to 日記と感想 2014年09月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170812(土)14:00お江戸こらりあーず演奏会、文京シビックホール
    170821(土)15:00お江戸コラリアーズ定期演奏会、文京公会堂
    170809     TW誕生日
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170708(土)14:00在宅医療説明会(キララホール)
    170707(金)10:00池谷医院
    170706      TM誕生日
    170702(日) 集会感話
    170701      TT誕生日
    170630(金)12:20キララホールエントランスコンサート
    170628      IY誕生日
    170627(火)11:00 能城牧師来訪
    170625)日)10:10トミ子集会感話
    170625(日)14:00茅ヶ崎金子邸
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール
    170610(土)14:00内村鑑三セミナー、立教大学12号館。矢田部、椚」山
    170609(金)   TS命日
    170608(木)12:15ボリショイ「白鳥の湖」、東京文化会館
    170707(水)10:00池谷医院
    170604(日)10:00集会感話、
    170604(日)16:30近藤恵邸起工式、福島市。
    170530(火)14:00田岡氏来訪
    170527(土)14:00今井館ピアノコンサート
    170521(日)14:00新宿フィル、ブラームス1番、レスピーギ「鳥」「ローマの松」。和田睦夫
    170425       TN)誕生日
    150420(木)09:30阿伎留センター泌尿器科)
    170416(日)14:00武蔵野室内合奏団、杉並公会堂(大坪満子)


なぜ俺だけいじめるんだよー ++++++++ 所感

2014/09/30 06:23

190930(火)3時半目覚め、朝の啓示「神に十字架を負わされる時」●キリスト者の皆様お早うございます。人生には不可解な不条理な苦しみに遭遇します。その時キリスト者は一人で泣きます。「なぜ俺だけいじめるんだよー」と。●しかしその十字架の時が神に愛されている時、神に召される時だ。神が姿を現してくださる時だ。世のキリスト者よ、「ひるむな」。●イエスもゲッセマネの祈りで一時は「この盃を遠ざけて下さい」とひるんだではないか。パウロも自分の刺を抜いてくれと三度も祈ったではないか」●キリスト者の「使命」はなにか主のために「よかれ」と思うことを「行為」することではない。「実行することではない」。そんなことは神が目を背ける。神によって嫌な、重い、恥の十字架を無理に負わされることなのだ。●キリスト者の不幸、失敗、挫折、直りにくい病、追放迫害、そこに神が世を救う摂理、経綸があるのだ。●ヒルティは人生の使命として「バルナバのような人になれ」と言っている、バルナバとは訳すると「慰めの子」である。●「慰めの子」になるには「同病相哀れむ」でなければできない。●自分が満たされていて「大所高所から説教する」態度では福音は伝わらない●初代教会では伝道者達が集まった時、迫害のために体に何か傷を負った跡がないと恥ずかしかったと言われる。イエスにもパウロにも鞭で打たれた傷が無数にあったはずだ。●イエスは最後に「わが神、わが神、なんぞ我を見捨て給うや」と泣き叫んで苦悶のうちに死んだ。これはイエスは信仰を失ったのだと解す。神に捨てられたイエスの「言葉」なのだ。神の目的であった。身代わりで死んだイエスの「使命」を証明する言葉なのだ。今朝はこれらのことを巡って頭に思いつく言葉を思いつくままに黙想してみよう。

新共同 哀 3:27-29
3:27 若いときに軛を負った人は、幸いを得る
3:28 軛を負わされたなら/黙して、独り座っているがよい
3:29 塵に口をつけよ、望みが見いだせるかもしれない


●「艱難汝を玉にす」ではない。ここででいう「幸い」とは神からの祝福だ。この世の人が目指す幸福ではない。
●軛を負わされたら隠れて密かに泣けばよい。大泣きすればよい。神が現れてくださる。
●14年前、家屋全焼の4か月後に脳出血で入院したとき、窓から夏雲を見て「なぜ俺だけいじめるんだよー」と泣いた。
●集会の御夫人が、「神様は高橋さんを『これでもかこれでもか』とお打ちになっているのですよ」と慰めてくださった。その方はもう召された。
●28節の口語訳は次である。「主が」がある。

口語訳 哀 3:28
3:28 主がこれを負わせられるとき、ひとりすわって黙しているがよい。


●一昨日見た福島の子供たちの甲状腺の悪化状態のドキュメンタリー映画(米国人が撮影した!)の中で一人の母親は「子供たちに何と申し訳が立つのだ。『悔しい』」と言って泣いていた。
●人生には「悔しい」と言って泣く時がある。しかしそれが主に大使命を負わされた時なのだ。
●福島の子供達は十字架を負わされた。
●ナニ、イエスだって十字架が重くて負いきれずにクレネ人シモンに負ってもらった。
●十字架は自力では負えない。その重みに崩れ落ちる時、苦悶で倒れる時、主の目的は達するのだ。

塚本訳 マタ 5:10-12
5:10 ああ幸いだ、信仰のために迫害される人たち、天の国はその人たちのものとなるのだから。
5:11 わたしゆえに罵られたり、迫害されたり、あらん限りの根も葉もない悪口を言われたりする時、あなた達は幸いである。
5:12 小躍りして喜びなさい、褒美がどっさり天であなた達を待っているのだから。
あなた達より前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。

●プロテスタント教会の牧師、カトリックの司祭が「追放」される話をしばしば耳にする。大抵は信者連中が悪い。自分の心にすっきりしない人をはじき出そうとするのである。そういう信者は大抵「徒党」を組む。
●私は言う。聖書を知らない愚かなる信者よ、自分でやってみろ。「耳触りの良い話」を聴きに行くのが信仰ではない。教会や集会を繁盛させるのが「信仰の業」なのではない。イベント集会を開くのが「主のため」なのえではない。
●イエスも職業宗教家や愚衆に「徒党」を組まれ、弱腰のピラトによって十字架につけられた。
●世の伝道者、牧師、司祭よ「ひるむな」。

塚本訳 ロマ 10:2-3
10:2 彼らは神に対して(ほんとうに)熱心だからである。そのことを彼らのために証明する。ただ、(残念なことに、その熱心が正しい)認識を欠いている
10:3 すなわち、彼らは(キリストを信ずることによって義とされる)神の義(の道が開けているの)がわからず、(自分の力律法を守って)自分の義を立てようとしたため、神の義に服従しなかったのである。


●世のキリスト者で自分の義を立てようとする不信仰人間は、すぐイベントをやりたがる。熱心は認めるが的外れで真の効果は薄い。主の十字架を負うことが真の「イベント」であることを知らない。
●またすぐ本を出したがる学者がいる。信仰の著作をこの世の「学会」と同列においてはいけない。
●人間の頭え「よかれ」と思う本は意外に役に立たない。
●関根正雄先生が苦労されて出された岩波版の分冊旧約聖書は先生の晩年に教文館から4冊にまとめられて大型本として出されたが、これは先生ご自身が言われるように意外と「反響」がなかった。苦労された書かれた「注」が」大部分削除されているからだ。
●キリスト教出版社の頭で「よかれ」とおもうことは大抵神によろこばれない。これは何事も同じだ。
●キリスト者はすに十字架を負わされて苦悶の鵜tに死ぬのでよいのだ。神が認めてくださる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想瞑想礼拝おわり。キリスト者は皆十字架を負わされている。「ひるむな」「神に向かって泣け」。


●TSK日本語版イザヤ書22章
●昨夜は睡眠不足か、昼食後テレビを観ながら昼寝。
●午後に散歩。
●日本卓球女子団体戦、中国に敗れる。

●17:00 中学同窓のATさん(旧姓)と電話で懇親懇談。55年ぶり、お互いの幸せてを確認し合って感謝。

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神の力を実感する時 ++++++++ 所感

2014/09/29 08:47

140929(月)キリスト者の皆様お早うございます。

2014_09290005.jpg 
早朝散歩。大好きなコスモス。遠景は奥多摩連山


●今朝は「神の力を感じる時」について黙想します。●聖書はあちこち読んで「アーソーカ」と思った時が「読めた」時なのであって、他人の感じたことを振り回すのは「聖書の読み」ではない。●その点、無教会は学者の後を追いかけているから「力がない」●今朝は神の力を感じること、また感じたことを掲げてみよう。


●結婚はどんないきさつでも神の合わせたもうことである。塚本訳の敷衍の(皆)は伝道者の敷衍。苦心の訳。血のにじんだ涙の訳。

塚本訳 マタ 19:6
19:6 従って、もはや二人ではない、一体である。だから夫婦は(皆)神が一つの軛におつなぎになったものである。(どんな理由があっても)人間がこれを引き離してはならない。」


●結婚式では神の力を感じる。特にヘンデル「水上の音楽」のなかの『エアー』は結婚式に流されるが、バルトはこの世は全く神の秩序が壊れてしまっていると言ったのに対し、ブルンナーは完全には壊れていない。その一つが結婚(結婚式?)だと言った。

塚本訳 マタ 21:16
21:16 イエスに言った、「あの子供たちがなんと言っているのか、聞えているのか。」イエスは言われた、「聞えている。あなた達は『(神よ、)あなたは幼児と乳飲み子との口によって、(御自分のために)賛美をお備えになった』と詩篇にあるのを、まだ読んだことがないのか。(大人が黙っているから、子供が叫ぶのだ。)」


●これは詩編の引用である。イエスは詩編を愛読していたのだろう。

口語訳 詩  8:2
8:2 みどりごと、ちのみごとの口によって、ほめたたえられています。あなたは敵と恨みを晴らす者とを静めるため、あだに備えて、とりでを設けられました。


●結婚に猛反対した親も、孫の顔を見ると、急変し、「神の方が上だ」「神は承認した」と思うものだ。

塚本訳 ルカ 2:25-32
2:25 さて(そのころ)エルサレムに名をシメオンという人がいた。この人は正しい、信心深い人で、イスラエルの慰め(である救世主)を待ち望み、聖霊が彼をはなれなかった。
2:26 かつ主の救世主を見ないうちは決して死なないと、かねて聖霊からお告げを受けていた
2:27 (この日)御霊に感じて宮に行くと、ちょうど両親が、律法の仕来りどおり幼児イエスに行おうとして彼をつれて入ってきたので、
2:28 シメオンは幼児を両腕に抱き、こう言って神を讃美した。──
2:29 今こそ、主よ、あなたはこの僕をしてお言葉のとおり安らかに(この世に)暇乞いをさせてくださいます、
2:30 わたしの目が『もうあなたの救いを拝見しました』からです。
2:31 この救いこそ、あなたが『全人類の(ため、その)目の前で』用意されたもの、
2:32 『異教人には啓示を、』あなたの民『イスラエルには栄光をあたえる』『光』であります。


●シメオンはイエスを見て「ピン」と来たのはすごい。

塚本訳 ルカ 2:50-52
2:50 両親にはこう言われた言葉(の意味)がわからなかった。
2:51 それからイエスは一しょに(エルサレムから)下ってナザレに帰り、両親につかえられた。母(マリヤ)はこのことを皆胸に秘めていた。
2:52 イエスは知恵も身の丈も、』また神と人との寵愛も、いやましに増していった。』


●イエスは人間的に「いい子」だったのではなく、神の寵愛があったらしい。それをなんとなく感じたははマリヤは偉かった。

塚本訳 マタ 1:18-21
1:18 さてイエス・キリストの誕生はこのようであった。──イエスの母マリヤがヨセフと婚約の間柄で、まだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重となっていることが知れた。
1:19 夫ヨセフはあわれみぶかい人であったので、(これを公沙汰にして)女を晒し者にすることを好まず、内緒で離縁しようと決心した。
1:20 しかし(なおも)そのことを思案していると、主の使いが夢でヨセフに現われて言った、「ダビデの末なるヨセフよ、心配せずにあなたの妻マリヤを(家に)迎えよ。胎内にやどっている者は、聖霊によるのである
1:21 男の子が生まれるから、その名をイエス(訳すると、神はお救いになる)とつけよ。この方がその民を罪からお救いになるのだから。」


●マリヤだけでなく夫のイエスも偉かったなー。

塚本訳 マタ 6:26-30
6:26 空の鳥を見てごらん。まかず、刈らず、倉にしまいこむこともしないのに、天の父上はそれを養ってくださるのである。あなた達は鳥よりも、はるかに大切ではないのだろうか。
6:27 (だいいち、)あなた達のうちのだれかが、心配して寿命を一寸でも延ばすことが出来るのか。
6:28 また、なぜ着物のことを心配するのか、野の花の育つのを、よく見てごらん、苦労をせず、紡ぐこともしない。
6:29 しかし、わたしは言う、栄華を極めたソロモン(王)でさえも、この花の一つほどに着飾ってはいなかった。
6:30 きょうは花咲き、あすは炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこんなに装ってくださるからには、ましてあなた達はなおさらのことではないか。信仰の小さい人たちよ!


●伝説によれば、イエスの家は父親が早くに亡くなって貧困。父ヨセフの姿はわからないが、イエスが「神を父」と呼んだその一言でいヨセフの人となりが分かるというものだ。

塚本訳 ルカ 11:11-13
11:11 あなた達のうちのどんなお父さんでも、子が魚を求めるのに、魚の代りに蛇をやるだろうか。
11:12 また卵を求めるのに、蝎をやるだろうか。
11:13 してみると、あなた達は悪い人間でありながらも、自分の子に善い物をやることを知っている。まして天の父上が、求める者に聖霊(という善いもの)を下さらないことがあるだろうか。」


●父ヨセフはイエスが何歳の頃に死んだのだろう。伝説によればかなり早くに亡くなって、その後イエスは母と弟妹(?)を抱えて「生活の苦労を下に違いない。

塚本訳 マコ 4:26-27
4:26 また言われた、「神の国はこんなものだ。──ある人が地に種を蒔き、
4:27 夜昼、寝起きしていると、種は芽生えて育ってゆくが、本人はその訳を(すら)知らない


●早朝散歩で草や花を見ると一晩中育っていたのだなーと、そこに「神の力を感じるのだ。

口語訳 詩  19:1-6
19:1 もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす
19:2 この日は言葉をかの日につたえ、この夜は知識をかの夜につげる。
19:3 話すことなく、語ることなく、その声も聞えないのに、
19:4 その響きは全地にあまねく、その言葉は世界のはてにまで及ぶ。神は日のために幕屋を天に設けられた。
19:5 日は花婿がその祝のへやから出てくるように、また勇士が競い走るように、その道を喜び走る
19:6 それは天のはてからのぼって、天のはてにまで、めぐって行く。その暖まりをこうむらないものはない。



●散歩で青い空、白い雲、上る朝日を見るとそこに神の力を感じるのだ。

口語訳 伝  11:1
11:1 あなたのパンを水の上に投げよ、多くの日の後、あなたはそれを得るからである


●「意外なこと」が起こって」人が救われる時、そこに「神の力」を感じるものだ。「神はヤッテくれた」と思うものだ。人の救いは年月がかかるものだ。人の救いは「神の力」

塚本訳 ロマ 1:15-16
1:15 だからローマのあなた達にも福音を伝えることが、わたしの願いである
1:16 わたしは(決して)福音を恥じない。福音は神の力で、これを信ずる者を一人のこらず、すなわち、まずユダヤ人、次に異教人を、救いに入れるからである。


●私の残る時間の願いはこれだ。それは思想ではない。神学ではない。神のがあることを教えるのだ。

塚本訳 Ⅰコリ1:21-25
1:21 なぜなら、(この)世(の人)が自分の知恵により(判断し)、神の知恵(の現われである御業)において神を認めることをしないので、神は馬鹿な(ことと見える十字架の)説教によって信ずる者(だけ)を救おうと、お決めになったからである。
1:22 実際、ユダヤ人は(信ずるための証拠に神からの不思議な)徴を乞い、異教人は(真理を知るために)知恵を求めるが、
1:23 わたし達は十字架につけられたキリストのこと(だけ)を説く。すなわち、ユダヤ人にはつまづき、異教人には馬鹿なことであるけれども、
1:24 (神に)召された者だけには、ユダヤ人、異教人の別なく、(これこそ)神の力、また神の知恵なるキリストを(説くのである)。
1:25 というのは、神の(業はどんなに)馬鹿なこと(に見えても、それ)は人よりも知恵があり、神の(業はどんなに)無力(に見えても、それ)は人よりも力があるからである。


●十字架の神学を説くのではない。「神の力」の実在を説くのだ。

塚本訳 Ⅰコリ1:17-18
1:17 救世主がわたしをお遣わしになったのは、洗礼を授けさせるためでなく、福音を説かせるためなのだから。それも、言葉の上の知恵をもって(説くの)ではない。それでは(人間の言葉の力が大きくなり)、キリストの十字架(の救い)が空虚なものになる恐れがあるからである。
1:18 なぜか。この十字架についての言葉は、滅びゆく者には馬鹿なことであるが、わたし達救われる者には、神の力(の現われ)であるから。


●救いは神の力。神の力によって人は救われる。

塚本訳 ルカ 24:32
24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。


●イエスの墓が空になったことを読んでいた時、急に胸が熱くなってイエスの「有体的復活」を信じられるようになった。後日そのことをを新約聖書額の泰斗である荒井献先生に申し上げたら「佐藤研苦(荒井先生の弟子)と話し合ったが、そrは聖霊が降ったからだ」とお手紙を下さった。確かに神の力を感じたのだ。

塚本訳 Ⅱコリ13:4
13:4 ほんとうに、彼は弱さのゆえに十字架をつけられ(て死なれ)たけれども、神の力によって、いま生きておられるからである。同様に、わたし達も彼と結びついているので弱いけれども、彼と共に、神の力により、あなた達に対して(強く)生きるだろうからである。


●14年前に私は脳出血で倒れ「意識不明」になった。しかし手厚い看護と祈りに酔って一命を取りとめた。そのとき実感したのは「この肉体の命は99%でなく、100%神の手に握られているのだ思ったの絵ある。人の手の及ばないところ神の力が働くのだ。
●死人はよみがえる。霊的死人の不信者放蕩息子も99%でなく全く100%神の力で救われるのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
差の瞑想黙想礼拝終わり。

●7:30 妻は合唱団の合宿練習のために清里の「伊予ロッジ」に出発
●10:00 福島のKHと電話懇談懇親
●TSK日本語版イザヤ書21章
●小高毅著「クレドー」を読む。「クレドー」の原点は新約聖書にあることを知って「我が家」に帰ってきたようであった。

2014_09290011.jpg 
東の窓の前に蜘蛛。妻に蜘蛛の巣は壊すなと言ってある。建築士としては「せっかく作ったもの」を
壊すのは可愛そうだからである。
一寸の虫にも五分の魂。神の力を感じる。
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御嶽山噴火は「時の徴」 ++++++++ 所感

2014/09/28 05:54

140928(日)4時15分起床。キリスト者の皆様お早うございます。●昨日は午前11時53日に御嶽山が噴火しました。これをキリスト者としてどうとらえるか、悩みのうちに寝ましたが、夜半に啓示を受けました。「これは時の徴だ」と。●世の禍を見て、つまり自然災害や疫病や建築や交通災害などに遭遇したとき、そこに神の働きを感じるか,反対に何も感じないかは永遠の差がある。つまり神を畏れるか畏れないかは理屈や思索ではなく信仰の問題である。神の心を感じられる人は神の恩恵である。その二種の人間の間には「渡れない溝」がある。
●信じる人にはこの世のなにもかにもが「神のなさる業」と信じられ、信じない人にはなにもかも無人格な偶然のできごとのように思える。●だから神を信じない人はその禍が来ないように予防したり「予知」することに血眼である。その行為の熱心は認めるが、的外れである。神に祝福されないから残念ながらその行為は成果が上がらない。●地震や火山噴火や台風を無駄だから「予知するな」というのではない。予知すれば「逃げる」ことができる。「予知予測」は大切である。
●しかしそういう「予知科学」は祈りの中に良い発想が湧いて「不信仰者」に勝って良い科学的成果が得られるのだ。神がツイテいるのだ。宗教に逃げるのではない。「宗教的直観」「信仰的啓示」でよい科学的的成果が与えられるのだ。

口語訳 詩 127:1-2
127:1 主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい。
127:2 あなたがたが早く起き、おそく休み、辛苦のかてを食べることは、むなしいことである。主はその愛する者に、眠っている時にも、なくてならぬものを与えられるからである。



●イエスも「時の徴」を感じたら「逃げよ」と言った。

塚本訳 マコ 13:14
13:14 しかし『(聖なる所を)荒す忌わしい者が』立ってはならない(聖なる)所に立つのを見たら[読者は(ここに隠された意味を)よく考えるがよい]、その時ユダヤ(の平地)におる者は(急いで)山に逃げよ


塚本訳 ルカ 21:21
21:21 その時ユダヤの平地におる者は(急いで)山に逃げよ。都の中におる者は立ち退け。田舎におる者は都に入るな。



●初代キリスト教徒は本土決戦のユダヤ教徒たちに「売国奴」「裏切り者」とののしられながらもペラという山岳地に逃げた。移住した。その結果福音は残り世界を変える原動力となった。人間の力を過信してローマ軍に立ち向かった人達は滅んで歴史から姿を消した。
●神を信じない人間は信仰深き人間の態度を常にあざ笑う。

塚本訳 ヘブ 11:6-7
11:6 信仰がなければ『(神の)お気に入ることは』出来ない。神に近づく者は、神がいますことと、彼をさがし求める者に報いを与える者であることを、信ずべきだからである。
11:7 信仰によって、ノアはまだ見ないもの[洪水]について(神の)お告げを受け、自分の家族を救うために恐れかしこんで箱船を造った。この信仰(の行い)のゆえに(残りの)世界の罪は決まり、彼は信仰による義の相続人となった。


塚本訳 ルカ 16:14
16:14 金の好きなパリサイ人の人々は一部始終を聞いて、イエスを鼻で笑った。(富は信仰の褒美と考えていたのである。)


塚本訳 ルカ 8:52-53
8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。」
8:53 人々は死んだことを知っているので、あざ笑っていた


●「あざ笑う」と言えば戦時中のこと特高が矢内原先生を呼び上げたとき、先生が見せた「嘉信」誌を一瞥して「フン」と鼻で笑い、そばの椅子に放り投げた。日本が負けた時に先生は「汝の『フン』が日本を滅ぼしたのだ」と言った。
●神を信じる人間と信じない人間には深い溝があって、渡れない。人間的努力やヒューマニズムで「注意勧告」しても渡ってこられない。イエスは言う。

塚本訳 ルカ 16:24-26
16:24 声をあげて言った、『父アブラハムよ、どうかわたしをあわれと思ってラザロをよこし、指先を水にひたしてわたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの焔の中でもだえ苦しんでおります。』
16:25 しかしアブラハムは言った、『子よ、考えてごらん、あなたは生きていた時に善いものを貰い、ラザロは反対に悪いものを貰ったではないか。だから今ここで、彼は慰められ、あなたはもだえ苦しむのだ。
16:26 そればかりではない、わたし達とあなた達との間には大きな(深い)裂け目があって、ここからあなた達の所へ渡ろうと思っても出来ず、そこからわたし達の所へ越えてくることもない。』



塚本訳 ルカ 16:28-31
16:28 わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。』
16:29 しかしアブラハムは言う、『(その必要はない。)彼らにはモーセ(律法)と預言書と[聖書]がある。その教えに従えばよろしい。』
16:30 彼が言った、『いいえ、父アブラハムよ、もしだれかが死人の中から行ってやれば、きっと悔改めます。』
16:31 しかしアブラハムは答えた、『モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。』」


●天地の異変に神の心を感じるか感じないかは人間の「教育」では不可能。それは天来のものである。神を信じない人間は相手にするな。説得は絶対に不可能。 イエスもそういう人間を「捨てた」。

塚本訳 マタ 16:2-4
16:2 彼らに答えられた、「あなた達は夕方には『(明日は)天気だ、空が焼けているから』と言い、
16:3 また朝早く、『きょうは荒れだ、空が雲って焼けているから』と言う。あなた達は空の模様を見分けることを知っていながら、時の(せまった)徴を見分けることが出来ないのか。
16:4 この悪い、神を忘れた時代の人は、徴をほしがる。しかしこの人たちには、ヨナの徴以外の徴は与えられない。」イエスは彼らをすてて立ち去られた。


塚本訳 ルカ 13:1-5
13:1 ちょうどその時、人が来て、(総督ピラトが犠牲をささげている)ガリラヤ人たちを殺し、その血が彼らの犠牲(の血)にまじったことをイエスに報告した。
13:2 その人たちに言われた、「そのガリラヤ人たちはそんな目にあったので、(ほかの)すべてのガリラヤ人よりも罪人だったと思うのか。
13:3 そうではない。わたしは言う、あなた達も悔改めなければ、皆同じように滅びるであろう。
13:4 またシロアムの(池の)近くの櫓が倒れて(下敷になって)死んだあの十八人は、(当時)エルサレムに住んでいた(ほかの)すべての人よりも罪人だったと思うのか。
13:5 そうではない。わたしは言う、あなた達も悔改めなければ、皆同様に滅びるであろう。」

塚本訳 マタ 24:3-7
24:3 オリブ山に坐っておられると、弟子たちだけでそばに来て言った、「(宮がくずれると言われますが、)そのことはいつ起るか、また、あなたの来臨と世の終りとには、どんな前兆があるか、話してください。」
24:4 そこでイエスが答えてこう話された。──「人に迷わされないように気をつけよ。
24:5 いまに多くの人があらわれて、『救世主はわたしだ』と言ってわたしの名を騙り、多くの人を迷わすにちがいないから。
24:6 戦争(を目のあたりに見たり、)また戦争の噂を聞くであろうが、あわてないように注意せよ。『それはおこらねばならないことである』が、しかしまだ最後ではない。
24:7 (世の終りが来る前に)『民族は民族に、国は国に向かって(敵となって)立ち上がり、』またここかしこに飢饉や地があるのだから。


●人間には二種あって差がある。一方は神に祝福された人。神を畏れかしこむ人。彼の手の業は栄える。一方は神を信じない人。人間には一時的に賞賛されるがヒューマニズムレベルのことだから長続きしない。
 ●神の力を信じない「活動家」「社会派」信者は信仰のみの人間を怠慢とおもって非難するが、そういう人間の方が神の力を信ずることをしない怠慢である。
●神に祝福された「残りのもの」はいる。

口語訳 詩  1:1-3
1:1 悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。
1:2 このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。
1:3 このような人は流れのほとりに植えられた木の/時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える


塚本訳 ルカ 2:14
2:14 いと高き所にては神に栄光、地上にては(いまや)平安、御心にかなう人々にあり!


塚本訳 ルカ 1:28
1:28 天使は乙女の所に来て言った、「おめでとう、恵まれた人よ、主があなたとご一しょだ!」

塚本訳 マタ 16:17
16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから。

塚本訳 マタ 5:5
5:5 ああ幸いだ、『(踏みつけられて)じっと我慢している人たち、』、『(約束の)地(なる御国)を相続する』のはその人たちだから。


塚本訳 ロマ 9:27
9:27 (預言者)イザヤもイスラエル人について叫んでいる。『たとえイスラエル[ヤコブ]の子孫の数は海の砂のように(多数)であろうとも、(信ずる小数の)残りの者(だけ)が救われる。


塚本訳 ロマ 11:4-5
11:4 ところが彼に対する神のお告げはどうであるか。──「『わたしは(異教の神)バアルに膝をかがめなかった男子七千人を』自分のために『残しておいた。』」
11:5 だから、同じように今の世にも、恩恵の選びによる残りの者がある。


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朝の啓示黙想瞑想礼拝終わり。残りの者はいる。HPの応答でそれを実感する。

●集会は川上(司会)、高橋トミ子(葡萄園の労働者の譬。マタイ20:1-16.)

