to 日記と感想 2015年01月
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将来日記

    将来日記

    XXXXXXXXXXX    終末、復活、永遠の生命、再会(父、母、妻、
              子供、親戚、友人、集会の方々)
              復活と再会の確信はイエスの有体的復活の事実
    291103       結婚60年記念、ダイヤモンド婚
    261016       イカ成人
    251009       コフ成人
    250809       タワ成人
    241103       結婚55年記念。エメラルド婚
    230110       イハ20歳成人
    230713       タテ満80歳
    220728       KM成人
    200713       タテ誕生日満77歳喜寿
    191103       結婚50年記念。金婚
    18秋ごろ 木曜日 阿伎留病院森先生に胃カメラ申し込み
    171229    TM誕生日
    171220     KK誕生日
    171115    TM誕生日
    171016     IK誕生日
    171009     KH誕生日
    1709頃      聖路加約センターに2018年のMRI予約3か月前に聖路加に行く
    170831     芝浦工業会年会費支払締切
    170822     KS命日
    170817(木)11:30 キリスト教性教育研究会、ナザレ修道会、富永國比古
    170813     KT命日
    170812(土)14:00お江戸こらりあーず演奏会、文京シビックホール
    170821(土)15:00お江戸コラリアーズ定期演奏会、文京公会堂
    170809     TW誕生日
    170801     TH誕生日
    170728     TI誕生日 KM誕生日
    170723      IK誕生日
    170713      TT誕生日
    170708(土)14:00在宅医療説明会(キララホール)
    170707(金)10:00池谷医院
    170706      TM誕生日
    170702(日) 集会感話
    170701      TT誕生日
    170630(金)12:20キララホールエントランスコンサート
    170628      IY誕生日
    170627(火)11:00 能城牧師来訪
    170625)日)10:10トミ子集会感話
    170625(日)14:00茅ヶ崎金子邸
    170618(日)15:00今井館総会
    170611(日)14:00武蔵野室内アンサンブル。ブラームス3番他。キララホール
    170610(土)14:00内村鑑三セミナー、立教大学12号館。矢田部、椚」山
    170609(金)   TS命日
    170608(木)12:15ボリショイ「白鳥の湖」、東京文化会館
    170707(水)10:00池谷医院
    170604(日)10:00集会感話、
    170604(日)16:30近藤恵邸起工式、福島市。
    170530(火)14:00田岡氏来訪
    170527(土)14:00今井館ピアノコンサート
    170521(日)14:00新宿フィル、ブラームス1番、レスピーギ「鳥」「ローマの松」。和田睦夫
    170425       TN)誕生日
    150420(木)09:30阿伎留センター泌尿器科)
    170416(日)14:00武蔵野室内合奏団、杉並公会堂(大坪満子)


「ひとり死」、神は知っている ++++++++ 所感

2015/01/31 06:33

150131(土)4時目覚め、4時半起床●キリスト者の皆様お早うございます●昨夜はNHKTVで「ひとり死」の問題を取り上げていました。長寿国になって独り身の高齢者は寝たきりになった場合や後始末の問題などの不安が大きくなっています。その物理的な対策については語られていましたが、人間として一番の不安は「人間は死んだらどうなるのだろう」「何処に行くのだろう」という精神的な不安です。●「宗教問題」「信仰問題」ではないのでこの番組は触れられませんでしたが、人間の一番の要求は物理的な事よりも精神的な問題です。●そこで今朝はキリスト者として「ひとり死」について考えてみます。●この問題を妻と話し合うと、「ひとり」というがほとんどの場合「御親戚」がいるから「後始末」は何とかなるということになった●聖書は「人は忘れても神には知られつつ死ぬ」という思想です。●人が知らないうちに死んでいった例は多い。バルト、ヒルティ、塚本虎二、杉﨑孝(集会の先輩)。●人間の死は「人に知られない」ばかりか、「認知症」になれば、自分も他人が誰であるかが分からなくなるものだ。以前集会の某婦人をお見舞いしたところ、わたし達のことが分からなくなっていた。淋しかったが、「神はそのご婦人のこと忘れない」と思いつつ帰途に就いた。●人の死はその時もその様も時も「神は知っている」。神がお決めになっている。神には認知症がない。●私はかって集会のMさんの告別式をしたが、その納骨式のことはすっかり忘れてしまっていて、ある時にその御夫人から淋しがられたことがある。私も人間だから忘れる。しかし神は忘れない。最後の日に憶えて「復活」させてくださる。「霊と肉の創り主」は永久にこの私を忘れない。●その昔妻と山道を歩いていた時のこと。一本の可憐な花を見ながら「この花は誰にも知られずに消えていくのだなー」と私。すると妻は「神様はご存知だわ」と言った。これだ。これがキリスト者の死生観だ。●だからキリスト者は「ひとり死」を恐れない。恐れてはいけないのだ。(自戒、自戒)●そこで今朝はこの信仰を強めてくれる聖書の言葉を思いつくままに掲げてみよう。

口語訳 創 2:7
2:7 主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。

塚本訳 Ⅱコリ4:7
4:7 しかしこの宝が、(貧弱な)土の器の中にある。それはその素晴らしい力が神のものであって、わたし達(土の器)から出るのではないことがわかるためである。

口語訳 詩 90:1-3
90:1 主よ、あなたは世々われらのすみかで/いらせられる。
90:2 山がまだ生れず、あなたがまだ地と世界とを造られなかったとき、とこしえからとこしえまで、あなたは神でいらせられる。
90:3 あなたは人をちりに帰らせて言われます、「人の子よ、帰れ」と。

口語訳 ヨブ 1:21
1:21 そして言った、/
「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」。

塚本訳 ルカ 1:54-55
1:54 永遠に『その憐れみを忘れず、』『その僕イスラエルの民を助けてくださるでしょう、』
1:55 』われらの先祖たち、すなわちアブラハム』とその『子孫に』仰せられた『とおりに。』

口語訳 イザ 46:4
46:4 わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う。

口語訳 伝  12:1
12:1
 あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、

塚本訳 マタ 6:25-28
6:25 だから、わたしは言う、何を食べようかと命のことを心配したり、また何を着ようかと体のことを心配したりするな。命は食べ物以上、体は着物以上(の賜物)ではないか。(命と体とを下さった天の父上が、それ以下のものを下さらないわけはない。)
6:26 空の鳥を見てごらん。まかず、刈らず、倉にしまいこむこともしないのに、天の父上はそれを養ってくださるのである。あなた達は鳥よりも、はるかに大切ではないのだろうか。
6:27 (だいいち、)あなた達のうちのだれかが、心配して寿命を一寸でも延ばすことが出来るのか。
6:28 また、なぜ着物のことを心配するのか、野の花の育つのを、よく見てごらん、苦労をせず、紡ぐこともしない。


塚本訳 マタ 10:28-32
10:28 体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。
10:29 雀は二羽一アサリオン(三十円)で売っているではないか。しかしその一羽でも、あなた達の父上のお許しなしには地に落ちないのである。
10:30 ことにあなた達は、髪の毛までも一本一本数えられている
10:31 だから恐れることはない。多くの雀よりもあなた達は大切である。
10:32 それだから(恐れずに説け。)だれでも人の前で(公然)わたしを(主と)告白するものを、わたしも(裁きの日に)、わたしの天の父上の前で(弟子として)認める。

塚本訳 ルカ 15:1-7
15:1 さて、イエスの話を聞こうとして、(いつものとおり)税金取りや罪人が皆近寄ってきた。
15:2 パリサイ人と聖書学者たちがぶつぶつ呟いて言った、「この人は罪人を歓迎するし、また(招かれていって)食事までも一しょにする。」
15:3 そこで彼らにつぎの譬を話された。
15:4 「あなた達のうちのだれかが羊を百匹持っていて、その一匹がいなくなったとき、その人は九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を、見つけ出すまではさがし歩くのではないだろうか。
15:5 そして見つけると、喜んで肩にのせて、
15:6 家にかえり、友人や近所の人たちを呼びあつめてこう言うにちがいない、『一しょに喜んでください。いなくなっていたわたしの羊が見つかったから』と。
15:7 わたしは言う、このように、一人の罪人が悔改めると、悔改める必要のない九十九人の正しい人以上の喜びが、天にあるのである。

塚本訳 ロマ 9:14-16
9:14 するとどういうことになるのだろうか。神に不公平でもあるのか。もちろん、そんなことはない。
9:15 その証拠には、神は(かつて)モーセにこう言われている、『わたしは憐れみたい者を憐れみ、慈悲をほどこしたい者に慈悲をほどこす』と。
9:16 従って(憐れみも慈悲も、)それは(人間の)願望にも努力にもよらず、ただ神の憐れみによるのである。

塚本訳 ロマ 9:25-26
9:25 (異教人の中から憐れみの器が選ばれることは、不思議ではない。)神がホセア書でも言っておられるとおりである。『わたしはわたしの民でない者をわたしの民と呼び、愛されぬ者を愛される者と呼ぶであろう。』
9:26 『「あなた達は私の民でない」と言われたその場所で、彼らは生ける神の子と呼ばれるであろう。』

塚本訳 ルカ 1:28
1:28 天使は乙女の所に来て言った、「おめでとう、恵まれた人よ、主があなたとご一しょだ!」

塚本訳 ルカ 23:42-43
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽(パラダイス)にはいることができる。」

塚本訳 ヨハ 11:25-26
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。
このことが信じられるか。」

塚本訳 ルカ 8:52
8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。」

塚本訳 ルカ 23:27-28
23:27 民衆と、イエスのために悲しみ嘆く女たちとの大勢の群が、あとにつづいた。
23:28 イエスは女たちの方に振り向いて言われた、「エルサレムの娘さんたち、わたしのためには泣いてくれなくともよろしい。それよりは自分のため、自分の子供のために泣きなさい。

塚本訳 ヨハ 20:16-17
20:16 (こう言って、また墓の方を向いていると、)イエスが「マリヤ!」と言われる。マリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う。(そしてイエスに抱きつこうとした。)
20:17 イエスが言われる、「わたしにすがりつくな。まだ父上の所に上っていないのだから。わたしの兄弟たち(弟子たち)の所に行って、『わたしは、わたしの父上、すなわちあなた達の父上、わたしの神、すなわちあなた達の神の所に上る』と言いなさい。」

塚本訳 マタ 28:20
28:20 わたしがあなた達に命じたことを皆守るように教えながら。安心せよ、世の終りまでいつもわたしがあなた達と一しょにいるのだから。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の啓示と黙想、終わり。

●妻や子や孫に告ぐ。私は一人で神の御許に行く。罪を赦して下さり、この私を受け入れてくださった父なる神の御許に行く。私が死んでも泣いてくれるな。

●9:15 妻は知人のKさんの書の個展、3月の「イスラエル・ヨルダン旅行(ガイドは月本昭男先生)」の説明会に御茶ノ水まで行く。ヨルダン情勢が不穏な時の旅行なので質問が多く出るであろう。

●TSK日本語版エゼキエル書1-2章

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昨日の写真。雪の秋留野公園。子供は風の子雪の子だ。

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昨日の写真
雪の秋留野公園の地蔵。孫娘の一人が、この前に立って手を組んで祈った姿を思い出す。
私はキリスト者だが、どんな神であれ、人間には「信仰心」というものが必要だ。それは尊いことだ。彼女の上に神の祝福が末永くありますように

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15:30 駅までノルディック・エクササイズ・ウォーキング。二本の杖で歩くもの。
冬の奥多摩連山。あの大岳山は妻と登った。また山の麓に子や孫たちを釣りに連れて行った。
その時の歓声が聞こえて来る。












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現代の悩み悲しみの根源も罪と死 ++++++++ 所感

2015/01/30 06:42

150130(金)2時半目覚め、4時半起床。朝の啓示「現代の悩み悲しみの根源も罪と死」●キリスト者の皆様お早うございます・●現代の悩みと悲しみは、イスラム国のテロ問題、癌による死亡率6割、離婚率4割、認知症になる不安、老後の生活などなどです。●この悩み悲しみの根源にあるものは「罪と死」です。これは昔から変わらないもので、聖書もここに焦点が当てられ、その救いのために「一番大切な事」は神の子キリストの死と有体的復活であると告げます。それが人にとって根本的な究極の救いだと告げています。具体的には十字架による罪の赦しと、有体的復活による永遠の命の希望です。●このことをパウロは次のように言いますが、これが福音の最古の伝承と言われています。

塚本訳 Ⅰコリ15:3-5
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。

●キリスト者の生涯の使命はこの福音の連鎖の一環になることです。それが最高の目的です。●その形は人によって様々ですが、根本にあることはこのことですからパウロは「一番大切な事」と言っているわけです。
●この「一番大切な事」が現代の悩み悲しみを救う道なのです。
●それは罪の故の人生の暗さ、死の恐れからの救いです。
●パウロはこのことさえ告げられれば「死んでも構わない」と思っていました。それがキリスト教の源流になりました。
●今朝はこのことを巡って夜中に頭に浮かんだ聖句を順不同に掲げてみます。


塚本訳 使  20:24
20:24 しかしわたしは、自分の走るべき道を走りおえて、主イエスから託された、神の恩恵をつたえる福音を証しする役目をはたすためなら、自分の命のことなど口にする値打もないと思う

塚本訳 ヨハ 3:16
3:16 そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである。


塚本訳 ヨハ 4:15-19
4:15 女が言う、「主よ、その水を下さい。(二度と)渇くことがないように、またここに汲みに来なくてもよいように。」
4:16 イエスが言われる、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」
4:17 女が答えた、「わたしには夫はありません。」イエスが言われる、「『わたしには夫はありません』と言うのは、もっともだ。
4:18 五人の夫とは別れ、今のは、あなたの夫ではないのだから。あなたの言ったことは本当だ。」
4:19 女が(びっくりして)言う、「主よ、わかりました、あなたは預言者です。


塚本訳 ヨハ 11:21-27
11:21 マルタがイエスに言った、「主よ、あなたがここにいてくださったら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。
11:22 しかしあなたがお願いになることなら、神様は何でもかなえてくださることを、わたしは今でも知っています。」
11:23 イエスは言われる、「あなたの兄弟は生き返る。」
11:24 マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」
11:27 イエスに言う、「はい、主よ、(信じます。)あなたが救世主で、神の子で、世に来るべき方であると、私は信じています。」

塚本訳 ヨハ 6:45
6:45 預言書に、〃(最後の日に)人は皆神に教えを受けるであろう〃と書いてある。(そして神に引っ張られる者、すなわち本当に)父上に聞き、また学ぶ者は皆、わたしの所に来る。

塚本訳 マタ 10:28
10:28 体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。

塚本訳 マタ 26:10-13
26:10 それと知ってイエスは言われた、「なぜこの婦人をいじめるのか。わたしに良いことをしてくれたではないか。
26:11 貧乏な人はいつもあなた達と一しょにいるが、わたしはいつも(一しょに)いるわけではない。
26:12 この婦人がわたしの体に香油をかけてくれたのは、わたしを葬るためである。
26:13 アーメン、わたしは言う、世界中どこでも(今後)この福音の説かれる所では、この婦人のしたことも、その記念のために一しょに語りつたえられるであろう。」

塚本訳 マタ 11:28-29
11:28 さあ、疲れている者、重荷を負っている者はだれでも、わたしの所に来なさい、休ませてあげよう。
11:29 わたしは心がやさしく、高ぶらないから、わたしの軛を負ってわたしの弟子になりなさい、そうすれば『魂の休息が得られよう。』

塚本訳 使  26:16-18
26:16 さあ、起きて、『自分の足で立て。』わたしが(今)現われたのは、君を選んで、わたしを見たことと、(今からも)君に現われて示すこととの証人として、わたしに仕えさせるためである。
26:17 (かずかずの迫害や危険がのぞむが心配するな。)わたしは君をこの(イスラエルの)民(の手)から、また』異教人(の手)から』『(かならず)救い出してやる。』『彼らの中にわたしが君を遣わすのは、』
26:18 彼らの』目をあけて』彼らが『暗闇から光に、』悪魔の権力から神に帰るため、そうして彼らがわたしに対する信仰によって罪の赦しを得、きよめられた人たちの仲間に入れていただくためである』と。

塚本訳 マタ 4:12-16
4:12 イエスは(洗礼者)ヨハネが牢に入れられたと聞くと、(郷里)ガリラヤ(のナザレ)に引っ込まれた。
4:13 それから(間もなく)ナザレを去って、(昔)ゼブルン(族)とナフタリ(族)との(領地であった)地方にある、(ガリラヤ)湖畔の(町)カペナウムに行って住まれた。
4:14 預言者イザヤをもって言われた言葉が成就するためであった。──
4:15 『(ガリラヤの)湖に向かった、ゼブルン(族)の地とナフタリ(族)の地、ヨルダン川の向こう(のペレヤ)、異教人の(住む)ガリラヤ──
4:16
暗闇に住まう(これらの地方の)民は大いなる光を見、死の陰の地に住まうこの人々に光がのぼった、』

塚本訳 ルカ 4:16-19
4:16 それからお育ちになったナザレに行って、安息の日にいつものとおり礼拝堂に入り、(聖書を)朗読しようとして立たれた。
4:17 (係の者から)イザヤの預言書が手渡され、その巻物をお開けになると、こう書いた所が出てきた。──
4:18 『主の御霊がわたしの上にある、油を注いで(聖別して)くださったからである。主は貧しい人に福音を伝えるためにわたしを遣わされた。囚人に赦免を、盲人に視力の回復を告げ、』『押えつけられている者に自由をあたえ、』
4:19 『主の恵みの年(の来たこと)を告げさせるために。』

塚本訳 ルカ 2:28-32
2:28 シメオンは幼児を両腕に抱き、こう言って神を讃美した。──
2:29 今こそ、主よ、あなたはこの僕をしてお言葉のとおり安らかに(この世に)暇乞いをさせてくださいます、
2:30 わたしの目が『もうあなたの救いを拝見しました』からです。
2:31 この救いこそ、あなたが『全人類の(ため、その)目の前で』用意されたもの、
2:32 『異教人には啓示を、』あなたの民『イスラエルには栄光をあたえる』『光』であります。

塚本訳 使  3:5-6
3:5 彼が何かもらうことを予期して二人を見つめていると、
3:6 ペテロが言った、「金銀は持っていない。わたしの持っているもの、それをやろう。──ナザレ人イエス・キリストの名で歩きなさい!」

塚本訳 マタ 10:19
10:19 人々があなた達を(裁判所や役人に)引き渡した時には、いかに、
何を言おうかと心配するな。何を言うべきかは、その時に(神から)授かるのだから。

塚本訳 エペ 6:20
6:20 この奥義のために私は(神の)使者として鎖に繋がれているのであるが──かく繋がれていながらも、語らねばならぬことを大胆に語り得るよう祈っていてもらいたい

塚本訳 Ⅱテモ2:9
2:9 私はこの(福音の)ため罪人として縛られるまでに苦しみを受けているが、
神の言は縛られてはいない。

塚本訳 ヨハ 7:5
7:5 兄弟たちも彼を信じなかったからである。
(彼らはイエスの国がこの世のものでないことを知らなかった。)

塚本訳 ヨハ 18:36
18:36 イエスが答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであったら、わたしの手下の者たちが、わたしをユダヤ人に渡すまいとして戦ったはずである。しかし実際のところ、わたしの国はこの世のものではない。」

塚本訳 Ⅱペテ1:4
1:4 (そしてまた)この栄光と威力とによって、(主は)尊い最大の約束、(すなわち神の国の成就に関する約束)を賜い、これによって君達を、
慾情によってこの世に働く滅亡から逃げ出させ、神性の共有者たらしめんとし給うのである。

塚本訳 Ⅰコリ1:18
1:18 なぜか。この十字架についての言葉は、滅びゆく者には馬鹿なことであるが、わたし達救われる者には、神の力(の現われ)であるから。

塚本訳 使  13:46-48
13:46 そこでパウロとバルナバとは公然こう宣言した、「神の言葉は(お約束どおり)まず第一に、君たち(ユダヤ人)に語られねばならなかった。(だから、そうしたのだ。)しかし君たちがそれをはねつけ、自分で自分を永遠の命にふさわしからぬ者とするので、それでは、よし、異教人(の伝道)へ方向をかえる。
13:47 主はこのようにわたし達(伝道者)にお命じになっているから。『わたしはあなたを立てて異教人の光にした、あなたが地の果てまで救いを伝えるために。』
13:48 これを聞いて異教人は喜び、主の言葉を讃美し、
永遠の命へあらかじめ定められていた者はみな信者になった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の黙想おわり。イスラム国に囚われている後藤健二さんに告ぐ。死は一時の苦しみだ。



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女性に引き出された神の子イエスの真理の言葉 ++++++++ 所感

2015/01/29 04:37

150129(木)3時半目覚め4時起床●今朝の黙想「女性に引き出された神の子イエスの真理の言葉」●キリスト者の皆様お早うございます。昨日は次回2月1日に集会で話す内容を素描(デッサン)しました。それは昨日のブログに公開しました。最終稿は明日以降に掲げますが、そのとき、「女性の力」は偉大であることを今更ながら感じました。●女性なくして有体的復活の伝承はなかった。ここに天から与えられた「女性性」というものを感じ、神の国は女性の手によって広まるものだなーと思った。この観点から創造の時に言われた次の言葉を思う。

口語訳 創 2:18
2:18 また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。


●また新約では次の言葉を思う。

塚本訳 Ⅰペテ3:7
3:7 夫達も同じく、妻を(自分よりも)弱い器として(いたわり、)理解をもって共に棲み、彼女達もまた恩恵の生命の共同相続人(である)として尊敬を払え。これは君達の祈りが妨げられないようにするためである。


●今朝はまずこの言葉の意味の探求から始めよう。特に最後の「君達の祈りが妨げられないようにするためである」の意味が不明である。こういう時人間に聞かないで「聖書で聖書を読む」。それには拙HPのBbBかTSKを」利用する。
●まずBbBを見て心に感ずるものを次に掲げる。その表示は「Jバイブル」というバイブルソフトを利用。

口語訳 Ⅰテサ4:4-5
4:4 各自、気をつけて自分のからだを清く尊く保ち、
4:5 神を知らない異邦人のように情欲をほしいままにせず


口語訳 Ⅰコリ7:3
7:3 夫は妻にその分を果し、妻も同様に夫にその分を果すべきである

口語訳 エペ 5:25-33
5:25 夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい。
5:26 キリストがそうなさったのは、水で洗うことにより、言葉によって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、
5:27 また、しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、ご自分に迎えるためである。
5:28 それと同じく、夫も自分の妻を、自分のからだのように愛さねばならない。自分の妻を愛する者は、自分自身を愛するのである。
5:29 自分自身を憎んだ者は、いまだかつて、ひとりもいない。かえって、キリストが教会になさったようにして、おのれを育て養うのが常である。
5:30 わたしたちは、キリストのからだの肢体なのである。
5:31 「それゆえに、人は父母を離れてその妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである」。
5:32 この奥義は大きい。それは、キリストと教会とをさしている。
5:33 いずれにしても、あなたがたは、それぞれ、自分の妻を自分自身のように愛しなさい。妻もまた夫を敬いなさい。

口語訳 コロ 3:18-19
3:18 妻たる者よ、夫に仕えなさい。それが、主にある者にふさわしいことである。
3:19 夫たる者よ、妻を愛しなさい。つらくあたってはいけない

口語訳 Ⅰペテ3:1-2
3:1 同じように、妻たる者よ。夫に仕えなさい。そうすれば、たとい御言に従わない夫であっても、
3:2 あなたがたのうやうやしく清い行いを見て、その
妻の無言の行いによって、救に入れられるようになるであろう。

●次に同じく拙HPのTSKを見て、心に響くものを拾って掲げよう。表示は「Jバイブル」を利用。

口語訳 創  2:23-24
2:23 そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、/わたしの肉の肉。男から取ったものだから、/これを女と名づけよう」。
2:24 それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである


口語訳 マラ 2:14-16
2:14 「なぜ神は受けられないのか」と尋ねる。これは主があなたと、あなたの若い時の妻との間の、契約の証人だったからである。彼女は、あなたの連れ合い、契約によるあなたの妻であるのに、あなたは彼女を裏切った。
2:15 一つ神は、われわれのために命の霊を造り、これをささえられたではないか。彼は何を望まれるか。神を敬う子孫であるゆえ、あなたがたはみずから慎んで、その若い時の妻を裏切ってはならない。
2:16 イスラエルの神、主は言われる、「わたしは離縁する者を憎み、また、しえたげをもってその衣をおおう人を憎むと、万軍の主は言われる。ゆえにみずから慎んで、裏切ることをしてはならない」。


口語訳 マタ 19:3-4
19:3 さてパリサイ人たちが近づいてきて、イエスを試みようとして言った、「何かの理由で、夫がその妻を出すのは、さしつかえないでしょうか」。
19:4 イエスは答えて言われた、「あなたがたはまだ読んだことがないのか。『
創造者は初めから人を男と女とに造られ、


口語訳 Ⅰコリ12:22-24
12:22 そうではなく、むしろ、からだのうちで他よりも弱く見える肢体が、かえって必要なのであり
12:23 からだのうちで、他よりも見劣りがすると思えるところに、ものを着せていっそう見よくする。麗しくない部分はいっそう麗しくするが、
12:24 麗しい部分はそうする必要がない。神は劣っている部分をいっそう見よくして、からだに調和をお与えになったのである。


口語訳 エペ 3:6
3:6 それは、異邦人が、福音によりキリスト・イエスにあって、わたしたちと共に神の国をつぐ者となり、共に一つのからだとなり、共に約束にあずかる者となることである


口語訳 テト 3:7
3:7 これは、わたしたちが、
キリストの恵みによって義とされ、永遠のいのちを望むことによって、御国をつぐ者となるためである。


口語訳 ヘブ 1:14
1:14
御使たちはすべて仕える霊であって、救を受け継ぐべき人々に奉仕するため、つかわされたものではないか。


口語訳 マタ 5:23-24
5:23 だから、祭壇に供え物をささげようとする場合、兄弟が自分に対して何かうらみをいだいていることを、そこで思い出したなら、
5:24 その供え物を祭壇の前に残しておき、
まず行ってその兄弟と和解し、それから帰ってきて、供え物をささげることにしなさい。


口語訳 マタ 18:19
18:19 また、よく言っておく。もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう


口語訳 ロマ 8:26-27
8:26 御霊もまた同じように、弱いわたしを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。
8:27 そして、人の心を探り知るかたは、御霊の思うところがなんであるかを知っておられる。なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。


口語訳 エペ 4:3
4:3 平和のきずなで結ばれて、聖霊による一致を守り続けるように努めなさい。


口語訳 エペ 6:18
6:18 絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい


●次に黒崎幸吉の」WEB新約聖書注解を見る。

塚本訳 Ⅰテサ4:4-5
4:4 一人一人が聖潔と尊敬とをもって自分の妻を待(あしら)うことを学び、
4:5 (決して)『神を知らぬ異教人』のように情慾をもって(これに対)してはならぬこと、

塚本訳 Ⅰコリ7:5
7:5 互に(夫婦の務めを)拒んではならない。ただ、祈りに身を捧げるため、申し合せの上でしばらく間をおき、あとでまた一しょになるような場合は別として。自制力が足りないのに乗じて、悪魔があなた達を誘惑することのないためである。


●アーソウカ。「「君達の祈りが妨げられないようにするためである」の意味は、祈りが神に聴かれるように、隣人たる妻を愛せということなのだ。そのことからからここは新共同訳の方が意味が通じやすい。

新共同 Ⅰペテ3:7
3:7 同じように、夫たちよ、妻を自分よりも弱いものだとわきまえて生活を共にし、命の恵みを共に受け継ぐ者として尊敬しなさい。そうすれば、あなたがたの祈りが妨げられることはありません



●聖書は霊解すべきものである。そのためには聖書のアッチコッチを読んで霊で解明すべきである。武器はBbB、TSK、Jバイブル。

●次に今朝の本題である「女性に引きだされた神の子イエスの真理の言葉」について黙想瞑想してみます。頭に浮かぶまま思いつくまま。表示は「Jバイブル」を」利用。

塚本訳 ヨハ 4:9-15
4:9 サマリヤの女が言う、「ユダヤ人のあなたが、どうしてサマリヤの女のわたしに、飲み物をお求めになるのです。」(女が不審に思ったのは、)ユダヤ人はサマリヤ人と交際をしないからである。
4:10 イエスは答えられた、「もし神の(賜わる最上の)賜物が何であるか、『飲ませてくれないか』と(今)あなたに言っている者がだれであるかがあなたにわかっていたら、あなたの方からその人に頼み、その人があなたに清水[命の水]を与えたであろうに。」
4:11 女が言う、「主よ、あなたは釣瓶も持たれず、(この辺は)井戸も深いのに、どこからその清水を汲んで来られるのですか。
4:12 あなたはわたし達の先祖ヤコブよりもえらいのでしょうか。(まさかそうではありますない。)彼のおかげで、わたし達のこの井戸もあるのです。彼も、その子たちも、家畜も、この井戸から飲みました。」
4:13 イエスは答えられた、「この(井戸の)水を飲む者はだれでもまた渇くが、
4:14 わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」
4:15 女が言う、「主よ、その水を下さい。(二度と)渇くことがないように、またここに汲みに来なくてもよいように。」

塚本訳 マタ 15:24-28
15:24 イエスは答えられた、「わたしはイスラエルの家のいなくなった羊だけにしか、遣わされていない。」
15:25 するとその女が来て、しきりに願って言った、「主よ、お助けください。」
15:26 イエスは答えられた、「子供たちのパンを取り上げて、(異教の)小犬どもに投げてやるのはよろしくない。」
15:27 しかし女は言った、「主よ、是非どうぞ!小犬どもも、御主人の食卓から落ちるパン屑をいただくのですから。」
15:28 そこでイエスは答えられた、「ああ、女の人、りっぱな信仰だ。願いどおりに成れ。」すると、ちょうどその時から、娘は直った。

塚本訳 ヨハ 11:21-27
11:21 マルタがイエスに言った、「主よ、あなたがここにいてくださったら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。
11:22 しかしあなたがお願いになることなら、神様は何でもかなえてくださることを、わたしは今でも知っています。」
11:23 イエスは言われる、「あなたの兄弟は生き返る。」
11:24 マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか
。」
11:27 イエスに言う、「はい、主よ、(信じます。)あなたが救世主で、神の子で、世に来るべき方であると、私は信じています。」

塚本訳 ルカ 11:27-28
11:27 こう話しておられる時、群衆の中の一人の女が声を張り上げてイエスに言った、「なんと仕合わせでしょう、あなたを宿したお腹、あなたがすった乳房は!」
11:28 しかしイエスは言われた、「いや、仕合わせなのは、神の言葉を聞いてそれを守る人たちである。」

塚本訳 マタ 12:46-50
12:46 イエスがまだ群衆に話しておられると、そこにその母と兄弟たちがイエスに話しがあって、外に立っていた。
12:47 〔無し〕
12:48 しかしイエスはそのことを知らせた者に、「わたしの母とはだれのことだ、わたしの兄弟とはだれのことだ」と答えて、
12:49 弟子たちの上に手をのばして言われた、「ここにいるのが、わたしの母、わたしの兄弟だ。
12:50 だれでもわたしの天の父上の御心を行う者、それがわたしの兄弟、姉妹、また母であるから。」

塚本訳 ヨハ 2:1-4
2:1 それから三日目に、ガリラヤのカナに婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
2:2 イエスも弟子たちと婚礼に招かれた。
2:3 すると宴会の最中に酒が足りなくなったので、母がイエスに言う、「お酒がなくなりました。」
2:4 イエスが言われる、「女の方、〃放っておいてください。〃わたしの栄光(を示す)時はまだ来ておりません。」

塚本訳 ルカ 2:48-51
2:48 両親はこれを見て驚き、母が言った、「坊や、どうしてこんなことをしましたか。ごらん、お父さまもわたしも(こんなに)心配して、あなたをさがしているではありませんか。」
2:49 彼らに答えられた、「なぜおさがしになったのです。わたしが(天の)お父さまの家に居るのは当り前でしょう。御存知なかったのですか。」
2:50 両親にはこう言われた言葉(の意味)がわからなかった。
2:51 それからイエスは一しょに(エルサレムから)下ってナザレに帰り、両親につかえられた。母(マリヤ)はこのことを皆胸に秘めていた。

塚本訳 ヨハ 20:15-18
20:15 イエスが言われる、「女の人、なぜ泣くのか。だれをさがしているのか。」マリヤはそれを園丁だと思って言う、「あなた、もしあなたがあの方を持っていったのだったら、どこに置いたか教えてください。わたしが引き取りますから。」
20:16 (こう言って、また墓の方を向いていると、)イエスが「マリヤ!」と言われる。マリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う。(そしてイエスに抱きつこうとした。)
20:17 イエスが言われる、「わたしにすがりつくな。まだ父上の所に上っていないのだから。わたしの兄弟たち(弟子たち)の所に行って、『わたしは、わたしの父上、すなわちあなた達の父上、わたしの神、すなわちあなた達の神の所に上る』と言いなさい。」
20:18 マグダラのマリヤは行って弟子たちに、「わたしは主にお目にかかった」、また、主がこのことを彼女に言われた、と報告した。

塚本訳 ルカ 23:27-31
23:27 民衆と、イエスのために悲しみ嘆く女たちとの大勢の群が、あとにつづいた。
23:28 イエスは女たちの方に振り向いて言われた、「エルサレムの娘さんたち、わたしのためには泣いてくれなくともよろしい。それよりは自分のため、自分の子供のために泣きなさい。
23:29 いまに人々が、『石女と、(子を)産んだことのない胎と、飲ませたことのない乳房とが羨ましい』と言う(恐ろしい)日が来るのだから。
23:30 その時人々は『山にむかっては、『われわれの上に倒れかかって(殺して)くれ』、丘にむかっては、『われわれを埋めてくれ』と言い』続けるであろう。
23:31 (罪のない)生木(のわたし)でさえ、こんな目にあわされるのだ。まして(罪にくされた)枯木は、どうなることであろうか!」

塚本訳 ルカ 7:43-50
7:43 シモンが答えた、「余計にゆるしてもらった方だと思います。」イエスは「あなたの判断は正しい」と言って、
7:44 女の方に振り向き、シモンに言われた、「この婦人を見たか。わたしがこの家に来たとき、あなたは足の水もくれないのに、この婦人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でふいてくれた。
7:45 あなたは接吻一つしてくれないのに、この婦人はわたしが(この家に)来たときから、わたしの足に接吻のしつづけである。
7:46 あなたは(普通の)油をすら頭に塗ってくれないのに、この婦人は(高価な)香油を足に塗ってくれた。
7:47 だから、わたしは言う、この婦人の多くの罪は赦されている。(いま)多くわたしを愛したのがその証拠である。赦され方の少ない者は、愛し方も少ない。」
7:48 そしてその女に言われた、「あなたの罪は赦されている。」
7:49 同席の者が(憤慨して)ひそかに考えた、「罪さえ赦す(という)この人はいったい何人だろう。」
7:50 しかしイエスは女に言われた、「あなたの信仰があなたを救った。『さよなら、平安あれ。』」

塚本訳 マコ 14:3-9
14:3 ベタニヤで癩病人シモンの家におられるとき、食卓についておられると、一人の女が混ぜ物のない、非常に高価なナルドの香油のはいった石膏の壷を持って来て、その壷をこわし、(香油をすっかり)イエスの頭に注ぎかけた。
14:4 数人の者は(これを見て、こう言って)互に憤慨した、「香油を、なぜこんなもったいないことをしたのだろう。
14:5 この香油は三百デナリ[十五万円]以上にも売れて、貧乏な人に施しが出来たのに。」そして女にむかっていきり立った。
14:6 イエスは言われた、「構わずにおきなさい。なぜいじめるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。
14:7 貧乏な人はいつもあなた達と一しょにいるから、したい時に慈善をすることが出来る。だがわたしはいつも一しょにいるわけではない。
14:8 この婦人はできるかぎりのことをした。──前もってわたしの体に油をぬって、葬る準備をしてくれたのである。
14:9 アーメン、わたしは言う、世界中どこででも(今後)福音の説かれる所では、この婦人のしたことも、その記念のために(一しょに)語りつたえられるであろう。」


塚本訳 ヨハ 8:5-11
8:5 モーセは律法で、このような女を石で打ち殺すように命じていますが、あなたはなんと言われますか。」
8:6 こう言ったのは、イエスを試して、訴え出る口実を見つけるためであった。イエスは身をかがめて、黙って指で地の上に何か書いておられた。
8:7 しかし彼らがしつこく尋ねていると、身を起こして言われた、「あなた達の中で罪(をおかしたこと)のない者が、まずこの女に石を投げつけよ。」
8:8 そしてまた身をかがめて、地の上に何か書いておられた。
8:9 これを聞くと、彼らは皆(良心に責められ、)老人を始めとして、ひとりびとり出ていって、(最後に)ただイエスと、真中に立ったままの女とが残った。
8:10 イエスは身を起こして女に言われた、「女の人、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罰しなかったのか。」
8:11 「主よ、だれも」と女がこたえた。イエスが言
われた、「わたしも罰しない。おかえり。今からはもう罪を犯さないように。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の啓示、黙想、瞑想終わり。イエスの真理の言葉は「女」が引き出した。ここに神による女性創造の目的があったのだ。女性の真の価値はここにある。男は女次第、夫は妻次第。牧師は教会の女性信者次第。女性の信者がしっかりしている教会(集会、エクレシア)は長続きする。こと信仰に関しては男より女。女性には男性にはない特質を持っている。この面において男は女に脱帽だ。

●悪魔がルターに近づいて「お前の妻を渡せ」と」言うと、ルターは答えた「妻は全ドイツとも交換できない」と。
●なぜだろう。妻はその「祈りによって全世界を夫のものに出来るからだ」。主にある妻は強い。

塚本訳 Ⅰコリ3:20-23
3:20 さらに、『主は』知恵者たちの『考えのたわいのないのを御存じである』とある。
3:21 従って、(自分の先生はだれだ、彼だなどと、)人間のことを自慢する者があってはならない。万物はあなた達のものではないか。
3:22 パウロでもアポロでもケパでも、世界でも命でも死でも、現在起こっていることでも将来起こることでも、万物はあなた達のものである。
3:23 しかしあなた達はキリストのもの、キリストは神のものである。


塚本訳 エペ 5:23
5:23 キリストが教会の頭であり給うように、夫は妻の頭であるから──しかも彼は(同時に)その体(なる教会)の救い主であり給う。(この点においてキリストと夫とはもちろん異なる。)──


口語訳 箴  31:10-12
31:10 だれが賢い妻を見つけることができるか、彼女は宝石よりもすぐれて尊い。
31:11 その夫の心は彼女を信頼して、収益に欠けることはない。
31:12 彼女は生きながらえている間、その夫のために良いことをして、悪いことをしない。


●しかしもし、不幸にも伴侶が良くなかったら、一生の失敗であるが、結婚の幸福だけが人生の目的ではない。イブという悪い女でアダムは堕落して楽園を追放されたが、そのおかげで全人類に救いが訪れた。

塚本訳 ロマ 5:12-14
5:12 (この救いはキリストとアダムとを比較する時に、はっきりする。)すなわち、一人の人(アダム)によってこの世に罪が入ってき、罪によって死が入ってき、こうして、(この人において)人は
一人のこらず罪を犯したので、全人類に死が行き渡ったように──([一八節ニツヅク]一人の人キリストの正しい行いによって、全人類に命を与える義が臨んだのである。)


●TSK日本語版哀歌4、5章。哀歌終了CDに焼き付けて物置に収納
●14:50 プリンターのインクを購入するためにノジマまで、「ノルディック・エクササイズ・ウォーキング」。帰宅17:40
●「イスラム国」に捕えられている後藤さんはクリスチャン。所属する教会の会員が解放を祈っていた。イスラム教徒は「イスラム国」のやり方はイスラム教に反すると言っている。
●2月1日の集会資料をプリント。




