to 日記と感想 2014年08月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170824(木)12:10キララホールエントランスコンサート、マリンバ
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170813(日)10:30ナザレン教会浦和教会
    170813(日)14:00比企紀和君
    170812(土)14:00お江戸こらりあーず演奏会、文京シビックホール
    170809     TW誕生日
    170809(水)17:16初音吹奏楽、府中の森芸術劇場ドリームホール
    170808(火)0930池谷医院
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170708(土)14:00在宅医療説明会(キララホール)
    170707(金)10:00池谷医院
    170706      TM誕生日
    170702(日) 集会感話
    170701      TT誕生日
    170630(金)12:20キララホールエントランスコンサート
    170628      IY誕生日
    170627(火)11:00 能城牧師来訪
    170625)日)10:10トミ子集会感話
    170625(日)14:00茅ヶ崎金子邸
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール


神の国の美しさは命の輝き ++++++++ 所感

2014/08/31 06:24

140831(日)4時半起床。キリスト者の皆様お早うございます。●昨日、コンサートの帰途にJR車中でステキな人を見かけた。連れの男性とどこかの駅(失念)で降りた。この世の巷に消えて行った。●その後、そのステキさというのはこの世的美しさなのであって、神の国の美しさとは違うなーとしきりに思った。●翻って神の国の美しさとは「命の輝き」であることを思い直し、自戒した。●そこで今朝は「神の国の美」について黙想してみよう。これはまだ結婚していない若い人に話したいことである。●また既婚者でも「人を見る目」「人の評価基準」に関係する。●百の註解や説教や感話よりも聖書の一句の方が力がある。したがって関連聖句だけを思い浮かぶままに並べる。

口語訳 創 1:31
1:31 神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。


口語訳 創 2:22-23
2:22 主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた
2:23 そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、/わたしの肉の肉。男から取ったものだから、/これをと名づけよう」。

口語訳 創  3:6
3:6 女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。


口語訳 創 6:2-3
6:2 神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった
6:3 そこで主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう」。


口語訳 出 32:8
32:8 彼らは早くもわたしが命じた道を離れ、自分のために鋳物の子牛を造り、これを拝み、これに犠牲をささげて、『イスラエルよ、これはあなたをエジプトの国から導きのぼったあなたの神である』と言っている」。


口語訳 出 32:19
32:19 モーセが宿営に近づくと、子牛と踊りとを見たので、彼は怒りに燃え、手からかの板を投げうち、これを山のふもとで砕いた。


口語訳 出 32:35
32:35 そして主は民を撃たれた。彼らが子牛を造ったからである。それはアロンが造ったのである。

口語訳 詩  45:2
45:2 あなたは人の子らにまさって麗しく、気品がそのくちびるに注がれている。このゆえに神はとこしえにあなたを祝福された。


口語訳 Ⅰサム17:42
17:42 ペリシテびとは見まわしてダビデを見、これを侮った。
まだ若くて血色がよく、姿が美しかったからである。


口語訳 詩  19:1
19:1 もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。


口語訳 詩  19:5-7
19:5 日は花婿がその祝のへやから出てくるように、また勇士が競い走るように、その道を喜び走る。
19:6 それは天のはてからのぼって、天のはてにまで、めぐって行く。その暖まりをこうむらないものはない。
19:7 主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ、主のあかしは確かであって、

口語訳 箴  12:4
12:4 賢い妻はその夫の冠である、恥をこうむらせる妻は/夫の骨に生じた腐れのようなものである。


口語訳 箴  13:15
13:15 善良な賢い者は恵みを得る、しかし、不信実な者の道は滅びである。


口語訳 箴  19:14
19:14 家と富とは先祖からうけつぐもの、賢い妻は主から賜わるものである


口語訳 箴  28:7
28:7 律法を守る者は賢い子である、不品行な者と交わるものは、父をはずかしめる


口語訳 箴  31:10
31:10 だれが賢い妻を見つけることができるか、彼女は宝石よりもすぐれて尊い

口語訳 箴  31:30
31:30
あでやかさは偽りであり、美しさはつかのまである、しかし主を恐れる女はほめたたえられる。


塚本訳 ヨハ 1:4
1:4 この方は命をもち、この命が人の光であった。


塚本訳 ヨハ 1:14
1:14 この言葉は肉体となって、(しばらく)わたし達の間に住んでおられた。(これが主イエス・キリストである。)
わたし達はその栄光を見た。いかにも父上の独り子らしい栄光で、恩恵と真理とに満ちておられた。


塚本訳 マタ 6:22-23
6:22 目は体の明りである。だからあなたの目が澄んでおれば、体全体が明るいが、
6:23 目が悪いと、体全体が暗い。
だから(天に宝を積まないため、)もしあなたの内の光(である目、すなわち心)が暗かったら、その暗さはどんなであろう。


塚本訳 ヨハ 1:47
1:47 イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て、彼のことをこう言われる
、「そら、あれは生粋のイスラエル人だ。すこしもごまかしがない。」


塚本訳 ヘブ 1:3
1:3 彼は神の栄光の放射であり、本質の像である。彼はまたその力ある言葉をもって万物を保たれる。彼は(この世に降り)、罪の潔めを成し(とげて、ふたたび)高き所にのぼり、(神の)御稜威の『右にお坐りになっている』。


塚本訳 マタ 7:28-29
7:28 イエスがこれらの話を終えられた時、一しょに聞いていた群衆はその教えに感心してしまった。
7:29 自分たちの聖書学者のようでなく、権威を持つ者のように教えられたからである。

塚本訳 マタ 6:27-32
6:27 (だいいち、)あなた達のうちのだれかが、心配して寿命を一寸でも延ばすことが出来るのか。
6:28 また、なぜ着物のことを心配するのか、野の花の育つのを、よく見てごらん、苦労をせず、紡ぐこともしない。
6:29 しかし、わたしは言う、栄華を極めたソロモン(王)でさえも、この花の一つほどに着飾ってはいなかった。
6:30 きょうは花咲き、あすは炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこんなに装ってくださるからには、ましてあなた達はなおさらのことではないか。信仰の小さい人たちよ!
6:31 だから、『何を食べよう』とか、『何を飲もう』とか、『何を着よう』とか言って、心配するな。
6:32 それは皆異教人のほしがるもの。あなた達の天の父上は、それが皆あなた達に必要なことをよく御承知である。

塚本訳 ルカ 15:30
15:30 ところがあのあなたの息子、きたない女どもと一しょに、あなたの身代をくらいつぶしたあれがかえって来ると、肥えた小牛を御馳走されるのはどういうわけですか。』


塚本訳 Ⅰコリ6:16
6:16 それとも、遊女に結びつく者はそれと一つの体であることを、あなた達は知らないのか。『二人は一体となる』と(聖書は)言うではないか。

塚本訳 Ⅱコリ3:18
3:18
そしてわたし達(主キリストを信ずる者)は皆、覆いを取られた顔で(直接)『主の栄光』を鏡にうつして拝見し、栄光から栄光に進み(つつ、ついに)主と同じ(栄光の)姿に造りかえられる。御霊である主がなさるのであるから当然である。

塚本訳 黙  21:1-4
21:1 また私は新しい天と新しい地とを見た。初めの天と初めの地とは消え去ったのである。最早海も無い。
21:2 また聖なる都新しいエルサレムが、夫のために飾った新婦のように身支度をして、天から、神(の御許)から降って来るのを私は見た
21:3 そして私は玉座から大きな声が(出てこう)言うのを聞いた、「視よ、人と共に神の幕屋がある! 神が彼らと共に住み、彼らは神の民となり、神自ら彼らと共にいまして、
21:4 彼らの目から悉く涙を拭い取り給うであろう。最早死もなく、悲嘆も叫喚も疼痛も最早無いであろう。初めの(天と地にあった)ものが(すっかり)消え去ったからである。」


塚本訳 黙  22:1-5
22:1 天使はまた神と仔羊の玉座から(流れ)出ている水晶のように輝いた生命の水の河を私に示した。
22:2 都の大通りの真中と河の此方彼方に生命の樹があって、(一年に)十二度実を結ぶ、すなわち月毎に実が生るのである。そしてその樹の葉は諸国の民(の凡ての病と傷と)を医す。
22:3 最早凡ての呪詛が無いであろう。そして神と仔羊の玉座が都の中にあって、その僕達は(其処で)彼に仕え、
22:4 (おおけなくも目のあたり)御顔を拝し、その御名が彼らの額に(書いて)あるであろう。
22:5 また(昼夜の別が消え失せ)最早夜が無いであろう。(其処では)燈火の光も太陽の光も必要がない。主なる神が彼らを照らし給うから。そして彼らは永遠より永遠に王となるであろう。

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朝の黙想礼拝終わり。神の国の美しさは神の霊の命の輝きである。キリスト者はこの世の美しさや権威に心迷わされてはいけない。

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早朝散歩の道。「ああ麗しきシオンの朝」讃美歌216番

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早朝散歩のおわり

文語訳 マタ 6:28-29
6:28 又なにゆゑ衣のことを思ひ煩ふや。野の百合は如何にして育つかを思へ、勞せず、紡がざるなり。
6:29 されど我なんぢらに告ぐ、
榮華を極めたるソロモンだに、その服装この花の一つにも及かざりき。




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どうしても人を赦せない時 ++++++++ 所感

2014/08/30 05:32

140830(土)2時半目覚め。しばらく黙想。「どうしても赦せない時」。また睡眠。4時40分起床●キリスト者の皆様お早うございます。●今朝は「どうしても赦せない時」の苦しみについて黙想してみます。過食で肥満の病気の夫人が医者に行くと「心の病」と診断された。原因は姑さんとの確執。そこで人のいない河原に行って「姑のバカヤロー」を毎日(?)10回思い切り言うことにしたら、ストレスが解消して肥満が改善されて行ったという。●同じく、「夫のバカタロー、妻のバカヤロー、子供のバカヤロー、嫁のバカヤロー、婿のバカヤロー、孫のバカヤロー」と言えば10回も言わないうちにその人の良いところが浮かんできて心が穏やかになると思う。(自戒)。同じことが上司のバカヤロー、牧師の、教会(集会)員の、阿倍の、東電の、政治家の、・・・・・」と思い切り叫べばすっきりして相手の良いところが見えてくるというものだ。私も誰かに言われている。否、言ってくれ。●しかしコトはそんなに生易しい事ばかりではない。身内を殺した犯人をどうしても赦せない。自分に殺意を抱く人間、さげすみ、無視する人間を赦せない、などは非常に深刻である。今言った「バカヤロー」を10回叫ぶなどの方法や思想、教訓、ヒューマニズムでは心が安んじない。●こういう深刻な煩悶の時はどうすればよいか。聖書はどう答えてくれるか、それを探ってみよう。●答えを先に言うと、ヒューマニスティックではなく、神の霊の臨在によって初めて「人を赦せる」ということだ。

塚本訳 マタ 5:43-45
5:43 あなた達は(昔の人がモーセから、)『隣の人を愛し、』敵を憎まねばならない、と命じられたことを聞いたであろう。
5:44 しかしわたしはあなた達に言う、敵を愛せよ。自分を迫害する者のために祈れ。
5:45 あなた達が天の父上の子であることを示すためである。父上は悪人の上にも善人の上にも日をのぼらせ、正しい人にも正しくない人にも、雨をお降らしになるのだから。


塚本訳 マタ 6:12
6:12 罪を赦してください、わたしたちも罪を犯した人を赦しましたから


塚本訳 マタ 5:38-42
5:38 あなた達は(昔の人がモーセから、)『目には目、歯には歯』──(人の目をつぶした者は自分の目で、人の歯を折った者は自分の歯で、つぐなわなければならない)と命じられたことを聞いたであろう。
5:39 しかしわたしはあなた達に言う、悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打ったら、左をも向けよ。
5:40 (裁判所に)訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせてやれ。
5:41 だれかが無理に一ミリオン[一キロ半]行かせようとするなら、一しょに二ミリオン行ってやれ。
5:42 求める者には与えよ、借りようとする者を断るな。


●以上の3か所はいわゆる「山上の説教」(マタイ5~7章)に編集されている。近年の編集史(聖書学)によれば、この「山上の説教」は初代教会への入会j条件として存在していたものをここに編集されたものであるという。その入会条件という初代教会の「生活の座」が背景にあるという。(J・エレミヤス「山上の説教」)●つまりこういうことだ。初代教会への入会者に対して「あなた達は神の恩恵によって一方的に救われた。だからこれからは地の塩であれ、光であれ、殺すな、報復するな、誓うな、敵を愛せ、こう祈れ、断食や祈りは隠れて行え、生活の心配はするな、宝を天に積め、律法は守れ、裁くな、・・・・・」というものである。●救われるためにこうせよというのではない。絶対恩恵による無条件の罪の赦し救われたのだから、「天の父上の子であることを示すために」(上記マタイ5:45)こうせよというのである。律法ではなく、福音である。●だから山上の説教の戒めを守ったから救われるのではなく、また守れないから救われないのではない。つまり守っても守れなくても救いとは関係ない。●このことは「人を赦す」という非常に困難で、生身の人間には実行不可能なことについてもいえる。「クリスチャンだから人は赦さなければならない」と煩悶し、人間的に努力してもそれはできない。「赦す」「赦さねばならない」ということを信仰抜きのヒューマニズムえ実行しようとしても無理である。●神の方から絶対的な赦しの霊を頂く時、人は難い相手、どうしようもない人間を不思議に赦せるようになっているのだ」。これが新約聖書の言わんとすることである。●聖書的根拠を掲げてみよう。

塚本訳 マタ 18:21-35
18:21 その時ペテロが進み寄ってたずねた、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したとき、何度赦してやらねばなりませんか。七度まででしょうか。」
18:22 イエスがこたえられた、「いや、あなたに言う、七度までどころか、七十七度まで!
18:23 だから天の国は、王が家来たちとの貸し借りを清算しようとするのに似ている。
18:24 清算を始めると、(王に対し)一万タラント[三百億円]の借りのある家来がつれて来られた。
18:25 返すことができないので、主人は(その家来に、)自分も妻も子も持ち物も全部売って返すように命じた。
18:26 家来はひれ伏して、しきりに願った、『しばらく待ってください。全部お返ししますから。』
18:27 そこで主人は気の毒に思って、身柄をゆるした上、借金にまで棒を引いてやった。
18:28 ところがその家来は出ていって、自分に百デナリ[五万円]を借りているひとりの同僚に出合うと、これをつかまえ、喉頚をしめて、『借りているものを返せ』と言った。
18:29 同僚はひれ伏して、『ちょっと待ってくれ。返すから』と頼んだ。
18:30 しかし承知せず、(裁判官につれて)行って、負債を返すまで牢に入れた。
18:31 その人の同僚たちはこの出来事を見て非常に悲しみ、行って、出来事の一部始終を主人に報告した。
18:32 すると主人はその家来を呼び出して言う、『不埒な家来、あなたが頼んだから、わたしはあの負債に全部、棒を引いてやったのだ。
18:33 だからあなたもわたしに情をかけてもらったように、同僚に情をかけてやるべきではなかったのか。』
18:34 そこで主人は怒って、負債を全部返すまでその男を獄吏に引き渡した、(いう話。)
18:35 わたしの天の父上も、もしあなた達ひとりびとりが心から兄弟を赦さないならば、同じようにあなた達になさるであろう。」

塚本訳 ルカ 7:36-50
7:36 (シモンという)ひとりのパリサイ人が一しょにお食事をと願ったので、そのパリサイ人の家に入って食卓に着かれた。
7:37 すると、その町に一人の罪の女がいた。イエスがパリサイ人の家で食卓についておられることを知ると、香油のはいった石膏の壷を持ってきて、
7:38 泣きながら後ろからイエスの足下に進み寄り、しばし涙で御足をぬらしていたが、やがて髪の毛でそれをふき、御足に接吻して香油を塗った。
7:39 イエスを招待したパリサイ人が見て、ひそかに思った、「もしもこの人が(ほんとうの)預言者だったら、自分にさわっている者がだれだか、どんな女だか、──罪の女だと分るはずであるのに!」
7:40 イエスが言われた、「シモン、あなたに言わねばならぬことがある。」彼が言う、「先生、言ってください。」イエスが言われる、
7:41 「ある金貸しに二人の債務者があった。一人は五百デナリ(二十五万円)、一人は五十デナリ(二万五千円)を借りていた。
7:42 返すことができないので、金貸しは二人(の借金)をゆるしてやった。とすると、二人のうち、どちらが余計に金貸しを愛するだろうか。」
7:43 シモンが答えた、「余計にゆるしてもらった方だと思います。」イエスは「あなたの判断は正しい」と言って、
7:44 女の方に振り向き、シモンに言われた、「この婦人を見たか。わたしがこの家に来たとき、あなたは足の水もくれないのに、この婦人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でふいてくれた。
7:45 あなたは接吻一つしてくれないのに、この婦人はわたしが(この家に)来たときから、わたしの足に接吻のしつづけである。
7:46 あなたは(普通の)油をすら頭に塗ってくれないのに、この婦人は(高価な)香油を足に塗ってくれた。
7:47 だから、わたしは言う、この婦人の多くの罪は赦されている。(いま)多くわたしを愛したのがその証拠である。赦され方の少ない者は、愛し方も少ない。」
7:48 そしてその女に言われた、「あなたの罪は赦されている。」
7:49 同席の者が(憤慨して)ひそかに考えた、「罪さえ赦す(という)この人はいったい何人だろう。」
7:50 しかしイエスは女に言われた、「あなたの信仰があなたを救った。『さよなら、平安あれ。』」

塚本訳 Ⅰヨハ2:12
2:12 子供たちよ、わたしが(この手紙を)あなた達に書くのは、キリストの御名のために、
あなた達の罪は赦されているからである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●朝の黙想瞑想終わり。神の霊の臨在が常にありますように。それが人を赦せる道だ。キリスト者はこの世から憎まれて迫害されるのは宿命だ。クリスチャンはすでにこの世から神の国に移されているのである。興味や関心を持つものが違う。これがこの世の人間に煙たがられ、嫌われる原因なのだ。見るテレビが違う。読む本が違う。●しかしひるむな。天で褒美が待っている。

塚本訳 Ⅱテモ3:12
3:12 (私だけでなく、)キリスト・イエスにあって敬虔に生きようとする者は皆迫害される


塚本訳 マタ 5:10-12
5:10 ああ幸いだ、信仰のために迫害される人たち、天の国はその人たちのものとなるのだから。
5:11 わたしゆえに罵られたり、迫害されたり、あらん限りの根も葉もない悪口を言われたりする時、あなた達は幸いである

5:12 小躍りして喜びなさい、褒美がどっさり天であなた達を待っているのだから。
あなた達より前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。

●池谷医院
●TSK日本語版雅歌1章

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久しぶりの晴れ。奥多摩連山

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杉並公会堂、合奏団ZERO演奏会。最後に団員が前に出てきて挨拶

ブラームス ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲
ブルックナー交響曲大4番(ロマンチック)

指揮 松岡究(はかる) ヴィオラ和田睦夫氏出演
帰途、元建設物価同僚の関口氏と会い、国分寺まで

2014_08300006.jpg 
音楽会帰途、杉並の雰囲気のある家。学者の家か。

●NHKTV「巨大災害」。第一回、異常気象。地球の温度は絶妙に調整されている。
将来は地球が温暖化して猛烈に熱くなり、海面は上昇する。日本の砂浜は80%以上無くなるという。
●妻は恵と見時と共に安達太良登山、後半は雨。無事下山したという。




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淋しさが癒される時 ++++++++ 所感

2014/08/29 06:35

140829(金)3時半目覚め、5時起床●床の中で黙想したこと「淋しさが癒される時」●キリスト者の皆様、お早うございます。一昨日孫台風が去り、妻は郷里福島に墓参に行き、家の中は静寂、そして秋の気温で心も淋しくなりました。今朝もまた寒く、夏なのに朝風呂に入りました。●人類は皆淋しい。それが原因で様々な人生問題、社会問題が起きています。昨日はTVで「過食」の原因は「心の病」であることを知りました。またヒットラーとフセインの共通点は幼いころに母親の愛情がなかったために長じて民衆の愛情の目が自分に注がれるような異常な行動に出たのだと本で読んだことがあります。「心の淋しさ故の問題行動」は数え上げればきりがありません。●淋しさの本当の原因は人が命と愛の本源である「神」から離れていることなのです。●某氏は学業成績が優秀で将来を嘱望されていましが、家庭の経済が傾いて希望が挫折、あろうことか両親に断りもなく女と同棲。人生がすっかり狂ってしまいました。その某氏はある時私に、「淋しかったんだ」と言いました。●まことに人は心が淋しいときは「道ならぬ道」を歩む。淋しさを癒そうとするためである。●以前、「アダージョカラヤン」というアルバムが欧州で何百万枚も売れ、日本でも非常に売れました。私が購入する時、店員に「なぜこれが売れるのか」と聞くと、「現代人は疲れているからでしょう」との答えでした。わたしは「心の疲れは淋しさと同質」と思います。そしてそれは「アダージョカラヤン」に収められて小品の音楽を聴くことでは癒されないと思います。●それでは何が人を癒してくれるのか。神の愛の霊が接近してくださることに尽きると思います。その例は聖書に多く出てきますが、今朝は二か所を深く黙想してみたいと思います。二か所とも人「淋しがって」いる時に理論や信仰でなく、実際にイエスが声をかけてくれたのです。イエスの言動は神の心の見える形です。●イエスがいない現在は、神が霊で心に迫って心を癒してくれます。●復活のイエス、神の霊、三位一体の真理が心を癒してくれます。それは教会でも、聖書でも、自然でも、家族でも、音楽でも、趣味の遊びでもありません。●まことにキリストの霊は道であり、命であり、真の癒しであり、命の水です。

塚本訳 ヨハ 11:25
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。


塚本訳 ヨハ 14:6
14:6 イエスは言われる、「わたしが道である。また真理であり、命である。(手段であると同時に目的であるから。)わたしを通らずには、だれも父上の所に行くことはできない。

●この二か所の黙想瞑想(デボーション)にTSK日本語版(拙ホームページ掲載、未完)を見てみよう。

●TSK  ヨハ 11:25

11:25 イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。

 

*「わたしはよみがえりであり、」

John 5:21

21すなわち、父が死人を起してをお与えになるように、子もまた、そのこころにかなう人々に命を与えるであろう。

John 6:39-40

 39わたしをつかわされたかたのみこころは、わたしに与えて下さった者を、わたしがひとりも失わずに、終りの日によみがえらせることである。  40わたしの父のみこころは、子を見て信じる者が、ことごとく永遠の命を得ることなのである。そして、わたしはその人々を終りの日によみがえらせるであろう」。

John 6:44

 44わたしをつかわされた父が引きよせて下さらなければ、だれもわたしに来ることはできない。わたしは、その人々を終りの日によみがえらせるであろう。

Romans 5:17-19

 17もし、ひとりの罪過によって、そのひとりをとおして死が支配するに至ったとすれば、まして、あふれるばかりの恵みと義の賜物とを受けている者たちは、ひとりのイエス・キリストをとおし、いのちにあって、さらに力強く支配するはずではないか。  18このようなわけで、ひとりの罪過によってすべての人が罪に定められたように、ひとりの義なる行為によって、いのちを得させる義がすべての人に及ぶのである。  19すなわち、ひとりの人の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同じように、ひとりの従順によって、多くの人が義人とされるのである。

Romans 8:11

 11もし、イエスを死人の中からよみがえらせたかたの御霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは、あなたがたの内に宿っている御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも、生かしてくださるであろう

1 Corinthians 15:20-26

 20しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。  21それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。  22アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。  23ただ、各自はそれぞれの順序に従わねばならない。最初はキリスト、次に、主の来臨に際してキリストに属する者たち、  24それから終末となって、その時に、キリストはすべての君たち、すべての権威と権力とを打ち滅ぼして、国を父なる神に渡されるのである。  25なぜなら、キリストはあらゆる敵をその足もとに置く時までは、支配を続けることになっているからである。  26最後の敵として滅ぼされるのが、死である。

1 Corinthians 15:43-57

 43卑しいものでまかれ、栄光あるものによみがえり、弱いものでまかれ、強いものによみがえり、  44肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのである。肉のからだがあるのだから、霊のからだもあるわけである。  45聖書に「最初の人アダムは生きたものとなった」と書いてあるとおりである。しかし最後のアダムは命を与える霊となった。  46最初にあったのは、霊のものではなく肉のものであって、その後に霊のものが来るのである。  47第一の人は地から出て土に属し、第二の人は天から来る。  48この土に属する人に、土に属している人々は等しく、この天に属する人に、天に属している人々は等しいのである。  49すなわち、わたしたちは、土に属している形をとっているのと同様に、また天に属している形をとるであろう。  50兄弟たちよ。わたしはこの事を言っておく。肉と血とは神の国を継ぐことができないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない。  51ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。  52というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。  53なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。  54この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、聖書に書いてある言葉が成就するのである。  55「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。  56死のとげは罪である。罪の力は律法である。  57しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。

2 Corinthians 4:14

 14それは、主イエスをよみがえらせたかたが、わたしたちをもイエスと共によみがえらせ、そして、あなたがたと共にみまえに立たせて下さることを、知っているからである。

Philippians 3:10

10すなわち、キリストとその復活の力とを知り、その苦難にあずかって、その死のさまとひとしくなり、

Philippians 3:20-21

 20しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。  21彼は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう

1 Thessalonians 4:14

 14わたしたちが信じているように、イエスが死んで復活されたからには、同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう

Revelation of John 20:5

 5(それ以外の死人は、千年の期間が終るまで生きかえらなかった。)これが第一の復活である。

Revelation of John 20:10-15

 10そして、彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄との池に投げ込まれた。そこには、獣もにせ預言者もいて、彼らは世々限りなく日夜、苦しめられるのである。  11また見ていると、大きな白い御座があり、そこにいますかたがあった。天も地も御顔の前から逃げ去って、あとかたもなくなった。  12また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。  13海はその中にいる死人を出し、死も黄泉もその中にいる死人を出し、そして、おのおのそのしわざに応じて、さばきを受けた。  14それから、死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。  15このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。

Revelation of John 21:4

 4人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。

 

*「命である」

Psalms 36:10

10いのちの泉はあなたのもとにあり、われらはあなたの光によって光を見る。

Isaiah 38:16

 16主よ、これらの事によって人は生きる。わが霊の命もすべてこれらの事による。どうか、わたしをいやし、わたしを生かしてください。

John 1:4

 4この言にがあった。そしてこのは人の光であった。

John 5:26

 26それは、父がご自分のうちに生命をお持ちになっていると同様に、子にもまた、自分のうちに生命を持つことをお許しになったからである。

John 6:35

 35イエスは彼らに言われた、「わたしがのパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。

John 14:6

 6イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。

John 14:19

 19もうしばらくしたら、世はもはやわたしを見なくなるだろう。しかし、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからである。

Acts 3:15

 15いのちの君を殺してしまった。しかし、神はこのイエスを死人の中から、よみがえらせた。わたしたちは、その事の証人である。

Romans 8:2

 2なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。

Colossians 3:3-4

3あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである。  4わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう。

1 John 1:1-2

 1初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手でさわったもの、すなわち、いのちの言について――  2このいのちが現れたので、この永遠のいのちをわたしたちは見て、そのあかしをし、かつ、あなたがたに告げ知らせるのである。この永遠のいのちは、父と共にいましたが、今やわたしたちに現れたものである――

1 John 5:11-12

 11そのあかしとは、神が永遠のいのちをわたしたちに賜わり、かつ、そのいのちが御子のうちにあるということである。  12御子を持つ者はいのちを持ち、神の御子を持たない者はいのちを持っていない。

Revelation of John 22:1

 1御使はまた、水晶のように輝いているいのちの水の川をわたしに見せてくれた。この川は、神と小羊との御座から出て、

Revelation of John 22:17

 17御霊も花嫁も共に言った、「きたりませ」。また、聞く者も「きたりませ」と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい。

 

*「わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる

Job 19:25-27

25わたしは知る、/わたしをあがなう者は生きておられる、/後の日に彼は必ず地の上に立たれる。  26わたしの皮がこのように滅ぼされたのち、/わたしは肉を離れて神を見るであろう。  27しかもわたしの味方として見るであろう。わたしの見る者はこれ以外のものではない。わたしの心はこれを望んでこがれる。

Isaiah 26:19

 19あなたの死者は生き、彼らのなきがらは起きる。ちりに伏す者よ、さめて喜びうたえ。あなたの露は光の露であって、それを亡霊の国の上に降らされるからである。

Luke 23:43

 43イエスは言われた、「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」。

John 3:36

 36御子を信じる者は永遠の命をもつ。御子に従わない者は、にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまるのである」。

Romans 4:17

 17「わたしは、あなたを立てて多くの国民の父とした」と書いてあるとおりである。彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである。

Romans 8:10-11

 10もし、キリストがあなたがたの内におられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊は義のゆえに生きているのである。  11もし、イエスを死人の中からよみがえらせたかたの御霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは、あなたがたの内に宿っている御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも、生かしてくださるであろう

Romans 8:38-39

 38わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、  39高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。

1 Corinthians 15:18

18そうだとすると、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのである。

1 Corinthians 15:29

 29そうでないとすれば、死者のためにバプテスマを受ける人々は、なぜそれをするのだろうか。もし死者が全くよみがえらないとすれば、なぜ人々が死者のためにバプテスマを受けるのか。

2 Corinthians 5:1-8

 1わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。  2そして、天から賜わるそのすみかを、上に着ようと切に望みながら、この幕屋の中で苦しみもだえている。  3それを着たなら、裸のままではいないことになろう。  4この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえている。それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためである。  5わたしたちを、この事にかなう者にして下さったのは、神である。そして、神はその保証として御霊をわたしたちに賜わったのである。  6だから、わたしたちはいつも心強い。そして、肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っている。  7わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである。  8それで、わたしたちは心強い。そして、むしろ肉体から離れて主と共に住むことが、願わしいと思っている。

Philippians 1:23

 23わたしは、これら二つのものの間に板ばさみになっている。わたしの願いを言えば、この世を去ってキリストと共にいることであり、実は、その方がはるかに望ましい

1 Thessalonians 4:14

 14わたしたちが信じているように、イエスが死んで復活されたからには、同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう

Hebrews 11:13-16

 13これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。  14そう言いあらわすことによって、彼らがふるさとを求めていることを示している。  15もしその出てきた所のことを考えていたなら、帰る機会はあったであろう。  16しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである

 
●TSK ヨハ 14:6

14:6 イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。

 

*「わたしは道であり、」

Isaiah 35:8-9

8そこに大路があり、その道は聖なる道ととなえられる。汚れた者はこれを通り過ぎることはできない、愚かなる者はそこに迷い入ることはない。  9そこには、ししはおらず、飢えた獣も、その道にのぼることはなく、その所でこれに会うことはない。ただ、あがなわれた者のみ、そこを歩む。

Matthew 11:27

 27すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子を知る者は父のほかにはなく、父を知る者は、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほかに、だれもありません。

John 10:9

 9わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう。

Acts 4:12

 12この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」。

Romans 5:2

 2わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。

Ephesians 2:18

 18というのは、彼によって、わたしたち両方の者が一つの御霊の中にあって、父のみもとに近づくことができるからである。

Hebrews 7:25

 25そこでまた、彼は、いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので、彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである

Hebrews 9:8

8それによって聖霊は、前方の幕屋が存在している限り、聖所にはいる道はまだ開かれていないことを、明らかに示している。

Hebrews 10:19-22

 19兄弟たちよ。こういうわけで、わたしたちはイエスの血によって、はばかることなく聖所にはいることができ、  20彼の肉体なる幕をとおり、わたしたちのために開いて下さった新しい生きた道をとおって、はいって行くことができるのであり、  21さらに、神の家を治める大いなる祭司があるのだから、  22心はすすがれて良心のとがめを去り、からだは清い水で洗われ、まごころをもって信仰の確信に満たされつつ、みまえに近づこうではないか。

1 Peter 1:21

 21あなたがたは、このキリストによって、彼を死人の中からよみがえらせて、栄光をお与えになった神を信じる者となったのであり、したがって、あなたがたの信仰と望みとは、神にかかっているのである。

 

*「真理であり、」

John 1:14

14そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。

John 1:17

 17律法はモーセをとおして与えられ、めぐみとまこととは、イエス・キリストをとおしてきたのである。

John 8:32

 32また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」。

John 15:1

 1わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。

John 18:37

 37そこでピラトはイエスに言った、「それでは、あなたは王なのだな」。イエスは答えられた、「あなたの言うとおり、わたしは王である。わたしは真理についてあかしをするために生れ、また、そのためにこの世にきたのである。だれでも真理につく者は、わたしの声に耳を傾ける」

Romans 15:8-9

 8わたしは言う、キリストは神の真実を明らかにするために、割礼のある者の僕となられた。それは父祖たちの受けた約束を保証すると共に、  9異邦人もあわれみを受けて神をあがめるようになるためである、/「それゆえ、わたしは、異邦人の中で/あなたにさんびをささげ、/また、御名をほめ歌う」/と書いてあるとおりである。

2 Corinthians 1:19-20

 19なぜなら、わたしたち、すなわち、わたしとシルワノとテモテとが、あなたがたに宣べ伝えた神の子キリスト・イエスは、「しかり」となると同時に「否」となったのではない。そうではなく、「しかり」がイエスにおいて実現されたのである。  20なぜなら、神の約束はことごとく、彼において「しかり」となったからである。だから、わたしたちは、彼によって「アァメン」と唱えて、神に栄光を帰するのである。

Colossians 2:9

 9キリストにこそ、満ちみちているいっさいの神の徳が、かたちをとって宿っており

Colossians 2:17

 17これらは、きたるべきものの影であって、その本体はキリストにある。

1 John 1:8

8もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。

1 John 5:6

 6このイエス・キリストは、水と血とをとおってこられたかたである。水によるだけではなく、水と血とによってこられたのである。そのあかしをするものは、御霊である。御霊は真理だからである。

1 John 5:20

 20さらに、神の子がきて、真実なかたを知る知力をわたしたちに授けて下さったことも、知っている。そして、わたしたちは、真実なかたにおり、御子イエス・キリストにおるのである。このかたは真実な神であり、永遠のいのちである。

Revelation of John 1:5

 5また、忠実な証人、死人の中から最初に生れた者、地上の諸王の支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。わたしたちを愛し、その血によってわたしたちを罪から解放し、

Revelation of John 3:7

 7ヒラデルヒヤにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『聖なる者、まことなる者、ダビデのかぎを持つ者、開けばだれにも閉じられることがなく、閉じればだれにも開かれることのない者が、次のように言われる。

Revelation of John 3:14

 14ラオデキヤにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『アァメンたる者、忠実な、まことの証人、神に造られたものの根源であるかたが、次のように言われる。

Revelation of John 19:11

 11またわたしが見ていると、天が開かれ、見よ、そこに白い馬がいた。それに乗っているかたは、「忠実で真実な者」と呼ばれ、義によってさばき、また、戦うかたである。

 

*「命である。」

John 1:4

4この言にがあった。そしてこの命は人の光であった。

John 5:21

 21すなわち、父が死人を起して命をお与えになるように、子もまた、そのこころにかなう人々に命を与えるであろう。

John 5:25-29

 25よくよくあなたがたに言っておく。死んだ人たちが、神の子の声を聞く時が来る。今すでにきている。そして聞く人は生きるであろう。  26それは、父がご自分のうちに生命をお持ちになっていると同様に、子にもまた、自分のうちに生命を持つことをお許しになったからである。  27そして子は人の子であるから、子にさばきを行う権威をお与えになった。  28このことを驚くには及ばない。墓の中にいる者たちがみな神の子の声を聞き、  29善をおこなった人々は、生命を受けるためによみがえり、悪をおこなった人々は、さばきを受けるためによみがえって、それぞれ出てくる時が来るであろう。

John 6:33

 33神のパンは、天から下ってきて、この世に命を与えるものである」。

John 6:51

 51わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である」。

John 6:57

 57生ける父がわたしをつかわされ、また、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者もわたしによって生きるであろう。

John 6:68

 68シモン・ペテロが答えた、「主よ、わたしたちは、だれのところに行きましょう。永遠の命の言をもっているのはあなたです。

John 8:51

 51よくよく言っておく。もし人がわたしの言葉を守るならば、その人はいつまでも死を見ることがないであろう」。

John 10:28

 28わたしは、彼らに永遠の命を与える。だから、彼らはいつまでも滅びることがなく、また、彼らをわたしの手から奪い去る者はない。

John 11:25-26

 25イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。  26また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。

John 14:19

 19もうしばらくしたら、世はもはやわたしを見なくなるだろう。しかし、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからである

John 17:2-3

 2あなたは、子に賜わったすべての者に、永遠の命を授けさせるため、万民を支配する権威を子にお与えになったのですから。  3永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。

Acts 3:15

15いのちの君を殺してしまった。しかし、神はこのイエスを死人の中から、よみがえらせた。わたしたちは、その事の証人である。

Romans 5:21

 21それは、罪が死によって支配するに至ったように、恵みもまた義によって支配し、わたしたちの主イエス・キリストにより、永遠のいのちを得させるためである

1 Corinthians 15:45

 45聖書に「最初の人アダムは生きたものとなった」と書いてあるとおりである。しかし最後のアダムは命を与える霊となった。

Colossians 3:4

 4わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう。

1 John 1:1-2

 1初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手でさわったもの、すなわち、いのちの言について――  2このいのちが現れたので、この永遠のいのちをわたしたちは見て、そのあかしをし、かつ、あなたがたに告げ知らせるのである。この永遠のいのちは、父と共にいましたが、今やわたしたちに現れたものである――

1 John 5:11-12

 11そのあかしとは、神が永遠のいのちをわたしたちに賜わり、かつ、そのいのちが御子のうちにあるということである。  12御子を持つ者はいのちを持ち、神の御子を持たない者はいのちを持っていない。

Revelation of John 22:1

 1御使はまた、水晶のように輝いているいのちの水の川をわたしに見せてくれた。この川は、神と小羊との御座から出て、

Revelation of John 22:17

 17御霊も花嫁も共に言った、「きたりませ」。また、聞く者も「きたりませ」と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい。

 

