to 日記と感想 2014年02月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    180422(日)   杉並公会堂・武蔵野室内合奏団「英雄」
    171229    TM誕生日
    180224   14:30 トミ子、モーチァルト{レクイエム) 171220     KK誕生日
    171225(月)10:45 聖路加診察脳神経外科桑本医師
    171218(月)10:30 聖路加MRI
    171203(日)14:00 無教会浦和集会、助川光子講演
    171126(日)  兄光男、弟靖男と三人会。於・日本橋
    171119(日)15:00 秋川キリスト教会、後藤牧人講演会
    171115    TM誕生日
    171107(月) TI手術、聖路加 171105(日) 照男・トミ子集会感話、トミ子午後郡山にSS見舞い
    171103(金)13:00南原繁研究会学士会館
    171030(月)10:00 聖路加 桑本先生


神が最初にイエスの復活の姿を現したのはマグダラのマリヤ ++++++++ 所感

2014/02/28 05:33

130228(金)3時半目覚め●目覚めの啓示「神が最初にイエスの復活の姿を現したのはマグダラの」●イエスの言葉は多くが「謎」であったが、イエスの有体的復活に出会った人はことごとくその謎が解けた。キリスト教の起源はイエスの有体的復活である。●最初はマグダラのマリヤだが、次はペテロ(ケパ)●さすがカトリック教会の祖である。今朝はその事を学んでみよう。

塚本訳 ヨハ 1:40-42
1:40 ヨハネから聞いてついて行った二人のうちの一人は、シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。
1:41 (あくる日)まずこの人が自分の兄弟のシモンに出会って、「メシヤを見つけた」と言う。[メシヤは訳すると「救世主」である。]
1:42 シモンをイエスの所につれてゆくと、彼をじっと見て言われた、「あなたはヨハネの子シモンだ。あなたの名はケパがよかろう。」[ケパは(ヘブライ語であって、ギリシャ語に)訳するとペテロ(岩)。]


●42節。イエスがペテロ(ケパ)に初めて会った時、じっと見て何か感じたのか。お前は「岩だ」と言われた。
●人間社会、「初対面」でほとんどわかる。
●昨年召されたMKさんは長いこと大企業の社長秘書をやっておられた(英語が御専門)。彼女は新入社員が入ってくると、将来「重役」になる人物の見分けがついたと言う。
●今は見合い」よりも「恋愛」結婚が流行っているが、その恋愛も最初は「出会い」の一目で決まる。「ビリビリッ」と感じるものがなければ見込みはない。
●私がゼネコンから設計事務所にスカウトされたとき、その所長は私に初めて会ったとき「高橋は営業だ」と直感的に感じたそうだ。
●42節の塚本説明文は親切。、[ケパは(ヘブライ語であって、ギリシャ語に)訳するとペテロ(岩)。]
●昭和女子大の建築の授業で、「あんたは女流建築家になる」と予言をした。一目でわかるのだ。
●建築主に初めて会う時最初の会話でその人のお金の持ち具合が分かる。(笑)

塚本訳 マコ 16:1-8
16:1 (翌日、日が暮れて)安息日が終ると、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとは、イエス(の体)に油を塗りに行くために、(油にまぜる)香料を買いととのえた。
16:2 そして(あくる朝、すなわち)週の初めの日[日曜日]の朝、ごく早く、日が出ると墓場に行く。
16:3 「だれか墓の入口から石をころがしてくれる者があるだろうか」と互に話しながら、
16:4 (ふと)目をあげて見ると、石はもうころがしてあった。(彼らが心配したのは)石が非常に大きかったからである。
16:5 墓に入ると、白い衣をきた一人の青年が右手の方に坐っているのを見たので、ぎょっとした。
16:6 青年は彼らに言う、「驚くに及ばない。あなた達は十字架につけられたナザレ人イエスをさがしているが、もう復活されて、ここにはおられない。そら、ここがお納めした場所だ。
16:7 さあ行って、弟子たち、とりわけペテロに、『イエスはあなた達より先にガリラヤに行かれる。(前に)あなた達に言われたとおり、そこでお目にかかれる』と言いなさい。」
16:8 女たちは墓から逃げ出した。びっくりして震えあがったのである。そしてだれにも何も言わなかった、恐ろしかったので。……


●7節。「とりわけペテロに」の訳は深い。
●1節。ペテロに復活を伝えたのは「女性」。女性の価値ここにあり。信仰は女性。特にあのマグダラのマリヤは「罪の女」であったが人類史上最高の役目を果たした。

塚本訳 ヨハ 20:1-3
20:1 (翌々日、すなわち)週の初めの日(日曜日)の朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に来てみると、墓(の入口)から石がのけてあった。
20:2 そこでシモン・ペテロと、イエスが可愛がっておられたもう一人の弟子との所に走って行って言う、「主を墓から取っていった者があります。どこに置いたのかわかりません。」
20:3 そこでペテロはもう一人の弟子と飛び出して、墓へと急いだ。


●復活情報はペテロよりマグダラのマリヤが先。

塚本訳 ヨハ 20:15-18
20:15 イエスが言われる、「女の人、なぜ泣くのか。だれをさがしているのか。」マリヤはそれを園丁だと思って言う、「あなた、もしあなたがあの方を持っていったのだったら、どこに置いたか教えてください。わたしが引き取りますから。」
20:16 (こう言って、また墓の方を向いていると、)イエスが「マリヤ!」と言われる。マリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う。(そしてイエスに抱きつこうとした。)
20:17 イエスが言われる、「わたしにすがりつくな。まだ父上の所に上っていないのだから。わたしの兄弟たち(弟子たち)の所に行って、『わたしは、わたしの父上、すなわちあなた達の父上、わたしの神、すなわちあなた達の神の所に上る』と言いなさい。」
20:18 マグダラのマリヤは行って弟子たちに、「わたしは主にお目にかかった」、また、主がこのことを彼女に言われた、と報告した。


●イエスが復活して最初に声をかけたのはマグダラのマリヤ、罪の女!。彼女が弟子たち、おそらくとりわけペテロ(マルコ16:7)に報告した。
●イエスが声をかけるというのは霊を吹き込んだのだ。

塚本訳 ルカ 24:22-24
24:22 ところがまた、仲間の女たちがわたし達をびっくりさせました。──この女たちは朝早く墓に行ったが、
24:23 お体が見つからずにかえって来て、天使たちがあらわれ、あの方は生きておられる、と告げたと言うのです。
24:24 そこで仲間の男が二三人墓に行って見ると、はたして女たちの言うとおり(墓は空っぽ)だったが、(生きておられるという)その方は見えなかったのです。」


●復活の情報は「女たち」が先にキャッチ。空の墓の目撃も女性が先。次にペテロとヨハネ。神は女性を使う。起用する。 
●23節「あの方はは生きておられる」とは女性らしい言葉。 


塚本訳 ルカ 24:33-35
24:33 時を移さず二人は立ち上がってエルサレムに引き返して見ると、十一人とその仲間とが集まっていて、
24:34 「ほんとうに主は復活して、シモン(・ペテロ)に御自分を現わされた」と話してくれた。
24:35 それで二人も、(エマオへの)道であったことや、また、どうしてパンを裂かれたことで(主と)わかったかを物語った。


●復活の記事は時間と場所と現れた対象人物がなかなか整合しないが、順序としては最初にマグダラのマリヤ、次にペテロ(ケパ)らしい。これは動かない。女性の確信は強い。

塚本訳 Ⅰコリ15:3-5
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。


●これが最古の復活伝承であって、復活のイエスは最初にケパ(ペテロ)に現れたとあるが、実はその前にマグダラのマリヤがいる。女性は表には出ないが最重要の働き。復活の福音を支えている。
●教会(エクレシア)は女性群が強いとしっかり長続きすると言われている。
●私は40歳の時から集会の感話を始めたが、最初のころは、前列2列に塚本先生の薫陶を受けられた髪の白い老女子軍団がデーンと座っておられ、彼女たちの空気のおかげで私の信仰が保たれた。 感化された。
●塚本先生の功績は聖書研究や翻訳というのではなく、信仰の固い、まっすぐな女性を多く生み出したことである。

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朝の黙想おわり

●復活の事実を勉強するのは聖書それ自身でないといけない。人間の書いたものは前認識や神学思想があるから混乱する。
●塚本先生は「バルトを読むなら昼寝する」と言われた。具体的な理由は内村先生のような「生き生きしたものを感じないと言う。
●私も若いころバルトを読んだら「ナンダこれは内村と同じだ」と思ってやめた。
●ところが最近はまだ「内村!、内村!」であるが、内村よりも聖書そのものである。
●塚本先生も「私(塚本)の翻訳をありがたがっていて読んでいてはいけない。私が聖書それ自身に向かう姿勢を学べ」と言っておられる。
●現に聖書それ自身は不思議な暖かさというか光がある。
●バルトよりも内村、内村・塚本よりも聖書そのものである。
●13:30.あきる野市主催の「老いへの供え~任意後見について~」弁護士北村将郎(まさお)を聞きに行く。(於・ルピア)誰でも人は金のことになると「人が変わる」という。
●私は「子に美田を遺さず」という言葉が好きだ。親の残した遺産で子供たちの醜い争いを見聞きするからである。
●妻と話し合う。「今の家で(召されるまで)行けるだけ行こう。生きられるだけ生きよう。資産はないがわれわれだけのために使い切って死のう」と。
●私達の残りの人生は「老々介護」。神からの使命を生きて「花と散る」のが理想。この世の人はすべて「通りすがりの人」。妻も、子供も、肉の兄弟、親類縁者も。

塚本訳 Ⅱコリ2:15-16
2:15 というのは、わたし達は救われる者の間でも、滅びゆく者の間でも、神にささげられるためのキリストのよい薫である。
2:16 ある者には、死から死へみちびく薫であるが、ある者には、命から命へみちびく薫りである。(
ああ、)一体だれにこんなことが勤まろう。

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カメラテスト 私の労働室








































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福音は「信仰の人格」から人格に伝承される ++++++++ 所感

2014/02/27 08:51

140227(木)4時起床●3月2日の集会感話資料の推敲。過日集会のMY夫人から「高橋さんの話はあっちこっち飛びすぎるから的を絞ってください」と注文されたので単純化する。結論は「イエスの言葉は有体的復活に接してその謎が解けた」ということ。●単純であるが、神の霊力がその人に降らないとわからないことである。ここがキリスト教の難しいところ。 ●母は「キリスト教は難しい。仏教の方が分かりやすい」と言って信仰なくして逝った。私の祈りが足りなかったのだ。悔やむ。早10年経つ。3月18日が命日。その日は丁度桜の開花日であった。母は花が好きであった。神はこの無益な僕を赦してくれるだろうか。 ●神は母に姿を現して会ってくださることをただただ信ずる。母よ、キリスト教は難しくない。その日、その時神の方から姿を現して下さるからだ。

3月2日集会感話

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イエスの言葉は謎であった 140227-1

その謎はイエスの有体的復活に出会って解けた

     東京聖書読社会 2014.3.2 高橋照男

 

① 問題の所在。イエスの言葉は謎であった

①-1)塚本訳 マタ 27:12-14

27:12 大祭司連、長老たちから(いろいろと)訴えられたが、何もお答えにならなかった。

27:13 するとピラトが言った、「あんなにお前に不利益な証言をしているのが聞えないのか。」

27:14 イエスはただの一言もお答えにならなかったので、総督は不思議でならなかった

 

② イエスは神の子か

②-1)塚本訳 マタ 26:63-64

26:63 しかしイエスは黙っておられた。大祭司が言った、「生ける神に誓ってわれわれにこたえよ。お前が、神の子救世主か。」

26:64 イエスは(はじめて口を開いて)彼に言われる、「(そう言われるなら)御意見にまかせる。だが、わたしは言う、あなた方は今後『人の子(わたし)が』『大能の(神の)右に坐り、』『天の雲に乗って来るのを』見るであろう。

 

②-2)塚本訳 ヨハ 20:27-28

20:27 それから(すぐ)トマスに言われる、「指をここに持ってきて、わたしの手(の釘の跡)をよく見てごらん。手を持ってきて、わたしの脇腹に差し込んでみなさい。不信仰をやめて、信ずる者らしくしなさい。」

20:28 トマスがイエスに答えて言った、「わたしの主よ!わたしの神よ!

 

②-2)塚本訳 使  7:54-56

7:54 これを聞いて(法院にいた)人々は怒り心頭に発し、ステパノに向かって歯ぎしりした。

7:55 しかしステパノは聖霊に満ちて天をじっと見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見ると、

7:56 「おお、天が開けた、人の子が見える、神の右に立っておられる!」と言った

 

②-3)塚本訳 使  26:12-15

26:12 こんな次第で、わたしは大祭司連から全権と委任とを受け、(迫害のため)ダマスコに進んでゆくと、

26:13 王よ、昼に、途中で、天から輝く太陽にもまさる光がさして、わたしと、同行の者たちとのまわりを照らすのを見ました。

26:14 わたし達が皆地上に倒れると、ヘブライ語で、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。刺の棒は蹴っても無駄だ』とわたしに言う声を聞きました。

26:15 わたしは言った、『主よ、あなたはどなたですか。』主が言われた、『わたしだ、君が迫害しているイエスだ。

 

③ お前がユダヤ人の王か

③-1)塚本訳 ルカ 23:3

23:3 ピラトがイエスに問うた、「お前が、ユダヤ人の王か。」答えて言われた、「(そう言われるなら)御意見にまかせる。」

 

③-2)塚本訳 Ⅰテモ6:15-16

6:15 その時が来れば、至幸唯一の主権者、王の王、主の主(なる神)は、(必ず)彼を(私達に)示し給うであろう。

6:16 神は(ただ)独り不死を有ち、近づき難き光に住み、誰一人これを見た者がなく、また見ることも出来ない。栄誉と永遠の権力彼にあれ!アーメン。

 

④真の権力者とは誰か

④-1)塚本訳 ヨハ 19:10-11

19:10 するとピラトが言う、「このわたしに口をきかないのか。わたしはお前を赦す権力があり、お前を十字架につける権力があることを、知らないのか。」

19:11 イエスは答えられた、「あなたは上[神]から授けられないかぎり、わたしに対してなんの権力もない。だから(あなたの罪はまだ軽いが、)わたしをあなたに売った者[ユダ]の罪は、あなたよりも重い。(あなたは官憲として神の命令を行なうだけだが、彼は自分の発意でやったのだから。」

 

④-2)塚本訳  1:5-6

1:5 及び(第三に、死に至るまで)忠実な証人(であり、甦りによって、)死(から生命に生まれる)人(達)の長子(となり給うた者、そしてその故に)また地上の諸王の君侯(きみ)であり給うイエス・キリスト(──この三方)からの恩恵と平安とが、君達に在らんことを! 願わくは、私達を愛し、その血によって私達を罪から釈き放ち

1:6 斯くして私達を(来るべき)王国(の民となし、)その神また父への祭司となし給うた彼に、栄光と権力とが永遠より永遠にあらんことを! アーメン

 

⑤ 来世に結婚生活はあるか

⑤-1)塚本訳 ルカ 20:33-36

20:33 すると(もし復活があるなら、)復活の折には、この女はその(七人の)うちのだれの妻になるのでしょうか。七人とも女を妻にしましたから。」

20:34 イエスは言われた、「この世の人はめとり嫁ぐけれども、

20:35 あの世にはいる資格を与えられて、死人の中から復活する者は、めとることもなく嫁ぐこともない。

20:36 復活によって生まれる彼らは、天使と同じであり、神の子であるので、もはや死ぬことが出来ない、(従って子を産む必要がない)からである。

 

⑤-2)塚本訳 Ⅰコリ7:1-2

7:1 また、あなた達が(わたしに)書いている(結婚の)ことについては、(こう答える。)──(出来れば)男は女に触れないがよい

7:2 ただ不品行をさけるために、それぞれ自分の妻を持て、またそれぞれ自分の夫を持て。

 

⑤-3)塚本訳 Ⅰコリ7:25-26

7:25 また、(伝道する者を助けている)処女(おとめ)について(あなた達が書いて来ているが、これに)は、(離婚の場合のような)主の命令がわたしには(まだ)ない。しかし主の憐れみをうけて信頼されている者として、(わたし自身の)意見を述べる。

7:26 それで、わたしの考えでは、患難が目の前に迫っているのだから、これがよろしい、すなわち人は現状維持がよろしい

 

⑥ 納税問答。神のものとは何か

⑥-1)塚本訳 マタ 22:17-21

22:17 それで御意見を聞かせてください──(わたし達は異教人である)皇帝(カイザル)に、税を納めてよろしいでしょうか、よろしくないでしょうか。」

22:18 イエスは彼らの悪意を知って言われた、「なぜわたしを試すのか、この偽善者たち、

22:19 税の貨幣を見せなさい。」デナリ銀貨を差し出すと、

22:20 言われる、「これはだれの肖像か、まただれの銘か。」

22:21 「皇帝のです」と彼らが言う。すると言われる、「では皇帝(カイザル)のものは皇帝(カイザル)に、神のものは神に返せ。」

 

⑥-2)塚本訳 Ⅰコリ6:19

6:19 それとも、あなた達の体は神からいただいた聖霊の住んでおられるお宮で、自分のものでないことを、あなた達は知らないのか。

 

⑥-3)塚本訳 ロマ 12:1

12:1 (このように、神は偉大な計画によって人類を一人のこらず救おうとしておられるのであって、救いは確かである。)だから、兄弟たちよ、わたしは神のこの慈悲を指してあなた達に勧める。あなた達の体を(感謝のしるしとして神に)捧げよ。この生きた聖なる犠牲こそ、神のお気に入るものであり、(霊なる神を拝むにふさわしい、)あなた達の霊的な礼拝である。(あなた達の礼拝は動物を供えるような不合理なものでなく、全心全霊をささげる合理的な礼拝でなければならならない)

 

⑦ この世の権威に対する義務の遂行は世の人を「躓かせないため」

⑦-1)塚本訳 マタ 17:24-27

17:24 彼らがカペナウムに来たとき、宮の奉納金の取立て人がペテロの所に来て言った、「あなた達の先生は奉納金を納めないのか。」

17:25 ペテロが「もちろん、納められる」と言う。そして(イエスの)家に行くと、イエスの方から言い出された、「シモン、どう思うか、この世の王たちは官税や税をだれから取るだろうか。自分の子供たちだろうか、それとも余所の人からだろうか。」

17:26 「余所の人から」と答える。イエスは言われた、「それでは(神の)子供たちには(納める)義務はない

17:27 しかし人々をつまずかせないため、湖に出かけていって釣針を垂れよ。最初に釣れた魚を取って口をあけるとスタテル銀貨(二千円)が一つあるから、それを取って、わたしとあなたの分として取立て人に渡しなさい。」

 

⑦-2)塚本訳 ヨハ 18:35-36

18:35 ピラトが答えた、「このわたしを、ユダヤ人とでも思っているのか。お前の国の人たち、ことに(その代表者の)大祭司連が、(その廉で)お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしでかしたのか。」

18:36 イエスが答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであったら、わたしの手下の者たちが、わたしをユダヤ人に渡すまいとして戦ったはずである。しかし実際のところ、わたしの国はこの世のものではない。」

 

⑦-3)塚本訳ロマ 8:12

8:12 (こんなに大きな恩恵をいただいているの)だから、兄弟たちよ、わたし達は義務がある。(もちろん)肉に対して、肉的に生きる義務があるのではない。(神に対して、霊によって生きる義務があるのである。)

 

⑦-4)塚本訳 ルカ 16:11-13

16:11 だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。

 

⑦-5)塚本訳 ロマ 13:1

13:1 人は皆上に立つ(国家の)官憲に服従せねばならない。神からではない官憲はなく、現存の官憲は(ことごとく)神から任命されたものであるから

 

⑦-6)塚本訳 ロマ 13:6

13:6 それゆえに(同じ理由で、)あなた達は貢をも納めねばならない。官憲は神につかえる者であり、いま言った職務に全力をそそいでいるからである

 

⑦-7)塚本訳 エペ 6:5-7

6:5 奴隷達よ、キリストに対するように、畏れと戦きをもって真情からこの世の主人に従順なれ

6:6 ご機嫌取りのように、(主人の)目の前だけでなく、キリストの奴隷らしく心から神の御意(みこころ)を行え。

6:7 人でなく主に対するように喜びをもって事(つか)えよ。

 

⑦-8)塚本訳 Ⅰペテ2:12-15

2:12 異教人の中における歩き方を立派にせよ。(今)君達を悪いことをする者のように譏っている人達が、(君達の)立派な行動によって悟り、その(譏(そし)っていた)ことにおいて(かえって)『訪問(おとずれ)の日に』神を(信じ)崇める(に至らん)ためである

2:13 主の(立て給うたものであるが)故に、人間の凡ての制度に服従せよ。あるいは主権者として王に、

2:14 あるいは悪人を罰し善人を褒めるため王から遣わされた者としての総督達に(服従せよ)。

2:15 (君達の)善行によって、(君達を危険人物のように考えている)無理解な人達の無知(な非難)を沈黙させることは、神の御旨であるからである。

2:16 (しかし君達は自由の人であるから、)自由の人としてこれをせよ。ただその自由を悪の覆いとせず、かえって神の奴隷としてこれをせよ

 

⑧ 親を捨てよ、子を捨てよ、血族を捨てよ

⑧-1)塚本訳 マコ 10:29-30

10:29 イエスは言われた、「アーメン、あなた達に言う、わたしのため、また福音のために、家や兄弟や姉妹や母や父や子や畑をすてた者で、

10:30 今、この世で──迫害のうちにおいてではあるが──百倍の家と兄弟と姉妹と母と子と畑とを、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。

 

⑧-2)塚本訳 マタ 12:46-50

12:46 イエスがまだ群衆に話しておられると、そこにその母と兄弟たちがイエスに話しがあって、外に立っていた。

12:47 〔無し〕

12:48 しかしイエスはそのことを知らせた者に、「わたしの母とはだれのことだ、わたしの兄弟とはだれのことだ」と答えて、

12:49 弟子たちの上に手をのばして言われた、「ここにいるのが、わたしの母、わたしの兄弟だ。

12:50 だれでもわたしの天の父上の御心を行う者、それがわたしの兄弟、姉妹、また母であるから。」

 

⑧-3)塚本訳 使  1:12-14

1:12 それから彼らは、(このことのあった)いわゆるオリブ山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムに近く、安息日の旅行距離[八百八十メートル]ほど)であった。

1:13 (都に)入ると、彼らはいつも泊まっている二階の部屋に上がった。それはペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党のシモンとヤコブの子ユダ(の十一人)であった。

1:14 この人々は皆、女たち、とりわけイエスの母マリヤや、イエスの兄弟たちと、心を一つにして祈りに余念がなかった

 

⑧-4)塚本訳 Ⅱコリ2:15-16

2:15 というのは、わたし達は救われる者の間でも、滅びゆく者の間でも、神にささげられるためのキリストのよい薫である

2:16 ある者には、死から死へみちびく薫であるが、ある者には、命から命へみちびく薫りである。(ああ、)一体だれにこんなことが勤まろう。

 

⑨ キリストの出現は旧約の預言か

⑨-1)塚本訳 マコ 12:10-11

12:10 あなた達はこの聖書の句をすら読んだことがないのか。──『大工たちが(役に立たぬと)捨てた石、それが隅の土台石になった。

12:11 これは主のなされたことで、われわれの目には不思議である。』」(詩編11822-23

 

⑨-2)塚本訳 マタ 16:21-22

16:21 この時から、イエスは自分が(神の計画どおり)エルサレムに行って、長老、大祭司連、聖書学者たちから多くの苦しみをうけ、殺され、そして三日目に復活せねばならないことを弟子たちに示し始められた。

16:22 するとペテロはイエスをわきへ引っ張っていって、「主よ、とんでもない。そんなことは絶対にいけません!」と言って忠告を始めた。(救世主(キリスト)が死ぬなどとは考えられなかったのである。)

 

⑨-3)塚本訳 ヨハ 13:5-7

13:5 それから盥に水を入れて、ひとりびとり弟子たちの足を洗っては、(腰に)巻いた手拭で拭き始められた。

13:6 こうしてシモン・ペテロの所まで来られると、ペテロが(こばんで)言う、「主よ、わたしの足を、あなたが洗われるのですか。」

13:7 イエスが答えて言われた、「わたしが何をしているのか、いまはあなたにわからない。(わたしがいなくなった)あとでさとるだろう。」

 

⑨-4)塚本訳 ヨハ 20:7-9

20:7 また頭をつつんだ手拭は亜麻布と一しょになく、これだけ別の所に、包んだまま(の形)になっていた。

20:8 すると先に墓に着いたもう一人の弟子も入ってきて、見て、信じた

20:9 イエスは死人の中から復活されねばならないという聖書の言葉が、(この時まで)まだ彼らにわかっていなかったのである。

 

⑨-5)塚本訳 ヨハ 5:46

5:46 もしもあなた達がモーセ(の言うこと)を信じたら、わたしを信じたはずである。モーセはわたしのことを書いているのだから。

 

⑨-6)塚本訳 ヨハ 5:39-40

5:39 あなた達は聖書(旧約)をもっていることが永遠の命を持っていることのように思って、それを研究している。ところがこの聖書は、(永遠の命である)このわたしのことを証明しているのに、

5:40 あなた達はその命を得るためわたしの所に来ようとしない。

 

⑨-7)塚本訳 ロマ 10:4

10:4 (では律法を守ることが、なぜいけないか。律法はキリストによって目的を達し、もうなくなってしまったからである。)すなわち、キリストは(御自分を)信ずる者が一人のこらず義とされるために、律法の終りとなられたのである

 

⑨-8)塚本訳 ヨハ 2:19-22

2:19 イエスは答えられた、「このお宮をこわせ、三日で造ってみせるから。」

2:20 ユダヤ人が言った、「このお宮を建てるには四十六年もかかったのに、あなたは三日で造るというのか。」

2:21 しかしイエスは自分の体のことを宮と言われたのであった。

2:22 だから死人の中から復活された時、弟子たちはこう言われたことを思い出して、聖書とイエスの言われた言葉と(が本当であること)を信じた。

 

⑨-9)塚本訳 ルカ 24:27-32

24:27 そして(預言者)モーセから始めて、すべての預言者が御自分につき聖書全体において言っていることを説明された。

24:28 とかくするうちに目指す(エマオの)村に近づくと、なお先へ行くような様子をされたので、

24:29 二人はこう言って無理に引き留めた、「わたし達のところにお泊まりなさい。間もなく夕方で、日もはや傾いたから。」そこで彼らのところに泊まるために、(家に)入られた。

24:30 一しょに食卓について、(いつものように)パンを(手に)取り、(神を)讃美したのち、裂いて渡されると、

24:31 その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。

24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。

 

⑨-10)塚本訳 Ⅰコリ15:3-6

15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、

15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること

15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。

15:6 そのあと、一度に五百人以上の兄弟に御自分を現わされた。そのうちの多数の者はいまでも生きてい(て、わたしが嘘を言っていないことを証明してくれ)る。もっともすでに眠った者もあるにはある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3月2日集会感話 おわり

●福音は「信仰の人格」から人格に伝承される。人格から人格へ。「人格」でなくてもよい。否、ない方がよい。ダメ人間の方がよい。神の栄光が上がるから。
●TSK日本語版詩編38章。詩編は嘆きと呻きの書。イエスの愛読書。

 


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国籍を天に移された者の生き方。この世は相対化せよ。 ++++++++ 所感

2014/02/26 09:24

140226(水)5時目覚め。朝の啓示「救われて国籍を天に移された者の生き方。この世は相対化せよ」
●3月2日の集会感話の推敲。


3月2日集会感話。、

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イエスの言葉は謎であった 140226-2

イエスの有体的復活に出会って謎が解け、国籍を天に移された者の生き方

     東京聖書読社会 2014.3.2 高橋照男

 

塚本訳 ヨハ 19:8-12

19:8 ピラトはこの(神の子という)言葉を聞くと、いよいよ薄気味悪くなり

19:9 また総督官舎に入ってイエスにたずねる、「お前はいったいどこから来たのか。(本当に天から来たのか。)」イエスは返事をされなかった。

19:10 するとピラトが言う、「このわたしに口をきかないのか。わたしはお前を赦す権力があり、お前を十字架につける権力があることを、知らないのか。」

19:11 イエスは答えられた、「あなたは上[神]から授けられないかぎり、わたしに対してなんの権力もない。だから(あなたの罪はまだ軽いが、)わたしをあなたに売った者[ユダ]の罪は、あなたよりも重い。(あなたは官憲として神の命令を行なうだけだが、彼は自分の発意でやったのだから。」

19:12 このためにピラトは(ますます恐ろしくなり、なんとかして)彼を赦そうと思ったが、ユダヤ人が叫んだ、「この男を赦せば、あなたは皇帝の忠臣ではない。自分を王とする者はだれであろうと、皇帝の敵である。(それを助けるのだから。)」

 




①イエスの言葉は謎であった。

 

1)塚本訳 マタ 27:11-14

27:11 さて、イエスが総督の前に立たれると、総督はイエスに問うた、「お前が、ユダヤ人の王か。(お前はその廉で訴えられているが。)」イエスは言われた、「(そう言われるなら)御意見にまかせる。」

27:12 大祭司連、長老たちから(いろいろと)訴えられたが、何もお答えにならなかった。

27:13 するとピラトが言った、「あんなにお前に不利益な証言をしているのが聞えないのか。」

27:14 イエスはただの一言もお答えにならなかったので、総督は不思議でならなかった

 

2)塚本訳 マタ 22:17-21

22:17 それで御意見を聞かせてください──(わたし達は異教人である)皇帝(カイザル)に、税を納めてよろしいでしょうか、よろしくないでしょうか。」

22:18 イエスは彼らの悪意を知って言われた、「なぜわたしを試すのか、この偽善者たち、

22:19 税の貨幣を見せなさい。」デナリ銀貨を差し出すと、

22:20 言われる、「これはだれの肖像か、まただれの銘か。」

22:21 「皇帝のです」と彼らが言う。すると言われる、「では皇帝(カイザル)のものは皇帝(カイザル)に、神のものは神に返せ。」

 

3)塚本訳ルカ 23:2

23:2 「われわれはこの男が国民を惑わし、皇帝に貢を納めることを禁じ、かつ、自分が救世主、すなわち王だと言っていることを確かめた」と言って訴え始めた。

 

4)塚本訳 マタ 17:24-26

17:24 彼らがカペナウムに来たとき、宮の奉納金の取立て人がペテロの所に来て言った、「あなた達の先生は奉納金を納めないのか。」

17:25 ペテロが「もちろん、納められる」と言う。そして(イエスの)家に行くと、イエスの方から言い出された、「シモン、どう思うか、この世の王たちは官税や税をだれから取るだろうか。自分の子供たちだろうか、それとも余所の人からだろうか。」

17:26 「余所の人から」と答える。イエスは言われた、「それでは(神の)子供たちには(納める)義務はない。

 

5)塚本訳 マタ 16:21-22

16:21 この時から、イエスは自分が(神の計画どおり)エルサレムに行って、長老、大祭司連、聖書学者たちから多くの苦しみをうけ、殺され、そして三日目に復活せねばならないことを弟子たちに示し始められた。

16:22 するとペテロはイエスをわきへ引っ張っていって、「主よ、とんでもない。そんなことは絶対にいけません!」と言って忠告を始めた。(救世主(キリスト)が死ぬなどとは考えられなかったのである。)

 

6)塚本訳 ヨハ 13:5-7

13:5 それから盥に水を入れて、ひとりびとり弟子たちの足を洗っては、(腰に)巻いた手拭で拭き始められた。

13:6 こうしてシモン・ペテロの所まで来られると、ペテロが(こばんで)言う、「主よ、わたしの足を、あなたが洗われるのですか。」

13:7 イエスが答えて言われた、「わたしが何をしているのか、いまはあなたにわからない。(わたしがいなくなった)あとでさとるだろう。」

 

7)塚本訳 ヨハ 16:7-12

16:7 しかし本当のことを言うが、わたしが(父上の所に)行くことは、あなた達のために利益である。行かねば、弁護者はあなた達の所に来ないが、行けば、わたしが彼を遣わすからである。

16:8 そして彼は来ると、罪について、義について、罰について、この世に(その考えの)誤りを認めさせるのであろう。

16:9-11 (略)

16:12 まだ沢山言うことがあるが、(今は言わない。)あなた達にはいまそれを理解する力がない。

 

8)塚本訳 マタ 26:51-53

26:51 すると、見よ、イエスと一しょにいた一人の人が手をのばして剣を抜き、大祭司の下男に切りかかって片耳をそぎ落してしまった。

26:52 その時イエスが言われる、「剣を鞘におさめよ。剣による者は皆、剣によって滅びる。

26:53 それとも、父上にお願いして十二軍団以上の天使を今すぐ送っていただくことが、わたしに出来ないと思うのか。

 

9)塚本訳 マタ 27:39-42

27:39 通りかかった人々が『頭をふりながら、』イエスを冒涜して

27:40 こう言った、「お宮をこわして三日で建てるという人、自分を救ってみろ。神の子なら、十字架から下りてこい。

27:41 同じように大祭司連も、聖書学者、長老と一しょに、こう言ってなぶった、

27:42 「あの男、人は救ったが、自分は救えない。イスラエルの王様じゃないか。今すぐ十字架から下りてくるがよい。そうしたら信じてやるのに!

