to 日記と感想 2014年06月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171030(月)10:00 聖路加 桑本先生
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170824(木)12:10キララホールエントランスコンサート、マリンバ
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170813(日)10:30ナザレン教会浦和教会
    170813(日)14:00比企紀和君
    170812(土)14:00お江戸こらりあーず演奏会、文京シビックホール
    170809     TW誕生日
    170809(水)17:16初音吹奏楽、府中の森芸術劇場ドリームホール
    170808(火)0930池谷医院
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170708(土)14:00在宅医療説明会(キララホール)
    170707(金)10:00池谷医院
    170706      TM誕生日
    170702(日) 集会感話
    170701      TT誕生日
    170630(金)12:20キララホールエントランスコンサート
    170628      IY誕生日
    170627(火)11:00 能城牧師来訪
    170625)日)10:10トミ子集会感話
    170625(日)14:00茅ヶ崎金子邸
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール


家は神が建てる ++++++++ 所感

2014/06/30 06:45

140630(月)キリスト者の皆様お早うございます。今朝は次の句の意味を黙想してみる。

口語訳 詩 127:1
127:1 主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい。

●これに関連する聖句を思いつままに掲げる。

口語訳 箴 19:14
19:14 家と富とは先祖からうけつぐもの、賢い妻は主から賜わるものである。

口語訳 エレ 10:23
10:23 主よ、わたしは知っています、人の道は自身によるのではなく、歩む人が、その歩みを/自分で決めることのできないことを。

口語訳 詩 143:8
143:8 あしたに、あなたのいつくしみを聞かせてください。わたしはあなたに信頼します。わが歩むべき道を教えてください。わが魂はあなたを仰ぎ望みます。

口語訳 詩 23:1-5
23:1 主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。
23:2 主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。
23:3 主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる
23:4 たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
23:5 あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。

口語訳 詩 91:9-11
91:9 あなたは主を避け所とし、いと高き者をすまいとしたので、
91:10 災はあなたに臨まず、悩みはあなたの天幕に近づくことはない。
91:11 これは主があなたのために天使たちに命じて、あなたの歩むすべての道で/あなたを守らせられるからである。


口語訳 詩 128:1
128:1 すべて主をおそれ、主の道に歩む者はさいわいである。


口語訳 詩 139:3
139:3 あなたはわが歩むをも、伏すをも探り出し、わがもろもろの道をことごとく知っておられます。


口語訳 箴 11:20
11:20 心のねじけた者は主に憎まれ、まっすぐに道を歩む者は彼に喜ばれる。


口語訳 箴 28:6
28:6 正しく歩む貧しい者は、曲った道を歩む富める者にまさる。


口語訳 箴 28:19
28:19 自分の田地を耕す者は食糧に飽き、無益な事に従う者は貧乏に飽きる。


口語訳 詩 37:23
37:23 人の歩みは主によって定められる。主はその行く道を喜ばれる。

塚本訳 マタ 6:24
6:24 (わたし達の心は天か地かに引かれる。)だれも(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない

塚本訳 マタ 6:19-20
6:19 (このように、何事も天の父上相手でなければならない。たとえば)あなたたちは衣魚や虫が食い、また泥坊が忍び込んで盗むこの地上に宝を積まず、
6:20 衣魚も虫も食わない、また泥坊が忍び込むことも盗むこともない天に、宝を積んでおきなさい。(そうでないと、心が天に向かないであろう。)

塚本訳 ルカ 16:9-13
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。
16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。
16:11 だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。
16:12 もし他人のもの[この世のこと]に忠実でなかったならば、だれがあなた達のもの[天のもの]をあなた達に与えようか。
16:13 しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。

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朝の黙想おわり。

●TSK日本語版詩編135篇

●明日妻が読書会(聖書研究)のレポーター。そのために引照を作成するというので応援した。聖書の解読は聖書が一番良い。
●神は義を貫徹する。神は人を殺す。これを嫌って,神に不平不満を言っては聖書の神を信ずることは出来ない。













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死の波路を乗り越え往く信仰 ++++++++ 所感

2014/06/29 05:58

140629(日)キリスト者の皆様お早うございます。今朝は午前2時に目が覚めてそれ以後寝付けず、寝床で今日の感話の推敲をしました。睡眠時間が4時間と少ないので気になりますが、睡眠は長さでなく深さだと言われていますので、4時に起きて配布するプリントを修正し、印刷し直しました。大きく変えたのは題名を「死の波路を乗り超え往く信仰」としたことです。●人は誰でも死に往くものです。しかも必ず一人で逝きます。それでありますから、できれば平安に傷まず苦しまずに逝きたいと思います。過日101歳のご高齢で召された集会の杉﨑孝様は篤い信仰をお持ちで、夜眠っている間に神にその命を引き取られました。私の理想とする生き様であり、死に様です。●「3.11」以降に頂いたお電話では「まさかということが起こった」と言われた。そのお声は元中国電力の常務取締役であられたお立場からの苦渋に満ちた十字架の言葉であった。●本日の集会はその杉﨑様を偲んで次のような感話を致します。

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死の波路を乗り越え往く信仰

・・・・故杉﨑孝告別式 式辞・・・・
         
   


2016.6.29
東京聖書読者会 高橋照男


2014_06230001.jpg  

 

遺影。在りし日の姿、(満100歳)

2014年6月19日召天、満101歳。告別式2014.6.23ライフケア流山

 

●私のパソコン日記(ブログ)による回想。その生き様が福音の告知であった。

 

010607日(木)(杉﨑孝88歳)

●午後2時杉崎孝氏(88歳)、パソコンによる聖書勉強の方法ご興味をもたれての来訪。奥様に先立たれて19年と言う。御次男宅に同居。東京高校時代に関根正雄、森有正氏と同級だったと伺う。前田護郎とも親交があった。「新約知識」誌に研究論文がある。

 

P1-1)口語訳 ヨシ 1:8

1:8 この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、そのうちにしるされていることを、ことごとく守って行わなければならない。そうするならば、あなたの道は栄え、あなたは勝利を得るであろう。

 

040425(日)((杉﨑孝91歳)

●集会の帰途、杉崎さんと「ユーハイム」で懇談。私の感話プリント(4月4日「母の死と神の慰め」)を読まれた感想を話してくださった。人の最期は日本では「息を引き取る」というが諸外国は「息を吐き出す」ということになっている事を言語学的に教えてくださった。母の最期は息を吐き出した。イエスは最後に「わたしの霊を御手にゆだねます(ルカ23 46)」と言ったので、これもやはり命は出て行くという概念だと教えられた。それから「キリストを信じないで死んだ人」にも神の救いの手が及ぶことについて。「キリストは昔いまし、今いまし、永遠に生きておられるお方」だからということ。「陰付(よみ)にくだり」ということについて。

 

P2-1)口語訳   2:7

2:7 主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。

 

P2-2)塚本訳 ルカ 23:44-46

23:44 すでに昼の十二時ごろであったが、地の上が全部暗闇になってきて、三時までつづいた。

23:45 日蝕だったのである。すると宮の(聖所の)幕が真中から(二つに)裂けた。

23:46 その時イエスは大声をあげて言われた、「お父様、』わたしの霊をあなたにおあずけします。』」こう言われるとともに、息が絶えた

 

P2-3)口語訳 ヨブ 1:20-22

1:20 このときヨブは起き上がり、上着を裂き、頭をそり、地に伏して拝し、

1:21 そして言った、/「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」

 

P2-4)口語訳   5:24

5:24 エノクは神とともに歩み、神が彼を取られたので、いなくなった

 

071128(水)(杉﨑孝94歳)

●集会の94歳の杉崎孝さんのご依頼で、千葉県流山市のお宅に行って自称「聖書勉強の三種の神器」をパソコンにインストール。●お住まいは木々に囲まれてゆとりのある素晴らしい設計のマンションであった。あきる野から武蔵野線、つくばエクスプレス(初めて)、を乗り継いで二時間での到着は速かった。●ギリシャ語フォントもうまくインストールできてほっとした。94歳にしてこの聖書勉強欲には脱帽。お嫁さんの杉崎純子(すみこ)さんが操作方法をよく理解してくださったのは救いであった。●そのお嫁さんが「お父様、これで120歳ぐらいまで勉強ができますね」と言われた。●お嫁さんの言葉「父は勉強ばかりで世話のかからない『嫁孝行』の偉大な人です」。理想的な晩年、すばらしいお嫁さん。●杉崎さんはパソコンソフト「Jバイブル」の検索能力、特にそのAND検索の威力に舌を巻かれた。

 

P3-1)口語訳   34:7-8

34:7 モーセは死んだ時、百二十歳であったが、目はかすまず、気力は衰えていなかった

 

P3-2)塚本訳 ルカ 16:28-31

16:28 わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。』

16:29 しかしアブラハムは言う、『(その必要はない。)彼らにはモーセ(律法)と預言書と[聖書]がある。その教えに従えばよろしい。』

16:30 彼が言った、『いいえ、父アブラハムよ、もしだれかが死人の中から行ってやれば、きっと悔改めます。』

16:31 しかしアブラハムは答えた、『モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。』」

 

080302(日)(杉﨑孝95歳)

●杉崎孝さんのために各種英語訳聖書の成立年代を調べた。聖書の翻訳比較はなぜか面白い。

 

P3-3)口語訳   1:1-3

1:1 悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。

1:2 このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う

 

P3-4)塚本訳 ヨハ 3:31-32

3:31 上から来られる方は、すべての者の上におられる。地から出た者は地上の者で、話すことも地上のことである。天から来られる方は、すべての者の上におられ、

3:32 天で見聞きしたことを証しされる。(だから遣わされた者のだれ一人、こう言うわたし自身も、あの方に及ばない。)ところがだれもその証しを受けいれない。

 

P3-5)塚本訳 ヨハ 3:34-35

3:34 神がお遣わしになった方は神の言葉を話される。神は(その方に)いくらでも霊をお与えになるからである。

 

P4-1)塚本訳 ルカ 24:31-32

24:31 (その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。

24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。

 

080511(日)(杉﨑孝95歳)

●集会は茂木、杉崎(仏教的慈悲の思想に退化したキリスト教の某論考を批判)、山本(使徒20章)。●帰途は杉崎孝さんと今日の感話について懇談。とにかく使徒伝承の正統信仰を保持することが大切であることで意見が一致

 

P4-2)マタイ2763 岩波翻訳委員会訳1995

402763言った、「主よ、私どもは、あの惑わし者がまだ生きている時に、『三日後に私は起こされるであろう』と言っていたのを思いだしました。

 

P4-3)塚本訳 ヨハ 11:43-44

11:43 こう言ったのち、大声で、「ラザロ、出て来い」と叫ばれた

11:44 死人が手足を包帯で巻かれたまま、(墓から)出てきた。顔は手拭で包まれていた。イエスは「解いてやって(家に)帰らせなさい」と人々に言われた。

 

P4-4)塚本訳 マコ 5:38-42

5:38 やがて監督の家に着いて、人々がひどく泣きわめいて騒いでいるのを見ると、

5:39 (家の)中に入って言われる、「なにを泣いたり騒いだりするのか。子供は死んではいない、眠っているのだ。」

5:40 人々はあざ笑っていた。しかしイエスは皆を外に出し、子供の父と母と、一しょに来た者(三人だけ)を連れて、(死んだ)子供のいる所に入ってゆかれる。

5:41 そして子供の手を取って、「タリタクミ!]と言われる。訳すると「少女よ、あなたに言う。起きなさい!」である。

5:42 ただちに少女は立ち上がって歩きまわった。十二歳になっていたからである。見るなり、人々は気が遠くなるほど驚いた

 

P4-5)塚本訳 ルカ 7:12-17

7:12 町の門の近くに来られると、ちょうど、ある独り息子が死んで、(棺が)舁き出されるところであった。母は寡婦であった。町の人が大勢その母に付添っていた。

7:13 主は母を見て不憫に思い、「そんなに泣くでない」と言って、

7:14 近寄って棺に手をかけ──担いでいる者は立ち止まった──「若者よ、あなたに言う、起きよ!」と言われた。

7:15 すると死人が起き上がって物を言い出した。イエスは『彼を母に渡された。』

7:16 皆が恐れをいだいて、「大預言者がわたし達の間にあらわれた」とか、「神はその民を心にかけてくださった」とか言って、神を讃美した。

7:17 イエスについてのこの(二つの)言葉は、ユダヤ(人の国)全体とその周囲いたる所に広まった。

 

P5-1)塚本訳 Ⅰコリ15:3-5

15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、

15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること

15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。

 

P5-2)岩波翻訳委員会訳 Ⅰコリ15:4

154 そして埋葬されたこと、そして聖書に従って、三日目に〔死者たちの中から〕起こされていること

(訳者青野太潮による註・・・「甦らされる」≪エゲイローマイ)≫を自動詞的に訳すことも可能であるが、Ⅰコリ15:15の神を主語とする言い方からして、受身的に訳すべきであろう。これはその現在完了形)

 

P5-3)岩波翻訳委員会訳 Ⅰコリ15:15

1515私たちは神の偽証人とすら化してしまう。というのも、私たちは神に逆らって〔神が〕起こしもしなかったキリストを〔神は〕起こしたと証言したからである―――もしも実際、死者たちが起こされないとするなら〔、そうならざるを得まい〕。

 

P5-4)塚本訳 Ⅱテモ3:14-17

3:14 しかし君は(先輩達から)学んだこと、(自ら)確信したことに(しっかり)留まって居れ。誰から(それを)学んだか、

3:15 また(既に)子供の時から聖書を習ったことを知っているではないか。この聖書はキリスト・イエスの信仰による救いへの知恵を君に与えることが出来る。

3:16 聖句は悉く霊感されたもので、教訓に、訓戒に、矯正に、義の教育に益があり

3:17 かくて神の人が完成し、あらゆる善い仕事をする準備が出来る。

 

P5-5)塚本訳 ヨハ 10:35

10:35 神はこの言葉をたまわった人たち(すなわち御自分に代って裁判をする者)を、神と言われたのであるから・・聖書がすたれることはあり得ないので・・

 

P6-1)塚本訳 マタ 22:30-32

22:30 復活の折には、めとることもなく嫁ぐこともなく、ちょうど天の使いのようである。

22:31 死人の復活については、(聖書にはっきり書いてある。)神があなた達に言われたこの言葉を読んだことがないのか。──

22:32 『わたしはアブラハムの神、またイサクの神、またヤコブの神である』と。(ところで)神は死人の神ではなく、生きている者の神である。(だからアブラハム、イサクなども復活して、今生きているわけではないか。」

 

P6-2)文語訳 ヨハ 11:23-27

11:23 イエス言ひ給ふ『なんぢの兄弟は甦へるべし

11:24 マルタ言ふ『をはりの日、復活のときに甦へるべきを知る』

11:25 イエス言ひ給ふ『我は復活(よみがへり)なり、生命(いのち)なり、我を信ずる者は死ぬとも生きん

11:26 (おほよ)生きて我を信ずる者は、永遠(とこしへ)に死なざるべし。汝これを信ずるか

11:27 彼いふ『主よ然り、我なんぢは世に來るべきキリスト、神の子なりと信ず』

 

P6-3)塚本訳 ルカ 23:42-43

23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください

23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽(パラダイス)にはいることができる。」

 

P6-4)塚本訳 使  23:6

23:6 そのときパウロは(役人の)一派はサドカイ人、一派はパリサイ人であるのを見て取り、法院で叫んだ、「兄弟の方々、わたしはパリサイ人で、しかもパリサイ人の子です。いま死人の復活の希望のために裁判されているのです。(わたしは復活のキリストを見たと言いますから。)」

 

P6-5)塚本訳 使  24:21

24:21 わたしは死人の復活のためにきょうあなた達の前で裁判されているのです』と、みんなの中に立って叫んだその一言のほかに!」

 

P7-1)塚本訳 Ⅰコリ15:41-44

15:41 (天のものの輝きにしても、)太陽の輝きがちがい、月の輝きがちがい、星の輝きがまたちがう。その上、星はひとつびとつ輝きが相違している。

15:42 死人の復活もこのようである。(一つの体が死んで別の体が生まれる。)死滅の姿でまかれて不滅の姿に復活する。

15:43 恥辱の姿でまかれて栄光の姿に復活する。弱さの姿でまかれて力の姿に復活する。

15:44 (神の霊を持たない)魂だけの体がまかれて霊の体が復活する。魂だけの体がある以上は霊の体もあるわけである。

 

 

塚本虎二「毎日の聖書の読み方」(聖書知識第350号1959年P13

1・祈りの態度を以て読むこと。

2・かならず一人で読むこと。

3・聖書の勉強とは別にすること。

4・原語や外国語ではなく、日本語訳に限る。

5・一定の時間に読むこと。読めないとき、読みたくない時ほど意地にも読むこと。

6・わからない所を無理にわかろうとせず読み過ごし、そこに印をつけておくこと。

7・あちこち拾い読みをせず順序を正して読むこと。しかし旧新約を通読するというやり方よりも、一書を数回くりかえす方が数倍有益である。

8・もしその中の一句をノートに書きとめて電車の中や台所で暗記することを一年も続けたら、聖書学者にも劣らぬほど聖書がわかるであろう。

 

塚本虎二著「聖書の読み方」(聖書知識文庫№3 p21

 註解書は出来るだけ勧めたくない。少なくとも信仰がわかるまでは。その暇に聖書の本文に親しんだほうがどれだけ得かしれない。もし読みだけでは物足りない人は、訳を二つ三つ較べながら丁寧に読んでゆくのが最も賢い方法である。(中略)なお最も無害な聖書の勉強の仕方は、引照付きのものを買って来て、丹念に引照の箇所をこれからあれへ、あれからこれへと読むことである。(中略)百の註解書も一節の聖書本文に及ばないことを知らねばならない。これをしばらくやっていると、聖書全体が立体的に動き出すことに気がつくであろう。これは今まで多くの独学者にすすめたが、なかなか実行する人がない。やはり聖書に関する知識を与えてくれる註解書のほうを喜ぶ傾向がある。しかし百の註解書も一節の本文に及ばないことを知らねばならない。

 
                 2014_06230007.jpg

       
 棺の中に入れた故人愛用の聖書。書き込みだらけでその聖書に対する姿勢が偲ばれる。

 故人はご高齢でもパソコンによる聖書勉強に関心があった。理想的な晩年の過ごし方。

 

●若い人に望みあり。PCで聖書勉強するための「七つ道具」を高橋のホームページ公開

①聖書ソフト「Jバイブル」(1.06万円)。旧新約の語句検索は3秒。一語について聖書全体の観点から読むと聖書の和音が聞える。聖書は教会や人間の権威によらず、「聖書で聖書を読む」。その方法を日記(ブログ)で公開し、「基督信徒の慰め」を発信。応答有り。

②塚本虎二訳新約聖書。1999年公開。その敷衍は聖書本文を読ませるための「補助線」。検索エンジンからのアクセスが可能。グーグルとヤフーのアクセスは合計一日3億回。

③BbB(Bible by Bible翻訳比較(文語、口語、塚本、新改訳、新共同、前田、岩波翻訳委員会)。主要各国聖書引照(ネストレ27版、TSK、KJV,スコフィールド、ニューエルサレムバイブル、ルター、新共同訳)。書籍では1万5千ページになるのでインターネットで無料公開。学者や牧師から応答あり。 神学校で使われている。

④黒崎幸吉註解新約聖書および詩篇(関根正雄訳も搭載)本邦初のWEB版。アクセス数は諸外国からをも含め一日平均90回。神学校では教師が生徒に推薦している。

⑤上記黒崎幸吉註解新約聖書の引照を新共同訳で展開表示。本邦初。ギリシャ語聖書ネストレ27版の引照を付加全入力、世界初。

⑥TSK(Treasury of Scripture Knoledge)の日本語版。意味や概念の類似箇所を検索するのに便利。新約は完了。完成すると書籍では14万ページとなるのでネットで無料公開中。 ①~⑥のアクセス合計は一日平均100回以上。日本版BibleWorksを目指す。

1973年に高橋が編集した「塚本虎二、聖書知識・旧約知識・新約知識」の聖書索引をインターネットで公開。「聖書知識」全巻は今井館でPDF化して無料公開開始。


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朝の仕事終わり。本日の感話、御心を成し給え。


●10:00 集会は高木(司会、聖書朗読はローズンゲンより)、山本(パウロの出生地)、高橋(死の波路を乗り越え往く信仰・・・故杉﨑孝告別式、式辞)
●帰途、外苑の日高屋で野菜たっぷりラーメンと餃子一人前を半分ずつ。





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主に感謝せよ ++++++++ 所感

2014/06/28 05:54

140628(土)キリスト者の皆様お早うございます。先日101歳で主のもとに召された杉崎孝さんは召される前日までお元で、私が最後にお話ししたのは昨年の春で、その時は頭脳明晰、明るいお声であった。それが今月6月19日。朝、いつもの時間に起きてこられなかったのを一緒に生活していた次男のお嫁さんがに不審に思って部屋に行くと、冷たくなっていて文字通り「神に召された」後であった。●そのお嫁さんの話では「義父(ちち)は嫁孝行の偉大な義父(ちち)」でした」ということであった。身近な人にこういわれる生涯は最高最大の崇高な人生、成功の人生である。●人生の最後に「感謝」と言えるかどうかが、人間を禽獣と区別する最も簡単な見分け方である。「感謝」の感情のない人は人間ではない。クリスチャンではない。●常に天下国家を断罪して不平不満不足感に満たされている社会派クリスチャン(?)は人相と目つきが悪い。社会批判することが「地の塩」となることだと聖書の読み違いをしている。(高橋節)●そこで今朝は「感謝」という言葉を「Jバイブル」で旧新約全部を読んでみる。●聖書ソフト「Jバイブル2008」で「感謝」の単語は口語訳で186回(旧約120回新約66回)出てくる。コンコルダンスと違ってその節が全部表示される●指定した「感謝」は赤字で表示されるから読みやすい。同時に新改訳3、新共同訳、NKJ、TEV、KJV,NIV、LIB。が並列に出てくるから「翻訳比較」もできる。。「Jバイブル」は文明の利器で、イエスもびっくり、パウロもびっくりのはずだ●さて、186か所を全部読むのに何分かかるか実験する。6時11分開始6時22分終了。その間11分。これで心に沈殿するものがある。それは2000年も前にこの言葉を発したユダヤ人は何と偉大な民族であろうかと言うことである。イスラエルは今でこそこの世的基準で一等国ではないが、「感謝」という言葉をこれほど発した民族はその内実において超一等国である。●特に詩編136篇には「感謝」の言葉が26回も出てくる。

口語訳 詩  136:1-26
136:1 主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:2 もろもろの神の神に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:3 もろもろの主の主に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:4 ただひとり大いなるくすしきみわざを/なされる者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:5 知恵をもって天を造られた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:6 地を水の上に敷かれた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:7 大いなる光を造られた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:8 昼をつかさどらすために日を造られた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:9 夜をつかさどらすために月と、もろもろの星とを造られた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:10 エジプトのういごを撃たれた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:11 イスラエルをエジプトびとの中から/導き出された者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:12 強い手と伸ばした腕とをもって、これを救い出された者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:13 紅海を二つに分けられた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:14 イスラエルにその中を通らせられた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:15 パロとその軍勢とを紅海で/打ち敗られた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:16 その民を導いて荒野を通らせられた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:17 大いなる王たちを撃たれた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:18 名ある王たちを殺された者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:19 アモリびとの王シホンを殺された者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:20 バシャンの王オグを殺された者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:21 彼らの地を嗣業として与えられた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:22 そのしもべイスラエルに嗣業として/これを与えられた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:23 われらが卑しかった時に/われらをみこころにとめられた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:24 われらのあだからわれらを/助け出された者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:25 すべての肉なる者に食物を与えられる者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:26 天の神に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

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今朝の黙想おわり

●TSK日本語版、詩編133,134篇
●13:30 「さよなら原発にしたま」(於・あきるのルピア)。講師は元博報堂写社員の本間龍。日本の情報は電通と博報堂が支配しているというショッキングな話。原発広告も同じ。日本人は「新聞」を信用する性質があるという。新聞の収入は6割が広告料。テレビの収入は8割がコマーシャルということも知った。
●15:30「秋川流域市民健康フォーラム・知っておきたい認知症の話」。会場のキララホールは満員。自分は認知症ではないかと心配して一人で病院に行く人は大抵認知症ではないというよう話を聞いた。
●妻は午前中は池谷医院、定期健診。午後はコーラスの練習。

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理想的な晩年の姿 ++++++++ 所感

2014/06/27 06:32

140627(金)4時半起床。キリスト者の皆様、お早うございます。●今週は二人の人の晩年に接して、理想的な生きざまを学んだ。一人は去る6月19日に101歳で召された杉崎孝さん。(140621~140625ブログ参照)、もう一人は昨夜国立音楽大学でヴァイオリンの公開レッスンをしたウィーンフィル現役第一コンサートマスターのライナー・キュッヒル(64歳、140626ブログ参照)●二人とも衰えを知らずにバリバリと活動。●ヒルティは理想的な死に方は仕事中に倒れる事だと言っている。そして幸福とは「神と共にあって(どんな)仕事でも労働し続けることだと言っている。ヒルティは「永遠の平和」という論考を執筆中に死んだ。●今週は二人に接してヒルティの言葉を思い出した。●今朝は次の聖句が示された。

文語訳 詩篇 92:14
92:15 かれらは年老てなほ果をむすび豊かにうるほひ緑の色みちみちて


口語訳 詩  92:14
92:14 彼らは年老いてなお実を結び、いつも生気に満ち、青々として、


新改訳 詩  92:14
92:14 彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。


新共同 詩  92:15
92:15 白髪になってもなお実を結び/命に溢れ、いきいきとし

関根正雄  詩  92:15  
年老いてもなお実を結びみどりしたたるばかり、



●詩編92:14をTSKで見てみよう。
朝の黙想おわり。アーメン。わが身もまたかくあれかし 

●詩篇92:14 彼らは年老いてなお実を結び、いつも生気に満ち、青々として、

 

*「彼らは・・・なお実を結び、」

Psalms 1:3

3このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆 栄える。

Matthew 3:10

 10斧がすでに木の根もとに置かれている。だから、良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ。

John 15:2-5

 2わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。  3あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている。  4わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。  5わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。

Galatians 5:22-23

 22しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、  23柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。

Philippians 1:11

 11イエス・キリストによる義の実に満たされて、神の栄光とほまれとをあらわすに至るように。

Jude 12

 12彼らは、あなたがたの愛 餐に加わるが、それを汚し、無遠慮に宴会に同席して、自分の腹を肥やしている。彼らは、いわば、風に吹きまわされる水なき雲、実らない枯れ果てて、抜き捨てられた秋の木、

 

*「年老いて」

1 Chronicles 291-30

 長文故表示省略

Job 17:9

 9それでもなお正しい者はその道を堅く保ち、潔い手をもつ者はますます力を得る。

Psalms 71:18

 18神よ、わたしが年老いて、しらがとなるとも、あなたの力をきたらんとするすべての代に宣べ伝えるまで、わたしを見捨てないでください。

Proverbs 4:18

 18正しい者の道は、夜明けの光のようだ、いよいよ輝きを増して真昼となる。

Isaiah 46:4

 4わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う。

Jeremiah 17:8

 8彼は水のほとりに植えた木のようで、その根を川にのばし、暑さにあっても恐れることはない。その葉は常に青く、ひでりの年にも憂えることなく、絶えず実を結ぶ」。

 

*「いつも生気に満ち、青々として、」

Ezekiel 47:12

12川のかたわら、その岸のこなたかなたに、食物となる各種の木が育つ。その葉は枯れず、その実は絶えず、月ごとに新しい実がなる。これはその水が聖所から流れ出るからである。その実は食用に供せられ、その葉は薬となる」。


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朝の黙想おわり。アーメン我が身もまたかくありたい
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十字架を負わされた時の慰め ++++++++ 所感

2014/06/26 06:32

140626(木)キリスト者の皆様お早うございます。今朝は「十字架を負わされた時の慰め」を黙想してみます。●毎日、「聖書で聖書を読む」生活をしながら、生きる指針と慰めを聖書に求め、それを日記(ブログ)で発信しています。●このことにより「十字架を負わされた」キリスト信徒の忍耐と励ましを共にしようと思っています。●我々は世のため人のためにひとかどのこと行って「神の栄光を現す」のではなくて、不可解、不条理な、自分の十字架」を負わされる事で神の栄光が私達を通してあらわされるのだ。●新約聖書には「忍耐」という言葉が多く出てくるのはそのためだ。(新共同33回、塚本42回)。新約聖書は十字架を無理にいやいやながら負わされた者への「慰めの書」だ。●私の公開ブログの意味もそこにある。●人生の目的は「神の栄光を現す」事だと英国の至宝「ウェストミンスター小教理問答書」の冒頭第一問にある。●真の信仰を持っていない「行為主義者」達は聖書の次の句を自分たちの行為のプロパガンダとして振り回すが信仰とは全く違うものであって、神の栄光は現れない。 ●彼らに共通の顔は何か「うしろめたい」ことをしているという目つきである。自己の行為を正当化してしていて神を無視しているからそういう目つきになるのである。 その目つきだけで真理の道に立っていないことがピーンとくるのだ。

塚本訳 マタ 5:13
5:13 (預言者と同じく)あなた達は地の塩である。(世の腐敗を防ぐのが役目である。)しかしもし塩が馬鹿になったら、何で(もう一度)塩気をもどすか。外に捨てられて人に踏まれるほか、もはや何の役にも立たない。

塚本訳 マタ 5:16
5:16 そのようにあなた達も、その光を世の人の前に輝かし、人があなた達の良い行ないを見て、あなた達の天の父上をあがめるようにせよ。

塚本訳 マタ 6:10
6:10 お国が来ますように。お心が行われますように、天と同じに、地の上でも。


●信仰が退化した、否「わからない」人間はこれらの句をヒューマニズムの行為の根拠とする。もちっと聖書を真面目に勉強しなければならない。人間のヒューマニズムで「神の栄光が現れる」と思う人間は一刻も早く「宣伝文書」としての雑誌を廃止すべきである。マテマテ、そのうち読者が減って消滅する。読者も寿命でいなくなり、後が続かない。時間の問題だ。神の命の栄養分がない樹は枯れる。●これに反して真に「神の栄光」が現れる場合を見てみよう。共通なのは十字架をいやいやながら負わされて不幸な人である。神の栄光はそういう人を通してこの世に現れるのだ。


塚本訳 ヨハ 11:3-4
11:3 マリヤとマルタとはイエスに使をやって、「主よ、大変です。あなたの可愛がっておられる人が病気です」と言わせた。
11:4 イエスは聞いて言われた、「これは死ぬための病気ではない。神の栄光のためである。すなわち(神の栄光をあらわすために、)神の子(わたし)がこれによって栄光を受けるためである。」


塚本訳 ヨハ 11:40-42
11:40 イエスがマルタに言われる、「信ずれば神の栄光が見られると、(さきほども)あなたに言ったではないか。」
11:41 人々が石をのけた。するとイエスは目を天に向けて言われた、「お父様、(まだお願いしないのに、もう)わたしの願いを聞いてくださったことを感謝します。
11:42 (願わずとも)あなたはいつもわたしの願いを聞いてくださることを、わたしはよく知っております。しかしまわりに立っている人たちのために、(今わざと声を出して感謝を)申したのであります。(わたしの願いはなんでもきかれることを彼らに示して、)あなたがわたしを遣わされたことを信じさせるためであります。」


塚本訳 ヨハ 12:23-24
12:23 するとイエスは(非常に感動して)二人に答えられる、「人の子(わたし)が栄光を受ける時がついに来た。
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)

塚本訳 ヨハ 12:28
12:28 『お父様、(どうかわたしを御心のままになさって、)あなたの御名の栄光をあらわしてください!』」すると天から声がひびいた、「わたしは(あなたの業で)すでに(わたしの)栄光をあらわした。(今)また(あなたの苦しみによって)栄光をあらわすであろう。」

塚本訳 ヨハ 13:31-32
13:31 ユダが出てゆくと、イエスは(顔をかがやかせながら、別れの言葉を弟子たちに)言われる、「今、人の子は(神に命じられた仕事を成しとげて、神から)栄光を与えられた。神も人の子(が仕事を成しとげたこと)によって、栄光をお受けになった。
13:32 彼によって栄光をお受けになった以上は、神も(彼を天に挙げることによって、)彼に御自分の栄光を与えられるであろう。いますぐにも栄光を与えられるであろう。


塚本訳 ヨハ 17:1
17:1 イエスはこれらのことを話されると、目を天に向けて(祈って)言われた、「お父様、いよいよ時が来ました。子
があなたの栄光をあらわすために、どうか(子を十字架につけて、)子に栄光を与えてください。


塚本訳 ヨハ 17:4
17:4 わたしは、わたしにさせようとして賜わりました仕事を成しとげて、
地上にあなたの栄光をあらわしました。

塚本訳 ヨハ 21:18-19
21:18 アーメン、アーメン、わたしは言う、あなたは若い時分には、自分で帯をしめて、行きたい所へ行ったが、年を取ると、両手をのばして、ほかの人に帯をしめられ、行きたくない所へ連れてゆかれるであろう。」
21:19 このように言われたのは、ペテロがどんな死に方をして[十字架について]、神の栄光をあらわさねばならぬかを暗示されたのである。こう言ったあと、ペテロに、「わたしについて来なさい」と言われる。

塚本訳 ヨハ 9:2-3
9:2 弟子たちが尋ねた、「先生、この人が盲で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか、両親ですか。」
9:3 イエスは答えられた、「この人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。ただ神の御業がこの人に現われるためである。

塚本訳 ルカ 9:23
9:23 それから今度は皆に話された、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、毎日自分の十字架を負い、それからわたしに従え


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朝の黙想おわり。神の栄光は不幸を負わされることによってこの世にあらわされる。忍耐しよう。

●午後、立川へ行き、BK2軒
●16:30 国立音楽大学小講堂へライナー・キュッヒル氏(ウィーンフィルとウィーン国立歌劇場管弦楽団のコンサートマスターを43年も続けている)のヴァイオリン公開レッスンを妻と聞きに行く。レッスンは「脱力、脱力」の一点張り。
●これを聴いて、「聖書をして聖書に語らしむ」ことと同じだと思った。

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国立音楽大学講堂。1983年建築業協会賞。設計、前川国男建築設計事務所。
施工・大林組。前川らしい力強い設計。

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講堂中庭にある彫像。音楽大学らしい。

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国立音楽大学小講堂。ライナーキュッヒルによるヴァイオリン公開レッスン。
聴衆が体中で音楽を吸い取るような聴き方をしていた。さすが音楽大学の学生。 


         

 