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有体的復活の衝撃・・復活伝承には「女性」が重要な役割を果たした ++++++++ 所感

2015/01/28 05:08

150128(水)4時半起床●キリスト者の皆様お早うございます●今朝の聖書勉強の主題は「有体的復活の衝撃…復活伝承には「女性」が重要な役割を果たした●キリストの有体的復活ならば、それは時間と場所が特定される「歴史内のこと」(荒井献)である。●しかしその得られる情報が「男からのルート」と「女のからルート」では違うからややこしい。整合一致しない●まず「男からの情報」を見てみよう。

塚本訳 Ⅰコリ15:1-8
15:1 また、わたしが思い出してもらいたいのは、兄弟たちよ、(以前)あなた達に伝え、あなた達が(喜んで)受けいれてくれて、(今日まで)それに立っている、あの(死人の復活についての)福音である。
15:2 どんな言葉でわたしがその福音を伝えたにせよ、あなた達がそれを守っていさえすれば、軽々しく信仰に入ったのではない限りは、あなた達もその福音で救われる。
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。
15:6 そのあと、一度に五百人以上の兄弟に御自分を現わされた。そのうちの多数の者はいまでも生きてい(て、わたしが嘘を言っていないことを証明してくれ)る。もっともすでに眠った者もあるにはある。
15:7 そのあと(御兄弟の)ヤコブに、それから使徒一同に、御自分を現わされた。
15:8 しかし一番最後には、さながら月足らずのようなわたしにも御自分を現わされた。



●この記述で不思議なことは、福音書の復活記事で重要な「女たち」(ルカの言い回し ルカ23:55,56,24:8,22)が全く出てこないことである。これは偏った情報ではあるまいか。統計の世界ではこういう一面的情報は信憑性のあるものとはみなされない。●そこで今朝は「女の視点」に立ってこの復活記事を見直してみよう。それには「女性の福音書」と言われているルカ福音書を軸にする。ルカ福音書の冒頭には次のように書かれている。


塚本訳 ルカ 1:3-4
1:3 テオピロ閣下よ、わたしも一切の事の次第を始めから精密に取り調べましたから、今順序を正して書き綴り、これを閣下に奉呈して、
1:4 閣下が(今日までこのことについて)聞かれた話が、決して間違いでなかったことを知っていただこうと思ったのであります



●復活の記事を4福音書で、しかも「女たち」という言葉に注目しながらシーン(場面)ごとに見てみる。

●イエスは墓に納められた。イエスの死は歴史的に確実。時は金曜日の夕方、場所はエルサレムの。


塚本訳 ルカ 23:52-56
23:52 この人がピラトの所に行ってイエスの体(の下げ渡し)を乞い、
23:53 これを(十字架から)下ろして亜麻布で包み、まだだれも葬られたことのない、岩に穿った墓に納めた
23:54 この日は支度日[金曜日]であったが、(もう夕方で、)安息日[土曜日]が始まろうとしていた
23:55 イエスと一しょにガリラヤから来た女たちは(ヨセフの)あとについて行って、墓と、イエスの体が(そこに)納められる様子とを見とどけ、
23:56 帰って、香料と香油を用意した。女たちは掟に従って安息日を休み、


●このところヨハネは次のようになっている。


塚本訳 ヨハ 19:40-42
19:40 彼らはイエスの体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、香料をふりかけた亜麻布でこれを巻いた。
19:41 ところがイエスが十字架につけられた場所(の近く)に園があって、園の中に、まだだれも納められたことのない、新しい墓があった。
19:42 その日はユダヤ人の支度日であったので、その墓が近いのをさいわい、(安息日が始まらないうちにと、急いで)そこにイエスを納めた。



●日曜日の朝。夜明け。場所はエルサレムの墓。イエスの遺体の消失を発見した「女たち」の」衝撃。

●次は復活の朝(金曜日から数えて三日目)、その場所はエルサレムにある墓(場所に就いては二つの説がある)。時は日曜日、早朝6時頃か。
●「女たち」に語りかけたのは「かがやく着物をきた二人の人」であって復活のキリストではない。


塚本訳 ルカ 24:1-7
24:1 (翌日、すなわち)週の始めの日[日曜日]、夜の引明けに、用意しておいた香料(をまぜた香油)を持って墓場に行った。
24:2 墓(の入口)から石がころがしてあるのを見て
24:3 中に入ったが、主イエスの体は見えなかった。
24:4 そのため途方にくれていると、見よ、かがやく着物をきた二人の人が(現われて)彼らに近づいた。
24:5 ぞっとして面を垂れると、彼らに言った、「なぜ死人の中に生きた者をさがすのか。
24:6 ここにはおられない。もう復活されたのだ。まだガリラヤにおられたとき、あなた達に言われたことを思い出してみよ。
24:7 『人の子(わたし)は罪人どもの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目に復活せねばならない』と言われたではないか。」


●この辺のところ、マルコは次のようになっていてマルコ福音書が突然おわる。
●マルコ16:8の「びっくりして震え上がり、何も言わなかった、恐ろしかった、」というのはルカ24:4の「途方にくれた」、マタイ28:8「恐ろしいが嬉しくてたまらず」、という表現と符合する。
●復活記事のないマルコにも、「復活」という言葉が出てくる。


塚本訳 マコ 16:1-8
16:1 (翌日、日が暮れて)安息日が終ると、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとは、イエス(の体)に油を塗りに行くために、(油にまぜる)香料を買いととのえた。
16:2 そして(あくる朝、すなわち)週の初めの日[日曜日]の朝、ごく早く、日が出ると墓場に行く。
16:3 「だれか墓の入口から石をころがしてくれる者があるだろうか」と互に話しながら、
16:4 (ふと)目をあげて見ると、石はもうころがしてあった。(彼らが心配したのは)石が非常に大きかったからである。
16:5 墓に入ると、白い衣をきた一人の青年が右手の方に坐っているのを見たので、ぎょっとした。
16:6 青年は彼らに言う、「驚くに及ばない。あなた達は十字架につけられたナザレ人イエスをさがしているが、もう復活されて、ここにはおられない。そら、ここがお納めした場所だ。
16:7 さあ行って、弟子たち、とりわけペテロに、『イエスはあなた達より先にガリラヤに行かれる。(前に)あなた達に言われたとおり、そこでお目にかかれる』と言いなさい。」
16:8 女たちは墓から逃げ出した。びっくりして震えあがったのである。そしてだれにも何も言わなかった、恐ろしかったので。…


●「女たち」は走って弟子たちに報告に行く。日曜日の朝。
●ところがその報告に向かう途中でイエスに「ぱったり」出合った。イエスが「お早う」と声をかけたので、まだ朝のうち。
●復活のイエスが初めて姿を現された記述はこれが最初。相手は「女たち」であった。


塚本訳 マタ 28:5-10
28:5 天使は女たちに言った、「恐れることはない。あなた達は十字架につけられたイエスをさがしているようだが、
28:6 ここにはおられない。かねがね言われたとおり、もう復活されたのだから。来て、お体が置いてあった場所を見なさい。
28:7 それから急いで行って弟子たちに、『イエスは死人の中から復活された。あなた達より先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる』と言いなさい。これを言いにわたしは来たのだ。」
28:8 女たちは恐ろしいが、また嬉しくてたまらず、(中には入らずに)急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走っていった。
28:9 するとイエスがぱったり彼らに出合って、「お早う」と言われた。女たちは進み寄り、その足を抱いておがんだ。
28:10 するとイエスは女たちに言われる、「恐れることはない。行ってわたしの兄弟たち[弟子たち]に、ガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのだから。」


●「女たち」は、弟子たちが集まっていた場所(おそらく最後の晩餐の部屋)。でイエスの遺体の消失を報告。「女たち」は走って行ったので、時は日曜日のおそらく午前中。
●ところが彼らは「女たち」を信じなかった。その理由は当時のユダヤでは「女性の地位が低かったから(マタ15:38、Ⅰテモ2:12、Ⅰコリ 14:34-35、)か、あるいは「有体的復活」ということがとても信じられなかったからか



塚本訳 ルカ 24:9-12
24:9 墓から帰り、十一人(の使徒)とそのほかみんなの人に、一つのこらずこのことを知らせた。
24:10 これを使徒たちに話したのは、マグダラのマリヤとヨハンナとヤコブの母マリヤと、および、この女たちと一しょにいたほかの女たちとであった
24:11 しかし使徒たちはこの話が冗談のように見えたので、女たちを信じなかった
24:12 [無シ]


●「女たち」の報告を確かめるために墓に走っていったのはシモン・ペテロとイエスが可愛がっておられたもう一人の弟子(おそらくヨハネの著者)。そこで見たのは「空になっていた墓」。彼らも走ったので時はおそらく日曜日の午前中。

塚本訳 ヨハ 20:1-10
20:1 (翌々日、すなわち)週の初めの日(日曜日)の朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に来てみると、墓(の入口)から石がのけてあった。
20:2 そこでシモン・ペテロと、イエスが可愛がっておられたもう一人の弟子との所に走って行って言う、「主を墓から取っていった者があります。どこに置いたのかわかりません。」
20:3 そこでペテロはもう一人の弟子と飛び出して、墓へと急いだ。
20:4 二人とも(始めのほどは)一しょに走っていたが、もう一人の弟子の方が(年が若かったので、)ペテロより早く走っていって、先に墓に着いた。
20:5 身をかがめると、(墓の中に)亜麻布があるのが見えたが、それでも中には入らなかった。
20:6 続いてシモン・ペテロも来た。彼は墓に入り、亜麻布が(そのままそこに)あるのを見た。
20:7 また頭をつつんだ手拭は亜麻布と一しょになく、これだけ別の所に、包んだまま(の形)になっていた。
20:8 すると先に墓に着いたもう一人の弟子も入ってきて、見て、信じた
20:9 イエスは死人の中から復活されねばならないという聖書の言葉が、(この時まで)まだ彼らにわかっていなかったのである。
20:10 それから二人の弟子は家にかえった。


●マグダラのマリヤに現れた。日曜日。おそらく午前中。


塚本訳 ヨハ 20:11-18
20:11 (二人について来ていた)マリヤは(ひとり)墓の外に立って泣いていた。(二人が去ったあと、)泣きながらかがんで墓の中をのぞくと、
20:12 白い衣をきた二人の天使が、一人はイエスの体が置いてあった所の頭の方に、一人は足の方に坐っているのが見えた。
20:13 天使がマリヤに言う、「女の人、なぜ泣くのか。」マリヤが言う、「わたしの主を取っていった者があります。どこに置いたのかわかりません。」
20:14 こう言って後を振り向くと、イエスがそこに立っておられるのが見えた。しかしイエスだとは気づかなかった。
20:15 イエスが言われる、「女の人、なぜ泣くのか。だれをさがしているのか。」マリヤはそれを園丁だと思って言う、「あなた、もしあなたがあの方を持っていったのだったら、どこに置いたか教えてください。わたしが引き取りますから。」
20:16 (こう言って、また墓の方を向いていると、)イエスが「マリヤ!」と言われる。マリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う。(そしてイエスに抱きつこうとした。)
20:17 イエスが言われる、「わたしにすがりつくな。まだ父上の所に上っていないのだから。わたしの兄弟たち(弟子たち)の所に行って、『わたしは、わたしの父上、すなわちあなた達の父上、わたしの神、すなわちあなた達の神の所に上る』と言いなさい。」
20:18 マグダラのマリヤは行って弟子たちに、「わたしは主にお目にかかった」、また、主がこのことを彼女に言われた、と報告した。


●この場面をマルコは「付録」で次のように記す。後代の伝承か。


塚本訳 マコ 16:9-11
16:9 【さて週の第一日の朝早く復活して、まずマグダラのマリヤに自分を現わされた。以前に七つの悪鬼を追い出していただいた女である。
16:10 この女は、(御在世中)おそばにいた人たちが泣き悲しんでいるところに行って知らせたが、
16:11 この人たちは、(今)生きておられること、彼女がそれを見たことを聞いても、信じなかった。


●エマオで二人に現れる。日曜日の夕方


塚本訳 ルカ 24:13-29
24:13 するとちょうど同じ日に、二人の弟子がエルサレムから六十スタデオ[十一キロ半]離れたエマオという村へ歩いてゆきながら、
24:14 これらの出来事をあれやこれやと話し合っていた。
24:15 二人が(こうして)話したり議論したりしていると、(いつの間にか)御本人のイエスが近づいてきて、一しょに歩いておられたが、
24:16 二人は目をくらまされていたので、それと気がつかなかった。
24:17 二人に言われた、「歩きながら何をそんなに論じ合っているのです。」暗い顔をして二人は立ち止まり、
24:18 一人のクレオパという方が答えた、「(見れば御巡礼のようだが、)エルサレムに滞在していながら、あなただけは、この二三日の間にそこで起ったことを何も知らないのですか。」
24:19 彼らに言われた、「なんのことです。」彼らが言った、「ナザレ人イエスのことです。──この方はだれが見ても、神の目にさえも、業に言葉に力のある預言者であったのに、
24:20 大祭司連をはじめ(最高法院の)役人たちが(ローマ人に)引き渡して死刑を宣告し、十字架につけてしまったのです。
24:21 ほんとうにわたし達は、この方こそイスラエル(の民)をあがなってくださる人だと望みをかけていたのに!そればかりが、かてて加えて、そのことがあってから、きょうはもう三日目になったのです。(もはや生き返られる望みもありません。)
24:22 ところがまた、仲間の女たちがわたし達をびっくりさせました。──この女たちは朝早く墓に行ったが、
24:23 お体が見つからずにかえって来て、天使たちがあらわれ、あの方は生きておられる、と告げたと言うのです。
24:24 そこで仲間の男が二三人墓に行って見ると、はたして女たちの言うとおり(墓は空っぽ)だったが、(生きておられるという)その方は見えなかったのです。

24:25 彼らに言われた、「ああ、預言者たちの言ったことを何一つ信じない、悟りの悪い、心の鈍い人たちよ!
24:26 救世主は栄光に入るために、そのような苦しみを受けねばならなかったのではないのですか。」
24:27 そして(預言者)モーセから始めて、すべての預言者が御自分につき聖書全体において言っていることを説明された。
24:28 とかくするうちに目指す(エマオの)村に近づくと、なお先へ行くような様子をされたので、
24:29 二人はこう言って無理に引き留めた、「わたし達のところにお泊まりなさい。間もなく夕方で、日もはや傾いたから。」そこで彼らのところに泊まるために、(家に)入られた。


●12弟子に現れる。日曜日の晩、エルサレム。


塚本訳 ヨハ 20:19-23
20:19 その日すなわち週の初めの日の晩であった。ユダヤ人を恐れて、弟子たちのおる部屋の戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスが(どこからともなく)はいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた。
20:20 そしてそう言いながら、手と脇腹とをお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。
20:21 すると主はかさねて言われた、「平安あれ。父上がわたしを遣わされたように、わたしも(全権を授けて)あなた達を遣わす。」
20:22 こう言いながら彼らに息を吹きかけて、言われる、「聖霊を受けよ。
20:23 人の罪は、あなた達が赦してやれば赦されて消え、赦してやらねば赦されずに残る。」


●エマオの二人はエルサレムに引き返して11人とその仲間に報告した。
●34節の「ほんとうに主は復活して、シモン(・ペテロ)に御自分を現わされた」はいつどこでのことなのかは疑問。


塚本訳 ルカ 24:33-35
24:33 時を移さず二人は立ち上がってエルサレムに引き返して見ると、十一人とその仲間とが集まっていて、
24:34 「ほんとうに主は復活して、シモン(・ペテロ)に御自分を現わされた」と話してくれた。
24:35 それで二人も、(エマオへの)道であったことや、また、どうしてパンを裂かれたことで(主と)わかったかを物語った。


●トマスに現れる。八日後。(次の日曜日か)。エルサレム。


塚本訳 ヨハ 20:24-29
20:24 十二人の一人で、トマスすなわちギリシャ語でデドモ(二子)は、イエスが来られた時、みんなと一しょにいなかった。
20:25 そこでほかの弟子達が、「わたし達は主にお目にかかった」と言うと、彼らに言った、「わたしはその手に釘の跡を見なければ、わたしの指をその釘の場所に差し込まなければ、手をその脇腹に差し込まなければ、決して信じない。」
20:26 八日ののち弟子たちはまた家の中に(集まって)いた。今度はトマスも一しょであった。戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスがはいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた。
20:27 それから(すぐ)トマスに言われる、「指をここに持ってきて、わたしの手(の釘の跡)をよく見てごらん。手を持ってきて、わたしの脇腹に差し込んでみなさい。不信仰をやめて、信ずる者らしくしなさい。」
20:28 トマスがイエスに答えて言った、「わたしの主よ!わたしの神よ!」
20:29 イエスは言われる、「わたしを見たので、信じたのか。幸いなのは、見ないで信ずる人たちである。」


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●復活顕現の福音書による記述を見ると、Ⅰコリ 15:1-8にある男性ばかりに現れたということよりも信憑性が高いと言わざるを得ない。その理由は次のように「『女』(婦人)を記念しなさい」と言っているからである。イエスは女性の行為を重視していた。


塚本訳 マタ 26:11-13
26:11 貧乏な人はいつもあなた達と一しょにいるが、わたしはいつも(一しょに)いるわけではない。
26:12 この婦人がわたしの体に香油をかけてくれたのは、わたしを葬るためである。
26:13 アーメン、わたしは言う、世界中どこでも(今後)この福音の説かれる所では、この婦人のしたことも、その記念のために一しょに語りつたえられるであろう。」

●8:20 妻はYさんの家へ。妻
●NHKTV「あさいち」では夫が癌になった時の妻の悩みについて。今や死亡率の6割は癌。明日は我が身。
●妻が幸福そうな顔をしているのは夫次第。
●2月1日の集会感話資料
●TSK日本語版哀歌4章

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妻が知人のYさんと日暮里の朝倉美術館に行く。奥にある日本家屋が素晴らしかったという。
妻が撮影

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文京区根津にあるYさんのマンション22階からの眺め。遠方にスカイツリー、             眼下には上野の不忍池。妻が撮影。















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闇から光へ、悲しみから希望へ ++++++++ 所感

2015/01/27 05:44

150127(火)キリスト者の皆様お早うございます。●ここ数日、第一コリント15:3の「一番大切な事」という言葉が頭の中を駆け巡っています。

塚本訳 Ⅰコリ15:3-4
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、

●これは2月1日と3月1日の集会感話の中心主題です。塚本訳は「一番大切な事」の前に(福音)のという敷衍が」あって、これが千金の重みがあります。つまり福音の中心的で最重要なことは、罪と死の悩み悲しみからの救いだということです。人間の実存の罪の苦しみ、死の悩み、この二つからの解放に「福音」があるということです。その周辺の社会改革などは一番大切な事ではないということになります。
●福音が人間を罪の闇から光の喜びに導き入れることを聖書から拾ってみよう。頭に浮かぶまま。


塚本訳 マタ 4:14-16
4:14 預言者イザヤをもって言われた言葉が成就するためであった。──
4:15 『(ガリラヤの)湖に向かった、ゼブルン(族)の地とナフタリ(族)の地、ヨルダン川の向こう(のペレヤ)、異教人の(住む)ガリラヤ──
4:16 暗闇に住まう(これらの地方の)民は大いなる光を見、死の陰の地に住まうこの人々に光がのぼった、』

塚本訳 ルカ 2:30-32
2:30 わたしの目が『もうあなたの救いを拝見しました』からです。
2:31 この救いこそ、あなたが『全人類の(ため、その)目の前で』用意されたもの、
2:32 『異教人には啓示を、』あなたの民『イスラエルには栄光をあたえる』『光』であります


塚本訳 使  26:16-18
26:16 さあ、起きて、『自分の足で立て。』わたしが(今)現われたのは、君を選んで、わたしを見たことと、(今からも)君に現われて示すこととの証人として、わたしに仕えさせるためである。
26:17 (かずかずの迫害や危険がのぞむが心配するな。)わたしは君をこの(イスラエルの)民(の手)から、また』異教人(の手)から』『(かならず)救い出してやる。』『彼らの中にわたしが君を遣わすのは、』
26:18 彼らの』目をあけて』彼らが『暗闇から光に、』悪魔の権力から神に帰るため、そうして彼らがわたしに対する信仰によって罪の赦しを得、きよめられた人たちの仲間に入れていただくためである』と。

塚本訳 ヨハ 8:12
8:12 (同じ大祭の日に、)イエスはまた人々に語られた、「わたしが世の光である。わたしに従う者は、決して暗やみを歩かない。そればかりか、命への光を持つことができる。」


塚本訳 ヨハ 9:4-5
9:4 わたし達はわたしを遣わされた方の御業を昼の間にせねばならない。(すぐ)夜が来る。するとだれも働けなくなる。
9:5 世におる間、わたしは世の光である。」                                                       

塚本訳 黙  21:23
21:23 また都はそれを照らすのに太陽をも月をも必要としない。神の栄光がそれを照らし、仔羊がその燈火であるからである。

塚本訳 黙  22:5
22:5 また(昼夜の別が消え失せ)最早夜が無いであろう。(其処では)燈火の光も太陽の光も必要がない主なる神が彼らを照らし給うから。そして彼らは永遠より永遠に王となるであろう。

KJV 黙示録196                                    For the Lord God Omnipotent reigneth!
文語訳(
全能の主、われらの神は統治(すべし)らすなり

KJV 黙示録1115                                   He shall reign for ever and ever!                           文語訳(彼は世々限りなく王たらん)



●次に人間の最奥の悲しみである「死」からの救いについて聖書が告げることを聞いてみよう。

塚本訳 ヨハ 11:24-26
11:24 マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」

塚本訳 ルカ 8:52-55
8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。」
8:53 人々は死んだことを知っているので、あざ笑っていた。
8:54 しかしイエスは女の子の手を取り、声をあげて「子よ、起きなさい!」と呼ばれると、
8:55 霊がもどって、即座に女の子は立ち上がった。イエスは(何か)食べさせるように言いつけられた。

塚本訳 ヨハ 3:16
3:16 そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである。

塚本訳 ヨハ 11:11
11:11 こう話して、またそのあとで言われる、「わたし達の友人ラザロが眠った。目をさましに行ってやろう。」

塚本訳 ヨハ 11:38-44
11:38 そこでイエスはまたも心に憤りながら、(ラザロの)墓に来られる。墓は洞穴で、入口に石を置いて(ふさいで)あった。
11:39 「石をのけなさい」とイエスが言われる。死んだ人の姉妹のマルタが言う、「主よ、もう臭くなっています。四日目ですから。」
11:40 イエスがマルタに言われる、「信ずれば神の栄光が見られると、(さきほども)あなたに言ったではないか。」
11:41 人々が石をのけた。するとイエスは目を天に向けて言われた、「お父様、(まだお願いしないのに、もう)わたしの願いを聞いてくださったことを感謝します。
11:42 (願わずとも)あなたはいつもわたしの願いを聞いてくださることを、わたしはよく知っております。しかしまわりに立っている人たちのために、(今わざと声を出して感謝を)申したのであります。(わたしの願いはなんでもきかれることを彼らに示して、)あなたがわたしを遣わされたことを信じさせるためであります。」
11:43 こう言ったのち、大声で、「ラザロ、出て来い」と叫ばれた。
11:44 死人が手足を包帯で巻かれたまま、(墓から)出てきた。顔は手拭で包まれていた。イエスは「解いてやって(家に)帰らせなさい」と人々に言われた。

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朝の黙想おわり。十字架と有体的復活は罪の赦しと復活の希望の見える証明。だからこれを伝承することが「一番大切な事」だ。罪による人生の暗さから光の喜びへ、死の悲しみから復活の希望へ。その意味は神が本人に直接教えてくださる。この「福音」を伝えずしてキリスト者の生きている意義はない。一族郎党31名がこの「喜びのおとずれ」に導かれて救われますように。そうすれば人生がメチャクチャで見られないものであっても成功の人生なのだ。私は行く。神に定められた人はいる。その人に向かって叫ぶ。


塚本訳 ヨハ 6:44-45
6:44 (わたしを信じないのは、父上が引っ張ってくださらないからだ。)わたしを遣わされた父上が引っ張ってくださらなければ、だれもわたしの所に来ることはできない。(しかし来れば、)わたしはその人をきっと最後の日に復活させる。
6:45 預言書に、〃(最後の日に)人は皆神に教えを受けるであろう〃と書いてある。(そして神に引っ張られる者、すなわち本当に)父上に聞き、また学ぶ者は皆、わたしの所に来る。

塚本訳 使  13:46-49
13:46 そこでパウロとバルナバとは公然こう宣言した、「神の言葉は(お約束どおり)まず第一に、君たち(ユダヤ人)に語られねばならなかった。(だから、そうしたのだ。)しかし君たちがそれをはねつけ、自分で自分を永遠の命にふさわしからぬ者とするので、それでは、よし、異教人(の伝道)へ方向をかえる。
13:47 主はこのようにわたし達(伝道者)にお命じになっているから。『わたしはあなたを立てて異教人の光にした、あなたが地の果てまで救いを伝えるために。』」
13:48 これを聞いて異教人は喜び、主の言葉を讃美し、永遠の命へあらかじめ定められていた者はみな信者になった
13:49 こうして主の言葉がこの地全体に広まった。

塚本訳 ロマ 9:27
9:27 (預言者)イザヤもイスラエル人について叫んでいる。『たとえイスラエル[ヤコブ]の子孫の数は海の砂のように(多数)であろうとも、(信ずる小数の)残りの者(だけ)が救われる。


塚本訳 ロマ 11:4-5
11:4 ところが彼に対する神のお告げはどうであるか。──「『わたしは(異教の神)バアルに膝をかがめなかった男子七千人を』自分のために『残しておいた。』」
11:5 だから、同じように今の世にも、恩恵の選びによる残りの者がある。

塚本訳 Ⅱコリ2:14-16
2:14 しかし神に感謝せねばならない。神はいつでもわたし達をキリストによる凱旋行列に(虜として)引き回し、至る所でわたし達を通して御自分を知らせる知識の薫りをお広めになる。
2:15 というのは、わたし達は救われる者の間でも、滅びゆく者の間でも、神にささげられるためのキリストのよい薫である。
2:16 ある者には、死から死へみちびく薫であるが、ある者には、命から命へみちびく薫りである。(ああ、)一体だれにこんなことが勤まろう


●TSK日本語版哀歌3章、66節を午前中に終了、レコード。
●12:30 池谷医院、薬局、ATM 
●15:30 妻の読書会(塚本虎二著作集)発表の資料(聖書引照)作成応援。「聖書で聖書を読む」方法が聖書勉強の王道。
●15:40 山川歯科一割負担で90円はありがたい。





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敵は赦せるか ++++++++ 所感

2015/01/26 06:33

150126(月)3時半目覚め。朝の黙示「『復讐は神にまかせよ』はいかにして実行できるか」●4時半起床。キリスト者の皆様お早うございます。●「イスラム国」に邦人の湯川さんが殺害されました。日本のみならず世界が「イスラム国」に「復讐、壊滅、」を叫んでいます。叫ばずともその心をいだいています。日本は日本の同盟国英米がやっつけてくれることを願っています。自らは手を汚さないで「軍事援助」などをしているから「イスラム国」は日本も「一味」だと見抜いているのです。「人道援助」の美名のもとに同盟国に加担しているのです。「集団自衛権」のツケが現れています。「敵は良く自分を知る」であります。
●「イスラム国」が湯川さんを殺害したことは世界中の人が「残虐なテロ行為で断固赦せない」と言っています。これが人間の素直な心であります。●まず「復讐は正当」であることを旧約に見てみよう。「Jバイブル」利用。「復讐」は人間の本能である正義心を満足させる。裁判制度の基礎でもある。

新改訳 民 35:18-19
35:18 あるいは、人を殺せるほどの木製の器具で、人を打って死なせたなら、その者は殺人者である。殺人者は必ず殺されなければならない。
35:19 血の復讐をする者は、自分でその殺人者を殺してもよい。彼と出会ったときに、彼を殺してもよい。

新改訳 詩 58:10
58:10 正しい者は、復讐を見て喜び、その足を、悪者の血で洗おう。

新改訳 エゼ 25:17
25:17 わたしは憤って彼らを責め、ひどい復讐をする。彼らは、わたしが彼らに復讐するとき、わたしが主であることを知ろう。」

口語訳 出  21:22-25
21:22 もし人が互に争って、身ごもった女を撃ち、これに流産させるならば、ほかの害がなくとも、彼は必ずその女の夫の求める罰金を課せられ、裁判人の定めるとおりに支払わなければならない。
21:23 しかし、ほかの害がある時は、命には命、
21:24 目には目、歯には歯、手には手、足には足、
21:25 焼き傷には焼き傷、傷には傷、打ち傷には打ち傷をもって償わなければならない

口語訳 レビ 24:17-22
24:17 だれでも、人を撃ち殺した者は、必ず殺されなければならない。
24:18 獣を撃ち殺した者は、獣をもってその獣を償わなければならない。
24:19 もし人が隣人に傷を負わせるなら、その人は自分がしたように自分にされなければならない。
24:20 すなわち、骨折には骨折、目には目、歯には歯をもって、人に傷を負わせたように、自分にもされなければならない。
24:21 獣を撃ち殺した者はそれを償い、人を撃ち殺した者は殺されなければならない。
24:22 他国の者にも、この国に生れた者にも、あなたがたは同一のおきてを用いなければならない。わたしはあなたがたの神、主だからである』」。

口語訳 申  19:16-21
19:16 もし悪意のある証人が起って、人に対して悪い証言をすることがあれば、
19:17 その相争うふたりの者は主の前に行って、その時の祭司と裁判人の前に立たなければならない。
19:18 その時、裁判人は詳細にそれを調べなければならない。そしてその証人がもし偽りの証人であって、兄弟にむかって偽りの証言をした者であるならば、
19:19 あなたがたは彼が兄弟にしようとしたことを彼に行い、こうしてあなたがたのうちから悪を除き去らなければならない。
19:20 そうすれば他の人たちは聞いて恐れ、その後ふたたびそのような悪をあなたがたのうちに行わないであろう。
19:21 あわれんではならない。
命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足をもって償わせなければならない。

●ところが神の子キリストは言う。

塚本訳 マタ 5:38-42
5:38 あなた達は(昔の人がモーセから、)『目には目、歯には歯』──(人の目をつぶした者は自分の目で、人の歯を折った者は自分の歯で、つぐなわなければならない)と命じられたことを聞いたであろう。
5:39 しかしわたしはあなた達に言う、悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打ったら、左をも向けよ。
5:40 (裁判所に)訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせてやれ。
5:41 だれかが無理に一ミリオン[一キロ半]行かせようとするなら、一しょに二ミリオン行ってやれ。
5:42 求める者には与えよ、借りようとする者を断るな。


塚本訳 マタ 5:43-48
5:43 あなた達は(昔の人がモーセから、)『隣の人を愛し、』敵を憎まねばならない、と命じられたことを聞いたであろう。
5:44 しかしわたしはあなた達に言う、敵を愛せよ。自分を迫害する者のために祈れ
5:45 あなた達が天の父上の子であることを示すためである。父上は悪人の上にも善人の上にも日をのぼらせ、正しい人にも正しくない人にも、雨をお降らしになるのだから。
5:46 自分を愛する者を愛したからとて、なんの褒美があろう。(人でなしと言われるあの)税金取りでも同じことをするではないか。
5:47 また兄弟にだけ親しくしたからとて、なんの特別なことをしたのだろう。異教人でも同じことをするではないか。
5:48 だからあなた達は、天の父上が完全であられるように『完全になれ。』


●問題はこれが実行できるのかということである。実行できなくても、高々やせ我慢で無視して誰かが私に代わって復讐してくれないかなーご思うのが「人情」だ。この世のゴタゴタが起きた場合、裁判で決着しようとか、今回の「イスラム国」問題でも英米が空爆で「イスラム国」を壊滅してくれないかなーと思うのが「本音」であろう。その時神の正義が貫徹すると」キリスト者も思うであろう。英国のチャーチルは「悪魔(ソ連)と手を握ってでもヒットラーを撃つ」と演説した。同じく、英国のサッチャーはフォークランド戦争の時、アルゼンチンの暴挙に対し「侵略が成功するということを証明させてはならない」と演説した。今回の「イスラム国」の暴挙に対し日本の阿部首相も「断固非難する」と言っている。政治の本質は「正義」の貫徹である。
●ところが聖書は「復讐は神に任せよ」と言って人間の復讐心を矯める。次の箇所がそれである。復讐心」という「本能」は神に任せる」という思想で昇華させよというのだ。

塚本訳 マタ 15:12-13
15:12 あとで弟子たちが来てイエスに言う、「パリサイ人がお話を聞いて腹を立てたことを御存じですか。」
15:13 イエスは答えられた、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜かれる

塚本訳 マタ 26:50-53
26:50 イエスはユダに言われた、「友よ、そのために来たのではあるまいが!」その時人々が進み寄って、イエスに手をかけて捕えた。
26:51 すると、見よ、イエスと一しょにいた一人の人が手をのばして剣を抜き、大祭司の下男に切りかかって片耳をそぎ落してしまった。
26:52 その時イエスが言われる、「剣を鞘におさめよ。剣による者は皆、剣によって滅びる。
26:53 それとも、父上にお願いして十二軍団以上の天使を今すぐ送っていただくことが、わたしに出来ないと思うのか。

塚本訳 ルカ 12:13-15
12:13 すると群衆の中の一人がイエスに言った、「先生、遺産を分けてくれるように、兄に言ってください。」
12:14 イエスは「君、だれがわたしを、あなた達の裁判官また遺産分配人に任命したのか」とこたえておいて、
12:15 人々に言われた、「一切の貪欲に注意し、用心せよ。いかに物があり余っていても、財産は命の足しにはならないのだから。」

塚本訳 ルカ 18:1-8
18:1 なお、気を落さずに常に祈るべきことについて、一つの譬をひいて弟子たちに話された、
18:2 「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官があった。
18:3 またその町に一人の寡婦がいた。いつもその裁判官の所に来ては、『(早く裁判をして)わたしのため敵に仕返しをしてください』と言っていた。
18:4 裁判官はしばらくの間は取り合おうとしなかったが、あとでひそかに考えた、『わたしは神を恐れず、人を人とも思わないが、
18:5 この寡婦はどうもうるさくて、やりきれないから、(裁判をして、)この女のために仕返しをしてやろう。そうしないと最後にはやって来て、わたしをどんなひどい目にあわせるか知れない。』」
18:6 それから主は言われた、「この不埒な裁判官の言うことを聞け。
18:7 (こんな男でもこのとおり。)まして神が、夜昼叫んでいるその選ばれた人々のために仕返し(の裁判)をせず、気長に放っておかれることがあろうか。
18:8 わたしは言う、間もなく彼らのために仕返しをされるであろう。しかし人の子(わたし)が来るときに、はたして地上に信仰(をもつ人)が見当るだろうか!」

塚本訳 ロマ 12:18-21
12:18 出来るなら、(少なくとも)あなた達の方では、どんな人とも仲良くせよ。
12:19 愛する者たちよ、自分で仕返しをするな、(裁きの日の神の)怒りにまかせよ。こう書いてあるではないか、「主は言われる、『仕返しはわたしのもの、』わたしが『報いをする』と。」
12:20 むしろ、『あなたの敵が飢えているなら、食べさせてやれ。渇いているなら、飲ませてやれ。こうするのはその頭に炭火を積むことであるから、(いつかは恥じて悔改める。)』
12:21 悪に勝たれるな、善によって悪に勝て。


●では「復讐は神に任せる」ということすらなかなか出来ないのに、さらに進んで「敵を愛す」ということまでなかなかできないものだ。それが実行できる道は次である。自分の罪が赦されて初めて人を赦せて復讐せずに済む。

塚本訳 マタ 18:21-34
18:21 その時ペテロが進み寄ってたずねた、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したとき、何度赦してやらねばなりませんか。七度まででしょうか。」
18:22 イエスがこたえられた、「いや、あなたに言う、七度までどころか、七十七度まで!
18:23 だから天の国は、王が家来たちとの貸し借りを清算しようとするのに似ている。
18:24 清算を始めると、(王に対し)一万タラント[三百億円]の借りのある家来がつれて来られた。
18:25 返すことができないので、主人は(その家来に、)自分も妻も子も持ち物も全部売って返すように命じた。
18:26 家来はひれ伏して、しきりに願った、『しばらく待ってください。全部お返ししますから。』
18:27 そこで主人は気の毒に思って、身柄をゆるした上、借金にまで棒を引いてやった。
18:28 ところがその家来は出ていって、自分に百デナリ[五万円]を借りているひとりの同僚に出合うと、これをつかまえ、喉頚をしめて、『借りているものを返せ』と言った。
18:29 同僚はひれ伏して、『ちょっと待ってくれ。返すから』と頼んだ。
18:30 しかし承知せず、(裁判官につれて)行って、負債を返すまで牢に入れた。
18:31 その人の同僚たちはこの出来事を見て非常に悲しみ、行って、出来事の一部始終を主人に報告した。
18:32 すると主人はその家来を呼び出して言う、『不埒な家来、あなたが頼んだから、わたしはあの負債に全部、棒を引いてやったのだ。
18:33 だからあなたもわたしに情をかけてもらったように、同僚に情をかけてやるべきではなかったのか。』
18:34 そこで主人は怒って、負債を全部返すまでその男を獄吏に引き渡した、(という話。)

塚本訳 ヨハ 8:3-7
8:3 すると聖書学者とパリサイ人とが、姦淫の現行犯を押えられた女をつれてきた。みんなの真中に立たせて、
8:4 イエスに言う、「先生、この女は姦淫の現場を押えられたのです。
8:5 モーセは律法で、このような女を石で打ち殺すように命じていますが、あなたはなんと言われますか。」
8:6 こう言ったのは、イエスを試して、訴え出る口実を見つけるためであった。イエスは身をかがめて、黙って指で地の上に何か書いておられた。
8:7 しかし彼らがしつこく尋ねていると、身を起こして言われた、「あなた達の中で罪(をおかしたこと)のない者が、まずこの女に石を投げつけよ。」


塚本訳 マタ 6:12-15
6:12 罪を赦してください、わたしたちも罪を犯した人を赦しましたから。
6:13 わたしたちを試みにあわせないで、悪から守ってください。
6:14 (祈る前に、まず人の罪を許さねばならない。)あなた達が人の過ちを赦してやれば、天の父上もあなた達を赦してくださるが、
6:15 人を赦さないならば、父上もあなた達の過ちを赦してくださらないであろう


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朝の黙想、終わり。神の恩寵が降ることによって出なければ、「イスラム国」を赦せない。それによって「赦せる」。その時神の栄光が上がる。イスラム教の聖典はモーセ五書、詩篇、福音書、コーランの四つである。

●東京聖書読者会のKT氏が信仰を持つようになったのは、戦時中米国の教会は日本の教会のために祈って献金していた事実を戦後になって聞いたからである。その時氏は「日本は軍事で負けたのではなく精神面で負けたのである」と悟ったからであると言われた。
●また塚本先生の弟子の川野正七氏は長崎の原爆で被爆、しかし「米国を恨まない、日本が先に仕掛けた戦争だ」と言われた。

●TSK日本語版哀歌2章
●夕方散歩。秋留台公園。一族郎党31名の名前を上げて祷り。
●「祈りは最高の武器」「遠隔の祈りに効果あり」「神がその人に教えてくださる」
●「一番大切な事(Ⅰコリ 15:3)に身を挺したパウロの言葉を5か所瞑想。
●私の残りも少ない。「一番大切な事」に身を捧げて「花と散る」人生でなければならないと思いつながら、妻の用意してくれる夕飯を目指して帰途に就いた。





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同時代人からは捨てられる石となれ ++++++++ 所感

2015/01/25 06:24

150125(日)キリスト者の皆様お早うございます。●昨日NHKEテレで鈴木範久氏が「内村鑑三のことば」を話していた。その中で、ある牧師の研修会で、休み時間に多くの人が内村鑑三の「聖書之研究」を読んでいたことがあったという逸話を紹介された。こういうことは良く聴く。塚本先生の「聖書知識」も牧師の説教のネタ本になっていたらしい。●今朝はこの現象を黙想してみよう●「同時代人からは捨てられる石となれ」という標題にする。●真理や真実の人はこの世の制約の中に生きる同時代人からは疎まれ邪魔者にされて排斥される。その例は枚挙に暇がない。キリスト、パウロ、原始教団、宗教改革者たち、ダンテ、再洗礼派、日蓮、親鸞、トルストイ、内村鑑三、無教会の先達、その他芸術の世界でも前衛は追放される。音楽では生きているうちには今日もてはやされている名曲は本人が生きているうちは演奏されなかったものがある。バッハ「マタイ受難曲、シューベルト未完成。●「同時代人に受け入れられなかった」というのはその時代の「この世的制約」からはみ出たものだから「先を行く」ものは受け入れがたかったのだ。●幸福論のカールヒルティは「同時代人に対して『鉄の額』を持ち続けるような生き方をせよ」と言っている。こういう人が人類に真に貢献するのだと言っている。といってやたらと同時代を断罪するような「改革を叫ぶ野党」になれと言っているのではない。常に「体制や支配者や職場の上司や教師や親に反抗せよと」言うのではない。神に従う道は結果として同時代人やマスコミや家族や所属教会から嫌われるのだ。理解されないものだ。しかしその人を追放したり殺したりするときにその真価が見直されるのである。「この世は常に制約があって愚か」である。●クラウス(?記憶)の「ダンテ伝」の最後。「ダンテは謎の人であった。しかし彼を理解する少数の人に対して彼は天国への道を開いた」。●内村鑑三も同じ。同時代の国人や教会からは捨てられたが、今や「もてはやされて」いる。内村鑑三が有名になったのは戦後になってその弟子や無教会者達が「この世的に有名になった」からである。だから内村の本質を見ていない。見えてない。「実だけを見て木を見ていない」「根を理解してない」。●この現象に関連することを聖書に見てみよう。思いつくまま。

口語訳 イザ 53:1-5
53:1 だれがわれわれの聞いたことを/信じ得たか。主の腕は、だれにあらわれたか。
53:2 彼は主の前に若木のように、かわいた土から出る根のように育った。彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。
53:3 彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
53:4 まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
53:5 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。

塚本訳 マタ 21:42
21:42 イエスは彼らに言われた、「あなた達は聖書で(この句を)まだ読んだことがないのか。──『大工たちが(役に立たぬと)捨てた石、それが隅の土台石になった。これは主のなされたことで、われわれの目には不思議である。』

塚本訳 ヨハ 1:1-5
1:1 (世の)始めに、(すでに)言葉はおられた。言葉は神とともにおられた。言葉は神であった。
1:2 この方は(世の)始めに神とともにおられた。
1:3 一切のものはこの方によって出来た。出来たものでこの方によらずに出来たものは、ただの一つもない。
1:4 この方は命をもち、この命が人の光であった。
1:5 この光は(いつも)暗闇の中に輝いている。しかし
暗闇(のこの世の人々)は、これを理解しなかった。

塚本訳 ヨハ 1:9-13
1:9 この方(言葉)は、この世にうまれて来るすべての人を照らすべきまことの光であった。
1:10 この世に来ておられ、世はこの方によって出来たのに、世はこの方を認めなかった
1:11 いわば自分の家に来られたのに、家の者が受け入れなかったのである
1:12 しかし受け入れた人々、すなわち、その名を(神の子であることを)信じた人には一人のこらず、神の子となる資格をお授けになった。
1:13 この人たちは、人間の血や、肉の欲望や、男の欲望によらず、神(の力)によって生まれたのである。

塚本訳 マタ 16:21-23
16:21 この時から、イエスは自分が(神の計画どおり)エルサレムに行って、長老、大祭司連、聖書学者たちから多くの苦しみをうけ、殺され、そして三日目に復活せねばならないことを弟子たちに示し始められた。
16:22 するとペテロはイエスをわきへ引っ張っていって、「主よ、とんでもない。そんなことは絶対にいけません!」と言って忠告を始めた。(救世主が死ぬなどとは考えられなかったのである。)
16:23 イエスは振り返って、ペテロに言われた、「引っ込んでろ、悪魔、この邪魔者!お前は神様のことを考えずに、人間のことを考えている!

