とか言う者があっても、信ずるな。

24:24 偽救世主たち、『偽預言者たちが』あらわれて、大がかりな『奇蹟や不思議なことをして、』あわよくば、選ばれた人々までも迷わそうとするのだから。

24:25 この通り、あなた達には前もって言っておく。

24:26 だから、たとえ『そら、(救世主は)荒野にいる』と言う者があっても、出て行くな。『そら、奥の部屋に』と言っても、信ずるな。

24:27 人の子(わたし)の来臨は、ちょうど稲妻が東から西に輝きわたるよう(に、はっきりわかるの)であるから。

24:28 死骸のある所には、どこにでも鷲が集まる

 

塚本訳 マタ 24:29-30

塚本訳 使  2:18-20

塚本訳 マタ 17:1-2

塚本訳 使  26:12-14

④再臨の雲

塚本訳 ルカ 21:27

21:27 するとその時、人々は『人の子(わたし)が』大いなる権力と栄光とをもって、『雲に乗って来るのを』見るであろう。

 

塚本訳 マタ 17:5

塚本訳 使  1:8-9

塚本訳 Ⅰテサ4:14-18

塚本訳 マタ 24:39-41

⑤再臨の希望 

塚本訳 マタ 24:30

24:30 するとその時、人の子(わたし)の徴が天に現われるするとその時、『地上の民族はことごとく(これを見て)悲しむであろう。』そして『人の子(わたし)が』大いなる権力と栄光とをもって、『天の雲に乗って来るのを』見るであろう。

 

塚本訳 ヨハ 5:28-29

塚本訳 ヨハ 11:11-13

塚本訳 ルカ 23:42-43

塚本訳   1:7

塚本訳 Ⅰコリ13:12-13a


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12月1日感話の配布資料 おわり


●15:15夕方散歩。イオンまで テレビのイヤホーン関係。エプソンのインク

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柚子の木

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元秋留台高校のメタセコイアに夕陽。学校の建物は壊されても樹木は残る。

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いつも行く、あきる野市中央図書館。コンペで岡田新一が一等になったもの

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夕暮れの富士、左上に金星(宵の明星)があったが私のカメラでは写りそうになかったのでやめた。テニスンの「砂州超えて」の詩を思う。復活の希望の詩。「我を呼ぶ声す」とある。














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愛とは赦しと代罰 ++++++++ 所感

2013/11/17 07:34

131117(日)4時目覚め。目覚めの啓示「愛とは赦しと代罰」。枕元のメモ用紙に書いた聖句を黙想する。

塚本訳 マタ 10:27
10:27 わたしが暗闇で(こっそり)話すことを、(大胆に)明るみで言え。耳うちされたことを屋根の上で宣伝せよ。


文語訳 ヨハ 15:13
15:13 人その友のために己の生命を棄つる、之より大なる愛はなし。


塚本訳 マタ 20:28
20:28 人の子(わたし)が来たのも仕えさせるためではない。仕えるため、多くの人のあがない金としてその命を与えるためである。」

塚本訳 ルカ 9:23
9:23 それから今度は皆に話された、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、毎日自分の十字架を負い、それからわたしに従え。

塚本訳 ルカ 23:34
23:34 するとイエスは言われた、「お父様、あの人たちを赦してやってください、何をしているか知らずにいるのです。」『彼らは籤を引いて、』イエスの『着物を自分たちで分けた。』

塚本訳 ロマ 9:3
9:3 ほんとうに、兄弟すなわち血を分けた同胞の(救われる)ためならば、このわたしは呪われて、救世主(の救い)から離れ落ちてもよいと、幾たび(神に)願ったことであろう。

塚本訳 マタ 5:39-44
5:39 しかしわたしはあなた達に言う、悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打ったら、左をも向けよ。
5:40 (裁判所に)訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせてやれ。
5:41 だれかが無理に一ミリオン[一キロ半]行かせようとするなら、一しょに二ミリオン行ってやれ。
5:42 求める者には与えよ、借りようとする者を断るな。
5:43 あなた達は(昔の人がモーセから、)『隣の人を愛し、』敵を憎まねばならない、と命じられたことを聞いたであろう。
5:44 しかしわたしはあなた達に言う、敵を愛せよ。自分を迫害する者のために祈れ。
5:45 あなた達が天の父上の子であることを示すためである。父上は悪人の上にも善人の上にも日をのぼらせ、正しい人にも正しくない人にも、雨をお降らしになるのだから。

塚本訳 Ⅰコリ13:4-7
13:4 愛はじっと辛抱する、愛は親切である。妬まない、愛は自慢しない、得意にならない。
13:5 無作法をしない、自分勝手をしない。激昂しない、『(人の)悪いことを根にもたない』。
13:6 偽りを見て喜ばない、むしろ真理を喜ぶ。
13:7 すべてを我慢し、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐え忍ぶ。

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朝の瞑想終わり。敵を愛することは神にきりできない。人生の目標として私にそれが出来るようになれるのだろうか。


●妻と集会に行く
●集会は、横田(司会)、丹野、村上(申命記)
●小寺ご夫妻と昼食、妻はコーラス
●TSK日本語版ネヘミヤ記6章
●20:00 「八重の桜」。新島は子供に恵まれなかったが、生徒1000人が自分の子供だ八重に言った。立派。



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自力では渡れない谷 ++++++++ 所感

2013/11/16 09:00

131116(土)3時半、目覚めの啓示「自力では渡れない谷」。●人間の救いを示す前提の言葉で、イエスの次の言葉は難解である。 今朝はこのことを黙想しよう。

塚本訳 ルカ 16:26
16:26 そればかりではない、わたし達とあなた達との間には大きな(深い)裂け目があって、ここからあなた達の所へ渡ろうと思っても出来ず、そこからわたし達の所へ越えてくることもない。』


●つまり救いは渡れない谷、渡れない川をどうするかである。

塚本訳 ルカ 16:27-28
16:27 金持が言った、『父よ、それではお願いですから、ラザロをわたしの父の家にやってください。
16:28 わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。』


●これは身内親族の救いを願うものの深刻な悩みである。谷や川の向こうで「タスケテクレー」と手を振っているのだ。

塚本訳 ルカ 16:29-31
16:29 しかしアブラハムは言う、『(その必要はない。)彼らにはモーセ(律法)と預言書と[聖書]がある。その教えに従えばよろしい。』
16:30 彼が言った、『いいえ、父アブラハムよ、もしだれかが死人の中から行ってやれば、きっと悔改めます。』
16:31 しかしアブラハムは答えた、
『モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。』

●これも救済に関する重要な言葉。聖書を読む真面目な生活をしてなければ「死人の復活」などという大奇蹟を見ても信じないので救われない。というのである。
●これは聖霊の示しがなければ聖書を信じられないということでもある

塚本訳 ヨハ 11:45-48
11:45 すると、マリヤの所に来てイエスのされたことを見たユダヤ人のうち、多くの者は彼を信じた。
11:46 しかし中には(彼を信ぜず、)パリサイ人の所に行って、イエスのされたことをあれこれと報告した者もすこしあった
11:47 そこで大祭司連とパリサイ人は最高法院を召集して言った、「どうすればよいだろう、あの男はたくさん徴[奇蹟]をしているのだが。
11:48 もしこのまま放っておけば、皆があれを信じ(て王に祭り上げ)るであろう。すると騒動が起り、ローマ人が来て、われわれから(エルサレムの)都も国民も、取ってしまうにちがいない。」


●現にラザロの復活を見ても、イエスを信じない者がいた。その張本人がサンヘドリンという最高議決機関(宗教家や国の長老で構成)であった。奇蹟は人に真の信仰を呼び覚まさない。信仰者で偉い人がいることを宣伝しても福音は伝わらない。東大総長、最高裁長官、学士院会員、大学教授、名誉教授、一流の聖書学者、高学歴者、語学堪能者の率、戦時下抵抗者、社会批判活動・・・・
●岩波書店は「世界」で田中伸が「未完の戦時下抵抗」、赤江達也が「『紙上の教会』と日本近代」を出版したが、この世的な「実」にひれ伏しているだけで樹を見てない。否、見えない。岩波書店も落ちたものだ。 この世受けする本を出版する本屋だ。永遠の谷である。渡れない谷の向こうにいる。
●悪に抵抗することが目的ではない。それは結果であって目的ではない。個人の霊魂が神と平和になることが目的であって、それが達成されれば、この世の悪に抵抗する活動をしてもしなくても、できなくてもよい。

塚本訳 ヨハ 3:1-3
3:1 ところでパリサイ人の中に名をニコデモという人があった。ユダヤの(最高法院の)役人であった。
3:2 ある夜、イエスの所に来て言った、「先生、わたし達はあなたが神のところから来られた先生であることを知っています。神がご一しょでなければ、あなたのされるあんな徴[奇蹟]はだれもすることは出来ません。」
3:3 イエスが答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、(徴を見て信じたのではいけない。)人は新しく生まれなおさなければ、神の国にはいることは出来ない。」


●信仰を持てばこの世的に偉くなるというのは大間違い。はき違え。
●ニコデモは「神がご一緒でなければ、あなたのされるあんな徴[奇蹟]はだれもすることは出来ません。」と言っているのは岩波書店より一枚上。
●浅見仙作、鈴木弼美が捕まったのは「再臨信仰」のためであって、ヒューマニズムや人権思想のためではない。再臨信仰という「樹」を見なければ「抵抗」の原因が正しく見えない。力の原因が見えない。

塚本訳 ルカ 14:2-5
14:2 すると、水気をわずらった人がイエスの前にあらわれた。
14:3 イエスは自分の方から律法学者やパリサイ人たちに向かって口を切られた。「安息日に病気をなおすことは正しいか、正しくないか。」
14:4 彼らが黙っていると、その人(の手)をつかんで、病気を直してお帰しになった。
14:5 そして彼らに言われた
、「あなた達のうちには、息子か牛かが井戸に落ちたとき、安息の日だからとてじきに引き上げてやらない者がだれかあるだろうか。」

●自分の子供が病気になった時はこれを何とか救いたいと思うのだ。神の気持ちも同じ。
●「井戸に落ちた息子」とは言いえて妙である。必死でロープを垂らしてやろうという気持ちだ。

塚本訳 ルカ 13:10-16
13:10 安息日にある礼拝堂で教えておられた。
13:11 その時、そこに十八年も病気の霊につかれている女がいた。体が曲っていて、真直ぐに伸ばすことが出来なかった。
13:12 イエスは女を見て呼びよせ、「女の人、病気は直っている」と言って
13:13 手をのせられると、女はたちどころに体がまっすぐに伸びて、神を讃美した。
13:14 すると礼拝堂監督は、イエスが安息日に病気をなおされたことを憤慨して、群衆に言った、「働くべき日は六日ある。その間に来てなおしてもらったがよかろう。安息日の日にはいけない。」
13:15 主が答えられた、「この偽善者たち、あなた達はだれも、安息日には牛や驢馬を小屋から解いて、水を飲ませにつれてゆかないのか。
13:16 この女はアブラハムの末であるのに、十八年ものあいだ、悪魔が縛っていたのだ。安息の日だからとて、その(悪魔の)縄目から解いてはならなかったのか。」


●生まれつきの人間は神もキリストも信じない。信じられない。それが自然。そして成長すると悪魔に噛みつかれていて体中に毒素が回る。罪の赦しのキリストの宝血の血潮で清められなけれならない。
●今朝のNHKニュース。「アルコール中毒者の救い」。「依存」という言葉が出てきた。キリスト教がその実として禁酒禁煙の習慣をもたらしているのは良いことだが、それは酒よりも聖霊に酔うという「樹」を見なければ救われない。

塚本訳 エペ 5:18
5:18 また『酒に酔うな』──これが放蕩(の始まり)である──むしろ御霊に満たされよ。(これに酔え。)


●各種依存症(アルコール、ギャンブル、風俗、麻薬、・・・)という病気は御霊に依存症になることで初めて救われる。悪魔の誘いはそれほど強力なのだ。

塚本訳 マタ 12:28
12:28 しかし、もし(そうでなく、)わたしが神の霊で悪鬼を追い出しているのであったら、それこそ神の国はもうあなた達のところに来ているのである


●キリストが悪魔を追い出して下さるので人は救われる。神はそれを望んでおられる。

塚本訳 マタ 9:10-13
9:10 イエスが家で食卓についておられるたときのこと、大勢の税金取りや罪人も来て、イエスや弟子たちと同席していた。
9:11 パリサイ人はこれを見て、弟子たちに言った、「なぜあなた達の先生は、税金取りや罪人と一しょに食事をするのか。」
9:12 聞いて言われた、「丈夫な者に医者はいらない、医者のいるのは病人である。
9:13 『わたしは憐れみを好み、犠牲を好まない』という(神の言葉の)意味を、行って、勉強したがよかろう。わたしは正しい人を招きに来たのではない、罪人を招きに来たのである。


●「依存症」は病気である。本来の健康な人間ではない。キリストはその病人、罪人を招きにこられた。渡れない谷を渡してくれる。


塚本訳 ヨハ 8:31-34
8:31 すると信じたユダヤ人に言われた、「もしわたしの言葉に留まっておれば、あなた達は本当にわたしの弟子である。
8:32 真理を知り、その真理があなた達を自由にするであろう。」
8:33 しかし彼らは(その意味がわからずに)答えた、「わたし達はアブラハムの子孫で(自由人で)ある。いまだかつてだれの奴隷にもなったことはない。どうして『あなた達は自由になる』と言われるのか。」
8:34 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、罪を犯す者は皆罪の奴隷である。


●人間が様々な依存症の奴隷になる原因は人間が神を離れているから。依存症は家庭崩壊の原因。人間は悪くない。悪魔が悪い。キリストはその悪魔の仕業をやめさせるために世に降られた。
●禁欲をせよ、というのではない。リンゴそのものは悪くない。それは神の創造物。「食べるな」といった神の命令に背いたことが良くないのだ。罪の奴隷なのだ。
●今年の「キリスト教性教育研究会」の夏の集会テーマは「傷ついた性から喜びの性へ」であった。「性」そのものは悪いものではない。神に背いての性が多くの災いをもたらすのだ。
●原発また同じ。原子力そのものは悪くないがそれを扱う人間が神に祝福されていないから災いとなるのだ。


口語訳 イザ 1:18
1:18 主は言われる、さあ、われわれは互に論じよう。たといあなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ。紅のように赤くても、羊の毛のようになるのだ。


●若者よ、求道せよ。牧師伝道者信者に「食ってかかれ」。


塚本訳 マタ 6:24
6:24 (わたし達の心は天か地かに引かれる。)だれも(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。


●市場経済の原理、営利企業の原理は「富への隷属」、金への奴隷。
●その富を追究するのは「小事」。その富を天国行きの手段にするのがクリスチャンの「この世の生き方」(ルカ16:9-13。必ず塚本訳)。すぐ修道院にはいるな。牧師になろうとするな。


塚本訳 ロマ 3:23-24
3:23 なぜか。すべての人が罪を犯したため、いまだれ一人、(かつて持っていた)神の栄光をもたない。
3:24 (さりとて失った栄光を回復する力はないので、何一つ)代価を払わず、(ただ)神の恩恵によって、キリスト・イエスによるあがないの力で、(神に)義とされる(道が設けられた)のである。


●(栄光を回復する力はない)という敷衍の意味は、自力では回復できない。つまり渡れない谷、渡れない川の前に佇んでいるということだ。
●それを渡るのには、キリストの贖罪の血という橋、または舟が必要だ。

塚本訳 使  4:11-12
4:11 この方は、(聖書にある)『大工の』あなた方から』投げ捨てられ、隅の土台石になった石』です。
4:12 この方のほかのだれによっても救いはない。天下ひろしといえども、わたし達が救われるべき名はこれ以外、人間に与えられていないからです。」


●「日本的キリスト教」の強調のために、キリスト抜きのキリスト教という変質なものが出来ている。カトリックの某神父は「南無アッバー」と唱えるという。人のことは言えない。無教会では某氏が「南無キリスト」と唱えるという。無教会は自由、百花繚乱、枯れ木も山の賑わいで良いが、キリストが線香臭くていけない。こうまでなると恥ずかしさとなさけなさを通り越して罪悪である。福音があるのか。昆虫は6本足。8本足の蜘蛛は昆虫の範囲に入らない。こういう人を盲人が盲人の手引きをするというのだ。


塚本訳 マタ 15:12-14
15:12 あとで弟子たちが来てイエスに言う、「パリサイ人がお話を聞いて腹を立てたことを御存じですか。」
15:13 イエスは答えられた
、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜かれる。
15:14 あの人たちを放っておけ。盲人の手引をする盲人だ。盲人が盲人の手引をすれば、二人とも穴に落ちよう。」


●真面目な信者は彼らに耳を貸さない。貸すはずはない。 ●こういう人を批判するのは「金と時間の無駄」。放っておけば一代で枯れる。後継者は出ない。なぜか、真理ではないから。
 

塚本訳 ヨハ 9:5-7
9:5 世におる間、わたしは世の光である。」
9:6 こう言って地に唾をはき、唾で泥をつくり、その泥を盲人の目に塗って、
9:7 言われた、「行って、シロアム池で洗いなさい。」(シロアムは訳すると「遣わされた者」。)そこで
盲人は行って、洗って、見えるようになって、かえって行った。


塚本訳 ヨハ 9:24-25
9:24 そこでユダヤ人は、盲であった男をもう一度呼んで言った、「本当のことを言うように!あの人が罪人であることは、われわれにはよくわかっている(のだから。)」
9:25 彼が答えた、
「罪人かどうか知りません。ただ、(もと)盲であったわたしが、いまは見えるという、この一つのことだけ知っています。」

塚本訳 ヨハ 9:35-39
9:35 イエスは彼が追放されたと聞いて、出合ったときに言われた、「あなたは人の子を信ずるか。」
9:36 彼が答えた、「主よ、人の子とはだれのことですか。(教えてください。)信じたいのです。」
9:37 イエスが言われた、「あなたはもうその人に会った。いや、あなたと話しているのが、その人だ。」
9:38 すると「主よ、信じます」と言って、イエスをおがんだ
9:39 イエスは言われた、「わたしは裁きのためにこの世に来たのだ。・・盲が目明きに、目明きが盲になるために!」


●イエスは肉眼を開けると言う奇蹟を行ったが、それは「小事」。「実」。目的は霊の目を開ける事であった。それは人間には出来ないことだ。神にのみ可能。

塚本訳 ヨハ 3:4-6
3:4 ニコデモがイエスに言う、「(このように)年を取った者が、どうして生まれなおすことが出来ましょう。まさかもう一度母の胎内に入って、生まれなおすわけにゆかないではありませんか。」
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。
3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。


●生命科学者は決して「いのち」という言葉を使わないそうだ。彼らは「生命」の操作できるが、「いのち」は生み出せないからだ。いのちを生み出せるのは神のみ。霊に生まれるということこそ人生の目的。霊の目が開けられることが人生の目的。ただし人間の教育ではできない。

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朝の黙想終わり。神は渡れない谷を渡して下さる。聖書ソフトの「Jバイブル」(市販、一万円強)は検索に便利。クリスチャン必携。

●TSKネヘミヤ記5章
●15:00 夕方散歩出発。2時間。今日は野辺の方面を初めて歩いた。

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夕陽の射す林。故郷の浦和を思い出す。今年70歳。生かされて感謝。

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初めて訪れた宝清寺。、境内のケヤキが紅葉で美しい。

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宝清寺にあった浄行菩薩。
「体の悪い部分を念入りに水で洗えば、浄行様が身代わりとなってその苦を
引き受けてくださるのです」と書いてある。「身代わり」という言葉に引かれた
キリストの贖罪の死と同じだ。人生には誰でも「苦」があるものだ。隣にあった
絵馬には様々な願い事が書かれてあった。

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夕暮れの田園。静かで落ち着いた景色。物音がしない。

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鳥の群れ。写った。

讃美歌49番

夕日落ちて 空くらく
ねにゆく鳥 かげ消えぬ
星はさめて 花ねむり、
今日はさりて よるはきぬ


神よこよい 夜もすがら
みふところに やすませて、
照りかがやく みすがたを
見させ給え 夢路にも


波に乗れる 舟人も
道にくれし 旅人も、
目ざすかたへ ともないて
着かせたまえ、やすらかに


明くるまでは みつかいの
つばさをもて おおいつつ、
こころきよき ものとして
さましたまえ、わが神よ

















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霊の人 ++++++++ 所感

2013/11/15 08:08

131115(金)目覚めの啓示「霊の人」●思い浮かんだ聖句をメモ順に掲げる。

塚本訳 ルカ 4:16-18
4:16 それからお育ちになったナザレに行って、安息の日にいつものとおり礼拝堂に入り、(聖書を)朗読しようとして立たれた。
4:17 (係の者から)イザヤの預言書が手渡され、その巻物をお開けになると、こう書いた所が出てきた。──
4:18 『主の御霊がわたしの上にある、油を注いで(聖別して)くださったからである。主は貧しい人に福音を伝えるためにわたしを遣わされた。囚人に赦免を、盲人に視力の回復を告げ、』『押えつけられている者に自由をあたえ、』

●伝道は「主の御霊が注がれ」なければならない。油を注が注がれて聖別されなければ福音は津他wらない。なぜかその業に神の祝福が伴わないからだ。

塚本訳 使 8:29-(中略)-38
8:29 御霊がピリポに、「行って、あの車にぴったりついて歩け」と言った。
8:30 ピリポが駈けよってゆくと、その人がイザヤ預言書を読んでいるのが聞こえたので、たずねた、「どうです、読んでおられるところが読めていますか。」
8:31 彼がこたえた、「だれかに手引をしてもらわねば、とてもわたしには読めません。」そして(車に)乗って一緒に坐ってもらいたいとピリポに頼んだ。

・・・

8:35 そこでピリポは口を開いて、この聖書の句から始めて、イエスの福音を伝えた。
8:36 そして道を進んでゆきながら、とある水辺に来ると、宦官が言う、「水がある!洗礼を受けてはいけないでしょうか。」
8:37 [無シ]
8:38 そこで車を止めさせ、ピリポと宦官は、二人とも水の中に下りて、ピリポが宦官に洗礼を授けた。

