to 日記と感想 2014年01月
Top | RSS | Admin

2013.12 « 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 » 2014.02


将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170821(土)15:00お江戸コラリアーズ定期演奏会、文京公会堂
    170809     TW誕生日
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170706      TM誕生日
    170701      TT誕生日
    170628       IY誕生日
    170625(日)14:00羽村フィル、ゆとろぎ。モーツァルト40番、チャイコフスキー5番
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール
    170610(土)14:00内村鑑三セミナー、立教大学12号館。矢田部、椚」山
    170609(金)   TS命日
    170608(木)12:15ボリショイ「白鳥の湖」、東京文化会館
    170707(水)10:00池谷医院
    170604(日)10:00集会感話、
    170604(日)16:30近藤恵邸起工式、福島市。
    170530(火)14:00田岡氏来訪
    170527(土)14:00今井館ピアノコンサート
    170521(日)14:00新宿フィル、ブラームス1番、レスピーギ「鳥」「ローマの松」。和田睦夫
    170425       TN)誕生日
    150420(木)09:30阿伎留センター泌尿器科)
    170416(日)14:00武蔵野室内合奏団、杉並公会堂(大坪満子)


バレルとヤバイ恐怖からの救い ++++++++ 所感

2014/01/31 07:35

140131(金)4時30分目覚め●朝の啓示「バレルとヤバイ恐怖からの救い」●神は罪を赦してくださる。新約聖書の本質はここにある。●長い人生では人間であるがゆえに「思わざる罪」を犯してしまう。この世の人間や法律はこれを断罪する。これが恐怖である。●何が罪であるかは「恐怖心」が生じることから議論の余地がない。●神はこの「恐怖心」から人間を救い出す。これが福音である。今朝はこのことを巡って聖書の「アチコチ」を思い出すままに掲げてみよう。

口語訳 創 3:6-10
3:6 女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。
3:7 すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。
3:8 彼らは、日の涼しい風の吹くころ、園の中に主なる神の歩まれる音を聞いた。そこで、人とその妻とは主なる神の顔を避けて、園の木の間に身を隠した。
3:9 主なる神は人に呼びかけて言われた、「あなたはどこにいるのか」。
3:10 彼は答えた、「園の中であなたの歩まれる音を聞き、わたしは裸だったので、恐れて身を隠したのです」。


●罪を犯した人間の本能は「隠す」ことである。これは人間にとって恐怖だからである。しかし神は追究する「あなたはどこにいるのか」。
●10節。人間が「裸」が恥ずかしいというのは「ヤバイ」という恐怖の象徴である。
●7節。 二人は恥ずかしいので無花果の葉を通津ロ合わせて腰にまいた。「罪を隠す」心理。
●ヴァチカン、システィナー礼拝堂にあるミケランジェロの「最後の審判」は初めは全員が全裸であったが、あるとき王王が「みっともない」「恥ずかしい」と言ってキリストをはじめ多くの人に「腰巻」を上書きした。上塗りをした。この法王、罪の方法だ。この法王を俗に「ふんどし法王」という。
●むかしアテネでは一心不乱に競技をする人は全裸であったらしい。一生懸命の時人間は「羞恥心」は無くなるのか。
●ある国のYMCAのプールでは水着を着ないそうだ。今はどうか知らない。


口語訳 創 3:21
3:21 主なる神は人とその妻とのために皮の着物を造って、彼らに着せられた。


●神はエデンの園からアダムとエバを追放する時、「皮の着物」を着せた。罪を贖う精神の源流はここにある。

口語訳 箴  28:1
28:1 悪しき者は追う人もないのに逃げる、正しい人はししのように勇ましい。


●人間には「良心」というものがある証拠。


口語訳 イザ 6:5-7
6:5 その時わたしは言った、「わざわいなるかな、わたしは滅びるばかりだ。わたしは汚れたくちびるの者で、汚れたくちびるの民の中に住む者であるのに、わたしの目が万軍の主なる王を見たのだから」。
6:6 この時セラピムのひとりが火ばしをもって、祭壇の上から取った燃えている炭を手に携え、わたしのところに飛んできて、
6:7 わたしの口に触れて言った、「見よ、これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの悪は除かれ、あなたの罪はゆるされた」。


●イザヤは自分の罪を知って「災いだ」とおののいたが、神の霊によって罪が除かれた。これも新約の源流。

口語訳 詩 51:4-5
51:4 わたしはあなたにむかい、ただあなたに罪を犯し、あなたの前に悪い事を行いました。それゆえ、あなたが宣告をお与えになるときは正しく、あなたが人をさばかれるときは誤りがありません。
51:5 見よ、わたしは不義のなかに生れました。わたしの母は罪のうちにわたしをみごもりました。


●人類の罪の嘆き。「私の血は汚れている。!!」。新約の福音の必要性。

口語訳 詩  51:6-8
51:6 見よ、あなたは真実を心のうちに求められます。それゆえ、わたしの隠れた心に知恵を教えてください。
51:7 ヒソプをもって、わたしを清めてください、わたしは清くなるでしょう。わたしを洗ってください、わたしは雪よりも白くなるでしょう。
51:8 わたしに喜びと楽しみとを満たし、あなたが砕いた骨を喜ばせてください。


●過日の無教会全国集会。福島県の某氏は福島の山は雪を戴くと美しい。東北の災害は「私の罪の為でした」といわれで泣かれた。幸いな人生。

口語訳 イザ 1:18
1:18 主は言われる、さあ、われわれは互に論じよう。たといあなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ。紅のように赤くても、羊の毛のようになるのだ。


●「ヤバイ」と思う恐怖心が人を福音に追いやる。「神は罪を赦して汚れを清めてくださる!!」

塚本訳 マタ 1:18-21
1:18 さてイエス・キリストの誕生はこのようであった。──イエスの母マリヤがヨセフと婚約の間柄で、まだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重となっていることが知れた。
1:19 夫ヨセフはあわれみぶかい人であったので、(これを公沙汰にして)女を晒し者にすることを好まず、内緒で離縁しようと決心した。
1:20 しかし(なおも)そのことを思案していると、主の使いが夢でヨセフに現われて言った、「ダビデの末なるヨセフよ、心配せずにあなたの妻マリヤを(家に)迎えよ。胎内にやどっている者は、聖霊によるのである。
1:21 男の子が生まれるから、その名をイエス(訳すると、神はお救いになる)とつけよ。この方がその民を罪からお救いになるのだから。」


●婚前に生まれてしまう子供。ヨセフは「(これを公沙汰にして)女を晒し者にすることを好まず、内緒で離縁しようと決心した。」。これ隠す心。ヤバイと思う心。
●今日では、彼女が妊娠すると男は青い顔をして、堕胎にはいくらかかるかと医者に駆け込む。「逃げるな」。神の思いは人間以上だ。 
●人類の救い主神の子キリストは、人の世の罪の姿で生まれた。婚前に妊娠した。救い主は人類の悲しみを担うためにはここまで下がったのだ。
●マタイとルカにあつイエスの系図の中には「穢れた女」が4人もいる。遊女ラハブ、異教国モアブの女ルツ、ダビデの不倫の子はソロモン、そして婚前に生まれたイエス。あーイエスの血は汚れに汚れていた。ここに救いのげんりゅうがあある。福音は血の穢れから人間を清める。

塚本訳 ヨハ 1:12-13
1:12 しかし受け入れた人々、すなわち、その名を(神の子であることを)信じた人には一人のこらず、神の子となる資格をお授けになった。
1:13 この人たちは、人間の血や、肉の欲望や、男の欲望によらず、神(の力)によって生まれたのである。


●クリスチャンは神の霊に清められて「新しく生まれる」ものである。

塚本訳 ヨハ 3:20-21
3:20 悪いことをしている者は皆、光を憎んで光に来ない。自分の行いが明るみに出されたくないのである。
3:21 これと反対に、真理を行っている者は、光に来る。自分の行いが神にあってなされたことを、現わしたいのである。」

●やましい事をやっている者は真面目な人間に近づこうとしない。自分の行いがバレルとヤバイからだ。この恐怖心はそのまま地獄だ。
●心にやましい事のある人間は目が合わない。目をそらす。目が泳ぐ。こういう人生は地獄。早く楽になった方がyよい。悔い改めて平安になる道があるのだ。

塚本訳 Ⅱコリ5:16-17
5:16 だからこのわたし達は、今からのちだれをも人間的に知ろうとはしない。たとい(以前は)キリストをも人間的に知っていたにせよ、今はもはや(そのように)知りはしない。
5:17 だから、キリストと結びついている者は、新しい創造物である。古いものは消え失せて、いまここに、新しくなってしまっている!


●親がクリスチャンでも子供は汚れている。霊に生まれ変わらなければならない。

塚本訳 ヨハ 3:3-8
3:3 イエスが答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、(徴を見て信じたのではいけない。)人は新しく生まれなおさなければ、神の国にはいることは出来ない。」
3:4 ニコデモがイエスに言う、「(このように)年を取った者が、どうして生まれなおすことが出来ましょう。まさかもう一度母の胎内に入って、生まれなおすわけにゆかないではありませんか。」
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。
3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。
3:7 『あなた達は新しく生まれなおさねばならない』と言ったからとて、すこしも不思議がることはない。
3:8 風[プニューマ]は心のままに吹く。その音は聞えるが、どこから来てどこに行くか、あなたは知らない。霊[プニューマ]によって生れる者も皆、そのとおりである。」


●霊に生まれ変わることが幸福な人生。

塚本訳 Ⅰコリ7:12-14
7:12 しかしそのほかの人たちに、わたしが言う、主ではない。ある兄弟が不信者の妻を持ち、彼女が彼と一しょに生活することを喜ぶなら、離婚してはならない。
7:13 また、不信者の夫を持ち、その夫が彼女と一しょに生活することを喜ぶ場合の妻は、夫と離婚してはならない。
7:14 (夫婦は結婚生活で一体となるため、)不信者の夫は(信者の)妻によってすでにきよめられており、不信者の妻は兄弟(すなわち信者の夫)によってすでにきよめられているからである。そうでなければ、あなた達の子供は清くないはずであるが、現に彼らはきよい(と認められている)ではないか。


●親が汚れていても子は清められる。嘆くな。失望するな。

塚本訳 ロマ 3:9-10
3:9 それでは、どうなるのだろうか。(ユダヤ人である)わたし達には、(異教人より)優れたところがあるのか。全然ない。わたし達が前から強く主張してきたように、ユダヤ人も異教人もことごとく、罪の(支配の)下にいるからである。
3:10 (聖書に)こう書いてある。──『正しい人がいない、一人もいない、


●人類皆罪人。しかし居直ってはいけない。

塚本訳 マタ 6:12-15
6:12 罪を赦してください、わたしたちも罪を犯した人を赦しましたから。
6:13 わたしたちを試みにあわせないで、悪から守ってください。
6:14 (祈る前に、まず人の罪を許さねばならない。)あなた達が人の過ちを赦してやれば、天の父上もあなた達を赦してくださるが、
6:15 人を赦さないならば、父上もあなた達の過ちを赦してくださらないであろう。


●これクリスチャンの毎日の祈り

塚本訳 マタ 7:1-5
7:1 (人を)裁くな、自分が(神に)裁かれないためである。
7:2 (人を)裁く裁きで、あなた達も裁かれ、(人を)量る量りで、あなた達も量られるからである。
7:3 なぜあなたは、兄弟の目にある塵が見えながら、自分の目に梁があるのに気付かないのか。
7:4 また、どうして兄弟にむかって、『あなたの目の塵を取らせてくれ』と言うのか。そら、自分の目に梁があるではないか。
7:5 偽善者!まず自分の目の梁を取ってのけよ。その上で、兄弟の目の塵を(取ってやれるなら、)取ってやったらよかろう。


●自戒。ヤバイ。

塚本訳 ヨハ 8:1-11
8:1 イエスはオリブ山に行かれた。
8:2 次の朝早く、また宮に行かれると、人々が皆あつまってきたので、座って教えておられた。
8:3 すると聖書学者とパリサイ人とが、姦淫の現行犯を押えられた女をつれてきた。みんなの真中に立たせて、
8:4 イエスに言う、「先生、この女は姦淫の現場を押えられたのです。
8:5 モーセは律法で、このような女を石で打ち殺すように命じていますが、あなたはなんと言われますか。」
8:6 こう言ったのは、イエスを試して、訴え出る口実を見つけるためであった。イエスは身をかがめて、黙って指で地の上に何か書いておられた。
8:7 しかし彼らがしつこく尋ねていると、身を起こして言われた、「あなた達の中で罪(をおかしたこと)のない者が、まずこの女に石を投げつけよ。」
8:8 そしてまた身をかがめて、地の上に何か書いておられた。
8:9 これを聞くと、彼らは皆(良心に責められ、)老人を始めとして、ひとりびとり出ていって、(最後に)ただイエスと、真中に立ったままの女とが残った。
8:10 イエスは身を起こして女に言われた、「女の人、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罰しなかったのか。」
8:11 「主よ、だれも」と女がこたえた。イエスが言われた、「わたしも罰しない。おかえり。今からはもう罪を犯さないように。」】


●私はこの女に石を投げつけようとしている人間。自戒。しかし神は赦す。

塚本訳 ルカ 16:1-3
16:1 また弟子たちにも話された、「ある金持に一人の番頭があった。主人の財産を使い込んでいると告げ口した者があったので、
16:2 主人は番頭を呼んで言った、『なんということをあなたについて聞くのだ!事務の報告を出してもらおう、もう番頭にしておくわけにはいかないから。』
16:3 番頭は心ひそかに考えた、『どうしたものだろう、主人がわたしの仕事を取り上げるのだが。(土を)掘るには力がないし、乞食をするには恥ずかしいし・・・・

●「勤務先の金」を使い込む罪。小遣いでも「変なことに使う」罪。罪と金は密接。

塚本訳 マタ 18:21-35
18:21 その時ペテロが進み寄ってたずねた、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したとき、何度赦してやらねばなりませんか。七度まででしょうか。」
18:22 イエスがこたえられた、「いや、あなたに言う、七度までどころか、七十七度まで!
18:23 だから天の国は、王が家来たちとの貸し借りを清算しようとするのに似ている。
18:24 清算を始めると、(王に対し)一万タラント[三百億円]の借りのある家来がつれて来られた。
18:25 返すことができないので、主人は(その家来に、)自分も妻も子も持ち物も全部売って返すように命じた。
18:26 家来はひれ伏して、しきりに願った、『しばらく待ってください。全部お返ししますから。』
18:27 そこで主人は気の毒に思って、身柄をゆるした上、借金にまで棒を引いてやった。
18:28 ところがその家来は出ていって、自分に百デナリ[五万円]を借りているひとりの同僚に出合うと、これをつかまえ、喉頚をしめて、『借りているものを返せ』と言った。
18:29 同僚はひれ伏して、『ちょっと待ってくれ。返すから』と頼んだ。
18:30 しかし承知せず、(裁判官につれて)行って、負債を返すまで牢に入れた。
18:31 その人の同僚たちはこの出来事を見て非常に悲しみ、行って、出来事の一部始終を主人に報告した。
18:32 すると主人はその家来を呼び出して言う、『不埒な家来、あなたが頼んだから、わたしはあの負債に全部、棒を引いてやったのだ。
18:33 だからあなたもわたしに情をかけてもらったように、同僚に情をかけてやるべきではなかったのか。』
18:34 そこで主人は怒って、負債を全部返すまでその男を獄吏に引き渡した、(いう話。)
18:35 わたしの天の父上も、もしあなた達ひとりびとりが心から兄弟を赦さないならば、同じようにあなた達になさるであろう。」


●矢内原忠雄先生は韓国の人に「まず自分の罪を神に赦していただきなさい。それから日本を赦しなさい」と言われた。キリスト教は神抜きのヒューマニズムではない。

塚本訳 Ⅰヨハ1:8-9
1:8 もしわたし達が自分に罪はない、と言うならば、自分をごまかしているのであって、真理はわたし達の中にない。
1:9 もし罪を正直に言うならば、神は真実で、正しいお方であるから、わたし達の罪を赦し、あらゆる不義から清めてくださるのである。


●人生はやり直しができる。
●人に言うのは恥ずかしければ、一人密室で神に向かって「神様私はこれこれのことをしてしまいました」「ヤバイことをしてしまいました」と言えばよい。
●神は正直者に悪いようにはしない。好転して人生を乗り切らせてくださる。
●「個人情報の秘密」は神の前には秘密にしなう方がよい。

塚本訳 ロマ 8:28-30
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。
8:29 というのは、神は(世の始まる前に)あらかじめお選びになった人たちをば御子(キリスト)と同じ姿にすることを、あらかじめお定めになったからである。──これは(こうして出来た)多くの兄弟たちの中で、彼を長男にするためである。──
8:30 そして(時が来ると)あらかじめお定めになった人たちを召し、お召しになった人たちを義とし、義とした人たちには栄光をお与えになるだろう。


●人生の失敗は神の救いへの「門」、成功人生への門。
●ヤバイこと、しまったと思うことは一人で神に向かって(神父や牧師にではなく)いのれば神は不思議な方法で助けてくださり、恐怖を取り除いてくださる。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

朝の黙想終わり。
















スポンサーサイト
トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


体が焼かれる日。メメント・モリ(死を思え) ++++++++ 所感

2014/01/30 04:37

140129(木)4時起床。昨夜は近所で火災の夢。これは何の警告か。●来月で女子大の講師を定年(70歳)で辞める。これが人生の「現役」最後かと思うと一抹の寂しさがある。●しかし「次がある」。それは体が焼かれる死の時だ。昨夜の夢はそのことを思えということの促しではあるまいか。ラテン語の諺に「メメント・モリ」(死を思え)というのがある。毎日死を思って生活せよという意味だ。●聖書にはそのことを喚起する箇所がかなりある。否全部がそうだと言ってもよい。●今朝は頭に浮かんだ自家薬篭中の聖句を順不同のまま掲げ、黙想してみよう。

口語訳 創  19:24-26
19:24 主は硫黄と火とを主の所すなわち天からソドムとゴモラの上に降らせて、
19:25 これらの町と、すべての低地と、その町々のすべての住民と、その地にはえている物を、ことごとく滅ぼされた。
19:26 しかしロトの妻はうしろを顧みたので塩の柱になった。

●ロトの妻はなぜ振り返ったのか。滅びの街に残った子供、身内、親族のことではないのか。

塚本訳 ルカ 16:27-28
16:27 金持が言った、『父よ、それではお願いですから、ラザロをわたしの父の家にやってください。
16:28 わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。』

●人には必ず自分を愛してくれた「母」がいる。誰もその救いのことが心配である。また血を分けた兄弟がいる。その救いのことが心配である。自分だけが救われて天国で宴会に出ても楽しくない。

塚本訳 ロマ 9:1-3
9:1 私はキリストにある者として本当のことを言う、嘘はつかない。わたしの良心も聖霊によって、(それが本当であることを)保証してくれる。
9:2 (わたしが急にこんなことを言い出したら信じてくれないかも知れないが、)わたしに大きな悲しみと、心に絶えざる痛みとがあるのである。
9:3 ほんとうに、兄弟すなわち血を分けた同胞の(救われる)ためならば、このわたしは呪われて、救世主(の救い)から離れ落ちてもよいと、幾たび(神に)願ったことであろう。


●パウロも同胞(当然身内も含む)の救いのことが心配であった。

塚本訳 ヨハ 21:20-22
21:20 ペテロが(ついて行きながら)振り返ると、イエスの愛しておられた弟子が(あとから)ついて来るのが見えた。この弟子は(最後の)夕食の時に、イエスの胸にもたれかかって、「主よ、あなたを売る者はだれですか」と言った者である。
21:21 ペテロはその人を見て、イエスに言う、「主よ、あの人はどうなるのでしょうか。」
21:22 イエスが言われる、「たといわたしが今度来るまで、あの人を生かしておきたいと思っても、それはあなたの知ったことではない。あなたは(ただ)わたしについて来ればよろしい。」


●21節。「主よ、あの人はどうなるのでしょうか。」はクリスチャン全員の心配だが、22節によれば「自分のことだけを心配せよ」という。これはむごい話だ。
●ある人が塚本虎二先生に質問した。
母親「先生、私の子供は神を信じてないのですが救われないでしょうか」。
塚本「君は親としてづ思うのかい」
母親「救われなくては困ります」
塚本「それじゃー大丈夫じゃーないのかなー」
●この時の答えが、「洗礼を受けなければ救われない」(カトリック)。「無条件に救われる」(プロテスタント)。と言うのならこのいずれも頭だけの神学のドグマになる。無教会は「それは神がお決めになることだ」という。つまり心配する人が出来る事、しなければならないことは「祈り」だというのだ。
●「お祈りなんて効き目がない。それは気休めだ」と思っている人にとっては神学ドグマの方に行く方がよい。その方が気が休まる。落ち着く。楽になるはずだ。心配がなくなる。無教会からカトリックになった人がいる。あの人は落ち着いたのかなー
●身内の臨終のときに慌ててカトリックの神父か牧師を呼んで、「病床洗礼」をお願いした人がいた。悪いことではない。「溺れる者は藁をも掴む」だ。そのとき、洗礼の水に何か魔術的な効能があると思っている神父や牧師は罰される。神の顔が立たないからだ。
●無教会が振るわない原因はこの魔術的効能があるとする「洗礼」を行わないからではあるまいか。

塚本訳 マタ 10:28
10:28 体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。


●かってこの言葉を話したら、お体の悪い人が目をしばたたかせて「お礼」を言いに来られた。人間にとって長寿健康が至上の幸福ではない。
●戦時中、矢内原忠雄先生は軍国主義と戦う全国の同士に向けこの聖句を発して激励した。

塚本訳 ルカ 12:13-21
12:13 すると群衆の中の一人がイエスに言った、「先生、遺産を分けてくれるように、兄に言ってください。」
12:14 イエスは「君、だれがわたしを、あなた達の裁判官また遺産分配人に任命したのか」とこたえておいて、
12:15 人々に言われた、「一切の貪欲に注意し、用心せよ。いかに物があり余っていても、財産は命の足しにはならないのだから。」
12:16 そこで一つの譬を人々に話された、「ある金持の畑が(ある年)豊作であった。
12:17 『どうしよう、わたしの作物をしまいこむ場所がないのだが…』と金持ちはひそかに考えていたが、
12:18 やがて言った、『よし、こうしよう。倉をみなとりこわして大きいのを建て、そこに穀物と財産をみなしまいこんでおいて、
12:19 それからわたしの魂に言おう。──おい魂、お前には長年分の財産が沢山しまってある。(もう大丈夫。)さあ休んで、食べて、飲んで、楽しみなさい、と。』
12:20 しかし神はその人に、『愚か者、今夜お前の魂は取り上げられるのだ。するとお前が準備したものは、だれのものになるのか』と言われた。
12:21 自分のために(地上に)宝を積んで、神のところで富んでいない者はみな、このとおりである。」


●自由主義経済の「この世」が「これこそが幸福だ」と煽るものは、財産、健康、学歴、地位、栄誉、結婚、子孫繁栄、家庭団らん、国際間の平和、家庭内平和、趣味に遊ぶ平安な老後。・・・・世の中の広告の99%がこれらを得させようとするものだ。
●上記のイエスの言葉は、そういうものに真の幸福はないという警告だ。人間はこれらを失って見て初めて神の救いに心が向くのだ。

塚本訳 マタ 6:24
6:24 (わたし達の心は天か地かに引かれる。)だれも(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。


●信仰は「武士道」の精神、「特攻隊」の精神でなければならない。

新共同 創  3:22
3:22 主なる神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」


●肉の人間に寿命がある深い理由はここにある。「永遠に生きる者」となって神と競合するようになるから神が怒ったのだ。第二のアダムたるキリストの贖罪があって人は神と平和になり「永遠の命」を頂ける身となったのだ。

口語訳 創  6:1-3
6:1 人が地のおもてにふえ始めて、娘たちが彼らに生れた時、
6:2 神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった。
6:3 そこで主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう」。


●結婚の精神また同じ。神を無視して自分の心が好む人間と結婚しようとするから神は怒るのだ。神第一にしてないからだ。人間の最後は「死」である理由はここにある。
●イケメンや美人度を第一にする結婚は神の祝福を頂けないから早晩崩壊する。
●女子大の授業で「イケメンと結婚するな。大抵は金と教養(道徳倫理)がないからだ」と毎年言ってきたが、それも来月で終わりだ。これからどこでどういう風に言おうか。
●生徒が「先生、最近のイケメンはお金を持っている人がいますよ」と言われた。マーそうならその道を言って見給え。君の人生だ。しかし失敗することは目に見えているが「可愛いものには旅をさせよ」だ。


新共同 ルカ 16:10-13
16:10 ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。
16:11 だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。
16:12 また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。
16:13 どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」


●政治経済健康家庭、これらは小事である。天国の影である。一歩手前である。だからこの世では神にあってこれらに忠実に生きなければならない。この世の小事は来世への準備である。苦難の環境は修道院で禁欲的に生きるようにさせられているのだ。

塚本訳 Ⅱコリ4:6-7
4:6 というのは、(世界創造の時、)「光、暗闇から輝き出でよ」と言われたその神は、キリストの顔に現れている神の栄光を知る知識が明らかになるため、わたし達の心の中に光を輝かせてくださったからである。
4:7 しかしこの宝が、(貧弱な)土の器の中にある。それはその素晴らしい力が神のものであって、わたし達(土の器)から出るのではないことがわかるためである。


●ある団体で、嫌な人間がいたので、尊敬する理事長に不満を吐露したところ、「ほかに人がいないんだよ。アノ人には良いところ『も』あると思ってくれ」と言われた。反省。人間はみな「土の器」なのだ。

塚本訳 ロマ 9:19-24
9:19 するとあなたはわたしに(抗議して)言うにちがいない、それでは、なぜ神はなおも人を咎められるのか。(御自身が人の心を頑固にされるのなら、)だれも神の意志に逆らうことはできない訳ではないかと。
9:20 ああ人よ、いったい君は何者なれば、神に口答えをするのか。『作られたものが作った者に向かって、「なぜ『わたしをこんなものに造ったか」と言えるだろうか。』
9:21 それとも、『陶器師には、』同じ『粘土』の塊で、一つは尊い用途の、一つは卑しい用途の器を造る権利がないのだろうか。
9:22 それで、もし神が、(御自分の)怒りを示し御自分の力(の恐ろしさ)を知らせようとお思いになるので、(今日まで)いとも気長に、『滅びのために』つくられた』怒りの器[滅びる人]を辛抱された』とすれば、
9:23 またそれは、栄光のためにあらかじめ用意された憐れみの器[救われる人]に、御自分の豊かな栄光を知らせるためであったとすれば、どうだ。(かれこれ言うことはないではないか。)
9:24 神はこの憐れみの器としてわたし達をも召されたのである。ただユダヤ人の中からだけでなく、異教人の中からも。


●この世の幸不幸については神に不平を言えないなー。なぜなら、それらはみな神が仕組んだからなのだ。

塚本訳 ピリ 3:13-14
3:13 兄弟達よ、私はまだ自分で(それを)捉えたなどとは考えていない。しかし(ただ)一つの事──後ろのものを忘れ、前のものを追い求めながら、
3:14 (或る)目標に向かって、すなわち神がキリスト・イエスにおいて天上に招き給う褒美に向かって(ひた走りに)走っているのである。


●私の人生は第4コーナーを曲がった。パウロに見習おう。

塚本訳 Ⅰコリ9:26-27
9:26 わたしはそれゆえに、目標があいまいでないように走る。空を打たないように拳闘をする。
9:27 いや、自分の体を打ちたたいて征服する。人には(福音を)説きながら、自分では失格するようなことのないためである。


●無駄なことに時間を費やすのはやめよう。つまらない本を読むのはやめよう。

塚本訳 Ⅱペテ3:12-14
3:12 神の日の到来を待ち望みつつ(これを)早め(ることに努力せ)ねばならぬことであろう!その日『天は』焼けて解け去り、日月星辰は燃えて『溶けるであろう』。
3:13 しかし私達は彼の約束によって、義の住む『新しい天』と『新しい地』とを待ち望む。
3:14 だから愛する者よ、これを待ち望むならば、(その日)神に汚点のない、疵のない、平安にある者として見られるよう努力せよ。


●14節。「平安にある者として見られるよう努力」して生きよう。 ことさら何かひとかどのことをしようと思わなくてよいのだ。気が楽になった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想終わり。

●下高井戸から世田谷線で三軒茶屋へ。一度この路線で学校に行ってみたかった。
●三軒茶屋のBKと郵便局に所用。
●渋谷に行き、ビックカメラでプリンターのインク購入。
●13:30 昭和女子大昼食、人事課、建築講義。風邪気味で喉が痛い。
●18:15 帰宅、2月2日の集会資料のプリント。インクがすぐなくなるので困る。















トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


不条理な人生の救い ++++++++ 所感

2014/01/29 05:51

140129(水)4時目覚め●朝の啓示「不条理な人生の救い」●イエスの周りには人生の不条理、失敗の人生に泣く人が大勢集まった。(離婚経験5回のサマリヤの女、取税人ザアカイ、イエスの足に香油を塗った娼婦、十字架刑になった強盗犯、犬にできものをなぶられていたラザロ、生まれつきの盲人、12年長血の女、・・・・・「落ちぶれて袖に涙のかかるとき、人の心の奥ぞ知らるる」・・・人は不条理に陥ると「何がいけなかったのか」と理性の納得を求めるが、イエスは別の次元からそれに答える。「神の栄光が現れるためだ」と。これは一見「真の幸福」は肉の満足ではなく「霊魂の救い」にあると誤解されがちである。そう誤解されるから「宗教はアヘン」だとか「逃げ」だとかとみなされがちなのであるが実はそうではないのである。●しかし霊魂の救いによる幸福は実際に経験してみなければわからないことなのだ。

塚本訳 ヨハ 9:1-3
9:1 イエスは通りがかりに、生まれつきの盲人を見られた。
9:2 弟子たちが尋ねた、「先生、この人が盲で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか、両親ですか。」
9:3 イエスは答えられた、「この人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。ただ神の御業がこの人に現われるためである。


●このイエスの言葉は「真の答えにはなっていない」。弟子の質問にまともに答えていない。「木で鼻をくくった答え」である。だからキリスト教はわかりにくいのである。しかしこの物語の結論は肉眼が開いたが、霊眼が開いた幸福のことを言っている。

塚本訳 ヨハ 9:35-38
9:35 イエスは彼が追放されたと聞いて、出合ったときに言われた、「あなたは人の子を信ずるか。」
9:36 彼が答えた、「主よ、人の子とはだれのことですか。(教えてください。)信じたいのです。」
9:37 イエスが言われた、「あなたはもうその人に会った。いや、あなたと話しているのが、その人だ。」
9:38 すると「主よ、信じます」と言って、イエスをおがんだ。  
                        
 

●この奇跡は現代でも起こる。●過日、妻の手伝いで「一視覚障碍者の歩み」の手記をワープロで整理した。なぜか心に深く残ったので、秘蔵しておくには忍びず、このブログで公開する。原本はすでに小冊子になっていて公開されているので、そのまま実名入りとする。これは上記ヨハネ9章の最大の注解である。 一部省略
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「私の物語・・・一視覚障害者の歩み・・・」        相原夏江

 

生い立ちと盲学校での教師生活

 私は一九二七年、神奈川県平塚市で生まれた。五歳上に兄、二歳上に姉がいた。ごく幼いころのことで強く印象に残っているのは、当時は弱視で少し見えていたことだ。姉は生まれつき目の見えない子どもだったので、遊び相手として物足りないこともあった。だから私は外に飛び出していとこをはじめ、近所の子どもたちと一日中遊び歩いていた。この頃、銭湯に行った帰り、月が非常に明るく見えたのをよく覚えている。服を着たり、食事をしたりといった日常生活のことでは普通の子どもと同じようにするべきことを身につけ、特別に親の手を煩わせたということはなかったと思う。二歳上の姉は六歳で神奈川県立平塚盲学校に入学した。私も母と一緒についていったので幼稚園のような形で特別に保育を許された。

 私自身は小中学校は神奈川県立平塚盲学校、小学校入学後、それまで少しは見えていた目も少しずつ見えなくなってきた。それは突然ではなく、徐々に訪れた変化だった。八歳の頃、校内で目の検査があり、医師から「あなたの目は、今の医学では手がつけられません」と言われたことを今でもはっきり覚えている。子ども心にも衝撃的な宣告だった。その後は東京盲学校、そしてその師範部に進んだ。

 一九四九年の三月、東京盲学校の卒業を迎えることになった。それに先立って、静岡県立浜松盲学校の校長先生が東京へ来られ、私の赴任を要請された。こうして私は社会人としての第一歩を浜松でスタートすることになった。

 赴任して最初に受け持ったのは小学部二年生のクラスだつた。七名の子どもがいた。小さい子どもへの指導法など不慣れなこともあつて、最初は戸惑うことが多かった。障害児教育は、昭和二十年代、三十年代はまだまだ全体として手探り状態だった。

・・・(中略)・・・

 一九八七年、六十歳になったので退職した。

 

キリスト教との出会い

・・・(中略)・・・ 

 浜松盲学校に溝口正先生が赴任して来られた。溝口先生は赴任と同時に、盲学校で矢内原忠雄先生の「嘉信」の読書会を開いたり、ロマ書講義の会を開いたりされていた。私は浜松教会に通いながらも、学校でもたれる溝口先生の集会に参加して、聖書やキリスト教への学びを深めていった。

 それから以後は溝口先生と小林先生を中心とした無教会の浜松集会のメンバーとして信仰者の交わりに入れていただいている。このお二人の先生方は私にとってかけがえのない信仰上の恩師であられるが、お二人共天に移られてしまった。しかし主催者が召されて、運営の難しくなる無教会の集会が多い中で、浜松集会は次の世代が十分に育てられていて、今も変わらず活動できているのは感謝なことだと思う。

 私が、自分の罪人であることをほんとうに知ることができ、目覚めたのはバッハのマタイ受難曲との出会いによってである。一九五九年頃、杉山好先生が浜松盲学校に来られた。溝口先生の招きにより、マタイ受難曲の解説をするためだつた。盲学校教員有志を集め、受難曲のレコードを聴きながら、先生の行き届いた解説がなされた。それまでにも自分が罪人であることを知らなかったわけではない。溝口正先生があの敗戦を境に、それまで生徒たちに教えてきたことを省み、罪人としての自覚に苛まれ、生命を絶つべきことを思い、山に登った時のエピソードにも触れていた。イエスの罪の赦しによるみ言葉にも学んでいた。けれども、心のどこかでは、あまり深く考えずに、受け取っていたような気がする。だが、バッハのマタイ受難曲の中では、全く罪のないイエス様が拷問を受け、群衆は十字架につけよとひたすら叫び続けていた。ここにもし自分がいたら、同じように叫んでいるかも知れないという思いが胸に迫り、思わず涙が流れ、先生の解説が続く中で、「赦してください」と一生懸命祈り続けていた。あの思いは今でも、はっきりと胸に焼きついている。マタイ受難曲を聴くと、イエス様のゲツセマネの祈り、十字架上で「なぜ私をお見捨てになったのですか」と叫ばれたところ、十字架につけよと叫ぶ群衆の声、それらが鋭く迫ってきて、胸が痛み、涙を流す。                                  

 このようなことを通して自分が真の罪人であることを知り、そして、他人の罪をあまり責め立てることなく、少しでも誰かをお助けできたらと考えられるようになってきたのかもしれない。生きている間、罪人としてあり続ける私を、神様は深い愛をもって助け、導き、守り続けてくださっていることを感じながら、自分はまだまだ他の人を思いやる愛の思いに欠けており、なにか問題があれば、相手を責めたて、自分もつぶやいてしまう。そんな姿が恥じられるばかりである。

もっと自分を低くして、謙虚になって自分とは相容れない人々の罪の赦しを祈り、共にみ許に立ち返るべきことを静かに祈り続けていけたらと思う。

 

忘れえぬこと 

 ある日の放課後のこと、いつものように何人かが校庭の隅に集まって溝口先生の話すヨハネ伝九章について心を集めていた。そしてあの、三節「目が見えないのは、誰の罪でもなく、神の業がこの人に現れるためである」というイエスの御言葉になんとも胸のすくような感動を与えられた。今までの心の重さがスカッと爽やかになったような思いを味わうことができた。

 それから私は、積極的に矢内原忠雄先生の刊行になる「嘉信」や、聖書を学び始めた。一九五七年に浜松教会を離れてからは、ずっと溝口先生による導きを受けた。時には意見の違いでぶつかり合うことはあっても先生が召されるまでずっと一緒に過ごしてくることを許された。浜松集会はメンバーの一部が職場を共にし、同労者としても多くの時を共有していた。そのためか、無教会の集まりでありながら主宰者を先生として特別に崇拝するようなこともなく、互いに言いたいことを自由に述べ合うことを許され、それが集会を長く続けてこられた一因であるように思う。 

 今後のことについては、できる限り今の自立した生活を維持し続けたい。自分なりに健康管理に気を配り、介護保険などの制度を活用して、ヘルパーさんたちの助けを借り、自由な暮らしを守っていきたい。これからどれほど、人の役に立てるのかは心もとないが、キリスト者として、召されるまで、祈りを欠かさず、静かに暮らしていけたら幸いだと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・一視覚障害者の歩み・・・ 抜粋 終わり。


●万歳。人生の不可解な不条理に泣く者よ「この人を見よ」。この人の最後の言葉、「召されるまで、祈りを欠かさず、静かに暮らしていけたら幸いだと思う。」とは人生の「成功者の言葉」ではないか。「幸いだと思う」という言葉はどこから来るか。「キリスト者として」がその秘密である。相原さんはついに肉の目は開かなかったが、霊眼が開いて幸福な人生になった。相原さんは言うに違いない「もう一度人生をやり直せるなら同じ道を歩みたい」と。嘘だと思うなら本人に聞いていただきたい。

●相原さんは現在87歳。過日「無教会全国集会」に来ておられた。手記の最後の4行は老後の過ごし方として私にもよい手本を示してくれている。自戒。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想終わり。

●妻は友人達と飯能方面に小登山、ハイキング。多少風邪気味だが、妻は山に登ると直ってしまうと言う。
●TSK日本語版詩篇9編。10編。











トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


性格の不一致による離婚 ++++++++ 所感

2014/01/28 06:13

140128(火)4時半起床●朝の黙想「性格の不一致による離婚」●過日、長年親しくしてきた友人が離婚した。奥さんの方に子供二人を残した。彼曰く「性格の不一致」だという。具体的に何が起こったのかわからないが、悲劇である。彼はうまく人生を渡って行けるのだろうか、心配である。●あっそうだ、これも最近のことだがもう一人いる。今度は女性だ。夫と性格が合わなくて自分が病気になってしまったからだと「理由」を言う。●現在離婚率は3割とも4割とも言われる。●現在日経新聞の「私の履歴書」に連載中の指揮者小沢征爾はピアニストの江戸京子と離婚、その後モデルの入江美樹と結婚した。その師のカラヤンなんぞは3回も結婚した。これら4人はすべて芸術家である。●離婚の真相は当事者でなければ分からないが、「うまくいかなくなった」のが原因であった。今朝はこの現実的に深刻な問題を聖書的に考えてみよう。●有名建築家は判でついたように離婚している。ライト、丹下、黒川・・・離婚は残された子供が不幸になる。精神的にも経済的にも。●心に残る結婚式での牧師の言葉がある。新郎新婦の二人に誓わせるとき牧師が「〇〇さん。あなたは◎◎さんが病める時も健やかなる時も、たとえ人から捨てられる時てもあなただけは◎◎さんを愛し続けますか」と言った。二人は「ハイ」と言ったが、その後二人の子供を残して離婚。アー、あの時の誓いはなんだったのだろう。むなしい「誓い」であった。二人は神を信じていなかった。形式だけの誓いであった。●次の例も心に残っている。立教大学のチャペルで結婚を控えた男女の婚前の教育で牧師がこう言った。「結婚は色の違う者同士が混ざり合って全く別の色になるのである。片方の人間が、『私と同じ色になりなさい』と相手を強要するのは良くない」と。あの時聞いていた何十組の男女はその後どのようになったのかなー●今や結婚式の5割近くが「キリスト教式だと言う。●しかし離婚というゴタゴタを通して神のもとにある「真の安らぎ」を得られればその悲しみも「救いに益」となる。今朝は思いつくままに聖書のあちこちを見てみよう。 何が本当の幸福であるか、その「幸福論」の問題でもある。

塚本訳 マタ 19:3-6
19:3 そこにパリサイ人たちが近寄ってきて、イエスを試そうとして言った、「何か理由があれば、妻を離縁してもよろしいか。」
19:4 答えて言われた、「造物者が始めから『彼らを男と女とに造られた』こと、
19:5 また、『それゆえに人は父と母とをすてて妻に結びつき、二人は一体となる』と言われたことを、あなた達は読んだことがないのか。
19:6 従って、もはや二人ではない、一体である。だから夫婦は(皆)神が一つの軛におつなぎになったものである。(どんな理由があっても)人間がこれを引き離してはならない。」


●6節。塚本訳の「どんな理由があっても」の敷衍は意味が深い。塚本訳は「伝道者訳」である。
●あるとき、塚本先生に「私達の結婚は『神が一つの軛におつなぎになったもの』でなく、あの時は『浮かれていたのであった』から離婚します」と手紙を出した。すると先生は激怒。結婚は神に「浮かされて」成立するものだと言われた。同じ6節の「夫婦は(皆)」の(皆)の敷衍も伝道者訳である。苦心の訳である。

塚本訳 Ⅰコリ7:15-16
7:15 しかし不信者の夫(なり妻なり)が別れるなら、別れさせよ。こんな場合に、兄弟なり姉妹なり(つまり信者)は(結婚に奴隷として)束縛されてはいない。神は平和な生活へあなた達をお召しになったのである。(無理があるのは、御心ではない。)
7:16 なぜか。妻よ、夫を(信仰に導いて)救うことができるかどうか、どうしてわかるのか。また夫よ、妻を救うことができるかどうか、どうしてわかるのか。


●この箇所のカッコ内の敷衍は塚本訳の苦心の訳であって塚本訳が単なる逐語訳でないことがわかる。塚本訳は伝道者訳である。
●結婚は至上の幸福ではない。神と個人との平和な生活が至上の幸福である。
●個人が神と向かい合う生活が結婚の本質。妻も夫も単なる隣人である。然り、子供も隣人である。
1月14日のブログ参照。脳性小児麻痺で12歳で召された典子ちゃんの父親は次のように言った。

P65 父親 森田外雄

「つらいということを超えて、典子の存在そのものが喜びであった。」

「典子を神様から委ねられたひとりの隣人として愛することを学んできた。」

「神の大いなる肯定のもとで、親としてなすべきことをなしたに過ぎない。」 

 

P119 父親 森田外雄。典子ちゃんの記念文集「あとがき」

典子の一生は11年10か月の短い、そして人の目にはあまりにも惨めな生涯でしたが、しかしそれは ―--三谷(隆正・・高橋注)先生もどこかでそういう意味のことを書いておられましたが―――典子なりに完成した一生であって、私たちが機にふれて典子のことを想い出すときに、私たちはその完成の姿によって教えられ、慰められ、また励まされた。

P121

人生に悲しみは数多くありますが、その深刻さにおいて、子をと喪った親の悲しみにまさる悲しみはないとおもいます。・・・

次のひとつのことだけは言っておきたいと思います。「これは最重症の脳性マヒの子をもった不幸な両親の苦しい戦いの記録ではない。その愛する者の生と死をとおして、福音の喜びにふれ、イエス・キリストをより深く知ることを許された幸いな父と母、キリストにあって、よき師、よき友に恵まれた幸いな者たちの証しであり、賛美である。・・・・


●この森田氏の言葉に思う。結婚はすべていつか「脳性麻痺」のような人間(夫!や妻!)と結婚して「失敗したー」と思う日が来るのだ。

塚本訳 Ⅰコリ7:12-14
7:12 しかしそのほかの人たちに、わたしが言う、主ではない。ある兄弟が不信者の妻を持ち、彼女が彼と一しょに生活することを喜ぶなら、離婚してはならない。
7:13 また、不信者の夫を持ち、その夫が彼女と一しょに生活することを喜ぶ場合の妻は、夫と離婚してはならない。
7:14 (夫婦は結婚生活で一体となるため、)不信者の夫は(信者の)妻によってすでにきよめられており、不信者の妻は兄弟(すなわち信者の夫)によってすでにきよめられているからである。そうでなければ、あなた達の子供は清くないはずであるが、現に彼らはきよい(と認められている)ではないか。


●家庭が崩壊しても子供は神によって清い。なぜか。子供はすべて神によって生まれたものだからだ。
●不純の家庭から熱心なクリスチャンが生まれた例を知っている。あの聖人とまで言われた賀川豊彦は妾の子供であった。日本よりも外国で有名。ノーベル平和賞の候補に上がった。
●「私の父は家を出て行きました。母は家には戻さないでしょう」と言った若い女性がいた。淋しい家庭、暗い家庭。しかしその女性は熱心なクリスチャン。 不幸が幸福に変わった。あの女性今頃どこでどうしておられるか。

塚本訳 マタ 11:16-19
11:16 だが、(気ままな)この時代(の人)を何にたとえようか。子供たちが市場に坐って(嫁入りごっこや弔いごっこをしながら)、こう言って他の子供たちに呼びかけるのに似ている。──
11:17 笛を吹いたのに、踊ってくれない。弔いの歌をうたったのに、悲しんでくれない。
11:18 なぜならその人たちは、ヨハネが来て飲み食いしないと『悪鬼につかれている』と言い、
11:19 人の子(わたし)が来て飲み食いすると、『そら、大飯食いだ、飲兵衛だ、税金取りと罪人の仲間だ』と言うのだから。しかし(神の)知恵の正しいことは、(ヨハネと人の子とによる)その業が証明した。」



●これはどういう意味なのだろう。特に19節。

●まず翻訳比較。

口語訳 マタ 11:19
11:19 また人の子がきて、食べたり飲んだりしていると、見よ、あれは食をむさぼる者、大酒を飲む者、また取税人、罪人の仲間だ、と言う。しかし、知恵の正しいことは、その働きが証明する」。


新改訳 マタ 11:19
11:19 人の子が来て食べたり飲んだりしていると、『あれ見よ。食いしんぼうの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ。』と言います。でも、知恵の正しいことは、その行ないが証明します。」


新共同 マタ 11:19
11:19 人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。しかし、知恵の正しさは、その働きによって証明される。」


文語訳 マタ 11:19
11:19 人の子來りて飮食すれば、「視よ、食を貧り酒を好む人、また取税人・罪人の友なり」と言ふなり。されど智慧は己が業によりて正しとせらる』


●次にこの19節をBbBとTSKで見て、心に響くものをピックアップ。

塚本訳 ルカ 16:16
16:16 (あなた達は聖書を誇るが、時代はもう変っている。)律法と預言書と([聖書]の時代)は(洗礼者)ヨハネ(の現われる時)までで、その時以来神の国の福音は伝えられ、だれもかれも暴力で攻め入っている。


塚本訳 ヨハ 10:20
10:20 そのうち多くの者は、「あの人は悪鬼につかれて、気が狂っている。どうしてあなた達はあんな人の話を聞くのか」と言い、


塚本訳 マタ 9:11
9:11 パリサイ人はこれを見て、弟子たちに言った、「なぜあなた達の先生は、税金取りや罪人と一しょに食事をするのか。」


塚本訳 ルカ 5:29-30
5:29 レビがイエスのために家で大宴会を催すと、税金取り、その他の人々が大勢、(イエスや弟子たちと)共に食卓についていた。
5:30 パリサイ人とパリサイ派の聖書学者が弟子たちに向かってつぶやいた、「なぜあなた達は税金取りや罪人と一しょに飲み食いするのか。」


塚本訳 ルカ 7:34
7:34 人の子(わたし)が来て飲み食いすると、『そら、大飯食いだ、飲兵衛だ、税金取りと罪人の仲間だ』と言うのだから。


塚本訳 ルカ 15:1-2
15:1 さて、イエスの話を聞こうとして、(いつものとおり)税金取りや罪人が皆近寄ってきた。
15:2 パリサイ人と聖書学者たちがぶつぶつ呟いて言った、「この人は罪人を歓迎するし、また(招かれていって)食事までも一しょにする。」