塚本訳 使  13:26-31
13:26 兄弟の方々──アブラハムの子孫の方々と、あなた達の中の敬神家の方々よ、(神から)わたし達に、この(イエスの)救いを知らせる『言葉は送られたのです。』
13:27 なぜなら、エルサレムに住んでいる人と彼らの(最高法院の)役人たちとは、この方がわからず、安息日のたびごとに朗読される預言者たちの言葉もわからずに、判決を下してそれを成就し、
13:28 死罪にあたるなんの罪も認められないにもかかわらず、ピラトに願って彼を死刑にしてしまったのだから。
13:29 そして彼について(聖書に)書いてあることを一つのこらず完了すると、(十字架の)木から(死体を)下ろして墓に納めた。
13:30 しかし神は彼を死人の中から復活させられ、
13:31 彼はガリラヤからエルサレムに一緒に上ってきた人たちに、幾日もの間御自分をお現わしになったので、(この復活の主を目のあたり見た)この人たちが、今(イスラエルの)民に対して彼の証人になっています。

塚本訳 使  13:45-52
13:45 すると(神の言葉は自分たちだけのものと思っていた)ユダヤ人たちは、(異教人の)群衆を見て嫉妬にかられ、(イエスを)冒涜しながら、パウロの話すことに反対した。
13:46 そこでパウロとバルナバとは公然こう宣言した、「神の言葉は(お約束どおり)まず第一に、君たち(ユダヤ人)に語られねばならなかった。(だから、そうしたのだ。)しかし君たちがそれをはねつけ、自分で自分を永遠の命にふさわしからぬ者とするので、それでは、よし、異教人(の伝道)へ方向をかえる。
13:47 主はこのようにわたし達(伝道者)にお命じになっているから。『わたしはあなたを立てて異教人の光にした、あなたが地の果てまで救いを伝えるために。』」
13:48 これを聞いて異教人は喜び、主の言葉を讃美し、永遠の命へあらかじめ定められていた者はみな信者になった。
13:49 こうして主の言葉がこの地全体に広まった。
13:50 しかしユダヤ人は敬神家の上流婦人や町の有力者をそそのかし、パウロとバルナバとに向かって迫害を起こさせ、二人をその土地から追い出した。
13:51 二人は彼らに対し(縁を切った証拠に)足の埃を払いおとして(そこを去り、)イコニオムへ行った。
13:52 しかし(アンテオケの主の)弟子たちは(失望どころか、かえって)歓喜と聖霊とに満たされていた。

塚本訳 使  18:5-6
18:5 しかしシラスとテモテとがマケドニアから下ってきてからは、パウロは(生活の心配がなくなったので)ただ御言葉(を伝えること)に身をゆだね、ユダヤ人にイエスが(彼らの待ち望んでいる)救世主であることを証しした。
18:6
しかしユダヤ人にはこれに反対して(イエスを)冒涜するので、パウロは(絶縁のしるしに)上着の塵を払いおとして彼らに言った、「(最後の裁きの日に流す)あなた達の血の責任は、あなた達自身に負わされる!わたしは良心の咎めなく(あなた達をすてて、)今からのち異教人へ(伝道に)行く。」

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朝の黙想おわり。これから妻と集会へ行く。

●集会は、川上(司会)、横田(教会史)。無教会集会はどんな形が良いのかどの無教会主義集会も模索している。共通のこととして言えるのは人間(先生や伝道者)が中心では行き詰るということである。これはプロテスタント教会も同じ。牧師が中心だと行き詰る。それは人間だから。牧師の敵は役員会、役員会のの敵は牧師。常にゴタゴタがある。教会員は信仰が窒息して苦しんでいる。
●午後は妻はロ短調ミサ曲の練習。
●14:00 私はキララホールへ。

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キララホール。。「海老沢敏レクチャー付き、NHK交響楽団メンバーらによる室内楽」

モーツァルト「クラリネット五重奏曲」が素晴らしかった。クラリネット松本健司(N響首席)
ホール(都内有数のよい響きがする)のせいかもしれないが、クラリネット(私は中学の時のブラスバンドでクラリネットであった)はこんなに良い音色なのかとほとほと感心した。キララホールの音響(佐藤総合計画+永田音響設計)も今更のようにその良さを感じた。このゆなホールが「わが町」にあることを誇りに思う。

●「イスラム国」が邦人の湯川さんを殺害。終末の時には戦争と戦争の噂を聞くとイエスは言い、パウロは「一番大切な事」としてキリストの死と有体的復活を言っている。ここに思いを向けないと心が落ち着かない。




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なぜ「一番大切なこと」なのか ++++++++ 所感

2015/01/24 05:50

50124(土)3時半目覚め、4時半起床●朝の黙想「なぜ『一番大切なことを』なのか」●キリスト者の皆様お早うございます。●毎朝「キリスト者の皆様へ」と題して書き始める聖書的根拠は次である。あらかじめ定められている「恩恵の選びによる残りの者」を」対象にしている。

塚本訳 使 13:46-49
13:46 そこでパウロとバルナバとは公然こう宣言した、「神の言葉は(お約束どおり)まず第一に、君たち(ユダヤ人)に語られねばならなかった。(だから、そうしたのだ。)しかし君たちがそれをはねつけ、自分で自分を永遠の命にふさわしからぬ者とするので、それでは、よし、異教人(の伝道)へ方向をかえる
13:47 主はこのようにわたし達(伝道者)にお命じになっているから。『わたしはあなたを立てて異教人の光にした、あなたが地の果てまで救いを伝えるために。』」
13:48 これを聞いて異教人は喜び、主の言葉を讃美し、永遠の命へあらかじめ定められていた者はみな信者になった。
13:49 こうして主の言葉がこの地全体に広まった。

塚本訳 使 18:4-6
18:4 パウロは安息日のたびごとに礼拝堂で話をして、ユダヤ人、異教人の別なく、説得しようとした。
18:5 しかしシラスとテモテとがマケドニアから下ってきてからは、パウロは(生活の心配がなくなったので)ただ御言葉(を伝えること)に身をゆだね、ユダヤ人にイエスが(彼らの待ち望んでいる)救世主であることを証しした。
18:6 しかしユダヤ人にはこれに反対して(イエスを)冒涜するので、パウロは(絶縁のしるしに)上着の塵を払いおとして彼らに言った、「(最後の裁きの日に流す)あなた達の血の責任は、あなた達自身に負わされる!わたしは良心の咎めなく(あなた達をすてて、)今からのち異教人へ(伝道に)行く。」

塚本訳 ロマ 9:25-27
9:25 (異教人の中から憐れみの器が選ばれることは、不思議ではない。)神がホセア書でも言っておられるとおりである。『わたしはわたしの民でない者をわたしの民と呼び、愛されぬ者を愛される者と呼ぶであろう。』
9:26 『「あなた達は私の民でない」と言われたその場所で、彼らは生ける神の子と呼ばれるであろう。』
9:27 (預言者)イザヤもイスラエル人について叫んでいる。『たとえイスラエル[ヤコブ]の子孫の数は海の砂のように(多数)であろうとも、(信ずる小数の)残りの者(だけ)が救われる

塚本訳 ロマ 11:3-5
11:3 「主よ、『彼らはあなたの預言者たちを殺しました。あなたの祭壇を破壊しました。そしてわたしだけが残っているのに、そのわたしの命をねらっています。』」
11:4 ところが彼に対する神のお告げはどうであるか。──「『わたしは(異教の神)バアルに膝をかがめなかった男子七千人を』自分のために『残しておいた。』」
11:5 だから、同じように今の世にも、恩恵の選びによる残りの者がある。

塚本訳 ルカ 16:25-26
16:25 しかしアブラハムは言った、『子よ、考えてごらん、あなたは生きていた時に善いものを貰い、ラザロは反対に悪いものを貰ったではないか。だから今ここで、彼は慰められ、あなたはもだえ苦しむのだ。
16:26 そればかりではない、わたし達とあなた達との間には大きな(深い)裂け目があって、ここからあなた達の所へ渡ろうと思っても出来ず、そこからわたし達の所へ越えてくることもない。』

塚本訳 ルカ 16:28-31
16:28 わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。』
16:29 しかしアブラハムは言う、『(その必要はない。)彼らにはモーセ(律法)と預言書と[聖書]がある。その教えに従えばよろしい。』
16:30 彼が言った、『いいえ、父アブラハムよ、もしだれかが死人の中から行ってやれば、きっと悔改めます。』
16:31 しかしアブラハムは答えた、『モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。』

●来る3月1日の集会感話は「福音伝承」の発端である最古の言葉である。古来、これが歴史の最古層であることだと言われて来た。

塚本訳 Ⅰコリ15:3-5
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。

●今朝はこの「一番大切な事」に注目する。なぜ「一番大切な事」なのか探求である。

塚本訳 ヨハ 3:16
3:16 そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである。


口語訳 黙  21:3-4
21:3 また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、
21:4 人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。

塚本訳 マタ 11:28-29
11:28 さあ、疲れている者、重荷を負っている者はだれでも、わたしの所に来なさい、休ませてあげよう。
11:29 わたしは心がやさしく、高ぶらないから、わたしの軛を負ってわたしの弟子になりなさい、そうすれば『魂の休息が得られよう。』

口語訳 エペ 1:7-9
1:7 わたしたちは、御子にあって、神の豊かな恵みのゆえに、その血によるあがない、すなわち、罪過のゆるしを受けたのである。
1:8 神はその恵みをさらに増し加えて、あらゆる知恵と悟りとをわたしたちに賜わり、
1:9 御旨の奥義を、自らあらかじめ定められた計画に従って、わたしたちに示して下さったのである。

塚本訳 ルカ 22:42-44
22:42 言われた、「お父様、お心ならば、どうかこの杯をわたしに差さないでください。しかし、わたしの願いでなく、お心が成りますように!」
22:43 そのとき天から一人の天使がイエスに現われて、力づけた。
22:44 イエスはもだえながら、死に物狂いに祈られた。汗が血のしたたるように(ポタポタ)地上に落ちた。

塚本訳 マタ 26:51-54
26:51 すると、見よ、イエスと一しょにいた一人の人が手をのばして剣を抜き、大祭司の下男に切りかかって片耳をそぎ落してしまった。
26:52 その時イエスが言われる、「剣を鞘におさめよ。剣による者は皆、剣によって滅びる。
26:53 それとも、父上にお願いして十二軍団以上の天使を今すぐ送っていただくことが、わたしに出来ないと思うのか。
26:54 しかしそれでは、かならずこうなる、とある聖書の言葉は、どうして成就するのか。」


塚本訳 マコ 2:0-11
2:1 数日の後、カペナウムにかえられると、家におられることがすぐ知れわたって、
2:2 もはや門口にも場所がないほど、大勢の人が集まってきた。この人たちに御言葉を語っておられると、
2:3 人々が一人の中風の者を、四人にかつがせてつれて来る。
2:4 群衆のためイエスのところにつれて行けないので、おいでになる所の(上の)屋根をはがして穴をあけ、中風の者を担架に寝かせたまま(イエスの前に)吊りおろす。
2:5 イエスはその人たちの信仰を見て(驚き)、中風の者に言われる、「子よ、いまあなたの罪は赦された。」
2:6 数人の聖書学者がそこに坐っていたが、心の中で考えた、
2:7 「この人はなぜあんなことを言うのだろう。冒涜だ。神お一人のほか、だれが罪を赦せよう。」
2:8 イエスは彼らがひそかにこう考えているのを、すぐ霊で見抜いて、「なんで、そんなことを心の中で考えているのか。
2:9 この中風の者に、あなたの罪は赦された、と言うのと、起きて担架をかついで歩け、と言うのと、どちらがたやすい(と思う)か。
2:10 では、人の子(わたし)は地上で罪を赦す全権を持っていることを知らせてやろう」と彼らに言いながら、中風の者に言われる、
2:11 「あなたに命令する、起きて担架をかついで、家に帰りなさい。」


塚本訳 マタ 26:26-28
26:26 (ユダが立ち去ったあと、)彼らが食事をしているとき、イエスは(いつものように)パンを(手に)取り、(神を)賛美して裂き、弟子たちに渡して言われた、「取って食べなさい、これはわたしの体である。」
26:27 また杯を取り、(神に)感謝したのち、彼らに渡して言われた、「皆この杯から飲みなさい。
26:28 これは多くの人の罪を赦されるために流す、わたしの『約束の血』であるから。

塚本訳 マタ 19:16-23
19:16 するとそこに、ひとりの人がイエスの所に来て言った、「先生、永遠の命を得るには、どんなよいことをすればよいでしょうか。」
19:17 イエスは言われた、「なぜ善いことについってわたしに尋ねるのか。善いお方はただ一人(神)である。(永遠の)命に入りたければ、(神の)掟を守りなさい。」
19:18 「どの掟を」と彼が言う。イエスはこたえられた、「『殺してはならない、姦淫をしてはならない、盗んではならない、偽りの証言をしてはならない、
19:19 父と母とを敬え、』また『隣の人を自分のように愛せよ。』」
19:20 青年が言う、「それならみんな守っております。まだ何か足りないでしょうか。」
19:21 イエスは言われた、「完全になりたければ、家に帰って持ち物を売って、(その金を)貧乏な人に施しなさい。そうすれば天に宝を積むことができる。それから来て、わたしの弟子になりなさい。」
19:22 青年はこの言葉を聞き、悲しそうにして立ち去った。大資産家であったのである。
19:23 イエスは弟子たちに言われた、「アーメン、わたしは言う、金持が天の国に入ることはむずかしい。

塚本訳 ヨハ 11:24-26
11:24 マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」



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朝の黙想探求終わり。一番大切な事は罪の赦しと永遠の命。神はそれを十字架と有体的復活を持ってこの世に示してくださった。見える形で証明してくださった。人の幸福は罪の赦しと永遠の命。だからこれが「一番大切なこと」なのだ。


●3月1日の感話の標題は次のようにしよう


なぜ「一番大切な事」なのか・・・人の幸福は罪の赦しと永遠の命。十字架と有体的復活はその証明




●13:00 NHKTV[こころの時代・内村鑑三の言葉。」第4回「真理と寛容」を妻と観る。内容は無教会(新聞の番組表は「『無教会」の原点とは」となっている)。
●日本に無教会が確立したのは内村鑑三からではなくでなく塚本虎二からであったという北森嘉蔵の指摘(「日本の宣教」)は至言である。しかし塚本虎二の無教会に対する過激な思想を内村が批判したということが、今日このように公共放送で発信せられては無教会が不利である。
●しかしながらそもそも無教会は人間塚本から出たものではなく、神から出たものであるから潰れない。消えない。

●一昨年、「無教会の外部評価」としてブログに掲げたものを再掲する。


130730(火)朝の黙想「無教会主義の外部評価」今年の「塚本虎二先生記念会」でスピーチすることを黙想する。無教会主義の自己主張、自画自賛などの自己評価は数多く聞いてきたが評価というのは外部評価に価値がある。私が見聞きした主なるものを年代順に記して見よう.。「敵はよく自分の本質を教えてくれる」

①●
岩下壮一(
18899月18 - 194012月3は、カトリック司祭哲学者大正から昭和初期の日本カトリック教会の精神的指導者)

無教会主義が真のキリスト教ならば、天父がイエズスを遣わしたまいしことも、またイエズスを愛したまいしごとく信者をも愛したもうことも、世はさとることが出来ない。主の求められた一致は、「世のさとらんがため」のしるしでもあった。見えないしるしはしるしでは」ない。(「愛の要求としての教権」1939年昭和14年3月「カトリック」第19巻第2号。岩下壮一全集第4巻「信仰の遺産」に所収P97

神の立たまえる教権を蔑視したむくいとして、かれら(ルターに始まるプロテスタント・・・高橋注)はかえって人間的権威のとりことなってしまい、ついには一人一教会主義の先生(暗に塚本虎二を指す・・・高橋注)の弟子などという者まで出現してしまったのである。(「愛の要求としての教権」1939年昭和14年3月「カトリック」第19巻第2号。岩下壮一全集第4巻「信仰の遺産」に所収P118



②●
武藤富男((むとう とみお、
1904明治37年)2月20 - 1998平成10年)2月7)は、日本官僚教育者キリスト教牧師(伝道師)、恵泉女学園理事長、東京神学大学理事長なども歴任)

塚本虎二への個人インタビュー記事

武藤「私はこう思いますね。信仰によって義とせられるというプロテスタンティズムを徹底的に推し進めて行けば、どうしても無教会主義にならざるを得ない

------
ここで塚本先生は「わが意を得たり」とばかり、莞爾(かんじ・・・にっこりと笑う様、高橋注)として笑い、パンパンパンと三つ手を拍((う)つ。------ 


武藤「(無教会主義では)個人(先生)の信仰的影響は会員に及ばずにいないでしょう」
塚本「そうです。無教会はどうしても一人の先生に頼りきるから、その人の個人性が強くなる。
   しかし個人といっても、そのなかには信仰を含んでいる。

武藤「教会主義のほうでも牧師の個人性が大きな影響を及ぼしますね。例えば植村正久のご 
   とき」
塚本「そうね。そこにまたよいものがあるのでしょう」

(1960年昭和35年5月28日、キリスト新聞)



③●
北森嘉蔵 (
19162月1 - 19989月29は、日本の牧師神学者東京神学大学の教授。神の痛みの神学の提唱者)

彼(内村鑑三・・・高橋注)の根本的立場が「無」教会主義であったことは、「有」と「無」との二元的対立の立場を根底に持っていたことを示す。無教会主義がカント的理想主義と簡単に結びつくのも、その間の消息を示すといえよう。(南原繁『国家と宗教』増補版378,379、386)・・・「日本的心性」日本基督教団信仰職制委員会編『福音の土着』1962年昭和37年12月P63

内村の無教会というが、無教会主義が確立したのは塚本になってからだ。内村と教会の対決ということはなかったと思う。内村が多少扱いがたい相手だったことはあろうが。(「日本的心性」日本基督教団信仰職制委員会編『福音の土着』1962年昭和37年12月P66)  


 ④●
桑田秀延(くわた ひでのぶ、(
18952月28 - 19754月16)は、日本基督教団神学者牧師。元東京神学大学学長)

無教会の信仰的な特色としては、形成せられた教会には反対しながらも、聖書の権威を認めこれを基礎としているので、健全なる気風を示しています。無教会とはよびながら、聖書の記すエクレシアは認めている人が多いようです。過去において教会と無教会とは互いに反目してきましたが、近時は世界教会協議会でも無教会の声をきこうとしており、日本でも聖書の学会等においては協力的姿勢がつよくなりつつあります。(1982年昭和57年7月東神大パンフレット「教会論入門」P14)


⑤●
田川建三((たがわ けんぞう、
1935 - は、日本の新約聖書学者、著述家。宗教批判を通じて現代批判を試みた著作でも知られる。「神を信じないクリスチャン」[1]を名乗る。)

(今や)無教会が日本のキリスト教の最も先進的な部分(聖書研究や翻訳・・・高橋注)を担うという状況ではなくなったのである。その流れの中からファナティック(狂信的・・・高橋注)な信心集団が出て来たり、全体としてひどく保守化したしする、古くさい師弟関係を強調したり(「教会」という権威の代わりに、個人=師匠の権威が生じた。それが日本的に古くさい人間関係と結びついた)、今や無教会に昔日の影はない。そして教会系の信者の中からも、すぐれて批判的な研究をする人物が大勢出てきたので、無教会の学者がその中に埋もれて目立たなくなった、ということもある。それに今となっては、聖書学の世界ではもはやほとんどカトリックの学者とプロテスタントの学者の間区別さえなくなったくらいだから、まして同じプロテスタントの流れの中で誰が無教会系で誰が教会系などと気にすることもなくなったのである。そういった様々な事情で1960年末以降は、もはや日本の聖書学と言えば無教会という時代は終わったのであるが、それまでの間に無教会の人々が聖書の研究と翻訳の分野で果たした貢献は大きく評価されなければならない。彼らが存在しなければ我々(田川も含む・・・高橋注)教会の出身者が聖書学をやろうにも・・・(中略)・・・とても受け付けられなかった。(1997年昭和9年1月「書物としての聖書」P661

⑥●
エミール・ブルンナー(Emil Brunner,
188912月23 - 19664月6)は、スイス出身のプロテスタント改革派神学者であり、カール・バルトと共に弁証法神学運動の草創期を担った新正統主義の代表的神学者である。)


無教会の人々が彼らの中に新約聖書的なエクレシアがその日本的形態を取ったと考えることは理解できる。(中略)この運動(無教会主義のこと。・・・高橋注、無教会主義は運動ではない・・・高橋意見)の存続はどのように守られるかという問いを投げかけるならば、答えはこうである。それについては神が心配してくださるであろう、これまでもそうなさったように。個々のグループがただ完全に自立的であるだけでなく、組織的関連のないままにそうである限り、教会化の危険はわずかであり、即時的に存在する荒廃と分裂の危険も今までのところ現れてきていない。(ブルンナー著作集第4巻教義学(上)近藤勝彦訳・教文館発行1998年P197


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朝の黙想終わり。神の植え給う樹は枯れない。権威は教会にも聖書にも師匠にもなく、「生ける神」ご自身にある。神ママに生きることが信者の生き方だ。












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癌による死亡率5割時代の霊魂の救い ++++++++ 所感

2015/01/23 06:35

150123(金)キリスト者の皆様お早うございます。この年齢になると夜中に2-3回トイレに立つことは普通だと医者に言われているので気が休まる。●今朝は「癌による死亡率5割時代の霊魂の救い」について黙想した。●嫁(三人のうちの一人)の父親が癌の宣告を受けてすでにその余命の期間を過ぎている。だから召される時も間もなくだと思う。●私はその嫁に「死は眠りだ」と言って信仰を励まして、その父親が安らかに逝けるように祈っている。

塚本訳 ルカ 8:52
8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。」


●幸い嫁もその父親も信仰を持っている(日本基督教団の教会員)ので信仰の話が通じる。●翻って9年前にこれまた癌(肺癌)で逝った私の母のことを思う。思うに癌の末期は信仰の真剣勝負だ。●母が肺癌で非常に苦しんでいた時、私は思わず「天国に行けば楽になるよ」と叫んだ。すると母は真剣な顔で「行って見てきたの?」と聞いた。私は次の聖書の黙示録が念頭にあったのだ。

塚本訳 黙  21:4
21:4 彼らの目から悉く涙を拭い取り給うであろう。最早死もなく、悲嘆(かなしみ)も叫喚(さけび)も疼痛(いたみ)も最早無いであろう。初めの(天と地にあった)ものが(すっかり)消え去ったからである。」


●私の50年の祷り空しく信仰を持たずに間もなく逝った。私は愕然とした。途方に暮れた。母の霊魂はどうなるのだろうか。
●後日篤信の某氏にこの事情を話すと「行って見てきたんだ」と言えば良かったのだと言われた。しかしその時は母に嘘はつけない。「坊主、見てきたような嘘を言い」である。
●ではキリスト者は、癌末期の臨終の人に嘘をつかずにどう言って慰めれば良いのだろうか。今朝はこの難問を神の子キリストに聞いてみよう。
●それは愛するラザロの死に対する姉(おそらく)の真剣勝負のやりとりである。信仰は死を巡って真剣勝負のやり取りで得られる。生きるか死ぬかの場面にならないと信仰は与えられない。

塚本訳 ヨハ 11:21-27
11:21 マルタがイエスに言った、「主よ、あなたがここにいてくださったら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。
11:22 しかしあなたがお願いになることなら、神様は何でもかなえてくださることを、わたしは今でも知っています。」
11:23 イエスは言われる、「あなたの兄弟は生き返る。」
11:24 マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」
11:27 イエスに言う、「はい、主よ、(信じます。)あなたが救世主で、神の子で、世に来るべき方であると、私は信じています。」


●これはどういうことか。終末の時には万物が復活するということでは安心立命できない。頭だけの信仰である。イエスは「生きている私を」信ぜよ、とあくまでも現在の安心立命を言っている。
●私が母に「天国に行けば楽になる」と言ったのは母には効果がなかったのだ。
●霊魂の救いは今、この世に行けているうちにその信仰を与えられなければ安心立命しないのである。
●その意味で篤信の某氏が私に言った「行って見た来たのだと言えばよかったのだ」。という言葉は奥が深い。
●生きて神とキリストを信じている者は来世が地続きである。
●母を看取ったO医師(その夫人はクリスチャン)は肉体の痛みは医学の進歩で、だんだん軽減されていくが、残るのはメンタルの面であると言っている。今後キリスト者はこの面に貢献しなければなたない。なぜか。死は100%誰にもおとづれるもので全員が「間もなく」「お迎えが来る」ものである。
●しかし、今は「癌による死亡率が5割」であるから、急務である。

塚本訳 Ⅱコリ6:2
6:2 『恵みの時にわたしはあなたの願いを聞きとどけ、救いの日にわたしはあなたを助けた。』と神は仰せられるではないか。見よ、今や『大いなる恵みの時』、見よ今や『救いの日』!

塚本訳 ヨハ 12:35
12:35 するとイエスは(それには答えず、)彼らに言われた、「もうしばらくの間、光はあなた達のところにある。光のある間に(早く)歩いて、暗闇に追い付かれないようにせよ。暗闇を歩く者は、自分がどこへ行くのか知らない。


●信仰が与えられれば、終末を待たずに生きているうちに復活の喜びを与えられる。これはヨハネ福音書の根本思想で、神学的には「「現在終末論」という。(Realized Eschator\logy)
●東京聖書読者会の先輩のTTさんは生まれたとき臍の緒が首にからみついて脳の障害になり、生涯お苦しみになられた。経済的にも大変であり何よりもみんなに馬鹿にされた。しかし御遺体の顔にかけられた白い布を取ったら、なんとニコニコしておられた。万歳、凱旋だった。勝利の生涯だった。
●私の父は晩年病に伏したが、次の言葉を言って耐えた。

文語訳 Ⅱコリ4:16
4:16 この故に我らは落膽せず、我らが外なる人は壞るれども、内なる人は日々に新なり。


●最近は「死ぬなら癌で死にたい」という声をちらほら聞く。家人に迷惑をかけないでサット逝けるからだというのがその理由だ。私の死因は「癌」、それも肺癌と予告されているが、どうなるかわかtらない。御心のままに、御心のままに。しかしどうなろうとも次のような信仰で人生を駆け抜けたい。

塚本訳 Ⅰペテ1:5-8
1:5 (そして)君達は最後の時に顕れる準備の(既に)出来ている救いに入るために、信仰によって神の力に護られる。
1:6 (もちろん)その時には(大いに)喜ぶ(であろう)が、もし(御意により)必要ならば、今は少し様々な試練に(悩み)悲しまねばならない。
1:7 これは君達の信仰が、火によって本物であると証明された(この世の)はかない金よりも尊い本物であることが判り、イエス・キリストの顕現の時に(君達の)面目また光栄また栄誉とならんためである。
1:8
君達は彼を(目のあたり)見たことはないが、(これを)愛し、今も見ることは出来ないが、(これを)信じて、(既にかの日の)輝きに満ちた、言語に絶する喜悦を喜んでいる。


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朝の黙想終わり。この人生、信仰を持って希望をもって安らかに生き抜きたい。


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宝石の魔力 ++++++++ 所感

2015/01/22 06:06

150122(木)キリスト者の皆様お早うございます●昨日NHKは国際宝飾展(1月21日から東京東京ビッグサイト)を報じた。中には一億円もするネックレスがある。●「宝石」というと女性が目を輝かすのはなぜだろう。●2006年、イスラエル旅行の途次、ロンドンで宝石館があった。そこに入った同行のYさんは旅の疲れが癒された。●私は26歳で結婚したが、貧困だったので、妻に結婚指輪を買えなかった。もっとも妻がいらないと言ったからかもしれないが、理由は忘れた。後年それを知ったN夫人(故人)が「高橋さん!なんてかわいそうなことをしたの」と言って私を叱り、宝石店に連れて行って半額を出し、「高橋さん、残りはあなたが払いなさい」と言って品物を渡された。しかし妻は普段その指輪をつけていない。●ある旅行の時、孫娘の一人がティアラ(頭に乗せる王冠の宝石)が欲しいと言ったので妻が購入した。もちろん模造品だと思うが。・・・・・かくのごとく女性にとっては「宝石」は魅力的なものらしい。喜びであるらしい。魔力ですらあるらしい。●マテマテ、男にとっても宝石はある。石炭は「黒いダイヤ」である。男にとっては「金(かね)」が宝石だ●そこで今朝は「宝石」について聖書を「ネットサーフィン」して黙想してみよう。思いつくまま。TSKを利用。

口語訳 箴 31:10-12
31:10 だれが賢い妻を見つけることができるか、彼女は宝石よりもすぐれて尊い。
31:11 その夫の心は彼女を信頼して、収益に欠けることはない。
31:12 彼女は生きながらえている間、その夫のために良いことをして、悪いことをしない。

口語訳 箴  2:3-5
2:3 しかも、もし知識を呼び求め、悟りを得ようと、あなたの声をあげ、
2:4 銀を求めるように、これを求め、かくれた宝を尋ねるように、これを尋ねるならば、
2:5 あなたは、主を恐れることを悟り、神を知ることができるようになる


口語訳 箴  19:14
19:14 家ととは先祖からうけつぐもの、賢い妻は主から賜わるものである


口語訳 箴  3:15
3:15 知恵は宝石よりも尊く、あなたの望む何物も、これと比べるに足りない。


口語訳 箴  8:11
8:11 知恵は宝石にまさり、あなたがたの望むすべての物は、これと比べるにたりない。


口語訳 箴  20:15
20:15 金もあり、価の高い宝石も多くあるが、尊い器は知識のくちびるである。


口語訳 詩  19:9-10
19:9 主を恐れる道は清らかで、とこしえに絶えることがなく、主のさばきは真実であって、ことごとく正しい。
19:10 これらは金よりも、多くの純金よりも慕わしく、また蜜よりも、蜂の巣のしたたりよりも甘い


口語訳 ヨブ 28:12-17
28:12 しかし知恵はどこに見いだされるか。悟りのある所はどこか。
28:13 人はそこに至る道を知らない、/また生ける者の地でそれを獲ることができない。
28:14 淵は言う、『それはわたしのうちにない』と。また海は言う、『わたしのもとにない』と。
28:15 精金もこれと換えることはできない。も量ってその価とすることはできない。
28:16 オフルのをもってしても、/その価を量ることはできない。尊い縞めのうも、サファイヤも同様である。
28:17 こがねも、玻璃もこれに並ぶことができない。また精金の器物もこれと換えることができない。


口語訳 詩  119:72
119:72 あなたの口のおきては、わたしのためには/幾千の金銀貨幣にもまさるのです。/ヨード


口語訳 詩  119:127
119:127 それゆえ、わたしは金よりも、純金よりもまさってあなたの戒めを愛します。


口語訳 箴  3:13-15
3:13 知恵を求めて得る人、悟りを得る人はさいわいである。
3:14 知恵によって得るものは、によって得るものにまさり、その利益は精金よりも良いからである。
3:15 知恵は宝石よりも尊く、あなたの望む何物も、これと比べるに足りない。


口語訳 箴  8:10-11
8:10 あなたがたはを受けるよりも、わたしの教を受けよ、精金よりも、むしろ知識を得よ。
8:11 知恵は宝石にまさり、あなたがたの望むすべての物は、これと比べるにたりない。


口語訳 箴  8:19
8:19 わたしの実は金よりも精金よりも良く、わたしの産物は精銀にまさる。


口語訳 箴  16:16
16:16 知恵を得るのはを得るのにまさる、悟りを得るのはを得るよりも望ましい。

塚本訳 マタ 13:44-46
13:44 天の国は畑に隠されていた宝に似ている。人がそれを見つけると、(またそこに)隠しておいて喜んで立ち去り、持っているものをみな売って、その畑を買うのである。
13:45 さらに、天の国は良い真珠をさがしている商人に似ている。
13:46 高価な真珠を一つ見つけると、持っているものをことごとく売って、それを買うのである。

塚本訳 マタ 6:19-20
6:19 (このように、何事も天の父上相手でなければならない。たとえば)あなたたちは衣魚や虫が食い、また泥坊が忍び込んで盗むこの地上に宝を積まず
6:20 衣魚も虫も食わない、また泥坊が忍び込むことも盗むこともない天に、宝を積んでおきなさい。(そうでないと、心が天に向かないであろう。)


塚本訳 マタ 6:23
6:23 目が悪いと、体全体が暗い。だから(天に宝を積まないため、)もしあなたの内の光(である目、すなわち心)が暗かったら、その暗さはどんなであろう。


塚本訳 マタ 19:21
19:21 イエスは言われた、「完全になりたければ、家に帰って持ち物を売って、(その金を)貧乏な人に施しなさい。そうすれば天に宝を積むことができる。それから来て、わたしの弟子になりなさい。」

塚本訳 ルカ 12:33-34
12:33 (ただ御国のために働けばよろしい。)持ち物を売って施しをしなさい。(すなわちそれによって)自分のために古び(て破れ)ることのない財布をつくり、泥坊が近づくことも、衣魚が食うこともない天に、使いつくすことのない宝をつんでおきなさい。
12:34 宝のある所に、あなた達の心もあるのだから

塚本訳 ルカ 18:22-23
18:22 イエスは聞いて言われた、「もう一つ欠けている。持っているものをことごとく売って、(その金を)貧乏な人に分けてやりなさい。そうすれば天に宝を積むことができる。それから来て、わたしの弟子になりなさい。」
18:23 彼はこれを聞き、しょげてしまった。非常な金持であったのである。

塚本訳 ルカ 18:24-27
18:24 彼を見ると、イエスは言われた、「物持が神の国に入るのは、なんとむずかしいことだろう。
18:25 金持が神の国に入るよりは、駱駝が縫針のめどを通る方がたやすい。」

18:26 聞いている人たちが言った、「それでは、だれが救われることが出来るのだろう。」
18:27 イエスは言われた、「人間に出来ないことが、神には出来る。」

塚本訳 ルカ 16:19-22
16:19 (つぎに、利巧な番頭と反対に、神の国の準備をしなかった人の話を聞け。)一人の金持があった。紫(の上着)と細糸の亜麻布(の下着)を着て、毎日華やかに楽しく暮していた。
16:20 またその金持の門の前に、ラザロという出来物だらけの乞食がねていた。
16:21 せめて金持の食卓から落ちる物で満腹できたらと思った。それどころか、犬まで来て出来物をねぶっていた。
16:22 やがて乞食は死んで、天使たちからアブラハムの懐につれて行かれ、金持も死んで葬られた。

塚本訳 ルカ 16:9-13
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。
16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。
16:11 だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。
16:12 もし他人のもの[この世のこと]に忠実でなかったならば、だれがあなた達のもの[天のもの]をあなた達に与えようか。
16:13 しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。」

塚本訳 使  3:6
3:6 ペテロが言った、「金銀は持っていない。わたしの持っているもの、それをやろう。──ナザレ人イエス・キリストの名で歩きなさい!」

塚本訳 使  20:32-33
20:32 今わたしは(神なる)主とその恩恵の御言葉とに、あなた達をお任せする。この御言葉にはあなた達を造りあげ、『すべてのきよめられた人たち』の仲間に入れ、『(御国の)相続財産を』与える力がある。
20:33 わたしはだれに対しても、金銀や、(高価な)衣服を欲しがったことはない。