*「だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」

John 10:7

7そこで、イエスはまた言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。わたしは羊の門である。

John 10:9

 9わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう。

Acts 4:12

 12この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」。

Romans 15:16

 16このように恵みを受けたのは、わたしが異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の役を勤め、こうして異邦人を、聖霊によってきよめられた、御旨にかなうささげ物とするためである。

1 Peter 2:4

 4主は、人には捨てられたが、神にとっては選ばれた尊い生ける石である。

1 Peter 3:18

 18キリストも、あなたがたを神に近づけようとして、自らは義なるかたであるのに、不義なる人々のために、ひとたび罪のゆえに死なれた。ただし、肉においては殺されたが、霊においては生かされたのである。

1 John 2:23

 23御子を否定する者は父を持たず、御子を告白する者は、また父をも持つのである

2 John 9

 9すべてキリストの教をとおり過ごして、それにとどまらない者は、神を持っていないのである。その教にとどまっている者は、父を持ち、また御子をも持つ

Revelation of John 5:8-9

 8巻物を受けとった時、四つの生き物と二十四人の長老とは、おのおの、立琴と、香の満ちている金の鉢とを手に持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖徒の祈である。  9彼らは新しい歌を歌って言った、「あなたこそは、その巻物を受けとり、封印を解くにふさわしいかたであります。あなたはほふられ、その血によって、神のために、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から人々をあがない、

Revelation of John 7:9-17

9その後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、数えきれないほどの大ぜいの群衆が、白い衣を身にまとい、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立ち、  10大声で叫んで言った、「救は、御座にいますわれらの神と/小羊からきたる」。  11御使たちはみな、御座と長老たちと四つの生き物とのまわりに立っていたが、御座の前にひれ伏し、神を拝して言った、  12「アァメン、さんび、栄光、知恵、感謝、ほまれ、力、勢いが、世々限りなく、われらの神にあるように、アァメン」。  13長老たちのひとりが、わたしにむかって言った、「この白い衣を身にまとっている人々は、だれか。また、どこからきたのか」。  14わたしは彼に答えた、「わたしの主よ、それはあなたがご存じです」。すると、彼はわたしに言った、「彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである。  15それだから彼らは、神の御座の前におり、昼も夜もその聖所で神に仕えているのである。御座にいますかたは、彼らの上に幕屋を張って共に住まわれるであろう。  16彼らは、もはや飢えることがなく、かわくこともない。太陽も炎暑も、彼らを侵すことはない。  17御座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって、いのちの水の泉に導いて下さるであろう。また神は、彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さるであろう」。

Revelation of John 13:7-8

 7そして彼は、聖徒に戦いをいどんでこれに勝つことを許され、さらに、すべての部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。  8地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、その名を世の初めからしるされていない者はみな、この獣を拝むであろう。

Revelation of John 20:15

 15このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。


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朝の黙想礼拝終わり。この命の道を行かせたまえ。淋しさを抱えている人に「この命の道」。
を示す「使命」を全うさせたまえ。子とその伴侶、そして孫達が「この命の道」を見出せますように。神の祝福を祈る。

●TSK日本語版伝道の書12章。伝道の書完了、CDに焼き付けて庭の物置に収納
●16時過ぎ、二本松の三男の家に着いた妻から電話。
●妻は明日三男と孫一人と共に安達太良山登山。雨が心配。
●録画してあった「吉田茂」を見た。南原繁を「曲学阿世の徒」と言った吉田の立場も分かった。
●ネットで「曲学阿世」を見ると、南原対吉田のやり取りが次のようにあった。宗教家は直接政治のことに口を出さない方がよい。

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マッカーサーが共産党を攻撃すれば、吉田首相は全面講和論を攻撃した。 彼は、前年暮にアメリカで全面講和を主張した東大総長南原繁の言説をにくんでいた。 南原総長は、三月の卒業式においても、社会にでてゆく学生にむかって平和と全面講和を説いていた。 五月三日、自由党の両院議員秘密総会で演説した吉田首相は、「永世中立とか全面講和などということは、 いうべくしてとうていおこなわれないこと」であり、「それを南原総長などが政治家の領域にたちいってかれこれいうことは、 曲学阿世の徒にほかならないといえよう」と強調した。

南原総長は、五月六日、吉田首相に反論し、曲学阿世の徒などという「極印は、満州事変以来、美濃部博士をはじめわれわれ学者にたいし、 軍部とその一派によって押しつけられてきたもの」であり、 「学問の冒涜、学者にたいする権力的弾圧以外のものではない」と逆襲して吉田首相の「官僚的態度」を非難し、 「全面講和は国民の何人もが欲するところであって、それを理由づけ、国民の覚悟を論ずるは、 ことに私には政治学者としての責務である」と強調し、 「複雑変移する国際情勢のなかにおいて、現実を理想に近接融合せしめるために、英知と努力をかたむけることにこそ、 政治と政治家の任務がある」にもかかわらず、「それをはじめから曲学阿世の徒の空論として、 全面講和や永世中立論を封じ去ろうとするところに、日本の民主政治の危機の問題がある」と声明した。 吉田首相は、八日、記者団と会見して「南原君が反論しようとしまいと、それは当人の勝手で、 私の知ったことではない」とうそぶき、「日本としては事実上アメリカなどとの単独講和はすでにできている」のだから、 「これを法的に講和にもってゆくべきだ」と主張した。 吉田首相の態度は、まさに官僚的であり、国民との対話をみずから拒否していた。
吉田首相の官僚的態度は、幹事長佐藤栄作の官僚的態度によって倍化されていた。 佐藤は、南原総長の声明にたいし「党は政治的観点から現実的な問題として講和問題をとりあげているのであって、 これは南原氏などにとやかくいわれるところではない」と反論し、 「もとより学問の自由は尊重するが、この問題はすでに政治の問題になっているので、 ゾウゲの塔にある南原氏が政治的表現をするのは日本にとってむしろ有害である」と強調した。 彼は、「政治の問題になっている」からこそ国民が政治にたいして発言するのだという民主主義の原理を知らなかった。
信夫清三郎 「戦後日本政治史Ⅳ」  P.1112この本を入手 

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権威のありか ++++++++ 所感

2014/08/28 09:40

140828(木)キリスト者の皆様、お早うございます。●今朝は「権威のありか」について黙想します。その手掛かりは使徒23:9
の「もしかしたら、霊か御使いかが、彼に語りかけたのかも知れない」(新改訳)です。復活論の議論の最中に「霊か天使」が語ったのなら信用すべきものなのだという思いがあったらしい。霊か天使の語りかけに権威を認めている。●まず翻訳比較。ここで塚本訳の敷衍である(それこそ大変だ)は意味が良く通る。

口語訳 使  23:8-9
23:8 元来、サドカイ人は、復活とか天使とか霊とかは、いっさい存在しないと言い、パリサイ人は、それらは、みな存在すると主張している。
23:9 そこで、大騒ぎとなった。パリサイ派のある律法学者たちが立って、強く主張して言った、「われわれは、この人には何も悪いことがないと思う。あるいは、霊か天使かが、彼に告げたのかも知れない」。


塚本訳 使  23:8-9
23:8 なぜならサドカイ人は復活も天使も霊もないと主張するのに対して、パリサイ人はこれを認めるからである。
23:9 とうとう大騒ぎになった。数人のパリサイ派の聖書学者は立ち上がり、こう言ってはげしく論争した、「この人には何の悪いことも認められない。それに、もし彼に(ダマスコで)霊か天使かが語ったのだったら──(それこそ大変だ!


新改訳 使  23:8-9
23:8 サドカイ人は、復活はなく、御使いも霊もないと言い、パリサイ人は、どちらもあると言っていたからである。
23:9 騒ぎがいよいよ大きくなり、パリサイ派のある律法学者たちが立ち上がって激しく論じて、「私たちは、この人に何の悪い点も見いださない。もしかしたら、霊か御使いかが、彼に語りかけたのかも知れない。」と言った。


新共同 使  23:8-9
23:8 サドカイ派は復活も天使も霊もないと言い、ファリサイ派はこのいずれをも認めているからである。
23:9 そこで、騒ぎは大きくなった。ファリサイ派の数人の律法学者が立ち上がって激しく論じ、「この人には何の悪い点も見いだせない。霊か天使かが彼に話しかけたのだろうか」と言った。

●「権威のありか」を考えるうえで、一番有名なところは次である。教会の権威の基盤がこれであるので重要である。hン訳比較をする。この一句が大カトリックk教会のゆるぎなき基盤、これに対してプロテスタント教会はペテロの信仰告白の上に教会が建つというのでその論争は果てしない。

文語訳 マタ 16:16-18
16:16 シモン・ペテロ答へて言ふ『なんぢはキリスト、活ける神の子なり』
16:17 イエス答へて言ひ給ふ『バルヨナ・シモン、汝は幸福なり、汝に之を示したるは血肉にあらず、天にいます我が父なり。
16:18 我はまた汝に告ぐ、汝はペテロなり、我この磐の上に我が教會を建てん、黄泉の門はこれに勝たざるべし。


口語訳 マタ 16:16-18
16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。
16:17 すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。
16:18 そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。


新改訳 マタ 16:16-18
16:16 シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」
16:17 するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。
16:18 ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。


新共同 マタ 16:16-18
16:16 シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。
16:17 すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。
16:18 わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。


塚本訳 マタ 16:16-18
16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主、生ける神の子であります!」
16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから。
16:18 それでわたしもあなたに言おう。──あなたはペテロ[岩]、わたしはこの岩の上に、わたしの集会を建てる。黄泉の門[死の力]もこれに勝つことはできない。


●しからば、無教会の基盤はというと「ヨハネ伝」にその根拠を求めてきた。 その例を二か所だけ掲げよう


塚本訳 ヨハ 4:21
4:21 イエスが言われる、「女の人、わたし(の言葉)を信じなさい。(間もなく)あなた達が、この山でもエルサレムでもなく(どこででも、)父上を礼拝する時が来る。


塚本訳 ヨハ 4:24
4:24 神は霊である。だから礼拝者も霊と真理とをもって礼拝せねばならない。」


●無教会主義の主唱者であった内村鑑三は「ヨハネ伝によりて余は無教会主義を唱うるに難くない」(1914年9月「聖書の研究」)と言った。
●そして無教会の指導者の多くが無教会主義の根拠をヨハネ福音書に求めていることを私もまとめたことがある。具体的には内村鑑三、塚本虎二、黒崎幸吉、矢内原忠雄、前田護郎、関根正雄、高橋三郎の諸先生方について調べた。(「内村鑑三研究」第31号。1995年11月)。もう19年も前のことである。しかしここへきて、新たに使徒23:9がその根拠になる重要な一句であることを思う。
●そこで今朝はTSKを見て、この部分を黙想してみよう。
●「TSK日本語版」の使徒23:9には次のようにある。

*「あるいは、霊か天使かが、彼に告げたのかも知れない」

John 12:29

29すると、そこに立っていた群衆がこれを聞いて、「雷がなったのだ」と言い、ほかの人たちは、「御使が彼に話しかけたのだ」と言った。

Acts 9:4

 4彼は地に倒れたが、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。

Acts 22:7

 7わたしは地に倒れた。そして、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と、呼びかける声を聞いた。

Acts 22:17-18

 17それからわたしは、エルサレムに帰って宮で祈っているうちに、夢うつつになり、  18主にまみえたが、主は言われた、『急いで、すぐにエルサレムを出て行きなさい。わたしについてのあなたのあかしを、人々が受けいれないから』。

Acts 23:8

 8元来、サドカイ人は、復活とか天使とか霊とかは、いっさい存在しないと言い、パリサイ人は、それらは、みな存在すると主張している。

Acts 26:14-19

 14わたしたちはみな地に倒れましたが、その時ヘブル語でわたしにこう呼びかける声を聞きました、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。とげのあるむちをければ、傷を負うだけである』。  15そこで、わたしが『主よ、あなたはどなたですか』と尋ねると、主は言われた、『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。  16さあ、起きあがって、自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしに会った事と、あなたに現れて示そうとしている事とをあかしし、これを伝える務に、あなたを任じるためである。  17わたしは、この国民と異邦人との中から、あなたを救い出し、あらためてあなたを彼らにつかわすが、  18それは、彼らの目を開き、彼らをやみから光へ、悪魔の支配から神のみもとへ帰らせ、また、彼らが罪のゆるしを得、わたしを信じる信仰によって、聖別された人々に加わるためである』。  19それですから、アグリッパ王よ、わたしは天よりの啓示にそむかず、

Acts 27:23

 23昨夜、わたしが仕え、また拝んでいる神からの御使が、わたしのそばに立って言った、

 

Acts 5:39

39しかし、もし神から出たものなら、あの人たちを滅ぼすことはできまい。まかり違えば、諸君は神を敵にまわすことになるかも知れない」。そこで彼らはその勧告にしたがい、

Acts 11:17

 17このように、わたしたちが主イエス・キリストを信じた時に下さったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったとすれば、わたしのような者が、どうして神を妨げることができようか」。

1 Corinthians 10:22

 22それとも、わたしたちは主のねたみを起そうとするのか。わたしたちは、主よりも強いのだろうか。


●これで分かった。「権威のありか」は神の霊にあるのだ。


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朝の黙想礼拝終わり。「権威のありか」は教会になく、聖書になく、聖書学者になく、主義主張になく、神の霊そのものにある。









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孫がセミを逃がした体験 ++++++++ 所感

2014/08/27 06:04

140827(水)4時半目覚め、5時起床。私は在家修道僧、我が家は在家修道院。●昨夜の悪夢。外国旅行に行って道に迷って困っているところで目が覚めた。夢でよかった。迷っていても途中ですばらしい建築と山々があったのでデジカメで写真を撮っていたのはなぜか。●目覚めの啓示の数々、「孫がセミを逃がした経験」「キリストの知は総ての罪から人を清める」「さめざめと泣く時」「道に迷った時の苦しみ」「キリスト教同人誌が長続きしない理由」「罪汚れに悩み苦しんでいる人のために」「イスラエルの失われた羊のところに行け」●これらの命題(意味内容を平叙文で言うこと)を聖書的に裏付けてみよう。
●長女愛子の孫の3人は4泊して今朝自分達の家に帰る。昨夜はいつものように寝る前に布団の上に丸くなって正座し、」一人づつ声を出して「おいのり」を捧げた。幼稚園の孫も「神様!。・・・・・・」と「お祈りした。3人の孫は4日間でそれぞれに思い出が出来たであろうが、私も勉強になったのは幼稚園の健太郎と採集したセミを、「かわいそうよ」という姉(養護教員志望)の意見を入れて翌日逃がすことにして「解放」したことだ。このことは私もよい体験をし、孫も記憶に残ったと思う。(写真と文章は8月24日のブログ参照)。●「逃がす」「解放する」というのは宗教的概念や行為である。そこで今朝は啓示された命題について思いつく聖書の箇所を並べて瞑想してみよう。

●「孫がセミを逃がした経験」 。活けるキリストはサタンから人間を解放する。

塚本訳 マタ 9:32-34
9:32 ちょうど二人と入れ違いに、人々が悪鬼につかれた唖をつれて来た。
9:33 悪鬼が追い出されると、唖が物を言うようになった。群衆が驚いて、「こんなことはかってイスラエル人の中で起ったためしがない」と言った。
9:34 しかしパリサイ人は、「あれは悪鬼どもの頭(である悪魔)を使って悪鬼を追い出しているのだ」と言った。


塚本訳 ルカ 14:1-6
14:1 ある安息日に、パリサイ派に属する(最高法院の)ある役人の家に食事に(招かれて)行かれた時のこと、人々はひそかにイエスの様子をうかがっていた。
14:2 すると、水気をわずらった人がイエスの前にあらわれた。
14:3 イエスは自分の方から律法学者やパリサイ人たちに向かって口を切られた。「安息日に病気をなおすことは正しいか、正しくないか。」
14:4 彼らが黙っていると、その人(の手)をつかんで、病気を直してお帰しになった。
14:5 そして彼らに言われた、「あなた達のうちには、息子か牛かが井戸に落ちたとき、安息の日だからとてじきに引き上げてやらない者がだれかあるだろうか。」
14:6 彼らはこれに対して返答ができなかった。


塚本訳 ルカ 13:10-17
13:10 安息日にある礼拝堂で教えておられた。
13:11 その時、そこに十八年も病気の霊につかれている女がいた。体が曲っていて、真直ぐに伸ばすことが出来なかった。
13:12 イエスは女を見て呼びよせ、「女の人、病気は直っている」と言って
13:13 手をのせられると、女はたちどころに体がまっすぐに伸びて、神を讃美した。
13:14 すると礼拝堂監督は、イエスが安息日に病気をなおされたことを憤慨して、群衆に言った、「働くべき日は六日ある。その間に来てなおしてもらったがよかろう。安息日の日にはいけない。」
13:15 主が答えられた、「この偽善者たち、あなた達はだれも、安息日には牛や驢馬を小屋から解いて、水を飲ませにつれてゆかないのか。
13:16 この女はアブラハムの末であるのに、十八年ものあいだ、悪魔が縛っていたのだ。安息の日だからとて、その(悪魔の)縄目から解いてはならなかったのか。」
13:17 こう言われると、(監督はじめ)反対者は皆恥じ入り、群衆は一人のこらず、イエスが行われたあらゆる輝かしい御業を喜んだ。



塚本訳 マタ 12:28
12:28 しかし、もし(そうでなく、)わたしが神の霊で悪鬼を追い出しているのであったら、それこそ神の国はもうあなた達のところに来ているのである。


●「キリストの血は人をすべての罪から清める」。人間は罪汚れから清められたいというのが心底の欲求である。

塚本訳 マタ 8:2-3
8:2 すると一人の癩病人が近寄ってきて、しきりに願って言った、「主よ、(清めてください。)お心さえあれば、お清めになれるのだから。」
8:3 イエスは手をのばしてその人にさわり、「よろしい、清まれ」と言われると、たちまち癩病が清まった。


塚本訳 マタ 11:3-5
11:3 「来るべき方(救世主)はあなたですか、それともほかの人を待つべきでしょうか」とたずねさせた。
11:4 イエスは答えられた、「行って、(今ここで)聞いていること見ていることをヨハネに報告しなさい。
11:5 ──『盲人は見えるようになり、』足なえは歩きまわり、癩病人は清まり、聾は聞き、死人は生きかえり、『貧しい人は福音を聞かされている』と。


塚本訳 マタ 26:26-28
26:26 (ユダが立ち去ったあと、)彼らが食事をしているとき、イエスは(いつものように)パンを(手に)取り、(神を)賛美して裂き、弟子たちに渡して言われた、「取って食べなさい、これはわたしの体である。」
26:27 また杯を取り、(神に)感謝したのち、彼らに渡して言われた、「皆この杯から飲みなさい。
26:28 これは多くの人の罪を赦されるために流す、わたしの『約束の血』であるから。


塚本訳 マコ 10:42-45
10:42 イエスは彼らを呼びよせて言われる、「あなた達が知っているように、世間ではいわゆる主権者が人民を支配し、また(いわゆる)えらい人が権力をふるうのである。
10:43 しかしあなた達の間では、そうであってはならない。あなた達の間では、えらくなりたい者は召使になれ。
10:44 一番上になりたい者は皆の奴隷になれ。
10:45
人の子(わたし)が来たのも仕えさせるためではない。仕えるため、多くの人のあがない金としてその命を与えるためである。」

塚本訳 ヨハ 13:6-8
13:6 こうしてシモン・ペテロの所まで来られると、ペテロが(こばんで)言う、「主よ、わたしの足を、あなたが洗われるのですか。」
13:7 イエスが答えて言われた、「わたしが何をしているのか、いまはあなたにわからない。(わたしがいなくなった)あとでさとるだろう。」
13:8 ペテロが言う、
「わたしの足は、いつまでも絶対に洗わないでください。」イエスは答えられた、「わたしが(足を)洗ってやらないなら、あなたはわたしとなんの関係もない人だ。」

●「さめざめと泣く時」。人が人である限りは、自分の失敗の人生を悔やみ「さめざめと泣く日が必ず訪れる。 この日が来るのは人間が無理に気が付かせることではない。自然体、神の時。必ず来る。


塚本訳 ルカ 22:61-62
22:61 主が振り向いて、じっとペテロを見つめられた。ペテロは、「きょう(今夜)、鶏が鳴く前に、わたしを三度、知らないと言う」と言われた主の言葉を思い出し、
22:62 外に出ていって、さめざめと泣いた


塚本訳 マタ 27:3-5
27:3 その時イエスを売ったユダは、イエスの判決が決まったのを見て後悔し、(受け取ったシケル)銀貨三十枚を大祭司連、長老たちに返して、
27:4 「罪もない(人の)血を売って、悪いことをした」と言った。彼らが答えた、「われわれの知ったことではない。お前が自分で始末しろ!」
27:5 ユダは銀貨を宮に投げ込んで去り、行って首をくくった。


塚本訳 黙  5:3-4
5:3 しかし、天にも地にも地の下にも、誰一人(として)その巻き物を開いて、それ(に書いてあること)を見ることの出来る者が無かった。
5:4 私はさめざめと泣いた。(広いこの宇宙に、)その巻き物を開いて、それを見るに相応しい者が一人も無かったのである。


「道に迷った時の苦しみ」

塚本訳 マタ 18:12-13
18:12 あなた達はどう思うか。ある人が羊を百匹もっていて、その一匹が道に迷ったとき、その人は九十九匹を山にのこしておいて、迷っている一匹をさがしに行かないだろうか。
18:13 そしてもし見つけようものなら、アーメン、わたしは言う、この一匹を、迷わなかった九十九匹以上に喜ぶにちがいない。


塚本訳 マコ 13:5
13:5 そこでイエスが話し出された。──「人に迷わされないように気をつけよ。

塚本訳 ロマ 2:19-21
2:19 -20かつ律法の中に具体化した知識と真理とを持っているので、「盲人の手引」、「暗やみに迷う者の光り」、「無知な人の教育者」、「児童の教師」をもってみずから任じているならば、──
2:20
2:21 それで、人を教えながら、あなたは自分を教えないのか。盗んではならないと説きながら、盗むのか。


塚本訳 マタ 5:14-15
5:14 あなた達は世の光である。山の上にある町は隠れていることは出来ない
5:15 また、(せっかく)明りをともして枡をかぶせる者はない。かならず燭台の上に置く。すると、家の中におる人を皆照らすのである。


塚本訳 ロマ 3:12
3:12 だれもかれも迷って、みんな堕落してしまった。善をする人がいない、ただの一人もいない。』


塚本訳 エペ 4:14
4:14 これは最早私達が(信仰において)幼児でなく、奸計をもって(私達を)迷いに誘おうとするペテンによるあらゆる人間の教の風のまにまに吹きまわされ翻弄されることのないためであり、

●「キリスト教同人誌が長続きしない理由」。キリスト教の集会でも同人的親睦会は衰退する。それは命がけの代表がいないからである。キリスト教は親睦ではない。仲良しクラブではない。

塚本訳 エペ 5:25-27
5:25 夫達よ、妻を愛せよ、キリストが教会を愛し、そのために自分を棄て給うたように。──
5:26 キリストは洗礼の水浴びにより、(その際述べられる告白の)言葉をもって、教会を潔めて聖なるものとなし、
5:27 かくて汚点も皺もかかるものの何も無い、聖なる瑕なき輝かしい教会を自分で自分のために建てようとし給うたのである。――


塚本訳 コロ 1:24
1:24 今私は君達のために苦しむことを喜びとし、またキリスト・イエスの体なる教会のために私の体でキリストの患難の不足を補っている。

●「罪汚れに悩み苦しんでいる人のために」

塚本訳 ルカ 14:12-14
14:12 また自分を招いた人にも言われた、「朝飯や夕飯の会を催す時には、友人も、兄弟も、親族も、近所の金持も呼ぶな。そうでないと、その人たちもあなたを招待してお返しをするかも知れない。
14:13 御馳走をする時には、むしろ貧乏人、片輪、足なえ、盲人を招きなさい。
14:14 この人たちはお返しができないから、あなたは幸いである。(最後の日)義人の復活の時に、あなたは(神から)お返しをうけるのだから。」


塚本訳 ルカ 19:1-10
19:1 エリコに入って、(そこを)通っておられた。
19:2 すると、(町に)名をザアカイという人がいた。この人は税金取りの頭で、金持であった。
19:3 イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低いので、群衆のため見ることが出来なかった。
19:4 それで先の方に駈けていって、桑無花果の木に上った。そこを通られるところを見ようとしたのである。
19:5 イエスはその場所に来られると、ザアカイを見上げて言われた、「ザアカイ、急いで下りておいで。きょうはあなたの家に泊まることになっているから。」
19:6 ザアカイは急いで下りてきて、喜んでお迎えした。
19:7 皆がこれを見て、イエスは(税金取りのような)罪人の所に入りこんで宿を取った、と言ってぶつぶつ呟いた。
19:8 しかしザアカイは進み出て主に言った、「主よ、わたしは(誓って)財産の半分を貧乏な人たちに施します。人からゆすり取ったものは四倍にして返します。」
19:9 イエスが(人々に)言われた、「救いは(きょう、)この家に入った。(人でなしのように言われる)この人も、やはり(あなた達と同じ)アブラハムの末だから。
19:10 人の子(わたし)は『滅びうせた者をさがして』救うために来たのである。」


塚本訳 マタ 21:28-31
21:28 いったいあなた達はどう思うか。──ある人に二人の息子があった。長男の所に行って、『坊や、きょう葡萄畑に行って働いてくれ』と言うと、
21:29 長男は『いやです』と答えたが、あとで後悔して出かけた。
21:30 つぎに次男の所に行って同じように言うと、こちらは、『お父さん、承知しました』と答えたが、行かなかった。
21:31 この二人のうち、どちらが父の心を行ったのだろうか。」「もちろん長男」と彼らが答える。イエスが言われる、「アーメン、わたしは言う、
税金取りや遊女たちは、あなた達よりも先に神の国に入るであろう。

●「イスラエルの失われた羊のところに行け」

塚本訳 マタ 10:5-7
10:5 イエスはこの十二人に次のように命じて(伝道に)派遣された。──「(国を離れてはいけない。)異教人の所へ行くな、またサマリヤ人の町に入るな。
10:6 ただ、イスラエルの家のいなくなった羊(だけ)に行け
10:7 行って、『天の国は近づいた』と説け。


塚本訳 マタ 15:22-24
15:22 すると、その地方生まれの一人のカナンの女が出てきて叫んだ、「主よ、ダビデのお子様よ、どうぞお慈悲を。娘がひどく悪鬼に苦しめられています。」
15:23 しかしイエスは一言も答えられなかった。弟子たちが来て、願って言った、「願いをかなえてやって、(早く)この女を追い払ってください。どなりながらついて来ますから。」
15:24 イエスは答えられたわたしはイスラエルの家のいなくなった羊だけにしか、遣わされていない。」

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朝の黙想礼拝おわり。泣いている人に、悲しんでいる人に、悔やんでいる人のために。さめざめと泣いている人のために。・・・残りの時間は少ない。

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孫三人はNHK連続テレビドラマの「花子とアン」の冒頭の主題歌を合唱してから見る。
母親の愛子が毎日見ているから自然に覚えたらしい。


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孫のかなほの夏休み自由研究が完成。「秋川の石」
私が珍しく(?)手を貸さなかったのは自分としては好成績であった。

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今朝は、愛子の子供(孫)達が大田区南馬込の「家に帰る」。父親(パパ)が途中まで迎えに来る。
妻は郷里のいわき市に墓参のために「帰る」 。人生で会う人はこれ皆(妻、子供、孫、エクレシアの面々)「神が賜る人」、そして皆あっという間に目の前から「飛び去るのだ」 なー。消えて行くのだなー。

口語訳 詩  90:10
90:10 われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです


口語訳 詩  90:3-6
90:3 あなたは人をちりに帰らせて言われます、「人の子よ、帰れ」と。
90:4 あなたの目の前には千年も/過ぎ去ればきのうのごとく、夜の間のひと時のようです。
90:5 あなたは人を大水のように流れ去らせられます。彼らはひと夜の夢のごとく、あしたにもえでる青草のようです。
90:6 あしたにもえでて、栄えるが、夕べには、しおれて枯れるのです。


●新約聖書には「家に帰る」という言葉が多く出てくる。「家」という言葉には独特の深い意味がある。 建築士としては深く考えさせられる。家は在家の修道院なのだ。修行の場なのだ。

●「家」と「帰」のAND検索、塚本訳で見てみよう。

マタ   9:  6

では、人の子(わたし)は地上で罪を赦す全権を持っていることを知らせてやろう」と言っておいて、中風の者に言われる、「起きて寝床をかついで、家に帰りなさい。」

マタ  9: 7

すると彼は起き上がって、家に帰って行った

マタ  19: 21

イエスは言われた、「完全になりたければ、家に帰って持ち物を売って、(その金を)貧乏な人に施しなさい。そうすれば天に宝を積むことができる。それから来て、わたしの弟子になりなさい。」

マコ  2: 11

「あなたに命令する、起きて担架をかついで、家に帰りなさい。」

マコ  5: 19

しかし許さずに言われた、「家に帰ってうちの者に、(神なる)主があなたを憐れんで、どんなにえらいことをしてくださったかを、知らせてやりなさい。」

マコ  8: 3

空腹のままで家に帰したら、途中でへたばってしまうにちがいない。それに、中には遠くから来た者もある。」

マコ  8: 26

イエスは「村にも入るな(、まっすぐに帰りなさい)」と言って、その人を家にかえされた

マコ  10: 21

イエスは彼をじっと見て、かわいく思って言われた、「(よく守った。だが)一つ足りない。家に帰って、持っているものをみな売って、(その金を)貧乏な人に施しなさい。そうすれば天に宝を積むことができる。それから来て、わたしの弟子になりなさい。」

ルカ  1: 56

マリヤは三か月ほどエリサベツと一しょにいて、家に帰った

ルカ  7: 10

使の者が家に帰って見ると、僕は元気になっていた。

ルカ  8: 39

家に帰って、神がどんなにえらいことをしてくださったかを、(みんなに)話してきかせなさい。」すると彼は行って、イエスがどんなにえらいことを自分にされたかを、町中に言いふらした。

ヨハ  11: 44

死人が手足を包帯で巻かれたまま、(墓から)出てきた。顔は手拭で包まれていた。イエスは「解いてやって(家に)帰らせなさい」と人々に言われた。

使   21: 6

互に別れを惜しんだ。それからわたし達は船に乗り、その人たちは家に帰った

Ⅰコリ 14: 28

もし解釈する者がなければ、集会の会合では黙っていて、(家に帰って、)自分にまた神に語るがよい。


●ドヴォルザーク、四つのロマンチックなメロディー 作品75の第一番はすばらしい。

漆原啓子のヴァイオリン、林絵里のピアノの演奏のものがよい。

https://www.youtube.com/watch?v=y1WBSDTCLP0

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救いの主権は神の手のうちにある ++++++++ 所感

2014/08/26 05:54

140826(火)4時半起床。在家修道士としての朝。●キリスト者の皆様お早うございます。●昨日鑑賞した映画「大いなる沈黙へ」のグランドシャトルーズ修道院の日課は、20時就寝、3時間寝て深夜に2時間祈りと黙想、そしてまた3時間眠る。真夜中の2時間に重要な啓示があるのは納得できる。●盲人の修道士の言葉は忘れられない。「私は死を恐れない。それは神に近づくことなので喜びだ」●映画を見終わった観客(私も)は新宿の喧騒の中に散って行った。●泊まりにきた孫の一人が初めての夜に「ママの匂いがしないので眠れないよー」とぐずったので妻が隣に寝た。●この言葉がヒントになったので、今朝は「キリストの薫」ということを連想し、難解な聖句の解明を黙想する。難解な聖句は次である。



口語訳 Ⅱコリ2:15-16
2:15 わたしたちは、救われる者にとっても滅びる者にとっても、神に対するキリストのかおりである。
2:16 後者にとっては、死から死に至らせるかおりであり、前者にとっては、いのちからいのちに至らせるかおりである。いったい、このような任務に、だれが耐え得ようか。


塚本訳 Ⅱコリ2:15-16
2:15 というのは、わたし達は救われる者の間でも、滅びゆく者の間でも、神にささげられるためのキリストのよい薫である。
2:16 ある者には、死から死へみちびく薫であるが、ある者には、命から命へみちびく薫りである。(ああ、)一体だれにこんなことが勤まろう。


●ここで疑問なのは「死から死へ至らせるかおり」(口語)ということである。神の前に「滅びゆく人」がいるのか。それを見なければならないのは非常につらいことである。だからパウロは言うのだ。「(ああ、)一体だれにこんなことが勤まろう。」(塚本訳)というのは至言。●パウロの嘆き悲しみは私達の嘆き悲しみ心配でもある。●これを黙想するに当たり、人間の諸説学説に聞かない。その多くは人間レベルのヒューマニズムが根底にある。「人類は皆救われる」と。逆に「最後の審判で悪人は滅びる」のだと。聖書にはそういうところもある。神が復讐すると。●本当にそうか。聖書のアチコチを見て自分の頭で黙想しよう。

塚本訳 ルカ 13:22-24
13:22 イエスは町々村々を通って教えながら、エルサレムへの旅行をつづけておられた。
13:23 するとある人が「主よ、救われる者は少ないでしょうか」と尋ねた。人々に言われた、
13:24 「全力を尽くして(今すぐ)狭い戸口から入りなさい。あなた達に言う、(あとになって)入ろうとしても、入れない者が多いのだから。


塚本訳 ルカ 16:27-28
16:27 金持が言った、『父よ、それではお願いですから、ラザロをわたしの父の家にやってください。
16:28 わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。』


塚本訳 ロマ 9:1-5
9:1 私はキリストにある者として本当のことを言う、嘘はつかない。わたしの良心も聖霊によって、(それが本当であることを)保証してくれる。
9:2 (わたしが急にこんなことを言い出したら信じてくれないかも知れないが、)わたしに大きな悲しみと、心に絶えざる痛みとがあるのである。
9:3 ほんとうに、兄弟すなわち血を分けた同胞の(救われる)ためならば、このわたしは呪われて、救世主(の救い)から離れ落ちてもよいと、幾たび(神に)願ったことであろう。
9:4 (言うまでもなく、)それはイスラエル人のことである。(彼らは神の)子たる身分(を与えられ、神の)栄光(はその中に住み、)かずかずの契約(は神との間に結ばれ、比類のない)律法、(荘厳な)礼拝、多くの(恩恵の)約束は、(ことごとく)彼らのものである。
9:5 (また、アブラハム、イサク、ヤコブなどの偉大な)祖先たちは彼らのものであり、救世主も人間としては彼らから出られたのである。一切のものの上におられる神なる彼は、永遠に賛美すべきである、アーメン。


塚本訳 マタ 7:26-27
7:26 また、わたしの話を聞くだけでそれを行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。
7:27
雨が降って、大水が出て、風が吹いて、その家にうちつけると、倒れてしまった。ひどい倒れ方であった。」

塚本訳 マタ 13:12-15
13:12 だれでも持っている人は(さらに)与えられてあり余るが、持たぬ人は、持っているものまでも取り上げられるのである。
13:13 だから、あの人たちには譬をもって話すのである。『見ても見えず、聞いても聞えず、また悟らない』からだ。
13:14 こうしてイザヤの預言はあの人たちに成就した。──『あなた達は聞いても聞いても、決して悟るまい、見ても見ても、決してわかるまい。
13:15 この民の心は鈍くなり、耳は遠くなり、その目は閉じてしまっているのだから。そうでないと、彼らは目で見、耳で聞き、心で悟り、心を入れかえて(わたし[神]に帰り)、わたしに直されるかも知れない。』

塚本訳 マタ 13:18-19
13:18 だからあなた達には種まく人の譬を説明してあげよう。──
13:19 だれでも
御国の言葉を聞いて悟らないと、悪者[悪魔]が来て、心の中にまかれたものを奪ってゆく。これは道ばたにまかれた人である。

塚本訳 ロマ 9:19-24
9:19 するとあなたはわたしに(抗議して)言うにちがいない、それでは、なぜ神はなおも人を咎められるのか。(御自身が人の心を頑固にされるのなら、)だれも神の意志に逆らうことはできない訳ではないかと。
9:20 ああ人よ、いったい君は何者なれば、神に口答えをするのか。『作られたものが作った者に向かって、「なぜ『わたしをこんなものに造ったか」と言えるだろうか。』
9:21 それとも、『陶器師には、』同じ『粘土』の塊で、一つは尊い用途の、一つは卑しい用途の器を造る権利がないのだろうか。
9:22 それで、もし神が、(御自分の)怒りを示し御自分の力(の恐ろしさ)を知らせようとお思いになるので、(今日まで)いとも気長に、『滅びのために』つくられた』怒りの器[滅びる人]を辛抱された』とすれば、
9:23
またそれは、栄光のためにあらかじめ用意された憐れみの器[救われる人]に、御自分の豊かな栄光を知らせるためであったとすれば、どうだ。(かれこれ言うことはないではないか。)
9:24 神はこの憐れみの器としてわたし達をも召されたのである。ただユダヤ人の中からだけでなく、異教人の中からも。

塚本訳 Ⅰコリ7:15-16
7:15 しかし不信者の夫(なり妻なり)が別れるなら、別れさせよ。こんな場合に、兄弟なり姉妹なり(つまり信者)は(結婚に奴隷として)束縛されてはいない。神は平和な生活へあなた達をお召しになったのである。(無理があるのは、御心ではない。)
7:16 なぜか。
妻よ、夫を(信仰に導いて)救うことができるかどうか、どうしてわかるのか。また夫よ、妻を救うことができるかどうか、どうしてわかるのか。

塚本訳 ルカ 15:1-7
15:1 さて、イエスの話を聞こうとして、(いつものとおり)税金取りや罪人が皆近寄ってきた。
15:2 パリサイ人と聖書学者たちがぶつぶつ呟いて言った、「この人は罪人を歓迎するし、また(招かれていって)食事までも一しょにする。」
15:3 そこで彼らにつぎの譬を話された。
15:4 「あなた達のうちのだれかが羊を百匹持っていて、その一匹がいなくなったとき、その人は九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を、見つけ出すまではさがし歩くのではないだろうか。
15:5 そして見つけると、喜んで肩にのせて、
15:6 家にかえり、友人や近所の人たちを呼びあつめてこう言うにちがいない、『一しょに喜んでください。いなくなっていたわたしの羊が見つかったから』と。
15:7 わたしは言う、このように、一人の罪人が悔改めると、悔改める必要のない九十九人の正しい人以上の喜びが、天にあるのである。