 

10)塚本訳 マタ 26:62-65

26:62 そこで大祭司は立ち上がってイエスに言った、「何も答えないのか。この人たちは(あんなに)お前に不利益な証言をしているが、あれはどうだ。」

26:63 しかしイエスは黙っておられた。大祭司が言った、「生ける神に誓ってわれわれにこたえよ。お前が、神の子救世主か。

26:64 イエスは(はじめて口を開いて)彼に言われる、「(そう言われるなら)御意見にまかせる。だが、わたしは言う、あなた方は今後『人の子(わたし)が』『大能の(神の)右に坐り、』『天の雲に乗って来るのを』見るであろう。

26:65 そこで大祭司は自分の上着を引き裂いて言った、「冒涜だ!これ以上、なんで証人の必要があろう。諸君は今ここに(おのれを神の子とする許しがたい)冒涜を聞かれた

 

11)塚本訳 ヨハ 18:35-36

18:35 ピラトが答えた、「このわたしを、ユダヤ人とでも思っているのか。お前の国の人たち、ことに(その代表者の)大祭司連が、(その廉で)お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしでかしたのか。」

18:36 イエスが答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであったら、わたしの手下の者たちが、わたしをユダヤ人に渡すまいとして戦ったはずである。しかし実際のところ、わたしの国はこの世のものではない。」

 

②イエスの有体的復活に接して霊の目が開けられた人々

 

1)塚本訳 ヨハ 20:25-28

20:25 そこでほかの弟子達が、「わたし達は主にお目にかかった」と言うと、彼らに言った、「わたしはその手に釘の跡を見なければ、わたしの指をその釘の場所に差し込まなければ、手をその脇腹に差し込まなければ、決して信じない。」

20:26 八日ののち、弟子たちはまた家の中に(集まって)いた。今度はトマスも一しょであった。戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスがはいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた。

20:27 それから(すぐ)トマスに言われる、「指をここに持ってきて、わたしの手(の釘の跡)をよく見てごらん。手を持ってきて、わたしの脇腹に差し込んでみなさい。不信仰をやめて、信ずる者らしくしなさい。」

20:28 トマスがイエスに答えて言った、「わたしの主よ!わたしの神よ!」

 

2)塚本訳 ルカ 24:27-32

24:27 そして(預言者)モーセから始めて、すべての預言者が御自分につき聖書全体において言っていることを説明された。

24:28 とかくするうちに目指す(エマオの)村に近づくと、なお先へ行くような様子をされたので、

24:29 二人はこう言って無理に引き留めた、「わたし達のところにお泊まりなさい。間もなく夕方で、日もはや傾いたから。」そこで彼らのところに泊まるために、(家に)入られた。

24:30 一しょに食卓について、(いつものように)パンを(手に)取り、(神を)讃美したのち、裂いて渡されると、

24:31 その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。

24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。

 

3)塚本訳 ヨハ 2:19-22

2:19 イエスは答えられた、「このお宮をこわせ、三日で造ってみせるから。」

2:20 ユダヤ人が言った、「このお宮を建てるには四十六年もかかったのに、あなたは三日で造るというのか。」

2:21 しかしイエスは自分の体のことを宮と言われたのであった。

2:22 だから死人の中から復活された時、弟子たちはこう言われたことを思い出して、聖書とイエスの言われた言葉と(が本当であること)を信じた。

 

4)塚本訳 ルカ 20:17-18

20:17 イエスは彼らをじっと見て言われた、「では、こう(聖書に)書いてあるのはなんの意味であるか。──』大工たちが(役に立たぬと)捨てた石、それが隅の土台石になった。

20:18 (救世主なる)その石の上に(つまづき)倒れる人は一人のこらず打ち砕かれ、(最後の裁きの日に)その石が倒れかかる人は、粉微塵になるであろう。」

 

5)塚本訳 ヨハ 20:7-9

20:7 また頭をつつんだ手拭は亜麻布と一しょになく、これだけ別の所に、包んだまま(の形)になっていた。

20:8 すると先に墓に着いたもう一人の弟子も入ってきて、見て、信じた

20:9 イエスは死人の中から復活されねばならないという聖書の言葉が、(この時まで)まだ彼らにわかっていなかったのである。

 

6)塚本訳 ヨハ 20:16-16

20:16 (こう言って、また墓の方を向いていると、)イエスが「マリヤ!」と言われる。マリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う。(そしてイエスに抱きつこうとした。)

 

7)塚本訳 使  26:12-15

26:12 こんな次第で、わたしは大祭司連から全権と委任とを受け、(迫害のため)ダマスコに進んでゆくと、

26:13 王よ、昼に、途中で、天から輝く太陽にもまさる光がさして、わたしと、同行の者たちとのまわりを照らすのを見ました。

26:14 わたし達が皆地上に倒れると、ヘブライ語で、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。刺の棒は蹴っても無駄だ』とわたしに言う声を聞きました。

26:15 わたしは言った、『主よ、あなたはどなたですか。』主が言われた、『わたしだ、君が迫害しているイエスだ。

 

8)塚本訳 エペ 1:17-22

1:17 われらの主イエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と黙示との霊を君達に与えて神の知識に至らせ給わんこと、

1:18 また【君達の】心の目を明らかにして、神に召され(ることによって得)た希望の何であるか、『聖徒の受くる』光栄ある(天の)『相続財産』の富の何であるか、

1:19 また私達信者に対する神の能力の如何に絶大であるかを知らせ給わんことを願っている──この力強く働く神の威力こそ、

1:20 彼がこれをキリストの中に働かせ、彼を死人の中から蘇らせ、天上において、『己が右』、

1:21 凡ての「権威」「権力」「能力」「支配者」の上、またこの代ばかりでなく来世においてもありとあらゆる名という名の上に『坐らせ給うた』力である。

1:22 然り、神は『万物を彼』(キリスト)『の足の下に屈伏せしめ』、彼を万物の上にある頭として教会に与え給うた。

 

9)塚本訳 Ⅰペテ1:8

1:8 君達は彼を(目のあたり)見たことはないが、(これを)愛し、今も見ることは出来ないが、(これを)信じて、(既にかの日の)輝きに満ちた、言語に絶する喜悦を喜んでいる

 

10)塚本訳 使  17:32-34

17:32 死人の復活と聞くと、嘲る者もあり、「そのことはまたいつかあなたに聞こう」と言う者もあった

17:33 こんなことで、パウロは彼らの中から出ていった。

17:34 しかし数人の者は、弟子になって信仰に入った。その中にはアレオパゴス法院の裁判官デオヌシオと、ダマリスという婦人と、なおその他の人がいた。

 

11)塚本訳 Ⅰコリ15:3-6

15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、

15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること

15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。

15:6 そのあと、一度に五百人以上の兄弟に御自分を現わされた。そのうちの多数の者はいまでも生きてい(て、わたしが嘘を言っていないことを証明してくれ)る。もっともすでに眠った者もあるにはある。

 ③救われて国籍を天に移された者の生き方。この世の人との関係は相対化せよ

 

1)塚本訳 ヨハ 19:10-11

19:10 するとピラトが言う、「このわたしに口をきかないのか。わたしはお前を赦す権力があり、お前を十字架につける権力があることを、知らないのか。」

19:11 イエスは答えられた、「あなたは上[神]から授けられないかぎり、わたしに対してなんの権力もない。だから(あなたの罪はまだ軽いが、)わたしをあなたに売った者[ユダ]の罪は、あなたよりも重い。(あなたは官憲として神の命令を行なうだけだが、彼は自分の発意でやったのだから。」

 

2)塚本訳 Ⅰコリ4:1-4

4:1 いずれにしても(わたし達はキリストの福音のために働いているのであるから、)人はわたし達をキリストの部下、神の秘密の管理人と考えなくてはいけない

4:2 この際、管理人にはなお、その人が(主人に)忠実であることが求められる。

4:3 しかし(そのことについて、わたしはだれにも判定してもらおうと思わない。)あなた達によって、あるいは人間の裁判所によって判定されることなど、わたしには全くつまらないことである。いや、わたし(自身)でさえ自分を判定しない。

4:4 なぜなら、わたしは身にすこしも(務めをなおざりにした)覚えはないが、だからと言って、これで義とされているのではない。わたしを判定される方は主(御自身)である

 

3)塚本訳 マタ 17:24-27

17:24 彼らがカペナウムに来たとき、宮の奉納金の取立て人がペテロの所に来て言った、「あなた達の先生は奉納金を納めないのか。」

17:25 ペテロが「もちろん、納められる」と言う。そして(イエスの)家に行くと、イエスの方から言い出された、「シモン、どう思うか、この世の王たちは官税や税をだれから取るだろうか。自分の子供たちだろうか、それとも余所の人からだろうか。」

17:26 「余所の人から」と答える。イエスは言われた、「それでは(神の)子供たちには(納める)義務はない

17:27 しかし人々をつまずかせないため、湖に出かけていって釣針を垂れよ。最初に釣れた魚を取って口をあけるとスタテル銀貨(二千円)が一つあるから、それを取って、わたしとあなたの分として取立て人に渡しなさい。」

 

4)塚本訳 Ⅰコリ6:19

6:19 それとも、あなた達の体は神からいただいた聖霊の住んでおられるお宮で、自分のものでないことを、あなた達は知らないのか。

 

5)塚本訳ロマ 8:12

8:12 (こんなに大きな恩恵をいただいているの)だから、兄弟たちよ、わたし達は義務がある。(もちろん)肉に対して、肉的に生きる義務があるのではない。(神に対して、霊によって生きる義務があるのである。)

 

6)塚本訳 ルカ 16:11-13

16:11 だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。

 

7)塚本訳 ロマ 13:1

13:1 人は皆上に立つ(国家の)官憲に服従せねばならない。神からではない官憲はなく、現存の官憲は(ことごとく)神から任命されたものであるから

 

8)塚本訳 ロマ 13:6

13:6 それゆえに(同じ理由で、)あなた達は貢をも納めねばならない。官憲は神につかえる者であり、いま言った職務に全力をそそいでいるからである

 

9)塚本訳 エペ 6:5-7

6:5 奴隷達よ、キリストに対するように、畏れと戦きをもって真情からこの世の主人に従順なれ

6:6 ご機嫌取りのように、(主人の)目の前だけでなく、キリストの奴隷らしく心から神の御意(みこころ)を行え。

6:7 人でなく主に対するように喜びをもって事(つか)えよ。

 

10)塚本訳 Ⅰペテ2:12-15

2:12 異教人の中における歩き方を立派にせよ。(今)君達を悪いことをする者のように譏っている人達が、(君達の)立派な行動によって悟り、その(譏(そし)っていた)ことにおいて(かえって)『訪問(おとずれ)の日に』神を(信じ)崇める(に至らん)ためである

2:13 主の(立て給うたものであるが)故に、人間の凡ての制度に服従せよ。あるいは主権者として王に、

2:14 あるいは悪人を罰し善人を褒めるため王から遣わされた者としての総督達に(服従せよ)。

2:15 (君達の)善行によって、(君達を危険人物のように考えている)無理解な人達の無知(な非難)を沈黙させることは、神の御旨であるからである。

2:16 (しかし君達は自由の人であるから、)自由の人としてこれをせよ。ただその自由を悪の覆いとせず、かえって神の奴隷としてこれをせよ

11)塚本訳 Ⅱコリ2:15-16
2:15 というのは、わたし達は救われる者の間でも、滅びゆく者の間でも、神にささげられるためのキリストのよい薫である
2:16 ある者には、死から死へみちびく薫であるが、ある者には、命から命へみちびく薫りである。(ああ、)一体だれにこんなことが勤まろう。

 

12)塚本訳 Ⅰテモ6:13-14

6:13 私は万物に生命を賜う神と、ポンテオ・ピラトの前で善き証しを為し給うたキリスト・イエスとの前で、(君に堅く)命ずる──

6:14 我らの主イエス・キリストの顕れ給う時まで欠くる所なく、一点非難の打ち所なく(私の)この命令を守れ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3月2日集会感話 おわり

●8:00 妻は昨年召された集会のMKさんの遺品の本の整理のために、船橋の先に出かける。主の業。主にある人が召され、信仰を継承する人がいないと、聖書関係の本がどっさり残る。御遺族は処分に困る。無教会者は本が多すぎる。蔵書量と信仰の深さは反比例する。
●かってこのようなケースで、御遺族がダンボールに何箱もの本を今井館に持って来られた。後姿を見送りながら、理事の一人が「これであの家もキリスト教とは無縁になった」と言われた。淋しかった。
●妻はMKさんの遺品の中から、貴重本を頂いてきた。その中に元ICU学長の篠遠喜人氏(無教会、塚本門下。免疫学の泰斗,)の私訳「新約聖書」(非売品)があった。40年の歳月がかかったとあるが、翻訳の動機が、ご母堂と子供たちに分かりやすいものをというそのスピリッツに感動した。篠遠氏は95歳で召された。 

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神は死人を復活させた・キリスト教の起源 ++++++++ 所感

2014/02/25 06:31

140225(火)5時起床●朝の啓示「神は死人を復活させた」●人の究極の願いは復活と永遠の命である。神はイエスを通じてそのことを「目に見える」形で2000年前に人類に示された。これがキリスト教の起源である。●今手元にバルトの「死人の復活」、ハルナックの「基督教の本質」、山谷省吾の「基督教の起源」があるが、読む気が起こらない。「聖書で聖書」を読む方法をとる。●拙HPのBbBやTSKも使わない。それはヒントや参考にはなるがあくまで他人が感じた引照であって、自分のものではないから読んでも「命」がない。●本当に力があって命のある「聖書で聖書を読む」方法は、自分の頭から紡ぎだす方法である。それは人生や生活の苦難で読まされるものである。「人生や生活の苦難」が教会の建物であり、思い浮かぶ聖書がその奥殿で聞く「神の言葉」である聖書である。これに勝る礼拝はない。●今朝は神は死人を復活させたことについて関連個所を順不同で頭から紡ぎだす。これが我々の信仰が仏教や神道でなく、ユダヤ教でなく、イスラム教でなく、マルクスでなく、いわんやヒューマニズムでもない理由である。●死人の復活と永遠の命は人間の究極の願いである。心底の無意識の願いである。全生物は「死ぬまい、死ぬまい」と思っている。それが生物の本能。

Jesus, Joy of Man's Desiring 主よ人の望みの喜びよ。
バッハカンタータ147番。マイラヘス編曲

口語訳 創  2:7
2:7 主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。
そこで人は生きた者となった。

●集会のHSさんの御遺体を棺の中に入れた時、それは非常に重かった。まるで粘土の塊のようであった。

口語訳 エゼ 37:1-11
37:1 主の手がわたしに臨み、主はわたしを主の霊に満たして出て行かせ、谷の中にわたしを置かれた。そこには骨が満ちていた。
37:2 彼はわたしに谷の周囲を行きめぐらせた。見よ、谷の面には、はなはだ多くの骨があり、皆いたく枯れていた。
37:3 彼はわたしに言われた、「人の子よ、これらの骨は、生き返ることができるのか」。わたしは答えた、「主なる神よ、あなたはご存じです」。
37:4 彼はまたわたしに言われた、「これらの骨に預言して、言え。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。
37:5 主なる神はこれらの骨にこう言われる、見よ、わたしはあなたがたのうちに息を入れて、あなたがたを生かす。
37:6 わたしはあなたがたの上に筋を与え、肉を生じさせ、皮でおおい、あなたがたのうちに息を与えて生かす。そこであなたがたはわたしが主であることを悟る」。
37:7 わたしは命じられたように預言したが、わたしが預言した時、声があった。見よ、動く音があり、骨と骨が集まって相つらなった。
37:8 わたしが見ていると、その上に筋ができ、肉が生じ、皮がこれをおおったが、息はその中になかった。
37:9 時に彼はわたしに言われた、「人の子よ、息に預言せよ、息に預言して言え。主なる神はこう言われる、息よ、四方から吹いて来て、この殺された者たちの上に吹き、彼らを生かせ」。
37:10 そこでわたしが命じられたように預言すると、息はこれにはいった。すると彼らは生き、その足で立ち、はなはだ大いなる群衆となった。
37:11 そこで彼はわたしに言われた、「人の子よ、これらの骨はイスラエルの全家である。見よ、彼らは言う、『われわれの骨は枯れ、われわれの望みは尽き、われわれは絶え果てる』と。


●集会の故KOさんがこのところをご説明された時、私は俄かに信じられなかった。夢幻のことかと思ったが、その後「胸が熱くなる」経験をしてイエスの有体的復活を信じられるようになってからは、こういうこともありうると信じられるようになった。

塚本訳 マタ 9:23-26
9:23 やがてイエスは役人の家に着いて、笛吹き男と騒いでいる群衆とを見ると、
9:24 言われた、「あちらに行っておれ。少女は死んだのではない、眠っていのだから。」人々はあざ笑っていた。
9:25 群衆が外に出されると、イエスは(部屋に)入っていって少女の手をお取りになった。すると少女は起き上がった。
9:26 この評判がその土地全体に広まった。


●無教会の著名な指導者の令嬢が不慮の死を遂げた時、御夫人に「少女は死んだのではない、眠っているのだ」とお慰めのお手紙を差し上げた時、感謝の礼状をいただいた。愛する者との死別の悲しみは「復活」の希望以外はありえないと思った。

塚本訳 ルカ 7:11-16
7:11 そのあとで、ナインという町に行かれた。弟子たちおよび多くの群衆も一しょに行った。
7:12 町の門の近くに来られると、ちょうど、ある独り息子が死んで、(棺が)舁き出されるところであった。母は寡婦であった。町の人が大勢その母に付添っていた。
7:13 主は母を見て不憫に思い、「そんなに泣くでない」と言って、
7:14 近寄って棺に手をかけ──担いでいる者は立ち止まった──「若者よ、あなたに言う、起きよ!」と言われた。
7:15 すると死人が起き上がって物を言い出した。イエスは『彼を母に渡された。』
7:16 皆が恐れをいだいて、「大預言者がわたし達の間にあらわれた」とか、「神はその民を心にかけてくださった」とか言って、神を讃美した。


●私の親友は一人っ子であった。還暦前に突然逝った。ご母堂は私に縋り付いて号泣された。そのとき私はこのナインの若者の記事を思い出した。ただただ、背中をさするだけであった。私には人を甦らせる能力はない。そのご母堂も3年前に逝った。あー人生は残酷だ。 

塚本訳 ヨハ 11:17-27
11:17 さてイエスが(ベタニヤに)行って見られると、ラザロはもう四日も墓の中にあった。
11:18 ベタニヤはエルサレムの近くで、十五スタデオ(三キロ)ばかり離れていた。
11:19 マルタとマリヤの所には、大勢のユダヤ人がラザロの悔やみに来ていた。
11:20 マルタは、イエスが来られると聞くと出迎えにいったが、マリヤは家に坐っていた。
11:21 マルタがイエスに言った、「主よ、あなたがここにいてくださったら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。
11:22 しかしあなたがお願いになることなら、神様は何でもかなえてくださることを、わたしは今でも知っています。」
11:23 イエスは言われる、「あなたの兄弟は生き返る。」
11:24 マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」
11:27 イエスに言う、「はい、主よ、(信じます。)あなたが救世主で、神の子で、世に来るべき方であると、私は信じています。」


●24節、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」。頭で「知って」いても慰めにならないものだ。それは万人救済の「説」を信ずるのと同じ。力にならない。真の慰めにならない。人間には今ここに永遠の命を見せてほしいという願いがある。イエスはそれをやって見せた。

塚本訳 ヨハ 11:37-44
11:37 しかし中には、「盲人の目をあけたこの人にも、このラザロが死なないように出来なかったのか」と言う者もあった。
11:38 そこでイエスはまたも心に憤りながら、(ラザロの)墓に来られる。墓は洞穴で、入口に石を置いて(ふさいで)あった。
11:39 「石をのけなさい」とイエスが言われる。死んだ人の姉妹のマルタが言う、「主よ、もう臭くなっています。四日目ですから。」
11:40 イエスがマルタに言われる、「信ずれば神の栄光が見られると、(さきほども)あなたに言ったではないか。」
11:41 人々が石をのけた。するとイエスは目を天に向けて言われた、「お父様、(まだお願いしないのに、もう)わたしの願いを聞いてくださったことを感謝します。
11:42 (願わずとも)あなたはいつもわたしの願いを聞いてくださることを、わたしはよく知っております。しかしまわりに立っている人たちのために、(今わざと声を出して感謝を)申したのであります。(わたしの願いはなんでもきかれることを彼らに示して、)あなたがわたしを遣わされたことを信じさせるためであります。」
11:43 こう言ったのち、大声で、「ラザロ、出て来い」と叫ばれた
11:44 死人が手足を包帯で巻かれたまま、(墓から)出てきた。顔は手拭で包まれていた。イエスは「解いてやって(家に)帰らせなさい」と人々に言われた。


●48節。人は神に「名前で呼ばれる」。嬉しいことではないか。

塚本訳 ロマ 1:2-4
1:2 この福音は、神がその預言者たちにより、聖書においてかねて約束されたもので、
1:3 その御子、すなわち、人間としてはダビデの末から生まれ、
1:4 聖なる霊としては死人の中から復活して力ある神の子と定められた方、わたし達の主イエス・キリストに関するものである。


●パウロのレゾンデートル(存在理由)は「死人の復活」。
●それは全旧約聖書が約束していたこと

塚本訳 Ⅰコリ15:3-5
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。


●これが最古の伝承。「一番大切な事」
●人生で一番大切な事は罪の赦しを通して復活と永遠の命を頂くこと。
●復活は歴史的事実
●私が単に復活と言わず、「有体的復活」というのは、福音は霊や思想ではないことを強調するため。
●キリスト教の敵は「ローマ帝国」ではない。俗人の遊びの信仰形態、教会主義ではない。「グノーシス(霊魂不滅の信仰)」である。祖国はその最大の敵の仏教の国である。泥沼である。

塚本訳 ヨハ 3:5-9
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。
3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。
3:7 『あなた達は新しく生まれなおさねばならない』と言ったからとて、すこしも不思議がることはない。
3:8 風[プニューマ]は心のままに吹く。その音は聞えるが、どこから来てどこに行くか、あなたは知らない。霊[プニューマ]によって生れる者も皆、そのとおりである。」
3:9 ニコデモが言葉を返した、「(霊によって生まれるなどと、)そんなことがどうして出来ましょうか。」


●7節「新しく生まれる」というのは、神がその人に霊の風を吹き込むことである。

塚本訳 エペ 1:18-21
1:18 また【君達の】心の目を明らかにして、神に召され(ることによって得)た希望の何であるか、『聖徒の受くる』光栄ある(天の)『相続財産』の富の何であるか、
1:19 また私達信者に対する神の能力の如何に絶大であるかを知らせ給わんことを願っている──この力強く働く神の威力こそ、
1:20 彼がこれをキリストの中に働かせ、彼を死人の中から蘇らせ、天上において、『己が右』、
1:21 凡ての「権威」「権力」「能力」「支配者」の上、またこの代ばかりでなく来世においてもありとあらゆる名という名の上に『坐らせ給うた』力である。


●18節。「心の目」が明けられるのは99%でなく、100%神の力。感化でなく、教育でなく、伝道でなく、啓蒙でもない。

塚本訳 マタ 16:21-22
16:21 この時から、イエスは自分が(神の計画どおり)エルサレムに行って、長老、大祭司連、聖書学者たちから多くの苦しみをうけ、殺され、そして三日目に復活せねばならないことを弟子たちに示し始められた。
16:22 するとペテロはイエスをわきへ引っ張っていって、「主よ、とんでもない。そんなことは絶対にいけません!」と言って忠告を始めた。(救世主が死ぬなどとは考えられなかったのである。)


●21節。「三日目に復活」というのは永遠の命が歴史内に突入したこと。これが凡百の宗教との違い。
●過日92歳のKT氏に言われたこと。「高橋君からイエスの復活の話を聞いて感動したのは、それは精神訓でなく説教でもなかった事である」。この言葉が私に復活伝道に自信を持たせた。

塚本訳 マタ 21:42
21:42 イエスは彼らに言われた、「あなた達は聖書で(この句を)まだ読んだことがないのか。──『大工たちが(役に立たぬと)捨てた石、それが隅の土台石になった。これは主のなされたことで、われわれの目には不思議である。』


●復活は「主のなされ」ること。人間の努力ではない。運動ではない。思想ではない。社会改造ではない。
●今日のキリスト教に力がないのは復活の伝承がなく、「思想」「ヒューマニズム」に退化してしまっているからだ。社民党と似たり寄ったりの団体になっている。信仰はキリスト、実践は社民党などと考える「愚か者」がいるから目も当てられない。キリストの死を無駄死にさせている。
●そういう人間の運動は真理ではないから、長続きしない。それにそういう人間の寿命は間もなくだ。

塚本訳 Ⅰペテ1:8
1:8 君達は彼を(目のあたり)見たことはないが、(これを)愛し、今も見ることは出来ないが、(これを)信じて、(既にかの日の)輝きに満ちた、言語に絶する喜悦を喜んでいる


●これは復活のイエスが聖霊として世世限りなく、我々に臨んで下さること。

塚本訳 使  23:6
23:6 そのときパウロは(役人の)一派はサドカイ人、一派はパリサイ人であるのを見て取り、法院で叫んだ、「兄弟の方々、わたしはパリサイ人で、しかもパリサイ人の子です。いま死人の復活の希望のために裁判されているのです。(わたしは復活のキリストを見たと言いますから。)」

●人間、太く短く「花と散る」のが理想。「死人の復活の希望」で裁判にかけられるのが理想。反戦思想で裁判にかけられるのはキリスト教の堕落。

塚本訳 ルカ 15:23-32
15:23 それから肥えた小牛を引いてきて料理しなさい。みんなで食べてお祝いをしようではないか。
15:24 このわたしの息子は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。』そこで祝賀会が始まった。
15:25 兄は畑にいたが、家の近くに来ると鳴り物や踊りの音が聞えるので、
15:26 ひとりの下男を呼んで、あれはいったい何ごとかとたずねた。
15:27 下男が言った、『弟さんがかえってこられました。無事に取り戻したというので、お父様が肥えた小牛を御馳走されたのです。
15:28 兄はおこって、家に入ろうとしなかった。父が出てきていろいろ宥めると、
15:29 父に答えた、『わたしは何年も何年もあなたに仕え、一度としてお言い付けにそむいたことはないのに、わたしには友人と楽しむために、(小牛どころか)山羊一匹下さったことがただの一度もないではありませんか。
15:30 ところがあのあなたの息子、きたない女どもと一しょに、あなたの身代をくらいつぶしたあれがかえって来ると、肥えた小牛を御馳走されるのはどういうわけですか。』
15:31 父が言った、『まあまあ、坊や、お前はいつもわたしと一しょにいるではないか。わたしの物はみんなお前のものだ。
15:32 だが、喜び祝わずにはおられないではないか。このお前の弟は死んでいたのに生きかえり、いなくなっていたのに見つかったのだから。』」


●放蕩息子の父にとって息子は「死んでいた」。肉体は生きていても心の交流がないのは死んだも同然。それが100%神の力で「生き返った」。

塚本訳 ヨハ 20:24-29
20:24 十二人の一人で、トマスすなわちギリシャ語でデドモ(二子)は、イエスが来られた時、みんなと一しょにいなかった。
20:25 そこでほかの弟子達が、「わたし達は主にお目にかかった」と言うと、彼らに言った、「わたしはその手に釘の跡を見なければ、わたしの指をその釘の場所に差し込まなければ、手をその脇腹に差し込まなければ、決して信じない。」
20:26 八日ののち、弟子たちはまた家の中に(集まって)いた。今度はトマスも一しょであった。戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスがはいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた。
20:27 それから(すぐ)トマスに言われる、「指をここに持ってきて、わたしの手(の釘の跡)をよく見てごらん。手を持ってきて、わたしの脇腹に差し込んでみなさい。不信仰をやめて、信ずる者らしくしなさい。」
20:28 トマスがイエスに答えて言った、「わたしの主よ!わたしの神よ!」
20:29 イエスは言われる、「わたしを見たので、信じたのか。幸いなのは、見ないで信ずる人たちである。」


●人間は死人の復活は信じられない。しかしかみの100%の力でそれが信じられるようになるから不思議。

塚本訳 ヨハ 20:1-10
20:1 (翌々日、すなわち)週の初めの日(日曜日)の朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に来てみると、墓(の入口)から石がのけてあった。
20:2 そこでシモン・ペテロと、イエスが可愛がっておられたもう一人の弟子との所に走って行って言う、「主を墓から取っていった者があります。どこに置いたのかわかりません。」
20:3 そこでペテロはもう一人の弟子と飛び出して、墓へと急いだ。
20:4 二人とも(始めのほどは)一しょに走っていたが、もう一人の弟子の方が(年が若かったので、)ペテロより早く走っていって、先に墓に着いた。
20:5 身をかがめると、(墓の中に)亜麻布があるのが見えたが、それでも中には入らなかった。
20:6 続いてシモン・ペテロも来た。彼は墓に入り、亜麻布が(そのままそこに)あるのを見た。
20:7 また頭をつつんだ手拭は亜麻布と一しょになく、これだけ別の所に、包んだまま(の形)になっていた。
20:8 すると先に墓に着いたもう一人の弟子も入ってきて、見て、信じた。
20:9 イエスは死人の中から復活されねばならないという聖書の言葉が、(この時まで)まだ彼らにわかっていなかったのである。
20:10 それから二人の弟子は家にかえった。


●「空の墓」は私の胸を熱くさせて有体的復活を信じるようにさせてくれた箇所。歴史内と歴史外の接点。
●復活を正面から説かない荒井献先生に、「イエスの墓が空であったのは、歴史内か歴史外か、イエスかノーかでお答えいただきたい」とお伺いしたら、「そういわれるならば、歴史内だ」とご返事を戴いた。私は心の中で万歳と叫んだ。

塚本訳 マタ 28:16-17
28:16 さて、十一人の弟子はガリラヤに行き、イエスに命じられた山にのぼり、
28:17 お目にかかっておがんだ。しかし疑う者もあった


●復活のイエスを肉眼で見ても信じない人が弟子たちの中にもいた。これは安心。

塚本訳 ルカ 16:27-31
16:27 金持が言った、『父よ、それではお願いですから、ラザロをわたしの父の家にやってください。
16:28 わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。』
16:29 しかしアブラハムは言う、『(その必要はない。)彼らにはモーセ(律法)と預言書と[聖書]がある。その教えに従えばよろしい。』
16:30 彼が言った、『いいえ、父アブラハムよ、もしだれかが死人の中から行ってやれば、きっと悔改めます。』
16:31 しかしアブラハムは答えた、『モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。』」


●神の力が働かなければ復活を見ても信じられない。

塚本訳 ヨハ 20:16-18
20:16 (こう言って、また墓の方を向いていると、)イエスが「マリヤ!」と言われる。マリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う。(そしてイエスに抱きつこうとした。)
20:17 イエスが言われる、「わたしにすがりつくな。まだ父上の所に上っていないのだから。わたしの兄弟たち(弟子たち)の所に行って、『わたしは、わたしの父上、すなわちあなた達の父上、わたしの神、すなわちあなた達の神の所に上る』と言いなさい。」
20:18 マグダラのマリヤは行って弟子たちに、「わたしは主にお目にかかった」、また、主がこのことを彼女に言われた、と報告した。


●マリヤは復活のイエスを見ても信じなかった。イエスが声をかけると霊の目が開いた。声とは神の霊、神の息。

塚本訳 マタ 3:9
3:9 『われわれの先祖はアブラハムである(から大丈夫だ)』などと考えてはならない。わたしは言う、神はそこらの石ころからでも、アブラハムの子供を造ることがお出来になるのだ。


●唯一神教のビッグスリー、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はそれだけで全世界の人口の72%。。この三宗教は等しくアブラハムを敬っているが激しく対立している。人間アブラハムを尊敬していて、神の子キリストの血潮で生まれ変わって復活をしんじていないからだ。真の平和は万物のフックである終末。それまでキリスト信者は「忍耐」、「希望」。

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朝の黙想終わり。「残りの者」よ、目覚めよ。

●TSK日本語版、詩編36編
●12:30図書館に井筒俊彦訳「コーラン」を借りに行く。東急にコピー用紙、キタムラにプリンターインク。徒歩2時間
●15:15 妻は確定申告で市役所へ。この件は結婚以来ずっと妻がやってくれてきた。感謝
●納税問題で、イエスが「皇帝(カイザル)のものは皇帝(カイザル)に、神のものは神に返せ」と言った。キリスト教界を二分するこの難問中の難問、「神のもの」とは何かを考えて、次のことがひらめいた。多分間違いではないだろう。聖書の難しいところは聖書で解決すべし。人間に聞くな。

塚本訳 Ⅰコリ3:16-17
3:16 (とにかく、)あなたは達は神のお宮であり、神の霊があなた達の中に住んでいてくださることを、あなた達は知らないのか
3:17 (だから、争いなどで)この神のお宮をこわす者があれば、神がその人を滅ばされる。神のお宮は神聖だから。──あなた達はそのお宮である。

塚本訳 Ⅰコリ6:19
6:19 それとも、
あなた達の体は神からいただいた聖霊の住んでおられるお宮で、自分のものでないことを、あなた達は知らないのか。

塚本訳 ロマ 12:1
12:1 (このように、神は偉大な計画によって人類を一人のこらず救おうとしておられるのであって、救いは確かである。)だから、兄弟たちよ、わたしは神のこの慈悲を指してあなた達に勧める。あなた達の体を(感謝のしるしとして神に)捧げよ。この生きた聖なる犠牲こそ、神のお気に入るものであり、(霊なる神を拝むにふさわしい、)あなた達の霊的な礼拝である。(あなた達の礼拝は動物を供えるような不合理なものでなく、全心全霊をささげる合理的な礼拝でなければならならない)

塚本訳 Ⅱコリ6:16
6:16 神の宮が偶像となんの一致があろう。わたし達はたしかに生ける神の宮である。神がこう仰せられた。──『わたしは彼らの間に住みまた歩むであろう、わたしは彼らの神になり、彼らはわたしの民になる』

塚本訳 エペ 2:19-20
2:19 だから、君達は最早余所の人でも居候でもなく、聖徒と同じ(天上の)市民また神の家族であり、
2:20 使徒と預言者なる土台の上に築き上げられた建物であって、キリスト・イエス御自身がその『首石』である。

塚本訳 Ⅰペテ2:5
2:5 そして君達自身も(主と同じく)活きた石として建てられて、霊の家となれ。これは君達が聖い祭司として、イエス・キリストによって神の御意に適う霊の供物を献げるためである。

塚本訳 ロマ 8:11
8:11 しかしイエスを死人の中から復活させたお方の御霊があなた達の中に住んでおられるなら、キリスト・イエスを死人の中から復活させたそのお方は、あなた達の中に住んでおられるその御霊によって、あなた達の死ぬべき体をも生かしてくださるであろう。

塚本訳 黙  21:3
21:3 そして私は玉座から大きな声が(出てこう)言うのを聞いた、「視よ、人と共に神の幕屋がある! 神が彼らと共に住み、彼らは神の民となり、神自ら彼らと共にいまして

塚本訳 マタ 17:24-27
17:24 彼らがカペナウムに来たとき、宮の奉納金の取立て人がペテロの所に来て言った、「あなた達の先生は奉納金を納めないのか。」
17:25 ペテロが「もちろん、納められる」と言う。そして(イエスの)家に行くと、イエスの方から言い出された、「シモン、どう思うか、この世の王たちは官税や税をだれから取るだろうか。自分の子供たちだろうか、それとも余所の人からだろうか。」
17:26 「余所の人から」と答える。イエスは言われた、「それでは(神の)子供たちには(納める)義務はない。
17:27 しかし人々をつまずかせないため
、湖に出かけていって釣針を垂れよ。最初に釣れた魚を取って口をあけるとスタテル銀貨(二千円)が一つあるから、それを取って、わたしとあなたの分として取立て人に渡しなさい。」

塚本訳 ロマ 8:12
8:12 (こんなに大きな恩恵をいただいているの)だから、兄弟たちよ、わたし達は義務がある。(もちろん)
肉に対して、肉的に生きる義務があるのではない。(神に対して、霊によって生きる義務があるのである。)

塚本訳 ルカ 16:11-13
16:11 だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。
16:12 もし他人のもの[この世のこと]に忠実でなかったならば、だれがあなた達のもの[天のもの]をあなた達に与えようか。
16:13 しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。」

塚本訳 ロマ 13:1
13:1 人は皆上に立つ(国家の)官憲に服従せねばならない。神からではない官憲はなく、現存の官憲は(ことごとく)神から任命されたものであるから

塚本訳 ロマ 13:4-7
13:4 官憲はあなたの最善のためにつくす神の召使であるから。しかしもし悪事をすれば、恐れねばならない。見えのために剣をささげているのではないのだから。官憲は神の召使で、悪事を行う者に対して(神の)怒りをあらわす復讐者である。
13:5 だからかならず服従せねばならない。ただ怒りの(恐ろしさの)ためだけでなく、(それが信ずる者の義務であることを知っているあなた達は、自分の)良心のためにも。
13:6 それゆえに(同じ理由で、)あなた達は貢をも納めねばならない。官憲は神につかえる者であり、いま言った職務に全力をそそいでいるからである。
13:7 (彼らに対して、信ずる者には普通の人以上の、言わば借りがある。)すべての役人にこの借りを返しなさい。貢取りには貢を、官税取りには官税を、恐るべき者には恐れを、尊敬すべき者には尊敬を。

塚本訳 Ⅰペテ2:11-16
2:11 愛する者よ、勧める、(地上で)『旅の者また仮寓者』である君達は、霊魂に逆らって戦う肉の慾を避け、
2:12 異教人の中における歩き方を立派にせよ
。(今)君達を悪いことをする者のように譏っている人達が、(君達の)立派な行動によって悟り、その(譏っていた)ことにおいて(かえって)『訪問の日に』神を(信じ)崇める(に至らん)ためである。
2:13 主の(立て給うたものであるが)故に、人間の凡ての制度に服従せよ。あるいは主権者として王に、
2:14 あるいは悪人を罰し善人を褒めるため王から遣わされた者としての総督達に(服従せよ)。
2:15
(君達の)善行によって、(君達を危険人物のように考えている)無理解な人達の無知(な非難)を沈黙させることは、神の御旨であるからである。
2:16 (しかし君達は自由の人であるから、)自由の人としてこれをせよ。ただその自由を悪の覆いとせず、かえって神の奴隷としてこれをせよ。
































 


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イエスの言葉は謎であった ++++++++ 所感

2014/02/24 08:19

140224(月)5時起床●次回3月2日集会感話の推敲。

3月2日集会感話。

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イエスの言葉は謎であった


 

イエスの有体的復活に出会った人は霊の目が開かれてその謎が解けた


     東京聖書読社会 2014.3.2 高橋照男

 

塚本訳 マタ 27:11-14

27:11 さて、イエスが総督の前に立たれると、総督はイエスに問うた、「お前が、ユダヤ人の王か。(お前はその廉で訴えられているが。)」イエスは言われた、「(そう言われるなら)御意見にまかせる。」

27:12 大祭司連、長老たちから(いろいろと)訴えられたが、何もお答えにならなかった。

27:13 するとピラトが言った、「あんなにお前に不利益な証言をしているのが聞えないのか。」

27:14 イエスはただの一言もお答えにならなかったので、総督は不思議でならなかった

 

①イエスの言葉は謎であった。

 

1)塚本訳 マタ 22:17-21

22:17 それで御意見を聞かせてください──(わたし達は異教人である)皇帝(カイザル)に、税を納めてよろしいでしょうか、よろしくないでしょうか。」

22:18 イエスは彼らの悪意を知って言われた、「なぜわたしを試すのか、この偽善者たち、

22:19 税の貨幣を見せなさい。」デナリ銀貨を差し出すと、

22:20 言われる、「これはだれの肖像か、まただれの銘か。」

22:21 「皇帝のです」と彼らが言う。すると言われる、「では皇帝(カイザル)のものは皇帝(カイザル)に、神のものは神に返せ。」

 

2)塚本訳ルカ 23:2

23:2 「われわれはこの男が国民を惑わし、皇帝に貢を納めることを禁じ、かつ、自分が救世主、すなわち王だと言っていることを確かめた」と言って訴え始めた。

 

2)塚本訳 マタ 16:21-22

16:21 この時から、イエスは自分が(神の計画どおり)エルサレムに行って、長老、大祭司連、聖書学者たちから多くの苦しみをうけ、殺され、そして三日目に復活せねばならないことを弟子たちに示し始められた。

16:22 するとペテロはイエスをわきへ引っ張っていって、「主よ、とんでもない。そんなことは絶対にいけません!」と言って忠告を始めた。(救世主(キリスト)が死ぬなどとは考えられなかったのである。)

 

4)塚本訳 ルカ 20:17-18

20:17 イエスは彼らをじっと見て言われた、「では、こう(聖書に)書いてあるのはなんの意味であるか。──』大工たちが(役に立たぬと)捨てた石、それが隅の土台石になった。

20:18 (救世主なる)その石の上に(つまづき)倒れる人は一人のこらず打ち砕かれ、(最後の裁きの日に)その石が倒れかかる人は、粉微塵になるであろう。」

 

5)塚本訳 マタ 26:62-65

26:62 そこで大祭司は立ち上がってイエスに言った、「何も答えないのか。この人たちは(あんなに)お前に不利益な証言をしているが、あれはどうだ。」

26:63 しかしイエスは黙っておられた。大祭司が言った、「生ける神に誓ってわれわれにこたえよ。お前が、神の子救世主か。」

26:64 イエスは(はじめて口を開いて)彼に言われる、「(そう言われるなら)御意見にまかせる。だが、わたしは言う、あなた方は今後『人の子(わたし)が』『大能の(神の)右に坐り、』『天の雲に乗って来るのを』見るであろう。