ライナー・キュッヒル(Rainer Küchl、1950年8月25日 - )は、オーストリアヴァイトホーフェン・アン・デア・イプス生まれのヴァイオリン奏者ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の現役コンサートマスター。使用楽器は、1994年よりオーストリア国立銀行から貸与されている1725年ストラディヴァリウス「シャコンヌ」。
11歳からヴァイオリンを始める。14歳でウィーン国立音楽大学に入学し、フランツ・ サモヒルに師事する。1971年、弱冠20歳にしてウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン国立歌劇場管弦楽団の第2コンサートマスターに就任。1967年からはソリストとしても活動し、カール・ベームレナード・バーンスタインクラウディオ・アバドリッカルド・ムーティサイモン・ラトルなど世界的に著名な指揮者やウィーン・フィル、ウィーン交響楽団ドレスデン国立歌劇場管弦楽団NHK交響楽団などのオーケストラと共演している。1998年長野オリンピック開会式の演奏に参加。世界代表コンサートマスターを務める。1992年、第1コンサートマスターであったゲルハルト・ヘッツェルが事故により死去したため、第1コンサートマスターとなる。ウィーン国立音楽アカデミー教授に就任。

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ライナーキュッヒル氏夫人と。
私が「欧州の音楽家は日本人を妻にするのはステータスだと言われています」というと笑われた。
この夫人にしてキュッヒル氏ありと感じた。
脱力の講義で「私としては聖書をして聖書を語らしむ」ということにつながることを学びましたとお礼を言った。






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パソコンによる聖書勉強の「七つ道具」 ++++++++ 所感

2014/06/25 08:46

140625(水)、キリスト者の皆様お早うございます。●一昨日、集会の大長老であられた杉崎孝さんの告別式(101歳で召天)を行ったが、多くの人の証言でますます杉崎さんの周囲への影響が大きいものであったことを感じた。その聖書の対する姿勢と、生き様は無言の説教であった。●88歳の時に千葉県の流山からお一人で拙宅に来られ、「パソコンによる聖書勉強の方法」はどんなものかを見に来られた。●現在、若い牧師や伝道者や聖書学者のパソコン能力はものすごいものらしいが、故人はそれを88歳で挑戦されたのだから敬服する●94歳の時に今度は私が流山の杉崎さんのお宅に伺って、パソコンによる自称「聖書勉強の三種の神器」をインストールした。お嫁さんが操作方法をよく理解してくださったのは救いであった。●そのお嫁さんが「お父様、これで120歳ぐらいまで勉強が出来ますね」と言われた。●お嫁さんの言葉「義父(ちち)は勉強ばかりで世話のかからない『嫁孝行』の偉大な人です」。●杉崎さんは旧約学の泰斗関根正雄や新約学の泰斗前田護郎らと盟友であったが、彼らに勝るとも劣らない偉大な生涯であった。家人、しかも嫁からこういわれる人はなかなかいない。●この私は妻から「妻孝行の夫」だとも、「偉大な人」だとも言われたことは一度もない。(当たり前だ。反省、自戒)。老後の勉強の対象(聖書)も家の中での態度も見上げるべき人であった。●聖書勉強の目的は周囲の人、身近な人(家人、妻、嫁、子供、親類縁者、職場、エクレシア)から「アノ人はいつも感謝感謝と言っている偉大な人だ 」と言われるようになる事だ。杉崎さんはその鏡であった。


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棺の中に入れた故人愛用の聖書。書き込みだらけでその聖書に対する姿勢が偲ばれる

故人は私がやっているパソコンでの聖書勉強に関心があった。


●2007年11月月28日(故人94歳)の時に流山の杉崎さんのご自宅を訪れ、パソコンに聖書勉強のソフトを三種類インストールした。それ以後四種類が加わり、今では七種類となった。いわば大工の「七つ道具」である。それは次である。頻繁に使う順序に掲げる。

 

 

●若い人に望みあり。PCで聖書勉強するための「七つ道具」をネットで公開


①パソコンソフト「Jバイブル」(市販、約1.1万円)。旧新約の語句検索は3秒。一語について聖書全体の観点から読むと聖書の和音が聞える。聖書は教会や人間の権威によらず「聖書で聖書を読む」。その方法を日記(ブログ)で公開し、「基督信徒の慰め」を発信。悩み悲しみにある人に対し、「私も同じだ」と言いながらその拭き続けたい。

②塚本虎二訳新約聖書。1999年公開。その敷衍は聖書本文を読ませるための「補助線」。検索エンジン(アクセスはグーグルとヤフー合計一日3億回)からのアクセスが可能

③BbB(Bible by Bible)翻訳比較(文語、口語、塚本、新改訳、新共同、前田、岩波翻訳委員会)。主要各国聖書引照(ネストレ27版、TSK、KJV,スコフィールド、ニューエルサレムバイブル、ルター、新共同訳)。書籍では1万5千ページになるのでインターネットで無料公開。学者や牧師から応答あり。

④黒崎幸吉註解新約聖書および詩篇(関根正雄訳も搭載)本邦初のWEB版。アクセス数は諸外国からを含め一日平均90回。神学校の生徒に教師が推薦している。

⑤上記黒崎幸吉註解新約聖書の引照を新共同訳で展開表示。本邦初。ギリシャ語聖書ネストレ27版の引照を付加全入力、世界初。

⑥TSK(Treasury of Scripture Knoledge)の日本語版。意味や概念の類似箇所を検索するのに便利。工事中だが、新約は完了。完成すると書籍では14万ページとなるのでネットで無料公開中。 ①~⑥のアクセス合計は一日平均100回以上。若い人に望み有。

1973年に高橋が編集した「塚本虎二、聖書知識・旧約知識・新約知識」の聖書索引をインターネットで公開。「聖書知識」全巻の本文は今井館でPDF化して無料公開開始。













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泣くな。主が与え、主が奪うのだ。神が主役なのだ。 ++++++++ 所感

2014/06/24 17:51

140624(火)キリスト者の皆様お早うございます。●昨夜は爆睡。妻が「いびきがすごかった」と言う。疲れていたのか。●人生は短くあります。私が設計した多くの「住まい」もぼつぼつ壊したり、人手に渡るときが来はじめています。●この世の家は肉体と同じで寿命があります。物理的と同時に経済的理由や建築主の死亡と共に持ち主が変わったりします。●しかし変わらないのは「永遠の家」。●11:30 茅ヶ崎の金子幸子さんに茂木さんと私達夫婦が呼ばれて大切な「相談事」。●主にある者同士の相談事は早い。特に無教会者同士の相談は即決が多い。なぜか。組織がなく、利害関係がないからである。会議を開かなくてよい。上司の許可を取ってから決めるということをしない。

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茅ヶ崎の金子幸子邸。35年前の設計だが、家主が非常にきれいに使ってくれているので気持ちがよい。

●大切な相談事。途中私は次の聖句を語った。



口語訳 ヨブ 1:21
1:21 そして言った、/「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。
主が与え、主が取られたのだ
。主のみ名はほむべきかな」。


新改訳 ヨブ 1:21
1:21 そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる
。主の御名はほむべきかな。」


新共同 ヨブ 1:21
1:21 「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」


NKJV ヨブ 1:21
1:21 And he said:"Naked I came from my mother's womb,And naked shall I return there.The Lord gave, and the Lord has taken away;Blessed be the name of the Lord."


TEV ヨブ 1:21
1:21 He said, "I was born with nothing, and I will die with nothing. The Lord gave, and now he has taken away. May his name be praised!"

●人生の幸不幸はこれ100%神が主役。「泣くな、神が与え、神が奪う。神が主役なのだ」。




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故杉崎孝告別式式辞 ++++++++ 所感

2014/06/23 07:38

140623(月)3時起床。●キリスト者の皆様お早うございます。今日は集会の大先輩、杉崎孝様の

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故杉﨑孝告別式式辞。聖書に対する姿勢を学ぶ

・・・・私のパソコン日記(ブログ)から・・・・            

告別式2012年6月23日 (於・ライフケア流山)

2016.6.29東京聖書読者会 高橋照男 

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                                                             2016年6月19日、満101歳で召天


 在りし日の杉﨑孝様。満100歳の時の写真 
 

010607日(木)(杉﨑孝88歳)

●午後2時杉崎孝氏(88歳)、聖書勉強のパソコンにご興味をもたれての来訪。奥様に先立たれて19年と言う。御次男宅に同居。東京高校時代に関根正雄、森有正氏と同級。

 

口語訳 ヨシ 1:8

1:8 この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、そのうちにしるされていることを、ことごとく守って行わなければならない。そうするならば、あなたの道は栄え、あなたは勝利を得るであろう。

 

 

040425(日)((杉﨑孝91歳)

●帰途、杉崎さんと「ユーハイム」で懇談。私の感話プリント(4月4日「母の死と神の慰め」)を読まれた感想を話してくださった。人の最期は日本では「息を引き取る」というが諸外国は「息を吐き出す」ということになっている事を言語学的に教えてくださった。母の最期は息を吐き出した。イエスは最後に「わたしの霊を御手にゆだねます(ルカ23 46)」と言ったので、これもやはり命は出て行くという概念だと教えられた。それから「キリストを信じないで死んだ人」にも神の救いの手が及ぶことについて。「キリストは昔いまし、今いまし、永遠に生きておられるお方」だからということ。「陰付(よみ)にくだり」ということについて。

 

口語訳   2:7

2:7 主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。

 

口語訳 ヨブ 1:18-22

1:18 彼がなお語っているうちに、またひとりが来て言った、「あなたのむすこ、娘たちが第一の兄の家で食事をし、酒を飲んでいると、

1:19 荒野の方から大風が吹いてきて、家の四すみを撃ったので、あの若い人たちの上につぶれ落ちて、皆死にました。わたしはただひとりのがれて、あなたに告げるために来ました」。

1:20 このときヨブは起き上がり、上着を裂き、頭をそり、地に伏して拝し、

1:21 そして言った、/「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」

1:22 すべてこの事においてヨブは罪を犯さず、また神に向かって愚かなことを言わなかった。

 

塚本訳 ルカ 23:44-46

23:44 すでに昼の十二時ごろであったが、地の上が全部暗闇になってきて、三時までつづいた。

23:45 日蝕だったのである。すると宮の(聖所の)幕が真中から(二つに)裂けた。

23:46 その時イエスは大声をあげて言われた、「お父様、』わたしの霊をあなたにおあずけします。』」こう言われるとともに、息が絶えた。

 

 

071128(水)(杉﨑孝94歳)

●集会の94歳の杉崎孝さんのご依頼で、千葉県流山市のお宅に行って自称「聖書勉強の三種の神器」をパソコンにインストール。●お住まいは木々に囲まれてゆとりのある素晴らしい設計のマンションであった。あきる野から武蔵野線、つくばエクスプレス(初めて)、を乗り継いで二時間での到着は速かった。●ギリシャ語フォントもうまくインストールできてほっとした。94歳にしてこの聖書勉強欲には脱帽。お嫁さんの杉崎純子(すみこ)さんが操作方法をよく理解してくださったのは救いであった。●そのお嫁さんが「お父様、これで120歳ぐらいまで勉強ができますね」と言われた。●お嫁さんの言葉「父は勉強ばかりで世話のかからない人です」。理想的な晩年、すばらしいお嫁さん。●杉崎さんは「Jバイブル」の検索能力。特にそのAND検索の威力に舌を巻かれた。

 

口語訳   34:7-8

34:7 モーセは死んだ時、百二十歳であったが、目はかすまず、気力は衰えていなかった

34:8 イスラエルの人々はモアブの平野で三十日の間モーセのために泣いた。そしてモーセのために泣き悲しむ日はついに終った。

 

塚本訳 ルカ 16:28-31

16:28 わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。』

16:29 しかしアブラハムは言う、『(その必要はない。)彼らにはモーセ(律法)と預言書と[聖書]がある。その教えに従えばよろしい。』

16:30 彼が言った、『いいえ、父アブラハムよ、もしだれかが死人の中から行ってやれば、きっと悔改めます。』

16:31 しかしアブラハムは答えた、『モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。』」

 

 

080302(日)(杉﨑孝95歳)

●杉崎孝さんのために各種英語訳聖書の成立年代を調べた。聖書の翻訳比較はなぜか面白い。

 

口語訳   1:1-3

1:1 悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。

1:2 このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う

1:3 このような人は流れのほとりに植えられた木の/時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。

 

 

080511(日)(杉﨑孝95歳)

●集会は茂木、杉崎(仏教的慈悲の思想に退化したキリスト教の某論考を批判、山本(使徒20章)。●帰途は杉崎孝さんと今日の感話について懇談。とにかく使徒伝承の正統信仰を保持することが大切であることで意見が一致

 

マタイ2763 岩波翻訳委員会訳1995

402763言った、「主よ、私どもは、あの惑わし者がまだ生きている時に、『三日後に私は起こされるであろう』と言っていたのを思いだしました。

 

塚本訳 ヨハ 11:43-44

11:43 こう言ったのち、大声で、「ラザロ、出て来い」と叫ばれた

11:44 死人が手足を包帯で巻かれたまま、(墓から)出てきた。顔は手拭で包まれていた。イエスは「解いてやって(家に)帰らせなさい」と人々に言われた。

 

塚本訳 ヨハ 12:17

12:17 また、イエスがラザロを墓から呼び出して死人の中から生きかえらせた時に居合わせた人々は、そのことを証しした。

 

塚本訳 ヘブ 11:17-19

11:17 信仰によって、『アブラハムは(神に)試されたとき、(燔祭として)イサクを捧げた。その独り子を』捧げようとしたのである。彼は(神の)約束を受け、

11:18 『イサクから生まれる者が、あなたの子孫となるべきである』と語られた者であった。

11:19 神は死人の中からでも生きかえらせる力があると考えたからであった。そのため(この信仰に対する報いとして、)彼はその子を(キリストの死と復活との)比喩として返してもらったのである。

 

塚本訳 マコ 5:38-42

5:38 やがて監督の家に着いて、人々がひどく泣きわめいて騒いでいるのを見ると、

5:39 (家の)中に入って言われる、「なにを泣いたり騒いだりするのか。子供は死んではいない、眠っているのだ。」

5:40 人々はあざ笑っていた。しかしイエスは皆を外に出し、子供の父と母と、一しょに来た者(三人だけ)を連れて、(死んだ)子供のいる所に入ってゆかれる。

5:41 そして子供の手を取って、「タリタクミ!]と言われる。訳すると「少女よ、あなたに言う。起きなさい!」である。

5:42 ただちに少女は立ち上がって歩きまわった。十二歳になっていたからである。見るなり、人々は気が遠くなるほど驚いた

 

塚本訳 ルカ 7:12-17

7:12 町の門の近くに来られると、ちょうど、ある独り息子が死んで、(棺が)舁き出されるところであった。母は寡婦であった。町の人が大勢その母に付添っていた。

7:13 主は母を見て不憫に思い、「そんなに泣くでない」と言って、

7:14 近寄って棺に手をかけ──担いでいる者は立ち止まった──「若者よ、あなたに言う、起きよ!」と言われた。

7:15 すると死人が起き上がって物を言い出した。イエスは『彼を母に渡された。』

7:16 皆が恐れをいだいて、「大預言者がわたし達の間にあらわれた」とか、「神はその民を心にかけてくださった」とか言って、神を讃美した。

7:17 イエスについてのこの(二つの)言葉は、ユダヤ(人の国)全体とその周囲いたる所に広まった。

 

塚本訳 Ⅰコリ15:3-5

15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、

15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること

15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。

 

岩波翻訳委員会訳 Ⅰコリ15:4

154 そして埋葬されたこと、そして聖書に従って、三日目に〔使者たちの中から〕起こされていること

(訳者青野太潮による註・・・「甦らされる」≪エゲイローマイ)≫を自動詞的に訳すことも可能であるが、Ⅰコリ15:15の神を主語とする言い方からして、受身的に訳すべきであとう。これはその現在完了形)

 

塚本訳 Ⅰコリ15:15

15:15 またわたし達は神の偽証者ともなるであろう。というのは、死人が復活しないということがもし事実なら、神が復活させられることもなかったキリストを、復活させられたと言って、わたし達は神に逆らう証言をしたことになるからである

 

塚本訳 マタ 22:24-32

22:24 「先生、モーセは(その律法に)、『もし人が子がなくて死んだ場合には、弟に兄嫁をめとり、兄の家をつぐべき子をもうけよ』と言っています。

22:25 ところがわたし達のところに七人の兄弟があって、長男が結婚して死に、子がなかったので、その妻を弟にのこしました。

22:26 同じように、次男も三男も、ついに七人まで(子をのこさずに)死んで、

22:27 一番しまいにその女も死んでしまいました。

22:28 すると(もし復活があるなら、)復活の折には、この女は七人のうちのだれの妻になるのでしょうか。皆その女を妻にしましたから。」

22:29 イエスは答えられた、「あなた達は聖書も神の力も知らないので、間違いをしている。

22:30 復活の折には、めとることもなく嫁ぐこともなく、ちょうど天の使いのようである。

22:31 死人の復活については、(聖書にはっきり書いてある。)神があなた達に言われたこの言葉を読んだことがないのか。──

22:32 『わたしはアブラハムの神、またイサクの神、またヤコブの神である』と。(ところで)神は死人の神ではなく、生きている者の神である。(だからアブラハム、イサクなども復活して、今生きているわけではないか。」

 

塚本訳 ヨハ 11:23-27

11:23 イエスは言われる、「あなたの兄弟は生き返る。」

11:24 マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」

11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。

11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」

11:27 イエスに言う、「はい、主よ、(信じます。)あなたが救世主で、神の子で、世に来るべき方であると、私は信じています。」

塚本訳 ルカ 23:39-43

23:39 磔にされている罪人の一人がイエスを冒涜した、「お前は救世主じゃないか。自分とおれ達を救ってみろ。」

23:40 するともう一人の者が彼をたしなめて言った、「貴様は(このお方と)同じ(恐ろしい)罰を受けていながら、それでも(まだ)神様がこわくないのか。

23:41 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」

23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください

23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽(パラダイス)にはいることができる。」

 

塚本訳 使  23:6

23:6 そのときパウロは(役人の)一派はサドカイ人、一派はパリサイ人であるのを見て取り、法院で叫んだ、「兄弟の方々、わたしはパリサイ人で、しかもパリサイ人の子です。いま死人の復活の希望のために裁判されているのです。(わたしは復活のキリストを見たと言いますから。)」

 

塚本訳 使  24:21

24:21 わたしは死人の復活のためにきょうあなた達の前で裁判されているのです』と、みんなの中に立って叫んだその一言のほかに!」

 

塚本訳 Ⅰコリ15:41-49

15:41 (天のものの輝きにしても、)太陽の輝きがちがい、月の輝きがちがい、星の輝きがまたちがう。その上、星はひとつびとつ輝きが相違している。

15:42 死人の復活もこのようである。(一つの体が死んで別の体が生まれる。)死滅の姿でまかれて不滅の姿に復活する。

15:43 恥辱の姿でまかれて栄光の姿に復活する。弱さの姿でまかれて力の姿に復活する。

15:44 (神の霊を持たない)魂だけの体がまかれて霊の体が復活する。魂だけの体がある以上は霊の体もあるわけである。

15:45 (聖書にも)このように書いてある、「最初の『人』アダム『は魂だけの生きものになり』、最後のアダム[キリスト]は命を与える霊になった」と。

15:46 しかし霊のものが最初でなく、魂だけのものであり、その次に霊のものである。

15:47 最初の『人は地から出て土で出来たものであり』、第二の人は天の出である。

15:48 土の人たちはこの土の人(アダム)のようであり、天の人たちはこの天の人(キリスト)のようである。

15:49 こうしてわたし達は土の人の姿を帯びたように、(復活の時は)天の人の姿を帯びるであろう。

 

 

塚本虎二「毎日の聖書の読み方」(聖書知識第350号1959年P13

1・祈りの態度を以て読むこと。

2・かならず一人で読むこと。

3・聖書の勉強とは別にすること。

4・原語や外国語ではなく、日本語訳に限る。

5・一定の時間に読むこと。読めないとき、読みたくない時ほど意地にも読むこと。

6・わからない所を無理にわかろうとせず読み過ごし、そこに印をつけておくこと。

7・あちこち拾い読みをせず順序を正して読むこと。しかし旧新約を通読するというやり方よりも、一書を数回くりかえす方が数倍有益である。

8・もしその中の一句をノートに書きとめて電車の中や台所で暗記することを一年も続けたら、聖書学者にも劣らぬほど聖書がわかるであろう。

 

 

塚本虎二著「聖書の読み方」(聖書知識文庫№3 p21

 註解書は出来るだけ勧めたくない。少なくとも信仰がわかるまでは。その暇に聖書の本文に親しんだほうがどれだけ得かしれない。もし読みだけでは物足りない人は、訳を二つ三つ較べながら丁寧に読んでゆくのが最も賢い方法である。(中略)なお最も無害な聖書の勉強の仕方は、引照付きのものを買って来て、丹念に引照の箇所をこれからあれへ、あれからこれへと読むことである。(中略)百の註解書も一節の聖書本文に及ばないことを知らねばならない。これをしばらくやっていると、聖書全体が立体的に動き出すことに気がつくであろう。これは今まで多くの独学者にすすめたが、なかなか実行する人がない。やはり聖書に関する知識を与えてくれる註解書のほうを喜ぶ傾向がある。しかし百の註解書も一節の本文に及ばないことを知らねばならない。

 

 



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故杉崎孝 告別式 式辞終わり


●告別式「別れの言葉」。丹野竹子(広島聖書集会)、斉藤みち(荻窪聖書集会)、      三宅三枝子(江戸川台聖書集会、逆井聖書集会)
●御遺族は三男一女。御長男が、初めから終わりまで目を赤くはらしておられ、遺族代表青札では声を詰まらせてかなりの時間が止まったことに胸を打たれた。
●杉崎さんの生き方は無教会者のあるべき姿の 手本、鏡であった。
●中国電力の常務であった杉﨑さんは、3.11東電福島第一原子力発電所の事故を「まさか」と思われたという事を電話でお話し下さった。この短い一言にその責任感の深さを感じた。


 
         2014_06230007.jpg  

   棺の中に入れた杉﨑様愛用の聖書。書き込みだらけでその聖書に対する姿勢が偲ばれる

●帰途、斉藤顕、みち夫妻と一緒。 
●19:50 あきる野に帰宅。

●私のミッション。「聖書で聖書を読む」ための資料をインターネットで公開

 

1973年作の「聖書知識・旧約知識・新約知識」聖書索引。●BbB(Bible by Bible)翻訳比較(文語、口語、塚本、新改訳、新共同、前田、岩波翻訳委員会)。.主要各国聖書引照(ネストレ27版、TSK(Treasury of Scripture Knoledge)、KJV,スコフィールド、ニューエルサレムバイブル、ルター、新共同訳)。書籍では1万5千ページになるので出版は不可能。インターネットで無料公開●黒崎幸吉註解新約聖書および詩篇(関根訳も搭載)WEB版。引照としてはギリシャ語聖書ネストレ27版を全入力、世界初。また新共同訳の引照も全入力、本邦初。インターネットへのアクセス数はすでに19万回。神学校や牧師にも使われている●TSK日本語版。意味や概念が類似しているところを検索するのに便利。新約完了、旧約は工事中。完成すると書籍では14万ページとなり出版は不可能。インターネットで無料公開中、本邦初●「日記と感想」。「聖書で聖書を読む」方法の公開。パソコンソフト「Jバイブル」(1.1万円)利用。旧新約の語句検索は3秒。一語について聖書全体の観点から読むと聖書の和音が聞える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






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人生は短い。時間の浪費はするな ++++++++ 所感

2014/06/22 04:55

140622(日)3時50分目覚め、4時起床。トイレ(黙想)、洗顔、湯沸し、パソコン●キリスト者の皆様おはようございます。●朝の啓示「人影は短い。時間の浪費はするな」。●昨日は、明日の杉崎孝告別式の準備のために時間を割いた。その時にイエスの次の言葉が気になった。

塚本訳 マタ 8:21-22
8:21 またほかの一人の弟子が言った、「主よ、(お共をする)その前に、父の葬式をしに行かせてください。」
8:22 イエスはその人に言われる、「(今すぐ)わたしについて来なさい。死んだ者の葬式は、死んだ者にまかせよ。」

●これはどういう意味だろうか。親類縁者との交際を断てと言うことだろうか、この世の儀礼をすべて断てと言うことか、この世の職業を捨てて、キリストの冠の付く職業に就くべきなのか。「聖書でメシを食えと言うことか」「聖職者になれ」ということか」「人の漁をする漁師になれということか」「この世の家でなく神の家を建てよということか」・・・・この難問は人間に聴いてはいけない。それは百家争鳴で、いがみ合い、罵り合い、神学論争になって、まるでプロテスタント教会の分裂のようになる。お互いに少し違うと、「なんとなく違う]とか「違和感を感じる」とすぐ袂を分かつ。●そこで「聖書で聖書を読む」方法でこの難しい言葉の真意を探ってみよう。●聖書の難しいところは聖書に探る。教会の権威に聞かない。人間先生に聞かない。聖書学者に聞かない。ただ聖書に聞く。聖書の一句は百の解説に勝る。それは幾何学の「補助線」。補助線があると答えが見えて来る。これがプロテスタントの究極の「聖書の読み方」である。
●まず翻訳比較。これには拙HPのBbB「聖書で聖書を読む」のサイトを利用するのが便利。時間の節約。


マタイ8:18-22

弟子の覚悟
マタイ8:18-22

弟子の覚悟

岩波翻訳委員会訳1995

400818そしてイエスは、自分のまわりの群集を見て、向こう岸に行くように命じた。

400819すると一人の律法学者が近寄って来て、彼に言った、「先生、どこに行かれようと、あなたに従ってまいります」。

400820するとイエスは彼に言う、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。しかし人の子には頭(こうべ)を横たえるところ〔すら〕ない」。

400821また、[彼の]弟子のほかの一人が彼に言った、「主よ、まず行って私の父を葬らせてください」。

400822しかしイエスは彼に言う、「私に従え。そして〔その〕死人どもに彼らの死人たちを葬らせよ」。


 

新共同訳1987

8:18 イエスは、自分を取り囲んでいる群衆を見て、弟子たちに向こう岸に行くように命じられた。

8:19 そのとき、ある律法学者が近づいて、「先生、あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言った。

8:20 イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」

8:21 ほかに、弟子の一人がイエスに、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。

8:22 イエスは言われた。「わたしに従いなさい。死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。」


前田訳1978

8:18 イエスは、囲む群衆を見ると、指図して向こう岸へ去ろうとされた。

8:19 するとひとりの学者が近づいていった、「先生、どこへでもお供します」と。

8:20 そこでイエスは彼にいわれる、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。しかし人の子には枕するところがない」と。

8:21 いまひとりの弟子が彼にいった、「主よ、おゆるしください、まずわが父を葬りに行くことを」と。

8:22 イエスは彼にいわれる、「わたしに従いなさい。死人に自分たちの死人を葬らせておきなさい」と。

 

新改訳1970

8:18 さて、イエスは群衆が自分の回りにいるのをご覧になると、向こう岸に行くための用意をお命じになった。

8:19 そこに、ひとりの律法学者が来てこう言った。「先生。私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついてまいります。」

8:20 すると、イエスは彼に言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」

8:21 また、別のひとりの弟子がイエスにこう言った。「主よ。まず行って、私の父を葬ることを許してください。」

8:22 ところが、イエスは彼に言われた。「わたしについて来なさい。死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。」

 

塚本訳1963

8:18 イエスは自分のまわりの群衆を見ると、向う岸に行くようにと(弟子たちに)命じられた。

8:19 すると一人の聖書学者が進み出て言った、「先生、どこへでもおいでになる所へお供をします。」

8:20 イエスはその人に言われる、「狐には穴がある、空の鳥には巣がある。しかし人の子(わたし)には枕する所がない。(その覚悟があるか。)」

8:21 またほかの一人の弟子が言った、「主よ、(お共をする)その前に、父の葬式をしに行かせてください。」

8:22 イエスはその人に言われる、「(今すぐ)わたしについて来なさい。死んだ者の葬式は、死んだ者にまかせよ。」

 

口語訳1955

 8:18 イエスは、群衆が自分のまわりに群がっているのを見て、向こう岸に行くようにと弟子たちにお命じになった。

8:19 するとひとりの律法学者が近づいてきて言った、「先生、あなたがおいでになる所なら、どこへでも従ってまいります」。

8:20 イエスはその人に言われた、「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」。

8:21 また弟子のひとりが言った、「主よ、まず、父を葬りに行かせて下さい」。

8:22 イエスは彼に言われた、「わたしに従ってきなさい。そして、その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい」。


文語訳1917

"400818","さてイエス群衆の己を環れるを見て、ともに彼方の岸に往かんことを弟子たちに命じ給ふ。"

"400819","一人の學者きたりて言ふ『師よ、何處にゆき給ふとも、我は從はん』。"

"400820","イエス言ひたまふ『狐は穴あり、空の鳥は塒あり、されど人の子は枕する所なし』"

"400821","また弟子の一人いふ『主よ、先づ、往きて、我が父を葬ることを許したまへ』"

"400822","イエス言ひたまふ『我に從へ、死にたる者にその死にたる者を葬らせよ』"


●長年イエスに付き合っていると、イエスの真意が分かってくるというものだ。そこで頭に浮かぶイエスの言葉を連想してみよう。パウロに聞かないイエスに聞く。

塚本訳 マタ 15:12-14
15:12 あとで弟子たちが来てイエスに言う、「パリサイ人がお話を聞いて腹を立てたことを御存じですか。」
15:13 イエスは答えられた、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜かれる。
15:14 あの人たちを放っておけ。盲人の手引をする盲人だ。盲人が盲人の手引をすれば、二人とも穴に落ちよう。」

塚本訳 マタ 13:24-30
13:24 またほかの譬を群衆に示して言われた、「天の国は畑に良い種をまく人にたとえられる。
13:25 人々が(夜)眠っている間に敵が来て、麦の中に毒麦をまいて行った。
13:26 苗が芽生えて実を結ぶと、その時毒麦も現われた。
13:27 使用人たちが来て家の主人に言った、『ご主人、畑には良い種をまかれたのではないですか。すると毒麦はどこから来たのでしょうか。』
13:28 主人がこたえた、『敵のしわざだ。』使用人たちが言う、『では、行って抜き取りましょうか。』
13:29 主人が言う、『いや、毒麦を抜き取ろうとして、麦まで一しょに引き抜くかも知れない。
13:30 両方とも刈入れまで育つままにしておけ。刈入れの時、わたしが刈入れ人たちに言いつける、まず毒麦を抜き取り、束にしばって焼きすてよ、麦の方は集めて倉に入れよ、と。』」

塚本訳 マタ 13:18-23
13:18 だからあなた達には種まく人の譬を説明してあげよう。──
13:19 だれでも御国の言葉を聞いて悟らないと、悪者[悪魔]が来て、心の中にまかれたものを奪ってゆく。これは道ばたにまかれた人である。
13:20 岩地にまかれたもの、これは御言葉を聞いてすぐ喜んで受けいれるが、
13:21 自分の中に(しっかりした信仰)の根がなく、ただその当座だけであるから、御言葉のために苦難や迫害がおこると、すぐ信仰から離れおちる人である。
13:22 茨の中にまかれたもの、これは御言葉を聞くが、(しばらく信じているうちに、)この世の心配や富の惑わしが御言葉を押えつけて、みのらない人である。
13:23 しかし良い地にまかれたもの、これは御言葉を聞いて悟る人で、きっと実を結び、あるいは百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍になるのである。」


塚本訳 マコ 4:26-29
4:26 また言われた、「神の国はこんなものだ。──ある人が地に種を蒔き、
4:27 夜昼、寝起きしていると、種は芽生えて育ってゆくが、本人はその訳を(すら)知らない。
4:28 (すなわち)地はひとりでに実を結ぶので、初めに茎、次に穂
、次に穂の中に熟しきった粒ができる。
4:29 実が熟すると、すぐに『鎌を入れる。刈入れ時が来たのである。』」

塚本訳 マタ 13:9-11
13:9 耳のある者は聞け。」
13:10 弟子たちが進み寄って、「あの人たちにはなぜ譬をもって話をされますか」とたずねると、
13:11 答えられた、「あなた達(内輪の者)には、天の国の秘密をさとる力が授けられている(のでありのままに話す)が、あの(外の)人たちには授けられていないのだ。

塚本訳 ルカ 16:27-31
16:27 金持が言った、『父よ、それではお願いですから、ラザロをわたしの父の家にやってください。
16:28 わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。』
16:29 しかしアブラハムは言う、『(その必要はない。)彼らにはモーセ(律法)と預言書と[聖書]がある。その教えに従えばよろしい。』
16:30 彼が言った、『いいえ、父アブラハムよ、もしだれかが死人の中から行ってやれば、きっと悔改めます。』
16:31 しかしアブラハムは答えた、『モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。

塚本訳 マタ 23:1-12
23:1 それからイエスは群衆と弟子たちにむかって語られた、
23:2 「聖書学者とパリサイ人はいまモーセの(後継ぎとしてその)椅子に坐っている。(彼らにはモーセの権威がある。)
23:3 だからなんでも彼らがあなた達に言うことを行い、また守れ。しかし、そのすることを真似てはならない。あの人たちは言うだけで行わないのだから。
23:4 すなわち思い荷をたばねて人の肩にのせながら、自分では(担ってやるどころか、)指一本でこれを動かしてやろうともしない。
23:5 そのすること為すことがことごとく、人に見せびらかすためである。たとえば、(人の目につくように)経箱の幅を広くしたり、上着の総を大きくしたりする。
23:6 また宴会の上座や礼拝堂の上席、
23:7 市場で挨拶されることや人から先生と呼ばれることを喜ぶ。
23:8 しかしあなた達は『先生』と呼ばれてはならない。あなた達の先生はただ一人(救世主だけで)、あとは皆兄弟であるから。
23:9 また地上の者を『父』と呼んではならない。あなた達の父はただ一人、天の父上(だけ)であるから。
23:10 『師』と呼ばれてもいけない。あなた達の師はただ一人、救世主である。

23:11 あなた達のうちで一番えらい者が召使になれ。
23:12 だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう。

塚本訳 ヨハ 5:41-44
5:41 (こう言うのは、自分を認めてもらいたいからではない。)わたしは人間の名誉などほしくない。
5:42 しかし(それをほしがる)あなた達は、心の中に神に対する愛を持たない
。わたしはそれを知っている。
5:43 (その証拠には、)わたしが父上の権威で来たのに、あなた達はわたしを受けいれず、だれかほかの人[偽救世主]が自分の権威で来れば、その人を受け入れるのである。
5:44 互に(この世の)名誉をやり取りして、ただひとりの神からの名誉を求めないあなた達が、どうして(わたしに対する)信仰をもつことが出来ようか。

塚本訳 ルカ 13:22-27
13:22 イエスは町々村々を通って教えながら、エルサレムへの旅行をつづけておられた。
13:23 するとある人が「主よ、救われる者は少ないでしょうか」と尋ねた。人々に言われた、
13:24 「全力を尽くして(今すぐ)狭い戸口から入りなさい。あなた達に言う、(あとになって)入ろうとしても、入れない者が多いのだから。