塚本訳 マタ 18:10-14
18:10 この小さな者を一人でも軽んじることのないように注意せよ。わたしは言う、(わたしの父上は片時も彼らをお忘れにならない。)あの者たちの(守り)天使は、天でいつもわたしの天の父上にお目にかかっているのだから。
18:11 〔無し〕
18:12 あなた達はどう思うか。ある人が羊を百匹もっていて、その一匹が道に迷ったとき、その人は九十九匹を山にのこしておいて、迷っている一匹をさがしに行かないだろうか。
18:13 そしてもし見つけようものなら、アーメン、わたしは言う、この一匹を、迷わなかった九十九匹以上に喜ぶにちがいない。
18:14 このように、
この小さな者たちが一人でも滅びることは、あなた達の天の父上の御心ではない。

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朝の黙想礼拝おわり。パウロの理屈では心安んじない。さすが神の子イエス。最後の「この小さな者たちが一人でも滅びることは、あなた達の天の父上の御心ではない。」(マタ18:14)で落ち着いた。ドミソの和音を」聞くようだ。神はその一人一人を掌握していて、霊魂の救いも全権を神が握っている。その時期も方法もすべてこれ神の御計画の内にある。幸不幸の総てを神はご存知なのだ。●聖書の最も難解なところはパウロでなく神の子イエスに聞くべし。

●朝食後、徒歩25分で「あきる野市営のプール」へ。孫3人は浮き輪なしで屋外の「流れるプール」で遊んだ。初音は平泳ぎ、クロールも息継ぎが出来る。かなほは息継ぎは出来ないので数メートルだけ。健太郎は水を怖がらないので上達は早いだろう●ウォータースライダーは小学生以上なので、幼稚園の健太郎はできずにぐずる。11時ごろに小雨が降ってきたので引き上げる。●雨が上がるのを待つ間に、高校の養護教員のク・チさんに会い、初音がその道を希望しているというと、激励してくれた。









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映画「大いなる沈黙へ」 ++++++++ 所感

2014/08/25 22:17

140825(月)9:25 聖路加国際病院でMRI検査●12:40新宿シネマカリテで映画鑑賞「大いなる沈黙へ」。世界で最も厳しいグランドシャトルーズ修道院の実写。会話は日曜日の午後の2時間の散歩中だけ。あとは沈黙と黙想と祈り。●鑑賞後、入り口でヨ・ノさんとばったり。喫茶店で映画の感想。カトリックの修道院は俗世界を離れての生活だが、プロテスタントは在家修道士、在家尼僧を目指している。その方がよっぽど厳しいというのが私の感想●プログラムの解説に新約聖書学者の佐藤研が書いている。「ドイツも日本も敗戦からの復興は物質的復興であったが、それで人間は満足できないでいる。今や瞑想、祈り、禅などが必要なのだ。それがこの映画が世界的に反響を呼んでいる原因だ」と。的を得た指摘である。●この映画は全国展開が始まっている。


大いなる沈黙へ
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孫と一緒の日曜学校 ++++++++ 所感

2014/08/24 06:28

140824(日)5時起床●キリスト者の皆様お早うございます。今朝は今日9時半から行う家庭礼拝の準備をしました。●私達の子供4人に初めて聖書を買ってあげた時に、表紙裏に墨で書いたのは次の言葉でした。●今日はその言葉を娘の孫達3人(小6、小2、幼稚園)に対してTSK(未完)を通して心に響くところをピックアップしました。「人に教えようとして準備したら自分が勉強」になりました。●宗教教育は小さいうち。難しい年頃になったらあとは神にバトンタッチだ。

口語訳   12:1

12:1 あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、


あきる野家庭礼拝(日曜学校)配布プリント
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あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。

 

2014年8月25日 あきる野高橋家家庭礼拝(日曜学校)

(出席者 高橋照男 高橋トミ子 伊勢初音 伊勢かなほ 伊勢健太郎)

 

口語訳   12:1

12:1 あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、

 

新改訳   12:1

12:1 あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に。

 

新共同   12:1

12:1 青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。「年を重ねることに喜びはない」と/言う年齢にならないうちに。

 

*「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。」

Genesis 39:2

2主がヨセフと共におられたので、彼は幸運な者となり、その主人エジプトびとの家におった。

Genesis 39:23

 23獄屋 番は彼の手にゆだねた事はいっさい顧みなかった。主がヨセフと共におられたからである。主は彼のなす事を栄えさせられた。

1 Samuel 3:19-21

 19サムエルは育っていった。主が彼と共におられて、その言葉を一つも地に落ちないようにされたので、  20ダンからベエルシバまで、イスラエルのすべての人は、サムエルが主の預言者と定められたことを知った。  21主はふたたびシロで現れられた。すなわち主はシロで、主の言葉によって、サムエルに自らを現された。こうしてサムエルの言葉は、あまねくイスラエルの人々に及んだ。

1 Samuel 16:7

 7しかし主はサムエルに言われた、「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」。

1 Samuel 16:12-13

 12そこで人をやって彼をつれてきた。彼は血色のよい、目のきれいな、姿の美しい人であった。主は言われた、「立ってこれに油をそそげ。これがその人である」。  13サムエルは油の角をとって、その兄弟たちの中で、彼に油をそそいだ。この日からのち、主の霊は、はげしくダビデの上に臨んだ。そしてサムエルは立ってラマへ行った。

Ecclesiastes 11:10

 10あなたの心から悩みを去り、あなたのからだから痛みを除け。若い時と盛んな時はともに空だからである。

1 Samuel 1:28

 28それゆえ、わたしもこの子を主にささげます。この子は一生のあいだ主にささげたものです」。そして彼らはそこで主を礼拝した。

1 Samuel 2:18

 18サムエルはまだ幼く、身に亜麻 布のエポデを着けて、主の前に仕えていた。

1 Samuel 2:26

 26わらべサムエルは育っていき、主にも、人々にも、ますます愛せられた。

Psalms 34:11

11子らよ、来てわたしに聞け、わたしは主を恐るべきことをあなたがたに教えよう。

Psalms 71:17-18

 17神よ、あなたはわたしを若い時から教えられました。わたしはなお、あなたのくすしきみわざを宣べ伝えます。  18神よ、わたしが年老いて、しらがとなるとも、あなたの力をきたらんとするすべての代に宣べ伝えるまで、わたしを見捨てないでください。

Proverbs 8:17

 17わたしは、わたしを愛する者を愛する、わたしをせつに求める者は、わたしに出会う。

Proverbs 22:6

 6子をその行くべき道に従って教えよ、そうすれば年老いても、それを離れることがない。

新改訳 イザ 26:8

26:8 主よ。まことにあなたのさばきの道で、私たちはあなたを待ち望み、私たちのたましいは、あなたの御名、あなたの呼び名を慕います。

Lamentations 3:27

 27人が若い時にくびきを負うことは、良いことである。

Daniel 1:17

 17この四人の者には、神は知識を与え、すべての文学と知恵にさとい者とされた。ダニエルはまたすべての幻と夢とを理解した。

Luke 1:15

15彼は主のみまえに大いなる者となり、ぶどう酒や強い酒をいっさい飲まず、母の胎内にいる時からすでに聖霊に満たされており、

Luke 2: 52

 52イエスはますます知恵が加わり、背たけも伸び、そして神と人から愛された。

Luke 18:16

 16するとイエスは幼な子らを呼び寄せて言われた、「幼な子らをわたしのところに来るままにしておきなさい、止めてはならない。神の国はこのような者の国である。

Ephesians 6:4

 4父たる者よ。子供をおこらせないで、主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい。

2 Timothy 3:15

 15また幼い時から、聖書に親しみ、それが、キリスト・イエスに対する信仰によって救に至る知恵を、あなたに与えうる書物であることを知っている。

 

*「悪しき日がきたり、年が寄って、」

Job 30:2

2彼らの手の力からわたしは何を得るであろうか、彼らはその気力がすでに衰えた人々だ。

Psalms 90:10

 10われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。

Ecclesiastes 11:8

 8人が多くの年、生きながらえ、そのすべてにおいて自分を楽しませても、暗い日の多くあるべきことを忘れてはならない。すべて、きたらんとする事は皆 空である。

Hosea 7:9

 9他国 人らは彼の力を食い尽すが、彼はそれを知らない。しらがが混じってはえても、それを悟らない。

 

 

*「「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、」

新改訳 Ⅱサム19:35-36

19:35 私は今、八十歳です。私はもう善悪をわきまえることができません。しもべは食べる物も飲む物も味わうことができません。歌う男や女の声を聞くことさえできません。どうして、このうえ、しもべが王さまの重荷になれましょう。

19:36 このしもべは、王とともにヨルダン川を渡って、ほんの少しだけまいりましょう。それ以上、王はどうして、そのような報酬を、この私にしてくださらなければならないのでしょうか。

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あきる野家庭礼拝(日曜学校)配布プリント おわり

●神が孫達に望み、新しく生まれ変わり、霊の目が開かれ、あなたを知る日が来ますように
●子供向けと言えども聖書の言葉を割り引いたり、薄めたりして話すと力がない。
「聖書の言葉は神の言葉」だからこれを老若男女の区別なくストレートに取り次いでぶつけなければならない。
●先のドバイ訪問に際して、コーランはこれを翻訳したり解説したりしてはいけないおいうことを学んだ。

●孫と夏の秋川に水遊び


2014_08240001.jpg 

孫達と秋川で水遊び。かなほは夏休み自由研究のために小石を沢山拾った。 
初音(11歳)、かなほ(8歳)、健太郎(6歳)
 

●初音(小6)の算数の問題を解く。かなり高度で難儀した。算数の問題を解くためは国語力が必要。
 
2014_08240008.jpg 

健太郎(6歳)を都立秋留台公園の林に連れて行ってセミ5匹、カナブン1匹を採集。
家にかえってみんなに見せた後、みんなの意見を受け入れて明日逃がすことにした。
セミの命は地上で7日間なのだが、初音(11歳)は「それでも自然の中で死んだ方がいいのではないか」と言う。さすが、保健婦になりたいという希望の持ち主だけのことはある。そうかもしれない。人間も病院という籠の中で死ぬより、痛まなければ「家で死ぬ」というのが自然ではないかなーと子供に学んだ。

 


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天災や不幸に神の愛を感じよう ++++++++ 所感

2014/08/23 06:23

140823(土)キリスト者の皆様お早うございます。4時半に早朝散歩に出て、美しい朝焼けを見ました。

2014_08230004.jpg 

早朝散歩。自然の美しさの中に神を感じる

文語訳 ロマ 1:20
1:20 それ神の見るべからざる永遠の能力と神性とは、造られたる物により世の創より悟りえて明かに見るべければ、彼ら言ひ遁るる術なし。



塚本訳 ロマ 1:20
1:20 すなわち神の性質は、永遠の能力も神性も、人の目には見えないものであるが、世界創造の時から、理性の目をもって造られた物の中に見ることができるのである。従って(全然)言い訳は立たない。



●昨日は鴨長明(11551-1216、平安時代末期から鎌倉時代にかけての日本の歌人・随筆家。)の「方丈記」を読みました。京都の大火、地震、飢饉という天災に遭遇して彼がどういう思想を抱いたかが分かりました。それは仏教の無常観です。
●読みながら東北大震災と、昨今の広島土砂災害(今朝のニュースでは死者40名、行方不明47名)を思いました。
●彼は30歳を過ぎてから出家したと言いますから過日読んだ「徒然草」の著者の兼好法師と似ています。人類に何事かを貢献した人は30歳から35歳の頃に大転換の時期があり、家人からも世の人からも気が狂ったとか「その地位を捨てるのはもったいない」と言われます。しかしそういう周囲の声を振り切って家を出ます。大なることをやった人はみなこの点が似ています。キリスト、パウロ、パスカル、シュヴァイツァー・・・・この別れの涙に大なる意義があると思います。
●鴨長明は天災や不幸に対して「よくあることだ」としてあきらめの無常観をエッセイの形で書いていますが、どうもやりきれない、暗い思想だと思いました。彼は4畳半(これが方丈の意味)の草案に閉じこもって随筆を書いたのが「方丈記」です。これが日本を代表する古典の一つだというのですから、日本の精神文化は低いなーと思います。ここには救いの喜びと明るさがありません。
●それならば、聖書は「天災や不幸」をどうとらえるのか。今朝はそれを黙想してみようと思います。
●結論を先に言えば「天災や不幸こそ神の特別の愛の現れだ」ということです。これによって見えないものが見えるようになるのです。長い間どうしても分からなかった神が分かり、十字架と復活が分かるのです。
●私は塚本虎二先生の「苦難と神の愛」という短文が大好きで、日記帳の表紙にその論考が出ている「聖書知識」の号を書くことにしています。この思想さえあれば、どんな不幸や苦難も乗り越えられると思っているからです。ホームページにアップしてあります。

http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/bunshou/kunann.htm

●この中でも次のところはキリスト者の私が永久に忘れてはないらない言葉です。
キリストの光に照らされたクリスチャン・パウロの目には、ヨブに見えないものが見えたのである。」
●そこで、キリストの光に照らされた者の「天災や不幸」に対するとらえ方を思いつくままに並べる。


塚本訳 ルカ 13:1-5
13:1 ちょうどその時、人が来て、(総督ピラトが犠牲をささげている)ガリラヤ人たちを殺し、その血が彼らの犠牲(の血)にまじったことをイエスに報告した。
13:2 その人たちに言われた、「そのガリラヤ人たちはそんな目にあったので、(ほかの)すべてのガリラヤ人よりも罪人だったと思うのか。
13:3 そうではない。わたしは言う、
あなた達も悔改めなければ、皆同じように滅びるであろう。
13:4 またシロアムの(池の)近くの櫓が倒れて(下敷になって)死んだあの十八人は、(当時)エルサレムに住んでいた(ほかの)すべての人よりも罪人だったと思うのか。
13:5 そうではない。わたしは言う、あなた達も悔改めなければ、皆同様に滅びるであろう。」


●どうして「よりによって」私だけに、我が家だけに不幸が降ったのだろう。
●この心底の嘆きに対して神は「罪の悔い改めのため」という概念を持ち出す。つまり、不幸や天災は人が悔い改めに、あるいは大なる真理に目覚めさせられるために特別に仕掛けられるものなのだ。
●傲岸なひねくれ者、疑い深い者にっとってはそれぐらいの「天災や不幸」が降らないと目覚めないのだ。

塚本訳 ヨハ 9:1-3
9:1 イエスは通りがかりに、生まれつきの盲人を見られた。
9:2 弟子たちが尋ねた、「先生、この人が盲で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか、両親ですか。」
9:3 イエスは答えられた、「この人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。ただ神の御業がこの人に現われるためである。


●「天災や不幸」が襲ってくると人間は決まって「犯人捜し」をして溜飲を下げるものだ。これが「この世」のやることだ。そして決まってその犯人を断罪する。そしてすっきりする。
●しかし本当は違うのだ。この世の幸福以上のものを教えようとする神の知恵なのだ。こrが神なきこの世の人に分からないところなのだ。


塚本訳 マタ 10:28
10:28
体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。


●戦争で東大を追われた矢内原忠雄は、同士たちにこの句を送って激励した。


塚本訳 マコ 9:43-47
9:43 もし手があなたを罪にいざなうなら、切ってすてよ。両手があって地獄の消えぬ火の中へ行くよりも、片手で(永遠の)命に入る方が仕合わせである
9:44 [無し]
9:45 もし足があなたを罪にいざなうなら、切ってすてよ。両足があって地獄に投げ込まれるよりも、片足で(永遠の)命に入るほうが仕合わせである。
9:46 [無し]
9:47 もしまた目があなたを罪にいざなうなら、えぐり出せ。両目があって地獄に投げ込まれるよりも、
片目で神の国に入るほうが仕合わせである。

●これイエスの健康観。
●ハンセン氏病患者は戸籍を末梢されたり、故郷を追われた。手も足も指がない。失明者もいた。
●霊魂が救われた某ハンセン氏病患者の母親は、息子の喜びの顔を見て、「お前の信じている神様を信じたい」と言ったそうだ。(実話)。これが真の伝道だ。



塚本訳 マタ 24:6-10
24:6 戦争(を目のあたりに見たり、)また戦争の噂を聞くであろうが、あわてないように注意せよ。『それはおこらねばならないことである』が、しかしまだ最後ではない。
24:7 (世の終りが来る前に)『民族は民族に、国は国に向かって(敵となって)立ち上がり、』またここかしこに飢饉があるのだから。
24:8 しかしこれは皆(まだ、新しい世界が生まれるための)陣痛の始めである
24:9 その時あなた達は苦しめられ、殺される。またわたしの弟子であるために、すべての国の人から憎まれる。
24:10 するとその時、『多くの人が信仰から離れて、』互に裏切り、互に憎むであろう。


●世の終わりには戦争、飢饉、地震があるというのだ。これいつの時代のことでもある。人はこの不幸によって神の終末の時を知らなければならないのだ。「天災や不幸」は神を知る門なのだ。


塚本訳 マタ 16:2-3
16:2 彼らに答えられた、「あなた達は夕方には『(明日は)天気だ、空が焼けているから』と言い、
16:3 また朝早く、『きょうは荒れだ、空が雲って焼けているから』と言う。あなた達は空の模様を見分けることを知っていながら、時の(せまった)徴を見分けることが出来ないのか。



●最先端の科学技術は「予測の科学」。これが一番難しい。天気予報、台風の進路、大雨情報、土砂災害予測、疾病予測、経済予測、
●「予測」することは悪い事ではない。しかし当らない。当らなくても予測する。
●建築プロジェクトの事業収支予測は当たらない。しかし当らないからと言って経済事業計画書(私の専門)を作成しないと銀行が資金融資をしてくれない。地震、台風の予測で交通機関を止めることが出来る。
●しかしそれよりもイエスは「時の(せまった)徴を見分けよ」というのだ。
●私の余命は統計上あと11年。これは予測だ。しかし「死の時」は神が握っておられる。神が知っておられる。「その時」は神がお決めになられるから安心だ。神に知られて死ぬのだ。

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朝の黙想礼拝おわり。私に死が訪れるのは天災。しかしその時は神が知っていて下さる。

●私達は復活と永遠の命に生きるのだ。

●18:16 東秋留に孫(愛子の子供3人)を迎えに行く。

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孫が3人来た。「おばあちゃんの家」に向かう孫達。台風襲来
初音(小6)の背は妻と同じぐらいになった。

●過日初音が国立劇場に出演した「こども歌舞伎」のビデオを見るが、私の全く知らない世界だ。キリスト教のこともこれを全く知らない人には同じ感情になるのだろう。
●初音とかなほは両親から携帯電話を買ってもらったので、面白くてしきりにかけている。
 GPS機能付きだと言っている。
●私達と孫三人が布団の上に丸くなって寝る前の「おいのり」を一人づつ声を出して捧げた。 















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空しいと思わない人生 ++++++++ 所感

2014/08/22 08:02

140822(金)3時半目覚め、4時半起床早朝散歩

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早朝散歩。4時35分。武蔵五日市線一番電車までまだ一時間。


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早朝散歩 きれいな平井川、鯉が泳いでいる。 御茶ノ水のどぶ川にも鯉がいる。どちらが幸福なのかなー。
渡辺和子(カトリックのシスター)が書いた「置かれたところで咲きなさい」は150万部のベストセラー。人は環境を変えて幸福になろうとする。そのために天下国家、職場や親兄弟を批判して断罪する。それがこの世に生きるクリスチャンの役目だと心得て動き回っている人間がいる。間違い。



●早朝散歩、約一時間半、体重を測るとついに76キロを切って75.4キロ。昨年秋からの減量開始から7キロの減。  方法は、朝食はりんご+人参をミキサーでジュースにし、ヨーグルトを食べるだけ。これで昼まで腹が減らない。 午前中は聖書に集中。

●キリスト者の 皆様お早うございます。最近「徒然草」を読みTSK日本語版の伝道の書の作業をしていて、両著に共通の「空しい」という思いを考えています。
●人間は何をやっても「空しい」という感情に苛まれています。常に渇いています。「何か面白いことないかなー」と思っています。依存症の本質はこの「渇き」を癒そうとすることが動機だと医者から聞きました。アルコール、たばこ、金、ギャンブル、風俗、異性、美人、イケメン、恋愛、雑学知識の肥大、名誉、肉体の健康、観劇、文学、音楽(自戒)、家庭団らん、マイホーム、スポーツ、ボクシング(私大好き)、成績一位(自戒)、偏差値高得点、高学歴有名校、一流品(自戒)、然り何であっても優越観、世界制覇、世界平和、・・・・・そしてこれらは到達するとまたそれ以上のものを求める「飢餓感」にさいなまれます。、

口語訳 伝  5:10
5:10
金銭を好む者は金銭をもって満足しない。富を好む者は富を得て満足しない。これもまた空である。

塚本訳 ヨハ 4:13-15
4:13 イエスは答えられた、「この(井戸の)水を飲む者はだれでもまた渇くが、
4:14 わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。
そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」
4:15 女が言う、「主よ、その水を下さい。(二度と)渇くことがないように、またここに汲みに来なくてもよいように。」
4:16 イエスが言われる、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」
4:17 女が答えた、「わたしには夫はありません。」イエスが言われる、「『わたしには夫はありません』と言うのは、もっともだ。
4:18 五人の夫とは別れ、今のは、あなたの夫ではないのだから。あなたの言ったことは本当だ。」


●そうなんだ。心の満足はこの世の何をもってしても満たされないのだ。完全に心が満たされるものは何か。今朝はそれを聖書に聞いてみよう。

口語訳 詩  84:1-2
84:1 万軍の主よ、あなたのすまいはいかに麗しいことでしょう。
84:2
わが魂は絶えいるばかりに主の大庭を慕い、わが心とわが身は生ける神にむかって喜び歌います。

塚本訳 マタ 16:26
16:26 たとい全世界をもうけても、命を損するならば、その人は何を得するのだろう。それとも、人は(一度失った永遠の)命を受けもどす代価として、何か(神に)渡すことができるのだろうか。


●神に出会うこと、永遠の命を持つこと、これが空しさからの解放だ。
●しかし、人間はこの永遠の泉に出会うまで、人生をさまよう。一生涯かかるのだ。
●神が導いてくださる。神が働いてくださる。

塚本訳 ルカ 15:1-7
15:1 さて、イエスの話を聞こうとして、(いつものとおり)税金取りや罪人が皆近寄ってきた。
15:2 パリサイ人と聖書学者たちがぶつぶつ呟いて言った、「この人は罪人を歓迎するし、また(招かれていって)食事までも一しょにする。」
15:3 そこで彼らにつぎの譬を話された。
15:4 「あなた達のうちのだれかが羊を百匹持っていて、その一匹がいなくなったとき、その人は九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を、見つけ出すまではさがし歩くのではないだろうか。
15:5 そして見つけると、喜んで肩にのせて、
15:6 家にかえり、友人や近所の人たちを呼びあつめてこう言うにちがいない、『一しょに喜んでください。いなくなっていたわたしの羊が見つかったから』と。
15:7
わたしは言う、このように、一人の罪人が悔改めると、悔改める必要のない九十九人の正しい人以上の喜びが、天にあるのである。

塚本訳 ルカ 19:1-10
19:1 エリコに入って、(そこを)通っておられた。
19:2 すると、(町に)名をザアカイという人がいた。この人は税金取りの頭で、金持であった。
19:3 イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低いので、群衆のため見ることが出来なかった。
19:4 それで先の方に駈けていって、桑無花果の木に上った。そこを通られるところを見ようとしたのである。
19:5 イエスはその場所に来られると、ザアカイを見上げて言われた、「ザアカイ、急いで下りておいで。きょうはあなたの家に泊まることになっているから。」
19:6 ザアカイは急いで下りてきて、喜んでお迎えした。
19:7 皆がこれを見て、イエスは(税金取りのような)罪人の所に入りこんで宿を取った、と言ってぶつぶつ呟いた。
19:8 しかしザアカイは進み出て主に言った、「主よ、わたしは(誓って)財産の半分を貧乏な人たちに施します。人からゆすり取ったものは四倍にして返します。」
19:9 イエスが(人々に)言われた、「救いは(きょう、)この家に入った。(人でなしのように言われる)この人も、やはり(あなた達と同じ)アブラハムの末だから。
19:10 人の子(わたし)は『滅びうせた者をさがして』救うために来たのである。」

●ここまでは普通一般のキリスト教の説くところである。伝道者の説くところである。しかし生身でこの世に生きる人間としてはこの世が追究するものに「救われた者」はどう対処すべきか。これが大問題である。それに対してイエスは卯木のように言う。

塚本訳 ルカ 16:9-13
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。
16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。
16:11 だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。
16:12 もし他人のもの[この世のこと]に忠実でなかったならば、だれがあなた達のもの[天のもの]をあなた達に与えようか。
16:13 しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。」


●ある時、私の仕事の内容を尋ねてきた人に「私は天国に行ける家を造っている」と答えて、上記ルカ16:9-13を話した。すると彼は折り返し「高橋さんはどうして建築をやり続けていることが分かりました。この塚本訳は『そんじょそこらの牧師や伝道者にはわからないことです」(ママ)と返事が来た。
●この世の平凡な仕事はこれすべて来世に行くための準備、手段。キリスト教会や伝道者はこれを説かなければいけない。
●この世が尊いと思うもの、追求すべきものと思うもののことごとくはこれ「不正な富」。しかしこれを利用して神と知り合いになれ。これがクリスチャンの人生観。これ空しくない人生だ。

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朝の黙想礼拝終わり。神が渇きを癒してくださる。神が働いてくださる。神が探してくださる。

●TSK日本語版伝道の書6章
●孫が来たら川遊びに行くのでその下見

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孫が来たら川遊びに連れて行くので、その下見。秋川の東秋留橋。 
その昔、長男と次男を釣りに連れて事をしきりに思い返した。

●近くの西光寺の境内で、鴨長明の「方丈記」を読む。福音のありがたさを感じた。私はイエスに騙されたとしても復活と永遠の命を説くキリストを最後まで信じ貫こう。


















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結婚生活の本質は霊的合一 ++++++++ 所感

2014/08/21 05:19

140821(木)3時半目覚め、4時起床●キリスト者の皆様お早うございます。●今朝の黙示は「結婚生活の本質は霊的合一」●昨日は図書館で皆川誠著「放蕩息子に見る今日の家庭問題」を読み切った。本書は絶版なので国会図書館から取り寄せ、館外持ち出し禁止なので地元あきる野図書館で読んだ。●実に深い読みで感銘した。その結論は「放蕩息子は神に帰ることによって肉の父と和解した。兄の方は弟の帰還で父を離れたが、父の「お前はいつもわたしと一緒にいるではないか。わたしのものはみんなお前のものだ」という慰めによってこれまた将来父と和解するであろうという予測の余韻を残しててたとえ話は終わるというものだ。●この僅か22節(ルカ15:11-32)に中に福音の本質、パウロの全部、否聖書の全部が込められていると読んだ。●最近、某氏から「放蕩息子のたとえばなし」をヒューマニズムの立場でなく、人間が神に迎えられるという観点から書いていただきたいと注文があったので、その骨子が固まった。●図書館で次に読んだのは「文芸春秋」の最近号で先の大戦で功績のあった石原莞爾(陸軍中将)の家庭生活のこと。戦争を礼賛するわけではないが、石原が外で大なる働きをした背後には家庭生活、特に夫婦の宗教的和合(石原夫妻の場合は日蓮宗)が最重要なことであったと分析した記事であった。そして執筆者は石原は東条英機大将と満州問題で対決(石原は満州国を満州人自らに運営させることを重視してアジアの盟友を育てようと考えていた)、したために降格させられたが、石原が大将になっていたら日本のその後の命運は違っていたであろうという。●「歴史は女が作る」。イエスを裁判したピラトはその妻の影響があった(マタイ27:19)。●家に戻ってから久しぶりにヒルティの「結婚の神聖」(白水社、ヒルティ著作集第10巻所収、高橋三郎訳)を読んだ。●これらの本から夫婦の宗教的和合が家庭、国家の基礎である事を認識した。●そこで今朝は結婚生活の宗教的合一が家庭や国家の基礎中の基礎であることを聖書的に見てみようと思う。

新共同 創  2:18
2:18 主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」


●イマドキのワカイ男は女性に助けてもらうような生き方をしていない。これが女性の晩婚化の原因。助けてあげようというようなしっかりした男がいないのだ。

新共同 創  2:21-22
2:21 主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。
2:22 そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、


●これは実に神秘的なことだ。霊的なことだ。神は人に眠っている時に良いものを下さる。

新改訳 詩  127:2
127:2 あなたがたが早く起きるのも、おそく休むのも、辛苦の糧を食べるのも、それはむなしい。主はその愛する者には、眠っている間に、このように備えてくださる


●伴侶は神が下さる。空くな女性を探し回るのはいけない。それは人間の欲望だ。

口語訳 創  3:11-14
3:11 神は言われた、「あなたが裸であるのを、だれが知らせたのか。食べるなと、命じておいた木から、あなたは取って食べたのか」。
3:12 人は答えた、「わたしと一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれたので、わたしは食べたのです」。
3:13 そこで主なる神は女に言われた、「あなたは、なんということをしたのです」。女は答えた、「へびがわたしをだましたのです。それでわたしは食べました」。
3:14 主なる神はへびに言われた、/「おまえは、この事を、したので、/すべての家畜、野のすべての獣のうち、/最ものろわれる。おまえは腹で、這いあるき、/一生、ちりを食べるであろう。

夫婦の不和はサタンが介入するのが原因。常に「私は悪くない。私をこうさせたのは他人が悪かったからだ」という気にさせる。自己神化させる。
●家庭崩壊の原因はサタン。

新改訳 創  6:2-3
6:2 神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした。
6:3 そこで、主は、「わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう。」と仰せられた。


●神は人間が自分好みの女性を追いかけまわして妻としたその姿勢を怒った。
●イマドキのワカイもんは「愛」が結婚の土台であるというか、神が無視されている。その「愛」は2年で冷める。あとはドロドロ。肉的な好みであるからだ。霊的でないからだ。
●人の寿命は120年。ここに原点がある。死の時は神が決める。神を無視して一分でも一秒でも延命しようと思っている現代医学は「空しい」ことだ。医学の否定ではない。神への畏れと信仰がっての医学だ。建築また同じ。「主が家を建てる」「国は神が守る」(詩編127:1)「主が家庭を建てる」

新共同 箴  19:14
19:14 家と財産は先祖からの嗣業。賢い妻は主からいただくもの


●人生の環境はこれすべて神から「いただくもの」。神抜きで自分で探したり造り出そうという魂胆がそもそも間違っている。
●年頃になってこの私も、「好きな人」がいたが、ある時無教会の先輩から「賢き妻は主より賜る」(文語)と言われて迷いから覚めた。しばらくして福島県から妻となる人が「連れて」来られた。(創世記2:22)
●恋愛結婚が悪くて見合い結婚が良いというのではない。恋愛が上で見合いが劣るというのでもない。神が下さる、神から頂く、神に合わせられる、神が与えてくださる。という「神の顔を立てる祈りの姿勢」が大切だというのだ。
●無教会主義は伝統的に「女性や結婚にあまりに熱心な男性とは結婚するな」という風潮がある。 先輩たちが築いたよい伝統である。

新共同 創  2:23
2:23 人は言った。「ついに、これこそ/わたしの骨の骨/わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう/まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」


●建築設計は建築主の「思いに過ぎる」ものを造るのが使命。基本設計図を見せて胸がドキドキされること、完成したとき「こんなに素晴らしいものだったのですか」と喜ばれることが醍醐味であり、生きがいである。
●素人が自分好みの家を造ると「大したもの」はできない。平凡なものきりできない。すぐ飽きる。
●神に「連れてこられた」人は、追いかけて自分好みの人とは違う「思いに過ぎる」ことが次々と発見できる。

新改訳 ヨブ 2:9
2:9 すると彼の妻が彼に言った。「それでもなお、あなたは自分の誠実を堅く保つのですか。神をのろって死になさい。」


●宗教的不一致が夫婦不和の原因。ヨブの妻はヨブの信仰を非難した。
●信者が病気や不幸になると「お祈りなんて役に立たない」「宗教は気休めだ」と非難する伴侶は悪魔の使い。ヨブは結婚に失敗した。
●妻とは一緒に生活していても霊的和合がないから同居しているだけであった。

塚本訳 ヨハ 2:7-11
2:7 イエスは召使たちに言われる、「水瓶に水をいっぱい入れよ。」口まで入れると、
2:8 彼らに言われる、「さあ汲んで、宴会長に持ってゆきなさい。」彼らが持ってゆくと、
2:9 宴会長は酒になった水をなめてみて、──彼はその訳を知らなかったが、水を汲んだ召使たちは知っていた。──宴会長は花婿を呼んで
2:10 言う、「だでれも初に良い酒を出し、酔がまわったところに悪いのを出すのに、あなたは、よくもいままで良い酒をとっておいたものだ。」
2:11 イエスはこの最初の徴[奇蹟]をガリラヤのカナで行って、(神の子たる)その栄光をお現わしになった。弟子たちが彼を信じた。


●これは「どんないきさつでも」結婚は神の結び合わせたもの。たとえ「水のように冷たい」関係であっても神が介入すれば「酒に変わる」という意味ではないのか。

塚本訳 マタ 19:3-6
19:3 そこにパリサイ人たちが近寄ってきて、イエスを試そうとして言った、「何か理由があれば、妻を離縁してもよろしいか。」
19:4 答えて言われた、「造物者が始めから『彼らを男と女とに造られた』こと、
19:5 また、『それゆえに人は父と母とをすてて妻に結びつき、二人は一体となる』と言われたことを、あなた達は読んだことがないのか。
19:6 従って、もはや二人ではない、一体である。だから夫婦は(皆)神が一つの軛におつなぎになったものである。(どんな理由があっても)人間がこれを引き離してはならない。」


●自分の結婚は「神が一つの軛に緒つなぎになったもの」ではないからと言って離婚した人がいるが、聖書の読み間違い。結婚は総て神が仕組んだものだ。
●3節「何か理由があれば」離婚していいかというとそうではない。塚本訳の敷衍6節(どんな理由があっても)は人生苦を経験された苦心の「伝道者訳」。
●5節の「父と母をすてて」とは夫婦は霊的に一致すべきことを示している。キリスト教は日本の儒教文化とは相いれない。

塚本訳 ルカ 20:27-40
20:27 復活の存在を否定するサドカイ人が数人近寄って、イエスにこう言って質問した、
20:28 「先生、モーセは(その律法に、)『もし死んだ兄に、』妻があって『子がない場合には、弟はその女をめとり、兄の家をつぐべき子をもうけよ』とわたし達のために書いています。
20:29 ところで(ここに)七人の兄弟があって、長男が妻をめとったが、子がなくて死に、
20:30 (この律法に従って、)次男、
20:31 三男と、(つぎつぎに)その女をめとり、ついに七人とも同様に子を残さず死んで、
20:32 しまいにはその女も死んでしまいました。
20:33 すると(もし復活があるなら、)復活の折には、この女はその(七人の)うちのだれの妻になるのでしょうか。七人とも女を妻にしましたから。」
20:34 イエスは言われた、「この世の人はめとり嫁ぐけれども、
20:35 あの世にはいる資格を与えられて、死人の中から復活する者は、めとることもなく嫁ぐこともない。
20:36 復活によって生まれる彼らは、天使と同じであり、神の子であるので、もはや死ぬことが出来ない、(従って子を産む必要がない)からである。
20:37 死人が復活することは、(聖書にはっきり書いてある。)モーセも茨の薮の(燃える話の)ところで、主を『アブラハムの神、またイサクの神、またヤコブの神(である)と』と言ってこれを示している。
20:38 ところで神は死人の神ではなく、生きている者の神である。神に対しては、すべての者が生きているのだから。(してみるとアブラハム、イサクなども皆復活して、今生きているわけではないか。)」
20:39 すると数人の聖書学者までが、「先生、りっぱなお答えです」と言った。
20:40 彼らはもう何一つ、問おうとしなかった。


●結婚生活は「この世だけ」の一時的なもの。
●クリスチャンはこの世に生きながら復活の霊に生きている。霊的に生きている
●36節の塚本敷衍(従って子を産む必要がない)は苦心の名敷衍。子供に恵まれなくても永遠に生きる者は大満足なはずだ。天使だからだ。

塚本訳 Ⅰコリ7:1-7
7:1 また、あなた達が(わたしに)書いている(結婚の)ことについては、(こう答える。)──(出来れば)男は女に触れないがよい。
7:2 ただ不品行をさけるために、それぞれ自分の妻を持て、またそれぞれ自分の夫を持て。
7:3 夫は妻に対して(夫婦の)務めを果たせ、妻も同様に夫に対して務めを果たせ。
7:4 (夫婦の体は共有で、)妻は自分の体を自由にする権利をもたない。夫がそれをもっている。夫も同様に、自分の体を自由にする権利をもたない。妻がそれをもっている。
7:5 互に(夫婦の務めを)拒んではならない。ただ、祈りに身を捧げるため、申し合せの上でしばらく間をおき、あとでまた一しょになるような場合は別として。自制力が足りないのに乗じて、悪魔があなた達を誘惑することのないためである。
7:6 (今わたしは妻を持った方がよいと言ったが、)しかしこれは(あなた達の弱さを思いやって)譲歩して言うのであって、命令するのではない。
7:7 (欲を言えば、)人が皆、わたしのよう(に独身)であってもらいたい。しかしそれぞれ神からいただいた独自の賜物があって、この人はこう、あの人はこうである。(独身も恩恵、結婚も恩恵である。)


●パウロは結婚至上主義ではなかった。異性よりも神、肉よりも霊。
●私が新婚ホヤホヤの時、無教会の長老格の大先輩から、あまり「夜の生活に熱心になるな」と面と向かって言われた。これ結婚は霊的に結びついていなければならないことの戒めである。無教会の家庭は「修道院」。これがいやなら無教会には顔を出さない方がよい。「男女交際や遊びやお祭りやイベント」に熱心なプロテスタント集団に行け。そういう集団は繁盛している。