●私の感想。ここの解明は、最後の16節。

塚本訳 マタ 20:16
20:16 このように、最後の者が一番になり、一番の者が最後になるであろう。」

これが、その前のまた「金持ちの青年」(マタ19:16-22)と「金持ちと神の国」(マタ19:23-26)
「すてる者の幸福」(マタ19:27-30)の最後と同じであることにヒントがある。、

塚本訳 マタ 19:30
19:30 しかし(決して油断をしてはならない。)一番の者が最後になり、最後の者が一番になることが多い。

●つまり、財産を捨てるような「人間の行為」で人はは救われないことを示している。救いは神の絶対主権によるのであることを示す。

●横田淳(北欧のキリスト教)

●午後、妻は合唱の練習

●15:10 あきる野ルピアで映画「『A2-B-C』が描き出す真実」を観た。米国映画で福島原発以降の福島の子供たちを追ったドキュメンタリー映画。『A2-B-C』とは、甲状腺に発生した嚢胞(のうほう)や結節(しこり)の大きさによる判定レベルを表す指標。二本松の孫と両親のことを思い胸が痛んだ。福島は忘れられている一方、このように忘れない人達の会合もあることを知って心強かった。







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神は見つけ出すまで探す ++++++++ 所感

2014/09/27 06:33

140927(土)悪夢。探し物を見失う。目が覚めて「あー夢でよかった」と思う。午前一時半、トイレに行ってからあとは寝付けず黙想。5時半起床。早朝散歩で瞑想。

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早朝散歩。東雲(しののめ。まだ太陽があがらない前に東の空の雲が茜色に映えること)
あー麗しきシオンの朝、光ぞ照り照りそめける (讃美歌216番)


●神は見失ったものを見つけ出すまで探す。その能力がある。

塚本訳 ルカ 15:4
15:4 「あなた達のうちのだれかが羊を百匹持っていて、その一匹がいなくなったとき、その人は九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を、見つけ出すまではさがし歩くのではないだろうか。


塚本訳 ルカ 15:8
15:8 また、どんな女でも、ドラクマ銀貨[五百円]を十枚持っていて、もしその銀貨を一枚無くしたとすれば、明りをつけて家(中)を掃き、それを見つけ出すまでは、丹念にさがしつづけるのではないだろうか

塚本訳 ルカ 19:10
19:10 人の子(わたし)は『滅びうせた者をさがして』救うために来たのである。」


●滅びゆく身内への心配

塚本訳 ルカ 16:28
16:28 わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。』

塚本訳 ロマ 9:3-4
9:3 ほんとうに、兄弟すなわち血を分けた同胞の(救われる)ためならば、このわたしは呪われて、救世主(の救い)から離れ落ちてもよいと、幾たび(神に)願ったことであろう。
9:4 (言うまでもなく、)それはイスラエル人のことである。(彼らは神の)子たる身分(を与えられ、神の)栄光(はその中に住み、)かずかずの契約(は神との間に結ばれ、比類のない)律法、(荘厳な)礼拝、多くの(恩恵の)約束は、(ことごとく)彼らのものである。

●神の救いの業に対する身内の果たすべき役割。神はそのために家庭家族制度を設けたのではあるまいか。 家庭は重荷であるが、それが救いのための摂理、経綸ではあるまいか。

塚本訳 マコ 9:20-22
9:20 人々がイエスの所につれて来ると、霊はイエスを見るや否や、その子をひどくひきつけさせたので、子は地に倒れ、泡をふきながらころげまわった。
9:21 イエスが父親に尋ねられた、「こうなってから、どのくらいになるか。」父親がこたえた、「子供の時からです。
9:22 霊はこの子を殺そうとして、幾たびか、火の中、水の中に投げ込みました。それでも、もしなんとかお出来になるなら、わたしども(親子)を不憫と思って、お助けください。」


塚本訳 ヨハ 11:1-3
11:1 さて、ラザロというひとりの病人があった。。マリヤとその姉妹マルタとの村、ベタニヤの人である。
11:2 このマリヤは主に香油を塗り、髪の毛で御足をふいた女であるが、病気であったラザロはその兄弟であった。
11:3 マリヤとマルタとはイエスに使をやって、「主よ、大変です。あなたの可愛がっておられる人が病気です」と言わせた。


●神は霊的死人を救う。それは死人の復活という目に見える形で教えてくれた。神を信じない身内は霊的死人。しかし神はその死人を生き返らせる。

塚本訳 ルカ 8:52-55
8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。」
8:53 人々は死んだことを知っているので、あざ笑っていた。
8:54 しかしイエスは女の子の手を取り、声をあげて「子よ、起きなさい!」と呼ばれると、
8:55 霊がもどって、即座に女の子は立ち上がった。イエスは(何か)食べさせるように言いつけられた。


塚本訳 ルカ 7:11-15
7:11 そのあとで、ナインという町に行かれた。弟子たちおよび多くの群衆も一しょに行った。
7:12 町の門の近くに来られると、ちょうど、ある独り息子が死んで、(棺が)舁き出されるところであった。母は寡婦であった。町の人が大勢その母に付添っていた
7:13 主は母を見て不憫に思い、「そんなに泣くでない」と言って、
7:14 近寄って棺に手をかけ──担いでいる者は立ち止まった──「若者よ、あなたに言う、起きよ!」と言われた。
7:15 すると死人が起き上がって物を言い出した。イエスは『彼を母に渡された。』


●人が救われるには「犠牲死」「ないしは「苦しみ」が必要だ。家族身内の苦痛の意味はここにある。誰も犠牲なくして救われない。

塚本訳 ヨハ 12:24
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)


塚本訳 ヨハ 16:20-22
16:20 アーメン、アーメン、わたしは言う、(わたしがいなくなると)あなた達は泣いて悲嘆にくれるが、この世は喜ぶであろう。あなた達は悲しむが、その悲しみは(やがて)喜びにかわるであろう。
16:21 女が子を産む時には、女の(宿命の)時が到来したので悲しみがあるけれども、子が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはや(お産の)苦しみを覚えていない。
16:22 だから、(同じく)あなた達にも今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなた達に会うのだから、(その時)あなた達の心は喜ぶであろう。そしてあなた達からその喜びを奪う者はだれもない。


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朝の黙想瞑想礼拝終わり。身内の救いの心配は我々以上に深く神が心配してくださっている。そして救い出すまで探し続けて下さる。

●NHK連続TVドラマ「花子とアン」最終回。視聴率25%。主人公村岡花子の通った学校は「東洋英和」、勤務した会社は「教文館。私は小さい頃村岡花子が朗読するラジオを聞いていた。その時の最後の「朗読は村岡花子でした」という」口調が忘れられない。彼女は一人息子を亡くした痛みを持っていた。
●過日孫娘から手紙が来て最後に「ごきげんよう、さようなら」とあった。これはこのドラマのナレーションの毎回の最後のことば。
●孫娘から妻に携帯メール。「漢字検定受かったよー」。喜ぶものと共に喜べ。 

文語訳 ロマ 12:15
12:15 喜ぶ者と共によろこび、泣く者と共になけ。

塚本訳 ロマ 12:15
12:15 喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣け。

●孫息子から手紙。「学校で劇をやるから見に来て」と。孫が字を書けるようになって手紙をくれるようになったのはうれしい。
●昼の散歩で図書館。すっかり秋になった。




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「死人の復活」の衝撃と湧きあがった喜び ++++++++ 所感

2014/09/26 06:15

140926(金)5時半起床、朝の啓示「死人の復活と湧き上がった喜び」。10月5日の感話のタイトル変更。「湧き上がった喜び」を追加。すぐ早朝散歩

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早朝散歩。トウモロコシは枯れたが、太陽は変わらない。

文語訳 Ⅰペテ1:24-25
1:24 『人はみな草のごとく、その光榮はみな草の花の如し、草は枯れ、花は落つ。
1:25 されど主の御言は永遠に保つなり』、汝らに宣傅へたる福音の言は即ちこれなり。


塚本訳 Ⅰペテ1:24-25
1:24 何故なら『人はみな草』のよう『また』その『栄華はみな草の花のようである』。』草は枯れた花は落ちた』
1:25 『しかし』主の『言は永遠に消え失せない』。これが君達に』宣べ伝えられた福音の言』である。



●これは私達を引き合わせてくださった故大熊一雄・好子夫妻のいわき市にある墓碑銘。塚本虎二先生の秘跡を
石に刻んである。ご夫妻にはお子様がなかった。

●キリストの有体的復活には地鳴りのような喜びが湧きあがった。

塚本訳 マタ 28:8
28:8 女たちは恐ろしいが、また嬉しくてたまらず、(中には入らずに)急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走っていった


塚本訳 ルカ 24:41
24:41 喜びのあまり、彼らがまだ信じられずに怪しんでいると、「ここに何か食べるものがあるか」と言われた。


塚本訳 ヨハ 16:24
16:24 いままであなた達は何一つわたしの名で(父上に)お願いしなかった。(わたしがまだ父上の所に行かなかったからである。しかし今は)お願いせよ、そうすれば戴ける。あなた達の喜びが完全なものとなるためである。


塚本訳 ヨハ 16:22
16:22 だから、(同じく)あなた達にも今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなた達に会うのだから、(その時)あなた達の心は喜ぶであろう。そしてあなた達からその喜びを奪う者はだれもない。


塚本訳 ヨハ 20:20
20:20 そしてそう言いながら、手と脇腹とをお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ


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朝の黙想瞑想礼拝おわり。復活の喜びは「津波」。すべての思想信条主義争い論争を吹き飛ばす。

●TSK日本語版イザヤ書18章
●NHKアーカイブズ「左手のピアニスト館野泉」。脳出血のためステージで倒れ、右半身麻痺。同病なので、気持ちが通った。米国に留学していた息子が左手のための楽譜を購入してくれたことで目が開く。バッハのシャコンヌの練習曲(ブラームス作曲)でさらに開眼。彼の演奏には精神的な深みがある。父親(チェリスト)の言葉が彼を支えた「音楽で偉くならなくてよい。音楽は楽しいものだと思えばよい」。これは聖書についてもいえる。
●子供たちに言いたい「聖書の専門家にならなくてよい。聖書学者にならなくてよい。牧師や伝道者にならなくてよい。聖書的活躍をしなくてよい。聖書的事業をしなくてよい。聖書は人生を支えてくれることを知ればよい」
●午後、妻は自彊術(体操)




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信仰と不信仰の間の溝は渡れない ++++++++ 所感

2014/09/25 08:58

140925(木)5時10分起床、すぐ早朝散歩●散歩中に与えられた黙示「信仰と不信仰の間の溝は渡れない」●キリスト者の皆様お早うご会います。昨日は妻と1時間半歩いて父母の墓参に秋川霊園に行った。何千とある墓を見ながら、「終わりの灯にはこの墓から総て死人が復活するのかなーと思った。この疑問を抱かせる聖書の箇所は次である。

塚本訳 ヨハ 5:28-29
5:28 あなた達は(子が裁くという)このことを驚くに及ばない。時が来ると、墓の中にいる者が皆子(たるわたし)の声を聞いて、
5:29 (墓から)出てくるからである
。すなわち、善いことをした者は(永遠の)命にはいるために復活し、悪いことをした者は(死の)罰を受けるために復活する。

●死んだ人はせっかく安らかに眠っているのに「終末」の「時」に呼び起されるのだろうか。また次のところをレンすする。

塚本訳 マタ 27:50-53
27:50 しかしイエスはふたたび(何か)大声で叫ばれると共に、息が切れた。
27:51 その途端に、宮の(聖所の)幕が上から下まで真っ二つに裂けた。そして地が震い、岩が裂け、
27:52 墓が開いて、眠っていた多くの聖者たちの体が生きかえり、
27:53 墓から出てきて、イエスの復活の後、聖なる都(エルサレム)に入って多くの人に現われた。

●これは大脳皮質ではどうしても信じられないことが起こったのである。死人が墓から呼び起されるというのはイエスが死んだらゾロを墓から呼び出したことを連想する。

塚本訳 ヨハ 11:43-44
11:43 こう言ったのち、大声で、「ラザロ、出て来い」と叫ばれた。
11:44 死人が手足を包帯で巻かれたまま、(墓から)出てきた。顔は手拭で包まれていた。イエスは「解いてやって(家に)帰らせなさい」と人々に言われた。


●墓参の帰り道に、妻に尋ねた
私「聖書(マタイ27:52-53) には『墓が開いて、眠っていた多くの聖者たちの体が生きかえり、
墓から出てきて、イエスの復活の後、聖なる都(エルサレム)に入って多くの人に現われた』。とあるが、あなたはこのことを信ずるか」
妻は「聖書に書いてあることはそのままそっくり実際に起こったのだと信じているワ」と答えた。
これを聞いた私は「アー、信仰の篤い女性と結婚してよかったなー」と思った。信仰は女性。
●まだ結婚してない若きキリスト者に告ぐ。「信仰の篤い」人と結婚せよ。それは一生の宝、成功の人生だ。高学歴、名家に信仰の篤い人はいない。東京には少ない。美人に少ない。

塚本訳 ルカ 1:36-38
1:36 実はあなたの親類のエリザベツも、あの老年で、男の子をさずかったのだ。石女と言われていた女が、今月はもう六月になっている。
1:37 『神には何一つ出来ないことはない』のだから。」
1:38 マリヤは言った、「かしこまりました。わたしは主の召使、お言葉のとおりに成りますように。」天使はマリヤをはなれ去った。


塚本訳 ルカ 1:45
1:45 主の仰せられたことはきっと成就すると信じたこの人は、なんと仕合わせでしょう。」


●信仰は女性。復活のイエスが「まず」現れたのはマグダラのマリヤ。イエスの墓を見に行ったのは「女たち」。

塚本訳 マコ 16:9-11
16:9 【さて週の第一日の朝早く復活して、まずマグダラのマリヤに自分を現わされた。以前に七つの悪鬼を追い出していただいた女である。
16:10 この女は、(御在世中)おそばにいた人たちが泣き悲しんでいるところに行って知らせたが、
16:11 この人たちは、(今)生きておられること、彼女がそれを見たことを聞いても、信じなかった。


●復活を信じる人と、信じない人には永遠に渡れない溝がある。

塚本訳 ルカ 16:26-31
16:26 そればかりではない、わたし達とあなた達との間には大きな(深い)裂け目があって、ここからあなた達の所へ渡ろうと思っても出来ず、そこからわたし達の所へ越えてくることもない。』
16:27 金持が言った、『父よ、それではお願いですから、ラザロをわたしの父の家にやってください。
16:28 わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。』
16:29 しかしアブラハムは言う、『(その必要はない。)彼らにはモーセ(律法)と預言書と[聖書]がある。その教えに従えばよろしい。』
16:30 彼が言った、『いいえ、父アブラハムよ、もしだれかが死人の中から行ってやれば、きっと悔改めます。』
16:31 しかしアブラハムは答えた、『モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。』」


塚本訳 Ⅰコリ15:32-33
15:32 もしわたしが(復活の信仰からでなく、)人間的な思いからエペソで獣と戦ったとすれば、わたしにとってなんの得があろう。死人が復活しないのなら、『食おうじゃないか、飲もうじゃないか、どうせあしたは死ぬ身だ』である。
15:33 迷わされてはならない。(復活の信仰のない人との交際に注意せよ。)悪い交際は良い習慣をこわす。(と詩人も言っている。)



塚本訳 Ⅰコリ15:35-37
15:35 しかし、ある人は言うかも知れない、(かりに復活があるとしても、)どんな風にして死人が復活するのか、どんな体で来るのかと。
15:36 訳のわからない人!あなたがまくものは、死ななければ生かされないのだ。
15:37 そしてあなたのまくものは、やがて出来る体をまくのではなく、たとえば麦にしても何かほかの種類にしても、裸の粒にすぎないのである。


●キリストの有体的復活を信じない人(牧師、神学者、遊び信者、イベント信者、社会改造信者)とは付き合うな。益がない。 そういう人には一喝して「愚か者。それでもキリスト信者か!!」路言うべきである。Ⅰコリ 15:36

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朝の黙想瞑想終わり。キリストの復活を信じられるのは神の恩恵。信じられる人は信じられない人を裁いてはいけない。人間の努力で信じられるわけではないから。


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早朝散歩 台風16号が走り去る。速い雲

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一軒隣の家の畑の花。管理者は御主人を亡くされた御夫人。後方は我が家。

●TSK日本語版イザヤ書16,17章
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人に忘れられても神は憶えていてくださる ++++++++ 所感

2014/09/24 05:16

140924(水)4時半起床。キリスト者の皆様お早うございます。まだ外は真っ暗です。今朝の啓示「人に忘れられても神は憶えていてくださる」●神の子イエスの信念はこれであったと思う。それがイエスの言動になって現れたのだと思う。今朝は少しくイエスの心に触れることが出来たように思う。●このような思索になったのは、私が眠る墓は、永久には続かないことを知ったからである。●人間はどんな人でも忘れられるものだ。4代先の子孫は私の名前を知る人はいないであろう。またどんなに有名な人でも忘れられる。今井館の書籍もいつかは酸化してなくなる。CDなどの電子媒体も、それを開くマシンがなくなればこの世から消える。インターネットのホームページも私の死亡とともにサービスが閉じられる。●そうなると人間の記憶は永久ではない。第一に地球という星は永久ではない。淋しい限りである。●今朝はこのことを巡って聖書はどう答えてくれるのかを探ってみよう。頭に思い浮かぶまま。順不同。

口語訳 詩 90:1-5
90:1 主よ、あなたは世々われらのすみかで/いらせられる。
90:2 山がまだ生れず、あなたがまだ地と世界とを造られなかったとき、とこしえからとこしえまで、あなたは神でいらせられる。
90:3 あなたは人をちりに帰らせて言われます、「人の子よ、帰れ」と。
90:4 あなたの目の前には千年も/過ぎ去ればきのうのごとく、夜の間のひと時のようです。
90:5 あなたは人を大水のように流れ去らせられます。彼らはひと夜の夢のごとく、あしたにもえでる青草のようです。


●「帰れ」とはどこに帰ろというのか。
●東日本大震災の「大水」で、多くの人は故郷を失い、先祖の墓も失ったのだ。
●人生は「ひと夜の夢」だ。ダンテの「神曲」はたった三晩の夢だった。
●人生は長いようで短い。悲しい、淋しい。・・・・しかしこれではこの夏に読んだ「徒然草」や「方丈記」と同じだ。救いはない。

口語訳 伝  12:1-2
12:1 あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、
12:2 また日や光や、月や星の暗くならない前に、雨の後にまた雲が帰らないうちに、そのようにせよ。


●「悪しき日」とか「暗くなる」とかは人生を「空しい」とか「淋しい」と思う日のことではあるまいか。
●この句が引用された一例として、最近出版された季刊「無教会」の巻頭言を掲げる。これは今71歳になった私自身への戒めでもある。 キリスト者はいつでも「若い日」でなければならない。

季刊「無教会」2014年夏号 巻頭言
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 あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ

口語訳 伝道の書一二章一節

                           高橋トミ子

 

四人の子どもたちに初めて聖書を買ってあげた時に、私たち親が扉に書いた聖句が右の言葉でした。

私は高校生の時に、塚本虎二先生の「聖書知識」によって聖書に出会い、人生観が変わりました。若い時、それも、多感な高校生という時代に、聖書と出会い、またその学びの中で出会う、先生、先輩、友人はかけがえのないものであったことを実感しております。

所属していた福島県の「いわき無教会」の恩師からの勧めで結婚し、東京に住むようになりました。子どもが与えられたとき、自分に与えられた恩恵を子どもたちにも味わってほしいことが、願いでした。しかし神様の存在をどう伝えていけばよいのか、未熟な私は常に模索していました。自分の生きざまを余りにも至らなく感じていたからです。

そんな時に塚本虎二先生の集会に出席していた方から、子どものための土曜学校を開いていることをお聞きしました。それは一番目の長男が小学一年生、二番目の次男が幼稚園、そして三番目の長女が生まれた時だったと思います。月二回の集まりでしたが、三人を連れて、電車を乗り継いで出かけました。子ども讃美歌を歌って、先生のお話を聞いて、聖句の暗誦の紙ときれいなカードをいただきました。最後におやつを頂いて帰るのですが、子どもたちはその時が一番楽しそうでした。

また、帰りの駅までの道のりを先生と手をつないで帰るのも、うれしいことのひとつだったようです。土曜学校は中学生まででした。多い時で、一八人。付添いの親を入れますと、六家族二四人になりました。

みんな大きくなり、生徒も我が家の四番目の三男が一人になりました。それで車をお持ちの先生が我が家まで来てくださり、土曜学校を開いてくださいました。自分の子どもだけではもったいないと、近くの友人にも声をかけて、大人だけの集まりに変化していきました。

長男は私立高校へ、次男は公立高校へと進学しました。長女が高校進学を迎えた時に、島根県にキリスト教愛真高校が創立されました。娘を連れて学校を見学だけに行ったのですが、娘自身が入学したいと希望しました。

三男の時は、山形県の基督教独立学園に見学に行きました。見学の後、本人の強い希望で受験して、合格しました。

子どもたちは私達が現在出席している東京聖書読者会にそれぞれに出席するようになりました。そのうち長男と長女は「若者の聖書勉強会」を自分たちで立ち上げ、長女の子ども達も参加するようになりました。そのとき私の役目はもっぱら、孫のお守り役でした。この会は七年ほど続きました。

七人の孫のうち、現在六人が教会のお世話になっております。孫たちもいつの日か神様を覚える者となるようにと私達の祈りには熱いものがあります。

         

                               東京聖書読者会

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季刊「無教会」2014年夏号 巻頭言 おわり

●人生、もともと短いことが宿命ならば、「楽しく」「幸福に」生きるほかはない。ただし「遊び」ではない。遊びは幸福と結びつかない。さらに聖書に聴いてみよう。

口語訳 詩  27:9-10
27:9 み顔をわたしに隠さないでください。怒ってあなたのしもべを退けないでください。あなたはわたしの助けです。わが救の神よ、わたしを追い出し、わたしを捨てないでください。
27:10 たとい父母がわたしを捨てても、主がわたしを迎えられるでしょう


●現在、子供が父母に捨てられる事件を聞く。また親子や兄弟の確執はどの家でも頻繁である。この私の名前は親戚一同からは忘れられる。「信仰は一代」、一体どこに安らぎがあるのか。


口語訳 イザ 53:3
53:3 彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。


●神の子イエスは人に侮られ、捨てられたのだ。
●モーツアルトも尊ばれては死ななかった。
●バッハもあの本拠地聖トーマス教会では忘れられた人だったのだ。



塚本訳 マタ 21:42
21:42 イエスは彼らに言われた、「あなた達は聖書で(この句を)まだ読んだことがないのか。──『大工たちが(役に立たぬと)捨てた石、それが隅の土台石になった。これは主のなされたことで、われわれの目には不思議である。』


●天才は同時代人には受け入れられないものだ。数多くの芸術家にもそれを見る。
●ダンテも祖国から追放されたのだ。

塚本訳 マタ 16:21
16:21 この時から、イエスは自分が(神の計画どおり)エルサレムに行って、長老、大祭司連、聖書学者たちから多くの苦しみをうけ、殺され、そして三日目に復活せねばならないことを弟子たちに示し始められた。


●神の子イエスは人間から捨てられた。

塚本訳 ロマ 11:15
11:15 なぜなら(前に言ったように、)もしイスラエル人の捨てられたことが(異教人へ福音の来る結果になり、)世界(と神と)の和睦(をもたらす機縁)になったとすれば、彼らが(悔改めて神に)受け入れられることは、それこそ死人の中からの命(への復活、すなわち神の国来臨の徴)でなくてなんであろう。

塚本訳 マタ 13:57
13:57 こうして人々はイエスにつまずいた。しかしイエスは彼らに言われた、「預言者が尊敬されないのは、その郷里と家族のところだけである。」

塚本訳 マタ 10:34-36
10:34 地上に平和をもたらすためにわたしが来た、などと考えてはならない。平和ではない、剣を、(戦いを)もたらすために来たのである。
10:35
わたしは子を『その父と、娘を母と、嫁を姑と』仲違いさせるために来たのだから。
10:36 『家族が自分の敵となろう。』


塚本訳 マタ 19:3-5
19:3 そこにパリサイ人たちが近寄ってきて、イエスを試そうとして言った、「何か理由があれば、妻を離縁してもよろしいか。」
19:4 答えて言われた、「造物者が始めから『彼らを男と女とに造られた』こと、
19:5 また、『それゆえに人は父と母とをすてて妻に結びつき、二人は一体となる』と言われたことを、あなた達は読んだことがないのか。


●キリスト者は日本人が「これが幸福だ」という道は歩けない。またキリスト者は理解されない。だからこの世の人から非難される。それでよいのだ。それが神を信じていることの証しだ。
●特に無教会者はこの世で「呻き」「嘆く」ことそのものが礼拝なのだ。


塚本訳 Ⅱコリ6:4-10
6:4 そればかりではなく、あらゆることによって、神に仕える世話役として自分を推薦している、すなわち、(あるいは)大いなる忍耐によって、──たとえば苦難により、艱難により、苦悩により、
6:5 打たれることにより、牢に入れられることにより、暴動をおこされることにより、労働により、徹夜により、飢餓によって──であり、
6:6 (あるいは)純潔により、知識により、寛容により、親切により、聖霊により、偽らぬ愛により、
6:7 真理の言葉により、神の力によってであり、(あるいは)右と左とに持つ義の武器をもって、
6:8 名誉と恥辱とをもって、悪評と好評とをもってである。(あるいはまた)嘘つきと言われながら、真実な者として、
6:9 (世間では)無名人でありながら、(神の前では)有名人として、『死にかけてい』ながら、いまここに『わたし達は生きている!』『そしてまた(神に)こらしめられるが、殺されない者』として、
6:10 悲しんでいるが、しかしいつでも喜んでいる者として、貧乏であるが、しかし多くの人を金持にする者として、何一つ持たないで、何もかも持っている者としてである。


●キリスト者はこの世的には無名人であるべきだ。

塚本訳 マタ 6:5-6
6:5 また祈る時には、偽善者のようにしてはならない。彼らは人に見せようとして、礼拝堂や大通りの角に立って祈ることを好むのである。アーメン、わたしは言う、彼らは(褒められた時、)すでに褒美をもらっている。
6:6 あなたが祈る時には、『奥座敷に入り、部屋をしめきった上で、』隠れた所においでになるあなたの父上に『祈れ。』そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう


●神に聴かれる祈りは隠れた祈り、小さな祈り、かすかな祈り、相手に分からない祈り、遠隔の祈り、赦す祈り
●母の祈りは、子を赦す祈り。
●「泣いて行く、向こうに母や、春の風」(加賀千代)
●「泣いて行く、向こうに神や、春の風」 (キリスト者はこうでなければならない)

塚本訳 マタ 6:14-15
6:14 (祈る前に、まず人の罪を許さねばならない。)あなた達が人の過ちを赦してやれば、天の父上もあなた達を赦してくださるが、
6:15 人を赦さないならば、父上もあなた達の過ちを赦してくださらないであろう。


●矢内原集会に来た韓国人に対して矢内原先生は「あなた達はまず、自分の罪を神に赦していただきなさい。その上で日本人を赦しなさい」。至言。これが」世界平和の基礎。ヒューマニズムや正義心から相手国を断罪していては平和は来ない。

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朝の黙想瞑想礼拝おわり


●10:25 秋川霊園に墓参に出発。徒歩一時間半。

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秋川霊園に墓参。ここには父母、母方の両親が眠っている。墓碑銘は「神は愛なり 高橋家」
時が来れば私達もここに眠る。復活の日まで。
庭から切ってきた花を捧げる妻。

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妻の作った「おはぎ」を食べてから草むしり。妻の作る「おはぎ」は亡き父の好物であった。父逝きて早や22年。 人生の出会いは総て一瞬。両親とも妻とも出会いの人だ。キリスト者は地上に墓は無くてよいのだ。なぜか。永遠の命に生きるからだ。誰にも墓参されなくてよいのだ。
●小型双眼鏡で我が家を見るも4キロ先なのではっきり見えなかった。しかし方角を確かめることが出来た。

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秋川霊園。合同供養墓(永代供養墓)。管理者が途絶えた墓の遺骨はここに納められる。


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死の悲しみと永遠の命の喜び ++++++++ 所感

2014/09/23 06:29

140923(火)秋分の灯●キリスト者の皆様お早うございます。5時半起床、早朝散歩。デジカメ写真

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早朝散歩。朝日を見ると元気が出る。

口語訳 詩  19:1-5
19:1 もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。
19:2 この日は言葉をかの日につたえ、この夜は知識をかの夜につげる。
19:3 話すことなく、語ることなく、その声も聞えないのに、
19:4 その響きは全地にあまねく、その言葉は世界のはてにまで及ぶ。神は日のために幕屋を天に設けられた。
19:5
日は花婿がその祝のへやから出てくるように、また勇士が競い走るように、その道を喜び走る。


塚本訳 Ⅱコリ4:18
4:18 このわたし達は見えるものに目を向けているのではなく、見えないものに目を向けているのである。見えるものは一時的、見えないものが永遠だからである

塚本訳 ロマ 16:27
16:27 このただひとりの賢い神に、
イエス・キリストによって、栄光、永遠より永遠にあらんことを、アーメン。

塚本訳 ヘブ 11:3
11:3 (まず、)信仰によって、わたし達はこの世界が神の言葉で造られたことを知る。すなわち、見えるものは、現われぬものからできているのである

塚本訳 ヘブ 13:8
13:8 イエス・キリストは、きのうも、きょうも、また永遠に、同じである


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早朝散歩で、岩と彼岸花を見た。

塚本訳 マタ 16:16-19
16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主、生ける神の子であります!」
16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから。
16:18 それでわたしもあなたに言おう。──あなたはペテロ[岩]、わたしはこの岩の上に、わたしの集会を建てる。黄泉の門[死の力]もこれに勝つことはできない。
16:19 わたしはあなたに天の国の鍵をあずける。(だから)あなたが地上で結ぶことは(そのまま)天でも結ばれ、地上で解くことは(そのまま)天でも解かれるであろう。」

塚本訳 Ⅰペテ1:23
1:23
(君達は)朽つる種でなく、朽ちぬ種から、(すなわち)神の活ける、また(永遠に)消え失せぬ言によって新しく生まれたのである。


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2階の窓から、地図と望遠鏡を使って父と母が眠る秋川霊園を探した。ここから4キロ先。
父と母は私の家を見てくれていると思うといいところに居を構えたものだと思う。
しかし両親はあそこにはいないのだ。神の懐に眠っているのだ。キリスト者は地上に墓は無くてよいのだ。


塚本訳 マコ 16:5-6
16:5
に入ると、白い衣をきた一人の青年が右手の方に坐っているのを見たので、ぎょっとした。
16:6 青年は彼らに言う、「驚くに及ばない。あなた達は十字架につけられたナザレ人イエスをさがしているが、もう復活されて、ここにはおられない。そら、ここがお納めした場所だ


口語訳 申  34:5-6
34:5 こうして主のしもべモーセは主の言葉のとおりにモアブの地で死んだ。
34:6 主は彼をベテペオルに対するモアブの地の谷に葬られたが、
今日までその墓を知る人はない。

●TSK日本語番イザヤ書15章
●13:30 妻は東中野の「福島映画祭」に出発
●老い仕度のために「遺言」を書いたが、聖書には「義の相続人」という著しい言葉があることを知った。

●まず、翻訳比較

文語訳 ヘブ 11:7
11:7 信仰に由りてノアは、未だ見ざる事につきて御告を蒙り、畏みてその家の者を救はん爲に方舟を造り、かつ之によりて世の罪を定め、また信仰に由る義の世嗣となれり。


口語訳 ヘブ 11:7
11:7 信仰によって、ノアはまだ見ていない事がらについて御告げを受け、恐れかしこみつつ、その家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世の罪をさばき、そして、信仰による義を受け継ぐ者となった。


新改訳 ヘブ 11:7
11:7 信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。


新共同 ヘブ 11:7
11:7 信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神のお告げを受けたとき、恐れかしこみながら、自分の家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世界を罪に定め、また信仰に基づく義を受け継ぐ者となりました。


塚本訳 ヘブ 11:7
11:7 信仰によって、ノアはまだ見ないもの[洪水]について(神の)お告げを受け、自分の家族を救うために恐れかしこんで箱船を造った。この信仰(の行い)のゆえに(残りの)世界の罪は決まり、彼は信仰による義の相続人となった。


●相続と言えば普通は「この世の財産」である。財産のために骨肉の争いを見た。金銭は無い方がよい。私の心境は次の言葉である。

文語訳 使  3:6
3:6 ペテロ言ふ『金銀は我になし、然れど我に有るものを汝に與ふ、ナザレのイエス・キリストの名によりて歩め』


口語訳 使  3:6
3:6 ペテロが言った、「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。


新改訳 使  3:6
3:6 すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」と言って、


新共同 使  3:6
3:6 ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」


塚本訳 使  3:6
3:6 ペテロが言った、「金銀は持っていない。わたしの持っているもの、それをやろう。──ナザレ人イエス・キリストの名で歩きなさい!」



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税金と聖書 ++++++++ 所感

2014/09/22 09:36

140922(月)5時起床、早朝散歩●キリスト者の皆様お早うございます。今日は市役所に税金を納めに行く。現役の時は税の重さをあまり感じなかったが、年金生活者にとって重く感じる。そこで今朝は「税金」についてと聖書はどう扱っているかを考えてみよう。●まず思い浮かぶのは新約聖書における「税金取り」である。ローマ政府の手先として民衆から税を徴収する「税金取り」の職業は罪人と同じように嫌われていた。本人も心が病んでいた。

●共観福音書で「税金取り」を見てみよう。Jバイブル利用。


マタ 5: 46

自分を愛する者を愛したからとて、なんの褒美があろう。(人でなしと言われるあの)税金取りでも同じことをするではないか。

マタ 9: 10

イエスが家で食卓についておられるたときのこと、大勢の税金取りや罪人も来て、イエスや弟子たちと同席していた。

マタ 9: 11

パリサイ人はこれを見て、弟子たちに言った、「なぜあなた達の先生は、税金取りや罪人と一しょに食事をするのか。」

マタ 11: 19

人の子(わたし)が来て飲み食いすると、『そら、大飯食いだ、飲兵衛だ、税金取りと罪人の仲間だ』と言うのだから。しかし(神の)知恵の正しいことは、(ヨハネと人の子とによる)その業が証明した。」

マタ 18: 17

しかし彼らの言うことを聞かないなら、集会に申し出よ。集会の言うことも聞かないなら、(その時は已むを得ないから、その人と交際をたって)異教人か税金取りのように思ってよろしい。

マタ 21: 31

この二人のうち、どちらが父の心を行ったのだろうか。」「もちろん長男」と彼らが答える。イエスが言われる、「アーメン、わたしは言う、税金取りや遊女たちは、あなた達よりも先に神の国に入るであろう。

マタ 21: 32

そのわけは、(洗礼者)ヨハネが義の道を示しに来たのに、あなた達は彼を信ぜず、税金取りや遊女の方がかえって信じたからだ。しかしあなた達は(あの人たちが悔改めるのを)見たあとでも、後悔して彼を信じようとしなかった。

マコ 2: 15

イエスが(レビの)家で食卓についておられたとき、大勢の税金取りや罪人も、イエスや弟子たちと同席していた。──(すでにこの時)多くの人がイエスに従っていたのである。──