13:25 家の主人が立ち上がって戸をしめたあとで、あなた達が外に立って、『ご主人、あけてください』と言って戸をたたきつづけても、主人は、『わたしはあなた達がどこの人だか知らない』と答えるであろう。
13:26 その時あなた達はこう言い出すにちがいない、『わたし達はご一しょに飲んだり食べたりした者です。あなたはわたし達のところの大通りで教えてくださいました』と。
13:27 しかし主人は、『わたしはあなた達がどこの人だか知らない。『この悪者、みんな、わたしをはなれよ!』』と言うであろう。

塚本訳 ヨハ 21:18-22
21:18 アーメン、アーメン、わたしは言う、あなたは若い時分には、自分で帯をしめて、行きたい所へ行ったが、年を取ると、両手をのばして、ほかの人に帯をしめられ、行きたくない所へ連れてゆかれるであろう。」
21:19 このように言われたのは、ペテロがどんな死に方をして[十字架について]、神の栄光をあらわさねばならぬかを暗示されたのである。こう言ったあと、ペテロに、「わたしについて来なさい」と言われる。
21:20 ペテロが(ついて行きながら)振り返ると、イエスの愛しておられた弟子が(あとから)ついて来るのが見えた。この弟子は(最後の)夕食の時に、イエスの胸にもたれかかって、「主よ、あなたを売る者はだれですか」と言った者である。
21:21
ペテロはその人を見て、イエスに言う、「主よ、あの人はどうなるのでしょうか。」
21:22 イエスが言われる、「たといわたしが今度来るまで、あの人を生かしておきたいと思っても、それはあなたの知ったことではない。あなたは(ただ)わたしについて来ればよろしい。」 


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朝の黙想おわり。アーソウカ。「葬式はする」と言うことを律法的にとらえてはならない。葬式また伝道。何をすべきか大切な事は神が教えてくださる。最後にパウロに聞いてみよう。


塚本訳 エペ 5:15-21
5:15 だから、自分が如何歩いているか、愚か者のようでなく賢い者のように歩いているかを、よく注意せよ。
5:16 機会を(ねらい、充分に)利用せよ。今は時が悪いのであるから。
5:17 この故に分からず屋にならず、主の御意の何であるかを悟れ。
5:18 また『酒に酔うな』──これが放蕩(の始まり)である──むしろ御霊に満たされよ。(これに酔え。)
5:19 聖歌と讃美歌と霊の歌をもって互いに語り、心をもって主に歌いまた奏で、
5:20 事毎に私達の主イエス・キリストの名において父なる神に常に感謝せよ。
5:21 キリストを畏れて互いに服従し合え。

塚本訳 Ⅱテモ4:1-5
4:1 神の御前、また生者と死者を審かんとし給うキリスト・イエスの御前で、且つその(最後の日における)顕現とその(時うち建てられる)王国とをかけ、誓って(君に)命令する、
4:2 御言を宣べよ、折よくも折悪くも(たえずそのために)準備して居れ。寛容と教訓の限りを尽くして咎め、叱り、(また)諭せ。
4:3 というのは、(今に)人が健全な教えに我慢出来ず、自分の慾のままに先生を狩り集めて耳を擽(こそぐ)り、
4:4 真理に耳を背けて(つまらぬ)昔話に外れゆく時が来るからである
4:5 しかし君は何事にも真面目であれ、苦難に耐え、伝道者の仕事を為し、君の職務を全うせよ。

●豪雨の中を集会に行く。集会は川上(司会)、宮崎(スペインの旅)、横田(十字軍)
●集会の最後の報告で杉崎孝さんが101歳で召されたことをお嫁さんのご報告をお取次ぎした。眠っているうちに逝くことの素晴らしさを語った。お嫁さんから「嫁孝行の父でした」と告白されたことを話した。私も家人(妻)にそうありたいとも言ったら、ある若い夫人が「むずかしいのではないか」と首をかしげたので、集会が終わってからその人に近よって文句を言ったら「100歳まで生きるのは無理じゃーないのかしらという意味だったのです」と弁解した。よーし、見ていろ。百歳まで生きてみせる。●14:00 秋川流域合唱祭。トミ子が出演。こーらすもでらあと。高橋京子先生の隣で鑑賞。今村さんに会う。秋川混声のフォーレは貫禄。各団体とも水準が上がった。


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秋川流域合唱祭。キララホール


●トミ子と図書館に寄って痛風の食事療法に関する本を3冊借りる。
●中学校の時の恩師、家近安輝子先生のエッセー「イマジョリーを求めて」を借りる。聖書への言及が沢山出てくる。

 

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長寿キリスト者、理想の晩年 ++++++++ 所感

2014/06/21 05:12

160621(土)キリスト者の皆様お早うございます。●一昨日、集会の杉崎孝様が101歳のご高齢で突然召されました。ここ数年はお住まいの千葉県流山市が御遠方なので、東京聖書読者会にはお見えにならず、近くの無教会主義集会の御夫人の集まりに出ておられました。●パソコン日記で「杉崎孝」をヒットすると沢山出てくる●2001年6月7日に(88歳)には私のパソコンでの聖書勉強の方法を見学に御遠方を拙宅にお越しになられました。そのとき「19年前に逝った妻は来世で自分の顔を覚えているだろうか」、と妻に語ったという●2007年11月28日(94歳)には私が杉崎さんの家にお伺いして聖書勉強のための各種ソフトをインストールした。お嫁さんの純子さんが「お父様、これで120歳ぐらいまで勉強が出来ますね」と言われた。●2007年3月25日(94歳)東京聖書読者会付属の「若者の聖書勉強会」の最終回まで、後進のためにご出席くださった。●2008年3月2日、各種英訳聖書の年代をお聞きになってこられ、「聖書の翻訳比較は面白い」と●東京高校で関根正雄、森有正と同期で秀才の三羽烏であった。最後まで聖書勉強に余念なく、69歳の時に御夫人に先立たれてからは、次男のところに同居されていましたが、お嫁さんの話では「義父(ちち)はいつも聖書勉強ばかりで、世話がかからず、とても嫁孝行でした」と感謝しておられました。●去る6月19日午前7時半、いつもの時間に起きて来ないのを不思議に思われたお嫁さんが部屋を覗きに行くと冷たくなっておられたという。人は一人で生まれてきて一人で神のところに帰るのだ。塚本先生、カールバルト、ヒルティも一人で旅だった。長寿キリスト者の鏡とすべき老後であった。●今朝は杉崎さんのことを思いながら頭に浮かぶ聖句を掲げて見よう。

口語訳 申 34:7-8
34:7 モーセは死んだ時、百二十歳であったが、目はかすまず、気力は衰えていなかった
34:8 イスラエルの人々はモアブの平野で三十日の間モーセのために泣いた。そしてモーセのために泣き悲しむ日はついに終った。


● 杉崎さんは最後まで「目はかすまず、気力は衰えていなかった」。いわゆる認知症(ボケ)にならなかったのは最後までいろいろなことに興味を持ち、特に聖書勉強に打ち込まれたからであろうと思われる。
●2007年11月28日(94歳)には私が杉崎さんの家にお伺いして聖書勉強のための各種ソフトをインストールした。お嫁さんの純子さんが「お父様、これで120歳ぐらいまで勉強が出来ますね」と言われた

口語訳 詩  1:1-3
1:1 悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。
1:2 このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。
1:3 このような人は流れのほとりに植えられた木の/時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。


●杉崎さんは最後まで聖書を熱心に読まれました。

口語訳 詩  90:3-10
90:3 あなたは人をちりに帰らせて言われます、「人の子よ、帰れ」と。
90:4 あなたの目の前には千年も/過ぎ去ればきのうのごとく、夜の間のひと時のようです。
90:5 あなたは人を大水のように流れ去らせられます。彼らはひと夜の夢のごとく、あしたにもえでる青草のようです。
90:6 あしたにもえでて、栄えるが、夕べには、しおれて枯れるのです。
90:7 われらはあなたの怒りによって消えうせ、あなたの憤りによって滅び去るのです。
90:8 あなたはわれらの不義をみ前におき、われらの隠れた罪をみ顔の光のなかにおかれました。
90:9 われらのすべての日は、あなたの怒りによって過ぎ去り、われらの年の尽きるのは、ひと息のようです。
90:10 われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。

●杉崎さんは101歳でしたからご長命でした。しかしここ2~3年お会いできませんでしたから、文字通り「飛び去られた」という感じである。

口語訳 創  5:21-24
5:21 エノクは六十五歳になって、メトセラを生んだ。
5:22 エノクはメトセラを生んだ後、三百年、神とともに歩み、男子と女子を生んだ。
5:23 エノクの年は合わせて三百六十五歳であった。
5:24 エノクは神とともに歩み、神が彼を取られたので、いなくなった


●杉崎さんは神と共に歩まれて、神が取られたので「いなくなった」という感じが心にピタリと来る。



塚本訳 ルカ 23:46
23:46 その時イエスは大声をあげて言われた、「
お父様、』わたしの霊をあなたにおあずけします。』」こう言われるとともに、息が絶えた。

2004年4月25日(91歳)の時の日記には次のように書いてある。


 帰途、杉崎さんと「ユーハイム」で懇談。私の感話プリント(4月4日「母の死と神の慰め」)を読まれた感想を話してくださった。人の最期は日本では「息を引き取る」というが諸外国は「息を吐き出す」ということになっている事を言語学的に教えてくださった。母の最期は息を吐き出した。イエスは最後に「わたしの霊を御手にゆだねます(ルカ23 46)」と言ったので、これもやはり命は出て行くという概念だと教えられた。それから「キリストを信じないで死んだ人」にも神の救いの手が及ぶことについて。「キリストは昔いまし、今いまし、永遠に生きておられるお方」だからということ。「陰付(よみ)にくだり」ということについて。


塚本訳 Ⅰテサ4:16
4:16 何故なら、(その時)主自ら号令と御使いの頭の声と神のラッパ(の響き)と共に天から下り給うて、キリストにおいて死んだ死人がまず復活し


●2011年12月16日(98歳)の時の日記は次のように書いてある。

●14:00 98歳の杉崎孝さんが「有体的復活」の拙稿(下記URL)

http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/guno-sisukeikou.htm


を熟読して下さり、転換ミスや聖書引用の誤りを数カ所指摘して下さった。驚くべき聖書人間。「サウイフモノニワタシハナリタイ」(宮澤賢治、アメニモマケズ)●またまた「有体的復活にピンとくる人が現われて感謝。

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朝の黙想おわり、礼拝終わり。これで明後日の杉崎孝告別式の式辞の準備ができた。
 


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人間、ハラハラと涙を流す時は必ず来る ++++++++ 所感

2014/06/20 06:23

160620(金)4時半目覚め。キリスト者の皆様お早うございます。●今朝は「人間、ハラハラと涙を流す時は必ず来る」と言うことを聖書的に見てみよう。それは人生の失敗、あっちこっち引っかかってなお幸福が得られなかった人間が、自分の罪が原因であることに気づいて悔いる崇高な時である。この崇高なことはどうして起こるのかその理由は人間にはわからない。それは「神の時」なのだ。

塚本訳 マコ 4:26-29
4:26 また言われた、「神の国はこんなものだ。──ある人が地に種を蒔き、
4:27 夜昼、寝起きしていると、種は芽生えて育ってゆくが、本人はその訳を(すら)知らない
4:28 (すなわち)地はひとりでに実を結ので、初めに茎、次に穂、次に穂の中に熟しきった粒ができる。
4:29 実が熟すると、すぐに『鎌を入れる。刈入れ時が来たのである。』」

●人間は崇高な存在だから、牧師の説教や、ヒューマニストの批判や、親の小言では回心しない。神があの手この手で「ウマーク」救いに導いてくださる。
●人生に失敗し、ハラハラと泣いた人間の例を三つ見てみよう。これらは皆「神の時」、恩恵の時、「悔い改め」の尊い崇高な時である。このような人は常人より先に天国に迎えられる。

塚本訳 ルカ 15:21-24
15:21 息子は父に言った、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。もうあなたの息子と言われる資格はありません。……』
15:22 しかし父は(皆まで聞かず)召使たちに言った、『急いで、一番上等の着物をもって来て着せなさい。手に指輪を、足にお靴をはかせなさい。
15:23 それから肥えた小牛を引いてきて料理しなさい。みんなで食べてお祝いをしようではないか。
15:24 このわたしの息子は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。』そこで祝賀会が始まった。

●この父親は偉かった。生前贈与で金を握った息子が放蕩することは内心不安に思っていたのだろうが、本人が気づくまで待っていた。「可愛い者には旅をさせよ」。

塚本訳 ルカ 7:36-38
7:36 (シモンという)ひとりのパリサイ人が一しょにお食事をと願ったので、そのパリサイ人の家に入って食卓に着かれた。
7:37 すると、その町に一人の罪の女がいた。イエスがパリサイ人の家で食卓についておられることを知ると、香油のはいった石膏の壷を持ってきて、
7:38 泣きながら後ろからイエスの足下に進み寄り、しばし涙で御足をぬらしていたが、やがて髪の毛でそれをふき、御足に接吻して香油を塗った。

塚本訳 ルカ 7:45-50
7:45 あなたは接吻一つしてくれないのに、この婦人はわたしが(この家に)来たときから、わたしの足に接吻のしつづけである。
7:46 あなたは(普通の)油をすら頭に塗ってくれないのに、この婦人は(高価な)香油を足に塗ってくれた。
7:47 だから、わたしは言う、この婦人の多くの罪は赦されている。(いま)多くわたしを愛したのがその証拠である。赦され方の少ない者は、愛し方も少ない。」
7:48 そしてその女に言われた、「あなたの罪は赦されている。」
7:49 同席の者が(憤慨して)ひそかに考えた、「罪さえ赦す(という)この人はいったい何人だろう。」
7:50 しかしイエスは女に言われた、「あなたの信仰があなたを救った。『さよなら、平安あれ。』」


●37節、「罪の女」とは、水商売の女、娼婦、新宿歌舞伎町、や札幌ススキノなどの「いかがわしい」ところで働く「きたないい女」’(ルカ15:20塚本訳)のような親戚一同世間、教会!からつまはじきされ毛嫌いされる人間。あーイエスはそういう人を救った。ここに望みあり。
●38節、この「罪の女」の涙の理由は何か。
●47,48節。「罪」の悔い改めである。崇高な時であった。しかも神の赦しが悔い改めに先行している。

塚本訳 ルカ 23:39-43
23:39 磔にされている罪人の一人がイエスを冒涜した、「お前は救世主じゃないか。自分とおれ達を救ってみろ。」
23:40 するともう一人の者が彼をたしなめて言った、「貴様は(このお方と)同じ(恐ろしい)罰を受けていながら、それでも(まだ)神様がこわくないのか。
23:41 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる。」

●39節。人間のこしらえた法律によれば「罪人」(ざいにん)は親戚一同、世間、マスコミからは叩かれる。しかしこの「罪人」は人生の最後の瞬間に、自分の非でこうなったことを自覚して心が砕けた。これでいいのだこれがいいのだ。これが「神の時」である。
●43節。神の子イエスはこれを喜んだ。その神の子イエスも罪人として磔にされたと言うのだから、あー人間の「イエス殺し」は人類総体の罪の現れた。神の救いの気高く崇高なことよ。

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朝の黙想、瞑想、礼拝おわり。来れ、罪を犯して人生を失敗してハラハラと涙する者。それは救いへの門、成功の人生が待っている。

塚本訳 マタ 6:12-15
6:12 罪を赦してください、わたしたちも罪を犯した人を赦しましたから
6:13 わたしたちを試みにあわせないで、悪から守ってください。
6:14 (祈る前に、まず人の罪を許さねばならない。)あなた達が人の過ちを赦してやれば、天の父上もあなた達を赦してくださるが、
6:15 人を赦さないならば、父上もあなた達の過ちを赦してくださらないであろう。


●6:30 これからワールドカップ、ギリシ戦を見ようとするが、日本が一丸となって高揚する姿を見て、第二次世界大戦の戦勝祈願の心もこういうものではなかったのかなーと思う。あの時はキリスト教界も戦勝祈願した。人間世界の「業」。
●池谷医院、市民健診、大腸がん、前立腺がん。体重は減量努力の結果、一年前より6.6㎏減。
●伊藤整形外科。左足甲のむくみと指の痛みは「痛風」。「痛風の食事療法」の本を読めと言われた。対処の仕方は妻が心得てくれた。
●TSK日本語版詩編126篇
●ワールドカップサッカー。ギリシャと引き分け。ベスト16進出は難しくなった。「負けたり」「失敗する」のもおめでとうだ。
●暑いので扇風機を出した。

●20:00 集会の杉崎孝様が101歳で召されたと御遺族からご連絡を頂いた。故人の遺言で告別式は無教会式で高橋にやってもらいたいとの事。式は6月23日12:30。委細は明日葬儀社と私が相談。晩年は次男の家におられたが、そのお嫁さんと電話。「義父は嫁孝行の義父でした」とは前から伺っていたが、死に方も周りに迷惑をかけなかったという。いつもの時間に起きて来なかったので部屋に行くと冷たくなっておられたという。素晴らしい凱旋であった。塚本先生、バルト、ヒルティに似ている。私もかくありたい。
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三位一体の神。その命の輝き ++++++++ 所感

2014/06/19 06:32

140619(木)キリスト者の皆様お早うございます。●夜半に与えらええた言葉は「三位一体の神。その命の輝き」です。いささか神秘主義的になりますが、人の究極の喜びは神の霊との交わりに行きつくことだと信じます。●聖書ではそのことをこの世の言葉で比喩として暗示しています。●神秘主義的傾向はカールヒルティにも見られますが、それは聖書の神髄だと思います。今朝はその「命の輝き」と「喜び」に関して思いつくままに聖句を掲げてみます。体験経験した人にはわかってもらえると思います。霊の言葉は霊的に解釈していただきたいと思います。

塚本訳 Ⅰコリ2:6
2:6 こうは言うものの、(霊的に)成人した人たちの前では、わたし達も知恵を話す。ただそれはこの世の知恵でも、やがて滅びるこの世の支配者ども(すなわち悪魔の手下)の知恵でもない。

塚本訳 Ⅰコリ2:14
2:14 しかし(御霊を持たない)生まれながらの人間は、神の霊から出てくることを受け入れない。彼にはそれが馬鹿なことなのである。またそれを理解することも出来ない。(霊のことは)霊的に判断されねばならないからである。

塚本訳 ヨハ 3:34
3:34 神がお遣わしになった方は神の言葉を話される。神は(その方に)いくらでも霊をお与えになるからである。


塚本訳 ヨハ 6:63
6:63 霊が命を与える。肉はなんの役にも立たない。いまわたしがあなた達に話した言葉は、霊である。だから、命である。

塚本訳 ヨハ 4:13-14
4:13 イエスは答えられた、「この(井戸の)水を飲む者はだれでもまた渇くが、
4:14 わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」

塚本訳 ヨハ 7:37-38
7:37 祭の最後の大際の日に、イエスは立って叫ばれた、「渇く者はわたしの所に来て飲みなさい。
7:38 わたしを信ずる者は、聖書が言っているように、『そのお腹から、清水が川となって流れ出るであろう。』

塚本訳 ヨハ 4:10
4:10 イエスは答えられた、「もし神の(賜わる最上の)賜物が何であるか、『飲ませてくれないか』と(今)あなたに言っている者がだれであるかがあなたにわかっていたら、あなたの方からその人に頼み、その人があなたに清水[命の水]を与えたであろうに。

塚本訳 ヨハ 16:22
16:22 だから、(同じく)あなた達にも今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなた達に会うのだから、(その時)あなた達の心は喜ぶであろう。そしてあなた達からその喜びを奪う者はだれもない。

塚本訳 ヨハ 8:12
8:12 (同じ大祭の日に、)イエスはまた人々に語られた、「わたしが世の光である。わたしに従う者は、決して暗やみを歩かない。そればかりか、命への光を持つことができる。」


塚本訳 ヨハ 3:5
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。


塚本訳 ヨハ 9:5
9:5 世におる間、わたしは世の光である。」


塚本訳 ヨハ 11:9
11:9 イエスが答えられた、「(心配するな。わたしが神に命ぜられた務を果す時までは、だれもわたしに手を下すことはできない。)昼間は十二時間あるではないか。人は昼間歩けば、つまづくことはない。この世の光(太陽)が照らしているからだ。

塚本訳 ヨハ 12:36
12:36 光のある間に光を信じて、光の子になりなさい。」、こう話すと、イエスは(そこを)立ち去って、彼らから姿をお隠しになった。(イエスの伝道はこれで終ったのである。)

塚本訳 ヨハ 13:1-2
13:1 過越の祭の前、イエスはこの世から父上の所に移ってゆく時が(ついに)来たことを知って、この世で愛された弟子たちを、最後の瞬間まで愛しぬかれた。──
13:2 (祭の前日の)夕食のとき、すでに悪魔はシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを売ろうとする考えを吹き込んだ。

塚本訳 ヨハ 13:7-8
13:7 イエスが答えて言われた、「わたしが何をしているのか、いまはあなたにわからない。(わたしがいなくなった)あとでさとるだろう。」
13:8 ペテロが言う、「わたしの足は、いつまでも絶対に洗わないでください。」イエスは答えられた、「わたしが(足を)洗ってやらないなら、あなたはわたしとなんの関係もない人だ。」

塚本訳 マタ 13:44
13:44 天の国は畑に隠されていた宝に似ている。人がそれを見つけると、(またそこに)隠しておいて喜んで立ち去り、持っているものをみな売って、その畑を買うのである

塚本訳 ヨハ 6:68
6:68 シモン・ペテロが答えた、「主よ、(あなたを離れて)だれの所に行きましょう。永遠の生命の言葉はあなただけがお持ちです(から)。

塚本訳 ヨハ 14:5-10
14:5 トマスが言う、「主よ、どこへ行かれるのか、わたし達にはわかりません。どうすればその道がわかるでしょうか。」
14:6 イエスは言われる、「わたしが道である。また真理であり、命である。(手段であると同時に目的であるから。)わたしを通らずには、だれも父上の所に行くことはできない。
14:7 しかしあなた達はわたしがわかったのだから、わたしの父上もわかるにちがいない。いや、いますでに父上がわかっており、また父上を見たのである。」
14:8 ピリポが言う、「主よ、どうかわたし達に父上を見せてください。それでたくさんです。」
14:9 イエスは言われる、「ピリポ、こんなに長い間一しょにいるのに、あなたはまだわたしがわからなかったのか。(父上とわたしとは一つである。)わたしを見た者は父上を見たのだ。どうして『父上を見せてください』と言うのか。
14:10 わたしが父上の中に、父上がわたしの中におられることを、あなたは信じないのか。わたしがあなた達に言う言葉は、自分で勝手に話すのではない。(またわたしがする業は、)いつもわたしの中におられる父上が御業をされるのである。

塚本訳 ヨハ 8:51-52
8:51 アーメン、アーメン、わたしは言う、わたしの言葉を守る者は(わたしに名誉を帰する者で、決して裁かれない。だから)永遠に死なない。」
8:52 ユダヤ人が言った、「今こそ悪鬼につかれていることが(はっきり)わかった。アブラハムも死に、預言者たちも死んだのに、君は『わたしの言葉を守る者は永遠に死なない』と言う。


塚本訳 ヨハ 11:26-27
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」
11:27 イエスに言う、「はい、主よ、(信じます。)あなたが救世主で、神の子で、世に来るべき方であると、私は信じています。」

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朝の黙想、礼拝おわり。真の幸福は三位一体の神の霊と共にあることだ。
 
●左足の指が痛むので伊藤整形外科に行くも、休診日。ATM、図書館、ルピアと自転車で回って帰宅。「痩せたわねー」言われたので「そんなに褒められると恥ずかしくて穴があったら入ってアナゴを食べたい」と言ったら「今日のギャグはグー」と言われた。
●TSK日本語版詩編125篇
●9月7日の「すずめの会」感話準備。
●NHKアーカイブス「名建築100選」後編を見る。日本の木造建築は感性、技術、精神性共に世界最高だと思った。前編でやったコルビジェ、ミースの住宅は自然との共生がよい。しかしこれは日本のお家芸である。京都の大徳寺の茶室の方が水準が高い。




















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あこがれの人とは結ばれないものだ ++++++++ 所感

2014/06/18 09:21

140618(水)キリスト者の皆様、お早うございます●夜半の啓示「あこがれの人とは結ばれないものだ」。それは恩恵。なぜか。「あこがれ」というのは肉の思いだからだ●このところ中学一年の時の恩師で、故人になられた家近安輝子(アキコ)先生の自叙伝を読んでいるが、「あこがれの人」と結ばれなかったことが書かれてあった。以下「 」内は本文引用のまま。●安輝子先生は「お互いに結婚してもいいと思っていたが、いろいろあって結婚はしなかった。彼は63歳で亡くなったが、結婚しなかった分、良い思い出を余韻として残してくれた。」●安輝子先生ご自身は医者(故人)と「よく確かめもせず結婚した。お見合いしたとき、モーツァルトが好きだと言ったが「ジュピター」一曲しか聞いたことがなく、『神経質だ』と言ったくせに、泥やゴミや食べこぼし、本、ノートの散らかし方はハンパじゃない。母は私が病気をするたびに『本当のお医者様に診てもらいなさい』と言った。」●年譜から推測して安輝子先生が「うつ病」になられて聖書を熱心に読まれるようになられたのはこの「あこがれの人」が63歳で亡くなられてから間もなくのことであった。●思うに人には誰でもその青春の時代にあこがれの人がいるものだ。しかしなぜか「いろいろあって」それは実を結ばない。そして現実を見ると不平不満だらけの伴侶が目の前にいるのが共通の現実である。●そしてあの憧れの人と結ばれていたらどんなにか幸福であったろうにと思うものだ。●私は言う。「NO!」。あこがれの人と結婚していたら不幸になるのだ。憧れは肉の思いだからだ。もし運よく憧れの人と結婚できても結婚生活の途中で神はその憧れというものを破壊する。神は人間同士の「愛」を裂く。家庭を崩壊させる。これでいいのだこれが神の御心だ。そして神のもとにある「永遠の愛」「不平不満のない愛」「真の安らぎ」「永遠の命」を与えてくださる。●恋愛は2年で冷める。結婚は生活だ。夫や妻は隣人。十字架だ。●「神抜き」で結婚した家庭は「必ず崩壊する」。それは神の栄光が上がるためである。神の手である。結婚、家庭団らんは最終的な幸福ではない。至福ではない。霊の喜びではない。それは肉の喜びだ。パウロの結婚観は次の通りだ。

塚本訳 Ⅰコリ7:26-28
7:26 それで、わたしの考えでは、患難が目の前に迫っているのだから、これがよろしい、すなわち人は現状維持がよろしい。
7:27 あなたはすでに妻に縛られているのか。解くことを求めるな。妻に結ばれていないのか。妻を求めるな。
7:28 しかしたといあなたが結婚したからとて、罪を犯したことにはならない。またたとえ処女が結婚しても、罪を犯したことにはならない。しかしこんな人たちは、肉体に苦しみがあるにちがいない


塚本訳 Ⅰコリ7:29-31
7:29 兄弟たちよ、わたしが言うのはこのことである。──時は迫った。(だから)今から後は、妻を持つ者は持っていない者のように、
7:30 泣いている者は泣いていない者のように、喜んでいる者は喜んでいない者のように、(物を)買う者は(何も)持っていない者のように、
7:31 (つまり、)この世と交渉のある者は交渉がない者のように、しなくてはいけない。この世の姿は(じきに)消え去るのだから。

塚本訳 Ⅰコリ7:32-35
7:32 ただわたしはあなた達が、(この世のことに)気をつかわないでほしいのである。独身の男は、どうしたら主に喜ばれるかと、主のこと(ばかり)に気をつかうが、
7:33 結婚している男は、どうしたら妻に喜ばれるかと、この世のことに気をつかって、
7:34 心が割れるのである。また独身の女と処女とは、身も霊もきよくあろうとして、主のこと(ばかり)に気をつかうが、結婚している女は、どうしたら夫に喜ばれるかと、この世のことに気をつかうのである。
7:35 しかしこれはあなた達自身の利益のために言うのであって、(もちろん)罠に掛け(て束縛す)るのではなく、むしろあなた達が品位を保つため、かつまた、余念なく主のもとにあって動かされないためである。

塚本訳 Ⅰコリ7:1-4
7:1 また、あなた達が(わたしに)書いている(結婚の)ことについては、(こう答える。)──(出来れば)男は女に触れないがよい。
7:2 ただ不品行をさけるために、それぞれ自分の妻を持て、またそれぞれ自分の夫を持て。
7:3 夫は妻に対して(夫婦の)務めを果たせ、妻も同様に夫に対して務めを果たせ。
7:4
(夫婦の体は共有で、)妻は自分の体を自由にする権利をもたない。夫がそれをもっている。夫も同様に、自分の体を自由にする権利をもたない。妻がそれをもっている。

塚本訳 Ⅰコリ7:8-11
7:8 しかし独身の者および寡婦に言う、もしわたしのようにして通すならば、それが(一番)よい。
7:9 しかし自制ができないのなら、結婚せよ。情欲に燃えるより、結婚する方が善いからである。
7:10 しかし結婚した者に命ずる、命ずるのはわたしではなく主である。
妻は夫と別れてはならない。
7:11 ──しかし別れたのなら、独身でいるか、夫と仲直りをせよ。──夫も妻と離婚してはならない。


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朝の黙想、礼拝終わり。塚本先生は信仰の非常に深い女性を多く生み出したが、同時に結婚しない女性も多く生み出された。

●安輝子先生の「あこがれの人」は生涯独身。シュトルムの小説「みずうみ」を思う。老年になった主人公ラインハルトの部屋には若き日の恋人のシルエットが掲げてある。彼らは「いろいろあって」結ばれなかった。夕やみ迫った部屋で彼は「エリーザベト!」と低くつぶやく。すると場面は一転して彼らの若き日に戻る。
●結婚2年3か月で夫人に先立たれ二人の子供を遺された塚本虎二先生はその後生涯独身。晩年の先生の写真の背後の書棚にはその夫人の若き日の写真が掲げられている。先生は「妻は死をもって自分に信仰という杖を与えてくれた」と言っておられる。夫人の死なくして塚本虎二なし、無教会主義なし、私の信仰なし。
●夫人の死は「一粒の麦」。人は信仰に熱心になっても修道院に入らなくてよい。普通の家庭で普通の主婦でよい。「置かれたところで咲きなさい」とはカトリックシスターの渡辺和子の言葉。
●内村鑑三の「いかにして我が天職を知らんか」の中で「貧家の良妻」とか「平民の伝道師」というのは神に似たる高貴な仕事だと言っている。
●妻は朝から今井館へ。今日は今井館ウィークデーの集い。帰宅後夕食時に今日の話の内容を聞く。最近は結核が減らないと言うこと。1940年代に流行ったのでそのころ生まれた人は要注意との事。私も妻も該当する。


 



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死別の悲しみと再会の喜び ++++++++ 所感

2014/06/17 05:41

140617(火)キリスト者の皆様、お早うございます。●昨日は実に悲しいことが起こりました。それは中学一年の時の担任の恩師、家近安輝子先生は昨年10月24日ににお亡くなりになっていたことを知ったからです。ご長男のIJ氏に先生の消息を伺ってそれを知ったのです。●今先生の自叙伝と言うべきものを読んでいる最中で、それによれば、先生は35歳の時にカトリックになられましたが、後年うつ病になられたことがきっかけで聖書を深く読むようになられました。このことが私の琴線に触れ、本を読みながらメモを取って、読み終わったら先生に感動のお手紙を差し上げようと思っていた矢先のことでした。もうそれは出来ない、呼べど答えず、と思うと非常なる寂寥感、悲しみ、淋しさ、空しさに襲われました。地上のいかなるものにも慰められない、人間の言葉で慰められようとしないこの悲しみ。これは特に愛する者を失うという体験をした人でなければわからないことであろう。●先生は御主人との関わりでカトリック教会に籍を置いていましたが、信仰が深められたのはどうやら「うつ病」が原因のようです。私はこれに非常に打たれました。●家近先生とその自叙伝との出会いの喜びについては、去る14日と15日のブログに書いた。しかし喜びから一転、急に悲しみに突き落とされた。人生で悲しいことと言って愛する人との死別以上のことはあろうか。●昨夕は御遺族のご長男(IJ氏)とかなり長く家近先生(IJ氏にとっては御母堂)の思い出を語り合った。氏は「母が生きていたら、高橋さんとお話しすることを大変喜んだでしょう」と言った。私は「仕方がない。天国で会います」と苦しい胸の内を絞りだした。●かってOYさんから「子供が死んだら慰めてあげるわ」と言われたことがある。彼女の子供は地上に生まれないうちに神に取られた。以後OYさんには子供は与えられなかった。死別の悲しみを慰めることが出来るのは「同質の悲しみ」を経験した人のみ。●そこで今朝は聖書に慰めを得るために「死別の悲しみと再会の喜び」に関する箇所を探ってみよう。思いつくまま、順不同。


口語訳 民  20:29
20:29 全会衆がアロンの死んだのを見たとき、イスラエルの全家は三十日の間アロンのために泣いた。                                                          

口語訳 申  34:8
34:8 イスラエルの人々はモアブの平野で三十日の間モーセのために泣いた。そしてモーセのために泣き悲しむ日はついに終った。

塚本訳 ロマ 12:15
12:15 喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣け

塚本訳 ルカ 7:12-15
7:12 町の門の近くに来られると、ちょうど、ある独り息子が死んで、(棺が)舁き出されるところであった。母は寡婦であった。町の人が大勢その母に付添っていた。
7:13 主は母を見て不憫に思い、「そんなに泣くでない」と言って、
7:14 近寄って棺に手をかけ──担いでいる者は立ち止まった──「若者よ、あなたに言う、起きよ!」と言われた。
7:15 すると死人が起き上がって物を言い出した。イエスは『彼を母に渡された。』

口語訳 Ⅱ列 4:32-37
4:32 エリシャが家にはいって見ると、子供は死んで、寝台の上に横たわっていたので、
4:33 彼ははいって戸を閉じ、彼らふたりだけ内にいて主に祈った。
4:34 そしてエリシャが上がって子供の上に伏し、自分の口を子供の口の上に、自分の目を子供の目の上に、自分の両手を子供の両手の上にあて、その身を子供の上に伸ばしたとき、子供のからだは暖かになった。
4:35 こうしてエリシャは再び起きあがって、家の中をあちらこちらと歩み、また上がって、その身を子供の上に伸ばすと、子供は七たびくしゃみをして目を開いた。
4:36 エリシャはただちにゲハジを呼んで、「あのシュネムの女を呼べ」と言ったので、彼女を呼んだ。彼女がはいってくるとエリシャは言った、「あなたの子供をつれて行きなさい」。
4:37 彼女ははいってきて、エリシャの足もとに伏し、地に身をかがめた。そしてその子供を取りあげて出ていった。