塚本訳 ルカ 19:7
19:7 皆がこれを見て、イエスは(税金取りのような)罪人の所に入りこんで宿を取った、と言ってぶつぶつ呟いた。


●アーソウカ。神の国では人を見る目は既存の人間の尺度ではいけないのだ。既存の尺度とは「人間の作った制度、習慣、形式」。
●クリスチャンは自分の所属する教派の神学で他人を裁いてはいけない。
●カトリック信者とプロテスタント信者の結婚は難しいと言われている。お互いが自分の「教派神学」に熱心だからだ。国際結婚の難しさも同じ。これを克服するためには双方が「聖書」に固く結びつくことだ。
●塚本先生の弟子(女性)が、矢内原先生系のF氏と結婚する事になった。塚本先生は結婚式の時、その女性に「あなたとは今日を限りに子弟の関係断つ」と言われた。その女性は泣き、参列者も泣いた。矢内原先生は二度とこういう結婚式には出たくないと言われた。クリスチャンの結婚は「特攻隊」のようなものだ。片道の燃料だ。戻れないのだ。この世の一般常識ではない。

塚本訳 マタ 15:1-6
15:1 そのころパリサイ人と聖書学者たちがエルサレムからイエスの所に来て、
15:2 「あなたの弟子はなぜ先祖の言伝えをふみにじるのか。食事をする時に手を洗わないではないか」と言った。
15:3 彼らに答えられた、「では(わたしも)一つ尋ねる、あなた達も自分の言伝えで神の掟をふみにじっているが、あれはどうしたのか。
15:4 神は、『父と母を敬え、』また『父または母を罵る者は必ず死に処せられる』と言われたのに、
15:5 あなた達はこう言うのだから。──『父または母にむかって、わたしがあなたに差し上げるはずのものは(神への)供え物にする、と言う者は、
15:6 父または母を敬わなくてよろしい(、扶養の義務をまぬかれる)』と。こうして、あなた達は自分の言伝えで神の言葉を反故にしている。

●人間は先祖の風習や自分の尺度で人を量っているが、それはこの世のこと、人間の人生観。神の国は人間の習慣なし。形式なし。

塚本訳 ルカ 20:34-36
20:34 イエスは言われた、「この世の人はめとり嫁ぐけれども、
20:35 あの世にはいる資格を与えられて、死人の中から復活する者は、めとることもなく嫁ぐこともない。
20:36 復活によって生まれる彼らは、天使と同じであり、神の子であるので、もはや死ぬことが出来ない、(従って子を産む必要がない)からである。


●来世では結婚なし。家庭生活なし。天使のようになるのだ。
●しかしこの世では結婚は「小事」であるからこれに忠実でなければならない。隣人としてこれを愛さなければならない。

塚本訳 Ⅰコリ7:39-40
7:39 妻は夫が生きている間は、(夫に)束縛されている。しかしもし夫が眠ったなら、望みの人と結婚することは自由である。ただ主にあって(信者とだけ)すべきである。
7:40 しかしもしそのままにしておれば、より仕合わせである。これはわたしの意見であるが、わたしも神の霊をいただいていると思う。


●再婚必ずしも罪ではない。しかしそれは神に国のためにすべきである。離婚した人は、今度こそ「主にあって」「主のために」結婚すべきである。
●再婚否定の藤井武は再婚した黒崎幸吉との間にひびが入った。塚本虎二は「再婚は罪ではない。それはこの世のことだから」という見解。
●塚本虎二先生が最も嫌いだったことは「結婚相談」。ある人が「先生のご推薦される方ならだれでも構いません」と結婚相手を選んでいただこうとお願いしたところ、「カタワでもいいですか!」と言われた。

塚本訳 Ⅱコリ7:10
7:10 なぜなら、神の御心に沿った悲しみは、(人を)救いに入れる悔いのない悔改めをもたらすけれども、この世(的)の悲しみは、(絶望と)死をもたらすからである。


●家庭崩壊は悲しいことである。みじめなことである。辛いことである。みっともないことである。恥である。しかしそれによって永遠の命を得られるようになれば、それもまた益である。

塚本訳 ロマ 8:28-30
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。
8:29 というのは、神は(世の始まる前に)あらかじめお選びになった人たちをば御子(キリスト)と同じ姿にすることを、あらかじめお定めになったからである。──これは(こうして出来た)多くの兄弟たちの中で、彼を長男にするためである。──
8:30 そして(時が来ると)あらかじめお定めになった人たちを召し、お召しになった人たちを義とし、義とした人たちには栄光をお与えになるだろう。

●Sさんは結婚一日目で破局。その後「聴罪師」になって主のために尽くされた。そのご主人もまたその後主のために尽くされた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想終わり。人間の思う幸福は真の幸福ではない。それを失う時に神は真の幸福に導く。栄光神にあれ。

●TSK日本語版詩編8章
●風邪がなかなか治らないので再度池谷医院へ。喘息だという。
●孫の風人が鼻を骨折。昨日無事手術が終わって明日退院との母親からのメール。写真も添付してあった。感謝。




















トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


後期高齢信者学成り難し ++++++++ 所感

2014/01/27 06:20

140127(月)朝の啓示「少年老い易く学成り難し」●昨日の集会の帰りに信仰の先輩から、「そんなことを勉強していてはだめだ。残りは少ない。もう5年刻みだよ」と忠告された。●それがあってか、今朝の啓示は「少年老い易く学成り難し」であった。この意味をネットで調べると次のようであった。

●少年老い易く学成り難し
(しょうねんおいやすくがくなりがたし)とは、若いうちはまだ先があると思って勉強に必死になれないが、すぐに年月が過ぎて年をとり、何も学べないで終わってしまう、だから若いうちから勉学に励まなければならない、という意味の
ことわざである。 同じ出典による「一寸の光陰軽んずべからず」もことわざとして用いられる。

●そこで次のような言葉もあることを知った。

少年に学ばざれば老後に知らず。 若いうちにきちんと勉強して知識を増やしておかないと、年をとってから物を知らないために苦労することが多いといういましめ。

●私は70歳だから、後期高齢者である。そしてキリスト者であるから、「後期高齢信者」である。若くはない。 残り時間は少ない。では残る人生、何をすればよいのかを黙想する。

塚本訳 ルカ 16:9-11
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。
16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。
16:11 だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。

塚本訳 マタ 6:19-21
6:19 (このように、何事も天の父上相手でなければならない。たとえば)あなたたちは衣魚や虫が食い、また泥坊が忍び込んで盗むこの地上に宝を積まず、
6:20 衣魚も虫も食わない、また泥坊が忍び込むことも盗むこともない天に、宝を積んでおきなさい。(そうでないと、心が天に向かないであろう。)
6:21 宝のある所に、あなたの心もあるのだから。


塚本訳 マタ 19:21
19:21 イエスは言われた、「完全になりたければ、家に帰って持ち物を売って、(その金を)貧乏な人に施しなさい。そうすれば天に宝を積むことができる。それから来て、わたしの弟子になりなさい。」

塚本訳 ヘブ 11:26
11:26 彼は『キリストの(受けられる)罵りを(受けることは)』、エジプトの宝にまさる大なる富と考えたのである。(来るべき天からの)報いに目を向けていたからである。

塚本訳 ピリ 3:13-14
3:13 兄弟達よ、私はまだ自分で(それを)捉えたなどとは考えていない。しかし(ただ)一つの事──後ろのものを忘れ、前のものを追い求めながら、
3:14 (或る)目標に向かって、すなわち神がキリスト・イエスにおいて天上に招き給う褒美に向かって(ひた走りに)走っているのである。

塚本訳 Ⅰコリ9:26-27
9:26 わたしはそれゆえに、目標があいまいでないように走る。空を打たないように拳闘をする。
9:27 いや、自分の体を打ちたたいて征服する。人には(福音を)説きながら、自分では失格するようなことのないためである。

塚本訳 ルカ 18:1-8
18:1 なお、気を落さずに常に祈るべきことについて、一つの譬をひいて弟子たちに話された、
18:2 「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官があった。
18:3 またその町に一人の寡婦がいた。いつもその裁判官の所に来ては、『(早く裁判をして)わたしのため敵に仕返しをしてください』と言っていた。
18:4 裁判官はしばらくの間は取り合おうとしなかったが、あとでひそかに考えた、『わたしは神を恐れず、人を人とも思わないが、
18:5 この寡婦はどうもうるさくて、やりきれないから、(裁判をして、)この女のために仕返しをしてやろう。そうしないと最後にはやって来て、わたしをどんなひどい目にあわせるか知れない。』」
18:6 それから主は言われた、「この不埒な裁判官の言うことを聞け。
18:7 (こんな男でもこのとおり。)まして神が、夜昼叫んでいるその選ばれた人々のために仕返し(の裁判)をせず、気長に放っておかれることがあろうか。
18:8 わたしは言う、間もなく彼らのために仕返しをされるであろう。しかし人の子(わたし)が来るときに、はたして地上に信仰(をもつ人)が見当るだろうか!」

塚本訳 マタ 25:1-13
25:1 (人の子が来る)その時、天の国は、十人の乙女がそれぞれランプを手に持って花婿を迎えに出かけるのたとえられる。
25:2 そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。
25:3 愚かな女たちはランプを持っていったが、(予備の)油を持ってゆかず、
25:4 賢い女たちは油を入れ物に入れて、ランプと一しょに持っていった。
25:5 ところが花婿がおそくなったので、皆眠気がさして眠っていた。
25:6 すると夜中に、『そら、花婿だ。迎えに出よ』と呼ぶ声がした。
25:7 そこで乙女たちは皆目をさました。それぞれランプを用意した。
25:8 愚かな女が賢い女に言った、『油を分けてくれませんか。わたし達のランプは(油がなくなって)消えそうです。』
25:9 賢い女は答えた、『自分たちとあなた達の分には、とても足りそうにない。それよりも店に行って、自分でお買いなさい。』
25:10 しかし彼らが買いに行っているあいだに花婿が着いたので、用意のできていた(賢い)女たちは花婿と一しょに宴会場に入り、戸はしめられた。
25:11 あとでほかの(愚かな)乙女たちも来て、『御主人さま、御主人さま、あけてください』と言った。
25:12 しかし主人は、『アーメン、わたしは言う。わたしはあなた達を知らない』と答えた(という話)。
25:13 だから(たえず)目を覚ましておれ。あなた達は(人の子が来る)その日も時間も知らないのだから。

塚本訳 ルカ 2:25-32
2:25 さて(そのころ)エルサレムに名をシメオンという人がいた。この人は正しい、信心深い人で、イスラエルの慰め(である救世主)を待ち望み、聖霊が彼をはなれなかった。
2:26 かつ主の救世主を見ないうちは決して死なないと、かねて聖霊からお告げを受けていた。
2:27 (この日)御霊に感じて宮に行くと、ちょうど両親が、律法の仕来りどおり幼児イエスに行おうとして彼をつれて入ってきたので、
2:28 シメオンは幼児を両腕に抱き、こう言って神を讃美した。──
2:29 今こそ、主よ、あなたはこの僕をしてお言葉のとおり安らかに(この世に)暇乞いをさせてくださいます、
2:30 わたしの目が『もうあなたの救いを拝見しました』からです。
2:31 この救いこそ、あなたが『全人類の(ため、その)目の前で』用意されたもの、
2:32 『異教人には啓示を、』あなたの民『イスラエルには栄光をあたえる』『光』であります。


塚本訳 ルカ 2:36-38
2:36 また、アセル族のパヌエルの娘に、アンナという女預言者があった。非常に年を取っていて、娘時代の後、七年の結婚生活をおくり、
2:37 (その後)八十四歳(の今日)まで寡婦ぐらしをしていた。(片時も)宮を離れず、夜も昼も断食と祈りとをもって(神に)奉仕していたが、
2:38 (シメオンが預言している)ちょうどその時、近寄ってきて(幼児について)神に感謝をささげ、またエルサレムの人々のあがないを待ち望むみんなの人に、この幼児のことを話した。

塚本訳 ロマ 9:1-3
9:1 私はキリストにある者として本当のことを言う、嘘はつかない。わたしの良心も聖霊によって、(それが本当であることを)保証してくれる。
9:2 (わたしが急にこんなことを言い出したら信じてくれないかも知れないが、)わたしに大きな悲しみと、心に絶えざる痛みとがあるのである。
9:3 ほんとうに、兄弟すなわち血を分けた同胞の(救われる)ためならば、このわたしは呪われて、救世主(の救い)から離れ落ちてもよいと、幾たび(神に)願ったことであろう。

塚本訳 Ⅰコリ16:21-22
16:21 (最後に、)パウロが自筆で挨拶する。
16:22 主を愛しない者があるなら、呪われよ!、マラナ、サ(主よ、来てください)!

塚本訳 Ⅱテモ2:14-15
2:14 (皆に)これらのことを思い出させ、(また)論争しないように神の御前で確と言いきかせよ──論争は何の役にも立たず、(ただ)聞く者を堕落させる(だけである。)
2:15 自分を、神の御前に試練を経た者、真理の言を正しく示す、恥ずる所のない労働人とするよう努力せよ。

塚本訳 Ⅱペテ3:12-14
3:12 神の日の到来を待ち望みつつ(これを)早め(ることに努力せ)ねばならぬことであろう!その日『天は』焼けて解け去り、日月星辰は燃えて『溶けるであろう』。
3:13 しかし私達は彼の約束によって、義の住む『新しい天』と『新しい地』とを待ち望む。
3:14 だから愛する者よ、これを待ち望むならば、(その日)神に汚点のない、疵のない、平安にある者として見られるよう努力せよ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想おわり。

●私の中学校の同期の女性Hさんは、牧師の妻となった。お父上の救いを祈り続けている。そのお父上は「お前は幸せそうだねー、幸せそうだねー」と常に言っておられるという。これでいいのだ、これでいいのだ。あとは神の領域だ。
●私の知る徳島のKさんという女性は、お父上が入院されたとき、その病室に行くたびに、お父上に背を向けて、部屋の片隅でボソボソと祈ってから帰ったと言う。あるときそのお父上が、死んだらお前の信じている神様のところに行きたいと言いだし、葬儀はキリスト教で執行したという。万歳!。これだ、これでいいのだ。これがいいのだ。相手を悔い改めさせて天国に行かせようとするのは間違いなのだ。自戒。上記Ⅱペテ3:14「平安にある者として見られるよう努力せよ」がこれだ。
●私の知るO君は、ご両親がクリスチャンで「幸せそう」なので自分もクリスチャンになりたくなって信者になったという。
●「妻の顔は夫の成績表」と言われるが、夫の信仰の程度、またその信仰が本物かどうかは妻の顔を見ればわかる。逆又同じ。「夫の顔は妻の成績表」
●天下国家を断罪攻撃することが「地の塩」としての信者の証しだなどと思って常に目をギラギラさせ、人相が悪い人間では誰もその人の影響でキリスト信者にはなりたがらない。「幸せそう」ではないからだ。(高橋節)
●世の悪を断罪して悔い改めさせるのが信者の使命だなどと考えなくてよいのだ。自分が「罪の赦しを戴き、復活と永遠の命」を固く信じ貫き、苦難にも「ナンノコレシキ」と言って平安であれば、皆が「彼は幸せそうだ」と思って、「神の救い」を目指すようになるのだ。無理に伝道なんぞはしなくてよいのだ。それは逆効果だ。

塚本訳 マタ 5:14-16
5:14 あなた達は世の光である。山の上にある町は隠れていることは出来ない。
5:15 また、(せっかく)明りをともして枡をかぶせる者はない。かならず燭台の上に置く。すると、家の中におる人を皆照らすのである。
5:16 そのようにあなた達も、その光を世の人の前に輝かし、人があなた達の良い行ないを見て、あなた達の天の父上をあがめるようにせよ。


●夜、帰宅の道で、非常に遠くにある御岳山の「山の上にある灯」が不思議によく見える。そのときはすぐこの「山の上にある町は隠れていることは出来ない。」という言葉を思う。聖書学者のJ・エレミヤスはこの灯は「終末の灯」だという。私は「幸せそうな光の子」として死ねるだろうか。

塚本訳 エペ 5:8
5:8 君達はかつては暗であったが、今は主に在って光である。光の子らしく歩け──

塚本訳 Ⅰヨハ1:7
1:7 しかしもし神が光の中にあるように、わたし達も光の中を歩いているならば、(神と交わりを持ち、従って)互に(まことの)交わりを持つ(ことができる)のである。そして(たとい罪を犯すことがあっても)、その子イエスの血があらゆる罪から清めてくださる。(かくてわたし達は光の子となるのである。)

●TSK日本語版詩編7章
●NHKFN「きらクラ」でまた私のコメントが読み上げられた。イントロクイズは50勝27敗。
●郵便局、プリンターインク、図書館。徒歩で2.5時間。

2014_01270004.jpg 

庭の福寿草が咲いた。ヨハンシュトラウスの「春の声」を思う。 次のサイトは森麻季のソプラノ。

http://www.youtube.com/watch?v=RFFXaLuFUE8

森麻季は「出っ歯」であることが以前から気になっていたが、ソプラノの発声には出っ歯のままの方が有利ということから、あえて歯の矯正をしないそうだ。納得と共に仕事に対する情熱に脱帽。クリスチャンも貧乏の方が神に心が向くから信仰に有利だ。

塚本訳 Ⅰコリ7:32-34
7:32 ただわたしはあなた達が、(この世のことに)気をつかわないでほしいのである。独身の男は、どうしたら主に喜ばれるかと、主のこと(ばかり)に気をつかうが、
7:33 結婚している男は、どうしたら妻に喜ばれるかと、この世のことに気をつかって、
7:34 心が割れるのである。また独身の女と処女とは、身も霊もきよくあろうとして、主のこと(ばかり)に気をつかうが、結婚している女は、どうしたら夫に喜ばれるかと、この世のことに気をつかうのである。

●独身主義必ずしも神のために尽くせない。結婚して家庭内ゴタゴタで十字架の悩みを負う方が神のために尽くせる。













トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


愛の種類をめぐる断想 ++++++++ 所感

2014/01/26 05:33

140126(日)4時目覚め●朝の黙想「愛の種類をめぐる断想」●愛に関する言葉は不思議と残るものである。
●十字架は義として見るより愛として見た方がその意味が良くわかる。(塚本虎二)
●塚本虎二先生の娘、園子さん(故人、乳飲み子の時に母に死なれた)があるとき、「お父様は、私より療養所の人の方が可愛いんだ」と言って泣かれたことがあった。すると先生は「愛の種類が違うのだ」と言って慰めた。この「愛の種類」という言葉を考えさせられる。
●勤務先の女子大の生徒の質問。「先生は奥さんが運命の人だったのですか?」
●小1の孫娘。私の顔を見上げて「オジーチャン。『恋』ってしたことあるの?」と質問。そのとき私は「ウーン」と言っただけだったが、彼女がもう少し大きくなったら「振られちゃったんだよ」ということを話そうかと思っている。
●神学者のニーグレンに「アガペーと江ロース」と言う大著があるようだが、この世的な愛と神の愛は違うということが書いてあるのだろう。読まなくてもわかる。聖書そのものを読んだ方が力があって時間の節約。それよりも「愛」は現実生活での方が学べる。
●日本にキリスト教が入る前には「愛」とは好きとか惚れるという概念であったそうだ。生まれつきの人間が「愛する」と言う時、それは大抵が「好き」とか「惹かれる」とか「恋」の事なのだ。恋はドロドロになる。不自由になる。
●新約聖書が指し示す「愛」とは「恋や恋愛」ではなく「犠牲死」の愛、「罪を赦す愛」であることは55年間、聖書を読み続けてきた結論であるが、「恋」も「好き」も「惹かれる」も「犠牲死の愛」もごちゃまぜで、聖書に出てくる「愛」の概念を黙想してみよう。思いつくまま、目覚めに寝床でメモした箇所。


口語訳 創  2:20-23
2:20 それで人は、すべての家畜と、空の鳥と、野のすべての獣とに名をつけたが、人にはふさわしい助け手が見つからなかった。
2:21 そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。
2:22 主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。
2:23 そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、/わたしの肉の肉。男から取ったものだから、/これを女と名づけよう」。


●「女」は男を「助けること」が創造の目的。秩序。だから男は助けられるにふさわしい人物でなければならない。ICUで集まりがあった時、お茶を出してくれたその大学の某女子学生曰く。「この学校の男子は草食系が多くて頼りない」。イマドキ女性が晩婚なのは男がダメなのだ。


口語訳 創  24:15-19
24:15 彼がまだ言い終らないうちに、アブラハムの兄弟ナホルの妻ミルカの子ベトエルの娘リベカが、水がめを肩に載せて出てきた。
24:16 その娘は非常に美しく、男を知らぬ処女であった。彼女が泉に降りて、水がめを満たし、上がってきた時、
24:17 しもべは走り寄って、彼女に会って言った、「お願いです。あなたの水がめの水を少し飲ませてください」。
24:18 すると彼女は「わが主よ、お飲みください」と言って、急いで水がめを自分の手に取りおろして彼に飲ませた。
24:19 飲ませ終って、彼女は言った、「あなたのらくだもみな飲み終るまで、わたしは水をくみましょう」。


●リベカは美しかったが、その前に「心が美しかった」。世の男性に告ぐ。女性は「親切で、心が優しい」人がよい。間違っても「美人」の尺度で決めるな。

口語訳 箴  19:14
19:14 家と富とは先祖からうけつぐもの、賢い妻は主から賜わるものである。


●良い妻を持つことは成功人生の条件。そのために女を追いかけまわしていては見つからない。真面目に仕事をしていれば、神が「ふさわしい人」を賜る。女性は一生懸命に真面目に仕事をしている男に惹かれるものだ。

●私が若い頃、無教会の大先輩が私の目を見て、文語訳で「賢き妻は主より賜る」(箴言19:14)と突き刺した。結婚は人間の熱心で結ばれると神の栄光が上がらない。失敗する。神が決める。

●東大卒、大蔵省の男性と結婚したクリスチャンの某女。晩年になって「わたしは結婚に失敗したー、失敗したー」と嘆いた。当たり前だ!。学歴や地位に目が眩んだからだ。しょうがない。人生も残り少ない失敗の人生も運命だ。夫は祈りの対象だ。

塚本訳 ルカ 10:25-29
10:25 するとそこに、ひとりの律法学者があらわれて、イエスを試そうとして言った、「先生、何をすれば永遠の命がいただけるのでしょうか。」
10:26 イエスは言われた、「律法[聖書]に何と書いてあるか。解釈はいかに。」
10:27 学者が答えた、「『心のかぎり、精神のかぎり、力のかぎり、』思いのかぎり、『あなたの神なる主を愛せよ。』また』隣の人を自分のように愛せよ』です。」
10:28 彼に言われた、「その答は正しい。『それを実行しなさい。そうすれば(永遠に)生きられる。』」
10:29 すると学者は照れかくしにイエスに言った、「では、わたしの隣り人とはいったいだれのことですか。」


●「隣の人を自分のように愛せよ」とは難しい。人間は本能的に自分を一番愛する。
●私のような質問は上記の律法学者と同じ。愛の行いの少ない人間。だから「照れかくし」に29節の質問を発した。「照れかくし」とは塚本の名訳。

塚本訳 マタ 6:24
6:24 (わたし達の心は天か地かに引かれる。)だれも(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。


●救世軍のブース大将夫人は「金持ち」に伝道するのは難しいと言ったそうだ。

塚本訳 Ⅰテモ6:10
6:10 あらゆる悪の根は金を欲しがることにあるから。或る人はこれに憧れて信仰から迷い、多くの苦痛で自分を刺し通した。


●日本基督教団の某教会の信者「ウチの牧師は献金の多い信者を玄関まで見送る。俺なんか一度も見送られたことなんかない」。ブルータスお前もか!!。


塚本訳 ルカ 16:12-13
16:12 もし他人のもの[この世のこと]に忠実でなかったならば、だれがあなた達のもの[天のもの]をあなた達に与えようか。
16:13 しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。」


●プロテスタントの生き方は、主にあってこの世の小事を愛すること。しかし「それに心を奪われてhさならない」という塚本訳はすごい敷衍だ。小事(政治経済健康家庭財産)に忠実でなく、すぐ修道院に飛び込んだり、聖書で飯を食う仕事に付こうとする人間は聖書の読みが浅い。そんな人間が聖書を説いても、この世で苦労している人間は誰も耳を傾けない。

塚本訳 ヨハ 3:16
3:16 そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである。


●この聖書中の聖書の句はイエス本人の思いであったのだろうが、本人の言葉ではないであろうことは素人の私にもわかる。
●ここで「この世」を愛された。という所に気がひかれる。


塚本訳 ロマ 8:38-39
8:38 なぜなら、わたしは確信している、死んでも命でも、天使でも支配(天使)でも、現在起こっていることでも将来起こることでも、権力(天使)でも、
8:39 高い所のものでも低い所のものでも、その他どんな創造物でも、わたし達の主キリスト・イエスによる神の愛から、わたし達を引き離すことはできない。


●パウロの絶頂。


塚本訳 Ⅰコリ13:12-13
13:12 わたし達はいまは(何事も)鏡でおぼろに見ているが、(完全なものが来る)その時には、顔と顔と相対してみるのである。いまはわたしは部分的に知っているが、その時には、(今神に)知りつくされているからそのようにわたしも知りつくすであろう。
13:13 それゆえに、いつまでものこるものは信仰と希望と愛、この三つ。しかし、この中で一番大きいのは愛!


●信仰も希望も神の入愛があればこそ。

塚本訳 マタ 19:4-5
19:4 答えて言われた、「造物者が始めから『彼らを男と女とに造られた』こと、
19:5 また、『それゆえに人は父と母とをすてて妻に結びつき、二人は一体となる』と言われたことを、あなた達は読んだことがないのか。


●「可愛いものには旅をさせよ」。結婚生活は苦難の旅。しかしその苦難は神の愛から。神の愛を教えられるため。

塚本訳 ロマ 5:5-8
5:5 そしてこの『希望は(必ず実現して、わたし達を)失望させることはない。』神はわたし達に聖霊を授け、それによって愛をわたし達の心の中に(いつも豊かに)注いでいてくださるからである。
5:6 なぜなら、わたし達がまだ弱くあったとき、当時まだ不信心者の(わたし達の)ために、キリストは死んでくださったからである。
5:7 (驚くべき神の愛!人間の世界では、)義人のために命をすてる者はほとんどあるまい。善人のためならば、惜しげもなく命をすてる者が、あるいはあるかも知れない。
5:8 しかしわたし達が(義人でも善人でもなく、)まだ罪人(神の敵)であったとき、キリストが私たちのために死んでくださった。このことによって、神はわたし達に対する愛をお示しになったのである。


●これが新約聖書の本質。

塚本訳 Ⅰヨハ4:10
4:10 わたし達が神を愛したことではなく、彼がわたし達を愛し、その子をわたし達の罪のための宥め(の供物)として遣わされたそのことに、愛があるのである。


●罪の赦しが最高の愛。

塚本訳 マタ 5:14-16
5:14 あなた達は世の光である。山の上にある町は隠れていることは出来ない。
5:15 また、(せっかく)明りをともして枡をかぶせる者はない。かならず燭台の上に置く。すると、家の中におる人を皆照らすのである。
5:16 そのようにあなた達も、その光を世の人の前に輝かし、人があなた達の良い行ないを見て、あなた達の天の父上をあがめるようにせよ。


●こうなれるか。自力ではできるか。実行不可能。無理に十字架を負わされたときに神の力でできる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

朝の黙想終わり。


●10:00 集会は 川上(司会)、高木(助川先生の論考紹介)、横田(教会史)。
●14:00 新宿文化センターで「高田馬場管弦楽団」コンサート。妻と行く。 
指揮 森山崇(パーカッションの出身。さすがリズムが良かった)
 オールチャイコフスキープログラム。
  「1812年」
 「ピアノ協奏曲第一番」(P上野優子)
 「交響曲第一番冬の日の幻想」。
妻は疲れたのか、途中スヤスヤと眠っていた。
●帰宅後、妻の手伝いで「女の視点で語る」の原稿整理、パソコン入力。





  
















トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


極度の悲しみの時に現れてくださる神 ++++++++ 所感

2014/01/25 06:05

140125(土)4時目覚め●朝の黙示「極度の悲しみの時に現れてくださる神」●人生に極度の悲しみの時がある。その時、声や人の姿が現れて、励ましてくれたり、涙を拭って下さる。●そうすると人は無類の強さを発揮する。神の子イエスもゲッセマネでは極度の悲しみに陥ったが、天使が現れて励まされると強くなった。イエスにとっては十字架の苦は単に肉体の苦、本当の苦はゲッセマネの精神的苦痛であった。●聖書には人が極度の悲しみ陥った時に神の方から現れてくださることが沢山ある。これだから人生は楽だ。神が味方なのだから。●その例を思いつくママに寝床でメモしたままを掲げてみよう。

口語訳 Ⅰ列 17:1-9
17:1 ギレアデのテシベに住むテシベびとエリヤはアハブに言った、「わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられます。わたしの言葉のないうちは、数年雨も露もないでしょう」。
17:2 主の言葉がエリヤに臨んだ、
17:3 「ここを去って東におもむき、ヨルダンの東にあるケリテ川のほとりに身を隠しなさい。
17:4 そしてその川の水を飲みなさい。わたしはからすに命じて、そこであなたを養わせよう」。
17:5 エリヤは行って、主の言葉のとおりにした。すなわち行って、ヨルダンの東にあるケリテ川のほとりに住んだ。
17:6 すると、からすが朝ごとに彼の所にパンと肉を運び、また夕ごとにパンと肉を運んできた。そして彼はその川の水を飲んだ。
17:7 しかし国に雨がなかったので、しばらくしてその川はかれた。
17:8 その時、主の言葉が彼に臨んで言った、
17:9 「立ってシドンに属するザレパテへ行って、そこに住みなさい。わたしはそのところのやもめ女に命じてあなたを養わせよう」。


●エリヤは朝ごとにカラスが運ぶパンと肉を食べた。

口語訳 申  8:3
8:3 それで主はあなたを苦しめ、あなたを飢えさせ、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナをもって、あなたを養われた。人はパンだけでは生きず、人は主の口から出るすべてのことばによって生きることをあなたに知らせるためであった。


●イスラエルは木になるマナという食べ物で生き抜いた。そのマナは朝に食べるもので蓄えておくと腐ってしまうものである。ここから「日毎の食べ物を与えたまえ」という祈りがでる。寄らば大樹の陰で大企業や公務員になろうとするのは信仰を衰えさせる。また年金制度も本当は信仰の為にはよくない。
●この私も子供の下着を買えない時があったが、買ってくださる人がいた。その方はもういない。

塚本訳 マタ 4:3-4
4:3 すると誘惑する者[悪魔]が進み寄って言った、「神の子なら、(そんなにひもじい思いをせずとも、)そこらの石ころに、パンになれと命令したらどうです。」
4:4 しかし答えられた「『パンがなくとも人は生きられる。(もしなければ、)神はそのお口から出る言葉のひとつびとつで(パンを造って、)人を生かしてくださる』と(聖書に)書いてある。」


●「パンがなくとも人は生きられる」と言う意味は悪魔の出すパンに膝を屈することはしなくても、ひもじいときは神がなんとかしてくださると言う意味だ。これは塚本訳の白眉。●冷暖房の効いた部屋で丈夫な奥さんがお茶を出してくれる環境の人にはこういう訳は出来ない。●ヒエロニムスがブルガダを訳した洞窟を見たことがある。冷暖房なし。もちろん電灯なし。かくしてブルガダ(ラテン語訳聖書)は西欧を数百年支配したのだ。●ルターが聖書を訳した部屋も見た。足を蹴る材木があった。ローマ法王という敵を念頭にしていたから6か月という驚異的な速さで新約聖書を訳せた。足を蹴りながら訳したのでその材木はへこんでいた。枯は隠れ家で翻訳したのだ。


口語訳 イザ 6:1-5
6:1 ウジヤ王の死んだ年、わたしは主が高くあげられたみくらに座し、その衣のすそが神殿に満ちているのを見た。
6:2 その上にセラピムが立ち、おのおの六つの翼をもっていた。その二つをもって顔をおおい、二つをもって足をおおい、二つをもって飛びかけり、
6:3 互に呼びかわして言った。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主、その栄光は全地に満つ」。
6:4 その呼ばわっている者の声によって敷居の基が震い動き、神殿の中に煙が満ちた。
6:5 その時わたしは言った、「わざわいなるかな、わたしは滅びるばかりだ。わたしは汚れたくちびるの者で、汚れたくちびるの民の中に住む者であるのに、わたしの目が万軍の主なる王を見たのだから」。


●この部分は人類で最高の文学と言われている。つまり人間が神に出会うと自己の罪に怯えて「滅びるばかりだ」と思うのだ。この極度の悲しみを神の子イエスは贖罪の死で救った。イザヤ書の悲しみは新約で解決する。


塚本訳 ヨハ 5:1-9
5:1 そののちユダヤ人の祭があって、イエスはエルサレムに上られた。
5:2 エルサレムの羊門のわきに、ヘブライ語でベテスダという池があり、(これを取り巻いて)五つの回り廊下があった。
5:3 廊下には大勢の病人──盲人、足なえ、やせ衰えた者などが寝ころがっていた。【水の動くのを待っていたのである。
5:4 それは、主の使がときどき池に下りてきて水をかきまわすので、水がかきまわされたとき真先に(池に)はいった者は、どんな病気にかかっていても、(きっと)直るからであった。】
5:5 するとそこに三十八年病気の人がいた。
5:6 イエスはその人が横になっているのを見、すでに長い間わずらっていることを知ると、「直りたいか」とたずねられた。
5:7 病人が答えた、「主よ、水がかきまわされた時に、わたしを池に入れてくれる者がないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に下りてゆきます。」
5:8 イエスが言われる、「起きて担架をかついて、歩きなさい。」
5:9 するとその人はすぐ直って、担架をかついで歩きまわった。あいにくその日は安息日であった。


●6節。この病人をイエスの方から見た。この目はどんなめであったのだろう。人の心を読む目だったのだ。「直りたいか」と神の子イエスの方から声をかける。極度の悲しみの人生。


塚本訳 使  7:54-60
7:54 これを聞いて(法院にいた)人々は怒り心頭に発し、ステパノに向かって歯ぎしりした。
7:55 しかしステパノは聖霊に満ちて天をじっと見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見ると、
7:56 「おお、天が開けた、人の子が見える、神の右に立っておられる!」と言った。
7:57 すると彼らは大声で叫び、(冒涜の言葉を聞くまいとして)耳をふさぎ、一せいに襲いかかって、
7:58 彼を町の外に突き出し、石で打ち殺した。証人たちはぬいだ上着をサウロという青年の足下に置い(て、番をさせ)た。
7:59 ステパノは打ち殺されながら、イエスの名を呼んで、「主イエス様、わたしの霊をお受けください」と祈り、
7:60 それからひざまずいて、大声で叫んだ、「主よ、どうぞこの罪をこの人たちに負わせないでください!」こう言って、彼は眠りについた。



●56節。ステパノは石打ちの刑にされている極度の悲しみにときにイエスが現れた。この石打の刑をする側に下っ端の側にサウロ(後のパウロ)がいた。(使徒7:58、8:1)


塚本訳 使  26:12-18
26:12 こんな次第で、わたしは大祭司連から全権と委任とを受け、(迫害のため)ダマスコに進んでゆくと、
26:13 王よ、昼に、途中で、天から輝く太陽にもまさる光がさして、わたしと、同行の者たちとのまわりを照らすのを見ました。
26:14 わたし達が皆地上に倒れると、ヘブライ語で、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。刺の棒は蹴っても無駄だ』とわたしに言う声を聞きました。
26:15 わたしは言った、『主よ、あなたはどなたですか。』主が言われた、『わたしだ、君が迫害しているイエスだ。
26:16 さあ、起きて、『自分の足で立て。』わたしが(今)現われたのは、君を選んで、わたしを見たことと、(今からも)君に現われて示すこととの証人として、わたしに仕えさせるためである。
26:17 (かずかずの迫害や危険がのぞむが心配するな。)わたしは君をこの(イスラエルの)民(の手)から、また』異教人(の手)から』『(かならず)救い出してやる。』『彼らの中にわたしが君を遣わすのは、』
26:18 彼らの』目をあけて』彼らが『暗闇から光に、』悪魔の権力から神に帰るため、そうして彼らがわたしに対する信仰によって罪の赦しを得、きよめられた人たちの仲間に入れていただくためである』と。



●パウロは「ステパノ迫害とキリスト信者迫害」の罪悪感があった。その悲しみのところに復活のイエスが現れた。パウロは「赦された」と思った。


塚本訳 ヨハ 20:19-23
20:19 その日すなわち週の初めの日の晩であった。ユダヤ人を恐れて、弟子たちのおる部屋の戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスが(どこからともなく)はいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた。
20:20 そしてそう言いながら、手と脇腹とをお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。
20:21 すると主はかさねて言われた、「平安あれ。父上がわたしを遣わされたように、わたしも(全権を授けて)あなた達を遣わす。」
20:22 こう言いながら彼らに息を吹きかけて、言われる、「聖霊を受けよ。
20:23 人の罪は、あなた達が赦してやれば赦されて消え、赦してやらねば赦されずに残る。」



●ユダヤ人を恐れていた弟子たち。その恐怖の時に復活のイエスは現れた。


塚本訳 ヨハ 20:11-16
20:11 (二人について来ていた)マリヤは(ひとり)墓の外に立って泣いていた。(二人が去ったあと、)泣きながらかがんで墓の中をのぞくと、
20:12 白い衣をきた二人の天使が、一人はイエスの体が置いてあった所の頭の方に、一人は足の方に坐っているのが見えた。
20:13 天使がマリヤに言う、「女の人、なぜ泣くのか。」マリヤが言う、「わたしの主を取っていった者があります。どこに置いたのかわかりません。」
20:14 こう言って後を振り向くと、イエスがそこに立っておられるのが見えた。しかしイエスだとは気づかなかった。
20:15 イエスが言われる、「女の人、なぜ泣くのか。だれをさがしているのか。」マリヤはそれを園丁だと思って言う、「あなた、もしあなたがあの方を持っていったのだったら、どこに置いたか教えてください。わたしが引き取りますから。」
20:16 (こう言って、また墓の方を向いていると、)イエスが「マリヤ!」と言われる。マリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う。(そしてイエスに抱きつこうとした。)



●悲しみに沈んでいたマリヤに現れた復活のイエス。


塚本訳 ルカ 24:13-18
24:13 するとちょうど同じ日に、二人の弟子がエルサレムから六十スタデオ[十一キロ半]離れたエマオという村へ歩いてゆきながら、
24:14 これらの出来事をあれやこれやと話し合っていた。
24:15 二人が(こうして)話したり議論したりしていると、(いつの間にか)御本人のイエスが近づいてきて、一しょに歩いておられたが、
24:16 二人は目をくらまされていたので、それと気がつかなかった。
24:17 二人に言われた、「歩きながら何をそんなに論じ合っているのです。」暗い顔をして二人は立ち止まり、
24:18 一人のクレオパという方が答えた、「(見れば御巡礼のようだが、)エルサレムに滞在していながら、あなただけは、この二三日の間にそこで起ったことを何も知らないのですか。」


●17節。暗い顔をしていた二人に復活のイエスが現れた。


塚本訳 マタ 1:19-21
1:19 夫ヨセフはあわれみぶかい人であったので、(これを公沙汰にして)女を晒し者にすることを好まず、内緒で離縁しようと決心した。
1:20 しかし(なおも)そのことを思案していると、主の使いが夢でヨセフに現われて言った、「ダビデの末なるヨセフよ、心配せずにあなたの妻マリヤを(家に)迎えよ。胎内にやどっている者は、聖霊によるのである。
1:21 男の子が生まれるから、その名をイエス(訳すると、神はお救いになる)とつけよ。この方がその民を罪からお救いになるのだから。」



●ヨセフの苦悩。まずい女性と婚約してしまった。この心配苦悩。そこに天使が現れた。


塚本訳 ルカ 12:31-32
12:31 あなた達はむしろ御国を求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。
12:32 小さな群よ、恐れることはない。あなた達の父上は御国をあなた達に下さるつもりだから。


●この世で小さいもの、小さい教会(エクレシア)は恐れるなということ。 デカイこと必ずしも良くない。長寿そのものは意味なし。


塚本訳 マタ 14:26-27
14:26 弟子たちはイエスが湖の上を歩いておられるのを見ると、幽霊だと思って肝をつぶし、恐ろしさのあまり叫んだ。
14:27 しかしイエスはすぐ彼らに話しかけて言われた、「安心せよ、わたしだ。こわがることはない。」



●これは復活後の出来事ではないかと言われているが、復活のイエスは「幽霊」と思われた。イエスは「安心せよ」と言われた。

口語訳 詩  3:2-5
3:2 「彼には神の助けがない」と、わたしについて言う者が多いのです。〔セラ
3:3 しかし主よ、あなたはわたしを囲む盾、わが栄え、わたしの頭を、もたげてくださるかたです。
3:4 わたしが声をあげて主を呼ばわると、主は聖なる山からわたしに答えられる。〔セラ
3:5 わたしはふして眠り、また目をさます。主がわたしをささえられるからだ。



●主は答えられる。軍事力に頼るな。経済力に頼るな。学歴に頼るな、家柄に頼るな。

塚本訳 ルカ 8:51-52
8:51 家に着かれると、ペテロとヨハネとヤコブと、女の子の父と母とのほかには、だれも一しょに中に入ることを許されなかった。
8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。」



●「泣くな。死は眠りだ」


塚本訳 ルカ 7:11-15
7:11 そのあとで、ナインという町に行かれた。弟子たちおよび多くの群衆も一しょに行った。
7:12 町の門の近くに来られると、ちょうど、ある独り息子が死んで、(棺が)舁き出されるところであった。母は寡婦であった。町の人が大勢その母に付添っていた。
7:13 主は母を見て不憫に思い、「そんなに泣くでない」と言って、
7:14 近寄って棺に手をかけ──担いでいる者は立ち止まった──「若者よ、あなたに言う、起きよ!」と言われた。
7:15 すると死人が起き上がって物を言い出した。イエスは『彼を母に渡された。』



●死は眠り。
●13節。独り息子の死に母は号泣していたのだろう。「そんなに泣くでない」は日本語。


塚本訳 マタ 26:36-38
26:36 ほどなくイエスは弟子たちと一しょに(オリブ山の麓の)ゲッセマネという地所に着くと、弟子たちに言われる、「わたしがあちらへ行って祈っている間、ここに坐って(待って)おれ。」
26:37 そしてペテロとゼベダイの子二人(だけ)を連れて(奥の方へ)ゆかれると、(急に)悲しみおののき始められた。
26:38 それから彼らに言われる、「『心がめいって』『死にたいくらいだ。』ここをはなれずに、わたしと一しょに目を覚ましていてくれ。」



●神の子キリストが「死にたいくらいだ」という。この極度の悲しみ。


塚本訳 ルカ 22:39-46
22:39 それから(都を)出て、例のとおり、オリブ山へ行かれた。弟子たち(十一人)もついて行った。(もう真夜中すぎであった。)
22:40 いつもの場所につくと、彼らに言われた、「誘惑に陥らないように祈っていなさい。」
22:41 そして自分は石を投げれば届くほどの所に離れてゆき、ひざまずいて祈って
22:42 言われた、「お父様、お心ならば、どうかこの杯をわたしに差さないでください。しかし、わたしの願いでなく、お心が成りますように!」
22:43 そのとき天から一人の天使がイエスに現われて、力づけた。
22:44 イエスはもだえながら、死に物狂いに祈られた。汗が血のしたたるように(ポタポタ)地上に落ちた。
22:45 やがて祈りから立ち上がって弟子たちの所に来て、彼らが悲しさのあまり寝入っているのを見ると、
22:46 言われた、「なぜ眠るのか。誘惑に陥らないように、立ち上がって祈っていなさい。」



●神の子イエスの極度の悲しみに天使が現れた。


口語訳 イザ 53:4-5
53:4 まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
53:5 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。


口語訳 詩  88:14
88:14 主よ、なぜ、あなたはわたしを捨てられるのですか。なぜ、わたしにみ顔を隠されるのですか。



●神の子イエスの「悩み、苦しみ、悲しみ」は我々の悲しみをになったのだ。


●聖書以外にも極度の悲しみの時に神が力づけた例。


ジャンヌダークは火刑を宣言されると信仰がぐらついて一度は信仰を撤回するが、再び気を取り直して勇躍火刑台に向かった。シラーは言う。「苦しみは瞬時にして喜びは永遠」と。(シラー、オルレアンの少女の最後)


●ダンテは人生の半ばに道に迷って小暗き道にあったとき、ヴァージルに出会う。ダンテは言う「影にもあれ人にもあれ私を憐れめ」と。これが信仰の入り口。これでいいのだ。これがいいのだ。人生も家庭も小暗き道に迷い込んだら、叫べ「助けてくれー」と。


●私の父は若き日に結核で悩み苦しんだ。臨終のとき、親族が集まり石田友治(旧約学の泰斗である石田友雄氏の御尊父)牧師が最後の祈りを捧げて皆が引き上げた夜。十字架の幻が現れて「罪が赦される」経験をした。翌日酸素吸入器を外す程までに回復、父の復活体験であった。退院して結婚し、三人の男児を与えられた。その次男が私である。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

朝の黙想 終わり。神います。極度の悲しみの時に近づいて慰め励ましてくださる。


文語訳 マタ 5:3-4
5:3 『幸福なるかな、心の貧しき者。天國はその人のものなり。
5:4 幸福なるかな、悲しむ者。その人は慰められん。

●TSK日本語版詩篇5章6章
●妻のウィークデーの集いの資料をスキャンして原稿にする仕事の応援。
●妻は夕方からコーラスのレッスン。






































トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


どう祈ったらよいのか ++++++++ 所感

2014/01/24 08:47

140124(金)4時目覚め。朝の啓示「どう祈ったらよいのか」●孫のHは鼻を骨折した。人は身内が病気になると非常に「うろたえる」ものだ。福音書にはイエスのもとに身内が病気になったときに「悩み苦しみ」をかかえてくる場面がかなりある。そんなときイエスは何と言ったか。●今朝は「どう祈ったらよいのか」を聖書に学ぼう。「お祈りなんて効き目がないや」などとイマドキ野蛮で無教養な人間には、人間の努力活動、科学的方法ではどうしようもない難病が降りかかる。それは実は「神の愛からでた」神の賢い知恵なのだ。

塚本訳 ヨハ 4:46-54
4:46 それから、またガリラヤのカナに行かれた。そこは(前に)水を酒にされた所である。するとカペナウムに(ヘロデ・アンデパス)王の役人がいて、その息子が病気であった。
4:47 イエスがユダヤからガリラヤに来ておられると聞くと、イエスの所に行き、(カペナウムに)下ってきて息子を直してほしいと頼んだ。息子が死にそうだったのである。
4:48 イエスは言われた、「あなた達は徴[奇蹟]と不思議なことを見なければ、決して信じない。」
4:49 王の役人が、「主よ、子供が死なないうちに(カペナウムに)下ってきてください」と言いつづけると、
4:50 イエスは言われる、「かえりなさい、息子さんはなおった。」その人はイエスの言われた言葉を信じて、かえっていった。
4:51 しかしすでに途中で、僕たちが出迎えて、子供がなおったことを知らせた。
4:52 そこで僕たちに良くなった時間をたずねると、「きのう午後一時に熱が取れた」とこたえた。
4:53 父は、それが「息子さんはなおった」とイエスが言われた時間であることを知り、彼はもちろん、全家族が信じた。
4:54 イエスはこの第二の徴[奇蹟]を、ユダヤからガリラヤに行かれたときに行われた。


●王の役人が新興宗教の若造になりふり構わず「息子が死にそうです」と縋り付く。これでいいのだ、これでいいのだ。
●「この世に神がいるなら抗議したい」などと暇な議論などしていることは出来ない。息子が死にそうなのだ。