マコ 2: 16

パリサイ派の聖書学者たちは、イエスが罪人や税金取りと一しょに食事をされるのを見て、弟子たちに言った、「なぜあの人は税金取りや罪人と一しょに食事をするのか。」

ルカ 3: 12

税金取りも洗礼を受けに来たが、ヨハネに言った、「先生、わたし達はどうすればよいのですか。」

ルカ 5: 27

そのあとで、イエスは(湖のほとりに)出てゆき、レビという税金取りが税務署に坐っているのを見て、「わたしについて来なさい」と言われると、

ルカ 5: 29

レビがイエスのために家で大宴会を催すと、税金取り、その他の人々が大勢、(イエスや弟子たちと)共に食卓についていた。

ルカ 5: 30

パリサイ人とパリサイ派の聖書学者が弟子たちに向かってつぶやいた、「なぜあなた達は税金取りや罪人と一しょに飲み食いするのか。」

ルカ 7: 29

(ヨハネの説教を)聞いた民衆は皆、税金取りまで、ヨハネの洗礼を受け(ることによっ)て神の正しいことを認めた。

ルカ 7: 34

人の子(わたし)が来て飲み食いすると、『そら、大飯食いだ、飲兵衛だ、税金取りと罪人の仲間だ』と言うのだから。

ルカ 7: 35

しかし(神の)知恵の正しいことは、(税金取り、罪人など、)その子供たちがみんなで証明した。」

ルカ 15: 1

さて、イエスの話を聞こうとして、(いつものとおり)税金取りや罪人が皆近寄ってきた。

ルカ 18: 10

「二人の人が祈りのために(エルサレムの)宮に上った。一人はパリサイ人、他の一人は税金取りであった。

ルカ 18: 11

パリサイ人は(得々と)ひとり進み出て、こう祈った、『神様、わたしはほかの人たちのように泥棒、詐欺師、姦淫する者でなく、また、この税金取りのような人間でもないことを感謝します。

ルカ 18: 13

しかし税金取りは(罪に責められ、)遠く(うしろ)の方に立ったまま、目を天に向け(て祈りをささげ)ようともせず、ただ胸をうって、『神様、どうぞこの罪人のわたしをお赦しください』と言った。

ルカ 19: 2

すると、(町に)名をザアカイという人がいた。この人は税金取りの頭で、金持であった。

ルカ 19: 7

皆がこれを見て、イエスは(税金取りのような)罪人の所に入りこんで宿を取った、と言ってぶつぶつ呟いた。


●「税金取り」はイエスにとって救いの対象であった。なぜか。「心が病んでいた」のだ。現代的には「暴力団の仲間」というところだろうか。カッコイイ仕事をしてなかったのだ。ここから次の言葉を連想する。

文語訳 マタ 5:3
5:3 『幸福なるかな、心の貧しき者。天國はその人のものなり。


●また、税金取りザアカイを思う。

塚本訳 ルカ 19:8-9
19:8 しかしザアカイは進み出て主に言った、「主よ、わたしは(誓って)財産の半分を貧乏な人たちに施します。人からゆすり取ったものは四倍にして返します。」
19:9 イエスが(人々に)言われた、「救いは(きょう、)この家に入った。(人でなしのように言われる)この人も、やはり(あなた達と同じ)アブラハムの末だから。


●かって私の友人が「高橋さんアノ集会に行くにはカッコイイ仕事やカッコイイ地位でなければ肩身が狭くていけないんだ」といった。彼はその後心を病んで自殺した。私には何も告げずに逝った。
●この世はかっこいい人生を送ろうと努力するが、神はカッコイイ人生を歩んでない人に目をかけて近づく。悔やんでいる人を救う。

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朝の黙想瞑想礼拝終わり。税金はきっちり払おう。

塚本訳 ロマ 13:1-2
13:1 人は皆上に立つ(国家の)官憲に服従せねばならない。神からではない官憲はなく、現存の官憲は(ことごとく)神から任命されたものであるから。
13:2 従って官憲に反抗する者は、神の命令に違反する者である。違反する者は、自分で自分に(神の)裁きを招くであろう。(この世で罰を受けるばかりでなく、最後の日にも。)


塚本訳 ロマ 13:8
13:8 (官憲ばかりでなく、)だれにも何も、借りがあってはならない。ただし、互に愛することだけは例外である。(この借りは、いつまでも返してしまわないように。)人を愛する者は(モーセ)律法を完全に果たしたのである。

●15:00 市役所の徴税課で「徴税人」と懇談。聖書の「税金取り」とは違い、心の病はなさそうだが、徴税は苦労が多いらしい。約一割の人が期限切れだという。
●図書館。





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キリスト者の墓は無くなってよいのだ ++++++++ 所感

2014/09/21 06:08

140921(日)5時起床、早朝散歩。●朝の黙示「キリスト者の墓は無くなってよいのだ」●昨日は「遺言」の追加を書いた。7月に書いた遺言は、ここあきる野市の家と土地は私達一代だけで、わたし達がいなくなったら、売却して子供たちは等分するように書いた。昨日は追加でそのほかのことも書いたが、このとき墓の問題も考えた。●10月5日の集会感話は「空になった墓」であるのでそれと合わせて「キリスト者の墓や思い出」はこの世に残らなくてよい」という結論に達した。早朝散歩で美しい景色を見ながらますますその感を強くした。                                                                              

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早朝散歩。秋の東雲。今日は聖日。主の日。キリスト信者が集まる。


●昨日のブログに書いたが、「親子は一世、夫婦は二世、主従は三世」と言われる。ネットで調べると次のようにあった。

●親子は一世夫婦は二世主従は三世
【注釈】 親と子の関係は現世だけのものであり、夫と妻の関係は前世と現世あるいは来世の二世にわたり、主人と従者の関係は前世・現世・来世にわたるものであるということ。
封建社会における主従関係の強い結びつきをいいあらわしている。
「主従」は「しゅうじゅう」とも読む。

●仏教では50年経つと僧侶は供養をしなくなる。淋しい。この私が未来永劫誰からも忘れられる●しかし復活のキリストと我々信者の関係は「永世」である。神は永久に私を覚えていてくださる。●かって「千の風になって」という歌が流行した。これは48歳の若さで逝った御夫人(川上朋子さん。わたしはこの方とキリスト教独立学園でお会いしたことがある)の記念誌に、残された御主人が作者不明の英詩を掲載されたのが起源である。この記念誌を読んだ新井満という人が曲をつけたところ、死別の悲しみにくれる多くの人を慰めた。●私はこれについて感想を書いたことがある。

http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/sennnokaze.htm

●その誌の冒頭は次のようである。

私のお墓の前で 泣かないでください

そこに私はいません 眠ってなんかいません


●これで思い出すのはイエスの墓を訪ねた女性たちに語った天使の言葉である。


塚本訳 マタ 28:5-6
28:5 天使は女たちに言った、「恐れることはない。あなた達は十字架につけられたイエスをさがしているようだが、
28:6 ここにはおられない。かねがね言われたとおり、もう復活されたのだから。来て、お体が置いてあった場所を見なさい。



●そうだ。キリスト者の墓も永久でなくてよいのだ、忘れ去られて良いのだ。なぜか。我々は永遠に生きるのだから。
●かってイスラエルを訪問したときのこと。イエスの墓は聖墳墓教会の場所か、近年ゴルドン将軍がが発見した丘、(それは髑髏の形)なのかどちらか不明。主イエスの墓はどこかわからない。イエスは先祖の墓に入らなかった。家のものが拒否したのだろうか。
●かって、ヒルティの墓を詣でたことがある。しかし」それはそれだけのことだ。人は未来永劫自分の墓を詣でてもらわなくてもよいのだ。人生は一瞬だ。間もなく秋の彼岸。

口語訳 詩  90:1-10
90:1 主よ、あなたは世々われらのすみかで/いらせられる。
90:2 山がまだ生れず、あなたがまだ地と世界とを造られなかったとき、とこしえからとこしえまで、あなたは神でいらせられる。
90:3 あなたは人をちりに帰らせて言われます、「人の子よ、帰れ」と。
90:4 あなたの目の前には千年も/過ぎ去ればきのうのごとく、夜の間のひと時のようです。
90:5 あなたは人を大水のように流れ去らせられます。彼らはひと夜の夢のごとく、あしたにもえでる青草のようです。
90:6 あしたにもえでて、栄えるが、夕べには、しおれて枯れるのです。
90:7 われらはあなたの怒りによって消えうせ、あなたの憤りによって滅び去るのです。
90:8 あなたはわれらの不義をみ前におき、われらの隠れた罪をみ顔の光のなかにおかれました。
90:9 われらのすべての日は、あなたの怒りによって過ぎ去り、われらの年の尽きるのは、ひと息のようです。
90:10 われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです



●次は私達を結んでくださった大熊好子さんの墓碑銘。いわき市にある。大熊さんにお子様はなかった。

塚本訳 Ⅰペテ1:24-25
1:24 何故なら『人はみな草』のよう『また』その『栄華はみな草の花のようである』。』
草は枯れた花は落ちた』
1:25 『しかし』主の『言は永遠に消え失せない』。これが君達に』宣べ伝えられた福音の言』である。 

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早朝散歩。菊。後方は我が家。私達の結婚式は11月3日。その日は菊に囲まれた式であった。
お子様には恵まれなかったが大熊好子さんはいつも明るかった。キリストの明るさがあった。  


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朝の黙想礼拝終わり。


●今日は聖日。キリスト者の集まりに妻と出かける。感謝。



●集会は、宮崎(司会)、丹野(使徒信条)、村上(申命記34章、モーセの死。モーセの墓は不明6節)。
●5名で昼食。「墓」について話題が出た。


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神の力によって ++++++++ 所感

2014/09/20 07:59

140920(土)5時20分起床、早朝散歩●朝の啓示、黙想瞑想「神の力によって」●信仰も救いの道もこれすべて神が教えてくださる。それまでは回りの人間がいくらは足らっかけても無理である。救いは神ご自身が直接「ヤッテ」くださる。かくして人間ではなく、神の栄光が上がる。今朝はこのことを巡って黙想しよう。 Jバイブル利用。

口語訳 詩 127:1
127:1 主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい。

塚本訳 ヨハ 1:13
1:13 この人たちは、人間の血や、肉の欲望や、男の欲望によらず、神(の力)によって生まれたのである。
 
塚本訳 ヨハ 3:16
3:16 そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである。

塚本訳 マコ 9:28-29
9:28 家にかえられると、弟子たちは人のいない時に尋ねた、「なぜわたし達には霊を追い出せなかったのでしょうか。」
9:29 彼らに言われた、「この種類(の霊)は、祈り以外(の手段)では決して出てゆかせることは出来ない。」

塚本訳 マタ 22:29-30
22:29 イエスは答えられた、「あなた達は聖書も神の力も知らないので、間違いをしている。
22:30 復活の折には、めとることもなく嫁ぐこともなく、ちょうど天の使いのようである。

塚本訳 ロマ 1:16
1:16 わたしは(決して)福音を恥じない。福音は神の力で、これを信ずる者を一人のこらず、すなわち、まずユダヤ人、次に異教人を、救いに入れるからである。


塚本訳 ロマ 4:18
4:18 (まことに)アブラハムは(神の力を確信して、)望み得ないことを望んで信じたので、『あなたの子孫はあのように、(空の星のように多く)なるであろう』と言われた言葉のとおり、『多くの国の人の父』になったのである。


塚本訳 Ⅰコリ1:18
1:18 なぜか。この十字架についての言葉は、滅びゆく者には馬鹿なことであるが、わたし達救われる者には、神の力(の現われ)であるから。


塚本訳 Ⅰコリ1:22-24
1:22 実際、ユダヤ人は(信ずるための証拠に神からの不思議な)徴を乞い、異教人は(真理を知るために)知恵を求めるが、
1:23 わたし達は十字架につけられたキリストのこと(だけ)を説く。すなわち、ユダヤ人にはつまづき、異教人には馬鹿なことであるけれども、
1:24 (神に)召された者だけには、ユダヤ人、異教人の別なく、(これこそ)神の力、また神の知恵なるキリストを(説くのである)。

塚本訳 Ⅱコリ13:4
13:4 ほんとうに、彼は弱さのゆえに十字架をつけられ(て死なれ)たけれども、神の力によって、いま生きておられるからである。同様に、わたし達も彼と結びついているので弱いけれども、彼と共に、神の力により、あなた達に対して(強く)生きるだろうからである。


塚本訳 エペ 3:7
3:7 そして私はこの福音の世話役となったのであるが、これは神の力が働いて私に与えられたもので、神の恩恵の賜物である。


塚本訳 コロ 2:12
2:12 (然り、キリストの)洗礼(こそ真の割礼であって、君達はこれ)によって彼と共に(死んで)葬られ(たのである。そして)また彼を死人の中から甦らせ給うた神の力を信ずることによって、彼に於て共に甦ったのである。

塚本訳 ロマ 1:1-4
1:1 キリスト・イエスの奴隷であり、(また)神に召され、その福音のために選ばれた使徒であるパウロから、──
1:2 この福音は、神がその預言者たちにより、聖書においてかねて約束されたもので、
1:3 その御子、すなわち、人間としてはダビデの末から生まれ、
1:4 聖なる霊としては死人の中から復活して力ある神の子と定められた方、わたし達の主イエス・キリストに関するものである。


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朝の啓示黙想瞑想礼拝おわり。「神の力」を信ずることは人生の力。神がすべてをやってくれる。

●10月5日集会感話原稿「死人が復活した衝撃・・・キリストの有体的復活は罪の赦しと来世実在の証明」
●TSK日本語版イザヤ書12章
●「遺言」の追加を書く。「墓」について思いを巡らす。人間は忘れられるものだ。しかし神は忘れない。創り主だから。この世でも来世でも永遠に覚えていてくださる。

●親子は一世夫婦は二世主従は三世
【注釈】 親と子の関係は現世だけのものであり、夫と妻の関係は前世と現世あるいは来世の二世にわたり、主人と従者の関係は前世・現世・来世にわたるものであるということ。
封建社会における主従関係の強い結びつきをいいあらわしている。
「主従」は「しゅうじゅう」とも読む。

●キリストと信者の関係は「永世」のつながりだ。
●NHKTV「こころの時代」。「人生最期のおもてなし」。下稲葉康之(ホスピス医師、牧師)
 17歳で逝った少女の最期を看取った話は感動的であった。ホスピスの原則「嘘は言わない」。   
●人は必ず死ぬ。どうせ死ぬなら「安らかに死にたい」「来世への希望を持って死にたい」
●15:15 妻はコーラスの練習。バッハ、「ロ短調ミサ曲」。

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早朝散歩。コスモス大好き。風は見えないが神の息と同じ。揺れていることで神の存在を思う。

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早朝散歩 誰もいない林

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 早朝散歩。エンゼルトランペット。遠景は奥多摩連山。
 
 終末、万物の復活の時にはラッパが鳴るという。

塚本訳 マタ 24:31
24:31 すると(その時、)人の子は『大いなるラッパの響きと共に』自分の使いたちをやって、『天のこの果てからかの果てまで』『四方から、』選ばれた人々を『集めさせるであろう。』

塚本訳 Ⅰコリ15:52
15:52 あっと言う間に、瞬く間に、最後のラッパの音で!ラッパが鳴る。すると死人は不滅のものに復活し、(その時生きている)わたし達は変化させられるのである。

塚本訳 Ⅰテサ4:16
4:16 何故なら、(その時)主自ら号令と御使いの頭の声と神のラッパ(の響き)と共に天から下り給うて、キリストにおいて死んだ死人がまず復活し、

塚本訳 黙  11:15
11:15 (やがて)第七の御使いがラッパを吹いた。すると(沢山の)大きな声が天に起こってこう言うた──(今や)この世の王国は我らの主(なる神)とそのキリストの有となった。彼は永遠より永遠に王となり給うであろう。














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救いは神の思惑による順序がある ++++++++ 所感

2014/09/19 06:36

140919(金)5時起床、瞑想しながら早朝散歩、デジカメ写真撮影、体重測定、●キリスト者の皆様お早うございます。今朝の黙想啓示は「救いは神の思惑による順序がある」●キリストの復活の順序は最初にペテロとあるが(第一コリント15:5)、福音書によればマグダラのマリヤであることは動かないところである。ペテロが先かマリヤが先か悩まされたが、キリストは復活の姿を見せる必要がある順序に現されたのだという思いに到達し、休心した。●それは罪を悔やみ悲しんでいる人にキリストの方から積極的に現れたのである。(マタイ5:4)●これは生前のイエスの言動を見れば納得である。●「救いには順序がある。「時」がある。それは神の思惑である。これは聖書を貫く大真理である。キリスト教の救いが仏教と違うところはここにある。あくまでも神の思惑で「必要としている」順番である。●聖書的根拠は無数にあるが、いくつかを絞って並べてみよう。

塚本訳 ヨハ 4:6-7
4:6 そこには(有名な)ヤコブの井戸があった。旅に疲れたイエスは、いきなり井戸のわきに腰をおろされた。昼の十二時ごろであった。
4:7 一人のサマリヤの女が水を汲みに来る。「飲ませてくれないか」とイエスが女に言われた


塚本訳 ヨハ 5:5-6
5:5 するとそこに三十八年病気の人がいた。
5:6 イエスはその人が横になっているのを見、すでに長い間わずらっていることを知ると、「直りたいか」とたずねられた。


塚本訳 ヨハ 8:8-10
8:8 そしてまた身をかがめて、地の上に何か書いておられた。
8:9 これを聞くと、彼らは皆(良心に責められ、)老人を始めとして、ひとりびとり出ていって、(最後に)ただイエスと、真中に立ったままの女とが残った。
8:10 イエスは身を起こして女に言われた、「女の人、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罰しなかったのか。」


塚本訳 ヨハ 9:1-3
9:1 イエスは通りがかりに、生まれつきの盲人を見られた。
9:2 弟子たちが尋ねた、「先生、この人が盲で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか、両親ですか。」
9:3 イエスは答えられた、「この人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。ただ神の御業がこの人に現われるためである。

塚本訳 ルカ 7:12-14
7:12 町の門の近くに来られると、ちょうど、ある独り息子が死んで、(棺が)舁き出されるところであった。母は寡婦であった。町の人が大勢その母に付添っていた。
7:13 主は母を見て不憫に思い、「そんなに泣くでない」と言って、
7:14 近寄って棺に手をかけ
──担いでいる者は立ち止まった──「若者よ、あなたに言う、起きよ!」と言われた。

塚本訳 ルカ 8:49-52
8:49 イエスがまだ話しておられるところに、礼拝堂監督の家からひとりの人が来て(監督に)言った、「お嬢さんはもうなくなりました。先生にこれ以上御迷惑をかけられないように。」
8:50 イエスは聞いて監督に言葉をかけられた、「こわがることはない。ただ信ぜよ。そうすれば助かる。」
8:51 家に着かれると、ペテロとヨハネとヤコブと、女の子の父と母とのほかには、だれも一しょに中に入ることを許されなかった。
8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。」

塚本訳 ヨハ 11:5-11
11:5 イエスはマルタとその姉妹ラザロとを愛しておられた。
11:6 ところでイエスはラザロが病気と聞かれると、おられたところに(なお)二日留っていて、
11:7 そのあとで弟子たちに、「もう一度ユダヤに行こう」と言われた。
11:8 弟子たちが言う、「先生、ついこの間もユダヤ人があなたを石で打ち殺そうとしたのに、またそこに行かれるのですか。」
11:9 イエスが答えられた、「(心配するな。わたしが神に命ぜられた務を果す時までは、だれもわたしに手を下すことはできない。)昼間は十二時間あるではないか。人は昼間歩けば、つまづくことはない。この世の光(太陽)が照らしているからだ。
11:10 しかし夜歩けば、つまづく。その人の中に(心を照らす)光がないからである。」
11:11 こう話して、またそのあとで言われる、「わたし達の友人ラザロが眠った。目をさましに行ってやろう。」

塚本訳 ルカ 19:4-5
19:4 それで先の方に駈けていって、桑無花果の木に上った。そこを通られるところを見ようとしたのである。
19:5 イエスはその場所に来られると、ザアカイを見上げて言われた、「ザアカイ、急いで下りておいで。きょうはあなたの家に泊まることになっているから。」

塚本訳 ヨハ 20:15-17
20:15 イエスが言われる、「女の人、なぜ泣くのか。だれをさがしているのか。」マリヤはそれを園丁だと思って言う、「あなた、もしあなたがあの方を持っていったのだったら、どこに置いたか教えてください。わたしが引き取りますから。」
20:16 (こう言って、また墓の方を向いていると、)イエスが「マリヤ!」と言われる。マリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う。(そしてイエスに抱きつこうとした。)
20:17 イエスが言われる、「わたしにすがりつくな。まだ父上の所に上っていないのだから。わたしの兄弟たち(弟子たち)の所に行って、『わたしは、わたしの父上、すなわちあなた達の父上、わたしの神、すなわちあなた達の神の所に上る』と言いなさい。」 

塚本訳 ルカ 22:60-62
22:60 しかしペテロは言った、「君、あなたの言っていることはわからない。」するとたちまち、まだその言葉の終らぬうちに、鶏が鳴いた。
22:61 主が振り向いて、じっとペテロを見つめられた。ペテロは、「きょう(今夜)、鶏が鳴く前に、わたしを三度、知らないと言う」と言われた主の言葉を思い出し、
22:62 外に出ていって、さめざめと泣いた。

塚本訳 ヨハ 21:15-17
21:15 やがて食事がおわると、イエスはシモン・ペテロに言われる、「ヨハネの子シモン、(今でも)あなたは、この人たち(が愛する)以上に、わたしを愛しているのか。」イエスに言う、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたが御存じです。」彼に言われる、「わたしの小羊を飼いなさい。」
21:16 二度目にまた言われる、「ヨハネの子シモン、あなたはわたしを愛しているのか。」イエスに言う、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたが御存じです。」彼に言われる、「わたしの羊の番をしなさい。」
21:17 三度目に言われる、「ヨハネの子シモン、あなたはわたしを愛しているのか。」ペテロは、イエスが三度も「あなたはわたしを愛しているのか」と言われたので悲しくなって、言った、「主よ、あなたはなんでも御存じです。わたしがあなたを愛していることはあなたが御存じです。」イエスが言われる、「わたしの羊を飼いなさい。

塚本訳 使  22:6-8
22:6 ところが進んでいってダマスコに近づくと、昼ごろ、突然、天から強い光がさしてわたしのまわりに輝いた。
22:7 わたしは地べたに倒れて、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と言う声を聞いた。
22:8 わたしは答えた、『主よ、あなたはどなたですか。』わたしに言われた
、『わたしだ、君が迫害しているナザレ人イエスだ。』

塚本訳 ロマ 5:20-21
5:20 (それなら律法は人を義として永遠の命を与えるためには役立たないのか。その通り。)律法は、過ちを増し強めるために第二義的に来たのである。しかし(神に感謝する、人の犯す)罪が増し強まれば、恩恵は豊かにあふれる。
5:21 これは罪が死を持って支配したように、恩恵も義をもって支配し、わたし達の主イエス・キリストによって、(わたし達を)永遠の命に入れるためである。

塚本訳 ロマ 10:14-15
10:14 ところで、(呼ぶだけで救われると言うが、)信じたことのない者を、どうして呼ぶことができようか。聞いたことのない者を、どうして信ずることができようか。説く者がなくて、どうして聞くことができようか。
10:15 (神に)遣わされなければ、どうして説くことができようか。(しかし説く者はある。それはわたし達である。)『善いこと[福音]を伝える人たちの足の、なんと美しいことよ!』と書いてあるとおりである。

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朝の啓示黙想礼拝おわり。神は罪を悔い悲しみの大きい人から復活のキリストの姿を現した。伝道という人間的努力によらない。教会建設によらない。エクレシアの建設によらない。集客の努力に寄らない。福音の真理の宣伝宣教によらない。神の思惑で罪を悔やみ悲しんでいる人に復活のキリストが現される。 

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早朝散歩。讃美歌「ああ、麗しきシオンの朝」

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早朝散歩。秋!。大好きなコスモスが咲く。篤信の信仰の女性の姿。
風に従順、神に従順。

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早朝散歩。五日市線の上り一番電車が走り去る。5時半。

●10月5日集会感話の原稿を推敲。
●妻は池谷医院へ定期健診。







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「死人の復活の福音」を抱いて信仰の馳せ場を走り抜け ++++++++ 所感

2014/09/18 08:29

140918(木)5時起床。早朝散歩●キリスト者の民様お早うございます。今朝の黙想は「『死人の復活の福音』を抱いて信仰の馳せ場を走り抜け」●あたまに浮かぶもの、およびTSKを利用して、心に響くものを掲げよう。●残りの時間も少ない。「馳せ場」を走り抜かなければならない。最も大切な事ただ一つのことに懸けよう。

(死人の復活)

塚本訳 Ⅰコリ15:3-5
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。

塚本訳 使 23:6
23:6 そのときパウロは(役人の)一派はサドカイ人、一派はパリサイ人であるのを見て取り、法院で叫んだ、「兄弟の方々、わたしはパリサイ人で、しかもパリサイ人の子です。いま死人の復活の希望のために裁判されているのです。(わたしは復活のキリストを見たと言いますから。)」


塚本訳 使 24:20-21
24:20 あるいはまた(ここにいる)この(エルサレムの)人たち自身も、わたしが最高法院の前に立ったとき、どんな不正が(わたしに)認められたか、言ってみたまえ!
24:21 『わたしは死人の復活のためにきょうあなた達の前で裁判されているのです』と、みんなの中に立って叫んだその一言のほかに!」


塚本訳 Ⅰコリ15:1
15:1 また、わたしが思い出してもらいたいのは、兄弟たちよ、(以前)あなた達に伝え、あなた達が(喜んで)受けいれてくれて、(今日まで)それに立っている、あの(死人の復活についての)福音である。


塚本訳 Ⅰコリ15:12-13
15:12 ところで、キリストが死人の中から復活しておられることが(こんなに)説かれ、(また信じられ)ているのに、死人の復活はないと主張する者があなた達の中にあるのは、いったいどうしてか。
15:13 しかし死人の復活がないのなら、キリストも復活しておられないわけである。


塚本訳 ピリ 3:10-11
3:10 かくて(ますます深く)キリストを知り、その復活の力を受け、その苦難に与り、彼と同じような死様をして、
3:11 あわよくば私も(最後に)死人の復活に達したいためである。


(馳せ場をひた走りに走る)

塚本訳 使 20:24
20:24 しかしわたしは、自分の走るべき道を走りおえて、主イエスから託された、神の恩恵をつたえる福音を証しする役目をはたすためなら、自分の命のことなど口にする値打もないと思う。


塚本訳 ヘブ 12:1
12:1 それゆえ、わたし達も、こんなに雲のような(大勢の)証人に囲まれているのであるから、(信仰の障害となる)すべての煩わしさと、すぐにからみつく罪とをぬぎすてて、わたし達の前に置かれている競走を、忍耐をもって走ろうではないか


塚本訳 コロ 1:24
1:24 今私は君達のために苦しむことを喜びとし、またキリスト・イエスの体なる教会のために私の体でキリストの患難の不足を補っている。


塚本訳 ピリ 3:14
3:14 (或る)目標に向かって、すなわち神がキリスト・イエスにおいて天上に招き給う褒美に向かって(ひた走りに)走っているのである


文語訳 Ⅰコリ9:24-27
9:24 なんぢら知らぬか、馳場を走る者はみな走れども、褒美を得る者の、ただ一人なるを。汝らも得んために斯く走れ。
9:25 すべて勝を爭ふ者は何事をも節し愼む、彼らは朽つる冠冕を得んが爲なれど、我らは朽ちぬ冠冕を得んがために之をなすなり。
9:26 斯く我が走る目標なきが如きにあらず、我が拳闘するは空を撃つが如きにあらず。
9:27 わが體を打ち擲きて之を服從せしむ。恐らくは他人に宣傳へて自ら棄てらるる事あらん。


塚本訳 Ⅰコリ9:24-27
9:24 (だからあなた達も、競技場の闘士のように自制しなければならない。)競技場で走る者は皆走るけれども、たった一人が賞をもらうことを、あなた達は知らないのか。あなた達も、それを勝ち取るように走らなければならない。
9:25 しかし競技する者は皆、何事にも自制する。ただ、あの人たちは朽ちはてる冠をもらうためであるが、わたし達は朽ちぬ冠のためである。
9:26 わたしはそれゆえに、目標があいまいでないように走る。空を打たないように拳闘をする。
9:27 いや、自分の体を打ちたたいて征服する。人には(福音を)説きながら、自分では失格するようなことのないためである。


塚本訳 Ⅱテモ4:6-8
4:6 もう(直に)私は(犠牲の)血を注ぐのであって、別離の時は迫った。──
4:7 ああ、善い戦いを戦った、競争を終わった、忠誠を守った。
4:8 今や(ただ)義の冠が私を待っている(だけである)。かの日、義しい審判者である主は、私に、(否、)私だけでなくその顕現を待ち焦れた凡ての人に、これを賜うであろう。


塚本訳 使 26:17-18
26:17 (かずかずの迫害や危険がのぞむが心配するな。)わたしは君をこの(イスラエルの)民(の手)から、また』異教人(の手)から』『(かならず)救い出してやる。』『彼らの中にわたしが君を遣わすのは、』
26:18 彼らの』目をあけて』彼らが『暗闇から光に、』悪魔の権力から神に帰るため、そうして彼らがわたしに対する信仰によって罪の赦しを得、きよめられた人たちの仲間に入れていただくためである』と。


塚本訳 テト 1:3
1:3 (そして)時来るや宣教によって御言を顕し給い、私が(この)われらの救い主なる神の命によってこの宣教を託されたのである


塚本訳 テト 2:11
2:11 というのは、凡ての人を救うべき神の恩恵は(既に世に)顕れ


塚本訳 ロマ 9:16
9:16 従って(憐れみも慈悲も、)
それは(人間の)願望にも努力にもよらず、ただ神の憐れみによるのである。


塚本訳 ガラ 2:2
2:2 しかし、のぼったのは(神の)啓示によったので、異教人のあいだで説いている福音を(そこの)人々に、名士たちには特別に、示した。(これは、)わたしが(現に福音のために力を尽くして)走っており、また(過去において)走ったことを、無駄にしないためであった。


塚本訳 ガラ 5:7
5:7 あなた達は(あんなに)よく走り出したのに、だれが邪魔をして真理に従わせなかったのか。


塚本訳 ピリ 2:16
2:16 かくて私の走ったことが無駄にならず、』苦労したことが無駄に』ならずに、キリストの日に名誉が私に帰するであろう。


塚本訳 Ⅱテモ4:7
4:7 ああ、
善い戦いを戦った、競争を終わった、忠誠を守った。


塚本訳 Ⅰペテ4:7
4:7
(今や)万事の終わりが近づいた。だから考え深くあれ、また真面目に折れ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想瞑想礼拝終わり。「死人の復活」の福音は神が運ぶ。私達はその証人だ。


●10月5日集会感話「死人が復活した衝撃」準備
●TSK日本語版イザヤ書10章
●NHKアーカイブス「讃美歌アメイジンググレイス物語」。アメリカの底力よ。

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美しい夕暮れ。讃美歌「御神の賜いしこの日も暮れけり。いざや今朝のごと、御恵みをたたえん」


●夕食は久しぶりにカレーライス。おいしい。感謝。






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人間は将来の不安や心配を消すことは出来ない ++++++++ 所感

