to 日記と感想 2014年04月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170812(土)14:00お江戸こらりあーず演奏会、文京シビックホール
    170821(土)15:00お江戸コラリアーズ定期演奏会、文京公会堂
    170809     TW誕生日
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170708(土)14:00在宅医療説明会(キララホール)
    170707(金)10:00池谷医院
    170706      TM誕生日
    170702(日) 集会感話
    170701      TT誕生日
    170630(金)12:20キララホールエントランスコンサート
    170628      IY誕生日
    170627(火)11:00 能城牧師来訪
    170625)日)10:10トミ子集会感話
    170625(日)14:00茅ヶ崎金子邸
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール
    170610(土)14:00内村鑑三セミナー、立教大学12号館。矢田部、椚」山
    170609(金)   TS命日
    170608(木)12:15ボリショイ「白鳥の湖」、東京文化会館
    170707(水)10:00池谷医院
    170604(日)10:00集会感話、
    170604(日)16:30近藤恵邸起工式、福島市。
    170530(火)14:00田岡氏来訪
    170527(土)14:00今井館ピアノコンサート
    170521(日)14:00新宿フィル、ブラームス1番、レスピーギ「鳥」「ローマの松」。和田睦夫
    170425       TN)誕生日
    150420(木)09:30阿伎留センター泌尿器科)
    170416(日)14:00武蔵野室内合奏団、杉並公会堂(大坪満子)


老化現象と死の悲しみ。聖書は何を教えてくれるか。 ++++++++ 所感

2014/04/30 06:11

140430(水)朝の黙想、「老化現象と死の悲しみ。聖書は何を教えてくれるか」●70歳を超えると肉体の衰えを感じ、老化現象が進む。私の場合は、腰痛、視力低下、難聴現象、記憶力低下。認知症になる不安、親族一同の罪、そして最後に「死の悲しみ」。●長寿は喜びであるが悲しみや不安も多いものだ。●これらを巡って聖書は何を教えてくれるのか。今朝はこれを巡ってあちこち黙想してみよう。

新共同 創  6:1-3
6:1 さて、地上に人が増え始め、娘たちが生まれた。
6:2 神の子らは、人の娘たちが美しいのを見て、おのおの選んだ者を妻にした。
6:3 主は言われた。「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。
人は肉にすぎないのだから。」こうして、人の一生は百二十年となった。

●これが肉の命の「寿命」の根拠。


口語訳 詩  90:9-10
90:9 われらのすべての日は、あなたの怒りによって過ぎ去り、われらの年の尽きるのは、ひと息のようです。
90:10 われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。


●現代日本では、男80歳、女85歳が平均寿命。70歳以上まで「しぶとく」生きた者は平均以上に長生きする。
●私の場合の平均余命は82歳。あと12年。12年はあっという間だ。12年前のことは明瞭に覚えている。ブログによる毎日の日記は18年前からある。過ぎ去ったことは隠すことは出来ない。

新共同 箴  16:31
16:31
白髪は輝く冠、神に従う道に見いだされる。

●長寿は神の祝福とは簡単に言えない。「憎まれっ子,世にはばかる」

口語訳 レビ 19:32
19:32 あなたは白髪の人の前では、起立しなければならない。また老人を敬い、あなたの神を恐れなければならない。わたしは主である。


●電車で、席を譲ってくれる若者の顔は立派。将来があるなーと思う。

口語訳 申  34:7-8
34:7 モーセは死んだ時、百二十歳であったが、目はかすまず、気力は衰えていなかった
34:8 イスラエルの人々はモアブの平野で三十日の間モーセのために泣いた。そしてモーセのために泣き悲しむ日はついに終った。


●ここに120歳という数値が出てくる。創世記6:3と同じだ。
●モーセの視力は衰えず、気力は衰えてなかったとは立派だ。 聖路加の日野原先生もこの年齢ぐらいまで生きられるのではないだろうか。


塚本訳 ルカ 2:25-26
2:25 さて(そのころ)エルサレムに名をシメオンという人がいた。この人は正しい、信心深い人で、イスラエルの慰め(である救世主)を待ち望み、聖霊が彼をはなれなかった。
2:26 かつ主の救世主を見ないうちは決して死なないと、かねて聖霊からお告げを受けていた。



塚本訳 ルカ 2:36-38
2:36 また、アセル族のパヌエルの娘に、アンナという女預言者があった。非常に年を取っていて、娘時代の後、七年の結婚生活をおくり、
2:37 (その後)八十四歳(の今日)まで寡婦ぐらしをしていた。(片時も)宮を離れず、夜も昼も断食と祈りとをもって(神に)奉仕していたが、
2:38 (シメオンが預言している)ちょうどその時、近寄ってきて(幼児について)神に感謝をささげ、またエルサレムの人々のあがないを待ち望むみんなの人に、この幼児のことを話した。


●この二人は理想的な老年像。
●ワイマールを訪れた時のこと。ガイドが一つの絵を見せた。それは、ゲーテの周りに10人以上の女性が描かれているものであった。ゲーテはこの町でこういう女性たちと「交際していた」という。
●ヒルティは「ゲーテのような享楽人生、(人脈自慢)は決して幸福ではない。彼は最後に『もっと光を』と叫んだではないか」と批判している。これは現代日本人の幸福感とも似ている。定年後はゆっくりと趣味教養習い事で遊ぼうという人生観である。やってみよ。決して心が満足しない。そういう声を現実に聞く。「ゴルフや詩吟がうまくなってもそれはそれだけのことだ」と。定年後にオーストラリアのゴールドコーストに移住してゴルフ三昧の生活をしても2~3年で飽きてしまうと言う。
●現代プロテスタント教会は老人の遊び場、老人病院の待合室、おしゃべりばかりに堕落している。

口語訳 創  5:24
5:24 エノクは神とともに歩み、神が彼を取られたので、いなくなった


●最も短い伝記。最上の伝記。                                          ●人は死ぬと家族や弟子たちから分厚い伝記を書かれる。悪い風習だ。頂いた方は絶対に読まない。本棚の場所塞ぎ。それを読む暇はない。
●モーセが死んだ時、イスラエルの人は30日間泣いた。(申命記34:8)。しかし我々は泣かれなくてよい。惜しまれなくてよい。クリスチャンはもともとこの世や家族から憎まれるのだ。

塚本訳 Ⅱコリ4:16
4:16 このゆえに、わたし達は気を落さない。いや、わたし達の(生れながらの)外の人はどんなにこわれていっても、(キリストによって生れた)内の人は一日一日と新しくされてゆく

●老化現象で気を落としてはいけないのだ。パウロ先生に叱られる。
●私の肉の父は晩年「外の人は壊れるが、内なる人は日々新しくされていく」と何かに書いた。するとそれを読まれた人が「自分もそうありたい」と言った。
●今日の老人問題の根本解決はこのパウロの言葉にある。
 
塚本訳 ヨハ 19:33-35
19:33 しかしイエスのところに来て、すでに死んであられるのを見ると、脛を折らずに、
19:34 (死をたしかめるため、)一人の兵卒が槍でその脇腹を突いた。すぐ血と水がながれ出た。
19:35 (実際)目で見た者[主の愛しておられた弟子]がこのことを証明している
。──その証明は信用すべきである。彼らは自分の言うことが真実であることを知っている。──(これを書くのは、イエスが神の子であることを)あなた達にも信じさせるためである。


●イエスは完全に死んだのだ。そのイエスが神によって有体的に復活させられたのだ。これは史実。これが希望の根拠。

塚本訳 Ⅰコリ15:3-5
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること

15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。


●パウロの必死の宣教はこれに尽きる。

塚本訳 Ⅰコリ15:43-49
15:43 恥辱の姿でまかれて栄光の姿に復活する。弱さの姿でまかれて力の姿に復活する。
15:44 (神の霊を持たない)魂だけの体がまかれて霊の体が復活する。魂だけの体がある以上は霊の体もあるわけである。
15:45 (聖書にも)このように書いてある、「最初の『人』アダム『は魂だけの生きものになり』、最後のアダム[キリスト]は命を与える霊になった」と。
15:46 しかし霊のものが最初でなく、魂だけのものであり、その次に霊のものである。
15:47 最初の『人は地から出て土で出来たものであり』、第二の人は天の出である。
15:48 土の人たちはこの土の人(アダム)のようであり、天の人たちはこの天の人(キリスト)のようである。
15:49
こうしてわたし達は土の人の姿を帯びたように、(復活の時は)天の人の姿を帯びるであろう。

●世の終わりに人は有体的に復活する。復活体で復活する。イエスは地上にいる場合、その実証をして見せた。(ナインの若者、死んだ娘、ラザロ)そして神はイエス自身を復活して見せた。これが死に対する恐怖が拭われる唯一の慰めだ。
●ところが堕落したキリスト教はこの有体的復活を説かない。信じない。だからお遊びの集団かヒューマニズムによる社会批判集団に落ちぶれている。

塚本訳 ヨハ 12:35
12:35 するとイエスは(それには答えず、)彼らに言われた、「もうしばらくの間、光はあなた達のところにある。光のある間に(早く)歩いて、暗闇に追い付かれないようにせよ。暗闇を歩く者は、自分がどこへ行くのか知らない。


●孫の一人が、「お母さんが死んだら淋しいなー」と言ったという。孫が「死を思い始めた」ことを喜ぶ。それは永遠の命の信仰への門前に立ったのだ。ラテン語の諺に「メメント・モリ(死を思え)」というのがある。
●この孫は母親が生きているうちに、神を知る者となれますように。「光あるうち光の中を歩め」。死の恐怖に追いつかれないようにせよ。

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朝の黙想終わり。これでまた6月1日の準備か出来た。


●新しい「聖書の読み方」。
聖書勉強の方法は、言語的探求、聖書学的探求が主流であったが、究極のそして最高に満足のいく方法は、「全聖書からその一か所の意味を解釈する」方法である。聖書は「和音」である。だからこの方法は間違いようがない。
●来る5月4日の感話は「エロイ、エロイ、ラマ サバクタニ」(マルコ15:34)である。古来、この解釈は詩編22編をイエスはどうとらえていたのかに重きが置かれて、それを言語学的、聖書学的からアプローチしてきたが、百家鳴争。決定打がない。
●しかしパソコンソフトの「Jバイブル」で「捨てない」をヒットすると旧約で15回、内詩編に7回もでてくる。新約で「捨」をヒットすると91回も出てくる。これらに全部目を通すと、イエスの臨終間際の心境が読めてくる。今後はこういう方法が正しい聖書読みの主流となるであろう。
●今の若い牧師や伝道者のパソコン能力は大したものだそうだ。


●イエスの有体的復活を信じない人

塚本訳 Ⅰコリ15:12-19
15:12 ところで、キリストが死人の中から復活しておられることが(こんなに)説かれ、(また信じられ)ているのに、死人の復活はないと主張する者があなた達の中にあるのは、いったいどうしてか。
15:13 しかし死人の復活がないのなら、キリストも復活しておられないわけである。
15:14 キリストが復活しておられないならば、わたし達の説教はそれこそ根拠がない。あなた達の信仰も根拠がない。
15:15 またわたし達は神の偽証者ともなるであろう。というのは、死人が復活しないということがもし事実なら、神が復活させられることもなかったキリストを、復活させられたと言って、わたし達は神に逆らう証言をしたことになるからである。
15:16 死人は復活しないのなら、キリストも復活しておられないのだから。
15:17 しかしキリストが復活しておられないならば、あなた達の信仰は無意味であり、あなた達はまだ自分の罪の中にいる。
15:18 従ってまたキリストを信じて眠った者も滅びたのである。
15:19 もしただこの生涯でキリストに望みをかけていただけ(で、来るべき世で満たされることがないの)なら、わたし達ほど同情すべき人間はない。


塚本訳 マタ 22:29-32
22:29 イエスは答えられた、「あなた達は聖書も神の力も知らないので、間違いをしている。
22:30 復活の折には、めとることもなく嫁ぐこともなく、ちょうど天の使いのようである。
22:31 死人の復活については、(聖書にはっきり書いてある。)神があなた達に言われたこの言葉を読んだことがないのか。──
22:32 『わたしはアブラハムの神、またイサクの神、またヤコブの神である』と。(ところで)神は死人の神ではなく、生きている者の神である。(だからアブラハム、イサクなども復活して、今生きているわけではないか。」

塚本訳 使  17:32-34
17:32 死人の復活と聞くと、嘲る者もあり、「そのことはまたいつかあなたに聞こう」と言う者もあった。
17:33 こんなことで、パウロは彼らの中から出ていった。
17:34 しかし数人の者は、弟子になって信仰に入った。その中にはアレオパゴス法院の裁判官デオヌシオと、ダマリスという婦人と、なおその他の人がいた。

塚本訳 使  23:6-9
23:6 そのときパウロは(役人の)一派はサドカイ人、一派はパリサイ人であるのを見て取り、法院で叫んだ、「兄弟の方々、わたしはパリサイ人で、しかもパリサイ人の子です。いま死人の復活の希望のために裁判されているのです。(わたしは復活のキリストを見たと言いますから。)」
23:7 彼がこう言うと、パリサイ人とサドカイ人とのあいだに意見の対立がおこり、法院が分裂した。
23:8 なぜならサドカイ人は復活も天使も霊もないと主張するのに対して、パリサイ人はこれを認めるからである。
23:9 とうとう大騒ぎになった。数人のパリサイ派の聖書学者は立ち上がり、こう言ってはげしく論争した、「この人には何の悪いことも認められない。それに、もし彼に(ダマスコで)霊か天使かが語ったのだったら──(それこそ大変だ!)」

塚本訳 使  24:20-21
24:20 あるいはまた(ここにいる)この(エルサレムの)人たち自身も、わたしが最高法院の前に立ったとき、どんな不正が(わたしに)認められたか、言ってみたまえ!
24:21 『わたしは死人の復活のためにきょうあなた達の前で裁判されているのです』と、みんなの中に立って叫んだその一言のほかに!」

塚本訳 使  26:23-25
26:23 すなわち、救世主は死なねばならないこと、彼は死人の中から最初に復活して、(イスラエルの)民にも異教人にも光を伝えねばならないことを…」
26:24 彼がこのように弁明したとき、フェストが大声で(それをさえぎって)言う、「パウロ、お前は気が狂っている。博学がお前を狂わせたのだ。」
26:25 パウロが言う、「フェスト閣下、気は狂っておりません。わたしは正気で真理の言葉を話しています。

塚本訳 Ⅰコリ15:1
15:1 また、わたしが思い出してもらいたいのは、兄弟たちよ、(以前)あなた達に伝え、あなた達が(喜んで)受けいれてくれて、(今日まで)それに立っている、あの(死人の復活についての)福音である。

●イエスの復活は死人の復活の「初穂」

塚本訳 Ⅰコリ15:20
15:20 しかしながら今、キリストは死人の中から復活しておられる、眠った者の(復活の)最初として。

塚本訳 ヤコ 1:17-18
1:17 (誘いは神から来るのではない。)あらゆる善い贈り物、あらゆる完い賜物が、上から、(もろもろの)光の父から下るのである。父には微塵も変化がなく、また星辰の運行から生ずる陰影も無い。(だから、こんな神から悪への誘いが来る訳が無いではないか。)
1:18 (のみならず、)彼は私達をその創造り給うた物の謂わば初穂たらしめようと思って、真理の言により私達を生み給うたのである。

塚本訳 黙  14:4
14:4 彼らは(その身を)女に汚されなかった人達である。(皆)童貞であるからである。彼らは(地上にあった時、)仔羊の行く所には何処にでも随いて行く(のを常とした)人達である。彼らは人々の中から買われて、神と仔羊とのために初穂(の献げ物)となった(人達である)。






































































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イエスの死は神の義を満足させた ++++++++ 所感

2014/04/29 06:42

140429(火)昭和の日。●朝の啓示「イエスの死は神の義を満足させた」●Jバイブルで「義」と「死」をand 検索して心にアーメンと共鳴するところにチェク入れてブログにアップ。Jバイブルは「聖書で聖書を読む」ための強力な武器。ミサイル以上。パソコンが出来る若い人におすすめ。必携。

●以下すべて塚本訳

ロマ 4: 25
このイエスこそ、わたし達の過ちのために死に引き渡され、またわたし達を義とするために復活された方である。

ロマ 5: 16
なお、(キリストの)賜物と一人の罪を犯した人の場合とは、同じではない。なぜなら、一人の人(の罪)に対する(神の)裁きは、(多くの人に)死の宣告を下したのであるが、(神の)賜物は、多くの(人をその)過ちから(救い出して)義とするからである。

ロマ 5: 17
一人の人によって、すなわち一人の人(アダム)の過ちによってすら死が支配するようになったくらいであるから、ましてあふれるばかりの恩恵と義とされる賜物とを戴いた者が、一人の人イエス・キリストにより(永遠の)命をもって支配するのは、もちろんであるからである。──

ロマ 5: 18
従って、一人の人の過ちによって全人類に死の宣告が下されたと同じに、一人の人の正しい行いによって、全人類に命を与える義が臨んだのである。

ロマ 5: 21
これは罪が死を持って支配したように、恩恵も義をもって支配し、わたし達の主イエス・キリストによって、(わたし達を)永遠の命に入れるためである

ガラ 2: 21
わたしは神の恩恵をないがしろにしない。もし律法によって義が来るならば、それこそキリストの死は犬死である

Ⅰペテ 2: 24
彼は『自ら私達の罪を』自分の身に『負って』木の上に『上り給うた』。私達が罪によっては死に、義によっては生きるためである。彼の『傷によって君達は医された』。

Ⅰペテ 3: 18

というのはキリスト(御自身)すら罪の(贖いの)ために、義しい人でありながら義しからぬ人々のために、ただ一度死に給うたのである。これは君達を神に連れ行くためで、彼は肉では殺され給うたが、霊では活かされ、

●以上は千古不易の不動の真理。ヴァチカンの巨大建造物に勝る世々変わらぬ動かしがたい大真理。人間は神の摂理によってこのことが分かれば、社会的にはみじめでも実質的に大勝利。最高の人生。

塚本訳 Ⅰペテ2:5-6
2:5 そして君達自身も(主と同じく)活きた石として建てられて、霊の家となれ。これは君達が聖い祭司として、イエス・キリストによって神の御意に適う霊の供物を献げるためである。
2:6 というのは『見よ、』われ『シオンに選びの石、尊き隅石を』置く』これを信ずる者は決して恥をかかされない。』と聖書にある。


●我々は「霊の家」。「聖い祭司」。「霊の供物」。物理的大カテドラルよりも偉大なるものだ。
●ところが最近の無教会主義集会は、建物がないのはもちろんであるが、中身もない、あるのは「社会批判のヒューマニズム」か「雑学知識増大のお遊び」。

塚本訳 ヨハ 2:19-22
2:19 イエスは答えられた、「このお宮をこわせ、三日で造ってみせるから。」
2:20 ユダヤ人が言った、「このお宮を建てるには四十六年もかかったのに、あなたは三日で造るというのか。」
2:21 しかしイエスは自分の体のことを宮と言われたのであった
2:22 だから死人の中から復活された時、弟子たちはこう言われたことを思い出して、聖書とイエスの言われた言葉と(が本当であること)を信じた。


●イエスの復活の霊が「大建築」「巨大建築」。中身なくして外側なし。外側があれば中身はなくてよいと言うわけにはいかない。それは中身がない駅弁。

●イエスの有体的復活が福音。新約聖書の中心。
●次にJバイブルで「死人」と「復活」をand検索し、心に共鳴するものをピックアップ。
●以下はすべて塚本訳

ヨハ  20: 9
イエスは死人の中から復活されねばならないという聖書の言葉が、(この時まで)まだ彼らにわかっていなかったのである。

使   4: 10
あなた方御一同はもとより、イスラエル国民全体も、このことを知ってほしい。ナザレ人イエス・キリスト──あなた方が十字架につけ、神が死人の中から復活させられた方──その名で、この人がよくなって、あなた方の前に立っているのです。

使   23: 6  
そのときパウロは(役人の)一派はサドカイ人、一派はパリサイ人であるのを見て取り、法院で叫んだ、「兄弟の方々、わたしはパリサイ人で、しかもパリサイ人の子です。いま死人の復活の希望のために裁判されているのです。(わたしは復活のキリストを見たと言いますから。)」

使   24: 21
『わたしは死人の復活のためにきょうあなた達の前で裁判されているのです』と、みんなの中に立って叫んだその一言のほかに!」

使   26: 8   
(あなた方はイエスの復活を信ぜず、従って彼が約束の救世主であることを信じようとされませんけれども、)神が死人を生きかえらせるということが、あなた方にはなぜそんなに信じ難いことと思われるのでしょうか。

ロマ  6: 4  
だからこの死への洗礼によって、彼とい一しょに(死んで一しょに)葬られたのである。これはキリストが父上の栄光によって死人の中から復活されたように、わたし達も(復活して)新しい命をもって歩くためである。

ロマ  7: 4 
だから、わたしの兄弟たちよ、(あなた達と律法との関係も同じである。)キリストの体(が十字架の上で死んだこと)によって、あなた達も律法との関係では(一しょに)殺されたのである。これはあなた達が(古い夫である律法の束縛をはなれ、)ほかの者、すなわち死人の中から復活された方、(新しい夫キリスト)のものになって、わたし達が神のために(善い)実を結ぶためである。

ロマ  8: 11 
しかしイエスを死人の中から復活させたお方の御霊があなた達の中に住んでおられるなら、キリスト・イエスを死人の中から復活させたそのお方は、あなた達の中に住んでおられるその御霊によって、あなた達の死ぬべき体をも生かしてくださるであろう。

ロマ  10: 9
つまり、あなたは『口で』イエスを主と告白して、『心で』神がイエスを死人の中から復活させられたことを信ずれば、救われる。

ロマ  11: 15
なぜなら(前に言ったように、)もしイスラエル人の捨てられたことが(異教人へ福音の来る結果になり、)世界(と神と)の和睦(をもたらす機縁)になったとすれば、彼らが(悔改めて神に)受け入れられることは、それこそ死人の中からの命(への復活、すなわち神の国来臨の徴)でなくてなんであろう。

Ⅰコリ 15: 1
また、わたしが思い出してもらいたいのは、兄弟たちよ、(以前)あなた達に伝え、あなた達が(喜んで)受けいれてくれて、(今日まで)それに立っている、あの(死人の復活についての)福音である。

Ⅰコリ 15: 12
ところで、キリストが死人の中から復活しておられることが(こんなに)説かれ、(また信じられ)ているのに、死人の復活はないと主張する者があなた達の中にあるのは、いったいどうしてか。

Ⅰコリ 15: 13
しかし死人の復活がないのなら、キリストも復活しておられないわけである。

Ⅰコリ 15: 15
またわたし達は神の偽証者ともなるであろう。というのは、死人が復活しないということがもし事実なら、神が復活させられることもなかったキリストを、復活させられたと言って、わたし達は神に逆らう証言をしたことになるからである。

Ⅰコリ 15: 16
死人は復活しないのなら、キリストも復活しておられないのだから。

Ⅰコリ 15: 20
しかしながら今、キリストは死人の中から復活しておられる、眠った者の(復活の)最初として。

Ⅰコリ 15: 21
というのは、一人の人によって死が来たので、同じく一人の人によって死人の復活が来るのである。

Ⅰコリ 15: 32
もしわたしが(復活の信仰からでなく、)人間的な思いからエペソで獣と戦ったとすれば、わたしにとってなんの得があろう。死人が復活しないのなら、『食おうじゃないか、飲もうじゃないか、どうせあしたは死ぬ身だ』である。

Ⅰコリ 15: 42
死人の復活もこのようである。(一つの体が死んで別の体が生まれる。)死滅の姿でまかれて不滅の姿に復活する。

Ⅰペテ 1: 3
讃美すべきかな、我らの主イエス・キリストの父なる神!彼は大なる憐憫により、イエス・キリストが死人の中から復活し給うたことをもって、私たちを活ける希望に新しく生み、


●以上、聖書の難解なところは語学的に聖書学的に探究するのも方法であろうが、全聖書から「聖書で聖書を読む」方法がベスト方法。
●この方法が一番心を満足させる。福音という「和音」になっているからである。
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朝の黙想終わり。心一杯、胸一杯

●TSK日本語版詩編80編
●14:00 混声合唱団「もくせい」第10回演奏会(於・昭島市公民館小ホール)。カメラマンを依頼されたので写真を沢山撮った。

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指揮者 小津準策、宗教曲に強い

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J・ラターの3曲。「The Load bless and keep you」はすばらしい。

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チェロ 高城晶一 バッハ「無伴奏チェロ組曲6番」よりサラバンド

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ベルゴレージ 「悲しみの聖母」

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ヴィヴァルディ「グローリア」

●終了後、Tさんから「娘が結婚することになりました」。Kさんから「来年はバッハの『ロ短調ミサ』をやります」と挨拶された。
カメラのキタムラに行って本日撮影したもののプリント。






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認知症と信仰 ++++++++ 所感

2014/04/28 08:00

140427(月)朝の黙想「認知症と信仰」●昨日の集会で妻は「自分は認知症になる可能性があるが、最後まで信仰を持ち続けたい」と語った。これは皆の前での公開の「告白」であった。●そこで今朝は「認知症と信仰」を巡って聖書の思いつくところを読み、心安んじたい。こういう場合、「人間」に聞くと振りまわされたあげく、心安んじない。神の言葉なる聖書に聞こう。


塚本訳 ロマ 10:8-13
10:8 しかしこれはいったい何を言っているのか。(キリストはすでに天から下り、また死人の中から復活されたので、もうそんな努力の必要はない、これも聖書にあるように、)『言葉はあなたに近い。あなたの口に、あなたの心にある』(というのである。)すなわちこの言葉こそ、わたし達が説いている信仰の言葉[福音]である。
10:9 つまり、あなたは『口で』イエスを主と告白して、『心で』神がイエスを死人の中から復活させられたことを信ずれば、救われる
10:10 『心で信じて義とされ、口で告白して救われるからである。──(こうわたし達は説いているのである。)
10:11 (なぜ信仰だけで救われるか。)『これ[キリスト]を信ずる者は』すべて、(最後の裁きの日に)『恥をかかないであろう』と聖書が言っているからである。
10:12 (「すべて」と言う以上、)ユダヤ人も異教人も、その間になんの差別もないのである。なぜなら、同じ一人の方がすべての人の主であって、御自分を呼ぶすべての人に、あり余る恩恵をお与えになるからである。
10:13 ほんとうに(預言者ヨエルが言うように、)『主[キリスト]の名を呼ぶ者はすべて救われる。』