塚本訳 マコ 9:17-29
9:17 群衆のうちの一人が答えた、「先生、唖の霊につかれている伜をあなたの所につれて来ました。
9:18 この子は霊がつくと所かまわず投げ倒され、泡をふき、歯斬りして、体がこわばってしまいます。それで霊を追い出すことをお弟子たちに頼みましたが、おできになりませんでした。」
9:19 彼らに答えられる、「ああ不信仰な時代よ、わたしはいつまであなた達の所におればよいのか。いつまであなた達に我慢しなければならないのか。その子をつれて来なさい。」(こう言って群衆のいない所に行かれた。)
9:20 人々がイエスの所につれて来ると、霊はイエスを見るや否や、その子をひどくひきつけさせたので、子は地に倒れ、泡をふきながらころげまわった。
9:21 イエスが父親に尋ねられた、「こうなってから、どのくらいになるか。」父親がこたえた、「子供の時からです。
9:22 霊はこの子を殺そうとして、幾たびか、火の中、水の中に投げ込みました。それでも、もしなんとかお出来になるなら、わたしども(親子)を不憫と思って、お助けください。」
9:23 イエスは言われた、「もしお出来になるなら(と言うの)か。信ずる者にはなんでも出来る。」
9:24 即座にその子供の父親が叫んだ、「信じます。不信仰をお助けください。」
9:25 イエスは群衆が駆けよってくるのを見ると、(急いで)汚れた霊を叱りつけて言われた、「唖と聾の霊、わたしが命令するのだ、この子から出てゆけ、二度と入るな!」
9:26 霊はどなって、はげしくひきつけさせて、出ていった。子は死んだようになったので、多くの人が、「死んだ」と言った。
9:27 イエスはその子の手をとって起された。すると立ち上がった。
9:28 家にかえられると、弟子たちは人のいない時に尋ねた、「なぜわたし達には霊を追い出せなかったのでしょうか。」
9:29 彼らに言われた、「この種類(の霊)は、祈り以外(の手段)では決して出てゆかせることは出来ない。」


●17節。「倅の病気」。世の親の深刻な悩み。
●18悦。人間にはできない。
●22節。「もしなんとかお出来になるなら」。これが信仰、なりふり構わずの信仰。これでいいのだ。「信仰とは何か」「神は存在するか」「イエスは神の子か」「贖罪は思想ではないか」。「信仰は弱者の逃げ場ではないのか」などなど贅沢な研究をしているうちは信仰はわからない。神も手の出しようがない。目をつぶって飛び込まなければならない。
●「もし」でいいのだ。初めは疑い半分でいいのだ。それが自然だ。
●29節。病気のうち「祈り以外では直せない精神の病がある。信仰なき医学の世界でも治療に「祈る姿勢が必要」と言っているはずだ。

塚本訳 マタ 17:19-21
17:19 あとで弟子たちは人のいない時にイエスの所に来て言った、「なぜわたし達には悪鬼を追い出せなかったのでしょうか。」
17:20 彼らに言われた、「信仰が無いからだ。アーメン、わたしは言う、もしあなた達に芥子粒ほどでも信仰があれば、この山に向かい『ここからあそこに移れ』と言えば移り、あなた達に出来ないことは一つもない。」
17:21 〔無し〕

●平行記事のマタイの最後の部分。20節。「芥子粒ほど」の信仰とは人間の力を放棄して神の全能の力にすがれということで、人間の慢心、常識、科学心をすてよ。脱力せよということだ。信仰という努力、信じ込むと言う努力も放棄せよ。それは人間の力だ。

塚本訳 ルカ 9:38-39
9:38 すると群衆の中のひとりの人がこう言って叫んだ、「先生、お願いです、伜に目をかけてやってください。独り息子です。
9:39 かわいそうに霊がつくと、灸にどなり出し、またひきつけさせて泡をふかせ、なかなか離れないで、すっかり弱らせてしまいます。

●平行記事のルカによればこの倅は「独り息子」。親としては身代わりになりたいという気持ちにもなる。

塚本訳 マコ 5:21-34
5:21 イエスが舟でまた向う岸に渡られると、大勢の群衆が彼のところに集まってきた。彼は湖のほとりにおられた。
5:22 するとヤイロという一人の礼拝堂監督が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏し、
5:23 しきりに願って言う、「わたしの小さな娘が死にかかっています。助かって命びろいをするように、どうか行って、手をのせてやってください。」
5:24 イエスは彼と一しょに出かけられた。大勢の群衆がイエスについて行って押しまくった。
5:25 すると十二年も長血をわずらって、
5:26 大勢の医者からひどい目にあわされて、財産を皆使いはたして、なんの甲斐もなくて、かえってますます悪くなって、
5:27 イエスのことを聞いて、群衆にまじってついて来た女が、後ろからその着物にさわった。
5:28 「お召物にでもさわれば、なおるにちがいない」と思ったのである。
5:29 はたしてすぐ血の源がかれて、病気が直ったのを身に感じた。
5:30 イエスは自分の中から力が出ていったのにすぐ気がついて、群衆の中で振り返ってたずねられた、「わたしの着物にさわったのはだれか。」
5:31 弟子たちが言った、「御覧のとおり群衆が押しまくっているのに、さわったのはだれか、とおしゃるのですか。」
5:32 イエスはこのことをした女を見つけようとして、(黙って)見まわしておられた。
5:33 女は自分(の身)におこったことを知っているので、恐ろしくなって震えながら、進み出てイエスの前にひれ伏し、すべてをありのままに話した。
5:34 イエスは言われた、「娘よ、あなたの信仰がなおしたのだ。さよなら、『平安あれ。』もう病気をせず、達者でいなさい。」

●23節。「わたしの小さな娘が死にかかっています。」。これも自分の娘。親の「うろたえ」。これでいいのだ、これがいいのだ。
●現在、離婚率3-4割。子供の成育に重大なる悪影響がある。自分の子供の家庭が崩壊するのを見る親も「うろたえる」。しかし手を出せない。神に「御出馬」願うしか方法がない。それでいいのだ、そrうぇでいいのだ。それが神の目的だ。
●28節。「お召物にでもさわれば、なおるにちがいない」と思ったのである。」これでいいのだ、これでいいのだ。これが信仰に入るきっかけだ。高邁な研究で信仰に入るのではない。病気や家庭内のゴタゴタがきっかけだ。これでいいのだ。これでいいのだ。

塚本訳 ルカ 11:5-8
11:5 また彼らに言われた、「あなた達のうちのだれかに友人があって、夜中にその友人の所に行き、『友よ、パンを三つ貸してくれ。
11:6 旅先からわたしの友人が来たのに、何も出すものがないから』と言ったとき、
11:7 その友人は内から、『勘弁してくれ。もう戸締りをしてしまったし、子供たちもわたしと一しょに寝ている。起きてかしてやるわけにはゆかない』と答えるにちがいない。
11:8 しかしわたしは言う、(その人がなおもせがんで止まなければ、)友人だからというのでは起きて(パンを)かしてやらなくても、その厚かましさにはかなわず、起き上がって、必要なだけのものをかしてやるにちがいない。


●8節。願い事や祈りは「厚かましく」しなければならない。しつこくしなければならない。

塚本訳 ルカ 18:1-8
18:1 なお、気を落さずに常に祈るべきことについて、一つの譬をひいて弟子たちに話された、
18:2 「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官があった。
18:3 またその町に一人の寡婦がいた。いつもその裁判官の所に来ては、『(早く裁判をして)わたしのため敵に仕返しをしてください』と言っていた。
18:4 裁判官はしばらくの間は取り合おうとしなかったが、あとでひそかに考えた、『わたしは神を恐れず、人を人とも思わないが、
18:5 この寡婦はどうもうるさくて、やりきれないから、(裁判をして、)この女のために仕返しをしてやろう。そうしないと最後にはやって来て、わたしをどんなひどい目にあわせるか知れない。』」
18:6 それから主は言われた、「この不埒な裁判官の言うことを聞け。
18:7 (こんな男でもこのとおり。)まして神が、夜昼叫んでいるその選ばれた人々のために仕返し(の裁判)をせず、気長に放っておかれることがあろうか。
18:8 わたしは言う、間もなく彼らのために仕返しをされるであろう。しかし人の子(わたし)が来るときに、はたして地上に信仰(をもつ人)が見当るだろうか!」

●1節。ルカの「額縁。すばらしい額縁。「気を落とさず祈れ」ということ。粘って粘って、しつこく祈れということ。


塚本訳 ルカ 7:2-10
7:2 すると、ある百卒長の大事な僕が病気で、もう危篤であった。
7:3 百卒長はイエスのことを聞くと、ユダヤ人の長老たちをイエスの所に使にやって、是非僕を直しに来てほしいと頼ませた。
7:4 長老たちはイエスの所に来て、こう言って熱心に願った、「あの人はそうしていただいてもよい人です。
7:5 (異教人でありながら)わが国民に好意をもち、自分でわたし達に礼拝堂を建ててくれたのですから。」
7:6 イエスは彼らと連れ立って行かれた。しかし、すでにその家から程遠からずなったとき、百卒長は友人たちをやって言わせた、「主よ、ご足労くださらぬように。わたしはあなたを、うちの屋根の下にお迎えできるような者ではありません。
7:7 だから自分でお願いに出る資格もないと考えたのです。(ここでただ)一言、言ってください。そうすれば下男は直ります。
7:8 というのは、わたし自身も指揮権に服する人間であるのに、わたしの下にも兵卒がいて、これに『行け』と言えば行き、ほかのに『来い』と言えば来、また僕に『これをしろ』と言えば(すぐ)するからです。(ましてあなたのお言葉で、病気が直らないわけはありません。)」
7:9 イエスはこれを聞いて驚き、ついて来た群衆の方に振り向いて言われた、「わたしは言う、イスラエルの人の中でも、こんな(りっぱな)信仰を見たことがない。」
7:10 使の者が家に帰って見ると、僕は元気になっていた。



●2節。「ある百卒長の大事な僕が病気で、もう危篤であった。」人は大切な人が危篤になるとうろたえる。それでいいのだ。それでいいのだ。恥ずかしくない。
●7節。遠隔操作をしてくださいということは、イエスに神の権威、祈りの力があることを認めたのである。これをイエスは喜んだのだ。


塚本訳 ヨハ 11:1-4
11:1 さて、ラザロというひとりの病人があった。。マリヤとその姉妹マルタとの村、ベタニヤの人である。
11:2 このマリヤは主に香油を塗り、髪の毛で御足をふいた女であるが、病気であったラザロはその兄弟であった。
11:3 マリヤとマルタとはイエスに使をやって、「主よ、大変です。あなたの可愛がっておられる人が病気です」と言わせた。
11:4 イエスは聞いて言われた、「これは死ぬための病気ではない。神の栄光のためである。すなわち(神の栄光をあらわすために、)神の子(わたし)がこれによって栄光を受けるためである。」


●3節。「主よ、大変です。あなたの可愛がっておられる人が病気です」。これhが何人に共通のことば。「主よ大変です。」こういうべきである。

塚本訳 ルカ 16:27-28
16:27 金持が言った、『父よ、それではお願いですから、ラザロをわたしの父の家にやってください。
16:28 わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。』


●兄弟の救いの心配。これでいいのだ、これでいいのだ。これが自然だ。神はご存知だ。

塚本訳 ロマ 9:1-3
9:1 私はキリストにある者として本当のことを言う、嘘はつかない。わたしの良心も聖霊によって、(それが本当であることを)保証してくれる。
9:2 (わたしが急にこんなことを言い出したら信じてくれないかも知れないが、)わたしに大きな悲しみと、心に絶えざる痛みとがあるのである。
9:3 ほんとうに、兄弟すなわち血を分けた同胞の(救われる)ためならば、このわたしは呪われて、救世主(の救い)から離れ落ちてもよいと、幾たび(神に)願ったことであろう。


●パウロのユダヤ人同胞(当然に身内も含む)に対する救いの心配。呻き。

塚本訳 ロマ 8:26-27
8:26 しかし(創造物やわたし達神の子が苦しんでいると)同じように、御霊も、弱いわたし達を助けてくださる。すなわち、(神のみ心にかなうには)どう何を祈るべきかわからないので、御霊自身が、無言の呻きをもって(わたし達の祈りを神に)執り成してくださるのである。
8:27 しかし(人の)心を見抜くお方[神]は、御霊が何を求めているか、すなわち、御霊が神の御心にかなうように聖徒たちのために執り成しておられることを、(もちろん)御存じである。


●苦しいときは祈りすらできない。ただ呻くだけ。それでいいのだそれでいいのだ。神はその呻きを聞いてくださる。

塚本訳 ルカ 11:9-13
11:9 それで、わたしもあなた達に言う、(ほしいものはなんでも神に)求めよ、きっと与えられる。さがせ、きっと見つかる。戸をたたけ、きっとあけていただける。
11:10 だれであろうと、求める者は受け、さがす者は見つけ、戸をたたく者はあけていただけるのだから。
11:11 あなた達のうちのどんなお父さんでも、子が魚を求めるのに、魚の代りに蛇をやるだろうか。
11:12 また卵を求めるのに、蝎をやるだろうか。
11:13 してみると、あなた達は悪い人間でありながらも、自分の子に善い物をやることを知っている。まして天の父上が、求める者に聖霊(という善いもの)を下さらないことがあるだろうか。」


●神は人の呻きをご存知だ。神は全員が救われることを望んでおられる。祈れなくても心の底の願いをご存知だ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想終わり。祈りの極意は神の全能の力を信じ込むことだ。神は我々に悪いようにはしない。神は父だ。























トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


「イエスの受難と死は私の罪のためです」と告白する霊 ++++++++ 所感

2014/01/23 07:38

140123(木)2時半目覚め。●目覚めの啓示「イエスの受難と死は私の罪のためです」●こう信仰告白する霊がキリスト教誕生の原因である。これは世に隠れた無名の多くの人達である。●この告白が母体となって新約聖書を生み、教会やエクレシアを生み、神学を生んだ。●この告白の連鎖が教会(エクレシア)の本質である。この告白なきところその教会(エクレシア)は自然消滅する。●今朝はこの信仰告白が新約聖書に反響している部分を思いつくままに順不同に掲げてみよう。
●まずイザヤ書53章。この「苦難の僕」に初代教会の人はイエスの受難を見た。それが新約聖書の各書に現れている。


口語訳 イザ 53:1-12
53:1 だれがわれわれの聞いたことを/信じ得たか。主の腕は、だれにあらわれたか。
53:2 彼は主の前に若木のように、かわいた土から出る根のように育った。彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。
53:3 彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
53:4 まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
53:5 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。
53:6 われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。
53:7 彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。
53:8 彼は暴虐なさばきによって取り去られた。その代の人のうち、だれが思ったであろうか、彼はわが民のとがのために打たれて、生けるものの地から断たれたのだと。
53:9 彼は暴虐を行わず、その口には偽りがなかったけれども、その墓は悪しき者と共に設けられ、その塚は悪をなす者と共にあった。
53:10 しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、主は彼を悩まされた。彼が自分を、とがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ、その命をながくすることができる。かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。
53:11 彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。
53:12 それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に/物を分かち取らせる。彼は強い者と共に獲物を分かち取る。これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、とがある者と共に数えられたからである。しかも彼は多くの人の罪を負い、とがある者のためにとりなしをした



●福音書は最後の受難物語に向かってその前段がある。ことに共観福音書の原資料になっているマルコは「長い序文付きの受難物語」と言われている。


塚本訳 マタ 26:1-2
26:1 イエスはこれらの話をことごとく終えた時、弟子たちに言われた、
26:2 「知っているとおり、あさっては過越の祭である。(その日)人の子(わたし)は十字架につけられるために(敵の手に)引き渡される。」


●「イエスはこれらの話をことごとく終えた時、」はマタイの編集句、額縁。これから受難物語が始まると言うこと。

塚本訳 マタ 20:27-28
20:27 一番上になりたい者は奴隷になれ。
20:28 人の子(わたし)が来たのも仕えさせるためではない。仕えるため、多くの人のあがない金としてその命を与えるためである。」


●イエスの言葉ではなく、マタイのイエス観、信仰告白。

塚本訳 ルカ 1:1-4
1:1 わたし達の間で(近ごろひとまず)完結しました出来事を、(すなわち、イエス・キリストの福音の発端から、それがローマにまで伸びていったことの顛末を、)
1:2 最初から実際に見た人たちと御言葉の伝道にたずさわった人たちとが(語り)伝えてくれたとおりに、一つの物語に編もうと企てた人が数多くありますので、
1:3 テオピロ閣下よ、わたしも一切の事の次第を始めから精密に取り調べましたから、今順序を正して書き綴り、これを閣下に奉呈して、
1:4 閣下が(今日までこのことについて)聞かれた話が、決して間違いでなかったことを知っていただこうと思ったのであります。


●4節、「閣下が(今日までこのことについて)聞かれた話」とあるが、おそらくクリスチャンであった妻から聞いていたのであろう。伝説によれば、妻は島流し、ローマ高官のテオピロはキリスト信者(皇帝ではなくイエスを主と呼んだ)になったので処刑された。テオピロの死を賭した告白。受難。こういう血がローマ帝国の国教をキリスト教にした。 「血は種子である」とは初代殉教者たちのこと。

塚本訳 ヨハ 3:16
3:16 そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである。


●イエス自身の言葉ではなく、ヨハネの信仰告白。

塚本訳 ヨハ 12:24
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)


●これもイエスの言葉ではなく、ヨハネの信仰告白

塚本訳 マタ 26:26-28
26:26 (ユダが立ち去ったあと、)彼らが食事をしているとき、イエスは(いつものように)パンを(手に)取り、(神を)賛美して裂き、弟子たちに渡して言われた、「取って食べなさい、これはわたしの体である。」
26:27 また杯を取り、(神に)感謝したのち、彼らに渡して言われた、「皆この杯から飲みなさい。
26:28 これは多くの人の罪を赦されるために流す、わたしの『約束の血』であるから。


塚本訳 Ⅰコリ11:23-25
11:23 なぜというか。わたしは(晩餐のことを)主から授かり、それをまたあなた達に伝えたのであるが、それはこうである。──主イエスは(敵に)引き渡された夜、パンを手に取り、
11:24 (神に)感謝して裂いて、言われた、「これはあなた達のためにわたすわたしの体である。わたしを記念するためにこのことを行ないなさい」。
11:25 食事の後、杯を同じように(感謝)して(分けて、)言われた、「この杯はわたしの『血』の犠牲を払った『新しい約束』である。(今から後、)飲むたびごとに、わたしを記念するためにこのことを行ないなさい」。


●教会の聖餐式の起源。イエスの言葉にさかのぼるかどうかは百家争鳴だが、福音書記者の信仰告白であることは間違いない。
●「イエスの血は罪を赦す」ということを霊的に信じるものは、物体のやり取りの聖餐式をやってもやらなくても効果は関係ない。洗礼又同じ。それは社会的環境による。無教会が洗礼や聖餐を行わないこと意味は、それが救いに効果があると思っている人達の誤解を解くためである。 行わないことそれ自体に意味はない。

口語訳 ロマ 3:21-26
3:21 しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによってあかしされて、現された。
3:22 それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない。
3:23 すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、
3:24 彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。
3:25 神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。それは神の義を示すためであった。すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、
3:26 それは、今の時に、神の義を示すためであった。こうして、神みずからが義となり、さらに、イエスを信じる者を義とされるのである。


●パウロの「キリスト教の本質論。


塚本訳 Ⅰコリ15:3-5
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。


●一番大切なことは罪の赦しのためにイエスの死があったこと。それは復活で証明された。

塚本訳 ピリ 2:6-11
2:6 彼は(先には)神の姿であり給うたが、神と等しくあることを棄て難いことと思わず、
2:7 かえって自分を空しうして人と同じ形になり、奴隷の姿を取り給うたのである。そして人の様で現れた彼は、
2:8 自ら謙り、死に至るまで、(然り、)十字架の死に至るまで(父なる神に)従順であり給うた。
2:9 それ故に神も彼を至高く上げ、凡ての名に優る(「主」なる)名を与え給うた。
2:10 これはイエスの(この尊い)名の前に、天の上、地の上、地の下にある『万物が膝を屈め、
2:11 凡ての舌が』「イエス・キリストは主なり」と『告白して』父なる『神に』、栄光を帰せんためである。



●これは初代教会の讃美歌。救いの本質はイエスの十字架の死であるという。


塚本訳 使  10:34-43
10:34 口を開いてペテロが言った、「本当に』神はえこ贔屓をするお方でなく、』
10:35 神を恐れ、正しいことを行う人でさえあれば、どんな民族であろうと歓迎されることが、わたしにはよくわかっています。
10:36 『神は御言葉をイスラエルの』子孫に『おくり、』イエス・キリストをもって、『(御自分との間の)平和の福音を伝えられました。』──イエスは万人の主であります。──
10:37 あなた達は(洗礼者)ヨハネが洗礼を説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ中にゆきわたった出来事を知っておられる。
10:38 すなわち、『神が』いかに聖『霊』と(大いなる)力と『をもって』ナザレのイエスに『油を注がれ(て聖別され)た』か、このイエスが(あちらこちらを)巡回しながら、恩愛を施し、悪魔におさえつけられている者を皆直されたかを。神がご一緒におられたからです。
10:39 ──(使徒たる)わたし達は、イエスがユダヤ人の地、ことにエルサレムでされた一切のことの証人です。──このイエスを人々は『(十字架の)木にかけて』処刑した。
10:40 (しかし)神はこの方を三日目に復活させ、(人の目にも)見えるようにされた。
10:41 (ただし)国民全体でなく、神からあらかじめ選ばれていた証人であるわたし達、すなわちイエスが死人の中から復活されたあとで、一緒に飲み食いした者(だけ)に見えたのです。
10:42 そして神はわたし達に命じて、この方こそ神に定められた、生きている者と死んだ者との審判者であると、国民に説きまた証しさせられるのです。
10:43 預言者たちは皆、彼を信ずる者はことごとく、その名のゆえに罪の赦しを受けることを、彼について証明しています。」


●このペテロの説教を通訳のマルコの頭にあり、それがマルコ福音書執筆の土台になり、ひいてはマタイ、ルカの福音書構成の形になった。つまり①洗礼者ヨハネの出現、②イエスの病気治療、③十字架、④復活。この4段階構成が福音書。このことを指摘したのは英国の聖書学者のC・Hドッド。 学者の栄光。目を現れる。
●43節には「罪の赦しを受ける」ということが結論であることをいう。福音書はそれを読人に「罪の赦し」を受けさせるためである。


塚本訳 ヘブ 9:28
9:28 キリストも、ただ一度『多くの人の罪を負う』ために捧げられ、(それから)二度目に、(しかし今度は)罪と関係なく、救のため、彼を待っている者に自分をあらわされるのである。


塚本訳 黙 7:14
7:14 わが主よ、貴方が御存知です」と私は彼に言うた。そこで彼が私に言うた、「この人達は(既に最後の日の)大なる患難を経て来た者である。彼らは仔羊の(流し給うた聖い)血でその上衣を洗ってそれを白くした。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想おわり。キリスト教の基礎は「イエスの受難と十字架は私の罪の為です」という信仰告白。これがすべて。 この信仰告白があれば。聖書全巻を読んだことになる。

●TSK日本語版詩篇第3編
●14:50 昭和女子大建築講義。ラスキンの建築観を持ち出して「建築はいい仕事だ。人間が相手だからだ」と話した。
●孫のHが鼻を骨折、月曜に手術。母親から「御加祈願います」と連絡が入る。こういう依頼は祈りに効き目がある人に対してだと思ってうれしくなった。

塚本訳 ヤコ 5:14-16
5:14 君達の中に病んでいる者があるのか、その人は教会の長老を呼び、長老たちは主の名により油を塗って、その人のことを祈ったがよかろう。
5:15 信仰(による真)の祈りは病人を癒し、主は彼を立たせ給うであろう。そしてもし罪を犯して居るならば、赦されるであろう。
5:16 だから互いに罪を告白し、医されるため互いのために祈れ。義人の(熱心な)祈りは働くと大きな力がある。




















トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


「さようなら。お幸せに」。しばしの出会いと別れ ++++++++ 所感

2014/01/22 06:08

140122(水)昨夜は風邪気味で20時40分就寝。途中咳き込んで目覚めたが5時起床。弱くなったなー。●目覚めの黙想「達者で暮らせ」。●去る19日、コンサートの帰りの西武新宿線の中で、隣に座った女性の腕の中の子供が私を見てニコーッと笑った。孫娘の一人から「オジーチャンにお願いがあるのだけれども外で知らない人に話かけないで」と言われてはいるのだが、この時ばかりはその母親に話したくなった。
私「おいくつですか」。母親「まだ一歳になりません」。私「男の子ですか。」母親「上にも一人男の子がいます。」私「お名前は?」。母親「唯人(ゆいと)と言います」。私「私にも風人(ふうと)という名前の孫がいます」。母親「いい名前ですねー」と二度繰り返す。私「私がつけたのです。クリスナロゼッティに『だれが風を見たのでしょう』という詩がありますね。でも遠くにいてなかなか会えないのです」。母親「今度は女の子が欲しいのですが・・・・」。見ると二つの大きな荷物を持っていた。私「ご主人はよく手伝ってくれますか」。母親「ええ」。とかくするうちに終点の拝島駅に着いたので、私が「さようなら。お幸せに」と言って先に降りた。すると母親はなにか私に話しかけたそうな素振りであったが、振り切って立ち去った。一期一会。人生は親子、夫婦、兄弟といえども一瞬の出会いと別れだ。出会った人とは二度と会えない宿命なのだ。イエスはいろいろな場面で相手の幸福を祝福して立ち去るのが常であった。姿を隠したのだ。今朝はそのことを黙想しよう。

塚本訳 マコ 5:34
5:34 イエスは言われた、「娘よ、あなたの信仰がなおしたのだ。さよなら、『平安あれ。』もう病気をせず、達者でいなさい。」


塚本訳 ヨハ 8:11
8:11 「主よ、だれも」と女がこたえた。イエスが言われた、「わたしも罰しない。おかえり。今からはもう罪を犯さないように。」】


塚本訳 ルカ 7:50
7:50 しかしイエスは女に言われた、「あなたの信仰があなたを救った。『さよなら、平安あれ。』」


塚本訳 ルカ 17:19
17:19 そしてその人に言われた、「さあ立って行きなさい。あなたの信仰がなおしたのだ。」


塚本訳 ヨハ 5:13
5:13 しかしいやされた人は、それがだれか知らなかった。大勢の人がその場所にいたので、イエスは(そっと)立ち去られたのであった。


塚本訳 ヨハ 12:36
12:36 光のある間に光を信じて、光の子になりなさい。」、こう話すと、イエスは(そこを)立ち去って、彼らから姿をお隠しになった。(イエスの伝道はこれで終ったのである。)


塚本訳 ルカ 23:42-46
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる。」
23:44 すでに昼の十二時ごろであったが、地の上が全部暗闇になってきて、三時までつづいた。
23:45 日蝕だったのである。すると宮の(聖所の)幕が真中から(二つに)裂けた。
23:46 その時イエスは大声をあげて言われた、「お父様、』わたしの霊をあなたにおあずけします。』」こう言われるとともに、息が絶えた。


口語訳 詩  90:9-10
90:9 われらのすべての日は、あなたの怒りによって過ぎ去り、われらの年の尽きるのは、ひと息のようです。
90:10 われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。


塚本訳 マタ 6:2-3
6:2 だからあなたが施しをする時には、偽善者のように、自分の前にラッパを吹きならして(吹聴して)はならない。彼らは人に褒められようとして、礼拝堂や町の中でそうするのである。アーメン、わたしは言う、彼らは(褒められたとき、)すでに褒美をもらっている。
6:3 あなたは施しをするときに、右の手のすることを左に悟られてはならない。


塚本訳 マタ 25:38-40
25:38 また、いつお宿がないのを見てお宿をし、裸でおられるのを見てお着せしましたか。
25:39 また、いつ御病気であり、牢に入っておられるのを見て、おたずねしましたか。』
25:40 すると王は答える、『アーメン、わたしは言う、わたしのいと小さいこの兄弟たちの一人にしたのは、わたしにしてくれたのと同じである。』


塚本訳 使  20:35
20:35 わたしはあらゆる機会にあなた達に例を示したのだから、あなた達も同じように一生懸命に働いて、経済的に恵まれない者たちを助けなさい。主イエス御自身が言われた、『与えるのは貰うより幸いである』という御言葉を忘れずに!」



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

朝の黙想終わり。天に宝を積め。お返しは期待するな。


塚本訳 ルカ 14:12-14
14:12 また自分を招いた人にも言われた、「朝飯や夕飯の会を催す時には、友人も、兄弟も、親族も、近所の金持も呼ぶな。そうでないと、その人たちもあなたを招待してお返しをするかも知れない。
14:13 御馳走をする時には、むしろ貧乏人、片輪、足なえ、盲人を招きなさい。
14:14 この人たちはお返しができないから、あなたは幸いである。(最後の日)義人の復活の時に、あなたは(神から)お返しをうけるのだから。」


●TSK日本語版詩編2章
●図書館に行く。帰りに市役所の「高齢者福祉課」に立ち寄って相談。「老い仕度」。市役所が、新聞販売店、郵便局、ごみ収集業者と契約してこの家に住人は様子がおかしいと感じたら市役所に連絡が行くようなシステムが出来た。

2014_01220002.jpg 

帰り道。夕暮れの奥多摩連山。雪が積もっている。妻から電話。
風邪を引いてるから早く戻るように。












トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


一番大切な戒め(律法) ++++++++ 所感

2014/01/21 06:08

140121(火)4時15分起床。●日本聖書協会へ資料を要求した際、明治学院大学が「和訳聖書デジタルアーカイブス」を公開したことを知った。「神のことば」の各種翻訳が秘蔵されないでデジタルで公開されることは良いことだと思う。

http://www.meijigakuin.ac.jp/mgda/bible/

●かって「死海写本」のファクシミリ版による公開を世界中の聖書学者が望んでいたが、今は実現している。天来の良いものは公開すべきである。

●目覚めの啓示「一番大切な戒め(律法)」
●まず、翻訳比較

文語訳 マタ 22:36-40
22:36 『師よ、律法のうち孰の誡命が大なる』
22:37 イエス言ひ給ふ『なんぢ心を盡し、精神を盡し、思を盡して主なる汝の神を愛すべし」
22:38 これは大にして第一の誡命なり。
22:39 第二もまた之にひとし「おのれの如くなんぢの隣を愛すべし」
22:40 律法全體と預言者とは此の二つの誡命に據るなり』


口語訳 マタ 22:36-40
22:36 「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。
22:37 イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
22:38 これがいちばん大切な、第一のいましめである。
22:39 第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
22:40 これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。


新改訳 マタ 22:36-40
22:36 「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」
22:37 そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
22:38 これがたいせつな第一の戒めです。
22:39 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。
22:40 律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」


新共同 マタ 22:36-40
22:36 「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」
22:37 イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
22:38 これが最も重要な第一の掟である。
22:39 第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』
22:40 律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」


塚本訳 マタ 22:36-40
22:36 「先生、どの掟が律法の中で最大ですか。」
22:37 イエスは言われた、「『心のかぎり、精神のかぎり、』思いの『かぎり、あなたの神なる主を愛せよ。』
22:38 これが最大、第一の掟である。
22:39 第二もこれと同じ(く大切である)。──『隣の人を自分のように愛せよ。』
22:40 律法全体と預言書と(聖書)は、この二つの掟に支えられている。」

●今朝の研究課題はこの「第一と第二の関係はいかなるものか」である。これはいわゆる福音派か社会派かの「近親憎悪」の争いに終止符を打つ。●この探求に際し、やはり「聖書で聖書を読む」方法が決定的に有効、有益、間違いがない。頭に浮かんだ聖句を順不同に掲げる。

塚本訳 ルカ 10:25-37
10:25 するとそこに、ひとりの律法学者があらわれて、イエスを試そうとして言った、「先生、何をすれば永遠の命がいただけるのでしょうか。」
10:26 イエスは言われた、「律法[聖書]に何と書いてあるか。解釈はいかに。」
10:27 学者が答えた、「『心のかぎり、精神のかぎり、力のかぎり、』思いのかぎり、『あなたの神なる主を愛せよ。』また』隣の人を自分のように愛せよ』です。」
10:28 彼に言われた、「その答は正しい。『それを実行しなさい。そうすれば(永遠に)生きられる。』」
10:29 すると学者は照れかくしにイエスに言った、「では、わたしの隣り人とはいったいだれのことですか。」
10:30 イエスが答えて言われた、「ある人が(──それはユダヤ人であった──)エルサレムからエリコに下るとき、強盗に襲われた。強盗どもは例によって(着物を)はぎとり、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。
10:31 たまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ながら、向こう側を通っていった。
10:32 同じくレビ人もその場所に来たが、見ながら向こう側を通っていった。
10:33 ところが旅行をしていたひとりのサマリヤ人は、この人のところに来ると、見て不憫に思い、
10:34 近寄って傷にオリブ油と葡萄酒を注いで包帯した上、自分の驢馬に乗せて旅籠屋につれていって介抱した。
10:35 そればかりか、次の日、デナリ銀貨[五百円]を二つ出して旅篭の主人に渡し、『この方を介抱してくれ。費用がかさんだら、わたしが帰りに払うから』と言った(という話)。
10:36 (それで尋ねるが、)この三人のうち、だれが強盗にあった人の隣の人であったとあなたは考えるか。(同国人の祭司か、レビ人か、それとも異教のサマリヤ人か。)」
10:37 学者はこたえた、「その人に親切をした(サマリヤの)人です。」イエスが言われた、「行って、あなたも同じようにしなさい。(そうすれば永遠の命をいただくことが出来る。)」

塚本訳 マタ 25:34-40
25:34 それから王(なる人の子)は右側の者に言う、『さあ、わたしの父上に祝福された人たち、世の始めからあなた達のために用意された御国を相続しなさい。
25:35 あなた達はわたしが空腹のときに食べさせ、渇いたときに飲ませ、宿がなかったときに宿をかし、
25:36 裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢に入っていたときに訪問してくれたのだから。』
25:37 その時、正しい人たちは答える。『主よ、いつわたし達はあなたの空腹を見て食事を差し上げ、渇かれているのを見てお飲ませしましたか。
25:38 また、いつお宿がないのを見てお宿をし、裸でおられるのを見てお着せしましたか。
25:39 また、いつ御病気であり、牢に入っておられるのを見て、おたずねしましたか。』
25:40 すると王は答える、『アーメン、わたしは言う、わたしのいと小さいこの兄弟たちの一人にしたのは、わたしにしてくれたのと同じである。』


塚本訳 ルカ 16:9-13
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。
16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。
16:11 だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。
16:12 もし他人のもの[この世のこと]に忠実でなかったならば、だれがあなた達のもの[天のもの]をあなた達に与えようか。
16:13 しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。」


塚本訳 マタ 18:21-35
18:21 その時ペテロが進み寄ってたずねた、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したとき、何度赦してやらねばなりませんか。七度まででしょうか。」
18:22 イエスがこたえられた、「いや、あなたに言う、七度までどころか、七十七度まで!
18:23 だから天の国は、王が家来たちとの貸し借りを清算しようとするのに似ている。
18:24 清算を始めると、(王に対し)一万タラント[三百億円]の借りのある家来がつれて来られた。
18:25 返すことができないので、主人は(その家来に、)自分も妻も子も持ち物も全部売って返すように命じた。
18:26 家来はひれ伏して、しきりに願った、『しばらく待ってください。全部お返ししますから。』
18:27 そこで主人は気の毒に思って、身柄をゆるした上、借金にまで棒を引いてやった。
18:28 ところがその家来は出ていって、自分に百デナリ[五万円]を借りているひとりの同僚に出合うと、これをつかまえ、喉頚をしめて、『借りているものを返せ』と言った。
18:29 同僚はひれ伏して、『ちょっと待ってくれ。返すから』と頼んだ。
18:30 しかし承知せず、(裁判官につれて)行って、負債を返すまで牢に入れた。
18:31 その人の同僚たちはこの出来事を見て非常に悲しみ、行って、出来事の一部始終を主人に報告した。
18:32 すると主人はその家来を呼び出して言う、『不埒な家来、あなたが頼んだから、わたしはあの負債に全部、棒を引いてやったのだ。
18:33 だからあなたもわたしに情をかけてもらったように、同僚に情をかけてやるべきではなかったのか。』
18:34 そこで主人は怒って、負債を全部返すまでその男を獄吏に引き渡した、(いう話。)
18:35 わたしの天の父上も、もしあなた達ひとりびとりが心から兄弟を赦さないならば、同じようにあなた達になさるであろう。」


塚本訳 マタ 22:15-22
22:15 するとパリサイ人は(そこから)出ていって、イエスを(彼自身の)言葉で罠にかけることを決議し、
22:16 その弟子たちをヘロデ党の者と共にイエスのところにやって言わせた、「先生、あなたは正直な方で、本当のことを言って神の道を教えられ、だれにも遠慮されないことをよく承知しております。人の顔色を見られないからです。
22:17 それで御意見を聞かせてください──(わたし達は異教人である)皇帝に、税を納めてよろしいでしょうか、よろしくないでしょうか。」
22:18 イエスは彼らの悪意を知って言われた、「なぜわたしを試すのか、この偽善者たち、
22:19 税の貨幣を見せなさい。」デナリ銀貨を差し出すと、
22:20 言われる、「これはだれの肖像か、まただれの銘か。」
22:21 「皇帝のです」と彼らが言う。すると言われる、「では皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返せ。」
22:22 彼らは聞いて驚き、イエスをそのままにして立ち去った。

塚本訳 ロマ 13:1-2
13:1 人は皆上に立つ(国家の)官憲に服従せねばならない。神からではない官憲はなく、現存の官憲は(ことごとく)神から任命されたものであるから。
13:2 従って官憲に反抗する者は、神の命令に違反する者である。違反する者は、自分で自分に(神の)裁きを招くであろう。(この世で罰を受けるばかりでなく、最後の日にも。)


塚本訳 ルカ 20:1-7
20:1 ある日、イエスが宮で人々を教え、福音を説いておられた時のこと、大祭司連、聖書学者が長老たちと共に進み寄って、
20:2 イエスに言った、「なんの権威であんなことを(宮で)するのか。あの権威を授けた者はだれか、言ってもらいたい。」
20:3 答えて言われた、「ではわたしからも一つ尋ねる。それにこたえよ。
20:4 ──ヨハネの洗礼は天(の神)から(授かったの)であったか、それとも人間からか。」
20:5 彼はひそかに考えた、「もし『天から』と言えば、『なぜヨハネを信じなかったか』と言うであろうし、
20:6 もし『人間から』と言えば、人民どもは(冒涜だと言って)皆でわたし達を石で打ち殺すにちがいない。彼らはヨハネを預言者だと信じこんでいるのだから。」
20:7 そこで、どこからか知らない、と答えた。

塚本訳 Ⅰペテ2:13-15
2:13 主の(立て給うたものであるが)故に、人間の凡ての制度に服従せよ。あるいは主権者として王に、
2:14 あるいは悪人を罰し善人を褒めるため王から遣わされた者としての総督達に(服従せよ)。
2:15 (君達の)善行によって、(君達を危険人物のように考えている)無理解な人達の無知(な非難)を沈黙させることは、神の御旨であるからである。

塚本訳 マタ 17:24-27
17:24 彼らがカペナウムに来たとき、宮の奉納金の取立て人がペテロの所に来て言った、「あなた達の先生は奉納金を納めないのか。」
17:25 ペテロが「もちろん、納められる」と言う。そして(イエスの)家に行くと、イエスの方から言い出された、「シモン、どう思うか、この世の王たちは官税や税をだれから取るだろうか。自分の子供たちだろうか、それとも余所の人からだろうか。」
17:26 「余所の人から」と答える。イエスは言われた、「それでは(神の)子供たちには(納める)義務はない。
17:27 しかし人々をつまずかせないため、湖に出かけていって釣針を垂れよ。最初に釣れた魚を取って口をあけるとスタテル銀貨(二千円)が一つあるから、それを取って、わたしとあなたの分として取立て人に渡しなさい。」

口語訳 詩  24:1
24:1 地と、それに満ちるもの、世界と、そのなかに住む者とは主のものである。


塚本訳 ロマ 9:5
9:5 (また、アブラハム、イサク、ヤコブなどの偉大な)祖先たちは彼らのものであり、救世主も人間としては彼らから出られたのである。一切のものの上におられる神なる彼は、永遠に賛美すべきである、アーメン。


塚本訳 ヘブ 11:3
11:3 (まず、)信仰によって、わたし達はこの世界が神の言葉で造られたことを知る。すなわち、見えるものは、現われぬものからできているのである。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想終わり。キリスト信者は、第一の戒め(律法)に生きつつ、第二の戒め(律法)を実行すべきである。どちらかs片方ではいけない。第二より、第一が先である。それは次に明快である。

塚本訳 ルカ 10:38-42
10:38 さてみなが旅行をつづけるうち、イエスがある村に入られると、マルタという女が家にお迎えした。
10:39 マルタにマリヤという姉妹があった。。マリヤは主の足もとに坐ってお話を聞いていた。
10:40 するといろいろな御馳走の準備で天手古舞をしていたマルタは、すすみ寄って言った、「主よ、姉妹がわたしだけに御馳走のことをさせているのを、黙って御覧になっているのですか。手伝うように言いつけてください。」
10:41 主が答えられた、「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことに気を配り、心をつかっているが、
10:42 無くてならないものはただ一つである。マリヤは善い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」

●なぜ第一の方が「無くてならないもの」なのか。第二の戒め(律法)を実行してはいけないのか。第一の戒め(律法)に固く立てば、神がすべてをなさってくださるからだ。人間の業以上のすごいことをなさってくださる。祈りは聴かれる。まず第一の戒め(律法)の努力実行である。

●しかしこの「複眼原理」は有体的復活、有体的再臨、終末万物復興、というキリスト教の基本原理を信じられない人間、・・・・それはまた「祈りの力」を知らない、また経験したことのない人間・・・・には言っても無駄。言うだけエネルギーロス。言う方が自分を低める。イエスも裁判の席では「沈黙」していた。生きる原理、生きる次元が違ったのである。3次元ではなく4次元に生きていたのだ。
●3月30日の感話「アブラハムの宗教」の原稿。骨子

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

アブラハムの宗教 140121-2

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は等しくアブラハムを敬うが対立している

東京聖書読者会 2014.3.29 高橋照男

世界の宗教人口ランキング
キリスト教 20億

イスラム教 10億

ヒンズー教 7.6

仏教    3.4

シーク教  0.2

ユダヤ教  0.13

●ユダヤ教はアブラハムを敬う。モーセを通じてユダヤ人をエジプトから導き出したのは「アブラハムの神」。アブラハムなくしてユダヤ教なし。

口語訳 出  3:4-6                               

口語訳 出  32:11-13                             

口語訳 出  33:1-3                               

 

●キリスト教はアブラハムを尊敬している。新約聖書はアブラハムを語らなければ成立しない。

塚本訳 マタ 1:1                                

塚本訳 マタ 8:11                               

塚本訳 ルカ 16:22-24                            

塚本訳 ルカ 20:37                              

塚本訳 ロマ 9:5                                

塚本訳 ロマ 11:16                              

塚本訳 Ⅱコリ11:22                             

 

●イスラム教はアブラハムを敬う。                    
 自分たちのルーツはブラハムだと認識している。

コーラン第53章37-38節(井筒俊彦訳 岩波文庫青813-3)カッコ内は訳者説明

37一体ムーサ―(モーセ)の本(旧約聖書)の中に書いてある話を聞かされたこともないのか。

38 それからイブラーヒーム(アブラハム)が充分に務めを果たした話を。

●キリスト教のユダヤ教からの分離独立

塚本訳 ルカ 3:8

塚本訳 ヨハ 8:37                               

塚本訳 ヨハ 8:58                               

塚本訳 ロマ 4:3                                

塚本訳 ロマ 4:16-18                             

塚本訳 ガラ 3:7-9                               

塚本訳 ガラ 3:14                               
塚本訳 ヘブ 11:8  

                             

●イスラム教徒はなぜユダヤ教とキリスト教を憎むのか。(一神教の近親憎悪)http://www.gotquestions.org/Japanese/index.html

http://www.asyura2.com/12/kokusai7/msg/159.html

口語訳 創  16:1-16

口語訳 創  21:1-3

口語訳 創  21:9

口語訳 創  21:11-21

口語訳 創  16:11-12


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●2月と3月の集会感話の準備
●TSK日本語版詩篇一章。これから150日間。
●風邪気味なので夕方散歩は中止。神よ直してください。

トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


無教会の正統信仰告白 ++++++++ 所感

2014/01/20 05:28

140120(月)4時15分目覚め。●黙想「無教会の正統信仰告白」●過日某氏から「私は『モーセの十戒』の「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない」(出エジブト記20:3)という観点からしてイエスが「神の子」というのはどうしても信じられない」という正々堂々の正直なる信仰告白を聞いた。●これにインスパイアーされたので今朝はこのことを探求する。●まず無教会と正統信仰の現実について。

●塚本虎二聖書知識「雑感雑録」(昭和30年11月13日)
丸の内では偶然出席された好本督(ただす)氏に乞うて簡単な話をしてもらった。(中略)
何か英国へのお土産をとのことで、東京の真中に30年来処女懐胎から復活再臨までの正統信仰を文字通りに説き続けているコチコチの日曜集会があること、その会員の半数近くがギリシャ語を知っていることを、伝えてもらいたいと話した。(昭和30年12月「聖書知識」308号P20)


●「桑田秀延の言葉」(くわた ひでのぶ、(1895- 1975)は、日本基督教団の神学者、牧師。元東京神学大学学長)
無教会の信仰的な特色としては、形成せられた教会には反対しながらも、聖書の権威を認めこれを基礎としているので、健全なる気風を示しています。(昭和57年7月東神大パンフレット「教会論入門」P14)

●「エミール・ブルンナーの言葉」(1889-1966.、スイスの神学者。1953年に来日、2年間国際基督教大学で教え、無教会の存在を世界に紹介した)
(日本における無教会は)生き生きと解釈された聖書の言葉だけがエクレシアの根拠として承認される。・・その将来は神が心配してくださるであろう(ブルンナー著作集第4巻教義学Ⅲ(上)教文館発行1998年P157)

●北森嘉蔵(日本の代表的な神学者。「神の痛みの神学」の著者)が無教会の関根正雄との対談で「無教会が三位一体を信じていることに安堵の胸をなでおろした。」出典失念。

●私(高橋)の見るところ、無教会は他のプロテスタント諸教派のどこよりも集会(教会では教会組織)を大切にし、聖書講義者(教会では牧師)を敬い、聖書(教会ではドグマとしての教義、カテキズム)に権威を認めてそれに聞くことに熱心である。聖書を重んじるが故に使徒信条をしっかり信じている。人間(会議)が作った教義やドグマを振り回してこれを信じない者を切り捨てない。宗教裁判をしない。異端審問をしない。神学をつまらなく感じる。霊の命そのものの生命体に連なる。

●3月に中東に行く予定なので、それまでに「アブラハムの宗教」であるユダヤ教、キリスト教、イスラーム教の違いを勉強したい。ユダヤ教からキリスト教が分離独立した理由は「新約聖書」の各書に書いてある。さしあたって知りたいのはイスラム教の誕生理由である。これをしっかりと把握することは我々はなぜ「キリスト教」を信じるのかに通じる重要なことである。

●世界の宗教人口のランキングは
①キリスト教 20億
②イスラム教 10億
③ヒンズー教 7.6億
④仏教    3.4億
⑤シーク教  0.2億
⑥ユダヤ教  0.13億

●このうち①②⑥のルーツは「アブラハム」であるのだから、アブラハムは全人類の宗教の「祖」であると言える。そしてこの三つの宗教が世界史の戦争の種でもある。同じ一人の人間アブラハムを信仰の祖としながらなぜこれほどまでに「骨肉の争い」「正統論争「神学論争」をするのか、血で血を洗う争いになるのか。良く知られている十字軍、パレスチナ紛争、ナチスのホロコースト、米国の9.11 事件、など、すべて宗教を理解しないとこれらの世界史的争いは理解できない。「宗教が解れば世界が見える」とも言われる。 ●それぞれが自分の経典(ユダヤ教は旧約聖書、キリスト教は新約聖書、イスラム教はコーラン)を根拠に相手を攻撃、三つ巴の戦いである。エルサレム神殿の地区はこの三宗教が入り組んでいる。