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朝の黙想。天の宝を頂きたい。天の宝石を頂きたい。

讃美歌513番

あめにたから つめるものは
げにもさちなるかな
主にまかせし そのよろこび
いかにしてしてかは述べん

すくいぬしの いさおにより
うれしき身となりぬ
なやみおおき 世もさながら
みくにのここちして

主はわがうた わがとろこび
ただひとちのすくい
いざや伝えん よにあまねく
このよきおとずれを

●TSK日本語版エレミヤ書52章。エレミヤ書完了。CDに焼き付けて物置にしまった。
●図書館に本を返却。途中市役所に寄って、「ノルディック・エクササイズ・ウォーキング」のレッスンがあることを教えてくれたTAさんに報告とお礼。
●道端の店で長ネギ100円を購入。妻の依頼


2015_01220002.jpg 

小雨のあきる台地。奥多摩連山は見えない。図書館に行く途中。

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罪は血が流されて清められる ++++++++ 所感

2015/01/21 06:36

150121(水)キリスト者の皆様お早うございます。●昨日発生した「イスラム国の2邦人殺害予告」について日経新聞を読む。●結論は過去の英米のジャーナリストが処刑映像を放映された事例から今回日本政府が身代金を払わなければ処刑は必至。●日本は英米の同盟国とみなされている●異なる宗教基盤の日本政府の対応が注目される。そこで今朝は身代金、血の宗教について、聖書の概念を調べてみよう。頭に思い浮かぶまま。

口語訳 創  8:20-22
8:20 ノアは主に祭壇を築いて、すべての清い獣と、すべての清い鳥とのうちから取って、燔祭を祭壇の上にささげた
8:21 主はその香ばしいかおりをかいで、心に言われた、「わたしはもはや二度と人のゆえに地をのろわない。人が心に思い図ることは、幼い時から悪いからである。わたしは、このたびしたように、もう二度と、すべての生きたものを滅ぼさない。
8:22 地のある限り、種まきの時も、刈入れの時も、暑さ寒さも、夏冬も、昼も夜もやむことはないであろう」。


口語訳 創  8:20-21
8:20 ノアは主に祭壇を築いて、すべての清い獣と、すべての清い鳥とのうちから取って、燔祭を祭壇の上にささげた。
8:21 主はその香ばしいかおりをかいで、心に言われた、「わたしはもはや二度と人のゆえに地をのろわない。人が心に思い図ることは、幼い時から悪いからである。わたしは、このたびしたように、もう二度と、すべての生きたものを滅ぼさない。

口語訳 ヨブ 1:4-5
1:4 そのむすこたちは、めいめい自分の日に、自分の家でふるまいを設け、その三人の姉妹をも招いて一緒に食い飲みするのを常とした。
1:5 そのふるまいの日がひとめぐり終るごとに、ヨブは彼らを呼び寄せて聖別し、朝早く起きて、彼らすべての数にしたがって燔祭をささげた。これはヨブが「わたしのむすこたちは、ことによったら罪を犯し、その心に神をのろったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつも、このように行った。

塚本訳 マタ 23:33-36
23:33 蛇!蝮の末!どうして君たちは地獄の刑罰を免れることができようか。
23:34 だから、わたしが預言者や知者や聖書学者を派遣すると、君たちはそのある者を殺し、また十字架につけ、ある者を礼拝堂で鞭打ち、また町から町へと(追いまわして)迫害するであろう。
23:35 これは、(こうして君たちが迫害する預言者の血だけでなく、最初の殺人であった)義人アベルの血から、聖所と祭壇との間で君たち(の先祖)が殺したバラキヤの子ザカリアの血に至るまで、(今までに)地上で流されたすべての正義の血(に対する罰)が、君たちに負わされるためである。
23:36 アーメン、わたしは言う、これら(に対する罰)は、ことごとくこの時代(の君たち)に臨むであろう。

塚本訳 マタ 23:29-31
23:29 ああ禍だ、君たち聖書学者とパリサイ人、この偽善者!君たちは(先祖が殺した)預言者の墓を建てたり、義人の記念碑を飾ったりして
23:30 こう言うからだ。──『わたしの先祖の時代にいても、預言者の血を流す仲間にはならなかっただろう』と。
23:31 だから君たちは、預言者殺しの子孫であることを自分で証明している。

塚本訳 ルカ 22:14-16
22:14 (日が暮れて食事の)時間になると、イエスは席につかれた。使徒たちも一しょであった。
22:15 彼らに言われた、「わたしは苦しみをうける前に、あなた達と一しょにこの過越の食事がしたくて、たまらなかった。
22:16 わたしは言う、神の国でほんとうの過越の食事──(罪のあがないの記念の食事)──をする時まで、わたしはもう決して、この(エジプトからあがなわれた記念の)食事をしないのだから。」

塚本訳 マタ 26:26-29
26:26 (ユダが立ち去ったあと、)彼らが食事をしているとき、イエスは(いつものように)パンを(手に)取り、(神を)賛美して裂き、弟子たちに渡して言われた、「取って食べなさい、これはわたしの体である。」
26:27 また杯を取り、(神に)感謝したのち、彼らに渡して言われた、「皆この杯から飲みなさい。
26:28 これは多くの人の罪を赦されるために流す、わたしの『約束の血』であるから。
26:29 しかしわたしは言う、わたしの父上の国で、あなた達と一しょに新しいのを飲むその日まで、わたしは今後決して、この、葡萄の木から出来たものを飲まない。」

塚本訳 マタ 27:23-25
27:23 ピラトは言った、「いったいどんな悪事をはたらいたというのか。」しかし人々はいよいよ激しく、「十字架につけるのだ」と叫びつづけた。
27:24 ピラトは(自分のすることが)なんの甲斐もないばかりか、かえって騒動が起りそうなのを見て、水を取り寄せ、群衆の前で手を洗って言った
、「わたしはこの人の血(を流すこと)に責任をもたない。お前たちが自分で始末しろ。」
27:25 民衆全体が答えた、「その男の血のことなら、われわれが孫子の代まで引き受けた。」


塚本訳 マタ 20:28
20:28 人の子(わたし)が来たのも仕えさせるためではない。仕えるため、多くの人のあがない金としてその命を与えるためである。」

塚本訳 ヨハ 12:24
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、
一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)

塚本訳 使  13:45-48
13:45 すると(神の言葉は自分たちだけのものと思っていた)ユダヤ人たちは、(異教人の)群衆を見て嫉妬にかられ、(イエスを)冒涜しながら、パウロの話すことに反対した。
13:46 そこでパウロとバルナバとは公然こう宣言した、「神の言葉は(お約束どおり)まず第一に、君たち(ユダヤ人)に語られねばならなかった。(だから、そうしたのだ。)しかし君たちがそれをはねつけ、自分で自分を永遠の命にふさわしからぬ者とするので、それでは、よし、異教人(の伝道)へ方向をかえる。
13:47 主はこのようにわたし達(伝道者)にお命じになっているから。『わたしはあなたを立てて異教人の光にした、あなたが地の果てまで救いを伝えるために。』」
13:48 これを聞いて異教人は喜び、主の言葉を讃美し、永遠の命
へあらかじめ定められていた者はみな信者になった。

塚本訳 使  18:6
18:6 しかしユダヤ人にはこれに反対して(イエスを)冒涜するので、パウロは(絶縁のしるしに)上着の塵を払いおとして彼らに言った、「(最後の裁きの日に流す)あなた達の血の責任は、あなた達自身に負わされる!わたしは良心の咎めなく(あなた達をすてて、)今からのち異教人へ(伝道に)行く。」

塚本訳 ヘブ 9:21-24
9:21 そして幕屋にも礼拝用の器具全体にも、同じく血をそそいだ
9:22 こうして律法にしたがえば、ほとんどすべてのものが血で清められ、血を流すことなしには(罪の)赦はない。
9:23 だから、天上のものの模型が必ずこんなにして清められねばならない(くらい)なら、(原形である)天上のこと自体は、これら(地上)のものにまさる犠牲で清められねばならない。
9:24 というのは、キリストは手で造った、本当の聖所の模型の聖所でなく、天そのものに入って、今わたし達のために神の御顔のまえに現れてくださったのである。

塚本訳 黙  7:14
7:14 わが主よ、貴方が御存知です」と私は彼に言うた。そこで彼が私に言うた、「この人達は(既に最後の日の)大なる患難を経て来た者である。
彼らは仔羊の(流し給うた聖い)血でその上衣を洗ってそれを白くした。


塚本訳 黙  16:6
16:6 彼らは聖徒、預言者(を迫害してそ)の血を流し、(その報復として今)汝は彼らに血を飲ましめ給うたのであるから。(主よ、)それは当然である!」

塚本訳 黙  19:2
19:2 その審判は真実にして義しく、彼は淫行によって地(の人々)を滅ぼした大淫婦を審き、
彼の(忠実な)僕達の(流した)血を彼女の手に復讐し給うたからである。

塚本訳 黙  19:11-13
19:11 また私は天が開いているのを見た。すると視よ、白い馬が顕れて、それに乗り給う者は「忠実且つ真実なる者」と呼ばれ、義をもって審きまた戦い給う。
19:12 その目は焔(のようであり)、頭には多くの冠があり、自分でなければ、誰も(その意味を)知らない名が(それに)書いてある。
19:13 彼は血で染められた(真赤な)衣を纏い、その名は「神の言」と呼ばれる

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朝の啓示と聖書勉強終わり。罪は血が流されなければ赦されない。死は罪を清める。慈悲が主眼の日本の宗教では「血の宗教」はなかなか理解できない。受け入れがたい。阿部首相の「集団的自衛権」の方針は、「血の宗教」の」立場から見れば罪であった。日本は「イスラム国」を空爆している米国の同盟国である。今回の事件は宗教対宗教だ。


●日本の神抜きの「人道主義」という疑似宗教では世界に通用しない。特に「イスラム国」には通用しない。
●「イスラム国」の配信映像では犯人が「日本の阿部首相に告ぐ」と言って「日本はイスラム国を敵視している」旨のことを言っている。
●では私は我が国の阿部首相に聖書の二か所の言葉を言う。

塚本訳 マタ 5:38-45
5:38 あなた達は(昔の人がモーセから、)『目には目、歯には歯』──(人の目をつぶした者は自分の目で、人の歯を折った者は自分の歯で、つぐなわなければならない)と命じられたことを聞いたであろう。
5:39 しかしわたしはあなた達に言う、悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打ったら、左をも向けよ。
5:40 (裁判所に)訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせてやれ
5:41 だれかが無理に一ミリオン[一キロ半]行かせようとするなら、一しょに二ミリオン行ってやれ
5:42 求める者には与えよ、借りようとする者を断るな。
5:43 あなた達は(昔の人がモーセから、)『隣の人を愛し、』敵を憎まねばならない、と命じられたことを聞いたであろう。
5:44 しかしわたしはあなた達に言う、敵を愛せよ。自分を迫害する者のために祈れ
5:45 あなた達が天の父上の子であることを示すためである。父上は悪人の上にも善人の上にも日をのぼらせ、正しい人にも正しくない人にも、雨をお降らしになるのだから。


塚本訳 マタ 26:47-54
26:47 イエスの言葉がまだ終らぬうちに、見よ、十二人の一人のユダが来た。大祭司連、国の長老から派遣された大勢の人の群が、剣や棍棒を持ってついて来た。
26:48 イエスを売る者は、「わたしが接吻するのがその人だ。それを捕えよ」と、(あらかじめ)合図をきめておいた。
26:49 そこでいきなりイエスに近寄って、「先生、御機嫌よう」と言って接吻した。
26:50 イエスはユダに言われた、「友よ、そのために来たのではあるまいが!」その時人々が進み寄って、イエスに手をかけて捕えた。
26:51 すると、見よ、イエスと一しょにいた一人の人が手をのばして剣を抜き、大祭司の下男に切りかかって片耳をそぎ落してしまった
26:52 その時イエスが言われる、「剣を鞘におさめよ。剣による者は皆、剣によって滅びる。
26:53 それとも、父上にお願いして十二軍団以上の天使を今すぐ送っていただくことが、わたしに出来ないと思うのか。
26:54 しかしそれでは、かならずこうなる、とある聖書の言葉は、どうして成就するのか。」


●8:00トミ子は今井館へ。午前中は読書会(塚本虎二著作集。イエス伝。)。塚本虎二は正統信仰なので安心だ。午後はウィークデーの集いの企画会議。19時帰宅。
●TSK日本語版エレミヤ書51章。64節はヘビーであったがクリヤーした。
●サンドラッグへ行き、風邪薬と入浴剤を購入。
●イスラム国の邦人殺害予告では回答期限まであと48時間。
●イスラム過激派は本来のイスラム教からは逸脱している。裁きは神に任せよ。必ず助けは来る。






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家出した子供は神が救う ++++++++ 所感

2015/01/20 09:04

150120(火)キリスト者の皆様お早うございます。●武祐一郎先生の告別式は本日上尾の教会で行われます。会場が狭いので参列は御遠慮下さいという独立学園からのお知らせがありました。そこで昨日は遺された敏代夫人に私達も息子もお世話になったお礼を書きました。●歯科に行った帰り道に夕陽を見ながら、武先生の生涯は何であったのだろう考えました。
●今朝になって、それは「家出した子供は神が救う」ということの体験であったということであると思いました。●以下は公表された事。武先生の息子の一人はある時「家出」。その息子は「武の家に生まれて不幸であった」と思っていたそうです。家出したとき、敏代夫人は気が狂ったように騒ぎましたが、祐一郎先生は泰然自若、一日中本を読んでおられたそうです。●その後いろいろあってクリスチャンの女性に出会い結婚、夫人の所属するバプテスト教会の熱心な信者になり、今はその教会の役員。神は彼を追いかけて探し、救った。●親父が偉すぎる家の子供は息苦しく、きゅうくつになって家出する。その例をしばしば聞く。みな親の腹を痛める。悩みの種。深津文雄牧師の息子、MSさんの息子、TSさんの息子、BMさんの息子、FTさんの娘、無教会の伝道者の子弟、・・・・数えきれない。●キリスト教愛真高校が出来た時、クリスチャンホームの子弟を家庭から救済するためにあるのだと直観した。●それほどクリスチャンの親は自分の子供を救えない。かえってキリスト教に反発する。牧師の息子は親父を見てキリスト教に近づかない。これが普通だ!●オートバイ屋の息子はオートバイを欲しがらない。目の前にオートバイがあって食傷気味だからだ●人間の親は子供を救えないが、神は救う。武先生は苦しい体験を通してはそれを実証された。

塚本訳 マコ 15:29-31
15:29 通りかかった人々が『頭をふりながら、』こう言ってイエスを冒涜した、「へへえ、お宮をこわして三日で建てるという人、
15:30 自分を救ってみろ、十字架から下りてきて!」
15:31 同じように大祭司連も、聖書学者と一しょに、こう言って(イエスを)なぶり合った、「あの男、人は救ったが、自分は救えない。

塚本訳 マタ 10:34-36
10:34 地上に平和をもたらすためにわたしが来た、などと考えてはならない。平和ではない、剣を、(戦いを)もたらすために来たのである。
10:35 わたしは子を『その父と、娘を母と、嫁を姑と』仲違いさせるために来たのだから。
10:36 『家族が自分の敵となろう。』

塚本訳 マタ 19:4-5
19:4 答えて言われた、「造物者が始めから『彼らを男と女とに造られた』こと、
19:5 また、『それゆえに人は父と母とをすてて妻に結びつき、二人は一体となる』と言われたことを、あなた達は読んだことがないのか。

●人は人を救えない。親は子を救いに導けない。それは成功しない。失敗するところに神の栄光が上がる。●かっては教会に嫌気がさした人を無教会が救った。しかし今や無教会(の家庭)に嫌気がさした人を教会が救っている。●自分の至らなさが故に家人(親、親族、妻、子供)に反発されている人に告ぐ。恥ずかしくて親しき人にも言えないことのはずだ。みっともなくて言えないはずだ。しかし「ひるむな」。その苦しさこそ神の御心だ。その悩みが神の目的だ。十字架だ。

塚本訳 マタ 26:38-39
26:38 それから彼らに言われる、「『心がめいって』『死にたいくらいだ。』ここをはなれずに、わたしと一しょに目を覚ましていてくれ。」
26:39 そしてなお少し(奥に)進んでいって、俯けに倒れ、祈って言われた、「お父様、出来ることなら、どうかこの杯がわたしの前を通りすぎますように。しかし、わたしの願いどおりでなく、お心のとおりになればよいのです。」


塚本訳 Ⅱコリ12:7-9
12:7 そしてこれらの素晴らしい啓示があるので、わたしが高慢にならないようにと、わたしの肉に一つの刺が与えられた。悪魔の使いであって、これはわたしが高慢にならないようにと、わたしをうつものである。
12:8 この使について、それがわたしから手を引くようにと、三度まで主に願ったが、
12:9 主は(その都度)言われた、「わたしの恩恵はあなたに十分だ。力は弱さの中に完成されるのだから。」、それでわたしはキリストの力がわたしに住みついてくださるように、大喜びで、むしろ(自分の)弱いことを自慢しよう。

口語訳 ヨブ 2:7-9
2:7 サタンは主の前から出て行って、ヨブを撃ち、その足の裏から頭の頂まで、いやな腫物をもって彼を悩ました。
2:8 ヨブは陶器の破片を取り、それで自分の身をかき、灰の中にすわった。
2:9 時にそのは彼に言った、「あなたはなおも堅く保って、自分を全うするのですか。神をのろって死になさい」。

塚本訳 マタ 16:24
16:24 あとでイエスは弟子たちに言われた、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、自分の十字架を負い、それからわたしに従え。

塚本訳 コロ 1:24
1:24 今私は君達のために苦しむことを喜びとし、またキリスト・イエスの体なる教会のために
私の体でキリストの患難の不足を補っている。

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朝の黙想、終わり。 アーメン御心を成し給え。御心のままに、御心のままに。神はご存知。

●9:00、NHKBSプレミアムアーカイブ「トルストイの大地・・・辻井喬のロシアユートピア巡礼」を観る。素晴らしい作品であった。トルストイはこの世のユートピアを目ざして、最後は家も妻も土地も印税も捨てて「家出」。国家からも教会からも妻からも捨てられて旅先の駅で死ぬ。●番組でトルストイアンが今でも理想の村を営んでいる様子を紹介したのが興味深かった。●解説の亀山郁夫(名古屋外国語大学学長)がトルストイはクリスチャンであったと明解に断定した。●昨年9年間建築の非常勤講師として勤務した昭和女子大学はトルストイを信奉している。高橋三郎先生はドイツに留学される前に一時期この学校の英語の教師であられた●反教会の日本の無教会主義者の群れはどこに行くのか。どこにユートピアを求めているのかなー。神はどこに導かれるのかなー。と思った。
●妻はご主人を亡くされたSさんの家にお悔やみに花を届けに行く。
●TSK日本語版エレミヤ書50章。あと2章だ。
●「イスラム国」が日本人ジャーナリスト二人を拘束、72時間以内に2億ドル払わないと殺害するとインターネットで配信。日本が関係各国に「人道支援」の名目で援助金を出すことは「イスラム国」にとっては敵対行為に写っている。今回の事件は日本が「集団的自衛権」を標榜したことのつけだ。


















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復活は頭で理解するのではなく、心で神の力を信ずればいつか神が示してくださる ++++++++ 所感

2015/01/19 05:54

150119(月)3時目覚め4時起床。●朝の啓示「復活は頭で理解せず、神の力を信ずべき事柄」●キリスト者の皆様お早うございます。2月1日の感話の準備で、次の箇所が難解です。トマスが復活を疑った下りです。

塚本訳 ヨハ 20:24-29
20:24 十二人の一人で、トマスすなわちギリシャ語でデドモ(二子)は、イエスが来られた時、みんなと一しょにいなかった。
20:25 そこでほかの弟子達が、「わたし達は主にお目にかかった」と言うと、彼らに言った、「わたしはその手に釘の跡を見なければ、わたしの指をその釘の場所に差し込まなければ、手をその脇腹に差し込まなければ、決して信じない。」
20:26 八日ののち、弟子たちはまた家の中に(集まって)いた。今度はトマスも一しょであった。戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスがはいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた。
20:27 それから(すぐ)トマスに言われる、「指をここに持ってきて、わたしの手(の釘の跡)をよく見てごらん。手を持ってきて、わたしの脇腹に差し込んでみなさい。不信仰をやめて、信ずる者らしくしなさい。」
20:28 トマスがイエスに答えて言った、「わたしの主よ!わたしの神よ!」
20:29 イエスは言われる、「わたしを見たので、信じたのか。幸いなのは、見ないで信ずる人たちである。」



●「見ないで信ずる」とは特に現代人には難しいことです。否、昔も今も人類全般に困難なことです。イエスの弟子たちとの会話は常にこのことを巡ってのイエスの慨嘆です。
●今朝はこのことを巡って関連する聖書のアチコチを見てみよう。


塚本訳 ヨハ 3:1-3
3:1 ところでパリサイ人の中に名をニコデモという人があった。ユダヤの(最高法院の)役人であった。
3:2 ある夜、イエスの所に来て言った、「先生、わたし達はあなたが神のところから来られた先生であることを知っています。神がご一しょでなければ、あなたのされるあんな徴[奇蹟]はだれもすることは出来ません。」
3:3 イエスが答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、(徴を見て信じたのではいけない。)人は新しく生まれなおさなければ、神の国にはいることは出来ない。

塚本訳 マタ 12:38-40
12:38 すると数人の聖書学者とパリサイ人が口を出して、イエスに言った、「先生、(では、神の子である証拠に)あなたの(不思議な)徴を見せてください。」
12:39 彼らに答えられた、「この悪い、神を忘れた時代の人は、(信ずるのに)徴をほしがる。しかしこの人たちには、預言者ヨナの徴以外の徴は与えられない
12:40 すなわち『ヨナが三日三晩大きな魚の腹の中にいた』ように、人の子(わたし)も三日三晩地の中におるのである。

塚本訳 マタ 22:28-29
22:28 すると(もし復活があるなら、)復活の折には、この女は七人のうちのだれの妻になるのでしょうか。皆その女を妻にしましたから。」
22:29 イエスは答えられた、「あなた達は聖書も神の力も知らないので、間違いをしている

塚本訳 ヨハ 11:25-27
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」
11:27 イエスに言う、「はい、主よ、(信じます。)あなたが救世主で、神の子で、世に来るべき方であると、私は信じています。」

塚本訳 ヨハ 14:0-3
14:1 (あなた達の来られない所にわたしが行くからとて、)心を騒がせるな。神を信ぜよ、またわたしを信ぜよ。
14:2 父上のお家には、沢山住居がある。(あなた達は一人のこらず、そこに住むことが出来る。)もしそうでなかったら、『あなた達のために場所の準備に行く』と言うわけがないではないか。
14:3 (間もなく出かけるが、)行って場所の準備ができたら、もどって来て、あなた達をわたしの所に連れてゆく。わたしのおる所にあなた達もおるためである。

塚本訳 ヨハ 20:16-19
20:16 (こう言って、また墓の方を向いていると、)イエスが「マリヤ!」と言われる。マリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う。(そしてイエスに抱きつこうとした。)
20:17 イエスが言われる、「わたしにすがりつくな。まだ父上の所に上っていないのだから。わたしの兄弟たち(弟子たち)の所に行って、『わたしは、わたしの父上、すなわちあなた達の父上、わたしの神、すなわちあなた達の神の所に上る』と言いなさい。」
20:18 マグダラのマリヤは行って弟子たちに、「わたしは主にお目にかかった」、また、主がこのことを彼女に言われた、と報告した。
20:19 その日すなわち週の初めの日の晩であった。ユダヤ人を恐れて、弟子たちのおる部屋の戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスが(どこからともなく)はいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた。

塚本訳 ロマ 10:6-10
10:6 ところが信仰による義はこう言う(と書いてある、)「『あなたは心の中で言ってはならない、』『『だれが天に上ってくれるか』』と。すなわち、キリストを(天から)つれ下ってくるために。
10:7 あるいは、『』だれが地の底に下ってくれるか』』と。すなわち、キリストを死人の中からつれ上るために」と。
10:8 しかしこれはいったい何を言っているのか。(キリストはすでに天から下り、また死人の中から復活されたので、もうそんな努力の必要はない、これも聖書にあるように、)『言葉はあなたに近い。あなたの口に、あなたの心にある』(というのである。)すなわちこの言葉こそ、わたし達が説いている信仰の言葉[福音]である。
10:9 つまり、あなたは『口で』イエスを主と告白して、『心で』神がイエスを死人の中から復活させられたことを信ずれば、救われる。
10:10 心で信じて義とされ、口で告白して救われるからである。──(こうわたし達は説いているのである。)

塚本訳 Ⅰペテ1:2-9
1:2 君達は父なる神の予定に循(したが)い、御霊の聖潔(きよめ)によって、従順とイエス・キリストの血の潅(そそ)ぎに与らんために選ばれたのである──恩恵と平安、(いよいよ)君達に豊かならんことを!
1:3 讃美すべきかな、我らの主イエス・キリストの父なる神!彼は大なる憐憫(あわれみ)により、イエス・キリストが死人の中から復活し給うたことをもって、私たちを活ける希望に新しく生み、
1:4 君達のために天に保管されている、朽ちぬ、穢れぬ、萎まぬ相続財産に与らせ給うたのである。
1:5 (そして)君達は最後の時に顕れる準備の(既に)出来ている救いに入るために、信仰によって神の力に護(まも)られる。
1:6 (もちろん)その時には(大いに)喜ぶ(であろう)が、もし(御意(みこころ)により)必要ならば、今は少し様々な試練に(悩み)悲しまねばならない。
1:7 これは君達の信仰が、火によって本物であると証明された(この世の)はかない金よりも尊い本物であることが判(わか)り、イエス・キリストの顕現(あらわれ)の時に(君達の)面目また光栄また栄誉とならんためである。
1:8 君達は彼を(目(ま)のあたり)見たことはないが、(これを)愛し、今も見ることは出来ないが、(これを)信じて、(既にかの日の)輝きに満ちた、言語に絶する喜悦(よろこび)を喜んでいる。
1:9 信仰の目標なる霊魂の救いを獲(え)るからである。


塚本訳 コロ 2:11-12
2:11 君達はまた彼において手にてせざる(真の)割礼、すなわち(モーセ律法によりただ体の一部に施すものでなく、)肉の体を(悉く)脱ぎ去るキリストの割礼によって割礼された。
2:12 (然り、キリストの)洗礼(こそ真の割礼であって、
君達はこれ)によって彼と共に(死んで)葬られ(たのである。そして)また彼を死人の中から甦らせ給うた神の力を信ずることによって、彼に於て共に甦ったのである。

塚本訳 Ⅱコリ13:3-4
13:3 あなた達はキリストがわたしにあって語っておられる証拠を求めているのだから、(願いどおり、彼がわたしによって働かれる力を見るであろう。)彼はあなた達に対して弱くない。いや、あなた達の間で強い。
13:4 ほんとうに、彼は弱さのゆえに十字架をつけられ(て死なれ)たけれども、神の力によって、いま生きておられるからである。同様に、わたし達も彼と結びついているので弱いけれども、彼と共に、神の力により、あなた達に対して(強く)生きるだろうからである。


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朝の啓示、一人礼拝終わり。

●武祐一郎先生ご逝去(1月17日)。奥様の敏代様にお悔やみの手紙を書いた。私達と三男がお世話になった。お礼を言いたかったがかなわぬことになった。
●2月1日の感話準備。
●TSK日本語版エレミヤ書50章



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不合格おめでとう。真の「狭き門」より入れ。 ++++++++ 所感

2015/01/18 05:51

150118(日)4時半起床●キリスト者の皆様お早うございます●今は受験シーズンです。私の子供たちがその時期になっていた時の一喜一憂を思い出します●この時期になると思い出すのは塚本先生の言葉です。「受験に合格した人にはおめでとうと言いたい。しかし不合格になった人にもおめでとうと言いたい」。これは不思議な天的な響きのする言葉です。●キリスト教愛真高校の渡辺晴季先生もキリスト教独立学園の武祐一郎先生も受験の日に受験生と父兄に向かって「もしこの学校に入れなくても『道』は開かれる」と励まされたました。普通の学校では聞けない立派な言葉でした。●私は私で、今後は孫たちの受験という時期が次々と来ます。そこで今朝は「不合格おめでとう」というテーマで聖書を黙想してみます。と言ってこれは「負け惜しみ」ではなく、また神抜きのこの世の人間的な慰めでもありません。受験に失敗してこの世の「狭き門」が閉ざされたことにより、神の国の本当の「狭き門」に招き入れられる道が開かれたから「おめでとう」と言いたいのです。●これは入試に限らず、この世の幸福の門が閉ざされると神の国の真の幸福の門が開かれるという不思議なまた喜ばしい現象を体験したから言うのです。負け惜しみではありません。●就職の失敗、失恋、結婚の失敗、健康の失敗、肉親との確執、不治の病、経済の失敗、事業の失敗、肉親との死別、人生の失敗、・・・・これらはことごとく神の国への招待状です。その文面は「涙の眼鏡」ではじめて読めるのです●不合格になった若者に言いたい。「不合格おめでとう」「受験の失敗おめでとう」「目指せ真の『狭き門』を!君には「この世の『狭き門』」に入れなかった失敗により、神の微笑みが輝いた。それは神の国の門に招かれる第一歩なのだ。●本当の幸福、本当の門、本当の道とは何かを探求する道に導かれたのだ。●神の子イエスの言葉を聞いてみよう。

塚本訳 マタ 7:13-14
7:13 狭い門から入りなさい。滅びに至る道は大きく、かつ広く、ここから入る者が多いのだから。
7:14 命にいたる門はなんと狭く、道は細く、それを見つける者の少ないことであろう!

文語訳 ルカ 13:24
13:24 イエス人々に言ひたまふ『力を盡して狭き門より入れ。我なんぢらに告ぐ、入らん事を求めて入り能はぬ者おほからん。


塚本訳 マタ 6:31-33
6:31 だから、『何を食べよう』とか、『何を飲もう』とか、『何を着よう』とか言って、心配するな。
6:32 それは皆異教人のほしがるもの。あなた達の天の父上は、それが皆あなた達に必要なことをよく御承知である。
6:33 あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。

塚本訳 ヨハ 10:9
10:9 (また、)わたしが(羊の出入りするための)門である。わたしを通って入る者(羊)は救われる。(いつもこの門を)入ったり出たりして、牧草を得るであろう。

塚本訳 ヨハ 14:1-2
14:1 (あなた達の来られない所にわたしが行くからとて、)心を騒がせるな。神を信ぜよ、またわたしを信ぜよ。
14:2 父上のお家には、沢山住居がある。(あなた達は一人のこらず、そこに住むことが出来る。)もしそうでなかったら、『あなた達のために場所の準備に行く』と言うわけがないではないか。

塚本訳 ヨハ 14:6
14:6 イエスは言われる、「わたしが道である。また真理であり、命である。(手段であると同時に目的であるから。)わたしを通らずには、だれも父上の所に行くことはできない。

塚本訳 ヨハ 8:12
8:12 (同じ大祭の日に、)イエスはまた人々に語られた、「わたしが世の光である。わたしに従う者は、決して暗やみを歩かない。そればかりか、命への光を持つことができる。」

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朝の啓示、黙想おわり。不合格者よお目でとう、君には神の微笑みが向けられたのだ。求めよ真の「狭き門」を。

●妻と集会に。宮崎(司会)、丹野(塚本虎二「ヘブル書講義」)、横田(教会史、フリードリヒ2世)。集会後丹野さんと講義の方法について懇談、意見交換


2015_01180003.jpg 

杉並公会堂、高田の馬場管弦楽団定期演奏会。優秀。
佐藤総合計画設計。施工大林組、音響設計は永田音響設計。ホールは大型のシューボックス型。

●14:00 杉並公会堂で高田馬場管弦楽団定期演奏会。アンコールはチャイコフスキー「くるみ割り人形」からパドゥドゥー。この大好きな曲を生演奏で聞くのは初めて。冒頭ではチェロのユニゾンがすばらしい。エンディングではシンバルがなんと女性二人が揃って狙いすましてシャーン。すると髪の毛が舞いあがった。カッコよくて❤❤。思わず大声で「ブラボー」。満足満足。帰途、この曲が頭の中をガンガン。チャイコフスキーのメロディーはチャイコーだ。

2015_01180006.jpg 

帰途、中央線の高架部分から富士が見えた。
チャイコフスキーもすばらしいが、わが国の富士もまたすばらしい。
これを造り給うた神の創造力こそ誉め讃えられるべきだ。

●夜、福島県二本松の華子さん、見時君に電話。




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ああ、信仰の小さい人たちよ。 ++++++++ 所感

2015/01/17 06:31

150117(土)キリスト者の皆様お早うございます。今朝の黙想は神の子キリストの言葉「ああ、信仰の小さい人達よ」。●昨日の「ノルディック・エクササイズ・ウォーキング」では「杖」の効用について学びました。昨日のブログを御一瞥ください。●神の子キリストと信仰うすき弟子たちとの次のやり取りに注目します。


塚本訳 ルカ 9:1-3
9:1 それから(前に選んだ)十二人(の弟子)を呼びあつめて、すべての悪鬼を支配し、また病気をなおす力と全権とを授けた上、
9:2 神の国(の福音)を説いたり、病気を直したりするために派遣された。
9:3 彼らに言われた、「旅行には何も──
杖も、旅行袋も、パンも、金も持ってゆくな。着替えの下着も持ってはならない。


塚本訳 ルカ 22:35
22:35 それから彼らに言われた、「(前に)財布も旅行袋も靴も持たせずに、あなた達を(伝道に)やった時、
何か足りない物があったか。」彼らが答えた、「いえ、何も。」



●これを別の言い方をすれば、「心配するな。取り越し苦労はするな。神が何とかしてくださる。その時になったら神がよいようにしてくださる」という信仰を持てということである。
●この信仰の姿勢はこの世の人には全く、100%わからないものだ。「先回りして取り越し苦労しないで生きることは無策の人生だ。それでは良くない」というのだ。ここが信者と不信者の亀裂の原因。家庭でも職場でも。
●神の力と言うことを知らないこの世の親族との亀裂、行為主義的信者連中との亀裂の原理的原因はここにある。
●マテマテ、人を批判できない。私も信仰の小ささが「先々のことを心配する」発言や行為になっていて、いつも妻に注意されている。信仰は女性だ。                                                                           ●だから信仰のある人は不信者と結婚してはならない。パウロのいうとおりである。(Ⅱコリ6:14-7:1)。信仰の深い女性が相手の東大卒大蔵省勤務のこの世的肩書に目がくらみ、不信者でない人と結婚して苦労して嘆いている例を知っている。 苦労するばかりかか、下手をすると信仰を失う。  ●そこで今朝はまず「心配するな。神が何とかしてくださる」というイエスの思想について、頭に思い浮かぶ聖句を掲げてみよう。こういう聖書の読みの営みは「心配して先取りの策を講じることが結果的にあまり効果がなかった」という人生経験を経て初めて解るものだ。信仰は大脳皮質の勉強ではない。体験や経験で分るものだ。
●聖書の翻訳者は数十冊の註解書に目を通すらしいが、信仰の深いところは書物からは得られない。痛い経験を通して神に示されてその本質がわかるというものだ。その意味から次の「つえ」の句も理解できる。

口語訳 詩  23:4
23:4 たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。



●信仰の天才キリストの愛読書「詩編」には次のようにある。 

口語訳 詩  127:1-2
127:1 主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい
127:2 あなたがたが早く起き、おそく休み、辛苦のかてを食べることは、むなしいことである。
主はその愛する者に、眠っている時にも、なくてならぬものを与えられるからである。

●イエスは信仰の家庭環境で育ったのだろう。長じて次のような言動になった。

塚本訳 マタ 4:3-4
4:3 すると誘惑する者[悪魔]が進み寄って言った、「神の子なら、(そんなにひもじい思いをせずとも、)そこらの石ころに、パンになれと命令したらどうです。」
4:4 しかし答えられた「『パンがなくとも人は生きられる。(もしなければ、)神はそのお口から出る言葉のひとつびとつで(パンを造って、)人を生かしてくださる』と(聖書に)書いてある。」

塚本訳 マタ 6:25-27
6:25 だから、わたしは言う、何を食べようかと命のことを心配したり、また何を着ようかと体のことを心配したりするな。命は食べ物以上、体は着物以上(の賜物)ではないか。(命と体とを下さった天の父上が、それ以下のものを下さらないわけはない。)
6:26 空の鳥を見てごらん。まかず、刈らず、倉にしまいこむこともしないのに、天の父上はそれを養ってくださるのである。あなた達は鳥よりも、はるかに大切ではないのだろうか。
6:27 (だいいち、)あなた達のうちのだれかが、心配して寿命を一寸でも延ばすことが出来るのか。

塚本訳 マタ 6:31-34
6:31 だから、『何を食べよう』とか、『何を飲もう』とか、『何を着よう』とか言って、心配するな。
6:32 それは皆異教人のほしがるもの。あなた達の天の父上は、それが皆あなた達に必要なことをよく御承知である。
6:33 あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう
6:34 だから、あしたのことを心配するな。あしたはあしたが自分で心配する一日の苦労はその日の分で沢山である。

●イエスの次の言葉は意味深い。

塚本訳 ヨハ 11:14-15
11:14 そこでイエスが今度ははっきり言われた、「ラザロは死んだのだ。
11:15 わたしがそこにいなかったことを、あなた達のために喜ぶ。あなた達の信仰を強めることができるからだ。さあ、ラザロの所に行こう。」


●信仰の深いイエスはしばしば「ああ信仰の小さい人達よ」と嘆いた。嘆息した。そこでそういう言葉が発せられた場面を掲げてみよう。このことはいつかやってみたかった。また、そういう「イエスの思想辞典」のようなものを造ってみたい。ただしその辞典は「信仰」というソフト」がなければ読み込めないものだ。

塚本訳 マタ 6:30
6:30 きょうは花咲き、あすは炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこんなに装ってくださるからには、ましてあなた達はなおさらのことではないか。
信仰の小さい人たちよ!