●パウロは必死に説く、「信ずれば救われる。呼べば救われる」と、しかし「認知症」になればそれもできない。 ●かって集会の御婦人を「老人施設」に訪問したが、わたし達の顔がすっかりわからなくなっていた。淋しかった。あの人は信仰すらもわからなくなった」のであると思った。どうなるのだろう。パウロ先生「どう考えたらよいのでしょうか」。
 


塚本訳 ロマ 11:7-8
11:7 それでは、どうだろうか。(結局)イスラエル人は(全体として)自分のほしがっているものを得ることはできず、(ただ小数の)選ばれた者がこれを得たのである。ほかの者は(みな)頑なにされてしまった。
11:8 『神は彼らに』『麻酔の霊を』『与えて、目を見えなくし、耳を聞こえなくされた、今日に至るまで。』と書いてあるとおりである。


●認知症にさせられるのも神の御心。

塚本訳 ロマ 9:14-18
9:14 するとどういうことになるのだろうか。神に不公平でもあるのか。もちろん、そんなことはない。
9:15 その証拠には、神は(かつて)モーセにこう言われている、『わたしは憐れみたい者を憐れみ、慈悲をほどこしたい者に慈悲をほどこす』と。
9:16 従って(憐れみも慈悲も、)それは(人間の)願望にも努力にもよらず、ただ神の憐れみによるのである。
9:17 (反対に、憐れみを奪われる場合も同じである。)現に聖書は、パロ[エジプト王]にこう(神が仰せられたと)言っているではないか、』わたしがあなたを(王として)立てたのは、(あなたの心を頑固にして私の命令にそむかせ、)あなたによってわたしの力を示すため、また、わたしの名が全世界に知れわたるため、ただそのためであった』と。
9:18
従って神は思うままに、ある人を憐れみ、ある人を、』頑固にされる』(ことは明らかである。)


●信仰を持つ持たない、認知症になるならない。これすべて神の御心。神はすべてをご存知。

塚本訳 ロマ 8:26-30
8:26 しかし(創造物やわたし達神の子が苦しんでいると)同じように、御霊も、弱いわたし達を助けてくださる。すなわち、(神のみ心にかなうには)どう何を祈るべきかわからないので、御霊自身が、無言の呻きをもって(わたし達の祈りを神に)執り成してくださるのである。
8:27 しかし(人の)心を見抜くお方[神]は、御霊が何を求めているか、すなわち、御霊が神の御心にかなうように聖徒たちのために執り成しておられることを、(もちろん)御存じである。
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、
神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。
8:29 というのは、神は(世の始まる前に)あらかじめお選びになった人たちをば御子(キリスト)と同じ姿にすることを、あらかじめお定めになったからである。──これは(こうして出来た)多くの兄弟たちの中で、彼を長男にするためである。──
8:30 そして(時が来ると)あらかじめお定めになった人たちを召し、お召しになった人たちを義とし、義とした人たちには栄光をお与えになるだろう。


●「認知症」になるのも神の栄光のため。!。御心のままに、御心のままに。

塚本訳 ヨハ 9:1-3
9:1 イエスは通りがかりに、生まれつきの盲人を見られた。
9:2 弟子たちが尋ねた、「先生、この人が盲で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか、両親ですか。」
9:3 イエスは答えられた、「この人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。ただ神の御業がこの人に現われるためである。


●神は認知症を治せるだろうか。

口語訳 創  27:1-4
27:1 イサクは年老い、目がかすんで見えなくなった時、長子エサウを呼んで言った、「子よ」。彼は答えて言った、「ここにおります」。
27:2 イサクは言った。「わたしは年老いて、いつ死ぬかも知れない。
27:3 それであなたの武器、弓矢をもって野に出かけ、わたしのために、しかの肉をとってきて、
27:4 わたしの好きなおいしい食べ物を作り、持ってきて食べさせよ。わたしは死ぬ前にあなたを祝福しよう」。


●老人は欲を出すな。失敗する。

口語訳 申  34:5-8
34:5 こうして主のしもべモーセは主の言葉のとおりにモアブの地で死んだ。
34:6 主は彼をベテペオルに対するモアブの地の谷に葬られたが、今日までその墓を知る人はない。
34:7 モーセは死んだ時、百二十歳であったが、目はかすまず、気力は衰えていなかった。
34:8 イスラエルの人々はモアブの平野で三十日の間モーセのために泣いた。そしてモーセのために泣き悲しむ日はついに終った。


●人の衰えかた、死に様は様々だ。
●死に方は救いに関係ない。

塚本訳 ヨハ 15:16
15:16 (しかも)あなた達がわたしを選んだのではなく、わたしがあなた達を(使徒に)選んで、あなた達が出かけていって(善い)実を結び、その実がいつまでものこるように、また(その必要のために)あなた達がわたしの名で父上にお願いすれば、なんでもかなえてくださるようにしてやったのである。


●救いは神の絶対主権による。人間の側の信仰によらない。

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朝の黙想。これで安心した。
 
●風呂の給湯器(ノーリツ)の具合が悪いので、武陽ガスに来てもらったところ、「寿命」らしい。しかし応急的に使えるようにしてくれた。優秀社員清水氏。
●妻はコーラスモデラート
●TSK日本語版詩編79編
●夕方散歩。デジカメ写真

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パンジー。人の顔のようだなー

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ハナミズキ。清楚な姿。

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口語訳 創  2:15
2:15 主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。

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秋留台公園展望台。祈りの丘。

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奥多摩連山に陽が落ちる。








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神の霊の命が霊の命を生む ++++++++ 所感

2014/04/27 06:37

140427(日)5時目覚め●朝の啓示「神の霊の命が霊の命を生む」●過日、「高橋さんの家はどうして子供に信仰が伝わったのでしょう」と聞かれたことがある。●「それは神がなさったことだ」ときり言いようがないが、「霊の命が霊の命を生む」ということを聖書に見てみよう。思いつくまま、順不同。

口語訳 創 2:7
2:7 主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。


●神の霊が吹き込まれて人間は初めて「生きるもの」になる。それ以前は土の塊、肉の塊、マネキン人形。
●マネキンに恋をする人間はいない。だからわたしは女子大(去る3月で定年退職)で「イケメンと結婚するな」と言い続けてきたのだ。大体イケメンは金も教養も道徳もないからだ。
●するとある時、生徒の一人が「先生、最近のイケメンはお金持ちですよ」と来た。彼女に言っておく。「そう思うならその道を行け。後悔するぞ」。人は形ではない。中味だ。霊の命だ。

口語訳 創  2:21-23
2:21 そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。
2:22 主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた
2:23 そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、/わたしの肉の肉。男から取ったものだから、/これを女と名づけよう」。


●このポイントは、神が生んだ人と結婚した。人間の肉なる思いで結婚しなかったというところにある。女の色香に迷わされて結婚すると必ず失敗する。恋心は2年で冷める。後はただマネキン人形との味気ない生活。そのうち「性格の不一致」という理由で離婚。
●では恋愛はダメで、見合いが良いか。NO- 。見合いも肉なる仲人が連れてくるものだ。「申し分ない条件です」というのが「肉の思い」なのだ。学歴、家柄、趣味、財産・・・

口語訳 創  6:1-3
6:1 人が地のおもてにふえ始めて、娘たちが彼らに生れた時、
6:2 神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった
6:3 そこで主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう」。


●神抜きのこの世はイケメンや美人を第一条件にするから結婚は失敗するのだ。「好き嫌い」を第一条件にするからドロドロになる。「信仰のみ」「信仰第一」。
●じゃー「親や先生が決めるなら、好きでもない人と結婚すべきか」。ノー。神によって結び合わされるということが、大切なのだ。
●見合いが善で、恋愛は悪か。NO-。某氏が「高橋さん。恋愛も真理だ」。と言ってくれたことがある。しかし恋愛の前に信仰が必要。良いか悪いかは祈って決めよ。神の顔を立てないから神は怒るのだ。結婚生活に罰を降すのだ。肉の思いの「恋」は冷める。しかしその罰は罪の赦しに導かれる。
●「良いか悪いか、祈っても神は答えをくれない」のは神にもわからないことなのだ。いわんや肉なる牧師や伝道者にもわからないことなのだ。ただし時間がたてば駄目なものは駄目と分かってくる。
●良い縁談は「ススッと決まる」とは故藤林益三先生の言葉。

塚本訳 ヨハ 1:12-13
1:12 しかし受け入れた人々、すなわち、その名を(神の子であることを)信じた人には一人のこらず、神の子となる資格をお授けになった。
1:13 この人たちは、人間の血や、肉の欲望や、男の欲望によらず、神(の力)によって生まれたのである


●信者は神の力によって生まれる。

塚本訳 ヨハ 3:5-6
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。
3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。


●信者というのは霊によって生まれる。人間は二度生まれる。初めは肉で、次は霊で。
●STAP細胞の小保方さんの研究は肉の細胞分裂の世界。人間は霊の命を永久に造りだせない。

塚本訳 マタ 11:11
11:11 アーメン、わたしは言う、女の産んだ者の中に、洗礼者ヨハネより大きい者はまだ出たことがない。しかし天の国で一番小さい者でも、彼より大きい


●クリスチャンはどんな預言者よりも大きい。がっかりするな。

塚本訳 Ⅰコリ4:15
4:15 たとえキリストにある家庭教師は無数にあなた達にあっても、お父さんは沢山はないのだから。キリスト・イエスにあって、福音により、わたしがあなた達を生んだのではないか


●福音によって生むとは大変な事なのだ。

塚本訳 ピレ 1:10
1:10 あなたにお願いするのは、わたしが縄目のあいだに(福音によって)生んだわたしの子オネシモのことである。


●福音によって生む時には苦しみがあるのだ。

塚本訳 ヨハ 16:21
16:21 女が子を産む時には、女の(宿命の)時が到来したので悲しみがあるけれども、子が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはや(お産の)苦しみを覚えていない。


●「産みの苦しみ」は霊の命の誕生にもあてはまる。

塚本訳 ガラ 4:19
4:19 わたしの子供たちよ、あなた達の中にキリストが形づくられるまで、わたしはもう一度産みの苦しみをしている。


●ブルンナーが日本を離れるときの無教会への注文の言葉。至言。産みの苦しみなくして信者は誕生しない。

塚本訳 Ⅱコリ4:16
4:16 このゆえに、わたし達は気を落さない。いや、わたし達の(生れながらの)外の人はどんなにこわれていっても、(キリストによって生れた)内の人は一日一日と新しくされてゆく


●今年の誕生日で71歳。昨年は腰痛で悩まされ、最近は難聴、あー外の人は壊れていく。しかしアンノコレシキ。霊の命は壊れないのだ。否、日々新しくなるとは驚くべき希望だ。
●妻は母や祖母が認知症になったから自分も確実に認知主になると言って私を悲しませる。わたしを見て「アンタだーれ」というようになったら、生きていても張り合いがない。
●認知症は脳の一部の死。死の判定は「脳死」。そうだ。神は死んだ人間を甦らせることができるのだ。終末復活で私のことをはっきり認識できるようになるのだ。その希望で生きよう。

塚本訳 マタ 18:20
18:20 二人、三人、わたしの名によって集まっている所には、わたしがいつもその真中にいるのだから。」


●人は何を目的で集まるか。趣味、遊び、勉強、懐古趣味、習い事。勉強、政治運動、スポーツ。・・・・・・・・
●しかしエクレシアは世にも不思議な集まりである。キリストの命の交わり。
●しかし最近のエクレシアは、年金生活者の「お遊び」「勉強会」。これじゃー真面目に求道する人の心には訴えない。そんなに暇人はいない。
 

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朝の黙想終わり 。今日は集会で妻が感話。集会は霊の命の交わり。

●集会は川上(司会)、高橋トミ子(ルカ20:1-6 権威問題。ドバイの旅の感想)、横田(中世のキリスト教会と結婚)
●かって塚本先生が「一つの屋根の下に」という講演(1951.5.13)をするために教会史にざっと目を通されたが、「基督教という宗教は何といやな宗教だろうと思った。・・・・真理のための戦と言えば立派であるが、戦いは叩き合いである。私はつくづく基督教がいやになった」(聖書知識1951.7.p10)とある。この発言は「預言者の精神」である。基督教の伝道者がこういうことを言ったことに惹かれた人がいる。塚本先生は「自由人」であった。
●「中世のキリスト教会と結婚」の話を聞いて、それと同じく理屈抜きに「いやーな気分」になった。こういう裏話を喜んで本にする人間は、歴史の真相の研究とは言え、人生の貴重な時間を無駄にしているんじゃーないかなー。幅が広い思想と思っていても底が浅いと汚い水たまりと同じでボウフラが湧いて悪臭を放つ。 研究や勉強の対象は聖霊に導かれなければ高潔で人に益する道に導かれない。
●妻は29日のコンサートの最後の練習。ヴィヴァルディ「グローリア」

●あきる野。4月の花5枚

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チューリップ

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つつじ

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野菜畑

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菜の花

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我が家の玄関の花







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イエスは神に殺された犠牲の小羊 ++++++++ 所感

2014/04/26 06:20

140426(土)朝の啓示「イエスは神に殺された犠牲の小羊」●聖書はこの信仰告白の上に立つ。●イエスの十字架上の叫び、「エロイ エロイ ラマ サバクタニ」もこの観点から見るとその謎が解ける。つまりマルコの信仰告白をイエスの口に上らせたのだ。●神の目的によって殺されたり、不幸に遭わされた人は神によって必ず引き上げられる。●今朝はそのことを黙想しよう。

口語訳 イザ 53:10-12
53:10 しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、主は彼を悩まされた。彼が自分を、とがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ、その命をながくすることができる。かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。
53:11 彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。
53:12 それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に/物を分かち取らせる。彼は強い者と共に獲物を分かち取る。これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、とがある者と共に数えられたからである。しかも彼は多くの人の罪を負い、とがある者のためにとりなしをした

口語訳 Ⅱ歴 29:22-24
29:22 すなわち、雄牛をほふると、祭司たちはその血を受けて祭壇にふりかけ、また雄羊をほふると、その血を祭壇にふりかけ、また小羊をほふると、その血を祭壇にふりかけた。
29:23 そして罪祭の雄やぎを王と会衆の前に引いて来たので、彼らはその上に手を置いた。
29:24 そして
祭司たちはこれをほふり、その血を罪祭として祭壇の上にささげてイスラエル全国のためにあがないをした。これは王がイスラエル全国のために燔祭および罪祭をささげることを命じたためである。

塚本訳 マタ 21:42
21:42 イエスは彼らに言われた、「あなた達は聖書で(この句を)まだ読んだことがないのか
。──『大工たちが(役に立たぬと)捨てた石、それが隅の土台石になった。これは主のなされたことで、われわれの目には不思議である。』

塚本訳 ヨハ 12:24
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)

塚本訳 マコ 15:29-31
15:29 通りかかった人々が『頭をふりながら、』こう言ってイエスを冒涜した、「へへえ、お宮をこわして三日で建てるという人、
15:30 自分を救ってみろ、十字架から下りてきて!」
15:31 同じように大祭司連も、聖書学者と一しょに、こう言って(イエスを)なぶり合った
、「あの男、人は救ったが、自分は救えない。

塚本訳 マタ 27:39-44
27:39 通りかかった人々が『頭をふりながら、』イエスを冒涜して
27:40 こう言った、「お宮をこわして三日で建てるという人、自分を救ってみろ。神の子なら、十字架から下りてこい。」
27:41 同じように大祭司連も、聖書学者、長老と一しょに、こう言ってなぶった、
27:42 「あの男、人は救ったが、自分は救えない。イスラエルの王様じゃないか。今すぐ十字架から下りてくるがよい。そうしたら信じてやるのに!
27:43 『彼は神にたよっている。神が可愛がっておられるなら、』今すぐ『救ってくださろう』だ。『わたしは神の子だ』と言ったから。」
27:44 一しょに十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスを罵った。

塚本訳 ロマ 3:23-26
3:23 なぜか。すべての人が罪を犯したため、いまだれ一人、(かつて持っていた)神の栄光をもたない。
3:24 (さりとて失った栄光を回復する力はないので、何一つ)代価を払わず、(ただ)神の恩恵によって、キリスト・イエスによるあがないの力で、(神に)義とされる(道が設けられた)のである
3:25 すなわち神は御自分の義を示すために、宥めの供え物としてキリストを提供された。これはキリストの血でなされたものであり、(人は)信仰によ(ってこの恩恵にあずか)るのである。このことは──神が(長いあいだ)忍耐をもって過ぎし日に犯した罪を罰せずにおられたので──
3:26 今の世において、御自分の義を示そうとされたのである。すなわち御自分が義であること、またイエスを信ずる者を義とするお方であることを、(この世に)示されたのである。

塚本訳 Ⅰコリ15:3-4
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、

塚本訳 ヘブ 10:10-13
10:10 この(神の)『御心』によって、イエス・キリストの『体が捧げられること』により、わたし達はただ一度かぎりで、きよめられているのである
10:11 そして──(くどいが、もう一度くり返して言う)──祭司(という祭司)は皆、(聖所に)立って毎日務をし、決して罪を取除くことの出来ない同じ犠牲を幾たびも捧げているのに反して、
10:12 彼(キリスト)は罪のために(ただ)一つの犠牲(として御自身)を捧げ、(天に入って)たえず『神の右に座っておられ』、
10:13 そのあとは、『彼の敵がその足台にされるまで、』(ただ)待っておられるのである。


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朝の黙想。この千古不易の大真理が現在20億人のキリスト教徒の信仰の土台。これに目覚めたら、人生は社会的にボロボロでも大成功n人生。バッハなど大音楽家の曲の根底にあるもの。

●TSK日本語版詩篇78編
●アエラホームのモデルハウスを見学。勉強になった。高断熱仕様は。電気代が大幅にダウンする。
●福島の息子の家の増改築の設計。ドラフト1.建築は心を形にする仕事なので面白い。
●某女から応答あり。感謝。




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不条理不可解な不運に泣く時に ++++++++ 所感

2014/04/25 07:53

140425(金)目覚めの啓示「不条理不可解な不運はどう考えたらよいのか」●次回の感話は「エロイ エロイ ラマ サバクタニ」の謎

塚本訳 マコ 15:34-37

15:34 三時に、イエスは大声を出して『エロイ エロイ ラマ サバクタニ!』と叫ばれた。訳すると、『わたしの神様、わたしの神様、なぜ、わたしをお見捨てになりましたか!』である。

15:35 そばに立っていた人たちのうちにはこれを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる」と言った者が何人かあった。(エロイをエリヤと聞きちがえたらしい。)

15:36 ひとりが駆けていって、『酸っぱい葡萄主を』海綿に含ませ、葦(の棒の先)につけて、「(もう少し生かしておいて、)エリヤが下ろしに来るかどうか、見ていよう」と言いながら、イエスに『飲ませようとした。』

15:37 しかしイエスは(それを受けず)大声を放たれるとともに、息が絶えた。


●神の子イエスはゲッセマネの祈りで、「この杯を取り除けてください。しかし、御心がななれば良いのです」と祈って神への絶対信頼の境地であったが、最後の最後で心迷い「なぜこの私が身代わりの死を遂げなければならないのか」と泣き叫んだ。信仰がぐらついた。
●不可解な不幸に嘆く時、人は神が分からないくなる。某氏が言った「神がいるなら抗議したい」と。彼は不治の病の夫人を抱えていた。
●福島の人からは、「どう考えたらよいのでしょう」と半泣きで訴えられた。
●こういう時、人は人を慰められない。神のみがその人を慰められる。
●まず、人生の不可解な不幸の時の同質の嘆きを聖書に見てみよう。「悲しいときは悲しい曲を聴け」。


●不可解なる不運不幸に嘆く。その同質の嘆きの例


●アブラハムの場合。

口語訳 創  22:7-14
22:7 やがてイサクは父アブラハムに言った、「父よ」。彼は答えた、「子よ、わたしはここにいます」。イサクは言った、「火とたきぎとはありますが、燔祭の小羊はどこにありますか」。
22:8 アブラハムは言った、「子よ、神みずから燔祭の小羊を備えてくださるであろう」。こうしてふたりは一緒に行った。
22:9 彼らが神の示された場所にきたとき、アブラハムはそこに祭壇を築き、たきぎを並べ、その子イサクを縛って祭壇のたきぎの上に載せた
22:10 そしてアブラハムが手を差し伸べ、刃物を執ってその子を殺そうとした時、
22:11 主の使が天から彼を呼んで言った、「アブラハムよ、アブラハムよ」。彼は答えた、「はい、ここにおります」。
22:12 み使が言った、「わらべを手にかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子、あなたのひとり子をさえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」。
22:13 この時アブラハムが目をあげて見ると、うしろに、角をやぶに掛けている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行ってその雄羊を捕え、それをその子のかわりに燔祭としてささげた。
22:14 それでアブラハムはその所の名をアドナイ・エレと呼んだ。これにより、人々は今日もなお「主の山に備えあり」と言う。

●古来、この時のアブラハムの心は父なる神の心、イサクは独り子のイエスのなぞらえられてきた。
●このアブラハムの信仰があって、彼はユダヤ教、キリスト教、イスラム教から等しく信仰の祖と仰がれている。
●アブラハムは「なぜだー、なぜだー」と苦悩したのだ。
●イサクも燔祭の小羊がいないことを不可解に思った。


●ダビデの場合。 (下記詩編は44編は作者不明)


口語訳 詩  27:9
27:9 み顔をわたしに隠さないでください。怒ってあなたのしもべを退けないでください。あなたはわたしの助けです。わが救の神よ、わたしを追い出し、わたしを捨てないでください


口語訳 詩  38:21
38:21 主よ、わたしを捨てないでください。わが神よ、わたしに遠ざからないでください。


口語訳 詩  44:23
44:23 主よ、起きてください。なぜ眠っておられるのですか。目をさましてください。われらをとこしえに捨てないでください。


口語訳 詩  51:11
51:11 わたしをみ前から捨てないでください。あなたの聖なる霊をわたしから取らないでください。


口語訳 詩  71:9
71:9 わたしが年老いた時、わたしを見離さないでください。わたしが力衰えた時、わたしを見捨てないでください。


口語訳 詩  71:18
71:18 神よ、わたしが年老いて、しらがとなるとも、あなたの力をきたらんとするすべての代に/宣べ伝えるまで、わたしを見捨てないでください


口語訳 詩  138:8
138:8 主はわたしのために、みこころをなしとげられる。主よ、あなたのいつくしみは/とこしえに絶えることはありません。あなたのみ手のわざを捨てないでください

●「詩編」には「私を捨てないでください」という嘆きが多い。
●詩編を愛読していたイエスが、最後に心迷って詩編を思い出し、たまたま詩編22編が口についてでた。それがマルコとマタイにある「わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか」という記事になった。
●しかし歴史の真相は不明。ただ大声を上げただけだっかもしれない。もし言ったとしても「エリ、エリ」だけだったのかもしれない。周囲で聞いていた信仰のない人は「エリヤ」を呼んでいると聞き間違えた。(マルコ15:35、平行記事マタイ27:47)

口語訳 詩  22:1-5
22:1 わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか。なにゆえ遠く離れてわたしを助けず、わたしの嘆きの言葉を聞かれないのですか。
22:2 わが神よ、わたしが昼よばわっても、あなたは答えられず、夜よばわっても平安を得ません
22:3 しかしイスラエルのさんびの上に座しておられる/あなたは聖なるおかたです。
22:4 われらの先祖たちはあなたに信頼しました。彼らが信頼したので、あなたは彼らを助けられました。
22:5 彼らはあなたに呼ばわって救われ、あなたに信頼して恥をうけなかったのです。

●イエスにとって十字架上の苦痛の時、たまたま口に上ったのは詩編22編であった。それがイエスの心境であった。

●ヨブの場合。

新共同 ヨブ 42:3
42:3 「これは何者か。知識もないのに/神の経綸を隠そうとするとは。」そのとおりです。わたしには理解できず、わたしの知識を超えた/驚くべき御業をあげつらっておりました。

●ヨブも自らの大苦難の不可解を理解出来ずに神を「あげつらって」いた。当然だ。人間として「それで良いのだ」。

●エレミヤの場合。

口語訳 哀歌  3:27-29
3:27 人が若い時にくびきを負うことは、良いことである
3:28 主がこれを負わせられるとき、ひとりすわって黙しているがよい。
3:29 口をちりにつけよ、あるいはなお望みがあるであろう。                         


口語訳 哀歌  5:20
5:20 なぜ、あなたはわれわれをながく忘れ、われわれを久しく捨ておかれるのですか

●ヨナの場合。

新共同 ヨナ 4:1-3
4:1 ヨナにとって、このことは大いに不満であり、彼は怒った
4:2 彼は、主に訴えた。「ああ、主よ、わたしがまだ国にいましたとき、言ったとおりではありませんか。だから、わたしは先にタルシシュに向かって逃げたのです。わたしには、こうなることが分かっていました。あなたは、恵みと憐れみの神であり、忍耐深く、慈しみに富み、災いをくだそうとしても思い直される方です。
4:3 主よどうか今、わたしの命を取ってください。生きているよりも死ぬ方がましです。」


●イスラエル民族または異教人の場合。

塚本訳 ロマ 9:19-20
9:19 するとあなたはわたしに(抗議して)言うにちがいない、それでは、なぜ神はなおも人を咎められるのか。(御自身が人の心を頑固にされるのなら、)だれも神の意志に逆らうことはできない訳ではないかと。
9:20 ああ人よ、いったい君は何者なれば、神に口答えをするのか。『作られたものが作った者に向かって、「なぜ『わたしをこんなものに造ったか」と言えるだろうか。』


●イエスの場合

塚本訳 マタ 26:38-39
26:38 それから彼らに言われる、「『心がめいって』『死にたいくらいだ。』ここをはなれずに、わたしと一しょに目を覚ましていてくれ。」
26:39 そしてなお少し(奥に)進んでいって、俯けに倒れ、祈って言われた、「お父様、出来ることなら、どうかこの杯がわたしの前を通りすぎますように。しかし、わたしの願いどおりでなく、お心のとおりになればよいのです。」


塚本訳 ヨハ 19:28
19:28 こうしたあと、イエスは(自分のなすべきことが)何もかもすんだことを知って、(最後に)聖書の言葉を成就させるために、「〃渇く〃」と言われた。