塚本訳 エペ 5:22-33
5:22 妻達よ、主に対するように自分の夫に服従せよ。
5:23 キリストが教会の頭であり給うように、夫は妻の頭であるから──しかも彼は(同時に)その体(なる教会)の救い主であり給う。(この点においてキリストと夫とはもちろん異なる。)──
5:24 しかし教会がキリストに服従するように、妻もまた何事によらず夫に服従せよ。
5:25 夫達よ、妻を愛せよ、キリストが教会(エクレシヤ)を愛し、そのために自分を棄て給うたように。──
5:26 キリストは洗礼の水浴びにより、(その際述べられる告白の)言葉をもって、教会を潔めて聖なるものとなし、
5:27 かくて汚点も皺もかかるものの何も無い、聖なる瑕なき輝かしい教会を自分で自分のために建てようとし給うたのである。――
5:28 これと同様に夫【もまた】自分の妻を自分の体のように愛すべき義務がある。自分の妻を愛する者は自分自身を愛するのである。
5:29 何故なら、未だ曽て自分の「肉」を悪んだ者は無く、何人もこれを養い育てる。同じようにキリストも教会を養い育て給う。
5:30 私達は彼の体の肢である。
5:31 『この故に人は父と母とを捨ててその妻に結びつき、二人は一体となる』。
5:32 この奥義は大きい。私はキリストを指し、また教会【を指して】言っている。
5:33 何れにせよ、君達も一人一人自分の妻を自分自身のように愛せよ。そして
妻は夫を畏れよ。

●22節を「女性蔑視」だといきり立つクリスチャンの「女史軍団」がいるが、もちっと聖書を深く学べ。この部分はまず神に服従することが大切で、その結果目の前の夫に「主に対するように」仕えよというのだ。
●25節、夫はキリストがエクレシヤのために命を捧げたように妻を愛せという。これも霊的なことなのだ。
●33節、「妻は夫を畏れよ」も主にあるからということが理由。同じく「夫は妻を畏れよ」も同じ。クリスチャンホームも教会(エクレシヤ)も女性がしっかりしている方が長続きしてうまくいく。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想礼拝終わり。夫婦生活家庭生活は神中心の霊的なものが理想。


●TSK日本語版伝道の書5章
●13:20 妻とコンサートに行く。ムジカアンサンブル(高橋京子ほか)。(於・五日市センター)
高橋京子先生のお孫さんの新條まなチャン(小4)のマリンバ演奏は本人が楽しそうに叩いているので鑑賞している方も楽しかった。

































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「徒然草」を読んで福音のありがたさを思う ++++++++ 所感

2014/08/20 05:48

140820(水)キリスト者の皆様お早うございます。3時半目覚め、4時起床、早朝散歩30分。●まず昨日撮影した百日紅をこちらに移します。というのは一日分のブログには「無料」の限度があり、そのためには写真は一日3枚が限度と決めているからです。


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昼・図書館に行く。百日紅(さるすべり)大好き。百日も咲いているから。

●昨日読んだ吉田兼好(鎌倉時代末期1283-1352、神職であったが30歳前後で出家し遁世)
の「徒然草」(死後100年を経て注目され、清少納言の「枕草子」、鴨長明の「方丈記」と並ぶ日本三大随筆)の感想は「仏教の無常観に生きた教養人のエッセイ」である。
●なぜ、今「徒然草」を読んだ(と言っても現代語による訳注に頼っての拾い読み)かというと、エッセイの代表はモンテーニュの「随想録」と吉田兼好の「徒然草」だということを知ったからである。
●一読し、今作業中のTSK日本語版の旧約聖書「伝道の書」に何と良く似ていることかと思った。両方とも「それは空しいことだ」というトーンである。
●その代表的なところを書いてみよう。 以下「徒然草」の引用は「水積安明の現代語訳」(日本古典文学全集・小学館)による。

徒然草第74段「 わが身の養生ををして、何事を期待するのか。待ち受けるところは、ただ老いと死とだけである。老いと死の来ることは、速やかで一瞬の間も休止することがない。老死を待つ間、何の楽しみがあろうか」


●これを読んで旧約聖書「伝道の書」」を連想する.。「Jバイブル」を利用して「空」を検索して心に響くものを掲げよう。「むなしい」「満たされない」「渇きが止まらない」「砂利を噛むようだ」という事だ。

口語訳 伝  2:23
2:23 そのすべての日はただ憂いのみであって、そのわざは苦しく、その心は夜の間も休まることがない。これもまた空である

新共同 伝  4:4
4:4 人間が才知を尽くして労苦するのは、仲間に対して競争心を燃やしているからだということも分かった。これまた空しく、風を追うようなことだ。


口語訳 伝  6:2
6:2 すなわち神は富と、財産と、誉とを人に与えて、その心に慕うものを、一つも欠けることのないようにされる。しかし神は、その人にこれを持つことを許されないで、他人がこれを持つようになる。これは空である。悪しき病である。


口語訳 伝  9:9
9:9 日の下で神から賜わったあなたの空なる命の日の間、あなたはその愛する妻と共に楽しく暮すがよい。これはあなたが世にあってうける分、あなたが日の下で労する労苦によって得るものだからである。


口語訳 伝  12:8
12:8 伝道者は言う、「空の空、いっさいは空である」と。



●そして詩編を連想する

口語訳 詩  90:9-10
90:9 われらのすべての日は、あなたの怒りによって過ぎ去り、われらの年の尽きるのは、ひと息のようです。
90:10
われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。


●「幸福論」の著者カールヒルティは、「人生がたとえそうであったとしても、『神と共に生きてこの世に働いた人生は幸福でした』と言えるのだ」と語る。これこの人生観は旧約とも「徒然草」とも随分と違うではないか。


●つまり、人類は福音の光に照らされる前は、人生、何をやっても空しく。空の空なのだ。しかし福音の光に照らされた人は次のように告白するようになる。喜びと生きがいの爆発。

塚本訳 ガラ 5:22-23
5:22 しかし霊の実は愛、喜び、平和、寛容、親切、善良、忠実、
5:23 柔和、節制である。これらのものに対しては律法は(力が)ない。


●とはいえ、「徒然草」から学ぶことがあった。その建築観(第55、139段)、女性観(第36,107、190段)、交際観(第117段),欲望観(第242段)、遺産相続観(第140段)などである。面白く読めた。 しかし面白いだけで救いと喜びはない。格言に近い。

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朝の黙想礼拝終わり。福音に救われ、神と共にあって、復活の希望、永遠の命の希望を持ってこの世を生き抜くことが「むなしくない」人生なのだ。「空」ではないのだ。

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早朝散歩。きれいな朝焼け

●TSK日本語版伝道の書4章
●午後、徒歩で図書館。

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図書館の帰り道。暑い日であった。

●広島で土砂災害。死者36名。土質が「まさ土」であったことと局地的な降雨が原因。




















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神を信じる者は肉親と分裂するのが宿命 ++++++++ 所感

2014/08/19 08:01

140819(火)4時目覚め、4時半起床。早朝散歩40分●キリスト者の皆様お早うございます。●昨日は皆川誠著「放蕩息子に見る今日の家庭問題」を7割ほど読んで大いに慰められ、啓発されました。この本は22年前のものなので入手困難、そこで地元の図書館を通じて国会図書館から取り寄せてもらい、あきる野図書館内で読みました。国会図書館のものは館外持ち出し禁止だからです。●読みたい本は全国どこの図書館からでも取り寄せてくれるようになったので、国は民に良いことをしてくれるなー、世の中は「だんだんに」良くなっていくものだなーと思います。またITの技術はありがたいものだなーとも思います。

塚本訳 ロマ 13:4-5
13:4 官憲はあなたの最善のためにつくす神の召使であるから。しかしもし悪事をすれば、恐れねばならない。見えのために剣をささげているのではないのだから。官憲は神の召使で、悪事を行う者に対して(神の)怒りをあらわす復讐者である。
13:5 だからかならず服従せねばならない。ただ怒りの(恐ろしさの)ためだけでなく、(それが信ずる者の義務であることを知っているあなた達は、自分の)良心のためにも。


●さて、今朝の啓示は「神を信じる者は肉親と分裂するのが宿命」。これに関連する聖句が次々と浮かびましたので、順不同で書き連ねます。「感話」をすると長くなる(信者の欠点。自戒)ので聖句だけにします。●神を信じる者は肉親、家庭内、親類縁者、教会内、集会内で分裂するのが宿命のようです。プロテスタントの教派は世界に数百もあるそうです。つまり一人一人が教派であり、教会です。だから信者仲間においてはお互いにその考えを尊重すべきだと思考します、●神を信じるものはなぜこの世と分裂するかと考えるに、その原点はほかならぬこの自分自身にあります。それは自己の内なる霊肉の分裂に源があります。パウロが次のように言います。

塚本訳 ロマ 7:18-20
7:18 なぜなら、わたしの中には、すなわちわたしの肉の中には、(何一つ)善いものが住んでいないことを、わたしは知っている。良いことをしたいと思う意志はいつもわたしにあるが、(悲しいかな、)する力がないのである。
7:19 したいと思う善いことはせずに、したくないと思う悪いことばかりを、するからである。
7:20 ところで、したくないと思うことばかりをしているのだから、それをしているのはもはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪である



塚本訳 ロマ 7:21-24
7:21 だから、わたしが良いことをしたいと思えば、かならず悪いことがわたしに生まれるという法則があることを、発見する。
7:22 すなわち、(わたしの中に二つのわたしがあって、)内の人としてのわたしは神の律法を喜ぶが、
7:23 わたしの肢体にもう一つの(わたし、罪の)法則(を喜ぶ外の人としてのわたし)があり、(その神の律法を行おうとする)わたしの理性の法則と戦って、肢体にあるこの罪の法則の捕虜にすることを、経験するのである。
7:24 なんとわたしはみじめな人間だろう!だれがこの死の体から、わたしを救い出してくれるのだろうか。


●またイエスはニコデモとの対話で次のように言いました。

塚本訳 ヨハ 3:3-6
3:3 イエスが答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、(徴を見て信じたのではいけない。)人は新しく生まれなおさなければ、神の国にはいることは出来ない。」
3:4 ニコデモがイエスに言う、「(このように)年を取った者が、どうして生まれなおすことが出来ましょう。まさかもう一度母の胎内に入って、生まれなおすわけにゆかないではありませんか。」
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、
人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。
3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。


●またパウロは次のようにも言います。これが信者はこの世と分裂しなければならない宿命の原理です。つまり霊と肉との分裂です。

塚本訳 Ⅰコリ2:14
2:14 しかし(御霊を持たない)生まれながらの人間は、神の霊から出てくることを受け入れない。彼にはそれが馬鹿なことなのである。またそれを理解することも出来ない。(霊のことは)霊的に判断されねばならないからである。


塚本訳 Ⅱテモ3:12-15
3:12 (私だけでなく、)キリスト・イエスにあって敬虔に生きようとする者は皆迫害される。
3:13 そして悪人と詐欺師とはいよいよ悪に進み行くであろう──瞞しつ瞞されつつしながら!
3:14 しかし君は(先輩達から)学んだこと、(自ら)確信したことに(しっかり)留まって居れ。誰から(それを)学んだか、
3:15 また(既に)子供の時から聖書を習ったことを知っているではないか。この聖書はキリスト・イエスの信仰による救いへの知恵を君に与えることが出来る。


●では旧約から順に頭に浮かんだ分裂不和の実態を見てみよう。感話なし。


口語訳 創 4:8
4:8 カインは弟アベルに言った、「さあ、野原へ行こう」。彼らが野にいたとき、
カインは弟アベルに立ちかかって、これを殺した。

口語訳 創 25:27-28
25:27 さてその子らは成長し、エサウは巧みな狩猟者となり、野の人となったが、ヤコブは穏やかな人で、天幕に住んでいた。
25:28
イサクは、しかの肉が好きだったので、エサウを愛したが、リベカはヤコブを愛した。

口語訳 ヨブ 2:9-10
2:9 時にその妻は彼に言った、「あなたはなおも堅く保って、自分を全うするのですか。神をのろって死になさい」。
2:10 しかしヨブは彼女に言った、「あなたの語ることは愚かな女の語るのと同じだ。われわれは神から幸をうけるのだから、災をも、うけるべきではないか」。すべてこの事においてヨブはそのくちびるをもって罪を犯さなかった。


塚本訳 ルカ 2:48-52
2:48 両親はこれを見て驚き、母が言った、「坊や、どうしてこんなことをしましたか。ごらん、お父さまもわたしも(こんなに)心配して、あなたをさがしているではありませんか。」
2:49 彼らに答えられた、「なぜおさがしになったのです。わたしが(天の)お父さまの家に居るのは当り前でしょう。御存知なかったのですか。」
2:50 両親にはこう言われた言葉(の意味)がわからなかった。
2:51 それからイエスは一しょに(エルサレムから)下ってナザレに帰り、両親につかえられた。母(マリヤ)はこのことを皆胸に秘めていた。
2:52 イエスは知恵も身の丈も、』また神と人との寵愛も、いやましに増していった。』


塚本訳 ヨハ 2:3-4
2:3 すると宴会の最中に酒が足りなくなったので、母がイエスに言う、「お酒がなくなりました。」
2:4 イエスが言われる、「女の方、〃放っておいてください。〃わたしの栄光(を示す)時はまだ来ておりません。」


塚本訳 マコ 3:20-21
3:20 家にかえられると、また群衆が集まってきて、みんなは食事すら出来なかった。
3:21 身内の者たちが(イエスの様子を)聞いて(ナザレからカペナウムへ)取りおさえに出てきた。「気が狂っている」と思ったのである


塚本訳 マタ 12:46-50
12:46 イエスがまだ群衆に話しておられると、そこにその母と兄弟たちがイエスに話しがあって、外に立っていた。
12:47 〔無し〕
12:48 しかしイエスはそのことを知らせた者に、「わたしの母とはだれのことだ、わたしの兄弟とはだれのことだ」
と答えて、
12:49 弟子たちの上に手をのばして言われた、「ここにいるのが、わたしの母、わたしの兄弟だ。
12:50 だれでもわたしの天の父上の御心を行う者、それがわたしの兄弟、姉妹、また母であるから。」

塚本訳 マタ 10:22-25
10:22 あなた達はわたしの弟子であるために皆から憎まれる。しかし最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
10:23 この町で迫害された時には、次の町に逃げてゆけ。アーメン、わたしは言う、人の子(わたし)は(すぐに)、あなた達がイスラエル人の町々を回りつくさぬうちに来るのだから。
10:24 弟子は先生以上でなく、僕は主人以上ではない。(だからあなた達が迫害されるのは当り前である。)
10:25 弟子は先生のよう、僕は主人のようであれば、それで満足すべきである。家の主人(たるわたし)が(悪鬼の頭)ベルゼブルと(悪口を)言われたのだから、その家族(たるあなた達)はなおさらのことである。

塚本訳 マタ 10:34-39
10:34 地上に平和をもたらすためにわたしが来た、などと考えてはならない。平和ではない、剣を、(戦いを)もたらすために来たのである。
10:35 わたしは子を『その父と、娘を母と、嫁を姑と』仲違いさせるために来たのだから。
10:36 『家族が自分の敵となろう。』
10:37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたし(の弟子たる)に適しない。わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたし(の弟子たる)に適しない。
10:38 また自分の十字架を取ってわたしのあとに従わない者は、わたし(の弟子たる)に適しない。
10:39 (十字架を避けてこの世の)命を得る者は(永遠の)命を失い、わたしのために(この世の)命を失う者は、(永遠の)命を得るであろう。

塚本訳 ルカ 15:28-32
15:28 兄はおこって、家に入ろうとしなかった。父が出てきていろいろ宥めると、
15:29 父に答えた、『わたしは何年も何年もあなたに仕え、一度としてお言い付けにそむいたことはないのに、わたしには友人と楽しむために、(小牛どころか)山羊一匹下さったことがただの一度もないではありませんか。
15:30 ところがあのあなたの息子、きたない女どもと一しょに、あなたの身代をくらいつぶしたあれがかえって来ると、肥えた小牛を御馳走されるのはどういうわけですか。』
15:31 父が言った、『まあまあ、坊や、お前はいつもわたしと一しょにいるではないか。わたしの物はみんなお前のものだ。
15:32 だが、喜び祝わずにはおられないではないか。このお前の弟は死んでいたのに生きかえり、いなくなっていたのに見つかったのだから。』」

塚本訳 マタ 13:57
13:57 こうして人々はイエスにつまずいた。しかしイエスは彼らに言われた
、「預言者が尊敬されないのは、その郷里と家族のところだけである。」


塚本訳 Ⅱコリ6:14-18
6:14 不信者と一緒に不似合いな軛を負うようになってはいけない。なぜというか。義と不法とはなんの共同関係があろう。また光は暗闇に対しなんの共通性があろう
6:15 キリストがベリアルに対してなんの調和があろう、また信者は不信者となんの共同があろう。
6:16 神の宮が偶像となんの一致があろう。わたし達はたしかに生ける神の宮である。神がこう仰せられた。──『わたしは彼らの間に住みまた歩むであろう、わたしは彼らの神になり、彼らはわたしの民になる』
6:17 それゆえに、『あなた達は彼らの中から出よそして離れよ、』と主は仰せられる、そして『清くないものに触れるな』と。『そうすればわたしはあなた達を受け入れる、』
6:18 『わたしは』あなた達の『父になり、』あなた達は『わたし達の息子』娘『に』なる、『と全能者である主が仰せられる。』

塚本訳 Ⅱコリ7:1
7:1 だから愛する者たちよ、こんな(神の)約束がわたし達にはあるのだから、肉と霊とのあらゆる汚れから自分を清め、神を恐れて完全に聖くなろうではないか。

塚本訳 Ⅰコリ6:15-16
6:15 あなた達は知らないのか、あなた達の体は(すでに)キリストの器官であることを。(もちろん、知っているはずだ。)では、わたしはキリストの器官(であるこのわたしの体)を取って、遊女の器官にしてよいだろうか。もっての外だ。
6:16 それとも、
遊女に結びつく者はそれと一つの体であることを、あなた達は知らないのか。『二人は一体となる』と(聖書は)言うではないか。

塚本訳 Ⅰコリ15:32-34
15:32 もしわたしが(復活の信仰からでなく、)人間的な思いからエペソで獣と戦ったとすれば、わたしにとってなんの得があろう。死人が復活しないのなら、『食おうじゃないか、飲もうじゃないか、どうせあしたは死ぬ身だ』である。
15:33 迷わされてはならない。(復活の信仰のない人との交際に注意せよ。)悪い交際は良い習慣をこわす。(と詩人も言っている。)
15:34 真にまじめになれ、罪を犯すな。(あなた達の)中には、(神を知っていると思いながら)神の知識を持たない者があるのだから。辱しめるために、あなた達に言うのだ。

塚本訳 Ⅰコリ7:12-16
7:12 しかしそのほかの人たちに、わたしが言う、主ではない。ある兄弟が不信者の妻を持ち、彼女が彼と一しょに生活することを喜ぶなら、離婚してはならない。
7:13 また、不信者の夫を持ち、その夫が彼女と一しょに生活することを喜ぶ場合の妻は、夫と離婚してはならない。
7:14 (夫婦は結婚生活で一体となるため、)不信者の夫は(信者の)妻によってすでにきよめられており、不信者の妻は兄弟(すなわち信者の夫)によってすでにきよめられているからである。そうでなければ、あなた達の子供は清くないはずであるが、現に彼らはきよい(と認められている)ではないか。
7:15 しかし不信者の夫(なり妻なり)が別れるなら、別れさせよ。こんな場合に、兄弟なり姉妹なり(つまり信者)は(結婚に奴隷として)束縛されてはいない。神は平和な生活へあなた達をお召しになったのである。(無理があるのは、御心ではない。)
7:16 なぜか。妻よ、夫を(信仰に導いて)救うことができるかどうか、どうしてわかるのか。また夫よ、妻を救うことができるかどうか、どうしてわかるのか。

塚本訳 Ⅰコリ7:8-11
7:8 しかし独身の者および寡婦に言う、もしわたしのようにして通すならば、それが(一番)よい。
7:9 しかし自制ができないのなら、結婚せよ。情欲に燃えるより、結婚する方が善いからである。
7:10 しかし結婚した者に命ずる、命ずるのはわたしではなく主である。妻は夫と別れてはならない。
7:11 ──しかし別れたのなら、独身でいるか、夫と仲直りをせよ。──
夫も妻と離婚してはならない。

塚本訳 Ⅰコリ7:1-7
7:1 また、あなた達が(わたしに)書いている(結婚の)ことについては、(こう答える。)──(出来れば)男は女に触れないがよい。
7:2 ただ不品行をさけるために、それぞれ自分の妻を持て、またそれぞれ自分の夫を持て。
7:3 夫は妻に対して(夫婦の)務めを果たせ、妻も同様に夫に対して務めを果たせ。
7:4 (夫婦の体は共有で、)妻は自分の体を自由にする権利をもたない。夫がそれをもっている。夫も同様に、自分の体を自由にする権利をもたない。妻がそれをもっている。
7:5 互に(夫婦の務めを)拒んではならない。ただ、祈りに身を捧げるため、申し合せの上でしばらく間をおき、あとでまた一しょになるような場合は別として。自制力が足りないのに乗じて、悪魔があなた達を誘惑することのないためである。
7:6 (今わたしは妻を持った方がよいと言ったが、)しかしこれは(あなた達の弱さを思いやって)譲歩して言うのであって、命令するのではない。
7:7 (欲を言えば、)人が皆、わたしのよう(に独身)であってもらいたい。しかしそれぞれ神からいただいた独自の賜物があって、この人はこう、あの人はこうである。(独身も恩恵、結婚も恩恵である。)

塚本訳 Ⅰコリ7:28
7:28 しかしたといあなたが結婚したからとて、罪を犯したことにはならない。またたとえ
処女が結婚しても、罪を犯したことにはならない。しかしこんな人たちは、肉体に苦しみがあるにちがいない。わたしはあなた達をそんな目に合わせたくないのである。

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朝の啓示黙想おわり。人間関係、家庭生活、これことごとく「霊的」でなければならない。

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早朝散歩

口語訳 詩  84:11
84:11 主なる神は日です、盾です。主は恵みと誉とを与え、直く歩む者に良い物を拒まれることはありません。




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早朝散歩

塚本訳 Ⅰコリ15:51
15:51 いまここに(最後の日の)秘密を語る。わたし達はみんな眠ってしまうのではなく、(その時生きている者も眠った者も、)みんな変化させられるのである。


文語訳 Ⅰコリ15:51-52
15:51 視よ、われ汝らに奧義を告げん、我らは悉とく眠るにはあらず、
15:52 終のラッパの鳴らん時みな忽ち瞬間に化せん。ラッパ鳴りて死人は朽ちぬ者に甦へり、我らは化するなり。



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早朝散歩 赤富士

口語訳 詩  87:1
87:1 主が基をすえられた都は聖なる山の上に立つ。 



●図書館で「徒然草」。仏教の無常観に生きる教養人のエッセイ。旧約聖書の箴言と伝道の書に似てはいるが、これは「思想」なので救いはない。二度と読むことはあるまい。








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私の使命は「有体的復活」の伝承 ++++++++ 所感

2014/08/18 05:10

140818(月)3時半目覚め。4時半起床。朝の啓示「有体的復活の伝承」●キリスト者の皆様お早うございます。昨日は次のようなメールを頂き、インスパイア(インスパイア(英: inspire). インスパイア - ラテン語の「in-(中へ)」+「spirare(息、息吹) 」から、(思想や生命などを)吹き込んだり、感化、啓発、鼓舞、または奮い立たせたり、 ひらめきや刺激を与えたりすること。)されました。

来信(一部変更省略)
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主人は57歳で召され、今も働き盛りの年齢の彼の姿が目に浮かびますが、
しばらく前、主人と同い年の1944年生まれの牧師に会い、生きていれば、
70歳で、彼の同世代の多くの牧師達は、今も、懸命に主に仕えていることを、
改めて思わされました。高橋様も71歳とのこと。主に守られて、使命を全う
なさいますことをお祈り申し上げます。
 
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来信(一部変更省略)おわり

●このメールを頂いたので、今朝の啓示黙想は「私の使命とは何だろう」ということだったのです。
●人の使命は自分で考えるとそれは自分の欲望であったり希望であったり人間的自慢の達成であったりしますが、神に負わされた使命は外側の人がよくわかるものです。
●私の使命についてかって某氏が「十年一日のごとく『有体的復活』を伝承している」と言われました。「自分の使命」というのは外の人に良く見えて分かるものらしいのです。
●この「有体的復活の伝承」はかってホームページの使徒伝承の欄に掲げました。

「胸が熱くなることによって見えたもの」 http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/1205031.htm


「復活の喜び」 http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/hukkatu.htm

●この二つとも1999年に執筆したものですから、文字通り十年一日のごとくです。
●そしてこの「胸が熱くなる」という言葉に波長が合って、「応答」してくださる方がちらほらあって、それが私の告知が誤りでないことに自信を持たせてくれました。
●そこで今朝はまたまた「有体的復活の使徒伝承」に連なる栄光の使命について、聖書のアチコチを思い出し、掲げてみます。感話をすると長くなるので聖句の羅列だけにします。バイブルソフトの「Jバイブル」駆使。これがないと生きていけません。
●ヘンデルのメサイヤも、バッハの受難曲も聖句の羅列です。彼らのような作曲の能力はありませんが、聖句の羅列で神の心を告知しようという精神は同じです。私はパソコンでやります。
●私にとって、この身が「有体的復活の使徒伝承」の連鎖の一環になれれば「大満足」の一生です。これが私に負わされた「大使命」です。
●15日は終戦記念日。特攻隊の気概を思う時、私は「キリストの特攻隊」たらんとします。それは人間を罪から救い清め、死の悩み悲しみを突破する福音だからです。


本訳 マタ 28:8
28:8 女たちは恐ろしいが、また嬉しくてたまらず、(中には入らずに)急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走っていった。


新共同 使  20:24
20:24 しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。

塚本訳 マコ 14:50-52
14:50 一人のこらずイエスをすてて逃げた。
14:51 ある青年が素肌に亜麻布をひっかけて、イエスについて来ていた。人々が捕えようとすると、
14:52 亜麻布を(人々の手に)残して裸で逃げていった。

塚本訳 マコ 5:19
5:19 しかし許さずに言われた、「家に帰ってうちの者に、(神なる)主があなたを憐れんで、どんなにえらいことをしてくださったかを、知らせてやりなさい。」


文語訳 ロマ 1:16
1:16 我は福音を恥とせず、この福音はユダヤ人を始めギリシヤ人にも、凡て信ずる者に救を得さする神の力たればなり。


塚本訳 ロマ 1:16
1:16 わたしは(決して)福音を恥じない。福音は神の力で、これを信ずる者を一人のこらず、すなわち、まずユダヤ人、次に異教人を、救いに入れるからである。

文語訳 Ⅰコリ1:18
1:18 それ十字架の言は亡ぶる者には愚なれど、救はるる我らには神の能力なり。


新共同 Ⅰコリ1:18
1:18 十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。


塚本訳 Ⅱコリ2:15
2:15 というのは、わたし達は救われる者の間でも、滅びゆく者の間でも、神にささげられるためのキリストのよい薫である。

塚本訳 Ⅱコリ13:8
13:8 というのはわたし達は神の真理に逆らっては何も出来ないが、真理のためには何でも出来るからである。


文語訳 Ⅱコリ13:8
13:8 我らは眞理に逆ひて能力なく、眞理のためには能力あり。

文語訳 Ⅱコリ2:14
2:14 感謝すべきかな、神は何時にてもキリストにより、我らを執へて凱旋し何處にても我等によりてキリストを知る知識の馨をあらはし給ふ。

塚本訳 ロマ 1:17
1:17 信仰から出て信仰に終る、(徹頭徹尾信仰本意の)神の義が、この福音において現わされているからである。『信仰による義人は生きる』と(聖書に)書いてあるとおりである。

塚本訳 ロマ 12:15
12:15 喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣け。

新共同 Ⅰコリ9:16
9:16 もっとも、わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません。そうせずにはいられないことだからです。福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです。

塚本訳 使  9:15-19
9:15 主が彼に言われた、「(恐れることはない。)行け。あの人は、異教人と王たちとイスラエルの子孫との前に、わたしの名を運んでゆく(ために選んだ)わたしの選びの器であるから。
9:16 その証拠として、わたしの名のためにどんなに多くの苦しみをうけねばならぬかを、彼におしえてやる。」
9:17 そこでアナニヤは行って(ユダの)家に入り、サウロに手をのせて言った、「兄弟サウロよ、主がわたしをお遣わしになったのです。あなたが(ここに)来る途中、御自分を現わしてくださったあのイエスが!あなたの目が見えるようになるため、また聖霊に満たされるためです。」
9:18 するとすぐ鱗のようなものがサウロの目から落ちて、見えるようになり、立って洗礼を受けた。
9:19 そして食事を取って元気づいた。サウロは数日ダマスコの(主の)弟子たちと一緒にいたが、

塚本訳 使  22:13-15
22:13 わたしの所に来て近寄り、『兄弟サウロよ、見えるようになれ!』と言った。するとその瞬間に(見えるようになって、)わたしは彼を見上げた。
22:14 アナニヤは言った、『わたし達の先祖の神はあなたを選んで御心を知らせ、また正しい人(である主イエス)を見せ、その口から声をお聞かせになったが、
22:15 それはあなたがいま見たこと聞いたことにつき、全人類に対してその方のために証人になるからだ。

塚本訳 使  26:15-18
26:15 わたしは言った、『主よ、あなたはどなたですか。』主が言われた、『わたしだ、君が迫害しているイエスだ。
26:16 さあ、起きて、『自分の足で立て。』わたしが(今)現われたのは、君を選んで、わたしを見たことと、(今からも)君に現われて示すこととの証人として、わたしに仕えさせるためである。
26:17 (かずかずの迫害や危険がのぞむが心配するな。)わたしは君をこの(イスラエルの)民(の手)から、また』異教人(の手)から』『(かならず)救い出してやる。』『彼らの中にわたしが君を遣わすのは、』
26:18 彼らの』目をあけて』彼らが『暗闇から光に、』悪魔の権力から神に帰るため、そうして彼らがわたしに対する信仰によって罪の赦しを得、きよめられた人たちの仲間に入れていただくためである』と。

塚本訳 使  26:8
26:8 (あなた方はイエスの復活を信ぜず、従って彼が約束の救世主であることを信じようとされませんけれども、)神が死人を生きかえらせるということが、あなた方にはなぜそんなに信じ難いことと思われるのでしょうか。

塚本訳 使  23:6
23:6 そのときパウロは(役人の)一派はサドカイ人、一派はパリサイ人であるのを見て取り、法院で叫んだ、「兄弟の方々、わたしはパリサイ人で、しかもパリサイ人の子です。いま死人の復活の希望のために裁判されているのです。(わたしは復活のキリストを見たと言いますから。)」

塚本訳 使  23:9-11
23:9 とうとう大騒ぎになった。数人のパリサイ派の聖書学者は立ち上がり、こう言ってはげしく論争した、「この人には何の悪いことも認められない。それに、もし彼に(ダマスコで)霊か天使かが語ったのだったら──(それこそ大変だ!)」
23:10 こうして意見の対立が激しくなったので、千卒長はパウロが引き裂かれはしないかと心配し、(守備)部隊に命令して法院に下りてゆかせ、パウロを彼らの中から奪い取って兵営につれて来させた。
23:11 その夜、主が(現われ、)パウロに近づいて言われた、「安心せよ、あなたは(きっとローマに行くことができる。)エルサレムでわたしのことを証ししたと同じように、ローマでも証しをせねばならないのだから。」

新共同 使  24:19-21
24:19 ただ、アジア州から来た数人のユダヤ人はいました。もし、私を訴えるべき理由があるというのであれば、この人たちこそ閣下のところに出頭して告発すべきだったのです。
24:20 さもなければ、ここにいる人たち自身が、最高法院に出頭していた私にどんな不正を見つけたか、今言うべきです。
24:21 彼らの中に立って、『死者の復活のことで、私は今日あなたがたの前で裁判にかけられているのだ』と叫んだだけなのです。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の啓示黙想礼拝終わり。残り時間はこのことを叫ぶ。なぜか、十字架の福音は人を罪から救い、清め、復活は死の悩みと恐怖から来世の永遠における永遠の生命の希望の根拠を与えてくれるからだ。

●TSK日本語版伝道の書2章
●妻はコーラスの練習
●図書館に行き、国会図書館から取り寄せてもらった皆川誠著「放蕩息子に見る今日の家庭問題」を7割程度読む。国会図書館のものなので館外持ち出し禁止。とても深い内容だ。家庭内病理は時間がかかるが神が直してくださると信じる。最低3~5年はかかる。「良い家庭に悩み多し」「良い子の問題が起きるのは親の人間的な生(なま)のぬくもりを欲している」。著者は私と同年の牧師。実話に迫力がある。

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奥多摩連山の夕暮れ。今日は暑い一日であった。図書館の帰り。
感謝の一日。

口語訳 伝  1:5
1:5 日はいで、日は没し、その出た所に急ぎ行く。


新改訳 伝  1:5
1:5 日は上り、日は沈み、またもとの上る所に帰って行く。


新共同 伝  1:5
1:5 日は昇り、日は沈み/あえぎ戻り、また昇る。






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信仰は史実の上に立つ ++++++++ 所感

2014/08/17 08:09

140817(日)キリスト者の皆様お早うございます。今朝は4時に目覚めて今日の家庭礼拝のために黙想しました。その内容を次のようにまとめました。霧雨なので早朝散歩は中止。

2014年8月17日、家庭礼拝
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信仰は史実の上に立つ 140817-2

空の墓の史実は聖霊が降る時に復活信仰の根拠となる。  

 

2014.10.5東京聖書読者会 高橋照男

 

●信仰は史実を聞くことから始まる。

 

塚本訳 ルカ 24:22-27

24:22 ところがまた、仲間の女たちがわたし達をびっくりさせました。──この女たちは朝早く墓に行ったが、

24:23 お体が見つからずにかえって来て、天使たちがあらわれ、あの方は生きておられる、と告げたと言うのです。

24:24 そこで仲間の男が二三人墓に行って見ると、はたして女たちの言うとおり(墓は空っぽ)だったが、(生きておられるという)その方は見えなかったのです。」

24:25 彼らに言われた、「ああ、預言者たちの言ったことを何一つ信じない、悟りの悪い、心の鈍い人たちよ!