●ピリポは霊の人だったので神の祝福が降った。

塚本訳 ルカ 2:25-29
2:25 さて(そのころ)エルサレムに名をシメオンという人がいた。この人は正しい、信心深い人で、イスラエルの慰め(である救世主)を待ち望み、聖霊が彼をはなれなかった。
2:26 かつ主の救世主を見ないうちは決して死なないと、かねて聖霊からお告げを受けていた。
2:27 (この日)御霊に感じて宮に行くと、ちょうど両親が、律法の仕来りどおり幼児イエスに行おうとして彼をつれて入ってきたので、
2:28 シメオンは幼児を両腕に抱き、こう言って神を讃美した。──
2:29 今こそ、主よ、あなたはこの僕をしてお言葉のとおり安らかに(この世に)暇乞いをさせてくださいます、


●聖霊に老化現象はない。理想の老年。神の祝福この老人にあり。

塚本訳 ルカ 2:52
2:52 イエスは知恵も身の丈も、』また神と人との寵愛も、いやましに増していった。』


●少年イエスは神に祝福されていた。理想の子育て。

塚本訳 ヨハ 5:39-40
5:39 あなた達は聖書(旧約)をもっていることが永遠の命を持っていることのように思って、それを研究している。ところがこの聖書は、(永遠の命である)このわたしのことを証明しているのに
5:40 あなた達はその命を得るためわたしの所に来ようとしない。


●聖書のわからないところは「学者に走るな」。霊の人に走れ。聖書は大脳皮質ではわからない。

塚本訳 マタ 12:41-42
12:41 しかし人々は信じない。(だから)ニネベの人がこの時代の人と一しょに(最後の)裁き(の法廷)にあらわれて、この人たちの罪が決まるであろう。というのは、ニネベの人はヨナの説く言葉に従って悔改めたが、(この人たちは、)いまここにヨナよりも大きい者がいる(のに、その言葉に従わない)からである。
12:42 また、南の国(シバ)の女王がこの時代の人と一しょに(最後の)裁きの(法廷に)あらわれて、この人たちの罪が決まるであろう。というのは、彼女は地の果てからソロモン(王)の知恵を聞きに(エルサレムに)来たが、(この人たちは、)いまここにソロモンよりも大きい者がいる(のに、それに耳を傾けない)からである。


●ヨナよりもソロモンよりも大きいものに聞け。イエスの霊に満たされた人に聞け。神の祝福が伴うから聞く人も霊の目が開かれる。

塚本訳 マタ 3:11
3:11 わたしは悔改めのために水で洗礼を授けているが、わたしのあとから来られる方はわたしよりも力がある。わたしはその靴をぬがしてあげる値打もない者である。その方は聖霊と(裁きの)火とで洗礼をお授けになる。


●H2Oの水は人を救わない。牧師職の伝授の按手礼で聖霊は降らない。礼拝の最後の牧師の「祝祈」で聖霊は降らない。


塚本訳 マタ 28:19-20
28:19 それゆえに、行ってすべての国の人を(わたしの)弟子にせよ、父と子と聖霊の名で洗礼を授け、
28:20 わたしがあなた達に命じたことを皆守るように教えながら。安心せよ、世の終りまでいつもわたしがあなた達と一しょにいるのだから。」


●「聖霊の名で洗礼を授け」ということが形式になっている。


塚本訳 Ⅰコリ2:14
2:14 しかし(御霊を持たない)生まれながらの人間は、神の霊から出てくることを受け入れない。彼にはそれが馬鹿なことなのである。またそれを理解することも出来ない。(霊のことは)霊的に判断されねばならないからである。


●神の霊を持たない人には聖書も信仰も神もキリストも「理解できない」とは決定的な言葉だ。キリスト教はヒューマニズムではない。この世の裁判官(特高、ピラト、サンヘドリン)に再臨のことはわからない。


塚本訳 使 1:8-9
1:8 ただ聖霊があなた達にくだるとき、あなた達は力を戴いて、エルサレムをはじめユダヤ全体、またサマリヤ、さては世界の果てまでも、わたしの証人になるであろう。」
1:9 イエスはこう言って、彼らの見ている前で(天に)上げられ、雲が彼を迎えて見えなくなった。


●聖霊を頂くと力を得る。それなくして聖書講義は出来ない。伝道はできない。エクレシアの形成はありえない。

塚本訳 使 26:12-18
26:12 こんな次第で、わたしは大祭司連から全権と委任とを受け、(迫害のため)ダマスコに進んでゆくと、
26:13 王よ、昼に、途中で、天から輝く太陽にもまさる光がさして、わたしと、同行の者たちとのまわりを照らすのを見ました。
26:14 わたし達が皆地上に倒れると、ヘブライ語で、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。刺の棒は蹴っても無駄だ』とわたしに言う声を聞きました
26:15 わたしは言った、『主よ、あなたはどなたですか。』主が言われた、『わたしだ、君が迫害しているイエスだ。
26:16 さあ、起きて、『自分の足で立て。』わたしが(今)現われたのは、君を選んで、わたしを見たことと、(今からも)君に現われて示すこととの証人として、わたしに仕えさせるためである。
26:17 (かずかずの迫害や危険がのぞむが心配するな。)わたしは君をこの(イスラエルの)民(の手)から、また』異教人(の手)から』『(かならず)救い出してやる。』『彼らの中にわたしが君を遣わすのは、』
26:18 彼らの』目をあけて』彼らが『暗闇から光に、』悪魔の権力から神に帰るため、そうして彼らがわたしに対する信仰によって罪の赦しを得、きよめられた人たちの仲間に入れていただくためである』と。


●これがパウロに聖霊が降ったときのこと。


塚本訳 Ⅱテモ3:16-17
3:16 聖句は悉く霊感されたもので、教訓に、訓戒に、矯正に、義の教育に益があり、
3:17 かくて神の人が完成し、あらゆる善い仕事をする準備が出来る。


●だから聖書は聖霊を頂かなければ永久に意味不明。

塚本訳 ヤコ 5:14-16
5:14 君達の中に病んでいる者があるのか、その人は教会の長老を呼び、長老たちは主の名により油を塗って、その人のことを祈ったがよかろう。
5:15 信仰(による真)の祈りは病人を癒し、主は彼を立たせ給うであろう。そしてもし罪を犯して居るならば、赦されるであろう。
5:16 だから互いに罪を告白し、医されるため互いのために祈れ。義人の(熱心な)祈りは働くと大きな力がある。


●祈りは効き目のある祈りをする人に祈ってもらえ。世にはそういう人がいる。牧師ではない。聖職者ではない。

塚本訳 マタ 6:22-23
6:22 目は体の明りである。だからあなたの目が澄んでおれば、体全体が明るいが、
6:23 目が悪いと、体全体が暗い。だから(天に宝を積まないため、)もしあなたの内の光(である目、すなわち心)が暗かったら、その暗さはどんなであろう。


●クリスチャンを50年以上もヤッテいると、目を見れば「霊に満たされている」かどうかがわかる。社会批判が信仰の展開だと思って、天下国家を批判している人間は目付きが悪い。霊に満たされてないからかみの祝福を得られず、その国家批判は神に祝福されず効果がない
成功しない。


塚本訳 ルカ 10:21
10:21 この時イエスは聖霊にみたされ、感激にあふれて言われた、「天地の主なるお父様、(神の国の秘密に関する)これらのことを(この世の)賢い人、知恵者に隠して、幼児(のような人たち)にあらわされたことを、讃美いたします。ほんとうに、お父様、そうなるのがあなたの御心でした。


●神の国の秘密は賢い人、知恵者にはわからない。イエスはこのことを聖霊に満たされて示された。

塚本訳 マタ 3:16
3:16 イエスは洗礼を受けて、すぐ水から上がられた。すると、みるみる天が開けて、神の御霊が鳩のように自分の上に下って来るのを御覧になった。


●聖霊は4次元のことだから、3次元世界の言葉にすると「鳩」と表現せざるをえなかったのだろう。

塚本訳 使 2:1-3
2:1 五旬節の祭の日(すなわち五旬節最後の日)になって、(使徒たちが)皆一緒に集まっていると、
2:2 突然、天から激しいが吹いてきたようなざわめきがしてきて、座っていた家中にひびきわたった。
2:3 そして火のようなかずかずの舌が、分れ分れに自分たちひとりびとりの上に留まるのが彼らに見えた。


●聖霊は風、舌。三次元世界ではこのように表現しなければならなかったのだろう。

塚本訳 ヨハ 3:5-10
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人はによって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。
3:6 肉によって生まれたものは肉であり、によって生まれたものだけがである(から)。
3:7 『あなた達は新しく生まれなおさねばならない』と言ったからとて、すこしも不思議がることはない。
3:8 風[プニューマ]は心のままに吹く。その音は聞えるが、どこから来てどこに行くか、あなたは知らない。霊[プニューマ]によって生れる者も皆、そのとおりである。」
3:9 ニコデモが言葉を返した、「(霊によって生まれるなどと、)そんなことがどうして出来ましょうか。」
3:10 イエスが答えて言われた。──「あなたはイスラエルの(名高い)先生でありながら、それくらいなことがわからないのか。


●ここにも風。霊に生まれる人は風のように、どこから来るのかわからない。
●独立学園の故桝本華子先生は「高橋さん。人生は意外なことが起こりますよ」と言われた。この言葉は人が霊の目が開かれるのは「意外な」出来事によるのだと解した。

塚本訳 ルカ 16:26-31
16:26 そればかりではない、わたし達とあなた達との間には大きな(深い)裂け目があって、ここからあなた達の所へ渡ろうと思っても出来ず、そこからわたし達の所へ越えてくることもない。』
16:27 金持が言った、『父よ、それではお願いですから、ラザロをわたしの父の家にやってください。
16:28 わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。』
16:29 しかしアブラハムは言う、『(その必要はない。)彼らにはモーセ(律法)と預言書と[聖書]がある。その教えに従えばよろしい。』
16:30 彼が言った、『いいえ、父アブラハムよ、もしだれかが死人の中から行ってやれば、きっと悔改めます。』
16:31 しかしアブラハムは答えた、『モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。』」


●聖霊が降らなければたとえ死人がよみがえっても信ずることはしない。ラザロの復活でそれが現実となった。
●深い裂け目があるのだ。永遠の違いがあるのだ。いかに肉親と言えども合一は出来ないのだ。悲しい。淋しい。しかしこれはキリスト者の宿命。ナンノコレキシ。終末再臨ではすべての人が清められ救われて神の子キリストがひれ伏すのだ。
●聖書があっても聖書データ(BbB、TSK)があっても聖霊が降らなければ霊の目は明かない。
●しかし聖書を捨てて「聖霊」に狂奔する一派は人間に与えられた頭脳や常識を無視するのでバランスが取れない。

塚本訳 Ⅰコリ2:0-6
2:1 わたしもまた、兄弟たちよ、(はじめて)あなた達の所に行ったとき、(人間の)勝れた言葉や知恵を用いることなしに、神から賜った(福音の)証明を伝えていたのであった。
2:2 あなた達の間では、イエス・キリスト以外には何も(言うまい)知るまいと、決心したからである、十字架につけられたあの方以外には!
2:3 [アテネではこの世の知恵で福音を説こうとしたので失敗した。]それでわたしは、弱く、恐れて、またひどく震えて、あなた達の所にいたのである。
2:4 そしてわたしの話も説教も、人を感服させる知恵の言葉によらずに、(神の)霊と力との(直接の)立証によった。
2:5 それはあなた達の信仰が人間の知恵に基づくのでなく、神(御自身)の力に基づくためであった。
2:6 こうは言うものの、(的に)成人した人たちの前では、わたし達も知恵を話す。ただそれはこの世の知恵でも、やがて滅びるこの世の支配者ども(すなわち悪魔の手下)の知恵でもない。


●霊と学問の一致。これが無教会の基本。バランス、常識、普通の人間、普通の生活。

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朝の黙想終わり。来れ聖霊、降りたまえ聖霊。すべてを清めて新しくしたまえ。

●TSK日本語版ネヘミヤ記4章

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●夕方散歩。寒い日、暗くなった道に猫がいた。あの猫、家があるのだろうか。今夜は寒いのになーと思って写真をフラッシュで撮ったら、目が光って逃げて行った。

●堀淳一氏に頂いた「旅で出会ったアメリカ人」の本のお礼の電話。アーミッシュ、モルモン教のことに触れている。











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「お迎えが来る」様子 ++++++++ 所感

2013/11/14 05:40

131114(木)3時半目覚め。朝の啓示「お迎えがくる様子」。●仏教では「あの世に行く」と言う言葉を使うが、キリスト教では「キリストが迎えに来る」という。努力なしに先方から来てくださる。●母が息を引き取るとき、担当の医者が胸に聴診器を当てていたが、『残念ながらただ今お迎えが来ました」と言って聴診器を外した。実に慰めに満ちた言葉であった。母は皇室を尊敬していたから(皇室のことになると言葉遣いが違ったものだ)、「お召し列車のようなものが来たのかなー」と思ったものだ。●キリスト信者はお迎えが来る。菊の紋章ならぬ十字架のマークのお召し列車が来るのだ。今朝は「Ⅰテサ4:16-18」を中心に「聖書で聖書を」読んでその事を黙想しよう。

塚本訳 Ⅰテサ4:13-17
4:13 兄弟達よ、(主に在って)眠った者のことを知っていて、希望の無い他の人々のように(徒らに)歎かないようにしてもらいたい。
4:14 私達が信ずるようにもしイエスが死んで復活し給うたならば、神はイエスによって眠った者をも同様にイエスと共に連れ来たり給うであろうから
4:15 然り、私達の主の御言をもってこのことを(はっきり)君達に言う(ことが出来る)──私達主の来臨(の時)まで生き残っている者は、(既に)眠った者に先立つ(て光栄に与る)ことは絶対に無い。
4:16 何故なら、(その時)主自ら号令と御使いの頭の声と神のラッパ(の響き)と共に天から下り給うて、キリストにおいて死んだ死人がまず復活し、
4:17 それから私達(その時まで)生き残っている者が
主に会うため彼らと一緒に雲に乗って空中に奪い去られる。かくして私達はいつも主と共に居るのである。


●これが千古不易のキリスト信者の復活観、再臨観である。これ抜きに信者の、否人類の慰めはない。
●キリストは「雲に乗って」お迎えに来てくれるのだ。
●「そんな馬鹿なことが」と思って生きるか、本当だと思って生きるか、それは賭けである。しかし5分5分なら「本当だ」と賭けて人生を希望の喜びをもって生きた方が得である。なぜか。お迎えが来なければ「ダメモト」(だめでもともと)。もしお迎えが来れば「やっぱりなー」と思って喜ぶから2重の喜びに浸れる。どっちが得か、これは算数だ。
●しかしこんなヘンテコリンなことは現代人には信じがたいことである。聖霊の光を頂くとこの不思議なことが信じられるようになるのだ。
●17節の「かくして私達はいつも主と共に居るのである。」が最大の慰めの言葉。「慰め」と言ってこれ以上の慰めはない。
 
塚本訳 マタ 24:39-41
24:39 洪水が来て一人のこらずさらってゆくまで、それに気づかなかった。人の子の来臨もこのようである。
24:40 その時、二人の男が畑にいると、一人は(天に)連れてゆかれ、一人は(地上に)のこされる。
24:41 二人の女が臼をひいていると、一人は連れてゆかれ、一人はのこされる。


●これは突然「お迎え」が来る例だ

●ステパノの例でお迎えが来たときの様子を見てみよう。

塚本訳 使  7:54-56
7:54 これを聞いて(法院にいた)人々は怒り心頭に発し、ステパノに向かって歯ぎしりした。
7:55 しかしステパノは聖霊に満ちて天をじっと見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見ると、
7:56 「おお、天が開けた、人の子が見える、神の右に立っておられる!」と言った。


●これはステパノが石打の刑で殺される臨給のときのキリストの「お迎え」である。こういう例は現代でもある。キリストでなくても誰か(先に死んだ肉親など)が「お迎え」に来るのである。幻でみるのだ。すると患者はすっかり安心して安らかに死んでいく。
●母を診てくれたホスピスの医者は、信仰を持って生きている人間の最後は「粘れる」と言った。そうだ「明るく死ねるのだ。しかし母には信仰がなかった。残念無念であった。心残りであるが、終末再臨の時に呼び覚まして下さるであろうことを信ずる。
●次は14節と16節、「死んだ死人が復活する」ということ。その実例

塚本訳 ヨハ 11:43-44
11:43 こう言ったのち、大声で、「ラザロ、出て来い」と叫ばれた。
11:44 死人が手足を包帯で巻かれたまま、(墓から)出てきた。顔は手拭で包まれていた。イエスは「解いてやって(家に)帰らせなさい」と人々に言われた。


塚本訳 ヨハ 12:1
12:1 イエスは過越の祭の六日前に(また)ベタニヤに行かれた。ここにはイエスが死人の中から生きかえらせたラザロがいた

塚本訳 ルカ 7:12-15
7:12 町の門の近くに来られると、ちょうど、ある独り息子が死んで、(棺が)舁き出されるところであった。母は寡婦であった。町の人が大勢その母に付添っていた。
7:13 主は母を見て不憫に思い、「そんなに泣くでない」と言って、
7:14 近寄って棺に手をかけ──担いでいる者は立ち止まった──「若者よ、あなたに言う、起きよ!」と言われた。
7:15 すると死人が起き上がって物を言い出した。イエスは『彼を母に渡された。』

塚本訳 マタ 9:18-19
9:18 こう話しておられると、そこに一人の(礼拝堂の)役人が進み出て、しきりに願って言った、「わたしの娘がたったいま死にました。それでも、どうか行って、手をのせてやってください。そうすれば生き返りますから。」
9:19 イエスは立ち上がって彼について行かれた、弟子たちも一しょに。

塚本訳 マタ 9:24-25
9:24 言われた、「あちらに行っておれ。少女は死んだのではない、眠っているのだから。」人々はあざ笑っていた。
9:25 群衆が外に出されると、イエスは(部屋に)入っていって少女の手をお取りになった。すると少女は起き上がった

塚本訳 マタ 10:7-8
10:7 行って、『天の国は近づいた』と説け。
10:8 病人をなおし、死人を生きかえらせ、癩病人を清め、悪鬼を追い出せ。(福音も病気もなおす力も、みな神から)ただで戴いたのだ、ただで与えよ。

塚本訳 マタ 11:3-5
11:3 「来るべき方(救世主)はあなたですか、それともほかの人を待つべきでしょうか」とたずねさせた。
11:4 イエスは答えられた、「行って、(今ここで)聞いていること見ていることをヨハネに報告しなさい。
11:5 ──『盲人は見えるようになり、』足なえは歩きまわり、癩病人は清まり、聾は聞き、死人は生きかえり、『貧しい人は福音を聞かされている』と。


●死んだ人間は神の声で「復活する」。このことは神が見える形でイエスを通して肉眼で見えるように人類に示した。ということは信じてなった人でも終末の時には復活させられるのだ。それが次の言葉である。

塚本訳 ヨハ 5:28-29
5:28 あなた達は(子が裁くという)このことを驚くに及ばない。時が来ると、墓の中にいる者が皆子(たるわたし)の声を聞いて、
5:29 (墓から)出てくるからである。
すなわち、善いことをした者は(永遠の)命にはいるために復活し、悪いことをした者は(死の)罰を受けるために復活する。

塚本訳 マタ 27:50-54
27:50 しかしイエスはふたたび(何か)大声で叫ばれると共に、息が切れた。
27:51 その途端に、宮の(聖所の)幕が上から下まで真っ二つに裂けた。そして地が震い、岩が裂け、
27:52 墓が開いて、眠っていた多くの聖者たちの体が生きかえり、
27:53 墓から出てきて、イエスの復活の後、聖なる都(エルサレム)に入って多くの人に現われた。

27:54 百卒長および一しょにイエスの見張りをしていた兵卒らは、地震とこれらの出来事とを見てすっかり恐ろしくなり、「この人は、確かに神の子であった」と言った。


●ここは私は「そんな馬鹿なことが」と思っていたが、聖霊の光を頂くと「それもありうることだなー」と思うようになった。
●54節。異教ローマの百卒長はこれを見て恐ろしくなったのである。それが、人類で最初の信仰告白者となった。それが「この人は、確かに神の子であった」と告白した。
●ここに神もキリストも信じない肉親の救いの望みがある。
●ヨハ5:29. 悪いことをした人は罰を受ける。これはヤバイことだ。しかしこの不安にこそ福音がある。神の子キリストはそれを目に見える形、耳に聞こえるようにして示してくださった。それが次の箇所である。

塚本訳 マタ 9:12-13
9:12 聞いて言われた、「丈夫な者に医者はいらない、医者のいるのは病人である。
9:13 『わたしは憐れみを好み、犠牲を好まない』という(神の言葉の)意味を、行って、勉強したがよかろう。わたしは正しい人を招きに来たのではない、罪人を招きに来たのである。」

塚本訳 ルカ 19:10
19:10 人の子(わたし)は『滅びうせた者をさがして』救うために来たのである。」

塚本訳 ルカ 5:32
5:32 わたしは正しい人を招きに来たのではない、罪人を招いて悔改めさせるために来たのである。

塚本訳 ルカ 7:35
7:35 しかし(神の)知恵の正しいことは、(税金取り、罪人など、)その子供たちがみんなで証明した。」

塚本訳 ルカ 15:7
15:7 わたしは言う、このように、一人の罪人が悔改めると、悔改める必要のない九十九人の正しい人以上の喜びが、天にあるのである

塚本訳 ルカ 15:10
15:10 わたしは言う、このように、一人の罪人が悔改めると、神の使たちに喜びがあるのである。

塚本訳 ルカ 15:32
15:32 だが、喜び祝わずにはおられないではないか。このお前の弟は死んでいたのに生きかえり、いなくなっていたのに見つかったのだから。』」

塚本訳 ヨハ 12:47
12:47 しかしわたしの言葉を聞いて守らぬものがあっても、わたしはその人を罰しない。なぜなら、わたしは世を罰するために来たのでなく、世を救うために来たのだから


塚本訳 Ⅰテモ1:15
1:15 (まことに)「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来給うた」という言は信ずべく、また無条件に承認さるべきである。そしてこの私がその罪人の第一人者である。

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朝の黙想終わり。これで安心だ。「お迎えがくるのだ」。お迎えが来るまで元気で信じて生きればいいのだ。お迎えの時はわからないのだ。

●次回感話配布プリントの推敲
●TSK日本語版ネヘミヤ3章
●15:00 夕方散歩

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この平井川は多摩川に流れ込む。スメタナの「モルダウ」を思う。
子供とかってこの源流を探しに行ったことがあるなー。山の中であった。

