to 日記と感想 2014年03月
Top | RSS | Admin

2014.02 « 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 » 2014.04


将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171030(月)10:00 聖路加 桑本先生
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170824(木)12:10キララホールエントランスコンサート、マリンバ
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170813(日)10:30ナザレン教会浦和教会
    170813(日)14:00比企紀和君
    170812(土)14:00お江戸こらりあーず演奏会、文京シビックホール
    170809     TW誕生日
    170809(水)17:16初音吹奏楽、府中の森芸術劇場ドリームホール
    170808(火)0930池谷医院
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170708(土)14:00在宅医療説明会(キララホール)
    170707(金)10:00池谷医院
    170706      TM誕生日
    170702(日) 集会感話
    170701      TT誕生日
    170630(金)12:20キララホールエントランスコンサート
    170628      IY誕生日
    170627(火)11:00 能城牧師来訪
    170625)日)10:10トミ子集会感話
    170625(日)14:00茅ヶ崎金子邸
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール


何を一番大切にするか ++++++++ 所感

2014/03/31 06:36

140330(日)目覚めの黙想まれ●昨日は娘愛子の引っ越し先に訪問した。そこで信仰に関する話し合いが出来た。●娘の口からは「神の国と神に義とされることとを求めよ」という聖句が出たので、この家は神に祝福されると感じた。で昨日の話し合いを巡って思いつく聖句を黙想してみよう。

塚本訳 マタ 6:33
6:33 あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。

●人生で一番大切な事は「肉の命」の保全、すなわち健康ではない。病気の心配ではない。体のことは神が心配してくださる。この信仰があれば自ずとその人の行動様式が決まる。
●娘に山之内一豊の妻の「内助の功」の故事を話した。娘は知っていて私の話を「説教」とは受け取らなかったのは感謝。 
●娘の愛子は中野から大田区から大田区に引っ越して、第一に考慮したのが新しい教会である。
日本基督教団、長老教会、無教会今井館集会などがその対象になったが、結局近くの日本基督教団になった。 これが娘にとって真の「内助の功」だ。
●教会は近くになければいけないから、無教会主義集会は少ないので良くない。あったとしても「先生」を崇拝する同窓会的な集まりだからベールがあって神が見えない。

塚本訳 ルカ 2:48-49
2:48 両親はこれを見て驚き、母が言った、「坊や、どうしてこんなことをしましたか。ごらん、お父さまもわたしも(こんなに)心配して、あなたをさがしているではありませんか。」
2:49 彼らに答えられた、「なぜおさがしになったのです。わたしが(天の)お父さまの家に居るのは当り前でしょう。御存知なかったのですか。


●カトリックでは教区があって、行くべき教会が決まっているらしいが、それでも気の合う神父を追いかける「犬型信者」がいるらしい。反対に一つの教会にとどまるのは猫型信者というらしい。
●プロテスタントは教会を探すと言うことが起こる。
●無教会は「犬型」であって、先生を追いかけるが、先生がいなくなると、「孤児」「難民」となる。


塚本訳 Ⅱコリ3:14-17
3:14 しかし(そのために、)彼らの考えは頑なにされてしまった。なぜなら、今日までも古い契約の朗読の時、同じベールが残っているからである。ベールは取り除かれないままである。古い契約は(ただ)キリストにおいて無くなるものだからである。
3:15 いやむしろきょうまでモーセ(律法)が朗読される度毎に、ベールは彼らの心にかかって(いるので、そのほんとうの意味が隠されて)いる
3:16 『しかし彼らの心が主に帰るならば、その時ベールは取り除かれる。』
3:17 (ここで)主(と)は御霊(のこと)である。主の御霊のあるところには自由が(あるから、ベールが取り除かれるので)ある。


●どの国にも「無教会的現象」はある。しかしその多くの共通点は人間崇拝になっていることである。日本では人間内村鑑三が「記念」され続けているが、下火になった。残るのは内村の思想や社会的発言の抜け殻である。抜け殻に命はないから、ベールとしての抜け殻を振り回しても新しい命は誕生しない。

口語訳 詩  90:1
90:1 主よ、あなたは世々われらのすみかで/いらせられる。


●建築士の私としては各人の「住処」いうものに関心がある。高橋三郎先生の告別式の日に、御遺族から「高橋さんの設計のおかげで父は長生きできました」とお礼を言われたのは建築士冥利であった。
●この世の家は「小事」であるが、これを利用して「人に仕える」ことがキリスト者建築士の使命。

塚本訳 ルカ 16:9-10
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。
16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。
ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。

●この世のことは政治も経済も建築も企業もみな小事、しかしこれをうまく利用して「人に仕える」ことが聖書の職業論。ルカ16:9-12(塚本訳で明快)は若い人が悩み抜く天職論、就職活動論に決定的な答えを出す。
●娘は「管理栄養士」という国家資格を利用して在宅で仕事をしている。理想的な勤務形態である。家事の合間を縫っていつでも仕事が出来る。通勤時間不用。外出着不用。
●孫たちに薦めたいことは何でもよいから「国家資格」を持てということだ。「手の業」で人に仕えることが「幸福」の基本である。私はこれをヒルティから学んだ。
●日本航空もSONYもおかしくなる。しかし国家資格は一度取得してしまえば一生ものだ。


口語訳 詩  90:10
90:10 われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです


●日本人の平均寿命は男80、女85か。みなこのことが念頭にあって人生観が決まる。
●家屋の寿命は何と11年。災害で大量損害があるから統計的にはこうなる。
●放射能被爆の人間はあとで統計をとればかなり短いものになるであろう。
●それも神がご存知のことだ。犠牲の人生だったのだ。人生、長くも短くも結局は神のところに帰るのだ。被爆者が2-30年寿命が短くなってもそれは益だ。なせか。「仕事は締め切り時間があると能率が上がる」と言われているからだ。人生は「締め切り時間」を意識して生きなければならない。ラテン語の諺に「メメント・モリ」(死を思え)がある。至言。
●人生、「生き方」ではなく「死に方」が大切。「花と散れ」。 「飛び去る」のだ。
●娘の家を訪問した帰りに、あきる野に着いて奥多摩連山に向かいながら妻と話し合った。「二人とも今住む家を気に入っているから。老々介護で最後までこの家で生き抜こう。あきる野の家はわたし達夫婦の代で終わり。二人が死んだら子供達に土地共に売却処分してもらってあとに残さない。 」 あきる野を「飛び去る」のだ。人生は旅だ。

塚本訳 ロマ 8:6-8
8:6 肉を追い求めることは死をもたらすが、霊を追い求めることは命と平安とをもたらすからである。
8:7 というのは、肉を追い求めることは神への敵対である。肉は神の律法に服従せず、服従することも出来ないからである。
8:8 肉にある者は神をお喜ばせすることは出来ない


●6節。「肉を追い求める」とは、「地上の平和を追い求める」ということに通じる。

塚本訳 Ⅰコリ7:1
7:1 また、あなた達が(わたしに)書いている(結婚の)ことについては、(こう答える。)──(出来れば)男は女に触れないがよい


●カトリックの独身制度には意味があるが、プロテスタントは「我と我が家は主に仕えん」がプロパガンダ。両者に優劣がない。

口語訳 ヨシ 24:15
24:15 もしあなたがたが主に仕えることを、こころよしとしないのならば、あなたがたの先祖が、川の向こうで仕えた神々でも、または、いまあなたがたの住む地のアモリびとの神々でも、あなたがたの仕える者を、きょう、選びなさい。ただし、わたしとわたしの家とは共に主に仕えます」。



●聖公会の司祭で独身だった人がいた。お尋ねしたとき、お茶の時間にサクランボを頂いたが、その皿を投げるようにテーブルに置かれた。その音を今でも覚えている。奥さんがいないからこうなると思った。
●信仰を頂いて家庭を持つことは独身生活よりも難しいゴタゴタがあるのだ。ゴタゴタは「自分の十字架を負う」ことだ。
●年金もらっての「伝道」や「聖書学」は遊び。背水の陣の真剣さがなく、命や勢いがないから福音は伝わらない。聞く方も意気に感じないからピンと来ない。冷えてないビール。生ぬるい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想おわり

●11:00 昭和女子大70歳定年退任式。 職員退任式。

2014_03310002.jpg 

昭和女子大70歳定年退任式、退職式。159名。最長48年間。


2014_03310001.jpg 

坂東眞里子学長(元埼玉県副知事。著書「女性の品格」は800万部のベストセラー)と。この学長のおかげで昭和女子大は女子大の人気でトップ。就職率もトップ。


2014_03310003.jpg 
私の在職9年間、ずっと助手として尽くしてくれた高木亜紀子さんも退職。

2014_03310004.jpg 
校内の「昭和の泉」の桜は満開

2014_03310008.jpg 
あきる野に戻る。奥多摩連山の夕陽。なぜかぐったりした。

2014_03310011.jpg 
今日から勤務先名のない名刺。サーこれからだ。

●東急の眼鏡店で過日転倒して傷のついた眼鏡を新しくする。前と同じ形に作る機械を見せてもらった。一台800万円するという。








スポンサーサイト
トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


受難物語の執筆動機 ++++++++ 所感

2014/03/30 05:54

140330(日)4時半目覚め起床●本日の感話の標題とスタートを次のように変更。ドタンバ。

3月30日集会感話 標題変更
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

イエスの受難物語は人を罪と死の悲しみから救う神の恵みの知恵

   ――有体的復活は、それが真実であることの神による証明――

        東京聖書読者会 2014.3.30 高橋照男


塚本訳 マタ 27:27-31
27:27 それから総督の兵卒らはイエスを総督官舎(プライトリオン)に連れてゆき、(王の茶番狂言を見せるために)全部隊を彼のまわりに集めた。
27:28 そしてイエスの着物をはいで(自分たちの)緋の外套をきせ、
27:29 茨で冠を編んで頭にかぶらせ、右手に葦(の棒)をもたせて(王に仕立てたのち、)その前にひざまずき、「ユダヤ人の王、万歳!」と言ってなぶった
27:30 それから唾をかけ、葦(の棒)を取りあげて頭をたたいた
27:31 こうしてなぶった後、外套を脱がせてもとの着物を着せ、
十字架につけるために引いていった。


①「受難物語」執筆の動機。イエスの言動を通して神の恵みの知恵を伝える。

①-1)塚本訳 ルカ 1:1-4
1:1 わたし達の間で(近ごろひとまず)完結しました出来事を、(すなわち、イエス・キリストの福音の発端から、それがローマにまで伸びていったことの顛末を、)
1:2 最初から実際に見た人たちと御言葉の伝道にたずさわった人たちとが(語り)伝えてくれたとおりに、一つの物語に編もうと企てた人が数多くありますので、
1:3 テオピロ閣下よ、わたしも一切の事の次第を始めから精密に取り調べましたから、今順序を正して書き綴り、これを閣下に奉呈して、
1:4 閣下が(今日までこのことについて)聞かれた話が、決して間違いでなかったことを知っていただこうと思ったのであります

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3月30日集会感話 標題とスタート変更  おわり

●パウロは受難物語を書かなかったが、福音書記者たちはそれを「物語形式」で書いた。ルカはその福音書を「物語」(と言っても史実にもとづく)とするはっきり書いた。その執筆動機は神の子イエスの言動を通して「神の深き恵みの知恵」を世に伝えようとしたのである。
●神の深き恵みの知恵とは「人を罪と死の悲しみ」から救うことである。
●福音書はこれすべて長い序文付きの「受難物語」

●文学者の遠藤周作は福音書を「史実でなく真実」だと言った。
●神の真実をカトリックは典礼、プロテスタントは「教会の遊び」、無教会は信仰による人生の生き方で表現。


●10;00集会は渋谷の名取りビル。小寺(司会)、宮崎(スペイン旅行)、高橋(受難物語)
●13:00 伊勢喜明氏の勤務の都合で大田区南馬込に引っ越した伊勢家を訪問。中野の家は賃貸住宅にすることにしたと言う。

2014_03300016.jpg 

左半分が伊勢家。賃貸住宅。周囲は閑静な住宅街。

2014_03300014.jpg 

右から伊勢初音(小5)、伊勢愛子(母)、伊勢健太郎(5歳)、伊勢かなほ(小1)、
高橋トミ子、高橋照男。伊勢喜明氏は仕事で不在。
本日、早速、近くの日本基督教団の教会に行ったと言う。これでこの家は安泰だ。
この家に神の祝福が末永くありますように。

塚本訳 マタ 6:33-34
6:33 あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。
6:34 だから、あしたのことを心配するな。あしたはあしたが自分で心配する。一日の苦労はその日の分で沢山である。


トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


子を思う母親の気持ちは強烈 ++++++++ 所感

2014/03/29 10:37

140329(土)5時目覚め●朝の黙想「子を思う母親の気持ちは強烈」●子に対する親の気持ちには深いものがある。●そして男親よりも母親の思いが強烈である。母親にとっては「夫よりも子供」である。世の男性はこのことを理解しければならない。子に対する母の愛情が強烈であることは「創造の目的である」。子供の前に夫は捨てられる。「男はつらいよ」。●子育ては母親である。天才である。男はただ稼いでくればよいのだ。●今朝は子を思う肉親の気持聖書に見てみよう。

塚本訳 ルカ 2:40-51
2:40 幼児は大きくなり強くなって、知恵満ち、神の恵みが彼をはなれなかった。
2:41 さてイエスの両親は、過越の祭には毎年エルサレムに行った。
2:42 イエスが十二歳になった時、両親は(その)祭の習わしに従って、(彼を連れて都へ)上った。
2:43 (祭の)日が終って帰る時、イエス少年はエルサレムにのこったのに、両親はそれを知らなかった。
2:44 道連れの中にいるとばかり思って、一日路を行ったのち、(はじめてそれに気づき、)親類、知人の中を捜したけれども、
2:45 見つからないので、捜しながらエルサレムに引き返した。
2:46 そして(都を出て)三日の後に、イエスが宮で教師たちの真中に坐って、話を聞いたり尋ねたりしているのを見つけた。
2:47 彼の話を聞いている人々は皆、その賢いうけこたえぶりに舌をまいていた。
2:48 両親はこれを見て驚き、母が言った、「坊や、どうしてこんなことをしましたか。ごらん、お父さまもわたしも(こんなに)心配して、あなたをさがしているではありませんか。」
2:49 彼らに答えられた、「なぜおさがしになったのです。わたしが(天の)お父さまの家に居るのは当り前でしょう。御存知なかったのですか。」
2:50 両親にはこう言われた言葉(の意味)がわからなかった。
2:51 それからイエスは一しょに(エルサレムから)下ってナザレに帰り、両親につかえられた。
母(マリヤ)はこのことを皆胸に秘めていた。

塚本訳 マタ 2:17-18
2:17 その時、預言者エレミヤをもって言われた言葉が成就したのである。──
2:18 『声がラマに聞えた、──(ラケルの)』はげしい『わめきと、なげきの声である。ラケルはその子らのために泣くばかりで、慰められようとしない、子らがもういないので。

塚本訳 ルカ 7:11-17
7:11 そのあとで、ナインという町に行かれた。弟子たちおよび多くの群衆も一しょに行った。
7:12 町の門の近くに来られると、ちょうど、ある独り息子が死んで、(棺が)舁き出されるところであった。母は寡婦であった。町の人が大勢その母に付添っていた。
7:13 主は母を見て不憫に思い、「そんなに泣くでない」と言って、

7:14 近寄って棺に手をかけ──担いでいる者は立ち止まった──「若者よ、あなたに言う、起きよ!」と言われた。
7:15 すると死人が起き上がって物を言い出した。イエスは『彼を母に渡された。』
7:16 皆が恐れをいだいて、「大預言者がわたし達の間にあらわれた」とか、「神はその民を心にかけてくださった」とか言って、神を讃美した。
7:17 イエスについてのこの(二つの)言葉は、ユダヤ(人の国)全体とその周囲いたる所に広まった。

塚本訳 マタ 9:18-26
9:18 こう話しておられると、そこに一人の(礼拝堂の)役人が進み出て、しきりに願って言った、「わたしの娘がたったいま死にました。それでも、どうか行って、手をのせてやってください。そうすれば生き返りますから。」
9:19 イエスは立ち上がって彼について行かれた、弟子たちも一しょに。
9:20 するとそこに、十二年も長血にかかっていた女が近寄ってきて、後ろからイエスの上着の裾にさわった。
9:21 「お召物にさわるだけでも、なおるにちがいない」と、ひそかに思ったのである。
9:22 イエスは振り向いて、女を見ながら言われた、「娘よ、安心しなさい、あなたの信仰がなおした。」するとちょうどその時から、女はなおった。
9:23 やがてイエスは役人の家に着いて、笛吹き男と騒いでいる群衆とを見ると、
9:24 言われた、「あちらに行っておれ。少女は死んだのではない、眠っているのだから。」人々はあざ笑っていた。
9:25 群衆が外に出されると、イエスは(部屋に)入っていって少女の手をお取りになった。すると少女は起き上がった。
9:26 この評判がその土地全体に広まった。


塚本訳 ヨハ 2:1-12
2:1 それから三日目に、ガリラヤのカナに婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
2:2 イエスも弟子たちと婚礼に招かれた。
2:3 すると宴会の最中に酒が足りなくなったので、母がイエスに言う、「お酒がなくなりました。」
2:4 イエスが言われる、「女の方、〃放っておいてください。〃わたしの栄光(を示す)時はまだ来ておりません。」
2:5 母は召使たちに言う、「〃なんでもこの方の言われるとおりにしてください。〃」
2:6 そこに、ユダヤ人の清めの(儀式の)ために、石の水瓶が六つ置いてあった。いずれも二、三メトレタ[八十から百二十リットル]入りであった。
2:7 イエスは召使たちに言われる、「水瓶に水をいっぱい入れよ。」口まで入れると、
2:8 彼らに言われる、「さあ汲んで、宴会長に持ってゆきなさい。」彼らが持ってゆくと、
2:9 宴会長は酒になった水をなめてみて、──彼はその訳を知らなかったが、水を汲んだ召使たちは知っていた。──宴会長は花婿を呼んで
2:10 言う、「だでれも初に良い酒を出し、酔がまわったところに悪いのを出すのに、あなたは、よくもいままで良い酒をとっておいたものだ。」
2:11 イエスはこの最初の徴[奇蹟]をガリラヤのカナで行って、(神の子たる)その栄光をお現わしになった。弟子たちが彼を信じた。
2:12 そののちイエスは、母、兄弟たちおよび弟子たちとカペナウムに下り、数日そこに一しょにおられた。


塚本訳 ヨハ 11:1-5
11:1 さて、ラザロというひとりの病人があった。。マリヤとその姉妹マルタとの村、ベタニヤの人である。
11:2 このマリヤは主に香油を塗り、髪の毛で御足をふいた女であるが、病気であったラザロはその兄弟であった。
11:3 マリヤとマルタとはイエスに使をやって、「主よ、大変です。あなたの可愛がっておられる人が病気です」と言わせた。
11:4 イエスは聞いて言われた、「これは死ぬための病気ではない。神の栄光のためである。すなわち(神の栄光をあらわすために、)神の子(わたし)がこれによって栄光を受けるためである。」
11:5 イエスはマルタとその姉妹ラザロとを愛しておられた。


塚本訳 ヨハ 11:17-27
11:17 さてイエスが(ベタニヤに)行って見られると、ラザロはもう四日も墓の中にあった。
11:18 ベタニヤはエルサレムの近くで、十五スタデオ(三キロ)ばかり離れていた。
11:19 マルタとマリヤの所には、大勢のユダヤ人がラザロの悔やみに来ていた
11:20 マルタは、イエスが来られると聞くと出迎えにいったが、マリヤは家に坐っていた。
11:21 マルタがイエスに言った、「主よ、あなたがここにいてくださったら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。
11:22 しかしあなたがお願いになることなら、神様は何でもかなえてくださることを、わたしは今でも知っています。」
11:23 イエスは言われる、「あなたの兄弟は生き返る。」
11:24 マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」
11:27 イエスに言う、「はい、主よ、(信じます。)あなたが救世主で、神の子で、世に来るべき方であると、私は信じています。」

塚本訳 ヨハ 11:32-44
11:32 マリヤはイエスのおられる所に来ると、イエスを見るなり、足もとにひれ伏して言った、「主よ、あなたがここにいてくださったら、わたしの・・わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。」
11:33 イエスはマリヤが泣き、一しょに来たユダヤ人たちも泣くのを見ると、(その不信仰を)心に憤り、かつ興奮して、
11:34 (マルタとマリヤに)言われた、「どこにラザロを納めたか。」二人が言う、「主よ、来て、御覧ください。」
11:35 イエスが涙を流された。
11:36 するとユダヤ人たちが言った、「まあ、なんとラザロを可愛がっておられることだろう!」
11:37 しかし中には、「盲人の目をあけたこの人にも、このラザロが死なないように出来なかったのか」と言う者もあった。
11:38 そこでイエスはまたも心に憤りながら、(ラザロの)墓に来られる。墓は洞穴で、入口に石を置いて(ふさいで)あった。
11:39 「石をのけなさい」とイエスが言われる。死んだ人の姉妹のマルタが言う、「主よ、もう臭くなっています。四日目ですから。」
11:40 イエスがマルタに言われる、「信ずれば神の栄光が見られると、(さきほども)あなたに言ったではないか。」
11:41 人々が石をのけた。するとイエスは目を天に向けて言われた、「お父様、(まだお願いしないのに、もう)わたしの願いを聞いてくださったことを感謝します。
11:42 (願わずとも)あなたはいつもわたしの願いを聞いてくださることを、わたしはよく知っております。しかしまわりに立っている人たちのために、(今わざと声を出して感謝を)申したのであります。(わたしの願いはなんでもきかれることを彼らに示して、)あなたがわたしを遣わされたことを信じさせるためであります。」
11:43 こう言ったのち、大声で、「ラザロ、出て来い」と叫ばれた。
11:44 死人が手足を包帯で巻かれたまま、(墓から)出てきた。顔は手拭で包まれていた。イエスは「解いてやって(家に)帰らせなさい」と人々に言われた。


塚本訳 マコ 9:16-24
9:16 イエスが群衆に尋ねられた、「弟子たちと何を議論しているのか。」
9:17 群衆のうちの一人が答えた、「先生、唖の霊につかれている伜をあなたの所につれて来ました。
9:18 この子は霊がつくと所かまわず投げ倒され、泡をふき、歯斬りして、体がこわばってしまいます。それで霊を追い出すことをお弟子たちに頼みましたが、おできになりませんでした。」
9:19 彼らに答えられる、「ああ不信仰な時代よ、わたしはいつまであなた達の所におればよいのか。いつまであなた達に我慢しなければならないのか。その子をつれて来なさい。」(こう言って群衆のいない所に行かれた。)
9:20 人々がイエスの所につれて来ると、霊はイエスを見るや否や、その子をひどくひきつけさせたので、子は地に倒れ、泡をふきながらころげまわった。
9:21 イエスが父親に尋ねられた、「こうなってから、どのくらいになるか。」父親がこたえた、「子供の時からです。
9:22 霊はこの子を殺そうとして、幾たびか、火の中、水の中に投げ込みました。それでも、もしなんとかお出来になるなら、わたしども(親子)を不憫と思って、お助けください。」
9:23 イエスは言われた、「もしお出来になるなら(と言うの)か。信ずる者にはなんでも出来る。」
9:24 即座にその子供の父親が叫んだ、「信じます。不信仰をお助けください。」

塚本訳 マタ 8:5-13
8:5 カペナウムに帰られると、一人の百卒長がそばに来て願って
8:6 言った、「主よ、うちの下男が中風で家にねていて、ひどく苦しんでおります。……」
8:7 彼に言われる、「(ユダヤ人の)このわたしが、(異教人のあなたの家に)行ってなおすのか。」
8:8 百卒長は答えた、「主よ、わたしはあなたを、うちの屋根の下にお迎えできるような者ではありません。(ここで)ただ一言、言ってください。そうすれば下男は直ります。
8:9 というのは、わたし自身も指揮権の下にある人間であるのに、わたしの下にも兵卒がいて、これに『行け』と言えば行き、ほかのに『来い』と言えば来、また僕に『これをしろ』と言えば(すぐ)するからです。(ましてあなたのお言葉で、病気が直らないわけはありません。)」
8:10 イエスは聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた、「アーメン、わたしは言う、イスラエル人の中でも、こんなりっぱな信仰をもっている者を一人も見たことがない。
8:11 わたしは言う、(最後の日には、このような信仰のあつい)大勢の人が『東から西から』来て、天の国でアブラハムやイサクやヤコブと共に宴会につらなり、
8:12 (かんじんのイスラエル人、すなわち)御国の子供たちは外の真暗闇に放り出され、そこでわめき、歯ぎしりするであろう。」
8:13 それからイエスは百卒長に言われた、「お帰り。あなたの信じたとおりに成れ。」するとちょうどその時に、下男は直った。

塚本訳 ヨハ 4:46-53
4:46 それから、またガリラヤのカナに行かれた。そこは(前に)水を酒にされた所である。するとカペナウムに(ヘロデ・アンデパス)王の役人がいて、その息子が病気であった。
4:47 イエスがユダヤからガリラヤに来ておられると聞くと、イエスの所に行き、(カペナウムに)下ってきて息子を直してほしいと頼んだ。息子が死にそうだったのである。
4:48 イエスは言われた、「あなた達は徴[奇蹟]と不思議なことを見なければ、決して信じない。」
4:49 王の役人が、「主よ、子供が死なないうちに(カペナウムに)下ってきてください」と言いつづけると、
4:50 イエスは言われる、「かえりなさい、息子さんはなおった。」その人はイエスの言われた言葉を信じて、かえっていった。
4:51 しかしすでに途中で、僕たちが出迎えて、子供がなおったことを知らせた。
4:52 そこで僕たちに良くなった時間をたずねると、「きのう午後一時に熱が取れた」とこたえた。
4:53
父は、それが「息子さんはなおった」とイエスが言われた時間であることを知り、彼はもちろん、全家族が信じた。

本訳 ヨハ 9:13-23
9:13 人々がもと盲のその男を、(最高法院の)パリサイ人たちの所につれてゆく。
9:14 イエスが泥をつくって目をあけられた日は安息日(で、モーセ律法違反)だったのである。
9:15 パリサイ人もふたたび、どうして見えるようになったかと尋ねた。彼がこたえた、「あの方が目に泥を塗ってくださったので、洗ったところ、こんなに見えるのです。」
9:16 するとパリサイ人の間に、「あれは神のところから来た人ではない、安息日を守らないから」と言う者と、「(いや、神からだ。)罪の人間に、どうしてこんな徴[奇跡]をすることが出来よう」と言う者があって、意見が分れた。
9:17 そこで、また盲人に言う、「君はいったいあの人を何と考える、君の目をあけたのだが。」「預言者です」と彼が言った。
9:18 ユダヤ人は、彼が盲であったのに、見えるようになったことをまだ信ぜず、ついに、見えるようになった男の両親を呼んで
9:19 尋ねた、「これは確かにあなた達の息子で、あなた達が言うように盲で生まれたのか。それなら、どうしていま見えるのか。」
9:20 両親が答えて言った、「これがわたし達の息子で、盲で生まれたことは知っているが、
9:21 どうして今見えるのか、わかりません。また、だれが目をあけたのかも、わたし達は知りません。あれに聞いてください。もう大人だから、自分のことは自分で話すでしょう。」
9:22 両親がこう言ったのは、ユダヤ人を恐れたのである。ユダヤ人は、イエスを公然救世主と認める者があれば、礼拝堂追放にすることを、すでに決議していたからである。
9:23 両親が、「もう大人だから、あれに聞いてください」と言ったのは、このためである。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想おわり。身内の病気や死に対する嘆きは大きい。神の子イエスは、神の全能の力を見える形で世に示した。その心配や不安や嘆きは「永遠の命」への門。●親しい者が病気担ったり、死んだりしたら「泣くんだ」。夜通し泣けばよい。号泣したらいいんだ。涙のレンズで「永遠の命」ということが見えてくるのだ。聖書は「お説教」ではない。復活の希望の福音だ。

塚本訳 ロマ 8:28
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、
神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。

●14:00 ふれあいセンターで「あきる野劇団」の劇を鑑賞。ショートストーリー6本。現実世界の問題や悩みを題材にしているのはよいが、残念ながら「救い」がない。

●明日の集会感話をまとめた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

イエスの受難は罪と死の悲しみからの神による救い

――有体的復活は、それが真実であることの神による証明――

 

東京聖書読者会 2014.3.30 高橋照男

 

塚本訳 マタ 27:27-31

27:27 それから総督の兵卒らはイエスを総督官舎(プライトリオン)に連れてゆき、(王の茶番狂言を見せるために)全部隊を彼のまわりに集めた。

27:28 そしてイエスの着物をはいで(自分たちの)緋の外套をきせ、

27:29 茨で冠を編んで頭にかぶらせ、右手に葦(の棒)をもたせて(王に仕立てたのち、)その前にひざまずき、「ユダヤ人の王、万歳!」と言ってなぶった

27:30 それから唾をかけ、葦(の棒)を取りあげて頭をたたいた

27:31 こうしてなぶった後、外套を脱がせてもとの着物を着せ、十字架につけるために引いていった

 

①イザヤによるキリスト受難の預言。

 

①-1)口語訳 イザ 53:1-5

53:1 だれがわれわれの聞いたことを/信じ得たか。主の腕は、だれにあらわれたか。

53:2 彼は主の前に若木のように、かわいた土から出る根のように育った。彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。

53:3 彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。

53:4 まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。

53:5 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。

 

 

②イエス自身による受難の自覚

 

②-1)塚本訳 マコ 8:31

8:31 (この時から、)イエスは、「人の子(わたし)は多くの苦しみをうけ、長老、大祭司連、聖書学者たちから排斥され、殺され、そして三日の後に復活せねばならない。(神はこうお決めになっている)」と弟子たちに教え始められた。

 

②-2)塚本訳 マタ 21:42

-21:42 イエスは彼らに言われた、「あなた達は聖書で(この句を)まだ読んだことがないのか。──『大工たちが(役に立たぬと)捨てた石、それが隅の土台石になった。これは主のなされたことで、われわれの目には不思議である』(詩編11822-23

 

②-3)塚本訳 マタ 26:39

26:39 そしてなお少し(奥に)進んでいって、俯(うつむ)けに倒れ、祈って言われた、「お父様、出来ることなら、どうかこの杯がわたしの前を通りすぎますように。しかし、わたしの願いどおりでなく、お心のとおりになればよいのです。」

 

②-4)塚本訳 マタ 26:50-54

26:50 イエスはユダに言われた、「友よ、そのために来たのではあるまいが!」その時人々が進み寄って、イエスに手をかけて捕えた。

26:51 すると、見よ、イエスと一しょにいた一人の人が手をのばして剣を抜き、大祭司の下男に切りかかって片耳をそぎ落してしまった。

26:52 その時イエスが言われる、「剣を鞘におさめよ。剣による者は皆、剣によって滅びる。

26:53 それとも、父上にお願いして十二軍団以上の天使を今すぐ送っていただくことが、わたしに出来ないと思うのか。

26:54 しかしそれでは、かならずこうなる、とある聖書の言葉は、どうして成就するのか。

 

 

③神の子の受難は我々の罪のためであったことは、復活がそれを無条件に証明

 

③-1)塚本訳 Ⅰコリ15:3-5

15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと

15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、

15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。

 

③-2)塚本訳 ロマ 3:25-26

3:25 すなわち神は御自分の義を示すために、宥めの供え物としてキリストを提供されたこれはキリストの血でなされたものであり、(人は)信仰によ(ってこの恩恵にあずか)るのである。このことは──神が(長いあいだ)忍耐をもって過ぎし日に犯した罪を罰せずにおられたので──

3:26 今の世において、御自分の義を示そうとされたのである。すなわち御自分が義であること、またイエスを信ずる者を義とするお方であることを、(この世に)示されたのである。

 

 

④初代教会の古い讃美歌。信仰は聖霊によって身体の全器官で告白する

 

④-1)塚本訳 ピリ 2:6-11

2:6 彼は(先には)神の姿であり給うたが、神と等しくあることを棄て難いことと思わず、

2:7 かえって自分を空しうして人と同じ形になり、奴隷の姿を取り給うたのである。そして人の様で現れた彼は、

2:8 自ら謙り、死に至るまで、(然り、)十字架の死に至るまで(父なる神に)従順であり給うた。

2:9 それ故に神も彼を至高く上げ、凡ての名に優る(「主」なる)名を与え給うた。

2:10 これはイエスの(この尊い)名の前に、天の上、地の上、地の下にある『万物が膝を屈め、

2:11 凡ての舌が』「イエス・キリストは主なり」と『告白して』父なる『神に』、栄光を帰せんためである。

 

④-2)塚本訳 Ⅰコリ12:3

12:3 だから(霊の見分け方について、)あなた達に次のことを知らせる、神の霊に感じて語る者は、だれも 呪われよ、イエス!とは言わない、また聖霊に感じてでなければ、だれも、イエスは主と言うことは出来ない。

 

 

⑤福音書記者たちの「受難」理解

 

⑤-1)塚本訳 マコ 14:22-24

14:22 (ユダが立ち去ったあと、)彼らが食事をしているとき、イエスは(いつものように)パンを(手に)取り、(神を)讃美して裂き、弟子たちに渡して言われた、「取りなさい、これはわたしの体である。」(皆がそれを受け取って食べた。)

14:23 また杯を取り、(神に)感謝したのち彼らに渡されると、皆がその杯から飲んだ。

14:24 彼らに言われた、「これは多くの人のために流す、わたしの『約束の血』である。

 

⑤-2)塚本訳 マタ 8:17

8:17 『彼はわたし達の煩いを除き、病気を取り去るであろう』と、預言者イザヤをもって言われた言葉が成就するためであった。(イザヤ534

 

⑤-3)塚本訳 マタ 20:28

20:28 人の子(わたし)が来たのも仕えさせるためではない。仕えるため、多くの人のあがない金としてその命を与えるためである。

 

⑤-9)塚本訳 使  10:39-41

10:39 ──(使徒たる)わたし達は、イエスがユダヤ人の地、ことにエルサレムでされた一切のことの証人です。──このイエスを人々は『(十字架の)木にかけて』処刑した。

10:40 (しかし)神はこの方を三日目に復活させ、(人の目にも)見えるようにされた。

10:41 (ただし)国民全体でなく、神からあらかじめ選ばれていた証人であるわたし達、すなわちイエスが死人の中から復活されたあとで、一緒に飲み食いした者(だけ)に見えたのです。

 

⑤-4)塚本訳 使  10:42-43

10:42 そして神はわたし達に命じて、この方こそ神に定められた、生きている者と死んだ者との審判者であると、国民に説きまた証しさせられるのです。

10:43 預言者たちは皆、彼を信ずる者はことごとく、その名のゆえに罪の赦しを受けることを、彼について証明しています。」

 

⑤-5)塚本訳 ヨハ 3:16

3:16 そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである

 

⑤-6)塚本訳 ヨハ 12:24

12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。

 

⑤-7)塚本訳 ヨハ 3:16

3:16 そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである。

 

⑤-8)塚本訳 ヨハ 8:4-11

8:4 イエスに言う、「先生、この女は姦淫の現場を押えられたのです。

8:5 モーセは律法で、このような女を石で打ち殺すように命じていますが、あなたはなんと言われますか。」

8:10 イエスは身を起こして女に言われた、「女の人、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罰しなかったのか。」・・・(中略)・・・

8:11 「主よ、だれも」と女がこたえた。イエスが言われた、「わたしも罰しない。おかえり。今からはもう罪を犯さないように。」

 

 

⑥パウロによる「キリストの受難」理解

 

⑥-1)文語訳 ロマ 1:17

1:17 神の義はその福音のうちに顯れ、信仰より出でて信仰に進ましむ。録して『義人は信仰によりて生くべし』とある如し。

 

⑥-2)塚本訳 ロマ 3:21-24

3:21 しかしながら今、律法に関係なく、神の義は現わされた。しかし律法と預言書と[聖書]によって(すでに)証しされているものである。

3:22 この神の義は、イエス・キリストを信ずる信仰(だけ)によって、これを信ずるすべての者にあたえられる。(すべてというのは、そこに人間的の)なんの差別もないからである。

3:23 なぜか。すべての人が罪を犯したため、いまだれ一人、(かつて持っていた)神の栄光をもたない。

3:24 (さりとて失った栄光を回復する力はないので、何一つ)代価を払わず、(ただ)神の恩恵によって、キリスト・イエスによるあがないの力で、(神に)義とされる(道が設けられた)のである。

3:25 すなわち神は御自分の義を示すために、宥めの供え物としてキリストを提供された。これはキリストの血でなされたものであり、(人は)信仰によ(ってこの恩恵にあずか)るのである。このことは──神が(長いあいだ)忍耐をもって過ぎし日に犯した罪を罰せずにおられたので──

3:26 今の世において、御自分の義を示そうとされたのである。すなわち御自分が義であること、またイエスを信ずる者を義とするお方であることを、(この世に)示されたのである。

 

⑥-3)塚本訳 ロマ 5:6-10

5:6 なぜなら、わたし達がまだ弱くあったとき、当時まだ不信心者の(わたし達の)ために、キリストは死んでくださったからである。

5:7 (驚くべき神の愛!人間の世界では、)義人のために命をすてる者はほとんどあるまい。善人のためならば、惜しげもなく命をすてる者が、あるいはあるかも知れない。

5:8 しかしわたし達が(義人でも善人でもなく、)まだ罪人(神の敵)であったとき、キリストが私たちのために死んでくださった。このことによって、神はわたし達に対する愛をお示しになったのである。

5:9 それならばキリストの血で義とされている今、わたし達がキリストによって(最後の日の神の)怒りから救われるのは、もちろんである。

5:10 なぜなら、(神の)敵であったのに、その御子の死によって神と和睦ができたくらいならば、すでに和睦をしたわたし達が、御子の(復活の)命によって救われるのは、もちろんである。

 

⑥-4)塚本訳 Ⅰコリ11:23-25

11:23 なぜというか。わたしは(晩餐のことを)主から授かり、それをまたあなた達に伝えたのであるが、それはこうである。──主イエスは(敵に)引き渡された夜、パンを手に取り、

11:24 (神に)感謝して裂いて、言われた、「これはあなた達のためにわたすわたしの体である。わたしを記念するためにこのことを行ないなさい」。

11:25 食事の後、杯を同じように(感謝)して(分けて、)言われた、「この杯はわたしの『血』の犠牲を払った『新しい約束』である。(今から後、)飲むたびごとに、わたしを記念するためにこのことを行ないなさい」。

 

 

⑦ヘブル書とヨハネ書簡における「キリストの受難」理解

 

⑦-1)塚本訳 ヘブ 9:28

9:28 キリストも、ただ一度『多くの人の罪を負う』ために捧げられ、(それから)二度目に、(しかし今度は)罪と関係なく、救のため、彼を待っている者に自分をあらわされるのである。

 

⑦-2)塚本訳 ヘブ 10:3-4
10:3
しかし(事実は反対で)、この犠牲によって(むしろ)毎年罪の記憶が呼びさまされるのである。 10:4
雄牛や雄山羊の血は罪を取去ることが出来ないからである。

 

⑦-3)塚本訳 Ⅰヨハ4:10

4:10 わたし達が神を愛したことではなく、彼がわたし達を愛し、その子をわたし達の罪のための宥め(の供物)として遣わされたそのことに、愛があるのである。

 

 

⑧人はいかに努力奮闘しても罪は清められない

 

⑧-1)塚本訳 マタ 27:24-26
27:24
ピラトは(自分のすることが)なんの甲斐もないばかりか、かえって騒動が起りそうなのを見て、水を取り寄せ、群衆の前で手を洗って言った、「わたしはこの人の血(を流すこと)に責任をもたない。お前たちが自分で始末しろ。」
27:25
民衆全体が答えた、「その男の血のことなら、われわれが孫子の代まで引き受けた。」

27:26
そこでピラトはバラバを赦してやり、イエスの方は鞭打ったのち、十字架につけるため(兵卒)に引き渡した。

 

⑧-2)口語訳 詩  51:7
51:7
ヒソプをもって、わたしを清めてください、わたしは清くなるでしょう。わたしを洗ってください、わたしは雪よりも白くなるでしょう。

 

 

⑨「イエスの受難は私の為でした」と心の目が開かれるのは今に働く聖霊の力

 

⑨-1)塚本訳 Ⅰコリ12:3

12:3 だから(霊の見分け方について、)あなた達に次のことを知らせる、神の霊に感じて語る者は、だれも 呪われよ、イエス!とは言わない、また聖霊に感じてでなければ、だれも、イエスは主と言うことは出来ない。

 

⑨-2)塚本訳 Ⅱコリ7:10

7:10 なぜなら、神の御心に沿った悲しみは、(人を)救いに入れる悔いのない悔改めをもたらすけれども、この世(的)の悲しみは、(絶望と)死をもたらすからである。

 

⑨-3)塚本訳 ルカ 24:44-47

24:44 それから彼らに言われた、「(あなた達が見聞きした)これらのことは、わたしがまだあなた達と一しょにいたとき、わたしについてモーセの律法と預言書と詩篇と[聖書]に書いてあることは一つのこらずきっと成就する、と話したその言葉(が実現したの)である。」

24:45 それから聖書をわからせるために彼らの心を開いて

24:46 言われた、「救世主は苦しみをうけて、三日目に死人の中から復活する。

24:47 また罪を赦されるための悔改め(の福音)が、その名においてすべての国の人に説かれる、エルサレムから始まって、と(聖書に)こう書いてある(イザヤ1110-16

 