24:26 救世主は栄光に入るために、そのような苦しみを受けねばならなかったのではないのですか。」

24:27 そして(預言者)モーセから始めて、すべての預言者が御自分につき聖書全体において言っていることを説明された

 

塚本訳 ルカ 24:30-35

24:30 一しょに食卓について、(いつものように)パンを(手に)取り、(神を)讃美したのち、裂いて渡されると、

24:31 (その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。

24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。

24:33 時を移さず二人は立ち上がってエルサレムに引き返して見ると、十一人とその仲間とが集まっていて、

24:34 「ほんとうに主は復活して、シモン(・ペテロ)に御自分を現わされた」と話してくれた。

24:35 それで二人も、(エマオへの)道であったことや、また、どうしてパンを裂かれたことで(主と)わかったかを物語った。

 

塚本訳 使  8:26-38

8:26 時に主の使がピリポに言った、「立って、南の方に向かって行き、エルサレムからガザ(の町)へ下る道に出よ。それは人通りの少ない道である。」

8:27 彼は立って出かけた。ちょうどそこに一人のエチオピヤ人が通りかかった。この人はエチオピヤの女王カンダケの宮内官で、女王の全財産を監理している宦官であったが、礼拝のためエルサレムに行って、

8:28 今はその帰り道であった。車の上に坐り、(声を出して)イザヤ預言書を読んでいた。

8:29 御霊がピリポに、「行って、あの車にぴったりついて歩け」と言った。

8:30 ピリポが駈けよってゆくと、その人がイザヤ預言書を読んでいるのが聞こえたので、たずねた、「どうです、読んでおられるところが読めていますか。」

8:31 彼がこたえた、「だれかに手引をしてもらわねば、とてもわたしには読めません。」そして(車に)乗って一緒に坐ってもらいたいとピリポに頼んだ。

8:32 読んでいた聖書の文句はこれであった。『屠り場に引いてゆかれる羊のように、毛を切る者の前に黙っている小羊のように、彼は口を開かない。

8:33 (しかし)謙遜によって裁きをまぬかれ(て死に勝っ)たのである。だれが(地上にあふれるであろう)彼の子孫[信者]のことを語り得ようか。彼は(神の右に坐るために)その命を地上から取り去られるのだから。』

8:34 宦官がピリポに答えた、「お願いです、この預言者はだれのことを言っているのでしょうか。自分のことですか、それともだれかほかの人のことですか。(教えてください。)」

8:35 そこでピリポは口を開いて、この聖書の句から始めて、イエスの福音を伝えた。

8:36 そして道を進んでゆきながら、とある水辺に来ると、宦官が言う、「水がある!洗礼を受けてはいけないでしょうか。」

8:37 [無シ]

8:38 そこで車を止めさせ、ピリポと宦官は、二人とも水の中に下りて、ピリポが宦官に洗礼を授けた。

 

塚本訳 ルカ 16:27-31

16:27 金持が言った、『父よ、それではお願いですから、ラザロをわたしの父の家にやってください。

16:28 わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。

16:29 しかしアブラハムは言う、『(その必要はない。)彼らにはモーセ(律法)と預言書と[聖書]がある。その教えに従えばよろしい。

16:30 彼が言った、『いいえ、父アブラハムよ、もしだれかが死人の中から行ってやれば、きっと悔改めます。』

16:31 しかしアブラハムは答えた、『モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。』

 

塚本訳 ヨハ 2:19-22

2:19 イエスは答えられた、「このお宮をこわせ、三日で造ってみせるから。」

2:20 ユダヤ人が言った、「このお宮を建てるには四十六年もかかったのに、あなたは三日で造るというのか。」

2:21 しかしイエスは自分の体のことを宮と言われたのであった。

2:22 だから死人の中から復活された時、弟子たちはこう言われたことを思い出して、聖書とイエスの言われた言葉と(が本当であること)を信じた

 

塚本訳 ヨハ 20:5-10

20:5 身をかがめると、(墓の中に)亜麻布があるのが見えたが、それでも中には入らなかった。

20:6 続いてシモン・ペテロも来た。彼は墓に入り、亜麻布が(そのままそこに)あるのを見た。

20:7 また頭をつつんだ手拭は亜麻布と一しょになく、これだけ別の所に、包んだまま(の形)になっていた。

20:8 すると先に墓に着いたもう一人の弟子も入ってきて、見て、信じた

20:9 イエスは死人の中から復活されねばならないという聖書の言葉が、(この時まで)まだ彼らにわかっていなかったのである。

20:10 それから二人の弟子は家にかえった。

 

塚本訳 Ⅰコリ15:3-6

15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、

15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること

15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。

15:6 そのあと、一度に五百人以上の兄弟に御自分を現わされた。そのうちの多数の者はいまでも生きてい(て、わたしが嘘を言っていないことを証明してくれ)る。もっともすでに眠った者もあるにはある。

 

塚本訳 ロマ 10:14-17

10:14 ところで、(呼ぶだけで救われると言うが、)信じたことのない者を、どうして呼ぶことができようか。聞いたことのない者を、どうして信ずることができようか。説く者がなくて、どうして聞くことができようか。

10:15 (神に)遣わされなければ、どうして説くことができようか。(しかし説く者はある。それはわたし達である。)『善いこと[福音]を伝える人たちの足の、なんと美しいことよ!』と書いてあるとおりである。

10:16 ところが、だれもが(このように伝えられた)福音を、従順に受け入れたわけではない。イザヤも(こう)言っているから。『主よ、だれがわたし達に聞いたことを信じましたか』と。(実際イスラエル人は信じなかったのである。)

10:17 [(だから、(いま言ったように、)信仰は(福音を)聞くことから、聞くことはキリストの(伝道の)命令から生まれる。]

 

●史実を耳で聞いた人に聖霊が降ると信仰が成立する

 

●ザアカイの場合

 

塚本訳 ルカ 19:1-10
19:1
エリコに入って、(そこを)通っておられた。
19:2
すると、(町に)名をザアカイという人がいた。この人は
税金取りの頭で、金持であった。
19:3 イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低いので、群衆のため見ることが出来なかった。
19:4
それで先の方に駈けていって、桑無花果の木に上った。そこを通られるところを見ようとしたのである。
19:5
イエスはその場所に来られると、ザアカイを見上げて言われた、「
ザアカイ、急いで下りておいで。きょうはあなたの家に泊まることになっているから
19:6
ザアカイは急いで下りてきて、喜んでお迎えした。
19:7
皆がこれを見て、イエスは
(税金取りのような)罪人の所に入りこんで宿を取った、と言ってぶつぶつ呟いた。
19:8
しかしザアカイは進み出て主に言った、「主よ、わたしは(誓って)財産の半分を貧乏な人たちに施します。人からゆすり取ったものは四倍にして返します。」
19:9
イエスが(人々に)言われた、「救いは(きょう、)この家に入った。
(人でなしのように言われる)この人も、やはり(あなた達と同じ)アブラハムの末だから。
19:10
人の子(わたし)は『滅びうせた者をさがして』救うために来たのである。」

 

マグダラのマリヤ(罪の女) の場合

塚本訳 ルカ 7:37-38
7:37
すると、その町に一人の
罪の女がいた。イエスがパリサイ人の家で食卓についておられることを知ると、香油のはいった石膏の壷を持ってきて、
7:38
泣きながら後ろからイエスの足下に進み寄り、しばし涙で御足をぬらしていたが、やがて髪の毛でそれをふき、御足に接吻して香油を塗った

塚本訳 マタ 28:5-10
28:5
天使は女たちに言った、「恐れることはない。あなた達は十字架につけられたイエスをさがしているようだが、
28:6
ここにはおられない。かねがね言われたとおり、もう復活されたのだから。来て、お体が置いてあった場所を見なさい。
28:7
それから急いで行って弟子たちに、『イエスは死人の中から復活された。あなた達より先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる』と言いなさい。これを言いにわたしは来たのだ。」
28:8
女たちは恐ろしいが、また嬉しくてたまらず、(中には入らずに)急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走っていった。
28:9
するとイエスがぱったり彼らに出合って、「お早う」と言われた女たちは進み寄り、その足を抱いておがんだ。
 
塚本訳 ヨハ 20:15-18
20:15
イエスが言われる、「女の人、なぜ泣くのか。だれをさがしているのか。」マリヤはそれを園丁だと思って言う、「あなた、もしあなたがあの方を持っていったのだったら、どこに置いたか教えてください。わたしが引き取りますから。」
20:16
(こう言って、また墓の方を向いていると、)
イエスが「マリヤ!」と言われるマリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う。(そしてイエスに抱きつこうとした。)
20:17
イエスが言われる、「わたしにすがりつくな。まだ父上の所に上っていないのだから。わたしの兄弟たち(弟子たち)の所に行って、『わたしは、わたしの父上、すなわちあなた達の父上、わたしの神、すなわちあなた達の神の所に上る』と言いなさい。」
20:18
マグダラのマリヤは行って弟子たちに、「
わたしは主にお目にかかった」、また、主がこのことを彼女に言われた、と報告した。

 

ペテロの場合。

塚本訳 ルカ 22:60-62
22:60
しかしペテロは言った、「君、あなたの言っていることはわからない。」するとたちまち、まだその言葉の終らぬうちに、鶏が鳴いた。
22:61
主が振り向いて、じっとペテロを見つめられた。ペテロは、「きょう(今夜)、鶏が鳴く前に、わたしを三度、知らないと言う」と言われた主の言葉を思い出し
22:62
外に出ていって、
さめざめと泣いた

 

●エマオの二人の場合

 

塚本訳 ルカ 24:31-34
24:31
(その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。
24:32
二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、
胸の中が熱くなったではないか」と。
24:33
時を移さず二人は立ち上がってエルサレムに引き返して見ると、十一人とその仲間とが集まっていて、
24:34
「ほんとうに主は復活して
シモン(・ペテロ)に御自分を現わされた」と話してくれた。

塚本訳コリ15:3-8
15:3
まえにわたしが(福音の)
一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4
葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5
また
ケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされことである。
15:6
そのあと、一度に五百人以上の兄弟に御自分を現わされた。そのうちの多数の者はいまでも生きてい(て、わたしが嘘を言っていないことを証明してくれ)る。もっともすでに眠った者もあるにはある。
15:7
そのあと(御兄弟の)ヤコブに、それから使徒一同に、
御自分を現わされた
15:8
しかし一番最後には、さながら月足らずのような
わたしにも御自分を現わされた

 

パウロの場合

塚本訳 使  7:54-58
7:54
これを聞いて(法院にいた)人々は怒り心頭に発し、ステパノに向かって歯ぎしりした。
7:55
しかしステパノは聖霊に満ちて天をじっと見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見ると、
7:56
「おお、天が開けた、人の子が見える、神の右に立っておられる!」と言った。
7:57
すると彼らは大声で叫び、(冒涜の言葉を聞くまいとして)耳をふさぎ、一せいに襲いかかって、
7:58
彼を町の外に突き出し、
石で打ち殺した。証人たちはぬいだ上着をサウロという青年の足下に置い(て、番をさせ)た。

塚本訳 使  22:6-8
22:6
ところが進んでいってダマスコに近づくと、昼ごろ、突然、天から強い光がさしてわたしのまわりに輝いた。
22:7
わたしは地べたに倒れて、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と言う声を聞いた。
22:8
わたしは答えた、『主よ、あなたはどなたですか。』わたしに言われた、
『わたしだ、君が迫害しているナザレ人イエスだ。』

塚本訳 使  26:8-10
26:8
(あなた方はイエスの復活を信ぜず、従って彼が約束の救世主であることを信じようとされませんけれども、)神が死人を生きかえらせるということが、あなた方にはなぜそんなに信じ難いことと思われるのでしょうか。

26:9
ところで実はこう言うわたしも、(かつては)ナザレ人のイエスの(救世主という)名に対して大いに反抗すべきであると考え、
26:10
エルサレムで実際それをやったのです。すなわち大祭司連から全権を受けて多くの聖徒を牢に閉じこめ、また彼らが処刑されるときそれに賛成したのは、だれあろうこのわたしでありました

 

塚本訳 ヨハ 20:24-28

20:24 十二人の一人で、トマスすなわちギリシャ語でデドモ(二子)は、イエスが来られた時、みんなと一しょにいなかった。

20:25 そこでほかの弟子達が、「わたし達は主にお目にかかった」と言うと、彼らに言った、「わたしはその手に釘の跡を見なければ、わたしの指をその釘の場所に差し込まなければ、手をその脇腹に差し込まなければ、決して信じない。」

20:26 八日ののち、弟子たちはまた家の中に(集まって)いた。今度はトマスも一しょであった。戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスがはいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた。

20:27 それから(すぐ)トマスに言われる、「指をここに持ってきて、わたしの手(の釘の跡)をよく見てごらん。手を持ってきて、わたしの脇腹に差し込んでみなさい。不信仰をやめて、信ずる者らしくしなさい。」

20:28 トマスがイエスに答えて言った、「わたしの主よ!わたしの神よ!」

 

塚本訳 使  16:13-14

16:13 安息の日に、わたし達は(町の)門を出て川ばたにいった。祈り場がありそうに思ったのである。そして(そこに)坐って、集まってきた婦人たちに話をした。

16:14 するとテアテラ町の紫毛織物の商人で、敬信家のルデヤという婦人が聞いていたが、主はその心を開いてパウロの話に耳を傾けさせられた

 

塚本訳 ロマ 9:14-16

9:14 するとどういうことになるのだろうか。神に不公平でもあるのか。もちろん、そんなことはない。

9:15 その証拠には、神は(かつて)モーセにこう言われている、『わたしは憐れみたい者を憐れみ、慈悲をほどこしたい者に慈悲をほどこす』と。

9:16 従って(憐れみも慈悲も、)それは(人間の)願望にも努力にもよらず、ただ神の憐れみによるのである。

 

塚本訳 ロマ 10:19-21

10:19 しかし、わたしは(なお)考える、イスラエル人は(聞くには聞いたが、むずかしくて)わからなかったのではあるまいかと。(そんなことはない。)第一にモーセは言っている。(『神は言われる、)「わたしはわたしの民でない者(を救うこと)によって』あなた達に『妬みをおこさせ、愚かな民によって』あなた達を『怒らせる」(と。)』(愚かな異教の民さえ信じたのである。)

10:20 (次に)イザヤも勇敢に言っている。『(神は言われる、)「わたしをさがさなかった者にわたしは姿を見せ、わたしを尋ねなかった者に現われた」(と。)

10:21 彼はまたイスラエル人について言っている、』(神は言われる、)「一日中、この不従順な反抗ばかりしている民に、わたしは手を伸べていた」(と。)』(だから彼らが信じないのは、頑なで自分の義を立てようとしたからであって、弁解の言葉はない。)

 





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家庭礼拝資料終わり。救いには神による「時」がある。






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孤独の淋しさと有体的復活の喜び ++++++++ 所感

2014/08/16 06:41

140816(土)4時目覚め、5時起床●キリスト者の皆様お早うございます●昨日は御主人に先立たれた御夫人から近況のお知らせが来ました。そこに「夫〇〇〇の召天から早や4か月。孤独とどう向き合うかという課題を抱えての日々ですが、家族・友人達との交わりに支えられています。・・・・」とありました。●この手紙に教えられることがあり、聖書は「孤独の淋しさ」をどう扱っているかを旧約から順に思い浮かべた。すると新約になって「イエスの有体的復活」という喜びが爆発しているが、その背後には「死」という悲しみがあっての「復活の喜び」であることが分かった。●人間にとって「死」は歴史的事実、そしてイエスの有体的復活も史実。信仰は史実の上に上に立つ。●死の悲しみの癒しは思想や人間的な慰めでは不可能。有体的復活の史実と今も生きている復活のイエスとの交わりのみが孤独と淋しさを癒してくれるものだと思った。●そこで今朝は「孤独の淋しさ」と「有体的復活の喜び」を「Jバイブル」を利用して頭に浮かぶまま掲げてみよう。●かくいう私も、いつ妻に先立たれるかわからないし、認知症になって私のことが分からなくなる日が間もなく来ないとは限らない。また子供とその伴侶そして孫7人の15人のうち誰かが先に逝くという悲しみに遭遇することもありうるだろう。●そういう時に先の御夫人の「孤独との戦い」は私の手本である。まことに個人の苦難は人のためになる。●人間的感想を述べたい衝動を押さえて聖句だけを掲げる。これ音楽における脱力奏法である。コーランはアラビヤ後による本文の朗誦が主なる行為であって、人間の注釈はしない、翻訳さえも註解の一種になる。

口語訳 創  2:18
2:18 また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。

口語訳 創  2:21-24
2:21 そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。
2:22 主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。
2:23 そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、/わたしの肉の肉。男から取ったものだから、/これを女と名づけよう」。
2:24 それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。


口語訳 創  3:23-24
3:23 そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕させられた。
3:24 神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた。

口語訳 ヨブ 1:21
1:21 そして言った、/「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」。


口語訳 詩  27:10
27:10 たとい父母がわたしを捨てても、主がわたしを迎えられるでしょう。


塚本訳 ルカ 1:28
1:28 天使は乙女の所に来て言った、「おめでとう、恵まれた人よ、主があなたとご一しょだ!」

塚本訳 マタ 12:46-49
12:46 イエスがまだ群衆に話しておられると、そこにその母と兄弟たちがイエスに話しがあって、外に立っていた。
12:47 〔無し〕
12:48 しかしイエスはそのことを知らせた者に、「わたしの母とはだれのことだ、わたしの兄弟とはだれのことだ」と答えて、
12:49 弟子たちの上に手をのばして言われた、「ここにいるのが、わたしの母、わたしの兄弟だ。

塚本訳 ヨハ 4:13-15
4:13 イエスは答えられた、「この(井戸の)水を飲む者はだれでもまた渇くが、
4:14 わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」
4:15 女が言う、「主よ、その水を下さい。(二度と)渇くことがないように、またここに汲みに来なくてもよいように。」

塚本訳 マタ 2:17-18
2:17 その時、預言者エレミヤをもって言われた言葉が成就したのである。──
2:18 『声がラマに聞えた、──(ラケルの)』はげしい『わめきと、なげきの声である。ラケルはその子らのために泣くばかりで、慰められようとしない、子らがもういないので。』


塚本訳 ヨハ 11:31
11:31 マリヤと一しょに家にいて慰めていたユダヤ人たちは、マリヤが急に立って出て行くのを見ると、墓に泣きに行くものと思って、あとについて行った。


塚本訳 マコ 5:38-39
5:38 やがて監督の家に着いて、人々がひどく泣きわめいて騒いでいるのを見ると、
5:39 (家の)中に入って言われる、「なにを泣いたり騒いだりするのか。子供は死んではいない、眠っているのだ。」

塚本訳 ルカ 7:12-15
7:12 町の門の近くに来られると、ちょうど、ある独り息子が死んで、(棺が)舁き出されるところであった。母は寡婦であった。町の人が大勢その母に付添っていた。
7:13 主は母を見て不憫に思い、「そんなに泣くでない」と言って、
7:14 近寄って棺に手をかけ──担いでいる者は立ち止まった──「若者よ、あなたに言う、起きよ!」と言われた。
7:15 すると死人が起き上がって物を言い出した。イエスは『彼を母に渡された。』

塚本訳 Ⅰコリ9:5
9:5 わたし達には他の使徒たちや、主の御兄弟たちやケパのように、姉妹を妻として連れてまわる権利がないというのか。


塚本訳 マタ 2:17-18
2:17 その時、預言者エレミヤをもって言われた言葉が成就したのである。──
2:18 『声がラマに聞えた、──(ラケルの)』はげしい『わめきと、なげきの声である。ラケルはその子らのために泣くばかりで、慰められようとしない、子らがもういないので。』


塚本訳 ヨハ 11:31
11:31 マリヤと一しょに家にいて慰めていたユダヤ人たちは、マリヤが急に立って出て行くのを見ると、墓に泣きに行くものと思って、あとについて行った。

塚本訳 ヨハ 16:20
16:20 アーメン、アーメン、わたしは言う、(わたしがいなくなると)あなた達は泣いて悲嘆にくれるが、この世は喜ぶであろう。あなた達は悲しむが、その悲しみは(やがて)喜びにかわるであろう。

塚本訳 ヨハ 11:33-34
11:33 イエスはマリヤが泣き、一しょに来たユダヤ人たちも泣くのを見ると、(その不信仰を)心に憤り、かつ興奮して、
11:34 (マルタとマリヤに)言われた、「どこにラザロを納めたか。」二人が言う、「主よ、来て、御覧ください。」

塚本訳 マコ 5:38-39
5:38 やがて監督の家に着いて、人々がひどく泣きわめいて騒いでいるのを見ると、
5:39 (家の)中に入って言われる、「なにを泣いたり騒いだりするのか。子供は死んではいない、眠っているのだ。」

塚本訳 ルカ 7:12-15
7:12 町の門の近くに来られると、ちょうど、ある独り息子が死んで、(棺が)舁き出されるところであった。母は寡婦であった。町の人が大勢その母に付添っていた。
7:13 主は母を見て不憫に思い、「そんなに泣くでない」と言って、
7:14 近寄って棺に手をかけ──担いでいる者は立ち止まった──「若者よ、あなたに言う、起きよ!」と言われた。
7:15 すると死人が起き上がって物を言い出した。イエスは『彼を母に渡された。』

塚本訳 ルカ 23:28
23:28 イエスは女たちの方に振り向いて言われた、「エルサレムの娘さんたち、わたしのためには泣いてくれなくともよろしい。それよりは自分のため、自分の子供のために泣きなさい。

塚本訳 ヨハ 20:11-17
20:11 (二人について来ていた)マリヤは(ひとり)墓の外に立って泣いていた。(二人が去ったあと、)泣きながらかがんで墓の中をのぞくと、
20:12 白い衣をきた二人の天使が、一人はイエスの体が置いてあった所の頭の方に、一人は足の方に坐っているのが見えた。
20:13 天使がマリヤに言う、「女の人、なぜ泣くのか。」マリヤが言う、「わたしの主を取っていった者があります。どこに置いたのかわかりません。」
20:14 こう言って後を振り向くと、イエスがそこに立っておられるのが見えた。しかしイエスだとは気づかなかった。
20:15 イエスが言われる、「女の人、なぜ泣くのか。だれをさがしているのか。」マリヤはそれを園丁だと思って言う、「あなた、もしあなたがあの方を持っていったのだったら、どこに置いたか教えてください。わたしが引き取りますから。」
20:16 (こう言って、また墓の方を向いていると、)イエスが「マリヤ!」と言われる。マリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う。(そしてイエスに抱きつこうとした。)
20:17 イエスが言われる、「わたしにすがりつくな。まだ父上の所に上っていないのだから。わたしの兄弟たち(弟子たち)の所に行って、『わたしは、わたしの父上、すなわちあなた達の父上、わたしの神、すなわちあなた達の神の所に上る』と言いなさい。」
20:18 マグダラのマリヤは行って弟子たちに、「わたしは主にお目にかかった」、また、主がこのことを彼女に言われた、と報告した。

塚本訳 ヨハ 11:33
11:33 イエスはマリヤが泣き、一しょに来たユダヤ人たちも泣くのを見ると、(その不信仰を)心に憤り、かつ興奮して、

塚本訳 ヨハ 20:18
塚本訳 マタ 28:7-10
28:7 それから急いで行って弟子たちに、『イエスは死人の中から復活された。あなた達より先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる』と言いなさい。これを言いにわたしは来たのだ。」
28:8 女たちは恐ろしいが、また嬉しくてたまらず、(中には入らずに)急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走っていった。
28:9 するとイエスがぱったり彼らに出合って、「お早う」と言われた。女たちは進み寄り、その足を抱いておがんだ。
28:10 するとイエスは女たちに言われる、「恐れることはない。行ってわたしの兄弟たち[弟子たち]に、ガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのだから。」

塚本訳 Ⅰコリ9:5
9:5 わたし達には他の使徒たちや、主の御兄弟たちやケパのように、姉妹を妻として連れてまわる権利がないというのか。

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朝の啓示黙想瞑想礼拝おわり。アーメン死の時まで主が共にいてください

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早朝散歩

新共同 マコ 4:26-27
4:26 また、イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、
4:27 夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。


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早朝散歩


口語訳 詩  19:5-6
19:5 日は花婿がその祝のへやから出てくるように、また勇士が競い走るように、その道を喜び走る。
19:6 それは天のはてからのぼって、天のはてにまで、めぐって行く。
その暖まりをこうむらないものはない。



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早朝散歩


文語訳 マタ 6:28-32
6:28 又なにゆゑ衣のことを思ひ煩ふや。野の百合は如何にして育つかを思へ、勞せず、紡がざるなり。
6:29 されど我なんぢらに告ぐ、榮華を極めたるソロモンだに、その服装この花の一つにも及かざりき。
6:30 今日ありて明日、爐に投げ入れらるる野の草をも、神はかく装ひ給へば、まして汝らをや、ああ信仰うすき者よ
6:31 さらば何を食ひ、何を飮み、何を著んとて思ひ煩ふな。
6:32 是みな異邦人の切に求むる所なり。汝らの天の父は凡てこれらの物の汝らに必要なるを知り給ふなり。



●TSK日本語版箴言をCDに焼き付けて物置に収納。
●電話機が故障したので、家電量販店のノジマに行って購入。セットするもパナソニックの電話説明がなければマニュアルだけでは難しかった。
●14:00 妻と杉並公会堂にコンサート

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杉並公会堂

安積黎明高等学校合唱団&安積フィメールコール東京第2回ジョイントコンサート
友情出演 合唱団お江戸コラリアーズ

●安積黎明高等学校合唱団は前進の安積女子高等学校時代から全日本合唱コンクールで1980年から2013年まで34年連続の金賞。またNHK全国学校音楽コンクールでも金賞を通算15回受賞という奇跡の名門。初めて生の演奏を聴いたが声が透明で「さわやかな」気分になった。      ●かってNHKがその練習ぶりを取材したが、教師(指揮者)の指導ではなく、先輩が後輩を指導し、生徒達の自主練習に特徴があった。しかし今日聞くとやはり指揮者が素晴らしいことが分かった。 ●帰りに妻が一人の生徒にどれぐらい練習したのかと尋ねたら、お盆の2日間だけが休みであとは夏休みなしで連日の練習だったそうだ。やはり一流になるにはそれだけのことはあるなーと思った。
「ローマは一日にしてならず」だ。 








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悔いる心は神による恵みの業 ++++++++ 所感

2014/08/15 09:11

140815(金)4時半目覚め、5時起床。●キリスト者の皆様お早うございます。今朝の啓示黙示「『悔いる心』は神の恵みの業」●昨日は東久留米の自由学園で、「キリスト教性教育研究大会」が行われ、東から西から信仰の篤い教師たちが大勢集まりました。

塚本訳 マタ 8:11-12
8:11 わたしは言う、(最後の日には、このような信仰のあつい)大勢の人が『東から西から』来て、天の国でアブラハムやイサクやヤコブと共に宴会につらなり、
8:12 (かんじんのイスラエル人、すなわち)御国の子供たちは外の真暗闇に放り出され、そこでわめき、歯ぎしりするであろう。」


●この人たちに接して、その悩み呻き苦しみ十字架は「性の紊乱」のどうしようもないやりきれない現状の「山の上の光」であると思った。

塚本訳 マタ 5:13-16
5:13 (預言者と同じく)あなた達は地の塩である。(世の腐敗を防ぐのが役目である。)しかしもし塩が馬鹿になったら、何で(もう一度)塩気をもどすか。外に捨てられて人に踏まれるほか、もはや何の役にも立たない。
5:14 あなた達は世の光である。山の上にある町は隠れていることは出来ない。
5:15 また、(せっかく)明りをともして枡をかぶせる者はない。かならず燭台の上に置く。すると、家の中におる人を皆照らすのである。
5:16 そのようにあなた達も、その光を世の人の前に輝かし、人があなた達の良い行ないを見て、あなた達の天の父上をあがめるようにせよ。


●とかく、キリスト者のこういう集会は「固い人たちの集まり」律法的、ヒューマニスティックな運動のように思われがちだが、そこは「この世の団体」とは異なり、「聖なる者たちの喜びの性」という積極的な明るい面がう示されたのは良かった。性の紊乱腐敗堕落を嘆くのは「この世の人」でも同じである。それは否定と捌きの心である。しかしキリスト教はその暗さからの「救いの光」を示す。清められる道を示す。そしてそれは人間の運動ででは効果がない。神ご自身の憐れみと恵みの力による。
●そこで今朝は、悔いる心は神による恵みの業」ということについて聖書のアチコチを思い出すままに掲げてみよう。人間が罪を悔いる時、神の救いの愛が先に働く。

塚本訳 ルカ 23:41-43
23:41 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる。」


●この強盗は失敗の人生。しかしこの失敗が救いに繋がった。


口語訳 詩  34:18
34:18 主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる。


●誰が救われるか。教会のイベントに熱心な人間ではない。


口語訳 詩  51:17-18
51:17 神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心を/かろしめられません。
51:18 あなたのみこころにしたがってシオンに恵みを施し、エルサレムの城壁を築きなおしてください。

●悔いる心、砕けた心はヴァチカン宮殿、ウェストミンスター寺院よりも神に喜ばれる。

塚本訳 ヨハ 4:20-21
4:20 (それでお尋ねしたいのですが、)わたし達の先祖はこの(ゲリジム)山で(神を)礼拝したのに、あなた達(ユダヤの人)は、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。(どういう訳でしょうか。)」
4:21 イエスが言われる、「女の人、わたし(の言葉)を信じなさい。(間もなく)あなた達が、この山でもエルサレムでもなく(どこででも、)父上を礼拝する時が来る。


●イエスは無教会主義

塚本訳 マタ 6:5-8
6:5 また祈る時には、偽善者のようにしてはならない。彼らは人に見せようとして、礼拝堂や大通りの角に立って祈ることを好むのである。アーメン、わたしは言う、彼らは(褒められた時、)すでに褒美をもらっている。
6:6 あなたが祈る時には、『奥座敷に入り、部屋をしめきった上で、』隠れた所においでになるあなたの父上に『祈れ。』そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。
6:7 また祈るとき、異教人のようにベラベラしゃべるな。彼らは口数が多ければ、聞いてもらえるものと思っている。
6:8 彼らの真似をしてはならない。神はあなた達の父上である。求める前から、あなた達に必要なものをよく御承知である。


●真の祈りは隠れた祈り。これも無教会主義。

塚本訳 ルカ 15:11-18
15:11 また話された、「ある人に二人の息子があった。
15:12 『お父さん、財産の分け前を下さい』と弟が父に言った。父は身代を二人に分けてやった。
15:13 幾日もたたないうちに、弟は(分け前)全部をまとめて(金にかえ、)遠い国に行き、そこで放蕩に財産をまき散らした。
15:14 すべてを使いはたしたとき、その国にひどい飢饉があって、食べるにも困り果てた。
15:15 そこでその国のある人のところに行ってすがりつくと、畑にやって、豚を飼わせた。
15:16 彼はせめて豚の食う蝗豆で腹をふくらしたいと思ったが、(それすら)呉れようとする人はなかった。
15:17 ここで(はじめて)本心に立ち返って言った。──お父さんのところでは、あんなに大勢の雇人に食べ物があり余っているのに、(息子の)このわたしは、ここで飢え死にしようとしている。……
15:18 よし、お父さんの所にかえろう、そしてこう言おう
、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。


●昨日、某氏から「放蕩息子の譬話」をヒューマニズムの立場からでなく、聖書の立場から解説した本を執筆していただきたいと注文された。これは刺激である。書いてみたいと思った。
●財産の分け前を欲しがる心がそもそも転落の始まり。
●「その国にひどい飢饉があって」。自然災害、天災も神の手のうち。3.11東日本大震災も神の手のうち。なぜか。それによって「どうしてもわからなかったイエスの死の意味」がわかった人がいる。これは私のコペルニクス的思想の変化。
●「お父さん、わたしは天の神様にも、あなたにも罪を犯しました」は悔いたこころ、砕けた心。救われた人にとっては飢饉は神が仕組んだものと理解する。

口語訳 箴  30:5-6
30:5 神の言葉はみな真実である、神は彼に寄り頼む者の盾である。
30:6 その言葉に付け加えてはならない、彼があなたを責め、あなたを偽り者とされないためだ。


●コーランはアラビヤ語で読むのが本道。翻訳すらも注釈書の一種とみなされる。●神の言葉に人間の言葉を付け加えてはならない●これからの聖書注解は聖書自身がよい。牧師や先生が聖書の解説をするとそれを聞きに行くのが礼拝だと誤解する。聖書は自分で聖書自身を読まなければならない。

塚本訳 ルカ 7:44-48
7:44 女の方に振り向き、シモンに言われた、「この婦人を見たか。わたしがこの家に来たとき、あなたは足の水もくれないのに、この婦人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でふいてくれた。
7:45 あなたは接吻一つしてくれないのに、この婦人はわたしが(この家に)来たときから、わたしの足に接吻のしつづけである。
7:46 あなたは(普通の)油をすら頭に塗ってくれないのに、この婦人は(高価な)香油を足に塗ってくれた。
7:47 だから、わたしは言う、この婦人の多くの罪は赦されている。(いま)多くわたしを愛したのがその証拠である。赦され方の少ない者は、愛し方も少ない。」
7:48 そしてその女に言われた、「あなたの罪は赦されている。」


●この罪の女の悔いは神の愛が先行している。

塚本訳 ルカ 19:1-10
19:1 エリコに入って、(そこを)通っておられた。
19:2 すると、(町に)名をザアカイという人がいた。この人は税金取りの頭で、金持であった
19:3 イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低いので、群衆のため見ることが出来なかった。
19:4 それで先の方に駈けていって、桑無花果の木に上った。そこを通られるところを見ようとしたのである。
19:5 イエスはその場所に来られると、ザアカイを見上げて言われた、「ザアカイ、急いで下りておいで。きょうはあなたの家に泊まることになっているから。」
19:6 ザアカイは急いで下りてきて、喜んでお迎えした。
19:7 皆がこれを見て、イエスは(税金取りのような)罪人の所に入りこんで宿を取った、と言ってぶつぶつ呟いた。
19:8 しかしザアカイは進み出て主に言った、「主よ、わたしは(誓って)財産の半分を貧乏な人たちに施します。人からゆすり取ったものは四倍にして返します。」
19:9 イエスが(人々に)言われた、「救いは(きょう、)この家に入った。(人でなしのように言われる)この人も、やはり(あなた達と同じ)アブラハムの末だから。
19:10 人の子(わたし)は『滅びうせた者をさがして』救うために来たのである。」


●ザアカイは金持ち。金持ちも救われる。
●ザアカイの悔いには神の愛が先行している。

塚本訳 ロマ 10:19-21
10:19 しかし、わたしは(なお)考える、イスラエル人は(聞くには聞いたが、むずかしくて)わからなかったのではあるまいかと。(そんなことはない。)第一にモーセは言っている。(『神は言われる、)「わたしはわたしの民でない者(を救うこと)によって』あなた達に『妬みをおこさせ、愚かな民によって』あなた達を『怒らせる」(と。)』(愚かな異教の民さえ信じたのである。)
10:20 (次に)イザヤも勇敢に言っている。『(神は言われる、)「わたしをさがさなかった者にわたしは姿を見せ、わたしを尋ねなかった者に現われた」(と。)』
10:21 彼はまたイスラエル人について言っている、』(神は言われる、)「一日中、この不従順な反抗ばかりしている民に、わたしは手を伸べていた」(と。)』(だから彼らが信じないのは、頑なで自分の義を立てようとしたからであって、弁解の言葉はない。)


●キリスト教が不振の理由は、大人物、大先生がいなくなったからだと思うのは間違い。
●信じない人が存在するのも神の経綸。神は知っている
●神はヤルときはヤル。やってくださる。

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朝の黙想礼拝終わり。悔い改めには「出かけて行って」忠告しなくてよい。説教しなくてよい。神が悔いの心をウマーク与えてくださる。しかしそれには時間がかかるものだ。

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早朝散歩

口語訳 詩  19:1-4
19:1 もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。
19:2 この日は言葉をかの日につたえ、この夜は知識をかの夜につげる。
19:3 話すことなく、語ることなく、その声も聞えないのに、

19:4 その響きは全地にあまねく、その言葉は世界のはてにまで及ぶ。神は日のために幕屋を天に設けられた。



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早朝散歩

文語訳 マタ 6:26-27
6:26 空の鳥を見よ、播かず、刈らず、倉に収めず、然るに汝らの天の父は、これを養ひたまふ。汝らは之よりも遥に優るる者ならずや。
6:27 汝らの中たれか思ひ煩ひて身の長一尺を加へ得んや。


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塚本訳 マタ 26:63-64
26:63 しかしイエスは黙っておられた。大祭司が言った、「生ける神に誓ってわれわれにこたえよ。お前が、神の子救世主か。」
26:64 イエスは(はじめて口を開いて)彼に言われる、「(そう言われるなら)御意見にまかせる。だが、わたしは言う、あなた方は今後『人の子(わたし)が』『大能の(神の)右に坐り、』『天の雲に乗って来るのを』見るであろう。」


●TSK日本語版箴言31章。箴言終了
●電子レンジが故障。ノジマ電気に行って、最低の機能のものを購入。4980円。
●テレビでオードリーヘップバーンの「尼僧物語」を妻と一緒に鑑賞。カトリックの厳しさに感心。







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驚くべき神の愛 ++++++++ 所感

2014/08/14 05:04

140814(木)3時半目覚め。4時起床●キリスト者の皆様お早うございます。年齢が70歳を超えると睡眠時間は6時間程度でよいと言われていますので、現在71歳の私は昨夜は9時半睡眠開始、睡眠導入剤の「デパス」を飲んでいるので途中一度トイレに行きますがあとは熟睡です。●睡眠不足ではないかという不安が良くないそうです。●今朝の啓示は次の箇所でした。 人間は誰でも「愛」を求め続けます。しかしこの聖書の箇所に現れた「神の愛」を知れば、人生がどんなに短くあろうとも成功の人生、完成の人生です。
●また聖書を読んだことになります。

塚本訳 ロマ 5:7-11
5:7 (驚くべき神の愛!人間の世界では、)義人のために命をすてる者はほとんどあるまい。善人のためならば、惜しげもなく命をすてる者が、あるいはあるかも知れない。
5:8 しかしわたし達が(義人でも善人でもなく、)まだ罪人(神の敵)であったとき、キリストが私たちのために死んでくださった。このことによって、神はわたし達に対する愛をお示しになったのである
5:9 それならばキリストの血で義とされている今、わたし達がキリストによって(最後の日の神の)怒りから救われるのは、もちろんである。
5:10 なぜなら、(神の)敵であったのに、その御子の死によって神と和睦ができたくらいならば、すでに和睦をしたわたし達が、御子の(復活の)命によって救われるのは、もちろんである。
5:11 そのことばかりではない。主イエス・キリストによって今すでにこの和睦を得たわたし達は、彼によって神を誇るのである。(自分を誇らない。キリストを誇り、神を誇る。)


●この「心」「精神」に関連する聖書の箇所を自分の頭に浮かんだままを掲げて黙想瞑想します。この行為は「コンコルダンス(聖書語句索引)」ではできません。霊なる神の示しで次々と浮かびます。

口語訳 創  17:15-17
17:15 神はまたアブラハムに言われた、「あなたの妻サライは、もはや名をサライといわず、名をサラと言いなさい。
17:16 わたしは彼女を祝福し、また彼女によって、あなたにひとりの男の子を授けよう。わたしは彼女を祝福し、彼女を国々の民の母としよう。彼女から、もろもろの民の王たちが出るであろう」。
17:17 アブラハムはひれ伏して笑い、心の中で言った、「百歳の者にどうして子が生れよう。サラはまた九十歳にもなって、どうして産むことができようか」。


口語訳 創  21:1-2
21:1 主は、さきに言われたようにサラを顧み、告げられたようにサラに行われた。
21:2 サラはみごもり、神がアブラハムに告げられた時になって、年老いたアブラハムに男の子を産んだ

口語訳 創  22:1-2
22:1 これらの事の後、神はアブラハムを試みて彼に言われた、「アブラハムよ」。彼は言った、「ここにおります」。
22:2 神は言われた、「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」。

口語訳 創  22:9-12
22:9 彼らが神の示された場所にきたとき、アブラハムはそこに祭壇を築き、たきぎを並べ、その子イサクを縛って祭壇のたきぎの上に載せた。
22:10 そしてアブラハムが手を差し伸べ、刃物を執ってその子を殺そうとした時、
22:11 主の使が天から彼を呼んで言った、「アブラハムよ、アブラハムよ」。彼は答えた、「はい、ここにおります」。
22:12 み使が言った、「わらべを手にかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子、あなたのひとり子をさえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」。


●やっと授かった子供。
                                                               ●アブラハムの心が神の心、「愛するイエス」を見殺しにした心に通じている。アブラハムは「信仰の父」。ユアや教の祖でもある。

塚本訳 ルカ 2:38-40
2:38 (シメオンが預言している)ちょうどその時、近寄ってきて(幼児について)神に感謝をささげ、またエルサレムの人々のあがないを待ち望むみんなの人に、この幼児のことを話した
2:39 両親は主の律法のさだめをすべて果すと、ガリラヤの自分の町ナザレに帰った。
2:40 幼児は大きくなり強くなって、知恵満ち、神の恵みが彼をはなれなかった

塚本訳 マタ 3:16-17
3:16 イエスは洗礼を受けて、すぐ水から上がられた。すると、みるみる天が開けて、神の御霊が鳩のように自分の上に下って来るのを御覧になった。
3:17 するとその時、「これは(いま)わたしの『最愛の子、』『わたしの心にかなった』」と言う声が天から出た。


●愛された子を失う母の心もまた神の心。スターバトマーテル(悲しみの聖母)

塚本訳 マタ 26:51-54
26:51 すると、見よ、イエスと一しょにいた一人の人が手をのばして剣を抜き、大祭司の下男に切りかかって片耳をそぎ落してしまった。
26:52 その時イエスが言われる、「剣を鞘におさめよ。剣による者は皆、剣によって滅びる。
26:53 それとも、父上にお願いして十二軍団以上の天使を今すぐ送っていただくことが、わたしに出来ないと思うのか。
26:54 しかしそれでは、かならずこうなる、とある聖書の言葉は、どうして成就するのか。」