塚本訳 ヨハ 11:43-44
11:43 こう言ったのち、大声で、「ラザロ、出て来い」と叫ばれた。
11:44 死人が手足を包帯で巻かれたまま、(墓から)出てきた。顔は手拭で包まれていた。イエスは「解いてやって(家に)帰らせなさい」と人々に言われた。

塚本訳 ルカ 8:52-55
8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。」
8:53 人々は死んだことを知っているので、あざ笑っていた。
8:54 しかしイエスは女の子の手を取り、声をあげて「子よ、起きなさい!」と呼ばれると、
8:55 霊がもどって、即座に女の子は立ち上がった。イエスは(何か)食べさせるように言いつけられた。


塚本訳 使  9:39-40
9:39 ペテロは立って二人と一緒に行った。(ヨッパに)着くと、人々はペテロを二階の部屋に案内した。寡婦たちが皆彼のそばによって来て、ドルカスがまだ一緒にいたとき作ってくれたかずかずの下着や上着を、泣きながら見せた。
9:40 ペテロはみんなを外に出し、ひざまずいて祈った。そして死体の方を向いて、「タビタ、立ちなさい!」と言った。すると彼女は目をあけ、ペテロを見て起きあがった。

塚本訳 ヨハ 11:32-40
11:32 マリヤはイエスのおられる所に来ると、イエスを見るなり、足もとにひれ伏して言った、「主よ、あなたがここにいてくださったら、わたしの・・わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。」
11:33 イエスはマリヤが泣き、一しょに来たユダヤ人たちものを見ると、(その不信仰を)心に憤り、かつ興奮して、
11:34 (マルタとマリヤに)言われた、「どこにラザロを納めたか。」二人が言う、「主よ、来て、御覧ください。」
11:35 イエスが涙を流された。
11:36 するとユダヤ人たちが言った、「まあ、なんとラザロを可愛がっておられることだろう!
11:37 しかし中には、「盲人の目をあけたこの人にも、このラザロが死なないように出来なかったのか」と言う者もあった。
11:38 そこでイエスはまたも心に憤りながら、(ラザロの)墓に来られる。墓は洞穴で、入口に石を置いて(ふさいで)あった。
11:39 「石をのけなさい」とイエスが言われる。死んだ人の姉妹のマルタが言う、「主よ、もう臭くなっています。四日目ですから。
11:40 イエスがマルタに言われる、「信ずれば神の栄光が見られると、(さきほども)あなたに言ったではないか。

塚本訳 ルカ 23:40-43
23:40 するともう一人の者が彼をたしなめて言った、「貴様は(このお方と)同じ(恐ろしい)罰を受けていながら、それでも(まだ)神様がこわくないのか。
23:41 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる
。」

塚本訳 マタ 2:17-20
2:17 その時、預言者エレミヤをもって言われた言葉が成就したのである。──
2:18 『声がラマに聞えた、──(ラケルの)』はげしい『わめきと、なげきの声である。ラケルはその子らのために泣くばかりで、慰められようとしない、子らがもういないので。
2:19 ヘロデが死ぬと、主の使いが夢でエジプトのヨセフに現われて
2:20 言った、「起きて、幼児とその母とを連れて、イスラエル(の民)の地に行け。その幼児の命をねらっていた者は死んだから。」

塚本訳 ロマ 8:38-39
8:38 なぜなら、わたしは確信している、死でも命でも、天使でも支配(天使)でも、現在起こっていることでも将来起こることでも、権力(天使)でも、
8:39 高い所のものでも低い所のものでも、その他どんな創造物でも、わたし達の主キリスト・イエスによる神の愛から、わたし達を引き離すことはできない。

塚本訳 Ⅰコリ15:54-56
15:54 そしてこの死滅すべきものが不滅を着、この死ぬべきものが不死のものを着たら、その時(聖書に)書いてある言葉が実現する。『死は(神の)勝利に飲みこまれてしまった。』
15:55 『死よ、どこに、お前の勝利は。死よ、どこに、お前の剣は』。
15:56 ──死の剣は罪である、罪の力(の源)は律法である。──

塚本訳 マタ 22:8-10
22:8 それから家来たちに言う、『宴会の用意はできているが、招いた人は(客たる)資格のない者(ばかり)だ。
22:9 だから町の出口の所に行って、出会った者をだれでもよいから宴会に呼んでこい。』
22:10 家来たちは道に出ていって、出会った者を悪人でも善人でも皆集めてきたので、宴会場は客で一ぱいになった。

塚本訳 ヨハ 16:21-23
16:21 女が子を産む時には、女の(宿命の)時が到来したので悲しみがあるけれども、子が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはや(お産の)苦しみを覚えていない。
16:22 だから、(同じく)あなた達にも今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなた達に会うのだから、(その時)あなた達の心は喜ぶであろう。そしてあなた達からその喜びを奪う者はだれもない。
16:23 その時には、(もはや)何事もわたしに尋ねる必要はない。アーメン、アーメン、わたしは言う、(その時)あなた達が父上に何かお願いすれば、わたしの名でそれをかなえてくださるであろう。

塚本訳 マタ 9:23-25
9:23 やがてイエスは役人の家に着いて、笛吹き男と騒いでいる群衆とを見ると、
9:24 言われた、「あちらに行っておれ。少女は死んだのではない、眠っているのだから。」人々はあざ笑っていた。
9:25 群衆が外に出されると、イエスは(部屋に)入っていって少女の手をお取りになった。すると少女は起き上がった。

塚本訳 Ⅰコリ15:3-5
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4
葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。

塚本訳 ヨハ 20:16-17
20:16 (こう言って、また墓の方を向いていると、)イエスが「マリヤ!」と言われる。マリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う。(そしてイエスに抱きつこうとした。)
20:17 イエスが言われる、「わたしにすがりつくな。まだ父上の所に上っていないのだから。わたしの兄弟たち(弟子たち)の所に行って、『わたしは、わたしの父上、すなわちあなた達の父上、わたしの神、すなわちあなた達の神の所に上る』と言いなさい。」

塚本訳 マタ 28:8-10
28:8 女たちは恐ろしいが、また嬉しくてたまらず、(中には入らずに)急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走っていった。
28:9 するとイエスがぱったり彼らに出合って、「お早う」と言われた。女たちは進み寄り、その足を抱いておがんだ。
28:10 するとイエスは女たちに言われる、「恐れることはない。行ってわたしの兄弟たち[弟子たち]に、ガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのだから。」

塚本訳 ヨハ 20:19-20
20:19 その日すなわち週の初めの日の晩であった。ユダヤ人を恐れて、弟子たちのおる部屋の戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスが(どこからともなく)はいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた。
20:20 そしてそう言いながら、手と脇腹とをお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ

塚本訳 ヨハ 20:27-29
20:27 それから(すぐ)トマスに言われる、「指をここに持ってきて、わたしの手(の釘の跡)をよく見てごらん。手を持ってきて、わたしの脇腹に差し込んでみなさい。不信仰をやめて、信ずる者らしくしなさい。」
20:28 トマスがイエスに答えて言った、わたしの主よ!わたしの神よ!」
20:29 イエスは言われる、「わたしを見たので、信じたのか。幸いなのは、見ないで信ずる人たちである。」

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朝の黙想、礼拝終わり。死の悲しみは復活の希望で癒される。「また会う日まで」


ee you again in heaven.

ill we meet again


●8:10出発 徒歩50分で「ななスキンケアクリニック」。優秀かつ良心的、次回は一か月後でよいという。大繁盛で待ち時間が長い。クリニックの建築が珍しいデザインなので、そのことを聞いた。「医院名」の「なな」は奥様の名前とラッキーセブンの意味を盛り込んだものだと言う。
●TSK日本語版詩篇123篇
●6.29と7.6の感話の準備
●妻は池之端のYさんの家から夕方は月本昭男先生の旧約講義。







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父の日のメッセージ ++++++++ 所感

2014/06/16 05:38

140616(月)キリスト信者の皆様お早うございます。昨日は「父の日」でこの私にも子供たちからメッセージがあり、感謝でした。このようなメッセージを頂けるのにも限りがあります。地上に生きているうちに与えられる恩恵の喜びです。その一人への返事を次のように書きました。

父の日のメッセージへの返事の一つ (一部変更)
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〇〇 様

〇〇 様

 

父の日を覚えてメッセージの言葉を賜り、心より感謝申し上げます。

そのうち、祖父の日、祖母の日が出来るのでしょうか。

 

口語訳   12:1

12:1 あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、

 

口語訳   17:6

17:6 孫は老人の冠である、父は子の栄えである。

 

集会の先輩の言葉

「両親が神を信じていれば子供は信仰を頂けます」

「照男さんが信仰を頂けたのはお父様の祈りがあったからですよ」

「母の祈りは聞かれます」

「親が一生懸命神に従えば、神はその両親が一番大切にしている子供に『よいもの』を授け
 て下さいます」

 

ご一家に神の「御栄」がありますように祈っています。

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父の日のメッセージへの返事の一つ (一部変更) 終わり


●目覚めの啓示。「権威のありか」●キリスト教会は分裂に分裂を重ね、少しも落ち着きがない。その分裂の「様はさながら細胞分裂のようである。そこで今朝は信者はどこに最終的な安らぎを得ることが出来るのか、それを歴史的経過を踏まえて聖書的に考えてみよう。

塚本訳 マタ 16:17-19
16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから。
16:18 それでわたしもあなたに言おう。──あなたはペテロ[岩]、わたしはこの岩の上に、わたしの集会を建てる。黄泉の門[死の力]もこれに勝つことはできない。
16:19 わたしはあなたに天の国の鍵をあずける。(だから)あなたが地上で結ぶことは(そのまま)天でも結ばれ、地上で解くことは(そのまま)天でも解かれるであろう。」


●これがカトリック教会の権威の原点である。
●カトリック教会にある落ち着きは「理性の安息」と「伝統」である。
●ヒルティは「カトリックの街は落ち着いている」とどこかで言っているが、2017.6.21 ザルツブルグの街を妻と早朝散歩してそれを感じた。

塚本訳 Ⅰコリ1:11-13
1:11 わたしの兄弟たちよ、あなた達の間に喧嘩があることを、クロエの家の者たちから知らせてきた。
1:12 もっとはっきり言うとこうである。──あなた達はめいめい、「わたしはパウロ(先生)に」、「わたしはアポロ(先生)に」、「わたしはケパ(先生)に」、わたしは(主)キリストに」と言っている。
1:13 救世主が分裂しているのか。
まさかパウロがあなた達のために十字架につけられたのではあるまい。それとも、(キリストでなく)パウロの名で、あなた達は洗礼を受けたというのか。


●教会の権威に反抗して誕生したプロテスタント教会は一人の法王を倒して百千の法王を生んだ。そして神の代わりに人間崇拝、神学崇拝が跋扈し、常に「わめき合い」「いがみあい」になっている。中には個人的な変な教派まがいのものが生まれ、長続きせず一代で消滅する。正に百鬼夜行である。
●これに嫌気をさして各国で無教会現象が起こった。英国はプレマスブレズレン、これは日本に伝えられて同信会となり、黒崎幸吉も矢内原忠雄も一時この派に属していた。米国ではクエーカーで日本ではフレンド派とも呼ばれ、三田にあるフレンド学園がそれである。私はその建築に関わったことがある。東欧の敬虔主義(ピエティスムス)はわが日本の無教会主義のルーツでもある。内村鑑三その信仰はここにあると自分でも言っている。私の私淑しているヒルティもこの派の一員だったらしい。聖書を重んじ、シナイ写本発見のチンチェンドルフを生み、確か聖書注解の王と言われたベンゲルもこの流れであったと記憶する。ローズンゲン(日々の光)と言う世界的に読まれている聖句集はこの派から出ている。

塚本訳 ヨハ 6:67-68
6:67 するとイエスが十二人(の弟子)に言われた、「まさか、あなた達まで離れようと思っているのではあるまいね。」
6:68 シモン・ペテロが答えた、「主よ、(あなたを離れて)だれの所に行きましょう。永遠の生命の言葉はあなただけがお持ちです(から)。

塚本訳 ヨハ 6:63
6:63 霊が命を与える。肉はなんの役にも立たない。
いまわたしがあなた達に話した言葉は、霊である。だから、命である。


塚本訳 Ⅱテモ3:16-17
3:16 聖句は悉く霊感されたもので、教訓に、訓戒に、矯正に、義の教育に益があり、
3:17 かくて神の人が完成し、あらゆる善い仕事をする準備が出来る。



●このプロテスタント教会内のいがみ合いに嫌気がさして日本でも無教会が起こったが、それを主唱した内村山脈の人間の死亡が起こると、パラパラとカトリックに走る現象が起きている。あー歴史は繰りかえす。しかし人間が真に安らぎを得るのは教会でも聖書でもない。それはあくまで手段、道、足場であって、究極の目的は三位一体の神の霊である。無教会の父祖たちはそれを指示しているのだ。それにはあくまで聖書それ自身に権威を求めてそれを熱心に読む(研究ではない)生活をすることだ。
●塚本先生が「無教会の姿」という無教会現象の実態を知ろうと手記を集めたことがあるが、それは本にまとまらなかった。しかし分かったことは「日本は文書伝道」で福音が伝承されるという事実であった。
●日本の識字率は高く、且つこれからはITの時代である。日本のキリスト教の活路はここにあると信ずる。

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朝の黙想おわり






















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病気は神の招き ++++++++ 所感

2014/06/15 06:33

140615(日)キリスト者の皆様、お早うございます。今朝は喜んでいただきたいことを話します。●中学校一年生の時の担任の先生がクリスチャンになっていたことを知ったのは昨日のことでした。そのことは昨日のブログの最後の部分をご覧ください。●これを知った私は昨日からうれしくてたまらず、また同時に福音は現代においてどのように伝わって行くのか、その典型的な例を知ることが出来ました。●著者の家近安輝子(アキコ)先生との出会いははわずか一年でしたが、印象が深く、その後私がキリスト者になった事をお手紙した時、私のことを懐かしまれて、先生と御一緒に写っている写真を取りだして見られたという御返事を頂いた。あれから50年以上の歳月が流れた。先生との交流はそれきりであった。私の胸からは消えていた。●ところが最近フト先生のことを懐かしく思い、ネットで先生のお名前を打つと御著書があり、その本を読むと、うつ病になられて聖書に出会ったことを知って喜んだ。●このことを巡って思いつくままに聖書を黙想してみよう。


塚本訳 ルカ 15:32
15:32 だが、喜び祝わずにはおられないではないか。このお前の弟は死んでいたのに生きかえり、いなくなっていたのに見つかったのだから。』」


●「人生の喜び」の中でこれは最高、最良のものではないか。
●知人のA氏が登戸学寮に入った時、クリスチャンの御母堂はA氏が東大に合格したことよりも喜ばれたという。この母にしてこの子ありだ。

塚本訳 マタ 4:24
4:24 そこでイエスの評判が全シリヤに広まり、人々がさまざまな病気や痛みに苦しむ病人、(中でも)悪鬼につかれた者、癲癇、中風の者を皆イエスのところにつれて来たので、それをなおされた


●病気、特に直りにくい心の病は「神の招き」。神の恩恵の「手」、神の手術の始まり。イエスのところには大勢の病人が連れてこられた。
●家近先生も病気で聖書と出会った。津田塾を出ておられるので聖書の少しは頭にあったのであろうが、御病気になられて深く読まれたらしい。高校の校長になるぐらいの知性の持ち主が聖書を深く読まれるようになったきっかけは「うつ病」であった。人間の医者は肉の病を癒せるが霊の病は癒せない。それが出来るのは造り主なる全能の神のみ。

塚本訳 使  8:29-31
8:29 御霊がピリポに、「行って、あの車にぴったりついて歩け」と言った。
8:30 ピリポが駈けよってゆくと、その人がイザヤ預言書を読んでいるのが聞こえたので、たずねた、「どうです、読んでおられるところが読めていますか。」
8:31 彼がこたえた、「だれかに手引をしてもらわねば、とてもわたしには読めません。」そして(車に)乗って一緒に坐ってもらいたいとピリポに頼んだ。


●家近先生はご病気になられた時、クリスチャンの友人(高校同期のNさん)が宗教書を差し入れた。先生はその中にある「聖書のことば」を少しづつノートに書き写すようになられた。福音は友人から伝わる。親子関係が良いと福音は子供に伝わる。母の祈りは聞かれる。
●美智子皇后が心を病まれた時、「生きがいについて」の著者、精神科医の神谷美恵子さんに来ていただいたという。 神谷さんの祈りやいかばかりであったであろう。
●宮中に聖書の話のために呼ばれたのは植村環牧師(植村正久の娘)。義宮は英語教師のヴァイニング夫人(クウェーカー教徒)の影響でクリスチャンになった。占領軍総司令官のマッカーサーは日本統治の計画の中で天皇の扱いについて賀川豊彦の意見を聞いた。すると賀川はスックと起立したという。これで昭和天皇の命は保たれた。塚本虎二は昭和天皇に内村鑑三について御進講した。そのあと昭和天皇は塚本虎二に「内村の説く無教会主義は世界の人に分かるのか」と尋ねられた。けだし名質問であった。

塚本訳 ヨハ 16:22-24
16:22 だから、(同じく)あなた達にも今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなた達に会うのだから、(その時)あなた達の心は喜ぶであろう。そしてあなた達からその喜びを奪う者はだれもない。
16:23 その時には、(もはや)何事もわたしに尋ねる必要はない。アーメン、アーメン、わたしは言う、(その時)あなた達が父上に何かお願いすれば、わたしの名でそれをかなえてくださるであろう。
16:24 いままであなた達は何一つわたしの名で(父上に)お願いしなかった。(わたしがまだ父上の所に行かなかったからである。しかし今は)お願いせよ、そうすれば戴ける。
あなた達の喜びが完全なものとなるためである。

●人の出会いとして最高のものは「聖書」。新約聖書は三位一体の神を指している。それに出会えればみじめな人生でも最高の人間、最高に幸福、最高に幸福な人生。最高の喜び。
 ●人は教会にではなく聖書に導かれるのが本筋。教会や集会はその手段。目的は聖書。しかし聖書も手段。奥殿は三位一体の神の霊。

塚本訳 ヨハ 5:39-40
5:39 あなた達は聖書(旧約)をもっていることが永遠の命を持っていることのように思って、それを研究している。ところがこの聖書は、(永遠の命である)このわたしのことを証明しているのに、
5:40 あなた達はその命を得るためわたしの所に来ようとしない。


●聖書は勉強ではない、研究ではない。これは「読む」ものである。
●聖書でメシを食ってはいけない。職業としてはいけない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想おわり。聖書は不思議なる方法で広まる。

●10:00 東京聖書読者会。横田淳(司会)、丹野(塚本虎二著「使徒信条」再臨、村上(申命記)
●12:50 荻窪で鈴木延子さんと会食。鈴木君逝って12年。2時間半思い出に何度も大笑いした。

2014_06150001.jpg 
建築設計の仕事の上での無二の親友であった鈴木忠昭君が逝って12年。
残された延子さん(左)と歓談。彼女は鈴木君が逝った後に鈴木君の御母堂の面倒を7年も見られた。立派である。二人のお子様、4人のお孫さんもおられる。延子さんは明日鈴木君の墓参りに行き、今日のことを報告すると言う。お互いに今後の生活のことを話し合った。


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霊魂の治療のために ++++++++ 所感

2014/06/14 06:11

140614(金)●キリスト者の皆様お早うございます。、特に十字架を負わされて呻いている方々の信仰が強くなるように自戒しつつ書きます。●明け方の啓示「霊魂の治療のために」。●現代の病に「依存症」がある。酒、たばこ、ギャンブル、金銭、異性、風俗、浮気、不倫、婚前交渉、夫婦の不和、子供の反抗、子供の非行、結婚に喜びを見いだせないための晩婚化、・・・・これらもろもろの精神的病は人間が神から離れているために「心の淋しさから刺激を求めて走る結果」である。これらの現象はあくまで結果であり、根は人がサタンに噛みつかれ体中に罪の毒素が回っていて本人もどうしようもなく苦しんでいるのだ。「心が渇いているのだ」「心に隙間風が流れているのだ」「淋しいのだ」悪魔が高笑いして勝利に酔っている。その声が霊に響く。クソッ!、いまにみておれ、神が倒す。●これは「集団的自衛権」や「憲法改正」の議論よりも深刻で急務の問題である。これらの議論の根には「罪」があるからだ。根を清めなければまた「渇く」。この世の完成では「渇き」は止まらない。●サタンに殺(や)られると、、家の人や家族親族を泣かせ、家庭崩壊という結果にいたる。現代の離婚率は25%から30%。もはや普通道徳では防げないどうしようもない現状である。この率はサタンに噛みつかれて体中に毒素が回っている数値。これを治療するにはイエスの流された血と言う言葉に象徴される。聖い霊の注入である。輸血である。●その霊魂の手術は人の目に不可能なことをも可能にする「神の手」「全知全能の神の力」による。人間の説教や叱責や道徳やヒューマニズムでは効き目がない。やれるものならやってみればよい。●救世主イエスは地上に降誕してこの霊魂の治療を行った。福音書はよくその言動を記録して伝えてくれた。●私たちは、これを読んで、そのキリストが復活されて現代の「病める魂」(ヒルティ)にも聖い霊を注いで多くの人を救っていることを知り、信仰を強め、くるぶしを強められるのである。●今朝も「聖書で聖書を読む」方法でその聖い霊を戴こう。こうして我々キリスト者の働きは全員がこの世で、その置かれた場所で十字架を負って「霊魂の治療」をする医者になるべきだ。●イエスの言動を思いつくままに掲げる。

塚本訳 ルカ 7:21
7:21 その時、イエスは多くの人の病気と苦しみと悪霊につかれているのとをなおし、多くの盲人を見えるようにしてやっておられたが、


塚本訳 ルカ 8:2
8:2 また悪霊や病気をなおしていただいた数名の女たち、すなわち、七つの悪鬼を追い出されたマグダラの女と呼ばれたマリヤと、

塚本訳 マコ 9:25-29
9:25 イエスは群衆が駆けよってくるのを見ると、(急いで)汚れた霊を叱りつけて言われた、「唖と聾の霊、わたしが命令するのだ、この子から出てゆけ、二度と入るな!」
9:26 霊はどなって、はげしくひきつけさせて、出ていった。子は死んだようになったので、多くの人が、「死んだ」と言った。
9:27 イエスはその子の手をとって起された。すると立ち上がった。
9:28 家にかえられると、弟子たちは人のいない時に尋ねた、「
なぜわたし達には霊を追い出せなかったのでしょうか。」
9:29 彼らに言われた、「この種類(の霊)は、祈り以外(の手段)では決して出てゆかせることは出来ない。」


塚本訳 ヨハ 4:14-19
4:14 わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」
4:15 女が言う、「主よ、その水を下さい。(二度と)渇くことがないように、またここに汲みに来なくてもよいように。」
4:16 イエスが言われる、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」
4:17 女が答えた、「わたしには夫はありません。」イエスが言われる、「『わたしには夫はありません』と言うのは、もっともだ。
4:18 五人の夫とは別れ、今のは、あなたの夫ではないのだから。あなたの言ったことは本当だ。」
4:19 女が(びっくりして)言う、「主よ、わかりました、あなたは預言者です。


塚本訳 ヨハ 6:35
6:35 イエスが言われた、「わたしが命のパンである。わたしの所に来る者は決して飢えない。わたしを信ずる者は決して二度と渇かない。

塚本訳 マタ 13:24-30
13:24 またほかの譬を群衆に示して言われた、「天の国は畑に良い種をまく人にたとえられる。
13:25 人々が(夜)眠っている間に敵が来て、麦の中に毒麦をまいて行った
13:26 苗が芽生えて実を結ぶと、その時毒麦も現われた
13:27 使用人たちが来て家の主人に言った、『ご主人、畑には良い種をまかれたのではないですか。すると毒麦はどこから来たのでしょうか。』
13:28 主人がこたえた、『敵のしわざだ。』使用人たちが言う、『では、行って抜き取りましょうか。』
13:29 主人が言う、『いや、毒麦を抜き取ろうとして、麦まで一しょに引き抜くかも知れない。
13:30 両方とも刈入れまで育つままにしておけ。刈入れの時、わたしが刈入れ人たちに言いつける、まず毒麦を抜き取り、束にしばって焼きすてよ、麦の方は集めて倉に入れよ、と。』」

塚本訳 マタ 21:18-22
21:18 (次の)朝早く都に帰られるとき、イエスは空腹であった。
21:19 それで道ばたに一本の無花果の木があるのを見て、そこに行かれた。が見ると、ただ葉ばかりで何もなかった。イエスはその木に言われる、「もはやいつまでも、お前には実がなってはならない!」無花果の木は見る間に枯れてしまった
21:20 これを見て弟子たちは驚いて言った、「なぜ無花果は見る間に枯れてしまったのですか。」
21:21 イエスは答えられた、「アーメン、わたしは言う、もしあなた達に信仰があって疑わないならば、この無花果におこった(と同じ)ことをすることができるばかりか、この山にむかい『立ち上がって海に飛び込め』と言っても、その通りになる。
21:22 信じて祈れば、求めるものはなんでも、戴くことができる。」

塚本訳 マコ 11:20-26
11:20 (次の)朝早く、通るときに見ると、(きのうの)無花果の木は根元から枯れていた。
11:21 ペテロは思い出してイエスに言う、「先生、御覧なさい、お呪いになった無花果は枯れています。」
11:22 イエスが彼らに答えられる、「神(の力)を信ぜよ
11:23 アーメン、わたしは言う、だれでもこの山に向かい、『立ち上がって海に飛び込め』と言って心に疑わず、自分の言うことは成ると信ずるならば、そのとおりになる。
11:24 だからわたしは言う、(神に)祈り求めるものはなんでも、すでに戴いたと信ぜよ。そうすればそのとおりになる。
11:25 なお立って祈っている時に、だれかに恨みがあったら赦してやれ。これは天の父上からも、あなた達の過ちを赦していただくためである。」
11:26 (無し)

塚本訳 ルカ 17:5-6
17:5 使徒たちが主に言った、「もっと信仰を下さい。」
17:6 主が言われた、「もしあなた達に芥子粒ほどでも信仰があれば、──(あなた達にはそれがないが、もしあれば)──この桑の木にむかい『抜けて海に植われ』と言っても、言うことを聞くであろう。

塚本訳 ヨハ 11:33-40
11:33 イエスはマリヤが泣き、一しょに来たユダヤ人たちも泣くのを見ると、(その不信仰を)心に憤り、かつ興奮して、
11:34 (マルタとマリヤに)言われた、「どこにラザロを納めたか。」二人が言う、「主よ、来て、御覧ください。」
11:35 イエスが涙を流された。
11:36 するとユダヤ人たちが言った、「まあ、なんとラザロを可愛がっておられることだろう!」
11:37 しかし中には、「盲人の目をあけたこの人にも、このラザロが死なないように出来なかったのか」と言う者もあった。
11:38 そこでイエスはまたも心に憤りながら、(ラザロの)墓に来られる。墓は洞穴で、入口に石を置いて(ふさいで)あった。
11:39 「石をのけなさい」とイエスが言われる。死んだ人の姉妹のマルタが言う、「主よ、もう臭くなっています。四日目ですから。」
11:40 イエスがマルタに言われる、「信ずれば神の栄光が見られると、(さきほども)あなたに言ったではないか。」

塚本訳 マコ 2:16-17
2:16 パリサイ派の聖書学者たちは、イエスが罪人や税金取りと一しょに食事をされるのを見て、弟子たちに言った、「なぜあの人は税金取りや罪人と一しょに食事をするのか。」
2:17 イエスは聞いてその人たちに言われる、「丈夫な者に医者はいらない、医者のいるのは病人である。わたしは正しい人を招きに来たのではない、罪人を招きに来たのである
。」

塚本訳 マタ 21:31
21:31 この二人のうち、どちらが父の心を行ったのだろうか。」「もちろん長男」と彼らが答える。イエスが言われる、「アーメン、わたしは言う、
税金取りや遊女たちは、あなた達よりも先に神の国に入るであろう。

塚本訳 ルカ 15:1-3
15:1 さて、イエスの話を聞こうとして、(いつものとおり)税金取りや罪人が皆近寄ってきた
15:2 パリサイ人と聖書学者たちがぶつぶつ呟いて言った、「この人は罪人を歓迎するし、また(招かれていって)食事までも一しょにする。」
15:3 そこで彼らにつぎの譬を話された。

塚本訳 ルカ 19:5-6
19:5 イエスはその場所に来られると、ザアカイを見上げて言われた、「ザアカイ、急いで下りておいで。きょうはあなたの家に泊まることになっているから。」
19:6 ザアカイは急いで下りてきて、喜んでお迎えした。

塚本訳 ルカ 23:40-43
23:40 するともう一人の者が彼をたしなめて言った、「貴様は(このお方と)同じ(恐ろしい)罰を受けていながら、それでも(まだ)神様がこわくないのか。
23:41 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前が、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる。」

塚本訳 マタ 26:27-28
26:27 また杯を取り、(神に)感謝したのち、彼らに渡して言われた、「皆この杯から飲みなさい。
26:28 これは多くの人の罪を赦されるために流す、わたしの『約束の血』であるから。

塚本訳 マタ 20:28
20:28 人の子(わたし)が来たのも仕えさせるためではない。仕えるため、多くの人のあがない金としてその命を与えるためである。

塚本訳 ヨハ 12:24
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、
一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)


塚本訳 ヨハ 3:16
3:16 そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである。


塚本訳 ヨハ 13:6-8
13:6 こうしてシモン・ペテロの所まで来られると、ペテロが(こばんで)言う、「主よ、わたしの足を、あなたが洗われるのですか。」
13:7 イエスが答えて言われた、「わたしが何をしているのか、いまはあなたにわからない。(わたしがいなくなった)あとでさとるだろう。」
13:8 ペテロが言う、「わたしの足は、いつまでも絶対に洗わないでください。」イエスは答えられた
、「わたしが(足を)洗ってやらないなら、あなたはわたしとなんの関係もない人だ。」

塚本訳 ヨハ 16:33
16:33 これらのことを話したのは、あなた達がわたしに(しっかり)結びついていて、平安を保つことができるためである。この世ではあなた達に苦しみがある。しかし安心していなさい。わたしがすでに世に勝っている。」


塚本訳 マタ 10:23-25
10:23 この町で迫害された時には、次の町に逃げてゆけ。アーメン、わたしは言う、人の子(わたし)は(すぐに)、あなた達がイスラエル人の町々を回りつくさぬうちに来るのだから。
10:24 弟子は先生以上でなく、僕は主人以上ではない。(だからあなた達が迫害されるのは当り前である。)
10:25 弟子は先生のよう、僕は主人のようであれば、それで満足すべきである。家の主人(たるわたし)が
(悪鬼の頭)ベルゼブルと(悪口を)言われたのだから、その家族(たるあなた達)はなおさらのことである。

塚本訳 ルカ 9:23
9:23 それから今度は皆に話された、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、毎日自分の十字架を負い、それからわたしに従え。


塚本訳 マタ 18:21-22
18:21 その時ペテロが進み寄ってたずねた、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したとき、何度赦してやらねばなりませんか。七度まででしょうか。」
18:22 イエスがこたえられた、「いや、あなたに言う、七度までどころか、七十七度まで

塚本訳 マタ 6:12-15
6:12 罪を赦してください、わたしたちも罪を犯した人を赦しましたから。
6:13 わたしたちを試みにあわせないで、悪から守ってください。
6:14
(祈る前に、まず人の罪を許さねばならない。)あなた達が人の過ちを赦してやれば、天の父上もあなた達を赦してくださるが、
6:15 人を赦さないならば、父上もあなた達の過ちを赦してくださらないであろう。

塚本訳 マタ 7:1-5
7:1 (人を)裁くな、自分が(神に)裁かれないためである。
7:2 (人を)裁く裁きで、あなた達も裁かれ、(人を)量る量りで、あなた達も量られるからである。
7:3 なぜあなたは、兄弟の目にある塵が見えながら、自分の目に梁があるのに気付かないのか。

7:4 また、どうして兄弟にむかって、『あなたの目の塵を取らせてくれ』と言うのか。そら、自分の目に梁があるではないか。
7:5 偽善者!まず自分の目の梁を取ってのけよ。その上で、兄弟の目の塵を(取ってやれるなら、)取ってやったらよかろう。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「聖書で聖書を読む」朝の礼拝おわり。イエスの言動を知り、我々の苦難が信仰によって耐え抜くことが出来ますように。信仰が固くなりますように。サタンに足を取られて人生悩みの中にいる人がイエスの血潮でサタンの毒素から清められますように。御子の血はどんな罪をも清めtる能力’があることを信じます。今に生きる復活のイエスの一声で悪霊が追い出されることを信じます。恥は我々に、栄光は神に。

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夏は来ぬ。あきる野名物のトウモロコシが伸び始めた。

●ネットで浦和市立原山中学校一年の時の担任、家近安輝子(アキコ)先生に御著書が何冊もあることを知り、早速図書館から取り寄せた。題名は「アキコの泣き笑い人生・・・教護院教官から中学高校教師そして校長・・・」。「はじめに」を読んでびっくり。うつ病になって行き詰った時に聖書に出会う。時間を置いて浦和在住の旧友(KS)に電話したら、その旧友の御両親と同じ浦和カトリック教会の信者になられたそうだ。万歳!。肉の病は人を「永遠の命」に導く。本を読み終わったらお手紙を差し上げよう。






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「自分を捨てる」とは ++++++++ 所感

2014/06/13 05:19

140613(金)キリスト者の皆様お早うございます。深夜に黙示として「自分を捨てる」が与えられました●聖書の難解なところの理解は生涯がかかる。しかもそれは多くの場合涙のレンズで初めて見えるようになる●聖書の最も深い言葉は体験を通してに分かる。「神」「神は愛なり」「十字架」「罪の赦し」「永遠の命」復活」「悔い改め」「終末」。これらの短い言葉は語学や註解書ではわからない。わかったとしたら大脳皮質部分だけのものであって、自分のものにはならない。●そこで今朝は「自分を捨てる」ということについて聖書のアチコチを思い浮かべて学んでみよう。

●まず「Jバイブル」で「自分」と「捨」をAND検索する。


    自分を捨てる。Jバイブル。「自分」AND「捨」

                   2014.6.13

 

<口語訳> 検索 "自分" AND ""

*******

【口語訳】マタ  16:24 それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。

 

*******

【口語訳】マル  7:9 また、言われた、「あなたがたは、自分たちの言伝えを守るために、よくも神のいましめをてたものだ。

 

*******

【口語訳】マル  8:34 それから群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。

 

*******

【口語訳】ルカ  9:23 それから、みんなの者に言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。

 