⑨-4)塚本訳 ルカ 24:31-35

24:31 (その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。

24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。

24:33 時を移さず二人は立ち上がってエルサレムに引き返して見ると、十一人とその仲間とが集まっていて、

24:34 ほんとうに主は復活して、シモン(・ペテロ)に御自分を現わされた」と話してくれた。

 

⑨-5)塚本訳使  16:14

16:14 するとテアテラ町の紫毛織物の商人で、敬信家のルデヤという婦人が聞いていたが、主はその心を開いてパウロの話に耳を傾けさせられた。

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

明日の集会感話。おわり。

       

     

        











トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


財産は信仰に不利」 ++++++++ 所感

2014/03/28 06:46

140328(金)4時半目覚め●目覚めの黙示「財産は信仰に不利」●昨夜は「老い仕度」のために妻と遺産相続、遺言、老後の生き方について話し合った●今朝はそのことに関して思いつくままに聖書の関連個所を掲げてみよう。

塚本訳 ルカ 12:13-21
12:13 すると群衆の中の一人がイエスに言った、「先生、遺産を分けてくれるように、兄に言ってください。
12:14 イエスは「君、だれがわたしを、あなた達の裁判官また遺産分配人に任命したのか」とこたえておいて、
12:15 人々に言われた、「一切の貪欲に注意し、用心せよ。いかに物があり余っていても、財産は命の足しにはならないのだから。」
12:16 そこで一つの譬を人々に話された、「ある金持の畑が(ある年)豊作であった。
12:17 『どうしよう、わたしの作物をしまいこむ場所がないのだが…』と金持ちはひそかに考えていたが、
12:18 やがて言った、『よし、こうしよう。倉をみなとりこわして大きいのを建て、そこに穀物と財産をみなしまいこんでおいて、
12:19 それからわたしの魂に言おう。──おい魂、お前には長年分の財産が沢山しまってある。(もう大丈夫。)さあ休んで、食べて、飲んで、楽しみなさい、と。』
12:20 しかし神はその人に、『愚か者、今夜お前の魂は取り上げられるのだ。するとお前が準備したものは、だれのものになるのか』と言われた。
12:21 自分のために(地上に)宝を積んで、神のところで富んでいない者はみな、このとおりである。」


●親の残した莫大な財産を巡って建築士として骨肉の争いに巻き込まれたことがある。実に不愉快なことであった。
●金を見ると「人が変わる」のは世の常。いかなる方法をもってしても醜い争いを防ぐことは出来ない。
●この暗い世界で、「財産放棄」の人が出るのは、すい星を見るようである。その人は天に宝を持っている人だ。
●NYさんはお子様がいなかったせいもあって、財産を福祉施設に寄付した。今頃天国で宝を頂いているに違いない。

塚本訳 マタ 6:24
6:24 (わたし達の心は天か地かに引かれる。)だれも(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない


●金銭それ自身はは悪い物ではないから、信仰によってそれを福音のために有効利用すれば良いと思いがちだが、そこがそうはいかない。なぜか。富は人間にとって神であるから、神と富とに同時に仕えることは出来ないのだ。


塚本訳 マコ 10:21-25
10:21 イエスは彼をじっと見て、かわいく思って言われた、「(よく守った。だが)一つ足りない。家に帰って、持っているものをみな売って、(その金を)貧乏な人に施しなさい。そうすれば天に宝を積むことができる。それから来て、わたしの弟子になりなさい。」
10:22 彼はこの言葉に顔をくもらせ、悲しそうにして立ち去った。大資産家であったのである。
10:23 イエスは(うしろ姿を見送っておられたが、)やがて見まわして、弟子たちに言われる、「物持ちが神の国に入るのは、なんとむずかしいことだろう。」
10:24 弟子たちはその言葉にびっくりした。(彼らは富むことが、神に特別に愛されているしるしと信じたのである。)イエスはかさねて言われる、「子供たちよ、神の国に入ることは、なんとむずかしいのだろう。
10:25 金持が神の国に入るよりは、駱駝が針の孔を通る方がたやすい。」


●救世軍のブース大将夫人は「金持ちに伝道することは一番難しい」と言ったそうだ。(ヒルティ)
●旧約では「貧しい」という言葉と「信仰が篤い」という言葉は同義語。貧しいから神にすがるためにそうなるのではない。信仰のために「財産があることは不利」だというのだ。神に頼らず財産に頼るからだ。


塚本訳 マタ 19:16-22
19:16 するとそこに、ひとりの人がイエスの所に来て言った、「先生、永遠の命を得るには、どんなよいことをすればよいでしょうか。」
19:17 イエスは言われた、「なぜ善いことについってわたしに尋ねるのか。善いお方はただ一人(神)である。(永遠の)命に入りたければ、(神の)掟を守りなさい。」
19:18 「どの掟を」と彼が言う。イエスはこたえられた、「『殺してはならない、姦淫をしてはならない、盗んではならない、偽りの証言をしてはならない、
19:19 父と母とを敬え、』また『隣の人を自分のように愛せよ。』」
19:20 青年が言う、「それならみんな守っております。まだ何か足りないでしょうか。」
19:21 イエスは言われた、「完全になりたければ、家に帰って持ち物を売って、(その金を)貧乏な人に施しなさい。そうすれば天に宝を積むことができる。それから来て、わたしの弟子になりなさい。」
19:22 青年はこの言葉を聞き、悲しそうにして立ち去った。大資産家であったのである。


●「財産放棄」が天国へのパスポート。財産放棄は「自分の為」
●赤貧の賀川豊彦は小説「死線を越えて」がベストセラーになって莫大な印税が入ったが全部貧しい人に施した。彼は神戸新川の不衛生な貧民窟に住んでいたのでトラホームになって生涯苦しんだ。
●カトリックの故ヘルマンホイヴェレス神父(元上智大学学長)は弟がドイツの自動車会社の社長で「兄さんも年を取ったので車に乗りな」と言ってお金を送るが、そのたびにそれを貧しい人に施した。彼は若き日に来日し、一度も故郷のドイツに行ったことがなく、日本に骨を埋めた。晩年、日本の麦畑を見て、「これは生まれ故郷の景色に似ている」と書いた詩の下りがある。カトリックにはこういう捨て身の人物がいる。
●無教会の広井勇(札幌農学校出身で土木工学の権威)は、夫人が冬になったのでコートを縫ったが、寒い夜にそれを着て散歩に出かけて家に帰るとそれを着ていなかった。夫人が「どうしたのですか」と尋ねると「そんな事を聞くものではない」と答えたと言う。彼の死後夫人の推測では道端で寒そうにしている乞食にその「コートをかけてやったのではあるまいかという。
●この三人、天国で豊かであろう。

塚本訳 マタ 6:3-4
6:3 あなたは施しをするときに、右の手のすることを左に悟られてはならない
6:4 これは施しを隠しておくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。


●私は13年前に火災で家を失ったが、あのときは実に多くに方々から物心両面から援助された。その方々は神から褒美を頂けるであろう。

塚本訳 使  3:2-6
3:2 (ちょうどその時、)母の胎内からの足なえの男がかつがれて来た。彼は宮に入る人たちに施しを乞うため、宮の、いわゆる「美しい門」に毎日置かれたが、
3:3 (いま)ペテロとヨハネとが宮に入って行くところを見て、しきりに施しをもらいたいと頼んだ。
3:4 ペテロは、ヨハネと一緒に、その人に目をとめて言った、「わたし達(の顔)を見なさい。」
3:5 彼が何かもらうことを予期して二人を見つめていると、
3:6 ペテロが言った、「金銀は持っていない。わたしの持っているもの、それをやろう。──ナザレ人イエス・キリストの名で歩きなさい!」


●私の場合も子供達に「金銀我になし、イエス・キリストの名で歩きなさい」である。遺産は「信仰」。しかしそれが分かるか。


塚本訳 マタ 8:20-22
8:20 イエスはその人に言われる、「狐には穴がある、空の鳥には巣がある。しかし人の子(わたし)には枕する所がない。(その覚悟があるか。)」
8:21 またほかの一人の弟子が言った、「主よ、(お共をする)その前に、父の葬式をしに行かせてください。」
8:22 イエスはその人に言われる、「(今すぐ)わたしについて来なさい。死んだ者の葬式は、死んだ者にまかせよ。


●死んだ後の遺産相続のゴタゴタは「死んだ者」に任せよ。神が良いようにして下さる。

塚本訳 ルカ 15:11-13
15:11 また話された、「ある人に二人の息子があった。
15:12 『お父さん、財産の分け前を下さい』と弟が父に言った。父は身代を二人に分けてやった。
15:13 幾日もたたないうちに、弟は(分け前)全部をまとめて(金にかえ、)遠い国に行き、そこで放蕩に財産をまき散らした。

●この弟は「遊ぶ金欲しさ」に生前贈与を希望した。
●父は平等に分けたらしい。しかし「子に美田は残さず」だったか。弟は案の定人生破綻。
●しかし「すべてのこと相働いて益となった」(ロマ8:28)。失敗も成功。嘆きも喜びに変わる。

塚本訳 ルカ 16:9-13
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。
16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。
16:11 だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。
16:12 もし他人のもの[この世のこと]に忠実でなかったならば、だれがあなた達のもの[天のもの]をあなた達に与えようか。
16:13 しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。」


●12節が難解。米国では肥満の人は経営者になれない。自分の身体を管理できない人は会社を管理できないという精神ではあるまいか。
●13節。「この世は準備」。これが私の人生を決した。生涯この世限りの建築をやり続けて来られた神学的理由。

塚本訳 ルカ 22:24-26
22:24 また弟子たちの間に、自分たちのうちでだれが一番えらいと思われているかについての争いもあった。
22:25 するとイエスが言われた、「世間では王が人民を支配し、また主権者は自分を恩人と呼ばせる。
22:26 しかしあなた達はそれではいけない。あなた達の間では、一番えらい者が一番若輩のように、支配する者が給仕をする者のようになれ。


●卒業式に歌った「仰げば尊し」の「身を立て、名を上げ、やよ励めよ」は「この世的」に解釈すると有名になれということだが、クリスチャンはこの世に隠れても神に覚えられるように生きるべきだということが聖書的な考え。

塚本訳 マタ 20:27-28
20:27 一番上になりたい者は奴隷になれ。
20:28 人の子(わたし)が来たのも仕えさせるためではない。仕えるため、多くの人のあがない金としてその命を与えるためである。」


●金は金でも「あがない金」となる生涯は見上げたものだ。

塚本訳 Ⅰテモ3:2-5
3:2 だから監督(たる者)は一点非難の打ち処のない(者でなければならない。すなわち)一人の妻の夫であり、真面目で、思慮があり、端正で、接待好きで、教え上手で、
3:3 酒好き喧嘩好きでなく、むしろ優しく、喧嘩嫌いで、金銭を欲しがらず
3:4 自分の家をよくおさめ、きわめて謹厳で、その子女達が従順な者でなければならぬ。
3:5 【自分の家を(すらよく)おさめることを知らない者に、どうして神の(家である)教会の世話が出来ようか。】


●「金銭を欲しがらず」は「教会員の増加を願わず」に通じる。
●5節は前述のルカ16:12 に通じる。

塚本訳 ヘブ 13:5
13:5 金銭を愛せぬ生活をせよ。(現在)もっているもので満足せよ。神がこう言われたからである、『わたしは決してあなたを見殺しにしない、また決してあなたを見捨てない』と。


●神を深く信ずる人間は金銭の追及はしない。それを生きがいとしない。
●ブータンという国は貧困だが、国民の「幸福度」は90%以上。この国民には一流経済国の常識は通じない。
●ブータンは将来とも「G7」に入れないが、神の国では一等国。

塚本訳 Ⅰテモ6:10
6:10 あらゆる悪の根は金を欲しがることにあるから。或る人はこれに憧れて信仰から迷い、多くの苦痛で自分を刺し通した。


●人間、「金の亡者になるな。」
●人間の価値は金を見せてその行動を見ればわかる。

塚本訳 マタ 4:8-11
4:8 悪魔はまたイエスを非常に高い山に連れてゆき、世界中の国々と、栄華とを見せて
4:9 言った、「あれを皆あげよう、もしひれ伏してわたしをおがむなら。」
4:10 そこでイエスは言われる、「引っ込んでいろ、悪魔!(聖書に)『あなたの神なる主をおがめ、』『主に』のみ『奉仕せよ』と書いてあるのだ。」

4:11 そこで悪魔が離れると、たちまち天使たちが来てイエスに仕えた。


●特に政治家は大金に弱くて、これにひれ伏す。

口語訳 箴  31:22-25
31:22 彼女は自分のために美しいしとねを作り、亜麻布と紫布とをもってその着物とする。
31:23 その夫はその地の長老たちと共に、町の門に座するので、人に知られている。
31:24 彼女は亜麻布の着物をつくって、それを売り、帯をつくって商人に渡す。
31:25 力と気品とは彼女の着物である、そして後の日を笑っている


●これは「ユダヤ人理想の妻」の一節。「後の日」のことを心配しない。
●信仰が深いと「何とかなる」「御心のままに」と思えるものだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想おわり。信仰者には財産がない方が益。 生活は何とかなる。

●TSK日本語版詩編67編
●東急、ドコモショップ、
●帰途、モルモン教の女性宣教師二人と歩きながら話。自費で米国から日本に宣教に来ていると言う、信仰内容は違うが、その精神は立派。
●19:00 中東ドバイの次男Mとスカイプ。

































トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


放蕩息子を抱えてしまったら ++++++++ 所感

2014/03/27 09:27

140327(木)5時目覚め●朝の黙想「放蕩息子を抱えてしまったら」●家内安全は万人の望むところではあるが、「何の因果か」我が身内に「放蕩息子」「どうしようもない人間」「堕落人間」が出てしまったときはどうすればよいのか。これは人生の深き悩み、家庭の恥、どうにもならない苦悩、●聖書はこれにどう答えるか。今朝はそのことを黙想しよう。●結論は神の力により頼み、悪魔に魅入られたその人間を悪魔から奪還していただくためにひたすら祈り続けることだ。これが信者の「自分の十字架を負う」生涯だ。「祈りは聴かれる」

塚本訳 ロマ 3:10-12
3:10 (聖書に)こう書いてある。──『正しい人がいない、一人もいない、
3:11 物のわかる人がいない、神をさがし求める人がいない。
3:12 だれもかれも迷って、みんな堕落してしまった。善をする人がいない、ただの一人もいない。』

●人類は全員これ放蕩息子。神の「悩みの子」。

塚本訳 ロマ 3:14
3:14 『口には呪いと苦い言葉とがいっぱいである。』

●不信者は信者を「尊敬しない」「憐れむ」こともしない。攻撃する。不信者にとって信者の存在は煙たいからである。


塚本訳 ロマ 3:20
3:20 というのは、律法が命ずる行いによっては『だれ一人神の前に義とされる者はない。』律法によって(は)罪を知る(ことができるだけで、人を罪から救うことはできない)からである

●道徳的にただしいい人も神の前には罪人、堕落した放蕩息子。

塚本訳 マタ 7:1-4
7:1 (人を)裁くな、自分が(神に)裁かれないためである。
7:2 (人を)裁く裁きで、あなた達も裁かれ、(人を)量る量りで、あなた達も量られるからである。
7:3 なぜあなたは、兄弟の目にある塵が見えながら、自分の目に梁があるのに気付かないのか。
7:4 また、どうして兄弟にむかって、『あなたの目の塵を取らせてくれ』と言うのか。そら、自分の目に梁があるではないか。

●母逝って早10年。生前、母の前で、兄弟に対して「不満」を漏らすと、非常に嫌った。嫌がったものだ。この母の態度に神の愛を感じた。母はキリストの救いに入らなかったが、神は母を知ってくださったと信じる。

塚本訳 ルカ 19:9-10
19:9 イエスが(人々に)言われた、「救いは(きょう、)この家に入った。(人でなしのように言われる)この人も、やはり(あなた達と同じ)アブラハムの末だから
19:10 人の子(わたし)は『滅びうせた者をさがして』救うために来たのである。」


●この世の一般常識では「堕落人間」を「人でなし」と思うが。神は我が子なので人から悪口を言われるのを嫌う。神の愛は親の愛に現れている。

塚本訳 ヨハ 4:16-18
4:16 イエスが言われる、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」
4:17 女が答えた、「わたしには夫はありません。」イエスが言われる、「『わたしには夫はありません』と言うのは、もっともだ。
4:18 五人の夫とは別れ、今のは、あなたの夫ではないのだから。あなたの言ったことは本当だ。」


●5回も離婚して現在はマタゾロ正式な夫ではない。誰かの「愛人」か。とにかくどうしようもない堕落女。こんな汚れに汚れた女にもイエスは声をかけた。
●エリザベステーラーは8度結婚した。ご立派。これにはイエスもびっくりだろう。彼女は若い頃は美しかったが晩年は豚のようにデブになった。精神が清くなかったためであろう。

塚本訳 ルカ 7:36-40
7:36 (シモンという)ひとりのパリサイ人が一しょにお食事をと願ったので、そのパリサイ人の家に入って食卓に着かれた。
7:37 すると、その町に一人の罪の女がいた。イエスがパリサイ人の家で食卓についておられることを知ると、香油のはいった石膏の壷を持ってきて、
7:38 泣きながら後ろからイエスの足下に進み寄り、しばし涙で御足をぬらしていたが、やがて髪の毛でそれをふき、御足に接吻して香油を塗った。
7:39 イエスを招待したパリサイ人が見て、ひそかに思った、「もしもこの人が(ほんとうの)預言者だったら、自分にさわっている者がだれだか、どんな女だか、──罪の女だと分るはずであるのに!
7:40 イエスが言われた、「シモン、あなたに言わねばならぬことがある。」彼が言う、「先生、言ってください。」イエスが言われる、


●「罪の女」とは売春婦、今では「水商売」の女。いかなる理由があったのか。
●「アノ女」の経歴を知っているか。という一般常識普通人の軽蔑の気持ち。人間世界の見方。

塚本訳 ルカ 15:28-32
15:28 兄はおこって、家に入ろうとしなかった。父が出てきていろいろ宥めると、
15:29 父に答えた、『わたしは何年も何年もあなたに仕え、一度としてお言い付けにそむいたことはなのに、わたしには友人と楽しむために、(小牛どころか)山羊一匹下さったことがただの一度もないではありませんか。
15:30 ところがあのあなたの息子、きたない女どもと一しょに、あなたの身代をくらいつぶしたあれがかえって来ると、肥えた小牛を御馳走されるのはどういうわけですか。』
15:31 父が言った、『まあまあ、坊や、お前はいつもわたしと一しょにいるではないか。わたしの物はみんなお前のものだ。
15:32 だが、喜び祝わずにはおられないではないか。このお前の弟は死んでいたのに生きかえり、いなくなっていたのに見つかったのだから。』」


●「言いつけにそむいたことのない」真面目な長男。「いい子」「見上げた息子」。しかしこれが不十分。律法を守ったに過ぎないユダヤ人。 道徳人間を神は救わない。
●30節。「あのあなたの息子」。アノという言葉のなかに信者が不信者を軽蔑する心がある。
●集会の故GS氏が若いころ「矢内原集会」に行ったら、あの集会は東大卒でないと「人間ではない」ような雰囲気であった。禍なるかな、無教会の東大崇主義。女性にこれが多い。
●集会の故NG氏は医者であった。その息子は嘆いた。「親父は医者でなければ人間ではないような考えであった」と。
●集会に来ていた友人のMM氏は「高橋さん。東京聖書読者会はカッコイイ職業に就いてないと肩身が狭い」と言った。彼は精神の病になって入水自殺。無念。
●32節。「死んでいたのに生き返り」。神は罪人を追いかけて救い。過去を赦して清める

塚本訳 ルカ 15:21-23
15:21 息子は父に言った、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。もうあなたの息子と言われる資格はありません。……』
15:22 しかし父は(皆まで聞かず)召使たちに言った、『急いで、一番上等の着物をもって来て着せなさい。手に指輪を、足にお靴をはかせなさい。
15:23 それから肥えた小牛を引いてきて料理しなさい。みんなで食べてお祝いをしようではないか


●22節。「一番上等の着物」とは何か。それは「義の衣」。キリストの血潮で汚れた身がすっかり清められること。これ神に切り出来ない奇跡。不思議なこと。

塚本訳 マタ 19:24-26
19:24 かさねて言う、金持が天の国に入るよりは、駱駝が針のめどを通る方がたやすい。」
19:25 これを聞いて、弟子たちは非常に驚いて言った、「ではいったい、だれが救われることが出来るのだろう。」
19:26 イエスは彼らをじっと見て言われた、「これは人間には出来ないが、『神にはなんでも出来る。』」


●「あそこまで堕落した人間が救われるのは絶対に不可能」と思うのは人間。神はどんなひどい罪人、堕落人間をも奇跡で救う。 神は名医。

塚本訳 マコ 9:14-29
9:14 (山を下りて、ほかの)弟子たちの所にかえって見ると、大勢の群衆が弟子たちを取り巻き、聖書学者たちがこれと議論をしていた。
9:15 群衆はイエス(の姿)を見るが早いか、皆びっくりして、駆けてきて歓迎した。
9:16 イエスが群衆に尋ねられた、「弟子たちと何を議論しているのか。」
9:17 群衆のうちの一人が答えた、「先生、唖の霊につかれている伜をあなたの所につれて来ました。
9:18 この子は霊がつくと所かまわず投げ倒され、泡をふき、歯斬りして、体がこわばってしまいます。それで霊を追い出すことをお弟子たちに頼みましたが、おできになりませんでした。」
9:19 彼らに答えられる、「ああ不信仰な時代よ、わたしはいつまであなた達の所におればよいのか。いつまであなた達に我慢しなければならないのか。その子をつれて来なさい。」(こう言って群衆のいない所に行かれた。)
9:20 人々がイエスの所につれて来ると、霊はイエスを見るや否や、その子をひどくひきつけさせたので、子は地に倒れ、泡をふきながらころげまわった。
9:21 イエスが父親に尋ねられた、「こうなってから、どのくらいになるか。」父親がこたえた、「子供の時からです。
9:22 霊はこの子を殺そうとして、幾たびか、火の中、水の中に投げ込みました。それでも、もしなんとかお出来になるなら、わたしども(親子)を不憫と思って、お助けください。」
9:23 イエスは言われた、「もしお出来になるなら(と言うの)か。信ずる者にはなんでも出来る。」
9:24 即座にその子供の父親が叫んだ、「信じます。不信仰をお助けください。」
9:25 イエスは群衆が駆けよってくるのを見ると、(急いで)汚れた霊を叱りつけて言われた、「唖と聾の霊、わたしが命令するのだ、この子から出てゆけ、二度と入るな!」
9:26 霊はどなって、はげしくひきつけさせて、出ていった。子は死んだようになったので、多くの人が、「死んだ」と言った。
9:27 イエスはその子の手をとって起された。すると立ち上がった。
9:28 家にかえられると、弟子たちは人のいない時に尋ねた、「なぜわたし達には霊を追い出せなかったのでしょうか。」
9:29 彼らに言われた、「この種類(の霊)は、祈り以外(の手段)では決して出てゆかせることは出来ない。」


●私の若い知人の娘は「癲癇」で悩んでいる。彼に聖書にはイエスが癲癇を治した記事があると励ました。 返事応答はない。彼は読んだのかなー。
●18節。「泡を吹き、歯ぎしりして、体がこわばって」しまう息子の姿を見ていなければならない親の気持ちはいかばかりか。
●22節。「わたしども(親子)を不憫と思って、」という塚本敷衍の(親子)には重みがある。子供が病気になった時の親の苦悩は計り知れない。
●23節。「「もしお出来になるなら(と言うの)か。信ずる者にはなんでも出来る。」。信仰に、「もし」はいけないことをここから学ぶ。「あなたなら絶対に出来ます」と密かに祈るのが信仰の極致。
●24節の文語訳は名訳。

文語訳 マコ 9:24
9:24 その子の父ただちに叫びて言ふ『われ信ず、信仰なき我を助け給へ』


●信仰がないことを自ら嘆かなければならず、そのことを祈るべきなのだ。

塚本訳 マコ 7:24-30
7:24 そこを立って、ツロ地方に行かれた。ある家に入って、だれにも知られたくないと思っておられた。しかし隠れていることが出来ず、
7:25 汚れた霊につかれた小さい娘を持つ一人の女が、すぐイエスのことを聞きつけ、来て足下にひれ伏した。
7:26 この女は異教人で、スロフェニキア生まれであったが、娘から悪鬼を追い出してほしいとイエスに願った。

7:27 女に言われた、「まず子供たち(イスラエル人)を満腹させなくてはいけない。子供たちのパンを取り上げて、(異教の)小犬どもに投げてやるのはよろしくない。」
7:28 しかし女は答えた、「主よ、是非どうぞ!食卓の下の小犬どもも、子供さんたちのパン屑をいただきます。」
7:29 イエスは言われた、「それほど言うなら、よろしい、帰りなさい。悪鬼はもう娘から出ていった。」
7:30 女が家にかえって見ると、子供は寝床にねており、悪鬼はもう出ていた。


●自分の子供が悪霊に憑かれているとは何と気の毒なことか。
●子供ばかりではない。身内、兄弟、親戚、夫、妻、親が汚れた霊に憑かれていると「信仰や聖書の話」などは耳を貸さない。
●29節。「それほど言うなら」はパウロ的ではない。弥陀の本願を悟る仏教ではない。はしたなくしつこく熱心に祈るべきなのだ。

塚本訳 マタ 15:29-31
15:29 それからイエスはそこを去って、ガリラヤ湖のほとりにかえり、山に上ってそこに坐られた。
15:30 大勢の群衆が足なえ、片輪、盲人、唖、そのほか多くの者をつれてイエスの所に来て、足もとに置いたので、それをなおされた。
15:31 群衆は唖が物を言い、片輪が直り、足なえが歩きまわり、盲人が目が見えるようになったのを見て驚き、イスラエルの神を讃美した。


塚本訳 マコ 7:31-37
7:31 それからイエスはツロ地方を出て、シドンを通り、またガリラヤ湖の近く、デカポリス地方の真中に来られた。
7:32 人々が聾で舌のまわらぬ人をつれて来て、手をのせて(直して)ほしいと願う。
7:33 イエスはその人をただ一人、群衆の中から連れ出して、指をその両耳にさしこみ、次に(指に)唾をしてその舌にさわり、
7:34 天を仰いで溜息をつき、その人に「エパタ!」[すなわち「開け!」]と言われる。
7:35 すると耳があき、すぐ舌のもつれが解けて、普通に物が言えるようになった。

7:36 イエスはだれにも言ってはならぬと人々に命じられたが、命ずれば命ずるだけ、ますます言いふらした。
7:37 そして驚きはてて言った、「あの方のされたことは、何もかも良いことばかりだ。聾や唖に、聞かせたり、物を言わせたりされるのだから。」


塚本訳 マコ 3:4-5
3:4 彼らに言われる、「安息日には、善いことをするのと悪いことをするのと、命を救うのと殺すのと、どちらが正しいか。」彼らは黙っていた。
3:5 するとイエスは怒気をふくんで人々を見まわし、彼らの心の頑ななのをふかく悲しんで、その人に言われる、「手をのばせ。」のばすと手が直った。


塚本訳 ヨハ 9:5-7
9:5 世におる間、わたしは世の光である。」
9:6 こう言って
地に唾をはき、唾で泥をつくり、その泥を盲人の目に塗って、
9:7 言われた、「行って、シロアム池で洗いなさい。」(シロアムは訳すると「遣わされた者」。)そこで盲人は行って、洗って、見えるようになって、かえって行った。

●昔も今も病気の治癒に神仏に祈るのは人間の気持ち。神は祈りに答えてくれる。病気の意味はそこにある。

塚本訳 ヨハ 9:1-3
9:1 イエスは通りがかりに、生まれつきの盲人を見られた。
9:2 弟子たちが尋ねた、「先生、この人が盲で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか、両親ですか。」
9:3 イエスは答えられた
、「この人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。ただ神の御業がこの人に現われるためである。


●家の中に堕落人間がでたり、放蕩人間が出ると、「原因を追究」したがる。飛行機事故の原因、原発事故の原因を追及するのはこの世の常識。しかし、神にあってはその事故を通してそれ以上の深い目的阿がある。

塚本訳 ルカ 7:11-17
7:11 そのあとで、ナインという町に行かれた。弟子たちおよび多くの群衆も一しょに行った。
7:12 町の門の近くに来られると、ちょうど、ある独り息子が死んで、(棺が)舁き出されるところであった。母は寡婦であった。町の人が大勢その母に付添っていた。
7:13 主は母を見て不憫に思い、「そんなに泣くでない」と言って、
7:14 近寄って棺に手をかけ──担いでいる者は立ち止まった──「若者よ、あなたに言う、起きよ!」と言われた。
7:15 すると死人が起き上がって物を言い出した。イエスは『彼を母に渡された。』
7:16 皆が恐れをいだいて、「大預言者がわたし達の間にあらわれた」とか、「神はその民を心にかけてくださった」とか言って、神を讃美した。
7:17 イエスについてのこの(二つの)言葉は、ユダヤ(人の国)全体とその周囲いたる所に広まった。


●独り息子に先立たれた母親に取りすがられて号泣されたことがある。しかしその母親もすでに逝った。人生は短い。

塚本訳 マタ 9:18-26
9:18 こう話しておられると、そこに一人の(礼拝堂の)役人が進み出て、しきりに願って言った、「わたしの娘がたったいま死にました。それでも、どうか行って、手をのせてやってください。そうすれば生き返りますから。」
9:19 イエスは立ち上がって彼について行かれた、弟子たちも一しょに。
9:20 するとそこに、十二年も長血にかかっていた女が近寄ってきて、後ろからイエスの上着の裾にさわった。
9:21 「お召物にさわるだけでも、なおるにちがいない」と、ひそかに思ったのである。
9:22 イエスは振り向いて、女を見ながら言われた、「娘よ、安心しなさい、あなたの信仰がなおした。」するとちょうどその時から、女はなおった。
9:23 やがてイエスは役人の家に着いて、笛吹き男と騒いでいる群衆とを見ると、
9:24 言われた、「あちらに行っておれ。少女は死んだのではない、眠っているのだから。」人々はあざ笑っていた。
9:25 群衆が外に出されると、イエスは(部屋に)入っていって少女の手をお取りになった。すると少女は起き上がった。
9:26 この評判がその土地全体に広まった。


●24節。死は眠り。この24節を娘さんが不慮の死を遂げた母親に書いたら、「こまやかなお心遣いありがとうございます」という丁重なご返事をいただいたことがある。

塚本訳 ヨハ 11:37-44
11:37 しかし中には、「盲人の目をあけたこの人にも、このラザロが死なないように出来なかったのか」と言う者もあった。
11:38 そこでイエスはまたも心に憤りながら、(ラザロの)墓に来られる。墓は洞穴で、入口に石を置いて(ふさいで)あった。
11:39 「石をのけなさい」とイエスが言われる。死んだ人の姉妹のマルタが言う、「主よ、もう臭くなっています。四日目ですから。
11:40 イエスがマルタに言われる、「信ずれば神の栄光が見られると、(さきほども)あなたに言ったではないか。」
11:41 人々が石をのけた。するとイエスは目を天に向けて言われた、「お父様、(まだお願いしないのに、もう)わたしの願いを聞いてくださったことを感謝します。
11:42 (願わずとも)あなたはいつもわたしの願いを聞いてくださることを、わたしはよく知っております。しかしまわりに立っている人たちのために、(今わざと声を出して感謝を)申したのであります。(わたしの願いはなんでもきかれることを彼らに示して、)あなたがわたしを遣わされたことを信じさせるためであります。」
11:43 こう言ったのち、大声で、「ラザロ、出て来い」と叫ばれた
11:44 死人が手足を包帯で巻かれたまま、(墓から)出てきた。顔は手拭で包まれていた。イエスは「解いてやって(家に)帰らせなさい」と人々に言われた。


●39節。火葬は死後24時間以上経たないとできない。生き返るかもわからないからだ。しかしラザロは死後4日、だから腐乱し始めた。生き返りは絶望。
●43節。イエスが大声で言ったのはなぜか。力を振り絞ったのだ。

塚本訳 ヨハ 11:45-48
11:45 すると、マリヤの所に来てイエスのされたことを見たユダヤ人のうち、多くの者は彼を信じた。
11:46 しかし中には(彼を信ぜず、)パリサイ人の所に行って、イエスのされたことをあれこれと報告した者もすこしあった。
11:47 そこで大祭司連とパリサイ人は最高法院を召集して言った、「どうすればよいだろう、あの男はたくさん徴[奇蹟]をしているのだが。
11:48 もしこのまま放っておけば、皆があれを信じ(て王に祭り上げ)るであろう
。すると騒動が起り、ローマ人が来て、われわれから(エルサレムの)都も国民も、取ってしまうにちがいない。」


●ヨハネ福音書によれば、死人を生き返らせたこの奇跡の故にイエスは殺されることになった。

塚本訳 ルカ 5:12-16
5:12 ある町におられた時のこと、そこに体中癩病の人がいた。イエスを見ると、頭を地にすりつけ、「主よ、(清めてください。)お心さえあれば、お清めになれるのだから」と言って願った。
5:13 イエスは手をのばしてその人にさわり、「よろしい、清まれ」と言われると、たちまち癩病が消えうせた。
5:14 イエスは、だれにも言ってはならない、「ただ、(全快したことを)世間に証明するため、(エルサレムの宮に)行って体を『祭司に見せ、』モーセが命じたように清めのために(供え物を)捧げよ」と言いつけられた。
5:15 しかしイエスの噂はいよいよ広まってゆき、大勢の群衆が、(教えを)聞き、また病気をなおしていただこうと集まってきた。
5:16 しかしイエスは人のいない所に引っ込んで、祈っておられた。


●12節。「体中癩病」とは今日的には癌が全身に回って医者も匙を投げる状態なのだろう。
●人間は全員、これ体中癌が転移している腐り果てた人間。アノ人のことは言えない。
●「頭を地にすりつけて」という祈りの姿勢が大切。わたしは13年前に脳内出血で倒れた時、ベッドに正座して、「この病気を直して下さったら『復活』のこときり話しません」としきりに祈った。もう一つ、「あの人に福音をわからせていただければ、この命と引き換えでも結構です。私はもう十分に生きましたから」とも祈った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想終わり。神はライ病人間をも直す。罪の赦しが目に見える形で示された。こういうことを伝えてくれた福音書記者に感謝。

●TSK日本語版詩編66編
●午後、妻は集会のKNさんのお見舞い。八王子
●図書館。東急。
●頂いた本棚をセット。その周りの荷物を整理。























トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


泉とあふるる、命の命よ ++++++++ 所感

2014/03/26 09:56

140326(水)4時半目覚め●目覚めの啓示「泉とあふるる、命よ命よ」●その昔、勤務先の近くにあった日本基督教団富士見町教会の昼礼拝に出席したときのこと。後ろの方から、若い女性の美しい讃美歌が聞こえてきた。それは353番であった。

讃美歌333番

いずみとあふるる いのちのいのちよ
あさ日t輝く ひかりのひかりよ


主イェスよ、たえせず わが身にともない
ひかりのみちをば あゆませたまっや

●声の主は誰かと後ろを振り返るわけにもいかず。その出会いは一回で終わった。姿形はわからなかったが、今も「主にありて」生きていることを信じる。「キリストの薫」であった彼女は何処!。十字架を負って「泣いて」いるのではあるまいか。
●そこで今朝はこの体験を巡って 思いつく聖句を並べてみよう。

塚本訳 ヨハ 4:14
4:14 わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」


●イエスを神の子と信じるものは「永遠に渇かない霊の水」を毎日飲んでいるのだ。

塚本訳 Ⅰヨハ5:4-5
5:4 というのは、すべて神(の力)によって生まれたものは、(掟に反抗する)この世(の悪の力)に勝っているからでる。そしてこの世に勝った勝利、それはわたし達の信仰。
5:5 では、だれがこの世に勝つのであるか、イエスは神の子であると信ずる者でなくして。


●この世の悪の力は、病魔、悪霊、金の魔力、異性の魔力、権力地位の魔力。不運にもこれらの魔力に殺(や)られてに人生が落ちぶれたは幸いである。天国への門が開かれたのである。

塚本訳 Ⅱコリ2:14-15
2:14 しかし神に感謝せねばならない。神はいつでもわたし達をキリストによる凱旋行列に(虜として)引き回し、至る所でわたし達を通して御自分を知らせる知識の薫りをお広めになる。
2:15 というのは、わたし達は救われる者の間でも、滅びゆく者の間でも、神にささげられるためのキリストのよい薫である。


●「キリストの薫」はこの世の悪魔に負けて十字架を負わされて泣く時に発せられるものだ。

塚本訳 ルカ 9:22-23
9:22 そして、「人の子(わたし)は多くの苦しみをうけ、長老、大祭司連、聖書学者たちから排斥され、殺され、そして三日目に復活せねばならない。(神はこうお決めになっている)」と言われた。
9:23 それから今度は皆に話された、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、毎日自分の十字架を負い、それからわたしに従え。


●「自分の十字架」とは人様々。しかし十字架は十字架。 それは重い。負いきれない。
●十字架は自分で負おうとしてはいけない。イエスも自分が負えなかったのでクレネ人シモンに負ってもらったのだ。
●十字架の重さに耐えきれずに崩れ落ちるとき神が背負ってくださる。これが十字架を負うことなのだ。その時神が負ってくださる。

塚本訳 マタ 11:28
11:28 さあ、疲れている者、重荷を負っている者はだれでも、わたしの所に来なさい、休ませてあげよう。


●人間の疲れは精神的重荷が一番つらい。これが肉体の病になる。肉体の病は人間の医者で直るが、霊魂の病はキリストのみが直してくださる。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●朝の黙想終わり

●8:00 妻は、愛子の一家が、中野から大田区の馬込に引っ越すのでその手伝いに出かける。3月は新しい出発の時。人生は旅。人は皆旅人。信者の旅の終わりは主なる神の懐だ。人はそこで最終的な安らぎを得るのだ。
 
●13:00 昨日届いたライティングビューローに妻のパソコンをセットする。

2014_03260003.jpg 
戴いたライティングビューローにパソコンをセット。妻の書斎コーナー
左は隣の部屋の私の書斎


●図書館にイスラーム関係の本を返す。
●19:30 妻が愛子の家の引っ越しを終わって帰ってくる。中野より遠い。2時間はかかる。










トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


聖書のピントは神の子キリストの受難と復活 ++++++++ 所感

2014/03/25 06:19

140325(火)4時目覚め●目覚めの啓示「聖書のピント」●新約聖書のピントは「神の子イエスの受難と復活」に合っている。●全福音書、全書簡のピントはそこに合っている。これに関して思いつく聖句を並べてみよう。

塚本訳 ロマ 5:7-8
5:7 (驚くべき神の愛!人間の世界では、)義人のために命をすてる者はほとんどあるまい。善人のためならば、惜しげもなく命をすてる者が、あるいはあるかも知れない。
5:8 しかしわたし達が(義人でも善人でもなく、)
まだ罪人(神の敵)であったとき、キリストが私たちのために死んでくださった。このことによって、神はわたし達に対する愛をお示しになったのである。


塚本訳 ロマ 3:22-26
3:22 この神の義は、イエス・キリストを信ずる信仰(だけ)によって、これを信ずるすべての者にあたえられる。(すべてというのは、そこに人間的の)なんの差別もないからである。
3:23 なぜか。すべての人が罪を犯したため、いまだれ一人、(かつて持っていた)神の栄光をもたない。
3:24 (さりとて失った栄光を回復する力はないので、何一つ)代価を払わず、(ただ)神の恩恵によって、キリスト・イエスによるあがないの力で、(神に)義とされる(道が設けられた)のである。
3:25 すなわち神は御自分の義を示すために、宥めの供え物としてキリストを提供された。これはキリストの血でなされたものであり、(人は)信仰によ(ってこの恩恵にあずか)るのである。このことは──神が(長いあいだ)忍耐をもって過ぎし日に犯した罪を罰せずにおられたので──
3:26 今の世において、御自分の義を示そうとされたのである。すなわち御自分が義であること、またイエスを信ずる者を義とするお方であることを、(この世に)示されたのである。


塚本訳 Ⅰヨハ4:10
4:10 わたし達が神を愛したことではなく、彼がわたし達を愛し、その子
をわたし達の罪のための宥め(の供物)として遣わされたそのことに、愛があるのである。

文語訳 ロマ 1:17
1:17 神の義はその福音のうちに顯れ、信仰より出でて信仰に進ましむ。録して『義人は信仰によりて生くべし』とある如し。

塚本訳 マタ 20:27-28
20:27 一番上になりたい者は奴隷になれ。
20:28 人の子(わたし)が来たのも仕えさせるためではない。仕えるため、多くの人のあがない金としてその命を与えるためである。

塚本訳 ルカ 9:22-23
9:22 そして、「人の子(わたし)は多くの苦しみをうけ、長老、大祭司連、聖書学者たちから排斥され、殺され、そして三日目に復活せねばならない。(神はこうお決めになっている)」と言われた。
9:23 それから今度は皆に話された、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、毎日自分の十字架を負い、それからわたしに従え。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想おわり。心一杯、胸一杯。十字架は神の義と言うよりは愛の現れ。
 
●あきる野市から都心のマンションに引っ越しをされるYさんがライティングビューローと本箱を下さると言うので、置き場確保のために整理。
●14:10 あきる野市、無料個人法律相談。近藤弁護士。相続、遺言の書き方。公証人役場に頼むのが確実であると指導された。以前に書いてあった「遺言」は書き方が間違っていた。
●ドコモショップで使い方を習う。機能が増えて面倒になった。









トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


復活の使徒伝承に ++++++++ 所感

2014/03/24 06:31

140324(月)5時目覚め。朝の啓示「復活の使徒伝承に命をかけるべきだ」●この短い命、何に命をかけるべきか。使徒20:24を通してパウロに学んでみよう。 ●パウロは「花と散った」のである。ボケても健康長寿になることは人間として決して望ましい姿ではない。」

●まず翻訳比較

文語訳 使 20:24
20:24 然れど我わが走るべき道程と、主イエスより受けし職、すなわち神の惠の福音を證する事とを果さん爲には、固より生命をも重んぜざるなり


口語訳 使 20:24
20:24 しかし、わたしは自分の行程を走り終え、主イエスから賜わった、神のめぐみの福音をあかしする任務を果し得さえしたら、このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思わない


新改訳 使 20:24
20:24 けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません


新共同 使 20:24
20:24 しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。


塚本訳 使 20:24
20:24 しかしわたしは、自分の走るべき道を走りおえて、主イエスから託された、神の恩恵をつたえる福音を証しする役目をはたすためなら、自分の命のことなど口にする値打もないと思う。


NKJV 使 20:24
20:24 "But none of these things move me; nor do I count my life dear to myself, so that I may finish my race with joy, and the ministry which I received from the Lord Jesus, to testify to the gospel of the grace of God.