●神は全能。イエスを助けようと思えばできた。それをあえてしなかったところに神の愛があった。人類を罪から救う贖罪の道を開く神の愛があった。
●54節は、福音書記者の解説的挿入。聖書学者でなくとも分かる。真正のイエスの言葉であるかどうかの聖書学的詮索は不毛。その心と精神が伝わればよいのだ。その心と精神とは神の苦汁の心と精神。

塚本訳 マタ 27:45-46
27:45 昼の十二時から地の上が全部暗闇になってきて、三時までつづいた。
27:46 三時ごろ、イエスは大声を出して『エリ エリ レマ サバクタニ!』と叫ばれた。これは『わたしの神様、わたしの神様、なぜ、わたしをお見捨てになりましたか!』である。


●イエスは信仰を失った。神が見えなくなった。神は追いすがる愛子の泣き叫ぶ声を無視した。振り切った。ここに人類救済の秘密がある。道が開かれた。神も泣いた。

塚本訳 ヨハ 3:16
3:16 そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである。

塚本訳 ロマ 3:23-26
3:23 なぜか。すべての人が罪を犯したため、いまだれ一人、(かつて持っていた)神の栄光をもたない。
3:24 (さりとて失った栄光を回復する力はないので、何一つ)代価を払わず、(ただ)神の恩恵によって、キリスト・イエスによるあがないの力で、(神に)義とされる(道が設けられた)のである
3:25 すなわち神は御自分の義を示すために、宥めの供え物としてキリストを提供された。これはキリストの血でなされたものであり、(人は)信仰によ(ってこの恩恵にあずか)るのである。このことは──神が(長いあいだ)忍耐をもって過ぎし日に犯した罪を罰せずにおられたので──
3:26 今の世において、御自分の義を示そうとされたのである。すなわち御自分が義であること、またイエスを信ずる者を義とするお方であることを、(この世に)示されたのである。


塚本訳 Ⅰヨハ4:9
4:9 神がその独り子を(この)世に遣わし、独り子によって(死ぬべき)わたし達が生きるようになったそのことで、神の愛が(はじめて)わたし達に現わされたのである。


塚本訳 ユダ 1:21
1:21 (賜わった)神の愛において自分を守り、永遠の生命に入れ給う私達の主イエス・キリストの憐憫を待ち望め

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朝の黙想礼拝終わり。人生はイエスの死に神の愛を感じれば目的は達する。最後は認知症になって何もわからなくなってもよい。成功の人生、短い人生でも満足な人生だ。この事実を「知れば」あとはこの人生何を望もう。

●TSK日本語版箴言30章
●12:50 キリスト教性教育研究会(富永國比古会長)公開研究大会。於・自由学園(東久留米)

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早朝散歩

口語訳 マコ 4:26-27
4:26 また言われた、「神の国は、ある人が地に種をまくようなものである。
4:27 夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行が、どうしてそうなるのか、その人は知らない。


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朝散歩

文語訳 マタ 6:25-27
6:25 この故に我なんぢらに告ぐ、何を食ひ、何を飮まんと生命のことを思ひ煩ひ、何を著んと體のことを思ひ煩ふな。生命は糧にまさり、體は衣に勝るならずや。
6:26 空の鳥を見よ、播かず、刈らず、倉に収めず、然るに汝らの天の父は、これを養ひたまふ。汝らは之よりも遥に優るる者ならずや。
6:27 汝らの中たれか思ひ煩ひて身の長一尺を加へ得んや。



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自由学園(東久留米)でキリスト教性教育研究会公開研究大会。

良く手入れされたきれいなキャンパスだ。 この手入れは生徒たちがやるそうだ。

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キリスト教性教育研究会公開研究大会。 
左からキリスト教独立学園 後藤正寛、藤坂喜信
高橋照男

●全国各地((東から西から)から信仰の篤い人、主に教師たちが集まった。
●重荷、呻き、嘆き、十字架。 
●「傷ついた性から、喜びの性へ」。
●子供の非行の原因は、家庭崩壊、夫婦の不和
●性道徳の紊乱は、個人にも家庭にも国家にも莫大な経済的損失を招く。
●不純性行為はコストがかかる
●子宮頚外ワクチンは危険。性同一障碍者、同性愛者の悩み悲しみ苦しみ。
●罪を贖われて聖なるものにさせられた者に真の性の喜びがある。解放の喜びの性。

口語訳 レビ 19:2
19:2 「イスラエルの人々の全会衆に言いなさい、『あなたがたの神、主なるわたしは、聖であるから、あなたがたも聖でなければならない。

口語訳 Ⅰテサ3:13
3:13 そして、どうか、わたしたちの主イエスが、そのすべての聖なる者と共にこられる時、神のみまえに、あなたがたの心を強め、清く、責められるところのない者にして下さるように

塚本訳 ロマ 8:22-23
8:22 わたし達が知っているように、全創造物は(かの日から)今まで、一しょになって呻き、一しょになって産みの苦しみをしている。(父なる神がこの  呻きに耳を傾けられないことがあろうか。)
8:23 しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証拠として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、
自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである。















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神がその姿を「現した」人。走れマリヤ! ++++++++ 所感

2014/08/13 08:00

140813(水)4時半目覚め、5時起床、早朝散歩で都立秋留台公園グラウンドを一周するも体重は減らない●キリスト者の皆様お早うございます。●12月の感話は「復活のイエスが現れる」ということですが、昨日佐藤研の「復活信仰の成立」という論考を読んで、その結論には賛同しかねると思った。この論考はイエスの復活の証明は「空の墓」であったというのが前半の主題であって、最初この論考を読んだとき(1998年)は大きな刺激を受けて、佐藤氏の師である荒井献先生に「胸が熱くなった」ことを申し上げた。すると先生は「佐藤君と話し合ったが、それは聖霊の働きだ」と言われ私の見解を支持してくださった。●しかしその後、某研究会で佐藤氏から「あなたの見解と私は違うと言われた。そして氏の動向は「禅」に関心が傾き、岩波書店から「禅キリスト教の誕生」を上梓された。●今回、12月の感話に備えて再読したが、後半には納得できなかった。後半の主題はペテロとマリヤに復活のイエスが現れたのは彼らが「悔やむ心」を抱いていてからだというのである。そこは私も賛同するが、その結論がいけない。それは諸宗教に共通の一種の宗教体験なのであるというのである。●とかく無教会からは仏教とキリスト教が混交したような思想が現れる。かっての八木誠一、そして現在は佐藤研●この現象は無教会ばかりではない。カトリックの井上洋治神父
は「南無アッバー」という思想を説いている。まー無教会でも「南無キリスト」などという人が現れたのだから人は悪く言えない。●キリスト教の敵はローマ帝国にあらずしてグノーシスであった」と言われる。わが日本にキリスト教が根付かないのは仏教のグノーシス的傾向が原因と考える●これでは神が泣く。イエスが泣く。キリスト教が潰れる。●キリスト教は西回りで日本に来たが、日本というグノーシス的な仏教地盤に入って根が腐り始めた。その泥沼に入って進めなくなった。●「復活のイエス」が姿を現したのは心悔やむ人や悲しむ人であることは確かだが、これは佐藤氏の言うように一般宗教と同じような覚醒の宗教体験と規定するいとイエスの死は「犬死に」である。神がその姿を現したのは「罪に悔やんだ人」「負い目がある人」である。ここがキリスト教が他の宗教と違うところである。●今朝はその典型的な例としてペテロ、パウロ、マグダラのマリヤサマリヤの女を見てみよう。

●ペテロの場合。

塚本訳 ルカ 22:60-62
22:60 しかしペテロは言った、「君、あなたの言っていることはわからない。」するとたちまち、まだその言葉の終らぬうちに、鶏が鳴いた。
22:61 主が振り向いて、じっとペテロを見つめられた。ペテロは、「きょう(今夜)、鶏が鳴く前に、わたしを三度、知らないと言う」と言われた主の言葉を思い出し、
22:62 外に出ていって、さめざめと泣いた

塚本訳 ルカ 24:31-34
24:31 (その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。
24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。
24:33 時を移さず二人は立ち上がってエルサレムに引き返して見ると、十一人とその仲間とが集まっていて、
24:34 「ほんとうに主は復活して、シモン(・ペテロ)に御自分を現わされた」と話してくれた。

塚本訳 Ⅰコリ15:3-8
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。
15:6 そのあと、一度に五百人以上の兄弟に御自分を現わされた。そのうちの多数の者はいまでも生きてい(て、わたしが嘘を言っていないことを証明してくれ)る。もっともすでに眠った者もあるにはある。
15:7 そのあと(御兄弟の)ヤコブに、それから使徒一同に、御自分を現わされた
15:8 しかし一番最後には、さながら月足らずのようなわたしにも御自分を現わされた

●パウロの場合

塚本訳 使  7:54-60
7:54 これを聞いて(法院にいた)人々は怒り心頭に発し、ステパノに向かって歯ぎしりした。
7:55 しかしステパノは聖霊に満ちて天をじっと見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見ると、
7:56 「おお、天が開けた、人の子が見える、神の右に立っておられる!」と言った。
7:57 すると彼らは大声で叫び、(冒涜の言葉を聞くまいとして)耳をふさぎ、一せいに襲いかかって、
7:58 彼を町の外に突き出し、石で打ち殺した。証人たちはぬいだ上着をサウロという青年の足下に置い(て、番をさせ)た。
7:59 ステパノは打ち殺されながら、イエスの名を呼んで、「主イエス様、わたしの霊をお受けください」と祈り、
7:60 それからひざまずいて、大声で叫んだ、「主よ、どうぞこの罪をこの人たちに負わせないでください!」こう言って、彼は眠りについた。

塚本訳 使  9:17-18
9:17 そこでアナニヤは行って(ユダの)家に入り、サウロに手をのせて言った、「兄弟サウロよ、主がわたしをお遣わしになったのです。あなたが(ここに)来る途中、御自分を現わしてくださったあのイエスが!あなたの目が見えるようになるため、また聖霊に満たされるためです。」
9:18 するとすぐ鱗のようなものがサウロの目から落ちて、見えるようになり、立って洗礼を受けた。

塚本訳 使  22:6-8
22:6 ところが進んでいってダマスコに近づくと、昼ごろ、突然、天から強い光がさしてわたしのまわりに輝いた。
22:7 わたしは地べたに倒れて、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と言う声を聞いた。
22:8 わたしは答えた、『主よ、あなたはどなたですか。』わたしに言われた、『わたしだ、君が迫害しているナザレ人イエスだ。』

塚本訳 使  26:8-10
26:8 (あなた方はイエスの復活を信ぜず、従って彼が約束の救世主であることを信じようとされませんけれども、)神が死人を生きかえらせるということが、あなた方にはなぜそんなに信じ難いことと思われるのでしょうか。
26:9 ところで実はこう言うわたしも、(かつては)ナザレ人のイエスの(救世主という)名に対して大いに反抗すべきであると考え、
26:10
エルサレムで実際それをやったのです。すなわち大祭司連から全権を受けて多くの聖徒を牢に閉じこめ、また彼らが処刑されるときそれに賛成したのは、だれあろうこのわたしでありました


●マグダラのマリヤ(罪の女) の場合

塚本訳 ルカ 7:37-38
7:37 すると、その町に一人の罪の女がいた。イエスがパリサイ人の家で食卓についておられることを知ると、香油のはいった石膏の壷を持ってきて、
7:38 泣きながら後ろからイエスの足下に進み寄り、しばし涙で御足をぬらしていたが、やがて髪の毛でそれをふき、御足に接吻して香油を塗った

塚本訳 マタ 28:5-10
28:5 天使は女たちに言った、「恐れることはない。あなた達は十字架につけられたイエスをさがしているようだが、
28:6 ここにはおられない。かねがね言われたとおり、もう復活されたのだから。来て、お体が置いてあった場所を見なさい。
28:7 それから急いで行って弟子たちに、『イエスは死人の中から復活された。あなた達より先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる』と言いなさい。これを言いにわたしは来たのだ。」
28:8 女たちは恐ろしいが、また嬉しくてたまらず、(中には入らずに)急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走っていった
28:9 するとイエスがぱったり彼らに出合って、「お早う」と言われた。女たちは進み寄り、その足を抱いておがんだ。
28:10 するとイエスは女たちに言われる、「恐れることはない。行ってわたしの兄弟たち[弟子たち]に、ガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのだから。」

塚本訳 ヨハ 20:1-2
20:1 (翌々日、すなわち)週の初めの日(日曜日)の朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に来てみると、墓(の入口)から石がのけてあった。
20:2 そこでシモン・ペテロと、イエスが可愛がっておられたもう一人の弟子との所に走って行って言う、「主を墓から取っていった者があります。どこに置いたのかわかりません。」

塚本訳 ヨハ 20:15-18
20:15 イエスが言われる、「女の人、なぜ泣くのか。だれをさがしているのか。」マリヤはそれを園丁だと思って言う、「あなた、もしあなたがあの方を持っていったのだったら、どこに置いたか教えてください。わたしが引き取りますから。」
20:16 (こう言って、また墓の方を向いていると、)イエスが「マリヤ!」と言われる。マリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う。(そしてイエスに抱きつこうとした。)
20:17 イエスが言われる、「わたしにすがりつくな。まだ父上の所に上っていないのだから。わたしの兄弟たち(弟子たち)の所に行って、『わたしは、わたしの父上、すなわちあなた達の父上、わたしの神、すなわちあなた達の神の所に上る』と言いなさい。」
20:18 マグダラのマリヤは行って弟子たちに、「わたしは主にお目にかかった」、また、主がこのことを彼女に言われた、と報告した。


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朝の黙想礼拝おわり。復活のイエスが「現れて」て下さるのは罪の悔やみ、罪の負い目があるとき。どうしようもないとき。その時神が現れて下って重荷から解放される。罪が赦される。ここにキリスト教の原点がある。

●以上のことを最も要約しているのが、古来言い伝えられている次の箇所である。

塚本訳 Ⅰコリ15:1-8
15:1 また、わたしが思い出してもらいたいのは、兄弟たちよ、(以前)あなた達に伝え、あなた達が(喜んで)受けいれてくれて、(今日まで)それに立っている、あの(死人の復活についての)福音である。
15:2 どんな言葉でわたしがその福音を伝えたにせよ、あなた達がそれを守っていさえすれば、軽々しく信仰に入ったのではない限りは、あなた達もその福音で救われる
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。
15:6 そのあと、一度に五百人以上の兄弟に御自分を現わされた。そのうちの多数の者はいまでも生きてい(て、わたしが嘘を言っていないことを証明してくれ)る。もっともすでに眠った者もあるにはある。
15:7 そのあと(御兄弟の)ヤコブに、それから使徒一同に、御自分を現わされた
15:8 しかし一番最後には、さながら月足らずのようなわたしにも御自分を現わされた。 
                                                    


●つまりイエスがその復活の姿を現されたのは「罪の赦し」の証明のためである。それは個々人に現れる。今日でもそれが起こる。
●復活のイエスが現れたのは第一にマグダラのマリヤである。信仰は女性。
●キリスト教はマグダラのマリヤ、ペテロ、パウロの上に立つ。その中でも第一人者はマグダラのマリヤ、偉大なるかな罪の女マリヤ。神は福音を彼女に託した。ここに人類の希望がある。罪の人生でよいのだ。復活のキリストに出会えば、清められて大使命を負わされるのだ。
●キリスト教の土台はペテロにない。カトリック教会にない。パウロにない。プロテスタント教会にない。復活のイエスが最初に姿を「現した」マグダラのマリヤの上に立つ。
●「走れマリヤ!」(マタイ28:8 )。我々の残りの人生も「走ろう」。

塚本訳 マタ 28:8
28:8 女たちは恐ろしいが、また嬉しくてたまらず、(中には入らずに)急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走っていった。


●TSK日本語版箴言29章
●散髪
●帰途、木庭さん(地元合唱団員)の家の塀越しに音楽談義。音楽は人を交流させる。
ハイドン、ヘンデル、バッハ、ヴェートーヴェン、・・・・・






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イエスを「神の子」と告白する不思議な人々 ++++++++ 所感

2014/08/12 06:34

140812(火)4時目覚め、4時半起床●キリスト者の皆様お早うございます。早朝散歩に出ようとしたら、霧雨でしたので中止しました。●今朝の啓示黙想は「イエスを『神の子』と告白する不思議な人々」●昨日はかねて注文してあった「主はわたしの歌・・・武義和作品集」のCDが届いたので妻と鑑賞しました。解説文によれば、作曲者の武義和氏は若き日に人生が挫折した折、水野源三の詩に出会い起死回生。作曲家兼障碍者のホーム経営の道を歩むようになりました。一度拙宅にもご来訪くださいました。水野源三氏については次のウィキペデジアからコピーします。

水野源三・ウィキペデジア
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長野県埴科郡坂城町に生まれる。9歳の時赤痢に罹りその高熱によって脳性麻痺を起こし、やがて目と耳の機能以外のすべてを失った。話すことも書くことも出来なくなったが、母親が何とか彼と意思の疎通をしようと五十音順を指で指し示したところ、目の動きで応答した。これが47歳で死去するまでの彼の唯一のコミュニケーション能力となる。「瞬きの詩人」と呼ばれるようになったのはそのためである。

12歳の時母親がおいた聖書を読みやがてクリスチャンとなる。18歳の時からは詩作を開始し多くの作品を生み出す。その詩風は神への喜びを表す純粋な詩であったという。彼のその姿はクリスチャンはもとより多くの人々の感動を呼んだ。
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●武義和氏の第一作は水野源三の次の詩に曲を付けたものです。1974年。

主からうけし


今日一日 主からうけし
多くの恵み 人々がみな
床につくこの静かな夕べ
たたえても たたえてもたたえつくせなき

●2番3番とあるがその最後はいずれも「たたえても たたえてもたたえつくせなき」となっている。不自由な身体でありながらこのような詩が湧き出ることは人間は肉体ではなく、精神であることを証明している。
●CDとは別の楽譜集のなかには次のすばらしい詩がある。kれは復活のキリストが今も生きている証しである。

ただキリストの贖いゆえです

私が選ばれているのも 私が救われているのも
私にその値打ちがあるわけではありません、ただ
キリストの贖いゆえです


私が生かされているのも 私は愛されているのも
私にその値打ちがあるわけではありません、ただ
キリストのあわれみゆえです

私が御名を呼べるのも 私が御教えを聞けるのも
私にその値打ちがあるわけではありません、ただ
キリストのとりなしゆえです

●この詩を読むと、水野源三の原点がわかる。「キリストの贖い」である。その救いに預かると肉体はボロボロ不完全でも
人間の本質なる霊は輝いて生きていることが分かる。これが成功の人生だ。健常者は恥じなければならない。自戒。
●水野源三の人生は47年と短かった。しかし人生は短さを嘆くべきではない。永遠の命に「目が開かれて」生きるかどうかだ。
●イエスを神の子と信じられた人は、たとえ外側の人生がボロボロでズタズタで見られたものでなくとも最高に栄誉栄光の人生だ。この世はこの栄誉栄光を知らない。「アイツは気の毒な故に宗教に走った」と思っている。そう思う人は「滅びゆく気の毒な人々」なのだ。
●そこで今朝は「イエスを神の子と信じる人」はいかに幸いで栄光の人々であるかを並べてみよう。この人たちは神から白羽の矢を射られた「不思議な人々」なのだ。この世的にはどんなにみじめでも大成功の人生なのだ。
●このような過去の人と交わること、また現代では電子機器を通じて交わることが「聖徒の交わり」(使徒信条)なのだ。

塚本訳 マタ 16:13-17
16:13 ピリポ・カイザリヤ地方に行かれたとき、イエスはこう言って弟子たちに尋ねられた、「世間の人は人の子(わたし)のことをなんと言っているか。」
16:14 彼らが言った、「あるいは洗礼者ヨハネ、あるいは預言者エリヤ、あるいはエレミヤとか(昔の)普通の預言者とか言う者があります。」
16:15 彼らに言われる、「では、あなた達はわたしのことをなんと言うのか。」
16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主、生ける神の子であります!」
16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから

塚本訳 ヨハ 1:9-13
1:9 この方(言葉)は、この世にうまれて来るすべての人を照らすべきまことの光であった。
1:10 この世に来ておられ、世はこの方によって出来たのに、世はこの方を認めなかった。
1:11 いわば自分の家に来られたのに、家の者が受け入れなかったのである。
1:12 しかし受け入れた人々、すなわち、その名を(神の子であることを)信じた人には一人のこらず、神の子となる資格をお授けになった。
1:13 この人たちは、人間の血や、肉の欲望や、男の欲望によらず、神(の力)によって生まれたのである。


塚本訳 ヨハ 3:3-8
3:3 イエスが答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、(徴を見て信じたのではいけない。)人は新しく生まれなおさなければ、神の国にはいることは出来ない。」
3:4 ニコデモがイエスに言う、「(このように)年を取った者が、どうして生まれなおすことが出来ましょう。まさかもう一度母の胎内に入って、生まれなおすわけにゆかないではありませんか。」
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。
3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。
3:7 『あなた達は新しく生まれなおさねばならない』と言ったからとて、すこしも不思議がることはない。
3:8 風[プニューマ]は心のままに吹く。その音は聞えるが、どこから来てどこに行くか、あなたは知らない。霊[プニューマ]によって生れる者も皆、そのとおりである。」


塚本訳 ヨハ 9:35-41
9:35 イエスは彼が追放されたと聞いて、出合ったときに言われた、「あなたは人の子を信ずるか。」
9:36 彼が答えた、「主よ、人の子とはだれのことですか。(教えてください。)信じたいのです。」
9:37 イエスが言われた、「あなたはもうその人に会った。いや、あなたと話しているのが、その人だ。」
9:38 すると「主よ、信じます」と言って、イエスをおがんだ
9:39 イエスは言われた、「わたしは裁きのためにこの世に来たのだ。・・盲が目明きに、目明きが盲になるために!」
9:40 イエスと一しょにいたパリサイ人たちがこれを聞いて、彼に言った、「まさか、このわれわれも盲だというのではあるまい。」
9:41 イエスが言われた、「盲だったら、罪はなかった。たが今、『見える』と言うから、あなた達の罪はいつまでもなくならない。(光に来ようとしないのだから。)


塚本訳 ヨハ 20:24-29
20:24 十二人の一人で、トマスすなわちギリシャ語でデドモ(二子)は、イエスが来られた時、みんなと一しょにいなかった。
20:25 そこでほかの弟子達が、「わたし達は主にお目にかかった」と言うと、彼らに言った、「わたしはその手に釘の跡を見なければ、わたしの指をその釘の場所に差し込まなければ、手をその脇腹に差し込まなければ、決して信じない。」
20:26 八日ののち、弟子たちはまた家の中に(集まって)いた。今度はトマスも一しょであった。戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスがはいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた。
20:27 それから(すぐ)トマスに言われる、「指をここに持ってきて、わたしの手(の釘の跡)をよく見てごらん。手を持ってきて、わたしの脇腹に差し込んでみなさい。不信仰をやめて、信ずる者らしくしなさい。」
20:28 トマスがイエスに答えて言った、「わたしの主よ!わたしの神よ!」
20:29 イエスは言われる、「わたしを見たので、信じたのか。幸いなのは、見ないで信ずる人たちである。」


塚本訳 ヨハ 11:17-27
11:17 さてイエスが(ベタニヤに)行って見られると、ラザロはもう四日も墓の中にあった。
11:18 ベタニヤはエルサレムの近くで、十五スタデオ(三キロ)ばかり離れていた。
11:19 マルタとマリヤの所には、大勢のユダヤ人がラザロの悔やみに来ていた。
11:20 マルタは、イエスが来られると聞くと出迎えにいったが、マリヤは家に坐っていた。
11:21 マルタがイエスに言った、「主よ、あなたがここにいてくださったら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。
11:22 しかしあなたがお願いになることなら、神様は何でもかなえてくださることを、わたしは今でも知っています。」
11:23 イエスは言われる、「あなたの兄弟は生き返る。」
11:24 マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」
11:27 イエスに言う、「はい、主よ、(信じます。)あなたが救世主で、神の子で、世に来るべき方であると、私は信じています。

塚本訳 マタ 12:46-50
12:46 イエスがまだ群衆に話しておられると、そこにその母と兄弟たちがイエスに話しがあって、外に立っていた。
12:47 〔無し〕
12:48 しかしイエスはそのことを知らせた者に、「わたしの母とはだれのことだ、わたしの兄弟とはだれのことだ」と答えて、
12:49 弟子たちの上に手をのばして言われた、「ここにいるのが、わたしの母、わたしの兄弟だ。
12:50 だれでもわたしの天の父上の御心を行う者、それがわたしの兄弟、姉妹、また母であるから。


塚本訳 マコ 10:28-31
10:28 ペテロがイエスに、「でも、わたし達は(あの金持とちがいます。)この通り何もかもすてて、あなたの弟子になりました」と言い出した。
10:29 イエスは言われた、「アーメン、あなた達に言う、わたしのため、また福音のために、家や兄弟や姉妹や母や父や子や畑をすてた者で、
10:30 今、この世で──迫害のうちにおいてではあるが──百倍の家と兄弟と姉妹と母と子と畑とを、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない
10:31 しかし(決して油断をしてはならない。)一番の者が最後になり、最後の者が一番になることが多い。」

塚本訳 ロマ 1:7
1:7 それでわたしは、神に愛される人、(また)召された聖徒であるローマ(集会)のあなた達一同に、この手紙をおくる。わたし達の父なる神と主イエス・キリストから、恩恵と平安、あなた達にあらんことを。


塚本訳 Ⅰテモ1:2
1:2 (わが)信仰の本当の子なるテモテに手紙を遣る。願う、父なる神とわれらの主キリスト・イエスよりの恩恵と憐憫と平安あれ!


塚本訳 テト 1:1
1:1 神の奴隷またイエス・キリストの使徒(なるわれ)パウロ(より、)共通の信仰によって(私の)実子(なる)テトスに手紙を遺る。──私が使徒とされたのは(凡て)神に選ばれた者の信仰(のため、)また敬虔なる真理の知識のためで、

塚本訳 Ⅱコリ4:16
4:16 このゆえに、わたし達は気を落さない。いや、わたし達の(生れながらの)外の人はどんなにこわれていっても、(キリストによって生れた)内の人は一日一日と新しくされてゆく

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朝の黙想礼拝終わり。イエスを神の子と信じられた人は最高に幸せである。栄光の人生である。加齢による身体の衰え、物忘れ、認知症、うつ病、依存症、身体の故障、ナンノコレシキと思おうではありませんか。

●TSK日本語版箴言28章
●午後、ムラウチホビー、図書館、ナナクリニック、ノジマ電気、文具屋、百円ショップ、
●佐藤研の「復活信仰の成立を読む。結論に賛同できない。














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信者の苦悩は神の経綸 ++++++++ 所感

2014/08/11 06:33

140811(月)キリスト者の皆様お早うございます。台風11号が去ってさわやかな朝になりました。●今朝の黙想は「信者の苦悩は神の経綸」です。●12月7日の集会感話は、「復活のイエスが姿を現す」というところですが、この「姿を現された」人は残りの生涯に「十字架を負わされ」ました。●信者に重い不可解な不条理な十字架が負わされることは、神の人類救済の経綸のi一環だと思います。●今朝はこのことに関する聖句を思い浮かべてみます。

塚本訳 ルカ 2:34-35
2:34 シメオンは両親を祝福し、母マリヤに言った、「驚きなさるなよ、この幼児はイスラエルの多くの人を、(この方に対する態度によって)倒されたり立たせたりする、また、一つの目印となって(この世の烈しい)反対をうける、使命を負わされているのです。──
2:35 (母人よ、)あなたも劔で胸を刺しつらぬかれ(る苦しみをせ)ねばなりますまい。──これは多くの人の心の(隠れた)考えを外に出させるためなのです。」

塚本訳 マタ 16:15-17
16:15 彼らに言われる、「では、あなた達はわたしのことをなんと言うのか。」
16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主、生ける神の子であります!」
16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから


塚本訳 ヨハ 21:17
21:17 三度目に言われる、「ヨハネの子シモン、あなたはわたしを愛しているのか。」ペテロは、イエスが三度も「あなたはわたしを愛しているのか」と言われたので悲しくなって、言った、「主よ、あなたはなんでも御存じです。わたしがあなたを愛していることはあなたが御存じです。」イエスが言われる、「わたしの羊を飼いなさい

塚本訳 使 9:15-18
9:15 主が彼に言われた、「(恐れることはない。)行け。あの人は、異教人と王たちとイスラエルの子孫との前に、わたしの名を運んでゆく(ために選んだ)わたしの選びの器であるから。
9:16 その証拠として、わたしの名のためにどんなに多くの苦しみをうけねばならぬかを、彼におしえてやる。」
9:17 そこでアナニヤは行って(ユダの)家に入り、サウロに手をのせて言った、「兄弟サウロよ、主がわたしをお遣わしになったのです。あなたが(ここに)来る途中、御自分を現わしてくださったあのイエスが!あなたの目が見えるようになるため、また聖霊に満たされるためです。」
9:18 するとすぐ鱗のようなものがサウロの目から落ちて、見えるようになり、立って洗礼を受けた。

塚本訳 使 26:12-18
26:12 こんな次第で、わたしは大祭司連から全権と委任とを受け、(迫害のため)ダマスコに進んでゆくと、
26:13 王よ、昼に、途中で、天から輝く太陽にもまさる光がさして、わたしと、同行の者たちとのまわりを照らすのを見ました。
26:14 わたし達が皆地上に倒れると、ヘブライ語で、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。刺の棒は蹴っても無駄だ』とわたしに言う声を聞きました。
26:15 わたしは言った、『主よ、あなたはどなたですか。』主が言われた、『わたしだ、君が迫害しているイエスだ。
26:16 さあ、起きて、『自分の足で立て。』わたしが(今)現われたのは、君を選んで、わたしを見たことと、(今からも)君に現われて示すこととの証人として、わたしに仕えさせるためである。
26:17 (かずかずの迫害や危険がのぞむが心配するな。)わたしは君をこの(イスラエルの)民(の手)から、また』異教人(の手)から』『(かならず)救い出してやる。』『彼らの中にわたしが君を遣わすのは、』
26:18 彼らの』目をあけて』彼らが『暗闇から光に、』悪魔の権力から神に帰るため、そうして彼らがわたしに対する信仰によって罪の赦しを得、きよめられた人たちの仲間に入れていただくためである』と。

塚本訳 使 7:54-60
7:54 これを聞いて(法院にいた)人々は怒り心頭に発し、ステパノに向かって歯ぎしりした。
7:55 しかしステパノは聖霊に満ちて天をじっと見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見ると、
7:56 「おお、天が開けた、人の子が見える、神の右に立っておられる!」と言った。
7:57 すると彼らは大声で叫び、(冒涜の言葉を聞くまいとして)耳をふさぎ、一せいに襲いかかって、
7:58 彼を町の外に突き出し、石で打ち殺した。証人たちはぬいだ上着をサウロという青年の足下に置い(て、番をさせ)た。
7:59 ステパノは打ち殺されながら、イエスの名を呼んで、「主イエス様、わたしの霊をお受けください」と祈り、
7:60 それからひざまずいて、大声で叫んだ、「主よ、どうぞこの罪をこの人たちに負わせないでください!」こう言って、彼は眠りについた。

塚本訳 ルカ 9:23
9:23 それから今度は皆に話された、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、毎日自分の十字架を負い、それからわたしに従え。

文語訳 ピリ 1:29
1:29 汝等はキリストのために啻に彼を信ずる事のみならず、また彼のために苦しむ事をも賜はりたればなり。

塚本訳 マコ 10:29-31
10:29 イエスは言われた、「アーメン、あなた達に言う、わたしのため、また福音のために、家や兄弟や姉妹や母や父や子や畑をすてた者で、
10:30 今、この世で──迫害のうちにおいてではあるが──百倍の家と兄弟と姉妹と母と子と畑とを、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。
10:31 しかし(決して油断をしてはならない。)一番の者が最後になり、最後の者が一番になることが多い。」

塚本訳 マタ 10:34-39
10:34 地上に平和をもたらすためにわたしが来た、などと考えてはならない。平和ではない、剣を、(戦いを)もたらすために来たのである。
10:35 わたしは子を『その父と、娘を母と、嫁を姑と』仲違いさせるために来たのだから。
10:36 『家族が自分の敵となろう。』
10:37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたし(の弟子たる)に適しない。わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたし(の弟子たる)に適しない。
10:38 また自分の十字架を取ってわたしのあとに従わない者は、わたし(の弟子たる)に適しない。
10:39 (十字架を避けてこの世の)命を得る者は(永遠の)命を失い、わたしのために(この世の)命を失う者は、(永遠の)命を得るであろう。


口語訳 ミカ 7:6
7:6 むすこは父をいやしめ、娘はその母にそむき、嫁はそのしゅうとめにそむく。人の敵はその家の者である。

塚本訳 Ⅱコリ1:4-5
1:4 どんな苦難の時にもわたし達を慰めてくださる神こうしてわたし達自身も神に慰めていただくその慰めをもって、どんな苦難の中にいる人たちをも慰めることが出来るのである。
1:5 というのは、キリストの苦しまれた(苦しみをわたし達は共に苦しむので、その)苦しみがわたし達に満ちあふれるのと同じように、わたし達の慰めもキリストを通じて満ちあふれるからである。

文語訳 コロ 1:24
1:24 われ今なんぢらの爲に受くる苦難を喜び、又キリストの體なる教會のために、
我が身をもてキリストの患難の缺けたるを補ふ。


口語訳 コロ 1:24
1:24 今わたしは、あなたがたのための苦難を喜んで受けており、キリストのからだなる教会のために、
キリストの苦しみのなお足りないところを、わたしの肉体をもって補っている。


塚本訳 コロ 1:24
1:24 今私は君達のために苦しむことを喜びとし、また
キリスト・イエスの体なる教会のために私の体でキリストの患難の不足を補っている。

塚本訳 ロマ 3:25-26
3:25 すなわち神は御自分の義を示すために、宥めの供え物としてキリストを提供された。これはキリストの血でなされたものであり、(人は)信仰によ(ってこの恩恵にあずか)るのである。このことは──神が(長いあいだ)忍耐をもって過ぎし日に犯した罪を罰せずにおられたので──
3:26 今の世において、御自分の義を示そうとされたのである。すなわち御自分が義であること、またイエスを信ずる者を義とするお方であることを、(この世に)示されたのである。


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朝の黙想礼拝おわり。神に選ばれ姿を現された人、細い声を聞いた人、胸が熱くされた人、目から鱗が落ちた人、この人たちは神の救済の経綸の一環をになっているのだ。神は我々の苦しみをご存知だからいつか楽にしてくださる。

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早朝散歩。台風11号去る。強風に忍耐した草木
ブラームス交響曲第4番第2楽章のメロディーが頭にガンカン響く

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早朝散歩。秋留台公園展望台にある方位版。「浦和方面」とある。
生まれ故郷浦和を出て、51年。この長い旅を主に守られて感謝。暴風雨が何度かあったなー。
信仰の父アブラハムを思う。

塚本訳 ヘブ 11:13-16
11:13 信仰に従い、これらの人たちは皆、(地上では)約束のものを受けずに死んだのである。彼らはただ遠くからそれを眺めて歓迎し、自分たちは、『この地上では外国人であり、旅の者』であると認めた。
11:14 このように(自分を外国人、旅の者と)言う人々は、(ほかにある)自分の国を追及していることを現わしているからである。
11:15 もしも彼らが出てきた所、(すなわちカルデヤのウル)のことを思ったのであったら、(いくらも)引き返す機会があったはずである。
11:16
しかし今や彼らは(地上のものに)まさる天の国を熱望しているのである。だから神も、彼らの神と言われることを恥とされない。彼は彼らのために(天に)都を用意されたのであるから。


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早朝散歩。
セミの声が大きい。23日に孫が来た時にとってあげられるだろうか。











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芥子粒の信仰とは ++++++++ 所感

2014/08/10 05:32

140810(日)キリスト者の皆様お早うございます。今朝は3時半ごろ目覚めて「貧しき祈り」「芥子粒の信仰」という細き声が響きました。●神の子イエスは「芥子粒ほどの信仰」「隠れた祈り」を喜ばれました。「りっぱな信仰」とは何かを教えられました。それは小さくかすかな「貧しき祈り」です。●キリスト者としてはそれが終生の人生目的です。今朝はそのことをめぐっれ聖書のアチコチを思い出して感想を述べてみたいと思います。

塚本訳 マタ 17:19-21
17:19 あとで弟子たちは人のいない時にイエスの所に来て言った、「なぜわたし達には悪鬼を追い出せなかったのでしょうか。」
17:20 彼らに言われた、「信仰が無いからだ。アーメン、わたしは言う、もしあなた達に芥子粒ほどでも信仰があれば、この山に向かい『ここからあそこに移れ』と言えば移り、あなた達に出来ないことは一つもない。」
17:21 〔無し〕


●我が国の離婚率は3割。日本崩壊の兆し。原因は各家庭が病魔(悪鬼)に襲われ噛みつかれ、体中に毒素が回っているからです。瀕死の状態です。このどうにも手の付けられない状態から救われるためには神に「ヘルプ!」と叫ばなければなりません。

塚本訳 マタ 10:8
10:8 病人をなおし、死人を生きかえらせ、癩病人を清め、悪鬼を追い出せ。(福音も病気もなおす力も、みな神から)ただで戴いたのだ、ただで与えよ。


●家庭崩壊寸前の状態からの救いは「芥子粒」の信仰


本訳 マタ 12:28
12:28 しかし、もし(そうでなく、)わたしが神の霊で悪鬼を追い出しているのであったら、それこそ神の国はもうあなた達のところに来ているのである。