2014/09/17 07:53

140917(水)5時半起床、早朝散歩で黙想●キリスト者の皆様、お早うございます。今朝の啓示「人間は将来の不安や心配を消すことは出来ない」●昨日は古巣建設物価調査会の会議に出席した。新しい切り口からの研究が進んでいることを知り、うれしく思った。その後会食会があって、「コスト予測の手法」が話題になった。●いくら情報量を多くしてコンピューターを駆使しても予測は外れることを思った。●肉の人間は将来が見えないから、不安や心配に陥るのだ。●今朝はその人間の限界を聖書に探り、その無間地獄から脱するにはどうしたらよいかを黙想してみよう。●まず、先が見えないとう不安や心配について聖書は同情してくれる。人間が見えない先のことを心配するのは当然のことだ。


塚本訳 ヨハ 11:21-27
11:21 マルタがイエスに言った、「主よ、あなたがここにいてくださったら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。
11:22 しかしあなたがお願いになることなら、神様は何でもかなえてくださることを、わたしは今でも知っています。
11:23 イエスは言われる、「あなたの兄弟は生き返る。」
11:24 マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」
11:27 イエスに言う、「はい、主よ、(信じます。)あなたが救世主で、神の子で、世に来るべき方であると、私は信じています。」

塚本訳 マタ 6:25-32
6:25 だから、わたしは言う、何を食べようかと命のことを心配したり、また何を着ようかと体のことを心配したりするな。命は食べ物以上、体は着物以上(の賜物)ではないか。(命と体とを下さった天の父上が、それ以下のものを下さらないわけはない。)
6:26 空の鳥を見てごらん。まかず、刈らず、倉にしまいこむこともしないのに、天の父上はそれを養ってくださるのである。あなた達は鳥よりも、はるかに大切ではないのだろうか。
6:27 (だいいち、)あなた達のうちのだれかが、心配して寿命を一寸でも延ばすことが出来るのか。
6:28 また、なぜ着物のことを心配するのか、野の花の育つのを、よく見てごらん、苦労をせず、紡ぐこともしない。
6:29 しかし、わたしは言う、栄華を極めたソロモン(王)でさえも、この花の一つほどに着飾ってはいなかった。
6:30 きょうは花咲き、あすは炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこんなに装ってくださるからには、ましてあなた達はなおさらのことではないか。信仰の小さい人たちよ!
6:31 だから、『何を食べよう』とか、『何を飲もう』とか、『何を着よう』とか言って、心配するな。
6:32 それは皆異教人のほしがるもの。あなた達の天の父上は、それが皆あなた達に必要なことをよく御承知である。

塚本訳 マタ 6:33-34
6:33 あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。
6:34 だから、
あしたのことを心配するな。あしたはあしたが自分で心配する。一日の苦労はその日の分で沢山である。


塚本訳 マタ 8:24-26
8:24 するとにわかに湖に激しい嵐がおこって、ついに舟は波をかぶった。しかしイエスは眠っておられた。
8:25 弟子たちがそばに来て、「主よ、お助けください、溺れます」と言って起した。
8:26 彼らに言われる、「なんでそんなに臆病なのか、信仰の小さい人たちよ!」それから起き上がって風と湖とを叱りつけられると、(たちどころに)大凪になった。

塚本訳 マタ 20:31-34
20:31 群衆が叱りつけて黙らせようとしたが、二人はますます大声で、「主よ、ダビデのお子様よ、どうぞお慈悲をと言って叫んだ。
20:32 イエスは立ち止まって、二人を呼んで言われた、「何をしてもらいたいのか。」
20:33 彼がこたえる、「主よ、目があくといい。」
20:34 イエスが不憫に思ってその目にさわられると、すぐ見えるようになって、イエスについて行った。

塚本訳 ルカ 12:16-24
12:16 そこで一つの譬を人々に話された、「ある金持の畑が(ある年)豊作であった。
12:17 『どうしよう、わたしの作物をしまいこむ場所がないのだが…』と金持ちはひそかに考えていたが、
12:18 やがて言った、『よし、こうしよう。倉をみなとりこわして大きいのを建て、そこに穀物と財産をみなしまいこんでおいて、
12:19 それからわたしの魂に言おう。──おい魂、お前には長年分の財産が沢山しまってある。(もう大丈夫。)さあ休んで、食べて、飲んで、楽しみなさい、と。』
12:20 しかし神はその人に、『愚か者、今夜お前の魂は取り上げられるのだ。するとお前が準備したものは、だれのものになるのか』と言われた。
12:21 自分のために(地上に)宝を積んで、神のところで富んでいない者はみな、このとおりである。」
12:22 それから(また)弟子たちに言われた、「だから、わたしは言う、何を食べようかと命のことを心配したり、また何を着ようかと体のことを心配したりするな
12:23 命は食べ物以上、体は着物以上(の賜物)だから。(命と体とを下さった神が、それ以下のものを下さらないわけはない。)
12:24 烏をよく見てごらん。まかず、刈らず、納屋も倉もないのに、神はそれを養ってくださるのである。ましてあなた達は、鳥よりもどれだけ大切だか知れない。

塚本訳 ルカ 23:41-43
23:41 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる。」

●この人間として不安や心配という無間地獄から救われるためには「神がついていてくださる」という信仰によってのみ安心立命を得られる。逃げではない。信仰による喜びである。こういう人間の方が逆にこの世に効果のある働きをすることが出来る。なぜか。心が落ちつているから、物事を的確に処理できる。焦らない。洞察力が優れている。それに神がツイている。
●この不安、心配、悩み、恐怖から逃れる道は神への信仰。

塚本訳 マタ 4:3-4
4:3 すると誘惑する者[悪魔]が進み寄って言った、「神の子なら、(そんなにひもじい思いをせずとも、)そこらの石ころに、パンになれと命令したらどうです。」
4:4 しかし答えられた「『パンがなくとも人は生きられる。(もしなければ、)神はそのお口から出る言葉のひとつびとつで(パンを造って、)人を生かしてくださる』と(聖書に)書いてある。」

塚本訳 ルカ 1:28
1:28 天使は乙女の所に来て言った、「おめでとう、恵まれた人よ、主があなたとご一しょだ

塚本訳 ロマ 8:16-17
8:16 御霊自身が、今すでにわたし達が神の子供であることを、わたし達の霊に保証してくださるのである。
8:17 (すでに神の)子供であるならば、また相続人である。神の相続人であり、キリストと共同相続人である、(キリストと)一しょに栄光を受けるため、(こうして彼と)一しょに苦しんでいる以上は。

塚本訳 ロマ 8:26
8:26 しかし(創造物やわたし達神の子が苦しんでいると)同じように、御霊も、弱いわたし達を助けてくださる。すなわち、(神のみ心にかなうには)どう何を祈るべきかわからないので、御霊自身が、無言の呻きをもって(わたし達の祈りを神に)執り成してくださるのである


塚本訳 ピリ 4:6
4:6 何事についても心配せず、君達の求めは感謝を添えた祈りと願いとにより、大小となく神に知らせよ。

塚本訳 Ⅰペテ5:7
5:7 『君達の心配を』悉く彼に『投げかけよ』。(いつも)君達のことを心にかけて居られるのだから。

口語訳 箴  31:25-31
31:25 力と気品とは彼女の着物である、そして後の日を笑っている
31:26 彼女は口を開いて知恵を語る、その舌にはいつくしみの教がある。
31:27 彼女は家の事をよくかえりみ、怠りのかてを食べることをしない。
31:28 その子らは立ち上がって彼女を祝し、その夫もまた彼女をほめたたえて言う、
31:29 「りっぱに事をなし遂げる女は多いけれども、あなたはそのすべてにまさっている」と。
31:30 あでやかさは偽りであり、美しさはつかのまである、しかし主を恐れる女はほめたたえられる。
31:31 その手の働きの実を彼女に与え、その行いのために彼女を町の門でほめたたえよ。

塚本訳 コロ 3:15
3:15 またキリストの平和に君達の心を心配せよ。君達もまた一体としてこの平和に召されたのである(から)。また(神に対し)感謝深くあれ。


塚本訳 ロマ 8:28
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、
神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。

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朝の黙想瞑想礼拝終わり。神共にいます。神は私達の不安や心配や悩みの総てをことごとくご存知で「よいようにしてくださる」。自戒、自戒。「その時何とかなる」「神が何とかしてくださる」。

●8:00 妻は今井館ウィークデーの集いに出発
●10月5日の感話準備「死人の復活の衝撃」
●私は家でTSK日本語版イザヤ書8-9章
●CDでカラヤン+ベルリン。東京文化会館でのライブでヴェートーヴェン交響曲4番、ムソルグスキー「展覧会の絵」。最後の拍手がものすごかった。
●CDでブーニン+N響(外山雄三指揮)。人見記念講堂でのライブ。モーツァルトピアノコンチェルト23番。ショパンピアノコンチェルト一番。これも最後の拍手がすごい。音楽が終わらないうちに雪崩のような拍手。ライブ録音は熱気がこもっている。キリスト教会、エクレシアも生けるキリストの「ライブ」でなければならない。































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来世での復活を生きているうちに信じられるか。 ++++++++ 所感

2014/09/16 06:12

140916(火)キリスト者の皆様お早うございます。●昨日は職業上の恩師93歳のKT氏を尻手の老人ホームにお見舞いした。行く途中、認知症に近い人に神や福音や復活の希望をお伝えすることが可能かどうかをしきりに考えた。●認知症の方は、自分に接してくれる人は親切な暖かい人か、冷たく厳しい人なのかの区別を「感じるそうだ●認知症の老人の救いは、本を読むことも、人の話を聴くことも、しかり、「信じる」ことも不可能になった人には可能なのか。今朝はそのことを黙想してみよう。

塚本訳 ルカ 8:52-55
8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。」
8:53 人々は死んだことを知っているので、あざ笑っていた。
8:54 しかしイエスは女の子の手を取り、声をあげて「子よ、起きなさい!」と呼ばれると
8:55 霊がもどって、即座に女の子は立ち上がった。イエスは(何か)食べさせるように言いつけられた。

塚本訳 ヨハ 11:21-27
11:21 マルタがイエスに言った、「主よ、あなたがここにいてくださったら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。
11:22 しかしあなたがお願いになることなら、神様は何でもかなえてくださることを、わたしは今でも知っています。」
11:23 イエスは言われる、「あなたの兄弟は生き返る。」
11:24 マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」
11:27 イエスに言う、「はい、主よ、(信じます。)あなたが救世主で、神の子で、世に来るべき方であると、私は信じています。」

塚本訳 ルカ 23:42-43
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽(パラダイス)にはいることができる。」 

塚本訳 ヨハ 6:44-45
6:44 (わたしを信じないのは、父上が引っ張ってくださらないからだ。)わたしを遣わされた父上が引っ張ってくださらなければ、だれもわたしの所に来ることはできない。(しかし来れば、)わたしはその人をきっと最後の日に復活させる。
6:45 預言書に、〃(最後の日に)人は皆神に教えを受けるであろう〃と書いてある。(そして神に引っ張られる者、すなわち本当に)
父上に聞き、また学ぶ者は皆、わたしの所に来る。


●信仰は人間の側の行為ではなく、「神の引き」である。神の側の行為である。人間の努力では不可能なのだ。そこでこのヨハネ6:44-45について、考えてみよう。この一句に全カルヴァンが入る。全カルヴィニズムが入る。全改革派神学が入る。
●「聖書で聖書を読む」ことをしよう。この部分のTSKを見てみよう。

●ヨハ 6:45

6:45 預言者の書に、『彼らはみな神に教えられるであろう』と書いてある。父から聞いて学んだ者は、みなわたしに来るのである。

 

*「と書いてある。」

Mark 1:2

2預言者イザヤの書に、「見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、あなたの道を整えさせるであろう。

Luke 1:70

 70古くから、聖なる預言者たちの口によってお語りになったように、

Luke 18:31

 31イエスは十二弟子を呼び寄せて言われた、「見よ、わたしたちはエルサレムへ上って行くが、人の子について預言者たちがしるしたことは、すべて成就するであろう。

 

*「彼らはみな神に教えられるであろう」

Isaiah 2:3

3多くの民は来て言う、「さあ、われわれは主の山に登り、ヤコブの神の家へ行こう。彼はその道をわれわれに教えられる、われわれはその道に歩もう」と。律法はシオンから出、主の言葉はエルサレムから出るからである。

Isaiah 54:13

 13あなたの子らはみな主に教をうけ、あなたの子らは大いに栄える。

Jeremiah 31:33-34

 33しかし、それらの日の後にわたしがイスラエルの家に立てる契約はこれである。すなわちわたしは、わたしの律法を彼らのうちに置き、その心にしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となると主は言われる。  34人はもはや、おのおのその隣とその兄弟に教えて、『あなたは主を知りなさい』とは言わない。それは、彼らが小より大に至るまで皆、わたしを知るようになるからであると主は言われる。わたしは彼らの不義をゆるし、もはやその罪を思わない」。

Micah 4:2

 2多くの国民は来て言う、「さあ、われわれは主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。彼はその道をわれわれに教え、われわれはその道に歩もう」と。律法はシオンから出、主の言葉はエルサレムから出るからである。

Ephesians 4:21-22

 21あなたがたはたしかに彼に聞き、彼にあって教えられて、イエスにある真理をそのまま学んだはずである。  22すなわち、あなたがたは、以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て、

1 Thessalonians 4:9

 9兄弟愛については、今さら書きおくる必要はない。あなたがたは、互に愛し合うように神に直接教えられており、

Hebrews 8:10-11

10わたしが、それらの日の後、イスラエルの家と立て/ようとする契約はこれである、と主が言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、/彼らの心に書きつけよう。こうして、わたしは彼らの神となり、/彼らはわたしの民となるであろう。  11彼らは、それぞれ、その同胞に、/また、それぞれ、その兄弟に、/主を知れ、と言って教えることはなくなる。なぜなら、大なる者から小なる者に至るまで、/彼らはことごとく、/わたしを知るようになるからである。

Hebrews 10:16

 16「わたしが、それらの日の後、/彼らに対して立てようとする契約はこれであると、/主が言われる。わたしの律法を彼らの心に与え、/彼らの思いのうちに書きつけよう」/と言い、

 

*「父から聞いて学んだ者は、みなわたしに来るのである」

Matthew 11:27

27すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子を知る者は父のほかにはなく、父を知る者は、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほかに、だれもありません。

Matthew 17:5

 5彼がまだ話し終えないうちに、たちまち、輝く雲が彼らをおおい、そして雲の中から声がした、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け」。

John 5:38-40

 38また、神がつかわされた者を信じないから、神の御言はあなたがたのうちにとどまっていない。  39あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。  40しかも、あなたがたは、命を得るためにわたしのもとにこようともしない。

John 6:37

 37父がわたしに与えて下さる者は皆、わたしに来るであろう。そして、わたしに来る者を決して拒みはしない。

John 6:65

 65そしてイエスは言われた、「それだから、父が与えて下さった者でなければ、わたしに来ることはできないと、言ったのである」。

John 10:27

 27わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。

John 16:14-15

 14御霊はわたしに栄光を得させるであろう。わたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるからである。  15父がお持ちになっているものはみな、わたしのものである。御霊はわたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるのだと、わたしが言ったのは、そのためである。

Ephesians 1:17

 17どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と啓示との霊をあなたがたに賜わって神を認めさせ、

1 John 4:1-3

 1愛する者たちよ。すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。多くのにせ預言者が世に出てきているからである。  2あなたがたは、こうして神の霊を知るのである。すなわち、イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白する霊は、すべて神から出ているものであり、  3イエスを告白しない霊は、すべて神から出ているものではない。これは、反キリストの霊である。あなたがたは、それが来るとかねて聞いていたが、今やすでに世にきている。

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朝の黙想瞑想礼拝終わり。人が救われるかどうかは神の一存。救われる人も救われない人も神はご存知。然り、認知症の人の救いも100%神が握っていてくださる。





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人は死んだらどこへ行くのか ++++++++ 所感

2014/09/15 07:59

140915(月)祝日、敬老の日●キリスト者の皆様お早うございます●昨夜は21時からNHKスペシャルで「立花隆思索ドキュメント。死ぬとき心はどうなるか」の半分ほどを見た●立花隆は、母親の死、自らの癌、東日本大震災を通して「人は死んだらどこに行くのか」というテーマに科学的に取り組んだ。●立花隆氏は登戸学寮の寮生であった。ご両親は無教会のクリスチャン。亡くなられたご母堂は一度東京聖書読者会に来られ、昼食会で私の隣で私と言葉を交わしたことがある。●日本を代表する知性の持ち主が「死んだらどこへ行くのだろう」という疑問は平均的日本人の素朴な疑問である。●これに対し、私は「復活は科学的思索ではわからない。罪の赦しの体験でわかる」と心でつぶやきながら見ていた。立花隆に答えられる能力は今の日本のキリスト教は無教会を含めて皆無。●復活は罪に泣く人に神の方から働きかけて有体的復活の姿を現すことで分る。このことは昨日のブログに書いた。●永遠の命や復活は神の方からの働きかけ、有体的復活の顕現で分るのであるから「思索」では不可能。●立花隆氏は74歳。間もなく訪れる「死の時」までに神が彼に働きかけて罪の赦しを通して復活と永遠の命が啓示されますように。無教会のご両親の祈りが聴き届けられますように。●神は命の短さに嘆き悲しんでいる人、罪に泣いている人に復活のイエスの有体的姿を示す。これ以外に救いの道はない。

塚本訳 ヨハ 3:5-13
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。
3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。
3:7 『あなた達は新しく生まれなおさねばならない』と言ったからとて、すこしも不思議がることはない。
3:8 風[プニューマ]は心のままに吹く。その音は聞えるが、どこから来てどこに行くか、あなたは知らない。霊[プニューマ]によって生れる者も皆、そのとおりである。」
3:9 ニコデモが言葉を返した、「(霊によって生まれるなどと、)そんなことがどうして出来ましょうか。」
3:10 イエスが答えて言われた。──「あなたはイスラエルの(名高い)先生でありながら、それくらいなことがわからないのか。
3:11 アーメン、アーメン、わたしは言う、わたし達(神の国を説く者)は知っていることを話し、(自分で)見たことを証しするのである。しかしあなた達はその証しを受けいれない。
3:12 わたしが(いま)地上のことを言うのに、それを信じないから、天上のことを言うとき、どうして信じることができよう。
3:13 しかも天から下ってきた者、すなわち人の子(わたし)のほかには、だれ一人天に上った者はない。(また天上のことを知っている者はない。)

塚本訳 ルカ 24:44-47
24:44 それから彼らに言われた、「(あなた達が見聞きした)これらのことは、わたしがまだあなた達と一しょにいたとき、わたしについてモーセの律法と預言書と詩篇と[聖書]に書いてあることは一つのこらずきっと成就する、と話したその言葉(が実現したの)である。」
24:45 それから聖書をわからせるために彼らの心を開いて
24:46 言われた、「救世主は苦しみをうけて、三日目に死人の中から復活する。
24:47 また罪を赦されるための悔改め(の福音)が、その名においてすべての国の人に説かれる、エルサレムから始まって、と(聖書に)こう書いてある。

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朝の黙想瞑想礼拝おわり

●10:30 尻手の老人ホーム「ベネッセ」に黒田隆さんを見舞う。来世では娶らず嫁がずで復活して来世では愛する人に会える」と話してお慰めした。

塚本訳 ルカ 20:29-36
20:29 ところで(ここに)七人の兄弟があって、長男が妻をめとったが、子がなくて死に、
20:30 (この律法に従って、)次男、
20:31 三男と、(つぎつぎに)その女をめとり、ついに七人とも同様に子を残さず死んで、
20:32 しまいにはその女も死んでしまいました。
20:33 すると(もし復活があるなら、)復活の折には、この女はその(七人の)うちのだれの妻になるのでしょうか。七人とも女を妻にしましたから。」
20:34 イエスは言われた、「この世の人はめとり嫁ぐけれども、
20:35 あの世にはいる資格を与えられて、死人の中から復活する者は、めとることもなく嫁ぐこともない。
20:36 復活によって生まれる彼らは、天使と同じであり、神の子であるので、もはや死ぬことが出来ない、(従って子を産む必要がない)からである


2014_09150002.jpg 

早朝散歩。

口語訳 詩  19:5-6
19:5 日は花婿がその祝のへやから出てくるように、また勇士が競い走るように、その道を喜び走る。
19:6 それは天のはてからのぼって、天のはてにまで、めぐって行く。その暖まりをこうむらないものはない。

2014_09150005.jpg 
黒田隆氏を老人ホームに見舞う。大分お弱りになられた。
口が良く回らなくてお話の内容が半分聞き取れない。私のことを「良く来てくださった」と喜んでくださった。私も20年も経つとこうなるのかと思うと暗然とした。
復活の話をしてお慰めしたところ、喜ばれた。

●14:00 内村鑑三研究会(於・今井館)                                                講演①内村鑑三における日本人とキリスト教・・二つの疑問。                          前・東京神学大学学長 近藤勝彦    
講演②内村鑑三における「ナショナリズム」・・・天皇制などもめぐって・・・                東北大学名誉教授 柳父 圀近
●聴衆80名は盛会。活発な質問。月本昭男氏の「神学では内村鑑三を捉えきれない」という発言が光った。終了後講師を囲んで十数人が別室に残って茶話会。 千葉真、月本昭男、赤江達也(「紙上の教会」の著者)、坂内宗男、原島圭二、その他)
 私の発言。「近藤先生は内村の思想はブレたと言われたが、ブレないものがあった。それは『死人の復活』への信仰 」
帰宅19:30 今井館は遠い。

●東京神学大学は「神学」の牙城。無教会や内村鑑三は「神学」を嫌った。避けた。その理由は「命」がないから。生き生きとしてないから。


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神は罪に泣いた人に有体的復活のイエスを現した ++++++++ 所感

2014/09/14 05:56

140914日)キリスト者の皆様お早うございます。今朝は5時起床、早朝散歩。●今朝の啓示は「神は罪に泣いた人に有体的復活のイエスを現した」です。●次回10月5日の感話準備のために9月11日のブログでは「死人の復活を見た人の衝撃」について記した。9月13日のブログでは「イエスの復活は信じられないのが普通」ということを記した。そして今朝は第3段として「神は罪に泣いた人に有体的復活のイエスを現した」を黙想する。●イエスの復活を信じられるのは尋常なことではない。それは人間の行為や努力や勉強や考察では無理なことである。神の力がはたらきその人に霊が降るときに「霊眼が開くの絵ある」。●復活の姿を現された人の共通点は自己の深い罪に泣いた人である。嘆き悲しんだ人である。この人達はイエスの復活は「要求」である。復活のイエスを見て、イエスの有体的復活の姿を現されて、自分の罪が赦されたことを確信した。●ペテロもパウロもそれで「狂った」。マグダラのマリヤは「走って弟子たちに告知しにいった●私の残りの生涯もイエスの有体的復活に「狂って」「走る」ことが目的である。●そこで今朝はその三人についてその罪の深さの嘆き、有体的イエスが現れて、罪が赦されたことについて順次見てみよう。

(マグダラのマリヤ)

塚本訳 ルカ 7:36-39
7:36 (シモンという)ひとりのパリサイ人が一しょにお食事をと願ったので、そのパリサイ人の家に入って食卓に着かれた。
7:37 すると、その町に一人の罪の女がいた。イエスがパリサイ人の家で食卓についておられることを知ると、香油のはいった石膏の壷を持ってきて、
7:38 泣きながら後ろからイエスの足下に進み寄り、しばし涙で御足をぬらしていたが、やがて髪の毛でそれをふき、御足に接吻して香油を塗った。
7:39 イエスを招待したパリサイ人が見て、ひそかに思った、「もしもこの人が(ほんとうの)預言者だったら、自分にさわっている者がだれだか、どんな女だか、──罪の女だと分るはずであるのに!」

塚本訳 ルカ 7:46-50
7:46 あなたは(普通の)油をすら頭に塗ってくれないのに、この婦人は(高価な)香油を足に塗ってくれた。
7:47 だから、わたしは言う、この婦人の多くの罪は赦されている。(いま)多くわたしを愛したのがその証拠である。赦され方の少ない者は、愛し方も少ない。」
7:48 そしてその女に言われた、「あなたの罪は赦されている。」
7:49 同席の者が(憤慨して)ひそかに考えた、「罪さえ赦す(という)この人はいったい何人だろう。」
7:50 しかしイエスは女に言われた、「あなたの信仰があなたを救った。『さよなら、平安あれ。』」

塚本訳 マコ 16:6-7
16:6 青年は彼らに言う、「驚くに及ばない。あなた達は十字架につけられたナザレ人イエスをさがしているが、もう復活されて、ここにはおられない。そら、ここがお納めした場所だ。
16:7 さあ行って、弟子たち、とりわけペテロに、『イエスはあなた達より先にガリラヤに行かれる。(前に)あなた達に言われたとおり、そこでお目にかかれる』と言いなさい。」

塚本訳 マコ 16:9-11
16:9 【さて週の第一日の朝早く復活して、まずマグダラのマリヤに自分を現わされた。以前に七つの悪鬼を追い出していただいた女である。
16:10 この女は、(御在世中)おそばにいた人たちが泣き悲しんでいるところに行って知らせたが、
16:11 この人たちは、(今)生きておられること、彼女がそれを見たことを聞いても、信じなかった。

塚本訳 マタ 28:1-10
28:1 安息日の(すんだ)後、週の初めの日[日曜日]の明け方に、マグダラのマリヤともう一人のマリヤとが墓を見に行った
28:2 すると突然大地震がおこった。それは主の使が天からおりて来て(墓に)近寄り、(入口の)石をわきにころがし、その上に坐ったのである。
28:3 その顔は稲妻のようにかがやき、着物は雪のように白かった。
28:4 見張りをしていた者たちは恐ろしさのあまり震え上がって、死人のようになった。
28:5 天使は女たちに言った、「恐れることはない。あなた達は十字架につけられたイエスをさがしているようだが、
28:6 ここにはおられない。かねがね言われたとおり、もう復活されたのだから。来て、お体が置いてあった場所を見なさい。
28:7 それから急いで行って弟子たちに、『イエスは死人の中から復活された。あなた達より先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる』と言いなさい。これを言いにわたしは来たのだ。」
28:8 女たちは恐ろしいが、また嬉しくてたまらず、(中には入らずに)急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走っていった。
28:9 するとイエスがぱったり彼らに出合って、「お早う」と言われた。女たちは進み寄り、その足を抱いておがんだ。

28:10 するとイエスは女たちに言われる、「恐れることはない。行ってわたしの兄弟たち[弟子たち]に、ガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのだから。」

塚本訳 ヨハ 20:1-10
20:1 (翌々日、すなわち)週の初めの日(日曜日)の朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に来てみると、墓(の入口)から石がのけてあった。
20:2 そこでシモン・ペテロと、イエスが可愛がっておられたもう一人の弟子との所に走って行って言う、「主を墓から取っていった者があります。どこに置いたのかわかりません。」
20:3 そこでペテロはもう一人の弟子と飛び出して、墓へと急いだ。
20:4 二人とも(始めのほどは)一しょに走っていたが、もう一人の弟子の方が(年が若かったので、)ペテロより早く走っていって、先に墓に着いた。
20:5 身をかがめると、(墓の中に)亜麻布があるのが見えたが、それでも中には入らなかった。
20:6 続いてシモン・ペテロも来た。彼は墓に入り、亜麻布が(そのままそこに)あるのを見た。
20:7 また頭をつつんだ手拭は亜麻布と一しょになく、これだけ別の所に、包んだまま(の形)になっていた。
20:8 すると先に墓に着いたもう一人の弟子も入ってきて、見て、信じた。
20:9 イエスは死人の中から復活されねばならないという聖書の言葉が、(この時まで)まだ彼らにわかっていなかったのである。
20:10 それから二人の弟子は家にかえった。


塚本訳 ヨハ 20:11-18
20:11 (二人について来ていた)マリヤは(ひとり)墓の外に立って泣いていた。(二人が去ったあと、)泣きながらかがんで墓の中をのぞくと、
20:12 白い衣をきた二人の天使が、一人はイエスの体が置いてあった所の頭の方に、一人は足の方に坐っているのが見えた。
20:13 天使がマリヤに言う、「女の人、なぜ泣くのか。」マリヤが言う、「わたしの主を取っていった者があります。どこに置いたのかわかりません。」
20:14 こう言って後を振り向くと、イエスがそこに立っておられるのが見えた。しかしイエスだとは気づかなかった。
20:15 イエスが言われる、「女の人、なぜ泣くのか。だれをさがしているのか。」マリヤはそれを園丁だと思って言う、「あなた、もしあなたがあの方を持っていったのだったら、どこに置いたか教えてください。わたしが引き取りますから。」
20:16 (こう言って、また墓の方を向いていると、)イエスが「マリヤ!」と言われる。マリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う。(そしてイエスに抱きつこうとした。)
20:17 イエスが言われる、「わたしにすがりつくな。まだ父上の所に上っていないのだから。
わたしの兄弟たち(弟子たち)の所に行って、『わたしは、わたしの父上、すなわちあなた達の父上、わたしの神、すなわちあなた達の神の所に上る』と言いなさい。」
20:18 マグダラのマリヤは行って弟子たちに、「わたしは主にお目にかかった」、また、主がこのことを彼女に言われた、と報告した。



(ペテロ)
 

塚本訳 ルカ 22:60-62
22:60 しかしペテロは言った、「君、あなたの言っていることはわからない。」するとたちまち、まだその言葉の終らぬうちに、鶏が鳴いた。
22:61 主が振り向いて、じっとペテロを見つめられた。ペテロは、「きょう(今夜)、鶏が鳴く前に、わたしを三度、知らないと言う」と言われた主の言葉を思い出し、
22:62 外に出ていって、さめざめと泣いた

塚本訳 ルカ 24:31-34
24:31 (その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。
24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。
24:33 時を移さず二人は立ち上がってエルサレムに引き返して見ると、十一人とその仲間とが集まっていて、
24:34 「ほんとうに主は復活して、シモン(・ペテロ)に御自分を現わされた」と話してくれた。

塚本訳 Ⅰコリ15:3-8
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。
15:6 そのあと、一度に五百人以上の兄弟に御自分を現わされた。そのうちの多数の者はいまでも生きてい(て、わたしが嘘を言っていないことを証明してくれ)る。もっともすでに眠った者もあるにはある。
15:7 そのあと(御兄弟の)ヤコブに、それから使徒一同に、御自分を現わされた
15:8 しかし一番最後には、さながら月足らずのようなわたしにも御自分を現わされた

(パウロ)

●パウロの場合

塚本訳 使  7:54-60
7:54 これを聞いて(法院にいた)人々は怒り心頭に発し、ステパノに向かって歯ぎしりした。
7:55 しかしステパノは聖霊に満ちて天をじっと見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見ると、
7:56 「おお、天が開けた、人の子が見える、神の右に立っておられる!」と言った。
7:57 すると彼らは大声で叫び、(冒涜の言葉を聞くまいとして)耳をふさぎ、一せいに襲いかかって、
7:58 彼を町の外に突き出し、石で打ち殺した。証人たちはぬいだ上着をサウロという青年の足下に置い(て、番をさせ)た。
7:59 ステパノは打ち殺されながら、イエスの名を呼んで、「主イエス様、わたしの霊をお受けください」と祈り、
7:60 それからひざまずいて、大声で叫んだ、「主よ、どうぞこの罪をこの人たちに負わせないでください!」こう言って、彼は眠りについた。