26:65 そこで大祭司は自分の上着を引き裂いて言った、「冒涜だ!これ以上、なんで証人の必要があろう。諸君は今ここに(おのれを神の子とする許しがたい)冒涜を聞かれた

 

6)塚本訳 ヨハ 13:5-7

13:5 それから盥に水を入れて、ひとりびとり弟子たちの足を洗っては、(腰に)巻いた手拭で拭き始められた。

13:6 こうしてシモン・ペテロの所まで来られると、ペテロが(こばんで)言う、「主よ、わたしの足を、あなたが洗われるのですか。」

13:7 イエスが答えて言われた、「わたしが何をしているのか、いまはあなたにわからない。(わたしがいなくなった)あとでさとるだろう。」

 

7)塚本訳 ヨハ 18:35-36

18:35 ピラトが答えた、「このわたしを、ユダヤ人とでも思っているのか。お前の国の人たち、ことに(その代表者の)大祭司連が、(その廉で)お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしでかしたのか。」

18:36 イエスが答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであったら、わたしの手下の者たちが、わたしをユダヤ人に渡すまいとして戦ったはずである。しかし実際のところ、わたしの国はこの世のものではない。」

 

 

②イエスの有体的復活に接した人は霊の目が開かれてその言葉の謎が解けた

 

1)塚本訳 ヨハ 20:25-28

20:25 そこでほかの弟子達が、「わたし達は主にお目にかかった」と言うと、彼らに言った、「わたしはその手に釘の跡を見なければ、わたしの指をその釘の場所に差し込まなければ、手をその脇腹に差し込まなければ、決して信じない。」

20:26 八日ののち、弟子たちはまた家の中に(集まって)いた。今度はトマスも一しょであった。戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスがはいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた。

20:27 それから(すぐ)トマスに言われる、「指をここに持ってきて、わたしの手(の釘の跡)をよく見てごらん。手を持ってきて、わたしの脇腹に差し込んでみなさい。不信仰をやめて、信ずる者らしくしなさい。」

20:28 トマスがイエスに答えて言った、「わたしの主よ!わたしの神よ!」

 

2)塚本訳 ルカ 24:27-32

24:27 そして(預言者)モーセから始めて、すべての預言者が御自分につき聖書全体において言っていることを説明された。

24:28 とかくするうちに目指す(エマオの)村に近づくと、なお先へ行くような様子をされたので、

24:29 二人はこう言って無理に引き留めた、「わたし達のところにお泊まりなさい。間もなく夕方で、日もはや傾いたから。」そこで彼らのところに泊まるために、(家に)入られた。

24:30 一しょに食卓について、(いつものように)パンを(手に)取り、(神を)讃美したのち、裂いて渡されると、

24:31 その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。

24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。

 

3)塚本訳 ヨハ 2:19-22

2:19 イエスは答えられた、「このお宮をこわせ、三日で造ってみせるから。」

2:20 ユダヤ人が言った、「このお宮を建てるには四十六年もかかったのに、あなたは三日で造るというのか。」

2:21 しかしイエスは自分の体のことを宮と言われたのであった。

2:22 だから死人の中から復活された時、弟子たちはこう言われたことを思い出して、聖書とイエスの言われた言葉と(が本当であること)を信じた。

 

4))塚本訳 ヨハ 20:7-9

20:7 また頭をつつんだ手拭は亜麻布と一しょになく、これだけ別の所に、包んだまま(の形)になっていた。

20:8 すると先に墓に着いたもう一人の弟子も入ってきて、見て、信じた

20:9 イエスは死人の中から復活されねばならないという聖書の言葉が、(この時まで)まだ彼らにわかっていなかったのである。

 

5)塚本訳 ルカ 24:36-43

24:36 二人がこう話しているところに、(突然)御自身でみなの真中に出ておいでになった。

24:37 ぞっとして震えあがり、幽霊でも見ているように思っていると、

24:38 彼らに言われた、「なにをうろたえるのか。なぜ心に疑いを起すのか。

24:39 わたしの手と足とを見てごらん。だれでもない、わたしだよ!さわってごらん、幽霊には肉も骨もないが、わたしには、それがあるのがわかるから。

24:40 [無シ]

24:41 喜びのあまり、彼らがまだ信じられずに怪しんでいると、「ここに何か食べるものがあるか」と言われた。

24:42 焼いた魚を一切差し上げると、

24:43 受け取ってみなの前で食べられた

 

6)塚本訳 ヨハ 20:16-16

20:16 (こう言って、また墓の方を向いていると、)イエスが「マリヤ!」と言われる。マリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う。(そしてイエスに抱きつこうとした。)

 

7)塚本訳 Ⅰコリ15:3-6

15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、

15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること

15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。

15:6 そのあと、一度に五百人以上の兄弟に御自分を現わされた。そのうちの多数の者はいまでも生きてい(て、わたしが嘘を言っていないことを証明してくれ)る。もっともすでに眠った者もあるにはある。

 

8)塚本訳 ヨハ 16:7-12

16:7 しかし本当のことを言うが、わたしが(父上の所に)行くことは、あなた達のために利益である。行かねば、弁護者はあなた達の所に来ないが、行けば、わたしが彼を遣わすからである。

16:8 そして彼は来ると、罪について、義について、罰について、この世に(その考えの)誤りを認めさせるのであろう。

16:9-11 (略)

16:12 まだ沢山言うことがあるが、(今は言わない。)あなた達にはいまそれを理解する力がない。

 

 

③救われた者の生き方。上に立つ権力に対する信者の態度。服従か抵抗か。

 

1)塚本訳 Ⅰコリ3:22-23

3:22 パウロでもアポロでもケパでも、世界でも命でも死でも、現在起こっていることでも将来起こることでも、万物はあなた達のものである。

3:23 しかしあなた達はキリストのもの、キリストは神のものである

 

2)塚本訳 ヨハ 19:10-11

19:10 するとピラトが言う、「このわたしに口をきかないのか。わたしはお前を赦す権力があり、お前を十字架につける権力があることを、知らないのか。」

19:11 イエスは答えられた、「あなたは上[神]から授けられないかぎり、わたしに対してなんの権力もない。だから(あなたの罪はまだ軽いが、)わたしをあなたに売った者[ユダ]の罪は、あなたよりも重い。(あなたは官憲として神の命令を行なうだけだが、彼は自分の発意でやったのだから。」

 

3)塚本訳 マタ 7:28-29

7:28 イエスがこれらの話を終えられた時、一しょに聞いていた群衆はその教えに感心してしまった。

7:29 自分たちの聖書学者のようでなく、権威を持つ者のように教えられたからである

 

4)塚本訳 Ⅰコリ4:1-4

4:1 いずれにしても(わたし達はキリストの福音のために働いているのであるから、)人はわたし達をキリストの部下、神の秘密の管理人と考えなくてはいけない

4:2 この際、管理人にはなお、その人が(主人に)忠実であることが求められる。

4:3 しかし(そのことについて、わたしはだれにも判定してもらおうと思わない。)あなた達によって、あるいは人間の裁判所によって判定されることなど、わたしには全くつまらないことである。いや、わたし(自身)でさえ自分を判定しない。

4:4 なぜなら、わたしは身にすこしも(務めをなおざりにした)覚えはないが、だからと言って、これで義とされているのではない。わたしを判定される方は主(御自身)である

 

5)塚本訳 エペ 1:17-22

1:17 われらの主イエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と黙示との霊を君達に与えて神の知識に至らせ給わんこと、

1:18 また【君達の】心の目を明らかにして、神に召され(ることによって得)た希望の何であるか、『聖徒の受くる』光栄ある(天の)『相続財産』の富の何であるか、

1:19 また私達信者に対する神の能力の如何に絶大であるかを知らせ給わんことを願っている──この力強く働く神の威力こそ、

1:20 彼がこれをキリストの中に働かせ、彼を死人の中から蘇らせ、天上において、『己が右』、

1:21 凡ての「権威」「権力」「能力」「支配者」の上、またこの代ばかりでなく来世においてもありとあらゆる名という名の上に『坐らせ給うた』力である。

1:22 然り、神は『万物を彼』(キリスト)『の足の下に屈伏せしめ』、彼を万物の上にある頭として教会に与え給うた。

 

6)塚本訳 マタ 17:24-27

17:24 彼らがカペナウムに来たとき、宮の奉納金の取立て人がペテロの所に来て言った、「あなた達の先生は奉納金を納めないのか。」

17:25 ペテロが「もちろん、納められる」と言う。そして(イエスの)家に行くと、イエスの方から言い出された、「シモン、どう思うか、この世の王たちは官税や税をだれから取るだろうか。自分の子供たちだろうか、それとも余所(よそ)の人からだろうか。」

17:26 「余所の人から」と答える。イエスは言われた、「それでは(神の)子供たちには(納める)義務はない

17:27 しかし人々をつまずかせないため、湖に出かけていって釣針を垂れよ。最初に釣れた魚を取って口をあけるとスタテル銀貨(二千円)が一つあるから、それを取って、わたしとあなたの分として取立て人に渡しなさい。」

 

7)塚本訳ロマ 8:12

8:12 (こんなに大きな恩恵をいただいているの)だから、兄弟たちよ、わたし達は義務がある。(もちろん)肉に対して、肉的に生きる義務があるのではない。(神に対して、霊によって生きる義務があるのである。)

 

8)塚本訳 ルカ 16:11-13

16:11 だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。

16:12 もし他人のもの[この世のこと]に忠実でなかったならば、だれがあなた達のもの[天のもの]をあなた達に与えようか。

16:13 しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。

 

9)塚本訳 ロマ 13:1

13:1 人は皆上に立つ(国家の)官憲に服従せねばならない。神からではない官憲はなく、現存の官憲は(ことごとく)神から任命されたものであるから

 

10)塚本訳 ロマ 13:4-7

13:4 官憲はあなたの最善のためにつくす神の召使であるから。しかしもし悪事をすれば、恐れねばならない。見えのために剣をささげているのではないのだから。官憲は神の召使で、悪事を行う者に対して(神の)怒りをあらわす復讐者である。

13:5 だからかならず服従せねばならない。ただ怒りの(恐ろしさの)ためだけでなく、(それが信ずる者の義務であることを知っているあなた達は、自分の)良心のためにも。

13:6 それゆえに(同じ理由で、)あなた達は貢をも納めねばならない。官憲は神につかえる者であり、いま言った職務に全力をそそいでいるからである。

13:7 (彼らに対して、信ずる者には普通の人以上の、言わば借りがある。)すべての役人にこの借りを返しなさい。貢取りには貢を、官税取りには官税を、恐るべき者には恐れを、尊敬すべき者には尊敬を

 

11)塚本訳 Ⅰペテ2:18-19

2:18 奴隷達よ、(神に対する)あらん限りの畏れをもって主人に服従せよ、ただ善い、優しい主人だけでなく、気難しい主人にも(快く服従せよ。)

2:19 もし人が(自分を奴隷としたのは)神(であること)を意識して苦痛を忍び、不当に苦しむならば、これは(神に)喜ばれることであるからである

 

12)塚本訳 エペ 6:5-7

6:5 奴隷達よ、キリストに対するように、畏れと戦きをもって真情からこの世の主人に従順なれ。

6:6 ご機嫌取りのように、(主人の)目の前だけでなく、キリストの奴隷らしく心から神の御意を行え。

6:7 人でなく主に対するように喜びをもって事えよ。

 

13)塚本訳 Ⅰペテ2:12-15

2:12 異教人の中における歩き方を立派にせよ。(今)君達を悪いことをする者のように譏っている人達が、(君達の)立派な行動によって悟り、その(譏(そし)っていた)ことにおいて(かえって)『訪問(おとずれ)の日に』神を(信じ)崇める(に至らん)ためである

2:13 主の(立て給うたものであるが)故に、人間の凡ての制度に服従せよ。あるいは主権者として王に、

2:14 あるいは悪人を罰し善人を褒めるため王から遣わされた者としての総督達に(服従せよ)。

2:15 (君達の)善行によって、(君達を危険人物のように考えている)無理解な人達の無知(な非難)を沈黙させることは、神の御旨であるからである。

2:16 (しかし君達は自由の人であるから、)自由の人としてこれをせよ。ただその自由を悪の覆いとせず、かえって神の奴隷としてこれをせよ

 

14)塚本訳 ピリ 2:6-11

2:6 彼は(先には)神の姿であり給うたが、神と等しくあることを棄て難いことと思わず、

2:7 かえって自分を空しうして人と同じ形になり、奴隷の姿を取り給うたのである。そして人の様で現れた彼は、

2:8 自ら謙り、死に至るまで、(然り、)十字架の死に至るまで(父なる神に)従順であり給うた。

2:9 それ故に神も彼を至高く上げ、凡ての名に優る(「主」なる)名を与え給うた。

2:10 これはイエスの(この尊い)名の前に、天の上、地の上、地の下にある『万物が膝を屈め、

2:11 凡ての舌が』「イエス・キリストは主なり」と『告白して』父なる『神に』、栄光を帰せんためである。

 

15)塚本訳 Ⅰテモ6:13-15

6:13 私は万物に生命を賜う神と、ポンテオ・ピラトの前で善き証しを為し給うたキリスト・イエスとの前で、(君に堅く)命ずる──

6:14 我らの主イエス・キリストの顕れ給う時まで欠くる所なく、一点非難の打ち所なく(私の)この命令を守れ。

6:15 その時が来れば、至幸唯一の主権者、王の王、主の主(なる神)は、(必ず)彼を(私達に)示し給うであろう

 

塚本訳 ロマ 9:5

9:5 (また、アブラハム、イサク、ヤコブなどの偉大な)祖先たちは彼らのものであり、救世主(キリスト)も人間としては彼らから出られたのである。一切のものの上におられる神なる彼は、永遠に賛美すべきである、アーメン。


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3月2日集会感話。 おわり







      
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人生は短い旅、その出会いと別れ ++++++++ 所感

2014/02/23 06:18

140223(日)朝の黙想●「人生は短い旅。その出会いと別れ」●昨日、高校のクラス会(70歳、古希)に出席したT君(横浜市在住)は、自分のルーツは沖永良部島(おきのえらぶじま)なので、最後はそこに眠りたい。だからクラス会の出席はこれきりになると思うと言った。家に帰って地図を見るとそれは南西諸島の一小島であった。彼は自分は鹿児島県人ではない、中国人でもない、琉球王国の者だと盛んに自慢していた。みんな初めて聞いたことであった●今朝は「人生は短い旅。その出会いと別れ」ということを思ったので聖書のアチコチを黙想してみよう。

口語訳 創 15:15
15:15 あなたは安らかに先祖のもとに行きます。そして高齢に達して葬られるでしょう


●これはユダヤ人の父祖アブラハムに言われた神の言葉


口語訳 申 34:6
34:6 主は彼をベテペオルに対する
モアブの地の谷に葬られたが、今日までその墓を知る人はない。

●これはモーセのこと。イスラエルをエジブとから解放して荒野を導いた功績のモーセは望み見た「乳と蜜の流れる知」には入れず、皆から忘れられ、「今日までその墓を知る人はない」。
●妻は死んだら灰は東北の山に撒いてくださいと言う。そうするとその場所は誰も「知る人はない」

口語訳 詩  90:1-10
90:1 主よ、あなたは世々われらのすみかで/いらせられる。
90:2 山がまだ生れず、あなたがまだ地と世界とを造られなかったとき、とこしえからとこしえまで、あなたは神でいらせられる。
90:3 あなたは人をちりに帰らせて言われます、「人の子よ、帰れ」と。
90:4 あなたの目の前には千年も/過ぎ去ればきのうのごとく、夜の間のひと時のようです。
90:5 あなたは人を大水のように流れ去らせられます。彼らはひと夜の夢のごとく、あしたにもえでる青草のようです。
90:6 あしたにもえでて、栄えるが、夕べには、しおれて枯れるのです。
90:7 われらはあなたの怒りによって消えうせ、あなたの憤りによって滅び去るのです。
90:8 あなたはわれらの不義をみ前におき、われらの隠れた罪をみ顔の光のなかにおかれました。
90:9 われらのすべての日は、あなたの怒りによって過ぎ去り、われらの年の尽きるのは、ひと息のようです
90:10 われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。

●T君とはこれでお別れである。彼はルーツの墓がある沖永良部島(もと琉球王国)に眠るのだ。彼は「飛び去って」行く。彼の墓参りに行くことはない。

塚本訳 ピリ 3:20
3:20 しかし(私達はそうであってはならない。)私達の故国は天にある。私達は主イエス・キリストが救い主として其処から来給うのを待っているのである。

●信者の故国は天にある。いつかそこから「お迎え」がくるのだ。馬車が到着するのだ。


塚本訳 Ⅰペテ2:11-14
2:11 愛する者よ、勧める、(地上で)『旅の者また仮寓者』である君達は、霊魂に逆らって戦う肉の慾を避け、
2:12 異教人の中における歩き方を立派にせよ。
(今)君達を悪いことをする者のように譏っている人達が、(君達の)立派な行動によって悟り、その(譏っていた)ことにおいて(かえって)『訪問の日に』神を(信じ)崇める(に至らん)ためである。
2:13 主の(立て給うたものであるが)故に、人間の凡ての制度に服従せよ。あるいは主権者として王に、
2:14 あるいは悪人を罰し善人を褒めるため王から遣わされた者としての総督達に(服従せよ)。

2:15 (君達の)善行によって、(君達を危険人物のように考えている)無理解な人達の無知(な非難)を沈黙させることは、神の御旨であるからである

●これは信者の生き方。T君の立派な生き方は祖国「琉球王国民族」の栄光を現す。


塚本訳 ヘブ 11:12-13
11:12 だからまた、(たった)一人から、しかも(老いぼれて)死んだような者から、『天の星のように数多く、また数えきれぬ海岸の砂のように子孫ができたのである。』
11:13 信仰に従い、これらの人たちは皆、(地上では)約束のものを受けずに死んだのである。彼らはただ遠くからそれを眺めて歓迎し、自分たちは、『この地上では外国人であり、旅の者』であると認めた。


●私は孫7人。これはうれしく感謝であるが、それでもこれは肉のこと、この世のこと。真の喜びは魂の父なる神のもとに帰ることだ。

口語訳 マタ 25:35-38
25:35 あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、
25:36 裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである』。
25:37 そのとき、正しい者たちは答えて言うであろう、『主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。
25:38 いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか。


●隣人はみな人生の旅人。妻も子も孫も父母も兄弟も。そのつきあい方は「お・も・て・な・し」でなければならない。旅人は様々。その良いところばかりを見て、しかり、わずかでも良い記憶をその人の永久の思い出にしよう。彼とはもう二度と会うことはないのだ。

塚本訳 ヘブ 13:2
13:2 (また、)旅人の接待を忘れないように。というのは、このことにより(アブラハム、サラなど)ある人々は、(自分でも)知らずに天使を泊め(て、神の恩恵を受け)たからである。


●人との付き合いはこれみな「接待」だ。妻は毎日私を接待してくれている。私も毎日妻を接待しなければならない。子や孫達にも「接待の心」で接しなければならない。人生は短い。自戒。

塚本訳 Ⅱコリ2:14-16
2:14 しかし神に感謝せねばならない。神はいつでもわたし達をキリストによる凱旋行列に(虜として)引き回し、至る所でわたし達を通して御自分を知らせる知識の薫りをお広めになる。
2:15 というのは、わたし達は救われる者の間でも、滅びゆく者の間でも、神にささげられるためのキリストのよい薫である
2:16
ある者には、死から死へみちびく薫であるが、ある者には、命から命へみちびく薫りである。(ああ、)一体だれにこんなことが勤まろう。

●クリスチャンは神によって「見世物」にされているのだ。観客のうちだれが「救われて」、誰が自分を馬鹿にして「滅びるのか」は全くわからない。神が決める。

塚本訳 ヨハ 13:1
13:1 過越の祭の前、イエスはこの世から父上の所に移ってゆく時が(ついに)来たことを知って、この世で愛された弟子たちを、最後の瞬間まで愛しぬかれた。──


●人間には寿命がある。「死の時」が定められている。悲しきゅ淋しいが、神がお決めになっているのだから安心だ。神に知られているのだ。


塚本訳 ヨハ 16:28
16:28 (くりかえして言う、)わたしは父上のところから出てこの世に来たが、またこの世を去って父上の所にかえるのである


●これ信者の人生観。イエスは父なる神の御胸を遂行するために贖罪の苦しみを遂げるために「この世に来た」のだ。

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朝の黙想 終わり。 昨日のクラス会で、誰かが「次回開催の時にはここにいる全員が来られるかなー」と言った。みんな残り少ない旅、「メメントモリ」(死を思え。ラテン語の諺)。
 
●10:00 妻と集会(エクレシヤ)に行く。川上(司会)、高木(詩編と福音書)、横田(グレゴリウス改革)




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命の交わりの喜び ++++++++ 所感

2014/02/22 06:43

4お222(土)5時起床●朝の黙示「命の交わりの」喜び」●昨日は女子大生二人が来訪、本日は昼から高校の同級会がある。いずれも「命の交わりで」胸がドキドキする。人に会うというのは小宇宙に出会うようなもので胸が高鳴るものだ。●しかこの世の交わりというのは「この世的」な何かが一致していることが交わりである。学校、先生、学問、趣味教養、思想、社会改革運動、国籍、親子兄弟、然り夫婦。しかしこれらは永続性がない。永久ではない。その特徴として会っているときは嬉しいがその時が去るとなんとなく「むなしい」気分になるのでるある。心が「また渇く」のである。●それに比べて「主にある交わりの喜び」は中心が復活のキリストの霊であるので、心が乾かない。これがこの世に実在する「聖徒の交わり」であり、使徒信条にある「聖徒の交わり、聖霊を信ず、聖なる公同の教会を信ず」の本質である。それは復活のキリストの霊による交わりで、この世に実在する。これは「世にも不思議な」交わりである(ヘルマン・ホイヴェレス神父)。キリストは肉体をとってこの世に来られた意味もここにある。目に見え、手で触れるものでなければならなかった。●以上のことを教会の牧師が言うとまた「教会の意義の宣伝」かと思われてしまうが、無教会主義ガリガリの私が言うのだから「真理」である。●今朝はこの奥深い真理について、頭に浮かぶままに聖書のアチコチを見てみよう。頭ではない、神学ではない、霊の喜びである。


塚本訳 ヨハ 4:13-16
4:13 イエスは答えられた、「この(井戸の)水を飲む者はだれでもまた渇が、
4:14 わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」
4:15 女が言う、「主よ、その水を下さい。(二度と)渇くことがないように、またここに汲みに来なくてもよいように。」
4:16 イエスが言われる、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」


●この世の交わりは「また渇く」。これがいわゆる「依存症」。酒、たばこ、麻薬、ギャンブル、風俗、スポーツをやるのではなく観戦する。しかり、人間。
●この「渇き」を止めるには罪から清められなければならない」。だからイエスは女にただれた不純の同棲生活を指摘した。あー人間の誰が神の目から清いと思われるのか。誰もいない。

塚本訳 マタ 12:48-50
12:48 しかしイエスはそのことを知らせた者に、「わたしの母とはだれのことだ、わたしの兄弟とはだれのことだ」と答えて、
12:49 弟子たちの上に手をのばして言われた、「ここにいるのが、わたしの母、わたしの兄弟だ。
12:50 だれでもわたしの天の父上の御心を行う者、それがわたしの兄弟、姉妹、また母であるから。」




●牧師は家族よりも教会員を愛するから家族から憎まれる。

●血縁の喜びは最高のものではない。その結末は大体において金銭がらみでドロドロ、疎遠になる。エクレシヤもそうなりかねない。


塚本訳 Ⅰペテ1:8
1:8 君達は彼を(目のあたり)見たことはないが、(これを)愛し、今も見ることは出来ないが、(これを)信じて、(既にかの日の)輝きに満ちた、言語に絶する喜悦を喜んでいる。



●現在に生きる我々はイエスの有体的復活には接しないが、復活の霊のキリストに会う。それは何か異常なる霊的体験ではなく、静かなものだが、確実にある。復活を信じている人に会うとなんとなくポカポカするのがその証拠である。天下国家社会批判をする人間に近寄ると「思想的に」斬りつけてくるのでポカポカしない。復活のキリストにある人はそんなこの世改造のつまらないことを喜ばない。教会組織やエクレシヤの物理的経済的継続を喜ばない。


塚本訳 ルカ 4:34
4:34 「ああ、ナザレのイエス様、『放っておいてください。』わたしどもを滅ぼしに来られたのか。あなたがだれだか、わたしにはわかっています。神の聖者(救世主)です。」



●罪を犯している人間は、光に来たがらない。自分の罪がバレるとヤバイと思うからだ。


塚本訳 ヨハ 3:19-21
3:19 すなわち、光が世に来たのに、人々は自分たちの行いが悪いので、光よりも暗さの方を愛したこと、それが罰である。
3:20 悪いことをしている者は皆、光を憎んで光に来ない。自分の行いが明るみに出されたくないのである。
3:21 これと反対に、真理を行っている者は、光に来る。自分の行いが神にあってなされたことを、現わしたいのである。」



●信者に会うと「目が泳ぐ」人は、何かヤバイことを隠している人間である。乱れた生活がバレるとヤバイという恐怖があるのだ。心に怖れを抱いて少しも安らぎがない。罪を告白して早く「楽に」ならなければならない。神は徹底的に追及する。神の目は節穴ではない。


塚本訳 ヨハ 1:14-15
1:14 この言葉は肉体となって、(しばらく)わたし達の間に住んでおられた。(これが主イエス・キリストである。)わたし達はその栄光を見た。いかにも父上の独り子らしい栄光で、恩恵と真理とに満ちておられた。
1:15 ヨハネはこの方のことを証しして、叫んで言う、「『わたしのあとから来られる方は、わたしよりも偉い方である。わたしよりも前から、(世の始めから)おられたのだから』とわたしが言ったのは、この方のことであった。」


塚本訳 Ⅰヨハ1:1-2
1:1 (世の)始めから(すでに)おられたもの、(それは)わたし達が(この耳で)聞いたもの、自分の目で見たもの、直観しまた自分の手でさわったもの、(すなわち)命の言葉について、──
1:2 この命が自分を現わし、(それを)わたし達は見て、証明し、またこの永遠の命をあなた達に告げる。これは(始めには)父と共におられたが、(今)わたし達に自分を現わしたのである──


●キリストは歴史的実在、有体的復活も歴史的実在


塚本訳 マタ 18:19-20
18:19 なお、アーメン、わたしは言う、何事によらず、もしあなた達のうちの二人が心を一つにして地上で祈るならば、わたしの天の父上は(きっとその願いを)かなえてくださるだろう。
18:20 二人、三人、わたしの名によって集まっている所には、わたしがいつもその真中にいるのだから。」



●「キリストの名によって集まる」ということがポイント。世には先生の名によって集まったり、思想が同じだというので集まったりするのは長続きしない。


塚本訳 マタ 12:28
12:28 しかし、もし(そうでなく、)わたしが神の霊で悪鬼を追い出しているのであったら、それこそ神の国はもうあなた達のところに来ているのである


●主の交わりには神による絶対恩恵の無条件の罪の赦しによって入会できる。否、自然に集まるようになるものだ。



塚本訳 ロマ 12:5
12:5 わたし達(信者)も大勢が(全体としては)キリストにおいて一つの体であり、一つ一つとしては互が互の器官であ(って、互に補い合うからであ)る。

塚本訳 Ⅰコリ6:18
6:18 不品行から逃げよ。人のおかすどんな罪も、体の外にある。しかし不品行をする者は、自分の体、(キリストの体、神のお宮)に対して罪を犯すのである。

塚本訳 Ⅰコリ6:15
6:15 あなた達は知らないのか、あなた達の体は(すでに)キリストの器官であることを。(もちろん、知っているはずだ。)では、わたしはキリストの器官(であるこのわたしの体)を取って、遊女の器官にしてよいだろうか。もっての外だ。

塚本訳 Ⅰコリ12:12
12:12 なぜか。体はただ一つであって、それに多くの器官があるけれども、この体の器官が皆、多くあっても、一つの体を成しているように、キリスト(の体である集会)の場合も同じである。


塚本訳 Ⅰコリ12:27
12:27 (同じことをあなた達についても言うことが出来る。)あなた達はキリストの体であり、ひとりびとりとしては器官である。

塚本訳 エペ 4:12
4:12 これは(キリストに対する)奉仕の務めを果たし得るよう聖徒達を準備し、かくしてキリストの体(なる教会)が建て上げられんためである。

●これらを教会主義者から聞くと命がないから、真理性がない。


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朝の黙想 おわり 

●9:00 高校同級会のために東京駅に向かって出発。

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東京駅丸の内側。すっかり変わった。左は丸ビル。右側は国鉄跡地に建てられた
日本生命相互会社。素晴らしいファッサードデザイン。

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復元修理した東京駅。これは北口ドームの内観。
 昔浪人中の次男とここで大学合唱部のロビーコンサートを聴いた。

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復元修理した東京駅。北口ドーム外観。

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東京駅八重洲口。翼のデザイン。聖書の「御翼の陰に守りたまえ」を思う。

●12:00 昭和37年、東京工業大学付属工業高校建築課卒業同級会。於・東京八重洲口「庄屋」。
「古希」70歳。病気の為直前欠席通知2名で集まる者9名(斉藤、伊東、岡田、鈴木征志、富塚、武宮、田中、林、高橋)。幹事高橋の司会進行。初めに逝去者4名の冥福を祈って黙祈。話題は年金生活、健康、社会奉仕、宗教信仰など。盛り上がって14:00終了。次回幹事は富塚、田中。●その後東京駅の喫茶店で2次会、伊東、林、武宮、高橋。みんなが私のことを「神様」とあだ名で呼んだ。高校の時からキリスト教に熱心だったからだ。若干余ったお金は伊東が「高橋が行っている教会に献金すればよい」と言った。何か崇高なものを感じた。

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17:30 あきる野の我が家に到着。緩い上り坂。讃美歌284番を心で歌う。

讃美歌284番 4節

老いの坂をのぼりゆき
かしらの雪つもるとも
かわらぬわが愛におり
やすけくあれ、わが民よ









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負いきれない十字架に意味がある ++++++++ 所感

2014/02/21 08:14

140221(金)朝の黙示「負いきれない十字架に意味がある」●5月の感話は、マタイ27:32-56「十字架」である。その32節は塚本訳で次のようになっている。

塚本訳 マタ 27:32
27:32 (都を)出ると、シモンと言うクレネ人に出くわしたので、兵卒らはこの人に有無を言わせずイエスの十字架を負わせた。
(イエスにはもう負う力がなかったのである。)

●この塚本敷衍の。(イエスにはもう負う力がなかったのである。)は、至極の敷衍である。塚本訳は伝道者訳だと某牧師が言ったのは当たっている。塚本の信仰的読み込みがある。
●十字架は自力で「頑張って」「忍耐して」負うものではなく、無理に、意に反して、負わされるものだ。しkっしそこに神の「摂理」がある。クリスチャンの大役、真の大事業、真の伝道がある。
●今朝は「十字架は神に無理矢理負わされることに神の深い計画がある」ことを聖書のあちこちを見て黙想しよう。

塚本訳 マタ 10:39
10:39 (十字架を避けてこの世の)命を得る者は(永遠の)命を失い、わたしのために(この世の)命を失う者は、(永遠の)命を得るであろう。


●人間の本能は「十字架」を避けようとする。嫌なことは避けて平穏な人生、この世的に幸福でありたいと思うものだ。健康長寿、家庭円満、子孫繁栄、商売繁盛。神社にある「絵馬」に書かれた内容は正直である。志望校合格、恋愛成就、良縁、子宝に恵まれますように。
●これに比べて「十字架」の話は本能に逆行する暗い話である。しかし目的はこの世の幸福ではなくて、人間が無意識の内に臨んでいる「永遠の命」である。人間は「この世の幸福」が満願成就」してもなお満ちたりない。イエスはサマリヤの女に次のように言った。

塚本訳 ヨハ 4:13-14
4:13 イエスは答えられた、「この(井戸の)水を飲む者はだれでもまた渇くが、
4:14 わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。
そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」


●人間に「水」は大切だが、真意大切な渇かない水は永遠の命。

塚本訳 ルカ 9:23
9:23 それから今度は皆に話された、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、毎日自分の十字架を負い、それからわたしに従え。


●毎日自分の十字架を負えとは厳しい。一生涯十字架だとうのだ。キリスト教は幸福を約束しない。

文語訳 ヨハ 12:24
12:24 誠にまことに汝らに告ぐ、一粒の麥、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし。

●「(信者という)馬鹿は死ななきゃ直らない」と言って信者を攻撃する人間は神によって自分が馬鹿であることが分からされる日が来る。神がそれを必ず本人に示す。
●初代教会の殉教者達はその血が流されれば流されるほど新しい信者が誕生した。これは「血は種子である」と言われてきた。
●殉教を覚悟して初めて福音は伝わる。反戦運動で死ぬことは無駄死に、十字架の福音の告白による抵抗運動で死ぬことに意味がある。

口語訳 ゼカ 14:6-7
14:6 その日には、寒さも霜もない。
14:7 そこには長い連続した日がある(主はこれを知られる)。これには昼もなく、夜もない。夕暮になっても、光があるからである

●老年期になって光があるとは嘘だ!。一生十字架だ。十字架は重くはなっても軽くはならない。楽にはならない。

塚本訳 ピリ 2:8-9
2:8 自ら謙り、死に至るまで、(然り、)十字架の死に至るまで(父なる神に)従順であり給うた。
2:9 それ故に神も彼を至高く上げ、凡ての名に優る(「主」なる)名を与え給うた。


●信者は十字架を負えなくて、その重みに崩れ落ちるとき、神が引き上げる。これが十字架を負ったということなのだ。

塚本訳 ロマ 1:3-4
1:3 その御子、すなわち、人間としてはダビデの末から生まれ、
1:4 聖なる霊としては死人の中から復活して力ある神の子と定められた方、わたし達の主イエス・キリストに関するものである。


●人間イエスはダビデの末。その結末は恥の十字架。失敗の人生。この世的失敗、しかし神が死人から復活させて救い主とさせた。子育ての失敗、家庭生活の失敗また同じ。主にあって「失敗」はそれは神が負わせたものであるがゆえに意味がある。十字架の恥は神の摂理。神は知っている。

塚本訳 使  5:30
5:30 わたし達の
先祖の神は、あなた方が(十字架の)『木にかけて』殺害したイエスを復活させられました。

●十字架は神に負わされるもの。有体的復活でそれが証明された。

塚本訳 使  10:39-40
10:39 ──(使徒たる)わたし達は、イエスがユダヤ人の地、ことにエルサレムでされた一切のことの証人です。──
このイエスを人々は『(十字架の)木にかけて』処刑した。
10:40 (しかし)神はこの方を三日目に復活させ、(人の目にも)見えるようにされた。


●十字架にかけたのは「この私」。しかし神はイエスを復活させて十字架に意味があったことを証明した。

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●朝の黙想終わり。これで5月の感話の方針がまとまった。


●TSK日本語版詩編32編

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昭和女子大生の二人(板橋みなみ、森千之)が拙宅を来訪見学。二人とも女流建築家を目指している。頼もしい。
一人は福島県福島市出身、一人は埼玉県春日部市出身。わたし達二人と同郷なので話が弾んで楽しかった。
両名とも3年生なのに卒業の必須単位はほぼ取ってしまった、優れ者。

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駅まで見送りに行って、。「、サヨウナラ。お元気で、お幸せに」と言った。
去りゆく電車。彼女たちの上に神の祝福が豊かにあるように祈った。

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私は家に戻る。残雪。奥多摩連山が暮れる。彼女たち二人の行く末を祈って思わず「聖歌」を口づさむ。

聖歌472番
人生の海の嵐に もまれきしこの身も
不思議なる神の手により 命拾いしぬ
いと静けき港に突き 我は今やすろう
救い主イェスの手にある 身はいともやすし




















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復活の主に会った喜び。「走って伝えよ!」 ++++++++ 所感

2014/02/20 08:23

140220(木)5時半起床●朝の啓示「復活の主に会った喜び。走って伝えよ」●復活の主に出会ったほどの人に共通のことは爆発的に湧き上がる「喜び」であった。それは現代でも同じであって、「わたしも」「私も」と同調者また共鳴者が出てくるのが不思議である。「残りの者」(ロマ9:27,11:5)これが「復活」の補強になる。それが現代でも起こることが、「頭で考えていてはわからない」「三位一体」の秘儀であり、使徒信条の「聖霊、聖徒の交わり、聖なる公同に教会を信ずる」の秘儀である。こういうことを信じない人を批判するのは相手の理性に訴えるのだから自分が間違っている。自戒。土台、土俵が違うのだ。UFOを見た人が言った。「だれ何と言おうと『見ちゃったんだ』からしょうがない」と。●復活の主に会った人も同じである。「会ってしまったのだからしょうがない」と。●復活は爆発だ。●今朝はキリスト教がユダヤ教やイスラム教と根本的に違う主の復活について、聖書の思いつくままを「急いで」列記してみよう。こういう時は急ぐから順不同だ。

塚本訳 マタ 28:8-9
28:8 女たちは恐ろしいが、また嬉しくてたまらず、(中には入らずに)急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走っていった
28:9 するとイエスがぱったり彼らに出合って、「お早う」と言われた。女たちは進み寄り、その足を抱いておがんだ