●人の救いも、家庭の救いも、人間の側の信仰でなく、神の霊で「悪鬼」を追い出していただくこと。それには「芥子粒」の信仰

塚本訳 マコ 9:17-29
9:17 群衆のうちの一人が答えた、「先生、唖の霊につかれている伜をあなたの所につれて来ました。
9:18 この子は霊がつくと所かまわず投げ倒され、泡をふき、歯斬りして、体がこわばってしまいます。それで霊を追い出すことをお弟子たちに頼みましたが、おできになりませんでした。」
9:19 彼らに答えられる、「ああ不信仰な時代よ、わたしはいつまであなた達の所におればよいのか。いつまであなた達に我慢しなければならないのか。その子をつれて来なさい。」(こう言って群衆のいない所に行かれた。)
9:20 人々がイエスの所につれて来ると、霊はイエスを見るや否や、その子をひどくひきつけさせたので、子は地に倒れ、泡をふきながらころげまわった。
9:21 イエスが父親に尋ねられた、「こうなってから、どのくらいになるか。」父親がこたえた、「子供の時からです。
9:22 霊はこの子を殺そうとして、幾たびか、火の中、水の中に投げ込みました。それでも、もしなんとかお出来になるなら、わたしども(親子)を不憫と思って、お助けください。」
9:23 イエスは言われた、「もしお出来になるなら(と言うの)か。信ずる者にはなんでも出来る。」
9:24 即座にその子供の父親が叫んだ、「信じます。不信仰をお助けください。」
9:25 イエスは群衆が駆けよってくるのを見ると、(急いで)汚れた霊を叱りつけて言われた、「唖と聾の霊、わたしが命令するのだ、この子から出てゆけ、二度と入るな!」
9:26 霊はどなって、はげしくひきつけさせて、出ていった。子は死んだようになったので、多くの人が、「死んだ」と言った。
9:27 イエスはその子の手をとって起された。すると立ち上がった。
9:28 家にかえられると、弟子たちは人のいない時に尋ねた、「なぜわたし達には霊を追い出せなかったのでしょうか。」
9:29 彼らに言われた、「この種類(の霊)は、祈り以外(の手段)では決して出てゆかせることは出来ない。」


●「もしなんとかお出来になるなら」は「芥子粒」の信仰ではない。

塚本訳 マタ 8:5-10
8:5 カペナウムに帰られると、一人の百卒長がそばに来て願って
8:6 言った、「主よ、うちの下男が中風で家にねていて、ひどく苦しんでおります。……」
8:7 彼に言われる、「(ユダヤ人の)このわたしが、(異教人のあなたの家に)行ってなおすのか。」
8:8 百卒長は答えた、「主よ、わたしはあなたを、うちの屋根の下にお迎えできるような者ではありません。(ここで)ただ一言、言ってください。そうすれば下男は直ります。
8:9 というのは、わたし自身も指揮権の下にある人間であるのに、わたしの下にも兵卒がいて、これに『行け』と言えば行き、ほかのに『来い』と言えば来、また僕に『これをしろ』と言えば(すぐ)するからです。(ましてあなたのお言葉で、病気が直らないわけはありません。)」
8:10 イエスは聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた、「アーメン、わたしは言う、イスラエル人の中でも、こんなりっぱな信仰をもっている者を一人も見たことがない。
8:11 わたしは言う、(最後の日には、このような信仰のあつい)大勢の人が『東から西から』来て、天の国でアブラハムやイサクやヤコブと共に宴会につらなり、
8:12 (かんじんのイスラエル人、すなわち)御国の子供たちは外の真暗闇に放り出され、そこでわめき、歯ぎしりするであろう。」
8:13 それからイエスは百卒長に言われた、「お帰り。あなたの信じたとおりに成れ。」するとちょうどその時に、下男は直った。


●「一言、言ってください、そうすれば下男は直ります。」これが芥子粒」の信仰。りっぱな信仰。
●このりっぱな信仰の持ち主は本家のユダヤ人にはなく、異教のローマ人にあった。現代も同じ。本家のキリスト者にはなく、異教の仏教徒、儒者、神道、然り無信仰の人にあるのかもしれない。
●信仰のあつい人の中に、当然入らない人は「教皇、枢機卿、牧師、伝道者、聖書学者」

塚本訳 ヨハ 4:46-54
4:46 それから、またガリラヤのカナに行かれた。そこは(前に)水を酒にされた所である。するとカペナウムに(ヘロデ・アンデパス)王の役人がいて、その息子が病気であった。
4:47 イエスがユダヤからガリラヤに来ておられると聞くと、イエスの所に行き、(カペナウムに)下ってきて息子を直してほしいと頼んだ。息子が死にそうだったのである
4:48 イエスは言われた、「あなた達は徴[奇蹟]と不思議なことを見なければ、決して信じない。」
4:49 王の役人が、「主よ、子供が死なないうちに(カペナウムに)下ってきてください」と言いつづけると、
4:50 イエスは言われる、「かえりなさい、息子さんはなおった。」その人はイエスの言われた言葉を信じて、かえっていった。
4:51 しかしすでに途中で、僕たちが出迎えて、子供がなおったことを知らせた。
4:52 そこで僕たちに良くなった時間をたずねると、「きのう午後一時に熱が取れた」とこたえた。
4:53 父は、それが「息子さんはなおった」とイエスが言われた時間であることを知り、彼はもちろん、全家族が信じた。
4:54 イエスはこの第二の徴[奇蹟]を、ユダヤからガリラヤに行かれたときに行われた。


●「イエスの追われた言葉を信じてかえっていった」。これが「芥子粒」の信仰。
●これも異教人。おそらく心ウキウキ、口笛でも吹いて家路をたどったに違いない。
●全家族が信じたとは!。

塚本訳 ルカ 1:42-45
1:42 声高らかにさけんだ、「あなたは女の中で、(一番)祝福された方、あなたの胎内のお子さまも(だれより)祝福されたお方です。
1:43 主の母上がわたしの所に来てくださるとは、まあどうしたのでしょう。
1:44 そら、あなたの挨拶の声がわたしの耳に入ると、児が胎内で喜んで躍りました。
1:45 主の仰せられたことはきっと成就すると信じたこの人は、なんと仕合わせでしょう。」


●人を信じることは信仰の基礎。聖書を信じる。父母を信じる。教会を信じる。
●生育環境が悪かった人は「人を信じない」。しかしキリストの聖い血液を注入されると生まれ変われる。

塚本訳 マタ 14:26-29                             14:26 弟子たちはイエスが湖の上を歩いておられるのを見ると、幽霊だと思って肝をつぶし、恐ろしさのあまり叫んだ。                                 14:27 しかしイエスはすぐ彼らに話しかけて言われた、「安心せよ、わたしだ。こわがることはない。」                                   14:28 ペテロが答えた、「主よ、あなたでしたら、どうかわたしに命令して、水の上を歩いてあなたの所へ行かせてください。」                           14:29 「こちらに来なさい」とイエスが言われた。ペテロは舟から下り、水の上を歩いてイエスの所へ行った。

●「あなたの言葉でしたらたとえ火の中水の中。騙されても本望」というのが信仰の本質

塚本訳 マタ 15:21-28
15:21 イエスはそこを出て、ツロとシドンとの地方に引っ込まれた。
15:22 すると、その地方生まれの一人のカナンの女が出てきて叫んだ、「主よ、ダビデのお子様よ、どうぞお慈悲を。娘がひどく悪鬼に苦しめられています。」
15:23 しかしイエスは一言も答えられなかった。弟子たちが来て、願って言った、「願いをかなえてやって、(早く)この女を追い払ってください。どなりながらついて来ますから。」
15:24 イエスは答えられた、「わたしはイスラエルの家のいなくなった羊だけにしか、遣わされていない。」
15:25 するとその女が来て、しきりに願って言った、「主よ、お助けください。」
15:26 イエスは答えられた、「子供たちのパンを取り上げて、(異教の)小犬どもに投げてやるのはよろしくない。」
15:27 しかし女は言った、「主よ、是非どうぞ!小犬どもも、御主人の食卓から落ちるパン屑をいただくのですから。」
15:28 そこでイエスは答えられた、「ああ、女の人、りっぱな信仰だ。願いどおりに成れ。」すると、ちょうどその時から、娘は直った。


●ここにも「りっぱな信仰」の例が出ている。これが「芥子粒」の信仰だ

塚本訳 ルカ 23:39-43
23:39 磔にされている罪人の一人がイエスを冒涜した、「お前は救世主じゃないか。自分とおれ達を救ってみろ。」
23:40 するともう一人の者が彼をたしなめて言った、「貴様は(このお方と)同じ(恐ろしい)罰を受けていながら、それでも(まだ)神様がこわくないのか。
23:41 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる。」


●もう後がない。絶体絶命の最後のかすかな望み。これでいいのだ、これがいいのだ。これが芥子津ぬ信仰だ。
●「俺はこうなるのは当たり前、自業自得だ」という砕けた心が神に喜ばれる。父親失格、クリスチャン失格、この心が神に良しとされるのだ。

塚本訳 マタ 21:28-32
21:28 いったいあなた達はどう思うか。──ある人に二人の息子があった。長男の所に行って、『坊や、きょう葡萄畑に行って働いてくれ』と言うと、
21:29 長男は『いやです』と答えたが、あとで後悔して出かけた。
21:30 つぎに次男の所に行って同じように言うと、こちらは、『お父さん、承知しました』と答えたが、行かなかった。
21:31 この二人のうち、どちらが父の心を行ったのだろうか。」「もちろん長男」と彼らが答える。イエスが言われる、「アーメン、わたしは言う、税金取りや遊女たちは、あなた達よりも先に神の国に入るであろう。
21:32 そのわけは、(洗礼者)ヨハネが義の道を示しに来たのに、あなた達は彼を信ぜず、税金取りや遊女の方がかえって信じたからだ。しかしあなた達は(あの人たちが悔改めるのを)見たあとでも、後悔して彼を信じようとしなかった。


●税金取りや遊女は「失敗の人生」。誇るべき何物もない。後がない。悔い改めるしか方法がない。これが信仰の動機。これがいいのだ、これでいいのだ。厚かましく神にすがるのだ。信仰は厚かましさである。



塚本訳 マコ 4:30-34
4:30 また言われた、「神の国を何にたとえようか。どんな譬で表わそうか。
4:31 (神の国は)芥子粒のようである。地にまかれる時には、地上のあらゆる種の中で一番小さいが、
4:32 まかれると、伸びてきてすべての野菜の中で一番大きくなり、大きな枝を出して、『その(葉の)陰に空の鳥が巣をつく』れるようになるのである。」
4:33 イエスは聞く人々の力に応じて、このような多くの譬で御言葉を語られた
4:34 譬を使わずに語られることはなかった。が弟子たちには、人のいない時に何もかも説明された。


●「聞く人の力に応じて」とは神の愛。


塚本訳 マタ 13:31-35
13:31 またほかの譬を彼らに示して言われた、「天の国は芥子粒に似ている。ある人がそれを畑にまいた。
13:32 これはあらゆる種の中で一番小さいが、育つと、野菜の中で一番大きくなり、(大きな)木になって、『空の鳥が』来て『その枝に巣を作る』ようになるのである。」
13:33 またほかの譬を彼らに語られた、「天の国はパン種に似ている。女がそれを三サトン(二斗)の粉の中に混ぜたところ、ついに全体が発酵した。」
13:34 イエスはこれらのことを皆譬をもって群衆に語り、譬を使わずには何も語られなかった。
13:35 『わたしは口を開いて譬にて語り、世の始めから隠されていたことを打ち明けよう。』と、預言者をもって言われた言葉が成就するためであった。


●芥子粒の信仰を持っている人が、家にも教会にも集会にも一人でもいれば、家も教会も集会も、然り「無教会」も滅びない。


塚本訳 ルカ 13:18-19
13:18 すると言われた、「神の国は何に似ているか。何にたとえようか。
13:19 それは芥子粒に似ている。ある人がそれをその庭に蒔いたところ、育って(大きな)木になり、』その枝に空の鳥が巣をつくった。』」


●無教会は今や集客に熱心。しかし衰退の一途。原因は芥子粒の信仰がないから。 神の祝福が失せたから。

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朝の黙想礼拝終わり 私も芥子粒ほどの「りっぱな信仰」の持ち主になりたいものだ。神の祝福を祈る。

●10:00 妻と二人で家庭礼拝。讃美歌270「信仰こそ」。祈り。感話「芥子粒の信仰、りっぱな信仰とは」(上記)。讃美歌315「うきよのあらなみ」。祈り。一時間で終了。
●13:00 妻はバッハ「ロ短調ミサ」の練習へ
●TSK日本語版箴言26章

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台風11号。強風で樹木が大きく揺れる。自然の驚異。
台風のエネルギーは原爆どころではない。人間は及ばない。

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台風11号。雲が速い。これも猛烈な速さだ。



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イエスの死の意味と復活が分かる「恩恵の時」 ++++++++ 所感

2014/08/09 08:00

140809(土)4時目覚め。朝の黙想「十字架と復活が分かる時」●キリスト者の皆様お早うございます。今朝は11月2日の感話の準備をします。●人が「イエスの死の意味」「十字架の意味」が分かるのは大脳皮質でなく神の直接的な啓示(示し)によります。キリスト教が「啓示宗教」と言われることはここにあります。キリスト教が分かりにくいのもこれが原因です。●仏教は哲学の一種で頭で解するものですから、「わかりやすいのです。10年も前に信仰なくして召された母が「基督教より仏教のほうが分かりやすい」と言った理由もここにあると思います●また私が「胸が熱くなる」ということをしきりに言うので娘が「お父さんの話を聞いてもサッパリ胸が熱くならない」と言ったことがあります。しかし後に「人生苦難」の時に「お父さんの言っている『永遠の命』ということがわかった」と言いました。●また息子の一人は東日本大地震と福島原発事故による「人生苦」で「十字架と復活」が分かったと告白しました。●これらの事実から人に「十字架と復活」が分かるのは「時」が来ないとダメで、それは人生苦の時、神の恩恵の時、であると信じます●それは人間でなく、神が直接その人に「わからせてくださる」「信じさせてくださる」「目を開けて下さる」のであって全く100%神の恩恵、神の力であると信じます。そしてそれは人間ならだれでもその「恩恵の時は必ず来る」ものであることを信じます。

11月2日集会感話 準備  骨子
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イエスの死の意味と復活がわかる「恩恵の時」

・・・・その日は誰にでも必ず訪れる・・・・



●イエス自身による「自分の死の意味」の認識
●有体的復活は「イエスの死の意味」の神による証明
●「イエスの死と復活」がわかる「恩恵の時」
●あらかじめ「聖書の使信」を聞いて頭に入っていなければならない
●人生苦という恩恵によってその日は誰にでも必ず来る。この世でも来世でも。

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朝の黙想礼拝おわり。私に関係する愛する人に神の恩恵のおとずれがあって「十字架と復活」が分かりますように


●TSK日本語版箴言25章
●ブラームス交響曲第4番の第2楽章(好きなメロディーが出てくる)を8種類のCDで聴き比べ。カラヤン(2種)、小沢、フルトヴェングラー、プレビン、クレンペラー、ドホナーニ、ワルター、●フルトヴェングラーが最高。精神性が深い。
●ブラームスのドイツレクイエムの一部をカラヤン(2種)とクレンペラーで聞き比べ。カラヤンが起用したアンネトモワシントウのソプラノはすばらしい。クレンペラーはシュワルツコップを起用
●妻と共にバッハ「ロ短調ミサ」の一部をクレンペラーとリヒターで聞き比べ。リヒターの方が心が弾むような演奏でぴったり。福音は喜びだ。



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苦き杯は澱(おり)まで飲み干そう ++++++++ 所感

2014/08/08 06:44

140808(金)3時半目覚め。朝の黙想「苦き杯は澱(おり・液体の底の滓)まで飲み干そう」●キリスト者の皆様お早うございます。我々には「親しい友にも打ち明けられない」苦き杯があります。短い人生はこれを飲まなければなりません。煮え湯を飲まされます。隠れて流す涙があります。それが「自分の十字架を負う」ことであり、真にイエスの業の継承になります。目立たないが真の伝道です。●キリスト者の家庭には「一見不条理な不可解な苦しみが襲いかかります」。自殺者が出たり、家出人が出たり、子や孫が反抗したり、非行にに陥ったり、精神の病になったり、夫婦の不和が生じたり、つまり手の付けられない悲惨な状態になります。しかしそこに神の恵みの知恵があると信じます●ある人が「高橋家は祝福されている。アブラハムのようだ。しかし子供たちが皆十字架を負っている」と言われました。●「子や孫の十字架」を思う時、「泣く者と共に泣く」(ロマ12:15)ことが私の残りの人生の在り方だと思います。●「聖書は聖書で読む」ことが王道ですが、もう一歩進んで「聖書は人生苦で読む」ときにその本質に触れることができます。慰めの力になります。●イエスがゲッセマネの苦しみで汗が血の滴るように死に物狂いで、「この杯を差さないでください」(マタ26:39)と祈った時天使が現れて力づけたとあります。私も「子や孫の十字架」に対してこの天使が「力づけた」ような存在でありたいものだと思います。それには「聖書の言葉で力づける」ことが一番だと思います。●そこで今朝は重荷を負っている、十字架を負っている時に励ましとなり力づけになる聖書の言葉を掲げてみます。●「苦き杯は澱(おり)まで飲み干そう」。澱(おり)とは広辞苑によれば、「液体の底に沈んだ滓、おどみ」とあります。この人生が誰も「苦き杯」を飲まされ続けるものです。神に差されたものとして飲み干そうえはありませんか。神は総てをご存知です。

塚本訳 ルカ 22:41-44
22:41 そして自分は石を投げれば届くほどの所に離れてゆき、ひざまずいて祈って
22:42 言われた、「お父様、お心ならば、どうかこの杯をわたしに差さないでください。しかし、わたしの願いでなく、お心が成りますように!」
22:43 そのとき天から一人の天使がイエスに現われて、力づけた
22:44 イエスはもだえながら、死に物狂いに祈られた。汗が血のしたたるように(ポタポタ)地上に落ちた。

塚本訳 ルカ 9:23
9:23 それから今度は皆に話された、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、毎日自分の十字架を負い、それからわたしに従え

文語訳 ピリ 1:29
1:29 汝等はキリストのために啻に彼を信ずる事のみならず、また彼のために苦しむ事をも賜はりたればなり。

塚本訳 マタ 11:28
11:28 さあ、疲れている者、重荷を負っている者はだれでも、わたしの所に来なさい、休ませてあげよう。

塚本訳 ロマ 8:26-27
8:26 しかし(創造物やわたし達神の子が苦しんでいると)同じように、御霊も、弱いわたし達を助けてくださる。すなわち、(神のみ心にかなうには)どう何を祈るべきかわからないので、御霊自身が、無言の呻きをもって(わたし達の祈りを神に)執り成してくださるのである
8:27 しかし(人の)心を見抜くお方[神]は、御霊が何を求めているか、すなわち、御霊が神の御心にかなうように聖徒たちのために執り成しておられることを、(もちろん)御存じである。

塚本訳 ロマ 8:28-30
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。
8:29 というのは、神は(世の始まる前に)あらかじめお選びになった人たちをば御子(キリスト)と同じ姿にすることを、あらかじめお定めになったからである。──これは(こうして出来た)多くの兄弟たちの中で、彼を長男にするためである。──
8:30 そして(時が来ると)あらかじめお定めになった人たちを召し、お召しになった人たちを義とし、義とした人たちには栄光をお与えになるだろう

塚本訳 ルカ 18:6-8
18:6 それから主は言われた、「この不埒な裁判官の言うことを聞け。
18:7 (こんな男でもこのとおり。)まして神が、夜昼叫んでいるその選ばれた人々のために仕返し(の裁判)をせず、気長に放っておかれることがあろうか
18:8 わたしは言う、間もなく彼らのために仕返しをされるであろう。しかし人の子(わたし)が来るときに、はたして地上に信仰(をもつ人)が見当るだろうか!」

塚本訳 Ⅱコリ12:7-10
12:7 そしてこれらの素晴らしい啓示があるので、わたしが高慢にならないようにと、わたしの肉に一つの刺が与えられた。悪魔の使いであって、これはわたしが高慢にならないようにと、わたしをうつものである。
12:8 この使について、それがわたしから手を引くようにと、三度まで主に願ったが、
12:9 主は(その都度)言われた、「わたしの恩恵はあなたに十分だ。力は弱さの中に完成されるのだから。」、それでわたしはキリストの力がわたしに住みついてくださるように、大喜びで、むしろ(自分の)弱いことを自慢しよう。
12:10 それゆえわたしは弱いことを、虐待、艱難、また迫害と苦悩をうけることを、キリストの故に喜ぶ。わたしは弱い時には、(彼の力によってかえって)強いのであるから

塚本訳 黙  2:8-11
2:8 また、スミルナ教会の御使いに(斯く手紙を)書け、最初の者、最後の者、(一度)死んで(今)また活きた者(である人の子)が斯く言うと──
2:9 私はお前(が私の名のために受けた、また受けつつある数々)の患難と、(またお前の)貧しさとを知っている──しかし(貧しいのはただ外見だけであって、神の前では)お前は(一番)富んでいる(のである。)──また、(自分で)自分をユダヤ人であると称え(て誇り)ながら、(その実、決して真の)ユダヤ人でなく、むしろサタンの会堂に属する者達からの罵詈を(お前が受けていることを、)私は知っている。(お前が今日までよくこれに耐えて来たことを私は褒める。)
2:10 お前はまだ苦しむであろうが、(決して)それを恐れるな。視よ、悪魔はお前達の中から(幾人かを)牢屋に投げ込もうとしている。それはお前達が試練を受けるためである。お前達は十日の間患難を受けるであろう。(しかしただ少しの間の我慢である。)お前は死ぬるまで私に忠実であれ。そうすればお前に生命の冠を与えるであろう。
2:11 耳を有っている者は、御霊が(全)教会に言い給うことの何であるかを聴け。
勝利者は決して第二の死、(永遠の死)に害なわれないであろう。

塚本訳 マタ 10:27-28
10:27 わたしが暗闇で(こっそり)話すことを、(大胆に)明るみで言え。耳うちされたことを屋根の上で宣伝せよ。
10:28 体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。



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朝の黙想礼拝おわり。辛かったら泣こう、呻こう。敷布がぐしゃぐしゃになるまで泣こう。神の胸を叩いて泣けば良い。神はご存知だ。

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早朝散歩  トウモロコシは夜の間も成長していたのだ。

口語訳 詩  19:1-4
19:1 もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。
19:2 この日は言葉をかの日につたえ、この夜は知識をかの夜につげる。
19:3 話すことなく、語ることなく、その声も聞えないのに、
19:4 その響きは全地にあまねく、その言葉は世界のはてにまで及ぶ。神は日のために幕屋を天に設けられた。


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早朝散歩 飛んでいる鳥を写せた。日付数字の左側の黒い点。

文語訳 マタ 6:26-27
6:26 空の鳥を見よ、播かず、刈らず、倉に収めず、然るに汝らの天の父は、これを養ひたまふ。汝らは之よりも遥に優るる者ならずや。
6:27 汝らの中たれか思ひ煩ひて身の長一尺を加へ得んや。


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早朝散歩 五日市街道沿いのヒマワリ
ヒマワリは放射性物質を吸い取ると言われていたのだが。・・・・・・
神は福島県人の苦悩を知っている



●9:50 妻は馬込の愛子の家に手伝い
●TSK日本語版箴言24章
●基督教の本質は人間の罪からの「救い」ということだ。このために残りの時間を捧げなければならない。
●18:30妻帰る




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神は請負者 ++++++++ 所感

2014/08/07 09:10

140807(木)キリスト者の皆様お早うございます。昨夜は建築の仕事で隣家と難しい問題が起こって困っているところで目が覚めました。●日本の建築請負業者(ゼネコン)は逞しく、万難を排して建築を実現する。超高層ビル建設の能力は技術よりも近隣交渉である。日本のゼネコンにはその能力がある。新幹線建設のエネルギーの90%は用地買収。●「請け負う」とか「請負」という言葉はかなり聖書的である。そこには神がそっくり面倒をみて実現に至らしめる神の愛が潜んでいる。これが建設関係に携わる人間の本質であり、醍醐味である。●私は請負会社(ゼネコン)に17年、設計事務所に20年、建設省外郭団体の調査会社に10年、大学の講師で9年、それぞれの特徴を体験した。●「請負契約」というのは見えないものを約束して実現に至らしめる事への契約であるから、各種契約行為のうちでも高度のものである。見えないことを信じて金銭の支払い(前払金)が行われる●これは実に聖書的である。神は人間と契約して人生の終わりまで安らかに導いてくださる。ヒルティはよく「前払いの報酬」という」。●神と契約する人生観が一番安らかで平安であることは、ヒルティの「眠られぬ夜のためにⅠ」の上巻の巻末に「直りたいのか」(白水社版)という小論で言及している。私はこれに高校生の時に出会い、「これだ!」「こういう道を歩みたい」と思ったものである。爾来50余年、神は私を請け負ってくださったのだなーと71歳の今、つくづく思うのである。ヒルティはこの小論で、ゲーテやラスキン(いずれも一時私が興味を持った)のような人生観では幸福になれない。神の啓導による人生こそ真の平安の人生だと言って、ただ聖書の句みを掲げている。この「聖書の言葉」のみを掲げてのる説得が当時の私の胸を打った。聖書には不思議な力があるものだ。この小論は高校生の諸君にはぜひ読んでいただきたいと思う。かって愛真高校で推薦図書の一つとして朝礼拝で話したことがあると記憶している。 子や孫にも読んでいただきたい。
●71歳の本日、またこの小論を読んだところ、老年の病にも触れているところが私にとっては新鮮であった。人間は環境を変えても健康にはなれず、ただ道徳戒命に復帰することのみがそれを可能にするという。●我が国は「老人福祉対策」として環境整備に一生懸命であるが、これは真の目的を達しないとヒルティは考えている。同感。●ではこの小論に出ている幸福な道を示す聖句を掲げてみよう。すべてイザヤ書からである。ヒルティにとってhあ「ほんの一例であるが」という気持ちなのであろう。ヒルティのが聖書にいかに精通していたかが分かり、驚きである。

口語訳 イザ 46:4
46:4 わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う。


口語訳 イザ 27:5
27:5 それを望まないなら、わたしの保護にたよって、わたしと和らぎをなせ、わたしと和らぎをなせ」。


口語訳 イザ 30:21
30:21 また、あなたが右に行き、あるいは左に行く時、そのうしろで「これは道だ、これに歩め」と言う言葉を耳に聞く。


口語訳 イザ 32:18
32:18 わが民は平和の家におり、安らかなすみかにおり、静かな休み所におる。


口語訳 イザ 40:29-31
40:29 弱った者には力を与え、勢いのない者には強さを増し加えられる。
40:30 年若い者も弱り、かつ疲れ、壮年の者も疲れはてて倒れる。
40:31 しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。


口語訳 イザ 41:11
41:11 見よ、あなたにむかって怒る者はみな、はじて、あわてふためき、あなたと争う者は滅びて無に帰する。

口語訳 イザ 41:16b
41:16 あなたがあおげば風はこれを巻き去り、つむじ風がこれを吹き散らす。あなたは主によって喜び/イスラエルの聖者によって誇る。

口語訳 イザ 43:18-19
43:18 「あなたがたは、さきの事を思い出してはならない、また、いにしえのことを考えてはならない。
43:19 見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起る、あなたがたはそれを知らないのか。わたしは荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる。


口語訳 イザ 46:11
46:11 わたしは東から猛禽を招き、遠い国からわが計りごとを行う人を招く。わたしはこの事を語ったゆえ、必ずこさせる。わたしはこの事をはかったゆえ、必ず行う。


口語訳 イザ 51:22-23
51:22 あなたの主、おのが民の訴えを弁護される/あなたの神、主はこう言われる、「見よ、わたしはよろめかす杯を/あなたの手から取り除き、わが憤りの大杯を取り除いた。あなたは再びこれを飲むことはない。
51:23 わたしはこれをあなたを悩ます者の手におく。彼らはさきにあなたにむかって言った、『身をかがめよ、われわれは越えていこう』と。そしてあなたはその背を地のようにし、ちまたのようにして、彼らの越えていくにまかせた」。


口語訳 イザ 54:14
54:14 あなたは義をもって堅く立ち、しえたげから遠ざかって恐れることはない。また恐怖から遠ざかる、それはあなたに近づくことがないからである。


口語訳 イザ 54:17
54:17 すべてあなたを攻めるために造られる武器は、その目的を達しない。すべてあなたに逆らい立って、争い訴える舌は、あなたに説き破られる。これが主のしもべらの受ける嗣業であり、また彼らがわたしから受ける義である」と/主は言われる。


口語訳 イザ 58:11
58:11 主は常にあなたを導き、良き物をもってあなたの願いを満ち足らせ、あなたの骨を強くされる。あなたは潤った園のように、水の絶えない泉のようになる。


口語訳 イザ 62:3a
62:3 また、あなたは主の手にある麗しい冠となり、あなたの神の手にある王の冠となる。

口語訳 イザ 62:5b
62:5 若い者が処女をめとるように/あなたの子らはあなたをめとり、花婿が花嫁を喜ぶように/あなたの神はあなたを喜ばれる。

口語訳 イザ 65:23-24
65:23 彼らの勤労はむだでなく、その生むところの子らは災にかからない。彼らは主に祝福された者のすえであって、その子らも彼らと共におるからである。
65:24 彼らが呼ばないさきに、わたしは答え、彼らがなお語っているときに、わたしは聞く。

口語訳 イザ 66:13-14
66:13 母のその子を慰めるように、わたしもあなたがたを慰める。あなたがたはエルサレムで慰めを得る。
66:14 あなたがたは見て、心喜び、あなたがたの骨は若草のように栄える。主の手はそのしもべらと共にあり、その憤りはその敵にむかっていることを知る。


●そしてヒルティは言う。「さらば選べ」と。●神は私と契約して人生を請け負ってくれた。啓導してくれた。このままの延長で死の川も安らかに渡らせていただきたいと思う。神は生と死を結ぶ結び目をやさしくほどいて戴きたいと願う。

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朝の黙想礼拝おわり。「孫達に幸あれ」(ヒルティ『幸福論』Ⅲの第7論文。


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早朝散歩。パステルカラーのすばらしい空。

詩篇19篇1節を思う。

文語訳19篇1節 もろもろの(てん)(かみ)のえいくわうをあらはし穹蒼(おほそら)はその(みて)のわざをしめす
口語訳19篇1節 もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。
関根訳19篇2節 もろもろの天は神の栄光を語り大空はそのみ手の業を示す。
新共同19篇2節 天は神の栄光を物語り 大空は御手の業を示す。



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早朝散歩。飛んでいる鳥を写すのは至難。意図せず偶然に写っていた鳥。

文語訳 マタ 6:26
6:26 空の鳥を見よ、播かず、刈らず、倉に収めず、然るに汝らの天の父は、これを養ひたまふ。汝らは之よりも遥に優るる者ならずや。


口語訳 マタ 6:26
6:26 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。


新改訳 マタ 6:26
6:26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。


新共同 マタ 6:26
6:26 空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。


塚本訳 マタ 6:26
6:26 空の鳥を見てごらん。まかず、刈らず、倉にしまいこむこともしないのに、天の父上はそれを養ってくださるのである。あなた達は鳥よりも、はるかに大切ではないのだろうか。


NKJV マタ 6:26
6:26 "Look at the birds of the air, for they neither sow nor reap nor gather into barns; yet your heavenly Father feeds them. Are you not of more value than they?


TEV マタ 6:26
6:26 Look at the birds: they do not plant seeds, gather a harvest and put it in barns; yet your Father in heaven takes care of them! Aren't you worth much more than birds?










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救われる人は少ないか ++++++++ 所感

2014/08/06 08:10

140806(水)3時半目覚め。黙想「救われる人は少ないか」、。床の中で聖句メモ。4時40分起床●4時50分早朝散歩。デジカメで景色撮影●キリスト者の皆様お早うございます。●信者にとっての深い悩み悲しみ苦しみは身内の救いです。一体あの人はどうなってしまうのだろうかという深刻な悩みです。これに関する答えはカトリック教会ではカトリック教会に会員になればいいというらしい。ドイツのウィッテンヴェルグにあるルターハウスを訪れた時、大きな木の献金箱を見た。そこに賽銭を入れてチャリンと音がすると、信仰なくして死んだ身内の魂が地獄から救われると宣伝されたものだ。ルターはこういう教会の態度に反対して宗教改革の口火を切った。ケルンの大寺院は完成まで600年かかったが、途中宗教改革があったので献金が途絶え建設工事が遅れたのである。宗教改革によって誕生したプロテスタント教会は「信仰のみ」で救われると言いながら、実際は「わか教会が可愛くて」、その物理的成長が神の国到来のための必然的行為であると信じている。そして受洗者を増やすことが牧師の仕事の目的になっている。●これに対して無教会はそのような教会の教義にはとらわれないで「聖書のみ」でスタートした。しかしそこから大先生、大学者が出たものだから多くの人が先生や学者を追いかけまわして、先生中心主義になり、「救われる者は少ないか」の疑問にも先生ごとのご見解を研究している。 ●あの矢内原忠雄が、初めて内村鑑三に聞いた質問は、「信仰なくして逝った母の運命」についてであった。同じことがそれ以後の無教会者についても言える。その深刻な疑問を「自分の先生」に聞くのである。これではいけない。先生のご見解の奴隷である。聖書に聞かなければならない。するとこの疑問は聖書自身が答えている。イエス自身が答えているこrとが分かる。 それが次である。

塚本訳 ルカ 13:23-24
13:23 するとある人が「主よ、救われる者は少ないでしょうか」と尋ねた。人々に言われた、
13:24 「全力を尽くして(今すぐ)狭い戸口から入りなさい。あなた達に言う、(あとになって)入ろうとしても、入れない者が多いのだから。


●今朝はこの部分を、人間(先生、学者、注解者)に聞かないで、神の子イエスに聞いてみよう。それには「聖書で聖書を読む」方法が決定的に重要であり、また力があり、安心である。
●まず、翻訳比較

文語訳 ルカ 13:23-24
13:23 或人いふ『主よ、救はるる者は少きか
13:24 イエス人々に言ひたまふ『力を盡して狭き門より入れ。我なんぢらに告ぐ、入らん事を求めて入り能はぬ者おほからん。


口語訳 ルカ 13:23-24
13:23 すると、ある人がイエスに、「主よ、救われる人は少ないのですか」と尋ねた。
13:24 そこでイエスは人々にむかって言われた、「狭い戸口からはいるように努めなさい。事実、はいろうとしても、はいれない人が多いのだから。


新改訳 ルカ 13:23-24
13:23 すると、「主よ。救われる者は少ないのですか。」と言う人があった。イエスは、人々に言われた。
13:24 「努力して狭い門からはいりなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、はいろうとしても、はいれなくなる人が多いのですから。


新共同 ルカ 13:23-24
13:23 すると、「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と言う人がいた。イエスは一同に言われた。
13:24 「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ。


NKJV ルカ 13:23-24
13:23 Then one said to Him, "Lord, are there few who are saved?" And He said to them,
13:24 "Strive to enter through the narrow gate, for many, I say to you, will seek to enter and will not be able.


TEV ルカ 13:23-24
13:23 Someone asked him, "Sir, will just a few people be saved?" /Jesus answered them,
13:24 "Do your best to go in through the narrow door; because many people will surely try to go in but will not be able.