TEV 使 20:24
20:24 But I reckon my own life to be worth nothing to me; I only want to complete my mission and finish the work that the Lord Jesus gave me to do, which is to declare the Good News about the grace of God.


●次に自分の頭に浮かぶ関連聖句

塚本訳 Ⅰコリ15:3-5
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。

塚本訳 Ⅰコリ1:22-25
1:22 実際、ユダヤ人は(信ずるための証拠に神からの不思議な)徴を乞い、異教人は(真理を知るために)知恵を求めるが、
1:23 わたし達は十字架につけられたキリストのこと(だけ)を説く。すなわち、ユダヤ人にはつまづき、異教人には馬鹿なことであるけれども、
1:24 (神に)召された者だけには、ユダヤ人、異教人の別なく、(これこそ)神の力、また神の知恵なるキリストを(説くのである)。
1:25 というのは、神の(業はどんなに)馬鹿なこと(に見えても、それ)は人よりも知恵があり、神の(業はどんなに)無力(に見えても、それ)は人よりも力があるからである。

塚本訳 Ⅰコリ9:24-27
9:24 (だからあなた達も、競技場の闘士のように自制しなければならない。)競技場で走る者は皆走るけれども、たった一人が賞をもらうことを、あなた達は知らないのか。あなた達も、それを勝ち取るように走らなければならない。
9:25 しかし競技する者は皆、何事にも自制する。ただ、あの人たちは朽ちはてる冠をもらうためであるが、わたし達は朽ちぬ冠のためである。
9:26 わたしはそれゆえに、目標があいまいでないように走る。空を打たないように拳闘をする。
9:27 いや、
自分の体を打ちたたいて征服する。人には(福音を)説きながら、自分では失格するようなことのないためである。


塚本訳 ガラ 2:2
2:2 しかし、のぼったのは(神の)啓示によったので、異教人のあいだで説いている福音を(そこの)人々に、名士たちには特別に、示した。(これは、)わたしが(現に福音のために力を尽くして)走っており、また(過去において)走ったことを、無駄にしないためであった


塚本訳 ピリ 2:16
2:16 かくて私の走ったことが無駄にならず、』苦労したことが無駄に』ならずに、キリストの日に名誉が私に帰するであろう。

塚本訳 ピリ 3:10-14
3:10 かくて(ますます深く)キリストを知り、その復活の力を受け、その苦難に与り、彼と同じような死様をして、
3:11 あわよくば私も(最後に)死人の復活に達したいためである
3:12 しかしこれは(何も)既に(それを)捉えたとか、既に完成されているとか言うのでは(もちろん)ない。ただもしや私も(それを)捉えることが出来はしないかと、走っているまでである。私もキリスト・イエスに捉えられたのだから。
3:13 兄弟達よ、私はまだ自分で(それを)捉えたなどとは考えていない。しかし(ただ)一つの事──後ろのものを忘れ、前のものを追い求めながら、
3:14 (或る)目標に向かって、すなわち神がキリスト・イエスにおいて天上に招き給う褒美に向かって(ひた走りに)走っているのである。

塚本訳 Ⅱテモ4:7
4:7 ああ、善い戦いを戦った、競争を終わった、忠誠を守った。


塚本訳 ヘブ 12:1-3
12:1 それゆえ、わたし達も、こんなに雲のような(大勢の)証人に囲まれているのであるから、(信仰の障害となる)すべての煩わしさと、すぐにからみつく罪とをぬぎすてて、わたし達の前に置かれている競走を、忍耐をもって走ろうではないか。
12:2 (かの)信仰の創始者また完成者であるイエスを見上げて!彼は自分の前にある喜びを捨て、恥をもいとわず十字架を耐え忍んで、(いまや)神の御座の『右に坐られているのである』。
12:3 あなた達も倦怠し、無気力になることがないように、彼が(御子でありながら、)『罪人どもの自分に対する』あんな敵対を耐え忍ばれたことを考えなくては。

塚本訳 Ⅰコリ4:1-4
4:1 いずれにしても(わたし達はキリストの福音のために働いているのであるから、)人はわたし達をキリストの部下、神の秘密の管理人と考えなくてはいけない。
4:2 この際、管理人にはなお、その人が(主人に)忠実であることが求められる。
4:3 しかし(そのことについて、わたしはだれにも判定してもらおうと思わない。)あなた達によって、あるいは人間の裁判所によって判定されることなど、わたしには全くつまらないことである。いや、わたし(自身)でさえ自分を判定しない。
4:4 なぜなら、わたしは身にすこしも(務めをなおざりにした)覚えはないが、だからと言って、これで義とされているのではない。わたしを判定される方は主(御自身)である。

塚本訳 黙  14:13
14:13 また私は天から声が(こう)言うのを聞いた、「書け、『今から後主にあって死ぬる死人は幸福である。』」御霊も言い給う、「然り、彼らはその労苦を休息む(ことが出来る)であろう。その(為した)業が彼らに随いて行くのであるから!」と。

塚本訳 黙  2:10
2:10 お前はまだ苦しむであろうが、(決して)それを恐れるな。視よ、悪魔はお前達の中から(幾人かを)牢屋に投げ込もうとしている。それはお前達が試練を受けるためである。お前達は十日の間患難を受けるであろう。(しかしただ少しの間の我慢である。)お前は死ぬるまで私に忠実であれ。そうすればお前に生命の冠を与えるであろう。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想おわり。心一杯、胸一杯。

●TSK日本語版詩編62-63編
●妻はコーラスのレッスン。ヴィヴァルディ「グローリア」。演奏会近し。
●昨日の転倒で眼鏡に傷。レンズ交換することになった。東急「パリミキ」。
●ドコモショップで使用方法を聞く
●図書館
●長男のSから「デジタルフォトフレーム」を送られ、長女の写真を沢山見た。










トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


天国の一級建築士 ++++++++ 所感

2014/03/23 07:49

140323(日)3時半目覚め●朝の啓示「天国の一級建築士」●4月は新しい出発の時。私も変わり目である。
ホームページの勤務先の「昭和女子大非常勤講師」を消した。70歳の定年だからである。しかし「職業」は一級建築士でこれは消さない。私の「手の業」は一生涯建築である。日本建築学会と日本建築積算協会も辞めた。●この世の勤務先は無くなったので収入源は「年金」のみである。正真正銘の「国家公務員」になった。●ではこれからはどうするか?。「天国の建築士」を目指す。今朝はこれをめぐって聖書を黙想してみよう。

新共同 伝 9:10
9:10 何によらず手をつけたことは熱心にするがよい。いつかは行かなければならないあの陰府には/仕事も企ても、知恵も知識も、もうないのだ。


●ヒルティの愛した言葉。幸福とは神と共にあることと「仕事」。私のこの世での職業は建築。孫たちには何かの「専門家」になりなさいと言っている。

塚本訳 Ⅰコリ3:10
3:10 わたしは戴いた神の(特別の)恩恵によって、熟練した棟梁として土台をすえた。他の人がその上に建ててゆく。だが建て方は、その人その人が気をつけるべきである。


●私が「建築士」として「生活」できてきたのは神の恩恵であった。
●東大総長であった矢内原先生が卒業するキリスト信者を集めて昼食を振る舞いながら語った言葉。「諸君はこの学校で学んだことが神の恩恵であったことが分かる日の来ることを願う」(大島智夫先生談)

塚本訳 マタ 21:42
21:42 イエスは彼らに言われた、「あなた達は聖書で(この句を)まだ読んだことがないのか。──『大工たちが(役に立たぬと)捨てた石、それが隅の土台石になった。これは主のなされたことで、われわれの目には不思議である。』


●復活は「主のなされたこと」。それは不思議なこと。


塚本訳 ルカ 16:9-11
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。
16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。
16:11 だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。


●この世の建物は天の富に比べて「不正の富」。しかしこれを忠実に行えと言うのが聖書の「職業観」。
●目的は「永遠の住居」に住むため。

塚本訳 ヨハ 4:31-35
4:31 その間に弟子たちが、「先生、お食事を」と催促すると、
4:32 言われた、「わたしにはあなた達の知らない食べ物がある。」
4:33 すると弟子たちが互に言った、「だれも食べる物を持ってくるはずはないのに。」
4:34 イエスが言われる、「わたしの食べ物は、わたしを遣わされた方の御心を行い、(任せられた)お仕事を成しとげることだ。
4:35 あなた達のあいだでは『刈入れの時の来るにはまだ四月』と言うではないか。しかしわたしは言う、目をあげて畑を見てごらん。(麦畑の間を押し寄せてくるあのスカルの人たちを!)畑は黄ばんで刈入れを待っている。


●私の場合に当てはめれば、「あなた達の知らない建物がある」ということだ。

塚本訳 マタ 6:19-20
6:19 (このように、何事も天の父上相手でなければならない。たとえば)あなたたちは衣魚や虫が食い、また泥坊が忍び込んで盗むこの地上に宝を積まず、
6:20 衣魚も虫も食わない、また泥坊が忍び込むことも盗むこともない天に、宝を積んでおきなさい
。(そうでないと、心が天に向かないであろう。)


●天国の家は、腐らない、地震で倒壊しない。泥坊が入らない

塚本訳 ヨハ 2:19-22
2:19 イエスは答えられた、「このお宮をこわせ、三日で造ってみせるから。」
2:20 ユダヤ人が言った、「このお宮を建てるには四十六年もかかったのに、あなたは三日で造るというのか。」
2:21 しかしイエスは自分の体のことを宮と言われたのであった。
2:22 だから死人の中から復活された時、弟子たちはこう言われたことを思い出して、聖書とイエスの言われた言葉と(が本当であること)を信じた。


●復活体が本当の神殿

塚本訳 Ⅰペテ2:4-8
2:4 彼は人からは(役に立たぬと)棄てられたが、神の前では、『選ばれた尊い』活きた『石』(である。)
2:5 そして君達自身も(主と同じく)活きた石として建てられて、霊の家となれ。これは君達が聖い祭司として、イエス・キリストによって神の御意に適う霊の供物を献げるためである。
2:6 というのは『見よ、』われ『シオンに選びの石、尊き隅石を』置く』これを信ずる者は決して恥をかかされない。』と聖書にある。
2:7 だから信ずる君達は光栄に与る(ことが出来る)が、信ぜぬ人達には』建築師が(役に立たぬと)棄てた石で、これが隅の首石、』
2:8 また』蹉跌の石、躓きの岩となった』。彼らは御言(を聴きながらこれ)に従わないので、(遂に)蹉跌するのであって、それはまた(神によって)彼らに定められたことである。


●我々もこの世の人から捨てられることによって師イエスと同じく、「霊の家」にさせられるのだ。

口語訳 詩  84:10
84:10 あなたの大庭にいる一日は、よそにいる千日にもまさるのです。わたしは悪の天幕にいるよりは、むしろ、わが神の家の門守となることを願います。


●天国の門番、天国の土方、天国の下足番。天国の「お手伝いさん」。これは天国の聖職者よりもくっつきがよい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想b終わり

●集会に出かけるとき、自転車の後ろに健太郎を乗せ、前の籠に「かなほ」のリュックを入れて走り出そうとしたところでバランスを崩して転倒。顔面を打って鼻血、妻が大きな声を上げた。Yシャツに血が付いたので着替えて再出発。「血を流す」ということを思った。健太郎に怪我はなかった。 ホッ。
●中野駅でで孫の二人を母の(愛子)に引き渡す。二人は「ママだ!」と叫んで駆け出した。

塚本訳 ヨハ 21:7
21:7 するとイエスの愛しておられた弟子が気づいて、ペテロに「主だ!」と言う。主だと聞くと、シモン・ペトロは裸だったので(急いで)上っ張をひっかけ、湖に飛び込んだ。


●集会は川上、土肥(創世記1章)、横田(教会史)
●14:00 内村鑑三記念キリスト教講演会(於・今井館)。
 「内村鑑三の新たな教育史的位置づけーー私教育の観点からみてーー」安彦忠彦
 
 「道普請と道備えーー祈ること正義を行うことーー」犬養光博(ルターの限界、パウロの限界、
 高橋三郎の限界)
 終了後懇談会。私も「人間の限界」について少し発言し、「今日は犬養光博の限界を聞いた。しかさい無教会は全員が限界人間だと話した。そして次の句を語った。

塚本訳 Ⅰコリ3:10-11
3:10 わたしは戴いた神の(特別の)恩恵によって、熟練した棟梁として土台をすえた。他の人がその上に建ててゆく。だが建て方は、その人その人が気をつけるべきである。
3:11 なぜなら、(すでに)置かれている(ただ一つの)もののほか、他の土台をだれもすえることは出来ないのだから。──この土台はイエス・キリストである。──

 
●犬養光博氏と立ち話懇談。犬養氏は筑豊の貧困者の中で苦闘。日本基督教団無任所牧師。

●また次の句も思う。無教会は各人がバラバラで離れていて、内容も少しづつ微妙に異なるが、全体で一つの自由なる雰囲気のエクレシヤである。風通しがよい。
 
塚本訳 Ⅰコリ12:11-24
12:11 しかしこれら一切のことはただ一つの同じ御霊が行なうのであって、その思いどおりに、それぞれの人にそれ特有のものを分けてくださるのである。
12:12 なぜか。体はただ一つであって、それに多くの器官があるけれども、この体の器官が皆、多くあっても、一つの体を成しているように、キリスト(の体である集会)の場合も同じである。
12:13 また、わたし達は皆、ユダヤ人にせよ異教人にせよ、奴隷にせよ自由人にせよ、一つの体になるために、一つの御霊で洗礼を受けたからである。そしてわたし達は皆一つの御霊を飲まされた。
12:14 ほんとうに、体は一つの器官でなく、多くの器官から成っているのである。
12:15 たとい足が、「自分は手でないから、体に属していない」と言ったからとて、それゆえに体に属していないことにはならない。
12:16 またたとい耳が、「自分は目でないから、体に属していない」と言ったからとて、それゆえに体に属していないことにはならない。
12:17 もし体全体が目であったら、どこに聴覚があるのか。もし体全体が聴覚であったら、どこに嗅覚があるのか。
12:18 しかし実際は、神は御心どおりに、器官をひとつびとつそれぞれ(の用途に従って、)体に配置された。
12:19 もし全体が一つの器官であったら、どこに体があるのか。
12:20 しかし実際は、器官は多いが、体は一つなのである。
12:21 目は手に、「お前はいらない」、あるいはまた頭は足に、「お前たちはいらない」と言うことは出来ない。
12:22 いや反対に、体の中でわりあいに弱いと見える器官こそかえって必要であり、
12:23 また体の中でわりあいにりっぱでないとわたし達が思う器官は、これにことさらにりっぱなものをまとわせるのである。またわたし達の見苦しい部分はことさらに体裁よくするが、
12:24 (始めから)体裁のよい部分は、その必要がない。むしろ、神は劣っている部分にことさらにりっぱなものを与えて、体(全体)を統合された。








 
 







トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


孫達の祈り。「救いは今日この家に入った」 ++++++++ 所感

2014/03/22 06:43

140322(土)4時目覚め●目覚めの黙想。「孫達の祈り。『救いは今日この家に入った』」●昨夜寝るとき、孫二人とわたし達の4人で布団jの上でそれぞれが「有声的祈祷」(内村鑑三)をした。孫たちは「天の神様。パパ、ママ、おねーちゃんをお守り下さい」という意味の祈りをした。この時私は、この「お守りください」という純な祈りは神に聴かれると思った。●母親と一緒に通っている日本基督教団の教会学校に感謝。●「母の祈りは聴かれる」と言われる。祈りは「私利私欲見栄」があると神はこれを聴かないが、真に純粋な祈りは聴かれる。神を動かす。●今朝はこれを巡って関連して思い浮かぶ聖句を黙想しよう。

塚本訳 マタ 6:5-8
6:5 また祈る時には、偽善者のようにしてはならない。彼らは人に見せようとして、礼拝堂や大通りの角に立って祈ることを好むのである。アーメン、わたしは言う、彼らは(褒められた時、)すでに褒美をもらっている。
6:6 あなたが祈る時には、『奥座敷に入り、部屋をしめきった上で、』隠れた所においでになるあなたの父上に『祈れ。』そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。
6:7 また祈るとき、異教人のようにベラベラしゃべるな。彼らは口数が多ければ、聞いてもらえるものと思っている。
6:8 彼らの真似をしてはならない。神はあなた達の父上である。求める前から、あなた達に必要なものをよく御承知である。


●「隠れた祈り」でも内容が「私利私欲見栄」があると神はこれを聴かない。だから困った時の「呻き」は聴かれる。

塚本訳 ルカ 10:21
10:21 この時イエスは聖霊にみたされ、感激にあふれて言われた、「天地の主なるお父様、(神の国の秘密に関する)これらのことを(この世の)賢い人、知恵者に隠して、幼児(のような人たち)にあらわされたことを、讃美いたします。ほんとうに、お父様、そうなるのがあなたの御心でした。


●「幼児の祈りは聴かれる」。
●昨日の夕食の時の会話
私「みんな。困った時はどうするればいいんでしょう」
次女「ハイ!神様にお祈りします」
私「ピンポーン。丸」
長男「パパかママに言います」。この孫息子は母親のことをオニババと言っているので、
私「神様、オニババが僕をいじめますと祈りなさい」と諭した。

塚本訳 マコ 10:13-16
10:13 イエスにさわっていただこうとして、人々が子供たちをつれて来ると、弟子たちが咎めた。
10:14 イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた、「子供たちをわたしの所に来させよ、邪魔をするな。神の国はこんな(小さな)人たちのものである。
10:15 アーメン、わたしは言う、子供のように(すなおに)神の国(の福音)を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできない。」
10:16 それから子供たちを抱き、(頭に)手をのせて祝福された。


●子供が好きだったイエス。抱いて頭に手を乗せた。イイコ、イイコをしたのであろう。
●かくいうイエス自身は家庭を持たず、30代の男盛りに「花と散った」。

塚本訳 マタ 21:16
21:16 イエスに言った、「あの子供たちがなんと言っているのか、聞えているのか。」イエスは言われた、「聞えている。あなた達は『(神よ、)あなたは幼児と乳飲み子との口によって、(御自分のために)賛美をお備えになった』と詩篇にあるのを、まだ読んだことがないのか。(大人が黙っているから、子供が叫ぶのだ。)」


●生まれて間もない乳児は「有声音的祈祷」は出来ないが、時々「ニコッ」とする。あれは神を賛美しているのだ。

口語訳 詩  8:1-2
8:1 主、われらの主よ、あなたの名は地にあまねく、いかに尊いことでしょう。あなたの栄光は天の上にあり、
8:2 みどりごと、ちのみごとの口によって、ほめたたえられています。あなたは敵と恨みを晴らす者とを静めるため、あだに備えて、とりでを設けられました。


●イエスはわたし達に「まだ読んだことがないのか」と叱っておられる。聖書はどう読むべきか。学者読みではなく、本質読みをすべきである。イエスはこのことを言っているのだ。本質読みは素人読み。「聖書学」では聖書の本質はわからない。

塚本訳 Ⅰコリ7:14
7:14 (夫婦は結婚生活で一体となるため、)不信者の夫は(信者の)妻によってすでにきよめられており、不信者の妻は兄弟(すなわち信者の夫)によってすでにきよめられているからである。そうでなければ、あなた達の子供は清くないはずであるが、現に彼らはきよい(と認められている)ではないか。


●まずい伴侶への妻や主人の祈りは「呻き」だから純粋で神は聴かれる。
●親がまずくても子供は清い。あの賀川豊彦を見よ。彼は妾の子であった。しかしノーベル平和賞の候補にもなって日本よりも外国で有名、米国には「カガワストリート」がある。神は淋しかった少年賀川に「襲いかかった」(村田四郎牧師)のだ。

塚本訳 ヨハ 1:12-13
1:12 しかし受け入れた人々、すなわち、その名を(神の子であることを)信じた人には一人のこらず、神の子となる資格をお授けになった。
1:13 この人たちは、人間の血や、肉の欲望や、男の欲望によらず、神(の力)によって生まれたのである。


●「三つ子の魂百まで」だが、人間の本質は二度目に生まれる霊の命だ。そっちを見よう。

塚本訳 ヨハ 3:5-8
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。
3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。
3:7 『あなた達は新しく生まれなおさねばならない』と言ったからとて、すこしも不思議がることはない。
3:8 風[プニューマ]は心のままに吹く。その音は聞えるが、どこから来てどこに行くか、あなたは知らない。霊[プニューマ]によって生れる者も皆、そのとおりである。」


●人は二度生まれなければならない。この二度目の誕生がその人の本質。「人間、死ななきゃー直らない」。
●信仰は遺伝はしないが、感染する。
●某女が「神が『父』のようであったら、私は神を信じることが出来ません」と言ったと言う。あー人生はひどい。 深刻な現実だ。

口語訳 詩  27:10
27:10 たとい父母がわたしを捨てても、主がわたしを迎えられるでしょう


●最近は実の子供を捨てるドンデモナイ親のニュースがある。
●女性は妊娠している10か月の期間に、妊娠に至った経過を反省するそうだ。神の赦しが先行して悔い改めが起こる。

塚本訳 Ⅰコリ7:1-5
7:1 また、あなた達が(わたしに)書いている(結婚の)ことについては、(こう答える。)──(出来れば)男は女に触れないがよい。
7:2 ただ不品行をさけるために、それぞれ自分の妻を持て、またそれぞれ自分の夫を持て。
7:3 夫は妻に対して(夫婦の)務めを果たせ、妻も同様に夫に対して務めを果たせ。
7:4 (夫婦の体は共有で、)妻は自分の体を自由にする権利をもたない。夫がそれをもっている。夫も同様に、自分の体を自由にする権利をもたない。妻がそれをもっている。
7:5
互に(夫婦の務めを)拒んではならない。ただ、祈りに身を捧げるため、申し合せの上でしばらく間をおき、あとでまた一しょになるような場合は別として。自制力が足りないのに乗じて、悪魔があなた達を誘惑することのないためである。

●家庭内の不和や波風はお互いにしばらく「離れる」ことで神に「お出まし」していただくことがベストの解決方法。

塚本訳 ルカ 2:25-32
2:25 さて(そのころ)エルサレムに名をシメオンという人がいた。この人は正しい、信心深い人で、イスラエルの慰め(である救世主)を待ち望み、聖霊が彼をはなれなかった。
2:26 かつ主の救世主を見ないうちは決して死なないと、かねて聖霊からお告げを受けていた。
2:27 (この日)御霊に感じて宮に行くと、ちょうど両親が、律法の仕来りどおり幼児イエスに行おうとして彼をつれて入ってきたので、
2:28 シメオンは幼児を両腕に抱き、こう言って神を讃美した。──
2:29 今こそ、主よ、あなたはこの僕をしてお言葉のとおり安らかに(この世に)暇乞いをさせてくださいます、
2:30 わたしの目が『もうあなたの救いを拝見しました』からです。
2:31 この救いこそ、あなたが『全人類の(ため、その)目の前で』用意されたもの、
2:32 『異教人には啓示を、』あなたの民『イスラエルには栄光をあたえる』『光』であります。


●昨夜の孫の祈りを聞いてわたしも「安らかに(この世に)暇乞いをさせていただきます」という気持ちになった。この孫達の家に救いが入った。と思った。神の祝福に支えられていると感じたからである。感謝。

塚本訳 使  16:31
16:31 二人が言った、「主イエスを信じなさい。そうすればあなたも家族も救われる。」


●信仰は肉においては一代であるが、神の力が働けば家族に感染する

塚本訳 ルカ 19:1-10
19:1 エリコに入って、(そこを)通っておられた。
19:2 すると、(町に)名をザアカイという人がいた。この人は税金取りの頭で、金持であった。
19:3 イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低いので、群衆のため見ることが出来なかった。
19:4 それで先の方に駈けていって、桑無花果の木に上った。そこを通られるところを見ようとしたのである。
19:5 イエスはその場所に来られると、ザアカイを見上げて言われた、「ザアカイ、急いで下りておいで。きょうはあなたの家に泊まることになっているから。」
19:6 ザアカイは急いで下りてきて、喜んでお迎えした。
19:7 皆がこれを見て、イエスは(税金取りのような)罪人の所に入りこんで宿を取った、と言ってぶつぶつ呟いた。
19:8 しかしザアカイは進み出て主に言った、「主よ、わたしは(誓って)財産の半分を貧乏な人たちに施します。人からゆすり取ったものは四倍にして返します。」
19:9 イエスが(人々に)言われた、「救いは(きょう、)この家に入った。(人でなしのように言われる)この人も、やはり(あなた達と同じ)アブラハムの末だから。
19:10 人の子(わたし)は『滅びうせた者をさがして』救うために来たのである。」


●赦しが先で信仰があと。
●信仰は口で表明しなければ外部にはわからないし、信仰が確定しない。

塚本訳 ロマ 10:9-10
10:9 つまり、あなたは『口で』イエスを主と告白して、『心で』神がイエスを死人の中から復活させられたことを信ずれば、救われる。
10:10 『心で信じて義とされ、口で告白して救われるからである。──(こうわたし達は説いているのである。)


●信じているだけでは救いは完成しないとは何か。告白という行為が必要なのか。信仰だけでは救いは不完全で告白という行為も必要か。これ「信仰のみ」を説く塚本虎二先生への批判。
●「救いの決定は人間になく、神の側にある」ことを信じることを神学的に言い表したのが「信仰のみ」。これを行為主義者達は「信仰のみ」ではダメだと言うのだ。
●高橋三郎先生は塚本虎二は無教会の信仰をドグマ化したと言うが間違いだと私は思う。「救いの決定は人間になく、神の側にある」という認識は無教会が高橋三郎の言う「法律的思惟形式」(高橋三郎)から脱却していることなのである。塚本虎二と高橋三郎は深いところで信仰的に一致している。
●塚本虎二に批判者が出ることは、塚本虎二の「信仰のみ主義」に真理性がある証拠。
●A・シュヴァイツァーの「イエス伝研究史」からは弟子が出なかったが、ブルトマンの「イエス」他からはこれを批判する人間が出た。これはブルトマン説に真理性があった証左であると言われている。塚本虎二の「信仰のみ」論また同じ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想 終わり

●TSK日本語版詩編61編
●午後から孫を連れて東急に靴を買いに行く。孫の足はどんどん大きくなるから買い換え。
●孫の喧嘩。「お互いに一人で遊びなさい」と諭すが、すぐくっついてまた喧嘩。かなほは「お家(うち)に帰りたいよー」と泣く。母親の苦労が忍ばれる。

2014_03220010.jpg 

東急のプレイランドでゲームをする孫達。見守るトミ子

2014_03220012.jpg 

パステルカラーの春の夕方。パステルカラー大好き。
こういうきれいな景色は死んだら見られなくなるのだろうか。

2014_03220014.jpg 

シャンペンタワーの積み上げに成功して得意顔の健太郎。


トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


「なんでこの俺が」と泣いたイエス ++++++++ 所感

2014/03/21 08:51

140321(金・春分の日)。母逝きて早10年。3月18日が命日。あの日は桜の開花日であった。●3時半目覚め。朝の黙想。5月4日の感話準備。

5月4日 集会感話。引照表示は省略
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


  「エリ エリ レマ サバクタニ」の意味 
 神に砕かれたイエス。「なんでこの俺が」と泣いた

    東京聖書読者会 2014.5.4 高橋照男

塚本訳 マタ 27:46
27:46 三時ごろ、イエスは大声を出して『エリ エリ レマ サバクタニ!』と叫ばれた。これは『わたしの神様、わたしの神様、なぜ、わたしをお見捨てになりましたか!』である。


●イエスを砕くことは神のみ旨であった。

口語訳 イザ 53:4-5
口語訳 イザ 53:10-12

●なんでこの俺がと泣いたイエスは弱かった

塚本訳 マタ 26:36-39
塚本訳 マタ 26:40-42 
塚本訳 マタ 27:31-32
口語訳 詩 22:1-11
口語訳 詩 22:14-16 


●罪が清められるには流血による代償が必要であった。

口語訳 出 24:4-8
口語訳 出 29:36
口語訳 レビ 5:10
口語訳 レビ 8:14-15
口語訳 レビ 14:6
口語訳 レビ 16:15-19
口語訳 Ⅱ歴 29:22-24

●人間の本能は何とかして罪や汚れから清められたいと努力する。

口語訳 ヨブ 1:4-5
口語訳 詩 51:5-7 
塚本訳 マタ 27:23-24

●しかし罪は人間の努力や宗教儀式では清められないので、神自身による神の小羊たるイエスの「血」が必要であった。神が着せてくださる「義の衣」を着ればよい。自力での繕いでは罪は清まらない。不可能。

塚本訳 マタ 22:9-13
塚本訳 ルカ 15:21-22
塚本訳 マタ 26:27-28
塚本訳 Ⅰコリ11:25
口語訳 エレ 31:31-34
塚本訳 Ⅱコリ3:6
塚本訳 ロマ 3:23-26
塚本訳 ヘブ 9:19-22
塚本訳 ヘブ 9:21-24
塚本訳 ヘブ 10:1-5
塚本訳 ヘブ 10:10-13
塚本訳 Ⅰペテ1:18-21
塚本訳 黙 5:8-10
塚本訳 Ⅰコリ15:3-5

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想。5月4日 集会感話。引照表示は省略 おわり。

●8:30 妻は中野の孫を迎えに出発。初音はインフルエンザの為連れてくるのは二人だけ。愛子も具合が悪いらしい。心配。
●中野から孫が二人泊まりにくる。

2014_03210005.jpg 

ストーブの前でじゃれ合う孫。健太郎5歳、かなほ7歳。孫たちの世界には
気を使わないようにしよう。自戒。

2014_03210003.jpg 
完成した「雨間立体」。早速多くの車が通っている。一度もJR五日市線を止めないでの工事は
立派。日本の土木工事の水準は高い。

トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


最高の人間 ++++++++ 所感

2014/03/20 05:46

140320(木)3時半目覚め。目覚めの黙想「イエスの死は『神の小羊』であった・・・エリ、エリ、ラマ、サバクタニ、の意味・・・」。これで5月4日の集会感話の方針が決まった。 



●罪の赦しには血による代償が必要である。
 
口語訳 出  24:5-8
24:5 イスラエルの人々のうちの若者たちをつかわして、主に燔祭をささげさせ、また酬恩祭として雄牛をささげさせた。
24:6 その時モーセはその血の半ばを取って、鉢に入れ、また、その血の半ばを祭壇に注ぎかけた。
24:7 そして契約の書を取って、これを民に読み聞かせた。すると、彼らは答えて言った、「わたしたちは主が仰せられたことを皆、従順に行います」。
24:8 そこでモーセはその血を取って、民に注ぎかけ、そして言った、「見よ、これは主がこれらのすべての言葉に基いて、あなたがたと結ばれる契約の血である」。


口語訳 出  29:36
29:36 あなたは毎日、あがないのために、罪祭の雄牛一頭をささげなければならない。また祭壇のために、あがないをなす時、そのために罪祭をささげ、また、これに油を注いで聖別しなさい。


口語訳 レビ 4:35
4:35 またそのすべての脂肪は酬恩祭の犠牲から小羊の脂肪を取るのと同じように取り、祭司はこれを主にささげる火祭のように祭壇の上で焼かなければならない。こうして祭司が彼の犯した罪のためにあがないをするならば、彼はゆるされるであろう


口語訳 レビ 5:10
5:10 また第二のものは、定めにしたがって燔祭としなければならない。こうして、祭司が彼のためにその犯した罪のあがないをするならば、彼はゆるされるであろう

口語訳 レビ 9:8-9
9:8 そこでアロンは祭壇に近づき、自分のための罪祭の子牛をほふった。
9:9 そしてアロンの子たちは、その血を彼のもとに携えてきたので、彼は指をその血に浸し、それを祭壇の角につけ、残りの血を祭壇のもとに注ぎ


口語訳 レビ 8:14-15
8:14 彼はまた罪祭の雄牛を連れてこさせ、アロンとその子たちは、その罪祭の雄牛の頭に手を置いた。
8:15
モーセはこれをほふり、その血を取り、指をもってその血を祭壇の四すみの角につけて祭壇を清め、また残りの血を祭壇のもとに注いで、これを聖別し、これがためにあがないをした。


口語訳 レビ 8:18-19
8:18 彼はまた燔祭の雄羊を連れてこさせ、アロンとその子たちは、その雄羊の頭に手を置いた。
8:19 モーセはこれをほふって、その血を祭壇の周囲に注ぎかけた


口語訳 レビ 14:6
14:6 そして生きている小鳥を、香柏の木と、緋の糸と、ヒソプと共に取って、これをかの流れ水を盛った土の器の上で殺した小鳥の血に、その生きている小鳥と共に浸し、


口語訳 レビ 16:14-19
16:14 彼はまたその雄牛の血を取り、指をもってこれを贖罪所の東の面に注ぎ、また指をもってその血を贖罪所の前に、七たび注がなければならない
16:15 また民のための罪祭のやぎをほふり、その血を垂幕の内に携え入り、その血をかの雄牛の血のように、贖罪所の上と、贖罪所の前に注ぎ、
16:16 イスラエルの人々の汚れと、そのとが、すなわち、彼らのもろもろの罪のゆえに、聖所のためにあがないをしなければならない。
また彼らの汚れのうちに、彼らと共にある会見の幕屋のためにも、そのようにしなければならない。
16:17 彼が聖所であがないをするために、はいった時は、自分と自分の家族と、イスラエルの全会衆とのために、あがないをなし終えて出るまで、だれも会見の幕屋の内にいてはならない。
16:18 そして彼は主の前の祭壇のもとに出てきて、これがために、あがないをしなければならない、すなわち、かの雄牛の血と、やぎの血とを取って祭壇の四すみの角につけ、
16:19 また指をもって七たびその血をその
上に注ぎ、イスラエルの人々の汚れを除いてこれを清くし、聖別しなければならない。

口語訳 Ⅱ歴 29:19-26
29:19 またアハズ王がその治世に罪を犯して捨てたすべての器物をも整えて清めました。それらは主の祭壇の前にあります」。
29:20 そこでヒゼキヤ王は朝早く起きいで、町のつかさたちを集めて、主の宮に上って行き、
29:21 雄牛七頭、雄羊七頭、小羊七頭、雄やぎ七頭を引いてこさせ、国と聖所とユダのためにこれを罪祭とし、アロンの子孫である祭司たちに命じてこれを主の祭壇の上にささげさせた。
29:22 すなわち、雄牛をほふると、祭司たちはその血を受けて祭壇にふりかけ、また雄羊をほふると、その血を祭壇にふりかけ、また小羊をほふると、その血を祭壇にふりかけた。
29:23 そして罪祭の雄やぎを王と会衆の前に引いて来たので、彼らはその上に手を置いた。
29:24 そして祭司たちはこれをほふり、その血を罪祭として祭壇の上にささげてイスラエル全国のためにあがないをした。これは王がイスラエル全国のために燔祭および罪祭をささげることを命じたためである。
29:25 王はまたレビびとを主の宮に置き、ダビデおよび王の先見者ガドと預言者ナタンの命令に従って、これにシンバル、立琴および琴をとらせた。これは主がその預言者によって命じられたところである。
29:26 こうしてレビびとはダビデの楽器をとり、祭司はラッパをとって立った。


●人は何とかして罪汚れから清められたいと思う。

口語訳 ヨブ 1:1-5
1:1 ウヅの地にヨブという名の人があった。そのひととなりは全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかった。
1:2 彼に男の子七人と女の子三人があり、
1:3 その家畜は羊七千頭、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭で、しもべも非常に多く、この人は東の人々のうちで最も大いなる者であった。
1:4 そのむすこたちは、めいめい自分の日に、自分の家でふるまいを設け、その三人の姉妹をも招いて一緒に食い飲みするのを常とした。
1:5 そのふるまいの日がひとめぐり終るごとに、ヨブは彼らを呼び寄せて聖別し、朝早く起きて、彼らすべての数にしたがって燔祭をささげた。これはヨブが「わたしのむすこたちは、ことによったら罪を犯し、その心に神をのろったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつも、このように行った。


口語訳 詩  51:1-7
51:1 神よ、あなたのいつくしみによって、わたしをあわれみ、あなたの豊かなあわれみによって、わたしのもろもろのとがをぬぐい去ってください。
51:2 わたしの不義をことごとく洗い去り、わたしの罪からわたしを清めてください。
51:3 わたしは自分のとがを知っています。わたしの罪はいつもわたしの前にあります。
51:4 わたしはあなたにむかい、ただあなたに罪を犯し、あなたの前に悪い事を行いました。それゆえ、あなたが宣告をお与えになるときは正しく、あなたが人をさばかれるときは誤りがありません。
51:5 見よ、わたしは不義のなかに生れました。わたしの母は罪のうちにわたしをみごもりました。
51:6 見よ、あなたは真実を心のうちに求められます。それゆえ、わたしの隠れた心に知恵を教えてください。
51:7
ヒソプをもって、わたしを清めてください、わたしは清くなるでしょう。わたしを洗ってください、わたしは雪よりも白くなるでしょう。


●宗教儀式は罪を清めるためにできた。


塚本訳 ヨハ 13:4-7
13:4 夕食の席から立って、上着をぬぎ、手拭を取って腰に巻かれた。
13:5 それから盥に水を入れて、
ひとりびとり弟子たちの足を洗っては、(腰に)巻いた手拭で拭き始められた。
13:6 こうしてシモン・ペテロの所まで来られると、ペテロが(こばんで)言う、「主よ、わたしの足を、あなたが洗われるのですか。」
13:7 イエスが答えて言われた、「わたしが何をしているのか、いまはあなたにわからない。(わたしがいなくなった)あとでさとるだろう。」

塚本訳 マタ 27:23-24
27:23 ピラトは言った、「いったいどんな悪事をはたらいたというのか。」しかし人々はいよいよ激しく、「十字架につけるのだ」と叫びつづけた。
27:24 ピラトは(自分のすることが)なんの甲斐もないばかりか、かえって騒動が起りそうなのを見て、水を取り寄せ、群衆の前で手を洗って言った、「わたしはこの人の血(を流すこと)に責任をもたない。お前たちが自分で始末しろ。」


塚本訳 ヘブ 9:19-22
9:19 というのは、律法による掟がことごとくモーセから民全体に語られたのち、彼は小牛と雄山羊との血を、水と緋色の羊毛とヒソプと一しょに取り、(これを)律法の書自体と民全体とにそそいで、
9:20 こう言ったからである、『これは神があなた達に命じられた契約の血』と。
9:21 そして幕屋にも礼拝用の器具全体にも、同じく血をそそいだ。
9:22 こうして律法にしたがえば、ほとんどすべてのものが血で清められ、血を流すことなしには(罪の)赦はない。



●しかし罪は人間の努力や宗教儀式では清められないので、神の子イエスの「血」が必要であった。神が着せてくださる「義の衣」を着ればよい。神から足らされる綱を掴めばよい。自力では無理。


塚本訳 マタ 22:9-14
22:9 だから町の出口の所に行って、出会った者をだれでもよいから宴会に呼んでこい。』
22:10 家来たちは道に出ていって、出会った者を悪人でも善人でも皆集めてきたので、宴会場は客で一ぱいになった。
22:11 王は客を見ようとして入ってきたが、そこに礼服を着けていない者が一人いるのを見て
22:12 その人に言った、『君、礼服も着ずに、なんでここに入ってきたのか。』その人が黙っていると、
22:13 王は家来たちに言った、『あの者の手足を縛って、外の真暗闇に放り出せ。そこでわめき、歯ぎしりするであろう。』
22:14 ──招かれる者は多いが、選ばれる者は少ないのだから。」

塚本訳 ルカ 15:21-22
15:21 息子は父に言った、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。もうあなたの息子と言われる資格はありません。……』
15:22 しかし父は(皆まで聞かず)召使たちに言った、『急いで、一番上等の着物をもって来て着せなさい。手に指輪を、足にお靴をはかせなさい。


塚本訳 マタ 26:27-28
26:27 また杯を取り、(神に)感謝したのち、彼らに渡して言われた、「皆この杯から飲みなさい。
26:28 これは多くの人の罪を赦されるために流す、わたしの『約束の血』であるから

塚本訳 Ⅰコリ11:25
11:25 食事の後、杯を同じように(感謝)して(分けて、)言われた、「この杯はわたしの『血』の犠牲を払った『新しい約束』である。(今から後、)飲むたびごとに、わたしを記念するためにこのことを行ないなさい」。