塚本訳 ルカ 24:41
24:41 喜びのあまり、彼らがまだ信じられずに怪しんでいると、「ここに何か食べるものがあるか」と言われた。


塚本訳 ヨハ 16:20
16:20 アーメン、アーメン、わたしは言う、(わたしがいなくなると)あなた達は泣いて悲嘆にくれるが、この世は喜ぶであろう。あなた達は悲しむが、その悲しみは(やがて)喜びにかわるであろう


塚本訳 ヨハ 16:22
16:22 だから、(同じく)あなた達にも今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなた達に会うのだから、(その時)あなた達の心は喜ぶであろう。そしてあなた達からその喜びを奪う者はだれもない。

塚本訳 ヨハ 20:1-2
20:1 (翌々日、すなわち)週の初めの日(日曜日)の朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に来てみると、墓(の入口)から石がのけてあった。
20:2 そこでシモン・ペテロと、イエスが可愛がっておられたもう一人の弟子との所に走って行って言う、「主を墓から取っていった者があります。どこに置いたのかわかりません。」

塚本訳 ヨハ 20:6-9
20:6 続いてシモン・ペテロも来た。彼は墓に入り、亜麻布が(そのままそこに)あるのを見た。
20:7 また頭をつつんだ手拭は亜麻布と一しょになく、これだけ別の所に、包んだまま(の形)になっていた。
20:8 すると先に墓に着いたもう一人の弟子も入ってきて、見て、信じた。
20:9 イエスは死人の中から復活されねばならないという聖書の言葉が、(この時まで)まだ彼らにわかっていなかったのである。


塚本訳 ヨハ 20:20
20:20 そしてそう言いながら、手と脇腹とをお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ

塚本訳 ヨハ 21:6-7
21:6 イエスが言われた、「舟の右側に網を打って御覧、獲物があるから。」網を打つと、(はたして捕れた)魚が多く、もはや網を引き上げることが出来なかった。
21:7 するとイエスの愛しておられた弟子が気づいて、ペテロに「主だ!」と言う。主だと聞くと、シモン・ペトロは裸だったので(急いで)上っ張をひっかけ、湖に飛び込んだ

塚本訳 ヨハ 20:16-18
20:16 (こう言って、また墓の方を向いていると、)イエスが「マリヤ!」と言われる。マリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う。(そしてイエスに抱きつこうとした。)
20:17 イエスが言われる、「わたしにすがりつくな。まだ父上の所に上っていないのだから。わたしの兄弟たち(弟子たち)の所に行って、『わたしは、わたしの父上、すなわちあなた達の父上、わたしの神、すなわちあなた達の神の所に上る』と言いなさい。」
20:18 マグダラのマリヤは行って弟子たちに、「わたしは主にお目にかかった」、また、主がこのことを彼女に言われた、と報告した。

塚本訳 Ⅰペテ1:8
1:8 君達は彼を(目のあたり)見たことはないが、(これを)愛し、今も見ることは出来ないが、(これを)信じて、(既にかの日の)輝きに満ちた、言語に絶する喜悦を喜んでいる。

塚本訳 Ⅰコリ15:3-6
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。
15:6 そのあと、一度に五百人以上の兄弟に御自分を現わされた。そのうちの多数の者はいまでも生きてい(て、わたしが嘘を言っていないことを証明してくれ)る。もっともすでに眠った者もあるにはある。

塚本訳 使  23:6
23:6 そのときパウロは(役人の)一派はサドカイ人、一派はパリサイ人であるのを見て取り、法院で叫んだ、「兄弟の方々、わたしはパリサイ人で、しかもパリサイ人の子です。いま死人の復活の希望のために裁判されているのです。(わたしは復活のキリストを見たと言いますから。)」


塚本訳 使  24:21
24:21 『わたしは死人の復活のためにきょうあなた達の前で裁判されているのです』と、みんなの中に立って叫んだその一言のほかに!」

塚本訳 使  9:4-5
9:4 彼は地上に倒れ、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と言う声を聞いた。
9:5 サウロが言った、「主よ、あなたはどなたですか。」彼がいわれた、「わたしだ、あなたが迫害しているイエスだ。


塚本訳 使  22:7
22:7 わたしは地べたに倒れて、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と言う声を聞いた。


塚本訳 使  26:14
26:14 わたし達が皆地上に倒れると、ヘブライ語で、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。刺の棒は蹴っても無駄だ』とわたしに言う声を聞きました。

塚本訳 使  20:24
20:24 しかしわたしは、
自分の走るべき道を走りおえて、主イエスから託された、神の恩恵をつたえる福音を証しする役目をはたすためなら、自分の命のことなど口にする値打もないと思う。

塚本訳 使  18:6
18:6 しかしユダヤ人にはこれに反対して(イエスを)冒涜するので、パウロは(絶縁のしるしに)上着の塵を払いおとして彼らに言った、「(最後の裁きの日に流す)あなた達の血の責任は、あなた達自身に負わされる!わたしは良心の咎めなく(あなた達をすてて、)今からのち異教人へ(伝道に)行く。」

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●朝の黙想終わり。ヒルティはパウロのことを「あまりにも性急すぎる」と評した。これをもしパウロが聞いたら、「ウルセー!、俺は忙しいんだ」と言うに違いない。 私も言おう「ウルセー、それどころではない。そんなことはしていられない。そんなことに『金と時間を費やせない』。俺は忙しいのだ。」
●私が「復活伝承」にまたまた自信を持てたのは、去る2月6日に仕事上世話になった92歳のKTさんを老人ホームにお見舞いしたときに言われた言葉である。黒田氏は信者ではないが、私からイエスの復活を話してもらったことが人生における最高の感動であった.復活の話は精神訓(説教)ではなかった」 (ブログ参照)
●復活の伝承は説教ではない。救いの福音であって、人の真の悩み悲しみである「罪と死」から救う、神の愛の福音なのだ。喜びのおとずれなのだ。

●「残りの者、耳ある者は聞け」
●東大医学部教授矢作直樹著「人は死なない」を興味深く一気に読んだ。スウェーデンボルグのことや、近代の超一流の科学者が霊の世界を信じていることを知った。しかし一言で言えば「霊魂不滅説」でキリスト教の最大の敵である「グノーシス」。
●罪の赦しと復活がない。逆にキリスト教の本質は「罪の赦しと復活」による希望と喜び。
●矢作直樹氏は現代日本人の平均的な死生観である。これじゃー安心立命しない。



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神が教える ++++++++ 所感

2014/02/19 05:09

140219(水)4時目覚め。●目覚めの啓示「神が教える●「神ご自身がが教える」というのは真理である。律法に教えられない、聖職者に教えられない、親に教えられない、神ご自身が働かれる。これが聖書の真理である。●今朝はこのことについて黙想しよう。


塚本訳 ヘブ 8:10-11
8:10 「これこそわたしがイスラエルの家と結ぶ契約である、かの日の後に」と主は言われる、「わたしは彼らの悟りにわたしの律法を与え、彼らの心にそれを書きしるすであろう。わたしは彼らの神になり、彼らがわたしの民になるであろう。
8:11 そしてひとりびとりがその同胞に、ひとりびとりがその兄弟に、『主を知れ』と言って、教えることは決してないであろう、(その時)彼らは小より大に至るまで皆わたしを知るであろうから。


●人間が人間に教えようとするとうまくいかない。反発されるだけである。各自が「自分で悟る」のが一番良い。神が教える。


塚本訳 ロマ 8:28
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである


●人生の不可解なる不条理はこれすべて神が救いに導くための「手段」。神が教えてくださる。「可愛いものには旅をさせよ」。


口語訳 伝  3:1-8
3:1 天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある
3:2 生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
3:3 殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり、
3:4 泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり、
3:5 石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
3:6 捜すに時があり、失うに時があり、保つに時があり、捨てるに時があり、
3:7 裂くに時があり、縫うに時があり、黙るに時があり、語るに時があり、
3:8 愛するに時があり、憎むに時があり、戦うに時があり、和らぐに時がある。



●70歳の今、人生を振り返って「そうだなー、そうだなー」と思う。怒るにも時がある。幸不幸それはすべて「神が教えて」くださる手段であった。

口語訳 伝  3:11
3:11 神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。

新共同 伝  3:11
3:11 神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。


●人はその遭遇することには、その時、その時に一所懸命である。人生全体を見通してその意味を悟ることは出来ない。若いときは若い者が故の一所懸命になるべきこと、老年には老年が故に一所懸命になるべきことがある。それでよいのだそれが良いのだ。
●小一の孫娘から「オジーチャン。『恋』ってしたことある?」と聞かれたことがある。振られてしまったが、あの時はあれで「美しかった」のじゃーないかなー。


口語訳 詩  1:1-3
1:1 悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。
1:2 このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。
1:3 このような人は流れのほとりに植えられた木の/時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。

●3節。「時が来ると」が重要。時が来ないと実は結ばない。「桃栗三年、柿八、柚子の大馬鹿一八年」。いいんだ、いいんだ。一八年でも三六年でも五〇年でもいい。死ぬまででも、否、死んで神の前に立つ時でもいいのだ。


新共同 マコ 4:26-27
4:26 また、イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、
4:27 夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、
どうしてそうなるのか、その人は知らない。

●なぜあの人には神や信仰が分からないのだろうかと思うことがしばしばである。イエスはいう、「どうしてそうなるのか、その人は知らない」と。



新改訳 出  14:14
14:14 主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」


●かって某医師から、「この件は父親のあなたが出ないで、奥さんにまかせなさい」と言われた事件があった。子育ては両性にそれぞれ出番というものがある。「男は経済、女は子育て」。それぞれが神からの「職分」というものがあるのだ。お互いの立場を尊重すべきだ。自戒。


塚本訳 ヨハ 16:7-8
16:7 しかし本当のことを言うが、わたしが(父上の所に)行くことは、あなた達のために利益である。行かねば、弁護者はあなた達の所に来ないが、行けば、わたしが彼を遣わすからである。
16:8 そして彼は来ると、罪について、義について、罰について、この世に(その考えの)誤りを認めさせるのであろう


●神は本人が悟るように、悔い改めるように全能全知で導いてくださる。なまじ人間がノコノコ出て行ったり、忠告するとこじれる。
●人にできることは「神への祈り」。なりふり構わず熱烈に祈ることだ。「神を祈り倒す」ことである。それでも聞かれなかttら、神がわりぃ。


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朝の黙想終わり。神はすべてをご存知で、すべての人を救いに導くように、神ご自身がうまく働いてくださる。人にできることは「祈り」のみ。
















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一番大切な事 ++++++++ 所感

2014/02/18 06:14

140218(火)4時目覚め●4月6日の感話推敲。「一番大切な事」

東京聖書読者会、4月6日の感話
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 「一番大切な事」は神の子キリストの受難と復活
  ―――それは「罪と死の悩み悲しみ」からの救い―――

      東京聖書読者会 2014.4.6 高橋照男


塚本訳 マタ 27:27-31
27:27 それから総督の兵卒らはイエスを総督官舎(プライトリオン)に連れてゆき、(王の茶番狂言を見せるために)全部隊を彼のまわりに集めた。
27:28 そしてイエスの着物をはいで(自分たちの)緋の外套をきせ、
27:29 茨で冠を編んで頭にかぶらせ、右手に葦(の棒)をもたせて(王に仕立てたのち、)その前にひざまずき、「ユダヤ人の王、万歳!」と言ってなぶった
27:30 それから唾をかけ、葦(の棒)を取りあげて頭をたたいた
27:31 こうしてなぶった後、外套を脱がせてもとの着物を着せ、十字架につけるために引いていった

●一番大切なことは罪の赦しのために神の子キリストの受難と死があったこと。その意味は神によるキリストの有体的復活で証明され、人は初めて理解できた。

塚本訳 Ⅰコリ15:3-5
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。


●初代教会の古い讃美歌。聖霊によって身体の全器官が告白する

塚本訳 ピリ 2:6-11
2:6 彼は(先には)神の姿であり給うたが、神と等しくあることを棄て難いことと思わず、
2:7 かえって自分を空しうして人と同じ形になり、奴隷の姿を取り給うたのである。そして人の様で現れた彼は、
2:8 自ら謙り、死に至るまで、(然り、)十字架の死に至るまで(父なる神に)従順であり給うた。
2:9 それ故に神も彼を至高く上げ、凡ての名に優る(「主」なる)名を与え給うた。
2:10 これはイエスの(この尊い)名の前に、天の上、地の上、地の下にある『万物が膝を屈め、
2:11 凡ての舌が』「イエス・キリストは主なり」と『告白して』父なる『神に』、栄光を帰せんためである。


●初代教会が旧約聖書に読み込んだ神の子キリストの受難預言

口語訳 イザ 53:1-12
53:1 だれがわれわれの聞いたことを/信じ得たか。主の腕は、だれにあらわれたか。
53:2 彼は主の前に若木のように、かわいた土から出る根のように育った。彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。
53:3 彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
53:4 まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
53:5 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。


●キリスト受難予言の新約聖書への反響

塚本訳 マタ 8:17
8:17 『彼はわたし達の煩いを除き、病気を取り去るであろう』と、預言者イザヤをもって言われた言葉が成就するためであった。

塚本訳 マタ 20:28
20:28 人の子(わたし)が来たのも仕えさせるためではない。仕えるため、多くの人のあがない金としてその命を与えるためである。」

塚本訳 マタ 21:42
21:42 イエスは彼らに言われた、「あなた達は聖書で(この句を)まだ読んだことがないのか。──『大工たちが(役に立たぬと)捨てた石、それが隅の土台石になった。これは主のなされたことで、われわれの目には不思議である。』

塚本訳 マタ 26:39
26:39 そしてなお少し(奥に)進んでいって、俯けに倒れ、祈って言われた、「お父様、出来ることなら、どうかこの杯がわたしの前を通りすぎますように。しかし、わたしの願いどおりでなく、お心のとおりになればよいのです。」

塚本訳 ヨハ 12:37-38
12:37 (以上のように、)イエスはこんなに多くの徴[奇蹟]を人の見ている前で行われたが、人々は彼を信じなかった。
12:38 預言者イザヤの言葉が成就するためであった。──〃主よ、だれがわたし達に聞いたことを信じましたか。だれが主の御腕(の偉大な力)を認めましたか。〃

塚本訳 ロマ 3:25-26
3:25 すなわち神は御自分の義を示すために、宥めの供え物としてキリストを提供された。これはキリストの血でなされたものであり、(人は)信仰によ(ってこの恩恵にあずか)るのである。このことは──神が(長いあいだ)忍耐をもって過ぎし日に犯した罪を罰せずにおられたので──
3:26 今の世において、御自分の義を示そうとされたのである。すなわち御自分が義であること、またイエスを信ずる者を義とするお方であることを、(この世に)示されたのである。

塚本訳 ロマ 5:6-10
5:6 なぜなら、わたし達がまだ弱くあったとき、当時まだ不信心者の(わたし達の)ために、キリストは死んでくださったからである
5:7 (驚くべき神の愛!人間の世界では、)義人のために命をすてる者はほとんどあるまい。善人のためならば、惜しげもなく命をすてる者が、あるいはあるかも知れない。
5:8 しかしわたし達が(義人でも善人でもなく、)まだ罪人(神の敵)であったとき、キリストが私たちのために死んでくださった。このことによって、神はわたし達に対する愛をお示しになったのである。

5:9 それならばキリストの血で義とされている今、わたし達がキリストによって(最後の日の神の)怒りから救われるのは、もちろんである。
5:10 なぜなら、(神の)敵であったのに、その御子の死によって神と和睦ができたくらいならば、すでに和睦をしたわたし達が、御子の(復活の)命によって救われるのは、もちろんである。


●福音書は受難物語が本質。各著者達の信仰告白の上に立つ。

①マルコの信仰告白・・・長い序文付きの受難物語
塚本訳 マコ 14:1
14:1 過越の祭と種なしパンの祭との二日前になった。大祭司連と聖書学者たちは、どんな計略でイエスを捕えて殺そうかと考えていた。 

②マタイの信仰告白・・・イエスの受難は旧約の預言の成就。

塚本訳 マタ 20:27-28
20:27 一番上になりたい者は奴隷になれ。
20:28 人の子(わたし)が来たのも仕えさせるためではない。仕えるため、多くの人のあがない金としてその命を与えるためである。」


塚本訳 マタ 16:13-18
16:13 ピリポ・カイザリヤ地方に行かれたとき、イエスはこう言って弟子たちに尋ねられた、「世間の人は人の子(わたし)のことをなんと言っているか。」
16:14 彼らが言った、「あるいは洗礼者ヨハネ、あるいは預言者エリヤ、あるいはエレミヤとか(昔の)普通の預言者とか言う者があります。」
16:15 彼らに言われる、「では、あなた達はわたしのことをなんと言うのか。」
16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主、生ける神の子であります!」
16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから

16:18 それでわたしもあなたに言おう。──あなたはペテロ[岩]、わたしはこの岩の上に、わたしの集会を建てる。黄泉の門[死の力]もこれに勝つことはできない。


●ルカの信仰告白・・・ルカの手になるペテロの説教(使徒10:34-43)はそれを通訳していたマルコの記憶に残り、それがマルコ福音書の構成となった。これがルカ福音書、マタイ福音書の構成に引き継がれた。つまり①洗礼者ヨハネの出現、②イエスの病気治療、③受難と十字架、④復活。福音書の構成はこの4段階になっている。ルカ10章43節には「罪の赦しを受ける」とある。

塚本訳 使 10:34-43
10:34 口を開いてペテロが言った、「本当に』神はえこ贔屓をするお方でなく、』
10:35 神を恐れ、正しいことを行う人でさえあれば、どんな民族であろうと歓迎されることが、わたしにはよくわかっています。
10:36 『神は御言葉をイスラエルの』子孫に『おくり、』イエス・キリストをもって、『(御自分との間の)平和の福音を伝えられました。』──イエスは万人の主であります。──
10:37 あなた達は(洗礼者)ヨハネが洗礼を説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ中にゆきわたった出来事を知っておられる。
10:38 すなわち、『神が』いかに聖『霊』と(大いなる)力と『をもって』ナザレのイエスに『油を注がれ(て聖別され)た』か、このイエスが(あちらこちらを)巡回しながら、恩愛を施し、悪魔におさえつけられている者を皆直されたかを。神がご一緒におられたからです。
10:39 ──(使徒たる)わたし達は、イエスがユダヤ人の地、ことにエルサレムでされた一切のことの証人です。──このイエスを人々は『(十字架の)木にかけて』処刑した。
10:40 (しかし)神はこの方を三日目に復活させ、(人の目にも)見えるようにされた。
10:41 (ただし)国民全体でなく、神からあらかじめ選ばれていた証人であるわたし達、すなわちイエスが死人の中から復活されたあとで、一緒に飲み食いした者(だけ)に見えたのです。

10:42 そして神はわたし達に命じて、この方こそ神に定められた、生きている者と死んだ者との審判者であると、国民に説きまた証しさせられるのです。
10:43 預言者たちは皆、彼を信ずる者はことごとく、その名のゆえに罪の赦しを受けることを、彼について証明しています。」


●ヨハネの信仰告白・・・永遠なる神の子キリストは「人の姿」になった。

塚本訳 ヨハ 3:16
3:16 そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである

塚本訳 ヨハ 12:24
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、
一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)

●信仰告白の多様性。・・・聖餐式や教会制度はイエスの言葉にさかのぼるかどうかは百家争鳴だが、執筆者の信仰告白であることは間違いない。神の子キリストの受難の信仰告白伝承は口だけでなく見える形や音楽でも表現される。

塚本訳 マタ 26:26-28
26:26 (ユダが立ち去ったあと、)彼らが食事をしているとき、イエスは(いつものように)パンを(手に)取り、(神を)賛美して裂き、弟子たちに渡して言われた、「取って食べなさい、これはわたしの体である。」
26:27 また杯を取り、(神に)感謝したのち、彼らに渡して言われた、「皆この杯から飲みなさい。
26:28 これは多くの人の罪を赦されるために流す、わたしの『約束の血』であるから


塚本訳 Ⅰコリ11:23-25
11:23 なぜというか。わたしは(晩餐のことを)主から授かり、それをまたあなた達に伝えたのであるが、それはこうである。──主イエスは(敵に)引き渡された夜、パンを手に取り、
11:24 (神に)感謝して裂いて、言われた、「これはあなた達のためにわたすわたしの体である。わたしを記念するためにこのことを行ないなさい」。
11:25 食事の後、杯を同じように(感謝)して(分けて、)言われた、「この杯はわたしの『血』の犠牲を払った『新しい約束』である。(今から後、)飲むたびごとに、わたしを記念するためにこのことを行ないなさい」。


●パウロによる[キリストの受難」理解

塚本訳 ロマ 3:21-25
3:21 しかしながら今、律法に関係なく、神の義は現わされた。しかし律法と預言書と[聖書]によって(すでに)証しされているものである。
3:22 この神の義は、イエス・キリストを信ずる信仰(だけ)によって、これを信ずるすべての者にあたえられる。(すべてというのは、そこに人間的の)なんの差別もないからである。
3:23 なぜか。すべての人が罪を犯したため、いまだれ一人、(かつて持っていた)神の栄光をもたない。
3:24 (さりとて失った栄光を回復する力はないので、何一つ)代価を払わず、(ただ)神の恩恵によって、キリスト・イエスによるあがないの力で、(神に)義とされる(道が設けられた)のである



●ヘブル書における「キリストの受難」理解

塚本訳 ヘブ 9:28
9:28 キリストも、ただ一度『多くの人の罪を負う』ために捧げられ、(それから)二度目に、(しかし今度は)罪と関係なく、救のため、彼を待っている者に自分をあらわされるのである。


●黙示録における「キリストの受難」理解

塚本訳 黙 7:14
7:14 わが主よ、貴方が御存知です」と私は彼に言うた。そこで彼が私に言うた、「この人達は(既に最後の日の)大なる患難を経て来た者である。
彼らは仔羊の(流し給うた聖い)血でその上衣を洗ってそれを白くした。

●我々が今キリスト教徒である理由

塚本訳 Ⅰペテ1:8
1:8 君達は彼を(目のあたり)見たことはないが、(これを)愛し、今も見ることは出来ないが、(これを)信じて、(既にかの日の)輝きに満ちた、言語に絶する喜悦を喜んでいる


塚本訳 ルカ 24:31-35
24:31 (その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。
24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。
24:33 時を移さず二人は立ち上がってエルサレムに引き返して見ると、十一人とその仲間とが集まっていて、
24:34ほんとうに主は復活して、シモン(・ペテロ)に御自分を現わされた」と話してくれた。
24:35 それで二人も、(エマオへの)道であったことや、また、どうしてパンを裂かれたことで(主と)わかったかを物語った。

塚本訳 ヨハ 6:67-68
6:67 するとイエスが十二人(の弟子)に言われた、「まさか、あなた達まで離れようと思っているのではあるまいね。」
6:68 シモン・ペテロが答えた、「主よ、(あなたを離れて)だれの所に行きましょう。永遠の生命の言葉はあなただけがお持ちです(から)。

塚本訳 ロマ 8:18
8:18 (しかもこの苦しみは恐れることはない。)なぜなら、わたしはこう考える。今の世の苦しみは、わたし達に現われようとしている栄光(──キリストと一しょに神の国の相続人になる最後の日の大いなる光栄──)にくらべれば、言うに足りない。

塚本訳 ロマ 8:28
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。

塚本訳 ロマ 8:34-39
8:34 『だれが(わたし達を)罰することができるか。』キリスト・イエスが(わたし達の罪のために)死んで、それだけでなく復活して、いま神の右においでになって、わたし達のために執り成していてくださるのに。
8:35 (このゆえに)だれがキリストの(わたし達を愛する)愛から、わたし達を引き離すことができるか。苦しみか、悩みか、迫害か、飢えか、裸か、危険か、剣か。
8:36 こう書いてある。──『あなた[神]のためにわたし達は一日中死の危険にさらされている、わたし達は屠られる羊のように考えられた。』
8:37 (もちろん、引き離すことのできるものはない。)そればかりか、わたし達を愛して(十字架につけられて)くださった方により、これらすべての(苦難の)中にあって、わたし達は悠々と勝つことができる。
8:38 なぜなら、わたしは確信している、死んでも命でも、天使でも支配(天使)でも、現在起こっていることでも将来起こることでも、権力(天使)でも、
8:39 高い所のものでも低い所のものでも、その他どんな創造物でも、わたし達の主キリスト・イエスによる神の愛から、わたし達を引き離すことはできない


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東京聖書読者会、4月6日の感話  おわり

●TSK日本語版詩編29編
●図書館に返却に行く

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雪のあきる野市庁舎。佐藤総合計画の設計。構造がゴツイ。




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イエスを殺した真犯人は悪魔(サタン) ++++++++ 所感

2014/02/17 05:04

140217(月)4時目覚め●朝の啓示「イエスを殺した真犯人は悪魔(サタン)」 ●去る2013.11.3の集会で「イエスはなぜ殺されたのか」と題して次のように語った。

2013.11.3 東京聖書読者会 レジュメ。引用聖書の内容は表記省略
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          キリストはなぜ殺されたのか 

 イエスの裁判に学ぶ。世は総がかりになってイエスを殺した。 

          2013年11月3日 東京聖書読者会 高橋照男



①主犯はユダヤ人一般民衆と宗教家。処刑の実行はローマ帝国


<ユダヤ責任論A。地上の王を待望した一般民衆の期待外れ。>

塚本訳 マタ 27:39-42

塚本訳 マタ 26:7-9

塚本訳 マタ 26:14-16

<ユダヤ責任論B。イエスの人気に対する宗教家達の妬みと恐怖>

塚本訳 ヨハ 11:45-48

塚本訳 マコ 11:15-18

<ユダヤ責任論C。律法に対する熱心さがイエスを涜神罪だと断罪した。 >

塚本訳 マタ 12:13-14

塚本訳 ヨハ 5:18

塚本訳 ヨハ 8:37

塚本訳 ヨハ 19:6-7。

塚本訳 マタ 26:65-66

塚本訳 マタ 27:20-21

<ローマ責任論。ピラトの役人根性である「地位保身術」。民意を恐れた>

塚本訳 ルカ 23:1-3

塚本訳 マタ 27:17-18

塚本訳 マタ 27:22-25

塚本訳 ヨハ 19:12

<ユダヤ・ローマ共同責任論。イエスを涜神罪から政治犯に故意に変更した>

塚本訳 マタ 27:1-2

塚本訳 ヨハ 18:31

塚本訳 マコ 15:25-26

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2013.11.3 東京聖書読者会 レジュメ。引用聖書の内容は表記省略終わり

●ところが「イエスの裁判」記事をよーく聖書を読んでみると、その背後に悪魔(サタン)がいることが分かった。その理解のきっかけとなったのは次の箇所である。 
 
塚本訳 ヨハ 19:10-11
19:10 するとピラトが言う、「このわたしに口をきかないのか。わたしはお前を赦す権力があり、お前を十字架につける権力があることを、知らないのか。」
19:11 イエスは答えられた、「あなたは上[神]から授けられないかぎり、わたしに対してなんの権力もない。だから(あなたの罪はまだ軽いが、)わたしをあなたに売った者[ユダ]の罪は、あなたよりも重い。(あなたは官憲として神の命令を行なうだけだが、彼は自分の発意でやったのだから。)」


●イエスはピラトを赦していたが、ユダに住み着いている悪魔(サタン)を憎んでいた。イエスは人を憎まず悪魔(サタン)を憎んだ。この見解は福音書記者の信仰でもある。今朝はその聖書的根拠を見てみよう。

塚本訳 ヨハ 17:11-12
17:11 また第二には、わたしはもうこの世にいなくなります。彼らはこの世にのこっており、わたしはあなたの所に行ってしまいます。(だから)聖なるお父様、どうか(彼らに知らせるため)わたしに下さいましたあなたの名で、(あとにのこっている)彼らをお守りください。わたし達(あなたとわたし)のように、彼らが一つとなるためであります。
17:12 わたしが一しょにいた間は、わたしに下さいましたあなたの名で彼らを守り、また保護していました。だから彼らのうちだれ一人滅びた者はありません。ただ聖書が成就するために、あの滅びの子(ユダ)が滅びただけです。


●イエスは最後までユダを憎んだが、実はユダではなくはユダの心にに入った悪魔(サタン)が憎かったのである。

塚本訳 ヨハ 13:26-27
13:26 イエスが(彼に)答えられる、「わたしが一きれのパンをひたして渡すその人が、それだ。」それからパンを(汁に)ひたし、イスカリオテのシモンの子ユダに渡される。
13:27 ユダがそのパンを受け取(って食べ)ると、その時、悪魔がユダに入った。そこでイエスがユダに言われる、「しようとしていることをさっさとしたがよかろう。」


●ユダが悪く言われるのはユダの心に悪魔が入ったから。ユダは悪くない。福音書の記者はそう思った。ルカ22:9同じ。
●「さっさとしたがよかろう」との言葉はユダではなく悪魔に対してのイエスの激怒と解す。

塚本訳 ヨハ 8:39-42
8:39 彼らが答えて言った、「われわれの父はアブラハムだ。」イエスが言われる、「もしアブラハムの子供なら、アブラハムの(子供らしく、アブラハムと同じ)行いをするはずだ。
8:40 ところがあなた達は、今わたしを殺そうとしている。神から聞いた真理を語っているこの人間を!アブラハムはそんなことはしなかった。
8:41 あなた達は自分の父の行いをしている。」彼らが言った、「われわれ(ユダヤ人)は、(異教人のように)不品行(偶像礼拝)によって生まれたのではない。われわれの父はただ一人、神である。」
8:42 イエスは言われた、「もしも神があなた達の父であったら、あなた達はわたしを愛するはずである、わたしは神から出て、(ここに)来ているのだから。わたしは自分で勝手に来たのではない、神がわたしを遣わされたのである。


●「アブラハムの子」だからと言って清いわけではない。クリスチャンの両親から生まれた子供でも悪魔に魅入られると堕落する。人殺しをする。親に殺意を抱く。あー悪いのは悪魔だ。

塚本訳 ヨハ 8:43-44
8:43 なぜわたしの言葉が通じないのだろうか。(神から委ねられた)わたしの福音を聞く耳がないからだ。
8:44 (そのはずである。)あなた達は悪魔なる父の子で、父と同じ欲望を遂げようと思っているのだ。(人殺しをし、嘘をつくのは、そのためである。)悪魔は始めから人殺しである。(また嘘つきで、)真理に立ってない。彼の中には真理がないからである。だから彼は嘘をつく度ごとに、その本性を表しているのである。嘘つきで、嘘の父だからだ。


●人間は「悪魔なる父の子」だから人殺しをする。自分の欲望遂行のために邪魔な人間を殺そうとする。あーづしようもない人間性よ。しかし人間は悪くない。そこに入り込むサタンが悪いのだ。

塚本訳 マタ 10:19-23
10:19 人々があなた達を(裁判所や役人に)引き渡した時には、いかに、何を言おうかと心配するな。何を言うべきかは、その時に(神から)授かるのだから。
10:20 言うのはあなた達でなく、父上の霊があなた達によって言われるのである。
10:21 また兄弟は兄弟を、父は子を、殺すために(裁判所に)引き渡し、『子は親にさからい立って』これを殺すであろう。
10:22 あなた達はわたしの弟子であるために皆から憎まれる。しかし最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
10:23 この町で迫害された時には、次の町に逃げてゆけ。アーメン、わたしは言う、人の子(わたし)は(すぐに)、あなた達がイスラエル人の町々を回りつくさぬうちに来るのだから。


●21節4。『子は親にさからい立って』これを殺すであろう」とは恐ろしい現実である。
●集会のKOさん(故人)は「信仰が深まれば深まるほど家人と亀裂が深まる」と話された。あー悲しい。 あー辛く苦しいことだ。


塚本訳 マタ 10:34-36
10:34 地上に平和をもたらすためにわたしが来た、などと考えてはならない。平和ではない、剣を、(戦いを)もたらすために来たのである。
10:35 わたしは子を『その父と、娘を母と、嫁を姑と』仲違いさせるために来たのだから。
10:36
『家族が自分の敵となろう。』

●仲違いどころか殺されるまでになる。「アノ人早く死んでしまわないかなー」と思われる。そう思うのは罪の極み。悪魔の仕業である。

塚本訳 ルカ 4:33-34
4:33 そのとき、礼拝堂に汚れた悪鬼の霊につかれた一人の人がいたが、大声をあげて叫んだ、
4:34 「ああ、ナザレのイエス様、『放っておいてください。』わたしどもを滅ぼしに来られたのか。あなたがだれだか、わたしにはわかっています。神の聖者(救世主)です。」


●イエスと悪魔は天敵同士。悪魔は神の子イエスを恐れる。近くに来ないでくれと思う。

塚本訳 ヨハ 3:17-21
3:17 神は世を罰するためにその子を世に遣わされたのではなく、子によって世を救うためである。
3:18 彼を信ずる者は罰されない。信じない者は(今)すでに罰されている。彼を神の独り子として信じていないからである。
3:19 すなわち、光が世に来たのに、人々は自分たちの行いが悪いので、光よりも暗さの方を愛したこと、それが罰である
3:20 悪いことをしている者は皆、光を憎んで光に来ない。自分の行いが明るみに出されたくないのである。
3:21 これと反対に、真理を行っている者は、光に来る。自分の行いが神にあってなされたことを、現わしたいのである。」

●悪魔は光を憎む。明るみに出たくない。自分のヤバイことがバレルから。真面目人間やクリスチャンとは会いたくない。


塚本訳 マタ 4:1-3
4:1 間もなくイエスは悪魔の誘惑にあうため、御霊につれられて荒野に上られた
4:2 四十日四十夜断食をされると、ついに空腹を覚えられた。
4:3 すると誘惑する者[悪魔]が進み寄って言った、「神の子なら、(そんなにひもじい思いをせずとも、)そこらの石ころに、パンになれと命令したらどうです。」


●悪魔は神とイエスの仲を引き裂こうとして「誘惑した」。
●今日でも仲が良い人の仲を裂こうとこころの底で願いのは「悪魔の心」
●「無教会は教会と信者の仲を裂こうとする悪い姑だ」いう悪口を聞いた故中澤冾樹先生は慌てた。先生が無教会を神学的に研究された。
●今日でも確信的に教会主義を信じている信者は無教会主義者を敵と思う。

塚本訳 ロマ 8:38-39
8:38 なぜなら、わたしは確信している、死んでも命でも、天使でも支配(天使)でも、現在起こっていることでも将来起こることでも、権力(天使)でも、
8:39 高い所のものでも低い所のものでも、その他どんな創造物でも、わたし達の主キリスト・イエスによる神の愛から、わたし達を引き離すことはできない


●私は無教会主義から離れられないが、その内実が内村、塚本、黒崎、矢内原などの人間(被造物)から離れられないというのであったら、偶像崇拝であるから大間違いで、無教会の明日はない。

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朝の黙想終わり


●次回3月2日の集会感話の内容修正。推敲。
●TSK日本語版詩編27,28章
●愛真高校に電話。
●妻はコーラス、とその役員会
●妻は夕方から歯科医院
●大雪の被害で各地で孤立状態。













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約束を信じる心、待つ心 ++++++++ 所感

2014/02/16 06:43

140216(日)5時起床●朝の啓示「約束の日を待つ心」●女子大での建築講義で「工事請負契約」について講義した。契約の種類には譲渡契約、売買契約、賃貸契約、工事請負契約などがあり、この中で請負契約が一番難しいものであると講義した。●「工事請負契約」の定義は「依頼を受けた者(請負人)がある仕事を完成することを約束し、その注文者がその仕事に対して報酬を支払う契約」である。●これは「まだ見ぬものの完成の約束を信じて、工事着工の前に工事を請け負う会社に莫大な契約金を支払うのである。成功報酬ではないのである。「まだ見ぬもの」を信じることが「信仰」に似ているので、人間社会のなかで最も高貴な高度な行為である。●だからそれは人間として「デキテイル」人でなければできない●今朝は「約束を信じる」ということについて聖書を黙想してみよう。

口語訳 ルカ 1:45
1:45 主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう」。


塚本訳 ルカ 1:45
1:45 主の仰せられたことはきっと成就すると信じたこの人は、なんと仕合わせでしょう。」


文語訳 ルカ 1:45
1:45 信ぜし者は幸福なるかな、主の語り給ふことは必ず成就すべければなり』


塚本訳 ヘブ 11:8-9
11:8 信仰によって、アブラハムは財産として戴くべき(カナンの)場所に『出てゆけ』とのお召しを受け、(素直に)言うことを聞いた。そしてどこへ行くともわからず、『出ていった』。
11:9 信仰によって、彼は約束の地に他国人として『宿った』。彼は同じ約束の(ものの)共同相続人(である子)イサクおよび(孫)ヤコブと一しょに、天幕に住んだのである。

塚本訳 マタ 24:35-36
24:35 天地は消え失せる、しかし(いま言った)わたしの言葉は決して消え失せない。
24:36 ただし(人の子の来る)その日と時間とは、ただ父上のほかだれも知らない。天の使いたちも知らない。

塚本訳 ロマ 5:2-4
5:2 そうだ、キリストにより、信仰で、わたし達はいまいるこの恩恵の状態に入ることができ、また(最後の日に)神の(子になることを信じて、その)栄光にあずかる希望を誇っているのである。
5:3 そればかりではない。苦難をも誇る。苦難は忍耐を、
5:4 忍耐は鍛錬を、鍛錬は希望を生むことを知っているからである。


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朝の黙想終わり

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雪景色の朝。

●7:40 いつもより早く集会に出発。長靴。手には都心で歩くための革靴。妻は全部登山靴。
●集会は、土肥(司会)、丹野(使徒信条の塚本解説)、村上)申命記29章。