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今日は西の空を違った角度から写せた。

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秋留台公園の展望台に上った月。寒い夕方。家では妻の夕食が待っている。

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夕焼けの色はきれいだ。神は大芸術家だ。

●HJ氏から「旅で出会ったアメリカ人」という自費出版の立派な本を頂いた。アメリカに留学された時の実話。アーミッシュのことも書かれている。体験談というのは生きた話なので面白そうだ。人生は「出会い」だ。出会いで良くも悪くもなる。






















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聖霊の光 ++++++++ 所感

2013/11/13 06:36

131113(水)目覚めのの啓示。「聖霊の光」●聖書の中で非常に難解なところは「聖霊の光」に照らされる時に一瞬にしてわかる。●主の処女降誕、贖罪、復活、再臨。これら信者としての基本要件はすべて聖霊によらなければ、3次元人間の頭では絶対に理解できない。●私のブログがわかりにくいと言う人がいるがそれは使っている「日本語」がわからないのではなく、意味が分からないのである。無理もない。3次元の頭ではわからないことが自然だ。●おいしい食べ物は味わった人でなければ同感されない。●次回感話の「再臨」も「聖霊の光」に照らされる時に「天の雲に乗ってくる」という「ヘンテコリン」な言い回しは3次元の「言語」「大脳皮質」ではそう表現しなければならないことがわかる。●今朝は「聖霊の光」について関連個所を瞑想してみよう。

塚本訳 マタ 3:16
3:16 イエスは洗礼を受けて、すぐ水から上がられた。すると、みるみる天が開けて、神の御霊が鳩のように自分の上に下って来るのを御覧になった


●今から40年以上も前に、集会のNさん(故人)がこの「鳩のように下る」と言うことがどうしてもわからないという感話をされた。それが今の私にはなんとなくわかる。神から舞い降りるという意味のやむを得ざる表現なのだ。

塚本訳 ルカ 24:32
24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。


●キリストの有体的復活は「胸が熱くなることによって」わかる。これは1997年に私に私が体験したことだ。 これに反応する信者が日本各地にいる。「残りのものだ」。神は日本を救う。


塚本訳 Ⅰテサ4:15-18
4:15 然り、私達の主の御言をもってこのことを(はっきり)君達に言う(ことが出来る)──私達主の来臨(の時)まで生き残っている者は、(既に)眠った者に先立つ(て光栄に与る)ことは絶対に無い。
4:16 何故なら、(その時)主自ら号令と御使いの頭の声と神のラッパ(の響き)と共に天から下り給うて、キリストにおいて死んだ死人がまず復活し、
4:17 それから私達(その時まで)生き残っている者が主に会うため彼らと一緒に雲に乗って空中に奪い去られる。かくして私達はいつも主と共に居るのである
4:18 だから、これらの言をもって互いに慰め合え


●この「再臨予言の古典的箇所」(塚本虎二の解説。新約聖書、新教出版社版P971)は聖霊を頂いてない人には分からない。「空中に奪い去られる」などというヘンテコリンなことがどうしても信じられないのだ。3次元人間はこういう時、信仰のない注解者に走って、「黙示文学」だと説明されて大脳皮質が納得する。こういう人は信者の看板を早急におろすべきだ。百害あって一利なし。
●18節。これが「基督信徒の慰め」(内村鑑三)の本質。

塚本訳 Ⅰコリ1:18
1:18 なぜか。この十字架についての言葉は、滅びゆく者には馬鹿なことであるが、わたし達救われる者には、神の力(の現われ)であから。


●聖霊を頂くと神により力が与えられる。●讃美歌の「立てよいざ立て、主のつわもの」は新しい讃美歌から削除された。戦闘的だからというのがその理由だ。しかしそのあとが大切「御霊の剣振りかざして」とあるではないか。削除した人はこの世の圧力に屈した。もっとも、この讃美歌はミッションスクールが甲子園に出た時の応援歌として歌われるそうだ。

塚本訳 Ⅰコリ2:14
2:14 しかし(御霊を持たない)生まれながらの人間は、神の霊から出てくることを受け入れない。彼にはそれが馬鹿なことなのである。またそれを理解することも出来ない。(霊のことは)霊的に判断されねばならないからである


●この世の人間は信者を憐れんで、「あいつはこの世的に負けたので宗教に走った」と思う。
●今に見ておれ。終末再臨の日にはキリストに「ひれ伏す」ようになる。

塚本訳 マタ 13:13-17
13:13 だから、あの人たちには譬をもって話すのである。『見ても見えず、聞いても聞えず、また悟らない』からだ。
13:14 こうしてイザヤの預言はあの人たちに成就した。──『あなた達は聞いても聞いても、決して悟るまい、見ても見ても、決してわかるまい。
13:15 この民の心は鈍くなり、耳は遠くなり、その目は閉じてしまっているのだから。そうでないと、彼らは目で見、耳で聞き、心で悟り、心を入れかえて(わたし[神]に帰り)、わたしに直されるかも知れない。』
13:16 だが、あなた達の目は見、耳は聞くから幸いである。
13:17 アーメン、わたしは言う、多くの預言者と義人とは、あなた達が(いま)見ているものを見たい見たいと思ったが見られず、あなた達が(いま)聞いているものを聞きたい聞きたいと思ったが、聞かれなかったのである。


●黒崎幸吉は晩年失明したが、「目は見えんが先は見えちょる」と言ったそうだ。
●現代人は心が鈍くなって霊眼が潰れている。
●かくいう私は最近テレビのボリュームを大きくしなければならなくなった。しかし黒崎のように「耳は聞こえんが神の声は聞こえちょる」と言うようになりたいものだ。

塚本訳 黙  1:7
1:7 視よ、彼は雲に包まれて来たり給う。そして凡ての(人の)目が、然り、彼を刺した者らが彼を見るであろう。そして地上のあらゆる種族は、彼の(審判の恐ろしさの)故に胸を打つ(て嘆き悲しみ、後悔する)であろう!然り、アーメン


●「あらゆる種族」が嘆き悲しむ時が来る。神もキリストも信じない家族、親族、同胞は恐ろしい目に遭って救われる。

塚本訳 黙  16:5
16:5 そして私は水の天使が(こう)言うのを聞いた、「(今)在り給う者、(昔)在り給いし者、聖なる者よ、かく審き給うた汝は義しい。


●再臨信仰の故に裁いたこの世の裁判官(岩波「世界」に浅見仙作と鈴木弼美のことが出た)の裁きは終末再臨の日にそれが誤っていたことを知る。

塚本訳 マタ 26:63-64
26:63 しかしイエスは黙っておられた。大祭司が言った、「生ける神に誓ってわれわれにこたえよ。お前が、神の子救世主か。」
26:64 イエスは(はじめて口を開いて)彼に言われる、「(そう言われるなら)御意見にまかせる。だが、わたしは言う、あなた方は今後『人の子(わたし)が』『大能の(神の)右に坐り、』『天の雲に乗って来るのを』見るであろう。」



●再臨の宗教裁判。イエスは「決着は終末再臨」だと思った。その日お前らはキリストにひれ伏すのだと3次元人間に言ったのだ。


塚本訳 使  1:8
1:8 ただ聖霊があなた達にくだるとき、あなた達は力を戴いて、エルサレムをはじめユダヤ全体、またサマリヤ、さては世界の果てまでも、わたしの証人になるであろう。」


塚本訳 使  26:12-16
26:12 こんな次第で、わたしは大祭司連から全権と委任とを受け、(迫害のため)ダマスコに進んでゆくと、
26:13 王よ、昼に、途中で、天から輝く太陽にもまさる光がさして、わたしと、同行の者たちとのまわりを照らすのを見ました。
26:14 わたし達が皆地上に倒れると、ヘブライ語で、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。刺の棒は蹴っても無駄だ』とわたしに言う声を聞きました。
26:15 わたしは言った、『主よ、あなたはどなたですか。』主が言われた『わたしだ、君が迫害しているイエスだ。
26:16 さあ、起きて、『自分の足で立て。』わたしが(今)現われたのは、君を選んで、わたしを見たことと、(今からも)君に現われて示すこととの証人として、わたしに仕えさせるためである。


●「起きて、『自分の足で立て』」は聖霊の言葉。学問で立つな。「先生の思想で立つな」。聖霊の力で立て。

塚本訳 Ⅱテモ3:15-16
3:15 また(既に)子供の時から聖書を習ったことを知っているではないか。この聖書はキリスト・イエスの信仰による救いへの知恵を君に与えることが出来る。
3:16 聖句は悉く霊感されたもので、教訓に、訓戒に、矯正に、義の教育に益があり、

●聖霊を頂いた人は熱心に聖書を読む。集会のFさんは旧新約聖書を年に3回通読している。午前中は聖書、午後は自由、国民年金の5万円でニコニコ。その顔は輝いている。
●「年金もらって健康長寿、趣味と旅行に遊ぶことが幸福だ」と思っている老人に聖書が分かるはずはない。またそれが幸福だと思って福祉政策をする3次元政治家の方針に救いはない。
●翻訳の違いによって分かることは大したことではないとアノ名訳者塚本虎二が言う。
●正文批判、異本の研究に足を入れると面白くて人生を失うろ言う話をその道の人に聞いたことがあるが、信仰が深まるわけではないということだ。
●ところがそれを何か尊い事でもあるかのように「学者の後を追っかけている」一般信者がいる。これは3次元信者。


塚本訳 ヨハ 3:6-8
3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。
3:7 『あなた達は新しく生まれなおさねばならない』と言ったからとて、すこしも不思議がることはない。
3:8 風[プニューマ]は心のままに吹く。その音は聞えるが、どこから来てどこに行くか、あなたは知らない。霊[プニューマ]によって生れる者も皆、そのとおりである。」

●聖霊は風。これも3次元の言葉。こう表現せざるを得ない。
●依頼されて孫の一人に「風人」と命名した。霊で生まれる日が来ますようにと祈る。

塚本訳 Ⅰペテ1:23
1:23 (君達は)朽つる種でなく、朽ちぬ種から、(すなわち)神の活ける、また(永遠に)消え失せぬ言によって新しく生まれたのである


●最近のニュース。卵子の凍結保存の「技術」が出来たという。たとえそれで生まれた人間も「朽ちる種」から生まれた人間だ。永遠の命ではない。医学は人を延命はさせるが救わない。霊は生み出せない。医学も建築も「小事」。

塚本訳 ルカ 10:21
10:21 この時イエスは聖霊にみたされ、感激にあふれて言われた、「天地の主なるお父様、(神の国の秘密に関する)これらのことを(この世の)賢い人、知恵者に隠して、幼児(のような人たち)にあらわされたことを、讃美いたします。ほんとうに、お父様、そうなるのがあなたの御心でした。


●イエスは重要なことは神の聖霊に満たされた時に発する。

塚本訳 ヨハ 12:23-24
12:23 するとイエスは(非常に感動して)二人に答えられる、「人の子(わたし)が栄光を受ける時がついに来た。
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)


●この感動はおそらく聖霊が働いたから。だから「一粒の麦」の重要な言葉を発せたのだ。

塚本訳 ルカ 4:16-19
4:16 それからお育ちになったナザレに行って、安息の日にいつものとおり礼拝堂に入り、(聖書を)朗読しようとして立たれた。
4:17 (係の者から)イザヤの預言書が手渡され、その巻物をお開けになると、こう書いた所が出てきた。──
4:18 『主の御霊がわたしの上にある、油を注いで(聖別して)くださったからである。主は貧しい人に福音を伝えるためにわたしを遣わされた。囚人に赦免を、盲人に視力の回復を告げ、』『押えつけられている者に自由をあたえ、』
4:19 『主の恵みの年(の来たこと)を告げさせるために。』

●これはイエスの第一声。イエスの上に聖霊が降ったので「立った」のだ。

塚本訳 ルカ 24:18-20
24:18 一人のクレオパという方が答えた、「(見れば御巡礼のようだが、)エルサレムに滞在していながら、あなただけは、この二三日の間にそこで起ったことを何も知らないのですか。」
24:19 彼らに言われた、「なんのことです。」彼らが言った、「ナザレ人イエスのことです。──この方はだれが見ても、神の目にさえも、業に言葉に力のある預言者であったのに、
24:20 大祭司連をはじめ(最高法院の)役人たちが(ローマ人に)引き渡して死刑を宣告し、十字架につけてしまったのです。


●これはエマオでの話。イエスの言葉には力があったことがわかる。

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朝の黙想終わり。きりがない。聖霊は力だ。

●TSK日本語版ネヘミヤ記2章
●年賀状宛名書き準備。年賀状ソフト「筆王」。毎年のことながら使用方法がわからなくなる。
●13:00 午後の一人散歩2時間。秋のあきる野。今日は秋川の河原に出かける。

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秋川の河原。「この道」は桜の頃に妻と歩いた。

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遊歩道の突き当り。休憩のために椅子がある。過日はここで本を読んだ。

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森は秋色。私達も「人生の秋色」だ。

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稲架掛(はざかけ)」してある稲をその場で脱稿して自動的に袋詰めする機械。
昔は足踏みの機会で脱穀していたのを知っている。故郷の浦和で見た。

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でこぼこで大きな実。おそらく「ゆず」だと写真を見て妻は言う。















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むなしさを感じるとき ++++++++ 所感

2013/11/12 07:48

131112(火)5時目覚め。夢で華やかな生活をむなしく感じた時に目が覚めた。●一流のホテルで豪華な食事、美しく着飾った女性、すばらしい内装。しかしそれが終了した時に急にむなしさを感じた。・・・という夢。●人間はもともとこの地上の栄華というものを求め続けるようにできているのだ。それは「そこに幸福というものがある」と考えるからだ。人間としてはそれが自然の思いだ。まずそれを聖書に見てみよう。

口語訳 Ⅰ列 10:4-6
10:4 シバの女王はソロモンのもろもろの知恵と、ソロモンが建てた宮殿、
10:5 その食卓の食物と、列座の家来たちと、その侍臣たちの伺候ぶり、彼らの服装と、彼の給仕たち、および彼が主の宮でささげる燔祭を見て、全く気を奪われてしまった
10:6 彼女は王に言った、「わたしが国であなたの事と、あなたの知恵について聞いたことは真実でありました。


口語訳 Ⅱ歴 9:3-4
9:3 シバの女王はソロモンの知恵と、彼が建てた家を見、
9:4 またその食卓の食物と、列座の家来たちと、その侍臣たちの伺候振りと彼らの服装、および彼の給仕たちとその服装、ならびに彼が主の宮でささげる燔祭を見て、全く気を奪われてしまった


塚本訳 ルカ 15:11-13
15:11 また話された、「ある人に二人の息子があった。
15:12 『お父さん、財産の分け前を下さい』と弟が父に言った。父は身代を二人に分けてやった。
15:13 幾日もたたないうちに、弟は(分け前)全部をまとめて(金にかえ、)遠い国に行き、そこで放蕩に財産をまき散らした

塚本訳 ルカ 16:19
16:19 (つぎに、利巧な番頭と反対に、神の国の準備をしなかった人の話を聞け。)一人の金持があった。紫(の上着)と細糸の亜麻布(の下着)を着て、毎日華やかに楽しく暮していた。

塚本訳 マコ 12:38-39
12:38 またその教えの中で(こんなことを)言われた、「聖書学者に気をつけよ。あの人たちは(人の目につくように)長い衣を着て歩くことや、市場で挨拶されることや、
12:39 礼拝堂の上席、宴会の上座が好きである。


塚本訳 ルカ 22:24-26
22:24 また弟子たちの間に、自分たちのうちでだれが一番えらいと思われているかについての争いもあった。
22:25 するとイエスが言われた、「世間では王が人民を支配し、また主権者は自分を恩人と呼ばせる
22:26 しかしあなた達はそれではいけない。あなた達の間では、一番えらい者が一番若輩のように、支配する者が給仕をする者のようになれ。


塚本訳 ルカ 7:25-26
7:25 それでは、何を見ようとして出かけたのか。柔らかい着物を着ている人か。見よ、りっぱな着物をきて贅沢をしている人ならば、宮殿にいる。
7:26 それでは、何を見ようとして出かけたのか。預言者か。そうだ、わたしは言う、(預言者だ。)預言者以上の者(を見たの)だ。


●生まれつきの人間の求めることはすべてこれである。市場経済の原理はこれである。「気を奪われる」ものを造ることである。政治家の目的は「恩人と呼ばれる」ことが目的である。ヒューマニストも同じ。社会改革の活動家も同じ。職業宗教家の求めることは「尊敬され挨拶されること」である。
●しかしそういう生活は長続きしないものだ。いつかは陰りを見せるものだ。その時のむなしさを感じるまで周囲の人間は「説教」してはいけないのだ。この世の華やかさを自分で感じるときまで「じっと待つ」ことが大切だ。神が導く。
●ワイマールに旅したとき案内者が一枚の絵を掲げた。ゲーテが中心にいてその周りに10人以上の女性の肖像画が取り巻いているものであった。ゲーテはワイマール公国の宰相であった。ゲーテは人間として最高に華やかな生活をした。しかし彼は死ぬとき「自分の生涯で幸福だと思ったのは三日間であったという。「幸福論」の著者カールヒルティは「だから彼のような生き方をしては幸福は得られない。彼は死ぬとき『もっと光を』と言ったではないか」と皮肉を言っている。
●その「むなしさを感じる時がきた人間の例をみてみよう。

塚本訳 ルカ 15:14-17
15:14 すべてを使いはたしたとき、その国にひどい飢饉があって、食べるにも困り果てた。
15:15 そこでその国のある人のところに行ってすがりつくと、畑にやって、豚を飼わせた。
15:16 彼はせめて豚の食う蝗豆で腹をふくらしたいと思ったが、(それすら)呉れようとする人はなかった。
15:17 ここで(はじめて)本心に立ち返って言った。──お父さんのところでは、あんなに大勢の雇人に食べ物があり余っているのに、(息子の)このわたしは、ここで飢え死にしようとしている。……


塚本訳 ルカ 16:1-3
16:1 また弟子たちにも話された、「ある金持に一人の番頭があった。主人の財産を使い込んでいると告げ口した者があったので、
16:2 主人は番頭を呼んで言った、『なんということをあなたについて聞くのだ!事務の報告を出してもらおう、もう番頭にしておくわけにはいかないから。』
16:3 番頭は心ひそかに考えた、『どうしたものだろう、主人がわたしの仕事を取り上げるのだが。(土を)掘るには力がないし、乞食をするには恥ずかしいし……


塚本訳 ルカ 16:23-25
16:23 金持は黄泉で苦しみながら、(ふと)目をあげると、はるか向こうにアブラハムとその懐にいるラザロとが見えたので、
16:24 声をあげて言った、『父アブラハムよ、どうかわたしをあわれと思ってラザロをよこし、指先を水にひたしてわたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの焔の中でもだえ苦しんでおります。』
16:25 しかしアブラハムは言った、『子よ、考えてごらん、あなたは生きていた時に善いものを貰い、ラザロは反対に悪いものを貰ったではないか。だから今ここで、彼は慰められ、あなたはもだえ苦しむのだ。


塚本訳 ルカ 23:41-42
23:41 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。

塚本訳 ルカ 7:37-38
7:37 すると、その町に一人の罪の女がいた。イエスがパリサイ人の家で食卓についておられることを知ると、香油のはいった石膏の壷を持ってきて、
7:38
泣きながら後ろからイエスの足下に進み寄り、しばし涙で御足をぬらしていたが、やがて髪の毛でそれをふき、御足に接吻して香油を塗った。


塚本訳 ヨハ 4:15-18
4:15 女が言う、「主よ、その水を下さい。(二度と)渇くことがないように、またここに汲みに来なくてもよいように。」
4:16 イエスが言われる、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」
4:17 女が答えた、「わたしには夫はありません。」イエスが言われる、「『わたしには夫はありません』と言うのは、もっともだ。
4:18
五人の夫とは別れ、今のは、あなたの夫ではないのだから。あなたの言ったことは本当だ。」

●生まれつきの人間は、この世の楽しみ享楽富名誉名声うぃ「むなしく感じる日」必ず、必ず訪れるものだ。神はそのように導くものだ。それまで人間は我慢だ。
●そのことに気が付いた人間に聖書の言葉は響く。

文語訳 マタ 6:28-29
6:28 又なにゆゑ衣のことを思ひ煩ふや。野の百合は如何にして育つかを思へ、勞せず、紡がざるなり。
6:29 されど我なんぢらに告ぐ、榮華を極めたるソロモンだに、その服装この花の一つにも及かざりき


塚本訳 マタ 6:28-29
6:28 また、なぜ着物のことを心配するのか、野の花の育つのを、よく見てごらん、苦労をせず、紡ぐこともしない。
6:29 しかし、わたしは言う、栄華を極めたソロモン(王)でさえも、この花の一つほどに着飾ってはいなかった

口語訳 詩  84:2
84:2 わが魂は絶えいるばかりに主の大庭を慕い、わが心とわが身は生ける神にむかって喜び歌います。


口語訳 詩  84:10
84:10 あなたの大庭にいる一日は、よそにいる千日にもまさるのです。わたしは悪の天幕にいるよりは、むしろ、わが神の家の門守となることを願います。

口語訳 詩  51:17
51:17 神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心を/かろしめられません


●「かわいい者には旅をさせよ」。そのたびは長いようだが短い。なぜか。神は必ずやってくださる」という希望があるからだ。希望に生きるからだ。
●子供の一人や二人に「家出」同様のことでもされなければその親の信仰は本物ではない。親は子供に「家出」か死別されて「男になる」。
●ノーベル平和賞授賞式のときマザーテレサは裸足で壇上に上がり、かつ御馳走の出る華やかな祝賀会には出席しなかった。
●カトリックの奉仕女は綿の衣を着ている。いかにも動きやすいようなデザインである。その色は私の好きなそらの色、ライトブルーである。
●塚本先生はヒルティの遺児(エディート嬢)から頂いたヒルティ自筆の「誉れを求めるな。(義務に強いられないときには)それはあまりに無駄である。求めよ、愛(いつくしみ)を、神の恵みを。1870年12月20日」という小さな額を持っておられた。ヒルティの座右訓であったらしい。

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朝の黙想 終わり。行け!この世を振り返るな。この世の誉れに幸福はない。

●7:15 妻は友人と山梨県の上野原方面に小登山に出かけた。リュックを背負って駆けだして言った。
●次回12月1日の感話準備。聖書は聖書で読むのが一番信頼できる不法。これをやったら人間の書いたものを読む気はしなくなる。迫力があってお腹が一杯になる。