*******

【口語訳】ルカ  14:26 「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までもてて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない。

 

*******

【口語訳】ルカ  14:33 それと同じように、あなたがたのうちで、自分の財産をことごとくて切るものでなくては、わたしの弟子となることはできない。

 

*******

【口語訳】ルカ  18:28 ペテロが言った、「ごらんなさい、わたしたちは自分のものをてて、あなたに従いました」。

 

*******

【口語訳】ヨハ  10:17 父は、わたしが自分の命をてるから、わたしを愛して下さるのである。命をてるのは、それを再び得るためである。

 

*******

【口語訳】ヨハ  10:18 だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれをてるのである。わたしには、それをてる力があり、またそれを受ける力もある。これはわたしの父から授かった定めである」。

 

*******

【口語訳】ヨハ  15:13 人がその友のために自分の命をてること、これよりも大きな愛はない。

 

*******

【口語訳】使  7:21 そののちてられたのを、パロの娘が拾いあげて、自分の子として育てた。

 

*******

【口語訳】二コリ  4:2 恥ずべき隠れたことをて去り、悪巧みによって歩かず、神の言を曲げず、真理を明らかにし、神のみまえに、すべての人の良心に自分を推薦するのである。

 

*******

【口語訳】二コリ  13:5 あなたがたは、はたして信仰があるかどうか、自分を反省し、自分を吟味するがよい。それとも、イエス・キリストがあなたがたのうちにおられることを、悟らないのか。もし悟らなければ、あなたがたは、にせものとして見てられる。

 

*******

【口語訳】二コリ  13:6 しかしわたしは、自分たちが見てられた者ではないことを、知っていてもらいたい。

 

*******

【口語訳】二コリ  13:7 わたしたちは、あなたがたがどんな悪をも行わないようにと、神に祈る。それは、自分たちがほんとうの者であることを見せるためではなく、たといわたしたちが見てられた者のようになっても、あなたがたに良い行いをしてもらいたいためである。

 

*******

【口語訳】一テモ  5:8 もしある人が、その親族を、ことに自分の家族をかえりみない場合には、その信仰をてたことになるのであって、不信者以上にわるい。

 

*******

【口語訳】ヘブル  13:5 金銭を愛することをしないで、自分の持っているもので満足しなさい。主は、「わたしは、決してあなたを離れず、あなたをてない」と言われた。

 

*******

【口語訳】ユダ  1:6 主は、自分たちの地位を守ろうとはせず、そのおるべき所をて去った御使たちを、大いなる日のさばきのために、永久にしばりつけたまま、暗やみの中に閉じ込めておかれた。

 

*******

【口語訳】ユダ  1:12 彼らは、あなたがたの愛餐に加わるが、それを汚し、無遠慮に宴会に同席して、自分の腹を肥やしている。彼らは、いわば、風に吹きまわされる水なき雲、実らない枯れ果てて、抜きてられた秋の木、

 

*******

●これで新約聖書の「心」、イエスの「心」に触れることが出来たが、そのほかに「自分を捨てる」と言う事に関して、「Jバイブル」によらない「霊感」ともいうべきものを掲げてみよう。

塚本訳 ルカ 22:25-26
22:25 するとイエスが言われた、「世間では王が人民を支配し、また主権者は自分を恩人と呼ばせる。
22:26 しかしあなた達はそれではいけない。あなた達の間では、一番えらい者が一番若輩のように、支配する者が給仕をする者のようになれ。

塚本訳 マタ 20:21-23
20:21 彼女に言われた、「何の願いか。」彼女が言う、「(来ようとしている)あなたの御国で、この二人の子が一人はあなたの右に、一人は左に坐るよう御命令ください。」
20:22 イエスが答えられた、「あなた達は自分で何を願っているのか、わからずにいる。(ヤコブとヨハネに聞くが、)わたしが飲まねばならない(苦難の)杯を飲むことが出来るのか。」「出来ます」と二人がこたえる。
20:23 イエスは言われる、「いかにも、あなた達はわたしの杯を飲むにちがいない。しかしわたしの右と左の席、それはわたしが与えるのではなく、(あらかじめ)わたしの父上から定められた人々に与えられるのである。

塚本訳 ヨハ 13:5-8
13:5 それから盥に水を入れて、ひとりびとり弟子たちの足を洗っては、(腰に)巻いた手拭で拭き始められた。
13:6 こうしてシモン・ペテロの所まで来られると、ペテロが(こばんで)言う、「主よ、わたしの足を、あなたが洗われるのですか。」
13:7 イエスが答えて言われた、「わたしが何をしているのか、いまはあなたにわからない。(わたしがいなくなった)あとでさとるだろう。」
13:8 ペテロが言う、「わたしの足は、いつまでも絶対に洗わないでください。」イエスは答えられた、「わたしが(足を)洗ってやらないなら、あなたはわたしとなんの関係もない人だ。

●人間の本能として次は実行できない。非常識である。特に日本では儒教の精神がこれを赦さない。

塚本訳 ルカ 14:26-27
14:26 わたしの所に来て、その父と母と妻と子と兄弟と姉妹と、なおその上に、自分の命までも憎まない者は、だれもわたしの弟子になることは出来ない。
14:27 自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることは出来ない。



●これを「TSK」で見てみよう。何が書いてあるのだろう。
 

●ルカ14:26

「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない。

 

*「わたしのもとに来るのでなければ、」

Deuteronomy 13:6-8

6同じ母に生れたあなたの兄弟、またはあなたのむすこ、娘、またはあなたのふところの妻、またはあなたと身命を共にする友が、ひそかに誘って『われわれは行って他の神々に仕えよう』と言うかも知れない。これはあなたも先祖たちも知らなかった神々、  7すなわち地のこのはてから、地のかのはてまで、あるいは近く、あるいは遠く、あなたの周囲にある民の神々である。  8しかし、あなたはその人に従ってはならない。その人の言うことを聞いてはならない。その人をあわれんではならない。その人を惜しんではならない。その人をかばってはならない。

Deuteronomy 33:9

 9彼はその父、その母について言った、/『わたしは彼らを顧みない』。彼は自分の兄弟をも認めず、/自分の子供をも顧みなかった。彼らはあなたの言葉にしたがい、/あなたの契約を守ったからである。

Psalms 73:25-26

 25あなたはさとしをもってわたしを導き、その後わたしを受けて栄光にあずからせられる。  26わたしはあなたのほかに、だれを天にもち得よう。地にはあなたのほかに慕うものはない。

Matthew 10:37

 37わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。

Philippians 3:8

 8わたしは、更に進んで、わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに、いっさいのものを損と思っている。キリストのゆえに、わたしはすべてを失ったが、それらのものを、ふん土のように思っている。それは、わたしがキリストを得るためであり、

 

*「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、」

Genesis 29:30-31

30ヤコブはまたラケルの所にはいった。彼はレアよりもラケルを愛して、更に七年ラバンに仕えた。  31主はレアがきらわれるのを見て、その胎を開かれたが、ラケルは、みごもらなかった。

Deuteronomy 21:15

 15人がふたりの妻をもち、そのひとりは愛する者、ひとりは気にいらない者であって、その愛する者と気にいらない者のふたりが、ともに男の子を産み、もしその長子が、気にいらない女の産んだ者である時は、

Job 7:15-16

 15それゆえ、わたしは息の止まることを願い、/わが骨よりもむしろ死を選ぶ。  16わたしは命をいとう。わたしは長く生きることを望まない。わたしに構わないでください。わたしの日は息にすぎないのだから。

Ecclesiastes 2:17-19

 17そこで、わたしは生きることをいとった。日の下に行われるわざは、わたしに悪しく見えたからである。皆空であって、風を捕えるようである。  18わたしは日の下で労したすべての労苦を憎んだ。わたしの後に来る人にこれを残さなければならないからである。  19そして、その人が知者であるか、または愚者であるかは、だれが知り得よう。そうであるのに、その人が、日の下でわたしが労し、かつ知恵を働かしてなしたすべての労苦をつかさどることになるのだ。これもまた空である。

Malachi 1:2-3

 2主は言われる、「わたしはあなたがたを愛した」と。ところがあなたがたは言う、「あなたはどんなふうに、われわれを愛されたか」。主は言われる、「エサウはヤコブの兄ではないか。しかしわたしはヤコブを愛し、  3エサウを憎んだ。かつ、わたしは彼の山地を荒し、その嗣業を荒野の山犬に与えた」。

John 12:25

25自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう

Romans 9:13

 13「わたしはヤコブを愛しエサウを憎んだ」と書いてあるとおりである。

 

*「さらに自分の命までも捨てて、」

Acts 20:24

24しかし、わたしは自分の行程を走り終え、主イエスから賜わった、神のめぐみの福音をあかしする任務を果し得さえしたら、このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思わない。

Revelation of John 12:11

 11兄弟たちは、小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって、彼にうち勝ち、死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった。

 

 

●ルカ14:27

自分の十字架を負うてわたしについて来るものでなければ、わたしの弟子となることはできない。

 

*「自分の十字架を負うてわたしについて来るものでなければ、」

Matthew 10:38

38また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。

Matthew 16:24-26

 24それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。  25自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。  26たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。

Mark 8:34-37

 34それから群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。  35自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救うであろう。  36人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。  37また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。

Mark 10:21

 21イエスは彼に目をとめ、いつくしんで言われた、「あなたに足りないことが一つある。帰って、持っているものをみな売り払って、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。

Mark 15:21

 21そこへ、アレキサンデルとルポスとの父シモンというクレネ人が、郊外からきて通りかかったので、人々はイエスの十字架を無理に負わせた

Luke 9:23-25

 23それから、みんなの者に言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。  24自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを救うであろう。  25人が全世界をもうけても、自分自身を失いまたは損したら、なんの得になろうか。

John 19:17

 17イエスはみずから十字架を背負って、されこうべ(ヘブル語ではゴルゴダ)という場所に出て行かれた。

2 Timothy 3:12

12いったい、キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける。

 

*「わたしの弟子となることはできない。」

Matthew 13:21

21その中に根がないので、しばらく続くだけであって、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。

Acts 14:22

 22弟子たちを力づけ、信仰を持ちつづけるようにと奨励し、「わたしたちが神の国にはいるのには、多くの苦難を経なければならない」と語った。

2 Timothy 1:12

 12そのためにまた、わたしはこのような苦しみを受けているが、それを恥としない。なぜなら、わたしは自分の信じてきたかたを知っており、またそのかたは、わたしにゆだねられているものを、かの日に至るまで守って下さることができると、確信しているからである。


●この中で最も難解なのはヨハネ12:25。謎の言葉だが、何か惹かれる。

塚本訳 ヨハ 12:25
12:25 [(この世の)命をかわいがる者は(永遠の)命を失い、この世で命を憎む者は、命を守って永遠の命にはいるであろう。


●この部分をTSKで見てみよう。何が書いてあるのだろう。
 

●ヨハ 12:25

12:25 自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう。

*「自分の命を愛する者はそれを失い、」

Matthew 10:39

39自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう。

Matthew 16:25

 25自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。

Matthew 19:29

 29おおよそ、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、もしくは畑を捨てた者は、その幾倍もを受け、また永遠の生命を受けつぐであろう。

Mark 8:35

 35自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救うであろう。

Luke 9:23-24

 23それから、みんなの者に言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。  24自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを救うであろう。

Luke 17:33

 33自分の命を救おうとするもは、それを失い、それを失うものは、保つのである。

Acts 20:24

 24しかし、わたしは自分の行程を走り終え、主イエスから賜わった、神のめぐみの福音をあかしする任務を果し得さえしたら、このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思わない。

Acts 21:13

 13その時パウロは答えた、「あなたがたは、泣いたり、わたしの心をくじいたりして、いったい、どうしようとするのか。わたしは、主イエスの名のためなら、エルサレムで縛られるだけでなく、死ぬことをも覚悟しているのだ」。

Hebrews 11:35

35女たちは、その死者たちをよみがえらさせてもらった。ほかの者は、更にまさったいのちによみがえるために、拷問の苦しみに甘んじ、放免されることを願わなかった。

Revelation of John 12:11

 11兄弟たちは、小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって、彼にうち勝ち、死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった。


*「この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう。」

Genesis 29:30-33

30ヤコブはまたラケルの所にはいった。彼はレアよりもラケルを愛して、更に七年ラバンに仕えた。  31主はレアがきらわれるのを見て、その胎を開かれたが、ラケルは、みごもらなかった。  32レアは、みごもって子を産み、名をルベンと名づけて、言った、「主がわたしの悩みを顧みられたから、今は夫もわたしを愛するだろう」。  33彼女はまた、みごもって子を産み、「主はわたしが嫌われるのをお聞きになって、わたしにこの子をも賜わった」と言って、名をシメオンと名づけた。

Ecclesiastes 2:17

 17そこで、わたしは生きることをいとった。日の下に行われるわざは、わたしに悪しく見えたからである。皆空であって、風を捕えるようである。

Luke 14:26

 26「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない。

 
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朝の黙想おわり。神は人間の「死」を通じてこの世にアクションを起こす。語る。主にあれば「我が身の死も又益である」。

文語訳 ピリ 1:21
1:21 我にとりて、生くるはキリストなり、死ぬるもまた益なり。


口語訳 ピリ 1:21
1:21 わたしにとっては、生きることはキリストであり、死ぬことは益である。


新共同 ピリ 1:21
1:21 わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。


塚本訳 ピリ 1:21
1:21 何故なら、私にとって生きることはキリスト(を生きること、彼が私に生き給うことである。否、彼が私の生命)である。そして死ぬることは(完全にキリストと共に生きることであるから、私にはむしろ)利益である。

文語訳 ヨハ 12:24
12:24 誠にまことに汝らに告ぐ、一粒の麥、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし。


塚本訳 ヨハ 12:24
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)


●妻と父母の墓参に行く。妻は交通事故を起こしてから自動車がすれ違う道路で自転車に乗ることを不安がるようになった。トラウマか。そこで秋川霊園の墓地まで往復3時間を預保にした。

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途中の平井川。夏になると河童少年達がこの橋の欄干から下に飛び込む。7-8メートルはある。

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秋川霊園の階段。父母の墓にまで144段と坂道。妻が先に行く。

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秋川霊園。終わりの日には墓の中から死人が皆起こされるのだなーと思った。
最近はこのことを信じられるようになった。

塚本訳 ヨハ 5:28-29
5:28 あなた達は(子が裁くという)このことを驚くに及ばない。時が来ると、墓の中にいる者が皆子(たるわたし)の声を聞いて、
5:29 (墓から)出てくるからである。すなわち、善いことをした者は(永遠の)命にはいるために復活し、悪いことをした者は(死の)罰を受けるために復活する。

塚本訳 マタ 27:51-53
27:51 その途端に、宮の(聖所の)幕が上から下まで真っ二つに裂けた。そして地が震い、岩が裂け、
27:52 墓が開いて、眠っていた多くの聖者たちの体が生きかえり、
27:53 墓から出てきて、イエスの復活の後、聖なる都(エルサレム)に入って多くの人に現われた。

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父母の墓。父が87歳で逝って22年。母が88歳で逝って10年。
父を送ったのは私が48歳、母を送ったのは私が61歳。
私も父母の年齢までは生きたいなーと思う。
花は我が家のあじさい。妻が切ってきた。庭の花を持って行くのを母は好んだそうだ。
だれかが線香を備えた形跡があった。キリスト者ではない親戚だろう。宗教はは違っても
心が通じればよいのだ。

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父母に「息子の招きでドバイに行ってきたこと」「長男に子供が与えらたこと」を報告。墓の掃除、樹木の刈込、草むしり。「また来るからね。」と言って墓を後にした。

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俄かに空が曇って大粒の雨。雷鳴。ぐしょぬれ。20メートルほど後ろから妻が
私に声をかけたのだそうだが、私は全く聞こえなかった。加齢による難聴。かなり
愕然となった。

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家に着くころには雨が上がり、夏雲。ヴェートーヴェン交響曲第
6番「田園」第5楽章、「嵐の後の感謝の歌」。 

●静岡県のTY氏から本の贈呈。礼状をメールを次のように送った。

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TY様

 

このたびは、「伊藤邦之・聡美記念文集」を賜り感謝いたします。

TYさんのルーツをお知らせくださり感謝です。

早速伊藤邦之氏の「ヒルティ生誕の地を訪ねて」1978年。P143を拝読させていただきました。

と言いますのは、小生は1980年(37才)、仕事(建築)で欧州に行ったときに、スイスのベルンにヒルティの墓参をし、また住んでいた家の前にも行ったことがあるからです。伊藤邦之氏の言及されたヴェルデンヴェルグ城は、カレンダーにもなっていたので所持していたのですが、いつも間にか紛失してしまいました。(一度は家屋全焼)。小生はヒルティと日本の関係について、白水社の第二期ヒルティ著作集第10巻(1979年)の月報に「無教会主義の系譜におけるヒルティ」を書きました。これは

伊藤邦之氏の関心と同じく、なぜヒルティが日本人に愛読されているかの謎を解く一考察でもあります。 

このたびは、ご愛労の編集の御本をありがとうございました。

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汝(なんぢ)の少(わか)き日に汝(なんじ)の造主(つくりぬし)を記(おぼ)えよ  ++++++++ 所感

2014/06/12 05:40

140612(木)4時半起床。キリスト者の皆様お早うございます。今日も目覚められて感謝です。中には眠っている時に冷たくなる人もいるからです。●14年前に脳出血で入院していた時、朝目覚めて「アー、今日も生きられる」と感謝の気持ちになったことを思い出す。あの時ほど「生きられる」ということが喜びであると思ったことはない。「一日一生」(内村鑑三)●今朝はある人の応援で伝道の書、(コヘレトの言葉)12:1について資料を作成したのでそれについて黙想してみる。

●翻訳比較

文語訳 1917
12:1 汝(なんぢ)の少(わか)き日に汝(なんじ)の造主(つくりぬし)を記(おぼ)えよ 即(すなは)ち悪(あ)しき日の来(きた)たり年のよりて我(われ)は早(はや)何(なに)も楽(たの)しむところ無しと言(い)ふにいたらざる先(さき)。

口語訳  1955
12:1 あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、

新改訳 伝 1970
12:1 あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に。

フランシスコ会 1981
12:1 あなたの青春の日々に、あなたの造り主を心に刻め。苦しみに満ちた日々が来ないうちに、「わたしはもはや生きる楽しみはない」という年月が近づかないうちに。

新共同 1987
12:1 青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。「年を重ねることに喜びはない」と/言う年齢にならないうちに。

関根正雄 1995
12:1 君の青春の日々に君の創(つく)り主を憶(おぼ)えよ。災いの日々が来て、君がもはや喜びがないと言わねばならぬが近づく前に、

月本昭男(岩波翻訳委員会) 1998
12:1 青春の日々にあなたの造(つく)り主を思(おも)い起(お)こせ。
災(わざわ)いの日々が訪(おとず)れて、もはやこれらに私の楽しみはない、などと言う歳〔月〕が近づかないうちに。

NKJV
12:1 Remember now your Creator in the days of your youth,Before the difficult days come,And the years draw near when you say,"I have no pleasure in them":

TEV
12:1 So remember your Creator while you are still young, before those dismal days and years come when you will say, "I don't enjoy life." 



●TSK

 

Remember.

「思い起こせ」

 

Genesis 39:2

2主がヨセフと共におられたので、彼は幸運な者となり、その主人エジプトびとの家におった。

Genesis 39:8-9

 8ヨセフは拒んで、主人の妻に言った、「御 主人はわたしがいるので家の中の何をも顧みず、その持ち物をみなわたしの手にゆだねられました。  9この家にはわたしよりも大いなる者はありません。また御 主人はあなたを除いては、何をもわたしに禁じられませんでした。あなたが御 主人の妻であるからです。どうしてわたしはこの大きな悪をおこなって、神に罪を犯すことができましょう」。

Genesis 39:23

 23獄屋 番は彼の手にゆだねた事はいっさい顧みなかった。主がヨセフと共におられたからである。主は彼のなす事を栄えさせられた。

1 Samuel 1:28

 28それゆえ、わたしもこの子を主にささげます。この子は一生のあいだ主にささげたものです」。そして彼らはそこで主を礼拝した。

1 Samuel 2:18

 18サムエルはまだ幼く、身に亜麻 布のエポデを着けて、主の前に仕えていた。

1 Samuel 2:26

 26わらべサムエルは育っていき、主にも、人々にも、ますます愛せられた。

1 Samuel 3:19-21

 19サムエルは育っていった。主が彼と共におられて、その言葉を一つも地に落ちないようにされたので、  20ダンからベエルシバまで、イスラエルのすべての人は、サムエルが主の預言者と定められたことを知った。  21主はふたたびシロで現れられた。すなわち主はシロで、主の言葉によって、サムエルに自らを現された。こうしてサムエルの言葉は、あまねくイスラエルの人々に及んだ。

1 Samuel 16:7

 7しかし主はサムエルに言われた、「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」。

1 Samuel 16:12-13

 12そこで人をやって彼をつれてきた。彼は血色のよい、目のきれいな、姿の美しい人であった。主は言われた、「立ってこれに油をそそげ。これがその人である」。  13サムエルは油の角をとって、その兄弟たちの中で、彼に油をそそいだ。この日からのち、主の霊は、はげしくダビデの上に臨んだ。そしてサムエルは立ってラマへ行った。

Ecclesiastes 11:10

 10あなたの心から悩みを去り、あなたのからだから痛みを除け。若い時と盛んな時はともに空だからである。

1 Samuel 17:36-37

36しもべはすでに、ししと、くまを殺しました。この割礼なきペリシテびとも、生ける神の軍をいどんだのですから、あの獣の一頭のようになるでしょう」。  37ダビデはまた言った、「ししのつめ、くまのつめからわたしを救い出された主は、またわたしを、このペリシテびとの手から救い出されるでしょう」。サウルはダビデに言った、「行きなさい。どうぞ主があなたと共におられるように」。

1 Kings 3:6-12

 6ソロモンは言った、「あなたのしもべであるわたしの父ダビデがあなたに対して誠実と公義と真心とをもって、あなたの前に歩んだので、あなたは大いなるいつくしみを彼に示されました。またあなたは彼のために、この大いなるいつくしみをたくわえて、今日、彼の位に座する子を授けられました。  7わが神、主よ、あなたはこのしもべを、わたしの父ダビデに代って王とならせられました。しかし、わたしは小さい子供であって、出入りすることを知りません。  8かつ、しもべはあなたが選ばれた、あなたの民、すなわちその数が多くて、数えることも、調べることもできないほどのおびただしい民の中におります。  9それゆえ、聞きわける心をしもべに与えて、あなたの民をさばかせ、わたしに善悪をわきまえることを得させてください。だれが、あなたのこの大いなる民をさばくことができましょう」。  10ソロモンはこの事を求めたので、そのことが主のみこころにかなった。  11そこで神は彼に言われた、「あなたはこの事を求めて、自分のために長命を求めず、また自分のために富を求めず、また自分の敵の命をも求めず、ただ訴えをききわける知恵を求めたゆえに、  12見よ、わたしはあなたの言葉にしたがって、賢い、英明な心を与える。あなたの先にはあなたに並ぶ者がなく、あなたの後にもあなたに並ぶ者は起らないであろう。

1 Kings 14:13

 13そしてイスラエルは皆、彼のために悲しんで彼を葬るでしょう。ヤラベアムに属する者は、ただ彼だけ墓に葬られるでしょう。ヤラベアムの家のうちで、彼はイスラエルの神、主にむかって良い思いをいだいていたからです。

1 Kings 18:12

 12しかしわたしがあなたを離れて行くと、主の霊はあなたを、わたしの知らない所へ連れて行くでしょう。わたしが行ってアハブに告げ、彼があなたを見つけることができなければ、彼はわたしを殺すでしょう。しかし、しもべは幼い時から主を恐れている者です。

2 Chronicles 34:2-3

 2彼は主の良しと見られることをなし、その父ダビデの道を歩んで、右にも左にも曲らなかった。  3彼はまだ若かったが、その治世の第八年に父ダビデの神を求めることを始め、その十二年には高き所、アシラ像、刻んだ像、鋳た像などを除いて、ユダとエルサレムを清めることを始め、

Psalms 22:9-10

 9しかし、あなたはわたしを生れさせ、母のふところにわたしを安らかに守られた方です。  10わたしは生れた時から、あなたにゆだねられました。母の胎を出てからこのかた、あなたはわたしの神でいらせられました。

Psalms 34:11

11子らよ、来てわたしに聞け、わたしは主を恐るべきことをあなたがたに教えよう。

Psalms 71:17-18

 17神よ、あなたはわたしを若い時から教えられました。わたしはなお、あなたのくすしきみわざを宣べ伝えます。  18神よ、わたしが年老いて、しらがとなるとも、あなたの力をきたらんとするすべての代に宣べ伝えるまで、わたしを見捨てないでください。

Proverbs 8:17

 17わたしは、わたしを愛する者を愛する、わたしをせつに求める者は、わたしに出会う。

Proverbs 22:6

 6子をその行くべき道に従って教えよ、そうすれば年老いても、それを離れることがない。

Isaiah 26:8

 8主よ、あなたがさばきをなさる道で、われわれはあなたを待ち望む。われわれの魂の慕うものは、あなたの記念の名である。

Lamentations 3:27

 27人が若い時にくびきを負うことは、良いことである。

Daniel 1:8-9

 8ダニエルは王の食物と、王の飲む酒とをもって、自分を汚すまいと、心に思い定めたので、自分を汚させることのないように、宦官の長に求めた。  9神はダニエルをして、宦官の長の前に、恵みとあわれみとを得させられたので、

Daniel 1:17

 17この四人の者には、神は知識を与え、すべての文学と知恵にさとい者とされた。ダニエルはまたすべての幻と夢とを理解した。

Luke 1:15

15彼は主のみまえに大いなる者となり、ぶどう酒や強い酒をいっさい飲まず、母の胎内にいる時からすでに聖霊に満たされており、

Luke 2:40-52

 40幼な子は、ますます成長して強くなり、知恵に満ち、そして神の恵みがその上にあった。  41さて、イエスの両親は、過越の祭には毎年エルサレムへ上っていた。  42イエスが十二歳になった時も、慣例に従って祭のために上京した。  43ところが、祭が終って帰るとき、少年イエスはエルサレムに居残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。  44そして道連れの中にいることと思いこんで、一日 路を行ってしまい、それから、親族や知人の中を捜しはじめたが、  45見つからないので、捜しまわりながらエルサレムへ引返した。  46そして三日の後に、イエスが宮の中で教師たちのまん中にすわって、彼らの話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。  47聞く人々はみな、イエスの賢さやその答に驚嘆していた。  48両親はこれを見て驚き、そして母が彼に言った、「どうしてこんな事をしてくれたのです。ごらんなさい、おとう様もわたしも心配して、あなたを捜していたのです」。  49するとイエスは言われた、「どうしてお捜しになったのですか。わたしが自分の父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのですか」。  50しかし、両親はその語られた言葉を悟ることができなかった。  51それからイエスは両親と一緒にナザレに下って行き、彼らにお仕えになった。母はこれらの事をみな心に留めていた。  52イエスはますます知恵が加わり、背たけも伸び、そして神と人から愛された。

Luke 18:16

 16するとイエスは幼な子らを呼び寄せて言われた、「幼な子らをわたしのところに来るままにしておきなさい、止めてはならない。神の国はこのような者の国である。

Ephesians 6:4

 4父たる者よ。子供をおこらせないで、主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい。

2 Timothy 3:15

 15また幼い時から、聖書に親しみ、それが、キリスト・イエスに対する信仰によって救に至る知恵を、あなたに与えうる書物であることを知っている。

 

 

while.

「若き日に、青春の日々に」

 

Job 30:2

2彼らの手の力からわたしは何を得るであろうか、彼らはその気力がすでに衰えた人々だ。

Psalms 90:10

 10われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。

Ecclesiastes 11:8

 8人が多くの年、生きながらえ、そのすべてにおいて自分を楽しませても、暗い日の多くあるべきことを忘れてはならない。すべて、きたらんとする事は皆 空である。

Hosea 7:9

 9他国 人らは彼の力を食い尽すが、彼はそれを知らない。しらがが混じってはえても、それを悟らない。

 

 

when.

「災いの日が来ないうちに」

 

2 Samuel 19:35

35わたしは今日八十歳です。わたしに、良いこと悪いことがわきまえられるでしょうか。しもべは食べるもの、飲むものを味わうことができましょうか。わたしは歌う男や歌う女の声をまだ聞くことができましょうか。それであるのに、しもべはどうしてなおわが主、王の重荷となってよろしいでしょうか。



●Jバイブルで語句検索

「若い日」

 

<口語訳> 検索:

*******

【口語訳】伝  11:9 若い者よ、あなたの若い時に楽しめ。あなたの若い日にあなたの心を喜ばせよ。あなたの心の道に歩み、あなたの目の見るところに歩め。ただし、そのすべての事のために、神はあなたをさばかれることを知れ。

 

*******

【口語訳】伝  12:1 あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、

 

 

「青春」

 

<新共同訳> 検索:

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【新共同訳】コヘ  11:10 心から悩みを去り、肉体から苦しみを除け。若さも青春も空しい。

 

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【新共同訳】コヘ  12:1 青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。「年を重ねることに喜びはない」と/言う年齢にならないうちに。

 

「造り主」

 

<口語訳> 検索:

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【口語訳】ヨブ  4:17 『人は神の前に正しくありえようか。人はその造り主の前に清くありえようか。

 

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【口語訳】ヨブ  32:22 わたしはへつらうことを知らないからだ。もしへつらうならば、わたしの造り主は直ちに/わたしを滅ぼされるであろう。

 

*******

【口語訳】ヨブ  35:10 しかし、ひとりとして言う者はない、/『わが造り主なる神はどこにおられるか、/彼は夜の間に歌を与え、

 

*******

【口語訳】ヨブ  36:3 わたしは遠くからわが知識を取り、/わが造り主に正義を帰する。

 

*******

【口語訳】詩  95:6 さあ、われらは拝み、ひれ伏し、われらの造り主、主のみ前にひざまずこう。

 

*******

【口語訳】詩  149:2 イスラエルにその造り主を喜ばせ、シオンの子らにその王を喜ばせよ。

 

*******

【口語訳】箴  14:31 貧しい者をしえたげる者はその造り主を侮る、乏しい者をあわれむ者は、主をうやまう。

 

*******

【口語訳】箴  17:5 貧しい者をあざける者はその造り主を侮る、人の災を喜ぶ者は罰を免れない。

 

*******

【口語訳】伝  12:1 あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、

 

*******

【口語訳】イザ  17:7 その日、人々はその造り主を仰ぎのぞみ、イスラエルの聖者に目をとめ、

 

*******

【口語訳】イザ  51:13 天をのべ、地の基をすえられた/あなたの造り主、主を忘れて、なぜ、しえたげる者が滅ぼそうと備えをするとき、その憤りのゆえに常にひねもす恐れるのか。しえたげる者の憤りはどこにあるか。

 

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【口語訳】エレ  10:16 ヤコブの分である彼はこのようなものではない。彼は万物の造り主だからである。イスラエルは彼の嗣業としての部族である。彼の名を万軍の主という。

 

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【口語訳】エレ  51:19 ヤコブの分である彼はこのようなものではない、彼は万物の造り主だからである。イスラエルは彼の嗣業としての部族である。彼の名は万軍の主という。

 

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【口語訳】ホセ  8:14 イスラエルは自分の造り主を忘れて、もろもろの宮殿を建てた。ユダは堅固な町々を多く増し加えた。しかしわたしは火をその町々に送って、もろもろの城を焼き滅ぼす。

 

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【口語訳】エペ  3:9 更にまた、万物の造り主である神の中に世々隠されていた奥義にあずかる務がどんなものであるかを、明らかに示すためである。

 

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【口語訳】コロ  3:10 造り主のかたちに従って新しくされ、真の知識に至る新しき人を着たのである。

 

 

「創造主」(そうぞうしゅ)

 

<新共同訳> 検索:

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【新共同訳】コヘ  12:1 青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。「年を重ねることに喜びはない」と/言う年齢にならないうちに。

 

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【新共同訳】イザ  43:15 わたしは主、あなたたちの聖なる神/イスラエルの創造主、あなたたちの王。

 

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【新共同訳】マタ  19:4 イエスはお答えになった。「あなたたちは読んだことがないのか。創造主は初めから人を男と女とにお造りになった。」

 

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【新共同訳】一ペト  4:19 だから、神の御心によって苦しみを受ける人は、善い行いをし続けて、真実であられる創造主に自分の魂をゆだねなさい。

 

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「悪しき日」

 

<口語訳> 検索:

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【口語訳】伝  12:1 あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、

 

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【口語訳】エペ  6:13 それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。

 

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「苦しみの日」

 

<新共同訳> 検索:

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【新共同訳】ヨブ  30:16 もはや、わたしは息も絶えんばかり/苦しみの日々がわたしを捕えた。

 

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【新共同訳】ヨブ  30:27 わたしの胸は沸き返り/静まろうとしない。苦しみの日々がわたしに襲いかかっている。

 

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【新共同訳】コヘ  12:1 青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。「年を重ねることに喜びはない」と/言う年齢にならないうちに。

 

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【新共同訳】ナホ  1:7 主は恵み深く、苦しみの日には砦となり/主に身を寄せる者を御心に留められる。

 

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【新共同訳】ハバ  3:16 それを聞いて、わたしの内臓は震え/その響きに、唇はわなないた。腐敗はわたしの骨に及び/わたしの立っているところは揺れ動いた。わたしは静かに待つ/我々に攻めかかる民に/苦しみの日が臨むのを。

 

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「年が寄って」

 

<口語訳> 検索:

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【口語訳】伝  12:1 あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、

 

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「年を重ね」

 

<新共同訳> 検索:

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【新共同訳】ヨシ  13:1 ヨシュアが多くの日を重ねて老人となったとき、主は彼にこう言われた。「あなたは年を重ねて、老人となったが、占領すべき土地はまだたくさん残っている。

 

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【新共同訳】ヨシ  23:2 ヨシュアは、長老、長、裁判人、役人を含む全イスラエルを呼び寄せて、言った。「わたしは年を重ね、老人となった。

 

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【新共同訳】ヨブ  21:7 なぜ、神に逆らう者が生き永らえ/年を重ねてなお、力を増し加えるのか。

 

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【新共同訳】コヘ  12:1 青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。「年を重ねることに喜びはない」と/言う年齢にならないうちに。

 

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●黙想。どうしたら若い日に神を信じることが出来るか。それは人生最大の問題である。答えは神の祝福、親の祈り、家庭環境、大不幸により神に目をかけられることに尽きる。その聖書的根拠を頭に浮かぶままに掲げて見よう。