塚本訳 ロマ 3:23-26
3:23 なぜか。すべての人が罪を犯したため、いまだれ一人、(かつて持っていた)神の栄光をもたない。
3:24 (さりとて失った栄光を回復する力はないので、何一つ)代価を払わず、(ただ)神の恩恵によって、キリスト・イエスによるあがないの力で
、(神に)義とされる(道が設けられた)のである。
3:25 すなわち神は御自分の義を示すために、宥めの供え物としてキリストを提供された。これはキリストの血でなされたものであり、(人は)信仰によ(ってこの恩恵にあずか)るのである。このことは──神が(長いあいだ)忍耐をもって過ぎし日に犯した罪を罰せずにおられたので──
3:26 今の世において、御自分の義を示そうとされたのである。すなわち御自分が義であること、またイエスを信ずる者を義とするお方であることを、(この世に)示されたのである。

塚本訳 ヘブ 9:19-22
9:19 というのは、律法による掟がことごとくモーセから民全体に語られたのち、
彼は小牛と雄山羊との血を、水と緋色の羊毛とヒソプと一しょに取り、(これを)律法の書自体と民全体とにそそいで、
9:20 こう言ったからである、『これは神があなた達に命じられた契約の血』と

9:21 そして幕屋にも礼拝用の器具全体にも、同じく血をそそいだ。
9:22 こうして律法にしたがえば、ほとんどすべてのものが血で清められ、血を流すことなしには(罪の)赦はない

塚本訳 ヘブ 9:21-24
9:21 そして幕屋にも礼拝用の器具全体にも、同じく血をそそいだ。
9:22 こうして律法にしたがえば、ほとんどすべてのものが血で清められ、血を流すことなしには(罪の)赦はない。
9:23 だから、天上のものの模型が必ずこんなにして清められねばならない(くらい)なら、(原形である)天上のこと自体は、これら(地上)のものにまさる犠牲で清められねばならない。

9:23 だから、天上のものの模型が必ずこんなにして清められねばならない(くらい)なら、(原形である)天上のこと自体は、これら(地上)のものにまさる犠牲で清められねばならない。
9:24 というのは、キリストは手で造った、本当の聖所の模型の聖所でなく、天そのものに入って、今わたし達のために神の御顔のまえに現れてくださったのである。

塚本訳 ヘブ 10:1-5
10:1 つまり(モーセ)律法には、(ただキリストがもたらす)来るべき幸福の影があるばかりで、その事の(まことの)姿それ自身がないのである。毎年たえず捧げる同じ(雄牛や雄山羊の)犠牲では、(神に)近づく者[祭司と一般の人](の罪)を(永久に清めて)完全にすることは、決して出来ないからである。
10:2 もしそうでなければ、捧げることをやめてしまったはずではないか、(犠牲を捧げて)礼拝する者は(それによって)ただ一度清められ、もはやいかなる罪の自覚も持たないわけだから。
10:3 しかし(事実は反対で)、この犠牲によって(むしろ)毎年罪の記憶が呼びさまされるのである。
10:4 雄牛や雄山羊の血は罪を取去ることが出来ないからである。
10:5 だからキリストは、(血肉の人として)この世に入ってきたときに言われる、『犠牲や捧げ物を、あなたは好まれず、ただ体をわたしのためにお備えになった。


塚本訳 ヘブ 10:10-17
10:10 この(神の)『御心』によって、イエス・キリストの『体が捧げられること』により、わたし達はただ一度かぎりで、きよめられているのである。
10:11 そして──(くどいが、もう一度くり返して言う)──祭司(という祭司)は皆、(聖所に)立って毎日務をし、決して罪を取除くことの出来ない同じ犠牲を幾たびも捧げているのに反して、
10:12 彼(キリスト)は罪のために(ただ)一つの犠牲(として御自身)を捧げ、(天に入って)たえず『神の右に座っておられ』、
10:13 そのあとは、『彼の敵がその足台にされるまで、』(ただ)待っておられるのである。
10:14 なぜなら、彼は(ただ)一つの捧げ物をもって、(その)きよめられた人々を永久に完全にされたからである。
10:15 しかし(このことは)聖霊もわたし達に証しをして、
10:16 『「これこそわたしが』彼らと『結ぶ契約である、かの日の後に」と主は言われる、「わたしは彼らの心にわたしの律法を与え、彼らの悟りにそれを書きしるすであろう。」』と言われたあとで、
10:17 「『もはや絶対に彼らの罪』と彼らの不法と『を記憶しないであろう』」とつけくわえられたからである。

塚本訳 Ⅰペテ1:18-21
1:18 君達は『銀』や金のような朽つる物によらず、
1:19 瑕のない穢れのない小羊のようなキリストの尊い血によって、祖先伝来の空な生活から『贖われた』ことを知っているからである
1:20 彼は天地開闢の前に選ばれてい給うたが、(この)末の世になって(はじめて)君達のために顕れ給うた。
1:21 (そして)君達は彼によって、彼を死人の中から甦らせて栄光を給うた神を信ずる者となり、斯くして君達の信仰はまた神に対する希望となった。

塚本訳 黙  5:9
5:9 新しい(讃美の)歌をうとうて言う──貴方は巻き物を受け取り、その封印を開くに相応いたもう。貴方は屠られ給うて、その血(の値)によって凡ての種族と国語と民と国民と(の価)から人を神のために買い、


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

朝の黙想おわり

●ブログは「コメント」欄がある。次はこれは3月8日のブログに対する応答である。ブログは見知らぬ誰かがどこかで「密かに」見ている。感謝。ガッツポーズ。

見知らぬ人からのメール
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここ1年余り、立て続けに我が家を襲った様々な試練により、私自身も抑うつ状態が続いており、今でも全般的にやる気が起きない、根気が続かない状態でありますが、この「イエスを主、神の子と告白する人間は、この世、社会的にはどんなにみじめな人間であっても、最高の人間」という一言のコメントには、他の何者にも変えがたく、癒され、勇気づけられました。私がどんな困難な境遇にあり、うつ状態で苦しんでいても、主は私を最高の人間、友として見て下さっているのだと、救いの道を用意して下さっているのだと、改めて信じることが出来ました。高橋さん、本当にありがとうございました。

 

母の死、父の病気、そして私自身も病気の後遺症で悩んでいて、ほとんど仕事も出来ないような現状ですが、どうか私のことも覚えていただいて、ご加祷いただければ感謝です。よろしくお願いします。長く暗いトンネルからも、やがて必ず脱出できることを信じて、祈りつつ歩んでいきたいと思っています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

見知らに人からのコメント。おわり。


ご本人にご返事しようにもできない。これでいいのだ、これがいいのだ。真理は密かに伝わる。ご本人はいつのブログを見られたのか。それを調べたら3月8日のブログであった。その部分を次に記す。


3月8日ブログの一部

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


塚本訳 Ⅰコリ12:3
12:3 だから(霊の見分け方について、)あなた達に次のことを知らせる、神の霊に感じて語る者は、だれも 呪われよ、イエス!とは言わない、また聖霊に感じてでなければ、だれも、イエスは主と言うことは出来ない。

●イエスを主、ないし神の子と告白する人間は不思議な人間。神の力がその人に働く人。先のマタイ16:17と同じ。この告白をする人間はこの世的に社会的にどんなにみじめでも最高の人間。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3月8日ブログの一部 おわり。

●福島の三男一家が、福島に来たN響でブラームスの交響曲第一番を聞いて感動したとのこと。そこで私のCDライブラリーからその曲を貸してほしいと言うので、11種類を送った。また指揮者のテンシュテットにも興味があるとのことで、ロンドンフィルとのマーラーの交響曲第5番と6番(悲劇的)も送った。
●郵便局からの帰途、図書館に寄ってムハンマド関係の本を借りる。ムハンマドが受けた啓示とは何かの研究。
●イスラム教の泰斗である井筒俊彦によればイスラム教はユダヤ教を否定するものではなく、かえってこれを完成するものだと言う。




トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


真の礼拝とは神の救いに対する感謝の応答 ++++++++ 所感

2014/03/19 07:49

140319(水)3時45分目覚め。朝の黙想「真の礼拝とは神の救いに対する感謝の応答」●聖書的根拠を挙げてみよう。順不同

口語訳 詩  136:1-4
136:1 主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:2 もろもろの神の神に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:3 もろもろの主の主に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:4 ただひとり大いなるくすしきみわざを/なされる者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない


●若い日に詩編136編に出会って感動。こういう人生を送りたいと思った。
●これは詩編の中の詩編。神に導かれてきたイスラエルの歴史が簡潔に述べられている。感謝感謝の詩編。
●人生の終わりはこうでなければならない。

塚本訳 ヨハ 4:19-26
4:19 女が(びっくりして)言う、「主よ、わかりました、あなたは預言者です。
4:20 (それでお尋ねしたいのですが、)わたし達の先祖はこの(ゲリジム)山で(神を)礼拝したのに、あなた達(ユダヤの人)は、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。(どういう訳でしょうか。)」
4:21 イエスが言われる、「女の人、わたし(の言葉)を信じなさい。(間もなく)あなた達が、この山でもエルサレムでもなく(どこででも、)父上を礼拝する時が来る。
4:22 ただ(同じ神を、)あなた達は知らずに礼拝し、わたし達は知って礼拝している。救いはユダヤ人から出る(のでわたし達だけに神が示された)からである。
4:23 しかし(ユダヤ人もサマリヤ人もなく、)本当の礼拝者が霊と真理とをもって父上を礼拝する時が来る。いや、今もうきている。父上もこんな礼拝者を求めておられるのである。
4:24 神は霊である。だから礼拝者も霊と真理とをもって礼拝せねばならない。」
4:25 女が言う、「キリストと言われる救世主が来ることは知っています。救世主が来れば、わたし達に何もかも知らせてくださるでしょう。」
4:26 イエスは言われる、「あなたと話しているわたしが、それだ。」


●無教会は勉強ばかりで「礼拝性」が欠如。しかも最近は甲論乙駁で大脳皮質も安らがない。
●では真の礼拝は何かと言えば神の救いに対する感謝。それは言葉と口と生活でなされる。
●バッハ、カンタータ147番。「心と口と生活をもて」。
●嫁の一人が「お父様。これは無教会主義の姿のようですね」と言ってくれたのは無教会に対する最大の賛辞、評価であり、嬉しかった。

塚本訳 ロマ 12:1
12:1 (このように、神は偉大な計画によって人類を一人のこらず救おうとしておられるのであって、救いは確かである。)だから、兄弟たちよ、わたしは神のこの慈悲を指してあなた達に勧める。あなた達の体を(感謝のしるしとして神に)捧げよ。この生きた聖なる犠牲こそ、神のお気に入るものであり、(霊なる神を拝むにふさわしい、)あなた達の霊的な礼拝である。(あなた達の礼拝は動物を供えるような不合理なものでなく、全心全霊をささげる合理的な礼拝でなければならならない)


●信者の苦難の生涯全体が礼拝だ。 呻きが礼拝そのものだ。

塚本訳 マタ 6:5-8
6:5 また祈る時には、偽善者のようにしてはならない。彼らは人に見せようとして、礼拝堂や大通りの角に立って祈ることを好むのである。アーメン、わたしは言う、彼らは(褒められた時、)すでに褒美をもらっている。
6:6 あなたが祈る時には、『奥座敷に入り、部屋をしめきった上で、』隠れた所においでになるあなたの父上に『祈れ。』そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。
6:7 また祈るとき、異教人のようにベラベラしゃべるな。彼らは口数が多ければ、聞いてもらえるものと思っている。
6:8 彼らの真似をしてはならない。神はあなた達の父上である。求める前から、あなた達に必要なものをよく御承知である。


●ある人が「あなたのために祈っていたのよ」と言っていた。その人の祈りは聴かれない。


塚本訳 ルカ 17:11-19
17:11 エルサレムへ進んでおられた時のこと、サマリヤとガリラヤとの間を通られた。
17:12 とある村に入ると、十人の癩病人に出合われた。彼らは(規則どおりに)遠くの方で立ち止まったまま、
17:13 声をはりあげて、「イエス先生、どうぞお慈悲を」と言った。
17:14 イエスは見て言われた、「(全快したことを世間に証明してもらうため、エルサレムの宮に)行って体を『祭司たちに見せなさい。』」すると行く途中で、(皆いつとはなしに体が)清まった。
17:15 ところでそのうちの一人は自分が直ったのを見ると、大声で神を讃美しながら帰ってきて、
17:16 イエスの足下にひれ伏してお礼を言った。
それはサマリヤ人であった。
17:17 イエスは言われた、「十人とも清められたのではなかったか。九人はどこにいるか。
17:18 この外国人一人のほかには、(九人のユダヤ人のうちに)帰ってきて神に栄光を帰する者はだれもないのか。」
17:19 そしてその人に言われた、「さあ立って行きなさい。あなたの信仰がなおしたのだ。」


●皆が嫌ったライ病を治してもらった人が神を賛美した。神に対して賛美したのであって人間ではない。

塚本訳 マタ 15:29-31
15:29 それからイエスはそこを去って、ガリラヤ湖のほとりにかえり、山に上ってそこに坐られた。
15:30 大勢の群衆が足なえ、片輪、盲人、唖、そのほか多くの者をつれてイエスの所に来て、足もとに置いたので、それをなおされた。
15:31 群衆は唖が物を言い、片輪が直り、足なえが歩きまわり、盲人が目が見えるようになったのを見て驚き、イスラエルの神を讃美した


●神に病気を治してもらった喜びの感謝。これが真の礼拝。

塚本訳 マコ 2:11-12
2:11 「あなたに命令する、起きて担架をかついで、家に帰りなさい。」
2:12 すると彼は起き上がり、すぐ担架をかついで、皆の見ている前を出ていった。皆が呆気にとられ、「こんなことはかって見たことがない」と言って、神を讃美した。 


●これが真の神への賛美。

塚本訳 ルカ 18:42-43
18:42 そこでイエスが、「見えるようになれ。あなたの信仰がなおした」と言われると、
18:43 たちどころに見えるようになって、神を讃美しながらイエスについて行った。人々は皆これを見て、神に讃美をささげた


●神に賛美を捧げるのであって、人間たる内村や塚本やローマ法王に賛美を捧げてはいけない。
●無教会は神ではなく、人間を賛美しているからそこに「真の礼拝」はない。宗教ではない。

塚本訳 使  3:5-10
3:5 彼が何かもらうことを予期して二人を見つめていると、
3:6 ペテロが言った、「金銀は持っていない。わたしの持っているもの、それをやろう。──ナザレ人イエス・キリストの名で歩きなさい!」
3:7 そして右手でつかんで起こすと、たちどころに足と踝とが強くなり、
3:8 踊り上がって立って、歩きまわった。そして彼らと一緒に宮に入っていった、歩きまわりながら、踊りながら、神を讃美しながら。
3:9 民衆はことごとく、その人が歩きまわったり、神を讃美したりするのを見て、

3:10 これが宮の美しい門のわきに坐っていて、施しを乞うていた者だと気がつくと、その身に起こったことに、ただ驚き呆れるばかりであった。


●奇跡はイエスだけでなく、今日も起こる。その時、人間や教会を賛美してはいけない。神を賛美するようにならなけれあいけない。

塚本訳 ヨハ 20:27-29
20:27 それから(すぐ)トマスに言われる、「指をここに持ってきて、わたしの手(の釘の跡)をよく見てごらん。手を持ってきて、わたしの脇腹に差し込んでみなさい。不信仰をやめて、信ずる者らしくしなさい。」
20:28 トマスがイエスに答えて言った、「わたしの主よ!わたしの神よ!」
20:29 イエスは言われる、「わたしを見たので、信じたのか。幸いなのは、見ないで信ずる人たちである。」


●これが真の復活礼拝

塚本訳 マタ 16:15-17
16:15 彼らに言われる、「では、あなた達はわたしのことをなんと言うのか。」
16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主、生ける神の子であります!」
16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから。


●これが真の信仰告白。礼拝。

塚本訳 ルカ 7:37-38
7:37 すると、その町に一人の罪の女がいた。イエスがパリサイ人の家で食卓についておられることを知ると、香油のはいった石膏の壷を持ってきて、
7:38 泣きながら後ろからイエスの足下に進み寄り、しばし涙で御足をぬらしていたが、やがて髪の毛でそれをふき、御足に接吻して香油を塗った


●泣きながらイエスの足に接吻する姿。これが真の礼拝


塚本訳 ルカ 7:44-50
7:44 女の方に振り向き、シモンに言われた、「この婦人を見たか。わたしがこの家に来たとき、あなたは足の水もくれないのに、この婦人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でふいてくれた
7:45 あなたは接吻一つしてくれないのに、この婦人はわたしが(この家に)来たときから、わたしの足に接吻のしつづけである。
7:46 あなたは(普通の)油をすら頭に塗ってくれないのに、この婦人は(高価な)香油を足に塗ってくれた。
7:47 だから、わたしは言う、この婦人の多くの罪は赦されている。(いま)多くわたしを愛したのがその証拠である。赦され方の少ない者は、愛し方も少ない。」
7:48 そしてその女に言われた、「あなたの罪は赦されている。」
7:49 同席の者が(憤慨して)ひそかに考えた、「罪さえ赦す(という)この人はいったい何人だろう。」
7:50 しかしイエスは女に言われた、「あなたの信仰があなたを救った。『さよなら、平安あれ。』」


●罪が赦された者の感謝の行為。これが真の礼拝。

塚本訳 Ⅰコリ11:24-25
11:24 (神に)感謝して裂いて、言われた、「これはあなた達のためにわたすわたしの体である。わたしを記念するためにこのことを行ないなさい」。
11:25 食事の後、杯を同じように(感謝)して(分けて、)言われた、「この杯はわたしの『血』の犠牲を払った『新しい約束』である。(今から後、)飲むたびごとに、わたしを記念するためにこのことを行ないなさい」。


●罪の赦しの感謝の聖餐式。

塚本訳 ピリ 2:6-11
2:6 彼は(先には)神の姿であり給うたが、神と等しくあることを棄て難いことと思わず、
2:7 かえって自分を空しうして人と同じ形になり、奴隷の姿を取り給うたのである。そして人の様で現れた彼は、
2:8 自ら謙り、死に至るまで、(然り、)十字架の死に至るまで(父なる神に)従順であり給うた。
2:9 それ故に神も彼を至高く上げ、凡ての名に優る(「主」なる)名を与え給うた。
2:10 これはイエスの(この尊い)名の前に、天の上、地の上、地の下にある『万物が膝を屈め、
2:11
凡ての舌が』「イエス・キリストは主なり」と『告白して』父なる『神に』、栄光を帰せんためである。


●これは古代教会の古い讃美歌。真の礼拝讃美歌。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想終わり。

●市の無料法律個人別相談会申込み。遺言、遺産相続。25日16時10分。市役所
●ドコモショップへ行き、携帯電話を海外対応機種に買い替え。今のものは7.5年も経過しているので買い替え時だ。
●TSK日本語版詩編58編






















トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


孫たちへ。心配事や悩み事は神に祈ろう。 ++++++++ 所感

2014/03/18 06:10

140318(火)3時半目覚め。黙想「心配事や悩み事は神に祈ろう」●明後日20日、中野の愛子の孫3人が3泊しに来る。愛子のところは「主人」の勤務の関係で、中野の家は人に貸して、大田区に引っ越すことになった。引っ越しは26日なので、その準備のためにも孫達を預かる。●孫娘はすでに悩み事や心配」があり、小さいハートを痛めている。●こういう時祖父としてはどうしたらよいか思い悩むが、古来こういう時は「神に祈る」ことを教えることが一番良いことだと考える。なぜか。祈りは「打ち出の小槌」「万能道具」「万能薬」だからである。●去る12日のブログでは「悩みの日に我を呼べ」として詩編50:15 について翻訳比較と自分の頭に浮かんだ聖句を書いたが、今朝はその部分を拙ホームページのBbBとTSK(未完)を利用して。黙想してみよう。●昔から無教会は半数近くの人がギリシャ語やヘブライ語で聖書を読むようになっていたが、時代は変わる。今後はパソコンを利用してそれよりもっと聖書に精通する方法を構築するべきだ。なぜか。現在若い者たちのIT能力はものすごいものだからである。

「私はドイツのために生まれたのだ。だからドイツのために尽くす」(ルター)
「余は、いつかは鋤を手にする英国の少年をして、法王よりも聖書に通暁せしめるであろう」(チンダール)

●聖書の翻訳に関してはこの二人には及ばないが、この目的は私のライフワークでもある。
●今、孫娘たちはスマートフォンが楽々である。彼女らが人生行路で困ることがあったら、スマートフォンで聖句とその関連聖句をスイスイと見て信仰を強めることが出来るように、そのようなサイトを構築したい。

●「悩みの日に我を呼べ」詩編50:15.のBbB
(聖書で聖書を読む http://www.bbbible.com/

塚本訳 マタ 6:26
6:26 空の鳥を見てごらん。まかず、刈らず、倉にしまいこむこともしないのに、天の父上はそれを養ってくださるのである。あなた達は鳥よりも、はるかに大切ではないのだろうか。


塚本訳 Ⅰコリ10:26
10:26 『地とそれに満ちているものとは主のもので、(すべて聖で)ある』からである。


●次にこれをTSK(http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/110910.htm.アップロード未完)で見てみよう。このTSKは世界のプロテスタントが、200年間、寄ってたかって編集しつつある世界最高最多の引照集である。言語の検索でなく、意味の検索である。意味が同じものを集めてある。信仰の「ヒント」になる。信仰生活に益する。補強になる。


●詩篇50:15 悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう」。
 
*「悩みの日にわたしを呼べ、」
2 Chronicles 33:12-13
12彼は悩みにあうに及んで、その神、主に願い求め、その先祖の神の前に大いに身を低くして、  13神に祈ったので、神はその祈を受けいれ、その願いを聞き、彼をエルサレムに連れ帰って、再び国に臨ませられた。これによってマナセは主こそ、まことに神にいますことを知った
Job 22:27
 27あなたが彼に祈るならば、彼はあなたに聞かれる。そしてあなたは自分の誓いを果す。
Psalms 77:2
 2わたしは悩みの日に主をたずね求め、夜はわが手を伸べてたゆむことなく、わが魂は慰められるのを拒む。
Psalms 91:15
 15彼がわたしを呼ぶとき、わたしは彼に答える。わたしは彼の悩みのときに、共にいて、彼を救い、彼に光栄を与えよう。
Psalms 107:6-13
 6彼らはその悩みのうちに主に呼ばわったので、主は彼らをその悩みから助け出し、  7住むべき町に行き着くまで、まっすぐな道に導かれた。  8どうか、彼らが主のいつくしみと、人の子らになされたくすしきみわざとのために、主に感謝するように。  9主はかわいた魂を満ち足らせ、飢えた魂を良き物で満たされるからである。  10暗黒と深いやみの中にいる者、苦しみと、くろがねに縛られた者、  11彼らは神の言葉にそむき、いと高き者の勧めを軽んじたので、  12主は重い労働をもって彼らの心を低くされた。彼らはつまずき倒れても、助ける者がなかった。  13彼らはその悩みのうちに主に呼ばわったので、主は彼らをその悩みから救い、
Psalms 107:19
 19彼らはその悩みのうちに主に呼ばわったので、主は彼らをその悩みから救い、
Psalms 107:28
 28彼らはその悩みのうちに主に呼ばわったので、主は彼らをその悩みから救い出された。
Zechariah 13:9
 9わたしはこの三分の一を火の中に入れ、銀をふき分けるように、これをふき分け、金を精錬するように、これを精錬する。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『彼らはわが民である』と言い、彼らは『主はわが神である』と言う」。
Luke 22:44
44イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた。そして、その汗が血のしたたりのように地に落ちた。
Acts 16:25
 25真夜中ごろ、パウロとシラスとは、神に祈り、さんびを歌いつづけたが、囚人たちは耳をすまして聞きいっていた。
James 5:13
 13あなたがたの中に、苦しんでいる者があるか。その人は、祈るがよい。喜んでいる者があるか。その人は、さんびするがよい。

*「わたしはあなたを助け、」
Psalms 34:3-4
3わたしと共に主をあがめよ、われらは共にみ名をほめたたえよう。  4わたしが主に求めたとき、主はわたしに答え、すべての恐れからわたしを助け出された。
Psalms 66:13-20
 13わたしは燔祭をもってあなたの家に行き、わたしの誓いをあなたに果します。  14これはわたしが悩みにあったとき、わたしのくちびるの言い出したもの、わたしの口が約束したものです。  15わたしは肥えたものの燔祭を雄羊のいけにえの煙と共にあなたにささげ、雄牛と雄やぎとをささげます。[セラ  16すべて神を恐れる者よ、来て聞け。神がわたしのためになされたことを告げよう。  17わたしは声をあげて神に呼ばわり、わが舌をもって神をあがめた。  18もしわたしが心に不義をいだいていたならば、主はお聞きにならないであろう。  19しかし、まことに神はお聞きになり、わが祈の声にみこころをとめられた。  20神はほむべきかな。神はわが祈をしりぞけず、そのいつくしみをわたしから取り去られなかった。
Luke 17:15-18
 15そのうちのひとりは、自分がいやされたことを知り、大声で神をほめたたえながら帰ってきて、  16イエスの足もとにひれ伏して感謝した。これはサマリヤ人であった。  17イエスは彼にむかって言われた、「きよめられたのは、十人ではなかったか。ほかの九人は、どこにいるのか。  18神をほめたたえるために帰ってきたものは、この他国 人のほかにはいないのか」。

*「あなたはわたしをあがめるであろう」。」
Psalms 22:23
23主を恐れる者よ、主をほめたたえよ。ヤコブのもろもろのすえよ、主をあがめよ。イスラエルのもろもろのすえよ、主をおじおそれよ。
Psalms 50:23
 23感謝のいけにえをささげる者はわたしをあがめる。自分のおこないを慎む者にはわたしは神の救を示す」。
Matthew 5:16
 16そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい
John 15:8
 8あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたしの弟子となるならば、それによって、わたしの父は栄光をお受けになるであろう。
1 Peter 4:11
 11語る者は、神の御言を語る者にふさわしく語り、奉仕する者は、神から賜わる力による者にふさわしく奉仕すべきである。それは、すべてのことにおいてイエス・キリストによって、神があがめられるためである。栄光と力とが世々 限りなく、彼にあるように、アァメン。
1 Peter 4:14
 14キリストの名のためにそしられるなら、あなたがたはさいわいである。その時には、栄光の霊、神の霊が、あなたがたに宿るからである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想終わり

●TSK日本語版詩篇57編
●ドコモショップに行く。私達の形態は機種が古いので海外では使えないことが分かった。新機種のレンタルサービスも中止との事。

トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


放射能汚染の苦と解決 ++++++++ 所感

2014/03/17 06:35

140317(月)目覚めの啓示「放射能汚染の苦と解決」●昨夜は録画してあった「放射能汚染地図」の番組を見た。何度もため息をついた。東北大震災後3年、今日本は放射能汚染の除去に苦悩している。各界が努力して除染作業を進めているが実際のところ遅々として進まず。山林の深くまで汚染した汚染除去は計画すら立っていない。放射能の半減期は何百年も先であるから絶望である。こういう時、自分が正義の座に座って「政府のやり方が悪い、東電が悪い、マスコミが悪い」,はたまた「選挙した人間が悪い」などと短絡的に天下国家を断罪批判する人間は「小人」である。●このどうしようにもできない放射能汚染の苦から聖書的に学ぶことは、人間世界の罪の汚染の苦である●神の子イエスの受難で流された血潮は罪の苦しみの除去に働いて余りある。効果がある。奇跡である。●放射能汚染は各界の鋭意努力で次第に解決して行くだろが、たとえその物理的汚染が除去されても永遠に除去されないのは人間世界の罪の汚染。この汚染は福島に留まらず、全世界に蔓延している。●この罪の除去を己が身に経験したものだけがこの世の「小事」である放射能汚染の問題解決に有効な働きをすることが出来る。「悠々と」「楽々と」「希望をもって」「祈りのうちに良い発想を与えられて」、この世の小事である放射能汚染除去の問題にあたることが出来る。そうでないと放射能汚染の除去は「絶望」である。●しかし.信仰を持てば「粘れる」。なぜか。永遠の世界に生きてる者だけがこの世のすべての争いから解き放たれている。(ヤコブ・ベーメ)●信仰のある人の建築設計は「どこか違う」。「なんとなく違う」。音楽も同じ。 この世の難問の解決も同じ。

塚本訳 ヨハ 8:30-36
8:30 こう話されると、多くの人がイエスを信じた。
8:31 すると信じたユダヤ人に言われた、「もしわたしの言葉に留まっておれば、あなた達は本当にわたしの弟子である。
8:32 真理を知り、その真理があなた達を自由にするであろう。」
8:33 しかし彼らは(その意味がわからずに)答えた、「わたし達はアブラハムの子孫で(自由人で)ある。いまだかつてだれの奴隷にもなったことはない。どうして『あなた達は自由になる』と言われるのか。」
8:34 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、罪を犯す者は皆罪の奴隷である
8:35 奴隷はいつまでも家におるわけにゆかない。(いつでも追い出される。しかし)子はいつまでも家におる。
8:36 だから、もし子(たるわたし)が(罪から)自由にしてやれば、あなた達は本当に自由になるのである。(そしていつまでも父上のところにおることができる。)

●人間は罪の奴隷。どうしようもなく不自由。この汚れは放射能汚染以上。

塚本訳 ヘブ 12:1
12:1 それゆえ、わたし達も、こんなに雲のような(大勢の)証人に囲まれているのであるから、(信仰の障害となる)すべての煩わしさと、すぐにからみつく罪とをぬぎすてて、わたし達の前に置かれている競走を、忍耐をもって走ろうではないか。

●罪はからみつく。人間は逃げられない。

塚本訳 ルカ 13:16-17
13:16 この女はアブラハムの末であるのに、十八年ものあいだ、悪魔が縛っていたのだ。安息の日だからとて、その(悪魔の)縄目から解いてはならなかったのか。」
13:17 こう言われると、(監督はじめ)反対者は皆恥じ入り、群衆は一人のこらず、イエスが行われたあらゆる輝かしい御業を喜んだ。


●人間は「病魔」に縛られている。各種依存症。酒、麻薬、ギャンブル、風俗、・・・イエスの力で解放していただかなければ自由になれない。

塚本訳 Ⅱコリ7:10
7:10 なぜなら、神の御心に沿った悲しみは、(人を)救いに入れる悔いのない悔改めをもたらすけれども、この世(的)の悲しみは、(絶望と)死をもたらすからである。

●放射能汚染除去の問題から人間の罪の汚染の除去に思いが至れば、東電事故の神による「御手の業」は目的を達する。

塚本訳 Ⅰコリ13:13
13:13 それゆえに、いつまでものこるものは信仰と希望と愛、この三つ。しかし、この中で一番大きいのは愛!

●終末の万物復興を固く信じて、希望を持つものがこの世の小事である政治、経済、医療、エネルギー問題、放射能汚染問題などに悠々と「良い働き」をすることができる。単に人間のヒューマニズムの精神からでは「息切れする」「絶望」あるのみ。それは無駄な働きになる。コケる。ずっこける。
「希望」は終末の完成への信仰である。そこからこの世の小事に「愛」が湧く。

塚本訳 ロマ 3:23-25
3:23 なぜか。すべての人が罪を犯したため、いまだれ一人、(かつて持っていた)神の栄光をもたない。
3:24 (さりとて失った栄光を回復する力はないので、何一つ)代価を払わず、(ただ)神の恩恵によって、キリスト・イエスによるあがないの力で、(神に)義とされる(道が設けられた)のである。
3:25 すなわち神は御自分の義を示すために、宥めの供え物としてキリストを提供された。これはキリストの血でなされたものであり、(人は)信仰によ(ってこの恩恵にあずか)るのである。このことは──神が(長いあいだ)忍耐をもって過ぎし日に犯した罪を罰せずにおられたので──

塚本訳 ヘブ 10:3-6
10:3 しかし(事実は反対で)、この犠牲によって(むしろ)毎年罪の記憶が呼びさまされるのである。
10:4 雄牛や雄山羊の血は罪を取去ることが出来ないからである。
10:5 だからキリストは、(血肉の人として)この世に入ってきたときに言われる、『犠牲や捧げ物を、あなたは好まれず、ただ体をわたしのためにお備えになった。
10:6 燔祭や罪祭を、あなたは喜ばれなかった。

塚本訳 Ⅰヨハ1:7
1:7 しかしもし神が光の中にあるように、わたし達も光の中を歩いているならば、(神と交わりを持ち、従って)互に(まことの)交わりを持つ(ことができる)のである。そして(たとい罪を犯すことがあっても)、その子イエスの血があらゆる罪から清めてくださる。(かくてわたし達は光の子となるのである。)

塚本訳 黙  1:5-6
1:5 及び(第三に、死に至るまで)忠実な証人(であり、甦りによって、)死(から生命に生まれる)人(達)の長子(となり給うた者、そしてその故に)また地上の諸王の君侯であり給うイエス・キリスト(──この三方)からの恩恵と平安とが、君達に在らんことを! 願わくは、私達を愛し、その血によって私達を罪から釈き放ち、
1:6 斯くして私達を(来るべき)王国(の民となし、)その神また父への祭司となし給うた彼に、栄光と権力とが永遠より永遠にあらんことを! アーメン

塚本訳 マタ 26:27-28
26:27 また杯を取り、(神に)感謝したのち、彼らに渡して言われた、「皆この杯から飲みなさい。
26:28 これは多くの人の罪を赦されるために流す、わたしの『約束の血』であるから。

●イエスの流された血が罪の汚染から人間を救う

塚本訳 マタ 27:24-26
27:24 ピラトは(自分のすることが)なんの甲斐もないばかりか、かえって騒動が起りそうなのを見て、水を取り寄せ、群衆の前で手を洗って言った、「わたしはこの人の血(を流すこと)に責任をもたない。お前たちが自分で始末しろ。」
27:25 民衆全体が答えた、「その男の血のことなら、われわれが孫子の代まで引き受けた。」
27:26 そこでピラトはバラバを赦してやり、イエスの方は鞭打ったのち、十字架につけるため(兵卒)に引き渡した。

●ピラトの罪は水で洗っても汚れはとれない。

口語訳 詩  51:7
51:7 ヒソプをもって、わたしを清めてください、わたしは清くなるでしょう。わたしを洗ってください、わたしは雪よりも白くなるでしょう。

●物理的ヒソプは罪を清めない。イエスの血のみが清める

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想終わり

●TSK日本語版詩編56編
●図書館。DVD、イスラム文化関係2本借りる
●次男のMにメール
●妻は歯科。
●今朝の啓示により次回30日の集会感話を大幅に推敲変更。題は次の通り。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

神の子イエスの受難は罪と死の悲しみからの救い

――有体的復活は、それが真実であることの神による証明――

東京聖書読者会2014.3.30 高橋照男

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 













トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


試練は救いの門 ++++++++ 所感

2014/03/16 04:37

140316(日)3時目覚め4時起床●朝の啓示「試練は救いの門」●昨日は一御夫人から頂いた手紙の聖句,ヘブル書12:10-11を黙想したが、もう一つヤコブ書1:12が掲げられていたので、今朝はそれを深く黙想してみよう。●プロテスタントの「聖徒の交わり」はこのように聖句を巡って「感話」を述べ合うことが理想形ではあるまいか。

塚本訳 マタ 8:10-12
8:10 イエスは聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた、「アーメン、わたしは言う、イスラエル人の中でも、こんなりっぱな信仰をもっている者を一人も見たことがない。
8:11 わたしは言う、(最後の日には、このような信仰のあつい)大勢の人が『東から西から』来て、天の国でアブラハムやイサクやヤコブと共に宴会につらなり、
8:12 (かんじんのイスラエル人、すなわち)御国の子供たちは外の真暗闇に放り出され、そこでわめき、歯ぎしりするであろう。」


●生きていて何が楽しいかというと信仰のあつい人との出会いである。
●クラウスのダンテ伝の最後だったと思うが、「ダンテは謎の人であった。しかし彼を知る少数の人に対して彼は天国への門を開いた」とある。
●ヒルティの信仰が深いのはおそらく夫人ヨハンナ・ヒルティの影響。彼は「もし天国があるとすれば、自分の妻だけには会いたい」とその「結婚の神聖」で言っている。
●信仰の篤い人は都心にはいない。地方に多い。だからイエスは最後の日に天国へは「東から西から来」るという。
●内村鑑三は「復活」は神学者には信じがたいことだが農業者にはよくわかることだと言っている。至言。植物の成長は毎日生命の復活なのだ。毎日復活に接しているからだ。


●まず、翻訳比較

文語訳 ヤコ 1:12
1:12 試錬に耐ふる者は幸福なり、之を善しとせらるる時は、主のおのれを愛する者に、約束し給ひし生命の冠冕を受くベければなり。


口語訳 ヤコ 1:12
1:12 試錬を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。


新改訳 ヤコ 1:12
1:12 試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。


新共同 ヤコ 1:12
1:12 試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです。


塚本訳 ヤコ 1:12
1:12 『幸福なるかな』、試練に『耐える』人、(これに)及第すると、主を愛する者に約束された生命の冠が戴けるのだから。


NKJV ヤコ 1:12
1:12 Blessed is the man who endures temptation; for when he has been approved, he will receive the crown of life which the Lord has promised to those who love Him.


TEV ヤコ 1:12
1:12 Happy are those who remain faithful under trials, because when they succeed in passing such a test, they will receive as their reward the life which God has promised to those who love him.



●これに関連する自分の頭に浮かぶ聖句を書きだしてみよう。順不同。神学的考察ではない。「アーソウカ」とピンと来るものである。

口語訳 詩  119:71
119:71 苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを/学ぶことができました。


●昨日から読み始めたクリスティナ・ロセッティの詩を読むと、彼女は聖書(特に福音書)を読み込んでいる。彼女の詩の背後には信仰と聖書がある。別れた人を思いやる詩などはグッとくる。
「私は今 疲れている 孤独な道の途中で。あなたはやすらかだろうか」と。病身であったので彼女の方から身を引いたのであろう。三度結婚のチャンスがあったが、いずれも実らず、生涯独身であった。
●賀川豊彦は「信仰のあつい人は病弱な人に多い」と言っている。

口語訳 哀  3:27-29
3:27 人が若い時にくびきを負うことは、良いことである
3:28 主がこれを負わせられるとき、ひとりすわって黙しているがよい。
3:29 口をちりにつけよ、あるいはなお望みがあるであろう。


●鉄は熱いうちに鍛えよ。「可愛いものは旅をさせよ」。わしは巣から雛鳥を追い落としてその羽を強くする」
http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/bunshou/kunann.htm 参照

口語訳 詩  23:3-4
23:3 主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
23:4 たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます


●復活のイエスはパウロに言った。「刺の棒は蹴っても無駄だ」と。神によって打たれる人間は幸いだ。使命に追いやられるのだ。

塚本訳 使  26:14
26:14 わたし達が皆地上に倒れると、ヘブライ語で、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。刺の棒は蹴っても無駄だ』とわたしに言う声を聞きました。

塚本訳 ロマ 8:28
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。


●ヒルティが特愛の句。失敗も病気も不幸も何もかも救いに役立つと彼は言う。
●キリスト教独立学園の桝本華子先生はかって私に「高橋さん。信仰の道では意外なことが起こるわよ」と。

塚本訳 Ⅱコリ7:10
7:10 なぜなら、神の御心に沿った悲しみは、(人を)救いに入れる悔いのない悔改めをもたらすけれども、この世(的)の悲しみは、(絶望と)死をもたらすからである。


●昨日のNHKラジオ。最近若者の自殺が多い。多くの就職試験の面接で「あなたはこういうところが悪い」と何社からも言われて自分に絶望するからだという。あー「この世的判断」は禍だ。

口語訳 詩  94:18
94:18 しかし「わたしの足がすべる」と思ったとき、主よ、あなたのいつくしみは/わたしをささえられました。


●若者よ絶望するな。受験にすべり、進級にすべり、就職試験にすべり、然り人生の幸福にすべり、幸福な家庭生活にすべり、何もかもうまく行かなくなって八方塞になった時は喜べ。


塚本訳 Ⅰコリ10:13
10:13 人間の力に余る試みが、あなた達をおそったことはないのである。神は誠実であられる。あなた達が耐えられない程に試みられることを、お許しにならない。試みに添えて、(かならず)逃げ道をもつくっておいてくださるので、それに耐え得るのである。


●塚本敷衍の(かならず)は重い。塚本訳は伝道者訳。


塚本訳 ヤコ 1:2-3
1:2 わが兄弟達よ、種々な試練に遭った時には、(それを)無上の喜びと思え。
1:3 信仰の試験に及第することが忍耐を生み出すことを、君達は知っているのだから。


●この世の試験は克己奮励努力だが、信仰の試験は「忍耐」あるのみ


塚本訳 Ⅰペテ1:2
1:2 君達は父なる神の予定に循い、御霊の聖潔によって、従順とイエス・キリストの血の潅(そそ)ぎに与らんために選ばれたのである──恩恵と平安、(いよいよ)君達に豊かならんことを!