●人が全く絶望のうちに「敗北」で死んでも、主に合って死ねば神が引き上げる。


口語訳 イザ 53:4-6
53:4 まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
53:5 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。
53:6 われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。

口語訳 イザ 53:10-12
53:10 しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、主は彼を悩まされた。彼が自分を、とがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ、その命をながくすることができる。かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。
53:11 彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。
53:12 それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に/物を分かち取らせる。彼は強い者と共に獲物を分かち取る。これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、とがある者と共に数えられたからである。しかも彼は多くの人の罪を負い、とがある者のためにとりなしをした


塚本訳 ロマ 1:3-4
1:3 その御子、すなわち、人間としてはダビデの末から生まれ、
1:4 聖なる霊としては死人の中から復活して力ある神の子と定められた方、わたし達の主イエス・キリストに関するものである。

塚本訳 ロマ 8:22-23
8:22 わたし達が知っているように、全創造物は(かの日から)今まで、一しょになって呻き、一しょになって産みの苦しみをしている。(父なる神がこの  呻きに耳を傾けられないことがあろうか。)
8:23 しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証拠として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである。

塚本訳 ピリ 2:6-11
2:6 彼は(先には)神の姿であり給うたが、神と等しくあることを棄て難いことと思わず、
2:7 かえって自分を空しうして人と同じ形になり、奴隷の姿を取り給うたのである。そして人の様で現れた彼は、
2:8 自ら謙り、死に至るまで、(然り、)十字架の死に至るまで(父なる神に)従順であり給うた。
2:9 それ故に神も彼を至高く上げ、凡ての名に優る(「主」なる)名を与え給うた。
2:10 これはイエスの(この尊い)名の前に、天の上、地の上、地の下にある『万物が膝を屈め、
2:11 凡ての舌が』「イエス・キリストは主なり」と『告白して』父なる『神に』、栄光を帰せんためである。

塚本訳 Ⅱコリ7:10
7:10 なぜなら、神の御心に沿った悲しみは、(人を)救いに入れる悔いのない悔改めをもたらすけれども、この世(的)の悲しみは、(絶望と)死をもたらすからである

●「イエスの死は人の贖罪のための神の子羊であった」というこの物語形式によるマルコの信仰告白


口語訳 Ⅱ歴 29:22-24
29:22 すなわち、雄牛をほふると、祭司たちはその血を受けて祭壇にふりかけ、また雄羊をほふると、その血を祭壇にふりかけ、また小羊をほふると、その血を祭壇にふりかけた。
29:23 そして罪祭の雄やぎを王と会衆の前に引いて来たので、彼らはその上に手を置いた。
29:24 そして祭司たちはこれをほふり、その血を罪祭として祭壇の上にささげてイスラエル全国のためにあがないをした。これは王がイスラエル全国のために燔祭および罪祭をささげることを命じたためである。

塚本訳 Ⅰコリ15:3-4
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、


塚本訳 ロマ 3:23-26
3:23 なぜか。すべての人が罪を犯したため、いまだれ一人、(かつて持っていた)神の栄光をもたない。
3:24 (さりとて失った栄光を回復する力はないので、何一つ)代価を払わず、(ただ)神の恩恵によって、キリスト・イエスによるあがないの力で、(神に)義とされる(道が設けられた)のである。
3:25 すなわち神は御自分の義を示すために、宥めの供え物としてキリストを提供された。これはキリストの血でなされたものであり、(人は)信仰によ(ってこの恩恵にあずか)るのである。このことは──神が(長いあいだ)忍耐をもって過ぎし日に犯した罪を罰せずにおられたので──
3:26 今の世において、御自分の義を示そうとされたのである。すなわち御自分が義であること、またイエスを信ずる者を義とするお方であることを、(この世に)示されたのである。

塚本訳 ロマ 8:22-23
8:22 わたし達が知っているように、全創造物は(かの日から)今まで、一しょになって呻き、一しょになって産みの苦しみをしている。(父なる神がこの  呻きに耳を傾けられないことがあろうか。)
8:23 しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証拠として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである。


塚本訳 ヘブ 10:10-13
10:10 この(神の)『御心』によって、イエス・キリストの『体が捧げられること』により、わたし達はただ一度かぎりで、きよめられているのである。
10:11 そして──(くどいが、もう一度くり返して言う)──祭司(という祭司)は皆、(聖所に)立って毎日務をし、決して罪を取除くことの出来ない同じ犠牲を幾たびも捧げているのに反して、
10:12 彼(キリスト)は罪のために(ただ)一つの犠牲(として御自身)を捧げ、(天に入って)たえず『神の右に座っておられ』、
10:13 そのあとは、『彼の敵がその足台にされるまで、』(ただ)待っておられるのである。

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十字架上のキリスト像。今まで出会ったキリスト像で一番ぴったりするイメージ。
普通の農家のおじさんという感じ。 

「フランス、アルザス地方のコルマール、ウンターリンデン美術館。マティアス・グリューネルワルト作『イーゼンハイムの祭壇画』」


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朝の黙想 終わり。不運不幸の悩みの奥に神の恵みの知恵が隠されている。


●NHKアーカイブス。「小沢征爾、終わりなき道」を見る。
●建物の保存登記の件で、亀田二郎司法書士に依頼された滝口督人土地家屋調査士が来られた。建物登記の住所が市役所の手違いらしく、改めてやり直すという。名前の「督人(まさと)」が珍しいのでキリスト教に関係があるのかと尋ねたらおばさんがカトリックだという。
●テレビのボリュームを大きくしなければならなくなったので、松本耳鼻咽喉科に行って検査。加齢による難聴だが、日常会話には不自由はない程度だという。 ヴェートーヴェンは辛かったろうなー。




















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「エリ エリ レマ サバクタニ」は福島の叫び。神はご存知。 ++++++++ 所感

2014/04/24 11:34

140424(木)朝の啓示「エリ エリ レマ サバクタニ!」(わたしの神様、わたしの神様、なぜ私をお見捨てになりましたか)は福島の叫び。神はご存知。●来る5月4日の集会感話の結論がまとまった。

塚本訳 マコ 15:37
15:37 しかしイエスは(それを受けず)大声を放たれるとともに、息が絶えた。


●ハイドンの「十字架上の七つの言葉」(作品51)は四福音書をまとめたものだが、学問的考察による真相は一言「大声を放って」死んだだけではないかとされる。言ったとしてもただ「「エリ エリ レマ サバクタニ!」(わたしの神様、わたしの神様、なぜ私をお見捨てになりましたか)だとされる。
●神に砕かれた神の小羊の言葉としてはその方がふさわしいと感じる。
●我々の生涯の最後もこの叫びがふさわしいのではないか。なぜか。犠牲の死、宥めの供えものとしての死がイエスが望むところだからだ

塚本訳 ルカ 9:23
9:23 それから今度は皆に話された、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、毎日自分の十字架を負い、それからわたしに従え。


●「毎日」とは最後の日までということだ。十字架のもとに崩れ落ちて死ぬことが望ましいのだ。だんだん楽になろうとするのは幻想だ。


塚本訳 ピリ 2:6-9
2:6 彼は(先には)神の姿であり給うたが、神と等しくあることを棄て難いことと思わず、
2:7 かえって自分を空しうして人と同じ形になり、奴隷の姿を取り給うたのである。そして人の様で現れた彼は、
2:8 自ら謙り、死に至るまで、(然り、)十字架の死に至るまで(父なる神に)従順であり給うた。
2:9 それ故に神も彼を至高く上げ、凡ての名に優る(「主」なる)名を与え給うた。


●イエスは死に至るまで神に従順であったから、神は彼を復活させた。


口語訳 イザ 53:10-11
53:10 しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、主は彼を悩まされた。彼が自分を、とがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ、その命をながくすることができる。かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。
53:11 彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。
義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。

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朝の黙想終わり

●福島から電話相談。建築相談。とにかく放射能汚染から逃れることが最大問題。


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望みを失ったら手放しで泣け ++++++++ 所感

2014/04/23 07:55

140423(水)朝の啓示「望みを失ったら手放しで泣け」。人生の旅路では何かを失うことが多い。その時は哲学宗教世祖比較などで我慢しないで手放しで泣くべきだ。すると神が近づいて慰めてくれる。そして自分の過ちもわかり真の悔い改めできる。目から鱗が落ちる。●人生で失うもの。受験の失敗、落第、失恋、死別、健康、失業、倒産、地位、家屋、家庭、夫婦関係、親子関係、家庭団らん、離婚、兄弟関係、親戚関係、嫁婿との関係、性道徳・・・あー人生は失うものばかりだ●失ったときはやせ我慢しないで手放しで大泣きすればよい。畳の目が見えなくなるまで泣き崩れればよいのだ。「それでよい」「それで良いのだ」。●今朝はこの時神によって慰められる真の慰めについて思いつくままを掲げる。


塚本訳 マタ 11:28
11:28 さあ、疲れている者、重荷を負っている者はだれでも、わたしの所に来なさい、休ませてあげよう。


塚本訳 ルカ 7:12-14
7:12 町の門の近くに来られると、ちょうど、ある独り息子が死んで、(棺が)舁き出されるところであった。母は寡婦であった。町の人が大勢その母に付添っていた。
7:13 主は母を見て不憫に思い、「そんなに泣くでない」と言って、
7:14 近寄って棺に手をかけ──担いでいる者は立ち止まった──「若者よ、あなたに言う、起きよ!」と言われた。

塚本訳 ルカ 15:11-24
15:11 また話された、「ある人に二人の息子があった。
15:12 『お父さん、財産の分け前を下さい』と弟が父に言った。父は身代を二人に分けてやった
15:13 幾日もたたないうちに、弟は(分け前)全部をまとめて(金にかえ、)遠い国に行き、そこで放蕩に財産をまき散らした。
15:14 すべてを使いはたしたとき、その国にひどい飢饉があって、食べるにも困り果てた
15:15 そこでその国のある人のところに行ってすがりつくと、畑にやって、豚を飼わせた。
15:16 彼はせめて豚の食う蝗豆で腹をふくらしたいと思ったが、(それすら)呉れようとする人はなかった。
15:17 ここで(はじめて)本心に立ち返って言った。──お父さんのところでは、あんなに大勢の雇人に食べ物があり余っているのに、(息子の)このわたしは、ここで飢え死にしようとしている。……
15:18 よし、お父さんの所にかえろう、そしてこう言おう、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。
15:19 もうあなたの息子と言われる資格はありません。どうか雇人なみにしてください』と。
15:20 そして立ってその父の所へ出かけた。ところが、まだ遠く離れているのに、父は見つけて不憫に思い、駈けよって首に抱きついて接吻した。
15:21 息子は父に言った、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。もうあなたの息子と言われる資格はありません。……』
15:22 しかし
父は(皆まで聞かず)召使たちに言った、『急いで、一番上等の着物をもって来て着せなさい。手に指輪を、足にお靴をはかせなさい。
15:23 それから肥えた小牛を引いてきて料理しなさい。みんなで食べてお祝いをしようではないか。
15:24 このわたしの息子は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。』そこで祝賀会が始まった。


塚本訳 Ⅱコリ7:10
7:10 なぜなら、神の御心に沿ったしみは、(人を)救いに入れる悔いのない悔改めをもたらすけれども、この世(的)の悲しみは、(絶望と)死をもたらすからである。


塚本訳 ルカ 22:24-26
22:24 また弟子たちの間に、自分たちのうちでだれが一番えらいと思われているかについての争いもあった。
22:25 するとイエスが言われた、「世間では王が人民を支配し、また主権者は自分を恩人と呼ばせる。
22:26 しかしあなた達はそれではいけない。あなた達の間では、一番えらい者が一番若輩のように、支配する者が給仕をする者のようになれ。


塚本訳 黙  2:9
2:9 私はお前(が私の名のために受けた、また受けつつある数々)の患難と、(またお前の)貧しさとを知っている──しかし(貧しいのはただ外見だけであって、神の前では)お前は(一番)富んでいる(のである。)──また、(自分で)自分をユダヤ人であると称え(て誇り)ながら、(その実、決して真の)ユダヤ人でなく、むしろサタンの会堂に属する者達からの罵詈(ののしり)を(お前が受けていることを、)私は知っている。(お前が今日までよくこれに耐えて来たことを私は褒める。)


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朝の黙想終わり

●10:00 妻と亀田二郎司法書士事務所(福生)に行き、現在の土地建物の表示登記を依頼する。今までのものは区画整理前のものなので、きれいにしておいた方が良いため。相談の後半は遺産相続のための遺言の件。妻に同席してもらった。 憂いを残さないため。「小事」に忠なれ。
●13:20 出発。あきる野市役所に住民票を取りに行ってから再び亀田司法書士事務所へ。今度は自転車。登記は書類主義なので各種書類を用意しなければならない。

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菜の花が美しく咲いて合唱している。



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信じる気さえあればあれば救われる ++++++++ 所感

2014/04/22 06:30

140422(火)朝の啓示「信じる気さえあれば救われる」「信じるだけで救われる」●過日某女にキリスト教は難しいのです」と言った。●それはなぜかと考えると「救いの権能が神の側にあるからである」。その権能を極端なところまで持って行ったのがカトリックである。「司教が洗礼を授ければ救われる」と。これは明快である。立派である。司教にはそれだけの権威がある。●私の知人は癌が脳に転移して何もわからなくなった。その姉と父親が病院付属の聖公会(カトリックに酷似)のチャプレンに「娘(妹)に洗礼を授けて下さいと願い出た。彼女は花も盛りの40歳の若さで亡くなった。●こういう場合、プロテスタント、特に無教会はどういう態度に出るのだろうか。●信仰は神と本人の関係であるからと傍観しているだけなのだろうか。祈って本人から信仰告白の言葉が出るのを待つべきなのだろうか。それはもどかしい事ではないか。人間の側には何も「手がない」のだろうか。それは酷なことではないか●プロテスタント教会は洗礼が救いの条件とは考えないが、カトリックと似ていて洗礼にある程度救いの力を認めている。牧師は本人の信仰の程度を把握するから、その結果の徴としての洗礼である。●無教会には洗礼も聖餐もない。救いはあくまで神の御心のままである。これが極端になると「信仰なくして救われる」(故平沢弥一郎)という仏教の弥陀の本願のような哲学になってしまう。これは異端に近い●しかし聖書はそうは言わない「信ずる」ことが救いの条件である。●この点に関してはカトリックも、プロテスタントも無教会も違いはない。「救い」は信じることが条件。●宗教的体験がなければ救われるというのではない。プロテスタント教会にその考えがある。●この難問に関して聖書はどう答えるか。「聖書で聖書を読む」方法で黙想しよう。


塚本訳 ルカ 13:23-24
13:23 するとある人が「主よ、救われる者は少ないでしょうか」と尋ねた。人々に言われた、
13:24 「全力を尽くして(今すぐ)狭い戸口から入りなさい。あなた達に言う、(あとになって)入ろうとしても、入れない者が多いのだから。


塚本訳 ヨハ 11:25-27
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。
11:27 イエスに言う、「はい、主よ、(信じます。)あなたが救世主で、神の子で、世に来るべき方であると、私は信じています。」


塚本訳 使  16:30-31
16:30 そして二人を外につれだして言った、「先生方、救われるにはどうしなければならないのですか。」
16:31 二人が言った、「主イエスを信じなさい。そうすればあなたも家族も救われる。」


塚本訳 ロマ 10:9-11
10:9 つまり、あなたは『口で』イエスを主と告白して、『心で』神がイエスを死人の中から復活させられたことを信ずれば、救われる
10:10 『心で信じて義とされ、口で告白して救われるからである。──(こうわたし達は説いているのである。)
10:11 (なぜ信仰だけで救われるか。)『これ[キリスト]を信ずる者は』すべて、(最後の裁きの日に)『恥をかかないであろう』と聖書が言っているからである。


塚本訳 ロマ 10:14-16
10:14 ところで、(呼ぶだけで救われる言うが、)信じたことのない者を、どうして呼ぶことができようか。聞いたことのない者を、どうして信ずることができようか。説く者がなくて、どうして聞くことができようか。
10:15 (神に)遣わされなければ、どうして説くことができようか。(しかし説く者はある。それはわたし達である。)『善いこと[福音]を伝える人たちの足の、なんと美しいことよ!』と書いてあるとおりである。
10:16 ところが、だれもが(このように伝えられた)福音を、従順に受け入れたわけではない。イザヤも(こう)言っているから。『主よ、
だれがわたし達に聞いたことを信じましたか』と。(実際イスラエル人は信じなかったのである。)


塚本訳 マコ 10:14-15
10:14 イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた、「子供たちをわたしの所に来させよ、邪魔をするな。神の国はこんな(小さな)人たちのものである。
10:15 アーメン、わたしは言う、子供のように(すなおに)神の国(の福音)を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできない。」


塚本訳 マタ 21:21
21:21 イエスは答えられた、「アーメン、わたしは言う、もしあなた達に信仰があって疑わないならば、この無花果におこった(と同じ)ことをすることができるばかりか、この山にむかい『立ち上がって海に飛び込め』と言っても、その通りになる。


塚本訳 マコ 11:23
11:23 アーメン、わたしは言う、だれでもこの山に向かい、『立ち上がって海に飛び込め』と言って心に疑わず、自分の言うことは成ると信ずるならば、そのとおりになる。


塚本訳 マタ 17:20
17:20 彼らに言われた、「信仰が無いからだ。アーメン、わたしは言う、もしあなた達に芥子粒ほどでも信仰があれば、この山に向かい『ここからあそこに移れ』と言えば移り、あなた達に出来ないことは一つもない。」


塚本訳 マタ 19:22-26
19:22 青年はこの言葉を聞き、悲しそうにして立ち去った。大資産家であったのである。
19:23 イエスは弟子たちに言われた、「アーメン、わたしは言う、金持が天の国に入ることはむずかしい。
19:24 かさねて言う、金持が天の国に入るよりは、駱駝が針のめどを通る方がたやすい。」
19:25 これを聞いて、弟子たちは非常に驚いて言った、「ではいったい、だれが救われることが出来るのだろう。」
19:26 イエスは彼らをじっと見て言われた、「これは人間には出来ないが、『神にはなんでも出来る。』

塚本訳 マタ 8:8-10
8:8 百卒長は答えた、「主よ、わたしはあなたを、うちの屋根の下にお迎えできるような者ではありません。(ここで)ただ一言、言ってください。そうすれば下男は直ります。
8:9 というのは、わたし自身も指揮権の下にある人間であるのに、わたしの下にも兵卒がいて、これに『行け』と言えば行き、ほかのに『来い』と言えば来、また僕に『これをしろ』と言えば(すぐ)するからです。(ましてあなたのお言葉で、病気が直らないわけはありません。)」
8:10 イエスは聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた、「アーメン、わたしは言う、イスラエル人の中でも、こんなりっぱな信仰をもっている者を一人も見たことがない。


塚本訳 マコ 9:23-25
9:23 イエスは言われた、「もしお出来になるなら(と言うの)か。信ずる者にはなんでも出来る。」
9:24 即座にその子供の父親が叫んだ、「信じます。不信仰をお助けください。」
9:25 イエスは群衆が駆けよってくるのを見ると、(急いで)汚れた霊を叱りつけて言われた、「唖と聾の霊、わたしが命令するのだ、この子から出てゆけ、二度と入るな!」


塚本訳 マタ 9:20-22
9:20 するとそこに、十二年も長血にかかっていた女が近寄ってきて、後ろからイエスの上着の裾にさわった。
9:21 「お召物にさわるだけでも、なおるにちがいない」と、ひそかに思ったのである
9:22 イエスは振り向いて、女を見ながら言われた、「娘よ、安心しなさい、あなたの信仰がなおした。」するとちょうどその時から、女はなおった。


塚本訳 ルカ 23:42-43
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる。」


塚本訳 ピリ 2:12-13
2:12 だから、愛する者達よ、(今まで)何時も従順であったように、(従順であってもらいたい。)私が(一緒に)居る時ばかりでなく、居ない今こそ却つてなお一層、畏れと戦きをもって、自分の救いを得よ。
2:13 (しかしもちろんこれは君達の力では出来ない。)何故なら、(救いに関わる)御旨を成し遂ぐるため、
君達のうちに働いて、(救いの)願望を起こさせ、これを成就せしめ給う者は、神であるからである。


塚本訳 ルカ 11:9
11:9 それで、わたしもあなた達に言う、(ほしいものはなんでも神に)
求めよ、きっと与えられる。さがせ、きっと見つかる。戸をたたけ、きっとあけていただける。


塚本訳 ルカ 11:11-13
11:11 あなた達のうちのどんなお父さんでも、子が魚を求めるのに、魚の代りに蛇をやるだろうか。
11:12 また卵を求めるのに、蝎をやるだろうか。
11:13 してみると、あなた達は悪い人間でありながらも、自分の子に善い物をやることを知っている。まして天の父上が、求める者に聖霊(という善いもの)を下さらないことがあるだろうか。」


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朝の黙想終わり。救いの権能は神にのみにある。それを「信じるだけ」でよい。宗教体験ではなく、それを信じられるように導かれる。栄光神にあれ。恥と悩みは人間に、栄光は神に。

●伊藤整形外科
●妻は癌の胃カメラ。さして異常なし
●TSK日本語版詩編77編








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神が復活をわからせる人 ++++++++ 所感

2014/04/21 06:13

140421(月)朝の啓示「神が復活を分からせる人」●昨日は復活祭(イースター)であったが、世には「どうしても神や十字架や復活が分からない」人が多い。●それは大体においてこの世の幸福を追い求めている人で、ある程度それを充足している人である。●年金もらって馬齢を重ね趣味に生きがいを見出している人に「復活の信仰」はわかるはずはない。それは西と東に同時に行くようなもので神にも到底不可能なことだ。●神は暴力で幸福を奪い、不可解、不条理な不幸を通じて「ここぞ」という時にご自分の姿を現して神の恵みと真の幸福を教える●「まともな、あるべき、理想的な人生の幸福を失って極度に泣く時に神はその人に真の幸福の道を教える」●新約聖書のイエスの言動はこれに尽きる。●塚本虎二先生はあの高度な聖書研究を後世に残そうとはされなかった。あの学問的に高度な「聖書知識」を「便所の落とし紙」(つまりトイレットペーパー)のようなものだと言われた。不運、不幸に泣いていた人に「今、その時」に涙を拭う手段であったというのだ。「その時代」のものだった。●大学教授の地位や「年金生活」で生活が安泰している人間はいくら「聖書学」を研究しても神ご自身はその姿を現さない。表すはずはない。だからそういう人間は「復活はなかった」よ公言する。●それに同調して頭がすっきりする人間にもまた神は復活を示さない。彼らは一応この世で満ち足りているからだ。●家庭問題で「あるべき姿」を失った人間にこそ神はその人に大使命を負わせるのだ。真の幸福を示すのだ。●無教会の伝道者は大抵夫人を早く失って泣く。塚本先生はあるとき親しい夫人に「わたしの家はかたわだー、かたわだー」と嘆いたことがあるという●ルターは「神学は歌」だと言った。現在においては「聖書学や社会運動をやっている人間」は暇人が歌を歌っているのと同じである。それが会のためだと思っているから滑稽だ。●「ヒューマニズムは信仰の敵」(バルト)●泣いている人に神が姿を現す例は枚挙にいとまがないが、関連個所を次に掲げる。

塚本訳 マタ 5:3-6
5:3 ああ幸いだ、神に寄りすがる『貧しい人たち、』天の国はその人たちのものとなるのだから。
5:4 ああ幸いだ、『悲しんでいる人たち、』、(かの日に)『慰めていただく』のはその人たちだから。
5:5 ああ幸いだ、『(踏みつけられて)じっと我慢している人たち、』、『(約束の)地(なる御国)を相続する』のはその人たちだから。
5:6 ああ幸いだ、(神の)義に飢え渇いている人たち、(かの日に)満足させられるのはその人たちだから。


塚本訳 ルカ 6:20-26
6:20 イエスは目をあげ、(十二人の使徒その他の)弟子たちを見ながら話された。──「ああ幸いだ、『貧しい人たち、』神の国はあなた達のものとなるのだから。
6:21 ああ幸いだ、今飢えている人たち、(かの日に)満腹させられるのはあなた達だから。ああ幸いだ、今泣いている人たち、(かの日に)笑うのはあなた達だから。
6:22 人に憎まれる時、また、人の子(わたし)のゆえに除名されたり、罵られたり、悪様に言われたりする時には、あなた達は幸いである。
6:23 その日には躍りあがって喜びなさい、どっさり褒美が、天であなた達を待っているのだから。あの人達の先祖も、同じことを預言者たちにしたのである。
6:24 だが、ああ禍だ、富んでいるあなた達、もう慰めを受けたのだから。
6:25 ああ禍だ、今食べあきているあなた達、(かの日に)飢えるのだから。ああ禍だ、今笑っている人たち、(かの日に)泣き悲しむのはあなた達だから。
6:26 皆の人に良く言われる時、あなた達は禍である。あの人達の先祖も、同じことを偽預言者たちにしたのである。

塚本訳 マタ 19:23-26
19:23 イエスは弟子たちに言われた、「アーメン、わたしは言う、金持が天の国に入ることはむずかしい。
19:24 かさねて言う、金持が天の国に入るよりは、駱駝が針のめどを通る方がたやすい。」
19:25 これを聞いて、弟子たちは非常に驚いて言った、「ではいったい、だれが救われることが出来るのだろう。」
19:26 イエスは彼らをじっと見て言われた、「これは人間には出来ないが、『神にはなんでも出来る。』」

塚本訳 ルカ 7:11-17
7:11 そのあとで、ナインという町に行かれた。弟子たちおよび多くの群衆も一しょに行った。
7:12 町の門の近くに来られると、ちょうど、ある独り息子が死んで、(棺が)舁き出されるところであった。母は寡婦であった。町の人が大勢その母に付添っていた。
7:13 主は母を見て不憫に思い、「そんなに泣くでない」と言って、
7:14 近寄って棺に手をかけ──担いでいる者は立ち止まった──「若者よ、あなたに言う、起きよ!」と言われた。
7:15 すると死人が起き上がって物を言い出した。イエスは『彼を母に渡された。』
7:16 皆が恐れをいだいて、「大預言者がわたし達の間にあらわれた」とか、「神はその民を心にかけてくださった」とか言って、神を讃美した。
7:17 イエスについてのこの(二つの)言葉は、ユダヤ(人の国)全体とその周囲いたる所に広まった。