塚本訳 使  26:8-10
26:8 (あなた方はイエスの復活を信ぜず、従って彼が約束の救世主であることを信じようとされませんけれども、)神が死人を生きかえらせるということが、あなた方にはなぜそんなに信じ難いことと思われるのでしょうか。
26:9
ところで実はこう言うわたしも、(かつては)ナザレ人のイエスの(救世主という)名に対して大いに反抗すべきであると考え、
26:10
エルサレムで実際それをやったのです。すなわち大祭司連から全権を受けて多くの聖徒を牢に閉じこめ、また彼らが処刑されるときそれに賛成したのは、だれあろうこのわたしでありました


塚本訳 使  9:17-18
9:17 そこでアナニヤは行って(ユダの)家に入り、サウロに手をのせて言った、「兄弟サウロよ、主がわたしをお遣わしになったのです。あなたが(ここに)来る途中、御自分を現わしてくださったあのイエスが!あなたの目が見えるようになるため、また聖霊に満たされるためです。」
9:18 するとすぐ鱗のようなものがサウロの目から落ちて、見えるようになり、立って洗礼を受けた。

塚本訳 使  22:6-8
22:6 ところが進んでいってダマスコに近づくと、昼ごろ、突然、天から強い光がさしてわたしのまわりに輝いた。
22:7 わたしは地べたに倒れて、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と言う声を聞いた。
22:8 わたしは答えた、『主よ、あなたはどなたですか。』わたしに言われた、『わたしだ、君が迫害しているナザレ人イエスだ。』

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朝の黙想瞑想礼拝終わり。神は有体的復活の姿を罪の深い人、イエスに負い目のある人に現した。現された人は自分の罪の赦しの確信を得た。現代でも罪人であればあるほど神がとらえてくださる。

塚本訳 ロマ 5:20
5:20 (それなら律法は人を義として永遠の命を与えるためには役立たないのか。その通り。)律法は、過ちを増し強めるために第二義的に来たのである。しかし(神に感謝する、人の犯す)罪が増し強まれば、恩恵は豊かにあふれる。

塚本訳 マタ 21:31-32
21:31 この二人のうち、どちらが父の心を行ったのだろうか。」「もちろん長男」と彼らが答える。イエスが言われる、「アーメン、わたしは言う、税金取りや遊女たちは、あなた達よりも先に神の国に入るであろう。
21:32 そのわけは、(洗礼者)ヨハネが義の道を示しに来たのに、あなた達は彼を信ぜず、税金取りや遊女の方がかえって信じたからだ。しかしあなた達は(あの人たちが悔改めるのを)見たあとでも、後悔して彼を信じようとしなかった。


●10:00 今日から集会の後期。茂木(司会)、高木(マルコ)、山本(第一テモテ)
●高木さんの「ゲラサの狂人は私のことだ」との告白に胸を打たれた。同感。
●午後、妻はコーラスのレッスン
●私は家にかえってTSK日本語版イザヤ書7章
●夕方、図書館。孫が借りていた本が約束通り期限通り返ってきたので返しに行った。
●孫に期限を守ったのでFAXで褒めた。
●途中にある「古書店」が閉館でどの本でも一冊50円の大安売り。10冊購入。妻が「また本が増えると」と苦言。

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早朝散歩。今日は聖日。天気がよさそうだ。

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妻と集会に行く途中。大好きな百日紅(さるすべり)が咲いていた。

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集会の帰途。あきる野台地。すばらしい空と雲。
バッハ、「高きみ空より我は降りぬ」。







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イエスの復活は信じられないのが普通 ++++++++ 所感

2014/09/13 06:39

140913(土)キリスト者の皆様お早うございます。5時起床、洗顔、すぐ早朝散歩。●今朝の課題「イエスの有体的復活は信じられないのが普通」。10月5日集会感話の準備

10月5日集会感話の準備。
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●イエスの有体的復活は信じられないのが普通

塚本訳 マコ 16:1-8

16:1 (翌日、日が暮れて)安息日が終ると、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとは、イエス(の体)に油を塗りに行くために、(油にまぜる)香料を買いととのえた。

16:2 そして(あくる朝、すなわち)週の初めの日[日曜日]の朝、ごく早く、日が出ると墓場に行く。

16:3 「だれか墓の入口から石をころがしてくれる者があるだろうか」と互に話しながら、

16:4 (ふと)目をあげて見ると、石はもうころがしてあった。(彼らが心配したのは)石が非常に大きかったからである。

16:5 墓に入ると、白い衣をきた一人の青年が右手の方に坐っているのを見たので、ぎょっとした。

16:6 青年は彼らに言う、「驚くに及ばない。あなた達は十字架につけられたナザレ人イエスをさがしているが、もう復活されて、ここにはおられない。そら、ここがお納めした場所だ。

16:7 さあ行って、弟子たち、とりわけペテロに、『イエスはあなた達より先にガリラヤに行かれる。(前に)あなた達に言われたとおり、そこでお目にかかれる』と言いなさい。」

16:8 女たちは墓から逃げ出した。びっくりして震えあがったのである。そしてだれにも何も言わなかった、恐ろしかったので。……

 

塚本訳 マコ 16:9-14

16:9 【さて週の第一日の朝早く復活して、まずマグダラのマリヤに自分を現わされた。以前に七つの悪鬼を追い出していただいた女である。

16:10 この女は、(御在世中)おそばにいた人たちが泣き悲しんでいるところに行って知らせたが、

16:11 この人たちは、(今)生きておられること、彼女がそれを見たことを聞いても、信じなかった。

16:12 そのあとで、そのうちの二人が田舎の方へ歩いて行く途中、別の姿で自分を現わされた。

16:13 この人たちも、行って残りの人たちに知らせたが、この人たち(の言うこと)も信じなかった。

16:14 その後、十一人(の弟子)が食事をしているとき自分を現わして、彼らの不信仰と心の頑固とをお責めになった。復活されたのを見た人々(の言うこと)を信じなかったからである。

 

塚本訳 マタ 28:11-15

28:11 女たちが(まだ)歩いているあいだに、数人の番兵は都に行って、出来事の一部始終を大祭司連に報告した。

28:12 大祭司連は長老たちと集まって決議し、(警備をしていた)兵卒らにたっぷり金をやって、

28:13 言った、「『夜、弟子たちが来て、わたし達が寝入っているあいだにイエスを盗んでいった』と言え。

28:14 もしこのことが総督の耳に入ったら、われわれが執成して、お前たちには心配をかけないようにするから」と。

28:15 兵卒らは金を受け取って、教えられたとおりにした。こうしてこの話は、今日までユダヤ人の間にひろまっている。

 

塚本訳 マタ 28:16-17

28:16 さて、十一人の弟子はガリラヤに行き、イエスに命じられた山にのぼり、

28:17 お目にかかっておがんだ。しかし疑う者もあった。

 

塚本訳 ルカ 24:1-12

24:1 (翌日、すなわち)週の始めの日[日曜日]、夜の引明けに、用意しておいた香料(をまぜた香油)を持って墓場に行った。

24:2 墓(の入口)から石がころがしてあるのを見て

24:3 中に入ったが、主イエスの体は見えなかった。

24:4 そのため途方にくれていると、見よ、かがやく着物をきた二人の人が(現われて)彼らに近づいた。

24:5 ぞっとして面を垂れると、彼らに言った、「なぜ死人の中に生きた者をさがすのか。

24:6 ここにはおられない。もう復活されたのだ。まだガリラヤにおられたとき、あなた達に言われたことを思い出してみよ。

24:7 『人の子(わたし)は罪人どもの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目に復活せねばならない』と言われたではないか。」

24:8 女たちはイエスの言葉を思い出して、

24:9 墓から帰り、十一人(の使徒)とそのほかみんなの人に、一つのこらずこのことを知らせた。

24:10 これを使徒たちに話したのは、マグダラのマリヤとヨハンナとヤコブの母マリヤと、および、この女たちと一しょにいたほかの女たちとであった。

24:11 しかし使徒たちはこの話が冗談のように見えたので、女たちを信じなかった。

24:12 [無シ]

 

塚本訳 ルカ 24:28-32

24:28 とかくするうちに目指す(エマオの)村に近づくと、なお先へ行くような様子をされたので、

24:29 二人はこう言って無理に引き留めた、「わたし達のところにお泊まりなさい。間もなく夕方で、日もはや傾いたから。」そこで彼らのところに泊まるために、(家に)入られた。

24:30 一しょに食卓について、(いつものように)パンを(手に)取り、(神を)讃美したのち、裂いて渡されると、

24:31 (その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。

24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。

 

塚本訳 ルカ 24:36-49

24:36 二人がこう話しているところに、(突然)御自身でみなの真中に出ておいでになった。

24:37 ぞっとして震えあがり、幽霊でも見ているように思っていると

24:38 彼らに言われた、「なにをうろたえるのか。なぜ心に疑いを起すのか。

24:39 わたしの手と足とを見てごらん。だれでもない、わたしだよ!さわってごらん、幽霊には肉も骨もないが、わたしには、それがあるのがわかるから。」

24:40 [無シ]

24:41 喜びのあまり、彼らがまだ信じられずに怪しんでいると、「ここに何か食べるものがあるか」と言われた。

24:42 焼いた魚を一切差し上げると、

24:43 受け取ってみなの前で食べられた。

24:44 それから彼らに言われた、「(あなた達が見聞きした)これらのことは、わたしがまだあなた達と一しょにいたとき、わたしについてモーセの律法と預言書と詩篇と[聖書]に書いてあることは一つのこらずきっと成就する、と話したその言葉(が実現したの)である。」

24:45 それから聖書をわからせるために彼らの心を開いて

24:46 言われた、「救世主は苦しみをうけて、三日目に死人の中から復活する。

24:47 また罪を赦されるための悔改め(の福音)が、その名においてすべての国の人に説かれる、エルサレムから始まって、と(聖書に)こう書いてある。

24:48 あなた達はこの(苦しみと復活との)証人である。

24:49 待っておいで、わたしが父上のお約束のもの[聖霊]をあなた達におくるから。あなた達は(この)天よりの力を身につけるまで、都に止まっていなさい。」

塚本訳 ヨハ 14:22-24
14:22 イスカリオテでない方のユダが言う、「主よ、いったいどういうわけで、わたし達だけに御自分を現わし、この世(の人)にはそうしようとされないのですか。」
14:23 イエスは答えられた、「わたしを愛する者は、わたしの言葉を守る。するとわたしの父上はその人を愛され、わたし達は(父上もわたしも)、その人のところに行って、同居するであろう。
14:24 (しかし)わたしを愛しない者は、わたしの言葉を守らない。(だからわたしを見ることができない。)あなた達が(わたしから)聞く言葉はわたしの言葉ではない、わたしを遣わされた父上の言葉である。

 

塚本訳 ヨハ 20:1-10

20:1 (翌々日、すなわち)週の初めの日(日曜日)の朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に来てみると、墓(の入口)から石がのけてあった。

20:2 そこでシモン・ペテロと、イエスが可愛がっておられたもう一人の弟子との所に走って行って言う、「主を墓から取っていった者があります。どこに置いたのかわかりません。」

20:3 そこでペテロはもう一人の弟子と飛び出して、墓へと急いだ。

20:4 二人とも(始めのほどは)一しょに走っていたが、もう一人の弟子の方が(年が若かったので、)ペテロより早く走っていって、先に墓に着いた。

20:5 身をかがめると、(墓の中に)亜麻布があるのが見えたが、それでも中には入らなかった。

20:6 続いてシモン・ペテロも来た。彼は墓に入り、亜麻布が(そのままそこに)あるのを見た。

20:7 また頭をつつんだ手拭は亜麻布と一しょになく、これだけ別の所に、包んだまま(の形)になっていた。

20:8 すると先に墓に着いたもう一人の弟子も入ってきて、見て、信じた。

20:9 イエスは死人の中から復活されねばならないという聖書の言葉が、(この時まで)まだ彼らにわかっていなかったのである。

20:10 それから二人の弟子は家にかえった。

 

塚本訳 ヨハ 20:24-25

20:24 十二人の一人で、トマスすなわちギリシャ語でデドモ(二子)は、イエスが来られた時、みんなと一しょにいなかった。

20:25 そこでほかの弟子達が、「わたし達は主にお目にかかった」と言うと、彼らに言った、「わたしはその手に釘の跡を見なければ、わたしの指をその釘の場所に差し込まなければ、手をその脇腹に差し込まなければ、決して信じない。」

 

塚本訳 ヨハ 20:24

20:24 十二人の一人で、トマスすなわちギリシャ語でデドモ(二子)は、イエスが来られた時、みんなと一しょにいなかった。

 

塚本訳 ヨハ 21:1-4

21:1 そのあとで、イエスはテベリヤ湖のほとりで、かさねて弟子たちに現わされた。現わされ方はこうであった。──

21:2 シモン・ペテロと、トマスすなわちデドモと、ガリラヤのカナ生まれのナタナエルとゼベダイの子たち二人と、ほかの二人の弟子とが一緒にいた。

21:3 シモン・ペテロが「わたしは漁にゆく」と言うと、「わたし達も一しょに行く」と彼らが言う。みんなが出ていって舟に乗った。しかしその晩は何も捕れなかった。

21:4 もう夜も明けたころに、イエスが(どこからともなく)岸に出てこられた。それでも、弟子たちはイエスだと気づかなかった

 

塚本訳 ヨハ 21:12-14

21:12 イエスが彼らに言われる、「さあ、朝の食事をしなさい。」弟子のうちだれ一人、「あなたはどなたですか」と敢えて尋ねる者はなかった。主だと気づいた(が、何となく変だった)からである。

21:13 イエスは来て、パンを(手に)取って彼らに渡された。魚も同じようにされた。

21:14 イエスは死人の中から復活されたのち、弟子たちに自分を現わされたのは、これですでに三度目である

塚本訳 使  10:39-41
10:39 ──(使徒たる)わたし達は、イエスがユダヤ人の地、ことにエルサレムでされた一切のことの証人です。──このイエスを人々は『(十字架の)木にかけて』処刑した。
10:40 (しかし)
神はこの方を三日目に復活させ、(人の目にも)見えるようにされた。
10:41 (ただし)国民全体でなく、神からあらかじめ選ばれていた証人であるわたし達、すなわちイエスが死人の中から復活されたあとで、一緒に飲み食いした者(だけ)に見えたのです。

 

塚本訳 使  17:32-34

17:32 死人の復活と聞くと、嘲る者もあり、「そのことはまたいつかあなたに聞こう」と言う者もあった。

17:33 こんなことで、パウロは彼らの中から出ていった。

17:34 しかし数人の者は、弟子になって信仰に入った。その中にはアレオパゴス法院の裁判官デオヌシオと、ダマリスという婦人と、なおその他の人がいた。

 

塚本訳 使  23:6-7

23:6 そのときパウロは(役人の)一派はサドカイ人、一派はパリサイ人であるのを見て取り、法院で叫んだ、「兄弟の方々、わたしはパリサイ人で、しかもパリサイ人の子です。いま死人の復活の希望のために裁判されているのです。(わたしは復活のキリストを見たと言いますから。)」

23:7 彼がこう言うと、パリサイ人とサドカイ人とのあいだに意見の対立がおこり、法院が分裂した。

 

塚本訳 使  24:20-21

24:20 あるいはまた(ここにいる)この(エルサレムの)人たち自身も、わたしが最高法院の前に立ったとき、どんな不正が(わたしに)認められたか、言ってみたまえ!

24:21 『わたしは死人の復活のためにきょうあなた達の前で裁判されているのです』と、みんなの中に立って叫んだその一言のほかに!」

 

塚本訳 使  26:4-10

26:4 若い時からのわたしの生活は、初めから(ユダヤ)国民の中で、しかもエルサレムですごしましたので、ユダヤ人は皆知っております。

26:5 以前からわたしを知っている彼らは、証人になる気さえあれば、わたしが国の宗教の最も厳格な派に従って、(すなわち)バリサイ人として生活したことを、知っているのです。

26:6 それで、今わたしが(こうして)ここに立って裁判を受けているのは、神がわたし達の先祖に与えられた(救世主の)約束に対して希望を持っているからです。

26:7 わたし達十二族(全ユダヤ民族)は(今なお)この約束を実現していただきたいと望んで、夜昼熱心に(神に)奉仕しております。(ところが不思議なことに、)王よ、この約束の希望について、わたしは(同族の)ユダヤ人に訴えられたのです。

26:8 (あなた方はイエスの復活を信ぜず、従って彼が約束の救世主であることを信じようとされませんけれども、)神が死人を生きかえらせるということが、あなた方にはなぜそんなに信じ難いことと思われるのでしょうか。

26:9 ところで実はこう言うわたしも、(かつては)ナザレ人のイエスの(救世主という)名に対して大いに反抗すべきであると考え、

26:10 エルサレムで実際それをやったのです。すなわち大祭司連から全権を受けて多くの聖徒を牢に閉じこめ、また彼らが処刑されるときそれに賛成したのは、だれあろうこのわたしでありました。

 

塚本訳 使  26:12-16

26:12 こんな次第で、わたしは大祭司連から全権と委任とを受け、(迫害のため)ダマスコに進んでゆくと、

26:13 王よ、昼に、途中で、天から輝く太陽にもまさる光がさして、わたしと、同行の者たちとのまわりを照らすのを見ました。

26:14 わたし達が皆地上に倒れると、ヘブライ語で、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。刺の棒は蹴っても無駄だ』とわたしに言う声を聞きました。

26:15 わたしは言った、『主よ、あなたはどなたですか。』主が言われた、『わたしだ、君が迫害しているイエスだ。

26:16 さあ、起きて、『自分の足で立て。』わたしが(今)現われたのは、君を選んで、わたしを見たことと、(今からも)君に現われて示すこととの証人として、わたしに仕えさせるためである。

 

塚本訳 Ⅰコリ15:1-7

15:1 また、わたしが思い出してもらいたいのは、兄弟たちよ、(以前)あなた達に伝え、あなた達が(喜んで)受けいれてくれて、(今日まで)それに立っている、あの(死人の復活についての)福音である。

15:2 どんな言葉でわたしがその福音を伝えたにせよ、あなた達がそれを守っていさえすれば、軽々しく信仰に入ったのではない限りは、あなた達もその福音で救われる。

15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、

15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、

15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。

15:6 そのあと、一度に五百人以上の兄弟に御自分を現わされた。そのうちの多数の者はいまでも生きてい(て、わたしが嘘を言っていないことを証明してくれ)る。もっともすでに眠った者もあるにはある。

15:7 そのあと(御兄弟の)ヤコブに、それから使徒一同に、御自分を現わされた。

 

塚本訳 Ⅰコリ15:12-23

15:12 ところで、キリストが死人の中から復活しておられることが(こんなに)説かれ、(また信じられ)ているのに、死人の復活はないと主張する者があなた達の中にあるのは、いったいどうしてか。

15:13 しかし死人の復活がないのなら、キリストも復活しておられないわけである。

15:14 キリストが復活しておられないならば、わたし達の説教はそれこそ根拠がない。あなた達の信仰も根拠がない。

15:15 またわたし達は神の偽証者ともなるであろう。というのは、死人が復活しないということがもし事実なら、神が復活させられることもなかったキリストを、復活させられたと言って、わたし達は神に逆らう証言をしたことになるからである。

15:16 死人は復活しないのなら、キリストも復活しておられないのだから。

15:17 しかしキリストが復活しておられないならば、あなた達の信仰は無意味であり、あなた達はまだ自分の罪の中にいる。

15:18 従ってまたキリストを信じて眠った者も滅びたのである。

15:19 もしただこの生涯でキリストに望みをかけていただけ(で、来るべき世で満たされることがないの)なら、わたし達ほど同情すべき人間はない。

15:20 しかしながら今、キリストは死人の中から復活しておられる、眠った者の(復活の)最初として。

15:21 というのは、一人の人によって死が来たので、同じく一人の人によって死人の復活が来るのである。

15:22 (一人の人)アダムとのつながりのゆえにすべての人が死ぬのと同じように、(一人の人)キリストを信じてすべての人が命を与えられるのである。

15:23 ただ(それには順序がある。)ひとりびとりが自分の(属する)組の番の時に(復活する。)最初は(すでに)キリストが、その次に、キリストの来臨の時にキリストのものである人たちが、

 

塚本訳 Ⅰコリ2:14
2:14 しかし(御霊を持たない)生まれながらの人間は、神の霊から出てくることを受け入れない。彼にはそれが馬鹿なことなのである。またそれを理解することも出来ない。(霊のことは)霊的に判断されねばならないからである。 

 

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10月5日集会感話の準備。 終わり。
●人はイエスの有体的復活を信じられる「恩恵の時」がくる。それまでは理性ではとうてい信じられないのが普通である。それでよいのだ。それでよいのだ。頭で無理に信ずることはいけないことなのだ。「時」が来るのだ恩恵の時が来るのだ。神の力が降る「時」は必ずくるのだ。
●神は罪の負い目の深い順にイエスの有体的復活の姿を現した。マグダラのマリヤ(罪の女)、ペテロ(イエスを三度否んだ)、パウロ(キリスト者を迫害し殺した)
●罪が深ければ恩恵も大きい。だからあの人は「到底無理」と思う人がいても信じ貫こう。神は全能。

塚本訳 ルカ 7:46-48
7:46 あなたは(普通の)油をすら頭に塗ってくれないのに、この婦人は(高価な)香油を足に塗ってくれた。
7:47 だから、わたしは言う、この婦人の多くの罪は赦されている。(いま)多くわたしを愛したのがその証拠である。赦され方の少ない者は、愛し方も少ない。」
7:48 そしてその女に言われた、「あなたの罪は赦されている。」

塚本訳 ロマ 5:20
5:20 (それなら律法は人を義として永遠の命を与えるためには役立たないのか。その通り。)律法は、過ちを増し強めるために第二義的に来たのである。しかし
(神に感謝する、人の犯す)罪が増し強まれば、恩恵は豊かにあふれる。

●TSK日本語版イザヤ書6章
●宅急便、図書館。韓国のキリスト教はカルト集団的で信用がイマイチではないのか。

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あきる野の台地。東京で唯一残された大きな平地。後方は秋の奥多摩連山

口語訳 創  2:15
2:15 主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。

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秋の空は高い。白い雲は22年前に亡くなった父が好きであった。

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入道雲(積乱雲)大好き。神の力が盛り上がってくるように感じるのだ。
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修道院に入りたかった人 ++++++++ 所感

2014/09/12 06:31

140912(金)4時目覚め、4時半早朝散歩開始。写真撮影。体重測定。お湯を沸かしてパソコンに向かう。●キリスト者の皆様お早うございます。今朝の散歩中、しきりに頭をよぎったのは「修道院に入りたかった女性」のことである。●第一番目は若い日に修道院に入りたくてしょうがなかったがかなわず、(理由はわからない、聞かない)、長じて夫人を亡くされた牧師の後妻になった。貧困の中にその牧師の先妻の子供二人と自分の子供二人を育て上げ、先妻の子供の一人は牧師に、自分の子供の一人も牧師になった。ある時「落語」(?)を聴いて笑ったら、その牧師が「何がおかしい!」と怒鳴ったという。晩年は九州に住む子供のところに身を寄せていたが、そこで孫の交通事故死に遭った。かって九州の出張の帰りにお尋ねしたが、バス停まで見送ってくれた。走り去るバスの後ろ窓から見るとその人はバスが見えなくなるまで見送ってくれた。祈っていてくださったのであろう。すでに故人になられた。彼女にとっては「この世が修道院」であった。●第二番目は、まだ学生二人を抱えておられる女性。いかなる理由か知らないが「修道院に入りたい」という。塚本先生の本を数冊(ダブって持っていたもの)送った。私は彼女に言った「我々は在家修道僧だ」。彼女の行く末を祈る。無教会主義は無修道院主義だ。●第三番目はオードリーヘップバーン(?!)。映画「尼僧物語」。修道院に入ってアフリカに派遣される。そこで病気にもなる。愛する父親(在ベルギー)がナチスに殺されたことを知って「どうしてもヒットラーを赦すことが出来ず」、「赦せ」という修道院の戒律を守れずに修道院を去る。見送りはなかった。彼女が表に出て曲がり角で左右を見て、右の方向に行く後姿のシーンは忘れられない。彼女のその後の人生やいかに。●この三者、この世の修羅場を生きることが即修道院であった。ヒルティはそういう生き方を薦めた。内村鑑三の理想的な職業は「貧家の良妻や平民の伝道者」。つまり「この世のドロドロの中で生きよ!」そこに価値があるのだと。●関連する聖句を掲げる。

塚本訳 ルカ 9:23
9:23 それから今度は皆に話された、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、毎日自分の十字架を負い、それからわたしに従え。


塚本訳 マタ 6:6
6:6 あなたが祈る時には、『奥座敷に入り、部屋をしめきった上で、』隠れた所においでになるあなたの父上に『祈れ。』そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。


塚本訳 ルカ 16:9-13
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。
16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。
16:11 だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。

16:12 もし他人のもの[この世のこと]に忠実でなかったならば、だれがあなた達のもの[天のもの]をあなた達に与えようか。
16:13 しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。」

塚本訳 マタ 6:19-20
6:19 (このように、何事も天の父上相手でなければならない。たとえば)あなたたちは衣魚や虫が食い、また泥坊が忍び込んで盗むこの地上に宝を積まず、
6:20 衣魚も虫も食わない、また泥坊が忍び込むことも盗むこともない天に、宝を積んでおきなさい。(そうでないと、心が天に向かないであろう。)

口語訳 詩 90:14-16
90:14 あしたに、あなたのいつくしみをもって/われらを飽き足らせ、世を終るまで喜び楽しませてください。
90:15 あなたがわれらを苦しめられた多くの日と、われらが災にあった多くの年とに比べて、われらを楽しませてください
90:16 あなたのみわざを、あなたのしもべらに、あなたの栄光を、その子らにあらわしてください。

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朝の黙想瞑想礼拝終わり。この世の労苦は総て神知り給う。

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早朝散歩。まだ月が明るい。

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早朝散歩。静かな声が聞こえる。讃美歌「聖なる、聖なる、聖なるかな」を心で歌う。

●NHKTV「花子とアン」を見てから、皮膚科のナナクリニックへ。院長夫人が問診。この院長夫人、高校生を頭に4人の子持ちだが、夫を手伝って勤務。その後院長が診察。優秀親切良心的。この病院は流行るはずだ。いつも一杯。
●TSK日本語版イザヤ書5章。千里の道も一歩から。聖書はなぜか心が燃える。
●昨日、内村鑑三著作集、ヒルティ著作集を送った某家からお礼の電話。その家の子供達にも神の祝福が降りますように。信仰が継承されますように。
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死人の復活を見た人の衝撃 ++++++++ 所感

2014/09/11 06:17

140911(木)キリスト者の皆様お早うございます。今朝は4時半に目覚め、すぐ早朝散歩に出かけました。まだ真っ暗でした。しかしこういう時に良い黙想が出来ます。今朝の課題は「死人の復活を見た人の衝撃」です。●この信じがたきことは何か。それを落ち着かせるために、普通は人間の書いた註解書に走るがそれは良くない。そもそも「死人の復活」などということは「不思議で起こらないこと」が起こったことなので、頭を落ち着かせるために、理性の安息のために不信者の意見を聴くことは筋違いである。●なぜか。「死人の復活」は理性に衝撃のことだからである。●今朝は「死人の復活」に接して巻き起こった衝撃の数々を見てみよう。聖書は類似記事を沢山並べることによって点が線や形になって意味が見えてくるものだ。 福音書の編集句(いわゆる額縁に興味が湧く。

(ナインの若者)

塚本訳 ルカ 7:11-17
7:11 そのあとで、ナインという町に行かれた。弟子たちおよび多くの群衆も一しょに行った。
7:12 町の門の近くに来られると、ちょうど、ある独り息子が死んで、(棺が)舁き出されるところであった。母は寡婦であった。町の人が大勢その母に付添っていた。
7:13 主は母を見て不憫に思い、「そんなに泣くでない」と言って、
7:14 近寄って棺に手をかけ──担いでいる者は立ち止まった──「若者よ、あなたに言う、起きよ!」と言われた。
7:15 すると死人が起き上がって物を言い出した。イエスは『彼を母に渡された。』
7:16
皆が恐れをいだいて、「大預言者がわたし達の間にあらわれた」とか、「神はその民を心にかけてくださった」とか言って、神を讃美した。
7:17 イエスについてのこの(二つの)言葉は、ユダヤ(人の国)全体とその周囲いたる所に広まった。


(ヤイロの娘)

塚本訳 マコ 5:22-43
5:22 するとヤイロという一人の礼拝堂監督が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏し、
5:23 しきりに願って言う、「わたしの小さな娘が死にかかっています。助かって命びろいをするように、どうか行って、手をのせてやってください。」
5:24 イエスは彼と一しょに出かけられた。大勢の群衆がイエスについて行って押しまくった。

(中略)

5:35 イエスがまだ話しておられるところに、礼拝堂監督の家から人々が来て(監督に)言った、「お嬢さんはもうなくなりました。どうしてこの上、先生にご迷惑をかけられるのですか。」
5:36 イエスはそう言っているのをそばで聞いて、監督に言われた、「こわがることはない。ただ信じておれ。」
5:37 そしてペテロとヤコブの兄弟のヨハネとのほかには、だれもついて来ることを許されなかった。
5:38 やがて監督の家に着いて、人々がひどく泣きわめいて騒いでいるのを見ると、
5:39 (家の)中に入って言われる、「なにを泣いたり騒いだりするのか。子供は死んではいない、眠っているのだ。」
5:40 人々はあざ笑っていた。しかしイエスは皆を外に出し、子供の父と母と、一しょに来た者(三人だけ)を連れて、(死んだ)子供のいる所に入ってゆかれる。
5:41 そして子供の手を取って、「タリタクミ!]と言われる。訳すると「少女よ、あなたに言う。起きなさい!」である。
5:42 ただちに少女は立ち上がって歩きまわった。十二歳になっていたからである。見るなり、人々は気が遠くなるほど驚いた。
5:43 イエスはだれにもこのことを知られるなときびしく人々に言いつけ、また子供に(何か)食べさせるようにと言われた。

塚本訳 マタ 9:23-26
9:23 やがてイエスは役人の家に着いて、笛吹き男と騒いでいる群衆とを見ると、
9:24 言われた、「あちらに行っておれ。少女は死んだのではない、眠っているのだから。」人々はあざ笑っていた。
9:25 群衆が外に出されると、イエスは(部屋に)入っていって少女の手をお取りになった。すると少女は起き上がった。
9:26 この評判がその土地全体に広まった。


塚本訳 ルカ 8:49-56
8:49 イエスがまだ話しておられるところに、礼拝堂監督の家からひとりの人が来て(監督に)言った、「お嬢さんはもうなくなりました。先生にこれ以上御迷惑をかけられないように。」
8:50 イエスは聞いて監督に言葉をかけられた、「こわがることはない。ただ信ぜよ。そうすれば助かる。」
8:51 家に着かれると、ペテロとヨハネとヤコブと、女の子の父と母とのほかには、だれも一しょに中に入ることを許されなかった。
8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。」
8:53 人々は死んだことを知っているので、あざ笑っていた
8:54 しかしイエスは女の子の手を取り、声をあげて「子よ、起きなさい!」と呼ばれると、
8:55 霊がもどって、即座に女の子は立ち上がった。イエスは(何か)食べさせるように言いつけられた。
8:56 両親が呆気にとられていると、イエスはこの出来事をだれにも言うなと命じられた。


(ラザロ)