2014_02160002.jpg 

集会の帰り。あきる野の雪景色。前を妻が歩く。

雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して怒らず

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カメラテストで室内撮影。今は二人だけの食卓。食後二人でウトウト眠ってしまうことがある。
左は妻の本箱、右のカウンターには辞書や地図類。その上に子や孫の写真。右手前は石油のクリーンヒーター。向こう側はリビング、テレビ。二階への階段。我が家は落ち着く。しかしこの家にいつまで住めるか。





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福音は人格から人格へ伝わる ++++++++ 所感

2014/02/15 06:32

140215(土)4時15分起床●朝の黙示「福音は人格から人格へ伝わる」●最近は「アブラハムの宗教」としてのユダヤ教、キリスト教、イスラム教のルーツと対立の原因を探求している。●キリスト教を55年鑑も「ヤッテ」来たので今更他の宗教もない。しかしこの勉強で、ではなぜ今もキリスト教を信じたのか、そして離れられないのかを体験的にまた聖書的に考えてみたい。思いつくまま。

塚本訳 Ⅰコリ15:3-5
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。


●最古の福音伝承と言われる。
●ここでのポイントは、
①一番大切なこと。・・・キリスト教の神学や思想は百家争鳴、教派も数百。しかし一番大切なことは「十字架による罪の赦しと復活」である。
②(エルサレム集会から)受けついだ・・・福音は人格で伝わる。真空からこない。頭からこない。「人格者」からではなく、「人格」からである。人は自分を愛して親切にしてくれた人が信じている宗教に走る。友達から友達へ、親から子供へ、先生から生徒へ。連られてついて行くのである。神の子キリストが「人の子の姿」を取って世に降られた意味はここにある。人は宗教の比較研究探求、また不幸や悲しみから信仰に入るのではではない。この世のゴタゴタで真理に追い込まれるのである。そのゴタゴタは神の愛の鞭。不幸や悲しみは信仰に入るがきっかけではあるが、それだけが理由だとその悩み悲しみが解消すると信仰も捨てる。「罪の赦し」という奥殿に導かれる。その奥殿に入ったものはその喜びで離れられなくなる。イマドキのワカイモンはカッコイイイ教会で結婚式を上げる(結婚式の4~50%はキリスト教式)と大体それで教会とは縁が切れる。奥殿にまで入っていないからである。
③罪のために・・・罪の赦しの経験でキリストとは離れられなくなる。クリスチャンは一生罪の悩みの病気だから医者キリストから離れられない。
④復活・・・・罪の赦しの体験で人は神を知る。その結果「永遠の命」「復活」という死を突破する希望に生きることが出来る。これはこの世のいかなるものも不可能なことである。

塚本訳 ヨハ 6:67-68
6:67 するとイエスが十二人(の弟子)に言われた、「まさか、あなた達まで離れようと思っているのではあるまいね。」
6:68 シモン・ペテロが答えた、「主よ、(あなたを離れて)だれの所に行きましょう。永遠の生命の言葉はあなただけがお持ちです(から)。


●キリストから離れず、ユダヤ教やイスラム教に行かない理由は罪の赦しと永遠の命。

塚本訳 マタ 18:19-20
18:19 なお、アーメン、わたしは言う、何事によらず、もしあなた達のうちの二人が心を一つにして地上で祈るならば、わたしの天の父上は(きっとその願いを)かなえてくださるだろう。
18:20 二人、三人、わたしの名によって集まっている所には、わたしがいつもその真中にいるのだから


●これがエクレシヤの本質。善い人がいるのでエクレシヤからは離れられない。この世的に偉い人がいるからる集まっていたとすれば、その偉い人が死ねば潮が引くように人はいなくなる。「わたしの名」とはキリストのこと。キリストの名で集まれば「胸が熱くなる」から離れられなくなる。エクレシヤは聖書の趣味教養講座ではない。どこの国も教会は老人病院の待合室の姿になっているらしい。


塚本訳 ロマ 8:34-39
8:34 『だれが(わたし達を)罰することができるか。』キリスト・イエスが(わたし達の罪のために)死んで、それだけでなく復活して、いま神の右においでになって、わたし達のために執り成していてくださるのに。
8:35 (このゆえに)だれがキリストの(わたし達を愛する)愛から、わたし達を引き離すことができるか。苦しみか、悩みか、迫害か、飢えか、裸か、危険か、剣か。
8:36 こう書いてある。──『あなた[神]のためにわたし達は一日中死の危険にさらされている、わたし達は屠られる羊のように考えられた。』
8:37 (もちろん、引き離すことのできるものはない。)そればかりか、わたし達を愛して(十字架につけられて)くださった方により、これらすべての(苦難の)中にあって、わたし達は悠々と勝つことができる。
8:38 なぜなら、わたしは確信している、死んでも命でも、天使でも支配(天使)でも、現在起こっていることでも将来起こることでも、権力(天使)でも、
8:39 高い所のものでも低い所のものでも、その他どんな創造物でも、わたし達の主キリスト・イエスによる神の愛から、わたし達を引き離すことはできない


●復活のキリストから離れられない理由。復活のキリストに出会って罪の赦しの体験をしたパウロがキリストから離れられない理由。

口語訳 ヨハ 15:16
15:16 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。


●クリスチャンになったというのは神の方からのアクションであったような気がする。選ばれたことは光栄であるが、受難と十字架の死が待っている。その死で実を結ぶためである。

塚本訳 ルカ 24:31-35
24:31 (その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。
24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。
24:33 時を移さず二人は立ち上がってエルサレムに引き返して見ると、十一人とその仲間とが集まっていて、
24:34 「ほんとうに主は復活して、シモン(・ペテロ)に御自分を現わされた」と話してくれた。
24:35 それで二人も、(エマオへの)道であったことや、また、どうしてパンを裂かれたことで(主と)わかったかを物語った。


●人は復活のキリストの接近で「目が開き」「胸が熱くなって」福音を語り始める。キリストを語り始める。この連鎖が教会2000年の歴史の本質。福音はヒューマニズムではない。平和運動ではない。思想ではない。


塚本訳 Ⅰペテ1:8
1:8 君達は彼を(目のあたり)見たことはないが、(これを)愛し、今も見ることは出来ないが、(これを)信じて、(既にかの日の)輝きに満ちた、言語に絶する喜悦を喜んでいる。


●「言語に絶する喜悦」。これがキリストにある希望。永遠の命の喜び。これがあればこの世の些細な悩み苦しみは「ナンノコレシキ」だ。病気、経済破綻、家庭崩壊、不和、戦争、・・・・
●私がキリストから今もなお離れられない理由はここにある。

塚本訳 ピリ 2:6-11
2:6 彼は(先には)神の姿であり給うたが、神と等しくあることを棄て難いことと思わず、
2:7 かえって自分を空しうして人と同じ形になり、奴隷の姿を取り給うたのである。そして人の様で現れた彼は、
2:8 自ら謙り、死に至るまで、(然り、)十字架の死に至るまで(父なる神に)従順であり給うた。
2:9 それ故に神も彼を至高く上げ、凡ての名に優る(「主」なる)名を与え給うた。
2:10 これはイエスの(この尊い)名の前に、天の上、地の上、地の下にある『万物が膝を屈め、
2:11 凡ての舌が』「イエス・キリストは主なり」と『告白して』父なる『神に』、栄光を帰せんためである。


●これは初代教会の讃美歌。
●福音伝承は頭ではない、知識や運動でもなく、「舌が」動くのである。熱くなった胸が爆発するのだ。

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朝の黙想 終わり

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雪掻き。日本人の結束力は大したものだ。積雪約50センチメートルは100年ぶりらしい。
道を造らないと歩けない。

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五日市線は不通。予定していた昭和女子大生、拙宅木造住宅見学会はやむなく延期。
ぜひ見学したいという人がいるから頼もしい。手ごたえがある。女流建築家の相がある。

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雪の我が家。雪の重さは、一立方メートルf当り0.5トン。だから雪国では雪下ろしが必要だ。
近くでアルミのガレージが潰れているのを二か所見た。あれはリミット設計だからだ。










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子供は『風と共に去りぬ」 ++++++++ 所感

2014/02/14 06:48

140214(金)5時目覚め●朝の黙想「子供の霊の成長は神が行う」●子供は親の手から離れてもいつまでもその霊肉の成長が気になるものである。しかし「可愛いものには旅をさせよ。親元から離れた子供は神が引き受けてくれる。肉の親よりうまく導いて最後の日の救いに預からせてくれる。●子供はいつか親元から独立して行くものだ。親にケチをつけ、反抗し、愚弄し、捨てゼリフを吐いて出ていくものだ。「風と共に去りぬ」だ。しかかし、「聖霊は風」と聖書にある。風と共であるから安心だ。●今朝はこれに関する聖句を黙想してみよう。頭に思い浮かぶままを掲げる。

塚本訳 ルカ 2:48-52
2:48 両親はこれを見て驚き、母が言った、「坊や、どうしてこんなことをしましたか。ごらん、お父さまもわたしも(こんなに)心配して、あなたをさがしているではありませんか。」
2:49 彼らに答えられた、「なぜおさがしになったのです。わたしが(天の)お父さまの家に居るのは当り前でしょう。御存知なかったのですか。」
2:50 両親にはこう言われた言葉(の意味)がわからなかった。
2:51 それからイエスは一しょに(エルサレムから)下ってナザレに帰り、両親につかえられた。母(マリヤ)はこのことを皆胸に秘めていた。
2:52 イエスは知恵も身の丈も、』また神と人との寵愛も、いやましに増していった。』


●イエスの第一次反抗期。しかしこれによって神の寵愛が増していった。これで安心。

塚本訳 マタ 19:4-5
19:4 答えて言われた、「造物者が始めから『彼らを男と女とに造られた』こと、
19:5 また、『それゆえに人は父と母とをすてて妻に結びつき、二人は一体となる』と言われたことを、あなた達は読んだことがないのか。


●結婚とは「父と母とをすてて」出ていくものだ。塚本訳の「すてて」は他の訳の「離れて」よりも強い訳。いつまでも家にいる人間は婚期が遅れる。
●かって職場で4人の娘を抱えてまだ誰も結婚していない親父さんがいた。「駆け落ちでもいいから出て行ってくれ」と言った。娘を嫁がせることは「片付いた」とは良く言った言葉だ。
●塚本先生は結婚相談が大嫌いであった。あるとき御嬢さんの結婚について先生にお願いに来られた母親がいた。「いい人を紹介してほしい」と思われたのであろう。すると先生は「御嬢さんの結婚は『どぶ』に捨てるような気持ちになりなさい」と言われた。するとその母親は「マーひどい。先生の御嬢さんの時を見ていますからね」と言った。
●塚本先生の娘が結婚する時、二人は抱き合って泣かれた。その先生も娘ももう故人になられた。人生は短い。子供は息子も娘も「風と共に去りぬ」だ。その結婚相手は悪臭の漂う『どぶ』だ。いいのだ、いいのだ。それでいいのだ。人間の親の肉的心配以上に神はその霊魂の救いを心配してくださる。「可愛いものには旅をさせよ」「若いときの苦労は買ってでもせよ」
●子供の結婚相手は「どぶ」。気に入らない婿、気にくわない嫁のこと。いいのだ、いいのだ、本人が決めたのだからそれでいいのだ、それがいいのだ。「すべてのこと相働きて益となる」。

新共同 マコ 4:26-27
4:26 また、イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、
4:27 夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、
どうしてそうなるのか、その人は知らない。

●植物の成長の過程はわかるが理由はわからない。神が成長させる。子供の霊魂の成長もおなじ。

塚本訳 ヨハ 16:7-8
16:7 しかし本当のことを言うが、わたしが(父上の所に)行くことは、あなた達のために利益である。行かねば、弁護者はあなた達の所に来ないが、行けば、わたしが彼を遣わすからである。
16:8 そして彼は来ると、罪について、義について、罰について、この世に(その考えの)誤りを認めさせるのであろう

●子供もその伴侶も親から手の届かないところにいる。間違っていることは神が教えてくださる。

塚本訳 ヨハ 3:5-8
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない
3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。
3:7 『あなた達は新しく生まれなおさねばならない』と言ったからとて、すこしも不思議がることはない。
3:8 風[プニューマ]は心のままに吹く。その音は聞えるが、どこから来てどこに行くか、あなたは知らない。霊[プニューマ]によって生れる者も皆、そのとおりである。」


●私の孫の一人の名前は両親に依頼されて、「風人」と名つけた。風とは「神の霊」のことだ。この孫もいつか「風と共に去る」のはすぐだ。しかし「風と共」「は「神の霊と共」ともであれかし。

塚本訳 ヘブ 12:10
12:10 というのは、肉の父は(ほんの)少しの日数(だけ)、自分の考えに従って訓練したのに反して、神はわたし達を益するため、わたし達をその聖さにあずからせるために、訓練されるのであから。


●肉の父の訓練と神の訓練はその目的も手段も異なる。
●(ほんの)少しの日数(だけ)、という言葉は真理だ。子供が親元にいる期間は短い。あっという間にどぶの中に「去っていく」。恋愛、駆け落ち、見合い、そのゴタゴタの苦労が終わって「どぶ」に嘆きながら親は死んでいくのだ。それでいいのだ、それがいいのだ。 サケは卵を産むと死んで流れ去っていく。
●今、女性は婚期が遅くなっている。「親の理想」に絡まれているからではないのか。「良かれ思って結婚しても、気が付いたら『どぶ』であった」でいいのだ。生涯修道院、生涯「自分の十字架』を背負うのでいいのだ。それがいいのだ。                                         

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朝の黙想終わり。

●6:30 ラジオ体操。また雪。明日は昭和女子大の生徒が拙宅の木造住宅を見学に来る。多くが木造住宅に関心がある頼もしい生徒だ。話は結婚論になるかもしれない。
●年金支給日。雪の中をATMへ行き、郵便局に支払い。
●ドイツに研修旅行に行った三男の恵から土産物とカルチャーショックを受けたという便りが送られてきた。
●17:00 雪が止まない。
●明日は終日忙しいので、TSK日本語版の明日の分を入力。詩篇26編。
●愛子が大田区に引っ越すとの知らせ。人はみなこの世では旅人だ。私達も4回引っ越した。目黒、府中、あきる野市雨間、あきる野市秋留。それぞれに良いことがあった。
●所詮、人間はこの世ではいつも「仮設住宅」だ。然り、この身体こそ「仮の宿」なのだ。我々はこの世に永住の地はないのだ。

文語訳 ヘブ 11:13
11:13 彼等はみな信仰を懷きて死にたり、未だ約束の物を受けざりしが、遥かにこれを見て迎へ、地にては旅人また寓れる者なるを言ひあらはせり。

口語訳 ヘブ 11:13
11:13 これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。


新改訳 ヘブ 11:13
11:13 これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。

新共同 ヘブ 11:13
11:13 この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。

塚本訳 ヘブ 11:13
11:13 信仰に従い、これらの人たちは皆、(地上では)約束のものを受けずに死んだのである。彼らはただ遠くからそれを眺めて歓迎し、自分たちは、『この地上では外国人であり、旅の者』であると認めた。

TEV ヘブ 11:13
11:13 It was in faith that all these persons died. They did not receive the things God had promised, but from a long way off they saw them and welcomed them, and admitted openly that they were foreigners and refugees on earth.

NKJV ヘブ 11:13
11:13 These all died in faith, not having received the promises, but having seen them afar off were assured of them, embraced them and confessed that they were strangers and pilgrims on the earth.











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不幸はいかにして慰められるか ++++++++ 所感

2014/02/13 05:28

140213(木)4時目覚め。●目覚めの啓示「不幸はいかにして慰められるか」●私の建築上の同僚であるS君(わたしと同年)は還暦を待たずに58歳で逝った。過日その夫人に会ったら「どうしてウチの主人だけがあんなに早く逝ってしまったのでしょう。高橋さんが恨めしい」と言われた。●以来この言葉が喉に刺さった骨のように抜けない。●今朝はこの不幸に対して聖書の言葉で思いを巡らして見たい。なまじ人間の慰めの言葉だけではとうてい通じないのだ。

塚本訳 Ⅰヨハ3:16-18
3:16 (神の子である)キリストがわたし達のために命を捨てられた(その)ことで、わたし達は(はじめて)愛を知った。だからわたし達も兄弟のために命をすてねばならない。
3:17 (手近な例であるが、)この世の財産を持っていて、その兄弟の必要を見ながら、しかも彼に対して憐れみの心を閉じる者があれば、どうして神の愛がその人に留っていることができよう。
3:18 子供たちよ、わたし達は言葉や舌でなく、業と真理とをもって愛しようではないか。


●我々は「口先だけの愛」ではいけないのだ。

塚本訳 ヤコ 2:15-16
2:15 (君達の)兄弟か姉妹が裸でいて、その日の食物に事欠いている時、
2:16 君達の誰かがこれに、「(では)『お大事に』、温かにして、満腹しなさい」と言って体に必要なものを与らなければ、何の役に立とう。


●10年前に逝った母は、様子伺いに行くと私の顔を見て、何事かを察してお金をくれた。「照男のところは子供が多くて大変そうだ」と言うのであった。
●母はついに信仰に至らなかったが、「この小さき者」に金を恵んでくれたことは神に覚えれれたであろう。
●私が貧しくて赤ん坊のシャツが買えなかったとき、隣のSさんはお金を下さった。

塚本訳 マタ 10:42
10:42 また(わたしの)弟子としてこの一人の小さな者に一杯の冷たい水でも飲ませる者は、アーメン、わたしは言う、(天にて)その褒美にもれることはない。」


●愛は金だ。労働だ。口先の信仰ではない。

塚本訳 マタ 2:18
2:18 『声がラマに聞えた、──(ラケルの)』はげしい『わめきと、なげきの声である。ラケルはその子らのために泣くばかりで、慰められようとしない、子らがもういないので。』


●お子様を亡くされた女性を慰めようと、塚本先生がその家に出かけて行ったら、母親は心を閉じて「慰められようとしなかった」。先生は自分の不明を恥じて雑誌で自戒反省された。
●とかく慰めるというのは「上から目線」なのだ。これじゃーいけない。人間は人間を慰められない。
●「自分も「同じ目に遭った」というのがせいぜいの慰めであるが、これでも不十分だ。
●神による慰めは、人間の「金や労働」以上の「神の愛」「神の労働」なのだ。莫大な金、莫大な労働なのだ。人間のすこしばかりの金や労働ぐらいで満足していてはいけない。

塚本訳 Ⅱコリ1:4-6
1:4 どんな苦難の時にもわたし達を慰めてくださる神、こうしてわたし達自身も神に慰めていただくその慰めをもって、どんな苦難の中にいる人たちをも慰めることが出来るのである。
1:5 というのは、キリストの苦しまれた(苦しみをわたし達は共に苦しむので、その)苦しみがわたし達に満ちあふれるのと同じように、わたし達の慰めもキリストを通じて満ちあふれるからである。
1:6 (すなわち)わたし達が苦しめられるにしても、それはあなた達の慰めとなり救いとなるためであり、わたし達が慰めていただくにしても、それはあなた達の慰めとなるためであって、その慰めが働いて、わたし達がうけるのと同じ苦しみをあなた達は耐え忍ぶことが出来るのである。


●偉大なるかなパウロ。病気、貧困、迫害、妻なし、家庭なし、子供なし、名誉なし、失敗の人生。しかし、キリストにある喜びがあった。これが真の健康、財産、家庭、子供、名誉。

塚本訳 Ⅱコリ8:9
8:9 ──あなた達はわたし達の主イエス・キリストの恩恵を知っているではないか、彼は(神の子として)富んでおられたのに、あなた達のために(人間となって)貧しくなられた、この方の貧しさによってあなた達が富むためである。


●神の子キリストは富んでいたのにその地位を捨てて、人間の罪の救いのために貧しくなられた。
●塚本虎二は参事官の地位を捨て、黒崎幸吉は住友での地位を捨てて貧しくなった。その上塚本虎二は脳軟化症で畢生の大事業であった新約聖書の改訳が行き詰った。そのとき、塚本虎二は完成しなくてもよいと笑った。黒崎幸吉は失明したとき、「目は見えんが先は見えちょる」と言った。

塚本訳 ピリ 3:1
3:1 最後に、(愛する)わが兄弟達よ、主に在って喜べ──(こう喜べ喜べと言ってはうるさいかも知れないが、)このことを書くのは私には(少しも)うるさいことではなく、また君達には(苦難を喜ぶことが信仰を保つに最も)安全(な道)である(と思う。)


●苦難は信仰を保つ道。涙と呻きと懊悩が信仰が深められる道。

塚本訳 ヤコ 1:2
1:2 わが兄弟達よ、種々な試練に遭った時には、(それを)無上の喜びと思え。


●これはなかなかできない。クリスチャンの努力目標。

塚本訳 Ⅰペテ4:12-13
4:12 愛する者よ、試練のため君達に起こった烈火の苦難を(何か)異常なことが臨んだかのように(驚き)異しむな。
4:13 むしろキリストの苦難に与れば与るだけ喜べ。(最後の日)その栄光の顕るる時にも歓びに喜ぶ(ことが出来る)ためである。


●「どうして私だけが」「こんなはずではなかったのに」との嘆きは神の栄光g現れることで納得。

塚本訳 ヘブ 2:17-18
2:17 そのため、彼はどの点からしても『兄弟』(である人間)に似ざるを得なかったのである。彼は(人間に対して)憐れみぶかい、神に関することについては忠実な大祭司となられた。それは民の罪を贖うためであった。
2:18 というのは、みずから誘惑にあって苦しみをうけたので、(同じく)誘惑にあう者を助けることが出来るからである。


●神の慰めは神の子キリストの十字架による罪の赦しと、汚れた我が身の有体的復活。

塚本訳 マコ 10:29-30
10:29 イエスは言われた、「アーメン、あなた達に言う、わたしのため、また福音のために、家や兄弟や姉妹や母や父や子や畑をすてた者で、
10:30 今、この世で──迫害のうちにおいてではあるが──百倍の家と兄弟と姉妹と母と子と畑とを、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。


●慰めといって、神の子の慰めはパウロの言葉とは違う。「今、この世で」慰められるというのだ。
●わたしは家を火災で失ったが、前よりも大きい家と土地が与えられた。脳出血でうまく話せなかったが、百倍も話せるようになった。しゃべりすぎか(笑)

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朝の黙想 終わり

●TSK日本語版詩編24章
●感話資料作成。3月2日、30日、4月6日。3回分。
●デューラーの「4人の使徒」(ミュンヘン、アルテピナコテーク絵画館所蔵)をネットで鑑賞して、4人の性格が良く出ているのに感心した。デューラーは聖書の読みが深い。











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また彼のために苦しむ事をも賜はりたればなり ++++++++ 所感

2014/02/12 08:15

140212(水)4時起床●朝の啓示「苦しむことも恵みとして与えられている」●昨日はTSK日本語版の詩篇23編を入力して、思いを新たにした。

新共同 詩 23:1-6
23:1 【賛歌。ダビデの詩。】主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
23:2 主はわたしを青草の原に休ませ/憩いの水のほとりに伴い
23:3 魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく/わたしを正しい道に導かれる。
23:4 死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖/それがわたしを力づける。
23:5 わたしを苦しめる者を前にしても/あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ/わたしの杯を溢れさせてくださる。
23:6 命のある限り/恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り/生涯、そこにとどまるであろう。


●これはダビデが自分の生涯を振り返っての感慨ではないだろうか。
●6節の「命のある限り」は現在70歳の私の思いに共鳴する
●「恵みと慈しみはいつもわたしを追う」とは神の愛がいつも私に追いかけて来るというのだから、聖書中の最高の言葉、最高の幸福感である。理屈っぽいパウロに比べて詩の真実が出ている。(ゲーテ、「詩と真実」。)これは人生肯定の凱歌で。ロマ書8章の最後、ベートーヴェン「第九」の歓喜の歌以上である。
●生涯を振り返って人生は晴れの日ばかりではない。4-5節で「死の陰の谷」「わたしを苦しめる者」という言葉があるからダビデもかなり苦難に遭遇したのだろう。これも心に響く。
●このことから、今朝はピリピ1:29が啓示され、枕が涙に濡れた。

●まず翻訳比較


文語訳 ピリ 1:29
1:29 汝等はキリストのために啻に彼を信ずる事のみならず、また彼のために苦しむ事をも賜はりたればなり。


口語訳 ピリ 1:29
1:29 あなたがたはキリストのために、ただ彼を信じることだけではなく、彼のために苦しむことをも賜わっている。


新改訳 ピリ 1:29
1:29 あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜わったのです。


新共同 ピリ 1:29
1:29 つまり、あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。


塚本訳 ピリ 1:29
1:29 君達はキリストのために──ただ彼を信ずるばかりでなく、また彼のために苦しむことをも恵まれたからである。


NKJV ピリ 1:29
1:29 For to you it has been granted on behalf of Christ, not only to believe in Him, but also to suffer for His sake, 


TEV ピリ 1:29
1:29 For you have been given the privilege of serving Christ, not only by believing in him, but also by suffering for him. 

●苦しみ悩みはこれ「恩恵として賜ったもの」「賜っているもの」ということさえ心得ればいかなる苦しみにも耐えられる。なぜか。その苦しみは神がご存知なのだから。「ナンノコレシキ」。
●この一句で思い出されること。以下はすでに公表されていることだから、実名で書く。

私がそのお住まいを設計した故松島省三先生(稲の博士で世界的に有名)は若き日に結核に冒され生涯片肺飛行。そんな体なのに徴兵された。出征する駅で夫人の信子さんが走り出す汽車を追いかけてきて紙切れを先生のポケットにねじ込んだ。走り出した列車の中でその紙切れを見た先生は滂沱の涙。そこには夫人が走り書きした聖句が書いてあった。

「汝等はキリストのために啻に彼を信ずる事のみならず、また彼のために苦しむ事をも賜はりたればなり。」

●これが文語訳ピリピ1:29である。この時ほどクリスチャンの女房をもらってよかったと思ったことはなかったそうだ。
●戦地から帰還してみると。子供の一人が死んでいた。栄養失調か病気か。おそらく先生は慟哭。
●「関根(正雄)や前田(護郎)は聖書に邁進する道を行ったが、私は稲作に懸ける」と心に決め、生涯を稲の多収量方策の研究に打ち込んだ。それが「松島理論」となった。稲の葉に太陽光を十分に当てる方法で、神の恵みを頂く実にクリスチャンらしい発想であった。その成果はアフリカや中国で実を結び、中国政府から表彰された。同一面積から10倍もの収穫を得る実績を上げた。「戦争は常に食糧問題から」ということを思う時、真の平和貢献は小事であるこの世の職業に「主にあって」邁進することであることを学ぶ。
●ところが、「偉い親父の息子はよくグレる」と言うが、松島先生の子供の一人も御多聞に漏れずにグレた。学校で問題を起こすたびに信子夫人はもらい下げに行かれた。
●なぜグレるのか。「俺はとうてい親父のようにはなれない」と思うのか「親父はいつも俺を良く思わない」と感じるのか、その辺の心理状態を知りたい。あの深津文雄牧師の息子も一時グレた。息子曰く「親父が偉すぎて息苦しくて家出した」と。
●松島先生が召されたのはお住まいが完成してから間もなくであった。その最後の病気のときにグレた息子は盛んに先生の書かれた「信仰関係の文章」を読んでいるのを私は見た。
●その後、御夫人の信子さんが召されるとそのグレた息子は急に変わって熱心なクリスチャンになった。お母さんの葬式を主にあってキリスト教式で行った。先頭を切って仕切られた。
●「一粒の麦地に落ちて死なずばただそのままにてあらん。もし死なば多くの実を結ぶべし」(ヨハネ12:24)を思う。
●松島先生ご夫妻は「苦しむことをも恵まれた]のだ。苦しみには意味があった。 万歳!
●人の救いは身近な人の「労苦」があって成就するものだ。

新共同 Ⅰコリ15:58
15:58 わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。


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朝の黙想 終わり

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赦しには苦痛が伴う ++++++++ 所感

2014/02/11 05:19

140211(火)4時目覚め。●目覚めの啓示「赦しには苦痛が伴う」●重荷を負っている人に告ぐ。聖書のアチコチを思いつくままに書きあげる。これは全聖書に一貫している思想である。こういう思想検索作業は「コンコルダンス」(聖書語句索引)では出来ない。●私は将来「聖思想シソーラス」を造りたいが、それは苦難と聖霊の導きによって出来る。

塚本訳 マタ 11:28
11:28 さあ、疲れている者、重荷を負っている者はだれでも、わたしの所に来なさい、休ませてあげよう。


●プロテスタント教会の看板にはこの標語が多い。 無教会はどうすれば良いのか。
●「看板」を見て救いを求める人は少ないはずだ。福音は人格、人脈で伝わるのだ。 それも友人から、親しい人から。

塚本訳 エペ 2:1-5
2:1 君達も(私達と同様に)自分の咎と罪によって死んだ者であって、
2:2 かつてはこの世の世界の流れに従い、すなわち空中の権威と、今も不従順の子らの中に働いている(悪)霊との首領に従って、その咎と罪の中を歩いたのであった。
2:3 (否、)私達も皆かつてはこの人達に伍して自分の肉の欲の中に生活し、肉と欲望の欲するままに振舞って、他の(異教)人達のように生まれながら(神の)怒りの(審判に定められた)子であった。
2:4 しかし憐憫に富み給う神は、その大なる愛によって私達を愛し、
2:5 咎によって死んでいたこの私達をもキリストと共に活かし──君達が救われたのは恩恵によるのだ──


●神の赦しが先。そうすれば我々は人を赦せる。否、赦さねばならない。

塚本訳 マタ 10:20-25
10:20 言うのはあなた達でなく、父上の霊があなた達によって言われるのである。
10:21 また兄弟は兄弟を、父は子を、殺すために(裁判所に)引き渡し、『子は親にさからい立って』これを殺すであろう。
10:22 あなた達はわたしの弟子であるために皆から憎まれる。しかし最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
10:23 この町で迫害された時には、次の町に逃げてゆけ。アーメン、わたしは言う、人の子(わたし)は(すぐに)、あなた達がイスラエル人の町々を回りつくさぬうちに来るのだから。
10:24 弟子は先生以上でなく、僕は主人以上ではない。(だからあなた達が迫害されるのは当り前である。)
10:25 弟子は先生のよう、僕は主人のようであれば、それで満足すべきである。家の主人(たるわたし)が(悪鬼の頭)ベルゼブルと(悪口を)言われたのだから、その家族(たるあなた達)はなおさらのことである。


●初代教会は悪魔が身内や側近に入って信仰をぐらつかせたばかりか、裁判所に訴えてこれを殺そうとまでした。これ今でも同じ。

塚本訳 ヨハ 15:18-21
15:18 (しかしわたしに愛される時、あなた達はこの世から憎まれる。だが)もしこの世があなた達を憎んだら、あなた達よりも先にわたしを憎んだと思え。
15:19 もしあなた達がこの世のものであったら、この世は自分のもの(であるあなた達を)愛するはずである。しかしあなた達は(もはや)この世のものではなく、わたしがこの世から選び出したのだから、この世はあなた達を憎むのである。
15:20 『僕はその主人よりもえらくはない』と言ったわたしの言葉を忘れないように。人々は(わたしにしたと同じことをあなた達にするであろう。)わたしを迫害したなら、あなた達をも迫害し、わたしの言葉を守ったなら、あなた達の言葉をも守るであろう。
15:21 ところが、彼らはあなた達がわたしの弟子であるために、(憎み、迫害など)すべてこれらのことを、あなた達にするであろう。わたしを遣わされた方を知らないからである。


●20節」 『僕はその主人よりもえらくはない』、の意味は先生の労苦は常に弟子以上であって、弟子は先生の労苦以上にはなれない言うのだ。慰めの言葉。我々の労苦はすでに神が知っていて、負ってくださっているのだ。

塚本訳 ヨハ 13:12-17
13:12 さて、みんなの足を洗い終ると、上着を着てふたたび席について、言われた、「いまわたしは何をあなた達にしたか、(そのわけ)がわかるか。
13:13 あなた達はわたしを『先生』とか『主』とか呼んでいるが、そう言うのは正しい。その通りだから。
13:14 してみると、主であり先生であるこのわたしが足を洗ってやったのだから、あなた達も互に足を洗う義務がある。
13:15 わたしがしてやったとおりあなた達もするようにと、手本を示したのである。
13:16 アーメン、アーメン、わたしは言う、僕はその主人よりもえらくはならない。また使は本人よりもえらくはない。(だからわたしを真似るがよい。)
13:17 このことがわかったなら、そのとおりにすれば、幸いである。


●16節。世の悩み苦しみはイエスが負ってくださっている。だから「僕はその主人より偉くはない」

塚本訳 ルカ 6:39-42
6:39 なお譬を一つ話された、「盲人に盲人の手引が出来るか。二人とも穴に落ち込まないだろうか。
6:40 (良い先生をえらべ。)弟子は先生以上になれない。りっぱに一人前になっても、(たかだか)先生のようになるだけである。
6:41 なぜあなたは、兄弟の目にある塵が見えながら、自分の目に梁があるのに気付かないのか。
6:42 自分の目にある梁が見えずに、どうして兄弟にむかって、『兄弟、あなたの目にある塵を取らせてくれ』と言うことが出来ようか。偽善者!まず自分の目の梁を取ってのけよ。その上で、兄弟の目にある塵を(取ってやれるなら、)取ってやったらよかろう。


●我々の唯一の良い先生は「キリスト」。なぜかキリストは今も生きていて我々の重荷を負ってくださり、導いてくださる。キリストは盲人ではない。

塚本訳 マタ 18:32-35
18:32 すると主人はその家来を呼び出して言う、『不埒な家来、あなたが頼んだから、わたしはあの負債に全部、棒を引いてやったのだ。
18:33 だからあなたもわたしに情をかけてもらったように、同僚に情をかけてやるべきではなかったのか。』
18:34 そこで主人は怒って、負債を全部返すまでその男を獄吏に引き渡した、(いう話。)
18:35 わたしの天の父上も、もしあなた達ひとりびとりが心から兄弟を赦さないならば、同じようにあなた達になさるであろう。」


●これ新約聖書の本質。神の愛が先行する。だから人間は人を赦せるようになる。否、赦すべきだ。

塚本訳 マタ 18:21-22
18:21 その時ペテロが進み寄ってたずねた、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したとき、何度赦してやらねばなりませんか。七度まででしょうか。」
18:22 イエスがこたえられた、「いや、あなたに言う、七度までどころか、七十七度まで!