●私はキリスト教徒なので、この問題を聖書に見てみよう。歴史は「歴史家」に聞かないで自分の目で「第一次資料」を見なければならない。●「Jバイブル」で「アブラハム」をヒットすると。 口語訳旧約で169回。(内創世記に126回)。●新約聖書のアブラハム。塚本訳で91回。これをプリントアウトして全部読む。

●読後感。アブラハムは神に愛された人物。信仰の模範、信仰の先祖、父。この人物から子孫、民族が出た。 いわば全世界が生まれた感じ。


口語訳 出  32:13
32:13 あなたのしもべアブラハム、イサク、イスラエルに、あなたが御自身をさして誓い、『わたしは天の星のように、あなたがたの子孫を増し、わたしが約束したこの地を皆あなたがたの子孫に与えて、長くこれを所有させるであろう』と彼らに仰せられたことを覚えてください」。


口語訳 ヘブ 11:8-12
11:8 信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。
11:9 信仰によって、他国にいるようにして約束の地に宿り、同じ約束を継ぐイサク、ヤコブと共に、幕屋に住んだ。
11:10 彼は、ゆるがぬ土台の上に建てられた都を、待ち望んでいたのである。その都をもくろみ、また建てたのは、神である。
11:11 信仰によって、サラもまた、年老いていたが、種を宿す力を与えられた。約束をなさったかたは真実であると、信じていたからである。
11:12 このようにして、ひとりの死んだと同様な人から、天の星のように、海べの数えがたい砂のように、おびただしい人が生れてきたのである。


塚本訳 マタ 1:1
1:1 アブラハムの末のダビデの末のイエス・キリストの系図──


塚本訳 マタ 1:17
1:17 すなわち、アブラハムからダビデまで合計十四代、ダビデからバビロン追放まで十四代、バビロン追放から救世主まで十四代である。

塚本訳 ヘブ 11:11-12
11:11 信仰によって、アブラハムはまた(その妻)サラと共に、子孫をつくる力を受けた、(すでに年齢が)盛りを過ぎていながら。彼は約束された方を誠実であると考えたのである。
11:12 だからまた、(たった)一人から、しかも(老いぼれて)死んだような者から、『天の星のように数多く、また数えきれぬ海岸の砂のように子孫ができたのである。』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

朝の黙想おわり。アブラハムは人類の祖、信仰の父。

●ユダヤ教徒とイスラム教徒はなぜ憎み合っているのか。この素朴な疑問については次の説明が明快である。 (NET調べ)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「もし、この敵意に明白な聖書的説明があるとしたら、それはアブラハムまでずっとさかのぼります。 ユダヤ人はアブラハムの息子イサクの子孫です。 アラブ人はアブラハムの息子イシュマエルの子孫です。イシュマエルが女奴隷の息子(創世記16:1-16)で、イサクがアブラハムへの約束を継ぐ約束の息子(創世記21:1-3)であるので、あきらかにふたりの息子の間には敵意があったことでしょう。イシュマエルがイサクをからかった結果(創世記21:9)、サラはアブラハムを説得してハガルとイシュマエルを追い出すようにさせました(創世記21:11-21)。 多分このことはイシュマエルの心に、イサクに対するさらなる軽蔑を引き起こしたことでしょう。天使はハガルに、イシュマエルが「すべての兄弟に敵対して住む」ようになると預言さえしました(創世記16:11-12)」
 

 大多数のアラブ人が信奉しているイスラムの宗教が、この敵意をさらに根深くしてきました。コーランはイスラム教徒への、ユダヤ人に関していくらか矛盾する指示を含んでいます。ひとつの時点ではイスラム教徒はユダヤ人を兄弟として扱うように指示し、別のところではイスラム教に改宗しないユダヤ人を攻撃せよとイスラム教徒に命令しています。コーランはアブラハムのどちらの息子が本当の約束の息子かという点でも矛盾しています。へブル語聖書はそれはイサクであったと言います。コーランはイシュマエルだったと言います。 コーランは、アブラハムが主に捧げようとしたのは、イサクではなくイシュマエルだったと教えています。(創世記22章に反して)この、だれが約束の息子だったかということに関する討論が敵意に火を注いでいます。

 

しかしながら、イサクとイシュマエルの間の古代の苦い根だけで今日のユダヤ人とアラブ人の間の敵意のすべてを説明することはできません。事実、数千年の中東の歴史で、ユダヤ人とアラブ人は比較的平和に、お互いに中立に生きていました。敵意の主要な理由のもとは近年にあります。第二次世界大戦のあと、国際連合がイスラエルの土地の一部をユダヤ人に与えたとき、その土地は主としてアラブ人(パレスチナ人)が住んでいました。ほとんどのアラブ人はイスラエルの国がその土地に居住することに激しく反対しました。アラブの国々は、その土地から彼らを一掃すべく、イスラエルを攻撃しましたが、イスラエルに全く敗北しました。それ以来、イスラエルとアラブ人の近隣諸国との間には大きな敵意が存在しています。地図を見てみると、イスラエルはほんの小さな一切れの土地を持っているだけで、まわりをヨルダン、シリヤ、サウジアラビア、イラク、そしてエジプトといったもっと大きなアラブ諸国にかこまれています。聖書的に言って、イスラエルは、神さまがアブラハムの孫であるヤコブの子孫に与えられた自分の土地に国として存在する権利があるというのが私たちの視点です。それと同時に私たちは、イスラエルが平和を求め、アラブの隣人たちに対して尊敬を払うべきだと強く信じています。詩篇122:6は宣言しています。「エルサレムの平和のために祈れ。おまえを愛する人々が栄えるように。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ユダヤ教徒とイスラム教徒はなぜ憎み合っているのか。この素朴な疑問については次の説明が明快である。 (NET調べ) おわり



●私としてはキリスト教徒を55年もやってきているので今更イスラむ教やコーラン(クルアーン)の勉強をする人生の時間がない。そこで上記解説に出てくる聖書の箇所を下記に掲げてキリスト教徒としての視点を据えてみよう。

口語訳 創  16:1-16
16:1 アブラムの妻サライは子を産まなかった。彼女にひとりのつかえめがあった。エジプトの女で名をハガルといった。
16:2 サライはアブラムに言った、「主はわたしに子をお授けになりません。どうぞ、わたしのつかえめの所におはいりください。彼女によってわたしは子をもつことになるでしょう」。アブラムはサライの言葉を聞きいれた。
16:3 アブラムの妻サライはそのつかえめエジプトの女ハガルをとって、夫アブラムに妻として与えた。これはアブラムがカナンの地に十年住んだ後であった。
16:4 彼はハガルの所にはいり、ハガルは子をはらんだ。彼女は自分のはらんだのを見て、女主人を見下げるようになった。
16:5 そこでサライはアブラムに言った、「わたしが受けた害はあなたの責任です。わたしのつかえめをあなたのふところに与えたのに、彼女は自分のはらんだのを見て、わたしを見下げます。どうか、主があなたとわたしの間をおさばきになるように」。
16:6 アブラムはサライに言った、「あなたのつかえめはあなたの手のうちにある。あなたの好きなように彼女にしなさい」。そしてサライが彼女を苦しめたので、彼女はサライの顔を避けて逃げた。
16:7 主の使は荒野にある泉のほとり、すなわちシュルの道にある泉のほとりで、彼女に会い、
16:8 そして言った、「サライのつかえめハガルよ、あなたはどこからきたのですか、またどこへ行くのですか」。彼女は言った、「わたしは女主人サライの顔を避けて逃げているのです」。
16:9 主の使は彼女に言った、「あなたは女主人のもとに帰って、その手に身を任せなさい」。
16:10 主の使はまた彼女に言った、「わたしは大いにあなたの子孫を増して、数えきれないほどに多くしましょう」。
16:11 主の使はまた彼女に言った、「あなたは、みごもっています。あなたは男の子を産むでしょう。名をイシマエルと名づけなさい。主があなたの苦しみを聞かれたのです。
16:12 彼は野ろばのような人となり、その手はすべての人に逆らい、すべての人の手は彼に逆らい、彼はすべての兄弟に敵して住むでしょう」。
16:13 そこで、ハガルは自分に語られた主の名を呼んで、「あなたはエル・ロイです」と言った。彼女が「ここでも、わたしを見ていられるかたのうしろを拝めたのか」と言ったことによる。
16:14 それでその井戸は「ベエル・ラハイ・ロイ」と呼ばれた。これはカデシとベレデの間にある。
16:15 ハガルはアブラムに男の子を産んだ。アブラムはハガルが産んだ子の名をイシマエルと名づけた。
16:16 ハガルがイシマエルをアブラムに産んだ時、アブラムは八十六歳であった。


口語訳 創  21:9
21:9 サラはエジプトの女ハガルのアブラハムに産んだ子が、自分の子イサクと遊ぶのを見て、


口語訳 創  21:11-21
21:11 この事で、アブラハムはその子のために非常に心配した。
21:12 神はアブラハムに言われた、「あのわらべのため、またあなたのはしためのために心配することはない。サラがあなたに言うことはすべて聞きいれなさい。イサクに生れる者が、あなたの子孫と唱えられるからです。
21:13 しかし、はしための子もあなたの子ですから、これをも、一つの国民とします」。
21:14 そこでアブラハムは明くる朝はやく起きて、パンと水の皮袋とを取り、ハガルに与えて、肩に負わせ、その子を連れて去らせた。ハガルは去ってベエルシバの荒野にさまよった。
21:15 やがて皮袋の水が尽きたので、彼女はその子を木の下におき、
21:16 「わたしはこの子の死ぬのを見るに忍びない」と言って、矢の届くほど離れて行き、子供の方に向いてすわった。彼女が子供の方に向いてすわったとき、子供は声をあげて泣いた。
21:17 神はわらべの声を聞かれ、神の使は天からハガルを呼んで言った、「ハガルよ、どうしたのか。恐れてはいけない。神はあそこにいるわらべの声を聞かれた。
21:18 立って行き、わらべを取り上げてあなたの手に抱きなさい。わたしは彼を大いなる国民とするであろう」。
21:19 神がハガルの目を開かれたので、彼女は水の井戸のあるのを見た。彼女は行って皮袋に水を満たし、わらべに飲ませた。
21:20 神はわらべと共にいまし、わらべは成長した。彼は荒野に住んで弓を射る者となった。
21:21 彼はパランの荒野に住んだ。母は彼のためにエジプトの国から妻を迎えた。


口語訳 創  16:11-12
16:11 主の使はまた彼女に言った、「あなたは、みごもっています。あなたは男の子を産むでしょう。名をイシマエルと名づけなさい。主があなたの苦しみを聞かれたのです。
16:12 彼は野ろばのような人となり、その手はすべての人に逆らい、すべての人の手は彼に逆らい、彼はすべての兄弟に敵して住むでしょう」。
 



●感想の結論。お互いが仲直りしようと思っても血がこれを赦さないのかもしれない。血が騒ぐのだ。平和は終末がこなければ無理のようだ。

●TSK日本語版ヨブ記41-42章。これでヨブ記終了。45日間かかった。その最後の部分を読み、胸が詰まった。

口語訳 ヨブ 42:10-17
42:10 ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブの繁栄をもとにかえし、そして主はヨブのすべての財産を二倍に増された。
42:11 そこで彼のすべての兄弟、すべての姉妹、および彼の旧知の者どもことごとく彼のもとに来て、彼と共にその家で飲み食いし、かつ主が彼にくだされたすべての災について彼をいたわり、慰め、おのおの銀一ケシタと金の輪一つを彼に贈った。
42:12 主はヨブの終りを初めよりも多く恵まれた。彼は羊一万四千頭、らくだ六千頭、牛一千くびき、雌ろば一千頭をもった。
42:13 また彼は男の子七人、女の子三人をもった。
42:14 彼はその第一の娘をエミマと名づけ、第二をケジアと名づけ、第三をケレン・ハップクと名づけた。
42:15 全国のうちでヨブの娘たちほど美しい女はなかった。父はその兄弟たちと同様に嗣業を彼らにも与えた。
42:16 この後、ヨブは百四十年生きながらえて、その子とその孫と四代までを見た。
42:17 ヨブは年老い、日満ちて死んだ。

●苦労の多かったヨブ。しかし神はその最後を祝福した。

●ヨブ記の最後42:16-17をTSKでは次のように引照している。


●ヨブ42:16 この後、ヨブは百四十年生きながらえて、その子とその孫と四代までを見た。

 

*「この後、ヨブは百四十年生きながらえて、」

Genesis 11:32

32テラの年は二百五歳であった。テラはハランで死んだ。

Genesis 25:7

 7アブラハムの生きながらえた年は百七十五年である。

Genesis 35:28

 28イサクの年は百八十歳であった。

Genesis 47:28

 28ヤコブはエジプトの国で十七年 生きながらえた。ヤコブのよわいの日は百四十七年であった。

Genesis 50:26

 26こうしてヨセフは百十歳で死んだ。彼らはこれに薬を塗り、棺に納めて、エジプトに置いた。

Deuteronomy 34:7

 7モーセは死んだ時、百二十歳であったが、目はかすまず、気力は衰えていなかった。

Joshua 24:29

 29これらの事の後、主のしもべ、ヌンの子ヨシュアは百十歳で死んだ、

Psalms 90:10

 10われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。

 

*「その子とその孫と四代までを見た。」

Genesis 50:23

23ヨセフはエフライムの三代の子孫を見た。マナセの子マキルの子らも生れてヨセフのひざの上に置かれた。

Psalms 128:6

 6またあなたの子らの子を見るであろう。どうぞ、イスラエルの上に平安があるように。

Proverbs 17:6

 6孫は老人の冠である、父は子の栄えである。

 

 

●ヨブ42:17 ヨブは年老い、日満ちて死んだ。

*「節全体」

Genesis 15:15

15あなたは安らかに先祖のもとに行きます。そして高齢に達して葬られるでしょう。

Genesis 25:8

 8アブラハムは高齢に達し、老人となり、年が満ちて息 絶え、死んでその民に加えられた。

Deuteronomy 6:2

 2これはあなたが子や孫と共に、あなたの生きながらえる日の間、つねにあなたの神、主を恐れて、わたしが命じるもろもろの定めと、命令とを守らせるため、またあなたが長く命を保つことのできるためである。

Job 5:26

 26あなたは高齢に達して墓に入る、あたかも麦 束をその季節になって打ち場に運びあげるようになるであろう。

Psalms 91:16

 16わたしは長寿をもって彼を満ち足らせ、わが救を彼に示すであろう。

Proverbs 3:16

 16その右の手には長寿があり、左の手には富と、誉がある。


●私の知った人で、長寿の人もいた、11歳で召された人もいた。(1月14日のブログ参照)。しかし、長くても短くてもヨブ記の最後42:17にあるように人は「日満ちて」死ぬのだ。その時は神が決められる。
●この短くてしかも労苦の多い人生は、「復活の希望」なくしてむなしい。
●16:00 夕方散歩。ヨブ記が終わって感慨深い。私のことを「現代のヨブ」と言った人がいた。家屋の全焼、脳出血での意識不明、などである。しかしまだ最後ではない。これからも苦難があるに違いない。しかしそれは神の知り給うことだ。復活、復活、永遠の生命。

2014_01200001.jpg 

チャイコフスキー 弦楽四重奏曲第一番第二楽章
「アンダンテカンタービレ」を思う。

2014_01200006.jpg 

夕方散歩で林を抜けると我が家が見えた。16倍ズームで撮影。
私には家がある。妻がいる。夕食が待っている。健康だ。聖書の仕事がある。子や孫がいる。感謝。残された日々を主のために捧げよう。





 





















トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


書物は人を救わない ++++++++ 所感

2014/01/19 06:46

140119(日)4時15分起床。乾布摩擦、体重測定、4か月で4キロの減。朝はジュースだけ、歩くこと、間食は(あまり)しないこと。目標はあと6キロの減少。少しづつ、少しづつ。飛行機が降下するように。●昨日は集会の先輩(私がその家を設計)の御遺族から、「父の遺した蔵書をどうしたら良いか」とのご相談を受けた。「内村鑑三、塚本虎二、黒崎幸吉、カールヒルティ」の本はすべて高橋照男に送ってください、有効利用します。残りは全部「処分してください。今井館資料館はそういう御遺族の申し出が多くてもう満杯です」と答えた。このことを通して「書物は人を救わない」ということを黙想しよう。●書物、特に信仰の書物は信仰を継承する人がいなけば家族にとっては無用の長物、「焼かれる」(聖書にはこの言葉が多い)運命にある。●また無教会者の家の設計を多く手掛けていて感じることは、蔵書量の多さと信仰の深さは関係しない。かえって反比例することが実感である。北陸地方は「仏間」という部屋があって、仏壇を置くための部屋があるが、無教会者や牧師の家には「書庫」なる「蔵書の間」がある。信仰なき御遺族はこの処分に倫理的に困る。自戒●こういう場面の処分段階で本当に残すべき書物とそうでないものとが「振り分けられる」。自然淘汰である。頭に浮かぶ聖句を掲げてみよう。

塚本訳 マタ 13:44
13:44 天の国は畑に隠されていた宝に似ている。人がそれを見つけると、(またそこに)隠しておいて喜んで立ち去り、持っているものをみな売って、その畑を買うのである。


●神田の友愛書房(キリスト教書専門の古書店)では塚本虎二の古書が群を抜いて高い。市場経済社会は本物が残る。私は高校生の時その「聖書知識」の旧号を宝物を探す気持ちで買い漁った。

塚本訳 ヨハ 5:39-40
5:39 あなた達は聖書(旧約)をもっていることが永遠の命を持っていることのように思って、それを研究している。ところがこの聖書は、(永遠の命である)このわたしのことを証明しているのに、
5:40 あなた達はその命を得るためわたしの所に来ようとしない。


●「貧しき者は幸いなり」という言葉は、貧しさに泣いた人でなければわからない。教会員の『月定献金』で生活している日本のプロテスタント教会の牧師にはこの言葉はわからない。この言葉の意味を神学的、言語学的、文献批評学的に『研究」してそれを教会員に向かって「説教」しても貧しさに泣く信者には通じない。

塚本訳 マタ 8:19-20
8:19 すると一人の聖書学者が進み出て言った、「先生、どこへでもおいでになる所へお供をします。」
8:20 イエスはその人に言われる、「狐には穴がある、空の鳥には巣がある。しかし人の子(わたし)には枕する所がない。(その覚悟があるか。)」


●「聖書」では「聖書学者」「聖職者」は分が悪い。なぜか。心が神に向いてないからである。
●内村は貧しさに泣いた。あるとき札幌農学校の同期性が食事を御馳走したら、スープの皿を持ち上げて最後の一滴まで」「うまそー」に飲み干したと言う。内村のような貧しさの経験亡くして「貧しき者は幸いなり」は人に語れない。

塚本訳 ルカ 16:27-31
16:27 金持が言った、『父よ、それではお願いですから、ラザロをわたしの父の家にやってください。
16:28 わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。』
16:29 しかしアブラハムは言う、『(その必要はない。)彼らにはモーセ(律法)と預言書と[聖書]がある。その教えに従えばよろしい。』
16:30 彼が言った、『いいえ、父アブラハムよ、もしだれかが死人の中から行ってやれば、きっと悔改めます。』
16:31 しかしアブラハムは答えた、『モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。』」


●キリスト教の砦は「聖書」。しかし「聖書」があっても神の祝福がなければその内容はわからない。復活に出会っても、神の霊が降らなければわからない。

塚本訳 Ⅱコリ3:6
3:6 神はわたし達に、新しい契約のための世話役、(すなわち古い契約にある律法の)文字のためではなく、(神の)霊のための世話役たる能力をお与えになったのである。文字は殺すが、霊は命を与えるからである。


●大脳皮質がキャッチする「文字」は記憶の部位が肥大するだけで、信仰は生まれない。神の霊、神の祝福のみが人を救う。

塚本訳 ルカ 3:8
3:8 (ほんとうに悔改めたのか。)それなら(洗礼を受けるだけでなく、)悔改めにふさわしい実を結べ。『われわれの先祖はアブラハムである(から大丈夫だ)』などという考えを起してはならない。わたしは言う、神はそこらの石ころからでも、アブラハムの子供を造ることがお出来になるのだ。


●「私は何代目の信者だ」とか、「塚本先生の同労者の息子の嫁だ」とか「内村、塚本先生の話を直接聞いたことがある」などということを自慢している人間の信仰は本物ではない。自然消滅(死)を待つのみ。実を結ばないで枯れる。

塚本訳 マタ 6:19-20
6:19 (このように、何事も天の父上相手でなければならない。たとえば)あなたたちは衣魚や虫が食い、また泥坊が忍び込んで盗むこの地上に宝を積まず、
6:20 衣魚も虫も食わない、また泥坊が忍び込むことも盗むこともない天に、宝を積んでおきなさい。(そうでないと、心が天に向かないであろう。)


●「貧しき者は幸い」の原理。無理に貧しくさせられるのが祝福。

塚本訳 Ⅰコリ3:21-23
3:21 従って、(自分の先生はだれだ、彼だなどと、)人間のことを自慢する者があってはならない。万物はあなた達のものではないか。
3:22 パウロでもアポロでもケパでも、世界でも命でも死でも、現在起こっていることでも将来起こることでも、万物はあなた達のものである。
3:23 しかしあなた達はキリストのもの、キリストは神のものである。

●クリスチャンであり続けることの原理。世界のものが自分のものという「気分」になれて、しかも永遠の命もゲットできるから。


塚本訳 マタ 7:13-14
7:13 狭い門から入りなさい。滅びに至る道は大きく、かつ広く、ここから入る者が多いのだから。
7:14 命にいたる門はなんと狭く、道は細く、それを見つける者の少ないことであろう!



●昨日と今日は大学入試センター試験。みな東大をはじめとする有名大学の「狭き門」に殺到する。しかしそれは神から見れば滅びに至る「広き門」である。
●「狭い門」とは人を押しのけて高いところに立つ優越感の喜びを目指せと言うのではない。人を押しのけて入れというのではない。その門は細くて見出しにくいと言うのだ。それは無理に負わさる十字架道。アー誰が好き好んでその「道」を選ぶか。人の目には隠れている貧しき道なのだ。いやいやながら神に無理に負わされる十字架なのだ。

塚本訳 ロマ 8:28-30
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。
8:29 というのは、神は(世の始まる前に)あらかじめお選びになった人たちをば御子(キリスト)と同じ姿にすることを、あらかじめお定めになったからである。──これは(こうして出来た)多くの兄弟たちの中で、彼を長男にするためである。──
8:30 そして(時が来ると)あらかじめお定めになった人たちを召し、お召しになった人たちを義とし、義とした人たちには栄光をお与えになるだろう。



●この句は22年前に召された父が私に良く聞かせてくれた言葉。ヒルティの示した言葉でもある。
●主にあれば、貧しさも、不幸も、病気も、嘆き悲しみも、失敗も、不和も、涙も、ゴタゴタも、これすべて天国行きの「受験準備」に役立つ。高得点を取れるのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想終わり。貧しさは天国への門だ。泣くな貧しき者、気の毒な者。

2014_01190003.jpg 

妻とキリスト教の集会に行く。後ろを振り返って奥多摩連山を撮影。
倍率16倍の一杯にする。

●10:00 集会は宮崎(司会)、丹野(塚本虎二「使徒信条講義」、神の子)、村上(申命記)
●集会の某氏が「イエスが神の子とはどうしても信じられないという正直な「告白」
●3月30日(第5日曜日)は「アブラハムの宗教」と題して、イスラム教はなぜユダヤ教とキリスト教から分離独立したのかを探求する。これによってわれわればなぜイエスを神の子と信じているのか、その信仰の根拠は何なのかを探る。
●妻は午後、コーラスのレッスン。

2014_01190004.jpg 

保谷こもれびホール(西東京市)でコンサート。指揮 和田一樹

第一部 吹奏楽 西東京市碧山小学校、金賞3回の優秀校
第二部 弦楽アンサンブル バルトーク ルーマニア民族舞曲
                 芥川也寸志 弦楽のための三楽章(トリプティーク)
                         これはすばらしい。チャイコフスキーに似ている。
第三部 管弦楽 西東京フィルハーモニー
                 ムソルグスキー作曲ラヴェル編曲 展覧会の絵。
                 音楽の魔術師ラヴェルの編曲オーケストレーションは色彩豊か。

ご招待くださったヴィオラの和田睦夫氏と聖子夫人に会う。

                



 

















トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


家族同胞の救いを心配した人々 ++++++++ 所感

2014/01/18 06:40

140118(土)4じ45分目覚め●目覚めの啓示。「家族同胞の救いを心配した人々」●神の絶対恩恵による無条件の罪の赦しを頂いた人は、同時に「私の家族はどうなるのか」という深い心配が湧きあがる。●この心配は「神のみぞ知る」である。一般論で「全人類はことごとく救われる」という神学概念では心が安らがない。●結論は個別のその心配は「神ご自身が先に心配してくださっている」ことを知るとき、安心である。●頭に浮かぶ聖書を順不同に並べて緩和する。

口語訳 創 19:15-17
19:15 夜が明けて、み使たちはロトを促して言った  「立って、ここにいるあなたの妻とふたりの娘とを連れ出しなさい。そうしなければ、あなたもこの町の不義のために滅ぼされるでしょう」。
19:16 彼はためらっていたが、主は彼にあわれみを施されたので、かのふたりは彼の手と、その妻の手と、ふたりの娘の手を取って連れ出し、町の外に置いた。
19:17 彼らを外に連れ出した時そのひとりは言った、「のがれて、自分の命を救いなさい。うしろをふりかえって見てはならない。低地にはどこにも立ち止まってはならない。山にのがれなさい。そうしなければ、あなたは滅びます」。


●どこから逃げよというのかs。それは堕落町「ソドムとゴモラ」である。現代では新宿歌舞伎町、米国のラスベガス。淫蕩の町である。もし家族同胞がそこに入り浸っていたら涙を流して「置いていかなければならない。」その涙は神が御存知でいてくださる。
●現代の「ソドムゴモラ」はあの堕落家庭、この堕落家族、である。イエスが「自分の十字架を負って我に従え」の意味もここに通じる
●この17節の新改訳と口語訳は次のようで、胸を打つ。必死で「命からがら」「なりふりかまわず」「逃げろ!」である。イエスの「家族を捨てよ」の精神に通じる。

新改訳 創 19:17
19:17 彼らを外のほうに連れ出したとき、そのひとりは言った。「いのちがけで逃げなさい。うしろを振り返ってはいけない。この低地のどこででも立ち止まってはならない。山に逃げなさい。さもないと滅ぼされてしまう。」

新共同 創 19:17
19:17 彼らがロトたちを町外れへ連れ出したとき、主は言われた。「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。低地のどこにもとどまるな。山へ逃げなさい。さもないと、滅びることになる。」


●ヒューマニズムを捨てよ」である。救いは神が心配してくださる。神の救いは人間的に見れば残酷な方法である。

口語訳 創 19:24-28
19:24 主は硫黄と火とを主の所すなわち天からソドムとゴモラの上に降らせて、
19:25 これらの町と、すべての低地と、その町々のすべての住民と、その地にはえている物を、ことごとく滅ぼされた。
19:26 しかしロトの妻はうしろを顧みたので塩の柱になった。
19:27 アブラハムは朝早く起き、さきに主の前に立った所に行って、
19:28 ソドムとゴモラの方、および低地の全面をながめると、その地の煙が、かまどの煙のように立ちのぼっていた。


●観光用にではあろうが、今もその塩の柱がある。何代目だかそうだ。
●ロトの妻はなぜ後ろを振り返ったのか。残してきた親、兄弟、、同胞のことであろう。振り返るのが普通だ。それが自然の感情だ。しかし振り返ったところで人は人のことは救えない。救いは神ご自身の全能の力である。 「振り返るな!」涙を呑んで「前を見続けよ」
●26節を新改訳と新共同訳で見てみよう


新改訳 創 19:26
19:26 ロトのうしろにいた彼の妻は、振り返ったので、塩の柱になってしまった。


新共同 創 19:26
19:26 ロトの妻は後ろを振り向いたので、塩の柱になった。


●新共同訳の「振り向いた」というのは人間として当然である。「それでいいのだ」「それでいいのだ」。神は赦してくれる。

口語訳 創 18:22-26
18:22 その人々はそこから身を巡らしてソドムの方に行ったが、アブラハムはなお、主の前に立っていた。
18:23 アブラハムは近寄って言った、「まことにあなたは正しい者を、悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。
18:24 たとい、あの町に五十人の正しい者があっても、あなたはなお、その所を滅ぼし、その中にいる五十人の正しい者のためにこれをゆるされないのですか。
18:25 正しい者と悪い者とを一緒に殺すようなことを、あなたは決してなさらないでしょう。正しい者と悪い者とを同じようにすることも、あなたは決してなさらないでしょう。全地をさばく者は公義を行うべきではありませんか」。
18:26 主は言われた、「もしソドムで町の中に五十人の正しい者があったら、その人々のためにその所をすべてゆるそう」。



●堕落町ソドムに正しい人が十人でもいたらその町は滅ぼされないという。これ我らの「救いだ」。一人でもいいのだ。

塚本訳 Ⅰコリ7:12-14
7:12 しかしそのほかの人たちに、わたしが言う、主ではない。ある兄弟が不信者の妻を持ち、彼女が彼と一しょに生活することを喜ぶなら、離婚してはならない。
7:13 また、不信者の夫を持ち、その夫が彼女と一しょに生活することを喜ぶ場合の妻は、夫と離婚してはならない。
7:14 (夫婦は結婚生活で一体となるため、)不信者の夫は(信者の)妻によってすでにきよめられており、不信者の妻は兄弟(すなわち信者の夫)によってすでにきよめられているからである。そうでなければ、あなた達の子供は清くないはずであるが、現に彼らはきよい(と認められている)ではないか。



●いかに堕落した家系でも家族でも神を信ずる人が一人でもいれば神はその家庭を滅ぼさない。神は祈りを聴き給う。

塚本訳 使 16:27-31
16:27 牢番は目を覚まし、牢の戸があいているのを見ると、囚人どもが逃げたものと思い、剣を抜いて自決しようとした。
16:28 するとパウロが大声を出して言った、「早まったことをしなさるな。みんなここにいるのだから。」
16:29 牢番は明りを持って来させて(牢の中に)駈けこみ、震えながらパウロとシラスとの前にひれ伏した。
16:30 そして二人を外につれだして言った、「先生方、救われるにはどうしなければならないのですか。」
16:31 二人が言った、「主イエスを信じなさい。そうすればあなたも家族も救われる。」


●何でここに「家族」という言葉が出てくるか。この牢番はまじめで常に家族のことを心配して自分の職務上の失敗により、家族が路頭に迷うことを心配したのだろう。

塚本訳 エペ 5:25
5:25 夫達よ、妻を愛せよ、キリストが教会を愛し、そのために自分を棄て給うたように。──

塚本訳 エペ 5:28-30
5:28 これと同様に夫【もまた】自分の妻を自分の体のように愛すべき義務がある。自分の妻を愛する者は自分自身を愛するのである。
5:29 何故なら、未だ曽て自分の「肉」を悪んだ者は無く、何人もこれを養い育てる。同じようにキリストも教会を養い育て給う。
5:30 私達は彼の体の肢である。


●キリスト教は男尊女卑ではない。夫は妻のために最善を尽くせ。しかしそれは人間的でなく主にあって愛すべきである。
●夫は妻子に経済的不安を抱かせてはならない。

塚本訳 ルカ 16:18
16:18 (だから、)妻を離縁して別な女と結婚する者は皆、姦淫を犯すのであり、夫から離縁された女と結婚する者も、姦淫を犯すのである。


●もしこのことで人生を失敗したら、人間的判断では救われない。キリストの十字架の血潮でのみ清められる。だから人は人を救えないのだ。神は「絶対恩恵による無条件の罪の赦し」を実行してくださる。個人的に。

塚本訳 ルカ 15:1-7
15:1 さて、イエスの話を聞こうとして、(いつものとおり)税金取りや罪人が皆近寄ってきた。
15:2 パリサイ人と聖書学者たちがぶつぶつ呟いて言った、「この人は罪人を歓迎するし、また(招かれていって)食事までも一しょにする。」
15:3 そこで彼らにつぎの譬を話された。
15:4 「あなた達のうちのだれかが羊を百匹持っていて、その一匹がいなくなったとき、その人は九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を、見つけ出すまではさがし歩くのではないだろうか。
15:5 そして見つけると、喜んで肩にのせて、
15:6 家にかえり、友人や近所の人たちを呼びあつめてこう言うにちがいない、『一しょに喜んでください。いなくなっていたわたしの羊が見つかったから』と。
15:7 わたしは言う、このように、一人の罪人が悔改めると、悔改める必要のない九十九人の正しい人以上の喜びが、天にあるのである。


●どんな人も「失われた羊」である。親も夫も妻も子供も孫も。神ご自身のみが健康な99匹の羊を遺して失われた羊を「見つけるまで」探し続けて下さる。人間には出来ないことだ。

塚本訳 ルカ 15:21-24
15:21 息子は父に言った、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。もうあなたの息子と言われる資格はありません。……』
15:22 しかし父は(皆まで聞かず)召使たちに言った、『急いで、一番上等の着物をもって来て着せなさい。手に指輪を、足にお靴をはかせなさい。
15:23 それから肥えた小牛を引いてきて料理しなさい。みんなで食べてお祝いをしようではないか。
15:24 このわたしの息子は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。』そこで祝賀会が始まった。


●「放蕩息子の父」は新約聖書の本質。この父は毎日毎日「いなくなった息子」「疎遠になった息子」のことを思い続けた。

塚本訳 ルカ 16:25-31
16:25 しかしアブラハムは言った、『子よ、考えてごらん、あなたは生きていた時に善いものを貰い、ラザロは反対に悪いものを貰ったではないか。だから今ここで、彼は慰められ、あなたはもだえ苦しむのだ。
16:26 そればかりではない、わたし達とあなた達との間には大きな(深い)裂け目があって、ここからあなた達の所へ渡ろうと思っても出来ず、そこからわたし達の所へ越えてくることもない。』
16:27 金持が言った、『父よ、それではお願いですから、ラザロをわたしの父の家にやってください。
16:28 わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。』
16:29 しかしアブラハムは言う、『(その必要はない。)彼らにはモーセ(律法)と預言書と[聖書]がある。その教えに従えばよろしい。』
16:30 彼が言った、『いいえ、父アブラハムよ、もしだれかが死人の中から行ってやれば、きっと悔改めます。』
16:31 しかしアブラハムは答えた、『モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。』」


●この金持ちは家族が「地獄」の苦しみに遭わないように願った。
●これに対するイエスの答えは明快。「聖書があれば大丈夫」。教会ではない。エクレシアではない。「聖書だ」。なぜか英書こそ「使徒伝承」の第一次資料だから。
●しかし「復活」に出会っても信じない。神がその人に聖霊を降さなければ信じることはできない。

塚本訳 マタ 8:5-13
8:5 カペナウムに帰られると、一人の百卒長がそばに来て願って
8:6 言った、「主よ、うちの下男が中風で家にねていて、ひどく苦しんでおります。……」
8:7 彼に言われる、「(ユダヤ人の)このわたしが、(異教人のあなたの家に)行ってなおすのか。」
8:8 百卒長は答えた、「主よ、わたしはあなたを、うちの屋根の下にお迎えできるような者ではありません。(ここで)ただ一言、言ってください。そうすれば下男は直ります。
8:9 というのは、わたし自身も指揮権の下にある人間であるのに、わたしの下にも兵卒がいて、これに『行け』と言えば行き、ほかのに『来い』と言えば来、また僕に『これをしろ』と言えば(すぐ)するからです。(ましてあなたのお言葉で、病気が直らないわけはありません。)」
8:10 イエスは聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた、「アーメン、わたしは言う、イスラエル人の中でも、こんなりっぱな信仰をもっている者を一人も見たことがない。
8:11 わたしは言う、(最後の日には、このような信仰のあつい)大勢の人が『東から西から』来て、天の国でアブラハムやイサクやヤコブと共に宴会につらなり、
8:12 (かんじんのイスラエル人、すなわち)御国の子供たちは外の真暗闇に放り出され、そこでわめき、歯ぎしりするであろう。」
8:13 それからイエスは百卒長に言われた、「お帰り。あなたの信じたとおりに成れ。」するとちょうどその時に、下男は直った。

●家族の救いは全く神の全能を僅かでも(から四粒ほどでも)よいから「かすかでも」よいから信じ込めばよいらしい。

塚本訳 ヨハ 4:46-54
4:46 それから、またガリラヤのカナに行かれた。そこは(前に)水を酒にされた所である。するとカペナウムに(ヘロデ・アンデパス)王の役人がいて、その息子が病気であった。
4:47 イエスがユダヤからガリラヤに来ておられると聞くと、イエスの所に行き、(カペナウムに)下ってきて息子を直してほしいと頼んだ。息子が死にそうだったのである。
4:48 イエスは言われた、「あなた達は徴[奇蹟]と不思議なことを見なければ、決して信じない。」
4:49 王の役人が、「主よ、子供が死なないうちに(カペナウムに)下ってきてください」と言いつづけると、
4:50 イエスは言われる、「かえりなさい、息子さんはなおった。」その人はイエスの言われた言葉を信じて、かえっていった。
4:51 しかしすでに途中で、僕たちが出迎えて、子供がなおったことを知らせた。
4:52 そこで僕たちに良くなった時間をたずねると、「きのう午後一時に熱が取れた」とこたえた。
4:53 父は、それが「息子さんはなおった」とイエスが言われた時間であることを知り、彼はもちろん、全家族が信じた。
4:54 イエスはこの第二の徴[奇蹟]を、ユダヤからガリラヤに行かれたときに行われた。


●「息子が病気」というのはどんなに苦悩か。人の子の親になるとこういう苦しみに遭遇するのだ。

塚本訳 ルカ 11:9-13
11:9 それで、わたしもあなた達に言う、(ほしいものはなんでも神に)求めよ、きっと与えられる。さがせ、きっと見つかる。戸をたたけ、きっとあけていただける。
11:10 だれであろうと、求める者は受け、さがす者は見つけ、戸をたたく者はあけていただけるのだから。
11:11 あなた達のうちのどんなお父さんでも、子が魚を求めるのに、魚の代りに蛇をやるだろうか。
11:12 また卵を求めるのに、蝎をやるだろうか。
11:13 してみると、あなた達は悪い人間でありながらも、自分の子に善い物をやることを知っている。まして天の父上が、求める者に聖霊(という善いもの)を下さらないことがあるだろうか。」


●親は子の救いを心配する。霊魂の救いを心配する。

塚本訳 マタ 6:31-34
6:31 だから、『何を食べよう』とか、『何を飲もう』とか、『何を着よう』とか言って、心配するな。
6:32 それは皆異教人のほしがるもの。あなた達の天の父上は、それが皆あなた達に必要なことをよく御承知である。
6:33 あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。
6:34 だから、あしたのことを心配するな。あしたはあしたが自分で心配する。一日の苦労はその日の分で沢山である。

●神は父であるから子供の必要なものを、子供が求める前からご存知である。必要な物とは金や健康ではない。良い結婚ではない。よい家庭ではない。霊魂の救いである。

塚本訳 ロマ 9:1-3
9:1 私はキリストにある者として本当のことを言う、嘘はつかない。わたしの良心も聖霊によって、(それが本当であることを)保証してくれる。
9:2 (わたしが急にこんなことを言い出したら信じてくれないかも知れないが、)わたしに大きな悲しみと、心に絶えざる痛みとがあるのである。
9:3 ほんとうに、兄弟すなわち血を分けた同胞の(救われる)ためならば、このわたしは呪われて、救世主(の救い)から離れ落ちてもよいと、幾たび(神に)願ったことであろう。


●偉大なるかなパウロ。同胞(家族も含む)が救われるなら自分は地獄に落ちてもよいというのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想終わり。 神はその人がしっかり信仰の道を歩いていれば、その人が一番気にかけている人に霊魂の救いを与えてくださる。その救いはこの世でも来世でもありうる。このことを信じ続けよう。

●12:30妻は「夕鶴」の鑑賞に東京文化会館行く。出演は「つう」ソプラノ佐藤しのぶ、「よひょう」テノールは我らが倉石真。

●一昨日、六本木の富士写真に行った時、ウィン・バロック(1902--1975米国)の写真展を見た。詩情豊かなモノクロームの写真に心打たれた。


●下記の写真はその代表作。ウィン・バロックは元歌手。写真に音楽がある。 
私もこのような「詩の写真」を撮影したいものだ。 

●「光」をテーマにするときはモノクロームが良いのかもしれない。

●展覧会にあるカラーの写真は色彩の激しすぎる





 

 
クリックすると新しいウィンドウで開きます

「森の道を歩く子供」1958年








































トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


「皇帝(カイザル)のものは皇帝(カイザル)に」。この世を相対化せよ ++++++++ 所感

2014/01/17 08:12

140117(金)5時目覚め●「朝の啓示「皇帝(カイザル)のものは皇帝(カイザル)に、」・・・神にあってはこの世を相対化せよ

塚本訳 マタ 22:17-21
22:17 それで御意見を聞かせてください──(わたし達は異教人である)皇帝に、税を納めてよろしいでしょうか、よろしくないでしょうか。」
22:18 イエスは彼らの悪意を知って言われた、「なぜわたしを試すのか、この偽善者たち、
22:19 税の貨幣を見せなさい。」デナリ銀貨を差し出すと、
22:20 言われる、「これはだれの肖像か、まただれの銘か。」
22:21 「皇帝のです」と彼らが言う。すると言われる、「では皇帝(カイザル)のものは皇帝(カイザル)に、神のものは神に返せ。」

●この部分は百家争鳴である。その意味を人間に聞くから教派争いになったり、「わが師尊し」で信者が「福音派対社会派に分裂する。●聖書の難解なところは「聖書で聖書を読む」方法でなければならない。神の子に聞かなければならない。それが一番力がある。強力である。納得する。●この部分の解読に頭に浮かんだ自家薬篭中のものを掲げる。聖句は自分で納得するのが一番落ち着く。●これで分からない場合は本人が悪い。聖霊を頂いてないから何を言っても理解不可能なのだ。数学の幾何問題での補助線が見えないのと同じ。補助線を見てもわからないのと同じ。●イエスの政治や家庭や富に対する態度はこれを絶対化せず相対化せよというのがその本質である。以下にこれを理解する「補助線」としての聖句を順不同にメモしたままに並べる。 イエスにとっては神の御意志第一、終末意識第一。

塚本訳 ルカ 23:2
23:2 「われわれはこの男が国民を惑わし、皇帝に貢を納めることを禁じ、かつ、自分が救世主、すなわち王だと言っていることを確かめた」と言って訴え始めた。

塚本訳 ヨハ 19:12
19:12 このためにピラトは(ますます恐ろしくなり、なんとかして)彼を赦そうと思ったが、ユダヤ人が叫んだ、「この男を赦せば、あなたは皇帝の忠臣ではない。自分を王とする者はだれであろうと、皇帝の敵である。(それを助けるのだから。)」

塚本訳 マタ 15:12-13
15:12 あとで弟子たちが来てイエスに言う、「パリサイ人がお話を聞いて腹を立てたことを御存じですか。」
15:13 イエスは答えられた、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜かれる。

塚本訳 マタ 13:23-30
13:23 しかし良い地にまかれたもの、これは御言葉を聞いて悟る人で、きっと実を結び、あるいは百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍になるのである。」
13:24 またほかの譬を群衆に示して言われた、「天の国は畑に良い種をまく人にたとえられる。
13:25 人々が(夜)眠っている間に敵が来て、麦の中に毒麦をまいて行った。
13:26 苗が芽生えて実を結ぶと、その時毒麦も現われた。
13:27 使用人たちが来て家の主人に言った、『ご主人、畑には良い種をまかれたのではないですか。すると毒麦はどこから来たのでしょうか。』
13:28 主人がこたえた、『敵のしわざだ。』使用人たちが言う、『では、行って抜き取りましょうか。』
13:29 主人が言う、『いや、毒麦を抜き取ろうとして、麦まで一しょに引き抜くかも知れない。
13:30 両方とも刈入れまで育つままにしておけ。刈入れの時、わたしが刈入れ人たちに言いつける、まず毒麦を抜き取り、束にしばって焼きすてよ、麦の方は集めて倉に入れよ、と。』」

塚本訳 マタ 26:50-52
26:50 イエスはユダに言われた、「友よ、そのために来たのではあるまいが!」その時人々が進み寄って、イエスに手をかけて捕えた。
26:51 すると、見よ、イエスと一しょにいた一人の人が手をのばして剣を抜き、大祭司の下男に切りかかって片耳をそぎ落してしまった。
26:52 その時イエスが言われる、「剣を鞘におさめよ。剣による者は皆、剣によって滅びる。

塚本訳 ルカ 18:3-7
18:3 またその町に一人の寡婦がいた。いつもその裁判官の所に来ては、『(早く裁判をして)わたしのため敵に仕返しをしてください』と言っていた。
18:4 裁判官はしばらくの間は取り合おうとしなかったが、あとでひそかに考えた、『わたしは神を恐れず、人を人とも思わないが、
18:5 この寡婦はどうもうるさくて、やりきれないから、(裁判をして、)この女のために仕返しをしてやろう。そうしないと最後にはやって来て、わたしをどんなひどい目にあわせるか知れない。』」
18:6 それから主は言われた、「この不埒な裁判官の言うことを聞け。
18:7 (こんな男でもこのとおり。)まして神が、夜昼叫んでいるその選ばれた人々のために仕返し(の裁判)をせず、気長に放っておかれることがあろうか。

塚本訳 マタ 27:11-14
27:11 さて、イエスが総督の前に立たれると、総督はイエスに問うた、「お前が、ユダヤ人の王か。(お前はその廉で訴えられているが。)」イエスは言われた、「(そう言われるなら)御意見にまかせる。」
27:12 大祭司連、長老たちから(いろいろと)訴えられたが、何もお答えにならなかった。
27:13 するとピラトが言った、「あんなにお前に不利益な証言をしているのが聞えないのか。」
27:14 イエスはただの一言もお答えにならなかったので、総督は不思議でならなかった。


塚本訳 ルカ 20:1-7
20:1 ある日、イエスが宮で人々を教え、福音を説いておられた時のこと、大祭司連、聖書学者が長老たちと共に進み寄って、
20:2 イエスに言った、「なんの権威であんなことを(宮で)するのか。あの権威を授けた者はだれか、言ってもらいたい。」
20:3 答えて言われた、「ではわたしからも一つ尋ねる。それにこたえよ。
20:4 ──ヨハネの洗礼は天(の神)から(授かったの)であったか、それとも人間からか。」
20:5 彼はひそかに考えた、「もし『天から』と言えば、『なぜヨハネを信じなかったか』と言うであろうし、
20:6 もし『人間から』と言えば、人民どもは(冒涜だと言って)皆でわたし達を石で打ち殺すにちがいない。彼らはヨハネを預言者だと信じこんでいるのだから。」
20:7 そこで、どこからか知らない、と答えた。

塚本訳 ルカ 22:66-70
22:66 朝になると、国の元老院、すなわち大祭司連や、聖書学者たちが集まって、イエスを彼らの法院の議場に引いていって
22:67 言った、「お前が救世主なら、そうだとわれわれに言ってもらいたい。」彼らに答えられた、「言っても、とても信じまいし、
22:68 尋ねても、なかなか返事ができまい。
22:69 しかし今からのち、『人の子(わたし)は大能の神の右に坐って』いる。」
22:70 皆が言った、「ではお前が、神の子か。」彼らに言われた、「そうだと言われるなら、御意見にまかせる。」



口語訳 Ⅰコリ2:13-14
2:13 この賜物について語るにも、わたしたちは人間の知恵が教える言葉を用いないで、御霊の教える言葉を用い、霊によって霊のことを解釈するのである。
2:14 生れながらの人は、神の御霊の賜物を受けいれない。それは彼には愚かなものだからである。また、御霊によって判断されるべきであるから、彼はそれを理解することができない。


塚本訳 マタ 26:62-64
26:62 そこで大祭司は立ち上がってイエスに言った、「何も答えないのか。この人たちは(あんなに)お前に不利益な証言をしているが、あれはどうだ。」
26:63 しかしイエスは黙っておられた。大祭司が言った、「生ける神に誓ってわれわれにこたえよ。お前が、神の子救世主か。」
26:64 イエスは(はじめて口を開いて)彼に言われる、「(そう言われるなら)御意見にまかせる。だが、わたしは言う、あなた方は今後『人の子(わたし)が』『大能の(神の)右に坐り、』『天の雲に乗って来るのを』見るであろう。」