塚本訳 ヨハ 11:37-39
11:37 しかし中には、「盲人の目をあけたこの人にも、このラザロが死なないように出来なかったのか」と言う者もあった。
11:38 そこでイエスはまたも心に憤りながら、(ラザロの)墓に来られる。墓は洞穴で、入口に石を置いて(ふさいで)あった。
11:39 「石をのけなさい」とイエスが言われる。死んだ人の姉妹のマルタが言う、「主よ、もう臭くなっています。四日目ですから。」


塚本訳 ヨハ 11:43-48
11:43 こう言ったのち、大声で、「ラザロ、出て来い」と叫ばれた。
11:44 死人が手足を包帯で巻かれたまま、(墓から)出てきた。顔は手拭で包まれていた。イエスは「解いてやって(家に)帰らせなさい」と人々に言われた。
11:45 すると、マリヤの所に来てイエスのされたことを見たユダヤ人のうち、多くの者は彼を信じた。
11:46 しかし中には(彼を信ぜず、)パリサイ人の所に行って、イエスのされたことをあれこれと報告した者もすこしあった。
11:47 そこで大祭司連とパリサイ人は最高法院を召集して言った、「どうすればよいだろう、あの男はたくさん徴[奇蹟]をしているのだが
11:48 もしこのまま放っておけば、皆があれを信じ(て王に祭り上げ)るであろう。すると騒動が起り、ローマ人が来て、われわれから(エルサレムの)都も国民も、取ってしまうにちがいない。」

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朝の啓示黙想瞑想礼拝終わり。復活は思想ではない。霊肉分離の宗教ではない。死人の復活である。この摩訶不思議なことは生まれつきの大脳皮質では理解できないことである。その時間に対して周囲の反応はさまざまであったが、信じられないことが起こったという衝撃であった。

●TSK日本語版イザヤ書4章

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早朝散歩。今日は天気が悪そうだ


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昨日のNHKTV「ためしてガッテン」でインスタントラーメンのおいしい食べ方。
昼食にその通りやってみたら妻に褒められた。生麺のようだ。
初めに重曹を小匙半分入れてラーメンを湯がく。その湯は完全に捨てて別に沸かしておいた湯
を入れる。ただこれだけのこと。

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夕方。某家に教文館版内村鑑三全集とヒルティ著作集を郵便局から送る。
いずれも遺品。その家に信仰が入りますように。
夕陽を見ながら、讃美歌「御神の賜いしこの日もくれけり、いざや今朝のごと御恵みをたたえん」を心で歌った。



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罪を示されて神と永遠の命を知る ++++++++ 所感

2014/09/10 06:15

140910(水)キリスト者の皆様お早うございます。今朝は4時半目覚め、啓示「罪を示されて神と永遠の命を知る」●5時起床、早朝散歩。これで0.2キロ減量できる。●人生の目的は創造主である神を知ることである。、そこに至る「狭き門」は己の罪を示され、十字架の救いに与ることによって神と永遠の命を知ることである。●それは人生の悩み不幸ゴタドタを通じての「長きたびである。病気(特に精神の直りにくいもの)、家庭問題(確執、夫婦仲、離婚、依存症)、災害(3.11)、仕事の挫折、などなどこの世でのありとあらゆる「不幸」である。望まないことである。「死に目に遭う」ような大変な痛い目に遭わなければならないのだ。●しかしその不幸を通じて己の罪を示され、ついに十字架の救いを通して神と永遠の命、イエスを神の子と告白するに至れば大成功の人生である。●これは聖書の使信であり、千古不易の永遠の真理である。この体験をした者はそれを証することが人生の最重要の課題である。使命である。●内村鑑三は理想的な職業として、「貧家の良妻と平民の伝道者」をあげている。これは各々置かれたところで救いの真理を身をもって証するということだ。暗ければ暗いほどその価値は光り輝く。●去る8月12日のブログに次のように書いた。●イエスを神の子と信じられた人は、たとえ外側の人生がボロボロでズタズタで見られたものでなくとも最高に栄誉栄光の人生だ。 ●すると精神の病に陥っている人から「励まされた。感謝です」という内容の応答を頂いた。ガッツポーズ。いろいろ言われるが、ブログはやめられない。「パンを水の上に投げよ」である。●そこで今朝は夜半の啓示「罪を示されて神と永遠の命を知る」に関して頭に思いつくものを掲げてみる。

塚本訳 ヨハ 3:3
3:3 イエスが答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、(徴を見て信じたのではいけない。)人は新しく生まれなおさなければ、神の国にはいることは出来ない。」


塚本訳 Ⅱコリ4:16
4:16 このゆえに、わたし達は気を落さない。いや、わたし達の(生れながらの)外の人はどんなにこわれていっても、(キリストによって生れた)内の人は一日一日と新しくされてゆく


塚本訳 Ⅱコリ5:17
5:17 だから、キリストと結びついている者は、
新しい創造物である。古いものは消え失せて、いまここに、新しくなってしまっている!


塚本訳 ロマ 8:35
8:35 (このゆえに)だれがキリストの(わたし達を愛する)愛から、わたし達を引き離すことができるか。苦しみか、悩みか、迫害か、飢えか、裸か、危険か、剣か

塚本訳 ルカ 19:7-10
19:7 皆がこれを見て、イエスは(税金取りのような)罪人の所に入りこんで宿を取った、と言ってぶつぶつ呟いた。
19:8 しかしザアカイは進み出て主に言った、「主よ、わたしは(誓って)財産の半分を貧乏な人たちに施します。人からゆすり取ったものは四倍にして返します。」
19:9 イエスが(人々に)言われた、「救いは(きょう、)この家に入った。(人でなしのように言われる)この人も、やはり(あなた達と同じ)アブラハムの末だから。
19:10 人の子(わたし)は『滅びうせた者をさがして』救うために来たのである。」


塚本訳 マタ 21:31-32
21:31 この二人のうち、どちらが父の心を行ったのだろうか。」「もちろん長男」と彼らが答える。イエスが言われる、「アーメン、わたしは言う、税金取りや遊女たちは、あなた達よりも先に神の国に入るであろう。
21:32 そのわけは、(洗礼者)ヨハネが義の道を示しに来たのに、あなた達は彼を信ぜず、税金取りや遊女の方がかえって信じたからだ。しかしあなた達は(あの人たちが悔改めるのを)見たあとでも、後悔して彼を信じようとしなかった。

塚本訳 Ⅱコリ11:25-27
11:25 (ローマの)笞で打つ刑を三度受けた、一度石打ちされた、三度難船し、一度は一昼夜漂流した。
11:26 度々旅行して、川の危難、強盗の危難、同国人の危難、外国人の危難、都会の危難、荒野の危難、海の危難、偽兄弟の危難に遇った。
11:27 苦労し辛苦した、度々徹夜し、飢えまた渇いた、度々絶食し寒く着る物がなかった

塚本訳 Ⅰコリ15:58
15:58 だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ。骨折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから

塚本訳 ロマ 8:28
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、
すべてのことが救いに役立つのである。


塚本訳 ロマ 8:35
8:35 (このゆえに)だれがキリストの(わたし達を愛する)愛から、わたし達を引き離すことができるか。苦しみか、悩みか、迫害か、飢えか、裸か、危険か、剣か。

塚本訳 ルカ 7:37-38
7:37 すると、その町に一人の罪の女がいた。イエスがパリサイ人の家で食卓についておられることを知ると、香油のはいった石膏の壷を持ってきて、
7:38 泣きながら後ろからイエスの足下に進み寄り、しばし涙で御足をぬらしていたが、やがて髪の毛でそれをふき、御足に接吻して香油を塗った。

塚本訳 ルカ 19:7-10
19:7 皆がこれを見て、イエスは(税金取りのような)罪人の所に入りこんで宿を取った、と言ってぶつぶつ呟いた。
19:8 しかしザアカイは進み出て主に言った、「主よ、わたしは(誓って)財産の半分を貧乏な人たちに施します。人からゆすり取ったものは四倍にして返します。」
19:9 イエスが(人々に)言われた、「救いは(きょう、)この家に入った。(人でなしのように言われる)この人も、やはり(あなた達と同じ)アブラハムの末だから。
19:10 人の子(わたし)は『滅びうせた者をさがして』救うために来たのである。」


塚本訳 使  22:4
22:4 わたしはこの(キリストの)道を迫害し、男女の別なく(
信者を)しばって牢に入れ、殺すことをも辞さなかったのであります。

塚本訳 ロマ 3:19
3:19 ところでわたし達が知っているように、(右の)律法[聖書]が言うことはみな、律法に生きる者(すなわちユダヤ人)に対して語られるものである。(しかし)こうして(ユダヤ人だけでなく)すべての(人の)口がふさがり、世界中の人が、神に対して罪なしと言うことはできないのである


塚本訳 ロマ 3:23
3:23 なぜか。
すべての人が罪を犯したため、いまだれ一人、(かつて持っていた)神の栄光をもたない。

塚本訳 ヨハ 4:13-15
4:13 イエスは答えられた、「この(井戸の)水を飲む者はだれでもまた渇くが、
4:14 わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。
そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」
4:15 女が言う、「主よ、その水を下さい。(二度と)渇くことがないように、またここに汲みに来なくてもよいように。」

塚本訳 マコ 4:26-29
4:26 また言われた、「神の国はこんなものだ。──ある人が地に種を蒔き
4:27 夜昼、寝起きしていると、種は芽生えて育ってゆくが、本人はその訳を(すら)知らない
4:28 (すなわち)地はひとりでに実を結ぶので、初めに茎、次に穂、次に穂の中に熟しきった粒ができる。
4:29 実が熟すると、すぐに『鎌を入れる。刈入れ時が来たのである。』」

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朝の黙想瞑想礼拝終わり。「行け!」。残りの責任は神が取ってくださる。


塚本訳 使  18:6
18:6 しかしユダヤ人にはこれに反対して(イエスを)冒涜するので、パウロは(絶縁のしるしに)上着の塵を払いおとして彼らに言った、「(最後の裁きの日に流す)あなた達の血の責任は、あなた達自身に負わされる!わたしは良心の咎めなく(あなた達をすてて、)今からのち異教人へ(伝道に)行く。」


塚本訳 Ⅱコリ2:15
2:15 というのは、わたし達は救われる者の間でも、滅びゆく者の間でも、神にささげられるためのキリストのよい薫である。


塚本訳 使  20:24
20:24 しかしわたしは、自分の走るべき道を走りおえて、主イエスから託された、神の恩恵をつたえる福音を証しする役目をはたすためなら、
自分の命のことなど口にする値打もないと思う。

塚本訳 黙  14:12-13
14:12 ここに聖徒達、(すなわち)神の戒律とイエス(へ)の信仰を守る者の忍耐がある。
14:13 また私は天から声が(こう)言うのを聞いた、「書け、『今から後主にあって死ぬる死人は幸福である。』」御霊も言い給う、「然り、彼らはその労苦を休息む(ことが出来る)であろう。その(為した)業が彼らに随いて行くのであるから!」と。

●TSK日本語版イザヤ書3章

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早朝散歩 秋の高い空

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早朝散歩の道。啓示の道、黙想の道   

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夕方散歩。夜の我が家。妻の夕食が待っている。虫の声が大きくなった。



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神は隠れた祈りを聴いてくださる ++++++++ 所感

2014/09/09 05:47

140909(火)キリスト者の皆様お早うございます。●4時半に早朝散歩しましたが、天気が悪く写真は写せませんでした。●今朝のテーマとして「神は隠れた祈りを聴いてくださる」が与えられました●まず「聞く」と「聴く」の違いについて調べたところ、「聞く」は耳に通過するようなものを聞くことで、噂を聞く、風の音を聞くというようなときに使い、「聴く」は身を入れて聴くというような使い方をします。ですから「音楽は聴く」「人の話を良く聴く」というように使うようです●すると「祈りは聴かれる」よいうような場合は「聴」の方を使ううのがふさわしいと思います。つまり人の祈りは神が聴いて下さる。かすかな祈りであれば、神は身を乗り出して聴いてくださる。特に隠れたる祈り、小さい人の祈りほど神は耳をそばだてて聴いてくださるものだと思います。●そこで今朝は「神は隠れた祈りを聴いてくださる」ということに関連する聖句を思いつくままに掲げてみたいと思います。例によって頭に思い浮かぶまま、順不同、感話なし。

塚本訳 マタ 6:5-8
6:5 また祈る時には、偽善者のようにしてはならない。彼らは人に見せようとして、礼拝堂や大通りの角に立って祈ることを好むのである。アーメン、わたしは言う、彼らは(褒められた時、)すでに褒美をもらっている。
6:6 あなたが祈る時には、『奥座敷に入り、部屋をしめきった上で、』隠れた所においでになるあなたの父上に『祈れ。』そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。
6:7 また祈るとき、異教人のようにベラベラしゃべるな。彼らは口数が多ければ、聞いてもらえるものと思っている。
6:8 彼らの真似をしてはならない。神はあなた達の父上である。求める前から、あなた達に必要なものをよく御承知である。

塚本訳 マタ 17:19-20
17:19 あとで弟子たちは人のいない時にイエスの所に来て言った、「なぜわたし達には悪鬼を追い出せなかったのでしょうか。」
17:20 彼らに言われた、「信仰が無いからだ。アーメン、わたしは言う、もしあなた達に芥子粒ほどでも信仰があれば、この山に向かい『ここからあそこに移れ』と言えば移り、あなた達に出来ないことは一つもない。」

塚本訳 ヤコ 5:14-15
5:14 君達の中に病んでいる者があるのか、その人は教会の長老を呼び、長老たちは主の名により油を塗って、その人のことを祈ったがよかろう。
5:15 信仰(による真)の祈りは病人を癒し、主は彼を立たせ給うであろう。そしてもし罪を犯して居るならば、赦されるであろう


塚本訳 マタ 21:21-22
21:21 イエスは答えられた、「アーメン、わたしは言う、もしあなた達に信仰があって疑わないならば、この無花果におこった(と同じ)ことをすることができるばかりか、この山にむかい『立ち上がって海に飛び込め』と言っても、その通りになる。
21:22 信じて祈れば、求めるものはなんでも、戴くことができる。」


塚本訳 マコ 11:21-24
11:21 ペテロは思い出してイエスに言う、「先生、御覧なさい、お呪いになった無花果は枯れています。」
11:22 イエスが彼らに答えられる、「神(の力)を信ぜよ。
11:23 アーメン、わたしは言う、だれでもこの山に向かい、『立ち上がって海に飛び込め』と言って心に疑わず、自分の言うことは成ると信ずるならば、そのとおりになる。
11:24 だからわたしは言う、(神に)祈り求めるものはなんでも、すでに戴いたと信ぜよ。そうすればそのとおりになる。


塚本訳 ヤコ 5:13
5:13 君達の中に苦しんでいる者があるのか、その人は祈ったがよかろう。喜んでいる者があるのか、その人は(神に)讃美の歌をうたったがよかろう。


塚本訳 ヤコ 5:16-17
5:16 だから互いに罪を告白し、医されるため互いのために祈れ。義人の(熱心な)祈りは働くと大きな力がある。
5:17 エリヤは私達と同じ(ただの)人間であるが、雨が降らないように切に祈ると、地上に三年六か月雨が降らなかった。

塚本訳 Ⅰヨハ5:14-16
5:14 そして、もし神の御心に従って何かを求めるならば、神は(かならず願いを)聞いてくださること、それが神に対して持っているわたし達の確信である
5:15 かくしてわたし達は、神はかならずわたし達の求める願いを聞いてくださることを知っているならば、求めた(すべての)求めを(すでに)得ていることを知っているのである。
5:16 もしだれかが、死に至らない罪を犯す兄弟を見たら、(神に祈り)求むべきである。そうすれば(その人は)彼に命を与える。(ただし、これは)死に至らない罪を犯す者のことである。死に至る罪がある。わたしはそんな(罪を犯す)者のために願えと言うのではない。


塚本訳 Ⅰヨハ3:21-22
3:21 愛する者たちよ、もし心が自分を責めないなら、わたし達は神に対して確信を持つ。
3:22 そして(なんでも)願うものを、彼から戴く
。なぜなら、彼の掟を守り、御前にお気に召すことをするからである。


塚本訳 マタ 25:37-40
25:37 その時、正しい人たちは答える。『主よ、いつわたし達はあなたの空腹を見て食事を差し上げ、渇かれているのを見てお飲ませしましたか。
25:38 また、いつお宿がないのを見てお宿をし、裸でおられるのを見てお着せしましたか。
25:39 また、いつ御病気であり、牢に入っておられるのを見て、おたずねしましたか。』
25:40 すると王は答える、『アーメン、わたしは言う、わたしのいと小さいこの兄弟たちの一人にしたのは、わたしにしてくれたのと同じである。』

塚本訳 マタ 6:12-15
6:12 罪を赦してください、わたしたちも罪を犯した人を赦しましたから。
6:13 わたしたちを試みにあわせないで、悪から守ってください。
6:14 (祈る前に、まず人の罪を許さねばならない。)
あなた達が人の過ちを赦してやれば、天の父上もあなた達を赦してくださるが、
6:15 人を赦さないならば、父上もあなた達の過ちを赦してくださらないであろう。


塚本訳 ヨハ 15:12-14
15:12 わたしがあなた達を愛したように、互に愛せよ。──これがわたしの掟である。
15:13 (わたしはあなた達のために命を捨てる。)友人のために命を捨てる以上の愛はないのだ。
15:14 あなた達はわたしの命ずることを行ってさえおれば、わたしの友人である

塚本訳 Ⅰヨハ4:10
4:10 わたし達が神を愛したことではなく、彼がわたし達を愛し、その子をわたし達の罪のための宥め(の供物)として遣わされたそのことに、愛があるのである

塚本訳 ロマ 9:1-5
9:1 私はキリストにある者として本当のことを言う、嘘はつかない。わたしの良心も聖霊によって、(それが本当であることを)保証してくれる。
9:2 (わたしが急にこんなことを言い出したら信じてくれないかも知れないが、)わたしに大きな悲しみと、心に絶えざる痛みとがあるのである。
9:3 ほんとうに、兄弟すなわち血を分けた同胞の(救われる)ためならば、このわたしは呪われて、救世主(の救い)から離れ落ちてもよいと、幾たび(神に)願ったことであろう
9:4 (言うまでもなく、)それはイスラエル人のことである。(彼らは神の)子たる身分(を与えられ、神の)栄光(はその中に住み、)かずかずの契約(は神との間に結ばれ、比類のない)律法、(荘厳な)礼拝、多くの(恩恵の)約束は、(ことごとく)彼らのものである。
9:5 (また、アブラハム、イサク、ヤコブなどの偉大な)祖先たちは彼らのものであり、救世主も人間としては彼らから出られたのである。一切のものの上におられる神なる彼は、永遠に賛美すべきである、アーメン。


塚本訳 ロマ 8:26-27
8:26 しかし(創造物やわたし達神の子が苦しんでいると)同じように、御霊も、弱いわたし達を助けてくださる。すなわち、(神のみ心にかなうには)どう何を祈るべきかわからないので、御霊自身が、無言の呻きをもって(わたし達の祈りを神に)執り成してくださるのである。
8:27 しかし(人の)心を見抜くお方[神]は、御霊が何を求めているか、すなわち、御霊が神の御心にかなうように聖徒たちのために執り成しておられることを、(もちろん)御存じである


塚本訳 マコ 10:21-23
10:21 イエスは彼をじっと見て、かわいく思って言われた、「(よく守った。だが)一つ足りない。家に帰って、持っているものをみな売って、(その金を)貧乏な人に施しなさい。そうすれば天に宝を積むことができる。それから来て、わたしの弟子になりなさい。」
10:22 彼はこの言葉に顔をくもらせ、悲しそうにして立ち去った。大資産家であったのである。
10:23 イエスは(うしろ姿を見送っておられたが、)やがて見まわして、弟子たちに言われる、「物持ちが神の国に入るのは、なんとむずかしいことだろう。」


塚本訳 マコ 1:35
1:35 朝早く、まだ真夜中にイエスは起きて、人のいない所に出て行き、そこで祈っておられた


塚本訳 ルカ 5:16
5:16 しかしイエスは人のいない所に引っ込んで、祈っておられた


塚本訳 ルカ 4:42
4:42 朝になると、人のいない所に出て行かれた。人々は捜しまわった末イエスのところに来て、自分たちをはなれて行かれないようにと、しきりに引き留めた。

塚本訳 ルカ 22:31-32
22:31 (そしてペテロに向かって言われた、)「シモン、シモン、見なさい、悪魔はあなた達を麦のように篩にかけることを(神に)願って聞き届けられた。
22:32 しかしわたしはあなたのために、信仰がなくならないように祈っておいた。(だから一度信仰を失っても、またもどってくる。)もどってきたら、あなたが兄弟たちを強めてやってほしい。」


塚本訳 マコ 9:17-29
9:17 群衆のうちの一人が答えた、「先生、唖の霊につかれている伜をあなたの所につれて来ました。
9:18 この子は霊がつくと所かまわず投げ倒され、泡をふき、歯斬りして、体がこわばってしまいます。それで霊を追い出すことをお弟子たちに頼みましたが、おできになりませんでした。」
9:19 彼らに答えられる、「ああ不信仰な時代よ、わたしはいつまであなた達の所におればよいのか。いつまであなた達に我慢しなければならないのか。その子をつれて来なさい。」(こう言って群衆のいない所に行かれた。)
9:20 人々がイエスの所につれて来ると、霊はイエスを見るや否や、その子をひどくひきつけさせたので、子は地に倒れ、泡をふきながらころげまわった。
9:21 イエスが父親に尋ねられた、「こうなってから、どのくらいになるか。」父親がこたえた、「子供の時からです。
9:22 霊はこの子を殺そうとして、幾たびか、火の中、水の中に投げ込みました。それでも、もしなんとかお出来になるなら、わたしども(親子)を不憫と思って、お助けください。」
9:23 イエスは言われた、「もしお出来になるなら(と言うの)か。信ずる者にはなんでも出来る。」
9:24 即座にその子供の父親が叫んだ、「信じます。不信仰をお助けください。」
9:25 イエスは群衆が駆けよってくるのを見ると、(急いで)汚れた霊を叱りつけて言われた、「唖と聾の霊、わたしが命令するのだ、この子から出てゆけ、二度と入るな!」
9:26 霊はどなって、はげしくひきつけさせて、出ていった。子は死んだようになったので、多くの人が、「死んだ」と言った。
9:27 イエスはその子の手をとって起された。すると立ち上がった。
9:28 家にかえられると、弟子たちは人のいない時に尋ねた、「なぜわたし達には霊を追い出せなかったのでしょうか。」
9:29 彼らに言われた、「この種類(の霊)は、祈り以外(の手段)では決して出てゆかせることは出来ない。」

塚本訳 マタ 8:5-13
8:5 カペナウムに帰られると、一人の百卒長がそばに来て願って
8:6 言った、「主よ、うちの下男が中風で家にねていて、ひどく苦しんでおります。……」
8:7 彼に言われる、「(ユダヤ人の)このわたしが、(異教人のあなたの家に)行ってなおすのか。」
8:8 百卒長は答えた、「主よ、わたしはあなたを、うちの屋根の下にお迎えできるような者ではありません。(ここで)ただ一言、言ってください。そうすれば下男は直ります。
8:9 というのは、わたし自身も指揮権の下にある人間であるのに、わたしの下にも兵卒がいて、これに『行け』と言えば行き、ほかのに『来い』と言えば来、また僕に『これをしろ』と言えば(すぐ)するからです。ましてあなたのお言葉で、病気が直らないわけはありません。)
8:10 イエスは聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた、「アーメン、わたしは言う、イスラエル人の中でも、こんなりっぱな信仰をもっている者を一人も見たことがない。
8:11 わたしは言う、(最後の日には、このような信仰のあつい)大勢の人が『東から西から』来て、天の国でアブラハムやイサクやヤコブと共に宴会につらなり、
8:12 (かんじんのイスラエル人、すなわち)御国の子供たちは外の真暗闇に放り出され、そこでわめき、歯ぎしりするであろう。」
8:13 それからイエスは百卒長に言われた、「お帰り。あなたの信じたとおりに成れ。」するとちょうどその時に、下男は直った。


塚本訳 マタ 14:26-31
14:26 弟子たちはイエスが湖の上を歩いておられるのを見ると、幽霊だと思って肝をつぶし、恐ろしさのあまり叫んだ。
14:27 しかしイエスはすぐ彼らに話しかけて言われた、「安心せよ、わたしだ。こわがることはない。」
14:28 ペテロが答えた、「主よ、あなたでしたら、どうかわたしに命令して、水の上を歩いてあなたの所へ行かせてください。」
14:29 「こちらに来なさい」とイエスが言われた。ペテロは舟から下り、水の上を歩いてイエスの所へ行った。
14:30 しかし(いま一足という所で)強い風を見たため、おじけがつき、沈みかけたので、「主よ、お助けください」と叫んだ。
14:31 イエスはすぐ手をのばし、ペテロをつかまえて言われる、「信仰の小さい人よ!なぜ疑うのか。」

塚本訳 ヨハ 11:21-27
11:21 マルタがイエスに言った、「主よ、あなたがここにいてくださったら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。
11:22 しかしあなたがお願いになることなら、神様は何でもかなえてくださることを、わたしは今でも知っています。」
11:23 イエスは言われる、「あなたの兄弟は生き返る。」
11:24 マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」
11:27 イエスに言う、「はい、主よ、(信じます。)あなたが救世主で、神の子で、世に来るべき方であると、私は信じています。」


塚本訳 ヨハ 4:48-54
4:48 イエスは言われた、「あなた達は徴[奇蹟]と不思議なことを見なければ、決して信じない。」
4:49 王の役人が、「主よ、子供が死なないうちに(カペナウムに)下ってきてください」と言いつづけると、
4:50 イエスは言われる、「かえりなさい、息子さんはなおった。」その人はイエスの言われた言葉を信じて、かえっていった。
4:51 しかしすでに途中で、僕たちが出迎えて、子供がなおったことを知らせた。
4:52 そこで僕たちに良くなった時間をたずねると、「きのう午後一時に熱が取れた」とこたえた。
4:53 父は、それが「息子さんはなおった」とイエスが言われた時間であることを知り、彼はもちろん、全家族が信じた。
4:54 イエスはこの第二の徴[奇蹟]を、ユダヤからガリラヤに行かれたときに行われた。


塚本訳 ルカ 1:42-45
1:42 声高らかにさけんだ、「あなたは女の中で、(一番)祝福された方、あなたの胎内のお子さまも(だれより)祝福されたお方です。
1:43 主の母上がわたしの所に来てくださるとは、まあどうしたのでしょう。
1:44 そら、あなたの挨拶の声がわたしの耳に入ると、児が胎内で喜んで躍りました。
1:45 主の仰せられたことはきっと成就すると信じたこの人は、なんと仕合わせでしょう。」

塚本訳 ロマ 12:20
12:20 むしろ、『あなたの敵が飢えているなら、食べさせてやれ。渇いているなら、飲ませてやれ。こうするのはその頭に炭火を積むことであるから、(いつかは恥じて悔改める。)』


塚本訳 マタ 21:16
21:16 イエスに言った、「あの子供たちがなんと言っているのか、聞えているのか。」イエスは言われた、「聞えている。あなた達は『(神よ、)あなたは幼児と乳飲み子との口によって、(御自分のために)賛美をお備えになった』と詩篇にあるのを、まだ読んだことがないのか。(大人が黙っているから、子供が叫ぶのだ。)」


塚本訳 ルカ 21:1-4
21:1 それから目をあげて、金持たちが賽銭箱に賽銭を入れるのを見ておられた。
21:2 またある貧しそうな寡婦がレプタ銅貨[五円]二つをそこに入れるのを見て、
21:3 言われた、「本当にわたしは言う、あの貧乏な寡婦はだれよりも多く入れた。
21:4 この人たちは皆あり余る中から賽銭を入れたのに、あの婦人は乏しい中から、持っていた生活費を皆入れたのだから。

塚本訳 ルカ 2:36-38
2:36 また、アセル族のパヌエルの娘に、アンナという女預言者があった。非常に年を取っていて、娘時代の後、七年の結婚生活をおくり、
2:37 (その後)八十四歳(の今日)まで寡婦ぐらしをしていた。(片時も)宮を離れず、夜も昼も断食と祈りとをもって(神に)奉仕していたが、
2:38 (シメオンが預言している)ちょうどその時、近寄ってきて(幼児について)神に感謝をささげ、またエルサレムの人々のあがないを待ち望むみんなの人に、この幼児のことを話した。

塚本訳 ルカ 18:1-8
18:1 なお、気を落さずに常に祈るべきことについて、一つの譬をひいて弟子たちに話された、
18:2 「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官があった。
18:3 またその町に一人の寡婦がいた。いつもその裁判官の所に来ては、『(早く裁判をして)わたしのため敵に仕返しをしてください』と言っていた。
18:4 裁判官はしばらくの間は取り合おうとしなかったが、あとでひそかに考えた、『わたしは神を恐れず、人を人とも思わないが、
18:5 この寡婦はどうもうるさくて、やりきれないから、(裁判をして、)この女のために仕返しをしてやろう。そうしないと最後にはやって来て、わたしをどんなひどい目にあわせるか知れない。』」
18:6 それから主は言われた、「この不埒な裁判官の言うことを聞け。
18:7 (こんな男でもこのとおり。)まして神が、夜昼叫んでいるその選ばれた人々のために仕返し(の裁判)をせず、気長に放っておかれることがあろうか。
18:8 わたしは言う、間もなく彼らのために仕返しをされるであろう。しかし人の子(わたし)が来るときに、はたして地上に信仰(をもつ人)が見当るだろうか!」

塚本訳 マタ 15:21-28
15:21 イエスはそこを出て、ツロとシドンとの地方に引っ込まれた。
15:22 すると、その地方生まれの一人のカナンの女が出てきて叫んだ、「主よ、ダビデのお子様よ、どうぞお慈悲を。娘がひどく悪鬼に苦しめられています。」
15:23 しかしイエスは一言も答えられなかった。弟子たちが来て、願って言った、「願いをかなえてやって、(早く)この女を追い払ってください。どなりながらついて来ますから。」
15:24 イエスは答えられた、「わたしはイスラエルの家のいなくなった羊だけにしか、遣わされていない。」
15:25 するとその女が来て、しきりに願って言った、「主よ、お助けください。」
15:26 イエスは答えられた、「子供たちのパンを取り上げて、(異教の)小犬どもに投げてやるのはよろしくない。」
15:27 しかし女は言った、「主よ、是非どうぞ!小犬どもも、御主人の食卓から落ちるパン屑をいただくのですから。」
15:28 そこでイエスは答えられた、「ああ、女の人、りっぱな信仰だ。願いどおりに成れ」すると、ちょうどその時から、娘は直った。

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朝の黙想瞑想礼拝終わり。神は隠れた祈り、遠隔での祈り、かすかな祈り、か細い祈り、しつこい祈り、信じて疑わない祈り、に身を傾け、耳を傾けて聴いてくださる。

●TSK日本語版イザヤ書2章。イザヤ書は新約の胎動という感じがする。
●昼前散歩。市役所、粗大ごみ回収の手続き方法。
●妻は友人のUさん(聖公会)の家へ。
●夕方散歩。店舗が拡大した100円ショップで3点。
 
●錦織が全米テニスで準優勝。試合終了後の「相手が強かった」との発言はすがすがしかった。それにしても自国の応援は良いが何が何でも勝たなければならないという「エゴ丸出し」の感情は醜いなー。