塚本訳 ルカ 2:40-52
2:40 幼児は大きくなり強くなって、知恵満ち、神の恵みが彼をはなれなかった
2:41 さてイエスの両親は、過越の祭には毎年エルサレムに行った
2:42 イエスが十二歳になった時、両親は(その)祭の習わしに従って、(彼を連れて都へ)上った。
2:43 (祭の)日が終って帰る時、イエス少年はエルサレムにのこったのに、両親はそれを知らなかった。
2:44 道連れの中にいるとばかり思って、一日路を行ったのち、(はじめてそれに気づき、)親類、知人の中を捜したけれども、
2:45 見つからないので、捜しながらエルサレムに引き返した。
2:46 そして(都を出て)三日の後に、イエスが宮で教師たちの真中に坐って、話を聞いたり尋ねたりしているのを見つけた。
2:47 彼の話を聞いている人々は皆、その賢いうけこたえぶりに舌をまいていた。
2:48 両親はこれを見て驚き、母が言った、「坊や、どうしてこんなことをしましたか。ごらん、お父さまもわたしも(こんなに)心配して、あなたをさがしているではありませんか。」
2:49 彼らに答えられた、「なぜおさがしになったのです。わたしが(天の)お父さまの家に居るのは当り前でしょう。御存知なかったのですか。」
2:50 両親にはこう言われた言葉(の意味)がわからなかった
2:51 それからイエスは一しょに(エルサレムから)下ってナザレに帰り、両親につかえられた。母(マリヤ)はこのことを皆胸に秘めていた
2:52 イエスは知恵も身の丈も、』また神と人との寵愛も、いやましに増していった。』

塚本訳 マタ 5:3-6
5:3 ああ幸いだ、神に寄りすがる『貧しい人たち、』天の国はその人たちのものとなるのだから。
5:4 ああ幸いだ、『悲しんでいる人たち、』、(かの日に)『慰めていただく』のはその人たちだから。
5:5 ああ幸いだ、踏みつけられて)じっと我慢している人たち、』、『(約束の)地(なる御国)を相続する』のはその人たちだから。
5:6 ああ幸いだ、(神の)義に飢え渇いている人たち、(かの日に)満足させられるのはその人たちだから。

塚本訳 ヨハ 5:3-6
5:3 廊下には大勢の病人──盲人、足なえ、やせ衰えた者などが寝ころがっていた。【水の動くのを待っていたのである。
5:4 それは、主の使がときどき池に下りてきて水をかきまわすので、水がかきまわされたとき真先に(池に)はいった者は、どんな病気にかかっていても、(きっと)直るからであった。】
5:5 するとそこに三十八年病気の人がいた。
5:6 イエスはその人が横になっているのを見、すでに長い間わずらっていることを知ると、「直りたいか」とたずねられた

 

塚本訳 ルカ 16:25-26
16:25 しかしアブラハムは言った、『子よ、考えてごらん、あなたは生きていた時に善いものを貰い、ラザロは反対に悪いものを貰ったではないか。だから今ここで、彼は慰められ、あなたはもだえ苦しむのだ。
16:26 そればかりではない、わたし達とあなた達との間には大きな(深い)裂け目があって、ここからあなた達の所へ渡ろうと思っても出来ず、そこからわたし達の所へ越えてくることもない。』 



塚本訳 ヨハ 9:1-3
9:1 イエスは通りがかりに、生まれつきの盲人を見られた
9:2 弟子たちが尋ねた、「先生、この人が盲で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか、両親ですか。」
9:3 イエスは答えられた、「この人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。
ただ神の御業がこの人に現われるためである。



塚本訳 ルカ 23:41-43
23:41 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる。」

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朝の黙想終わり。神を知るに至るのは。他人の祈り(両親、家庭環境、エクレシア)、大不幸、神に目をかけられること。神の祝福。 「聖書で聖書を読む」方法は一番良い。

●「造主(つくりぬし)を記(おぼ)えよ」・・・・これ教育の目標。基督教学校(!)の目標。

●キリスト信者の親の深い思いと願い。「どうしたらわが子に信仰をもたらせることが出来るか」。それは親自身が神に喜ばれる生活(上記ルカ2:40-52)をしていれば、神はその親の最も好きな人に良いものを賜る。「母の祈りは聴かれる」と言われる。次に掲げるような「親」は神に嫌われる。


塚本訳 マタ 20:20-23
20:20 その時、ゼベダイの子(ヤコブとヨハネと)の母がその(二人の)子をつれてイエスの所に来て、ひざまずき、何かお願いしようとした。
20:21 彼女に言われた、「何の願いか。」彼女が言う、「(来ようとしている)あなたの御国で、この二人の子が一人はあなたの右に、一人は左に坐るよう御命令ください。」
20:22 イエスが答えられた、「あなた達は自分で何を願っているのか、わからずにいる。(ヤコブとヨハネに聞くが、)わたしが飲まねばならない(苦難の)杯を飲むことが出来るのか。」「出来ます」と二人がこたえる。
20:23 イエスは言われる、「いかにも、あなた達はわたしの杯を飲むにちがいない。しかしわたしの右と左の席、それはわたしが与えるのではなく、(あらかじめ)わたしの父上から定められた人々に与えられるのである。」

酒飲みで堕落した親の子供や家庭環境が悪い子供はどうなるか。・・・・その悲しみの故に神に目をかけられる。あの賀川豊彦は妾の子であって、家庭環境は良くなかった。しかし神は豊彦に目をかけた。米国宣教師マヤスとローガンに感謝。教勢拡大を望み、老人病院の待合室の様相を示し、社会悪を断罪することが信仰の業、信仰による思想闘争が義の道だと勘違いしている日本のエクレシアよ奮起せよ。 目を覚ませ。

口語訳 詩  27:10
27:10 たとい父母がわたしを捨てても、主がわたしを迎えられるでしょう。


新改訳 詩  27:10
27:10 私の父、私の母が、私を見捨てるときは、主が私を取り上げてくださる。


新共同 詩  27:10
27:10 父母はわたしを見捨てようとも/主は必ず、わたしを引き寄せてくださいます。

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梅雨の日。2階の北側の窓から

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梅雨の日の庭。

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田岡親子がピアノの調律に来てくださった。
前列左 田岡雄民(無教会渋谷集会、今井館子供集会校長)
前列右 田岡啓之(同盟キリスト教団守谷教会、愛子と愛真高校で同期)
歓談尽きず、20時になった。

若き田岡啓之氏を喜び、次の聖句を巡っての懇談は楽し。


口語訳 箴  19:14
19:14 家と富とは先祖からうけつぐもの、賢い妻は主から賜わるものである。


口語訳 箴  17:6
17:6 孫は老人の冠である、父は子の栄えである。


口語訳 伝  12:1
12:1 あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、





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聖なるもの、汚れの自覚、救いの光 ++++++++ 所感

2014/06/11 09:23

40611(水)キリスト信者の皆様お早うございます。●4時半目覚め、朝の啓示「聖なるもの、汚れの自覚、救いの光」●聖書が一貫して告げることは「聖・汚・救」である。今朝はこのテーマを巡って、頭に浮かぶ聖書の箇所を掲げて黙想してみよう。●神があらゆる手段を通じて各人の罪を自覚させるのは結局は救いのためである。失敗、不幸、家庭崩壊、病気、不和・・・・しかしそれは霊魂の救いに導くための神の愛の知恵。神の方が辛いのだ。●呪詛とも思われる人生の不幸も結局は真の幸福、真の喜び、永遠の命を与えんがための神の鞭だ。人が罪や穢れ救いの必要を感じるまで、神は執拗に「これでもか。これでもか」と不幸を降す。●痛いときは泣こう。失ったものの悲しみのために声を上げて泣けばよい。涙のレンズで神が見えてくる。

口語訳 出 3:5
3:5 神は言われた、「ここに近づいてはいけない。足からくつを脱ぎなさい。あなたが立っているその場所は聖なる地だからである」。

口語訳 ヨシ 5:15
5:15 すると主の軍勢の将はヨシュアに言った、「あなたの足のくつを脱ぎなさい。あなたが立っている所は聖なる所である」。ヨシュアはそのようにした。

口語訳 イザ 20:2
20:2 その時に主はアモツの子イザヤによって語って言われた、「さあ、あなたの腰から荒布を解き、足からくつを脱ぎなさい」。そこでイザヤはそのようにし、裸、はだしで歩いた。――

口語訳 Ⅱサム12:7-10
12:7 ナタンはダビデに言った、「あなたがその人です。イスラエルの神、主はこう仰せられる、『わたしはあなたに油を注いでイスラエルの王とし、あなたをサウルの手から救いだし、
12:8 あなたに主人の家を与え、主人の妻たちをあなたのふところに与え、またイスラエルとユダの家をあなたに与えた。もし少なかったならば、わたしはもっと多くのものをあなたに増し加えたであろう。
12:9 どうしてあなたは主の言葉を軽んじ、その目の前に悪事をおこなったのですか。あなたはつるぎをもってヘテびとウリヤを殺し、その妻をとって自分の妻とした。すなわちアンモンの人々のつるぎをもって彼を殺した。
12:10 あなたがわたしを軽んじてヘテびとウリヤの妻をとり、自分の妻としたので、つるぎはいつまでもあなたの家を離れないであろう』。


口語訳 Ⅱサム12:13-15
12:13 ダビデはナタンに言った、「わたしは主に罪をおかしました」。ナタンはダビデに言った、「主もまたあなたの罪を除かれました。あなたは死ぬことはないでしょう。
12:14 しかしあなたはこの行いによって大いに主を侮ったので、あなたに生れる子供はかならず死ぬでしょう」。
12:15 こうしてナタンは家に帰った。さて主は、ウリヤの妻がダビデに産んだ子を撃たれたので、病気になった


口語訳 イザ 6:4-7
6:4 その呼ばわっている者の声によって敷居の基が震い動き、神殿の中に煙が満ちた。
6:5 その時わたしは言った、「わざわいなるかな、わたしは滅びるばかりだ。わたしは汚れたくちびるの者で、汚れたくちびるの民の中に住む者であるのに、わたしの目が万軍の主なる王を見たのだから」。
6:6 この時セラピムのひとりが火ばしをもって、祭壇の上から取った燃えている炭を手に携え、わたしのところに飛んできて、
6:7 わたしの口に触れて言った、「見よ、これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの悪は除かれ、あなたの罪はゆるされた」。

口語訳 ヨブ 38:1-2
38:1 この時、主はつむじ風の中からヨブに答えられた、
38:2 「無知の言葉をもって、/神の計りごとを暗くするこの者はだれか。

口語訳 ヨブ 42:1-6
42:1 そこでヨブは主に答えて言った、
42:2 「わたしは知ります、/あなたはすべての事をなすことができ、/またいかなるおぼしめしでも、/あなたにできないことはないことを。
42:3 『無知をもって神の計りごとをおおう/この者はだれか』。それゆえ、わたしはみずから悟らない事を言い、/みずから知らない、測り難い事を述べました。
42:4 『聞け、わたしは語ろう、/わたしはあなたに尋ねる、わたしに答えよ』。
42:5 わたしはあなたの事を耳で聞いていましたが、/今はわたしの目であなたを拝見いたします。
42:6 それでわたしはみずから恨み、/ちり灰の中で悔います」。

口語訳 レビ 19:2
19:2 「イスラエルの人々の全会衆に言いなさい、『あなたがたの神、
主なるわたしは、聖であるから、あなたがたも聖でなければならない。

口語訳 詩  51:4-7
51:4 わたしはあなたにむかい、ただあなたに罪を犯し、あなたの前に悪い事を行いました。それゆえ、あなたが宣告をお与えになるときは正しく、あなたが人をさばかれるときは誤りがありません。
51:5 見よ、わたしは不義のなかに生れました。わたしの母は罪のうちにわたしをみごもりました
51:6 見よ、あなたは真実を心のうちに求められます。それゆえ、わたしの隠れた心に知恵を教えてください。
51:7 ヒソプをもって、わたしを清めてください、わたしは清くなるでしょう。わたしを洗ってください、わたしは雪よりも白くなるでしょう。

口語訳 イザ 40:1-2
40:1 あなたがたの神は言われる、「慰めよ、わが民を慰めよ、
40:2 ねんごろにエルサレムに語り、これに呼ばわれ、その服役の期は終り、そのとがはすでにゆるされ、そのもろもろの罪のために二倍の刑罰を/主の手から受けた」。

口語訳 イザ 1:18
1:18 主は言われる、さあ、われわれは互に論じよう。たといあなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ。紅のように赤くても、羊の毛のようになるのだ。

口語訳 詩  99:9
99:9 われらの神、主をあがめ、その聖なる山で拝みまつれ。われらの神、主は聖でいらせられるからである

塚本訳 ルカ 5:7-8
5:7 そこでもう一艘の舟にいる仲間に合図をして、加勢に来てもらった。彼らが来て、二艘の舟いっぱい(魚を)つんだので、沈みそうになった。
5:8 シモン・ペテロはこれを見て、イエスの足もとにひれ伏して言った、「主よ、あちらに行ってください。わたしは罪人です。」

塚本訳 ヨハ 12:46
12:46 わたしが光として世に来たのは、わたしを信ずる者はだれも、暗闇の中に留っていないようにするためである

塚本訳 ヨハ 3:16-20
3:16 そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである。
3:17 神は世を罰するためにその子を世に遣わされたのではなく、子によって世を救うためである
3:18 彼を信ずる者は罰されない。信じない者は(今)すでに罰されている。彼を神の独り子として信じていないからである。
3:19 すなわち、光が世に来たのに、人々は自分たちの行いが悪いので、光よりも暗さの方を愛したこと、それが罰である。
3:20 悪いことをしている者は皆、光を憎んで光に来ない。自分の行いが明るみに出されたくないのである

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朝の黙想。日本にキリスト教が土着しない原因は簡単。悪魔に噛みつかれその毒素が体中に回って目が見えなくされたのである。その毒素は神の子イエスの血潮で清められなければならない。まる本人が盲人である苦しみに気が付かなければ救いを求めることはない。

●エクレシアに近づきたくない。あるいは離れたいと思うのは悪魔に毒素を注入されているからだ。人間が注意しても直らない


●TSK日本語版詩編119篇41-88節。半分終了。この山はヘビーだ。
●雨の中を夕方散歩。妻の依頼で道端の無人売店で野菜を購入。夕食を作ってくれる妻が健在なのは感謝だ。

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雨の中を夕方散歩。ケーンケーンと声がするので良く見ると「キジ」。「キジ」は逃げ足が速いので
今までは良く写せなかったが、12倍ズームのカメラを息子から送られたので、 かなり大きく写せる。




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世には知られざる道 ++++++++ 所感

2014/06/10 06:11

140610(火)少数のキリスト者の皆様、お早うございます。今朝は「世には知られざる我々の道」について黙想してみます。●神も知らず、又信仰があると自認している人でも、我々が毎日「聖書、聖書」と言っているのを見て、憐れんでいる。彼ら俗人は軽蔑して言う。「アレは狭い道だ。アイツは聖書にのみ凝っている」と。そんな声に耳を貸すな、ひるむな。我々の道は広く喜びがあり、飽きないのだ。渇かないのだ。●俗人は我々キリスト者に、アイツの視野は狭いから、もっと広い知識を教えてヤロウと思って雑学を教え込もうとする。神学聖書学歴史語学を教え込んでくれようとする。しかしその雑学はこの世の悪臭。「余計なお世話だ」。彼らはこの世の悪の知識の道を喜んでいる。広い道だと思っている。満足しない水をおいしそうに飲んでいる。また信仰だけでは足りない、その展開として「行動」せよ」と叫んで「ヒューマニズム」の道を教えてくれようとする。見えざる神の力を知らない俗人の思いである。●今朝は我々がこの「世には見えざる道」「広い道」「喜びの道」「満足の道」「真に効果のある道」「世を改める真の道」について信仰を固くするために聖書のあちこちを掲げてみよう。初代教会の人達はみなこうして「信仰の道」を励まし合ったのだ。

塚本訳 マタ 7:13-14
7:13 狭い門から入りなさい。滅びに至る道は大きく、かつ広く、ここから入る者が多いのだから。
7:14 命にいたる門はなんと狭く、道は細く、それを見つける者の少ないことであろう!

塚本訳 ルカ 13:23-24
13:23 するとある人が「主よ、救われる者は少ないでしょうか」と尋ねた。人々に言われた、
13:24 「全力を尽くして(今すぐ)狭い戸口から入りなさい。あなた達に言う、(あとになって)入ろうとしても、入れない者が多いのだから。

塚本訳 マタ 15:13-14
15:13 イエスは答えられた、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜かれる。
15:14 あの人たちを放っておけ。盲人の手引をする盲人だ。盲人が盲人の手引をすれば、二人とも穴に落ちよう。」

塚本訳 ヨハ 7:15-16
7:15 ユダヤ人は驚いて言った、「この人は学校に行ったこともないのに、どうして聖書を知っているのだろうか。」
7:16 イエスは答えて言われた、「わたしの教えはわたしの教えではない。わたしを遣わされた方の教えである。

塚本訳 ヨハ 4:31-32
4:31 その間に弟子たちが、「先生、お食事を」と催促すると、
4:32 言われた、「わたしにはあなた達の知らない食べ物がある。」

塚本訳 ヨハ 4:13-14
4:13 イエスは答えられた、「この(井戸の)水を飲む者はだれでもまた渇くが、
4:14 わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」

塚本訳 マタ 19:23-24
19:23 イエスは弟子たちに言われた、「アーメン、わたしは言う、金持が天の国に入ることはむずかしい。
19:24 かさねて言う、金持が天の国に入るよりは、駱駝が針のめどを通る方がたやすい。」

塚本訳 Ⅰコリ1:18
1:18 なぜか。この十字架についての言葉は、滅びゆく者には馬鹿なことであるが、わたし達救われる者には、神の力(の現われ)であるから。

塚本訳 マタ 10:26-28
10:26 だから彼らを恐れるな、(すべてはじきに明らかになるであろう。)覆われているものであらわされないものはなく、隠れているもので(人に)知られないものはないからである。
10:27 わたしが暗闇で(こっそり)話すことを、(大胆に)明るみで言え。耳うちされたことを屋根の上で宣伝せよ。
10:28 体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。


塚本訳 マタ 5:3
5:3 ああ幸いだ、神に寄りすがる『貧しい人たち、』天の国はその人たちのものとなるのだから。

塚本訳 マタ 5:5
5:5 ああ幸いだ、『(踏みつけられて)じっと我慢している人たち、』、『(約束の)地(なる御国)を相続する』のはその人たちだから。

塚本訳 マタ 5:6
5:6 ああ幸いだ、(神の)義に飢え渇いている人たち、(かの日に)満足させられるのはその人たちだから。

塚本訳 マタ 5:10
5:10 ああ幸いだ、信仰のために迫害される人たち、天の国はその人たちのものとなるのだから。

塚本訳 マタ 5:11
5:11 わたしゆえに罵られたり、迫害されたり、あらん限りの根も葉もない悪口を言われたりする時、あなた達は幸いである。

塚本訳 ルカ 6:20-23
6:20 イエスは目をあげ、(十二人の使徒その他の)弟子たちを見ながら話された。──「ああ幸いだ、『貧しい人たち、』神の国はあなた達のものとなるのだから。
6:21 ああ幸いだ、今飢えている人たち、(かの日に)満腹させられるのはあなた達だから。ああ幸いだ、今泣いている人たち、(かの日に)笑うのはあなた達だから。
6:22 人に憎まれる時、また、人の子(わたし)のゆえに除名されたり、罵られたり、悪様に言われたりする時には、あなた達は幸いである。
6:23 その日には躍りあがって喜びなさい、どっさり褒美が、天であなた達を待っているのだから。あの人達の先祖も、同じことを預言者たちにしたのである。

塚本訳 マタ 20:25-26
20:25 するとイエスは彼らを呼びよせて言われた、「あなた達が知っているように、世間では主権者が人民を支配し、また(いわゆる)えらい人が権力をふるうのである。
20:26 あなた達の間では、そうであってはならない。あなた達の間では、えらくなりたい者は召使になれ。

塚本訳 マタ 20:21-23
20:21 彼女に言われた、「何の願いか。」彼女が言う、「(来ようとしている)あなたの御国で、この二人の子が一人はあなたの右に、一人は左に坐るよう御命令ください。」
20:22 イエスが答えられた、「あなた達は自分で何を願っているのか、わからずにいる。(ヤコブとヨハネに聞くが、)わたしが飲まねばならない(苦難の)杯を飲むことが出来るのか。」「出来ます」と二人がこたえる。
20:23 イエスは言われる、「いかにも、あなた達はわたしの杯を飲むにちがいない。しかしわたしの右と左の席、それはわたしが与えるのではなく、(あらかじめ)わたしの父上から定められた人々に与えられるのである。」

塚本訳 ピリ 3:7-9
3:7 しかし(前には)自分に得であ(ると思っ)たこれらの特権も、キリストのために(かえって)損と思うようになってしまった。
3:8 否、ただにそれ(らの特権)ばかりでなく、わが主キリスト・イエス(を知る)の知識が(余りにも尊く)優れているために、本当は(今は)一切合切のものを損だと思っている。(実際)彼のために何もかも損してしまったのだが、(そんなものは皆)塵芥と思っている。これはキリスト・イエスを自分の有とし、
3:9 彼に在ることが出来──(もちろん)これは律法(を守ること)から来る私自身の義によるのでなく、キリストの信仰による(義、)すなわち信仰に基づいて神から与えられる義によるのであるが──

塚本訳 エペ 3:17-19
3:17 信仰によってキリストを君達の心の中に宿らせ、(また君達の言と行とをして悉く)愛に根を下ろし、(愛に)基礎を置くものならしめ給わんことを!
3:18 かくて君達が凡ての聖徒と共に神の経綸の広さ、長さ、高さ、深さの如何ばかりなるかを悟り、
3:19 また(人の)知識を越ゆるキリストの愛を知ることが出来、かくて遂に神の中に充ち満つる凡てのものをもって満たされんことを!

塚本訳 ヨハ 6:67-68
6:67 するとイエスが十二人(の弟子)に言われた、「まさか、あなた達まで離れようと思っているのではあるまいね。」
6:68 シモン・ペテロが答えた、「主よ、(あなたを離れて)だれの所に行きましょう。永遠の生命の言葉はあなただけがお持ちです(から)。

塚本訳 使  3:5-6
3:5 彼が何かもらうことを予期して二人を見つめていると、
3:6 ペテロが言った、「金銀は持っていない。わたしの持っているもの、それをやろう。──ナザレ人イエス・キリストの名で歩きなさい!」。

塚本訳 ヨハ 7:47-49
7:47 パリサイ人が答えた、「君たちまでが迷わされたのではあるまいね。
7:48 (最高法院の)役人かパリサイ人のうちに、あれを信じた者がひとりでもあるというのか。
7:49 (信じたのは民衆だけだ。)律法(聖書)を知らないあんな民衆は、呪われたがいい!」

塚本訳 ピリ 3:19
3:19 あの人達の最後は破滅、その神は自分の腹、その光栄(と考えているもの)は(実は)恥であって、あの人達は(ただ)地のこと(ばかり)に気を取られているのだ!


塚本訳 マタ 5:38-42
5:38 あなた達は(昔の人がモーセから、)『目には目、歯には歯』──(人の目をつぶした者は自分の目で、人の歯を折った者は自分の歯で、つぐなわなければならない)と命じられたことを聞いたであろう。
5:39 しかしわたしはあなた達に言う、悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打ったら、左をも向けよ。
5:40 (裁判所に)訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせてやれ。
5:41 だれかが無理に一ミリオン[一キロ半]行かせようとするなら、一しょに二ミリオン行ってやれ。
5:42 求める者には与えよ、借りようとする者を断るな。


塚本訳 マタ 5:43-47
5:43 あなた達は(昔の人がモーセから、)『隣の人を愛し、』敵を憎まねばならない、と命じられたことを聞いたであろう。
5:44 しかしわたしはあなた達に言う、敵を愛せよ。自分を迫害する者のために祈れ。
5:45 あなた達が天の父上の子であることを示すためである。父上は悪人の上にも善人の上にも日をのぼらせ、正しい人にも正しくない人にも、雨をお降らしになるのだから。
5:46 自分を愛する者を愛したからとて、なんの褒美があろう。(人でなしと言われるあの)税金取りでも同じことをするではないか。
5:47 また兄弟にだけ親しくしたからとて、なんの特別なことをしたのだろう。異教人でも同じことをするではないか。

塚本訳 ヨハ 7:3-6
7:3 イエスの兄弟たちが言った、「ここから移ってユダヤに行き、(今ここで)している業を(そこの)弟子たちにも見せたらどうです。
7:4 世に認められようとする者が、隠れた所で事をする法はあるまい。こんな(えらい)ことをしているのだから、(都に行って、)自分を世間に現わしたらどうです。」
7:5 兄弟たちも彼を信じなかったからである。(彼らはイエスの国がこの世のものでないことを知らなかった。)
7:6 イエスは兄弟たちに言われる、「わたしの(世にあらわれる)時はまだ来ていない。あなた達の時はいつでも準備ができている。(いつでもしたいことができるのだから。)

塚本訳 ガラ 4:9
4:9 しかし今あなた達は神を知っている、いや、むしろ神に知られているのに、どうしてもう一度無力な、貧弱なあの元素の霊(の崇拝)に戻るのか。(どうして)もう一度あらためて(その奴隷として)仕えようと思うのか。


塚本訳 Ⅱコリ6:9-10
6:9 (世間では)無名人でありながら、(神の前では)有名人として、『死にかけてい』ながら、いまここに『わたし達は生きている!』『そしてまた(神に)こらしめられるが、殺されない者』として、
6:10 悲しんでいるが、しかしいつでも喜んでいる者として、貧乏であるが、しかし多くの人を金持にする者として、何一つ持たないで、何もかも持っている者としてである。


塚本訳 Ⅱコリ6:11-13
6:11 コリント人たちよ、(気持ちはすっかり直った。)わたし達の口はあなた達に向かって開いている。『心は広くなっている。
6:12 わたし達の(心の)中であなた達はすこしも狭苦しい扱いを受けてはいない。あなた達が狭苦しい扱いを受けているのは、自分の心の中でのことだ。
6:13 だからお返しに──(自分の)子供に物言うように言うが──あなた達も広くなりなさい!


口語訳 詩  118:5
118:5 わたしが悩みのなかから主を呼ぶと、主は答えて、わたしを広い所に置かれた。


塚本訳 Ⅱコリ6:14-16
6:14 不信者と一緒に不似合いな軛を負うようになってはいけない。なぜというか。義と不法とはなんの共同関係があろう。また光は暗闇に対しなんの共通性があろう。
6:15 キリストがベリアルに対してなんの調和があろう、また信者は不信者となんの共同があろう。
6:16 神の宮が偶像となんの一致があろう。わたし達はたしかに生ける神の宮である。神がこう仰せられた。──『わたしは彼らの間に住みまた歩むであろう、わたしは彼らの神になり、彼らはわたしの民になる』

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朝の黙想おわり。キリスト者は世には知られない。知られようとしてはいけない。有名になろうとしてはいけない。神にのみ知られる存在でなければならない。


●TSK詩編119篇。176節。エベレストだ。4分割でゆっくりやる。
●福島のYTさんから義父のHTさんの遺品である「聖書知識」(塚本虎二主筆)の旧号を多数送られた。国宝ですとお礼のメールをした。









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祈りは離れていても効き目がある ++++++++ 所感

2014/06/09 06:50

140609(月)朝の啓示「祈りは離れていても効き目がある」●このことはイエスの言動から学ぶことが出来る。こういうことは信仰の篤い人に接していると感化されるものである。頭に浮かぶそのイエスの言動を見てみよう。●残りの生涯でこういう「聖書事典」を作ってみたい。


塚本訳 ルカ 7:1-10
7:1 イエスはこれら一切の話を人々に聞かせ終った後、カペナウムにかえられた。
7:2 すると、ある百卒長の大事な僕が病気で、もう危篤であった。
7:3 百卒長はイエスのことを聞くと、ユダヤ人の長老たちをイエスの所に使にやって、是非僕を直しに来てほしいと頼ませた。
7:4 長老たちはイエスの所に来て、こう言って熱心に願った、「あの人はそうしていただいてもよい人です。
7:5 (異教人でありながら)わが国民に好意をもち、自分でわたし達に礼拝堂を建ててくれたのですから。」
7:6 イエスは彼らと連れ立って行かれた。しかし、すでにその家から程遠からずなったとき、百卒長は友人たちをやって言わせた、「主よ、ご足労くださらぬように。わたしはあなたを、うちの屋根の下にお迎えできるような者ではありません
7:7 だから自分でお願いに出る資格もないと考えたのです。(ここでただ)一言、言ってください。そうすれば下男は直ります。
7:8 というのは、わたし自身も指揮権に服する人間であるのに、わたしの下にも兵卒がいて、これに『行け』と言えば行き、ほかのに『来い』と言えば来、また僕に『これをしろ』と言えば(すぐ)するからです。(ましてあなたのお言葉で、病気が直らないわけはありません。)」
7:9 イエスはこれを聞いて驚き、ついて来た群衆の方に振り向いて言われた、「わたしは言う、イスラエルの人の中でも、こんな(りっぱな)信仰を見たことがない。」
7:10 使の者が家に帰って見ると、僕は元気になっていた



●2節。「危篤」ならばすぐそばに来てもらわなければならない。医者なら往診してもらわなければならない。救急車を呼ばなけrなならない。信仰ない人は「お祈りなんて効き目がない」と思って嘲る。
●3-4節。信仰には「是非」とか「熱心」が必要。胡坐(あぐら)を書いていては神も腰をあげない。建築設計も同じ。熱心に頼んでこない人には設計できない。
●6節。信仰にはこの砕けた心が大切だ。その昔先仙台に講演に行った時、同行の建設省の人と共にT屋と言う老舗旅館に宿を取った。その品のよい「おかみ」が「この旅館はあなた様方をお泊めするようなところではありません」と謙遜に挨拶された。妙にこの言葉が忘れられない。ずっと後になってその前を通ったら改築されて立派になっていた。さもあらん。
●7節。「(ここでただ)一言、言ってください。そうすれば下男は直ります」。あなたの力は遠隔操縦が可能ですとという信仰だからすごい。何事も本人に直接会って「注意したり」「説教したり」「小言を言ったり」「激怒したり」「攻撃したり」「親睦しようとしたり」「仲直りしたり」「歓談して心の交流を深めて和解したり」しなくても離れていて遠隔でもそれが可能なのだ。自戒。
●8節。「(すぐ)する」。ヒルティは軍隊の精神を評価する。その点民主主義は最後の形ではない。愚論の応酬ばかりだ。政治に熱心になれない。
●9節。「(りっぱな)信仰」。キリスト者は信仰を持ってこの世的に偉くなることではない。教会を繁盛させることではない。「立派な信仰」を持つようになることである。これが人生の目的である。人格の完成ではない。
●10節。信仰の凡人は結果の「徴」を見て本当であることを信じた。しかしこれは信仰に至らない。「たまたま偶然に直ったのだ」と思うだけだ。

塚本訳 ヨハ 3:1-3
3:1 ところでパリサイ人の中に名をニコデモという人があった。ユダヤの(最高法院の)役人であった。
3:2 ある夜、イエスの所に来て言った、「先生、わたし達はあなたが神のところから来られた先生であることを知っています。神がご一しょでなければ、あなたのされるあんな徴[奇蹟]はだれもすることは出来ません。」
3:3 イエスが答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、(徴を見て信じたのではいけない。)人は新しく生まれなおさなければ、神の国にはいることは出来ない。」


●2節。徴(奇跡)を見て信ずるのは「科学的精神」。本物の信仰ではない。結婚問題で、見合い写真を見て気に入ったら決めよういう精神だから、その精神で結婚すると途中で「気に入らなくなる」とすぐ離婚する。私たちはお互いに会うことなく結婚を決めた。神が賜わる人だと信じ込んだのだ。結婚は冒険だ。自己に対する死だ。決死隊、帰りの燃料を積まないで飛び立つ特攻隊だ。軍隊の精神は信仰に役立つ。見ないで、会わないで結婚した結果、失敗しても信仰は成功。神が何とかしてくださる。イマドキのワカイモンは相思相愛が結婚の最上の形だという風潮だから、晩婚化になりすぐ離婚したくなるのだ。日本は晩婚化と離婚の多発で人口減に歯止めがかからず、ついに滅びる。ローマ帝国が亡びたのは性道徳の紊乱による人口減。

塚本訳 ヨハ 4:46-53
4:46 それから、またガリラヤのカナに行かれた。そこは(前に)水を酒にされた所である。するとカペナウムに(ヘロデ・アンデパス)王の役人がいて、その息子が病気であった。
4:47 イエスがユダヤからガリラヤに来ておられると聞くと、イエスの所に行き、(カペナウムに)下ってきて息子を直してほしいと頼んだ。息子が死にそうだったのである
4:48 イエスは言われた、「あなた達は徴[奇蹟]と不思議なことを見なければ、決して信じない。」
4:49 王の役人が、「主よ、子供が死なないうちに(カペナウムに)下ってきてください」と言いつづけると、
4:50 イエスは言われる、「かえりなさい、息子さんはなおった。」その人はイエスの言われた言葉を信じて、かえっていった。
4:51 しかしすでに途中で、僕たちが出迎えて、子供がなおったことを知らせた。
4:52 そこで僕たちに良くなった時間をたずねると、「きのう午後一時に熱が取れた」とこたえた。
4:53 父は、それが「息子さんはなおった」とイエスが言われた時間であることを知り、
彼はもちろん、全家族が信じた。


●47節。親としては子供が病気で死にそうだとまると「なりふりかまわず」行動する。それでよいのだ。それがよいんだ。子供を抱えた「福島の母」は子供のために「なりふり構わず」病院めぐりをする。それでよいのだ。それが信仰の精神だ。
●48節。しかし神の全能の力を信じるこおをしなければ有効な手立てをすることにはならない。
●50節。この王の役人の信仰は素晴らしい。イエスの言葉を信じて帰った。おそらくウキウキ、口笛えdも吹きながら帰って行ったのではあるまいか。しかしこれは「鰯の頭も信心から」ではない。イエスの発した言葉を信じたのである。言葉を信じるとは神を信じることだ。
●53節。彼も全家族も徴(奇跡)を見て、信ずるに至った。しかしこれでよいのだ、この事件を契機にだんだん信仰が深まり、ついに「生まれ変わり」(上記ヨハネ3:3)による深い信仰を持つようになるのだ。イエスが奇跡を行ったのは真の信仰へのきっかけを作ったのだ。

塚本訳 マタ 8:10-12
8:10 イエスは聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた、「アーメン、わたしは言う、イスラエル人の中でも、こんなりっぱな信仰をもっている者を一人も見たことがない。
8:11 わたしは言う、(最後の日には、このような信仰のあつい)大勢の人が『東から西から』来て、天の国でアブラハムやイサクやヤコブと共に宴会につらなり、
8:12 (かんじんのイスラエル人、すなわち)御国の子供たちは外の真暗闇に放り出され、そこでわめき、歯ぎしりするであろう。」