口語訳 イザ 53:3-8
53:3 彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
53:4 まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
53:5 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。
53:6 われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。
53:7 彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。
53:8 彼は暴虐なさばきによって取り去られた。その代の人のうち、だれが思ったであろうか、彼はわが民のとがのために打たれて、生けるものの地から断たれたのだと。

口語訳 ヨハ 18:35-36
18:35 ピラトは答えた、「わたしはユダヤ人なのか。あなたの同族や祭司長たちが、あなたをわたしに引き渡したのだ。あなたは、いったい、何をしたのか」。
18:36 イエスは答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っている者たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし事実、わたしの国はこの世のものではない」。

塚本訳 ルカ 16:24-26
16:24 声をあげて言った、『父アブラハムよ、どうかわたしをあわれと思ってラザロをよこし、指先を水にひたしてわたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの焔の中でもだえ苦しんでおります。』
16:25 しかしアブラハムは言った、『子よ、考えてごらん、あなたは生きていた時に善いものを貰い、ラザロは反対に悪いものを貰ったではないか。だから今ここで、彼は慰められ、あなたはもだえ苦しむのだ。
16:26 そればかりではない、わたし達とあなた達との間には大きな(深い)裂け目があって、ここからあなた達の所へ渡ろうと思っても出来ず、そこからわたし達の所へ越えてくることもない。』


口語訳 ピリ 3:18-20
3:18 わたしがそう言うのは、キリストの十字架に敵対して歩いている者が多いからである。わたしは、彼らのことをしばしばあなたがたに話したが、今また涙を流して語る。
3:19 彼らの最後は滅びである。彼らの神はその腹、彼らの栄光はその恥、彼らの思いは地上のことである。
3:20 しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。

口語訳 ヨハ 18:35-36
18:35 ピラトは答えた、「わたしはユダヤ人なのか。あなたの同族や祭司長たちが、あなたをわたしに引き渡したのだ。あなたは、いったい、何をしたのか」。
18:36 イエスは答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っている者たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし事実、わたしの国はこの世のものではない」。

塚本訳 ルカ 16:9-13
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。
16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。
16:11 だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。
16:12 もし他人のもの[この世のこと]に忠実でなかったならば、だれがあなた達のもの[天のもの]をあなた達に与えようか。
16:13 しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。」

塚本訳 マタ 17:24-27
17:24 彼らがカペナウムに来たとき、宮の奉納金の取立て人がペテロの所に来て言った、「あなた達の先生は奉納金を納めないのか。」
17:25 ペテロが「もちろん、納められる」と言う。そして(イエスの)家に行くと、イエスの方から言い出された、「シモン、どう思うか、この世の王たちは官税や税をだれから取るだろうか。自分の子供たちだろうか、それとも余所の人からだろうか。」
17:26 「余所の人から」と答える。イエスは言われた、「それでは(神の)子供たちには(納める)義務はない。
17:27 しかし人々をつまずかせないため、湖に出かけていって釣針を垂れよ。最初に釣れた魚を取って口をあけるとスタテル銀貨(二千円)が一つあるから、それを取って、わたしとあなたの分として取立て人に渡しなさい。」

塚本訳 マタ 6:24
6:24 (わたし達の心は天か地かに引かれる。)だれも(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。

塚本訳 ロマ 13:1
13:1 人は皆上に立つ(国家の)官憲に服従せねばならない。神からではない官憲はなく、現存の官憲は(ことごとく)神から任命されたものであるから。


塚本訳 Ⅰペテ2:13-25
2:13 主の(立て給うたものであるが)故に、人間の凡ての制度に服従せよ。あるいは主権者として王に、
2:14 あるいは悪人を罰し善人を褒めるため王から遣わされた者としての総督達に(服従せよ)。
2:15 (君達の)善行によって、(君達を危険人物のように考えている)無理解な人達の無知(な非難)を沈黙させることは、神の御旨であるからである。
2:16 (しかし君達は自由の人であるから、)自由の人としてこれをせよ。ただその自由を悪の覆いとせず、かえって神の奴隷としてこれをせよ。
2:17 凡ての者を敬え、すなわち教友を愛し、『神を畏れ、王を』敬え。
2:18 奴隷達よ、(神に対する)あらん限りの畏れをもって主人に服従せよ、ただ善い、優しい主人だけでなく、気難しい主人にも(快く服従せよ。)
2:19 もし人が(自分を奴隷としたのは)神(であること)を意識して苦痛を忍び、不当に苦しむならば、これは(神に)喜ばれることであるからである。
2:20 何故なら、もし罪を犯して打たれて忍耐したとて、何の名誉になろう。しかし善行によって苦しめられて忍耐するならば、これこそ神の前に喜ばれることである。
2:21 君達はこのために召されたのであるから。というのはキリストも君達のために苦しみ、君達をその足跡に随わせようとして模範を遺し給うたのである。
2:22 彼は(聖書にあるように)罪を』犯さず、その口には欺瞞が無かった』。
2:23 彼は悪口されても悪口し返さず、苦しめられても脅かさずして、正しく審き給う者に裁量を任せ給うた。
2:24 彼は『自ら私達の罪を』自分の身に『負って』木の上に『上り給うた』。私達が罪によっては死に、義によっては生きるためである。彼の『傷によって君達は医された』。
2:25 何故なら、君達は(かつては)『迷える羊のよう』であったが、今や君達の霊魂の牧者また監督者に戻ったからである。

塚本訳 マタ 5:39-44
5:39 しかしわたしはあなた達に言う、悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打ったら、左をも向けよ。
5:40 (裁判所に)訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせてやれ。
5:41 だれかが無理に一ミリオン[一キロ半]行かせようとするなら、一しょに二ミリオン行ってやれ。
5:42 求める者には与えよ、借りようとする者を断るな。
5:43 あなた達は(昔の人がモーセから、)『隣の人を愛し、』敵を憎まねばならない、と命じられたことを聞いたであろう。
5:44 しかしわたしはあなた達に言う、敵を愛せよ。自分を迫害する者のために祈れ。


塚本訳 マタ 6:15
6:15 人を赦さないならば、父上もあなた達の過ちを赦してくださらないであろう。


塚本訳 マタ 18:32-33
18:32 すると主人はその家来を呼び出して言う、『不埒な家来、あなたが頼んだから、わたしはあの負債に全部、棒を引いてやったのだ。
18:33 だからあなたもわたしに情をかけてもらったように、同僚に情をかけてやるべきではなかったのか。』


塚本訳 ルカ 23:33-34
23:33 髑髏という所に着くと、(兵卒らは)そこでイエスを十字架につけた。また罪人も、一人を右に、一人を左に(十字架につけた)。
23:34 するとイエスは言われた、「お父様、あの人たちを赦してやってください、何をしているか知らずにいるのです。」『彼らは籤を引いて、』イエスの『着物を自分たちで分けた。』


塚本訳 エペ 2:14-16
2:14 何故なら、彼(キリスト)が私達の』平和』であって、(今まで離反していたイスラエルと異教人の)両者を一つにし、(その仲を割いていた)仕切りの籬なる敵意を取り除け給うたからである。すなわちその肉で、
2:15 (あらゆる)命令規則から成る律法を廃止し給うたのである。これは(今まで敵であった)この二つの者を己において一つの新しい人に創造りかえて平和を作るため、
2:16 かくてまた十字架によって二つの者を一つの体において神と和睦させ、十字架において(神と人との間の)敵意を殺すためである。


塚本訳 マタ 12:46-50
12:46 イエスがまだ群衆に話しておられると、そこにその母と兄弟たちがイエスに話しがあって、外に立っていた。
12:47 〔無し〕
12:48 しかしイエスはそのことを知らせた者に、「わたしの母とはだれのことだ、わたしの兄弟とはだれのことだ」と答えて、
12:49 弟子たちの上に手をのばして言われた、「ここにいるのが、わたしの母、わたしの兄弟だ。
12:50 だれでもわたしの天の父上の御心を行う者、それがわたしの兄弟、姉妹、また母であるから。」


塚本訳 ヨハ 19:25-27
19:25 ところが一方、イエスの十字架のわきには、その母(マリヤ)と母の姉妹、クロパの妻マリヤとマグダラのマリヤが立っていた。
19:26 するとイエスは母上と、そのそばに立っている自分の愛する弟子とを見て、母上に言われる、「女の方、これがあなたの息子さんです。」
19:27 それからその弟子に言われる、「これがあなたのおかあさんだ。」この時以来、その弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。

塚本訳 ロマ 16:12-13
16:12 主にあって苦労したツルパナとツルポサとによろしく。愛するペルシスによろしく。彼女は主にあって非常に苦労したのである。
16:13 主にあって選ばれたルポスとお母さんとによろしく。彼女はわたしのお母さんでもある。

塚本訳 Ⅱペテ3:10-14
3:10 しかし主の日は盗人のように来るであろう。(そして)その日天は轟然たる響きと共に消え失せ、日月星辰は燃えて解け去り、地とその上にある(人間の)事業は燃え失せるであろう。
3:11 これらのものが皆このように解け去るとすれば、【君達は】如何に聖い行いと敬虔とにあって、
3:12 神の日の到来を待ち望みつつ(これを)早め(ることに努力せ)ねばならぬことであろう!その日『天は』焼けて解け去り、日月星辰は燃えて『溶けるであろう』。
3:13 しかし私達は彼の約束によって、義の住む『新しい天』と『新しい地』とを待ち望む。
3:14 だから愛する者よ、これを待ち望むならば、(その日)神に汚点のない、疵のない、平安にある者として見られるよう努力せよ。

塚本訳 マタ 6:9-10
6:9 だからあなた達は、このように祈りなさい。──、わたしたちの天のお父様、お名前がきよまりますように。
6:10 お国が来ますように。お心が行われますように、天と同じに、地の上でも。

塚本訳 Ⅰコリ16:21-24
16:21 (最後に、)パウロが自筆で挨拶する。
16:22 主を愛しない者があるなら、呪われよ!、マラナ、サ(主よ、来てください)!
16:23 主イエスの恩恵、あなた達と共にあらんことを。
16:24 わたしの愛はキリスト・イエスにおいてあなた達一同と共にある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●朝の黙想終わり。これでイエスの政治(家族関係、富)に対する対する態度は明快。4次元人間は4次元に生きながら3次元のこの世に生きる。そこに十字架の涙がある。●信者の「努力」は終末を早めるための祈り。


2014_01170004.jpg 

道路工事の労働者。人物撮影はモノクロがいいか

2014_01170006.jpg 

チャイコフスキー交響曲第一番「冬の日の幻想」。モノクロはすばらしい。











トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


老化の悲しみ ++++++++ 所感

2014/01/16 05:54

140116(木)4時半目覚め●朝の啓示「草は 枯れ、花は落つ」●昨日は私が設計したビルのオーナーの夫人と電話懇談した。間もなく後期高齢者(75歳)で、耳も遠くなったと言う。かくいう私も今年の誕生日で71歳、テレビのボリュームを大きくしなければならなくなったり、「うっかり」が多くなったりする。丈夫だと思っていた妻も疲れが出るようになり、風邪の直り方も遅くなった。●人生はその諸段階において特有の悩みがあるが、老年になると「老化現象の悲しみ」というものがある。私のデスクの前には「老人半分」という貼り紙をしてある。これは昨年80歳にしてエベレストに登頂した三浦雄一郎の言葉である。氏は前回75歳の登頂の半分づつを進んで成功したのであるという。●ヒルティに「老年について」という論考があるが、今朝はそれを読まないで、聖書に集中する。●クリスチャンの「老年の悲しみ」を慰めてくれる言葉は第一ペテロ1:23-25である。

●翻訳比較(Jバイブル利用)

文語訳 Ⅰペテ1:23-25
1:23 汝らは朽つる種に由らで、朽つることなき種、すなはち神の活ける限りなく保つ言に由りて新に生れたればなり。
1:24 『人はみな草のごとく、その光榮はみな草の花の如し、草は枯れ、花は落つ。
1:25 されど主の御言は永遠に保つなり』、汝らに宣傅へたる福音の言は即ちこれなり。


口語訳 Ⅰペテ1:23-25
1:23 あなたがたが新たに生れたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変ることのない生ける御言によったのである。
1:24 「人はみな草のごとく、/その栄華はみな草の花に似ている。草は枯れ、/花は散る。
1:25 しかし、主の言葉は、とこしえに残る」。これが、あなたがたに宣べ伝えられた御言葉である。


塚本訳 Ⅰペテ1:23-25
1:23 (君達は)朽つる種でなく、朽ちぬ種から、(すなわち)神の活ける、また(永遠に)消え失せぬ言によって新しく生まれたのである。
1:24 何故なら『人はみな草』のよう『また』その『栄華はみな草の花のようである』。』草は枯れた花は落ちた』
1:25 『しかし』主の『言は永遠に消え失せない』。これが君達に』宣べ伝えられた福音の言』である。


新改訳 Ⅰペテ1:23-25
1:23 あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。
1:24 「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。
1:25 しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。


新共同 Ⅰペテ1:23-25
1:23 あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。
1:24 こう言われているからです。「人は皆、草のようで、/その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、/花は散る。
1:25 しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです。


NKJV Ⅰペテ1:23-25
1:23 having been born again, not of corruptible seed but incorruptible, through the word of God which lives and abides forever,
1:24 because"All flesh is as grass,And all the glory of man as the flower of the grass.The grass withers,And its flower falls away,
1:25 But the word of the Lord endures forever." Now this is the word which by the gospel was preached to you.


TEV Ⅰペテ1:23-25
1:23 For through the living and eternal word of God you have been born again as the children of a parent who is immortal, not mortal.
1:24 As the scripture says, /"All human beings are like grass, /and all their glory is like wild flowers. /The grass withers, and the flowers fall,
1:25 but the word of the Lord remains forever." /This word is the Good News that was proclaimed to you.



●次にこれに関連する言葉で頭に浮かぶもの。聖書は自家薬篭中のものを沢山紡ぎだすことが聖書読みの王道である。

口語訳 伝  12:1-2
12:1 あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、
12:2 また日や光や、月や星の暗くならない前に、雨の後にまた雲が帰らないうちに、そのようにせよ。


文語訳 マタ 6:30
6:30 今日ありて明日、爐に投げ入れらるる野の草をも、神はかく装ひ給へば、まして汝らをや、ああ信仰うすき者よ。


文語訳 ヨハ 6:68
6:68 シモン・ペテロ答ふ『主よ、われら誰にゆかん、永遠の生命の言は汝にあり。


文語訳 マタ 28:20
28:20 わが汝らに命ぜし凡ての事を守るべきを教へよ。視よ、我は世の終まで常に汝らと偕に在るなり』


●次に信仰の補強をするために他人が作成した引照集を見る。
Ⅰペテ1:23-25を拙HPの 「聖書で聖書を読む」(BbB)のサイトで見て心に響くものを掲げる。。
http://www.bbbible.com/


塚本訳 Ⅰコリ15:53-54
15:53 (というのは、神の国に入るためには、)この死滅すべきものが不滅を着、この死ぬべきものが不死のものを着ねばならないからである。
15:54 そしてこの死滅すべきものが不滅を着、この死ぬべきものが不死のものを着たら、その時(聖書に)書いてある言葉が実現する。『死は(神の)勝利に飲みこまれてしまった。』


塚本訳 ロマ 16:26
16:26 今現わされ、預言者たちの書き物により、永遠の神の命令に応じて、従順に信仰を受けいれさせようとしてすべての国の人に知らせられたのである──


塚本訳 ヘブ 4:12
4:12 というのは、神の言葉は生きていて、活動し、あらゆる諸刃の剣よりも鋭く、精神と霊魂と、関節と骨髄との境までも突きいって、心の考えと思いとを裁くからである。


塚本訳 Ⅰコリ6:11
6:11 そして(かっては)あなた達も幾人かは、こうした者であった。しかしもはや(洗礼を受けて汚れを)洗っていただいたのであり、聖別されたのであり、義とされたのである、主キリストの名によって、またわたし達の神の霊によって。


塚本訳 ピリ 2:12-13
2:12 だから、愛する者達よ、(今まで)何時も従順であったように、(従順であってもらいたい。)私が(一緒に)居る時ばかりでなく、居ない今こそ却つてなお一層、畏れと戦きをもって、自分の救いを得よ。
2:13 (しかしもちろんこれは君達の力では出来ない。)何故なら、(救いに関わる)御旨を成し遂ぐるため、君達のうちに働いて、(救いの)願望を起こさせ、これを成就せしめ給う者は、神であるからである。


塚本訳 Ⅰテサ2:13
2:13 この故にまた私達が絶えず神に感謝しているのは、君達が私達から神の言を聞いた時、(これを)人間の言とせず、事実通り神の言として受け、それが(今)君達(テサロニケの)信者の間に(強く)働いていることである。


塚本訳 Ⅰテサ3:12
3:12 願わくは君達相互の間においても、凡ての人に対しても、主が君達の愛を増し且つ豊かにして、君達に対する私達の愛の如くなし給わんことを。


塚本訳 Ⅰペテ1:2-3
1:2 君達は父なる神の予定に循い、御霊の聖潔によって、従順とイエス・キリストの血の潅ぎに与らんために選ばれたのである──恩恵と平安、(いよいよ)君達に豊かならんことを!
1:3 讃美すべきかな、我らの主イエス・キリストの父なる神!彼は大なる憐憫により、イエス・キリストが死人の中から復活し給うたことをもって、私たちを活ける希望に新しく生み、


塚本訳 黙  14:6
14:6 また私はもう一人(他)の天使が、地に住む者、(すなわち)あらゆる国民と種族と国語と民とに宣べ伝うべき永遠の福音を携えて中空を飛ぶのを見た。


塚本訳 ヘブ 1:2
1:2 (いよいよ)この最後の日には、御子[キリスト]をもってわたし達に語られたのである。神はこの御子を万物の相続人と定め、彼によって(この)世界をお造りになった。


塚本訳 ロマ 1:5
1:5 わたし達はこの方によって恩恵の使徒職を戴き、御名を広めるために、すべての異教人をして従順に、この信仰を受けいれさせようとしている。


塚本訳 ヤコ 1:18
1:18 (のみならず、)彼は私達をその創造り給うた物の謂わば初穂たらしめようと思って、真理の言により私達を生み給うたのである。


塚本訳 Ⅰヨハ5:1
5:1 どんな人でも、イエスが救世主であると信ずる者は、神(の力)によって生まれたのであり、またどんな人でも、自分を生んでくださったお方を愛する者は、彼(の力)によって生まれた者(、すなわち同じ父から生まれた者)を愛する。



●次にまた信仰の補強をするために拙HP「TSK(聖書知識の宝庫)」のⅠペテ1:23-25を見て心に響くものを掲げる。

http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/110910.htm

塚本訳 ヨハ 3:5
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。


塚本訳 Ⅰペテ1:3
1:3 讃美すべきかな、我らの主イエス・キリストの父なる神!彼は大なる憐憫により、イエス・キリストが死人の中から復活し給うたことをもって、私たちを活ける希望に新しく生み、


塚本訳 ロマ 1:23
1:23 その証拠には、朽ちぬ『栄光』の神『の代りに、』朽ちはてる人間や鳥や四足や長虫の『像を』おがんでいる。


塚本訳 Ⅰヨハ5:18
5:18 わたし達は知っている、(前に言ったように、)すべて神(の力)によって生まれた者は罪を犯さないことを、否、神(の力)によってお生まれになった方(キリスト)がその人を守られるので、悪者[悪魔]はその人にさわらないことを。


塚本訳 マタ 24:35
24:35 天地は消え失せる、しかし(いま言った)わたしの言葉は決して消え失せない。


塚本訳 ヨハ 6:63
6:63 霊が命を与える。肉はなんの役にも立たない。いまわたしがあなた達に話した言葉は、霊である。だから、命である。


塚本訳 ヘブ 4:12
4:12 というのは、神の言葉は生きていて、活動し、あらゆる諸刃の剣よりも鋭く、精神と霊魂と、関節と骨髄との境までも突きいって、心の考えと思いとを裁くからである。


塚本訳 ヤコ 1:18
1:18 (のみならず、)彼は私達をその創造り給うた物の謂わば初穂たらしめようと思って、真理の言により私達を生み給うたのである。


口語訳 詩  37:1-2
37:1 悪をなす者のゆえに、心を悩ますな。不義を行う者のゆえに、ねたみを起すな。
37:2 彼らはやがて草のように衰え、青菜のようにしおれるからである。


口語訳 詩  90:5-6
90:5 あなたは人を大水のように流れ去らせられます。彼らはひと夜の夢のごとく、あしたにもえでる青草のようです。
90:6 あしたにもえでて、栄えるが、夕べには、しおれて枯れるのです。


口語訳 詩  92:8
92:8 しかし、主よ、あなたはとこしえに/高き所にいらせられます。


口語訳 詩  102:4-5
102:4 わたしの心は草のように撃たれて、しおれました。わたしはパンを食べることを忘れました。
102:5 わが嘆きの声によって/わたしの骨はわたしの肉に着きます。


口語訳 詩  103:15
103:15 人は、そのよわいは草のごとく、その栄えは野の花にひとしい。


口語訳 イザ 40:6-8
40:6 声が聞える、「呼ばわれ」。わたしは言った、「なんと呼ばわりましょうか」。「人はみな草だ。その麗しさは、すべて野の花のようだ。
40:7 主の息がその上に吹けば、草は枯れ、花はしぼむ。たしかに人は草だ。
40:8 草は枯れ、花はしぼむ。しかし、われわれの神の言葉は/とこしえに変ることはない」。

口語訳 ヤコ 4:14-15
4:14 あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。あなたがたのいのちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない。
4:15 むしろ、あなたがたは「主のみこころであれば、わたしは生きながらえもし、あの事この事もしよう」と言うべきである。

口語訳 ヤコ 1:10-11
1:10 また、富んでいる者は、自分が低くされたことを喜ぶがよい。富んでいる者は、草花のように過ぎ去るからである。
1:11 たとえば、太陽が上って熱風をおくると、草を枯らす。そしてその花は落ち、その美しい姿は消えうせてしまう。それと同じように、富んでいる者も、その一生の旅なかばで没落するであろう。

口語訳 Ⅰヨハ2:17
2:17 世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる。


口語訳 詩  119:90
119:90 あなたのまことはよろずよに及びます。あなたが地を定められたので、地は堅く立っています。


口語訳 イザ 40:8
40:8 草は枯れ、花はしぼむ。しかし、われわれの神の言葉は/とこしえに変ることはない」。


塚本訳 マタ 5:18
5:18 アーメン、わたしは言う、天地が消え失せても、(そこに書かれている)すべてのことが実現するまでは、律法(と預言書)から、その一点一画といえども決して消え失せない。


塚本訳 ルカ 16:17
16:17 しかし(神の言葉はすたったのではない。)律法(と預言書と)の一画がくずれ落ちるよりは、天地の消え失せる方がたやすい。


塚本訳 ヨハ 1:1
1:1 (世の)始めに、(すでに)言葉はおられた。言葉は神とともにおられた。言葉は神であった。


塚本訳 ヨハ 1:14
1:14 この言葉は肉体となって、(しばらく)わたし達の間に住んでおられた。(これが主イエス・キリストである。)わたし達はその栄光を見た。いかにも父上の独り子らしい栄光で、恩恵と真理とに満ちておられた。


塚本訳 Ⅰコリ1:21-24
1:21 なぜなら、(この)世(の人)が自分の知恵により(判断し)、神の知恵(の現われである御業)において神を認めることをしないので、神は馬鹿な(ことと見える十字架の)説教によって信ずる者(だけ)を救おうと、お決めになったからである。
1:22 実際、ユダヤ人は(信ずるための証拠に神からの不思議な)徴を乞い、異教人は(真理を知るために)知恵を求めるが、
1:23 わたし達は十字架につけられたキリストのこと(だけ)を説く。すなわち、ユダヤ人にはつまづき、異教人には馬鹿なことであるけれども、
1:24 (神に)召された者だけには、ユダヤ人、異教人の別なく、(これこそ)神の力、また神の知恵なるキリストを(説くのである)。


塚本訳 Ⅰコリ15:1-4
15:1 また、わたしが思い出してもらいたいのは、兄弟たちよ、(以前)あなた達に伝え、あなた達が(喜んで)受けいれてくれて、(今日まで)それに立っている、あの(死人の復活についての)福音である。
15:2 どんな言葉でわたしがその福音を伝えたにせよ、あなた達がそれを守っていさえすれば、軽々しく信仰に入ったのではない限りは、あなた達もその福音で救われる。
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、


塚本訳 エペ 3:8
3:8 凡ての聖徒の中で一番小さいこの私に、こんな恩恵──異教人にキリストの測り難い富を宣べ伝え、


塚本訳 Ⅱペテ1:19
1:19 かくして私達に預言の言が一層確かなものとなった。どうか(この言を)真暗な所に輝く燈火として、日が照り出で暁の明星が君達の心の中に出るまで、これに注意してもらいたい。


塚本訳 Ⅰヨハ1:1
1:1 (世の)始めから(すでに)おられたもの、(それは)わたし達が(この耳で)聞いたもの、自分の目で見たもの、直観しまた自分の手でさわったもの、(すなわち)命の言葉について、──


塚本訳 Ⅰヨハ1:3
1:3 わたし達が見たもの、また聞いたものを、あなた達にも告げる。あなた達もわたし達と(霊の)交わりを持つためである。しかしわたし達のこの交わりは、(他方においては)父(なる神)とその子イエス・キリストとの交わりである。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

朝の黙想終わり。「永遠の命の言葉」に触れつつ、来世の復活に希望を持ちながら生きること。これが私の老年の生きがい、また喜びだ。

讃美歌501番



生命(いのち)のみことば たえにくすし

見えざる御神(みかみの むねをしめし

つかえまつる みちをおしう

(おりかえし)

生命(いのち)のみことば たえなるかな、

いのちの御言葉(みことば) くすしきかな



主イェスの御言葉(みことば) いとしたわし、

普(あまね)くひびきて 世のちまたに

なやむ子らを あめにまねく、



うれしき音(おと)ずれ たえずきこえ

ゆるしと和(やわ)らぎ たまうかみの

ふかきめぐみ 世にあらわる、

2014_01160002.jpg 

冬の奥多摩連山

2014_01160004.jpg 

信濃町駅から六本木まで歩く。右側は東宮御所

2014_01160005.jpg 

35歳まで勤務した建設会社が取り壊されて別のビルが建っていた。
あれから35年もたったのかー。

2014_01160010.jpg 

乃木神社に寄る。「乃木大将と辻占売少年像」

2014_01160016.jpg 

六本木のミッドタウン。左側の富士フィルムにデジカメの個人レクチャー行く。予約してあった。
受付に行くと、「高橋さんですね。お待ちしていました」と言われた。一流会社の証し。立派。
デジカメのマンツーマンレクチャー。ズームは16倍まで可能。モノクロもできることを知った。
このデジカメは長男の第一子の内祝いにもらったと言ったら非常に喜ばれた。同社で開催されていた ウィン・バロックの写真展を見た。詩情の豊かさに感心したが、もと音楽家(テノール歌手)であることが解った。ナルホド。納得。

2014_01160025.jpg 

今日は満月。16倍ズームで撮影。小型デジカメではこれが限度。


●14:50 昭和女子大建築講義。あと4回。



 













トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


心配事はすべて神が知ってくださる ++++++++ 所感

2014/01/15 05:39

140115(水)4時半起床●朝の黙示「心配事はすべて神が知ってくださる」●不幸な育ちをした作家の林芙美子は、享年47で逝った。生前、色紙などに好んで、『花の命は短くて苦しきことのみ多かりき』と書いた。このことをユダヤ人は次のように言う。

口語訳 詩 90:10
90:10 われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。


●人生に長短はあるものの、大体において心配事や悩みの連続である。人もうらやむ栄光栄達の道を歩んだ人も家庭内に人の死らざる「棘」や「悩み」を密かに抱えているものだ。実に「くるしみことのみ多かりき」である。●人が宗教に走る同期は、病気、貧困、争いだという。●そして健全な宗教に入ればよいものの「間違った宗教」「変な宗教」に凝った場合は、自分も家庭も社会も滅ぼす。●私はたまたまキリスト教に出会ったが、これは幸福の道であった。今朝は人生を決定的に楽に幸福にする次の聖書の言葉を黙想してみよう。

文語訳 マコ 5:34
5:34 イエス言ひ給ふ『娘よ、なんぢの信仰なんぢを救へり、安らかに往け、病いえて健かになれ』


●これは生涯にわたって病と貧困で悩み苦しんだ私の霊肉の父の特愛の句であった。

●まず翻訳比較。 口語訳と塚本訳の「達者で」」と英訳の「Go in peace」に胸が打たれる。私の残りの人生も短くなったが、これからの人生を歩む子や孫にこの言葉を送りたい。

文語訳 マコ 5:34
5:34 イエス言ひ給ふ『娘よ、なんぢの信仰なんぢを救へり、安らかに往け、病いえて健かになれ』

口語訳 マコ 5:34
5:34 イエスはその女に言われた、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。すっかりなおって、達者でいなさい」。


新改訳 マコ 5:34
5:34 そこで、イエスは彼女にこう言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」


塚本訳 マコ 5:34
5:34 イエスは言われた、「娘よ、あなたの信仰がなおしたのだ。さよなら、『平安あれ。』もう病気をせず、達者でいなさい。」


新共同 マコ 5:34
5:34 イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」


NKJV マコ 5:34
5:34 And He said to her, "Daughter, your faith has made you well. Go in peace, and be healed of your affliction."


TEV マコ 5:34
5:34 Jesus said to her, "My daughter, your faith has made you well. Go in peace, and be healed of your trouble."

●次に拙HPのBbBから心に響くものをピックアップしてみよう   
http://www.bbbible.com/


塚本訳 マコ 1:41-42
1:41 イエスは(そのあわれな姿を見て悪魔に対する)怒りに燃え、手をのばしてその人にさわり、「よろしい、清まれ」と言われると、
1:42 たちまち癩病が消えうせて、その人は清まった。


塚本訳 ルカ 5:17
5:17 ある日のこと、イエスが(人々を)教えておられると、パリサイ人と律法学者が坐って(聞いて)いた。この人々はガリラヤとユダヤのすべての村から、ことにエルサレムから来たのである。主の力がイエスに臨んで病気を直させた。


塚本訳 マコ 3:5
3:5 するとイエスは怒気をふくんで人々を見まわし、彼らの心の頑ななのをふかく悲しんで、その人に言われる、「手をのばせ。」のばすと手が直った。


塚本訳 マタ 9:22
9:22 イエスは振り向いて、女を見ながら言われた、「娘よ、安心しなさい、あなたの信仰がなおした。」するとちょうどその時から、女はなおった。


塚本訳 マタ 8:14-15
8:14 イエスはペテロの家に行って、その姑が熱病でねているのを御覧になった。
8:15 その手におさわりになると、熱が取れ、彼女は起き上がってイエスをもてなした。


塚本訳 ピリ 3:21
3:21 (その時)彼は私達の(この)卑しい体を御自分の栄光の体と同じ貌に変え給うのであろう──万物を己に従わせ得給う御力によって!


塚本訳 使  14:9-10
14:9 この人がパウロの話を聞いていると、パウロはじっと見つめ、(足が)直るに必要な信仰があるのを見て、
14:10 大声で、「『自分の足で』まっすぐに『たちなさい!』」と言った。すると(たちまち)躍って歩きまわった。


塚本訳 使  9:40
9:40 ペテロはみんなを外に出し、ひざまずいて祈った。そして死体の方を向いて、「タビタ、立ちなさい!」と言った。すると彼女は目をあけ、ペテロを見て起きあがった。


●次に拙HPから、TSKを見て、心に響くものをピックアップしてみよう。 

http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/110910.htm


塚本訳 マタ 9:2
9:2 するとそこに、人々が寝床にねている一人の中風の者をつれて来た。イエスはその人たちの信仰を見て(驚き)、中風の者に言われた、「子よ、安心せよ、いまあなたの罪は赦された。」


塚本訳 マタ 9:22
9:22 イエスは振り向いて、女を見ながら言われた、「娘よ、安心しなさい、あなたの信仰がなおした。」するとちょうどその時から、女はなおった。


塚本訳 ルカ 8:48
8:48 イエスは言われた、「娘よ、あなたの信仰がなおしたのだ。『さよなら、平安あれ。』」


塚本訳 マコ 10:52
10:52 そこでイエスが、「お帰り。あなたの信仰がなおした」と言われると、すぐ見えるようになって、イエスの旅行について行った。


塚本訳 ルカ 7:50
7:50 しかしイエスは女に言われた、「あなたの信仰があなたを救った。『さよなら、平安あれ。』」


塚本訳 ルカ 17:19
17:19 そしてその人に言われた、「さあ立って行きなさい。あなたの信仰がなおしたのだ。」


塚本訳 ルカ 18:42
18:42 そこでイエスが、「見えるようになれ。あなたの信仰がなおした」と言われると、


口語訳 Ⅰサム1:17
1:17 そこでエリは答えた、「安心して行きなさい。どうかイスラエルの神があなたの求める願いを聞きとどけられるように」。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

朝の黙想終わり。子孫に残す最大のものは「信仰の道」である。それは打ち出の小槌」だからなのだ。それは無限に使えるキャッシュカードなのだ。聖書的根拠は次である。

文語訳 使  3:6
3:6 ペテロ言ふ『金銀は我になし、然れど我に有るものを汝に與ふ、ナザレのイエス・キリストの名によりて歩め』

塚本訳 使  3:6
3:6 ペテロが言った、「金銀は持っていない。わたしの持っているもの、それをやろう。──ナザレ人イエス・キリストの名で歩きなさい!」

●マルコ10:52の口語訳と文語訳の「行け」、英訳の「Go」は子孫に残す私の遺言だ。

口語訳 マコ 10:52
10:52 そこでイエスは言われた、「行け、あなたの信仰があなたを救った」。すると彼は、たちまち見えるようになり、イエスに従って行った。


文語訳 マコ 10:52
10:52 イエス彼に『ゆけ、汝の信仰なんぢを救へり』と言ひ給へば、直ちに見ることを得、イエスに從ひて途を往けり。


NKJV マコ 10:52
10:52 Then Jesus said to him, "Go your way; your faith has made you well." And immediately he received his sight and followed Jesus on the road.


TEV マコ 10:52
10:52 "Go," Jesus told him, "your faith has made you well." /At once he was able to see and followed Jesus on the road.


●TSK日本語版ヨブ記37,38章
●妻は今井館へ「ウィークデーの集い」の打ち合わせ。
●図書館から借りたDVDで「ローマ帝国」第一巻を見る。帝国の統治の賢さ、人心を掌握する方法は武力だけではダメだという内容

2014_01150001.jpg 

ベランダのプリムラ。
































トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


脳性小児麻痺、11歳で逝った子供は今に語る ++++++++ 所感

2014/01/14 08:11

140114(火)5時半起床●今井館で同労者であった森田外雄氏は44年前(私が結婚した年!)に典子ちゃんを神に取られた。このたびその「記念文集」があることを知ったので、今井館から借りて読んで「ぶっ飛んだ」。典子ちゃんの命はわずか11年と10か月、脳性小児麻痺であったので、話せず、読めず、しかも歩けなかったのでその生きた期間は常に母親の手の中にあった。ご両親の御苦労は筆舌に尽くし難いものであった。●しかしその記念文集を読んでぶっ飛んだ。典子ちゃんの死は神の愛を「今に語る」のである。典子ちゃんは話せず、文字を書けず、聖書を読めず、信仰告白もできなかった、然り、祈ることもできなかった。しかし神はその典子ちゃんを通じて福音を今に語っている。●私の人生観、死生観がひっくり返るほどの衝撃であった。●指揮者の小沢征爾は若き日に来日したオーケストラの生演奏でブラームスの一番を聴いた時、「ぶっ飛んだ」そうだが、私はこの記念文集を読んでぶっ飛んだ。●人の救いは99%でなく100%神の側の意志にあることを改めて信じられたのである。●「全人類は救われるか?」の冷たい神学論争、信仰論争、教義論争、聖書解釈論争は、典子ちゃんの死を通して沈黙せざるえない。典子ちゃんはその答えを今に語ってくれる。典子ちゃんは神の心を指差して答えているのだ。●頭に浮かぶ聖句を掲げる。

塚本訳 マタ 21:16
21:16 イエスに言った、「あの子供たちがなんと言っているのか、聞えているのか。」イエスは言われた、「聞えている。あなた達は『(神よ、)あなたは幼児と乳飲み子との口によって、(御自分のために)賛美をお備えになった』と詩篇にあるのを、まだ読んだことがないのか。(大人が黙っているから、子供が叫ぶのだ。)」


塚本訳 マタ 11:25-26
11:25 その時イエスは声をはげまして言われた、「天地の主なるお父様、(神の国の秘密に関する)これらのことを(この世の)賢い人、知恵者に隠して、幼児(のような人たち)にあらわされたことを、讃美いたします。
11:26 ほんとうに、お父様、そうなるのがあなたの御心でした。

塚本訳 マタ 21:31
21:31 この二人のうち、どちらが父の心を行ったのだろうか。」「もちろん長男」と彼らが答える。イエスが言われる、「アーメン、わたしは言う、税金取りや遊女たちは、あなた達よりも先に神の国に入るであろう。

塚本訳 ルカ 15:4-6
15:4 「あなた達のうちのだれかが羊を百匹持っていて、その一匹がいなくなったとき、その人は九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を、見つけ出すまではさがし歩くのではないだろうか。
15:5 そして見つけると、喜んで肩にのせて、
15:6 家にかえり、友人や近所の人たちを呼びあつめてこう言うにちがいない、『一しょに喜んでください。いなくなっていたわたしの羊が見つかったから』と。

塚本訳 マタ 18:3-4
18:3 言われた、「アーメン、わたしは言う、あなた達は生まれかわって子供のように(小さく)ならなければ、決して天の国に入ることはできない。
18:4 だから、この子供のように自分を低くする者、それが天の国では一番えらい人である。


塚本訳 マコ 10:14-16
10:14 イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた、「子供たちをわたしの所に来させよ、邪魔をするな。神の国はこんな(小さな)人たちのものである。
10:15 アーメン、わたしは言う、子供のように(すなおに)神の国(の福音)を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできない。」
10:16 それから子供たちを抱き、(頭に)手をのせて祝福された。


塚本訳 Ⅰコリ1:17
1:17 救世主がわたしをお遣わしになったのは、洗礼を授けさせるためでなく、福音を説かせるためなのだから。それも、言葉の上の知恵をもって(説くの)ではない。それでは(人間の言葉の力が大きくなり)、キリストの十字架(の救い)が空虚なものになる恐れがあるからである。

塚本訳 マタ 25:40
25:40 すると王は答える、『アーメン、わたしは言う、わたしのいと小さいこの兄弟たちの一人にしたのは、わたしにしてくれたのと同じである。』


●昨夜読了後、森田氏に電話して、次のことを言った。「森田ご夫妻の御労苦はイエスの次の言葉に尽きると思います。

文語訳 マタ 25:40
25:40 王こたへて言はん「まことに汝らに告ぐ、わが兄弟なる此等のいと小き者の一人になしたるは、即ち我に爲したるなり」


そして次のようなお手紙を差し上げた。「野の花 森田典子記念文集」は公開されているので、実名をそのまま書いてこのブログでも公開する。典子ちゃんの短い生涯のこの記録は世のいかなる注解書に勝って神の救いを説いてくれる。

森田外雄、夫妻への手紙 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

森田外雄 様

  弘子 様

 

妻に今井館から借りてきてもらった「野の花・・・森田典子記念文集」を読ませていただきました。私の人生観死生観が変化させられるほどの衝撃でした。

脳性小児麻痺で11年と10か月で召された典子ちゃんの短い生涯(1957-1969)が今もってこれほど人に影響を与えるとは驚異です。

以下、心に残った部分を記し、その感想を●印で述べされていただきます。

 

P5 関根正雄先生

苦難の問題は極めて個人的であり、同時に公的であります。集会は誰かが苦しみを負い、死を負うことなしに生命あるものとしてこの世にあり続けることはできません。

 

●エクレシアの本質をここに見ます。クリスチャンたちの心の支えが素晴らしいものであることを知りました。

 

P59 母親、森田弘子

さようなら私達の典子ちゃん!私達にもすばらしい11年と10か月の歳月を与えてくれてありがとう。もしもう一度生れ変われるとしたら、わたしはあなたの親にもう一度なりたい。あなたを通して学んだことを、私達が決して忘れずに、あやまった道を行かぬように、見守ってくださいね。

 

●脳性小児麻痺の短い子供を失った不幸な母親の言葉として、これは信仰の奇蹟です。

 

P62 典子さんの叔父 森田良行

お棺も届き、納棺の時刻も迫る。二階では弘子さんの号泣の声が聞こえ、胸しめつけられる思い。しっかり弘子さんに抱きかかえられて典子ちゃんは座敷に運ばれ、棺の中に寝かされる。

 

子供に先立たれる親は号泣してしまうのが普通だ、神さえもそれを止めることはできないのであろう。石倉啓一氏も告別式で典子ちゃんの思い出を語りつつ号泣された。(P110)

 

P65 父親 森田外雄

「つらいということを超えて、典子の存在そのものが喜びであった。」

「典子を神様から委ねられたひとりの隣人として愛することを学んできた。」

「神の大いなる肯定のもとで、親としてなすべきことをなしたに過ぎない。」

 

●典子ちゃんを通じての親としての完成をここに見ます。

 

P65 津上毅一 森田さんが所属されていた無教会集会(関根正雄主宰)のその当時の責任者

以上(告別式における)、森田夫人のお話、数名の方々の感話を伺って共通に感ぜられたことは、第一に典子さんが彼女なりの喜びをもち、両親の愛を100%受けた幸いな生涯を送られたということ、第二に典子さんを囲みつつ森田さんの御家庭がいつも明るかったということである。このふたつのことを示されて、私どもは今更のごとく主の与え給うた贈物に驚異を覚えた。およそそれは、私どもが地を見つめている場合には、想像もつかないことである。二、三の方が言われたように、神のみ業のあらわれるため、神の愛の力が示されたというほかはない。

 

●福音や神の愛は「死」を通してのみ伝わる。犠牲死で伝わることを知ります。

 

P66 津上毅一 

人生に深く突きささっている矛盾!それにもかかわらず、否それ故にこそ、神様は主イエス・キリストの御贖いを通じての救済を示してくださり、他に代え難いその必然性をもって私どもを圧倒し、また慰め給う。典子さんは、実に大きな証しを主にあって私どもにしてくださった。

 

●典子さんは聖書の真髄をご自身の短い生涯を持って周囲に教えてくれた。最大最高の聖書の解説をしてくれた。自らの死をもって。

 

P85 鈴木孝司 森田さんと同じ無教会集会。ご自身心身障害のお子様が生まれ早くに亡くされた)

心身障害の子をもつということは非常につらいことであります。・・・もし代わることができたらと思う気持ちでいっぱいです。しかしそれが出来ない。「わが恵み汝に足れり」。不幸な子が果たして恵みなのだろうか、審きであるなら納得が出来るのである。私は思った、このような不幸な子供があるということは審きなのである。この審きを真に神の審きとして受けとめるとき、それはすでに恵みに変わっている。わたしは神の審きに耐えられない。そしてその審きの意味がわからない。このような絶望のなかで、ただキリストにすがることは出来る。このことは、集会で(高橋注・・・関根)先生から何度も聞かされていることなのであるが、実験としてこのことを経験した。

 

●人生の不可解、不条理なことはそれを通して神がご自分の愛のなんであるかを教えるための神にとっても苦しい試みであることを知ります。

 

P86 鈴木考司

典子ちゃんの告別式のときも、私の子の告別式のときも(高橋注・・・関根)先生が繰り返して言われた言葉を想い起こす。―――このような子供の救いは、両親の信仰にかかっている。―――

 

●信仰なき自分の親はどうなるのか、子供は救われるのかという深い質問に対して、イエスは私達に言うに違いないと思います。「それはあなたの信仰にかかっている」と。

 

P115 大島智夫 森田さんの20数年来の親しい信仰の友。

君たち夫妻の生き甲斐であったこのささやかな生命は、今、神の定め給う時が充ちて、使命を果たして、天の父の処に帰られたのです。

 

●私は現在70歳、いつ召されるか、それは「神の定め給う時」と教えられ感謝です。

 

P115 大島智夫

私は、あなた方にお慰めの言葉も申し上げられる筈もありませんが、ただ「これらのいと小さき者になしたるは、我になしたるなり」との主イエスの御言葉が、あなた方にささやかれるであろうことを、祈ってやまない。

 

●このイエスの御言葉が最大の慰めの言葉であると思います。

 

P119 父親 森田外雄の「あとがき」

典子の一生は11年10か月の短い、そして人の目にはあまりにも惨めな生涯でしたが、しかしそれは ―--三谷(隆正・・高橋注)先生もどこかでそういう意味のことを書いておられましたが―――典子なりに完成した一生であって、私たちが機にふれて典子のことを想い出すときに、私たちはその完成の姿によって教えられ、慰められ、また励まされた。

P121

人生に悲しみは数多くありますが、その深刻さにおいて、子をと喪った親の悲しみにまさる悲しみはないとおもいます。・・・

次のひとつのことだけは言っておきたいと思います。「これは最重症の脳性マヒの子をもった不幸な両親の苦しい戦いの記録ではない。その愛する者の生と死をとおして、福音の喜びにふれ、イエス・キリストをより深く知ることを許された幸いな父と母、キリストにあって、よき師、よき友に恵まれた幸いな者たちの証しであり、賛美である。・・・・

典子は生前美しい音楽をきいて、よく感きわまったような歓声をあげましたが、そのどよめき歌わんばかりの全身的な歓びは、自分もその世界の中に完全に入りこんで、ただひたすら、それに呼応しているとしか、おもえませんでした。賛美とは本来そういうものではないでしょうか。このささやかな記念文集も、そうした意味でありたいと願っています。典子はそのことを喜んでくれるでしょう。

 

●この「あとがき」言葉に「神の栄光」が表れていると思います。人生はただ長いことがよいのではない。典子さん召されて44年。典子さんは今も語り続けています。感動、感謝します。

 

 

2014年 1月 13日(成人の日)。

                                           高橋照男


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

森田外雄、夫妻への手紙  おわり 

●TSK日本語版ヨブ記36章
●夕方散歩。図書館と東急へ、

2014_01140001.jpg 

夕方散歩。図書館と東急へ。寒い冬の日、風が冷たい。

2014_01140003.jpg 

冬の実。長男Sの第一子の名前は「実祈」。みのりと呼ぶそうだ。
彼女が神に祈れる人になり、神によって良い実が結ばれますように。
彼女が成人式を迎えるときはおそらく私たちはこの世にはいない。

2014_01140007.jpg 

黄昏のあきる野。新しいデジカメなので新月もよく写る。御心ならば明日をも
目覚めさせ給え。




 

 







トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


神が定め給う死の時 ++++++++ 所感

2014/01/13 06:33

140113(月)成人の日。私の「成人式」には父が出席してくれたことを思いだす。病気と貧困続きで悩み苦しんだ父もあのとき「子供を仕上げた」ということで安心したのだろう。●私の7人の孫たちが成人式を迎えるときに私達はどうなっているのだろう。肉体はどうなっているのだろう。痴呆にはなっていないだろうか。●私の「死の時」は神に定められている。●14年前に脳出血で倒れ、意識不明になった時、病院のベッドで朝目覚めると「あー今日も生きられる」と安堵したものだった。●あの病気での最大の収穫は、「人の命は99%でなく100%神に握られている」という認識を与えられたことである。●その後主治医に、癌ドックに入りたいと言うと、家系の病歴を聞き、「肺癌で死ぬ」と宣告された。●問題はその時期であるが、生命保険会社の「余命表」によれば82歳、あと12年である。●しかし「死因は癌で、余命は12年」と予測されても人間は安心立命しない。●人間は「知」による予測では安心しないのだ。安心の道は「神を信ずる道」としての「信」なのだ。イエスの「父なる神への信仰の態度」がそれを教えてくれる。●今朝は「信仰による安心」の生き方について、頭に浮かぶ自家薬篭中の聖句を並べてみよう。4時に目覚めてから5時に床を離れるまでに浮かんだ聖句をメモに書いた。それを順不同に記す。●「御言葉は我が足の灯」である。

口語訳 詩  119:105
119:105 あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。

新改訳 詩  119:105
119:105 あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。

新共同 詩  119:105
119:105 あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯。

NKJV 詩  119:105
119:105 Your word is a lamp to my feetAnd a light to my path.