12月1日感話資料。聖書引用の表示は本ブログでは省略
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再臨の光、雲、恐怖 131112-1

東京聖書読者会 2013.12.1 高橋照男

 

①再臨は難解

②再臨の光

③再臨の雲

④再臨の恐怖

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①再臨は難解

 

塚本訳 マタ 24:30-31

24:30 するとその時、人の子(わたし)の徴が天に現われる。するとその時、『地上の民族はことごとく(これを見て)悲しむであろう。』そして『人の子(わたし)が』大いなる権力と栄光とをもって、『天の雲に乗って来るのを』見るであろう。

24:31 すると(その時、)人の子は『大いなるラッパの響きと共に』自分の使いたちをやって、『天のこの果てからかの果てまで』『四方から、』選ばれた人々を『集めさせるであろう。』

 

塚本訳 マタ 24:3

塚本訳 マタ 24:32-39

塚本訳 マタ 16:2-3

塚本訳 マタ 24:32-34

塚本訳 ルカ 13:4-5

塚本訳 ルカ 21:21-24

 

②再臨の光

 

塚本訳 マタ 24:23-28

24:23 その時『そら、ここに救世主が』とか、『ここに』とか言う者があっても、信ずるな。

24:24 偽救世主たち、『偽預言者たちが』あらわれて、大がかりな『奇蹟や不思議なことをして、』あわよくば、選ばれた人々までも迷わそうとするのだから。

24:25 この通り、あなた達には前もって言っておく。

24:26 だから、たとえ『そら、(救世主は)荒野にいる』と言う者があっても、出て行くな。『そら、奥の部屋に』と言っても、信ずるな。

24:27 人の子(わたし)の来臨は、ちょうど稲妻が東から西に輝きわたるよう(に、はっきりわかるの)であるから。

24:28 死骸のある所には、どこにでも鷲が集まる

 

塚本訳 マコ 13:26

塚本訳 マタ 24:29-31

塚本訳 使  2:18-21

塚本訳 マタ 17:1-2

塚本訳 使  26:12-13

 

③再臨の雲

 

塚本訳 ルカ 21:27

21:27 するとその時、人々は『人の子(わたし)が』大いなる権力と栄光とをもって、『雲に乗って来るのを』見るであろう。

 

塚本訳 使  1:8-9

塚本訳 Ⅰテサ4:14-18

塚本訳 Ⅰテサ4:14-18 (新教出版社版)

塚本訳   1:7


④再臨は恐怖 

 

塚本訳 マタ 24:30

24:30 するとその時、人の子(わたし)の徴が天に現われる。するとその時、『地上の民族はことごとく(これを見て)悲しむであろう。』そして『人の子(わたし)が』大いなる権力と栄光とをもって、『天の雲に乗って来るのを』見るであろう。

 

塚本訳 ルカ 23:28-30

塚本訳   1:7

塚本訳   6:15-17

塚本訳 マタ 17:5-9

塚本訳 使  26:12-15

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12月1日感話資料。おわり

 





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再臨の光、雲、恐れ、 ++++++++ 所感

2013/11/11 06:51

131111(月)朝の啓示「再臨の光、雲、恐れ、」●聖書のわからないところは朝の啓示で聖書を示される。。●神は聖書のわからないところの苦しみを「朝の啓示」で教えてくれる。感謝。
●終末再臨でどうしても分からないところは次のイエスの言葉である


塚本訳 マタ 24:30-31
24:30 するとその時、人の子(わたし)の徴が天に現われる。するとその時、『地上の民族はことごとく(これを見て)悲しむであろう。』そして『人の子(わたし)が』大いなる権力と栄光とをもって、『天の雲に乗って来るのを』見るであろう。
24:31 すると(その時、)人の子は『大いなるラッパの響きと共に』自分の使いたちをやって、『天のこの果てからかの果てまで』『四方から、』選ばれた人々を『集めさせるであろう。』


●再臨信仰は信仰の基本である「主の処女降誕、十字架による罪の赦し、有体的復活」と同じくキリスト信者の信仰の必須要件である。
●ところが生まれつきの3次元人間にはどうしてもこれがわからない、理性で納得しようとして「深い信仰を持たない人間が書いた黙示文学」などに飛びついて読み始めたら泥沼に入ってついにわからなくなる。
●聖書のわかりにくいところは「聖書で聖書を」読まなければならない。それでこの難問をその方法で探求してみよう。語句が重複する場合もある。

①再臨の光

塚本訳 マコ 13:26
13:26 するとその時、人々は『人の子(わたし)が』大いなる権力と栄光とをもって、『雲に乗って来るのを』見るであろう。

●再臨は権力と栄光の光だというのだ。

塚本訳 マタ 24:23-28
24:23 その時『そら、ここに救世主が』とか、『ここに』とか言う者があっても、信ずるな。
24:24 偽救世主たち、『偽預言者たちが』あらわれて、大がかりな『奇蹟や不思議なことをして、』あわよくば、選ばれた人々までも迷わそうとするのだから。
24:25 この通り、あなた達には前もって言っておく。
24:26 だから、たとえ『そら、(救世主は)荒野にいる』と言う者があっても、出て行くな。『そら、奥の部屋に』と言っても、信ずるな。
24:27 人の子(わたし)の来臨は、ちょうど稲妻が東から西に輝きわたるよう(に、はっきりわかるの)であるから。
24:28 死骸のある所には、どこにでも鷲が集まる。

●再臨信仰は黙示文学の研究からは生まれない。自分を導いた尊敬する先生が信じていたり信じてなかったりするから信ずるのではいけない。それは先生信者であってキリスト信者ではない。偶像崇拝である。再臨は稲妻のようにはっきりわかるというのだ」。
●死骸のあるところには鷲が集まるというのは死骸は「はっきりわかる」という概念の具体的説明。
●死んだ信仰の持ち主は死骸であるから、悪魔が集まることによってその人の信仰が本物が偽物かがわかる。
●23節。「再臨の信仰は『そら、ここに救世主が』とか、『ここに』とか言う者があっても、信ずるな。」というのは、そらこの先生にこの学者たちにとドイツの注解書を積み重ねるなということだ。

塚本訳 使  2:14-21
2:14 するとペテロは十一人(の使徒)と共に進み出て、声高らかに雄弁をふるった。──「ユダヤ人諸君、ならびにエルサレムに住む皆さん、このことを知ってください。わたしの言葉に耳を傾けてください。
2:15 今は(まだ)朝の九時であるから、あなた達が想像するように、、この人たちは酒に酔っているのではありません。
2:16 これは(神が)預言者ヨエルをもって言われたこと(が成就して、神の霊に酔っているの)です。
2:17 神が仰せられる、──最後の日に、『わたしはすべての人にわたしの霊を注ごう。するとあなた達の息子と娘とは預言し、青年は幻を見、老人は夢をゆめみる。
2:18 またその日には、わたしの僕と婢とにわたしの霊を注ごう、』すると彼らは預言する。
2:19 『また』上は『天に不思議なことを、』下は『地に』徴を、『わたしは示そう、すなわち血と火と立ちのぼる煙とを。
2:20 主の(恐ろしい)大いなる、輝きの日が来る前に、日は暗闇に月は血にかわるであろう。
2:21 そして主の名を呼ぶ者はすべて救われる。』

塚本訳 マタ 16:2-3
16:2 彼らに答えられた、「あなた達は夕方には『(明日は)天気だ、空が焼けているから』と言い、
16:3 また朝早く、『きょうは荒れだ、空が雲って焼けているから』と言う。あなた達は空の模様を見分けることを知っていながら、時の(せまった)徴を見分けることが出来ないのか。

●夕焼けで「空が焼けて」いたら再臨の輝きもこうだと思わなければならないのだ。

塚本訳 マタ 17:1-2
17:1 (それから)六日の後、イエスはペテロとヤコブとその兄弟のヨハネだけを連れて、高い山にのぼられた。
17:2 すると彼らの見ている前でイエスの姿が変った。顔は太陽のように照りかがやき、着物(まで)が光のように白くなった。


●これは変貌の場面である。
●2節「顔が太陽のように照りかがやく」というのだ。再臨の予兆だ。

塚本訳 使  26:12-13
26:12 こんな次第で、わたしは大祭司連から全権と委任とを受け、(迫害のため)ダマスコに進んでゆくと、
26:13 王よ、昼に、途中で、天から輝く太陽にもまさる光がさして、わたしと、同行の者たちとのまわりを照らすのを見ました。


●これはパウロへの啓示。
●昼なのに太陽にまさる光が輝いた。これも再臨の光と輝きの予兆だ




②再臨の雲

塚本訳 ルカ 21:27
21:27 するとその時、人々は『人の子(わたし)が』大いなる権力と栄光とをもって、『に乗って来るのを』見るであろう。


●雲は霧だから乗れない。これが3次元の理性ではわからない。

塚本訳 マタ 17:5
17:5 ペテロの言葉がまだ終らぬうちに、見よ、光る雲が彼ら(イエスとモーセとエリヤと)を掩い、そのとき、「これはわたしの『最愛の子、』『わたしの心にかなった。』『彼の言うことを聞け』」と言う声が雲の中から出た


●この「変貌」の奇跡は再臨の予兆。ここで「雲」が出てくる。

塚本訳 使  1:8-9
1:8 ただ聖霊があなた達にくだるとき、あなた達は力を戴いて、エルサレムをはじめユダヤ全体、またサマリヤ、さては世界の果てまでも、わたしの証人になるであろう。」
1:9 イエスはこう言って、彼らの見ている前で(天に)上げられ、雲が彼を迎えて見えなくなった。


●これはイエスが昇天した場面である。ここに「雲」という言葉が出てくる。
●聖地旅行したとき、「昇天の岩」を見た。イエスが天に駆け上がったときの後足が岩にほじくれていた。3次元の頭で分かるようにした「見世物」である。

塚本訳 Ⅰテサ4:14-18
4:14 私達が信ずるようにもしイエスが死んで復活し給うたならば、神はイエスによって眠った者をも同様にイエスと共に連れ来たり給うであろうから。
4:15 然り、私達の主の御言をもってこのことを(はっきり)君達に言う(ことが出来る)──私達主の来臨(の時)まで生き残っている者は、(既に)眠った者に先立つ(て光栄に与る)ことは絶対に無い。
4:16 何故なら、(その時)主自ら号令と御使いの頭の声と神のラッパ(の響き)と共に天から下り給うて、キリストにおいて死んだ死人がまず復活し、
4:17 それから私達(その時まで)生き残っている者が主に会うため彼らと一緒に雲に乗って空中に奪い去られる。かくして私達はいつも主と共に居るのである。
4:18 だから、これらの言をもって互いに慰め合え。


●14節。空の墓のところで胸が熱くなった時に、イエスが有体的に復活したことを信じられた。そのときそれならば再臨はその逆であることも薄々信じられていたのである。

塚本訳 黙  1:7
1:7 視よ、彼は雲に包まれて来たり給う。そして凡ての(人の)目が、然り、彼を刺した者らが彼を見るであろう。そして地上のあらゆる種族は、彼の(審判の恐ろしさの)故に胸を打つ(て嘆き悲しみ、後悔する)であろう!然り、アーメン

 

●次は今から15年前に書いた文章の一部である。 
 
「復活の喜び・・・復活信仰への旅」 より

http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/hukkatu.htm

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 ●有体的復活信仰が再臨信仰を生む

1999年3月、内村鑑三の「復活と再臨」(大正7年4月10日『聖書之研究』213号1912年)に出会った。何とそこに書かれていることは、再臨信仰はイエスが体を持って目の前に甦った事実から、信じざるをえなくなって生まれたと言うのである。ここにおいてもイエスの有体的復活がキリスト教の再臨信仰の基礎中の基礎であることが分かった。再臨無くして我々の復活は無い。再臨が無ければ死んで天国に行って眠ったままで終わりである。現在大部分のキリスト教信者はそう思っているのではないであろうか。私自身がそうであった。私は再臨信仰はユダヤ教の黙示文学にもとづくひとつの思想であると思っていた。再臨信仰は日本人には馴染みにくいのである。しかし再臨信仰は今朝出かけて行った人が帰ってくるのと同じく当然のことである事が分かった。墓が空であったことが、復活の証明であり、有体的復活との出会いが再臨のへの確信である。「帰って来る」と言い残して行ったイエスは必ず帰って来る。それは有体的復活が証拠である。イエスは40日間地上にいたが天に上った。しかし帰って来る。そのとき眠っていた信者は復活の体で甦る。それなくして我々の希望は無い。

第一テサロニケ四章十四節
私達が信ずるようにもしイエスが死んで復活し給うたならば、神はイエスによって眠った者をも同様にイエスと共に連れ来たり給うであろうから。"

ここに再臨信仰が復活の事実に基いていることが良く現れている。再臨はイエスの復活が基礎である。わたしは「墓が空になった」ことで胸が熱くされ、そのことで再臨信仰にまで目が開かれたことに驚いている。 

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●再臨の時、すでに死んだ人はよみがえらされる。(新教出版社版塚本訳新約聖書P971参照)
●14節「連れ来たり給う」とは「甦らされる」ことである。死は眠り、再臨の時に声をかけられて甦らされる。

●17節。再臨の時、信じて生きている人は「雲に乗って宮中に奪い去られる」(試訳)、


「そのあとわたし達生き残っている者が、主と会うために、彼ら(復活した者たち)とあいともに雲に載(の)せられて宮中にさらってゆかれる。こうしてわたし達はいつまでも主と共に一体であることになるのである。(新教出版社版)

●このあとにパウロは18節で「だからこれらの言葉をもって互いに慰めよ!」とある。慰めと言ってこれ以上の慰めはない。これ以外にはない。これでなければならない。

●聖書協会の翻訳部の人曰く「高橋さん、体重があると有体的復活は出来ないですよ」(笑)



③再臨の恐れ 

塚本訳 マタ 17:5-9
17:5 ペテロの言葉がまだ終らぬうちに、見よ、光る雲が彼ら(イエスとモーセとエリヤと)を掩い、そのとき、「これはわたしの『最愛の子、』『わたしの心にかなった。』『彼の言うことを聞け』」と言う声が雲の中から出た。
17:6 これを聞くと弟子たちは地にひれ伏して、非常に恐ろしくなった。
17:7 イエスは近寄り、彼らにさわって言われた、「起きよ、恐れることはない。」
17:8 目を上げると(そこには)だれも見えず、ただイエスだけがおられた。
17:9 山を下りながら、イエスは、「人の子(わたし)が死人の中から復活する前には、(いま)見たことをだれにも言うな」と彼らに命じられた。


●「変貌」の奇跡でイエスはうかつにも再臨の時の姿を見せてしまった。だから見てしまった3人に「だれにも言うな」と命じた。ピラトはじめ3次元人間にはどう説明をしてもわからないからだ。イエスがサンヘドリンやピラトの前で沈黙していた意味がこれである。


塚本訳 使  26:12-15
26:12 こんな次第で、わたしは大祭司連から全権と委任とを受け、(迫害のため)ダマスコに進んでゆくと、
26:13 王よ、昼に、途中で、天から輝く太陽にもまさる光がさして、わたしと、同行の者たちとのまわりを照らすのを見ました。
26:14 わたし達が皆地上に倒れる、ヘブライ語で、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。刺の棒は蹴っても無駄だ』とわたしに言う声を聞きました。
26:15 わたしは言った、『主よ、あなたはどなたですか。』主が言われた、『わたしだ、君が迫害しているイエスだ。


塚本訳 黙  1:7
1:7 視よ、彼は雲に包まれて来たり給う。そして凡ての(人の)目が、然り、彼を刺した者らが彼を見るであろう。そして地上のあらゆる種族は、彼の(審判の恐ろしさの)故に胸を打つ(て嘆き悲しみ、後悔する)であろう!然り、アーメン


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朝の黙想 おわり。啓示感謝。間違いない。指がポキポキ鳴る。

●NHKFMのクラシック番組「気ままにクラシック」(日曜午後2時、再放送月曜午前7時25分」で「親父ギャグ」の投稿が放送される。今まで5題出して3題が読み上げられた。5戦3勝。今朝は多くの投稿から私のものが一等になった。
「指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンが来日しての大阪公演のとき、空腹になったのでスタッフに『腹減ると、胃が空やん』と言った。」私の趣味は親父ギャグ。
●過日NHKTVで脳科学者の茂木健一郎が「男が親父ギャグを発する」科学的根拠を説明していたが、それは脳の活性化に必要なことなのだという。同時にそれを聞く女性は「全然面白がらない」という理由も説明していた。妻は私のギャグを笑ってくれないが、科学的に理由があるというので納得安心した。
●妻はコーラス「もでらあと」の練習。

●午後はTSK日本語版エズラ記10章。

2013_11110001.jpg 

寒い夕方の散歩。心が淋しいときは復活の喜びを期待する。






 














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人生は陣痛続き ++++++++ 所感

2013/11/10 05:58

131110(日)5時起床●朝の啓示「人生は陣痛続き」●次回(12月1日)集会感話の準備。聖書で聖書を読む。

12月1日集会感話、①終末の前兆
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塚本訳 マタ 24:6-10
24:6 戦争(を目のあたりに見たり、)また戦争の噂を聞くであろうが、あわてないように注意せよ。『それはおこらねばならないことである』が、しかしまだ最後ではない。
24:7 (世の終りが来る前に)『民族は民族に、国は国に向かって(敵となって)立ち上がり、』またここかしこに飢饉や地震があるのだから
24:8 しかしこれは皆(まだ、新しい世界が生まれるための)陣痛の始である。
24:9 その時あなた達は苦しめられ、殺される。またわたしの弟子であるために、すべての国の人から憎まれる。
24:10 するとその時、『多くの人が信仰から離れて、』互に裏切り、互に憎むであろう。

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塚本訳 ヘブ 12:26-27
12:26 その時、そのお声は地を震わせた。しかし今彼は約束をして言われた、『わたしはもう一度、地』ばかりでなく『天を』も『揺り動かす』と。
12:27 しかし、この『もう一度』とは、造られたものとして、震われるものの変更されることを意味する。これは震われることのないものが(永遠に)のこるためである


塚本訳 ルカ 21:11
21:11 また大地震や、ここかしこに疫病や飢饉があり、いろいろな恐ろしいこと、また天に驚くべき前兆があらわれるであろう。


塚本訳 ルカ 21:25-26
21:25 すると日と月と星とに(世の終りの不思議な)前兆があらわれ、地上では『海がどよめき荒れ狂うため、国々の民は』周章てふためき怖じまどい、
21:26 全世界に臨もうとしていることを思って、恐ろしさのあまり悶え死にする者があろう
。『もろもろの天体が』震われるからである。


口語訳 ゼカ 14:2-3
14:2 わたしは万国の民を集めて、エルサレムを攻め撃たせる。町は取られ、家はかすめられ、女は犯され、町の半ばは捕えられて行く。しかし残りの民は町から断たれることはない
14:3 その時、主は出てきて、いくさの日にみずから戦われる時のように、それらの国びとと戦われる。


塚本訳 使  2:19-21
2:19 『また』上は『天に不思議なことを、』下は『地に』徴を、『わたしは示そう、すなわち血と火と立ちのぼる煙とを。
2:20 主の(恐ろしい)大いなる、輝きの日が来る前に、日は暗闇に月は血にかわるであろう
2:21 そして主の名を呼ぶ者はすべて救われる。』


塚本訳 ロマ 8:18-19
8:18 (しかもこの苦しみは恐れることはない。)なぜなら、わたしはこう考える。今の世の苦しみは、わたし達に現われようとしている栄光(──キリストと一しょに神の国の相続人になる最後の日の大いなる光栄──)にくらべれば、言うに足りない
8:19 (そしてこの栄光は必ず与えられる。)その証拠(の第一)は、創造物が神の子たちの現われるのを、首を長くして待ちこがれていることである。


塚本訳 ロマ 8:28
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。


塚本訳 ロマ 9:27-29
9:27 (預言者)イザヤもイスラエル人について叫んでいる。『たとえイスラエル[ヤコブ]の子孫の数は海の砂のように(多数)であろうとも、(信ずる小数の)残りの者(だけ)が救われる。
9:28 なぜなら主は(間もなく約束の)御言葉を完了し打ち切って、(裁きと救いとを)地上に実現されるからである。』
9:29 さらにイザヤは前もってこう言われている。『もし万軍の主がわたし達に(まことのイスラエルの)子孫を残されなかったなら、わたし達はソドムのようになりゴモラと同じになっ(て滅び)たにちがいない。』


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朝の黙想終わり。終末の前に陣痛がある。産みの苦しみがある。人生は苦難という陣痛続き。しかしそれは新しい生命が誕生するための宿命。

●妻と集会へ
●10:00 集会は茂木(司会)、高木(詩編と新約聖書)、山本(第一テサロニケ4章)
●集会後、東京都美術館へ「ターナー展」

2013_11100008.jpg 
英国の画家ターナーの風景画は好きであった。ラスキン文庫の後援だとも
言うので出かけた。一日3000人もの入場者数という人気。
●しかし途中にあった年譜に24歳の時に音楽家の未亡人と同棲生活。しかし画家仲間にもそれを隠し、彼女との間に娘が二人生まれたが、その結婚式にも出ないという秘密ぶり。未亡人と一緒になるのは構わないがそれを隠していたところが気にくわない。がっくりした。それ以降の部屋の作品がすべて色あせて見えた。どんなにすばらしい風景画であっても無価値だと思った。
●自然は人を救わない。ターナーの絵画は人を救わない。画家と建築家と文学者は少し有名になって羽振りが良くなると私生活が乱れて不道徳でどうもいかん。
●こういう人間はたとえ表向きがクリスチャンであってもエクレシアから追い出せ。縁を切れ。!