●試練でわたし達は清められる。イエスの血潮で清くされる。十字架の意味を解らせていただける。


塚本訳 Ⅰペテ4:12-13
4:12 愛する者よ、試練のため君達に起こった烈火の苦難を(何か)異常なことが臨んだかのように(驚き)異しむな。
4:13 むしろキリストの苦難に与れば与るだけ喜べ。(最後の日)その栄光の顕るる時にも歓びに喜ぶ(ことが出来る)ためである。


●あきる野市に在住の「祈りの友」(解散したが)のHTさんは、全盲、難聴。しかし「ナンノコレシキ」といって顔を輝かせた。そして「召されるまで、召されるまで」と日々忍耐しておられる。


塚本訳 Ⅱペテ2:9
2:9 主は敬虔な者を試練から救い出し、義しからぬ者を懲罰のため(最後の)審判の日まで監禁し得給う(ことは確かである。)


●信仰の道は目隠しされてクレバスの橋を渡らされるようなものだ。 


塚本訳 黙  2:10
2:10 お前はまだ苦しむであろうが、(決して)それを恐れるな。視よ、悪魔はお前達の中から(幾人かを)牢屋に投げ込もうとしている。それはお前達が試練を受けるためである。お前達は十日の間患難を受けるであろう。(しかしただ少しの間の我慢である。)お前は死ぬるまで私に忠実であれ。そうすればお前に生命の冠を与えるであろう。


●悪魔はイエスを荒野の試練に遭わせた。悪魔の試練に人間は負けるが、神の子は勝った。だから神の子と共にいれば勝つ。


塚本訳 ヘブ 2:18
2:18 というのは、みずから誘惑にあって苦しみをうけたので、(同じく)誘惑にあう者を助けることが出来るからである。


●これ同質の原理。悲しいときは悲しい曲を聴け。

塚本訳 ヘブ 12:11
12:11 あらゆる訓練(というもの)は、その当座は喜びとは見えず、かえって悲しみと見えるが、しかしあとで、それで鍛えた者に(まことの)義の実である平安を与えるのである。


●その当座とは人生の全部だ。一生だ。
●ヒルティは苦難というのは神がその人の背中に畝を耕すようなものだという。目的がある。

口語訳 詩  90:10
90:10 われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。


●ヒルティは言う。「たとえそうであったとしても神と共に歩んだ人生は幸福でしたと言える。」と。

塚本訳 ロマ 8:23-25
8:23 しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証拠として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである。
8:24 なぜなら、わたし達は(最後の日に救いが完成されるという)望みをもって、救われているからである。目に見ることのできる望みは望みではない。人はいま現に見ているものを、なんでその上望む必要があろうか。
8:25 しかしわたし達が見ていないものを望むとすれば、忍耐をもって待たねばならない。


●復活と来世は「望むもの」「信ずべきもの」。これを理性で分かるようになったら信仰ではないとパウロはいう。イエスが「見ないで信ずるのは幸いだ」と言うのもこのことに通じる(ヨハネ20:19)●信仰は理性の安息ではなく、心の安息だ。


口語訳 イザ 46:3-4
46:3 「ヤコブの家よ、イスラエルの家の残ったすべての者よ、生れ出た時から、わたしに負われ、胎を出た時から、わたしに持ち運ばれた者よ、わたしに聞け。
46:4 わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う。


●これはヒルティとの出会いの言葉。信仰の道を選ばせた言葉。ヒルティはこれ以上の楽な人生観はないという。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想おわり

●妻と集会へ
●集会は、高橋トミ子(司会)、丹野(使徒信条、塚本虎二)、村上(申命記30章)
●トミ子は、友人の吉田さんの書の展覧会。文字は人を表す。
●照男はキララホールで、「キララ合唱団第一回演奏会」。指揮山神健志は良かった。団員の木庭菊枝さんに挨拶。モーツァルトのアヴェ・ヴェルム・コルプスが良かった。最後に全員で復興ソング「花は咲く」を歌った。
●合唱団「もくせい」(トミ子団員)の団長である児嶋さんから4月29日の演奏会の写真係を依頼された。









































トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


肉の父と霊の父 ++++++++ 所感

2014/03/15 06:33

140315(土)3時半目覚め●目覚めの啓示「肉の父と霊の父」●集会の一婦人から手紙を頂き、その中にヘブル書12;10-11が引用されていた。今朝はこの聖句を「聖書で聖書を読む」方法で深く黙想してみよう。

●まず翻訳比較

文語訳 ヘブ 12:10-11
12:10 そは肉體の父は暫くの間その心のままに懲しむることを爲しが、靈魂の父は我らを益するために、その聖潔に與らせんとて懲らしめ給へばなり。
12:11 凡ての懲戒、今は喜ばしと見えず、反つて悲しと見ゆ、されど後これに由りて練習する者に、義の平安なる果を結ばしむ。


口語訳 ヘブ 12:10-11
12:10 肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、たましいの父は、わたしたちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。
12:11 すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。


新改訳 ヘブ 12:10-11
12:10 なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。
12:11 すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。


新共同 ヘブ 12:10-11
12:10 肉の父はしばらくの間、自分の思うままに鍛えてくれましたが、霊の父はわたしたちの益となるように、御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです。
12:11 およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。


NKJV ヘブ 12:10-11
12:10 For they indeed for a few days chastened us as seemed best to them, but He for our profit, that we may be partakers of His holiness.
12:11 Now no chastening seems to be joyful for the present, but painful; nevertheless, afterward it yields the peaceable fruit of righteousness to those who have been trained by it.


TEV ヘブ 12:10-11
12:10 Our human fathers punished us for a short time, as it seemed right to them; but God does it for our own good, so that we may share his holiness.
12:11 When we are punished, it seems to us at the time something to make us sad, not glad. Later, however, those who have been disciplined by such punishment reap the peaceful reward of a righteous life.


●次に頭に浮かぶ関連聖句

塚本訳 ヨハ 3:3-7
3:3 イエスが答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、(徴を見て信じたのではいけない。)人は新しく生まれなおさなければ、神の国にはいることは出来ない。」
3:4 ニコデモがイエスに言う、「(このように)年を取った者が、どうして生まれなおすことが出来ましょう。まさかもう一度母の胎内に入って、生まれなおすわけにゆかないではありませんか。」
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない
3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。
3:7 『あなた達は新しく生まれなおさねばならない』と言ったからとて、すこしも不思議がることはない。


●人は二度生まれなければならない。初めは肉で、それは細胞分裂の不思議で、第二は霊によって。この二度の誕生は共に「苦しみがある。初めの痛みは母の陣痛。「腹を傷める」ということだ。二度目の誕生では霊の産みの苦しみがある。両方とも「不思議」である。神の業である。
●カトリックの洗礼式には「霊父」という信仰の先輩が立ち会うのだそうだ。受洗者に影響を与えた人なのだろう。

塚本訳 ヨハ 16:21
16:21 女が子を産む時には、女の(宿命の)時が到来したので悲しみがあるけれども、子が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはや(お産の)苦しみを覚えていない。


●「腹を痛めた子」には愛情が湧く。苦しむのは母親だけでない。育てるときは肉の父も同じく苦しむ。
●建築設計も産みの苦しみで設計した家には愛情が湧くものだ。だからハウスメーカーの既製品の家を購入するというのは「心が通わない」のだ。私にもそういう例を知っている。家は「建て上げる」ものであって「買う」ものではないのだ。

塚本訳 ガラ 4:19
4:19 わたしの子供たちよ、あなた達の中にキリストが形づくられるまで、わたしはもう一度産みの苦しみをしている。


●エクレシヤも「産みの苦しみ」で誕生する。
●スイスの神学者エミル・ブルンナーが来日し、しばらくICUで教鞭をとって離日する時、無教会の権化ともいうべき塚本虎二の「聖書知識」に「あなた達のなかにキリストのが形をとるまで」(「聖書知識第296号、1954.12)という論考を寄稿された。現在ICD教会の入り口ホールにはブルンナーの胸像がある。この論考は無教会主義への一石であるが、キリストが形をとるのはあくまで信仰の結果であって、目的ではない。これを人間的なこの世的な目的とするから教会主義は的外れなのだ。信仰の深い人に「なんとなく違う」と思われるのだ。エクレシヤは思想団体、政治結社の類ではないのだ。ましてや趣味教養娯楽習い事カルチャーセンターの集団ではないのだ。

塚本訳 テト 1:1
1:1 神の奴隷またイエス・キリストの使徒(なるわれ)パウロ(より、)共通の信仰によって(私の)実子(なる)テトスに手紙を遺る。──私が使徒とされたのは(凡て)神に選ばれた者の信仰(のため、)また敬虔なる真理の知識のためで、


●パウロにとってテトスは信仰の子供。産みの苦しみがあった。

●しかしわたしの実子とはあまりではないか。
●無教会の伝道者の子供はひねくれる例が多い。悲劇、宿命、十字架。

塚本訳 Ⅰコリ4:14-15
4:14 わたしはあなた達を辱しめるために、これを書いているのではない。むしろわたしの可愛い子供として注意を与えるためである。
4:15 たとえキリストにある家庭教師は無数にあなた達にあっても、お父さんは沢山はないのだから。
キリスト・イエスにあって、福音により、わたしがあなた達を生んだのではないか。


●伝道者塚本虎二の子供はかわいそうであった。父の気持ちが外にばかり向いていた。娘は泣いて言ったと言う「お父さんは私より療養所の娘のほうが可愛いのだ」と。

塚本訳 Ⅱテモ1:3-5
1:3 祈りの中で夜も昼も絶えず君のことを思う時、私は(わが)先祖代々潔い良心を以て事えている神に(いつも)感謝する。
1:4 私は(別れた時の)君の涙を思い出しては、(最後の日が来る前に是非一度)君に会って心一杯に喜びたいと思い焦がれている。
1:5 (本当に)私は(君の純な信仰、)最初に君
のお祖母さんロイスに、次にお母さんユニケに宿った、そして私の確信するところでは(今)君にも宿っている君の偽らない信仰を思い起こすのだ。


●テモテは母も祖母もクリスチャン。肉の母が同時に霊の母。幸いな一家。祖母のロイスの祈りが深かったのではないだろうか。パウロはロイスに一目置いていたのではないだろうか。

塚本訳 マタ 12:46-50
12:46 イエスがまだ群衆に話しておられると、そこにその母と兄弟たちがイエスに話しがあって、外に立っていた。
12:47 〔無し〕
12:48 しかしイエスはそのことを知らせた者に、「わたしの母とはだれのことだ、わたしの兄弟とはだれのことだ」と答えて、
12:49 弟子たちの上に手をのばして言われた、「ここにいるのが、わたしの母、わたしの兄弟だ。
12:50 だれでもわたしの天の父上の御心を行う者、それがわたしの兄弟、姉妹、また母であるから。」


塚本訳 マコ 3:20-21
3:20 家にかえられると、また群衆が集まってきて、みんなは食事すら出来なかった。
3:21 身内の者たちが(イエスの様子を)聞いて(ナザレからカペナウムへ)取りおさえに出てきた。「気が狂っている」と思ったのである


●霊に生まれる者は肉親と分離する宿命。これが辛い


塚本訳 ルカ 2:48-52
2:48 両親はこれを見て驚き、母が言った、「坊や、どうしてこんなことをしましたか。ごらん、お父さまもわたしも(こんなに)心配して、あなたをさがしているではありませんか。」
2:49 彼らに答えられた、「なぜおさがしになったのです。わたしが(天の)お父さまの家に居るのは当り前でしょう。御存知なかったのですか。」
2:50 両親にはこう言われた言葉(の意味)がわからなかった。
2:51 それからイエスは一しょに(エルサレムから)下ってナザレに帰り、両親につかえられた。母(マリヤ)はこのことを皆胸に秘めていた。
2:52 イエスは知恵も身の丈も、』また神と人との寵愛も、いやましに増していった。』


●イエスの第一反抗期。神に従うと肉の母に反抗する。

塚本訳 ヨハ 2:1-4
2:1 それから三日目に、ガリラヤのカナに婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
2:2 イエスも弟子たちと婚礼に招かれた。
2:3 すると宴会の最中に酒が足りなくなったので、母がイエスに言う、「お酒がなくなりました。」
2:4 イエスが言われる、「女の方、〃放っておいてください。〃わたしの栄光(を示す)時はまだ来ておりません。」


●イエスの第二反抗期か。これも神に従うが故の悲劇。 自分の母に向かって「女の方」とはマーひどい言葉ではないか。

塚本訳 ルカ 2:34-35
2:34 シメオンは両親を祝福し、母マリヤに言った、「驚きなさるなよ、この幼児はイスラエルの多くの人を、(この方に対する態度によって)倒されたり立たせたりする、また、一つの目印となって(この世の烈しい)反対をうける、使命を負わされているのです。──
2:35 (母人よ、)あなたも劔で胸を刺しつらぬかれ(る苦しみをせ)ねばなりますまい。──これは多くの人の心の(隠れた)考えを外に出させるためなのです。」


●「胸を刺しつかれる苦しみ」は肉の母だけでなく肉の父も同じだ。この苦しみなくして子供が霊に生まれることはない。

塚本訳 マタ 10:34-35
10:34 地上に平和をもたらすためにわたしが来た、などと考えてはならない。平和ではない、剣を、(戦いを)もたらすために来たのである。
10:35 わたしは子を『その父と、娘を母と、嫁を姑と』仲違いさせるために来たのだから。


●この涙なくして新しく霊に生まれることは出来ない。クリスチャンの辛い宿命。
●修道院に入る娘に、両親は用意してあった花嫁衣装着せた。悲しい親子別れ。しかしあとで分かる。いつか分かる。
●キリスト教に入ることに対して、両親に反対された御嬢さん。塚本先生は「ここはひとつ親不孝の親孝行をしなければいけない」と諭した。伝道者の辛いところ。あの一家はどうなったのだろう。
人が霊に生まれるときは肉の親と一戦を交える。これ宿命。しかし肉の親は思うべきだ「可愛いものには旅をさせよ」。子供は神が育てる。肉の親は手を離せ。自戒。

塚本訳 ロマ 8:28
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。


●塚本虎二の霊の父は内村鑑三。塚本虎二は関東大震災で夫人を失った時「神は愛なり」という声を天から聞いて目が覚め、計画していたドイツ留学をやめ、すべてを捨てて伝道の生涯に突入した。
●内村は愛子の塚本虎二を「地震性クリスチャン」だと言っている。
●本当の霊の父は神ご自身なのだ。地震など、この世の不幸で霊の目を開けるのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想おわり。

●TSK日本語版詩篇54,55編。明日の分もできた。一日一章。
●図書館にクリスティナ・ロセッティの詩集を借りに行く。「クリスティナ・ロセッティ、抒情詩とソネット選」橘川寿子訳註(音羽書房)。50年以上前に出会ったこの英国の女流詩人になぜか惹かれる。信仰の篤い病弱な生涯だったことが慰めを得るのだろうか。イギリス国教会の正統信仰が詩に現れていると言うことにも心が合致する。わたしも彼女のように信仰を固くもって、美しく老いたい。

2014_03150001.jpg 

この空のように、美しく老いたい


2014_03150002.jpg 

五日市線の下を通る道路が明日開通する。一度も電車をストップさせないで完了。
日本の技術水準は高い。技術者、および労働者のみなさんご苦労様でした。






















トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


行け!「私の名を汚すな」 ++++++++ 所感

2014/03/14 06:39

140314(金)4時半目覚め。朝の啓示「行け!私の名を汚すな」●「神は愛なり」(Ⅰヨハ4:8)とあり、パソコンで「神」AND「愛」で検索すると119回も出てくる。しかし神はなぜ人を愛するのかということこれは出ていない。パウロにも見当たらない。●しいて言えば神はご自分の名誉の為である。神のエゴの為である。かみのプライドの為である。自分の顔が異教人に汚されないためである。「自己都合」の為である。神は案外「人間的」である。自分の利益のためである。他の異教の神々との競争心のためである。クリスチャンはそのために「利用」されr一生なのだ。●思えば神の奴隷の一生は辛い。常に十字架を負わされる。しかし感謝だ。次がある。復活の望みも同時に与えられている。
●今朝は神はなぜ我々を愛するのか。そのことを黙想し、「行け!私の名を汚すな」という意味を探ろう。順不同、思いつくままを取り上げ感話をする。

口語訳 創 1:31
1:31 神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。


●神は自分の作品を自分で見て、「はなはだ良かった」と悦に入ったのである。自分で自分を誉めたのであるかって月本昭男先生を私が設計した今井館資料館をご案内したときのこと。「良かった」という言葉の意味には「美しかった」という意味があると教えていただいた。建築設計者は、常に自分の作品を眺めて「悦に入るものだ」。だからこれが壊されるのは「我が子を失う」ように淋しいものなのだ。

口語訳 ヨナ 4:10-11
4:10 主は言われた、「あなたは労せず、育てず、一夜に生じて、一夜に滅びたこのとうごまをさえ、惜しんでいる。
4:11 ましてわたしは十二万あまりの、右左をわきまえない人々と、あまたの家畜とのいるこの大きな町ニネベを、惜しまないでいられようか」。


●神は「左右をわきまえない人々」、つまりダメ人間の滅びるのを惜しんでこれを愛するというのだ。「もったいない」と思うのだ。「捨てるには忍びない」「不経済だ」「直せばまだ使える」と思うのだ。 当時の十二万人とは大量だ。イエスの時代の世界総人口は3億人。
●「もったいない」という概念は日本語に特有ので外国語にはうまく訳せないのだそうだ。 ノーベル平和賞を受賞したアフリカのマータイさんは昭和女子大で講演されたが、その時の題は「もったいない」であった。
●ケセン語聖書では「神は人を愛する」ということを「神は人を『お大切』に思う」というようにしているらしい。これならわかる。
●日本にはもともと「好き」ちか「惚れる」という言葉はあったが「愛」という概念はなかったと言われる。「愛」の本当の概念は日本にキリスト教が伝来してからだ。この愛の種類の概念はギリシャ語で「アガペー」だ。日本人にはなじみにくい、わかりにくい概念だ。
●神はご自分が創造されたものがダメになっても何とかこれを修理して再利用されるのだ。「もったいない」と思われるのだ。神は廃品回収業者で、その中から修理できるものを修理して売りさばくのだ。私はそういう人を知っている。

口語訳 イザ 42:1-3
42:1 わたしの支持するわがしもべ、わたしの喜ぶわが選び人を見よ。わたしはわが霊を彼に与えた。彼はもろもろの国びとに道をしめす。
42:2 彼は叫ぶことなく、声をあげることなく、その声をちまたに聞えさせず、
42:3 また傷ついた葦を折ることなく、ほのぐらい灯心を消すことなく、真実をもって道をしめす。


●女子大で「リフォーム会社」に就職する人を誉めて励ました。「日本の中小工務店の仕事の三割は補修増築工事」「リフォーム工事は悩んでいる人を助ける仕事。それは医者と同じ」「リフォームは必ず感謝される。なぜならば困っているのを助けるからだ。それに比べて新築工事は必ずアソコが悪い、ここが使いにくいと文句ばかり」
●特に心が通わなかった建築主の場合はその文句が大変だめちゃくちゃに言われる。
●私は高橋三郎先生のお住まいを療養に便利なようにリフォームした。先生の告別式の日に御遺族から「高橋さんのリフォーム設計のおかげで父は長生きできました」と感謝された。建築人生で忘れ得ぬ感謝の言葉であった。「小事に忠」であるとはこのことであると自分で自分を誉める・。(ルカ16:9-13塚本訳)
●その高橋邸は解体されたが、「良い思い出は残った」。

塚本訳 ルカ 16:9-10
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。
16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。


●この世のことはすべて「不正の富」。しかしこれを来世に入るための準備として利用せよ。

口語訳 エゼ 20:9
20:9 しかしわたしはわたしの名のために行動した。それはエジプトの地から彼らを導き出して、周囲に住んでいた異邦人たちに、わたしのことを知らせ、
わたしの名が彼らの目の前に、はずかしめられないためである。


口語訳 エゼ 20:14
20:14 わたしはわたしの名のために行動した。それはわたしが彼らを導き出して見せた異邦人の前に、わたしの名が汚されないためである。


口語訳 エゼ 20:22
20:22 しかしわたしはわが手を翻して、わが名のために行動した。それはわたしが彼らを導き出して見せた異邦人の前に、わたしの名が汚されないためである


口語訳 エゼ 36:21-23
36:21 しかしわたしはイスラエルの家が、その行くところの諸国民の中で汚したわが聖なる名を惜しんだ。
36:22 それゆえ、あなたはイスラエルの家に言え。主なる神はこう言われる、イスラエルの家よ、わたしがすることはあなたがたのためではない。それはあなたがたが行った諸国民の中で汚した、わが聖なる名のためである。
36:23 わたしは諸国民の中で汚されたもの、すなわち、あなたがたが彼らの中で汚した、わが大いなる名の聖なることを示す。わたしがあなたがたによって、彼らの目の前に、わたしの聖なることを示す時、諸国民はわたしが主であることを悟ると、主なる神は言われる。


口語訳 民  14:15-16
14:15 いま、もし、あなたがこの民をひとり残らず殺されるならば、あなたのことを聞いた国民は語って、
14:16 『主は与えると誓った地に、この民を導き入れることができなかったため、彼らを荒野で殺したのだ』と言うでしょう。


口語訳 申  9:28
9:28 あなたがわれわれを導き出された国の人はおそらく、「主は、約束した地に彼らを導き入れることができず、また彼らを憎んだので、彼らを導き出して荒野で殺したのだ」と言うでしょう

●これらはみな神がイスラエルを愛したのは神のメンツの為、他の異教の神々との競合の為である。
●次にパウロの召命の次第を見てみよう。                                    

塚本訳 使  9:3-6
9:3 ところが進んでいってダマスコに近づくと、突然、天から光がさして彼のまわりを照らした。
9:4 彼は地上に倒れ、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と言う声を聞いた。
9:5 サウロが言った、「主よ、あなたはどなたですか。」彼がいわれた、「わたしだ、あなたが迫害しているイエスだ。
9:6 さあ起きて、町に入れ。そうすれば、せねばならぬことが告げられる。」

新共同 使  9:15-16
9:15 すると、主は言われた。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。
9:16 わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」


塚本訳 使  22:6-10
22:6 ところが進んでいってダマスコに近づくと、昼ごろ、突然、天から強い光がさしてわたしのまわりに輝いた。
22:7 わたしは地べたに倒れて、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と言う声を聞いた。
22:8 わたしは答えた、『主よ、あなたはどなたですか。』わたしに言われた、『わたしだ、君が迫害しているナザレ人イエスだ。』
22:9 連れの者たちは光は見えたが、わたしにお話になる方の声は聞こえなかった。
22:10 わたしは言った、『主よ、何をしたらよいのでしょうか。』主は言われた、『起きてダマスコ(の町)まで行け。そうすればそこで一切は告げられる。君のすることは決めてある。』


塚本訳 使  22:17-21
22:17 それからわたしはエルサレムに帰って宮で祈っていると、我を忘れた心地になって
22:18 主にお目にかかった。主は言われた、『急いで、すぐさまエルサレムを出てゆけ。ここの人々は君がわたしの証しをしても、受け入れないのだから。』
22:19 しかしわたしはこたえた、『主よ、このわたしは、(今まで)あなたを信ずる者を牢に入れたり礼拝堂で打たせたりしていたことが、あの人たちにはわかっております。
22:20 またあなたの殉教者ステパノの血が流された時、わたしもそばに立っていてそれに賛成し、ステパノをやっつける人たちの上着の番をしていました。』
22:21 主はわたしに言われた、『行け、わたしが君を遠く異教人につかわすのだから。』」


塚本訳 使  26:12-16
26:12 こんな次第で、わたしは大祭司連から全権と委任とを受け、(迫害のため)ダマスコに進んでゆくと、
26:13 王よ、昼に、途中で、天から輝く太陽にもまさる光がさして、わたしと、同行の者たちとのまわりを照らすのを見ました。
26:14 わたし達が皆地上に倒れると、ヘブライ語で、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。刺の棒は蹴っても無駄だ』とわたしに言う声を聞きました。
26:15 わたしは言った、『主よ、あなたはどなたですか。』主が言われた、『わたしだ、君が迫害しているイエスだ。
26:16 さあ、起きて、『自分の足で立て。』わたしが(今)現われたのは、君を選んで、わたしを見たことと、(今からも)君に現われて示すこととの証人として、わたしに仕えさせるためである。


●神はパウロを選んで、彼の生涯を血祭りに上げた。栄光の生涯。異教人に遣わした。
●この人はダメだと思ったら、未練を残さず、「残念だが達者でな」と心で祈ってその人を神にまかせてそこを去らなければならない。

塚本訳 使  13:45-49
13:45 すると(神の言葉は自分たちだけのものと思っていた)ユダヤ人たちは、(異教人の)群衆を見て嫉妬にかられ、(イエスを)冒涜しながら、パウロの話すことに反対した。
13:46 そこでパウロとバルナバとは公然こう宣言した、「神の言葉は(お約束どおり)まず第一に、君たち(ユダヤ人)に語られねばならなかった。(だから、そうしたのだ。)しかし君たちがそれをはねつけ、自分で自分を永遠の命にふさわしからぬ者とするので、それでは、よし、異教人(の伝道)へ方向をかえる。
13:47 主はこのようにわたし達(伝道者)にお命じになっているから。『わたしはあなたを立てて異教人の光にした、あなたが地の果てまで救いを伝えるために。』」
13:48 これを聞いて異教人は喜び、主の言葉を讃美し、永遠の命へあらかじめ定められていた者はみな信者になった。
13:49 こうして主の言葉がこの地全体に広まった。
 

●これがユダヤ教からキリスト教からキリスト教が別れる分流点                          ●信者になる人はあらかじめ定められているようだ。

塚本訳 Ⅱコリ2:14-16
2:14 しかし神に感謝せねばならない。神はいつでもわたし達をキリストによる凱旋行列に(虜として)引き回し、至る所でわたし達を通して御自分を知らせる知識の薫りをお広めになる。
2:15 というのは、わたし達は救われる者の間でも、滅びゆく者の間でも、神にささげられるためのキリストのよい薫である。
2:16 ある者には、死から死へみちびく薫であるが、ある者には、命から命へみちびく薫りである。ああ、)一体だれにこんなことが勤まろう。


●クリスチャンはキリストの奴隷で捕虜、首に縄をつけられて人生を引きずり回される。皆がこれを見て、「あの人は宗教に走った。よっぽど悩み悲しみがあったのだ」「あの人は宗教をヤッテいる」「宗教に頼る人は弱い人間だ」などと嘲られ、憐れまれる。しkし今に見ていろ。人には「死」という恐怖の王が待っている。その時に慌てるな。
●16節。塚本訳の感嘆詞敷衍(ああ、)は重い。涙、涙である。

塚本訳 マタ 28:18-20
28:18 イエスは近寄ってきて十一人に言われた、「(いまや)天上地上一切の権能が、(父上から)わたしに授けられた。
28:19 それゆえに、行ってすべての国の人を(わたしの)弟子にせよ、父と子と聖霊の名で洗礼を授け、
28:20 わたしがあなた達に命じたことを皆守るように教えながら。安心せよ、世の終りまでいつもわたしがあなた達と一しょにいるのだから。」


●世界の果てまで伝道せよ。という背愛の果てとは今ここに立たされているところ、わが日本、我が親族の事だ。

口語訳 詩  51:7-15
51:7 ヒソプをもって、わたしを清めてください、わたしは清くなるでしょう。わたしを洗ってください、わたしは雪よりも白くなるでしょう。
51:8 わたしに喜びと楽しみとを満たし、あなたが砕いた骨を喜ばせてください。
51:9 み顔をわたしの罪から隠し、わたしの不義をことごとくぬぐい去ってください。
51:10 神よ、わたしのために清い心をつくり、わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください。
51:11 わたしをみ前から捨てないでください。あなたの聖なる霊をわたしから取らないでください。
51:12 あなたの救の喜びをわたしに返し、自由の霊をもって、わたしをささえてください。
51:13 そうすればわたしは、とがを犯した者に/あなたの道を教え、罪びとはあなたに帰ってくるでしょう。
51:14 神よ、わが救の神よ、血を流した罪からわたしを助け出してください。わたしの舌は声高らかにあなたの義を歌うでしょう。

51:15 主よ、わたしのくちびるを開いてください。わたしの口はあなたの誉をあらわすでしょう。


●伝道とは上から目線で啓蒙することではない。教えを垂れることではない。自分が罪人であったのに清められたと自白することなのだ。これをするには「自分を捨て」なければならない。恥をかかなければならない。恥は自分に、栄光は神に。

塚本訳 マタ 10:9-15
10:9 (旅行に支度はいらない。)金貨も銀貨も銅貨も、帯の中に入れてゆくな。
10:10 旅行には旅行袋も、着替えの下着も、靴も、杖も(なんの用意も)いらない。働く者が食べ物をいただくのは当然だから。
10:11 町なり村なりに入ったら、そこで然るべき人を捜して、(その土地を)立ってゆくまではその家に泊まっておれ。
10:12 家に入ったらば、まず平安を祈れ。
10:13 もしその家が(その祈りをうけるのに)ふさわしければ、あなた達の(祈った)平安はかならずその家に臨み、もしふさわしくなければ、その平安はあなた達にもどってくる。(そしてあなた達のものとなるのである。)
10:14 しかし人があなた達を歓迎せず、あなた達の言葉に耳をかたむけないなら、(すぐ)その家なり町なりを(出てゆけ。そして)出てゆくとき、(縁を切った証拠に)足の埃を払いおとせ。
10:15 アーメン、わたしは言う、(最後の)裁きの日には、あの(堕落町)ソドムやゴモラの地の方が、まだその町よりも罰が軽いであろう。


●「伝道者は貧乏する」!!しかし餓死しない。「食って行ける」。子供は育つ。 必要なものだけは与えられる。しかしこの世の人と同じような生活は出来ないのは当たり前だ。それが栄光だ。
●伝道者の子供が医学部に入った例を知っている。不思議だ。神は見ている。
●この世には福音を受け入れる人が備わっている。「残りの者」がいる。東京にはいない。高学歴の人達にはいない。福音を伝えるために学問はいらない。学歴はいらない。それらはかえって不利。

口語訳 アモ 3:8
3:8 ししがほえる、だれが恐れないでいられよう。主なる神が語られる、だれが預言しないでいられよう」。


口語訳 エレ 20:9
20:9 もしわたしが、「主のことは、重ねて言わない、このうえその名によって語る事はしない」と言えば、主の言葉がわたしの心にあって、燃える火の/わが骨のうちに閉じこめられているようで、それを押えるのに疲れはてて、耐えることができません


塚本訳 使  4:18-20
4:18 そこで二人を(また議場に)呼び出して、(今後)イエスの名を使っては、絶対に口をきいても教えてもいけないと言い渡した。
4:19 ペテロとヨハネとが答えた、「神よりもあなた方の言うことを聞く方が、神の前に正しいかどうか、判断してください。
4:20 わたし達は自分で見たり聞いたりしたことを、話さないわけにはゆかない。」


塚本訳 使  5:17-21
5:17 すると大祭司と、その一派の者すなわちサドカイ派の者全体とは、(これを見て烈しい)嫉妬にかられて立ち上がり、
5:18 使徒たちに手をかけて(捕え、)国の牢屋に入れた。
5:19 しかし主の使が夜、牢の戸をあけ、使徒たちをつれだして言った、
5:20 「行け、そして宮に出ていって、この命の言葉をのこらず民衆に語れ。」
5:21 彼らはこれを聞き、夜の明けるのを待って宮に入って教えはじめた。その時、大祭司とその一派の者とは集まってきて、最高法院とイスラエルの子孫の全長老会議とを召集した。そして使徒たちを引き出すために、牢屋に人をやった。


塚本訳 Ⅰコリ9:16-18
9:16 なぜなら、たとい福音を伝えたところで、わたしの誇りにはならない。なぜなら、(神に)強要されているのだから。なぜなら、もし福音を伝えないならわたしは禍だからである
9:17 なぜなら、わたしが自分から進んでこれをしているというのなら褒美もいただこうが、否応なしであってみれば、この職を(神に)託されているに過ぎないからである
9:18 では、わたしの褒美とはいったい何であるか。それは、わたしが福音を伝えるとき、無報酬で福音を提供し、福音にあってもつわたしの権利を利用しないことである。

塚本訳 使  5:40-42
5:40 使徒たちを呼びいれて(鞭で)打ち
、(今後決して)イエスの名を使って話をしてはならないと命令して、釈放した。
5:41 さて、彼らは
御名のために恥を受けるに足る者とされたことを喜びながら、法院から出ていった。
5:42 そして毎日、宮や家々で教えること、すなわち
救世主イエスの福音を伝えることを、やめなかった。

塚本訳 ロマ 10:14-15
10:14 ところで、(呼ぶだけで救われると言うが、)信じたことのない者を、どうして呼ぶことができようか。聞いたことのない者を、どうして信ずることができようか。説く者がなくて、どうして聞くことができようか。
10:15 (神に)遣わされなければ、どうして説くことができようか。(しかし説く者はある。それはわたし達である。)『善いこと[福音]を伝える人たちの足の、なんと美しいことよ!』と書いてあるとおりである。


●福音の伝道は神に強要されているからやらざるを得ないのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想おわり

●NHKBSプレミアムアーカイブスで佐渡裕がベルリンフィルでタクトを振った密着取材をみた。ものすごい練習だ。


























トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


神の子の受難の意味 ++++++++ 所感

2014/03/13 06:31

140313(木)3時目覚め。目覚めの啓示「神の子の受難の意味」●次回「東京聖書読者会」での感話のタイトルを変更」

3月30日、集会感話タイトル

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
       神の子の受難はわたし達の罪のための犠牲であった

       ・・・・有体的復活はそれが真実であることの神による証明・・・・


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●新約聖書は一貫してこのことを語っている。それは「和音」である。
●またどの箇所をとっても全体の証明である。一滴の血液検査から体全体の状態が分かるのと同じである。
●今朝はその通奏低音をあちこち思い浮かべてみよう。取り上げるのは皆「自家薬篭中」のものである。聖書の引照は自分で探すのが一番力が出るものだ。人間に聞くな。

塚本訳 ルカ 14:1-6
14:1 ある安息日に、パリサイ派に属する(最高法院の)ある役人の家に食事に(招かれて)行かれた時のこと、人々はひそかにイエスの様子をうかがっていた。
14:2 すると、水気をわずらった人がイエスの前にあらわれた。
14:3 イエスは自分の方から律法学者やパリサイ人たちに向かって口を切られた。「安息日に病気をなおすことは正しいか、正しくないか。」
14:4 彼らが黙っていると、その人(の手)をつかんで、病気を直してお帰しになった。
14:5 そして彼らに言われた、「あなた達のうちには、息子か牛かが井戸に落ちたとき、安息の日だからとてじきに引き上げてやらない者がだれかあるだろうか。」
14:6 彼らはこれに対して返答ができなかった。


●我々の肉親の多くは井戸に落ちている。
●5節。「息子」という言葉が強烈である。重い。その通りだ。

塚本訳 マコ 2:16-17
2:16 パリサイ派の聖書学者たちは、イエスが罪人や税金取りと一しょに食事をされるのを見て、弟子たちに言った、「なぜあの人は税金取りや罪人と一しょに食事をするのか。」
2:17 イエスは聞いてその人たちに言われる、「丈夫な者に医者はいらない、医者のいるのは病人である。わたしは正しい人を招きに来たのではない、罪人を招きに来たのである。」


●今日のプロテスタント教会や無教会集会は「遊び集団」「老人クラブ」「同窓会」に退化堕落しているから、そこに変な異質な人間、つまり無学者、無学歴者、犯罪者、離婚経験者、依存症者、精神病者などが来ると冷たい。仲間に入れない。排除する。馬酔木集団を目指しているからである。

塚本訳 Ⅰテモ1:15
1:15 (まことに)「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来給うた」という言は信ずべく、また無条件に承認さるべきである。そしてこの私がその罪人の第一人者である。

●これさえ信じられれば、人生は成功、

塚本訳 ルカ 13:10-17
13:10 安息日にある礼拝堂で教えておられた。
13:11 その時、そこに十八年も病気の霊につかれている女がいた。体が曲っていて、真直ぐに伸ばすことが出来なかった。
13:12 イエスは女を見て呼びよせ、「女の人、病気は直っている」と言って
13:13 手をのせられると、女はたちどころに体がまっすぐに伸びて、神を讃美した。
13:14 すると礼拝堂監督は、イエスが安息日に病気をなおされたことを憤慨して、群衆に言った、「働くべき日は六日ある。その間に来てなおしてもらったがよかろう。安息日の日にはいけない。」
13:15 主が答えられた、「この偽善者たち、あなた達はだれも、安息日には牛や驢馬を小屋から解いて、水を飲ませにつれてゆかないのか。
13:16 この女はアブラハムの末であるのに、十八年ものあいだ、悪魔が縛っていたのだ安息の日だからとて、その(悪魔の)縄目から解いてはならなかったのか。
13:17 こう言われると、(監督はじめ)反対者は皆恥じ入り、群衆は一人のこらず、イエスが行われたあらゆる輝かしい御業を喜んだ。
                                         


●人にはなぜ「病気」があるか「不幸災難があるか」。神を知るための不可欠な道筋だ。

塚本訳 ピリ 2:6-11
2:6 彼は(先には)神の姿であり給うたが、神と等しくあることを棄て難いことと思わず、
2:7 かえって自分を空しうして人と同じ形になり、奴隷の姿を取り給うたのである。そして人の様で現れた彼は、
2:8 自ら謙り、死に至るまで、(然り、)十字架の死に至るまで(父なる神に)従順であり給うた
2:9 それ故に神も彼を至高く上げ、凡ての名に優る(「主」なる)名を与え給うた。
2:10 これはイエスの(この尊い)名の前に、天の上、地の上、地の下にある『万物が膝を屈め、
2:11 凡ての舌が』「イエス・キリストは主なり」と『告白して』父なる『神に』、栄光を帰せんためである。


●神の子は人の姿をとってこの世に降られた。「故郷を捨てた」。
●東日本大震災で故郷を離れた人に告ぐ。「故郷」がそんなに大切か!!
●人間の本当の故郷は神の懐である。人間はそこに憩わなければ真の安らぎはない。(アウグスチヌス)

塚本訳 マタ 4:12-17
4:12 イエスは(洗礼者)ヨハネが牢に入れられたと聞くと、(郷里)ガリラヤ(のナザレ)に引っ込まれた。
4:13 それから(間もなく)ナザレを去って、(昔)ゼブルン(族)とナフタリ(族)との(領地であった)地方にある、(ガリラヤ)湖畔の(町)カペナウムに行って住まれた。
4:14 預言者イザヤをもって言われた言葉が成就するためであった。──
4:15 『(ガリラヤの)湖に向かった、ゼブルン(族)の地とナフタリ(族)の地、ヨルダン川の向こう(のペレヤ)、異教人の(住む)ガリラヤ──
4:16 暗闇に住まう(これらの地方の)民は大いなる光を見、死の陰の地に住まうこの人々に光がのぼった、』
4:17 この時から、イエスは「悔改よ、天の国は近づいた」と言って、教えを説き始められた。


●イエスが伝道を開始したのは洗礼者ヨハネの入獄。人は親しい人が死ぬと腰を上げる。「一粒の麦」が死ななければ実は結ばない。
●イエスの出現はイザヤの予言通りだとマタイは認識。
●16節。「暗黒」。日本の73%は無宗教。暗黒。政治も学問もみな暗黒。思想界は不可知主義。

塚本訳 ヨハ 8:12
8:12 (同じ大祭の日に、)イエスはまた人々に語られた、「わたしが世の光である。わたしに従う者は、決して暗やみを歩かない。そればかりか、命への光を持つことができる。」


●口語、新改訳、新共同は「私は世の光」であるが、塚本訳は「私が世の光」。
●人は皆「光」を求めて喘ぐ。「愛と喜び」「暖かいところ」の幸福を求めている。その時に「私が」の訳は強い。

塚本訳 ロマ 3:21-24
3:21 しかしながら今、律法に関係なく、神の義は現わされた。しかし律法と預言書と[聖書]によって(すでに)証しされているものである。
3:22 この神の義は、イエス・キリストを信ずる信仰(だけ)によって、これを信ずるすべての者にあたえられる。(すべてというのは、そこに人間的の)なんの差別もないからである。
3:23 なぜか。すべての人が罪を犯したため、いまだれ一人、(かつて持っていた)神の栄光をもたない。
3:24 (さりとて失った栄光を回復する力はないので、何一つ)代価を払わず、(ただ)神の恩恵によって、キリスト・イエスによるあがないの力で、(神に)義とされる(道が設けられた)のである。


●これがキリストの救いの「パウロ神学」。キリストの救いを頭で説明するとこうなるが、頭はすっきりするが心は暖かくならない。薬の効能書きであって薬そのものではない。

塚本訳 ヨハ 3:16
3:16 そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである。


●これはヨハネ福音書によるキリストの救いの効能書き。イエス自身がこう言ったとは思えない。 

塚本訳 Ⅰヨハ4:10
4:10 わたし達が神を愛したことではなく、彼がわたし達を愛し、その子をわたし達の罪のための宥め(の供物)として遣わされたそのことに、愛があるのである


●十字架は義よりも愛。愛として捉えると良くわかる。天下固化を断罪批判する人間に愛はない。 

塚本訳 ヨハ 8:34-36
8:34 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、罪を犯す者は皆罪の奴隷である
8:35 奴隷はいつまでも家におるわけにゆかない。(いつでも追い出される。しかし)子はいつまでも家におる。
8:36 だから、もし子(たるわたし)が(罪から)自由にしてやれば、あなた達は本当に自由になるのである。(そしていつまでも父上のところにおることができる。)


●神を知るに至る道は罪からの救い。罪がとその救いが分かって初めて神を信じることが出来る。霊の目、心の目が開くからである。

塚本訳 ヨハ 15:12-17
15:12 わたしがあなた達を愛したように、互に愛せよ。──これがわたしの掟である。
15:13 (わたしはあなた達のために命を捨てる。)友人のために命を捨てる以上の愛はないのだ
15:14 あなた達はわたしの命ずることを行ってさえおれば、わたしの友人である。
15:15 わたしはもはやあなた達を僕と言わない。僕は(命じられたことをするだけで、)主人が何をしようとしているか知らないのだから。わたしはあなた達を友人と言ったが、これは父上から聞いたことを何もかも知らせたからだ。
15:16 (しかも)あなた達がわたしを選んだのではなく、わたしがあなた達を(使徒に)選んで、あなた達が出かけていって(善い)実を結び、その実がいつまでものこるように、また(その必要のために)あなた達がわたしの名で父上にお願いすれば、なんでもかなえてくださるようにしてやったのである。
15:17 (つまるところ、)わたしの命令はこれである、──互に愛せよ!