TEV 詩  119:105
119:105 Your word is a lamp to guide me /and a light for my path.

●人の死の時は神が決めておられるということに関する聖句。


塚本訳 マタ 6:26-30
6:26 空の鳥を見てごらん。まかず、刈らず、倉にしまいこむこともしないのに、天の父上はそれを養ってくださるのである。あなた達は鳥よりも、はるかに大切ではないのだろうか。
6:27 (だいいち、)あなた達のうちのだれかが、心配して寿命を一寸でも延ばすことが出来るのか。
6:28 また、なぜ着物のことを心配するのか、野の花の育つのを、よく見てごらん、苦労をせず、紡ぐこともしない。
6:29 しかし、わたしは言う、栄華を極めたソロモン(王)でさえも、この花の一つほどに着飾ってはいなかった。
6:30 きょうは花咲き、あすは炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこんなに装ってくださるからには、ましてあなた達はなおさらのことではないか。信仰の小さい人たちよ!


塚本訳 マコ 8:31
8:31 (この時から、)イエスは、「人の子(わたし)は多くの苦しみをうけ、長老、大祭司連、聖書学者たちから排斥され、殺され、そして三日の後に復活せねばならない。(神はこうお決めになっている)」と弟子たちに教え始められた。

塚本訳 ルカ 9:51-53
9:51 イエスは(いよいよ)昇天の日が迫ったので、決然としてその顔をエルサレムへ向けて進み、
9:52 (まず行くさきざきに)使を先発させられた。ところが、彼らが行ってイエスのために宿の用意をしようとしてサマリヤ人の村に入ると、
9:53 村人たちはイエスが顔をエルサレムへ向けて進んでおられるので、承知しなかった。


塚本訳 ルカ 12:19-23
12:19 それからわたしの魂に言おう。──おい魂、お前には長年分の財産が沢山しまってある。(もう大丈夫。)さあ休んで、食べて、飲んで、楽しみなさい、と。』
12:20 しかし神はその人に、『愚か者、今夜お前の魂は取り上げられるのだ。するとお前が準備したものは、だれのものになるのか』と言われた。
12:21 自分のために(地上に)宝を積んで、神のところで富んでいない者はみな、このとおりである。」
12:22 それから(また)弟子たちに言われた、「だから、わたしは言う、何を食べようかと命のことを心配したり、また何を着ようかと体のことを心配したりするな。
12:23 命は食べ物以上、体は着物以上(の賜物)だから。(命と体とを下さった神が、それ以下のものを下さらないわけはない。)


塚本訳 ルカ 8:51-53
8:51 家に着かれると、ペテロとヨハネとヤコブと、女の子の父と母とのほかには、だれも一しょに中に入ることを許されなかった。
8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。」
8:53 人々は死んだことを知っているので、あざ笑っていた。


塚本訳 マコ 4:36-40
4:36 弟子たちは(岸に立っている)群衆を解散して、イエスが舟に乗っておられるのを、そのままお連れする。幾艘かほかの舟もついて行った。
4:37 すると激しい突風がおこり、波が舟に打ち込んできて、もう舟にいっぱいになりそうになった。
4:38 しかしイエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちが「先生、溺れます、構ってくださらないのですか」と言って起した。
4:39 イエスは目をさまして風を叱りつけ、湖に言われた、「黙れ、静かにしないか!」(たちどころに)風がやんで、大凪になった。
4:40 彼らに言われた、「なんでそんなに臆病なのか。まだ信じないのか。」

塚本訳 マタ 24:35-39
24:35 天地は消え失せる、しかし(いま言った)わたしの言葉は決して消え失せない。
24:36 ただし(人の子の来る)その日と時間とは、ただ父上のほかだれも知らない。天の使いたちも知らない。
24:37 人の子の来臨は、ちょうどノアの(洪水の)時のようであるから。
24:38 すなわち洪水の前のあのころ、『ノアが箱船に入った』日まで、人々は飲んだり食ったり、嫁にやったり取ったりしていて、
24:39 洪水が来て一人のこらずさらってゆくまで、それに気づかなかった。人の子の来臨もこのようである。

塚本訳 マタ 25:11-13
25:11 あとでほかの(愚かな)乙女たちも来て、『御主人さま、御主人さま、あけてください』と言った。
25:12 しかし主人は、『アーメン、わたしは言う。わたしはあなた達を知らない』と答えた(という話)。
25:13 だから(たえず)目を覚ましておれ。あなた達は(人の子が来る)その日も時間も知らないのだから。

塚本訳 ルカ 12:30-33
12:30 それは皆この世の異教人の欲しがるもの。あなた達の父上は、それがあなた達に必要なことを御承知である。
12:31 あなた達はむしろ御国を求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。
12:32 小さな群よ、恐れることはない。あなた達の父上は御国をあなた達に下さるつもりだから。
12:33 (ただ御国のために働けばよろしい。)持ち物を売って施しをしなさい。(すなわちそれによって)自分のために古び(て破れ)ることのない財布をつくり、泥坊が近づくことも、衣魚が食うこともない天に、使いつくすことのない宝をつんでおきなさい。


塚本訳 マタ 6:10
6:10 お国が来ますように。お心が行われますように、天と同じに、地の上でも。

塚本訳 マコ 14:35-36
14:35 そしてなお少し(奥に)進んでいって、地にひれ伏し、出来ることなら、この時が自分の前を通りすぎるようにと祈って
14:36 言われた、「アバ、お父様、あなたはなんでもお出来になります。どうかこの杯をわたしに差さないでください。しかし、わたしの願いでなく、お心がなればよいのです。」

塚本訳 Ⅰコリ1:22-25
1:22 実際、ユダヤ人は(信ずるための証拠に神からの不思議な)徴を乞い、異教人は(真理を知るために)知恵を求めるが、
1:23 わたし達は十字架につけられたキリストのこと(だけ)を説く。すなわち、ユダヤ人にはつまづき、異教人には馬鹿なことであるけれども、
1:24 (神に)召された者だけには、ユダヤ人、異教人の別なく、(これこそ)神の力、また神の知恵なるキリストを(説くのである)。
1:25 というのは、神の(業はどんなに)馬鹿なこと(に見えても、それ)は人よりも知恵があり、神の(業はどんなに)無力(に見えても、それ)は人よりも力があるからである。

塚本訳 マタ 4:4
4:4 しかし答えられた「『パンがなくとも人は生きられる。(もしなければ、)神はそのお口から出る言葉のひとつびとつで(パンを造って、)人を生かしてくださる』と(聖書に)書いてある。」


塚本訳 マタ 4:5-6
4:5 そこで悪魔はイエスを聖なる都(エルサレム)に連れてゆき、宮の屋根の上に立たせて
4:6 言った、「神の子なら、下へ飛びおりたらどうです。『神は天使たちに命じて、手にてあなたを支えさせ、足を石に打ち当てないようにしてくださる。』と(聖書に)書いてあります。(人々はそれを見て信じ、たちどころにあなたの国が出来ます。)」


塚本訳 マタ 4:8-10
4:8 悪魔はまたイエスを非常に高い山に連れてゆき、世界中の国々と、栄華とを見せて
4:9 言った、「あれを皆あげよう、もしひれ伏してわたしをおがむなら。」
4:10 そこでイエスは言われる、「引っ込んでいろ、悪魔!(聖書に)『あなたの神なる主をおがめ、』『主に』のみ『奉仕せよ』と書いてあるのだ。」


塚本訳 ヨハ 16:33
16:33 これらのことを話したのは、あなた達がわたしに(しっかり)結びついていて、平安を保つことができるためである。この世ではあなた達に苦しみがある。しかし安心していなさい。わたしがすでに世に勝っている。」

塚本訳 ルカ 7:48-50
7:48 そしてその女に言われた、「あなたの罪は赦されている。」
7:49 同席の者が(憤慨して)ひそかに考えた、「罪さえ赦す(という)この人はいったい何人だろう。」
7:50 しかしイエスは女に言われた、「あなたの信仰があなたを救った。『さよなら、平安あれ。』」

塚本訳 ルカ 23:40-43
23:40 するともう一人の者が彼をたしなめて言った、「貴様は(このお方と)同じ(恐ろしい)罰を受けていながら、それでも(まだ)神様がこわくないのか。
23:41 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる。」


●次に若き日より50年以上も読み続けているヒルティの幸福論に「神の導きによる身をゆだねる平安の人生」を説いている論考がある。岩波文庫では幸福論Ⅲ「驚くべき導き」、白水社版では「わがンン時になさんとするは驚くべきことなり」。●私はこの人生観で自分の人生は決した。その中に、次のような部分がある。「聖書の中で『恐れるな』という言葉ほどしばしば現れる言葉はほかにない。しかしその言葉は、神の導きのうちにいない人にむかっては、一度も告げられていない」として聖書の引照が78か所もでてくる。ヒルティは自分の頭からこれを紡ぎだしているのだから驚きである。その中から、この50年間で赤印を付けたものを選んで下記に並べる。表示は「Jバイブル」というツールがあるから便利である。ヒルティの時代にはパソコンがなかったのだからすごい。


塚本訳 マタ 14:26-27
14:26 弟子たちはイエスが湖の上を歩いておられるのを見ると、幽霊だと思って肝をつぶし、恐ろしさのあまり叫んだ。
14:27 しかしイエスはすぐ彼らに話しかけて言われた、「安心せよ、わたしだ。こわがることはない。」


塚本訳 ルカ 8:49-50
8:49 イエスがまだ話しておられるところに、礼拝堂監督の家からひとりの人が来て(監督に)言った、「お嬢さんはもうなくなりました。先生にこれ以上御迷惑をかけられないように。」
8:50 イエスは聞いて監督に言葉をかけられた、「こわがることはない。ただ信ぜよ。そうすれば助かる。」


塚本訳 ルカ 17:33
17:33 (この世の)命を保とうとする者は(永遠の)命を失い、(この世の命を)失う者は、(永遠に)生きながらえるであろう。


塚本訳 ヨハ 16:33
16:33 これらのことを話したのは、あなた達がわたしに(しっかり)結びついていて、平安を保つことができるためである。この世ではあなた達に苦しみがある。しかし安心していなさい。わたしがすでに世に勝っている。」


塚本訳 使  14:22
14:22 (道々主の)弟子たちの心を力づけ、いつまでも信仰に留まっているように、「神の国に入るには、わたし達は多くの苦難を通らねばならない」といましめた。

塚本訳 使  18:10
18:10 『わたしはいつもあなたと一緒にいて、』だれもあなたを襲って害を加える者はない『のだから。』またこの町にはわたしの民が沢山いるのだから。」


塚本訳 ロマ 8:15
8:15 なぜなら、あなた達が(神から)戴いた霊は、(あなた達を)もう一度(律法の支配の下に置いて)びくびくさせる奴隷の霊でなく、(神の)子の霊である。(その証拠には、)わたし達は(祈るとき、)その霊によって「アバ(お父様)、お父様」と大声で呼ぶではないか。


塚本訳 ロマ 8:35-37
8:35 (このゆえに)だれがキリストの(わたし達を愛する)愛から、わたし達を引き離すことができるか。苦しみか、悩みか、迫害か、飢えか、裸か、危険か、剣か。
8:36 こう書いてある。──『あなた[神]のためにわたし達は一日中死の危険にさらされている、わたし達は屠られる羊のように考えられた。』
8:37 (もちろん、引き離すことのできるものはない。)そればかりか、わたし達を愛して(十字架につけられて)くださった方により、これらすべての(苦難の)中にあって、わたし達は悠々と勝つことができる。


塚本訳 Ⅰコリ16:13
16:13 目を覚ましておれ、信仰にしっかり立っておれ、『男らしくあれ、強くなれ。』


塚本訳 Ⅱコリ12:10
12:10 それゆえわたしは弱いことを、虐待、艱難、また迫害と苦悩をうけることを、キリストの故に喜ぶ。わたしは弱い時には、(彼の力によってかえって)強いのであるから。


塚本訳 エペ 6:10
6:10 最後に(言う、)主にあって、またその逞しい威力によって強くなれ。


塚本訳 Ⅱテモ2:1
2:1 (いま言う通り)だから、わが子よ、君はキリスト・イエスにある恩恵によって強かれ。


塚本訳 Ⅱテモ3:11
3:11 (また)アンテオキヤ、イコニウム、リストラで私が遭った(数々の)迫害、苦難に(もよく)随って来た。(ああ、)何という(ひどい)迫害を耐え忍んだことか! しかし主は(これら)凡て(の迫害)から私を救い出してくださった。


塚本訳 Ⅰペテ5:9
5:9 信仰を堅くして彼に立ち向かえ。全世界に在る君達の教友にも同じ苦難が臨むことを君達は知っている。


塚本訳 ヘブ 2:14-15
2:14 だから、『子らは』血と肉とを共有しているので、(イエス)彼自身も、(全く)同じようにこれを保たれた。(これはその)死によって、死の権力をもっている者、すなわち悪魔をほろぼし、
2:15 死を恐れ、全生涯(その)奴隷になっている彼ら(人類)を(のこらず)釈放するためであった。


塚本訳 ヘブ 6:17-18
6:17 だから神は、約束(のもの)を相続する人たちに、御計画の不変であることを、よりはっきり示してやるために、誓をもって(それを)保証されたのである。
6:18 これは神が嘘をつくことの出来ない二つの不変のこと(、すなわち約束と誓と)によって、(わたし達に──自分の)前にある希望をしっかり持っているため(キリストの福音に)のがれてきているわたし達に──力強い奨励をお与えになろうとするのである。


塚本訳 ヤコ 1:12-16
1:12 『幸福なるかな』、試練に『耐える』人、(これに)及第すると、主を愛する者に約束された生命の冠が戴けるのだから。
1:13 誰も(悪に)誘われる時、「私は神から誘われている」と言ってはならぬ。神は(決して)悪に誘われ給わず、また自らも人を(悪に)誘い給わないからである。
1:14 ただ各自が自分の慾に引かれ釣られて、誘われるのである。
1:15 かくて慾が孕むと罪を産み、罪が熟すると死を生む。
1:16 愛するわが兄弟達よ、考え違いをしてはならぬ──


塚本訳 ヤコ 4:7
4:7 だから神に従え。しかし悪魔には反抗せよ、すると君達から逃げるであろう。


塚本訳 黙  1:17
1:17 私は(この荘厳極まりない)彼(の異象)を見た時、死んだように(なって)その足許に倒れた。すると彼はその右の手を私の上に於て言い給うた──「懼れるな。私は最初の者、最後の者、


塚本訳 黙  2:10
2:10 お前はまだ苦しむであろうが、(決して)それを恐れるな。視よ、悪魔はお前達の中から(幾人かを)牢屋に投げ込もうとしている。それはお前達が試練を受けるためである。お前達は十日の間患難を受けるであろう。(しかしただ少しの間の我慢である。)お前は死ぬるまで私に忠実であれ。そうすればお前に生命の冠を与えるであろう。


塚本訳 黙  3:11-12
3:11 私は直に来る。(だから今)有っているものを(確り)握って、誰にもお前の(光栄の)冠を取られないようにせよ。
3:12 勝利者はこれを私の神の宮における柱にしよう。そして最早決して外に(離れ)出ることがないであろう。また私はその上に、私の神の名と、天から、私の神から降って来る新しいエルサレム、(すなわち)私の神の都の名と、私の新しい名とを書くであろう。


塚本訳 黙  21:7-8
21:7 勝利者はこの幸福を相続し、我は彼の神となり、彼はわが子となるであろう。
21:8 しかし臆病者、不信の者、嫌悪むべき者、(また)殺人者、淫行の者、魔術を行う者、(また)偶像礼拝者、凡ての虚偽者──彼らの運命は、火と硫黄の燃えている池に投げ込まれることである。これは第二の死、(すなわち最後の死)である。」


口語訳 詩  23:4
23:4 たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。


口語訳 詩  81:10
81:10 わたしはエジプトの国から、あなたをつれ出したあなたの神、主である。あなたの口を広くあけよ、わたしはそれを満たそう。


口語訳 詩  32:7-10
32:7 あなたはわたしの隠れ場であって、わたしを守って悩みを免れさせ、救をもってわたしを囲まれる。〔セラ
32:8 わたしはあなたを教え、あなたの行くべき道を示し、わたしの目をあなたにとめて、さとすであろう。
32:9 あなたはさとりのない馬のようであってはならない。また騾馬のようであってはならない。彼らはくつわ、たづなをもっておさえられなければ、あなたに従わないであろう。
32:10 悪しき者は悲しみが多い。しかし主に信頼する者はいつくしみで囲まれる。


口語訳 詩  127:2
127:2 あなたがたが早く起き、おそく休み、辛苦のかてを食べることは、むなしいことである。主はその愛する者に、眠っている時にも、なくてならぬものを与えられるからである。


口語訳 箴  10:22
10:22 主の祝福は人を富ませる、主はこれになんの悲しみをも加えない。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想終わり。人の死の時は神が決めておられる。その日まで、その日まで。忍耐忍耐。 神は知っていてくださる。命を握っていてくださる。

●上記に述べたヒルティの論考の最後は次の言葉で終わっている。これはヒルティが所属していた同胞教団(多分、ドイツの無教会主義ともいうべきピエティスムス、ヘッルンフート派、)の讃美歌の一節。

「ついに君は、深く顧みて言うであろう、神は、すべてをなし遂げ給うた、と。」

●人生70歳になった今、過ぎ来し方を振り返って思う。「アーメン」。
 
●諸国で無教会主義現象というものがある。英国はプレマスブレズレン、欧州はピエティスムス、米国はクエーカー、日本は無教会主義。いずれも聖書勉強に熱心である。終末まで生き延びる現象である。粘っている。アメーバのようにどこにでも入って行く。














トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


イエスの有体的復活は神の愛の業 ++++++++ 所感

2014/01/12 07:39

140112(日)4時半目覚め●目覚めの黙想「イエスの有体的復活は神の愛の業。●昨夜は21:00~22:30までNHKBSプレミアムで「超常現象、臨死体験、幽霊、生まれ変わり。魂は存在するのか。最新の科学で謎に迫る」を21:00就寝の禁を破って見続けた。●聖書に親しみ、常日頃、「霊」とか「有体的復活」を言っているからである。●結論は聖書の使信とは違うなーという思いである。●神はその人に「ここぞ」「いまだ」と思われるときにご自分をあらわす。その動機は「愛」だ。多くは人間が極度の悲しみに沈んでいるときである。その神の業に接したほどの人はすっかり安心するものだ。●イエスの有体的復活に接した人に共通の現象は「喜びが湧く」ことである。●今朝はこれを巡って聖書のあちこちを思うので、それを列挙する。

塚本訳 Ⅰコリ15:3-6
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。
15:6 そのあと、一度に五百人以上の兄弟に御自分を現わされた。そのうちの多数の者はいまでも生きてい(て、わたしが嘘を言っていないことを証明してくれ)る。もっともすでに眠った者もあるにはある。


塚本訳 Ⅰコリ1:22-24
1:22 実際、ユダヤ人は(信ずるための証拠に神からの不思議な)徴を乞い、異教人は(真理を知るために)知恵を求めるが、
1:23 わたし達は十字架につけられたキリストのこと(だけ)を説く。すなわち、ユダヤ人にはつまづき、異教人には馬鹿なことであるけれども、
1:24 (神に)召された者だけには、ユダヤ人、異教人の別なく、(これこそ)神の力、また神の知恵なるキリストを(説くのである)。

塚本訳 ルカ 11:29
11:29 群衆がなおも押し寄せてきたとき、イエスは話し出された、「この時代は悪い時代である。(だから信ずるのに)徴を求める。しかしこの時代には、(預言者)ヨナの徴以外の徴は与えられない。

塚本訳 マタ 14:25-27
14:25 第四夜回りのころ(すなわち夜明けの三時ごろ、)イエスは湖の上を歩いて彼らの所に来られた。
14:26 弟子たちはイエスが湖の上を歩いておられるのを見ると、幽霊だと思って肝をつぶし、恐ろしさのあまり叫んだ。
14:27 しかしイエスはすぐ彼らに話しかけて言われた、「安心せよ、わたしだ。こわがることはない。」

塚本訳 ヨハ 20:15-17
20:15 イエスが言われる、「女の人、なぜ泣くのか。だれをさがしているのか。」マリヤはそれを園丁だと思って言う、「あなた、もしあなたがあの方を持っていったのだったら、どこに置いたか教えてください。わたしが引き取りますから。」
20:16 (こう言って、また墓の方を向いていると、)イエスが「マリヤ!」と言われる。マリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う。(そしてイエスに抱きつこうとした。)
20:17 イエスが言われる、「わたしにすがりつくな。まだ父上の所に上っていないのだから。わたしの兄弟たち(弟子たち)の所に行って、『わたしは、わたしの父上、すなわちあなた達の父上、わたしの神、すなわちあなた達の神の所に上る』と言いなさい。」


塚本訳 ヨハ 20:19-23
20:19 その日すなわち週の初めの日の晩であった。ユダヤ人を恐れて、弟子たちのおる部屋の戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスが(どこからともなく)はいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた。
20:20 そしてそう言いながら、手と脇腹とをお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。
20:21 すると主はかさねて言われた、「平安あれ。父上がわたしを遣わされたように、わたしも(全権を授けて)あなた達を遣わす。」
20:22 こう言いながら彼らに息を吹きかけて、言われる、「聖霊を受けよ。
20:23 人の罪は、あなた達が赦してやれば赦されて消え、赦してやらねば赦されずに残る。」


塚本訳 ヨハ 20:24-29
20:24 十二人の一人で、トマスすなわちギリシャ語でデドモ(二子)は、イエスが来られた時、みんなと一しょにいなかった。
20:25 そこでほかの弟子達が、「わたし達は主にお目にかかった」と言うと、彼らに言った、「わたしはその手に釘の跡を見なければ、わたしの指をその釘の場所に差し込まなければ、手をその脇腹に差し込まなければ、決して信じない。」
20:26 八日ののち、弟子たちはまた家の中に(集まって)いた。今度はトマスも一しょであった。戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスがはいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた。
20:27 それから(すぐ)トマスに言われる、「指をここに持ってきて、わたしの手(の釘の跡)をよく見てごらん。手を持ってきて、わたしの脇腹に差し込んでみなさい。不信仰をやめて、信ずる者らしくしなさい。」
20:28 トマスがイエスに答えて言った、「わたしの主よ!わたしの神よ!」
20:29 イエスは言われる、「わたしを見たので、信じたのか。幸いなのは、見ないで信ずる人たちである。」

塚本訳 ルカ 24:35-39
24:35 それで二人も、(エマオへの)道であったことや、また、どうしてパンを裂かれたことで(主と)わかったかを物語った。
24:36 二人がこう話しているところに、(突然)御自身でみなの真中に出ておいでになった。
24:37 ぞっとして震えあがり、幽霊でも見ているように思っていると、
24:38 彼らに言われた、「なにをうろたえるのか。なぜ心に疑いを起すのか。
24:39 わたしの手と足とを見てごらん。だれでもない、わたしだよ!さわってごらん、幽霊には肉も骨もないが、わたしには、それがあるのがわかるから。」

塚本訳 ルカ 24:40-49
24:40 [無シ]
24:41 喜びのあまり、彼らがまだ信じられずに怪しんでいると、「ここに何か食べるものがあるか」と言われた。
24:42 焼いた魚を一切差し上げると、
24:43 受け取ってみなの前で食べられた。
24:44 それから彼らに言われた、「(あなた達が見聞きした)これらのことは、わたしがまだあなた達と一しょにいたとき、わたしについてモーセの律法と預言書と詩篇と[聖書]に書いてあることは一つのこらずきっと成就する、と話したその言葉(が実現したの)である。」
24:45 それから聖書をわからせるために彼らの心を開いて
24:46 言われた、「救世主は苦しみをうけて、三日目に死人の中から復活する。
24:47 また罪を赦されるための悔改め(の福音)が、その名においてすべての国の人に説かれる、エルサレムから始まって、と(聖書に)こう書いてある。
24:48 あなた達はこの(苦しみと復活との)証人である。
24:49 待っておいで、わたしが父上のお約束のもの[聖霊]をあなた達におくるから。あなた達は(この)天よりの力を身につけるまで、都に止まっていなさい。」

塚本訳 ヨハ 21:10-14
21:10 イエスが彼らに言われる、「今捕った魚をすこし持ってきなさい。」
21:11 シモン・ペテロが(舟の)上にあがって網を陸へ引き上げると、百五十三匹もの大きな魚で一ぱいであった。こんなに大漁であったが、網は裂けなかった。
21:12 イエスが彼らに言われる、「さあ、朝の食事をしなさい。」弟子のうちだれ一人、「あなたはどなたですか」と敢えて尋ねる者はなかった。主だと気づいた(が、何となく変だった)からである。
21:13 イエスは来て、パンを(手に)取って彼らに渡された。魚も同じようにされた。
21:14 イエスは死人の中から復活されたのち、弟子たちに自分を現わされたのは、これですでに三度目である。

塚本訳 マタ 28:1-10
28:1 安息日の(すんだ)後、週の初めの日[日曜日]の明け方に、マグダラのマリヤともう一人のマリヤとが墓を見に行った。
28:2 すると突然大地震がおこった。それは主の使が天からおりて来て(墓に)近寄り、(入口の)石をわきにころがし、その上に坐ったのである。
28:3 その顔は稲妻のようにかがやき、着物は雪のように白かった。
28:4 見張りをしていた者たちは恐ろしさのあまり震え上がって、死人のようになった。
28:5 天使は女たちに言った、「恐れることはない。あなた達は十字架につけられたイエスをさがしているようだが、
28:6 ここにはおられない。かねがね言われたとおり、もう復活されたのだから。来て、お体が置いてあった場所を見なさい。
28:7 それから急いで行って弟子たちに、『イエスは死人の中から復活された。あなた達より先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる』と言いなさい。これを言いにわたしは来たのだ。」
28:8 女たちは恐ろしいが、また嬉しくてたまらず、(中には入らずに)急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走っていった。
28:9 するとイエスがぱったり彼らに出合って、「お早う」と言われた。女たちは進み寄り、その足を抱いておがんだ。
28:10 するとイエスは女たちに言われる、「恐れることはない。行ってわたしの兄弟たち[弟子たち]に、ガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのだから。」

塚本訳 マタ 28:14-17
28:14 もしこのことが総督の耳に入ったら、われわれが執成して、お前たちには心配をかけないようにするから」と。
28:15 兵卒らは金を受け取って、教えられたとおりにした。こうしてこの話は、今日までユダヤ人の間にひろまっている。
28:16 さて、十一人の弟子はガリラヤに行き、イエスに命じられた山にのぼり、
28:17 お目にかかっておがんだ。しかし疑う者もあった。

塚本訳 ヨハ 11:43-47
11:43 こう言ったのち、大声で、「ラザロ、出て来い」と叫ばれた。
11:44 死人が手足を包帯で巻かれたまま、(墓から)出てきた。顔は手拭で包まれていた。イエスは「解いてやって(家に)帰らせなさい」と人々に言われた。
11:45 すると、マリヤの所に来てイエスのされたことを見たユダヤ人のうち、多くの者は彼を信じた。
11:46 しかし中には(彼を信ぜず、)パリサイ人の所に行って、イエスのされたことをあれこれと報告した者もすこしあった。
11:47 そこで大祭司連とパリサイ人は最高法院を召集して言った、「どうすればよいだろう、あの男はたくさん徴[奇蹟]をしているのだが。

塚本訳 使  9:3-9
9:3 ところが進んでいってダマスコに近づくと、突然、天から光がさして彼のまわりを照らした。
9:4 彼は地上に倒れ、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と言う声を聞いた。
9:5 サウロが言った、「主よ、あなたはどなたですか。」彼がいわれた、「わたしだ、あなたが迫害しているイエスだ。
9:6 さあ起きて、町に入れ。そうすれば、せねばならぬことが告げられる。」
9:7 一緒に来た者たちは唖然としてそこに立っていた。声は聞いたが、だれも見えなかったのである。
9:8 サウロは地から起きあがって目をあけたが、何も見えなかった。人々が手を引いて、ダマスコにつれて行った。
9:9 三日のあいだ目が見えず、また食べも飲みもしなかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想おわり。イエスの有体的復活はNHKに言わせれば幽霊現象となるが信ずる我々にとっては「神の愛の業」だ。それで罪の苦しみや死の恐怖から解放されるのだ。

●10:00 妻と集会へ。茂木(司会)、高木(詩編)、山本(第一テサロニケ)
●小寺夫妻と昼食
●14:00 中野で愛子と会い、荷物の交換
●15:30 TSK日本語版ヨブ記34章








トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


人間でなく「神の栄光」を見よ ++++++++ 所感

2014/01/11 06:14

201411(土)3時半目覚め●朝の黙示「人間でなく『神の栄光』を見よ」●3月30日の集会感話は赤江達也著「『紙上の教会』と日本近代・・無教会キリスト教の歴史社会学・・」(岩波書店2013)の書評を行う。●その結論としての副題はいまのところ「実を見て樹を知れ」とする。●一般的な書評は書籍の内容紹介と評者の観点が書かれているが、聖書集会での発表では、この本をどうとらえたらよいのかを「聖書的観点から」見たいと思う●そこで今朝は思いつくままに聖書の句を並べる。著者の赤江氏は私より30歳も若いのでズバズバと言っても赦されると思う。●まず内容は

序章 無教会キリスト教とは何か
第一章 無教会の出現
第二章 無教会の戦争
第三章 無教会の戦後
第四章 「紙上の教会」の日本近代

である。
若いのに良くマーここまで考察したものと敬意を表する。しかし「汝なお一つ欠く」というのが偽らざる思いである。何が欠けているか、「神の栄光」を見ていない。否、そこに目が行っていないと言うことである。●最も本書のもとになったのは筑波大学への博士論文であって、本の題名のように「歴史社会学」の域を超えないから宗教や信仰を論ずることは控えている。側聞すると著者はクリスチャンではないという。●著者に対してイエスは次のように言うかもしれない。

塚本訳 マコ 12:34a
12:34a イエスは彼がかしこく答えたのを見て、「あなたは神の国から遠くない」と言われた。


●しかし信仰のあるなしではそこに永遠の溝がある。人間の思考では渡れないものがある。

塚本訳 ルカ 16:26
16:26 そればかりではない、わたし達とあなた達との間には大きな(深い)裂け目があって、ここからあなた達の所へ渡ろうと思っても出来ず、そこからわたし達の所へ越えてくることもない。』


●であるから、信仰者の立場からの聖書的感想を述べる。順不同。寝床で思いついたまま。

塚本訳 マタ 16:23
16:23 イエスは振り返って、ペテロに言われた、「引っ込んでろ、悪魔、この邪魔者!お前は神様のことを考えずに、人間のことを考えている!」


塚本訳 マコ 8:33
8:33 イエスは振り返って、弟子たちの見ている前でペテロを叱りつけられた、「引っ込んでろ、悪魔!お前は神様のことを考えずに、人間のことを考えている!」


塚本訳 マタ 7:15-20
7:15 偽預言者に用心せよ。(やさしい)羊の皮をかぶって来るが、内側は強盗の狼である。
7:16 (結ぶ)実で偽預言者はわかる。茨から葡萄が、薊から無花果がとれようか。
7:17 (そのように、)善い木は皆良い実を結び、わるい木は悪い実を結ぶ。
7:18 善い木に悪い実がなることは出来ず、わるい木に良い実がなることも出来ない。
7:19 良い実を結ばない木はどんな木でも、切られて火の中に投げ込まれる。
7:20 それだから、(結ぶ)実で、偽預言者はわかるのである。

塚本訳 マコ 4:26-29
4:26 また言われた、「神の国はこんなものだ。──ある人が地に種を蒔き、
4:27 夜昼、寝起きしていると、種は芽生えて育ってゆくが、本人はその訳を(すら)知らない。
4:28 (すなわち)地はひとりでに実を結ぶので、初めに茎、次に穂、次に穂の中に熟しきった粒ができる。
4:29 実が熟すると、すぐに『鎌を入れる。刈入れ時が来たのである。』」

塚本訳 ヨハ 15:1-5
15:1 わたしがまことの葡萄の木、父上は栽培人である。
15:2 わたしについている蔓で実を結ばないものは、父上が皆それを切り取ってしまわれる。また実を結ぶものは、より多く実を結ぶように、皆それを奇麗に刈り込まれる。
15:3 あなた達はわたしが語った言葉(を受け入れること)によって(汚れを除かれ)、すでに奇麗になっている。
15:4 わたしに留っておれ。そうすればわたしもあなた達に留っている。ちょうど蔓が葡萄の木に留っていなければ、自分で実を結ぶことが出来ないように、あなた達もわたしに留っていなければ、実を結ぶことは出来ない。
15:5 わたしが葡萄の木、あなた達は蔓である。わたしに留っており、わたしもその人に留っている人だけが、多くの実を結ぶのである。あなた達はわたしを離れては、何一つすることは出来ないのだから。

塚本訳 ルカ 8:15-16
8:15 しかし良い地のもの、これは御言葉を聞くと、りっぱな善い心でこれをしっかり守り、忍耐をもって実を結ぶ人たちである。
8:16 (しかし外の人たちに神の国の秘密が隠されるのは、)だれも明りをつけて器でおおい隠したり、寝台の下に置いたりする者はない。(部屋に)入ってくる者にその光が見えるように、かならず燭台の上に置くのである。

塚本訳 マコ 8:14-16
8:14 ところがパンを持ってくるのを忘れたので、舟にはたった一つしかパンがなかった。
8:15 するとイエスは弟子たちに、「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とに注意し、気をつけよ」と命じられた。
8:16 弟子たちは(その意味がわからず)、パンのないことを互に評議をしていた。


塚本訳 ピリ 3:19-20
3:19 あの人達の最後は破滅、その神は自分の腹、その光栄(と考えているもの)は(実は)恥であって、あの人達は(ただ)地のこと(ばかり)に気を取られているのだ!
3:20 しかし(私達はそうであってはならない。)私達の故国は天にある。私達は主イエス・キリストが救い主として其処から来給うのを待っているのである。

塚本訳 ルカ 17:15-19
17:15 ところでそのうちの一人は自分が直ったのを見ると、大声で神を讃美しながら帰ってきて、
17:16 イエスの足下にひれ伏してお礼を言った。それはサマリヤ人であった。
17:17 イエスは言われた、「十人とも清められたのではなかったか。九人はどこにいるか。
17:18 この外国人一人のほかには、(九人のユダヤ人のうちに)帰ってきて神に栄光を帰する者はだれもないのか。」
17:19 そしてその人に言われた、「さあ立って行きなさい。あなたの信仰がなおしたのだ。」

塚本訳 マタ 22:17-21
22:17 それで御意見を聞かせてください──(わたし達は異教人である)皇帝に、税を納めてよろしいでしょうか、よろしくないでしょうか。」
22:18 イエスは彼らの悪意を知って言われた、「なぜわたしを試すのか、この偽善者たち、
22:19 税の貨幣を見せなさい。」デナリ銀貨を差し出すと、
22:20 言われる、「これはだれの肖像か、まただれの銘か。」
22:21 「皇帝のです」と彼らが言う。すると言われる、「では皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返せ。」


塚本訳 ルカ 2:13-14
2:13 するとたちまち、おびただしい天使の群がその天使のところにあらわれて、神を讃美して言った、──
2:14 いと高き所にては神に栄光、地上にては(いまや)平安、御心にかなう人々にあり!


塚本訳 ヨハ 5:44
5:44 互に(この世の)名誉をやり取りして、ただひとりの神からの名誉を求めないあなた達が、どうして(わたしに対する)信仰をもつことが出来ようか。

塚本訳 マタ 15:12-14
15:12 あとで弟子たちが来てイエスに言う、「パリサイ人がお話を聞いて腹を立てたことを御存じですか。」
15:13 イエスは答えられた、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜かれる。
15:14 あの人たちを放っておけ。盲人の手引をする盲人だ。盲人が盲人の手引をすれば、二人とも穴に落ちよう。」

塚本訳 ヨハ 10:28-39
10:28 するとわたしが永遠の命を与え、彼らは永遠に滅びない。また彼らをわたしの手から奪い取る者はない。
10:29 (というのは、彼らを)わたしに下さった父上はすべての者より強いので、(彼らを)父上の手から奪い取ることの出来る者はだれもなく、
10:30 しかもわたしと父上とは一つである(からだ)。」
10:31 これを聞くと、またもやユダヤ人は、イエスを石で打ち殺そうとして(外から)石を持ってきた。
10:32 するとイエスは言われた、「わたしは父上の(命令による)善い業を沢山あなた達にして見せたが、そのうちのどの業のために、わたしを石で打ち殺すのか。」
10:33 ユダヤ人が答えた、「善い業のために石で打ち殺すのではない、冒涜のためだ。君が人間の分際で、神様気取りでいるからだ。」
10:34 イエスが答えられた、「あなた達の律法[聖書]に、〃あなた達は神だ、とわたしは言った〃と書いてあるではないか。
10:35 神はこの言葉をたまわった人たち(すなわち御自分に代って裁判をする者)を、神と言われたのであるから・・聖書がすたれることはあり得ないので・・
10:36 (まして)父上が聖別して世に遣わされた者(であるわたし)が、『わたしは神の子だ』と言ったからとて、どうしてあなた達はそれを『冒涜だ』と言うのか。
10:37 もしわたしが父上の業をしていないなら、わたしを信ぜずともよろしい。
10:38 しかしもし、しているなら、わたし(の言葉)を信ぜずとも、その業(が父上の業であること)を信ぜよ。そうすれば(父上とわたしとが一つで、)父上がわたしの中に、わたしが父上の中におることを、知りまた知るであろう。」
10:39 そこで彼らはまたイエスを捕えようとしたが、その手から抜け出された。

塚本訳 マタ 13:26-30
13:26 苗が芽生えて実を結ぶと、その時毒麦も現われた。
13:27 使用人たちが来て家の主人に言った、『ご主人、畑には良い種をまかれたのではないですか。すると毒麦はどこから来たのでしょうか。』
13:28 主人がこたえた、『敵のしわざだ。』使用人たちが言う、『では、行って抜き取りましょうか。』
13:29 主人が言う、『いや、毒麦を抜き取ろうとして、麦まで一しょに引き抜くかも知れない。
13:30 両方とも刈入れまで育つままにしておけ。刈入れの時、わたしが刈入れ人たちに言いつける、まず毒麦を抜き取り、束にしばって焼きすてよ、麦の方は集めて倉に入れよ、と。』」

塚本訳 ルカ 4:5-8
4:5 すると悪魔はイエスを高い所につれてゆき、瞬くまに世界中の国々を見せて、
4:6 言った、「あの(国々の)全支配権と栄華とをあげよう。あれは(神から)わたしに任されていて、だれにでも好きな人にやってよいのだから。
4:7 それで、もしあなたがわたしをおがむなら、あれは皆あなたのものになります。」
4:8 イエスは答えられた、「『あなたの神なる主をおがめ、『主に』のみ『奉仕せよ』と(聖書に)書いてある。」

塚本訳 ルカ 4:9-13
4:9 そこで悪魔はイエスをエルサレムにつれていって、宮の屋根の上に立たせて言った、「神の子なら、ここから下へ飛びおりたらどうです。
4:10 『神は天使たちに命じて、あなたを守ってくださる、』
4:11 また『手にてあなたを支えさせ、足を石に打ち当てないようにしてくださる』と(聖書に)書いてあります。(人々はそれを見て信じ、たちどころにあなたの国が出来ます。)」
4:12 イエスは答えられた、「『あなたの神なる主を試みてはならない』と言ってある。」
4:13 悪魔はあらん限りの誘惑を終ると、ひとまずイエスから手を引いた。

塚本訳 マタ 18:19-20
18:19 なお、アーメン、わたしは言う、何事によらず、もしあなた達のうちの二人が心を一つにして地上で祈るならば、わたしの天の父上は(きっとその願いを)かなえてくださるだろう。
18:20 二人、三人、わたしの名によって集まっている所には、わたしがいつもその真中にいるのだから。」

塚本訳 ルカ 17:20-21
17:20 パリサイ人から神の国はいつ来るのかと尋ねられたとき、答えられた、「神の国は、(いつ来るのかと計算や)観測のできるようにしては来ない。
17:21 また『そら、ここに(ある)』とか、『かしこに(ある)』とか言うことも出来ない。神の国はあっと言う間に、あなた達の間にあらわれるのだから。」

塚本訳 ルカ 22:24-27
22:24 また弟子たちの間に、自分たちのうちでだれが一番えらいと思われているかについての争いもあった。
22:25 するとイエスが言われた、「世間では王が人民を支配し、また主権者は自分を恩人と呼ばせる。
22:26 しかしあなた達はそれではいけない。あなた達の間では、一番えらい者が一番若輩のように、支配する者が給仕をする者のようになれ。
22:27 食卓につく者と給仕をする者と、どちらがえらいか。食卓につく者ではないのか。でもわたしはあなた達の間で、あたかも給仕をする者のようにしている。

塚本訳 ヨハ 13:4-7
13:4 夕食の席から立って、上着をぬぎ、手拭を取って腰に巻かれた。
13:5 それから盥に水を入れて、ひとりびとり弟子たちの足を洗っては、(腰に)巻いた手拭で拭き始められた。
13:6 こうしてシモン・ペテロの所まで来られると、ペテロが(こばんで)言う、「主よ、わたしの足を、あなたが洗われるのですか。」
13:7 イエスが答えて言われた、「わたしが何をしているのか、いまはあなたにわからない。(わたしがいなくなった)あとでさとるだろう。」


塚本訳 マタ 16:24
16:24 あとでイエスは弟子たちに言われた、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、自分の十字架を負い、それからわたしに従え。

塚本訳 マタ 10:28
10:28 体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。


塚本訳 ヨハ 12:24
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)

塚本訳 ヨハ 9:39
9:39 イエスは言われた、「わたしは裁きのためにこの世に来たのだ。・・盲が目明きに、目明きが盲になるために!」

塚本訳 Ⅰテサ4:1
4:1 だから最後に、(愛する)兄弟達よ、主イエスによって願いまた勧める。神をお喜ばせするにはどう歩かねばならぬかを、(既に)私達に教えられたのだから、どうかその通りに…君達は(今)その通りに歩いているのであるが、どうかなお一層進歩してもらいたい!