2013_11100007.jpg 
美術館をでて見る上野公園の秋の景色

作品数は116点と膨大。鑑賞に2時間もかかったので疲れた。
美術館を出ると景色を見る眼がすっかりターナーの目になっていた。




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終末の前兆、不明、苦難、輝き、恐れ ++++++++ 所感

2013/11/09 08:11

131109(土)朝の啓示「終末の前兆、不明、苦難、輝き、恐れ、待望」●次回12月1日感話の準備。

①終末の前兆
②終末の不明
③終末の苦難
④終末の輝き
⑤終末の恐れ

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①終末の前兆

塚本訳 マタ 24:3-10
24:3 オリブ山に坐っておられると、弟子たちだけでそばに来て言った、「(宮がくずれると言われますが、)そのことはいつ起るか、また、あなたの来臨と世の終りとには、どんな前兆があるか、話してください。」
24:4 そこでイエスが答えてこう話された。──「人に迷わされないように気をつけよ。
24:5 いまに多くの人があらわれて、『救世主はわたしだ』と言ってわたしの名を騙り、多くの人を迷わすにちがいないから。
24:6 戦争(を目のあたりに見たり、)また戦争の噂を聞くであろうが、あわてないように注意せよ。『それはおこらねばならないことである』が、しかしまだ最後ではない。
24:7 (世の終りが来る前に)『民族は民族に、国は国に向かって(敵となって)立ち上がり、』またここかしこに飢饉や地震があるのだから
24:8 しかしこれは皆(まだ、新しい世界が生まれるための)陣痛の始である。
24:9 その時あなた達は苦しめられ、殺される。またわたしの弟子であるために、すべての国の人から憎まれる。
24:10 するとその時、『多くの人が信仰から離れて、』互に裏切り、互に憎むであろう。


●戦争、飢饉、地震、不和、家庭崩壊、信者迫害、棄教・・・・これすべて今のことではないか。

②終末の不明

塚本訳 マタ 16:2-3
16:2 彼らに答えられた、「あなた達は夕方には『(明日は)天気だ、空が焼けているから』と言い、
16:3 また朝早く、『きょうは荒れだ、空が雲って焼けているから』と言う。
あなた達は空の模様を見分けることを知っていながら、時の(せまった)徴を見分けることが出来ないのか。

●東日本大震災と原子力発電所事故は時の徴。それなのに、政治が悪い東電が悪いと犯人捜しをしているキリスト信者がいるのはオメデタイ。気が付いていない。

塚本訳 マタ 24:32-39
24:32 無花果の木で(この天の国の)譬を学ぶがよい。──枝がすでに柔らかになって葉が出ると、夏が近いと知るのである。
24:33 そのようにあなた達も、これから一切のことを見たら、人の子(わたし)が門口近く来ていることを知れ。
24:34 アーメン、わたしは言う、これらのことが一つのこらずおこってしまうまでは、この時代は決して消え失せない。
24:35 天地は消え失せる、しかし(いま言った)わたしの言葉は決して消え失せない。
24:36 ただし(人の子の来る)その日と時間とは、ただ父上のほかだれも知らない。天の使いたちも知らない。
24:37 人の子の来臨は、ちょうどノアの(洪水の)時のようであるから。
24:38 すなわち洪水の前のあのころ、『ノアが箱船に入った』日まで、人々は飲んだり食ったり、嫁にやったり取ったりしていて、
24:39
洪水が来て一人のこらずさらってゆくまで、それに気づかなかった。人の子の来臨もこのようである。

塚本訳 ルカ 13:2-5
13:2 その人たちに言われた、「そのガリラヤ人たちはそんな目にあったので、(ほかの)すべてのガリラヤ人よりも罪人だったと思うのか。
13:3 そうではない。わたしは言う、あなた達も悔改めなければ、皆同じように滅びるであろう。
13:4 またシロアムの(池の)近くの櫓が倒れて(下敷になって)死んだあの十八人は、(当時)エルサレムに住んでいた(ほかの)すべての人よりも罪人だったと思うのか。
13:5
そうではない。わたしは言う、あなた達も悔改めなければ、皆同様に滅びるであろう。」

●東北、福島の人はほかの人よりも罪が重かったのか。聖書は言う。「あなた達も悔改めなければ、皆同じように滅びるであろう。」(3節)
●世界の悪は自分の悪。福島は犠牲になったが、それは日本中の霊の覚醒のため。

③終末の苦難

塚本訳 ルカ 21:20-24
21:20 しかしエルサレムが(ローマの)軍勢に囲まれるのを見たら、その滅亡が近づいたと知れ。
21:21 その時ユダヤの平地におる者は(急いで)山に逃げよ。都の中におる者は立ち退け。田舎におる者は都に入るな。
21:22 これは(聖書に)書いてあることが皆成就する『(神の)刑罰の日』だからである。
21:23 それらの日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、ああかわいそうだ!この(ユダヤの)地には大きな艱難が、この民には(神の)怒りが臨むのだから
21:24 彼らは劔の刃にたおれ、あるいは捕虜となってあらゆる国々に散らされ、
また『エルサレムは』(いわゆる)異教人時代が終るまで、『異教人に踏みにじられる』であろう。


●初代キリスト教徒は、エルサレムを捨ててペラ(エルサレムの北東約100キロ)に逃げた。この世と正面から戦わなかった。平和主義であった。
●ユダヤ戦争の時、ローマ帝国に剣で抵抗したエッセネ派に対し、基督信徒はエルサレムを捨ててペラに逃げた。いずれが真に愛国的であったかは歴史が決着した。
●以下、秀村欣二著作集第一巻「新約時代史」P89より引用
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「剣を取る者は皆、剣で滅びる」(マタイ26:52}。民族の運命の刻々と縮まるなかに恐らく卑怯者よ、裏切り者よとの非難と罵声を後にして断腸の想いをもってエルサレムを去ったキリスト者によって福音の本質は守りぬかれたのである。
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④終末の輝き

塚本訳 マタ 26:59-64
26:59 大祭司連をはじめ全最高法院は、イエスを死刑にしようとしてしきりにイエスに不利な偽証をさがした。
26:60 しかし偽証は多く出たが、(証拠は)見つからなかった。最後に二人の者が出て
26:61 言った、「この人は『神のお宮をこわして、三日のうちに建てて見せる』と言った。」
26:62 そこで大祭司は立ち上がってイエスに言った、「何も答えないのか。この人たちは(あんなに)お前に不利益な証言をしているが、あれはどうだ。」
26:63 しかしイエスは黙っておられた。大祭司が言った、「生ける神に誓ってわれわれにこたえよ。お前が、神の子救世主か。」
26:64 イエスは(はじめて口を開いて)彼に言われる、「(そう言われるなら)御意見にまかせる。
だが、わたしは言う、あなた方は今後『人の子(わたし)が』『大能の(神の)右に坐り、』『天の雲に乗って来るのを』見るであろう。」


塚本訳 マタ 24:27-31
24:27 人の子(わたし)の来臨は、ちょうど稲妻が東から西に輝きわたるよう(に、はっきりわかるの)であるから
24:28 死骸のある所には、どこにでも鷲が集まる。
24:29 それらの苦難の日の後に、たちまち『日は暗く、月は光を放たず、』『星は』天から『落ち、もろもろの天体が』震われるであろう。
24:30 するとその時、人の子(わたし)の徴が天に現われる。するとその時、『地上の民族はことごとく(これを見て)悲しむであろう。』そして『人の子(わたし)が』大いなる権力と栄光とをもって、『天の雲に乗って来るのを』見るであろう。
24:31 すると(その時、)人の子は『大いなるラッパの響きと共に』自分の使いたちをやって、『天のこの果てからかの果てまで』『四方から、』選ばれた人々を『集めさせるであろう。』


●終末の再臨は人の子キリストが雲に乗ってくると言うが、これがどういうことかわからない。雲は霧だから乗れない。第一にどこに来るのか。
●これに関しては別のところから読めば少しわかる。

塚本訳 マタ 17:1-5
17:1 (それから)六日の後、イエスはペテロとヤコブとその兄弟のヨハネだけを連れて、高い山にのぼられた。
17:2 すると彼らの見ている前でイエスの姿が変った。顔は太陽のように照りかがやき、着物(まで)が光のように白くなった。
17:3 すると見よ、モーセとエリヤとが彼らに現われた。二人はイエスと話していた。
17:4 ペテロが口を出してイエスに言った、「主よ、わたし達(三人)がここにいるのは、とても良いと思います。もしよろしければ、わたしはここに小屋を三つ造りましょう。あなたに一つ、モーセに一つ、エリヤに一つ。」
17:5 ペテロの言葉がまだ終らぬうちに、見よ、光る雲が彼ら(イエスとモーセとエリヤと)を掩い、そのとき、「これはわたしの『最愛の子、』『わたしの心にかなった。』『彼の言うことを聞け』」と言う声が雲の中から出た。


●ここに「雲」が出てくる(5節、)。その雲は「光る雲」である。イエスの終末予言の「はっきりわかる」(マタ24:27)を連想させる。
●顔が「太陽のように照り輝く」(2節)のは再臨の様相らしい。

塚本訳 使  1:6-9
1:6 さて彼らは集まっていたとき、こう言ってイエスに尋ねた、「主よ、(聖霊で洗礼を授けられる)その時に、あなたはイスラエルのために(約束の)国を回復されるのですか。」
1:7 彼らに言われた、「(その時ではない。回復の)時と、(それまでの)期間とは、父上が御自分の権力で決めておられるのであって、あなた達の知るべきことではない。
1:8 ただ聖霊があなた達にくだるとき、あなた達は力を戴いて、エルサレムをはじめユダヤ全体、またサマリヤ、さては世界の果てまでも、わたしの証人になるであろう。」
1:9 イエスはこう言って、彼らの見ている前で(天に)上げられ、雲が彼を迎えて見えなくなった。

●9節、ここにも「雲」が出てくる。イエスは「雲」に迎えられて見えなくなったので再臨の時には「雲に乗って」来るらしい。「雲」は霧だからその上に乗れないとの考えは3次元人間だ。自戒。イエスは水の上を歩けた。これを信ずることが出来るかどうかが、信仰の深さの試金石。
●神の子は処女から生まれた。3次元人間はこれを信じられない。

⑤終末の恐れ

塚本訳 マタ 17:6-9
17:6 これを聞くと弟子たちは地にひれ伏して、非常に恐ろしくなった。
17:7 イエスは近寄り、彼らにさわって言われた、「起きよ、恐れることはない。」
17:8 目を上げると(そこには)だれも見えず、ただイエスだけがおられた。
17:9 山を下りながら、イエスは、「人の子(わたし)が死人の中から復活する前には、(いま)見たことをだれにも言うな」と彼らに命じられた。


●6節。これを見た3人の弟子は恐ろしくなってひれ伏した。再臨論争は議論ではなく、ウムを言わせない、異変である。
●内村鑑三が再臨論をやめたからと言って、再臨信仰を捨ててはいけない。内村も人間、人間に「ひれ伏し」てはいけない。キリストの言葉にひれ伏さなければならない。内村塚本よりも聖書に従わなければならない。
●ぽろっと真の姿を見せたイエス。それは4次元の現象だから3次元の人間には


塚本訳 マタ 24:23-28
24:23 その時『そら、ここに救世主が』とか、『ここに』とか言う者があっても、信ずるな。
24:24 偽救世主たち、『偽預言者たちが』あらわれて、大がかりな『奇蹟や不思議なことをして、』あわよくば、選ばれた人々までも迷わそうとするのだから。
24:25 この通り、あなた達には前もって言っておく。
24:26 だから、たとえ『そら、(救世主は)荒野にいる』と言う者があっても、出て行くな。『そら、奥の部屋に』と言っても、信ずるな。
24:27 人の子(わたし)の来臨は、ちょうど稲妻が東から西に輝きわたるよう(に、はっきりわかるの)であるから
24:28 死骸のある所には、どこにでも鷲が集まる。


●再臨は人間が書いた本での勉強ではわからない。人間の説を読んでもわからない。人間は「偽預言者」であって、これに従うと救われない。人を迷わす。地獄に導く。キリストにひれ伏さなければならない。人間の思想や解説ではなく、聖書それ自身を信じなければならない。

塚本訳 使  26:12-15
26:12 こんな次第で、わたしは大祭司連から全権と委任とを受け、(迫害のため)ダマスコに進んでゆくと、
26:13 王よ、昼に、途中で、天から輝く太陽にもまさる光がさして、わたしと、同行の者たちとのまわりを照らすのを見ました。
26:14 わたし達が皆地上に倒れると、ヘブライ語で、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。刺の棒は蹴っても無駄だ』とわたしに言う声を聞きました。
26:15 わたしは言った、『主よ、あなたはどなたですか。』主が言われた、『わたしだ、君が迫害しているイエスだ。


●このパウロの体験も終末の日の輝きと怖れを連想させる。

塚本訳 黙  1:7
1:7 視よ、彼は雲に包まれて来たり給う。そして凡ての(人の)目が、然り、彼を刺した者らが彼を見るであろう。そして地上のあらゆる種族は、彼の(審判の恐ろしさの)故に胸を打つ(て嘆き悲しみ、後悔する)であろう!然り、アーメン


●プリンツラーの名著「イエスの裁判」の結語は「神の子イエス殺害の責任者は、ユダヤ人でもなく、ローマ人でもない。人類全体(「地上のあらゆる種族」、黙示1:7))である。しかしその人類に対して神の子は次のように言う。(ルカ23:34a)

塚本訳 ルカ 23:34a

23:34 aするとイエスは言われた
、「お父様、あの人たちを赦してやってください、何をしているか知らずにいるのです。」

●人類は総がかりになって「神の子」を殺した。キリスト殺しは神殺し。しかしそれをもって神は全人類に救いの道を開いた。それで神の義は満足して人間の罪を赦した。否赦せた。
●復活、再臨の信仰は終末の日にわかる。神が示して教える。

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朝の黙想終わり。これで感話の骨子が出来た。配布資料は聖書の言葉だけにする。

●寒い日。厚着、椅子に電気マット、
●次回感話の準備。配布する資料は聖書の言葉だけにする。
●TSK日本語版、エズラ記8章
●妻は東大和にコンサート鑑賞、バッハ「マニフィカト」ほか


















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火花の散る対話 ++++++++ 所感

2013/11/08 09:19

131108(金)過日の無教会全国集会の分科会では「青年と職業」に出た。そこでの自己紹介で「私は天国に行ける家を造っている」と言った。すると某氏がその意味を尋ねてきてメールのやり取りが始まった。内容は私自身が非常に有益、かつ公的なことなのでその往復メールを公開する。さしさわりのある部分は改変したり匿名にしたり伏せる(私としても努力しているのだ!)。火花の散る対話である。

●11月5日 某氏からのメールに対する 高橋からのメール

某 様

 

分科会でのご質問。「天国に行ける建物とは何ですか」はグッドクエスチョンです。この設問に「政治問題」も入ります。

答えはイエスに答えてもらいましょう。ルカ169-13(塚本訳で意味明快)です。小生はこの部分の塚本虎二の解説で建築人生が決定しました。

建築をやっていてもいいんだ。聖職者にならなくてもいいんだ、と。

H君の出た愛真高校(娘も、また分科会同席のOさんも愛真卒業)に昨年建築の仕事で行った時、一人の学生(熱血漢)が、私を捕まえて「私は牧師先生になりたい」と言ったので、ムカーッと来て、「聖書で飯を食うな!」と喝破。すると次に行ったら「この間は高橋さんの言葉で夢が砕かれました。可愛い女の子を連れて世界を回りたい」と言う。だから「学生の信仰はあてにならない」と内村鑑三は言うのです。学生相手の貴殿の御苦労を思います。

無教会はもっと聖書それ自身を深く学ばなければ先がありません。否、先がなくなりつつあります。

「青年と職業」は上記ルカ169-13を深く解読することと

内村の「いかにして我が天職を知らんか」を読むべきだと思います。当日の分化会では時間不足で言えませんでした。

それにしても無教会は神に祝福されないと枯れます。政治問題なんかをやっているのは時間の浪費です。然り。枯れ始めました。

政治は「遊び」です。ルターは「神学は歌だ」と言いました。「政治も神学も」根っこは同じ「遊び」です。今回の東京での全国集会はよかったと感じた人は「遊び」に酔ったのです。

追伸

 

主にありて

高橋照男



●11月8日 某氏から高橋へ

塚本訳読みました。高橋さんがなぜ建築家を志したのか、ばっちりわかりました。ただ天国に行ける家がどんなのかはまだわかりませんが。

それにしても塚本訳はすごい!これほど訳で感動したことはありません。ここまで解説をつけていいのかという疑問がありますが、そん所そこらの注解書よりよっぽどいいです。

それからもう一つ。独立や愛真の卒業生で信仰のある人はすぐ牧師や聖職者になりたがることに批判的であることにも賛成。私も・・・たちにはこの二つはあまり進めなかった。もっと視野を広く持って自分にあったものを探しなさいと。初めから牧師や教師になることを志すのはどうも変に思われる。あれらはやはりやむを得ずやらされてしまうものでしょう。

 





●11月8日 高橋から某氏へ

某 様

 

塚本訳に感動とは、感謝。私のHPに塚本訳を掲載していることの意義が現れ、ガッツポーズです。

ただ私は「建築家を志した」のではありません。やむなく追い込まれたのです。これに関しては内村鑑三の「いかにして我が天職を知らんか」が」私の場合への「預言」でアーメンです。

ルカ169-13は超難解なところで、職業生活で泣いた人でなければわかりません。聖書で飯を食っている「そん所そこらの」(貴殿の言葉)牧師伝道者には全く分からない箇所です。

塚本虎二著作集第5巻、P247-265、塚本虎二著作集族第2巻P178-182が私の建築人生の聖書的根拠、神学的根拠です。

これは無教会のプロパガンダです。

「ただ天国に行ける家がどんなのかはまだわかりません」というご質問もまたまたグッドクェスチョンです。

貴殿のこの重要な質問にはまたまたイエスに答えてもらいます。

 

塚本訳 ルカ 16:9-10

16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。

16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。

 

ルカ169の「不正な富」は私にとっては「この世の物理的な建物」です。それは「なくなる」ものです。私の設計した建物はそろそろ壊されはじめています。つまりなくなりつつあるのです。物理的建物は永遠ではありません。

〇〇区に無教会の方のビルを設計しました。その御婦人も熱心な信者。「このビルはあの隅田川の花火のように永遠の時から見れば一瞬のうちに消えるでしょう。しかし高橋さんに一生懸命造っていただいたという思い出は私の胸に永遠に残ります」

とお礼の手紙を頂きました。そのご夫妻はすでに召され、ビルは借入金返済に行き詰まり最近売却されました。つまり富が「なくなった」のです。しかし私は思います、建築というこの世限りの「小事」に忠実に一生懸命尽くしたのは「天に宝を積んだ」ことになったのではないかと思います。

 

塚本訳 マタ 6:19-20

6:19 (このように、何事も天の父上相手でなければならない。たとえば)あなたたちは衣魚や虫が食い、また泥坊が忍び込んで盗むこの地上に宝を積まず、

6:20 衣魚も虫も食わない、また泥坊が忍び込むことも盗むこともない天に、宝を積んでおきなさい。(そうでないと、心が天に向かないであろう。)

 

後日談ですが、その家のお嫁さんは借入金返済の行き詰まりで悩み、御病気になられたために信仰に非常に熱心になられました。そのご家庭は地上の建物という宝は失いましたが、天に本当の建物を得ました。

貴殿の「天国に行ける家とは何か」のご質問は物理的にこういう形というのではなく、神はわれわれを建築という小事を通して天国に行ける家、天国に迎えられるように仕組んでくださったのだと体験的に解します。

無教会者の職業と言えば「学校の教師、しかも語学の教師」と相場が決まっていますが、語学も小事、「天国に行ける語学」というのはギリシャ語ヘブライ語ではなく、その語学を通して一生懸命なる交わりが、天国に宝を積むことになるのでは

ないでしょうか。

 

高橋照男

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朝の対話 終わり。青年にとって職業選択は最重要問題。しかし行き当たりばったりあるいは偶然でよい。背後で神がチャンと導いていてくださる。神の思いは人間より高い。

●次回感話(12月1日)は再臨問題。題を「終末の日の輝きと恐れ」としようか。●「終末の日の再臨の輝き」については去る5日のブログにスケッチした。●今朝は「再臨は恐れ」でもあることを黙想しよう。

塚本訳 マタ 17:1-7
17:1 (それから)六日の後、イエスはペテロとヤコブとその兄弟のヨハネだけを連れて、高い山にのぼられた。
17:2 すると彼らの見ている前でイエスの姿が変った。顔は太陽のように照りかがやき、着物(まで)が光のように白くなった。
17:3 すると見よ、モーセとエリヤとが彼らに現われた。二人はイエスと話していた。
17:4 ペテロが口を出してイエスに言った、「主よ、わたし達(三人)がここにいるのは、とても良いと思います。もしよろしければ、わたしはここに小屋を三つ造りましょう。あなたに一つ、モーセに一つ、エリヤに一つ。」
17:5 ペテロの言葉がまだ終らぬうちに、見よ、光る雲が彼ら(イエスとモーセとエリヤと)を掩い、そのとき、「これはわたしの『最愛の子、』『わたしの心にかなった。』『彼の言うことを聞け』」と言う声が雲の中から出た。
17:6 これを聞くと弟子たちは地にひれ伏して、非常に恐ろしくなった。
17:7 イエスは近寄り、彼らにさわって言われた
、「起きよ、恐れることはない。」

●これは再臨を連想させる。再臨はキリストが「雲」に乗ってくるがここは雲の中に入る。
●6節。「弟子たちは地にひれ伏して、非常に恐ろしくなった」とある。再臨も不思議な現象で「恐れ」が生じると思われる。
●パウロも天からの光に「地上に倒れた」使徒9:4 22:7 26:14)
●このエネルギーの前に「再臨論争」は吹っ飛ぶ。
●マタ17:6 をTSKで見てみよう。

●マタ 17:6

17:6 弟子たちはこれを聞いて非常に恐れ、顔を地に伏せた。

 

*「節全体」

Leviticus 9:24

24主の前から火が出て、祭壇の上の燔祭と脂肪とを焼きつくした。民はみな、これを見て喜びよばわり、そしてひれ伏した。

Judges 13:20

 20すなわち炎が祭壇から天にあがったとき、主の使は祭壇の炎のうちにあってのぼった。マノアとその妻は見て、地にひれ伏した。

Judges 13:22

 22マノアは妻に向かって言った、「わたしたちは神を見たから、きっと死ぬであろう」。

1 Chronicles 21:16

 16ダビデが目をあげて見ると、主の使が地と天の間に立って、手に抜いたつるぎをもち、エルサレムの上にさし伸べていたので、ダビデと長老たちは荒布を着て、ひれ伏した。

Ezekiel 3:23

 23そこで、わたしは立って平野に出て行った。見よ、主の栄光が、かつてわたしがケバル川のほとりで見た栄光のように、その所に立ち現れたので、わたしはひれ伏した。

Ezekiel 43:3

 3わたしが見た幻の様は、彼がこの町を滅ぼしに来た時に、わたしが見た幻と同様で、これはまたわたしがケバル川のほとりで見た幻のようであった。それでわたしは顔を伏せた。