●仏教では仏(ホトケ)の顔は三度までと言われているが、キリスト教は「七十七」度、つまり無限に赦せと言う。七十七度に労苦あり。


塚本訳 ルカ 17:1-4
17:1 それから弟子たちに言われた、「罪のいざないが来るのは致し方がない。だが、それを来させる人は禍だ。
17:2 この小さな者を一人でも罪にいざなうよりは、挽臼を頚にかけられて海に放り込まれる方が、その人の為である。
17:3 (人を罪にいざなわぬように注意せよ。(また)もし兄弟が(あなたに対して)罪を犯したら、これを咎め、悔改めたら、赦してやりなさい。
17:4 あなたに対して一日に七度罪を犯しても、七度『すまなかった』と言って、あなたの所へもどってきたら、七度赦してやらねばならない。」


●「あいつが頭を下げて謝ってきたらきたら赦してやろう」と思う人間はマダマダ。「東電が謝ってきたら赦してやろう」と思うのはまだまだ。

塚本訳 エペ 5:8-14
5:8 君達はかつては暗であったが、今は主に在って光である。光の子らしく歩け──
5:9 光の果実はあらゆる善と義と真であるから──
5:10 何が主の御意に適うかを(よく)吟味せよ。
5:11 そして果実を結ばれない暗の業に与せず、むしろ(これを)明るみに出せ。
5:12 何故なら、彼らが隠れて行うことは(これを)口にするさえ恥ずかしいことである。
5:13 しかし明るみに出され(てその正体を暴露され)るものは皆(神の)光によって照らされる。
5:14 (そして神の光に照らされ罪を浄められる時その人自身が光となる。)然り、(光に)照らされるものは皆光である。故に主は言い給う──眠る者、起きよ、死人の中より立ち上がれ、さすればキリストが汝を照らし給うであろう。

●光の子にさせられたのだから赦せ。罪の指摘断罪は人を救わない。社会派信者達よ良ーくここを読め。

塚本訳 使  26:14-16
26:14 わたし達が皆地上に倒れると、ヘブライ語で、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。刺の棒は蹴っても無駄だ』とわたしに言う声を聞きました。
26:15 わたしは言った、『主よ、あなたはどなたですか。』主が言われた、『わたしだ、君が迫害しているイエスだ。
26:16 さあ、起きて、『自分の足で立て。』わたしが(今)現われたのは、君を選んで、わたしを見たことと、(今からも)君に現われて示すこととの証人として、わたしに仕えさせるためである。


●刺の棒で打つ苦悩。打たれる方にも打つ方にも苦悩あり。

塚本訳 ロマ 3:25-26
3:25 すなわち神は御自分の義を示すために、宥めの供え物としてキリストを提供された。これはキリストの血でなされたものであり、(人は)信仰によ(ってこの恩恵にあずか)るのである。このことは──神が(長いあいだ)忍耐をもって過ぎし日に犯した罪を罰せずにおられたので──
3:26 今の世において、御自分の義を示そうとされたのである。すなわち御自分が義であること、またイエスを信ずる者を義とするお方であることを、(この世に)示されたのである。


●25節。──神が(長いあいだ)忍耐をもって過ぎし日に犯した罪を罰せずにおられたので──。神の忍耐の労苦。

文語訳 Ⅰコリ15:58
15:58 然れば我が愛する兄弟よ、確くして搖くことなく、常に勵みて主の事を務めよ、汝等その勞の、主にありて空しからぬを知ればなり。


口語訳 Ⅰコリ15:58
15:58 だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。


新改訳 Ⅰコリ15:58
15:58 ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。
 



新共同 Ⅰコリ15:58
15:58 わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。


塚本訳 Ⅰコリ15:58
15:58 だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ。骨折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから。

●「労」「労苦」「苦労」「骨折り」・・・・・これは言葉に出せない「呻き」。
●「主にあって」がポイント。「空しくない」「無駄にならない」

塚本訳 ロマ 8:18-24
8:18 (しかもこの苦しみは恐れることはない。)なぜなら、わたしはこう考える。今の世の苦しみは、わたし達に現われようとしている栄光(──キリストと一しょに神の国の相続人になる最後の日の大いなる光栄──)にくらべれば、言うに足りない。
8:19 (そしてこの栄光は必ず与えられる。)その証拠(の第一)は、創造物が神の子たちの現われるのを、首を長くして待ちこがれていることである。
8:20 なぜであるか。創造物は自分から(今のような)はかない運命に屈伏したのでなく、それは屈伏させたお方([神]の御心)によるからである。(彼らはアダムの罪の責任を負わされたのである。)しかし(この屈伏には)望みがある。
8:21 創造物自身も、滅亡の奴隷になっている(現在の)状態から自由にされて、神の子供たちがうける栄光と自由とにあずかるのだから。
8:22 わたし達が知っているように、全創造物は(かの日から)今まで、一しょになって呻き、一しょになって産みの苦しみをしている。(父なる神がこの  呻きに耳を傾けられないことがあろうか。)
8:23 しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証拠として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである。
8:24 なぜなら、わたし達は(最後の日に救いが完成されるという)望みをもって、救われているからである。目に見ることのできる望みは望みではない。人はいま現に見ているものを、なんでその上望む必要があろうか。

●信者のこの世での本業は「呻く」こと。 十字架を負わされること。

塚本訳 ルカ 23:33-34
23:33 髑髏という所に着くと、(兵卒らは)そこでイエスを十字架につけた。また罪人も、一人を右に、一人を左に(十字架につけた)。
23:34 するとイエスは言われた、「お父様、あの人たちを赦してやってください、何をしているか知らずにいるのです。」『彼らは籤を引いて、』イエスの『着物を自分たちで分けた。』


●イエスは殺されながら赦した。 イエスはペテロ、ユダ、ピラト、サンヘドリンを赦した。

塚本訳 ヨハ 12:24
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)


●植物の種は死んで芽が出る。初代教会の殉教者の死は次々と新しい信者を生み出した。これを「血は種子である」と言われている。我々はイエスやパウロや初代教会の信者より楽をして天国には行けない。

塚本訳 マコ 10:21
10:21 イエスは彼をじっと見て、かわいく思って言われた、「(よく守った。だが)一つ足りない。家に帰って、持っているものをみな売って、(その金を)貧乏な人に施しなさい。そうすれば天に宝を積むことができる。それから来て、わたしの弟子になりなさい。」


●善行が救いの条件ではない。救いには自分を捨てる労苦が伴うというのだ。

塚本訳 ルカ 9:23
9:23 それから今度は皆に話された、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、毎日自分の十字架を負い、それからわたしに従え。


●「自分の十字架」とは各自の十字架。親しい人にも話せない悩み苦しみ。神にだけは告げよ。
●「毎日十字架を負え」とは、「一日に七度『すまなかった』と言って、あなたの所へもどって来たら、(七度)赦してやらねばならない。」(ルカ17:4)に通じる。つまり一生涯赦し続けよ。それが「天に宝を積む」事なのだ。最後の日には全員が救われる。

新共同 マタ 18:21-22
18:21 そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」
18:22 イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。


●無限の赦し。死をも覚悟の赦し。これ人間の世界では出来ない。神の終末による全人類の救いを信じて初めて可能。

塚本訳 ロマ 12:19-20
12:19 愛する者たちよ、自分で仕返しをするな、(裁きの日の神の)怒りにまかせよ。こう書いてあるではないか、「主は言われる、『仕返しはわたしのもの、』わたしが『報いをする』と。」
12:20 むしろ、『あなたの敵が飢えているなら、食べさせてやれ。渇いているなら、飲ませてやれ。こうするのはその頭に炭火を積むことであるから、(いつかは恥じて悔改める。)』


●赦せない相手の頭に炭火を積むことが真のエネルギー問題解決の道。
●「炭火」とは相手が「悔い改めの念に燃える事。それはこの世では無理でも来世で神によって可能。そう信じ貫こう。
●(いつかは恥じて悔い改める)との塚本敷衍は千金の重み。忍耐の言葉。希望を捨てるな。

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朝の黙想終わり。果たして私にそれが出来るだろうか。神の力で可能。

●TSK詩編22編。イエスが十字架上で叫んだ「エリエリ、ラマ、サバクタニ」(わが神、わが神、何で私をお見捨てになったのですか)の詩。イエスは詩編を熟読暗記していた。だからこの詩が口について出たのだ。胸が締め付けられた。
●昭和女子大リポートテスト採点。生徒の顔写真を見ながら採点した。                 ●TSK日本語版詩篇23編                                           ●図書館に本の延長、井筒俊彦「イスラームの誕生」「コーランを読む」。他。コーランは井筒俊彦、新約聖書は塚本虎二。いずれも碩学。


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雪はやんだが、寒い日。図書館の帰り。畑に一面の雪。遠くに雪が少々の山。
東北では雪が何でもないのだろうに。

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寒い日。雀が身を寄せ合っている。人間も同じだなー。

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寒い日。屋根に雪が残る我が家。



























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聖書に親しむ喜び ++++++++ 所感

2014/02/10 09:35

140210(月)目覚めの啓示「聖書に親しむ喜び」●聖書は不思議な本でこれを読むと胸が熱くなる喜びが湧く。●それもパウロ書簡に何倍もして福音書が魅力的である。まさしく聖書(特にイエスの言葉)は「神の言葉」だ。今朝はこれに関する自家薬篭中の言葉を掲げてみよう。

口語訳 詩 84:1-2
84:1 万軍の主よ、あなたのすまいはいかに麗しいことでしょう。
84:2 わが魂は絶えいるばかりに主の大庭を慕い、わが心とわが身は生ける神にむかって喜び歌います。


●これは私の信仰の師である。塚本先生の特愛の言葉。「絶え入るばかり」がいい。

口語訳 詩 1:2
1:2 このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。


●聖書に取りつかれると「昼も夜も」である。
●東京聖書読者会の90歳のFさんは午前中は聖書、午後は自由。収入は国民年金の月5万円だけ。聖書(旧新約)を年間4回通読する。誰よりも幸福そうな顔をしている。氏は「死は永遠の命への門」だと言っている。
●旧約の泰斗であった故木田献一の聖書はヨレヨレ、賀川豊彦の聖書は背表紙がすぐボロボロえd何度も変えていた。あの田川建一のギリシャ語の聖書は角が丸くなっていた。写真で見た。

口語訳 詩 19:8-10
19:8 主のさとしは正しくて、心を喜ばせ、主の戒めはまじりなくて、眼を明らかにする。
19:9 主を恐れる道は清らかで、とこしえに絶えることがなく、主のさばきは真実であって、ことごとく正しい。
19:10 これらは金よりも、多くの純金よりも慕わしく、また蜜よりも、蜂の巣のしたたりよりも甘い。


●心を喜ばせるものはこの世のものではない。神との交わりである。 信仰の喜びである。

口語訳 詩  119:105
119:105 あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。


●人間の言葉に隷属すると人間の奴隷になる。ヒットラー、フセイン、天皇、ローマ法王、・・・・
●まず神に隷属して、それから「この小さき者」に従うべきである。その時「死を賭して」戦うのはこの世の統治方法の思想戦ではない。信仰の死守である。この戦いで流す血が多くの実を結ぶ。

口語訳 詩  33:11-12
33:11 主のはかりごとはとこしえに立ち、そのみこころの思いは世々に立つ。
33:12 主をおのが神とする国はさいわいである。主がその嗣業として選ばれた民はさいわいである。

●これは一個の人間、家庭、人生観にも言える。
●米国のコインには「IN GOD WE TRUST」と彫ってある。米国は問題を抱えているが、建国の精神が立派である。無神論、共産主義のロシアとは違う。


塚本訳 ヨハ 6:67-68
6:67 するとイエスが十二人(の弟子)に言われた、「まさか、あなた達まで離れようと思っているのではあるまいね。」
6:68 シモン・ペテロが答えた、「主よ、(あなたを離れて)だれの所に行きましょう。永遠の生命の言葉はあなただけがお持ちです(から)。


●イエスの言葉以外の言葉は「人間の言葉」。格が落ちる。

口語訳 ピリ 3:7-8
3:7 しかし、わたしにとって益であったこれらのものを、キリストのゆえに損と思うようになった。
3:8 わたしは、更に進んで、わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに、いっさいのものを損と思っている。キリストのゆえに、わたしはすべてを失ったが、それらのものを、ふん土のように思っている。それは、わたしがキリストを得るためであり、


●失ったもの、それは「ふん土」。「損」。金、人間、地位、名誉、学歴、学校、財産、健康、家庭団らん、・・・・・それは真の喜びではないから追及するのは「時間と金の無駄」。失って喜べ。

塚本訳 ヨハ 4:30-32
4:30 人々が町を出て、イエスの所に来た。
4:31 その間に弟子たちが、「先生、お食事を」と催促すると、
4:32 言われた、「わたしにはあなた達の知らない食べ物がある。」


●脳が働く部位は、聖書を読む喜び、音楽を聴く喜び、食事の喜びと同じではないだろうか。

塚本訳 ヨハ 12:49-50
12:49 わたしは自分勝手に話したのではない。わたしを遣わされた父上が、何を言い、何を話すべきかを命じられたのである。
12:50 わたしは父上のこの命令が永遠の命であることを知っている。だからわたしが話していることは、父上の言われたことと寸分ちがわないのである。」


●イエスの言葉は神の言葉、永遠の命の言葉。これに人生を懸けて悔いなし。

塚本訳 ルカ 4:20-22
4:20 イエスは(読み終ると、)聖書を巻き、係の者に返して坐られた。礼拝堂にいる者の目が皆彼にそそがれた。
4:21 イエスは、「(今)あなた達が聞いたこの聖書の言葉は、今日(ここで)成就した」と言って話を始められた。
4:22 皆がイエスを誉めそやし、かつその口をついて出る言葉のうるわしさに驚いて、「これはヨセフの息子ではないか」と言った。



塚本訳 マタ 7:28
7:28 イエスがこれらの話を終えられた時、一しょに聞いていた群衆はその教えに感心してしまった。


●神の霊が働いていたので「権威」と「力」があった。イエスの話は旧約の中のどこかにあるが、これを聞いた人々が、驚いたことは歴史的事実と言われている。


塚本訳 マタ 13:54-55
13:54 郷里(ナザレ)に行ってその礼拝堂で教えられた。すると人々が驚いて言った、「この人はどこからこの知恵と、奇蹟とを覚えてきたのだろう。
13:55 これはあの大工の息子ではないか。母はマリヤで、兄弟はヤコブとヨセフとシモンとユダではないか。


●名刺で勝負するな。大工なぜ悪い。

塚本訳 ヨハ 7:14-15
7:14 祭がすでに半ばになったとき、(すなわち祭の四日目に、)イエスが宮に上って教えておられると、
7:15 ユダヤ人は驚いて言った、「この人は学校に行ったこともないのに、どうして聖書を知っているのだろうか。」


●イエスは平民の出、学校にも行ってなかった。しかし「学校で聖書は学べない」。人生苦が聖書を教える。
●出身校を聞いて人の程度を判断する人がいるが、その態度で「人の大きさ」がわかる。大した人物ではないから付き合わないほうがよい。問題にしない方がよい。自分の益にならない。

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朝の黙想終わり









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大雪で交通遮断、集会中止 ++++++++ 所感

2014/02/09 06:06

140209(日)昨日の午後も雪がやまないかった。夕食後、人が通れるほどの道を造る雪掻き。40センチにもなっていた。夜、集会の責任者山本さんから「明日の集会は大雪で交通遮断が多いため集会は中止」の連絡。都会の集会は弱い。交通手段が断たれると成立しない。私達は家庭礼拝をする予定●朝の啓示。詩篇12:3 、ヨハネ4:21、 詩篇94:18 .●家庭礼拝はこれにする。

●まず翻訳比較

口語訳 詩 121:3
121:3 主はあなたの足の動かされるのをゆるされない。あなたを守る者はまどろむことがない。


新改訳 詩 121:3
121:3 主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。


新共同 詩 121:3
121:3 どうか、主があなたを助けて/足がよろめかないようにし/まどろむことなく見守ってくださるように。


NKJV 詩 121:3
121:3 He will not allow your foot to be moved;He who keeps you will not slumber.


TEV 詩 121:3
121:3 He will not let you fall; /your protector is always awake.

●次にこれをTSK(未完)詩篇で先取りして見てみよう。


1 Samuel 2:9

9主はその聖徒たちの足を守られる、しかし悪いものどもは暗黒のうちに滅びる。人は力をもって勝つことができないからである。

Psalms 91:12

 12彼らはその手で、あなたをささえ、石に足を打ちつけることのないようにする。

Proverbs 2:8

 8公正の道を保ち、その聖徒たちの道筋を守られる。

Proverbs 3:23

 23こうして、あなたは安らかに自分の道を行き、あなたの足はつまずくことがない。

Proverbs 3:26

 26これは、主があなたの信頼する者であり、あなたの足を守って、わなに捕われさせられないからである。

1 Peter 1:5

 5あなたがたは、終りの時に啓示さるべき救にあずかるために、信仰により神の御 力に守られているのである。


●次にヨハネ4:21

まず翻訳比較


文語訳 ヨハ 4:21
4:21 イエス言ひ給ふ『をんなよ、我が言ふことを信ぜよ、此の山にもエルサレムにもあらで、汝ら父を拜する時きたるなり。


口語訳 ヨハ 4:21
4:21 イエスは女に言われた、「女よ、わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが、この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。


新改訳 ヨハ 4:21
4:21 イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。


新共同 ヨハ 4:21
4:21 イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。


塚本訳 ヨハ 4:21
4:21 イエスが言われる、「女の人、わたし(の言葉)を信じなさい。(間もなく)あなた達が、この山でもエルサレムでもなく(どこででも、)父上を礼拝する時が来る。


●これをTSKで見てみよう

●ヨハ 4:21

4:21 イエスは女に言われた、「女よ、わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが、この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。

 

*「イエスは女に言われた、」

Ezekiel 14:3

3「人の子よ、これらの人々は、その偶像を心の中に持ち、罪に落しいれるところのつまずきを、その顔の前に置いている。わたしはどうして彼らの願いをいれることができようか。

Ezekiel 20:3

 3「人の子よ、イスラエルの長老たちに告げて言え。主なる神はこう言われる、あなたがたがわたしのもとに来たのは、わたしに何か尋ねるためであるか。主なる神は言われる、わたしは生きている、わたしはあなたがたの尋ねに答えない。

 

*「あなたがたが、この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。」

Malachi 1:11

11日の出る所から没する所まで、国々のうちにわが名はあがめられている。また、どこでも香と清いささげ物が、わが名のためにささげられる。これはわが名が国々のうちにあがめられているからであると、万軍の主は言われる。

Matthew 18:20

 20ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」。

Luke 21:5-6

 5ある人々が、見事な石と奉納物とで宮が飾られていることを話していたので、イエスは言われた、  6「あなたがたはこれらのものをながめているが、その石一つでもくずされずに、他の石の上に残ることもなくなる日が、来るであろう」。

Luke 21:24

 24彼らはつるぎの刃に倒れ、また捕えられて諸国へ引きゆかれるであろう。そしてエルサレムは、異邦人の時期が満ちるまで、彼らに踏みにじられているであろう。

Acts 6:14

 14『あのナザレ人イエスは、この聖所を打ちこわし、モーセがわたしたちに伝えた慣例を変えてしまうだろう』などと、彼が言うのを、わたしたちは聞きました」。

1 Timothy 2:8

 8男は、怒ったり争ったりしないで、どんな場所でも、きよい手をあげて祈ってほしい。

 

*「父を礼拝する」

Matthew 28:19

19それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、

John 4:23

 23しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。

John 14:6

 6イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。

Ephesians 2:18

 18というのは、彼によって、わたしたち両方の者が一つの御霊の中にあって、父のみもとに近づくことができるからである。

Ephesians 3:14

 14こういうわけで、わたしはひざをかがめて、

1 Peter 1:17

 17あなたがたは、人をそれぞれのしわざに応じて、公平にさばくかたを、父と呼んでいるからには、地上に宿っている間を、おそれの心をもって過ごすべきである。

 
次に 詩篇94:18

まず翻訳比較

口語訳 詩  94:18
94:18 しかし「わたしの足がすべる」と思ったとき、主よ、あなたのいつくしみは/わたしをささえられました。


新改訳 詩  94:18
94:18 もしも私が、「私の足はよろけています。」と言ったとすれば、主よ、あなたの恵みが私をささえてくださいますように。


新共同 詩  94:18
94:18 「足がよろめく」とわたしが言ったとき/主よ、あなたの慈しみが支えてくれました。


NKJV 詩  94:18
94:18 If I say, "My foot slips,"Your mercy, O Lord, will hold me up.


TEV 詩  94:18
94:18 I said, "I am falling"; /but your constant love, O Lord, held me up.


●これをTSK(未完)詩篇を先取りして見てみよう。

Psalms 17:5

5わたしの歩みはあなたの道に堅く立ち、わたしの足はすべることがなかったのです。

Psalms 37:23-24

 23人の歩みは主によって定められる。主はその行く道を喜ばれる。  24たといその人が倒れても、全く打ち伏せられることはない、主がその手を助けささえられるからである。

Psalms 38:16

 16わたしは祈ります、「わが足のすべるとき、わたしにむかって高ぶる彼らにわたしのことによって喜ぶことをゆるさないでください」と。

Psalms 119:116-117

 116あなたの約束にしたがって、わたしをささえて、ながらえさせ、わが望みについて恥じることのないようにしてください。  117わたしをささえてください。そうすれば、わたしは安らかで、常にあなたの定めに心をそそぎます。

Psalms 121:3

 3主はあなたの足の動かされるのをゆるされない。あなたを守る者はまどろむことがない。

1 Samuel 2:9

9主はその聖徒たちの足を守られる、しかし悪いものどもは暗黒のうちに滅びる。人は力をもって勝つことができないからである。

John 12:5

 5「なぜこの香油を三百デナリに売って、貧しい人たちに、施さなかったのか」。


Isaiah 41:10

10恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。

Luke 22:32

 32しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい」。

1 Peter 1:5

 5あなたがたは、終りの時に啓示さるべき救にあずかるために、信仰により神の御 力に守られているのである。


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朝の黙想終わり。上記を今日の家庭礼拝とする。

●家庭礼拝の前に家の前の道路に新聞郵便配達人、および私たちが歩くために雪掻き。マーすごい雪になったものだ。豪雪地域の方々の苦労を思う。

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東京の大雪。歩く道の雪掻き。

●10:00 妻と二人で家庭礼拝。
 讃美歌 「イェスよこころに宿りて・・・雪より白くしたまえ」
 祈り 私
 「聖書で聖書を読む」・・・上記を私が朗読
 讃美歌 「我が身の望みはただ主にかかれり」
 祈り 妻

 30分間で終了

●電車が動き出したので出発。

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●14:00 妻と杉並公会堂で合奏団ZERO 第12回演奏会。友人のヴィオリスト和田睦夫氏の招待。ベートーベン「コリオラン序曲」。「交響曲第一番」「交響曲第8番」。指揮松岡究(はかる)。私も含めて何人かが「ブラボー」。ベートーヴェンは構成構築がすばらしいいので見ていて面白い。オーケストラは2階席で見るべし。

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●17:00 銀座の竹川画廊に鈴木延子個展。右が鈴木延子さん。
御主人の鈴木忠昭君は58歳で逝った。思い出を語り合って大笑いした。               中央の絵は鈴木君の孫娘。●鈴木君はかって電車の中で「高橋君、聖書って
そんなに面白いものなのかい」と聞いた事がある。 


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●妻と夜の銀ブラ。有楽町で夕食。(外食は500円以内)。有楽町駅の
イルミネーション。前を妻が歩く。













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この世の建物を失って天国の建物を戴く ++++++++ 所感

2014/02/08 06:44

140208(土)4時半目覚め。すぐ起床●朝の黙想「この世の家を失って天国の建物を与えられる」●建築の仕事の現役人生を終わって、様々な建築の思い出がよみがえる。その一部は拙ホームページに掲載した。みな全力を尽くして建て、すべて建築主から感謝された。その方々のほとんどがすでに眠っている。

http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/tkarch/tkarch.html

●この建築人生で心に残ることは、その後建物を失った人が信仰に熱心になられたことである。なぜ失ったか。経済変動で借入金を返済できずに手放した、火災で失った、家庭内事情で手放した・・・
●みな、地上の建物を失って天国の家を得た。
●そのことを思うと、イエスの予言が的中していることを思う。聖書の言わんとすることも見えてくる。
●今朝は聖書のあちこちを思い浮かべて黙想してみよう。

塚本訳 ルカ 16:9-13
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。
16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。
16:11 だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。
16:12 もし他人のもの[この世のこと]に忠実でなかったならば、だれがあなた達のもの[天のもの]をあなた達に与えようか。
16:13 しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。」


●この僅か5節が私の建築人生を決定した。凡百の職業観、労働観に勝るものであった。塚本敷衍に感謝。聖書は神の言葉だ。深い。
●9節、この世の建物は不正の富である。建築を通して人にも神にも友人を得た。
●9節、「富が無くなる時」とは「失う時」「無理矢理取り(銀行に)上げられる時」である。泣く泣く手放す時である。
●10節、「ごく小さなこと」とはこの地上の建物である。また小さな建物の意味でもある。
●11節、「不正な富」に忠実であれというのは、この世のことはすべて「不正な富」である。政治も国家も肉体も学問教育も。これは永遠の神のもとにある真の富に比べて地上限りのことなので「不正」なのである。悪事の薦めではない。
●12-13節、「この世のこと」に忠実であれとは神にあって忠実であれということ。神を忘れてどっぷりそれにつかるなということだ。この世のことは来世に入るための準備。ことにこの世の不正の富を失う時の涙が準備なのだ。
●私が関係した建物の建築主はすべてこの世の建物、つまり「不正の富」に熱心、かつ忠実であった。来世の建物は「まことの富」であるが、それは地上の富への熱心度によって与えられるのか。そうではない。この地上の「不正な富」も実は神のものなのだ。ここから「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返せ」との言葉がわかる。つまり「皇帝は神の中に含まれる」ということなのだ。
●この5節はすべてのキリスト信者の生き方の指針である。その点この世の生活(家庭や仕事)がいやになってすぐ修道院に飛び込んだりキリストの冠の付く団体や企業に飛び込んだり、キリストに関係する学問研究に邁進するのは聖書の読みが浅い。「キリスト教社会主義」や「宗教組織」などというのはそれだけでこの世の団体と同じで命がない。神が嫌う。

塚本訳 マタ 6:19-24
6:19 (このように、何事も天の父上相手でなければならない。たとえば)あなたたちは衣魚や虫が食い、また泥坊が忍び込んで盗むこの地上に宝を積まず、
6:20 衣魚も虫も食わない、また泥坊が忍び込むことも盗むこともない天に、宝を積んでおきなさい。(そうでないと、心が天に向かないであろう。)
6:21 宝のある所に、あなたの心もあるのだから。
6:22 目は体の明りである。だからあなたの目が澄んでおれば、体全体が明るいが、
6:23 目が悪いと、体全体が暗い。だから(天に宝を積まないため、)もしあなたの内の光(である目、すなわち心)が暗かったら、その暗さはどんなであろう。
6:24 (わたし達の心は天か地かに引かれる。)だれも(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。


●19節、「衣魚(しみ)や虫が食い、また泥坊が忍び込んで盗むこの地上に宝を積まず」ということで私はこの世の建築に興味が湧かなかったことがあるが、相手は人間だ、物理的建物ではないと言うことが分かった時から、建築は人に仕える「手段」であることを知ってこれに「熱心になる」ことが出来るようになった。人に仕えることは神に仕える事なのだ。

塚本訳 マコ 10:28-31
10:28 ペテロがイエスに、「でも、わたし達は(あの金持とちがいます。)この通り何もかもすてて、あなたの弟子になりました」と言い出した。
10:29 イエスは言われた、「アーメン、あなた達に言う、わたしのため、また福音のために、家や兄弟や姉妹や母や父や子や畑をすてた者で、
10:30 今、この世で──迫害のうちにおいてではあるが──百倍の家と兄弟と姉妹と母と子と畑とを、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。
10:31 しかし(決して油断をしてはならない。)一番の者が最後になり、最後の者が一番になることが多い。」


●29節。ここに「家」という言葉がある。!!

塚本訳 Ⅱコリ4:16-18
4:16 このゆえに、わたし達は気を落さない。いや、わたし達の(生れながらの)外の人はどんなにこわれていっても、(キリストによって生れた)内の人は一日一日と新しくされてゆく。
4:17 なぜなら、現在の軽い苦難は、この上もなく素晴らしい、永遠に豊富な(神の)栄光をわたし達にもたらす(保証だ)からである。
4:18 このわたし達は見えるものに目を向けているのではなく、見えないものに目を向けているのである。見えるものは一時的、見えないものが永遠だからである。


●健康また地上の家。「土の器」。寿命がある。
●パウロも直りにくい病気も病気持ちであった。(Ⅱコリ12:5-10)。癲癇とも眼病ともいわれている。

塚本訳 Ⅱコリ5:1-5
5:1 なぜ(こんな希望に生きることができるの)であろうか。もし地上の家であるわたし達のこのテント、(この肉体)がこわれるならば、天に、神の建てられた建物、(人間の)手で造らない永遠の家をいただいていることを、わたし達は知っているからである。
5:2 どうしてであろうか。わたし達はこのテントにいて、天の住いを上に着たくてたまらずに呻いているからである。(この憧れと呻きこそ、永遠の住いのある証拠ではないか。)
5:3 ほんとうにもしこれを着たならば、裸(の恥しい姿)であることはないであろう!
5:4 それで、わたし達のこのテントにいる者は、重荷に呻いている。これを脱ぎたい(つまり死にたい)のではなく、(天の住いを)上に着たいからである。これは死ぬべきものが命に飲み込まれるためである。
5:5 このことがわたし達に出来るようにされたお方は神であり、このお方がその手付けとして御霊を下さったのである。


●1節、「(人間の)手で造らない永遠の家」とはすばらしい言葉だ。
●2節、その家に住むのは家や健康を失って「呻く」その呻きが神に聴かれるからだ。


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朝の黙想終わり。

●8:00 関東地方は16年ぶりの大雪。あきる野市も大雪注意報。電車はところどころ運休。

2014_02080001.jpg 

固まらないうちに家の前の道を雪かき開始。雪はやまない。

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雪かきしてもすぐ積もるからきりがない。一時間で終了。今日はあと2回程度
やらねばならない。





























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イエスの復活伝承は人に希望を与える ++++++++ 所感

2014/02/07 06:17

140207(金)5時目覚め。途中起きることなく7時間爆睡●昨日、昭和女子大の定年70歳を迎えて、今日からは年金だけで生きる「国家公務員」の身となった。●目覚めの啓示「イエスの復活伝承は人に希望を与える」●昨日は建築の仕事上の恩師である92歳の黒田隆氏を川崎の老人施設にお見舞いした。●そこでお話しくださったことは私の残りの人生において邁進すべきことへの「啓示」であった。それはこういうことである。黒田隆氏は昨年9月にお見舞いしたときよりも会話がご不自由になられていた。しかし体をよじって一生懸命になって言われたことは、「高橋さんが、イエスの復活を心から信じていることを話して下さったことが、生涯(極寒のシベリヤ抑留で艱難辛苦も含む)において最大の感動であった。それを聞いて私は復活を信じるようになった。あの復活の話は精神講話ではなかった。」と言われ、「あれを聞いたのは北海道(講演の旅行の最中)の山の中腹であった」と言って泣かれた。体も御不自由、会話も御不自由の方が真剣に言ってくださったことを聞いた私は、「この人には神の力が働いた。いわゆる教会型の信仰告白はないが、神に救われた」と感じた。●「復活を信じているという伝承は精神訓(黒田氏は軍隊経験あり)ではなかった」と言われたことは私に自信を持たせた。それは「私が信じている(信じることが出来ている)イエスの復活を話したにすぎないのだ」これが人に感動を与えたことは驚きであった。その山がどこであったかは思い出せない。どういう内容であったかも忘れた。ただ「イエスの復活」のことは確かだ。●イエスの復活は新聞記事のような目撃情報でもなければ、精神訓でもない。親しい人がイエスの復活を信じているという「信仰伝承」なのである。ここに信仰の伝承の秘儀がある。私は復活を見たわけではないから、目撃伝承ではない。また精神訓話でもない。イエスが復活したことを信じることが出来ているという信仰告白の伝承である。その連鎖が伝道の本質なら伝道は難しくない。ただ告白すればよいだけなのだ。それが人に感動を与えるのだ。●折しもソチオリンピックが始まった。スキーのジャンプ競技は最後に滑走路を踏み切って空中に高く飛ぶ。私の70年の人生、それは滑走の段階であった。今そこから踏み出す時が来たのだ。昨日黒田氏に会って神から「飛べ」と言われたような気がした。●復活の信仰告白伝承が「最も大切なこと」であることは新約聖書の中心的使信である。これが解れば聖書が分かる。今朝はこのことを巡って黙想してみよう。


復活の喜び  http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/hukkatu.htm   1999年  56歳

これが私がイエスの復活を信じられるようになった「いきさつ」である。遺産である。
これを告白し、伝承することによってのみ私の残りの人生に意義がある。

塚本訳 Ⅰコリ15:3-5
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。


●福音の本質はこの一句に尽きる。教会のあるべき姿もこれに尽きる。パウロの手紙もこれに尽きる。

塚本訳 Ⅱコリ4:7
4:7 しかしこの宝が、(貧弱な)土の器の中にある。それはその素晴らしい力が神のものであって、わたし達(土の器)から出るのではないことがわかるためである。


●私の人格も経歴も「土の器」である。私はこの世的に出征しなかった。しかし「復活信仰」という天の宝が盛られた。これ以上の名誉はない。ノーベル章、文化勲章以上だ。

口語訳 イザ 40:30-31
40:30 年若い者も弱り、かつ疲れ、壮年の者も疲れはてて倒れる。
40:31 しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。


●有体的復活の話をしたあとはなぜか「後味がよい。
●有体的復活の話をするときは疲れない。

塚本訳 ルカ 24:32
24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。


●有体的復活の話をすると、共鳴者がでる。胸が熱くなる人が出る。真理の証拠。
●イエスの復活は胸が熱くなって信じられるようになる。

塚本訳 Ⅰコリ15:12-19
15:12 ところで、キリストが死人の中から復活しておられることが(こんなに)説かれ、(また信じられ)ているのに、死人の復活はないと主張する者があなた達の中にあるのは、いったいどうしてか。
15:13 しかし死人の復活がないのなら、キリストも復活しておられないわけである。
15:14 キリストが復活しておられないならば、わたし達の説教はそれこそ根拠がない。あなた達の信仰も根拠がない。
15:15 またわたし達は神の偽証者ともなるであろう。というのは、死人が復活しないということがもし事実なら、神が復活させられることもなかったキリストを、復活させられたと言って、わたし達は神に逆らう証言をしたことになるからである。
15:16 死人は復活しないのなら、キリストも復活しておられないのだから。
15:17 しかしキリストが復活しておられないならば、あなた達の信仰は無意味であり、あなた達はまだ自分の罪の中にいる。
15:18 従ってまたキリストを信じて眠った者も滅びたのである。
15:19 もしただこの生涯でキリストに望みをかけていただけ(で、来るべき世で満たされることがないの)なら、わたし達ほど同情すべき人間はない。


●イエスの復活なくして、パウロなし、初代教会なし、私達の人生は空しい。
●19節。復活は「望み」だけのことではない。イエスの復活は事実であった。そこに人間が死を突破する希望が生まれるのだ。

塚本訳 Ⅰコリ15:32-33
15:32 もしわたしが(復活の信仰からでなく、)人間的な思いからエペソで獣と戦ったとすれば、わたしにとってなんの得があろう。死人が復活しないのなら、『食おうじゃないか、飲もうじゃないか、どうせあしたは死ぬ身だ』である。
15:33 迷わされてはならない。(復活の信仰のない人との交際に注意せよ。)悪い交際は良い習慣をこわす。(と詩人も言っている。)


●復活を信ずる幸福がなければ飲み食いすることが人生の幸福である。趣味教養に生きることが老後の楽しみになるだけである。それで心が満たされるというならマーしばらくやってみればよい。
●クリスチャンと自称する人の中に、「聖霊による降誕」も「イエスの復活」も信じないに人間がいる。そういう人間とは交際しないほうがよい。耳が汚れる。

塚本訳 マタ 28:16-17
28:16 さて、十一人の弟子はガリラヤに行き、イエスに命じられた山にのぼり、
28:17 お目にかかっておがんだ。しかし疑う者もあった。


●有体的復活に出会っても信じない人は信じない。それはイエスの直弟子であってもそうであった。

塚本訳 ルカ 16:31
16:31 しかしアブラハムは答えた、『モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。』」


●死人がよみがえっても信じない人は信じない。

塚本訳 ヨハ 20:24-28
20:24 十二人の一人で、トマスすなわちギリシャ語でデドモ(二子)は、イエスが来られた時、みんなと一しょにいなかった。
20:25 そこでほかの弟子達が、「わたし達は主にお目にかかった」と言うと、彼らに言った、「わたしはその手に釘の跡を見なければ、わたしの指をその釘の場所に差し込まなければ、手をその脇腹に差し込まなければ、決して信じない。」
20:26 八日ののち、弟子たちはまた家の中に(集まって)いた。今度はトマスも一しょであった。戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスがはいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた。
20:27 それから(すぐ)トマスに言われる、「指をここに持ってきて、わたしの手(の釘の跡)をよく見てごらん。手を持ってきて、わたしの脇腹に差し込んでみなさい。不信仰をやめて、信ずる者らしくしなさい。」
20:28 トマスがイエスに答えて言った、「わたしの主よ!わたしの神よ!」


●神はこれぞと思う人にあらゆる手段でイエスの復活を教える。

塚本訳 マタ 16:13-20
16:13 ピリポ・カイザリヤ地方に行かれたとき、イエスはこう言って弟子たちに尋ねられた、「世間の人は人の子(わたし)のことをなんと言っているか。」
16:14 彼らが言った、「あるいは洗礼者ヨハネ、あるいは預言者エリヤ、あるいはエレミヤとか(昔の)普通の預言者とか言う者があります。」
16:15 彼らに言われる、「では、あなた達はわたしのことをなんと言うのか。」
16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主、生ける神の子であります!」
16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから。
16:18 それでわたしもあなたに言おう。──あなたはペテロ[岩]、わたしはこの岩の上に、わたしの集会を建てる。黄泉の門[死の力]もこれに勝つことはできない。
16:19 わたしはあなたに天の国の鍵をあずける。(だから)あなたが地上で結ぶことは(そのまま)天でも結ばれ、地上で解くことは(そのまま)天でも解かれるであろう。」
16:20 それからイエスは、自分が救世主であることをだれにも言ってはならないと、弟子たちを戒められた。


●これは後代教会の作らしいことは素人の私にもわかる。つまりイエスの復活を信じられるようになった人の作なのだ。史実ではなくても信仰的真実だ。
●聖霊が降らずしてイエスの復活は信じられない。

口語訳 使  20:24
20:24 しかし、わたしは自分の行程を走り終え、主イエスから賜わった、神のめぐみの福音をあかしする任務を果し得さえしたら、このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思わない。


●「惜しくない人生」。長寿国日本の老人福祉は物理的充足の課題から心の充足、生きがいの充足に目を向けることに進むべきである。

塚本訳 Ⅰコリ3:10-17
3:10 わたしは戴いた神の(特別の)恩恵によって、熟練した棟梁として土台をすえた。他の人がその上に建ててゆく。だが建て方は、その人その人が気をつけるべきである。
3:11 なぜなら、(すでに)置かれている(ただ一つの)もののほか、他の土台をだれもすえることは出来ないのだから。──この土台はイエス・キリストである。──
3:12 ある人がこの土台の上に金、銀、宝石、(あるいは)木、草、藁で建てれば、
3:13 それぞれの仕事(が金か藁か)は、かならず明らかになる。(最後の裁きの)かの日がそれを明らかにするのである、その日は火で現われるから。そしてそれぞれの仕事がどんなであるかを、その火が試験して証明する。
3:14 その(土台の)上に建てたある人の仕事がそのままのこれば、褒美を受け、
3:15 ある人の仕事が焼けてしまえば、罰を受ける。ただ彼自身は、火をくぐるようにして(やっと)救われるのである。
3:16 (とにかく、)あなたは達は神のお宮であり、神の霊があなた達の中に住んでいてくださることを、あなた達は知らないのか。
3:17 (だから、争いなどで)この神のお宮をこわす者があれば、神がその人を滅ばされる。神のお宮は神聖だから。──あなた達はそのお宮である。