塚本訳 マタ 8:25-26
8:25 弟子たちがそばに来て、「主よ、お助けください、溺れます」と言って起した。
8:26 彼らに言われる、「なんでそんなに臆病なのか、信仰の小さい人たちよ!」それから起き上がって風と湖とを叱りつけられると、(たちどころに)大凪になった。


塚本訳 マタ 14:28-31
14:28 ペテロが答えた、「主よ、あなたでしたら、どうかわたしに命令して、水の上を歩いてあなたの所へ行かせてください。」
14:29 「こちらに来なさい」とイエスが言われた。ペテロは舟から下り、水の上を歩いてイエスの所へ行った。
14:30 しかし(いま一足という所で)強い風を見たため、おじけがつき、沈みかけたので、「主よ、お助けください」と叫んだ。
14:31 イエスはすぐ手をのばし、ペテロをつかまえて言われる
、「信仰の小さい人よ!なぜ疑うのか。」

塚本訳 マタ 16:8-12
16:8 イエスはそれと知って言われた、「なぜパンのないことをこそこそ評議するのか。この信仰の小さい人たち!
16:9 まだ解らないのか、覚えていないのか、あの五千人の五つのパンのとき、いく篭ひろったか。
16:10 また、四千人の七つのパンのとき、いく篭ひろったか。
16:11 パンのことを言ったのではないことが、どうして解らないのか。パリサイ人(のパン種)とサドカイ人のパン種を警戒せよ。」
16:12 その時(やっと)弟子たちは、イエスがパン種でなく、パリサイ人とサドカイ人との教えを警戒せよ、と言われたことを悟った。

塚本訳 マコ 9:21-23
9:21 イエスが父親に尋ねられた、「こうなってから、どのくらいになるか。」父親がこたえた、「子供の時からです。
9:22 霊はこの子を殺そうとして、幾たびか、火の中、水の中に投げ込みました。それでも、もしなんとかお出来になるなら、わたしども(親子)を不憫と思って、お助けください。」
9:23 イエスは言われた
、「もしお出来になるなら(と言うの)か。信ずる者にはなんでも出来る。」

塚本訳 マタ 26:51-53
26:51 すると、見よ、イエスと一しょにいた一人の人が手をのばして剣を抜き、大祭司の下男に切りかかって片耳をそぎ落してしまった。
26:52 その時イエスが言われる、「剣を鞘におさめよ。剣による者は皆、剣によって滅びる。
26:53
それとも、父上にお願いして十二軍団以上の天使を今すぐ送っていただくことが、わたしに出来ないと思うのか。

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朝の黙想おわり。クリスチャンはこの世にありながら、人生を歩む原理はこの世の人とは全く異なるのことごとくうまくいくはずはない。パウロの言うことを聞こう。

塚本訳 Ⅱコリ6:14-18
6:14 不信者と一緒に不似合いな軛を負うようになってはいけない。なぜというか。義と不法とはなんの共同関係があろう。また光は暗闇に対しなんの共通性があろう。
6:15 キリストがベリアルに対してなんの調和があろう、また信者は不信者となんの共同があろう。
6:16 神の宮が偶像となんの一致があろう。わたし達はたしかに生ける神の宮である。神がこう仰せられた。──『わたしは彼らの間に住みまた歩むであろう、わたしは彼らの神になり、彼らはわたしの民になる』
6:17 それゆえに、『あなた達は彼らの中から出よそして離れよ、』と主は仰せられる、そして『清くないものに触れるな』と。『そうすればわたしはあなた達を受け入れる、』
6:18 『わたしは』あなた達の『父になり、』あなた達は『わたし達の息子』娘『に』なる、『と全能者である主が仰せられる。』

塚本訳 Ⅱコリ7:1
7:1 だから愛する者たちよ、こんな(神の)約束がわたし達にはあるのだから、肉と霊とのあらゆる汚れから自分を清め、神を恐れて完全に聖くなろうではないか

●だからキリスト者に告ぐ。信仰に故に家族、親族、職場、然り俗的クリスチャンとうまくいくはずはない。そこをウマークやろうとするなら逆に福音は伝わらない。返ってこの世から尊敬されない。「生臭坊主」と言われる。

●田川建三の新約聖書ルカ福音書(作品社)の解説に「復活顕現の物語になると、こちらは何せ、すでに死んだ人間の幽霊が出現しました、というお話だから、まさに聖者伝説的作り話である」とあったP520。よくぞ歴史を無視したこういう見方が出来るものかとほとほと感心を通りこしておかしくなる。
●田川建三について行っては救われない。彼の私塾には牧師がいるらしいが、そういう牧師の教会員は気の毒だ。
●田川建三は、無教会がなければ自分は存在しなかったと言っているが、無教会の影響で鬼子が生まれたというべきであろう。
●田川建三の見解は竜頭蛇尾。結論は「おそらく」とか「だろう」になっていて明解ではない。聖書で飯を食っている学者の姿。
●復活がそれに接した人に幽霊だと思われたのは田川の見解を待つまでもなく、聖書に書いてある。ルカだけではない。

塚本訳 マコ 6:49-51
6:49 弟子たちはイエスが湖の上を歩いておられるのを見ると、幽霊だと思って声をあげて叫んだ。
6:50 イエスを見て、皆肝をつぶしたのである。しかしイエスはすぐ彼らに話しかけ、「安心せよ、わたしだ。こわがることはない」と言われる。
6:51 そして彼らの舟に乗られると、風はやんだ。弟子たちはすっかり呆気にとられてしまった。

塚本訳 マタ 14:25-27
14:25 第四夜回りのころ(すなわち夜明けの三時ごろ、)イエスは湖の上を歩いて彼らの所に来られた。
14:26 弟子たちはイエスが湖の上を歩いておられるのを見ると、幽霊だと思って肝をつぶし、恐ろしさのあまり叫んだ。
14:27 しかしイエスはすぐ彼らに話しかけて言われた、「安心せよ、わたしだ。こわがることはない。」

塚本訳 ルカ 24:36-43
24:36 二人がこう話しているところに、(突然)御自身でみなの真中に出ておいでになった。
24:37 ぞっとして震えあがり、幽霊でも見ているように思っていると、
24:38 彼らに言われた、「なにをうろたえるのか。なぜ心に疑いを起すのか。
24:39 わたしの手と足とを見てごらん。だれでもない、わたしだよ!さわってごらん、幽霊には肉も骨もないが、わたしには、それがあるのがわかるから。」
24:40 [無シ]
24:41 喜びのあまり、彼らがまだ信じられずに怪しんでいると、「ここに何か食べるものがあるか」と言われた。
24:42 焼いた魚を一切差し上げると、
24:43 受け取ってみなの前で食べられた。

●有体的復活は弟子たちにも疑問であったし、今でも疑うものがいるが、これを否定すると聖書もキリスト教もない。否定する方が歴史を無視している聖書学者の「作り話」である。

塚本訳 マタ 28:16-17
28:16 さて、十一人の弟子はガリラヤに行き、イエスに命じられた山にのぼり、
28:17 お目にかかっておがんだ。しかし疑う者もあった


塚本訳 Ⅰコリ9:1
9:1 わたしは(すべての律法から釈放されて)自由ではないか。わたしは(とくに神に選ばれた)使徒ではないか。(このことを疑う者があるようだが、)わたしはわたし達の主、(復活の)イエスにお目にかかったではないか。あなた達は主におけるわたしの作品ではないか。

塚本訳 Ⅰペテ1:7-8
1:7 これは君達の信仰が、火によって本物であると証明された(この世の)はかない金よりも尊い本物であることが判り、イエス・キリストの顕現の時に(君達の)面目また光栄また栄誉とならんためである。
1:8
君達は彼を(目のあたり)見たことはないが、(これを)愛し、今も見ることは出来ないが、(これを)信じて、(既にかの日の)輝きに満ちた、言語に絶する喜悦を喜んでいる。


塚本訳 エペ 1:13
1:13 このキリストにおいて君達(異教人)もまた、真理の言すなわち君達の救いの福音を聴いたので──このキリストにおいて君達もまた、信ずることにより約束の聖霊をもって封印されたのであるが、


塚本訳 エペ 4:30
4:30 神の聖霊を悲しませるな。君達は贖いの日(に永遠)の(救いに入る)ためこの御霊をもって封印されたのである。


●聖書は素人読みの方が正しい読み方が出来る。

●15:00 妻はバッハ「ロ短調ミサ曲」の練習へ
●TSK日本語版エレミヤ書49章

























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神は福音の証人に罪人を起用する ++++++++ 所感

2015/01/16 04:34

150116(金)3時半目覚め、4時起床。朝の啓示「神は福音の証人に罪人を起用する」●キリスト者の皆様お早うございます。●毎朝、目覚めてから起床するまでの間に天から示されることの聖書的根拠を思いめぐらすのが楽しみです。その一点の事柄を展開する手段が言葉です。●「聖書」はそのような書物です。●今朝の啓示の内容は次回2月1日感話の結論です。「Jバイブル」を利用してその一点の真理を聖書で展開してみます。みな天から示されたもので、他人の思想の借りものではありません。聖書の引照は他人が探したのものではなく、自分で探すのが良いのは、探す時にその人に霊が降るところに意義があるからです。たとえ引照が一つでも的確ならば強力です。●百の人間の言葉より聖書の一句の方が強力です。聖書、殊に福音書と使徒行伝は正に「神の言葉です。●ですから人間である牧師さんの説教を聞くより、註解書を当るよりもインパクトがあります。プロテスタントの最終的な姿は「聖書で聖書を読む」姿です。
●では今朝は「神は福音の証人に罪人を利用する」という一点の真理を聖書のアチコチを引いて展開してみよう。複数の点をつなぐと形が見えてくる。その形は四角であったり三角であったり星形であったりで良いのだ。人によって違っていてよいのだ。




●マグダラのマリヤ


塚本訳 マタ 28:7-8
28:7 それから急いで行って弟子たちに、『イエスは死人の中から復活された。あなた達より先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる』と言いなさい。これを言いにわたしは来たのだ。」
28:8 女たちは恐ろしいが、また嬉しくてたまらず、(中には入らずに)急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走っていった

塚本訳 ヨハ 20:17-18
20:17 イエスが言われる、「わたしにすがりつくな。まだ父上の所に上っていないのだから。わたしの兄弟たち(弟子たち)の所に行って、『わたしは、わたしの父上、すなわちあなた達の父上、わたしの神、すなわちあなた達の神の所に上る』と言いなさい。」
20:18 マグダラのマリヤは行って弟子たちに、「わたしは主にお目にかかった」、また、主がこのことを彼女に言われた、と報告した

塚本訳 マタ 26:12-13
26:12 この婦人がわたしの体に香油をかけてくれたのは、わたしを葬るためである。
26:13 アーメン、わたしは言う、世界中どこでも(今後)この福音の説かれる所では、この婦人のしたことも、その記念のために一しょに語りつたえられるであろう。」



●ピラトの妻

塚本訳 マタ 27:17-19
27:17 ピラトは人々が集まってきたとき言った、「どちらを赦してもらいたいか、バラバ(・イエス)か、救世主と言われるイエスか。」
27:18 ピラトは人々が妬みからイエスを引き渡したことを知っていたのである。
27:19 ピラトが裁判席に着いているとき、その妻が彼の所に人をやって、「その正しい人に関係しないでください。その人のおかげで、昨夜夢で散々な目にあいましたから」と言わせた。



●パウロ

塚本訳 使  9:3-6
9:3 ところが進んでいってダマスコに近づくと、突然、天から光がさして彼のまわりを照らした。
9:4 彼は地上に倒れ、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と言う声を聞いた。
9:5 サウロが言った、「主よ、あなたはどなたですか。」彼がいわれた、「わたしだ、あなたが迫害しているイエスだ。
9:6 さあ起きて、町に入れ。そうすれば、せねばならぬことが告げられる。」


塚本訳 使  26:16-18
26:16 さあ、起きて、『自分の足で立て。』わたしが(今)現われたのは、君を選んで、わたしを見たことと、(今からも)君に現われて示すこととの証人として、わたしに仕えさせるためである。
26:17 (かずかずの迫害や危険がのぞむが心配するな。)わたしは君をこの(イスラエルの)民(の手)から、また』異教人(の手)から』『(かならず)救い出してやる。』『彼らの中にわたしが君を遣わすのは、』
26:18 彼らの』目をあけて』彼らが『暗闇から光に、』悪魔の権力から神に帰るため、そうして彼らがわたしに対する信仰によって罪の赦しを得、きよめられた人たちの仲間に入れていただくためである』と。

塚本訳 使  20:24
20:24 しかしわたしは、自分の走るべき道を走りおえて、主イエスから託された、神の恩恵をつたえる福音を証しする役目をはたすためなら、自分の命のことなど口にする値打もないと思う。

塚本訳 使  2:32
2:32 神は(救世主である)このイエスを(預言どおりに)復活させられました。わたし達は皆このことの証人です。(イエスの復活を目の当り見たのだから。)

塚本訳 使  23:6
23:6 そのときパウロは(役人の)一派はサドカイ人、一派はパリサイ人であるのを見て取り、法院で叫んだ、「兄弟の方々、わたしはパリサイ人で、しかもパリサイ人の子です。
いま死人の復活の希望のために裁判されているのです。(わたしは復活のキリストを見たと言いますから。)」



●ザアカイ

塚本訳 ルカ 19:7-10
19:7 皆がこれを見て、イエスは(税金取りのような)罪人の所に入りこんで宿を取った、と言ってぶつぶつ呟いた。
19:8 しかしザアカイは進み出て主に言った、「主よ、わたしは(誓って)財産の半分を貧乏な人たちに施します。人からゆすり取ったものは四倍にして返します。」
19:9 イエスが(人々に)言われた、「救いは(きょう、)この家に入った。(人でなしのように言われる)この人も、やはり(あなた達と同じ)アブラハムの末だから。
19:10 人の子(わたし)は『滅びうせた者をさがして』救うために来たのである。」



●ペテロ

塚本訳 ルカ 22:31-34
22:31 (そしてペテロに向かって言われた、)「シモン、シモン、見なさい、悪魔はあなた達を麦のように篩にかけることを(神に)願って聞き届けられた。
22:32 しかしわたしはあなたのために、信仰がなくならないように祈っておいた。(だから一度信仰を失っても、またもどってくる。)もどってきたら、あなたが兄弟たちを強めてやってほしい。」
22:33 するとペテロは言った、「主よ、ご一しょに、牢に入っても、死んでもよい覚悟ができております。」
22:34 イエスは言われた、「ペテロ、わたしは言う、きょう(今夜、)三度、あなたがわたしを知らないと言うまで、鶏は鳴かない。」


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朝の啓示、黙想、礼拝終わり。神はご自分の福音の伝達者に神学者や牧師や伝道者を起用しないで「罪人」を起用する。

現代の証人、ハンセン氏病の玉木愛子。彼女の信仰についてネットで次のようにあった。教会の説教らしい

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復活節も第5週を迎えました。

復活について考えるとき、必ずと言っていいほど思い出す人物がいます。それは表題にも掲げた玉木愛子という人です。

姉は、1887年に大阪の老舗の材木問屋の長女として生まれ、1969年、82歳で召されました。小学校入学の頃にハンセン病に罹り、やがて周囲に隠し切れない状態となり、母親と一緒に瀬戸内海に入水自殺しようとさえしました。そんな中、姉は日本最初のハンセン病院である熊本の回春病院に入所しました。そこで熱き祈りの人である三宅俊輔院長に出会ったのです。そして三宅氏の勧めと励ましにより、入所してから一年半後に洗礼を受けクリスチャンとなったのです。34歳でした。

1937年に失明。それ以降本格的に句作に励んだそうです。

復活節の期間に因んで姉が詠んだ句を紹介してみましょう。

 毛虫這えり 蝶となる日を 夢見つつ

手足を失った不自由なからだ。しかし何度も人を呼ぶのも心苦しい。そこで毛虫のように這って部屋の中を移動するわけです。そんな中で、自由に羽ばたいて飛ぶ蝶に復活の日の夢を託して詠んだものです。

 目をささげ 手足をささげ 降誕祭

手足を失い、薄暗い部屋の中に丸太ん棒のように転がっている姉にとって、「からだのよみがえり」を約束するキリストのご降誕は、まさにいのちの光、希望の光でした。

ご降誕のキリストは、やがて十字架の死を経て復活されました。その復活は、死者の復活のため、そしてそれは実に「からだのよみがえり」のための復活であったのです!

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塚本訳 Ⅰペテ1:8
1:8 君達は彼を(目のあたり)見たことはないが、(これを)愛し、今も見ることは出来ないが、(これを)信じて、(既にかの日の)輝きに満ちた、言語に絶する喜悦を喜んでいる


●10:00~12:00 五日市センターで「ノルディック・エクササイズ・ウォーキング」の講習会。両手に杖をついて歩行する方法の訓練。ノルウェー発祥の方法で専門のトレーナー(高橋さん・女性)が個人的に2時間付き添って歩き方を指導してくれた。さすがはプロ。歩き始めたら「あなたは腰痛だったでしょう」と言い当てられ、矯正された。教えられた通りの歩き方を一日30分つづければロコモティブ・シンドローム(寝たきり老人)にならないで済むという。杖を使って歩くと肩甲骨が良く動くので現代人に効果的なのだそうだ。2時間は苦痛では無かった。そして私の場合、85歳などは問題なく、「花の80代」になれるそうだ。杖は妻の山歩き用のトレッキングポールを借りた。歩き初めには葡萄糖の低下を防ぐために甘いもの(飴玉かチョコレート)を食べ、水を飲む。
●「杖」と言えば聖書の次の箇所を思った。「杖」は古くから人間に効用があり、聖書的にも意味がありそうだ。


口語訳 出  7:20
7:20 モーセとアロンは主の命じられたようにおこなった。すなわち、彼はパロとその家来たちの目の前で、つえをあげてナイル川の水を打つと、川の水は、ことごとく血に変った。

口語訳 詩  23:4
23:4 たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。

塚本訳 ルカ 9:3
9:3 彼らに言われた、「旅行には何も──も、旅行袋も、パンも、金も持ってゆくな。着替えの下着も持ってはならない。


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神に重要情報を託された「女」 ++++++++ 所感

2015/01/15 05:47

150115(木)キリスト者の皆様お早うございます●2月の私の感話は「有体的復活の衝撃」です。その中心的主題は復活のイエスが最初に姿を現したのはパウロが第一コリント15:5、ルカ24:33にあるようにペテロ(ケパ)ではなく、マグダラのマリヤであったことを話す。●復活顕現リストには「女]は出てこない。聖書はなぜ「女」を軽視するのか、これが疑問であるので探求する●パンの奇跡では4千人ないし5千人がいたとあるが、これもその数の中に「女」がカウントされていない。

塚本訳 マコ 6:43-44
6:43 そして(パンの)屑を拾うと、十二の篭に一杯あった。魚の残りも拾った。
6:44 パンを食べた者は、男五千人であった。

塚本訳 マタ 14:21
14:21 食べた者は、女、子供ぬきで、男五千人ばかりであった。

塚本訳 マタ 15:38
15:38 食べた者は、女、子供ぬきで、男四千人であった。


●「女」の存在は無視されていた。これはなぜか。当時のユダヤの社会風習であったらしいが、わが国でも婦人に参政権が与えられたのはごく最近のことであるからこれは歴史的にも世界的にも共通のことであるらしい。
●初代教会の実態を現す決定的な言葉は次である。

塚本訳 Ⅰコリ14:34-36
14:34 婦人は集会の会合では黙っていなさい。なぜなら、婦人は語ることを許されず、律法も言うように、ただ服従すべきだからである
14:35 もし何か学びたいと思うなら、家で夫に尋ねるがよい。婦人が集会の会合で語るのは恥ずべきことだから。
14:36 それとも、(その習わしはあなた達の会合独得だというのか。)神の言葉はあなた達(の集会)から出たのか、あるいは、あなた達だけのところに来たのか。

●旧約の風習、また新約においても「女」は男に比べて一段と地位が低かった。今日の問題はその背景から見なければならない。


口語訳 創 3:16
3:16 つぎに女に言われた、/「わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。それでもなお、あなたは夫を慕い、/彼はあなたを治めるであろう」。

口語訳 民 30:3-13
30:3 またもし女がまだ若く、父の家にいて、主に誓願をかけ、またはその身に物断ちをしようとする時、
30:4 父が彼女の誓願、または彼女の身に断った物断ちのことを聞いて、彼女に何も言わないならば、彼女はすべて誓願を行い、またその身に断った物断ちをすべて守らなければならない。
30:5 しかし、彼女の父がそれを聞いた日に、それを承認しない時は、彼女はその誓願、またはその身に断った物断ちをすべてやめることができる。父が承認しないのであるから、主は彼女をゆるされるであろう。
30:6 またもし夫のある身で、みずから誓願をかけ、またはその身に物断ちをしようと、軽々しく口で言った場合、
30:7 夫がそれを聞き、それを聞いた日に彼女に何も言わないならば、彼女はその誓願を行い、その身に断った物断ちを守らなければならない。
30:8 しかし、もし夫がそれを聞いた日に、それを承認しないならば、夫はその女がかけた誓願、またはその身に物断ちをしようと、軽々しく口に言ったことをやめさせることができる。主はその女をゆるされるであろう。
30:9 しかし、寡婦あるいは離縁された女の誓願、すべてその身に断った物断ちは、それを守らなければならない。
30:10 もし女が夫の家で誓願をかけ、またはその身に物断ちをしようと誓った時、
30:11 夫がそれを聞いて、彼女に何も言わず、またそれに反対しないならば、その誓願はすべて行わなければならない。またその身に断った物断ちはすべて守らなければならない。
30:12 しかし、もし夫がそれを聞いた日にそれを認めないならば、彼女の誓願、または身の物断ちについて、彼女が口で言った事は、すべてやめることができる。夫がそれを認めなかったのだから、主はその女をゆるされるであろう。
30:13 すべての誓願およびすべてその身を悩ます物断ちの誓約は、夫がそれを守らせることができ、または夫がそれをやめさせることができる。

塚本訳 Ⅰコリ11:7-10
11:7 なぜか。男は『神の影像』であり、反影であるから、頭にベールをかぶるべきではないが、女は男の反影であるから(、そのしるしにベールをかぶるべき)である。
11:8 男は女から出たのではなく、女が男から出たのだから。
11:9 また、男は女のために創造されたのでなく、女が男のために、(男を助けるために)創造されたのだから。
11:10 このゆえに、女は(祈りの時、悪い)天使たちに用心し、(身を守る)力のしるし(としてベール)を頭にかぶらねばならない。

塚本訳 Ⅰテモ2:11-12
2:11 婦人は(教会ではただ)静かに聴き、絶対の服従をもって(道を)学ばねばならぬ。
2:12 (教会で)婦人が教えたり、男子の上に立ったりすることは許さない。ただ静かにして居れ。

塚本訳 エペ 5:22-24
5:22 妻達よ、主に対するように自分の夫に服従せよ。
5:23 キリストが教会の頭であり給うように、夫は妻の頭であるから──しかも彼は(同時に)その体(なる教会)の救い主であり給う。(この点においてキリストと夫とはもちろん異なる。)──
5:24 しかし教会がキリストに服従するように、妻もまた何事によらず夫に服従せよ


塚本訳 コロ 3:18
3:18 妻達よ、主にある者らしく夫に従え


塚本訳 テト 2:4-5
2:4 若い婦人達に勧めて、夫を愛し、子を愛し、
2:5 貞淑で、純潔で、家庭的で、有能で、自分の夫に従順で、神の言が(彼らのふしだらの故に)涜されぬようにせよと語れ。

塚本訳 Ⅰペテ3:1-6
3:1 同じく妻達よ、自分の夫に従え、或る夫が(伝道者の宣べる)御言には従わずとも、言葉でなく妻の行いによって、
3:2 (すなわち)お前達の神を畏れる潔い行いを見て捕えられんためである
3:3 お前達の飾りは髪を(綺麗に)編んだり、金(の装身具)をつけたり、(美しい)着物を着たりする外部のことでなく、
3:4 柔和な、典雅な心ばせを朽ちぬ飾りとする心の中の隠れた人でなければならぬ。これこそ神の前で値打あるものである。
3:5 昔神に望みをかけた妻達も、斯く(柔和と典雅な心をもって)その夫に従い、自らを飾ったではないか。
3:6 (例えば)サラが『「主」と呼んで』(夫)アブラハムに従順であったように。お前達も善いことをして、どんな『脅迫を』も』恐れなければ』、サラの子となったのである。

●このように「女」は男の上に立ってリードすることを禁じられていたのであるが、これは女性特有の天性は男を「補助する」ことにあるらしい。そしてそこに女性本来の使命があって、その道で世界貢献をするものらしい。

口語訳 創  2:18
2:18 また主なる神は言われた
、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。


口語訳 創  2:22-24
2:22 主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。
2:23 そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、/わたしの肉の肉。男から取ったものだから、/これを女と名づけよう」。
2:24 それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。

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朝の黙想おわり。神は重要用情報を「女」に託す。「女の使命」はそこにある。



塚本訳 マタ 28:7-8
28:7 それから急いで行って弟子たちに、『イエスは死人の中から復活された。あなた達より先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる』と言いなさい。これを言いにわたしは来たのだ。」
28:8 女たちは恐ろしいが、また嬉しくてたまらず、(中には入らずに)急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走っていった


塚本訳 ヨハ 20:17-18
20:17 イエスが言われる、「わたしにすがりつくな。まだ父上の所に上っていないのだから。わたしの兄弟たち(弟子たち)の所に行って、『わたしは、わたしの父上、すなわちあなた達の父上、わたしの神、すなわちあなた達の神の所に上る』と言いなさい。」
20:18 マグダラのマリヤは行って弟子たちに、「わたしは主にお目にかかった」、また、主がこのことを彼女に言われた、と報告した。



●走れマリヤ!。重要ニュースだ。世界を動かす宇宙大の情報を握った。

●神に重要情報を託されて世界史を動かした「女」は「ピラトの妻」であった。伝説によれば彼女の名前はクラウディア・プロクラ。ギリシャ正教会では聖列に加えられている。


塚本訳 マタ 27:17-24
27:17 ピラトは人々が集まってきたとき言った、「どちらを赦してもらいたいか、バラバ(・イエス)か、救世主と言われるイエスか。」
27:18 ピラトは人々が妬みからイエスを引き渡したことを知っていたのである。
27:19 ピラトが裁判席に着いているとき、その妻が彼の所に人をやって、「その正しい人に関係しないでください。その人のおかげで、昨夜夢で散々な目にあいましたから」と言わせた。
27:20 しかし大祭司連、長老たちは、バラバの命乞いをして、イエスを殺してもらえと群衆を説きつけた。
27:21 総督は彼らに言った、「二人のうち、どちらを赦してもらいたいのか。」「バラバを!」と彼らが言った。
27:22 ピラトが言う、「では、救世主と言われるイエスをどうしようか。」みんなが、「十字架につけるのだ」と言う。
27:23 ピラトは言った、「いったいどんな悪事をはたらいたというのか。」しかし人々はいよいよ激しく、「十字架につけるのだ」と叫びつづけた。
27:24 ピラトは(自分のすることが)なんの甲斐もないばかりか、かえって騒動が起りそうなのを見て、水を取り寄せ、群衆の前で手を洗って言った、「わたしはこの人の血(を流すこと)に責任をもたない。お前たちが自分で始末しろ。」


●寒い日、チャイコフスキーのピアノ曲「四季」の一月「炉端にて」をアシュケナージで鑑賞。寒い日は寒い曲を聴け。
●TSK日本語版エレミヤ書47-48章
●雨の寒い日、終日妻と家の中で過ごす。夕食に湯豆腐がでた。感謝。このような御馳走を頂けるのはあと何年か。貴重な日々。
●妻に苦難の最中の人から電話。視力低下、歩行困難、親族に透析者、障碍者の子供、伴侶の逝去。あー神はなぜかくも人を苦難に遭遇させるのかなー。NO!。意味がある、意味がある。神はご存知。
●こういう時、「神が存在するなら抗議したい」と思う気持ちもわからないではないが、そこが神の愛の鞭。鞭は痛くなければ効き目がない。神は人が泣くまで、「これでもか、これでもか」と打つのだ。













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人は「恵みの光」によって救われる ++++++++ 所感

2015/01/14 06:10

150114(水)5時起床●キリスト者の皆様お早うございます。●昨日は高橋三郎著作集最終巻の第三部「最晩年の思想」を読みました。●また私(高橋照男)のことが暗に批判されていました。二度目です。●次に巻頭言の月本昭男先生の「福音の社会性」を読みました。●そこで学びえた事は「高橋三郎先生の生涯のテーマは「人は『信仰によって』救われるのではない」ということであります。●しからば「いかなるキリスト教が人を救いうるのか」。それが先生亡きあとの我々に残された課題です。●この難しい課題に対しては百家争鳴、カトリック対プロテスタント、新教教会各教派の争い、無教会の先生同士のいがみ合い、その弟子達(先生の肉的の面の子分チンピラ)による「わが師尊し」の人間的奴隷状態による思想戦。いずれも人間の限界です。●人間の限界と言えば洗礼者ヨハネもパウロにも限界があります。それは人間だからです。

塚本訳 マタ 11:11
11:11 アーメン、わたしは言う、女の産んだ者の中に、洗礼者ヨハネより大きい者はまだ出たことがない。しかし天の国で一番小さい者でも、彼より大きい。

塚本訳 ヨハ 5:34-35
5:34 わたしは人間(ヨハネ)から証明してもらう必要はない。わたしがヨハネのことを言うのは、ただあなた達が(彼の証明によりわたしを信じて)救われるためである。
5:35 ヨハネは(光ではないが、まことの光に導く)燃えて輝く明りであった。しかしあなた達は(彼の言葉に従おうとせずに、)しばし彼の光にうち興じただけであった

●洗礼者ヨハネは人間だから限界があった。それならば、パウロもルターもカルヴァンも内村も塚本も黒崎にも限界がある。
●そこで今朝は人間ではない神の子イエスの言動に「落ちつき場所」を求めてみよう。結論は「人は恵みの光によって救われる」というテーゼである。
●これをパウロ書簡ではなく「福音書と使徒のはたらき」に見る。「聖書で聖書を読む」。「恵みの救いの光」が文学的に表現されている。

塚本訳 マタ 4:14-17
4:14 預言者イザヤをもって言われた言葉が成就するためであった。──
4:15 『(ガリラヤの)湖に向かった、ゼブルン(族)の地とナフタリ(族)の地、ヨルダン川の向こう(のペレヤ)、異教人の(住む)ガリラヤ──
4:16 暗闇に住まう(これらの地方の)民は大いなる光を見、死の陰の地に住まうこの人々に光がのぼった、』
4:17 この時から、イエスは「悔改よ、天の国は近づいた」と言って、教えを説き始められた。

塚本訳 ヨハ 3:18-19
3:18 彼を信ずる者は罰されない。信じない者は(今)すでに罰されている。彼を神の独り子として信じていないからである。
3:19 すなわち、が世に来たのに、人々は自分たちの行いが悪いので、光よりも暗さの方を愛したこと、それが罰である。

塚本訳 マタ 2:1-2
2:1 さてイエスはヘロデ(大)王の代にユダヤのベツレヘムでお生まれになったが、そのとき、東の国の博士たちがエルサレムに来て
2:2 言った、「(今度)お生まれになったユダヤ人の王[救世主]はどこにおられるか。われわれはそのお方のが出るのを見たので、おがみにまいった。」

塚本訳 ルカ 2:28-32
2:28 シメオンは幼児を両腕に抱き、こう言って神を讃美した。──
2:29 今こそ、主よ、あなたはこの僕をしてお言葉のとおり安らかに(この世に)暇乞いをさせてくださいます、
2:30 わたしの目が『もうあなたの救いを拝見しました』からです。
2:31 この救いこそ、あなたが『全人類の(ため、その)目の前で』用意されたもの、
2:32 『異教人には啓示を、』あなたの民『イスラエルには栄光をあたえる』『』であります。

塚本訳 ヨハ 8:12
8:12 (同じ大祭の日に、)イエスはまた人々に語られた、「わたしが世のである。わたしに従う者は、決して暗やみを歩かない。そればかりか、命への光を持つことができる。」

塚本訳 ヨハ 9:4-5
9:4 わたし達はわたしを遣わされた方の御業を昼の間にせねばならない。(すぐ)夜が来る。するとだれも働けなくなる。
9:5 世におる間、わたしは世のである。」

塚本訳 マタ 28:1-6
28:1 安息日の(すんだ)後、週の初めの日[日曜日]の明け方に、マグダラのマリヤともう一人のマリヤとが墓を見に行った。
28:2 すると突然大地震がおこった。それは主の使が天からおりて来て(墓に)近寄り、(入口の)石をわきにころがし、その上に坐ったのである。
28:3 その顔は稲妻のようにかがやき、着物は雪のように白かった
28:4 見張りをしていた者たちは恐ろしさのあまり震え上がって、死人のようになった。
28:5 天使は女たちに言った、「恐れることはない。あなた達は十字架につけられたイエスをさがしているようだが、
28:6 ここにはおられない。かねがね言われたとおり、もう復活されたのだから。来て、お体が置いてあった場所を見なさい。

塚本訳 使  9:3-9
9:3 ところが進んでいってダマスコに近づくと、突然、天からがさして彼のまわりを照らした。
9:4 彼は地上に倒れ、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と言う声を聞いた。
9:5 サウロが言った、「主よ、あなたはどなたですか。」彼がいわれた、「わたしだ、あなたが迫害しているイエスだ。
9:6 さあ起きて、町に入れ。そうすれば、せねばならぬことが告げられる。」
9:7 一緒に来た者たちは唖然としてそこに立っていた。声は聞いたが、だれも見えなかったのである。
9:8 サウロは地から起きあがって目をあけたが、何も見えなかった。人々が手を引いて、ダマスコにつれて行った。
9:9 三日のあいだ目が見えず、また食べも飲みもしなかった。

塚本訳 使 22:6-11
22:6 ところが進んでいってダマスコに近づくと、昼ごろ、突然、天から強いがさしてわたしのまわりに輝いた。
22:7 わたしは地べたに倒れて、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と言う声を聞いた。
22:8 わたしは答えた、『主よ、あなたはどなたですか。』わたしに言われた、『わたしだ、君が迫害しているナザレ人イエスだ。』
22:9 連れの者たちは光は見えたが、わたしにお話になる方の声は聞こえなかった。
22:10 わたしは言った、『主よ、何をしたらよいのでしょうか。』主は言われた、『起きてダマスコ(の町)まで行け。そうすればそこで一切は告げられる。君のすることは決めてある。』
22:11 わたしはそののまばゆさのために目が見えないので、連れの者たちに手を引かれてダマスコに行きました。

塚本訳 使 26:12-18
26:12 こんな次第で、わたしは大祭司連から全権と委任とを受け、(迫害のため)ダマスコに進んでゆくと、
26:13 王よ、昼に、途中で、天から輝く太陽にもまさるがさして、わたしと、同行の者たちとのまわりを照らすのを見ました。
26:14 わたし達が皆地上に倒れると、ヘブライ語で、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。刺の棒は蹴っても無駄だ』とわたしに言う声を聞きました。
26:15 わたしは言った、『主よ、あなたはどなたですか。』主が言われた、『わたしだ、君が迫害しているイエスだ。
26:16 さあ、起きて、『自分の足で立て。』わたしが(今)現われたのは、
君を選んで、わたしを見たことと、(今からも)君に現われて示すこととの証人として、わたしに仕えさせるためである。
26:17 (かずかずの迫害や危険がのぞむが心配するな。)わたしは君をこの(イスラエルの)民(の手)から、また』異教人(の手)から』『(かならず)救い出してやる。』『彼らの中にわたしが君を遣わすのは、』
26:18 彼らの』目をあけて』彼らが『暗闇からに、』悪魔の権力から神に帰るため、そうして彼らがわたしに対する信仰によって罪の赦しを得、きよめられた人たちの仲間に入れていただくためである』と。

塚本訳 黙  2:28
2:28 そして私が私の父から(それを)戴いたように、彼にもまた暁の明星を与えるであろう。(彼は斯くして新しい救いのに接することが出来るであろう。)


塚本訳 黙  21:23-24
21:23 また都はそれを照らすのに太陽をも月をも必要としない。神の栄光がそれを照らし、仔羊がその燈火であるからである。
21:24 諸国の民はそのの中を歩むであろう。また地の王達は彼らの(有つ凡ての)光栄をここに持って来る。


塚本訳 黙  22:5
22:5 また(昼夜の別が消え失せ)最早夜が無いであろう。(其処では)燈火の光も太陽の光も必要がない。主なる神が彼らを照らし給うから。そして彼らは永遠より永遠に王となるであろう。

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朝の一人礼拝終わり。人を救いうるのは人間の思想ではなく、神の恵みの光である。

●23年前に召された父の特愛の讃美歌は87Aと505番であった。形見の讃美歌にはそこに赤い印がつけてある。

讃美歌87A

めぐみのひかりは わがゆきなやむ
やみ路をらせり 神は愛なり
われらも愛せん あいなる神を

讃美歌505

たえなる恵みや みかどは開け
救いのひかりぞ 世に輝ける
(おりかえし」)
たえなる恵みや 天なる御門は
わがため ひらかれたる

●23年前に召された父は「光」という言葉がが好きで自分の子供3人に光に関する名前を付けた。
長男には光男、次男の私には照男、三男には晴れるという意味で靖男。
・・・兄弟親族の救いを祈るや切である。各人とその子供に「恵みの光」が射して救われますように。

●9:30 市民がん検診。肺癌、胃癌。2000円。
●12:10 キララホールロビーコンサート、マリンバ。楽器の説明があって大変良かった。無料。




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救いを求めるようになった幸いな人々 ++++++++ 所感

2015/01/13 06:17

150113(火)4時起床●キリスト者の皆様お早うございます。●今朝の啓示は「求めよさらば与えられん」です。

塚本訳 ルカ 11:9-13
11:9 それで、わたしもあなた達に言う、(ほしいものはなんでも神に)求めよ、きっと与えられる。さがせ、きっと見つかる。戸をたたけ、きっとあけていただける。
11:10 だれであろうと、求める者は受け、さがす者は見つけ、戸をたたく者はあけていただけるのだから。
11:11 あなた達のうちのどんなお父さんでも、子が魚を求めるのに、魚の代りに蛇をやるだろうか。
11:12 また卵を求めるのに、蝎をやるだろうか。
11:13 してみると、あなた達は悪い人間でありながらも、自分の子に善い物をやることを知っている。まして天の父上が、求める者に聖霊(という善いもの)を下さらないことがあるだろうか。」


文語訳 ルカ 11:9-13
11:9 われ汝らに告ぐ、求めよ、さらば與へられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん。
11:10 すべて求むる者は得、尋ぬる者は見出し、門を叩く者は開かるるなり。
11:11 汝等のうち父たる者、たれか其の子魚を求めんに、魚の代に蛇を與へ、
11:12 卵を求めんに蠍を與へんや。
11:13 さらば汝ら惡しき者ながら、善き賜物をその子らに與ふるを知る。まして天の父は、求むる者に聖靈を賜はざらんや』

●私の友人がある時、「高橋君、聖書ってそんなに面白いのかい」と聞いたことがある。彼は東京聖書読者会に一~二度来たことがあるが、それきりで、還暦を待たずに逝った。彼は父親を早くに亡くして人生を苦労した。私は彼に信仰の幸福を伝えられなかったことが心残りである。
●またもう一人の友人は、クリスチャンの両親のもとで育ったが、大学生の時に母親が亡くなって精神の病になり、若くして入水自殺した。彼のこともも心残りである。
●人生は苦労しても必ずしも救われない。イエスを神の子と信ずるには至らない。なぜだろう。救いの求め方が足りなかったのだろうか。
●今朝はこの難問を探求する。
●まず、救いを求めた人々の例を見てみよう。

塚本訳 ヨハ 3:1-2
3:1 ところでパリサイ人の中に名をニコデモという人があった。ユダヤの(最高法院の)役人であった。
3:2 ある夜、イエスの所に来て言った、「先生、わたし達はあなたが神のところから来られた先生であることを知っています。神がご一しょでなければ、あなたのされるあんな徴[奇蹟]はだれもすることは出来ません。」

塚本訳 ヨハ 4:13-15
4:13 イエスは答えられた、「この(井戸の)水を飲む者はだれでもまた渇くが、
4:14 わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」
4:15 女が言う、「主よ、その水を下さい。(二度と)渇くことがないように、またここに汲みに来なくてもよいように。」

塚本訳 マコ 10:17
10:17 旅行に出ようとされると、ひとりの人が駆けてきて、ひざまずいて尋ねた、「善い先生、永遠の命をいただくには、何をすればよいでしょうか。」

塚本訳 ルカ 19:1-4
19:1 エリコに入って、(そこを)通っておられた。
19:2 すると、(町に)名をザアカイという人がいた。この人は税金取りの頭で、金持であった。
19:3 イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低いので、群衆のため見ることが出来なかった。
19:4 それで先の方に駈けていって、桑無花果の木に上った。そこを通られるところを見ようとしたのである。

塚本訳 ルカ 23:42-43
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽(パラダイス)にはいることができる。」

●上記の5例とも人生を懸けて必死に救いを求めた。どうして救いを求めるようになったのかは各人各様でその背景の事情はわからない。しかし共通していることは何か不足感があったからである。現状では満足できなかったからである。だから「求めた」のである。
●これに対してイエスはその不足感を満たすためにこの世的な充足感を与えなかった。霊魂の救いへと導かれた。この世的の不完全意識、不足感が人をして霊魂の救へ導く。「幸いなるかな悲しむ者」である。
●この世の人は、これを嘲って「彼らは宗教に走った」という。しかしそういう彼らはこの世的なことで真に満足しているかというとそうではない。
●イエスは人間の不足感をこの世的充実で満たそうとはしなかった。

塚本訳 マタ 26:8-13
26:8 弟子たちはこれを見て、憤慨して言った、「なぜこんなもったいないことをするのだろう。
26:9 これは高く売れて、貧乏な人に施しが出来たのに。」
26:10 それと知ってイエスは言われた、「なぜこの婦人をいじめるのか。わたしに良いことをしてくれたではないか。
26:11 貧乏な人はいつもあなた達と一しょにいるが、わたしはいつも(一しょに)いるわけではない。
26:12 この婦人がわたしの体に香油をかけてくれたのは、わたしを葬るためである。
26:13 アーメン、わたしは言う、世界中どこでも(今後)この福音の説かれる所では、この婦人のしたことも、その記念のために一しょに語りつたえられるであろう。」


●だから人間のもろもろの不足感をこの世的なもので満たそうとするのは、悪い親である。子供を地獄に追いやる。現代の親は子供に蛇や蠍(さそり)を与えているのだ!。

塚本訳ルカ11:11-12
11:11 あなた達のうちのどんなお父さんでも、子が魚を求めるのに、魚の代りに蛇をやるだろうか。
11:12 また卵を求めるのに、蝎をやるだろうか。


●神は必ずしも経済的充足を与えない。この世的平和を与えない。健康を与えない。伴侶を与えない。家庭団らんを与えない。しかし聖霊を与える。なぜか。それが人間にとって最高に満足のいく、道だからである。聖霊は我々に「イエスは神の子」と告白せしめて、全世界と永遠の命を与えてくださるのだ。

塚本訳 マコ 8:36
8:36 全世界をもうけても、命を損するのでは、その人になんの得があろう

塚本訳 Ⅰコリ3:22-23
3:22 パウロでもアポロでもケパでも、世界でも命でも死でも、現在起こっていることでも将来起こることでも、万物はあなた達のものである。
3:23 しかしあなた達はキリストのもの、キリストは神のものである。

塚本訳 ロマ 8:31-32
8:31 すると、それはどういうことになるのだろうか。──神がわたし達の味方である以上、だれがわたし達に敵対できるか。
8:32 御自分の子をさえなんの惜しげもなく、わたし達みんなのために死に引き渡されたその神が、どうしてそれと共に、すべてのものをも賜わらないことがあろうか

塚本訳 マタ 6:31-34
6:31 だから、『何を食べよう』とか、『何を飲もう』とか、『何を着よう』とか言って、心配するな。
6:32 それは皆異教人のほしがるもの。あなた達の天の父上は、それが皆あなた達に必要なことをよく御承知である。
6:33 あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。
6:34 だから、あしたのことを心配するな。あしたはあしたが自分で心配する。一日の苦労はその日の分で沢山である。

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朝の一人礼拝終わり。

NKJV マタ 6:33
6:33 "But seek first the kingdom of God and His righteousness, and all these things shall be added to you.