●人は神の「DO」があって心の目が開かれて罪からの救いを通じて神の存在がわかる。
●神に選ばれてクリスチャンにさせられた者は、師の跡を踏むために「つまらない」ことでは死ねない。「罪の赦しと有体的復活」の使徒伝承のために死ぬことで愛を実行するのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想。おわり

●TSK日本語版詩編52編
●市内のYさん(ピアノ教師)が都心に引っ越しをされる。今度はマンション住まいだというので、家具や本棚を戴けることになったので、打ち合わせに行く。
●人間は引っ越しがつきものだが、それは若いうちだ。年を取ってからの引っ越しはしんどい。私自身は、結婚してから目黒、府中、あきる野(2回)と計4回住む場所が変わった。人生は旅だ。変わらないのは信仰、キリスト。最後は天の住まいだ。





トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


悩みの日に我を呼べ ++++++++ 所感

2014/03/12 05:23

140312(水)3時半目覚め●目覚めの啓示「悩みの日に我を呼べ」●人生は常に悩みの連続。その時「自分を信じたり」、「人間を信じたり」、「金や地位や権力」を信じてはいけない神を信じて「神を呼ぶ」ことをしなければならない。●神なきこの世はこのことをあざ笑うが、信仰者はひたすらこのことを信じ続けるべきである。これは詩編50:15である。この句を生み出したユダヤ民族は歳一等の民族だ。●今朝は詩編50:15の勉強をしよう。

●まず翻訳比較


大正改訳(文語)詩篇 50:15
50:15 なやみの日にわれをよべ我なんぢを援けん而してなんぢ我をあがむべし

口語訳 詩 50:15
50:15 悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう」。


新改訳 詩 50:15
50:15 苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。」


新共同 詩 50:15
50:15 それから、わたしを呼ぶがよい。苦難の日、わたしはお前を救おう。そのことによって/お前はわたしの栄光を輝かすであろう。」


NKJV 詩 50:15
50:15 Call upon Me in the day of trouble;I will deliver you, and you shall glorify Me."


TEV 詩 50:15
50:15 Call to me when trouble comes; /I will save you, /and you will praise me."


●自分の頭に浮かんだ関連聖句。寝床でメモを取ったもの。順不同

口語訳 詩  3:4-5
3:4 わたしが声をあげて主を呼ばわると、主は聖なる山からわたしに答えられる。〔セラ
3:5 わたしはふして眠り、また目をさます。主がわたしをささえられるからだ。


●最近は加齢のせいか睡眠時間が短い。3時ごろ一度目を覚ますと寝付けないので寝床で聖書を黙想する。睡眠時間が短いと言う「悩み」は悩むこと自体が身体によくないらしい。私の本棚には「頭のいい人の短く深く眠る方法」というものがある。
●眠る前にしっかり祈ると心が安らぐのでぐっすり眠れる。

塚本訳 マタ 26:52-53
26:52 その時イエスが言われる、「剣を鞘におさめよ。剣による者は皆、剣によって滅びる。
26:53 それとも、父上にお願いして十二軍団以上の天使を今すぐ送っていただくことが、わたしに出来ないと思うのか。


●苦難の日に、すぐ医者にかかるな、(自戒)、アメリカを呼ぶな、マルクスを呼ぶな、内村を呼ぶな、塚本を呼ぶな。つまり人間を呼ぶな、科学的判断を呼ぶな、一般常識を呼ぶな、習慣を呼ぶな、岩波東大NHKを呼ぶな。神を呼べ。神の十二軍団を呼べ。

塚本訳 ルカ 9:51-55
9:51 イエスは(いよいよ)昇天の日が迫ったので、決然としてその顔をエルサレムへ向けて進み
9:52 (まず行くさきざきに)使を先発させられた。ところが、彼らが行ってイエスのために宿の用意をしようとしてサマリヤ人の村に入ると、
9:53 村人たちはイエスが顔をエルサレムへ向けて進んでおられるので、承知しなかった。
9:54 弟子のヤコブとヨハネとはそれを見て(憤慨して)言った、「主よ、(エリヤのように)『天から火を』呼び『下して、』あの奴らを『焼き殺してしまい』ましょうか。」
9:55 イエスは振り返って二人を叱り、


●「親の心子知らず」。イエスの使命を知らなかった弟子たち。仕方なかった。イエスが復活してその意味がわかった。
●「昇天の日が迫った」らというのは死の時が迫ったらつ意味だ。私は70歳になったが、あと何年という意識が湧く。決然と顔を神に向けなければならない。

塚本訳 マコ 9:25-29
9:25 イエスは群衆が駆けよってくるのを見ると、(急いで)汚れた霊を叱りつけて言われた、「唖と聾の霊、わたしが命令するのだ、この子から出てゆけ、二度と入るな!」
9:26 霊はどなって、はげしくひきつけさせて、出ていった。子は死んだようになったので、多くの人が、「死んだ」と言った。
9:27 イエスはその子の手をとって起された。すると立ち上がった。
9:28 家にかえられると、弟子たちは人のいない時に尋ねた、「なぜわたし達には霊を追い出せなかったのでしょうか。」
9:29 彼らに言われた、「この種類(の霊)は、祈り以外(の手段)では決して出てゆかせることは出来ない。」


●精神の病は「つける薬」がない。「祈り以外」では直らない。これ神を呼ぶことだ。

塚本訳 ルカ 11:20
11:20 しかし、もし(そうでなく、)わたしが神の指で悪鬼を追い出しているのであったら、それこそ神の国はもうあなた達のところに来ているのである。

●イエスは「霊能者」であったが、その秘密は神の力を呼び出していたのだ。神は全能だ。

塚本訳 ヤコ 5:14
5:14 君達の中に病んでいる者があるのか、その人は教会の長老を呼び、長老たちは主の名により油を塗って、その人のことを祈ったがよかろう。


●人生ピンチの時は信仰の篤い人に祈りの加勢をしてもらうのがよい。「祈って下さい」と電話をされるようにならなけばその人の信仰は本物ではない。

塚本訳 ロマ 8:26
8:26 しかし(創造物やわたし達神の子が苦しんでいると)同じように、御霊も、弱いわたし達を助けてくださる。すなわち、(神のみ心にかなうには)どう何を祈るべきかわからないので、御霊自身が、無言の呻きをもって(わたし達の祈りを神に)執り成してくださるのである


●人生、呻く時、一緒に呻いて下さるのは復活のイエス。身代わりで呻いて下さる。これで勝利。道が開かれる。

口語訳 詩  23:1-4
23:1 主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。
23:2 主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。
23:3 主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
23:4 たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。


●この詩を生み出したユダヤ民族は最高。ユダヤ人は今はみじめだが神はご存知だ。

口語訳 詩  20:7
20:7 ある者は戦車を誇り、ある者は馬を誇るしかしわれらは、われらの神、主のみ名を誇る


●日本は米国の核の傘を誇るな。技術力を誇るな。原子力技術(これは日本が核武装できることを示す)を誇るな。学識、学歴、資本力、家系、血統を誇るな。

塚本訳 ヨハ 4:20-21
4:20 (それでお尋ねしたいのですが、)わたし達の先祖はこの(ゲリジム)山で(神を)礼拝したのに、あなた達(ユダヤの人)は、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。(どういう訳でしょうか。)」
4:21 イエスが言われる、「女の人、わたし(の言葉)を信じなさい。(間もなく)あなた達が、この山でもエルサレムでもなく(どこででも、)父上を礼拝する時が来る。


●教会主義、無教会主義。それぞれ良いところと悪いところ、欠けたる部分がある。しかし人はそれぞれにいつか落ち着く港にたどり着くものだ。それでいいのだ、それがいいのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想終わり、心一杯、胸一杯。 聖書はこういうように読むのが最高。
 
●TSK日本語版詩編51編
●図書館へ。
●13:00. 妻は集会のKNさんを八王子の山王病院に見舞いに行く。
●石垣の修理
●録画してあったNHKスペシャル「病の起源」プロローグを観る。病は進化の代償。

2014_03120004.jpg 

ようやく春らしくなった。夫婦が農作業に出てきた。色々な曲が胸に浮かぶ。
ハイドン、オラトリオ四季。「来よ、のどけき春」、メンデルスゾーン「春の歌」
ヨハン・シュトラウス「春の声」、ヴェートーヴェン、ヴァイオリンソナタ「スプリング」、
ヴィヴァルディ合奏協奏曲「四季」の「春」、チャイコフスキー「四季」の3月。
讃美歌424「はるよ起きよと」

●評論家の加藤周一は2008年に89歳で亡くなったが、死の5か月前にカトリックの洗礼を受けた。最後に聖書を精読したという。あれだけの知性の持ち主が、単にカトリシズムに屈服したのではなく、自ら聖書を読んだ末のことであることを知ってうれしかった。母も妹もカトリックであった。●どんな知性の持ち主も神のもとにある「永遠の命」に安らがなければ不安で死は恐怖である。 ●加藤周一の最後は新トマス主義の影響も受けたらしい。この思想はカトリックの牙城。これに比べて無教会主義は聖書聖書と聖書一本であるが、その読み方がまた正統からみれば異端だらけ。異端集団の群れという感じ。しかしその背後に見えない筋が一本通っている。聖書を自由に読むという所に実は「いのち」があるのだ。信仰を理性でガチガチに固めてしまうと命を失う。信仰を理性で固めて頭をすっきりさせることが好きな人は無教会はつかみどころがないから、カトリックに行かざるをえないだろう。それにしても無教会は人間主義だ。これは偶像崇拝だ。 反省。














トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


神の子キリストが人間を罪の奴隷から救う ++++++++ 所感

2014/03/11 06:21

140311(火)4時半目覚め。朝の黙想「神の子キリストが人間を罪の奴隷から救う」●戦争の根本は食糧問題ではなく、宗教問題である。人間が罪の奴隷状態になっているからである。 宗教制度や、宗教思想は人間が作っている。

●世界の宗教人口ランキング・億 (世界総人口. 2013年72億)
①キリスト教 20.0  ②イスラム教 10.0 ③ヒンズー教 7.6  ④仏教 3.4   ⑤ シーク教 0.2 ⑥ユダヤ教  0.13

●国別無宗教者(無神論者にあらず)ランキング・%
①中国 93 ②スウェーデン 83 ③デンマーク 80 ④ノルウェー 78 ⑤チェコ 74 ⑥フランス ⑦日本 73 ⑧イギリス 71 ⑨フィンランド 69 
⑩モンゴル 69 ⑪オーストラリア 68 

●第二次世界大戦における米国の大義名分は「人間(天皇)を神として崇めるような国(日本)を討て」という宗教戦争であった。
●食糧問題、奴隷問題、(慰安婦問題)、石油問題(当時)などの解決は人間のヒューマニズムや政治的手段や、人道的平和運動でなんとか次第に改善して行く。
●そういう人間的手段ではどうしても解決できない問題は、人間の罪の奴隷状態からの解放である。人間は生まれつき、罪の奴隷、「業」をもって生まれる。人間的な方法ではこれから解放されない。
●わが日本の同胞は「無宗教」者(無神論ではない)が73%と多いが、これは周囲をみても実感でもある。
●しかし「無宗教」も宗教の一種である。何かを信じているからだ。金、人間、権力、大資本、大組織、幸福、遊び、喜び、家庭、・・・・・・・
●国別無宗教者(無神論者にあらず)のランキング(前記)を見ると、プロテスタント諸国が上位に占めているのが目立つ。キリスト教プロテスタント教会が腰抜けだからである。
●世界的にはキリスト教とイスラム教が対立している。これももとはと言えば人間の「業」「罪」が原因である。そもそもアブラハムの子孫からユダヤ人とアラブ人が民族的に別れ、これが近親憎悪のパレスチナ問題を生んでいる。「歴史認識」をすればするほど人間の「罪」にぶち当たり、絶望である。
●宗教戦争の張本人の一人があのパウロであった。彼はユダヤ教の擁護の立場からキリスト信者を殺害した。彼自身が罪の奴隷、どうしようもない不自由人間であった。
●しかし復活のイエスに接して目から鱗が落ち、「キリストは我らの平和」と言い出した。キリスト教の原点はここにある。宗教戦争の終焉である。
●今朝はこのことを巡って頭に浮かぶ聖書の箇所をアチコチ黙想してみよう。
●4月13日の集会感話の題を次のようにしてみよう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

     ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の共通点と相違点

       ・・・キリストの復活の霊が私達の「平和」・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

塚塚本訳 エペ 2:14-16
2:14 何故なら、彼(キリスト)が私達の『平和』であって、(今まで離反していたイスラエルと異教人の)両者を一つにし、(その仲を割いていた)仕切りの籬なる敵意を取り除け給うたからである。すなわちその肉で、
2:15 (あらゆる)命令規則から成る律法を廃止し給うたのである。これは(今まで敵であった)この二つの者を己において一つの新しい人に創造りかえて平和を作るため、
2:16 かくてまた
十字架によって二つの者を一つの体において神と和睦させ、十字架において(神と人との間の)敵意を殺すためである。

塚本訳 使  10:36
10:36 『神は御言葉をイスラエルの』子孫に『おくり、』イエス・キリストをもって、『(御自分との間の)平和の福音を伝えられました。』──イエスは万人の主であります。──

塚本訳 ロマ 10:3-5
10:3 すなわち、彼らは(キリストを信ずることによって義とされる)神の義(の道が開けているの)がわからず、(自分の力で律法を守って)自分の義を立てようとしたため、神の義に服従しなかったのである。
10:4 (では律法を守ることが、なぜいけないか。律法はキリストによって目的を達し、もうなくなってしまったからである。)すなわち、キリストは(御自分を)信ずる者が一人のこらず義とされるために、律法の終りとなられたのである。
10:5 その証拠には、モーセは律法による義について(こう)書いている、『これを行う人(だけ)がそれによって生きる』と。(しかしだれ一人律法を完全に行うことは出来ない。)

塚本訳 ヨハ 8:34-36
8:34 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、罪を犯す者は皆罪の奴隷である。
8:35 奴隷はいつまでも家におるわけにゆかない。(いつでも追い出される。しかし)子はいつまでも家におる。
8:36 だから、もし子(たるわたし)が(罪から)自由にしてやれば、あなた達は本当に自由になるのである。(そしていつまでも父上のところにおることができる。)

塚本訳 マタ 12:28
12:28 しかし、もし(そうでなく、)わたしが神の霊で悪鬼を追い出しているのであったら、それこそ神の国はもうあなた達のところに来ているのである

塚本訳 マコ 9:28-29
9:28 家にかえられると、弟子たちは人のいない時に尋ねた、「なぜわたし達には霊を追い出せなかったのでしょうか。」
9:29 彼らに言われた、「この種類(の霊)は、祈り以外(の手段)では決して出てゆかせることは出来ない。

塚本訳 マタ 12:30
12:30 (だからわたしは言う、ベルゼブルはすでに縛られている。神と悪魔との戦いは始まっている。)わたしの側に立たない者は、わたしに反対する者、わたしと一しょに集めない者は、散らす者である。

塚本訳 ルカ 13:14-16
13:14 すると礼拝堂監督は、イエスが安息日に病気をなおされたことを憤慨して、群衆に言った、「働くべき日は六日ある。その間に来てなおしてもらったがよかろう。安息日の日にはいけない。」
13:15 主が答えられた、「この偽善者たち、あなた達はだれも、安息日には牛や驢馬を小屋から解いて、水を飲ませにつれてゆかないのか。
13:16 この女はアブラハムの末であるのに、十八年ものあいだ、悪魔が縛っていたのだ。安息の日だからとて、その(悪魔の)縄目から解いてはならなかったのか。」

塚本訳 ガラ 5:19-23
5:19 肉の行いは明らかである。──それは不品行、汚れ、放蕩、
5:20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、嫉妬、激怒、我利、仲違い、党派心、
5:21 そねみ、酩酊、酒宴等々である。前もって言ったことであるが、(今もう一度)あらかじめ言っておく、こんなことをする者は、神の国を相続することがないであろう。
5:22 しかし霊の実は愛、喜び、平和、寛容、親切、善良、忠実、
5:23 柔和、節制である。これらのものに対しては律法は(力が)ない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

朝の黙想終わり。

ラジオ体操開始。


●TSK日本語版詩篇50編。
●TSK日本語版詩編1~50編をCDに焼きつけ、物置に保存。
●弟の靖男から電話。母の命日は3月18日。10周年。母が呼んだような気がした。兄の光男は元気だそうだ。二人とはすっかり疎遠になってしまった。淋しい、悲しい。
●図書館と東急に散歩
●自分史の3月8日までの分をCDに焼き付け。あと26年分はCD1枚に収まる








トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


新しき人が生まれいずる苦しみ ++++++++ 所感

2014/03/10 08:25

140310(月)5時起床●朝の黙想「新しきものが生まれいずる苦しみ」●人生は常に悩み苦しみの連続だ。あのゲーテも「自分が『幸福だ』と思った日は三日だけだった」と言った。ゲーテ嫌いのヒルティは、こんなことをいう人間について行っても幸福は見いだせないという。そして独自の「幸福論」を説く。●わたしは中学生の時、よくゲーテを読んだ。そこには人間としての生き生きと生きる姿が現れていたからである。しかし、ヒルティに出会ってゲーテと別れた。ヒルティの説く「幸福」の道に真の安らぎがあtることを知ったのである。●しかしその安らぎはこの世が「幸福」だと考える幸福の感情ではない。それは常に「苦痛」を伴うものである。●キリスト教は「この世的幸福」を保証しない。しかし真の幸福を保証する。絶対に保証する。●今朝は信仰の道における「苦しみ」を黙想してみよう。

塚本訳 ヨハ 16:33
16:33 これらのことを話したのは、あなた達がわたしに(しっかり)結びついていて、平安を保つことができるためである。この世ではあなた達に苦しみがある。しかし安心していなさい。わたしがすでに世に勝っている。」

塚本訳 マコ 10:29-30
10:29 イエスは言われた、「アーメン、あなた達に言う、わたしのため、また福音のために、家や兄弟や姉妹や母や父や子や畑をすてた者で、
10:30 今、この世で──迫害のうちにおいてではあるが──百倍の家と兄弟と姉妹と母と子と畑とを、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。

塚本訳 ロマ 8:18
8:18 (しかもこの苦しみは恐れることはない。)なぜなら、わたしはこう考える。今の世の苦しみは、わたし達に現われようとしている栄光(──キリストと一しょに神の国の相続人になる最後の日の大いなる光栄──)にくらべれば、言うに足りない。


塚本訳 ロマ 8:22-23
8:22 わたし達が知っているように、全創造物は(かの日から)今まで、一しょになって呻き、一しょになって産みの苦しみをしている。(父なる神がこの  呻きに耳を傾けられないことがあろうか。)
8:23 しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証拠として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである。

塚本訳 ロマ 8:24-27
8:24 なぜなら、わたし達は(最後の日に救いが完成されるという)望みをもって、救われているからである。目に見ることのできる望みは望みではない。人はいま現に見ているものを、なんでその上望む必要があろうか。
8:25 しかしわたし達が見ていないものを望むとすれば、忍耐をもって待たねばならない。
8:26 しかし(創造物やわたし達神の子が苦しんでいると)同じように、御霊も、弱いわたし達を助けてくださる。すなわち、(神のみ心にかなうには)どう何を祈るべきかわからないので、御霊自身が、無言の呻きをもって(わたし達の祈りを神に)執り成してくださるのである
8:27 しかし(人の)心を見抜くお方[神]は、御霊が何を求めているか、すなわち、御霊が神の御心にかなうように聖徒たちのために執り成しておられることを、(もちろん)御存じである。

塚本訳 ヨハ 16:20-21
16:20 アーメン、アーメン、わたしは言う、(わたしがいなくなると)あなた達は泣いて悲嘆にくれるが、この世は喜ぶであろう。あなた達は悲しむが、その悲しみは(やがて)喜びにかわるであろう。
16:21 女が子を産む時には、女の(宿命の)時が到来したので悲しみがあるけれども、子が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはや(お産の)苦しみを覚えていない。

塚本訳 マコ 9:28-29
9:28 家にかえられると、弟子たちは人のいない時に尋ねた、「なぜわたし達には霊を追い出せなかったのでしょうか。」
9:29 彼らに言われた、「この種類(の霊)は、祈り以外(の手段)では決して出てゆかせることは出来ない。」

塚本訳 ガラ 3:27
3:27 すなわちキリストへと洗礼を受け(て彼のものとなっ)たあなた達はみな、キリストを着たからである。塚本訳 エペ 4:24
4:24 真理の義と聖とにより神に肖って創造られた新しい人間を着べき(ことを教えられたの)である。

塚本訳 コロ 3:10
3:10 新しい人間を着よ。この新しい人間はいよいよ新しくされて、彼を創造り給うた御方の『像に肖(あやか)って』(遂に完全なる)知識に達するのである。

塚本訳 ルカ 15:20-22
15:20 そして立ってその父の所へ出かけた。ところが、まだ遠く離れているのに、父は見つけて不憫に思い、駈けよって首に抱きついて接吻した。
15:21 息子は父に言った、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。もうあなたの息子と言われる資格はありません。……』
15:22 しかし父は(皆まで聞かず)召使たちに言った、『急いで、一番上等の着物をもって来て着せなさい。手に指輪を、足にお靴をはかせなさい。

塚本訳 マタ 22:11-13
22:11 王は客を見ようとして入ってきたが、そこに礼服を着けていない者が一人いるのを見て
22:12 その人に言った、『君、礼服も着ずに、なんでここに入ってきたのか。』その人が黙っていると、
22:13 王は家来たちに言った、『あの者の手足を縛って、外の真暗闇に放り出せ。そこでわめき、歯ぎしりするであろう。』

塚本訳 コロ 1:24
1:24 今私は君達のために苦しむことを喜びとし、またキリスト・イエスの体なる教会のために私の体でキリストの患難の不足を補っている。

塚本訳 ロマ 8:5-8
8:5 なぜ(霊によって歩けばそれができる)か。肉による者[生まれながらの人]は肉のことを追い求めるが、霊による者[キリストを信ずる者]は霊のことを追い求めるからである。
8:6 肉を追い求めることは死をもたらすが、霊を追い求めることは命と平安とをもたらすからである。
8:7 というのは、肉を追い求めることは神への敵対である。肉は神の律法に服従せず、服従することも出来ないからである。
8:8 肉にある者は神をお喜ばせすることは出来ない

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想終わり。この世の幸福は肉を追い求めることで終局は死である。霊の喜びをもとめよう。

塚本訳 ルカ 1:47
1:47 わたしの霊は、『
救い主なる神を喜びたたえる、』

塚本訳 ガラ 5:19-22
5:19 肉の行いは明らかである。──それは不品行、汚れ、放蕩、
5:20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、嫉妬、激怒、我利、仲違い、党派心、
5:21 そねみ、酩酊、酒宴等々である。前もって言ったことであるが、(今もう一度)あらかじめ言っておく、こんなことをする者は、神の国を相続することがないであろう。
5:22 しかし霊の実は愛、喜び、平和、寛容、親切、善良、忠実、

塚本訳 Ⅰコリ7:34                                                7:34 心が割れるのである。また独身の女と処女とは、身も霊もきよくあろうとして、主のこと(ばかり)に気をつかうが、結婚している女は、どうしたら夫に喜ばれるかと、この世のことに気をつかうの
である。

2014_03100002.jpg 

先日の大雪で骨組みが曲がってしまったハウス。ジャンボジェット機のようだなー

2014_03100006.jpg 

超冷たい北風の吹く午後。歩いて図書館に岩波「世界」3月号を借りに行く。
過日、集会でTH氏から坂本義和氏の「いのちを生かす、たたかいの研究」を読むため。

2014_03100007.jpg 

丹沢の山を16倍ズームで撮影。雪だ。

●16:00 妻は歯科へ。 老老介護の世代にになった。
●私は昨日検査で、軽度の難聴と判定された。最近はテレビの音を25程度に大きくしなければならなくなった。しかしまだ補聴器の必要はない。どうか最後まで頭はボケないようにと願う。





トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


神の力を信じて祈って待つ ++++++++ 所感

2014/03/09 07:09

140309(日)3時45分目覚め●目覚めの黙示「神の力を信じて祈って待つ●祈りが聴かれるには時間がかかる。時間がかかるが必ず聞かれる。この「時間」というものを通して神は私達に信仰の訓練と忍耐を学ばせるのである。●信仰なき夫を何十年も祈り続けて、ついに晩年に夫を救いに導いた御夫人を二人知っている。●十字架の救いがどうしてもわからなかった子供のことを10年以上祈り続け、ついに不条理不可解な「悲しい事件」を通してそれがわかるようにされたことを知っている●父親の病気の見舞いに病院に行くたびに、部屋の片隅で背中を向けてボソボソ祈っていた方。その父親は「死んだらお前の信じている神のところに行きたい」と告白して亡くなった。●これらのことを見聞きまた体験して、時間はかかるが神は祈りを必ず聞いて下さると言う信仰に自信を持てた。●しかし夫の救いを一生祈り続けても生きているうちは信仰に導かれなかった御夫人がいた。御主人はご郷里の北陸において仏教で葬られた。今そのお墓に彼女は一緒に眠っておられる。神は最後の日に彼女の祈りを聞かれるであろう。●祈りが聴かれるためには時間がかかるから「信じて待つ」という姿勢が必要であることを黙想しよう。せっかちな私には一番欠けていることである。

口語訳 創 18:12-15
18:12 それでサラは心の中で笑って言った、「わたしは衰え、主人もまた老人であるのに、わたしに楽しみなどありえようか」。
18:13 主はアブラハムに言われた、「なぜサラは、わたしは老人であるのに、どうして子を産むことができようかと言って笑ったのか。
18:14 主にとって不可能なことがありましょうか。来年の春、定めの時に、わたしはあなたの所に帰ってきます。そのときサラには男の子が生れているでしょう」。
18:15 サラは恐れたので、これを打ち消して言った、「わたしは笑いません」。主は言われた、「いや、あなたは笑いました」。


●14節、「来年の春」「定めの時」。これ時間的ファクター。これを信じるか信じないか。

口語訳 伝  11:1
11:1 あなたのパンを水の上に投げよ、多くの日の後、あなたはそれを得るからである。


●多くの日の後。それは10年か40年か、否一生かもわからないか、必ず聞かれる。

塚本訳 ルカ 4:16-21
4:16 それからお育ちになったナザレに行って、安息の日にいつものとおり礼拝堂に入り、(聖書を)朗読しようとして立たれた。
4:17 (係の者から)イザヤの預言書が手渡され、その巻物をお開けになると、こう書いた所が出てきた。──
4:18 『主の御霊がわたしの上にある、油を注いで(聖別して)くださったからである。主は貧しい人に福音を伝えるためにわたしを遣わされた。囚人に赦免を、盲人に視力の回復を告げ、』『押えつけられている者に自由をあたえ、』
4:19 『主の恵みの年(の来たこと)を告げさせるために。』
4:20 イエスは(読み終ると、)聖書を巻き、係の者に返して坐られた。礼拝堂にいる者の目が皆彼にそそがれた。
4:21 イエスは、「(今)あなた達が聞いたこの聖書の言葉は、今日(ここで)成就した」と言って話を始められた。


●救いの日は、時間的ファクター。仏教ではない。「時」が重要。

塚本訳 Ⅱコリ6:2
6:2 『恵みの時にわたしはあなたの願いを聞きとどけ、救いの日にわたしはあなたを助けた。』と神は仰せられるではないか。見よ、今や『大いなる恵みの時』、見よ今や『救いの日』!


●救いには時間がかかる。しかし神には定めの時、ご計画の時がある。

塚本訳 ロマ 11:30-32
11:30 すなわち、かつては神に不従順であったあなた達が、今はこの人たちの不従順によって(神に)憐れみを施されたと同じに、
11:31 この人たちも今はあなた達の受ける憐れみに対して不従順になっているが、これは今(すぐにも)憐れみを施されるためである。
11:32 つまり神はすべての人を不従順の中に閉じこめられたが、これはすべての人に憐れみを施すためであった。


●救いには時間的順序があるのだ。ビリーグラハムの伝道のように今夜一挙に何百人も救うと言うのではなく、神は各人に人生苦を与えて順番に確実に救われるのだ。神に反発している人も神の手の内にある。

塚本訳 Ⅱコリ7:10
7:10 なぜなら、神の御心に沿った悲しみは、(人を)救いに入れる悔いのない悔改めをもたらすけれども、この世(的)の悲しみは、(絶望と)死をもたらすからである。


●人生の「悲しみ」という「のは時間内のこと。しかしその悲しみは御心、ご計画。

塚本訳 ルカ 4:24-26
4:24 また言われた、「アーメン、わたしは言う、いかなる預言者も、その郷里では歓迎されない。
4:25 本当にわたしは言う、(郷里でえらい働きをした預言者がどこにあるか。預言者)エリヤの時代に、三年六か月、天が閉じて(雨が降らず、)国中に大飢饉があった際、イスラエル人の中に多くの寡婦がいたのに、
4:26 そのだれの所にもエリヤは遣わされず、『(異教国)シドンのサレプタにいた一人の寡婦の所に』だけつかわされた。


●この世の不条理は時間内のこと。しかしこれは神の御計画。

塚本訳 ヘブ 12:11
12:11 あらゆる訓練(というもの)は、その当座は喜びとは見えず、かえって悲しみと見えるが、しかしあとで、それで鍛えた者に(まことの)義の実である平安を与えるのである。


●「その当座」も時間内のこと。時間的ファクター。
●「あらゆる訓練とは、病気、失業、不和、事件、事故、天災、戦争・・・・・

塚本訳 Ⅰコリ15:58
15:58 だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ。骨折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから


●主にある労苦、苦労、悩み、悲しみは無駄にならない。

塚本訳 ヤコ 5:16
5:16 だから互いに罪を告白し、医されるため互いのために祈れ。義人の(熱心な)祈りは働くと大きな力がある。


●友達を選ぶなら、こういう人を選べ。100人力だ。結婚に注意。

塚本訳 マタ 17:19-20
17:19 あとで弟子たちは人のいない時にイエスの所に来て言った、「なぜわたし達には悪鬼を追い出せなかったのでしょうか。」
17:20 彼らに言われた、「信仰が無いからだ。アーメン、わたしは言う、もしあなた達に芥子粒ほどでも信仰があれば、この山に向かい『ここからあそこに移れ』と言えば移り、あなた達に出来ないことは一つもない。」


塚本訳 マコ 9:28-29
9:28 家にかえられると、弟子たちは人のいない時に尋ねた、「なぜわたし達には霊を追い出せなかったのでしょうか。」
9:29 彼らに言われた、「この種類(の霊)は、祈り以外(の手段)では決して出てゆかせることは出来ない。


●病気は祈りで直す。医者に行く前にまず祈る。特に精神に病、依存症、認知症、・・・・自戒。

塚本訳 マコ 5:34
5:34 イエスは言われた、「娘よ、あなたの信仰がなおしたのだ。さよなら、『平安あれ。』もう病気をせず、達者でいなさい。」


●この女性は12年も病気で悩んでいた。(マルコ5:25)何の病気か。信仰が直した。

塚本訳 ルカ 17:6
17:6 主が言われた、「もしあなた達に芥子粒ほどでも信仰があれば、──(あなた達にはそれがないが、もしあれば)──この桑の木にむかい『抜けて海に植われ』と言っても、言うことを聞くであろう。


●桑の木の根は深い、しつこい。なかなか抜けない。医者が匙を投げる病気と同じ。

塚本訳 ルカ 18:1-8
18:1 なお、気を落さずに常に祈るべきことについて、一つの譬をひいて弟子たちに話された
18:2 「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官があった。
18:3 またその町に一人の寡婦がいた。いつもその裁判官の所に来ては、『(早く裁判をして)わたしのため敵に仕返しをしてください』と言っていた。
18:4 裁判官はしばらくの間は取り合おうとしなかったが、あとでひそかに考えた、『わたしは神を恐れず、人を人とも思わないが、
18:5 この寡婦はどうもうるさくて、やりきれないから、(裁判をして、)この女のために仕返しをしてやろう。そうしないと最後にはやって来て、わたしをどんなひどい目にあわせるか知れない。』」
18:6 それから主は言われた、「この不埒な裁判官の言うことを聞け。
18:7 (こんな男でもこのとおり。)まして神が、夜昼叫んでいるその選ばれた人々のために仕返し(の裁判)をせず、気長に放っておかれることがあろうか。
18:8 わたしは言う、間もなく彼らのために仕返しをされるであろう。しかし人の子(わたし)が来るときに、はたして地上に信仰(をもつ人)が見当るだろうか!」


●神の力を信じ貫けば神は予定を変更してでも心を動かすということ。
●この裁判官は気長ではない。せっかちだ。
●神の実行は「せっかち」。

塚本訳 ルカ 1:37-38
1:37 『神には何一つ出来ないことはない』のだから。」
1:38 マリヤは言った、「かしこまりました。わたしは主の召使、お言葉のとおりに成りますように。」天使はマリヤをはなれ去った。


塚本訳 ルカ 1:45
1:45 主の仰せられたことはきっと成就すると信じたこの人は、なんと仕合わせでしょう。」


●信仰は女性、さすがマリヤ。イエスの母だった。

塚本訳 ヨハ 11:25-27
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」
11:27 イエスに言う、「はい、主よ、(信じます。)あなたが救世主で、神の子で、世に来るべき方であると、私は信じています。


●信仰は女性。

塚本訳 Ⅱペテ3:8-9
3:8 愛する者よ、『主の前では』一日が千年の如く、『千年』が一『日の如く』である、この一つの事を忘れるな。
3:9 主は或る人達が遅いと考えているように約束を果たし給うのが遅いのでは(決して)ない。ただ何人の亡びることをも欲せず、凡ての者が悔い改めに到ることを欲して、君達に対し寛大であり給うのである。


●神は気長である。待つことに長けている。自戒。

塚本訳 Ⅰコリ13:4-7
13:4 愛はじっと辛抱する、愛は親切である。妬まない、愛は自慢しない、得意にならない。
13:5 無作法をしない、自分勝手をしない。激昂しない、『(人の)悪いことを根にもたない』。
13:6 偽りを見て喜ばない、むしろ真理を喜ぶ。
13:7 すべてを我慢し、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐え忍ぶ。


●神の力を信じ貫いて初めてこれが実行できる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想おわり

●妻と集会へ
●10:00 集会は茂木(司会)、高木(詩編の福音書への引用。次回から福音書から見た詩編。二本松の恵の動向について報告、感謝)、山本(第二テサロニケ、新教出版社版の塚本訳について)
●帰途は信濃町の駅まで、高木さんと懇談
●午後、トミ子はコーラスのレッスン
●15:30 TSK日本語版詩篇48篇

















トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


私はなぜキリスト信者か ++++++++ 所感

2014/03/08 05:16

1403088(土)3時目覚め、闇の囁き「起きよ」で4時起床。

塚本訳 使 26:16
26:16 さあ、起きて、『自分の足で立て。』わたしが(今)現われたのは、君を選んで、わたしを見たことと、(今からも)君に現われて示すこととの証人として、わたしに仕えさせるためである。


●来月、アラブ首長国連合のドバイを訪れることになったので、これを機会に「イスラム教」の勉強をし始めた。
●政治的にも、経済的にも、宗教的にも世界を二分するのはキリスト教対イスラム教である。
●そして私はたまたまキリスト信者である。その理由を考えるためにも良いチャンスである。
●4月13日の集会感話は次のようにしようと考える。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

イエスは預言者の一人かそれとも神の子か

・・・・なぜ私はキリスト信者なのだろう・・・

    
   2014.4.13 東京聖書読者会 高橋照男

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●ユダヤ教もイスラム教もイエスを預言者の一人とみなして「神の子」とは認めない。
●それにもかかわらず、私はなぜイエスを神の子と信じるキリスト教徒なのか。
●今朝はこれを巡って、聖書のあちこちを思いつくままに並べてみよう。
●私がなぜキリスト信者であることの合理的説明は出来ない。それは追い込まれて信仰するようになったのである。たまたまそれがキリスト教だっただけである。そして離れられなくなっているのである。「凝って」いるのである。
●しかしその内的原理は同じ体験をした多くの人達がいるので、それが補強になる。

塚本訳 マタ 16:13-17
16:13 ピリポ・カイザリヤ地方に行かれたとき、イエスはこう言って弟子たちに尋ねられた、「世間の人は人の子(わたし)のことをなんと言っているか。」
16:14 彼らが言った、「あるいは洗礼者ヨハネ、あるいは預言者エリヤ、あるいはエレミヤとか(昔の)普通の預言者とか言う者があります。」
16:15 彼らに言われる、「では、あなた達はわたしのことをなんと言うのか。」
16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主、生ける神の子であります!」
16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから。


●この部分は、聖書学の立場からすれば、おそらくイエス自身の言葉ではないかもしれないが、言わんとしている内容は真理だ。つまりイエスを神の子と告白せしめるのは神の働きだと言うのである。
●14節。普通の預言者。ユダヤ教はイエスを来るべき救世主(キリスト)とは認めていない。イスラム教も同じである。イスラム教はムハンマド(マホメット)を最後で最高の預言者と崇めている。
●預言者の定義は「神の託宣を告げる者」である。 モーセ、エリヤ、エレミヤ、イザヤ、ヨナ、ダニエル、エリシャ、洗礼者ヨハネなどは代表的な預言者であるが、「神の託宣を告げる」という定義からすれば一般の祭司職も預言者となるから イスラエルにおいて誰が真の預言者であるか、それは線引きができない。しかしそれは要するに「人間」の域を出ない。
●ペテロはここで、イエスを人間である預言者ではなく「神の子」と告白したので、ここにキリスト教発生の起源がある。ユダヤ教もイスラム教もイエスに対してこの告白はしない。あくまでイエスは人間であって「普通の預言者」である。


●イエスが出現したとき、民衆はイエスのことを「預言者が現れた」と思った。

塚本訳 ルカ 7:15-16
7:15 すると死人が起き上がって物を言い出した。イエスは『彼を母に渡された。』
7:16 皆が恐れをいだいて、「大預言者がわたし達の間にあらわれた」とか、「神はその民を心にかけてくださった」とか言って、神を讃美した。

塚本訳 ルカ 7:39
7:39 イエスを招待したパリサイ人が見て、ひそかに思った、「もしもこの人が(ほんとうの)預言者だったら、自分にさわっている者がだれだか、どんな女だか、──罪の女だと分るはずであるのに!