●前記ルカ7:1-10の平行記事のマタイによる後半。
●11節。天国の上席。宮中晩餐会以上。そこに招かれる人はカタワや病人。そして信仰の篤い人。

塚本訳 ヨハ 11:15
11:15 わたしがそこにいなかったことを、あなた達のために喜ぶ。あなた達の信仰を強めることができるからだ。さあ、ラザロの所に行こう。」

塚本訳 ヨハ 11:33-40
11:33 イエスはマリヤが泣き、一しょに来たユダヤ人たちも泣くのを見ると、(その不信仰を)心に憤り、かつ興奮して、
11:34 (マルタとマリヤに)言われた、「どこにラザロを納めたか。」二人が言う、「主よ、来て、御覧ください。」
11:35 イエスが涙を流された。
11:36 するとユダヤ人たちが言った、「まあ、なんとラザロを可愛がっておられることだろう!」
11:37 しかし中には、「盲人の目をあけたこの人にも、このラザロが死なないように出来なかったのか」と言う者もあった。
11:38 そこでイエスはまたも心に憤りながら、(ラザロの)墓に来られる。墓は洞穴で、入口に石を置いて(ふさいで)あった。
11:39 「石をのけなさい」とイエスが言われる。死んだ人の姉妹のマルタが言う、「主よ、もう臭くなっています。四日目ですから。」
11:40 イエスがマルタに言われる、「信ずれば神の栄光が見られると、(さきほども)あなたに言ったではないか。


●前記、百卒長や王の役人の篤い信仰とは反対に不信仰者の例。
●イエスは怒ったのだ。何を怒ったか。この世の人間の不信仰を怒ったのだ。自戒。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想おわり。神は遠隔の人にも力を発揮してくださる。疎遠になって何年も会ってない兄弟。海外赴任で会えない子供、サタンにより道ならぬ暗闇に陥っている人、これらの現実的苦悩心配に対しても神は力が働く。

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信仰の遺産 ++++++++ 所感

2014/06/08 06:30


140608(日)朝の黙想「信仰の遺産」●昨日は長男夫妻が来たので遺産相続の話をした。私のホームページは私が死ぬとプロバイダーのサービスが止まるので消滅する。しかしその中の聖書データであるBbBとTSK(工事中)は何らかの方法で継承してもらいたいと言った。遺言だ。●BbBは本にすると、1万5千ページ、TSKは14万ページになるから本で残すことは不可能。CDもそれを開くマシンの存在で永久性は難しい。●プロバイダーに相談したら、「人から人に」受けつがれていくのがよいと言うことであった。これは私にとって啓示であった。福音は本でも教会組織でも残らない。人から人、命から命である。それが真の継承の方法である。


塚本訳 マタ 16:16-18
16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主、生ける神の子であります!」
16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから
16:18 それでわたしもあなたに言おう。──あなたはペテロ[岩]、わたしはこの岩の上に、わたしの集会を建てる。黄泉の門[死の力]もこれに勝つことはできない。


●福音は信仰者の存在の連鎖でつながる。命から命である。
●信者が死んでも信仰の命は継承される。神が働いて次の人を「起こす」からだ。

塚本訳 Ⅰコリ15:3-4
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、


●パウロの信仰はエルサレム教会の面々から受けついだのである。人から人へ、命から命へである。エルサレム教会の面々は死んでその集会は消滅しても神はパウロを「起こした」

塚本訳 使  26:16
26:16 さあ、起きて、『自分の足で立て。』わたしが(今)現われたのは、君を選んで、わたしを見たことと、(今からも)君に現われて示すこととの証人として、わたしに仕えさせるためである。


●私には土地建物という財産があるか、わずかである。私の財産は「信仰」である。

塚本訳 使  3:6
3:6 ペテロが言った、「金銀は持っていない。わたしの持っているもの、それをやろう。──ナザレ人イエス・キリストの名で歩きなさい!」
「金銀は持っていない。わたしの持っているもの、それをやろう。──ナザレ人イエス・キリストの名で歩きなさい!」


文語訳 使  3:6
3:6 ペテロ言ふ『金銀は我になし、然れど我に有るものを汝に與ふ、ナザレのイエス・キリストの名によりて歩め


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朝の黙想おわり。

●遺産と言うことで、カトリック神父岩下壮一の「信仰の遺産」(岩下壮一全集第4巻P121)に目を通した。博学博識、プロテスタントにも思いを寄せて網羅的。理性の安息を得る。
●しかし「聖書で聖書を読む」ということの方が命がある。この生き方は無教会の「遺産」だ。


●10:00集会は茂木(司会)、高木(マルコ3章)、山本(テモテ第一)
●14:00 保谷のこもれびホールで「西東京フィル、定期演奏会」ヴィオラの和田睦夫氏の招待。開演前に夫人の聖子さんと歓談。妻は集会の「すずめの会」(婦人会)のためコンサートは欠席。

2014_06080001.jpg 
保谷 こもれびホール。西東京フィル定期演奏会

指揮、今村能(ちから)
ブラームス 大学祝典序曲 ルトスワフスキ小組曲、ブラームス交響曲第2番

弦のアンサンブルが素晴らしかった。

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聖書における家族親族 ++++++++ 所感

2014/06/07 05:28

140607(土)4時半目覚め●朝の啓示「家族親族」●人間は必ず親があって存在するから、「家族親族」がある。しかしそこに悩みと悲しみがある。それは「ウチのもの」「ウチの家系」という限定単位があるための悩み悲しみである。●身内から犯罪者が出る。家族が災害で死ぬ。わが子が病気である。家族親族のいたらなさの悩みはなどは、みな「自分の身内関係者」だからである。●だから、新聞種になるようなこ犯罪が起こると、「自分の子でなくてよかった」「自分の家族親族でなくてよかった」という感情になる。●だから人間の諸活動は「家族親族」ということが無意識のうちに根底にあるものだ。「妻子のために働く」「ウチの子に限って」「子供が病気。将来が不安」「不完全で気に入らない駄目な夫、妻、嫁、婿、親」●今朝はこの「家族親族」ということについて聖書を思いつくままに掲げて黙想してみよう。
 
口語訳 創  1:27
1:27 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された

●神は創造の最後に人間の男女を造った。ペアでワンユニットである。

口語訳 創  2:18-23
2:18 また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。
2:19 そして主なる神は野のすべての獣と、空のすべての鳥とを土で造り、人のところへ連れてきて、彼がそれにどんな名をつけるかを見られた。人がすべて生き物に与える名は、その名となるのであった。
2:20 それで人は、すべての家畜と、空の鳥と、野のすべての獣とに名をつけたが、人にはふさわしい助け手が見つからなかった
2:21 そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。
2:22 主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた
2:23 そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、/わたしの肉の肉。男から取ったものだから、/これを女と名づけよう」。


●18節。「人がひとりでいることは良くない」とは何か。最近は晩婚化で結婚しない娘や息子を抱える親の悩みは深刻。「うちの娘はまだ片付かない」という言い方がある。
●20節。「ふさわしい助け手」ということ。女は男の助け手なのだ。女子大の一生徒曰く「頼りない男性ばかりだ」と。男性よしっかりせよ。女に関心のある男とは結婚するな。男の本質は「仕事」。
●20節。結婚相手は神が「連れてくる」と言うのがその本質。「♫でしゃばりオヨネに手を引かれ、愛ちゃんは太郎の嫁になる♫」。しかし最近はその「でしゃばりオヨネ」の存在が少ない。周囲に離婚が頻発するので、過日あきる野市に聞いたら昨年の婚姻届は886件、離婚届は223件。4組に1組。驚異的な率だ。全国ではもっと高い。これじゃー誰も仲人のなり手がない。すぐ離婚問題のゴタゴタに悩まされるからだ。
●幸福論のカールヒルティはその「結婚の神聖」で。妻に先立たれた自分はもう「完全ではない」と嘆いたが、それでもなお長く生きた。塚本先生は結婚して間もなく夫人を関東大震災で失った。男手一つで二人の子供をを育て、人生の辛酸を舐め尽くした。あるとき子供が泣くのでどうしても「聖書講義」に出かけられないこともあった。晩年親しい人に「私の家庭はカタワだー、カタワだー」と嘆いたという。神に打たれたのでそうなったのだ。その打たれた傷の痛みから「福音を説いた」のでそれを聞いた私はキリスト教が良く分かった。

口語訳 創  6:1-5
6:1 人が地のおもてにふえ始めて、娘たちが彼らに生れた時、
6:2 神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった
6:3 そこで主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう」。
6:4 そのころ、またその後にも、地にネピリムがいた。これは神の子たちが人の娘たちのところにはいって、娘たちに産ませたものである。彼らは昔の勇士であり、有名な人々であった。
6:5 主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。


●過日NHKTVの「理想の結婚」という番組を見て、目が洗われるようであった。私の頭は古い。しかし古いと言っても悪いと言うのではない。イマドキのワカイモンの結婚観は神に対する罪が土台だから、すぐ崩れるのだ。 流行は善ではない。
●現在恋愛結婚の率は80%以上。恋愛もいいが、神の顔を立てないから神に祝福されないのだ。
●女子大で建築講義をしている時、「イケメンと結婚するな」と言うと、「なぜですかぁー」というので、「イケメンは大抵金がなく、倫理と教養がないからだ」と言うと、「先生、今のイケメンはお金を持っていますよー」と来た。その金の使い方が問題なのだ。今に見ておれ。

口語訳 創  22:17-18
22:17 わたしは大いにあなたを祝福し、
いにあなたの子孫をふやして、天の星のように、浜べの砂のようにする。あなたの子孫は敵の門を打ち取り、
22:18 また地のもろもろの国民はあなたの子孫によって祝福を得るであろう。あなたがわたしの言葉に従ったからである』」。

●ただ子孫が増えても空しい。神に祝福される子孫にならなければならない。

口語訳 箴  18:22
18:22 妻を得る者は、良き物を得る、かつ主から恵みを与えられる


口語訳 箴  19:14
19:14 家と富とは先祖からうけつぐもの、賢い妻は主から賜わるものである。


●「賢い妻」とは何か。少しばかりおっかない、しっかりしすぎているということだ。そういう妻は神が賜るのだ。イマドキの若い男性に告ぐ。可愛い「女の子」を追いかけまわすな。 人生失敗する。

口語訳 箴  31:10-12
31:10 だれが賢い妻を見つけることができるか、彼女は宝石よりもすぐれて尊い
31:11 その夫の心は彼女を信頼して、収益に欠けることはない
31:12 彼女は生きながらえている間、その夫のために良いことをして、悪いことをしない。

口語訳 箴  31:25-26
31:25 力と気品とは彼女の着物である、そして後の日を笑っている
31:26 彼女は口を開いて知恵を語る、その舌にはいつくしみの教がある。


●箴言31章にはユダヤ人の理想の妻が語られている。こういう女性は恋愛では得られない。いたとしても成立しない。女性が逃げる。

口語訳 創  26:4
26:4 またわたしはあなたの子孫を増して天の星のようにし、あなたの子孫にこれらの地をみな与えよう。そして地のすべての国民はあなたの子孫によって祝福をえるであろう


●子孫が多いことは感謝であるが、ただそれだけでは「動物的繁殖」に過ぎない。数の多いことを単純に喜んでいてはいけない。新しく生まれる人が多く出なければならない。イエスは次のように言うのだ。

塚本訳 ヨハ 3:3-7
3:3 イエスが答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、(徴を見て信じたのではいけない。)人は新しく生まれなおさなければ、神の国にはいることは出来ない。」
3:4 ニコデモがイエスに言う、「(このように)年を取った者が、どうして生まれなおすことが出来ましょう。まさかもう一度母の胎内に入って、生まれなおすわけにゆかないではありませんか。」
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。
3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。

3:7 『あなた達は新しく生まれなおさねばならない』と言ったからとて、すこしも不思議がることはない。


●そうだ。私達は老年になってもう肉の子供は生めないが「霊の子」は生むことが出来るのだ。 生まなくてはならないのだ。孫伝道だ。
●私は子供4人、孫7人。仕事が増えた。祈りの対象が増えた。十字架が増えた。

口語訳 ヨブ 1:18-22
1:18 彼がなお語っているうちに、またひとりが来て言った、「あなたのむすこ、娘たちが第一の兄の家で食事をし、酒を飲んでいると、
1:19 荒野の方から大風が吹いてきて、家の四すみを撃ったので、あの若い人たちの上につぶれ落ちて、皆死にました。
わたしはただひとりのがれて、あなたに告げるために来ました」。
1:20 このときヨブは起き上がり、上着を裂き、頭をそり、地に伏して拝し、
1:21 そして言った、/「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」。
1:22 すべてこの事においてヨブは罪を犯さず、また神に向かって愚かなことを言わなかった。



●ヨブは息子と娘を失った。家も失った。
●21節。しかし自分は一人で生まれたのだから一人で帰ろう」と言った。ナンノコレシキと思ったのだ。しかしこのガンバリのトーンは低い。諦めである。克己心である。奮励努力である。パウロのロマ書8章の凱歌とは違う。救世主到来による新約のパウロにはヨブに見えないものが見えたのだ。


口語訳 箴  17:6
17:6 孫は老人の冠である、父は子の栄えである。


●後半は難解。
●ここのところ、新改訳でも新共同でも意味が通らない。
●関根訳と岩波翻訳委員会訳を見てみよう。
関根訳。・・・子らのほまれは父祖たち                                                                                        岩波翻訳委員会訳・・・父祖たちは子らの栄光
●TSKを見ると、ソロモンはダビデを尊敬したと読めた。


口語訳 詩  127:3
127:3 見よ、子供たちは神から賜わった嗣業であり、胎の実は報いの賜物である。

●子供は「作る」のではなく、「賜る」のである。この点日本の産科、生殖、出生前検査などは信仰がないから迷走している。そのうち人口減少が起こる。そして慌てる。これ天罰。

塚本訳 ルカ 20:34-36
20:34 イエスは言われた、「この世の人はめとり嫁ぐけれども、
20:35 あの世にはいる資格を与えられて、死人の中から復活する者は、めとることもなく嫁ぐこともない。
20:36 復活によって生まれる彼らは、天使と同じであり、神の子であるので、もはや死ぬことが出来ない、(従って子を産む必要がない)からである。


●救世主が到来して、結婚観が変わった。クリスチャンは「この世の人」ではないから、もう肉の子供を産む必要がない。
●来世では結婚にまつわる喜びも悲しみもない。                                                                         ●家族関係のゴタゴタ、怒り、不満、不完全さがない。

塚本訳 マタ 12:46-50
12:46 イエスがまだ群衆に話しておられると、そこにその母と兄弟たちがイエスに話しがあって、外に立っていた。
12:47 〔無し〕
12:48 しかしイエスはそのことを知らせた者に、「わたしの母とはだれのことだ、わたしの兄弟とはだれのことだ」と答えて、
12:49 弟子たちの上に手をのばして言われた、「ここにいるのが、わたしの母、わたしの兄弟だ。
12:50 だれでもわたしの天の父上の御心を行う者、それがわたしの兄弟、姉妹、また母であるから。


●キリスト信者になるには血縁のしがらみを断ち切らなければならない。修道院に入る意気込みが必要だ。


塚本訳 マタ 19:3-6
19:3 そこにパリサイ人たちが近寄ってきて、イエスを試そうとして言った、「何か理由があれば、妻を離縁してもよろしいか。」
19:4 答えて言われた、「造物者が始めから『彼らを男と女とに造られた』こと、
19:5 また、『それゆえに人は父と母とをすてて妻に結びつき、二人は一体となる』と言われたことを、あなた達は読んだことがないのか。
19:6 従って、もはや二人ではない、一体である。だから夫婦は(皆)神が一つの軛におつなぎになったものである。(どんな理由があっても)人間がこれを引き離してはならない。」


●塚本訳の「すてて」は厳しい訳だが、結婚の本質。
●嫁姑の仲が悪いのは自然の摂理。
●嫁が気にくわない、婿が気にくわないと思うのは自然の摂理。
●嫁や婿に「こうあってほしいなー」と不満をもつのは自然の摂理。                                         ●親は子に嫌われ、不満を持たれて捨てられる。淋しく憤慨を感じるがこれでいいのだ。その代り新家庭は離婚してはいけない。
●6節。塚本訳の(どんな理由があっても)は苦心の伝道者敷衍訳。
●親(義父義母も)を嫌わなければ「二人は一体」にならないのだ。なれないのだ。
●植物の種は樹の下に落ちない。風に乗ってなるべく遠くに飛んでいくものだ。親の手の届かない見えないところに落ちるものだ。 親という字は立つ木を見ると言う。こは親を遠くから見るのだ。

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朝の黙想おわり。今日は長男夫妻が長女(5か月)を初めて遠出して見せに来てくれる。

●10:30 長男夫妻とその長女が車で来てくれた。感謝。子育て、信仰、仕事のことなど歓談。
●15:30 豪雨のため高速が途中通行止めなので別ルートで帰って行った。人生も時に別ルートを行かねばならないことが起こるなー。 走り去る車の後ろ姿を見送った。






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人は皆「通りすがりの人」だ。 ++++++++ 所感

2014/06/06 05:12

140606(金)4時半目覚め。●朝の黙想「通りすがりの人」●ブログやホームページをやっていると良い出会いがある。過日、見知らぬ人から次のようなメールが来た。特定できないように場所や名前を伏せる。この点、ブロガーは苦労努力するのだ。世に自分を表さない人は、「暗黒の人」で「自分の世界にだけ閉じこもっている」から、神からの宝を秘めている事になる。神に罰せられる。●まず「隠す」ということについて考えてみよう。

塚本訳 マタ 25:24-30
25:24 最後に一タラントあずかっていた者も進み出て言った、『御主人、あなたは(種を)まかない所で刈り取り、(金を)まき散らさない所で集める、きつい方と知っていたので、
25:25 (商売をするのが)恐ろしく、行って、あなたのタラントを地の中に隠しておきました。そら、お返しします。』
25:26 主人が答えた、『怠け者の、悪い僕よ、わたしがまかない所で刈り取り、まき散らさない所で集めることを知っていたのか。
25:27 それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうすればかえって来たとき、(元金に)利子をつけてもどしてもらえたのに。
25:28 では、その一タラントをその男から取り上げて。十タラント持っている者に渡しなさい。
25:29 だれでも持っている人は(さらに)与えられてあり余るが、持たぬ人は、持っているものまでも取り上げられるのである。
25:30 さあ、この役に立たない僕を外の真暗闇に放り出せ。そこでわめき、歯ぎしりするであろう。』


●神から預かった宝はこれを増やさなければならない。そうしないと神としても「役に立たない僕」とみなして祝福しない。「自分一個の幸福」だけを防衛しているからである。
●ではその見知らぬ人とのメールのやり取りを「公表する」。これを読む人に何らかの役に立ちますように。

某氏よりきたメール。かなり伏せる。
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○○○○の想い出とさらに。。。

はじめまして。
ネットサーフィンで、高橋さんのHPの○○○○○年の○○○の旅」に行き当たりました。
私は○○○○○年から昨年にかけて長旅をしており、○○○○○年に半年ほど○○を周った際に○○○も訪れたので、写真ともども興味深く懐かしく拝見しました(○○○○○には行きませんでした)。
街並みは美しく魅力的で、コンサートや○○○も観に行きましたし、4日間の滞在中、朝から晩まで歩き回った記憶が蘇ってきました(○○○にも行きました)。
街中に観光客が多過ぎたのが個人的には残念でしたが(自分のことは棚に上げておきます)。

そして、ひとつびっくりしたことがありました。
この日の写真の中に、地元ガイドの女性と写ったものがありますね。
この方、私の高校時代の同級生のようです(私はもうすぐ○○歳になるので、30数年前のことです)。
○○○○○さん、(中略)、遠い記憶ですが写真にも面影があるので、おそらく間違いないと思います。
高橋さん、○○○○○さんの連絡先をご存じないでしょうか?
もしご存じならば、教えていただけないでしょうか?
いえ、通りすがりの者ですし、万が一に人違いでしたらご迷惑をかけることになるので、連絡先を教えていただけなくとも、お手数かけることになりますが、高橋さんから○○○○○さんに連絡をとっていただいて、もしよければ○○のアドレスに連絡をもらえるようにお伝えいただけないでしょうか?
特別な用件はありません、○○年の○○ ○から一気に30数年前のことまで蘇ってきたもので、メールかなにかで遣り取りできれば嬉しいのですが。
卒業以来、一切連絡を取り合っていませんが、名前を出せば、おそらく思い出してくれるのではないかと思います。
ちなみに、私はこの名前ですが男性で、バンドでギターを弾いていました。
高校は○○○○○高校です。
高橋さんが○○○さんの連絡先をご存じで、それが今でも通じるのでなければ仕方ありませんが。
突然、失礼いたしました。

○○○
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これに対して次のような 返メールをした。一部変更。
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○○○ 様

 

ご返事が遅くなり申しわけありません。・・・・・・・

○○○○年○○月○○日に○○○で○○○○○さんに名ガイドをされました。もう○年も前のことになります。

○○○○○さんのことは、その時「どうしてここにいるのかなー」と思ったのでとても印象深くあります。

帰国後、この写真をお送りしたので、その時は住所を書いてきたのでそのメモが探せばあるかもしれませんが、

今はそれを探し出す時間がありません。したがってもう○○○○○さんにご連絡は出来ません。

また万一探せたとしても、○○○さんが○○○○○さんにご連絡するとなると○○○○○さんは驚かれるのではないかと思います。(中略)

私にとって○○○○○さんはあなたのお言葉を借りれば「通りすがり」の「良い人」です。

人生での出会いは皆このように「通りすがりの人」ではないでしょうか。それは身近な妻や子供や孫たちにも言えることではないでしょうか。親兄弟や縁戚の人についても言えることだと思います。

このたびあなたがくださったメールで○○○○○さんが○○の○○○○高校ご出身であることがわかりました。

では、ご期待に添えず、まことに申し訳ありません。お赦しください。

お元気でお過ごしください。

あなたにとっても、○○○○○さんにとっても私は「通りすがり」の人です。

お二人の上に神の祝福が末永くありますようにお祈りいたします。

高橋照男

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これに対して次のような礼メールが来た。同じく名前は伏せる

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高橋様

 

突然の私の不躾なメッセージに対し、丁寧にご返信いただき、ありがとうございます。

あまりに懐かしく、また嬉しい驚きもあって、つい見ず知らずの高橋様に厚かましいお願いをしてしまいました。

○○○○○さんとは、またいつかどこかで巡り合う機会もあるかもしれませんので、それを楽しみにしておきます。

ありがとうございました。

 

○○○

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●以上で〇〇〇さんとのメールでの出会いは終わった。この方はご自身が長い旅行をされた。帰国してネットサーフィンで私のホームページに偶然出会ったのだ。


●これで、私は「人生は旅で、長い短いの付き合いもこれすべて所詮『通りすがりの人』であることを思う。そこで今朝はこれに関して思い出す聖句を掲げてみよう。思いつくまま。

口語訳 詩  90:5-6
90:5 あなたは人を大水のように流れ去らせられます。彼らはひと夜の夢のごとく、あしたにもえでる青草のようです。
90:6 あしたにもえでて、栄えるが、夕べには、しおれて枯れるのです。


●5節。「大水」は東日本大震災を思う。多くの人が流れ去った。
●5節。「ひと夜の夢」。ダンテの神曲は地獄、煉獄、天国と長編だが、ダンテの見た三日間の夢が土台になっていると言われる

口語訳 詩  90:9-10
90:9 われらのすべての日は、あなたの怒りによって過ぎ去り、われらの年の尽きるのは、ひと息のようです。
90:10 われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。
                                     


●10節。「飛び去る」。真っ暗な宇宙での星と星の出会いは一瞬。人生における出会いも一瞬。お互いにあっという間に「飛び去る」。
●70歳にもなると、あの人も逝った、この人も逝った、という思いが多くなる。実に「飛び去った」人たちなのだ。
●妻もそうだ。結婚生活は長くてもいつかは私と別れるのだ。妻も飛び去って行くのだ。最近は死んでも姑のそばにいたくないので、骨壺を離しておいてもらいたいと言う人もいるらしい。
●子や孫もそうだ。息子は嫁に取られ、娘には「虫がつく」。孫の教育には口が出せない。これも一瞬の出会いだ。

塚本訳 ヘブ 11:13
11:13 信仰に従い、これらの人たちは皆、(地上では)約束のものを受けずに死んだのである。彼らはただ遠くからそれを眺めて歓迎し、自分たちは、『この地上では外国人であり、旅の者』であると認めた。


●「(地上では)約束のものを受けずに死んだのである」。クリスチャンは地上では報酬を受けない。不完全のまま、不足感のままで死ぬのだ。エクレシアは完成しない。プロテスタント教会の牧師はよく悪い長老連中に追放される。最近それを知った。
●クリスチャンは病気のまま、負けたまま、十字架に呻いたままで死ぬのでいいのだ。この世で報酬をいたたら来世でいただけない。この世で完成しなくてよいのだ。不完全人間、不完全家庭、不完全教会、不完全集会のままで仕方がない。来世で神が完成して下さる。


塚本訳 ヘブ 13:1-2
13:1 (集会では、お互の間に)兄弟愛がいつまでもなくならないように。
13:2 (また、)旅人の接待を忘れないように。というのは、このことにより(アブラハム、サラなど)ある人々は、(自分でも)知らずに天使を泊め(て、神の恩恵を受け)たからである。


●「旅人の接待」。「お・も・て・な・し」である。教会(集会)の人はすべて人生の旅人。妻も、両親も子も孫も職場同僚も、学校の生徒もこれすべて人生の旅人、一期一会。喧嘩してはいけない。二度と会えない人だ。自戒。凡ての人を相対化しよう。


口語訳 箴  19:17
19:17 貧しい者をあわれむ者は主に貸すのだ、その施しは主が償われる。



●「主に貸す」というのは意味が深い。良い言葉だ。「天に宝を積む」(マタ6:20.19:21)に通じる。この世でお返しをされないように生きることだ。

塚本訳 ルカ 14:12-14
14:12 また自分を招いた人にも言われた、「朝飯や夕飯の会を催す時には、友人も、兄弟も、親族も、近所の金持も呼ぶな。そうでないと、その人たちもあなたを招待してお返しをするかも知れない。
14:13 御馳走をする時には、むしろ貧乏人、片輪、足なえ、盲人を招きなさい。
14:14 この人たちはお返しができないから、あなたは幸いである。(最後の日)義人の復活の時に、あなたは(神から)お返しをうけるのだから。」


●この世から賞賛されることを目ざして生きることは「旅人」の生き方ではない。自戒。

塚本訳 Ⅰペテ2:10-12
2:10 (誠に)君達はかつては、「『非民』」(であったが)今や神の民、(前には神に)『憐れまれぬ者』(であったが)今や憐れまれる者(となった)
2:11 愛する者よ、勧める、(地上で)『旅の者また仮寓者(かりずまいのもの)』である君達は、霊魂に逆らって戦う肉の慾を避け、
2:12 異教人の中における歩き方を立派にせよ。(今)君達を悪いことをする者のように譏っている人達が、(君達の)立派な行動によって悟り、その(譏っていた)ことにおいて(かえって)『訪問の日に』神を(信じ)崇める(に至らん)ためである。



●日本においてキリスト信者は1%。何事も異教人の中。「霊魂に逆らって戦う肉の欲」の中にいるから彼らの本能に嫌われるのだ。
●クリスチャンは上役におべっかを使って出世するような生き方は出来ないからこの世的な出世はできない。追放される。放浪する。しかし神は見ているから然るべき地位に着けて落ち着かせる。


塚本訳 ピリ 2:15
2:15 これは君達が非難すべき所でなく、純真であって、『曲ったねじくれた(この)時代』の真中にあって『瑕なき神の子』とならんためである。(まことに)君達はこの時代にあって、生命の言を堅く守りながら、この(暗い)世に星のように輝いているのである。

●しかしありがたいことにこの世は「聖」と「清さ」を本能的にあこがれている。光を求めている。


塚本訳 マコ 4:21-22
4:21 また彼らに言われた、「(しかし外の人たちに神の国の秘密が隠されるのは、ただしばらくである。)明りを持って来るのは、枡の下や寝台の下に置くためであろうか。燭台の上に置くためではあるまいか。
4:22
隠れているもので現わされるためでないものはなく、隠されているもので現われるためでないものもないからである。


塚本訳 ルカ 11:33
11:33 だれも明りをつけて片隅に置いたり、枡をかぶせたりする者はない。(部屋に)入ってくる者にその光が見えるように、かならず燭台の上に置くのである。(そのように人の子が来たのも世を照らすためである。それを見わけられないのは、見る人の心が暗いからである。)

塚本訳 ルカ 8:16-17
8:16 (しかし外の人たちに神の国の秘密が隠されるのは、)だれも明りをつけて器でおおい隠したり、寝台の下に置いたりする者はない。(部屋に)入ってくる者にその光が見えるように、かならず燭台の上に置くのである。
8:17 隠れているものであらわにならぬものはなく、隠されているもので(人に)知られず、また現われないものもないからである。


塚本訳 マタ 5:14-15
5:14 あなた達は世の光である。山の上にある町は隠れていることは出来ない
5:15 また、(せっかく)明りをともして枡をかぶせる者はない。かならず燭台の上に置く。すると、家の中におる人を皆照らすのである。

塚本訳 ヨハ 7:38-39
7:38 わたしを信ずる者は、聖書が言っているように、『そのお腹から、清水が川となって流れ出るであろう。』」
7:39 これは、彼を信ずる者が受けるべき御霊のことを言われたのである。イエスは(その時)まだ栄光を受けておられなかったため、御霊がまだ下っていなかったからである。(「であろう」と言われたのはそのためである。)


●救われた人間は、人間的な思いで「伝道」という行為をすることなく、「光」が漏れ出る。これが真の福音の伝播。

●福音の伝道は、ヒューマニズムの啓蒙宣伝の運動とは違う。マルキシズムの宣伝とは違う。主役は神である。

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朝の黙想おわり。私の人生の旅も終わりに近づく。今までの人、またこれから出会う人は凡て「通りすがりの人」だ。はたして私はキリストの薫を放つことが出来るだろうか。出来ない。肉の私には出来ない。パウロもそう言っている。

塚本訳 Ⅱコリ2:14-16
2:14 しかし神に感謝せねばならない。神はいつでもわたし達をキリストによる凱旋行列に(虜として)引き回し、至る所でわたし達を通して御自分を知らせる知識の薫りをお広めになる。
2:15 というのは、わたし達は救われる者の間でも、滅びゆく者の間でも、神にささげられるためのキリストのよい薫である。
2:16 ある者には、死から死へみちびく薫であるが、ある者には、命から命へみちびく薫りである。(ああ、)一体だれにこんなことが勤まろう。

●梅雨、長雨。
●TSK日本語版詩編115篇。
●集会感話の準備。6月29日「聖書は本文読みで『胸が熱くなる』・・・教会や学者の権威ではなく聖書自身の権威で読む・・・」
●集会感話の準備。7月6日「墓の彼方で『起こされる』希望を持つ・・・神の力を固く信じる信仰・・・









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胸が熱くなるイエスの言葉 ++++++++ 所感

2014/06/05 06:16

140605(木)5時起床●朝の黙想「胸が熱くなるイエスの言葉」●ある日娘が、「お父さんの話を聞いてもサッパリ胸が熱くならない」と言ったことがある。しかしついに「その時」は来た。「お父さんの言っていることが分かった」と。これだ。神が「心の目」を開いてくれたのだ。それは「神の時」であった。「三つ子の魂百まで」で外側はどんなにみじめでも最高の人間にさせられた。恥は人間に、栄光は神に。●イエスを神の子と信ずる人間は成功の人生。●「ダンテは謎の人であった。しかし彼の言ったことが分かった少数の人を彼は天国に導いた」(クラウス?「ダンテ伝」)●音楽評論家の故堀内敬三(元NHK洋楽部長)の専門は工学。米国留学中に趣味でコンサートに通っているうちにクラシックに「はまり」、帰国してから外国の多くの歌曲を訳した。氏は日本人を洋楽に導いた。●イエスの言葉は人の胸を熱くする。そのとき熱くならなくても時が来れば思い出して「熱くなる」。「福音は後で分かる」

塚本訳 ルカ 24:32
24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。

●22年も前に召された父に「どうして教会に行かなくなったのか」と尋ねたとき、父は「牧師の話がピンと来なくなったから」と言った。今思うにそれは胸が熱くならなかったのだ。しかし父は生涯信仰を離れなかった。良くロマ書8章を話してくれた。父の墓碑銘は「神は愛なり」。
●信者は無理して気の進まない教会や無教会集会に行く必要はない。どこでも礼拝できる。神は普遍に実在する。これが公同の教会。

塚本訳 ヨハ 4:21
4:21 イエスが言われる、「女の人、わたし(の言葉)を信じなさい。(間もなく)あなた達が、この山でもエルサレムでもなく(どこででも、)父上を礼拝する時が来る


塚本訳 マタ 6:6
6:6 あなたが祈る時には、『奥座敷に入り、部屋をしめきった上で、』隠れた所においでになるあなたの父上に『祈れ。』そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。

●バルトよりも内村、内村よりもイエスの一句。パウロよりもイエス。いずれも「より生き生きとして命がある。神学や聖書学よりも聖書の一句の方が面白い。
●コーヒーや煙草や酒(わたしはいずれも飲まないが)音楽よりも聖書の方が面白い。 それも「聖書について」でなく、聖書の本文そのもの。
●信仰は金もうけよりも面白い女よりも面白い。
●信仰は恋愛よりもドキドキする。恋愛は心が不自由になる。
●「聖書は性交(せいかふ)よりも面白い」(賀川豊彦)。                                                ●バッハ「イエスよわが喜び」(モテット。BVV227)

塚本訳 ヨハ 5:24
5:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、
わたしの言葉を聞き、わたしを遣わされた方を信ずる者は、(今すでに)永遠の命を持っていて、(最後の日に)罰を受けない。その人はもはや死から命に移っているのである。

塚本訳 ヨハ 6:68
6:68 シモン・ペテロが答えた、「主よ、(あなたを離れて)だれの所に行きましょう。永遠の生命の言葉はあなただけがお持ちです(から)。

塚本訳 マタ 7:28-29
7:28 イエスがこれらの話を終えられた時、一しょに聞いていた群衆はその教えに感心してしまった。
7:29 自分たちの聖書学者のようでなく、権威を持つ者のように教えられたからである

塚本訳 ヨハ 7:46
7:46 下役らが答えた、「あの人が話すように話した人は、いまだかつてありません。」

塚本訳 マタ 13:54
13:54 郷里(ナザレ)に行ってその礼拝堂で教えられた。すると人々が驚いて言った、「この人はどこからこの知恵と、奇蹟とを覚えてきたのだろう。