塚本訳 マタ 9:23-26
9:23 やがてイエスは役人の家に着いて、笛吹き男と騒いでいる群衆とを見ると、
9:24 言われた、「あちらに行っておれ。少女は死んだのではない、眠っているのだから。」人々はあざ笑っていた。
9:25 群衆が外に出されると、イエスは(部屋に)入っていって少女の手をお取りになった。すると少女は起き上がった。
9:26 この評判がその土地全体に広まった。


塚本訳 ヨハ 4:13-18
4:13 イエスは答えられた、「この(井戸の)水を飲む者はだれでもまた渇が、
4:14 わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」
4:15 女が言う、「主よ、その水を下さい。(二度と)渇くことがないように、またここに汲みに来なくてもよいように。」
4:16 イエスが言われる、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」
4:17 女が答えた、「わたしには夫はありません。」イエスが言われる、「『わたしには夫はありません』と言うのは、もっともだ。
4:18 五人の夫とは別れ、今のは、あなたの夫ではないのだから。あなたの言ったことは本当だ。」


塚本訳 ルカ 16:25-31
16:25 しかしアブラハムは言った、『子よ、考えてごらん、あなたは生きていた時に善いものを貰い、ラザロは反対に悪いものを貰ったではないか。だから今ここで、彼は慰められ、あなたはもだえ苦しむのだ。
16:26 そればかりではない、わたし達とあなた達との間には大きな(深い)裂け目があって、ここからあなた達の所へ渡ろうと思っても出来ず、そこからわたし達の所へ越えてくることもない。』
16:27 金持が言った、『父よ、それではお願いですから、ラザロをわたしの父の家にやってください。
16:28 わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。』
16:29 しかしアブラハムは言う、『(その必要はない。)彼らにはモーセ(律法)と預言書と[聖書]がある。その教えに従えばよろしい。』
16:30 彼が言った、『いいえ、父アブラハムよ、もしだれかが死人の中から行ってやれば、きっと悔改めます。』
16:31 しかしアブラハムは答えた、『モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。』


塚本訳 ロマ 7:21-25
7:21 だから、わたしが良いことをしたいと思えば、かならず悪いことがわたしに生まれるという法則があることを、発見する。
7:22 すなわち、(わたしの中に二つのわたしがあって、)内の人としてのわたしは神の律法を喜ぶが、
7:23 わたしの肢体にもう一つの(わたし、罪の)法則(を喜ぶ外の人としてのわたし)があり、(その神の律法を行おうとする)わたしの理性の法則と戦って、肢体にあるこの罪の法則の捕虜にすることを、経験するのである。
7:24 なんとわたしはみじめな人間だろう!だれがこの死の体から、わたしを救い出してくれるのだろうか。
7:25 ──神様、感謝します、わたし達の主イエス・キリストによって!──従って、このわたしは理性では神の律法に仕えるが、肉では罪の法則に仕えるのである。


塚本訳 使  26:12-18
26:12 こんな次第で、わたしは大祭司連から全権と委任とを受け、(迫害のため)ダマスコに進んでゆくと、
26:13 王よ、昼に、途中で、天から輝く太陽にもまさる光がさして、わたしと、同行の者たちとのまわりを照らすのを見ました。
26:14 わたし達が皆地上に倒れると、ヘブライ語で、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。刺の棒は蹴っても無駄だ』とわたしに言う声を聞きました。
26:15 わたしは言った、『主よ、あなたはどなたですか。』主が言われた、『わたしだ、君が迫害しているイエスだ。
26:16 さあ、起きて、『自分の足で立て。』わたしが(今)現われたのは、君を選んで、わたしを見たことと、(今からも)君に現われて示すこととの証人として、わたしに仕えさせるためである。
26:17 (かずかずの迫害や危険がのぞむが心配するな。)わたしは君をこの(イスラエルの)民(の手)から、また』異教人(の手)から』『(かならず)救い出してやる。』『彼らの中にわたしが君を遣わすのは、』
26:18 彼らの』目をあけて』彼らが『暗闇から光に、』悪魔の権力から神に帰るため、そうして彼らがわたしに対する信仰によって罪の赦しを得、きよめられた人たちの仲間に入れていただくためである』と。

塚本訳 マタ 19:27-30
19:27 その時、ペテロが口を出してイエスに言った、「でも、わたし達は(あの金持とちがいます。)この通り何もかもすてて、あなたの弟子になりました。わたし達にはいったいなんの褒美があるのでしょうか。」
19:28 イエスが彼らに言われた、「アーメン、わたしは言う、新しい世界が生まれて、人の子(わたし)が栄光の座につく時には、わたしの弟子になったあなた達十二人も十二の王座について、イスラエル(の民)の十二族を支配するのである。
19:29 そしてわたしのために家や兄弟や姉妹や父や母や畑をすてた者は一人のこらず、(この世で)その幾倍を受け、また(来るべき世では)永遠の命をいただくのである
19:30 しかし(決して油断をしてはならない。)一番の者が最後になり、最後の者が一番になることが多い。

塚本訳 マタ 10:34-39
10:34 地上に平和をもたらすためにわたしが来た、などと考えてはならない。平和ではない、剣を、(戦いを)もたらすために来たのである。
10:35 わたしは子を『その父と、娘を母と、嫁を姑と』仲違いさせるために来たのだから
10:36 『家族が自分の敵となろう。』
10:37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたし(の弟子たる)に適しない。わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたし(の弟子たる)に適しない。
10:38 また自分の十字架を取ってわたしのあとに従わない者は、わたし(の弟子たる)に適しない。
10:39 (十字架を避けてこの世の)命を得る者は(永遠の)命を失い、わたしのために(この世の)命を失う者は、(永遠の)命を得るであろう。




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●朝の黙想終わり。理想的なまともな家庭の幸福を望むな。その理想的な姿はこの世だけの幸福だ。暖かい親子関係、夫婦関係、親戚関係、嫁姑関係、は真の幸福ではない。 家庭団らんの幸福を失って神の愛を知る。家庭建設に失敗して真の建物を知る。


●次回感話の「エリエリ レマ サバクタニ」の準備のために塚本虎二の「イエス伝」を読んで2回胸が詰まった。イエスには神が見えなくなったのだ。イエスは犠牲の神の子羊。辛かったのは父なるの神の方だ。
●妻はコーラス「モデラート」の練習
●デジカメのメモリーが故障なので購入したキタムラに行ったら店長が無償交換してくれた。何事も金を握っている人と交渉すると話は早い。
●TSK日本語版詩編76編
●某夫人から葬儀の依頼。私の方が先に逝く公算が強いが、自分の魂を預けられたことは嬉しい。残る生涯彼女のことを祈り続けよう。代祈だ。。葬儀の本質は代祈、とりなしの祈りだ。生きているうちから葬儀の依頼をしておくことは良いことだ。
●生きているうちに縁遠くなっている人とはこうはいかない。「私にも相手の気分を害することがあったのだろう。神に赦していただく」そして相手を「赦す」「神の祝福があるように」「神に裁かれないように達者で暮らしてくれ」「さようなら」。
●人と人の関係は神が決める。無理に追いかけて修復しようとしてはいけない。それはこの世的な人間的欲望。残念であり、無念であり、淋しい事であり、非常識と思う伊ことではあるが「それでは別れよう」(内村鑑三の言葉)。
●無教会は「来るものを拒まず。去る者を追わない」。「御心のままに、御心のままに」。「信仰第一、お元気で」「神の祝福が末永くありますように」












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キリストの復活は万物復活完成の序章 ++++++++ 所感

2014/04/20 06:04

140420(日)イースター。受洗54年目。●Y兄から「キリストの復活は万物復活完成の序章だ」というすばらしいメールを頂いた。これにふさわしい音楽はないかとの御質問があったので次のようにお答えした。

ご返事(一部)
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さて、音楽は小生も稚拙ですが、貴兄のお考えに合うものはやはりヘンデルの「メサイア」ではないでしょうか
第一部 預言と福音・善き羊飼
第二部 メシアの受難・復活から終末における救いの完成まで
第三部 死者の復活と永遠の生命・救いの完成

つまり第Ⅱ部の最後でキリストの復活の「ハレルヤ」があり、それに続いて救いの完成としての第3部があるわけです。
「バッハの森」の石田友雄先生から受けた講義で、バッハはのロ短調ミサ曲があってのマタイ受難曲なのだと伺いました。
とかく特に日本のキリスト教は「受難曲」の悲しみで終わりがちですが、つまり十字架どまりですが、真髄は復活、復活があるためのレクイエムだと解します。
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ご返事(一部)おわり

●これに関して「初穂」ということを思い出す。

先ず翻訳比較

口語訳 Ⅰコリ15:20
15:20 しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。


新改訳 Ⅰコリ15:20
15:20 しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。


新共同 Ⅰコリ15:20
15:20 しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。


塚本訳 Ⅰコリ15:20
15:20 しかしながら今、キリストは死人の中から復活しておられる、眠った者の(復活の)最初として。


文語訳 Ⅰコリ15:20
15:20 然れど正しくキリストは死人の中より甦へり、眠りたる者の初穂となり給へり。


NKJV Ⅰコリ15:20
15:20 But now Christ is risen from the dead, and has become the firstfruits of those who have fallen asleep.


TEV Ⅰコリ15:20
15:20 But the truth is that Christ has been raised from death, as the guarantee that those who sleep in death will also be raised.


●次にこの箇所をTSKで見てみよう

●Ⅰコリ15:20

15:20 しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。

 

*「しかし事実、キリストは・・・死人の中からよみがえったのである。」

1 Corinthians 15:4-8

4そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、  5ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである。  6そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れた。その中にはすでに眠った者たちもいるが、大多数はいまなお生存している。  7そののち、ヤコブに現れ、次に、すべての使徒たちに現れ、  8そして最後に、いわば、月足らずに生れたようなわたしにも、現れたのである。

 

*「眠っている者の初穂として、」

Acts 26:23

23すなわち、キリストが苦難を受けること、また、死人の中から最初によみがえって、この国民と異邦人とに、光を宣べ伝えるに至ることを、あかししたのです」。

Romans 8:11

 11もし、イエスを死人の中からよみがえらせたかたの御霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは、あなたがたの内に宿っている御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも、生かしてくださるであろう。

1 Corinthians 15:23

 23ただ、各自はそれぞれの順序に従わねばならない。最初はキリスト、次に、主の来臨に際してキリストに属する者たち、

Colossians 1:18

 18そして自らは、そのからだなる教会のかしらである。彼は初めの者であり、死人の中から最初に生れたかたである。それは、ご自身がすべてのことにおいて第一の者となるためである。

1 Peter 1:3

 3ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ、

Revelation of John 1:5

 5また、忠実な証人、死人の中から最初に生れた者、地上の諸王の支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。わたしたちを愛し、その血によってわたしたちを罪から解放し、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今朝の黙想終わり。アーメンアーメン。心一杯胸一杯。万物は最後に罪贖われて完成復活する。キリストの復活はその証拠。これあって、信じて、この世のいかなる悩み怒り憤り不平不満も消える。「ナンノコレシキ」だ。


●10:00 集会は高木(司会)、丹野(塚本虎二使徒信条講義、復活)、村上(申命記27章)今日はイースター。3名はこれに関する話であった。
●14:30 妻と「山本義人合同演奏会」(於・埼玉芸術劇場)。山本義人が指導する合唱団9団体の合同演奏会。最後は出演者全員の232人がステージに上って、「落葉松」を歌ったのは圧巻であった。後ろの席に山本義人氏のご両親がおられたので、歓談。ウィーンでの演奏旅行以来。

DSCF0549.jpg 

さいたま芸術劇場(さいたま市 与野本町)、香山 壽夫(こうやま ひさお)設計。

DSCF0548.jpg 

音楽ホール。音響が良い。






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死の悲しみの慰め・・・「また会える」 ++++++++ 所感

2014/04/19 05:25

140419(土)朝の啓示「死の悲しみの慰め・・『また会える』」●孫の一人が「お母さんが死んだら悲しい」と言ったと言う。わたしは孫に「死の悲しみ」の自覚が生じたことを喜ぶ同時に、母親が「また会えるのよ」と慰めたと言う慰めは聖書的に正しい答えだと思った。●聖書は全部、人間の死の悲しみに対する慰めの書物である。●今朝はこれを思いつくままに並べてみよう。

口語訳 詩  90:1-10
90:1 主よ、あなたは世々われらのすみかで/いらせられる。
90:2 山がまだ生れず、あなたがまだ地と世界とを造られなかったとき、とこしえからとこしえまで、あなたは神でいらせられる。
90:3 あなたは人をちりに帰らせて言われます、「人の子よ、帰れ」と。
90:4 あなたの目の前には千年も/過ぎ去ればきのうのごとく、夜の間のひと時のようです。
90:5 あなたは人を大水のように流れ去らせられます。彼らはひと夜の夢のごとく、あしたにもえでる青草のようです。
90:6 あしたにもえでて、栄えるが、夕べには、しおれて枯れるのです。
90:7 われらはあなたの怒りによって消えうせ、あなたの憤りによって滅び去るのです。
90:8 あなたはわれらの不義をみ前におき、われらの隠れた罪をみ顔の光のなかにおかれました。
90:9 われらのすべての日は、あなたの怒りによって過ぎ去り、われらの年の尽きるのは、ひと息のようです。
90:10 われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです


●3節。死は「帰る」ことなのだ。父なる神の御許に帰ることなのだ。永遠の滅却ではないのだ。
●10節。人生は短くて苦労の連続。子育てを終えることはない。一家を持った子供たちの家にも重い苦労があって、親として心休まることはない。
●10節。人生はこれ「飛び去る」ものなのだ。「光陰矢のごとし」なのだ。
●この年齢(70歳)ともなると、先に逝った人のことを思うことが多くなる。「あーあの人ももういないのだ」ということが多くなる。

口語訳 ヨブ 1:21
1:21 そして言った、/「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」。


●人生は「与えられる」ものなのだ。その間の楽しみも悲しみも労苦も神に与えられるものなのだ。神がご存知なのだ。

新共同 伝  5:14-16
5:14 人は、裸で母の胎を出たように、裸で帰る。来た時の姿で、行くのだ。労苦の結果を何ひとつ持って行くわけではない。
5:15 これまた、大いに不幸なことだ。来た時と同じように、行かざるをえない。風を追って労苦して、何になろうか。
5:16 その一生の間、食べることさえ闇の中。悩み、患い、怒りは尽きない。


●天国に金は持っていけない。家も持っていけない。学歴も持っていけない。名誉も持って行けない。

口語訳 創  5:24
5:24 エノクは神とともに歩み、神が彼を取られたので、いなくなった


●これは最も短い伝記である。しかし最高の伝記、クリスチャンの理想の姿。わたし達もこれと同じでなければならない。
●イエスの父ヨセフのことはわからないが、あのイエスが神は「父だ」という一言にヨセフがいかなる人物であったのかが分かるというものだ。
●死はこの命を「神に取られる」のだ。帰るだけのことなのだ。
●また会えるというのが新約聖書全体の使信。復活なのだ。

塚本訳 マタ 9:24-25
9:24 言われた、「あちらに行っておれ。少女は死んだのではない、眠っているのだから。」人々はあざ笑っていた。
9:25 群衆が外に出されると、イエスは(部屋に)入っていって少女の手をお取りになった。すると少女は起き上がった。


●「死は眠り」。眠ったものは目が覚める。
●人間は眠っていても呼吸はしている。心臓は動いている。
●朝になれば神に起こされる。
●不慮の死で愛する御嬢さんを亡くされた母親にこの聖句を書いてお慰めしたら、感謝のご返事を頂いた。愛する者との別れの悲しみの慰めは「復活」以外にありえない。イエスはそれをやって見せた。

塚本訳 ヨハ 11:11
11:11 こう話して、またそのあとで言われる、「わたし達の友人ラザロが眠った。目をさましに行ってやろう。」

塚本訳 ヨハ 11:39-40
11:39 「石をのけなさい」とイエスが言われる。死んだ人の姉妹のマルタが言う、「主よ、もう臭くなっています。四日目ですから。」
11:40 イエスがマルタに言われる、「信ずれば神の栄光が見られると、(さきほども)あなたに言ったではないか。」


●死体はすぐ腐り始める。四日も経てば悪臭が漂う。
●我々の罪に腐れた人生は40年、50年、すでに腐乱状態である。それでも神はイエスの血潮でこれをことごとく清めて復活させる。
●ラザロの記事はそれを「見える形」で教えてくれる。 


塚本訳 ヨハ 11:43-44
11:43 こう言ったのち、大声で、「ラザロ、出て来い」と叫ばれた。
11:44 死人が手足を包帯で巻かれたまま、(墓から)出てきた。顔は手拭で包まれていた。イエスは「解いてやって(家に)帰らせなさい」と人々に言われた。


●43節。イエスの叫びは身体を曲げては声を振り絞ったのではないか。。
●44節。(家に帰れ)というのは他のところにもあるが、聖書学的には「社会復帰」である。
聖職者になれと言うのではない。元の普通の生活に戻れというのだ。

塚本訳 マタ 9:6-7
9:6 では、人の子(わたし)は地上で罪を赦す全権を持っていることを知らせてやろう」と言っておいて、中風の者に言われる、「起きて寝床をかついで、家に帰りなさい。」
9:7 すると彼は起き上がって、家に帰って行った。


塚本訳 マコ 5:18-19
5:18 そこで舟に乗られると、悪鬼につかれていた者が、ついて行きたいと願った。
5:19 しかし許さずに言われた、「家に帰ってうちの者に、(神なる)主があなたを憐れんで、どんなにえらいことをしてくださったかを、知らせてやりなさい。」


塚本訳 ルカ 8:38-39
8:38 (帰ろうとされる時に、)悪鬼を追い出された男がお供をしたいと願ったが、(許さず、)こう言ってお帰しになった、
8:39 「家に帰って、神がどんなにえらいことをしてくださったかを、(みんなに)話してきかせなさい。」
すると彼は行って、イエスがどんなにえらいことを自分にされたかを、町中に言いふらした。


●若い人は救われると感激してすぐ伝道に邁進しようとしたり、キリストの冠の付いたカッコイイ事業をしたり、そういう企業に入ったり、聖書で飯を食う学問をしようとしたり、職業を聖職者にしようと愚かなことを考える。間違い。イエスが嫌ったのはこういう人間だ。普通の見栄えのしない職業で通せ。普通の会社員でよい、普通の百姓でよい、普通の技術者でよい。公務員でよい。普通の主婦でよい、無神論の夫の妻でよい、「日の丸君が代を強制する公立学校」の教員でよい。性道徳にドロドロの家庭で呻吟する家庭人でよい。暗い世界で十字架を負うのだ。これが無教会の道だ。
●少し信仰に目覚めるとすぐ天下国家の悪を指摘して断罪する人間は十字架を負うことはしない。愛がない。髪振り乱して一席ぶつ女に信仰が堕落する。ヒューマニズムは信仰の敵(バルト)。
●内村研究の泰斗O氏が知人に内村を紹介したら、「これは儒教と同じですね」と言ったと言う。
●現代の無教会は堕落してヒューマニズムや儒教と似たり寄ったり。「キリストの薫」がしない。
●「プロテスタントの豚」という批判がある。

塚本訳 ルカ 7:11-17
7:11 そのあとで、ナインという町に行かれた。弟子たちおよび多くの群衆も一しょに行った。
7:12 町の門の近くに来られると、ちょうど、ある独り息子が死んで、(棺が)舁き出されるところであった。母は寡婦であった。町の人が大勢その母に付添っていた。
7:13 主は母を見て不憫に思い、「そんなに泣くでない」と言って、
7:14 近寄って棺に手をかけ──担いでいる者は立ち止まった──「若者よ、あなたに言う、起きよ!」と言われた。
7:15 すると死人が起き上がって物を言い出した。イエスは『彼を母に渡された。』
7:16 皆が恐れをいだいて、「大預言者がわたし達の間にあらわれた」とか、「神はその民を心にかけてくださった」とか言って、神を讃美した。
7:17 イエスについてのこの(二つの)言葉は、ユダヤ(人の国)全体とその周囲いたる所に広まった。


●イエスは有体的復活をやって見せた。
●神はイエスを有体的に復活させた。
●死の嘆き悲しみは「有体的復活」で初めて慰められる。

塚本訳 ヨハ 11:12-15
11:12 弟子たちが言った、「主よ、眠ったなら(きっと)助かりましょう。(眠る病人はなおると言います。起さない方がよいでしょう。)」
11:13 イエスはラザロが死んだことを言われたのに、弟子たちは安眠していることを言われるものと思ったのである。
11:14 そこでイエスが今度ははっきり言われた、「ラザロは死んだのだ。
11:15 わたしがそこにいなかったことを、あなた達のために喜ぶ。あなた達の信仰を強めることができるからだ。さあ、ラザロの所に行こう。」


●ラザロは確かに死んだのだ。それを神は甦らせたのだ。霊魂不滅の凡百の宗教とは違う。仏教やギリシャ哲学とは違う。いわんやこの世の改造のヒューマニズムではない。キリスト教の本質は「死人の有体的復活」である。
●これを説かない教会、エクレシア、無教会主義集会は即刻看板を下ろすべきだ。それは死人の集まり。大先生の同窓会、悪臭紛々、百害あって一利なし。

塚本訳 ヨハ 11:23-27
11:23 イエスは言われる、「あなたの兄弟は生き返る。」
11:24 マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」
11:27 イエスに言う、「はい、主よ、(信じます。)あなたが救世主で、神の子で、世に来るべき方であると、私は信じています。」


●24節。終末の万物の復興は頭で信じても慰めにはならない。
●霊魂不滅説でも慰めにはならない。
●「私が復活だ」という生ける人格に触れるときに初めて慰められる。これ「有体的復活」による慰めに通じる。

塚本訳 ヨハ 19:34-35
19:34 (死をたしかめるため、)一人の兵卒が槍でその脇腹を突いた。すぐ血と水がながれ出た。
19:35 (実際)目で見た者[主の愛しておられた弟子]がこのことを証明している。──その証明は信用すべきである。彼らは自分の言うことが真実であることを知っている。──(これを書くのは、イエスが神の子であることを)あなた達にも信じさせるためである。


●34節。塚本敷衍の(死を確かめるため)は千金の重みがある。
●イエスは人の子にして神の子。これが正統信仰。
●「血と水」が流れたというのは、正文批評からすれば「と水」が問題らしいが、簡単に言えば死が確実であったと言うこと。
●私が脳内出血で意識不明になった時、救急車の中で足の裏を何度も鉤針で強く引っかかれた。そのたびに「痛い!」と言ったので救急隊員は「死んではいない」と判断した。
●「血と水」はグノーシスへの対抗というより、有体的復活への前提である。死からの復活の前提である。
●「有体的復活の歴史的事実」。これが詩の嘆き悲しみから真に慰められる道である。仏教や霊魂不滅説では無理だ。

塚本訳 Ⅰコリ15:3-4
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、

●イエスは完全に死んだのだ。それを神は復活させたのだ。
●この事実が我々を死の恐怖から救い、永遠の命の希望に生きさせる。

●死の別れの慰め言葉は「また会う日まで」である。
●讃美歌405番と489番の「おいかえし」が慰めになる。

讃美歌05番の「おりかえし」
また会う日まで、また会う日まで、
神のまもり 汝(な)が身を離れざれ

讃美歌489番の「おりかえし」
やがて会いなん、愛(め)でにしものと やがて会いなん

●ボケ、痴ほう症になると、夫や妻に対しても「アンタ、だーれ」ということになるらしい。
●これは一種の「死別」である。嘆きである。
●この悲しみを克服するのも「また会う日まで」の固い信仰ではあるまか。

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朝の黙想終わり。これで6月1日の感話の方針が固まった。

●TSK詩編74編
●図書館で「チルチンびと」を6冊、バルラハの本を借りる。
●妻はヴィヴァルディの「グローリア」の練習に行く。
●録画で「らららクラシック」。ドビュッシーの「月の光」。この曲は当時の音楽法則からは規則破りで学校では認められなかったものだったという。
●いつの時代でも、どんな分野でも「前衛」は即座には認められない。人間関係また同じ。「こうするもんだ」「こうあるべきだ」という規則法則が人を伸ばさない。
















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喜びの性 ++++++++ 所感

2014/04/18 11:50

140418(金)昨日の「キリスト教性教育研究会」の報告と感想。


昨日の「キリスト教性教育研究会」(富永國比古会長)の例会は文京区の富阪キリスト教センターで開かれた。

発題はKGK(キリスト者学生会・・・irisutosha Gakusei Kai・・・)総主事の高木実氏で、内容は「生と性・・・KGKにおける取組と現実」であった。

現代のキリスト者学生の「性の欲望の悩み」の現実を赤裸々に発表してくれた。このようなことを真面目に真剣に取り組んでいるKGKのメンバーは日本のホープだ。

次の聖句を思い浮かべる。

 

新改訳 ピリ 2:15-16

2:15 それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、

2:16 いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、苦労したこともむだでなかったことを、キリストの日に誇ることができます。

 

 

新改訳 ピリ 2:15-16

2:15 それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、

2:16 いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝ためです。そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、苦労したこともむだでなかったことを、キリストの日に誇ることができます。

 

塚本訳 ピリ 2:15-16

2:15 これは君達が非難すべき所でなく、純真であって、『曲ったねじくれた(この)時代』の真中にあって『瑕なき神の子』とならんためである。(まことに)君達はこの時代にあって、生命の言を堅く守りながら、この(暗い)世に星のように輝いているのである。

2:16 かくて私の走ったことが無駄にならず、』苦労したことが無駄に』ならずに、キリストの日に名誉が私に帰するであろう。

 

 

発題の中で、自分(高木)の二人の娘は、教会(日本長老教会交野キリスト教会)の教会学校で、性教育(富永國比古+町田建一の著書で)を教えて頂いて有益で感謝であったと話された。

 

討論の中で、「男性は女性の背後に神がいることを感じるべきだ」「性は汚れたもので禁じる固いもの(イスラム教の一面)ではなく、神に祝福された喜びの行為なのである」という発言が印象的であった。

わたしは、不純なる性行為に罪悪感が伴うのは宗教に関係なく全人類に共通のことであるのは救いである。またもし不純なる性行為に失敗してもキリストの血潮で清められる。イエスはそういう失敗した人を救った。と話した。


●福島から電話相談。神の導きを祈る
●コンビニ、郵便局 
●TSK日本語版詩編73編



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罪人の友なるイエス ++++++++ 所感

2014/04/17 08:55

140417(木)5時目覚め●朝の黙示「罪人の友なるイエス」●この考察は「上から目線」で語っててはならない。それは聖職者の悪い癖である。●イエスは罪人の友としてどん底まで下った。だからこそ人を救えたのだ。