●ここで注目すべきことは、イエスは質問に正面から大脳皮質が満足するような答え方はしなかった。つまり、万人が救われるとか、信仰なき者は罰されるというあれかこれかの答えはしていない。大脳皮質が満足するような答えは人間が作り出す注解書とか神学である。しかしそれではすっきりしない。満足しない。どうも違う●イエスは神の主権に属することは神学的に答えず、「まだ間に合うから今すぐ神に祈れ」と言われた。これがイエスの答えの本質である。●信仰なくして死んだ身内も「終末までにまだ間に合うから急いで祈れ」というのである。その聖書的根拠を掲げてみよう。

塚本訳 ルカ 18:1-8
18:1 なお、気を落さずに常に祈るべきことについて、一つの譬をひいて弟子たちに話された、
18:2 「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官があった。
18:3 またその町に一人の寡婦がいた。いつもその裁判官の所に来ては、『(早く裁判をして)わたしのため敵に仕返しをしてください』と言っていた。
18:4 裁判官はしばらくの間は取り合おうとしなかったが、あとでひそかに考えた、『わたしは神を恐れず、人を人とも思わないが、
18:5 この寡婦はどうもうるさくて、やりきれないから、(裁判をして、)この女のために仕返しをしてやろう。そうしないと最後にはやって来て、わたしをどんなひどい目にあわせるか知れない。』」
18:6 それから主は言われた、「この不埒な裁判官の言うことを聞け。
18:7 (こんな男でもこのとおり。)まして神が、夜昼叫んでいるその選ばれた人々のために仕返し(の裁判)をせず、気長に放っておかれることがあろうか。
18:8 わたしは言う、間もなく彼らのために仕返しをされるであろう。しかし人の子(わたし)が来るときに、はたして地上に信仰(をもつ人)が見当るだろうか!」


塚本訳 マコ 12:23-27
12:23 (もし復活があるなら、)人が復活する復活の折には、この女はその(七人の)うちのだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしましたから。」
12:24 イエスは言われた、「あなた達は聖書も神の力も知らないから、そんな間違いをしているのではないか。
12:25 死人の中から復活する時には、めとることもなく嫁ぐこともなく、ちょうど天の使のようである。
12:26 死人が復活することについては、(聖書にはっきり書いてある。)モーセの書の茨の薮の(燃える話の)ところで、神がモーセにこう言われたのを読んだことがないのか、──『わたしはアブラハムの神、またイサクの神、またヤコブの神(である)』と。
12:27 (ところで)神は死人の神ではなく、生きている者の神である。(だからアブラハム、イサクなども皆復活して、今生きているわけではないか。)あなた達は大間違いをしている。」


塚本訳 ヨハ 11:17-27
11:17 さてイエスが(ベタニヤに)行って見られると、ラザロはもう四日も墓の中にあった。
11:18 ベタニヤはエルサレムの近くで、十五スタデオ(三キロ)ばかり離れていた。
11:19 マルタとマリヤの所には、大勢のユダヤ人がラザロの悔やみに来ていた。
11:20 マルタは、イエスが来られると聞くと出迎えにいったが、マリヤは家に坐っていた。
11:21 マルタがイエスに言った、「主よ、あなたがここにいてくださったら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。
11:22 しかしあなたがお願いになることなら、神様は何でもかなえてくださることを、わたしは今でも知っています。」
11:23 イエスは言われる、「あなたの兄弟は生き返る。」
11:24 マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」
11:27 イエスに言う、「はい、主よ、(信じます。)あなたが救世主で、神の子で、世に来るべき方であると、私は信じています。」



●「救われる者は少ないか」「信仰なく逝った母は救われるか」に対するイエスの答えの「聖書で聖書を読む方法」での答えはこの3か所で十分である。あとは信ずるか信じないかである。(ヨハネ11:26)
●隠れた祈りは必ず聞かれるから「全力を尽くして(今すぐ)」祈れというのがイエスの心。死んだ人の救いも可能。今信じてない人は死んだも同然の堕落人間,その救いも可能。イエスはこういうのだ。

●次に参考としてBbBとTSKを参考にして、心に響くものをピックアップしてみよう
.。ここには救われた者の「努力」が語られている。救いの恵みから離れ落ちないためには奮闘努力が必要なのだ。

塚本訳 ピリ 2:12-13
2:12 だから、愛する者達よ、(今まで)何時も従順であったように、(従順であってもらいたい。)私が(一緒に)居る時ばかりでなく、居ない今こそ却つてなお一層、畏れと戦きをもって、自分の救いを得よ。
2:13 (しかしもちろんこれは君達の力では出来ない。)何故なら、(救いに関わる)御旨を成し遂ぐるため、君達のうちに働いて、(救いの)願望を起こさせ、これを成就せしめ給う者は、神であるからである。


塚本訳 黙  3:20
3:20 視よ、私は(お前の家の)戸の前に立って叩いている(ではないか)。もし私の声を聞いて戸を開ける者があれば、私はそこに入って彼と一緒に、彼はまた私と一緒に食事をするであろう。


塚本訳 マタ 19:25
19:25 これを聞いて、弟子たちは非常に驚いて言った、「ではいったい、だれが救われることが出来るのだろう。」


塚本訳 マタ 20:16
20:16 このように、最後の者が一番になり、一番の者が最後になるであろう。」


塚本訳 マタ 22:14
22:14 ──招かれる者は多いが、選ばれる者は少ないのだから。」


塚本訳 使  1:7-8
1:7 彼らに言われた、「(その時ではない。回復の)時と、(それまでの)期間とは、父上が御自分の権力で決めておられるのであって、あなた達の知るべきことではない。
1:8 ただ聖霊があなた達にくだるとき、あなた達は力を戴いて、エルサレムをはじめユダヤ全体、またサマリヤ、さては世界の果てまでも、わたしの証人になるであろう。」


塚本訳 マタ 11:12
11:12 とにかく、洗礼者ヨハネの(現れた)時からいままで、天の国は暴力で攻め立てられ、暴力で攻めた者がそれを奪いとっている。


塚本訳 ヨハ 6:27
6:27 (食べれば)無くなる食べ物のためでなく、いつまでもなくならずに、永遠の命に至らせる食べ物のために働きなさい。これは人の子(わたし)があなた達に与えるのである。神なる父上が、(これを与える)全権を人の子に授けられたのだから。」


塚本訳 Ⅰコリ9:24-27
9:24 (だからあなた達も、競技場の闘士のように自制しなければならない。)競技場で走る者は皆走るけれども、たった一人が賞をもらうことを、あなた達は知らないのか。あなた達も、それを勝ち取るように走らなければならない。
9:25 しかし競技する者は皆、何事にも自制する。ただ、あの人たちは朽ちはてる冠をもらうためであるが、わたし達は朽ちぬ冠のためである。
9:26 わたしはそれゆえに、目標があいまいでないように走る。空を打たないように拳闘をする。
9:27 いや、自分の体を打ちたたいて征服する。人には(福音を)説きながら、自分では失格するようなことのないためである。


塚本訳 コロ 1:29
1:29 そしてまた私の中に力強く働き給う御力に応じて、このため奮闘努力しているのである。


塚本訳 ヘブ 4:11
4:11 だから、わたし達はその(神の)『休みに入るようにと』努めて、一人も同じ不従順の例にならって堕落しないようにしようではないか。


塚本訳 Ⅱペテ1:10
1:10 だから兄弟達よ、(上に言ったように)いよいよ努力をして君達の(受けた)召しと選びを確かにせよ。これをすれば、決して躓くことはないからである。

塚本訳 ヨハ 12:34-35
12:34 すると群衆が答えた、「われわれは律法[聖書]で、救世主は〃永遠に〃(地上に)生きながらえると聞いていたのに、あなたはどういう訳で、人の子は(死んで天に)挙げられねばならぬと言われるのですか。その人のことはいったいだれのことです。」
12:35 するとイエスは(それには答えず、)彼らに言われた、「もうしばらくの間、光はあなた達のところにある。光のある間に(早く)歩いて、暗闇に追い付かれないようにせよ。暗闇を歩く者は、自分がどこへ行くのか知らない。

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早朝散歩(あきる野名物のトウモロコシ)

文語訳 マコ 4:27
4:27 日夜起臥するほどに、種はえ出でて育てども、その故を知らず。

塚本訳 マコ 4:27
4:27 夜昼、寝起きしていると、種は芽生えて育ってゆくが、本人はその訳を(すら)知らない。

新共同 マコ 4:27
4:27 夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。


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早朝散歩(丹沢方面を望む)

口語訳 詩  121:1-2
121:1 わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。
121:2 わが助けは、天と地を造られた主から来る。


口語訳 詩  3:4-5
3:4 わたしが声をあげて主を呼ばわると、主は聖なる山からわたしに答えられる。〔セラ
3:5 わたしはふして眠り、また目をさます。主がわたしをささえられるからだ。 


 ●今日も猛暑日。
●TSK日本語版箴言22章
●10月5日、茅ヶ崎の家庭集会の準備。

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18:00 夕方散歩。 大好きな讃美歌を口ずさむ
家では妻が夕食の用意をしていてくれる。感謝の夕暮れ。

讃美歌

みかみの たまいし この日も暮れけり
いざや今朝のごと みめぐみをたたえん

ひかりにむかいて めぐる地とともに
地にあるみたみは みわざにいそしむ

くにぐにしまじま しずかに明けゆき
いのりはもださず ほめうたはつきず

わっらにわかれて かくれし日かげは
西に住む友を みわざにぞさます

おごりてほろぶる 世のくににかわり
ときわにさかゆる みくにぞとうとき

 









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金と信仰の密接な関係。 ++++++++ 所感

2014/08/05 06:34

140805(火)3時目覚め。4時45分起床。朝の啓示「金と信仰は密接な関係がある」。●キリスト者の皆様お早うございます。●今朝の啓示で金と信仰の密接な関係を黙想してみることにします。金は争い、堕落、祝福のもとです。71年も生きてくると色々な事例に遭遇します。それを語ると「話は長くなる」(信仰者の欠点、自戒)ので聖書の言葉だけを掲げます。感話は控えます。

塚本訳 マタ 6:24
6:24 (わたし達の心は天か地かに引かれる。)だれも(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。
あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。


塚本訳 マタ 20:28
20:28 人の子(わたし)が来たのも仕えさせるためではない。仕えるため、多くの人のあがない金としてその命を与えるためである。」


塚本訳 マタ 5:3
5:3 ああ幸いだ、神に寄りすがる『貧しい人たち、』天の国はその人たちのものとなるのだから


塚本訳 マタ 6:31-34
6:31 だから、『何を食べよう』とか、『何を飲もう』とか、『何を着よう』とか言って、心配するな。
6:32 それは皆異教人のほしがるもの。あなた達の天の父上は、それが皆あなた達に必要なことをよく御承知である。
6:33 あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう
6:34 だから、あしたのことを心配するな。あしたはあしたが自分で心配する。一日の苦労はその日の分で沢山である。


塚本訳 ルカ 21:2-4
21:2 またある貧しそうな寡婦がレプタ銅貨[五円]二つをそこに入れるのを見て、
21:3 言われた、「本当にわたしは言う、あの貧乏な寡婦はだれよりも多く入れた。
21:4 この人たちは皆あり余る中から賽銭を入れたのに、あの婦人は乏しい中から、持っていた生活費を皆入れたのだから。」


塚本訳 マコ 5:25-28
5:25 すると十二年も長血をわずらって、
5:26 大勢の医者からひどい目にあわされて、財産を皆使いはたして、なんの甲斐もなくて、かえってますます悪くなって、
5:27 イエスのことを聞いて、群衆にまじってついて来た女が、後ろからその着物にさわった。
5:28 「お召物にでもさわれば、なおるにちがいない」と思ったのである。

塚本訳 ルカ 18:22-23
18:22 イエスは聞いて言われた、「もう一つ欠けている。持っているものをことごとく売って、(その金を)貧乏な人に分けてやりなさい。そうすれば天に宝を積むことができる。それから来て、わたしの弟子になりなさい。」
18:23 彼はこれを聞き、しょげてしまった。
非常な金持であったのである。

塚本訳 マタ 19:23-24
19:23 イエスは弟子たちに言われた、「アーメン、わたしは言う、金持が天の国に入ることはむずかしい。
19:24 かさねて言う、金持が天の国に入るよりは、駱駝が針のめどを通る方がたやすい。」

塚本訳 使 3:5-6
3:5 彼が何かもらうことを予期して二人を見つめていると、
3:6 ペテロが言った、
「金銀は持っていない。わたしの持っているもの、それをやろう。──ナザレ人イエス・キリストの名で歩きなさい!」


塚本訳 ルカ 15:11-13
15:11 また話された、「ある人に二人の息子があった。
15:12 『お父さん、財産の分け前を下さい』と弟が父に言った。父は身代を二人に分けてやった。
15:13 幾日もたたないうちに、弟は(分け前)全部をまとめて(金にかえ、)遠い国に行き、そこで放蕩に財産をまき散らした



塚本訳 ルカ 12:13-21
12:13 すると群衆の中の一人がイエスに言った、「先生、遺産を分けてくれるように、兄に言ってください。」
12:14 イエスは「君、だれがわたしを、あなた達の裁判官また遺産分配人に任命したのか」とこたえておいて、
12:15 人々に言われた、「一切の貪欲に注意し、用心せよ。いかに物があり余っていても、財産は命の足しにはならないのだから。」
12:16 そこで一つの譬を人々に話された、「ある金持の畑が(ある年)豊作であった
12:17 『どうしよう、わたしの作物をしまいこむ場所がないのだが…』と金持ちはひそかに考えていたが、
12:18 やがて言った、『よし、こうしよう。倉をみなとりこわして大きいのを建て、そこに穀物と財産をみなしまいこんでおいて、
12:19 それからわたしの魂に言おう。──おい魂、お前には長年分の財産が沢山しまってある。(もう大丈夫。)さあ休んで、食べて、飲んで、楽しみなさい、と。』
12:20 しかし神はその人に、『愚か者、今夜お前の魂は取り上げられるのだ。するとお前が準備したものは、だれのものになるのか』と言われた。
12:21 自分のために(地上に)宝を積んで、神のところで富んでいない者はみな、このとおりである。

塚本訳 マタ 16:26
16:26 たとい全世界をもうけても、命を損するならば、その人は何を得するのだろう。それとも、人は(一度失った永遠の)命を受けもどす代価として、何か(神に)渡すことができるのだろうか。


文語訳 マタ 6:26-30
6:26 空の鳥を見よ、播かず、刈らず、倉に収めず、然るに汝らの天の父は、これを養ひたまふ。汝らは之よりも遥に優るる者ならずや。
6:27 汝らの中たれか思ひ煩ひて身の長一尺を加へ得んや
6:28 又なにゆゑ衣のことを思ひ煩ふや。野の百合は如何にして育つかを思へ、勞せず、紡がざるなり。
6:29 されど我なんぢらに告ぐ、榮華を極めたるソロモンだに、その服装この花の一つにも及かざりき。
6:30 今日ありて明日、爐に投げ入れらるる野の草をも、神はかく装ひ給へば、まして汝らをや、ああ信仰うすき者よ


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早朝散歩

文語訳 マタ 6:26
6:26 空の鳥を見よ、播かず、刈らず、倉に収めず、然るに汝らの天の父は、これを養ひたまふ。汝らは之よりも遥に優るる者ならずや。


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早朝散歩

文語訳 マタ 6:27
6:27 汝らの中たれか思ひ煩ひて身の長一尺を加へ得んや。


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早朝散歩

文語訳 マタ 6:28-30
6:28 又なにゆゑ衣のことを思ひ煩ふや。野の百合は如何にして育つかを思へ、勞せず、紡がざるなり。
6:29 されど我なんぢらに告ぐ、榮華を極めたるソロモンだに、その服装この花の一つにも及かざりき。
6:30 今日ありて明日、爐に投げ入れらるる野の草をも、神はかく装ひ給へば、まして汝らをや、ああ信仰うすき者よ。


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朝の黙想礼拝終わり。私達が生きるために必要なだけの金は神が備えてくださる。それ以上は人間の「欲」が災いして、争いが起るのだ。そのことは早朝散歩で鳥や野の草を見て教えられた。 

●朝から高温。猛暑日。妻は図書館など
●TSK日本語版箴言21章
●午後、図書館。熱中症にならないように自転車。文芸春秋8月号。「サービス付き高齢者向き住宅」の実態。サービスが低劣。












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十字架は負いきれないところに意義あり ++++++++ 所感

2014/08/04 06:00

140804(月)4時目覚め。朝の黙示「十字架は負いきれないところに意義あり」「キリスト者の人生は未完成で完成」「キリスト者の人生は呻きのままでで終わるのでよい」●キリスト者の皆様お早うございます。5時、東の窓を開けるときれいな朝焼けでした。生きているうちに見ることが出来るささやかな喜びです。

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午前5時。美しい朝焼け。心に浮かぶ讃美歌

讃美歌216

あぁうるわしき シオンのあさ ひかりぞ照りそめける
やみにまよう国々も いざともにいわえかし

あぁかがやけるシオンのあさ たのしき日ぞ来にける
イスラエルもことくにも いまこそは幸をえめ

讃美歌90番

ここもかみの 身句になれば あめつち御歌(みうた)を歌いかわし
岩に樹々(きぎ)に 空に海に たえなる御業(みわざ)ぞ あらわれたる

ここもかみの みくになれば 鳥の音(ね)、花の香(か) 主をばたたえ
あさ日、ゆう日 栄(は)えにはえて そよ吹く風さえ かみをかたる。

●キリスト者の一生は呻きの一生です。十字架は重くて負いきれません。しかしそこに神の秘めた意義があると信じます。未完性、不満足、欠けたる人生、不完全の家庭、その悩み悲しみががキリスト者の完成です。生きている意義です。
●人によって十字架の種類は異なります。「自分の十字架」というのはそういう意味だと信じます。

塚本訳 マタ 16:24
16:24 あとでイエスは弟子たちに言われた、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、自分の十字架を負い、それからわたしに従え。


●「自分の十字架」とは、人によって異なるから外からは真相がわからない。神のみぞ知る。それは子供、伴侶、教会(集会)員、職場、国家、世界、然り自分自身、自分の性格、自分の病気、家族の病気・・・・・・・・


塚本訳 ルカ 9:23
9:23 それから今度は皆に話された、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、毎日自分の十字架を負い、それからわたしに従え。


●「毎日」という言葉は厳しい。一生十字架ということだ。十字架は生涯軽くなることはないのだ!


塚本訳 ルカ 14:27
14:27 自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることは出来ない。


●キリストに弟子入りしたいと思えば、自分の人生を捨てなければならないのだ。物も時間も理想の家族も、「世の楽しみ」も一切捨てて。それでいいのだ。それがいいのだ。

塚本訳 ヨハ 18:11
18:11 イエスはペテロに言われた、「剣を鞘におさめよ。父上が下さった杯、それを飲みほさないでよかろうか!」


●十字架は「父上が下さる苦い杯」。キリスト者はこれを飲み干さなければならないのだ。しかし飲みきれない、負いきれない。イエスも重くて負いきれずに崩れ落ち、クレネ人シモンが負った。そrが完成だ。負ったことになるのだ。

塚本訳 マタ 27:31-32
27:31 こうしてなぶった後、外套を脱がせてもとの着物を着せ、十字架につけるために引いていった。
27:32 (都を)出ると、シモンと言うクレネ人に出くわしたので、兵卒らはこの人に有無を言わせずイエスの十字架を負わせた。(イエスにはもう負う力がなかったのである。)


●キリスト者は神により十字架を「有無を言わせず」負わせられる。
●「イエスにはもう負う力がなかったのである」という敷衍は塚本訳が「伝道者訳」と言われる所以。
勇み足と言えば勇み足。
●新約聖書学者の前田護郎先生は恩師塚本先生に「敷衍は取った方がよい」と直訴されたが、塚本先生は取られなかった。先生にとって聖書は人生苦のために読むもので学者の研究対象のものではなかった。

塚本訳 コロ 1:24
1:24 今私は君達のために苦しむことを喜びとし、またキリスト・イエスの体なる教会のために私の体でキリストの患難の不足を補っている。


●日本基督教団の某牧師。自分の牧会の使命はここにあると公言した。これがいけない。「商売や職業」(失礼)でこれをやってはいけない。キリスト者たるものは全員がこの使命を負っているのだ。目立たず、世には知られず、隠れて。負うのではなく無理矢理負わされるのだ。

塚本訳 ピリ 2:6-9
2:6 彼は(先には)神の姿であり給うたが、神と等しくあることを棄て難いことと思わず、
2:7 かえって自分を空しうして人と同じ形になり、奴隷の姿を取り給うたのである。そして人の様で現れた彼は、
2:8 自ら謙り、死に至るまで、(然り、)十字架の死に至るまで(父なる神に)従順であり給うた。
2:9 それ故に神も彼を至高く上げ、凡ての名に優る(「主」なる)名を与え給うた。


●これは初代キリスト教会の讃美歌。「詠み人知らず」。さすがキリストの本質をつかんでいる。我々の生涯もこうでなければならない。
●「高く上げ」は復活のこと。我々の苦しみの褒美は神におってのみ与えられる神のみがご存知だから。

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朝の黙想礼拝おわり。 終末は近い。人生は短い。馳せ場を走り抜こう。71歳は第4コーナーを曲がった時だ。

●TSK日本語版箴言19,20章
●妻はコーラスの練習
●午後は図書館。平川祐弘著「日本人に生まれてまあよかった」。読後感。思想戦が得意。無教会のことにも言及している。信仰なき人間に思想的に断罪される筋合いはない。この人が訳したダンテの神曲を持っているが、この人がこんなに政治がかっているとは知らなかった。信仰がなくてもダンテの神曲を訳したというのだから日本の文化も底が浅い。

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図書館に行く途中。猛暑日の夏空

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夏空に鳩が飛ぶ。


















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神が囁く声を大胆に告知せよ ++++++++ 所感

2014/08/03 08:51

140803(日)キリスト者の皆様お早うございます。今朝は「細き声を告知する義務」という事を黙想します。●過日、群馬県の皆川誠という牧師(日本学生宣教会代表。私と同年齢の71歳)から突然メールを頂きました。拙HPを見ておられ、同時にご自身のプロジェクトの御紹介でした。そのプロジェクトとは新約聖書の翻訳比較(英語、日本語)とギリシャ語対訳などでありました。まだ新約聖書が始まったばかりですが、これが完成すれば私の知る限りでは「聖書で聖書を読む」ための最良の資料になると思います。無教会の先達が目指したのはこういう聖書の読み方だったのだろうと思います。神によって日本の各地にこのような方々が起こされているのは感謝です。

http://homepage2.nifty.com/hill-of-zion/welcome/

●このプロジェクト名は「細き声」です。神が囁いたことを大胆に告知せよということです。
●人は借り物(カトリックの公共要理、使徒信条、ルター、カルヴァン、バルト、内村、塚本、黒崎・・・)の見解を振り回しているからなんとなく力がなく、福音が伝わらないのだと解します。
●一番力があるのは自らの体験によるやむにやまれぬ「告知」です。自分の信じられないことは人に語らないというのが無教会が信用されてきた根拠でした。それが教会とは「なんとなく違う」と言われてきた原因でした。しかし最近の無教会は「借り物思想」の告知であって、抜け殻としての思想を振り回しています。あるいは、聖書でメシを食っている学者の「研究余滴」を喜んで聞いている始末です。
●そこで今朝は「自らの体験を告知すべき」であるという観点に立って関係するところを黙想してみたいと思います。
●信仰なくして逝った母が臨終の苦しみの時に、私が「天国に行けば楽になるよ」と慰めた事に対して、「照男さん。行って見てきたの?」と真剣なまなざしで聞いたことに対する回答、供養です。


口語訳 Ⅰ列 19:11-12
19:11 主は言われた、「出て、山の上で主の前に、立ちなさい」。その時主は通り過ぎられ、主の前に大きな強い風が吹き、山を裂き、岩を砕いた。しかし主は風の中におられなかった。風の後に地震があったが、地震の中にも主はおられなかった。
19:12 地震の後に火があったが、火の中にも主はおられなかった。火の後に静かな細い声が聞えた。

口語訳 アモ 3:8
3:8 ししがほえる、だれが恐れないでいられよう。主なる神が語られる、だれが預言しないでいられよう」。

口語訳 ヨブ 38:1
38:1 この時、主はつむじ風の中からヨブに答えられた

塚本訳 マタ 3:16-17
3:16 イエスは洗礼を受けて、すぐ水から上がられた。すると、みるみる天が開けて、神の御霊が鳩のように自分の上に下って来るのを御覧になった。
3:17 するとその時、「これは(いま)わたしの『最愛の子、』『わたしの心にかなった』」と言う声が天から出た。

塚本訳 マタ 10:27
10:27 わたしが暗闇で(こっそり)話すことを、(大胆に)明るみで言え。耳うちされたことを屋根の上で宣伝せよ

塚本訳 ルカ 24:30-34
24:30 一しょに食卓について、(いつものように)パンを(手に)取り、(神を)讃美したのち、裂いて渡されると、
24:31 (その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。
24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。
24:33 時を移さず二人は立ち上がってエルサレムに引き返して見ると、十一人とその仲間とが集まっていて、
24:34 「ほんとうに主は復活して、シモン(・ペテロ)に御自分を現わされた」と話してくれた。

塚本訳 使 23:6-9
23:6 そのときパウロは(役人の)一派はサドカイ人、一派はパリサイ人であるのを見て取り、法院で叫んだ、「兄弟の方々、わたしはパリサイ人で、しかもパリサイ人の子です。いま死人の復活の希望のために裁判されているのです。(わたしは復活のキリストを見たと言いますから。)」
23:7 彼がこう言うと、パリサイ人とサドカイ人とのあいだに意見の対立がおこり、法院が分裂した。
23:8 なぜならサドカイ人は復活も天使も霊もないと主張するのに対して、パリサイ人はこれを認めるからである。
23:9 とうとう大騒ぎになった。数人のパリサイ派の聖書学者は立ち上がり、こう言ってはげしく論争した、「この人には何の悪いことも認められない。それに、もし彼に(ダマスコで)霊か天使かが語ったのだったら──(それこそ大変だ!)

塚本訳 使 26:13-16
26:13 王よ、昼に、途中で、天から輝く太陽にもまさる光がさして、わたしと、同行の者たちとのまわりを照らすのを見ました。
26:14 わたし達が皆地上に倒れると、ヘブライ語で、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。刺の棒は蹴っても無駄だ』とわたしに言う声を聞きました。
26:15 わたしは言った、『主よ、あなたはどなたですか。』主が言われた、『わたしだ、君が迫害しているイエスだ。
26:16 さあ、起きて、『自分の足で立て。』わたしが(今)現われたのは、君を選んで、わたしを見たことと、(今からも)君に現われて示すこととの証人として、わたしに仕えさせるためである。

塚本訳 ロマ 10:14-15
10:14 ところで、(呼ぶだけで救われると言うが、)信じたことのない者を、どうして呼ぶことができようか。聞いたことのない者を、どうして信ずることができようか。説く者がなくて、どうして聞くことができようか。
10:15 (神に)遣わされなければ、どうして説くことができようか。(しかし説く者はある。それはわたし達である。)『善いこと[福音]を伝える人たちの足の、なんと美しいことよ!』と書いてあるとおりである。

塚本訳 Ⅰコリ15:1-8
15:1 また、わたしが思い出してもらいたいのは、兄弟たちよ、(以前)あなた達に伝え、あなた達が(喜んで)受けいれてくれて、(今日まで)それに立っている、あの(死人の復活についての)福音である。
15:2 どんな言葉でわたしがその福音を伝えたにせよ、あなた達がそれを守っていさえすれば、軽々しく信仰に入ったのではない限りは、あなた達もその福音で救われる。
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである
15:6 そのあと、一度に五百人以上の兄弟に御自分を現わされた。そのうちの多数の者はいまでも生きてい(て、わたしが嘘を言っていないことを証明してくれ)る。もっともすでに眠った者もあるにはある。
15:7 そのあと(御兄弟の)ヤコブに、それから使徒一同に、御自分を現わされた
15:8 しかし一番最後には、さながら月足らずのようなわたしにも御自分を現わされた

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朝の黙想礼拝おわり。神が囁く声を告知することに私の残りの人生の使命がある。

10;00 家庭礼拝。妻と二人 。讃美歌「ものみなこぞりて」

感話 10月5日の集会感話リハーサル。

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「永遠の命」はいかにして証明されるか 

・・・徴、言葉、聖書、体験の告知、神による証明・・・



徴を見て信ずるというのは人として当然のこと。復活は自然法則が破られた。


引照聖句29か所

人の「言葉」を信じるという必要


引照聖句 9か所

●「聖書」を信ずるという必要。

引照聖句11か所

讃美歌461番の英語版

Jesus loves me! This I know,

For the Bible tells me so.

Little ones to Him belong;

They are weak, but He is strong.

Chorus:

Yes, Jesus loves me!

Yes, Jesus loves me!

Yes, Jesus loves me!

The Bible tells me so.



●神に迫られて自らの体験を告知するということ

引照聖句11か所


●神による証明

引照聖句8箇所

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妻の祈りで終了 11:45

●午後はムラウチホビー、図書館、東急、17:00帰宅
●すだれの巻き上げ機を取り付ける。地味な品物だが便利。
●BD、アモス書
●図書館に行く途中で大好きな夏雲を写す。

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祈れるうちに急いで祈ろう ++++++++ 所感

2014/08/02 06:32

140802(土)5時起床。キリスト者の皆様お早うございます。昨夜は苦しい夢で2時半に目が覚め、「夢でよかった」と安心しました。以後寝付けませんでした。●夢の内容は集会が始まる直前に配布プリントをホッチキスで止めようとしても壊れていて綴じられずに焦っていたのです。●私は何事も早め早めにやる性格(建築士は工期を死守する習慣から)なのに、今回ばかりは前日ではなく集会の直前の土壇場でこんなことをやっていました。●この悪夢で囁かれたことは「急げ!」でした。そこで今朝は聖書で「急げ!」と言っているところを頭に浮かぶままに掲げてみようと思います。2時半に目覚めて、メモをした聖句。

口語訳 伝  12:1
12:1 あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、

塚本訳 ルカ 13:24
13:24 「全力を尽くして(今すぐ)狭い戸口から入りなさい。あなた達に言う、(あとになって)入ろうとしても、入れない者が多いのだから。

塚本訳 マタ 8:22
8:22 イエスはその人に言われる、「(今すぐ)わたしについて来なさい。死んだ者の葬式は、死んだ者にまかせよ。」

塚本訳 使 3:19
3:19 だから(今すぐ)悔改めて、心を入れかえ(て主に帰り)なさい。そうすればあなた達の罪が拭い去られる。

塚本訳 ルカ 13:23-30
13:23 するとある人が「主よ、救われる者は少ないでしょうか」と尋ねた。人々に言われた、
13:24 「全力を尽くして(今すぐ)狭い戸口から入りなさい。あなた達に言う、(あとになって)入ろうとしても、入れない者が多いのだから。
13:25 家の主人が立ち上がって戸をしめたあとで、あなた達が外に立って、『ご主人、あけてください』と言って戸をたたきつづけても、主人は、『わたしはあなた達がどこの人だか知らない』と答えるであろう。
13:26 その時あなた達はこう言い出すにちがいない、『わたし達はご一しょに飲んだり食べたりした者です。あなたはわたし達のところの大通りで教えてくださいました』と。
13:27 しかし主人は、『わたしはあなた達がどこの人だか知らない。『この悪者、みんな、わたしをはなれよ!』』と言うであろう。
13:28 あなた達はアブラハムやイサクやヤコブや、またすべての預言者たちが神の国におるのに、自分は外に放り出されるのを見て、そこでわめき、歯ぎしりするであろう。
13:29 また人々が『東から西から北から南から』来て、神の国で宴会につらなるであろう。
13:30 たしかに、最後であって一番になる者があり、一番であって最後になる者がある。」


塚本訳 マタ 25:1-12
25:1 (人の子が来る)その時、天の国は、十人の乙女がそれぞれランプを手に持って花婿を迎えに出かけるのたとえられる。
25:2 そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。
25:3 愚かな女たちはランプを持っていったが、(予備の)油を持ってゆかず、
25:4 賢い女たちは油を入れ物に入れて、ランプと一しょに持っていった。
25:5 ところが花婿がおそくなったので、皆眠気がさして眠っていた。
25:6 すると夜中に、『そら、花婿だ。迎えに出よ』と呼ぶ声がした。
25:7 そこで乙女たちは皆目をさました。それぞれランプを用意した。
25:8 愚かな女が賢い女に言った、『油を分けてくれませんか。わたし達のランプは(油がなくなって)消えそうです。』
25:9 賢い女は答えた、『自分たちとあなた達の分には、とても足りそうにない。それよりも店に行って、自分でお買いなさい。』
25:10 しかし彼らが買いに行っているあいだに花婿が着いたので、用意のできていた(賢い)女たちは花婿と一しょに宴会場に入り、戸はしめられた。
25:11 あとでほかの(愚かな)乙女たちも来て、『御主人さま、御主人さま、あけてください』と言った。
25:12 しかし主人は、『アーメン、わたしは言う。わたしはあなた達を知らない』と答えた(という話)。

塚本訳 ヨハ 12:35
12:35 するとイエスは(それには答えず、)彼らに言われた、「もうしばらくの間、光はあなた達のところにある。光のある間に(早く)歩いて、暗闇に追い付かれないようにせよ。暗闇を歩く者は、自分がどこへ行くのか知らない。

塚本訳 ルカ 16:16
16:16 (あなた達は聖書を誇るが、時代はもう変っている。)律法と預言書と([聖書]の時代)は(洗礼者)ヨハネ(の現われる時)までで、その時以来神の国の福音は伝えられ、だれもかれも暴力で攻め入っている。

塚本訳 ロマ 13:11
13:11 しかも、あなた達は今の時代を、すなわちもはや眠りからさめるべき時であることを、よく知っている(のだから、なおさらのことである。)今は、信仰に入った時よりも、わたし達の救いが近づいているのである。

塚本訳 Ⅱコリ6:1-2
6:1 それで、(この和睦の福音のために)わたし達は(神と)御一緒に働いているのであるから、なおこのことを勧める、あなた達は神のこの恩恵を受け取って(実を結ばせ)、むだにしないようにせよ。
6:2 『恵みの時にわたしはあなたの願いを聞きとどけ、救いの日にわたしはあなたを助けた。』と神は仰せられるではないか。見よ、今や『大いなる恵みの時』、見よ今や『救いの日』!


塚本訳 Ⅱコリ6:14-16
6:14 不信者と一緒に不似合いな軛を負うようになってはいけない。なぜというか。義と不法とはなんの共同関係があろう。また光は暗闇に対しなんの共通性があろう。
6:15 キリストがベリアルに対してなんの調和があろう、また信者は不信者となんの共同があろう。
6:16 神の宮が偶像となんの一致があろう。わたし達はたしかに生ける神の宮である。神がこう仰せられた。──『わたしは彼らの間に住みまた歩むであろう、わたしは彼らの神になり、彼らはわたしの民になる』

塚本訳 マタ 24:15-21
24:15 それで、預言者ダニエルをもって言われた『(聖なる所を)荒らす忌わしいものが聖なる所に』立つのを見たら[読者はここに隠された意味をよく考えるがよい]、
24:16 その時ユダヤ(の平地)におる者は(急いで)山に逃げよ。
24:17 屋根の上におる者は、下におりて家にある物を取りだそうとするな。
24:18 畑におる者は上着を取りに『(家に)もどる』な。

24:19 それらの日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、ああかわいそうだ!
24:20 逃げるのが冬や安息日にならないように祈れ。
24:21 その時、『世の始めから今日までになかった、』また(これからも)決してない『ような、』大きな『苦難が』臨むのだから。

塚本訳 Ⅰコリ7:29-35
7:29 兄弟たちよ、わたしが言うのはこのことである。──時は迫った。(だから)今から後は、妻を持つ者は持っていない者のように、
7:30 泣いている者は泣いていない者のように、喜んでいる者は喜んでいない者のように、(物を)買う者は(何も)持っていない者のように、
7:31 (つまり、)この世と交渉のある者は交渉がない者のように、しなくてはいけない。この世の姿は(じきに)消え去るのだから。
7:32 ただわたしはあなた達が、(この世のことに)気をつかわないでほしいのである。独身の男は、どうしたら主に喜ばれるかと、主のこと(ばかり)に気をつかうが、
7:33 結婚している男は、どうしたら妻に喜ばれるかと、この世のことに気をつかって、
7:34 心が割れるのである。また独身の女と処女とは、身も霊もきよくあろうとして、主のこと(ばかり)に気をつかうが、結婚している女は、どうしたら夫に喜ばれるかと、この世のことに気をつかうのである。

7:35 しかしこれはあなた達自身の利益のために言うのであって、(もちろん)罠に掛け(て束縛す)るのではなく、むしろあなた達が品位を保つため、かつまた、余念なく主のもとにあって動かされないためである。


塚本訳 Ⅰコリ7:1-5
7:1 また、あなた達が(わたしに)書いている(結婚の)ことについては、(こう答える。)──(出来れば)男は女に触れないがよい。
7:2 ただ不品行をさけるために、それぞれ自分の妻を持て、またそれぞれ自分の夫を持て。
7:3 夫は妻に対して(夫婦の)務めを果たせ、妻も同様に夫に対して務めを果たせ。
7:4 (夫婦の体は共有で、)妻は自分の体を自由にする権利をもたない。夫がそれをもっている。夫も同様に、自分の体を自由にする権利をもたない。妻がそれをもっている。
7:5 互に(夫婦の務めを)拒んではならない。ただ、祈りに身を捧げるため、申し合せの上でしばらく間をおき、あとでまた一しょになるような場合は別として。自制力が足りないのに乗じて、悪魔があなた達を誘惑することのないためである。

塚本訳 ルカ 16:9-13
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。
16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。
16:11 だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。
16:12 もし他人のもの[この世のこと]に忠実でなかったならば、だれがあなた達のもの[天のもの]をあなた達に与えようか。
16:13 しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。」

塚本訳 ルカ 12:16-20
12:16 そこで一つの譬を人々に話された、「ある金持の畑が(ある年)豊作であった。
12:17 『どうしよう、わたしの作物をしまいこむ場所がないのだが…』と金持ちはひそかに考えていたが、
12:18 やがて言った、『よし、こうしよう。倉をみなとりこわして大きいのを建て、そこに穀物と財産をみなしまいこんでおいて、
12:19 それからわたしの魂に言おう。──おい魂、お前には長年分の財産が沢山しまってある。(もう大丈夫。)さあ休んで、食べて、飲んで、楽しみなさい、と。』
12:20 しかし神はその人に、『愚か者、今夜お前の魂は取り上げられるのだ。するとお前が準備したものは、だれのものになるのか』と言われた。


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朝の黙想礼拝終わり。頭が正常で「祈れるうちに急いで祈ろう」 ●「急げ」とはがむしゃら行動を背よと言うのではない。神の力を信じてそれを呼び起すように「祈れ」ということなのだ。


●無教会のY兄が集会のTA氏の臨終に立ち会った記録をお教えくださった。危篤との知らせに深夜0時にご夫妻で病院に急行。枕頭の祈り。病院を去った10分後に召天。TA氏は安心されたのであろう。お疲れ様でした。そこで次のような慰労のメールを送った。

TA氏の臨終の立ち合いをされたY兄へ慰労のメール。一部省略改変
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〇〇兄

 

わたしはTA氏には貴集会で一度お会いしたことがあり、その風貌を存じあげています。息子も世話になったはずです。

最近図書館で文芸春秋8月号の特集を読んでいますが、その中で柳田邦男氏が、いま日本に必要なのは「臨床宗教師」だと言って、事例を示していました。

医学が届かない分野がこのスピリチャルケアで、これは誰もが必要とすることであり、実効性があります。

無教会に欠けていることはこの方面であり、〇〇兄は我々が学ぶべき模範を示してくださいました。それが可能になるためには普段からの「信仰の交わり」が必要であることも知りました。集会メンバーがかわるがわるTA氏の臨床に訪れたことなどはエクレシアの真の姿の現れでした。

今回〇〇兄はよい模範をお示し下さり感謝です。TAさん万歳!。復活の朝まで安らかにお眠り下さい。

〇〇兄におかれましてはなお各種の御働き、主が力をお与えくださいますように。

〇〇兄の言葉「特別な準備をしなくても聖霊の導きにより、霊とまことに満ちた恵み豊かなる礼拝(葬儀)となると確信しています。」は、ヒルティに言わせれば、神に導かれている者の「前払いの報酬」だと思いました。しかし「心はやれど肉体弱し」です。肉体の疲れが出ませんように。

〇〇夫人も陰の御働きで肉体がお疲れのことと思います。主に支えられますように。

 

高橋照男

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TA氏の臨終の立ち合いをされたY兄へ慰労のメール。一部省略改変  おわり

●母を看取ったホスピスの医師の話。「癌の痛みは今後の医学の発達で緩和されていくであろう。しかしこれから必要なのはメンタルケア」。これを聖書的に考えると次だ。「臨床宗教師」の必要を感じる。
●午後は図書館とムラウチホビー
●妻はコーラスの練習。バッハ「ロ短調ミサ」

口語訳 箴  18:14
18:14 人の心は病苦をも忍ぶ、しかし
心の痛むときは、だれがそれに耐えようか


新改訳 箴  18:14
18:14 人の心は病苦をも忍ぶ。しかし、ひしがれた心にだれが耐えるだろうか。


新共同 箴  18:14
18:14 人の霊は病にも耐える力があるが/
沈みこんだ霊を誰が支えることができよう。


●午後は図書館とムラウチホビー
●妻はコーラスの練習。バッハ「ロ短調ミサ」
●明日の家庭礼拝の準備。「永遠の命はいかにして証明されるか」
●BD、ヨエル書

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あきる野夏祭り。神輿が何台も出ている。縁日。普段見かけない人が多く出てくる。













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