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今夜は満月。妻と表に出て鑑賞。私達の婚約式(1969年7月20日)は人類が初めて月面に立った日だった。
今日は地球と月との距離が近いので、スーパームーンというのだそうだ。いつもより大きい。


口語訳 詩  121:5-6
121:5 主はあなたを守る者、主はあなたの右の手をおおう陰である。
121:6 昼は太陽があなたを撃つことなく、夜は
月があなたを撃つことはない。

●ドビュッシー「月の光」、ヴェートーヴェン「月光」、グレンミラー「ムーンライトセレナーデ」
●桂離宮の月見台、












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信仰は歴史伝承の上に立つ ++++++++ 所感

2014/09/08 10:20

140908(月)キリスト者の皆様お早うございます。●昨夜、入浴直前、脱衣室で急にめまいと吐き気がして14年前の脳出血の時と同じ(その時より軽度だが)状態になった。風呂場で必死に祈った「神様、気持ち悪くなりました。あなたには出来ないことはありません。もう少しし生きさせて下さい」と。密室の祈りは聴かれる。そして頭痛薬(タイレノール)といつものように睡眠導入剤(デパス)飲み、寝床には吐いてもよいように各種準備。そして特別に8時間寝たら普通に目覚められて感謝。●5時半早朝散歩。今朝の啓示「信仰は歴史伝承の上に立つ」。無教会者としてこれを言うには意義がある。かって無教会からカトリックに転向した人に「なぜカトリックに行ったか」と聞くとただ一言「伝統」と帰ってきた。それは強い言葉で真理っぽかった。では無教会には「伝統」はないのか。ある。それは歴史伝承である。教会によらない「歴史伝承」は様々な形で行われていて、それを見聞きした人に神から聖霊が降ると説かれた福音や聖書に霊眼が開かれる。●説く人はいる。必ずしも牧師や司祭や伝道者ではない普通のクリスチャン。母、教師、篤信の信者●そこで今朝は「信仰は歴史伝承を聞くことの上に立つ」ことを聖書のあちこちに見てみよう。

塚本訳 ヨハ 20:8-10
20:8 すると先に墓に着いたもう一人の弟子も入ってきて、見て、信じた
20:9 イエスは死人の中から復活されねばならないという聖書の言葉が、(この時まで)まだ彼らにわかっていなかったのである
20:10 それから二人の弟子は家にかえった。

塚本訳 ヨハ 20:27-29
20:27 それから(すぐ)トマスに言われる、「指をここに持ってきて、わたしの手(の釘の跡)をよく見てごらん。手を持ってきて、わたしの脇腹に差し込んでみなさい。不信仰をやめて、信ずる者らしくしなさい。」
20:28 トマスがイエスに答えて言った、「わたしの主よ!わたしの神よ!」
20:29 イエスは言われる、「わたしを見たので、信じたのか。幸いなのは、見ないで信ずる人たちである。」

塚本訳 Ⅰペテ1:8
1:8 君達は彼を(目のあたり)見たことはないが、(これを)愛し、今も見ることは出来ないが、(これを)信じて、(既にかの日の)輝きに満ちた、言語に絶する喜悦を喜んでいる。


塚本訳 Ⅰコリ15:3-5
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。


塚本訳 ロマ 10:14-15
10:14 ところで、(呼ぶだけで救われると言うが、)信じたことのない者を、どうして呼ぶことができようか。聞いたことのない者を、どうして信ずることができようか。説く者がなくて、どうして聞くことができようか
10:15 (神に)遣わされなければ、どうして説くことができようか。(しかし説く者はある。それはわたし達である。)『善いこと[福音]を伝える人たちの足の、なんと美しいことよ!』と書いてあるとおりである。


塚本訳 ヨハ 2:20-22
2:20 ユダヤ人が言った、「このお宮を建てるには四十六年もかかったのに、あなたは三日で造るというのか。」
2:21 しかしイエスは自分の体のことを宮と言われたのであった。
2:22 だから死人の中から復活された時、弟子たちはこう言われたことを思い出して、聖書とイエスの言われた言葉と(が本当であること)を信じた。

塚本訳 マタ 16:13-17
16:13 ピリポ・カイザリヤ地方に行かれたとき、イエスはこう言って弟子たちに尋ねられた、「世間の人は人の子(わたし)のことをなんと言っているか。」
16:14 彼らが言った、「あるいは洗礼者ヨハネ、あるいは預言者エリヤ、あるいはエレミヤとか(昔の)普通の預言者とか言う者があります。」
16:15 彼らに言われる、「では、あなた達はわたしのことをなんと言うのか。」
16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主、生ける神の子であります!」
16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから。


塚本訳 ヨハ 1:12-13
1:12 しかし受け入れた人々、すなわち、その名を(神の子であることを)信じた人には一人のこらず、神の子となる資格をお授けになった。
1:13 この人たちは、人間の血や、肉の欲望や、男の欲望によらず、神(の力)によって生まれたのである

塚本訳 Ⅰコリ1:21
1:21 なぜなら、(この)世(の人)が自分の知恵により(判断し)、神の知恵(の現われである御業)において神を認めることをしないので、
神は馬鹿な(ことと見える十字架の)説教によって信ずる者(だけ)を救おうと、お決めになったからである。

塚本訳 Ⅰコリ1:17-18
1:17 救世主がわたしをお遣わしになったのは、洗礼を授けさせるためでなく、福音を説かせるためなのだから。それも、言葉の上の知恵をもって(説くの)ではない。それでは(人間の言葉の力が大きくなり)、キリストの十字架(の救い)が空虚なものになる恐れがあるからである。
1:18 なぜか。この十字架についての言葉は、滅びゆく者には馬鹿なことであるが、わたし達救われる者には、神の力(の現われ)であるから。

塚本訳 ルカ 24:44-47
24:44 それから彼らに言われた、「(あなた達が見聞きした)これらのことは、わたしがまだあなた達と一しょにいたとき、わたしについてモーセの律法と預言書と詩篇と[聖書]に書いてあることは一つのこらずきっと成就する、と話したその言葉(が実現したの)である。」
24:45 それから聖書をわからせるために彼らの心を開いて
24:46 言われた、「救世主は苦しみをうけて、三日目に死人の中から復活する。
24:47 また罪を赦されるための悔改め(の福音)が、その名においてすべての国の人に説かれる、エルサレムから始まって、と(聖書に)こう書いてある。

塚本訳 ルカ 24:31-32
24:31 (その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。
24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。


塚本訳 使  16:14
16:14 するとテアテラ町の紫毛織物の商人で、敬信家のルデヤという婦人が聞いていたが、
主はその心を開いてパウロの話に耳を傾けさせられた。

塚本訳 使  8:30-38
8:30 ピリポが駈けよってゆくと、その人がイザヤ預言書を読んでいるのが聞こえたので、たずねた、「どうです、読んでおられるところが読めていますか。」
8:31 彼がこたえた、「だれかに手引をしてもらわねば、とてもわたしには読めません。」そして(車に)乗って一緒に坐ってもらいたいとピリポに頼んだ。

8:32 読んでいた聖書の文句はこれであった。『屠り場に引いてゆかれる羊のように、毛を切る者の前に黙っている小羊のように、彼は口を開かない。
8:33 (しかし)謙遜によって裁きをまぬかれ(て死に勝っ)たのである。だれが(地上にあふれるであろう)彼の子孫[信者]のことを語り得ようか。彼は(神の右に坐るために)その命を地上から取り去られるのだから。』
8:34 宦官がピリポに答えた、「お願いです、この預言者はだれのことを言っているのでしょうか。自分のことですか、それともだれかほかの人のことですか。(教えてください。)」
8:35 そこでピリポは口を開いて、この聖書の句から始めて、イエスの福音を伝えた。
8:36 そして道を進んでゆきながら、とある水辺に来ると、宦官が言う、「水がある!洗礼を受けてはいけないでしょうか。」
8:37 [無シ]
8:38 そこで車を止めさせ、ピリポと宦官は、二人とも水の中に下りて、ピリポが宦官に洗礼を授けた。

塚本訳 使  10:34-41
10:34 口を開いてペテロが言った、「本当に』神はえこ贔屓をするお方でなく、』
10:35 神を恐れ、正しいことを行う人でさえあれば、どんな民族であろうと歓迎されることが、わたしにはよくわかっています。
10:36 『神は御言葉をイスラエルの』子孫に『おくり、』イエス・キリストをもって、『(御自分との間の)平和の福音を伝えられました。』──イエスは万人の主であります。──
10:37 あなた達は(洗礼者)ヨハネが洗礼を説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ中にゆきわたった出来事を知っておられる。
10:38 すなわち、『神が』いかに聖『霊』と(大いなる)力と『をもって』ナザレのイエスに『油を注がれ(て聖別され)た』か、このイエスが(あちらこちらを)巡回しながら、恩愛を施し、悪魔におさえつけられている者を皆直されたかを。神がご一緒におられたからです。
10:39 ──(使徒たる)わたし達は、イエスがユダヤ人の地、ことにエルサレムでされた一切のことの証人です。──このイエスを人々は『(十字架の)木にかけて』処刑した。
10:40 (しかし)神はこの方を三日目に復活させ、(人の目にも)見えるようにされた。
10:41 (ただし)国民全体でなく、神からあらかじめ選ばれていた証人であるわたし達、すなわちイエスが死人の中から復活されたあとで、一緒に飲み食いした者(だけ)に見えたのです。

塚本訳 ガラ 1:10-11
1:10 そもそもわたしは今、人の気に入ろうとしているか、それとも神か。それとも人を喜ばせようとしているか。もし今もなお人を喜ばせているのだったら、わたしは(人の奴隷で、)キリストの奴隷ではない。
1:11 なぜなら、あなた達に知らせる、兄弟たちよ、わたしが説いた福音は、人間的のものではない。

新改訳 Ⅱテモ4:2
4:2 みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。

口語訳 伝  11:1
11:1 あなたのパンを水の上に投げよ、多くの日の後、あなたはそれを得るからである。

口語訳 ヨブ 42:5
42:5 わたしはあなたの事を
耳で聞いていましたが、/今はわたしの目であなたを拝見いたします


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●朝の黙想瞑想礼拝おわり。神よもう少し生かしてください。救いを見させて下さい


塚本訳 ルカ 2:25-26
2:25 さて(そのころ)エルサレムに名をシメオンという人がいた。この人は正しい、信心深い人で、イスラエルの慰め(である救世主)を待ち望み、聖霊が彼をはなれなかった。
2:26 かつ主の救世主を見ないうちは決して死なないと、かねて聖霊からお告げを受けていた



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早朝散歩。今日も生きられることは感謝 

讃美歌216番
ああ、うるわしきシオンのあさ、光ぞ照りそめける

2014_09080013.jpg 

早朝散歩 この世の命が終わるとき、神は永遠の命に復活させてくださる

讃美歌496番
うるわしの白百合 ささやきぬ昔を
イェス君の墓より いでましし昔を
(おりかえし)
うるわしの白百合 ささやきぬ昔を
百合の花、ゆりの花、ささやきぬ昔を


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霊の命の誕生は全く神の力による ++++++++ 所感

2014/09/07 06:11

140907(日)5時15分起床●キリスト者の皆様お早うございます●昨夜は三男の恵が来泊しました。本日、代々木オリンピック記念青少年センターで行われる「森里海の有機的交流と自給が日本農業の未来をひらく」というシンポジウムのパネラーとして出るからです。●会場は代々木公園の近くなので、通路などが制限されているそうです。家にあった防虫スプレーを持って行ってもらいます。●さて今朝の啓示は「霊の命の誕生は全く神の力による」ということです。●福音の継承、使徒伝承の継承は人間の努力や、技術ではなく、全く100%神の力によると実感します。それは意外なことが起こって個人が霊に目覚める事です。その意外なこととは大抵が「不幸」なことなので人間はその不幸をわざわざ祈ることが出来ないのです。しかし神にあってはそれが愛子を霊に呼び覚ます愛の揺さぶりです。●一見不条理な不可解な不幸に神の大なる恵みの知恵が隠されていると私は思います。●神はこれによって神の愛の何であるか、真の幸福、真の満足、真の喜びの何であるかを私達に教えられるのであると信じます。●今朝はまず「苦難と神の愛」について、塚本虎二先生の忘れ得ぬ文章から引用聖句を掲げてみます。

「苦難と神の愛」塚本虎二
http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/bunshou/kunann.htm

口語訳 申 32:11
32:11 わしがその巣のひなを呼び起し、/その子の上に舞いかけり、/その羽をひろげて彼らをのせ、/そのつばさの上にこれを負うように


口語訳 ホセ 6:1
6:1 「さあ、わたしたちは主に帰ろう。主はわたしたちをかき裂かれたが、またいやし、わたしたちを打たれたが、また包んでくださるからだ


口語訳 ヨブ 5:18
5:18 彼は傷つけ、また包み、/撃ち、またその手をもっていやされる


塚本訳 ロマ 8:18
8:18 (しかもこの苦しみは恐れることはない。)なぜなら、わたしはこう考える。今の世の苦しみは、わたし達に現われようとしている栄光(──キリストと一しょに神の国の相続人になる最後の日の大いなる光栄──)にくらべれば、言うに足りない


口語訳 Ⅰサム2:6
2:6 主は殺し、また生かし、/陰府にくだし、また上げられる


口語訳 申 32:39
32:39 今見よ、わたしこそは彼である。わたしのほかに神はない。わたしは殺し、また生かし、/傷つけ、またいやす。わたしの手から救い出しうるものはない。

●こうして傷つけられて意外なる苦難に遭って新しい命に誕生させられることを巡って頭に浮かぶ聖句を順不同で掲げてみよう。

新共同 黙  21:5
21:5 すると、玉座に座っておられる方が、「見よ、わたしは万物を新しくする」と言い、また、「書き記せ。これらの言葉は信頼でき、また真実である」と言われた。

塚本訳 ヨハ 1:13
1:13 この人たちは、人間の血や、肉の欲望や、男の欲望によらず、神(の力)によって生まれたのである


塚本訳 Ⅰペテ1:23
1:23 (君達は)朽つる種でなく、朽ちぬ種から、(すなわち)神の活ける、また(永遠に)消え失せぬ言によって新しく生まれたのである


塚本訳 Ⅰペテ2:1-2
2:1 (君達はかく新しく生まれたの)だから一切の悪意と一切の欺瞞と偽善と嫉妬と一切の誹謗を脱ぎ捨て、
2:2 今生まれたばかりの赤ん坊として、まぜ物のない霊の乳を慕え、これで育って救いに入る(ことが出来る)ためである──


新共同 エペ 2:3
2:3 わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、
以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。


塚本訳 ヨハ 3:5-6
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。
3:6
肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。


塚本訳 マタ 16:16-17
16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主、生ける神の子であります!」
16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから

塚本訳 マコ 3:31-35
3:31 そこにイエスの母と兄弟たちが来て、外に立っていてイエスを呼ばせた。
3:32 大勢の人がイエスのまわりに坐っていたが、彼に言う、「それ、母上と兄弟姉妹方が、外であなたをたずねておられます。」
3:33 イエスは「わたしの母、兄弟とはだれのことだ」と答えて、
3:34 自分のまわりを取りまいて坐っている人々を見まわしながら、言われる、「ここにいるのが、わたしの母、わたしの兄弟だ。
3:35 神の御心を行う者、それがわたしの兄弟、姉妹、また母である。」


塚本訳 マコ 3:20-21
3:20 家にかえられると、また群衆が集まってきて、みんなは食事すら出来なかった。
3:21 身内の者たちが(イエスの様子を)聞いて(ナザレからカペナウムへ)取りおさえに出てきた。「気が狂っている」と思ったのである

塚本訳 Ⅱコリ4:16
4:16 このゆえに、わたし達は気を落さない。いや、わたし達の(生れながらの)外の人はどんなにこわれていっても、(キリストによって生れた)内の人は一日一日と新しくされてゆく


塚本訳 Ⅱコリ5:17
5:17 だから、キリストと結びついている者は、新しい創造物である。古いものは消え失せて、いまここに、新しくなってしまっている!

塚本訳 エペ 4:22-24
4:22 然り、君達は情欲に欺かれて破滅すべき、以前の生活に属する旧い人間を脱ぎ棄て、
4:23 君達の霊も心も(すっかり)新しくされ
4:24 真理の義と聖とにより神に肖(あやか)って創造られた
新しい人間を着るべき(ことを教えられたの)である。

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朝の黙想礼拝おわり




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出発の朝。三男の恵はシンポジウムのパネラーとして代々木のオリンピック記念青少年センターへ。 私達は茅ヶ崎の金子邸における家庭集会へ。
恵の苦難は神の業。失ったもの以上に良いものを頂いたと本人が言う。


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茅ヶ崎金子邸家庭集会「すずめの会」(婦人の会)。私が次のテーマで話した。

命の短さを嘆き悲しむ。しかし復活の希望がある

「太く、短く、楽しく」生きるとは・・・詩篇を中心に


内容は昨日(9月6日)のブログに全文をアップした。

出席者は、金子、宮崎、高橋トミ子、丹野、小寺七重、茂木、

高橋照男、小寺利男、横山、川上、


●昼食、歓談は楽し、愛餐会。
●信仰の篤い先輩の方々から「今日の話。『よかったです』『結構でした』」と応答があったのは、福音伝承に自信を持つことが出来たのと、伝道は複数の証人の共同作業によるべきであることを感じた。ステレオで音楽を聴くようである。
●「良いお話でした」とか「結構でした」と言われるのは音楽会で「ブラボー」と叫ばれるのと同じで疲れが飛ぶ。
●しかし、肉体が疲れた。
 















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命の短さを嘆き悲しむ ++++++++ 所感

2014/09/06 10:11

140906(土)キリスト者の皆様お早うございます。今朝は明日の茅ヶ崎での家庭集会の最後の準備をしました。●題は「命の短さを嘆き悲しむ。しかし復活の希望がある」です。●来る9月28日、午後、地元あきる野市で映画「A2ーBーC」が上映される。(主催、さよばら原発にしたま)これは東京電力福島第一原発の事故から一年半後の福島を記録した映画で、甲状腺に「のう胞」がみつかり始めている現状を米国人のイアン・トーマス・アッシュ監督(38)が取材したもので、「現状を告発した勇気あるお母さんたち」の生の声を取り上げたもの。●私としても孫が二人福島県二本松市にいるので他人ごとではなく心配が大きい。泣くものと共に泣く。●明日の家庭集会での話はその嘆き悲しみが土台にある。

茅ヶ崎金子家家庭集会
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命の短さを嘆き悲しむ。しかし復活の希望がある

「太く、短く、楽しく」生きるとは・・・詩篇を中心に

               すずめの会、於・茅ヶ崎 2014.9.7 高橋照男

 

聖書引用:旧約は口語訳、新約は塚本訳

命の短さを嘆き悲しむ

① エレ 31:15                                   31:15 主はこう仰せられる、「嘆き悲しみ、いたく泣く声がラマで聞える。ラケルがその子らのために嘆くのである。子らがもはやいないので、彼女はその子らのことで慰められるのを願わない」。                                                         

② 哀  3:27-29、37-38                            3:27 人が若い時にくびきを負うことは、良いことである。                               3:28 主がこれを負わせられるとき、ひとりすわって黙しているがよい。        3:29 口をちりにつけよ、あるいはなお望みがあるであろう。

3:37 主が命じられたのでなければ、だれが命じて、その事の成ったことがあるか。

3:38 災もさいわいも、いと高き者の口から出るではないか

 

③ 伝  12:1-2                                   12:1 あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、                             12:2 また日や光や、月や星の暗くならない前に、雨の後にまた雲が帰らないうちに、そのようにせよ。

 

④ ヨブ 1:21

1:21 そして言った、/「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」。

⑤ 詩  102:9                                     102:9 わたしは灰をパンのように食べ、わたしの飲み物に涙を交えました

「太く」生きるとはどういうことか。

① 詩  84:4-6                                   84:4 あなたの家に住み、常にあなたをほめたたえる人はさいわいです。〔セラ84:5 その力があなたにあり、その心がシオンの大路にある人はさいわいです。84:6 彼らはバカの谷を通っても、そこを泉のある所とします。また前の雨は池をもってそこをおおいます。

② 新共同 詩  84:6-7                                84:6 いかに幸いなことでしょう/あなたによって勇気を出し/心に広い道を見ている人は。                                              84:7 嘆きの谷を通るときも、そこを泉とするでしょう。雨も降り、祝福で覆ってくれるでしょう。

③ 詩  128:1
128:1
すべて主をおそれ、主の道に歩む者はさいわいである。

④ 詩   55: 18                                   たといわたしを攻める者が多くとも、主はわたしがたたかう戦いから/わたしを安らかに救い出されます。

⑤ 詩   102: 28                                  あなたのしもべの子らは安らかに住み、その子孫はあなたの前に堅く立てられるでしょう。

⑥ 詩   119: 117                                  わたしをささえてください。そうすれば、わたしは安らかで、常にあなたの定めに心をそそぎます。

(新約)

⑦ コリ 1: 3                                   わたし達の父なる神と主イエス・キリストとから、恩恵と平安、あなた達にあらんことを。(同様な句。Ⅱコリ 1: 2 ガラ  1: 3 ガラ  6: 16 ピリ  1: 2      ピリ  4: 7 コロ  1: 2 Ⅰテサ 1: 1 Ⅱテサ 1: 2 Ⅱテサ 3: 16 Ⅰテモ 1: 2 Ⅱテモ 1: 2 テト  1: 4 ピレ  1: 3 Ⅰペテ 5: 14 Ⅱペテ 1: 2 Ⅱヨハ 1: 3 Ⅲヨハ 1: 15 ユダ  1: 2 )

 

「短く」生きるとはどういうことか。

① 詩  39:5

39:5 見よ、あなたはわたしの日をつかのまとされました。わたしの一生はあなたの前では無にひとしいのです。まことに、すべての人はその盛んな時でも/息にすぎません。〔セラ

② 詩  90:3-6
90:3
あなたは人をちりに帰らせて言われます、「人の子よ、帰れ」と。
90:4
あなたの目の前には千年も/過ぎ去ればきのうのごとく、夜の間のひと時のようです。
90:5
あなたは人を大水のように流れ去らせられます。彼らはひと夜の夢のごとく、あしたにもえでる青草のようです。
90:6
あしたにもえでて、栄えるが、夕べには、しおれて枯れるのです。
90:7 われらはあなたの怒りによって消えうせ、あなたの憤りによって滅び去るのです。

③ 詩  90:10
90:9
われらのすべての日は、あなたの怒りによって過ぎ去り、われらの年の尽きるのは、ひと息のようです。
90:10 われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです
90:11 だれがあなたの怒りの力を知るでしょうか。だれがあなたをおそれる恐れにしたがって/あなたの憤りを知るでしょうか。            90:12 われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください。90:13 主よ、み心を変えてください。いつまでお怒りになるのですか。あなたのしもべをあわれんでください。

④ 箴  31:30

31:30 あでやかさは偽りであり、美しさはつかのまである、しかし主を恐れる女はほめたたえられる。


(新約) 


① マタ 6:27-30
6:27
(だいいち、)あなた達のうちのだれかが、心配して寿命を一寸でも延ばすことが出来るのか。
6:28 また、なぜ着物のことを心配するのか、野の花の育つのを、よく見てごらん、苦労をせず、紡ぐこともしない。
6:29
しかし、わたしは言う、栄華を極めたソロモン(王)でさえも、この花の一つほどに着飾ってはいなかった。
6:30
きょうは花咲き、あすは炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこんなに装ってくださるからには、ましてあなた達はなおさらのことではないか。信仰の小さい人たちよ!                                                   

② 使  20:24                                    しかしわたしは、自分の走るべき道を走りおえて、主イエスから託された、神の恩恵をつたえる福音を証しする役目をはたすためなら、自分の命のことなど口にする値打もないと思う

③ Ⅰヨハ3:16                             3:16 (神の子である)キリストがわたし達のために命を捨てられた(その)ことで、わたし達は(はじめて)愛を知っただからわたし達も兄弟のために命をすてねばならない。

④ Ⅰヨハ4:10                             4:10 わたし達が神を愛したことではなく、彼がわたし達を愛し、その子をわたし達の罪のための宥め(の供物)として遣わされたそのことに、愛があるのである。

「楽しく」生きるとはどういうことか。

⑤ 詩   9: 2                                       いと高き者よ、あなたによって/わたしは喜びかつ楽しみ、あなたの名をほめ歌います

⑥ 詩  16:8-9                                   16:8 わたしは常に主をわたしの前に置く。主がわたしの右にいますゆえ、わたしは動かされることはない。                                       16:9 このゆえに、わたしの心は楽しみ、わたしの魂は喜ぶ。わたしの身もまた安らかである。

① 詩   16: 11                                       あなたはいのちの道をわたしに示される。あなたの前には満ちあふれる喜びがあり、あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある。

② 詩  23:4
23:4
たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。

③ 詩   31: 7                                       あなたのいつくしみを喜び楽しみます。あなたがわたしの苦しみをかえりみ、わたしの悩みにみこころをとめ、

④ 詩   51: 8                                           

わたしに喜びと楽しみ
とを満たし、あなたが砕いた骨喜ばせてください

⑤ 詩  68:3                                                   68:3 しかし正しい者を喜ばせ、神の前に喜び踊らせ、喜び楽しませてください

⑥ 詩  84:1-3
84:1
万軍の主よ、あなたのすまいはいかに麗しいことでしょう。
84:2
わが魂は絶えいるばかりに主の大庭を慕い、
わが心とわが身は生ける神にむかって喜び歌います
84:3 すずめがすみかを得、つばめがそのひなをいれる巣を得るように、万軍の主、わが王、わが神よ、あなたの祭壇のかたわらに/わがすまいを得させてください。

⑦ 詩  84:10
84:10
あなたの大庭にいる一日は、よそにいる千日にもまさるのです。わたしは悪の天幕にいるよりは、むしろ、わが神の家の門守となることを願います。

⑧ 詩   90: 14                                       あしたに、あなたのいつくしみをもって/われらを飽き足らせ、世を終るまで喜び楽しませてください。

① 詩   90: 15                                      あなたがわれらを苦しめられた多くの日と、われらが災にあった多くの年とに比べて、われらを楽しませてください。

 

② 詩  103:3-5

103:3 主はあなたのすべての不義をゆるし、あなたのすべての病をいやし、

103:4 あなたのいのちを墓からあがないいだし、いつくしみと、あわれみとをあなたにこうむらせ、

103:5 あなたの生きながらえるかぎり、良き物をもってあなたを飽き足らせられる。こうしてあなたは若返って、わしのように新たになる

③ 詩  119:71
119:71
苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを/学ぶことができました。

④ 詩  126:5-6
126:5
涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。
126:6
種を携え、
涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。

 

⑤ 詩  136:16,23                                136:16 その民を導いて荒野を通らせられた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。(中略)                  136:23 われらが卑しかった時に/われらをみこころにとめられた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

                           
                                                           新約) 泣くな。「復活の希望」がある。

① ルカ 7:12-15                                 7:12 町の門の近くに来られると、ちょうど、ある独り息子が死んで、(棺が)舁き出されるところであった。母は寡婦であった。町の人が大勢その母に付添っていた。                             7:13 主は母を見て不憫に思い、「そんなに泣くでない」と言って          7:14 近寄って棺に手をかけ──担いでいる者は立ち止まった──「若者よ、あなたに言う、起きよ!」と言われた。                   7:15 すると死人が起き上がって物を言い出した。イエスは『彼を母に渡された。』

① ルカ 8:49-55

8:49 イエスがまだ話しておられるところに、礼拝堂監督の家からひとりの人が来て(監督に)言った、「お嬢さんはもうなくなりました。先生にこれ以上御迷惑をかけられないように。」

8:50 イエスは聞いて監督に言葉をかけられた、「こわがることはない。ただ信ぜよ。そうすれば助かる。」

8:51 家に着かれると、ペテロとヨハネとヤコブと、女の子の父と母とのほかには、だれも一しょに中に入ることを許されなかった。

8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。」

8:53 人々は死んだことを知っているので、あざ笑っていた。

8:54 しかしイエスは女の子の手を取り、声をあげて「子よ、起きなさい!」と呼ばれると、

8:55 霊がもどって、即座に女の子は立ち上がった。イエスは(何か)食べさせるように言いつけられた。

 

② ヨハ 11:23-26

11:23 イエスは言われる、「あなたの兄弟は生き返る。」

11:24 マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」

11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。

11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか

 

③ ルカ 12:4

12:4 あなた達、わたしの友人に言う、体を殺しても、そのあと、それ以上には何もできない者を恐れるな。

④ Ⅰペテ1:8                            1:8 君達は彼を(目のあたり)見たことはないが、(これを)愛し、今も見ることは出来ないが、(これを)信じて、(既にかの日の)輝きに満ちた、言語に絶する喜悦を喜んでいる。                             

4 ロマ 5:2-4                                     5:2 そうだ、キリストにより、信仰で、わたし達はいまいるこの恩恵の状態に入ることができ、また(最後の日に)神の(子になることを信じて、その)栄光にあずかる希望を誇っているのである。                                           5:3 そればかりではない。苦難をも誇る。苦難は忍耐を、                 5:4 忍耐は鍛錬を、鍛錬は希望を生むことを知っているからである。

① ロマ 8:18                                      8:18 (しかもこの苦しみは恐れることはない。)なぜなら、わたしはこう考える。今の世の苦しみは、わたし達に現われようとしている栄光(──キリストと一しょに神の国の相続人になる最後の日の大いなる光栄──)にくらべれば、言うに足りない。

② ロマ 8:28                                       8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。

③ ロマ 8:22-23                        8:22 わたし達が知っているように、全創造物は(かの日から)今まで、一しょになって呻き、一しょになって産みの苦しみをしている。(父なる神がこの  呻きに耳を傾けられないことがあろうか。)                         8:23 しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証拠として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである。

④ ピリ 1:29                                                1:29 君達はキリストのために──ただ彼を信ずるばかりでなく、また彼のために苦しむことをも恵まれたからである。

⑤ ヘブ 12:11                                      12:11 あらゆる訓練(というもの)は、その当座は喜びとは見えず、かえって悲しみと見えるが、しかしあとで、それで鍛えた者に(まことの)義の実である平安を与えるのである。

⑥黙  21:4                                                           21:4 彼らの目から悉く涙を拭い取り給うであろう。最早死もなく、悲嘆(かなしみ)も叫喚(さけび)も疼痛(いたみ)も最早無いであろう。初めの(天と地にあった)ものが(すっかり)消え去ったからである。」

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茅ヶ崎金子家家庭集会  資料 終わり


●TSK日本語版雅歌8章 雅歌終了CDに焼き付けて物置にストックした。
●イエスはこの雅歌を」どう読んだのかなー。 「男女は一体となる」ということの売らずけとして読んだのではあるまいか。

塚本訳 マタ 19:5-6
19:5 また、『それゆえに人は父と母とをすてて妻に結びつき、二人は一体となる』と言われたことを、あなた達は読んだことがないのか。
19:6 従って、もはや二人ではない、一体である。だから夫婦は(皆)神が一つの軛におつなぎになったものである。(どんな理由があっても)人間がこれを引き離してはならない。」



●15:00 妻はバッハ「ロ短調ミサ曲」の練習。

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内側と外側、外側と内側 ++++++++ 所感

2014/09/05 09:06

140905(金)5時起床、キリスト者の皆様お早うございます。早朝散歩で美しい東雲(しののめ)を見ました。 

2014_09050002.jpg 

早朝散歩。東雲(しののめ。まだ太陽が上がらない前の東の茜色に雲が映える空) 。
今朝も神に呼び覚まされた。命を与えられて今日一日生きられることは感謝。

●今週はじめに新しい部屋着を買ってくれた。ゆったりとして楽である。麻が入っているので肌触りが気持ちよく,柄もよくて気に入った。
●これを着ると急に猛烈勉強をする気になる。