●イエスの復活という土台の上に、カトリックあり、プロテスタントあり、無教会あり。
●ところが土台のないカトリック、土台のないプロテスタント、土台のない無教会が出現。教会史はこれの繰り返し。 


文語訳 使  3:5-6
3:5 かれ何をか受くるならんと、彼らを見つめたるに、
3:6 ペテロ言ふ『金銀は我になし、然れど我に有るものを汝に與ふ、ナザレのイエス・キリストの名によりて歩め』


●財産我になし、しかしわたしにあるものを遺す。イエスの復活を信じられた事実だ。

塚本訳 Ⅰコリ1:18
1:18 なぜか。この十字架についての言葉は、滅びゆく者には馬鹿なことであるが、わたし達救われる者には、神の力(の現われ)であるから。


●「復活伝承」hが神の力による。それを聞いた人間が感動し、胸が熱くなる現象も神の力

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朝の黙想 終わり

●復活伝承は精神訓話ではなく、「よろこばしきおとづれ」である。
●TSK日本語版詩編18編、50節をやってしまった。
●16:00東京都知事選挙、期日前投票に行く。


















































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隠れた祈りが聴かれる ++++++++ 所感

2014/02/06 05:59

140206(木)4時半目覚め●目覚めの啓示「隠れたる祈りが聴かれる」●今日は昭和女子大講義最後の日。この世での仕事の最後の日でもあるが、これからが本当の仕事に邁進する時が始まる日でもある。●脳出血で私が入院した聖路加国際病院理事長の日野原重明先生は、東日本大震災が起きた時「サーこれからだ」と思われたそうだ。先生は現在102歳。10年先までのスケジュールが手帳に書き込んである。私が入院中「高橋さん。病気は病院では直りませんよ」と言われ、リハビリの段階で病院を追い出された。●「祈りは隠れてせよ」とはイエスの言葉であるが、それはなぜか。イエスは言う「その方が神に聴かれるからだ」と。●この不思議な原理はこの世の知恵では分からない。岩波、東大、NHK、文部省では教えない。つまり「この世の知恵」では理解できないからだ。それは愚かで馬鹿で「祈りは気休めに過ぎない」と考えるからだ。●しかしこれを実体験した人は強い確信を持つ。●私が40歳の時に集会で感話を初めよと言われたとき、若いので無理だと思っていた。しかし「大丈夫、大丈夫。この集会は予習してくる人がいないから、大丈夫」と励まされた。そして集会の「空気」が私を導いてくれた。長年塚本虎二先生(その時はすでに先生はおられなかった)の薫陶を受けられた老婦人達(ほとんど故人)が、前の方にズラッと陣取っておられ、私の信仰が少しでもぐらつくと「その場の雰囲気」が変わった。空気が変わった。爾来今日まで30年、声なき声で信仰を導かれ、感化された。こういう「信仰の雰囲気」が塚本虎二の「信仰の遺産」であった。●「隠れた祈りが聴かれる」という信仰の姿勢は聖書を文字としてばかり読んでいてはわからない。苦難の活人生を通してわかる。今朝はこれに関する聖書をアチコチ頭に思い浮かぶままに掲げてみよう。

塚本訳 マタ 6:5-8
6:5 また祈る時には、偽善者のようにしてはならない。彼らは人に見せようとして、礼拝堂や大通りの角に立って祈ることを好むのである。アーメン、わたしは言う、彼らは(褒められた時、)すでに褒美をもらっている。
6:6 あなたが祈る時には、『奥座敷に入り、部屋をしめきった上で、』隠れた所においでになるあなたの父上に『祈れ。』そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。
6:7 また祈るとき、異教人のようにベラベラしゃべるな。彼らは口数が多ければ、聞いてもらえるものと思っている。
6:8 彼らの真似をしてはならない。神はあなた達の父上である。求める前から、あなた達に必要なものをよく御承知である。


●「神様、あの人を救ってください。私はもう十分に生きましたからこの命と取り換えて下っても結構です」と病院のベッドに正座して真剣に祈った事があった。その後「意外なこと」が起きてその人の霊の目が開いた。神は隠れた祈りを聴いてくださった。
●8節「神はあなた達の父上である。求める前から、あなた達に必要なものをよく御承知である。」はありがたい。イエスは神を「父」と思っておられた。

塚本訳 マタ 6:3-4
6:3 あなたは施しをするときに、右の手のすることを左に悟られてはならない。
6:4 これは施しを隠しておくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。


●この世の論理は「右手のすることを左手に教えよ」という。これが政治教育福祉である。見えざる神が働くと言う原理を知らないからこういうことになる。


塚本訳 マタ 8:5-13
8:5 カペナウムに帰られると、一人の百卒長がそばに来て願って
8:6 言った、「主よ、うちの下男が中風で家にねていて、ひどく苦しんでおります。……」
8:7 彼に言われる、「(ユダヤ人の)このわたしが、(異教人のあなたの家に)行ってなおすのか。」
8:8 百卒長は答えた、「主よ、わたしはあなたを、うちの屋根の下にお迎えできるような者ではありません。(ここで)ただ一言、言ってください。そうすれば下男は直ります。
8:9 というのは、わたし自身も指揮権の下にある人間であるのに、わたしの下にも兵卒がいて、これに『行け』と言えば行き、ほかのに『来い』と言えば来、また僕に『これをしろ』と言えば(すぐ)するからです。(ましてあなたのお言葉で、病気が直らないわけはありません。)」
8:10 イエスは聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた、「アーメン、わたしは言う、イスラエル人の中でも、こんなりっぱな信仰をもっている者を一人も見たことがない。
8:11 わたしは言う、(最後の日には、このような信仰のあつい)大勢の人が『東から西から』来て、天の国でアブラハムやイサクやヤコブと共に宴会につらなり、
8:12 (かんじんのイスラエル人、すなわち)御国の子供たちは外の真暗闇に放り出され、そこでわめき、歯ぎしりするであろう。」
8:13 それからイエスは百卒長に言われた、「お帰り。あなたの信じたとおりに成れ。」するとちょうどその時に、下男は直った。


●祈りは遠隔でよい。直接本人のところに行って、忠告、説教、断罪などをしなくてよい。否、しない方がよい。人間がでしゃばると神としても出番がないから、神が手を引く。

塚本訳 マコ 11:22-24
11:22 イエスが彼らに答えられる、「神(の力)を信ぜよ。
11:23 アーメン、わたしは言う、だれでもこの山に向かい、『立ち上がって海に飛び込め』と言って心に疑わず、自分の言うことは成ると信ずるならば、そのとおりになる。
11:24 だからわたしは言う、(神に)祈り求めるものはなんでも、すでに戴いたと信ぜよ。そうすればそのとおりになる。


●23節「心に疑わず」が重要
●22節(の力)の塚本敷衍に千金の重みがある。

塚本訳 マコ 9:14-29
9:14 (山を下りて、ほかの)弟子たちの所にかえって見ると、大勢の群衆が弟子たちを取り巻き、聖書学者たちがこれと議論をしていた。
9:15 群衆はイエス(の姿)を見るが早いか、皆びっくりして、駆けてきて歓迎した。
9:16 イエスが群衆に尋ねられた、「弟子たちと何を議論しているのか。」
9:17 群衆のうちの一人が答えた、「先生、唖の霊につかれている伜をあなたの所につれて来ました。
9:18 この子は霊がつくと所かまわず投げ倒され、泡をふき、歯斬りして、体がこわばってしまいます。それで霊を追い出すことをお弟子たちに頼みましたが、おできになりませんでした。」
9:19 彼らに答えられる、「ああ不信仰な時代よ、わたしはいつまであなた達の所におればよいのか。いつまであなた達に我慢しなければならないのか。その子をつれて来なさい。」(こう言って群衆のいない所に行かれた。)
9:20 人々がイエスの所につれて来ると、霊はイエスを見るや否や、その子をひどくひきつけさせたので、子は地に倒れ、泡をふきながらころげまわった。
9:21 イエスが父親に尋ねられた、「こうなってから、どのくらいになるか。」父親がこたえた、「子供の時からです。
9:22 霊はこの子を殺そうとして、幾たびか、火の中、水の中に投げ込みました。それでも、もしなんとかお出来になるなら、わたしども(親子)を不憫と思って、お助けください。」
9:23 イエスは言われた、「もしお出来になるなら(と言うの)か。信ずる者にはなんでも出来る。」
9:24 即座にその子供の父親が叫んだ、「信じます。不信仰をお助けください。」
9:25 イエスは群衆が駆けよってくるのを見ると、(急いで)汚れた霊を叱りつけて言われた、「唖と聾の霊、わたしが命令するのだ、この子から出てゆけ、二度と入るな!」
9:26 霊はどなって、はげしくひきつけさせて、出ていった。子は死んだようになったので、多くの人が、「死んだ」と言った。
9:27 イエスはその子の手をとって起された。すると立ち上がった。
9:28 家にかえられると、弟子たちは人のいない時に尋ねた、「なぜわたし達には霊を追い出せなかったのでしょうか。」
9:29 彼らに言われた、「この種類(の霊)は、祈り以外(の手段)では決して出てゆかせることは出来ない。」

●29節「この種類(の霊)は、祈り以外(の手段)では決して出てゆかせることは出来ない。」が重要。
●昨夜のNHKTV19:30。「エマニチュード」という認知症の改善手法をみた。家族の人が驚くほど改善。しかしその背後には「祈りの心」があるのだと私は見た。現代医学で及ばないことも「祈りの力」でよくなる。
●東京衛生病院で腸の手術をしたときのこと。そこに勤務していた娘から、この病院の手術チームは祈ってから手術をすることを知っていたので、たとえ手術に失敗しても「この人たちによって失敗されるなら「安心だ」と思った。
●「祈り」は愚かなことだと思っていると神は助けない。


塚本訳 ロマ 8:20-22
8:20 なぜであるか。創造物は自分から(今のような)はかない運命に屈伏したのでなく、それは屈伏させたお方([神]の御心)によるからである。(彼らはアダムの罪の責任を負わされたのである。)しかし(この屈伏には)望みがある。
8:21 創造物自身も、滅亡の奴隷になっている(現在の)状態から自由にされて、神の子供たちがうける栄光と自由とにあずかるのだから。
8:22 わたし達が知っているように、全創造物は(かの日から)今まで、一しょになって呻き、一しょになって産みの苦しみをしている。(父なる神がこの  呻きに耳を傾けられないことがあろうか。)



●呻きは祈り。
●22節の敷衍。(父なる神がこの  呻きに耳を傾けられないことがあろうか。)は塚本訳の「伝道者訳」と言われる所以だ。


塚本訳 ロマ 8:26-27
8:26 しかし(創造物やわたし達神の子が苦しんでいると)同じように、御霊も、弱いわたし達を助けてくださる。すなわち、(神のみ心にかなうには)どう何を祈るべきかわからないので、御霊自身が、無言の呻きをもって(わたし達の祈りを神に)執り成してくださるのである。
8:27 しかし(人の)心を見抜くお方[神]は、御霊が何を求めているか、すなわち、御霊が神の御心にかなうように聖徒たちのために執り成しておられることを、(もちろん)御存じである。



●「ウーウー」と呻くだけで、口に出して祈れないときでも、御子キリストは代わりに祈っていてくださる。呻くだけでいいのだ。それでいいのだ。


塚本訳 ヤコ 5:15-16
5:15 信仰(による真)の祈りは病人を癒し、主は彼を立たせ給うであろう。そしてもし罪を犯して居るならば、赦されるであろう。
5:16 だから互いに罪を告白し、医されるため互いのために祈れ。義人の(熱心な)祈りは働くと大きな力がある。



●人生ピンチの時には、信仰の篤い人に電話して祈ってもらうことが強力な方法だ。


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朝の黙想終わり


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現役人生最後の出勤日。「道」を思う。
52年間の労働の道は神に導かれた感謝の道であった。


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最後の出勤日。振り返ると奥多摩連山。

口語訳 詩  50:15
50:15 悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう」。

口語訳 詩  3:4-5
3:4 わたしが声をあげて主を呼ばわると、主は聖なる山からわたしに答えられる。〔セラ
3:5 わたしはふして眠り、また目をさます。主がわたしをささえられるからだ。


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10:30 尻手にあるベネッセの老人ホームに仕事上の恩師である黒田隆氏92歳を見舞う。
昔のことを思い出して泣いたり笑ったりされた。御夫人召されて5年。
黒田氏は信者ではないが、私からイエスの復活を話してもらったことが人生における最高の感動であったと言われた。
この言葉は啓示であった。私の残りの人生の使命が示された。それはイエスが復活したことのみを言い続けることだ。
今はスキーのジャンプの最後の踏切りの時、大ジャンプでイエスの復活を伝承するのだ。「飛べ」。
黒田氏は体が御不自由でベッドから車椅子に移るときもヘルパーの手を借りなければならない。そして口が良く回らなくなられたが、私の話は良くお分かりになられ、3回も泣かれてしまった。
「自分は復活を信ずる」と黒田氏は告白された。神は黒田さんを救ったと思った。

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昭和女子大退職の日。70歳。若い人と交流した楽しい思い出の多い9年間。
木村先生、芦川先生、助手の高木さんに挨拶した。


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女子大の構内。授業の最後に、「70歳になったので、これで私の現役人生は終わりです。みなさんお元気で、お幸せに」と言うと、生徒全員が「お疲れ様でした」の大合唱。目頭が熱くなった。みんな良い生徒だった。

18:10あきる野について家路。過ぎにし長き日々を思って感慨深かった。真っ暗な中に我が家の灯。妻の夕食が待っている。感謝。










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汝の父母を敬え。 ++++++++ 所感

2014/02/05 06:49

140205(水)5時目覚め。●目覚めの啓示2題。「汝の父母を敬え」「十字架に付けられたキリスト以外は知るまい」●勉強課題が与えられるから「ガバッ」と起きられる。●今日一日も生きられて感謝だと思って起きた。
●第一題。「汝の父母を敬え」。
●まず翻訳比較

文語訳 出  20:12
出  20:12  汝の父母を敬え是(こ)は汝の神エホバの汝に給ふところの地に汝の生命の長からんためなり

口語訳 出  20:12
20:12 あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである。

新改訳 出  20:12
20:12 あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。

新共同 出  20:12
20:12 あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。

NKJV 出  20:12
20:12 "Honor your father and your mother, that your days may be long upon the land which the Lord your God is giving you.

TEV 出  20:12
20:12 "Respect your father and your mother, so that you may live a long time in the land that I am giving you.


●次に自分の頭に浮かんだ関連の聖句と感話。

口語訳 出  20:4-6
20:4 あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。
20:5 それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、
20:6 わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。


●5節「わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、」はヒルティの特愛の言葉。長い弁護士生活で様々な人生を経験したためであろう。父母をないがしろにする人間はその子も孫も曾孫も精神的に良くは育たない。なぜか理由はわからない。それが現実。恐ろしい現実。
●父母を敬わない人間は、決まって神以外のものを拝んでいる。自分の腹、欲望、金、女、遊び、酒、・・・・・・・・
●そういう人間は長くは生きない。天罰。自分は自業自得でそれでいいかもしれないが、禍は子や孫にまで及ぶから恐ろしい。


口語訳 詩  91:15-16
91:15 彼がわたしを呼ぶとき、わたしは彼に答える。わたしは彼の悩みのときに、共にいて、彼を救い、彼に光栄を与えよう。
91:16 わたしは長寿をもって彼を満ち足らせ、わが救を彼に示すであろう。



●しかし健康長寿必ずしも幸福ではない。それは自分のエゴだ。人類に貢献した人はキリストをはじめとして若死にだ。

口語訳 創  6:2-3
6:2 神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった。
6:3 そこで主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう」。


●「好きな人と結婚したい」という気持ちがなぜいけないのか。そこに神と父母を無視する気持ちが潜んでいるのだ。父母の顔を立てないからだ。神が嫌うのだ。
●イマドキのワカイモンは「親の決めた人と結婚する」ということを最大の不幸と思っている。だから見合いよりも恋愛だと思っている。 その「自分の欲望」というものが問題なのだ。
●私の知る某大学教授の娘。「お父さんが気に入りそうな男性を見つけましたよ」と言ってきたと言う。これは見合いでも恋愛でもない父の顔を立てた賢い娘だ。
●とかく結婚相手の選択にはゴタゴタが起きるが、たとえ失敗しても神は必ず修復して人生を清算して下さるからありがたい。イエスは結婚に失敗した人を救った。(ヨハネ4:1-16、サマリヤの女。ほか)
●3節。文語訳は「然(され)ど」、口語訳は「しかし」、新改訳は「それで」、新共同訳は「こうして」。人の寿命の120年は長いとも短いとも言える。しかしここでは肉の命には限りがあるというのだ。「メメント・モリ(死を思え)」
●地球物理学者の故竹内均は「息子に嫁を貰うなら、長く続いている家から貰え」という信念であった。理由は「家が長く続くというのはその家に『倫理』があるからだ」というのである。それで確か彼の家の嫁は北陸の長く続いた家から迎えたと思った。
●かって某建築主さんから、嫁を紹介してくれと言われたので八方手を尽くした。その時職場の上司から「東京にはいない。城下町を探せ」というので九州の某城下町から候補が上がったが、男性の方の履歴書の書き方が悪かったので破談。私は結婚の司式をした例はあるが仲人に成功した例はない。 その代り葬儀は実に多い。私が設計した家の建築主の約三分の一は私が葬儀を行った。この方が楽だ。なぜか「死人に口なし」だからだ。(笑)
●集会の先輩から仲人をして散々な目に遭った経験を聞いたことがある。結婚のゴタゴタの尾を引いたのだ。


塚本訳 マタ 19:4-6
19:4 答えて言われた、「造物者が始めから『彼らを男と女とに造られた』こと、
19:5 また、『それゆえに人は父と母とをすてて妻に結びつき、二人は一体となる』と言われたことを、あなた達は読んだことがないのか。
19:6 従って、もはや二人ではない、一体である。だから夫婦は(皆)神が一つの軛におつなぎになったものである。(どんな理由があっても)人間がこれを引き離してはならない。」


●5節。「父と母とをすてて」の塚本訳は厳しい。これを親を無視してもよいとか敬わなくてもよいという理由にしてはいけない。そう思う人は聖書の読みが浅い。財産はいらないから親の面倒もみないという考えは自らの家庭を滅びに至らせる。子供が良く育たない。子供ばかりでなく孫も堕落する。子は親の背中をみて育つ。

塚本訳 Ⅰテモ5:8-10
5:8 自分の身内の者、特に家族を顧みないなら、その人は信仰を棄てたので、不信者よりも悪い。
5:9 「寡婦」(の籍)に載せ(て教会で働かせ)る者は、六十歳以下でなく、(ただ)一人の夫の妻であり、
5:10 善い仕事で評判が高く、すなわち或は(よく他人の)子を育て、旅の人を待し、聖徒の足を洗い、苦しんでいる者を助け(る等、)凡て善い仕事にたずさわった者でなければならぬ。


●これは現実的真理。父母を敬わない男、また家庭や家族を治められない男には仕事を任せられない。教会(エクレシア)の仕事も任せられない。第一そういう男に仕事を頼むには気分が悪い。なぜか。頼んだ仕事が成功しないと予感するからだ。

塚本訳 ヨハ 19:25-27
19:25 ところが一方、イエスの十字架のわきには、その母(マリヤ)と母の姉妹、クロパの妻マリヤとマグダラのマリヤが立っていた。
19:26 するとイエスは母上と、そのそばに立っている自分の愛する弟子とを見て、母上に言われる、「女の方、これがあなたの息子さんです。」
19:27 それからその弟子に言われる、「これがあなたのおかあさんだ。」この時以来、その弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。


●肉において母を捨てたイエスは臨終のとき母を気遣い、霊の子供である「愛する弟子」(ヨハネと考えられる)に引き取って面倒見てくれという。孝行息子のイエス。

塚本訳 使  1:14
1:14 この人々は皆、女たち、とりわけイエスの母マリヤや、イエスの兄弟たちと、心を一つにして祈りに余念がなかった。


●母マリヤはイエスの復活後に信者になった。自分の息子を「主」と拝む最大の困難を成し遂げた「女」であった。「アベマリヤ」である。 マリヤはおしめを取り換えた肉の息子イエスを拝んだのではない。神から授かった霊の息子を拝んだのだ。

●次は第二題「十字架に付けられたキリスト以外のことは知るまい:

●まず翻訳比較。

文語訳 Ⅰコリ2:2
2:2 イエス・キリスト及びその十字架に釘けられ給ひし事のほかは、汝らの中にありて何をも知るまじと心を定めたればなり。


塚本訳 Ⅰコリ2:2
2:2 あなた達の間では、イエス・キリスト以外には何も(言うまい)知るまいと、決心したからである、十字架につけられたあの方以外には!


口語訳 Ⅰコリ2:2
2:2 なぜなら、わたしはイエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト以外のことは、あなたがたの間では何も知るまいと、決心したからである。


新改訳 Ⅰコリ2:2
2:2 なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。


新共同 Ⅰコリ2:2
2:2 なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。


NKJV Ⅰコリ2:2
2:2 For I determined not to know anything among you except Jesus Christ and Him crucified.


TEV Ⅰコリ2:2
2:2 For while I was with you, I made up my mind to forget everything except Jesus Christ and especially his death on the cross.


●これは拙ホームページにセットしてあるBbBとTSKから心に響くものをピックアップして掲げてみよう。 BbBとTSKはこういうときに役に立つ。

塚本訳 Ⅰコリ2:1
2:1 わたしもまた、兄弟たちよ、(はじめて)あなた達の所に行ったとき、(人間の)勝れた言葉や知恵を用いることなしに、神から賜った(福音の)証明を伝えていたのであった。


塚本訳 Ⅰコリ1:17
1:17 救世主がわたしをお遣わしになったのは、洗礼を授けさせるためでなく、福音を説かせるためなのだから。それも、言葉の上の知恵をもって(説くの)ではない。それでは(人間の言葉の力が大きくなり)、キリストの十字架(の救い)が空虚なものになる恐れがあるからである。


塚本訳 ピリ 3:8-11
3:8 否、ただにそれ(らの特権)ばかりでなく、わが主キリスト・イエス(を知る)の知識が(余りにも尊く)優れているために、本当は(今は)一切合切のものを損だと思っている。(実際)彼のために何もかも損してしまったのだが、(そんなものは皆)塵芥と思っている。これはキリスト・イエスを自分の有とし、
3:9 彼に在ることが出来──(もちろん)これは律法(を守ること)から来る私自身の義によるのでなく、キリストの信仰による(義、)すなわち信仰に基づいて神から与えられる義によるのであるが──
3:10 かくて(ますます深く)キリストを知り、その復活の力を受け、その苦難に与り、彼と同じような死様をして、
3:11 あわよくば私も(最後に)死人の復活に達したいためである。


塚本訳 Ⅱコリ3:3
3:3 (実際)あなた達はわたし達によって配達されたキリストの手紙であって、インキでなく生ける神の霊で、また、(モーセ律法とは違い)『石の板』にではなく『人の心の板』に書かれていることが、知れ渡っているのである。


塚本訳 Ⅰテサ1:5
1:5 何故なら、私達の福音が君達の中に入ったのは、ただ言だけでなく、また能力と聖霊と大なる確信とによった(のであって、これこそ君達が選ばれている証拠である)からである。──そして私達が君達の間で君達のために如何に行動したかは御承知の通りである。


塚本訳 Ⅰコリ3:6
3:6 ──わたしは植えた、アポロは水をやった、しかし神がこれまで成長させてくださった。


塚本訳 Ⅱコリ4:7
4:7 しかしこの宝が、(貧弱な)土の器の中にある。それはその素晴らしい力が神のものであって、わたし達(土の器)から出るのではないことがわかるためである。


塚本訳 ロマ 1:16
1:16 わたしは(決して)福音を恥じない。福音は神の力で、これを信ずる者を一人のこらず、すなわち、まずユダヤ人、次に異教人を、救いに入れるからである。


塚本訳 Ⅰコリ2:4
2:4 そしてわたしの話も説教も、人を感服させる知恵の言葉によらずに、(神の)霊と力との(直接の)立証によった。


塚本訳 Ⅰコリ2:13
2:13 またその(賜物の)ことをわたし達が話すにも、人間的な知恵に教えられた言葉によらず、御霊に教えられた言葉による。霊のことに霊のことを当てはめ(て解しようとす)るのである。


塚本訳 Ⅰコリ2:6
2:6 こうは言うものの、(霊的に)成人した人たちの前では、わたし達も知恵を話す。ただそれはこの世の知恵でも、やがて滅びるこの世の支配者ども(すなわち悪魔の手下)の知恵でもない。


塚本訳 Ⅰコリ1:23
1:23 わたし達は十字架につけられたキリストのこと(だけ)を説く。すなわち、ユダヤ人にはつまづき、異教人には馬鹿なことであるけれども、


塚本訳 ガラ 6:14
6:14 しかし少なくともわたしは、わたし達の主イエス・キリストの十字架以外に、誇ることがないように!この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対して、十字架につけられている。


塚本訳 Ⅰコリ4:10
4:10 わたし達はキリストのために(こんなに)馬鹿である、あなた達はキリストにあって(そんなに)賢い。わたし達は弱い、あなた達は強い。あなた達には名声がある、わたし達には屈辱がある。


塚本訳 Ⅱコリ12:5
12:5 こんな人のことをわたしは自慢しよう。しかしわたし自身のことは、弱いこと以外は自慢するまい。


塚本訳 Ⅱコリ12:9-10
12:9 主は(その都度)言われた、「わたしの恩恵はあなたに十分だ。力は弱さの中に完成されるのだから。」、それでわたしはキリストの力がわたしに住みついてくださるように、大喜びで、むしろ(自分の)弱いことを自慢しよう。
12:10 それゆえわたしは弱いことを、虐待、艱難、また迫害と苦悩をうけることを、キリストの故に喜ぶ。わたしは弱い時には、(彼の力によってかえって)強いのであるから。


塚本訳 Ⅱコリ13:4
13:4 ほんとうに、彼は弱さのゆえに十字架をつけられ(て死なれ)たけれども、神の力によって、いま生きておられるからである。同様に、わたし達も彼と結びついているので弱いけれども、彼と共に、神の力により、あなた達に対して(強く)生きるだろうからである。


塚本訳 Ⅰコリ4:20
4:20 神の国は言葉にはなく、力にあるのだから。

塚本訳 Ⅱコリ4:7
4:7 しかしこの宝が、(貧弱な)土の器の中にある。それはその素晴らしい力が神のものであって、わたし達(土の器)から出るのではないことがわかるためである。


塚本訳 Ⅱコリ6:7-10
6:7 真理の言葉により、神の力によってであり、(あるいは)右と左とに持つ義の武器をもって、
6:8 名誉と恥辱とをもって、悪評と好評とをもってである。(あるいはまた)嘘つきと言われながら、真実な者として、
6:9 (世間では)無名人でありながら、(神の前では)有名人として、『死にかけてい』ながら、いまここに『わたし達は生きている!』『そしてまた(神に)こらしめられるが、殺されない者』として、
6:10 悲しんでいるが、しかしいつでも喜んでいる者として、貧乏であるが、しかし多くの人を金持にする者として、何一つ持たないで、何もかも持っている者としてである。

塚本訳 Ⅱコリ11:6
11:6 なるほど弁舌にかけては全くの素人であっても、(説く福音の)知識の点ではそうではない。かえってこれ(の秘密)をわたし達は、あらゆる点で、とくにあなた達に、現したのである。


塚本訳 ヨハ 17:3
17:3 永遠の命とは、ただひとりのまことの神なるあなたと、あなたが遣わされた(子)イエス・キリストとを知ることであります。


塚本訳 Ⅰコリ1:22-25
1:22 実際、ユダヤ人は(信ずるための証拠に神からの不思議な)徴を乞い、異教人は(真理を知るために)知恵を求めるが、
1:23 わたし達は十字架につけられたキリストのこと(だけ)を説く。すなわち、ユダヤ人にはつまづき、異教人には馬鹿なことであるけれども、
1:24 (神に)召された者だけには、ユダヤ人、異教人の別なく、(これこそ)神の力、また神の知恵なるキリストを(説くのである)。
1:25 というのは、神の(業はどんなに)馬鹿なこと(に見えても、それ)は人よりも知恵があり、神の(業はどんなに)無力(に見えても、それ)は人よりも力があるからである。


塚本訳 ガラ 3:1
3:1 ああ、なんと物のわからぬガラテヤ人たちよ、だれがあなた達をたぶらかしたのか。(この前わたしがいった時、)十字架につけられたイエス・キリストがあなた達の目の前に(はっきりと)描き出されたのに!

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目覚めの啓示に対する黙想終わり

●妻は婦人の読書会に千駄ヶ谷に出かける。塚本虎二著作集。

●TSK日本語版。詩篇17編。

●録画してあった宗教の時間を見る。カトリックシスターでノートルダム清心学園理事長の渡辺和子。85歳。「ふがいない自分と生きる」。ご自身が苦難の生涯であったために話が深い。226事件のとき、軍人の父上が家に押しかけてきた将校に射殺されるのを目の前で見た。「うつ病」「膠原病」を患う。平成24年9月9日放送のアンコール放送。

●心に残った言葉。

「置かれた場所で咲きなさい」
「小さなことで腹を立てるとそれはあなたの大きさよ」(渡辺和子さんが母から言われた言葉。
「無駄な不幸は起こらない」
「私は『くれない族』であった。つまりあの人は私に何もしてくれないと思い続ける人であったが、某神父のアドヴァイスで自分が変われと言われて目から鱗が落ちた」
「損をするつもりで、自分の方から頭を下げて挨拶しなさい」
「私は人生の冬だけれども、冬には冬だけが持つ深さと静けさと厳しさがある。老いに恵みあり」
「今日の私は人生で一番若い日」
「対人関係で嫌なことがあったら、その嫌なことを神のポケットに入れて、その損の分を神様にいつか使っていただこうとしなさい」
(自殺願望の学生に)「(自殺を決行する)最後には私に挨拶しなさい。」
(好きな男性が別の女性を好きになって去って悲しんでいる女性に)「男はみんなそういう者なのよ。またきっといい人が現れるわよ」。後日談。その女性から「シスター(渡辺和子)!、前の男性よりずっといい人が現れました」と連絡があり、今は幸せな家庭を築いている」

●これらの言葉はヒルティの理想とする「慰めの子」(バルナバ)の言葉 である。


塚本訳 使  4:36-37
4:36 ヨセフは使徒たちからバルナバ[訳すれば「慰めの子」]とも言われた、クプロ(島)生まれのレビ人であったが、


●画面に出てきた聖書は、カトリックとプロテスタントが共同で訳した「新共同訳」であったのはうれしかった。


●チャイコフスキーヴァイオリン協奏曲の第二楽章大好き。手元にあるCD8枚で第二楽章だけを聴く。最高に胸に響いたのは我が千住真理子。日本人の優雅さと繊細さに満ち溢れている。























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イエスはピラトを赦していた ++++++++ 所感

2014/02/04 05:09

140204(火)4時起床。●朝の黙示「イエスはピラトを赦していた」●作秋から集会感話のイエス伝では「イエスの裁判」に入った。そのピラトとの問答は難解であるが、「イエスはピラトを赦していたのだ」という観点から見るとイエスの言葉の意味が良くわかるようになる。●聖書の難解なところは聖霊がその深いところを教えてくれる。●聖書は「祈りながら一人で読む」べきであるが、その意味は聖霊が教えてくれるのが一番効果があって力があると言うことなのだ。●聖書は「先生」「牧師」「司祭」という人間に読んでもらってはいけない。「教派神学」に教えてもらってもいけない。●「イエスの裁判」に関してはプリンツラーの古典的名著「イエスの裁判」や日本聖書学研究所の聖書学者たちに読んでもらってはその意味の深いところがわからない。そういう人間の「説」はほとんどが「だろう」とか「おそらく」で終わる「竜頭蛇尾」である。●その一例を次に掲げてみよう。

イエスの裁判に関する聖書学者の「竜頭蛇尾」の一例
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(岩波キリスト教辞典p939 佐藤研)

「最古の福音書ですら、ピラトはイエスの処刑には積極的でなく、群衆の要求で仕方なく磔刑にしたという〔マルコ151-15〕が、これはイエスの死についてのローマ側の責任を軽減しようとする護教的記述ではないかと疑われている。」

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イエスの裁判に関する聖書学者の「竜頭蛇尾」の一例 。終わり


●では次に「聖書で聖書を読む」方法を掲げてみよう。人間ではなく聖書が教えてくれるので「間違いようがない」。また「竜頭蛇尾」ではない。


3月2日の感話の素案(聖書本文の表示は省略)
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イエスはピラトを赦していた 

――「イエスの十字架は義として見るより愛として見た方が良く解る」――

     東京聖書読社会 2014.3.2 高橋照男

 

塚本訳 マタ 22:17-21

22:17 それで御意見を聞かせてください──(わたし達は異教人である)皇帝(カイザル)に、税を納めてよろしいでしょうか、よろしくないでしょうか。」

22:18 イエスは彼らの悪意を知って言われた、「なぜわたしを試すのか、この偽善者たち、

22:19 税の貨幣を見せなさい。」デナリ銀貨を差し出すと、

22:20 言われる、「これはだれの肖像か、まただれの銘か。」

22:21 「皇帝のです」と彼らが言う。すると言われる、「では皇帝(カイザル)のものは皇帝(カイザル)に、神のものは神に返せ。」

 

塚本訳 ヨハ 19:10-11

19:10 するとピラトが言う、「このわたしに口をきかないのか。わたしはお前を赦す権力があり、お前を十字架につける権力があることを、知らないのか。」

19:11 イエスは答えられた、「あなたは上[神]から授けられないかぎり、わたしに対してなんの権力もない。だから(あなたの罪はまだ軽いが、)わたしをあなたに売った者[ユダ]の罪は、あなたよりも重い。(あなたは官憲として神の命令を行なうだけだが、彼は自分の発意でやったのだから。」

 

①イエスはこの世の権力と対決しようとしなかった。皇帝は神の中に含まれる。

 

1)塚本訳 ヨハ 18:35-36

2)塚本訳 マタ 26:51-52

 

3)塚本訳 ルカ 23:2

4)塚本訳 ヨハ 19:12

5)塚本訳 Ⅰコリ3:22-23

6)塚本訳 Ⅰコリ4:3

②イエスは神の国のことは理性に説明してもわからないと思ったので沈黙した。

 

1)塚本訳 ルカ 22:66-70

2)塚本訳 マタ 27:11-14

3)塚本訳 Ⅰコリ2:13-14

4)塚本訳 ルカ 16:26

5)塚本訳 ルカ 23:33-34

6)塚本訳 マタ 5:44-45

③イエスはこの世を神に任せ、神は罪をその人に直接教え、また裁くと考えた。

 

1)塚本訳 マタ 15:12-13

2)塚本訳 ヨハ 16:7-12

 

④信者のこの世の生き方。世の小事はこれを来世に行く準備として利用せよ。

 

1)塚本訳 ルカ 16:9-13

2)塚本訳 マタ 17:24-27

3)塚本訳 ロマ 13:1

4)塚本訳 Ⅰペテ2:13-20

5)塚本訳 マタ 25:40

6)塚本訳 マタ 5:39-44

7)塚本訳 マタ 6:15

⑤信者の家族肉親に対する態度は、神に対して主にあって接する義務がある

 

1)塚本訳 マタ 12:46-50

2)塚本訳 ヨハ 19:25-27

3)塚本訳 ロマ 16:12-13

4)塚本訳ロマ 8:12

5)塚本訳 Ⅰコリ15:58

6)塚本訳 ロマ 9:1-3

7)塚本訳 エペ 2:14-16

8)塚本訳 ルカ 9:23

⑥信者の努力は自力での社会改造ではなく、終末を早める祈りに集中すべきだ。

 

1)塚本訳 Ⅱペテ3:10-14

2)塚本訳 マタ 6:9a-10

3)塚本訳 ルカ 18:1-7

4)塚本訳 Ⅰコリ16:22-23

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3月2日の感話の素案(聖書本文の表示は省略)終わり

●TSK日本語版詩編第16編
●BD(バイブルデスクトップ)エゼキエル11-20章
●9:15 池谷医院定期健診 徒歩
●13:45 ATMへ徒歩

2014_02040002.jpg 

あきる野に雪が舞い始めた。寒い日。
讃美歌 521番

1.イェス よ, こころ に やどりて

   われ を みや と なし たまえ,

  汚れに そみし この み を

   雪より白くし たまえ.

(Refrain)

   わが 罪 を 洗いて

  雪より白くし たまえ.