●私が16歳の時に洗礼を授けてくださったS牧師は記念に英語の新約聖書をくださった。そのとき扉にこの句を書いてくださった。爾来55年の長旅。今永遠の命の希望を頂いていて「不足感」はない。感謝、感謝。

塚本訳 ルカ 22:35-38
22:35 それから彼らに言われた、「(前に)財布も旅行袋も靴も持たせずに、あなた達を(伝道に)やった時、何か足りない物があったか。」彼らが答えた、「いえ、何も。」
22:36 彼らに言われた、「しかし今は(もうそれではいけない。)財布を持っている者は持ってゆけ。旅行袋も同様。剣を持たない者は、(もし金がなかったら、)上着を売ってでも買いなさい。
22:37 わたしは言う、『彼は咎人の一人に数えられた』と(聖書に)書いてあること、をわたしは成就せねばならないのだから。そしてわたしの務は(いよいよこれで)果てるのだ。(あなた達も戦いの準備をするがよい。)」
22:38 彼らが言った、「主よ、剣ならばここに二振あります。」イエスが(笑いながら)言われた、「それで沢山々々。」

●私に洗礼を授けてくださったS牧師からは今年年賀状の返事が来ない。遠まわしに聞いたら重病で面会謝絶ということである。直接に会って一言お礼を言いたいのだが叶わぬことらしい。祈るのみ。天国でお礼を言いたい。
●S牧師は一昨年、「高橋君には高橋君の道(無教会)があると言った」とその御夫人から伺った。
●20歳ごろにその教会を去る時、私の姿が見えなくなるまで見送ってくださった。そのS牧師は自らを「田舎牧師」と認じていた。
●私は今71歳。これからは聖霊という剣を持ってこれからの「旅行」をしなければならない。(ルカ22:35-36)
●TSK日本語版エレミヤ書45章
●図書館。
●高橋三郎著作集最終巻を読む。神学的、思想的、戦闘的、政治的、人間的,行為主義的。
●高橋三郎先生の塚本先生批判は信仰と行為の神学論争。行為主義者の信仰主義者に対する批判は危険である。真の行為は人の目に隠れるからである。
●「信仰か行為か」。これは歴史が決着した。信仰のみのグループが「行為も必要」と主張するグループよりも社会的に深く影響を与えている。
●信仰主義のプロテスタントの国の方がカトリックの国よりも社会的にインパクトを与えて来た。民主主義理論、科学技術の発展、赤十字などの社会福祉。・・・・なぜか。信仰のみが故に神が働くからである。
●私の分野の建築のことでも分かる。「行為主義者」は口は出すが、献金の額が少ない。なぜか。その行いが常に派手な「見せびらかし」のみだからだ。彼らは「右手のすることを左手に教えている」。●真の社会貢献は人には見えない。神にのみ見える。

塚本訳 マタ 6:1-4
6:1 (しかし戒めだけでなく、行ないにおいても聖書学者、パリサイ人以上でなければならない。すなわち)見せびらかすために、人の見ている前で善行をしないように気をつけよ。そうでないと、あなた達の天の父上の所で褒美をいただくことはできない。
6:2 だからあなたが施しをする時には、偽善者のように、自分の前にラッパを吹きならして(吹聴して)はならない。彼らは人に褒められようとして、礼拝堂や町の中でそうするのである。アーメン、わたしは言う、彼らは(褒められたとき、)すでに褒美をもらっている。
6:3 あなたは施しをするときに、右の手のすることを左に悟られてはならない
6:4 これは施しを隠しておくためである。そうすれば、
隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。





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人はいかにしてイエスを神の子と告白するに至るか ++++++++ 所感

2015/01/12 06:52

150112(月)5時起床、●キリスト者の皆様お早うございます。●昨日は米国映画の「サン・オブ・ゴッド」を見て感銘し、ヘトヘトになったので、今朝その感想を書く。人は悟性では人間イエスを神の子とは告白しない。できない。映画はその行き違い、軋轢、祖語をうまく編集していた。ピラトの裁判はそのクライマックスであった。●しからば人はいかにして人間イエスを神の子と信ずるに至るのか。それが今朝の黙想の主眼である。それは「罪の赦し」の体験を通じて人はイエスを神の子と信ずるに至るのである。人が神を信じるのは実にさまざまえ不思議な経緯である。百人百様である。しかし結果的に見て、共通のことは「罪の赦し」の経験である。その体験を通して人は霊の目が開けられる。●初代教会の最古の伝承と言われるのは次である。

塚本訳 Ⅰコリ15:3-4
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること


●この中で「一番大切な事」は「わたし達の罪のために死なれた事」という部分である。
●人は罪の赦しの経験を通して神の存在と、イエスが神の子にいますことを知るに至る。
●そしてその証明、保証はイエスの有体的復活である。
●来る3月1日の感話は第一コリント15:3-5 である。

塚本訳 Ⅰコリ15:3-5
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。


●この中で「私達の罪のために」のところに注目して、「聖書で聖書を読む」方法で探求してみよう。


●わたし達の罪のために死なれたこと、

塚本訳 ガラ 1:4                                      1:4 キリストはわたし達の父なる神の御心にしたがい、わたし達を悪い現在の世から救いだそうとして、わたし達の罪のために自分を与え(て十字架につけ)られたのである。

塚本訳 ガラ 3:13                                     3:13 キリストはわたし達(ユダヤ人)のために(十字架にかけられ、みずから)呪となって、わたし達を律法の呪から贖い出してくださった。『木にかけられる者はみな呪われている』と書いてある。

塚本訳 Ⅰペテ2:24                                     2:24 彼は『自ら私達の罪を』自分の身に『負って』木の上に『上り給うた』。私達が罪によっては死に、義によっては生きるためである。彼の『傷によって君達は医された』。

塚本訳 Ⅰヨハ2:2                                      2:2 そして彼こそわたし達の罪のための宥め(の供物)である。しかしただわたし達の罪のためだけでなく、この世全体のためでもある。

●この「大真理」はキリスト教の根本である。だからこの2千年間、福音のシンボルは十字架として歴史の中を運ばれてきた。
●3月1日の感話の結論は次のようにした。


●聖書どおりに三日目に復活しておられること

口語訳 ヨナ 1:17                                1:17 主は大いなる魚を備えて、ヨナをのませられた。ヨナは三日三夜その魚の腹の中にいた

塚本訳 マタ 12:39-41                              12:39 彼らに答えられた、「この悪い、神を忘れた時代の人は、(信ずるのに)徴をほしがる。しかしこの人たちには、預言者ヨナの徴以外の徴は与えられない。                                12:40 すなわち『ヨナが三日三晩大きな魚の腹の中にいた』ように、人の子(わたし)も三日三晩地の中におるのである。               12:41 しかし人々は信じない。(だから)ニネベの人がこの時代の人と一しょに(最後の)裁き(の法廷)にあらわれて、この人たちの罪が決まるであろう。というのは、ニネベの人はヨナの説く言葉に従って悔改めたが、(この人たちは、)いまここにヨナよりも大きい者がいる(のに、その言葉に従わない)からである。 

塚本訳 ヨハ 20:1-9                                20:1 (翌々日、すなわち)週の初めの日(日曜日)の朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に来てみると、(の入口)から石がのけてあった。                 20:2 そこでシモン・ペテロと、イエスが可愛がっておられたもう一人の弟子との所に走って行って言う、「主を墓から取っていった者があります。どこに置いたのかわかりません。」                                     20:3 そこでペテロはもう一人の弟子と飛び出して、へと急いだ。              20:4 二人とも(始めのほどは)一しょに走っていたが、もう一人の弟子の方が(年が若かったので、)ペテロより早く走っていって、先にに着いた。           20:5 身をかがめると、(の中に)亜麻布があるのが見えたが、それでも中には入らなかった。                                    20:6 続いてシモン・ペテロも来た。彼はに入り、亜麻布が(そのままそこに)あるのを見た。                                     20:7 また頭をつつんだ手拭は亜麻布と一しょになく、これだけ別の所に、包んだまま(の形)になっていた。                               20:8 すると先にに着いたもう一人の弟子も入ってきて、見て、信じた。      20:9 イエスは死人の中から復活されねばならないという聖書の言葉が、(この時まで)まだ彼らにわかっていなかったのである。

塚本訳 使  2:32                                2:32 神は(救世主である)このイエスを(預言どおりに)復活させられました。わたし達は皆このことの証人です。(イエスの復活を目の当り見たのだから。)

塚本訳 使  13:29-31                              13:29 そして彼について(聖書に)書いてあることを一つのこらず完了すると、(十字架の)木から(死体を)下ろして墓に納めた。           13:30 しかし神は彼を死人の中から復活させられ、           13:31 彼はガリラヤからエルサレムに一緒に上ってきた人たちに、幾日もの間御自分をお現わしになったので、(この復活の主を目のあたり見た)この人たちが、今(イスラエルの)民に対して彼の証人になっています。

塚本訳 使  17:31

17:31 神は一つの日を決め、その日に御自分の定めた一人の人(イエス)を使って『正しく(全)世界を裁こうと』計画しておられるからです。そして彼を死人の中から復活させて、すべての人に(彼が世界を裁くべき人であるという)その保証をお与えになったのであります。」

塚本訳 使  2:22-26                               2:22 イスラエル人諸君、(わたしの)この言葉をお聞きなさい。──あのナザレ人イエスは、神が彼によってあなた達の中でかずかずの奇蹟や不思議なことや徴を行い、(救世主であることを)あなた達に証明された人であります。このことはあなた達自身が知っているとおり。                                      2:23 このイエスを、神は一定の御計画と予見とによってくれてやられたところ、あなた達は律法を知らぬ(異教の)人々の手で磔にして殺してしまった。                       2:24 しかし神は彼を死の苦痛から解いて復活させられた。死に捕らえられていることが出来なかったからです。                   
2:25 現にダビデは彼についてこう言っています。『わたしは絶えず目の前に(神なる)主を見あげた、わたしがぐらつかないように、わたしの右側にいてくださるから。                             2:26 それゆえにわたしの心は楽しく、舌は(歌をうたって)喜んだ、そればかりか肉体も、(墓にあって)希望のゆえに安らうであろう、

塚本訳 ピリ 2:6-11                               2:6 彼は(先には)神の姿であり給うたが、神と等しくあることを棄て難いことと思わず、                             2:7 かえって自分を空しうして人と同じ形になり、奴隷の姿を取り給うたのである。そして人の様で現れた彼は、                              2:8 自ら謙り、死に至るまで、(然り、)十字架の死に至るまで(父なる神に)従順であり給うた。                                    2:9 それ故に神も彼を至高く上げ、凡ての名に優る(「主」なる)名を与え給うた。                               2:10 これはイエスの(この尊い)名の前に、天の上、地の上、地の下にある『万物が膝を屈め、                                     2:11 凡ての舌が』「イエス・キリストは主なり」と『告白して』父なる『神に』、栄光を帰せんためである。

●またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされた

塚本訳 ルカ 24:34-35                              24:34 「ほんとうに主は復活して、シモン(・ペテロ)に御自分を現わされた」と話してくれた。                          24:35 それで二人も、(エマオへの)道であったことや、また、どうしてパンを裂かれたことで(主と)わかったかを物語った。

塚本訳 使  1:2-14                                1:2 お選びになった使徒たちに、聖霊によって(全世界への伝道を)命令されたのち、(天に)あげられた日に及んだ。(わたしは今ここに、その第二巻をあなたにささげようと思う。)                                     1:3 イエスは(十字架の)苦しみを受けて(死なれ)た後も、多くの証拠をもって使徒たちに御自分が生きていることを示し、四十日の間彼らに現われて、神の国のことをお話になった。

塚本訳 エペ 1:13-14                              1:13 このキリストにおいて君達(異教人)もまた、真理の言すなわち君達の救いの福音を聴いたので──このキリストにおいて君達もまた、信ずることにより約束の聖霊をもって封印されたのであるが、                              1:14 この聖霊こそ(実は)私達が神の王国を相続することの担保であり、私達を贖って神の所有とするのであって、(凡ては)神の栄光が讃美されんためである。

塚本訳 使  1:8-9                                1:8 ただ聖霊があなた達にくだるとき、あなた達は力を戴いて、エルサレムをはじめユダヤ全体、またサマリヤ、さては世界の果てまでも、わたしの証人になるであろう。」

 

文語訳 Ⅱコリ13:8                               13:8 我らは眞理(まこと)に逆ひて能力(ちから)なく、眞理のためには能力あり。


                                               

●キリスト賛歌 (ヘンデル・メサイアの終曲)

KJV 黙示録196                               For the Lord God Omnipotent reigneth!                                      文語訳(全能の主、われらの神は統治(すべし)らすなり

KJV 黙示録1115                               He shall reign orever and ever!                            文語訳(彼は世々限りなく王たらん)



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朝の黙想、終わり

●TSK日本語版エレミヤ書43章
●15:40 山川歯科。170円とは非常に安くてありがたい。一割負担だからか。政府に感謝。
●帰途、私のブログに感謝の応答があった「イエスを神の子と告白する」見知らぬ人のことを祈った。返事のしようがない。その人は140319に次のようなご連絡があった。

140308のブログに対する見知らぬ人からのメール 140319。 詳しくは140320ブログに記した
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ここ1年余り、立て続けに我が家を襲った様々な試練により、私自身も抑うつ状態が続いており、今でも全般的にやる気が起きない、根気が続かない状態でありますが、この「イエスを主、神の子と告白する人間は、この世、社会的にはどんなにみじめな人間であっても、最高の人間」という一言のコメントには、他の何者にも変えがたく、癒され、勇気づけられました。私がどんな困難な境遇にあり、うつ状態で苦しんでいても、主は私を最高の人間、友として見て下さっているのだと、救いの道を用意して下さっているのだと、改めて信じることが出来ました。高橋さん、本当にありがとうございました。
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●これでいいのだ、これがいいのだ。イエスを神の子と告白する人たちとの霊的交わり、慰め合い。これが私の残りの人生の使命だ。成功のブログ。この人一人のために毎日のブログの営みはあったと言ってもいい。感謝。
●行け!我がブログ。飛べ我がブログ!。この世的にはみじめでボロボロ、メチャクチャで目も当てられない人でも「イエスを神の子と告白する」幸いな人、最高の人間を慰めよ。




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キリスト賛歌 ++++++++ 所感

2015/01/11 05:16

150111(日)3時目覚め、床の中で黙想、4時起床●乾布摩擦、急げ急げと言いながら厚着、お湯を沸かす。●キリスト者の皆様お早うございます。●一昨日、高橋三郎先生の講演CDを聞いた。(1994年3月13日、於・キリスト教愛真高校)。その中で黙示録の二か所を非常にきれいな英語で語られた。これはハレルヤコーラスの一部である。

For the Lord God Omnipotent reigneth! (KJV黙示録19:6)
He shall reign forever and ever! (KJV黙示録11:15)

●その語り口に非常に魅せられたので昨日その部分だけを聞きなおした。先生はこれは「キリスト賛歌」だと開設された。
●妻にも聞かせ、私もこのようなきれいな英語でキリスト賛歌が歌えたらなーと思った。先生は私が非常勤講師として昨年まで9年間勤務していた、昭和女子大にて1950年頃英語の教師であられた。さすがだなーと思った。
●今朝はこれに刺激されたので、人間が神・キリストを讃えることはいかにすばらしいことかを思い、関連する聖句を思いつくままに並べてみる。

口語訳 詩 33:1
33:1 正しき者よ、主によって喜べ、さんびは直き者にふさわしい

新共同 詩 33:1
33:1 主に従う人よ、主によって喜び歌え。主を賛美することは正しい人にふさわしい

TEV 詩 33:1
33:1 All you that are righteous, /shout for joy for what the Lord has done; /praise him, all you that obey him.

口語訳 詩 84:1-2
84:1 万軍の主よ、あなたのすまいはいかに麗しいことでしょう。
84:2 わが魂は絶えいるばかりに主の大庭を慕い、わが心とわが身は生ける神にむかって喜び歌います。

都もうでの歌 詩編120~134篇

口語訳 詩 136:1-2
136:1 主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。(キ・レオラム・カスドゥー)

口語訳 詩 137:1-4
137:1 われらは/バビロンの川のほとりにすわり、シオンを思い出して涙を流した。
137:2 われらはその中のやなぎにわれらの琴をかけた。
137:3 われらをとりこにした者が、われらに歌を求めたからである。われらを苦しめる者が楽しみにしようと、「われらにシオンの歌を一つうたえ」と言った。
137:4 われらは外国にあって、どうして主の歌をうたえようか。

塚本訳 ヨハ 4:23-24
4:23 しかし(ユダヤ人もサマリヤ人もなく、)本当の礼拝者が霊と真理とをもって父上を礼拝する時が来る。いや、今もうきている。父上もこんな礼拝者を求めておられるのである。
4:24 神は霊である。だから礼拝者も霊と真理とをもって礼拝せねばならない。」

塚本訳 マタ 21:16
21:16 イエスに言った、「あの子供たちがなんと言っているのか、聞えているのか。」イエスは言われた、「聞えている。あなた達は『(神よ、)あなたは幼児と乳飲み子との口によって、(御自分のために)賛美をお備えになった』と詩篇にあるのを、まだ読んだことがないのか。(大人が黙っているから、子供が叫ぶのだ。)」

塚本訳 マタ 16:16-17
16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主、生ける神の子であります!」
16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから。

塚本訳 ロマ 10:9
10:9 つまり、あなたは『口で』イエスを主と告白して、『心で』神がイエスを死人の中から復活させられたことを信ずれば、救われる。

塚本訳 Ⅰコリ12:3
12:3 だから(霊の見分け方について、)あなた達に次のことを知らせる、神の霊に感じて語る者は、だれも 呪われよ、イエス!とは言わない、また聖霊に感じてでなければ、だれも、イエスは主と言うことは出来ない。

塚本訳 ガラ 4:28-29
4:28 兄弟たちよ、(今のエルサレムに属しない)あなた達は(、ハガルの子ではなくして、サラの子)イサクと同じく、約束の(言葉によって生まれた)子である。
4:29 しかしその時、肉によって生まれた者(イシマエル)が御霊によって生まれた者(イサク)を迫害したように、今も同じである。(地上のエルサレムの子らが天のエルサレムの子らを迫害する。)

塚本訳 エペ 1:3
1:3 賛美すべきかな、天上におけるあらん限りの霊の祝福をもって私達をキリストにあって祝福し給うわれらの主キリスト・イエスの父なる神!

口語訳 黙 5:12
5:12 大声で叫んでいた、「ほふられた小羊こそは、力と、富と、知恵と、勢いと、ほまれと、栄光と、さんびとを受けるにふさわしい」。

塚本訳 ロマ 10:14-15
10:14 ところで、(呼ぶだけで救われると言うが、)信じたことのない者を、どうして呼ぶことができようか。聞いたことのない者を、どうして信ずることができようか。説く者がなくて、どうして聞くことができようか。
10:15 (神に)遣わされなければ、どうして説くことができようか。(しかし説く者はある。それはわたし達である。)『善いこと[福音]を伝える人たちの足の、なんと美しいことよ!』と書いてあるとおりである。

塚本訳 マタ 26:27-31
26:27 また杯を取り、(神に)感謝したのち、彼らに渡して言われた、「皆この杯から飲みなさい。
26:28 これは多くの人の罪を赦されるために流す、わたしの『約束の血』であるから。
26:29 しかしわたしは言う、わたしの父上の国で、あなた達と一しょに新しいのを飲むその日まで、わたしは今後決して、この、葡萄の木から出来たものを飲まない。」
26:30 (食事がすむと、)みなで賛美歌をうたったのち、オリブ山へ出かけた。(もう真夜中すぎであった。)
26:31 その時イエスは弟子たちに言われる、「今夜あなた達は一人のこらずわたしにつまずくであろう。(聖書に)『わたしは羊飼いを打つ、羊の群はちりぢりになるであろう』と書いてあるからである。(羊飼はわたし、羊はあなた達である。)

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朝の一人礼拝終わり。キリスト賛歌をした。高橋先生のように流暢な英語が出来なくてもよいのだ。ライ病で目も手足も失った玉木愛は次のようにキリストを讃えた。

両眼と両手両足捧げて降誕祭。

彼女はもちろん舌も不自由だったのだろう。神が喜び給う生涯だ。成功の生涯だ。


●妻と集会へ。茂木(司会)、高木(マルコ8章、「無教会研究」の安彦忠彦、助川暢論考紹介)
●妻はロ短調ミサ曲の練習
●14:50 昭島の映画館MOVIXえ「サン・オブ・ゴッド」を鑑賞。祈りの心をもって見たので信仰的に有益であった。この種の映画は「祈りの心」で見なければならない。2時間20分の大半が受難物語、これは福音書の構成と似ている。復活と昇天までカバーしていて信仰者の作った映画だと感じた。十字架のところは涙なしには見られなかった。見終わってヘトヘト。ため息が出るのみ。バッハのマタイ受難曲を聞き終わった時に似ている。●疲れたので感想は明日のブログにする。●帰途、それにしても人がイエスを神の子と告白するのは実に不思議な神秘的な、尋常なことではないのだと感じた。




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神はイエスを有体的に復活させた・・・新約聖書の中心的使信 ++++++++ 所感

2015/01/10 05:28

150110(土)4時半起床●キリスト者の皆様お早うございます●本日午後は地元あきる野市出身の若き音楽家たちのコンサートが、「きららホール」である。●妻と一緒に行く予定で、ずっと前から妻からそのチケットを渡されていたのであるが、紛失。一昨日と昨日、ずいぶん時間をかけて探したが出てこない。代金は1000円と安くて被害が少ないが、それでも残念無念、悲しかった。●今朝の目覚めの啓示は「失う悲しさ」ということであったが、それを起点に新約聖書の最古の伝承、しかも初代教会の中心的使信である第一コリント15:4に思いを巡らせた。

塚本訳 Ⅰコリ15:4
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、


●コンサートのチケットは失ったが、そのためにこの箇所を思うことになったことは益であった。「失ったものより、得たものの方が大きい」
●たとえこれからの時間で出てきたとしてもそのコンサートには引力を感じなくなった。病気で信仰を得た人は肉の病が直らなくてもよいと思うようになるそうだが、それと同じだ。
●東日本大震災で信仰を失った人もいるし逆に信仰に目覚めた人もいる。信仰を与えられた人は「失ったものより得たもの方が大きい」と告白した。その人にとっては地震と原発事故は神の恩恵であった。地震様々、原発事故様々である。この心境は「この世」の人には到底わからない。彼らはあくまで「この世の改造」であるからである。パウロが次のように言うことはわからない。

塚本訳 ロマ 8:28
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。


●イエスに愛された人にとっては主を失うことは悲しみであった。しかし神はイエスを有体的に復活させて、再会させ、喜びを与えた。

塚本訳 ヨハ 20:11-13
20:11 (二人について来ていた)マリヤは(ひとり)墓の外に立って泣いていた。(二人が去ったあと、)泣きながらかがんで墓の中をのぞくと、
20:12 白い衣をきた二人の天使が、一人はイエスの体が置いてあった所の頭の方に、一人は足の方に坐っているのが見えた。
20:13 天使がマリヤに言う、「女の人、なぜ泣くのか。」マリヤが言う、「わたしの主を取っていった者があります。どこに置いたのかわかりません。」

●この悲しみが「スターバトマーテル(悲しみの聖母)」である。大切なもの愛するものを失うと人間は嘆き悲しみ魂が落ち込む。衰弱する。しかし神はいつまでも悲しみに捨て置かない。再会の喜びに満たしてくださる。失った喜びよりも大きく深い喜びだ。イエスは次のように言う。

塚本訳 ヨハ 16:16-22
16:16 しばらくするとあなた達はもはやわたしを見ることができない。またしばらくするとわたしに会うことができる。」
16:17 するとある弟子たちは互にこう言った、「『しばらくするとあなた達はわたしを見ることができない。またしばらくするとわたしに会うことができる』とか、『わたしは父上の所に行く』とか言われるが、あれはいったい何事だろう。」
16:18 彼らはつまりこう言ったのである、「『しばらく』と言われるが、あれはいったい何事だろう。何を思っておられるのかわからない』と。
16:19 イエスは自分に尋ねたがっているのを知って言われた、「『しばらくするとあなた達はわたしを見ることができない。またしばらくするとわたしに会うことができる』と言ったことを話し合っているのか。
16:20 アーメン、アーメン、わたしは言う、(わたしがいなくなると)あなた達は泣いて悲嘆にくれるが、この世は喜ぶであろう。あなた達は悲しむが、その悲しみは(やがて)喜びにかわるであろう。
16:21 女が子を産む時には、女の(宿命の)時が到来したので悲しみがあるけれども、子が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはや(お産の)苦しみを覚えていない。
16:22 だから、(同じく)あなた達にも今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなた達に会うのだから、(その時)あなた達の心は喜ぶであろう。そしてあなた達からその喜びを奪う者はだれもない。

●有体的復活の喜びはこの再会の喜びを指す。有体的復活は来世の実在の希望を与えられる神の「見える形」での証明である。復活の体は、肉眼で見えた、手で触れた。復活は有体的ではないという伝道者や聖書学者や神学者はキリスト教の敵。実名を挙げてもよいが、やめる。時間がない。彼らは後が続かない。「キリスト教の敵はローマ帝国ではなく、グンーシス主義であった」と言われて来た。
●福音の敵は教会主義ではなく、ヒューマニズムと儒教思想である。有体的復活の信仰を見失った現代の無教会はヒューマニズムや儒教的雰囲気の「思想」に退化堕落した。偉い人物を崇拝する。体制に果敢に抵抗するする人物を尊敬する。それが信仰の展開だという。大間違い。マテマテ。本論を続けよう。
●新約聖書の中心的使信はイエスの有体的復活、それが神のなしたもう業、神の心であることを告げる。それは第一コリント15章1-5の「死人の復活」の使信である。
●今朝はこの「反響」の言葉を聖書に見て、3月29日の感話の準備をしよう。
●TSK日本語版エレミヤ書42章
●妻はあきる野市出身の若手演奏家コンサート。キララホール
●郵便局、農協、東急
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失うと与えられる。・・現代の求道 ++++++++ 所感

2015/01/09 04:02

150109(金)3時半起床、5時間半睡眠、この年ならこれで十分だ。熟睡できた●キリスト者の皆様お早うございます。2時半に目覚めて、黙想中に与えられた言葉「失うと与えられる」。これは宗教全般の、また病気になった人のまた失敗した人の偽らざる告白である。●ヒルティの幸福論に「二つの幸福」がある。しかし今はこれを読まない。ヒルティが指し示す「聖書」にそれを読む。ヒルティもそれを望むはずだ。また塚本虎二先生は「自分の書いたものを読むな。私が聖書を読むその姿勢に学べ」と言われた(側聞)●そこで今朝は「失うと与えられる」という大真理について、その「心」を聖書に見てみよう。思いつくまま。●女子大の講師を9年間勤めたが、女子の心の底の願いは、「幸福な出会い、結婚、家庭」である。これ現代女性の求道の心である。孫娘の心理も同じであることを知る。「王子様」「永遠の愛を誓い合う」などの言葉は心の底で「シアワセ」を求めていることの証明である。男はというと、金とか地位(支配力)を求める心が求道心である。●これら人間としての本性の求道心は、実は人間的手段では得られないものなのだ。いったんこの幸福から見放されて初めてそれは神から与えられるものなのだ。それらの幸福が必要ないと言うのではない自力で求めるところに「方法論」がなっていないのである。というと「説教」になってイマドキノ」ワカイモンに」は受け入れられないが人生の真理なのだから仕方がない。●今朝はその真理について頭に思い浮かぶままに並べてみよう。Jバイブルを利用。検索に超便利、有効

塚本訳 マタ 16:25
16:25 (十字架を避けてこの世の)命を救おうと思う者は(永遠の)命を失い、わたしのために(この世の)命を失う者は、(永遠の)命を得るのだから。


塚本訳 マコ 8:33-37
8:33 イエスは振り返って、弟子たちの見ている前でペテロを叱りつけられた、「引っ込んでろ、悪魔!お前は神様のことを考えずに、人間のことを考えている!」
8:34 それから、群衆を弟子と一しょに呼びよせて言われた、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、自分の十字架を負い、それからわたしに従え。
8:35 (十字架を避けてこの世の)命を救おうと思う者は(永遠の)命を失い、わたしと福音とのために(この世の)命を失う者は、(永遠の)命を救うのだから。
8:36 全世界をもうけても、命を損するのでは、その人になんの得があろう。
8:37 また、人は(一度失った永遠の)命を受けもどす代価として、何か(神に)渡すことができようか。

塚本訳 ルカ 17:33
17:33
(この世の)命を保とうとする者は(永遠の)命を失い、(この世の命を)失う者は、(永遠に)生きながらえるであろう。

塚本訳 ヨハ 10:17
10:17 だから父上はわたしを愛してくださる
。(羊のために)命を捨てるからである。しかしわたしが捨てるのは、(まことの命として)ふたたび取るためである。

塚本訳 ヨハ 12:24-25
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)
12:25 [
(この世の)命をかわいがる者は(永遠の)命を失い、この世で命を憎む者は、命を守って永遠の命にはいるであろう。

塚本訳 マコ 10:28-31
10:28 ペテロがイエスに、「でも、わたし達は(あの金持とちがいます。)この通り何もかもすてて、あなたの弟子になりました」と言い出した。
10:29 イエスは言われた、「アーメン、あなた達に言う、わたしのため、また福音のために、家や兄弟や姉妹や母や父や子や畑をすてた者で、
10:30 今、この世で──迫害のうちにおいてではあるが──百倍の家と兄弟と姉妹と母と子と畑とを、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。

10:31 しかし(決して油断をしてはならない。)一番の者が最後になり、最後の者が一番になることが多い。」

塚本訳 マタ 10:34-39
10:34 地上に平和をもたらすためにわたしが来た、などと考えてはならない。平和ではない、剣を、(戦いを)もたらすために来たのである。
10:35 わたしは子を『その父と、娘を母と、嫁を姑と』仲違いさせるために来たのだから。
10:36 『家族が自分の敵となろう。』
10:37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたし(の弟子たる)に適しない。わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたし(の弟子たる)に適しない。
10:38 また自分の十字架を取ってわたしのあとに従わない者は、わたし(の弟子たる)に適しない。
10:39 (十字架を避けてこの世の)命を得る者は(永遠の)命を失い、わたしのために(この世の)命を失う者は、(永遠の)命を得るであろう。

塚本訳 マタ 12:46-50
12:46 イエスがまだ群衆に話しておられると、そこにその母と兄弟たちがイエスに話しがあって、外に立っていた。
12:47 〔無し〕
12:48 しかしイエスはそのことを知らせた者に、「わたしの母とはだれのことだ、わたしの兄弟とはだれのことだ」と答えて、
12:49 弟子たちの上に手をのばして言われた、「ここにいるのが、わたしの母、わたしの兄弟だ。
12:50 だれでもわたしの天の父上の御心を行う者、それがわたしの兄弟、姉妹、また母であるから。


塚本訳 ルカ 12:13-21
12:13 すると群衆の中の一人がイエスに言った、「先生、遺産を分けてくれるように、兄に言ってください。」
12:14 イエスは「君、だれがわたしを、あなた達の裁判官また遺産分配人に任命したのか」とこたえておいて、
12:15 人々に言われた、「一切の貪欲に注意し、用心せよ。いかに物があり余っていても、財産は命の足しにはならないのだから。」
12:16 そこで一つの譬を人々に話された、「ある金持の畑が(ある年)豊作であった。
12:17 『どうしよう、わたしの作物をしまいこむ場所がないのだが…』と金持ちはひそかに考えていたが、
12:18 やがて言った、『よし、こうしよう。倉をみなとりこわして大きいのを建て、そこに穀物と財産をみなしまいこんでおいて、
12:19 それからわたしの魂に言おう。──おい魂、お前には長年分の財産が沢山しまってある。(もう大丈夫。)さあ休んで、食べて、飲んで、楽しみなさい、と。』
12:20 しかし神はその人に、『愚か者、今夜お前の魂は取り上げられるのだ。するとお前が準備したものは、だれのものになるのか』と言われた。
12:21 自分のために(地上に)宝を積んで、神のところで富んでいない者はみな、このとおりである。」

塚本訳 ルカ 12:29-34
12:29 あなた達も、何を食べよう、何を飲もうと考えるな、また気をもむな。
12:30 それは皆この世の異教人の欲しがるもの。あなた達の父上は、それがあなた達に必要なことを御承知である。
12:31 あなた達はむしろ御国を求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは、(求めずとも)つけたして与えられるであろう
12:32 小さな群よ、恐れることはない。あなた達の父上は御国をあなた達に下さるつもりだから。
12:33 (ただ御国のために働けばよろしい。)持ち物を売って施しをしなさい。(すなわちそれによって)自分のために古び(て破れ)ることのない財布をつくり、泥坊が近づくことも、衣魚が食うこともない天に、使いつくすことのない宝をつんでおきなさい。
12:34 宝のある所に、あなた達の心もあるのだから。

塚本訳 ルカ 18:18-23
18:18 ひとりの(最高法院の)役人が尋ねた、「善い先生、何をすれば永遠の命がいただけるでしょうか。」
18:19 イエスは言われた、「なぜわたしを『善い』と言うのか。神お一人のほかに、だれも善い者はない。
18:20 (するべきことは神の掟を守ることだけで、)掟はあなたが知っている通り。──『姦淫をしてはならない、殺してはならない、盗んではならない、偽りの証言をしてはならない、父と母とを敬え。』(ただこれだけである。)」
18:21 その人が言った、「それならみんな若い時から守っております。」
18:22 イエスは聞いて言われた、「もう一つ欠けている。持っているものをことごとく売って、(その金を)貧乏な人に分けてやりなさい。そうすれば天に宝を積むことができる。それから来て、わたしの弟子になりなさい。」
18:23 彼はこれを聞き、しょげてしまった。非常な金持であったのである。

塚本訳 ルカ 18:24-27
18:24 彼を見ると、イエスは言われた、物持が神の国に入るのは、なんとむずかしいことだろう。
18:25 金持が神の国に入るよりは、駱駝が縫針のめどを通る方がたやすい。」

18:26 聞いている人たちが言った、「それでは、だれが救われることが出来るのだろう。」
18:27 イエスは言われた、「人間に出来ないことが、神には出来る。」


塚本訳 ヨハ 4:13-17
4:13 イエスは答えられた、「この(井戸の)水を飲む者はだれでもまた渇くが、
4:14 わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。
そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」
4:15 女が言う、「主よ、その水を下さい。(二度と)渇くことがないように、またここに汲みに来なくてもよいように。」
4:16 イエスが言われる、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」
4:17 女が答えた、「わたしには夫はありません。」イエスが言われる、「『わたしには夫はありません』と言うのは、もっともだ。

塚本訳 ルカ 19:7-10
19:7 皆がこれを見て、イエスは(税金取りのような)罪人の所に入りこんで宿を取った、と言ってぶつぶつ呟いた。
19:8 しかしザアカイは進み出て主に言った、「主よ、わたしは(誓って)財産の半分を貧乏な人たちに施します。人からゆすり取ったものは四倍にして返します。」
19:9 イエスが(人々に)言われた、「救いは(きょう、)この家に入った。(人でなしのように言われる)この人も、やはり(あなた達と同じ)アブラハムの末だから。
19:10 人の子(わたし)は『滅びうせた者をさがして』救うために来たのである。」

塚本訳 ルカ 4:40-41
4:40 日が沈むと、(安息日が終ったので、)さまざまな病人をかかえている人々は皆、それをイエスの所につれてきた。イエスはひとりびとりに手をのせてなおされた
4:41 悪鬼も、「あなたは神の子だ」と叫びながら多くの人から出ていった。イエスは悪鬼どもが救世主だと知っているので、これを叱りつけ、口をきくことをお許しにならなかった。

塚本訳 ルカ 2:25-26
2:25 さて(そのころ)エルサレムに名をシメオンという人がいた。この人は正しい、信心深い人で、イスラエルの慰め(である救世主)を待ち望み、聖霊が彼をはなれなかった
2:26 かつ主の救世主を見ないうちは決して死なないと、かねて聖霊からお告げを受けていた。

塚本訳 ヨハ 11:1-3
11:1 さて、ラザロというひとりの病人があった。。マリヤとその姉妹マルタとの村、ベタニヤの人である。
11:2 このマリヤは主に香油を塗り、髪の毛で御足をふいた女であるが、病気であったラザロはその兄弟であった。
11:3 マリヤとマルタとはイエスに使をやって、「主よ、大変です。あなたの可愛がっておられる人が病気です」と言わせた。

塚本訳 ヨハ 11:17-21
11:17 さてイエスが(ベタニヤに)行って見られると、ラザロはもう四日も墓の中にあった。
11:18 ベタニヤはエルサレムの近くで、十五スタデオ(三キロ)ばかり離れていた。
11:19 マルタとマリヤの所には、大勢のユダヤ人がラザロの悔やみに来ていた。
11:20 マルタは、イエスが来られると聞くと出迎えにいったが、マリヤは家に坐っていた。
11:21 マルタがイエスに言った、「
主よ、あなたがここにいてくださったら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。