Daniel 8:17

 17すると彼はわたしの立っている所にきた。彼がきたとき、わたしは恐れて、ひれ伏した。しかし、彼はわたしに言った、「人の子よ、悟りなさい。この幻は終りの時にかかわるものです」。

Daniel 10:7-9

 7この幻を見た者は、われダニエルのみであって、わたしと共にいた人々は、この幻を見なかったが、彼らは大いにおののいて、逃げかくれた。  8それでわたしひとり残って、この大いなる幻を見たので、力が抜け去り、わが顔の輝きは恐ろしく変って、全く力がなくなった。  9わたしはその言葉の声を聞いたが、その言葉の声を聞いたとき、顔を伏せ、地にひれ伏して、深い眠りに陥った。

Daniel 10:16-17

16見よ、人の子のような者が、わたしのくちびるにさわったので、わたしは口を開き、わが前に立っている者に語って言った、「わが主よ、この幻によって、苦しみがわたしに臨み、全く力を失いました。  17わが主のしもべは、どうしてわが主と語ることができましょう。わたしは全く力を失い、息も止まるばかりです」。

Acts 22:7

 7わたしは地に倒れた。そして、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と、呼びかける声を聞いた。

●人は人間にひれ伏してはいけない。神にひれ伏さなければならない。人間の思想や偉業にひれ伏してはいけない。
●最近出た赤江達也著「紙上の教会」と日本近代・・・無教会キリスト教の歴史社会学」(岩波書店)は内村鑑三という樹木の実である各界名士の社会的偉業に「ひれ伏している」。実を見てキリストという樹木を見てない。見えてない。

塚本訳 黙  1:7
1:7 視よ、彼は雲に包まれて来たり給う。そして凡ての(人の)目が、然り、彼を刺した者らが彼を見るであろう。そして地上のあらゆる種族は、彼の(審判の恐ろしさの)故に胸を打つ(て嘆き悲しみ、後悔する)であろう!然り、アーメン


●ここに再臨は「恐れ」であることがわかる。
●ここをTSKで見てみよう。
 
●黙  1:7

1:7 見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン。

 

*「見よ、彼は、雲に乗ってこられる。」

Psalms 97:2

2雲と暗やみとはそのまわりにあり、義と正とはそのみくらの基である。

Isaiah 19:1

 1エジプトについての託宣。見よ、主は速い雲に乗って、エジプトに来られる。エジプトのもろもろの偶像は、み前に震えおののき、エジプトびとの心は彼らのうちに溶け去る。

Daniel 7:13

 13わたしはまた夜の幻のうちに見ていると、見よ、人の子のような者が、天の雲に乗ってきて、日の老いたる者のもとに来ると、その前に導かれた。

Nahum 1:3

 3主は怒ることおそく、力強き者、主は罰すべき者を決してゆるされない者、主の道はつむじ風と大風の中にあり、雲はその足のちりである。

Matthew 24:30

 30そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。

Matthew 26:64

 64イエスは彼に言われた、「あなたの言うとおりである。しかし、わたしは言っておく。あなたがたは、間もなく、人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」。

Revelation of John 14:14-16

 14また見ていると、見よ、白い雲があって、その雲の上に人の子のような者が座しており、頭には金の冠をいただき、手には鋭いかまを持っていた。  15すると、もうひとりの御使が聖所から出てきて、雲の上に座している者にむかって大声で叫んだ、「かまを入れて刈り取りなさい。地の穀物は全く実り、刈り取るべき時がきた」。  16雲の上に座している者は、そのかまを地に投げ入れた。すると、地のものが刈り取られた。

Mark 13:26

26そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。

Mark 14:62

 62イエスは言われた、「わたしがそれである。あなたがたは人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」。

Luke 21:27

 27そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。

Acts 1:9-11

 9こう言い終ると、イエスは彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなった。  10イエスの上って行かれるとき、彼らが天を見つめていると、見よ、白い衣を着たふたりの人が、彼らのそばに立っていて  11言った、「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」。

1 Thessalonians 4:17

 17それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。

 

*「すべての人の目、」

Numbers 24:17

17わたしは彼を見る、しかし今ではない。わたしは彼を望み見る、しかし近くではない。ヤコブから一つの星が出、/イスラエルから一本のつえが起り、/モアブのこめかみと、/セツのすべての子らの脳天を撃つであろう。

Job 19:26-27

 26わたしの皮がこのように滅ぼされたのち、/わたしは肉を離れて神を見るであろう。  27しかもわたしの味方として見るであろう。わたしの見る者はこれ以外のものではない。わたしの心はこれを望んでこがれる。

Job 33:26

 26その時、彼が神に祈るならば、神は彼を顧み、/喜びをもって、み前にいたらせ、/その救を人に告げ知らせられる。

1 Thessalonians 1:10

 10そして、死人の中からよみがえった神の御子、すなわち、わたしたちをきたるべき怒りから救い出して下さるイエスが、天から下ってこられるのを待つようになったかを、彼ら自身が言いひろめているのである。

1 John 3:2

 2愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである。

Jude 14

 14アダムから七代目にあたるエノクも彼らについて預言して言った、「見よ、主は無数の聖徒たちを率いてこられた。

Revelation of John 22:4

 4御顔を仰ぎ見るのである。彼らの額には、御名がしるされている。

 

*「ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。」

Psalms 22:17

17まことに、犬はわたしをめぐり、悪を行う者の群れがわたしを囲んで、わたしの手と足を刺し貫いた。

Zechariah 12:10

 10わたしはダビデの家およびエルサレムの住民に、恵みと祈の霊とを注ぐ。彼らはその刺した者を見る時、ひとり子のために嘆くように彼のために嘆き、ういごのために悲しむように、彼のためにいたく悲しむ。

John 19:34

 34しかし、ひとりの兵卒がやりでそのわきを突きさすと、すぐ血と水とが流れ出た。

John 19:37

 37また聖書のほかのところに、「彼らは自分が刺し通した者を見るであろう」とある。

Hebrews 6:6

 6そののち堕落した場合には、またもや神の御子を、自ら十字架につけて、さらしものにするわけであるから、ふたたび悔改めにたち帰ることは不可能である。

Hebrews 10:29

 29神の子を踏みつけ、自分がきよめられた契約の血を汚れたものとし、さらに恵みの御霊を侮る者は、どんなにか重い刑罰に価することであろう。

 

*「また地上の諸族はみな、」

Matthew 24:30

30そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。

Luke 23:28-30

 28イエスは女たちの方に振りむいて言われた、「エルサレムの娘たちよ、わたしのために泣くな。むしろ、あなたがた自身のため、また自分の子供たちのために泣くがよい。  29『不妊の女と子を産まなかった胎と、ふくませなかった乳房とは、さいわいだ』と言う日が、いまに来る。  30そのとき、人々は山にむかって、われわれの上に倒れかかれと言い、また丘にむかって、われわれにおおいかぶされと言い出すであろう。

Revelation of John 6:15-17

 15地の王たち、高官、千卒長、富める者、勇者、奴隷、自由人らはみな、ほら穴や山の岩かげに、身をかくした。  16そして、山と岩とにむかって言った、「さあ、われわれをおおって、御座にいますかたの御顔と小羊の怒りとから、かくまってくれ。  17御怒りの大いなる日が、すでにきたのだ。だれが、その前に立つことができようか」。

Revelation of John 18:15-19

 15これらの品々を売って、彼女から富を得た商人は、彼女の苦しみに恐れをいだいて遠くに立ち、泣き悲しんで言う、  16『ああ、わざわいだ、麻布と紫布と緋布をまとい、金や宝石や真珠で身を飾っていた大いなる都は、わざわいだ。  17これほどの富が、一瞬にして無に帰してしまうとは』。また、すべての船長、航海者、水夫、すべて海で働いている人たちは、遠くに立ち、  18彼女が焼かれる火の煙を見て、叫んで言う、『これほどの大いなる都は、どこにあろう』。  19彼らは頭にちりをかぶり、泣き悲しんで叫ぶ、『ああ、わざわいだ、この大いなる都は、わざわいだ。そのおごりによって、海に舟を持つすべての人が富を得ていたのに、この都も一瞬にして無に帰してしまった』。

 

*「彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン。」

Judges 5:31

31主よ、あなたの敵はみなこのように滅び、/あなたを愛する者を/太陽の勢いよく上るようにしてください」。こうして後、国は四十年のあいだ太平であった。

Psalms 68:2

 2神よ、立ちあがって、その敵を散らし、神を憎む者をみ前から逃げ去らせてください。

Revelation of John 18:20

 20天よ、聖徒たちよ、使徒たちよ、預言者たちよ。この都について大いに喜べ。神は、あなたがたのために、この都をさばかれたのである」。

Revelation of John 19:1-3

 1この後、わたしは天の大群衆が大声で唱えるような声を聞いた、「ハレルヤ、救と栄光と力とは、われらの神のものであり、  2そのさばきは、真実で正しい。神は、姦淫で地を汚した大淫婦をさばき、神の僕たちの血の報復を/彼女になさったからである」。  3再び声があって、「ハレルヤ、彼女が焼かれる火の煙は、世々限りなく立ちのぼる」と言った。

Revelation of John 22:20

 20これらのことをあかしするかたが仰せになる、「しかり、わたしはすぐに来る」。アァメン、主イエスよ、きたりませ。

 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

朝の黙想終わり。再臨の光で罪の私は焼かれて滅ぼされる。しかしそこへキリストが現れて身代わりで救ってくださる。だから恐れは消える。



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終末再臨の待望は苦難の時に生じる ++++++++ 所感

2013/11/07 06:41

131107(木)朝の啓示「終末再臨の待望は苦難の時に主じる」●来月12月1日の感話準備。終末再臨の待望は年金もらって長寿健康、趣味旅行が幸福だと思っている老人には決して生じない。耳がない、目がない。だから説いても無駄。枯れて朽ちるのを待つだけだ。「耳ある者は聞け」●日本の老人福祉政策は片手落ちだ。肉の満足のためだけだ。●次に掲げるのは皆神の方から姿を現した霊であるが、みな人生追い詰められ、苦難に遭遇している、あるいは極度の悲しみに陥っているときばかりである。

塚本訳 ルカ 22:39-44
22:39 それから(都を)出て、例のとおり、オリブ山へ行かれた。弟子たち(十一人)もついて行った。(もう真夜中すぎであった。)
22:40 いつもの場所につくと、彼らに言われた、「誘惑に陥らないように祈っていなさい。」
22:41 そして自分は石を投げれば届くほどの所に離れてゆき、ひざまずいて祈って
22:42 言われた、「お父様、お心ならば、どうかこの杯をわたしに差さないでください。しかし、わたしの願いでなく、お心が成りますように!」
22:43 そのとき天から一人の天使がイエスに現われて、力づけた
22:44
イエスはもだえながら、死に物狂いに祈られた。汗が血のしたたるように(ポタポタ)地上に落ちた。

●イエスの真の苦しみは十字架の肉体の痛みでなく、このゲッセマネの「心の苦痛」であった。●この苦痛を過ぎてイエスは楽になった。天使が現れて「力づけた」のである。イエスの苦しみはこれが「山」であって、あとは楽であった。霊魂の平安があれば肉体の苦痛何のそのである。
●44節、人生、「死に物狂い」に祈ることがなければ終末再臨の信仰は生まれない。          ●全盲で難聴のHTさんをお見舞いに行ってお慰めの言葉をかけると「ナンノコレシキ」と言われた。そしてすぐ「召される日まで、召される日まで」と祈られる。字の「安らぎ」はこの世の知恵では到達できない。


塚本訳 マタ 26:49-53
26:49 そこでいきなりイエスに近寄って、「先生、御機嫌よう」と言って接吻した。
26:50 イエスはユダに言われた、「友よ、そのために来たのではあるまいが!」その時人々が進み寄って、イエスに手をかけて捕えた。
26:51 すると、見よ、イエスと一しょにいた一人の人が手をのばして剣を抜き、大祭司の下男に切りかかって片耳をそぎ落してしまった
26:52 その時イエスが言われる、「剣を鞘におさめよ。剣による者は皆、剣によって滅びる。
26:53 それとも、
父上にお願いして十二軍団以上の天使を今すぐ送っていただくことが、わたしに出来ないと思うのか。

●49節「「先生、御機嫌よう」と言って接吻した。」歴史上最高に冷たい接吻であった。嘘だ!。
●50節「友よ、そのために来たのではあるまいが!」。愛弟子ユダの豹変ぶりを嘆き悲しんだイエスの言葉。「友よ」と呼びかけるイエスの精一杯の気持ち。
●51節。「愛敵」の教えが分かっちゃーいない弟子。ここでイエスの嘆きは極まった。「もうだめだ」。
●53節。この極度の悲しみにイエスは「終末」を待望した。否、八方塞りで追い詰められ、神にすがらざるを得なくなった。終末を待望せざるを得なくなった。
●幸いなのは苦難で人生が追い詰められる人。その人は神を呼ぶ。

塚本訳 ルカ 24:13-32
24:13 するとちょうど同じ日に、二人の弟子がエルサレムから六十スタデオ[十一キロ半]離れたエマオという村へ歩いてゆきながら、
24:14 これらの出来事をあれやこれやと話し合っていた。
24:15 二人が(こうして)話したり議論したりしていると、(いつの間にか)御本人のイエスが近づいてきて、一しょに歩いておられたが、
24:16 二人は目をくらまされていので、それと気がつかなかった。
24:17 二人に言われた、「歩きながら何をそんなに論じ合っているのです。」暗い顔をして二人は立ち止まり、
24:18 一人のクレオパという方が答えた、「(見れば御巡礼のようだが、)エルサレムに滞在していながら、あなただけは、この二三日の間にそこで起ったことを何も知らないのですか。」
24:19 彼らに言われた、「なんのことです。」彼らが言った、「ナザレ人イエスのことです。──この方はだれが見ても、神の目にさえも、業に言葉に力のある預言者であったのに、
24:20 大祭司連をはじめ(最高法院の)役人たちが(ローマ人に)引き渡して死刑を宣告し、十字架につけてしまったのです。
24:21 ほんとうにわたし達は、この方こそイスラエル(の民)をあがなってくださる人だと望みをかけていたのに!そればかりが、かてて加えて、そのことがあってから、きょうはもう三日目になったのです。(もはや生き返られる望みもありません。)
24:22 ところがまた、仲間の女たちがわたし達をびっくりさせました。──この女たちは朝早く墓に行ったが、
24:23 お体が見つからずにかえって来て、天使たちがあらわれ、あの方は生きておられる、と告げたと言うのです。
24:24 そこで仲間の男が二三人墓に行って見ると、はたして女たちの言うとおり(墓は空っぽ)だったが、(生きておられるという)その方は見えなかったのです。」
24:25 彼らに言われた、「ああ、預言者たちの言ったことを何一つ信じない、悟りの悪い、心の鈍い人たちよ!
24:26 救世主は栄光に入るために、そのような苦しみを受けねばならなかったのではないのですか。」
24:27 そして(預言者)モーセから始めて、すべての預言者が御自分につき聖書全体において言っていることを説明された。
24:28 とかくするうちに目指す(エマオの)村に近づくと、なお先へ行くような様子をされたので、
24:29 二人はこう言って無理に引き留めた、「わたし達のところにお泊まりなさい。間もなく夕方で、日もはや傾いたから。」そこで彼らのところに泊まるために、(家に)入られた。
24:30 一しょに食卓について、(いつものように)パンを(手に)取り、(神を)讃美したのち、裂いて渡されると、
24:31 (その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。
24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。


●16節「目をくらまされていたので、それと気がつかなかった」。この世の人は常に目がくらまされていて神が見えない。福音がわからない。
●17節「暗い顔をしていた」人間。人は神にたどり着くまで常に「暗い顔」をしている。老人ホームの人の顔は暗い。衣食住足りていても心が暗い。目に輝きがない。 目が死んでいる。
●この世の老人対策はその真の目的を達しない。
●31-32節、「胸が熱くなった」。私は「墓が空であった」(ヨハネ20:1-10)を読んだときに急に胸が熱くなって有体的復活を信じられるようになった。肉眼で「空の墓」を見たわけではない。霊の目を開けられたのだ(荒井献、佐藤研先生ご同意ご承認、)。
●31節、「その姿が見えなくなった」。神は人の霊の目を開けると目的を達したのでイエスの姿を隠す。これは「変貌」のところでの記事でも似ている。

塚本訳 ルカ 9:34
9:34 しかしペテロがこう言い終らないうちに、雲がおこって、彼ら(イエスとモーセとエリヤと)を掩った。彼らが雲の中に入った時、弟子たちは恐ろしくなった。


●ここに「雲」が出てくる。再臨の時は「雲に乗ってくるのだがここでは雲の中に入る。

塚本訳 エペ 2:11-13
2:11 だから記憶せよ、かつて君達は肉的には「異教人」で、手で施した肉的のいわゆる割礼者から「無割礼の者」と呼ばれ、
2:12 その当時はキリスト無く、またイスラエルの民籍に縁無く、(従ってアブラハムとその子孫に対する神の大なる)約束に基づく種々な契約にも与らず、この世において希望なく、また神無き人であった。
2:13 しかしながら今やキリスト・イエスに在って、かつては『遠く』あった君達が、キリストの血によって『近く』なったのである。


●12節。「この世において希望なく、また神無き人であった。」神なき人は同時に希望なき人である。
●私の母を診てくれたホスピスの医者は「信仰のある人」は最後(死の直前)に粘れる。という。しかし粘ってもその延命期間は非常にわずかである。粘ったとしても死を免れるわけではない。

塚本訳 マタ 6:27
6:27 (だいいち、)あなた達のうちのだれかが、心配して
寿命を一寸でも延ばすことが出来るのか。

●この世の医学での延命は非常にわずか。
●それでも「やらないよりはよい」という人に限って神の力を信じていない」。社会派クリスチャン、ヒューマニズムクリスチャンがそれ。彼らには再臨信仰がないから「正統信仰」とは言えない。的外れ(罪の語源)。「神観」が違う。人を救わない。霊魂の休息という救いに導かない。残り時間を大切にせよ。


塚本訳 使  7:54-60
7:54 これを聞いて(法院にいた)人々は怒り心頭に発し、ステパノに向かって歯ぎしりした。
7:55 しかしステパノは聖霊に満ちて天をじっと見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見ると、
7:56 「おお、天が開けた、人の子が見える、神の右に立っておられる!」と言った

7:57 すると彼らは大声で叫び、(冒涜の言葉を聞くまいとして)耳をふさぎ、一せいに襲いかかって、
7:58 彼を町の外に突き出し、石で打ち殺した。証人たちはぬいだ上着をサウロという青年の足下に置い(て、番をさせ)た。
7:59 ステパノは打ち殺されながら、イエスの名を呼んで、「主イエス様、わたしの霊をお受けください」と祈り、
7:60 それからひざまずいて、大声で叫んだ
、「主よ、どうぞこの罪をこの人たちに負わせないでください!」こう言って、彼は眠りについた。

●55-56節。ステパノは石で撃ち殺されるという極限の時に展が開けてイエスが見えた。これでステパノは精神的に楽になった。肉の傷み何のそのだ。
●57節、「神の右に立っておられる」とは、イエスが雲に乗ってくるということを連想させられる。
●60節、迫害するものを赦したステパノの祈りはイエスの十字架上の祈りと同じ。


塚本訳 ロマ 8:31-36
8:31 すると、それはどういうことになるのだろうか。──神がわたし達の味方である以上、だれがわたし達に敵対できるか。
8:32 御自分の子をさえなんの惜しげもなく、わたし達みんなのために死に引き渡されたその神が、どうしてそれと共に、すべてのものをも賜わらないことがあろうか。
8:33 だれが(わたし達)神の選ばれた者を告発することができるか。神が(裁判官として)『罪なしと宣告しておられるのに。』
8:34 『だれが(わたし達を)罰することができるか。』キリスト・イエスが(わたし達の罪のために)死んで、それだけでなく復活して、いま神の右においでになって、わたし達のために執り成していてくださるのに。
8:35 (このゆえに)だれがキリストの(わたし達を愛する)愛から、わたし達を引き離すことができるか。苦しみか、悩みか、迫害か、飢えか、裸か、危険か、剣か
8:36 こう書いてある。──『あなた[神]のためにわたし達は一日中死の危険にさらされている、わたし達は屠られる羊のように考えられた。』


●34節、「それだけでなく復活して、いま神の右においでになって、わたし達のために執り成していてくださるのに。」は、イエスが天から雲に乗ってくる」ということを連想させられる。
●35節、「苦しみか、悩みか、迫害か、飢えか、裸か、危険か、剣か。」パウロの迫害は壮絶であった。創造を絶した。この苦しみが終末と再臨の信仰を生んだ。

塚本訳 Ⅰコリ16:21-23
16:21 (最後に、)パウロが自筆で挨拶する。
16:22 主を愛しない者があるなら、呪われよ!、マラナ、サ(主よ、来てください)!
16:23 主イエスの恩恵、あなた達と共にあらんことを。


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朝の黙想おわり。東北大震災と福島原発の苦難は私に終末再臨の信仰を教えてくれた。
 
12:00 妻と「ふれあいコンサート」。バッハ、フランス組曲他
14:50 昭和女子大建築講義
18:30 高校次回同窓会幹事のため、準備に入る。すでに3名逝去。



















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家庭内の悩みは負わされる十字架 ++++++++ 所感

2013/11/06 06:46

131106(水)朝の啓示「家庭内の悩みは負わされる十字架」●「十字架を負う」とは自分より離れたところの国家、組織の不義を負わされることではなく、ごく身近な家庭内不和争いが真の十字架である。神はこの十字架を人に負わせることを以って全世界にジワジワと福音を伝えようとされるのである。●「地の果てまで福音を宣べ伝えよ」(マタ28:19)とあるが、その「地の果て」とは自分の家庭、自分の親族のことである。●今朝はこれに関する聖書を黙想しよう。

塚本訳 ルカ 9:22-23
9:22 そして、「人の子(わたし)は多くの苦しみをうけ、長老、大祭司連、聖書学者たちから排斥され、殺され、そして三日目に復活せねばならない。(神はこうお決めになっている)」と言われた。
9:23 それから今度は皆に話された、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、毎日自分の十字架を負い、それからわたしに従え。