塚本訳 マタ 9:10-11
9:10 イエスが家で食卓についておられるたときのこと、大勢の税金取りや罪人も来て、イエスや弟子たちと同席していた。
9:11 パリサイ人はこれを見て、弟子たちに言った、「なぜあなた達の先生は、税金取りや罪人と一しょに食事をするのか。」

塚本訳 マタ 11:19
11:19 人の子(わたし)が来て飲み食いすると、『そら、大飯食いだ、飲兵衛だ、税金取りと罪人の仲間だ』と言うのだから。しかし(神の)知恵の正しいことは、(ヨハネと人の子とによる)その業が証明した。」

塚本訳 ヨハ 8:1-11
8:1 イエスはオリブ山に行かれた。
8:2 次の朝早く、また宮に行かれると、人々が皆あつまってきたので、座って教えておられた。
8:3 すると聖書学者とパリサイ人とが、姦淫の現行犯を押えられた女をつれてきた。みんなの真中に立たせて、
8:4 イエスに言う、「先生、この女は姦淫の現場を押えられたのです。
8:5 モーセは律法で、このような女を石で打ち殺すように命じていますが、あなたはなんと言われますか。」
8:6 こう言ったのは、イエスを試して、訴え出る口実を見つけるためであった。イエスは身をかがめて、黙って指で地の上に何か書いておられた。
8:7 しかし彼らがしつこく尋ねていると、身を起こして言われた、「あなた達の中で罪(をおかしたこと)のない者が、まずこの女に石を投げつけよ。」
8:8 そしてまた身をかがめて、地の上に何か書いておられた。
8:9 これを聞くと、彼らは皆(良心に責められ、)老人を始めとして、ひとりびとり出ていって、(最後に)ただイエスと、真中に立ったままの女とが残った。
8:10 イエスは身を起こして女に言われた、「女の人、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罰しなかったのか。」
8:11 「主よ、だれも」と女がこたえた。イエスが言われた、「わたしも罰しない。おかえり。今からはもう罪を犯さないように。」】

塚本訳 ルカ 7:36-39
7:36 (シモンという)ひとりのパリサイ人が一しょにお食事をと願ったので、そのパリサイ人の家に入って食卓に着かれた。
7:37 すると、その町に一人の罪の女がいた。イエスがパリサイ人の家で食卓についておられることを知ると、香油のはいった石膏の壷を持ってきて、
7:38 泣きながら後ろからイエスの足下に進み寄り、しばし涙で御足をぬらしていたが、やがて髪の毛でそれをふき、御足に接吻して香油を塗った。
7:39 イエスを招待したパリサイ人が見て、ひそかに思った、「もしもこの人が(ほんとうの)預言者だったら、自分にさわっている者がだれだか、どんな女だか、──罪の女だと分るはずであるのに!」


塚本訳 ルカ 19:1-10
19:1 エリコに入って、(そこを)通っておられた。
19:2 すると、(町に)名をザアカイという人がいた。この人は税金取りの頭で、金持であった。
19:3 イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低いので、群衆のため見ることが出来なかった。
19:4 それで先の方に駈けていって、桑無花果の木に上った。そこを通られるところを見ようとしたのである。
19:5 イエスはその場所に来られると、ザアカイを見上げて言われた、「ザアカイ、急いで下りておいで。きょうはあなたの家に泊まることになっているから。」
19:6 ザアカイは急いで下りてきて、喜んでお迎えした。
19:7 皆がこれを見て、イエスは(税金取りのような)罪人の所に入りこんで宿を取った、と言ってぶつぶつ呟いた。
19:8 しかしザアカイは進み出て主に言った、「主よ、わたしは(誓って)財産の半分を貧乏な人たちに施します。人からゆすり取ったものは四倍にして返します。」
19:9 イエスが(人々に)言われた、「救いは(きょう、)この家に入った。(人でなしのように言われる)この人も、やはり(あなた達と同じ)アブラハムの末だから。
19:10 人の子(わたし)は『滅びうせた者をさがして』救うために来たのである。」

塚本訳 ヨハ 4:15-21
4:15 女が言う、「主よ、その水を下さい。(二度と)渇くことがないように、またここに汲みに来なくてもよいように。」
4:16 イエスが言われる、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」
4:17 女が答えた、「わたしには夫はありません。」イエスが言われる、「『わたしには夫はありません』と言うのは、もっともだ。
4:18 五人の夫とは別れ、今のは、あなたの夫ではないのだから。あなたの言ったことは本当だ。」
4:19 女が(びっくりして)言う、「主よ、わかりました、あなたは預言者です。
4:20 (それでお尋ねしたいのですが、)わたし達の先祖はこの(ゲリジム)山で(神を)礼拝したのに、あなた達(ユダヤの人)は、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。(どういう訳でしょうか。)」
4:21 イエスが言われる、「女の人、わたし(の言葉)を信じなさい。(間もなく)あなた達が、この山でもエルサレムでもなく(どこででも、)父上を礼拝する時が来る。

塚本訳 ルカ 23:26-28
23:26 (兵卒らが)イエスを(刑場へ)引いてゆく時、シモンというクレネ人が野良から来(て通りかかっ)たので、つかまえて(イエスの)十字架を背負わせ、イエスの後から担いでゆかせた。(イエスにはもう負う力がなかったのである。)
23:27 民衆と、イエスのために悲しみ嘆く女たちとの大勢の群が、あとにつづいた。
23:28 イエスは女たちの方に振り向いて言われた、「
エルサレムの娘さんたち、わたしのためには泣いてくれなくともよろしい。それよりは自分のため、自分の子供のために泣きなさい。

塚本訳 マタ 27:46-47
27:46 三時ごろ、イエスは大声を出して『エリ エリ レマ サバクタニ!』と叫ばれた。これは『わたしの神様、わたしの神様、なぜ、わたしをお見捨てになりましたか!
』である。
27:47 そこに立っていた人たちのうちにはこれを聞いて、「あの人はエリヤを呼んでいるのだ」と言った者が何人かあった。(エリをエリヤと聞きちがえたらしい。)


塚本訳 ロマ 12:15
12:15 喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣け


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朝の黙想 おわり

●11:40 出発、教文館。村岡花子の本でもちきり。NHK連ドラの影響。聖書図書館。
●18:00 富阪キリスト教センター。「キリスト教性教育研究会」(富永國比古会長)の例会に出席。
発題者の高木実氏(KGK・・キリスト者学生会総主事)から開会前にお孫さんの誕生おめでとうございますと言われた。
●22:00帰宅。あきる野は遠い。仕方ない。











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「エリ エリ レマ サバクタニ」の叫びの謎 ++++++++ 所感

2014/04/16 05:58

140416(水)朝の黙想「エりエリレマサバクタニ」の謎。・・・イエスの死は贖罪の神の小羊であったという信仰告白を物語形式で表現にしたもの。新約聖書全体の観点から見る。…●イエスの十字架上の叫びは神への信頼か絶望か、古来百家争鳴くである。●護教的教会的立場からは「これは詩編22編の冒頭の句であって、その後半は神への信頼の歌であり、イエスはそれを最後まで朗誦するまでもなく最初だけで力尽きた」というものである。●一方破壊的近代聖書学の見解からすれば、これは全く福音書記者の創作であって、史実ではないという。●しかしここを新約聖書全体の精神からみれば、「イエスは贖罪の神の子羊であった」ことの説明であり、福音の「物語形式」による伝承であるということが分かる。●聖書のわからないところは「聖書全体で聖書を読む」ことがよい。間違えようがない。

塚本訳 マコ 15:34
15:34 三時に、イエスは大声を出して『エロイ エロイ ラマ サバクタニ!』と叫ばれた。訳すると、『わたしの神様、わたしの神様、なぜ、わたしをお見捨てになりましたか!』である。


塚本訳 マタ 27:46
27:46 三時ごろ、イエスは大声を出して『エリ エリ レマ サバクタニ!』と叫ばれた。これは『わたしの神様、わたしの神様、なぜ、わたしをお見捨てになりましたか!』である。

●マタイはマルコが下敷き、マルコ資料。
●マルコの「訳すると、『わたしの神様、わたしの神様、なぜ、わたしをお見捨てになりましたか!』である。」にマルコの「イエスの死の意味」に対する万感の信仰が込められている。
●つまり「イエスの死は神によって砕かれた贖罪の小羊であった」という新約聖書全体の信仰告白を「物語形式」で創作したものである。マルコ的信仰告白伝承である。 これはパウロのⅠコリ 15:3-5と精神は一致。
●史実としてはイエスはただ唸って死んだだけなのかもしれない。しかしその死の意味をマルコはイエスは贖罪の小羊として神に砕かれたのだという信仰に基づいて「イエスの口に入れた」。「史実ではないが真実である」(遠藤周作)。新約聖書全体の精神、使信である。福音伝承の表現形式は 手紙もあり、物語もある。しかしその根底にある精神は変わらない。史実であってもなくても我々の信仰は動かない。これが無教会の立場である。教会の護教的立場でもなく、信仰なき近代聖書学者の立場でもない。
●無教会は信仰と学問の一致。これが無教会の正統的王道。
●「エリエリ・・・」を護教的に「詩編22編」全体の神への賛美の冒頭である。という理解に立つと、イエスを砕いた神の断腸の思いが見えなくなる。
●この観点から次回5月日の感話を次のようにする。

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                     「エリ エリ レマ サバクタニ」の謎

 ・・イエスの死は贖罪の神の子羊であったという物語形式による信仰告白・・

      


東京聖書読者会 2014.5.4 高橋照男   140416-1


塚本訳 マタ 27:46

27:46 三時ごろ、イエスは大声を出して『エリ エリ レマ サバクタニ!』と叫ばれた。これは『わたしの神様、わたしの神様、なぜ、わたしをお見捨てになりましたか!』である。

 

●「イエスの死は神に砕かれた贖罪の神の子羊であった」という物語形式によ信仰告白

口語訳 詩  22:1

22:1 わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか。なにゆえ遠く離れてわたしを助けず、わたしの嘆きの言葉を聞かれないのですか。

 

口語訳 詩  22:31

22:31 主がなされたその救を/後に生れる民にのべ伝えるでしょう。

 

塚本訳 Ⅰコリ15:3-4

15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、

15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、


新約聖書全体の精神。神は失われている人間を何とかして救おうとされる
塚本訳ルカ 15:1-4

15:1 さて、イエスの話を聞こうとして、(いつものとおり)税金取りや罪人が皆近寄ってきた。

15:2 パリサイ人と聖書学者たちがぶつぶつ呟いて言った、「この人は罪人を歓迎するし、また(招かれていって)食事までも一しょにする。」

15:3 そこで彼らにつぎの譬を話された。

15:4 あなた達のうちのだれかが羊を百匹持っていて、その一匹がいなくなったとき、その人は九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を、見つけ出すまではさがし歩くのではないだろうか。

 

塚本訳 ルカ 19:5-10

19:5 イエスはその場所に来られると、ザアカイを見上げて言われた、「ザアカイ、急いで下りておいで。きょうはあなたの家に泊まることになっているから。」

19:6 ザアカイは急いで下りてきて、喜んでお迎えした。

19:7 皆がこれを見て、イエスは(税金取りのような)罪人の所に入りこんで宿を取った、と言ってぶつぶつ呟いた。

19:8 しかしザアカイは進み出て主に言った、「主よ、わたしは(誓って)財産の半分を貧乏な人たちに施します。人からゆすり取ったものは四倍にして返します。」

19:9 イエスが(人々に)言われた、「救いは(きょう、)この家に入った。(人でなしのように言われる)この人も、やはり(あなた達と同じ)アブラハムの末だから。

19:10 人の子(わたし)は『滅びうせた者をさがして』救うために来たのである。」

 

塚本訳 ルカ 5:29-32

5:29 レビがイエスのために家で大宴会を催すと、税金取り、その他の人々が大勢、(イエスや弟子たちと)共に食卓についていた。

5:30 パリサイ人とパリサイ派の聖書学者が弟子たちに向かってつぶやいた、「なぜあなた達は税金取りや罪人と一しょに飲み食いするのか。」

5:31 イエスはその人たちに答えられた、「健康な者に医者はいらない、医者のいるのは病人である。

5:32 わたしは正しい人を招きに来たのではない、罪人を招いて悔改めさせるために来たのである。」

 

塚本訳 使  26:12-16

26:12 こんな次第で、わたしは大祭司連から全権と委任とを受け、(迫害のため)ダマスコに進んでゆくと、

26:13 王よ、昼に、途中で、天から輝く太陽にもまさる光がさして、わたしと、同行の者たちとのまわりを照らすのを見ました。

26:14 わたし達が皆地上に倒れると、ヘブライ語で、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。刺の棒は蹴っても無駄だ』とわたしに言う声を聞きました。

26:15 わたしは言った、『主よ、あなたはどなたですか。』主が言われた、『わたしだ、君が迫害しているイエスだ。

26:16 さあ、起きて、『自分の足で立て。』わたしが(今)現われたのは、君を選んで、わたしを見たことと、(今からも)君に現われて示すこととの証人として、わたしに仕えさせるためである。

 

塚本訳マタ 22:9-13

22:9 だから町の出口の所に行って、出会った者をだれでもよいから宴会に呼んでこい。』

22:10 家来たちは道に出ていって、出会った者を悪人でも善人でも皆集めてきたので、宴会場は客で一ぱいになった。

22:11 王は客を見ようとして入ってきたが、そこに礼服を着けていない者が一人いるのを見て

22:12 その人に言った、『君、礼服も着ずに、なんでここに入ってきたのか。』その人が黙っていると、

22:13 王は家来たちに言った、『あの者の手足を縛って、外の真暗闇に放り出せ。そこでわめき、歯ぎしりするであろう。』

 

塚本訳ルカ 15:21-22

15:21 息子は父に言った、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。もうあなたの息子と言われる資格はありません。……』

15:22 しかし父は(皆まで聞かず)召使たちに言った、『急いで、一番上等の着物をもって来て着せなさい。手に指輪を、足にお靴をはかせなさい。

 

塚本訳ヨハ 16:7-8

16:7 しかし本当のことを言うが、わたしが(父上の所に)行くことは、あなた達のために利益である。行かねば、弁護者はあなた達の所に来ないが、行けば、わたしが彼を遣わすからである。

16:8 そして彼は来ると、罪について、義について、罰について、この世に(その考えの)誤りを認めさせるのであろう。

 

塚本訳 Ⅰコリ15:3-5

15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、

15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、

15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。

塚本訳 Ⅰコリ15:6-10

15:6 そのあと、一度に五百人以上の兄弟に御自分を現わされた。そのうちの多数の者はいまでも生きてい(て、わたしが嘘を言っていないことを証明してくれ)る。もっともすでに眠った者もあるにはある。

15:7 そのあと(御兄弟の)ヤコブに、それから使徒一同に、御自分を現わされた。

15:8 しかし一番最後には、さながら月足らずのようなわたしにも御自分を現わされた

 

塚本訳 Ⅱコリ3:6

3:6 神はわたし達に、新しい契約のための世話役、(すなわち古い契約にある律法の)文字のためではなく、(神の)霊のための世話役たる能力をお与えになったのである。文字は殺すが、霊は命を与えるからである。

 

塚本訳ヘブ 9:21-24

9:21 そして幕屋にも礼拝用の器具全体にも、同じく血をそそいだ。

9:22 こうして律法にしたがえば、ほとんどすべてのものが血で清められ、血を流すことなしには(罪の)赦はない。

9:23 だから、天上のものの模型が必ずこんなにして清められねばならない(くらい)なら、(原形である)天上のこと自体は、これら(地上)のものにまさる犠牲で清められねばならない。

9:24 というのは、キリストは手で造った、本当の聖所の模型の聖所でなく、天そのものに入って、今わたし達のために神の御顔のまえに現れてくださったのである。

 

        新約聖書は一貫してイエスの死の意味の説明をしている

塚本訳 マタ 20:28

20:28 人の子(わたし)が来たのも仕えさせるためではない。仕えるため、多くの人のあがない金としてその命を与えるためである。

 

塚本訳 マタ 26:27-28

26:27 また杯を取り、(神に)感謝したのち、彼らに渡して言われた、「皆この杯から飲みなさい。

26:28 これは多くの人の罪を赦されるために流す、わたしの『約束の血』であるから。

 

塚本訳 ヨハ 12:24

12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)

 

塚本訳 ロマ 3:23-26

3:23 なぜか。すべての人が罪を犯したため、いまだれ一人、(かつて持っていた)神の栄光をもたない。

3:24 (さりとて失った栄光を回復する力はないので、何一つ)代価を払わず、(ただ)神の恩恵によって、キリスト・イエスによるあがないの力で、(神に)義とされる(道が設けられた)のである。

3:25 すなわち神は御自分の義を示すために、宥めの供え物としてキリストを提供された。これはキリストの血でなされたものであり、(人は)信仰によ(ってこの恩恵にあずか)るのである。このことは──神が(長いあいだ)忍耐をもって過ぎし日に犯した罪を罰せずにおられたので──

3:26 今の世において、御自分の義を示そうとされたのである。すなわち御自分が義であること、またイエスを信ずる者を義とするお方であることを、(この世に)示されたのである。

 

塚本訳 Ⅰコリ11:25

11:25 食事の後、杯を同じように(感謝)して(分けて、)言われた、「この杯はわたしの『血』の犠牲を払った『新しい約束』である。(今から後、)飲むたびごとに、わたしを記念するためにこのことを行ないなさい」。

 

塚本訳 Ⅰコリ15:3-4

15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと

15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、

 

塚本訳 ヘブ 9:24

9:21 そして幕屋にも礼拝用の器具全体にも、同じく血をそそいだ。

9:22 こうして律法にしたがえば、ほとんどすべてのものが血で清められ、血を流すことなしには(罪の)赦はない。

9:23 だから、天上のものの模型が必ずこんなにして清められねばならない(くらい)なら、(原形である)天上のこと自体は、これら(地上)のものにまさる犠牲で清められねばならない。

9:24 というのは、キリストは手で造った、本当の聖所の模型の聖所でなく、天そのものに入って、今わたし達のために神の御顔のまえに現れてくださったのである。

 

塚本訳 ヘブ 10:4-5

10:4 雄牛や雄山羊の血は罪を取去ることが出来ないからである。

10:5 だからキリストは、(血肉の人として)この世に入ってきたときに言われる、『犠牲や捧げ物を、あなたは好まれず、ただ体をわたしのためにお備えになった。

 

塚本訳 ヘブ 10:10-13

10:10 この(神の)『御心』によって、イエス・キリストの『体が捧げられること』により、わたし達はただ一度かぎりで、きよめられているのである。

10:11 そして──(くどいが、もう一度くり返して言う)──祭司(という祭司)は皆、(聖所に)立って毎日務をし、決して罪を取除くことの出来ない同じ犠牲を幾たびも捧げているのに反して、

10:12 彼(キリスト)は罪のために(ただ)一つの犠牲(として御自身)を捧げ、(天に入って)たえず『神の右に座っておられ』

10:13 そのあとは、『彼の敵がその足台にされるまで、』(ただ)待っておられるのである。

 

塚本訳 Ⅰペテ1:18-19

1:18 君達は『銀』や金のような朽つる物によらず、

1:19 瑕のない穢れのない小羊のようなキリストの尊い血によって、祖先伝来の空な生活から『贖われた』ことを知っているからである。

 

塚本訳 黙  5:8-10

5:8 彼がその巻き物を受け取った時、四つの活物と二十四人の長老とは、各々竪琴と香の一杯入っている金の鉢とを(手に)持って──この香は聖徒の祈りである──仔羊の前に平伏し、

5:9 新しい(讃美の)歌をうとうて言う──貴方は巻き物を受け取り、その封印を開くに相応(ふさ)いたもう。貴方は屠られ給うて、その血(の値)によって凡ての種族と国語と民と国民と(の価)から人を神のために買い、

5:10 これをわれらの神のために王国(の民となし、)また祭司となし給うたから。彼らは地上に王となるであろう。

 

「エリエリレマサバクタニ」の記事もイエスの死の意味の説明
口語訳出  24:8

24:8 そこでモーセはその血を取って、民に注ぎかけ、そして言った、「見よ、これは主がこれらのすべての言葉に基いて、あなたがたと結ばれる契約の血である」。

 

口語訳 出  29:36

29:36 あなたは毎日、あがないのために、罪祭の雄牛一頭をささげなければならない。また祭壇のために、あがないをなす時、そのために罪祭をささげ、また、これに油を注いで聖別しなさい。

 

口語訳 レビ 5:10

5:10 また第二のものは、定めにしたがって燔祭としなければならない。こうして、祭司が彼のためにその犯した罪のあがないをするならば、彼はゆるされるであろう。

 

口語訳 レビ 8:14-15

8:14 彼はまた罪祭の雄牛を連れてこさせ、アロンとその子たちは、その罪祭の雄牛の頭に手を置いた。

8:15 モーセはこれをほふり、その血を取り、指をもってその血を祭壇の四すみの角につけて祭壇を清め、また残りの血を祭壇のもとに注いで、これを聖別し、これがためにあがないをした。

 

口語訳 レビ 16:15-19

16:15 また民のための罪祭のやぎをほふり、その血を垂幕の内に携え入り、その血をかの雄牛の血のように、贖罪所の上と、贖罪所の前に注ぎ、

16:16 イスラエルの人々の汚れと、そのとが、すなわち、彼らのもろもろの罪のゆえに、聖所のためにあがないをしなければならない。また彼らの汚れのうちに、彼らと共にある会見の幕屋のためにも、そのようにしなければならない。

・・・

16:18 そして彼は主の前の祭壇のもとに出てきて、これがために、あがないをしなければならない、すなわち、かの雄牛の血と、やぎの血とを取って祭壇の四すみの角につけ、

16:19 また指をもって七たびその血をその上に注ぎ、イスラエルの人々の汚れを除いてこれを清くし、聖別しなければならない。

 

口語訳 Ⅱ歴 29:22-24

29:22 すなわち、雄牛をほふると、祭司たちはその血を受けて祭壇にふりかけ、また雄羊をほふると、その血を祭壇にふりかけ、また小羊をほふると、その血を祭壇にふりかけた。

29:23 そして罪祭の雄やぎを王と会衆の前に引いて来たので、彼らはその上に手を置いた。

29:24 そして祭司たちはこれをほふり、その血を罪祭として祭壇の上にささげてイスラエル全国のためにあがないをした。これは王がイスラエル全国のために燔祭および罪祭をささげることを命じたためである。

 

●イエスを砕くことは神のみ旨であった。「なんでこの私が」と泣いたイエス

口語訳 イザ 53:10-12

53:10 しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、主は彼を悩まされた。彼が自分を、とがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ、その命をながくすることができる。かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。

53:11 彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。

53:12 それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に/物を分かち取らせる。彼は強い者と共に獲物を分かち取る。これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、とがある者と共に数えられたからである。しかも彼は多くの人の罪を負い、とがある者のためにとりなしをした。

 

塚本訳 マタ 26:36-39

26:36 ほどなくイエスは弟子たちと一しょに(オリブ山の麓の)ゲッセマネという地所に着くと、弟子たちに言われる、「わたしがあちらへ行って祈っている間、ここに坐って(待って)おれ。」

26:37 そしてペテロとゼベダイの子二人(だけ)を連れて(奥の方へ)ゆかれると、(急に)悲しみおののき始められた。

26:38 それから彼らに言われる、「『心がめいって』『死にたいくらいだ。』ここをはなれずに、わたしと一しょに目を覚ましていてくれ。」

26:39 そしてなお少し(奥に)進んでいって、俯けに倒れ、祈って言われた、「お父様、出来ることなら、どうかこの杯がわたしの前を通りすぎますように。しかし、わたしの願いどおりでなく、お心のとおりになればよいのです。」

 

塚本訳 マタ 27:46

27:46 三時ごろ、イエスは大声を出して『エリ エリ レマ サバクタニ!』と叫ばれた。これは『わたしの神様、わたしの神様、なぜ、わたしをお見捨てになりましたか!』である。

 

●どうせ死ぬのならパウロの言う「宥めの供え物」(ロマ325)になって死にたい。

塚本訳 ロマ 9:1-3

9:1 私はキリストにある者として本当のことを言う、嘘はつかない。わたしの良心も聖霊によって、(それが本当であることを)保証してくれる。

9:2 (わたしが急にこんなことを言い出したら信じてくれないかも知れないが、)わたしに大きな悲しみと、心に絶えざる痛みとがあるのである。

9:3 ほんとうに、兄弟すなわち血を分けた同胞の(救われる)ためならば、このわたしは呪われて、救世主(の救い)から離れ落ちてもよいと、幾たび(神に)願ったことであろう。

新共同 ロマ 9:3

9:3 わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています。

 

塚本訳 ヨハ 15:13

15:13 (わたしはあなた達のために命を捨てる。)友人のために命を捨てる以上の愛はないのだ。

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朝の黙想 おわり

●8:00 妻は今井館ウィークデーの集いのために出発
●6月1日の集会感話の準備

塚本訳 ヨハ 19:34-35
19:34 (死をたしかめるため、)一人の兵卒が槍でその脇腹を突いた。すぐ血と水がながれ出た。
19:35 (実際)目で見た者[主の愛しておられた弟子]がこのことを証明している。──その証明は信用すべきである。彼らは自分の言うことが真実であることを知っている。──(これを書くのは、イエスが神の子であることを)あなた達にも信じさせるためである

●「血」が流れたのはイエスは人間であり、同時に神の子であった証明
●イエスの死と流れた血は歴史的事実でなければキリスト教は瓦解する
●信仰告白伝承は、物理的証拠ではなく、神が起こす信者の信仰の連鎖反応で継承される。
●信仰は神が起こす。信者は神が起こす。罪人は神が赦す。
●見える徴が教会。無教会は信仰を持つ人の実在が真理の証拠。生ける人間が徴。


●TSK日本語版詩編71編をやっていて「老いの祈り」なる句に出会って心打たれた。

●口語訳 詩  71:9
71:9 わたしが年老いた時、わたしを見離さないでください。わたしが力衰えた時、わたしを見捨てないでください。

●黒崎注解で翻訳比較を見る。

71篇9節かく神よ、汝は始より我を恵み給いたれば、わが(とし)()いぬるとき(われ)をすてたまふなかれ、わが(ちから)おとろふる(とき)(われ)を《()()て》【はなれ】たまふなかれ。かかる時こそ我は最も多く汝を要するが故なり。