塚本訳 ヨハ 4:46-47
4:46 それから、またガリラヤのカナに行かれた。そこは(前に)水を酒にされた所である。するとカペナウムに(ヘロデ・アンデパス)王の役人がいて、その息子が病気であった。
4:47 イエスがユダヤからガリラヤに来ておられると聞くと、イエスの所に行き、(カペナウムに)下ってきて息子を直してほしいと頼んだ。息子が死にそうだったのである

塚本訳 マタ 8:5-6
8:5 カペナウムに帰られると、
一人の百卒長がそばに来て願って
8:6 言った、「主よ、うちの下男が中風で家にねていて、ひどく苦しんでおります。……」

塚本訳 マタ 4:24
4:24 そこで
イエスの評判が全シリヤに広まり、人々がさまざまな病気や痛みに苦しむ病人、(中でも)悪鬼につかれた者、癲癇、中風の者を皆イエスのところにつれて来たので、それをなおされた。

塚本訳 ルカ 15:11-19
15:11 また話された、「ある人に二人の息子があった。
15:12 『お父さん、財産の分け前を下さい』と弟が父に言った。父は身代を二人に分けてやった。
15:13 幾日もたたないうちに、弟は(分け前)全部をまとめて(金にかえ、)遠い国に行き、そこで放蕩に財産をまき散らした。
15:14 すべてを使いはたしたとき、その国にひどい飢饉があって、食べるにも困り果てた。
15:15 そこでその国のある人のところに行ってすがりつくと、畑にやって、豚を飼わせた。
15:16 彼はせめて豚の食う蝗豆で腹をふくらしたいと思ったが、(それすら)呉れようとする人はなかった。
15:17 ここで(はじめて)本心に立ち返って言った。──お父さんのところでは、あんなに大勢の雇人に食べ物があり余っているのに、(息子の)このわたしは、ここで飢え死にしようとしている。……
15:18 よし、お父さんの所にかえろう、そしてこう言おう、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。
15:19 もうあなたの息子と言われる資格はありません。どうか雇人なみにしてください』
と。


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朝の一人礼拝終わり。私が失ったものは何だろう。いろいろある。この世の地位、学歴、教会、職場、健康、家族、親族、兄弟、・・・しかし神から真のものを与えられた。満足、感謝、感謝。だからパウロとともに次のように叫ぼう。永遠の命!、永遠の命!「現代の求道」はイエスの時代と同じ。否永遠に同じ。それは「魂の飢え渇き、淋しさ」である。聞け。悩み悲しむ人、人生を失敗した人、めちゃくちゃな過去を持つ人。精神の病の人。癌宣告を受けた人。

塚本訳 ロマ 8:38-39
8:38 なぜなら、わたしは確信している、死でも命でも、天使でも支配(天使)でも、現在起こっていることでも将来起こることでも、権力(天使)でも、
8:39 高い所のものでも低い所のものでも、その他どんな創造物でも、わたし達の主キリスト・イエスによる神の愛から、わたし達を引き離すことはできない。

塚本訳 Ⅰコリ15:54-56
15:54 そしてこの死滅すべきものが不滅を着、この死ぬべきものが不死のものを着たら、その時(聖書に)書いてある言葉が実現する。『死は(神の)勝利に飲みこまれてしまった。』
15:55 『死よ、どこに、お前の勝利は。死よ、どこに、お前の剣は』。
15:56 ──死の剣は罪である、罪の力(の源)は律法である。──

塚本訳 Ⅰコリ3:19-23
3:19 この世の知恵は、神の目には馬鹿なことであるから。『彼は知恵者達を、彼ら(自身)の策略を用いて捕らえられる』と書いてあるではないか。
3:20 さらに、『主は』知恵者たちの『考えのたわいのないのを御存じである』とある。
3:21 従って、(自分の先生はだれだ、彼だなどと、)人間のことを自慢する者があってはならない。万物はあなた達のものではないか。
3:22 パウロでもアポロでもケパでも、世界でも命でも死でも、現在起こっていることでも将来起こることでも、万物はあなた達のものである
3:23 しかしあなた達はキリストのもの、キリストは神のものである。

塚本訳 ガラ 6:8
6:8 というのは、肉に蒔く者は肉から滅亡を刈取り、霊に蒔く者は(最後の日に神の)霊から永遠の命を刈取るであろう。

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早朝散歩。午前6時。月も凍る未だ明けぬ奥多摩連山。超寒いので手袋を取ってシャッター。
心配していた人から年賀状が来たので嬉しかった。その返信をポストに。
帰途、心にかかる多くの人の上に神の祝福を祈る。大勢いる。

●TSK日本語版エレミヤ書41章
●高橋三郎先生講演CD(於・キリスト教愛真高校、1994年)を聞く。













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神の小羊 ++++++++ 所感

2015/01/08 05:57

150108(木)4時半起床●キリスト者の皆様お早うございます●今朝は3時半ごろに目覚めて、床のなかで「聖書における羊について思いを巡らせました。●私は7月が来れば満72歳ですから「年男」です。人生6巡したわけですから、良く生きてこれたなーと思い、過去を振り返って神の恩恵を感謝せざるを得ません。過日来た孫の一人が今年12歳で「年女」でした。
●聖書の中の「羊」を黙想すると次のようになるが、結論はキリストは「屠られた神の子キリストに栄光あれ」である。これはあのヘンデルの「メサイア」の終曲でもある。

●燔祭の羊は神備えたもう。

口語訳 創 22:13-14
22:13 この時アブラハムが目をあげて見ると、うしろに、角をやぶに掛けている一頭の雄がいた。アブラハムは行ってその雄を捕え、それをその子のかわりに燔祭としてささげた。
22:14 それでアブラハムはその所の名をアドナイ・エレと呼んだ。これにより、人々は今日もなお「主の山に備えあり」と言う。

●燔祭の羊は傷なきものでなければならない

口語訳 出 12:5
12:5 小羊は傷のないもので、一歳の雄でなければならない。羊またはやぎのうちから、これを取らなければならない。

口語訳 申 17:1
17:1 すべて傷があり、欠けた所のある牛または羊はあなたの神、主にささげてはならない。そのようなものはあなたの神、主の忌みきらわれるものだからである。

●メシヤの姿の預言

口語訳 イザ 53:7
53:7 彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っているのように、口を開かなかった。

●神に愛される羊

塚本訳 ルカ 15:3-7
15:3 そこで彼らにつぎの譬を話された。
15:4 「あなた達のうちのだれかが羊を百匹持っていて、その一匹がいなくなったとき、その人は九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を、見つけ出すまではさがし歩くのではないだろうか。
15:5 そして見つけると、喜んで肩にのせて、
15:6 家にかえり、友人や近所の人たちを呼びあつめてこう言うにちがいない、『一しょに喜んでください。いなくなっていたわたしの羊が見つかったから』と。
15:7 わたしは言う、このように、一人の罪人が悔改めると、悔改める必要のない九十九人の正しい人以上の喜びが、天にあるのである。


口語訳 詩 23:1-3
23:1 主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。
23:2 主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。
23:3 主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。

塚本訳 ヨハ 10:1-6
10:1 アーメン、アーメン、あなた達に言う、羊の檻に入るのに、門を通らず、ほかの所を乗り越えてくる者は、泥坊である、強盗である。
10:2 門を通って入る者が、(ほんとうの)羊飼である。
10:3 羊飼には門番が(門を)あけてやり、はその声を聞き分ける。羊飼は一匹一匹、自分の羊の名を呼んで(檻から)つれだし
10:4 自分のを皆出すと、その先に立って歩く。はその声を知っているので、あとについて行く。
10:5 しかしほかの人には決してついて行かない、かえって逃げる。ほかの人たちの声を知らないからである。」
10:6 イエスはこの譬をパリサイ人に話されたが、彼らは何を話されているのかわからなかった。


塚本訳 ヨハ 10:7-10
10:7 そこでイエスはまた話された、「アーメン、アーメン、わたしは言う、わたしがへの門である。(羊飼はわたしを通らずに、羊に近づくことはできない。)
10:8 (わたしより)前に来た者は皆(羊飼でなく、)泥坊であり、強盗である。は彼らの言うことを聞かなかった。
10:9 (また、)わたしが(の出入りするための)門である。わたしを通って入る者()は救われる。(いつもこの門を)入ったり出たりして、牧草を得るであろう。
10:10 泥棒が来るのは、ただ(を)盗み、殺し、滅ぼすだけのためである。わたしは(に)命を持たせるため、あり余るほど(の命を)持たせるために来たのである。


塚本訳 ヨハ 10:11-17
10:11 わたしが良い羊飼である。良い羊飼はのために命を捨てる。
10:12 (本当の)飼でない雇人(である飼)は、が自分のものでないので、狼が来るのを見ると、をすてて逃げる。・・すると狼はを奪い、また追い散らすのである。・・
10:13 雇人であって、のことなどどうでもよいからである。
10:14 わたしが良い羊飼である。わたしはわたしのを知っており、わたしのもわたしを知っている。
10:15 父上がわたしを知っておられ、わたしが父上を知っているのと同じである。そしてわたしはのために命を捨てる。
10:16 ・・なおわたしには、この檻のものでない、ほかのがある。(彼らはまだ野山をさまよっている。)わたしはそれをも導いてやらねばならない。彼らはわたしの声を聞きわけ、かくて群一つ、羊飼一人となるであろう。・・
10:17 だから父上はわたしを愛してくださる。(のために)命を捨てるからである。しかしわたしが捨てるのは、(まことの命として)ふたたび取るためである。


●キリストの肉と血は燔祭の象徴

塚本訳 ルカ 22:16-19
22:16 わたしは言う、神の国でほんとうの過越の食事──(罪のあがないの記念の食事)──をする時まで、わたしはもう決して、この(エジプトからあがなわれた記念の)食事をしないのだから。」
22:17 そして(いつものように)杯を受け取り、(神に)感謝したのち、(弟子たちに)言われた、「これを取って、みなで回して飲みなさい。
22:18 わたしは言う、今からのち神の国が来るまで、わたしは決して葡萄の木から出来たものを飲まないのだから。」
22:19 またパンを(手に)取り、感謝して裂き、彼らに渡して言われた、「これはわたしの体である。[以下及び20無し

塚本訳 Ⅰコリ11:23-26
11:23 なぜというか。わたしは(晩餐のことを)主から授かり、それをまたあなた達に伝えたのであるが、それはこうである。──主イエスは(敵に)引き渡された夜、パンを手に取り、
11:24 (神に)感謝して裂いて、言われた、「これはあなた達のためにわたすわたしの体である。わたしを記念するためにこのことを行ないなさい」。
11:25 食事の後、杯を同じように(感謝)して(分けて、)言われた、「この杯はわたしの『血』の犠牲を払った『新しい約束』である。(今から後、)飲むたびごとに、わたしを記念するためにこのことを行ないなさい」。
11:26 すなわち、主が(ふたたび)来られるまで、あなた達はこのパンを食べこの杯を飲むたびごとに、主の死(の意味)を、(このことを行なうことによって)宣べ伝えるのである。


●罪を清めるのは動物の羊ではなく、神の子キリストの血

口語訳 イザ 53:6-7
53:6 われわれはみなのように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。
53:7 彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っているのように、口を開かなかった。


塚本訳 ヘブ 10:1
10:1 つまり(モーセ)律法には、(ただキリストがもたらす)来るべき幸福のがあるばかりで、その事の(まことの)姿それ自身がないのである。毎年たえず捧げる同じ(雄牛や雄山羊の)犠牲では、(神に)近づく者[祭司と一般の人](の罪)を(永久に清めて)完全にすることは、決して出来ないからである


塚本訳 ヘブ 10:4
10:4 雄牛や雄山羊の血は罪を取去ることが出来ないからである。


塚本訳 ヘブ 10:10
10:10 この(神の)『御心』によって、イエス・キリストの『体が捧げられること』により、わたし達はただ一度かぎりで、きよめられているのである

●屠られたキリストこそ「神の小羊」

口語訳 黙 5:9-10
5:9 彼らは新しい歌を歌って言った、「あなたこそは、その巻物を受けとり、封印を解くにふさわしいかたであります。あなたはほふられ、その血によって、神のために、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から人々をあがない、
5:10 わたしたちの神のために、彼らを御国の民とし、祭司となさいました。彼らは地上を支配するに至るでしょう」。


口語訳 黙 5:12-14
5:12 大声で叫んでいた、「ほふられた小羊こそは、力と、富と、知恵と、勢いと、ほまれと、栄光と、さんびとを受けるにふさわしい」。
5:13 またわたしは、天と地、地の下と海の中にあるすべての造られたもの、そして、それらの中にあるすべてのものの言う声を聞いた、「御座にいますかたと小羊とに、さんびと、ほまれと、栄光と、権力とが、世々限りなくあるように」。
5:14 四つの生き物はアァメンと唱え、長老たちはひれ伏して礼拝した。


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朝の礼拝終わり。ヘンデルのメサイアの最後はアーメンコーラス。私もそれに合わせて歌う。「アーメン、アーメン、アーメン」

●妻は根津のYさんの家へ
●TSK日本語版エレミヤ書40章
●午後、録画してあったNHKTV「寿命はどこまで伸びるか」。医学の進歩により、2045年には日本人の平均寿命は100歳になるらしい。しかしキリストの次の言葉を思う。

塚本訳 マタ 6:27
6:27 (だいいち、)あなた達のうちのだれかが、心配して寿命を一寸でも延ばすことが出来るのか。

●延命医学も、延命を希望することも「空しい」。いずれ人間は死ぬのだ。その先の永遠の命の準備をしておいた方が賢明だ。
●ルピアに愛用の「三菱ジェットストリーム」というペンを購入に行く。このペン一本150円。世界一なめらかという宣伝だけあって超スグレもの。お薦め。

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昼の富士。美しい。一緒に登った故S君を思う。彼は還暦にならずに逝った。なぜだ。

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夕の富士。悲しい、淋しい。
チャイコフスキー、「四季」・一月「炉ばたにて」を思う。
淋しくとも私にはキリストという暖房と光があるのだ。








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福音の震源は神にある ++++++++ 所感

2015/01/07 04:29

150107(水)4時起床。朝の啓示「福音の震源は神にある」●キリスト者の皆様お早うございます●最近、教会内のゴタゴタを複数聞かされるようになった。福音は神に震源を持つものだが、その結果としての地上の教会(集会、エクレシア)は信条的にも経済的にも「この世」のものだからそれは腐り行き詰ったりする。●地上の教会はこの世にあって内外共に呻き苦しみ十字架を負うものであるが、エクレシヤの本質はあくまで変わらない。それは神に震源を発する「福音」、よき音信である。そしてその中心はキリストの有体的復活の衝撃」である。教会(集会)は」その衝撃波による目に見える現象である。これを忘れると教会も無教会主義集会もその存続維持が自己目的となり、有体的復活の使徒伝承が第二義的なものになってします。●パウロは福音の一番大切な事はキリストの有体的復活」であるとして次のように言う。

塚本訳 Ⅰコリ15:1-5
15:1 また、わたしが思い出してもらいたいのは、兄弟たちよ、(以前)あなた達に伝え、あなた達が(喜んで)受けいれてくれて、(今日まで)それに立っている、あの(死人の復活についての)福音である。
15:2 どんな言葉でわたしがその福音を伝えたにせよ、あなた達がそれを守っていさえすれば、軽々しく信仰に入ったのではない限りは、あなた達もその福音で救われる。
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。


●ここに復活のキリストはまずケパに「現された」(主格は神)となっているが、4福音書では口をそろえて最初にマグダラのマリヤに「現された」とある。歴史の真相はマグダラのマリヤが先らしい。女が男に走っていって伝えたのだ。
●「まず」あの罪の女にご自分を現された。この方がイエスの生前の言動に一致する。これであって「福音」である。今朝はこのことを巡って、聖書の思い当たる節を並べてみよう。

塚本訳 ルカ 19:9-10
19:9 イエスが(人々に)言われた、「救いは(きょう、)この家に入った。(人でなしのように言われる)この人も、やはり(あなた達と同じ)アブラハムの末だから。
19:10 人の子(わたし)は『滅びうせた者をさがして』救うために来たのである。」

塚本訳 ヨハ 8:10-11
8:10 イエスは身を起こして女に言われた、「女の人、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罰しなかったのか。」
8:11 「主よ、だれも」と女がこたえた。イエスが言われた、「わたしも罰しない。おかえり。今からはもう罪を犯さないように。」】

塚本訳 マタ 21:31-32
21:31 この二人のうち、どちらが父の心を行ったのだろうか。」「もちろん長男」と彼らが答える。イエスが言われる、「アーメン、わたしは言う、税金取りや遊女たちは、あなた達よりも先に神の国に入るであろう。
21:32 そのわけは、(洗礼者)ヨハネが義の道を示しに来たのに、あなた達は彼を信ぜず、税金取りや遊女の方がかえって信じたからだ。しかしあなた達は(あの人たちが悔改めるのを)見たあとでも、後悔して彼を信じようとしなかった。

塚本訳 ルカ 4:17-18
4:17 (係の者から)イザヤの預言書が手渡され、その巻物をお開けになると、こう書いた所が出てきた。──
4:18 『主の御霊がわたしの上にある、油を注いで(聖別して)くださったからである。主は貧しい人に福音を伝えるためにわたしを遣わされた。囚人に赦免を、盲人に視力の回復を告げ、』『押えつけられている者に自由をあたえ、』

塚本訳 マコ 14:9
14:9 アーメン、わたしは言う、世界中どこででも(今後)福音の説かれる所では、この婦人のしたことも、その記念のために(一しょに)語りつたえられるであろう。」

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朝の啓示黙想おわり。神は罪人を救う。そのための福音。このためにパウロは一生を捧げた。

塚本訳 使 20:24
20:24 しかしわたしは、自分の走るべき道を走りおえて、主イエスから託された、神の恩恵をつたえる福音を証しする役目をはたすためなら、自分の命のことなど口にする値打もないと思う。

塚本訳 ロマ 10:12-15
10:12 (「すべて」と言う以上、)ユダヤ人も異教人も、その間になんの差別もないのである。なぜなら、同じ一人の方がすべての人の主であって、御自分を呼ぶすべての人に、あり余る恩恵をお与えになるからである。
10:13 ほんとうに(預言者ヨエルが言うように、)『主[キリスト]の名を呼ぶ者はすべて救われる。』
10:14 ところで、(呼ぶだけで救われると言うが、)信じたことのない者を、どうして呼ぶことができようか。聞いたことのない者を、どうして信ずることができようか。
説く者がなくて、どうして聞くことができようか。
10:15 (神に)遣わされなければ、どうして説くことができようか。(しかし説く者はある。それはわたし達である。)『善いこと[福音]を伝える人たちの足の、なんと美しいことよ!』と書いてあるとおりである。

塚本訳 コロ 1:24
1:24 今私は君達のために苦しむことを喜びとし、またキリスト・イエスの体なる教会のために
私の体でキリストの患難の不足を補っている。

●9:00 皮膚科ナナクリニック 徒歩40分。評判の良い医者は混んでいる。口コミだ。キリスト教会また同じ。
●キュッヒル・真知子著「青い目の夫」を図書館に返却。夫とはウィーフィルコンサートマスターのライナー・キュッヒル。彼を支えているのは日本の婦人だと以前から注目していたが、読んでみて彼女の性道徳観念の低さに愕然とし、いっぺんで尊敬の念が覚めた。ライナー・キュッヒル氏も気の毒だ。
●TSK日本語版エレミヤ書39章
●私の残すべき聖書データの遺産。BbB(聖書で聖書を読む)、ローマ書講読、TSK(聖書知識の宝庫・日本語版。作業中・2015年末完成予定)、イエス伝問答集(日曜集会感話資料)、塚本虎二訳新約聖書WEB版、・・・以上すべてHPにアップしてある。
●今後の予定、HPの「使徒伝承」などをまとめる。これは私の実生活を通しての「叫び」「キリスト証言」である。
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老化現象の悲しみと復活の希望・・・前向きの信仰 ++++++++ 所感

2015/01/06 09:38

150106(火)4時頃目覚め。朝の啓示「老化現象の悲しみと復活の希望」●キリスト者の皆様お早うございます。ヒルティは幸福論Ⅱで「人生の段階」を書いています。●今朝はそれを読み返すことはしないで私流に黙想します●人生の諸段階の悩みとしては、学業(学歴)、職業の選択、職場(就職、転職)、結婚(恋愛)、子育て、家庭、教会(集会)、健康(病気)、経済、罪、老化、死・・などの問題があります。キリスト者はその問題ごとに牧師や先輩の指導を受けますが、一番力強いのは聖書そのものから教えられることです。●今朝はその中で、老化現象の悩み悲しみを取り上げ、聖書から励ましと希望を得ようと思う。床の中で思いついてメモしたものを順不同に掲げてみよう。●71歳の私は少々耳が遠くなり、歯も悪くなり、昨年は腰痛になった。老化現象は悲しみである。

口語訳 申 34:5-8
34:5 こうして主のしもべモーセは主の言葉のとおりにモアブの地で死んだ。
34:6 主は彼をベテペオルに対するモアブの地の谷に葬られたが、今日までその墓を知る人はない。
34:7 モーセは死んだ時、百二十歳であったが、目はかすまず、気力は衰えていなかった
34:8 イスラエルの人々はモアブの平野で三十日の間モーセのために泣いた。そしてモーセのために泣き悲しむ日はついに終った。

口語訳 詩 1:1-3、
1:1 悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。
1:2 このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのお、きてを思う。
1:3 このような人は流れのほとりに植えられた木の/時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。

口語訳 詩 23:1-6
23:1 主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。
23:2 主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。
23:3 主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
23:4 たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
23:5 あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。
23:6 わたしの生きているかぎりは/必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。


口語訳 詩 92:12-16
92:12 正しい者はなつめやしの木のように栄え、レバノンの香柏のように育ちます。
92:13 彼らは主の家に植えられ、われらの神の大庭に栄えます。
92:14 彼らは年老いてなお実を結び、いつも生気に満ち、青々として
92:15 主の正しいことを示すでしょう。主はわが岩です。主には少しの不義もありません。

口語訳 詩 103:5
103:5 あなたの生きながらえるかぎり、良き物をもってあなたを飽き足らせられる。こうしてあなたは若返って、わしのように新たになる。

口語訳 イザ 40:31
40:31 しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。

口語訳 創  5:23-24
5:23 エノクの年は合わせて三百六十五歳であった。
5:24 エノクは神とともに歩み、神が彼を取られたので、いなくなった


口語訳 詩  71:18
71:18 神よ、
わたしが年老いて、しらがとなるとも、あなたの力をきたらんとするすべての代に/宣べ伝えるまで、わたしを見捨てないでください。


口語訳 箴  16:31
16:31 しらがは栄えの冠である、正しく生きることによってそれが得られる


口語訳 箴  20:29
20:29 若い人の栄えはその力、老人の美しさはそのしらがである


口語訳 詩  22:28-32
22:28 国は主のものであって、主はもろもろの国民を統べ治められます。
22:29 地の誇り高ぶる者はみな主を拝み、ちりに下る者も、おのれを生きながらえさせえない者も、みなそのみ前にひざまずくでしょう。
22:30
子々孫々、主に仕え、人々は主のことをきたるべき代まで語り伝え、
22:31 主がなされたその救を/後に生れる民にのべ伝えるでしょう。

口語訳 箴  17:5-6
17:5 貧しい者をあざける者はその造り主を侮る、人の災を喜ぶ者は罰を免れない。
17:6
孫は老人の冠である、父は子の栄えである。

塚本訳 ルカ 2:25-32
2:25 さて(そのころ)エルサレムに名をシメオンという人がいた。この人は正しい、信心深い人で、イスラエルの慰め(である救世主)を待ち望み、聖霊が彼をはなれなかった。
2:26 かつ主の救世主を見ないうちは決して死なないと、かねて聖霊からお告げを受けていた。
2:27 (この日)御霊に感じて宮に行くと、ちょうど両親が、律法の仕来りどおり幼児イエスに行おうとして彼をつれて入ってきたので、
2:28 シメオンは幼児を両腕に抱き、こう言って神を讃美した。──
2:29 今こそ、主よ、あなたはこの僕をしてお言葉のとおり安らかに(この世に)暇乞いをさせてくださいます、
2:30 わたしの目が『もうあなたの救いを拝見しました』からです。
2:31 この救いこそ、あなたが『全人類の(ため、その)目の前で』用意されたもの、
2:32 『異教人には啓示を、』あなたの民『イスラエルには栄光をあたえる』『光』であります。

塚本訳 ルカ 2:36-38
2:36 また、アセル族のパヌエルの娘に、アンナという女預言者があった。非常に年を取っていて、娘時代の後、七年の結婚生活をおくり、
2:37 (その後)八十四歳(の今日)まで寡婦ぐらしをしていた。(片時も)宮を離れず、夜も昼も断食と祈りとをもって(神に)奉仕していた
が、
2:38 (シメオンが預言している)ちょうどその時、近寄ってきて(幼児について)神に感謝をささげ、またエルサレムの人々のあがないを待ち望むみんなの人に、この幼児のことを話した。

口語訳 Ⅱテモ1:5-7
1:5 また、あなたがいだいている偽りのない信仰を思い起している。この信仰は、まずあなたの祖母ロイスとあなたの母ユニケとに宿ったものであったが、今あなたにも宿っていると、わたしは確信している。
1:6 こういうわけで、あなたに注意したい。わたしの按手によって内にいただいた神の賜物を、再び燃えたたせなさい。
1:7 というのは、神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである。

塚本訳 コロ 3:2-4
3:2 (常にただ天)上のものを思え。地上のものに気を取られるな。
3:3 君達は(既にこの世に)死んで、その生命はキリストと共に神の右に隠されているのだから
3:4 (しかし今でこそ隠されているが、)私達の生命であるキリストが顯れ給う時には、君達もまた彼と共に栄光の裡に顯れるであろう。

塚本訳 Ⅱコリ4:16-18
4:16 このゆえに、わたし達は気を落さない。いや、わたし達の(生れながらの)外の人はどんなにこわれていっても、(キリストによって生れた)内の人は一日一日と新しくされてゆく
4:17 なぜなら、現在の軽い苦難は、この上もなく素晴らしい、永遠に豊富な(神の)栄光をわたし達にもたらす(保証だ)からである。
4:18 このわたし達は見えるものに目を向けているのではなく、見えないものに目を向けているのである。見えるものは一時的、見えないものが永遠だからである。

塚本訳 Ⅱコリ5:1-9
5:1 なぜ(こんな希望に生きることができるの)であろうか。もし地上の家であるわたし達のこのテント、(この肉体)がこわれるならば、天に、神の建てられた建物、(人間の)手で造らない永遠の家をいただいていることを、わたし達は知っているからである。
5:2 どうしてであろうか。わたし達はこのテントにいて、天の住いを上に着たくてたまらずに呻いているからである。(この憧れと呻きこそ、永遠の住いのある証拠ではないか。)
5:3 ほんとうにもしこれを着たならば、裸(の恥しい姿)であることはないであろう!
5:4 それで、わたし達のこのテントにいる者は、重荷に呻いている。これを脱ぎたい(つまり死にたい)のではなく、(天の住いを)上に着たいからである。これは死ぬべきものが命に飲み込まれるためである。
5:5 このことがわたし達に出来るようにされたお方は神であり、このお方がその手付けとして御霊を下さったのである。
5:6 だから、わたし達はいつも心強くあり、また、この体に同居しているあいだは主から離れて別居していることを知っている、
5:7 ──というのも(いま)わたし達は(主を)見ることによってではなく、信仰によって歩いているからである。──
5:8 それで、わたし達は心強くはあるけれども、むしろこの体を離れて別居し、主の所に同居したいと望んでいる。
5:9 この故にまた、(この体と)同居していようが、別居していようが、(ただ)主のお気に入ることだけを名誉とするのである。

塚本訳 ヨハ 11:25
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。

塚本訳 ロマ 8:38-39
8:38 なぜなら、わたしは確信している、死でも命でも、天使でも支配(天使)でも、現在起こっていることでも将来起こることでも、権力(天使)でも、
8:39 高い所のものでも低い所のものでも、その他どんな創造物でも、わたし達の主キリスト・イエスによる神の愛から、わたし達を引き離すことはできない。


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朝の黙想おわり。そうだ信仰は老化現象の悩み悲しみを突破するのだ。










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信仰か行為か・・質問に答える ++++++++ 所感

2015/01/05 05:53

150105(月)3時半目覚め5時起床●キリスト者の皆様お早うございます。昨日は年賀状の中の質問に封書でお答えした。●ご質問の要旨は「塚本虎二は戦争に協力したと批判されているが、本当にそうなのか、その証拠があれば教えていただきたい」というものである。●普通この種の論争には答えないことにしているが、ご本人がご結婚されて地方都市に旅立たれる時に妻と羽田までお見送りした仲なので、あえてお答えした。●その回答の内容を次に掲げる。

KK氏のご質問にお答えする。( )内はブログ読者のために意味が通るように敷衍した。
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KK 様

 

年賀状の中のご質問に対してお答えします。

塚本(虎二)の戦争協力の資料を(あったら)教えてほしいとのことですが、私の手元にはありません。聖知(聖書知識)や公刊された本以外のものはないからです。側聞では種々聞いていますが、文書資料では持っていません。(戦時中)丸の内の会(塚本虎二聖書講演会)の最初に君が代を歌ったとも言われています。

集会の故TT先生が塚本先生に躓かなかったのは、ギリシャ語の勉強会の茶話会で「吉田()は再軍備をしないほうが良かったなー」と非公式に周囲に漏らしたのを聞いたからだそうです。こういう伝聞や側聞は正式な資料ではありません。

信仰か行為かの神学論争はキリスト教2千年の尽きない争いです。おそらく終末まで決着がつかない問題だと思います。それぞれが聖書的根拠を持ち出してきます。ただし歴史的には信仰のみ主義の方が社会的によいことをしてきたという不思議な「逆説」現象があります。塚本(虎二)先生の弟子の藤林(益三)先生が(津地鎮祭違憲訴訟の)政教分離の最高裁判決に追加反対意見を加えましたが、今の法曹界の潮流(動向)はこの藤林追加反対意見の方になっていると聞いています。外部から批判しないで内部から清めて行くよい例だと解します。旧約聖書のエステル記と一脈通じます。

 

聖書には次のような場面があります。信仰か行為かの決着は神の判断、終末と解します。

 

塚本訳 マタ 17:24-27

17:24 彼らがカペナウムに来たとき、宮の奉納金の取立て人がペテロの所に来て言った、「あなた達の先生は奉納金を納めないのか。」

17:25 ペテロが「もちろん、納められる」と言う。そして(イエスの)家に行くと、イエスの方から言い出された、「シモン、どう思うか、この世の王たちは官税や税をだれから取るだろうか。自分の子供たちだろうか、それとも余所の人からだろうか。」

17:26 「余所の人から」と答える。イエスは言われた、「それでは(神の)子供たちには(納める)義務はない。

17:27 しかし人々をつまずかせないため、湖に出かけていって釣針を垂れよ。最初に釣れた魚を取って口をあけるとスタテル銀貨(二千円)が一つあるから、それを取って、わたしとあなたの分として取立て人に渡しなさい。」

 

塚本訳 マタ 15:12-13

15:12 あとで弟子たちが来てイエスに言う、「パリサイ人がお話を聞いて腹を立てたことを御存じですか。」

15:13 イエスは答えられた、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜かれる。

 

塚本訳 マタ 26:51-54

26:51 すると、見よ、イエスと一しょにいた一人の人が手をのばして剣を抜き、大祭司の下男に切りかかって片耳をそぎ落してしまった。

26:52 その時イエスが言われる、「剣を鞘におさめよ。剣による者は皆、剣によって滅びる。

26:53 それとも、父上にお願いして十二軍団以上の天使を今すぐ送っていただくことが、わたしに出来ないと思うのか

26:54 しかしそれでは、かならずこうなる、とある聖書の言葉は、どうして成就するのか。」

 

(塚本批判に急先鋒の)OR氏は無教会にいられずにバプテスト教会に鞍替えしました。こんな人の塚本(虎二)批判は相手にできません。たとえ彼(一度電話懇談しました)と神学論争しても不毛です。「放っておけば枯れます」「神が裁きます」「『木はその実によって知られる』(マタ1233)」です。

 ところで、天下国家を正面から批判断罪する人は信仰の底が浅く、キリスト教をヒューマニズムか儒教に堕落させます。今井館で「高橋は日頃『社会問題に関わる人間は信仰が堕落している』」と思っている」と公然私を批判した人がいます。

わたしは塚本(虎二)先生のおかげで、ヒューマニズム的キリスト教、あるいは儒教的キリスト教にならなかったことを感謝しています。

(奥様の)Yさんによろしくお伝えください。

                                                               2015年1月4日

                                    高橋照男


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KK氏のご質問にお答えする。おわり。                      「信仰か行為か」の神学論争は神ご自身が個人的に裁いて決着する。信仰なき個人も家庭も滅びる例を目の当たりに見て、神の裁きは恐ろしいものだと感じている。

塚本訳 マタ 7:26-29
7:26 また、わたしの話を聞くだけでそれを行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。
7:27 雨が降って、大水が出て、風が吹いて、その家にうちつけると、倒れてしまった。ひどい倒れ方であった。」
7:28 イエスがこれらの話を終えられた時、一しょに聞いていた群衆はその教えに感心してしまった。
7:29 自分たちの聖書学者のようでなく、権威を持つ者のように教えられたからである。



●12:20 山川歯科。医者はインフォームドコンセントが必要。建築士も同じ。
●TSK日本語版エレミヤ書37章
●家事


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人生を失敗して分かる神の存在 ++++++++ 所感

2015/01/04 06:21

150104(日)4時45分起床●朝の啓示「人生を失敗して分かる神の存在」●集会の感話はイエス伝はあと数回「復活」を話す。その次はルカ福音書を読みたい。それは歴史性に信用が置けるからである。

塚本訳 ルカ 1:3-4
1:3 テオピロ閣下よ、わたしも一切の事の次第を始めから精密に取り調べましたから、今順序を正して書き綴り、これを閣下に奉呈して、
1:4 閣下が(今日までこのことについて)聞かれた話が、決して間違いでなかったことを知っていただこうと思ったのであります


●次にルカ15章があるからである。この章があればパウロ書簡がなくとも福音が説ける。伝えられる。
●さらに16章があるからである。これは「救われた者の生涯」「人生の歩き方」が言われていて、特に16:9-13で私の建築人生の神学が決定させられた。これは人間の書いた凡百の「職業論、人生論」に勝るものである。さすが神の言葉。ほかならぬ聖書自身がそれを教えてくれる。
●そこで今朝はまず15:11-32の「放蕩息子の譬」(11-32)について概観したい。「神は人を探して救おうとされていることと人は人生を失敗して神の存在が分るものだ」ということがその言わんとするところである。
●神が失われた人を探し求めて救おうとされていることは同じ15章の「いなくなった羊の譬」(1-7)と無くした銀貨の譬(8-10)を読めば神の心がいかなるものであるかが分かる。これはその時になって詳しく瞑想したい。パウロ書簡より分かりやすい
●「放蕩息子の譬」は救いのプロセスを人間の側がら見たものであって、これさえあれば人生の悩み悲しみやゴラゴタの意味が解って、苦難を忍ぶことができる。
●今朝はこのルカ15章を巡って思い当たる聖句を並べて見よう。聖書の勉強は語学によらず、神学によらず、教会教義によらず、聖書学によらず、「聖書で聖書を読む」方法をとる。それには多くの苦難と涙が必要なのだ。「聖書の生活読み、人生読み、苦難読み」。

塚本訳 ヨハ 3:16
3:16 そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである。

塚本訳 ルカ 19:9-10
19:9 イエスが(人々に)言われた、「救いは(きょう、)この家に入った。(人でなしのように言われる)この人も、やはり(あなた達と同じ)アブラハムの末だから。
19:10 人の子(わたし)は『滅びうせた者をさがして』救うために来たのである。」

塚本訳 ヨハ 8:11
8:11 「主よ、だれも」と女がこたえた。イエスが言われた、「わたしも罰しない。おかえり。今からはもう罪を犯さないように。」】

塚本訳 ヨハ 9:39-41
9:39 イエスは言われた、「わたしは裁きのためにこの世に来たのだ。・・盲が目明きに、目明きが盲になるために!
9:40 イエスと一しょにいたパリサイ人たちがこれを聞いて、彼に言った、「まさか、このわれわれも盲だというのではあるまい。」
9:41 イエスが言われた、「盲だったら、罪はなかった。たが今、『見える』と言うから、あなた達の罪はいつまでもなくならない。(光に来ようとしないのだから。)

塚本訳 ヘブ 5:7-9
5:7 彼はその(地上における)肉の日に、烈しい叫び声と涙とをもって、彼を死から救い得るお方に向かって祈りや嘆願を捧げ、その敬虔のゆえに聞きいれられた(方である)。
5:8 彼は御子であるにもかかわらず、苦しみをうけて従順を学び
5:9 完成されたので、(今度は彼が、)彼に従順であるすべての人に対して『永遠の救の』本源となり、

塚本訳 使 9:15-16
9:15 主が彼に言われた、「(恐れることはない。)行け。あの人は、異教人と王たちとイスラエルの子孫との前に、わたしの名を運んでゆく(ために選んだ)わたしの選びの器であるから。
9:16 その証拠として、わたしの名のためにどんなに多くの苦しみをうけねばならぬかを、彼におしえてやる。」

塚本訳 マタ 26:6-13
26:6 イエスがベタニヤで癩病人シモンの家におられるとき、
26:7 一人の女が非常に価の高い香油のはいった石膏の壷を持って近寄り、食卓についておられるイエスの頭に(香油をすっかり)注ぎかけた。
26:8 弟子たちはこれを見て、憤慨して言った、「なぜこんなもったいないことをするのだろう。
26:9 これは高く売れて、貧乏な人に施しが出来たのに。」
26:10 それと知ってイエスは言われた、「なぜこの婦人をいじめるのか。わたしに良いことをしてくれたではないか。
26:11 貧乏な人はいつもあなた達と一しょにいるが、わたしはいつも(一しょに)いるわけではない。
26:12 この婦人がわたしの体に香油をかけてくれたのは、わたしを葬るためである。
26:13 アーメン、わたしは言う、世界中どこでも(今後)この福音の説かれる所では、この婦人のしたことも、その記念のために一しょに語りつたえられるであろう。」

塚本訳 ルカ 7:46-48
7:46 あなたは(普通の)油をすら頭に塗ってくれないのに、この婦人は(高価な)香油を足に塗ってくれた。
7:47 だから、わたしは言う、この婦人の多くの罪は赦されている。(いま)多くわたしを愛したのがその証拠である。赦され方の少ない者は、愛し方も少ない。」
7:48 そしてその女に言われた、「あなたの罪は赦されている。」

塚本訳 ルカ 23:40-43
23:40 するともう一人の者が彼をたしなめて言った、「貴様は(このお方と)同じ(恐ろしい)罰を受けていながら、それでも(まだ)神様がこわくないのか。
23:41 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽(パラダイス)にはいることができる。」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝の啓示、黙想、霊想、一人礼拝終わり。アーメン、神は一人をも残さず救おうとされている。人は人生を失敗して自分の罪が分かるときに神はその姿を現してくださる。ハラハラと涙を流すときに神の存在が分かるのだ。