塚本訳 ルカ 24:18-19
24:18 一人のクレオパという方が答えた、「(見れば御巡礼のようだが、)エルサレムに滞在していながら、あなただけは、この二三日の間にそこで起ったことを何も知らないのですか。」
24:19 彼らに言われた、「なんのことです。」彼らが言った、「ナザレ人イエスのことです。──この方はだれが見ても、神の目にさえも、業に言葉に力のある預言者であったのに

塚本訳 マタ 21:9-11
21:9 群衆は、イエスの前を行く者もあとについて行く者も、叫んで言った。──ダビデの子に『ホサナ!主の御名にて来られる方に祝福あれ。』いと高き所に『ホサナ!』
21:10 やがてエルサレムに着かれると、都中が「この人はだれだろう」と言って騒ぎたった。
21:11 「この人はガリラヤのナザレの預言者イエスだ」と群衆は言った。



●キリスト教の源流。「しかしわたしはあなた達に言う」、 But I say to you(NKJV) にキリスト教の原点がある。


塚本訳 マタ 5:21-22
5:21 (だからわたしの戒めは彼らよりもきびしい。)──あなた達は昔の人が(モーセから、『人を)殺してはならない、』殺した者は裁判所で罰せられる、と命じられたことを聞いたであろう。
5:22 しかしわたしはあなた達に言う、兄弟に腹をたてる者は皆、(ただそれだけの理由で、天国の)裁判所で罰せられる。兄弟に馬鹿と言う者は、最高法院で罰せられる。畜生と言う者は、火の地獄で罰せられる。

5:22 "塚本訳 マタ 5:27-28
5:27 あなた達は(昔の人がモーセから、)『姦淫をしてはならない』と命じられたことを聞いたであろう。
5:28 しかしわたしはあなた達に言う、情欲をもって人妻を見る者は皆、(見ただけで)すでに心の中でその女を姦淫したのである。

塚本訳 マタ 5:33-34
5:33 さらにあなた達は昔の人が(モーセから)、『偽りの誓いをしてはならない、』また『誓ったことは主に対して果たさねばならない』と命じられたことを聞いたであろう。
5:34 しかしわたしはあなた達に言う、いっさい誓ってはならない。神の御名はもちろん、『天』にかけても(誓ってはならない)。(天は)『神の御座である』から。


塚本訳 マタ 5:38-42
5:38 あなた達は(昔の人がモーセから、)『目には目、歯には歯』──(人の目をつぶした者は自分の目で、人の歯を折った者は自分の歯で、つぐなわなければならない)と命じられたことを聞いたであろう。
5:39 しかしわたしはあなた達に言う、悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打ったら、左をも向けよ。
5:40 (裁判所に)訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせてやれ。
5:41 だれかが無理に一ミリオン[一キロ半]行かせようとするなら、一しょに二ミリオン行ってやれ。
5:42 求める者には与えよ、借りようとする者を断るな。


塚本訳 マタ 5:43-44
5:43 あなた達は(昔の人がモーセから、)『隣の人を愛し、』敵を憎まねばならない、と命じられたことを聞いたであろう。
5:44 しかしわたしはあなた達に言う、敵を愛せよ。自分を迫害する者のために祈れ。


●この5か所の「しかしわたしはあなた達に言う」、 But I say to you(NKJV) にキリスト教の源流がある。世界を二分する原因がある。イエス自身に、自分は昔の預言者とは違うのだという圧倒的な自意識があった。
●ユダヤ教も、イスラム教もイエスのこの自意識に頭をカリカリさせるのだ。

塚本訳 マタ 7:28-29
7:28 イエスがこれらの話を終えられた時、一しょに聞いていた群衆はその教えに感心してしまった。
7:29 自分たちの聖書学者のようでなく、権威を持つ者のように教えられたからである。


●しかし文字ではなく、実際にイエスの人格的命を通してこれを聞いた「群衆」はその教えに不思議なる「権威」を感じた。
●今日の先鋭的な聖書学でも、イエスの教えは旧約のどこかにあるから、イエスに独自性はなく、後代教会の創作だとすることが多いが、群衆がイエスの言動に「権威を感じた」ことだけは疑えない史的事実だとみなしている。
●O先生は小さいころ今井館の日曜学校に通っていた。その話の内容はすっかり忘れたが、先生たちが「一生懸命に話していた」ことだけを覚えているという。これだ、この一生懸命さが福音伝道の基本なのだ。「何かありそうだ」と思わしめることが伝われば、日曜学校の使命は果たせたことになる。


●次にイエス自身の「自意識」(神学用語では「尊厳意識」という)を見てみよう。

塚本訳 マタ 22:41-46
22:41 イエスは(そこに)集まっているパリサイ人にお尋ねになった、
22:42 「あなた達は救世主のことをどう思うか。だれの子だろうか。」「ダビデの子」と答えると、
22:43 彼らに言われる、「ではダビデが御霊に感じて、救世主を主と呼んでいるのはどういう訳だろう。彼はこう言っている。──
22:44 『(神なる)主はわが主(救世主)に仰せられた、『わたしの右に坐りなさい、わたしがあなたの敵を(征服して)あなたの足の下に置くまで』と。』
22:45 だから、ダビデが(このように)救世主を主と呼んでいる以上、どういう訳で(その救世主が)ダビデの子であろうか。」
22:46 これにはだれ一人、一言も答えることが出来ず、またその日以後、もう問おうとする者もなかった。


塚本訳 マタ 12:6
12:6 わたしは言う、(ダビデ王よりも、祭司よりも、)宮よりも大きい者が(今)ここにいる


塚本訳 マタ 12:42
12:42 また、南の国(シバ)の女王がこの時代の人と一しょに(最後の)裁きの(法廷に)あらわれて、この人たちの罪が決まるであろう。というのは、彼女は地の果てからソロモン(王)の知恵を聞きに(エルサレムに)来たが、(この人たちは、)いまここにソロモンよりも大きい者がいる(のに、それに耳を傾けない)からである。


塚本訳 ヨハ 8:53-58
8:53 君はまさか、われわれの父アブラハムよりもえらいというのではあるまい。アブラハムは死んだではないか。また預言者たちも死んだのに、いったい君は、自分を何だと思っているのか。」
8:54 イエスが答えられた、「もしわたしが自分に栄光を帰するなら、そんな栄光はなんにもならない。わたしに栄光を下さるのはわたしの父上で、あなた達が『われわれの神だ』と言っている方である。
8:55 あなた達はその方を知らない。わたしは知っている。もしわたしが『知らない』と言えば、あなた達と同じく嘘つきになろう。わたしはその方を知っており、またその言葉を守っている(からだ)。
8:56 あなた達の父アブラハムは、生きてわたしの日、(わたしが来て神の契約を成就するその日)を見ることを、楽しみにしていた。そして(実際)それを見て、喜んだ。」
8:57 するとユダヤ人がイエスに言った、「君はまだ五十にもならないのに、アブラハムに会ったのか。」
8:58 イエスは言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、アブラハムが生まれる前から、わたしはいたのだ。」


塚本訳 マタ 13:16-17
13:16 だが、あなた達の目は見、耳は聞くから幸いである。
13:17 アーメン、わたしは言う、多くの預言者と義人とは、あなた達が(いま)見ているものを見たい見たいと思ったが見られず、あなた達が(いま)聞いているものを聞きたい聞きたいと思ったが、聞かれなかったのである。


塚本訳 ルカ 10:23-24
10:23 それから特に弟子の方へ振り向いて言われた、「あなた達が(いま)見ているものを見る目は幸いである。
10:24 わたしは言う、多くの預言者と王とは、あなた達が(いま)見ているものを見たいと思ったが見られず、あなた達が(いま)聞いているものを聞きたいと思ったが、聞かれなかったのである。」


●今日の新約聖書学者は、イエスに神の子意識はなかったと言うが、(塚本虎二著作集第一巻月報、荒井献「イエスのいわゆる尊厳意識」)、聖書を聖霊に感じて読まないからこういうことになる。ホーッそう読むのかねーと感じる。いつの時代でも聖書で飯を食っている学者は世を惑わす。それは何か新しいギヨッとするオリジナリティがないと「商売」が上がったりだからだ。
●イエスは「聖書学者」を禍だと言った。

塚本訳 マタ 23:13
23:13 ああ禍だ、君たち聖書学者とパリサイ人、この偽善者!君たちは人々を天の国から締め出して、自分が入らないばかりか、入ろうとする者をも入らせないからだ。


塚本訳 ヘブ 3:5-6
3:5 なお『モーセは』、(将来預言者たちにより、また御子によって)語られるべきことを証するために、『(一人の)僕』として、『神の全家に忠実』であったが、
3:6 キリストは『神の家』の御子として忠実であった。そして(キリストを信ずる)わたし達は、そのキリストの家(の者)である。
もしわたし達が(大胆な)信頼と、希望の誇りとを最後まで堅く守っているならば。


●イエスの自意識の反響。

塚本訳 マタ 11:25
11:25 その時イエスは声をはげまして言われた、「天地の主なるお父様、(神の国の秘密に関する)これらのことを(この世の)賢い人、知恵者に隠して、幼児(のような人たち)にあらわされたことを、讃美いたします。


●クリスチャンを50年以上やっていると、救われた人の目をみて「さもあらん」と思うものだ。 何事にもトッポイ人間はよほどのことがなければ信仰をもてない。神にズタズタにされて、「ギブアップ」させられなければ信仰を持てない。幸いなるかな神に人生をズタズタ、ボロボロ、メチャクチャにされて「ギブアップ」「まいった」する人。


塚本訳 Ⅰコリ12:3
12:3 だから(霊の見分け方について、)あなた達に次のことを知らせる、神の霊に感じて語る者は、だれも 呪われよ、イエス!とは言わない、また聖霊に感じてでなければ、だれも、イエスは主と言うことは出来ない。


●イエスを主、ないし神の子と告白する人間は不思議な人間。神の力がその人に働く人。先のマタイ16:17と同じ。この告白をする人間はこの世的に社会的にどんなにみじめでも最高の人間。

塚本訳 Ⅱコリ3:16-17
3:16 『しかし彼らの心が主に帰るならば、その時ベールは取り除かれる。』
3:17 (ここで)主(と)は御霊(のこと)である。主の御霊のあるところには自由が(あるから、ベールが取り除かれるので)ある。


●最高の自由は御霊を戴くこと。 金持ちになること、政治的解放、夫(妻)の束縛からの脱出ではない。

塚本訳 ヨハ 8:31-34
8:31 すると信じたユダヤ人に言われた、「もしわたしの言葉に留まっておれば、あなた達は本当にわたしの弟子である。
8:32 真理を知り、その真理があなた達を自由にするであろう
。」
8:33 しかし彼らは(その意味がわからずに)答えた、「わたし達はアブラハムの子孫で(自由人で)ある。いまだかつてだれの奴隷にもなったことはない。どうして『あなた達は自由になる』と言われるのか。」
8:34 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、罪を犯す者は皆罪の奴隷である。


●人間は常に「自由を欲する」。教師、国家、夫、親、家庭、・・・しかしそれから自由になっても罪の奴隷ならば不自由。
●かって夫に「自由にさせて」と言って離婚したクリスチャンがいた。わたしはその双方を知っている。淋しい人生。出て行った彼女は本当に自由になれたのかなー。

塚本訳 エペ 1:17
1:17 われらの主イエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と黙示との霊を君達に与えて神の知識に至らせ給わんこと、


●イエスが神の子であることは、神ご自身がその人に「知恵と黙示との霊」を降す時に分からされる。これは実に特別な尊い感謝な光栄なことである。 文化勲章、ノーベル賞、名誉教授以上。


塚本訳 ピリ 2:6-11
2:6 彼は(先には)神の姿であり給うたが、神と等しくあることを棄て難いことと思わず、
2:7 かえって自分を空しうして人と同じ形になり、奴隷の姿を取り給うたのである。そして人の様で現れた彼は、
2:8 自ら謙り、死に至るまで、(然り、)十字架の死に至るまで(父なる神に)従順であり給うた。
2:9 それ故に神も彼を至高く上げ、凡ての名に優る(「主」なる)名を与え給うた
2:10 これはイエスの(この尊い)名の前に、天の上、地の上、地の下にある『万物が膝を屈め、
2:11
凡ての舌が』「イエス・キリストは主なり」と『告白して』父なる『神に』、栄光を帰せんためである。

●これは初代教会の古い讃美歌。イエスを神の子と信じる理論的説明は出来ない。わたしも「胸が熱くなり」「舌」がそう言わせるのだ。

塚本訳 Ⅰコリ1:9
1:9 神は誠実であられる。この神によって、御子なるわたし達の主イエス・キリストとの交わりに、あなた達は召されたのである


塚本訳 コロ 1:9
1:9 それ故私達もそのことを聞いた日から絶えず(神に)祈って、君達が御霊による凡ての知恵と聡明とを与えられて、神の御意を知る知識に満たされんことを求めている。


塚本訳 ピレ 1:6
1:6 (わたしの祈りは、)あなたの信仰の交わりがますますキリストへと強く働き、わたし達に賜わったすべての善の知識に達することである。


塚本訳 ピリ 1:2
1:2 私達の父なる神及び主イエス・キリストからの恩恵と平安、君達にあれ


塚本訳 Ⅱコリ13:13
13:13 主イエス・キリストの恩恵と、神の愛と、聖霊の交りとが、あなた達一同と共にあらんことを。

●最後のⅡコリ13:13はカトリック教会ではミサの最後、プロテスタント教会では礼拝の最後に会衆のために司祭や牧師が捧げる祈り。祝祷と言われる。
●無教会の内村鑑三がこれを行った事があるという。内村のやむにやまれぬ心からの願いであったのだろう。パウロの気持ちに合致したのであろう。集会の大先輩(故人)がこれを内村集会の一員として受けた時、非常な力を頂いたと言う。


●私がキリストから離れられない理由


塚本訳 ロマ 8:38-39
8:38 なぜなら、わたしは確信している、死でも命でも、天使でも支配(天使)でも、現在起こっていることでも将来起こることでも、権力(天使)でも、
8:39 高い所のものでも低い所のものでも、その他どんな創造物でも、わたし達の主キリスト・イエスによる神の愛から、わたし達を引き離すことはできない


塚本訳 ヨハ 6:67-69
6:67 するとイエスが十二人(の弟子)に言われた、「まさか、あなた達まで離れようと思っているのではあるまいね。」
6:68 シモン・ペテロが答えた、「主よ、(あなたを離れて)だれの所に行きましょう。永遠の生命の言葉はあなただけがお持ちです(から)。
6:69 あなたこそ神の聖者(救世主)であると、わたし達は信じております。また知っております。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

朝の黙想終わり。私はやっぱりキリストから離れられない。人は人。私は私。
















































トラックバック(0) | コメント(1) | top▲


赦せない苦しみ ++++++++ 所感

2014/03/07 06:31

140307(金)3時半目覚め●寝床で朝の黙想●「赦せない苦しみ」●どうしても赦せない人と、同じことをされても赦せる人がいることを自覚する。私の内なるこの違いは何なのか。不思議である。赦せる人がいることは「救い」である。今朝はこのことを巡って聖書のあちこちを黙想してみよう。思いつくまま、ひらめくまま。 「説教調」にならないように書く。

●カール・ヒルティの「眠られぬ夜のために」第一巻(小池辰雄訳)の冒頭は次の言葉から始まる。「眠られぬ夜は耐えがたい災厄(わざわい)である。」
●これと同じく、「赦せない人がいたまま迎える夜は耐えがたい苦しみである。」
●ヒルティは「眠られぬ夜のために」の上下巻を通じて、聖書に向かうように我々を導く。人に聞くよりも教会に行くよりも直接聖書を開いて「神の言葉」を聞いた方がよいと言うのだ。

塚本訳 ロマ 7:18-25
7:18 なぜなら、わたしの中には、すなわちわたしの肉の中には、(何一つ)善いものが住んでいないことを、わたしは知っている。良いことをしたいと思う意志はいつもわたしにあるが、(悲しいかな、)する力がないのである。
7:19 したいと思う善いことはせずに、したくないと思う悪いことばかりを、するからである。
7:20 ところで、したくないと思うことばかりをしているのだから、それをしているのはもはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪である。
7:21 だから、わたしが良いことをしたいと思えば、かならず悪いことがわたしに生まれるという法則があることを、発見する。
7:22 すなわち、(わたしの中に二つのわたしがあって、)内の人としてのわたしは神の律法を喜ぶが、
7:23 わたしの肢体にもう一つの(わたし、罪の)法則(を喜ぶ外の人としてのわたし)があり、(その神の律法を行おうとする)わたしの理性の法則と戦って、肢体にあるこの罪の法則の捕虜にすることを、経験するのである。
7:24 なんとわたしはみじめな人間だろう!だれがこの死の体から、わたしを救い出してくれるのだろうか。
7:25 ──神様、感謝します、わたし達の主イエス・キリストによって!──従って、このわたしは理性では神の律法に仕えるが、肉では罪の法則に仕えるのである。


●「人は赦さなければならない」がそれがどうしてもできないのが人間の「業」だ。そこに人間としての信者の苦悩がある。
●しかし一方、同じことをされても赦せてしまう相手がいる。この2重人格の不思議はどこから来るか。これは二元論でなく「人間論」である。(塚本虎二)
●日露戦争を反対した内村鑑三は、日本海海戦で日本がロシアに勝利したとき、四方の家に聞こえる大声で「万歳三唱した」。そして内村は言う「我が内なる二重の人格の不思議を怪しむ」と。
●天下のキリスト教国英国のチャーチル首唱は「悪魔(ソ連)と手を握ってもヒットラーを打つ」と演説した。
●息子の一人が小さいころ「(父さんはそういうけど、それが出来ないんだよなー」と言ったことがある。そして「父さんはいつも俺を攻撃する」と言った。彼は正直人間であった。神はそういう人間を喜ぶ。今にして思えば私は「律法主義」であった。反省、自戒


塚本訳 マタ 23:1-4
23:1 それからイエスは群衆と弟子たちにむかって語られた、
23:2 「聖書学者とパリサイ人はいまモーセの(後継ぎとしてその)椅子に坐っている。(彼らにはモーセの権威がある。)
23:3 だからなんでも彼らがあなた達に言うことを行い、また守れ。しかし、そのすることを真似てはならない。あの人たちは言うだけで行わないのだから。
23:4 すなわち思い荷をたばねて人の肩にのせながら、自分では(担ってやるどころか、)指一本でこれを動かしてやろうともしない。


●「人は赦せ」と人間が言う時、それは「説教」になる。赦せなくて苦しんでいる人に重荷を負わせることだ。
●過日、集会の先輩から「最近の高橋君の話は説教調になった」と注意された。反省反省、自戒自戒。 説教は信仰の堕落だ。福音伝道者のすることではない。

塚本訳 マタ 13:24-30
13:24 またほかの譬を群衆に示して言われた、「天の国は畑に良い種をまく人にたとえられる。
13:25 人々が(夜)眠っている間に敵が来て、麦の中に毒麦をまいて行った。
13:26 苗が芽生えて実を結ぶと、その時毒麦も現われた。
13:27 使用人たちが来て家の主人に言った、『ご主人、畑には良い種をまかれたのではないですか。すると毒麦はどこから来たのでしょうか。』
13:28 主人がこたえた、『敵のしわざだ。』使用人たちが言う、『では、行って抜き取りましょうか。』
13:29 主人が言う、『いや、毒麦を抜き取ろうとして、麦まで一しょに引き抜くかも知れない。
13:30 両方とも刈入れまで育つままにしておけ。刈入れの時、わたしが刈入れ人たちに言いつける、まず毒麦を抜き取り、束にしばって焼きすてよ、麦の方は集めて倉に入れよ、と。』」


●「敵は滅ぼせ」。これは人間の本能。なぜか。生きとし生けるものは「死ぬまい、死ぬまい」と思っているのだから。それが神から与えられて備わっている本能だから。

塚本訳 ヨハ 18:35-36
18:35 ピラトが答えた、「このわたしを、ユダヤ人とでも思っているのか。お前の国の人たち、ことに(その代表者の)大祭司連が、(その廉で)お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしでかしたのか。」
18:36 イエスが答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであったら、わたしの手下の者たちが、わたしをユダヤ人に渡すまいとして戦ったはずである。しかし実際のところ、わたしの国はこの世のものではない。」


●戦争回避、無抵抗主義は「私の国はこの世のものではない」というこの句が根拠とはならない。それは思想哲学の一種に過ぎない。その思想はグノーシス、厭世主義。力がない。仏教が世界宗教にならない原因はここにある。キリスト教の最大の敵はローマ帝国ではなくグノーシス主義であったと言われている。キリスト教が世界に進展して行って、我が国日本に最大の敵に遭遇した。仏教はグノーシス(霊肉分離の思想、霊魂不滅の思想)的だからである。我が国のキリスト教人口はまだ1%。

塚本訳 ルカ 22:47-51
22:47 イエスの言葉がまだ終らぬうちに、そこに一群の人があらわれた。十二人の一人である、前に言ったユダが先頭に立ち、イエスに接吻しようとして近寄ってきた。
22:48 イエスが言われた、「ユダ、接吻で人の子を売るのか。」
22:49 弟子たちはことの迫ったのを見て言った、「主よ、剣で切りまくりましょうか。」
22:50 そのうちのひとりの人が大祭司の下男に切りかかり、右の耳をそぎ落してしまった。
22:51 イエスは、「もうそれでよし」と言って、耳にさわってお直しになった。


●「主よ、剣で切りまくりましょうか」は人間の思い。それでいいのだそれでいいのだ。そのパワーを神は認める。忠臣蔵の赤穂浪士の心だ。 しかしイエスは違う。
●51節「もうそれでよし」とは神の子イエスの言葉として慰めである。説教ではなかった。 イエスは道徳家ではなかった。

塚本訳 マタ 26:50-54
26:50 イエスはユダに言われた、「友よ、そのために来たのではあるまいが!」その時人々が進み寄って、イエスに手をかけて捕えた。
26:51 すると、見よ、イエスと一しょにいた一人の人が手をのばして剣を抜き、大祭司の下男に切りかかって片耳をそぎ落してしまった。
26:52 その時イエスが言われる、「剣を鞘におさめよ。剣による者は皆、剣によって滅びる。
26:53 それとも、父上にお願いして十二軍団以上の天使を今すぐ送っていただくことが、わたしに出来ないと思うのか。
26:54 しかしそれでは、かならずこうなる、とある聖書の言葉は、どうして成就するのか。」


●イエスの無抵抗主義は52節が根拠ではない。54節が根拠である。

●次に人が相手を赦せる「原理」を見てみよう

塚本訳 マタ 18:21-35
18:21 その時ペテロが進み寄ってたずねた、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したとき、何度赦してやらねばなりませんか。七度まででしょうか。」
18:22 イエスがこたえられた、「いや、あなたに言う、七度までどころか、七十七度まで!
18:23 だから天の国は、王が家来たちとの貸し借りを清算しようとするのに似ている。
18:24 清算を始めると、(王に対し)一万タラント[三百億円]の借りのある家来がつれて来られた。
18:25 返すことができないので、主人は(その家来に、)自分も妻も子も持ち物も全部売って返すように命じた。
18:26 家来はひれ伏して、しきりに願った、『しばらく待ってください。全部お返ししますから。』
18:27 そこで主人は気の毒に思って、身柄をゆるした上、借金にまで棒を引いてやった。
18:28 ところがその家来は出ていって、自分に百デナリ[五万円]を借りているひとりの同僚に出合うと、これをつかまえ、喉頚をしめて、『借りているものを返せ』と言った。
18:29 同僚はひれ伏して、『ちょっと待ってくれ。返すから』と頼んだ。
18:30 しかし承知せず、(裁判官につれて)行って、負債を返すまで牢に入れた。
18:31 その人の同僚たちはこの出来事を見て非常に悲しみ、行って、出来事の一部始終を主人に報告した。
18:32 すると主人はその家来を呼び出して言う、『不埒な家来、あなたが頼んだから、わたしはあの負債に全部、棒を引いてやったのだ。
18:33 だからあなたもわたしに情をかけてもらったように、同僚に情をかけてやるべきではなかったのか。』
18:34 そこで主人は怒って、負債を全部返すまでその男を獄吏に引き渡した、(いう話。)
18:35 わたしの天の父上も、もしあなた達ひとりびとりが心から兄弟を赦さないならば、同じようにあなた達になさるであろう。」


●神が初めに私たちを赦してくださった。だから赦せるようになる。これは不思議な心理。「赦せ」ではない。赦せるようになるのだ。


塚本訳 ルカ 7:40-50
7:40 イエスが言われた、「シモン、あなたに言わねばならぬことがある。」彼が言う、「先生、言ってください。」イエスが言われる、
7:41 「ある金貸しに二人の債務者があった。一人は五百デナリ(二十五万円)、一人は五十デナリ(二万五千円)を借りていた。
7:42 返すことができないので、金貸しは二人(の借金)をゆるしてやった。とすると、二人のうち、どちらが余計に金貸しを愛するだろうか。」
7:43 シモンが答えた、「余計にゆるしてもらった方だと思います。」イエスは「あなたの判断は正しい」と言って、
7:44 女の方に振り向き、シモンに言われた、「この婦人を見たか。わたしがこの家に来たとき、あなたは足の水もくれないのに、この婦人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でふいてくれた。
7:45 あなたは接吻一つしてくれないのに、この婦人はわたしが(この家に)来たときから、わたしの足に接吻のしつづけである。
7:46 あなたは(普通の)油をすら頭に塗ってくれないのに、この婦人は(高価な)香油を足に塗ってくれた。
7:47 だから、わたしは言う、この婦人の多くの罪は赦されている。(いま)多くわたしを愛したのがその証拠である。赦され方の少ない者は、愛し方も少ない。」
7:48 そしてその女に言われた、「あなたの罪は赦されている。」
7:49 同席の者が(憤慨して)ひそかに考えた、「罪さえ赦す(という)この人はいったい何人だろう。」
7:50 しかしイエスは女に言われた、「あなたの信仰があなたを救った。『さよなら、平安あれ。』」

●神の赦しが先にあるから人を赦せるという心理。これプロテスタンティズム。

塚本訳 マタ 6:12-15
6:12 罪を赦してください、わたしたちも罪を犯した人を赦しましたから。
6:13 わたしたちを試みにあわせないで、悪から守ってください。
6:14 (祈る前に、まず人の罪を許さねばならない。)あなた達が人の過ちを赦してやれば、天の父上もあなた達を赦してくださるが、
6:15 人を赦さないならば、父上もあなた達の過ちを赦してくださらないであろう。


●これが含まれる「山上の説教」は救われた者の道徳。山上の説教を守ったからといって救われるのでもなく、守れなかったとしても救いに漏れることはない。
●J・エレミヤスによれば、「山上の説教」は初代教会が新しい参入者を迎え入れる時の入会問答がそのベースであったらしいという。こういう想像は「編集史」的学問であるが、今は下火。なぜか竜頭蛇尾で常に「だろう」とか「おそらく」がその結論だから。

塚本訳 ルカ 15:17-24
15:17 ここで(はじめて)本心に立ち返って言った。──お父さんのところでは、あんなに大勢の雇人に食べ物があり余っているのに、(息子の)このわたしは、ここで飢え死にしようとしている。……

(中略)
15:20 そして立ってその父の所へ出かけた。ところが、まだ遠く離れているのに、父は見つけて不憫に思い、駈けよって首に抱きついて接吻した。
15:21 息子は父に言った、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。もうあなたの息子と言われる資格はありません。……』
15:22 しかし父は(皆まで聞かず)召使たちに言った、『急いで、一番上等の着物をもって来て着せなさい。手に指輪を、足にお靴をはかせなさい。
15:23 それから肥えた小牛を引いてきて料理しなさい。みんなで食べてお祝いをしようではないか。
15:24 このわたしの息子は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。』そこで祝賀会が始まった。


●放蕩息子の父は初めから息子を赦していた。「可愛い者には旅をさせよ」。
●17節。「本心に立ち返って」は目が覚めてということだ。人間は「食えなくなる」か「監獄に入る」と
目が覚める。
●22節。一番上等の着物を着せよ。は次のところを連想させる。

塚本訳 マタ 22:1-14
22:1 イエスは言葉をつづけ、また譬をもって(パリサイ人たちに)話された、
22:2 「天の国は、王子のために結婚披露の宴会を催す王にたとえられる。
22:3 家来たちをやって宴会に招いた人たちを呼ばせたけれども、だれも来ようとはしなかった。
22:4 王は、招いた人たちにこう言え、と言って、重ねてほかの家来たちをやった、『いよいよ食事の用意ができました。牛と肥し飼いの家畜とを屠って、すっかり用意ができています。さあ、宴会においでください。』
22:5 しかし彼らはそれに構わず、一人は畑に、一人は商売に出かけ、
22:6 ほかの者は家来たちを捕らえてひどい目にあわせた上、殺してしまった。
22:7 王は憤り、軍隊をやってその人殺しどもをうち滅ぼし、その町を焼き払った。
22:8 それから家来たちに言う、『宴会の用意はできているが、招いた人は(客たる)資格のない者(ばかり)だ。
22:9 だから町の出口の所に行って、出会った者をだれでもよいから宴会に呼んでこい。』
22:10 家来たちは道に出ていって、出会った者を悪人でも善人でも皆集めてきたので、宴会場は客で一ぱいになった。
22:11 王は客を見ようとして入ってきたが、そこに礼服を着けていない者が一人いるのを見て
22:12 その人に言った、『君、礼服も着ずに、なんでここに入ってきたのか。』
その人が黙っていると、
22:13 王は家来たちに言った、『あの者の手足を縛って、外の真暗闇に放り出せ。そこでわめき、歯ぎしりするであろう。』
22:14 ──招かれる者は多いが、選ばれる者は少ないのだから。」


●最後の審判で、神は「悪人」にも礼服を貸し出す。罪人はそれを素直に受け取って汚いボロボロ人生を隠せばよいのだ。あーありがたい福音よ。神の子の言葉よ。
●神の赦しが先で行為は後。人間は行為で救われるのではない。
●矢内原忠雄先生の集会に韓国の信者が「見学に来た」ときのこと。先生は彼らを意識して、「韓国人はまず自分たちの罪を神に赦していただき、それから日本人を赦しなさい」と言われた。至言。
●日韓の平和の基礎はこの原理にある。平和運動から平和はこない。「キリストは我らの平和」(エペソ2:14)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

朝の黙想終わり。愛している人のことは赦せる。
 

●TSK日本語版詩編46編
●12:20 午後の散歩。風が冷たいので手袋をする。

2014_03070001.jpg 

今年の桜の開花は月末という。今は梅が満開だ。

2014_03070004.jpg 

夕食前にポストに行く。奥多摩連山の夕暮れ。

讃美歌

日くれて、四方は暗く わが魂は いと淋し。
寄る辺なき身の頼る 主よ 共に宿りませ。

●信ずる者には復活の希望、永遠の命の希望があるから、喜びだ。




























トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


この世は罰し神は赦す ++++++++ 所感

2014/03/06 07:48

140306(木)3時半目覚め●朝の啓示「この世は罰し、神は赦す●千葉県柏市の連続襲撃事件は世間を震撼させたが近所の人間が逮捕されてスピード解決した。この間警察は捜査員300人態勢で似顔絵など7万枚を配るなどして執拗に犯人に迫った。この世は悪を罰することにかけては神の手の一面を果たしている。マスコミも一丸となってその姿勢である。この世は「罪を罰する」。しかし神は罪を赦してこれを贖う。これが福音だ。今朝はこの事件を通じて思い浮かぶ聖句を黙想してみよう。

塚本訳 ロマ 13:4
13:4 官憲はあなたの最善のためにつくす神の召使であるから。しかしもし悪事をすれば、恐れねばならない。見えのために剣をささげているのではないのだから。官憲は神の召使で、悪事を行う者に対して(神の)怒りをあらわす復讐者である。


●かって会社(設計事務所勤務時代)の古自転車で近所に買い物に出かけ、交番の前を通り過ぎたとき、何気なく後ろを振り返ったら、その交番に立っていた警官が私の挙動を不審に思って猛スピードで私を追いかけてきた。このとき「挙動不審者」に目を付けるその「プロ精神」に舌を巻いたものだ。「官憲は神の召使い」だ。それは悪事を行う者に神の怒りを表す聖なる職業だ。
●悪は神でなくともこの世が罰する。

塚本訳 ロマ 13:1
13:1 人は皆上に立つ(国家の)官憲に服従せねばならない。神からではない官憲はなく、現存の官憲は(ことごとく)神から任命されたものであるから


●東日本大震災に関して、日本人が国家の官憲に整然と従っているのは世界の驚異の的。帰還困難地区の指定に素直に従う日本人は偉いものだ。他国でこんなことをしたら暴動が起こるであろう。
●過日今井館で、社会運動に熱心な人間にこの句を話したら、「この句はパウロの時代のことだ」と私を一蹴した。自分の腹を拝んで聖句をないがしろにする人間は今に見ておれ。「棘ある鞭を蹴るのは難し」(文語)だ。

塚本訳 使  26:14-15
26:14 わたし達が皆地上に倒れると、ヘブライ語で、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。刺の棒は蹴っても無駄だ』とわたしに言う声を聞きました。
26:15 わたしは言った、『主よ、あなたはどなたですか。』主が言われた、『わたしだ、君が迫害しているイエスだ。


●建築確認申請の時の心得。役人は絶対に騙せない。役人は悪を見抜くことが「仕事」だから、その点はプロだ。
●かって某社建築の最初の打ち合わせの時、その建築主(社長)は開口一番「違反建築で設計してください」と言った。その会社は間もなく潰れた。神は悪を見ていて、祝福しない。

口語訳 詩  37:34-37
37:34 主を待ち望め、その道を守れ。そうすれば、主はあなたを上げて、国を継がせられる。あなたは悪しき者の/断ち滅ぼされるのを見るであろう。
37:35 わたしは悪しき者が勝ち誇って、レバノンの香柏のようにそびえたつのを見た。
37:36 しかし、わたしが通り過ぎると、見よ、彼はいなかった。わたしは彼を尋ねたけれども見つからなかった。
37:37 全き人に目をそそぎ、直き人を見よ。おだやかな人には子孫がある。


●建築人生50年。熱心に設計した建物も、そこを通ってみると「無くなって」いる場合はその家や会社に悪が入り込んで神の祝福が去ったのだろう。淋しい。

口語訳 マタ 5:5
5:5 柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう

口語訳 出  20:12
20:12 あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである。

口語訳 詩  91:15-16
91:15 彼がわたしを呼ぶとき、わたしは彼に答える。わたしは彼の悩みのときに、共にいて、彼を救い、彼に光栄を与えよう。
91:16 わたしは長寿をもって彼を満ち足らせ、わが救を彼に示すであろう


●何事も、長く続くというのはそこに神の祝福があるからだ。神の祝福がない家も企業も人生も間もなく消える。嫌なヤツは放っておけ、時間がたてば消え失せる。忍耐、忍耐。神は見ている。
●と言って短命は神の祝福がないのではない。我々の長寿認識は「永遠の命」だ。イエス、パスカル、モーツァルト、シューベルト、キング牧師、・・・皆短命であった。

塚本訳 ヨハ 8:1-11
8:1 イエスはオリブ山に行かれた。
8:2 次の朝早く、また宮に行かれると、人々が皆あつまってきたので、座って教えておられた。
8:3 すると聖書学者とパリサイ人とが、姦淫の現行犯を押えられた女をつれてきた。みんなの真中に立たせて、
8:4 イエスに言う、「先生、この女は姦淫の現場を押えられたのです。
8:5 モーセは律法で、このような女を石で打ち殺すように命じていますが、あなたはなんと言われますか。」
8:6 こう言ったのは、イエスを試して、訴え出る口実を見つけるためであった。イエスは身をかがめて、黙って指で地の上に何か書いておられた。
8:7 しかし彼らがしつこく尋ねていると、身を起こして言われた、「あなた達の中で罪(をおかしたこと)のない者が、まずこの女に石を投げつけよ。」
8:8 そしてまた身をかがめて、地の上に何か書いておられた。
8:9 これを聞くと、彼らは皆(良心に責められ、)老人を始めとして、ひとりびとり出ていって、(最後に)ただイエスと、真中に立ったままの女とが残った。
8:10 イエスは身を起こして女に言われた、「女の人、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罰しなかったのか。」
8:11 「主よ、だれも」と女がこたえた。イエスが言われた、「わたしも罰しない。おかえり。今からはもう罪を犯さないように。」】


●人は罪人を裁き、罰するが神は赦すことの目に見える形。
●姦淫罪で殺されるべき女を赦したイエスは、この後ゴルゴダに向かったのだ。彼女の罪の贖いのためであった。律法は一点、一角も滅びない。

塚本訳 マコ 10:45
10:45 人の子(わたし)が来たのも仕えさせるためではない。仕えるため、多くの人のあがない金としてその命を与えるためである。


塚本訳 ヨハ 3:16
3:16 そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである


●この二つの句はイエス自身から出たものではあるまい。しかしその精神はイエスのものである。この精神が新約聖書全体に流れる通奏低音だ。

塚本訳 ロマ 5:20-21
5:20 (それなら律法は人を義として永遠の命を与えるためには役立たないのか。その通り。)律法は、過ちを増し強めるために第二義的に来たのである。しかし(神に感謝する、人の犯す)罪が増し強まれば、恩恵は豊かにあふれる。
5:21 これは罪が死を持って支配したように、恩恵も義をもって支配し、わたし達の主イエス・キリストによって、(わたし達を)永遠の命に入れるためである。


●人生の失敗もそれがために悔い改めに至れば恩恵だ

塚本訳 Ⅱコリ7:10
7:10 なぜなら、神の御心に沿った悲しみは、(人を)救いに入れる悔いのない悔改めをもたらすれども、この世(的)の悲しみは、(絶望と)死をもたらすからである。


●失敗人生また可なり。失敗は救いと永遠の生命への入り口。
●柏の殺人犯はおそらく死刑。しかしそのことによって反省し悔い改めれば、成功人生。なぜか。福音を信じれば永遠の命に生きられるから。死刑亦益だ。
●私の知る聖書ソフトの開発者は「教誨師」になった。
●ある死刑囚。収監中に悔い改めた。死刑執行の前に「一言祈らせてください」と言って長い祈りを捧げ終わると看守たちに、「長々とありがとうございました。これから父のもとに行きます」と言って死刑台に向かった。見送ったのは牧師一人であったという。万歳その死刑囚。万歳彼を見送った牧師。私はそういう人になりたい。
●柏の殺人犯は24歳。彼が悔い改めて福音を受け入れる者となりますように。そして永遠の命を得られますように。殺された人の家族もまた神の福音に接することができますように。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想おわり。イエスの贖罪の血潮はすべての罪から人を清める

●TSK日本語版詩編45編
●図書館に「コーラン」(井筒俊彦訳)を借りに行く。何事も原典を読まなければならない。

2014_03060002.jpg 

風が冷たい日。奥多摩連山の大岳。残念ながらもう登れない。

2014_03060003.jpg 

寒い風の鷹(多分)が飛んでいる。寒くないのかなー。
建築士としてはねぐらはどこなのかなーと考えてしまうのだ。







トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


滅びゆく者 ++++++++ 所感

2014/03/05 09:03

140305(水)4時目覚め●目覚めの黙示「滅びゆく者」●この最重要の難問は「人」に聞いてはいけない。聖書自身にに聞かなければならない。そしてまたそれを思想統一して「救いの神学」を打ち立ててはならない。そうするから無数の「教派」が出来るのだ。最重要の疑問は「聖書に聞かなければならない。●矢内原忠雄先生が最初に内村鑑三に聞いたことは「神を信じないで死んでいった母は救われるか」ということであった。内村鑑三は「サー分らんなー」と答えたと言う。矢内原先生、聞く相手が悪かった。人間に聞いてしまった。●これに対する内村の答えは2枚も3枚も上であった。「サー分らんなー」。●ここで内村が「救われる」とも「救われない」とも言わないところが無教会主義の無教会主義たるところである。●矢内原忠雄の悩み疑問は我々も同じである。母は、子供は、兄弟は、伴侶は、孫はどうなるのか。これ現実的な深刻な難問である。●そこで不肖私はこの最難問を「聖書で聖書を読む」方法で思いつくままに黙想してみよう。 ●パウロに聞くよりも福音書に聞く方がよい。パウロは人間だ。

塚本訳 ルカ 13:22-30
13:22 イエスは町々村々を通って教えながら、エルサレムへの旅行をつづけておられた。
13:23 するとある人が「主よ、救われる者は少ないでしょうか」と尋ねた。人々に言われた、
13:24 「全力を尽くして(今すぐ)狭い戸口から入りなさい。あなた達に言う、(あとになって)入ろうとしても、入れない者が多いのだから。
13:25 家の主人が立ち上がって戸をしめたあとで、あなた達が外に立って、『ご主人、あけてください』と言って戸をたたきつづけても、主人は、『わたしはあなた達がどこの人だか知らない』と答えるであろう。
13:26 その時あなた達はこう言い出すにちがいない、『わたし達はご一しょに飲んだり食べたりした者です。あなたはわたし達のところの大通りで教えてくださいました』と。
13:27 しかし主人は、『わたしはあなた達がどこの人だか知らない。『この悪者、みんな、わたしをはなれよ!』』と言うであろう。
13:28 あなた達はアブラハムやイサクやヤコブや、またすべての預言者たちが神の国におるのに、自分は外に放り出されるのを見て、そこでわめき、歯ぎしりするであろう。
13:29 また人々が『東から西から北から南から』来て、神の国で宴会につらなるであろう。
13:30 たしかに、最後であって一番になる者があり、一番であって最後になる者がある。」


●ここに重要な質問が神の子イエスに向けられている。
●これに対するイエスの答えは大脳皮質を満足させるものではなかった。まともに答えてない。
●しかしよーく読むと、自他ともに「滅びる者」と認識している者も駄目ではないらしい。
●人生、ドタンバでも必死に戸を叩けば開けてもらえるらしい。
●24節。塚本敷衍の(今すぐ)が重い。

塚本訳 マタ 22:1-14
22:1 イエスは言葉をつづけ、また譬をもって(パリサイ人たちに)話された、
22:2 「天の国は、王子のために結婚披露の宴会を催す王にたとえられる。
22:3 家来たちをやって宴会に招いた人たちを呼ばせたけれども、だれも来ようとはしなかった。
22:4 王は、招いた人たちにこう言え、と言って、重ねてほかの家来たちをやった、『いよいよ食事の用意ができました。牛と肥し飼いの家畜とを屠って、すっかり用意ができています。さあ、宴会においでください。』
22:5 しかし彼らはそれに構わず、一人は畑に、一人は商売に出かけ、
22:6 ほかの者は家来たちを捕らえてひどい目にあわせた上、殺してしまった。
22:7 王は憤り、軍隊をやってその人殺しどもをうち滅ぼし、その町を焼き払った。
22:8 それから家来たちに言う、『宴会の用意はできているが、招いた人は(客たる)資格のない者(ばかり)だ。
22:9 だから町の出口の所に行って、出会った者をだれでもよいから宴会に呼んでこい。』
22:10 家来たちは道に出ていって、出会った者を悪人でも善人でも皆集めてきたので、宴会場は客で一ぱいになった。
22:11 王は客を見ようとして入ってきたが、そこに礼服を着けていない者が一人いるのを見て
22:12 その人に言った、『君、礼服も着ずに、なんでここに入ってきたのか。』その人が黙っていると、
22:13 王は家来たちに言った、『あの者の手足を縛って、外の真暗闇に放り出せ。そこでわめき、歯ぎしりするであろう。』
22:14 ──招かれる者は多いが、選ばれる者は少ないのだから。」


●最後の日には悪人も善人も「一応」呼び出される。そして最終審査にかけられ、そこで貸衣装を素直に着れば、生前のまずい失敗の罪汚れの行いはすっかり隠されて『何食わぬ』顔で神の前に立てるのだ。あーありがたい。しかしそこで屁理屈を言って、「こんな俺になぜした。神に抗議する」などと言っていては救われない。「外の真暗闇に放り出」される」。これ「滅びゆく者」の姿。
●10節。かって、学校の恩師の葬儀をその夫人から頼まれた。夫人は無教会。「悪人」も呼ばれるのですか」と真剣に聞かれた。その晩、その夫人はこの22章10節を読ん安心されたらしい。
●この葬儀に参列したクラスメートは、私の式辞を聞いて、「親鸞の悪人正機」の「教え」を思ったと言う。しかしキリストと親鸞とは違う。親鸞は人間である。「悪人正機」は思想だ。