*「わたしが年老いた時、わたしを見離さないでください。」

Psalms 71:18

18神よ、わたしが年老いて、しらがとなるとも、あなたの力をきたらんとするすべての代に宣べ伝えるまで、わたしを見捨てないでください。

Psalms 92:13-15

 13彼らは主の家に植えられ、われらの神の大庭に栄えます。  14彼らは年老いてなお実を結び、いつも生気に満ち、青々として、  15主の正しいことを示すでしょう。主はわが岩です。主には少しの不義もありません。

Isaiah 46:4

 4わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う。

2 Timothy 1:12

 12そのためにまた、わたしはこのような苦しみを受けているが、それを恥としない。なぜなら、わたしは自分の信じてきたかたを知っており、またそのかたは、わたしにゆだねられているものを、かの日に至るまで守って下さることができると、確信しているからである。

2 Timothy 4:18

 18主はわたしを、すべての悪のわざから助け出し、天にある御国に救い入れて下さるであろう。栄光が永遠から永遠にわたって主にあるように、アァメン。

 

*「わたしが力衰えた時、わたしを見捨てないでください。」

2 Samuel 19:35

35わたしは今日八十歳です。わたしに、良いこと悪いことがわきまえられるでしょうか。しもべは食べるもの、飲むものを味わうことができましょうか。わたしは歌う男や歌う女の声をまだ聞くことができましょうか。それであるのに、しもべはどうしてなおわが主、王の重荷となってよろしいでしょうか。

2 Samuel 21:15-17

 15ペリシテびとはまたイスラエルと戦争をした。ダビデはその家来たちと共に下ってペリシテびとと戦ったが、ダビデは疲れていた。  16時にイシビベノブはダビデを殺そうと思った。イシビベノブは巨人の子孫で、そのやりは青銅で重さ三百シケルあり、彼は新しいつるぎを帯びていた。  17しかしゼルヤの子アビシャイはダビデを助けて、そのペリシテびとを撃ち殺した。そこでダビデの従者たちは彼に誓って言った、「あなたはわれわれと共に、重ねて戦争に出てはなりません。さもないと、あなたはイスラエルのともし火を消すでしょう」。

Psalms 73:26

 26わが身とわが心とは衰える。しかし神はとこしえにわが心の力、わが嗣 業である。

Psalms 90:10

 10われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。

Ecclesiastes 12:1-7

 1あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、  2また日や光や、月や星の暗くならない前に、雨の後にまた雲が帰らないうちに、そのようにせよ。  3その日になると、家を守る者は震え、力ある人はかがみ、ひきこなす女は少ないために休み、窓からのぞく者の目はかすみ、  4町の門は閉ざされる。その時ひきこなす音は低くなり、人は鳥の声によって起きあがり、歌の娘たちは皆、低くされる。  5彼らはまた高いものを恐れる。恐ろしいものが道にあり、あめんどうは花 咲き、いなごはその身をひきずり歩き、その欲望は衰え、人が永遠の家に行こうとするので、泣く人が、ちまたを歩きまわる。  6その後、銀のひもは切れ、金の皿は砕け、水がめは泉のかたわらで破れ、車は井戸のかたわらで砕ける。  7ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る。


●口語訳 詩  71:18
71:18 神よ、わたしが年老いて、しらがとなるとも、あなたの力をきたらんとするすべての代に/宣べ伝えるまで、わたしを見捨てないでください。



●黒崎注解で翻訳比較を見る。


71篇18節(されば)(かみ)よ、ねがはくは、われ()いて頭髮(かみげ)(しろ)くなるとも、()がなんぢの*(ちから)(つぎ)()にのべつたへ、なんぢの大能(たいのう)やがて今後()(うま)れいづる(すべ)てのものに(のべ)(つた)ふるまで(われ)を《()()て》【はなれ】たまふなかれ。我は汝の御業、汝の力を宣伝えずしてやむ能わず、願わくは汝の恩恵と守護とによりてこの願を全うしたまえ。

●黒崎注解で翻訳比較を見る。

71篇18節(されば)(かみ)よ、ねがはくは、われ()いて頭髮(かみげ)(しろ)くなるとも、()がなんぢの*(ちから)(つぎ)()にのべつたへ、なんぢの大能(たいのう)やがて今後()(うま)れいづる(すべ)てのものに(のべ)(つた)ふるまで(われ)を《()()て》【はなれ】たまふなかれ。我は汝の御業、汝の力を宣伝えずしてやむ能わず、願わくは汝の恩恵と守護とによりてこの願を全うしたまえ。

文語訳71篇18節 (かみ)よねがはぐばわれ()いてい頭髪(かみげ)しろくなるとも()がなんぢの(ちから)次代(つぎのよ)にのべつたへ なんぢの大能(たいのう)()にうまれいづる(すべ)てのものに宣傳(のべつた)ふるまで(われ)をはなれ(たま)ふなかれ
口語訳71篇18節 神よ、わたしが年老いて、しらがとなるとも、あなたの力をきたらんとするすべての代に宣べ伝えるまで、わたしを見捨てないでください。
関根訳71篇18節 わたしが年老いて白髪になるときもヤヴェよ、わたしを棄てないで下さい。わたしがあなたのみ腕の力を来るべき世代()に述べ終わるまで。
新共同71篇18節 わたしが老いて白髪になっても 神よ、どうか捨て去らないでください。御腕の業を、力強い御業を 来るべき世代に語り伝えさせてください。

●TSK(未完)を見る。


*「・・・・・・わたしを見捨てないでください。」

Genesis 27:1

1イサクは年老い、目がかすんで見えなくなった時、長子エサウを呼んで言った、「子よ」。彼は答えて言った、「ここにおります」。

1 Samuel 4:15

 15その時エリは九十八歳で、その目は固まって見ることができなかった。

1 Samuel 4:18

 18彼が神の箱のことを言ったとき、エリはその座から、あおむけに門のかたわらに落ち、首を折って死んだ。老いて身が重かったからである。彼のイスラエルをさばいたのは四十年であった。

Psalms 71:9

 9わたしが年老いた時、わたしを見離さないでください。わたしが力 衰えた時、わたしを見捨てないでください。

Isaiah 46:4

 4わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う。

 

*「わたしが年老いて、しらがとなるとも、」

Exodus 13:8

8その日、あなたの子に告げて言いなさい、『これはわたしがエジプトから出るときに、主がわたしになされたことのためである』。

Exodus 13:14-17

 14後になって、あなたの子が『これはどんな意味ですか』と問うならば、これに言わなければならない、『主が強い手をもって、われわれをエジプトから、奴隷の家から導き出された。  15そのときパロが、かたくなで、われわれを去らせなかったため、主はエジプトの国のういごを、人のういごも家畜のういごも、ことごとく殺された。それゆえ、初めて胎を開く男性のものはみな、主に犠牲としてささげるが、わたしの子供のうちのういごは、すべてあがなうのである』。  16そして、これを手につけて、しるしとし、目の間に置いて覚えとしなければならない。主が強い手をもって、われわれをエジプトから導き出されたからである」。  17さて、パロが民を去らせた時、ペリシテびとの国の道は近かったが、神は彼らをそれに導かれなかった。民が戦いを見れば悔いてエジプトに帰るであろうと、神は思われたからである。

1 Chronicles 29:10-30

 長文故表示省略

 Psalms 78:4

 4われらはこれを子孫に隠さず、主の光栄あるみわざと、その力と、主のなされたくすしきみわざとをきたるべき代に告げるであろう。

Psalms 78:6

 6これは次の代に生れる子孫がこれを知り、みずから起って、そのまた子孫にこれを伝え、

Psalms 145:4-5

 4この代はかの代にむかってあなたのみわざをほめたたえ、あなたの大能のはたらきを宣べ伝えるでしょう。  5わたしはあなたの威厳の光栄ある輝きと、あなたのくすしきみわざとを深く思います。

Acts 13:36

 36事実、ダビデは、その時代の人々に神のみ旨にしたがって仕えたが、やがて眠りにつき、先祖たちの中に加えられて、ついに朽ち果ててしまった。

 

*「あなたの力をきたらんとするすべての代に/宣べ伝えるまで、」

Isaiah 51:9

9主のかいなよ、さめよ、さめよ、力を着よ。さめて、いにしえの日、昔の代にあったようになれ。ラハブを切り殺し、龍を刺し貫いたのは、あなたではなかったか。

Isaiah 53:1

 1だれがわれわれの聞いたことを信じ得たか。主の腕は、だれにあらわれたか。

文語訳71篇9節 わが年老(としお)いぬるとき(われ)をすてたまふなかれ わが(ちから)おとうふるとき(われ)をはなれたまふなかれ
口語訳71篇9節 わたしが年老いた時、わたしを見離さないでください。わたしが力衰えた時、わたしを見捨てないでください。
関根訳71篇9節 老年になってもわたしを()てないで下さい、わが力の衰える時にわたしを見棄てないで下さい。
新共同71篇9節 老いの日にも見放さず わたしに力が尽きても捨て去らないでください。

●TSK(未完)を見る。
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十字架は神の愛が迫ってわかる。聖書はその説明 ++++++++ 所感

2014/04/15 06:10

140415(火)朝の啓示「十字架は神の愛が迫ってわかる。聖書はその意味の説明」●「エリエリラマサバクタニ」もその説明の一種。その叫びが史実であってもなくても我らの信仰は揺るがない●次回5月4日の標題を次のようにする。

     十字架は神の愛が迫って分かる。聖書はイエスの死の意味の説明をする。
          ・・・「エリ エリ レマ サバクタニ」の叫びの記事もその説明の一種・・・・・

●失われている人は神ご自身が何とかして救おうとされる

塚本訳 ルカ 15:1-7
塚本訳 ルカ 19:1-10                                                塚本訳 ルカ 19:41-44
塚本訳 ルカ 5:27-32
塚本訳使徒9:3-9

●イエスの死の意味の説明が聖書

マタイ20:28
マタイ22:9-13
マタイ26:27-28
ルカ15:21-22
ヨハネ12:24
ロマ3:23-26
ヨハネ16:7-8
Ⅰコリ 11:25
Ⅰコリ 15:3-5
Ⅱコリ3:6
ヘブ9:21-24
ヘブ10:1-5
ヘブ10:10-13
Ⅰペテ1:18-21
黙 5:8-10

●「エリ エリ レマ サバクタニ」(マタイ27:46 )の記事もイエスの死の意味の説明

口語訳出 24:;4-8
口語訳出 29:36
口語訳レビ5:10
口語訳レビ8:14-15
口語訳レビ14:6
口語訳レビ16:15-19 
口語訳エレ31:31-34                                               口語訳Ⅱ歴29:22-24


               
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朝の黙想終わり

●伊藤整形外科、痛風ではなかった。妻が安堵した。
●ATM、郵便局
●TSK日本語版詩編70-71編
●妻は馬込の愛子の家、夜は月本先生のエゼキエル書講義






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失われている人は神ご自身が何とかして救う ++++++++ 所感

2014/04/14 06:32

140414(月)5時目覚め●朝の啓示「失われている人は神ご自身が何とかして救う」●ロマ書9~11章は8章の喜びから一転して失われている同胞の救いについてその悩みを論、そしてその結論として11章で「神が何とかして救われる」という強い信仰で終わっている。●この「神が何とかしてくださる」というのが信者のあるべき心持である。●今朝はこの信仰を補強してくれる聖書の箇所を掲げてみよう。

塚本訳 ルカ 15:1-7
15:1 さて、イエスの話を聞こうとして、(いつものとおり)税金取りや罪人が皆近寄ってきた。
15:2 パリサイ人と聖書学者たちがぶつぶつ呟いて言った、「この人は罪人を歓迎するし、また(招かれていって)食事までも一しょにする。」
15:3 そこで彼らにつぎの譬を話された。
15:4 「あなた達のうちのだれかが羊を百匹持っていて、その一匹がいなくなったとき、その人は九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を、見つけ出すまではさがし歩くのではないだろうか。
15:5 そして見つけると、喜んで肩にのせて、
15:6 家にかえり、友人や近所の人たちを呼びあつめてこう言うにちがいない、『一しょに喜んでください。いなくなっていたわたしの羊が見つかったから』と。
15:7 わたしは言う、このように、一人の罪人が悔改めると、悔改める必要のない九十九人の正しい人以上の喜びが、天にあるのである。


●神は人間の心配以上に心配して失われた人間を探して救われる。神はその道を知っている。その方法を知っている。

塚本訳 ルカ 19:1-10
19:1 エリコに入って、(そこを)通っておられた。
19:2 すると、(町に)名をザアカイという人がいた。この人は税金取りの頭で、金持であった。
19:3 イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低いので、群衆のため見ることが出来なかった。
19:4 それで先の方に駈けていって、桑無花果の木に上った。そこを通られるところを見ようとしたのである。
19:5 イエスはその場所に来られると、ザアカイを見上げて言われた、「ザアカイ、急いで下りておいで。きょうはあなたの家に泊まることになっているから。」
19:6 ザアカイは急いで下りてきて、喜んでお迎えした。
19:7 皆がこれを見て、イエスは(税金取りのような)罪人の所に入りこんで宿を取った、と言ってぶつぶつ呟いた。
19:8 しかしザアカイは進み出て主に言った、「主よ、わたしは(誓って)財産の半分を貧乏な人たちに施します。人からゆすり取ったものは四倍にして返します。」
19:9 イエスが(人々に)言われた、「救いは(きょう、)この家に入った。(人でなしのように言われる)この人も、やはり(あなた達と同じ)アブラハムの末だから。
19:10 人の子(わたし)は『滅びうせた者をさがして』救うために来たのである。」


●10節が結論。福音の本質。

塚本訳 ルカ 19:41-44
19:41 いよいよ(エルサレムが)近くなって(はじめて)都が見えると、イエスは都(に臨もうとしている裁き)を思い、声をあげて泣きだされた。
19:42 そして言われた、「(ああエルサレム、)お前ももし(「平安を見る」という自分の名のように、)きょうでも平安への道が見えたなら(まだ遅くはないのに!)しかし今それはお前の目に隠されている。
19:43 やがて時が来て、敵はお前のまわりに塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め立て、
19:44 お前と、そこにいる『お前の子供たちを地べたに叩きつけ、』お前の中に、そのまま重なっている石が一つもないようにするであろう。恩恵の時を知らなかった罰である。」


●同胞の救いに、イエスが泣き、パウロが悩んだ(ロマ書9章2節)。

塚本訳 ロマ 8:26-27
8:26 しかし(創造物やわたし達神の子が苦しんでいると)同じように、御霊も、弱いわたし達を助けてくださる。すなわち、(神のみ心にかなうには)どう何を祈るべきかわからないので、御霊自身が、無言の呻きをもって(わたし達の祈りを神に)執り成してくださるのである。
8:27
しかし(人の)心を見抜くお方[神]は、御霊が何を求めているか、すなわち、御霊が神の御心にかなうように聖徒たちのために執り成しておられることを、(もちろん)御存じである。

●同胞、身内の救いの必要に対する我らの「呻き」は神の方がとっくにご存知だ。

塚本訳 ルカ 5:27-32
5:27 そのあとで、イエスは(湖のほとりに)出てゆき、レビという税金取りが税務署に坐っているのを見て、「わたしについて来なさい」と言われると、
5:28 何もかも捨てて、立って従った。
5:29 レビがイエスのために家で大宴会を催すと、税金取り、その他の人々が大勢、(イエスや弟子たちと)共に食卓についていた。
5:30 パリサイ人とパリサイ派の聖書学者が弟子たちに向かってつぶやいた、「なぜあなた達は税金取りや罪人と一しょに飲み食いするのか。」
5:31 イエスはその人たちに答えられた、「健康な者に医者はいらない、医者のいるのは病人である。
5:32 わたしは正しい人を招きに来たのではない、罪人を招いて悔改めさせるために来たのである。」


●32節が結論。聖書学的に言えば額縁。結論だけでは印象が少ないので、イエスの行動記録がその前に書かれている。福音書は素晴らしい。
●聖書学はこの額縁だけの研究をしていることが多い。


塚本訳 ロマ 9:19-24
9:19 するとあなたはわたしに(抗議して)言うにちがいない、それでは、なぜ神はなおも人を咎められるのか。(御自身が人の心を頑固にされるのなら、)だれも神の意志に逆らうことはできない訳ではないかと。
9:20 ああ人よ、いったい君は何者なれば、神に口答えをするのか。『作られたものが作った者に向かって、「なぜ『わたしをこんなものに造ったか」と言えるだろうか。』
9:21 それとも、『陶器師には、』同じ『粘土』の塊で、一つは尊い用途の、一つは卑しい用途の器を造る権利がないのだろうか。
9:22 それで、もし神が、(御自分の)怒りを示し御自分の力(の恐ろしさ)を知らせようとお思いになるので、(今日まで)いとも気長に、『滅びのために』つくられた』怒りの器[滅びる人]を辛抱された』とすれば、
9:23 またそれは、栄光のためにあらかじめ用意された憐れみの器[救われる人]に、御自分の豊かな栄光を知らせるためであったとすれば、どうだ。(かれこれ言うことはないではないか。)
9:24 神はこの憐れみの器としてわたし達をも召されたのである。ただユダヤ人の中からだけでなく、異教人の中からも。


●今、失われている同胞身内があるのも、神の深い恵みのご計画の内。

塚本訳 ロマ 10:19-21
10:19 しかし、わたしは(なお)考える、イスラエル人は(聞くには聞いたが、むずかしくて)わからなかったのではあるまいかと。(そんなことはない。)第一にモーセは言っている。(『神は言われる、)「わたしはわたしの民でない者(を救うこと)によって』あなた達に『妬みをおこさせ、愚かな民によって』あなた達を『怒らせる」(と。)』(愚かな異教の民さえ信じたのである。)
10:20 (次に)イザヤも勇敢に言っている。『(神は言われる、)「わたしをさがさなかった者にわたしは姿を見せ、わたしを尋ねなかった者に現われた」(と。)』
10:21 彼はまたイスラエル人について言っている、』(神は言われる、)「一日中、この不従順な反抗ばかりしている民に、わたしは手を伸べていた」(と。)』(だから彼らが信じないのは、頑なで自分の義を立てようとしたからであって、弁解の言葉はない。)


●キリスト教は難しい。
●神の救いには順番がある。いつかきっと全員が救われる。「妬みをおこさせ」。求道の心を喚起させる。「俺としてもここママじゃーいけない」と思う気を起こさせる。時間がかかるが。
●今救われてない同胞身内も神の御計画の内。神が救われる。

塚本訳 ロマ 5:20-21
5:20 (それなら律法は人を義として永遠の命を与えるためには役立たないのか。その通り。)律法は、過ちを増し強めるために第二義的に来たのである。しかし(神に感謝する、人の犯す)罪が増し強まれば、恩恵は豊かにあふれる。
5:21 これは罪が死を持って支配したように、恩恵も義をもって支配し、わたし達の主イエス・キリストによって、(わたし達を)永遠の命に入れるためである。


●神はどんな見苦しい罪でも救われる。その一人子イエスの血潮で清める。

塚本訳 ロマ 6:1
6:1 それでは、どういうことになるのだろうか。(罪が増せば恩恵も豊かになるならば、)
恩恵が増し強まるために、わたし達は罪(の生活)を続けるべきであろうか。

●人間は罪の生活のままでは「いたたまれない」ものだ。いつか救いを求める。

塚本訳 ロマ 6:14-15
6:14 なぜなら、罪はもうあなた達の主人として支配することはないからである。あなた達は律法の下にいるのでなく、恩恵の下にいるのである。
6:15 それでは、どうだろうか。わたし達は律法の下にいるのでなく恩恵の下にいるのだから、罪を犯そうではないかということになるのだろうか。もちろん、そんなことはない。


●恩恵で救われた人は別世界に入れられたので、罪の生活とは縁が切れるのである。

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朝の黙想おわり






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律法(道徳)主義のわかりやすさと福音主義のわかりにくさ ++++++++ 所感

2014/04/13 06:18

140413(日)5時目覚め●朝の啓示「律法(道徳)主義のわかりやすさと福音主義のわかりにくさ」●ドバイを訪問して、かの国の民の律法への熱心さに感心したが、逆に福音のわかりにくさというものを自覚した。●律法は道徳主義であれをしてはいけない、これをすれば救われるという実に分かりやすいものであるが、福音は人間が霊によって生まれ変わるという信仰なので、これが実に分かりにくいものである。パウロの苦闘はここにあった。今朝はこれを巡って黙想し、本日の集会感話のポイントにしよう。


塚本訳 ロマ 9:1-5
9:1 私はキリストにある者として本当のことを言う、嘘はつかない。わたしの良心も聖霊によって、(それが本当であることを)保証してくれる。
9:2 (わたしが急にこんなことを言い出したら信じてくれないかも知れないが、)わたしに大きな悲しみと、心に絶えざる痛みとがあるのである。
9:3 ほんとうに、兄弟すなわち血を分けた同胞の(救われる)ためならば、このわたしは呪われて、救世主(の救い)から離れ落ちてもよいと、幾たび(神に)願ったことであろう。
9:4 (言うまでもなく、)それはイスラエル人のことである。(彼らは神の)子たる身分(を与えられ、神の)栄光(はその中に住み、)かずかずの契約(は神との間に結ばれ、比類のない)律法、(荘厳な)礼拝、多くの(恩恵の)約束は、(ことごとく)彼らのものである。
9:5 (また、アブラハム、イサク、ヤコブなどの偉大な)祖先たちは彼らのものであり、救世主も人間としては彼らから出られたのである。一切のものの上におられる神なる彼は、永遠に賛美すべきである、アーメン。


●4節。比類のない律法、(荘厳な)礼拝。はまさに然りである。

塚本訳 ロマ 9:31-33
9:31 反対に、イスラエル人は義を約束する律法を(熱心に)追い求めたが、(ついに)律法に(よって義に)達することができなかったのであるが。
9:32 なぜか。イスラエル人は信仰によってでなく行いによって(義とされ得るか)のように考え(て、追い求め)たからである。彼らは』躓きの石に『躓いた。
9:33 (聖書に)書いてあるとおりである。『見よ、』『躓きの石と邪魔の岩とを』『シオンに』置く、『これを信ずる者は恥をかかないであろう。』


●32節。行いによって(義とされ得るか)のように考えて、追い求めたからである。というのは現代に当てはめれば、教会員の増加への熱心、天下国家断罪批判を追い求めている現代クリスチャンの一部をさす。
●無教会主義のわかりにくさもここにある。律法主義の教会主義には理化されない。「怠慢」とみられてしまう。


塚本訳 ロマ 10:1-3
10:1 兄弟たちよ、彼ら[イスラエル人]が救われること、これがわたしの切なる望み、また彼らのための神への願いである。
10:2 彼らは神に対して(ほんとうに)熱心だからである。そのことを彼らのために証明する。ただ、(残念なことに、その熱心が正しい)認識を欠いている。
10:3 すなわち、彼らは(キリストを信ずることによって義とされる)神の義(の道が開けているの)がわからず、(自分の力で律法を守って)自分の義を立てようとしたため、神の義に服従しなかったのである。


●米国のテロ、9.11 はこれである。

塚本訳 ヨハ 16:1-2
16:1 このことを話したのは、(わたしがいなくなったあとで、)あなた達が(信仰に)つまずかないためである。
16:2 彼らはあなた達を礼拝堂追放にするにちがいない。それどころか、あなた達を殺す者が皆、神に奉仕しているかのように思う時が来るであろう。


●2節の「彼ら」とはユダヤ人。律法(道徳)を否定する福音主義の信者を殺すことが神への奉仕と考えた。これ古いパウロの姿。

塚本訳 ヨハ 3:4-11
3:4 ニコデモがイエスに言う、「(このように)年を取った者が、どうして生まれなおすことが出来ましょう。まさかもう一度母の胎内に入って、生まれなおすわけにゆかないではありませんか。」
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。
3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。
3:7 『あなた達は新しく生まれなおさねばならない』と言ったからとて、すこしも不思議がることはない。
3:8 風[プニューマ]は心のままに吹く。その音は聞えるが、どこから来てどこに行くか、あなたは知らない。霊[プニューマ]によって生れる者も皆、そのとおりである。」
3:9 ニコデモが言葉を返した、「(霊によって生まれるなどと、)そんなことがどうして出来ましょうか。」
3:10 イエスが答えて言われた。──「あなたはイスラエルの(名高い)先生でありながら、それくらいなことがわからないのか。
3:11 アーメン、アーメン、わたしは言う、わたし達(神の国を説く者)は知っていることを話し、(自分で)見たことを証しするのである。しかしあなた達はその証しを受けいれない。


●このニコデモは古いパウロを彷彿とさせる。10節の「それくらいのことが分からないのか」というイエスの言葉は酷である。「そのことが分かりにくいのである。
●信仰なくして逝った母は言った。「基督教はわかりにくい。仏教のほうが分かりやすい」と。至言。仏教は哲学で頭のことであって、霊による生まれ変わりの難しいことではないからである。あー限界、限界。神の恩恵による生まれ変わりなくして人に福音はわからない。

塚本訳 ヨハ 8:12
8:12 (同じ大祭の日に、)イエスはまた人々に語られた、「わたしが世の光である。わたしに従う者は、決して暗やみを歩かない。そればかりか、命への光を持つことができる。」


●モーセ、ダビデ、マホメット、親鸞、などの人間の教えが「光」であると言うならわかりやすい。イエスの教えが「光」であるならこれまたわかりやすい。「神とキリストによる生まれ変わり」で光が分かると言うのだからキリスト教はわかりにくい。絶望だ。

塚本訳 マタ 5:14
5:14 あなた達は世の光である。山の上にある町は隠れていることは出来ない。


塚本訳 ピリ 2:15
2:15 これは君達が非難すべき所でなく、純真であって、『曲ったねじくれた(この)時代』の真中にあって『瑕なき神の子』とならんためである。(まことに)君達はこの時代にあって、生命の言を堅く守りながら、この(暗い)世に星のように輝いているのである

●ドバイの感想。イスラム教徒の律法への熱心さは見るべきものがある。特に性道徳に厳格なことは感心する。町でカップルは見かけない。不倫などは噂だけでも国外追放だという。
●しかし女性の黒装束(アバヤ)は律法主義の闇の象徴。人間の罪から自由になれてない「暗黒」の象徴。福音は「光だ」「自由だ」「生まれ変わりだ」。しかしこれがわかりにくいのだ。