塚本訳 ヨハ 19:11
19:11 イエスは答えられた、「あなたは上[神]から授けられないかぎり、わたしに対してなんの権力もない。だから(あなたの罪はまだ軽いが、)わたしをあなたに売った者[ユダ]の罪は、あなたよりも重い。(あなたは官憲として神の命令を行なうだけだが、彼は自分の発意でやったのだから。」

塚本訳 マタ 6:20-24
6:20 衣魚も虫も食わない、また泥坊が忍び込むことも盗むこともない天に、宝を積んでおきなさい。(そうでないと、心が天に向かないであろう。)
6:21 宝のある所に、あなたの心もあるのだから。
6:22 目は体の明りである。だからあなたの目が澄んでおれば、体全体が明るいが、
6:23 目が悪いと、体全体が暗い。だから(天に宝を積まないため、)もしあなたの内の光(である目、すなわち心)が暗かったら、その暗さはどんなであろう。
6:24 (わたし達の心は天か地かに引かれる。)だれも(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。

塚本訳 ヨハ 18:36
18:36 イエスが答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであったら、わたしの手下の者たちが、わたしをユダヤ人に渡すまいとして戦ったはずである。しかし実際のところ、わたしの国はこの世のものではない。」


塚本訳 ルカ 22:67-70
22:67 言った、「お前が救世主なら、そうだとわれわれに言ってもらいたい。」彼らに答えられた、「言っても、とても信じまいし、
22:68 尋ねても、なかなか返事ができまい。
22:69 しかし今からのち、『人の子(わたし)は大能の神の右に坐って』いる。」
22:70 皆が言った、「ではお前が、神の子か。」彼らに言われた、「そうだと言われるなら、御意見にまかせる。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●朝の黙想終わり。人間の栄光を求めるな。神の栄光を求めよ。

●6:30 これからラジオ体操

●TSK日本語版ヨブ記33章
●「内村鑑三終焉の地」記念碑に関することでTH氏に手紙
●バッハのシャコンヌ(無伴奏パルティータ第2番の第5曲終曲)を4種類の演奏で鑑賞。聖書を読むような感じで落ち着く。なるほどこれはヴァイオリニストの「聖書」と呼ばれるだけある。
●台所のシンク。蛇口から水漏れ。元栓を閉めてパッキングを取り換えようとしたが、シングルレバーの仕組みは複雑でゴムパッキンが見当たらない。いろいろいじっているうちに直ってしまった。
●16:00散歩がてら100円ショップ2軒。

2014_01110001.jpg 

夕方散歩。新しいデジカメだと富士の写り方も鮮明だ。



























トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


「永遠の命」を求めた人々 ++++++++ 所感

2014/01/10 08:32

140110(金)3時半目覚め。目覚めの黙想「『永遠の命』を求めた人々」。●聖書は「学者読み」(その結論は「おそらく」とか「多分」の竜頭蛇尾)ではなく「素人読みの方がはるかに力があって、実益的である。●では、今朝も「聖書で聖書」を読む方法をやってみよう。

塚本訳 ヨハ 3:1-3
3:1 ところでパリサイ人の中に名をニコデモという人があった。ユダヤの(最高法院の)役人であった。
3:2 ある夜、イエスの所に来て言った、「先生、わたし達はあなたが神のところから来られた先生であることを知っています。神がご一しょでなければ、あなたのされるあんな徴[奇蹟]はだれもすることは出来ません。」
3:3 イエスが答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、(徴を見て信じたのではいけない。)人は新しく生まれなおさなければ、神の国にはいることは出来ない。」


塚本訳 ルカ 18:18-23
18:18 ひとりの(最高法院の)役人が尋ねた、「善い先生、何をすれば永遠の命がいただけるでしょうか。」
18:19 イエスは言われた、「なぜわたしを『善い』と言うのか。神お一人のほかに、だれも善い者はない。
18:20 (するべきことは神の掟を守ることだけで、)掟はあなたが知っている通り。──『姦淫をしてはならない、殺してはならない、盗んではならない、偽りの証言をしてはならない、父と母とを敬え。』(ただこれだけである。)」
18:21 その人が言った、「それならみんな若い時から守っております。」
18:22 イエスは聞いて言われた、「もう一つ欠けている。持っているものをことごとく売って、(その金を)貧乏な人に分けてやりなさい。そうすれば天に宝を積むことができる。それから来て、わたしの弟子になりなさい。」
18:23 彼はこれを聞き、しょげてしまった。非常な金持であったのである。


塚本訳 ルカ 18:28-30
18:28 ペテロが(イエスに)言った、「でも、わたし達はこの通り、自分の持ち物をすててあなたの弟子になりました。」
18:29 彼らに言われた、「アーメン、わたしは言う、神の国のために家や妻や兄弟や親や子を捨てた者で、
18:30 この世でその幾倍を、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。」

塚本訳 ヨハ 6:67-69
6:67 するとイエスが十二人(の弟子)に言われた、「まさか、あなた達まで離れようと思っているのではあるまいね。」
6:68 シモン・ペテロが答えた、「主よ、(あなたを離れて)だれの所に行きましょう。永遠の生命の言葉はあなただけがお持ちです(から)。
6:69 あなたこそ神の聖者(救世主)であると、わたし達は信じております。また知っております。」


塚本訳 ヨハ 4:14-18
4:14 わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」
4:15 女が言う、「主よ、その水を下さい。(二度と)渇くことがないように、またここに汲みに来なくてもよいように。」
4:16 イエスが言われる、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」
4:17 女が答えた、「わたしには夫はありません。」イエスが言われる、「『わたしには夫はありません』と言うのは、もっともだ。
4:18 五人の夫とは別れ、今のは、あなたの夫ではないのだから。あなたの言ったことは本当だ。」


塚本訳 ルカ 19:1-10
19:1 エリコに入って、(そこを)通っておられた。
19:2 すると、(町に)名をザアカイという人がいた。この人は税金取りの頭で、金持であった。
19:3 イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低いので、群衆のため見ることが出来なかった。
19:4 それで先の方に駈けていって、桑無花果の木に上った。そこを通られるところを見ようとしたのである。
19:5 イエスはその場所に来られると、ザアカイを見上げて言われた、「ザアカイ、急いで下りておいで。きょうはあなたの家に泊まることになっているから。」
19:6 ザアカイは急いで下りてきて、喜んでお迎えした。
19:7 皆がこれを見て、イエスは(税金取りのような)罪人の所に入りこんで宿を取った、と言ってぶつぶつ呟いた。
19:8 しかしザアカイは進み出て主に言った、「主よ、わたしは(誓って)財産の半分を貧乏な人たちに施します。人からゆすり取ったものは四倍にして返します。」
19:9 イエスが(人々に)言われた、「救いは(きょう、)この家に入った。(人でなしのように言われる)この人も、やはり(あなた達と同じ)アブラハムの末だから。
19:10 人の子(わたし)は『滅びうせた者をさがして』救うために来たのである。」


塚本訳 ルカ 23:41-43
23:41 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる。」塚本訳 ヨハ 5:1-9
5:1 そののちユダヤ人の祭があって、イエスはエルサレムに上られた。
5:2 エルサレムの羊門のわきに、ヘブライ語でベテスダという池があり、(これを取り巻いて)五つの回り廊下があった。
5:3 廊下には大勢の病人──盲人、足なえ、やせ衰えた者などが寝ころがっていた。【水の動くのを待っていたのである。
5:4 それは、主の使がときどき池に下りてきて水をかきまわすので、水がかきまわされたとき真先に(池に)はいった者は、どんな病気にかかっていても、(きっと)直るからであった。】
5:5 するとそこに三十八年病気の人がいた。
5:6 イエスはその人が横になっているのを見、すでに長い間わずらっていることを知ると、「直りたいか」とたずねられた。
5:7 病人が答えた、「主よ、水がかきまわされた時に、わたしを池に入れてくれる者がないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に下りてゆきます。」
5:8 イエスが言われる、「起きて担架をかついて、歩きなさい。」
5:9 するとその人はすぐ直って、担架をかついで歩きまわった。あいにくその日は安息日であった。

塚本訳 ヨハ 5:39-40
5:39 あなた達は聖書(旧約)をもっていることが永遠の命を持っていることのように思って、それを研究している。ところがこの聖書は、(永遠の命である)このわたしのことを証明しているのに、
5:40 あなた達はその命を得るためわたしの所に来ようとしない。


塚本訳 ヨハ 11:25-27
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」
11:27 イエスに言う、「はい、主よ、(信じます。)あなたが救世主で、神の子で、世に来るべき方であると、私は信じています。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想終わり。人間の求めるもので最高、最善、最貴、歓喜、満足なものは「永遠の命」。それは万人に与えられている。それは次である。

塚本訳 ルカ 11:9-13
11:9 それで、わたしもあなた達に言う、(ほしいものはなんでも神に)求めよ、きっと与えられる。さがせ、きっと見つかる。戸をたたけ、きっとあけていただける。
11:10 だれであろうと、求める者は受け、さがす者は見つけ、戸をたたく者はあけていただけるのだから。
11:11 あなた達のうちのどんなお父さんでも、子が魚を求めるのに、魚の代りに蛇をやるだろうか。
11:12 また卵を求めるのに、蝎をやるだろうか。
11:13 してみると、あなた達は悪い人間でありながらも、自分の子に善い物をやることを知っている。まして天の父上が、求める者に聖霊(という善いもの)を下さらないことがあるだろうか。」


塚本訳 マタ 7:7-11
7:7 (ほしいものはなんでも天の父上に)求めよ、きっと与えられる。さがせ、きっと見つかる。戸をたたけ、きっとあけていただける。
7:8 だれであろうと、求める者は受け、さがす者は見つけ、戸をたたく者はあけていただけるのだから。
7:9 あなた達のうちには、自分の子がパンを求めるのに、石をやる者がだれかあるだろうか。
7:10 また魚を求めるのに、蛇をやる者があるだろうか。
7:11 してみると、あなた達は悪い人間でありながらも、自分の子に善い物をやることを知っている。ましてあなた達の天の父上が、求める者に善い物を下さらないことがあるだろうか。












トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


信仰は天才性 ++++++++ 所感

2014/01/09 09:19

140109(木)5時目覚め●昨日は具合が悪く、夕飯も残した。最近は二人とも加齢による体調不良が多くなった。ナンノコレシキ●朝の黙想「信仰の天才性」。この荒波の人生を乗り切るには、全能の神を信ずることが大切である。しかし神の全能を信ずるには生まれつきの人間にはできない。それは愚かなこと、弱い人間の逃げ込む道と思われる。●そうではない。「自分を信じる」人生は脆い、すぐ悲観的になる。ナーバスになる。それは低級人生観である。第一に神を信じないというのは人間として低級で三流人間である。●クリスチャンを55年やってきて、信仰の深い人に出会ったのは人生の財産である。その一例が故古田あやさんであった。告別式を司ったので下記に掲げる。

http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/bunshou/hurutaayakokubetu.htm

●しかしこの信仰の深さというのには「天才性」がある。尋常な人間には届かないものである。しかしその天才性を具備するにはそれなりの苦難や悲しみがあるものだ。古田さんにしても若いときに「胸を病んだ」。しかしその不幸悲しみで天地宇宙の創造主である神と親しくなられた。信仰は人間の努力ではないのだ。●今朝は「信仰は天才性」ということをディボーション(黙想)してみよう。信仰は人間の努力ではないのだ。寝床でメモしたものを順不同に列挙する。

塚本訳 マタ 17:19-20
17:19 あとで弟子たちは人のいない時にイエスの所に来て言った、「なぜわたし達には悪鬼を追い出せなかったのでしょうか。」
17:20 彼らに言われた、「信仰が無いからだ。アーメン、わたしは言う、もしあなた達に芥子粒ほどでも信仰があれば、この山に向かい『ここからあそこに移れ』と言えば移り、あなた達に出来ないことは一つもない。」

塚本訳 マコ 11:23
11:23 アーメン、わたしは言う、だれでもこの山に向かい、『立ち上がって海に飛び込め』と言って心に疑わず、自分の言うことは成ると信ずるならば、そのとおりになる。

塚本訳 マコ 11:24
11:24 だからわたしは言う、(神に)祈り求めるものはなんでも、すでに戴いたと信ぜよ。そうすればそのとおりになる。

塚本訳 ヨハ 20:26-27
20:26 八日ののち、弟子たちはまた家の中に(集まって)いた。今度はトマスも一しょであった。戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスがはいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた。
20:27 それから(すぐ)トマスに言われる、「指をここに持ってきて、わたしの手(の釘の跡)をよく見てごらん。手を持ってきて、わたしの脇腹に差し込んでみなさい。不信仰をやめて、信ずる者らしくしなさい。」

塚本訳 ルカ 24:36-39
24:36 二人がこう話しているところに、(突然)御自身でみなの真中に出ておいでになった。
24:37 ぞっとして震えあがり、幽霊でも見ているように思っていると、
24:38 彼らに言われた、「なにをうろたえるのか。なぜ心に疑いを起すのか。
24:39 わたしの手と足とを見てごらん。だれでもない、わたしだよ!さわってごらん、幽霊には肉も骨もないが、わたしには、それがあるのがわかるから。」

塚本訳 Ⅰコリ9:1
9:1 わたしは(すべての律法から釈放されて)自由ではないか。わたしは(とくに神に選ばれた)使徒ではないか。(このことを疑う者があるようだが、)わたしはわたし達の主、(復活の)イエスにお目にかかったではないか。あなた達は主におけるわたしの作品ではないか。

塚本訳 マタ 14:29-31
14:29 「こちらに来なさい」とイエスが言われた。ペテロは舟から下り、水の上を歩いてイエスの所へ行った。
14:30 しかし(いま一足という所で)強い風を見たため、おじけがつき、沈みかけたので、「主よ、お助けください」と叫んだ。
14:31 イエスはすぐ手をのばし、ペテロをつかまえて言われる、「信仰の小さい人よ!なぜ疑うのか。」

塚本訳 ヤコ 1:6-7
1:6 ただし決して疑わず、(神を)信じて求めよ。疑う者は風のまにまに漂う海の浪に似ているのだから。
1:7 そんな人は主から何か戴けるなどと(決して)思うな──

塚本訳 ユダ 1:20-24
1:20 しかし愛する者よ、君達は君達の最も聖なる信仰の上に自分を築き上げ、聖霊において祈り、
1:21 (賜わった)神の愛において自分を守り、永遠の生命に入れ給う私達の主イエス・キリストの憐憫を待ち望め。
1:22 そして疑っている或る人々を説得し、
1:23 或る人々を『火から引き出(すように)して』救い、また或る人々には同情せよ、(しかし)畏れをもって──肉に『穢された下着』すら憎め。
1:24 踏み外すことなきよう君達を見守り、(最後の日)瑕無き者として歓びをもってその栄光の前に立たせ得給う方に、


塚本訳 マタ 21:21
21:21 イエスは答えられた、「アーメン、わたしは言う、もしあなた達に信仰があって疑わないならば、この無花果におこった(と同じ)ことをすることができるばかりか、この山にむかい『立ち上がって海に飛び込め』と言っても、その通りになる。


塚本訳 マタ 28:16-18
28:16 さて、十一人の弟子はガリラヤに行き、イエスに命じられた山にのぼり、
28:17 お目にかかっておがんだ。しかし疑う者もあった。
28:18 イエスは近寄ってきて十一人に言われた、「(いまや)天上地上一切の権能が、(父上から)わたしに授けられた。

塚本訳 マコ 9:21-24
9:21 イエスが父親に尋ねられた、「こうなってから、どのくらいになるか。」父親がこたえた、「子供の時からです。
9:22 霊はこの子を殺そうとして、幾たびか、火の中、水の中に投げ込みました。それでも、もしなんとかお出来になるなら、わたしども(親子)を不憫と思って、お助けください。」
9:23 イエスは言われた、「もしお出来になるなら(と言うの)か。信ずる者にはなんでも出来る。」
9:24 即座にその子供の父親が叫んだ、「信じます。不信仰をお助けください。」

塚本訳 マタ 8:8-10
8:8 百卒長は答えた、「主よ、わたしはあなたを、うちの屋根の下にお迎えできるような者ではありません。(ここで)ただ一言、言ってください。そうすれば下男は直ります。
8:9 というのは、わたし自身も指揮権の下にある人間であるのに、わたしの下にも兵卒がいて、これに『行け』と言えば行き、ほかのに『来い』と言えば来、また僕に『これをしろ』と言えば(すぐ)するからです。(ましてあなたのお言葉で、病気が直らないわけはありません。)」
8:10 イエスは聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた、「アーメン、わたしは言う、イスラエル人の中でも、こんなりっぱな信仰をもっている者を一人も見たことがない。

塚本訳 ヨハ 4:47-53
4:47 イエスがユダヤからガリラヤに来ておられると聞くと、イエスの所に行き、(カペナウムに)下ってきて息子を直してほしいと頼んだ。息子が死にそうだったのである。
4:48 イエスは言われた、「あなた達は徴[奇蹟]と不思議なことを見なければ、決して信じない。」
4:49 王の役人が、「主よ、子供が死なないうちに(カペナウムに)下ってきてください」と言いつづけると、
4:50 イエスは言われる、「かえりなさい、息子さんはなおった。」その人はイエスの言われた言葉を信じて、かえっていった。
4:51 しかしすでに途中で、僕たちが出迎えて、子供がなおったことを知らせた。
4:52 そこで僕たちに良くなった時間をたずねると、「きのう午後一時に熱が取れた」とこたえた。
4:53 父は、それが「息子さんはなおった」とイエスが言われた時間であることを知り、彼はもちろん、全家族が信じた。

塚本訳 マタ 9:20-22
9:20 するとそこに、十二年も長血にかかっていた女が近寄ってきて、後ろからイエスの上着の裾にさわった。
9:21 「お召物にさわるだけでも、なおるにちがいない」と、ひそかに思ったのである。
9:22 イエスは振り向いて、女を見ながら言われた、「娘よ、安心しなさい、あなたの信仰がなおした。」するとちょうどその時から、女はなおった。


塚本訳 マタ 14:35-36
14:35 所の人はイエスと知って、その付近に隅なく人をやっ(て知らせ)たので、人々は病人を皆イエスのところにつれて来て、
14:36 せめて着物の裾にさわらせてほしいとイエスに願った。さわった者はみな直った。


塚本訳 ヨハ 5:5-9
5:5 するとそこに三十八年病気の人がいた。
5:6 イエスはその人が横になっているのを見、すでに長い間わずらっていることを知ると、「直りたいか」とたずねられた。
5:7 病人が答えた、「主よ、水がかきまわされた時に、わたしを池に入れてくれる者がないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に下りてゆきます。」
5:8 イエスが言われる、「起きて担架をかついて、歩きなさい。」
5:9 するとその人はすぐ直って、担架をかついで歩きまわった。あいにくその日は安息日であった。

塚本訳 ヨハ 11:25-27
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」
11:27 イエスに言う、「はい、主よ、(信じます。)あなたが救世主で、神の子で、世に来るべき方であると、私は信じています。」

塚本訳 ピリ 2:12-13
2:12 だから、愛する者達よ、(今まで)何時も従順であったように、(従順であってもらいたい。)私が(一緒に)居る時ばかりでなく、居ない今こそ却つてなお一層、畏れと戦きをもって、自分の救いを得よ。
2:13 (しかしもちろんこれは君達の力では出来ない。)何故なら、(救いに関わる)御旨を成し遂ぐるため、君達のうちに働いて、(救いの)願望を起こさせ、これを成就せしめ給う者は、神であるからである。

塚本訳 ヘブ 11:1
11:1 (では信仰とは何であるか。)信仰とは、希望することの実現であり、(目に)見ぬ事の確信である。


塚本訳 ヘブ 11:3
11:3 (まず、)信仰によって、わたし達はこの世界が神の言葉で造られたことを知る。すなわち、見えるものは、現われぬものからできているのである。


塚本訳 ヘブ 11:5
11:5 信仰によって、エノクは死なずに(天に)移された。『神が彼をお移しになったのだから、(地上で)見つけ出されなかった』(と聖書は言う)。というのは、天に移される前、彼は『神のお気に入ったことを』証しされたのである。


塚本訳 ヘブ 11:7
11:7 信仰によって、ノアはまだ見ないもの[洪水]について(神の)お告げを受け、自分の家族を救うために恐れかしこんで箱船を造った。この信仰(の行い)のゆえに(残りの)世界の罪は決まり、彼は信仰による義の相続人となった。


塚本訳 ヘブ 11:8
11:8 信仰によって、アブラハムは財産として戴くべき(カナンの)場所に『出てゆけ』とのお召しを受け、(素直に)言うことを聞いた。そしてどこへ行くともわからず、『出ていった』。


塚本訳 ヘブ 11:11-12
11:11 信仰によって、アブラハムはまた(その妻)サラと共に、子孫をつくる力を受けた、(すでに年齢が)盛りを過ぎていながら。彼は約束された方を誠実であると考えたのである。
11:12 だからまた、(たった)一人から、しかも(老いぼれて)死んだような者から、『天の星のように数多く、また数えきれぬ海岸の砂のように子孫ができたのである。』


塚本訳 ヘブ 11:13-14
11:13 信仰に従い、これらの人たちは皆、(地上では)約束のものを受けずに死んだのである。彼らはただ遠くからそれを眺めて歓迎し、自分たちは、『この地上では外国人であり、旅の者』であると認めた。
11:14 このように(自分を外国人、旅の者と)言う人々は、(ほかにある)自分の国を追及していることを現わしているからである。


塚本訳 ヘブ 11:16
11:16 しかし今や彼らは(地上のものに)まさる天の国を熱望しているのである。だから神も、彼らの神と言われることを恥とされない。彼は彼らのために(天に)都を用意されたのであるから。


塚本訳 ヘブ 11:17
11:17 信仰によって、『アブラハムは(神に)試されたとき、(燔祭として)イサクを捧げた。その独り子を』捧げようとしたのである。彼は(神の)約束を受け、


塚本訳 ヘブ 11:19
11:19 神は死人の中からでも生きかえらせる力があると考えたからであった。そのため(この信仰に対する報いとして、)彼はその子を(キリストの死と復活との)比喩として返してもらったのである。


塚本訳 ヘブ 11:21
11:21 信仰によって、ヤコブは死のうとするとき、ヨセフの子たちにひとりびとり祝福を祈った。そして『彼の杖の先によりかかって(神を)おがんだ』。


塚本訳 ヘブ 11:22
11:22 信仰によって、ヨセフは臨終のとき、(将来)イスラエルの子孫が(エジプトを)脱出することを思い、自分の骨(をいかに葬るべきか)について命令した。


塚本訳 ヘブ 11:29-30
11:29 信仰によって、イスラエル人たちは陸地のように紅海を歩いて通ったが、エジプト人たちは、これを試みて溺れた。
11:30 信仰によって、エリコの城壁は七日間取り囲まれて崩れた。


塚本訳 ヘブ 11:31
11:31 信仰によって、遊女ラハブは(イスラエルの)間諜を平和をもって歓迎したので、不従順な(国)人と一しょに滅びなかった。


塚本訳 ヘブ 11:35-37
11:35 婦人たちはその死んだ者を復活させてもらった。しかしほかの(男の)人々は、それにまさる復活に達するため、釈放を願わずに、車裂きにされた。
11:36 また他の人々は、嘲りや鞭打ちや、そのほか縄目や牢の試みを受けた。
11:37 石で打ち殺され、鋸で引かれ、剣で殺されて死に、羊の皮や山羊の皮を着てうろつき回り、見捨てられ、悩まされ、虐待され、


塚本訳 ヘブ 11:38
11:38 ──この世は(純潔な)彼らにふさわしくなかった──彼らは荒野と山と洞穴と地の割れ目とをさまよい歩いたのである。


塚本訳 ヘブ 11:39
11:39 そしてこれらすべての人々は信仰のゆえに(その正しいことを)証しされたが、(地上にいる間には)約束のものを受けなかった。


塚本訳 ヘブ 11:40
11:40 神がわたし達のために、(地上の幸福でなく、何か)これにまさる(偉大な)ことを計画されて(いて)、わたし達を抜きにしては、それは完成されないからである。

塚本訳 Ⅰコリ1:18
1:18 なぜか。この十字架についての言葉は、滅びゆく者には馬鹿なことであるが、わたし達救われる者には、神の力(の現われ)であるから。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●朝の黙想終わり。信仰は全く100%神からの賜物。文字通り天性である。しかし求めれば与えられる。万人に開かれている。 神は信仰を与えようとするときには残酷なことをされる。

本訳 ルカ 16:25-31
16:25 しかしアブラハムは言った、『子よ、考えてごらん、あなたは生きていた時に善いものを貰い、ラザロは反対に悪いものを貰ったではないか。だから今ここで、彼は慰められ、あなたはもだえ苦しむのだ。
16:26 そればかりではない、わたし達とあなた達との間には大きな(深い)裂け目があって、ここからあなた達の所へ渡ろうと思っても出来ず、そこからわたし達の所へ越えてくることもない。』
16:27 金持が言った、『父よ、それではお願いですから、ラザロをわたしの父の家にやってください。
16:28 わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。』
16:29 しかしアブラハムは言う、『(その必要はない。)彼らにはモーセ(律法)と預言書と[聖書]がある。その教えに従えばよろしい。』
16:30 彼が言った、『いいえ、父アブラハムよ、もしだれかが死人の中から行ってやれば、きっと悔改めます。』
16:31 しかしアブラハムは答えた、『モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。』」

塚本訳 Ⅰコリ2:14
2:14 しかし(御霊を持たない)生まれながらの人間は、神の霊から出てくることを受け入れない。彼にはそれが馬鹿なことなのである。またそれを理解することも出来ない。(霊のことは)霊的に判断されねばならないからである。


●信仰のある者とない者の溝は深くて渡れないから、「有体的復活や処女降誕」を信じない者とは交際してはいけないばかりでなく、「教会や集会」から追放しなければなたない。叩きださなければならない。なぜか。それはばい菌だからである。教会や集会全体が腐るからである。聖書は次のように言う。「仲良くやっていく」ことが至上ではない。

塚本訳 Ⅰコリ15:33
15:33 迷わされてはならない。(復活の信仰のない人との交際に注意せよ。)悪い交際は良い習慣をこわす。(と詩人も言っている。)



2014_01090001.jpg 

新しいデジカメテスト。鮮明だ。影がない。

●14:50 昭和女子大建築講義。ラスキン「芸術経済論」(A Joy for Ever and its Price in
yhe Market)。ラスキンは理想の妻として旧約聖書の箴言31章を示している。

口語訳 箴  31:11-15
31:11 その夫の心は彼女を信頼して、収益に欠けることはない。
31:12 彼女は生きながらえている間、その夫のために良いことをして、悪いことをしない。
31:13 彼女は羊の毛や亜麻を求めて、手ずから望みのように、それを仕上げる。
31:14 また商人の舟のように、遠い国から食糧を運んでくる。
31:15 彼女はまだ夜のあけぬうちに起きて、その家の者の食べ物を備え、その女たちに日用の分を与える。


口語訳 箴  31:22-23
31:22 彼女は自分のために美しいしとねを作り、亜麻布と紫布とをもってその着物とする。
31:23 その夫はその地の長老たちと共に、町の門に座するので、人に知られている。


口語訳 箴  31:25
31:25 力と気品とは彼女の着物である、そして後の日を笑っている。


口語訳 箴  31:28-29
31:28 その子らは立ち上がって彼女を祝し、その夫もまた彼女をほめたたえて言う、
31:29 「りっぱに事をなし遂げる女は多いけれども、あなたはそのすべてにまさっている」と。

●そして25節の「後の日を笑っている」を強調し。「どんなに貧しい家庭になっても明るく生きよう」とエールを送った。何人が聖書に興味を持つだろうか。「パンを水の上に投げよ」だ。

●帰途、拙宅を造ってくださった加藤棟梁ご夫妻に拝島で会う。糖尿病の原因になりますがと言ってそばのケーキ屋でシュークリームを土産物にくださった。











トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


光の子 ++++++++ 所感

2014/01/08 06:43

140108(水)朝の黙示「光の子」●千葉県のITさんは昨年金婚式の祝いをしたあとに召された。生前、しきりに「高橋に会いたい」と言ってたそうだが、このたびその夫君から亡き夫人の記念だと言って自らが彫った聖句の木版が送られてきた。崇高な記念品である。お礼の電話をして御夫人のことを話しているうちに彼女は死んでない。肉体は朽ちても霊魂は永遠の命に生きているという実感がわいた。●彼女はキリストの霊に満たされた「光の子」であった。彼女に接するほどの人はその「光」に圧倒さてきた。私はクリスチャンを55年やっているが、ときどきこういう人に接する。その人にとっては思想も神学も聖書知識も超越してただ「主の霊のみ」がご一緒なので「光」そのものなのだ。●信仰生活を全うするには生涯でなるべく多くのこの「光の子」に出会って、感化されることが大切である。●なぜ名だたる音楽家がウィーンに集まるようになったのか。その疑問を旅行で探りたかったが、同行の一人が「それは優秀な音楽家が集まっていたからだ」と指摘があった。それで私は納得した。つまり「人物」なのだ。●翻って優秀なエクレシアというのは本物の「光の子」が大勢いる集団であって、いわば「生き仏」が沢山いる集団である。●今朝はその光と「光の子」を巡って聖書のあちこちを渉猟してみよう。順不同。寝床でメモしたもの。自家薬篭中のもの、「聖書で聖書を読む」。「Jバイブル」で検索して表示をする。 ●ヒルティはこの「光の子」達の集団が世界を変えるのだという。至言。


口語訳 創  1:1-4
1:1 はじめに神は天と地とを創造された。
1:2 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
1:3 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
1:4 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。

口語訳 詩  19:4-6
19:4 その響きは全地にあまねく、その言葉は世界のはてにまで及ぶ。神は日のために幕屋を天に設けられた。
19:5 日は花婿がその祝のへやから出てくるように、また勇士が競い走るように、その道を喜び走る。
19:6 それは天のはてからのぼって、天のはてにまで、めぐって行く。その暖まりをこうむらないものはない。

塚本訳 ヨハ 1:1-5
1:1 (世の)始めに、(すでに)言葉はおられた。言葉は神とともにおられた。言葉は神であった。
1:2 この方は(世の)始めに神とともにおられた。
1:3 一切のものはこの方によって出来た。出来たものでこの方によらずに出来たものは、ただの一つもない。
1:4 この方は命をもち、この命が人の光であった。
1:5 この光は(いつも)暗闇の中に輝いている。しかし暗闇(のこの世の人々)は、これを理解しなかった。

塚本訳 ヨハ 1:9-13
1:9 この方(言葉)は、この世にうまれて来るすべての人を照らすべきまことの光であった。
1:10 この世に来ておられ、世はこの方によって出来たのに、世はこの方を認めなかった。
1:11 いわば自分の家に来られたのに、家の者が受け入れなかったのである。
1:12 しかし受け入れた人々、すなわち、その名を(神の子であることを)信じた人には一人のこらず、神の子となる資格をお授けになった。
1:13 この人たちは、人間の血や、肉の欲望や、男の欲望によらず、神(の力)によって生まれたのである。

塚本訳 ヨハ 1:14
1:14 この言葉は肉体となって、(しばらく)わたし達の間に住んでおられた。(これが主イエス・キリストである。)わたし達はその栄光を見た。いかにも父上の独り子らしい栄光で、恩恵と真理とに満ちておられた。


塚本訳 Ⅰヨハ1:1-2
1:1 (世の)始めから(すでに)おられたもの、(それは)わたし達が(この耳で)聞いたもの、自分の目で見たもの、直観しまた自分の手でさわったもの、(すなわち)命の言葉について、──
1:2 この命が自分を現わし、(それを)わたし達は見て、証明し、またこの永遠の命をあなた達に告げる。これは(始めには)父と共におられたが、(今)わたし達に自分を現わしたのである──

塚本訳 マタ 17:1-3
17:1 (それから)六日の後、イエスはペテロとヤコブとその兄弟のヨハネだけを連れて、高い山にのぼられた。
17:2 すると彼らの見ている前でイエスの姿が変った。顔は太陽のように照りかがやき、着物(まで)が光のように白くなった。
17:3 すると見よ、モーセとエリヤとが彼らに現われた。二人はイエスと話していた。

塚本訳 ヘブ 1:3
1:3 彼は神の栄光の放射であり、本質の像である。彼はまたその力ある言葉をもって万物を保たれる。彼は(この世に降り)、罪の潔めを成し(とげて、ふたたび)高き所にのぼり、(神の)御稜威の『右にお坐りになっている』。

塚本訳 ヨハ 12:46
12:46 わたしが光として世に来たのは、わたしを信ずる者はだれも、暗闇の中に留っていないようにするためである。

塚本訳 ピリ 2:15
2:15 これは君達が非難すべき所でなく、純真であって、『曲ったねじくれた(この)時代』の真中にあって『瑕なき神の子』とならんためである。(まことに)君達はこの時代にあって、生命の言を堅く守りながら、この(暗い)世に星のように輝いているのである。


塚本訳 ルカ 16:8
16:8 すると主人はこの不埒な番頭の利巧な遣り口を褒めた(という話)。この世の人は自分たちの仲間のことにかけては、光の子(が神の国のことに利口である)よりも利巧である。塚本訳 Ⅰテサ5:5
5:5 皆光の子、昼の子なのだから。私達(主を信ずる者)は夜の者でも、暗の者でもない。

塚本訳 Ⅰヨハ2:9
2:9 (暗闇は憎み、光は愛である。だから)光におると言いながら、兄弟を憎む者は、いまも(なお)暗闇におるのである。

塚本訳 Ⅰペテ2:9
2:9 しかし君達は『選ばれた種族、王なる祭司、聖き民族、』神の『所有物なる民』(である。そして君達がかく神の所有物となったのは、)君達を暗から驚くべき光へと召し給うたお方の『功業を宣べるためである』。


塚本訳 エペ 5:8-9
5:8 君達はかつては暗であったが、今は主に在って光である。光の子らしく歩け──
5:9 光の果実はあらゆる善と義と真であるから──

塚本訳 Ⅰヨハ2:9
2:9 (暗闇は憎み、光は愛である。だから)光におると言いながら、兄弟を憎む者は、いまも(なお)暗闇におるのである。

塚本訳 マタ 5:14-15
5:14 あなた達は世の光である。山の上にある町は隠れていることは出来ない。
5:15 また、(せっかく)明りをともして枡をかぶせる者はない。かならず燭台の上に置く。すると、家の中におる人を皆照らすのである。

塚本訳 ヨハ 8:12
8:12 (同じ大祭の日に、)イエスはまた人々に語られた、「わたしが世の光である。わたしに従う者は、決して暗やみを歩かない。そればかりか、命への光を持つことができる。」


塚本訳 ヨハ 9:5
9:5 世におる間、わたしは世の光である。」


塚本訳 ヨハ 11:9
11:9 イエスが答えられた、「(心配するな。わたしが神に命ぜられた務を果す時までは、だれもわたしに手を下すことはできない。)昼間は十二時間あるではないか。人は昼間歩けば、つまづくことはない。この世の光(太陽)が照らしているからだ。

塚本訳 Ⅰヨハ1:7
1:7 しかしもし神が光の中にあるように、わたし達も光の中を歩いているならば、(神と交わりを持ち、従って)互に(まことの)交わりを持つ(ことができる)のである。そして(たとい罪を犯すことがあっても)、その子イエスの血があらゆる罪から清めてくださる。(かくてわたし達は光の子となるのである。)


塚本訳 黙  21:24
21:24 諸国の民はその光の中を歩むであろう。また地の王達は彼らの(有つ凡ての)光栄をここに持って来る。

塚本訳 ヨハ 12:35
12:35 するとイエスは(それには答えず、)彼らに言われた、「もうしばらくの間、光はあなた達のところにある。光のある間に(早く)歩いて、暗闇に追い付かれないようにせよ。暗闇を歩く者は、自分がどこへ行くのか知らない。

塚本訳 ルカ 15:4-7
15:4 「あなた達のうちのだれかが羊を百匹持っていて、その一匹がいなくなったとき、その人は九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を、見つけ出すまではさがし歩くのではないだろうか。
15:5 そして見つけると、喜んで肩にのせて、
15:6 家にかえり、友人や近所の人たちを呼びあつめてこう言うにちがいない、『一しょに喜んでください。いなくなっていたわたしの羊が見つかったから』と。
15:7 わたしは言う、このように、一人の罪人が悔改めると、悔改める必要のない九十九人の正しい人以上の喜びが、天にあるのである。


塚本訳 ルカ 15:8-10
15:8 また、どんな女でも、ドラクマ銀貨[五百円]を十枚持っていて、もしその銀貨を一枚無くしたとすれば、明りをつけて家(中)を掃き、それを見つけ出すまでは、丹念にさがしつづけるのではないだろうか。
15:9 そして見つけると、友だちや近所の女たちを呼びあつめてこう言うにちがいない、『一しょに喜んでください。無くした銀貨が見つかりましたから』と。
15:10 わたしは言う、このように、一人の罪人が悔改めると、神の使たちに喜びがあるのである。」


塚本訳 ルカ 15:30-32
15:30 ところがあのあなたの息子、きたない女どもと一しょに、あなたの身代をくらいつぶしたあれがかえって来ると、肥えた小牛を御馳走されるのはどういうわけですか。』
15:31 父が言った、『まあまあ、坊や、お前はいつもわたしと一しょにいるではないか。わたしの物はみんなお前のものだ。
15:32 だが、喜び祝わずにはおられないではないか。このお前の弟は死んでいたのに生きかえり、いなくなっていたのに見つかったのだから。』」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想終わり。神の子は光、この世の歴史に突入した。その光を頂いた者は「光の子」にさせらっる。この光は神学や思想や聖書学を超越する。

暗いローマ帝国に光をもたらしたキリスト教徒たち。闇が深まって光は強く輝いた。

 ヒルティ幸福論Ⅲ(白水社版、杉山好・前田護郎訳 p95

「わがなんじになさんとするは、驚くべき事なり」


「(今日の暗さは・・・高橋注)ローマの皇帝時代の最初の二世紀について知られているところとある点でよく似通っている。そしてその時に生まれてまもないキリスト教は、一見絶望的に老衰し、死滅にひんした感じの世界に、新しい生命力を吹き込み、官能的な美と人間的な知恵による喜びよりもすぐれた人生の目的を与える使命をゆだねられた。それは困難な課題であったにもかかわらず解決された。世界はもういちど甦って、夢にも考えられない精神力と生命力を獲得した。初代の信徒たちの小さな群を目のあたりに見た当時の人には、およそ想像もつかないことであった。」

2014_01080001.jpg 

冬の庭。新しいデジカメによる。FUJIXQ1。鮮明だ。





トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


老年の生きがい ++++++++ 所感

2014/01/07 08:26

140107(火)5時目覚め●目覚めの啓示「老年の生きがい」●昨日、NHKTVで「定年後の生きがい」についてがあった。●成功している「老人クラブ」は、上下関係がないことの気安さと自慢話をしないことであるということに感心した。エクレシアも同じだと思う。●図書館に行くと「定年」に関する本がたくさんある。それほど今は老年の生きがいについて関心がある。●老年人口が多くなると、「生きがいを失った老年」が大量に生み出される。何をやっても満足しない、満たされない、砂利を噛むようで飢え渇く。この救いはどこにあるか。●ヒルティの「幸福論」の中心は「神と共にあることと仕事」である。「仕事」の意味は「仕える」こと。つまり困っている人を助けることである。すると老年だけでなく人生の幸福とは「神と共にあって困っている人を助ける仕事をする」ことにある。●定年後の楽しみは「旅行」だと言った老人がいた。しかしスイス人のヒルティは「世界中の人がかスイス観光にくるが、あれで魂が満たされるわけではない」と水をひっかけている。至言。神なき遊び、仕事は何をやっても満たされないのだ。●ヒルティに「老年について」という論考があるが、いまそれを見ないで聖書はこの難問にどのように答えているかを探ってみよう。いつものように頭に浮かぶ聖句を寝床でメモしたので、順不同に書いてみよう。検索と表示は「Jバイブル」(市販、一万円強だから安い)を利用する。さしあたり私の「老年の生きがい」は聖書に親しむことである。引照は他人が作ったものはあまり役立たない。なぜその引照なのかがわからないことがしばしばであるから。引照は自分が思い浮かぶものが一番よい。それは自家薬篭中のものだからである。

口語訳 伝 12:1
12:1 あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、


塚本訳 ヨハ 4:13-18
4:13 イエスは答えられた、「この(井戸の)水を飲む者はだれでもまた渇くが、
4:14 わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」
4:15 女が言う、「主よ、その水を下さい。(二度と)渇くことがないように、またここに汲みに来なくてもよいように。」
4:16 イエスが言われる、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」
4:17 女が答えた、「わたしには夫はありません。」イエスが言われる、「『わたしには夫はありません』と言うのは、もっともだ。
4:18 五人の夫とは別れ、今のは、あなたの夫ではないのだから。あなたの言ったことは本当だ。」


口語訳 伝 9:9
9:9 日の下で神から賜わったあなたの空なる命の日の間、あなたはその愛する妻と共に楽しく暮すがよい。これはあなたが世にあってうける分、あなたが日の下で労する労苦によって得るものだからである。

塚本訳 ルカ 16:9-13
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。
16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。
16:11 だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。
16:12 もし他人のもの[この世のこと]に忠実でなかったならば、だれがあなた達のもの[天のもの]をあなた達に与えようか。
16:13 しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。」


塚本訳 ヨハ 13:1
13:1 過越の祭の前、イエスはこの世から父上の所に移ってゆく時が(ついに)来たことを知って、この世で愛された弟子たちを、最後の瞬間まで愛しぬかれた。──

口語訳 詩 84:10
84:10 あなたの大庭にいる一日は、よそにいる千日にもまさるのです。わたしは悪の天幕にいるよりは、むしろ、わが神の家の門守となることを願います。


口語訳 詩 84:1-4
84:1 万軍の主よ、あなたのすまいはいかに麗しいことでしょう。
84:2 わが魂は絶えいるばかりに主の大庭を慕い、わが心とわが身は生ける神にむかって喜び歌います。
84:3 すずめがすみかを得、つばめがそのひなをいれる巣を得るように、万軍の主、わが王、わが神よ、あなたの祭壇のかたわらに/わがすまいを得させてください。
84:4 あなたの家に住み、常にあなたをほめたたえる人はさいわいです。〔セラ


塚本訳 ルカ 2:25-29
2:25 さて(そのころ)エルサレムに名をシメオンという人がいた。この人は正しい、信心深い人で、イスラエルの慰め(である救世主)を待ち望み、聖霊が彼をはなれなかった。
2:26 かつ主の救世主を見ないうちは決して死なないと、かねて聖霊からお告げを受けていた。
2:27 (この日)御霊に感じて宮に行くと、ちょうど両親が、律法の仕来りどおり幼児イエスに行おうとして彼をつれて入ってきたので、
2:28 シメオンは幼児を両腕に抱き、こう言って神を讃美した。──
2:29 今こそ、主よ、あなたはこの僕をしてお言葉のとおり安らかに(この世に)暇乞いをさせてくださいます、

塚本訳 ルカ 2:36-38
2:36 また、アセル族のパヌエルの娘に、アンナという女預言者があった。非常に年を取っていて、娘時代の後、七年の結婚生活をおくり、
2:37 (その後)八十四歳(の今日)まで寡婦ぐらしをしていた。(片時も)宮を離れず、夜も昼も断食と祈りとをもって(神に)奉仕していたが、
2:38 (シメオンが預言している)ちょうどその時、近寄ってきて(幼児について)神に感謝をささげ、またエルサレムの人々のあがないを待ち望むみんなの人に、この幼児のことを話した。

新共同 ルカ 2:36-38
2:36 また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、
2:37 夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、
2:38 そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。


新改訳 ルカ 2:36-38
2:36 また、アセル族のパヌエルの娘で女預言者のアンナという人がいた。この人は非常に年をとっていた。処女の時代のあと七年間、夫とともに住み、
2:37 その後やもめになり、八十四歳になっていた。そして宮を離れず、夜も昼も、断食と祈りをもって神に仕えていた。
2:38 ちょうどこのとき、彼女もそこにいて、神に感謝をささげ、そして、エルサレムの贖いを待ち望んでいるすべての人々に、この幼子のことを語った。


口語訳 ルカ 2:36-38
2:36 また、アセル族のパヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。彼女は非常に年をとっていた。むすめ時代にとついで、七年間だけ夫と共に住み、
2:37 その後やもめぐらしをし、八十四歳になっていた。そして宮を離れずに夜も昼も断食と祈とをもって神に仕えていた。
2:38 この老女も、ちょうどそのとき近寄ってきて、神に感謝をささげ、そしてこの幼な子のことを、エルサレムの救を待ち望んでいるすべての人々に語りきかせた。


塚本訳 使 20:35
20:35 わたしはあらゆる機会にあなた達に例を示したのだから、あなた達も同じように一生懸命に働いて、経済的に恵まれない者たちを助けなさい。主イエス御自身が言われた、『与えるのは貰うより幸いである』という御言葉を忘れずに!」


口語訳 詩 42:1-2
42:1 神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、わが魂もあなたを慕いあえぐ。
42:2 わが魂はかわいているように神を慕い、いける神を慕う。いつ、わたしは行って神のみ顔を/見ることができるだろうか。

口語訳 詩 23:1-3
23:1 主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。
23:2 主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。
23:3 主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。

塚本訳 ヨハ 6:67-68
6:67 するとイエスが十二人(の弟子)に言われた、「まさか、あなた達まで離れようと思っているのではあるまいね。」
6:68 シモン・ペテロが答えた、「主よ、(あなたを離れて)だれの所に行きましょう。永遠の生命の言葉はあなただけがお持ちです(から)。

塚本訳 Ⅱテモ3:14-15
3:14 しかし君は(先輩達から)学んだこと、(自ら)確信したことに(しっかり)留まって居れ。誰から(それを)学んだか、
3:15 また(既に)子供の時から聖書を習ったことを知っているではないか。この聖書はキリスト・イエスの信仰による救いへの知恵を君に与えることが出来る。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想おわり。老年の生きがいは「聖書」。ヒルティの「孫たちに幸あれ」は、孫は聖書に導けというのが結論。聖書を読む楽しみはこの世の人が慰めと思う、数々の娯楽よりも充実している。なぜか。その結果は「永遠の命」だから。


●TSK日本語版ヨブ記29章
●明日の「婦人の読書会、塚本虎二著作集」は妻がリポーター。その配布資料づくりを手伝った。
●10:00 池谷医院定期健診。順調。患者負担が1割なので助かる。
●昨年目召された石浜俊子さんの御主人から、俊子さんの記念品としてご自身が彫られた聖句の木版を頂いた。主にある人は死んでも死んだ気がしない。
●集会のFさん(90歳ぐらいか)にお見舞いの電話。肉体は弱って集会にはお越しになれないが、霊はお元気。「永遠の命、永遠の命」と声を掛け合った。


















トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


神を賛美する喜び ++++++++ 所感

2014/01/06 06:44

140106(月)4時、目覚めの啓示「神を賛美する喜び」●長男Sの第一子(女児。私にとって7人目の孫)が誕生したとき、ずっと面倒を見てくださっていた産婦人科医師のT先生から次のような祝福のメッセージを頂いた。
「乳飲み子と嬰児によって誉め讃えられる神の栄光を仰ぎました。」

これは旧約聖書詩編8篇1~2節が根拠である。今朝はこれをめぐって人間の最高最善の喜びである「神の栄光を賛美する」ということを黙想してみよう。例によって目覚めに寝床にいてメモ用紙に思いつくままに書きとめた聖書の箇所である。順不同思いつくまま。引照は自分の頭から紡ぎだすのが一番良い。それは自家薬篭中のものだからである。検索と表示には「Jバイブル」を利用。

2014_01040002.jpg 

生後6日目の乳飲み子。7人目の孫。ひたすら眠っている。何を思っているのだろう。
時々「えくぼ」を見せる。手を握ったり開いたりする。またあくびもする。
神は乳飲み子を通してご自分を「誉め讃え」ているのだ。

口語訳 創  1:27-28
1:27 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。
1:28 神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。


口語訳 創  1:31
1:31 神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。

口語訳 詩  8:1-2
8:1 主、われらの主よ、あなたの名は地にあまねく、いかに尊いことでしょう。あなたの栄光は天の上にあり、
8:2 みどりごと、ちのみごとの口によって、ほめたたえられています。あなたは敵と恨みを晴らす者とを静めるため、あだに備えて、とりでを設けられました。

塚本訳 マタ 21:16
21:16 イエスに言った、「あの子供たちがなんと言っているのか、聞えているのか。」イエスは言われた、「聞えている。あなた達は『(神よ、)あなたは幼児と乳飲み子との口によって、(御自分のために)賛美をお備えになった』と詩篇にあるのを、まだ読んだことがないのか。(大人が黙っているから、子供が叫ぶのだ。)」

口語訳 詩  84:1-2
84:1 万軍の主よ、あなたのすまいはいかに麗しいことでしょう。
84:2 わが魂は絶えいるばかりに主の大庭を慕い、わが心とわが身は生ける神にむかって喜び歌います。


口語訳 エゼ 20:9
20:9 しかしわたしはわたしの名のために行動した。それはエジプトの地から彼らを導き出して、周囲に住んでいた異邦人たちに、わたしのことを知らせ、わたしの名が彼らの目の前に、はずかしめられないためである。


口語訳 エゼ 20:14
20:14 わたしはわたしの名のために行動した。それはわたしが彼らを導き出して見せた異邦人の前に、わたしの名が汚されないためである。


口語訳 エゼ 20:22
20:22 しかしわたしはわが手を翻して、わが名のために行動した。それはわたしが彼らを導き出して見せた異邦人の前に、わたしの名が汚されないためである。


口語訳 エゼ 36:23
36:23 わたしは諸国民の中で汚されたもの、すなわち、あなたがたが彼らの中で汚した、わが大いなる名の聖なることを示す。わたしがあなたがたによって、彼らの目の前に、わたしの聖なることを示す時、諸国民はわたしが主であることを悟ると、主なる神は言われる。

口語訳 詩  19:1-4
19:1 もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。
19:2 この日は言葉をかの日につたえ、この夜は知識をかの夜につげる。
19:3 話すことなく、語ることなく、その声も聞えないのに、
19:4 その響きは全地にあまねく、その言葉は世界のはてにまで及ぶ。神は日のために幕屋を天に設けられた。

塚本訳 ヨハ 2:16-17
2:16 また鳩を売る者に言われた、「それをここから持ってゆけ。わたしの父上の家を商店にするな。」
2:17 (これを見て)弟子たちは、〃(神よ、)あなたの家に対する熱心が、わたしを焼きつくします〃と(詩篇に)書いてあるのを思い出した。

口語訳 詩  69:9
69:9 あなたの家を思う熱心がわたしを食いつくし、あなたをそしる者のそしりが/わたしに及んだからです。

塚本訳 ヨハ 2:17
2:17 (これを見て)弟子たちは、〃(神よ、)あなたの家に対する熱心が、わたしを焼きつくします〃と(詩篇に)書いてあるのを思い出した。

口語訳 ヨブ 1:21
1:21 そして言った、/「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」。

塚本訳 ガラ 1:15-17
1:15 しかし『わたしが母の胎内にいる時から』(すでに)わたしを聖別し、また恩恵によって『召された』お方[神]が、
1:16 異教人に福音を伝えさせるため御子をわたしに啓示する決心をされたその時、わたしはじきに血肉[人間]と相談をせず、
1:17 また、先輩の使徒たちに会いにエルサレムにのぼりもせず、アラビヤに行き、ダマスコに戻った。(このようにわたしの福音はキリストの啓示によるもので、人からのものではない。)


塚本訳 ヨハ 1:12-14
1:12 しかし受け入れた人々、すなわち、その名を(神の子であることを)信じた人には一人のこらず、神の子となる資格をお授けになった。
1:13 この人たちは、人間の血や、肉の欲望や、男の欲望によらず、神(の力)によって生まれたのである。
1:14 この言葉は肉体となって、(しばらく)わたし達の間に住んでおられた。(これが主イエス・キリストである。)わたし達はその栄光を見た。いかにも父上の独り子らしい栄光で、恩恵と真理とに満ちておられた。


塚本訳 マタ 18:10
18:10 この小さな者を一人でも軽んじることのないように注意せよ。わたしは言う、(わたしの父上は片時も彼らをお忘れにならない。)あの者たちの(守り)天使は、天でいつもわたしの天の父上にお目にかかっているのだから。

塚本訳 マタ 11:25-27
11:25 その時イエスは声をはげまして言われた、「天地の主なるお父様、(神の国の秘密に関する)これらのことを(この世の)賢い人、知恵者に隠して、幼児(のような人たち)にあらわされたことを、讃美いたします。
11:26 ほんとうに、お父様、そうなるのがあなたの御心でした。
11:27 ──(知恵も力も、その他)一切のものが父上からわたしに任せられた。父上のほかに、子(であるわたし)を知る者は一人もなく、また、子と、子が(父上を)あらわしてやる者とのほかに、父上を知る者は一人もない。


塚本訳 ロマ 1:25
1:25 彼らは真の神を偽りの神(偶像)にかえて、造物者の代りに創造物を崇めもしおがみもしたからである。造物者こそ永遠に賛美すべきである、アーメン。


塚本訳 ヨハ 12:29
12:29 そこに立っていてこれを聞いた群衆は、雷が鳴ったと言った。「天使がイエスと話した」と言う者もあった。


塚本訳 ヨハ 15:8
15:8 あなた達が多くの実を結んで、わたしの弟子たることを示すならば、父上はこれによって、栄光を受けられるであろう。

塚本訳 ルカ 6:43-44
6:43 わるい実を結ぶ良い木はなく、また良い実を結ぶ悪い木もない。
6:44 木(の良し悪し)はいずれもその実で知られるのである。茨から無花果をとらず、茨の薮から葡萄をつまない。


塚本訳 ヨハ 16:14
16:14 彼は(こうして)わたしの栄光をあらわすのである。というのは、彼はわたしのものの中から取ってあなた達に知らせる(ので、結局わたしに代って仕事をつづける)のだから。


塚本訳 ヨハ 17:1
17:1 イエスはこれらのことを話されると、目を天に向けて(祈って)言われた、「お父様、いよいよ時が来ました。子があなたの栄光をあらわすために、どうか(子を十字架につけて、)子に栄光を与えてください。


塚本訳 ヨハ 17:4
17:4 わたしは、わたしにさせようとして賜わりました仕事を成しとげて、地上にあなたの栄光をあらわしました。


塚本訳 ヨハ 17:5
17:5 だからお父様、(今度は)あなたが、わたしの栄光を──世界が出来る前にあなたのところで持っていたあの栄光を──今、あなたのところで持たせてください。

塚本訳 使  17:22-23
17:22 パウロはアレオパゴス法院の真中に進み出て言った。「アテネ人諸君、あなた達はどの点からしても、最高に信心深いようにわたしには見えます。
17:23 その証拠には、町を通りながらあなた達の聖殿を注意して見ていたところ、知らぬ神に(献ずる)という銘のある祭壇すらありました。だからあなた達が(こうして)知らずに敬っているもの、それをわたしは伝えよう。


塚本訳 ヘブ 1:3
1:3 彼は神の栄光の放射であり、本質の像である。彼はまたその力ある言葉をもって万物を保たれる。彼は(この世に降り)、罪の潔めを成し(とげて、ふたたび)高き所にのぼり、(神の)御稜威の『右にお坐りになっている』。


塚本訳 ヘブ 3:3
3:3 家を造った者が家(そのもの)より大きな尊敬を受けると同様、彼はモーセ以上に大きな栄光に価する者にされたのである。(モーセは神の家、すなわちイスラエル人の一員であったが、イエスはその家を造られた方であるから。)


塚本訳 ヘブ 13:21
13:21 あらゆる善いことをあなた達に備えて御心を行わせ、かつ、御前にお気に入ることをイエス・キリストによってあなた達の中に行われんことを。栄光、永遠より永遠にこの神にあらんことを、アーメン。


塚本訳 黙  4:11
4:11 われらの主なる神よ、貴神は(凡ての創造られたものから)栄光と栄誉と権能とを受け、(また凡ての創造られたものを支配し)給うに相応しい。万物を創造り給うたのは貴神であり、万物は貴神の御意によって存在し、また創造られた(のである)からである。


塚本訳 黙  5:12-13
5:12 大声で(仔羊を讃美して)言うた──屠られ給うた仔羊こそ、権能と富と知恵と権力と栄誉と栄光と讃美とを受くるに相応いたもう。
5:13 そして、天と地と地の下と海の上に[ある]凡ての造られた物と、その中にある凡てのものとが(これに応えてこう)言うのを私は聞いた──願わくは、玉座に坐し給う者と仔羊とに、讃美と栄誉と栄光と統治とが、永遠より永遠にあらんことを!