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新しい部屋着を買ってくれた。ゆったりとして楽だ。気に入った。
猛烈に勉強したくなる

●普通、聖書的には外側ではなく、中味が大切だ。建物や着物ではなく中味の人間だだと言われる。次の通りである。

 

塚本訳 マタ 23:25-28

23:25 ああ禍だ、君たち聖書学者とパリサイ人、この偽善者!君たちは杯や皿の外側は清潔にするが、内側は掠め取った物と不節制とでいっぱいだからだ。

23:26 目の見えないパリサイ人よ、まず杯の内(の物)を清潔にせよ。そうすれば外も(おのずと)清潔になるであろう。

23:27 ああ禍だ、君たち聖書学者とパリサイ人、この偽善者!君たちは白く塗った墓に似ているからだ。外側はりっぱに見えるが、内側は死人の骨とあらゆる汚れとでいっぱいである。

23:28 そのように君たちも、外側はいかにも信心深そうに人に見えるが、内側は偽善と不法とで一ぱいである。

塚本訳 使  23:2-3
23:2 (これを聞いて)大祭司アナニヤは、自分のそばに立っていた者たちに命じてパウロの口を打たせた。
23:3 するとパウロが言った、「白く塗った壁!こんどはあなたが神に打たれる番だ。律法に従ってわたしを裁判するために(そこに)坐っているそのあなたが、律法に背いてわたしを打つことを命令するのか。」


塚本訳 マタ 12:32-34
12:32 人の子(わたし)を冒涜する者ですら赦していただけるが、聖霊を冒涜する者は、この世でも来るべき世でも(決して)赦されない。
12:33 木を良いとするなら、その実をも良いとせよ。また、木を悪いとするなら、その実をも悪いとせよ。木(の良し悪し)は実で知られるのである
12:34 蝮の末よ、あなた達(自身)が悪いのに、どうして善いことが言えよう。心にあふれて口に出るのだから。

 

●しかし建築士の私は、外側をきれいにすれば中味の変化にも寄与すると考えられます。
買ってくれた部屋着を着ると猛強したくなることからそう思います。

●わたしの設計したIT氏の家が完成した時、IT氏は小さい御嬢さんに「家が美しくても心がきれいにならなくてはいけないよ」と言っていました。

その御嬢さんは長じて「ミス・〇〇〇になりました。(〇〇〇は世界的大企業)。美しい家を造った影響だ!!。(と自分で自分を褒めているワタシ。笑)
●また、MT氏の家を設計したときはMT氏の御夫人から「家で3台のピアノを弾いてもお互いが干渉ようにしてください」という注文があった。それで一台は地下、一台は一階、もう一台は中二階にして、お互いが聴こえないようにした。そこで育った御嬢さんの一人は、長じて著名な演奏家になった。こういう時は外側(家屋)が良いと人を育てるということだと思う。

 しかし本当の美しさは内面からである。内面の美しさが外側の美しさに溢れ出て、わかる人にはわかる。それは信仰の目でのみわかる美しさである。聖書的には次である。

塚本訳 マタ 7:28-29
7:28 イエスがこれらの話を終えられた時、一しょに聞いていた群衆はその教えに感心してしまった。
7:29 自分たちの聖書学者のようでなく、
権威を持つ者のように教えられたからである。

塚本訳 ヨハ 7:14-15
7:14 祭がすでに半ばになったとき、(すなわち祭の四日目に、)イエスが宮に上って教えておられると、
7:15 ユダヤ人は驚いて言った、「この人は学校に行ったこともないのに、どうして聖書を知っているのだろうか。」


塚本訳 マコ 6:2-3
6:2 安息日になって礼拝堂で教え始められると、大勢の人がそれを聞いて、驚いて言った、「この人はこんなことをどこから覚えてきたのだろう。この人の授かったこの知恵はなんだろう。また、その手で行われるかずかずのこんな奇蹟はいったいどうしたのだろう。
6:3 これはあの大工ではないか。マリヤの息子で、ヤコブとヨセとユダとシモンとの兄弟ではないか。女兄弟たちは、ここで、わたし達の所に住んでいるではないか。」こうして人々はイエスにつまずいた。(そのため彼の言葉に耳を傾ける者がなかった。)


塚本訳 ヨハ 7:45-47
7:45 やがて下役らが(手ぶらで)かえって来ると、大祭司連とパリサイ人とが言った、「なぜあれを引いてこなかったか。」
7:46 下役らが答えた、「あの人が話すように話した人は、いまだかつてありません。」
7:47 パリサイ人が答えた、「君たちまでが迷わされたのではあるまいね。


これは文化の質にも関係する。日本の文化は外国の模倣が多いから底が浅い。すぐ剥げる。建築、聖書学。
イエスの言葉を聞いた人々はなんとなく違うその違いに驚いたとある。キリスト者は総てこうでなければいけない。

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朝の黙想瞑想礼拝終わり。家を見れはそこに住む人の品格がわかる。書斎を見ればその人の信仰が分かる。話の内容と話し方でその人の信仰の程度がわかる。

●かって某牧師が拙宅に来られた時、私の蔵書をじっと見ておられた。
●エミールブルンナーという神学者が塚本先生を訪ねられた時。「学者の書斎だ」と言った。
●大企業の人事部長はペーパーテストの点数でなく、出身校でなく、面接に70%の重きを置くそうだ。
●真の権威は神からの霊で備わるものだ。

塚本訳 マタ 6:22-23
6:22 目は体の明りである。だからあなたの目が澄んでおれば、体全体が明るいが、
6:23 目が悪いと、体全体が暗い。だから(天に宝を積まないため、)もしあなたの内の光(である目、すなわち心)が暗かったら、その暗さはどんなであろう。 

塚本訳 ヨハ 1:47
1:47 イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て、彼のことをこう言われる、「そら、あれは生粋のイスラエル人だ。すこしもごまかしがない。

塚本訳 マコ 10:21
10:21 イエスは彼をじっと見て、かわいく思って言われた、「(よく守った。だが)一つ足りない。家に帰って、持っているものをみな売って、(その金を)貧乏な人に施しなさい。そうすれば天に宝を積むことができる。それから来て、わたしの弟子になりなさい。」

塚本訳 ヨハ 1:42
1:42 シモンをイエスの所につれてゆくと、彼をじっと見て言われた、「あなたはヨハネの子シモンだ。あなたの名はケパがよかろう。」[ケパは(ヘブライ語であって、ギリシャ語に)訳するとペテロ(岩)。]

塚本訳 使  14:8-10
14:8 当時ルステラに、足のきかない一人の男が坐っていた。母の胎内から足なえで、まだ一度も歩いたことがなかった。
14:9 この人がパウロの話を聞いていると、
パウロはじっと見つめ、(足が)直るに必要な信仰があるのを見て、
14:10 大声で、「『自分の足で』まっすぐに『たちなさい!』」と言った。すると(たちまち)躍って歩きまわった。

塚本訳 ヘブ 11:3
11:3 (まず、)信仰によって、わたし達はこの世界が神の言葉で造られたことを知る。すなわち、見えるものは、現われぬものからできているのである。

●昼前散歩でアイスを日本購入。昼食後のデザート。
●TSK日本語版雅歌7章
●妻は体操(自彊術)

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空は秋の気配。百日紅(さるすべり)の花。文字通り百日咲くのだ。秋留公園。
私も百歳を目指すか。

 

 









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殺(や)られたら殺(や)られっぱなしにしておこう。 ++++++++ 所感

2014/09/04 05:53

140904(木)●キリスト者の皆様お早うございます●4時半目覚め、朝の黙示「罪の負い目と悔やみが人を救いに導く」●早朝散歩5時出発。

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早朝散歩、5時10分 。植物は夜も成長する。 人の心臓は神によって夜も鼓動する。

新共同 マコ 4:26-27
4:26 また、イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、
4:27 夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、
どうしてそうなるのか、その人は知らない。

●「どうしてそうなるのか、その人は知らない」ということは、今朝の黙想課題と一致する。人が救われるのはいかにしてか。その不思議は神の国の秘儀である。神の恵みの知恵である。

●聖書で難解なところの一つに次がある。

文語訳 ヨハ 12:24
12:24 誠にまことに汝らに告ぐ、一粒の麥、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし。


●息子の一人は長い間この意味が解らなかった。「一人の人が死ぬことによってどうして人類全体が救われるのか」と。しかし彼にそれがわかる「時」が来た。時間がかかった。救いには時間と事件が必要なのだ。 「聖霊が降るとき」「神が心を開く時」である。

新共同 伝  11:1
11:1 あなたのパンを水に浮かべて流すがよい。月日がたってから、それを見いだすだろう。

文語訳 ロマ 8:28
8:28 神を愛する者、すなはち御旨によりて召されたる者の爲には、凡てのこと相働きて益となるを我らは知る


塚本訳 ロマ 8:28
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。


●罪の負い目が人を救いに導く。三度「イエスを裏切った」ペテロ。罪もないキリスト者を迫害し、殺したパウロ。自分のヒューマニズム思想貫徹のためにイエスを売ったユダ。みな大なる罪の負い目があって悔い改めた。キリスト教は彼らの「負い目と悔い改め」にの上に立つ。

塚本訳 マタ 26:75
26:75 ペテロは、「鶏が鳴く前に、三度、わたしを知らないと言う」と言われたイエスの言葉を思い出し、外に出ていって、さめざめと泣いた

塚本訳 使  22:4
22:4 わたしはこの(キリストの)道を迫害し、男女の別なく(信者を)しばって牢に入れ、殺すことをも辞さなかったのであります。

塚本訳 マタ 27:3-5
27:3 その時イエスを売ったユダは、イエスの判決が決まったのを見て後悔し、(受け取ったシケル)銀貨三十枚を大祭司連、長老たちに返して、
27:4 「罪もない(人の)血を売って、悪いことをした」と言った。彼らが答えた、「われわれの知ったことではない。お前が自分で始末しろ!」
27:5 ユダは銀貨を宮に投げ込んで去り、行って
首をくくった。


●こういう「罪の負い目と悔い」は罪を人間から指摘されたり、断罪されたり、説教されたりしたのではその宇井改めは起こらない。罪を赦す能力のある神ご自身のタイムリーな、繊細な赦しの心が人をの悔い改めに導く。そのためにはキリスト信者は真面目な生活をしていればよいのだ。彼らはそれと自分を比べて「恥じ」悔い改めの心を起こすのだ。 悪人に殺(や)られたら、反撃せず殺(や9られっぱなしにしておくのがよい。そうすれば神がその悪人に注意して「恥と負い目」を負わすのだ。

塚本訳 マタ 5:43-48
5:43 あなた達は(昔の人がモーセから、)『隣の人を愛し、』敵を憎まねばならない、と命じられたことを聞いたであろう。
5:44 しかしわたしはあなた達に言う、敵を愛せよ。自分を迫害する者のために祈れ。
5:45 あなた達が天の父上の子であることを示すためである。父上は悪人の上にも善人の上にも日をのぼらせ、正しい人にも正しくない人にも、雨をお降らしになるのだから。
5:46 自分を愛する者を愛したからとて、なんの褒美があろう。(人でなしと言われるあの)税金取りでも同じことをするではないか。
5:47 また兄弟にだけ親しくしたからとて、なんの特別なことをしたのだろう。異教人でも同じことをするではないか。
5:48 だからあなた達は、天の父上が完全であられるように『完全になれ。』


塚本訳 ルカ 6:27-30
6:27 しかし(今わたしの話を)聞いているあなた達に言う、敵を愛せよ。自分を憎む者に親切をつくし、
6:28 呪う者に(神の)祝福を求め、いじめる者のために祈れ
6:29 あなたの頬を打つ者には、ほかの頬をも差し出し、上着を奪おうとする者には、下着をこばむな。
6:30 求める者にはだれにでも与えよ、あなたの物を奪った者から取り返すな。

塚本訳 ロマ 12:19
12:19 愛する者たちよ、自分で仕返しをするな、(裁きの日の神の)怒りにまかせよ。こう書いてあるではないか、「主は言われる、『仕返しはわたしのもの、』わたしが『報いをする』と。」

塚本訳 ロマ 12:20
12:20 むしろ、『あなたの敵が飢えているなら、食べさせてやれ。渇いているなら、飲ませてやれ。こうするのはその頭に炭火を積むことであるから、(いつかは恥じて悔改める。)』

塚本訳 ヨハ 12:24
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)

塚本訳 ルカ 23:34
23:34 するとイエスは言われた、「お父様、あの人たちを赦してやってください、何をしているか知らずにいるのです。」『彼らは籤を引いて、』イエスの『着物を自分たちで分けた。』



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朝の黙想瞑想礼拝終わり。 神がやってくださる。

●午前中、公立阿伎留病院センター。胃カメラ予約、血液検査。少し遅くなったので終了は12時40分。病院は早くいくべし。
●病院の待合時間に、村岡花子訳「赤ちゃんはどこから来るの」を読み、帰途に図書館に返す。
●TSK日本語版雅歌6章
●大島富士子ソプラノリサイタル申込み。富士子さんに「どうして音楽家はウィーンに集まったのか」の年来の疑問を聞いた。「マリヤテレジアのもとに宮廷音楽の文化があったからだ」というのが回答。音楽は環境だ。











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何処に住むべきか ++++++++ 所感

2014/09/03 05:01

140903(水)3時半目覚め、4時半起床。●キリスト者の皆様お早うございます。71歳にもなると眠りが浅くなり6時間も寝れば充分です。しかしまだ外は真っ暗なので早朝散歩には早すぎます。●昨日は図書館の帰り道に畑仕事をしている元職場のTS氏に出会って立ち話をした。氏は元建設相の技官で専門は土木。話題は先の広島土砂災害。氏が言うには「ああいうところに住居を構えたのが悪い。高台で見晴らしの良いところという理由で建築業者や不動産業者の甘言に乗せられて居を構えたのだ。本人が悪い」。●これは災害が起こるとなんでもかんでも為政者の責任にする一般国民への批判である。元官僚の本音である。●かくいうTS氏は人の何倍も「放射能汚染」に恐怖を感じて、3.11の時は東京も危ないと思って荷物をまとめられた方である。そして遠くの山を見ながら、この多摩の地も放射性物質の値が高いのだと不安げな顔をされていた。しかし、われわれは余命が短いからなーと言って笑った。●また福島の子供たちの甲状腺がんの事情はマスコミが報道しない。真実は違うと言われた。●これに関しては来る9月28に地元でその真実報道の映画会があるので行く予定である。●こう考えると人間は一体何処に住めば安心安全なのかが喫緊の課題である。●聖書にはどこに住めば安心安全で幸福なのかを多く語っているが、それは霊の世界のことを物理的なことを通して比喩として語っている。聖書は霊肉渾然一体として「神のもとに住む」べきことを示唆している。●これに関しては何度か「永遠の住まい」に関して語ったことがある。

「詩編126編を読む」(2008.3.30.東京聖書読者会)
http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/126.htm

「永遠の住居(すまい)とは何か」(2008.4.6.東京聖書読者会)
http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/su.htm

「建築を通して学んだ聖書」(2009.7.26。あだたら聖書集会)
http://ej2ttkhs.web.fc2.com/denshou/man.htm

●しかしこれらは一貫して「安心安全且つ喜びの場所は神のところにある」というものであってそれは今も変わらない。i否、今後一生変わらないであろう。それは霊的精神的信仰的なことである。●集会のある人が「高橋さんのお話は途中まではわかるが後半や結論はわからなくなる」と言われた。しかも複数の方からである。理由は話の最後が霊的信仰的なことになってしまっているからであろう。●そこで今朝は神は私達に霊的にも物理的にも安心安全の場所を備えて与えてくださる、そこへ導いてくださることを聖書から学んでみよう。●人間は良い環境を求めて一生旅をする。家庭環境、教育環境、住環境、身体環境、医療環境、大気汚染環境、職場環境、政治環境、経済環境、文化環境、信仰(教会・集会)環境、友人環境・・・・●これに関して神はこの世にベストのところ、精神的ではなく、物理的にも満足するとこに導いてくださることを黙想してみよう。●信仰は具体的なことでなくてはけない。「神は人の姿をとってこの世に降られた」のである。目に見え、てで触れる形で現れたのがイエスであった。イエスの十字架の苦悶は神の苦悶の見える形であったのだ。●いつものように思いつくままを順不同で掲げる。 感話なし、コメントなし。

口語訳 創  22:11-14
22:11 主の使が天から彼を呼んで言った、「アブラハムよ、アブラハムよ」。彼は答えた、「はい、ここにおります」。
22:12 み使が言った、「わらべを手にかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子、あなたのひとり子をさえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」。
22:13 この時アブラハムが目をあげて見ると、うしろに、角をやぶに掛けている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行ってその雄羊を捕え、それをその子のかわりに燔祭としてささげた。
22:14 それでアブラハムはその所の名をアドナイ・エレと呼んだ。これにより、人々は今日もなお「主の山に備えあり」と言う。

口語訳 創  2:21-24
2:21 そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。
2:22 主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた
2:23 そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、/わたしの肉の肉。男から取ったものだから、/これを女と名づけよう」。
2:24 それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。



口語訳 箴  19:14
19:14 家と富とは先祖からうけつぐもの、賢い妻は主から賜わるものである

口語訳 民  14:7-8
14:7 イスラエルの人々の全会衆に言った、「わたしたちが行き巡って探った地は非常に良い地です。
14:8 もし、主が良しとされるならば、わたしたちをその地に導いて行って、それをわたしたちにくださるでしょう。それは乳と蜜の流れている地です。


口語訳 詩  23:1-6
23:1 主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。
23:2 主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。
23:3 主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
23:4 たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
23:5 あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。
23:6 わたしの生きているかぎりは/必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。

口語訳 詩  126:1-3
126:1 主がシオンの繁栄を回復されたとき、われらは夢みる者のようであった。
126:2 その時われらの口は笑いで満たされ、われらの舌は喜びの声で満たされた。その時「主は彼らのために大いなる事をなされた」と/言った者が、もろもろの国民の中にあった。
126:3 主はわれらのために大いなる事をなされたので、われらは喜んだ

口語訳 詩  127:1-2
127:1 主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい。
127:2 あなたがたが早く起き、おそく休み、辛苦のかてを食べることは、むなしいことである。主はその愛する者に、眠っている時にも、なくてならぬものを与えられるからである。


口語訳 詩  84:1-7
84:1 万軍の主よ、あなたのすまいはいかに麗しいことでしょう。
84:2 わが魂は絶えいるばかりに主の大庭を慕い、わが心とわが身は生ける神にむかって喜び歌います。
84:3 すずめがすみかを得、つばめがそのひなをいれる巣を得るように、万軍の主、わが王、わが神よ、あなたの祭壇のかたわらに/わがすまいを得させてください。
84:4 あなたの家に住み、常にあなたをほめたたえる人はさいわいです。〔セラ
84:5 その力があなたにあり、その心がシオンの大路にある人はさいわいです。
84:6 彼らはバカの谷を通っても、そこを泉のある所とします。また前の雨は池をもってそこをおおいます。
84:7 彼らは力から力に進み、シオンにおいて神々の神にまみえるでしょう。

口語訳 詩  136:11-17
136:11 イスラエルをエジプトびとの中から/導き出された者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:12 強い手と伸ばした腕とをもって、これを救い出された者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:13 紅海を二つに分けられた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:14 イスラエルにその中を通らせられた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:15 パロとその軍勢とを紅海で/打ち敗られた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:16 その民を導いて荒野を通らせられた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
136:17 大いなる王たちを撃たれた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。


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朝の黙想瞑想おわり。その慈しみとこしえなればなり(木・レオラム・カスドー)
TSK

●TSK日本語版雅歌5章
●図書館


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ケイトウ。素晴らしい色彩

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コスモス。秋だ。この花は信仰の篤い人を連想する。神(霊)に拝礼しているようだ。

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夏の名残の空に鳩。


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人の行為でなく信仰の方が神の力がこの世に現れる ++++++++ 所感

2014/09/02 10:46

140902(火)キリスト者の皆様お早うございます。昨日は病院への往復の車中で「福音と宣教」というカトリックで最も多く読まれている雑誌(2014..6)を読んで感銘を受けましたので、そのことを次のようにまとめました。

「福音と宣教」(カトリックで最も多く読まれている雑誌)2014年6月号の一部分抜粋
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     行為でなく信仰のみに徹すると神の力がこの世に現れる

「福音宣教」(カトリックの雑誌)(2014.6)において、無教会主義は「信仰のみ」に徹するが故に逆説的に神の力がこの世に現れている姿に感心している。

2014年9月2日 東京聖書読者会 高橋照男


●第一論考「測り縄は福島の地に」
大内信一(福島県二本松市で16代続く農家。無教会あだたら聖書集会)
(論考の一部)
日本農業の中心に稲作があります。その稲作りの日本での第一人者の研究者で、長野県に生まれ、両親が熱心なクリスチャンで内村鑑三の流れをくむ故松島省三先生(無教会聖書読者会、高橋がその住まいを設計、葬儀も行った・・・高橋注)がおられました。日本各地の農業試験場に勤められたその折々に、会報等に自身の思い、農業に生きる姿勢や信仰のこと、カール・ヒルティの幸福論等から学んだことを書いて投稿した文章が「測り縄は楽しき地に・・・「一農学徒の幸福論」・・・日本産業債権技術委員会発行1992年」という一冊の本にまとめられて出版されていました。私は早速入手しその際に一度は読んでいたのですが、この大地震後、迷いに迷っていた私の手にあるこの本を、改めてむさぼるように読みました。書かれている言葉が私の心に留まり、力を与えられたのです。同じ農業に生きる者、そして何の知識もない一般の人にも分かるように書かれた文章は、私にとって光となりました。
          
●第二論考「大地の恵み、労働の実り・・・大内信一氏に聞く」
矢吹貞人(カトリック埼玉教区終身助祭)
(論考の一部)
まず(大内氏・・・高橋注)が話してくださったのは、旧約聖書にある「測り縄」のことでした。「それは、思い上がった現代日本に対する神の鉄槌と思うが、それはそれが他の地ではなく、楽しき地に、自分がいる福島という麗しい地に落ちたことを感謝しているのです」とまで言われたのには正直驚き、内村鑑三の流れを汲むクリスチャンの信仰の深さに心を打たれました。(中略)愛農会、聖書との出会いを経て、やがて、内村鑑三の流れにたどり着き、信仰の恵みをいただき、神が造られたものへの深い信仰になっていること。それこそが、真っ直ぐに問いかけ、澄んだ目でまっすぐに学び、そして信じていきる力の源泉となったのだと思うのです。

●第三論考「雲と罪をていねいに見つめる」
 近藤恵(無教会キリスト者。東京都出身。福島県二本松市にて就農。3.11
を期に営農を断念し、一時は避難する、営農再開を目指して福島に戻る)
(論考の一部)
 絶大な権力と言えばダビデとバト・シェバの物語(サムエル記下11~12章)を思い出します。ダビデ、ヨアブ、ウリヤの関係はそのまま、原子力受益者、地元受益者、福島の被災者にあてはまります。受益者は深くダビデのように悔い改め、被災者は慰められるべきでしょう。しかし、国は悔い改めるどころか、罪の上塗りのようなことをしています。(中略)
すべての人に深い罪やうめきがあるということは、不義を行ったダビデ、不正に加担したヨアブ、そして両者の犠牲者であるウリヤ、双方のうめきと絶望がすべての人に共存している、ということです。残念ながら私の中にもダビデが、ヨアブがいるでしょう。神にうめきながら願いました。「サタンにつまづいてもよいから、地上に平和をもたらせてください」。「サウイフモノニ/ワタシハナリタイ(「雨にもモマケズ」に描かれる理想の人間像)」。「そういうものに私はなれる、と確信を持って荒波を渡ってきた信仰の先達のようになりたい」。
 こう願う中で内村鑑三の「ロマ書の研究」40講を読んでいたところ、次のようなことばが私に迫り、涙があふれて止まりませんでした。不思議な体験でした。
  「だから私が十字架にかけられたのだ」・
  「だから私は復活したのだ」。
自分の苦しみや罪の深さ、嘆きや傲慢さ、うめきと絶望の先に、十字架が見え、さらに望んでいた「サウイフモノ」の姿、すなわち「復活の姿」が見えたような気がして胸がいっぱいになりました。

●雑誌編集者あとがき
(あとがきの一部)
特集(本号は「希望への物語」という「特集」で原発被害で苦闘する福島県の二本松と須賀川の人物の手記・・・高橋注)では福島県中通りで生活する方たちのそれぞれの思いをお届けしました。農業に関わり無教会の信仰を受け継ぐ大内信一氏と近藤恵氏お二人の文章からは聖書を深く読み込む求道的な心のありよう、そしてそのことで得られた信仰者としての核心が感じられました。

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「福音と宣教」(カトリックで最も多く読まれている雑誌)2014年6月号の一部分抜粋 おわり

●行為主義よりも信仰のみ主義の方が神の力が十分にこの世に発揮されるのは新約聖書のテーゼ。
●このことは11月30日の集会感話「芥子粒ほどの信仰とは何か」で語る予定。
●8:30 妻は夫人の読書会(塚本虎二著作集)に出発。会場は今日から東中野駅前の守田貸会場。この会場の持ち主である守田氏(無教会)は会場をキリスト教関係に使用する場合は入場者一人当たり150円~200円を徴収するという不思議な規則。
●TSK日本語版雅歌4章
●図書館郵便局
●夕食時に妻から報告を聞く
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いつまでも若くあるためには ++++++++ 所感

2014/09/01 06:13

13日で満71歳2か月。平均余命11年(生命保険会社統計)、4015日、9万6000時間。この時間をすべてキリスト教使徒伝承の連鎖に捧げる。罪と死の恐怖から救われる「十字架の贖罪の福音と有体的復活と有体的再臨の希望の喜び」を犠牲的に生きて証人となる。自分のため、子孫のため、親類縁者のため、気の毒な人のため。悪魔(病魔)に取りつかれて苦しんでいる人のため。

140901(月)5時起床。雨中を早朝散歩。●キリスト者の皆様お早うございます。昨夜は一昨日安達太良山に登ってきた妻から「あなたは、自分で老人だ老人だと言わないでください。私は〇〇歳なのにこうして山に登ってきたのですよ」とたしなめられた。小言兼。●そこで今朝は「いつまでも若くあるためには」ということを聖書で学んでみようと思う。アチコチ思いつくまま順不同。例によって聖句のみ、感話なし。

口語訳 創  3:22-24
3:22 主なる神は言われた、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」。
3:23 そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕させられた。
3:24 神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた。

口語訳 創  6:1-3
6:1 人が地のおもてにふえ始めて、娘たちが彼らに生れた時、
6:2 神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった。
6:3 そこで主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう」。

口語訳 イザ 40:31
40:31 しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない

口語訳 詩  1:1-3
1:1 悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。
1:2 このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。
1:3 このような人は流れのほとりに植えられた木の/時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。

口語訳 詩  92:14-15
92:14 彼らは年老いてなお実を結び、いつも生気に満ち、青々として
92:15 主の正しいことを示すでしょう。主はわが岩です。主には少しの不義もありません。

口語訳 詩  128:3
128:3 あなたの妻は家の奥にいて/多くの実を結ぶぶどうの木のようであり、あなたの子供たちは食卓を囲んで/オリブの若木のようである

口語訳 出  34:29
34:29 モーセはそのあかしの板二枚を手にして、シナイ山から下ったが、その山を下ったとき、モーセは、さきに主と語ったゆえに、顔の皮が光を放っているのを知らなかった。

口語訳 申  34:7
34:7 モーセは死んだ時、百二十歳であったが、目はかすまず、気力は衰えていなかった

塚本訳 ヨハ 1:14
1:14 この言葉は肉体となって、(しばらく)わたし達の間に住んでおられた。(これが主イエス・キリストである。)わたし達はその栄光を見た。いかにも父上の独り子らしい栄光で、恩恵と真理とに満ちておられた。

塚本訳 マタ 6:22-23
6:22 目は体の明りである。だからあなたの目が澄んでおれば、体全体が明るが、
6:23 目が悪いと、体全体が暗い。だから(天に宝を積まないため、)もしあなたの内の光(である目、すなわち心)が暗かったら、その暗さはどんなであろう。

塚本訳 ヨハ 21:23
21:23 このために、この(イエスの愛)弟子は死なないという噂が兄弟たちの間に広まった。しかし、イエスは「死なない」と言われたのではない。ただ、「たといわたしが来るまで、あの人を生かしておきたいと思っても、それはあなたの知ったことではない」と言われたまでである。

塚本訳 Ⅱヨハ1:1
1:1 長老(ヨハネ)から、(神に)選ばれた貴女[集会]と、その子供(たる信者)たちへ(手紙をおくる)。わたしは真理を以てあなた達を愛している──わたしばかりでなく、真理を知っている者はみなあなた達を愛している。──


塚本訳 Ⅲヨハ1:1
1:1 長老(ヨハネ)から愛するガイオへ(手紙をおくる)。わたしは真理をもってあなたを愛している。

塚本訳 ルカ 2:25-26
2:25 さて(そのころ)エルサレムに名をシメオンという人がいた。この人は正しい、信心深い人で、イスラエルの慰め(である救世主)を待ち望み、聖霊が彼をはなれなかった。
2:26 かつ主の救世主を見ないうちは決して死なないと、かねて聖霊からお告げを受けていた

塚本訳 ヨハ 3:16
3:16 そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持ことができるためである。

塚本訳 マコ 10:17
10:17 旅行に出ようとされると、ひとりの人が駆けてきて、ひざまずいて尋ねた、「善い先生、永遠の命をいただくには、何をすればよいでしょうか。」

塚本訳 ヨハ 11:26
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」

塚本訳 Ⅱコリ4:16
4:16 このゆえに、わたし達は気を落さない。いや、わたし達の(生れながらの)外の人はどんなにこわれていっても、(キリストによって生れた)内の人は一日一日と新しくされてゆく。

塚本訳 マコ 14:38
14:38 あなた達、目を覚まして、誘惑に陥らないように祈っていなさい。心ははやっても、体が弱いのだから。」

塚本訳 Ⅰコリ13:13
13:13 それゆえに、いつまでものこるものは信仰と希望と愛、この三つ。しかし、この中で一番大きいのは愛!

塚本訳 Ⅱコリ12:7-9
12:7 そしてこれらの素晴らしい啓示があるので、わたしが高慢にならないようにと、わたしの肉に一つの刺が与えられた。悪魔の使いであって、これはわたしが高慢にならないようにと、わたしをうつものである。
12:8 この使について、
それがわたしから手を引くようにと、三度まで主に願ったが、
12:9 主は(その都度)言われた、「わたしの恩恵はあなたに十分だ。力は弱さの中に完成されるのだから。」、それでわたしはキリストの力がわたしに住みついてくださるように、大喜びで、むしろ(自分の)弱いことを自慢しよう。



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朝の黙想礼拝終わり 人間の本質は肉体でなく霊魂。私達は永遠の命を頂いてこの世を生きるのだ。肉体の衰えナンノコレシキ。

●今日はこれから、聖路加に過日のMRIの診断結果(14年前の脳内出血の後遺症検査)を聞きにに行く。
●11:45 聖路加、担当は篠田先生に変わる。数年変化なし
●13:40 細井設計訪問 歓談

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