●TSK日本語版エレミヤ書36章
●午後は録画してあった「ウィーンフィルニューイヤーコンサート」を妻と一緒に見る。

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キリスト者の故郷と墓 ++++++++ 所感

2015/01/03 05:33

150103(土)キリスト者の皆様お早うございます●昨日は子供二人に「あきる野に故郷(ふるさと)の意識があるのかないのかを聞いた。具体的にはこの土地家屋は私達夫婦の代で終わりとすることはかねてから決めてあったが、昨日は主として高橋家の墓の処理ついてを話し合った。●結論は、わたし達夫婦は今の「高橋家の墓、墓碑銘・・・神は愛なり・・・」はわたし達の手で処分し、同じ秋川霊園の合同墓地に入る。そこには私と妻と私(照男)の両親と母(花子)の両親の」6体の遺骨を納める。●わたしの出したこの方針で皆が納得し、一人からは「また天国で会いましょう」という言葉が出た。●ある者は所属している教会の合同墓地に、あるものは嫁ぎ先の墓にとそれぞれに身の振り方が違う。つまり「あきる野という故郷」に執着はしないということであった。●しかしまたキリスト者が先祖や墓に執着しないことがキリスト教の弱みでもあり強みでもある。●夜は愛子の子供が就寝の祈りで「明日は家に帰りますが、行く道をお守りください」と祈った。この二つの言葉に刺激されて今朝は「人生は短い旅だ」と啓示され信仰的に有益であった。これは今、今日、この人との出会いというものが大切なのだ、と新境地が開かれる思いも与えられた。それは神から与えられた境地なのだ。結婚観や家庭観やエクレシア観も同じことだ。●私達がこの地上の人生という「旅」を」する意味は、そこで起こる嫌な思い出もよい思い出もこれみな「罪を知って神を知るためにある」のだと思った。これが人生の旅の目的と意義であると思う。●「故郷(ふるさと)は遠きにありて思うもの」である。●この言葉はあの室生犀星の詩であることを知りネットで調べたところ、そこには彼の出自に関わる深刻な背景があることを知った。

               ふるさとは遠きにありて思ふもの
               そして悲しくうたふもの
               よしや
               うらぶれて異土の乞食となるとても
               帰るところにあるまじや
               ひとり都のゆふぐれに
               ふるさとおもひ涙ぐむ
               そのこころもて
               遠きみやこにかへらばや
               遠きみやこにかへらばや
                     [小景異情ーその二] より

●人には誰も「母」というものがあり、「故郷」というものがある。しかしそれは地上での一時的なものだ。わたしの好きな歌に加賀千代の次のものがある。

 泣いて行く向こうに母や春の風

 
 また

  とんぼ釣、今日はどこまで行ったやら

 
第2番目の句の解説をネットで調べると次のようであった。

これは江戸時代の女性俳人、加賀千代女(かがのちよじょ)の作品です。
 彼女には息子がいたのですが、幼い頃に死んでしまいます。
 いなくなってしまった息子は、きっとどこか遠くまでとんぼつりに出かけてしまったのだろう、早く帰ってこないかなぁ、という子供を偲ぶ句です。
 あるいは、息子は天国でもとんぼつりをして楽しく暮らしているのだろうか、という解釈もできます。

●NO!。キリスト者はこのような抒情歌に涙を浸していてはいけないのだ。キリスト者は復活、永遠の命の喜びに生きるべきなのだ。●ではキリスト者の故郷と墓を巡って聖書の示されたところを思い浮かぶまま示されたままに整理せずに書き連ねよう。毎朝のこういう営みは、この世の作法(卒論など)とは異なり、学術的理論的には整合しないものだ。それは霊の世界で整合するのだ。

塚本訳 ピリ 3:20
3:20 しかし(私達はそうであってはならない。)私達の故国は天にある。私達は主イエス・キリストが救い主として其処から来給うのを待っているのである。

塚本訳 エペ 2:12
2:12 その当時はキリスト無く、またイスラエルの民籍に縁無く、(従ってアブラハムとその子孫に対する神の大なる)約束に基づく種々な契約にも与らず、この世において希望なく、また神無き人であった。

塚本訳 エペ 2:17-19
2:17 且つ来て、『遠い』君達に『平和の福音を宣べ、また近い者にも平和の福音を宣べ給うた』のである。
2:18 というのは、(今)私達二つの者が、(イスラエル人も異教人も、)一つの霊で父(なる神)に近づくことが出来るのは彼によるのであるからである。
2:19 だから、君達は最早余所の人でも居候でもなく、聖徒と同じ(天上の)市民また神の家族であり、

塚本訳 使 2:7-8
2:7 そして驚きあきれて言った、「見よ、話しているあの人たちはみんな、ガリラヤ人ではないか。
2:8 それだのにどうしてわたし達は、それぞれ自分の生まれ故郷の国語(でこの人たちが話しているの)を、聞くのだろうか。


口語訳 創  6:1-3
6:1 人が地のおもてにふえ始めて、娘たちが彼らに生れた時、
6:2 神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった。
6:3 そこで主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう」。


口語訳 創  15:15
15:15 あなたは安らかに先祖のもとに行きます。そして高齢に達して葬られるでしょう


口語訳 創  31:3
31:3 主はヤコブに言われた、「あなたの先祖の国へ帰り、親族のもとに行きなさい。わたしはあなたと共にいるであろう」。

口語訳 創  48:21
48:21 イスラエルはまたヨセフに言った、「わたしはやがて死にます。しかし、神はあなたがたと共におられて、あなたがたを先祖の国に導き返されるであろう。

口語訳 創  49:28-32
49:28 すべてこれらはイスラエルの十二の部族である。そしてこれは彼らの父が彼らに語り、彼らを祝福したもので、彼は祝福すべきところに従って、彼らおのおのを祝福した。
49:29 彼はまた彼らに命じて言った、「わたしはわが民に加えられようとしている。あなたがたはヘテびとエフロンの畑にあるほら穴に、わたしの先祖たちと共にわたしを葬ってください
49:30 そのほら穴はカナンの地のマムレの東にあるマクペラの畑にあり、アブラハムがヘテびとエフロンから畑と共に買い取り、所有の墓地としたもので、
49:31 そこにアブラハムと妻サラとが葬られ、イサクと妻リベカもそこに葬られたが、わたしはまたそこにレアを葬った。
49:32 あの畑とその中にあるほら穴とはヘテの人々から買ったものです」。

口語訳 Ⅰ列 2:10-11
2:10 ダビデはその先祖と共に眠って、ダビデの町に葬られた。
2:11 ダビデがイスラエルを治めた日数は四十年であった。すなわちヘブロンで七年、エルサレムで三十三年、王であった。

口語訳 Ⅰ列 11:42-43
11:42 ソロモンがエルサレムでイスラエルの全地を治めた日は四十年であった。
11:43 ソロモンはその先祖と共に眠って、父ダビデの町に葬られ、その子レハベアムが代って王となった。

口語訳 Ⅰ列 14:31
14:31 レハベアムはその先祖と共に眠って先祖と共にダビデの町に葬られた。その母の名はナアマといってアンモンびとであった。その子アビヤムが代って王となった。

口語訳 Ⅰ列 15:8
15:8 アビヤムはその先祖と共に眠って、ダビデの町に葬られ、その子アサが代って王となった。

口語訳 Ⅰ列 22:50
22:50 ヨシャパテはその先祖と共に眠って、父ダビデの町に先祖と共に葬られ、その子ヨラムが代って王となった。

口語訳 Ⅱ列 13:13
13:13 ヨアシは先祖たちと共に眠って、ヤラベアムがその位に座した。そしてヨアシはイスラエルの王たちと同じくサマリヤに葬られた。

口語訳 Ⅱ列 14:17-20
14:17 ヨアシの子であるユダの王アマジヤは、エホアハズの子であるイスラエルの王ヨアシが死んで後、なお十五年生きながらえた。
14:18 アマジヤのその他の事績は、ユダの王の歴代志の書にしるされているではないか。
14:19 時に人々がエルサレムで徒党を結び、彼に敵対したので、彼はラキシに逃げていったが、その人々はラキシに人をつかわして彼をそこで殺させた。
14:20
人々は彼を馬に載せて運んできて、エルサレムで彼を先祖たちと共にダビデの町に葬った。

口語訳 Ⅱ列 21:18
21:18 マナセは先祖たちと共に眠って、その家の園すなわちウザの園に葬られ、その子アモンが代って王となった。

口語訳 Ⅱ歴 9:31
9:31
ソロモンはその先祖たちと共に眠って、父ダビデの町に葬られ、その子レハベアムが代って王となった。

新共同 Ⅱ歴 26:22-23
26:22 ウジヤの他の事績は、初期のことも後期のことも、預言者、アモツの子イザヤが書き残している。
26:23 ウジヤは先祖と共に眠りにつき、その遺体は、重い皮膚病に冒されていたということで、王の墓の近くの野に先祖と共に葬られた。その子ヨタムがウジヤに代わって王となった

口語訳 Ⅱ歴 35:24
35:24 そこで家来たちは彼を車から助け出し、王のもっていた第二の車に乗せてエルサレムにつれて行ったが、
ついに死んだので、その先祖の墓にこれを葬った。そしてユダとエルサレムは皆ヨシヤのために悲しんだ。

口語訳 申  34:5-8
34:5 こうして主のしもべモーセは主の言葉のとおりにモアブの地で死んだ
34:6 主は彼をベテペオルに対するモアブの地の谷に葬られたが、今日までその墓を知る人はない。
34:7 モーセは死んだ時、百二十歳であったが、目はかすまず、気力は衰えていなかった。
34:8 イスラエルの人々はモアブの平野で三十日の間モーセのために泣いた。そしてモーセのために泣き悲しむ日はついに終った。

口語訳 詩  90:3-12
90:3 あなたは人をちりに帰らせて言われます、「人の子よ、帰れ」と。
90:4 あなたの目の前には千年も/過ぎ去ればきのうのごとく、夜の間のひと時のようです。
90:5 あなたは人を大水のように流れ去らせられます。彼らはひと夜の夢のごとく、あしたにもえでる青草のようです。
90:6 あしたにもえでて、栄えるが、夕べには、しおれて枯れるのです。
90:7 われらはあなたの怒りによって消えうせ、あなたの憤りによって滅び去るのです。
90:8 あなたはわれらの不義をみ前におき、われらの隠れた罪をみ顔の光のなかにおかれました。
90:9 われらのすべての日は、あなたの怒りによって過ぎ去り、われらの年の尽きるのは、ひと息のようです。
90:10 われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。
90:11 だれがあなたの怒りの力を知るでしょうか。だれがあなたをおそれる恐れにしたがって/あなたの憤りを知るでしょうか。
90:12 われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください

口語訳 詩  84:1-7
84:1 万軍の主よ、あなたのすまいはいかに麗しいことでしょう。
84:2 わが魂は絶えいるばかりに主の大庭を慕い、わが心とわが身は生ける神にむかって喜び歌います。
84:3 すずめがすみかを得、つばめがそのひなをいれる巣を得るように、万軍の主、わが王、わが神よ、あなたの祭壇のかたわらに/わがすまいを得させてください。
84:4 あなたの家に住み、常にあなたをほめたたえる人はさいわいです。〔セラ
84:5 その力があなたにあり、その心がシオンの大路にある人はさいわいです。
84:6 彼らはバカの谷を通っても、そこを泉のある所とします。また前の雨は池をもってそこをおおいます。
84:7 彼らは力から力に進み、シオンにおいて神々の神にまみえるでしょう。

塚本訳 ルカ 8:51-55
8:51 家に着かれると、ペテロとヨハネとヤコブと、女の子の父と母とのほかには、だれも一しょに中に入ることを許されなかった。
8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。」
8:53 人々は死んだことを知っているので、あざ笑っていた。
8:54 しかしイエスは女の子の手を取り、声をあげて「子よ、起きなさい!」と呼ばれると、
8:55 霊がもどって、即座に女の子は立ち上がった。イエスは(何か)食べさせるように言いつけられた。

塚本訳 ヨハ 11:43-44
11:43 こう言ったのち、大声で、「ラザロ、出て来い」と叫ばれた。
11:44 死人が手足を包帯で巻かれたまま、(墓から)出てきた。顔は手拭で包まれていた。イエスは「解いてやって(家に)帰らせなさい」と人々に言われた。

塚本訳 ヨハ 5:28-30
5:28 あなた達は(子が裁くという)このことを驚くに及ばない。時が来ると、墓の中にいる者が皆子(たるわたし)の声を聞いて、
5:29 (墓から)出てくるからである。
すなわち、善いことをした者は(永遠の)命にはいるために復活し、悪いことをした者は(死の)罰を受けるために復活する。
5:30 わたしは自分では何一つすることが出来ない。(ただ父上から)聞いたとおりに裁く。だからわたしがする裁きは正しい。自分の考えでなく、わたしを遣わされた方の考えを行おうとするからである。

塚本訳 ヨハ 5:31-35
5:31 (今わたしの裁きは正しいと言ったが、)もしわたしが自分で自分のことを証明するのであったら、わたしの証明は信用できない。
5:32 わたしのことを証明してくださるお方はほかにあるのである。そしてわたしは、わたしのことを証明されるその(方の)証明が、信用すべきであることを知っている。
5:33 しかし(それは、あなた達が考えるように洗礼者ヨハネではない。)あなた達はヨハネに使をやり、彼は(わたしが)真理(であること)について証明したが、
5:34 わたしは人間(ヨハネ)から証明してもらう必要はない。わたしがヨハネのことを言うのは、ただあなた達が(彼の証明によりわたしを信じて)救われるためである。
5:35 ヨハネは(光ではないが、まことの光に導く)燃えて輝く明りであった。しかしあなた達は(彼の言葉に従おうとせずに、)しばし彼の光にうち興じただけであった。

塚本訳 マタ 6:19-21
6:19 (このように、何事も天の父上相手でなければならない。たとえば)あなたたちは衣魚や虫が食い、また泥坊が忍び込んで盗むこの地上に宝を積まず、
6:20 衣魚も虫も食わない、また泥坊が忍び込むことも盗むこともない天に、宝を積んでおきなさい。
(そうでないと、心が天に向かないであろう。)
6:21 宝のある所に、あなたの心もあるのだから。

塚本訳 マタ 13:53-58
13:53 イエスはこれらの譬を終えると、そこを去り、
13:54 郷里(ナザレ)に行ってその礼拝堂で教えられた。すると人々が驚いて言った、「この人はどこからこの知恵と、奇蹟とを覚えてきたのだろう。
13:55 これはあの大工の息子ではないか。母はマリヤで、兄弟はヤコブとヨセフとシモンとユダではないか。
13:56 女兄弟たちは、みんなわたし達の所に住んでいるではないか。するとこの人は、こんなことを皆どこから覚えてきたのだろう。」
13:57 こうして人々はイエスにつまずいた。しかしイエスは彼らに言われた、「預言者が尊敬されないのは、その郷里と家族のところだけである。」
13:58
彼らの不信仰のゆえに、そこではあまり奇蹟を行われなかった。(出来なかったのである。)

塚本訳 マタ 27:50-53
27:50 しかしイエスはふたたび(何か)大声で叫ばれると共に、息が切れた。
27:51 その途端に、宮の(聖所の)幕が上から下まで真っ二つに裂けた。そして地が震い、岩が裂け、
27:52 墓が開いて、眠っていた多くの聖者たちの体が生きかえり、
27:53 墓から出てきて、イエスの復活の後、聖なる都(エルサレム)に入って多くの人に現われた。

塚本訳 マタ 28:5-7
28:5 天使は女たちに言った、「恐れることはない。あなた達は十字架につけられたイエスをさがしているようだが、
28:6 ここにはおられない。かねがね言われたとおり、もう復活されたのだから。
来て、お体が置いてあった場所を見なさい。
28:7 それから急いで行って弟子たちに、『イエスは死人の中から復活された。あなた達より先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる』と言いなさい。これを言いにわたしは来たのだ。」

塚本訳 ヨハ 20:1-9
20:1 (翌々日、すなわち)週の初めの日(日曜日)の朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリヤがに来てみると、(の入口)から石がのけてあった。
20:2 そこでシモン・ペテロと、イエスが可愛がっておられたもう一人の弟子との所に走って行って言う、「主をから取っていった者があります。どこに置いたのかわかりません。」
20:3 そこでペテロはもう一人の弟子と飛び出して、へと急いだ。
20:4 二人とも(始めのほどは)一しょに走っていたが、もう一人の弟子の方が(年が若かったので、)ペテロより早く走っていって、先にに着いた。
20:5 身をかがめると、(墓の中に)亜麻布があるのが見えたが、それでも中には入らなかった。
20:6 続いてシモン・ペテロも来た。彼はに入り、亜麻布が(そのままそこに)あるのを見た。
20:7 また頭をつつんだ手拭は亜麻布と一しょになく、これだけ別の所に、包んだまま(の形)になっていた。
20:8 すると先にに着いたもう一人の弟子も入ってきて、見て、信じた
20:9 イエスは死人の中から復活されねばならないという聖書の言葉が、(この時まで)まだ彼らにわかっていなかったのである。

塚本訳 ヨハ 20:11-18
20:11 (二人について来ていた)マリヤは(ひとり)墓の外に立って泣いていた。(二人が去ったあと、)泣きながらかがんで墓の中をのぞくと
20:12 白い衣をきた二人の天使が、一人はイエスの体が置いてあった所の頭の方に、一人は足の方に坐っているのが見えた。
20:13 天使がマリヤに言う、「女の人、なぜ泣くのか。」マリヤが言う、「わたしの主を取っていった者があります。どこに置いたのかわかりません。」
20:14 こう言って後を振り向くと、イエスがそこに立っておられるのが見えた。しかしイエスだとは気づかなかった。
20:15 イエスが言われる、「女の人、なぜ泣くのか。だれをさがしているのか。」マリヤはそれを園丁だと思って言う、「あなた、もしあなたがあの方を持っていったのだったら、どこに置いたか教えてください。わたしが引き取りますから。」
20:16 (こう言って、また墓の方を向いていると、)イエスが「マリヤ!」と言われる。マリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う。(そしてイエスに抱きつこうとした。)
20:17 イエスが言われる、「わたしにすがりつくな。まだ父上の所に上っていないのだから。わたしの兄弟たち(弟子たち)の所に行って、『わたしは、わたしの父上、すなわちあなた達の父上、わたしの神、すなわちあなた達の神の所に上る』と言いなさい。」
20:18 マグダラのマリヤは行って弟子たちに、「わたしは主にお目にかかった」、また、主がこのことを彼女に言われた、と報告した。

塚本訳 マタ 23:27-30
23:27 ああ禍だ、君たち聖書学者とパリサイ人、この偽善者!君たちは白く塗った墓に似ているからだ。外側はりっぱに見えるが、内側は死人の骨とあらゆる汚れとでいっぱいである。
23:28 そのように君たちも、外側はいかにも信心深そうに人に見えるが、内側は偽善と不法とで一ぱいである。
23:29 ああ禍だ、君たち聖書学者とパリサイ人、この偽善者!君たちは(先祖が殺した)預言者の墓を建てたり、義人の記念碑を飾ったりして
23:30 こう言うからだ。──『わたしの先祖の時代にいても、預言者の血を流す仲間にはならなかっただろう』と。

塚本訳 ルカ 22:24-26
22:24 また弟子たちの間に、自分たちのうちでだれが一番えらいと思われているかについての争いもあった。
22:25 するとイエスが言われた、「世間では王が人民を支配し、また主権者は自分を恩人と呼ばせる。
22:26 しかしあなた達はそれではいけない。あなた達の間では、一番えらい者が一番若輩のように、支配する者が給仕をする者のようになれ。

塚本訳 Ⅱコリ5:1
5:1 なぜ(こんな希望に生きることができるの)であろうか。もし
地上の家であるわたし達のこのテント、(この肉体)がこわれるならば、天に、神の建てられた建物、(人間の)手で造らない永遠の家をいただいていることを、わたし達は知っているからである。

塚本訳 ルカ 16:9-13
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。
16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。
16:11 だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。
16:12 もし他人のもの[この世のこと]に忠実でなかったならば、だれがあなた達のもの[天のもの]をあなた達に与えようか。
16:13 しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。」

塚本訳 マタ 19:3-6
19:3 そこにパリサイ人たちが近寄ってきて、イエスを試そうとして言った、「何か理由があれば、妻を離縁してもよろしいか。」
19:4 答えて言われた、「造物者が始めから『彼らを男と女とに造られた』こと、
19:5 また、『それゆえに人は父と母とをすてて妻に結びつき、二人は一体となる』と言われたことを、あなた達は読んだことがないのか。
19:6 従って、もはや二人ではない、一体である。だから夫婦は(皆)神が一つの
軛におつなぎになったものである。(どんな理由があっても)人間がこれを引き離してはならない。」

塚本訳 ヨハ 4:20-26
4:20 (それでお尋ねしたいのですが、)わたし達の先祖はこの(ゲリジム)山で(神を)礼拝したのに、あなた達(ユダヤの人)は、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。(どういう訳でしょうか。)」
4:21 イエスが言われる、「女の人、わたし(の言葉)を信じなさい。(間もなく)あなた達が、この山でもエルサレムでもなく(どこででも、)父上を礼拝する時が来る。
4:22 ただ(同じ神を、)あなた達は知らずに礼拝し、わたし達は知って礼拝している。救いはユダヤ人から出る(のでわたし達だけに神が示された)からである。
4:23 しかし(ユダヤ人もサマリヤ人もなく、)本当の礼拝者が霊と真理とをもって父上を礼拝する時が来る。いや、今もうきている。父上もこんな礼拝者を求めておられるのである。
4:24 神は霊である。だから礼拝者も霊と真理とをもって礼拝せねばならない。」

4:25 女が言う、「キリストと言われる救世主が来ることは知っています。救世主が来れば、わたし達に何もかも知らせてくださるでしょう。」
4:26 イエスは言われる、「あなたと話しているわたしが、それだ。」

塚本訳 ヨハ 6:67-68
6:67 するとイエスが十二人(の弟子)に言われた、「まさか、あなた達まで離れようと思っているのではあるまいね。」
6:68 シモン・ペテロが答えた、「
主よ、(あなたを離れて)だれの所に行きましょう。永遠の生命の言葉はあなただけがお持ちです(から)。

塚本訳 ヘブ 11:8-16
11:8 信仰によって、アブラハムは財産として戴くべき(カナンの)場所に『出てゆけ』とのお召しを受け、(素直に)言うことを聞いた。そしてどこへ行くともわからず、『出ていった』。
11:9 信仰によって、彼は約束の地に他国人として『宿った』。彼は同じ約束の(ものの)共同相続人(である子)イサクおよび(孫)ヤコブと一しょに、天幕に住んだのである。
11:10 (どうしてこんな生活に甘んじたか。)彼は(堅固な)土台を持つ(天の)都を待ちのぞんでいたからである。その建設者また創造者は神である
11:11 信仰によって、アブラハムはまた(その妻)サラと共に、子孫をつくる力を受けた、(すでに年齢が)盛りを過ぎていながら。彼は約束された方を誠実であると考えたのである。
11:12 だからまた、(たった)一人から、しかも(老いぼれて)死んだような者から、『天の星のように数多く、また数えきれぬ海岸の砂のように子孫ができたのである。』
11:13 信仰に従い、これらの人たちは皆、(地上では)約束のものを受けずに死んだのである。彼らはただ遠くからそれを眺めて歓迎し、自分たちは、『この地上では外国人であり、旅の者』であると認めた。
11:14 このように(自分を外国人、旅の者と)言う人々は、(ほかにある)自分の国を追及していることを現わしているからである。
11:15 もしも彼らが出てきた所、(すなわちカルデヤのウル)のことを思ったのであったら、(いくらも)引き返す機会があったはずである。
11:16 しかし
今や彼らは(地上のものに)まさる天の国を熱望しているのである。だから神も、彼らの神と言われることを恥とされない。彼は彼らのために(天に)都を用意されたのであるから。


塚本訳 エペ 4:10-12
4:10 (従って地上に)降り給うたその御方こそ、万物を満たさんために、凡ての天の上に『昇り給うた』御方である。
4:11 彼はまた或る者を使徒、或る者を予言者、或る者を伝道者、或る者を牧師また教師として(教会に)『与え給うた』。
4:12 これは(キリストに対する)奉仕の務めを果たし得るよう聖徒達を準備し、
かくしてキリストの体(なる教会)が建て上げられんためである。

塚本訳 コロ 1:23-24
1:23 もし君達が(飽くまで)根強く堅く信仰に止まり、聞いた福音の希望から動かされることさえ無ければ!この福音は天の下の凡ての創造られたものに宣べ伝えられ、私パウロがその世話役となったのである。
1:24
今私は君達のために苦しむことを喜びとし、またキリスト・イエスの体なる教会のために私の体でキリストの患難の不足を補っている。

塚本訳 Ⅱコリ4:16
4:16 このゆえに、わたし達は気を落さない。いや、わたし達の(生れながらの)外の人はどんなにこわれていっても、(キリストによって生れた)内の人は一日一日と新しくされてゆく

塚本訳 ロマ 3:21-26
3:21 しかしながら今、律法に関係なく、神の義は現わされた。しかし律法と預言書と[聖書]によって(すでに)証しされているものである。
3:22 この神の義は、イエス・キリストを信ずる信仰(だけ)によって、これを信ずるすべての者にあたえられる。(すべてというのは、そこに人間的の)なんの差別もないからである
3:23 なぜか。すべての人が罪を犯したため、いまだれ一人、(かつて持っていた)神の栄光をもたない。
3:24 (さりとて失った栄光を回復する力はないので、何一つ)代価を払わず、(ただ)神の恩恵によって、キリスト・イエスによるあがないの力で、(神に)義とされる(道が設けられた)のである。
3:25 すなわち神は御自分の義を示すために、宥めの供え物としてキリストを提供された。これはキリストの血でなされたものであり、(人は)信仰によ(ってこの恩恵にあずか)るのである。このことは──神が(長いあいだ)忍耐をもって過ぎし日に犯した罪を罰せずにおられたので──
3:26 今の世において、御自分の義を示そうとされたのである。すなわち御自分が義であること、またイエスを信ずる者を義とするお方であることを、(この世に)示されたのである。


塚本訳 マタ 8:10-12
8:10 イエスは聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた、「アーメン、わたしは言う、イスラエル人の中でも、こんなりっぱな信仰をもっている者を一人も見たことがない。
8:11 わたしは言う、(最後の日には、このような信仰のあつい)大勢の人が『東から西から』来て、天の国でアブラハムやイサクやヤコブと共に宴会につらなり、
8:12 (かんじんのイスラエル人、すなわち)御国の子供たちは外の真暗闇に放り出され、そこでわめき、歯ぎしりするであろう。」

塚本訳 マタ 18:19-20
18:19 なお、アーメン、わたしは言う、何事によらず、もしあなた達のうちの二人が心を一つにして地上で祈るならば、わたしの天の父上は(きっとその願いを)かなえてくださるだろう。
18:20 二人、三人、わたしの名によって集まっている所には、わたしがいつもその真中にいるのだから。

塚本訳 ヨハ 20:31
20:31 しかし(ほんの一部分であるが、いま)これらのことを書いたのは、あなた達に、イエスは救世主で、神の子であることを信じさせるため、また、それを信じて、イエスの名によって(永遠の)命を持たせるためである。

塚本訳 マタ 28:18-20
28:18 イエスは近寄ってきて十一人に言われた、「(いまや)天上地上一切の権能が、(父上から)わたしに授けられた。
28:19 それゆえに、行ってすべての国の人を(わたしの)弟子にせよ、父と子と聖霊の名で洗礼を授け、
28:20 わたしがあなた達に命じたことを皆守るように教えながら。安心せよ、世の終りまでいつもわたしがあなた達と一しょにいるのだから。

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朝の啓示、黙想、瞑想、一人礼拝終わり。アーメン。新約の時代に生きる我らは幸いである。

●11:40 愛子と子供3人が大田区馬込の家に帰る。駅まで見送る。走り去る電車を見送った。初音は盛んにキリスト教愛真高校の内容を愛子に聞いていた。私は愛子に「すべては神がご存知だから」と励ました。「神の国と神に義とされることとを求めれば、生活のことは神が支えて下さる」。(マタイ6:32-33)
●孫たちが去って、妻と二人だけの生活に戻って静寂。嵐の後の静けさ。急に淋しくなった。

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ゴメンナサイの人生 ++++++++ 所感

2015/01/02 06:04

150102(金)キリスト者の皆様お早うございます。●今朝の啓示は「ゴメンナサイの人生」です。●愛子の子供(孫)が3人来ていて、妻と「障子が破られることはしょうがない」と話し合った。私の家は「和風」なので障子が多い。案の定バタバタと追いかけっこの運動会をやっていて末の子供(今年小1になる)が障子を破いてしまった。するとあろうことかその孫息子が「ゴメンナサイ」と二回ペコリと頭を下げた。私たちは「いいよ、いいよ」と言って赦した●この孫の態度に祖父の私は「祖父のひいき目」で彼に「宗教的なるもの」を見た。人間は血筋ではない。育ちの環境ではない。これがヒントで人はみな誰でも「ゴメンナサイ」の態度があれば神に喜ばれる人生になるのだと思った。「負うた子に教えられ」である。●就寝の祷りは6人で布団の上で各人が順番に「有声的祈り」(内村鑑三)をした。そのとき彼は「イエス様ありがとう」を2度連発した。教会学校と母親の指導をそこに感じた。●そこで今朝は「ゴメンナサイの人生」が神に喜ばれることを巡って聖書を思いつくままに黙想してみよう。●かって某弁護士から宗教家と教師と長野県人(理屈っぽい)は弁護しにくいという話を聞いた。「ゴメンナサイ」という態度がないから「人に教えられよう」とする態度がないのだ。私にもそういう経験がある。彼らは「設計をまかせない」から設計がしにくいのだ。●ヒルティは「家庭生活は神の愛と救いを学ぶ学校」なのだと言っている。しかり家庭内で起こる悩み悲しみ涙はこれすべて神の国に入るため、入れていただくための準備なのである。

塚本訳 ルカ 11:4
11:4 罪を赦してください、わたしたちも罪を犯した人を皆赦しておりますから。わたしたちを試みにあわせないでください。」

塚本訳 ルカ 15:17-24
15:17 ここで(はじめて)本心に立ち返って言った。──お父さんのところでは、あんなに大勢の雇人に食べ物があり余っているのに、(息子の)このわたしは、ここで飢え死にしようとしている。……
15:18 よし、お父さんの所にかえろう、そしてこう言おう、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。
15:19 もうあなたの息子と言われる資格はありません。どうか雇人なみにしてください』と。
15:20 そして立ってその父の所へ出かけた。ところが、まだ遠く離れているのに、父は見つけて不憫に思い、駈けよって首に抱きついて接吻した。
15:21 息子は父に言った、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。もうあなたの息子と言われる資格はありません。……』
15:22 しかし父は(皆まで聞かず)召使たちに言った、『急いで、一番上等の着物をもって来て着せなさい。手に指輪を、足にお靴をはかせなさい。
15:23 それから肥えた小牛を引いてきて料理しなさい。みんなで食べてお祝いをしようではないか。
15:24 このわたしの息子は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。』そこで祝賀会が始まった。

塚本訳 マタ 21:28-32
21:28 いったいあなた達はどう思うか。──ある人に二人の息子があった。長男の所に行って、『坊や、きょう葡萄畑に行って働いてくれ』と言うと、
21:29 長男は『いやです』と答えたが、あとで後悔して出かけた。
21:30 つぎに次男の所に行って同じように言うと、こちらは、『お父さん、承知しました』と答えたが、行かなかった。
21:31 この二人のうち、どちらが父の心を行ったのだろうか。」「もちろん長男」と彼らが答える。イエスが言われる、「アーメン、わたしは言う、税金取りや遊女たちは、あなた達よりも先に神の国に入るであろう。
21:32 そのわけは、(洗礼者)ヨハネが義の道を示しに来たのに、あなた達は彼を信ぜず、税金取りや遊女の方がかえって信じたからだ。しかしあなた達は(あの人たちが悔改めるのを)見たあとでも、後悔して彼を信じようとしなかった。

塚本訳 ルカ 7:44-50
7:44 女の方に振り向き、シモンに言われた、「この婦人を見たか。わたしがこの家に来たとき、あなたは足の水もくれないのに、この婦人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でふいてくれた。
7:45 あなたは接吻一つしてくれないのに、この婦人はわたしが(この家に)来たときから、わたしの足に接吻のしつづけである。
7:46 あなたは(普通の)油をすら頭に塗ってくれないのに、この婦人は(高価な)香油を足に塗ってくれた。
7:47 だから、わたしは言う、この婦人の多くの罪は赦されている。(いま)多くわたしを愛したのがその証拠である。赦され方の少ない者は、愛し方も少ない。」
7:48 そしてその女に言われた、「あなたの罪は赦されている。」
7:49 同席の者が(憤慨して)ひそかに考えた、「罪さえ赦す(という)この人はいったい何人だろう。」
7:50 しかしイエスは女に言われた、「あなたの信仰があなたを救った。『さよなら、平安あれ。』」


塚本訳 ルカ 19:1-10
19:1 エリコに入って、(そこを)通っておられた。
19:2 すると、(町に)名をザアカイという人がいた。この人は税金取りの頭で、金持であった。
19:3 イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低いので、群衆のため見ることが出来なかった。
19:4 それで先の方に駈けていって、桑無花果の木に上った。そこを通られるところを見ようとしたのである。
19:5 イエスはその場所に来られると、ザアカイを見上げて言われた、「ザアカイ、急いで下りておいで。きょうはあなたの家に泊まることになっているから。」
19:6 ザアカイは急いで下りてきて、喜んでお迎えした。
19:7 皆がこれを見て、イエスは(税金取りのような)罪人の所に入りこんで宿を取った、と言ってぶつぶつ呟いた。
19:8 しかしザアカイは進み出て主に言った、「主よ、わたしは(誓って)財産の半分を貧乏な人たちに施します。人からゆすり取ったものは四倍にして返します。」
19:9 イエスが(人々に)言われた、「救いは(きょう、)この家に入った。(人でなしのように言われる)この人も、やはり(あなた達と同じ)アブラハムの末だから。
19:10 人の子(わたし)は『滅びうせた者をさがして』救うために来たのである。」


塚本訳 ルカ 23:39-43
23:39 磔にされている罪人の一人がイエスを冒涜した、「お前は救世主じゃないか。自分とおれ達を救ってみろ。」
23:40 するともう一人の者が彼をたしなめて言った、「貴様は(このお方と)同じ(恐ろしい)罰を受けていながら、それでも(まだ)神様がこわくないのか。
23:41 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる。」

口語訳 詩  34:18
34:18 主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる。


口語訳 詩  51:17
51:17 神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、
あなたは砕けた悔いた心を/かろしめられません。


口語訳 イザ 40:2
40:2 ねんごろにエルサレムに語り、これに呼ばわれ、その服役の期は終り、そのとがはすでにゆるされ、そのもろもろの罪のために二倍の刑罰を/主の手から受けた」。


口語訳 詩  90:13-15
90:13 主よ、み心を変えてください。いつまでお怒りになるのですか。あなたのしもべをあわれんでください。
90:14 あしたに、あなたのいつくしみをもって/われらを飽き足らせ、世を終るまで喜び楽しませてください。
90:15
あなたがわれらを苦しめられた多くの日と、われらが災にあった多くの年とに比べて、われらを楽しませてください。

口語訳 詩  119:74-75
119:74 あなたを恐れる者はわたしを見て喜ぶでしょう。わたしはみ言葉によって望みをいだいたからです。
119:75 主よ、わたしはあなたのさばきの正しく、また、あなたが真実をもって/わたしを苦しめられたことを知っています。

口語訳 詩  30:5
30:5 その怒りはただつかのまで、その恵みはいのちのかぎり長いからである。
夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る。


口語訳 詩  126:5-6
126:5 涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。
126:6 種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう


口語訳 イザ 12:1
12:1 その日あなたは言う、「主よ、わたしはあなたに感謝します。
あなたは、さきにわたしにむかって怒られたが、その怒りはやんで、わたしを慰められたからです。


口語訳 イザ 40:1-2
40:1 あなたがたの神は言われる、「慰めよ、わが民を慰めよ、
40:2 ねんごろにエルサレムに語り、これに呼ばわれ、その服役の期は終り、そのとがはすでにゆるされ、そのもろもろの罪のために二倍の刑罰を/主の手から受けた」。


口語訳 イザ 61:3
61:3 シオンの中の悲しむ者に喜びを与え、灰にかえて冠を与え、悲しみにかえて喜びの油を与え、憂いの心にかえて、さんびの衣を与えさせるためである。こうして、彼らは義のかしの木ととなえられ、主がその栄光をあらわすために/植えられた者ととなえられる。


塚本訳 マタ 5:4
5:4 ああ幸いだ、『悲しんでいる人たち、』、(かの日に)『慰めていただく』のはその人たちだから。


塚本訳 黙  7:16-17
7:16 彼らは最早飢えず、最早渇かず、太陽も如何な暑さも(最早)彼らを襲わないであろう。
7:17 玉座の真中にい給う仔羊が彼らを牧し、彼らを生命の水の泉に導き、また神は彼らの目から悉く涙を拭い去り給うからである。」


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朝の啓示、黙想、瞑想、礼拝終わり。「神様ゴメンナサイ」と言う、否言うようになる人生が最高。

ゴメンナサイは、人生の途中でも晩年でも有効、否、死んで神の前に立たされてd時でもいいのだ。
神は罪を赦してくださる。罪を赦す神があって、人生は肯定できる。


●人生は来世で逆転する聖書的根拠は次である。

塚本訳 マタ 22:10-14
22:10 家来たちは道に出ていって、出会った者を悪人でも善人でも皆集めてきたので、宴会場は客で一ぱいになった。
22:11 王は客を見ようとして入ってきたが、そこに礼服を着けていない者が一人いるのを見て
22:12 その人に言った、『君、礼服も着ずに、なんでここに入ってきたのか。』その人が黙っていると、
22:13 王は家来たちに言った、『あの者の手足を縛って、外の真暗闇に放り出せ。そこでわめき、歯ぎしりするであろう。』
22:14 ──招かれる者は多いが、選ばれる者は少ないのだから。」

塚本訳 ルカ 16:19-26
16:19 (つぎに、利巧な番頭と反対に、神の国の準備をしなかった人の話を聞け。)一人の金持があった。紫(の上着)と細糸の亜麻布(の下着)を着て、毎日華やかに楽しく暮していた。
16:20 またその金持の門の前に、ラザロという出来物だらけの乞食がねていた。
16:21 せめて金持の食卓から落ちる物で満腹できたらと思った。それどころか、犬まで来て出来物をねぶっていた。
16:22 やがて乞食は死んで、天使たちからアブラハムの懐につれて行かれ、金持も死んで葬られた。
16:23 金持は黄泉で苦しみながら、(ふと)目をあげると、はるか向こうにアブラハムとその懐にいるラザロとが見えたので、
16:24 声をあげて言った、『父アブラハムよ、どうかわたしをあわれと思ってラザロをよこし、指先を水にひたしてわたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの焔の中でもだえ苦しんでおります。』
16:25 しかしアブラハムは言った、『子よ、考えてごらん、あなたは生きていた時に善いものを貰い、ラザロは反対に悪いものを貰ったではないか。だから今ここで、彼は慰められ、あなたはもだえ苦しむのだ。
16:26 そればかりではない、わたし達とあなた達との間には大きな(深い)裂け目があって、ここからあなた達の所へ渡ろうと思っても出来ず、そこからわたし達の所へ越えてくることもない。』



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3家族での新年会

口語訳 詩  133:1
133:1 見よ、兄弟が和合して共におるのは/いかに麗しく楽しいことであろう。


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長男に6年ぶりに子供が与えられた。初対面の従姉妹たちが非常に可愛がった。

塚本訳 ルカ 2:28-29
2:28 シメオンは幼児を両腕に抱き、こう言って神を讃美した。──
2:29 今こそ、主よ、あなたはこの僕をしてお言葉のとおり安らかに(この世に)暇乞いをさせてくださいます、


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