塚本訳 黙  7:12
7:12 言うた──アーメン、願わくは讃美と栄光と知恵と感謝と栄誉と権能とが、永遠より永遠に我らの神にあらんことを、アーメン!


塚本訳 黙  11:13
11:13 (丁度)その時大地震があって、都の十分の一が倒れ、七千人の者達がこの地震で殺された。(生き)残った人々は(これを見て非常に)懼れ、(悔い改めて)天の神に栄光を帰した。


塚本訳 黙  14:7
14:7 彼は大声に言うた、「神を畏れ、彼に栄光を帰せよ。(今や)その審判の時が来たのである。天と地と海と水の源とを造り給うた者を拝め。」


塚本訳 黙  21:23
21:23 また都はそれを照らすのに太陽をも月をも必要としない。神の栄光がそれを照らし、仔羊がその燈火であるからである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

朝の黙想おわり。神は万物を通してご自分でご自分の栄光をあらわされる。

●TSK日本語版ヨブ記28章
●テレビとオーディオの背後の配線が混雑していて掃除がやりにくいと妻が言うので、パソコンの空き箱を利用して整理。
●一年一度の年賀状だけの付き合いというのもいいものだ。消息が分かる。今日も2通返事を書く。










トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


神による人生の大肯定 ++++++++ 所感

2014/01/05 06:19

40105(日)朝の啓示「神による人生の大肯定」 ●昨日、長男Sの第一子に対面し、神は人生を大肯定しておられると感じた。新しい生命の誕生は人間の思想や律法や常識や道徳を打ち破って、人生を「然り」と言って下さる。十字架の贖罪もその思想線上にある。新しい生命は罪の赦しの結果である。神の愚かさは人間の賢さよりも賢い。

塚本訳 Ⅰコリ1:25
1:25 というのは、神の(業はどんなに)馬鹿なこと(に見えても、それ)は人よりも知恵があり、神の(業はどんなに)無力(に見えても、それ)は人よりも力があるからである。


●7人目の孫が誕生したことに伴い、頭に浮かんだ聖句を順不同に掲げる。生命は思想道徳以上だ。神は偉大だ。

口語訳 創  1:22
1:22 神はこれらを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、海の水に満ちよ、また鳥は地にふえよ」。


口語訳 詩  8:1-2
8:1 主、われらの主よ、あなたの名は地にあまねく、いかに尊いことでしょう。あなたの栄光は天の上にあり、
8:2 みどりごと、ちのみごとの口によって、ほめたたえられています。あなたは敵と恨みを晴らす者とを静めるため、あだに備えて、とりでを設けられました。

塚本訳 マタ 21:16
21:16 イエスに言った、「あの子供たちがなんと言っているのか、聞えているのか。」イエスは言われた、「聞えている。あなた達は『(神よ、)あなたは幼児と乳飲み子との口によって、(御自分のために)賛美をお備えになった』と詩篇にあるのを、まだ読んだことがないのか。(大人が黙っているから、子供が叫ぶのだ。)」

口語訳 イザ 40:2
40:2 ねんごろにエルサレムに語り、これに呼ばわれ、その服役の期は終り、そのとがはすでにゆるされ、そのもろもろの罪のために二倍の刑罰を/主の手から受けた」。

塚本訳 ヨハ 3:16
3:16 そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである。


塚本訳 マタ 3:9
3:9 『われわれの先祖はアブラハムである(から大丈夫だ)』などと考えてはならない。わたしは言う、神はそこらの石ころからでも、アブラハムの子供を造ることがお出来になるのだ。


塚本訳 マタ 17:26
17:26 「余所の人から」と答える。イエスは言われた、「それでは(神の)子供たちには(納める)義務はない。


塚本訳 マタ 18:2-5
18:2 イエスはひとりの子供を呼びよせ、彼らの真中に立たせて
18:3 言われた、「アーメン、わたしは言う、あなた達は生まれかわって子供のように(小さく)ならなければ、決して天の国に入ることはできない。
18:4 だから、この子供のように自分を低くする者、それが天の国では一番えらい人である。
18:5 またわたしの名を信ずるこんな一人の子供を迎える者は、わたしを迎えてくれるのである。


塚本訳 マタ 19:13-15
19:13 それから、イエスに手をのせて祈っていただこうとして、人々が子供たちをつれて来ると、弟子たちが咎めた。
19:14 イエスは言われた、「子供たちを放っておけ、わたしの所に来るのを邪魔するな。天の国はこんな(小さな)人たちのものである。」
19:15 それから子供たち(の頭)に手をのせて祝福したのち、そこを去られた。

塚本訳 Ⅱテモ3:14-15
3:14 しかし君は(先輩達から)学んだこと、(自ら)確信したことに(しっかり)留まって居れ。誰から(それを)学んだか、
3:15 また(既に)子供の時から聖書を習ったことを知っているではないか。この聖書はキリスト・イエスの信仰による救いへの知恵を君に与えることが出来る。


塚本訳 ルカ 2:49-52
2:49 彼らに答えられた、「なぜおさがしになったのです。わたしが(天の)お父さまの家に居るのは当り前でしょう。御存知なかったのですか。」
2:50 両親にはこう言われた言葉(の意味)がわからなかった。
2:51 それからイエスは一しょに(エルサレムから)下ってナザレに帰り、両親につかえられた。母(マリヤ)はこのことを皆胸に秘めていた。
2:52 イエスは知恵も身の丈も、』また神と人との寵愛も、いやましに増していった。』


塚本訳 ガラ 1:15-17
1:15 しかし『わたしが母の胎内にいる時から』(すでに)わたしを聖別し、また恩恵によって『召された』お方[神]が、
1:16 異教人に福音を伝えさせるため御子をわたしに啓示する決心をされたその時、わたしはじきに血肉[人間]と相談をせず、
1:17 また、先輩の使徒たちに会いにエルサレムにのぼりもせず、アラビヤに行き、ダマスコに戻った。(このようにわたしの福音はキリストの啓示によるもので、人からのものではない。)

塚本訳 エペ 2:14-16
2:14 何故なら、彼(キリスト)が私達の』平和』であって、(今まで離反していたイスラエルと異教人の)両者を一つにし、(その仲を割いていた)仕切りの籬なる敵意を取り除け給うたからである。すなわちその肉で、
2:15 (あらゆる)命令規則から成る律法を廃止し給うたのである。これは(今まで敵であった)この二つの者を己において一つの新しい人に創造りかえて平和を作るため、
2:16 かくてまた十字架によって二つの者を一つの体において神と和睦させ、十字架において(神と人との間の)敵意を殺すためである。

塚本訳 ヨハ 3:3
3:3 イエスが答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、(徴を見て信じたのではいけない。)人は新しく生まれなおさなければ、神の国にはいることは出来ない。」


塚本訳 ルカ 20:33-36
20:33 すると(もし復活があるなら、)復活の折には、この女はその(七人の)うちのだれの妻になるのでしょうか。七人とも女を妻にしましたから。」
20:34 イエスは言われた、「この世の人はめとり嫁ぐけれども、
20:35 あの世にはいる資格を与えられて、死人の中から復活する者は、めとることもなく嫁ぐこともない。
20:36 復活によって生まれる彼らは、天使と同じであり、神の子であるので、もはや死ぬことが出来ない、(従って子を産む必要がない)からである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想。生命を創造される神は偉大だ。 新生命の誕生を通して、神の創造の業、新しく生まれる事、永遠の生命を学んだ。

●10:00 妻と二人で家庭礼拝。3月2日の集会感話のリハーサル。

引照内容は表記省略

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

神に従う者はこの世と分裂する 140105-3

 ―――しかし「キリストの十字架は我らの平和」―――

東京聖書読者会 高橋照男 2014.3.2

 

 

●国家権力に対するイエスの態度

 

塚本訳 ヨハネ1910-11

19:10 するとピラトが言う、「このわたしに口をきかないのか。わたしはお前を赦す権力があり、お前を十字架につける権力があることを、知らないのか。」

19:11 イエスは答えられた、「あなたは上[神]から授けられないかぎり、わたしに対してなんの権力もない。だから(あなたの罪はまだ軽いが、)わたしをあなたに売った者[ユダ]の罪は、あなたよりも重い。(あなたは官憲として神の命令を行なうだけだが、彼は自分の発意でやったのだから。)」

 

塚本訳 マタ 21:26-27

 

塚本訳 ルカ 22:67-70

塚本訳 マタ 27:12-14

●神の権威に従うと国家権力と分裂する

 

塚本訳 ヨハ 2:19-22

塚本訳 マタ 22:17-21

塚本訳 ルカ 23:1-2

塚本訳 ヨハ 18:33-40

●国家権力との和解

塚本訳 ロマ 13:1

塚本訳 Ⅰペテ2:13-23

塚本訳 マタ 5:39-44

塚本訳 マタ 6:15

塚本訳 マタ 18:32-33

塚本訳 ルカ 23:33-34

塚本訳 エペ 2:14-16

 

●神に従うと家族肉親と分裂する

 

塚本訳 マタ 10:34-37

塚本訳 マタ 10:21

塚本訳 マタ 13:57

塚本訳 マタ 12:46-50

塚本訳 ルカ 2:34-35

塚本訳 マタ 19:4-6

塚本訳 ルカ 16:25-26

 

●家族肉親との主にある和解

 

塚本訳 ヨハ 19:25-27

塚本訳 使  1:13-14

塚本訳 ロマ 16:12-13

 

●神の権威に従うと富の放棄をせざるを得ない

 

塚本訳 マタ 6:24

塚本訳 マコ 10:23-25

 

●神による富の回復とその利用。この世の生き方。

 

塚本訳 マコ 10:28-30

塚本訳 ルカ 16:8-15
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
11:30 終了。「聖書で聖書を読む」のが最高の手法だ。

●14:00 大田区在住の弟の靖男としばらくぶりで電話交歓。体調の話が主。肉親は肉親だ。
●TSK日本語版ヨブ記27章


トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


家事労働の聖書的意義 ++++++++ 所感

2014/01/04 06:46

140104(土)4時40分目覚め●朝の啓示「家事労働の聖書的意義」●妻の具合が悪いので、家事労働を少しだけ手伝っている。ほんの少し。●男の「助け手」として創造された「妻」が病んだり、寝込んだり、あるいは先に召されると男は妻の分までその役割を負わなければならない。●私の知人先輩でそういう人が何人もいる。K氏は妻に先立たれたが、全盲の後妻を迎えた。学者のO氏は夫人が癌と心臓病なので家事労働が多い。伝道者のO氏は夫人が痴ほう症で一時も目を離せない。故M氏は若くして夫人に先立たれたが、子供を全寮制の学校に送り出すとき針仕事をして亡き夫人の真似をした。故K氏は車椅子生活の重病の夫人を何十年も介護した。かって氏は私の論考を見て、これは「お茶を出してくれる奥さんがいる人の文章だ」と言われた。M氏は夫人が半身不随、家事全般をこなしている。M氏の息子の夫人は幼い子を遺して死亡、孫を育てていてる。インターネットもやめていると年賀状にあった。M氏夫人は重病、最後は横にもなれない難病。讃美歌を歌って耐えておられた。S氏は現在百歳、30年以上も前に夫人に先立たれて今は息子一家の家に身を寄せているが、「義父は嫁孝行な人です」とお嫁さんは言う。故K氏は57歳の時に御夫人に先立たれた。今井館理事長をされておられた時、よくコンビニで夕食を買われてこられた。20年間独り身であられた。・・・・・・・このほか「なぜなんだーどうしてなんだー」と神に向かって叫ばざるを得ない不可解な不条理なことが起こる。●今朝は「家事労働」および「妻の存在」の聖書的意義について寝床で思いついたままをメモしたままに掲げてみよう。

口語訳 創 2:18
2:18 また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。

口語訳 箴  19:14
19:14 家と富とは先祖からうけつぐもの、賢い妻は主から賜わるものである。


塚本訳 マタ 6:3-4
6:3 あなたは施しをするときに、右の手のすることを左に悟られてはならない。
6:4 これは施しを隠しておくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。


塚本訳 マタ 7:12
7:12 だから、何事によらず自分にしてもらいたいと思うことを、あなた達もそのように人にしなさい。これが律法と預言書(と[聖書]の精神)である。


塚本訳 マタ 10:42
10:42 また(わたしの)弟子としてこの一人の小さな者に一杯の冷たい水でも飲ませる者は、アーメン、わたしは言う、(天にて)その褒美にもれることはない。」


塚本訳 マタ 25:40
25:40 すると王は答える、『アーメン、わたしは言う、わたしのいと小さいこの兄弟たちの一人にしたのは、わたしにしてくれたのと同じである。』


塚本訳 ルカ 10:29-37
10:29 すると学者は照れかくしにイエスに言った、「では、わたしの隣り人とはいったいだれのことですか。」
10:30 イエスが答えて言われた、「ある人が(──それはユダヤ人であった──)エルサレムからエリコに下るとき、強盗に襲われた。強盗どもは例によって(着物を)はぎとり、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。
10:31 たまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ながら、向こう側を通っていった。
10:32 同じくレビ人もその場所に来たが、見ながら向こう側を通っていった。
10:33 ところが旅行をしていたひとりのサマリヤ人は、この人のところに来ると、見て不憫に思い、
10:34 近寄って傷にオリブ油と葡萄酒を注いで包帯した上、自分の驢馬に乗せて旅籠屋につれていって介抱した。
10:35 そればかりか、次の日、デナリ銀貨[五百円]を二つ出して旅篭の主人に渡し、『この方を介抱してくれ。費用がかさんだら、わたしが帰りに払うから』と言った(という話)。
10:36 (それで尋ねるが、)この三人のうち、だれが強盗にあった人の隣の人であったとあなたは考えるか。(同国人の祭司か、レビ人か、それとも異教のサマリヤ人か。)」
10:37 学者はこたえた、「その人に親切をした(サマリヤの)人です。」イエスが言われた、「行って、あなたも同じようにしなさい。(そうすれば永遠の命をいただくことが出来る。)」


塚本訳 マタ 23:1-4
23:1 それからイエスは群衆と弟子たちにむかって語られた、
23:2 「聖書学者とパリサイ人はいまモーセの(後継ぎとしてその)椅子に坐っている。(彼らにはモーセの権威がある。)
23:3 だからなんでも彼らがあなた達に言うことを行い、また守れ。しかし、そのすることを真似てはならない。あの人たちは言うだけで行わないのだから。
23:4 すなわち思い荷をたばねて人の肩にのせながら、自分では(担ってやるどころか、)指一本でこれを動かしてやろうともしない。


塚本訳 マタ 6:3-4
6:3 あなたは施しをするときに、右の手のすることを左に悟られてはならない。
6:4 これは施しを隠しておくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。


塚本訳 マタ 7:12
7:12 だから、何事によらず自分にしてもらいたいと思うことを、あなた達もそのように人にしなさい。これが律法と預言書(と[聖書]の精神)である。


塚本訳 マタ 10:42
10:42 また(わたしの)弟子としてこの一人の小さな者に一杯の冷たい水でも飲ませる者は、アーメン、わたしは言う、(天にて)その褒美にもれることはない。」


塚本訳 マタ 25:40
25:40 すると王は答える、『アーメン、わたしは言う、わたしのいと小さいこの兄弟たちの一人にしたのは、わたしにしてくれたのと同じである。』


塚本訳 マタ 23:1-4
23:1 それからイエスは群衆と弟子たちにむかって語られた、
23:2 「聖書学者とパリサイ人はいまモーセの(後継ぎとしてその)椅子に坐っている。(彼らにはモーセの権威がある。)
23:3 だからなんでも彼らがあなた達に言うことを行い、また守れ。しかし、そのすることを真似てはならない。あの人たちは言うだけで行わないのだから。
23:4 すなわち思い荷をたばねて人の肩にのせながら、自分では(担ってやるどころか、)指一本でこれを動かしてやろうともしない。

塚本訳 ヨハ 13:1-5
13:1 過越の祭の前、イエスはこの世から父上の所に移ってゆく時が(ついに)来たことを知って、この世で愛された弟子たちを、最後の瞬間まで愛しぬかれた。──
13:2 (祭の前日の)夕食のとき、すでに悪魔はシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを売ろうとする考えを吹き込んだ。
13:3 イエスは、父上が一切のものを自分の手におまかせになっていること、また自分が神のところから出てきて、(今また)神に帰ってゆく(身の上である)ことを知りながら、
13:4 夕食の席から立って、上着をぬぎ、手拭を取って腰に巻かれた。
13:5 それから盥に水を入れて、ひとりびとり弟子たちの足を洗っては、(腰に)巻いた手拭で拭き始められた。


塚本訳 ヨハ 13:14-17
13:14 してみると、主であり先生であるこのわたしが足を洗ってやったのだから、あなた達も互に足を洗う義務がある。
13:15 わたしがしてやったとおりあなた達もするようにと、手本を示したのである。
13:16 アーメン、アーメン、わたしは言う、僕はその主人よりもえらくはならない。また使は本人よりもえらくはない。(だからわたしを真似るがよい。)
13:17 このことがわかったなら、そのとおりにすれば、幸いである。

塚本訳 エペ 5:25-33
5:25 夫達よ、妻を愛せよ、キリストが教会を愛し、そのために自分を棄て給うたように。──
5:26 キリストは洗礼の水浴びにより、(その際述べられる告白の)言葉をもって、教会を潔めて聖なるものとなし、
5:27 かくて汚点も皺もかかるものの何も無い、聖なる瑕なき輝かしい教会を自分で自分のために建てようとし給うたのである。――
5:28 これと同様に夫【もまた】自分の妻を自分の体のように愛すべき義務がある。自分の妻を愛する者は自分自身を愛するのである。
5:29 何故なら、未だ曽て自分の「肉」を悪んだ者は無く、何人もこれを養い育てる。同じようにキリストも教会を養い育て給う。
5:30 私達は彼の体の肢である。
5:31 『この故に人は父と母とを捨ててその妻に結びつき、二人は一体となる』。
5:32 この奥義は大きい。私はキリストを指し、また教会【を指して】言っている。
5:33 何れにせよ、君達も一人一人自分の妻を自分自身のように愛せよ。そして妻は夫を畏れよ。


塚本訳 エペ 6:5-9
6:5 奴隷達よ、キリストに対するように、畏れと戦きをもって真情からこの世の主人に従順なれ。
6:6 ご機嫌取りのように、(主人の)目の前だけでなく、キリストの奴隷らしく心から神の御意を行え。
6:7 人でなく主に対するように喜びをもって事えよ。
6:8 奴隷にせよ自由人にせよ、誰でも善いことをすれば(きっと)主からその報いを受けることを君達は知っているのだから。
6:9 主人達よ、君達も同じことを彼らにせよ。威迫をやめよ。彼らにも君達にも同じ(一人の)主が天に在し給うて、彼には(少しも)依怙が無いことを君達は知っているのだから。


塚本訳 Ⅰペテ2:13-17
2:13 主の(立て給うたものであるが)故に、人間の凡ての制度に服従せよ。あるいは主権者として王に、
2:14 あるいは悪人を罰し善人を褒めるため王から遣わされた者としての総督達に(服従せよ)。
2:15 (君達の)善行によって、(君達を危険人物のように考えている)無理解な人達の無知(な非難)を沈黙させることは、神の御旨であるからである。
2:16 (しかし君達は自由の人であるから、)自由の人としてこれをせよ。ただその自由を悪の覆いとせず、かえって神の奴隷としてこれをせよ。
2:17 凡ての者を敬え、すなわち教友を愛し、『神を畏れ、王を』敬え。


塚本訳 Ⅰペテ2:18-25
2:18 奴隷達よ、(神に対する)あらん限りの畏れをもって主人に服従せよ、ただ善い、優しい主人だけでなく、気難しい主人にも(快く服従せよ。)
2:19 もし人が(自分を奴隷としたのは)神(であること)を意識して苦痛を忍び、不当に苦しむならば、これは(神に)喜ばれることであるからである。
2:20 何故なら、もし罪を犯して打たれて忍耐したとて、何の名誉になろう。しかし善行によって苦しめられて忍耐するならば、これこそ神の前に喜ばれることである。
2:21 君達はこのために召されたのであるから。というのはキリストも君達のために苦しみ、君達をその足跡に随わせようとして模範を遺し給うたのである。
2:22 彼は(聖書にあるように)罪を』犯さず、その口には欺瞞が無かった』。
2:23 彼は悪口されても悪口し返さず、苦しめられても脅かさずして、正しく審き給う者に裁量を任せ給うた。
2:24 彼は『自ら私達の罪を』自分の身に『負って』木の上に『上り給うた』。私達が罪によっては死に、義によっては生きるためである。彼の『傷によって君達は医された』。
2:25 何故なら、君達は(かつては)『迷える羊のよう』であったが、今や君達の霊魂の牧者また監督者に戻ったからである。


塚本訳 Ⅰペテ3:1-6
3:1 同じく妻達よ、自分の夫に従え、或る夫が(伝道者の宣べる)御言には従わずとも、言葉でなく妻の行いによって、
3:2 (すなわち)お前達の神を畏れる潔い行いを見て捕えられんためである。
3:3 お前達の飾りは髪を(綺麗に)編んだり、金(の装身具)をつけたり、(美しい)着物を着たりする外部のことでなく、
3:4 柔和な、典雅な心ばせを朽ちぬ飾りとする心の中の隠れた人でなければならぬ。これこそ神の前で値打あるものである。
3:5 昔神に望みをかけた妻達も、斯く(柔和と典雅な心をもって)その夫に従い、自らを飾ったではないか。
3:6 (例えば)サラが『「主」と呼んで』(夫)アブラハムに従順であったように。お前達も善いことをして、どんな『脅迫を』も』恐れなければ』、サラの子となったのである。


塚本訳 Ⅰペテ3:7
3:7 夫達も同じく、妻を(自分よりも)弱い器として(いたわり、)理解をもって共に棲み、彼女達もまた恩恵の生命の共同相続人(である)として尊敬を払え。これは君達の祈りが妨げられないようにするためである。


新共同 黙  14:13
14:13 また、わたしは天からこう告げる声を聞いた。「書き記せ。『今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである』と。」"霊"も言う。「然り。彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである。」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想終わり。家庭生活における夫婦のあり方の聖書の使信を学んだ。「召された者には、すべてのことが救いに役立つ」(ロマ書8章28節)

●故中澤冾樹先生の生子夫人は最期の10年間「植物人間」であった。先生はある日夢を見られた。病院から生子夫人が帰ってこられ「何でもなかったわよ」と玄関に笑顔で立ったと言うのだ。私は先生と「復活論」で何度も手紙のやり取りをして復活の深い秘儀を学んだ。今先生はご郷里の高知に眠っておられる。私は中澤先生のどんな聖書的業績よりも10年間御夫人を介護された事実の方が深い影響を与えてくださった。
●6:30妻は「昨日よりは良くなったわ」と言って起きて来た。そして私に「小言」をいう勢いが出てきた。妻が病気になるよりは少しぐらい「不平不満小言」が出る勢いのあった方がよいと思った。

2014_01040002.jpg 

15:00 妻と聖路加国際病院に行き長男Sの第一子(女児)に会う。生後6日目。長男のSは握手の手を差し出して来たが、それは強くゴツかった。彼は43歳になった。
子供は新生児室のガラス越しで終始こちらを向いてくれていた。えくぼをつくったり、あくびをしたり、手を握ったり開いたりしていた。この子供の上に神の祝福が末永く豊かにありますように。私達はこれで孫7人。感謝。ほっとした。 クリスチャンの両親がつけた名前は二人の祈りが込められている。


2014_01040003.jpg 

新生児室の前で双方の祖父母と秋田の義姉と共に。 新生児室はフラッシュ禁止。

2014_01040007.jpg 

私と妻と長男Sの3人はその後、旧聖路加国際病院のチャペルに行く。
偶然バッハのパイプオルガンが演奏されていたので3人でしばし聴き入った。

2014_01040009.jpg 

帰りは築地の聖路加から東京駅まで、妻と歩いた。1月4日の土曜日なので街は閑散としていて別世界。 知らない建物が沢山出来上がっていた。また東京駅八重洲口はテントのデザインの屋根が出来ていた。「御翼の陰に」という言葉を思う。これで正月も一段落した。 東京駅から始発で我々の二人の住処のあきる野市に向かった。

口語訳 詩  57:1
57:1 神よ、わたしをあわれんでください。わたしをあわれんでください。わたしの魂はあなたに寄り頼みます。滅びのあらしの過ぎ去るまでは/あなたの翼の陰をわたしの避け所とします。


口語訳 詩  61:4
61:4 わたしをとこしえにあなたの幕屋に住まわせ、あなたの翼の陰にのがれさせてください。〔セラ


口語訳 詩  66:7
66:7 神は大能をもって、とこしえに統べ治め、その目はもろもろの国民を監視される。そむく者はみずからを高くしてはならない。〔セラ


口語訳 イザ 34:15
34:15 ふくろうはそこに巣をつくって卵を産み、それをかえして、そのひなを翼の陰に集める。とびもまた、おのおのその連れ合いと共に、そこに集まる。




トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


神の権威に従う者はこの世と分裂する ++++++++ 所感

2014/01/03 09:02

140103(金)3時45分目覚め●寝床で黙想「神の権威に従う者はこの世と分裂する」。3月の感話の視点が決定した。●神の権威に従ってこの世と分裂するのはクリスチャンの宿命。不思議なゴタゴタがある。涙なくしてその谷は通れない。この世の権威とは国家、富、家庭。儒教道徳の日本ではこれらが最優先。しかし一旦神に捉えられると、これに向かって刃を振い「NO!」と言わざるを得ない恐ろしい日が来る。これ宿命。国に、富に、家庭(両親、子供、伴侶、兄弟、孫)に向って恐ろしい自分になる。そこに変わってしまった自分の姿を見る。塚本先生は娘さん(故人)から「お父様は私より療養所の娘の方が可愛いんだ」といって泣かれたことがある。私の知人は息子から面と向って「なんでー、キリストみたいな顔しやがって」と罵られた。かくいう私も「母の権威」から「神の権威」に従うようになった時にイザコザがあった。そして「照男は私よりも集会(エクレシア)の人の方を大切にしている」と言われたことがある。これみんな神の権威に従うが故の悲劇である。しかし万物が復興する時にはその涙は拭われる。「死の時に分かる」。今しばしの忍耐だ。マラナサ(主よ来りませ)。その時に主にある国家、富、家庭が実現する●寝床でメモッた関連聖句を順不同で並べる。皆自家薬篭中のもの。

塚本訳 ヘブ 11:8
11:8 信仰によって、アブラハムは財産として戴くべき(カナンの)場所に『出てゆけ』とのお召しを受け、(素直に)言うことを聞いた。そしてどこへ行くともわからず、『出ていった』。


口語訳 Ⅰ列 18:21
18:21 そのときエリヤはすべての民に近づいて言った、「あなたがたはいつまで二つのものの間に迷っているのですか。主が神ならばそれに従いなさい。しかしバアルが神ならば、それに従いなさい」。民はひと言も彼に答えなかった。


塚本訳 マタ 10:21
10:21 また兄弟は兄弟を、父は子を、殺すために(裁判所に)引き渡し、『子は親にさからい立って』これを殺すであろう。

塚本訳 マタ 10:22-24
10:22 あなた達はわたしの弟子であるために皆から憎まれる。しかし最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
10:23 この町で迫害された時には、次の町に逃げてゆけ。アーメン、わたしは言う、人の子(わたし)は(すぐに)、あなた達がイスラエル人の町々を回りつくさぬうちに来るのだから。
10:24 弟子は先生以上でなく、僕は主人以上ではない。(だからあなた達が迫害されるのは当り前である。)


塚本訳 マタ 10:34-37
10:34 地上に平和をもたらすためにわたしが来た、などと考えてはならない。平和ではない、剣を、(戦いを)もたらすために来たのである。
10:35 わたしは子を『その父と、娘を母と、嫁を姑と』仲違いさせるために来たのだから。
10:36 『家族が自分の敵となろう。』
10:37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたし(の弟子たる)に適しない。わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたし(の弟子たる)に適しない。


塚本訳 マタ 13:54-57
13:54 郷里(ナザレ)に行ってその礼拝堂で教えられた。すると人々が驚いて言った、「この人はどこからこの知恵と、奇蹟とを覚えてきたのだろう。
13:55 これはあの大工の息子ではないか。母はマリヤで、兄弟はヤコブとヨセフとシモンとユダではないか。
13:56 女兄弟たちは、みんなわたし達の所に住んでいるではないか。するとこの人は、こんなことを皆どこから覚えてきたのだろう。」
13:57 こうして人々はイエスにつまずいた。しかしイエスは彼らに言われた、「預言者が尊敬されないのは、その郷里と家族のところだけである。」

塚本訳 ルカ 2:48-52
2:48 両親はこれを見て驚き、母が言った、「坊や、どうしてこんなことをしましたか。ごらん、お父さまもわたしも(こんなに)心配して、あなたをさがしているではありませんか。」
2:49 彼らに答えられた、「なぜおさがしになったのです。わたしが(天の)お父さまの家に居るのは当り前でしょう。御存知なかったのですか。」
2:50 両親にはこう言われた言葉(の意味)がわからなかった。
2:51 それからイエスは一しょに(エルサレムから)下ってナザレに帰り、両親につかえられた。母(マリヤ)はこのことを皆胸に秘めていた。
2:52 イエスは知恵も身の丈も、』また神と人との寵愛も、いやましに増していった。』


塚本訳 マタ 12:46-50
12:46 イエスがまだ群衆に話しておられると、そこにその母と兄弟たちがイエスに話しがあって、外に立っていた。
12:47 〔無し〕
12:48 しかしイエスはそのことを知らせた者に、「わたしの母とはだれのことだ、わたしの兄弟とはだれのことだ」と答えて、
12:49 弟子たちの上に手をのばして言われた、「ここにいるのが、わたしの母、わたしの兄弟だ。
12:50 だれでもわたしの天の父上の御心を行う者、それがわたしの兄弟、姉妹、また母であるから。」


塚本訳 ルカ 2:34-35
2:34 シメオンは両親を祝福し、母マリヤに言った、「驚きなさるなよ、この幼児はイスラエルの多くの人を、(この方に対する態度によって)倒されたり立たせたりする、また、一つの目印となって(この世の烈しい)反対をうける、使命を負わされているのです。──
2:35 (母人よ、)あなたも劔で胸を刺しつらぬかれ(る苦しみをせ)ねばなりますまい。──これは多くの人の心の(隠れた)考えを外に出させるためなのです。」

塚本訳 マタ 22:17-21
22:17 それで御意見を聞かせてください──(わたし達は異教人である)皇帝に、税を納めてよろしいでしょうか、よろしくないでしょうか。」
22:18 イエスは彼らの悪意を知って言われた、「なぜわたしを試すのか、この偽善者たち、
22:19 税の貨幣を見せなさい。」デナリ銀貨を差し出すと、
22:20 言われる、「これはだれの肖像か、まただれの銘か。」
22:21 「皇帝のです」と彼らが言う。すると言われる、「では皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返せ。」


塚本訳 ヨハ 2:1-4
2:1 それから三日目に、ガリラヤのカナに婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
2:2 イエスも弟子たちと婚礼に招かれた。
2:3 すると宴会の最中に酒が足りなくなったので、母がイエスに言う、「お酒がなくなりました。」
2:4 イエスが言われる、「女の方、〃放っておいてください。〃わたしの栄光(を示す)時はまだ来ておりません。」


塚本訳 ヨハ 1:9-13
1:9 この方(言葉)は、この世にうまれて来るすべての人を照らすべきまことの光であった。
1:10 この世に来ておられ、世はこの方によって出来たのに、世はこの方を認めなかった。
1:11 いわば自分の家に来られたのに、家の者が受け入れなかったのである。
1:12 しかし受け入れた人々、すなわち、その名を(神の子であることを)信じた人には一人のこらず、神の子となる資格をお授けになった。
1:13 この人たちは、人間の血や、肉の欲望や、男の欲望によらず、神(の力)によって生まれたのである。


塚本訳 マタ 19:27-28
19:27 その時、ペテロが口を出してイエスに言った、「でも、わたし達は(あの金持とちがいます。)この通り何もかもすてて、あなたの弟子になりました。わたし達にはいったいなんの褒美があるのでしょうか。」
19:28 イエスが彼らに言われた、「アーメン、わたしは言う、新しい世界が生まれて、人の子(わたし)が栄光の座につく時には、わたしの弟子になったあなた達十二人も十二の王座について、イスラエル(の民)の十二族を支配するのである。


塚本訳 ヨハ 3:5-8
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。
3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。
3:7 『あなた達は新しく生まれなおさねばならない』と言ったからとて、すこしも不思議がることはない。
3:8 風[プニューマ]は心のままに吹く。その音は聞えるが、どこから来てどこに行くか、あなたは知らない。霊[プニューマ]によって生れる者も皆、そのとおりである。」


塚本訳 ルカ 16:25-31
16:25 しかしアブラハムは言った、『子よ、考えてごらん、あなたは生きていた時に善いものを貰い、ラザロは反対に悪いものを貰ったではないか。だから今ここで、彼は慰められ、あなたはもだえ苦しむのだ。
16:26 そればかりではない、わたし達とあなた達との間には大きな(深い)裂け目があって、ここからあなた達の所へ渡ろうと思っても出来ず、そこからわたし達の所へ越えてくることもない。』
16:27 金持が言った、『父よ、それではお願いですから、ラザロをわたしの父の家にやってください。
16:28 わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。』
16:29 しかしアブラハムは言う、『(その必要はない。)彼らにはモーセ(律法)と預言書と[聖書]がある。その教えに従えばよろしい。』
16:30 彼が言った、『いいえ、父アブラハムよ、もしだれかが死人の中から行ってやれば、きっと悔改めます。』
16:31 しかしアブラハムは答えた、『モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。』」


塚本訳 ロマ 16:12-13
16:12 主にあって苦労したツルパナとツルポサとによろしく。愛するペルシスによろしく。彼女は主にあって非常に苦労したのである。
16:13 主にあって選ばれたルポスとお母さんとによろしく。彼女はわたしのお母さんでもある。


塚本訳 マタ 19:4-6
19:4 答えて言われた、「造物者が始めから『彼らを男と女とに造られた』こと、
19:5 また、『それゆえに人は父と母とをすてて妻に結びつき、二人は一体となる』と言われたことを、あなた達は読んだことがないのか。
19:6 従って、もはや二人ではない、一体である。だから夫婦は(皆)神が一つの軛におつなぎになったものである。(どんな理由があっても)人間がこれを引き離してはならない。」


塚本訳 Ⅰテモ5:6-8
5:6 しかしだらしのない寡婦は生ける屍である。
5:7 このことを(堅く)命令して、彼らに一点非難の打ち処の無いようにせよ。
5:8 自分の身内の者、特に家族を顧みないなら、その人は信仰を棄てたので、不信者よりも悪い。


塚本訳 ヨハ 20:15-17
20:15 イエスが言われる、「女の人、なぜ泣くのか。だれをさがしているのか。」マリヤはそれを園丁だと思って言う、「あなた、もしあなたがあの方を持っていったのだったら、どこに置いたか教えてください。わたしが引き取りますから。」
20:16 (こう言って、また墓の方を向いていると、)イエスが「マリヤ!」と言われる。マリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う。(そしてイエスに抱きつこうとした。)
20:17 イエスが言われる、「わたしにすがりつくな。まだ父上の所に上っていないのだから。わたしの兄弟たち(弟子たち)の所に行って、『わたしは、わたしの父上、すなわちあなた達の父上、わたしの神、すなわちあなた達の神の所に上る』と言いなさい。」


塚本訳 Ⅰコリ7:1-2
7:1 また、あなた達が(わたしに)書いている(結婚の)ことについては、(こう答える。)──(出来れば)男は女に触れないがよい。
7:2 ただ不品行をさけるために、それぞれ自分の妻を持て、またそれぞれ自分の夫を持て。

塚本訳 Ⅱコリ6:15-17
6:15 キリストがベリアルに対してなんの調和があろう、また信者は不信者となんの共同があろう。
6:16 神の宮が偶像となんの一致があろう。わたし達はたしかに生ける神の宮である。神がこう仰せられた。──『わたしは彼らの間に住みまた歩むであろう、わたしは彼らの神になり、彼らはわたしの民になる』
6:17 それゆえに、『あなた達は彼らの中から出よそして離れよ、』と主は仰せられる、そして『清くないものに触れるな』と。『そうすればわたしはあなた達を受け入れる、』

塚本訳 Ⅰコリ5:9-11
5:9 (前の)手紙で、決して不品行な者たちと付き合ってはならないと書いたが、
5:10 あれはこの世の不品行な者や貪欲な者、略奪者や偶像礼拝者などと決して付き合うなというのではない。もしそうならば、あなた達はこの世から出てゆかねばならないからである。
5:11 しかしわたしは(はっきり)書く。──もし兄弟と呼ばれる者が、不品行な者や貪欲な者や偶像礼拝者や罵る者や大酒飲みや掠奪者などであるならば、付き合ってはならない。そんな者とは一しょに食事もしてはならない。

塚本訳 ヨハ 19:25-27
19:25 ところが一方、イエスの十字架のわきには、その母(マリヤ)と母の姉妹、クロパの妻マリヤとマグダラのマリヤが立っていた。
19:26 するとイエスは母上と、そのそばに立っている自分の愛する弟子とを見て、母上に言われる、「女の方、これがあなたの息子さんです。」
19:27 それからその弟子に言われる、「これがあなたのおかあさんだ。」この時以来、その弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。


塚本訳 使 1:12-14
1:12 それから彼らは、(このことのあった)いわゆるオリブ山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムに近く、安息日の旅行距離[八百八十メートル]ほど)であった。
1:13 (都に)入ると、彼らはいつも泊まっている二階の部屋に上がった。それはペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党のシモンとヤコブの子ユダ(の十一人)であった。
1:14 この人々は皆、女たち、とりわけイエスの母マリヤや、イエスの兄弟たちと、心を一つにして祈りに余念がなかった。

塚本訳 ルカ 20:35-36
20:35 あの世にはいる資格を与えられて、死人の中から復活する者は、めとることもなく嫁ぐこともない。
20:36 復活によって生まれる彼らは、天使と同じであり、神の子であるので、もはや死ぬことが出来ない、(従って子を産む必要がない)からである。

塚本訳 ルカ 16:8-13
16:8 すると主人はこの不埒な番頭の利巧な遣り口を褒めた(という話)。この世の人は自分たちの仲間のことにかけては、光の子(が神の国のことに利口である)よりも利巧である。
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。
16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。
16:11 だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。
16:12 もし他人のもの[この世のこと]に忠実でなかったならば、だれがあなた達のもの[天のもの]をあなた達に与えようか。
16:13 しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。」

塚本訳 ロマ 13:1
13:1 人は皆上に立つ(国家の)官憲に服従せねばならない。神からではない官憲はなく、現存の官憲は(ことごとく)神から任命されたものであるから。


塚本訳 Ⅰペテ2:13-25
2:13 主の(立て給うたものであるが)故に、人間の凡ての制度に服従せよ。あるいは主権者として王に、
2:14 あるいは悪人を罰し善人を褒めるため王から遣わされた者としての総督達に(服従せよ)。
2:15 (君達の)善行によって、(君達を危険人物のように考えている)無理解な人達の無知(な非難)を沈黙させることは、神の御旨であるからである。
2:16 (しかし君達は自由の人であるから、)自由の人としてこれをせよ。ただその自由を悪の覆いとせず、かえって神の奴隷としてこれをせよ。
2:17 凡ての者を敬え、すなわち教友を愛し、『神を畏れ、王を』敬え。
2:18 奴隷達よ、(神に対する)あらん限りの畏れをもって主人に服従せよ、ただ善い、優しい主人だけでなく、気難しい主人にも(快く服従せよ。)
2:19 もし人が(自分を奴隷としたのは)神(であること)を意識して苦痛を忍び、不当に苦しむならば、これは(神に)喜ばれることであるからである。
2:20 何故なら、もし罪を犯して打たれて忍耐したとて、何の名誉になろう。しかし善行によって苦しめられて忍耐するならば、これこそ神の前に喜ばれることである。
2:21 君達はこのために召されたのであるから。というのはキリストも君達のために苦しみ、君達をその足跡に随わせようとして模範を遺し給うたのである。
2:22 彼は(聖書にあるように)罪を』犯さず、その口には欺瞞が無かった』。
2:23 彼は悪口されても悪口し返さず、苦しめられても脅かさずして、正しく審き給う者に裁量を任せ給うた。
2:24 彼は『自ら私達の罪を』自分の身に『負って』木の上に『上り給うた』。私達が罪によっては死に、義によっては生きるためである。彼の『傷によって君達は医された』。
2:25 何故なら、君達は(かつては)『迷える羊のよう』であったが、今や君達の霊魂の牧者また監督者に戻ったからである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想終わり。神の権威に従うものはこの世と分裂する。国家、肉親家族、富、教会。しかしそれらと和解の道はある。それは十字架の「狭き門」。見出しにくい。

●TSK日本語版ヨブ記25章
●郵便局ほか所要。徒歩90分
●箱根駅伝を見る。
●3月の感話準備。
●妻の具合が悪い。弱くなったものだなー。私に何ができるだろう。

トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


天国に行ける家を造る ++++++++ 所感

2014/01/02 06:46

140102(木)朝の黙示「天国に行ける家を造る」●去る11月3日の無教会全国集会の分科会で「天国に行ける家を造っています」と自己紹介したら、「それはどんな家ですか」と非常に興味を持たれた人がいたので、後日「それはイエスに答えてもらいます」。と言ってルカ6:9-13を塚本訳で示した。

塚本訳 ルカ 16:9-13
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。
16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。
16:11 だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。
16:12 もし他人のもの[この世のこと]に忠実でなかったならば、だれがあなた達のもの[天のもの]をあなた達に与えようか。
16:13 しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。」



●するとその人は「高橋さんがなぜ建築士であり続けたのかが良くわかりました。」と同時に塚本訳に感心された旨の応答があった。この応答は私を刺激した。
●国家と宗教、信仰と政治、信仰と職業、キリスト教労働観、信仰と組織、教会派対福音派、信仰とヒューマニズム、信仰と平和運動、信仰と職場、主人と妻、家庭問題、神と富、などの諸問題が「すべてがこの僅か5節の聖書の箇所に込められていると思うのである。
●そしてこれからの私の残りの老後のあり方も教えてくれる。建築を続ける。しかし「天国に行ける家を造る」。それhは多くの労苦と重荷と涙と呻きと血と最後は死なのだ。イエスもパウロもそうであった。
●関連聖句を思いつくままに掲げてみよう。

口語訳 マタ 7:24-29
7:24 それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。
7:25 雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。
7:26 また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。
7:27 雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである」。
7:28 イエスがこれらの言を語り終えられると、群衆はその教にひどく驚いた。
7:29 それは律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように、教えられたからである。

塚本訳 ヨハ 5:19

5:19 そのとき、イエスは彼らに答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、子は父上のなさることを見て(それを真似るので)なければ、自分では何一つすることが出来ない。父上のなさるのと同じことを、子もまたするのだから。

塚本訳 マタ 21:42
21:42 イエスは彼らに言われた、「あなた達は聖書で(この句を)まだ読んだことがないのか。──『大工たちが(役に立たぬと)捨てた石、それが隅の土台石になった。これは主のなされたことで、われわれの目には不思議である。』


塚本訳 Ⅰコリ3:10-11
3:10 わたしは戴いた神の(特別の)恩恵によって、熟練した棟梁として土台をすえた。他の人がその上に建ててゆく。だが建て方は、その人その人が気をつけるべきである。
3:11 なぜなら、(すでに)置かれている(ただ一つの)もののほか、他の土台をだれもすえることは出来ないのだから。──この土台はイエス・キリストである。──


塚本訳 ロマ 15:20-21
15:20 ただしこの場合、キリストの御名がまだとなえられえていない所(だけ)で福音を伝えることを名誉とした。他人の(すえた)土台の上に(自分の事業を)建てないためであって、
15:21 むしろ『彼について知らされなかった人たちは彼を見、聞かなかった人たちは悟るであろう。』と書いてあるとおり(に伝道したの)である。


塚本訳 Ⅰペテ2:4-8
2:4 彼は人からは(役に立たぬと)棄てられたが、神の前では、『選ばれた尊い』活きた『石』(である。)
2:5 そして君達自身も(主と同じく)活きた石として建てられて、霊の家となれ。これは君達が聖い祭司として、イエス・キリストによって神の御意に適う霊の供物を献げるためである。
2:6 というのは『見よ、』われ『シオンに選びの石、尊き隅石を』置く』これを信ずる者は決して恥をかかされない。』と聖書にある。
2:7 だから信ずる君達は光栄に与る(ことが出来る)が、信ぜぬ人達には』建築師が(役に立たぬと)棄てた石で、これが隅の首石、』
2:8 また』蹉跌の石、躓きの岩となった』。彼らは御言(を聴きながらこれ)に従わないので、(遂に)蹉跌するのであって、それはまた(神によって)彼らに定められたことである。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

朝の黙想終わり。土台作りは信者の労苦と涙、そして殉教の死。

●TSK日本語版ヨブ記24章
●大学対抗箱根駅伝を見る。
●年賀状返事。大苦難の渦中にいる人のことを祈った。
●散歩で郵便局本局まで。




トラックバック(0) | コメント(0) | top▲




| Top | Next
0814