塚本訳 ヨハ 7:15
7:15 ユダヤ人は驚いて言った、「この人は学校に行ったこともないのに、どうして聖書を知っているのだろうか。」 

塚本訳 ヨハ 12:49-50
12:49 わたしは自分勝手に話したのではない。わたしを遣わされた父上が、何を言い、何を話すべきかを命じられたのである。
12:50 わたしは父上のこの命令が永遠の命であることを知っている。だからわたしが話していることは、父上の言われたことと寸分ちがわないのである。

塚本訳 ヨハ 5:19
5:19 そのとき、イエスは彼らに答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、
子は父上のなさることを見て(それを真似るので)なければ、自分では何一つすることが出来ない。父上のなさるのと同じことを、子もまたするのだから。


塚本訳 ヨハ 6:40
6:40 子(なるわたし)を見て信ずる者が皆永遠の命を持ち、わたしがその人を最後の日に復活させること、これがわたしの父上の御心であるから。(だから信じない者は、父上がわたしに下さらない人たちである。)」

塚本訳 ヨハ 14:8-9
14:8 ピリポが言う、「主よ、どうかわたし達に父上を見せてください。それでたくさんです。」
14:9 イエスは言われる、「ピリポ、こんなに長い間一しょにいるのに、あなたはまだわたしがわからなかったのか。(父上とわたしとは一つである。)わたしを見た者は父上を見たのだ。どうして『父上を見せてください』と言うのか。


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朝の黙想おわり。イエスとの出会いが人生の幸福。イエスは神の子だから。この世的には失敗してみるべきものがなくても、イエスが神の子であることを信じられれば大成功の最高の人間。

●TSK日本語版詩編113篇
●次回集会感話の準備「聖書は本文読みで『胸が熱くなる』」                                              ●雨の中を図書館と郵便局。徒歩。
●図書館ではNさんが親切をしてくれて、延長不可のところ18日まで可としてくれた。組織の中にありながらちょっとした親切をしてくれる人は(合法的な範囲で)ありがたい。
●帰途、板チョコを一枚購入して、夕食後に妻と半分づつ食べた。
●youtube で バッハのモテット「イエスよ、わが喜び」を鑑賞。バッハの音楽が深いのはは子供の半分が夭折したからだと思う。  
 
     
        
              ↓
http://www.youtube.com/watch?v=Kzbo2gOTOBc


●最近のニュースで、行方不明の老人問題が気になる。認知症はなりたくてなるものではない。
●関東地方梅雨入り。今年の梅雨はエルニーニョ現象の影響で長引くそうだ。






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「聖書に親しみ」、日満ちて死ぬ ++++++++ 所感

2014/06/04 06:18

140604(水)5時起床●朝の黙示「『聖書に親しみ』、日満ちて死ぬ●これが現在70歳の心境●今朝はこれに関する聖書を掲げてみよう。自分の頭の中から、Jバイブル、TSK利用。

塚本訳 ルカ 16:27-31
16:27 金持が言った、『父よ、それではお願いですから、ラザロをわたしの父の家にやってください。
16:28 わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。』
16:29 しかしアブラハムは言う、『(その必要はない。)彼らにはモーセ(律法)と預言書と[聖書]がある。その教えに従えばよろしい。』
16:30 彼が言った、『いいえ、父アブラハムよ、もしだれかが死人の中から行ってやれば、きっと悔改めます。』
16:31 しかしアブラハムは答えた、『モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。』」


●来世への準備として最も有効な方法は「聖書に親しんで、その教えに従った生活をしていればよい」と言うことだ。
●聖書学者になることではない。聖書に知的に詳しくなることではない。聖書学や語学に強くなることではない。信仰に篤くなることだ。思想的勢力を拡大することではない。なにか運動や事業ををすることではない。


口語訳 ヨブ 42:15-17
42:15 全国のうちでヨブの娘たちほど美しい女はなかった。父はその兄弟たちと同様に嗣業を彼らにも与えた
42:16 この後、ヨブは百四十年生きながらえて、その子とその孫と四代までを見た。
42:17 ヨブは年老い、日満ちて死んだ


●ヨブは度重なる不幸にも神に不平を言わずに生きた。
●私が火災で家屋を失い、脳出血で意識不明になった時、篤信の御夫人(故人)から、「高橋さんは家も健康も失ってヨブみたいですね」と言われた。
●しかし神は回復してくれた。前よりも大きな土地と家を与えられ、脳出血で一時はろれつが回らなかったのに、口数も多くなった。(笑)。
●ヨブは財産を回復され、再び子供も与えられたらしい。
●「日満ちて死んだ」というのは十分に生きたと言う意味か。


塚本訳 ルカ 12:13-21
12:13 すると群衆の中の一人がイエスに言った、「先生、遺産を分けてくれるように、兄に言ってください。」
12:14 イエスは「君、だれがわたしを、あなた達の裁判官また遺産分配人に任命したのか」とこたえておいて、
12:15 人々に言われた、「一切の貪欲に注意し、用心せよ。いかに物があり余っていても、財産は命の足しにはならないのだから。」
12:16 そこで一つの譬を人々に話された、「ある金持の畑が(ある年)豊作であった。
12:17 『どうしよう、わたしの作物をしまいこむ場所がないのだが…』と金持ちはひそかに考えていたが、
12:18 やがて言った、『よし、こうしよう。倉をみなとりこわして大きいのを建て、そこに穀物と財産をみなしまいこんでおいて、
12:19 それからわたしの魂に言おう。──おい魂、お前には長年分の財産が沢山しまってある。(もう大丈夫。)さあ休んで、食べて、飲んで、楽しみなさい、と。』

12:20 しかし神はその人に、『愚か者、今夜お前の魂は取り上げられるのだ。するとお前が準備したものは、だれのものになるのか』と言われた。
12:21 自分のために(地上に)宝を積んで、神のところで富んでいない者はみな、このとおりである。」


●遺産相続は昔も今も同じ、その骨肉の争いゴタゴタは醜い。
●18節。長年分の財産。これ日本の年金制度の根本思想。信仰が生き生きしないのかもしれない。
●故Oさんが、「ヨブ記の最後を喜んで読むようではその人の信仰はおしまいだ」と言ったことがある。信仰が眠っていると言う意味か。
●建築の仲間から、「高橋は年金をもらうようになって喜んでいる。アイツはあれでおしまいだ」と言われた。
●集会の人からも「高橋は年金をもらうようになってから聖書の話に力が無くなった」と言われた。
●禍なるかな年金制度。自戒。
●これから世話になる人に少し高い昼食を振る舞ったところ、その信仰の篤い人は食事が運ばれてきたとたんに「高橋さん。私はこういう御馳走は土曜の夜だけです。」と面と向かって言われた。   ●貧困国に老人問題なし。肥満問題なし。現代の精神病なし。死ぬまでアクセク働かなければならないからだ。「幸いなるかな貧しき者」。 「額の汗は血の薬」(ヒルティ)
●野生の動物に認知症(ボケ)なし。死ぬまで必死に獲物を探す。死ぬときは殺(や)られてぽっくり逝く。


塚本訳 ルカ 15:11-13
15:11 また話された、「ある人に二人の息子があった。
15:12 『お父さん、財産の分け前を下さい』と弟が父に言った。父は身代を二人に分けてやった。
15:13 幾日もたたないうちに、弟は(分け前)全部をまとめて(金にかえ、)遠い国に行き、そこで放蕩に財産をまき散らした。



●「思わぬ」大金が転がり込むと、人間は豹変して悪の道に入る。依存症になる。これ小人。大金が転がり込んだら良い事のために財産を使うには「教会の幼児教育」が必要。

塚本訳 ルカ 16:19-24
16:19 (つぎに、利巧な番頭と反対に、神の国の準備をしなかった人の話を聞け。)一人の金持があった。紫(の上着)と細糸の亜麻布(の下着)を着て、毎日華やかに楽しく暮していた。
16:20 またその金持の門の前に、ラザロという出来物だらけの乞食がねていた。
16:21 せめて金持の食卓から落ちる物で満腹できたらと思った。それどころか、犬まで来て出来物をねぶっていた。
16:22 やがて乞食は死んで、天使たちからアブラハムの懐につれて行かれ、金持も死んで葬られた。
16:23 金持は黄泉で苦しみながら、(ふと)目をあげると、はるか向こうにアブラハムとその懐にいるラザロとが見えたので、
16:24 声をあげて言った、『父アブラハムよ、
どうかわたしをあわれと思ってラザロをよこし、指先を水にひたしてわたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの焔の中でもだえ苦しんでおります。』


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朝の黙想おわり。貧困はなぜ幸いか。質素な生活をしなければならないからだ。

●日本にキリスト教が土着しないのはなぜか。答えは簡単。神と富とに兼ね仕えることは出来ないから。日本は金持ちの青年。「汝なお一つ欠く」。


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「死に方の様々」 ++++++++ 所感

2014/06/03 06:16

140603(水)4時半目覚め。睡眠導入剤を飲んで一回も起きず、7時間熟睡して頭すっきり●目覚めの啓示「死に方」。若いときは「生き方」「いかに生きるべきか」が愁眉の課題であったが、70歳ともなると「いかに晩年を過ごすか」「いかに死ぬ べきか」「死に方」が課題となってくる。●今朝は聖書の人物の「最後」「死に方」を思いつくまま掲げて黙想してみよう。

口語訳 申 34:1-8
34:1 モーセはモアブの平野からネボ山に登り、エリコの向かいのピスガの頂へ行った。そこで主は彼にギレアデの全地をダンまで示し、
34:2 ナフタリの全部、エフライムとマナセの地およびユダの全地を西の海まで示し、
34:3 ネゲブと低地、すなわち、しゅろの町エリコの谷をゾアルまで示された。
34:4 そして主は彼に言われた、「わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに、これをあなたの子孫に与えると言って誓った地はこれである。わたしはこれをあなたの目に見せるが、あなたはそこへ渡って行くことはできない」。
34:5 こうして主のしもべモーセは主の言葉のとおりにモアブの地で死んだ。
34:6 主は彼をベテペオルに対するモアブの地の谷に葬られたが、今日までその墓を知る人はない
34:7 モーセは死んだ時、百二十歳であったが、目はかすまず、気力は衰えていなかった
34:8 イスラエルの人々はモアブの平野で三十日の間モーセのために泣いた。そしてモーセのために泣き悲しむ日はついに終った。

●1~4節。「乳と蜜の流れる地」を目指して荒野を40年彷徨したダビデはピスガの山の頂でその地を見たが入れなかった。我々も将来を子孫を確認することなく死ぬのかもしれない。
●7節。モーセは120歳。目はかすまず、気力は衰えなかった。今日の認知症にはならなかったようだ。聖書には今日大問題のボケ老人は出てこない。なぜだろう。ネパールの方では「ボケ老人」の問題がないのは「死ぬまで働いていなければ食えない」かららしい。長寿国日本の社会福祉政策は人生観の根本から問い直さなければならない。「働かなくても食べられる」というのは真の福祉にはならない。
●最後まで生活の心配をしていた方が信仰が生き生きするのかもしれない。
●集会の某夫人から「高橋さんの聖書の話は、年金生活をするようになってから力が無くなった」と言われた。時間があれば聖書の勉強ができて「人に役に立つ」と言うのは間違いらしい。
●定年で退職したとき、大阪の方から「クリスチャンに定年はない!」と叱られた。
●6節、葬式の形式、墓の場所などは「死んだ者の葬式は死人にまかせよ」だ。集会の方で、仏式で葬儀をされた方、お寺に葬られたかたが3名いる。無教会がしっかりしてなかったからかもしれない。いいんだ、いいんだ。葬式は「死人による儀式」なのだ。
●8節。その人が死ぬと、密かに陰で泣く人がいる。これは亡くなった人に愛された人だ。中学の時の音楽の友のO君は私が司式をしたが、彼に愛された次女が陰で人に知られないように泣いてた。目を赤くしていた。有名な竹森満佐一牧師の葬儀の時、人に知られないように陰で泣いてた女性がいたとキリスト新聞は報じていた。
●塚本先生の「死に勝つ」と言う本の扉に「泣かれず惜しまれずに死んだ、病床の戦士達の霊にこれを捧ぐ」とある。これは私の理想のライフワーク。「多くの人から惜しまれて泣かれて死ぬ」のは、それで報酬をうけてしまうから神から慰められない。「大往生」は信仰の敵。

塚本訳 ルカ 2:25-32
2:25 さて(そのころ)エルサレムに名をシメオンという人がいた。この人は正しい、信心深い人で、イスラエルの慰め(である救世主)を待ち望み、聖霊が彼をはなれなかった。
2:26 かつ主の救世主を見ないうちは決して死なないと、かねて聖霊からお告げを受けていた。
2:27 (この日)御霊に感じて宮に行くと、ちょうど両親が、律法の仕来りどおり幼児イエスに行おうとして彼をつれて入ってきたので、
2:28 シメオンは幼児を両腕に抱き、こう言って神を讃美した。──
2:29 今こそ、主よ、あなたはこの僕をしてお言葉のとおり安らかに(この世に)暇乞いをさせてくださいます
2:30 わたしの目が『もうあなたの救いを拝見しました』からです。
2:31 この救いこそ、あなたが『全人類の(ため、その)目の前で』用意されたもの、
2:32 『異教人には啓示を、』あなたの民『イスラエルには栄光をあたえる』『光』であります。



塚本訳 ルカ 2:36-38
2:36 また、アセル族のパヌエルの娘に、アンナという女預言者があった。非常に年を取っていて、娘時代の後、七年の結婚生活をおくり、
2:37 (その後)八十四歳(の今日)まで寡婦ぐらしをしていた
。(片時も)宮を離れず、夜も昼も断食と祈りとをもって(神に)奉仕していたが、
2:38 (シメオンが預言している)ちょうどその時、近寄ってきて(幼児について)神に感謝をささげ、またエルサレムの人々のあがないを待ち望むみんなの人、この幼児のことを話した。

●この老人は私の理想の晩年。なぜか。生活全体で「贖い、救い」を指し示して」いたからだ。趣味や遊びに時間を浪費している今日の平均的暇老人とはワケが違う。彼らは死ぬまでの少ない時間につまらない本を読んで、ツマラナイ活動をしている。それが「主のため」だと思っているからどうしようもない。
●過日、「人の役に立ちたい」と思って著作した人の本を見たが、本棚に眠ったままであった。場所塞ぎの本であった。「これこそ主のためだと」思うものは神の前に嫌われる。役に立たない。

塚本訳 ルカ 12:13-21
12:13 すると群衆の中の一人がイエスに言った、「先生、遺産を分けてくれるように、兄に言ってください。」
12:14 イエスは「君、だれがわたしを、あなた達の裁判官また遺産分配人に任命したのか」とこたえておいて、
12:15 人々に言われた、「一切の貪欲に注意し、用心せよ。いかに物があり余っていても、財産は命の足しにはならないのだから

12:16 そこで一つの譬を人々に話された、「ある金持の畑が(ある年)豊作であった。
12:17 『どうしよう、わたしの作物をしまいこむ場所がないのだが…』と金持ちはひそかに考えていたが、
12:18 やがて言った、『よし、こうしよう。倉をみなとりこわして大きいのを建て、そこに穀物と財産をみなしまいこんでおいて、
12:19 それからわたしの魂に言おう。──おい魂、お前には長年分の財産が沢山しまってある。(もう大丈夫。)さあ休んで、食べて、飲んで、楽しみなさい、と。』
12:20 しかし神はその人に、『愚か者、今夜お前の魂は取り上げられるのだ。するとお前が準備したものは、だれのものになるのか』と言われた。
12:21 自分のために(地上に)宝を積んで、神のところで富んでいない者はみな、このとおりである。」

●13-14節。建築士であると、遺産相続の問題にも遭遇する。特に骨肉の争いを見る。人は金を見ると豹変する。人が変わる。
●18節。建築業界は喜ぶ。「結構なご発展ですね」と。
●19節。一生金に心配をしない老後は真の幸福ではない。私が建築士であると言ったら某夫人「お金持ちでしょう」。私は金持ちではない。
●ブータンは世界でも最貧国。しかしその国民の90%以上は「幸福観」がある。金は幸福のバロメーターではない。
●女性はどうして金持ちにあこがれるのかなー。金に権威を感じるのだ。「神と富とに兼ね仕えることは出来ない」。

塚本訳 マタ 27:45-46
27:45 昼の十二時から地の上が全部暗闇になってきて、三時までつづいた。
27:46 三時ごろ、イエスは大声を出して『エリ エリ レマ サバクタニ!』と叫ばれた。これは『わたしの神様、わたしの神様、なぜ、わたしをお見捨てになりましたか!』である。


●死に方としてこれはみじめだ。
●イエスは信仰を失ったのが真相だと思う。神に捨てられたからだ。このことが胸を打つのだ。
●矢内原先生の最後は癌で苦しんだ。その夫人が書いている。「何者にも負けなかった主人が泣いていた」と。天下国家を向こうに回して戦ったその戦いより、癌の痛みに耐えかねて泣いた矢内原の方がより近く感じる。

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朝の黙想。人は十字架を負わされて苦悶の内に、呻きながら死んでいった方が「後世」に影響を及ぼす。これが「後世への最大遺物」(内村鑑三)なのだ。

●8:50皮膚科の「ななクリニック」。一時間待ちの繁盛。院長は三つの診察室を走り回る。診断力と決断が速い。 接してその優秀さが分かる。左足の甲のむくみは加齢によるリンパの不具合。
●イオンでプリンターのインクの引き取り。一個30円で20個。リサイクル品でも引き取ってくれるのでありがたい。パソコンのコーナーを覗いた。今や薄型軽量化。
●妻から依頼されたことを忘れた。物忘れも加齢。

●カメラのキタムラ





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寿命と言うと諦める心理 ++++++++ 所感

2014/06/02 07:48

140602(月)5時起床。今日も暑くなるらしいので、家中の窓を開け放つ。庭の樹木が育ったので、理想とする「林の中の家」の様相を呈してきた。

2014_06020002.jpg 

「林の中の家」は理想。この地に居を構えて13年も経つから樹木も生い茂った。


●暑いと言っても33度程度。息子が赴任しているUAEのドバイは40度。「ナンノコレシキ」●熱中症予防のためにクーラーをつけよと報道され、一方では原発を一切なくせと叫ぶ。昔から「民衆の声」は無責任。我が家は今年もクーラーは極力使用しない方針にする。●住まいの設計は、太陽の光と痛風が良い家、まわれる動線の家が良い家。●昨夜はガス給湯器が故障したので屋根の太陽熱温水器の湯で入浴。自然エネルギーによる入浴は精神衛生上も良い。●バス給湯器の故障は「寿命」と考えるとあきらめがつくが、交換となるとかなり費用がかかり、年金生活にとっては厳しい●こういうとき「寿命」と考えるとあきらめがつくのはなぜだろう。建物が老朽化するとすぐ「新築」と考えるのは日本人の特徴。これは流転の思想に「美」や「はかなさ」を見る仏教の思想ではあるまいか。●この辺聖書ではどう考えるか探って見よう。何か前向きの粘りと意味を見ているのではないだろうか。

塚本訳 ヨハ 11:3-4
11:3 マリヤとマルタとはイエスに使をやって、「主よ、大変です。あなたの可愛がっておられる人が病気です」と言わせた。
11:4 イエスは聞いて言われた、「これは死ぬための病気ではない。神の栄光のためである。すなわち(神の栄光をあらわすために、)神の子(わたし)がこれによって栄光を受けるためである。」

塚本訳 ヨハ 9:1-3
9:1 イエスは通りがかりに、生まれつきの盲人を見られた。
9:2 弟子たちが尋ねた、「先生、この人が盲で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか、両親ですか。」
9:3 イエスは答えられた、「
この人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。ただ神の御業がこの人に現われるためである。

口語訳 詩  51:17-19
51:17 神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心を/かろしめられません。
51:18 あなたのみこころにしたがってシオンに恵みを施し、エルサレムの城壁を築きなおしてください。
51:19 その時あなたは義のいけにえと燔祭と、全き燔祭とを喜ばれるでしょう。その時あなたの祭壇に雄牛がささげられるでしょう。

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朝の黙想おわり。故障も御心。信仰的にとらえるべきだ。
 
●とはいうものの、今日はノーリツガスに電話して、この製品は12年きりもたないのかと厳しく抗議してみよう。

●9:10 ATM、農協、図書館、池谷医院、ATM、郵便局、図書館、池谷医院、薬局、すべて徒歩、帰宅11:30
●妻はコーラスもでらあと。
●ノーリツガスの責任者に電話して、給湯器が12年で故障した不満を言った。すると交換部品のストックは10年であるから新品と交換した方がよいと言われて、がっくり。国の規定では8年と決められていると言うからなおがっくり。ドイツのカメラのライカは交換部品を創業の第一号機からのものをすべてストックしていて。世界のどこにでも対応する。立派。人と製品に対する愛情の違い。宗教の違いではないだろうか。
仏教は「形あるものはいつか壊れる、」という。キリスト教は「99匹の羊を残してでも迷った羊を探し出す」。船が沈没する時、儒教は「身内から救う」がキリスト教は「体の弱いものから救う」。宗教の違い。仏教儒教の日本は一等国にはなれない。 
●妻と相談。10月まで太陽熱温水器による湯で風呂に入ることにする。「化石燃料を使用するな」という警告か。人の身体にも寿命がある。医者へ支払う費用は「故障修理代」。今までの医療費累計は莫大である。
●TSK日本語版詩編109、110.詩篇はもう少しだ。
●昨日は、カナダのバンクーバーから拙ホームページのBbBのミスをしてきた。感謝。日本人教会らしい。感謝。「この世ではお会いできませんが、来世でお目にかかれることを楽しみにしてます」と礼状をメールした。世界中に「御心にかなう、少数の人」がいる。「聖なる公同の教会」だ。





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福音は「後で分かる」 ++++++++ 所感

2014/06/01 04:39

70歳11か月。平均余命12年(生命保険会社統計)、4500日、10万8000時間。この時間をすべてキリスト教使徒伝承の連鎖に捧げる。罪と死の恐怖から救われる「十字架の贖罪の福音と有体的復活と有体的再臨の希望の喜び」を犠牲的に生きて証人となる。自分のため、子孫のため、親類縁者のため、気の毒な人のため。悪魔に取りつかれて苦しんでいる人のため。

140601(日)睡眠導入剤服用して7時間熟睡、4時目覚め、頭すっきり●朝の啓示「福音は後で分かる」●物のわかり方は様々である。その場で、瞬間的に、直観的に、次第に、●福音のわかり方は、「わかる時が来る」「後に分かる」「分からない段階がある」という性質のものである。聞いた時はわからないが、人生の荒波に揉まれて「神の時」が来てわからせられる。開眼する時が来る。それは神が介入する恩恵の時、神の祝福の時である。神の力が発揮され神の栄光が上がる時である。親も伝道者も牧師も、「その時」が来るまで神の力を固く信じてじっと信じて待ち続けなけれならない。「その時」人間でなく神の栄光が上がるのだ。嘆くな、十字架を負って苦労している者●今朝はこの福音が伝わる独特の性質に関して頭にサーッと浮かぶ聖句を並べてみよう。順不同。神学的には不備でも心通じるものばかりである。●この認識は子供に福音を伝える時の心得でもある。家庭内宗教教育の本質である。万事神がなさって下さる。神は信仰に関して親の介入を赦さない時が来る。神は子供を暴風雨に遭遇させ、救いの港に導かれる。「可愛い者には旅をさせよ」。人生失敗可なり。暴風に遭遇して漕ぎ悩んでいる子供を見るのは親としてはいたたまれないが、神はヤッテくださる。現れてくださる。姿を現してくださる。心の目を開けてくださる。そして救いの港に確実に導いて下さる●聖句の引照は幾何学の補助線のようなもの。引照聖句が多ければ多いほど聖句の本質がわかる。絵画から彫刻に、図面から立体模型に変化する。●立体画像は平面を少しずらすときに見える。一つの聖句は複数の引照で様々な角度から見ることによって、立体的に厚みを増して来る。

口語訳 伝  11:1
11:1 あなたのパンを水の上に投げよ、多くの日の後、あなたはそれを得るからである。

塚本訳 ヘブ 1:1-2
1:1 神は昔、(多くの)預言者たちをもって、(一つの御旨を)多くに分け、多くの方法で先祖たちに語られたが、
1:2 (いよいよ)この最後の日には、御子[キリスト]をもってわたし達に語られたのである。
神はこの御子を万物の相続人と定め、彼によって(この)世界をお造りになった。

塚本訳 ヨハ 2:20-22
2:20 ユダヤ人が言った、「このお宮を建てるには四十六年もかかったのに、あなたは三日で造るというのか。」
2:21 しかしイエスは自分の体のことを宮と言われたのであった。
2:22 だから死人の中から復活された時、弟子たちはこう言われたことを思い出して、聖書とイエスの言われた言葉と(が本当であること)を信じた。

塚本訳 ヨハ 20:7-9
20:7 また頭をつつんだ手拭は亜麻布と一しょになく、これだけ別の所に、包んだまま(の形)になっていた。
20:8 すると先に墓に着いたもう一人の弟子も入ってきて、見て、信じた。
20:9 イエスは死人の中から復活されねばならないという聖書の言葉が、
(この時まで)まだ彼らにわかっていなかったのである。

塚本訳 Ⅱコリ2:15-16
2:15 というのは、わたし達は救われる者の間でも、滅びゆく者の間でも、神にささげられるためのキリストのよい薫である。
2:16 ある者には、死から死へみちびく薫であるが、ある者には、命から命へみちびく薫りである。(ああ、)一体だれにこんなことが勤まろう。

塚本訳 Ⅰコリ15:58
15:58 だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ。骨折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから。

口語訳 ヨブ 38:1-2
38:1 この時、主はつむじ風の中からヨブに答えられた、
38:2 「無知の言葉をもって、/神の計りごとを暗くするこの者はだれか。

塚本訳 Ⅱコリ6:2
6:2 『恵みの時
にわたしはあなたの願いを聞きとどけ、救いの日にわたしはあなたを助けた。』と神は仰せられるではないか。見よ、今や『大いなる恵みの時』、見よ今や『救いの日』!

塚本訳 マタ 13:16-17
13:16 だが、あなた達の目は見、耳は聞くから幸いである。
13:17 アーメン、わたしは言う、多くの預言者と義人とは、あなた達が(いま)見ているものを見たい見たいと思ったが見られず、あなた達が(いま)聞いているものを聞きたい聞きたいと思ったが、聞かれなかったのである。


塚本訳 ルカ 1:20
1:20 だからいま、あなたは唖になり、このことが成るその日まで、ものを言うことが出来ないであろう。これは、時が来ればかならず成就するわたしの言葉を信じなかった罰である。」


塚本訳 マタ 4:15-16
4:15 『(ガリラヤの)湖に向かった、ゼブルン(族)の地とナフタリ(族)の地、ヨルダン川の向こう(のペレヤ)、異教人の(住む)ガリラヤ──
4:16 暗闇に住まう(これらの地方の)民は大いなる光を見、死の陰の地に住まうこの人々に光がのぼった、』

塚本訳 ルカ 2:29-30
2:29 今こそ、主よ、あなたはこの僕をしてお言葉のとおり安らかに(この世に)暇乞いをさせてくださいます、
2:30 わたしの目が『もうあなたの救いを拝見しました』からです。

塚本訳 ルカ 2:50-52
2:50 両親にはこう言われた言葉(の意味)がわからなかった。
2:51 それからイエスは一しょに(エルサレムから)下ってナザレに帰り、両親につかえられた。母(マリヤ)はこのことを皆胸に秘めていた。
2:52 イエスは知恵も身の丈も、』また神と人との寵愛も、いやましに増していった。』

塚本訳 使  9:4-5
9:4 彼は地上に倒れ、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と言う声を聞いた。
9:5 サウロが言った、「主よ、あなたはどなたですか。」彼がいわれた
、「わたしだ、あなたが迫害しているイエスだ。

塚本訳 マタ 11:28
11:28 さあ、疲れている者、重荷を負っている者はだれでも、わたしの所に来なさい、休ませてあげよう。

塚本訳 マタ 13:10-13
13:10 弟子たちが進み寄って、「あの人たちにはなぜ譬をもって話をされますか」とたずねると、
13:11 答えられた、「あなた達(内輪の者)には、天の国の秘密をさとる力が授けられている(のでありのままに話す)が、あの(外の)人たちには授けられていないのだ。
13:12 だれでも持っている人は(さらに)与えられてあり余るが、持たぬ人は、持っているものまでも取り上げられるのである。
13:13 だから、あの人たちには譬をもって話すのである
。『見ても見えず、聞いても聞えず、また悟らない』からだ。

塚本訳 ロマ 11:7-8
11:7 それでは、どうだろうか。(結局)イスラエル人は(全体として)自分のほしがっているものを得ることはできず、(ただ小数の)選ばれた者がこれを得たのである。ほかの者は(みな)頑なにされてしまった。
11:8 『神は彼らに』『麻酔の霊を』『与えて、目を見えなくし、耳を聞こえなくされた、今日に至るまで。』と書いてあるとおりである。

塚本訳 ロマ 11:11-12
11:11 それで、わたしは考える、彼らが躓いたのは、倒れて滅びるためではあるまいかと。もちろん、そうではない。むしろ反対に、(キリストを信じなかった)彼らの過ちによって救いが異教人に来た。(そのことが刺激になって)彼らに『妬みをおこさせ、』(彼らも信仰を求めて、ついに救われ)るためである。
11:12 しかしもし、彼らの過ちが、(福音を外に溢れさせて異教人の)世界を富ませ、また彼らの失敗が異教人を富ませることになったとすれば、まして彼らが(一人のこらず信仰に入って神の御心を)満たす時(の幸福と喜びと)は、どんなであろう。

塚本訳 マコ 6:48-51
6:48 そして向い風のために弟子たちが漕ぎなやんでいるのを見ると、第四夜回りのころ(すなわち夜明けの三時ごろ)、湖の上を歩いて彼らの所に来て、(舟のわきを)通りすぎようとされた。
6:49 弟子たちはイエスが湖の上を歩いておられるのを見ると、幽霊だと思って声をあげて叫んだ。
6:50 イエスを見て、皆肝をつぶしたのである。しかしイエスはすぐ彼らに話しかけ、「安心せよ、わたしだ。こわがることはない」と言われる。
6:51 そして彼らの舟に乗られると、風はやんだ。弟子たちはすっかり呆気にとられてしまった。

塚本訳 ヘブ 12:11
12:11 あらゆる訓練(というもの)は、その当座は喜びとは見えず、かえって悲しみと見えるが、しかしあとで、それで鍛えた者に(まことの)義の実である平安を与えるのである。

塚本訳 ヨハ 12:24
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)

塚本訳 Ⅰコリ15:3-4
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の
罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、

塚本訳 ロマ 3:21-27
3:21 しかしながら今、律法に関係なく、神の義は現わされた。しかし律法と預言書と[聖書]によって(すでに)証しされているものである。
3:22 この神の義は、イエス・キリストを信ずる信仰(だけ)によって、これを信ずるすべての者にあたえられる。(すべてというのは、そこに人間的の)なんの差別もないからである。
3:23 なぜか。すべての人が罪を犯したため、いまだれ一人、(かつて持っていた)神の栄光をもたない。
3:24 (さりとて失った栄光を回復する力はないので、何一つ)代価を払わず、(ただ)神の恩恵によって、キリスト・イエスによるあがないの力で、(神に)義とされる(道が設けられた)のである
3:25 すなわち神は御自分の義を示すために、宥めの供え物としてキリストを提供された。これはキリストの血でなされたものであり、(人は)信仰によ(ってこの恩恵にあずか)るのである。このことは──神が(長いあいだ)忍耐をもって過ぎし日に犯した罪を罰せずにおられたので──
3:26 今の世において、御自分の義を示そうとされたのである。すなわち御自分が義であること、またイエスを信ずる者を義とするお方であることを、(この世に)示されたのである。
3:27 それでは(ユダヤ人の)誇りはどうなるのか。誇ることは出来なくなった。なんの法則によって(出来ないの)か。行いの(完全を要求するモーセ律法の)法則によってか。そうではない、信仰の法則によってである。

塚本訳 マタ 11:2-6
11:2 さて(洗礼者)ヨハネは牢屋で、(イエスの)救世主としての働きを聞くと(心が動揺し、)弟子たちをやって、
11:3 「来るべき方(救世主)はあなたですか、それともほかの人を待つべきでしょうか」とたずねさせた。
11:4 イエスは答えられた、「行って、(今ここで)聞いていること見ていることをヨハネに報告しなさい。
11:5 ──『盲人は見えるようになり、』足なえは歩きまわり、癩病人は清まり、聾は聞き、死人は生きかえり、『貧しい人は福音を聞かされている』と。
11:6 わたしにつまずかぬ者は幸いである。」

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朝の黙想おわり。何度か胸が詰まった。神がヤッテ下さる。神には「その時」がある。

●Jバイブルで、「時」は1894回、「その時」は413回。(旧新約)。基督教は「時」の宗教、仏教の「悟り」ではない、「霊魂不滅」の宗教ではない。伝道は神と協同の仕事である。神主導である。

●10:00 東京聖書読者会。宮崎(司会)、高橋(「死人の復活」は神の恩恵。その喜び。内容は5月30日のブログにアップ)、小寺(職場先輩中村氏がキリスト者故に受けた軍隊での迫害)
●今日の会場は渋谷の名取りビルに変更。そのために3名が遅刻。私が急遽前講に回った。 会堂を持たない無教会の悲哀。
●15:00 TVで日本ダービー。お目当ては武豊騎手。彼はいつも最後方にいて最後は一着になるケースが多い。しかし今回は違った。彼の騎乗するレースを見るたびに次の聖句を思うのだ。


塚本訳 マタ 19:30
19:30 しかし(決して油断をしてはならない。)一番の者が最後になり、最後の者が一番になることが多い。

塚本訳 ルカ 23:41-43
23:41 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽(パラダイス)にはいることができる。」


塚本訳 マタ 21:31
21:31 この二人のうち、どちらが父の心を行ったのだろうか。」「もちろん長男」と彼らが答える。イエスが言われる、「アーメン、わたしは言う、税金取りや遊女たちは、あなた達よりも先に神の国に入るであろう。

塚本訳 ルカ 7:37-50
7:37 すると、その町に一人の罪の女がいた。イエスがパリサイ人の家で食卓についておられることを知ると、香油のはいった石膏の壷を持ってきて、
7:38 泣きながら後ろからイエスの足下に進み寄り、しばし涙で御足をぬらしていたが、やがて髪の毛でそれをふき、御足に接吻して香油を塗った。
7:39 イエスを招待したパリサイ人が見て、ひそかに思った、「もしもこの人が(ほんとうの)預言者だったら、自分にさわっている者がだれだか、どんな女だか、──罪の女だと分るはずであるのに!」
7:40 イエスが言われた、「シモン、あなたに言わねばならぬことがある。」彼が言う、「先生、言ってください。」イエスが言われる、
7:41 「ある金貸しに二人の債務者が