●23節に「自分の十字架」という言葉がある。自分の家、自分の親族の恥ずかしいこと、親しい友にも言えないことが「自分の十字架」である。個人情報の秘密、敷居の外に出したくない恥ずかしいこと、ゴタゴタが「自分の十字架」である。聖書、しかも福音書、しかもイエスの言葉にこれがあるからには「自分の十字架」という誰にも話したくない悩みは「公認」の悩み、クリスチャン宿命の悩みである。この悩みなくしてクリスチャンの資格はない。「だれでも私について来ようと思う者」と」ある。
●「毎日十字架を負え」というのは「生涯十字架を負え」ということだ。十字架は重くはなっても軽くはならない。!
●23節、「(まず)己をすてて」とある。私が見聞きし、遭遇した「家庭内ゴタゴタ」の原因の多くは「金」である。遺産相続の争いである。骨肉の争いになる。自分も世の人と同じに金に執着していては十字架を負うということにはならない。
●ユダがイエスを売るようになった原因は「金」の使い方である。(また26:7-9)。金は争いのもとである。
●内村鑑三が最初の妻タケ(新島襄に紹介された飛んでる女だった)と喧嘩して別れるようにになったのも「金」であった。


塚本訳 Ⅰテモ3:3-4
3:3 酒好き喧嘩好きでなく、むしろ優しく、喧嘩嫌いで、金銭を欲しがらず
3:4 自分の家をよくおさめ、きわめて謹厳で、その子女達が従順な者でなければならぬ。

塚本訳 Ⅰテモ6:10
6:10 あらゆる悪の根は金を欲しがることにあるから。或る人はこれに憧れて信仰から迷い、多くの苦痛で自分を刺し通した。



塚本訳 ヘブ 13:5
13:5 金銭を愛せぬ生活をせよ。(現在)もっているもので満足せよ。神がこう言われたからである、『わたしは決してあなたを見殺しにしない、また決してあなたを見捨てない』と。


●しかし人に説教できない。私は「もう少し小遣いほしいなー」と思っているからだ。(笑)

塚本訳 マタ 10:34-35
10:34 地上に平和をもたらすためにわたしが来た、などと考えてはならない。平和ではない、剣を、(戦いを)もたらすために来たのである。
10:35 わたしは子を『その父と、娘を母と、嫁を姑と』仲違いさせるために来たのだから。

 
●キリスト教はこの世の平和実現教ではない。 神との平和、霊魂の安息を目的とする。

塚本訳 マタ 10:21
10:21 また兄弟は兄弟を、父は子を、殺すために(裁判所に)引き渡し
、『子は親にさからい立って』これを殺すであろう。

●クリスチャンは信仰に熱心になればなるほどこの世の人に理解されず、亀裂が深まる。

塚本訳 ロマ 8:24-27
8:24 なぜなら、わたし達は(最後の日に救いが完成されるという)望みをもって、救われているからである。目に見ることのできる望みは望みではない。人はいま現に見ているものを、なんでその上望む必要があろうか。
8:25 しかしわたし達が見ていないものを望むとすれば、忍耐をもって待たねばならない。
8:26 しかし(創造物やわたし達神の子が苦しんでいると)同じように、御霊も、弱いわたし達を助けてくださる。すなわち、(神のみ心にかなうには)どう何を祈るべきかわからないので、御霊自身が、無言の呻きをもって(わたし達の祈りを神に)執り成してくださるのである。
8:27 しかし(人の)心を見抜くお方[神]は、御霊が何を求めているか、すなわち、御霊が神の御心にかなうように聖徒たちのために執り成しておられることを、(もちろん)御存じである。


●我々の希望は最後の日の完成。それまでは地上の平和は無理。しかし神は十字架を知ってくださる。負ってくださる。

塚本訳 マタ 26:63-64
26:63 しかしイエスは黙っておられた。大祭司が言った、「生ける神に誓ってわれわれにこたえよ。お前が、神の子救世主か。」
26:64 イエスは(はじめて口を開いて)彼に言われる、「(そう言われるなら)御意見にまかせる。だが、わたしは言う、あなた方は今後『人の子(わたし)が』『大能の(神の)右に坐り、』『天の雲に乗って来るのを』見るであろう。」


●肉の人間の言葉(それは水平方向)では信仰、救い、再臨のことはわからない。終末の日の神による輝き(それは垂直方向)ではじめてわかる。

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朝の黙想 終わり。福音の宣教は人間の力では無理。マラナ・サ。(主よ来りたまえ)。

●妻は婦人たちの読書会。塚本虎二著作集。信仰は細く長くが尊い。
●その後、日本民藝館で開催されている「柳宗理の見てきたもの」展に行く。
●TSK日本語版エズラ記5章









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終末の日の輝き ++++++++ 所感

2013/11/05 08:42

131105(火)3時半、目覚めの啓示「終末の日の輝き」●終末の日にキリストが雲に乗ってくるということがどうしてもわからなかったが、今朝の啓示でその悩みが消えた。●雲に乗ってくるというが、地球上のどこにそれが起こるのかがどうしても頭に入らなかった。 雲は霧なので乗れない。

塚本訳 マタ 26:63-64
26:63 しかしイエスは黙っておられた。大祭司が言った、「生ける神に誓ってわれわれにこたえよ。お前が、神の子救世主か。」
26:64 イエスは(はじめて口を開いて)彼に言われる、「(そう言われるなら)御意見にまかせる。だが、わたしは言う、あなた方は今後『人の子(わたし)が』『大能の(神の)右に坐り、』『天の雲に乗って来るのを』見るであろう。」


●「雲に乗ってくる」というのは宗教界のトップ、サンヘドリンに対して言っている。異教のピラトには言ってない。
●ユダヤ教のトップの方がまだ脈があると思ったのか。政治家ピラトには言っても無駄。

塚本訳 マタ 24:15-31
24:15 それで、預言者ダニエルをもって言われた『(聖なる所を)荒らす忌わしいものが聖なる所に』立つのを見たら[読者はここに隠された意味をよく考えるがよい]、
24:16 その時ユダヤ(の平地)におる者は(急いで)山に逃げよ。
24:17 屋根の上におる者は、下におりて家にある物を取りだそうとするな。
24:18 畑におる者は上着を取りに『(家に)もどる』な。
24:19 それらの日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、ああかわいそうだ!
24:20 逃げるのが冬や安息日にならないように祈れ。
24:21 その時、『世の始めから今日までになかった、』また(これからも)決してない『ような、』大きな『苦難が』臨むのだから。
24:22 もしそれらの(苦難の)日が短くされなかったら、だれ一人助かる者はあるまい。しかし選ばれた人々のために、それらの日が短くされるであろう。
24:23 その時『そら、ここに救世主が』とか、『ここに』とか言う者があっても、信ずるな。
24:24 偽救世主たち、『偽預言者たちが』あらわれて、大がかりな『奇蹟や不思議なことをして、』あわよくば、選ばれた人々までも迷わそうとするのだから。
24:25 この通り、あなた達には前もって言っておく。
24:26 だから、たとえ『そら、(救世主は)荒野にいる』と言う者があっても、出て行くな。『そら、奥の部屋に』と言っても、信ずるな。
24:27 人の子(わたし)の来臨は、ちょうど稲妻が東から西に輝きわたるよう(に、はっきりわかるの)であるから。
24:28 死骸のある所には、どこにでも鷲が集まる。
24:29 それらの苦難の日の後に、たちまち『日は暗く、月は光を放たず、』『星は』天から『落ち、もろもろの天体が』震われるであろう。
24:30 するとその時、人の子(わたし)の徴が天に現われる。するとその時、『地上の民族はことごとく(これを見て)悲しむであろう。』そして『人の子(わたし)が』大いなる権力と栄光とをもって、『天の雲に乗って来るのを』見るであろう。
24:31 すると(その時、)人の子は『大いなるラッパの響きと共に』自分の使いたちをやって、『天のこの果てからかの果てまで』『四方から、』選ばれた人々を『集めさせるであろう。』


●イエスが予言した終末再臨の日の現象は「不思議」なことなのだ。3次元人間の頭には入らない。考えてもわからない。考えた結果信ずるものではない。ウムを言わせずにわかるというのだ。
●しかし、光が輝くということが特徴で、それは3次元人間にもわかることだというのだ。それが28節の「死骸のある所には、どこにでも鷲が集まる。」
●終末再臨の日には「光」が「輝きわたる」(27節)のだ。それと「人の子(わたし)が雲に乗って来る」というのは同質。つまり不思議な現象ではあるが、そのとき「はっきり」わかると言うのだ。
●30節。それを見る諸民族は悲しむというのは、黙示録の次の箇所に連動する。

口語訳 黙  1:7-8
1:7 見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン。
1:8 今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者、全能者にして主なる神が仰せになる、「わたしはアルパであり、オメガである」。


●キリストを殺した人類は「胸を打って」嘆く。つまり「神の子を殺したことは間違っていた」と悟るのだ。
●それまではどんなに説明してもイエスがキリスト、神の子であることはわからない。だからイエスはサンへドリン(マタ26:62-63、ルカ22:66-68))でもヘロデの前でも(ルカ23:9-11)、ピラトの前でも(ヨハ19:10)「何も答えなかった」。
●それhが4次元世界の言語を3次元世界の言語に訳せないのと同じだから。である。3次元人間を馬鹿にしているのではない。次元が違うのだ。
●その光というものはどういうものかを垣間見たのがパウロである。

塚本訳 使  9:3-9
9:3 ところが進んでいってダマスコに近づくと、突然、天から光がさして彼のまわりを照らした。
9:4 彼は地上に倒れ、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と言う声を聞いた。
9:5 サウロが言った、「主よ、あなたはどなたですか。」彼がいわれた、「わたしだ、あなたが迫害しているイエスだ。
9:6 さあ起きて、町に入れ。そうすれば、せねばならぬことが告げられる。」
9:7 一緒に来た者たちは唖然としてそこに立っていた。声は聞いたが、だれも見えなかったのである。
9:8 サウロは地から起きあがって目をあけたが、何も見えなかった。人々が手を引いて、ダマスコにつれて行った。
9:9 三日のあいだ目が見えず、また食べも飲みもしなかった。


●キリストの光にパウロは目が潰れた。あまりに強い光であったのであろう。
●建築の現場にいた時、電気溶接の光を直接見て目を傷めたことがある。

塚本訳 使  22:6-9
22:6 ところが進んでいってダマスコに近づくと、昼ごろ、突然、天から強い光がさしてわたしのまわりに輝いた。
22:7 わたしは地べたに倒れて、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と言う声を聞いた。
22:8 わたしは答えた、『主よ、あなたはどなたですか。』わたしに言われた、『わたしだ、君が迫害しているナザレ人イエスだ。』
22:9 連れの者たちは光は見えたが、わたしにお話になる方の声は聞こえなかった。

●これは不思議なこと。パウロの連れの人は光は見えたが、声は聞こえなかった。
●つまり、キリストの再臨も新聞記事にはならないのだ。個人的に示されるのか。

塚本訳 使  26:12-13
26:12 こんな次第で、わたしは大祭司連から全権と委任とを受け、(迫害のため)ダマスコに進んでゆくと、
26:13 王よ、
昼に、途中で、天から輝く太陽にもまさる光がさして、わたしと、同行の者たちとのまわりを照らすのを見ました。

●それは「太陽にもまさる光」と言うのだ。13節。イエスの予言「輝きわたる光」とはきっとこういうことなのだろう。それは信者不信者の区別はなく見えるようだ。

●次は「変貌」の奇跡。キツネがうっかり尻尾を見せてしまったようにイエスも本来の姿を見せた。 ペテロとヤコブに見られてしまった。

塚本訳 マタ 17:1-2
17:1 (それから)六日の後、イエスはペテロとヤコブとその兄弟のヨハネだけを連れて、高い山にのぼられた。
17:2 すると彼らの見ている前でイエスの姿が変った。顔は太陽のように照りかがやき、着物(まで)が光のように白くなった


●2節「太陽のように照り輝いた」とは終末の再臨の様子を思わされる。


塚本訳 マコ 9:2-3
9:2 (それから)六日の後、イエスはただペテロとヤコブとヨハネだけを連れて、高い山にのぼられた。すると彼らの見ている前でイエスの姿が変った。
9:3
着物(まで)が真っ白に輝きだし、この世のどんな晒し屋でも、これほど白くは出来ないくらいであった。

3節「真っ白に輝きだした」とは終末再臨の輝きの先取り。


塚本訳 ルカ 9:28-29
9:28 これらの言葉を語られた後、八日ばかりして、ペテロとヨハネとヤコブとを連れて、祈るために山に上られた。
9:29
祈っておられるうちに、お顔の様子がちがってきて、着物(まで)が白く光り出した。

●29節「白く光りだした」。イエスは本来の姿を見られてしまった。「鶴の恩返し」の鶴と同じ。

塚本訳 マコ 9:9-10
9:9 山を下りながら、イエスは、人の子(わたし)が死人の中から復活する時でなければ、いま見たことをだれにも話してはならないと彼らに命じられた
9:10 彼らはこの言葉をかたく守ったが、互の間では(人の子が)死人の中から復活するとは、いったい何事だろうと評議をしていた。


●「鶴の恩返し」では姿を見られてしまった鶴は天に帰って行く。
●イエスは「黙っていろ」と命令した。


塚本訳 ルカ 9:34-36
9:34 しかしペテロがこう言い終らないうちに、雲がおこって、彼ら(イエスとモーセとエリヤと)を掩った。彼らが雲の中に入った時、弟子たちは恐ろしくなった。
9:35 すると「これはわたしの『選んだ子、』『彼の言うことを聞け』」と言う声が雲の中から聞えてきた。
9:36 声がきこえた時、見ると(そこには)イエスだけがおられた。彼らはそのころ口をつぐんで、見たことを一切、だれにも話さなかった。


●34節。ここに「雲」が出てくる!!。再臨とは逆。雲の中に入った。
●この変貌の記事を本当だと信じられない人は「天の雲に乗ってくる」という再臨を信じられない。
●イエスが水の上を歩いたことを信じられない人は同じく「人の子が天の雲に乗ってくる」ということも信じられない。

塚本訳 マタ 5:14
5:14 あなた達は世の光である。山の上にある町は隠れていることは出来ない


●これは終末の光の匂いがする。

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朝の黙想終わり。感謝 。再臨の難問が解決して休心した。

●09:00 池谷医院、薬局、ATM、郵便局、図書館 ,すべて徒歩。
●12:30 妻は中野の愛子の家に手伝いに出発
●13:00 2014年賀状原稿準備。
●13:20 TSK日本語版エズラ記4章。
●プリンツラーの名著「イエスの裁判」の結語を読んで感動した。「イエス殺害の責任者はユダヤ人だけのことでもでもなくローマ人だけのことでもなく、われわれ自身も共に罪を負うべきだ。」というもの。そして罪を赦してくださる神に感謝しなければならないと言う。

塚本訳 ルカ 23:34
23:34 するとイエスは言われた
、「お父様、あの人たちを赦してやってください、何をしているか知らずにいるのです。」


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幼稚園の生徒。こういう場面を見ると「少子化」の不安は和らぐ。
神は人を産もう産もうとされる。














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再臨は要求、希望、慰め ++++++++ 所感

2013/11/04 09:24

131104(月)爆睡して6時半の目覚め●朝の啓示「再臨信仰の聖書的根拠・・・再臨は要求、希望、慰め」●今やキリスト教界から初代教会のような生き生きとした再臨信仰は消え失せた。なぜか。答えは簡単。その要求がないからである。現代人は結構「この世」で幸福だからだ。●しかし個人としては誰も人知ではどうしようもない、行き詰まりや「死」に直面すると再臨を要せざるをえない。●宗教に走ることを嫌って「天は自ら助けるものを助く」たと思って「人間の力を信じ」奮闘努力、がむしゃらに運動する人(無神論のマルキストがこれ)はマーあれこれやってみるべきだ。ダメなら悔いて神に目を向けるべきだ。「向上しようとする者は迷うものだ」とゲーテも言う。「信仰などは弱い人間の信ずるものだ」などと思うものは思え。それは無教養野蛮人間の言うことだ●次回12月1日の感話はこれにしよう。実例として、再臨信仰で捕まった鈴木弼美、浅見仙作にも触れよう。この二名のことは昨秋と今秋の岩波「世界」に記事があるが、ライターは実(抵抗運動)を見て木(キリストの命)を見てない。しかしその前に第一次世界大戦でキリスト教国同士が戦争するようになったことに悲しんだ内村鑑三の例もある。●再臨信仰はその背景を知る必要がある。罪、病気、貧困、別れ、行き詰まり、争い、死、」。このうち最も深刻で人間の手に負えないものは「罪」である。過ぎ去った過去は人間に絶対取り戻せない。それが出来るのは神のみ。そうだ人間は生まれなおすことが出来るのだ。●再臨信仰について自分の頭に浮かぶものを掲げる。

塚本訳 ルカ 22:66-71
22:66 朝になると、国の元老院、すなわち大祭司連や、聖書学者たちが集まって、イエスを彼らの法院の議場に引いていって
22:67 言った、「お前が救世主なら、そうだとわれわれに言ってもらいたい。」彼らに答えられた、「言っても、とても信じまいし、
22:68 尋ねても、なかなか返事ができまい。
22:69 しかし今からのち、『人の子(わたし)は大能の神の右に坐って』いる。」
22:70 皆が言った、「ではお前が、神の子か。」彼らに言われた、「そうだと言われるなら、御意見にまかせる。」
22:71 すると彼らが言った、「これ以上、なんで証言の必要があろう。われわれが(直接)本人の口から聞いたのだから。」


●69節の「しかし」以下がが4次元の再臨のこと。
●「高橋の話は途中からスッとわからなくなる」という批判を聞いた。当たり前だ。3次元人間には4次元のことはわからないのだ。わかってたまるか。分かるはずはない。
●4次元の再臨のことを3次元に翻訳しようとすれば「人権、ヒューマニズム、世界平和思想」などになり、翻訳するとキリスト教は急にその真の力を失う。

塚本訳 マタ 26:62-64
26:62 そこで大祭司は立ち上がってイエスに言った、「何も答えないのか。この人たちは(あんなに)お前に不利益な証言をしているが、あれはどうだ。」
26:63 しかしイエスは黙っておられた。大祭司が言った、「生ける神に誓ってわれわれにこたえよ。お前が、神の子救世主か。」
26:64 イエスは(はじめて口を開いて)彼に言われる、「(そう言われるなら)御意見にまかせる。だが、わたしは言う、あなた方は今後『人の子(わたし)が』『大能の(神の)右に坐り、』『天の雲に乗って来るのを』見るであろう。」


●62節「何も答えないのか」。4次元の再臨のことは3次元人間に翻訳できない。
●64節「だが」以下が4次元の再臨のこと。


塚本訳 マタ 27:22-25
27:22 ピラトが言う、「では、救世主と言われるイエスをどうしようか。」みんなが、「十字架につけるのだ」と言う。
27:23 ピラトは言った、「いったいどんな悪事をはたらいたというのか。」しかし人々はいよいよ激しく、「十字架につけるのだ」と叫びつづけた。
27:24 ピラトは(自分のすることが)なんの甲斐もないばかりか、かえって騒動が起りそうなのを見て、水を取り寄せ、群衆の前で手を洗って言った、「わたしはこの人の血(を流すこと)に責任をもたない。お前たちが自分で始末しろ。」
27:25 民衆全体が答えた、「その男の血のことなら、われわれが孫子の代まで引き受けた。」


●23節「いったいどんな悪事をはたらいたというのか。」。鈴木弼美も浅見仙作も刑事事件に抵触するような「悪事」は働いてなかった。3次元人間である特高の限界。捕まえられない。その前に再臨のことは分からない。チンプンカンプン。

塚本訳 ルカ 23:9-11
23:9 それで言葉をつくして問いかけたが、イエスは何もお答えにならなかった。
23:10 大祭司連と聖書学者たちは(わきに)立って、必死になってイエスを訴えた。
23:11 (埒があかないのに業を煮やした)ヘロデは兵隊と一しょになって、イエスに侮辱を加えたり、なぶったりしたあげく、派手な着物をきせてピラトに送りかえした。


●11節「(埒があかないのに業を煮やした)」。鈴木弼美も浅見仙作の場合は取り調べの特高は「埒が明かなかった。3次元人間に4次元の再臨のことはわからないのが真理。

塚本訳 マタ 26:52-54
26:52 その時イエスが言われる、「剣を鞘におさめよ。剣による者は皆、剣によって滅びる。
26:53 それとも、父上にお願いして十二軍団以上の天使を今すぐ送っていただくことが、わたしに出来ないと思うのか。
26:54 しかしそれでは、かならずこうなる、とある聖書の言葉は、どうして成就するのか。」


●53節「天使を今すぐ送っていただくことが、わたしに出来ないと思うのか。 」再臨は「今すぐにも思うものだ。イエスが追い詰められた時の心境。

塚本訳 ルカ 23:40-43
23:40 するともう一人の者が彼をたしなめて言った、「貴様は(このお方と)同じ(恐ろしい)罰を受けていながら、それでも(まだ)神様がこわくないのか。
23:41 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる。」


●42節「この強盗は死に臨んで「こんどあなたのお国と共にお出でになる時には」と再臨に望みを賭けた。これでいいのだ。これでいいのだ。

塚本訳 Ⅰコリ7:29-31
7:29 兄弟たちよ、わたしが言うのはこのことである。──時は迫った。(だから)今から後は、妻を持つ者は持っていない者のように、
7:30 泣いている者は泣いていない者のように、喜んでいる者は喜んでいない者のように、(物を)買う者は(何も)持っていない者のように、
7:31 (つまり、)この世と交渉のある者は交渉がない者のように、しなくてはいけない。この世の姿は(じきに)消え去るのだから。


●29節。「時は迫った」。これがパウロの根本意識。つまらないことはやっていられないということだ。●人間も必ず残り人生ががある。
●昨日の無教会全国集会の分科会は「青年と職業」にでた。そこで「死の認識」が話題に出て私は「ハイデッガーの言葉に『人は誰でも死という壁にに向かって歩くものだが、誰もがそのことは自分にとってはずっと先のことだ』と思っている」を引用して、「青年こそ『終わり』を感じて生きるべきだ」と発言した。

塚本訳 Ⅰコリ16:21-24
16:21 (最後に、)パウロが自筆で挨拶する。
16:22 主を愛しない者があるなら、呪われよ!、マラナ、サ(主よ、来てください)!
16:23 主イエスの恩恵、あなた達と共にあらんことを。
16:24 わたしの愛はキリスト・イエスにおいてあなた達一同と共にある。


●22節。「マラナ、サ(主よ、来てください)!」がクリスチャンの正常な人生観。
●私は東日本大震災と東電福島第一原発事故の時に、生まれて初めて終末再臨を祈った。それは要求であり、希望であり、慰めであった。
●地震と原発事故がなければ私に「再臨信仰」は生まれなかった。
●年金貰って趣味に遊んでいる人間に「再臨」の信仰は分からない。不老不死の国の人間が生命保険勧誘員の話に耳を傾けないのと同じである。


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朝の黙想  終わり

●TSK日本語版エズラ記3章。目次にリンクできない。



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集会感話「イエスの裁判に学ぶ」 ++++++++ 所感

2013/11/03 20:50

131103(日)本日の感話「イエスの裁判に学ぶ」。●集会は宮崎、小寺(塚本講演エペソ書)、高橋(「イエスの裁判に学ぶ」)。妻は無教会全国集会 。私は午後から。

11月3日集会感話
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イエスの裁判に学ぶ 

人類は総掛りで神の子を殺した。その犠牲死で神の義は満足した          2013113日 東京聖書読者会 高橋照男

 

①殺害計画の主犯はユダヤ人一般民衆と宗教家。処刑はローマ

 

<ユダヤ責任論A。 地上の王を待望した一般民衆の期待外れ。>

1)塚本訳 マタ 27:39-42

27:39 通りかかった人々が『頭をふりながら、』イエスを冒涜して

27:40 こう言った、「お宮をこわして三日で建てるという人、自分を救ってみろ。神の子なら、十字架から下りてこい。」

27:41 同じように大祭司連も、聖書学者、長老と一しょに、こう言ってなぶった、

27:42 「あの男、人は救ったが、自分は救えない。イスラエルの王様じゃないか。今すぐ十字架から下りてくるがよい。そうしたら信じてやるのに!