●人間はどうして「生まれ変わることが出来るのか」(前記ヨハネ3:4)のニコデモの質問疑問は当然である。人間は本能から脱することができないのだ。
●あー、福音伝道は至難の業だ。

塚本訳 ロマ 9:27
9:27 (預言者)イザヤもイスラエル人について叫んでいる。『たとえイスラエル[ヤコブ]の子孫の数は海の砂のように(多数)であろうとも、(信ずる少数の)残りの者(だけ)が救われる。

塚本訳 ロマ 11:5
11:5 だから、同じように今の世にも、恩恵の選びによる残りの者がある。

●「残りの者」はいる。有体的復活と言うと共鳴する少数の人がいる。恩恵の選びによる少数の者が極東の「わが日本」もいる。このs少数が望みだ。
●福音は人生の嘆き悲しみを通して分かる。代償があって分かる。

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朝の黙想 おわり

●10:00 妻と集会へ。茂木(司会)、高木(福音書一回一生、新しい試み)、高橋(「イスラム文化に触れて。ドバイ訪問」内容は140409のブログに掲載)
●小寺さんと昼食
●妻は「すずめの会」(集会の婦人会)。聖書は「権威問題(ルカ20:1-8)」、担当川上邦子。
●帰途、、疲れて居眠りして電車を4駅ほど乗り越してしまった。






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UAEの印象、総括 ++++++++ 所感

2014/04/12 08:58

140412(土)明日の感話の準備。イントロダクション「UAEの印象、総括」●UAE(United Arab Emirates。7つの首長国の連邦)から戻っての印象総括3点。

1・旧約の世界を見た。特に性道徳に厳しく、町ではカップルは見かけず、不倫などは噂が上がった
 だけで国外追放。肌  や身体の線を見せない女性の黒装束(アバヤ)の意味も理解できた。

2・イスラム教コーランの強さの秘密を感じた。ユダヤ教は旧約聖書、キリスト教は旧約+新約聖 
 書、イスラム教は旧約+新約+コーラン。コーランは旧約と新約を内包する。事前にコーランを少
 し読み学んでいったことは有益であった。

3・UAEと日本の経済関係は強いことを知った。UAEの原油の30%は日本へ輸出。日本の原油
  は20%がUAEから輸入。日本はUAEに原発技術輸出の話までがあったが、結局韓国が受 
  注した。

ドバイの旅、写真日記のまとめ。

ドバイの旅 写真日記まとめ

2014年4月2日~7日

高橋照男

 

旅の目的 銀行勤務でアラブ首長国連邦(UAE)のドバイ支店に赴任している息子一家の招待による旅。イスラム文化に触れる楽しみ。



140403(木)

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深夜の0時30分羽田発、ドバイまでノンストップ。11時間。時差は5時間。

アラブ首長国連邦(UAE)が国の威信をかけて起こしたエミレーツ航空は質量とも一流。これは私達のビジネスクラス。座席はベッドの状態になるので長旅も快適。エコノミークラスより格段と楽であるがそれだけ値段も高い

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建築士として、ファーストクラスはどんなものかと覗かせてもらった。         座席はすべて個室で天井には星が瞬く。

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ドバイのランドマークタワー「プルジュ・ハリファ」162階828メートル(高さ世界一のビル)。設計SOM(米国)、施工JV(ベルギー&韓国)(比較参考。東京スカイツリー鉄塔634メートル、あべのハルカスビル300メートル)

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私達の宿泊ホテルは「アル・マンジル・ホテル」。低層の落ち着いた雰囲気。室内の照明はアラビヤ風のデザイン。

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 ホテルのプール。ここで500メートル泳いだ。
 



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息子が自宅(先方の建物)に案内してくれる

 
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ドバイのダウンタウンにある息子の住む集合住宅。スーク・アル・バハール。この集合住宅は素晴らしい設計で、日本であったら間違いなく建築学会作品賞だ。
 
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広い室内。食堂と居間の間の壁がデザインされている。
旅の疲れを休める妻。

 

 

 

140404(金)

ビルとして世界一の高さを誇る「プルジュ・ハリファ」の124階部分の展望台に上る。オイルマネーの国とはいえゴツイものを造ったものだ。なぜ倒れ難いかと言うと、平面形状が三ツ矢型になっているからであることが判明し納得。コストは1500億円と意外にローコスト。しかし資金不足でハリファという人物が援助したので、その名前がビル名の一部になった。建物は「金と技術」

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ドバイの金融街。ドバイは中東の金融の中心。
息子が勤務する銀行が入る建物。凱旋門風のなかなかよいデザイン

 

140405(土)

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砂漠にでラクダに乗りたいと希望を出しておいたので、連れて行ってくれた。しかし4WDで上り下りの激しい砂漠を走ってすっかり酔ってしまった。しかし砂漠の風紋がきれいであった。

 

140405(土)

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砂漠にでラクダに乗りたいと希望を出しておいたので、連れて行ってくれた。しかし4WDで上り下りの激しい砂漠を走ってすっかり酔ってしまった。しかし砂漠の風紋がきれいであった。


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念願のラクダに乗ったが、急にフワッと立ち上がる時が

スリルであった。孫娘と一緒に乗る。

 

140406(日)

 

明日は帰国。早朝、キリスト教徒としてホテルの部屋で妻と礼拝。祈りと讃美歌405番を歌う。厳しい海外勤務の息子一家のことを思って胸が詰まった。

讃美歌405番
1 かみともにいまして ゆく道をまもり
  あめの御糧(みかて)もて ちからをあたえませ
  (おりかえし)
  また会う日まで、また会う日まで
  かみのまもり 汝(な)が身を離れざれ
 
2 荒野をゆくときも あらし吹くときも
  ゆくてをしめして たえずみちびきませ

3 御門(みかど)に入る日まで いつくしみひろき
  みつばさのかげに たえずはぐくみませ 

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アブダビ(アラブ首長国連邦首都)に行き、巨大モスクを見学。
UAE建国の父を記念したもの。宗教建築として、ヴァチカンに匹敵すると思った。イスラム教の何がこんなに人を動かすのか不思議に感じた。

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モスクの内部は手織りで世界一のペルシャじゅーたん。
大人の女性はアバヤという黒装束でなければならない。借りられる。

 

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イスラム教徒は「啓典(けいてん)の民」と言われている。モスク内に大量の「啓典」があった。

(啓典とは、イスラム教において唯一神(アッラーフ)から諸預言者に下された四つの啓示の書物のこと。旧約聖書、新約聖書を内包する。

1.ムーサー(モーセ)に下された『タウラート』(『モーセ五書』)

2.ダーウード(ダビデ)に下された『ザブール』(『詩篇』)

3.イーサー(イエス)に下された『インジール』(『福音書』)

4.ムハンマドに下された『クルアーン』(『コーラン』)

また、クルアーンを、唯一神がムハンマドを通じて伝えた言葉として、教典にし、これに従うことをもいう。)

コーランだけでなく旧約聖書、新約聖書を内に取り込むところにイスラム教の強さがあるように感じられた。

 

 

 

140407(月)

 

早朝4時起床で帰り支度。8時45分のフライト。             息子がドバイ空港まで見送ってくれた。


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       「さようならドバイ」。

あなたは神に愛された信仰に熱心な民でした。

 

 
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ノンストップで9時間、(行きは11時間であった)。機内では大量にセットされたクラシック音楽の中から二人でヘンデルの「メサイア」を鑑賞。日本時間23時頃日本に接近。「翼よあれが東京の灯だ」。



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復活は科学的に証明されるか ++++++++ 所感

2014/04/11 10:24

140411(金)6時起床●一昨日9日13時に理化学研究所の小保方晴子さんが記者会見をした。彼女は「STAP細胞はあります。真実です。」「200回以上実験しました」ときっぱり言った。明けて昨日10日は多くの学識経験者が、科学的証明の手続きに不備があったことを指摘した。これらを通じてイエスの復活は科学的に証明できるのかどうかを考えた。これに関する聖書の言葉を思い浮かべた。

塚本訳 マタ 28:16-17
28:16 さて、十一人の弟子はガリラヤに行き、イエスに命じられた山にのぼり、
28:17 お目にかかっておがんだ。しかし疑う者もあった


●イエスの復活はその弟子たちも疑った。

塚本訳 ヨハ 20:24-25
20:24 十二人の一人で、トマスすなわちギリシャ語でデドモ(二子)は、イエスが来られた時、みんなと一しょにいなかった。
20:25 そこでほかの弟子達が、「わたし達は主にお目にかかった」と言うと、彼らに言った、「わたしはその手に釘の跡を見なければ、わたしの指をその釘の場所に差し込まなければ、手をその脇腹に差し込まなければ、決して信じない。」


●疑うのは当然である。

塚本訳 ルカ 16:29-31
16:29 しかしアブラハムは言う、『(その必要はない。)彼らにはモーセ(律法)と預言書と[聖書]がある。その教えに従えばよろしい。』
16:30 彼が言った、『いいえ、父アブラハムよ、もしだれかが死人の中から行ってやれば、きっと悔改めます。』
16:31 しかしアブラハムは答えた、『モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。』」


●死人が生き返っても信じない人は信じない。

塚本訳 ヨハ 11:43-46
11:43 こう言ったのち、大声で、「ラザロ、出て来い」と叫ばれた。
11:44 死人が手足を包帯で巻かれたまま、(墓から)出てきた。顔は手拭で包まれていた。イエスは「解いてやって(家に)帰らせなさい」と人々に言われた。
11:45 すると、マリヤの所に来てイエスのされたことを見たユダヤ人のうち、多くの者は彼を信じた。
11:46 しかし中には(彼を信ぜず、)パリサイ人の所に行って、イエスのされたことをあれこれと報告した者もすこしあった。

●いつの時代にも復活を信じる人は少数

塚本訳 Ⅰコリ15:3-8
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。
15:6 そのあと、一度に五百人以上の兄弟に御自分を現わされた。そのうちの多数の者はいまでも生きてい(て、わたしが嘘を言っていないことを証明してくれ)る。もっともすでに眠った者もあるにはある。
15:7 そのあと(御兄弟の)ヤコブに、それから使徒一同に、御自分を現わされた。
15:8 しかし一番最後には、さながら月足らずのようなわたしにも御自分を現わされた。



●小保方さんは200回以上の実験で確かめたが、パウロは500人以上の証人がいるという。「人物」の存在は強い。福音は「人格」の存在があって伝わる。書物では伝わらない。
●塚本虎二船影の聖書講義には数百人の聴衆者があったが、先生没後その講演内容のテープを聞く会(「テープの会」)が開かれたがその会に集うものは僅か数名であった。この不思議な現象は何か。塚本虎二という「人格」が実在していたからであると解する。
●神の存在証明はユダヤ人の存在だと言われる。
●福音の証明はエクレシアの存在である。
●私が「有体的復活」を話すと少数であるが、共鳴し応答してくる人がいる。それによって私自身が「これは真実だ」と感じたものである。「小保方さんがんばれ。真実は勝つ」

塚本訳 ヨハ 20:28-29
20:28 トマスがイエスに答えて言った、「わたしの主よ!わたしの神よ!」
20:29 イエスは言われる、「わたしを見たので、信じたのか。幸いなのは、見ないで信ずる人たちである。」


●見ないで信じるのはこの世の科学者の証明作法には受け入れられない。
●信仰的真実は科学的証明作法には乗らない。


塚本訳 ロマ 10:14
10:14 ところで、(呼ぶだけで救われると言うが、)信じたことのない者を、どうして呼ぶことができようか。聞いたことのない者を、どうして信ずることができようか。
説く者がなくて、どうして聞くことができようか。

●これがエクレシアのレゾンデートル。

塚本訳 Ⅰコリ15:12
15:12 ところで、キリストが死人の中から復活しておられることが(こんなに)説かれ、(また信じられ)ているのに、死人の復活はないと主張する者があなた達の中にあるのは、いったいどうしてか。


●小保方さんの作業には小保方さん自身も認めているように聡明作業の作法で不備があったらしいが、それにもかかわらず「真実」は存在する。小保方さん「ひるむな」。この世の作法ではなく、「数」で勝負せよ。
●ジャンヌダークは火刑を目前にして一度は信仰を撤回する。ひるんだ。しかし最後は信仰を持ちなおした。このことをヒルティも言及する。イエスも十字架刑を前にゲッセマネえ信仰がひるんだ。
●無教会は教会の神学からすれば不備だらけ。しかし「数」で勝負。
●塚本先生の「無教会になるまで」と」いう論考を読まれた高柳伊三郎牧師は次のように言う。「氏の自叙伝としてははなはだ興味があるが、これだけでは無教会にならねばならなかった理由が明らかではない」と。●これに対して塚本先生は「考えて無教会になったのではなく追い込まれたのである」と講壇で言われた。わたしはこれを後に先生の講義テープで聞いた。
●これは人が神とキリストを信ずるプロセスでもある。福音は研究してわかるものではなく、人生の悲しいゴタゴタを通じてやむなく追い込まれて信ずるものなのだ。恩恵のゴタゴタ、恩恵の病気、恩恵の悲しみ。


塚本訳 ロマ 8:24
8:24 なぜなら、わたし達は(最後の日に救いが完成されるという)望みをもって、救われているからである。
目に見ることのできる望みは望みではない。人はいま現に見ているものを、なんでその上望む必要があろうか。

●福音はわかって信ずるのではなく、信じて初めてわかるものである。これがこの世の知恵では神が分からない理由。

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朝の黙想終わり







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イスラム教の強さの秘密 ++++++++ 所感

2014/04/10 20:47

140410(木)イスラム教のモスクの壮大さ、イスラム文化に信仰が浸透している強さに不思議を感じたが、色々と調べてみてその秘密の一端を感じた。 次である。

●イスラム教徒は「啓典(けいてん)の民」と言われている。モスク内に大量の「啓典」があった。

(啓典とは、イスラム教において唯一神(アッラーフ)から諸預言者に下された四つの啓示の書物のこと。旧約聖書、新約聖書を内包する。

1.ムーサー(モーセ)に下された『タウラート』(『モーセ五書』)

2.ダーウード(ダビデ)に下された『ザブール』(『詩篇』)

3.イーサー(イエス)に下された『インジール』(『福音書』)

4.ムハンマドに下された『クルアーン』(『コーラン』)

また、クルアーンを、唯一神がムハンマドを通じて伝えた言葉として、教典にし、これに従うことをもいう。)

コーランだけでなく旧約聖書、新約聖書を内に取り込むところにイスラム教の強さがあるように感じられた。

●つまりユダヤ教は旧約、キリスト教は旧約+新約、イスラム教は旧約+新約+コーラン。この幅の広さにイスラム教が世界宗教になった原因があるのではないか。

●トミ子は妹のシズエさんと朝日新聞社の写真展を見るために築地に出かける。

●わたしは「ドバイの旅」の製本開始。


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イスラム文化に触れて。ドバイ訪問 ++++++++ 所感

2014/04/09 18:06

140409(水)次回13日の集会感話をまとめる。

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イスラム文化に触れて。ドバイ訪問

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の共通点と福音の光の独自性
             


                   
2014.4.13 東京聖書読者会 高橋照男


①世界の宗教人口ランキング・億 (世界総人口72億人. 2013年)

①キリスト教 20.0  ②イスラム教 10.0 ③ヒンズー教 7.6                                                                                       ④仏教    3.4   ⑤ シーク教   0.2 ⑥ユダヤ教   0.13                                                         




②ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は唯一神教で、且つアブラハムを敬う        
  


②-1)
口語訳出  3:13-15                             3:13 モーセは神に言った、「わたしがイスラエルの人々のところへ行って、彼らに『あなたがたの先祖の神が、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と言うとき、彼らが『その名はなんというのですか』とわたしに聞くならば、なんと答えましょうか」。                    3:14 神はモーセに言われた、「わたしは、有って有る者」。また言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい、『「わたしは有る」というかたが、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と」。                                         3:15 神はまたモーセに言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい『あなたがたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主が、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と。これは永遠にわたしの名、これは世々のわたしの呼び名である。            

②-2)塚本訳 マタ 8:11                               8:11 わたしは言う、(最後の日には、このような信仰のあつい)大勢の人が『東から西から』来て、天の国で
アブラハムやイサクやヤコブと共に宴会につらなり、       


②-3)塚本訳 Ⅱコリ11:22                             11:22 あの人たちはヘブライ人だというのか、わたしもだ。イスラエル人だというのか、わたしもだ。
アブラハムの子孫だというのか、わたしもだ





③イスラム教はユダヤ教の完成を目指す。 ムハンマド(モハメッド。イスラム教の開祖AD531?632)こそアブラハムの信仰を純粋に正しく継承する最後の預言者。回教(イスラム教)はユダヤ教の完成である(井筒俊彦)。




コーラン(井筒俊彦訳 岩波文庫5871-5874)カッコ内は訳者の敷衍と説明

241 汝らの手のもとなるもの(『旧約』の律法)の真理の確証としてわしが[天より]下したもの(『コーラン』を指す)を信仰せよ。(「コーラン」は『旧約』を否定するものではなくて、かえってこれを確証するものである。つまり回教はユダヤ教の完成でるというのが『コーラン』の立場である)                         

2123 主よ、彼らの間に、彼らの一人を使徒として興(おこ)し、彼らに向かって汝の徴(コーランを指す)を読み聞かせ、彼らに聖典と聖知とを教え、彼らを浄(きよ)めしめ給え。まことに汝は全能にして全知におわします」(これによるとマホメットが起こることはすでにアブラハムとイスマイルの願いであったということになる)と。                       2124 されば、その心愚鈍な者でなくして何人がイブラーヒームの宗教を嫌悪しようぞ。彼(アビラハム)こそは我ら(アッラー自称)自ら現世において彼を特に選んだ者。まことに来世においても彼はまた、正しき人の内に数えられるであろうぞ。                        




④パレスチナ紛争の源流。アブラハムがサラに産んだイサクの子孫がユダヤ民族、女奴隷ハガル産んだイシマエルの子孫がアラブ民族。民族紛争の原因はルーツがアブラハムという人間であるから。                                             


④-1
口語訳 創  16:3-4                                                                  
16:3 アブラムの妻サライはそのつかえめエジプトの女ハガルをとって、夫アブラムに妻として与えた。これはアブラムがカナンの地に十年住んだ後であった。         16:4 彼はハガルの所にはいり、ハガルは子をはらんだ。彼女は自分のはらんだのを見て、女主人を見下げるようになった。                           

④-2)口語訳 創  17:1-4                              17:1
アブラムの九十九歳の時、主はアブラムに現れて言われた、/「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。                 17:2 わたしはあなたと契約を結び、/大いにあなたの子孫を増すであろう」。     17:3 アブラムは、ひれ伏した。神はまた彼に言われた、               17:4 わたしはあなたと契約を結ぶ。あなたは多くの国民の父となるであろう。    17:5 あなたの名は、もはやアブラムとは言われず、/あなたの名はアブラハムと呼ばれるであろう。わたしはあなたを多くの国民の/父とするからである。


④-3)口語訳 創  17:15-16                             17:15 神はまたアブラハムに言われた、「あなたの妻サライは、もはや名をサライといわず、名をサラと言いなさい。                          17:16 わたしは彼女を祝福し、また
彼女によって、あなたにひとりの男の子を授けよう。わたしは彼女を祝福し、彼女を国々の民の母としよう。彼女から、もろもろの民の王たちが出るであろう」。


④-4)口語訳創  21:9-14

21:9 そのとき、サラは、エジプトの女ハガルがアブラハムに産んだ子が、自分の子イサクをからかっているのを見た。

21:10 それでアブラハムに言った。「このはしためを、その子といっしょに追い出してください。このはしための子は、私の子イサクといっしょに跡取りになるべきではありません。」

21:11 この事で、アブラハムはその子のために非常に心配した。

21:12 神はアブラハムに言われた、「あのわらべのため、またあなたのはしためのために心配することはない。サラがあなたに言うことはすべて聞きいれなさい。イサクに生れる者が、あなたの子孫と唱えられるからです。

21:13 しかし、はしための子もあなたの子ですから、これをも、一つの国民とします」。

21:14 そこでアブラハムは明くる朝はやく起きて、パンと水の皮袋とを取り、ハガルに与えて、肩に負わせ、その子を連れて去らせた。ハガルは去ってベエルシバの荒野にさまよった。 




⑤ユダヤ教とイスラム教は共にイエスを「神の子」ではなく、預言者とみなす。
       

⑤-1)塚本訳 マタ
16:13-14
16:13
ピリポ・カイザリヤ地方に行かれたとき、イエスはこう言って弟子たちに尋ねられた、「世間の人は人の子(わたし)のことをなんと言っているか。」

16:14
彼らが言った、「あるいは洗礼者ヨハネ、あるいは
預言者エリヤ、あるいはエレミヤとか(昔の)普通の預言者とか言う者があります。」
                               

⑤-2)塚本訳 ルカ 7:15-16
7:15
すると死人が起き上がって物を言い出した。イエスは『彼を母に渡された。』

7:16
皆が恐れをいだいて、「
大預言者がわたし達の間にあらわれた」とか、「神はその民を心にかけてくださった」とか言って、神を讃美した。
                                      

⑤-3)塚本訳 マタ 21:10-11
21:10
やがてエルサレムに着かれると、都中が「この人はだれだろう」と言って騒ぎたった。

21:11
「この人はガリラヤのナザレの
預言者イエスだ」と群衆は言った。


⑤-4)塚本訳 ヨハ 4:16-19                             4:16 イエスが言われる、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」       4:17 女が答えた、「わたしには夫はありません。」イエスが言われる、「『わたしには夫はありません』と言うのは、もっともだ。                     4:18 五人の夫とは別れ、今のは、あなたの夫ではないのだから。あなたの言ったことは本当だ。」                                    4:19 女が(びっくりして)言う、「
主よ、わかりました、あなたは預言者です。          




⑥イエスにはアブラハムよりも「大いなる者」という自意識があった           




⑥-1)
塚本訳 ヨハ 8:57-58                              8:57 するとユダヤ人がイエスに言った、「君はまだ五十にもならないのに、アブラハムに会ったのか。」                                  8:58 イエスは言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、アブラハムが生まれる前から、わたしはいたのだ。                        

⑥-2)塚本訳 マタ 12:6
12:6
わたしは言う、(ダビデ王よりも、祭司よりも、)宮よりも大きい者が(今)ここにいる




⑥-3)塚本訳 マタ
12:42
12:42
また、南の国(シバ)の女王がこの時代の人と一しょに(最後の)裁きの(法廷に)あらわれて、この人たちの罪が決まるであろう。というのは、彼女は地の果てからソロモン(王)の知恵を聞きに(エルサレムに)来たが、(この人たちは、)
いまここにソロモンよりも大きい者がいる(のに、それに耳を傾けない)からである。
                            




⑥-4)塚本訳 ルカ
10:23-24
10:23
それから特に弟子の方へ振り向いて言われた、「あなた達が(いま)見ているものを見る目は幸いである。

10:24
わたしは言う、
多くの預言者と王とは、あなた達が(いま)見ているものを見たいと思ったが見られず、あなた達が(いま)聞いているものを聞きたいと思ったが、聞かれなかったのである。」




⑥-5)塚本訳 ヨハ 4:25-26                             4:25 女が言う、「キリストと言われる救世主が来ることは知っています。救世主が来れば、わたし達に何もかも知らせてくださるでしょう。」                  4:26 イエスは言われる、「
あなたと話しているわたしが、それだ。
                                




⑦人間は生まれつき不自由な罪の奴隷。人間の平和運動には限界がある。


⑦-1)塚本訳 ヨハ 8:33-34
8:33
しかし彼らは(その意味がわからずに)答えた、「わたし達は
アブラハムの子孫で(自由人で)ある。いまだかつてだれの奴隷にもなったことはない。どうして『あなた達は自由になる』と言われるのか。」
8:34
イエスは答えられた、
「アーメン、アーメン、わたしは言う、罪を犯す者は皆罪の奴隷である。

 

⑦-2)塚本訳 ルカ 13:15-16  
13:15
主が答えられた、「この偽善者たち、あなた達はだれも、安息日には牛や驢馬を小屋から解いて、水を飲ませにつれてゆかないのか。

13:16
この女は
アブラハムの末であるのに、十八年ものあいだ、悪魔が縛っていたのだ。安息の日だからとて、その(悪魔の)縄目から解いてはならなかったのか。」

 

⑦-3)塚本訳ロマ 7:24-25

7:24 なんとわたしはみじめな人間だろう!だれがこの死の体から、わたしを救い出してくれるのだろうか。

7:25 ──神様、感謝します、わたし達の主イエス・キリストによって!──従って、このわたしは理性では神の律法に仕えるが、肉では罪の法則に仕えるのである




⑧神の霊によって「新しく生まれた」人間はイエスを神の子と告白する         



⑧-1)
塚本訳 マタ 16:15-17                                                                    16:15 彼らに言われる、「では、あなた達はわたしのことをなんと言うのか。」    16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主(キリスト)、生ける神の子であります!」                                    16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから。




⑧-2)塚本訳コリ12:3
12:3
だから(霊の見分け方について、)あなた達に次のことを知らせる、神の霊に感じて語る者は、だれも 呪われよ、イエス!とは言わない、また
聖霊に感じてでなければ、だれも、イエスは主と言うことは出来ない。




⑨信仰と服装。イスラム女性の黒装束(アバヤ)は男の欲望の目からの防衛。        



⑨-1)口語訳 創  12:11-13                                              12:11 エジプトにはいろうとして、そこに近づいたとき、彼は妻サライに言った、「わたしはあなたが美しい女であるのを知っています。                    12:12 それでエジプトびとがあなたを見る時、これは彼の妻であると言ってわたしを殺し、あなたを生かしておくでしょう。

                        

⑨-2)塚本訳 ヨハ 1:12-13                             1:12 しかし受け入れた人々、すなわち、その名を(神の子であることを)信じた人には一人のこらず、神の子となる資格をお授けになった。                 1:13 この人たちは、人間の血や、肉の欲望や、男の欲望によらず、神(の力)によって生まれたのである。


⑨-3)塚本訳 コロ 2:20-22                             2:20 もし君達が、(今言ったように洗礼によって)キリストと共に死に、此世の元素の霊(の支配)から離れたのなら、何故(なお)この世に生きている者のように、      2:21 「手をつけるな、味わうな、触るな」という規則に縛られるのか。         2:22 これら(禁断の物)は皆使えば消え失せるように出来ていて、『人間の訓戒と教え』によるものである(から、少しの心配もない)。