塚本訳 マタ 13:47-50
13:47 さらに、天の国は地曳網を海におろしてあらゆる種類(の魚)を取るのに似ている。
13:48 網が一ぱいになると岸に引き上げ、坐って、良いのは集めて入れ物にいれ、わるいのは投げすてるのである。
13:49 世の終りもそれと同じであろう。すなわち天使たちがあらわれ、義人の中から悪人どもを引き出して、
13:50 火の燃える炉に投げ込み、彼らはそこでわめき、歯ぎしりするであろう


●ここに「滅びる者」の姿がある。

塚本訳 マタ 13:24-30
13:24 またほかの譬を群衆に示して言われた、「天の国は畑に良い種をまく人にたとえられる。
13:25 人々が(夜)眠っている間に敵が来て、麦の中に毒麦をまいて行った。
13:26 苗が芽生えて実を結ぶと、その時毒麦も現われた。
13:27 使用人たちが来て家の主人に言った、『ご主人、畑には良い種をまかれたのではないですか。すると毒麦はどこから来たのでしょうか。』
13:28 主人がこたえた、『敵のしわざだ。』使用人たちが言う、『では、行って抜き取りましょうか。』
13:29 主人が言う、『いや、毒麦を抜き取ろうとして、麦まで一しょに引き抜くかも知れない。
13:30
両方とも刈入れまで育つままにしておけ。刈入れの時、わたしが刈入れ人たちに言いつける、まず毒麦を抜き取り、束にしばって焼きすてよ、麦の方は集めて倉に入れよ、と。』」

●最終審査は最後の日だ。


塚本訳 ルカ 2:28-34
2:28 シメオンは幼児を両腕に抱き、こう言って神を讃美した。──
2:29 今こそ、主よ、あなたはこの僕をしてお言葉のとおり安らかに(この世に)暇乞いをさせてくださいます、
2:30 わたしの目が『もうあなたの救いを拝見しました』からです。
2:31 この救いこそ、あなたが『全人類の(ため、その)目の前で』用意されたもの、
2:32 『異教人には啓示を、』あなたの民『イスラエルには栄光をあたえる』『光』であります。
2:33 幼児のことをこのように言うのを父と母とが不思議に思っていると、
2:34 シメオンは両親を祝福し、母マリヤに言った、「驚きなさるなよ、この幼児はイスラエルの多くの人を、(この方に対する態度によって)倒されたり立たせたりする、また、一つの目印となって(この世の烈しい)反対をうける、使命を負わされているのです。──


●イエスに対する態度で決まる。教会やクリスチャンに対する態度ではない。

塚本訳 ヨハ 5:26-29
5:26 父上は御自分で命を持っておられるように、子(たるわたし)にも命を持つことを許し、
5:27 かつ、裁きをする全権を子にお授けになった。人の子である(わたしは、人間の心がわかる)からである。
5:28 あなた達は(子が裁くという)このことを驚くに及ばない。
時が来ると、墓の中にいる者が皆子(たるわたし)の声を聞いて、
5:29 (墓から)出てくるからである。すなわち、善いことをした者は(永遠の)命にはいるために復活し、悪いことをした者は(死の)罰を受けるために復活する。


●「悪いことをした者」とは、善行を行わなかったことでもなく、福音を信じなかったkとでもない。最後の日の「義の衣」を着せられるときに「拒む」ことなのだ。


塚本訳 マタ 21:42-46
21:42 イエスは彼らに言われた、「あなた達は聖書で(この句を)まだ読んだことがないのか。──『大工たちが(役に立たぬと)捨てた石、それが隅の土台石になった。これは主のなされたことで、われわれの目には不思議である。』
21:43 だからわたしは言う、神の国はあなた達から取り上げられて、神の国の実を結ぶ(ほかの)国民に与えられるであろう。
21:44 そして(救世主なる)この石の上に(つまずき)倒れる人は打ち砕かれ、(最後の裁きの日に)この石が倒れかかる人は、粉微塵になるであろう。」
21:45 大祭司連とパリサイ人はこれらの譬を聞いて、イエスが自分達のことを言っておられることを知り、
21:46 怒ってイエスを捕らえようと思ったが、民衆(が騒ぎ出すの)を恐れた。民衆はイエスを預言者と思っていたからである。


●滅びるものの姿。イエスに対する態度。教会や信者の親父(オヤジ)に躓いてもよい。キリストだけには躓いてくれるな。

塚本訳 ヨハ 15:1-6
15:1 わたしがまことの葡萄の木、父上は栽培人である。
15:2 わたしについている蔓で実を結ばないものは、父上が皆それを切り取ってしまわれる。また実を結ぶものは、より多く実を結ぶように、皆それを奇麗に刈り込まれる。
15:3 あなた達はわたしが語った言葉(を受け入れること)によって(汚れを除かれ)、すでに奇麗になっている。
15:4 わたしに留っておれ。そうすればわたしもあなた達に留っている。ちょうど蔓が葡萄の木に留っていなければ、自分で実を結ぶことが出来ないように、あなた達もわたしに留っていなければ、実を結ぶことは出来ない。
15:5 わたしが葡萄の木、あなた達は蔓である。わたしに留っており、わたしもその人に留っている人だけが、多くの実を結ぶのである。あなた達はわたしを離れては、何一つすることは出来ないのだから。
15:6 人はわたしに留っていなければ、蔓のように投げ出されて枯れる。すると集められ、火の中に投げ込まれて焼かれる。


●「教会に留まっていなければならない」という意味ではない。生ける霊なるキリストに留まれ。

塚本訳 ルカ 15:21-24
15:21 息子は父に言った、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。もうあなたの息子と言われる資格はありません。……』
15:22 しかし父は(皆まで聞かず)召使たちに言った、『急いで、一番上等の着物をもって来て着せなさい。手に指輪を、足にお靴をはかせなさい。
15:23 それから肥えた小牛を引いてきて料理しなさい。みんなで食べてお祝いをしようではないか。
15:24 このわたしの息子は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。』そこで祝賀会が始まった。


塚本訳 ルカ 15:30-32
15:30 ところがあのあなたの息子、きたない女どもと一しょに、あなたの身代をくらいつぶしたあれがかえって来ると、肥えた小牛を御馳走されるのはどういうわけですか。』
15:31 父が言った、『まあまあ、坊や、お前はいつもわたしと一しょにいるではないか。わたしの物はみんなお前のものだ。
15:32 だが、喜び祝わずにはおられないではないか。このお前の弟は死んでいたのに生きかえり、いなくなっていたのに見つかったのだから。』」


●人の目には「死んでいた」息子も神によって、神の前に生き返る。人間の目に「滅びる者」であっても神は生き返らせる。
●過日、私が葬式を行ったM氏の子供の一人は故人と絶縁していて、M氏の葬儀にも来なかった。人間同士では「死んでいても」「滅んでいても」、神は生き返らせる。

塚本訳 マタ 7:13-14
7:13 狭い門から入りなさい。滅びに至る道は大きく、かつ広く、ここから入る者が多いのだから。
7:14 命にいたる門はなんと狭く、道は細く、それを見つける者の少ないことであろう!

●ここに「滅び」という言葉がある。今日、一流大学、一流企業、良縁、は「狭き門」。しかしそれは「滅びに至る道」。

塚本訳 ヨハ 17:12
17:12 わたしが一しょにいた間は、わたしに下さいましたあなたの名で彼らを守り、また保護していました。だから彼らのうちだれ一人滅びた者はありません。ただ聖書が成就するために、あの滅びの子(ユダ)が滅びただけです


●イエスはユダを赦していた。最後の晩餐でイエスはしきりにユダに翻意を促した。
●イエスの宿敵はサタン。人を憎まずサタンを憎め。

塚本訳 マタ 15:12-14
15:12 あとで弟子たちが来てイエスに言う、「パリサイ人がお話を聞いて腹を立てたことを御存じですか。」
15:13 イエスは答えられた、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜かれる。
15:14 あの人たちを放っておけ。盲人の手引をする盲人だ。盲人が盲人の手引をすれば、二人とも穴に落ちよう。」


●ダメなものは、人間が裁かなくても神が裁く。放っておけば枯れる。
●かって無謀な計画をした人がいたが、時が決着した。計画は挫折。
●それが御心かどうかは神が決める。「御心のままに、御心のままに」

塚本訳 マタ 13:10-13
13:10 弟子たちが進み寄って、「あの人たちにはなぜ譬をもって話をされますか」とたずねると、
13:11 答えられた、「あなた達(内輪の者)には、天の国の秘密をさとる力が授けられている(のでありのままに話す)が、あの(外の)人たちには授けられていないのだ
13:12 だれでも持っている人は(さらに)与えられてあり余るが、持たぬ人は、持っているものまでも取り上げられるのである。
13:13 だから、あの人たちには譬をもって話すのである。『見ても見えず、聞いても聞えず、また悟らない』からだ。


●信仰なき神学者(これがいるのだ!)の話はつまらない。滅びの者。

塚本訳 マタ 11:20-24
11:20 それから、数多くの奇蹟を行っていただいた町々が悔改めなかったので、これを叱り始められた、
11:21 「ああ禍だ、お前コラジン!ああ禍だ、お前ベツサイダ!わたしがお前たちの所で行っただけの奇蹟をツロやシドンで行ったなら、(あの堕落町でも、)とうの昔に粗布を着、灰の中で悔改めたにちがいないのだから。
11:22 ところでお前たちに言うが、裁きの日には、ツロやシドンの方が、まだお前たちよりも罰が軽いであろう。
11:23 それから、お前カペナウム、(わたしに特別に可愛がられたからとて、)まさか『天にまで挙げられる』などとは思っていないだろうね。(天に挙げられるどころか、)『お前は黄泉にまでたたき落されるであろう。』お前の所で行っただけの奇蹟をソドムで行ったなら、(あの堕落町でも、)きょうまで滅びずにいたにちがいないのだから。
11:24 ところでお前たちに言うが、裁きの日には、ソドムの地の方が、まだお前よりも罰が軽いであろう。」


●自分は神に可愛がられていると自負している者はうっかりすると「滅びる者」になる。

塚本訳 マタ 7:21-23
7:21 わたしに『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るのではない。わたしの天の父上の御心を行う者(だけ)が入るのである。
7:22 (最後の裁きの)かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、(入れてください。)『わたし達はあなたの名で伝道し、』あなたの名で悪鬼を追い出し、あなたの名で奇蹟を沢山行ったではありませんか』と言うであろう。
7:23 その時わたしは、はっきり彼らに言おう、『かってお前たちを弟子にした覚えはない。『この不届者、わたしを離れよ!』』と。


●これ「滅びる者」

塚本訳 マタ 19:27-30
19:27 その時、ペテロが口を出してイエスに言った、「でも、わたし達は(あの金持とちがいます。)この通り何もかもすてて、あなたの弟子になりました。わたし達にはいったいなんの褒美があるのでしょうか。」
19:28 イエスが彼らに言われた、「アーメン、わたしは言う、新しい世界が生まれて、人の子(わたし)が栄光の座につく時には、わたしの弟子になったあなた達十二人も十二の王座について、イスラエル(の民)の十二族を支配するのである。
19:29 そしてわたしのために家や兄弟や姉妹や父や母や畑をすてた者は一人のこらず、(この世で)その幾倍を受け、また(来るべき世では)永遠の命をいただくのである。
19:30 しかし(決して油断をしてはならない。)一番の者が最後になり、最後の者が一番になることが多い。


●「一番の者が最後になり」、とはこの世でキリストの冠の着いた職業や組織にいるから大丈夫と思っている者は、ほぼ「滅びる者」。なぜか。「最後の者が一番になることが多い。」とあるから。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想終わり。自分が「滅びの者」にならないように気をつけよう

●8:00 妻は婦人の読書会(塚本虎二著作集)の為、千駄ヶ谷へ。帰途は愛子のところに寄る 
●TSK日本語版詩編44編
●私の好きなクリスティナ・ロセッティの「風」という詩がネットで出ていた。風は神の霊。

作詞:C・G・ロセッティ、訳詞:西條八十、作曲:草川 信

1 誰が風を 見たでしょう
  僕もあなたも 見やしない
  けれど木(こ)の葉を ふるわせて
  風は 通りぬけてゆく

2 誰が風を 見たでしょう
  あなたも僕も 見やしない
  けれど樹立(こだち)が 頭をさげて
  風は 通りすぎてゆく

(原詩)
1. Who has seen the wind ?
   Neither I nor you;
   But when the leaves hang trembling
   The wind is passing thro'.

2. Who has seen the wind ?
   Neither you nor I;
   But when the trees bow down their heads
   The wind is passing by.



●次回感話のタイトルを変更

神の子の受難は我々の罪ための犠牲であった

―――それは、不条理不可解な人生苦により罪が赦されて分かる。―――












トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


キリストの受難の意味が分かる恩恵の日 ++++++++ 所感

2014/03/04 05:53

140304(火)4時半目覚め●朝の黙示「キリストの受難の意味が分かる恩恵の日」●次回集会感話の標題と副題を次のようにする。

 キリストの受難の意味が分かる恩恵の日・・・すべてのことが救いに役立つ・・・

●普通、「分かる」というのは頭で理解出来たというのだが、聖書的な意味は「心の目」が開かれることである。ルカは次のように言う。

塚本訳 ルカ 24:31-34
24:31 (その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。
24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。
24:33 時を移さず二人は立ち上がってエルサレムに引き返して見ると、十一人とその仲間とが集まっていて、
24:34 「ほんとうに主は復活して、シモン(・ペテロ)に御自分を現わされた」と話してくれた。

塚本訳 ルカ 24:44-47
24:44 それから彼らに言われた、「(あなた達が見聞きした)これらのことは、わたしがまだあなた達と一しょにいたとき、わたしについてモーセの律法と預言書と詩篇と[聖書]に書いてあることは一つのこらずきっと成就する、と話したその言葉(が実現したの)である。」
24:45 それから聖書をわからせるために彼らの心を開いて
24:46 言われた、「救世主は苦しみをうけて、三日目に死人の中から復活する。
24:47 また罪を赦されるための悔改め(の福音)が、その名においてすべての国の人に説かれる、エルサレムから始まって、と(聖書に)こう書いてある。


塚本訳 使 16:14
16:14 するとテアテラ町の紫毛織物の商人で、敬信家のルデヤという婦人が聞いていたが、主はその心を開いてパウロの話に耳を傾けさせられた。


●キリストの受難の意味が分かるのは、神の絶対恩恵による無条件の罪の赦しを通してである。今朝はロマ8章28節を黙想してみよう。●まず翻訳比較

文語訳 ロマ 8:28
8:28 神を愛する者、すなはち御旨によりて召されたる者の爲には、凡てのこと相働きて益となるを我らは知る。


口語訳 ロマ 8:28
8:28 神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。

塚本訳 ロマ 8:28
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。

新改訳 ロマ 8:28
8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。


新共同 ロマ 8:28
8:28 神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。


NKJV ロマ 8:28
8:28 And we know that all things work together for good to those who love God, to those who are the called according to His purpose.


TEV ロマ 8:28
8:28 We know that in all things God works for good with those who love him, those whom he has called according to his purpose.


●この句は、22年前に召された父から「耳にタコが出来るほど」聞かされたものである。私もこの句を子や孫に「遺産相続」しよう。 「信仰の遺産」だ。
●まずこれの人生体験による自分流の引照。引照の引用は、自分の体験により、自家薬篭中のものが一番良い。

塚本訳 マタ 5:3-5
5:3 ああ幸いだ、神に寄りすがる『貧しい人たち、』天の国はその人たちのものとなるのだから。
5:4 ああ幸いだ、『悲しんでいる人たち、』、(かの日に)『慰めていただく』のはその人たちだから。
5:5 ああ幸いだ、『(踏みつけられて)
じっと我慢している人たち、』、『(約束の)地(なる御国)を相続する』のはその人たちだから。


塚本訳 ルカ 6:20-22
6:20 イエスは目をあげ、(十二人の使徒その他の)弟子たちを見ながら話された。──「ああ幸いだ、『貧しい人たち、』神の国はあなた達のものとなるのだから。
6:21 ああ幸いだ、今飢えている人たち、(かの日に)満腹させられるのはあなた達だから。ああ幸いだ、今泣いている人たち、(かの日に)笑うのはあなた達だから。
6:22 人に憎まれる時、また、人の子(わたし)のゆえに除名されたり、罵られたり、悪様に言われたりする時には、あなた達は幸いである。


●一見不条理な不可解なところに神の大なる恵みの知恵が隠されていると私は信じる。神はこれを以って私達に神の愛の何であるkを教えられるのである。・・・・塚本虎二

塚本訳 マタ 24:34-36
24:34 アーメン、わたしは言う、これらのことが一つのこらずおこってしまうまでは、この時代は決して消え失せない。
24:35 天地は消え失せる、しかし(いま言った)わたしの言葉は決して消え失せない。
24:36 ただし(人の子の来る)その日と時間とは、ただ父上のほかだれも知らない。天の使いたちも知らない。


●神は私の身内をいつ救って下さるのか。それが毎日の心配であるが。神はその心配を私以上に心配していてくださることを信じよう。神にはご計画があるのだと信じよう。

塚本訳 Ⅱペテ3:8-9
3:8 愛する者よ、『主の前では』一日が千年の如く、『千年』が一『日の如く』である、この一つの事を忘れるな。
3:9 主は或る人達が遅いと考えているように約束を果たし給うのが遅いのでは(決して)ない。ただ何人の亡びることをも欲せず、凡ての者が悔い改めに到ることを欲して、君達に対し寛大であり給うのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想終わり

●TSK日本語版詩編43編

50年間会
員であった日本建築学会を退会することにした。淋しかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


退会届

 

私事、

このたび日本建築学会を退会させていただきます。                            会員番号  7003557

              名前    高橋照男

              退会理由  高齢のため。

 

ほぼ50年間大変お世話になりました。この間、鹿島出版会が受賞した建築学会文化賞において、その一員として祝賀会に招かれたことは光栄でした。よい思い出となりました。

貴会のますますのご繁栄をお祈り申し上げます。

 

2014年3月5日

                                                         高橋照男

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
建築学会退会届  おわり

●14年前に家が全焼したとき、無教会の伝道者で神学者の泉治典先生と御子息があきる野の仮住まいにまでわざわざ来られ、「これを機会に建築の仕事を捨てよ」と膝づめで迫られた。後姿を見送った時、神から遣わされた天使のように思えた。
●サーこれから聖書一本で行こう。復活伝承の一本で行こう。物理的家でなく、霊の家を建てる者になろう。泉先生も喜んで下さるであろう。

塚本訳 Ⅱコリ5:1
5:1 なぜ(こんな希望に生きることができるの)であろうか。
もし地上の家であるわたし達のこのテント、(この肉体)がこわれるならば、天に、神の建てられた建物、(人間の)手で造らない永遠の家をいただいていることを、わたし達は知っているからである。


塚本訳 Ⅰペテ2:5
2:5 そして君達自身も(主と同じく)活きた石として建てられて、霊の家となれ。これは君達が聖い祭司として、イエス・キリストによって神の御意に適う霊の供物を献げるためである。


●カメラのキタムラへ行って動画用にメモリーアップ。クラス10。4GBで698円は安い。それに比べてプリンターのカラーインクは激高。一個980円。何とかならないかなー。
●早速動画を撮影し、再生も成功。声も入るので驚き。

2014_03040001.jpg 

梅が満開。しかし風は冷たい。

早春賦


春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず

氷解け去り 葦は角ぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日も昨日も 雪の空
今日も昨日も 雪の空

春と聞かねば 知らでありしを
聞けば急かるる 胸の思いを
いかにせよとの この頃か
いかにせよとの この頃か




















●「待つ」ことは「母」の才能。「父」は下手。神の働きということの実在を信ずる信仰の差か。

塚本訳 Ⅰコリ13:4-5
13:4 愛はじっと辛抱する、愛は親切である。妬まない、愛は自慢しない、得意にならない。
13:5 無作法をしない、自分勝手をしない。激昂しない、『(人の)悪いことを根にもたない』。




●神の働きを信じてじっと待つ。これが出来るか出来ないかは信仰の差。自戒。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

朝の黙想 おわり

●TSK日本語版 詩編43編、5節なのですぐ終わった。
●約50年間会員であった日本建築学会を退会することになった。退会届を次のように書いて送った。一抹の寂しさがあった。

建築学会退会届
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


いかにして神の子の受難の意味がわかるか ++++++++ 所感

2014/03/03 08:49

140303(月)4時半目覚め●朝の啓示「いかにして神の子受難の意味が分かるか」●次回集会感話は3月30日。そのテーマが与えられた。●人生、あることが分かる日が来る。「子を持って知る親の恩」「故郷は遠くにありて思うもの。故郷の山はありがたきかな」「初めに神の方の愛があって、それに触れた人がしみじみと自分の罪を知る。」「ペテロはイエスの赦しの目を見て、さめざめと泣いた」「すべてのこと相働きて益となる」「人が先に神を愛するのではなく、神が先に人を赦して愛する」●心の目は神にきり開けられない。その開眼手術は神にのみできる。
●3月30日集会感話資料作成。
●TSK日本語版詩編41編
●BK 図書館、散歩

2014_03030004.jpg 

寒い日。きれいな空。メキシコ民謡「シェリトリンド」(きれいな空)
♫「春は名のみの風の寒さや」♫

2014_03030002.jpg 

過日の大雪のために壊れたハウス。困っているだろうなー。

口語訳 ヨブ 1:18-22
1:18 彼がなお語っているうちに、またひとりが来て言った、「あなたのむすこ、娘たちが第一の兄の家で食事をし、酒を飲んでいると、
1:19 荒野の方から大風が吹いてきて、家の四すみを撃ったので、あの若い人たちの上につぶれ落ちて、皆死にました。わたしはただひとりのがれて、あなたに告げるために来ました」。
1:20 このときヨブは起き上がり、上着を裂き、頭をそり、地に伏して拝し、
1:21 そして言った、/「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」。
1:22 すべてこの事においてヨブは罪を犯さず、また神に向かって愚かなことを言わなかった。


2014_03030001.jpg 

山は昨日は雪のようであった。デジカメ16倍ズーム。奥多摩連山の最高峰大岳山。

口語訳 詩  121:1-2
121:1 わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。
121:2 わが助けは、天と地を造られた主から来る。



トラックバック(0) | コメント(0) | top▲


心の目が開かれますように ++++++++ 所感

2014/03/02 07:11

140302(日)4時半起床●朝の啓示「心の目が開かれますように」

塚本訳 エペ 1:17-21
1:17 われらの主イエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と黙示との霊を君達に与えて神の知識に至らせ給わんこと、
1:18 また【君達の】心の目を明らかにして、神に召され(ることによって得)た希望の何であるか、『聖徒の受くる』光栄ある(天の)『相続財産』の富の何であるか、
1:19 また私達信者に対する神の能力の如何に絶大であるかを知らせ給わんことを願っている──この力強く働く神の威力こそ、
1:20 彼がこれをキリストの中に働かせ、彼を死人の中から蘇らせ、天上において、『己が右』、
1:21 凡ての「権威」「権力」「能力」「支配者」の上、またこの代ばかりでなく来世においてもありとあらゆる名という名の上に『坐らせ給うた』力である。

●福音は大脳皮質の知識ではない。霊の世界に入り込むことではない。神の力で「心の目」が開かれる事である。
●これは私達の同胞、家族、親族に対する心からの願いである。
●この啓示で、今日の集会感話の資料を土壇場で修正。

本日の集会感話
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

イエスの言葉は不思議であった

 

 主イエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と黙示との霊を君達に与えて神の知識に至らせ給わんこと、・・・を願う(エペ 1:17-19)  
                                           東京聖書読社会 
2014.3.2 高橋照男

 

① 問題の所在。イエスの言葉は不思議であった

①-1)塚本訳 マタ 27:12-14

27:12 大祭司連、長老たちから(いろいろと)訴えられたが、何もお答えにならなかった。

27:13 するとピラトが言った、「あんなにお前に不利益な証言をしているのが聞えないのか。」

27:14 イエスはただの一言もお答えにならなかったので、総督は不思議でならなかった

 

② イエスは神の子か。有体的復活の事実が有体的再臨の信仰を生んだ。

②-1)塚本訳 マタ 26:63-64

26:63 しかしイエスは黙っておられた。大祭司が言った、「生ける神に誓ってわれわれにこたえよ。お前が、神の子救世主(キリスト)か。

26:64 イエスは(はじめて口を開いて)彼に言われる、「(そう言われるなら)御意見にまかせる。だが、わたしは言う、あなた方は今後『人の子(わたし)が』『大能の(神の)右に坐り、』『天の雲に乗って来るのを』見るであろう。

 

②-2)塚本訳 ヨハ 20:15

20:16 (こう言って、また墓の方を向いていると、)イエスが「マリヤ!」と言われる。マリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う。(そしてイエスに抱きつこうとした。)

 

②-3)塚本訳 ヨハ 20:27-28

20:27 それから(すぐ)トマスに言われる、「指をここに持ってきて、わたしの手(の釘の跡)をよく見てごらん。手を持ってきて、わたしの脇腹に差し込んでみなさい。不信仰をやめて、信ずる者らしくしなさい。」

20:28 トマスがイエスに答えて言った、「わたしの主よ!わたしの神よ!

 

②-4)塚本訳 使  7:54-56

7:54 これを聞いて(法院にいた)人々は怒り心頭に発し、ステパノに向かって歯ぎしりした。7:55 しかしステパノは聖霊に満ちて天をじっと見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見ると、

7:56 「おお、天が開けた、人の子が見える、神の右に立っておられる!」と言った

 

②-5)塚本訳 使  26:14-15

26:14 わたし達が皆地上に倒れると、ヘブライ語で、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。刺の棒は蹴っても無駄だ』とわたしに言う声を聞きました。

26:15 わたしは言った、『主よ、あなたはどなたですか。』主が言われた、『わたしだ、君が迫害しているイエスだ。

 

②-6)塚本訳 Ⅰコリ15:3-6

15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、

15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること

15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。

15:6 そのあと、一度に五百人以上の兄弟に御自分を現わされた。そのうちの多数の者はいまでも生きてい(て、わたしが嘘を言っていないことを証明してくれ)る。もっともすでに眠った者もあるにはある。

 

②-7)塚本訳 Ⅰテサ4:14

4:14 私達が信ずるようにもしイエスが死んで復活し給うたならば、神はイエスによって眠った者をも同様にイエスと共に連れ来たり給うであろうから。

 

②-8)塚本訳 Ⅰペテ1:8

1:8 君達は彼を(目のあたり)見たことはないが、(これを)愛し、今も見ることは出来ないが、(これを)信じて、(既にかの日の)輝きに満ちた、言語に絶する喜悦を喜んでいる

 

③ お前がユダヤ人の王か

③-1)塚本訳 ルカ 23:3

23:3 ピラトがイエスに問うた、「お前が、ユダヤ人の王か。」答えて言われた、「(そう言われるなら)御意見にまかせる。」

 

③-2)塚本訳 Ⅰテモ6:15-16

6:15 その時が来れば、至幸唯一の主権者、王の王、主の主(なる神)は、(必ず)彼を(私達に)示し給うであろう。

6:16 神は(ただ)独り不死を有(たも)ち、近づき難き光に住み、誰一人これを見た者がなく、また見ることも出来ない。栄誉と永遠の権力彼にあれ!アーメン。

 

④真の権力者とは誰か

④-1)塚本訳 ヨハ 19:10-11

19:10 するとピラトが言う、「このわたしに口をきかないのか。わたしはお前を赦す権力があり、お前を十字架につける権力があることを、知らないのか。」

19:11 イエスは答えられた、「あなたは上[神]から授けられないかぎり、わたしに対してなんの権力もない。だから(あなたの罪はまだ軽いが、)わたしをあなたに売った者[ユダ]の罪は、あなたよりも重い。(あなたは官憲として神の命令を行なうだけだが、彼は自分の発意でやったのだから。)」

 

④-2)塚本訳 エペ 1:17-21

1:17 われらの主イエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と黙示との霊を君達に与えて神の知識に至らせ給わんこと、  1:18 また【君達の】心の目を明らかにして、神に召され(ることによって得)た希望の何であるか、『聖徒の受くる』光栄ある(天の)『相続財産』の富の何であるか、  1:19 また私達信者に対する神の能力の如何に絶大であるかを知らせ給わんことを願っている──この力強く働く神の威力こそ、1:20 彼がこれをキリストの中に働かせ、彼を死人の中から蘇らせ、天上において、『己が右』、 

1:21 凡ての「権威」「権力」「能力」「支配者」の上、またこの代ばかりでなく来世においてもありとあらゆる名という名の上に『坐らせ給うた』力である。

 

④-3)塚本訳   1:5-6

1:5 及び(第三に、死に至るまで)忠実な証人(であり、甦りによって、)死(から生命に生まれる)人(達)の長子(となり給うた者、そしてその故に)また地上の諸王の君侯(きみ)であり給うイエス・キリスト(──この三方)からの恩恵と平安とが、君達に在らんことを! 願わくは、私達を愛し、その血によって私達を罪から釈き放ち

1:6 斯くして私達を(来るべき)王国(の民となし、)その神また父への祭司となし給うた彼に、栄光と権力とが永遠より永遠にあらんことを! アーメン

 

⑤ 復活後の来世に結婚生活はあるか

⑤-1)塚本訳 ルカ 20:34-36

20:34 イエスは言われた、「この世の人はめとり嫁ぐけれども、

20:35 あの世にはいる資格を与えられて、死人の中から復活する者は、めとることもなく嫁ぐこともない。

20:36 復活によって生まれる彼らは、天使と同じであり、神の子であるので、もはや死ぬことが出来ない、(従って子を産む必要がない)からである。

 

⑤-2)塚本訳 Ⅰコリ7:25-26

7:25 また、(伝道する者を助けている)処女(おとめ)について(あなた達が書いて来ているが、これに)は、(離婚の場合のような)主の命令がわたしには(まだ)ない。しかし主の憐れみをうけて信頼されている者として、(わたし自身の)意見を述べる。

7:26 それで、わたしの考えでは、患難が目の前に迫っているのだから、これがよろしい、すなわち人は現状維持がよろしい

 

⑥ 納税問答。皇帝(カイザル)のものと神のものとの区別をどう考えるか

⑥-1)塚本訳 マタ 22:17-21

22:17 それで御意見を聞かせてください──(わたし達は異教人である)皇帝(カイザル)に、税を納めてよろしいでしょうか、よろしくないでしょうか。」

22:18 イエスは彼らの悪意を知って言われた、「なぜわたしを試すのか、この偽善者たち、

22:19 税の貨幣を見せなさい。」デナリ銀貨を差し出すと、 22:20 言われる、「これはだれの肖像か、まただれの銘か。」

22:21 「皇帝のです」と彼らが言う。すると言われる、「では皇帝(カイザル)のものは皇帝(カイザル)に、神のものは神に返せ。」

 

⑥-2)塚本訳 Ⅰコリ6:19

6:19 それとも、あなた達の体は神からいただいた聖霊の住んでおられるお宮で、自分のものでないことを、あなた達は知らないのか。

 

⑥-3)塚本訳 ロマ 12:1

12:1 (このように、神は偉大な計画によって人類を一人のこらず救おうとしておられるのであって、救いは確かである。)だから、兄弟たちよ、わたしは神のこの慈悲を指してあなた達に勧める。あなた達の体を(感謝のしるしとして神に)捧げよ。この生きた聖なる犠牲こそ、神のお気に入るものであり、(霊なる神を拝むにふさわしい、)あなた達の霊的な礼拝である。(あなた達の礼拝は動物を供えるような不合理なものでなく、全心全霊をささげる合理的な礼拝でなければならならない)

 

⑦ この世の権威に対する義務は人を「躓かせないため」。この世を相対化せよ

⑦-1)塚本訳 マタ 17:24-27

17:24 彼らがカペナウムに来たとき、宮の奉納金の取立て人がペテロの所に来て言った、「あなた達の先生は奉納金を納めないのか。」

17:25 ペテロが「もちろん、納められる」と言う。そして(イエスの)家に行くと、イエスの方から言い出された、「シモン、どう思うか、この世の王たちは官税や税をだれから取るだろうか。自分の子供たちだろうか、それとも余所の人からだろうか。」

17:26 「余所の人から」と答える。イエスは言われた、「それでは(神の)子供たちには(納める)義務はない

17:27 しかし人々をつまずかせないため、湖に出かけていって釣針を垂れよ。最初に釣れた魚を取って口をあけるとスタテル銀貨(二千円)が一つあるから、それを取って、わたしとあなたの分として取立て人に渡しなさい。」

 

⑦-2)塚本訳 ヨハ 18:36

18:36 イエスが答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであったら、わたしの手下の者たちが、わたしをユダヤ人に渡すまいとして戦ったはずである。しかし実際のところ、わたしの国はこの世のものではない。」

 

⑦-3)塚本訳ロマ 8:12

8:12 (こんなに大きな恩恵をいただいているの)だから、兄弟たちよ、わたし達は義務がある。(もちろん)肉に対して、肉的に生きる義務があるのではない。(神に対して、霊によって生きる義務があるのである。)

 

⑦-4)塚本訳 ルカ 16:11-13

16:11 だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。

 

⑦-5)塚本訳 ロマ 13:1

13:1 人は皆上に立つ(国家の)官憲に服従せねばならない。神からではない官憲はなく、現存の官憲は(ことごとく)神から任命されたものであるから

 

⑦-6)塚本訳 ロマ 13:6

13:6 それゆえに(同じ理由で、)あなた達は貢をも納めねばならない。官憲は神につかえる者であり、いま言った職務に全力をそそいでいるからである

 

⑦-7)塚本訳 エペ 6:5-7

6:5 奴隷達よ、キリストに対するように、畏れと戦きをもって真情からこの世の主人に従順なれ

6:6 ご機嫌取りのように、(主人の)目の前だけでなく、キリストの奴隷らしく心から神の御意(みこころ)を行え。

6:7 人でなく主に対するように喜びをもって事(つか)えよ。

 

⑦-8)塚本訳 Ⅰペテ2:12-15

2:12 異教人の中における歩き方を立派にせよ。(今)君達を悪いことをする者のように譏っている人達が、(君達の)立派な行動によって悟り、その(譏(そし)っていた)ことにおいて(かえって)『訪問(おとずれ)の日に』神を(信じ)崇める(に至らん)ためである

2:13 主の(立て給うたものであるが)故に、人間の凡ての制度に服従せよ。あるいは主権者として王に、

2:14 あるいは悪人を罰し善人を褒めるため王から遣わされた者としての総督達に(服従せよ)。

2:15 (君達の)善行によって、(君達を危険人物のように考えている)無理解な人達の無知(な非難)を沈黙させることは、神の御旨であるからである。

2:16 (しかし君達は自由の人であるから、)自由の人としてこれをせよ。ただその自由を悪の覆いとせず、かえって神の奴隷としてこれをせよ

 

⑧ 復活のキリストを信じるためには親を捨てよ、子を捨てよ、血族を捨てよ

⑧-1)塚本訳 マコ 10:29-30

10:29 イエスは言われた、「アーメン、あなた達に言う、わたしのため、また福音のために、家や兄弟や姉妹や母や父や子や畑をすてた者で、

10:30 今、この世で──迫害のうちにおいてではあるが──百倍の家と兄弟と姉妹と母と子と畑とを、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。

 

⑧-2)塚本訳 マコ 3:20-21

3:20 家にかえられると、また群衆が集まってきて、みんなは食事すら出来なかった。

3:21 身内の者たちが(イエスの様子を)聞いて(ナザレからカペナウムへ)取りおさえに出てきた。「気が狂っている」と思ったのである。

 

⑧-3)塚本訳 使  1:12-14

1:12 それから彼らは、(このことのあった)いわゆるオリブ山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムに近く、安息日の旅行距離[八百八十メートル]ほど)であった。

1:13 (都に)入ると、彼らはいつも泊まっている二階の部屋に上がった。それはペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党のシモンとヤコブの子ユダ(の十一人)であった。

1:14 この人々は皆、女たち、とりわけイエスの母マリヤや、イエスの兄弟たちと、心を一つにして祈りに余念がなかった

 

⑧-4)塚本訳 Ⅱコリ2:14-16

2:14 しかし神に感謝せねばならない。神はいつでもわたし達をキリストによる凱旋行列に(虜として)引き回し、至る所でわたし達を通して御自分を知らせる知識の薫りをお広めになる。

2:15 というのは、わたし達は救われる者の間でも、滅びゆく者の間でも、神にささげられるためのキリストのよい薫である

2:16 ある者には、死から死へみちびく薫であるが、ある者には、命から命へみちびく薫りである。(ああ、)一体だれにこんなことが勤まろう。

 

⑨ 救世主(キリスト)は死ぬことになっていたことは旧約の預言だったのか

⑨-1)塚本訳 マタ 16:21-22

16:21 この時から、イエスは自分が(神の計画どおり)エルサレムに行って、長老、大祭司連、聖書学者たちから多くの苦しみをうけ、殺され、そして三日目に復活せねばならないことを弟子たちに示し始められた。

16:22 するとペテロはイエスをわきへ引っ張っていって、「主よ、とんでもない。そんなことは絶対にいけません!」と言って忠告を始めた。(救世主(キリスト)が死ぬなどとは考えられなかったのである。)

 

⑨-2)塚本訳 マタ 21:42-44

21:42 イエスは彼らに言われた、「あなた達は聖書で(この句を)まだ読んだことがないのか。──『大工たちが(役に立たぬと)捨てた石、それが隅の土台石になった。これは主のなされたことで、われわれの目には不思議である。』  (詩編11822-23

21:43 だからわたしは言う、神の国はあなた達から取り上げられて、神の国の実を結ぶ(ほかの)国民に与えられるであろう。  

21:44 そして(救世主なる)この石の上に(つまずき)倒れる人は打ち砕かれ、(最後の裁きの日に)この石が倒れかかる人は、粉微塵になるであろう。

 

⑨-3)塚本訳 ヨハ 5:46

5:46 もしもあなた達がモーセ(の言うこと)を信じたら、わたしを信じたはずである。モーセはわたしのことを書いているのだから。

 

口語訳   21:9

21:9 モーセは青銅で一つのへびを造り、それをさおの上に掛けて置いた。すべてへびにかまれた者はその青銅のへびを仰いで見て生きた

 

⑨-4)塚本訳 ヨハ 13:5-7

13:5 それから盥に水を入れて、ひとりびとり弟子たちの足を洗っては、(腰に)巻いた手拭で拭き始められた。

13:6 こうしてシモン・ペテロの所まで来られると、ペテロが(こばんで)言う、「主よ、わたしの足を、あなたが洗われるのですか。」

13:7 イエスが答えて言われた、「わたしが何をしているのか、いまはあなたにわからない。(わたしがいなくなった)あとでさとるだろう。」

 

⑨-5)塚本訳 ルカ 24:27-32

塚本訳 ルカ 24:13-162627,31

24:13 するとちょうど同じ日に、二人の弟子がエルサレムから六十スタデオ[十一キロ半]離れたエマオという村へ歩いてゆきながら、

24:14 これらの出来事をあれやこれやと話し合っていた。

24:15 二人が(こうして)話したり議論したりしていると、(いつの間にか)御本人のイエスが近づいてきて、一しょに歩いておられたが、

24:16 二人は目をくらまされていたので、それと気がつかなかった。 ・・・(中略)・・・

24:26 救世主は栄光に入るために、そのような苦しみを受けねばならなかったのではないのですか。」

24:27 そして(預言者)モーセから始めて、すべての預言者が御自分につき聖書全体において言っていることを説明された。・・・(中略)・・・

24:31 その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。

24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。

 

⑨-6)塚本訳 ヨハ 20:7-9

20:7 また頭をつつんだ手拭は亜麻布と一しょになく、これだけ別の所に、包んだまま(の形)になっていた。

20:8 すると先に墓に着いたもう一人の弟子も入ってきて、見て、信じた

20:9 イエスは死人の中から復活されねばならないという聖書の言葉が、(この時まで)まだ彼らにわかっていなかったのである。

 

⑨-7)塚本訳 ヨハ 2:19-22

2:19 イエスは答えられた、「このお宮をこわせ、三日で造ってみせるから。」

2:20 ユダヤ人が言った、「このお宮を建てるには四十六年もかかったのに、あなたは三日で造るというのか。」

2:21 しかしイエスは自分の体のことを宮と言われたのであった。

2:22 だから死人の中から復活された時、弟子たちはこう言われたことを思い出して、聖書とイエスの言われた言葉と(が本当であること)を信じた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本日の集会感話 おわり。

●ユダヤ教からキリスト教が誕生し、イエスを預言者の一人としてきり見ないイスラム勢力がある中でmなおキリスト教が存立する理由はただ一つ、神の子イエスの有体的復活である。これがあらゆる思想、運動、主義、信条、宗教にまさる「威力」である。
●神の力が各人に臨んで「心の目」が開かれ、この真の知恵、真の知識が我ら同胞家族に分かる日の来ますように。
●妻と集会へ。宮崎(司会)、小寺(塚本講演、エペソ書)、高橋(イエスの言葉は不思議であった)
●14:00 今井館「若ものと語る シンポジウム」日本で学び考えたこと
 
李 和書(りへす)台湾、「台湾人の日本に対する歴史意識」
近東明(りへす)韓国、「日韓関係-1970年代から学ぼう」
ダン・ブ・ホアイ・チン、ベトナム、「国際人とは」
フロアーとの討論が良かった。私は「キリストは我らの平和。真の国際性はキリストの血で洗われなければ無理」と発言した。
●帰途、NHさんと私達で荻窪で会食。

トラックバック(0) | コメント(0) | top▲




| Top | Next
0814