 

2)塚本訳 マタ 26:7-9

26:7 一人の女が非常に価の高い香油のはいった石膏の壷を持って近寄り、食卓についておられるイエスの頭に(香油をすっかり)注ぎかけた。

26:8 弟子たちはこれを見て、憤慨して言った、「なぜこんなもったいないことをするのだろう。

26:9 これは高く売れて、貧乏な人に施しが出来たのに。

 

3)塚本訳 マタ 26:14-16

26:14 そのあと、イスカリオテのユダという十二人の(弟子の)一人が大祭司連の所に行って

26:15 「いくらくれますか、あの男をあなた達に売ってもいいが」と言った。『彼らは(シケル)銀貨三十枚[六万円]を払い渡した。

26:16 この時からユダは、イエスを引き渡すよい機会をねらっていた

 

<ユダヤ責任論B。 律法の頑迷遵守がイエスの言動を涜神罪だとした。 >

1)塚本訳 ヨハ 5:18

5:18 このためユダヤ人は、いよいよイエスを殺そうと思った。安息日を破るばかりでなく、神を自分の父と言って、自分を神と等しくされたからである。

 

2)塚本訳 ヨハ 19:6-7

19:6 すると大祭司連や下役らはイエスを見て、「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫んだ。(イエスのみじめな滑稽な姿を見ては、さすがのユダヤ人も心をやわらげるであろうという、ピラトの当てははずれた。)ピラトが言う、「(もし、そうしたければ、)お前たちがこの人を引き取って、十字架につけたらよかろう。この人には罪を認められない。」

19:7 ユダヤ人が答えた、「われわれには律法があって、その律法によると、当然死刑です。神の子気取りでいるのだから。

 

<ユダヤ責任論C。 イエスの人気に対する宗教家の妬みと地位失墜恐怖>

1)塚本訳 ヨハ 11:45-48

11:45 すると、マリヤの所に来てイエスのされたことを見たユダヤ人のうち、多くの者は彼を信じた。

11:46 しかし中には(彼を信ぜず、)パリサイ人の所に行って、イエスのされたことをあれこれと報告した者もすこしあった。

11:47 そこで大祭司連とパリサイ人は最高法院を召集して言った、「どうすればよいだろう、あの男はたくさん徴[奇蹟]をしているのだが。

11:48 もしこのまま放っておけば、皆があれを信じ(て王に祭り上げ)るであろう。すると騒動が起り、ローマ人が来て、われわれから(エルサレムの)都も国民も、取ってしまうにちがいない。

 

2)塚本訳 マタ 26:65-66

26:65 そこで大祭司は自分の上着を引き裂いて言った、「冒涜だ!これ以上、なんで証人の必要があろう。諸君は今ここに(おのれを神の子とする許しがたい)冒涜を聞かれた。

26:66 (この者の処分について)お考えを承りたい。」「死罪を相当とする」と彼らが答えた。

 

3)塚本訳 マコ 11:17-18

11:17 それからこう言って教えられた、「『わたしの家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである』と(聖書に)書いてあるではないか。ところがあなた達はそれを『強盗の巣』にしてしまっている。」

11:18 大祭司連と聖書学者たちはこれを聞いて、どうしてイエスを殺そうかと(その手段を)考えていた。民衆が皆その教えに感心しきっていたので、イエス(の勢力)を恐れたのである。

 

3)塚本訳 マタ 27:20

27:20 しかし大祭司連、長老たちは、バラバの命乞いをして、イエスを殺してもらえと群衆を説きつけた。

 

<ローマ責任論。 ユダヤ人の脅迫に屈した役人ピラトの「地位保身術」>

1)塚本訳 ルカ 23:1-2

23:1 そこで法院全体が立ち上がって、イエスを(総督)ピラトの前に引いていって、

23:2 「われわれはこの男が国民を惑わし、皇帝に貢を納めることを禁じ、かつ、自分が救世主、すなわち王だと言っていることを確かめた」と言って訴え始めた。

 

2)塚本訳 マタ 27:17-18

27:17 ピラトは人々が集まってきたとき言った、「どちらを赦してもらいたいか、バラバ(・イエス)か、救世主と言われるイエスか。」

27:18 ピラトは人々が妬みからイエスを引き渡したことを知っていたのである。

 

3)塚本訳 マタ 27:22-25

27:22 ピラトが言う、「では、救世主と言われるイエスをどうしようか。」みんなが、「十字架につけるのだ」と言う

27:23 ピラトは言った、「いったいどんな悪事をはたらいたというのか。」しかし人々はいよいよ激しく、「十字架につけるのだ」と叫びつづけた。

27:24 ピラトは(自分のすることが)なんの甲斐もないばかりか、かえって騒動が起りそうなのを見て、水を取り寄せ、群衆の前で手を洗って言った、「わたしはこの人の血(を流すこと)に責任をもたない。お前たちが自分で始末しろ。」

27:25 民衆全体が答えた、「その男の血のことなら、われわれが孫子の代まで引き受けた。」

 

4)塚本訳 ヨハ 19:11-12

塚本訳 ヨハ 19:11

19:11 イエスは答えられた、「あなたは上[神]から授けられないかぎり、わたしに対してなんの権力もない。だから(あなたの罪はまだ軽いが、)わたしをあなたに売った者[ユダ]の罪は、あなたよりも重い。(あなたは官憲として神の命令を行なうだけだが、彼は自分の発意でやったのだから。」

19:12 このためにピラトは(ますます恐ろしくなり、なんとかして)彼を赦そうと思ったが、ユダヤ人が叫んだ、「この男を赦せば、あなたは皇帝の忠臣ではない。自分を王とする者はだれであろうと、皇帝の敵である。(それを助けるのだから。)

 

<ユダヤ・ローマ共同責任論。 イエスを涜神罪から政治犯に故意に変更>

1)塚本訳 マタ 27:1-2

27:1 夜が明けると、大祭司連、国の長老たち(全最高法院)は満場一致でイエスを死刑にする決議をした

27:2 それから彼を縛り、引いていって総督ピラトに渡した

 

2)塚本訳 ヨハ 18:31

18:31 ピラトが言った、「(はっきりした罪名のないところを見ると、わたしが手を下すほどの事件ではなさそうだ。)お前たちがあれを引き取って、自分の法律で裁判するがよい。」ユダヤ人が(とうとう本音を吐いて)言った、「われわれには人を死刑に処する権限がありません。

 

3)塚本訳 ヨハ 19:10

19:10 するとピラトが言う、「このわたしに口をきかないのか。わたしはお前を赦す権力があり、お前を十字架につける権力があることを、知らないのか。

 

4)塚本訳 ヨハ 19:19-22

19:19 ピラトはまた捨札を書いて十字架の上に掲げさせた。ナザレ人イエス、ユダヤ人の王と書いてあった。

 

<聖書の中心的使信。 「神の子殺し」は人類全体の責任。福音書の構造>

1)塚本訳 使  10:37-40(ペテロの説教 ●A~Dが福音書の4本柱)

A) 10:37 あなた達は(洗礼者)ヨハネが洗礼を説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ中にゆきわたった出来事を知っておられる。

B) 10:38 すなわち、『神が』いかに聖『霊』と(大いなる)力と『をもって』ナザレのイエスに『油を注がれ(て聖別され)た』か、このイエスが(あちらこちらを)巡回しながら、恩愛を施し、悪魔におさえつけられている者を皆直されたかを。神がご一緒におられたからです。

C) 10:39 ──(使徒たる)わたし達は、イエスがユダヤ人の地、ことにエルサレムでされた一切のことの証人です。──このイエスを人々は『(十字架の)木にかけて』処刑した。

D) 10:40  (しかし)神はこの方を三日目に復活させ、(人の目にも)見えるようにされた。

 

②世の裁判に対するイエスの態度は沈黙。信仰は裁判官には不明

1)塚本訳 ルカ 22:66-71

22:66 朝になると、国の元老院、すなわち大祭司連や、聖書学者たちが集まって、イエスを彼らの法院の議場に引いていって

22:67 言った、「お前が救世主なら、そうだとわれわれに言ってもらいたい。」彼らに答えられた、「言っても、とても信じまいし、

22:68 尋ねても、なかなか返事ができまい

 

2)塚本訳 マタ 26:62-63

26:62 そこで大祭司は立ち上がってイエスに言った、「何も答えないのか。この人たちは(あんなに)お前に不利益な証言をしているが、あれはどうだ。」

26:63 しかしイエスは黙っておられた。大祭司が言った、「生ける神に誓ってわれわれにこたえよ。お前が、神の子救世主か。」

26:64 イエスは(はじめて口を開いて)彼に言われる、「(そう言われるなら)御意見にまかせる。だが、わたしは言う、あなた方は今後『人の子(わたし)が』『大能の(神の)右に坐り、』『天の雲に乗って来るのを』見るであろう。」

 

3)塚本訳 ルカ 23:9-11

23:9 それで言葉をつくして問いかけたが、イエスは何もお答えにならなかった。

23:10 大祭司連と聖書学者たちは(わきに)立って、必死になってイエスを訴えた。

23:11 (埒があかないのに業を煮やした)ヘロデは兵隊と一しょになって、イエスに侮辱を加えたり、なぶったりしたあげく、派手な着物をきせてピラトに送りかえした。

 

4)口語訳 イザ 53:7

53:7 彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった

 

5)塚本訳 使  8:30-21

8:30 ピリポが駈けよってゆくと、その人がイザヤ預言書を読んでいるのが聞こえたので、たずねた、「どうです、読んでおられるところが読めていますか。」

8:31 彼がこたえた、「だれかに手引をしてもらわねば、とてもわたしには読めません。」そして(車に)乗って一緒に坐ってもらいたいとピリポに頼んだ。

8:32 読んでいた聖書の文句はこれであった。『屠り場に引いてゆかれる羊のように、毛を切る者の前に黙っている小羊のように、彼は口を開かない。

 

6)塚本訳 Ⅰペテ2:23

2:23 彼は悪口されても悪口し返さず、苦しめられても脅(おびや)かさずして、正しく審き給う者に裁量を任せ給うた。

 

③人類がキリストを殺害した過ちは、終末再臨の時に神が教える

1)口語訳   1:8

1:7 見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろうまた地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン。

 

2)塚本訳   16:7

16:7 すると私は祭壇が(これに応えて)言うのを聞いた、「然り、主なる神よ、全能者よ、汝の審判は真実にして義しい!

 

3)塚本訳 ヨハ 13:7

13:7 イエスが答えて言われた、「わたしが何をしているのか、いまはあなたにわからない。(わたしがいなくなった)あとでさとるだろう。」

 

4)文語訳 ヨハ 12:24

12:24 誠にまことに汝らに告ぐ、一粒の麥、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし

 

④パウロの裁判に学ぶ。復活と再臨の希望は世の人には不可解。

1)塚本訳 マタ 10:18-19

10:18 また、あなた達はわたし(の弟子であるが)ゆえに、総督や王の前に引き出されるであろうこれは、その人たちと異教人とに(福音を)証しする(機会を与えられる)ためである

10:19 人々があなた達を(裁判所や役人に)引き渡した時には、いかに、何を言おうかと心配するな。何を言うべきかは、その時に(神から)授かるのだから。

 

2)塚本訳 使  17:32

17:32 死人の復活と聞くと、嘲る者もあり、「そのことはまたいつかあなたに聞こう」と言う者もあった

 

3)塚本訳 使  23:6

23:6 そのときパウロは(役人の)一派はサドカイ人、一派はパリサイ人であるのを見て取り、法院で叫んだ、「兄弟の方々、わたしはパリサイ人で、しかもパリサイ人の子です。いま死人の復活の希望のために裁判されているのです。(わたしは復活のキリストを見たと言いますから。)」

 

4)塚本訳 Ⅰペテ4:15-16

4:15 君達のうち誰も人殺し、あるいは泥坊、あるいは悪者として、あるいはおせっかい屋として受難してはならない。

4:16 しかしもしクリスチャンとして(受難するの)ならば恥じるな、むしろこの(クリスチャンたる)名において神の栄光を顕せ

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11月3日集会感話 おわり
 
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無教会全国集会(市川)。

午前中、石澤重吉氏と渡辺荘吉氏は「農業----自然と人を結ぶ」を講演した。(妻聴講)

右から 石澤重吉(安達太良聖書集会会員 元愛農会会長)
渡辺荘吉(株・愛農会品流通センター。従姉妹の渡辺靖子さんや三男の恵のことを知っている)
高橋トミ子
高橋照男

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無教会全国集会で妻と。
撮影は「無教会の土門拳」と言われる飯田順朗氏。
私達はなぜかこの人に撮影してもらうと自然体で良く写る。心が通うからか。
土門拳は心が通う人の写真きり撮らなかった。
このことは集会の話にも酷似。聖書の話は心が通う人にのみ通じる。

●無教会全国集会は毎回一回限りで終了。「神ともにいまして」を歌って散会。


   




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死んだあとで悟るであろう ++++++++ 所感

2013/11/02 06:09

131102(土)朝の啓示「死んだあとで悟るであろう」●過日、二人の方から身内が神を信じない、福音を受け入れないという悩みを伺った。そのとき私は「あなたが死ねばわかる」と聖書に書いてあると答えた(一粒の麦の譬。だから生きているうちはそれが見えない)。また「オートバイ屋の息子はオートバイを欲しがらないと言われている」とも言った。●キリスト教の真理は人間でなく神が悟らせるので身内に信仰にウルサク、煙たい人がそばにいるうちは神や福音は伝わらない。●明日の感話のうちでそのことに言及した部分を掲げる。
 

③人類がキリストを殺害した過ちは、終末再臨の時に神が教える

1)口語訳   1:8

1:7 見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろうまた地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン。

 

2)塚本訳   16:7

16:7 すると私は祭壇が(これに応えて)言うのを聞いた、「然り、主なる神よ、全能者よ、汝の審判は真実にして義しい!

 

3)塚本訳 ヨハ 13:7

13:7 イエスが答えて言われた、「わたしが何をしているのか、いまはあなたにわからない。(わたしがいなくなった)あとでさとるだろう。」

 

4)文語訳 ヨハ 12:24

12:24 誠にまことに汝らに告ぐ、一粒の麥、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし

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朝の黙想 終わり。

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無教会全国集会のために沖縄から上京された友寄隆房氏。出発前に。
氏は私の4人の子供たちを良く知ってくださっている。我が家には計7回目の来泊。

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無教会全国集会で講演された富永國比古先生(福島県郡山市、ロマリンダクリニック院長)。東日本大震災と福島原発事故は「私の罪の故だ」として詩篇51編「我れ我が罪を知る」という涙ながらの講演に感動した。フロアーからの応答として私は「福島は人間から忘れられても砕かれた魂を神は覚える(詩編51:19)。打たれた福島こそ神に愛されている。政治が悪い東電が悪いと言っているのは良くない。イエスもこの人が盲人で生まれたのは『神の栄光のためである』(ヨハネ9:3)と言った」と話した。

●私は富永先生の涙で、「福島は服役の期は終わった(イザヤ書40:2)」と感じた。
●また休憩時間に四国の吉村孝雄氏と懇談。無教会全体が政治がかってきたことを憂えた。そして「吉村さんの徳島集会は吉村さん一代だ。しかしその後は神が人を起こす」と言うと、吉村氏は「神は全国のどこかで起こす」と言われたので合意した。

●期せずして、若い人3名から「高橋さんのブログを見ています」と言われた。


富永先生は引用された詩編51編9節のところで、「私の住む郡山からは安達太良山が見えるが、そこに雪が積もるとそれはそれは白くて美しい」と言われた時は胸が詰まった。

新共同 詩  51:921
51:9 ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください/わたしが清くなるように。わたしを洗ってください/雪よりも白くなるように


新共同 詩  51:0-21
51:1 【指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。
51:2 ダビデがバト・シェバと通じたので預言者ナタンがダビデのもとに来たとき。】
51:3 神よ、わたしを憐れんでください/御慈しみをもって。深い御憐れみをもって/背きの罪をぬぐってください。
51:4 わたしの咎をことごとく洗い/罪から清めてください。
51:5 あなたに背いたことをわたしは知っています。わたしの罪は常にわたしの前に置かれています。
51:6 あなたに、あなたのみにわたしは罪を犯し/御目に悪事と見られることをしました。あなたの言われることは正しく/あなたの裁きに誤りはありません。
51:7 わたしは咎のうちに産み落とされ/母がわたしを身ごもったときも/わたしは罪のうちにあったのです。
51:8 あなたは秘儀ではなくまことを望み/秘術を排して知恵を悟らせてくださいます。
51:9 ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください/わたしが清くなるように。わたしを洗ってください/雪よりも白くなるように。
51:10 喜び祝う声を聞かせてください/あなたによって砕かれたこの骨が喜び躍るように。
51:11 わたしの罪に御顔を向けず/咎をことごとくぬぐってください。
51:12 神よ、わたしの内に清い心を創造し/新しく確かな霊を授けてください。
51:13 御前からわたしを退けず/あなたの聖なる霊を取り上げないでください。
51:14 御救いの喜びを再びわたしに味わわせ/自由の霊によって支えてください。
51:15 わたしはあなたの道を教えます/あなたに背いている者に/罪人が御もとに立ち帰るように。
51:16 神よ、わたしの救いの神よ/流血の災いからわたしを救い出してください。恵みの御業をこの舌は喜び歌います。
51:17 主よ、わたしの唇を開いてください/この口はあなたの賛美を歌います。
51:18 もしいけにえがあなたに喜ばれ/焼き尽くす献げ物が御旨にかなうのなら/わたしはそれをささげます。
51:19 しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を/神よ、あなたは侮られません。
51:20 御旨のままにシオンを恵み/エルサレムの城壁を築いてください。
51:21 そのときには、正しいいけにえも/焼き尽くす完全な献げ物も、あなたに喜ばれ/そのときには、あなたの祭壇に/雄牛がささげられるでしょう。




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聖書の中心的使信 ++++++++ 所感

2013/11/01 07:53

70歳4か月。平均余命12年(生命保険会社統計)、4500日、10万8000時間。この時間をすべてキリスト教使徒伝承の連鎖に捧げる。罪と死の恐怖から救われる「十字架の贖罪の福音と有体的復活の希望の喜び」を犠牲的に生きて証人となる。自分のため、親類縁者のため、気の毒な人のため。


131101(金)4時半起床●明後日の集会感話の推敲。変更

11月3日集会感話の一部
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イエスの裁判に学ぶ

 

人類は総掛りで神の子を殺した。その犠牲死で神の義は満足した


  2013113日 東京聖書読者会 高橋照男

 

①殺害計画の主犯はユダヤ人一般民衆と宗教家。処刑はローマ

 

<ユダヤ責任論A。 地上の王を待望した一般民衆の期待外れ。>

 

<ユダヤ責任論B。 律法への頑迷さがイエスを涜神罪だと断罪した。 >

 

<ユダヤ責任論C。 イエスの人気に対する宗教家の妬みと地位失墜の恐怖>

 

<ローマ責任論。 ユダヤ人の脅迫に屈した役人ピラトの「地位保身術」>

 

<ユダヤ・ローマ共同責任論。 イエスを涜神罪から政治犯に故意に変更>

 

<聖書の中心的使信。 「神の子殺し」は人類全体の責任。福音書の構造。>

1)塚本訳 使  10:37-40(ペテロの説教●A~Dが福音書の4っの骨子)

A) 10:37 あなた達は(洗礼者)ヨハネが洗礼を説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ中にゆきわたった出来事を知っておられる。

B) 10:38 すなわち、『神が』いかに聖『霊』と(大いなる)力と『をもって』ナザレのイエスに『油を注がれ(て聖別され)た』か、このイエスが(あちらこちらを)巡回しながら、恩愛を施し、悪魔におさえつけられている者を皆直されたかを。神がご一緒におられたからです。

C) 10:39 ──(使徒たる)わたし達は、イエスがユダヤ人の地、ことにエルサレムでされた一切のことの証人です。──このイエスを人々は『(十字架の)木にかけて』処刑した。

D)10:40  (しかし)神はこの方を三日目に復活させ、(人の目にも)見えるようにされた。

      

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11月3日集会感話の一部  終わり

●TSK日本語版エズラ記1章
●17:30 沖縄から友寄隆房氏が来泊。明日からの全国集会出席のため。
●無教会の面々の話が尽きず21:15分まで。
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