2014_02040005.jpg 

16:00 雪が激しく降り出した。今夜は積もりそうだなー。
ホームレスの人は寒いだろうなー。







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私達夫婦は「延命処置」を希望しない ++++++++ 所感

2014/02/03 05:28

140203(月)4時半起床●昨日は録画してあったNHKスペシャル「家で看取るということ」を見た。自分の母親を胃瘻(いろう。腹壁を切開して胃内に管を通し、食物や 水分や医薬品を流入させ投与するための処置)で自宅で延命中の娘。「2年も3年もこのまま延命させておくのは病人(意識のない人間)に何の意味があるのだろうか」という疑問が湧き、医師介護団に胃瘻を中止するように要望した。医師介護団12名はそれは「消極的安楽死」だと言って悩むが、家族の要望を受け入れて、胃瘻を中止する苦渋の決定を下す。しかしその処置の寸前に病人は風邪をこじらせて 逝去。その娘は「胃瘻の中止をしたための倫理的苦悩をさせまいと母はその前に逝ってくれたのではないか」と泣いた。●私はこれを見終わって「これは間違いだ」と叫んだ。命は神から与えられたもの。人間がこれを勝手に断つことは神を畏れぬ器物損壊の罪。日本には真の神を恐れる怖れがないことからこういう悩み事が起こるのだ思った。●そして妻と話し合い、以前から二人で合意していた「私達は延命処置を希望しない」ということを確認し合った。そのためには周囲の人間にこれを言っておかなければならないのであるが、「尊厳死協会」という団体があることを知っている。お互いが認知症になる前にこの団体に加入しておかなければなーと思った。●多くの家庭で今後抱えるであろうこの問題に聖書はどう答えるのであるか。この難問を今朝は聖書的に黙想してみよう。


塚本訳 ヨハ 8:21-24
8:21 するとまた(くりかえして)彼らに言われた、「わたしはわたしを遣わされた方の所に行く。(その時)あなた達はわたしをさがすが、(もはや会うことができず、)自分の罪のうちに死ぬであろう。わたしの行く所に、あなた達は来ることが出来ない(からだ)。」
8:22 ユダヤ人たちが言った、「『わたしの行く所に、あなた達は来ることはできない』と言うが、まさか自殺するつもりではあるまい。」
8:23 彼らに言われた、「あなた達は下から出た者であるが、わたしは上から出た者である。あなた達は(罪の)この世から出た者であるが、わたしはこの世から出た者ではない。
8:24 だから『あなた達は自分の罪のうちに死ぬであろう』と言ったのだ。あなた達は、わたしがそれ(救世主)であることを信じなければ、自分の罪のうちに死ぬからである。」


●神を信じない人間は暗い。肉の命の延命が至上の論理。行動の理由。だから私は常日頃「社会派信者」の言動を批判するのだ。彼らには信仰の匂いがしないのだ。神を恐れる怖れからの言動ではないのだ。

口語訳 ヨブ 1:19-22
1:19 荒野の方から大風が吹いてきて、家の四すみを撃ったので、あの若い人たちの上につぶれ落ちて、皆死にました。わたしはただひとりのがれて、あなたに告げるために来ました」。
1:20 このときヨブは起き上がり、上着を裂き、頭をそり、地に伏して拝し、
1:21 そして言った、/「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」。
1:22 すべてこの事においてヨブは罪を犯さず、また神に向かって愚かなことを言わなかった。


●ヨブは財産を取られ、家族を取られ、健康を取られても神に「不平不満」を言わなかった。神なき人間は「不平不満だらけ」だ。「自力で何とかしようとする」心が、延命処置や延命中止の泥沼に落ち込む。「自力でなんとかしようとする心、なんとかできると思う心」が社会改造運動をするクリスチャン。

塚本訳 ロマ 8:11-12
8:11 しかしイエスを死人の中から復活させたお方の御霊があなた達の中に住んでおられるなら、キリスト・イエスを死人の中から復活させたそのお方は、あなた達の中に住んでおられるその御霊によって、あなた達の死ぬべき体をも生かしてくださるであろう。
8:12 (こんなに大きな恩恵をいただいているの)だから、兄弟たちよ、わたし達は義務がある。(もちろん)肉に対して、肉的に生きる義務があるのではない。(神に対して、霊によって生きる義務があるのである。)


●これだ。クリスチャンの本来の義務は復活の希望に生きること、その生きざまを世に示すことだ。塚本敷衍(神に対して、霊によって生きる)がポイント。

塚本訳 Ⅰコリ15:58
15:58 だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ。骨折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから。


●この世の小事(政治、経済、医療、教育、家事、建築・・・・)は「主にあって無駄にならない」
●この「主にある」という言葉は意味が深い。これは「救われた者のこの世の生き方」である。
●某プログラマー(聖書ソフト)曰く「質問の回答をする場合、最後に『主にありて』と一言入れるとその後のやり取りがスムーズにいくようになる」。

塚本訳 マタ 26:36-39
26:36 ほどなくイエスは弟子たちと一しょに(オリブ山の麓の)ゲッセマネという地所に着くと、弟子たちに言われる、「わたしがあちらへ行って祈っている間、ここに坐って(待って)おれ。」
26:37 そしてペテロとゼベダイの子二人(だけ)を連れて(奥の方へ)ゆかれると、(急に)悲しみおののき始められた。
26:38 それから彼らに言われる、「『心がめいって』『死にたいくらいだ。』ここをはなれずに、わたしと一しょに目を覚ましていてくれ。」
26:39 そしてなお少し(奥に)進んでいって、俯けに倒れ、祈って言われた、「お父様、出来ることなら、どうかこの杯がわたしの前を通りすぎますように。しかし、わたしの願いどおりでなく、お心のとおりになればよいのです。」


●神の子イエスにして「『心がめいって』『死にたいくらいだ。』」とは自殺したいくらいだというのだ。しかし神の使命を思って気を取り直した。我々もこの弱さに落ちるが神の命令を守って粘るべきなのだ。使命とはひとかどのことをするのでなく「生かされている」生を生き抜くことなのだ。

塚本訳 Ⅱコリ5:6-9
5:6 だから、わたし達はいつも心強くあり、また、この体に同居しているあいだは主から離れて別居していることを知っている、
5:7 ──というのも(いま)わたし達は(主を)見ることによってではなく、信仰によって歩いているからである。──
5:8 それで、わたし達は心強くはあるけれども、むしろこの体を離れて別居し、主の所に同居したいと望んでいる。
5:9 この故にまた、(この体と)同居していようが、別居していようが、(ただ)主のお気に入ることだけを名誉とするのである


●主と共にある信者は生きていても死んでも同じ。

塚本訳 ヨハ 11:25
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている


●霊によって生きた者は死後でも影響を与える。

塚本訳 ルカ 20:37-38
20:37 死人が復活することは、(聖書にはっきり書いてある。)モーセも茨の薮の(燃える話の)ところで、主を『アブラハムの神、またイサクの神、またヤコブの神(である)と』と言ってこれを示している。
20:38 ところで神は死人の神ではなく、生きている者の神である。神に対しては、すべての者が生きていのだから。(してみるとアブラハム、イサクなども皆復活して、今生きているわけではないか。)」


●「神に対しては、すべての者が生きている」とは人間の死生観をひっくり返す。

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朝の黙想おわり































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神がアクションを起こす「時」 ++++++++ 所感

2014/02/02 04:36

140202(日)4時起床。カトリックの修道僧は3時起床、指揮者の小沢征爾は4時に起床して勉強。彼は夜の宴会には出ない。イエスも早起きして山へ行って祈った●今日の集会で話す内容は次の通り。配布資料は2種類。  


第一の資料

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338

339 

問・ピラトはイエスに罪をみいださなっかたので赦そうとしました。立派です。

答・しかし結局は民衆の声に妥協して鞭打ってから赦すことにしたのです

 

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ルカ23:13-25

ピラトの宣告

 

翻訳比較

 

岩波翻訳委員会訳1995

422313そこでピラトゥスは、祭司長たちと指導者たちと民とを招集し、

422314彼らに対して言った、「お前たちは、この人物が民を惑わす者だとして、わしのところへ連れて来た。しかし見よ、このわしは、お前たちの面前で尋問してみたが、この人物においては、お前たちが訴えているような罪はなんら見いだせなかった。

422315また、へロデもそうだ。彼をわしらのもとへ送致して来たからだ。そこで見よ、彼は死に価するようなことは何もしておらぬ。

422316したがってわしは、鞭打った後、彼を釈放してやろう」。

422317なし

422318すると〔人々の〕群がこぞって叫び出して言った、「そいつを片づけろ、俺たちにはバラバを釈放しろ」。

422319この〔バラバという〕男は、都で起きたある反乱と殺人とのかどで獄に投じられていた者である。

422320そこでピラトゥスは、イエスを釈放したく思い、再び彼らに呼びかけた。

422321すると彼らは、大声で叫び続けて言った、

「そいつを十字架につけろ、十字架につけろ」。

422322そこで彼は三度目に彼らに対して言った、「では、この者はどんな悪事を働いたのか。わしはこの者には、死に価する罪はなんら見いだせなかった。したがってわしは、鞭打った後、彼を釈放してやろう」。

422323彼らはしかし、イエスを十字架につけるよう大声で要求しながら、激しく迫っ〔て止まなかっ〕た。そして彼らの声が圧倒的になって行った。

422324そのためピラトゥスは、彼らの要求を通そうと決心した。

422325そして彼らが要求しているところの、反乱と殺人のかどで獄に投じられたままになっていた者を釈放し、他方、イエスを彼らの思惑に引き渡した。

 

新共同訳1987

23:13 ピラトは、祭司長たちと議員たちと民衆とを呼び集めて、

23:14 言った。「あなたたちは、この男を民衆を惑わす者としてわたしのところに連れて来た。わたしはあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪はこの男には何も見つからなかった。

23:15 ヘロデとても同じであった。それで、我々のもとに送り返してきたのだが、この男は死刑に当たるようなことは何もしていない。

23:16 だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」

23:17 (†底本に節が欠落 異本訳)祭りの度ごとに、ピラトは、囚人を一人彼らに釈放してやらなければならなかった。

23:18 しかし、人々は一斉に、「その男を殺せ。バラバを釈放しろ」と叫んだ。

23:19 このバラバは、都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていたのである。

23:20 ピラトはイエスを釈放しようと思って、改めて呼びかけた。

23:21 しかし人々は、「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫び続けた。

23:22 ピラトは三度目に言った。「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」

23:23 ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。その声はますます強くなった。

23:24 そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した。

23:25 そして、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求どおりに釈放し、イエスの方は彼らに引き渡して、好きなようにさせた。

 

前田訳1978

23:13 ピラトは大祭司や役人や民を呼び集めていった、

23:14 「あなた方がこの人を民を惑わすものとして引いて来たので、このとおりわたしがあなた方の前で調べたが、訴えているような罪は何もこの人に認められなかった。

23:15 ヘロデもそうだ、送り返して来たから。たしかに、この人は死に当たることは何もしていない。

23:16 よって、鞭打ってからゆるそう」と。

23:17 〔祭りごとに囚人ひとりをゆるすことになっていた〕。

23:18 人々はいっせいに声をあげていった。「その人を殺せ。バラバをゆるせ」と。

23:19 これは都でおこった暴動と殺人の廉で、牢に入れられたものである。

23:20 ピラトはイエスをゆるそうとして、ふたたび人々に呼びかけたが、

23:21 人々は叫びつづけた、「十字架に、十字架に」と。

23:22 ピラトは三度目に彼らにいった。「この人は何の悪をしたのか。わたしはこの人に何も死に当たる罪を認めなかった。よって、鞭打ってからゆるそう」と。

23:23 しかし人々は大声で詰めよって、彼を十字架につけるよう要求した。そして彼らの声が勝った。

23:24 ピラトは彼らの願いをかなえることに決めて、

23:25 暴動と殺人の廉で牢に入れられていたものを願いどおりにゆるし、イエスは彼らの思うままにさせた。

 

新改訳1970

23:13 ピラトは祭司長たちと指導者たちと民衆とを呼び集め、

23:14 こう言った。「あなたがたは、この人を、民衆を惑わす者として、私のところに連れて来たけれども、私があなたがたの前で取り調べたところ、あなたがたが訴えているような罪は別に何も見つかりません。

23:15 ヘロデとても同じです。彼は私たちにこの人を送り返しました。見なさい。この人は、死罪に当たることは、何一つしていません。

23:16 だから私は、懲らしめたうえで、釈放します。」

23:17 [本節欠如]

23:18 しかし彼らは、声をそろえて叫んだ。「この人を除け。バラバを釈放しろ。」

23:19 バラバとは、都に起こった暴動と人殺しのかどで、牢にはいっていた者である。

23:20 ピラトは、イエスを釈放しようと思って、彼らに、もう一度呼びかけた。

23:21 しかし、彼らは叫び続けて、「十字架だ。十字架につけろ。」と言った。

23:22 しかしピラトは三度目に彼らにこう言った。「あの人がどんな悪いことをしたというのか。あの人には、死に当たる罪は、何も見つかりません。だから私は、懲らしめたうえで、釈放します。」

23:23 ところが、彼らはあくまで主張し続け、十字架につけるよう大声で要求した。そしてついにその声が勝った。

23:24 ピラトは、彼らの要求どおりにすることを宣告した。

23:25 すなわち、暴動と人殺しのかどで牢にはいっていた男を願いどおりに釈放し、イエスを彼らに引き渡して好きなようにさせた。

 

塚本訳1963

23:13 ピラトは大祭司連をはじめ、(最高法院の)役人たち、および民衆を呼びあつめて、

23:14 言った、「お前たちはこの人を民衆をあやまらせる者だと言って引いてきたので、このわたしがお前たちの目の前で取り調べたが、訴えの廉では、この人に何の罪も認められなかった。

23:15 ヘロデでもそうらしい。送りかえしたのだから。たしかにこの人は、何一つ死罪に当ることをしていない。

23:16 だから鞭うった上、赦すことにする。」

23:17 [無シ]

23:18 すると人々が一斉に声をあげて叫んだ、「その男を片付けろ。バラバの方を赦してくれ。」

23:19 バラバは都におこった暴動(に関係したの)と人殺しとの廉で、牢に入れられていた者である。

23:20 ピラトはイエスを赦したいので、ふたたび人々に呼びかけたが、

23:21 人々は(ただ)、「十字架につけろ、それを十字架につけろ」とどなりつづけた。

23:22 三度目にピラトは彼らに言った、「いったいどんな悪事をこの人がはたらいたというのか。わたしはこの人に何一つ死罪にあたる罪を認められなかった。だから鞭うった上、赦すことにする。」

23:23 しかし人々は十字架につけることを大声でせがみつづけ、とうとうその声が勝った。

23:24 ピラトは彼らの願いをかなえることに決定して、

23:25 暴動と人殺しとの廉で牢に入れられていた者を願いどおりに赦し、イエスの方は彼らの思うようにさせた。

 

口語訳1955

23:13 ピラトは、祭司長たちと役人たちと民衆とを、呼び集めて言った、

23:14 「おまえたちは、この人を民衆を惑わすものとしてわたしのところに連れてきたので、おまえたちの面前でしらべたが、訴え出ているような罪は、この人に少しもみとめられなかった。

23:15 ヘロデもまたみとめなかった。現に彼はイエスをわれわれに送りかえしてきた。この人はなんら死に当るようなことはしていないのである。

23:16 だから、彼をむち打ってから、ゆるしてやることにしよう」。

23:17 〔祭ごとにピラトがひとりの囚人をゆるしてやることになっていた。〕

23:18 ところが、彼らはいっせいに叫んで言った、「その人を殺せ。バラバをゆるしてくれ」。

23:19 このバラバは、都で起った暴動と殺人とのかどで、獄に投ぜられていた者である。

23:20 ピラトはイエスをゆるしてやりたいと思って、もう一度かれらに呼びかけた。

23:21 しかし彼らは、わめきたてて「十字架につけよ、彼を十字架につけよ」と言いつづけた。

23:22 ピラトは三度目に彼らにむかって言った、「では、この人は、いったい、どんな悪事をしたのか。彼には死に当る罪は全くみとめられなかった。だから、むち打ってから彼をゆるしてやることにしよう」。

23:23 ところが、彼らは大声をあげて詰め寄り、イエスを十字架につけるように要求した。そして、その声が勝った。

23:24 ピラトはついに彼らの願いどおりにすることに決定した。

23:25 そして、暴動と殺人とのかどで獄に投ぜられた者の方を、彼らの要求に応じてゆるしてやり、イエスの方は彼らに引き渡して、その意のままにまかせた。

 

文語訳1917

"422313","ピラト、祭司長らと司らと民とを呼び集めて言ふ、"

"422314","『汝らこの人を民を惑す者として曳き來れり。視よ、われ汝らの前にて訊したれど、其の訴ふる所に就きて、この人に愆あるを見ず。"

"422315","ヘロデも亦然り、彼を我らに返したり。視よ、彼は死に當るべき業を爲さざりき。"

"422316","されば懲しめて之を赦さん』"

"442817","(なし)

"422318","民衆ともに叫びて言ふ『この人を除け、我らにバラバを赦せ』"

"422319","このバラバは、都に起りし一揆と殺人との故によりて、獄に入れられたる者なり。"

"422320","ピラトはイエスを赦さんと欲して、再び彼らに告げたれど、"

"422321","彼ら叫びて『十字架につけよ、十字架につけよ』と言ふ。"

"422322","ピラト三度まで『彼は何の惡事を爲ししか、我その死に當るべき業を見ず、故に懲し゚て赦さん』と言ふ。"

"422323","されど人々、大聲をあげ迫りて、十字架につけんことを求めたれば、遂にその聲勝てり。"

"422324","ここにピラトその求めの如くすべしと言渡し、"

"422325","その求むるままに、かの一揆と殺人との故によりて、獄に入れられたる者を赦し、イエスを付して彼らの心の隨ならしめたり。"

 

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各国聖書引照

 

(日)並行個所・・・・・・塚本虎二訳

塚本訳 マコ 15:6-15

15:6 さてピラトは(過越の)祭の都度、人民から願い出る囚人を一人だけ(特赦によって)赦していた。

15:7 ところが暴動の折、人殺しをして繋がれていた暴徒の中に、バラバという者があった。

15:8 群衆が(官邸に)上がってきて、いつもするように(してもらいたい)と願い始めた。

15:9 ピラトは答えて言った、「あのユダヤ人の王を赦してもらいたいのか。」

15:10 ピラトは大祭司連が妬みからイエスを引き渡したことを知っていたのである。

15:11 しかし大祭司連は、(彼よりは)バラバの方を赦してもらえと群衆を煽動した。

15:12 ピラトはまた彼らに言った、「では、お前たちがユダヤ人の王と言っているあの人を、どうしようか。」

15:13 「それを十字架につけろ」とまた人々が叫んだ。

15:14 ピラトは言った、「いったいどんな悪事をはたらいたというのか。」しかし人々はいよいよ激しく、「それを十字架につけろ」と叫んだ。

15:15 ピラトは群衆の機嫌を取ろうと思ってバラバを赦してやり、イエスを鞭打ったのち、十字架につけるため(兵卒)に引き渡した。

 

塚本訳 マタ 27:15-26

27:15 さて総督は(過越の)祭の都度、民衆の望む囚人を一人だけ(特赦によって)赦すことにしていた。

27:16 ところがその時、バラバ(・イエス)と言う評判の囚人がいたので、

27:17 ピラトは人々が集まってきたとき言った、「どちらを赦してもらいたいか、バラバ(・イエス)か、救世主と言われるイエスか。」

27:18 ピラトは人々が妬みからイエスを引き渡したことを知っていたのである。

27:19 ピラトが裁判席に着いているとき、その妻が彼の所に人をやって、「その正しい人に関係しないでください。その人のおかげで、昨夜夢で散々な目にあいましたから」と言わせた。

27:20 しかし大祭司連、長老たちは、バラバの命乞いをして、イエスを殺してもらえと群衆を説きつけた。

27:21 総督は彼らに言った、「二人のうち、どちらを赦してもらいたいのか。」「バラバを!」と彼らが言った。

27:22 ピラトが言う、「では、救世主と言われるイエスをどうしようか。」みんなが、「十字架につけるのだ」と言う。

27:23 ピラトは言った、「いったいどんな悪事をはたらいたというのか。」しかし人々はいよいよ激しく、「十字架につけるのだ」と叫びつづけた。

27:24 ピラトは(自分のすることが)なんの甲斐もないばかりか、かえって騒動が起りそうなのを見て、水を取り寄せ、群衆の前で手を洗って言った、「わたしはこの人の血(を流すこと)に責任をもたない。お前たちが自分で始末しろ。」

27:25 民衆全体が答えた、「その男の血のことなら、われわれが孫子の代まで引き受けた。」

27:26 そこでピラトはバラバを赦してやり、イエスの方は鞭打ったのち、十字架につけるため(兵卒)に引き渡した。

 

塚本訳 ヨハ 18:39-40

18:39 しかし、過越の祭の時にわたしが囚人を一人だけ(特赦によって)赦してやるのが、お前たちの慣例になっている。だから(この慣例によって、)あのユダヤ人の王を赦してやろうか。」

18:40 彼らはまたもや「その男ではない、あのバラバを!」と叫んだ。バラバは強盗であった。

 

塚本訳 ヨハ 19:4-16

19:4 ピラトはまた外に出ていって、ユダヤ人に言う、「見よ、あの人をお前たちの前に引き出す。あの人にはなんらの罪も認められない訳がわかろう。」

19:5 イエスが茨の冠をかぶり紫の上着をまとって、(しずかに)出てこられた。ピラトが言う、「見よ、この人だ。」

19:6 すると大祭司連や下役らはイエスを見て、「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫んだ。(イエスのみじめな滑稽な姿を見ては、さすがのユダヤ人も心をやわらげるであろうという、ピラトの当てははずれた。)ピラトが言う、「(もし、そうしたければ、)お前たちがこの人を引き取って、十字架につけたらよかろう。この人には罪を認められない。」

19:7 ユダヤ人が答えた、「われわれには律法があって、その律法によると、当然死刑です。神の子気取りでいるのだから。」

19:8 ピラトはこの(神の子という)言葉を聞くと、いよいよ薄気味悪くなり、

19:9 また総督官舎に入ってイエスにたずねる、「お前はいったいどこから来たのか。(本当に天から来たのか。)」イエスは返事をされなかった。

19:10 するとピラトが言う、「このわたしに口をきかないのか。わたしはお前を赦す権力があり、お前を十字架につける権力があることを、知らないのか。」

19:11 イエスは答えられた、「あなたは上[神]から授けられないかぎり、わたしに対してなんの権力もない。だから(あなたの罪はまだ軽いが、)わたしをあなたに売った者[ユダ]の罪は、あなたよりも重い。(あなたは官憲として神の命令を行なうだけだが、彼は自分の発意でやったのだから。」

19:12 このためにピラトは(ますます恐ろしくなり、なんとかして)彼を赦そうと思ったが、ユダヤ人が叫んだ、「この男を赦せば、あなたは皇帝の忠臣ではない。自分を王とする者はだれであろうと、皇帝の敵である。(それを助けるのだから。)」

19:13 ピラトはこの言葉を聞くと(心を決し、)イエスを引き出して、「敷石」──ヘブライ語でガバタ──という所で裁判席に着いた。

19:14 それは過越の祭の支度日で、昼の十二時ごろであった。ピラトがイエスを指さしながら、ユダヤ人に言う、「見よ、お前たちの王様だ。」

19:15 すると彼等が、「片付けろ、片付けろ、それを十字架につけろ」と叫んだ。ピラトが言う、「お前たちの王様を、わたしが十字架につけてよいのか。」大祭司連が答えた、「われわれには皇帝のほかに王はない。」

19:16 ここにおいてピラトは、十字架につけるためにイエスを彼らに引き渡した。さて彼ら[兵卒ら]はイエスを受け取り、

 

(独)NESTLE-ALAND  NOVUM TESTAMENTUM  GRAECE 27版1993 の引照

新共同 マタ 27:63

27:63 こう言った。「閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを、わたしたちは思い出しました。

 

新共同 ルカ 23:4

23:4 ピラトは祭司長たちと群衆に、「わたしはこの男に何の罪も見いだせない」と言った。

 

新共同 使  23:29

23:29 ところが、彼が告発されているのは、ユダヤ人の律法に関する問題であって、死刑や投獄に相当する理由はないことが分かりました。

 

新共同 ヨハ 19:15

19:15 彼らは叫んだ。「殺せ。殺せ。十字架につけろ。」ピラトが、「あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか」と言うと、祭司長たちは、「わたしたちには、皇帝のほかに王はありません」と答えた。

 

(英・米)THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE 1982 の引照

 

・・・・

 

(日)新共同訳1987 の引照

新共同 使  4:5

4:5 次の日、議員、長老、律法学者たちがエルサレムに集まった。

 

新共同 使  4:8

4:8 そのとき、ペトロは聖霊に満たされて言った。「民の議員、また長老の方々、

 

新共同 使  3:14

3:14 聖なる正しい方を拒んで、人殺しの男を赦すように要求したのです。

 

(仏)THE NEW JERUSALEM BIBLE 1985 の引照

口語訳 使  21:35

21:35 パウロが階段にさしかかった時には、群衆の暴行を避けるため、兵卒たちにかつがれて行くという始末であった。

 

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 解釈と感想

 

●     ピラトはなかなかの人物。イエスに罪を認めないので何とかイエスを赦そうとする

●     しかし、見せしめのために鞭打つ。この辺やはり役人根性の妥協の考え。

●     イエスにかわってバラバが赦されたとは、歴史の皮肉。しかしバラバはわれわれのことでもある。われわれのかわりにイエスが鞭打たれた。





第二の資料

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異教人ポンテオ・ピラトの意義 

                   東京聖書読者会 2014.2.2 高橋照男

 

使徒信条第4条

ポンテオ・ピラトの時苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)に下り、

 

塚本訳 ヨハ 1:14

1:14 この言葉は肉体となって、(しばらく)わたし達の間に住んでおられた。(これが主イエス・キリストである。)わたし達はその栄光を見た。いかにも父上の独り子らしい栄光で、恩恵と真理とに満ちておられた。

 

① キリストとピラトの史実性。非キリスト教側による物的および文献的資料

  

                       

                        

                       

                  ピラトがティベリウスに献上した建物の銘板

 1961年カイザリヤ出土)ラテン語

                         一行目 ティベリウス

                                        二行目 ポンティウス・ピラトゥス

 

1)ピラトとイエスの時代的関係

ピラト ローマ帝国の第5代ユダヤ属州総督。在任期間AD2636

イエス 生年BC46(?)-没年AD3033年。十字架による処刑はピラト在任中。

 

2)タキトゥス(ローマ帝国の歴史家で非キリスト教徒)著『年代記』15章44.岩波文庫青408-3 国原吉之助訳 p269

「それは、日頃から忌まわしい行為で世人(せじん)から恨み憎まれ、『クリストゥス信奉者』と呼ばれていた者たちである。この一派の呼び名の起因となったクリストゥスなるものは、ティベリウス(イエス在世当時のローマ皇帝・・・高橋注)の治世下(AD14-37年・・・高橋注)に、元首属吏ポンティウス・ピラトゥスによって処刑されていた。」

●これは異教の文献における最初のキリスト処刑への言及として有名。「日頃から忌まわしい行為」とは嬰児殺しと人肉嗜食(ししょく)と近親相姦のこと。(同上訳註、P373

 

3)ヨセフス(ユダヤ教の歴史家・・・後半人生はローマに厚遇された)「ユダヤ戦記」ⅸ-23(山本書店ヨセフス「ユダヤ戦記Ⅰ新見宏訳 p254-255」)

 「ピラートスがティベリオスによって総督に任命され、ユダヤにつかわされると、夜ひそかにカイサルの像を隠してエルサレムに運び込んだ。これは軍旗と呼ばれるものである。夜が明けるとユダヤ人の間にははなはだしい騒ぎが巻き起こった。その場に近く居合わせた人々は、彼らの律法がふみにじられたと思って大声でののしった。律法はこの町の中にいかなる偶像を建てることも禁じているからである。町の住民たちの怒りに、地方から出てきた民衆が加わって騒ぎは大きくなった。

 

4)ヨセフス「ユダヤ戦記」ⅸ-4(山本書店ヨセフス「ユダヤ戦記Ⅰ新見宏訳 P256

「この事件ののち、彼ら(ピラートス・・・高橋注)は水道の建設にあたり、コルポーナス(マタイ276 コルバン・・・高橋注)と呼ばれる神聖な宝物を売り払って、またもや新しい騒ぎをひき起こした。この水道によって水は400スタディオン(約74キロメートル・・・高橋注)はなれたところから運ばれたのである。民衆はこれをいきどおり、たまたまエルサレムを訪れていたピラートスの官邸をとり囲んでののしり叫んだ。ところが彼はこのような騒ぎを予想していたので、あらかじめ兵士たちを群衆にまぎれこませておき衣の下に武装を隠し,剣を抜くかわりに棍棒で暴徒を打つように命じておいたのである。そして彼は総督の座から、かねて定めの合図を送った。

 

5)ヨセフス「ユダヤ古代誌」ⅩⅧⅲ1(山本書店ヨセフス『ユダヤ古代誌』新約時代篇4秦剛平訳 p38

 「さて、ユダヤの総督ピラトスは、カイサレイアから軍隊を率いてエルサレムにある冬期の陣営に移動した。」

 

③ イエスは「死人を蘇らす奇跡を起こす男」との風評は史実

 

1)塚本訳 ルカ 7:15-17

7:15 すると死人が起き上がって物を言い出した。イエスは『彼を母に渡された。』

7:16 皆が恐れをいだいて、「大預言者がわたし達の間にあらわれた」とか、「神はその民を心にかけてくださった」とか言って、神を讃美した。

7:17 イエスについてのこの(二つの)言葉は、ユダヤ(人の国)全体とその周囲いたる所に広まった。

 

2)塚本訳 マタ 9:24-26

9:24 言われた、「あちらに行っておれ。少女は死んだのではない、眠っているのだから。」人々はあざ笑っていた。

9:25 群衆が外に出されると、イエスは(部屋に)入っていって少女の手をお取りになった。すると少女は起き上がった。

9:26 この評判がその土地全体に広まった。

 

3)塚本訳 ルカ 23:8

23:8 ヘロデはイエスを見ると非常に喜んだ。というのは、イエスの噂を聞いて、だいぶ前から会ってみたいと思っており、また何か奇跡をするのを見たいと望んでいたからである。

 

④ 暗黒のローマ帝国にキリスト教徒の集団により光が射した。

 

1)歴代ローマ皇帝の在位期間と死因 暗殺か自害が多いその暗黒性

 

 皇帝名     在位期間        没年と死因

アウグストス   BC27-AD14    14 自然死

ティベリウス   AD14-37     37 自然死(暗殺説あり)

カリグラ     AD37-41     41 暗殺

クラウディウス  AD41-54     54 暗殺

ネロ       AD54-68     68 自害

 

2)末期的世界に光をもたらしたキリスト教徒たち。闇が深まって光は強く輝いた。

 

ヒルティ幸福論Ⅲ(白水社版、杉山好・前田護郎訳 p95

「わがなんじになさんとするは、驚くべき事なり」

「(今日の暗さは・・・高橋注)ローマの皇帝時代の最初の二世紀について知られているところとある点でよく似通っている。そしてその時に生まれてまもないキリスト教は、一見絶望的に老衰し、死滅にひんした感じの世界に、新しい生命力を吹き込み、官能的な美と人間的な知恵による喜びよりもすぐれた人生の目的を与える使命をゆだねられた。それは困難な課題であったにもかかわらず解決された。世界はもういちど甦って、夢にも考えられない精神力と生命力を獲得した。初代の信徒たちの小さな群を目のあたりに見た当時の人には、およそ想像もつかないことであった。」

 

3)「光の子」としてのキリスト信者の実在が歴史を動かした。

 

4)塚本訳 ピリ 2:15

2:15 これは君達が非難すべき所でなく、純真であって、『曲ったねじくれた(この)時代』の真中にあって『瑕なき神の子』とならんためである。(まことに)君達はこの時代にあって、生命の言を堅く守りながら、この(暗い)世に星のように輝いているのである。

 

5)塚本訳 Ⅰペテ2:9

2:9 しかし君達は『選ばれた種族、王なる祭司、聖き民族、』神の『所有物なる民』(である。そして君達がかく神の所有物となったのは、)君達を暗から驚くべき光へと召し給うたお方の『功業(いさおし)を宣べるためである』。

 

6)塚本訳 エペ 5:8-9

5:8 君達はかつては暗であったが、今は主に在って光である。光の子らしく歩け──

5:9 光の果実(み)はあらゆる善と義と真であるから──

 

⑤ ピラトの残虐非道性と失脚の原因

 

1)ピラト失脚の原因

ヨセフス「ユダヤ古代史」ⅩⅧ ⅳ12 塚本虎二著作集第7巻p325に要約がある。

「最後に彼の命取りになった事件も要するに彼一流の暴力政治が祟(たた)ったのであった。サマリヤのゲリジム山にはモーセ時代から宮の器具が埋蔵されていると一般に信じられていたが、この頃一人の偽預言者が出てそれを見せると言い、群衆が武装して登山して見に行こうとするのを、ピラトは軍隊をもって攻撃し、あるいは殺しあるいは捕縛した。サマリヤ人はこれを時のシリア総督ピテリウスに訴えたため、ピテリウスは彼を免職しローマに行って皇帝の前に弁明すべく命じ、マルケロスを後に据えた。」

 

⑥異教人ピラトの意義。イエスに皇帝への反逆罪を見出さなかった。

 

1)塚本訳 ヨハ 19:6

19:6 すると大祭司連や下役らはイエスを見て、「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫んだ。(イエスのみじめな滑稽な姿を見ては、さすがのユダヤ人も心をやわらげるであろうという、ピラトの当てははずれた。)ピラトが言う、「(もし、そうしたければ、)お前たちがこの人を引き取って、十字架につけたらよかろう。この人には罪を認められない。

 

2)塚本訳 ヨハ 18:35-38

18:35 ピラトが答えた、「このわたしを、ユダヤ人とでも思っているのか。お前の国の人たち、ことに(その代表者の)大祭司連が、(その廉で)お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしでかしたのか。」

18:36 イエスが答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであったら、わたしの手下の者たちが、わたしをユダヤ人に渡すまいとして戦ったはずである。しかし実際のところ、わたしの国はこの世のものではない。」

18:37 そこでピラトが言った、「では、やっぱりお前は王ではないか。」イエスが答えられた、「王だと言われるなら、御意見にまかせる。わたしは真理について証明するために生まれ、またそのためにこの世に来たのである。真理から出た者はだれでも、わたしの声に耳をかたむける。」

18:38 ピラトがたずねる、「真理とは何か。」、ピラトはこう言ったのち、またユダヤ人の所に出ていって言う、「あの人にはなんらの罪も認められない。

 

3)塚本訳 ルカ 23:13-14

23:13 ピラトは大祭司連をはじめ、(最高法院の)役人たち、および民衆を呼びあつめて、

23:14 言った、「お前たちはこの人を民衆をあやまらせる者だと言って引いてきたので、このわたしがお前たちの目の前で取り調べたが、訴えの廉では、この人に何の罪も認められなかった。

 

4)塚本訳 ヨハ 19:20

19:20 多くのユダヤ人がこの捨札を読んだ。イエスが十字架につけられた場所は、都に近かったからである。かつ捨札は、ヘブライ語、ラテン語、ギリシャ語で書いてあった(ので、だれにでも読むことが出来た。こうしてピラトは、イエスが救世主であることを全世界に証ししたのであった。)

 

5)塚本訳 マコ 15:37-39

15:37 しかしイエスは(それを受けず)大声を放たれるとともに、息が絶えた。

15:38 (その途端に、)宮の(聖所の)幕が上から下まで真っ二つに裂けた。

15:39 イエスと向かい合ってそばに立っていた百卒長は、こんなにして息が絶えたのを見て、「この方は確かに神の子であった」と言った。

 

⑦この世の組織の一員としての立場と、自己の良心の板挟みで苦しんだピラト。

 

1)塚本訳 マコ 15:12-15

15:12 ピラトはまた彼らに言った、「では、お前たちがユダヤ人の王と言っているあの人を、どうしようか。

15:13 「それを十字架につけろ」とまた人々が叫んだ。

15:14 ピラトは言った、「いったいどんな悪事をはたらいたというのか。」しかし人々はいよいよ激しく、「それを十字架につけろ」と叫んだ。

15:15 ピラトは群衆の機嫌を取ろうと思ってバラバを赦してやり、イエスを鞭打ったのち、十字架につけるため(兵卒)に引き渡した。

 

2)塚本訳 マタ 27:24

27:24 ピラトは(自分のすることが)なんの甲斐もないばかりか、かえって騒動が起りそうなのを見て、水を取り寄せ、群衆の前で手を洗って言った、「わたしはこの人の血(を流すこと)に責任をもたない。お前たちが自分で始末しろ。

 

3)(岩波キリスト教辞典p939 佐藤研)

「最古の福音書ですら、ピラトはイエスの処刑には積極的でなく、群衆の要求で仕方なく磔刑にしたという〔マルコ151-15〕が、これはイエスの死についてのローマ側の責任を軽減しようとする護教的記述ではないかと疑われている。」

 

⑧ ピラトの妻


1)塚本訳 マタ 27:19

27:19 ピラトが裁判席にピラトが裁判席に着いているとき、その妻が彼の所に人をやって、「その正しい人に関係しないでください。その人のおかげで、         昨夜夢で散々な目にあいましたから」と言わせた。

 

 

 

クラウディア・プロクラ http://blog.livedoor.jp/rurudonoizumi/archives/52088825.html  

ピラトの妻で、半ば伝説化された実在人物。ギリシャ正教会では聖列に加えられている。 ル・フォール著作集4「ピラトの妻」 訳注p289

 

2)この世の組織の中で悩み苦しんだ人達。その悩み苦しみそのものに意義がある。

 

3)塚本訳 ルカ 1:3-4

1:3 テオピロ閣下よ、わたしも一切の事の次第を始めから精密に取り調べましたから、今順序を正して書き綴り、これを閣下に奉呈して、

1:4 閣下が(今日までこのことについて)聞かれた話が、決して間違いでなかったことを知っていただこうと思ったのであります。

 

4)塚本訳 ロマ 13:1

13:1