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 アブダビにあるイスラム教の巨大モスク   


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モスクの内部では女性はコーランにより黒装束(アバヤ)が必要

⑩イスラム教の強さの秘密

イスラム教徒は「啓典(けいてん)の民」と言われている。モスク内に大量の「啓典」が置かれてあった。(啓典とは、イスラム教において唯一神(アッラーフ)から諸預言者に下された四つの啓示の書物のこと。旧約聖書、新約聖書を内包する。

1.ムーサー(モーセ)に下された『タウラート』(『モーセ五書』)

2.ダーウード(ダビデ)に下された『ザブール』(『詩篇』)

3.イーサー(イエス)に下された『インジール』(『福音書』)

4.ムハンマドに下された『クルアーン』(『コーラン』)

また、クルアーンを、唯一神がムハンマドを通じて伝えた言葉として、教典にし、これに従うことをもいう。・・・ウィキペディア)

 

イスラム教はコーランだけでなく旧約聖書、新約聖書を内に取り込んでいるところにその強さの秘密があるように感じられた。

 

⑪イエスは旧約の預言者よりも高度な意識を抱いていた                   



⑪-1)
塚本訳 マタ 5:27-30                             5:27 あなた達は(昔の人がモーセから、)『姦淫をしてはならない』と命じられたことを聞いたであろう。
5:28 しかしわたしはあなた達に言う、情欲をもって人妻を見る者は皆、(見ただけで)すでに心の中でその女を姦淫したのである。                                
                5:29 それで、もし右の目があなたを罪にいざなうなら、くじり出して捨てよ。体の一部が無くなっても、全身が地獄に投げ込まれない方が得であるから。           5:30 もしまた右の手があなたを罪にいざなうなら、切り取って捨てよ。手足が一本無くなっても、全身が地獄へ行かない方が得であるから。

 

⑫「キリストを着せられた」ことによって、福音はユダヤ人から自然に分離した      


⑫-1)塚本訳 ロマ
10:4
10:4
(では律法を守ることが、なぜいけないか。律法はキリストによって目的を達し、もうなくなってしまったからである。)すなわち、
キリストは(御自分を)信ずる者が一人のこらず義とされるために、律法の終りとなられたのである。

 

⑫-2)塚本訳 ロマ 13:14                               13:14 主イエス・キリストを着なさい。肉をいたわるのはよいが、情欲に陥らないように。

⑫-3)塚本訳 ガラ 3:26-27                             3:26 (なぜか。)あなた達はキリスト・イエスを信ずる信仰によって、みな神の子だからである。                                     3:27 すなわちキリストへと洗礼を受け(て彼のものとなっ)たあなた達はみな、
キリストを着たからである


⑫-4)塚本訳 ピリ 2:15
2:15
これは君達が非難すべき所でなく、純真であって、『曲ったねじくれた(この)時代』の真中にあって『瑕なき神の子』とならんためである。(まことに)君達はこの時代にあって、生命の言を堅く守りながら、この(暗い)世に星のように輝いているのである 
 

⑫-5)塚本訳使  13:45-46

13:45 すると(神の言葉は自分たちだけのものと思っていた)ユダヤ人たちは、(異教人の)群衆を見て嫉妬にかられ、(イエスを)冒涜しながら、パウロの話すことに反対した。

13:46 そこでパウロとバルナバとは公然こう宣言した、「神の言葉は(お約束どおり)まず第一に、君たち(ユダヤ人)に語られねばならなかった。(だから、そうしたのだ。)しかし君たちがそれをはねつけ、自分で自分を永遠の命にふさわしからぬ者とするので、それでは、よし、異教人(の伝道)へ方向をかえる。 
 

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は共に類似。しかしキリスト教の一番大切で他の宗教との決定的な違いは「罪の赦しと復活」。これが福音の光。


⑬-1)塚本訳 Ⅰコリ15:3-5

 

⑬-2)塚本訳 エペ 2:14-16
2:14
何故なら、
彼(キリスト)が私達の『平和』であって、(今まで離反していたイスラエルと異教人の)両者を一つにし、(その仲を割いていた)仕切りの籬なる敵意を取り除け給うたからである。すなわちその肉で、
2:15
(あらゆる)命令規則から成る律法を廃止し給うたのである。これは(今まで敵であった)この二つの者を己において一つの新しい人に創造りかえて平和を作るため、
2:16
かくてまた
十字架によって二つの者を一つの体において神と和睦させ、十字架において(神と人との間の)敵意を殺すためである。

 


⑭キリスト信者がキリストから離れられない理由


⑭-1)塚本訳 ヨハ 6:68

6:68 シモン・ペテロが答えた、「主よ、(あなたを離れて)だれの所に行きましょう。永遠の生命の言葉はあなただけがお持ちです(から)。

 

⑭-2)塚本訳 ロマ 8:39

8:39 高い所のものでも低い所のものでも、その他どんな創造物でも、わたし達の主キリスト・イエスによる神の愛から、わたし達を引き離すことはできない。

 

⑫-6)塚本訳 マタ 11:11

11:11 アーメン、わたしは言う、女の産んだ者の中に、洗礼者ヨハネより大きい者はまだ出たことがない。しかし天の国で一番小さい者でも、彼より大きい

15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、

15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。

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旅日記の整理 ++++++++ 所感

2014/04/08 17:28

140408(火)羽田着昨夜23時30分。タクシーであきる野へ。午前2時就寝。朝9時まで爆睡。●左足の甲が痛むので伊藤整形外科へ。レントゲンの結果炎症か痛風と判断された。●「旅日記」ブログの整理●日本は寒い。ドバイは27度、湿度54%であった。●13日の集会感話「イスラム文化に触れて。ドバイ訪問」をまとめる
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ドバイの旅(5) ++++++++ 所感

2014/04/07 21:10

140407(月)ドバイの旅(5)

早朝4時起床で帰り支度。8時45分のドバイ空港フライト。息子が見送ってくれた。

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さようならドバイ。あなたは神に愛された信仰に熱心な民でした。

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ノンストップで9時間、(行きは11時間であった)。機内で二人でヘンデルの「メサイア」を鑑賞。
翼よあれが東京の灯だ。
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ドバイの旅(4) ++++++++ 所感

2014/04/06 21:07

40406(日)明日は帰国。早朝、キリスト教徒としてホテルの部屋で妻と礼拝。祈りと讃美歌405番を歌う。厳しい海外勤務の息子一家のことを思って胸が詰まった。

讃美歌405


かみともにいまして ゆく道をまもり
あめの御糧(みかて)もて ちからをあたえませ
(おりかえし)
また会うひまで、また会う日まで
かみのまもり 汝(な)が身を離れざれ

2 
荒野をゆくときも あらし吹くときも
ゆくてをしめして たえずみちびきませ


御門(みかど)に入る日まで いつくしみひろき
みつばさのかげに たえずはぐくみませ

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アブダビ(アラブ首長国連邦首都)に行き、巨大モスクを見学。
UAE建国の父を記念したもの。宗教建築として、ヴァチカンに匹敵すると思った。
イスラム教のどこが人を動かすのか不思議に感じた。

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モスクの内部は手織りで世界一のペルシャじゅーたん。
大人の女性はアバヤという黒装束でなければならない。借りられる。

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イスラム教徒は「啓典(けいてん)の民」と言われている。モスク内に大量の「啓典」があった。

(啓典とは、イスラム教において唯一神(アッラーフ)から諸預言者に下された四つの啓示の書物のこと。旧約聖書、新約聖書を内包する。

1.ムーサー(モーセ)に下された『タウラート』(『モーセ五書』)

2.ダーウード(ダビデ)に下された『ザブール』(『詩篇』)

3.イーサー(イエス)に下された『インジール』(『福音書』)

4.ムハンマドに下された『クルアーン』(『コーラン』)

また、クルアーンを、唯一神がムハンマドを通じて伝えた言葉として、教典にし、これに従うことをもいう。)
 

イスラム教はコーランだけでなく旧約聖書、新約聖書を内に取り込むところに強さがあるように感じられた。

 



 



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ドバイの旅(3) ++++++++ 所感

2014/04/05 21:06

140405(土) ドバイの旅(3)  

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砂漠でラクダに乗りたいと希望を出しておいたので、「デザート・サファリ」に連れて行ってくれた。しかし4WDで上り下りの激しい砂漠を走ってすっかり酔ってしまった。 砂漠の風紋がきれいであった。

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念願のラクダに乗ったが、急に立ち上がる時のスリルが面白かった。
孫娘と一緒に乗る。
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ドバイの旅(2) ++++++++ 所感

2014/04/04 04:52

140404(金)ドバイの旅(2)

ビルとして世界一の高さを誇る「プルジュ・ハリファ」の124階部分の展望台に上る。オイルマネーの国とはいえゴツイものを造ったものだ。なぜ倒れ難いかと言うと、平面形状が三ツ矢型になっていることが判明し納得。 コストは1500億円と意外にローコスト。しかし資金不足でハリファという人物が援助したので、その名前がビル名の一部になった。建物は「金と技術」


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ドバイの金融街。ドバイは中東の金融の中心。
息子が勤務する銀行が入る建物。凱旋門風のなかなかよいデザイン

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ドバイの旅(1) ++++++++ 所感

2014/04/03 20:49

140403(木)ドバイの旅(1)

旅の目的 銀行勤務でアラブ首長国連邦(UAE)のドバイ支店に赴任している息子一家の招待による旅。イスラム文化に触れる楽しみ。



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夜中の0時30分羽田発ドバイに向けノンストップ。11時間。時差は5時間

アラブ首長国連邦が国の威信をかけて起こしたエミレーツ航空は質量とも一流。

これは私達のビジネスクラス。座席はベッドの状態になるので長旅も快適。

エコノミークラスより格段と楽であるがそれだけ値段も高い。

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建築士として、ファーストクラスはどんなものかと覗かせてもらった。         座席はすべて個室で天井には星が瞬く。


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ドバイのランドマークタワー 「プルジュ・ハリファ」162階828メートル(高さ世界一のビル)。設計SOM(米国)、施工JV(ベルギー&韓国)

(比較参考。鉄塔東京スカイツリー鉄塔634メートル、あべのハルカスビル300メートル)

 
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私達の宿泊ホテルは「アル・マンジル・ホテル」。低層の落ち着いた雰囲気。

室内の照明はアラビヤ風のデザイン。

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ホテルのプール。ここで500メートル泳いだ。

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息子が自宅(先方の建物)に案内する


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ドバイのダウンタウンにある息子の住む集合住宅。スーク・アル・バハール。
この集合住宅は素晴らしい設計で、日本であったら間違いなく建築学会作品賞

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広い室内。食堂と居間の間の壁がデザインされている。
旅の疲れを休める妻。


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「飛び去る」人生 ++++++++ 所感

2014/04/02 06:16

140402(水)4時半目覚め●朝の黙想「飛び去る人生」●人生は旅、出会いは一瞬、「飛び去る」のだ。●聖書から思いつくままに黙想しよう。

口語訳 創 12:1-4
12:1 時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。
12:2 わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。
12:3 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、/あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは、/あなたによって祝福される」。
12:4 アブラムは主が言われたようにいで立った。ロトも彼と共に行った。アブラムはハランを出たとき七十五歳であった。


口語訳 創 11:31-32
11:31 テラはその子アブラムと、ハランの子である孫ロトと、子アブラムの妻である嫁サライとを連れて、カナンの地へ行こうとカルデヤのウルを出たが、ハランに着いてそこに住んだ
11:32 テラの年は二百五歳であった。テラはハランで死んだ

口語訳 創  5:24
5:24 エノクは神とともに歩み、神が彼を取られたので、いなくなった

口語訳 ヨナ 4:1-3
4:1 ところがヨナはこれを非常に不快として、激しく怒り、
4:2 主に祈って言った、「主よ、わたしがなお国におりました時、この事を申したではありませんか。それでこそわたしは、急いでタルシシにのがれようとしたのです。なぜなら、わたしはあなたが恵み深い神、あわれみあり、怒ることおそく、いつくしみ豊かで、災を思いかえされることを、知っていたからです。
4:3 それで主よ、どうぞ今わたしの命をとってください。わたしにとっては、生きるよりも死ぬ方がましだからです」。


塚本訳 ヘブ 11:8-16
11:8 信仰によって、アブラハムは財産として戴くべき(カナンの)場所に『出てゆけ』とのお召しを受け、(素直に)言うことを聞いた。そしてどこへ行くともわからず、『出ていった』。
11:9 信仰によって、彼は約束の地に他国人として『宿った』。彼は同じ約束の(ものの)共同相続人(である子)イサクおよび(孫)ヤコブと一しょに、天幕に住んだのである。
11:10 (どうしてこんな生活に甘んじたか。)彼は(堅固な)土台を持つ(天の)都を待ちのぞんでいたからである。その建設者また創造者は神である。
11:11 信仰によって、アブラハムはまた(その妻)サラと共に、子孫をつくる力を受けた、(すでに年齢が)盛りを過ぎていながら。彼は約束された方を誠実であると考えたのである。
11:12 だからまた、(たった)一人から、しかも(老いぼれて)死んだような者から、『天の星のように数多く、また数えきれぬ海岸の砂のように子孫ができたのである。』
11:13 信仰に従い、これらの人たちは皆、(地上では)約束のものを受けずに死んだのである。彼らはただ遠くからそれを眺めて歓迎し、自分たちは、『この地上では外国人であり、旅の者』であると認めた。
11:14 このように(自分を外国人、旅の者と)言う人々は、(ほかにある)自分の国を追及していることを現わしているからである。
11:15 もしも彼らが出てきた所、(すなわちカルデヤのウル)のことを思ったのであったら、(いくらも)引き返す機会があったはずである。
11:16 しかし今や彼らは(地上のものに)まさる天の国を熱望しているのである。だから神も、彼らの神と言われることを恥とされない。彼は彼らのために(天に)都を用意されたのであるから。

口語訳 詩  55:6
55:6 わたしは言います、「どうか、はとのように
翼をもちたいものだ。そうすればわたしは飛び去って安きを得るであろう。



口語訳 詩  139:8-10
139:8 わたしが天にのぼっても、あなたはそこにおられます。わたしが陰府に床を設けても、あなたはそこにおられます。
139:9 わたしがあけぼのの翼をかって海のはてに住んでも、
139:10 あなたのみ手はその所でわたしを導き、あなたの右のみ手はわたしをささえられます


口語訳 創  2:22-23
2:22 主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。
2:23 そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、/わたしの肉の肉。男から取ったものだから、/これを女と名づけよう」。


塚本訳 マタ 19:4-6
19:4 答えて言われた、「造物者が始めから『彼らを男と女とに造られた』こと、
19:5 また、『それゆえに人は父と母とをすてて妻に結びつき、二人は一体となる』と言われたことを、あなた達は読んだことがないのか。
19:6 従って、もはや二人ではない、一体である。だから夫婦は(皆)神が一つの軛におつなぎになったものである。(どんな理由があっても)人間がこれを引き離してはならない。」

塚本訳 マタ 13:57-58
13:57 こうして人々はイエスにつまずいた。しかしイエスは彼らに言われた、「預言者が尊敬されないのは、その郷里と家族のところだけである。」
13:58 彼らの不信仰のゆえに、そこではあまり奇蹟を行われなかった。(出来なかったのである。)

塚本訳 ピリ 3:19-20
3:19 あの人達の最後は破滅、その神は自分の腹、その光栄(と考えているもの)は(実は)恥であって、あの人達は(ただ)地のこと(ばかり)に気を取られているのだ!
3:20 しかし(私達はそうであってはならない。)私達の故国は天にある。私達は主イエス・キリストが救い主として其処から来給うのを待っているのである。

塚本訳 ヨハ 13:1
13:1 過越の祭の前、イエスはこの世から父上の所に移ってゆく時が(ついに)来たことを知って、この世で愛された弟子たちを、最後の瞬間まで愛しぬかれた。──

塚本訳 ヨハ 14:1-4
14:1 (あなた達の来られない所にわたしが行くからとて、)心を騒がせるな。神を信ぜよ、またわたしを信ぜよ。
14:2 父上のお家には、沢山住居がある。(あなた達は一人のこらず、そこに住むことが出来る。)もしそうでなかったら、『あなた達のために場所の準備に行く』と言うわけがないではないか。
14:3 (間もなく出かけるが、)行って場所の準備ができたら、もどって来て、あなた達をわたしの所に連れてゆく。わたしのおる所にあなた達もおるためである。
14:4 (今)あなた達はわたしがどこへ行くか、その道がわかったはずだ。」


塚本訳 ヨハ 14:15
14:15 あなた達は(皆別れを悲しんでいるが、本当に)わたしを愛するなら、わたしの掟を守り(互に愛し)なさい。


塚本訳 ヨハ 14:25-27
14:25 わたしはこれだけのことを、(まだ)あなた達と一しょにおるあいだに話した。(これ以上のことは話してもわからないからだ。)
14:26 (わたしが去ったあとで、)父上がわたしの名で遣わされる弁護者、すなわち聖霊が、あなた達にすべてのことを教え、またわたしが言ったことをすべて思い出させるであろう。
14:27 (今別れにのぞんで)平安をあなた達にのこしておく。わたしの平安をあなた達に与える。わたしが与える平安は、この世の人が『平安あれ』といのるような(言葉だけの)ものではない。(だから)心騒がせるな、気を落すな。


塚本訳 ヨハ 16:16
16:16 しばらくするとあなた達はもはやわたしを見ることができない。またしばらくするとわたしに会うことができる。」


塚本訳 ヨハ 16:20-22
16:20 アーメン、アーメン、わたしは言う、(わたしがいなくなると)あなた達は泣いて悲嘆にくれるが、この世は喜ぶであろう。あなた達は悲しむが、その悲しみは(やがて)喜びにかわるであろう。
16:21 女が子を産む時には、女の(宿命の)時が到来したので悲しみがあるけれども、子が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはや(お産の)苦しみを覚えていない。
16:22 だから、(同じく)あなた達にも今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなた達に会うのだから、(その時)あなた達の心は喜ぶであろう。そしてあなた達からその喜びを奪う者はだれもない。


塚本訳 ヨハ 17:1-2
17:1 イエスはこれらのことを話されると、目を天に向けて(祈って)言われた、「お父様、いよいよ時が来ました。子があなたの栄光をあらわすために、どうか(子を十字架につけて、)子に栄光を与えてください。
17:2 あなたは、子に下さいました者に一人のこらず永遠の命を与えさせるため、全人類を支配する全権を子に与えられたのですから。


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朝の黙想終わり

●コーランを勉強していて、その泰斗である故井筒俊彦氏の碩学ぶりに驚嘆。作家の司馬 太郎は彼のことを天才を20人束ねたような人間だと評した。現に彼は20か国語に通じていた。しかし78歳で逝去。人生は短い。わたしとしてもつまらないくだらない本は読んでいられない。しかし逆立ちしても追いつかないが、イエスの次の言葉で慰められる。

塚本訳 マタ 11:11
11:11 アーメン、わたしは言う、女の産んだ者の中に、洗礼者ヨハネより大きい者はまだ出たことがない。しかし
天の国で一番小さい者でも、彼より大きい。

●そうだ、イエスを神の子と信ずる者はどんな碩学よりも偉大なのだ。

●19:50 妻は婦人の読書会「塚本虎二著作集」のために千駄ヶ谷に向かった。
●塚本虎二は新約聖書の碩学。しかし先生の碩学ぶりに追いつかなくてもよい。イエスを神の子と信じることが出来たことだけで先生の学問以上のものを与えられているのだ。 悲観するな。 落ち込むな。
●塚本先生の夫人(関東大震災で圧死。結婚生活は短かった)の父上は英語の泰斗、斉藤秀三郎。その夫人は塚本先生に向かって「あなたのは勉強のうちに入りません」と言ったことがあるという。
●塚本先生は「新約の前田、旧約の関根」と言われた。二人とも塚本門下。
●人の話を聞くなら、碩学に聞かなければ「人生は短いから時間の無駄」「耳が汚れる」。










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命が毀損する恐怖 ++++++++ 所感

2014/04/01 08:38

140401(火)目覚めの啓示●「命が毀損する恐怖」●生きとし生けるものは命が毀損する、失われることの恐怖で生き続けている。文明文化の目的は肉の命の保持永続性のためである。ところが最終的な目的を達しない。●生物はすべて「死ぬまい死ぬまい」と思って逃げ回る。しかしどこに逃げても最後の「死」からは逃げられない。●身近な例として南海トラフの大地震が迫る。信仰者はそれに対して無能無力ではない。永遠に生きる立場に心を置いて、平安のうちに「小事」に熱心になる。よい発想を啓示される●それに比べて無神論者の対策は陳腐である。津波対策に数十メートルの高さの堤防を造るなどは漫画である。日本全体が沈没するかもしれない。何もやらないよりはましだという精神論は愚鈍である。もっと賢い方法を考えなければならない。●高台に移転する方が賢いのだ。「逃げる」のだ。●初代教会はローマに抵抗せず、ペラに逃げた。愛国者は逃げたキリスト信者達を卑怯者怠慢だと言って罵倒したであろうが、そのおかげで福音は残り、世界は変わった。●人間が命を失う恐怖を聖書に見てみよう。

口語訳 詩  94:18
94:18 しかし「わたしの足がすべる」と思ったとき、主よ、あなたのいつくしみは/わたしをささえられました。


●受験に失敗する。就職活動に失敗する。事業に失敗する。経営に失敗する。恋愛に失敗する。子育てに失敗する。健康に失敗する。家庭建設に失敗する。寿命が短くなる。・・・・・これらはみな「すべる」のである。

塚本訳 ヨハ 11:3-4
11:3 マリヤとマルタとはイエスに使をやって、「主よ、大変です。あなたの可愛がっておられる人が病気です」と言わせた。
11:4 イエスは聞いて言われた、「これは死ぬための病気ではない。神の栄光のためである。すなわち(神の栄光をあらわすために、)神の子(わたし)がこれによって栄光を受けるためである。」

塚本訳 マコ 5:22-23
5:22 するとヤイロという一人の礼拝堂監督が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏し、
5:23 しきりに願って言う、「わたしの小さな娘が死にかかっています。助かって命びろいをするように、どうか行って、手をのせてやってください。」


●身内の者が病気になると「大変だ、大変だ」と思うものだ。 放射能汚染で子供の健康が心配だと思うものである。

塚本訳 ルカ 8:22-25
8:22 ある日のこと、イエスは弟子たちと舟に乗って、「湖の向こう岸に渡ろう」と言われるので、船出した。
8:23 渡ってゆくうちに、イエスは寝入ってしまわれた。すると突風が湖に吹きおろし、彼らは水をかぶって危険になった。
8:24 弟子たちがそばに来て、「先生、先生、わたし達は溺れます」と言ってイエスを起した。イエスが目をさまして風と浪とを叱りつけられると、(たちどころに)静まって、凪になった。
8:25 彼らに言われた、「あなた達の信仰はどこにあるのか。」弟子たちは驚き恐れて、「この方はいったいだれだろう、この方が命令されると、風も水も、その言うことを聞くのだが」と語り合った。


●先生、先生、私の家は経済的に破綻します。食べていけません。住宅ローンが支払えません。子供を大学に行かせられません。・・・・・・・・・・・ 「何とかなる。なんとかなる。」「神の国と、神に義とされることとを求めていれば何とかなる」。

塚本訳 マタ 6:25-34
6:25 だから、わたしは言う、何を食べようかと命のことを心配したり、また何を着ようかと体のことを心配したりするな。命は食べ物以上、体は着物以上(の賜物)ではないか。(命と体とを下さった天の父上が、それ以下のものを下さらないわけはない。)
6:26 空の鳥を見てごらん。まかず、刈らず、倉にしまいこむこともしないのに、天の父上はそれを養ってくださるのである。あなた達は鳥よりも、はるかに大切ではないのだろうか。
6:27 (だいいち、)あなた達のうちのだれかが、心配して寿命を一寸でも延ばすことが出来るのか。
6:28 また、なぜ着物のことを心配するのか、野の花の育つのを、よく見てごらん、苦労をせず、紡ぐこともしない。
6:29 しかし、わたしは言う、栄華を極めたソロモン(王)でさえも、この花の一つほどに着飾ってはいなかった。
6:30 きょうは花咲き、あすは炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこんなに装ってくださるからには、ましてあなた達はなおさらのことではないか。信仰の小さい人たちよ!
6:31 だから、『何を食べよう』とか、『何を飲もう』とか、『何を着よう』とか言って、心配するな。
6:32 それは皆異教人のほしがるもの。あなた達の天の父上は、それが皆あなた達に必要なことをよく御承知である。
6:33 あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。
6:34 だから、あしたのことを心配するな。あしたはあしたが自分で心配する。一日の苦労はその日の分で沢山である。

●ただ「何とかなるさ」というのはこの世の考え。信仰者は「神が何とかしてくださる」という神への絶対信頼。それには普段から神と交流していなければならない。日曜日には教会(エクレシア)に皆勤しなければならない。酒、たばこ、ギャンブル、ゴルフ、・・・などをやっていれば神の覚えが悪い。

塚本訳 マタ 4:1-4
4:1 間もなくイエスは悪魔の誘惑にあうため、御霊につれられて荒野に上られた。
4:2 四十日四十夜断食をされると、ついに空腹を覚えられた。
4:3 すると誘惑する者[悪魔]が進み寄って言った、「神の子なら、(そんなにひもじい思いをせずとも、)そこらの石ころに、パンになれと命令したらどうです。」
4:4 しかし答えられた「『パンがなくとも人は生きられる。(もしなければ、)神はそのお口から出る言葉のひとつびとつで(パンを造って、)人を生かしてくださる』と(聖書に)書いてある。」


●真面目に神を信じていれば貧乏はしても餓死はしない。これを固く信じることだ。

塚本訳 ヘブ 12:28-29
12:28 だからわたし達は(永遠に)揺り動かぬ国を授かったのだから、(神に)感謝しようではないか、それによって敬虔と畏怖とをもって、お気に入るように神を礼拝しようではないか。
12:29 わたし達の『神は焼きつくす火』であるからである。


●南海トラフによる大地震は不安、恐怖、原発施設の装置も破壊。しかし神を信じるものは「神の守り」を信じて安らかに行く。よい方策を考え出す。
●無信仰者の知恵は低級。信仰者の知恵は神の啓示により効果的。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
黙想終わり

●4月13日の感話準備。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の共通点と相違点。・・・罪の赦しと復活の希望のキリスト教・・・



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さくら通りに桜が満開。


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都立あきる台公園運動場の桜が満開



















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